異世界でミリオタが現代兵器を使うとこうなる (往復ミサイル)
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序章
プロローグ1


第二部スタートです! よろしくお願いします!


 他のみんながはしゃいでいるというのに、俺は全くはしゃぐ気にはなれない。黙って自分の座席に腰を下ろし、前の席の奴と話す隣の席の奴の声を聞きながら、飛行機の小さな窓の外に移る大空と飛行機の翼を眺めるだけだ。

 

 俺の名前は水無月永人(みなづきながと)。普通の高校に通う17歳の男子だ。

 

 俺が黙っているのは友達がいないからというわけではない。むしろ、友達は何人もいる。部活で仲良くなった奴もいるし、中学校までは一緒だった奴らとも遊ぶこともある。

 

 やっと家から離れられるという安心感が、俺を寡黙にしているんだ。あの忌々しい父親(クズ)のいる家から離れることができる。友達たちといっしょに、これから修学旅行を楽しむ事ができる。俺が寡黙になっているのは、その安心感が原因だった。

 

 俺の父親は、クズだ。自分勝手な性格で、俺が小さい頃からよく母さんに暴力を振るっていた。自分の気に入らないことがあればすぐに暴力を振るうし、反論すれば俺まで殴られた。母さんはあんなクズ野郎の暴力に耐えながら俺を育ててくれたけど、2年前についに病気になり、他界してしまった・・・・・・。

 

 親父(クズ)は母さんが死んでも葬式に来ることはなかった。相変わらず家で酒を飲み、俺に暴力を振るって来るだけだ。

 

 何で母さんはあんなクソ野郎と結婚したんだろうか? 何で離婚しなかったんだろうか?

 

 あんな奴の子供とは思いたくない。あんな父親の血は受け継ぎたくない。

 

 小さい頃からあんな父親を見ているせいで、俺は父親というのは自分勝手な奴ばかりだと思っていた。

 

 母さんが死んでしまったから、当然ながら今は親父と2人暮らしをする羽目になっている。でも、今日から5日間は修学旅行だ。あのクソ野郎の事は考えなくていい。仲のいい友達と修学旅行を満喫するとしよう。

 

 当然ながら、クズ野郎に土産を買っていくつもりはないけどな。土産話をするつもりもない。

 

「楽しみだよな、永人(ビックセブン)!」

 

「漢字が違うだろうが。それは戦艦長門だろ? 俺は永遠の永に人って書いて―――――」

 

 話しかけてきた隣の奴にそう言うが、俺の隣の座席に腰を下ろす友人のうちの1人は、ニヤニヤ笑いながら話を続けるだけだ。銃や兵器が好きなミリオタとしては嬉しいニックネームだが、俺の名前とは漢字が違う。

 

 隣に座っている男子の名前は葉月弘人(はづきひろと)。中学校の頃から同じクラスになっている親友で、俺をミリオタにした張本人だ。中学校の頃は全く銃に詳しくなかったんだが、こいつと話をしているうちにいつの間にか俺までミリオタになっていたんだ。

 

 ちなみに俺は東側の武器が好きなんだが、弘人は西側の武器が好きらしい。好きな武器の話が始まると、中学の頃からいつも冷戦が勃発してたってわけだ。

 

 俺は窓の外を眺めるのを止め、隣に座っている弘人や、後ろの席に座っている奴らと話をすることにした。もう親父の事は全く考えていない。あんなクズの事は忘れてしまおう。

 

 そう思いながら後ろの席を振り向く最中に、ちらりと見えた窓の外の翼から、真っ黒な煙が生じているのが見えたような気がした。錯覚かと思いながらもう一度窓の方を凝視しようと思いながら振り向こうとしたその時、いきなりぐらりと飛行機が右に大きく傾き、クラスメイト達の楽しそうな雑談が同時に悲鳴に変わった。

 

 隣に座っていた弘人の頭突きを左肩に喰らい、押し出されるように右側にある窓に額を叩き付けられた俺は、強引に窓の外の光景を見る羽目になった。蒼い空と灰色の翼が見えている窓の外には、確かに黒い煙が見えている。その煙が発生しているのは、どうやら翼の下に搭載されているエンジンのようだ。

 

 今度はそのエンジンが火を噴き始める。続けざまに奥の方に搭載されているもう一つのエンジンも火を噴き上げながら木端微塵に吹き飛び、翼の先端部を道連れにして、俺たちの乗っている飛行機から逃げようとしているかのように、翼の破片と共に炎上しながら地上へと落下していく。

 

 右側の翼が掛けた飛行機は、そのまま右へと傾きながら急激に高度を落とし始めた。

 

 おかげで機内では、俺が身体を押し付けられている右側の壁に向かって、反対側の座席の方からいろんな物や乗客が落下してくる。

 

 俺はこのまま、飛行機と共に墜落して死ぬんだろうか?

 

 別にそれでもいいかもしれない。この修学旅行が始まれば、またあのクズ野郎の所に帰る羽目になるのだ。また暴力を振るわれる理不尽な生活に戻ることになるのであれば、ここで死んでしまった方が、もう暴力を受けることもなくなるだろう。

 

 もう、死んでもいいや――――。

 

『―――――そうだね。君はもう死ぬんだよ』

 

 絶叫の中から、そんな声が聞こえてきた。少女の声だろうか? 全く聞き覚えのない声だった。

 

 絶望に楽しみを全て取り上げられてしまった俺は、そう思いながらクラスメイト達の絶叫の中で瞼を閉じた。

 

 



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プロローグ2

 

 段々とクラスメイト達の絶叫が聞こえなくなっていく。そろそろ飛行機が地面に叩き付けられる頃だろうか。

 

 そう思いながらしばらく目を瞑っていたんだが、全く何も聞こえない。地面に叩き付けられた機体がへし折れる大きな音も、爆音も何も聞こえない。

 

「・・・・・・?」

 

 違和感を感じながら、俺はそっと目を開けた。

 

 目の前にあった筈の小さな窓も、その向こうに見えていた飛行機の千切れた翼も見当たらない。それに、俺が腰を下ろしていた筈の座席もない。

 

 目を開けているのにまだ目を閉じたままではないのかと思ってしまうほど真っ暗な場所に、俺はたった1人で突っ立っていたんだ。

 

 おかしいぞ・・・・・・。俺は確かに、あの墜落していく飛行機の中に乗っていた筈だ。あのまま飛行機と一緒に墜落して死んでいる筈なのに、俺は何でこんな真っ暗な場所にいる?

 

 もしかして、助かったのか? それともここがあの世なのか?

 

 全く明かりがない真っ暗な空間を見渡していると、いきなり俺の目の前の何もない空間が蒼白い光を放ち始めた。火の粉のような小さな光は凄まじい勢いで成長すると、俺の目の前で形を変え、文字の群れへと変貌する。

 

「なんだこれ・・・・・・?」

 

 それは、日本語で書かれたメッセージのようだった。

 

《水無月永人様、異世界へようこそ!》

 

「は?」

 

 え? 異世界? どういうこと?

 

 首を傾げながらそのメッセージを凝視していると、いきなりそのメッセージが弾け飛び、蒼白い光が今度はまるで俺がよく友達とプレイしていたゲームのようなメニューを形成し始める。

 

 メニューの中に並んでいたのは、『生産』、『装備』、『自分のステータス』、『仲間のステータス』、『好感度』、『トレーニングモード』、『アイテム』、『交換』の8つだ。何でいきなりこんなメニューが並び始めたのかと思っていると、再びそのメニュー画面の前に説明文が蒼白い文字で描かれ始めた。

 

《このメニューを開くには、メニューを開くように命令しながら片手を目の前に突き出してください。異世界で生き残るには、この能力は必須となります》

 

 異世界で生き残るには必須の能力だって? 異世界ってそんなに危ないところなのか?

 

 その説明文が消えるまでメニュー画面をじっと見つめていた俺は、恐る恐る右手を伸ばすと、一番上に表示されている『生産』と書かれているメニューをタッチした。

 

 すると、今度は『武器』、『兵器』、『能力』、『スキル』、『必殺技』、『カウンター』、『服装』の7つの項目が表示される。

 

《このメニューでは、様々な武器や能力を生産する事ができます。生産するには基本的にレベルアップの際に手に入るポイントを消費しますが、中には魔物や敵からドロップするものや、特定の条件を満たさなければアンロックされないものもあります》

 

 なんだこれ。まるでゲームじゃないか。

 

 そう思いながら、とりあえず武器をタッチすることにした。ミリオタである俺としては、出来るならば真っ先に銃を生産してみたいところだ。スキルとか能力は後回しで良いだろう。兵器も後にしておこう。本当にポイントを使って生産する必要があるならば、何だか大量のポイントを使いそうだ。それに俺1人では動かせないだろうからな。

 

 初期装備でいきなり戦車とかヘリを生産するのは愚の骨頂だぜ。そんな馬鹿なことをやった奴っているんだろうか?

 

 とりあえず、俺は武器をタッチした。すると今度は剣や槍などいろんな武器の種類が表示され始める。銃は生産できるんだろうか?

 

 そう思いながら画面の下を見てみると、無数の武器の項目の中にちゃんと『銃』と書かれている項目があった。本当に生産できるんだな。

 

 大喜びで銃をタッチすると、今度は銃の種類が表示される。なんと、最新式のアサルトライフルなどだけではなく、第二次世界大戦や第一次世界大戦の際に使われていたような旧式の銃まで生産できるようになっているらしい。すごいな。しかも、マスケットや火縄銃まで用意されてるぞ・・・・・・。

 

 とりあえず、リボルバーをタッチ。俺はリボルバーが好きなんだよね。

 

「何にしようかな・・・・・・」

 

 色んなリボルバーがある。コルト・パイソンやコルト・アナコンダも用意されてるのか。どちらも優秀なリボルバーだが、どうやらレベル5にならないと生産できないらしい。十中八九今の俺のレベルは1だろうからなぁ・・・・・・。レベル1で生産できるリボルバーってあるのか?

 

 そう思いながら下の方を見てみると、なんと巨大なリボルバーのプファイファー・ツェリスカが項目の中に並んでいた。.600ニトロエクスプレス弾という強烈な大口径の弾丸を使用するかなり強力なリボルバーなんだが、普通のリボルバーよりも巨大だ。

 

 もちろん、レベル1で生産できるような装備ではない。こいつを生産するにはレベルを20まで上げ、更にもう一つの条件を満たさなければならないらしい。

 

 もう一つの条件って何だ? 個人的には是非ともこいつにスコープを搭載してぶっ放してみたいんだが。

 

《アンロック条件『シングルアクション式のリボルバーを使い、ファニングショットで敵を50体倒す』》

 

「ファニングショット・・・・・・!?」

 

 ファニングショットまで出来るのか! 凄いな!!

 

 では、最初にシングルアクション式のリボルバーを生産してファニングショットの練習でもしておくとしよう。そう思った俺は、あるリボルバーの名前を探し始める。

 

「これだ・・・・・・!」

 

 こいつを生産しよう。俺はにやりと笑うと、人差し指でそのリボルバーをタッチした。

 

 俺が再生することにしたリボルバーは、アメリカ製シングルアクション式リボルバーのコルト・シングルアクションアーミーだ。西部開拓時代に大活躍したリボルバーで、ガンマンや保安官たちだけではなく、アメリカ軍でも採用されていた優秀な銃だ。

 

 初期装備にしては強力過ぎるんじゃないか?

 

 そう思いながら俺はシングルアクションアーミーを生産する。すると、今度は『カスタマイズ』と書かれたメニューが目の前に出現した。

 

《生産した武器はポイントを消費してカスタマイズする事ができます。様々なカスタマイズが出来るので、是非試してみてください》

 

「へえ・・・・・・!」

 

 メニューを確認してみると、スコープやドットサイトも装着できるようになっているらしかった。

 

 でも、ポイントも少ないしカスタマイズする必要はないだろう。特にカスタマイズはせずに画面を閉じると、再び蒼白い光が説明文を俺の目の前に形成した。

 

《では、これより異世界に向かいます》

 

「え?」

 

 ちょっと待ってよ。まだ初期装備を1つしか生産してないんだけど!?

 

 シングルアクションアーミー1丁で異世界に行けって事か!? 

 

《水無月永人様、頑張ってください!》

 

「頑張ってくださいじゃねーよッ! ちょっと待てよ――――――」

 

 せめてもう1丁生産して2丁拳銃で戦ってみたかったなぁ・・・・・・。

 

 他にもいろんな疑問が浮かんできたが、突然現れた真っ白な光が真っ黒な空間を呑み込み始め、俺が浮かべた疑問を薙ぎ払うように、黒い空間もろとも俺を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 産声が聞こえてくる。近くで赤ん坊でも泣いているんだろうか?

 

 血と薬品の臭いがする中で、俺は静かに目を開いた。そう言えば、俺は何で目を瞑っていたんだろうか?

 

 あ、そうだ。あの真っ黒な空間で初期装備を1つ生産したと思ったら、真っ白な光に呑み込まれて、びっくりして目を瞑ってたんだ。

 

 ここはどこだ・・・・・・? 

 

『無事に生まれましたよ、力也さん』

 

 周囲を見渡そうとしていると、少し幼い少女の声が聞こえてきた。声の聞こえた方向に頭を向けてみようと思うんだが、首があまり動かない。

 

 何とかして首を動かそうと思いながら足掻いていると、俺の目の前に真っ白な長い髪の少女がやってきて、微笑みながら俺の顔を覗き込み始めた。顔つきは少し幼いような感じがするけど、冷静で大人びているような感じがする。見た目は12歳くらいだろうか。

 

 すると、その少女の後ろからやって来た赤毛の男性が、嬉しそうに微笑みながら同じように俺の顔を覗き込み始めた。随分と若い男性だな。20代前半くらいだろうか。瞳の色は炎のように真っ赤で、よく見ると頭の左側からはまるでダガーの刀身のような角が生えている。

 

 何だ、この男は? 人間じゃないのか?

 

「この子たちが・・・・・・俺たちの子供か」

 

 え? 子供?

 

 一体何を言ってるんだ? 俺は17歳の高校生だぞ? 確かに子供だが、俺はあんたの子供じゃないぜ?

 

「それにしても可愛らしいのう・・・・・・。こいつら、きっと大きくなったら立派なドラゴンになるぞ」

 

 え? ドラゴン?

 

 ちょっと待って。俺は人間だよ?

 

「ふふっ・・・・・・。何を言っているのだ。この子たちは・・・・・・人間とドラゴンの血を受け継いでいるんだぞ・・・・・・」

 

 すると、俺の顔を覗き込んでいる男性の反対側から、今度から蒼い髪の女性が俺の顔を見下ろし始めた。

 

 何だか疲れているようだが、それでも凛々しい雰囲気を放つ綺麗な女の人だった。その女性は俺を見下ろしながら嬉しそうに微笑むと、痙攣する手を伸ばし、優しく俺の頭を撫で始める。

 

 その時、俺はその女性に抱き上げられているということに気が付いた。

 

 おかしいぞ。俺は柔道部に所属していて、身体を鍛えているから体重は重い筈だ。いくら大人の女性でもこんな感じに微笑みながら片手で抱き上げ、頭を撫でるのは不可能だろう。

 

『それにしても、この赤ちゃんはエミリアさんにそっくりですねぇ・・・・・・』

 

 は? 赤ちゃん?

 

 嘘だろ?

 

 その時、一瞬だけ自分の右手が見えた。その手は今まで柔道で鍛えてきたがっちりしている見慣れた右手ではなく、本当に赤ん坊のように小さな、弱々しい右手だった。

 

 まさか、今の俺は赤ん坊になってるのか・・・・・・!?

 

 



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第1章
転生者が異世界で生活するとこうなる


 

「それじゃ、仕事に行ってくるよ」

 

「行ってらっしゃい、ダーリンっ!」

 

「おとうさん、いってらっしゃい!」

 

 私服姿でカバンを片手に持った赤毛の男性を、蒼い髪の女性と共に玄関で見送る。赤毛の男性は微笑みながら俺の頭の上にがっちりとした右手を置くと、俺の頭をそのでかい手で撫でてから家の外へと向かって歩き出した。

 

 この世界に生まれ変わってからは、自分の母親たちと玄関まで父親を見送りに行くのが日課になっている。

 

 飛行機事故で死亡した俺は、あの奇妙な真っ黒な空間で能力についての説明をされた後、あの説明文に書いてあった通りに異世界に飛ばされた。だが――――確かに異世界へとやって来たんだが、赤ん坊の状態だったんだ。

 

 あの世界で死んだ水無月永人(みなづきながと)は、この異世界でさっきの赤毛の男性と、今頃キッチンで皿を洗っているもう1人の女性の間に生まれた『タクヤ・ハヤカワ』という名の少年として生まれ変わってしまったらしい。

 

 これが輪廻転生というものなんだろうか。

 

 しかも、俺が生まれ変わったのはあの世界のように機械が存在する世界ではなく、なんと魔物や魔術が存在する中世のヨーロッパのような世界だ。魔物から街を守るために騎士団や傭兵が魔物に戦いを挑み、未だ解き明かされていない未開の地を調査するために冒険者たちがダンジョンへと挑む異世界。これが、俺が生まれ変わった次の世界だ。

 

「さてと。私はエミリアちゃんのお手伝いをしてこないとね」

 

「おかあさん、がんばって!」

 

「ふふっ。ありがとね、タクヤ」

 

 俺の隣で微笑んでいる女性は、あの赤毛の男性のもう1人の妻である『エリス・ハヤカワ』。優しそうな雰囲気を放っている蒼い髪の女性で、俺にとってはもう1人の母親だ。俺を生んでくれた母親の実の姉らしい。

 

 なんと今度の俺の親父は、美人の姉妹を2人とも自分の妻にしてしまったらしいんだ。日本ではありえないんだが、この異世界では一夫多妻制はごく普通らしく、貴族の中には10人以上も妻がいる奴がいるらしい。

 

 羨ましいなぁ・・・・・・。俺に彼女はいなかったからデートに行ったりキスをしたこともなかったし、それに子供がいるって事は・・・・・・抱いちゃったって事だろ? こんな綺麗な女の人をさ。しかも2人も。

 

 前世の親父はクズ野郎だったが、今度の親父は許せないな。美女を2人も抱きやがって。

 

「それにしても、タクヤって本当にお母さんにそっくりよねぇ・・・・・・」

 

「そ、そうですか?」

 

「ええ。まるでエミリアちゃんが小さくなっちゃったみたい」

 

 そう言いながら俺の頭を撫でてくれるエリスさん。美女に頭を撫でられてニヤニヤしながら廊下を歩いていると、すぐにリビングが見えてきた。

 

 リビングの奥にあるキッチンの方では、エプロン姿のポニーテールの女性が、朝食で使った皿を水で洗っているところだった。髪型は違うが後姿は俺の頭を撫でているエリスさんにそっくりだ。

 

 彼女が俺を生んでくれた母親の『エミリア・ハヤカワ』。エリスさんの妹だから顔つきは本当にそっくりなんだが、纏っている雰囲気は全然違う。エリスさんは一緒にいる人を癒してくれるような優しい雰囲気を纏っているんだけど、母さんは一緒にいる仲間の士気を上げるような凛々しさを纏っている。

 

 母さんは俺が住んでいるこの『オルトバルカ王国』の隣にある『ラトーニウス王国』出身で、元々は騎士団に所属していたらしい。でもある日、この世界に俺と同じように転生してきた親父と出会った母さんは、親父に許婚の元から連れ出され、まるで駆け落ちでもするかのように追手を返り討ちにしながらこのオルトバルカ王国へと亡命。一緒に傭兵ギルドを結成し、傭兵として活躍しながらついに結婚したらしい。

 

 母さんたちの若い頃の話はまるでマンガやアニメの物語みたいだったけど、一番驚いたのは俺の親父もこの世界の人間ではなく、俺と同じ世界からこの異世界へとやって来た転生者だということだ。

 

 今度の親父の名前は『リキヤ・ハヤカワ』。正確には『速河力也』なんだが、戸籍上はそのように表記されているらしい。

 

 その親父の仕事なんだが、親父は結婚して子供もいるというのにまだ傭兵を続けている。傭兵を続けているのは彼だけではなく母さんとエリスさんも同じなんだが、2人には子育てをお願いしているらしく、実質的に仕事を続けているのは親父だけだ。

 

 この異世界の傭兵も、基本的には前の世界の傭兵と同じだ。クライアントから報酬をもらう代わりに依頼を成功させる。基本的に傭兵の出番は騎士団が魔物の迎撃に対応しきれない時に代わりに迎撃するという状況が多いんだが、それ以外にも危険な魔物の討伐や、中には要人の暗殺など様々な依頼が来るらしい。

 

 親父は母さんたちと共に『モリガン』という傭兵ギルドを結成し、未だに現役として戦場で戦っているらしいんだが、そのモリガンは世界最強の傭兵ギルドと言われているらしく、モリガンが有名過ぎるせいで他の傭兵ギルドに全く仕事が来ないようだ。

 

 それはそうだよなぁ・・・・・・。だって、剣や魔術で戦うのが主流になっている異世界で、親父は現代兵器を使ってるんだからさ。

 

 実際にぶっ放しているところは見たことがないんだが、よく帰ってくる時に背中にアサルトライフルやショットガンを背負ってるし、稀に私服ではなく軍隊で使われているような迷彩模様のコート姿で仕事に行く事もある。

 

 遠距離から威力の高い弾丸をぶっ放せる武器を持ってる人間に、剣や弓矢で勝てるわけがない。銃は弓矢よりも射程距離が長いし、剣は弓矢よりも接近しなければならない。どちらも射程距離に入る前に撃ち殺されて終わりだ。

 

 この異世界の人々には魔術という切り札もあるんだが、発動させるには詠唱が必要なものもある。もちろん詠唱をせずに発動できる魔術も存在するんだが、銃に撃たれる前に攻撃できるほど射程距離が長い魔術は詠唱が必要だし、魔力も消費する羽目になる。

 

 銃に比べると、異世界の攻撃手段はどれも使い勝手が悪すぎるんだ。しかもこの世界の人々は銃を知らないから、対処法も知らない。

 

 リビングをうろうろしていると、キッチンで皿を洗い終えた母さんが、手を拭いてエプロンを畳んでから俺の方へとやって来た。凛々しい雰囲気を放つ母親なんだが、自分の息子の前ではエリスさんと同じように優しい雰囲気を放っている。

 

「パパはちゃんと見送ったか?」

 

「うん」

 

 ああ、ちゃんと美女を2人も抱いて子供を作っちまう変態親父をちゃんと見送ってきましたよ、お母さん。

 

 心の中で今の親父への悪口を思い浮かべながらにこにこと笑っていると、俺の近くにやって来た母さんがしゃがんでから俺の頭を撫で始めた。

 

 やがて俺の頭を撫でていた母さんの真っ白な手が、俺の頭から生えている異様なあるものに触れる。母さんはそれに触れた瞬間に少しだけ目を細めたけど、すぐに優しい目つきに戻ると、俺の頭を撫でるのを止める。

 

 母さんに撫でられてからすぐに、俺も自分の頭から生えているあるものへと手を伸ばす。

 

 それは―――――角だった。

 

 普通の人間ならば決して生えることのないもの。髪に隠れてしまう程度の長さの短い角が、俺の頭の左右から生えているんだ。どうやらこれは父親からの遺伝らしい。

 

 それだけではない。俺の腰の後ろからは、父親の遺伝のせいでもっとヤバい物が生えている。

 

 腰の後ろから生えているのは、蒼い外殻と鱗に覆われた、まるでドラゴンのような尻尾だ。これも父親からの遺伝らしいんだが、俺の父親は元々は人間である筈だ。いったい何があったんだろうか?

 

 言葉が話せるようになってから、母さんに「どうしてぼくとおとうさんにはつのとしっぽがあるの?」と幼児のふりをして聞いてみたんだが、母さんは苦笑いして誤魔化すから分からない。エリスさんも同じだ。

 

 外出する時は服の中に入れて隠している尻尾に触れた俺は、もう一度角に触れた。

 

「タクヤ、悪いがお姉ちゃんを起こしてきてくれるか?」

 

「はーいっ」

 

 返事をしながら、俺はふと壁に掛けてある時計を見上げた。朝食を食べ終え、親父が出勤した時刻になっているというのに、俺の腹違いのお姉ちゃんはまだベッドの上で毛布をかぶりながら夢を見ているらしい。

 

 いつも目を覚ますのが遅い姉を起こすのも、俺の日課だ。

 

 よし、この調子でしっかり者の弟になろう。前世は親父がクズだったせいで自分の事は自分でしなければならなかったから、その調子で過ごしていればすぐに俺はしっかり者の弟だと思われることだろう。

 

 リビングから廊下に出て、すぐ目の前にある2階への階段を上る。階段はよく軋む音を立てるため、静かに上っているつもりでも階段の軋む音のせいで全く意味はない。でも、俺の腹違いのお姉ちゃんはそんな軋む音を立てても、まったく目を覚まさない。

 

 階段を上った俺は、親たちの寝室の前を横切って子供部屋のドアを開けた。子供部屋の床には柔らかい絨毯が敷かれていて、その上には積み木がぎっしりと入っている木箱が鎮座している。その周囲に重ねて置いてあるのは幼児向けの絵本だ。

 

 転生する前は17歳の少年だった俺としては、幼児向けの絵本よりもマンガが読みたいんだよなぁ・・・・・・。親たちの寝室には、趣味なのか、それとも若い頃から持っていたのか、色んなマンガが本棚に並んでるんだよな。たまにこっそり読みに行くんだが、親にはバレないように気を付けないといけない。一応まだ読み書きは少ししかできないということになってるからな。だから絵本も読んでもらっているし、自分で読んでも字が読めないから絵だけ見ているということになっている。

 

 幼児のふりをするのも大変だな。早く成長したいもんだ。

 

 ちなみに、この世界には義務教育というのは存在しない。学校はあるんだが、通っているのは裕福な家の子供や貴族の子供ばかりで、平民の子供は基本的に家で両親から教わるか、読み書きができないまま育つ事が多いようだ。

 

 俺は積み木の入っている箱の近くを通過すると、窓側に鎮座している子供用の小さなベッドへと向かった。小さなベッドだが、3歳児が2人並んで眠っても狭くない程度の大きさだ。

 

 そのベッドの上にかけてあるウサギの柄の毛布をかぶり、寝息を立てている幼い少女を、今から俺は起こさなければならない。

 

「・・・・・・ラウラ、おきて?」

 

「うぅー・・・・・・」

 

「ラウラ、もうあさだよ。ごはんたべないと」

 

「ふにゃ・・・・・・やぁ・・・・・・」

 

 やっぱり、語り掛けながら身体を揺するだけじゃ起きないか。まったく、困ったお姉ちゃんだ。

 

 もう少し強めに揺すってみる。毛布をかぶりながら眠っている幼女は小さな声で何かを言いながら必死に毛布を掴むけど、このまま寝かせておくわけにはいかないんだよね。ちゃんとご飯は食べないとだめだぞ。

 

「ラウラ? ・・・・・・おねえちゃんっ」

 

「ん・・・・・・わかったよぉ・・・・・・」

 

 ほら、早く起きろ。

 

 そう思いながら強引に毛布を引き剥がすと、その毛布をかぶっていた少女は、ぼさぼさになった赤毛を払ってから瞼をこすり、ゆっくりとベッドから起き上がった。

 

 彼女が俺の腹違いの姉の『ラウラ・ハヤカワ』。変態親父とエリスさんの間に生まれた娘だ。彼女と俺は同い年なんだが、生まれてきたのがラウラのほうが数分だけ早かったため、俺は同い年の弟ということになっている。

 

 だから、姉弟なんだがどちらかと言えば双子みたいな感じだ。俺と顔つきもそっくりだし。

 

「う・・・・・・タクヤぁ・・・・・・?」

 

「おはよう、ラウラ」

 

「ふにゅ・・・・・・あれ? パパは?」

 

「もうおしごとにいったよ」

 

「えぇ!?」

 

 眠そうだったラウラの赤い瞳がいきなり見開かれたかと思うと、お姉ちゃんは大慌てで子供部屋の時計を見上げた。彼女もまだ俺と同じく読み書きは出来ないんだが、時計の針の位置で何時なのか把握しているらしい。

 

 既にいつも変態親父が出勤する時間を過ぎていることを知ったラウラは、頭を抱えながら再び毛布に顔をうずめ始めた。

 

「うぅ・・・・・・もっとはやくおきないとぉ・・・・・・」

 

「あはははっ。ほら、はやくごはんたべてね」

 

「うん。・・・・・・はぁ。パパ、はやくかえってこないかなぁ・・・・・・」

 

 窓の外を見つめながら呟くラウラ。彼女は寝坊する事が多く、あの変態親父を見送る事ができないため、親父が帰ってくると真っ先に玄関に向かって飛び出して行って出迎えている。

 

 今日もいつものように父親を見送れずに落胆するラウラ。そんな彼女の頭からも、俺と同じ形状の角が2本生えている。赤毛に隠れてしまう程度の長さの角で、形状はダガーの刀身のような形状だ。根元の方は黒いんだけど、先端部に行くにつれて炎のように真っ赤になっている。

 

 ちなみに俺の角は逆で、先端部はサファイアのように蒼くなっている。

 

 もちろん、ラウラの腰の後ろからもドラゴンのような尻尾が生えている。でも彼女の尻尾は俺みたいに外殻には覆われておらず、鱗に覆われているだけだ。

 

 ベッドから立ち上がったラウラが、もう一度あくびをしながら俺に向かって手を伸ばしてくる。手を繋いで一緒に下に降りようということなんだろう。リビングまではすぐなのに・・・・・・。

 

 でも、拒否しようとしても「おねえちゃんのいうことはきかないとだめなのっ!!」って怒るからなぁ・・・・・・。

 

 まったく。成長して美少女になったら今度は俺の事を起こしてくれよ、お姉ちゃん。

 

 苦笑いした俺は、嬉しそうに笑うラウラと手を繋ぐと、一緒に子供部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 洗面所に誰もいないことを確認した俺は、もう一度周囲を見渡してから左手を突き出した。母さんは今頃キッチンで夕飯を作っているし、ラウラはリビングでエリスさんに絵本を読んでもらいながら親父の帰りを待っている頃だ。

 

 身体は3歳児になっちまったが、転生した時に手に入れた能力は使えるらしい。メニュー画面を開いた俺は、生産したばかりのシングルアクションアーミーを試しに装備してみることにした。

 

 装備と書かれているメニューをタッチし、装備する武器を選択。生産したのはシングルアクションアーミーだけだから装備できる武器はそれしかない。

 

 選択を済ませてメニュー画面を閉じようとした瞬間、いきなり腰の右側辺りが重くなったような気がした。片手を動かしてメニュー画面を閉じながら腰の右側を見下ろしてみると、いつの間にか黒い革のホルスターに収まったコルト・シングルアクションアーミーが装備されていたんだ!

 

 ほ、本物だよな・・・・・・!?

 

 興奮しながら、俺はホルスターの中からリボルバーを引き抜く。さすがに3歳児の小さな手ではグリップを片手で握るのは難しい上に重く感じたが、シリンダーの中にはどうやらちゃんと弾丸が装備されているようだ。

 

 ぶっ放したいところだが、家の中だし、そろそろあの変態親父が帰ってくる頃だろう。こいつをぶっ放すのは後にしないと。

 

 もう一度メニュー画面を開いて装備を解除する。ホルスターごとリボルバーが消滅したのを確認した俺は、後ろを振り返ると廊下に向かって歩き出す。

 

 リビングに向かおうとしていると、リビングの方からいきなりベレー帽をかぶった赤毛の少女が姿を現した。ラウラにしては身体が大きいし、目つきもラウラより鋭い。それに、腰の後ろから伸びている尻尾はラウラと違って外殻に覆われているし、その外殻には紅い古代文字のような模様が浮かび上がっている。

 

 まるでラウラの姉のような感じの、8歳くらいの少女だ。

 

「む、タクヤ。洗面所で何をしておるのだ?」

 

「あ、ガルちゃん・・・・・・」

 

 この少女は、実は人間ではない。俺たちが生まれる前に親父たちが火山で仲間にした、『ガルゴニス』という伝説のエンシェントドラゴンらしい。

 

 信じられないんだが、親父たちとの戦いで魔力をほとんど失ってしまったガルゴニスは、親父から魔力を分けてもらってこんな姿になっているらしい。本当は戦艦並みの巨体と砲弾も通用しないほど分厚い外殻を持つ巨大なドラゴンの姿だと言っているんだが、魔力を失ったせいでもうその姿に戻ることは出来ないようだ。

 

 親父の魔力に含まれていた遺伝子情報を参考にしているから、顔つきは少し親父に似ている。目つきは非常にそっくりだ。俺たちと血がつながっているわけではないんだが、よく俺たちの遊び相手になってくれるしっかり者の姉だ。みんなは「ガルちゃん」と呼んでいる。

 

「えっと、そろそろごはんだから・・・・・・てをあらってたんだ」

 

「ほほう、そうか。お前はしっかり者じゃのう。大きくなったらお前はきっと立派なドラゴンになるぞ!」

 

「あはは・・・・・・」

 

 え? 立派なドラゴンになるの?

 

 苦笑いをしながら彼女とすれ違った俺は、リビングで絵本を読んでもらっていたラウラの隣に腰を下ろすと、壁に掛けられている時計を見上げた。

 

 今日は帰ってくるのが遅れるかな?

 

 出来るならば、そろそろ銃をぶっ放してみたいところなんだが・・・・・・。

 

 そういえば、最近の親父は休日によく狩りに行くようになったな。休日になるとライフルを肩に担いで、この家を囲んでいる森へと動物を狩りに行っているようだ。

 

 俺も狩りに連れて行ってもらえないかな・・・・・・。

 

 そんなことを考えながら、俺はもう一度時計を見上げた。

 

 

 



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転生者がパパと一緒に狩りに行くとこうなる

 

 親父が帰ってきたのは、いつもよりも遅かった。

 

 いつもは6時くらいには帰ってくるんだが、今の時刻は午後7時だ。仕事が長引いたんだろうか?

 

 廊下の方からラウラに手を引っ張られながらリビングへとやって来た親父は、オリーブグリーンとモスグリーンの迷彩模様の上着を椅子に掛けてから腰を下ろす。先ほどまで銃をぶっ放していたのか、俺の近くに腰を下ろした親父の身体からは火薬の臭いがする。

 

 親父から火薬の臭いがするのはいつもの事だ。依頼を引き受ければライフルを肩に担ぎ、魔物や人間に向かってぶっ放すのが親父の仕事。現代兵器を主に使う以上は必ず付き合わなければならない臭いだ。最初のうちは物騒な臭いだと思ってたんだが、最近は全く気にならなくなっている。

 

 俺の隣の椅子に腰を下ろしたラウラが、手を合わせて元気に「いただきますっ!」と言ってから、目の前の皿に置かれているパンに向かって手を伸ばす。俺も同じように言ってからスプーンを拾い上げると、まだ湯気を出しているシチューの皿の中へとスプーンを潜り込ませた。

 

 いつも料理を作ってくれるのは母さんだ。エリスさんは母さんが料理を作っている間は俺たちの遊び相手をするか、洗濯物を畳んでいる。何で料理を作らないんだろうか? もしかして、料理が下手なのか?

 

 母さんの料理は、前世の俺の料理よりも美味い。あの前のクズ野郎の分も作ってやってたんだが、あいつはいつも文句ばかり言ってたからな・・・・・・。

 

「ねえ、パパ! あしたのおしごとはおやすみ?」

 

「ん? ああ。どうしたんだ?」

 

「あしたは狩りにいくの?」

 

「狩り? ああ、行くよ?」

 

 なんだ? ラウラも狩りに行きたがってたのか?

 

 もし出来るならば、俺も狩りに連れて行ってもらいたいものだ。もしかしたら銃をぶっ放せてもらえるかもしれないし、最強の傭兵ギルドに所属している傭兵が銃をぶっ放すのを見る事ができるかもしれない。

 

 今の親父は前世で彼女がいなかった俺からすれば美女を2人も押し倒した許しがたい変態親父だが、彼が銃を使っているところを是非見てみたい。

 

「ねえ、ラウラも狩りにいきたい!」

 

「ラウラも? 危ないぞ?」

 

 まだ3歳児だからなぁ・・・・・・。

 

 この家が建っているのは、ネイリンゲンという街の外れにある小さな森の中なんだが、この森には他の森と違って魔物が生息していないんだ。数年前に騎士団がここに生息していた魔物を掃討してしまったらしく、ここに生息しているのは草食動物や肉食動物だけらしい。

 

 肉食動物も生息しているから危ないよなぁ・・・・・・。やっぱり、連れて行ってもらえないのかな。

 

 どうしよう。諦めようかな? でも、やっぱり行ってみたいなぁ・・・・・・。俺もお願いしてみようかな。

 

「だいじょうぶだもん!」

 

「おとうさん、ぼくも狩りに行きたいな・・・・・・」

 

「タクヤもか? うーん・・・・・・」

 

 お願いです、お父さん。連れて行ってくださいよぉ。

 

 腕を組みながら悩む親父。もしかしたら頷いてくれるんじゃないかと思っていると、俺の向かいの席でシチューを口へと運んでいたエリスさんが、目を細めながら首を横に振る。

 

「ダメよ、ラウラ」

 

「えぇ!? ママ、なんで!?」

 

「森には狼さんや熊さんがいるのよ? 食べられちゃったらどうするの?」

 

「たべられないもん! ラウラがやっつけちゃうんだから!」

 

 そう言って胸を張るラウラ。でも、剣術も習っていない上に魔術も使った事がない3歳児では肉食動物に太刀打ちできるわけがない。あっさり食い殺されるだけだ。もし剣術と魔術を学んでいたとしてもあまり結果は変わらないだろう。

 

「ねえ、おとうさん。おねがい」

 

 もう一度頼んでみる。これで断られたら諦めるしかないな。もう少し成長するまで待つしかない。

 

 俺とラウラは悩む親父の顔をじっと見つめていた。さすがに母親に反論してまでお願いしてくる2人の子供に見つめられると、大黒柱でもかなり悩んでしまうようだ。

 

 すると、親父はちらりと母さんの方を見た。逃げたのかと思ったが、どうやらまだ俺たちが狩りに行く事について止めようとしていない母さんに判断してもらおうと思っているらしい。エリスさんも親父のその視線に気づいたらしく、エプロンを外してからパンをガルちゃんの皿の上に置く母さんの方を見つめる。

 

 見つめられていることに気付いた母さんは、にやりと笑いながら自分の分のパンを手に取った。

 

「・・・・・・私たちの子供だ。大丈夫だろう」

 

「エミリア・・・・・・」

 

 おお、いいのか!?

 

 お母さんは賛成してくれるって事だよな! さすがお母さん!! 俺、絶対成長したら主にお母さんに親孝行するよ!! お母さん、本当にありがとうッ!!

 

「やった!」

 

「ありがとう、おかあさん!」

 

 ラウラと一緒に大喜びする俺を見て、パンを齧っているガルちゃんがニヤニヤと笑っている。その隣に座るエリスさんは、苦笑いしながら肩をすくめていた。どうやらこれ以上は反論しないらしい。

 

 母さんが狩りに行っていいと認めてしまったから、自分も認めるつもりなんだろう。

 

「ただし、お前たちは銃を撃っちゃダメだ。パパの狩りを見学するだけだからな?」

 

「はーいっ!」

 

「うん、おかあさん!」

 

 優しいお母さんだなぁ・・・・・・。

 

 ありがとう、お母さん。

 

 

 

 

 

 

 

「パパ、はやくはやく!」

 

「あはははっ。ラウラ、はぐれるなよ?」

 

 巨大な木の根の上に乗って手を振るラウラ。元気がいいお姉ちゃんだが、はぐれてしまわないか心配だ。俺は親父に手を繋いでもらいながら歩いている。

 

 変態親父と手を繋ぐ羽目になったが、はぐれる心配はないし、パパが肩にかけている得物を間近で見る事ができる。

 

 親父が肩にかけているのは、イギリス製ボルトアクション式ライフルのリー・エンフィールド。第一次世界大戦と第二次世界大戦で使用されたライフルで、世界大戦の後にインドで改良されたタイプや、弾薬を別のものに変更してスナイパーライフルに改良したL42A1もある。親父が肩にかけているのは、第一次世界大戦中に使用されたリー・エンフィールドMkⅢだ。

 

 ボルトアクション式というのは、1発ぶっ放したら銃身の横に装着されているボルトハンドルというハンドルを引く必要のあるライフルの事だ。第二次世界大戦の頃のライフルは殆どこのボルトアクション式か、アメリカのM1ガーランドのようにボルトハンドルを引く必要のないセミオートマチック式のどちらかだった。

 

 このライフルの特徴は、他のボルトアクションライフルよりも弾数が多い上に連射がし易いという点だろう。ロシア製のモシン・ナガンや日本製の三八式歩兵銃の弾数は5発なんだが、なんとこのリー・エンフィールドは10発も弾丸をマガジンの中に入れておく事ができる。弾数が他のボルトアクションライフルよりも多いため、何度も再装填(リロード)する必要がない。しかもボルトハンドルを素早く引く事ができるため、連射速度でも他のボルトアクションライフルを上回っていたんだ。

 

 使用する弾薬は、旧式だが大口径で攻撃力の高い.303ブリティッシュ弾だ。

 

 親父はそのイギリス製のボルトアクションライフルに、狙撃用のスコープを装着していた。

 

 凄いな。銃が存在しない筈の異世界で、本物のリー・エンフィールドが見られるなんて・・・・・・。

 

「ねえ、おとうさん」

 

「ん?」

 

「いつか、ぼくにも銃のうちかたを教えてくれる?」

 

「おう、もう少し大きくなったらな。その時はお姉ちゃんも一緒だぞ?」

 

「うんっ!」

 

 やった!

 

 何歳くらいになったら教えてくれるんだろうか? 5歳か6歳くらいか? 10歳だったらあと7年も待たないといけないから、出来るならば5歳か6歳くらいの時に教えてほしいなぁ・・・・・・。

 

「あ、パパ!」

 

「ん?」

 

「しかさんがいるよ!」

 

「鹿?」

 

 なんだ? もうラウラは獲物を見つけたのか?

 

 おいおい、お父さん。しっかりしてくれ。3歳の娘に先を越されてるじゃねえか。

 

 ラウラが指を指す方向には、確かに鹿が見えた。俺たちに背を向けた状態で倒木の周囲に生えている草を食べているようだ。がっしりした体つきの鹿で、頭からは立派な角が生えている。

 

 はしゃいでいるラウラの声は聞こえていた筈だが、鹿はまだ草を喰い続けている。天敵になる魔物がいないせいで、警戒心が半減しているのか?

 

 親父も鹿を発見したらしく、肩にかけていたリー・エンフィールドの銃床を肩に当てながらトリガーに指をかけ、スコープを覗き込む。ちらりと銃を構えている親父を見上げていると、スコープを覗く親父の真っ赤な目が一瞬だけ見えた。

 

 その目つきは、いつもの優しい親父の目つきではない。戦場で敵に銃を向け、何人も敵を葬ってきた傭兵の鋭い目つきだ。もし親父がスコープを覗き込まず、こんな目つきで俺の事を睨みつけてきたら、俺は一瞬で戦意を恐怖で台無しにされてしまうに違いない。親父の目を見ただけでビビってしまってるんだからな。

 

 やっぱり、この変態親父は本当に最強の傭兵なのかもしれない。

 

「2人とも、耳を塞いで」

 

「うんっ!」

 

 親父ではなく、今から親父に仕留められる鹿を見つめていたラウラが元気に返事をしてから耳を塞ぐ。俺もしゃがみながら耳を塞ぐが、親父の滅茶苦茶怖い目を目の当たりにしてしまったせいなのか、ラウラみたいに笑えない。

 

 目つきがマジで全然違うんだよ。別人じゃないかと思っちまったほどだ。

 

 その直後、俺のすぐ近くで轟音が響き渡った。親父がついにトリガーを引いたんだ。リー・エンフィールドの銃声で恐怖をすべて吹き飛ばされた俺は、一瞬だけ親父が構えているライフルを見上げてから鹿を凝視する。

 

 親父がぶっ放した.303ブリティッシュ弾は轟音を引き連れながら巨木の群れの真っ只中を疾駆すると、途中で木の幹に激突することなく倒木の近くへと達し、銃声を聞いて大慌てで逃げようとしていた鹿の後頭部を直撃した。

 

 .303ブリティッシュ弾の運動エネルギーに突き飛ばされた鹿は大きな角をぐらりと揺らすと、そのまま目の前にある自分が食べていた草むらに顔面を押し付けるように崩れ落ちてしまう。

 

 後頭部を弾丸で撃ち抜かれたんだ。いくら異世界の鹿でも即死だろう。

 

 銃身の右側に装着されているボルトハンドルをがっちりとした右手で引き、空になった薬莢を排出する親父。獲物を仕留めたことを確認した親父は静かにライフルを下ろすと、まだ銃声の残響が飛び回る森の中で俺の顔を見下ろした。

 

 距離は100mくらいだったが、更に遠距離の敵にも何度も命中させたことがあるんだろう。目を輝かせながら親父の顔を見上げていると、同じく目を輝かせながら鹿を凝視しているラウラの「すごい・・・・・・! しかさんをやっつけた!」というはしゃぐ声が聞こえてきた。

 

 俺は実物のリー・エンフィールドを目の当たりにして目を輝かせているのに・・・・・・。

 

「よし、今夜はママたちに鹿肉でご飯を作ってもらおうな」

 

「わーいっ! おにくだぁっ!」

 

 お姉ちゃん、はしゃぎ過ぎだよ・・・・・・。

 

 それにしても、随分とでかい鹿だな。前に俺がいた世界の鹿よりもでかいんじゃないか? 

 

 親父は周囲に肉食動物がいないか確認すると、ライフルを肩に掛けてから仕留めたばかりの鹿の死体に向かって走り出した。運び始めるつもりなんだろうか?

 

 確かに、あの鹿はでかい。1頭だけでも今日の夕飯の食材はそろっているようなものだし、肉だけでなく毛皮や角も街に行けば売る事ができるだろう。前に母さんが街まで買い物に連れて行ってくれたことがあったんだが、この世界にはスーパーマーケットが存在しないため、殆ど露店や小さな店で食材や日用品が販売されている。中には魔物の素材や奇妙な壷を販売している露店もあった。

 

「ラウラ、いこう」

 

「うんっ!」

 

 俺ははしゃぎ続けるラウラの手を引くと、親父を見失う前に親父の方へと向かって走り出した。すると親父はちらりとこっちの方を見てから、何故か慌てて巨大な雄の鹿をおんぶし始めた。どうやら鹿の頭に開いている風穴を見せないようにしているらしい。

 

 俺たちは3歳児だからな。俺は大丈夫かもしれないが、ラウラが見たらトラウマになるかもしれない。

 

「ねえ、パパ。もう狩りは終わり?」

 

「うーん・・・・・・こんなに大きな獲物を仕留めたからなぁ・・・・・・。これ以上仕留めても、持って帰るのは大変だよ」

 

 そうだよな。運ぶのが大変そうだし。

 

「えー!? もうおわり!?」

 

「あはは・・・・・・ごめんな、ラウラ」

 

「うー・・・・・・やだやだ! まだおわっちゃだめなのっ!」

 

 いきなり駄々をこね始めるラウラ。十分な獲物を仕留めたし、これ以上仕留めても持って帰るのは難しいだろう。

 

 駄々をこねる愛娘を見下ろしながら、親父は苦笑いしている。娘のために狩りを継続しても仕留めた獲物を持って帰ることは出来ないし、このまま狩りを終わらせても娘が満足しない。最強の傭兵も、自分の娘には弱いらしい。

 

 仕方ないな。ラウラを説得するための言葉を思いつくまで少し時間稼ぎをしてやるか。

 

「ねえ、おとうさん。そのライフル持ってみてもいい?」

 

「ん? こいつをか?」

 

「うんっ」

 

 親父の手を引っ張りながらそう言うと、親父は肩に掛けている得物をちらりと見てから、左肩にでかい鹿の頭を乗せたままライフルを手に取り、中に入っている.303ブリティッシュ弾を全て取り出した。

 

 ライフルを撃たせるのはまだ早いが、持つのならば許してくれる筈だ。親父は「重いぞ?」と言うと、マガジンの中から全ての弾丸を抜き取り、俺にライフルを手渡してくれた。シングルアクションアーミーを装備した時と同じく、3歳児の身体だからかリー・エンフィールドがかなり重く感じる。まるでスナイパーライフルではなく、アンチマテリアルライフルでも手にしているような気分だ。

 

 俺は何とか左手を伸ばして長い銃身の下を持つと、装着されているスコープを覗き込んだ。試しに目の前にある巨木の枝にスコープのカーソルを合わせてみる。

 

 スコープから目を離そうとしていると、いきなり親父のがっしりした手で頭を撫でられた。親父の顔を見上げてみると、俺は俺の頭を撫でながらラウラの頭にも手を伸ばしているようだった。どうやらラウラを説得するために何と言えばいいか思いついたらしい。

 

「ラウラ、また連れてきてあげるからさ」

 

「ほんとう?」

 

「ああ、約束だ」

 

「うん! パパ、約束だからね!」

 

「ああ、いい子だ」

 

「えへへっ!」

 

 親父に頭を撫でられて大喜びするラウラ。どうやらこれで駄々をこねるのは止めてくれるらしい。

 

 それにしても、この親父は子供に優しいんだな・・・・・・。

 

 当たり前なのかもしれないが、俺の親父はクズ野郎だったからなぁ。他の友達の父親が羨ましかったよ。小さい頃はもっと優しいお父さんが欲しいと何度も思っていた。小学校の頃の参観日にも来たことはないし、俺の誕生日が来ても何もしてくれない。いつもみたいにリビングで横になりながら酒を飲み、俺に八つ当たりするだけだ。

 

 あんなクソ野郎に比べれば、この親父は本当に良い親父だ。これが本当の父親なのかな・・・・・・。

 

 そんなことを考えていると、いきなり親父が鹿を背負ったまま立ち止まった。

 

「・・・・・・パパ、どうしたの?」

 

「ラウラ、こっちに来なさい」

 

 何があったんだ? 親父の目つきが、またスコープを覗いてた時みたいに鋭くなっていく。

 

 ラウラは手招きする親父の足元に駆け寄ると、親父が下ろしたでかい鹿の死体の陰に隠れた。俺も親父を見上げてから、同じように鹿の死体の陰に隠れる。

 

 すると、目の前にあった城壁のように巨大な巨木の幹の陰から、漆黒の体毛に覆われた巨人のような肉食動物が、唸り声を上げながら姿を現したんだ。

 

「く、くまさんだ!」

 

「2人とも、隠れてろよ」

 

 指を鳴らしてから、まるでウォーミングアップをする格闘家のように両肩を軽く回す親父。まさか、あの熊に素手で挑むつもりなのか!?

 

 何か武器を使った方が良いんじゃないかと思った俺は、さっき親父から受け取ったライフルを返そうとしてはっとした。このリー・エンフィールドは親父の得物だ。俺が持ってみたいって言っちまったから、親父はわざわざ装填されていた弾丸を全部抜き取って俺に持たせてくれたんだ!

 

 俺がライフルを持ってみたいって言わなければ、もう既に頭を撃ち抜いて熊を瞬殺していただろう。俺のせいで、親父は丸腰で夢魔に戦いを挑まざるを得なくなっちまったというわけだ。

 

 熊の剛腕を目の当たりにしても、親父は全くビビっていない。むしろ逆ににやりと笑う。

 

 その直後、いきなり親父の足元にあった地面の土が舞い上がったかと思うと、そこに立っていた筈の親父が、唸り声を発する熊に向かって突っ込んでいった。

 

 一瞬で熊に急接近する親父。その瞬発力に驚いていると、いきなり振り上げた親父の右手の拳が、人間の皮膚ではなく赤黒いドラゴンの外殻のようなものに覆われ始める。しかも、俺の尻尾を覆っている外殻よりも分厚い。

 

 あれが親父の能力なのかと仮説を立てながら見ていると、親父はその右手の拳を熊の顔面へと叩き込んだ。呻き声を発しながらよだれと鼻血をまき散らす熊。外殻を生成して硬化した拳でぶん殴られ、鼻の骨を木端微塵にされた熊は、体勢を崩すよりも先に親父の追撃を喰らう羽目になる。

 

 何とか親父に反撃するために前足を振り上げる熊。だがその前足が振り下ろされる前に親父の左手の拳を前足の関節へと叩き込まれた。拳がめり込んだ剛腕の中から、まるで毛糸を引き千切るかのような筋肉繊維の千切れる音と、骨が木端微塵にされる音が聞こえてきた。骨を折られた剛腕が、まるで突風に吹き飛ばされた旗のように揺れる。

 

「УРааааааа(ウラァァァァァァァ)!!」

 

 まるでソ連の兵士のような雄叫びを上げた親父が、ジャンプしてから空中で熊の顔面へと右足で回し蹴りを叩き込む。更に熊が体勢を崩している間に今度は反時計回りに回転を始めると、左足をぴんと伸ばし、なんと左足の脹脛の辺りから漆黒のブレードを出現させた。

 

 あのブレードは何だ? ラウラの頭の角みたいに根元が真っ黒になっていて、切っ先に行くにつれて真っ赤になってるぞ?

 

 足にブレードを装備してたのか? それとも、あの外殻で硬化する能力を利用したのか?

 

 俺が仮説を完成させる前にそのブレードを展開したブレードで、親父は熊の顔面を斬りつけた。

 

 ブレードを一瞬で収納した親父は、ブレードで顔面を斬りつけられた熊に背を向けたまま着地する。ため息をついた親父が後ろを振り向くと、熊が顔面から血飛沫を噴き上げ、断末魔を上げながら崩れ落ち始めた。

 

「―――――粛清完了だ」

 

 熊が粛清された・・・・・・。

 

「パパ、すごい・・・・・・!」

 

「く、熊を倒しちゃった・・・・・・!」

 

 思わず3歳児のふりではなく、転生する前の口調でそう言っちまった。

 

 俺たちの方を見ながらにやりと笑い、親指を立ててくる親父。この親父に逆らったら俺たちもあの熊みたいに粛清されちまうかもしれない。反抗期になったら気を付けないと。

 

「す、すごいよパパ! こんなに大きいくまさんをやっつけちゃった!」

 

「お前たちも修行すれば大きい熊さんをやっつけられるようになるさ。――――よし、これで獲物が増えたぞ。早く帰ってママに料理してもらおうぜ」

 

「うんっ!」

 

「やったぁっ!」

 

 俺たちも修行すれば熊を瞬殺できるようになるのかよ・・・・・・。

 

 この親父には喧嘩を売らないようにしよう。

 

 

 

 

 

 



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射撃訓練を始めるとこうなる

 

 初めて親父に狩りに連れて行ってもらってから3年が経過した。6歳になった俺とラウラは、母さんたちから読み書きを教わったおかげでこの世界の文字を読んだり書いたりする事ができるようになり、おかげでマンガを読んでいても怪しまれることはなくなった。

 

 義務教育がないせいで、この世界の子供たちは基本的に親から読み書きを教わるか、家庭教師を雇って読み書きをマスターする。だが、家庭によっては読み書きを二の次にして育てる家庭もあるため、文字が読めない大人も珍しくはないらしい。

 

 学校はあるんだが、基本的に裕福な家の子供や貴族の子供が通っているようだ。

 

 俺たちは今、ネイリンゲンの森の中にあったあの小さな家ではなく、王都ラガヴァンビウスにある大きな家に住んでいる。個人的には森の中にあったあの家の雰囲気が好きだったんだが、親父たちは引っ越しした理由を詳しくは教えてくれなかった。

 

 親父の仕事は傭兵だ。引き受けた依頼を成功させ、クライアントから報酬を受け取る毎日を送っている筈なんだが、時には以来の最中に戦った敵の残党などに逆に命を狙われることもある。だから親父はギルドの拠点があったネイリンゲンに家を建てず、離れた森の中に小さな家を建てたんだろう。

 

 ネイリンゲンの街中に家を建てれば、何者かに襲撃された時に俺たちを守りながら戦わなければならないし、下手をすれば人質に取られる危険性がある。だから離れた森の中に家を建てて家族が敵に襲撃される可能性を抹消したんだろう。

 

 おそらく、ネイリンゲンは何者かに襲撃されたんだ。親父が大慌てでネイリンゲンに向かって突っ走って行ったあの日の朝、街の方からものすごい轟音が聞こえてきたのを覚えている。

 

 引っ越ししてから数日後、親父たちはいつもの私服ではなく迷彩服を身に纏い、どこかへと仕事に出かけていった。親父だけではなく、いつも俺たちを世話してくれる母さんやエリスさんまで迷彩服に身を包み、頭にはヘルメットをかぶっていたんだ。いつもの仕事じゃないということは一目でわかった。

 

 きっと、あれはネイリンゲンを襲撃した奴らへの報復攻撃をするために出かけて行ったんだろう。

 

 今ではネイリンゲンはもう誰も住む事ができない状態になり、危険な魔物が徘徊するダンジョンと化してしまっているらしい。

 

 ダンジョンとは、生息する魔物や環境が危険過ぎるせいで全く調査が出来ていない地域の総称だ。調査が出来ていないから地形や生息する魔物も全く把握できていないため、この世界の世界地図は所々が空白になっている。

 

 その地域を調査するのが、冒険者の仕事だ。

 

 最近は魔物が街を襲撃する件数が激減しているらしく、傭兵の仕事は減ってきているらしい。魔物への対応に力を入れる必要がなくなってきたため、各国は自国の領土内にあるダンジョンの調査を本格的に開始しているようだ。

 

 つまり、これからは冒険者が主役になるということだ。

 

 面白そうだなぁ・・・・・・。俺もダンジョンの調査や冒険をしてみたいもんだ。

 

 そんなことを考えながら、俺は親父たちの部屋からマンガを借りるために親父たちの寝室へと向かっていた。俺はもう6歳だから、いつまでも読み書きができない3歳児のふりをする必要はない。でもまだ6歳だから子供のふりをしなければならないんだけど、6歳の子供ならばマンガを読んでいてもおかしくはないだろう。

 

 元の年齢に戻るまであと11年だ。

 

 親父たちの寝室のドアを開けた俺は、誰もいない寝室の壁際に置かれている本棚へと向かう前に、部屋の壁に掛けられている大きな鏡の前で立ち止まると、ちらりとその鏡に映っている自分の姿を見つめた。

 

 そこに映っているのは、見慣れた水無月永人の姿ではなく、母親に顔立ちがそっくりな今の自分の姿だった。

 

 母さんと違うのは性別と瞳の色くらいだろうか。母さんの瞳の色は紫なんだけど、俺の瞳の色は炎のように真っ赤なんだ。これは親父の遺伝だろう。髪は母さんと同じように蒼くて、髪型はエリスさんの悪ふざけでポニーテールになっている。

 

 俺の性別は男だし、服装も男子が身に着けるような私服なんだが、鏡に映っている俺の姿は少年というよりは、男装した少女のような姿だ。この姿に拍車をかけているのは間違いなくこのポニーテールのせいだろう。このせいで、俺は初対面の人にはよく女だと間違われている。

 

 もし女装したら、全く違和感はないだろう。こんなことをエリスさんに言ったら本当に女装させられそうだから言わないが。

 

「ん?」

 

 髪を切った方が良いかなと思っていると、裏庭の方についている窓の外から、剣を振り下ろしているような音が何度も聞こえてきた。きっと皿洗いを終えた母さんが、裏庭で剣の素振りをしているんだろう。

 

 俺の母親であるエミリア・ハヤカワは、元ラトーニウス王国騎士団に所属していた騎士だ。ラトーニウス王国は他国と比べると魔術の発展が遅れているため、騎士団はその欠点を補うために魔術を二の次にし、剣による接近戦を重視している。そのため魔術の発展にはさらに歯止めがかかっているが、剣術は他国よりも発達しているため、ラトーニウスの騎士に接近戦を挑むのは危険だと言われているらしい。

 

 そのラトーニウス王国騎士団でずっと剣術を訓練していたから、母さんの剣戟は素早い上に鋭い。親父の剣術よりも正確だから、親父は「もし剣術を習うならば俺ではなくお母さんに教わるんだぞ」と何度も言っている。

 

 ちなみに、母さんは素振りの訓練を一日も欠かしていない。毎朝裏庭からあの剣を振り下ろす音が聞こえてくるし、体調が悪くても寝込むのは家事を済ませて素振りを終えてからにしているようだ。

 

 窓から裏庭を見下ろしてみると、やっぱり母さんが大剣を両手で握り、素振りをしているところだった。彼女が剣を振り下ろす度にいつも聞いている音が響き渡り、大きなおっぱいが揺れる。

 

 クソ親父め。巨乳の美女を2人も妻にしやがって。

 

 しばらく素振りとおっぱいを見下ろしていた俺は、ため息をついてから本棚へと向かった。

 

 本棚に並んでいるのはマンガや小説ばかりだ。隅の方には魔物の図鑑もあるけど、あまり読んではいないらしい。

 

 さて、今日は何を借りようかな。『レリエルの最期』っていうマンガは先週読んだし、母さんがおすすめしていた勇者の冒険のマンガは読んだからなぁ・・・・・・。今日は『最古の竜ガルゴニス』にしよう。若き日のガルちゃんの活躍でも見てみるか。

 

 巨大なドラゴンと、そのドラゴンに向かって突撃していく騎士たちが描かれた分厚いマンガを手に取った俺は、それを脇に抱えながら踵を返す。

 

 出口に向かって歩き始めると、右側に鎮座するクローゼットと壁の間に本のようなものが落ちているのが見えた。片付け忘れたんだろうか?

 

 母さんはしっかりと片付けそうな感じだから、親父かエリスさんが片付け忘れたんだろう。仕方がない親だな。片付けておいてやるか。

 

 クローゼットの方へと向かった俺は、手にしていた分厚いマンガを床に置き、クローゼットと壁の間に落ちている本に向かって手を伸ばした。俺が持ってきたマンガよりは薄いが、普通のマンガよりも大きな本だ。雑誌だろうか?

 

 何とか小さな手で本を掴んだ俺は、隙間からそれを引き抜き、埃を払い落としながらちらりとその本の表紙を見下ろす。

 

 クローゼットと壁の間から出て来たその本の表紙には―――――無数の触手に絡みつかれた、巨乳の女性のイラストが描かれていた。

 

「え・・・・・・?」

 

 これは普通のマンガじゃないよな。成人向けのマンガだよな。

 

 ちょっと待って。何でエロ本が親父たちの寝室に置いてあるんだよ!?

 

 親父の私物なのか!? あのクソ親父、美女を2人も妻にして子供もいるっていうのに、エロ本まで持ってるのかよ!?

 

 とりあえず、このエロ本は隠しておこう。そう思って右手に持っているエロ本をクローゼットと壁の間に戻そうとしていると、寝室のドアが開く音が聞こえた。

 

 ヤバい・・・・・・! だ、誰か部屋に入って来た!

 

 誰だ!? 母さんは裏庭で素振りしてるし、親父はもう出勤してる筈だ。この部屋に入ってくる可能性があるのはエリスさんとラウラとガルちゃんの3人だろう。

 

 冷や汗を流しながら恐る恐る入口の方を見上げてみると―――――優しそうな雰囲気を放つ蒼い髪の女性が、にっこりと微笑みながら俺の顔を見下ろしていた。

 

 え、エリスさんだ・・・・・・! 

 

「あ・・・・・・えっと・・・・・・」

 

 絶望的だ・・・・・・。絶対俺がエロ本を読んで立って誤解されちまうぞ・・・・・・!

 

「・・・・・・タクヤ、その本はどこにあったのかな?」

 

「く、クローゼットのうしろ・・・・・・です。あの、僕っ、読もうと思ってたわけじゃなくて・・・・・・」

 

 すると、エリスさんは微笑んだまま俺が持っているエロ本を持ち上げ、表紙を眺めて顔を赤くしてから、再びクローゼットの後ろに戻した。

 

「後ろに落ちてるのが気になったから拾ったのね?」

 

「は、はい・・・・・・」

 

 優しくて良かった・・・・・・。どうやら俺がエロ本を読んでいたという誤解はされていないみたいだ。

 

 冷や汗を流しながら俯いていると、しゃがんだエリスさんが俺をそっと抱き締めてくれた。まるで花みたいな優しい匂いがする。

 

 でも、誤解されなかったって事は、親父がこんなエロ本を持ってたってことがバレたって事だよな・・・・・・?

 

「気にしちゃダメよ。・・・・・・でも、触手って素敵なのよ?」

 

 ん?

 

 エリスさん、今なんて言ったの?

 

「タクヤに見つかっちゃったし、別の場所に隠さないと・・・・・・」

 

 あ、あのエロ本あんたの私物だったのかよッ!?

 

 なんてこった。親父のかと思ってたんだが、まさか妻がエロ本を持っていたのか・・・・・・。しかもあのエロ本、どこからどう見ても男性向けだぞ? あんた女だろうが!?

 

「ふふっ。パパに言っちゃダメだからね?」

 

「は、はい・・・・・・」

 

「よしよし。・・・・・・さあ、お部屋に戻りなさい」

 

「はい・・・・・・」

 

 微笑みながら頭を撫でてくれたエリスさんに返事をした俺は、床に置いておいた分厚いマンガを拾い上げ、何とか寝室を後にした。

 

 何故か冷や汗はしばらく止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の親父の仕事は傭兵だが、最近は傭兵以外にも会社の経営を行っている。

 

 会社の名前は『モリガン・カンパニー』。名前の由来は、もちろん自分の傭兵ギルドからだ。インフラ整備分野、製薬分野、技術分野、警備分野の4つの分野を持つ巨大企業で、親父はその企業の社長というわけだ。

 

 母さんやエリスさんたちもその社員の1人で、母さんは警備分野を指揮しているし、エリスさんは技術分野を指揮している。その4つの分野を統括する存在である親父は『魔王』と呼ばれ、それぞれの4つの分野を指揮する者たちは『四天王』という愛称が付けられているらしい。

 

 他の貴族のように種族などで差別されることはないし、給料も高いため、非常に評判の良い企業だと言われている。

 

「ただいまー」

 

「パパ、おかえりなさいっ!」

 

 どうやら魔王様が帰ってきたみたいだ。椅子から立ち上がったラウラの後に俺も椅子から立ち上がり、玄関の方まで出迎えに行く。

 

 玄関のドアの近くに立っていたのは、やっぱり俺たちの父親だった。服装は今までのような私服や迷彩服ではなく、真っ黒なスーツ姿だ。頭には漆黒のシルクハットをかぶっていて、右手には杖を持っている。まるで紳士のような格好だ。

 

 全く魔王には見えないな。滅茶苦茶強い事以外は普通の父親じゃないか。何で魔王と呼ばれているんだろうか?

 

「ただいま、2人とも。・・・・・・それにしても、もうお前たちも6歳か」

 

 嬉しそうに言う親父。俺よりも先に親父を出迎えに行っていたラウラは、親父のでかい手で頭を撫でられながら嬉しそうに笑っている。

 

「・・・・・・そろそろ、銃の撃ち方を教えても大丈夫かな?」

 

「えっ!?」

 

「本当!?」

 

 ついに教えてくれるのか!

 

 ラウラも嬉しいらしく、スカートの下から出ている彼女の赤黒い尻尾がぴくりと動いたかと思うと、彼女はまるで飼い主に頭を撫でられて喜ぶ子犬のように尻尾を降り始めた。

 

「ああ。・・・・・・ついてきなさい」

 

 母さんたちはまだ仕事中なんだろう。きっと帰って来るまでまだ時間がある筈だ。

 

 シルクハットをかぶったまま廊下を歩き出す親父。ラウラは俺の顔を見て楽しそうに笑うと、俺の手を握って親父の後を歩き始める。

 

 魔王様が案内してくれたのは、廊下の先にある地下室への階段だった。この家はまるで貴族の屋敷のように広く、引っ越したばかりの頃はラウラと2人でよくかくれんぼをしたり鬼ごっこをしていたんだが、ここには絶対に入るなと言いつけられていた。ラウラは何度か勝手に入ろうとしていたんだが、その度によく俺が止めていたんだ。親父には粛清されたくないからな。

 

 親父は懐から鍵を取り出すと、扉の鍵穴に差し込んで鍵を開け、地下室へと続く階段を下り始めた。

 

 そういえば、この下には何があるんだろうか? 母さんやガルちゃんたちもここを出入りしていたのは覚えてるんだが、何があるかは全く分からない。母さんたちも教えてくれなかったし。

 

 親父の後をついて行くと、やがて階段が終わり、目の前に新しいドアが出現した。そのドアを開けて奥にある広い部屋へと入っていく親父。俺たちもドキドキしながら、そのドアの向こうへと足を踏み入れる。

 

「わあ・・・・・・!」

 

 その先に広がっていたのは、まるで駐車場のように広い射撃訓練場だった。距離は50mくらいしかないし、奥の方には的も見当たらないが、立派な射撃訓練場だ。奥の壁には弾丸が直撃した跡がある。

 

「いつもパパたちが使っている訓練場だ。今日からお前たちも、ここで訓練していいぞ。・・・・・・ただし、必ずママやパパと一緒に来る事。お前たちだけで訓練しちゃダメだからな?」

 

「はーいっ!」

 

 そう言いながら、親父は訓練場の隅の辺りにまるで立体映像のように投影されている魔法陣をタッチする。その直後、俺たちの目の前に真っ赤な魔法陣が1つずつ出現し、くるくると時計回りに回転を始めた。

 

 これが的ってことなのか?

 

 いきなり出現した魔法陣を見上げていると、親父が携帯電話のような端末を取り出し、2人分のハンドガンを装備した。俺も異世界から転生してきた転生者なんだが、あのような端末は持っていない。その代わりに俺は立体映像のようにメニュー画面を出現させる事ができる。

 

 親父が俺たちに手渡してきたのは、太平洋戦争の際に日本軍が使用していた南部大型自動拳銃だ。細い銃身を持つハンドガンで、普通のハンドガンよりも口径の小さい8mm弾を使用する。そのため威力は低いが反動は小さく、扱い易い武器だ。

 

 他にも南部小型自動拳銃や、この南部大型自動拳銃の改良型である十四年式拳銃がある。

 

 きっと反動が小さいからこの銃を選んでくれたんだろうな。親父から南部大型自動拳銃を受け取りながらそう思った俺は、受け取ったばかりのハンドガンを眺めてから目の前の的を睨みつける。

 

 俺の隣では、ラウラもハンドガンを眺めているところだった。俺はラウラが手間取っている間にグリップを握り、右手の人差指をトリガーへと近付ける。

 

「撃っていい?」

 

「おう、撃て」

 

 親父に確認を取った俺は、照準器を覗き込んで的の真ん中に狙いを定め――――――トリガーを引いた。

 

 狩りに行った時に聞いたリー・エンフィールドの銃声よりも小さい銃声が、地下の射撃訓練場に響き渡る。グリップをしっかり握って反動を黙らせた俺は、排出された小さな薬莢が床に落下する音を聞きながら、目の前に浮かんでいる的を見つめた。

 

 的の真ん中には、小さな風穴が開いているようだった。当然ながらそれは俺がぶっ放した弾丸が開けた風穴だろう。

 

「命中!」

 

「タクヤ、すごーい・・・・・・! よし、ラウラも負けないもんっ!」

 

 ラウラも同じようにハンドガンを構えるが、エリスさんと同じく左利きであるラウラは俺と構える手は逆だ。親父に見守られながら、ラウラも俺と同じように南部大型自動拳銃の照準器を覗き込み、トリガーを引く。

 

「ふにゃっ!?」

 

 いきなり近くで響いた銃声に驚くラウラ。でも彼女がぶっ放した弾丸はマズルフラッシュを貫いて銃口から飛び出し、そのまま目の前にあった的のど真ん中を貫通。的の後ろにあった壁に激突し、壁の破片をまき散らす。

 

 ラウラも俺と同じく、的の真ん中を正確に撃ち抜いていた。

 

「やったな。ラウラも命中したぞ」

 

「ふにゃあ・・・・・・あ、当たったの・・・・・・?」

 

「お姉ちゃん、すごいよ!」

 

「えへへ・・・・・・やったぁ!」

 

 顔を赤くしながら楽しそうに笑うラウラ。彼女はもう一度ハンドガンを握ると、的に照準を合わせて発砲を始める。

 

 前まではあまり銃に興味がなさそうな姉だったが、このまま訓練を続ければすぐにミリオタになりそうだな・・・・・・。

 

 そう思いながら、俺も姉の隣で射撃訓練を再開した。

 

 

 

 

 

 

 



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転生者がトレーニングモードをするとこうなる

 

 基本的に、俺はいつもラウラと一緒に行動している。遊び相手はもちろんラウラだし、食事をする時もいつも隣にはラウラが座っている。訓練も一緒だし、風呂に入るのも一緒だ。寝る時は別々のベッドではなく、同じベッドで毛布をかぶりながら眠っている。

 

 だから、今の俺の隣ではラウラが可愛らしい寝顔で寝息を立てて眠っていた。

 

 彼女はもう俺と同じく6歳だ。そろそろ俺から離れ始めるんじゃないかと思いつつ一緒に行動しているんだが、彼女は全く俺から離れる気配がない。俺が外で遊ぼうとすると一緒について来るし、風呂に別々に入ろうとしても一緒に入るように誘われる。断れば、駄々をこねるか「弟なんだから、お姉ちゃんのいうことはきかないとだめなのっ!」と言っていつも威張り始める。

 

 確かに俺とラウラは同い年だ。それに母親が姉妹だから、姉弟というよりは双子に近い。

 

 ラウラはいつまで俺と一緒にいるつもりなんだろうか? さすがにいつまでも一緒にいるわけにはいかないだろう。彼女も彼氏を作って俺から離れる時がきっと来る筈だ。

 

 転生してからいつも一緒にいた同い年の姉がいなくなるのは寂しいかもしれないけどな。

 

 毛布の中から片手を出した俺は、俺よりも一足先に眠ってしまったラウラの頭を優しく撫でた。彼女の赤毛はふわふわしていて、その赤毛の下には短い角が生えている。親父からの遺伝らしく、親父にも似たような角が生えている。

 

「ふにゃ・・・・・・えへへ・・・タクヤぁ・・・・・・・・・」

 

「お・・・・・・」

 

 どうやら俺と一緒に遊んでいる夢を見ているらしい。

 

 彼女の頭からそっと手を離した俺は、部屋の中を見渡してから毛布の中に潜り込むと、左手を小さく突き出してメニュー画面を開き、生産をタッチして武器の確認を始めた。

 

 未だに俺のレベルは1だ。まだ俺は6歳だし、敵とも戦ったことはないから当たり前だろう。たまに親父が一緒に狩りに連れて行ってくれるが、鹿を狙撃してもレベルは全く上がる気配はない。

 

 おかげでポイントは全く溜まらないし、ステータスの数値も全く変わらない。ちなみにステータスはかなりシンプルで、攻撃力と防御力とスピードの3つしか存在しないんだ。スタミナなどのステータスもあるのかと思ったんだが、どうやらスタミナはステータスの中には含まれず、自分で鍛えなければならないようだ。この能力に頼りっきりになるのを防止するためなんだろうか?

 

 今の俺のステータスは3つとも100のままだ。親父も転生者ならば同じようにステータスがある筈なんだが、親父はどのくらいなんだろうか? 丸腰で熊を瞬殺するくらいだから、なんだか全部カンストしてそうな気がするんだが・・・・・・。

 

 恐ろしい親父だな。喧嘩できないじゃん。熊の腕を粉砕するくらいのパンチをぶっ放す男だから、あんな親父の拳骨を頭に喰らったら頭蓋骨が木端微塵になっちまいそうだ。反抗期は大変になりそうだぜ。

 

 下手したらあの親父の拳骨の威力は対戦車ライフル並みの威力があるんじゃないだろうか? 

 

 拳骨の威力を想像してビビった俺は、ステータスの画面を閉じてから、今度はトレーニングモードと表示されているところをタッチした。今まで一度もタッチしたことがないんだが、これは何なのだろうか? 

 

《トレーニングモードでは、様々なトレーニングや模擬戦を夢の中で行う事が可能です。ただし、肉体は眠っていますが疲労が抜けることはありませんので、このモードを睡眠の代わりにするのはおすすめしません》

 

 夢の中でトレーニングか。それならば射撃訓練みたいに親父から銃を借りて親に見守られながら訓練する手間がかからないな。便利なモードじゃないか。

 

 毛布の中からひょっこりと顔を出した俺は、ちらりとランタンの明かりの向こうに見える時計を見た。まだ午後9時だな。子供にとっては夜更かしかもしれないが、転生する前は12時を過ぎるまでゲームをやってたもんだ。全く問題ないぜ。

 

 どんなトレーニングができるのかとワクワクしながら、俺は再び毛布をかぶり、トレーニングモードをタッチする。

 

 すると俺の目の前からいきなりメニュー画面が消失し、猛烈な眠気が俺を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 真っ暗だった目の前が、いきなり蒼白い無数の光にこじ開けられる。あっという間にその光に制圧された暗闇の向こうに広がっていたのは、無数の蒼白い六角形の物体が浮遊する奇妙な世界だった。

 

 まるで分厚いガラスを六角形に削り出してつなぎ合わせたような足場の下には、蒼白い空間が続いているだけだ。この足場がぶっ壊れないか不安になった俺は、軽く何度か足場を踏みつけてみるが、まるで靴で分厚いコンクリートを踏みつけたような音が聞こえてくるだけだ。この下に落下するのは心配しなくていいらしい。

 

《トレーニングモードの起動を確認しました。どのトレーニングを行いますか?》

 

 いきなり目の前に出現するメッセージ。その下には、ずらりとどのようなトレーニングができるのか表示され始める。

 

 射撃や剣術だけでなく、魔術や必殺技などのトレーニングもできるようだ。銃をぶっ放す訓練をやろうと思った俺は真っ先に指を射撃訓練へと近付けようとしたが、一番下の方にあった『模擬戦』と、その上にあるカウンターの訓練が気になった。模擬戦はどんな事ができるんだろうか?

 

 試しに、伸ばしていた指で模擬戦をタッチする。

 

 すると、今度は『通常』と『ボス』の2つのメニューが表示される。

 

《模擬戦は、戦った事のある敵と戦う事ができるモードです。このモードではレベルが上がることはありませんが、ボスは撃破するとアイテムをドロップする可能性があります》

 

 ボスだって? もしかして、でっかいドラゴンや魔物と戦ったらここでもう一度戦う事ができるって事なのか? レベルが上がらないのは不便だが、アイテムがドロップするならばこれから何度かやることになるかもしれないな。

 

 どんな敵がボスに含まれるのかは分からないが、今のところ鹿しか倒していないから当然ながらボスはまだ倒したことがない。試しに通常と書かれているメニューをタッチしたが、敵の一覧の中に『鹿』と表示されているだけだった。

 

 鹿を倒しても訓練になるわけがない。しかも通常の敵はアイテムをドロップしないようだから、鹿を倒す意味は全くない。

 

 先ほどの画面に戻った俺は、今度はカウンターと書かれているメニューをタッチした。確か、生産できる必殺技や能力の下にもカウンターと書かれていたような気がする。

 

《カウンターは、相手の攻撃をガードか受け流した場合にのみ発動可能な必殺技です。通常の必殺技よりも威力が高いですが、相手の攻撃をガードしなければ発動できないため、使用するための難易度は高めです》

 

 なるほどね。相手の攻撃を受け流すかガードしなければ発動できないからリスクは高いが、うまくいけば一撃で敵を倒せる強力な技って事か。銃が使えるから接近戦はあまり考えなくてもよさそうだが、もし弾丸を弾いてしまうような強敵に接近されたら役に立つかもしれないな。

 

 一応訓練しておいた方が良いかもしれない。俺は目の前のメニューをタッチすると、カウンターのトレーニングを開始する。

 

 目の前のメニューがいきなり消失したかと思うと、勝手に俺の腰にサーベルが装備された。普通のサーベルなのかもしれないが、6歳の少年からすれば大剣のように長い。

 

 何とか鞘からサーベルを引き抜くと、今度は目の前にあった六角形の蒼白い床の1枚が盛り上がり、無数の蒼白い小さな六角形の粒で形成された奇妙な人形が、俺と同じデザインのサーベルを握った状態で出現した。

 

 どうやらこいつが訓練の相手のようだな。

 

《では、訓練を開始します。カウンターは『パリィ・アンド・ペイン』を装備してあります》

 

 確か、相手の攻撃をガードか受け流せば発動できるんだったな。

 

 目の前のメッセージが消失した直後、いきなり目の前の人形がサーベルを鞘から引き抜いた。そのまま引き抜いたばかりのサーベルを振り上げ、俺に向かって突っ走ってくる。

 

 トレーニングモードの筈だが、まるでサーベルを手にした騎士に襲い掛かられたような恐怖が滲み出し始める。だが、もしかしたら本当に武器を持った人間や魔物に襲われるかもしれない。ビビっている場合じゃないんだ。

 

 唇を噛み締めて恐怖を強引に黙らせた俺は、サーベルの柄をぎゅっと握ると、銀色の刀身を構え、人形が振り下ろしてきたサーベルに向かって俺のサーベルを振り上げた。

 

 刀身同士が激突する金属音。一瞬だけ火花が散り、サーベルを叩き付けられた衝撃が猛犬のように俺の小さな腕の中で暴れ回る。

 

 その瞬間、俺の頭の中に反撃する方法が浮かび上がってきた。そういえば、カウンターはもう装備されている筈だが、どのような攻撃なのか全く分からなかった。受け止めれば発動するらしかったんだが、勝手に発動するわけではないようだ。

 

 俺の頭に浮かんできたのは、剣をこのまま押し返してから相手の片足を蹴り飛ばして体勢を崩し、その隙に喉に切っ先を突き立てて止めを刺すというコンビネーションだった。技は思い浮かぶが、実行するか否かは俺が判断しなければならないらしい。

 

 これはカウンターの訓練だ。反撃しなければ全く意味はない。

 

 俺はこの人形を、思い浮かんだコンビネーションの通りに始末することを選んだ。

 

 思い切り刀身を押し上げ、人形が手にしている刀身を押し返す。何とかサーベルを押し返す事ができたが、すぐに次の攻撃を叩き込まなければもう一度あの剣戟が襲ってくることだろう。急いで次の攻撃を叩き込まなければならない。

 

 だが、剣を押し返されて体勢を崩している状態の相手が攻撃を繰り出すよりも、俺が相手の足を蹴り飛ばして再び体勢を崩す方が速いのは火を見るよりも明らかだ。

 

 左足を突き出し、人形の膝の辺りに蹴りをお見舞いする。六角形の蒼白い粒がこの人形を形成している筈だが、蹴った感覚は人間の足を蹴っているような感覚と全く変わらなかった。俺は叩き込んだ左足を更に押し込みつつ、右手のサーベルの切っ先を人形の喉へと合わせ始める。

 

 俺がサーベルを突き出す直前、人形の身体がぐらりと揺れた。俺の蹴りで体勢を崩され、せっかく準備されていた次の剣戟が台無しになる。

 

「はぁっ!!」

 

 人形の喉へと狙いを定めた俺は、サーベルの切っ先を人形の喉元へと向かって突き出した。

 

 蒼白い六角形の粒の集合体にめり込んだサーベルの切っ先が首の後ろまであっさりと貫通し、ぐらぐらとゆれていた人形の揺れがぴたりと止まる。鮮血の代わりに蒼白い光を傷口から放出しながら人形の身体が崩れ始め、再びその粒が足場へと沈んでいく。

 

 今のがカウンターか。

 

《以上で、カウンターの訓練は終了です》

 

 そのメッセージが表示された直後、俺の腰に装備されていたサーベルがいきなり消滅した。

 

 確かにこんなトレーニングならば、夢の中でのトレーニングでも疲労が抜けるわけがないな。まるで実際に現実で訓練をやった後のような疲れが俺に襲い掛かって来る。眠っている筈なんだが、このまま続ければむしろ疲れてしまうだろう。

 

 昼間は射撃訓練をやって、夜はこのトレーニングモードを活用しようと思ったんだが、そんなことをすれば俺が戦い方を身に着ける前に過労死しちまうな。

 

 とりあえず、今日はここで止めておこう。俺は左手を付きだ閉めてメニュー画面を開くと、トレーニングモードを終了することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、おきてー」

 

「う・・・・・・」

 

「タークーヤー! おきなさいっ!」

 

「ん・・・・・・ラウラぁ・・・・・・?」

 

 あれ? なんでラウラに起こされてるんだ? いつもは俺の方が早起きして、親父を見送ってからラウラを起こしている筈なんだが、今日は逆だな。もしかして寝坊しちまったのか?

 

 瞼をこすりながらゆっくりと起き上がると、両手を腰に当てて頬を膨らませた私服姿のラウラが立っていた。彼女は着替えだけ済ませたばかりなのか、いつもはふわふわしている赤毛がぼさぼさになっている。

 

「まったく・・・・・・。ほら、はやくごはん食べに行くわよ!」

 

「あ、ごめん・・・・・・」

 

「もう。いつもは逆なのに・・・・・・」

 

 そうだよな。いつも弟である俺が起こしてるんだもんな。しっかりしてくれ、お姉ちゃん。

 

 あくびをしながら起き上がった俺は、ラウラが鏡を見ながら髪型を整えている隙に素早く着替えを済ませると、ベッドの上の毛布をちゃんと直してから、ラウラと一緒に下のリビングへと向かう。

 

「いつもは早起きだけど、どうしたの?」

 

「いや・・・・・・どうしたんだろ?」

 

 まさか、トレーニングモードで訓練をやったせいなのか? あれをやったせいで疲労が更に増えて、いつも朝起きるのが遅いラウラよりも遅く目を覚ます羽目になっちまったんだろうか?

 

 拙いな。あのモードはほどほどにしないと、母さんにだらしがないぞって怒られちまう。

 

 ラウラに手を引かれてリビングへと向かうと、既にテーブルの上には人数分のスクランブルエッグとトーストが並んでいた。テーブルの椅子に一足先に腰を下ろしていたガルちゃんは、トーストにバターを塗るエリスさんの隣で牛乳を飲みながら新聞を広げている。

 

「む、タクヤ。今日は随分と起きるのが遅いのう?」

 

「ご、ごめんなさい・・・・・・」

 

「珍しいわね。我が家のしっかり者が寝坊なんて」

 

「夜更かししていたわけではないだろうな?」

 

「しっ、してないよ、お母さん!」

 

 そう言いながらいつものように席に着く。母さんはエプロンを外すと、俺の向かいの席に腰を下ろしてからトーストに手を伸ばし、バターを塗ってからトーストを齧り始めた。

 

 母さんとエリスさんは親父と一緒に傭兵をやっていたから、2人とも親父並みに強い筈だ。親父だけでなくこっちにも喧嘩を売るわけにはいかないな。母さんは毎朝素振りを欠かさない立派な剣士だし、エリスさんはかつてラトーニウス王国で『絶対零度』の異名を持っていた最強の騎士らしい。

 

 今度からトレーニングモードは、時間がある時に昼寝していると見せかけてやるようにしよう。下手したら母さんたちに怒られる。

 

 そう思った俺は、バターを塗ってからトーストを齧り始めた。

 

 

 

 

 



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ラウラが射撃訓練をするとこうなる

 

 目の前の真っ赤な魔法陣に風穴が開く。火薬の臭いがする中で撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻した俺は、次の弾丸をぶっ放す前に、今の弾丸が的のどの部分に命中したのか確認する。

 

 俺が今しがたぶっ放した.44マグナム弾は、的の真ん中ではなくやや右に逸れた場所に風穴を開けていた。前に南部大型自動拳銃を撃たせてもらった時よりも距離が離れた状態での射撃だから難易度は上がっているが、この難易度でもめ注させなければならない。実戦で狙いを外せば、撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻している間にやられてしまう。

 

 唇を噛み締めてから、俺は手にしたリボルバーを構え直す。

 

 俺が使っているリボルバーは、アメリカ製シングルアクション式リボルバーのスタームルガー・スーパーブラックホークだ。俺が最初に生産したシングルアクションアーミーを再設計し、強力な弾丸を撃てるように改良した代物で、攻撃力は非常に高い。

 

 もう一度トリガーを引き、装填されている.44マグナム弾をぶっ放す。大口径のマグナム弾だから反動は強烈だ。獰猛な破壊力の弾丸が生み出す反動(リコイル)が荒れ狂う衝撃と痛みに耐えながら的を凝視していると、目の前の的に再び風穴が開いたのが見えた。今度は先ほどよりも真ん中に命中したらしいが、正確に真ん中を撃ち抜いたわけではなく、やや上に逸れてしまったようだ。

 

「う・・・・・・当たらん」

 

 なかなか難しいな・・・・・・。

 

 そう思いながら、俺はちらりと右隣で射撃訓練を続けている姉の方を見てみる。先ほどから右隣から聞こえてくる音は、銃声とボルトハンドルを引く音と空の薬莢が床に落ちる音の3つだけだ。

 

 俺の隣でボルトアクション式のスナイパーライフルを構えているのは、同い年の姉のラウラ。彼女が使っているスナイパーライフルは、ロシア製ボルトアクション式スナイパーライフルのSV-98だ。

 

 7.62mm弾を使用するスナイパーライフルで、射程距離はなんど約1km。1発ぶっ放す度にボルトハンドルを引かなければならないボルトアクション式のライフルであるため、セミオートマチック式のライフルやアサルトライフルに比べると連射速度では全く敵わないが、非常に命中精度が高い上に破壊力の大きな7.62mm弾を発射できる優秀なライフルだ。

 

 ラウラはそのSV-98から、なぜかスコープを取り外して使っていた。普通ならばスナイパーライフルにスコープは付きものなんだが、なぜスコープを使わないんだ? 

 

 彼女が撃っている的を見てみると、ラウラが狙っている的にはまだ風穴が一つしか開いていない。スナイパーライフルなのにスコープを使わないから何発も外してるんだろう。

 

「ねえ、ラウラ。やっぱりスコープを付けた方が良いんじゃない?」

 

「え? だって見辛いじゃん」

 

 み、見辛い? 何を言ってるんだよ。スナイパーライフルにスコープは必需品なんだぜ?

 

 そう思いながら、俺は射撃を中断してラウラの射撃を見守ることにした。彼女はエリスさんからの遺伝なのか左利きであるため、仕事に行く前に親父が用意してくれたラウラ用のSV-98は、普通のライフルと違ってボルトハンドルを右側から左側に搭載している。

 

 スコープの代わりにフロントサイトとリアサイトを覗き込むラウラの目つきはいつもの元気いっぱいな姉の目つきではなく、あの森で獲物を狙っていた親父の目を彷彿とさせる鋭い目つきだった。

 

 いつも一緒に遊んでいる姉なのに、俺はその目を見た途端にぞっとしてしまう。

 

 顔つきは母親に似たようだが、今の目つきは親父にそっくりだった。

 

 俺がぞっとしている間に、ラウラがトリガーを引いた。銃声が彼女の目つきを目の当たりにして滲み出した恐怖を消し飛ばし、その銃声を纏った弾丸が彼女の目の前の的と向かって駆け抜けていく。

 

 だが、聞こえてきたのは弾丸が的である魔法陣を撃ち抜いた時に発する音ではなく、その奥にある壁に命中して跳弾する音だった。

 

「ほら、また外したじゃん。だからスコープを―――――」

 

「え、何言ってるの? 当たったよ?」

 

「どこに?」

 

「真ん中」

 

「えっ?」

 

 彼女が指差したのは、的に使っている魔法陣の真ん中に唯一開いている風穴だった。それ以外には風穴は開いていない。

 

 まさか、ラウラは先ほどから外していたんじゃなくて、ずっと真ん中の風穴を狙ってぶっ放してたって事か・・・・・・? だから風穴は一つしか開いてないって事なのか!?

 

 す、すげぇ・・・・・・。ラウラはきっと、大きくなったら天才狙撃手になるぞ。

 

 俺も負けてられないな。

 

 一旦リボルバーをホルスターの中に戻した俺は、目を瞑って息を吐いてから、俺の目の前に回転しながら浮遊している魔法陣を睨みつける。

 

 今からあの魔法陣を風穴だらけにしてやるぜ!

 

 魔法陣を睨みつけた俺は、もう一度息を吐き―――――右手を下に突き出すようにしてホルスターの中のリボルバーのグリップを掴むと、いつものようにアイアンサイトは覗かず、腰の高さに構えたままトリガーを引いた。

 

 前に親父が披露してくれた早撃ちを、見様見真似でやってみたんだ。親父は一瞬でホルスターから引き抜いて正確に的を撃ち抜いていたんだが、俺が銃を引き抜く速度は親父よりも遥かに遅い。

 

 腰の高さに構えたリボルバーが火を噴いた直後、目の前に浮遊していた的のど真ん中が突然欠けた。真っ赤な魔法陣が回転を止め、そのまま黒く変色して機能を停止していく。

 

 未熟な早撃ちだったが、何とか的のど真ん中を撃ち抜く事ができたらしい。的との距離は40mくらいだ。

 

 深呼吸しながらちらりとこの訓練を見守ってくれているガルちゃんの方を振り向くと、いつの間にか紳士のような恰好をした親父が、ガルちゃんの隣に立って俺の方をじっと見つめていた。まさか自分が披露した早撃ちを、息子が真似するとは思っていなかったんだろう。

 

 未熟な早撃ちを見られていたことが恥ずかしくなった俺は、思わず下を向きながらリボルバーをホルスターへと戻した。

 

「・・・・・・あっ、お父さん。おかえりなさい」

 

「おう、ただいま」

 

「パパ、おかえりなさいっ!」

 

 ラウラも親父が帰ってきたことに気付いたらしく、狙撃に使っていたライフルを壁に立て掛けると、親父の方へと笑いながら駆け寄っていく。

 

 明日はファニングショットの練習でもしてみるかな。もちろん、親父には見られないようにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、そっち貸して?」

 

「いいよ。はい」

 

「ありがとっ」

 

 朝食を終えた俺たちは、リビングで洗濯物を畳むエリスさんの隣で、親たちの寝室から借りてきたマンガを読んでいた。俺が今読んでいたのは、若き日のガルちゃんの戦いを描いた『最古の竜ガルゴニス』の下巻。以前にエリスさんのエロ本を発見した際に借りたのは、これの上巻だったらしい。

 

 ストーリーは、ドラゴンたちを人間たちに奴隷のように扱われているのが許せなくなったガルゴニスが、人間に対して戦争を引き起こすという内容だ。仲間のエンシェントドラゴンを引き連れて騎士団を次々に薙ぎ倒していくのが上巻の内容だったんだが、下巻では大昔の勇者によって返り討ちにされ、ガルちゃんはついに封印されてしまう。

 

「おお、私の話かの」

 

「えへへっ。ガルちゃん、かっこいいよ」

 

「て、照れるのう・・・・・・。お前たちも、ドラゴンには優しくするのじゃぞ。お前たちの体の中には、同胞の血が流れておるのだからな」

 

「はーいっ! じゃあ、ラウラはガルちゃんに優しくしますっ!」

 

 そう言いながらガルちゃんに抱き付くラウラ。まるでガルちゃんが姉で、ラウラが妹のようだ。いきなりラウラに抱き付かれたガルちゃんは顔を真っ赤にしながら俺の方をじっと見てくるが、俺は苦笑いしながら目を逸らす事にした。ごめんね、ガルちゃん。

 

 無理矢理引き剥がそうとすると、今度はラウラが駄々をこねるからなぁ・・・・・・。

 

 苦笑いしながら別のマンガを探していると、玄関の方からドアをノックする音が聞こえてきた。お客さんだろうか? 親父はもう会社に出勤しているが、母さんとエリスさんは仕事が休みだから、おそらく母さんたちに用事があるんだろう。

 

 キッチンで皿を洗っていた母さんと一緒に、俺も玄関の方へと向かう。母さんが「はーい」と言いながら開けた玄関のドアの向こうには、橙色の髪の幼い少女を連れた強面の男が立っていた。

 

 短い銀髪から左右に伸びているのは、エルフのような長い耳だ。肌の色は若干浅黒いため、おそらくエルフではなくハーフエルフだろう。身体中には古傷がいくつも残っていて、左目は眼帯で覆っている。まるで盗賊のリーダーのような、がっちりした体格の大男だった。

 

 その大男は玄関のドアを開けた母さんと俺を見下ろすと、楽しそうににやりと笑う。

 

「よう、姉御! それに若旦那! 大きくなったじゃねえか! ガッハッハッハッ!!」

 

「ふっ。久しぶりだな、ギュンター」

 

 この大男の名前は『ギュンター・ドルレアン』。親父が率いていたモリガンという傭兵ギルドの一員で、前から何度かこの家に酒を飲みに来ていたことがある。だからこの人とは知り合いだ。

 

 ギュンターさんは親父の事を『旦那』と呼ぶんだが、何故か俺の事を『若旦那』と呼んでいる。親父の息子だからか?

 

 現在は傭兵をやりながら、このオルトバルカ王国の南にある『ドルレアン領』の領主の側近として活躍しているらしい。ちなみにその領主はこのギュンターさんの妻であり、モリガンのメンバーの1人でもある。

 

「おにいさま、おひさしぶりですわ!」

 

「やあ、カノンちゃん。大きくなったね」

 

 ギュンターさんが連れてきたのは、娘の『カノン・セラス・レ・ドルレアン』。人間とハーフエルフの間に生まれた少女なんだが、母親に似たらしく種族は人間ということになっている。でも、髪の色はギュンターさんの母親にそっくりらしい。

 

 領主の娘としてマナーなどの教育はもう始まっているらしく、去年まで言葉遣いは普通の女の子だったんだけど、今は少々ぎこちないけどお嬢様のような喋り方になっている。

 

「あ、カノンちゃん! 久しぶりっ!」

 

「おねえさま! おひさしぶりですわ!」

 

 カノンの声が聞こえたのか、先ほどまでガルちゃんに抱き付いていたラウラが玄関まですっ飛んできた。彼女にとって家によく遊びに来るカノンは、3歳年下の妹のようなものなんだろう。

 

「ギュンター、カレンは一緒か?」

 

「ああ。今頃旦那の所にいるんじゃないか?」

 

「そうか。とりあえず中に入れ」

 

「じゃあ、お言葉に甘えるぜ。ほら、カノン」

 

「はい、おとうさま!」

 

 ギュンターさんのでかい手に頭を撫でられたカノンは、楽しそうに笑いながらラウラと手を繋ぐと、2人で一緒にリビングの方へと走っていく。

 

 この世界では日本のように家の中で靴を脱ぐ必要はないらしい。だから基本的に、家の中でも靴を履いたままだ。親父は俺と同じく日本出身の転生者だから、転生してきたばかりの頃は靴を脱ごうとして母さんに大笑いされたらしい。

 

 俺もたまに靴を脱ごうとする癖が残っているから、気を付けないといけないな。親父に怪しまれたら大変だ。

 

 靴を履いたままリビングの方へと向かうラウラたち。カノンはもう家庭教師のおかげで読み書きは出来るようになったらしく、ラウラと一緒にガルちゃんのマンガを読み始めている。

 

「あら、ギュンターくんじゃないの!」

 

「よう、姐さん。子育ての調子はどうだ?」

 

「ええ。タクヤとラウラはちゃんと育ってるわ。・・・・・・それにしても、タクヤは本当にエミリアにそっくりよねぇ・・・・・・」

 

「そうだよなぁ。何だか姉御が幼少の頃に戻ったみたいだぜ」

 

「そ、そうか・・・・・・?」

 

 自分に似ていると言われて照れる母さん。少し顔を赤くした母さんは、自分のポニーテールを片手で弄りながら俺の頭を撫で始める。

 

 俺の髪型も母さんと同じくポニーテールにされてるから、なおさら似ているのかもしれない。ちなみに俺の髪型をポニーテールにしたのはエリスさんだ。

 

「若旦那は大きくなったら姉御みたいな騎士になるのか?」

 

「えっと、僕は・・・・・・冒険者になってみたいです」

 

 仲間たちと一緒に、異世界を冒険してみたい。それが俺の目標だ。

 

 冒険者の仕事は世界中にあるダンジョンを調査する事だ。ダンジョンは生息する魔物やその環境が危険過ぎるせいで全く調査できない地域の総称で、この異世界の世界地図は未だに空白の地域がいくつもある。

 

 魔物が街を襲撃する事が少なくなったため、現在では魔物を撃退する傭兵よりも冒険者の方が需要があるらしい。親父も傭兵よりも冒険者の方が良いって進めてたからな。

 

「冒険者か。いいじゃねえか!」

 

「ラウラも冒険者になるっ!」

 

「ラウラちゃんも? なら、姉弟で一緒にダンジョンに行くってわけだな?」

 

 ラウラも冒険者になるつもりなのか? もしかして、俺と一緒にいたいから同じ冒険者になろうとしてるんじゃないだろうな?

 

 お姉ちゃん、いつまでも俺と一緒にいるわけにはいかないだろ?

 

「ふふっ。この子たちは仲良しだから・・・・・・。ねえ、ラウラ?」

 

「うんっ! 私はタクヤといつも一緒なのっ!」

 

「なら、カノンもおねえさまたちとなかよしになりますわ!」

 

「えへへっ。カノンちゃんも一緒だよ!」

 

 まさか、俺のお姉ちゃんはブラコンなんじゃないだろうな?

 

「ところでギュンターくん。もし良ければ、今夜は一緒にご飯食べて行かない?」

 

「お、いいのか?」

 

「ええ。カレンちゃんも呼びましょうよ!」

 

 カレンさんはカノンの母親だ。ドルレアン領の領主であり、ギュンターさんの妻でもある。種族で差別をしないことで有名な領主で、貴族よりも平民や身分の低い者たちから支持されている。

 

 どうやらカレンさんは親父を訪ねているらしい。仕事の話だろうか? 

 

「なら、食材はもっと買ってきた方が良いな」

 

「おお、久しぶりに姉御の手料理が食えるってわけだな!」

 

 母さんは騎士団に所属していた頃に駐屯地の宿舎で1人暮らしをしていた時に何度も料理の練習をしていたため、母さんの料理は美味い。母さんの姉であるエリスさんはかなり料理が下手らしく、一口食った親父が41度の高熱を出して死にかけたことがあったらしい。

 

 あの親父が死にかけるほどの味なのか・・・・・・。

 

 まさか、ラウラも料理が下手にはならないよな? そんなことを少しだけ思った俺は、苦笑いしてから別のマンガを手に取った。

 

 

 

 

 



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タクヤが家族で買い物に行くとこうなる 前編

 

《トレーニングモードを開始します》

 

 目の前に表示されたメッセージが短時間で消滅したかと思うと、俺の目の前にあった六角形の床の一部が何枚か外れて舞い上がり、まるで射撃の的のように展開する。地下室の射撃訓練場よりは近距離だが、このトレーニングモードならばいちいち親に見守っていてもらう必要はない。それにここで傷を負ってもすぐに治るから、負傷も全く気にする必要はなかった。

 

 このトレーニングモードは現実ではなく、夢の中で行う仕組みになっている。だから起動すれば身体は眠ってしまうんだが、疲労が抜けることはない。以前は寝る前にこのトレーニングモードを使って寝坊する羽目になったんだが、昼寝しているように見せかければ母さんやラウラに叩き起こされる心配はない。疲労は抜けないけど、そこはトレーニングの量を抑えれば何とか補えるだろう。

 

 こっそり夜中にレベル1でも生産できる武器を探し、どれを生産するべきか悩んでいた俺は、昨日の夜に生産する銃を決めてすでに生産を終えていた。

 

 俺が生産した武器は、ドイツ製SMG(サブマシンガン)のMP40だ。第二次世界大戦中にドイツ軍が使用したMP38というSMGの改良型で、同じくこのMP40も第二次世界大戦でドイツ軍が使用している。細い銃身と、銃身の下から伸びた真っ直ぐなマガジンが特徴的な銃で、使用する弾薬は様々なハンドガンで使用されている9mm弾だ。

 

 余談だが、世界初のSMG(サブマシンガン)は第一次世界大戦の際にドイツが使用したベルグマンMP18という銃だ。当時のボルトアクションライフルのような銃床に、バレルジャケットに覆われた短い銃身を装着し、銃床から見て左側にマガジンを装着していた。銃身の左側にマガジンを装備している他のSMGには、旧日本軍の一〇〇式機関短銃やイギリスのステンガンなどがある。だが現在のSMGはこのMP40のように銃身の下にマガジンを装着する方式が主流となっており、銃身の横にマガジンを装着する方式はSMG(サブマシンガン)では廃れている。

 

 MP40のグリップを掴み、真っ直ぐなマガジンを握った俺は、木製の部品が一切使われていない漆黒のSMG(サブマシンガン)のアイアンサイトを覗き込むと、目の前に浮遊している的に向かってトリガーを引いた。

 

 使っている弾丸はハンドガンの弾丸と同じだが、連射すれば猛烈な反動が連続で俺の両手に襲い掛かって来る。何とかグリップとマガジンを握って反動を黙らせつつ、一旦射撃を中断。3秒程度の連射だったが、何発当たったのか確認しておく。

 

「……結構外れてる」

 

 目の前の的に開いている風穴はたったの4つのみ。明らかに4発以上はぶっ放していた筈だから、半分以上は外れたということになる。

 

 今のところ、俺が使った事のある武器はボルトアクション式のライフルと、シングルアクション式のリボルバーと、親父が貸してくれた南部大型自動拳銃のみ。SMG(サブマシンガン)の事は知っているが、今までぶっ放したことはなかった。

 

 もし成長して冒険者になったら、このSMG(サブマシンガン)の連射(フルオート射撃)は役に立つだろう。大型の魔物やドラゴンには弾かれてしまうかもしれないが、ゴブリンやハーピーなどの群れを一網打尽にできるだろうし、もし盗賊や山賊に襲われたとしても、1丁だけで殲滅できる筈だ。扱い方は覚えておいた方が良い。

 

 いつかは親父も本格的に使い方を教えてくれるかもしれないが、これは予習だ。

 

『――――ふふっ。タクヤ、起きて。タクヤー』

 

「あれ? エリスさん?」

 

 メニューを開いてもう一度トレーニングをやろうと思っていると、いきなり蒼白い光が舞う空の上から聞き慣れた優しい女性の声が聞こえてきた。ラウラの母親であり、俺にとってもう1人の母親でもあるエリスさんの声だ。どうやら俺を起こそうとしているらしい。

 

 いつまでも寝ているわけにはいかない。メニューを開いてトレーニングを終了した俺は、目の前の足場が消え始めたのを確認すると、瞼を瞑り、数秒後にもう一度目を開く。

 

 まるで、いつものようにベッドの上で目を覚ましたかのようだった。ほんの少しだけだるい身体をゆっくりと起こしていると、俺の顔を覗き込んでいた蒼い髪の女性が微笑んだのが見えた。

 

「あら、起きたわね」

 

「エリスさん、どうしたんですか?」

 

「今からみんなでお買い物に行くのよ。一緒に来ない?」

 

「はい、いいですよ。その方がお姉ちゃんも喜びますし」

 

 もし行かないといったら、ラウラは無理矢理俺を連れて行くか、駄々をこね始めるに違いない。もう6歳になったというのに全く大人びる気配のない幼い性格の姉のためにも、買い物について行った方がよさそうだ。

 

 それに、この王都の事もよく知る事ができるからな。今のところ外で遊ぶこともあるが、遊びに行く時は必ずエリスさんがついて来る。どうやら彼女は俺たちの事が心配らしい。

 

 この王都ラガヴァンビウスは、国王の住む城があるオルトバルカ王国の首都だ。周囲は分厚い防壁に囲まれていて、武装した騎士団の騎士や魔術師たちが何人も駐留している。過去に勃発した戦争や紛争には常に勝利している大国であるため、騎士たちの錬度は非常に高い。だから今まで魔物の侵入を許したことはないらしい。

 

 しかも、親父が設立したモリガン・カンパニーが騎士団や冒険者に武器を販売するようになってから、騎士団の戦力は更に強化されている。武器を販売しているといっても銃を販売しているわけではなく、コンパウンドボウや従来の剣よりも硬い上に鋭い剣を販売しているようだ。

 

 さらに、最近ではモリガン・カンパニーに所属するフィオナという博士が、魔力を動力源とする動力機関の開発に成功したらしい。この世界では魔術が発達しているんだが、機械は全く存在していない。おそらくその理由は、魔力は魔術を使うための物であると人々が思い込んでいるから、その魔力を動力源にして巨大な機械を動かすという発想がなかったんだろう。親父が母さんたちに、寝室で「こいつが実用化されれば、産業革命が起こる」と楽しそうに話していたのを何度か聞いたことがある。

 

 あと数年でこの街並みは、中世のヨーロッパのような都市から産業革命が起きていた頃のイギリスみたいな感じの街になるんだろうか? もしそうならば、この街並みともお別れだな。

 

 ちなみに、その動力機関を開発したフィオナという技術者もモリガンのメンバーの1人で、俺が生まれた時に俺の顔を覗き込んでいた白髪の少女だ。信じられない話だが、彼女は人間ではなく幽霊らしい。

 

 今から100年以上前に病死した少女の幽霊で、まだ死にたくないという強烈な未練のせいで成仏せず、逆に人間のように実体化できるようになったと小さい頃に母さんが教えてくれた。

 

 今ではモリガン・カンパニーの製薬分野を指揮しつつ、親父が用意した研究所で様々な発明を繰り返しているらしい。既に持っている特許は100を超えている天才技術者だ。

 

「じゃあ、早く行きましょ。お菓子買ってあげるから」

 

「わーい!」

 

 俺はまだ6歳だからな。子供のふりをしないと。

 

 エリスさんに頭を撫でられながら玄関へと向かうと、私服姿の2人の幼女が玄関で待っていた。2人とも赤毛で、頭には角を隠すために少し大きめのベレー帽をかぶっている。

 

 もちろん片方はラウラで、もう片方はガルちゃんだ。

 

 俺も角を隠すために何かかぶらないとな。そう思いながら2人の頭のベレー帽をじっと見つめていると、エリスさんがどこからかハンチング帽を取り出し、俺の頭の上に乗せてくれた。

 

「あらあら、似合うじゃない」

 

「でも、タクヤって女の子みたーい。ねえ、なんでポニーテールなの?」

 

「エリスさんがこの髪型にしたんだよ……」

 

 仕方ないだろ。朝起きて歯を磨いている間にエリスさんがやってきて、俺が歯を磨き終える前に勝手にポニーテールにしてニヤニヤ笑ってから去っていくんだから。逃げようとしてもすぐに捕まってポニーテールにされるし。

 

「ママの趣味よ」

 

「ママの趣味なの?」

 

「そうよ。可愛いでしょ?」

 

「でも、タクヤは男の子だよ?」

 

「可愛い男の子も素敵なのよ」

 

「へえ」

 

 素敵じゃないよ。俺は大ダメージだよ。よく女の子に間違われるから、このまま成長したらいつか俺を女子だと勘違いした男子に告白されちまうかもしれないでしょ。

 

 そう思いながらエリスさんを見上げるが、エリスさんは俺の顔を見下ろして微笑みながら俺の頭を撫でるだけだ。きっとこれからも俺は歯を磨いている最中にポニーテールにされ続けることだろう。

 

 でも、短髪にしてもボーイッシュな感じの少女にしか見えないんだよな……。それに、髪留めを取ろうとするとエリスさんだけでなく何故か母さんまで悲しそうな顔をするし。もしかしたら、髪留めを取ってポニーテールを止めたら母さんとエリスさんが泣いてしまうかもしれない。

 

 そんなに女みたいな息子が好きなのかよ……。

 

「さあ、行きましょう!」

 

「おー!」

 

 玄関のドアを開けたエリスさんの後を歩きながらはしゃぎ始めるラウラ。俺は苦笑いしながらため息をつくと、俺の隣で苦笑いしながら俺を見下ろしていたガルちゃんの顔を見上げて、もう一度ため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい! フランセン産のチーズはいかが!?」

 

「ヴリシア産のウナギもあるよ!」

 

 王都の中央にある大通りの両脇には、ずらりと大量の露店が並んでいる。売られているのは野菜や肉などの食材ばかりではなく、ランタンや薬草などの日用品も売られている。中には他国から輸入されてきた剣や鎧を売っている露店もあるようだ。

 

 非常に広い大通りなんだが、無数の買い物客のせいで混雑している。俺ははぐれないように必死にエリスさんの手を掴んでいるが、この手を離してしまえばたちまち迷子になってしまいそうだ。

 

 レンガ造りの建物が連なる大通りを歩いていると、エリスさんはいきなり大通りの左へと寄り始めた。何度も小さな身体を大人たちの足や腰にぶつけながらももう1人の母親の後について行くと、エリスさんは穀物を売っている露店の前で立ち止まり、俺の手を握っていた手を一旦放してポケットから財布を取り出す。

 

 この国の主食はパンのようだ。パンはこのように露店で購入していく場合もあるし、自家製のパンを食べる家庭もあるようだ。ちなみにハヤカワ家では前者で、基本的にパンは露店やパン屋で購入するようにしているらしい。

 

「やあ、奥さん。いらっしゃい」

 

「ジャガイモを1袋と、小麦粉を2袋いただけるかしら?」

 

「はいよ、銅貨4枚ね。奥さん、今夜はパンとシチューかい?」

 

「ええ。子供たちも大好きなメニューなのよ。料理するのは私じゃないけどね」

 

 親父から聞いたんだが、エリスさんの料理はヤバいらしい。母さんは騎士団に入団してからは1人暮らしだったから何度も料理を練習していたのに対し、エリスさんは騎士団に入団してからは料理を全く勉強せず、拠点の食堂を利用していたらしい。

 

 エリスさんはハルバードの扱いが得意な優秀な騎士で、入団してからはすぐに精鋭部隊に引き抜かれていったらしい。精鋭部隊は他の部隊よりも優遇されているから、利用できる食堂の食事も豪華だったようだ。

 

 だから料理を勉強する必要が全くなかったんだな。

 

 ちなみにエリスさんの手料理を食わされた親父は、手元に治療用のエリクサーを混ぜた水を用意し、一口食う度に「美味しい」と言いながらそのエリクサー入りの水を飲み、エリスさんが作った料理を1人で全て平らげてから高熱を出して死にかけたと言っていた。妻と家族を傷つけないために身体を張った親父は立派だと思うんだが、大黒柱なんだから無茶はしてほしくないものだ。

 

 でも、立派な親父だな。料理を作ってくれた人を傷つけず、その料理を食わされそうになった仲間を守り抜いたんだから。俺もそんな男になりたい。でも、高熱を出して死にかける羽目にはなりたくない。

 

 出来るならば奥さんは料理が上手な人がいいな。

 

「でも、今夜くらいは私が料理しようかしら……」

 

 や、やめてぇぇぇぇぇぇ! またお父さんが寝込んじゃう! 今度はお父さんが死んじゃうッ!!

 

 顔を青くしながら母さんと露店の店主の会話を聞いていると、俺はエリスさんがラウラから手を離していることに気が付いた。どうやら店主との会話に夢中になっているうちに手を離してしまったらしい。

 

 拙いな。手を離したらすぐに迷子になっちまうぞ。まだラウラはエリスさんの傍らにいるみたいだから、今のうちに俺が手を繋いでおくか。

 

 きょろきょろしているラウラの手を握ろうと、俺の手を伸ばしたその時だった。

 

 いきなり、ラウラの小さな身体が人込みの中に引きずり込まれていったんだ。

 

 歩いていく人々に巻き込まれたわけではない。明らかに成人の男性の大きな手で体を掴まれ、もう1つの手で口元を押さえつけられてから、人込みの中へと引きずり込まれた。

 

 まさか、誘拐されたのか!?

 

「ラウ―――――――」

 

 姉の名前を呼ぼうとした瞬間、今度は俺の手も大きな手に掴まれた。何とか振り払おうとしたんだが、いくら体内にサラマンダーの血を持つキメラとはいえ6歳の子供の腕力で大人の手を振り払える筈がない。すぐに俺も口元を抑え込まれたかと思うと、そのまま人込みの中に吸い込まれ、見覚えのない大男に抱えられてどこかへと連れ去られていく。

 

 必死に叫ぼうとしているんだが、口が手でふさがれているから全く声が出ない。しかも周囲の人混みが騒がしいから、叫んだとしてもエリスさんは気付かないだろう。

 

 尻尾を使って脱出しようかと思ったが、俺は人間ということになっている。尻尾の先端部はダガーのような形状になっているから武器にも使えるだろうが、人込みの中で尻尾を出すのは拙い。

 

 だったら、印を残しておこう。

 

 確か、この私服のポケットの中には、訓練で使ったリボルバーの空の薬莢が入っていた筈だ。大男に抱えられながらこっそりとポケットの中に右手を突っ込んだ俺は、空の薬莢が残っていますようにと祈りながらポケットの中を探る。

 

 しめた。ポケットの中には、やっぱり訓練で使ったスタームルガー・スーパーブラックホークの空の薬莢が残っていたぞ。

 

 もう冷たくなってしまった薬莢を掴み取った俺は、その薬莢をこっそりと路地に落とし始める。石畳に薬莢が落下して小さな金属音を立てるが、周囲の人混みが騒がしいせいで男たちには全く聞こえていないようだ。

 

「簡単に捕まえられたな、兄貴!」

 

「ああ。この2人は貴族にでも高値で売りつけてやろうぜ。可愛らしい女の子だ」

 

 どうやらこの男たちは、俺とラウラを貴族に売るつもりらしいな。貴族が何をするのか想像してしまった俺は、ぞっとしながら逃げ出す方法を考え始めた。

 

 ロリコンとショタコンの貴族に売られてたまるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 男たちに連れて来られたのは、王都ラガヴァンビウスの西に広がるスラム街のようだった。貴族による搾取に耐えられなくなった市民や騎士団から脱走した団員だけでなく、王都に入り込んでいる貧民たちの溜まり場と化しているこのスラムは、王都の危険地帯となっている。もちろん、ここに立ち入るのは貧しい人々か、こいつらのように子供をさらって商売をしているようなカス共だけだ。

 

 黴臭い部屋の中で椅子に縛り付けられた俺は、ちらりと隣の椅子に縛り付けられているラウラのほうを見た。彼女の口には猿ぐつわが付けられているせいで、彼女の泣き声は聞こえてこない。知らないところに連れて来られた恐怖で涙を流しているラウラは、ぶるぶると震えながら俺の方を見つめている。

 

 当然ながら俺は誘拐された経験などない。だから俺も不安だ。でも、俺には転生者の能力がある。銃を装備すればこいつらは瞬殺できるだろう。

 

 ラウラの顔を見つめながら、俺は頷いた。必ず彼女を助け出し、一緒に逃げるんだ。彼女を連れ出す事ができるのは俺しかいないのだから。

 

 ラウラが頷いたのを見て微笑んだ俺は、ちらりと男たちの様子を確認する。

 

 人数は4人。武器はナイフだけのようだ。飛び道具は持っていないらしい。

 

 こいつらが油断した瞬間に尻尾で縄を切断し、素早くMP40を装備。9mm弾のフルオート射撃でこいつらを制圧してからラウラを解放し、何とかエリスさんたちと合流するのがいいだろう。もし隙が無くてもなんとか時間を稼げば、あの薬莢に気付いたエリスさんや親父が助けに来てくれるに違いない。

 

「へぇ。可愛らしいガキ共じゃねえか」

 

「ああ。こりゃ商人や貴族に高値で売れるぜ。最近は幼い子供が好きな貴族が多いからなぁ……」

 

 え? ロリコンの貴族とショタコンの貴族が増えてるの?

 

「でもよぉ、このまま売るのは勿体ないよなぁ」

 

「何言ってんだよ、このロリコン」

 

「だってさ、2人とも可愛いじゃん」

 

 こいつもロリコンかよ。くそ、このままじゃラウラが……。

 

「特にこっちの髪が蒼い方は気が強そうでさぁ」

 

 お、俺? もしかして、俺は女だと勘違いされてるのか?

 

 ポニーテールと顔つきのせいで、どうやら俺はこいつらの中のロリコンに幼女だと勘違いされているらしい。冗談じゃない。男に犯されたらトラウマになっちまう!

 

「おいおい、売り物なんだからあまり汚すんじゃねえぞ」

 

「はいはい。……ほら、立って服を脱ぎな」

 

「………」

 

 ま、マジかよ……。

 

 こうなったら、服を脱ぐふりをして尻尾で不意打ちし、更に尻尾で縄を切ってから銃で反撃するしかない。最初に考えていた作戦よりもリスクが高くなっちまうが、この作戦で何とかこいつらを制圧しなければならない。

 

 すると、男が俺の足を縛っていた縄を解き、今度は両手を縛り付けていた縄を解き始めた。6歳の子供ではナイフを持った4人の大人から逃げられるわけがないと油断しているんだろう。

 

 残念ながら、縄を尻尾で斬る手間を省いてくれただけだぜ。

 

「んーっ! んーっ!!」

 

「チッ、うるせえガキだなぁ」

 

「……」

 

 俺の隣で縛られていたラウラが、いきなり猿ぐつわを付けられた状態でわめき始めた。どうやら俺がどこかに連れて行かれると勘違いしているんだろう。

 

 ラウラは小さい頃から俺から離れることを嫌っていた。俺が彼女の傍から離れようとすると嫌がるし、俺が遊びに行こうとすると必ずついて来たんだ。

 

 しかも今の彼女はいきなり誘拐されてかなり怯えている。俺が隣にいたからこそ辛うじて喚かずに済んでいたんだろうが、俺が連れて行かれると誤解したせいで、ついに耐えられなくなってしまったらしい。

 

「うるせえんだよ、ガキが」

 

 俺の手の縄を解こうとしていた男が、舌打ちをしてから解きかけの縄から手を離すと、ゆっくり立ち上がってからラウラのほうへと向かって歩き始めた。見知らぬ大男が迫って来るのを見て更に泣き喚くラウラ。彼女の泣き声を聞いて不機嫌になった大男は、もう一度舌打ちをしてからラウラを見下ろすと――――なんと、いきなりラウラの顔面を足で蹴り上げやがった!

 

「っ!!」

 

「……!!」

 

 蹴り上げられたラウラの身体が椅子ごと一瞬だけ浮き上がり、そのまま床に倒れる。蹴り上げられた衝撃と倒れた衝撃で猿ぐつわが口からずれたらしく、ラウラの痛々しい声が足元から聞こえてきた。

 

「い、痛いよぉ……。パパぁ……助けてぇ………パパぁ…………!」

 

「やかましいんだよ、ガキが。いいか? お前らはな、これから貴族に売られるんだよ。もう二度とパパとママには会えないんだ。代わりにロリコンの貴族に可愛がってもらうんだな」

 

「や、やだ……やだぁ……! ママぁ!!」

 

「うるせえっつってんだろうが、ガキッ!!」

 

 泣き始めるラウラの腹に、今度は大男が蹴りを叩き込んだ。先ほど蹴り上げられた顔から血を流しながら、腹を蹴られたラウラが壁際まで吹き飛ばされる。

 

 おいおい、ラウラはまだ6歳なんだぞ……!? 何でそんなことをするんだよ………!?

 

 子供にそんなことをするなんて……。まるで、前世の俺の親父と同じじゃねえかよ……!

 

 そう思った瞬間、あのクズ親父から虐待を受けていた幼少の頃を思い出した。確か俺もこんな感じで暴力を振るわれていたんだ。反論すれば余計殴られるし、何もしなくても暴力を受けた。それに、庇おうとした母さんも何度も殴られていたのを見たことがある。

 

 何でそんなことをする? 何で弱い者を虐げる……!?

 

 楽しいか……!?

 

 楽しいのかよ、このクズ共がッ!!

 

 大男は泣き続けるラウラを殴ると、今度はラウラを再び椅子の上に座らせ、彼女の服を脱がせ始めた。ラウラは抵抗するが、大男に勝てるわけがない。

 

 ズボンの中に隠していた尻尾を静かに出した俺は、その先端部で椅子に縛り付けられていた縄を斬りつけた。まるで鋭いナイフで薄い紙を斬りつけたようにあっさりと縄が両断される。

 

 両腕を解放された俺は、他の男たちが服を脱がされかけているラウラに夢中になっている間に左手を突き出した。メニュー画面が目の前に出現したのを確認した俺は、素早く装備と書かれているメニューをタッチすると、MP40を選んで装備する。

 

「おい、そのガキ―――――」

 

 薄暗い部屋の中だったから、メニュー画面の光でバレてしまったんだろう。男たちの1人が俺を指差しながら絶叫するが、既に俺はMP40を装備し終え、グリップとマガジンを握りながら銃口をラウラを痛めつけている大男へと向け終えた後だった。

 

 今から人間を撃とうとしているのに、全く俺は躊躇う事ができなかった。一緒に育った肉親を痛めつけられた怒りと復讐心が、本来ならば生まれる筈の躊躇いを希釈してしまったんだろうか?

 

 俺はこっちを振り向きかけている大男の足へと銃口を向けると、初めて家の外でトリガーを引いた。

 

 大男の絶叫は、銃声のせいで聞こえなかった。

 

 

 



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タクヤが家族で買い物に行くとこうなる 後編

 

 薄暗い部屋の中が、フルオート射撃の猛烈なマズルフラッシュで蹂躙された。ラウラを痛めつけていた大男の唸り声も銃声で蹂躙され、更にその大男自体も、俺が構えたMP40のフルオート射撃で蹂躙される。

 

 2秒程度のフルオート射撃だったが、その間に放たれた9mm弾の群れは振り向きかけていた男の足を撃ち抜くと、脹脛を食い破られて転倒する大男の太腿にも襲いかかった。いきなり見たこともない兵器に攻撃された男は目を見開きながら俺の顔を見上げていたが、すぐに自分の両足をむしばんでいる激痛に気付いた大男は、みっともなく喚き始める羽目になった。

 

「ギャアアアアアアッ! あ、足が……ッ! な、なんだこのガキ!? そんな武器、どこから出しやがったぁッ!?」

 

 男の罵声を無視しながら、俺は銃口を他の男たちへと向けながら、痛めつけられてボロボロになっているラウラをそっと椅子ごと大男の近くから引き離した。泣き虫な奴だから、今の銃声で大泣きするかと思っていたんだが、ラウラはちなみれになった痛々しい顔で安心したように俺の顔を見つめている。

 

 きっと俺も、前世でクソ親父に虐待された後はこんな顔で母さんを見ていたんだろう。やっと暴力は終わったんだと安心して、自分の味方を見つめていたに違いない。

 

「た、タクヤっ……! こ、こわいよ………!」

 

「大丈夫だよ。僕が何とかする」

 

 ラウラを大男の近くから引き離した俺は、彼女の縄を解くのを後回しにし、血まみれになっている彼女をそっと抱き締めた。いつもは石鹸と鼻のような甘い匂いの混じった良い匂いがするんだが、今の彼女の匂いは血の臭いで台無しになっている。それに綺麗な赤毛も滅茶苦茶だ。

 

 よくも俺のお姉ちゃんを……!

 

「き、気を付けろ! こいつ、見たこともない武器を持ってるぜ!?」

 

「どこに隠し持ってやがった・・・・・・!? 何だよ、あのデカい音のする武器は!?」

 

「………」

 

 こいつらには容赦はしない。全員ぶち殺してやる。

 

 だが、胴体にフルオート射撃を叩き込んだらすぐ死んでしまうからなぁ……。ラウラを痛めつけて楽しんでいた野郎共だから、こっちも痛めつけて楽しませてもらうとしよう。

 

 理不尽に虐げてくるのならば、こっちも理不尽に蹂躙するだけだ。

 

 SMG(サブマシンガン)を知らない男たちが、腰の鞘からナイフを引き抜く。形状はサバイバルナイフのようなナイフではなく、騎士団が採用しているバスタードソードやロングソードをそのままナイフのようなサイズにしたような感じの得物だ。モリガン・カンパニー製の武器を採用するようになった騎士団は冒険者や傭兵ギルドに従来の武器を格安で売り払ったという話を親父がしていたのを聞いたことがあるが、あのナイフもその武器の中の1つなんだろうか?

 

 だが、そんなナイフでSMG(サブマシンガン)に勝てるものか。そっちが無様な雄叫びを上げて俺を斬りつける前に、ボロボロの肉片にするのは容易いんだ。

 

 マガジンの中に残っている弾丸はおそらく23発から25発。予備のマガジンはちゃんと用意されるようだが、腰に下げてある予備のマガジンは3つのみ。俺の能力の中にあったスキルの生産で増やせないだろうか?

 

 でも、こいつらを痛めつけるには問題ない。

 

 銃口を男たちに向けていると、俺が男たちに怯えていると勘違いしたのか、痩せ細った1人の男がにやりと笑い、ナイフを構えて足を前に踏み出した。

 

 ビビってたわけじゃねえんだよ、馬鹿が。考え事をしていただけだ。

 

 俺は表情を全く変えずに、その男へと銃口を向けてトリガーを引いた。またしても轟音が部屋の中で暴れ回り、放たれた9mm弾の群れが男の細い足を食い破る。脹脛に2発も弾丸を撃ち込まれた男は先ほどの大男と同じように床に崩れ落ちると、ナイフを手から離して必死に足を抑え、呻き声を上げ始める。

 

 やかましい声だ。

 

 先ほどまでニヤニヤしながらラウラが痛めつけられるのを見ていた男の顔を思い出した俺は、あの大男がラウラを黙らせるために彼女を蹴り上げたように、俺もこの男を黙らせるためにもう1発だけ9mm弾をお見舞いした。9mm弾が着弾したのは男の肘の辺りだった。

 

 肘を撃ち抜かれ、弾丸を骨に捻じ込まれた男は、今度は足の風穴から手を離して肘を抑え始める。

 

「な、なんてガキだ……」

 

 2人の男の絶叫が銃声の残響と共に響き渡る部屋の中で、リーダー格の男が呟く。その男はもう1人の男の目をちらりと見ると、頷いてから部屋の右側へとゆっくり移動し始めた。もう1人の男は逆へと回り込み始める。2人で回り込んで俺を仕留めるつもりらしい。

 

 でも、馬鹿じゃねえの? こっちは連射が出来る飛び道具を持ってるんだぜ?

 

 剣を持ってるんだったら有効な手段だけど、相手がSMG(サブマシンガン)を持ってるんだったら各個撃破されるだけだろうが。

 

 俺はまず、窓の方へと回り込もうとしていた男に向かってトリガーを引いた。いきなり銃口を向けられた男が怯えたが、容赦はしない。そのままトリガーを引いて両足に9mm弾の集中砲火をお見舞いしてから、素早くリーダー格の男へと銃口を向ける。

 

「ま、待て! やめてく―――――」

 

「やかましいッ!」

 

 絶対に容赦はしない。

 

 ラウラを痛めつけられたことに対する怒りで、俺はもう躊躇う事ができなくなっていた。その怒りは俺が前世から持っていたあのクソ親父に対する怒りや憎悪に溶け込むと、凄まじい速さで燃え広がり始め、躊躇いを焼き尽くしてしまったんだ。

 

 リーダー格の男の命乞いを無視し、俺はトリガーを引く。マズルフラッシュがランタンの光を一瞬だけ飲み込み、その光の中でリーダー格の男の身体に2つの風穴が開く。太腿と肩の2ヵ所だ。

 

 男は絶叫しながら後ろに倒れ込むと、ボロボロになっていたドアを突き破り、そのまま部屋の外にある廊下へと飛び出していった。俺たちをさらった男たちのリーダーは必死に命乞いをするが、許すつもりはない。そろそろ止めを刺してしまおう。

 

 空になったマガジンを取り外し、腰に下げてある細長いマガジンを銃身の下に装着。銃身の脇にあるコッキングレバーを引いて再装填(リロード)を終えた俺は、左手でマガジンを掴みながらゆっくりと怯える男に近付いていく。

 

「よくもラウラを……!!」

 

「ま、待ってくれっ! お、俺が悪かった……頼む、もうやめてくれよぉっ!!」

 

 殺してやる……。

 

 リーダー格の男に止めを刺そうとしたその時だった。いきなり俺の右側から成人男性の足が振り上げられたかと思うと、その足が俺のMP40の細い銃身を蹴り上げられたんだ。

 

 俺の両手からSMG(サブマシンガン)が、くるくると回転しながら天井へと向かって舞い上がっていく。

 

 しまった……! まだこいつらの仲間が外にいたのか!

 

 俺は大慌てでMP40を蹴り上げた男の顔を見上げ、すぐに攻撃できるように尻尾の先端部を男へと向けたが、その男の服装は俺たちをさらった男たちとは全然違った。

 

 俺たちをさらった男たちは薄汚れた服を着ていたんだが、俺のSMG(サブマシンガン)を蹴り上げた男は、立派なスーツに身を包み、シルクハットをかぶった赤毛の紳士だったんだ。しかも腰には、スタームルガー・スーパーブラックホークがホルスターに収まった状態で下げられている。

 

 その紳士は俺よりも先に落下してきたMP40をキャッチすると、まるでハンドガンを構えるかのように片手でSMG(サブマシンガン)の銃口をリーダー格の男の下半身へと向ける。

 

「――――まだ、手にかけるな」

 

「あ……お、お父さ――――――」

 

 MP40を蹴り上げた紳士の正体は、俺の親父の速河力也(リキヤ・ハヤカワ)だった。どうやら俺が道にばら撒いてきたリボルバーの薬莢を辿ってここまで辿り着いてくれたらしい。

 

 ラウラを痛めつけられたことに対する怒りで、すっかりその事を忘れていた。

 

 親父はあの鋭い目でリーダー格の男を見下ろすと、男の下半身に向けていたMP40のトリガーを引いた。

 

「ギャッ……アァァァァァァァァァッ!!」

 

 怯えながら親父の顔を見上げていたリーダー格の男が、銃声が響き渡ると同時に自分の息子を両手で押さえながら絶叫を始めた。どうやら親父に息子を9mm弾で撃ち抜かれてしまったらしい。

 

 容赦ねえな、親父……。

 

「……ラウラは?」

 

「部屋の中に………」

 

 どうやら親父だけではなく、エリスさんとガルちゃんも駆けつけてくれたらしい。はっとして部屋の中へと入って行った親父の後ろからやってきたエリスさんは、涙目になりながら構えていた銃を下ろすと、銃をホルスターに戻してから俺を抱き締めてくれた。

 

 ラウラと同じ匂いがする。石鹸と花の匂いが混じった甘い匂い。この匂いを嗅ぐと安心する……。

 

 俺もエリスさんの背中に小さな手を回すと、心配させてしまったもう1人の母親を抱き締める。

 

「怖かったでしょ……?」

 

「う、うん………」

 

「ごめんなさい、私のせいで………」

 

 彼女に抱き締められながら、俺も部屋の中へともう一度足を踏み入れた。部屋の中ではラウラを縛っていた縄をボウイナイフで切断した親父が、泣き始めるラウラの頭を優しく撫でながら俺の顔を見下ろしていた。

 

 やがてラウラが泣き止み始める。親父はラウラの頭から手を離すと、ラウラをエリスさんに任せることにしたらしく、エリスさんの顔を見て頷いてから部屋の中で倒れている男たちを睨みつける。やはり、父親として子供たちをさらった男たちが許せないのだろう。この男たちは、俺たちの親父にさらに恐ろしい仕返しをされるに違いない。

 

「ママぁっ!!」

 

「ラウラ……よかった……!」

 

 泣き止んだというのに、再び泣き出しながらエリスさんに抱き付くラウラ。エリスさんから手を離して母親に抱き付く姉を見守っていると、親父は床に転がっている大男へと近付いて行った。

 

「エリス、ガルちゃん。子供たちを連れて外で待っていてくれ」

 

「む? 何をするつもりじゃ?」

 

「……ちょっとこいつらに仕返しをね。外に出たら、子供たちには耳を塞ぐように言っておけよ」

 

 あ、パパの仕返しが始まる。

 

 にっこりと笑いながらそう言った親父に向かって、ガルちゃんは苦笑いしながら頷くと、俺とラウラを連れて部屋の外へと連れ出した。

 

 ひとまず、これで俺とラウラは助かったな。あの男たちも親父が始末しちまうだろうし。

 

 だが……親父に、銃を持っているところを見られちまった。

 

 今まで俺は普通の子供のふりをして生活してきたんだが、よりにもよって転生者である親父に、SMG(サブマシンガン)を持っているところを見られちまったんだ。俺が今まで訓練で使った事があるのはリボルバーとハンドガンとボルトアクション式のライフルのみ。親父は俺にSMG(サブマシンガン)を貸してくれたことはまだない。誤魔化すことは出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちが誘拐されたその日の夜、俺は親父に地下室に来るように言われていた。おそらく俺がSMG(サブマシンガン)を手にしていた事について、問い詰めるつもりなんだろう。

 

 誤魔化せるか? 銃は親父の弟で、親父と同じく転生者である信也叔父さんから借りたって言えば大丈夫かな? 撃ち方はガルちゃんや母さんたちに教わったって言えば誤魔化せるかもしれない。

 

 ドキドキしながら木製のドアを開け、地下の射撃訓練場へと足を踏み入れる。まだ親父は来ていないらしく、照明用の大きめのランタンが天井から部屋の中を橙色に照らし出しているだけだった。

 

 その明かりを見つめながら突っ立っていると、木製のドアがもう一度ゆっくりと開いた。いつものように銃のトレーニングが目的で来ているわけではないため、銃声の聞こえない静かな部屋の中に、ドアの軋む音が響き渡っていく。

 

 まるで獣の唸り声のようだ。そう思いながらドアの方を振り返ると、腰に巨大なリボルバーを下げた親父が、まるで臨戦態勢に入った獣のような威圧感を放ちながら、冷たい目つきで俺を見つめていた。

 

「あ、お父さん」

 

 あの腰に下げている銃は、俺がいつか作ろうとしているプファイファー・ツェリスカだ。普通のリボルバーよりも明らかに巨大なシリンダーと太い銃身を持つシングルアクション式のリボルバーで、弾薬は普通のマグナム弾ではなく、ライフル用に開発された.600ニトロエクスプレス弾という大口径の弾丸をぶっ放す事ができる最強のリボルバーだ。

 

 その最強のリボルバーを腰のホルスターに吊るした親父は、ポケットの中から端末を取り出すと、画面を何度かタッチしてからアサルトライフルを装備し、それを俺に手渡してきた。

 

 親父が俺に手渡してきたアサルトライフルは、自衛隊で使用されている日本製アサルトライフルの89式自動小銃だった。M16やM4と同じく5.56mm弾を使用するアサルトライフルで、他のアサルトライフルと比べると非常に銃身が短く軽量なのが特徴だ。反動は極めて小さく、命中精度も非常に高い。

 

 89式自動小銃を親父から受け取った俺は、なぜこの銃を渡されたのか理解できず、黙って親父の顔を見上げていた。

 

「そいつを構えて、セレクターレバーをセミオート射撃からフルオート射撃に切り替えてみろ」

 

「う、うん」

 

 セレクターレバーというのは、|単発(セミオート射撃)や連射(フルオート射撃)を切り替えるためのレバーの事だ。基本的にライフル本体の左側に装備されていて、射撃を切り替える際はそのレバーを操作する。

 

 アサルトライフルだけでなく、SMG(サブマシンガン)やPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)などにも装備されている。

 

 もちろんこの89式自動小銃にもセレクターレバーは装備されているんだが、89式自動小銃のセレクターレバーは他国のアサルトライフルとは異なり、ライフル本体の右側に装着されているんだ。

 

 親父はきっと、自分が教えた覚えのない武器を使いこなしていた息子の正体を探るために、セレクターレバーを切り替えた時の反応を見るつもりなんだろう。ここでいきなり右側を見れば89式自動小銃のセレクターレバーの位置を知っていたということで怪しまれる。左側にあると思い込んでいたふりをしておこう。

 

 そう思いながら左側をちらりと見たんだが、どうやら親父は一枚上手だったようだ。

 

「―――――あれ?」

 

 なんと、セレクターレバーが左側に移動されていたんだ!

 

 あの端末もおそらく俺の能力と同じように武器のカスタマイズが出来るんだろう。そのカスタマイズでセレクターレバーの位置を左側に移動させた89式自動小銃を用意し、俺にセレクターレバーを切り替えさせようとしたんだ。

 

 左側にあるとは思わなかった俺は、思わず声を上げてしまう。はっとして親父の顔を見上げるが、親父は唇を噛み締めながら目を細めると、首を横に振りながら言った。

 

「――――タクヤ、正直に言え」

 

「え………?」

 

 俺の顔を睨みつけながらプファイファー・ツェリスカを引き抜いた親父は、俺の頭にその巨大なリボルバーの銃口を向ける。

 

「――――――お前、本当に俺たちの子供か?」

 

 拙い……。

 

 親父に、正体がバレたかもしれない。

 

 

 



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タクヤの正体

 

「お、お父さん……何で僕に銃を向けるの……!?」

 

「頼む、教えてくれ……お前は何者なんだ……?」

 

 自分の息子に銃を突き付けている親父の手は、ぶるぶると震えていた。今まで戦場で傭兵として何度も戦い抜いてきた猛者でも、自分の遺伝子を受け継いで生まれてきた息子に銃を向けるのは辛いんだろう。きっと早くこの銃を下ろし、いつも通りの生活を送りたいと思っているに違いない。

 

 いつもの生活に戻るためには、俺が何とか誤魔化し切るか、親父に本当の正体を教えてしまわなければならない。だが、前者はもう不可能だ。ならば思い切って「俺は転生者だ」と言ってしまうべきだろうか?

 

 でも、言ってしまえば―――――親父は俺をどうするつもりだ?

 

 見た目は自分の息子。でも、中身は違う。6年前までは父親から虐待を受けながら高校に通っていた男子高校生に過ぎない。まったく他人の子供が自分の息子のふりをして生まれてきたようなものだ。俺の正体を知れば、親父は俺を受け入れてくれるのだろうか?

 

 その可能性はかなり低い。だから俺は、もう不可能になった前者に固執してしまった。

 

「ぼくは……お父さんの子供だよ……?」

 

「ああ、そうだ。お前は俺の大切な子供だ……。ならば、なんでMP40を持っていた? あれはどこから持ってきた?」

 

「あれは、信也おじさんが……」

 

「嘘をつくな。信也はお前に銃を持たせたことは一度もないし、誘拐された時、信也は自宅にいた。お前にSMG(サブマシンガン)を渡すのは不可能だ」

 

 もう誤魔化せない。まさに万事休すだ。

 

 正体を明かせば、この親父は引き金を引くだろうか?

 

 優しい親父だった。本当は戦場で敵を何人も殺している恐ろしい親父(怪物)なのかもしれないけど、家族の前では怪物ではなく、人間だった。妻たちにも優しくしていたし、休みの日はよく狩りに連れて行ってくれた。

 

 こんな父親だ。俺はあんな暴力を振るって来るクズじゃなくて、こんな父親がずっとほしいと思っていた。休みの日に家族を連れて、どこかへと連れて行ってくれる他の家の優しい父親が羨ましかった。

 

 たった6年だけだったけど、優しい父親が欲しいという前世の願いはかなったような気がする。

 

 自分の願いが既にかなっていたことに気がついた俺は、何故か少しだけ笑いながらため息をついた。

 

「―――――そうか。………さすがにバレちまうか………」

 

「てめえ、何者だ?」

 

「………俺の身に何があったのかは分からない。飛行機の事故で死んだと思っていたら――――――あんたの子供として、この世界に生まれていた」

 

「なに?」

 

 水無月永人は、あの飛行機の事故で死亡した。クラスメイト達を乗せた飛行機と共に墜落し、この世界へと転生したんだ。

 

 どうして転生したのかは分からない。他のクラスメイト達はどうなったんだろうか? 俺と同じように、赤ん坊としてこの世界に転生しているんだろうか?

 

 新しい父親に銃を向けられているというのにクラスメイトの事を考えていた俺は、もう普通の人間ではなくなってしまったという証に向かって右手を伸ばす。

 

 俺の頭から生えている短い角。これが、もう俺が普通の人間ではなくなってしまったという証だ。サラマンダーの血を持つ親父の遺伝子を受け継いで生まれてきたという、俺とラウラの身体に刻み込まれた怪物の証。こいつのせいで、外出する時は帽子かフードの付いた服が必須になってしまった。

 

 親父の顔を見上げながら、俺は言った。

 

「本当だよ。俺は高校生だった筈だ……。だが、旅行に行く時に乗っていた飛行機が事故で墜落しちまって………」

 

「………俺の息子として転生したのか?」

 

「そうらしい」

 

 突き付けられていたでっかいリボルバーの銃身が、大きく揺れたような気がした。

 

 きっと、親父は動揺しているんだろう。目の前にいるのは確かに自分の子供だ。だが、中身は自分の子供ではない。事故で死亡した筈の男子高校生が、他人の子供として異世界に生まれ変わった姿なのだ。

 

 引き金を引くつもりなんだろうか? そう思いながら親父の顔を睨みつけるが、親父はやはり動揺しているらしく、引き金を引く様子はなかった。

 

「……端末は持っているか?」

 

 俺はすぐに首を横に振る。端末というのは、親父がさっき取り出していた携帯電話のような端末の事だろう。もちろん俺は持っていない。持っているのは武器や能力を生み出す事ができる能力だけだ。親父に見せるために片手を突き出した瞬間、親父は下げかけていた銃を再び俺に向けてきたが、俺の目の前にゲームのメニュー画面を目にした途端、すぐにリボルバーの銃口を下げてくれた。俺の能力に驚いているらしい。

 

「―――――武器は、こうやって生産したんだ」

 

 目の前のメニューをタッチし、俺たちを誘拐した男どもに向かってぶっ放したMP40を装備する。

 

 自分の持つ端末よりもハイテクだったことに驚いたのか、親父は少しだけ目を見開くと、まるで羨ましがるような顔をしてから「……随分とハイテクなんだな」と言った。

 

 羨ましいのかよ。

 

「まあな」

 

 息子の正体を知った親父は、どうやら警戒心を解いてくれたらしい。手にしていたプファイファー・ツェリスカをそっとホルスターの中へと戻した親父を見上げた俺は、安心して息を吐くと、メニュー画面を閉じた。

 

「……お前の本当の名前は?」

 

「――――水無月永人(みなづきながと)だ」

 

「ナガト? 戦艦長門(ビッグセブン)か?」

 

 クラスメイトの奴らにもよく言われた冗談だ。聞き慣れたニックネームを異世界でも聞く羽目になった俺は、苦笑いしながら親父に訂正する。

 

「残念ながら、永遠の永に人って書くんだ」

 

「なるほどね……。それで、お前の目的は?」

 

「何もない。……このまま、この世界であんたの息子として生きていくつもりさ」

 

 元の世界に戻る方法は全く分からない。俺はあの飛行機の事故で死んでしまっている筈だから、あっちの世界ではもう死人扱いだろう。それに、もし戻れたとしてもあんなクソ親父のところに戻るつもりはない。

 

 できるならば、もう水無月永人には戻りたくない。ずっとタクヤ・ハヤカワとして生きていたい。

 

「……俺の息子でいいのか?」

 

「構わねえよ。………俺の前の親父はクズでさ。自分勝手で、よく母さんや俺に暴力を振るってた。気に入らねえことがあればすぐに殴ってくるし、反論すればもっと殴ってくる。そのせいで母さんは病気になって死んじまってさ、俺はその糞親父(クズ)と2人暮らしをする羽目になった」

 

「………」

 

「殺してやろうかと思ったよ。父親ってのは、自分勝手なクズばっかりなんだと思ってた。――――――でも、あんたは何だか違う。ちゃんと話も聞いてくれるし、家族を大切にしているし………」

 

 俺はこんな父親が欲しかった。あんな暴力を振るうクズではなく、自分の家族を必死に守ってくれるこの男のような、優しくて強い父親がずっと欲しかった。

 

 だからあの世界には戻りたくない。そう思いながら親父を見上げていると、親父はやっと冷たい目つきで俺を見下ろすのを止めてくれた。

 

「……安心しろ。6年前から、お前はもう水無月永人じゃない。お前はもう、タクヤ・ハヤカワだ」

 

「……」

 

「正体が転生者でも関係ない。これがお前にとって2回目の人生だというのなら、思い切り楽しめ。いいな? つまらん人生を送って死ぬのは許さんからな」

 

 前の父親は、絶対にこんなことを言ってくれなかった。俺を見れば無視するか、八つ当たりをするかのどちらかだった。

 

 父親って、こんなに優しかったのか………。

 

 俺もこんな男になりたい。強くなって、家族を守れるような父親になりたい。

 

「……あんた、最高の父親だ」

 

「それはどうも。……さて、そろそろ部屋に戻ろうぜ。夜更かししてるとお母さん(エミリア)に怒られちまう」

 

「ああ、そうだな」

 

 母さん、怒ったら怖そうだ。もしかしたら大剣で両断されちまうかもしれない。

 

 ここに俺を呼び出した時のような冷たい目つきではなく、いつもの優しい目つきに戻った親父は、落ち着いたように微笑みながら地下室の出口へと向かっていく。

 

 何とか殺されずに済んだ。俺を生かしておいたということは……親父は俺を受け入れてくれたって事なんだよな?

 

 良かった………。

 

 安心しながら歩いていると、いきなり親父が立ち止った。親父のでかい背中にぶつかる前に立ち止まった俺は、親父の頭を見上げながら「親父、どうした?」と問いかける。

 

 すると親父は、俺の方を振り向かずに、低い声で言った。

 

「――――――そう言えば、お前は赤ん坊の頃の事は覚えているのか?」

 

「ああ、ちゃんと覚えているぜ」

 

 そういえば赤ん坊の頃は最高だったなぁ……。母さんたちが滅茶苦茶可愛がってくれたし、喋ったり歩きはじめたりするとよく抱きしめてくれたし。

 

 それに、赤ん坊の頃は粉ミルクじゃなくて母乳だったからな。美女の巨乳は最高でした。

 

「そうか………」

 

 赤ん坊の頃の事を思い出しながらニヤニヤしていると、目の前で立ち止まっていた親父がホルスターへと手を伸ばし、プファイファー・ツェリスカを引き抜きながらゆっくりと俺の方を振り向いた。

 

 あれ、お父さん? 

 

 目つきも鋭くなってるし、リボルバーを持ってる手も震えてるよ? 何で怒ってるの?

 

「―――――そういえば、お前とラウラは粉ミルクじゃなくて母乳だったよなぁ?」

 

「え? ああ……ちょ、ちょっと、親父………?」

 

「―――――よくも人の妻をッ!! このクソガキぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

 ちょっと待って、それは仕方ないだろうがッ!

 

 反論しようとしたんだが、親父は顔を真っ赤にしてブチギレしながら俺にリボルバーを向けてきた。おい、それに装填されてるのって実弾だよな!? しかも.600ニトロエクスプレス弾だよな!?

 

 やめろ、頭が吹っ飛んじまう!!

 

「ぎゃあああああああああ!? お、親父、落ち着けッ!! 拒否できるわけないじゃん! 当時の俺は赤ちゃんだったんだぜ!? 赤ちゃんがお母さんに『母乳じゃなくて粉ミルクが欲しい』って言えるわけねえだろ!?」

 

「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 お願いだからそれをぶっ放すのは止めてくれ! 胴体に当たってもバラバラになっちまう!

 

 必死に親父からリボルバーを取り上げようと足掻くが、6歳の子供の身長では全く親父の銃に手が届かない。なんてこった。こんな理由で俺は親父に殺されるのか。

 

 大暴れする親父を何とかしようと足掻いていると、1階の廊下へと続く階段の奥の方から、誰かが駆け下りてくるような足音が聞こえてきた。足音からすると子供ではなく、成人のようだ。男性なのか女性なのかは分からないが、誰かが階段を駆け下りてきているらしい。

 

 その直後、暗い階段の中で紫色の瞳が一瞬だけ輝き――――階段から飛び出してきた美しい2本の足が、俺にリボルバーを向けながら大騒ぎしていた親父の後頭部を直撃した。

 

「うふんッ!?」

 

 後頭部を蹴られたせいで俺に振り下ろす筈だったリボルバーを空振りし、変な声を上げながら地下室の奥へと吹っ飛ばされていく親父。がっしりした親父は顔面を床に叩き付けられると、そのまま回転しながら地下室の奥の壁に激突した。

 

 俺は呆然としながら、親父を見事なドロップキックで吹っ飛ばした美脚の持ち主のほうを振り返る。

 

「夜中に大声を出すな、馬鹿者ッ!」

 

 お、お母さん! 助けに来てくれたのかッ!?

 

 ありがとう、お母さん。そう言えばお母さんは、3歳の時に俺たちが狩りに行きたいって言い出した時も味方してくれたよな。

 

 俺、大きくなったら絶対にこのお母さんに親孝行するよ。決して親不孝者にはならない。命尾の恩人だからな。……それと、赤ん坊の頃はお世話になりました。

 

 鼻血を出しながら起き上がる親父を、腕を組みながら睨みつける母さん。何だかカッコいいです。

 

 母さんは俺の方をちらりと見ると、いつものように優しく微笑みながら俺を抱き締めてくれた。

 

「す、すいません……」

 

 す、すげえ。さすがの大黒柱も妻には逆らえないのか。

 

「まったく……。さあ、タクヤ。今日はもう寝よう」

 

「うん、お母さん」

 

 そういえば、もう10時を過ぎていたな。いつもだったらとっくに寝ている時間だ。ラウラはもう眠ってしまったのだろうか?

 

 さまあみろ、クソ親父め。

 

 鼻を抑えながら立ち上がった親父に向かってにやりと笑うと、親父は悔しそうに俺を睨みつけてくる。

 

 ニヤニヤ笑いながら親父を見ていると、母さんは俺から手を離し、ポケットからハンカチを取り出した。どうやらさすがにいきなりドロップキックをぶちかましたのは悪かったと思っているらしく、申し訳なさそうに苦笑いしている。

 

「ほら」

 

「ん?」

 

「その……すまなかった。いきなり背後から………」

 

「き、気にするな。俺が悪かったんだ………」

 

 受け取ったハンカチで鼻血を拭き取る親父。母さんは親父にそっと近づくと、親父がハンカチを鼻から離そうとした瞬間に手を親父の背中に回し、驚愕する親父の唇に自分の唇を押し付けた。

 

 む、息子の前でキスだとぉ!?

 

 しかも一瞬だけ舌伸ばしてるのが見えたぞ!? ただのキスじゃないのかよ!?

 

「――――ぷはっ! ………おいおい、タクヤが見てるんだぜ?」

 

「ふふふっ、そうだな。………ほら、部屋に戻るぞ」

 

 う、羨ましい……! 前世で俺は童貞だったっていうのに………!

 

 少しだけ顔を赤くしながら母さんは言うと、親父と手を繋ぎながら一緒に階段を上り始めた。

 

 階段を上りながら後ろを振り向いた親父が、俺の顔を見下ろしながらにやりと笑う。

 

 こ、このクソ親父め………。

 

 もっと成長したら絶対に彼女を作ってやる。あ、でもこの世界では一夫多妻制はごく普通らしいから、ハーレムを作っても問題はないよな。

 

 よし、俺は絶対にハーレムを作ってやるからな。そしてニヤニヤしながら親父の事を見下ろしてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、起きて。タクヤっ」

 

 聞こえてきたのは、聞き覚えのある幼い少女の声だった。かぶっている毛布よりも温かい小さな手に身体を揺すられて、やっと眠気から解放される事ができた俺は、瞼をこすりながらベッドから起き上がる。

 

 俺を起こしてくれたのは、元気な笑顔と赤毛が特徴的な同い年の少女だった。頭からは先端部が炎のように赤い2本の角が生えている。昨日あの男たちに連れ去られ、暴行を受けて傷だらけになっていた筈の少女の顔には、もう殴られた痕や痣は残っていなかった。

 

 あの後、家に戻ってからラウラは母さんたちにヒーリング・エリクサーを飲まされたらしい。ヒーリング・エリクサーは冒険者が治療に使うアイテムの1つで、飲むと傷口を治療してくれる便利な薬品だ。従来のエリクサーは瓶の中身を全て飲まなければ効果を発揮しなかった上に不味かったらしいんだが、フィオナちゃんが改良したエリクサーは一瞬で傷を治してしまう高性能な代物で、現在ではこちらが売店などで売られている。

 

 そのエリクサーのおかげで、ラウラの顔からはあの痛々しい痣が全て消えていたんだ。

 

「おはよう、ラウラ」

 

「うん、おはようっ!」

 

 瞼をこすりながらそう言うと、ラウラはにっこりと笑ってくれた。

 

「あのね、タクヤ」

 

「ん?」

 

「き、昨日は………あ、ありがと……」

 

「え?」

 

 昨日って、あの誘拐された時の事だよな?

 

「あの………昨日のタクヤ、かっこよかったよ」

 

「あ、ああ。……ありがと」

 

 そう言えば、今まで女の子にカッコいいって言われたことは一度もなかった。照れてしまった俺は、思わずラウラから目を逸らすと、指先で毛布を弄り始める。

 

 すると、まるで追撃するかのようにラウラまでベッドの上に乗って来ると、目を逸らしている俺の頬を優しく触りながら、俺の顔を覗き込んできた。

 

 よ、容赦のない姉だ。容赦のなさは親父譲りなのかもしれない。

 

「えへへっ。顔が真っ赤になってるよぉ?」

 

「そ、それはっ……」

 

「可愛いなぁ………。えへへへっ、タクヤっ」

 

 わ、笑い方がエリスさんにそっくりだ。確かエリスさんも、親父に甘える時はこんな感じで笑いながら抱き付いていたような気がする。

 

 ラウラはまだパジャマ姿の俺に抱き付いて来ると、俺の頬に自分の頬を押し付けた。

 

「大好きだよ、タクヤっ!」

 

 しょうがないお姉ちゃんだなぁ。

 

 でも、こんな甘えん坊のお姉ちゃんと一緒に生活するのも悪くないかもしれない。

 

 そう思った俺は苦笑いすると、同じように彼女の小さな背中に手を伸ばし、ラウラを抱き締めた。

 

 彼女は俺の大切な家族なんだ。だから―――――もっと強くなって、俺が守ってみせる。

 

 



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転生者ハンター

 

 王都ラガヴァンビウスは、魔物の襲撃から街を守るための巨大な防壁に囲まれている。強大な騎士団のおかげで今まで魔物に突破されたことはない堅牢な防壁なんだが、毎日あの街並みの向こうに見える殺風景な防壁を目にするとうんざりしてしまう。

 

 ネイリンゲンの森に住んでいた時は、窓の外には森や草原が見えていて開放的だったんだが、ここは全く逆だ。発展した大都市には、この殺風景さが付きものなんだろうか?

 

 でも、あの殺風景な防壁のおかげで、この王都は魔物にやられることなく発展し続けている。予算が無いせいで防壁すら作る事ができない小さな村では、魔物に怯えながら生活しなければならないらしい。

 

 家の裏庭から防壁を見つめていると、家の裏庭にある物置から木箱を持って来た親父が庭の芝生の上に木箱を置いた。

 

「よし、好きなのを選べ」

 

 そう言って木箱の蓋を取り外す親父。木箱の中にぎっしりと入っていたのは、モリガン・カンパニーで生産された様々な武器だった。モリガン・カンパニーは親父が設立した企業で、エリクサーの生産やインフラ整備だけでなく、武器の生産や各地の警備も行っている。生産した武器は基本的に騎士団や冒険者に販売されるんだが、銃は生産していない。木箱の中に入っているのは従来の剣やトマホークなどの武器ばかりだ。

 

 隣に立っていたラウラは俺の方を見ると、にやりと笑ってから木箱の中の武器に手を伸ばした。剣やトマホークではなく、サバイバルナイフとボウイナイフを手に取った彼女は、早速鞘から引き抜いて戦闘準備に入る。

 

 俺も木箱の中に手を伸ばし、中に入っていたナックルダスターとトレンチナイフを引き抜いた。ナックルダスターを左手にはめ、右手にはフィンガーガードが装着された大型のトレンチナイフを構えた。刀身は分厚くなっていて、峰の部分にはノコギリのような刃も用意されている。

 

 前まではモリガン・カンパニー製の仕込み杖を使ってたんだが、最近はこれを使うようになった。将来的にはラウラと2人で冒険者として旅に出る予定なんだが、その際には銃も一緒に携行するため、接近された際に応戦するための近距離武器は小型の方が望ましいし、ナイフくらいのサイズであればかさばることはない。親父はそれを全く気にせずに様々な近距離武器を使っていたらしいが、俺は出来るならば小型の方が良いと思っている。

 

 俺たちが武器を取ったのを確認した親父は、木箱から取り出した2本のボウイナイフをくるりと回すと、切っ先を俺たちの方へと向けてきた。

 

「では、今から戦闘訓練を始める。………かかって来い」

 

 今から俺たちは、この親父と戦うのだ。

 

 俺とラウラが誘拐された次の日、ラウラが親父に「戦い方を教えてくれ」と頼んだらしい。俺は武器を装備してあいつらに逆襲できたんだが、ラウラはあの時に姉として何もできなかったことをかなり後悔しているようで、強くなりたいと思ったから親父に戦い方を教えてくれと頼みに行ったんだろう。

 

 成長したら旅立つ予定だったし、今のうちに銃の撃ち方だけでなく戦い方も教わっておいたほうがよさそうだ。だから数週間前から、俺とラウラは親父や母さんたちに戦い方の訓練をしてもらっている。

 

 戦闘訓練以外にも、筋トレや屋根の上を走り回って親父から逃げ回る鬼ごっこも並行して行っている。かなり辛いトレーニングで毎日必ずどこかは筋肉痛になっているが、スタミナや身体能力は上がっている筈だ。

 

 転生者がステータスで強化されるのは攻撃力と防御力とスピードの3つのみ。身体能力やスタミナはステータスで強化されることはないため、それらは自分で鍛え上げて強化する必要がある。能力に甘えるなということなんだろう。

 

 親父の猛烈な威圧感に耐えながらちらりとラウラのほうを見た俺は、彼女よりも一足先に親父に先制攻撃を仕掛けることにした。俺から見て左側から回り込んで親父を攻撃し、親父が俺の攻撃を躱すか受け流している間にラウラが攻撃を仕掛けるという作戦だ。いつも行っているこの戦闘訓練のルールは、親父たちから3分間逃げ切るか、親父に1発でも攻撃を当てる事ができれば俺たちの勝利だ。こっちは2人であるため、上手く連携しなければ逃げることもできないし、攻撃も当てられない。足を引っ張り合うだけだ。

 

 だが、俺とラウラは生まれてあら6年間ずっと一緒に生活してきた。食事も一緒だし、遊ぶ時も一緒だったし、寝る時も同じベッドで眠っている。もちろん風呂に入るのも一緒なんだが、出来ればそろそろ別々に入りたいものだ……。ラウラは俺に依存し過ぎなんじゃないかな?

 

 ナイフを構え、右斜め上から左斜め下へと振り下ろす。親父はボウイナイフを使わずに上半身を横に逸らしてその一撃を回避すると、そのまま左手を振り上げ、攻撃を空振りした直後の俺の頭に向かってボウイナイフを突き出してくる。

 

 本当に手加減しているのかと思ってしまうほどの刺突だ。回避するか受け流さなければ、このままこめかみをボウイナイフのでっかい刀身で貫かれて即死する羽目になる。大慌てで左手のナックルダスターを振り上げ、突っ込んで来るボウイナイフの刀身を横から殴りつけた俺は、その間に何とか引き戻していたトレンチナイフを左から右へと振り払った。

 

 だが、この一撃も空振り。ナイフを受け流された時点で、親父はすぐに俺が反撃してくると見切っていたに違いない。やっぱり10年間も傭兵を続けてきたベテランには、こんな攻撃は当たらないか……!

 

 俺を転倒させるか体勢を崩すために、脹脛目がけてローキックを放ってくる親父。辛うじて片足を後ろに下げて回避したんだが、そのまま続けて振り払われたボウイナイフのせいで、その隙に反撃することは出来なかった。歯を食いしばりながらボウイナイフを受け止めていると、親父の背後から2種類のナイフを手にしたラウラが、左手のボウイナイフを振り上げながら親父に襲い掛かっていくのが見えた。

 

 ラウラの奇襲を察した親父が、片手のボウイナイフでラウラのナイフを受け止める。その隙に俺も反撃しようとするが、親父は片手でラウラの2本のナイフによる連続攻撃を受け流し続けているにもかかわらず、恐ろしい反射神経で俺のトレンチナイフとナックルダスターの連続攻撃もことごとく受け流してしまう。これならば命中するだろうと思って放つ本気の一撃が、たった1本のナイフにあっさりと弾かれてしまうんだ。

 

 全く隙が無い。本当に、こんな男に攻撃を当てる事ができるのか?

 

「くそっ!」

 

「甘いッ!」

 

「ぐっ!?」

 

 振り払われたボウイナイフでトレンチナイフが弾かれる。親父はそのボウイナイフを素早く回転させて逆手持ちに切り替えると、ボウイナイフの切っ先で俺のトレンチナイフを突き飛ばし、俺の右手から得物を叩き落としてしまう。まるで巨大な鉄球を叩き付けられたかのような猛烈な衝撃だ。本当に手加減してんのかよ……!

 

 すぐに拾いたいところだが、そうすれば親父にやられてしまうだろう。隙を見て拾うか、ナックルダスター1つで応戦するしかない。

 

 親父の背後に回り込もうとしていると、ラウラも同じようにサバイバルナイフを右手から叩き落とされたようだった。ボウイナイフ1本で応戦するが、あっさりと親父に受け流され、反撃されてしまっている。

 

 背後に回り込んだ俺は親父の背中を殴りつけようと左手を振り上げると、俺の奇襲に気付いた親父が、防戦一方になっていたラウラに向かって左足を振り上げた。剣戟ではなく蹴りが来ると察したラウラはナイフを握ったまま両腕で親父の蹴りを受け止めるが、6歳の少女が、10年間も鍛え続けた傭兵の蹴りを受け止め切れる筈がない。蹴りを受け止めたラウラはそのまま吹っ飛ばされ、物置の壁に背中を叩き付けられた。

 

「ラウラ!」

 

 ラウラは蹴り飛ばされたせいですぐに動く事ができない。つまり、ラウラが復帰するまでは彼女に対応する必要が無いということだ。

 

「!」

 

 素早く後ろを振り向いた親父が、左右の斜め上から同時にボウイナイフを振り下ろしてくる! ナックルダスターでは受け流せない!

 

 俺は咄嗟に頭を下げた。頭上を漆黒のナイフが通過して行った直後に頭を上げ、そのまま親父に斜め下から急接近する。

 

 ナイフを空振りしたせいで、今の親父は何もできない。受け流すためのナイフは引き戻している最中だし、このまま強引に回避するのも不可能だろう。このまま俺がボディブローを腹にお見舞いすれば、俺とラウラの勝利ということになる。

 

「ほう………」

 

 だが、親父は全く慌てていない。接近されるのはどうやら想定していたようだが、俺がボディブローを叩き込む方が速いぜ!

 

 そう思いながら左手をみぞおちに向かって振り上げた直後だった。

 

「か……ッ!?」

 

「タクヤッ!」

 

 いきなり何かに腹を突き上げられた。まるで下から垂直に振り上げられたハンマーに腹を殴りつけられたかのような衝撃だ。

 

 親父の得物を躱したことと、もう少しで親父に攻撃を叩き込めるという状況のせいで、完全に見落としてしまっていたようだ。……ナイフを躱しても、親父にはまだ両足があるんだ。激痛が襲い掛かって来る前にちらりと下を見て、俺の腹に叩き込まれた攻撃の正体を知った俺は、先ほどラウラが吹っ飛ばされた時のように蹴り飛ばされ、裏庭の塀に背中を叩き付ける羽目になった。

 

「うぐぅ………ッ!」

 

 く、くそったれ……本当に手加減してんのかよ、あの親父は!?

 

 腹を抑えながら、必死に呼吸を整える。

 

 ナックルダスターは吹っ飛ばされた歳に落としてしまったようだ。丸腰のまま親父に挑むのは愚の骨頂だが、得物は拾えるだろうか?

 

 ナックルダスターが落ちているのは親父のすぐ近く。今はラウラと戦っているが、あれを拾おうとすれば親父はすぐに気付くだろう。トレンチナイフは………親父が移動したおかげで、親父からやや離れた位置に転がっている。

 

 しめた。あれを拾えば反撃できる!

 

 まだ呼吸は荒いままだったが、俺は立ち上がってトレンチナイフに向かって走り出した。ラウラはボウイナイフ一本で応戦しているが、やはりさっきと同じように早くも防戦一方になりつつある。早く復帰しなくては。

 

 サバイバルナイフの刀身を大型化したような刀身がついているトレンチナイフを拾い上げた俺は、防戦一方になっているラウラを援護するために走り出した。

 

「ラウラッ!」

 

 左手でフィンガーガードの外側を握りながら、切っ先を親父に向けつつ突っ走る。そのままトレンチナイフを振り上げて親父を斬りつけようとしたが―――――振り下ろすよりも先に、親父のボウイナイフの切っ先が、俺の喉元に突き付けられていた。

 

 ラウラと親父が斬り合っていた金属音も聞こえない。反対側を見てみると、いつの間にか体勢を崩されていたラウラの喉元にも、同じようにボウイナイフの切っ先が突きつけられていた。

 

「はぁっ、はぁっ………!」

 

「そこまで。……腕を上げたな、2人とも」

 

 切っ先を静かに退け、威圧感と共にナイフを鞘の中に戻した親父は、いつもの優しい目つきに戻ったままそう言った。確かに親父たちのトレーニングのおかげで腕は上げているとは思うんだが、未だに一撃も攻撃を叩き込めていない。もちろん、掠める事すらできていない。

 

 母さんやエリスさんとの戦闘訓練でも同じだ。全て攻撃は受け流されるか回避され、全然当てる事ができないんだ。

 

 ちなみに、俺たちにとって教官である3人の親の中で一番ヤバいのは親父だ。

 

 でも、この訓練を始めた時はいつも秒殺されてたんだよな。今のはおそらく2分以上は逃げ切れていただろう。

 

 最初は親父を倒そうと思ってラウラと2人で作戦を立てていたんだが、倒すどころか攻撃を当てる事すらできなかったため、倒すのではなく逃げる事だけを考えた作戦も考えた。だが、もちろんこれも駄目だった。あっさり追いつかれてしまうため、2人で連携して攻撃し、何とか時間を稼ぐという作戦でいつも親父たちに挑むようにしている。

 

 ラウラは服についている土を払い落すと、親父に落とされたサバイバルナイフを拾い上げ、俺の隣にやって来てからぺこりと頭を下げた。

 

「お父さん、訓練ありがとう」

 

「ありがとね、パパ!」

 

「おう。……お前たちも強くなってきたからなぁ………」

 

 俺も強くなったとは思うが、一番強くなったのはラウラだろう。戦闘訓練を始めたばかりの頃はよく泣いていたし、屋根の上を逃げ回る鬼ごっこでもなかなか壁をよじ登れず、俺よりも先に親父に捕まってばかりだった。だが最近はなかなか泣かなくなったし、訓練が終わった後もこっそりと壁を登る訓練や、筋トレをやっているようだ。

 

 努力家だな、ラウラは。

 

 きっとあの事件が彼女を変えたんだろう。

 

「2人とも、ついてきなさい」

 

「え?」

 

「どこに行くの?」

 

 まだ顔についていた芝生の草を取っているラウラの顔を見つめていると、武器を木箱の中に片付けていた親父が、俺たちの顔を見下ろしながらそう言った。

 

 どこに連れて行くつもりなんだろうか?

 

「――――パパの正体を教えてやる」

 

 親父の正体……?

 

 どういうことだ? 何か隠してたのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、パパの正体って何だろう?」

 

「うーん……何だと思う?」

 

 正体を教えてやると言った親父の後ろを歩きながら、なぜかはしゃぎ始めるラウラ。先ほどの訓練で俺は疲れ切っているというのに、彼女は相変わらず元気いっぱいだ。

 

「えっとね、実はドラゴンだったとか!」

 

「いや、お父さんは転生者だよ?」

 

「あっ、そっか!」

 

 親父は元々は人間だよ。今はキメラだけど。

 

 今の俺の親父である速河力也は、俺と同じ世界からこの異世界へとやって来た転生者だ。現代兵器に詳しいミリオタだったかれは、あの端末で次々に銃や兵器を開発し、仲間を集めて傭兵ギルドを結成して活躍していた。

 

 彼が人間ではなくキメラになってしまったのは、ある戦いで左足を失ってしまったのが原因らしい。小さい頃に一緒に風呂には行った時に見たんだが、親父の左足は人間の足ではなく、まるでドラゴンの外殻に覆われたような足になっていたんだ。

 

 この世界の義手や義足は、俺が住んでいた世界のような機械の義手ではなく、魔物の筋肉や骨を素材にして作られているらしい。だから義手や義足をくっつけるのではなく、魔物の素材で作ったものを移植する必要がある。遺伝子的に全く違う生物の身体の一部を移植するため、拒否反応を防ぐためにその素材に使った魔物の血液を少しずつ馴染むまで投与する必要があるらしいんだが、親父はその血液が原因で変異を起こし、人間とサラマンダーのキメラになってしまったようだ。

 

 普通ならばその血液は、すぐにその人の血液に取り込まれてしまう筈なんだが、親父が投与したその血液は親父の血に取り込まれることなく、親父の肉体をドラゴンと同じように変異させてしまった。当然ながらこの異色のせいで身体が変異した人間には前例がないため、親父がこの異世界初のキメラということになる。

 

 親父は変異したせいで角が生え、左腕まで義足のように外殻に覆われてしまっているが、親父の遺伝子を受け継いで生まれてきた俺とラウラは、角と尻尾が生えている以外は普通の人間と同じだ。

 

「そうだよね、パパは転生者だから………」

 

「そうだよ。正体がドラゴンなのはガルちゃんだよ」

 

 こそこそと2人で話をしながら階段を上がっていると、親父はそのまま自分の寝室へと向かった。いつもマンガを借りるために訪れている部屋だ。エリスさんが持っていたエロ本はまだあるんだろうか?

 

 ちらりと例のエロ本が隠してあったクローゼットの方を見ようとしていると、親父がそのクローゼットの扉を開け、中から真っ黒なコートの上着を取り出した。

 

 黒い革のコートで、あらゆるところにベルトのような装飾がついている。その装飾のせいで何かの拘束具のようにも見えてしまう禍々しいコートだ。首の後ろの方にはフードがついていて、そのフードには真紅の羽根が2枚ついている。あの羽はハーピーの羽根だろうか?

 

 魔物の図鑑で見ただけだが、ハーピーの中には血のように紅い羽根を持つ個体もいるらしい。

 

「――――――2人とも、転生者ハンターは知っているかな?」

 

 クローゼットから取り出した上着を手にしながら、親父が問い掛けて来る。

 

 転生者ハンターの事は、ガルちゃんやエリスさんから聞いたことがある。フードにハーピーの真紅の羽根を付けた黒いコートを身に纏い、この異世界で人々を虐げている転生者を次々に葬っていたという少年の話だ。彼が姿を現したのは今から10年前で、まだ生き残っていればもう27歳くらいになる筈だ。親父と同い年くらいだろうか。

 

 もちろんこの世界の人々は転生者の存在しを知らない人が多いため、転生者ハンターという異名は転生者たちの間や、転生者の存在を知る少数の人々によって恐れられたという。

 

「うん、知ってるよ。ハーピーの羽根がついた真っ黒なコートを着て、悪い転生者をやっつけるヒーローでしょ?」

 

 楽しそうに笑いながら言うラウラ。彼女もこの話を聞いたことがある筈だが、どうやらラウラは転生者ハンターをヒーローだと勘違いしているようだ。

 

「ヒーローか……。いや、あれはヒーローではないんだよ」

 

 何故か悲しそうな顔をしながらそう言った親父は、私服の上着を脱いでから、その手にしていた禍々しいコートを着てからフードをかぶり、俺とラウラの顔を見下ろす。

 

 確かあのコートは、俺たちが生まれる前に親父が来ていたという傭兵ギルドの制服だった筈だ。親父が実際に身に着けているのは見たことがないが、その制服の特徴は、転生者ハンターの服装と全く同じじゃないか。

 

 そのことに気付いた俺は、目を見開きながら親父の悲しそうな顔を見上げていた。

 

「え………? まさか、お父さんが…………!」

 

「パパが………転生者ハンターだったの………?」

 

「………そうだ。これが俺の正体だよ」

 

 親父が……転生者ハンターだったのか………!

 

「転生者は昔に比べれば激減した。だが……まだ人々を虐げる輩は残っている。もしお前たちが大きくなったら、そういう奴らに出会う事があるだろう」

 

 俺の親父が、俺や母さんを虐げたように、この世界にはまだ人々を虐げる転生者が残っているというのか。

 

 ラウラが痛めつけられている姿を思い出した俺は、いつの間にか両手を握りしめていた。

 

「ねえ、パパ」

 

「ん?」

 

 ラウラの声を聞いた親父が、一瞬だけ優しい目になる。

 

「どうしてパパは……転生者ハンターになったの?」

 

「―――――悪い転生者が許せなかったんだ」

 

 他の転生者たちからすれば、同じ転生者を狩る親父は異端者と同じような扱いだった筈だ。自分以外の転生者を敵に回すようなことをした親父は、無数の転生者を次々に返り討ちにし、生き残った。だからあんなに強かったんだ。

 

 無数の強敵を逆に蹂躙しなければ生き残る事ができない。親父はこの異世界で、目の前の敵を蹂躙して生き残ってきたということなんだろう。

 

 弱ければ、虐げられるだけなのだから。

 

 

最初に転生者と出会ったのは、ギュンターおじさんから故郷の仲間と妹を助けてくれって依頼された時だ。彼の町を占領していたのは転生者で、人々を奴隷にしていたんだ。その転生者はとても強くてな。パパとママたちは殺されかけたんだ」

 

 嘘だろ……? 親父が殺されかけたのかよ。

 

「俺はそんな転生者が許せなかった。人々を苦しめて楽しんでいるようなクソ野郎だからな。……だから俺は、そんな転生者を殺し続けた。何人も狩っているうちに、転生者ハンターと呼ばれるようになったんだよ」

 

「お父さん………」

 

 この人も、人々を虐げるような奴らが許せなかったんだ。だから他の転生者たちに反旗を翻し、転生者ハンターとして戦ったんだろう。

 

 すると親父は、悲しい目つきを止めていつもの優しい顔に戻った。俺やラウラの遊び相手になってくれる時と同じ顔だ。

 

「お前たちの将来の夢は、冒険者になる事だったな」

 

「うん」

 

 俺とラウラの夢は、一緒に冒険者になって旅に出る事だ。この世界がどんな世界なのか、冒険してみたい。それが俺たちの夢だった。

 

「いつか、お前たちも転生者と出会うことになるだろう。もしその転生者が悪い奴だったら―――――お前たちはどうする? 説得するのか? 見て見ぬふりをして素通りするのか?」

 

 どちらも論外だ。

 

 虐げられるのは辛い事だ。自分に力が無いせいで、力がある奴に暴力を振るわれ、理不尽に抑え込まれる。抑え込まれて苦しむ人々を見て楽しんでいるような奴は、俺も許せない。見つけたら躊躇いなくぶち殺していることだろう。

 

 容赦などするつもりはない。

 

「――――――クソ野郎なら、狩る」

 

 この俺が、蹂躙してやる。

 

「………ほう」

 

 親父を睨みつけながらそう答えると、隣に立っていたラウラが俺の右手を優しく握った。そして俺と同じように親父の顔を見上げながら首を縦に振る。

 

 彼女も、虐げられる辛さを知った筈だ。知らない男たちに連れ去らわれ、痛めつけられたのは彼女なのだから。

 

 ならば、転生者ハンターは俺たちが受け継ごう。親父たちからあらゆる戦い方や技術を受け継ぎ、俺とラウラが転生者を狩る。

 

 俺たちが、2人で転生者ハンターになるんだ。

 

 

 

 



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ラウラと一緒に遊びに行くとこうなる

 

 家族と共に住んでいるこの王都の家は、まるで貴族の屋敷のように大きな家だ。絵画や彫刻が廊下や壁に飾られていてもおかしくはなさそうな感じの家なんだが、壁に飾られているのは観賞用のバスタードソードくらいだろう。ちなみにそのバスタードソードは、傭兵になる前は騎士だった母さんの趣味らしい。

 

 リビングから廊下の壁に掛けられているそれを見つめていた俺は、頭から生えている角を撫でながら、今度はリビングの壁に掛けてある額縁の方を凝視する。豪華な装飾は全くついていない、少し大きめの一般的な額縁の中に収められているのは、有名な画家が描いた絵画ではない。家族全員で撮影した、白黒の家族写真だった。

 

 俺とラウラとガルちゃんが親たちの前に並び、俺たちの後ろには母さんと親父とエリスさんの3人が微笑みながら写っている。

 

 この世界には機械は存在しないから、当然ながらカメラも存在しない。従来ならば写真の代わりに画家を雇い、家族で集合しているところを絵に描いてもらうのが一般的だったらしいんだが、モリガン・カンパニーが誇る天才技術者のフィオナちゃんがなんとこの異世界初のカメラを発明したため、そのカメラでこの家族写真を撮影することになったんだ。

 

 転生する前は、こんな風に家族写真を撮ったことはなかった。あんなクソ親父と一緒に写真を撮りたいと思った事すらない。写真を撮るとすれば、いつも母さんと一緒だった。

 

 でも、こんな風に家族全員で写真を撮る事には、少し憧れていたのかもしれない。今の親父も俺の正体を知っているのに家族として受け入れてくれたし、家族に暴力を振るうこともない。母さんたちから聞いたんだが、結婚してもう9年も経つというのに、未だに1回も浮気をしたことがないらしい。

 

 浮気したらすごいことになりそうだからなぁ……。騎士団出身のベテラン姉妹と異世界からやって来た傭兵の夫婦喧嘩が始まったら、間違いなくこの家は跡形もなくなるな。下手したら王都が焼け野原になるかもしれない。

 

 親父が誠実な人で本当に良かった。

 

 そういえば、今日は珍しくその親父は朝早くから外出中だ。母さんたちのベッドの枕元には置手紙が置いてあったらしい。いつもならば母さんの手料理をちゃんと食べてから仕事に行っている筈なんだが、何があったのだろうか? しかも、ガルちゃんもいなくなっている。親父と一緒に出掛けたんだろうか?

 

 親父が朝早くからいないせいなのか、母さんはキッチンで寂しそうに皿を洗っている。

 

「えへへっ、タクヤっ!」

 

「うわっ、ら、ラウラ!?」

 

 母さんを見つめていると、俺の隣でマンガを読んでいた筈のラウラがいきなり抱き付いてきた。彼女が突然抱き付いてきたせいで踏ん張る事ができず、そのまま絨毯の上に押し倒されてしまう。

 

 顔を真っ赤にしながら起き上がろうとする俺の両手を押さえつけながら上にのしかかってきたラウラは、俺の胸に頬ずりをしながら、今朝もエリスさんに勝手にポニーテールにされた蒼い髪を弄り始めた。

 

「ふにゅー………すごくさらさらしてるよぉ………」

 

「ラウラ、ちょっと……下りてよ!」

 

「えぇ!? やだやだ! 今日はずっとこうしてるのっ!!」

 

 何とか上半身を起こすと、ラウラは不満そうな顔でこっちをじっと見つめながらも退いてくれた。でも俺のポニーテールから手は放していない。

 

 まったく……。もう6歳だというのに、何でこんなに俺と一緒にいたがるんだろうか。こいつ、もしかしてブラコンなのか?

 

 このお姉ちゃんは、彼氏ができたらどうするつもりなんだ?

 

「あ、エミリアさんと同じ匂いがするー。ふにゃあ………いい匂いがするよぉ………」

 

「こ、こら………!」

 

 今度は俺の髪の匂いを嗅ぎ始めた。彼女の掴んでいる俺の後ろ髪を引っ張るが、ラウラはまるで釣り上げられた魚のようにごろんと再び絨毯の上に転がると、掴んでいた後ろ髪に頬ずりを開始する。

 

 何度か引っ張ってみたんだが、離してくれる気配が全くないため、俺は諦めて幸せそうな顔をしているラウラを苦笑いしながら見つめる事しかできなかった。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「今日は訓練もお休みだから、外に遊びに行こうよ!」

 

 まだ俺の髪の匂いを嗅ぎながら提案するラウラ。

 

 そういえば、今日の訓練は休みになっていた。毎日あんな訓練を続けるわけにはいかないから、毎週2日は訓練は休みになっているんだ。

 

 休みの日は、基本的にラウラと一緒に遊ぶか、家族全員で買い物に行って過ごしている。家の近くには公園もあるからそこで遊ぶことも多いんだが、誘拐されたあの事件のせいでエリスさんが少し過保護になっているらしく、公園まで遊びに行く時は彼女に一緒に来てもらわないと外出を許してくれない。

 

「あら、外に遊びに行くの? じゃあママもついて行くわ」

 

「うんっ!」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 絶対零度の異名を持つ騎士が一緒に来てくれるのは心強いけど、過保護すぎるような気もする。そう思いながら玄関の方にラウラと一緒に向かっていると、凄まじい勢いで階段を駆け下りてきたエリスさんが、俺とラウラの頭の上に角を隠すための帽子をかぶせてくれた。

 

 角はいつもならば髪に隠れてしまうくらいの長さしかないんだが、どうやらこの角は感情が昂るとダガーくらいの長さまで伸びてしまうらしいから、頭を隠さずに外出するのは好ましくない。キメラとして生まれた俺とラウラにとっては、フードや帽子は必需品だ。

 

「さあ、行きましょう」

 

「はーいっ!」

 

 ラウラと俺の手を引きながら歩き出すエリスさん。私服姿の彼女は傍から見れば優しい母親なんだけど、腰にはリボルバーのホルスターを下げていた。中に納まっている銃は―――――イギリス製リボルバーのウェブリー・リボルバーのようだ。

 

 細い銃身が特徴的な中折れ(トップブレイク)式のリボルバーで、ダブルアクション式であるため、シングルアクション式のリボルバーのように発射する度に撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻す必要はない。連射速度と再装填(リロード)の速度は非常に優れているが、他のリボルバーと比べると威力は控えめになっている。

 

 お、奥さん? 子供と一緒に公園に行くのに、何でリボルバー持って来てるの? また俺たちをさらおうとする奴らがいたら撃つつもりなのか?

 

 ぶ、物騒な奥さんだぜ……。

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤくんっ、こっちこっち!」

 

「いくよー!」

 

 俺に向かって手を振っている少女に向かってサッカーボールを蹴り、そのまま敵のチームのゴールに向かって全力疾走する。俺が蹴ったボールは相手のチームの子供たちに奪われることなく少女の所へと辿り着くと、そのままボールを受け取った彼女は、俺と共にゴールへと向かって走り始めた。

 

 そして相手のゴールへと接近した彼女は、ゴールへと向かって思い切りボールを蹴り飛ばす!

 

 相手のチームのキーパーがそのボールを受け止めようとするが、キーパーの手を掠めたサッカーボールは、少しだけ方向を変えただけで、そのままゴールの代わりに地面に引いた線を飛び越え、奥へと転がって行った。

 

「やった! 私たちの勝ちだよ、タクヤくん!」

 

「やったね、レナちゃん!」

 

 見事にゴールにボールを叩き込んだ少女が、彼女にボールをパスした俺に向かって大きく手を振っている。彼女はここでよく一緒に遊ぶようになったレナ。住んでいる家は少し離れているが、よくこの公園に遊びに来ているため、何度も一緒に遊ぶようになっている。

 

 ラウラと同じく元気な性格で、スポーツが得意らしい。

 

「タクヤくんのおかげだよ。ありがとっ!」

 

「うわっ!?」

 

 傍らへとやって来たレナがいきなり俺に抱き付いてくる。顔を真っ赤にしながら慌てふためいていると、その様子を見ていたラウラが俺と同じく顔を真っ赤にして、唇を噛み締めながらこっちへとやって来た。

 

「ふにゃあっ!? れ、レナちゃんっ! 私のタクヤにくっついちゃダメぇっ!」

 

「えぇ? いいじゃん。ね、タクヤくんっ!」

 

「い、いや…………」

 

「ふにゅー………!」

 

 自分の遊び相手を他の子に取られたと思って不機嫌になってるんだろうか。このままラウラが泣き出したら大変だな。

 

「れ、レナちゃん、ごめん。そろそろ離してくれるかな?」

 

「え? ご、ごめんねっ?」

 

「うん、気にしないで」

 

 やっと離れてくれた彼女にそう言った俺は、不機嫌そうにしているラウラのほうをちらりと見た。彼女は俺からやっとレナが離れたというのにまだ不機嫌そうで、まるで猫のような唸り声を発し、彼女をじっと見つめながら左手の爪を噛んでいる。

 

 そんなに俺が他の女の子と仲良くしているのを見るのが嫌なのかよ……。もしかしたら、ラウラは本当にブラコンなのかもしれない。

 

 どうすればラウラは機嫌を直してくれるだろうかと考えていると、公園の中に重々しいような鐘の音が響き渡り始めた。公園の近くに建っている教会の鐘の音だろう。毎日正午と午後5時になると、必ず教会の鐘の音を鳴らす決まりになっているらしい。

 

 もうお昼か。

 

「2人とも。そろそろ帰りましょ?」

 

「はーい。じゃあね、レナちゃん」

 

「うんっ! また遊ぼうね!」

 

 一緒にサッカーをやったレナに手を振った俺は、不機嫌そうにしているラウラの手を握ってエリスさんの所へと戻った。椅子に腰かけて俺たちの様子を見守っていたエリスさんは、にこにこ笑いながらラウラの小さな手を握ると、再び3人で家に向かって歩き出す。

 

 ラウラはまだ機嫌を直してくれない。もしかして、嫌われちまったのか?

 

 そう思いながら隣で爪を噛む姉をじっと見ていると、ラウラがいきなり爪を噛むのを止めた。指についていた自分の唾液をスカートの裾で拭うと、無言で俺の手を握ってくる。

 

「ラウラ………?」

 

「………渡さないもん」

 

「え?」

 

 小声だったから聞き取れなかった。俺はすぐに聞き返したんだが、ラウラはそのまま無言で俺の手を握るだけで答えてくれない。

 

 彼女と一緒に誘拐されてから、ラウラは前よりも更に俺から離れるのを嫌がり始めた。少しでも離れようとすると俺の手か服を掴んで一緒について来るし、隙を見せれば今朝みたいにいきなり抱き付いて頬ずりしてくる。

 

 微笑ましいんだが、彼女はもう6歳だ。いつまでこんな感じで弟に甘え続けるつもりなんだろうか?

 

 露店が並ぶ通りを横切ると、見慣れた建物が連なり始める。いつも鬼ごっこで使わせてもらっているレンガ造りのワインの倉庫を通過すれば、俺たちが住んでいる家は近い。

 

 倉庫の脇を通過すると、通りの向こうに家の塀が見えてきた。塀に囲まれた大きな建物はまるで貴族の住む屋敷のようだが、俺たちは貴族ではなくて平民だ。

 

 門を潜って玄関のドアを開けると、近くに壁には見慣れた真っ黒なシルクハットが掛けてあった。俺は外出する時はハンチング帽をかぶるし、ラウラはベレー帽をかぶるようにしているから、このシルクハットは俺たちの私物ではない。

 

「ただいまー」

 

「おう、お帰り」

 

 玄関のドアの向こうには、スーツ姿の赤毛の男性が立っていた。頭からは短い2本の角が生えている。玄関にあったあのシルクハットは彼の私物だ。

 

「あら、ダーリン。朝早くからどこに行ってたの?」

 

「悪いな。魔物退治の依頼を受けてさ」

 

「ガルちゃんは?」

 

「ガルちゃんには、別の仕事を頼んだんだ。そろそろ帰って来る筈だが………」

 

 朝早くから魔物退治か。大変だな。

 

 俺のハンチング帽とラウラのベレー帽を親父のシルクハットの隣に掛けた俺は、ラウラの手を引いて洗面所へと向かった。手洗いとうがいを済ませてから、ちらりとキッチンで昼食の準備をしている母さんの方を見る。

 

 今日の昼食は何だろう? フィッシュアンドチップスだろうか?

 

 まだ出来上がるには時間がかかりそうだ。それまで子供部屋に戻って休むとしよう。

 

 ラウラの手を握り、一緒に2階への階段を上る。いつもならば俺が彼女に手を引かれている筈なんだが、今日のラウラは何だか不機嫌そうだ。機嫌を直すためにも、俺がこうしなければならない。

 

 子供部屋に到着した俺は、ラウラから手を離すと、早速絨毯の上に置いてある読みかけのマンガを手に取った。出来るならばゲームがやりたいところなんだが、この世界にはゲームどころかテレビすら存在しないため、我慢するしかない。娯楽と言えばこうして本を読むか、ラウラと一緒に遊ぶことくらいだろう。

 

 読みかけのマンガを手に取り、壁に寄りかかりながら栞を挟んでいたページを開く。そのままマンガを読んでいると、部屋の真ん中で突っ立っていたラウラが、ゆっくりと俺の方へと歩いてきた。

 

「ん? ラウラ……?」

 

「………」

 

 いつもは一緒にいると彼女は楽しそうにしているんだが、今のラウラは無表情だ。全く笑っていないし、目つきは虚ろになっている。

 

 彼女は俺のすぐ目の前までやってくると、小さな両手を広げ、マンガを読んでいた俺に寄りかかってきた。

 

「ちょ、ちょっと、ラウラ!?」

 

「………」

 

 彼女は何も言わない。彼女を引き離そうとしたんだが、ラウラは俺に引き離される前に広げていた両手を俺の背中に回すと、力を入れてしがみつき始めた。もちろんいつもと同じく離れてくれる気配はない。

 

 甘い匂いのするふわふわしたラウラの赤毛が顔に触れる。同い年の姉にいきなり抱き締められて顔を真っ赤にしていると、石鹸と花の匂いが混ざったような香りの中で、ラウラが不機嫌そうに言った。

 

「……いつものタクヤの匂いじゃない」

 

「そ、それはそうだよ。外で遊んできたんだし、ちょっと汗の臭いが――――」

 

「ちがうよ。―――――きっと、あの女のせいだよ」

 

「え………?」

 

 あの女? レナの事か?

 

「あの女が抱き付いたから、こんな臭いになっちゃったんだよ」

 

「ら、ラウラ……? 何を言ってるの………?」

 

 いつものラウラじゃない。そう思った瞬間、胸に顔を押し付けていたラウラが、静かに胸から顔を離して俺を見つめてきた。

 

 俺にしがみついているラウラは、いつも俺に抱き付いてくる時のように楽しそうに笑っていた。機嫌を直してくれたのかと一瞬だけ思ったが、その思いはラウラの目つきを目の当たりにした瞬間に木端微塵にされてしまう。

 

 至近距離で俺の顔を見つめているラウラの目は、虚ろな目のままだったんだ。

 

 彼女は自分の額を俺の額にくっつけると、そのまま囁き始める。

 

「でも、大丈夫だよ。お姉ちゃんがいつもの匂いに戻してあげる」

 

「ラウラ………?」

 

 こ、これは拙いぞ……。

 

 俺のお姉ちゃんが――――――ヤンデレになっちまった………。

 

 

 

 

 



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ラウラがヤンデレになるとこうなる

 

 いつも食事に使っている大きめのテーブルの上に置かれたランタンが、橙色の優しい光を放っている。でもその優しい光に照らされている部屋の中は相変わらず薄暗く、広いリビングを照らし切れていない光のせいで気味が悪い。

 

 テーブルの上で光を放ち続けているランタンを凝視していた俺は、テーブルの向かいに腰を下ろす親父の咳払いを聞いてから、親父の顔を見上げた。

 

「……異世界の生活には慣れたか?」

 

「8年も過ごせばな………」

 

 俺がこの異世界に転生し、この魔王と呼ばれている男の息子として生活してもう8年が経過している。俺とラウラが誘拐されたあの日からずっと親父たちから訓練を受けているおかげで、身体能力は普通の子供よりも遥かに高くなり、スタミナもかなりついた。建物の壁をよじ登ったり、長時間走り続けるのもお手の物だ。相変わらず訓練は厳しいし、親父たちにも勝てる様子はないが、前の親父に虐げられ続けていた前世よりも遥かに充実している。

 

 前の世界に戻りたいかと問われれば、俺はすぐに首を横に振る事だろう。もう、あんな世界には戻りたくない。

 

「エミリアから聞いたぞ。お前、ラウラよりも接近戦が得意らしいな」

 

「まあ、ラウラはその分遠距離戦が得意だからな………」

 

「はっはっはっ」

 

 2年前から本格的な戦闘訓練をラウラと一緒に受けているんだが、接近戦の訓練ではラウラよりも俺の方が成績がいいらしい。元々騎士団に所属していた母親の遺伝なのか、母さんから教わる剣術はすぐに理解できる。俺の得物は大型のトレンチナイフとナックルダスターなんだが、ロングソードやバスタードソードを使う母さんの剣術が全く生かせないというわけではない。ラトーニウス式の剣術をベースに、早くも自分なりの戦い方を考案し始めているところだ。

 

 ラウラのほうは接近戦が結構苦手のようだ。彼女もナイフを使っているんだが、なかなか距離感が掴めないらしく、俺との模擬戦ではよくナイフを空振りして逆にナイフを突きつけられることが多々ある。最近では騎士団で採用されているロングソードを使って基本的な剣術からもう一度教わっているようなんだが、なかなか身に付かずに困っているらしい。

 

 その分、射撃訓練ではラウラには全く敵わない。地下室の射撃訓練では高い成績を出せるんだが、ラウラは必ず的のど真ん中に弾丸を全て命中させて満点を取るのが当たり前だから、俺も全て命中させない限り射撃で彼女を超えることは出来ないだろう。

 

 でも、早撃ちは少しずつだけど出来るようになってきたし、少しずつ成績も上がっている。さすがにラウラのようにスコープを搭載しないボルトアクション式ライフルで満点は取れないけど、何とか彼女をサポートできるように努力を続けていくつもりだ。

 

「………それで、相談って何だ?」

 

「ああ。実は………ラウラの事なんだけど」

 

「ラウラか………」

 

 俺と同い年の姉は、もう8歳になったというのに相変わらず俺に甘えてくるままだ。食事をする時は必ず隣に座ってくるし、マンガを読んでいるといきなり抱き付いてくるし、勝手にいなくなると不機嫌になるか、幼い子供のように泣き出してしまう。幼い性格の困ったお姉ちゃんだ。

 

 しかも、未だに風呂に入るのも一緒だ。相変わらず断ろうとすると駄々をこねるので仕方なく一緒に入っているんだが、もう別々に入ってもいいんじゃないだろうか? 

 

 2年前までは、ラウラはブラコンなんじゃないかとずっと思っていた。でも、実は全然違ったんだ。

 

 ラウラは――――もっとヤバかった。

 

「実はさ………ラウラが、ヤンデレになっちゃったんだ」

 

「――――――えっ?」

 

 向かいの席で炎のように真っ赤な顎鬚を弄りながら話を聞いていた親父は、予想外の事を言われて少し驚いたらしく、指先で顎鬚を弄ったまま呆然としている。

 

「や、ヤンデレ………?」

 

「うん」

 

「ちょ、ちょっと待って。…………何で?」

 

「前々から俺に甘えて来てたんだけどさ…………実は、2年前あたりからヤンデレになってたみたいで………」

 

 初めてラウラがヤンデレになっていたと気付いたのは、2年前に公園まで遊びに行った時の事だ。公園で他の子供たちと一緒にサッカーをやってたんだが、その時にレナという女の子が俺に向かって抱き付いてきたことがあった。

 

 そのあと家に帰ってから、ラウラがヤンデレだったということが発覚した。虚ろな目で俺に抱き付いて来て、母さんが子供部屋に呼びに来るまで離してくれなかったんだ。

 

 それ以来、あの公園で遊ぶことはなくなってしまった。

 

 何とか親には内緒にしておこうと思ってたんだが、そろそろ親父にだけは相談しておこうと思って、母さんたちが寝た後にこうして親父に相談している。俺の正体を知っているのはこの親父だけだし。

 

「お前にやたらと甘えていると思ったら………そっか、ラウラはヤンデレだったのか……………」

 

「ああ、だからあのお姉ちゃんを何とか――――――」

 

「ああ、諦めろ」

 

「はぁ!?」

 

 ちょっと待てよ! 諦めろって、あのお姉ちゃんと幸せになれって事か!? 確かに断ったらナイフでぶち殺されそうだからいうことは聞くようにしてるんだけど、何とかしてくれよ! あの虚ろな目は滅茶苦茶怖いんだよッ!?

 

「み、見捨てないでくれ親父ぃッ!」

 

「だって、断ったら死ぬじゃん。だったらラウラとずっと一緒にいるしかないよね」

 

「助けてくれよぉ……。俺、ヤンデレ派じゃなくてクーデレ派なんだよぉ………お姉ちゃんが怖いよぉ………」

 

「落ち着け。………そもそも、何でラウラは病んだんだ?」

 

「えっと――――――」

 

 おそらく、原因は2年前のあの事件だろう。

 

 ずっと一緒に暮らしてきた家族を姉として助けてあげる事ができず、痛めつけられていたところを逆に助けられた彼女は、あの事件の後から余計に甘えてくるようになった。あの事件が、ラウラの俺への好意に拍車をかけたとしか思えない。

 

「多分、2年前の………」

 

「あれか………。確かに、あの後からラウラが『タクヤのおよめさんになるっ!』って言い出してたしな………」

 

「と、止めるよね? 血のつながった姉が弟に惚れてるんだぜ?」

 

「…………どんな孫が生まれるのかなぁ」

 

「見捨てないでパパぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 ため息をついて苦笑いをしながら、虚ろな目でゆっくりと椅子から立ち上がる親父。俺は涙目になりながら椅子から立ち上がると、親父のがっしりした胴体にしがみついた。

 

「うおっ!? は、離せクソガキ!!」

 

「やだやだぁ!! パパ助けてよぉっ!!」

 

「諦めろっつってんだろうが! いいじゃねえか、あんなに純粋な女の子がお前の事大好きって言ってんだぜ!? ちゃんと結婚式の準備はしてやるから、もっと大きくなったらとっとと押し倒して○○○しちまえ!!」

 

「何言ってんだよッ!? このままじゃマジでお姉ちゃんが俺のお嫁さんになっちまうよ!?」

 

「だってまだ死にたくないんだよぉッ!!」

 

 こ、このクソ親父め………!

 

 俺を引き剥がして寝室へと戻ろうとする親父に何とか抗っていたんだが、俺を見捨ててとっとと寝ようとしているこのクソ親父を、常人よりも身体能力が高いキメラとはいえ8歳の子供が1人で押さえつけるのは無理な話だった。親父はしがみついている俺の小さな体を引きずりながらついに廊下へと出たんだが、廊下にある階段の方からうっすらと聞こえてきた足音が、大騒ぎしていた俺と親父を同時に一瞬で黙らせてしまう。

 

 階段の方から漂ってくる猛烈な威圧感。一気にかけ下りて来たのならばぎょっとしただろうが、恐怖は一瞬だけ感じたらすぐに消えてしまう。だが階段から聞こえてくる足音は、ゆっくりと時間をかけて下へと下りてきているようで、規則的に聞こえてくるやや軽めのその足音を聞いた俺と親父は、ぞっとしながら無言で階段の方を凝視した。

 

 ゆっくりと下りて来るからこそ、威圧感と恐怖は長続きする。

 

 やがて、階段を包み込んでいる暗闇の中で、一瞬だけ長くて蒼い髪が揺らめいたような気がした。それを目の当たりにした親父は俺よりも先に階段を下りて来た人物の正体を見破ったようで、ぎょっとして目を見開きながら腰を低くし始めた。このまま親父にしがみついていたら危険だと判断した俺はすぐに胴体から両手を離し、数歩後ろに下がる。

 

「うふんッ!?」

 

 その直後、暗闇の中から何かが飛来するような音が聞こえたかと思うと、がっしりした親父の胴体が暗闇の中で吹っ飛ばされた。10年も傭兵を続けていた男の身体が突風に吹き飛ばされた紙のように舞い上がり、床に後頭部を打ち付けて跳ね上がってから玄関のドアへと激突する。

 

「お、親父ッ!?」

 

 親父にこんな蹴りを以前にも叩き込んだ人物を思い浮かべながら、俺は恐る恐る廊下の向こうを振り向く。

 

 そこに立っていたのは、いつもはポニーテールにしている蒼い髪を下ろしたパジャマ姿の成人の女性だった。

 

「だから夜中に大声を出すな、馬鹿者ッ!!」

 

「す、すいません………」

 

 お母さんの蹴りって強烈だなぁ………。魔王って呼ばれてる男を吹っ飛ばすほどの威力だからな。この親たちとは本当に親子喧嘩はしたくないもんだ。あんな蹴りを喰らったら死んでしまう。

 

「まったく、何時だと思っているのだ!? もう夜の11時だぞ!?」

 

「は、はい………」

 

「タクヤも大きくなったが、まだ8歳だ! 早めに寝かせろといつも言っているだろう!?」

 

「ご、ごめんなさい………」

 

「ほら、タクヤ。もう寝なさい」

 

「は、はーい………」

 

 でも、親父に相談したのは俺なんだよな………。

 

 母さんに説教されている親父にこっそりと頭を下げた俺は、親父を説教する母さんの声を聞きながら階段を上がって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 甘い香りがする。石鹸と花の匂いが混ざったような優しい匂いだ。

 

 嗅ぎ慣れた匂いに包まれながらゆっくりと瞼を開けると、俺のすぐ目の前で赤毛の少女がいつも寝息を立てている。瞼をこすりながら壁に掛けてある時計を見て時間を確認した俺は、まだベッドから出なくてもいいだろうと判断すると、幼少の頃からずっと一緒に寝ている同い年の姉の頬をそっと撫でてから、もう一度毛布をかぶった。

 

 オルトバルカ王国は国土の4分の1が雪山になっている北国で、夏にでもならない限り朝と夜はとてつもなく寒い。今は春の終盤くらいだから朝も暖かくはなっているんだけど、さすがにまだ寒い。

 

「ふにゅ………」

 

「あ、ラウラ。おはよう」

 

「おはよう………えへへっ」

 

 彼女の頬を撫でていると、ラウラがゆっくりと瞼を開けた。小さな手で瞼をこすりながら眠そうな声でそう言った彼女は、毛布の中から左手を出すと、その手で俺の髪を弄りながら胸に顔を押し付けてくる。

 

 ラウラの身体は暖かかった。実の姉だというのにドキドキしてしまった俺は、顔を赤くしながら右手を毛布の中から出し、彼女の頭を撫で始める。

 

 弟に撫でられるのは嫌がるんじゃないかと思ったんだが、どうやら彼女は俺に頭を撫でられるのが大好きらしい。「ふにゃあー………」と幸せそうな声を出しながら、毛布の中で嬉しそうに尻尾を振っている。

 

「………うん、お姉ちゃんと同じ匂いがする。えへへっ」

 

「あはは………ところでさ、そろそろベッドから出ない?」

 

 きっと却下されるだろうなと思いながらも提案した俺は、もう片方の手で頭の角を触り始めた。俺とラウラの頭から生えているこのダガーのような形状の角は、頭蓋骨の一部が変異して突き出ているものらしく、感情が昂ると髪に隠れる程度の長さからダガーのような長さまで伸びてしまうらしい。

 

 実の姉とはいえ美少女に朝っぱらから頬ずりされ、匂いを嗅がれた俺の頭の角は、早くも伸び始めていた。

 

 胸に頬ずりをしていたラウラは、きょとんとしながら俺の顔を見上げると、片手で髪を弄り続けながら時計の方を凝視する。

 

「何言ってるの? まだ5時50分だよぉ」

 

 いつもベッドから出てリビングに下りて行くのは朝の6時だ。特訓が始まってからはラウラも早起きをするようになったから起こしに行かなくてもよくなったのは喜ばしい事なんだが、早起きをするせいで毎朝こうして朝6時まで彼女は俺に頬ずりするか、抱き着いて匂いを嗅いでいる。

 

 甘えん坊なお姉ちゃんだ。

 

 仕方なく、ため息をついてからラウラの頭を撫で続ける。ラウラもドキドキしているのか、頭から生えている角は徐々に伸び始めているようだった。彼女の角で手を切らないように気を付けながらふわふわしている赤毛を撫でていると、俺の髪を弄っていたラウラが、いきなり俺の頭の角に触り始めた。

 

「ちょ、ちょっと、ラウラ?」

 

「えへへっ。タクヤも角が伸びてる」

 

「や、やめろって! 手を切っちゃうかもしれないでしょ!?」

 

「大丈夫だもん。えへへへっ!」

 

 そう言って俺に密着し、両手で角を触り始めるラウラ。少しずつ膨らみ始めている胸を押し付けられて余計顔を赤くしたせいなのか、頭の角が更に伸びていく。

 

「あ、また伸びたぁ。頭からナイフが生えてるみたい」

 

「ねえ、もうベッドから出ようよ。6時になるし………」

 

「やだやだぁ! もっとこうしてるのっ!!」

 

 強引に起き上がろうとしたんだが、上半身を起こす前にラウラが絡みついてきたせいであっけなく墜落する俺。もう6時になっているというのに、ラウラは俺から離れてくれる気配がない。

 

「………ねえ、ラウラ」

 

「ふにゅ?」

 

「もう6時だよ……?」

 

「うぅ…………まだ離れたくないよぉ…………」

 

 朝食が終わったらまたくっつけばいいだろ……?

 

 でも、甘えてくる彼女をあまり強引に引き離そうとすると、泣き始めるか、またあの虚ろな目で爪を噛みながらじっとこっちを見てくるんだよなぁ……。特に家族以外の他の女の話になると、いつも虚ろな目になって何も言わずに俺にしがみついてくるし。

 

 だから最近は買い物について行くことはあるが、2年前のように公園で他の子供と遊ぶようなこともなくなってしまった。おかげで最近の遊び相手はラウラか、親父が仕事に行っている間に帰宅するガルちゃんのどちらかだ。

 

 俺はクーデレが好きなのに………。ヤンデレは怖いし、ツンデレはデレる前に俺の心が折れてしまいそうだからあまり好きじゃない。美少女に酷い事言われると滅茶苦茶傷つくからなぁ……。

 

「ほら、早く起きないとお母さんに怒られるよ」

 

「うぅ…………うん………」

 

 最後にもう一度俺の匂いを嗅いでから、ラウラはやっと俺から手を離してくれた。ベッドから起き上がる俺を寂しそうな目でじっと見つめていた彼女は、自分の赤毛を指で弄りながらベッドから起き上がり、着替えをクローゼットまで取りに行く。

 

 俺は自分の分の着換えを取ると、一旦子供部屋の外に出た。彼女と一緒に着替えをするわけにはいかないので、俺はいつもラウラが着替えをする時は外に出るようにしている。

 

 そういえば、メニュー画面の中に『好感度』っていうメニューがあったよな。あれはどういうメニューなんだろうか?

 

 廊下の向こうから誰も来ないことを確認した俺は、ちょっとだけメニュー画面を開いて確認してみることにした。片手を前に突き出して立体映像のようなメニュー画面を目の前に展開した俺は、その中にあった好感度と表示されているメニューをタッチしてみる。

 

《このメニューでは、仲間の好感度を確認できます》

 

 画面には、まだラウラの名前しか表示されていなかった。どうやら仲間になった奴の好感度しか確認できないらしい。親は含まれないんだろうか?

 

 好感度はレベル5まであるらしい。ラウラの好感度は早くもレベルが5に達していて、その数字の隣にあるハートマークは紫色に染まっていた。

 

 この禍々しいハートマークは何だ?

 

《ハートマークは、仲間が異性だった場合にのみ表示されます。黄色がツンデレで、紫色がヤンデレで、蒼がクーデレを意味します。特に普通の性格の場合はピンク色で表示されます》

 

 なるほどね。だからラウラのハートマークは紫色なのか。

 

 どうしよう。俺は冒険者になったらハーレムを作ろうと思ってたんだけどなぁ……。他の女の話になるだけで危険だから、早くもハーレムは作れなくなっちまったよ………。

 

 ハーレムを作るにはラウラのヤンデレを治さなければならないんだろうが、親父も諦めろって言ってたからなぁ……。

 

 ため息をついた俺は、メニュー画面を閉じてから窓の外を見つめた。

 

 窓の外に見える殺風景で重々しい防壁を見た途端、俺はもう一度ため息をついてしまった。

 

 

 

 



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タクヤとラウラの能力

 

「く、くそ………ッ!」

 

 猛烈な威圧感と共に喉元に突き付けられた漆黒のボウイナイフを睨みつけた俺は、振り上げかけていた腕をゆっくりと下ろし、握っていた大型トレンチナイフを腰の鞘へと戻す。

 

 俺よりも一足先に脱落していたラウラは、今日も親父に一撃も命中させられずに2人ともやられたことを知って悔しそうな顔をしていた。

 

 親父は10年間も激戦を経験しているのに対し、ラウラは一度も実戦を経験していない。俺はあの事件の際に少しだけ実戦を経験しているが、俺たちを誘拐した奴を殺害したわけではないし、あいつらから攻撃を受けたわけでもない。親父が経験した戦いから比べれば訓練と変わらないようなものだったことだろう。

 

 戦闘力に差があり過ぎるんだ。こっちの攻撃は驚異的な反射神経で全て見切られた上に躱されるし、相手の攻撃は全く隙が無いから辛うじてギリギリガードできる程度だ。ガードしてから反撃するのは不可能だろう。そんな攻撃が次々に繰り出されるわけだから、一度でもガードするとすぐに防戦一方になり、最終的には今回のようにナイフを喉に突き付けられて終わりだ。

 

 まるでレベル1の状態でレベルとステータスがカンストしているラスボスと戦わされているような気分だ。レベル1で2分以上も逃げ回っているのは俺らが善戦している証拠だろう。

 

 だが、親父は転生者ハンターとして戦っていた時、基本的に遭遇した転生者は殆ど格上だったという。つまり、今の俺たちのように敵との差が開いている状態で勝利し続け、レベルを上げてきたということだ。

 

 ちなみに親父の今のレベルは995。どこまでレベルが上がるのかは不明だが、こんな怪物とレベル1の状態で戦わされていたのかよ……。

 

 勝てるわけねえだろ。

 

「大分腕が上がってきたじゃないか」

 

「ほ、本当かよ………」

 

「本当だ。反射速度が上がっているし、判断力も上がっている。無理な反撃が減ってきているからな」

 

 確かに、何だか最近の戦い方は慎重になってきているような気がする。おかげで逃げ回れる時間が少しずつ増えてきた。

 

「………よし、そろそろキメラの能力の訓練でもするか!」

 

「ふにゅ? キメラの能力……?」

 

 俺と親父とラウラの3人は、種族は人間ではなくキメラということになっている。親父が若い頃に義足を移植して変異したのが原因で、俺たちはその状態の親父と母さんの間に生まれた。だから見た目は人間にそっくりだけど、頭には角が生えているし、尻尾も生えている。

 

 まだこの異世界には3人しかいないかなり少数の種族で、国際的にも種族として認められていないため、一応は人間ということになっている。だが、もし俺たちの子孫が増えるようなことになれば、いずれはキメラという新たな種族として認められることになるだろう。

 

「いいか? 何度も言ったが、お前たちの体内にはサラマンダーの血液も流れている。キメラの能力は、その血を利用して発動するんだ。例えば―――――」

 

 親父は変異していない右腕の袖を捲ると、肩の力を抜いてから息を吐き始めた。何を始めるのかとラウラと2人でその腕を凝視していると、いきなり肌色の皮膚の中に、まるで太陽の黒点のように赤黒い外殻が滲み出し、その外殻が右腕の全体へと広がり始めていったんだ。明らかにそれは人間の皮膚ではなく、ドラゴンの全身を覆っている外殻と同じだ。初めて狩りに行った時に親父がこの能力を使っていたのを思い出した俺は、手首の辺りまで広がっていくドラゴンの外殻を黙って凝視していた。

 

 やがて、手首の先まで外殻で侵食されてしまう。親父は禍々しい外見になった手を軽く動かすと、手首を回してから俺とラウラにその右腕を見せる。

 

「これは能力の1つだな。体内の血液の比率を変化させることで意図的な変化を誘発し――――――」

 

「ふにゅー……?」

 

 親父の説明の途中で首を傾げるラウラ。そういえば、俺は親父の説明を理解できるけど、ラウラは普通の8歳の少女だ。きっと親父の説明に出て来た難しい言葉が理解できなかったんだろう。

 

「つ、つまり、身体の中にあるサラマンダーの血の量を増やすと、こんな風に外殻が生成されるようになるんだよ。ほら、触ってみろ」

 

「う、うん……!」

 

 差し出した手に向かって、ラウラが恐る恐る手を伸ばす。赤黒い外殻に完全に覆われた父親の手に触れた彼女は、目を見開きながら親父の顔を見上げた。

 

「すごーいっ! タクヤ、パパの手がすごく硬くなってるよ!!」

 

 確か、あの時熊を殴りつけて鼻の骨をへし折っていたのもこの能力だったような気がする。でっかい熊の骨を折るくらいの硬さなんだから、かなり硬い事だろう。

 

 俺たちもあんな能力を使えるようになるんだろうか。もし自由自在に使えるようになったら、かなり実戦でも役に立つ事だろう。例えば敵の攻撃を回避し切れない場合に咄嗟に硬化して攻撃を防いだりすることが出来るだろうし、もしかしたら弾丸も弾けるかもしれない。

 

 まだ修得したわけでもないのに能力をどうやって使うか考えながら、俺は親父の手に触れた。

 

「――――硬ぁッ!?」

 

「ハッハッハッハッ」

 

 岩みたいな感触を想像していたんだが、まるで主力戦車(MBT)の正面装甲の塊にでも触れているかのような感触がして、俺は思わず驚愕してしまった。これならば銃弾どころか砲弾まで弾き返せるかもしれない。

 

 明らかにそれは人間の防御力ではない。戦車並みの防御力だ。

 

「理論上は、お前たちもこれと同じ能力が使える筈だ」

 

「すげぇ………!」

 

「パパ、ラウラもやってみたい!」

 

「よし、じゃあ今からこれの訓練を始めるぞ」

 

「やったー!!」

 

 大はしゃぎするラウラの隣で、俺もはしゃぎたくなるのに耐えながら親父の顔を見上げていた。

 

 この防御力があれば、もし銃を装備した転生者と戦う事になった場合でも、従来の銃撃戦のように遮蔽物に隠れる必要はなくなる。敵の攻撃を弾きながら一方的に攻撃する事ができるようになるというわけだ。攻撃が通用しないという事実を見せつけて敵を追い詰めることも出来るし、こちらはいちいち相手の攻撃を遮蔽物に隠れて防ぐ必要がなくなるため、かなり有利になる。

 

 例えるならば、アサルトライフルを持った歩兵を、重火器を満載した戦車や装甲車で追い詰めるようなものだ。この外殻を粉砕してこっちを攻撃するには、戦車を攻撃するつもりで装備を整えなければならない。

 

 しかもその能力を使うのは、人間よりも遥かに身体能力の高いキメラ。当然ながら機動性ならば戦車よりも遥かに上だ。更に攻撃力の高い大口径の銃で武装すれば、死角はなくなることだろう。

 

 さらに、親父は今しがた「能力の1つ」と言っていた。つまり、他にもまだ能力が残っているということだ。

 

「まず、血液の比率を変化させることから始めよう。身体の中にあるサラマンダーの血を増やして、腕を外殻で覆ってみろ」

 

「親父、比率はどうやって変えればいいんだ?」

 

「そうだな………水の入ったバケツの中に、ペンキを混ぜるのをイメージしてみろ。外殻を生成するには、大体30%くらいの血が必要だ。……ちなみに、意識していない時点でも既に10%はお前たちの体内をサラマンダーの血が流れてるぞ」

 

 30%か………。もう10%は流れているということは、あと20%くらい増やせばいいということだろう。

 

「変異させたい場所は決めておけ。今回は腕だ」

 

 言われた通りに、水の入ったバケツの中にペンキを混ぜる瞬間をイメージしてみる。水が人間としての血で、ペンキがサラマンダーの血だ。色が濃くなり過ぎないように少しずつ混ぜていけば………!

 

 集中し過ぎたせいなのか、いつの間にか俺は目を瞑っていた。少しずつ目を開けて自分の手を見てみると―――――肌色の皮膚の中に蒼い外殻が生成され始めていた!

 

「ふにゃあっ!? タクヤの手が……!!」

 

 親父が生成した時のように速度は早くないが、水が凍りついていくかのように、少しずつ外殻が俺の右腕の皮膚を覆っていく。

 

 1分ほどイメージを続け、やっと外殻の浸食は俺の手首に到達。手首まで外殻の生成が終わったことに安心してしまったせいなのか、浸食の速度が少しばかり落ちてしまう。

 

「安心するなよ。咄嗟に硬化できるようにするんだ」

 

 訓練を続ける必要はあるが、これならば部屋の中でも訓練できるだろう。戦闘訓練のように動き回るわけでもないし、射撃訓練のように親に見守ってもらう必要もない。

 

 やがて、やっと指先まで硬化が終了する。

 

 まるで人間の皮膚の代わりにドラゴンの外殻を張り付けたような腕だ。でも、親父のように赤黒い外殻ではないせいなのか、あまり禍々しさはない。左手でそっと触れてみると、やはり人間の皮膚よりも遥かに硬い感触がする。軽く叩いてみるが、まるで装甲車にでも触れているかのような感覚だ。

 

「で、できた……!」

 

「よし、次はラウラだ」

 

「はーいっ! ふにゅ………!」

 

 硬化した腕を眺めているうちに、今度はラウラが硬化を始めた。必死に集中しながらイメージしているみたいだけど、聞こえてくるのは彼女の個性的な唸り声だけで、ラウラの小さな腕は先ほどから全く変わる気配がない。

 

 親父と一緒にラウラを見守っていると、肘の近くの皮膚が一瞬だけ赤黒く染まった。もしかして生成に成功したのかと一瞬だけ思ったが、その変色した皮膚は外殻へと変異することはなく、すぐに元の肌に戻ってしまう。

 

「あ、あれ……? できないよぉ………」

 

「やはり………」

 

「え?」

 

 そう呟いた親父は、自分だけ外殻の生成が出来なくて涙目になり始めているラウラの頭を優しく撫で始めた。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 ラウラに優しくそう言ってから、親父は裏口のドアから家の中へと戻っていく。家の中から1分足らずで戻って来た親父は、洗面所から持ってきたタオルを広げると、涙を拭っているラウラのほうへとやってきて、再び彼女の頭を撫で始める。

 

「ラウラ、いいか? 確かに外殻の生成はタクヤよりも苦手かもしれないが………お前には、タクヤにはない能力がいくつもある」

 

「ふにゅ……本当?」

 

「ああ」

 

 え? 俺にはない能力だって?

 

 しかもいくつも持ってるだと? 

 

 外殻の生成に成功して調子に乗っていた俺は、その言葉を聞いて少し落ち込んだ。確かに瞬間的に生成しなければ敵の攻撃をこいつでガードするのは不可能だし、この速度では戦闘中に硬化するのは無理だろう。何とか動き回りながら瞬間的に硬化しなければならないのに、こんな初歩的な訓練で調子に乗っている場合じゃない。

 

「ラウラ、ちょっと目隠しするぞ」

 

「ふにゃあっ!?」

 

 家の中から持ってきたタオルを使って、いきなりラウラに目隠しをする親父。俺にはない能力を使わせるための準備なんだとは思うんだが、何をさせるつもりなんだろうか?

 

 すると、親父は目隠ししたラウラに言った。

 

「じゃあ、今からパパは別の場所に移動する。タクヤが『いいよ』って言ったら、パパがどこにいるか当ててみるんだ」

 

「うん、分かった!」

 

 なんだそれ? 超能力の練習か?

 

 目隠しした状態で親父の居場所が分かるのかよ? まさか、ラウラの能力っていうのは超能力じゃないだろうな?

 

 そう思いながら庭の隅のほうに歩いていく親父を見つめていると、こっちを振り向いた親父が手を振り始めた。『いいよ』と言ってもいいということらしい。

 

 気配を消し、更に足音も立てないように歩いて行った親父。きっと傭兵として戦っていた時に何度も隠密行動を経験していたんだろう。足音は全く聞こえなかったし、親父の姿が見えなければいないんじゃないかと思ってしまうほどの気配の消し方だ。

 

「い、いいよ、ラウラ」

 

 本当に親父がどこにいるのか当てられるのか? 目隠しされているラウラを凝視しているが、彼女は目隠しされる前に見ていた方向をタオルの下から凝視しているだけだ。親父の居場所が分かっているとは全く思えない。

 

 すると、ラウラが微かに手を動かした。親父が歩いて行った方向を振り向き、ぴくりと動かした手を持ち上げる。

 

 彼女が親父のいる方向に向かって指を指し、「こ、こっち……?」と首を傾げながら呟いた瞬間、俺はぎょっとする羽目になった。

 

 確かにラウラが指差している方向の先には親父が立っているんだが、ラウラはどうやって親父の居場所を知った!? 親父は気配を消して足音を立てずに庭の隅まで移動していたし、ラウラは目隠しのせいで何も見えない状態の筈なのに………!?

 

「―――――正解」

 

「やったぁ!!」

 

 タオルを外し、自分が指差した方向に親父がいたことを確認したラウラは、大はしゃぎしながら見守っていた俺に抱き付いてきた。

 

 同い年の姉にどさくさに紛れて頬ずりされながらなぜラウラが親父の居場所を知る事ができたのかと考えていると、こっちに戻って来た親父がニヤニヤ笑いながら説明を始めた。

 

「――――実はな、お前たちの身体をこっそり検査したんだ」

 

「け、検査ぁ!?」

 

 いつの間に検査してたんだよ……。

 

「それでな………実は、ラウラの頭の中にはメロン体があることがわかった」

 

「なっ………!?」

 

 なんと、ラウラの頭の中にはイルカなどと同じように超音波を発するためのメロン体があるというのだ。これがあればイルカや潜水艦のソナーのように超音波を発し、暗闇の中や霧の中に隠れている敵をエコーロケーションで探す事ができる。

 

 つまり、目が見えない状況でも、頭の中にあるメロン体を使って超音波を発することで敵の位置を正確に把握する事ができる。敵の姿が見えなくてもラウラには関係ないということだ。

 

 しかもラウラには、スコープを使わずに長距離の標的に弾丸を命中させられるほどの驚異的な視力がある。もしこの視力と、このエコーロケーションを併用した上でスナイパーライフルやアンチマテリアルライフルを使ったら、彼女は敵にとってかなりの脅威となる事だろう。2つの索敵の手段を使って敵を探し出し、敵がラウラを発見する前に一撃で仕留めてしまうのだから。

 

「ラウラはこの能力を持つ分、外殻の生成が苦手なんだな」

 

「ふにゅー………」

 

「す、すげえ………」

 

 ラウラは索敵能力がチートなのか。彼女は狙撃手に向いてるな。

 

 ならば俺は、早く硬化をマスターして前衛で彼女を守ろう。そしてラウラが狙撃で俺を援護する。この連携なら強敵も倒せるだろうし、もしかしたら転生者も倒せるかもしれない。

 

「他にもまだ能力はあるが、今のところはここまでにしておく。………これをマスターしたら、今度はいよいよ実戦だ。魔物退治に連れて行ってやる」

 

「ほ、本当!?」

 

「ああ」

 

 これをマスターすれば実戦か……!

 

 大はしゃぎするラウラの隣でにやりと笑った俺は、拳を握りしめながら空を見上げた。

 

 

 

 

 

 



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タクヤとラウラが実戦に行くとこうなる

 

 血液の比率を10%から30%まで変化させつつ、水の入ったバケツにペンキを少しずつ混ぜていく光景をイメージする。特に何色のペンキをイメージしろと言われたわけではないので、どうでもいい話かもしれないがペンキの色は何色でもいいだろう。ちなみに俺の好きな色は蒼なので、ペンキの色は蒼にしておく。

 

 水面に落ちた蒼いペンキが、まるで煙が吹き上がるかのようにバケツの底へと向かって吹き上がっていき、水を蒼く染めていく。そこまで素早くイメージした俺は、そっと目を開けて自分の腕を見下ろしてみた。

 

「おお………」

 

 いいぞ。初めてやった時よりも硬化の速度が上がっている。

 

 蒼い外殻に覆われた腕を眺めた俺は、軽く手を握ったり、動かしてみる。外殻を生成したことによって動きが阻害されることは特に無いようだ。硬化する前と身体を動かす感覚は変わらない。

 

 愛用の大型トレンチナイフを手に取った俺は、試しにナイフの切っ先を硬化した外殻に軽く突き立ててみた。当然ながら手応えはまるで分厚い装甲の塊にナイフを突き立てたような感覚で、ナイフは金属音を立てながらあっさりと弾かれてしまう。

 

 まだ親父ほどの防御力はないみたいだが、この調子で訓練を続けていればいつかは親父並みの防御力になるかもしれない。ちなみに親父の外殻の防御力ならば、20mm弾くらいならば弾く事ができるらしい。

 

 一般的なアサルトライフルで使用される弾丸は5.56mm弾。大口径のものやバトルライフルでも7.62mm弾となっているから、砲弾である20mm弾を弾く事ができるということはかなり防御力が高いということになる。まさしく戦車や装甲車並みの防御力だ。

 

「ふにゅう…………!」

 

 俺の隣では、親父にこの能力を教えてもらってからずっと苦戦を続けているラウラが、少しずつ腕に外殻を生成しているところだった。彼女の外殻の色は俺と真逆で、まるで血のように紅い。

 

 生成する速度は俺よりも遅く、じわじわと硬化するような感じだけど、彼女も少しずつ苦手な硬化を身につけつつあるようだった。

 

「ど、どうかな?」

 

「おお。出来てるよ、ラウラ。ほら。……俺と同じだ」

 

「えへへっ。色は違うけど……タクヤとおそろいだね」

 

 そう言いながら硬化した腕で俺の腕を握るラウラ。彼女の外殻もなかなか硬いけど、おそらく防御力ならば俺の方が上だろう。彼女には驚異的な視力とエコーロケーションがある分、外殻の生成は苦手だと親父は言っていた。苦手な分野を放置すればいいというわけではないが、彼女は遠距離戦を得意とするし、訓練でも俺と一緒に戦う事を前提にしているから、硬化が苦手でも問題はないと思う。

 

「頑張ったね、お姉ちゃん」

 

「えへへっ。ねえ、タクヤ。ごほうびになでなでしてよぉ」

 

「はいはい」

 

 こうして俺に甘えてくるのは、昔から変わっていない。

 

 ラウラの頭の上に手を乗せた俺は、いつものように優しく彼女の頭を撫で始めた。ふわふわした赤毛を撫でる度に彼女の優しい香りが舞い上がる。

 

「よお、硬化のほうはどうだ?」

 

「あ、パパ!」

 

 子供部屋のドアを開けて入って来たのは、俺たちにこの能力の使い方を教えてくれた張本人だった。ラウラの頭を撫でているところを目撃した親父は苦笑いしながら俺の方を見てきたが、ラウラの声を聞いた途端に元の顔つきに戻ると、俺たちの硬化した腕をまじまじと見つめ始めた。

 

「へえ、ラウラもここまで硬化できるようになったか!」

 

「うんっ! 頑張ったから、タクヤになでなでしてもらってたのっ!」

 

「そ、そうか。優しい弟でよかったなぁ」

 

「えへへへっ。早く大きくなって、タクヤのおよめさんになりたいなぁ………」

 

 そんなことを言い出すラウラ。それを聞いても親父は苦笑いするだけだ。気持ちよさそうな顔をしているラウラを撫で続けながら親父の顔を見上げると、親父はこっちを見下ろしながら何故か頷いてきた。

 

 諦めろって事か? このままヤンデレのお姉ちゃんと一緒に成長して、ラウラを嫁に貰えって事なのか!?

 

 ふ、ふざけんな! 俺はハーレムを作るつもりだったのに……!

 

「ここまで硬化できるなら、もう実戦に連れて行ってもいい頃だな」

 

「マジ!?」

 

「本当!?」

 

「ああ。ちょうど騎士団から小規模だが魔物を発見したという報告が入った。数日前の掃討作戦の生き残りみたいだな。ちなみにゴブリンが4体だ」

 

 ゴブリンか……。魔物の図鑑の一番最初に載っていたな。

 

 130cmから140cmくらいの身長を持つ小型の魔物で、魔物の中では非常に弱い。知能も低いんだが腕力は非常に強く、パンチの威力は騎士団の鎧を容易くへこませてしまうほどだ。防具を身に着けていない状態で攻撃を受ければたちまち体中の骨を粉砕されてしまうことだろう。

 

 しかも、基本的に単独行動はしない。少なくても3体で群れを作って行動する。過去には100体以上の大規模な群れが他の国の街に攻め込み、街を壊滅させたという事もあるらしい。

 

「銃があれば楽勝だろう。……どうだ、行ってみるか?」

 

「おう!」

 

「うん!」

 

「よし」

 

 楽しそうに笑いながら頷いた親父は端末を取り出すと、素早く端末の画面を連続でタッチ。2秒くらいでラウラ用のスナイパーライフルとSMGを出現させてから彼女に手渡し、更に画面をタッチしてから俺用のアサルトライフルとハンドガンを出現させる。

 

 ラウラが装備するスナイパーライフルは、いつも訓練で使っているSV-98。7.62mm弾を使用するロシア製のボルトアクション式スナイパーライフルで、やはりスコープは装備していない。装備しているのはバイポットだけだ。

 

 そして彼女が受け取ったSMG(サブマシンガン)は、ロシア製SMGのPP-2000だ。まるでサムホールストックのようにグリップと繋がっているフォアグリップが特徴的な銃で、ハンドガン用の弾薬である9mm弾を使用する。本当ならば折り畳み式の銃床があるんだが、ラウラは親父に頼んで銃床を取り外してもらっているらしい。装着しているのはライトとオープンタイプのドットサイトだ。

 

 俺も親父から受け取ったアサルトライフルの点検を始める。親父が貸してくれたのは、最近よく訓練で使っているロシア製アサルトライフルのAK-12。ロシアの最新型アサルトライフルだ。AK-47譲りの頑丈さは健在で、しかも汎用性も高くなっている。AK-47の弱点だった命中精度の悪さも改善されている優秀な銃だ。様々な弾丸を発射可能だが、俺はいつもはM16やM4と同じ弾薬である5.56mm弾を使用している。

 

 魔物相手には大口径の7.62mm弾がおすすめだと親父に何度も言われたんだが、まだ俺は8歳だ。いくらキメラでも反動のでかい7.62mm弾をフルオート射撃するのは無理がある。だから今のところは5.56mm弾を使用することにして、その弾丸を弾いてしまうような敵が現れた場合は銃身の下に装着されている40mmグレネードランチャーをお見舞いすることにしている。銃身の上にはホロサイトとブースターを装着し、近距離だけでなく中距離での射撃でラウラをサポートできるようにしている。

 

 サイドアームであるハンドガンは、他の武器と同じくロシア製最新型ハンドガンのMP443だ。頑丈でバランスが取れているし、汎用性も高い。しかもラウラのPP-2000と同じくハンドガン用の9mm弾を使用するため、もし彼女のSMGが弾切れを起こしてしまっても、このハンドガンの弾薬を分けてあげる事ができる。

 

 俺の武器よりもラウラの武器の方が射程距離が長いため、おそらく今回は彼女をサポートすることになるだろう。ゴブリンの足の速さは人間とあまり変わらないから、連射速度の遅いボルトアクション式のライフルでも接近される前に十分に片付けられる筈だ。

 

「では、1時間後に出発する。それまでに武器の調整をしておくこと。いいな?」

 

「はいっ!」

 

「了解!」

 

 いよいよ実戦に連れて行ってもらえる。

 

 もしかしたら1発も撃たないで終わるかもしれないとは思ったが、俺はドキドキしながらアサルトライフルを肩に担ぎ、ラウラと一緒に地下室へと向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 北国だからなのか、もう夏だというのに草原を駆け抜けてくる風は暖かい。春よりも少し暖かくなったような風を吸い込みながら、重々しい防壁の外に広がる開放的な草原を双眼鏡で見渡す。

 

 特に遮蔽物もない草原だから、ターゲットはすぐに発見する事ができた。防壁へと向かって歩いてくる4つの小さな人影を発見した俺は、すぐにそのレンジファインダーを搭載した双眼鏡でズームインし、距離の測定を開始しつつ標的を確認する。

 

 双眼鏡の向こうに映っているのは、オリーブグリーンの表皮を持つ人間にそっくりな魔物だった。人間よりは小柄だけど手足の太さは鍛え上げた成人男性のように太く、指先からは鋭い爪が伸びている。中には棍棒を持っている奴もいるが、その棍棒を持っている奴以外は丸腰だ。

 

「目標を確認。距離、900m」

 

「りょ、りょうかい………!」

 

 双眼鏡から目を離し、隣で狙撃準備を始める姉を見守る。初めて魔物を目にしたラウラはかなり緊張しているらしく、両手を震わせながらバイポットを展開してライフルを構えている。

 

 俺もかなり緊張している。動物を銃で撃ったことはあるが、肉食動物よりも遥かに凶暴な魔物に銃を向けるのはこれが初めてだ。彼女に伝えた敵との距離が間違っていないかもう一度確認した俺は、地面に伏せて狙撃準備に入ったラウラの隣に伏せる。

 

 親父は今頃、どこかから俺たちの事を見守っていることだろう。もし俺とラウラが危険な状況になったら加勢してくれるらしい。

 

「ラウラ、落ち着いて」

 

「ふっ、ふにゅ………っ!」

 

「大丈夫。………俺が隣にいるから」

 

「う、うん。………だっ、大丈夫………!」

 

 伏せながら頷き、アイアンサイトを覗き込むラウラ。吹いてきた暖かい風からは、ラウラの甘い香りがした。

 

 彼女の香りのおかげで少し落ち着く事ができた俺は、標的を双眼鏡で確認しながらどいつから攻撃するべきか考え始める。1体だけ棍棒を持っている奴がいるから、こいつから仕留めるべきだろうか? 

 

「よし、ラウラ。一番奥にいる奴は見える? 棍棒持ってる奴」

 

「うん、見える」

 

「そいつから始末しよう。距離が600mくらいになるまで待ってね」

 

「分かった」

 

 冒険者になったら、かなりの数の魔物と戦う事になるだろう。ゴブリンを目の当たりにして緊張している場合じゃない。

 

 接近された時に備え、AK-12も射撃準備をしておく。ブースターをホロサイトの後ろに展開し、フルオート射撃からセミオート射撃に切り替えた俺は、再び双眼鏡を覗き込んで距離を確認した。

 

「………700m。狙撃準備」

 

「………!」

 

「目標、最後尾」

 

 標的はこっちに向かって歩いているだけだ。立ち止っているのと変わらない。ラウラならば命中させられる筈だ。

 

 でも、今の彼女はまだ緊張している………。親父が獲物を狙っていた時のように、俺がぞっとしてしまったあの鋭い目つきではない。

 

「距離600m。――――発射(ファイア)ッ!」

 

「う、撃つよっ!」

 

 俺が報告した直後、隣で伏せていたラウラが、ついにスナイパーライフルのトリガーを引いた。

 

 風の音しか聞こえなかった草原を、スナイパーライフルの銃声が蹂躙する。残響を引き連れながら駆け抜けて行った轟音の中を突き抜けていくのは、ラウラが放った1発の7.62mm弾。

 

 ゴブリンたちはいきなり聞こえてきた銃声でびっくりしたらしい。まるで脅かされた子供のように慌てふためきながら唸り声を発するだけだ。

 

 ラウラの狙撃は命中したのか………?

 

 数秒間双眼鏡をのぞき続けたが―――――風穴を開けられて後ろに崩れ落ちた奴は1体もいなかった。

 

「は、外れた………!」

 

「ふにゃあっ! ご、ごめんなさいっ!!」

 

 謝りながら大慌てでボルトハンドルを引くラウラ。おそらくさっきの弾丸は上に逸れてしまったんだろう。緊張していたせいなのかもしれない。

 

「もう少し下を狙って。今のは上に逸れたんだ」

 

「わ、分かった。えっと、もう少し下………下を狙って…………!」

 

 双眼鏡で標的の位置を確認する。まだこっちの居場所はバレていないらしい。でも、もう1発撃てば居場所がバレてしまう恐れがある。

 

 もう1発撃ったら移動しよう。

 

「距離570m。落ち着いて、ラウラ」

 

「だ、大丈夫……! 今度はちゃんと当てるよっ!」

 

「よし…………発射(ファイア)」

 

「ふにゃっ!」

 

 もう一度トリガーを引くラウラ。去り始めていた先ほどの銃声の残響が新たな銃声に上書きされ、再び草原が蹂躙される。

 

 その直後、双眼鏡の向こうで慌てふためいていたゴブリンの胸に7.62mm弾が飛び込んでいったのが見えた。獰猛な7.62mm弾に容易く胸を食い破られたゴブリンは、大きな牙が何本も生えている口からよだれと共に鮮血を吐き出すと、剛腕で胸の風穴を抑えながら後へと崩れ落ちた。

 

「め、命中! 胸に当たった!」

 

「やったぁっ!」

 

「ラウラ、移動するよ。ここにいるのが見つかったかもしれない!」

 

「ふにゃ!? わ、分かった!」

 

 大慌てでスナイパーライフルを背負って立ち上がるラウラ。俺も双眼鏡を首に下げると、アサルトライフルを抱えながら立ち上がる。

 

 仲間を殺されたゴブリンたちは激昂して吠えながら、俺たちが狙撃していた地点へと向かってきているようだった。あのまま狙撃していても接近される前に全て仕留めることは出来たかもしれないが、初陣で突進してくる恐ろしい魔物を迎え撃つのは無理があるだろうし、先ほどみたいに緊張して外してしまった場合、ボルトハンドルを引いている間に接近を許してしまうかもしれない。

 

 ラウラを連れて別の場所へと移動した俺は、再び2人で地面に伏せながら双眼鏡を覗き込む。ゴブリンは先ほど俺たちが狙撃していた地点に向かって突っ走っているだけで、俺たちを見つけたわけではないらしい。

 

「次は先頭を走ってる奴を狙おう。いける?」

 

「うん、頑張るよ。………ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 双眼鏡から目を離して隣にいる姉の方を見ると、ラウラはアイアンサイトを覗き込みながら言った。

 

「あいつらやっつけたら、ご褒美が欲しいな」

 

「何がいい?」

 

「えっとね………な、なでなでがいいな。タクヤのなでなでは気持ちいいの」

 

「あはははっ、分かった。いっぱいなでなでしてあげる」

 

 き、キスって言われなくてよかった………。

 

 もしキスって言われてたら俺まで慌ててしまっていた事だろう。ラウラは性格が幼いから、俺が何とか彼女を落ち着かせなければならない。

 

 なんだか、弟じゃなくて兄になった気分だ。前世は一人っ子だったんだよな。妹か姉が欲しいって何回も思った事を思い出した俺は、思い出し笑いをしながら再び双眼鏡を覗き込んだ。

 

「―――――発射(ファイア)ッ!」

 

 銃声が草原に響き渡る。マズルフラッシュの煌めきを突き破って飛び出した7.62mm弾は暖かい風が吹く草原を疾走し、ゴブリンに風穴を開ける前に風に風穴を開けていく。

 

 ゴブリンは走っている最中だ。当たるんだろうか………?

 

「!!」

 

 俺がそう思った瞬間だった。先頭を走っていたゴブリンのこめかみに風穴が開いたかと思うと、人間よりも小さな頭を木端微塵に粉砕されたゴブリンが、血と肉片をまき散らしながら崩れ落ちたんだ。

 

 走っている最中のゴブリンの頭に、弾丸を命中させやがった……!

 

 ボルトハンドルを引く音が聞こえて、俺はぞっとした。いつもの彼女ならば、標的に弾丸が命中すればはしゃぎ出す筈なんだが、今のラウラは全くはしゃぐ気配がない。

 

 違和感を感じながら隣の姉を見てみると、いつの間にか彼女の目つきはあの甘えん坊の姉の目つきではなく、獲物に狙いを定めている時の親父のような鋭い目つきになっていた。

 

 ラウラの目を見て再びぞっとした俺は、すぐに再び双眼鏡を覗き込む。姉の目つきでビビっている場合じゃない。早く標的を確認しなければ……!

 

「きょ、距離は570m。まだ気付いてない」

 

「………了解」

 

 元気いっぱいなラウラとは思えないほど冷たい声で再びぞっとしながら、俺は彼女に「よし、発射(ファイア)」と指示を出す。

 

 彼女はもう全く緊張していないらしい。4回目の銃声が草原を蹂躙し、風が1発の弾丸に次々に貫かれていく。

 

 残っているゴブリンは2体だが、俺はどちらを狙えばいいのか指示を出した覚えはない。ラウラはどっちを狙った……?

 

 そう思いながら双眼鏡を覗き込んでいると―――――突然、その残っていた片方のゴブリンの頭に風穴が開いた。先ほどヘッドショットされたゴブリンのように頭を砕かれ、崩れ落ちるゴブリン。俺が命中したとラウラに報告するよりも先にボルトハンドルを引く音が聞こえ、再び傍らで銃声が轟いた。

 

 5発目の7.62mm弾が草原を突き抜けていき、残った最後の1体の側頭部に喰らい付く。左側の側頭部と後頭部を頭蓋骨もろとも抉り取られたゴブリンは、鮮血が噴き出す頭を抑えながら、まるで酔っぱらったかのようにくるりと回ると、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。

 

「………め、命中」

 

「―――――えへへっ。これでタクヤになでなでしてもらえるっ!」

 

 500m以上の距離からスコープなしで、4体のゴブリンを狙撃で仕留めちまった……。しかも外したのは1発だけだ。

 

 他にも魔物がいないことを確認しながら立ち上がった俺は、1発も撃っていないAK-12を背負うと、双眼鏡を首に下げてからラウラに手を貸した。スナイパーライフルのバイポットを折り畳んでいたラウラは大喜びで俺の手を取ると―――――そのまま抱き付いてきた!

 

「わあっ!?」

 

「ふにゅー………タクヤっ!」

 

 いきなり抱き締められたせいで、せっかく立ち上がった俺は再び草原の上にラウラと一緒に押し倒されてしまう。

 

「――――――よう、2人とも」

 

「お、親父……」

 

 押し倒した俺の上で頬ずりを始めたラウラを何とか引き離そうと足掻いていると、ハンチング帽をかぶった私服姿の親父が、狩りの時にも使っていたリー・エンフィールドを担ぎながらこっちへとやって来た。親父は愛娘に押し倒されている息子を見下ろして苦笑いすると、ハンチング帽を取ってから頭を掻き始める。

 

 見捨てないでよ、お父さん。このままじゃ俺のお嫁さんが実のお姉ちゃんになっちゃう。

 

 無言で手を伸ばす俺を無視した親父は、苦笑いしたまま草原の向こうで倒れている4体のゴブリンの死体を見つめた。

 

「……よし、あいつらから素材を取る練習もしてみようか」

 

「素材?」

 

 頬ずりを中断して顔を上げるラウラ。俺はその隙にラウラを引き離して起き上がると、草の上に落ちていた自分のハンチング帽を拾い上げた。

 

「お前ら、冒険者になりたいんだろ? なら、これから魔物の素材を取る練習もしないとな。……ついて来い」

 

 漆黒のボウイナイフを鞘から引き抜き、ゴブリンの死体へと向かって歩いていく親父。ゴブリンのうち3体は頭が吹っ飛ばされてるんだが、素材は取れるんだろうか?

 

 冒険者の仕事はダンジョンの調査だが、ダンジョンの調査は非常に危険でリスクが高いため、資金が足りない冒険者のパーティーやギルドは魔物の素材を売って資金にすることがあるらしい。中にはダンジョンの調査にはいかず、魔物の素材の販売を生業にしてしまっている冒険者もいると聞いたことがある。俺たちが目指すのはちゃんとダンジョンの調査をする冒険者だが、魔物の素材を売れば資金になるため、素材の取り方もここで学んでおくべきだろう。

 

 ボウイナイフを抜いたまま、親父はラウラに頭を吹っ飛ばされたゴブリンの傍らにしゃがみ込んだ。俺たちが追い付いてきたのを確認した親父は、まだ痙攣を続けているゴブリンの腕を掴みながらこっちを振り返った。

 

 ゴブリンの腕は太い筈なんだが、親父の腕と比べるとかなり細く見える………。親父の腕ががっちりし過ぎているだけなのかもしれない。

 

「いいか? ゴブリンから取れる素材は、主に骨や内臓だ。内臓は薬の素材に使われるし、骨は武器の素材や家を建てるための素材にも使われるんだ」

 

「ねえ、パパ。どうやって素材を取るの?」

 

 首を傾げながら尋ねるラウラ。すると親父はナイフを逆手持ちにすると、切っ先を静かにゴブリンの腕に突き付けた。

 

 まさか、そのナイフで抉り出すのか……!?

 

「こうやって、ナイフで取り出すんだ」

 

 親父は笑顔でそう言うと、俺がラウラの目を隠そうとした瞬間に、そのナイフをゴブリンの腕へと突き刺した。何とか骨を抉り出す前に両手でラウラの目を隠した俺は、息を吐いてから親父を睨みつける。

 

 こ、この馬鹿親父ッ! ラウラにトラウマが出来たらどうするんだよッ!?

 

「ふにゃあっ!? た、タクヤ、何も見えないよぉ………」

 

「み、見ない方が良いよ……」

 

 ボウイナイフでゴブリンの筋肉を切り裂き、血管を断ち切ってから骨を鷲掴みにする親父。骨を引っ張りながら軟骨に刃を当てて少しずつ切り、血まみれの骨をゴブリンの剛腕の中から少しずつ取り出していく。

 

 グロ過ぎる………。ラウラが見たら大泣きするぞ。

 

「ねえ、パパは何をしてるの? ぐちゃぐちゃって聞こえるけど………血の臭いもするし………」

 

「な、ナイフを弄ってるだけだよ」

 

 冒険者になったらこうやって素材を取らないといけないのかよ……。外殻や鱗だったら簡単に取れそうなんだが、骨とか内臓はこうやって取り出さないと駄目なのか。

 

 俺はラウラの目を抑えながら息を呑み、骨を取り出す親父を見守っていた。

 

 

 



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異世界で産業革命が起こるとこうなる

 

 ホロサイトとブースターの向こうで、5.56mm弾の群れに食い破られた哀れなハーピーが、血と羽根を蒼空の中にまき散らしながら墜落していく。

 

 ハーピーは弱い魔物とされているが、動きが非常に素早いために矢を命中させるのはかなり難しく、常に飛んでいるため剣戟で叩き落すのは不可能と言われている厄介な魔物でもある。巨大な鳥の胴体に人間の頭をくっつけたような姿をしており、口の中には巨大な牙が何本も生えている。あの牙に噛みつかれたら簡単に手足を食い千切られてしまう事だろう。

 

 だが、そのハーピーたちが俺たちに爪や牙を振るう事は出来ないだろう。俺たちが持つ銃の銃弾は矢よりも弾速が速いし、威力も桁が違う。見たことのない武器に弾丸を叩き込まれたハーピーたちは次々に断末魔を上げながら、草原に墜落していくだけだ。

 

 マガジンの中の弾丸を撃ち尽くしたAK-12から、空になったマガジンを取り外す。新しいマガジンを取り付けようとしたんだが、まだ生き残っていた3体のハーピーが、まるで激昂したような雄叫びを上げながら急降下してきたため、再装填(リロード)を断念する羽目になった。

 

「チッ」

 

 左手でマガジンを装着しつつ、アサルトライフルのグリップから離した右手を腰のホルスターへと素早く伸ばす。ホルスターの中に納まっていたハンドガンのMP443のグリップを掴み、まるで早撃ちを披露するガンマンのように一瞬でホルスターの中から銃を引き抜く。

 

 射撃訓練で早撃ちの練習をよくやるんだが、その練習のおかげで、ハンドガンを素早くホルスターから引き抜けるようになった。右手で引き抜いたハンドガンを急降下してきたハーピーに向けた俺は、数秒後にはこいつの9mm弾で貫かれているハーピーをアイアンサイトの向こうから睨みつけ、にやりと笑う。

 

 あばよ。

 

 トリガーを引いた直後、マズルフラッシュの中から飛び出した1発の弾丸がハーピーの顔面を食い破った。弾丸を叩き込まれたハーピーがぐらりと揺れるのと同時にスライドがブローバックし、空になった薬莢が回転しながら地面へと落下していく。

 

 続けてその後ろにいたハーピーにも照準を合わせるが、トリガーを引く寸前に1発の弾丸がそのハーピーの首筋を貫いたため、俺は最後尾にいたハーピーへと照準を合わせ直すことになった。

 

 ハンドガン用の9mm弾よりも威力の大きな7.62mm弾に首筋を貫かれたハーピー。そいつを撃ち落としたのは、俺の後方にいるスナイパーライフルを構えた赤毛の少女だろう。

 

 彼女の銃声の残響を聞きながら、俺は最後の1体に向かって9mm弾をぶっ放した。

 

 さすがに離脱しようとしたのか、ハーピーがわずかに高度を上げたせいで、頭に叩き込まれる筈だったその弾丸は橙色の羽毛に覆われた胸元へと喰らい付いた。他の魔物と違って身を守るための外殻や鱗を持たないハーピーの防御力は貧弱だ。矢で射抜かれるだけでも容易く死んでしまうほど脆い魔物が、更に強力な銃弾に耐えられる筈がない。

 

 強制的に上昇を断念させられたハーピーは、奇妙な泣き声を発しながら俺の傍らへと落下した。

 

「………こいつで全滅かな?」

 

「――――――そうみたい。ソナーにも反応はないし」

 

 一応周囲を見渡してから、もう一度ソナーで周囲に魔物がいないか確認するラウラ。彼女のソナーならばもし透明になる能力を持っている魔物でもすぐに発見できる。

 

 だが、反応が無いという事はこれで魔物は全滅という事だ。俺はMP443をホルスターの中へと戻すと、傍らで絶命しているハーピーの死体から羽を何本か抜き取った。ハーピーの羽根は洋服などの素材に使われることもあるし、様々な装飾にも利用される。武器に利用される素材と言えば爪や牙くらいだろう。

 

 肉は食えるため、王都の露店に行けば銅貨3枚くらいで販売されている。焼き鳥やフライドチキンにして食べるし、シチューやカレーライスの具材にもされる肉だ。鶏の肉と同じだな。

 

 羽と肉は後で服屋と肉屋に売りに行くとしよう。冒険者の資格を持っていれば、冒険者を管理する『王立冒険者管理局』に依頼して代わりに売却してもらえるから各地にある管理局の支部まで持って行くだけでいいんだが、俺たちはまだ冒険者ではないため、持って行っても代わりに売却はしてもらえない。

 

 俺たちが生まれる前から傭兵ギルドや冒険者ギルドは存在していたんだが、管理する組織が存在しなかったため、個々のギルドが好き勝手に依頼を受けているような状態だったらしい。だが最近は各国がダンジョンの調査に力を入れ始めているため、彼らを管理するための管理局と呼ばれる組織が設立されたんだ。

 

 冒険者になるためには管理局に申請し、資格を取得しなければならない。特に試験があるというわけではないので申請すれば簡単に資格を手に入れる事ができるんだが、冒険者になるためには17歳以上にならなければならないため、まだ8歳の俺たちは資格を取得する事ができない。あと9年はこうして弱い魔物と戦いながら訓練を積み続けるだけだ。

 

「よし、羽と肉は売っちゃおう」

 

「うん。これで今月のお小遣いも増えるねっ!」

 

 魔物を倒しに行くようになってから、俺たちは親から小遣いを渡されなくなった。小遣いが欲しいのならば自分で魔物を仕留めて素材を売り、その金を小遣いにしろという事らしい。そうすれば魔物との戦闘の経験も積む事ができるし、親から小遣いをもらうよりも金を稼ぐことは出来る。さすがに家族を養えるほどの金額は稼げないけどな。

 

「ふにゅ? ねえ、このハーピー、光ってるよ?」

 

「何だって?」

 

 死体から羽を毟っていると、他の死体から羽を毟っていたラウラがそう言った。彼女が羽を取っていた死体を見てみると、その死体の腹の辺りが蒼白く輝いている。

 

 やがてその光はハーピーの腹を離れると、死体の上で蒼白い光の球体へと姿を変えた。

 

「ああ、武器がドロップしたんだ」

 

「武器が出たの?」

 

「うん」

 

 ラウラや家族には、俺が親父のように能力や武器を生み出す能力があるということを教えてある。さすがに正体が転生者だという事は教えていない。親父も、転生者の息子だから端末の機能まで何故か引き継いでしまったのかもしれないと話を合わせてくれている。

 

 蒼白い光に歩み寄った俺は、その光に向かって左手を伸ばした。すると蒼白い光がまるで割れたガラスのように崩れ始める。崩壊していく蒼白い光の球体の中から姿を現したのは、小さなリングをいくつもつなげたようなグリップと、リボルバーのシリンダーをくっつけたような奇妙な物体だった。

 

「お、アパッチ・リボルバーだ」

 

「なにそれ?」

 

「リボルバーだよ。折り畳み式のナイフも装備されているし、この穴の開いたグリップに指を入れてナックルダスターとしても利用できるんだ。もちろん射撃もできる」

 

 そういえば、この武器はハーピーからドロップすることになってたな。

 

 アパッチ・リボルバーは第一次世界大戦前にベルギーで製造された特殊なリボルバーだ。ナックルダスターとリボルバーのシリンダーを合体させたような形状をしていて、ラウラに説明したとおりナックルダスターとしても利用できるし、折り畳み式のナイフも装備されている。銃身が存在しないため命中精度はかなり低いし、使用する弾薬も小口径の7mm弾だから威力はかなり低いが、銃撃以外にも攻撃が出来るという珍しい銃だ。

 

 あとでカスタマイズしておこう。左手に持つナックルダスターの代わりに使えるかもしれない。

 

「ねえ、お姉ちゃんにも見せて?」

 

「いいよ。ほら」

 

 ドロップしたばかりのアパッチ・リボルバーをラウラに渡した俺は、彼女にこの銃の説明をしてから、再びハーピーの羽根を毟り始める。

 

 魔物などからドロップした武器は俺にしか見えないと思っていたんだが、どうやら俺以外の仲間にも見えるようだ。そして、俺が敵を倒さなくても、俺の仲間が倒した場合も武器はドロップするようになっているらしい。

 

 だからラウラもドロップした武器を見る事ができるし、彼女が俺の仲間になっている状態でラウラが魔物を倒せば、彼女が倒した魔物からも武器がドロップする可能性があるというわけだ。

 

「よし、そろそろ帰ろう」

 

「うんっ!」

 

 持ってきた袋に毟った羽根を詰め終えた俺は、頭や首筋を撃ち抜かれている死体を肩に担ぎながらラウラと手を繋いだ。彼女は嬉しそうに笑いながら俺の手を握ると、一緒に背後に見える王都の防壁へと向かって歩き出す。

 

 彼女がヤンデレになってしまった時はぞっとしたが、最近は他の女の子と会う事もないから、いつもラウラは俺に甘えて来るだけだ。もう8歳になったというのに、この同い年の姉は小さい頃と同じように常に一緒にいる。

 

 もしかしたら、17歳になって冒険者になるまでずっと俺に甘えるつもりなんじゃないだろうか?

 

「ふにゅ?」

 

「どうしたの?」

 

「ねえ、あの人たちは何をやってるの?」

 

 手を繋いで歩きながら、防壁の方を指差すラウラ。今まで魔物から街を守り抜いてきた分厚い防壁の外に何十人も人が集まり、木材や鉄骨を地面に敷いて何かを作っているようだ。防壁の傍らでは、足場の上に乗った作業員らしき人たちが、分厚い防壁の表面にペンキで印をつけている。

 

 一旦担いでいたハーピーたちの死体を地面に下ろした俺は、索敵に使っている双眼鏡を覗き込んだ。

 

 草原の真っ只中へと向けて真っ直ぐに伸びる2本の鉄骨。その鉄骨を繋いでいるのは木の板の隊列だ。

 

 あれは何を作ってるんだ? 列車のレールか………?

 

 この世界には魔術や魔物が存在するんだが、機械は全く存在しない。基本的に移動手段は徒歩か馬車で、列車や車のような乗り物は存在しないんだ。飛竜の背中に乗って移動することも出来るが、騎士団以外でそんな移動方法を使っているのは裕福な一部の貴族か王族だけだという。

 

 そういえば、フィオナちゃんが前に機械を発明したって言ってたな。社内では『フィオナ機関』と呼ばれている動力機関で、人間の魔力を動力源とする機械らしい。

 

 親父は「蒸気機関の動力源を魔力に変えたような代物」って言ってたが、どんな機械なんだろうか?

 

 確かにそんな動力機関があるならば、列車を動かすことも出来るだろう。

 

「お父さんなら知ってるんじゃない?」

 

「じゃあ、帰ってきたら聞いてみようよ!」

 

「そうだね」

 

 十中八九列車の線路だとは思うんだがな。

 

 双眼鏡から目を離した俺は、再びハーピーの死体を肩に担ぎ、ラウラと一緒に防壁へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラガヴァンビウスの街並みが、徐々に変わり始めている。

 

 レンガ造りの建物が連なる街並みは変わらないんだが、少しずつ高い建物が増え始めている。高くても3階建てくらいだった建物の群れの中には5階建てのアパートや巨大な工場が建設され、工場から突き出た槍のような煙突が真っ白な煙を吐き出し続けている。

 

 中世のヨーロッパのような街並みが、徐々に産業革命が起きていた頃のイギリスの街並みに変貌しつつあった。

 

 この王都の街並みを変化させたのが、モリガン・カンパニーという大企業の製薬分野を指揮する天才技術者だ。製薬分野に所属していながら機械の研究も行っている彼女が生み出した『フィオナ機関』によって、この異世界に産業革命が起きようとしている。

 

 魔術が存在する異世界の人々にとって、自分たちの体内に存在する魔力は魔術を発動させるためのエネルギーでしかなかった。だから魔力の使い道は魔術を発動させるだけで、魔力を使って機械を動かすという発想はなかったんだ。

 

 でも、その天才技術者は親父たちが使っていた兵器を見て、魔力を魔術に使うのではなく、動力源にして巨大な機械を動かすという事を思いついた。現代兵器を見て思いついた彼女は研究を続け、ついにその『フィオナ機関』を完成させたんだ。

 

 魔物を倒し終えた俺たちは、親父や母さんたちと一緒にモリガン・カンパニーが所有する工場の1つを訪れていた。工場が建っているのはまさに変わり始めた街並みの中心で、フィオナ機関を生み出した張本人もここにいる。

 

 薄暗い工場の中心に、照明で照らされながら鎮座していたのは楕円形のずんぐりとした燃料タンクのような金属の塊だった。タンクの周囲はまるで骨組みのように無数の配管やケーブルが覆っていて、太めの配管には圧力計や紅いバルブが取り付けられている。

 

「これが……フィオナ機関…………」

 

「ふにゃあ………!」

 

 このスチームパンクな感じの物体が、これから機関車に搭載される装置らしい。高さは2mだけど、実際は横倒しにされて搭載されることになっているようだ。そのため圧力計の目盛りは横向きになっている。

 

『既に試作型でテストは済んでいますので、近いうちに機関車に搭載する予定になっています』

 

 俺たちに説明するのは、真っ白なワンピースに身を包んだ白髪の少女だ。姿は幼い気もするけど、まるで成人の女性のように落ち着いている。傍から見れば12歳くらいの少女に見えるかもしれないが、実は彼女があの異世界初の動力機関を生み出した張本人なんだ。

 

 彼女の名はフィオナ。俺が生まれた時にも部屋の中にいた、あの白髪の少女だ。親父が率いていた傭兵ギルドの一員であり、そのころから新型のエリクサーの研究を始めていた天才技術者だ。それ以外にも治療用の魔術にも精通していて、激戦の際には何度も彼女に傷を癒してもらったようだ。

 

 フィオナちゃんは大昔に死んでしまった少女の幽霊であるため、親父が初めて出会った時から姿が全く変わっていないらしい。

 

 説明を終えたフィオナちゃんは、改良されたフィオナ機関をまじまじと見つめる俺たちの方へふわふわと浮きながらやってくると、傍らに舞い降りてから微笑んだ。

 

『きっと、2人が大人になる前には列車がたくさん走ってますよ』

 

「じゃあ、いつか私たちも列車に乗れるってこと!?」

 

『はい。楽しみにしていてくださいね?』

 

「はーいっ!」

 

 ついに、この異世界で産業革命が始まる。

 

 この天才技術者が生み出した装置が、この世界を変えるんだ。俺たちの世界と同じうように、いつかは馬車の代わりに自動車が走る世界に変わるかもしれない。彼女のこの発明も、間違いなくこの世界の教科書に載る事だろう。

 

 異世界で車が走るのを想像した俺は、ワクワクしながらもう一度フィオナ機関を凝視した。

 

 

 

 

 



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2人が最後の試験を開始するとこうなる

 

 少しだけ冷たい空気と甘い香りの中で、俺は瞼を開けた。片手で瞼をこすりながら眠気を払い落とし、あくびをしてから起き上がろうとする。

 

 しかし、毛布の中で俺の左腕に絡みついている白くて柔らかい2本の腕のせいで、俺は起き上がる前に再び毛布の中へと引き戻される羽目になった。ベッドの上に倒れ込んだ俺の耳に流れ込んできたのは、その腕を絡みつかせている少女の寝言と寝息。どうやら彼女は、眠っている間も俺と離れるのを嫌がっているらしい。

 

 ため息をつきながら、そっと毛布をかぶっている赤毛の少女の顔を見つめる。スラムに誘拐されてから11年も経過し、もう冒険者の資格を取得できる17歳になったというのに、この同い年の姉は相変わらず甘えん坊のままだ。

 

 17歳になったラウラの顔立ちは、エリスさんに似てきた。幼少の頃のような活発さは健在で、母親であるエリスさんと同じく優しそうな雰囲気を放っている。一目で元気そうだとすぐに分かってしまうのは、いつも彼女が浮かべる幼少期と変わらない笑顔と、特徴的な赤毛のせいだろう。当然ながら身体も成長していて、身に着けているパジャマの胸元は立派に膨らんでいる。しかもパジャマのボタンがいくつか外れているから、その大きなおっぱいを覆う水玉模様のブラジャーが見えている。

 

 俺は少し顔を赤くしながら目を逸らすが、少し遅かった。頭から生えている角はほんの少しだけ伸び始めている。

 

 厄介な角だ。こいつのせいで頭には帽子やフードをかぶらなければならなくなってしまったし、少し興奮するだけでも角が伸びてしまう。

 

「えへへ………タクヤぁ……………だいすきだよぉ………」

 

 俺の夢を見ているらしい。幸せそうな笑顔で眠っている姉の頬をそっと撫でた俺は、枕元に置いてあったハンカチを手に取ると、静かにラウラの口元のよだれを拭き取った。親父は彼女を清楚なレディーに育てたかったらしいんだが、残念ながらブラコンでヤンデレのお姉ちゃんになってしまっている。

 

 よだれを拭き取ったハンカチを畳んでから再び枕元に置くと、俺の腕に絡みついていたラウラが、眠ったまま今度は俺の身体を引っ張り始めた。ハンカチを置いた直後の俺を引き寄せたラウラは、今度は腕ではなく身体にしがみついてくる。

 

 しがみついてきたせいで、柔らかい上に弾力もある彼女のおっぱいが俺の腕に押し付けられていた。

 

「おいおい………」

 

 お姉ちゃん、角が伸びちゃうんだけど。

 

 はっとして頭の上に手を伸ばすと、もう既に俺の蒼い髪の中から突き出た先端部の蒼い角はダガーのように伸びていた。

 

「ふにゅ………。あ、タクヤ。おはようっ」

 

「お、おはよう………」

 

 顔の近くで目を覚ますラウラ。彼女は微笑みながらそう言うと、そのまま今度は俺の頬に向かって頬ずりを始める。

 

 幼少期から全然変わっていない。しかも成長したせいで、毎朝俺の頭の角はダガーのように伸びるのが日課になってしまっている。

 

 ラウラは俺の角が伸びていることに気が付いたのか、頬ずりをしたまま片手を俺の角へと伸ばし始めた。まるでダガーのような長さになっている角を優しく握った彼女は、頬を赤くしながら囁く。

 

「……ドキドキしてるの?」

 

「う、うん………」

 

「そっか。……えへへっ!」

 

 姉に角を触った手で頭を撫でられながら、俺は苦笑いした。

 

 ラウラは小さい頃から全く変わっていない。相変わらず食事をする時は必ず俺の隣だし、マンガを読んだり部屋で休む時も必ず俺の傍らにいるか、抱き着いて頬ずりを始める。しかも風呂に入るのも一緒なんだ。さすがにバスタオルを身体に巻くようにしているけど、こんなに立派な身体に成長したせいで俺の角はいつも風呂場で伸びっ放しだ。しかも、寝る時も一緒のベッドで眠っている。

 

 8歳くらいならば弟思いの姉ということで誤魔化せるだろうが、さすがに17歳になっても同じように一緒に風呂に入る実の姉はいないだろう。

 

 彼女に頬ずりをされながら、俺は壁に掛けられている時計の方を見た。

 

 いつもベッドから出る6時まであと30分もある事を知った俺は、目を細めてため息をつくと、頬ずりを続けるラウラの頭を撫で始めた。

 

 このままでは、俺もシスコンになってしまうかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

「親父、そろそろ冒険者の資格を取りたいんだけど」

 

 朝食のスクランブルエッグをスプーンで口へと運びながら、俺は向かいの席でトーストにバターを塗っている親父に言った。もう38歳になった親父は真っ赤な顎鬚の生えた顔で俺の方を一瞬だけ見ると、バターを塗り終えたトーストを齧り始める。

 

 まだ俺たちは、冒険者の資格を取らせてもらっていない。訓練が不十分だだからだろうか? でも、もう弱い魔物は瞬殺できるようになったし、数日前はゴーレムの群れを壊滅させてきた。もう冒険者の資格を取らせてくれてもいい筈だ。

 

 返事をしてくれない親父を見つめながら、口の中へと流し込んだ半熟のスクランブルエッグを咀嚼する。

 

「ねえ、パパ。いいでしょ?」

 

 隣で皿の上のハムをフォークで口へと運ぶラウラも、親父にそう言う。親父の左右に座る母さんとエリスさんは、何故か心配そうに親父の顔を見つめ始めた。

 

 訓練ではもう3分以上逃げ切れるようになったし、ラウラと一緒ならば親父たち全員に攻撃を叩き込めるようになっている。まだ倒すのは無理だけど、長年出来なかった親父たちへの攻撃を成功させられるようになったんだ。もうそろそろ認めてくれてもいい筈だろう。

 

「………力也、私もそろそろ認めるべきだと思う」

 

 おお。お母さん、賛成してくれるのか!

 

 母さんは初めて狩りに行く時も賛成してくれた。親父にドロップキックや飛び蹴りを叩き込めるほど強い母さんの意見ならば、親父も認めてくれる筈だ!

 

「うーん……私はまだ早いと思うんだけど。ダーリン、どうするの?」

 

「…………そうだな。お前たちも十分に成長した」

 

 ラウラの性格は幼いままだけどな。まだ俺と一緒じゃないと泣き出したり不機嫌になるし。

 

「じゃあ、今日は最後の試験を行う。………これに合格したら、冒険者として旅立つことを認めよう」

 

「やった!」

 

 最後の試験か……。どんな試験なんだろうか? 

 

 だが、これに合格する事ができれば冒険者になる事ができる。ラウラと一緒に、この世界を冒険する事ができるんだ!

 

「パパ、どんな試験なの?」

 

 はしゃぎながら、ラウラが親父に尋ねる。親父の隣に座る母さんとエリスさんは安心したような顔をしているが、親父は先ほどから全く表情を変えていない。

 

「――――――最後の試験は、転生者の抹殺だ」

 

「なっ!?」

 

「ダーリン、正気なの!?」

 

 最後の試験の内容を告げた直後、母さんとエリスさんがぎょっとして隣に座る男の顔を振り向いた。言われる前までは安心したような顔で朝食を摂っていた2人だったが、親父が告げた内容が遥かに予想以上で、危険なものだったらしい。

 

 転生者の抹殺。それが、冒険者になるための条件………!

 

 いや、冒険者になるためだけじゃない。人々を虐げるような輩を狩る転生者ハンターになるための条件でもある。

 

 転生者は親父や信也叔父さんのように、俺たちの住んでいた世界で死亡し、17歳くらいの姿でこの世界に転生してきた者の総称だ。能力や武器を自由自在に生み出す事ができる端末を持ち、身体能力はステータスで強化される。様々な武器や能力を生み出して装備できる汎用性の高さと、敵を倒すだけで短時間で強くなっていく成長速度の速さが厄介な存在だ。

 

 すぐに身体能力が上がり、自由に強力な武器や能力を使えるため、レベルが低い段階で攻撃を仕掛けない限り、この世界の武器や魔術で撃破するのは難しい。それほどの力を持つ者たちの大半は、街を占拠して独裁者のように人々を虐げるなど、力を悪用している者ばかりだ。だから、狩らなければならない。

 

 冒険者として旅に出る以上、他の転生者と遭遇する可能性は高いだろう。

 

「―――――転生者を討ち取った暁には、お前たちにあのコートをくれてやろう。俺たちに攻撃を当てられるようになったお前たちならば、やり遂げる事ができる筈だ。………やるか? それとも先送りにするか?」

 

 何言ってんだよ。先送りにするわけがないだろうが!

 

「やる」

 

「うん、私も」

 

「よろしい。………言っておくが、俺はピンチになっても手助けはしない。自力で倒すか、無理ならば撤退しろ」

 

 自力で転生者を倒せるようにならなければ、冒険者になったとしても転生者は倒せないだろう。

 

 かなりレベルに差でもない限り撤退するつもりはないぜ、親父。

 

 

 

 

 

 

 

 フィオナちゃんがフィオナ機関を搭載した機関車を発明し、鉄道がこの異世界でも走り始めてからもう9年が経過した。新しい機械や動力機関の実用化によるオルトバルカ王国での産業革命は未だに継続されており、既にあの中世ヨーロッパのようなレンガ造りの建物が並ぶ街並みは、高い建物や工場の煙突が乱立する産業革命の頃のイギリスのような光景に変貌している。

 

 工場の屋根の上にしゃがみ、転落しないように近くのポールに尻尾を巻きつけて命綱代わりにしながら、俺は王都のやや中心に鎮座する産業革命のシンボルとも言える建造物をズームインし、入り口を見張っていた。

 

 双眼鏡の向こうに見えるのは、実用化された列車が初めて出発した駅と言われている『王立ラガヴァンビウス駅』。伝統的なレンガ造りの建物だが、ホームの天井は鉄骨で覆われていて、何ヵ所かはガラス張りになっている。大国の中心に位置する駅という事であらゆる方向に線路が伸びており、その路線は今でも範囲が広がり続けている。

 

 このまま宮殿のように立派な駅を眺めていたかったんだが、耳に装着していた小型の無線機から聞こえてきた少女の声が、俺を転生者の抹殺という最後の試験の真っ只中へと引きずり込んだ。

 

『グレーテルよりヘンゼルへ。目標を確認したよ。見える?』

 

「待ってね………あいつ? あの貴族みたいな服着てるデブ」

 

『うん、そいつ。北口のやつだよ』

 

 双眼鏡を覗き込み、俺も攻撃目標を確認する。ラガヴァンビウス駅の北口の辺りを、貴族のような派手な衣装に身を包んだデブが護衛と一緒に歩いているのが見える。左手には鎖を持っていて、その鎖はボロボロの服を身に纏ったエルフの少女の首輪へと繋がっていた。

 

 奴隷を購入したんだろうか。エルフの少女の顔には暴行を受けたと思われる痕がいくつも残っていて、抵抗できないと理解した少女は俯いたままデブの後を歩き続けている。

 

 俺は今すぐデブの顔面に5.56mm弾のフルオート射撃をお見舞いしてやりたくなったが、ここから北口までの距離は600mもあるし、あいつの周囲には民間人も歩いている。狙撃すれば民間人を巻き込む恐れがあるため、珍しく別行動しているラウラも狙撃は行っていない。

 

「ヘンゼルよりグレーテルへ。まだ攻撃は仕掛けるなよ………」

 

『了解!』

 

 今回の作戦中は、俺にはヘンゼルというコードネームがついている。ラウラについているコードネームはグレーテルだ。

 

 親父が教えてくれた情報では、ターゲットは奴隷を購入した後、午前10時15分に王都ラガヴァンビウスを出発するエイナ・ドルレアン行きの列車に乗り、エイナ・ドルレアンから更にクラグウォール行きの列車に乗り換えるつもりらしい。親父のサポートは、その情報だけだ。奴の息の根は俺たちが止めなければならない。

 

 持ってきた懐中時計で時刻を確認。現在の時刻は10時6分だ。あと9分でエイナ・ドルレアン行きの列車が出発する。

 

 駅のホームで始末できれば手っ取り早いが、人込みが多過ぎるし時間も短い。確実に仕留めるならば、俺たちも列車に乗り込んで始末するべきだ。

 

「ヘンゼルよりグレーテルへ。狙撃は中止。列車に乗り込んで始末する」

 

『ふにゅ!? う、撃たないの!?』

 

 得意分野を中止と言われて驚くラウラ。彼女も接近戦の腕は上げているが、相変わらずナイフを使っての接近戦は苦手らしい。

 

 でも、さすがに列車の中で狙撃するのは無理がある。ここは俺たちも列車に乗り込んで接近戦を仕掛けるべきだ。

 

「接近戦でいこう。グレーテルはサポートをお願い」

 

『はーい……』

 

 双眼鏡から目を離した俺は、持ってきた武器を確認する。

 

 まず、メインアームはフランス製ブルパップ式アサルトライフルのFA-MASfelinだ。M16やM4と同じく5.56mm弾を使用するアサルトライフルだけど、ブルパップ式と呼ばれるタイプのライフルであるため、マガジンはグリップの後ろに装着されている。連射速度が速い上に反動も小さめだから、接近戦で破壊力を発揮することになるだろう。命中精度も高いため、中距離での射撃も可能だ。

 

 FA-MASは銃身の上に巨大なキャリングハンドルを装備しているのが特徴的だったんだが、改良型のこのfelin(フェリン)ではキャリングハンドルはかなり小型化されている。俺はその小型キャリングハンドルの上にホロサイトを装着し、銃身の下にはロシア製40mmグレネードランチャーのGP-25を装備している。グリップの後ろにあるマガジンは、本来ならば26発入りのマガジンなんだが、40発入りのマガジンに変更している。

 

 サイドアームはいつものMP443。9mm弾を使用する、ロシア製のハンドガンだ。それと最近生産することに成功した、オーストリア製大型リボルバーのプファイファー・ツェリスカの1丁だけだが持って来ている。こいつがぶっ放す.600ニトロエクスプレス弾の猛烈な破壊力とストッピングパワーは頼りになるだろう。早撃ちやファニングショットを使う前提で持ってきたんだが、中距離でも狙撃が出来るように、銃身の上には小型のPUスコープを装着している。

 

 それ以外の武器は、大型トレンチナイフとカスタマイズを済ませたアパッチ・リボルバーだ。少しでも攻撃力を上げるためにグリップを厚くした他、使用する弾薬を貧弱な7mm弾からリボルバーなどで使用される.357マグナム弾に変更している。シリンダーの大型化を極力避けるため、弾数は6発から5発に減らしている。やや大型化したシリンダーの下には、折り畳み式から伸縮式に変更されたナイフの刃が内蔵してある。

 

 ラウラの装備は、メインアームがいつものSV-98になっている。7.62mm弾を使用するロシア製ボルトアクション式スナイパーライフルで、スコープは取り外してある。サイドアームは9mm弾を使用するロシア製SMGのPP-2000だ。今回は室内戦になってしまうため、俺のMP443を合流したら彼女に渡しておこう。いくら彼女でも近距離用の銃がPP-2000だけというのは危険だ。

 

 彼女のそれ以外の装備はナイフなんだが、彼女は接近戦だとちょっと特殊な戦い方をするんだよなぁ………。

 

「よし、作戦開始だ」

 

『了解!』

 

 俺は命綱代わりにポールに巻き付けていた尻尾を離すと、工場の屋根の上から下り、ラガヴァンビウス駅に向かって走り出した。

 

 

 

 

 



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転生者との戦い

 

 ラガヴァンビウス駅の壁面は一部を除いてレンガで造られているため、いつもレンガ造りの建物の壁をよじ登って鬼ごっこをやっていた俺たちにとっては登るのは容易かった。まるで何度も乗ったことのある愛用の自転車で道を走るようにすいすいと壁をよじ登った俺は、風に吹き飛ばされないように左手でハンチング帽を抑えながら、眼下の線路を見下ろす。

 

 あと2分で、あの線路をエイナ・ドルレアン行きの列車が通る。その瞬間に屋根の上に飛び降りて乗り込めばいいだろう。律儀に切符を買っている時間はない。

 

 今のうちに武器の点検をしておこう。そう思った俺は、腰のホルスターに収まっているプファイファーを引き抜く。一応スコープを覗き込んで確認してみるが、特にPUスコープの照準が狂っている様子はない。しっかりと金具で固定されていることも確認した俺は、銃をホルスターに戻した。

 

 あと1分だ。俺のお姉ちゃんは何をしている?

 

「ふっ、ふっ………ふにゃあ………!」

 

「おう、お疲れ」

 

 どうやら今到着したばかりらしい。後ろを振り向くと、スナイパーライフルを背負ったラウラが呼吸を整えながら立っていた。

 

 俺と彼女は私服姿なんだが、ラウラの私服は胸元が大きく開いているし、スカートもミニスカートだ。胸元と黒いニーソックスを穿いている彼女の足を凝視していると、一瞬だけ彼女のスカートが風で揺れ、彼女の穿いているパンツが見えてしまった。

 

 柄はピンクと白の縞々かぁ……。悪くはないし魅力的なんだが、普通のスカートかズボンにすればいいのに………。

 

「あと30秒だな。……ほら、ラウラ」

 

「あっ、ありがと」

 

 腰のホルスターを外し、中に納まっていたMP443ごとラウラに渡す。室内戦になるため、スナイパーライフルとSMG(サブマシンガン)しか銃を持っていない彼女はSMGだけで室内戦をやる羽目になってしまう。さすがにそれは危険だ。

 

 俺からハンドガンを受け取った彼女はホルスターを腰に吊るすと、ハンドガンを引き抜いて点検を始めた。一通り点検を終えた彼女はホルスターにハンドガンを戻し、深呼吸を開始する。

 

『――――10時15分発、エイナ・ドルレアン行き24号が発車致します』

 

 機関車が蒸気を排出する音に混じってうっすらと聞こえてきたアナウンス。あの転生者が乗り込むのはこの24号だろう。これ以外にエイナ・ドルレアン行きで10時15分発の列車はない。

 

「来るぞ、ラウラ。………あれ? お前って高所恐怖症じゃないよね?」

 

「うん、大丈夫だよ。何だか小さい頃を思い出すね」

 

「ああ、よくこんな場所から飛び降りたっけ」

 

「そうそう。それでママったら、いつも顔を青くしちゃって………あはははっ」

 

 俺たちは身体が頑丈なキメラだから大丈夫だといつも親父が言ってたのに、過保護なエリスさんはいつも俺たちが危ない事をしているところを目の当たりにすると顔を真っ青にしてたっけ。心配かけちゃってたよなぁ……。

 

 あの人は俺にとってもう1人の母親だ。冒険者になって立派な大人になったら、ちゃんと彼女にも親孝行をしよう。もちろん、ここまで鍛え上げてくれた親父にもな。

 

 前世の親父みたいなクソ野郎にはこんなことはしないぜ。

 

 やがて、足元から巨大な金属の車輪が駆動する音が聞こえてきた。レールの上を転がる車輪の音と、蒸気を排出する音。機関車がついに動き出したらしい。

 

 ちらりと下の線路を見てみると、駅のホームからついにフィオナ機関を搭載した漆黒の機関車が姿を現していた。フィオナ機関を搭載している胴体はまるで太い円柱を横倒しにしたような形状で、その周囲には無数の細かい配管が設置されている。それらを保護する金属板で覆われた胴体の最後部には運転席があり、運転手が目の前の装置に向かって魔力を流し込みながら、近くにある圧力計を確認していた。外見はまるで煙突のない蒸気機関車のようだ。

 

 高圧の魔力で機関車を動かすため、機関車の後ろには冷却用の水を満載した冷却水車が連結されている。客車が連結されているのはその後ろからだ。

 

「ラウラ!」

 

「行くよ!」

 

 冷却水車が駅のホームの中から出た時点で、俺とラウラは客車の屋根に向かってジャンプしていた。まだ駅から出発したばかりだから列車の速度は遅い。あの転生者がどの車両に乗っているのかは分からないが、あまり後ろの車両から飛び乗ろうとして待ち過ぎると飛び乗る難易度が高くなる。

 

 煙突は存在しないため、煙に邪魔されることもない。発射したばかりの列車の屋根に飛び乗るのは、高い場所からそのまま飛び降りるのと何も変わらない。

 

 片手でハンチング帽を抑えながら、俺は客車の屋根を踏みつけた。足の裏から噴き上がって来る衝撃を抑え込みながら姿勢を低くし、ラウラも無事に飛び降りたのを確認する。今の衝撃でPUスコープの照準が狂っていないか確認しておくことにした俺は、素早くプファイファー・ツェリスカを引き抜いて点検を開始。狂っていなかったことを確認してから移動を開始する。

 

「ラウラ、エコーロケーションで転生者の位置は分かる?」

 

「待ってね………」

 

 ベレー帽が飛ばされないように手で押さえながら両目を瞑るラウラ。

 

 彼女の脳の中には、イルカよりも小型のメロン体がある。そのメロン体のおかげで、彼女はイルカや潜水艦のソナーのように超音波で敵の位置を知る事ができるんだ。だからもし敵がスモークグレネードを使ったとしても、彼女には何の意味もない。煙幕の中や霧の中に逃げ込んだとしても、彼女はこのエコーロケーションで敵の位置を知り、正確に弾丸をお見舞いする事だろう。

 

 キメラという変異が生んだ、最強のスナイパーというわけだ。

 

 ちなみに俺も親父から狙撃を教わっているから苦手ではないんだが、ラウラみたいな真似は出来ない。それと彼女はボルトアクション式のライフルを好むが、俺はセミオートマチック式の方をよく使う。俺の本来の目的はラウラの援護と前衛だから、連射が利くライフルの方が合うんだ。

 

「―――――最後尾の車両に、鎖みたいなのに繋がれてる子がいるよ。そこじゃないかな?」

 

「さすがだな。最後尾か」

 

 9年間も彼女はエコーロケーションの訓練も並行して行ってきているため、短距離での探知ならばソナーでの索敵というよりは、もう透視に近い。もちろん索敵できる範囲も非常に伸びており、精度は落ちてしまうけど最大で2km先までの探知が可能だ。

 

「えへへっ。頑張って鍛えたんだもん」

 

「これなら敵も逃げられないな」

 

「うん、タクヤもお姉ちゃんから逃げられないね!」

 

 お姉ちゃん、怖いよ。

 

 目を虚ろにさせながら「えへへ、逃がさないんだから」と小声で言い始めた姉にぞっとしながら、俺は屋根の上から落ちないように客車の最後尾を目指す。

 

 この列車は貸し切りではなく、普通の乗客も乗っている筈だ。もし貸し切りならば機関車を客車から切り離し、C4爆弾を大量に仕掛けてから奴隷の少女を解放した後に起爆する作戦を立てていたんだが、まずは転生者の様子を確認しなければ。

 

 先ほど駅の外から見張っていた時は、護衛の数は6人くらいだった。どこかの傭兵でも金で雇ったのか制服は身に着けておらず、服装はバラバラだった筈だ。武器も剣や小型のクロスボウくらいで、銃を持っている気配はない。

 

 最近は転生者の数が少し増えてきたらしいが、銃を使ってくる転生者は比較的少ないという。その転生者が銃に詳しくないからなんだろうか? でも、もし標的の転生者がミリオタだった場合は厄介だ。だから油断はできない。

 

「切符の提示をお願いしまーす」

 

「おっと」

 

 車両と車両の間を移動していく車掌にも見つからないようにしないと。

 

 車掌が客車の中に入って行ったのを確認して胸を撫で下ろした俺は、俺の隣で同じようにぞっとしていたラウラの顔を見て笑ってから、後ろの車両へと移動を続けた。

 

 やがて最後尾の車両に到着する。列車が走る音と風の音で、車両の中の音は全く聞こえない。窓から覗き込みたいところだが、発見されては元も子もないからな。

 

「ラウラ、もう一回頼む」

 

「はーいっ」

 

 もう一度両目を瞑り、エコーロケーションを使うラウラ。今度の索敵範囲は列車全体ではなく最後尾の車両だけに限定しているため、索敵の精度は劇的に上がっていることだろう。彼女にとってはこの車両の屋根を外し、中を直接見ているようなものなのかもしれない。

 

 超音波を最後尾の車両に放出し、索敵を終えたラウラが静かに瞼を開ける。

 

「―――――車内には8人。6人は護衛で1人は転生者だね。もう1人は奴隷の子だよ」

 

「最後尾だけ貸し切りってわけか?」

 

「多分」

 

「よし」

 

 いいぞ。もし他の乗客もいるならば面倒だったが、この車両だけ貸し切りならば乗客を巻き込む可能性はなくなる。

 

「俺が車両を切り離す。そしたら車内にスモークグレネードを投げ込んでくれ」

 

 メニュー画面を素早く開いて画面をタッチし、スモークグレネードを20ポイントで生産。生産したてのスモークグレネードをラウラに預けておく。

 

「投げ込んだ後は?」

 

「車両が減速するまで待機したら飛び降りて、車両から距離を取ってくれ。出来れば転生者もついでに仕留めたいんだが、もし無理だったら頼むよ」

 

「了解」

 

 踵を返して連結部に向かおうとすると、いきなり俺の肩をラウラの柔らかい手が掴んだ。そのまま振り向かせられた直後、彼女の甘い香りが俺を包み込む。

 

 俺の事が心配なのか、ラウラは胸に顔を押し付けてくる。俺は抱き付いてきた彼女の頭を撫でてあげようと思ったが、それよりも先にラウラが顔を上げ、炎のように真っ赤な瞳で俺の顔をじっと見つめてきた。

 

「………無茶はしちゃダメだよ?」

 

「おう、任せろって」

 

「本当かなぁ……? パパも若い頃から無茶をする悪い癖があったらしいから………」

 

 母さんから聞いたことがある。親父は若い頃から無茶をして、よく戦いが終わればボロボロになっていたという。その度に母さんやエリスさんは心配して、よく無茶をした親父を咎めていたって何度も俺に話してくれた事を思い出した。

 

 どうやら俺は、あの親父に似ているらしい。でも俺は賭け事はしない主義だ。ちょっとでもリスクがでかいならば、リスクが小さい方を選ぶ。

 

 心配してくれた姉を思い切り抱き締めた俺は、彼女の耳元で「任せてくれよ、お姉ちゃん」と囁くと、手を離してから今度こそ踵を返した。

 

 屋根の上から連結部へと静かに下りた俺は、最後尾の車両のドアの窓がカーテンで覆われていることを確認してからにやりと笑った。これならばバレることもないだろう。片手でハンチング帽を抑えたまま、右手の指先だけを一瞬で硬化させる。17歳の男子にしてはやや白い少女のような肌が一瞬で蒼い外殻と人間よりも長い漆黒の爪に覆われたのを確認した俺は、指先に魔力を集中させる。

 

 すると、爪先に蒼い粒子が出現した。その粒子は周囲の空気を加熱しながら成長していき、まるで溶接に使われるバーナーのような炎の刃へと成長していく。

 

 これもキメラの能力の1つだ。俺の身体の中にはサラマンダーの血も流れているんだが、サラマンダーは元々炎を操る強力なドラゴンとされている。その血が体内にあるせいなのか、俺と親父の体内に存在する魔力はあらかじめ炎属性に変換済みになっているんだ。

 

 本来ならば魔術を使うには詠唱するか、魔法陣を描いて魔力を流し込み、魔力を別の属性に変化させてからぶっ放さなければならないんだが、この体質のおかげで詠唱をする必要はないし、魔法陣も描かなくていい。まるで銃をぶっ放すかのように狙いを定め、炎をお見舞いしてやるだけだ。

 

 しかも炎を自由自在に操れるから、汎用性も高い。

 

 俺はこの蒼い炎以外にもう一つの属性を操れるんだが、まだその属性の出番じゃない。

 

 俺はバーナーのように放出した炎を、列車の連結部へと近付けた。飛び散る火花から身体を守るため、保護具代わりに身体の正面を外殻で覆っておく。

 

 蒼い炎に触れた連結部の太い金属が、真っ赤に変色して火花を散らしながら溶けていく。そのまま少しずつ指を左から右へとずらしていき、連結部を溶断していく。

 

 やがて真っ赤になっていた連結部から噴き上がる火花が姿を消し、ゴーレムの剛腕のような連結部を切り離された最後尾の列車が置き去りにされ始めた。徐々に離れていく前の車両に向かってニヤニヤ笑いながら頭上のハンチング帽を振った俺は、屋根の上から俺の溶断作業を見物していたラウラに向かって親指を立てる。

 

 まるでこれからいたずらをする悪ガキのようににやりと笑ったラウラは、俺の傍らにジャンプして下りてくると、スモークグレネードの安全ピンに指をかけながら俺に向かって頷いた。俺も頷いてから車両のドアに手をかけ、一瞬でドアを開く!

 

 その直後、安全ピンを抜いていたラウラが、車両の中にスモークグレネードを放り込んだ。いきなり開いたドアと離れていく前の車両を目の当たりにして驚いたらしく、中から護衛や転生者と思われる男の狼狽する声が聞こえていたが、そのやかましい声たちは車内で炸裂したスモークグレネードの真っ白な煙に呑み込まれる羽目になった。

 

「GO!」

 

 ラウラに合図された直後、俺は背中に背負っていたFA-MASfelinを構えて車内へと足を踏み入れていた。片手で剣を抜きながら口元を抑えて咳き込んでいた男に5.56mm弾のフルオート射撃を叩き込み、崩れ落ちようとしている男の身体を強引に蹴飛ばして押し倒す。そのまま死体を踏みつけながらもう1人の男に向かってFA-MASを発砲。真っ白な煙の中で、黄金色のマズルフラッシュが煌めく。

 

 銃声の残響と狼狽する男たちの声の中から、微かに咳き込む少女の声が聞こえてきた。咳き込む声が聞こえてきた方向を睨みつけた俺は、まだ咳き込み続ける少女の声を頼りにそちらへと走りながら、左手を腰のホルスターへと伸ばしてカスタマイズ済みのアパッチ・リボルバーを引き抜く。ナイフの刀身を収納しているカバーの側面にあるスイッチを押して刀身を展開し、少女の近くでわめいているやかましいデブの顔面をアパッチ・リボルバーのナックルダスターでぶん殴ってから、展開したばかりのナイフの刀身を鎖へと突き立てた。

 

 男たちのやかましい声を、断ち切られた鎖の金属音が飲み込む。素早く刀身を収納してアパッチ・リボルバーをホルスターへと戻した俺は、いきなり車両に入り込んできた俺の顔を見て目を見開く痩せ細ったエルフの少女の手を引き、今度は車両の外へと向かって走り出した。

 

 走りながらメニュー画面を開いて素早くC4爆弾を生産。60ポイントを使って3つ生産し終えてからすぐにそのうちの1つを装備し、車両の床に放り投げてから、俺はエルフの少女と共に減速を始めていた客車の後方のドアを蹴破って線路の上へと飛び降りる。

 

「お、おい、奴隷が美少女にさらわれたッ!!」

 

 俺は美少女じゃねえ。男だって。

 

 やっぱりこの顔つきとポニーテールのせいなのかなぁ………。でも、この髪型を止めようとするとラウラに猛反対されるんだよな。

 

 そんなことを考えながら無事に線路の上に着地すると、蹴破られた後方のドアからこっちを見てデブが喚き続けているのが見えた。あのデブの顔面には殴られた痕があり、鼻からは鼻血が流れ出ている。

 

 あ、さっきぶん殴ったのはあいつだったのか。

 

 そんなことを考えながら、片手で握っていたC4爆弾の起爆スイッチを押し込んだ。

 

 その直後、列車に置き去りにされた哀れな最後尾の車両の下部に一瞬だけ緋色の火の玉が出現したかと思うと、爆炎として膨れ上がったその火の玉に突き上げられた車両の車輪が線路のレールから浮き上がった。膨れ上がった爆風は狭い車両の中を駆け回ると、次々に窓から炎の剛腕を突き出して暴れ回り、車内を蹂躙する。

 

 護衛の男たちは今の爆発で即死したことだろう。あわよくば転生者も爆死してくれればよかったんだが、おそらくあのデブは生きていることだろう。

 

「こちらヘンゼル。奴隷を救出した」

 

『了解』

 

 無線機にそう報告してから、俺はアサルトライフルの銃口を炎上する客車へと向けた。

 

 

 

 

 

 



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もう1つの属性

 

「あ、あの、あなたは………?」

 

 一緒に列車から飛び降りたエルフの少女が、アサルトライフルを構える俺の顔を見上げながら傍らで呟いた。彼女の顔には暴行を受けた後が残っていて、頬や額には青痣がある。顔を殴られたらしく、鼻血を流した痕まであった。彼女が商人の所でどんな扱いを受けてきたのか想像した俺は、こんなに苦しい思いをしている人々を平気で商品として売るような輩に弾丸を叩き込んでやりたくなったが、その怒りはまず先にあの車両の中から出て来るであろう転生者に叩き込むべきだ。

 

 傷だらけの彼女を安心させるために「助けに来た」とだけ言った俺は、構えていたFA-MASfelinのホロサイトを覗き込み、いつでも転生者が飛び出してきた瞬間に蜂の巣にしてやる準備をする。

 

 ラウラは一足先に列車から飛び降りて狙撃準備を整えている筈だ。転生者が姿を現せば、すぐに7.62mm弾を遠距離からお見舞いしてくれることだろう。室内戦になるのではないかと警戒していたんだが、あいつらが最後尾の車両を貸し切りにしていてくれたおかげで、俺とラウラの両方が得意な距離で戦う事ができるようになった。これならばレベルに差があっても勝機はある。

 

 今の俺のレベルは30。9年間も魔物退治を続けていたにしては低いかもしれないが、俺たちが戦っていた相手はハーピーやゴブリンやゾンビばかりだった。最初は苦戦したりビビっていたんだが、だんだん慣れて来てからは瞬殺できるようになった。だが、弱い魔物とされているせいなのか途中から全くレベルは上がらなくなってしまったため、俺のレベルは30で止まっている。

 

 親父や母さんたちにもっと手強い魔物を倒しに行きたいと何度も言ったんだが、特に過保護なエリスさんは許してくれなかったし、こればかりは親父も許してくれなかった。

 

 ステータスは、攻撃力が890で、防御力が880になっている。スピードはやや低めの798だ。しかもあのメニュー画面では自分のステータスだけではなく転生者ではない仲間のステータスまで見る事ができるようになっているらしく、ラウラにもレベルとステータスが用意されていた。とはいえ正式な転生者としてのステータスではなく、あくまで転生者のレベルに換算した数値らしい。

 

 ラウラのレベルは俺と同じく30。ステータスは、攻撃力が俺と同じく890で防御力はやや低めの770。その代わりスピードは、俺以上の960だ。

 

 俺は攻撃力と防御力重視で、ラウラは打たれ弱い代わりにスピードと攻撃力特化というわけか。彼女はあまり前衛として戦わせない方が良いのかもしれない。

 

 ホロサイトの向こうで炎上していた車両の壁が、突拍子もなく吹き飛んだ。炎を纏いながら舞い上がった壁の一部が蒼空に陽炎をまき散らし、再び線路の上へと落下する。

 

 車両の壁を吹っ飛ばした張本人は、間違いなくあのデブだろう。ナックルダスターで顔面をぶん殴られた上に、俺の事を美少女だと勘違いしていたバカに違いない。

 

「酷いじゃないか………」

 

 吹き飛んだ壁の穴から、右手にバスタードソードを持ったデブが姿を現す。身に着けていた貴族のような派手な服は爆風で派手に引き裂かれた上に汚れていて、脂肪だらけの丸い顔は真っ黒になっている。

 

 派手な服を着て貴族のふりをしているよりも、あのデブにはまるで太ったゴブリンのようなこっちの格好の方がお似合いだ。レンズに亀裂が入ったメガネをかけ直したデブは、ゆっくりと線路の上に降り立つと、剣を地面に突き立てて両手を広げる。

 

「君。その子は僕が買った奴隷なんだよ。返してくれるかな?」

 

「………」

 

 俺があのデブに引き渡してしまうのではないかと警戒し、俺の手にしがみつくエルフの少女。ラウラはこの光景を見ているのか、耳の無線機からは姉の唸り声が聞こえてくる。

 

「あ、そうだ。君も僕の所に来てメイドとして働かない? 最近は産業革命のおかげで儲かってるから、ちゃんと給料も出すよ? それに、君はメイド服が似合いそうだし。へへへっ」

 

 ふざけんなよ、このデブ………。

 

 俺にメイド服だと!? 俺は男なんだけど!? パンツの下見てみるか!? 

 

 デブの気色悪さに青ざめつつ、ニヤニヤと笑う転生者を睨みつけていた。こいつに負けたら俺も奴隷にされて、メイド服を着せられるんだろうか?

 

 小さい頃から母さんに似ているせいで、よく女に間違われてきた。もう17歳になっているというのに、服を着て鏡の前に立ってみれば、男というよりは「男の服を着ている少女」にしか見えないし、体格もずっと訓練を続けて筋肉を付けているというのに、服の上からでは胸の小さい普通の少女にしか見えない。この女子みたいな容姿に拍車をかけているのは、九分九厘この髪型だろう。何で母さんと同じポニーテールにしなければならないんだろうか。

 

 今度、試しにリーゼントにしてみるかな? そうすれば男子に見えるだろうか?

 

「断る。この子は渡さない」

 

「へえ、いいね。クールで強気な美少女は大好きだよぉ……へへっ」

 

 何か言い返そうと思ったが、俺が口を開くと同時に転生者は剣を地面から引き抜いた。痛めつけて強引に連れて行くつもりなんだろう。

 

 こっちは銃を向けているというのに、あのデブはニヤニヤ笑ったまま正面に立っている。あいつは転生者なのだから、この世界の技術ではまだ銃は製造できていないという事を知っている筈だ。銃に詳しくないとはいえ、こっちが銃を持っているという事は転生者だと予測できないんだろうか?

 

 そんな考察をしている間に、爆破された車両が発する炎と陽炎が舞う草原を銃声が突き抜けていった。俺の後方でスナイパーライフルを構えていた頼もしいお姉ちゃんが先制攻撃を仕掛けたらしい。

 

「うぐぅ!?」

 

 いきなり狙撃されるとは思っていなかったデブの腹に、7.62mm弾の先端部が突き刺さる。まるでボディブローを叩き込まれたかのようにデブが腹を抑えて崩れ落ちると同時に、突き抜けていった銃声をその残響が追いかけていく。

 

 レベルが同等ならば今の一撃で終わる筈だが、俺たちよりもレベルが上で、こっちの攻撃力が相手の防御力のステータスを下回っていた場合は、大口径の7.62mm弾の直撃でも肉体を貫通することは出来ないという。昔に親父もステータスの高い転生者と戦って苦戦したらしい。だからあの親父は、ステータスに差があっても強烈な攻撃を叩き込めるように、大口径の武器をおすすめしてきたんだ。

 

 当時の親父の装備は、7.62mm弾をぶっ放すアサルトライフルとプファイファー・ツェリスカを2丁装備し、背中にはなんと82mmの迫撃砲を搭載したアンチマテリアルライフルを装備していたらしい。普通ならば絶対にありえない装備だが、こんな重装備でも転生者ならば素早く動き回れるし、反動も転生者の身体能力ならば殆ど無視できる。転生者だからこその重装備というわけか。

 

「痛ってぇ………」

 

「チッ」

 

 こいつもレベルが高かったか。起き上がったデブの贅肉で覆われた腹に命中した7.62mm弾は貫通しておらず、先端部がめり込んだだけだったようだ。

 

「もう1人仲間がいたのかな? もしかして、そいつが君に銃を渡した転生者?」

 

 転生者は俺だよ、馬鹿。

 

 そう思いながら、今度は俺が攻撃を仕掛けた。構えていたFA-MASfelinのトリガーを引き、5.56mm弾のフルオート射撃をお見舞いする。7.62mm弾よりも威力は落ちるため、この弾丸があのデブを貫通することはないだろう。この攻撃は牽制だ。適度に痛みを与えて怒らせ、攻撃を回避してから強烈なカウンターを叩き込んでやる。

 

 マガジンが空になるまでフルオート射撃を続け、空になったマガジンを取り外す。新しいマガジンを取り出しながら、耳を塞いでいたエルフの少女に「ここにいろよ!」と伝えると、新しいマガジンを装着してコッキングレバーを引き、今度はセレクターレバーを3点バースト射撃に切り替えた。

 

「ラウラ、普通の弾丸じゃ無理だ! 強装弾を!」

 

『了解!』

 

 俺が今アサルトライフルに装填したマガジンの中に入っているのは、先ほど連射していた5.56mm弾ではなく、その5.56mm弾の内部に入っているガンパウダーの量を増やして攻撃力を向上させた強装弾と呼ばれる弾丸だ。ラウラにもスナイパーライフルの弾薬を、通常の7.62mm弾からスナイパーライフル用の強装弾に変更するように指示を出してある。

 

 アサルトライフルの強装弾でも貫通は出来ないだろうが、ダメージは与えられるだろう。それにラウラのスナイパーライフルの強装弾ならば、もしかするとあの転生者の身体を貫通できるかもしれない。もし貫通できないのならば、キメラの能力を使ってぶち殺すだけだ。

 

 余談だが、弾薬のガンパウダーを減らした弱装弾と呼ばれる弾薬も存在する。これを使った場合は攻撃力が低下するものの、反動は小さくなるため命中させやすくなるんだ。

 

 5.56mm強装弾を3点バースト射撃で叩き込みつつ突っ走る。デブはさすがに何度も弾丸を命中させられるのが嫌になったらしく、剣を大雑把に振り回し始めるが、騎士たちが使っているような剣の刀身は全く弾丸を弾いていない。どれだけ振り回してもすべて空振りになっている。

 

 転生者がステータスで強化してもらえるのは攻撃力と防御力とスピードのみ。だからレベルが上がっても動体視力や剣術まで強化されるわけではないし、スタミナもちゃんと自分で鍛え上げない限り上がることはない。あの転生者は、おそらく自分の能力に頼り切って全然鍛えていなかったんだろう。脂肪だらけの腹を揺らしながら、少し剣を振り回しただけなのに息切れを始めている情けない転生者を見てため息をついた俺は、アサルトライフルでの射撃を中断し、ライフルを背中に背負ってからナイフとアパッチ・リボルバーをホルスターの中から引き抜いた。

 

「そんな小さいナイフで、剣に勝てるわけないだろぉ!?」

 

 ニヤニヤ笑いながら剣を振り上げるデブ。だがその剣を振り下ろす速度は、何度も俺たちを鍛え上げてくれた母さんの剣戟よりも遥かに遅い。俺たちの母さんの方が、このデブの100倍以上速いね。

 

 剣術を重視すると言われているラトーニウス王国騎士団で訓練を受け、騎士団を離反した後も毎日素振りの訓練をしていたストイックな母親なんだ。母さんが身に着けた技術をこんな楽ばかりしているデブが追い越していい筈がない。

 

 あまり努力家を冒涜するんじゃねえ。

 

 振り下ろされる前に大型トレンチナイフを胸に突き立ててやろうかと思っていたんだが、その前に振り下ろしていた最中のデブの腕がいきなり後ろに向かって突き飛ばされた。俺はこんな至近距離でデブの呻き声を聞く羽目になるのかと顔をしかめてしまったが、銃声の残響がデブの呻き声をかき消してくれた。

 

 1発の7.62mm強装弾が、ボロボロの服で覆われたデブの腕に喰らい付いたんだ。ちらりとデブの腕を見上げてみると、ラウラのぶっ放した7.62mm強装弾は貫通していなかったが、今度はめり込むだけでは終わらず、先端部がデブの肘の辺りに突き刺さっていた。

 

 接近戦を仕掛ける俺を援護するために、振り下ろされる途中の腕を正確に撃ち抜いたんだろう。頭を撃ち抜くよりも難易度の高い狙撃をスコープを装着していないスナイパーライフルで成功させた姉の狙撃技術に改めて驚愕しながら、俺は容赦なく右手の大型トレンチナイフを突き出す。

 

 刀身は贅肉に擦り傷のような小さな傷をつけた程度だったが、俺は続けてナイフを振り下ろし、左手のナックルダスターでボディブローを叩き込んだ。

 

「うがぁっ!?」

 

「鈍すぎるぞ、デブッ!!」

 

 左手を引き戻しながらアパッチ・リボルバーの刀身を展開し、右手を振り下ろしてナイフの刀身を叩き付ける。大型トレンチナイフの刀身を右斜め上へとそのまま振り上げ、振り上げ切ったところで逆手持ちに持ち替えつつ左手のアパッチ・リボルバーのナイフで追撃。相変わらずナイフの刀身はかすり傷しか付けられていないが、俺にはまだこいつを倒すための切り札が残っている。

 

 逆手持ちにした大型トレンチナイフを、まるでハンマーを叩き付けるように思い切りデブの肩に向かって振り下ろした。デブは連続で攻撃を喰らっていたせいで体勢を崩しており、ガードは全く出来ていない。ナイフで剣に勝てるわけがないと言っていた奴が圧倒されているところを冷たい目で見下ろしながら、俺は更に突き立てたナイフを押し込んだ。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 サバイバルナイフの刀身を大型化したような刀身が、デブの肩に突き刺さった。皮膚と筋肉を貫いた刀身を強引に引き抜き、剣を落として片手で傷口を押えるデブの転生者。贅肉で覆われた腹を蹴り飛ばした俺は、ブチギレしたデブが反撃してくる前に後ろにジャンプして距離を取りつつ、左手をポケットの中へと伸ばす。

 

 血の付いた大型トレンチナイフを構えたまま右手を突き出すと、俺は全身の魔力を右腕へと集中させ――――――魔術の詠唱を開始した。

 

「出でよ、無慈悲なる爆風よ。我が眼前の怨敵を、その炎で蹂躙し給え………!」

 

「くっ、今度は魔術を―――――」

 

 やっぱり、詠唱を始めた俺の右腕に気を取られるデブ。あいつはあまり銃には詳しくないみたいだが、魔術は警戒しているようだ。

 

 だからこそ、俺が今から繰り出す攻撃は、こいつが予想できない攻撃となる。

 

 転生してから親父に散々いたずらした時のような笑みを浮かべた俺は、まんまと俺の右腕ばかりを見ている馬鹿に向かって、左手でポケットから引っ張り出したあるものを放り投げた。

 

「―――――C4爆弾ッ!!」

 

「何ぃッ!?」

 

 俺たちはキメラだ。体内にはもう属性に変換済みの魔力があるから、その属性の魔術を使う場合は詠唱する必要はない。なのにわざわざ魔術の詠唱を始めたのは、次の攻撃が魔術による攻撃だと思い込ませるためのフェイントだ。

 

 幼少の頃から、こんなフェイントを多用しないと勝てないような両親(化け物)と戦わされてるんでね。狡賢い戦いが得意になっちまったのさ!

 

 放り投げた爆弾の代わりに起爆装置を取り出していると、逃げようとしていたデブが、今度はラウラに片足を撃ち抜かれた。7.62mm強装弾は貫通せずに右足の太腿に突き刺さっている。

 

「さすがだ、お姉ちゃん」

 

『可愛い弟のためだもんっ!』

 

 可愛いなぁ………。

 

 家に戻ったらなでなでしてあげよう。そうすると、お姉ちゃんも喜ぶし。

 

 大喜びするラウラの顔を想像してニヤニヤした俺は、左手の起爆スイッチを押した。

 

 デブに向かって放り投げられていたC4爆弾が、再び線路の上で弾け飛ぶ。車両を易々と突き上げて吹き飛ばしてしまった爆風が膨れ上がり、線路もろとも地面を抉り始める。片足を撃ち抜かれていたデブもその爆風と衝撃波にあっけなく喰らい付かれ、そのまま炎に呑み込まれてしまった。

 

「爆弾の扱いも得意分野なんでね」

 

 ポケットの中にはまだあと1つC4爆弾が残っているが、おそらくこいつの出番はないだろう。

 

 ラウラの狙撃のおかげで、俺の切り札を確実に命中させるための手は打ってあるのだから。

 

「……お嬢ちゃん、走れるか?」

 

「え?」

 

「あっちに仲間がいる。……とにかく、俺から離れろ」

 

 デブがあの爆風の中からブチギレしながら姿を現す前に逃がしておこう。彼女まで巻き込むわけにはいかない。目を見開きながら戦いを見ていたエルフの少女の傍らに駆け寄ってそう言った俺は、彼女が俺に聞き返さずに走って行ったのを確認すると、耳に装着していた無線機に向かって通達する。

 

「アレ使うぞ」

 

『了解。じゃあもう終わるの?』

 

「ああ。転生者って弱いんだな」

 

 ラウラとの通信を終えてから、まるでウォーミングアップする格闘家のように両腕を回す。俺はサラマンダーの血を持つ親父の遺伝子を受け継いだキメラだが、受け継いだのは親父の炎属性だけじゃない。

 

 今から繰り出すのは――――――母親譲りの2つ目の属性だ。

 

 血液の比率を30%に変化させつつ、体内で変圧を開始する。血液の流れが少しだけ早くなると同時に両腕が蒼い外殻で覆われ始める。親父とは色の違う俺の外殻だ。

 

 いつもならば外殻を纏って魔力を使おうとすれば炎が出るんだが、今の俺の両腕が纏っているのは―――――蒼白い電撃だった。

 

「くっ……!」

 

 爆風の中から更にボロボロになって姿を現すデブ。電撃を纏っている俺を見て目を見開いたが、まだ戦いを続けるつもりらしく、再び剣を構える。今まで端末が与えてくれるステータスと能力で敵をねじ伏せてきた自分が負けるわけがないと思い込んでいるんだろう。

 

 だが、残念ながらお前の負けだ。こいつはもう回避できない。

 

「そんな電撃なんかでぇッ!!」

 

「バーカ。こいつは600KVだぜ」

 

 普通の絶縁体では防御できねえよ。絶縁体が一瞬で燃え尽きちまうからなぁッ!!

 

 電撃を纏った両腕をデブへと向かって突き出しながらにやりと笑った俺は、必死に俺へと突っ込んで来るデブに向かって言った。

 

「それと、俺は美少女じゃねえ。――――――男だ」

 

「えっ?」

 

 お前は男にメイド服を着せようとしてたんだよ、ホモ野郎ッ!! 俺は絶対にメイド服なんか着ないからなぁッ!!

 

 女だと思われていた恥ずかしさと怒りを思い出した俺は、ニヤニヤ笑うのを止めると、目を細めながら両腕の電撃を掌に集中させた。

 

「―――――――ゲイボルグッ!!」

 

 両腕の魔力が更に膨れ上がったような気がした。外殻を割って外に噴き出しそうなほどの勢いの魔力を何とか受け流した直後、ラガヴァンビウスの防壁の外に広がる草原を、蒼白い雷が駆け抜けて行った。

 

 予想以上の勢いで放たれた雷の塊に驚愕したデブは大慌てで剣を投げ捨て、横へとジャンプして逃げようとしたが――――俺が放った電撃の塊は、まるで逃げ出したネズミを追い詰める大蛇のように頭をデブの方へと向けると、そのまま直進を継続する。

 

 俺はただ体内の魔力を電撃に変換し、思い切り圧力をかけてぶっ放しただけだ。ミサイルみたいに追尾するように設定した覚えはない。

 

 追尾した原因は、まだデブの身体にめり込んだまま残っているラウラの弾丸だった。突き刺さったままになっているその弾丸が、避雷針の代わりとなって高圧の電撃を導いたんだ。

 

「なっ―――――」

 

 自分の身体に残っている弾丸が、雷が追尾してきた原因だとまだデブは気付いていないらしい。彼は絶叫しながら立ち上がって逃げようとしたが、いくら転生者でも走って雷から逃げられる筈がなかった。まるで狼に喰らい付かれるウサギのように背後から雷に呑み込まれたデブは、自らの断末魔まで雷の駆け抜ける轟音にかき消され、蒼白い光の中で消滅していった。

 

「――――あばよ、デブ。滅茶苦茶弱かったぜ」

 

 両腕の硬化を解除した俺は、蒼白い雷の残光を見つめながら呟いた。

 

 

 

 

 



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現代兵器と冒険者

 

 残光がすっかり消え去り、緑色の草原がいつも通りの光景に戻っていく。爆破された車両が未だに炎上していることと、草原の一部が抉られていることを除けば、完全にいつも通りの光景に戻っていることだろう。

 

 あの転生者は、さすがにあの電撃で完全に消滅したらしい。もしかしたら電撃に耐えるんじゃないかと思って本気でぶっ放したつもりだったんだが、単なるオーバーキルになっちまったようだ。

 

「ふう………」

 

 本気でぶっ放したせいで、魔力が結構減っちまった。何だか足がガクガクする。

 

 魔力を使い過ぎると、まるでスタミナを使い果たしたような疲労感が襲いかかってくる。呼吸を整えながら焦げ臭い香りが染み付く草原に腰を下ろし、俺は蒼空を見上げた。

 

 転生者を倒した。奴隷の少女を連れて行こうとしていた男を消し、彼女を救う事ができたんだ。

 

 これで俺たちは冒険者になると同時に、転生者ハンターになることも出来る。

 

《レベルが上がりました》

 

「お」

 

 すっかり忘れてた。格上の相手だからすぐにレベルが上がったんだろう。今度は何ポイント手に入るのかと考えながら目の前に投影されたメッセージを凝視する。

 

 レベルアップするとこのようにメッセージが表示され、レベルアップ後のレベルとステータスが表示されるようになっている。他にも、生産できる武器や能力の中にはレベルを上げないと生産できないという条件が付いている者もあるんだが、アンロックされた武器や能力もここに表示される仕組みになっている。

 

《現在のレベルは35です》

 

 一気に5もレベルが上がった………。格上の相手だからレベルアップは当然だと思ってたんだが、一気にレベルが上がっちまったぞ。ハーピーとかゾンビを倒しまくってやっとレベルが1上がってたような状態だったのに。

 

《攻撃力は970、防御力は960、スピードは880です》

 

 ステータスも順調に上がっている。相変わらずスピードのステータスだけ低いが、俺は硬化を使いこなせるようになっているし、反射神経にも自信があるからあまり問題はないだろう。

 

 でも、9歳くらいの頃からかけっこでラウラに負けるようになったんだよな………。

 

《アサルトライフル『G36』がアンロックされました》

 

 おお、G36か!

 

 G36は、ドイツ製のアサルトライフルだ。近距離や中距離での射撃に対応するために、後部にスコープやドットサイトを搭載した大型のキャリングハンドルが特徴的なライフルで、弾薬は5.56mm弾を使用する。非常に頑丈なアサルトライフルで、命中精度にも優れている。これの他にも、銃身の短いG36CやG36Kなどのバリエーションもある。

 

 これは作っておくべきだな。個人的に好きなアサルトライフルだし、頑丈だからダンジョンの中に持ち込んでも問題ないだろう。ポイントも更に3000ポイントくらい手に入ったから、生産してカスタマイズも済ませておこう。個人的にはG36Kを作りたいところだ。

 

 呼吸を整えながらどんなカスタマイズにするか想像していると、足音が聞こえてきた。メニュー画面を開く前に頭を起こしてそちらの方を見てみると、スナイパーライフルを背負ったラウラが、先ほど彼女の方へと逃げていったエルフの少女と一緒にこっちに歩いてくる。

 

「おう、ラウラ―――――ギャッ!?」

 

「お疲れ様っ! タクヤ、かっこよかったよ!」

 

 そう言いながら倒れている俺に向かって抱き付いてくるラウラ。お礼を言うために口を開いていたエルフの少女は、いきなり抱き付かれている俺を見下ろしておろおろしている。

 

「ラウラ、人前で抱き着くなって!」

 

「いいじゃん。離れてたから寂しかったのっ!」

 

 離れてたって、たった600mくらいだろうがッ!? しかもお前の視力なら見えてたろ!?

 

 必死に抵抗する姉を何とか引き剥がそうと足掻きながら、俺はエルフの少女を見上げた。彼女はまだおろおろしていたが、俺と目が合っていることに気が付くと、顔を真っ赤にしながら可愛らしい声で言った。

 

「あ、あのっ………あ、ありがとう…ございました………っ!」

 

「気にすんなって。……もうお前を連れて行こうとしてる奴なんていないよ――――――ウギャッ!?」

 

 エルフの少女と話をしている最中に再び姉に押し倒される俺。しかもラウラは、今度は俺が起き上がれないように両手を腕に絡みつかせると、横になっている身体の上に乗って頬ずりを始めやがった。

 

 お、お姉ちゃん………。そんなに寂しかったのかよ。

 

 でも、悪いが今はこの子と話をさせてくれ。

 

「せいっ!」

 

「ふにゃ!?」

 

 左に身体を傾けてから反動を付け、一気に右へとごろんと転がる。頬ずりすることに夢中だったラウラはあっさりと俺と一緒に回転し、今度はラウラが草原の上で横になることになった。

 

 そして彼女が驚いている隙に手を離し、何とか立ち上がる。

 

「―――――すまん。俺のお姉ちゃん、ブラコンなんだ」

 

「そ、そうなんですか………」

 

「とりあえず、王都まで戻ろう。親父に言えば保護してくれる筈だし、すぐに家族と再会できる筈だ」

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

「気にするなって。………さあ、街まで戻―――――――ふにゃあっ!?」

 

 今度は背後から抱き付いてくるラウラ。しかもそのまま押し倒さず、逆に俺の身体を引っ張り、2人で一緒に再び草原の上に倒れる羽目になった。

 

「えへへっ。お姉ちゃんの真似かな?」

 

「ち、違うって! いいから離してくれよ。家帰ったらいっぱい甘えていいからッ!!」

 

 実の弟にこんなに甘えてくる姉はいないだろ!?

 

「ダメだよぉ。今から夜までずーっと甘えてたいのっ」

 

「よ、夜まで!? おい、親父に報告にもいかなきゃダメなんだぞ!?」

 

「やだやだっ! ずっと甘えるのっ!」

 

 駄々のこね方が3歳の頃から全然変わってない。困ったお姉ちゃんだ。

 

 苦笑いしながら俺たちを見下ろすエルフの少女と目を合わせた俺は、同じように苦笑いしてからため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン・カンパニーの本社は、昔の騎士団の基地を改築して本社として使っている。そのため俺の住んでいた世界にある会社の一室とは全くイメージが違う。

 

 壁はレンガ造りで、まるで会社の中というよりは城の中にいるかのようだ。廊下や広間に置かれている旧式の鉄兜や甲冑は、この建物が騎士団の本部として使われていた頃の名残なんだろう。よく見ると、壁には騎士団のエンブレムも残っている箇所がある。

 

 かつて騎士たちの拠点だった建物の中を歩くのは、黒いスーツに身を包み、漆黒のシルクハットと仕込み杖を手にした紳士たち。違和感を覚える光景だ。

 

 彼らとすれ違った俺とラウラは、廊下の一番奥にあるドアの前まで行くと、そのドアを2人で一緒にノックした。

 

「どうぞ」

 

 帰ってきた返事は、やっぱり聞き慣れた声だ。ハヤカワ家の大黒柱であり、俺たちを鍛え上げてくれた男の声。

 

 ドアを開けた俺たちは、同時に社長室の中へと足を踏み入れた。元々は騎士団の団長に用意された執務室だったらしく、この部屋の中にも騎士団の拠点だった頃の名残がある。壁に立て掛けられた銀色の剣や、全身を覆う旧式の甲冑。今の騎士団よりも古い装備品が、観賞用としてなのか部屋の中には置かれている。まるで博物館にでもやって来たかのような雰囲気を感じていたが、窓の近くにあるデスクの向こうに座る赤毛の男を見た瞬間、その雰囲気は一瞬で消し飛んだ。

 

 デスクの向こうにいるのは、モリガン・カンパニーの頂点に立つ男。4つの分野を指揮する四天王の上に立つ魔王であり、俺たちの親父でもある男だった。

 

「―――――よくやったな」

 

 デスクの上で書類にサインをしていた親父は、羽ペンから手を離すと、俺たちの顔を見つめながらそう言った。

 

 前世では、当然ながら親父に褒められたことなどない。どれだけ努力しても、喜んでくれたのは優しい母さんだけだった。やはりこの男は、最高の父大矢なのかもしれない。

 

「パパ、私たち頑張ったよ!」

 

「ああ、話は聞いたよ。―――――――エイナ・ドルレアン行きの列車の線路が吹っ飛んだそうじゃないか」

 

「え?」

 

「あっ」

 

 そういえば、車両をC4爆弾で吹っ飛ばした時に線路も一緒に吹っ飛んでいたような気がする。C4爆弾のような強烈な爆薬を車両の中で使えば、床の下にある線路が無事で済むわけがない。レールは千切れた上にひしゃげていて、列車が走れるような状態ではなかった。

 

 腕を組みながら微笑む親父。ものすごく優しそうな顔をしているんだが、まるで獲物に狙いを定めた時のような猛烈な威圧感を感じる。

 

 お、お父さん……?

 

「線路の修理が終わるまで、エイナ・ドルレアン線は運休になる。まあ、我が社の優秀な社員たちならば2日で元通りにすると思う」

 

「ご、ごめんなさい………」

 

「まったく………だが、強くなったじゃないか」

 

 そう言った瞬間、親父から威圧感が消えた。

 

「親父………」

 

「実はな、まだお前たちを転生者と戦わせるのは早いと思っていたんだ」

 

 炎のように真っ赤な顎鬚を触り、嬉しそうに笑いながら言う親父。今の彼は魔王と呼ばれる社長ではなく、俺たちの父親に戻っていた。

 

「だが………予想以上だ。もう、旅に出ても心配はないな」

 

「じゃあ………認めてくれるって事か!?」

 

 やった……! これで冒険者として旅に出る事ができるぞ!

 

 親父に認めてもらえたんだ!

 

「ああ。………ほら、今日中に手続きに行くなら早く行け。管理局の窓口は5時までだぞ」

 

「え?」

 

 ラウラと一緒に大はしゃぎしようと互いに手を伸ばしていた瞬間だった。親父が言ったその一言が、燃え上がっていた喜びの中に氷水を放り込んでくれたんだ。ぞっとしながら社長室の中にある古時計を見上げて時刻を確認してみると、もう5時まであと20分しかない!

 

 なんてこった! 

 

 出来るだけ早めに手続きをしておこうという事にしていたから、今日中には手続きを済ませ、明日は準備をして、明後日には出発する予定だったんだ。

 

 おいおい、ここから管理局まで突っ走っても10分はかかるぞ!?

 

「ふにゃあああああああああ!! タクヤ、早く行こうよ!!」

 

「あ、ああ! じゃあ親父、手続き行ってくる!!」

 

「おう、馬車の前に飛び出すんじゃねーぞ」

 

 馬車に轢かれても、多分俺とラウラはかすり傷くらいで済むんじゃないだろうか。サラマンダーと人間のキメラとして生まれたから身体は頑丈だし。

 

「あ、エルフの女の子の保護は――――――」

 

「ちゃんと保護したよ」

 

「ありがとっ!」

 

 安心した。これであの子は家族の所に帰れるだろうし、もう奴隷として売られて辛い思いをされることはないだろう。

 

 この世界は段々と変わっているが、奴隷の制度はまだ残っている。いつかその残酷な制度も廃止しなければならない。人が人を商品として売るということはあってはならないのだから。

 

 彼女が無事に保護されたことを知ってほっとした俺は、ラウラと一緒に本社の廊下を突っ走り始めた。

 

 マラソン大会の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 王立冒険者管理局は、その名の通り冒険者たちを管理するために設立された組織だ。俺たちが生まれる前は、傭兵ギルドと冒険者ギルドを管理するような組織は存在しなかったため、各々のギルドで勝手に依頼を受けていたような状態だった。まさに無法地帯だったらしい。

 

 そのため、管理するような組織からのサポートは一切なく、当時の冒険者はダンジョンについて自力で情報を集めなければならなかった。他の冒険者から話を聞いたり、冒険者が立ち寄る宿屋の店主から情報を教えてもらったりしていたらしいんだが、不正確な情報のせいで危険なダンジョンに足を踏み入れ、そのまま命を落とすというケースがあまりにも多かったらしい。

 

 だから管理局では冒険者のサポート共に、ダンジョンについての情報提供も行っている。

 

「な、なんとか間に合った………」

 

「ふにゃあ………」

 

 営業時間終了10分前に辛うじて管理局の建物の前へと辿り着いた俺とラウラは、呼吸を整えながら目の前の建物を見上げた。

 

 王都ラガヴァンビウスの東側にあるこの管理局の建物は、管理局という組織自体が最近設立されたせいなのか新築で、産業革命が起きた最近の建築様式の影響を受けているらしく、レンガ造りではあるもののまるで他の建物と張り合うかのように高い建物になっている。黒ずんだレンガ造りの壁は要塞のようで、屋根は槍のように尖っている。

 

 屋根の上で揺れるオルトバルカ王国の国旗と管理局のエンブレムを見上げた俺は、ラウラと一緒に建物の中へと足を踏み入れた。

 

 建物の中には、防具を身に着けて武器を腰に下げた冒険者たちが何人もいた。窓口で何かの手続きをしている冒険者もいるし、危険な魔物を討伐した自慢話をする体格のいい冒険者もいる。俺たちにとってはこいつらは先輩になるって事だな。

 

 すぐに追い越してやるぜ。

 

「ふにゃあ………色んな人がいるんだね」

 

「最近は傭兵よりも冒険者の方が需要があるらしいからなぁ………」

 

 昔は魔王が倒された影響で魔物が狂暴化していて、街や村が魔物に襲撃されることが後を絶たなかったため、騎士団よりも素早く対応できる傭兵ギルドの需要が高かったんだが、最近は魔物も凶暴化することはなくなり、街が襲撃されることも稀になったため、傭兵の需要は急激に下がっている。

 

 それでも親父が率いていたモリガンという傭兵ギルドの名は21年も経った今でも有名で、冒険者や傭兵の中には彼らのファンがいるらしい。

 

 とりあえず、早く手続きを済ませてしまおう。営業時間はあと9分だよ、お姉ちゃん。

 

「ん?」

 

 窓口の方に行こうとすると、ラウラが手を握ってきた。

 

 今日は彼女の援護のおかげで転生者を倒せたようなものだからな。ラウラが避雷針代わりに弾丸を撃ち込んでくれなかったら、あの最後の一撃は外れていただろうし。

 

 恩返しだ。甘えさせてあげよう。

 

 手を握り返すと、ラウラは嬉しそうに笑ってくれた。目が虚ろな時のお姉ちゃんは怖いんだが、こうして甘えてくるラウラは本当に可愛らしい。

 

 拙いな。段々とシスコンになりつつあるぞ。

 

 ラウラと手を繋ぎながら歩いていると、他の冒険者たちがこっちを少し顔を赤くしながら見てくる。てっきり美少女と手を繋いでいる事を妬まれるんじゃないかと思ってたんだが、違うみたいだな。

 

「おい、あの2人可愛いな。冒険者?」

 

「いいなぁ……。美少女が手を繋いでるぜ」

 

「俺のパーティーにもあんな美少女が欲しいなぁ………」

 

「どっちが好み? 俺は髪が蒼い方だなぁ………」

 

 ちょっと待て。俺まで女だと思われてるのか!?

 

 そうか。妬まれなかったのは俺が男じゃなくて女だと思われてるから、カップルが手を繋いでいるように見えたんじゃなくて、美少女同士が手を繋いでいるように見えたのか!

 

 でも、妬まれなくて良かったぜ。

 

「すいません、冒険者の資格を取得したいんですが」

 

「はい、手続きですね?」

 

 少し傷つきながら窓口にいる黒いスーツに身を包んだ金髪の女性に言うと、その女性は笑顔を浮かべながら書類を2人分と羽ペンを渡してくれた。

 

「では、こちらの書類に記入をお願いします」

 

「はい。ほら、ラウラ」

 

「うんっ!」

 

 記入するのは………名前と生年月日と性別と年齢だな。下の方にはアンケートみたいなのがある。これだけでいいんだろうか? 本当に簡単な手続きだな。

 

 羽ペンを使って名前を記入。生年月日も記入し、性別はちゃんと男と書かれている方に印をつける。年齢にも17と記入してアンケートに印をつけ終えた俺は、同時に記入を終えたラウラと一緒に女性にその用紙を提出した。

 

「はい、ではバッジを―――――――え?」

 

 俺たちから書類を受け取った受付の女性が、俺の書いた方の書類を見て目を丸くしている。きっと性別を見てびっくりしてるんだろうな。彼女も俺の事を女だと思っていたに違いない。

 

 でも、残念ながら男なんだよ。ややこしい容姿と髪型でごめんなさい。

 

「お、男……だったんですか?」

 

「はい、男です」

 

「この子は私の弟なんですっ」

 

「し、失礼しました。……で、では、こちらが冒険者のバッジになります。証明書にもなりますので、必ず携帯するようにしてください」

 

 渡されたのは、コインよりも少し大きいくらいの銀色のバッジだった。真ん中には冒険者管理局のエンブレムである剣とハンマーを手にしたドラゴンのエンブレムが刻み込まれている。

 

 これが証明書になるんだな。なくしたら再発行してもらえるんだろうか?

 

「すいません、紛失した場合は……?」

 

「紛失した場合は、最寄りの管理局の窓口までお願いします。個人情報と照らし合わせて確認してから再発行を行わせていただきますので」

 

「はい、分かりました」

 

 失くさないようにしよう。

 

「では、これで登録は完了です。これからあなた方は、冒険者として各地のダンジョンを調査していく事になります。調査した結果はレポートにまとめ、最寄りの管理局まで提出をお願いします。よろしいですね?」

 

「はい」

 

「はーいっ!」

 

 冒険者が調査した結果を確認してから、管理局が騎士団に通達し、その通達を受けた騎士団が安全になったダンジョンに測量のための人員を送り込むという事になっている。簡単に言えば冒険者は測量前の調査と先遣隊ということになる。

 

「それでは、幸運をお祈りします」

 

 ぺこりと頭を下げる受付の女性。彼女に礼を言った俺たちは、もう一度2人で手を繋ぎながら出口へと向かう。

 

 簡単な手続きで驚いたが、これで俺たちはもう冒険者だ。これからはこの甘えん坊のお姉ちゃんと一緒に、色んなダンジョンを調査していくことになる。

 

 夕日で橙色に染まった石畳の通りに出ると、隣で手を繋いでいたラウラが身体を寄せてきた。彼女に甘えさせてあげることにした俺は、周囲にあまり人が歩いていないことを確認してから、甘えてきた彼女と一緒に再び歩き始める。

 

「………これで、一緒に旅ができるね」

 

「ああ。楽しみだなぁ」

 

「ふふっ。………ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 左手に両手を絡みつかせていたラウラが、両手に力を入れた。

 

「あのね…………ずっと、お姉ちゃんと……一緒にいてくれる………?」

 

「………」

 

 放っておけるわけがない。

 

 こんなに依存してる姉を、突き放せるわけがない。

 

「――――――お前、料理できる?」

 

「ふにゃっ? ……で、できないよぉ…………」

 

「洗濯も苦手だったよな?」

 

「うぅ………」

 

「はははっ。―――――安心しろよ。ちゃんと一緒にいてやるから」

 

 腕にさらに力を込めるラウラ。

 

 きっと彼女が俺に依存するようになったのは、11年前のあの事件が原因だ。見知らぬ男たちに誘拐された状況で、何とか俺と一緒にいたから恐怖に耐える事ができていたというのに、俺がどこかに連れて行かれそうになったから耐えられなくなってしまった。

 

 それ以来、俺から離れることを更に嫌うようになってしまったんだ。

 

 きっとあの時の恐怖が蘇ってきてしまうから、ラウラは1人になる事を嫌っているんだろう。

 

「お前に、怖い思いはさせない。ちゃんと俺が守るから」

 

「………」

 

 すると、腕にしがみついていたラウラが、いつものベレー帽をかぶったまま顔を上げた。

 

「………いつか……お姉ちゃんも守ってあげるんだから………」

 

「………ははははっ、そうだな。ラウラは俺のお姉ちゃんだもんな」

 

 性格が幼いから、姉というよりは妹みたいな感じだが。

 

「じゃあ、困った時は守ってくれ。俺もお姉ちゃんを守るからさ」

 

「……うん、任せて! えへへっ!」

 

 こんなに弟に甘えてくるお姉ちゃんを放っておけるわけがない。家事もできないから、ちゃんと俺が面倒を見てあげないと。

 

「タクヤっ」

 

「ん?」

 

「えへへっ。大好きだよ、タクヤっ!!」

 

「ははははっ。――――俺も、お姉ちゃんが大好きだよ」

 

 ヤバい。ラウラのせいでシスコンになっちまったかもしれない。

 

 顔を赤くしたまま、俺はラウラと一緒に家へと向かって歩き続けた。

 



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第二世代の転生者

 

 セレクターレバーをセミオート射撃に切り替え、大型のキャリングハンドルに搭載されているドットサイトを覗き込む。真ん中にある紅い点を高速移動する緑色の魔法陣に重ね、トリガーをすぐに引く。エジェクション・ポートから排出された薬莢が床に落下して金属音を奏でるよりも先に素早く照準を動かし、消滅していく魔法陣の残光の奥からやって来た魔法陣の中心を性格に射抜く。

 

 1秒足らずで2つの的を撃ち抜いた俺は、息を吐きながらドットサイトから目を離した。

 

 生産したばかりのG36Kは、もう既にカスタマイズを済ませてある。折り畳み式だった銃床は取り外してサムホールストックに変更し、銃身の下にはドイツ製40mmグレネードランチャーのAG36を装備。もし5.56mm弾やそれの強装弾が通用しなかった敵に遭遇した時のための装備だ。あとは暗所を照らせるように、銃身の左側にはライトを装備している。ダンジョンの探索を意識してのカスタマイズだ。

 

 既に照準器やスコープの調整は済ませてある。何度も試し撃ちを繰り返して満足した俺は、サムホールストックに変更したG36を背中に背負い、コントロール用の魔法陣をタッチ。訓練を終了させ、火薬の臭いを纏いながら地下室を後にする。

 

 出発はいよいよ明日だ。既に冒険者の資格は取得したし、今は持って行くアイテムの準備をしつつ、銃の試し撃ちや調整を行っているところだ。

 

 階段を上り切って廊下に出る。旅に出れば、14年間も過ごしたこの家とはお別れだな。小さい頃はよくこの廊下で、俺らに帽子を取られた親父と追いかけっこをしていたものだ。小さい頃は巨大に見えた洗面所の鏡をちらりと見ると、そこには確かに美少女と見間違えられそうな今の自分が、アサルトライフルを背負って立っているのが見える。

 

 一応男の服を着ているつもりなんだが、やっぱり女子が男子の服を着ているようで、全く男には見えない。

 

 やっぱり顔つきと髪型が原因なのか? でも、ポニーテールにしていない時でもやっぱり女みたいな顔だし、この髪型から変えるとラウラが嫌がるしなぁ………。

 

 後ろで結んでいるポニーテールを片手で掴んで弄っていると、背後から甘い香りが近づいてきたような気がした。香水の匂いではない。石鹸の匂いと花の香りを混ぜたような優しい香り。その中に少しだけ火薬の臭いが混じっているのは、おそらく先ほどまで試し撃ちをしていたせいだろう。

 

 はっとして後ろを振り向くと、そこには炎のような赤毛が特徴的な少女が立っていた。見た目は昔から成長してかなり大人びているけど、子供の時と全く変わらない笑い方をするから幼く見えるし、性格も幼い。

 

 彼女が身に着けていたのは、いつもの私服ではなかった。胸元が大き、所々が紅くなっている上着に、同じ色のミニスカート。そのミニスカートの中から下へと伸びる美しい足を覆っているのは黒いニーソックスだ。

 

 角を隠すためにかぶっている大きめのベレー帽には、いつの間にかハーピーの真紅の羽根が2つ付けられていた。

 

「じゃじゃーんっ! どう?」

 

「似合ってるよ。相変わらず胸元は開いてるけど………」

 

 何で胸元を開くんだよ………。最近はパジャマもボタンをいくつか外すようになってきたし。

 

「えへへっ。これね、フィオナちゃんがデザインしてくれたんだよっ!」

 

「フィオナちゃんが?」

 

 フィオナちゃんはこの世界で普及し始めたフィオナ機関を発明した天才技術者だ。モリガンのメンバーだった彼女は、現在はモリガン・カンパニーの製薬分野でエリクサーなどのアイテムの開発をしながら発明を続けているらしいけど、服のデザインもやってたのか。

 

 そういえば、前に母さんが「モリガンの制服はフィオナがデザインしていたんだ」って言ってたな。ということは、あの転生者ハンターのコートも彼女がデザインしたんだろうか?

 

 フィオナちゃんって、すごいんだなぁ……。発明家だし、薬草の研究もしてるんだろ?

 

「それでね、これ見て!」

 

 ラウラはそう言うと、訓練を終えたばかりの俺に真っ黒なコートを渡してきた。黒い革のコートみたいだが、表面にはベルトのような装飾がついているし、肩から胸の高さくらいまでの長さのマントがついている。

 

 渡された漆黒のコートを広げ、まじまじと見つめていると、そのコートの襟の後ろにフードがついていることに気が付いた。フードには真紅のハーピーの羽根が2枚付いている。

 

 見覚えのある特徴的なコートだった。

 

「このコートって……転生者ハンターのコートか?」

 

「うん。パパのコートを、フィオナちゃんが冒険者用に改良してくれたんだよ!」

 

 あの拘束具を彷彿とさせるベルトのような装飾の数は減っていて、その代わりに短いマントが追加されている。マントの後ろにはアイテムや小型のナイフの収納に使えそうなホルダーが用意されているようだ。回復アイテムはここに収納できそうだな。

 

 ラウラから受け取ったコートを広げていた俺は、そのコートを身に着けてみることにした。G36Kを彼女に預け、試しにシャツの上から漆黒のコートを羽織ってみる。

 

 袖を通して漆黒のジッパーを上げ、襟の後ろにある大きめのフードをかぶる。後ろにあった洗面所の鏡の方を振り返ってみると、禍々しい漆黒のコートを身に纏った少女のような少年が鏡の向こうに立っていた。武器は持っていないが、この黒いコートとフードの真紅の羽根が放つ威圧感はなかなか強烈だ。自分だと分かっている筈なのに、鏡を見た瞬間に一瞬だけ思わずビビってしまった。

 

 これが、転生者を殺す者の象徴か……。

 

 黒いから夜間での隠密行動には向いているだろう。この世界では魔術もよくフード付きのコートを身に纏っていることが多いため、あまり目立つ事もあるまい。

 

「少しでかいかな。親父よりも体格は細身だからか………」

 

 当時の親父の体格はがっちりしてたんだろう。転生する前はラグビーをやってたらしいし。

 

「ねえ、ラウラ。どう思――――――」

 

「ふにゃあぁ……………か、カッコいいよぉ………………!」

 

「………」

 

 後ろを振り返ってみると、俺のアサルトライフルを抱えながらラウラが目を輝かせていた。どうやらこんな格好は彼女の好みだったらしい。

 

 預けておいたアサルトライフルを一旦壁に立て掛けるラウラ。両手を空けたということは、まさか抱き付いてくるつもりじゃないよな!?

 

「ふにゃぁぁぁぁぁぁっ! タクヤ、大好きっ!!」

 

「ふにゃあああああああああああああああああ!?」

 

 やっぱり抱き付いてきたよ。しかも押し倒された俺が床に背中を強打した上に洗面台に後頭部を叩き付けて呻き声を上げているのもお構いなしに、俺の上にのしかかって大きなおっぱいを押し付けながらいつも通りの頬ずりを開始。甘えん坊にもほどがあるぞ、お姉ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれぇ? おかしいわねぇ」

 

「姉さん、どうしたのだ? 探し物か?」

 

 夕食に使った食器をキッチンまで運んでいると、一足先に食事を終えていたエリスさんが必死にソファの下やテーブルの下を覗き込みながら首を傾げていた。エリスさんはしっかり者の母さんと違って整理整頓をほとんどやらないらしく、物をなくすのは日常茶飯事らしい。本当にかつてラトーニウス王国で絶対零度の異名を持っていた最強の騎士なんだろうか?

 

 さすがに自分の姉がいつも物をなくすのを見慣れているらしく、母さんは両手を腰に当てて苦笑いしながら、「姉さん、何をなくしたのだ?」と問いかけている。

 

 やっぱり俺の母さんはしっかり者だなぁ。俺も母さんを見習って、マイペースで甘えん坊なお姉ちゃんの世話をしないと。

 

 ちらりとこっちを見て来た母さんに向かって肩をすくめると、俺は荷物の準備のためにリビングを後にしようとする。

 

「あのね、私のマンガがなくなっちゃったの」

 

「マンガ? 誰かに貸したのか?」

 

「いえ、貸してないわ。だって私のエロ本だもの」

 

「なっ……!?」

 

「え、エロ本ッ!? ま、まだ持ってたのか!! 姉さん、この間燃やしたばかりだろうッ!? 30冊以上も!!」

 

 エロ本をまだ持ってたのかよ! しかも母さん、エリスさんのエロ本を燃やしたのか! なんと容赦のない事を………!

 

 勿体ないな。一冊くらいプレゼントして欲しかったぜ。

 

「ちなみに表紙はメイド服姿の美少女なんだけど、知らない?」

 

「し、知るかッ!! しかもそれって明らかに男性向けだろうがぁッ!?」

 

「何言ってるのよ! メイド服の格好をした美少女って萌えるじゃないッ! あ、そうだ。今夜ラウラにメイド服を着せて――――――」

 

「自分の娘にそんなことをするんじゃないッ!!」

 

「じゃあタクヤにメイド服を――――――」

 

「わ、私の息子にそんなことはさせんぞッ! というか、タクヤは男の子だッ!!」

 

 お、俺まで巻き込まれそうになってませんか!?

 

 お母さん、がんばって! 俺のプライドがかかってるから!!

 

 巻き込まれる前にとっとと部屋に戻ることにした俺は、逃げるように階段を駆け上がって2階の廊下を突っ走り、2階にある俺とラウラの部屋に駆け込んだ。

 

「ふにゅ? タクヤ、どうしたの?」

 

「い、いや、何でもない。………それより、荷物は?」

 

「うん、アイテムはちゃんとあるし、保存食もあるよ」

 

 一応、管理局が設置した冒険者向けの宿泊施設は各地に用意されているんだが、もしかしたらダンジョンの中で野宿をする羽目になるかもしれない。それに管理局の施設が無い地域もあるらしいので、保存食や少量だが調味料も持って行くことにしている。

 

 それに、魔物から内臓を摘出するためのメスも持って行くことにしている。冒険に手術に使うようなメスを持って行くのはおかしいかもしれないが、魔物の中には内臓を何かの素材に使う奴もいるし、そのまま売れば大金になる場合もある。もし内臓を取り出さなければならなくなった場合、手持ちのナイフで取り出そうとすれば内臓が傷だらけになってしまうため、冒険者は内臓を取り出すためにメスを持ち歩く者が多いんだ。

 

 しかもこの世界では化学よりも魔術が発達しているから、医療は治療魔術師(ヒーラー)と呼ばれる医療用の魔術専門の魔術師頼りというのが現状で、メスを使って手術をしたりする医者は大昔に廃れてしまっている。中にはその技術を代々受け継ぐ医者の末裔もいるらしいが、親父たちも出会ったことはないらしい。

 

 モリガン・カンパニー製の漆黒のメスを布の上に並べ、刃にカバーを付けた状態で分ける。管理局のショップで購入してきた本数は20本。ホルダーの数も考えて10本ずつ分ければちょうどいいだろう。メスは安価だし、これを使う冒険者もいるため、管理局のショップだけでなく露店でも販売されていることが多い。

 

 それに、冒険者の中にはこのメスを投げナイフのように使う奴もいるらしい。サプレッサーを付けた銃の代わりに使えるかもしれないな。

 

 寝袋は必要ないだろう。俺は横になるだけで眠れるし、ラウラもそれで問題ないと言っている。管理局も施設などを用意して支援してくれているから、持って行く者は非常食やアイテムを最優先に選んだ方が良いだろう。物を持ち過ぎて動きが鈍くなり、魔物に囲まれて食い殺されたら元も子もない。

 

 あとは回復アイテムだ。モリガン・カンパニー製の3種類のエリクサーが入った試験管のような細長い容器を並べた俺は、中に入っている液体の色でどんな効果があるのか判別すると、3種類ある容器をそれぞれ2本ずつラウラに渡す。

 

 ピンク色の液体は、傷口を治療するヒーリング・エリクサー。従来のエリクサーを大幅に改良したもので、一口飲むだけで傷を一瞬で塞いでくれるという優れものだ。味はオレンジジュースみたいな香りと甘みがあるらしい。

 

 その隣にある水色の液体は、解毒剤を強化したような効果があるホーリー・エリクサー。一口で体内の毒を分解する効果があるし、なんと呪いなども解除してくれるらしい。ただし効果があるのは服用した人間に対しての呪いのみだ。

 

 そして、血のように紅いエリクサーはブラッド・エリクサー。負傷して大量出血した場合にこれを飲むと、体内で吸収されてすぐに血管へと侵入しつつその人の血液型を解析し、その人の血となって血管を流れることで大量出血による死亡を防ぐというアイテムだ。致命傷を負った場合に有効なアイテムだが、もし吸血鬼のような血を吸う敵に遭遇した場合にも役立つかもしれない。

 

 でも、吸血鬼は大昔に大天使が彼らの首領である『レリエル・クロフォード』という吸血鬼の王を倒して封印してしまっており、その後の人類の大規模な反撃でかなり数を減らしているため、遭遇する確率は低いだろう。

 

 しかし、信じられない話だが親父たちはそのレリエルと戦った事があるらしい。海の向こうにあるヴリシア帝国という島国で奴らと戦った親父たちは、メンバー全員が殺されかけるという窮地に陥ったが、何とか撃退する事ができたという。

 

 レリエルの封印はもう解けているというわけか。旅の最中に遭遇したらヤバいな。あの親父が殺されかけたんだから。

 

 親父が殺されかけるような相手を想像してぞっとした俺は、首を傾げながらこっちを見ているラウラに「ああ、気にしないで。考え事だから」と言ってから、自分の分のエリクサーを壁に掛けてある転生者ハンターのコートのホルダーに入れておく。

 

「あ、そうだ。ラウラ」

 

「どうしたの?」

 

「これ。物騒だけど、お前にプレゼントだ」

 

 旅立つ前に渡しておこうと思ってたんだ。夕飯の前にこっそり300ポイントを消費して生産しておいたあるものを、俺はホルスターごとラウラに渡す。

 

「何これ?」

 

 ホルスターの中に納まっていたのは、まるでハンドガンのスライドのような銃身を持つ銃だった。ハンドガンのようにも見えるが、グリップの上の方に円柱状のシリンダーがあるため、リボルバーであるという事が分かる。

 

 彼女に渡した銃は、ロシア製ダブルアクション式リボルバーのMP412REX。アメリカ製リボルバーであるコルト・パイソンが使用する弾薬と同じ.357マグナム弾で、再装填(リロード)の方式はイギリス製リボルバーやアメリカ製リボルバーのスコフィールドM3などで採用された中折れ(トップブレイク)式。その名の通りシリンダーの辺りから折るように展開して再装填(リロード)する方式の事で、他の方式であるソリッドフレーム方式とスイングアウト方式と比べるとあまり頑丈ではないという弱点があるが、その2つの方式よりも素早く再装填(リロード)できるという大きな利点がある。

 

「ふにゅ? ねえ、何で紅く塗装してあるの?」

 

 ラウラに渡したMP412REXは、シリンダーの一部と撃鉄(ハンマー)とグリップの一部を紅く塗装してある。それ以外の色は黒だ。

 

「えっと、その………なんとなくだけど、ラウラの色をイメージしてみたというか…………」

 

「え? 私の?」

 

「う、うん。………ちなみに、こっちは俺のなんだけど」

 

 そう言いながらもう1丁のMP412REXを取り出す。こちらも漆黒に塗装してあるが、ラウラに渡した方のリボルバーのように、シリンダーの一部や撃鉄などが蒼く塗装されていた。

 

「あ、そっちはタクヤの分?」

 

「あ、ああ」

 

「えへへっ。おそろいなんだね」

 

「そういうこと」

 

 リボルバーは頑丈だし、排莢不良も起こらない。持っておいた方が良いだろう。

 

 嬉しそうにリボルバーを見つめたラウラは、にっこりと笑ってからホルスターを腰に下げると、俺の手をぎゅっと握った。

 

「えへへへっ。………ありがとっ!」

 

「!」

 

 ヤバい……俺のお姉ちゃん、滅茶苦茶可愛い………。

 

 シスコンになっちゃおうかな。

 

 ラウラの嬉しそうな笑顔を見て顔を赤くしてしまった俺は、そう思いながら彼女の顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 家の玄関から外に出れば、やはりあの重々しくて殺風景な防壁が出迎えてくれる。でも、今日は快晴だ。夏が終わり始めているせいで少し寒くなり始めているが、綺麗な蒼空と日光が心地良い。

 

 蒼空に防壁の重々しさを洗い流してもらってすっきりした俺は、襟の後ろにあるフードをかぶり、隣に立つラウラと共に家の敷地の外へと出た。

 

 持ち物はしっかりと確認したから忘れ物はない筈だ。財布や冒険者のバッジも持ったし、回復アイテムも持っている。

 

「ラウラ、気を付けるのよ……! うぅ、寂しいわ………ッ!」

 

「ママ………ラウラも寂しいよぉ………!」

 

 見送るために外に出た瞬間、旅立とうとしている俺たちの姿を見ていきなり泣き崩れるエリスさん。ラウラも泣き崩れた母親の姿を見て寂しくなったのか、俺とつないでいた手を離して、泣きながらエリスさんと抱き合っている。

 

「安心しろ、エリス。タクヤも一緒だから大丈夫だ」

 

「グスッ……そ、そうよね。タクヤも一緒だしっ…………!」

 

 泣き崩れているエリスさんの肩に手を置いて慰める親父。ポケットから取り出したハンカチで自分の妻の涙を拭き取りながらこっちを見て頷いた親父は、エリスさんの涙を拭き終えてから、ハンカチをポケットへと戻す。

 

 その後ろからやってきた母さんもなぜか泣きそうになっていたが、すぐに泣き崩れたエリスさんと違って、何とか堪えているようだ。親父がハンカチをスタンバイしているが、母さんは泣く様子はない。きっと家に戻ってから泣き出すんだろうな。

 

「わ、私たちの子供だ。あんな訓練に耐えたのだから………だ、大丈夫だろう………ッ」

 

 お母さん、涙声になってるよ。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

「おう。………冒険を楽しんで来い」

 

 親指を立て、笑顔で見送ってくれる親父。前世の親父は旅行などで遠くに行く俺を全く見送ってくれることはなかったから、嬉しくなってしまう。

 

 俺も親父に親指を立て、まだ泣き続けるラウラにハンカチを差し出してから2人で歩き始める。

 

 そういえば、ガルちゃんは見送りに来てくれなかったな。親父に仕事を任されて世界中を旅しているらしいんだが、家に帰ってきたのは数回だけだった。きっと彼女も大変なんだろう。出発する前に会いたかったんだけどなぁ………。

 

 やっと泣き止んでくれたラウラにハンカチを返してもらい、2人で防壁の外へと向かう。

 

 最初の目的地は、傭兵ギルドであるモリガンの本部があり、カノンの母親であるカレンさんが統治するエイナ・ドルレアン。南にある大都市だ。俺たちが線路を吹っ飛ばしてしまったため徒歩で移動する羽目になっちまったが、その途中にも小さなダンジョンがあるらしいから、手始めにそのダンジョンを調査していこう。

 

 カレンさんや信也叔父さんには親父が紹介状を書いていてくれているらしいから、無事に到着すれば力を貸してもらえるだろう。

 

 見慣れたあの重々しい防壁を潜り、防壁の外に出る。街の中は産業革命の影響ですっかり変わってしまったが、その先にある草原は、魔物を倒して素材を売り、小遣いを貯めていた頃と何も変わらない。緑と蒼が支配する開放的な世界だ。

 

 これからは、この世界が俺たちの旅路となる。

 

「―――――いよいよ冒険が始まるんだね、タクヤ」

 

「ああ……。行こうぜ、ラウラ」

 

「うんっ!」

 

 親父から受け継いだ転生者ハンターのコートについているフードをかぶり直した俺は、隣に立っているラウラと手を繋ぎながら、開放的な世界に向かって歩き出す。

 

 転生者は親父が若い頃に狩り続けたせいで激減しているらしいが、まだこの世界には転生者が残っている。もし人々を虐げているクソ野郎に出会ったのならば、ラウラと一緒に狩るつもりだ。

 

 俺たちは、2人で2代目の転生者ハンターなのだから。

 

 この冒険の主人公は――――――俺たちだ。

 

 

 

 

 



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第2章
タクヤとラウラが旅に出るとこうなる


 

 少しだけ冷たい風が吹く開放的な世界の中で、地図を広げて現在地を確認する。

 

 最初の目的地は、オルトバルカ王国の南方に位置するドルレアン領の中心地であるエイナ・ドルレアン。カノンの母親であるカレン・ディーア・レ・ドルレアンが統治する領地で、奴隷制度の完全廃止を提唱する彼女の考えを実践するため、ドルレアン領内では奴隷の売買が禁止されている。

 

 最近は産業革命のおかげで工場がいくつも出来上がり、鉄道や様々な機械が大量生産されているため、奴隷たちは今までのように主人の元で労働させられるのではなく、工場の持ち主に雇用される形で働いている。前世の世界で主流だった資本主義経済みたいな感じだ。

 

 この考え方がこの世界に浸透すれば、おぞましい奴隷制度は消えてなくなるだろう。文化や種族が違う人々を虐げ、無理矢理労働させるような制度は消えてなくなってしまえばいい。

 

 奴隷の少女を連れて行こうとしていたデブの事を思い出した俺は、あの時の怒りが蘇る前にエイナ・ドルレアンまでの距離と移動手段について考えることにした。

 

 ラガヴァンビウスからエイナ・ドルレアンまで続くエイナ・ドルレアン線は、俺たちが転生者を狩った際に線路もろとも車両を吹っ飛ばしてしまっているため、今日まで運休になっている。だから徒歩で行く事になったんだが、エイナ・ドルレアンに行く途中にはいくつか小規模で危険度の低いダンジョンがあるため、そこの調査をして肩慣らしをしていく予定になっている。

 

 さすがに1日でエイナ・ドルレアンまで行くのは無理だから、今夜は宿をとるか野宿する必要がある。宿泊用の費用はあるから問題ないし、王都と南方の大都市の間だ。宿屋はあるだろうし、管理局の宿泊施設もあるだろう。

 

「タクヤ、知ってる?」

 

「ん?」

 

 唐突に、草原を見渡しながら歩いていたラウラが話を始めた。

 

「パパやママが私たちくらいの歳の頃は、もっと魔物がいっぱいいたんだって。防壁の外に出るには護衛が必要だったらしいよ?」

 

「そうらしいね。最近は何故か凶暴化が止まって大人しくなったらしいけど」

 

 でも、油断するのは禁物だ。魔物たちが大人しくなったとはいえ、奴らは人間を見つけると襲い掛かって来る事に変わりはない。親父たちが若かった頃は1日に10回以上も魔物退治の依頼が来る日があったらしくて、しかもその魔物の数はあの親父の心が挫けてしまうそうになるほどだったらしい。当然ながら戦闘が終われば草原は死体の山で、いつもふらつきながら拠点に戻っていたという。

 

 よく過労死しなかったものだ。さすが親父だな。

 

「ラウラ、今夜は宿をとるか野宿になるぞ」

 

「はいはーいっ」

 

 元気なお姉ちゃんだ。

 

 このまま南方に進めば、森の近くにフィエーニュ村という小さな村がある。その村の近くにある森が、管理局がダンジョンに指定しているフィエーニュの森だ。森の中に魔物の巣がいくつもあるらしく、魔物による村や街の襲撃が激減した現在でも駐留する騎士団は大忙しらしい。本格的な掃討作戦も何度か実施されているようなんだが、なかなか魔物の数が減らないそうだ。

 

 今日はとりあえず、フィエーニュ村の宿に宿泊するとしよう。余裕があればダンジョンの中にも入ってみたいし。

 

 フィエーニュ村のすぐ近くにダンジョンがあるせいなのか、鉄道の駅はフィエーニュ村には存在しない。だから王都から伸びているこの線路沿いに進めば、フィエーニュ村を素通りしていくことになる。

 

 もう一度地図を見て方向を確認した俺は、地図を折り畳んでポケットにしまってから再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は開放的な世界の旅を楽しんでいたが、1日中歩いていてもあまり景色が変わらないとさすがに殺風景に感じてしまう。景色が変化するとすれば、たまに道を走り抜けていく商人の荷馬車か、遠くにある線路を蒸気を吐き出しながら疾走していく列車くらいのものだろうか。

 

 徐々に蒼空が橙色に変わっていく時間帯まで歩き続けていると、やっと草原の向こうに森が見え始めた。その近くに見える明かりは、おそらくフィエーニュ村の明かりだろう。

 

 草原と蒼空しか見えない景色に飽き飽きしていた俺たちは、その明かりを見た瞬間に、大喜びして走り出していた。

 

 幼少の頃から鍛えていたから、1kmくらい先にある村に向かって全力疾走しても、全く息切れはしない。元々常人よりも身体能力が高いキメラとして生まれたおかげなのかもしれない。

 

 疲労を感じる前に村に到着した俺たちは、ダンジョンの近くに位置する小さな村を見渡した。

 

 産業革命の影響で大都市では大きな工場がいくつも建設されているというのに、この小さな村は産業革命が起こる前とあまり変わっていないようだった。建物は殆ど木造で、レンガ造りの家と言えば村長の家と思われる大きめの家くらいのものだ。

 

 村の中には冒険者が何人もいるようだが、活気があるのは彼らだけで、ここの住民たちは薄汚れた服を身につけながら、無表情で出歩いている。

 

 貧しい村なんだろう。ダンジョンが近くにあるせいで鉄道の駅が無い。便利な移動手段がないという事は、観光客もなかなか来ないというわけだ。何か特産品でもあるのかは分からないが、儲かっているのは冒険者向けの宿屋の主だけみたいだな。

 

「……なんだか、小さな村だね」

 

「仕方ないさ……。ほら、宿屋に行こうぜ」

 

 小さい村だから、宿屋の看板はすぐに見つかるだろう。

 

 少し錆びついた防具を身に着け、小さな穴がいくつか空いた制服を身に纏う見張りの騎士たちに挨拶してから、俺とラウラは村の入口の門を潜った。駐留している騎士たちの装備は、モリガン・カンパニーが武器の販売を開始する以前の旧式のものだ。最近の騎士団の剣には日本刀と同じく玉鋼が使用されるようになり、切れ味が劇的に向上したらしいが、旧式の剣は魔物に振り下ろしても弾かれることが多く、騎士団は魔物の掃討作戦で大きな被害を出していたらしい。

 

 旧式の装備しか支給されてないのか……。

 

 ちなみに俺の母さんは、その旧式の装備が主流だった時代で活躍した凄腕の剣士だったらしい。分隊を指揮したこともあるって言ってたな。最終的には転生者を剣だけで瞬殺するほどの強さになったらしい。

 

 親父、夫婦喧嘩はしないでくれよ。家が壊れちまう。

 

 宿屋は入口の近くにあった。他の建物と同じく木造の建物で貧しい感じがしたが、周りの家と比べると壁に穴が開いていることもない。宿屋の看板を確認してから宿屋のドアを開け、ラウラと2人でドアの向こうへと足を踏み入れる。

 

 床や壁には補修した跡がある宿屋の中は、当然ながら王都にある宿屋に比べると狭くて貧しい感じがする。カウンターの向こうでは痩せ気味の初老の男性が後ろにある棚を掃除していて、カウンターの周囲には丸いテーブルが4つほど置かれていた。テーブルには椅子がそれぞれ5つずつ用意されていて、その全ての椅子に冒険者と思われる体格のいい男たちが腰を下ろし、ポーカーを楽しんでいるようだ。背中には大剣や斧を背負い、中には騎士のように全身に防具を装着している者もいる。

 

 フィエーニュの森目当ての冒険者なんだろうか。あんな危険度の低いダンジョンを目的にする冒険者はいないだろうと思っていたんだが、どうやらここにいる奴らはあの森の調査が目的らしい。

 

「ふにゅー………部屋は開いてるかな?」

 

「さあ……。とりあえず、野宿の覚悟はしておこう………」

 

「あれ? 君たちも冒険者なの?」

 

 予想外の冒険者の人数に驚いていると、俺たちが宿屋に入って来たことに気付いた冒険者の1人が椅子から立ち上がり、こっちへとやって来た。そいつと同じテーブルでトランプをやっていた男もこっちを見てニヤニヤしながら立ち上がり、俺たちの前までやってくる。

 

 おいおい、また女に間違われてるんじゃないだろうな? 異世界に転生して男共に口説かれるとは思ってなかったぞ。ふざけんな。

 

「ごめんねぇー。この宿はもう満室なんだよぉ」

 

「あ、でも俺らの部屋だったら寝れるぜ? どうだい?」

 

「ふ、ふにゃあ………っ」

 

 俺の手をぎゅっと握り、後ろに隠れるラウラ。俺はニヤニヤ笑いながらじろじろ見てくる男たちを睨みつける。

 

「いいじゃん。君たち、2人とも可愛いし」

 

「そうそう。この黒いコートって男の奴だろ? 結構似合ってるよぉ?」

 

「それはどうも。………ラウラ、今夜は野宿にしよう」

 

「う、うん、そうしようよぉ………このおじさんたち………き、キモいっ」

 

「あ?」

 

「何だって?」

 

 何言ってんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!? 

 

 俺はぎょっとして後ろに隠れているラウラの顔を見た。こいつ、この男たちにビビってたわけじゃなくてキモかったから俺の後ろに隠れたのかよ!?

 

「ば、馬鹿かお前ッ!? 喧嘩売るつもりか!?」

 

「だ、だって、本当にキモいんだもん……!」

 

「す、すいません! 姉が失礼しましたっ!! えっと、僕たちは野宿するのでどうぞそのままトランプをお楽しみくださいッ!!」

 

 本音を言って喧嘩を売りやがったお姉ちゃんの手を引き、そそくさと宿屋の外に出ようとする。だが踵を返して一歩踏み出した直後、俺の肩にがっちりした浅黒い肌の男の手が置かれてしまう。

 

「なんだ、姉妹だったのかぁ」

 

「妹はしっかり者なんだねぇ。でも………ちょっと怒っちゃったなぁ」

 

 くそったれ。ラウラのせいだぞ……!

 

 怯えるふりをしながら、俺は腰のホルスターの中にナックルダスターの状態で収まっているアパッチ・リボルバーへと手を伸ばす。基本的にアサルトライフルのような大きな武器は戦闘の時以外は持ち歩かず、常に身に着けているのはリボルバーやナイフのような小型の武器ばかりだ。

 

 さすがに宿屋の中でリボルバーをぶっ放すわけにはいかないため、もし喧嘩になるのならばこいつでぶちのめすだけだ。ホルスターの中からナックルダスターを取り出し、グリップの穴に指を通しながらゆっくりと後ろを振り向く。

 

「可愛い子にキモいって言われるとさぁ、結構傷つくんだよね」

 

「そうそう。だからさぁ、今夜一緒に寝ようよ。そうしたら許してあげるからさぁ」

 

「………一緒に寝るだって?」

 

「ああ」

 

 ここでぶちのめして、明日の朝まで寝かせてやろうか………?

 

 ナックルダスターを握った手をコートの陰から出し、肩に手を置いている男の顎にアッパーカットをお見舞いしようとしたその時だった。

 

「――――――やめなさい」

 

 いきなり背後から響いてきた凛とした声が、振り上げかけていた俺の拳を静止させる。後ろを振り向くよりも早く俺の隣へとやって来たその声の主は、俺たちと同い年くらいの金髪の少女だった。

 

 騎士団に所属しているのかと思ってしまうほど凛々しい雰囲気を放つ少女だ。左肩にだけ金属製の防具を付けていて、それ以外は私服のようだ。腰には少し大きめのククリ刀の鞘を下げていて、背中には矢筒とモリガン・カンパニー製のコンパウンドボウを折り畳んだ状態で背負っている。

 

 彼女も冒険者なんだろうか? 自分よりもがっちりした体格の男たちに怯えることなく堂々と彼らの前に立った彼女は、片手を腰に当てながら男たちを睨みつける。

 

「げっ、ナタリアだ」

 

「なんだよ、クソ………」

 

 彼女の事を知っているのか、舌打ちをしてから元のテーブルに戻っていく男たち。どうやら喧嘩にはならずに済んだらしい。

 

 静かにアパッチ・リボルバーをホルスターの中に戻していると、男たちを追い払ってくれた彼女が後ろを振り向いた。

 

「………残念ながら、ここは満室みたいね」

 

「あ、ああ。……あの、申し訳ない。助かったよ」

 

「気にしないで。ああいう奴らが許せないだけなの。………あなたたちはどうするの? 野宿?」

 

「そうする予定になっちゃったね………」

 

「奇遇ね。私もなの」

 

 彼女に微笑まれて顔を赤くしてしまう俺。ラウラは幼い感じの可愛らしさなんだけど、この少女は真逆だ。ラウラよりも遥かに大人びている。

 

 目の前の美少女に見惚れていると、俺の右手を握っているラウラの力が一気に強くなった。ちょっとお姉ちゃん、痛い。手の骨が砕ける。ダンジョンに入る前に粉砕骨折しちゃう。

 

 きっとラウラは、この少女が俺を奪おうとしているとか勘違いしてるんだろうなぁ……。長い間一緒に過ごしていたせいで姉が何を考えているのか分かるようになってしまった俺は、左手を彼女の頭の方へと伸ばすと、そっとラウラの頭をなせ始めた。

 

「ふ………ふにゃあー…………」

 

「ほら、お姉ちゃん。落ち着いてねー」

 

「はーい………ふにゃあ……………」

 

 頭を撫でられて幸せそうな顔をするラウラ。その様子を見ていた金髪の少女は、何故か幸せそうな顔のラウラを見つめて顔を赤くしている。

 

「あの、もし良ければ一緒に野宿しない?」

 

「え? ああ、構わないよ。君も1人で野宿すると大変でしょ?」

 

「まあね。………私はナタリア・ブラスベルグ。よろしく」

 

「俺はタクヤ・ハヤカワ。こっちの子は姉のラウラ・ハヤカワ。よろしく」

 

「ハヤカワ? ………東洋人?」

 

「えっと、ハーフなんだ。父親が東洋人で、母親がラトーニウス人なんだよ」

 

 東の方には海が広がっていて、その海の向こうには島国がある。その島国の周辺の海域は丸ごとダンジョンになっている上に、その国の政策で鎖国が始まっているらしく、あまり国内でも東洋人の姿を見ることはないらしい。

 

 いつかその島国にも行ってみたいものだ。冒険者だし。

 

「それじゃ、今夜はよろしくね」

 

「ああ」

 

 ナタリアと握手した俺は、ラウラが機嫌を悪くしそうにする度に大慌てで彼女の頭をなでなでして機嫌を直させながら、ナタリアと共に安全そうな場所を探す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィエーニュ村は小さな村であるため、宿屋は1つしかない。野宿できそうな場所を探してみたんだが、草原だと雨が降った場合にずぶ濡れになってしまうため、出来るならば屋根代わりになるものがある場所を探したかったんだが、見つけられたのはもう使われなくなった馬小屋の跡しかなかった。

 

 壁と天井には穴が開いているし、中は腐食した木材と藁の臭いで占領されていたけど、他に使えそうな場所がないため、ここで野宿することにした。残っていた藁と壊れた木製の柵を拝借して火を起こした俺たちは、各々が持ってきた非常食を夕食代わりにすると、少し早めに眠ることにした。

 

 ラウラはもう俺の膝を枕代わりにして眠ってしまったが、俺はラウラが寝相で太腿をたまに甘噛みしてくるためなかなか眠れない。お姉ちゃん、寝かせてくださいよ。

 

「眠れないの?」

 

「ナタリア………」

 

 太腿を甘噛みしたラウラが残したよだれを拭き取り、天井の穴から星空を見上げていると、一足先に藁を枕代わりにして眠った筈のナタリアが瞼をこすりながら俺の隣へとやってきた。

 

 あの時は凛々しい雰囲気を放つ大人びた少女だったんだけど、すこし寝ぼけているのか、今の彼女は普通の少女に見える。隣に腰を下ろした彼女の綺麗な金髪についていた藁を静かに取った俺は、頷いてからラウラの頭を撫でる。

 

「………ナタリアは冒険者なんだよね?」

 

「ええ、そうよ……。まだ半年くらいだけど」

 

「俺たちは一昨日資格を取得したばかりなんだ」

 

「え、そうなの? 私と同期くらいかと思ったわ」

 

 雰囲気のせいか? 幼少の頃から転生者ハンターと同じく転生者を瞬殺してしまうような凄腕の騎士たちに育てられたせいで、初心者には見えなかったんだろうか?

 

「どうして冒険者になったの?」

 

「うーん………冒険者に憧れてたからかな。冒険って楽しそうだし。………ナタリアは?」

 

「私は…………」

 

 楽しそうに俺の話を聞いていてくれていたナタリアだったけど、自分の冒険者になった理由を聞き返された途端、少しだけ悲しそうな目つきになった。何かあったのか? 聞かない方が良かったのかもしれないな。

 

「――――――3歳の時にね、私の故郷が焼かれたことがあったの」

 

「焼かれた………?」

 

「うん。見たことのない武器を持った男たちだったわ。……私はママと2人暮らしだったんだけど、逃げる途中でママとはぐれちゃって………燃え上がる街並みの中で、私は焼け死んじゃうのかなって思ってた………」

 

 辛い過去じゃないか………。自分の故郷が焼かれたなんて………。

 

 やっぱり、聞かない方が良かった。死にかけた過去を思い出すのはかなり辛いからな……。

 

「でもね、1人の傭兵さんが私を助けてくれたの。街を焼いた男たちを次々に倒して、私をママのところまで連れて行ってくれたのよ。…………かっこよかったわ」

 

「それで、その傭兵に憧れて冒険者になったの?」

 

「ええ。本当は傭兵になりたかったんだけど、最近は冒険者の方が仕事があるからってママに言われてね。………でも、私もあの人みたいになりたかった……。だから、何と言うか………虐げられている人を見ると、見捨てられないのよ」

 

 危なかった。もしナタリアが止めなかったら、逆に俺があの男たちをボコボコにして虐げているところだったじゃないか。ナタリアに喧嘩を売ることにならなくて良かったぜ。

 

 でも、この子も俺と同じらしい。俺も人を虐げるような奴は許せない。

 

「………ちょっと変な話だったわね。ごめん」

 

「いや、そんなことないよ。ナタリアは立派だ」

 

 自分を助けてくれた傭兵のように、他の人も助けようとしているのだから。

 

 俺よりも遥かに立派だ。

 

「ふふっ、ありがとね」

 

「おう。………じゃあ、そろそろ寝るよ」

 

「ええ、おやすみ」

 

 星空を見上げてあくびをした俺は、ラウラの頭に手を置いたまま瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 



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フィエーニュの森

 

 生まれ育った故郷が、燃え上がる。

 

 近所の友達の家も焼け落ち、いつもママの知り合いのおじさんが野菜を売っていた露店も燃え上がっている。レンガの色と空の色で染められた開放的な田舎の街は炎に支配され、いつも街中を漂っていた焼き立てのパンの香りは、焼け焦げる家のレンガと死体の臭いで蹂躙されていた。

 

 ママともはぐれてしまった。まだ3歳だった私は、お気に入りだったぬいぐるみを抱えたまま、熱風と陽炎の渦の下で泣き叫ぶことしかできなかった。

 

 私は何もしていないのに、どうして私の故郷にこんなひどい事をするの?

 

『おい、お嬢ちゃん!』

 

 その時、燃え上がる大通りの向こうから人影が私の方へと走ってきた。この街を燃やした悪い人たちの仲間だと思って逃げようとしたんだけど、何だかその人は悪い人たちとは雰囲気が違った。

 

 周りの炎よりも真っ赤な髪を後ろで結んでいる、大人の人だった。手にはクロスボウみたいな武器を持っていて、炎みたいな真っ赤な瞳をしている。

 

 この人だ。いつもこの夢に現れて、私をママのところまで連れて行ってくれる人だ。

 

 私はこの人に憧れたから、冒険者になった。

 

『お、おにいさん、だれ………!?』

 

『俺は――――――』

 

 ――――――あなたは、傭兵さん。

 

 私を助けてくれた命の恩人で、私の憧れの人―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 藁と腐食した木の板の臭いが、目を覚ましたばかりの俺から強引に眠気を奪っていった。王都の家に住んでいた頃はいつも目を覚ませばラウラの甘い香りがしたんだが、その香りを上回るほどの臭いのせいでいつもの香りは全くしない。

 

 顔をしかめながら起き上がると、ラウラはまだ俺の膝の上で猫のように眠っていた。コートと同じく黒い革で作られたズボンには甘噛みされた痕とよだれがついていて、俺は朝っぱらから苦笑いをする。

 

 今度からはこんな臭いのしない場所を選びたいものだ。魔物の襲撃から身を守るのが第一なんだが、こんな悪臭の中で目を覚ますのは嫌だな。

 

 あくびをしながら背伸びをし、ラウラを起こすために彼女に手を伸ばす。

 

「ほら、ラウラ。起きてー。朝だよー」

 

「ふにゃ…………」

 

「ん? お、おい、尻尾出てる………!」

 

 黒と真紅の2色のミニスカートの中から、ラウラの赤黒い鱗に覆われた尻尾がいつの間にか伸びていた。時折尻尾を振りながら幸せそうに眠るのは可愛らしいんだが、さすがにナタリアの前で尻尾を見せるのは拙いだろ! キメラだってバレちまう!!

 

 俺ら人間じゃなくてキメラなんだから、ちゃんと正体は隠せって!!

 

 大慌てで尻尾を鷲掴みにしたのはいいんだが、確かラウラって尻尾は上着の中に隠してるんだっけ? それほど太い尻尾じゃないから違和感はないし、生えているのが腰の後ろからだからここに隠すしかないんだろうけど、何で寝ながら尻尾出してるんだよ!? 俺もそれなりに寝相が悪い筈だけど、尻尾はまだズボンの中に隠れてるぞ!?

 

 と、とにかく、ラウラが2人が寝てるうちに隠さないと………!

 

 さっと2人が眠っているか確認し、今がチャンスだと再認識した俺は、大急ぎで彼女の上着を少しだけたくし上げ、鷲掴みにしたラウラの尻尾をその中へと放り込んだ。そしてすぐに上着を元通りに戻し、額の冷や汗を腕で拭い去る。

 

 あ、危なかった……。もし俺たちが人間じゃないってバレてたら厄介な事になってたぞ。お姉ちゃん、もう少し気を付けてくれ。

 

 朝っぱらから頭の角を伸ばす羽目になった俺は、呼吸を整えながらちらりと隣で寝息を立てるナタリアの方を見た。ナタリアはまだ目を覚ました様子はない。見られては無いようだ。

 

「ん………ようへい……さん………」

 

「…………」

 

 きっと、昨日の夜に話してくれた傭兵の事だろう。その傭兵の夢を見ているのだろうか?

 

「んっ……………」

 

「おう、ナタリア」

 

「あれ……もう朝………?」

 

「ああ。おはよう」

 

「おはよう…………」

 

 瞼をこすりながら起き上がった彼女にそう言った俺は、ラウラの身体をまた揺すり始めた。俺にしがみつくようにして眠っていた彼女は、身体を揺すられることを嫌がるように「んん………」と声を上げると、寝返りをうつようにそっぽを向きながら頬を俺の太腿に擦り付け始める。

 

 めげずにそのまま揺すっていると、ラウラの白くて柔らかい手が伸びてきて、揺すっていた手を包み込んでしまう。

 

「甘えん坊なお姉ちゃんなのね……」

 

「ああ、こいつはブラコンだからな」

 

「え? ブラコン?」

 

 あれ? 何でナタリアが驚いてるんだ?

 

 あ、そういえば俺の性別は男だって言ってなかったな。きっと彼女も俺の容姿のせいで、俺を女だと思っていたんだろう。

 

「えっと、あの………俺、男なんだよ…………」

 

 申し訳ない、ナタリア。言い忘れてたんだ。

 

 目を覚ましたばかりのナタリアは、今まで同じ女だと思い込んでいたうちの1人が男だったと知って驚愕しているらしく、完全に眠気を吹っ飛ばされた状態で目を見開いている。

 

 だが、高温の金属が徐々に冷却されていくように少しずつ落ち着き始めたナタリアは、もう一度俺の顔を見て首を傾げると、いきなり微笑み始めた。

 

「嘘でしょ? 全然男子に見えないわよ?」

 

「本当だって。母さんに似たらしいんだけど………」

 

「きっとその顔つきと髪の長さのせいでしょ。それに声だって高いから女の子としか思えないわ」

 

 やっぱり声も高かったか……。髪型のせいだという事は分かってたんだが、きっと髪型を変えても女と見間違えられると思うぞ? 短髪にしても女の子だと思われたことがあるし。

 

 だから俺は、髪型はポニーテールのままにしている。どうやらこの状態で騎士団の防具を身に着けると、若かった頃の母さんに瓜二つらしい。実際にやったことはないんだが、洗面所で歯を磨いている時に試しに鏡の前で母さんと並んでみたんだが、確かに瓜二つだった。違いは瞳の色くらいで、もし母さんが俺と同い年だったらそれと胸の大きさ以外で見分けるのは不可能だろう。

 

 実は女だったんじゃないだろうか? でも、息子は搭載済みなんだよなぁ。

 

 俺の性別ってどっちなんだ?

 

「ふにゅ………」

 

「あ、ラウラ。おはよう」

 

「ふにゅー………タクヤ、おはようっ!」

 

 家にいた時のように、目を覚まして数秒後にしがみついてくるラウラ。また甘えてくると予測していたせいで押し倒されることはなかったが、俺の性別をナタリアに教えたせいなのか、今度は彼女は実の姉に抱き付かれている俺を見て驚愕しているようだった。

 

 引き剥がそうとするが、ラウラは目を瞑って首を横に振りながら全力で抵抗する。

 

「は、離れてくれって!」

 

「やだやだぁ! 甘えさせてよぉっ!」

 

 冒険に出ても、俺のお姉ちゃんは変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、ありがとね。楽しかったわ」

 

「おう、こっちこそ。気を付けろよ」

 

 非常食を朝食代わりにした俺たちは、野宿に使った馬小屋の跡で別れることにした。ナタリアは村の露店でアイテムを買ってから、早速ダンジョンであるフィエーニュの森へと向かう予定らしい。

 

 俺たちも肩慣らしにフィエーニュの森へと行く予定だったところだ。もしかしたら、ダンジョンの中でナタリアともう一度出会う事になるかもしれない。

 

 基本的にダンジョンの中で冒険者同士が出会った場合、敵対して成果を独り占めするか、共闘して戦果を山分けするかは自由となっている。そのため、危険な魔物を倒すまでは共闘して、倒した瞬間に裏切るような冒険者もいるらしい。ダンジョンの中で他の冒険者は、敵か味方か分からない。だからその冒険者の人格で判断するしかないという事だ。

 

 あの宿屋の1階にいた冒険者たちは裏切るような奴らばかりかもしれないが、ナタリアは裏切るような奴じゃないだろう。過去に虐げられる理不尽な経験をした奴は、同じように理不尽なことはしない。

 

 遠ざかっていく彼女に手を振っていると、ナタリアが曲がり角を曲がった直後にいきなりラウラがしがみついてきた。いつもみたいに甘えたがっているだけなのかと思って頭を撫でようとしたが、甘えたがっているだけにしては両手の力が強過ぎるような気がする。

 

「ラウラ………?」

 

「ねえ、タクヤ………」

 

 大きめの可愛らしいベレー帽の下から見上げてくる赤い瞳は、虚ろな目へと変貌していた。幼少の頃に他の女の子に抱き付かれた俺を見て、機嫌を悪くした時と同じ目つきだ。

 

 あの時は確か、家に帰ってから気が済むまでずっとしがみついたまま頬ずりしていたような気がする。いつもみたいに頭を撫でてあげても、きっとラウラは機嫌を直してくれないだろう。

 

「ど、どうした?」

 

「ナタリアと何の話をしていたの?」

 

「えっと、彼女の昔の話だよ。ナタリアが自分を助けてくれた傭兵に憧れてたって話」

 

「………本当に?」

 

「ああ、本当だよ」

 

 別に告白されたわけじゃないし、あの時みたいに抱き付かれてはいない。少しだけこの虚ろな目になった姉に慣れてしまった俺は、前のように出来るだけビビらずに、優しくラウラの頭を撫で続けた。

 

 これで機嫌を直してくれるだろうかと思っていると、ラウラは虚ろな目の状態でにやりと笑い、くんくんと俺のコートの匂いを嗅ぎ始めた。まだ少し藁の臭いが残っているけど、出発した時の甘い匂いも残っている。

 

 ラウラはやっと機嫌を直してくれたのか、やっと俺から手を離してくれた。いつもの元気な目つきに戻ってにっこりと笑い、自分の赤毛を弄り始める。

 

「良かった。ナタリアに私のタクヤが取られちゃったのかと思ったよぉ」

 

「そ、そうか。―――――それより、俺たちもダンジョンに行こうぜ。ここのダンジョンは危険度も低いらしいし」

 

「うん、そうだね。何だか楽しみになってきた!」

 

 冒険者の仕事はダンジョンの調査だからな。中にはダンジョンに入らず、魔物の素材を売って生計を立てている冒険者もいるらしいが、大半はやはりダンジョンの調査で報酬をもらっている奴らだ。

 

 中には味方になってくれるかもしれないが、これから始まるのは戦果と報酬の争奪戦というわけだ。場合によっては、他の冒険者をぶちのめさなければならない。

 

 ナタリアと戦う羽目にならなければいいなと思いながら、俺は左手を突き出してメニュー画面を開いた。既にアイテムは買いそろえてあるし、使ってしまったアイテムもない。あとはこれで武器を出して装備すれば、出撃準備は完了する。

 

 そういえば、生産できる物の中に『服装』って書いてあるんだが、これは何だ? 服装も生産できるのか?

 

 まだ一度もタッチしたことがなかったため、タッチしてメニューを開いた直後、蒼白いメッセージが目の前に表示された。

 

《ここでは、その名の通り服装を生産できます。中にはスキルを標準装備している服装もありますので、チェックしてみましょう。なお、身につけたことのある服も生産済みの装備品の中に登録されますので、すぐに着替える事ができます》

 

 へえ。スキルを持っている服装もあるのか。しかも能力で生み出した服じゃない服にもこの能力ですぐに着替える事ができるらしい。ということは、この転生者ハンターの服からすぐに別の服に着替えられるって事か?

 

 ラウラにスナイパーライフルを渡してから、俺は少し服装をチェックしてみることにした。

 

 色んな服装がある。普通の洋服もあるし、この異世界の民族衣装や騎士団の防具も用意されていた。中にはなぜか女性用の服も用意されているんだが、これはラウラたちには内緒にしておいた方が良いだろう。バレたら絶対女装させられる。

 

「ん?」

 

《エミリアの騎士団時代の制服》

 

 なんで母さんの若い頃の服装まで用意されてるんだよぉッ!? 親父に出会う前の母さんのコスプレしろってことなのか!? 

 

 ちなみに服装は蒼い制服とズボンの上に銀色の防具という格好だ。男性用の制服と同じデザインらしいから問題はないな。母さんの前でこの格好になったら懐かしがるだろうか?

 

《エリスの騎士団時代の制服》

 

 しかもエリスさんの分まである………。すごい能力だな。

 

 こっちの服装は、蒼い制服とスカートの上に銀色の防具。防具には騎士団のエンブレムが刻まれていて、胸元は少しだけ開いている。女性用の制服らしい。こっちは絶対に着ないぞ。

 

 他にもなぜかメイド服とか裸エプロンがあったが、俺は男だ。絶対にこんな服装はするつもりはない。大恥だ。

 

 少し傷ついた俺は、すぐにメニューを閉じてから今身に着けているこの服装に何かスキルが装備されていないかチェックすることにした。装備している服装をタッチして確認してみると、銃ばかり作ってスキルや能力を全く使っていないせいで空欄になっていたところに、『転生者ハンター』というスキルが追加されている。

 

《転生者に対する攻撃力が2倍になる》

 

 それ以外の敵にはステータス通りの攻撃力というわけか。異名とスキルの名前の通り、転生者を狩ることに特化したスキルになっているらしい。これならばこっちの攻撃力が不足しているせいで攻撃を弾かれることはないだろう。このスキルを装備した状態でも弾かれるほどステータスに差がある敵と出くわした時は、無理をせず撤退するようにしよう。

 

 自分のスキルを確認してからG36Kを装備する。サムホールストックと40mmグレネードランチャーとライトを装備したドイツ製アサルトライフルの点検を済ませた俺は、サイドアームにMP412REXとプファイファー・ツェリスカを装備し、すぐに点検を終わらせる。

 

 ラウラの装備は、スナイパーライフルのSV-98とSMG(サブマシンガン)のPP-2000。この前俺が渡したMP443も持たせてある。銃以外の装備では内臓摘出用のメスと、近距離戦闘用のボウイナイフとサバイバルナイフ。どちらも俺が作ったものではなく、日本刀の素材である玉鋼を使用したモリガン・カンパニー製の頑丈なナイフだ。

 

 それに、両足にはやっぱりあの武器を装備しているようだ。

 

 ラウラの持つもう1つの能力を最大限に生かす事ができる上に、かなり変則的な接近戦を可能とする凶悪な武器。何度も俺はラウラと模擬戦をやったが、これを使われた時は何度も防戦一方になってしまった。

 

 見た目は、冒険者用のブーツの踵の辺りに装着されているナイフの鞘のようなカバーだ。あの中にはサバイバルナイフの刀身が仕込んであり、接近戦の際は刀身を展開して合計4本のナイフで連続攻撃が出来るという代物で、足技を得意とするラウラのために開発された試作型の装備なんだが、それ以外にもギミックがある。

 

 もしかしたら、久しぶりにあのギミックがみられるかもしれないな。

 

「よし、冒険に行こうぜ!」

 

「うんっ!」

 

 アサルトライフルを背負った俺は、ラウラと手を繋ぎながらフィエーニュの森がある方向へと向かって歩き出した。

 

 現代兵器があれば、魔物はすぐに殲滅できる。もし魔物が襲い掛かって来るのならば殲滅するつもりだし、他の冒険者が邪魔してくるようならば魔物もろとも蜂の巣にしてやるだけだ。

 

 

 



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2人がダンジョンに向かうとこうなる

 

 フィエーニュの森は、ダンジョンに指定されているという割には、幼少の頃に狩りに行った森と雰囲気はあまり変わらなかった。ダンジョンと呼ばれているのだから禍々しい雰囲気のする恐ろしい場所だと思ったんだが、まるで幼少の頃に親父に狩りに連れて行ってもらったあの森を再び訪れているような懐かしい感じがして、俺とラウラは肩の力を抜いてしまう。

 

 無数の木々と不規則に日光に照らされた大地。倒木と見間違ってしまうほどの太さの根を乗り越え、苔の生えた倒木の傍らを通り過ぎる。恐ろしいダンジョンだというのに、まるで引っ越す前に住んでいた我が家に戻ってきたような安心感を感じてしまうほどのどかな森だ。

 

 魔物の呻き声すら聞こえない。聞こえるのは小鳥たちの泣き声と揺れる草の音だけだ。

 

 全て幼少の頃に経験済みの感覚だった。親父と共にライフルを持って森に入り、温かな風の中で草が揺れる音を何度も聞いた。すでに何度も読んだ本を再び開くような気分で周囲を警戒しつつ、俺の後ろでPP-2000を構えているラウラのほうをちらりと見る。

 

 全く緊張はしていないが、緊張感と共に警戒心まですべて捨ててしまったわけではない。G36Kを構えながら警戒する俺の後ろでは、先ほどからラウラが半径1kmの範囲をエコーロケーションで探知している。

 

 森に入って10分も経過するというのに、魔物の死体すら見当たらず、半径1kmにも反応はない。いつまでも無数の植物と巨木に支配された単調な世界が広がるだけだ。

 

 彼女の最大範囲である2kmではなく1kmにしているのは、それが範囲と精度が両立できる距離だからだ。2km先まで探知できたとしても不正確では意味がないし、範囲が狭い代わりに正確でも、俺の視界で敵の接近を知る事ができるならば彼女に集中力を消耗させてまでエコーロケーションを使うようにお願いする意味がない。

 

「おかしいね。魔物がいないよ?」

 

「他にも冒険者が来てる筈だよな?」

 

「やられちゃったとか?」

 

「危険度の低いダンジョンでか? 油断してたのならあり得るけど………。それに、血痕がある筈だ」

 

「そうだよね。血の臭いがしないもん」

 

 キメラだからなのか、俺たちの嗅覚は常人よりも鋭い。

 

 もしこのまま魔物にも遭遇せずに最深部に到達し、そのまま反対側まで達してしまったら、管理局に提出するレポートには何て書くべきなんだろうか? 何もない平穏な森だったと報告すればいいのか?

 

 そんな報告をしても報酬は支払われるんだろうかと不安になったが、どうやらつまらないレポートを提出する羽目にはならないようだ。後ろでエコーロケーションを使っていたラウラの瞼がぴくりと動いたのを見た俺は、彼女が何かを探知したのだとすぐに察し、戦闘態勢に入る。

 

「――――――見つけた」

 

「魔物?」

 

「うん。―――――ゴブリンの群れだね。こっちに来る」

 

「数は?」

 

「7体」

 

 やっと魔物が出て来たか。だが、たった7体のゴブリンが生息している程度でこの森がダンジョンに指定されるわけがない。もっと恐ろしい魔物でも生息しているか、毒ガスが充満していたり、マグマで覆われている火山などの危険な環境でもない限りダンジョンに指定されることはないからだ。

 

 ウォーミングアップをするにしては遅いんじゃねえか?

 

 ゴブリンの足の速さは人間と同じくらいだ。最初はセミオート射撃で狙撃しつつ、フルオート射撃に切り替えて殲滅した方がいいかもしれない。

 

 セレクターレバーを3点バースト射撃から切り替えようと親指に力を入れ始めた瞬間、俺の背後からナイフを引き抜く鋭い音が聞こえてきた。

 

「弾薬は節約した方が良いでしょ?」

 

「―――――正論だな」

 

 この能力は自由に武器や能力を生み出せるが、銃の弾薬などは無限に生産できるというわけではない。用意してくれる弾薬の数は装填されている分と、予備の弾薬が再装填(リロード)3回分だけで、それを使い切ってしまったら12時間後に自動的に補充される仕組みになっている。スキルの中にはこの用意される弾薬の数を増やしてくれるスキルがあるらしいんだが、そいつを生産する条件はレベルを40まで上げる事だ。まだ35のままだから、あと5もレベルを上げなければならない。

 

 もしかすると強力な魔物が潜んでいるかもしれない。だから弾薬は節約した方が良いんだ。

 

 それに、たった7体ならお姉ちゃん1人でも瞬殺できるだろう。彼女にはエコーロケーションと視力以外にも特殊な能力があるが、それを使うまでもない。

 

「俺も戦おうか?」

 

「ダメ。お姉ちゃんが暴れるのっ」

 

 利き手である左手にボウイナイフを持ち、右手にはサバイバルナイフを持つラウラ。俺は接近戦では大型トレンチナイフと左手のナックルダスターの他には足技と尻尾を併用して使うんだが、ラウラの場合は両手のナイフと両足のナイフの合計4本でかなり変則的な攻撃を行う。

 

 接近戦が苦手な彼女だが、もしかしたら母さんが教えてくれたラトーニウス流の剣術と親父の我流の剣術が合わなかっただけなのかもしれない。

 

 特定の型を持たず、自由気ままに戦ってこそ真価を発揮するタイプなんだろう。もしかしたら接近戦のセンスは俺よりも彼女の方が上なのかもしれないな。

 

 援護する必要はないだろうとは思ったが、一応加勢する準備はしておく。

 

 ナイフを抜き、瞼を閉じながら深呼吸するラウラ。木の匂いのする空気を吸い込んだ彼女は、息を吐き出すと同時に両目を見開くと、いきなり目の前にあった巨木の幹に向かって猛ダッシュを始めた。

 

 あのまま突っ走れば巨木の幹に正面衝突する羽目になる。だが彼女は全く速度を落とさずに木の幹へと向かって突っ走ると、踏み出す筈だった右足を持ち上げ、両足の踵の辺りに装備されているナイフの鞘のようなカバーの中からサバイバルナイフの刀身を展開する。カバーの中から出現した漆黒の刃を展開したまま巨木の幹を蹴りつけたラウラは、地上を走っている時と全く変わらない速度で、両足のナイフを木の幹に突き立てながら真上に向かってダッシュを続ける。

 

 まるで、獲物に襲い掛かる肉食獣の全力疾走のようだ。

 

 そして、無数の枝が生え始めている辺りで足を止め、今度はくるりと地面の方を振り向く。ナイフを幹に突き立てて落下しないようにすると、猛禽類のような鋭い目つきで哀れなゴブリンたちが彼女の狩場と化したこの森にやってくるのを待ち始めた。

 

 いつも俺に甘えてくる幼い性格の姉ではない。まるで親父の獰猛な部分だけを複製したかのような、恐ろしい方のラウラだ。普段の幼い性格はこの恐ろしさを隠すためなんだろうか?

 

 普段はエリスさんにそっくりだが、戦闘になると親父のように獰猛になる。訓練を受けていた頃からこうだったし、魔物を初めて狩りに行った時も途中からは狙撃が正確になっていた。

 

「………」

 

 数秒ほど待っていると、俺の耳の中にもゴブリンたちの呻き声と足音が聞こえてきた。おそらく、ラウラが感知したとおり数は7体。接近してくる方向は俺から見て12時の方向。

 

 あのままラウラが待機していれば、彼女は俺に殺到してくるゴブリン共を背後から攻撃することになるだろう。

 

 すると、木の幹でゴブリンたちを待ち構えていた筈の姉の姿が、いつの間にか消えていた。

 

 移動したわけではないだろう。ラウラほどではないが、俺の聴覚でもナイフを幹から引き抜いた音は一切聞こえなかった。それに、幹にはまだナイフが刺さっている跡が残っている。

 

 あの能力まで使いやがったか――――――。

 

 ラウラの持つ特殊能力を応用した能力。彼女の体質による卓越した索敵能力と狙撃の技術とこれを併用すれば、ラウラは遠距離戦において間違いなく最強の存在となるだろう。魔王と呼ばれた親父も、あの能力を使われるとひやりとすると何度も言っていた。

 

 しばらく待っていると、森の奥の方からゴブリンたちがこっちに向かって走ってきた。オリーブグリーンの皮膚に覆われた小さな人影が、牙の生えた口からよだれを垂らしながら俺に接近してくる。

 

「―――――可哀そう」

 

 数秒後、お前らは背後から八つ裂きにされるのだから―――――。

 

 そう思った瞬間、ラウラが昇って行った巨木を通過したばかりの最後尾のゴブリンの首が、胴体からいきなり切り離された。

 

 ごろりと苔の生えた地面に転がるゴブリンの頭と胴体。他のゴブリンたちはいきなり首を刎ね飛ばされた仲間に気付いたが、一番最初に気付いたゴブリンも、最初に犠牲になった奴の二の舞となった。

 

 続けざまにもう1体の首も両断される。苔で覆われた地面が瞬く間に真っ赤に染まり、ゴブリンたちの死骸が転がる。

 

 4体目が縦に両断された直後、噴き上がった鮮血の向こうに、瞬く間に4体のゴブリンを葬った少女が姿を現した。いつも甘えてくる可愛らしい彼女は無表情のまま、冷たい目つきで崩れ落ちていくゴブリンを見下ろしている。

 

 真っ白な肌は所々返り血で汚れ、無表情と共に猛烈な威圧感と恐怖を放っていた。

 

 仲間の仇を取ろうと彼女に飛び掛かっていくゴブリン。しかしラウラはあっさりとゴブリンの爪による攻撃を横に回避すると、すれ違いざまに足から展開したナイフを胴体に叩き付け、一瞬で足を振り払う。

 

 攻撃を空振りし、彼女の隣を通過してしまったそのゴブリンは、ラウラが振り払った足を地面につけると同時に横に真っ二つに切断される羽目になった。

 

 残った2体のゴブリンのうち片方が、怯えるもう1体の代わりにラウラに襲い掛かる。だが、賢かったのは彼女に襲い掛からなかった方だ。彼女に襲い掛かった時点で自分も仲間と同じように両断されると理解していたんだろう。

 

 人間を簡単に引き裂くほどの腕力を持つ腕を振り下ろすゴブリン。ラウラは全く怯えることなく右手のサバイバルナイフを構えながら突き出し、その一撃を受け止める。

 

 その直後、ラウラのナイフに押し付けられていたゴブリンの腕が動かなくなった。腕に力を入れていたせいで震えていた腕が、ぴたりと震えなくなったんだ。ゴブリンはどうやら片腕が動かなくなっていることに気付いたらしいが、奴が自分の腕を見上げた頃には、その腕は既に血のように真っ赤な結晶によって浸食されていた。

 

 まるで血で作ったクリスタルのように禍々しい真紅の結晶。その結晶が発するのは、猛烈な恐怖と、雪山に放り込まれたかのような冷気だった。

 

 紅い結晶に一瞬で体温を吸い上げられ、ゴブリンがぶるぶると震え始める。必死にナイフから手を離そうとするが、結晶に取り込まれているせいでナイフから手が離れない。あのままでは脱出する前に凍え死んでしまうだろう。

 

「恐ろしい能力だなぁ………」

 

 今まで姉弟喧嘩は一度もやったことはない。もし喧嘩すれば、俺たちの周囲は火山や凍土と化してしまう事だろう。

 

 彼女が生み出したあの紅い結晶の正体は―――――――氷だ。

 

 俺は親父と違って蒼い炎を操る能力を持っているんだが、ラウラの場合はサラマンダーのキメラである筈なのに、体内に持つ変換済みの魔力の属性は氷属性だったんだ。おそらくこれは、母親であるエリスさんの遺伝なんだろう。

 

 かつてエリスさんは、ラトーニウス王国騎士団の精鋭部隊に所属していて、絶対零度の異名を持っていた最強の騎士だ。その異名の由来は氷属性の魔術を変幻自在に操り、敵対したまま物や敵国の騎士たちを次々に氷漬けにしていったことからつけられたもので、そんな戦い方を可能にしていたのは彼女の体内にある桁外れの量の魔力と、接近戦の最中でも正確に魔力の量を調整できる恐ろしい集中力だったという。

 

 ラウラは、エリスさんからその氷属性の魔力を受け継いでいるんだ。しかも普通の色の氷ではなく、血のような禍々しい色の氷を自由に生成できる。

 

 先ほど彼女が姿を消したのは、自分の身体の周囲にある空気中の水分を凍結させて小さな無数の氷の粒子を生成し、それを自分の身体の周囲に展開することで光を複雑に反射させ、まるでマジックミラーのように使って自分の姿を隠していたんだ。

 

 氷を使っているため、体温で探知することは不可能。彼女を見つけるには同じようにエコーロケーションを使うのが手っ取り早いだろうが、ラウラならば全く真逆の超音波をぶつけることで容易く索敵を阻害してしまう事だろう。魔力で探知しようとしても氷の粒子を生成するための魔力の量を調整して息を潜めれば見つかることはない。

 

 一方的に索敵し、敵には絶対に見つからない。

 

 ラウラの恐ろしい能力は索敵能力と、氷を応用したこのステルス性だった。

 

 血のような真紅の氷に全身を覆われて氷漬けにされるゴブリン。この国は北国だが、比較的暖かい南方で氷漬けにされるとは思っていなかっただろう。

 

 氷漬けにされたゴブリンの死体を蹴飛ばしたラウラは、最後に生き残ったゴブリンを見つめてにやりと笑う。

 

 生き残ったゴブリンはぶるぶると震え、逃げようとしていたが、親父と同じく容赦のないラウラはそのゴブリンを見逃さなかった。背を向けて走り始めたゴブリンへと、遠慮なく左手のボウイナイフを投擲したんだ。

 

 漆黒のボウイナイフは回転しながら、正確にゴブリンの後頭部に命中。逃げていたゴブリンはその一撃であっさりと崩れ落ち、顔面を木の根に叩き付けてそのまま動かなくなる。

 

 約26秒か。

 

「お疲れさん」

 

「えへへっ。見てた?」

 

 絶命したゴブリンの後頭部から無理矢理ボウイナイフを引き抜き、こびりついていた血と肉片を払い落とすラウラ。可愛らしい笑顔を浮かべているんだが、返り血と手にしている刃物のせいで全く可愛らしいとは思えない。

 

「ほら、氷出せ」

 

「え? どうして?」

 

「返り血洗うから。そのまま調査するつもりか?」

 

「はーい」

 

 呆れながら彼女の近くへと行った俺は、ラウラが掌に生成した氷の塊を受け取ると、右手だけを硬化させて蒼い炎を一瞬だけ生成。氷を熱で溶かして温めのお湯にしてから、返り血で真っ赤になっている彼女にかけた。

 

 生成する氷は血のように紅いが、溶ければ普通の水と変わらない。

 

 何度か繰り返してラウラの身体から返り血を洗い流すと、両手を硬化させて熱だけを生成し、まるでドライヤーのように彼女の髪と服を乾かしていく。

 

 俺たちの能力を使えば風呂に入れるな。石鹸とタオルと湯船代わりの何かを用意すれば、わざわざ宿屋でシャワーを浴びる必要はないだろう。でも、ラウラには一緒に入ろうって言われるだろうなぁ………。

 

 もう17歳になったのに、冒険に出る前も一緒に風呂に入ってたんだ。さすがに身体にタオルを巻いてたんだが、母さんやエリスさんのようにスタイルの良いラウラと一緒に入ると、毎回頭の角が伸びてシャンプーするのが大変だったんだよ。

 

「終わったよー」

 

「ふにゅー………えへへっ、気持ちよかったぁー!」

 

 真紅の羽根がついているベレー帽をかぶり直しながら言うラウラ。ダンジョンの中だというのに能天気な姉を見てため息をつきながら、ダンジョンの調査を続行することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の冒険者が教えてくれた情報よりも魔物の数が少ないことに驚きながら、私は愛用のククリ刀を腰の鞘へと戻した。

 

 先ほどから散発的に魔物が襲い掛かって来るけど、襲ってくる魔物は単独か5体以下の小規模な群ればかり。いくら危険度が低いとはいえここはダンジョンなのだから、危険な魔物でも生息しているのかと思って最深部を目指していたんだけど、これでは草原を歩きながら魔物を倒しているのと全く変わらない。

 

「何でここがダンジョンに指定されたのかしら………?」

 

 ダンジョンとは、危険な魔物が生息しているか、環境が危険過ぎるせいで全く調査が出来ていない地域の総称。だからこの世界の世界地図はまだまだ空白の地域があるんだけど、このフィエーニュの森はダンジョンだとは思えない。

 

 でも、管理局はダンジョンに指定しているし、ここにやってくる冒険者もいる。

 

 そういえば、あの2人もこの森にやってくるつもりなのかしら? タクヤとラウラも冒険者らしいし、3日前に資格を取得したばかりだと言っていたから、もしかしたらここに肩慣らしにやってくるかもしれないわ。

 

 もしかしたら、ダンジョンというには安全過ぎるせいであの2人はがっかりするかもしれないわね。

 

「――――――ギャアアアアアアアアア!!」

 

「っ!?」

 

 がっかりしながら帰ってくるあの2人の事を想像して笑っていると、森の奥の方から男性の断末魔が聞こえてきて、一瞬で私を臨戦態勢へと引きずり込んだ。背中に背負っているコンパウンドボウを手に取り、右手で矢筒の中から矢を引き抜きながら、絶叫が聞こえてきた方向へと向かって走る。

 

 今のは明らかに魔物の咆哮じゃない。成人の男性の声だったわ。冒険者かしら?

 

 ダンジョンの中で冒険者同士が出会った場合、共闘するか敵対して戦果を独り占めするかは自由になっている。私は基本的に敵対はせず共闘するようにしているんだけど、裏切るような奴は問答無用で返り討ちにするわ。

 

 木々と根を躱しながら突っ走っていると、前方から大地に巨大なハンマーが叩き付けられたかのような足音が徐々に聞こえてきた。その足音と共に聞こえてくるのは、木々の群れの中に吹き込んで来る突風のような重々しい唸り声。

 

 木々の向こうに巨大な影が見えた瞬間、私は大慌てで走るのを止めて巨木の陰に隠れると、呼吸を整えながら静かに巨木の向こうを凝視する。

 

「な、何なの………!?」

 

 無数の巨木が乱立する向こうに見えたのは、巨大な人影だった。10m以上の高さの人影で、まるで太っているかのように腹部は膨らんでいる。頭部や腹部からはまるで触手のような太い体毛が伸びていて、胴体からは巨木の幹を容易くへし折ってしまいそうなほど太い腕が生えている。

 

 肌の色はモスグリーンで、まるで男性のような顔の口元には、真っ赤な液体がこびりついている。その真っ赤な液体の正体と先ほどの絶叫の原因を想像してしまった私は、吐き気を何とか堪えながら呼吸を整え、ながら冷や汗を拭い去る。

 

「と、トロール………!!」

 

 あいつがこの森がダンジョンに指定された原因なのね………!

 

 10m以上の巨体を持つ大型の魔物で、ドラゴンを一撃で叩き潰すほどの強力な腕力を持つ怪物。討伐に向かった8000人の騎士を返り討ちにし、何人も食い殺した魔物が、この森に住みついているなんて………!

 

 どうしよう……。この弓矢じゃ、あいつは倒せないわ……!

 

 危険度が低いダンジョンじゃなかったの!? あいつは明らかに危険度の高いダンジョンに生息しているような化け物よ!?

 

 もう一度トロールの位置を確認しようと木の幹の陰から顔を出した瞬間、私はぎょっとしてしまった。

 

 ――――――トロールが、こっちを見ていたの。しかもニヤニヤと楽しそうに笑いながら。

 

「ひっ………!?」

 

 ど、どうしよう……!? トロールに見つかっちゃった……!

 

 弓矢じゃ勝てないし、ククリ刀でもトロールを倒すのは不可能よ。このままじゃ私もあの拳で叩き潰されるか、さっきの冒険者みたいに食べられちゃう………!

 

 助けて、傭兵さん………!

 

 

 

 

 



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転生者がトロールと戦うとこうなる

 

 森の匂いは、もうしなくなっていた。

 

 あの懐かしい匂いの代わりに漂っているのは、魔物退治が終わった時にいつも俺たちの周囲を漂っていた猛烈な血の臭い。周囲に横たわっているのが魔物の死体ではなく人間の死体だったとしても、その臭いは変わらない。

 

「なんだこれ………」

 

 巨木の根元に横たわっているのは、両腕がなくなっている男性の死体。どうやら幹に叩き付けられてからここまで落下して来たらしく、死体が寄りかかっている木の幹の上の方には血痕が残っている。

 

 その傍らにはやけに大きな足跡があり、足の形をしたクレーターの底では、自分の血と泥まみれになっている押し潰された死体が、乾燥しかけの地面にめり込んだまま鎮座していた。

 

 周囲の木々の中には、幹をへし折られたような倒れ方をしている巨木が何本もある。先ほどまでゴブリンばかりと戦っていたから油断していたが、やはりここはダンジョンなんだ。この冒険者たちを惨殺し、巨木をへし折ったのはここに生息する危険な魔物に違いない。

 

 調査が出来ないほどの危険地域にしてしまうほどの魔物が、ここにいたという事だ。

 

 両目を瞑ってエコーロケーションで索敵を開始するラウラ。索敵範囲を限界まで広げ、その危険な魔物の位置を探ろうとしているんだろう。俺は彼女の邪魔をしないように静かに移動すると、G36Kを背負ったままクレーターの近くにしゃがみ込む。

 

 中心で押し潰されている冒険者の死体を見ないように気を付けながら、足跡の形状を確認。指は5本で足の形状は人間に近い。だが当然ながら、成人の男性を押し潰せるほど巨大な足を持つ人間などいるわけがない。

 

「―――――――見つけた」

 

 血の臭いのする泥を指でなぞって調べていると、後ろでエコーロケーションを使っていたラウラが、戦闘中のような鋭い声で告げた。

 

 怪物を発見したんだろう。

 

「どこ?」

 

「11時方向。距離は1800m」

 

 索敵できる範囲のギリギリだな。ラウラから見て11時方向ということは、この足跡を辿って行けば怪物と遭遇するという事だ。

 

 だが、こんな巨大な足跡を残していった怪物は、当然ながらかなり巨大な魔物だろう。ゴーレムよりも遥かに巨大な筈だ。

 

 ゴーレムならばアサルトライフルでも何とか倒せるんだが、こんなに巨大な魔物を倒すならばアサルトライフルとスナイパーライフルでは荷が重いだろう。

 

「―――――ラウラ、武器を切り替えるぞ」

 

「了解」

 

 左手を突き出し、メニュー画面を開く。まだレベルは35だから親父のように大量のポイントを持っているわけではないが、このように巨大な魔物との戦いも想定して、戦車や装甲車に使うような破壊力のでかい武器をいくつか生産しておいたんだ。今からそれを装備する。

 

 メニュー画面をタッチして武器を選ぶ。いきなり背中が重くなったのを確認した俺は、背中に手を伸ばして装備されたばかりの武器を取り出し、ラウラに手渡す。

 

 彼女が受け取ったのは、非常に長い銃身を持つ巨大なライフルだった。銃口にはスナイパーライフルのものよりも巨大なマズルブレーキが装備されていて、銃身の下には巨大なバイポットが装着されている。銃身の脇に伸びているのはキャリングハンドルだ。

 

 この巨大なライフルの正体は、アンチマテリアルライフルと呼ばれる銃だ。スナイパーライフルよりも巨大で破壊力の高い弾薬を使用するライフルの事で、破壊力と射程距離はスナイパーライフルを大きく上回る。ちなみにラウラが使用しているスナイパーライフルのSV-98は7.62mm弾を使用するんだが、彼女に渡したこのアンチマテリアルライフルは、なんと12.7mm弾を使用する。

 

 俺が彼女に渡した銃は、ハンガリー製アンチマテリアルライフルのゲパードM1。約1.5mの長い銃身を持つボルトアクション式のライフルで、破壊力はスナイパーライフルをはるかに上回る恐ろしい銃だが、他のライフルのようにマガジンを持たないため装填できるのは1発のみ。連射速度では他のライフルに大きく劣るが、連発できない代わりに命中精度は最高クラスで、射程距離はスナイパーライフル以上の約2kmだ。

 

 ラウラの要望で、スナイパーライフルと同じくスコープは取り外している。スコープを使わずに2km先にいる敵を狙撃できるのかと心配になったことが何度もあるが、彼女は訓練や魔物退治では遠距離の魔物でもスコープを使わずに仕留めてきた。

 

 能力と技術を組み合わせれば、まさに隙のない恐ろしい兵器となる事だろう。

 

 左利きのラウラに合わせて構造を全て左右逆にしている他、銃身の脇には予備の弾薬が収まったホルダーが用意されている。端末が用意してくれる弾薬は再装填(リロード)3回分だけであるため、実質的にこのゲパードM1でぶっ放せる12.7mm弾は4発のみだ。

 

 アンチマテリアルライフルを渡した代わりにスナイパーライフルを装備から解除した俺は、今度は自分の分の武器を準備する。

 

 画面をタッチすると、再び背中が重くなる。いつの間にか背中に装備されていたのは、アンチマテリアルライフルよりも更に太い胴体を持つ大型の武器だったが、こいつは砲身の中から砲弾をぶっ放すような武器ではなく、先端部に装着したロケット弾をぶっ放す武器だ。

 

 装備したのは、スコープが搭載された砲身の先端部にロケット弾を装着したような外見の、ロシア製ロケットランチャーのRPG-7V2。RPG-7を改良したタイプで、砲身の下にはスナイパーライフルのようにバイポットが装着されている。先端部に搭載されているロケット弾は、戦車を破壊するための対戦車榴弾だ。巨大な魔物でも、戦車を破壊できるほどの破壊力を持つ榴弾を叩き込まれればくたばるだろう。

 

 予備の対戦車榴弾を3つコートのホルダーに吊るした俺は、ロケットランチャーの照準器を点検し、砲身を背中に背負って走り出した。

 

 早くも俺を追い抜いて置き去りにして行ったラウラの後姿を見つめながら、俺は苦笑いした。何度もランニング等の訓練で鍛えてきた筈なんだが、足の速さではラウラに全く勝てない。一緒に走るといつも置き去りにされてしまう。

 

 全く作戦は説明していないが、彼女はもう俺がどんな作戦を考えているか理解していることだろう。生まれた頃から常に一緒にいたせいなのか、片割れが何を考えているのかすぐに理解できるようになったおかげだな。

 

 ラウラが12.7mm弾を魔物の足に叩き込んで動きを止め、俺が顔面にこのロケットランチャーの対戦車榴弾を叩き込む。頭を吹っ飛ばされれば再生能力でも持っていない限りくたばる筈だ。

 

「タクヤ、誰か戦ってる!」

 

「なに?」

 

 戦闘中だったのか? どうやら他の冒険者が奮戦しているらしいな。

 

 俺の前を走るラウラが、走りながらエコーロケーションによる探知を開始する。当然ながら全力疾走しながらの探知だから精度は落ちてしまうが、敵の正体と戦っている冒険者の人数を把握するには肉眼で確認するよりもこっちの方が手っ取り早いだろう。

 

 可能な限り制度を落とさないように範囲を調整しつつ探知を続けるラウラ。巨大な木の根をいくつか飛び越えた直後、探知を終えたラウラが報告してくる。

 

「トロールだよ!」

 

 トロールだって?

 

 何で危険度の低いダンジョンに、そんな危険な魔物がいるんだよ!?

 

 危険度が低いダンジョンではお目にかかれないような凶悪な魔物の名前を聞いた俺は、ぎょっとしながら拳を握りしめる。トロールは10m以上の巨体を持つ巨大な魔物で、一撃でドラゴンを叩き潰してしまうほどの腕力を持つ怪物だ。

 

 危険度が高いダンジョンならば生息していることが多く、中には変異種もいるらしい。まさか一番最初に入ったダンジョンで遭遇することになるとは思っていなかった俺は、慌てて恐怖を投げ捨てると、両手で持っていたG36Kに装着されている40mmグレネードランチャーのグリップに手を伸ばす。ロケットランチャーほどの威力はないが、このグレネードランチャーも役に立つ筈だ。

 

「ん……?」

 

 狙撃準備のために木の上に登り始めたラウラと別行動を開始し、たった1人で突っ走っていると、段々と森の奥から怪物の鳴き声が聞こえてきた。重々しい咆哮の残響の中で足掻いている小さな声は、おそらく戦っている冒険者の声だろう。剣を振り下ろす声というよりは、必死に暴れ回っているかのような絶叫のようだ。

 

 更に走り続けていると、薄暗い森の向こうにモスグリーンの皮膚と脂肪に覆われた巨大な怪物の後姿が見えてきた。頭から伸びる髪はまるで巨木の枝のように太く、剛腕を振り下ろす度に海中のイソギンチャクの触手のようにたなびいている。

 

 ゴーレムのように硬い外殻は持っていないが、あの巨体にアサルトライフルの弾丸を叩き込んでも簡単には倒せないだろう。やはりロケットランチャーを叩き込まなければならないらしい。

 

「なに………?」

 

 トロールに攻撃するためにグレネードランチャーの照準を合わせようとしていると、ちらりと薄暗い森の中で金髪の冒険者がトロールの拳を回避しているのが見えた。

 

 手にしているのはコンパウンドボウ。腰には大きめのククリ刀の鞘を下げている。身に着けている防具は左肩のみで、それ以外は私服姿のようだ。

 

「ナタリア………!?」

 

 必死に攻撃を回避し続けていたその冒険者は――――――共に野宿した、ナタリアだった。

 

 

 

 

 

 

 

 木の幹から飛び出し、必死に怪物の頭に向かってコンパウンドボウの矢を何度も放つ。頭に命中させればもしかしたら倒せるかもしれないと思ったんだけど、危険度の高いダンジョンに生息するトロールは、頭に矢が刺さった程度では死ななかった。

 

 脂肪だらけの丸い顔に矢が刺さったまま、ニヤニヤ笑いながら私に向かって手を伸ばしてくる。矢を番えるのを中断して横にジャンプし、身体を鷲掴みにされる前に逃げた私は、木の根に背中を何度もぶつけながら強引に起き上がり、すぐにトロールから逃げ始める。

 

 捕まれば私も食い殺されてしまう。あんな醜悪で恐ろしい魔物に噛み千切られて死にたくない。

 

 矢筒の中に残っている矢はあと3本。あの怪物の体毛よりも細い矢で倒すのはもう不可能。ククリ刀で斬りつけてもダメージは与えられない。

 

 でも、逃げようとして全力疾走してもすぐに追いつかれてしまう。

 

 追いかけて来ないでと祈りながら走っていたんだけど、背後から重々しく恐ろしい足音が聞こえてきたことを知って絶望した私は、目を見開きながら後ろを振り向く。

 

 私を追い立てて楽しいのか、トロールは楽しそうに笑いながら追いかけてくる。振り下ろされる巨大な拳を躱しながら走り続けるけど、逃げる蟻に人間が簡単に追いついてしまうように、トロールも私に追い付いて来る。

 

「こ、このッ!」

 

 左に曲がり、木の根を飛び越えながら矢筒の中の矢を引き抜く。走りながらコンパウンドボウにその矢を番え、振り下ろした剛腕を空振りした醜い怪物の頭に向かって放つ。

 

 ゴブリンやハーピーを何度も仕留めてきた私の得物は、狙った通りにトロールのこめかみに命中。でも、やはり矢で射抜いた程度ではトロールは倒れない。陥没した地面からモスグリーンの皮膚で覆われた拳を引き抜き、ニヤニヤ笑いながら私の方を見る。

 

『グオォォォォォォォォ………!!』

 

「くっ………!」

 

 反撃せずに逃げていれば、距離を稼げたかもしれない。

 

 もしかしたら倒せるかもしれないという思い込みが、怪物から逃げるチャンスを台無しにしてしまった。

 

 私にあの怪物を倒すのは無理だというのに。

 

 ――――もしあの時の傭兵さんがいたら、あの怪物を倒せるかしら?

 

 きっと瞬殺してしまうでしょうね。あの時助けに来てくれた赤毛の傭兵さんはとても強かったから。

 

 私も、あんなに強くて優しい人になりたかったなぁ………。

 

 こっちに歩いてくるトロール。私は棒立ちになったままモスグリーンの皮膚に包まれた巨体を見上げつつ、矢筒の中から矢をもう1本引き抜く。

 

 食い殺される前に、もう1本お見舞いしておこう。そう思って矢を番えようとした、その時だった。

 

「――――――おい、お嬢ちゃん!」

 

「え………?」

 

 聞き覚えのあるセリフ。でもあの時私に声をかけてくれた傭兵さんとは声が違う。男らしい声だった傭兵さんとは違い、まるで少女のような優しい声。

 

 今の声が誰の声だったか思い出す直前、いきなり目の前に見たこともない武器を背負った黒いコート姿の少女が、私の目の前に滑り込んできた。

 

 黒い革のコートにはフードがついていて、そのフードにはハーピーの真紅の羽根が2枚付いている。その少女が手にしている武器は、かつて14年前に私を助けてくれた傭兵さんが手にしていたクロスボウのような武器だった。

 

 しかも、その少女の後姿は――――――あの傭兵さんにそっくりだった。

 

「――――――あの時の……傭兵さん………?」

 

 そんなわけがない。傭兵さんの声はもっと低かったし、もっとがっちりしていたような気がする。それにフードの中から伸びている頭髪は蒼空のように蒼い。

 

 かつて『ネイリンゲン』と呼ばれていた南方の田舎の街が燃えた時に、燃え上がる街の中でさまよう事しかできなかった私をママに会わせてくれた傭兵さんの事を思い出した私は、助けに来てくれた少女の後ろでそう呟いてしまう。

 

「ナタリア、何やってんだ!」

 

「えっ? た、タクヤ!?」

 

 そういえば、昨日の夜に一緒に野宿したタクヤはこんなコートを身に着けていたような気がする。

 

 少女のような少年の服装を思い出してはっとした直後、まるで逃げずに矢を放とうとしていた私を叱りつけるかのように、彼が手にしていたクロスボウのような武器が轟音を発した。

 

 あの時と同じ音だった。力強い轟音が、絶望を打ち砕いてくれる。

 

 何を飛ばして攻撃しているのかは分からないけど、あまりトロールには通用していないようだった。タクヤはトロールにダメージを与えられていないことを知ると、舌打ちしてから私の手を引いて走り始める。

 

「お前、何で逃げなかったんだよ!?」

 

「ご、ごめん………!」

 

「怪我はないか!?」

 

「だ、大丈夫っ!」

 

 絶望が消えていく。

 

 恐ろしい魔物から逃げている最中だというのに、この少女のような少年に手を引かれてドキドキしながら、私は彼と共にトロールの剛腕を回避し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、5.56mm弾のフルオート射撃ではトロールにダメージは与えられないようだ。作戦通りに顔面にロケットランチャーを叩き込むしかないらしい。

 

 だが、さすがにこのままロケットランチャーを叩き込むのは無理だ。照準を合わせる前に叩き潰されるか、食い殺されちまう。攻撃前にラウラの狙撃で怯ませてもらわないと、顔面に対戦車榴弾をお見舞いするのは難しい。

 

 こいつに外殻はないから弾丸が弾かれる心配はないんだが、巨大だからなぁ………。

 

 そういえば、このトロールは雄なんだろうか? 

 

 そう思った俺は、突っ走りながらちらりと後ろを振り向く。顔つきは中年の男性のようで、身体は贅肉だらけだ。おそらくこいつは雄だろう。

 

「ラウラ、狙撃準備を」

 

『了解』

 

 ラウラに狙撃の準備を指示しつつ、トロールがパンチを空振りすると同時に立ち止まる。まだ走り続けると思っていたナタリアは、いきなり立ち止まった俺を見て目を見開いたが、俺がG36Kをトロールに向けているのを見て戦うつもりだという事を理解してくれたらしい。逃げようとは言わずに、グレネードランチャーの照準を合わせる俺を見つめている。

 

 こいつが雄ならば、大ダメージを与える方法がある。

 

 トロールに照準を合わせた俺は、照準器の向こうのトロールに向かってにやりと笑ってから、左手でグレネードランチャーのトリガーを引いた。

 

 40mmグレネード弾がグレネードランチャーから飛び出し、拳を引き戻していくトロールに向かって行く。顔面に命中しそうだったグレネード弾は少しずつ下へと落下を始めたかと思うと、トロールが引き戻した剛腕の下を掠めて更に急降下し――――――両足の付け根にあるトロールの息子の辺りに直撃し、爆発した。

 

『グオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!?』

 

「やったッ!!」

 

 命中した! 

 

 先ほどまでニヤニヤ笑いながら拳を振り下ろしてきたトロールが、涙目になって両手で吹き飛ばされた息子跡地を抑えながら崩れ落ちる。

 

「ど、どこ狙ってんのよあんた!?」

 

「息子だよッ!!」

 

「さ、最低ッ! この変態ッ!!」

 

「うるせえッ! あんな怪物と正々堂々戦ってどうすんだよッ!?」

 

 顔を真っ赤にしてそう言うナタリアに反論した俺は、G36Kを背中に背負うと、息子を吹っ飛ばされてトロールが転げ回りながら絶叫している間にRPG-7V2で砲撃の準備を開始する。

 

 この間に対戦車榴弾をお見舞いできるんじゃないかと思ったんだが、照準器を覗き込むよりも先にトロールがゆっくりと起き上がり始めた。息子跡地から血を流しながら、血走った眼で俺とナタリアを見下ろしている。

 

 かかって来いよ。

 

 にやりと笑った俺は、ロケットランチャーの照準器を覗き込んだ。

 

 

 

 



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転生者がトロールに止めを刺すとこうなる

 

 血生臭い森の中に、怪物の重々しい咆哮が轟く。このやかましい声を発しながら激昂している怪物から私は800mも離れているというのに、まるで耳元で怪物が喚いているかのような感じがする。

 

 タクヤたちの鼓膜は大丈夫かなぁ? 

 

 予想以上の大声に目を細めながら、巨大な木の枝の上でゲパードM1のバイポットを展開。地面に伏せた状態で銃を構え、銃身の上に用意された大型のリアサイトとフロントサイトを覗き込む。

 

 普通ならばスコープを搭載するらしいんだけど、私がスコープを使うと、まるで目が悪いわけではないのにメガネをかけているかのように何も見えなくなってしまう。だから私にスコープは必要ない。このアイアンサイトさえあれば、遠距離からでも狙撃できる。

 

 集中しながらフロントサイトの向こうにいるトロールを凝視していると、まるで双眼鏡でズームインしたかのようにトロールの巨体が拡大され始める。私はタクヤやパパよりも非力なキメラだけど、2人が持っていない様々な能力を生まれつき身に着けている。

 

 だから、私が真価を発揮するのは遠距離戦。接近戦もできるけど、パパやタクヤほど強くはないの。

 

「………」

 

 ナタリアちゃんと一緒にトロールの攻撃を回避するタクヤ。私が狙撃して体勢を崩さないと、タクヤはトロールにロケットランチャーを叩き込む事ができない。

 

 私の大事な弟が他の女と一緒に戦っているのは気に入らないけど、ちゃんと助けてあげないとね。それに、このまま狙撃しなかったらタクヤが食べられちゃうよ。

 

 今度は私がタクヤを守る。あの時は――――――あの子が私を守ってくれたんだもん。

 

「………」

 

 怒り狂ってタクヤを追いかけ回すトロール。私はトロールのやかましい大声にうんざりしながら、アンチマテリアルライフルのトリガーを引いた。

 

 いつも使っていたSV-98よりも大きな反動が私の左肩に襲い掛かってくる。マズルブレーキから飛び出した猛烈の銃声がトロールの声をかき消し、私の耳に聞き慣れた音だけが流れ込んでくる。

 

 あんなやかましい声はもう聴きたくないよ。

 

 私が放った12.7mm弾が木々の間を突き抜け、タクヤを追いかけ回しているトロールに向かって飛んでいく。凄まじい速度で疾駆する大口径の弾丸に気付く事ができなかった哀れなトロールは、今まで私が狙い撃ちしてきた止まっている的と同じように、弾丸に撃ち抜かれるしかなかった。

 

 1発の弾丸が、トロールの左足のアキレス腱を正確に撃ち抜く。いきなり片足に風穴を開けられ、アキレス腱をズタズタにされたトロールは、巨体を揺らして左足の膝を地面につけるしかない。

 

『命中ッ! さすがお姉ちゃん!!』

 

「えへへっ」

 

 私の弟は可愛いなぁ。

 

 あの子とは小さい時からずっと一緒なの。ご飯を食べる時は常に隣に座るし、遊ぶ時は必ず一緒だった。もちろんお風呂に入るのは一緒だし、寝るのは必ず同じベッドなんだよ。野宿の時は一緒のベッドに寝れないから、タクヤに抱き締めてもらうか、膝枕で眠るんだけどね。

 

 いつもタクヤは顔を赤くしてるけど、必ず私の言う事を聞いてくれるし、私の隣にいてくれる。とても優しい弟なの。

 

 ボルトハンドルを兼ねるグリップを左側に捻ってから引き、内部から空の薬莢を取り出してから、その中にホルダーの中に納まっている3発のうち1発の弾丸を装填。もしトロールがロケットランチャーの直撃に耐えてももう片方の足を撃ち抜けるように準備しておく。

 

 タクヤを傷つけるような奴は――――――みんな、お姉ちゃんが殺してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中である上に800mも先にいる大暴れしている獲物を狙ったというのに、ラウラの狙撃は予想以上に正確だった。いくらトロールが10mの巨体を持つ化け物でも、大暴れしている最中に命中させるのは困難だ。だがラウラはいつもと同じように遠距離からライフルのアイアンサイトで狙いを付け、最初の1発でアキレス腱をズタズタにしやがった。

 

 俺もアイアンサイトで狙撃してみたんだが、標的が全く見えないから当たらない。ラウラはドラゴン並みの視力を持っているからスコープは必要ないんだろうが、俺の視力は彼女の足元にも及ばないから狙撃するならばスコープは必需品だ。

 

 スコープを装備しなければ照準の調整は不要で便利なんだが、そんな遠距離狙撃が出来るのは彼女だけだろう。

 

「なっ………!?」

 

 いきなり遠距離からアキレス腱を撃ち抜かれ、がくんと体勢を崩すトロール。自分の攻撃が全く通用しなかった怪物が見たこともない武器に圧倒されるのを目の当たりにして、隣にいるナタリアが目を見開く。

 

 魔術は非常に強力だが、圧倒的な破壊力の魔術を使うには非常に長い詠唱が必要だ。その隙に接近されればどんなに優秀な魔術師でも新兵に呆気なくやられてしまう。剣と弓矢と魔術の中では魔術が最も攻撃力が高いが、他の2つよりも遥かに隙が大きく、攻撃開始までのタイムラグが長いという欠点がある。

 

 同じく遠距離攻撃が出来る弓は、魔術よりも隙が小さいとはいえ射程距離は短く、硬い外殻を貫通することは不可能だ。

 

 異世界で普及しているこの2つの遠距離攻撃をどちらも上回るのが、前世の世界で主流だったこの現代兵器である。銃を撃つために必要な作業は基本的に照準を合わせるくらいで、長い詠唱は必要ない。しかもその射程距離は長く、遠距離狙撃用のライフルならば2km先の標的も狙撃可能だ。更に攻撃力は弓矢よりも遥かに上だし、SMG(サブマシンガン)やショットガンのような銃ならば接近戦でも敵を圧倒する事が可能なんだ。

 

 RPG-7V2を構えて照準を顔面に合わせ、俺はにやりと笑う。

 

「あばよ」

 

 息子を吹っ飛ばされた哀れなトロールに別れを告げ、ロケットランチャーのトリガーを引いた。

 

 ランチャー本体の後部から猛烈なバックブラストが噴き出し、俺の背後に生えていた草たちを薙ぎ払う。その反対側に搭載されていた対戦車榴弾は、猛烈な反動を俺とランチャーの本体に押し付けて飛び出すと、まるで槍のような白い白煙を噴出しながら直進し、立ち上がろうと足掻いているトロールへと襲い掛かる!

 

 最新型の戦車も吹っ飛ばせる対戦車榴弾だ。いくらトロールでも、そんな代物を顔面に叩き込まれれば即死するだろう。しかも片足のアキレス腱を撃ち抜かれているから、攻撃を回避する事も不可能。やかましい声でわめきながらこの攻撃を喰らうしかない。

 

 照準器の向こうで、ついに対戦車榴弾がトロールの顔面に激突した。先端部が鼻の下にめり込み、猛烈な運動エネルギーをトロールに流し込んで前歯を粉砕した直後、対戦車榴弾が一瞬だけ発した真っ赤な炎の塊が、まるでドラゴンのブレスのように吹き上がった。

 

 皮膚を抉り、肉を焼き尽くし、骨を吹き飛ばす獰猛な爆風は瞬く間にトロールの頭を喰らい尽くすと、自らが生み出した衝撃波でトロールの巨体を後方へと突き飛ばし、真っ黒な煙へと変貌して森の中へと消えていく。

 

 トロールの呻き声はもう聞こえない。爆発の残響と巨体が崩れ落ちる轟音が混ざり合った大きな音が、森の中で暴れ回るだけだ。

 

 息子を粉々にされた上に頭を吹っ飛ばされて絶命したトロールの死体を眺めながら、こいつからはどんな素材が取れるのか図鑑に記載されていた情報を思い出そうとしていると、隣でトロールの死体を見つめていたナタリアが、目を見開きながら呟き始めた。

 

「な、なによ………その武器………!?」

 

「え?」

 

「信じられない………! トロールをそんなに簡単に倒せる武器が存在するなんて!!」

 

 やはり、驚いてるんだろうな。本来ならばもっと危険度の高いダンジョンに生息しているような強敵の頭を、一撃で吹き飛ばしてしまったのだから。

 

 この世界には存在しない武器を背中に背負った俺は、驚愕する彼女を落ち着かせるためにフードをかぶったまま微笑むと、まだ緊張しているのか力が入っている彼女の肩に静かに手を置いた。

 

「タクヤ、あなたは何者なの……!? その武器はどこで手に入れたの…………!?」

 

「落ち着け、ナタリア」

 

「…………ご、ごめんなさい」

 

 やっと落ち着いてくれたらしい。ナタリアは持っていたコンパウンドボウを折り畳んで背中に背負うと、俺にもう一度謝ってから深呼吸を始める。

 

《レベルが38になりました》

 

 レベルが上がったか。手強い魔物だったらしいが、現代兵器を使えば楽勝だったな。ところで、何か武器や能力はアンロックされただろうか?

 

《能力『ナパーム・モルフォ』がアンロックされました》

 

 ナパーム・モルフォか。親父が若い頃に使っていた能力だな。

 

 炎を操る蝶を何体か召喚する能力らしく、アンチマテリアルライフルを使っていた親父はよくこの蝶たちに支援してもらっていたらしい。便利な能力のようだが俺には不要だな。俺にはもっと頼もしいパートナーがいるのだから。

 

《服装『裸エプロン』がアンロックされました》

 

 絶対着ないぞ。

 

 何で俺の服装に女用の服まで用意されてるんだろうなぁ………。

 

「………あのね、タクヤ」

 

「ん?」

 

「その………助かったわ。ありがとね」

 

「気にするなって。宿屋でナタリアに助けてもらったし、恩返しだよ」

 

「大きすぎるわよ………」

 

 顔を赤くしながら呟くナタリア。俺はいつもラウラの頭を撫でているようにうっかりナタリアの頭まで撫でようと手を伸ばしてしまったが、慌てて手を引っ込めた。ナタリアはもしかしたら頭を撫でられるのを嫌がるかもしれないし、間違いなく俺のお姉ちゃんはこの光景を見ていることだろう。耳もいいから、会話も聞いているかもしれない。

 

 もし撫でてしまったら、遠距離でライフルを構えているお姉ちゃんに撃たれちゃうかもしれないからな。

 

 もしかしたら狙われているかもしれないと思ってぞっとした直後、俺とナタリアの間を1発の12.7mm弾が突き抜けていった。ナタリアは大慌てで後ろにジャンプしたが、俺はまたぞっとしてしまったせいで動く事ができない。冷や汗を流しながら、恐る恐る弾丸が飛来した方向を見て怯える事しかできない。

 

『タクヤぁー』

 

「ひいっ!?」

 

 無線機から聞こえてくる感情のないラウラの声。きっと彼女の目も虚ろになっていることだろう。無線機の向こうからがちゃがちゃとまるでライフルのボルトハンドルを引くような音まで聞こえてきて、俺は更に冷や汗の量を増やしてぎょっとしてしまう。

 

『ねえ、早く調査を続けようよぉ。お姉ちゃんは早くタクヤを抱き締めたいの』

 

「す、すいませんお姉ちゃん。今すぐ戻りますので撃たないでください」

 

『了解、すぐに戻って来てね。――――――――ちゃんと見てるから』

 

 こ、怖い………。

 

 もしラウラにハーレムを作りたいって言ったら、絶対に殺されるぞ。親父には見捨てられたから今度は母さんに手紙を書いて相談してみようかな。エリスさんに相談したらラウラに味方しそうだし。

 

 もしくは、エイナ・ドルレアンに住んでる信也叔父さんを頼ってみよう。あの人はモリガンのメンバーの中でも数少ないまともな人だって聞いたことがあるから、きっとラウラに殺されない方法を教えてくれる筈だ!

 

 お姉ちゃんに頭を撃たれて殺されるのは嫌だからね………。

 

「えっと……俺はそろそろお姉ちゃんの所に戻るよ」

 

「う、うん。………あ、ちょっと待って」

 

「ん?」

 

 ラウラに狙撃されないうちに戻ろうとしていると、ナタリアが俺を呼び止めた。踵を返しかけていた俺は狙撃されないか不安になりながら後ろを振り向く。

 

「あ、あの………昨日の夜、私を助けてくれた傭兵さんの話をしたよね?」

 

「ああ」

 

 故郷が焼かれた時に助けてくれた、彼女の憧れの傭兵のことだな。

 

「あのね、その傭兵さんも………確かそんな武器を持っていたような気がするの」

 

「え?」

 

 俺が背中に背負っているG36Kを指差しながら言うナタリア。ちらりとアサルトライフルを見下ろしてからもう一度彼女の方を見てみると、幼少期の頃の記憶だからはっきり覚えていないのか、「見間違えだったのかな…………?」と首を傾げながら呟いているのが聞こえた。

 

 その傭兵が銃を持っていただって? 銃を持ってたって事は、その傭兵は転生者だったって事か?

 

「でも、確かに見たわ。14年前のネイリンゲンで…………」

 

「ネイリンゲン? ―――――おい、ちょっと待て。お前、ネイリンゲン出身か?」

 

「ええ、そうよ。私は3歳の頃まであそこに住んでたの。街がなくなってからはエイナ・ドルレアンで暮らしてるけど」

 

 14年前のネイリンゲンだって……!?

 

 あの街は確かに14年前に燃えた。当時の親父たちが敵対していた転生者たちの勢力によって襲撃され、あの街は焼け野原にされたんだ。

 

 街が襲撃されていることに気付いた親父は、街の郊外にあった家に俺たちを残し、武器を装備して大急ぎで街にすっ飛んでいった。その後、俺たちは今の王都の家に引っ越してきたんだよ。

 

「その傭兵ってどんな顔だった? 名前は?」

 

「えっと………炎みたいな長い赤毛を後ろで結んでたわ。瞳の色も真っ赤で…………見間違えでなければ、頭にダガーみたいな角が生えていたような気が……………」

 

 う、嘘でしょ………?

 

 その人に心当たりがあるんだけど。数日前まで一緒の家で生活してたハヤカワ家の大黒柱じゃないか? 俺たち以外にキメラがいるわけがないし。

 

「さすがに角は見間違えよね―――――――」

 

「いや」

 

 いつもは角を隠すためにフードをかぶっているんだが、ナタリアに正体を教えてもいいかもしれない。角の生えている人間は実在するんだって教えてあげるんだ。

 

 両手でフードの淵を掴んだ俺は、何をするつもりなのかと目を細め始めたナタリアを見つめて頷いてから、転生者ハンターのコートについているフードを静かに外す。

 

 母さん譲りの蒼い髪がフードの中から飛び出す。まるで少女のような髪型にナタリアは驚いたが、そのポニーテールにしている蒼い髪の中から伸びていた異質なある物を目の当たりにした彼女は、更に目を見開くことになった。

 

 そこに、彼女の記憶が見間違いではないと証明する物があったのだから。

 

「――――――つ、角!?」

 

「そう。………俺とラウラは、人間じゃないんだ」

 

 ナタリアがそれを否定する前に、追い討ちをかけるかのようにコートの中から尻尾も取り出す。まるでドラゴンのような蒼い外殻に覆われた尻尾も目の当たりにしてしまったナタリアは、ぎょっとしたままその尻尾も見つめていた。

 

「う、嘘………」

 

「本物の尻尾と角だ。………俺たちは人間ではなく、キメラっていう種族なんだよ」

 

「キメラ………? ま、魔物じゃないわよね………!?」

 

「当たり前だろ。安心しろって」

 

「う、うん………」

 

 やっぱり警戒されちゃったか。

 

「………ところで、その傭兵ってどんな名前だった?」

 

「えっと…………確か、ママは『ハヤカワ卿』って言ってたわ」

 

 ああ、間違いない。

 

 その人は間違いなく、美女を2人も妻にした変態親父だわ。

 

「な、ナタリア」

 

「なに?」

 

「あのさ…………その傭兵、俺たちの親父なんだ」

 

 間違いない。頭に角が生えているハヤカワという名前の男は、我が家の大黒柱しかいない。キメラは今のところ俺とラウラと親父の3人しかこの世界には存在しないのだから。

 

 命の恩人が目の前の少年の父親だと言われ、唖然とするナタリア。彼女は数秒ほど目を見開いたまま俺の顔をじっと見つめていたが、ちらりと俺の角をもう一度見上げた直後、「………う、嘘でしょ?」と小声で言った。

 

 嘘じゃない。その傭兵さんは俺らの親父だ。

 

「本当だよ。俺たちの親父の名前はリキヤ・ハヤカワっていうんだ」

 

「ど、道理で後姿がそっくりだったわけね………」

 

「え? 親父に似てた?」

 

「似てたわよ。雰囲気がそっくりだったわ」

 

「そうか? 俺はよく母さんに間違われるんだが………」

 

「ふふふふっ」

 

「はははっ」

 

 今までは母さんに似てるって言われるか女の子だと思われてばかりだったのに、雰囲気だけとはいえ親父に似ていると初めて言われた。

 

 少しだけ男らしくなれたって事なのかな?

 

 いつの間にか、ナタリアはもう警戒していなかった。まるで親友と話をしているかのように、楽しそうに笑っている。

 

 その時、先ほどのように俺とナタリアの間を突き抜けていった1発の弾丸が、恐怖と威圧感で俺たちの笑顔をかき消していった。

 

『タクヤぁー?』

 

「ら、ラウラ………?」

 

『外しちゃってごめんねぇ? あのね、ライフルの弾丸があと1発しか残ってないの』

 

 や、ヤバい。早く戻らないと本当に頭を撃ち抜かれる……!

 

 トロールのアキレス腱を正確に撃ち抜けるようなスナイパーが、立ち止まって雑談している奴の頭を撃ち抜けないわけがない。

 

『だからぁ、早く帰って来てくれないかなぁ。寂しいよぉ』

 

 再装填(リロード)してる音が聞こえるぞ!? 今最後の1発を装填したのか!?

 

「ご、ごめんなさい! いますぐ戻りますッ!! ――――――すまん、ナタリア! お姉ちゃんの所に戻らないとッ!!」

 

「う、うん! 死なないでね!?」

 

 彼女に向かって頷いた俺は、実の姉にアンチマテリアルライフルで狙われながら、大慌てで彼女がいる場所へと向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 



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タクヤがシスコンになるとこうなる

 

「ふにゅー………タクヤぁ、退屈だよぉー」

 

「ちょっと待ってろって。レポート書かなきゃいけないんだから」

 

 後ろから抱き付いてくるラウラを説得しながら、片手に持った羽ペンで原稿用紙に文字を書き込んでいく。冒険者はダンジョンを調査するのが仕事なんだが、調査が終わったらどのようなことが判明したのかレポートに書いて管理局に提出するという義務がある。基本的に提出期限はダンジョンから離脱した日から1ヵ月以内となっている。期限が長いような気がするが、これは最寄りの管理局の支部や施設が遠かった場合のための措置だ。管理局の施設は世界中にあるが、まだ施設が建設されていない場所もある。

 

 このフィエーニュ村にも、まだ管理局の施設はない。だがダンジョンの中にいたトロールを倒してしまったのだから、じきにこのダンジョンも他の冒険者たちによって調査されてしまう事だろう。

 

 ダンジョンから離脱してフィエーニュ村の宿屋で宿泊することにした俺たちは、銀貨6枚で1人用の部屋に宿泊することにしていた。こうすれば1人分の宿泊費で済むし、別々の部屋にするとラウラが心配だ。泣き出すかもしれないし、俺の部屋に来るだろうから1人分の宿泊費が無駄になる。

 

 宿屋の1階には昨日の夜は何人も冒険者がいた筈だが、帰ってくると人数はかなり減っていた。下に用意してあったテーブルに腰を下ろして酒を飲んでいるのはたった数人で、昨日の夜のようにトランプをしながら大騒ぎしていた奴らの姿はない。

 

 みんなあのトロールにやられてしまったんだろう。

 

「ねえ、タクヤぁ」

 

「ちょっと待って」

 

「やだ。退屈だよぉ」

 

 文章を書くのが苦手なラウラは、先ほどからレポートを書いている俺の後ろにしがみついて、頬ずりをしたり俺の髪を弄っている。退屈かもしれないが、レポートは早いうちに書いておいた方が良い。移動中に書くわけにはいかないし、野宿している間は見張りもしなければいけないからレポートどころではない。提出期限は1ヵ月も先だが、レポートを書く事ができるチャンスは今夜しかないかもしれない。

 

 もし提出期限を過ぎた場合は注意されるが、何度も提出期限を過ぎた場合はダンジョンの調査禁止か、冒険者の資格が剥奪されてしまう。

 

 だから今のうちに書いておくことにしていたんだ。

 

 レポートに書いている内容は、トロール以外の魔物はゴブリン程度で、危険度は極めて低かったという事だ。あれならばダンジョンに指定されていない森の中や草原を歩いている時と全く変わらないんだが、そんな場所にトロールのような魔物が1体居座るだけでダンジョンに指定されてしまうらしい。

 

 おそらく、世界中に存在する危険度の低いダンジョンも、危険な魔物が縄張りにしてしまったせいでダンジョンに指定されてしまったんだろう。

 

 トロールとの戦闘に銃を使ったとは書かないように気を付けながら羽ペンで書き込んでいると、いきなり俺の両肩の上に暖かくて柔らかい何かがのしかかり、両肩と首筋を包み込んでしまう。ラウラが抱き付いてきたのかと思ったんだが、彼女の手にしては大きい。

 

 びっくりして羽ペンを止めた直後、椅子に腰を下ろしてレポートを書いていた俺の顔を、上からラウラの笑顔が覗き込んでいた。

 

 彼女は俺に抱き付いていたわけじゃない。なんと大きな胸を俺の両肩に乗せて、顔を真っ赤にしている俺の顔を覗き込んでにこにこと笑っているんだ。

 

「ラウラ」

 

「ふにゅ? どうしたの?」

 

「俺の両肩におっぱいを乗せるんじゃない」

 

「えへへっ」

 

 肩に大きな胸を乗せたまま、わざと揺らし始めるラウラ。成長して大きくなった彼女の胸を押し付けられた俺は、レポートを書くのを中断して抗議したが、彼女は顔を赤くしながら角を伸ばす弟の顔を見て楽しんでいるようだった。

 

 ラウラの胸は間違いなくでかい方だろう。母親であるエリスさんと同じくスタイルはかなりいい方だ。もしこんなに幼い性格でなければ、大人びたレディーになっていたに違いない。

 

 訓練の時も、ラウラが走ったりナイフを振ったりする度に揺れてたからちらちらと見てしまったんだよね。だからランニングの訓練の後は、よく頭の角が伸びていた。

 

「ねえ、タクヤは巨乳と貧乳ならどっちが好きなの?」

 

「い、いいからやめてって。レポート書けないだろ………?」

 

「ふにゅ………大きいおっぱいは嫌いなの? 分かった…………小さいほうが好きなのね?」

 

 先ほどまで楽しそうに笑っていたラウラは、そう言われてから静かにおっぱいを離してくれた。これでレポートが書けるんだが、再びレポートを書こうとして原稿用紙を見下ろすよりも先に、俺の後ろに数歩下がりながら虚ろな目になったラウラがいきなりボウイナイフを鞘の中から引き抜いたのが見えて、俺はぎょっとしながら再び後ろを振り返った。

 

 な、何をするつもりだ? まさか、俺を殺すつもりか………!?

 

 慌てて椅子から立ち上がり、腰のホルスターに収めておいたアパッチ・リボルバーのグリップを掴む。もしかしたら彼女を甘えさせてあげなかったから機嫌を悪くさせてしまったのかもしれないと思っていたんだが、彼女がナイフの切っ先を向けたのは俺ではなく、自分の方だった。

 

「お、おい、何やってんだよ?」

 

「タクヤは小さいおっぱいの女の子が好きなんでしょ? だ、だから………が、頑張ってタクヤの好みの女の子になるから………ッ」

 

 ちょっと待て。ラウラの奴、まさか自分の胸をナイフで切り落すつもりか!?

 

「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 勿体ないだろうがぁぁぁぁぁぁぁ! 俺は貧乳よりも巨乳が好きなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!

 

 大慌てで彼女と距離を詰め、ラウラの手から漆黒のボウイナイフを奪い取る。彼女は俺と同じく身体能力の高いキメラだが、接近戦が苦手な彼女から得物を奪い取るのは容易い。訓練の時も、何度も彼女からナイフを奪い取って打ち負かしている。

 

「か、返してよぉっ!」

 

「ラウラ、落ち着け。俺は巨乳の方が好きなんだよ」

 

「………ほ、ほんとう?」

 

「ああ。だから切り落しちゃダメだよ。お姉ちゃんが痛がってる姿は見たくないし、勿体ないよ。こんなに大きいんだから」

 

「ふにゅう…………」

 

 やっと安心したのか、いつもの目つきに戻ってから何も言わずに抱き付いてくるラウラ。彼女の甘い香りに包み込まれながら、俺も片手で彼女を抱き締めながら頭を撫でる。

 

 すると、俺に抱き締められているラウラが、まるで楽しそうに遊ぶ犬のように真っ赤な尻尾を左右に振り始めた。これは幼少期からの彼女の癖だ。安心したり嬉しがると、ラウラはいつもこうやって尻尾を振っている。無意識に動いてしまうらしいんだが、尻尾を振りながら喜ぶ彼女は本当に可愛らしい。

 

「えへへっ。タクヤの匂いも私と同じ匂いだねっ」

 

「そうだな。匂いまでおそろいだ」

 

「ふにゅー……………」

 

 ふわふわする赤毛を押し付けながら頬ずりを開始するラウラ。今はレポートを書くよりも、俺もお姉ちゃんに甘えてしまおう。レポートは彼女を寝かしつけた後でも書くことは出来る筈だ。

 

 もっとラウラの頭を撫でようと思って手を伸ばしたら、彼女の頭の角も伸び始めていた。先端部の色以外は俺と同じく真っ黒で、先端部はまるで炎のように真っ赤になっている。俺と真逆だ。でも、彼女が操る属性はエリスさんの遺伝のせいで氷属性となっている。

 

 静かに彼女の角に触れてみる。キメラの特徴でもあるこの角は頭蓋骨の一部が変異して頭から突き出たものらしいんだが、かなり硬いためへし折られることはありえないだろう。親父が言っていたんだが、ライフルの弾丸を叩き込まれても傷はつかなかったらしい。

 

 まるでナイフの刀身に触れているような感触がする。でも身体の一部だからなのか暖かい。姉の角を優しく撫でていると、揺れていたラウラの尻尾がぴくりと動いた。

 

「つ、角………伸びてた………?」

 

「ああ。結構伸びてるぜ」

 

「……は、恥ずかしい…………」

 

 珍しいな。いつも俺に甘えてくるラウラが恥ずかしがってる。

 

 レポートを書いてる最中に甘えてきたお返しだ。もっと角を撫でてやろう。

 

「ふにゅ………っ」

 

 更に伸びていくラウラの角。俺の胸に顔を押し付けているラウラは、角を撫でている俺を恥ずかしそうな顔で見上げてきては、すぐに顔を真っ赤にして可愛らしい声を出しながら顔を隠してしまう。

 

 顔を赤くしてしまった俺は、角で指を切らないように気を付けながら彼女の角を撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 右手からドライヤーのように熱風を出し、風呂から上がったばかりのラウラの髪を乾かしていく。前まではこの世界にドライヤーは存在しなかったんだが、最近ではモリガン・カンパニーでフィオナちゃんが魔力で動くタイプのドライヤーを発明したらしく、王都や大都市の家庭などで普及し始めているらしい。だがさすがにこんな小さな村では購入する資金が無いようだ。

 

 ちなみにドライヤーが発明される前は、炎属性の魔術でこんな感じに熱風を出して乾かすか、タオルで拭くだけで済ませる人が多かったという。魔術が使えない人は髪を濡らしたままベッドで眠っていたというわけか。

 

 洗面所で髪を乾かしてもらいながら歯磨きをするラウラ。その後ろで彼女の髪を乾かしている俺は、いつものポニーテールではなく髪を下ろしているため、濡れた蒼い髪が両肩を覆っている。

 

 2人とも母親に似ている上にその母親たちが姉妹だったせいなのか、洗面所の鏡の前に立つ俺とラウラは腹違いの姉弟ではなく、まるで双子のようだ。顔つきもそっくりだし、身長も少しだけ俺の方が高いくらいだ。それ以外の違いは髪の色くらいだろう。

 

 鏡の前に立つ度に思うんだが、俺は本当に男に見えない。前世の自分は部活で格闘技をやっていた経験があったせいでがっちりしていたんだが、今の俺は本当に女になってしまったかのようだ。姉弟ではなく姉妹にしか見えない。

 

 甘えん坊の姉としっかり者の妹か。

 

「ほら、乾いたよ」

 

「ありがとっ! タクヤはどうするの?」

 

「俺は自分で乾かすよ。ラウラは熱風出せないだろ?」

 

 彼女は氷を操る強力な能力を持っているが、体内にある膨大な量の氷属性の魔力が属性への変換を阻害してしまうせいなのか、氷属性以外の魔術が一切使えないんだ。

 

 魔術を発動するには、魔力を詠唱や魔法陣によって別の属性へと変換する必要がある。彼女の場合はその変換するべき魔力が既に氷属性に変換されてしまっているため、上書きしなければならない。でも変換されている魔力の量が多過ぎるため、魔術に使う分の魔力を上書きして変換しても、すぐに他の魔力によって上書きされてしまう。プールの中に火をつけたマッチ棒を放り込むのと同じだ。

 

 俺の体内にも、雷属性と炎属性に変換された魔力があるため、この2つの属性以外の魔術は使う事ができない。常人のように汎用性はないが、何かの属性に特化している。これがキメラの体質という事なんだろうか。

 

 手のひらから熱風を出し、鏡を見ながら髪を乾かしていく。歯を磨き終えたラウラが暇そうにこっちを見ていたので、俺は髪を乾かしている間に尻尾でラウラと遊ぶことにした。

 

「ふにゃ?」

 

 能力を使って着替えたパジャマの後ろから、静かに俺の蒼い尻尾を伸ばす。紅い鱗に覆われているラウラの尻尾と違って、俺の尻尾は堅牢な蒼い外殻にしっかりと覆われているため非常に硬い。しかも先端部はダガーのように鋭くなっているから武器としても使えるし、更に強力な攻撃にも使う事ができるようになっている。

 

 俺とラウラで尻尾の特徴が異なるのは、体内にあるサラマンダーの特徴が反映されているからだという。サラマンダーは炎を操る非常に獰猛なドラゴンの一種で、主に火山に生息している。今まで数多の冒険者を焼き殺してきた恐ろしい怪物だが、様々な冒険者や傭兵に知られているのは雄のサラマンダーだ。非常に硬い外殻に全身を覆われていて、頭からはダガーのような鋭い角が生えている。しかも炎を変幻自在に操るという強敵だ。

 

 雄は戦闘力が非常に高いんだが、雌は逆に非常に戦闘力が低い。基本的に雌はずっと巣にこもったまま卵を見張ったり、生まれてきた子供たちを温め続けるのが役目だ。縄張りに近付いてくる外敵を仕留めるのは全て雄の役目となっている。だから耐熱性が非常に高い外殻は退化し、子供たちを温めやすい身体に進化しているんだ。

 

 ちなみに子供たちが成長して巣立ってからも、雄は雌が老衰で死ぬまでひたすら守り続けるという。まるで俺たちの親父みたいだな。

 

 戦闘力の高い雄の特徴が反映された尻尾を持ち上げ、ラウラの頭の上でぴくぴくと揺らし始める。するとラウラはその尻尾を見上げ、目を細め始めた。

 

「ふにゅ………ふにゃっ」

 

「おっと」

 

 まるで猫じゃらしを見た猫のように、俺の尻尾を捕まえようと手を伸ばすラウラ。だが彼女よりも反応速度が速い俺は、尻尾を掴まれる前に動かして彼女の手を回避し、鏡の向こうで尻尾を追いかけ回す姉を見ながらニヤニヤする。

 

 可愛いなぁ………。

 

 自分の尻尾も使って俺の尻尾を捕まえようとしているみたいだけど、ラウラの尻尾よりも俺の尻尾の方が長い。ラウラは必死に尻尾を伸ばしているんだけど、俺の尻尾までは届いていなかった。

 

 その隙に後ろ髪を乾かし終え、側面を乾かしてから前髪を乾かし始める。

 

「ふにゃっ! あれ? ―――にゃあっ! …………ふにゅう」

 

「あははははっ。残念でしたっ」

 

 残念だったね。俺はもう髪を乾かし終えたよ。

 

 尻尾をまたパジャマの中に戻そうと思ったんだけど、ラウラが寂しそうな目でこっちを見てきたので、しばらく尻尾を出しておくことにした。

 

 早速俺の尻尾に触れたラウラは、尻尾を握ったまま洗面所の外までついてきた。そのままあくびをしてから部屋の窓際に用意されている1人用のベッドに腰を下ろすと、尻尾を引っ張って俺まで強引にベッドに座らせる。

 

「おっと………」

 

「えへへっ。…………タクヤってさ、優しいよね」

 

「そうか?」

 

「うん。いつもお姉ちゃんと一緒にいてくれるし…………」

 

「当たり前だろ? 大切なお姉ちゃんなんだから」

 

 彼女は俺の大切な家族だ。もう誘拐された時みたいに傷つけさせるわけにはいかない。

 

 虐げられるのは当然ながら理不尽で、辛い事だ。俺は前世でそれを長いこと経験している。弱い奴は力を振りかざす奴の暴力に耐え続けなければならないんだ。

 

「………やっぱり、タクヤは優しいよ」

 

「ありがと」

 

「ふふっ。…………タクヤ」

 

「ん?」

 

「大好きだよ」

 

「俺もだよ、お姉ちゃん(ラウラ)

 

「えへへっ、両想いだね」

 

 腕を伸ばし、隣に座る姉を抱き締める。風呂から上がったばかりだから、いつもよりも甘い香りがする。石鹸のような匂いと花の匂いが混じり合ったラウラの匂いだ。

 

 抱き締められたラウラの顔が赤くなっていく。いつもなら頬ずりを始めるラウラは、今日は頬ずりをせずに顔を赤くしているだけだ。背中に手を回しながらそっと顔を離したラウラは俺の顔を近くで見つめると、少しだけ微笑んでから唇を近づけてくる。

 

 彼女が何をしようとしているのか理解した俺はどきりとしたけど、いつも甘えられているせいでシスコンになってしまったせいなのか、俺も唇を近づけていた。

 

 そして、互いに唇を奪い合う。

 

 ヤンデレになった姉のせいで彼女を作っていなかった俺は、この異世界でもまだキスをしたことがない。同じくヤンデレになってしまったラウラもキスをしたことはない筈だ。

 

 つまり、2人ともファーストキスだった。

 

 

 

 

 

 

 



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次の目的地に旅立つとこうなる

 

 旅に出ても、毎朝目を覚ます俺を包み込んでいる甘い匂いは変わらない。石鹸と花の香りが混ざったような優しく甘い匂い。赤子の時からずっと嗅いできた匂いだ。

 

 この匂いがするという事は、彼女が俺の傍らで眠っているという事なんだろう。

 

 瞼を指で擦ろうと思って、ぼさぼさしている安物の毛布の中から手を引き抜こうとする。家が裕福だったおかげで実家のベッドの毛布は触り心地が良かったんだが、この貧しい村の宿の毛布は、まるで何日も手入れしていないかのようにぼさぼさだ。端の方には穴が開いている。

 

 親父が会社を経営しているおかげでラウラと俺は裕福な家で育ったが、新しい親たちの育て方のおかげなのか、貴族の子供たちのように傲慢な性格になることはなかった。ラウラもこの宿に泊まると言った時は文句を言わなかったし、ぼさぼさする安物の毛布をかぶって寝ることになっても何も言わなかった。

 

 瞼を擦ろうとした手が、俺の顔の近くでふわふわした何かにぶつかる。眠気のせいでまだ瞼が開かなかった俺は、手がぶつかったそのふわふわする物を撫で回す。この毛布よりも遥かに触り心地がよく、撫でる度に俺の好きな甘い香りが舞い上がる。

 

 なんだこれ………?

 

「ふにゅう………」

 

「………」

 

 ラウラか。俺が撫でてたのはラウラの頭だったんだな。

 

 納得して手を引っ込めようとするが、手が毛布の中の温もりへと戻っていくよりも先に違和感が滲み出す。

 

 手がぶつかった位置がおかしいんだ。いつもラウラは俺の隣に寝てるんだが、隣に寝てるならば俺の顔の前で彼女の頭にぶつかるわけがない。それに何だか今日は、俺の上に何かが乗っているような気がする。

 

 あれ? ………まさか、俺に乗って寝てる?

 

 そんな仮説が出来上がった瞬間、瞼を開くことを妨げていた眠気が全て吹っ飛んだ。大慌てで瞼を開くと、いつもならば隣で横になっている筈の少女が、確かに俺の身体の上に乗って両手で抱きしめながら寝息を立てていた。

 

 しかも、何故かパジャマのボタンは全て外れている。おいおい、ここは北国だぞ? 寒くないのか?

 

 ちなみにブラジャーの柄はピンクと白の縞々だ。どうやらラウラは縞々模様の下着がお気に入りらしい。

 

 いきなり俺が動いたことに驚いたのか、「ん………」と眠そうな声を出しながら更にぎゅっと抱き付いてくるラウラ。大きな胸を押し付けられて顔を赤くしてしまった俺は、角が伸びるのを少しでも阻害するために大慌てで視線を逸らす。

 

 目を逸らした先では、毛布の後ろから伸びたラウラの尻尾が、まるで楽しそうに尻尾を振る犬のように揺れていた。

 

「ふにゅ……………ふにゃー…………」

 

「ラウラ」

 

「ふにゅ? ……あ、タクヤ。おはよう」

 

「おはよう。…………ところで、なんでボタン外してんの? 寒くないの?」

 

 上に乗っていたラウラは、瞼を擦りながら顔を近づけてくる。そのまま手を伸ばして俺の髪を掴むと、匂いを嗅いでから頬ずりを始めた。

 

「えへへっ、全然寒くないよ。タクヤの身体は暖かいし」

 

「ちゃんとボタン付けとけって。風邪ひくぞ?」

 

「ふにゅ………タクヤが興奮してくれると思ったのになぁ…………」

 

 頬を膨らませながらそう言うラウラ。俺は慌てて角に向かって手を伸ばしてみるが、頭から生えているこの角は、ラウラの期待通りに見事に伸びていた。彼女に気付かれる前に手を離すつもりだったんだが、手を離そうと思ったところでラウラに気付かれてしまう。

 

「………角伸びてる?」

 

「う、うん………」

 

「ふふっ………。そういえば、昨日は巨乳の方が好きって言ってたよねぇ?」

 

「あっ………」

 

 確かにそう言った。自分のおっぱいをナイフで切り落そうとするラウラを止めるためにそう言ったんだが、俺は本当に貧乳よりも巨乳の方が好きなんだよ。

 

 実の姉に向かってそんなことを言ったのを思い出して顔を赤くする俺に追撃を仕掛けてきたのは、寝る前にベッドの上で彼女とキスをした記憶だった。

 

「えへへっ。……ほら、大きいおっぱいが好きなんでしょ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら、ラウラは俺の胸に自分のおっぱいを押し付けてくる。おそらくEカップかFカップくらいはあるだろう。何とかベッドから出ようとするが、いつの間にかラウラの尻尾が俺の腰の辺りに絡みついていたせいで逃げられない。

 

 両手を使って引き離そうとしたんだが、もう俺の両手はラウラに押さえつけられてしまっていた。

 

「ら、ラウラ、そろそろ着替えてこの宿を出ようぜ?」

 

「まだ早いよぉ。もっとタクヤに甘えたいなぁ………」

 

「何言ってんだよ。もう7時だぞ?」

 

「大丈夫。ママやエミリアさんはいないから甘え放題だよ? それにね………た、タクヤも、甘えたかったら…………お姉ちゃんに甘えていいんだからね………?」

 

 恥ずかしそうに言いながら顔を近づけてくるラウラ。いつもはこんな風に胸を押し付けたり抱き付いてくる時は恥ずかしそうにしないんだが、何故か甘えていいと言った時だけ顔を赤くしていた。

 

 ならば、甘えさせてもらおうか。お前がいつも甘えてくるせいで俺はシスコンになっちまったんだし。それに、仕返しもしないとな。

 

「ひゃんっ! た、タクヤっ………!?」

 

 またキスをするつもりだったのか、ラウラが唇を近づけてきた隙に両手を振り払い、パジャマ姿のラウラの身体を抱き締めた。いきなり抱き締められたお姉ちゃんは、顔を真っ赤にしながら頭の角を伸ばし始めている。

 

 やっぱり良い匂いがするなぁ………。ふわふわする彼女の赤毛を撫でながら、今度は俺が尻尾をラウラの身体に絡みつかせる。

 

 彼女は自分の角が伸びていることに気付いたらしく、慌てて白い手で伸びている角を隠そうとしているようだった。でもダガーのように伸びる角を隠すには、ラウラの手は華奢で小さ過ぎるだろう。可愛らしい指の後ろから角の先端部が見えていた。

 

 顔を真っ赤にするラウラに向かってにやりと笑い、彼女の角へと手を伸ばす。必死に隠そうとする白い手を退けて角の表面を撫で始めると、ラウラは俺の上に乗ったままぴくりと小さく震えた。

 

「ラウラも角伸びてるじゃん」

 

「の、伸びてない………っ!」

 

「あははははっ」

 

「ふにゅう…………」

 

 甘えていいって言ったのはお姉ちゃんだからな。

 

 傍らで頬を膨らませていたラウラはちらりと俺の顔を見ると、顔を真っ赤にしたまま唇を近づけてきた。どうやらキスがしたかったらしい。

 

 お姉ちゃんをからかうのはここまでにしよう。俺は彼女の身体を抱き締めながら、彼女の唇に自分の唇を押し付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝っぱらから甘え過ぎたかもしれない…………。

 

 宿屋が用意してくれたパジャマからいつもの服装に着替え、宿屋の主に挨拶をしてから宿の外に出た俺は、朝っぱらから実の姉とキスをしたことを思い出して顔を真っ赤にする羽目になった。

 

 ついにシスコンになっちまった…………。

 

 部屋を出た時からずっと俺の手を握りながら鼻歌を口ずさむ姉を見下ろした俺は、苦笑いしながら一緒に歩き出す。

 

 フィエーニュの森はもう調査したし、あの森にはもう用はない。この村を出て目的地であるエイナ・ドルレアンへ向かうとしよう。俺たちが線路を吹っ飛ばしたせいで運休になっているエイナ・ドルレアン線も、もう再開している筈だ。

 

 ここから最寄りの駅は、『ナギアラント』という町にある駅だ。そのナギアラントもこのフィエーニュ村と同じく田舎らしいが、鉄道の駅があるおかげで観光客は多いという。そこから列車に乗って一気にエイナ・ドルレアンへと向かえば、すぐに到着する筈だ。既に親父が信也叔父さんやカレンさんに紹介状を送っているらしいから、あまり時間をかけるべきではないだろう。

 

 左手を突き出してG36KとMP412REXを装備し、ラウラにもSV-98とPP-2000を装備させる。普通のスナイパーライフルはスコープを調整しなければならないんだが、ラウラの場合はスコープを装着せずに使うから照準の調整は必要ない。視力がいいのは便利だなぁ………。

 

 アンチマテリアルライフルはラウラ用のやつがあるが、そろそろ俺もアンチマテリアルライフルを装備しておいた方が良いかもしれない。普通のスナイパーライフルよりも射程が長いから対人用の狙撃にも使えるかもしれないし、トロールみたいにでかい魔物が出てきた時にも力になってくれるに違いない。

 

 周囲を歩いている村人は殆どいないから気にしなくてもいいだろう。歩きながらもう一度メニュー画面を開き、武器の生産をタッチ。武器の種類の中からアンチマテリアルライフルを選んだ俺は、予め作ろうとしていたライフルの名前を探すと、にやりと笑ってからそれをタッチした。

 

 俺が選んだアンチマテリアルライフルは、ロシア製のOSV-96。ボルトハンドルを引く必要のないセミオートマチック式のライフルで、ラウラのゲパードM1と同じく12.7mm弾を使用する。しかも5発入りのマガジンを搭載しているため、破壊力の大きな弾丸を連発する事が可能だ。命中精度ではゲパードM1に劣るけれど、こちらの方が連射できる。ボルトアクション式のライフルよりもセミオートマチック式の武器を好む俺にはうってつけだ。

 

 ちなみに親父もこのライフルを使って活躍していたらしい。しかも、このアンチマテリアルライフルの銃身の下にロケットランチャーや迫撃砲を装備して火力を上げていたという。

 

 普通ならばあり得ないカスタマイズだ。重火器を搭載するのだから武器の重量が増して非常に扱いにくくなるだろう。

 

 だが、ステータスによって身体能力を強化できる転生者ならばそのような武器でも使いこなせるだろう。親父もそのありえないカスタマイズのライフルを使いこなしていたと母さんが話していたし、なんと片手でぶっ放したこともあるという。

 

 本当に、あの親父に喧嘩を売らなくて良かった。恐ろしい腕力だよ。

 

 800ポイントを使ってアンチマテリアルライフルを生産し、カスタマイズのメニューを操作し始める。スコープとバイポットはあらかじめ装備されているようなので、カスタマイズするのは他の部分だろう。本当にどんなカスタマイズもできるらしく、普通ならば装着することはありえない銃剣まで用意されている。

 

 とりあえず、銃床にモノポッドを追加しておこう。伏せて狙撃する時にこれも展開して狙撃すればさらに狙撃しやすくなる筈だ。俺はラウラのように狙撃が上手いわけではないが、親父から狙撃の訓練は受けているため射撃には自信がある。もし遠距離戦になったら、観測手(スポッター)として彼女をサポートしながら狙撃で援護しよう。

 

 更に50ポイントを使ってT字型のマズルブレーキを装着。カスタマイズに使うポイントは非常に少ないんだが、あまりカスタマイズし過ぎるとポイントを使い果たしてしまうかもしれない。

 

「ん?」

 

《RPG-7V2の取り付け》

 

 ロケットランチャーが本当に取り付けられる…………。

 

 タッチしてみると、どうやらアサルトライフルの銃身の下にグレネードランチャーを装備するように、アンチマテリアルライフルの銃身の下にロケットランチャーの装備が可能になるようだ。だが、RPG-7は発射する際に後方にバックブラストと呼ばれる爆風を噴射する仕組みになっている。そのまま取り付けたら俺がバックブラストで吹っ飛ばされちまうぞ。

 

《バックブラストを噴射しない方式に変更して装着します。それにより反動は増大し、射程距離もやや低下しますが、アンチマテリアルライフルとロケットランチャーを併用できるようになります》

 

 射程距離が落ちるのか………。でも、装着してみるか。俺たちは冒険者だから人間よりも魔物と戦う回数の方が多くなるだろうし。

 

 60ポイントを使ってロケットランチャーを取り付ける。重量は約20kgになってしまうが、常に背負うわけではないので問題はないだろう。レベルを上げれば重い武器でも重さを感じなくなっていく筈だ。

 

 試しに画面をタッチして早速それを装備してみる。OSV-96をタッチした瞬間、いきなり背中が一気に重くなった。やっぱりアサルトライフルよりも遥かに重いぞ。

 

「ふにゅ? また作ったの?」

 

「あ、ああ。試しに構えてみたいから、手を離してもいい? 尻尾触ってていいから」

 

「うんっ!」

 

 ラウラが俺の尻尾を触っている間に、俺は背負っていたOSV-96を構える。カスタマイズしたとおり銃床にはモノポッドが装着してあって、1.7mの長い銃身の下にはやっぱりRPG-7V2が装着されていた。どうやら照準器は別々になっているらしく、ロケットランチャーで砲撃する際はランチャー本体の左斜め上に装着されているスコープを覗き込まなければならないらしい。トリガーも別々で、ロケットランチャーのトリガーはランチャー本体の左側から突き出ている折り畳み式のグリップに装備されていた。

 

「ふにゅ? タクヤも狙撃するの?」

 

「トロールみたいなでかい魔物用だよ。一緒に遠距離から撃ちまくった方が安全だろ?」

 

「えへへっ、そうだね。一緒にいられるし」

 

 魔物を撃破するよりも一緒にいたいのかよ………。

 

 威圧感が倍増したアンチマテリアルライフルを装備から解除すると、再びラウラは俺の手を握ってきた。彼女の手も俺の手と同じように華奢で、肌も真っ白だ。

 

「ん?」

 

 手を繋いだまま村の門を出ようと思ったその時だった。一足先にこの村を後にした冒険者がいたらしく、俺たちと同じ方向に向かって歩いていく金髪の少女の後姿が見えたんだ。大きめのククリ刀を腰の後ろに下げ、背中には折り畳み式のコンパウンドボウを背負っている。

 

 離れているが、彼女が放つ凛々しい雰囲気を感じ取った俺は、ラウラと手を繋いだまま彼女に向かって手を振っていた。

 

「おーい、ナタリアー!!」

 

「ふにゅ………」

 

 ま、拙い。ラウラがヤンデレだという事を忘れてた…………。

 

 ぞっとしながら隣にいる姉の顔を見てみると、やっぱり炎のように赤い瞳は虚ろな瞳に変貌していた。先ほどまでは楽しそうに笑っていたというのに、甘えん坊の姉の笑顔は無表情に変わっている。

 

 しかも、ナタリアに俺の声が聞こえたらしい。草原へと向かって歩いていたナタリアはこっちを振り向くと、手を振りながら俺たちの方へと駆け寄ってきた。

 

 もう呼んでしまったから仕方ないな。あとでお姉ちゃんをいっぱい甘えさせてあげよう。そうすれば機嫌を直してくれる筈だ。

 

「あら、タクヤ。2人も別の街に行くの?」

 

「ああ。エイナ・ドルレアンの叔父さんの所に行くんだ。その前にナギアラントに行くんだが――――――」

 

「え、そうなの? 実は私もなのよ」

 

「えっ?」

 

 どうやらナタリアも目的地が同じらしい。ナギアラントで列車に乗って、実家のあるエイナ・ドルレアンへと帰るところなんだろう。

 

 墓穴を掘ってしまった。なんという事だ。これではラウラの機嫌はずっと悪いままじゃないか………。そう思っていると、俺の隣で虚ろな目つきになっているラウラが早くも自分の手の爪を噛み始めた。しかも俺の手を握っている方の手には力を入れ始めている。キメラとして生まれた彼女の握力は非常に強いため、本気をだぜば常人の手を握りつぶすことも出来るだろう。

 

「あ、あのさ………もし良ければ、一緒に行かないか?」

 

「え?」

 

 墓穴が更に深くなる。どうやら俺は墓穴ではなく奈落を掘ってしまったらしい。

 

 ナタリアは優秀な冒険者なのかもしれない。だが、トロールとの戦いで彼女は逃げようとはせず、そのままトロールと戦おうとしていた。もし俺たちが到着していなかったならば、ナタリアも他の冒険者たちと同じように食い殺されていたに違いない。

 

 虐げられている人々を守ろうとする彼女の理想に共感した俺としては、彼女に死んでほしくない。なんとしても生き残って、人々を救ってほしいんだ。

 

 それに俺たちはまだ新人だ。半年だけとはいえナタリアの方が先輩なのだから、アドバイスしてもらえるかもしれない。

 

「なんというか、2人っきりで旅すると大変だし…………先輩がいた方が助かると思ってさ。もし迷惑だったら……気にしないでくれ」

 

 手に力を入れているラウラ。片手で彼女の頭を撫で始めると、彼女は「ふにゃー…………」と気持ち良さそうな声を出しながら、手から力を抜き始める。良かった、これで左手が握りつぶされることはなくなったぞ。

 

「…………い、いいの?」

 

「ああ、大歓迎だ。――――なあ、お姉ちゃん?」

 

「ふにゃ…………よろしくね、ナタリアちゃん。……ふにゃあー…………」

 

 癖で尻尾を振り始めたラウラを見て微笑んだ俺は、同じようにラウラを見て微笑んでいたナタリアに向かってにやりと笑う。

 

「―――――うん、よろしくっ!」

 

 暖かい風の中で、俺とナタリアは握手を交わす。

 

 俺たちのパーティーに、ナタリアが加わった。

 

 



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番外編 恐怖の愛妻弁当

 

 俺は今まで、傭兵として様々な激戦を経験してきた。クライアントから依頼を受け、仲間たちと共に戦場へと向かい、敵を殲滅して報酬を得る。10年間もそんな生活を続けていたのだから、戦う事には慣れている。

 

 傭兵としての仕事よりも会社の経営を優先するようになった最近でも、毎日トレーニングは欠かさない。いつでも依頼が来た時に出撃できるように、妻たちとの模擬戦や筋トレは必ず毎日するようにしている。

 

 社長の席で書類にサインを終えた俺は、ちらりと部屋の中にある時計を見上げた。現在の時刻は午前11時58分。あと2分で昼休みが到来する。この本社の中には食堂もあるから社員の多くはそこで食事を摂っているし、売店もあるからそこで弁当やパンを購入する社員は多い。

 

 だが、俺は毎日妻に弁当を作ってもらっているので、一度もそこを利用したことはない。結婚してもう20年も経つんだが、妻たちと喧嘩したことは一度もないし、不倫もしたことがない。妻たちを悲しませたくないからな。プロポーズしたのも俺だし。

 

 だから毎日、昼食はこの社長室で愛妻弁当で済ませている。

 

 普段は料理が上手いエミリアが作ってくれるんだが、彼女は昨日の夜に実施された警備分野の夜間訓練を終えたばかりなので、帰宅したのは今朝の朝6時だ。

 

 警備分野を統括する彼女は、警備分野で毎月1回実施される夜間訓練にも参加している。だから毎月必ず彼女が弁当を作る事ができない日があるのだ。

 

 それが今日だった。この場合、弁当を作ってくれるのは――――――よりにもよって料理が下手な方の妻であるエリスだ。

 

「――――――ついにこの時間が来たか」

 

「………ッ」

 

 俺の傍らで時計をじっと見上げているハーフエルフの男性は、警備分野から俺の秘書になった『ヘンシェル』。元オルトバルカ王国騎士団に所属していた男だが、騎士団内部でのハーフエルフの団員は差別され易く、扱いも酷かったらしく、ついに我慢できなくなった彼らは上官をリンチし脱走。スラムに住み着いていたところを、俺が雇ったというわけだ。

 

 王国の発展に貢献してきた企業だから、騎士団も口出しは出来まい。

 

 豪快な性格の者が多いと言われるハーフエルフの中では珍しく冷静で口数も少ない奴だが、非常に優秀な奴だ。今ではもうエミリアが得意とするラトーニウス式の剣術をマスターしている。

 

「――――――社長、食堂をご利用になった方がよろしいのでは?」

 

「馬鹿を言え。…………愛する妻が作ってくれた弁当だ。完食して見せるさ」

 

 俺がそう言った直後、正午を告げるチャイムが本社中に響き渡った。ちなみにこのチャイムもフィオナの発明品の1つとなっている。

 

 そのチャイムを聞くと同時に、机の隣に置いてあるカバンの中から弁当箱を取り出し、机の上の書類を片付けてから弁当箱を置く。その弁当箱を見下ろしていたヘンシェルは、百戦錬磨の社員だというのに、まるで巨大なドラゴンを目の当たりにしたかのように目を見開きながら息を呑んだ。

 

「………社長」

 

「何だ」

 

「その………弁当箱の蓋が溶けているような気がするんですが…………」

 

「え?」

 

 弁当箱を見下ろしてみると、確かに蓋の部分から白い煙が上がっていた。小指くらいの太さの小さな煙だが、その根元では弁当箱の蓋が、まるで酸に溶かされるかのような音を立てながら泡立ち、崩れ始めている。

 

 しかもその穴の中から流れ出てくる香りは、エミリアの手料理が発するあの美味しそうな匂いではない。まるで密室に腐った魚を放置したような猛烈な悪臭だ。

 

「………え、エリスぅ……………?」

 

「た、食べれるんですか………?」

 

 これは食べ物なのだろうか? お、俺は今からこれを完食しなければならないのか!?

 

 まだ蓋すら開けていないというのに、食欲が全て削り取られてしまった。もう空腹すら感じない。これを食えば死んでしまうと察知した俺の身体が、空腹を無意識のうちに無視してしまったに違いない。

 

 今までエリスの手料理を何度も完食してきたが、どれも凄まじい手料理だった。かぼちゃのスープは紫色で具材は全部溶けかけだったし、カレーは何故か甘酸っぱかった。しかもどの料理も完食すれば、次の日は必ず41℃の熱を出す羽目になる。

 

 しかし、これも完食しなければ。いつも起きるのが遅いエリスが、俺のために早起きして作ってくれたのだから。

 

 息を呑み、ヘンシェルに向かって頷いてから溶け始めている弁当箱の蓋を開ける。愛用の弁当箱を溶かしてしまうような恐ろしい手料理の正体を見てみようと思ったその瞬間、弁当箱の中から悪臭を纏った真っ黒な何かが飛び出してきたような気がして、俺は咄嗟に弁当箱の蓋を投げ捨てた。瞬間的に両手を外殻で硬化し、顔に向かって飛び掛かってきた何かを掴み取る!

 

「ぐっ………!」

 

「社長ッ!」

 

 隣に立っていたヘンシェルが、腰に下げていた仕込み杖を引き抜いた。杖の内部に細い刀身を内蔵している武器で、柄頭の方にはナックルダスターのようなフィンガーガードが装着されている。警備分野に所属する社員たちの標準装備だ。

 

 だが、ヘンシェルはその刀身を弁当箱の中から襲い掛かってきた何かに突き付けようとした寸前、その正体を見て更に驚愕する羽目になる。

 

「な、何だこいつは………!?」

 

 凶暴化した魔物のような唸り声を上げ、悪臭を社長室の中にばら撒き続けていたのは、まるでゼリーのような透明な物体に全身を覆われた、蛇のような生物だった。表皮は真っ黒で、まるでゾンビのようにその表皮は所々腐り落ちている。蛇かと思ったが背びれや尾びれがあるから、これはおそらく魚なんだろう。

 

 口から紫色のよだれを出し、真っ白な目で俺を見つめながら、この愛妻弁当の中身は必死に俺に噛みつこうとしている。

 

「へ、ヘンシェルッ!! 今すぐ売店でエリクサー買って来いッ!!」

 

「りょ、了解ッ! いくつですか!?」

 

「箱ッ!」

 

「は、箱ですかッ!?」

 

 箱に入っているエリクサーの本数は20本ほどだ。一口飲めば全身の傷が一瞬で宇下がるほどの効果を持つエリクサーだから1本あれば十分なんだが、こいつを完食するには明らかに1本では足りない。せめて20本入りの箱が必要だ。

 

「い、急げ! 俺はこいつを始末するッ! ――――――ふんッ!!」

 

『ギィッ!?』

 

 ヘンシェルが大慌てで売店へと向かって突っ走って行ったのを確認した俺は、まだ噛みつこうと足掻いている謎の生物の首を両手でへし折ると、腐った魚のような悪臭で何度も吐きそうになりながら、辛うじて謎の生物を弁当箱の中へと戻した。

 

 

 

 

 

 

 

「ほ、本当に食べるんですか!?」

 

「あ、当たり前だろ。エリスがせっかく作ってくれたんだからさ…………」

 

 箱の中から取り出したエリクサーをずらりと机の上に並べながら止めようとするヘンシェル。首の骨を折られて仕留められた腐りかけの謎の生物を見下ろしたヘンシェルは、また吐きそうになりながら机から距離を取った。

 

「ところで、これは何の料理なんです?」

 

「おそらく…………ウナギゼリーだろう」

 

「これウナギゼリーだったんですか!?」

 

 ウナギゼリーはイギリス料理の1つなんだが、この異世界にも存在しているらしい。どうやらこの異世界の食文化は、魔物を食材にする料理以外は前世の世界と変わらないようだ。

 

 エリスが作ってくれたのはそのウナギゼリーのようなんだが、弁当に入れるような料理ではないし、明らかにこれはウナギじゃないだろ………。しかも腐りかけだし、何故か最初は生きてたぞ。

 

 おそらくこのウナギのような生物は、ヴリシア帝国のダンジョンに生息すると言われている『ヴリシアオオウナギ』というウナギに違いない。非常に獰猛な性格で、川に落ちた冒険者や他の生物を食い荒らすという肉食のウナギだ。ピラニアみたいな生物だな………。

 

 しかもこいつは死んでから肉体が腐敗する速度が以上に早く、2分もあれば白骨化してしまうらしい。だから素材は取れないし食材にもできないから、大量発生した際の駆除以外は誰も手を出さないような魔物である。

 

 きっと、実験的にこいつを食材に使ったんだろうな。腐臭の中から微かに薬草の臭いがするから、おそらく腐敗を遅延させるような薬を調合してゼリーに入れたんだろう。それが偶然何らかの反応を起こして、息の根を止めたばかりのウナギをゾンビに変えてしまったに違いない。

 

 つまり今から俺は、腐った魚を食わなければならないんだ………!

 

「社長、これ食ったら身体壊しますよ!?」

 

「大丈夫だ、我が社のエリクサーがあるッ!」

 

「強酸性のゼリーを纏ってる腐ったウナギを食うんですか!?」

 

「――――――妻が作ってくれたんだ。残したら勿体ないだろう?」

 

 だから俺は、いつもエリスが料理を作る度に1人で全部完食してきた。もちろん、傍らにはエリクサーの瓶を用意しておいたけどな。エリクサーを飲みながらでなければいくらキメラでも死んでしまう。

 

 それと、俺もタクヤと同じく転生者だから色々とスキルを装備しているんだが、その中に『毒物完全無効化』という便利なスキルがある。装備しているだけで体内に侵入した毒物を瞬時に分解し、無力化してくれるというスキルだ。若い頃に毒のせいで死にかけた後からはずっと装備しているスキルなんだが、なんとエリスの料理は何故かこのスキルを無効化してしまうらしい。スキルではエリスの手料理を無効化することは出来ないんだ。

 

 残せば彼女が悲しむ。だから必ず完食しなければならない。

 

「………行くぞ」

 

「社長――――――」

 

 ヘンシェルに止められる前に、俺は硬化した状態の手で弁当箱の中で横たわっている腐りかけのウナギを掴み上げた。溶け始めて粘液と化したゼリーの残骸に覆われているウナギの亡骸は更に腐り始めていて、表皮の下に見える肉は白く変色し始めている。

 

 一瞬だけ売店でパンを買ってこようと思ったが、俺はすぐにその考えを投げ捨てると、目を見開きながら一気にウナギゼリーに噛みついた!

 

「うっ…………」

 

 食感は、長時間魚の切り身を煮込み続けたような感じだった。歯応えは全くなく、液体になりかけている身はどろりとしている。悪臭のせいで吐き出してしまう前に口の中にウナギを詰め込んだ俺は、吐き出す前に素早く咀嚼すると、エリクサーの瓶を2本拾い上げて大急ぎで蓋を開け、中に入っていたピンク色の液体を口の中へと流し込んだ。

 

 悪臭が消えているうちに一気に呑み込み、そのまま続けてエリクサーを次々に飲み干していく。ヘンシェルが買ってきてくれたエリクサーを全て飲み干した俺は、額の冷や汗をハンカチで拭き取ると、懐から銀貨の入った小さな袋をヘンシェルに手渡す。

 

「エリクサー代だ」

 

「社長………」

 

 これじゃ昼食はエリス製のウナギゼリーじゃなくてエリクサーだな。

 

「すまなかったな。昼休みなのに、エリクサーを買いに行かせてしまって…………おえっ」

 

 拙い。何だかくらくらしてきた………。

 

 せっかく拭き取ったばかりだというのに、額が冷や汗で再び埋め尽くされ始める。早くも俺が体調を崩したことに気付いたヘンシェルが叫びながら俺の身体を揺すり始めるが、もう聞き慣れた彼の声は聞き取れなくなっていた。

 

 そういえば、ラウラはエリスに似たのか料理が下手だったな。あいつはヤバい料理を食わされていないだろうか………?

 

 転生者だったとはいえ息子として生まれてきた彼の事を案じ、俺は机の上で目を閉じた。

 

 

 

 



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タクヤとラウラとナタリアのパーティーに足りないもの

 

 魔術の発達した異世界では決して響き渡る事のない凄まじい轟音が、魔物たちの断末魔を押し流し、草原の静寂を木端微塵に粉砕する。蹂躙されているのは彼らの鳴き声だけではない。響き渡る銃声を突き破って飛んでいく弾丸の群れが、次々に魔物たちの身体を蜂の巣に変えていく。

 

 目の前の金髪の少女が銃を連射し、草原で襲い掛かってきたゴブリンたちを蜂の巣にしていく。まだ銃の訓練を始めたばかりであるため命中精度は低く、撃ち漏らしたゴブリンたちの唸り声が近づいてくるが、接近してきた奴らは俺が構えるG36Kのセミオート射撃によって頭を撃ち抜かれ、1匹も接近できずに殺され続けるという状況がずっと続いていた。

 

「し、しまった………!」

 

 残り2匹。しかも両方とも接近してきていて、距離も近いから容易く命中させられるというのに、彼女が持っていた銃のマガジンの中の弾薬が尽きてしまったため、トリガーを引いても獰猛な弾丸たちが発射されることはない。

 

 ぎこちない動きでマガジンを取り外そうとするナタリア。訓練を始めたばかりだから再装填(リロード)の動きは俺たちよりも遥かに遅い。しかもゴブリンが接近しているという状況が彼女を焦らせ、作業速度を一段と遅くさせているんだ。

 

 一瞬だけ頼れる赤毛のスナイパーと目を合わせた俺は、素早くG36Kを構えてセミオート射撃でゴブリンの頭を撃ち抜く。もう片方のゴブリンも仕留めてしまおうと思っていたんだが、照準を合わせようとした頃には既に別の銃声が響き渡り、ゴブリンの頭を正確に撃ち抜いていた。

 

 頭を撃ち抜かれて崩れ落ちるゴブリン。他に魔物がいないことを確認してから銃を下げた俺は、銃声にびっくりしながら再装填(リロード)を続けるナタリアの傍らへと駆け寄る。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「え、ええ。ごめんね、足手まといになっちゃって………」

 

 やっと再装填(リロード)を終え、コッキングレバーを引いたナタリアは、訓練以外で扱った事のない異世界の兵器を構えたまま申し訳なさそうに言った。

 

「何言ってんだ。そいつ使った初陣にしては良い戦果だと思うぜ?」

 

 ナタリアにも、あのメニュー画面で生産した武器を渡してある。

 

 彼女が持つ銃は、PDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)と呼ばれる種類の銃だ。SMG(サブマシンガン)のように小さい銃だがハンドガンの弾丸を連射するSMGとは異なり、このPDWは更に貫通力と攻撃力の高い弾丸を発射する。中にはアサルトライフルと同じ5.56mm弾を発射可能な代物もあるんだ。

 

 ナタリアに渡したPDWはまさにその5.56mm弾を使用する獰猛な代物だ。彼女が装備しているPDWは、アメリカ製PDWのマグプルPDR。FA-MASfelinのようにマガジンが後方にあるブルパップ式の銃で、空の薬莢を排出する方向を左右に切り替える事ができるという機能を持つ。更にSMG並みのサイズでありながらアサルトライフルと同じ弾薬を使うため、他のPDWと比べると攻撃力が高くなっている。

 

 マグプルPDRに施したカスタマイズは、ホロサイトとブースターの追加と、マガジンをG36系のマガジンへと変更した事の3つだ。ホロサイトとブースターを取り付けたのは照準を付けやすくするためと中距離でも狙撃できるようにするためだが、マガジンを変更したのは、俺のG36Kと同じ弾薬を使用するから、すぐに弾薬を分け合う事ができるようにするためだ。

 

 俺は場合によってはこの前生産したばかりのOSV-96で狙撃に回るだろうから、その場合はG36Kのマガジンを全部彼女に渡すことも出来る。弾薬とマガジンに互換性があった方が便利だし、現状では弾薬は再装填(リロード)3回分と最初から装着されている分しか用意されないから、弾切れを阻止するためにも他のメンバーと弾薬を分け合えるようにした方が便利というわけだ。

 

「そ、そうかな………?」

 

「そうだよ。なあ、ラウラ?」

 

「うん、今回が初陣だもん。ゴブリンをあんなにやっつけたのは凄いよ」

 

 そう言いながら草原の向こうを指差すラウラ。草原で横になっているゴブリンの数は15体ほどだろうか。騎士団ならば接近を許してしまうほどの数だが、俺たちは最後の2体以外は接近させずに撃破しているし、全員無傷だ。

 

 ナタリアに実戦を経験させるためという事であまり俺とラウラは手を出さなかったという事もあるが、ナタリアの戦果は初陣でゴブリン12体の射殺。近距離攻撃しかしてこない魔物が相手とはいえ、銃の使い方を習ったばかりで12体も射殺できたのだから良い戦果だろう。

 

 ちなみに彼女のサイドアームは、ラウラと弾薬を分け合えるようにMP443を渡してある。

 

 元々弓矢を主体にして戦っていたナタリアにとっては、剣よりも飛び道具の方が扱いやすいんだろう。弓矢と銃は全く違う武器だが、同じ飛び道具であるのだから距離などは参考にできる筈だ。

 

 銃を2つも渡したんだが、彼女はそれ以外にもまだコンパウンドボウを装備しているし、近距離用に大きめのククリ刀を持っている。おそらく愛着があったんだろう。冒険者としてダンジョンを調査している間ずっと彼女の身を守り続けた得物なのだから、俺たちもそれを使うなとは言っていない。

 

 それに、弓矢は当然ながら銃のように轟音がしないから、静かに狙撃するにはうってつけだ。魔物相手には攻撃力不足かもしれないが、対人戦ならば殺傷力は十分だろう。

 

 俺たちの敵は魔物ばかりではない。親父から受け継いだこのコートを身に纏い、フードに転生者ハンターのシンボルである真紅の羽根を付けている以上、他の転生者も狩らなければならないのだから。

 

 あとでナタリアに弓の使い方を教わっておこうかな。親父たちは使った事が無かったらしいし、モリガンのメンバーの中で唯一弓矢を使った経験のあるカレンさんも最終的にはマークスマンライフルを扱うようになってしまったらしいし。

 

「さて、そろそろ進むか?」

 

「そ、そうね」

 

「ふにゅ………」

 

 アサルトライフルを背負って歩き出そうとしていると、俺よりも一足先にスナイパーライフルを背中に背負っていたラウラがすかさず手を握ってきた。そしてナタリアがこっちを見て驚愕しているというのに、そのまま腕にしがみついて頬ずりを始める。

 

「ちょ、ちょっとラウラ。何でいちいちタクヤにくっつくのよ!?」

 

「ふにゅ? いいじゃん。タクヤの事大好きなんだもんっ」

 

「実の姉弟でしょ!?」

 

「腹違いだよー。えへへっ」

 

「…………」

 

 ナギアラントへと向けて出発してから数時間が経過しているんだが、今のところラウラとナタリアの喧嘩は一度もない。だが、ナタリアという異性を仲間にしたせいで彼女に俺を取られるかもしれないと警戒しているのか、ラウラは余計俺にくっついて来るようになってしまった。今まで歩く時は手を繋ぐ程度で満足してくれていたんだが、数時間前から彼女は歩く時も腕に抱き付いてくるため、正直に言うと非常に歩き辛い。

 

 彼女が重いというわけではないんだが、物理的にも歩き辛いし、たまにすれ違う他の冒険者や荷馬車の御者台に座る商人に見られるとかなり恥ずかしい。俺が男ではなく少女のような容姿をしているから彼氏と彼女ではなく仲の良い姉妹だと思われているのかもしれないけどな。

 

 でも、ラウラがナイフを引き抜いてナタリアと殺し合いをするよりはましだ。もしかしたら旅に出てからすぐに機嫌を悪くした彼女がナタリアに襲い掛かるのではないかと心配していたが、こんな感じにちゃんとラウラを甘えさせていれば、まるで友達同士のように楽しそうに会話をしている。

 

 もしかしたら、ラウラのヤンデレは治るんじゃないだろうか? そうすればハーレムが作れるようになるぜ………。

 

 そう思ってメニュー画面を開き、好感度をタッチ。ラウラの名前をタッチして彼女の好感度をチェックするが、好感度を意味するハートマークの色はヤンデレを意味する紫色から全く変わっていない。

 

 治らないのか………?

 

 少しだけ落胆しながら、今度はナタリアの好感度をチェックすることにする。彼女の好感度は今のところ1.5くらいだ。ハートマークが1つと半分だな。色はやや黄色っぽい。彼女はツンデレという事か。

 

 ツンデレか………。デレる前に俺の心が折れなければいいなぁ………。

 

 美少女に酷い事言われると滅茶苦茶傷つくんだよね。

 

「………今日は野宿かしら?」

 

「そうなるだろうなぁ」

 

 左手にしがみついて頬ずりを続けるラウラの頭を撫でながら橙色の空を見上げる。フィエーニュ村を出発した時からずっと広がっていた蒼空は、もう夕日に侵食されて変色し始めていた。あと数十分で日が沈んでしまう事だろう。

 

 ここは草原の真っ只中だ。周囲には宿屋などないし、管理局の施設もない。今夜は野宿するしかないな。そう思った俺は、ラウラの頭を撫でながら再び草原を歩き始める。

 

 ネイリンゲンの郊外に住んでいた時以外は、重々しく殺風景な防壁に囲まれた閉鎖的な王都で生活していたせいなのか、防壁のない開放的な草原で野宿をするのは何だかワクワクした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、あんたたち」

 

「ん?」

 

「ふにゅ?」

 

 焚火の炎に照らされながら、ついさっき仕留めたハーピーの肉を頬張っていると、焚火の向こうで焼けたハーピーの肉を齧っていたナタリアが話しかけてきた。昼食は道中ですれ違った商人から購入した干し肉とパンだけで済ませていたから空腹だったのか、隣にいるラウラは仕留めたばかりのハーピーの肉をもぐもぐと頬張ったまま顔を上げる。

 

「あの、思った事があるんだけど」

 

「思った事?」

 

「ええ。このパーティーの事なんだけど」

 

 パーティーの事だって? 半年だけとはいえ先に冒険者になっているのは彼女なのだから、アドバイスは聞いておいた方が良いだろう。俺たちは数日前に冒険者になったばかりの新人なのだから。

 

 噛み砕いた鶏肉のような味の肉を飲み込み、水筒の水を口に含んだ俺は、口の周りについていた小さな肉のかけらを手で取りながら聞き返す。

 

「足りないものがあると思わない?」

 

「足りないもの?」

 

「ふにゅ? アイテムならちゃんと買いそろえてあるよ?」

 

 足りないものをアイテムの事だと思ったのか、ラウラはポーチの中から3種類のエリクサーを取り出し始める。だがナタリアが言った足りないものはアイテムの事ではなかったらしく、彼女は焚火の向こうで首を横に振った。

 

「パーティーの編成についてよ」

 

「それは仕方ないだろ。まだ旅に出たばかりなんだし」

 

「そうだよ。それに、ちゃんとバランスはとれてるよ?」

 

 人数は確かに少ないが、ラウラの言う通りだと思う。俺とナタリアが前衛で、後方からラウラが狙撃で支援してくれるのだから、偏っているわけではない筈だ。それに俺も狙撃の訓練を受けているから、臨機応変に距離を切り替える事ができる。

 

 ラウラと同時に真顔でナタリアにそう言い返すと、彼女はぽかんと口を開けてからため息をついた。

 

 何が足りないんだ?

 

「だって、タクヤとナタリアちゃんが前衛で、私が狙撃すればいいじゃん。足りなくないよ?」

 

「あのね…………落ち着きなさい。あなたたちは攻撃の事しか考えてないのよ」

 

「防御か? でっかい盾でも持った槍使いを仲間に入れろって事なのか?」

 

「えぇ? 盾なんて銃弾で貫通できるし、足手まといだよぉ」

 

 それに、防御力ならば俺たちは外殻を生成できるから、場合によってはナタリアを庇うことも出来る。防御力では問題はない筈だ。

 

 一体何が足りないんだ?

 

「あのね…………あなたたち、いつまでも回復をアイテムに頼るわけ?」

 

「ふにゅ?」

 

「このパーティーに足りないのはね―――――――治療魔術師(ヒーラー)よ」

 

 すっかり治療魔術師(ヒーラー)の事を忘れていた。俺は思わず頭を抱えながら苦笑いする。

 

 治療魔術師(ヒーラー)は、簡単に言えば治療魔術が専門の魔術師の事だ。光属性の治療魔術であるヒールや、更に回復力の高いヒーリング・フレイムなどの魔術に精通した魔術師の総称で、冒険者のパーティーの中にはほぼ必ず1人は含まれていると言われるほど重要な存在である。

 

 攻撃用の魔術は苦手であるため魔物と遭遇すると危険だが、治療魔術師(ヒーラー)がいれば、戦闘中に素早く回復する事ができるし、アイテムも節約する事ができる。

 

 今まで回復しなければならないほどダメージを受けたことはないし、ほぼ無傷で戦いが終わっているから回復する必要もなかったんだが、これからは強敵も出てくるだろうし、回復アイテムだけでは足りなくなることだろう。治療魔術師(ヒーラー)も仲間にしておいた方が良いかもしれない。

 

「なるほど、治療魔術師(ヒーラー)か」

 

「ふにゅう………確か、回復してくれる魔術師さんなんだっけ?」

 

「そうそう。俺たちあまりダメージ受けないからなぁ………」

 

「あ、当たり前でしょ。こんな武器持ってるんだもん…………」

 

 自分が腰に下げていたマグプルPDRを見つめながら言うナタリア。彼女には転生者の事も話してあるし、この銃が異世界の武器であるという事も伝えてある。それに、俺たちが転生者を狩る転生者ハンターであるという事も、彼女には話しておいた。

 

「……とりあえず、ナギアラントに到着したら列車に乗る前に治療魔術師(ヒーラー)を探そうよ。ダンジョンに行くならその方が良いと思う」

 

「そうするか。………ところで、ナギアラントにもダンジョンがあるって聞いたんだが、知ってるか?」

 

 もしナギアラントで見つからなかったら、エイナ・ドルレアンに行ってから探せばいいだろう。あそこは南方で最大の都市だし、魔術に最も力を入れているオルトバルカ王国だから魔術師は何人もいる。簡単に見つけられる筈だ。

 

 そう思いながらナタリアにダンジョンについて聞こうとしたんだが、ナギアラントで魔術師を探すとラウラが言うと、ナタリアはハーピーの肉を齧りながら目を細め始めた。

 

「………どうした?」

 

「ナギアラントで探すのは……やめた方が良いと思うわ」

 

「え? 何で?」

 

 田舎だからか? でも、あそこには列車の駅があるし人口もフィエーニュ村よりも多いぞ。別にエイナ・ドルレアンに到着してからでもいいが、何でナギアラントで探すのは拙いんだろうか?

 

「あのね、他の冒険者から聞いたんだけど………ナギスラントで、魔女狩りが始まったらしいの」

 

「魔女狩り?」

 

 大昔のヨーロッパで起きたあの魔女狩りの事か? 前世の世界でも起きていた魔女狩りの事を連想していると、水筒の水を飲んだナタリアが話を聞かせてくれた。

 

「オルトバルカ教団は知ってるわよね?」

 

「ああ」

 

「ナギアラントにある教団の支部長が変わったの。どこから来たのか分からないけど、まだ17歳くらいの少年らしいわ。とてもわがままな性格で、気に入らない人々を魔女と決めつけて処刑しているらしいの」

 

「なんだそりゃ? 教団の本部は何をしてるんだ?」

 

「それが、その少年が特殊な力を持っているせいでなかなか力が出せないらしいの。………きっと、そいつも転生者だと思うわ」

 

 なるほど、転生者(獲物)か。

 

「――――――でも、この武器があれば勝てるかもしれない」

 

「そうだな。それに、もしそいつが転生者なら狩るだけだ」

 

「私たち、転生者ハンターだもんねっ」

 

 親父に誓ったんだ。人々を虐げているクソ野郎ならば狩ると。

 

 だから俺たちは転生者ハンターになった。親父からコートを受け継ぎ、転生者を狩ることにしたんだ。素通りするわけにはいかないだろう。

 

 それに、気に入らない奴を魔女と決めつけて処刑するようなクソ野郎だ。容赦する必要はないだろう。現代兵器を使ってナギアラント支部に殴り込みでも仕掛けてみるか。

 

「よし、対人戦だ。………ナタリアはもう少し訓練を続けよう。場合によっては不参加でもいい」

 

「……いえ、私も行くわ。見捨てられないもの」

 

 それに、彼女は親父のように人々を助けられるような存在になりたいと言っていたからな。不参加とは絶対に言わないだろう。

 

「分かった。無理はしないでくれよ」

 

「ええ」

 

「じゃあ、今夜は俺が見張る。ラウラとナタリアは寝ておけ」

 

 G36Kを肩に担いだ俺は、2人にそう言ってから真っ暗になった草原を見渡した。

 

 気に入らない奴を魔女と決めつけて処刑する転生者か。まるで独裁者じゃねえか………。人々を虐げている転生者を想像するだけでイライラするぜ。早くそいつの顔面に弾丸をありったけぶち込みたいところだ。

 

 俺は人を虐げるような奴が許せない。おそらくそんな正確なのは、前世で幼少の頃から親父に虐待されていたからだろう。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 胡坐をかきながら草原を見渡していると、あくびをしたラウラが俺の膝の上に頭を乗せてきた。

 

「2人目の獲物だね」

 

「ああ」

 

 そうだな。2人目の獲物だ。一番最初に殺した奴みたいに狩らせてもらおう。

 

 膝の上で瞼を閉じたラウラの頭を撫でながら、俺はそう思った。

 

 



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ナギアラント

 

 ナギアラントは、王都ラガヴァンビウスの南方に位置する小さな街だ。周囲には草原が広がっていて、街は未だに昔に建造された粗末な防壁に囲まれているが、城郭都市と呼ぶには小さ過ぎる。その防壁も、魔物による襲撃の件数が激減してからはまさに無用の長物で、鉄道の線路を拡張する際の邪魔にしかならないため、最近では騎士団の戦力の増強の代わりに取り壊す予定となっているようだ。

 

 小さな街ではあるが、フィエーニュ村とは違って列車の駅が存在するため、観光客は多く訪れる。観光客の目的はナギスラントにあるオルトバルカ教団支部や博物館だ。オルトバルカ王国が建国された当時からずっと残っている古い街であるため、様々な伝説も残っている。

 

 ナタリアから聞いたんだが、その中でも一番有名なのは『サキュバスと魔女狩り』らしい。

 

 かつてこの異世界には、サキュバスと呼ばれる種族が存在していた。強力な魔術を使いこなす種族で、戦闘能力は吸血鬼をはるかに上回ると言われていたらしい。

 

 強力な魔術を使う種族だが、自分で魔力を生成する能力は持たない種族だったという。人間やエルフならば、魔力を消費した場合は休息すれば魔力は勝手に回復していくんだが、サキュバスの場合は魔力を自分で回復させる事ができなかったため、魔力を使い切ってしまった場合は他の種族や魔物から吸収する必要があったと言われている。

 

 大昔は他の種族と友好的だったサキュバスだが、種族の人口が増えるにつれて食料となる魔力を他の種族から大量に吸収しなければならなくなってしまう。魔力を吸収され過ぎると死に至るため、サキュバスの人口増加の影響で多くの人々が犠牲になるという事件が起こってしまった。

 

 しかもサキュバスが魔力を吸収したのは人間だけではなく、エルフやハーフエルフもサキュバスによる被害を受けた。現在では絶滅寸前と言われている吸血鬼もサキュバスによる被害を受けており、最強の吸血鬼と言われているレリエル・クロフォードの祖父である『ベリアル・クロフォード』の代では、吸血鬼が滅亡しかけているという。

 

 このサキュバスの人口増加による絶滅を恐れた各種族たちは、サキュバスを魔女とし、各地で魔女狩りを行った。これがこの異世界に伝わる魔女狩りとされている。

 

 全ての種族を敵に回したサキュバスたちは度重なる虐殺と弾圧で急激に数を減らし、ついに絶滅してしまう。

 

 その最後のサキュバスが抵抗した場所が、ナギアラントという街だという。だからナギアラントにある博物館には、魔女狩りに関する資料が数多く保管されていて、観光客がよく訪れるらしい。

 

 魔女と呼ばれて消えていった種族が最後に抵抗した街で、また魔女狩りが始まっている。しかも今度は恐ろしい種族を駆逐するための魔女狩りではない。たった1人の人間が、理不尽に力を振りかざして行う最悪の魔女狩りだ。

 

 だからこそ、俺たちは今から転生者(悪魔)を狩りに行く――――――。

 

「見えたよ」

 

 スナイパーライフルを背負いながら歩いていたラウラが、愛用のベレー帽をかぶり直しながら報告する。草原の真っ只中に見えた防壁の向こうに、魔女(サキュバス)たちが最後に抵抗して死んでいったという街が存在するのだろう。そしてその街のどこかに獲物がいる。理不尽に力を振りかざす事を楽しむ外道が、あの防壁の中にいるんだ。

 

 怒りのせいで少し角が伸び始めたが、俺は右手を思い切り握ることで落ち着かせる。まだブチギレするべきではない。落ち着いて街の中に潜入し、調査してから獲物を仕留めればいいだろう。獲物の居場所を知る前に銃をぶっ放すハンターなどいないのだから。

 

 いきなり戦いを始めるわけではないため、身に着けている武器は軽装だ。俺は大型トレンチナイフとアパッチリボルバー・カスタムを腰に下げ、コートの内ポケットにはロシア製リボルバーのMP412REXを装備している。傍から見ればナイフと奇妙な形状のナックルダスターを持った冒険者にしか見えないだろう。

 

 アパッチリボルバー・カスタムは、ナイフの形状を変更し、2.5インチくらいの長さの銃身を追加している。さらにリング状のグリップを厚くすることで、ナックルダスターとして殴りつけた時の攻撃力を上昇させている。ナイフの形状はククリナイフを短くしたような楕円形の刀身で、普段はシリンダーの下から銃口の真下にかけて装備されているカバーの中に収納されている。

 

 まるでコルト・ドラグーンの銃身を短くしてナイフのカバーを追加し、グリップをリング状のグリップに変更したような形状だ。隠密行動の際に目立たないように、全体は漆黒で塗装してある。

 

 ラウラの装備はスナイパーライフルのSV-98とリボルバーのMP412REX。もちろんリボルバーは俺が彼女のために作った色違いのもので、彼女はこれをかなり大事にしているらしい。それ以外の装備は4本のナイフで、そのうち2本は両足のカバーの中に収納されている。

 

 ナタリアも銃を持っているが、元々軽装だった彼女は特に装備を変更していない。アメリカ製PDWのマグプルPDRと、ロシア製ハンドガンのMP443だ。それ以外の装備はコンパウンドボウと大型のククリ刀となっている。

 

「あれがナギアラントか」

 

「ええ。あそこにその転生者がいるわ」

 

「まずは街に潜入し、調査してからだ。まだ大暴れしないようにな」

 

「はーいっ!」

 

「ら、ラウラ………」

 

 一番心配なのはラウラなんだよなぁ…………。彼女の性格は幼いし、もし彼女がブチギレしたらヤバい事になる。ナギアラントくらいの大きさの街なら、1分足らずで氷漬けにしてしまうだろう。

 

 だから出来るだけ俺はダメージを受けないようにしよう。ラウラは自分を馬鹿にされたり痛めつけられる事よりも、弟である俺が傷つけられると激昂するんだ。

 

 魔物を退治しに行ってた時も、俺に攻撃を当てたゴブリンをナイフでズタズタにしてたし。まるで炒める直前のハンバーグみたいになるまでナイフを突き立てながら虚ろな目で笑ってた姉の姿を思い出した俺は、隣を歩く成長した姉をちらりと見てぞっとした。

 

「ふにゅう? どうしたの?」

 

「な、何でもない」

 

「?」

 

 首を傾げるお姉ちゃんは可愛らしいけど、ブチギレした時の彼女は親父並みに恐ろしい。きっとあの姿を見たら百戦錬磨の親父もトラウマになってしまうに違いない。

 

 返り血まみれで激昂するラウラを目の当たりにした親父の姿を想像しながら歩いていると、いつの間にかナギアラントの防壁が大きくなっていた。自分の愛娘がブチギレしたのを見てビビる親父の姿を想像するのは後回しにして、周囲を確認しないと。

 

 防壁の門は2つある。片方は列車用の門で、もう片方は馬車や人間用の門だ。列車用の門は魔物の侵入を防ぐために普段は閉鎖されていて、列車がやってきた時だけ解放されるようになっているらしい。

 

 馬車や人間が通る方の門の前には、防具に身を包んでハルバードを手にした2人の騎士が見張りをしているようだった。だが、防具の下に身に着けている制服の色が騎士団とは違う。オルトバルカ王国騎士団の制服は赤なんだが、その騎士たちの制服は純白だ。しかも肩に装着している防具には、騎士団ではなく教団のエンブレムが刻まれている。

 

「………気を付けて。教団の兵士よ」

 

「教団にも兵士がいるのか?」

 

「ええ。きっとあいつらも魔女狩りに加担している筈よ。今のナギアラントは独裁国家と化しているから………」

 

 油断はできないな。気に入らない人々を次々に魔女と呼んで裁判を開き、処刑しているような奴らだ。もし俺たちの頭にある角を見られたら俺たちも魔女扱いされちまうだろうし、一緒にいたナタリアも巻き込まれてしまうだろう。

 

 フードをかぶって旅をする冒険者もいるからそんなに怪しまれる筈はないんだが、気を付けた方が良い。ちゃんと角が隠れているか確認した俺は、2人と共に防壁の門へと向かう。

 

 草原の向こうからやって来た俺たちには、警備兵は当然ながら気付いているようだった。兜をかぶった兵士たちが俺たちの方をじろじろと見ながら、ハルバードの先端をこっちへと向けてくる。

 

「止まれ。この街に何か用か?」

 

「は、はい。僕たちは冒険者なんですが、この街の近くにあるダンジョンに行こうと思ってまして………」

 

「この街で宿泊していこうと思っているんです」

 

 ナタリアが捕捉してくれる。彼女はしっかり者だな。

 

「冒険者か………」

 

「はい。では―――――」

 

「待て。通行料を払ってもらおうか」

 

 なに? 通行料を払えだと?

 

 原則として、門を通過する場合は通行料を支払う必要は全くない。女王であるシャルロット女王や議会がそう決めているというのに、個々を通過する場合は通行料を支払わなければならないらしい。

 

 おそらく、こいつらのリーダーがこうやって通行料を払わせるように命令しているんだろう。拒否すれば魔女と決めつけ魔女裁判送りにし、そのまま処刑するつもりに違いない。

 

 目立たないようにしたいし、値段次第では払っておいた方が良いだろう。ズボンのポケットの中から財布を取り出すふりをしてナックルダスターを握りながら、俺は「いくらです?」と尋ねる。

 

「そうだなぁ………金貨4枚だな」

 

「ふにゃっ!?」

 

 金貨4枚!? 

 

 高すぎるだろう。金貨は3枚もあればローンなしで普通の家を建てられるほどの金額だぞ。王都の一般的な労働者の年収でも金貨5枚くらいだというのに、門を通過するだけで金貨を4枚も取るのかよ。

 

 ふざけやがって。ぶん殴ってやろうか。

 

「おいおい、どうした? 払えないのか?」

 

「分かってんのか? 俺たちはオルトバルカ教団だぞ? 教壇に金を納められないような奴は魔女に決まってる!」

 

「金が払えないんだったら仕方がないなぁ………。あ、でも俺たちと遊びに行くっていうなら見逃してやってもいいぜ?」

 

「そりゃいいな! よく見たらこいつら全員可愛いし、このフードかぶってる子は俺の好みだしな! ギャハハハハハハハッ!!」

 

 また俺が狙われてる………。男に口説かれるのはもう嫌です。

 

 俺はハーレムを作る予定なんだ。彼氏を作る予定はありません。

 

 一瞬だけラウラと目を合わせる。ラウラもこいつらが気に入らないらしく、もうぶちのめす準備を済ませているようだ。隣に立つナタリアは、もう穏便に街に入り込むことを諦めているらしく、俺と目を合わせながら肩をすくめている。

 

 ナタリア、こいつらはぶちのめしてもいいんだよな?

 

 彼女が肩をすくめたという事は、ぶちのめしてもいいという事だろう。

 

「…………分かりました、支払います」

 

「じゃあ早く金を――――――ブッ!?」

 

 ニヤニヤ笑いながら右手を差し出す警備兵の顔面に、ポケットから引き抜いたアパッチリボルバー・カスタムのナックルダスターで左ストレートをお見舞いする。威力を底上げするために分厚くなったリング状のグリップが警備兵の顔面にめり込み、へし折られた前歯が血と共に噴き出す。そのまま左手を押し込んで殴り飛ばすと、血の付いたナックルダスターから血を拭き取りながら言った。

 

「―――――――ほら、通行料(俺の左ストレート)だ」

 

「て、てめえッ! ――――――ギャッ!?」

 

「ふにゃあー」

 

 眠そうな声を出しながら右足を蹴り上げるラウラ。漆黒のブーツが警備兵の顎に直撃し、防具を身に着けた男が数秒だけ宙に浮きあがる。その隙にジャンプしていたナタリアが腹を天空へと向けて浮き上がった男の腹に右ストレートを叩き込んで追撃したため、俺たちを恐喝しようとしていた哀れな警備兵は、赤毛の美少女に蹴り上げられた上に追撃され、地面に背中を叩き付けられる羽目になった。

 

 可哀想に。

 

「容赦ないねぇ、ナタリア」

 

「ムカついただけよ」

 

 彼女も怒らせない方が良いな。

 

「ところで、このキモいおじさんたちはどうするの?」

 

「うーん………じゃあ、手足と口を凍らせて壁の外に放置しておこう。運が良ければ仲間が見つけてくれるだろうし、運が悪ければそのまま魔物が処分してくれるからね」

 

「はーいっ!」

 

 やれやれ。いきなりぶちのめしちまった。

 

 アパッチリボルバー・カスタムをポケットにしまった俺は、ラウラが男たちの手足を氷漬けにしていくのをため息をつきながら見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 ナギアラントの街並みは、幼少の頃に3年だけ住んでいたネイリンゲンのような雰囲気だった。産業革命が始まって工場の数が増えているというのに、まだ木造の建物やレンガ造りの建物が残っている。工場が全くないわけではないんだけど、小さな街であるせいなのか、工場は2ヵ所か3ヵ所くらいしか見当たらない。

 

 中途半端に発展し、そのまま放置されたような感じの街だ。教団の支部長が変わる前はもっと活気があったのだろうか? 通りを歩いている人の数は少ないし、歩いている人も何だかびくびくしながら歩いているような感じがする。

 

 きっと恐ろしいんだろう。もしかしたら自分も魔女扱いされ、教団の兵士たちに連れていかれて処刑されるかもしれないと思っているから、みんな家に閉じこもっているに違いない。

 

「ふみゅう………なんだか寂しいところだね」

 

「そうだな。何だか静かな街だ」

 

「………とりあえず、どこかで情報を集めましょうよ。あっ、あそこのパブはどう?」

 

 ナタリアが指差したのは、閉店したままの状態になっている洋服店の隣にあるパブらしき建物だった。窓ガラスはちゃんと掃除していないのか薄汚れていて、中の様子は全く見えない。辛うじて暖炉かランタンの明かりが見える程度だ。

 

 このまま街をうろついていてもまた兵士に絡まれるだけだろうし、あそこで食事を摂りながら情報を集めるのもいいかもしれない。

 

 通りに兵士がいないことを確認した俺たちは、そのパブに入ることにした。

 

 パブの中は静かで、カウンターの向こうの痩せ細った店主が皿を洗う音しか聞こえない。客は俺たち以外にはいないようで、カウンターの前の席や他の席もすべて空いている。

 

「いらっしゃい。ゲホッ、ゲホッ………珍しいね。この街に観光かい?」

 

「ええ」

 

「そうかい。こんな貧しい店だけど、ゆっくりしていってくれ」

 

 皿を洗っていた痩せ気味の店主は、咳き込みながらそう言ってくれた。支部長の圧政のせいで苦しい生活になっている筈なのに、この人は俺たちをもてなそうとしてくれているんだ。

 

 カウンターの前の椅子に腰を下ろした俺たちは、とりあえずメニューを手に取った。紅茶とパンとフィッシュアンドチップスを注文し、俺はカウンターの向こうへと戻った店主に話を聞く。

 

「おじさん、教団の支部長ってどんな人なの?」

 

「………」

 

 単刀直入過ぎる質問だったか。ナタリアに睨みつけられた俺は苦笑いしながら彼女に謝ると、もう一度店主の顔を見つめる。

 

 痩せ気味の店主は店の外をちらりと見て、兵士たちが盗み聞きしていないか確認してから話を始めた。

 

「最低な奴だ。自分に刃向かう奴を手あたり次第に魔女と決めつけて処刑してる。しかも税金は高くなってるし、防壁と警備兵のせいで街から逃げ出すことも出来ない。ここは監獄だよ」

 

「監獄…………」

 

 魔物から身を守るための防壁が仇になっているというわけか。

 

 刃向かってきた人々を処刑して戦力を奪ってしまえば、刃向かえる者たちはいなくなる。しかも防壁が街を取り囲んでいるから、逃げ出すことも出来ない。住民たちから税金を搾り取る事ができる監獄の完成というわけだ。

 

「何人も殺された。せめて騎士団が来てくれれば、あんな男―――――――」

 

「――――――おいおい、おっさん。何の話をしてるんだ?」

 

 痩せ気味の店主の弱々しい声を押し潰したのは、入口の方から聞こえてきた数人の男たちの荒々しい声だった。ぎょっとした店主が入口の方を振り向くと同時にそっちを見てみると、いつの間にか鎧に身を包んだ男たちが、入口の方でニヤニヤ笑いながらこっちを見ている。

 

 今の話を聞いていたんだろう。その中の1人が店の中へとやってくると、カウンターの向こうにいる店主に向かって剣を引き抜き、切っ先を向けた。

 

「まさか教団の悪口を言ってたわけじゃねえよな?」

 

「そ、そんなことは………っ!」

 

「ここは監獄だってさ。教団がてめえらを守ってやってるっていうのに、そんな悪口言っていいのかなぁ?」

 

「お、お許しください! 私は――――――」

 

「許せねえなぁ。そういえば最近も税を滞納してるみたいじゃねえか」

 

 すると、店主は兵士を睨みつけながら言い返した。

 

「そっ、それは………あんたらがこんな圧政を始めるからだろう!? おかげで客も減ってしまった! 売り上げが伸びるわけがないだろうがッ!!」

 

 我慢できなくなってしまったんだろう。だが、そんなことを言ってしまえば騎士たちは店主を魔女と決めつけるに違いない。兵士に言い返し終えてはっとした店主は顔を青くしたが、兵士はニヤニヤ笑いながら後ろの方にいる仲間たちの方を見て合図を送った。

 

 店の中に、他の兵士たちも入ってくる。店主は「や、やめろ!」と言いながら抵抗するが、痩せ細って咳き込んでいた初老の男性が鍛え上げた兵士たちに勝てるわけがない。

 

「連行しろ。教団に逆らったやつだからな。魔女の疑いがある」

 

「――――――おい、待てよ」

 

「あ?」

 

 カウンターの奥から連れ出された店主が店の外へと連れて行かれる前に、俺はそっと席から立ち上がった。兵士たちに指示を出していたその男が目を細めながら、俺の事を見下ろしてくる。

 

 苦しい生活をしているというのに俺たちをもてなそうとしてくれた優しい人を、見殺しにできるわけがない。ラウラとナタリアも同じことを考えていたらしく、俺と目を合わせながら一瞬だけにやりと笑ったのが見えた。

 

「何だよ?」

 

「悪いけど、食事を注文したばかりなんだ。………その人を離してやってくれよ」

 

「何言ってんだ、ガキ。こいつは教団に刃向かった魔女なんだぜ? お前も刃向かうのか? あ? てめえも魔女だって言って連行してもいいんだぜ?」

 

「そうか」

 

 右手を腰に伸ばし、中に納まっている大型トレンチナイフを引き抜く。左手でポケットの中のナックルダスターも握った俺は、男を睨みつけながらナイフの切っ先を向けた。

 

「――――――なら、てめえらをあの世に連行してやるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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転生者が2人目の獲物を狩りに行くとこうなる

 

「あの世に連行してやるだと?」

 

 鎧に身を包んだ教団の兵士が、俺を見下ろして笑いながら剣を引き抜いた。クズのような野郎だがちゃんと訓練で体を鍛えているらしく、剣を握る手は俺よりも大きく、がっちりしている。転生者ではないが、その剣戟は強烈だろう。

 

 母さんよりははるかに格下かもしれないが、油断はできない。

 

「ハハハハハハッ。そんな小せえナイフを持って調子に乗ってるガキに何ができるってんだ? ―――――おい、新しい魔女だ。こいつも連行するぞ」

 

 店主を掴んでいた男たちもニヤニヤ笑いながら剣を引き抜く。人数は7人。小さなパブの店内での戦いになるから、銃を使うよりも近距離で戦った方が速いだろう。銃は使ったとしてもハンドガンやリボルバーのような小型の武器のほうが使い易いだろうな。

 

 敵の得物は一般的なロングソード。モリガン・カンパニー製の玉鋼を使用したロングソードで、従来の剣よりも切れ味は増している。ゴーレムの外殻も切断できるほどの切れ味らしい。

 

 自分たちは訓練を受けた兵士で、こっちはナイフを持ったガキが3人だけだと思っていることだろう。だからこいつらは油断している。だが、残念ながら3人とも実戦を経験している冒険者だし、そのうち2人は人間よりも身体能力の高いキメラだ。

 

 俺は一瞬だけ後ろにいる2人を見てからにやりと笑い、姿勢を低くしてリーダー格の男へと急接近する。その速度が予想以上だったのか、調子に乗っているガキに負けるわけがないと思い込んでいた男は目を見開き、慌てふためきながら剣を振り上げた。だがその剣が俺に叩き込まれるよりも、こっちが攻撃を叩き込む方が先だろう。

 

 パンチを叩き込めるほどの間合いならば、まさにナイフの独壇場だ。親父は剣も使っていた時期があったらしいが、俺は剣よりもナイフやククリのような小型の武器のほうが使い易い。片手で銃や体術と併用しやすいし、剣よりも小型だからかさばらない。それに銃を使う前提だから、小型の武器の方が相性がいいんだ。

 

 右手を突き出し、トレンチナイフの厚めのフィンガーガードで男の腹を殴りつける。男が剣から手を離して腹を抑えるよりも先に続けて左手のストレートをお見舞いすると、引き戻していた右手のナイフの切っ先を男へと向け、まるで顎にアッパーカットを叩き込むかのように、喉へと向かって切っ先を突き立てた。

 

「ガッ………!?」

 

 強引に喉から引き抜き、男の死体を蹴り飛ばす。パブの床が真っ赤に染まり、崩れ落ちて痙攣する男を見ていた他の兵士たちが目を見開いて俺を見つめている。

 

「て、てめえ……!?」

 

「よくもリーダーを!」

 

 いきなりリーダーを殺されて驚愕しているんだろう。次々に罵声を浴びせてくるが、剣を構えて襲い掛かって来る奴はいない。攻撃してきた奴にカウンターをお見舞いして返り討ちにしてやろうと思っていたんだが、どうやらこっちから攻撃をしなければ勝負は終わりそうにないな。

 

 そう思っていると、俺の隣をナイフを手にした赤毛の少女が駆け抜けて行った。いつも俺に甘えてくる同い年の姉が纏う雰囲気は、いつもの甘えん坊の姉の雰囲気ではない。あの森でゴブリンの群れを瞬殺した時の威圧感を纏っている。

 

 攻撃を仕掛けられた事とその威圧感でビビっている男たちに接近したラウラは、一番近くにいた男の喉元にいきなりボウイナイフを突き立てると、一番最初にラウラの犠牲になった男が呻き声を上げながらナイフを引き抜こうとしている間に右手のサバイバルナイフを隣の男の側頭部に突き立てる。崩れ落ちる男たちからナイフを引き抜いたラウラは返り血を浴びながら着地すると、まるでローキックをお見舞いするかのように足のナイフを展開しながら振り払い、更に仲間を2人殺されて驚愕する男の太腿を斬りつけた。

 

「ギャッ!?」

 

 純白の制服が紅く汚れていく。

 

 左足を振り払ったラウラはそのまま回転しつつサバイバルナイフを逆手持ちに持ち替えると、片膝をついて体勢を崩している男の眉間にサバイバルナイフの切っ先を突き立てた。更に左手のボウイナイフまでお見舞いすると、その男の喉元を何度もボウイナイフで突き刺してから蹴り飛ばす。

 

 ナイフをくるりと回転させながら頬についた返り血を拭い去るラウラ。彼女の目つきは甘えてくる時の目つきや虚ろな目つきではなく、獲物を狙っている時のような鋭い目つきだった。17歳の少女が放つとは思えない猛烈な殺気と威圧感が、残っている3人の男たちの心を砕く。

 

 ラウラは男たちを睨みつけながらいつ襲い掛かるか考えていたようだったが、彼女の背後から投擲された1本のメスが3人の男のうち1人の肩に突き刺さった瞬間、再びラウラが猛獣のように男たちへと襲い掛かった。

 

 どうやらメスを投擲し、ラウラのために隙を作ったのは、俺の後ろにいるナタリアらしい。

 

 メスを足に突き立てられた男の首に向かってナイフを展開した右足を叩き付け、首を刎ね飛ばす。そのまま後ろ蹴りで首を刎ね飛ばされた男の胴体を蹴り飛ばすと同時に、両手のナイフを左右に立っていた2人の兵士に向かって投擲する。ボウイナイフとサバイバルナイフは回転しながら2人の男の頭に命中し、同時に2人の男も崩れ落ちた。

 

 1分足らずで、教団の兵士たちは全滅してしまった。殆どラウラの獲物になっちまったからレベルも上がっていないだろう。

 

 ナイフを男たちの死体から引き抜く姉を見守っていると、俺の傍らに倒れているリーダー格の男の死体の上に蒼い六角形の光が浮かんでいるのが見えた。どうやら武器がドロップしたらしい。

 

《ロングソード》

 

 剣か。使う予定はないな。接近戦ならば小型の武器があれば十分だ。

 

「あ、あんたたち………容赦ないのね」

 

 俺の後ろに立つナタリアが呟く。彼女は戦闘中はメスを1本だけ投擲しただけで、男たちにそれ以外の攻撃はしていない。最初に街に入った時のように気絶させて済ませると思っていたんだろうか。

 

 ナイフの血を拭き取りながら鼻歌を歌う姉の歌声を聴きながら、俺はナタリアに言った。

 

「………容赦したら死ぬぞ」

 

「…………」

 

「こんなクズ野郎共を叩きのめすだけで済ませるつもりはない。生温いんだよ」

 

 人を虐げるような奴を叩きのめすだけで終わらせるのは生温すぎる。喧嘩を売られた程度ならばぶん殴るが、こういう奴らはそれで終わらせてはならない。

 

 俺たちは親父たちから戦い方を学んだが、それは戦うためだけの戦い方ではない。戦って殺すための戦い方だ。だから敵には全く容赦をするつもりはないし、躊躇わない。

 

 それに、こいつらをもし逃がしてしまったら増援を呼ばれていた事だろう。そうすればこの店の店主まで奴らに狙われてしまう。だからこいつらは消さなければならなかった。

 

「………分かったわ。私も容赦しない」

 

「ああ、頼む」

 

 彼女の肩を軽く叩いた俺は、目を見開きながらこっちを見ている初老の店主の方を見た。

 

「すみません、店の中を汚してしまって………」

 

「い、いや………」

 

「死体は片付けておきますので………」

 

「気にしないでくれ。おかげで奴らに連れて行かれずに済んだ………」

 

 そう言った店主は、死体を見下ろしながら再びカウンターの方へと向かった。せめて彼から教団について話を聞きたかったんだが、別の人から話を聞いた方が良いかもしれない。

 

 ナイフとナックルダスターをしまって死体を片付けようとしていると、先ほどカウンターの奥へと戻っていった店主が、紙袋を抱えて戻ってきた。

 

「……受け取ってくれ。お礼だよ」

 

 店主が持って来てくれた紙袋の中からは、焼き上がったパンとバターの香りがした。紙袋は暖かく、中にはふわふわした何かが入っている。おそらくパンが入っているんだろう。暖かいという事は焼き立てという事なんだろうか?

 

「フィッシュアンドチップスを食わせてやれなくてすまないね」

 

「おじさん………」

 

「ゲホッ………教団の支部は、街の真ん中にある大きな建物だよ。君たち、教団に戦いを挑むつもりなんだろう?」

 

「は、はい」

 

「頼む………ナギアラントを救ってくれ。こんな暮らしはもう嫌なんだ」

 

「――――任せてください」

 

 俺とラウラは転生者ハンターだ。人々を虐げる転生者を狩るために、親父からこのコートを受け継いだんだ。

 

 人々を虐げるようなクソ野郎ならば、狩る。親父にそう誓ったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが支部みたいね」

 

 ナギアラントの中央に鎮座するのは、まるで貴族の住む屋敷のように巨大な建物だった。赤いレンガで覆われた4階建ての建物で、青銅の彫刻で飾られている屋根は槍のように尖っている。

 

 教団の支部だから教会のような建物を想像していたんだが、貴族の屋敷か博物館のようにしか見えない。周囲には警備兵が巡回していて、正門と裏口以外は高い鉄柵で囲まれている。

 

 屋根の上から双眼鏡で警備兵の人数を確認してから、隣でPDWの点検をしているナタリアに双眼鏡を渡す。ラウラには双眼鏡を渡す必要はないだろう。彼女の視力はスナイパーライフルのスコープよりも優れているし、エコーロケーションという便利な能力もある。彼女の頭の中にあるメロン体のおかげで、ラウラはイルカや潜水艦のソナーのように超音波を発して敵の位置を知る事ができるんだ。しかもその探知可能距離は最大で2km。索敵範囲を伸ばすと精度が落ちるという欠点はあるけれど、敵の位置を知るだけならば問題はない。

 

「正門に4人。中庭に19人。――――――裏口は2人だよ」

 

「便利な能力ね………」

 

 当然ながら普通の人間が超音波を発することは不可能だし、ラウラと同じくキメラである俺と親父の頭の中にもメロン体はない。なぜラウラにだけメロン体があるのかは不明だが、現時点でこのエコーロケーションが使える人類は彼女だけという事だ。

 

「建物の中は分かるか?」

 

「待ってね。…………あ、いた」

 

 両目を瞑っていたラウラがゆっくりと目を開けた。転生者を探知したんだろう。

 

「どこだ?」

 

「地下だよ」

 

 地下だって? あの建物には地下室があるのか? 

 

 支部の中にある執務室や支部長室の中でくつろいでいると思っていた俺は、考えていた計画を考え直す羽目になった。もし執務室のような部屋の中でくつろいでいるのならば、作ったばかりのアンチマテリアルライフルで狙撃して暗殺する予定だったんだが、地下室の中にいるのならば狙撃は不可能だ。何とか地下室まで潜入して始末するしかない。

 

「それじゃ狙撃できないわね…………」

 

「よし、俺とナタリアが潜入する。ラウラはここで待機して、狙撃で援護してくれ」

 

「ふにゅ!? お姉ちゃんだけ置いていくのっ!?」

 

「で、でも、ラウラが援護してくれた方が―――――」

 

 何とかラウラを説得しようとしたが、離れ離れになると聞いたラウラは俺が話している最中に涙目になり始めた。先ほど教団の兵士を蹂躙していた時の鋭い目つきではなく、いつもの甘えん坊のお姉ちゃんに戻ってしまったラウラは、説得している最中の俺にしがみついてきた。

 

「やだやだぁっ! お姉ちゃんを1人にしないでよぉっ!!」

 

「ら、ラウラ! 落ち着けって!」

 

「タクヤと離れたくないよぉ………! 一緒にいたいよぉ………!!」

 

 今まで別行動する事は何度かあったんだが、なぜ今回だけはこんなに離れ離れになるのを嫌がるんだ? 初めて転生者を狩りに行った時も、最終的には合流したけど最初は二手に分かれて索敵してたし、狙撃で援護してもらった。

 

 姉が離れ離れになるのを嫌がる理由について考察していると、コンパウンドボウの矢の点検をしていたナタリアと目が合った。

 

 もしかすると、今までは2人きりだったから一時的に別行動をしても安心していたんだろう。でも、今はナタリアというもう1人の少女がいる。自分と別行動している間に俺がナタリアに取られるんじゃないかと思っているんだろう。

 

 しがみついている彼女の頭からベレー帽を取り、角の生えた頭を優しく撫でる。いつものように頭を撫でられて落ち着いたのか、ラウラは少しずつ両手の力を弱め始めると、黒いミニスカートの中から伸ばした尻尾をゆっくりと左右に振り始めた。尻尾を左右に振るのは喜んでくれている証拠だ。

 

「ふにゃあー…………」

 

「ラウラ、安心して。ちゃんと帰ってくるから」

 

「で、でも………」

 

「俺も大好きなお姉ちゃんと離れるのは嫌だよ。でも、敵は地下にいるんだ。いくらキメラでもあんな数の警備兵を突破するのは難しいんだよ」

 

「ふにゅ………」

 

「お姉ちゃんが援護してくれれば、楽に標的を始末できるんだ。だからお姉ちゃん。少しだけ我慢してくれる?」

 

 我慢してくれるだろうか? これでも嫌がるのならばもう少し説得するか、また作戦を考え直さなければならない。

 

 ラウラが返事をしてくれるのを待っていると、しがみついていたラウラがゆっくりと顔を上げた。目の周りにはまだ涙が残っている。

 

 彼女の涙を拭ってあげようと思って手を伸ばそうとしたその時、見上げていたラウラがいきなり俺の顔を引き寄せ、ナタリアの目の前で俺の唇を奪いやがった。彼女の柔らかい唇を押し付けられてドキドキしながらちらりとナタリアの方を見ると、ナタリアは目を見開いたまま顔を真っ赤にしてこっちを見ていた。さすがに姉弟でキスをするとは思っていなかったらしい。

 

 ごめんなさい。俺、お姉ちゃんのせいでシスコンにされちゃったんです。

 

 できるならキスは2人っきりの時にやって欲しかった。そう思いながら唇を離し、寂しがるラウラをぎゅっと抱きしめる。

 

「えへへっ。あったかい………」

 

「ラウラ、我慢してくれる?」

 

「うん。寂しいけど頑張るから」

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

 

 ラウラから手を離した俺は、顔を赤くしながらメニュー画面を開いた。生産済みの武器をタッチしてカスタマイズのメニュー画面を開き、全員分のサプレッサーを準備する。

 

 正面から戦うのならばサプレッサーは必要ないが、銃を使って隠密行動をするのならばこいつは必需品だ。G36Kにサプレッサーが装着されているのを確認した俺は、いきなり見慣れない代物を装着されて戸惑うナタリアに説明する。

 

「こいつはサプレッサーっていう部品だ。銃口に装着すると、銃声をかなり小さくしてくれる」

 

 実演するために、セレクターレバーをセミオート射撃に切り替えてからG36Kの銃口を空へと向け、トリガーを引く。いつもならば聞こえて来る筈の銃声はほとんど聞こえてこない。聞こえてきたのは排出された薬莢が足元に落下する金属音だけだ。

 

「そんな物もあるの?」

 

「ああ。便利だろ?」

 

「これが異世界の武器なのね………すごい………!」

 

 サプレッサーの機能に驚くナタリアの傍らでは、ラウラがサプレッサー付きのSV-98の点検をしているところだった。もし転生者が地下室から執務室に移動したときに狙撃できるように、彼女の傍らにはアンチマテリアルライフルのゲパードM1が立て掛けられている。そのゲパードM1には、もし接近された時のために日本刀のような形状の銃剣を装着してある。

 

 かつて日本軍が採用していた三十年式銃剣だ。主流だったナイフ形銃剣やスパイク型銃剣とは異なり、日本刀の刀身を短くして真っ直ぐにしたような形状が特徴的な銃剣だ。本来は三十年式歩兵銃や三八式歩兵銃などのボルトアクションライフルに装着される代物であるため、更に銃身の太い大型のライフルにも装着できるように金具は大きめのものに変更してある。刀身は反射を防止するため漆黒に塗装しておいた。

 

 ハルバードの使い方が巧かったエリスさんの影響なのか、ラウラはナイフ以外にも槍や銃剣を装備したライフルでの接近戦も得意としている。ゲパードM1はやや重いかもしれないが、彼女ならばこれで接近戦でも敵を返り討ちにしてしまう事だろう。

 

「行くぞ、ナタリア」

 

「ええ」

 

 俺とナタリアが潜入し、ラウラが狙撃で援護するという作戦だ。もし転生者が狙撃できる位置に移動した場合はラウラがアンチマテリアルライフルで狙撃して始末することになっている。

 

 2人目の獲物を狩るため、俺はナタリアと共に建物を下り始めた。

 

 

 

 

 

 



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タクヤとナタリアが教団の支部に潜入するとこうなる

 

 元々は傭兵ギルドであるモリガンの制服として用意されたこの転生者ハンターのコートは非常に動きやすいし、黒いためあまり目立たない。隠密行動にはうってつけの服装だ。建物の間にある薄暗い路地の中に溶け込みながら教団の支部に接近しつつ、双眼鏡で敵の配置を確認する。

 

 正門には4人。そして庭の中には10人ほど。ラウラは19人と言っていたから、後の9人は見えない位置にいるんだろう。

 

 転生者を暗殺するならば隠密行動で潜入しなければならない。正面から攻撃を仕掛けられれば手っ取り早いんだが、転生者に戦闘態勢を整えさせてしまう事になる。彼らに気付かれるわけにはいかない。

 

「ナタリア、聞こえるか?」

 

『聞こえるわ。……これが無線機かぁ……異世界の技術って便利なのねぇ…………』

 

 ワインの倉庫の脇にある木箱の陰に隠れている彼女に向かって手を振りながら呼びかけると、ナタリアは無線機の性能に驚きながら手を振り返してくれた。俺の能力で生み出した小型の無線機はインカムのように耳に装着するタイプの無線機になっている。

 

 彼女にはちゃんと声が聞こえているようだ。応答してくれた彼女に向かって親指を立てた俺は、今度はラウラに敵の位置を確認してもらうために彼女を呼び出す。

 

「ラウラ、敵の位置は?」

 

『――――正門前に4人。庭の方は、正門寄りに10人。噴水より後方に9人。武装はコンパウンドボウ。何名かは照準器を装備』

 

 聞こえてきたのは、やはりあの獲物を狙っている時のラウラの声だった。ここは親父に似たんだろうか。纏っている雰囲気が親父に似ている。

 

 このまま正面から侵入すれば発見される可能性は高いだろう。しかも発見されれば、コンパウンドボウを手にしている敵に狙撃される羽目になる。裏口から侵入したいところだが、あそこに侵入するための鍵は持ち合わせていない。鍵を破壊して侵入しようとすれば音で気付かれるし、炎で溶断して侵入しようとしても光ですぐにバレてしまう。

 

「よし、俺とナタリアが正門へと隠れながら接近する。ラウラは俺が合図したら、建物の1階にある窓を1つ狙撃して割ってくれ」

 

『窓を?』

 

「ああ。敵がそっちを見ている間に正門の4人を片付けて、敷地内に侵入する」

 

 親父が俺たちに自分が転生者ハンターだと正体を教えてからは、戦闘訓練の際に隠密行動や暗殺方法なども学んだ。本格的な暗殺者の技術ではなく、親父が経験してきた実戦で身に着けた技術だったが、暗殺者の技術ではないとはいえ親父はこれで何人も転生者を葬ってきている。転生者ハンターと呼ばれるようになったという結果が、彼の技術が通用するという事を証明しているんだ。

 

 サプレッサー付きのG36Kを構えながら路地裏から飛び出し、教団の支部を囲む鉄柵の近くへと移動する。反対側から移動してきた人影は、おそらくナタリアだろう。彼女もサプレッサー付きのマグプルPDRを構えながら攻撃準備をしている。

 

 警備兵は気付いていない。ラウラの狙撃前に俺たちが近くにいることには気付かないだろう。

 

「―――――撃て(ファイア)

 

 無線機に向かって小声で指示した直後、1発の弾丸が超高速で鉄柵の上を飛び越え、そのまま建物の1階にあった窓へと飛び込んだ。猛烈な破壊力を誇る7.62mm弾に貫かれた窓が容易く砕け散り、警備していた兵士たちが突然割れた窓の方を振り向く。

 

 正門の前で待機していた4人も同じだった。いきなり後ろの方で窓が割れたことに驚き、庭の奥にある建物の方を振り向いている。

 

 当然ながら俺たちには気付いていない。

 

 庭の中にいる兵士たちが窓の確認に向かっている間に、俺はこいつらを片付けておくことにした。庭の中を警備していた兵士たちはいきなり窓が割れた原因の調査を始めている。だから正門の兵士とは距離がいているんだ。庭にいる兵士たちに気付かれずにこいつらを仕留めるには絶好の機会だった。

 

 こいつらまで庭の中に移動する前に、俺はセミオート射撃に切り替えていたG36Kのトリガーを引いた。5.56mm弾が手前の兵士のこめかみを貫き、頭を撃たれた兵士が崩れ落ち始める。

 

 隣に立っていた兵士が気付いて大声を上げるよりも先に照準を左へとずらし、もう一度トリガーを引く。20m足らずの距離での射撃だから外すことはない。2人目の兵士も呆気なく頭を貫かれて崩れ落ちる。

 

 ナタリアも同じように敵兵を片付けていたらしく、残っていた筈の2人の兵士も俺に狙われた2人と同じく崩れ落ちていた。

 

 アサルトライフルを背中に背負い、庭の兵士が気付く前に正門前の兵士の死体の近くへと移動する。両手で死体の腕を引っ張り、服の中から出した尻尾を死体の首に巻き付けて、3人の死体を一気に正門の前から引っ張って行く。ナタリアも同じように、残った1人の死体を引きずって正門の前から退けると、後ろの建物の近くにあった木箱の中へと放り込んでいた。

 

 近くにあったマンホールを開け、その下にある下水道に3人の死体を放り込む。正門の前には若干血の痕があるが、気付く兵士はいないだろう。

 

 死体を片付け終えたナタリアに合図を送り、まだ敵兵たちが窓を調べている間に正門を潜り抜ける。庭の中には大きな花壇や木が植えられているし、騎士のような彫刻まで置かれているから隠れる場所はたくさんある。敵兵の数は多いが、何とか見つからずに突破する事ができそうだ。

 

『気を付けて。1人戻ってきた』

 

 最初の隠れ場所に選んだ花壇の陰から飛び出そうと立ち上がりかけたその時、ラウラが無線で報告してきた。慌てて再びしゃがみ込みながらちらりと確認すると、元の配置に戻ろうとしているのか、腰に剣を下げた兵士があくびをしながらこっちに歩いて来ていた。

 

 警戒心は全くない。武装はロングソードのみ。他の兵士たちはまだ調査を続けている。

 

「ラウラ、撃て」

 

『了解』

 

 俺の指示がこの兵士を撃てという意味なのは、きっとラウラは理解していることだろう。幼少の頃からずっと彼女と一緒にいたせいなのか、互いに何を考えているのか分かる時がある。例えば食事の時に手の届かないところにある料理が欲しい時は頼まれなくても俺がラウラのために取ってあげるし、訓練が終わって水分補給がしたい時はラウラが水を用意してくれる。

 

 母さんたちにも「テレパシーで会話しているのか?」と言われたことがあるほど、彼女が何を考えているか分かるんだ。

 

 もしかしたら本当にテレパシーで話をしているのかもしれないと思っていると、瞼を擦っていた警備兵の額に風穴が開いた。そいつが崩れ落ちる前に花壇の陰から飛び出した俺は、その兵士を引きずって花壇の陰にある草むらの中に隠し、もう一度周囲を確認してからナタリアと一緒に花壇の陰から移動する。

 

 先ほどのようにナタリアと別行動をしないのは、彼女が隠密行動を経験したことがあまりないからだ。ナタリアはあくまでも純粋な冒険者で、俺たちのように転生者を狩るための訓練を受けたわけではない。ダンジョンの調査方法と魔物との戦い方を学んだだけだ。しかも銃の訓練を始めたばかりであるため、別行動をするのはリスクが高すぎる。

 

 彼女を連れて噴水を通り過ぎる。またラウラが機嫌を悪くしていないか不安だったが、獲物を狙っている時のラウラは他の女と俺が一緒にいても機嫌を悪くすることは無いようだ。

 

 植えられている木の陰に隠れていると、更に2人の兵士が窓の近くから離れ、持ち場へと戻っていくのが見えた。おそらく窓が割れた原因が分からなかったんだろう。中にはガラスの破片を拾い上げて調べている真面目な奴らもいるが、窓ガラスを叩き割った原因を知るためには、今頃部屋の中を転がっているか、壁の中にめり込んでいる7.62mm弾を調べなければならないだろう。銃を知らない世界の人間が銃弾を目にしたとしても、奇妙な金属の塊にしか見えないかもしれないけどな。

 

 次々に持ち場へと戻っていく兵士たち。窓を調べているのは1人だけのようだ。

 

 あの兵士を片付けて窓から入るべきだろうか? それとも、ドアから入るべきだろうか? 兵士を片付ければ死体を隠さなければならない。近くには隠せそうな場所が無いし、建物の中に隠すわけにはいかない。

 

 素早く作戦を立てた俺は、後ろでマグプルPDR構えているナタリアにドアの方を指差して合図すると、頷いてから気の陰から飛び出した。素早くドアに駆け寄り、そっとドアを開けて建物の中に滑り込む。

 

 気付かれていないだろうか? 少し不安になったが、窓を調べている兵士は全く気付いていないし、他の兵士もだらだらと警備を続けているだけだ。

 

 ドアを少しだけ開け、ナタリアに手招きする。彼女は緊張しながら周囲を見渡すと、目を瞑ってから息を吐き、俺と同じようにドアに向かって駆け寄ってきた。

 

 敵に発見されずに走ってきた彼女を建物の中へと迎え入れ、ドアを閉めてから息を吐く。

 

「ふう………。何とか突破できたな」

 

「そ、そうね………」

 

「ラウラ、建物の内部に侵入した。これより地下に向かう」

 

『了解。気を付けてね』

 

「おう」

 

 ここから先は、俺とナタリアで地下室を目指さなければならない。ラウラに狙撃で支援してもらえないのは不安だが、地下室の中にはあの転生者しかいない筈だ。ラウラもエコーロケーションにも反応はなかったと言っていたし、気付かれなければ容易く暗殺できる筈だ。

 

 呼吸を整えていたナタリアを連れて廊下へと出る。廊下の奥には広間があって、一番奥には背中から翼を生やした男性の黄金の像が鎮座しているようだ。おそらくあの黄金の像は、かつてレリエル・クロフォードを封印したと言われている大天使だろう。

 

 地下室へはどこから向かうんだろうか。廊下には地下への階段はないし、最近フィオナちゃんが発明して普及したエレベーターもない。

 

 警戒しながらドアを開けてみるが、これは物置のようだ。掃除用のモップとバケツが置かれている。くそったれ、どこから地下室に行けばいい? 敵兵が巡回してくるかもしれないと思って少し焦った俺は、埃臭い物置のドアを空閉めて隣のドアを開けたが、ドアの向こうには埃まみれの本が連なる本棚の群れが置かれてるだけだった。

 

「もしかして、隠してあるんじゃない?」

 

「………そうかもしれないな」

 

 ナタリアの予測通りに隠してあるのかもしれない。だが、なぜ地下室への入口を隠す? 地下室には何かを隠してあるのか?

 

「ラウラ、地下室への入口が見つからない。エコーロケーションで探れる?」

 

『待ってね。――――――――――ここかな?』

 

「どこ?」

 

『えっと、2人がいる廊下の北側に2つドアがあるでしょ?』

 

 北側? ラウラに言われた通りにそっちの方を見てみるが、そこにある2つのドアは俺が今しがた調べた物置と本棚の部屋のドアだぞ?

 

「ああ」

 

『そのドアの間にある壁から変な感じがするの』

 

「壁?」

 

 ドアの間にある壁を凝視してみるが、普通の壁と何も変わらない。赤いレンガで埋め尽くされた壁があるだけだ。

 

 そう思いながら壁に触れてみると、不自然に窪んでいる箇所があることに気付いた。天井へと線のように伸びているその窪んだ箇所を指でなぞってみると、その窪んだ線は隣にあるドアと同じくらいの高さで右に90度曲がっていて、その曲がった後は直進してから再び床に向かって伸びている。

 

「………なるほど」

 

 入口を壁に偽装してやがったんだな。

 

「でも、どうやって開けるの? スイッチは見当たらないし………」

 

「大丈夫だ」

 

「えっ?」

 

 スイッチを押して開ける必要はない。

 

 両手を硬化させて腕の皮膚を蒼い外殻で覆うと、俺はその両手の爪を窪んでいる線へと強引に捻じ込んだ。レンガと同じように硬かったが、この外殻は普通のサラマンダーの外殻よりも遥かに硬い。石に鋼鉄のピックを撃ち込むようなものだ。

 

 順調に爪をめり込ませ、ついに指まで潜り込ませた俺は、まるで重い扉を開けようとするかのように腕を引っ張り、全ての体重を後ろへと預けながら壁を引っ張り始める。

 

 すると、徐々に壁がドアのように動き始めた。埃をまき散らしながら動き始めた壁を引っ張り続け、隙間を開けてから壁から指を引き抜く。

 

 キメラは人間よりも身体能力が高いし、筋力も遥かに上だ。だからちゃんと訓練すれば片手で大剣を振り回せるし、反動の大きい武器を片手でぶっ放すことも出来る。

 

「う、嘘…………」

 

「ほら、お嬢さん」

 

「き、キメラって怪力なのね…………」

 

 変異で生まれた種族だからな。まだこの世界には3人しかいないし。

 

 壁の向こうにあったのは石造りの階段だった。緩やかに右へと曲がりながら下へと伸びるこの階段は、まるで教会を豪華にしたような雰囲気の支部の中とは雰囲気が全く違う。全く装飾はなく、階段を照らしているのは壁に掛けられているロウソクの炎だけだ。地下墓地へと続く階段を連想した俺は、その階段を見つめながら息を呑む。

 

 転生者の野郎はこんな不気味な地下で何をやっている? 何か実験でもやってるのか?

 

 ナタリアに向かって頷いた俺は、G36Kを背中に背負うと、コートの内ポケットの中にしまってあるMP412REXを引き抜いた。.357マグナム弾をぶっ放すロシア製リボルバーだ。地下室のスペースが狭かった場合、いくら銃身が短いG36Kでも戦い辛くなる可能性がある。

 

 彼女も同じようにMP443を引き抜くと、俺と一緒に階段を下り始めた。

 

「……何だこれ?」

 

「パイプ……?」

 

 階段を下りていると、まるで地下墓地に繋がっているような石造りの階段の壁から、工場の壁に伸びているような金属製のパイプが伸びているのが見えた。そのパイプは小さな配管に枝分かれしていて、分岐点には圧力計やバルブが設置されている。そこから先の雰囲気も、地下墓地のような不気味な感じから、まるで何かの工場の中に迷う込んだかのような雰囲気に変わっていた。

 

 無数の歯車が回転する音や、配管から蒸気が吹き上がる音も聞こえてくる。

 

 そのまま雰囲気の変わった廊下を下り続けていると、やがて目の前に扉が姿を現す。ごく普通の木製のドアだが、その周囲の壁は回転する無数の歯車に覆い尽くされていて、細い配管が檻のようにその歯車たちを覆っていた。

 

「………ここか」

 

「この先に………いるのね」

 

 頷いてからドアノブに手を伸ばし、静かにドアを開ける。

 

 ドアの向こうに広がっていた地下室は、まるで実験室のような部屋だった。やや広めの壁や天井は無数の配管や太いパイプで覆い尽くされ、床には人間の手足よりも太いケーブルが転がっている。机の上にはビーカーや試験管が置かれていて、その傍らには分厚い図鑑のような本や、奇妙な色の薬草が置かれている。机の上だけならば理科室のような雰囲気だ。

 

 その机の向こうに、純白の白衣を身に纏った研究者気取りの少年が立っていた。黒髪の少年で、右手には魔術師用の杖を持っている。おそらくあいつが転生者なんだろう。杖を持っているという事は魔術を主に使ってくるタイプの転生者という事か。

 

 転生者の持っている杖から戦い方を想像するが、銃を向けるよりも先に、俺とナタリアはその転生者の少年が見上げている一番奇妙な物体に目を奪われてしまった。

 

 円柱状の太い台座の上に、まるで地球儀をそのまま大きくしたかのような半透明の蒼い液体が浮かんでいたんだ。球体状になっている液体の表面には蒼い電流が流れていて、周囲を4枚の銀色のリングが回転している。

 

 その蒼い液体の中には――――――1人の幼い少女が浮かんでいた。

 

 おそらく12歳くらいだろう。電流を纏う蒼い液体の中で、ボロボロの服を身に着けた幼い少女が身体を丸めた状態で浮かんでいる。

 

「あれは何だ………!?」

 

 あの転生者は何をやっているんだ……!?

 

 



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シスコンと転生者が戦うとこうなる

 

「何なのよ、あれは………!?」

 

 俺の後ろでMP443を構えるナタリアが呟く。あの転生者は俺たちにまだ気付いていないため、今すぐに銃で狙えば容易く当てられるだろうし、ステータスに差があるせいで仕留めきれなかったとしても確実に先制攻撃は出来る筈だ。狙いを定めてトリガーを引くだけだというのに、あの転生者が見上げている装置の中で眠る少女の正体と、あの転生者が何をやっているのか気になってしまって、なかなか銃を向けられない。

 

 何かの人体実験か? 親父も転生者が人体実験をやっていたところを見たことがあると言っていたが、この転生者も同じように人体実験をやっているのか?

 

 一足先に我に返ったナタリアが、息を吐きながらアイアンサイトを覗き込む。彼女はまだ訓練を始めたばかりで銃の命中率はあまり高くはないが、あの転生者との距離は20m足らずだ。この距離ならばまだ慣れていないナタリアでも命中させることは出来るだろう。

 

 俺もMP412REXのアイアンサイトを覗き込む。あの少女が気になってしまうが、人体実験の真っ最中ならば早くあの転生者を片付けて助け出すだけだ。

 

 ナタリアと目を合わせてから頷き、トリガーを引く。

 

 リングが回転する音と電流の流れる音だけが響いていていた地下室の中で、銃声が弾け飛んだ。装置が発する音を一瞬で呑み込んで膨れ上がった銃声を突き抜け、9mm弾と.357マグナム弾が転生者の後頭部へと向かって駆け抜けていく。

 

 この転生者ハンターのコートには、転生者にのみ攻撃力が2倍になるというスキルが装備されている。基本的にこちらの攻撃力が敵の転生者の防御力を下回っている場合は攻撃が弾かれてしまうため、このスキルがあれば少なくとも攻撃力では劣ることはないだろう。このスキルを装備していても弾かれるという事は、ステータスにかなりの差があるという事だ。もしこの攻撃が弾かれたのならば、そのまま戦闘を続けるのではなく撤退した方が良いだろう。

 

 今の俺のレベルは38。攻撃力は1100まで上がっていて、スキルのおかげで転生者に対しての攻撃力は2200となる。これを弾くほどステータスが高い転生者でないことを祈りながら、俺は装置の前にいる転生者に向かっていく弾丸を凝視した。

 

 だが、その転生者の方から聞こえてきたのは、弾丸を撃ち込まれて呻き声を上げる少年の声ではなかった。まるで戦車の装甲に跳弾した弾丸が発する甲高い音だ。転生者に致命傷を与えられなかったと悟った俺はすぐに銃口を下げ、目を見開くナタリアの手を引いて、右側にある机の後ろへとジャンプする。

 

「くっ………侵入者か!?」

 

「拙い…………!」

 

 なぜ防がれた? 転生者の能力か?

 

 どうやって弾丸を防いだのかと考察を始めたいところだが、今の銃撃で俺たちが侵入したという事があの転生者にバレてしまった。しかも傷すらつける事ができていない。

 

 この地下室への出入り口は後方のドアのみ。もし転生者が警備兵を呼べば、俺たちは挟み撃ちにされてしまうに違いない。袋の鼠というわけだ。

 

 警備兵が来る前に逃げるべきか? それともあの転生者だけでも討ち取るか? 

 ここは地下室だ。外を警備していた兵士たちに銃声が聞こえるわけがない。おそらくあの転生者が呼ばない限り、警備兵がここにやってくることはないだろう。思っているよりもここで転生者を討ち取るという選択肢の危険度は低い。

 

 そう思った俺は、今度は机の陰から飛び出しつつ銃口を転生者へと向けた。侵入者を探していた研究者気取りの少年は、いきなり姿を現した俺を目の当たりにして目を見開いたが、すぐに手にしていた杖をこっちへと向け、魔力を流し込んで炎を放ってくる。

 

 炎を躱し、高熱の熱風に噛みつかれながら、少年に向かってマグナム弾を2発ほどお見舞いする。先ほどは急いで物陰に隠れたが、今度は戦闘中だ。隠れる必要はない。だから弾丸を弾いた能力の正体をしっかりと確認する事ができる。

 

 この弾丸も弾かれるだろうと思って少年を凝視していると、あの白衣を食い破る筈だった2発のマグナム弾は、少年の身体に喰らい付く寸前に蒼白い光に包まれ、装甲に弾かれた弾丸のように弾き飛ばされてしまった。

 

 あれは何だ? バリアか?

 

 おそらく光属性の防御用の魔術だろう。イージスという魔術で、光の防壁で様々な攻撃を弾いてしまうという強力な魔術だ。詠唱に時間がかかってしまうが、その防御力はゴーレムの拳を弾き、ドラゴンの炎を無力化してしまうほどだという。

 

 詠唱していなかった筈だが、おそらくそれは転生者の能力でカバーしたんだろう。魔術を主に使う転生者は、基本的に『魔術師』という能力を装備し、更に『瞬間詠唱』というスキルを装備していることが多いと親父から聞いたことがある。この世界の人間ならば生まれつき体内に魔力を持っているんだが、転生者は基本的にこの世界の人間ではないため、この世界の人間と同じく体内に魔力を生成する能力を装備しない限り魔術を使う事は不可能だ。俺も転生者だが、他の転生者とは異なりこの世界の人間と転生者の間に生まれた子供だから、生まれつき体内に魔力を持っている。だからあの能力を装備する必要はない。

 

 基本的に魔術師は隙が大きいため、前衛に援護してもらうのが普通だ。だが、最大の隙である詠唱がないのならば、恐ろしい破壊力の魔術をマシンガンのように連発できるというわけだ。

 

 だから転生者は極めて強力なんだ。それを悪用する馬鹿共を、俺の親父は今まで狩ってきた。

 

 俺も今から、このクソ野郎を狩る。

 

 弾丸が弾かれることは想定内であったため、俺はそれほど驚かずにシリンダーの中の弾丸を全てぶっ放した。そして再び机の陰に隠れ、銃身を下へと向けて折る。シリンダーにある6つの穴から排出された薬莢の金属音を聞きながらスピードローダーをポケットの中から取り出し、シリンダーに押し込む。

 

 イージスを打ち破るには、更に強烈な弾丸で挑まなければならないようだ。現時点で生産済みの武器の中で一番威力があるのはアンチマテリアルライフルのOSV-96だが、1.7mの銃身を持つ大型のライフルをこんな地下室で使いこなすことは不可能だろう。

 

 メニュー画面を開き、生産済みの武器の中からプファイファー・ツェリスカをタッチ。連射が遅いシングルアクション式のリボルバーだが、.600ニトロエクスプレス弾という通常のマグナム弾をはるかに上回る破壊力のライフル弾をぶっ放す事ができる獰猛なリボルバーだ。リボルバーにしては大き過ぎる銃だが、このサイズならばなんとか室内でも使いこなす事ができる筈だ。

 

 ホルスターに装備された新しい得物を引き抜いていると、先ほど俺が隠れていた机の陰から銃声が聞こえてきた。ちらりとそちらを見てみると、机の陰からナタリアがハンドガンで転生者を狙撃している。

 

 何発かは外れているが、彼女のおかげで転生者が向こうを向いている。

 

 チャンスだッ!

 

「よくやった、ナタリアッ!」

 

「くっ、もう1人いたのか―――――」

 

 転生者が杖を構えながらナタリアの方を振り向こうとするが、ナタリアは既に射撃を中断し、机の陰から飛び出して移動していた。魔術をあんな机で防ぎ切れるわけがないと思ったんだろう。

 

 机の陰から飛び出した彼女へと杖を向ける転生者。その隙に立ち上がった俺は、プファイファー・ツェリスカの銃口を転生者の後頭部へと向け、搭載されたPUスコープを覗き込む。

 

 .600ニトロエクスプレス弾は弾けるか!?

 

「くたばれッ!!」

 

 カーソルの向こうにいる転生者を睨みつけながら、俺はトリガーを引いた。

 

 MP412REXをはるかに上回る獰猛な反動(リコイル)。リボルバーとは思えないほど猛烈な銃声とマズルフラッシュが荒れ狂い、でかいシリンダーの中から1発のライフル弾が飛び出していく。

 

 獲物を取り逃がしてしまった転生者は慌ててこっちを振り向くが既に弾丸は転生者へと向けて放たれた後だ。

 

 これで貫通できなかったら、地上に誘き出してアンチマテリアルライフルを使うか、ナタリアに時間を稼いでもらって更に強力な弾丸を装填できるようにこのリボルバーをカスタマイズしなければならない。

 

 貫通してくれと祈りながらスコープを覗き込んでいたが、カーソルの向こうへと飛び去って行った.600ニトロエクスプレス弾は、先ほど弾かれた.357マグナム弾と同じ運命を辿っていた。白衣を食い破る寸前に出現した蒼白い光に弾かれ、別の方向へと跳弾していく。

 

 なんてこった。

 

「死ねッ!」

 

「!」

 

 リボルバーの撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻していると、杖をこっちに向けていた転生者がそう叫んだ。

 

 詠唱が必要ないという事は、すぐに魔術がこっちに向けて飛んで来るという事だ。普通の魔術師のように詠唱している間に潰すという事は出来ない。

 

 リボルバーを下げた俺は、姿勢を低くしながら正面へと走り出した。距離は近いからキメラのスピードならばすぐに距離を詰められるだろう。元々距離が近かったのだから、接近戦で攻撃を仕掛けた方が良い。魔術で攻撃してくる以上、詠唱が必要ないとはいえ魔術を放つためには魔力を流し込む必要がある。そのタイムラグはセミオートマチック式の銃が次の弾丸を発射するよりも遥かに遅い。次の攻撃を回避することさえ出来れば、奴が魔術を放つよりも先に距離を詰め、そのまま攻撃できる筈だ。

 

 杖の先端部が橙色に煌めき、その光が無数の炎の矢となって飛来してくる。まるでショットガンを連射したような数の炎の矢だ。魔物や人間が喰らえば一瞬で蜂の巣になってしまうほどの弾幕だが、おそらくサラマンダーの外殻は貫通できまい。1つ1つが細くて小さい上に、サラマンダーの外殻は耐火性や耐熱性に非常に優れている。戦車に拳銃を発砲するようなものだ。

 

 左腕を硬化させ、外殻に覆われた片腕を盾にしながら前進する。やはり炎の矢は外殻を貫通する事ができず、次々に火の粉をまき散らしながら消滅していく。

 

 俺を蜂の巣にできるだろうと思い込んでいた転生者は、攻撃を防がれている事と、俺の左腕が変異したことにかなり驚いているようだった。目を見開き、「な、何だその腕は!?」と喚いているが、俺は無視してそのまま距離を詰める。

 

 接近戦は一番得意なんだよ。

 

 炎の矢の飛来が止んだ直後、硬化を解除しポケットの中からアパッチリボルバー・カスタムを取り出す。ナックルダスターに片手で変形させながらリング状のグリップに指を通し、体勢を更に低くしながら拳を握る。

 

 接近された転生者は俺にアッパーカットを叩き込まれると思ったのか、杖を持った両手を交差させて胸元と頭をガードする。だが、残念ながら俺の狙いは頭や胸じゃないんだよね。

 

 またナタリアにツッコミされるかもしれないが、問題ないだろう。

 

「喰らえッ!!」

 

 にやりと笑いながら左手の拳を思い切り振り上げ――――――森でトロールの息子を吹っ飛ばした時のように、転生者の息子へとアッパーカットを叩き込んだ。

 

「なぁッ!?」

 

「ちょ、ちょっとタクヤぁッ!?」

 

 目を見開きながらイージスに防がれている俺の左の拳を見下ろす転生者の少年と、顔を真っ赤にしながら目を見開くナタリア。

 

 やはりこの一撃もイージスに防がれてしまうか………。この防壁さえ貫通できれば何とかこいつを倒せそうなんだがな。ステータスもあまり高くはなさそうだし。

 

 拳を引き戻しながら素早く左手のナックルダスターをリボルバーに変形させ、離脱しながら発砲する。使用している弾薬はMP412REXと同じく.357マグナム弾であるため弾かれてしまうが、牽制だ。

 

「ちょっと、どこ狙ってんの!? あんたトロールの時もそこ狙ってたわよね!?」

 

「だから正々堂々戦ってどうするんだよ!? 手段を選んで死んだら無様だろうがッ!?」

 

「こ、この変態ッ!」

 

「はぁッ!? 変態じゃねえよ!?」

 

「嘘つかないでよ! 人の前で………じっ、実の姉とキスしてたくせにッ!!」

 

 何で転生者の前でそんなこと言うんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?

 

「うっ、う、うるせえッ! あれは俺じゃなくてラウラがキスしてきたんだよッ!!」

 

「顔赤くしてたでしょ!?」

 

「したけど…………しょうがないだろ!? お姉ちゃんが可愛いんだからさ!!」

 

「なぁッ!? ………こっ、この変態ッ! シスコンッ!!」

 

 すぐに言い返そうと思ったが、転生者と戦っている最中に口喧嘩している場合じゃない。俺ははっとしてプファイファー・ツェリスカの銃口を転生者に向けようとしたが、スコープの向こうに立っている転生者は、何故か攻撃して来なかった。

 

 なぜ攻撃して来ないんだと思いながらカーソルの向こうを凝視していたんだが、その転生者まで顔を赤くしていることに気付いた俺は、先ほどの口喧嘩で大恥をかいたことに気付いた。

 

「じ、実の姉と………キス………!? 美少女同士でキス…………!?」

 

「お、落ち着け。確かにキスはしたが女同士じゃない。俺は男なんだ」

 

 顔を真っ赤にしながら呟き続ける転生者に向かってそう言うと、転生者はぎょっとして俺の顔を睨みつけてきた。どうやらこいつも俺の事を女だと思っていたらしい。

 

「てめえ男だったのかよ!?」

 

「男だよ! パンツの中見てみるかぁッ!?」

 

「ふざけんな! 可愛いなと思っちまったじゃねえか!」

 

 俺って男に見えないのかなぁ……。初対面の人はみんな俺が男だって気付いてくれない………。

 

「しかも男が実の姉とキスだとぉ!? この野郎、絶対に許さん!! 危うくホモになるところだったじゃねえか!!」

 

「キモっ」

 

「こ、この野郎ッ!!」

 

 目の前の美少女が男だったらかなりショックは大きいだろう。しかも俺の挑発のせいで、あの転生者の少年は完全にブチギレしてしまったようだ。

 

 次に繰り出される魔術を回避する準備をしていたんだが、俺とナタリアが回避する筈だった転生者の強烈な魔術は、部屋の中央の装置から聞こえてきた少女のハミングによって白紙にされてしまう。

 

 子守唄のように優しいハミングだった。こんな優しい歌声を聴きながら眠る事ができたら確実に快眠できるだろう。だが目の前の転生者の少年は、ハミングを聞いて落ち着いている俺たちとは違って、このハミングを聞いてぞっとしているようだった。まるで自分の天敵を目の当たりにして絶望するかのような表情で、彼は部屋の真ん中に鎮座してある装置の方を振り向く。

 

 そこにあるのは、あの蒼い液体が浮遊する装置だ。地球儀を大きくしたような球体状の蒼い液体が浮遊し、その中には幼い少女が収まっている。それは変わらないんだが、球体の表面を回転していた筈のリングは動きを停止し、スパークを発しながら床に落下してしまっていた。

 

 そのリングには弾丸のようなもので撃ち抜かれた跡がある。おそらく先ほどこの少年に弾かれたマグナム弾が、偶然あの回転するリングの1つを直撃してしまったんだろう。この地下室で戦っていた3人が意図しなかった流れ弾が、装置に命中し、装置の機能を停止させてしまったんだ。

 

「な、なんてことだ…………!」

 

「何だ? おい、あれは――――――」

 

 俺の声を無視し、大慌てで装置の方へと走る転生者。装置の近くで手をかざし、制御用の魔法陣を出現された彼は、円形の魔法陣の中に投影される記号をキーボードのように何度もタッチするが、流れ弾を喰らった装置は全く動かない。落下したリングがスパークを発するだけだ。

 

「ダメだ……! このままでは………まっ、魔女が――――――――魔女の末裔が目覚める…………!!」

 

 魔女の末裔?

 

 どういうことだ? 魔女の末裔だと? 魔女というのはこいつが今まで勝手に決めつけてきた人々の事なのか? それとも、このナギアラントに伝わるサキュバスの事なのか?

 

 問い詰めようとしたが、転生者の少年は顔を青くすると、俺が問い詰めようとするよりも先に地下室の出口へと向かって走って行った。

 

「どういうこと? 魔女の末裔って………」

 

「分からん。とりあえず、あいつを―――――――」

 

 あの転生者を追撃しようと思っていた俺の背後で聞こえた水が床に落ちる音が、俺の言葉を飲み込んだ。あの装置が機能を停止したという事は、あの液体の中に入っていた少女が目を覚ますって事だよな……?

 

 冷や汗を指で拭いながら、ナタリアと共に恐る恐る後ろを振り返る。

 

 装置の上に浮遊していたあの球体状の蒼い液体はすでに崩壊していて、床のリングと装置を濡らしていた。スパークの音が聞こえなくなった装置の上にはあの液体の中で体を丸めて浮かんでいた幼い少女が横になっている。

 

 助け起こすべきだろうか? ちらりとナタリアの方を見ようとしていると、装置の上で横になっているその幼い少女が、ゆっくりと起き上がった。

 

 年齢は12歳くらいだろうか。眠そうな感じの瞳の色は蒼く、髪は床についてしまうほど長い。ナイフや剣の刀身のような銀髪なんだが、毛先の方に行くにつれて髪の色は桜色に変色している。無表情のまま起き上がった少女はゆっくりと装置の上から床の上に下りると、ふらふらしながら立ち上がり、周囲を見渡しながら首を傾げた。

 

 あの転生者は魔女の末裔と言っていたが、そんな禍々しいものの末裔には全く見えない。禍々しさどころか幻想的な雰囲気を放つ不思議な少女は、まるで目を覚ましたばかりの幼い子供のように瞬きすると、ふらつきながらゆっくりとこっちへ歩いてくる。

 

「く、来るわよ……!」

 

「待て」

 

 警戒してハンドガンを向けるナタリア。だが、この子からは全く敵意や殺意を感じない。いきなり見知らぬところで目を覚まし、何も分からない状態のようだ。銃を向けるべきではないだろう。

 

 彼女の銃を下げさせた俺は、持っていた銃をホルスターへと戻す。

 

「………君は何者だ?」

 

「………?」

 

 言葉が通じていないのか、少女は無表情のまま首を傾げる。

 

 敵意はないみたいだが、どうすればいいんだろうか? 転生者が逃げ出してしまうほど恐ろしい少女にも思えないし、保護した方が良いんだろうか? 

 

 でも、連れて帰ったらまたラウラが機嫌を悪くするかもしれない。それに俺がロリコンだと思われるかもしれないな。

 

 とりあえず、いつまでもこの子にびしょ濡れのボロボロの服を着させておくわけにはいかないだろう。転生者ハンターのコートの上着から武器や装備品を外してから脱いだ俺は、無表情の少女にそっとコートを着せる。

 

 すると、少女が小さな声で何かを言い始めた。まるでスペイン語かロシア語のような語感の言語だが、聞いたことがない言葉だ。少なくとも母さんや親父たちが話しているこの世界の言語ではないようだな。

 

 今度は俺が首を傾げてしまう。少女も俺に合わせて首を傾げた。

 

「ナタリア、安心しろ。この子は――――――」

 

 振り向きながらナタリアにこの少女が安全であることを伝えようとしていると、いきなり小さな両手が俺の首に絡みついてきた。蒼い液体で濡れている少女の腕に引き寄せられてびっくりしたのも束の間、俺の顔を引き寄せた幼い少女が、なんといきなり俺の唇を奪った。

 

「!?」

 

「え…………!?」

 

 普通のキスではない。この少女の小さな舌が、俺の下へと向かって伸びてくる。

 

 いきなりキスをされてぎょっとしたが、慌てて彼女を引き離そうとする前に、いきなり俺の身体ががくんと揺れた。慌てて立ち上がろうとするが、両足どころか全身に全く力が入らない。

 

 何だ………? 魔力が吸い取られた………!?

 

 辛うじて目だけを動かし、目の前に立っている少女を見上げてみると、少女はまるでうっとりしているかのような表情を浮かべ、頬を少し赤くしながら何かを飲み込んでいるところだった。

 

「た、タクヤ!?」

 

 拙い………。身体が動かない………。

 

 魔力が吸い取られたという事は、この子は………サキュバスなのか………!?

 

 かつて吸血鬼を絶滅寸前まで追い詰めた種族の生き残り。魔女と呼ばれて忌み嫌われた怪物たちの末裔がこの少女だというのか。

 

 蒼い瞳で俺を見下ろす少女を見上げた俺は、ナタリアの声を聞きながら瞼を閉じた。

 

 

 

 

 



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サキュバスの末裔

 

 サキュバスの伝説は、ママから何度も教えてもらった。

 

 様々な種族から魔力を吸い取り続けた悪いサキュバスたちは魔女と呼ばれ、彼女たち以外の種族によってついに絶滅されたという伝説。絵本でも何回か読んだし、この魔女狩りを題材にした小説や演劇は今でも街に行けば見る事ができる。

 

 私は今まで、サキュバスはもっと邪悪な種族なんだと思っていた。問答無用で魔力を他者から吸い上げ、滅ぼしていく恐ろしい怪物。だからこの子が魔女の末裔だと転生者が言っていたのを聞いた瞬間、私はこの幼い少女が本当にあの恐ろしいサキュバスの末裔なんだという事が信じられなかった。

 

 でも、目の前でこの少女はタクヤから魔力を吸収した。魔力を吸収する事ができる種族はサキュバスのみ。擬似的に他社から魔力を吸収する魔術は存在するけど、詠唱にかなり時間がかかるから、今のように一瞬で魔力を吸収するという芸当は出来ない。

 

 この幻想的な雰囲気を放つ幼い少女が、サキュバスの生き残り………!

 

「う、動かないで」

 

 少女にハンドガンの銃口を向けながら、私はそう言った。先ほどこの少女はタクヤにも声をかけられていたけど、言葉が通じていなかったらしく、首を傾げるだけだったわ。だからこの言葉が通じているわけがない。

 

 すると彼女は小声で、奇妙な語感の言語で話し始めた。今まで聞いたことのない言語ね。古代語かしら………?

 

 どうすればいいの? この少女に攻撃すればいいの? でも、この少女は幼いとはいえサキュバスだし、サキュバスの戦闘力は吸血鬼をはるかに上回る。かつて吸血鬼が絶滅寸前まで追い詰められたのも、その戦闘力の高さが原因の中の1つと言われているから、迂闊に攻撃して怒らせたら私に勝ち目はない。

 

 何とか意思疎通の方法を考えていると、少女が小さな唇を静かに開いた。

 

「――――――落ち着いてください」

 

「!?」

 

 先ほどの古代語と思われる言語ではない。現代の世界で使われている聞き慣れた言葉だった。しかも全く感情がこもっていないという点を除けば発音も完璧で、全く訛っていない。

 

 冷たい感じのする声だったけど、敵意は含まれていないようだった。

 

 それにしても、なぜいきなり現代の言語を喋り始めたのかしら? 私たちの会話を聞いて学習したというの? でも、ほんの数回しか喋っていないし、学習するにしては参考にするべき言語が少なすぎる。元々喋る事ができたのならタクヤの言葉が理解できた筈だし、彼の言葉に古代語で返答する必要はない。

 

「見たことがない武器ですが、それを下ろしてください。あなたと敵対するつもりはありません」

 

「え………?」

 

 どういうこと? 敵じゃないの………?

 

 彼女は長い髪を引きずりながら倒れているタクヤの傍らにしゃがみ込むと、彼のコートを羽織ったまま再び気絶している彼の顔に自分の顔を近づけた。

 

 まだ12歳くらいの幼い少女だというのに、まるで眠る我が子を見守る母親のように見えてしまう。

 

「先ほどは申し訳ありませんでした。長い間魔力を食べていなかったので、お腹が空いていたのです。吸い過ぎてしまいました」

 

 気を失っているタクヤに向かってそう言った彼女は、私の目の前で再びタクヤの唇を奪った。彼の頭の後ろに真っ白な手を回しながら抱き締め、自分の小さな唇を彼の唇に押し付ける。

 

 また彼から魔力を吸い上げるつもりなのかしら? でも、タクヤはもう気絶してしまうほど魔力を吸い上げられてしまったから、もう吸収できる魔力の量はかなり減っている筈よ。

 

 魔力を吸収するためではなくキスを楽しむように唇を奪い続けた彼女は、頬を少しだけ赤くしながらゆっくりと唇を離し、伸ばしていた小さな舌を戻していく。

 

 よく見ると、彼女の下には小さな魔法陣のような模様が刻まれていた。

 

「少し、魔力をお返ししました。………起きてください」

 

「う………」

 

「タクヤ!?」

 

 キスを終えて再び無表情に戻った幼い少女が、自分の小さな膝の上に乗せたタクヤの頭を優しく叩く。すると目を瞑って気を失っていたタクヤの瞼がぴくりと動き、幼い少女の膝の上で彼は呻き声を上げながら目を覚ました。

 

「あれ………? なんで幼女に膝枕されてるんだ………?」

 

「タクヤ、大丈夫!?」

 

「あ、ああ。………確か、この子にキスされたんだっけ?」

 

 ゆっくりと身体を起こしながら頭を掻くタクヤ。もしあの光景をラウラが見ていたら、きっとスナイパーライフルで2人とも頭を撃ち抜かれていたでしょうね。

 

 でも、タクヤが男の子に見えないせいなのか、まるで女の子同士でキスしているように見えたわよ………?

 

「申し訳ありません。魔力は少しお返ししました」

 

「喋った…………!?」

 

「あなたから魔力を吸収した際、魔力に含まれれていた言語に関する情報も一緒に吸収させていただきました」

 

「そんな事ができるのか?」

 

「はい。魔力には様々な情報が含まれていますので」

 

 彼のコートを羽織ったままそう言った少女は、相変わらず無表情のままだった。魔力を吸収するために彼とキスをした時以外は、まるで最初から感情を持っていないかのように全く表情を変えない。それに声にも感情がこもっていないから、冷たいような感じがする。

 

「すごいな………」

 

「先ほどは美味しい魔力を食べさせていただき、本当にありがとうございました」

 

「魔力を食べた? さっきキスをした時?」

 

「はい」

 

 顔を赤くしながら私の方を見てくるタクヤ。どうやらキスをした時の事を思い出したみたいね。ラウラがこの場にいなくて本当に良かったわ。

 

「ということは、君はサキュバスなのか?」

 

「はい。ステラ・クセルクセスと申します」

 

 表情を全く変えないまま自己紹介するステラ。やっぱり声にも感情はこもっていないから、冷たい口調のように聞こえる。でもタクヤは彼女が敵意を持っていないことに安心したのか、微笑みながら頷いた。

 

 彼女と戦う羽目にならなくて良かったわ。いくら銃という便利な武器があると言っても、本気を出したサキュバスの戦闘力は一般的な吸血鬼の5倍。ドラゴンの頭を片手で握りつぶすほどの握力を持つ種族だから、少なくとも私に勝ち目はない。

 

 タクヤが戦ったらどうなるか分からないけどね。

 

「俺はタクヤ・ハヤカワ。彼女はナタリア・ブラスベルグ。それと、ここの外にもう1人仲間がいる。3人で冒険者をやってるんだ」

 

「冒険者ですか。………ところで、タクヤさん」

 

「ん?」

 

「ステラは、先ほどからあなたの角と尻尾が気になっています。あなたは人間ではないのですか?」

 

「えっと………俺はキメラなんだよ。人間とサラマンダーのな」

 

「キメラ…………? 新しい種族ですか?」

 

「ああ。まだこの世界には、俺とお姉ちゃんと親父の3人しかいない」

 

「ふむ…………面白いです」

 

「ところでタクヤ、ここから脱出した方が良いと思うんだけど」

 

 転生者は逃げていったし、警備していた奴らもステラちゃんが復活したという事を聞いたと思うわ。だからここに警備兵がやってくるかもしれない。

 

 タクヤは頷くと、耳に装着していた小型の無線機に手を当てた。脱出するならばラウラに援護してもらった方が良いわね。彼女はタクヤにいつも甘えているという点を除けば優秀な狙撃手だし、頼りになるわ。

 

「ラウラ、聞こえるか?」

 

『ふにゅ。聞こえるよ』

 

「転生者を逃がしちまった………。でも、女の子を1人保護した。サキュバスの末裔だよ」

 

『ふにゃあああああ!? さ、サキュバスっ!?』

 

「安心しろって。この子は危険な奴じゃない。大人しい子だから。――――――それで今から脱出するんだけど、援護してもらえるかな?」

 

『えへへっ、その必要はないよ。―――――――もう、みんな死んだから』

 

 え……?

 

 もう狙撃で殲滅しちゃったって事? 

 

 ラウラの冷たい声にぞっとした私は、タクヤと目を合わせてから頷いた。ラウラがもう外の警備兵を殲滅してしまったのならば、援護してもらう必要はないわね。転生者も一緒に片付けちゃったのかしら?

 

「転生者は?」

 

『ごめん、そいつだけは逃がしちゃった………。早く逃げた方が良いよ。増援を呼びに行ったのかも』

 

「了解。庭に出たら合図する」

 

 あの転生者が生き残っている限り、ナギアラントの人々は虐げられ続ける。だから転生者を狩るまで、この街を出るわけにはいかないわ。

 

 私の顔を見て頷いたタクヤは、ステラちゃんを連れて地下室の出口へと歩き出す。もう一度この実験室を見渡した私は、一応ハンドガンを手にしたままタクヤの後について行った。

 

 

 

 

 

 

 

「様子はどうだ?」

 

「結構集まって来てるよ。他の拠点から警備兵を連れてきたのかな?」

 

 廃棄された宿屋の最上階にある部屋のベランダからアンチマテリアルライフルのアイアンサイトを覗き込むラウラは、俺の質問にそう答えると、ミニスカートの下から出した紅い尻尾をゆっくりと左右に振り始めた。

 

 オルトバルカ教団のナギアラント支部から脱出した俺たちは、ナギアラントの北部にある廃棄された宿屋に潜んでいた。ここの店の主は魔女だと決めつけられて数年前に処刑されてしまったらしく、宿屋の中には誰もいない。缶詰もいくつか残っていたし、部屋を使って休息もできるから潜伏するにはうってつけの場所だ。

 

 ステラからコートの上着を返してもらった俺は、久しぶりにフードをかぶらないままラウラの隣に伏せると、アンチマテリアルライフルのOSV-96を装備し、バイポッドと銃床のモノポットを展開してスコープを覗き込む。

 

 スコープに搭載されたレンジファインダーによると、ここから教団の支部までの距離は1.8km。俺とラウラの持つアンチマテリアルライフルならばここから支部を狙い撃ちに出来る。ラウラならばここからでもスコープを使わずに命中させられるだろうが、俺は外してしまうかもしれない。1km以上の狙撃は訓練を受けているが、成績はラウラよりも下だった。

 

 親父には「お前も優秀な狙撃手になれる」って言われたんだが、ラウラが優秀過ぎるせいで自信が持てない………。

 

 ちなみにラウラはスコープだけでなく、レンジファインダーも必要ない。エコーロケーションで標的との距離を測定できるからな。だからカスタマイズするポイントの節約にもなるし、いちいち照準の調整も必要ないんだ。

 

「敵の数は…………30人以上いるな」

 

「41人だね」

 

 41人か。支部を最初に警備していた奴らよりも人数が多いな。しかも重装備の兵士ばかりだ。全身に防具を装着し、巨大な盾と槍を持っている。中には巨大なハンマーや大剣を装備している奴もいるようだ。サキュバス用の装備なのかもしれない。

 

 一般的なロングソードを持っている奴はいないから、小回りの良さではこっちの方が上だな。

 

 アンチマテリアルライフルの12.7mm弾ならあの程度の防具や盾は貫通できるが、念のため貫通力が非常に高い徹甲弾を生産しておこう。これならば確実に防具や分厚い盾を貫通できる筈だ。それにこいつの貫通力なら、イージスを貫通して転生者を仕留められるかもしれない。

 

 生産済みのアンチマテリアルライフルのメニューを開き、カスタマイズの中から徹甲弾を生産。他の種類の弾丸も生産できるが、現時点では徹甲弾を最優先で生産するべきだろう。

 

「ほら、徹甲弾」

 

「ふにゅ? 通常の弾丸で大丈夫じゃない?」

 

「あの転生者、イージスを使ってやがる」

 

「厄介だねぇ………」

 

 銃身の脇に用意されたホルダーの中へと徹甲弾を差し込むラウラ。俺も自分の分を生産すると、4つのマガジンのうち2つをコートのポケットの中に入れ、残りの2つを銃床の脇に用意したホルダーに収めておく。

 

 再び教団の支部を監視しようと思ってスコープに目を近づけたその時、コートの外に出していた尻尾を誰かが掴んだような気がした。

 

「ん?」

 

「ドラゴンの尻尾みたいです………」

 

 尻尾を掴んでまじまじと見つめていたのは、先ほどあの支部の地下から救出したサキュバスのステラだった。彼女は俺の尻尾をさすりながら片手をラウラの尻尾に伸ばすと、外殻に覆われていない柔らかい彼女の尻尾を掴み、同じようにさすり始める。

 

 くすぐったいのか、ラウラは顔を少し赤くしながらぷるぷると震えていた。

 

 ステラが身に着けているのは、救出された時に身に着けていたボロボロの服ではなく、この宿の中で見つけた純白でシンプルなワンピースだった。彼女の放つ幻想的な雰囲気とよく似合っている。

 

 床についてしまうほど長かった髪もナタリアが切ってくれたらしいんだけど、まだ彼女の髪はお尻に届くほど長い。でも彼女にはこのくらいの長さが似合うのかもしれない。

 

 そういえば、彼女はどうしてあんなところにいたんだろうか? サキュバスは大昔の魔女狩りで絶滅してしまったのではなかったのか?

 

「なあ、ステラ」

 

「なんでしょう?」

 

「何でお前はあそこにいたんだ? サキュバスはもう絶滅してしまったんじゃないのか?」

 

 問い掛けてみると、ステラはラウラの尻尾から手を離した。そして俺とラウラの間までやってくると、ちょこんと腰を下ろす。

 

「―――――1200年前、私たちの種族は確かに滅びました。ナギアラントでの最後の抵抗で劣勢になった時、ママが私をあそこに封印し、隠してくれたのです」

 

「他の同胞は?」

 

「…………おそらく、みんな処刑されてしまった事でしょう」

 

 辛い話だというのに、彼女は表情を全く変えない。感情がこもっていない冷たい声を聞いていた俺は、彼女にこの事を聞くべきではなかったと思い始めた。

 

「ですから、ステラが最後の生き残りという事になります」

 

「つまり、ステラが死んだら―――――――」

 

「はい。今度こそサキュバスは完全に絶滅するでしょう」

 

 自分と同じ種族がもういない。周囲はサキュバスを忌み嫌う人々ばかり。ステラはこの世界に、たった1人だけで放り出されてしまったのだ。

 

 彼女が表情を変えないのは、感情を捨ててしまったからなんだろうか? それとも強引に抑え込んでいるだけなんだろうか?

 

 自分しかサキュバスがいない。もし感情を出せば、その孤独が彼女を蹂躙してしまう事だろう。だからステラは、きっと必死に感情を出さないようにしているんだ。

 

「ですからステラは、子供をたくさん作ってサキュバスを再興しなければなりません。それがママの遺言ですし、同胞たちの宿願である筈です」

 

「そうか…………」

 

 左手を伸ばし、彼女の頭の上に置く。そのままステラの頭を撫でようとしていた俺は、はっとして動かしかけていた手を止めてしまう。

 

 ラウラは大喜びしてくれるが、ステラは嫌がるかもしれない。しかもすぐ近くにはそのラウラがいて、虚ろな目でじっと俺を睨んでいる!

 

 しまった……。ラウラがすぐ近くにいたのを忘れていた……!

 

「………」

 

「す、ステラ。すまん。癖で――――――」

 

 謝ろうとしていると、今度はすぐ近くからお腹が鳴る音が聞こえてきた。その音にラウラへの恐怖を吹っ飛ばされてしまった俺は、呆然としながらラウラのほうを見る。

 

 てっきりラウラのお腹の音かと思ったんだが、俺と目を合わせたラウラは同じように呆然としながら首を横に振っていた。ラウラじゃないのか?

 

 ということは、ステラか? ちらりと隣にいる彼女の顔を見上げてみると、無表情の顔が恥ずかしそうに赤くなっていた。

 

 お、お前か………。

 

「―――――お腹が空きました」

 

「そ、そうか。えっと、非常食とか缶詰があるけど――――――」

 

「いえ、サキュバスの主食は魔力です。普通の食べ物を食べても空腹感は消えません」

 

「そうなのか?」

 

「はい。ですので、魔力が食べたいです」

 

 まさか、またキスするわけじゃないよね……? 

 

「す、ステラ……?」

 

「出来るならタクヤの魔力がいいです。ステラはタクヤの魔力の味が気に入りました」

 

 そ、それは拙いだろ!? ヤンデレの姉の目の前で幼女とキスをするって事だろ!?

 

 しかも魔力を吸われた後は力が入らなくなるから、機嫌を悪くしたラウラから逃げるどころか抵抗できなくなるという事だ。

 

 なんてこった。

 

 無表情のまま口元のよだれを拭い、ぺろりと小さな舌で口の周りを舐め回すステラ。どうやらもう我慢できないらしい。でも、こんなところでキスされたら俺はお姉ちゃんに殺されちゃうんだよ。お願いだから我慢してくれないかな?

 

 すると、いきなりステラの長い髪が逆立ち始めた。まるで触手のように動き始めた彼女の髪が俺に向かって伸びてきたかと思うと、そのまま縄のように俺の手足に絡みつき、動けないように束縛してしまう。

 

「お、おい、ステラ!」

 

「タクヤの魔力……早く欲しいです」

 

「待てって。もう少し我慢してくれよ!」

 

「無理です」

 

 彼女の髪を振りほどこうとするが、まるでトロールに掴まれているかのように身体が全く動かない。足掻いていると、ステラが髪を動かし、今度は俺を床に押し倒してしまう。

 

 尻尾で髪を切って脱出しようとしていると、その尻尾まで彼女の髪に絡みつかれて束縛されてしまった。

 

 動けなくなっている俺の上に乗り、顔を近づけてくるステラ。ちらりとラウラのほうを見てみると、彼女は虚ろな目つきで笑いながら早くもボウイナイフを鞘から引き抜き始めていた。

 

「す、ステラッ! 落ち着けって! ラウラが機嫌悪くしてるから!!」

 

「いただきます。―――――はむっ」

 

「ステ――――――むぐぅっ!?」

 

 無視して唇を押し付けてくるステラ。口の中へと彼女の小さな舌が入り込んで来て、俺の下を舐め回し始める。

 

 拙い。お姉ちゃんに殺される………。

 

「あははははっ。タクヤったら、小さい女の子の方が好きだったのかなぁ………?」

 

 ナイフを手にゆっくりと近付いてくるラウラ。もちろん目つきは虚ろで、いつもの甘えん坊なお姉ちゃんの目つきではない。

 

 まだ冒険を始めたばかりだというのに、俺は幼女が原因で姉に殺されるのか………。

 

 前世と転生した後の人生で、結局童貞のままだったなぁ………。そう思っていると、いきなりステラが俺から唇を離した。口元についている唾液をぺろりと舐め取ると、手足を縛り付けていた髪を解き、今度はそれをラウラへと向かって伸ばし始める。

 

 ラウラはナイフを振り払って迎撃しようとするが、ステラの髪は彼女のナイフをあっさりと躱し、逆にラウラの両手と両足を同じように縛り付けてしまう。

 

「ふにゃあっ!?」

 

 俺よりも筋力が劣るラウラが足掻いても逃げられるわけがない。同じように押さえつけられたラウラも床に押し倒され、その上にステラが乗る。

 

 まさか、ラウラからも魔力を吸い取るつもりなんだろうか? 

 

 必死に足掻くラウラに唇を近づけていくステラ。だが、彼女はラウラの唇を奪う前に動きを止めると、いきなりラウラの大きな胸を見下ろしてから自分の胸を見た。

 

「………羨ましいです」

 

 ステラのは小さいからなぁ……。

 

「ふにゃ―――――――むぐっ!? んっ………!?」

 

 2人のおっぱいの大きさを比べながらそんなことを考えていた俺の目の前で、ステラが自分の小さな唇をラウラの唇に押し付けた。ラウラは首を振って抵抗していたんだけど、ステラの小さな両手に押さえつけられ、ついに抵抗できなくされてしまう。

 

 ベレー帽を床に落としてしまったラウラの頭では、キメラの証でもある角が早くも伸び始めていた。先端部が炎のように赤くなっている彼女の角が、もうダガーのような長さになっている。

 

「―――――ぷはっ。……ラウラの魔力は甘くて美味しいです。はむっ」

 

「ふにゅ――――――むぐぅっ!?」

 

 助けるべきだろうか? 起き上がるために手足に力を入れてみるけど、結構魔力を吸い取られてしまったらしく、力を入れても指先がぴくりと動く程度だ。もう少し休まないと。

 

 もう少し休むことにした俺は、隣で唇を奪われ続けるラウラをじっと見つめていた。

 

 

 

 



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タクヤとラウラが狙撃するとこうなる

 

「ふにゃあー…………」

 

「お腹いっぱいです」

 

 顔を真っ赤にしながら横になるラウラの傍らで、ステラは満足そうに目を瞑りながらお腹をさすっている。今度は俺だけではなくラウラからも魔力を吸収したから満腹になったんだろう。

 

 サキュバスは自分で魔力を生成する能力を持たないため、他者から吸収する必要がある。しかも特に魔力を使っていたわけでもないのに吸収を必要とするという事は、魔術を使って攻撃しなくても体内の魔力は減っていくという事なんだろう。穴の開いた燃料タンクを使っているようなものなのかもしれない。

 

 他の種族よりも遥かに戦闘力が高い代わりに、燃費の悪い種族らしい。

 

「な、なあ、ステラ」

 

「何でしょう?」

 

「魔力を吸収する時って、キスしないと駄目なのか?」

 

 せめて他の方法で吸収できれば助かるんだが、どうしてもキスじゃないと駄目なんだろうか?

 

 幸せそうにお腹をさすっていたステラは目を開けると、頬を少しだけ赤くしたまま俺の近くへとやって来た。そして俺の目の前にちょこんと腰を下ろし、紅くて小さな唇から舌を伸ばす。

 

 ステラの出した小さな舌には、小さな魔法陣のような刻印が刻まれていた。魔術を使う際に必要となる魔法陣にも記号や古代文字が刻まれることはあるが、彼女の舌にある魔法陣は魔術用のものとは違う記号が刻まれている。

 

「これは?」

 

「サキュバスが生まれつき身体のどこかに持っている吸収用の刻印です。これで相手の身体に触れてから発動しなければ、サキュバスは魔力を吸収できません」

 

 なるほど。ステラの場合は舌にあるから、相手の身体に舌で触れなければ魔力を吸収できないというわけか。手を繋いで魔力を吸収するような方法に変えられればそうして欲しかったんだが、これは変えることは出来そうにないな。

 

「どこにあるかは決まってないのか?」

 

「刻印のある部位は母親から遺伝しますので」

 

「母親から? 父親からは遺伝しないのか?」

 

「サキュバスという種族は女性だけで構成されています。ですので、基本的に父親は別の種族なのです」

 

「つまり、ハーフが基本って事なのか?」

 

 質問すると、ステラは首を横に振った。

 

「そういう事になりますが、サキュバスと他の種族の間に子供が生まれた場合、遺伝子の様々な法則に関係なくサキュバスの遺伝子が優先されます。ですので子供に遺伝する父親の種族の遺伝子はサキュバスの遺伝子に上書きされてしまうため、生まれてくる子供は父親の種族に関係なく純血のサキュバスという事になります」

 

「そうなんだ」

 

「はい。ですから、もし仮にステラとタクヤの子供が生まれた場合、生まれてくる子供はキメラではなくサキュバスとなります」

 

 ステラがその例えを言った瞬間、呼吸を荒くしながら横になっていたラウラの尻尾がぴくりと動いた。拙いと思った俺は誤魔化す方法を必死に探し始めたが、誤魔化す方法が見つかる前にラウラがゆっくりと起き上がった。

 

 虚ろな目でふらつきながらこっちへとやってくるラウラ。ナイフは手にしていない事に少しは安心したが、でも虚ろな目つきの姉は怖いものだ。後ろへ下がろうとしたが、壁に背を預けて座っていたせいで最初から袋の鼠だった。横へ逃げようと動き始めたが、距離を離す前にラウラの尻尾が伸びてきて、俺の首に絡みついてくる。

 

 そのまま首を絞められると思っていたんだが、彼女の柔らかい尻尾は俺の首に絡みついているだけだった。やがてラウラも俺の隣に腰を下ろすと、ステラの目の前だというのにいつものように俺に甘え始める。

 

 胸板に頬ずりをし、匂いを嗅ぎ始めるラウラ。虚ろな目つきのままぞっとする俺の顔を見上げると、彼女は言った。

 

「お姉ちゃんと同じ匂いがしない」

 

「そ、それはそうだよ。昼間は戦闘中だったんだし、さっきはステラが―――――」

 

「そうだよね。ステラちゃんの匂いがするもん」

 

 先ほどステラはナタリアと一緒にこの宿屋のシャワーを浴びていたから、シャンプーの匂いがする。どうやら俺たちがいつも使っていたシャンプーとは違う物だったらしい。

 

 ちらりとステラの方を見てみると、彼女は俺に甘えてくるラウラをじっと見つめながら首を傾げていた。

 

「姉弟なのに弟が好きなのですか?」

 

「うん。だってタクヤはお姉ちゃんのものだもん」

 

「………ラウラはずるいです」

 

「ステラ?」

 

 立ち上がってから俺の隣へとやってくるステラ。彼女もラウラと同じように俺の匂いを嗅ぎ始めると、また顔を近づけてきた。

 

「ステラにも分けてください。はむっ」

 

「んっ!?」

 

「ふにゃあああああああ!?」

 

 また魔力を吸収するのかよ!? お腹いっぱいになったんじゃないのか!?

 

 もしかしてデザートのつもりなんだろうか? ぞっとしながらラウラのほうを見てみると、彼女は虚ろな目のまま、羨ましそうな表情でこっちを見ている。

 

 何かを迷っていたようだけど、どうやら決めたのか、彼女はステラにキスされている最中の俺の頭を引っ張って強引にキスを中断させた。うっとりしていたステラが残念そうにこっちをじっと見つめている。

 

「た、タクヤ……」

 

「な、何だよ?」

 

「おっ、お姉ちゃんにもキスして!」

 

「えぇ!? ちょ、ちょっと待てよ、そろそろ攻撃開始しないか? もう夕方だし、警備兵の数も減って――――――」

 

「やだやだ! お姉ちゃんとキスしないと駄目なのっ!!」

 

 久しぶりに駄々をこねるラウラ。ナイフを持って襲い掛かって来るよりは遥かに良いんだが、さすがにそろそろあの転生者たちに攻撃を仕掛けるべきだ。

 

 夜間でも暗視スコープを装備すれば問題ないんだが、出来るならば夜になる前には決着を付けたい。だからステラに質問をした後は、狙撃の準備をするつもりだった。

 

 あの質問をしなければよかったと駄々をこねる姉を見ながら後悔した俺は、首を傾げているステラに向かって肩をすくめると、涙目になりながら駄々をこねているラウラの首の後ろに素早く手を回して彼女を引き寄せ、唇を奪った。

 

 両手で抱き着き、舌を伸ばしてくるラウラ。俺も舌を触れ合わせながら、彼女を優しく抱きしめる。

 

「ふにゅ………」

 

「――――――ぷはっ。……ラウラ、これでいい?」

 

「うんっ! えへへっ、タクヤは優しいなぁ………よしよし」

 

 いつもは俺が彼女の頭を撫でているんだが、今回は姉である彼女に頭を撫でられた。お姉ちゃんに頭を撫でてもらうのも悪くないな。

 

 そう思いながらラウラに柔らかい手で頭を撫でてもらっていると、部屋のドアが開いてナタリアが部屋の中へと入って来た。俺がラウラに頭を撫でられているのを見て少し顔を赤くした彼女は、数秒だけ俺を見下ろしてから咳払いする。

 

「………そろそろ攻撃しましょう」

 

「そうだな」

 

「ふにゅ………」

 

 残念そうに俺の頭から手を離すラウラ。俺は彼女に「ありがと、ラウラ」と礼を言うと、アンチマテリアルライフルを置いておいたベランダの方へと向かう。

 

 バイポッドとモノポットを展開した状態でベランダに置かれている得物のグリップを握り、スコープを覗き込む。まだ狙撃するわけではない。攻撃開始前の偵察だ。

 

 警備兵の数は減っている。おそらく敵はすぐに俺たちが攻撃してくると思って反撃の準備をしていたんだろう。だが俺たちはすぐに支部から引き上げてしまったし、日が暮れ始めているというのに攻撃もしてこないから、警備兵たちの警戒心も崩れ始めているに違いない。

 

 スコープの向こうであくびをしている警備兵を見てにやりと笑った俺は、スコープから目を離して立ち上がった。

 

「――――――よし、これよりオルトバルカ教団ナギアラント支部への攻撃を開始する」

 

 メンバーは俺とラウラとナタリアとステラの4人だ。敵の数は合計で41人。戦力差は10倍もあるが、問題はないだろう。

 

 最強の傭兵たちから訓練を受けた姉弟と、トロールと単独で戦って生き残った冒険者と、サキュバスの末裔がいるのだから。

 

「まず最初に俺とラウラがここから敵兵たちを狙撃。その隙にナタリアは単独で回り込んで、銃と弓矢を使って敵を攪乱してくれ。敵に包囲されていると錯覚させるんだ」

 

「任せて。弓矢なら得意よ」

 

 彼女はコンパウンドボウを使って戦ってきた冒険者だからな。ほんの少ししか弓矢の扱い方を教わらなかった俺たちよりも、攪乱は彼女に任せた方が良いだろう。コンパウンドボウは銃よりも射程距離は短いが、銃声はしない。敵を攪乱するならばうってつけだ。

 

「敵の体勢が崩れたら、今度は俺とステラが突撃する。弾薬は置いて行くから、ラウラはそのまま狙撃で援護を頼む」

 

「うん、分かった」

 

「分かりました」

 

 ステラはもう十分魔力を吸収して満腹だから魔力を使い果たすようなことはないだろう。それに、吸血鬼を絶滅寸前まで追い込んだサキュバスの力を見る事ができるかもしれない。

 

 それに、敵は金属製の防具を身に着けているからな。電撃は有効だろう。だから俺はある程度狙撃したら、援護はラウラに任せて突撃する事にしている。

 

 さすがに転生者を相手にするのはナタリアでは無理だろう。だから転生者は俺が仕留める。

 

「よし、作戦開始だ」

 

 そう言うと、ナタリアは深呼吸をしてからにやりと笑い、近くにあった木材を拾い上げた。武器を背中や腰に下げたまま木材を手にした彼女は、ベランダから通りの向かいの建物のベランダまで伸びているロープの方へと向かう。

 

 ナタリアの攪乱をサポートするために、予め用意しておいたんだ。幼少の頃に親父と屋根の上で鬼ごっこをやった時に、よく屋根から伸びているロープを使って逃げていたのと同じだ。こうすれば屋根をよじ登ったり、屋根の上を走り回った経験のないナタリアでも素早く移動できる。

 

 木材をロープに引っ掛け、通りの向かいにある低い建物の屋上へと滑り下りて行くナタリア。彼女は木材から手を離すことなく無事に向かいの建物の屋上へと着地すると、こっちを見上げながら親指を立てた。

 

 俺も親指を立ててにやりと笑うと、屋根の上を移動し始めた彼女を見送ってからスコープを覗き込む。

 

 一番最初は俺とラウラの仕事だ。

 

 スコープを覗き込み、もう一度レンジファインダーで距離を確認。距離は1.8kmから変わっていないため、照準の調整は必要ないだろう。

 

 OSV-96はラウラのゲパードM1と違い、セミオートマチック式のアンチマテリアルライフルだ。彼女の銃と違って連続で射撃できる極めて強力なライフルだが、命中精度では連射速度を犠牲にして命中精度を重視したゲパードM1には劣ってしまう。それに俺の狙撃の技術も、親父が言うには高い方らしいが、ラウラと比べればかなり劣るだろう。

 

 足を引っ張らないように気を付けなければならない。何度か訓練でセミオートマチック式のスナイパーライフルで狙撃の訓練を受けているが、こんな長距離の狙撃はさすがに初めてだ。

 

 落ち着け。命中させられれば記録更新だ。

 

 夕日の向こうには、巨大な盾を持った警備兵たちが6人ほど整列している。武装は巨大なランスだ。全身に防具を装着しているため、動きは鈍いだろう。それに突っ立っているだけだから、1.8kmという長距離を除けば難易度は低い。

 

「俺は右の奴から狙う」

 

「じゃあお姉ちゃんは左ね」

 

 別々に狙いを定め、スコープのカーソルを標的へと合わせる。ラウラのライフルはスコープとレンジファインダーを搭載していない代わりに、照準を合わせやすいようにリング状の大型アイアンサイトを装備しているんだが、よく1.8km先の敵をスコープを使わずに狙えるな。

 

 何度かラウラの隣でスコープを使わずに狙ってみようと思ったんだが、全然狙いが付けられない。遠くにいる小さな魔物をアイアンサイトを使って撃ち抜くのは親父でも不可能だ。

 

「ステラ、耳塞いどけよ」

 

「分かりました」

 

 アンチマテリアルライフルの銃声は凄まじいからな。ステラにそう言った俺は、獲物に照準を合わせながら息を吐く。

 

 当てられるか? こんな長距離で狙撃するのは初めてなんだぞ?

 

 落ち着け。当てるんだ。必ず命中させなければならない。

 

 クソ野郎を狩るために―――――――。

 

 だから、狩る。

 

「――――――発射(ファイア)」

 

 標的を睨みつけながら、俺はトリガーを引いた。

 

 夕日の光を、T字型のマズルブレーキから噴き上がったマズルフラッシュが一瞬だけ飲み込む。その光が消え去る直前にマズルブレーキから飛び出したのは、アサルトライフルやスナイパーライフルの威力をはるかに上回る大口径の12.7mm弾。人体を簡単に木端微塵にしてしまうほどの威力を誇る弾丸が、俺のOSV-96と、ラウラのゲパードM1から同時に放たれる。

 

 予想以上の銃声と、姉とトリガーを引いた瞬間が全く同じだったことに驚きながらスコープを覗き込み続ける。いくら凄まじい速度で飛んでいく弾丸とはいえ、長距離からの狙撃の場合はすぐに着弾するわけではない。スコープの向こうへと飛んでいく弾丸を見送っていると、その弾丸は隣を飛ぶラウラの弾丸と共に、ついに鎧に身を包んでいた警備兵の腹へと喰らい付いた。

 

 獰猛な破壊力を誇る12.7mm弾を金属の防具で防ぎ切れるわけがない。防具に弾かれることなく突き刺さった弾丸は、温存していた猛烈な運動エネルギーを解き放って一瞬で防具を粉砕すると、そのまま防具を身に着けていた人間の胴体を抉り取る。肉片と共に飛び散った金属性の防具の破片は、夕日に照らし出されているせいなのか、他の肉片と全く見分けがつかなかった。

 

 ラウラの放った弾丸も同じだった。警備への胸に命中した彼女の弾丸はその兵士の胸から上を容易く消し飛ばすと、血を纏ったまま鉄柵へと命中し、その鉄柵を叩き折って地面へとめり込む。

 

 いきなり2人も上半身を木端微塵にされ、油断していた警備兵たちが騒ぎ始める。俺はポケットの中に入っている2つのマガジンの中から12.7mm弾を全て取り出してラウラの傍らに置くと、ボルトハンドルを兼ねるグリップを捻って再装填(リロード)を始めた彼女の隣で次の獲物へと照準を合わせた。

 

 次の標的は盾を構えて戦闘態勢に入った隣の警備兵。1人だけ増援を呼びに行ったようだが、増援は呼んでもらった方が良い。その方がナタリアの攪乱の効果は上がるし、上手くいけば同士討ちを始めるかもしれない。

 

 狙撃した距離の記録を更新して落ち着いた俺は、再びトリガーを引く。弾丸は兵士の持っていた巨大な盾にめり込むと、あっさりと貫通して風穴を開け、盾を持っていた兵士の左腕を食い千切った。

 

 片腕を失って喚き始める兵士。止めを刺そうと思って照準を合わせ直していると、いきなり右側から飛来した漆黒の矢がその兵士のこめかみに突き刺さった。

 

 正面から攻撃されていると思い込んでいた兵士たちは、いきなり横から攻撃されてかなり混乱しているようだ。続けざまにもう1本の矢がその後ろの兵士の額に突き刺さり、更に兵士たちが慌てふためく。

 

 ナタリアの攻撃が始まったようだ。敵はかなり混乱しているようだな。

 

 門の奥から兵士たちが次々にやってくる。大剣やハンマーを装備した重装備の奴らだが、大口径のライフルを持っている狙撃手に動きの鈍い重装備で挑むのは愚の骨頂だ。非常に狙いやすい。

 

 雄叫びを上げながら外に出て来た男が、ラウラの正確な狙撃であっさりと木端微塵になる。俺も増援の兵士たちを狙撃したが、いきなり標的が動いたせいで狙いが外れ、弾丸は鉄柵を何本かへし折って庭へと着弾してしまう。

 

「チッ」

 

 舌打ちしてから改めてもう一度照準を合わせる。狙いはナタリアの狙撃を警戒している兵士だ。

 

 カーソルを合わせ、もう一度トリガーを引いた。

 

 身に着けている防具の防御力をはるかに超えた破壊力の弾丸を叩き付けられ、肉片と金属の破片が飛び散る。

 

 親父は若い頃にこのOSV-96を愛用していたらしいんだが、なんとあの親父はこいつのギリギリの射程距離である2km先にいた転生者を撃ち抜いて仕留めてしまった経験があるらしい。親父を超えるには、1.8kmの狙撃で外しているわけにはいかない。

 

 マガジンの中の弾丸はあと1発。こいつをぶっ放したら移動しよう。

 

 もう1人の標的に照準を合わせてトリガーを引き、持っていた大剣もろとも木端微塵にした俺は、空になったマガジンを取り外して銃床のホルダーから予備のマガジンを引き抜き、装着してからコッキングレバーを引くと、重いアンチマテリアルライフルを折り畳んで背中に背負ってから立ち上がった。

 

「行くぞ、ステラ。出番だ」

 

「はい、タクヤ」

 

 耳を塞いでいたステラは頷くと、小さな手を伸ばして俺の手を掴む。

 

「ラウラ」

 

「ふにゅ?」

 

「………もし狙撃に飽きたら、遊びに来い」

 

「――――――うんっ!」

 

 狙撃を継続する姉にそう言った俺は、ステラを連れてベランダのロープを硬化した腕で掴むと、2人でロープを滑り降り始めた。

 

 クソ野郎は――――――俺が狩る。

 

 

 

 



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ステラが敵兵と戦うとこうなる

 

 獰猛な破壊力の弾丸が、次々に兵士たちの肉体を木端微塵に食い破っていく。剣や槍を弾き返してしまうほど分厚い盾を持っていても関係なしに、その弾丸は剛腕が薄い木の板を叩き割るように盾を貫通し、兵士の肉体を抉り取ってしまう。

 

 暗闇の中で矢を番え、狙いを定めながら、私はその異世界の兵器の凄まじい破壊力に戦慄していた。

 

 私が使っているこのコンパウンドボウは、モリガン・カンパニーが騎士団や冒険者用に大量生産している最新型の弓矢で、従来の弓矢よりも貫通力や射程距離が強化されている。これのおかげで魔物とも非常に戦いやすくなり、騎士団や冒険者たちの生存率も劇的に上がっているため、最も優秀な遠距離武器と評価する人も多い。

 

 なのに、あの2人が使う銃という遠距離武器は、そのコンパウンドボウの射程距離と威力をはるかに上回っている。轟音を発するため隠密行動向きではないとは思っていたんだけど、サプレッサーという音を消す装備を取り付けることで隠密行動も可能だし、弓矢をはるかに上回る速度で連射が出来るものもある。

 

 弓矢ばかり使っていた私から見れば、全く欠点が見つからない。さすがに至近距離での戦いは苦手なのかもしれないけど、あんな凄まじい破壊力の弾丸を連射されればそもそも接近されることもない。弾丸の数は限られているけど、様々な種類がある上に、人間相手ならばほぼ確実に一撃で倒せる。それに弾切れしたころには敵の数はかなり減っている筈だから、弾丸を撃ち尽くした後に接近戦になっても全く問題はない。

 

 あれが、ネイリンゲンで私を助けてくれた傭兵さんが愛用していた異世界の兵器………。

 

 また目の前で肉片をまき散らしながら弾け飛んだ兵士。それを目の当たりにした他の兵士が絶叫する。

 

 その絶叫した兵士の頭に照準を合わせ、矢を放つ。モリガン・カンパニー製のコンパウンドボウと矢は、隠密行動しやすいように漆黒に塗装してあるから、暗くなり始めている今の時間ならば敵に発見されにくい筈。次の矢を矢筒から引き抜きながら、今しがた放った矢が敵兵のこめかみに突き刺さったのを確認した私は、滲み出し始めた躊躇いを慌てて踏み潰すかのように矢を番え、次の兵士を狙う。

 

 容赦してはいけない。こいつらは今まで人々を散々虐げてきた奴らなのよ。パブの兵士たちみたいに………!

 

 もう1本矢を放ち、それが敵兵に突き刺さったのを確認してからコンパウンドボウを折り畳み、踵を返す。傍らに置いておいた木材を拾い上げた私は、隠れ家代わりにしていた宿屋に逃げ込んだ直後にタクヤが用意してくれたロープを見つけると、それに木材を引っ掛けて、別の建物の屋根の上へと滑り降りる。

 

 まだ敵兵には発見されていないけど、敵はかなり攪乱されている筈よ。中には正面からの狙撃ではなく、側面からの私の狙撃を警戒し過ぎてラウラに撃ち抜かれている兵士もいるもの。

 

『ナタリアちゃん、タクヤとステラちゃんが前進したよ!』

 

「了解。援護するわ」

 

 あの2人が来たという事は、敵兵の数もかなり減っているという事ね。既に支部の前はラウラの狙撃で木端微塵にされた肉片と、私の矢に撃ち抜かれた死体だらけになっている。まだ敵兵は残っているけど、もう半数くらいまで減らされてるんじゃないかしら?

 

「容赦ないわねぇ………」

 

 キメラのタクヤとサキュバスのステラちゃんがついに突撃してきたのね。きっと、人間の兵士では勝ち目はないわ。

 

 本当に容赦ないのねぇ………。

 

 

 

 

 

 

 

 物静かな田舎の街並みは、銃声と怒号で蹂躙されていた。沈みかけの赤黒い夕日が血で真っ赤に染まった地面を照らし出し、更に禍々しく彩っていく。

 

 その禍々しい戦場を目指して、俺とステラは走っていた。俺の武器はドイツ製アサルトライフルのG36Kと、ロシア製ダブルアクション式リボルバーのMP412REX。背中に背負っているでかいライフルは、ロシア製アンチマテリアルライフルのOSV-96だ。銃身の下には、バックブラストが噴出しないように改造されたRPG-7V2が装着されている。

 

 数々の武器を装備している俺の隣を走る幼い少女は、何も武器を身に着けていない。真っ白なワンピースを身に纏ったまま、俺と共に戦場へと向かって突っ走るだけだ。

 

 何か武器を渡そうかと聞いたんだが、彼女は首を横に振っていた。サキュバスは人間よりも戦闘力が高いし、強力な魔術も使う事ができるという。おそらく、人間以上の身体能力と魔術を駆使して戦うつもりなんだろう。

 

 彼女がどのように戦うのかは全く分からない。だから細かい指示を出さずに、好き勝手に戦わせた方が良いだろう。

 

 敵兵たちは通りを走る俺たちに気付いたらしい。ラウラの狙撃とナタリアの攪乱で総崩れになりかけていた敵兵たちが、大慌てで巨大な盾を構え、即席の城壁を作り出す。

 

 40mmグレネード弾で吹っ飛ばしてやろうかとG36Kを構えたが、隣を走るステラが俺の顔を見上げながら首を横に振った。

 

「ステラに任せてください」

 

「何だって?」

 

 あいつらを倒してくれるのか?

 

 無表情のまま再び敵兵の方を見据えるステラ。すると彼女は、走りながら右手を真っ直ぐに伸ばしながら唱えた。

 

「――――――おいで、グラシャラボラス」

 

 感情が全く込められていない冷たい声が、夕日の中に静かに響く。

 

 吸血鬼を絶滅寸前に追い詰めたサキュバスの最後の生き残りが、ついにこの自らが封印されていたナギアラントで、理不尽な魔女狩りを他のそんでいたクソ野郎共に牙を剥くのだ。

 

 握るだけで包んでしまえそうなほど華奢なステラの右手の手首に、血のように禍々しい赤色の光が集まっていく。その光は一瞬で重々しい金属製の腕輪を形成すると、今度はその腕輪から血のように真っ赤な鎖を空へと向けて伸ばし始めた。

 

 非常に長い鎖と腕輪で片手を繋がれたステラは、まるで天空から操られる操り人形のようだった。だが、その伸び続ける真っ赤な鎖が成長を止め、終着点で膨れ上がったのを目の当たりにした瞬間、操り人形のような印象は跡形もなく粉砕され、今度は破壊者という印象が浮き上がり始める。

 

 赤黒い夕日の中に出現したのは――――――まるで毬栗のように全体からランスのような棘を伸ばした、直径2mほどの鋼鉄の鉄球だった。

 

「なっ…………!?」

 

 ゆっくりとステラの傍らに下りてくる鉄球。身長が140cmくらいの小柄なステラと比べると、彼女が中に入れそうなほど巨大だ。おそらく俺も入れるかもしれない。

 

 よく見てみると、その棘の付いた鉄球は機械的な姿をしていた。全体から生えている棘はよく見ると1本1本が細いドリルになっているようで、根元の方には細い配管とケーブルが接続されている。鉄球の表面には細い配管やリベットがあり、その中になぜか小さな圧力計のようなパーツまで紛れ込んでいた。

 

 大昔にサキュバスが使っていた武器にしては機械的で、彼女が放つ幻想的な雰囲気とは全く似合わない重々しい武器だ。

 

 配管の隙間やドリルの根元から勢いよく蒸気を吐き出す鉄球。圧力計の中にある針が一気に右側へと揺れ、小刻みに左右へと揺れ始める。

 

 久しぶりに呼び出した得物を見たステラは少しだけ微笑むと、華奢な右手で血のように赤い鎖を掴み、まるでボールを放り投げるかのように右腕を縦に薙ぎ払った。

 

「!」

 

 蒸気を吐き出しながら、鉄球に装着されているドリルたちが回転を始める。おそらく電力ではなく、魔力を原動力にして動いているんだろう。

 

 解き放たれた鉄球は、まるで久々に獲物に襲い掛かることを喜んでいるかのように浮き上がると、荒々しいドリルの音をナギアラントの通りに響かせ、蒸気をばら撒きながら、この鉄球を目の当たりにして呆然としている敵兵の群れへと向かって飛翔していく。

 

 盾で防げるわけがないと敵兵たちは分かっている筈だ。だが、あの巨大な盾を投げ捨てて逃げ出したとしても、防御力を重視して装備したあの鎧のせいで回避することは出来ないだろう。中には回避を諦めて防御しようとしている兵士も致し、盾を投げ捨てて鈍い動きで逃げ出す兵士もいたが、両者ともこの攻撃から逃れられるわけがなかった。

 

 ついに地面に叩き付けられた鉄球が、ドリルに盾もろとも貫かれ、下敷きにされた哀れな兵士たちの断末魔を押し潰す。肉体と大地をドリルが貫き、直径2mの鉄球が地面に大穴を開けながら荒れ狂う。

 

 まるで大型の爆弾が投下されたような轟音と凄まじい衝撃波が、支部の建物の中からやって来た増援部隊を飲み込み、一撃で壊滅させてしまった。何人もの兵士たちを押し潰した重々しい鉄球が、返り血で真っ赤になりながら蒸気を吐き出す。

 

「この子を使うのは久しぶりです」

 

「す、すげえ………!」

 

 地面から鉄球を引き抜き、相変わらず表情を変えずに言うステラ。引き戻した鎖と共に戻ってきた鉄球を見つめた彼女は、ドリルの回転を止めさせてから、まるで俺がラウラの頭を撫でるかのように鉄球の表面を撫で回す。

 

「行きましょう」

 

「あ、ああ」

 

 浮遊する鉄球を引き連れ、建物へと走っていくステラ。俺も彼女の後について行くが、さすがにあの鉄球は建物の中に入らないだろう。グラシャラボラスを解除すれば彼女は丸腰になってしまう。

 

 何か武器を渡しておこうかと走りながらメニュー画面を開いた俺は、生産済みの武器の中からシングルアクションアーミーをタッチしようとしたが、その配慮は無意味だったという事を知る羽目になった。

 

 もう一度腕を縦に薙ぎ払い、ドリルが棘のように生えた鉄球を支部の入口へと叩き付けるステラ。分厚い盾を容易く粉砕した一撃を、レンガ造りの建物が弾き飛ばせるわけがない。あっさりとレンガ造りの豪華な壁は瓦解し、猛烈な土煙とレンガの破片を舞い上げながら崩れ落ちていった。

 

 豪快だな。

 

 苦笑いしながらメニュー画面を閉じ、俺はステラと共にその穴から支部の内部へと突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 支部の中にも敵兵はまだ残っているようだ。41人の兵士のうち、もう半数以上が俺たちとの戦いで死亡している。残っている兵士の人数は10人弱くらいだろう。転生者を入れたとしても既に風前の灯火だ。

 

 大慌てで階段をかけ下りてくる警備兵たち。さすがに室内での戦いで巨大なランスや大剣を使うわけにはいかなかったらしく、装備はまるで産業革命が起こる前の騎士団と同じく、白い制服の上に防具を身に着け、盾とロングソードを装備している。

 

 教団の支部を襲撃されて慌てふためいているというのに、ついに内部に侵入してきた襲撃者の正体が、サキュバス最後の生き残りと最初に襲撃してきた俺だと知った彼らは、目を見日開きながら剣の切っ先を俺たちへと向けてきた。

 

「ま、魔女………!?」

 

「何だと!? 魔女が襲撃してきたのか!?」

 

「くっ、迎撃するんだッ!!」

 

 兵士たちの怒号を聞き流しながら、俺は転生者がどこにいるのか考え始めていた。こいつらが上から下りて来たという事は、支部長である転生者の執務室は上の階にあるという事だ。わざわざ離れた位置に警備兵を待機させておくわけがないからな。

 

 G36Kを兵士たちに向け、照準を合わせる。騎士たちは俺よりもステラを見てビビっているようだが、アサルトライフルのフルオート射撃も強烈なんだぜ? 喰らってみるか?

 

 ステラのグラシャラボラスの破壊力はおそらく戦車砲以上だろう。最新型の主力戦車(MBT)でも、あんな鉄球を叩き潰されれば砲塔と車体をパンのように潰されてしまうに違いない。だが、小回りが利かない。こういう室内戦では圧倒的な攻撃力を持つ鉄球よりも、銃身の短いアサルトライフルの方が小回りは聞くし、戦いやすいのだ。

 

 兵士たちが突っ込んで来る前に、キャリングハンドルの後部に装着されているドットサイトで狙いを付け、トリガーを引いた。カーソルの向こうの兵士に5.56mm弾のセミオート射撃をお見舞いし、顔面に風穴を開ける。

 

 轟音に驚愕し、更に見たこともない飛び道具で仲間を1人殺された兵士たちが、崩れ落ちた仲間の死体を見て目を見開いた。

 

「な、何が起きた!?」

 

「ふ、フランツ! しっかりしろッ!!」

 

「何だ、あの飛び道具は………!? 見たことがないぞ!?」

 

 こいつらは銃を知らないようだな。この世界の技術ではまだ銃は作れないから仕方がないとは思うけどな。

 

 続けて隣の兵士に向けてセミオート射撃。同じように眉間に5.56mm弾を放り込まれ、兵士が崩れ落ちていく。

 

「ステラ、ここは俺に任せろ。動きづらいだろ?」

 

「はい。タクヤ、お願いしますね」

 

 素直な少女だ。

 

 フードをかぶったまま、次々にセミオート射撃で敵兵たちを仕留めていく。だが、頭を撃ち抜いて倒せた敵兵の人数は合計で4人程度だ。残った8人の兵士たちは盾を構えると、そのまま俺に向かって突っ込んで来る!

 

 盾に向かって試しに1発撃ってみたが、弾丸は盾をへこませただけで弾き飛ばされてしまうようだ。跳弾した弾丸が天井のシャンデリアを掠め、黄金の美しいシャンデリアがゆらゆらと揺れる。

 

 仕方がない。接近戦に移行するしかない。

 

 アサルトライフルを腰の後ろに下げ、鞘の中から大型トレンチナイフを引き抜く。左手をポケットの中に突っ込んでアパッチリボルバー・カスタムを取り出した俺は、ナックルダスターとナイフで騎士たちに接近戦を挑んだ。

 

「はぁっ!」

 

「鈍いッ!」

 

 振り払われた剣を、頭を下げて回避する。そして攻撃を空振りした直後の敵兵の喉元にナイフを突き立て、ナックルダスターをはめた左ストレートを何発も顔面にお見舞いしてから蹴り飛ばす。

 

 鋼鉄の分厚いナックルダスターでぶん殴られたその兵士の前歯は、木端微塵になっていた。

 

「このガキ!」

 

「!」

 

 突き出されたロングソードを横に回避するが、剣が掠めたせいなのか、頭にかぶっていたフードが外れてしまう。フードに抑え込まれていた蒼い髪が、シャンデリアの真下で揺れた。

 

 いつの間にか感情が昂っていたんだろう。剣を突き出してきた兵士に反撃する俺の頭を見て目を見開いた兵士が、「あ、悪魔だ……! こいつ、角が生えてる!!」と叫んだのが聞こえた。

 

「ほ、本物なのか!?」

 

「本物の……悪魔が魔女を連れてきやがった!!」

 

 悪魔か………。俺はキメラなんだけどな。親父は魔王だけど。

 

「う、狼狽えるなッ! 角が生えてるだけじゃないか!!」

 

「尻尾も生えてるぜ?」

 

「え?」

 

 ビビらせてやろうと思った俺は、ニヤニヤ笑いながら服の中から尻尾を出すことにした。腰の後ろから生えている俺の尻尾は先端部がダガーのように鋭くなっていて、蒼い外殻に覆われている。

 

 角と尻尾が生えているのは、親父の遺伝子を受け継ぐキメラの証だ。

 

 キメラという種族の存在を知らない人間の兵士たちは、俺のこの姿を完全に本物の悪魔だと勘違いしているらしい。中にはぶるぶると震えながら後ずさりする兵士もいる。

 

「ほ、本物の悪魔だ! 間違いないッ!!」

 

「この蒼い髪の少女、悪魔だったのかよ!?」

 

 悪魔だと勘違いするだけでなく、俺を少女だと勘違いしていた野郎もいるらしい。

 

 少しイライラしながら、ナイフをくるくると回し始めたその時だった。

 

「ガッ…………!?」

 

「!?」

 

 怯えて後ずさりしていた兵士が、いきなり首元から鮮血を吹き上げ、苦しそうな声を上げながら崩れ落ちたんだ。敵がいない筈の場所にいた仲間がいきなり死んだことに気付いた後の兵士が慌てて振り向くが、喉を何かに切られて絶命した兵士を目の当たりにして絶叫するよりも先に、今度はその兵士の首が何かに跳ね飛ばされた。

 

 何が起きているのか分からなかったが、床へと転がる兵士の首を見て、俺はフィエーニュの森でラウラがゴブリンの首を刎ね飛ばしていた事を思い出し、2人の兵士を殺した存在の正体を理解する。

 

 どうやら退屈になったみたいだね。俺のところに遊びに来たってわけか。

 

 その正体を理解した瞬間、怯える兵士たちの真っ只中に何かが舞い降りた。兵士の死体が転がる広間の気温がいきなり下がり始め、床に倒れている兵士たちの死体や、まだ怯えている兵士たちの足が血のように紅い禍々しい氷に包まれ始める。

 

 やがて兵士たちは、怯えて震えているだけではなく、気温が下がったせいでぶるぶると震え始め、そのまま紅い氷に呑み込まれて凍死する羽目になった。

 

 紅い氷に包まれた兵士たちの真っ只中の何もない空間が、まるで砂が流れ落ちるかのように崩れ落ちる。無数の小さな氷の粒子を自分の周囲に展開し、光を複雑に反射させることでマジックミラーのように使って自分の姿を隠す能力。どれほど氷属性の魔術を得意とする魔術師でも、こんな擬似的な透明人間になるようなことは出来ないだろう。

 

 こんな事ができるのは、俺の可愛いお姉ちゃんだけだ。

 

「やっほー! タクヤ、遊びに来たよっ!」

 

 消滅していく氷の粒子の向こうから姿を現したのは、楽しそうに笑う赤毛の少女だった。大人びた容姿だが性格は幼いアンバランスな少女だが、俺はこのお姉ちゃんが大好きだ。

 

 本当に遊びに来てくれて安心した俺は、思わず彼女に駆け寄って抱き締めていた。

 

「ふにゃっ……!?」

 

「あはははっ。会いたかったよ、お姉ちゃん」

 

「ふにゅ………えへへっ、お姉ちゃんも会いたかったよぉ」

 

 もうシスコンになっちまったな。俺をシスコンにした原因はこの姉なんだけど。

 

「よし、転生者を狩りに行くか」

 

「うんっ!」

 

 警備兵は殲滅した。

 

 残っているのは、あの転生者だけだ。

 

 俺たちが、この街の魔女狩りを終わらせてやる――――――。

 

 



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タクヤとラウラが2人目の獲物を狩るとこうなる

 

 ナギアラントは、かつてサキュバスが絶滅する前に最後に抵抗した街と言われている。各地で魔女と呼ばれて迫害された彼女たちは、このナギアラントに立て籠もり、自分たち以外の種族たちと戦って玉砕したのだ。

 

 街を他の種族たちに包囲され、食料となる魔力も他の生物から吸収することも出来ず、戦いではなく魔力不足で餓死していったサキュバスも数多いと聞いている。

 

 防壁を突破した他の種族たちの連合軍はサキュバスたちを徹底的に殺し尽くし、命乞いする者や、動けない老婆までも焼き尽くした。もちろん捕虜など取らずに皆殺しにしたため、生き残りなどいる筈がない。

 

 疲弊しきったサキュバスたちは一矢報いようと死に物狂いで連合軍の兵士たちに襲い掛かり、彼らに大きな傷跡を遺してから、この異世界から姿を消していったという。

 

 それが、この異世界に転生して来て聞いた伝説の1つだ。サキュバスは絶滅し、生き残りはいない。伝説の通りに本当に絶滅してしまったのだと思い込んでいた俺は、教団に入り込んでこの街を支配してから、その伝説が誤っていたのだという事を知る羽目になる。

 

 支部の施設を増築するために地下を掘り続けていた部下が、地中で奇妙な装置を発見したと報告してきたのだ。機械ではなく魔術が発達したこの異世界で機械が見つかるわけがない。おそらく見間違えか、他の転生者の仕業だろうと思いながら現場に向かった俺は、部下が掘り続けていた竪穴の最深部で、そのサキュバスの伝説を否定する証拠と出会ってしまった。

 

 明らかに異世界のものとは思えない機械的な外見の奇妙な装置と、その装置の上に浮遊する液体の中で眠る幼い少女。部下の魔術師が調査した結果、なんとその幼い少女がサキュバスの生き残りで、この装置の中で休眠状態になっているという。

 

 おそらく他のサキュバスたちが、最後の攻撃を仕掛ける前にまだ幼い彼女だけでも生き残らせようと、封印して地中に隠したんだろう。その上に教団の支部が建てられ、拡張のために掘っていたら偶然最後の末裔を発見してしまったという事だったのだろうか?

 

 端末の能力で洗脳して戦力にしようと何度か考えた。他者から魔力を奪い取り私腹を肥やすサキュバスを眷族にして戦わせるのはオルトバルカ教団の禁忌とされているが、サキュバスと俺の力があれば本部の兵力は容易く返り討ちにできる。

 

 しかし、サキュバスは強力な魔術の扱いに秀でる種族で、戦闘力では吸血鬼を上回るとされている。迂闊に復活させてこちらが返り討ちに遭ってしまったら意味がないため、確実に洗脳できるほど俺のレベルが上がるまであの封印を維持しておくことにしていたのだ。

 

 だが、その封印は俺を暗殺しに来た蒼い髪の少年の流れ弾のせいで、解けてしまった。俺が弾き飛ばしてしまった1発の弾丸が、他の種族たちを苦しめた古(いにしえ)の破壊者の末裔の封印に終止符を打ってしまったのだ。

 

 あの少年とサキュバスを戦わせれば、上手くいけばサキュバスが少年を倒してしまうかもしれないし、サキュバスの実力を目にする事ができるかもしれないと考えていた。だが、なんとそのサキュバスは少年と行動を共にし、彼らと共に俺たちの拠点へと攻め込んで来ている………。

 

「馬鹿な………」

 

 部下たちの肉体の破片が転がる石畳を見下ろしていた俺の鼓膜に、銃声と部下の断末魔が流れ込んでくる。おそらく階段の辺りに配置しておいた部下たちの断末魔だろう。サキュバスとあの少女のような少年が攻め込んできたんだろう。

 

 俺の計画を台無しにしやがって………。

 

 壁に立て掛けている愛用の杖を拾い上げ、メガネをかけ直す。サキュバスと共に襲い掛かって来るというのならば、俺が返り討ちにするまでだ。

 

 俺にはイージスという便利な魔術がある。こいつで攻撃を無力化しながら魔術で反撃していけば、いくら銃を持っているとはいえ叩き潰す事が可能だろう。

 

 そういえば、なぜあの少年は銃を持っているんだ? この世界に銃は存在しない筈だ。他の転生者から譲り受けたのか、それとも奪い取ったのか? もし奪い取ったのならばその銃の持ち主が端末を操作して装備から解除すればすぐに奪い返されてしまうから、奪い取ったという可能性はないだろう。

 

 まさか、あの少年が転生者なのか? 

 

 恐怖心を考察で誤魔化しながら待ち構えていると、広い執務室のドアがいきなり蒼い炎に包まれ始めた。あらゆるものを焼き尽くす赤い炎ではなく、まるで蒼空のように開放的な蒼い炎。獰猛で幻想的な蒼い炎はたちまち執務室のドアを焼き尽くすと、その奥にいた3人の人影を蒼い火の粉で彩り始める。

 

「―――――よう、支部長さん」

 

「お前か…………」

 

 男のような口調だが、声が高いせいで少女の声に聞こえてしまう。頭にかぶった黒いフードの前から覗く彼の顔つきも明らかに少女のようで、髪も長いようだ。おそらく今まで何度も女だと間違えられていた事だろう。

 

 しかも来客は彼だけではない。彼の傍らには、まるで母親の傍にいる幼い子供のように件(くだん)のサキュバスが立っているし、彼の反対側には蒼い髪の少年に顔つきがよく似た赤毛の少女が立っている。この赤毛の少女もまさか男なのかと思って警戒してしまったが、ちゃんと胸は膨らんでいる。

 

 胸が開いた黒い上着を身に纏う赤毛の美少女を見つめて安心した俺は、息を吐きながら杖をくるりと回し、柄頭にある狼の頭を模した装飾を彼女たちへと向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 相手は1人のみ。周囲に他の兵士はいないから3人で集中攻撃できるが、敵にはイージスという厄介な魔術がある。大口径のアンチマテリアルライフルやロケットランチャーならば貫通できると思うが、やや広いとはいえこの執務室の中でアンチマテリアルライフルをぶっ放すのは難しいだろう。せめて外まで吹っ飛ばすか、誰かが隙を作って強引に叩き込むしかない。

 

 あるいは、ステラの鉄球でイージスもろとも叩き潰してしまうべきだろう。敵兵の群れを一撃で壊滅させてしまった恐ろしいサキュバスの鉄球ならば、いくら凄まじい防御力を誇るイージスでも防ぎ切れない筈だ。

 

 しかし、こちらも小回りが利かない。何とかイージスを引き剥がすことさえ出来ればボコボコに出来るんだけどなぁ………。

 

 何とかダメージを与えるしかないか。俺とラウラで攪乱して、ステラに叩き潰してもらうとしよう。それが一番安全な作戦かもしれない。

 

「ステラ、俺とラウラで隙を作る。お前の鉄球でぶっ潰してやれ」

 

「了解です。ですが………グラシャラボラスは燃費が悪いです。何度も振り回していればまたお腹が空いてしまいます」

 

「わ、分かった。ちゃんとご飯は食べさせてやるから」

 

「はい。タクヤはとても美味しいので、楽しみです」

 

 無表情のまま小さな唇の端からよだれを垂らすステラ。余程俺の魔力が気に入っているらしいんだが、よだれは垂らさないでくれ。

 

 ポケットの中に常備しているハンカチを取り出して彼女の口元を優しく拭き取った俺は、戦闘直前だというのに機嫌を悪くし始めているラウラの頭を大急ぎで撫で回し、片手でハンカチをポケットにしまってから大型トレンチナイフを鞘から引き抜いた。

 

 ラウラもサバイバルナイフとボウイナイフを鞘から引き抜き、俺に甘えている時の目つきから獲物を狙っている時の鋭い目つきへと変わっていく。もう頭を撫でている必要はないなと思って彼女から手を離し、左手でコートの内ポケットの中からMP412REXを引き抜く。

 

 ほんの少しだけ埃の臭いがする執務室の中で、得物を構えて臨戦態勢に入った者たちの睨み合いが始まる。だが、いつまでも睨み合ったままなのは好ましくはない。サキュバスであるステラが体内に蓄える魔力は、魔術を使わなくてもまるで漏れ出て行くかのように勝手に消費されてしまうのだ。しかも今の彼女は、燃費が悪いグラシャラボラスを召喚している。彼女の攻撃力を頼りにしている以上、グラシャラボラスの償還を維持できるだけの魔力を使い果たす前に勝負を決めなければならない。

 

 だから俺の銃声で、睨み合いに終止符を打つことにした。

 

 .357マグナム弾の荒々しい雄叫びが、10秒足らずの短い睨み合いを強制的に終了させる。片手で構えたリボルバーから放たれたマグナム弾は、一番最初に地下で彼と戦った時と同じように蒼白い光に弾かれてしまったが、ラウラが接近するための隙を十分に作ってくれた。

 

 弾丸を弾き終えた蒼白い残光が消えていくよりも早く飛び出したラウラが、豪華な紅い絨毯を荒々しく踏みつけながら、まるで狼のように駆け抜けて行く。転生者の少年は杖を構えながら魔法陣を展開するが、おそらくラウラが接近する方が先だろう。スピードでは彼女は俺を上回っているのだから。

 

 ステラが攻撃の準備をしている間に、俺も移動することにした。接近戦を仕掛けるため突撃しているラウラを誤射しないよう、発砲はせずに俺もナイフを構えながら走り始める。

 

 逆手持ちのサバイバルナイフを振り払うラウラ。今まで魔物や敵兵を引き裂いてきた彼女のサバイバルナイフの一撃は、やはり弾丸を弾き飛ばした忌々しいあの蒼白い光によって弾かれてしまう。まるで突き飛ばされたように彼女のナイフが弾かれたが、ラウラは距離を取らずにそのまま追撃する事を選んだらしく、今度は転生者の腹に向かってボウイナイフを振り上げる。

 

 その一撃も弾かれてしまったが、いつまでも近距離で攻撃を叩き込まれ続けていれば自分の反撃できないし、いずれイージスという防壁が破壊されてしまうかもしれないと危惧したのだろう。転生者の少年は杖を振り払ってラウラを牽制して横へとジャンプし、距離を取ろうとする。

 

 ラウラは追い討ちを断念する羽目になったが――――――彼女に遅れて突っ込んだおかげで、俺はすぐに転生者に奇襲を仕掛ける事ができた。

 

「!」

 

「やっほー」

 

 目を見開く転生者に向かってニヤニヤと笑いながら、右手の大型トレンチナイフを振り下ろす。しかし隠密行動のために漆黒に塗装された俺の愛用のナイフは、転生者の白衣もろとも肉体を切り刻む直前に、まるで反発する磁石を強引にくっつけようとしているかのように突き放されてしまう。

 

 蒼白い残光の中で舌打ちをしながら後へとジャンプし、こっちに杖を向けてきた転生者へとリボルバーを向ける。彼は赤い魔法陣を展開して魔術をぶっ放そうとしてきたが、やはり魔術よりも銃の方が速い。魔術をぶっ放される前に2発も弾丸をお見舞いできた。

 

 狙いは顔面だ。もちろんイージスのせいで弾かれてしまうが、攻撃を弾いた時に生じる蒼白い光が転生者にとって仇になる。蒼白い光が目の前で煌めいたせいで照準が狂ったのか、転生者の放った砲弾のような大きさの炎の塊は俺には命中せず、発砲した地点に残っていた火薬の臭いを飲み込んで後方の壁へと突っ込んだ。

 

 火の粉の中でくるりと時計回りに回転し、右手の大型トレンチナイフを転生者へと向かって投擲する。投げナイフの訓練も受けていたからナイフの投擲には自信があったが、魔術を放ち終えて舌打ちする転生者の首筋の辺りにめり込むはずだった得物は、イージスに弾かれ、転生者の少年をビビらせるだけだった。

 

「うおっ!?」

 

「チッ!」

 

 そろそろステラも準備を終えるかな?

 

 ちらりとステラの方を確認すると、彼女は何かの詠唱を始めているところだった。言語は俺たちが話している言語ではなく、スペイン語やロシア語のような語感のあの古代語のようだ。サキュバスたちが編み出した古代の魔術なんだろうか?

 

 転生者の少年の方を見てみると、彼はラウラの攻撃をイージスで弾き返しながら、再び彼女から距離を離そうとしていた。もう一度先ほどと同じように突っ込もうかと思ったが、2回も同じ手を使うわけにはいかない。

 

 そういえば、俺の得物はどこまで弾かれた?

 

 執務室の中を見渡してみると、ラウラと転生者の少年が戦っている向こうの壁に、黒光りする漆黒の何かがめり込んでいるのが見えた。分厚い刀身とフィンガーガード付きの俺の相棒だ。弾かれた後、あの壁に突き刺さったらしい。

 

 にやりと笑って右手を伸ばした瞬間、まるで図書室のような雰囲気を放つ執務室の中を照らし続けていたイージスの蒼白い煌めきと、ナイフが弾かれ続ける音が聞こえなくなった。

 

 荒々しい攻撃を繰り返していたラウラが、いきなり攻撃を中断したんだ。小さい頃から常に俺と一緒にいた彼女は、俺が何をするつもりなのか理解したんだろう。

 

 さすがお姉ちゃんだ。

 

 俺が操ることのできる属性は炎と雷。炎は親父からの遺伝で、雷は母さんからの遺伝だ。特に雷属性の方が得意なんだが、俺が操れるのは電撃だけじゃないんだぜ?

 

 既に変換済みの雷属性の魔力を右腕へと集中させる。血液の比率が勝手に変化し、黒い革の手袋の中で白い皮膚が蒼い外殻へと変貌を始めていく。

 

 すると、向こうの壁に突き刺さっていた大型トレンチナイフがガタガタと上下に小さく揺れ始めた。上下に揺れるせいで段々と刀身が白い壁から抜け始め、まるで誰かが引き抜いたかのように、ナイフが壁から解放される。

 

 解放されたナイフはそのまま床に落下する筈だったが、俺の得物は床には落下せず、なんとそのまま回転しながら俺の方へと帰ってきたんだ。

 

 ナイフは俺の前にいた転生者の少年に激突する。俺が何かをするつもりだと思って魔術の準備をしていた最中にいきなり背後からナイフで攻撃された彼は、まだ仲間がいたのかと誤解したらしく、後ろを振り向いて杖を向ける。だが彼の背後にあるのは穴の開いた壁だけだ。俺たちのもう1人の仲間は、今頃外で生き残った警備兵を弓矢で翻弄していることだろう。

 

 ナイフが勝手に壁から抜け落ちたのは、俺が磁力を使ってナイフを引き寄せたからだ。雷属性の魔力があれば電撃を自由自在に操る事ができるが、雷属性の魔力で操れるのは電撃だけではない。応用すれば、磁力等も自由に操る事ができるし、電磁波も発生させる事ができるようになるだろう。

 

 便利な能力だぜ。

 

 磁力を使ってナイフを呼び戻し、再びナイフを構える。攻撃を中断したラウラと目を合わせて同時に突っ込もうとしたが、執務室の入口の方で煌めいた紅い光が、俺たちに追撃は不要だと告げた。

 

「―――――お待たせしました」

 

「なっ………!?」

 

「ふにゃ………!」

 

「おいおい………」

 

 真紅の煌めきが、シャンデリアの光を蹂躙する。まるで部屋の中が全て血で真っ赤に染まってしまったかのように照らし出される執務室の中で、その紅い光源を掲げる幼い少女は、1人の転生者に向かってサキュバスの力を解き放とうとしていた。

 

 彼女の華奢な腕に装着されていた腕輪と鎖はいつの間にか消えていて、解放された鉄球の部分だけが彼女の頭上に浮遊している。血のように紅い光を放っているのはこの鉄球だった。表面を覆っている配管やバルブの間から血のように紅い光が漏れ出し、無数の棘のように生えているドリルの溝が紅く発光している。

 

 紅く煌めく鉄球は、まるで太陽のフレアのように紅い光のリングを纏い始める。炎ではなく犠牲になった者たちの鮮血を纏っているかのような禍々しいその機械の太陽は、幼い少女の頭上でゆっくりと回転を始めると、やがてドリルの先端部に紅い光を集中させ始める。

 

 回転が徐々に速くなっていった直後、ついに回転する鉄球から伸びるドリルの先端部から、鮮血のような紅い光が溢れ出した。

 

 紅い光を放射し始めた鉄球は、ステラの頭上でミラーボールのように回転しながら、吐き出される紅い光で壁や本棚を無差別に寸断していく。おそらくあの紅い光は、かなり圧縮された超高圧の魔力だろう。圧縮された魔力を放射することで、触れた物質を無差別に切断しているに違いない。

 

 俺たちまで巻き込まれるかと思ったが、どうやらステラが魔術でバリアを張ってくれたらしく、俺とラウラを寸断しようとしていた紅い光は白い光に弾かれ、拡散して消滅してしまう。

 

「ぐっ………ぐああああああああああッ!?」

 

 彼女の紅い光が牙を剥いたのは、転生者の少年だけだった。

 

 鮮血のようなレーザーは少年が纏っている蒼白い光に最初は弾かれていたが、かなり圧縮されていたらしく、地盤を巨大なドリルが削っていくかのように蒼白い光を抉り始め、ついにはイージスを貫通して少年の左肩を貫いていた。

 

 すぐにまたイージスを発動し、肩を抑えながら後ろにジャンプする少年。だが、ステラの頭上でミラーボールのように回転する鉄球が吐き出す紅い光の嵐は収まらない。まるで虐殺されていたサキュバスたちの怒りのように荒れ狂い、部屋の中を蹂躙するだけだ。しかも無差別な攻撃だから見切れる筈がない。新たに展開したイージスもすぐに最初のイージスの二の舞となり、削られて消滅していく。

 

「すげえ………!」

 

 このまま攻撃を続ければ転生者を倒せるぞ………!

 

 そう思いながらバリアの内側から傍観していたんだが、徐々にステラの鉄球が吐き出す紅い光が細くなり始めた。そのまま細くなっていき、ついに紅い光が小さな粒子に退化してしまう。

 

「………ごめんなさい。魔力がありません」

 

「いや、よくやった!」

 

 こいつを倒したら、たっぷり魔力を吸わせてやる! 

 

 バリアが消滅すると同時に、俺とラウラは同時に走り出していた。魔力を使い果たしてしまったステラはもう攻撃できない。召喚していたグラシャラボラスも、紅い光を放ちながら消滅を始めている。

 

「こ、この………ッ!」

 

「ラウラッ!」

 

「うん、終わらせるよ!!」

 

 止めは俺たちが刺す!

 

 左手のMP412REXを発砲しながら接近する。最初の1発はイージスで弾かれてしまったが、かなり転生者の魔力は削られてしまったらしく、2発目のマグナム弾は蒼白い光の防壁をあっさりと突き破ると、先ほど彼がステラに貫かれた方の穴の近くに喰らい付き、少年の肩を抉る。

 

 これでこのリボルバーは弾切れだ。素早くポケットの中に戻しながらラウラと共に接近し、ナイフでの攻撃に切り替える。

 

 最初に足のサバイバルナイフを展開し、少年の右足のアキレス腱を斬りつけるラウラ。既に彼の魔術は機能していない。攻撃を散々弾いていた光は姿を現さず、アキレス腱を容易く切り裂かれた少年は絶叫しながら身体を揺らした。

 

 左足を振り上げ、少年が崩れ落ちる前に彼の息子を思い切り蹴り上げる。もしナタリアがいたら変態と言われているだろうが、今頃ナタリアは外で戦闘中だ。そろそろ終わったかもしれないけどな。

 

「ぎゃッ!?」

 

「ふんッ!」

 

 更にもう一度息子を蹴り上げる。悲鳴を上げる少年の顎に膝蹴りを叩き込んで天井まで蹴り上げると、ナイフを構えていた俺とラウラは同時にジャンプして追撃した。

 

 俺がトレンチナイフを突き立てると同時にボウイナイフを少年の胸に突き立てるラウラ。落下しながらナイフを引き抜き、鮮血を吹き上げて致命傷を負いながらまだ反撃しようとする少年の右腕へと蹴りを叩き込み、彼の手から杖を叩き落とす。

 

 もう反撃する事ができなくなった少年の腹に、両足のナイフを展開したラウラが落下してくる。2本のサバイバルナイフを突き立てられて絶叫する少年から強引にナイフを引き抜いた彼女は、俺と目を合わせてからにっこりと笑った。

 

「いくよ!」

 

「おう、お姉ちゃん!」

 

 魔女狩りはこれで終わりだ。

 

 一番最後に魔女として狩られるのは――――――てめえだよッ!!

 

「「――――――УРаааааа(ウラァァァァァァァァァァ)!!」」

 

 ラウラと同時にそう叫びながら、落下していく少年に向かって同時にナイフを振り下ろす。漆黒の3本のナイフに胸元を切り裂かれて床に落下した転生者は、床に叩き付けられて何度か痙攣していたが、段々と動かなくなっていった。

 

 これで、もう魔女狩りは終わりだ。この街の人々が虐げられることはない。

 

 2人で同時に返り血の付いたナイフをくるりと回してから鞘に戻した俺とラウラは、目を合わせて微笑んでからハイタッチする。

 

 俺とラウラがタッチする音が、魔女狩りが終わったばかりの執務室の中に響き渡っていった。

 

 

 

 



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ナギアラントで魔女狩りが終わるとこうなる

 

 教団の支部から転生者と手下たちを一掃して外に出た頃には、もう太陽は沈んでしまっていた。魔女狩りの恐怖に呑み込まれ続けていたナギアラントの街の明かりは思ったよりも少なく、辛うじて通りを照らしている街灯の明かりは怯えている人々のように弱々しい。

 

 もう、あの理不尽な魔女狩りに怯える必要はない。その元凶は俺たちが倒してしまったのだから。

 

「あら、終わったの?」

 

 支部の外に出ると、支部の近くにある建物の屋根の上にコンパウンドボウを手にしたナタリアが立っていた。どうやらひたすら屋根の上を駆け回りながら弓矢による射撃を繰り返していたらしく、彼女の私服には返り血が全くついていない。だからといって奮戦していなかったわけではなく、彼女が腰に下げている矢筒は中身がすっかりなくなってしまっていた。

 

「敵は?」

 

「1分前に全滅したわ。生存者はいない」

 

「よくやった。お疲れ様」

 

「そっちは?」

 

「終わったぜ」

 

 転生者は始末した。もうこの街の魔女狩りは終わり、ナギアラントも平和な街へと戻る事だろう。

 

 俺たちが歩いて支部の中から出て来たから、もう戦いが終わったとは予測していたんだろう。ナタリアは微笑みながら頷くと、弓を折り畳んでから建物の壁にある梯子を使って素早く屋根の上から下り、戦いを終えた俺たちの傍らへとやって来た。

 

「それで、今からどうするの?」

 

「さすがにもうエイナ・ドルレアンに出発するわけにはいかないからな。隠れ家に戻って休もう。出発は明日だ」

 

 それに、今の時間帯では列車も走っていないだろう。鉄道の駅があるとはいえこのナギアラントは田舎の街だ。王都のように多くの列車が走っているわけではない。

 

 戦いの疲労も残っているし、今から俺はステラに魔力(ご飯)を食べさせてあげなければならない。彼女はさっきの戦いで魔力を使い果たしてしまっているから、かなりお腹が空いている筈だ。執務室を後にしてから頻繁に聞こえてきたお腹の鳴る音は、十中八九ステラのお腹の音なんだろう。

 

「タクヤ、早くご飯が食べたいです」

 

「わ、分かった。隠れ家に戻ってからな」

 

「はい。では早く戻りましょう」

 

 ポケットからハンカチを取り出し、ステラの唇の端から溢れ始めたよだれを拭き取る。屈みながら彼女のよだれを拭き取っている間にも小柄な彼女のお腹はずっとなり続け、まるで早く俺の魔力を吸わせろと催促しているようにも聞こえた。

 

 それに、俺たちも夕飯を食っておかないと。おそらく今夜も非常食になるだろうな。

 

 出発する前は宿屋や管理局の施設で飯を食えば非常食を口にすることはあまりないだろうと思っていたんだが、田舎や小規模なダンジョンがぽつんとあるような場所にまで管理局の施設は建てられていないので、予想以上に非常食を口にする羽目になってしまった。今度からはもっと非常食を多めに用意し、魔物の肉も倒して取っておくようにしよう。

 

 魔物の肉は栄養価も高いし、非常食よりも美味い。特にハーピーは食べれる魔物の中では数が多いし人気も高い。西にあるヴリシア帝国という島国では、食用のハーピーを家畜として飼育している施設もあるらしい。

 

 ラウラと2人で魔物退治に出かけていた時も、よく仕留めてきたハーピーの肉を焼いて食べたことがあった。塩と胡椒をかけて焼いただけだったけど、あれは美味しかったな。

 

 あの味を思い出していると、俺までよだれを垂らしそうになってしまう。これくらいで止めておこう。

 

「じゃあ、戻るか」

 

「うんっ!」

 

 ラウラの手を握り返すと、彼女は嬉しそうに笑いながら手を握り返してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 紅くて小さな唇が、またしても俺の唇を奪う。彼女は今から魔力を吸われることになる俺がもう抵抗しないことを理解しているのか、先のように髪の毛で手足を縛り付けてくるようなことはしなかった。俺やラウラよりも小さな手足でしがみつきながら、空腹になった幼いサキュバスは舌を俺の舌に絡みつかせ、一心不乱に俺から魔力を吸い上げ続ける。

 

 手足に力が入らなくなり、痙攣が始まる。

 

 テーブルの上に照明代わりに置かれた小型のランタンが、弱々しい光で真っ暗な宿の一室を照らし出す。その中でステラはうっとりした表情のまま頬を赤くして唇を離すと、珍しく楽しそうに笑ってからもう一度唇を押し付けてきた。

 

「はむっ」

 

「んっ………!」

 

 お腹が空いていたせいなのか、前よりもキスをしている時間が長い。魔力は吸われ過ぎると死に至るため、長時間彼女に魔力を与え続けるのは危険だ。だが、既に手足が動かなくなってしまうほど魔力を吸われ続けた状態で抵抗できるわけがない。

 

 すると、ステラはやっと小さな唇を離してくれた。口元を刻印が刻まれた小さな舌でぺろりと舐め回すと、うっとりした表情のまま俺に抱き付いてくる。

 

「やっぱり、タクヤの魔力はとっても美味しいです。他の魔力と違って濃厚で、深みがあります」

 

「そ、そうか………。ところで、今日は……吸い過ぎじゃないか?」

 

「ごめんなさい。美味しかったので吸い過ぎてしまいました」

 

 今回は魔力を使い果たしてたからなぁ………。

 

 彼女は俺から小さな身体を静かに離すと、幼い少女に唇を奪われる実の弟の姿を虚ろな目で不機嫌そうに見つめていた赤毛の少女の方を振り向く。どうやらステラはまだお腹いっぱいになっていないらしく、今からデザートを食べに行くつもりのようだ。

 

「………ふにゃっ!?」

 

「ラウラも美味しそうです………」

 

「ふにゃああああああ!? ま、また吸うのっ!?」

 

「はい。ラウラの魔力はとっても甘いですから………」

 

「わ、私はデザートじゃないよぉっ!!」

 

 そう言いながら立ち上がって逃げようとするが、ラウラが座っていたのは部屋の壁際だ。ステラから逃げられるわけがない。

 

 ラウラはナイフを引き抜いて抵抗しようとするが、俺から魔力を吸収して回復したステラが伸ばし始めた髪の毛にあっさりとナイフを払い落とされてしまい、そのまま彼女に捕まってしまう。

 

「ふにゃああああああっ! た、タクヤ、助けてぇっ!!」

 

 お姉ちゃん、ごめん。身体が全く動かないんだよ。魔力を吸われすぎちゃったせいで手足に力を入れても痙攣するだけだし。

 

 必死にラウラは抵抗したけど、ステラの髪は全く離れない。彼女はついにそのまま床の上に押し倒されてしまい、まだお腹を空かせたステラに接近されてしまう。

 

「ふ、ふにゃ………っ!」

 

「大丈夫ですよ。怖がらないでください」

 

「だ、だって、女の子同士だよ………!?」

 

「大丈夫です。ラウラは可愛いですし、魔力も美味しいですから」

 

 まるで蜘蛛の巣に引っかかってしまったかのように髪の毛に拘束されているラウラの上に、ステラがのしかかる。ラウラは最初に吸われた時のように首を横に振って必死に抵抗したけど、ステラの小さな手に頭を掴まれ、あっさりと唇を奪われてしまった。

 

「ふにゅ―――――――むぐっ!?」

 

「んっ…………ん………!」

 

 押し付けた唇の内側で、ラウラの舌に自分の舌を絡ませるステラ。押さえつけられているラウラは、ステラが吸収した魔力を飲み込む度にぷるぷると身体を揺らし、顔を紅潮させている。

 

「ぷはっ……! す、ステラ……ちゃん………っ!」

 

「ふふっ……。顔が真っ赤ですよ、ラウラ。――――――んっ」

 

「んんっ………!」

 

 再び唇を奪われ、魔力を吸われ始めるラウラ。彼女の上にのしかかっているステラは、なんと魔力を吸ったままラウラの大きな胸に向かって手を伸ばし始めた。

 

 魔力を吸われてぷるぷると震えるラウラの胸を小さな手で掴んだ瞬間、顔を真っ赤にしていたラウラが目を見開き、痙攣を始める。

 

 呼吸を整えながら実の姉が幼女に魔力を吸われながら胸を揉まれている様子を凝視していると、足音が俺に向かって近づいてきたのが聞こえた。ステラは目の前で食事中だし、ラウラはステラに魔力を吸われてぷるぷると震えている。

 

 足音の正体を察した瞬間、倒れている俺の頭にこつんと拳骨が軽く直撃した。腕が動かないせいで頭をさする事ができない俺は、何とか首だけを動かして俺の傍らに立つ人影を見上げる。

 

「……助けてあげないの?」

 

「身体が動かない」

 

「………」

 

 廃棄されたこの宿屋の厨房を確認しに行っていたナタリアは、俺の傍らに収穫してきた缶詰をいくつか置くと、床の上に腰を下ろす。どうやら少しだけラウラが魔力を吸われている光景を目にしてしまったらしく、ナタリアは顔を赤くしながら目を逸らした。

 

 俺たちもそろそろ飯を食べないとな。ステラに魔力を吸われ過ぎたせいで全く力が入らないが、何とか腕に力を入れて缶詰へと手を伸ばす。痙攣した手で掴み取った缶詰は、どうやらハーピーの肉の塩漬けだったようだ。ハーピーの肉は美味いだけでなく腐敗し辛いらしく、保存食にもされるらしい。

 

 よだれを垂らさないように我慢しながら缶詰を見つめていると、いきなり傍らに座っていたナタリアが、いきなり俺の缶詰を取り上げていった。空腹だった俺は、思わず目を見開きながら連れ去られていく缶詰を見つめてしまう。

 

「ち………力が入らないなら、食べれないでしょ?」

 

「え?」

 

 缶詰の蓋を開け、洗ってきたフォークをハーピーの肉の塩漬けに突き刺すナタリア。彼女はそれを自分の口ではなく俺の口の近くへと運んでくると、恥ずかしそうにしながら言った。

 

「ほ、ほら………口開けなさい。食べさせてあげるから」

 

 た、食べさせてくれるの………?

 

 ちらりと食事中のステラの方を確認する。彼女はまだ食事中だから、2人に気付かれることはないだろう。

 

「はっ、早くしなさいよ。………い、嫌なの?」

 

「お、お願いします………」

 

 身体に力が入らないから自力では食べれないしな。ナタリアに食べさせてもらうのも悪くないだろう。

 

 いつも強気な彼女が恥ずかしそうな表情でフォークを近づけてくる姿を見ていた俺まで顔を赤くしながら、素直に口を開けて肉の塩漬けと彼女からの好意を受け取ることにする。

 

 肉の味は少し味が濃かったけど、ナタリアが食べさせてくれたおかげなのか全く気にならなかった。柔らかいハーピーの肉を咀嚼してから飲み込むと、ナタリアがまた恥ずかしそうにしながらフォークを俺の口へと近付けてくる。

 

 硬い非常食ばかり食べていたからなのか、柔らかい肉の塩漬けは最高に美味い。きっと母さんの料理を今すぐ食べたら母さんの料理にあっさりと寝返ってしまうかもしれないけどな。

 

「ど、どう? 美味しい?」

 

「あ、ああ。美味いよ、これ」

 

「よかった。ふふっ」

 

 肉を食べたおかげなのか、手足が少しずつ動くようになってきた。魔力が回復してきたんだろう。

 

 少しずつ力が入り始める感覚を歓迎しながら、俺は咀嚼していた肉の塩漬けを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、ステラの種族は他の種族から迫害されていました。

 

 私たちの種族は、他者から魔力を奪い取らないと生きていく事ができません。自分たちの体の中で、魔力を生成する事ができないのです。その代わり食べ物を口にする必要はありませんでしたが、私たちは他の人々から魔力を分けてもらわなければ生きていく事ができませんでした。

 

 最初は数が少なかったから、人々は私たちに魔力を分けてくれました。そして私たちは、魔力という食料を分けてくれた人々への恩返しに、彼らを襲う悪い魔物たちを撃退し続けていたのです。

 

 サキュバスと他の種族はこのように協力し合って生活していました。ですが、サキュバスの数が増えていくことによって、段々と人々から分けてもらわなければならない魔力の量が激増することになり、中には魔力を吸い過ぎて親切な人々を殺してしまうサキュバスまで現れるようになってしまいました。

 

 私たちも対策を立てようとしたのですが、魔力が無ければ生きていくことは出来ません。魔物から奪ったとしても、人々から分けてもらうよりリスクがはるかに高いのです。

 

 そして、ついに私たちは人々に魔女と決めつけられ、この世界から消されることになりました。

 

 ママが用意してくれた装置と封印のおかげで、ステラは何とか生き延びることができました。ですが、おそらく生き残る事ができたのは私だけでしょう。装置が何かで破壊されて目を覚ましてから、他にサキュバスの反応が無いか探してみたのですが、サキュバスの反応は全くありませんでした。

 

 ステラが、サキュバスの最後の生き残りなのです。

 

 ステラはこれから、たくさん子供を作って再び種族の数を増やさなければなりません。サキュバスは魔女だと決めつけられているこの時代では子供を増やすことは難しいかもしれませんが、頑張って同胞を増やさなければなりません。それがステラを隠してくれたママや同胞たちの宿願である筈なのですから。

 

 だから、最初にタクヤと出会った時は、私は彼に嫌われているのではないかと思いました。この時代では、サキュバスはすでに絶滅した魔女とされているようです。忌み嫌われている魔女の最後の生き残りが目の前に現れたのならば、普通ならばもう殺されている事でしょう。

 

 ですが、タクヤは私の話を聞いてくれました。一緒にいたナタリアは武器を向けてきましたが、殺意は全く無いようでした。おそらく警戒していただけなのでしょう。

 

 彼は容赦のない人ですが、とても優しい人でした。ステラの話を聞いてくれただけでなく、美味しい魔力までステラに分けてくれたのです。

 

 ですが、いつまでもタクヤたちと一緒にいるわけにはいきません。彼らはどうやら冒険者として旅をしているようですし、嫌われ者のステラが一緒にいたら彼らに迷惑をかけてしまいます。

 

 ですから、明日の朝でお別れです。

 

「………タクヤ」

 

 ステラを受け入れてくれてありがとうございます、タクヤ。

 

 眠ってしまったタクヤの隣で、ステラは久しぶりに微笑んでみました。ずっと表情を浮かべないように我慢してきたので、笑っているという感覚が分かりません。

 

 出来るならば、この人たちとお別れしたくないです。でももし私が魔女だという事が他の人々に知られてしまったら、タクヤたちまで迫害されてしまうかもしれません。

 

 だから、お別れしなければならないのです。ステラはまた独りぼっちになってしまいますが、彼らに迷惑をかけるわけにはいきません。魔力を分けてくれた上にステラを受け入れてくれたこの人たちにちゃんと恩を返すには、これしかないのです。

 

 タクヤの隣に横になり、彼の腕にしがみついてみる事にしました。まるで女の子のような姿なのに、腕には筋肉がついています。男の子にしては腕が細いかもしれませんが、彼は人間ではなくキメラという新しい種族です。力では人間に勝っているのでしょう。

 

 とても逞しくて華奢な腕にしがみつきながら、ステラは瞼を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ました仲間たちと共に宿屋の外に出た俺たちは、朝っぱらから我が目を疑う羽目になった。

 

 隠れ家代わりにしていた廃棄された宿屋の外には、ナギアラントに住んでいる人々が集まっていたんだ。しかも昨日の昼間のように魔女狩りにやってくる教団の兵士に怯えているような様子は全くない。長い間彼らを苛んでいた恐怖が立ち去ったからなのだろうか。

 

 ところで、なぜ俺たちの所へとこの住民たちはやって来たのだろうか? 場所を教えた覚えはないし、まだ彼らに教団の支部が壊滅したと報告した覚えはないぞ?

 

 我が目を疑いながら首を傾げていると、民衆の中から飛び出した一言が、まるで俺たちを追撃するかのように度肝を抜いて駆け抜けて行った。

 

「ありがとう、勇者様!」

 

「これで魔女狩りに怯えなくて済むぞ!!」

 

「助かったよ、勇者様!!」

 

「勇者様、万歳ッ!!」

 

 え………? 勇者様………?

 

 俺たちの事なのか? 混乱しながら仲間たちの様子を見てみるが、ラウラとしっかり者のナタリアも混乱しているようだった。朝っぱらから民衆に勇者様と呼ばれるとは思っていなかったらしい。唯一混乱していないのはステラだけだ。

 

「ゆ、勇者様って、俺たちの事………?」

 

「はい。あなた方のおかげで、私たちは助かりました。もうあの支部長の圧政の下で苦しまずに生活できます!」

 

「あなた方は英雄です!」

 

「ありがとうございます!」

 

 口々に称えてくれる民衆たち。恥ずかしくなってきた俺は、顔を赤くしながら下を向いてしまう。

 

 とりあえず、彼らに別れを告げてからとっとと列車でエイナ・ドルレアンへと向かおう。親父がもうカレンさんや信也叔父さんに紹介状を送っているから、早めにあの街へ向かわなければならない。

 

 称えてもらえるのは嬉しいけど、急がなければならなかった。

 

「す、すみません。僕たちはそろそろエイナ・ドルレアンに向かわなければ―――――」

 

「でしたら、あと30分で列車が出発しますよ。駅までご案内いたします」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 案内してもらえるのはありがたい。

 

 でも、称えられているからと言って調子に乗ってはいけない。俺もあの転生者みたいになりたくはないからな。転生者を狩る転生者ハンターが、人々を虐げるクソ野郎に成り下がるわけにはいかないのだ。

 

 駅まで案内してくれると言い出した若い男性が歩き始める。人々の歓声の中で彼の後について行こうとしていると、俺の傍らにいた筈のステラだけが立ち止ったままじっと俺を見つめていた。

 

 何も表情を浮かべない筈の彼女の表情は、何故か寂しそうな感じがする。

 

 転生者との戦いが終わり、人々から歓声を浴びているというのに、なぜ寂しそうな表情をするのだろうか? 

 

 かつて自分の同胞を皆殺しにしていた人々が、自分の正体を知らずに歓声を送っているというのが辛いのだろうか?

 

「ステラ、どうした?」

 

「―――――お別れです、皆さん」

 

「え………?」

 

 感情はこもっていなかったけど、小さな声でステラは言った。

 

「皆さんは旅を続けるのでしょう? ―――――ですから、嫌われ者のステラまでついて行くわけにはいきません」

 

「ステラちゃん………?」

 

 きっと彼女は、俺たちに迷惑をかけることを恐れているんだろう。

 

 彼女はサキュバスの最後の生き残りだ。もしサキュバスだと周囲の人々に知られれば迫害されるだろうし、一緒にいる俺たちまで迫害されてしまうだろうと思っているのかもしれない。

 

 だから彼女は、ここで俺たちとお別れをするつもりなのだ。だから寂しそうな表情をしていたのか。

 

「………俺たちと別れた後はどうするつもりだ?」

 

「…………分かりません」

 

 全く何も考えていないのか………。

 

 彼女がサキュバスだと知られれば、彼女の目的である種族の再興は不可能になるだろう。魔力を他者から吸収する事が難しくなり、疲れ切ったところで商人に捕まって奴隷にされるだけだ。

 

 ステラが死ねば、サキュバスは完全に絶滅する。

 

 ここで彼女と別れれば、サキュバスが絶滅する可能性は高くなるだろう。

 

「…………行く当てがないのか?」

 

「……………」

 

 黙り込んでしまうステラ。ラウラとナタリアが心配そうに俯くステラを見つめる。

 

「―――――ステラ、行く当てがないなら一緒に来てくれ」

 

「え…………?」

 

 見捨ててたまるか。

 

 前の親父に虐げられていた時はずっと辛い思いをしていた。俺の味方だった母さんが死んで、あのクソ野郎と2人暮らしをする羽目になってからは、恐怖心の他に孤独という敵も増えた。

 

 ここで見捨てたら、ステラも俺と同じように苦しむかもしれない。

 

 自分以外に同胞がいないという状況のステラの方が苦しいかもしれないけど、規模が小さいとはいえ似たように苦しんでいた俺としては、彼女を見捨てる事ができないんだ。

 

 だから、一緒に来てくれ。行かないでくれ、ステラ―――――。

 

「俺たちは冒険者だ。これから危険度の高いダンジョンにも挑んでいくことになる。だから――――――もし良ければ、君にも手伝ってほしい」

 

「でも、ステラは………嫌われ者なのですよ………?」

 

「関係ないよ。俺たちは、ステラにも一緒に来てほしいと思ってる」

 

 ラウラとナタリアも、微笑みながら頷いてくれた。

 

「君の力は頼りになる。………それに、ステラの目的も手伝いたい」

 

「………!」

 

 サキュバスを絶滅させるわけにはいかない。

 

 虐げられている人々を見捨てなかった親父ならば、きっと力を貸してくれる筈だ。それに俺たちも協力したい。彼女のおかげで転生者を狩る事ができたのだから。

 

「お願いだ。行かないでくれ、ステラ。――――――俺たちと一緒に来てくれ」

 

「…………」

 

 ステラの小さな身体が、少しだけ震えた。

 

 俯いたまま俺の方へとやってくるステラ。彼女は俺のズボンを小さな手で握ると、まるで顔を隠すかのように、俺に自分の顔を押し付ける。

 

「………ありがとうございます、タクヤ」

 

「おう」

 

 抱き着いてきた彼女から聞こえてきた涙声にそう答えた俺は、身長の小さい彼女の頭を優しく撫でた。

 

 俺たちのパーティーに、サキュバスのステラが加わった。

 

 



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エイナ・ドルレアン

 

 ナギアラントの小さな防壁の中にある駅は、エイナ・ドルレアンから王都へと向かう上り線と、王都からエイナ・ドルレアンへ向かう下り線の2つしかないため、いくつも路線のある王都の駅と比べるとまるで小人のように小ぢんまりとしている。

 

 レンガ造りの小ぢんまりとした駅の中には切符売り場があり、その奥には簡単な改札口がある。この異世界の改札口は、切符を改札口に入れるのではなく、改札口に刻まれている刻印に切符に描かれている小さな魔法陣を合わせることによって改札口が開く仕組みになっている。初めて王都の駅から列車に乗った時は切符を入れる穴が見当たらなかったから必死に探して、親父に大笑いされたことがあった。

 

 文化や技術は段々と前世の世界に近付いてきているけど、ここは異世界だから完全に同じというわけではない。特に、この世界には前世の世界には決して存在しない魔術という存在がある。これがある限り、あの世界とは別の文化や技術へと派生していくことだろう。

 

 切符売り場の向こうでは、メガネをかけた駅員がせっせと羽ペンで書類に何かを書き込んでいる。魔女狩りという恐怖が消滅し、教団の支部長による圧政が終わったことで、これからきっとこの小さな街にも再び観光客が増加する事だろう。その準備なのかもしれない。

 

「すいません、エイナ・ドルレアン行きの切符を4枚ください」

 

「はい、エイナ・ドルレアン行きですね?」

 

「はい」

 

「こちらです」

 

 白い手袋をはめた駅員から手渡された切符は、右腕に小さな魔法陣が描かれている以外は前世の切符と酷似していた。この魔法陣を改札口の刻印にかざすという仕組みを知らなかった頃を思い出して少しだけ笑いそうになっていると、隣で切符を受け取ったラウラが俺を見つめながらニヤニヤと笑い出した。彼女も俺が改札口の仕組みを知らなかった時の事を思い出したらしい。

 

「タクヤ、いい? ここの魔法陣を刻印に近付ければいいんだからね?」

 

「馬鹿にすんなって。知ってるよ」

 

「えへへっ、本当かなぁ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら腰に手を当てて、俺の顔を覗き込むラウラ。俺は「本当だって」と苦笑いしながら言うと、ラウラをからかうために昔の事を思い出し始める。

 

 瞬時にいくつもからかえそうな話を思いついたんだが、ここで暴露するのは止めよう。ラウラは性格が幼いから恥ずかしがって泣き出すかもしれないし、機嫌を悪くしてしまうかもしれない。明らかに俺よりもラウラのほうがそういう話の数ははるかに上回ってるんだが、ここでその恥ずかしい話をガトリングガンのように掃射するのはあまりにも大人げない。

 

 何も言わずに苦笑いで誤魔化そう。

 

 切符を受け取ったナタリアの隣で、ステラが背伸びをして駅員から切符を受け取る。彼女は生まれて初めて目にする切符をまじまじと見つめると、無表情のまま首を傾げ、俺の傍へとやってきてぐいぐいとズボンを引っ張り始めた。

 

「タクヤ、これは何ですか?」

 

「これは切符って言うんだよ。列車に乗るのに必要なんだ」

 

「列車?」

 

「ああ。馬車よりも速い乗り物だぞ。今からみんなでそれに乗るんだぜ」

 

「楽しみです」

 

 ステラが生活していたのは大昔だからな。確かサキュバスが絶滅したと言われているのが1200年前だから、9年前に始まった残業革命によって生まれた列車を知っているわけがない。

 

 無表情のステラは列車に乗るのが楽しみなのか、切符をじっと見つめながら俺のズボンを弄り始める。

 

「えっと、いくらですか?」

 

「お代はいりませんよ、勇者様」

 

「えっ?」

 

「あなた方ですよね? あの独裁者を倒してくださったのは」

 

「そ、そうですけど…………」

 

 勇者様か………。俺たちの親父が魔王と呼ばれているせいなのか、何だか似合わない異名だな。敵同士じゃねえか。

 

「ですから、お代はいりませんよ。タダです」

 

「いえいえ、それはさすがに………ちゃんと払いますよ」

 

「お気になさらないでください。街を救ってくださったお礼です」

 

 財布から銀貨を取り出そうとしたが、駅員さんに止められてしまう。

 

「タクヤ、タダにしてもらいましょう」

 

「うーん………そうするか?」

 

 フィエーニュの森のレポートをまだ提出していないから、管理局からの報酬はまだ貰えていない。それに何度か売店でアイテムを購入したし、フィエーニュ村で一泊しているから、財布の中の硬貨は順調に減っている。

 

 申し訳ないが、タダで列車に乗ることにしよう。駅員さんに頭を下げてから改札口へと向かい、まだニヤニヤと笑うラウラに見られながら切符を改札口にかざす。

 

 すると改札口に刻まれている刻印が緑色に発光し、切符の魔法陣も刻印の光に照らされてから輝き始める。

 

 改札口を通り過ぎて数秒ほど進めば、もうホームになっている。ホームにはそろそろエイナ・ドルレアンへと向けて出発する列車が居座っていて、車両を引っ張って行く機関車は車輪の隙間や胴体から蒸気を吐き出し続けていた。

 

 機関車の原動力は魔力なんだが、外見はまるで蒸気機関車のようだ。原動力は蒸気機関ではないため煙突はない。運転手が運転席にある魔法陣から搭載しているフィオナ機関の内部に魔力を流し込み、その魔力をフィオナ機関が圧縮して機関車の各部に伝達することで機関車を動かしているらしい。

 

 フィオナ機関を搭載した機関車には様々な種類があるようだが、この機関車はなんだか蒸気機関車のD51に似ている。機関車の後ろには炭水車があるが、あの中に満載されているのは機関部を冷却するための冷却水だ。機関車が蒸気を発するのは、発熱した部分を冷却し終えて蒸気となった水が車外に排出されるからだという。

 

「では、ありがとうございました」

 

「いえいえ、街を救っていただき本当にありがとうございます!」

 

「また来てくださいね! おもてなししますよ!!」

 

 駅まで案内してくれた男性に礼を言い、俺たちは駅のホームから車両へと乗り込んだ。

 

 あの転生者に支配されていた間はここで乗る客などいなかったせいなのか、王都から乗ってきた乗客たちは、ナギアラント駅で乗り込んできた俺たちを珍しそうに見てくる。中には珍しいからという理由ではなく、どうせ俺を女と勘違いする馬鹿や、ラウラたちにナンパしようと企んでいる阿保もいるようだ。

 

 ナンパされると面倒くさいので、早めに座る場所を決めて座ってしまおう。

 

 じろじろと乗客たちに見つめられる中で何とか4人で座れそうな座席を見つけた俺は、隣できょろきょろと空いている座席を探していたラウラの肩を叩いて見つけた場所を指差し、生まれて初めて見る列車に目を輝かせているステラと手を繋いでいるナタリアにもその座席を教えてから、みんなで座席に腰を下ろす。

 

 他の乗客は、アイテムやメスのホルダーの付いたコートやアイテムが入ったポーチを身に着けている俺たちは明らかに冒険者だと理解している事だろう。そんな格好で列車に乗り込んでくる職業の人間は傭兵か冒険者の二択だし、それ以外だった場合は大概盗賊や冒険者気取りのならず者ばかりだ。

 

 冒険者が列車を利用するのは珍しい事ではない。座席に座ったまま他の乗客の服装をチェックしてみるが、俺たち以外にも冒険者は何人か乗っているようだ。防具を身に着けている奴もいるし、腰に剣を下げている男もいる。

 

 もちろん、冒険者以外の乗客の方が多数派だ。これから親族の家にでも遊びに行くのか、小さな子供を連れている父親と母親らしき乗客もいるし、その前の座席ではカバンを脇に置いたスーツ姿の男性が、持参した小説を読んでいるところだった。

 

 王都からエイナ・ドルレアンまで3時間。ナギアラントからの場合はおそらく2時間弱くらいだろう。

 

 産業革命が起こる以前は、王都からエイナ・ドルレアンまで徒歩か馬車で移動しなければならず、到着するまで数日かかる事もあったという。親父たちが若かった時代は鉄道など走っていなかったため、モリガンの傭兵たちは大人しく馬車を利用するか、親父が端末で生産した兵器やバイクで王都まで向かっていたらしい。

 

 母さんが話してくれたんだが、母さんが親父と王都までデートに行った時は、親父のバイクに2人乗りで王都まで向かったという。

 

『間もなく、エイナ・ドルレアンへ出発いたします。次の停車駅はリリードシティとなっております』

 

 エイナ・ドルレアンに到着したら、まず最初にカレンさんを訪ねてみよう。オルトバルカ王国の南方にあるドルレアン領を治めるあの人ならば、きっと俺たちに色々と手を貸してくれる筈だ。カレンさんもモリガンのメンバーだし、夫のギュンターさんも同じくモリガンのメンバーで、よく王都の家に遊びに来ていた。

 

 その次は信也叔父さんの家を訪ねる予定だ。現時点でもモリガンの傭兵として各地で様々な戦いを経験している熟練の傭兵で、親父たちと一緒に戦っていた頃は参謀として作戦を立案し、数多の強敵たちを返り討ちにしてきたという。それに、信也叔父さんは変わり者の多いモリガンのメンバーの中でも数少ないまともな人として知られている。

 

「あ………! タクヤ、列車が動きました」

 

 がくんと車両が揺れた瞬間、驚いて窓の外を見つめるステラ。車両の前の方から、車輪とレールがぶつかる音や、機関車が蒸気を吐き出す音が聞こえてくる中で、無表情だった彼女が珍しく目を輝かせている。

 

 もしかしたら、ステラは機械が好きなのかもしれない。もし今度俺の能力で戦車や戦闘ヘリを見せたら、ステラは喜んでくれるだろうか?

 

 興味深そうに窓の外をじっと見つめているステラ。その窓の向こうでは、見送りに来てくれた男性が手を振ってくれている。

 

 窓を開け、手を振るために身を乗り出そうとしたんだけど、見送りに来てくれた男性と駅員さんが大きな声で「勇者様ぁぁぁぁぁぁ! 頑張ってくださいねぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」と絶叫していたのを聞いて、俺は思わず苦笑いしながら手を振る事を躊躇ってしまう。

 

 出来るならば勇者様とは呼ばないでほしい………。恥ずかしいし、他の乗客の人達が滅茶苦茶俺たちの事を見てる。

 

「は、恥ずかしい…………」

 

「そろそろ……窓閉めた方が良いんじゃない?」

 

「そうしようよぉ………」

 

「列車ってすごいです…………!」

 

 勇者様と呼ばれて気にならないのはステラだけか。彼女はホームから走り出した列車に夢中になっているから、もしかしたら全く気になっていないだけなのかもしれない。

 

 走り始めた列車の音であの2人の声がはっきりと聞こえなくなり始めてから、俺は大急ぎで列車の窓の淵を掴んで下へと引っ張り、見送ってくれた2人の大声と列車の音を窓の外へと隔離する。

 

「―――――そういえば、カノンちゃんとノエルちゃんは元気かなぁ?」

 

「元気だろう。………きっと、俺たちが冒険者になったって聞いたら2人ともびっくりするぞ?」

 

 カノンはカレンさんとギュンターさんの1人娘で、現在はドルレアン領の次期領主候補となっている。幼少の頃からカレンさんによって貴族としてのマナーや政治についての教育を受けており、更にギュンターさんからは銃を使った戦い方を教わっている。

 

 母親であるカレンさんの才能を受け継いだのか、特にセミオートマチック式のライフルを使用した中距離での射撃を最も得意としているらしい。もしかしたら、彼女はカレンさんと同じく優秀な選抜射手(マークスマン)になるかもしれない。

 

 ノエルは信也叔父さんと、妻のミラさんの1人娘だ。種族は人間ではなく、母親であるミラさんと同じくハーフエルフという事になっている。身内でもあまり会ったことのない人を見ると怖がってしまうほど非常に気が弱い子で、しかも身体が弱いため、最近は常にベッドの上で生活しているという。

 

 最初は俺やラウラの事も怖がっていたんだけど、何度も会っているうちに俺たちを怖がらなくなってくれた。彼女は殆ど外に出る事ができないため、きっと俺たちが冒険者になって、ダンジョンを調査したことを話してあげたら喜んでくれる筈だ。

 

 早くあの2人に会ってみたいな。

 

 エイナ・ドルレアンにいる妹分と従妹の事を考えながら、俺は窓の外を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ君たちは転生者を撃破。ナギアラントを解放し、現在は無事に列車でエイナ・ドルレアンへと向かっている模様です」

 

 ヘンシェルからの報告を聞きながら、ヴリシア帝国産の紅茶の入ったティーカップを口元へと運ぶ。香ばしい紅茶の香りと苦みで体中にへばりついていただるさを払い落とし、ティーカップを皿の上に置いて息を吐く。

 

 あの子供たちは、俺たちから様々な才能を受け継いだ。転生者を最初に狩らせた時はまだ早いと思っていたんだが、あの2人は俺やエミリアたちの予想よりも早く転生者を撃破し、更に旅立ってからすぐに2人目の転生者を撃破している。

 

 しかも、一番最初のダンジョンでは危険度の高いダンジョンの生息しているトロールを撃破したという報告も聞いている。

 

「予想以上です、社長」

 

「ああ、その通りだ。――――――順調に成長しているようじゃないか」

 

 我が子が成長するのは喜ばしい事だ。

 

 俺とエミリアの子として転生した少年が、魔王と呼ばれれている俺の遺志を受け継いでくれている。かつてモリガンの傭兵という炎として仲間たちと共に燃え上がった俺たちは、無事に火種(タクヤとラウラ)を遺す事ができたのだ。

 

 あの2人ならば自力でこの世界に燃え移り、新たな炎となる事だろう。そしてあの2人も火種を遺し、キメラという種族を反映させていくに違いない。

 

 だから俺は、炎が生み出す灼熱の幻でいい。今の俺は、炎に取り残された陽炎でしかないのだから。

 

 俺がヘンシェルの部下に頼んでいたのは、子供たちを見守る事だけではない。いつまでも子供たちの話を聞いて昔の事を思い出しているわけにはいかないと思った俺は、そろそろもう一つの報告を聞くことにした。

 

「…………ところで、奴らはどうなった?」

 

「………動き出した模様です」

 

 尋ねると、ヘンシェルは目を細めながらそう答えた。

 

「そうか…………」

 

 11年前に葬った、あの男の眷族たち。世界を支配した吸血鬼の王に取り残され、息を潜めていた吸血鬼の残党たちが、ついに動き出したようだ。

 

 レリエル・クロフォード。かつてこの世界を支配し、人類を蹂躙した伝説の吸血鬼。11年前、俺はそのレリエル・クロフォードと魔界で決闘し、何とか奴を葬ることに成功している。

 

 この世界の人々は奴が封印されていると思っているらしいが、あの男はもう二度とこの世界に現れることはないだろう。

 

 だが、あの時俺も大切な友人を失った。

 

 俺に止めを刺さず、仲間に迎え入れてくれた大切な友人。彼もレリエルと同じく、もう二度とこの世に現れることはないのだ。

 

 もし生き返らせる事ができる手段があるのならば、彼を生き返らせてやりたい。そして大切な人ともう一度会わせてやりたい。

 

 あの男に――――――恩返しがしたいのだ。

 

「―――――――ヘンシェル、部下に対吸血鬼用の装備を支給しろ。それと、四天王の招集を」

 

「かしこまりました」

 

 未だに牙を剥くというのならば、もう一度叩きのめしてやろう。

 

 おそらく吸血鬼たちの残党を率いているのは、あの女だろう。レリエルの血を授かり、ヴリシア帝国でカレンとギュンターを苦しめた少女の姿の吸血鬼。彼女が残党を率いて動いているに違いない。

 

 場合によっては、俺も再び最前線に出ることになるだろう。それに、モリガン・カンパニーの4つの分野を指揮する四天王たちも戦う事になるかもしれない。

 

 社長室からヘンシェルが出て行ってから、俺は息を吐いた。

 

「それにしても、ナギアラントを解放したタクヤたちが勇者様とは…………」

 

 魔王の子供たちが勇者様か。皮肉なものだな………。

 

 まだ暖かいティーカップを持ち上げ、紅茶を口へと流し込む。まだヘンシェルが運んできてくれてから数分しか経過していない筈なのに、紅茶がかなり冷たくなってしまったような気がした。

 

 

 

 第三章へ続く

 

 



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第3章
転生者たちがエイナ・ドルレアンに到着するとこうなる


 

 頭上に、血のように紅い空が広がっていた。

 

 夕焼けというわけではない。炎のような色ではなく、血のように紅い空。王都の閉鎖的な景色の中でも唯一開放的な風景であった蒼空と常識が、血のような紅に塗り潰されてしまっている。その禍々しい空に浮かぶ雲も、まるで煤(すす)のように黒い。

 

 その非常識な紅い空の下に広がるのは、随分と古い建築様式の建物たちだった。灰色の巨大な石を正方形や長方形に切り取ってブロックのように並べたような簡単な家の隊列。玄関先に置いてある木箱や樽の数が違うだけで、全く見分けがつかない。

 

 だが、その見分けのつかない無個性な家の隊列の一角が破壊されていることに気付いた俺は、その崩れている家の残骸の群れを凝視することにした。紅い大空を見上げるのは億劫になったし、見分けがつかない家の群れを見ていると気が狂ってしまうかもしれない。だからまるで逃げ道を見つけたかのように、俺はその一角を見据える。

 

 倒壊した家や大穴が開けられた建物。まるで戦場のようだ。大穴を開けられた壁の近くには弾痕のようなものが残る壁もあるし、地面にはまるで爆撃で抉り取られてしまったかのようにいくつも穴が開いている。

 

 崩れ落ちた家たちの真っ只中に、黒いコートを纏った1人の男が佇んでいた。紅い空と無数の無個性な家たちが並ぶ奇妙な世界に現実味を求めるべきではないということは分かっていたが、そこに佇む男の姿は珍しくごく普通で、俺は安心してしまう。

 

 無数の小さなベルトのような装飾がついている、黒い革のコートだ。フードもついているらしく、そのフードには真紅の羽根のようなものもついている。

 

 あのコートには見覚えがあるぞ………?

 

「親父…………?」

 

 俺とラウラに自分の正体を教えてくれた時に親父が身に纏っていた、転生者ハンターのコートじゃないか。拘束具を彷彿とさせるベルトのような装飾が印象的だったし、あのハーピーの羽根の付いたフードは転生者ハンターの象徴でもある。

 

 よく見ると、そこで佇む親父の足元に、もう1人誰かが横たわっているようだ。どんな服装なのかは見えないんだが、黒いコートのようなものに身を包んでいる。顔や髪型は全く見えないが、ボロボロのようだ。

 

『―――――――――お前を、置き去りにはしない』

 

 親父は遠くにいる筈なのに、まるで近くで喋っているかのように聞こえる。その声は今の親父よりも若干高い。

 

 あの倒れている人物は誰なのか? 親父の戦友なのか?

 

 好奇心がすぐに肥大化し始めたが、どういうわけなのかあそこには行ってはいけないような気がした。あの倒れている人物を見てはいけない。その人物の正体を知ってはいけない。もし知ってしまったら、俺の周囲が全て壊れてしまうかもしれない。

 

 あそこで親父に看取られている人物は、俺たちを壊してしまうほど重要な人物なんだろうか?

 

 嫌な予感と好奇心に板挟みにされ、消しきれない好奇心と疑問を残したまま、俺は黙って親父の後姿を遠くから見据える事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に消え去る紅い空。花の香りと石鹸の匂いが混じったような甘い香りに包まれながら、俺の身体が左右に揺れる。傍らから聞こえる聞き慣れた少女の声と、瞼を押さえつける眠気で、俺は眠ってしまっていたという事を理解した。

 

「タクヤ、起きて。タクヤっ」

 

「う…………ラウラ………?」

 

「ほら、もう終点だよっ。下りないと」

 

 終点………?

 

 瞼を擦って眠気に別れを告げながら、周囲を見渡す。磨き抜かれた木製の床の上に規則的に整列しているのは、無数の列車の座席だった。窓から流れ込んでくる南方の暖かい風に温められた柔らかい座席に腰を下ろしながら、俺は眠ってしまったらしい。

 

 座り心地の良い座席の上で暖かな風を長時間浴びていれば、九分九厘眠気に絡みつかれてしまうだろう。

 

 眠ってしまう前までは興味深そうに窓の外を眺めていたステラも、どうやら眠ってしまっていたようだ。彼女の隣に座っていたナタリアが起こしてあげたらしく、瞼を擦る彼女の頭を撫でながら微笑んでいる。

 

『―――――間もなく、終点のエイナ・ドルレアンへ到着いたします。クガルプールへと向かう乗客の方は、お手数ですがクガルプール線へと乗り換えとなります』

 

 窓の外には、もう分厚そうな防壁が見えていた。

 

 エイナ・ドルレアンの防壁だ。南方で最大の都市であり、最強の傭兵ギルドと呼ばれているモリガンの拠点がある街でもある。万が一隣国のラトーニウス王国が侵攻してきた際には要塞となるようにも計算されている城郭都市で、防壁の上には巨大なバリスタたちと共に常に騎士たちが駐留している。

 

 防壁の門が開き、列車が蒸気を吐き出しながら防壁の中へと駆け抜けて行く。数多の魔物の侵攻から民を守り抜いてきた堅牢な鈍色の防壁の内側に広がるのは、王都と同じように巨大な工場と槍のような煙突が乱立する大都市の威容だった。工場からはまるで蒼空を支配しようとしているかのように真っ黒な煙が噴き上がり、黒ずんだ工場の窓の奥では作業着姿の男性たちが何かの原料を運んでいる。

 

 フィオナちゃんという天才技術者が引き起こした産業革命の影響を受けた都市の1つだが、工場から離れた位置には公園があるし、通りにある街路樹や花壇は王都よりも多いため、同じように巨大な防壁を持つ王都のように閉鎖的な感じはしない。伝統的な街並みと工業地帯を巧く隔離したような街並みになっているのは、きっと王都を何度も訪れているカレンさんが、この街を開放的な街にしようとしたからなんだろう。

 

 工場よりも一般的な家や大通りが増えてきたかと思うと、少しずつ列車の速度が落ち始める。そろそろ駅に到着するだろうと思いながら窓を開けて機関車の方を見遣ると、線路の向こうにはもうエイナ・ドルレアン駅のホームが見えていた。

 

 あの駅を建てた建築士たちは、きっと閉鎖的な雰囲気の駅にならないようにしようとしたんだろう。天井は殆どガラス張りになっていて、その天井を通過した日光がホームを照らし出している。

 

『終点のエイナ・ドルレアンです。ご利用ありがとうございました。クガルプール行きの列車は、本日の午後3時に15番ホームより出発予定となっております』

 

 列車がホームで停車してからすぐに、通路側に座っていたラウラが立ち上がった。しっかり者のナタリアは列車から降りる前に忘れ物をしていないかチェックをしている。特にアイテムや非常食以外に荷物を持っていたわけではないため、俺は管理局に提出する予定のレポートの原稿用紙があるか確認してから、まだ眠そうにしているステラの手を引いて座席から立ち上がる。

 

「ほら、ステラ」

 

「はい」

 

「あっ、ステラちゃんずるいよ! 私もタクヤと手を繋ぐっ!」

 

 真っ先に下りようとしていたラウラは、どうやら俺たち4人の中で一番最初にホームに下りるよりも、俺と手を繋ぎながら下りる方が良いと思ったらしい。下りて行く他の乗客にちゃんと道を譲ってから、彼女は車両の狭い通路を逆走してくると、華奢な手で俺の手を引き始めた。

 

 やれやれ。

 

「ところで、ナタリアはここに用事があるって言ってたよな?」

 

「ええ。ママに会いに来たの」

 

 母親に会うためにここに帰ってきたんだな。

 

 ナタリアの出身地は、この国の最南端にあるネイリンゲンという田舎の街だった。俺とラウラも3歳の頃までそこに住んでいたんだが、今では親父たちと敵対していた組織の奴らの攻撃によって焼け野原となり、廃墟に住み着いた危険な魔物のせいで管理局からは危険度の高いダンジョンに指定されている。

 

 俺たちが王都に移り住んだように、ナタリアもエイナ・ドルレアンに逃げて来たんだろう。親父はあの時、生き残った僅かなネイリンゲンの住民をエイナ・ドルレアンへと逃がしていたと聞いている。

 

「ちゃんと報告しないとね。命の恩人の息子さんに、また命を救われたって」

 

 生まれ育ったエイナ・ドルレアンの街中に鎮座する駅のホームを見つめながら言うナタリア。かつて幼少期の自分を救ってくれた傭兵の正体を知る事ができて、すっきりしているのかもしれない。

 

 彼女は俺に向かって微笑みながらウインクすると、まだ瞼を擦っているステラの手を引いて車両の出口へと向かって歩き始めた。

 

 俺もラウラを連れて駅のホームへと下りる。王都よりも規模の小さい都市とはいえ、ここは南方で最も大きな大都市だ。エイナ・ドルレアンの工場で生産される量産型のフィオナ機関はこの街や国中だけでなく、現在オルトバルカ王国の同盟国となっているフランセン共和国や、世界中の植民地へと輸出される。

 

 産業革命による技術の向上で他国よりも抜きん出た国力と戦力を手に入れたオルトバルカ王国は、既に他国から『世界の工場』と呼ばれるほど強大な力を手にしている。最近ではついに東にある島国を開国させるため、艦隊を派遣する予定らしい。

 

 広いホームには、駅員たちのアナウンスや機関車が蒸気を吐き出す音が響き渡っていた。列車から降りた乗客の群れと、これから列車に乗り込もうとする乗客の隊列がすれ違う。

 

「とりあえず、駅の外に出ようぜ。すごい人込みだ………」

 

「ふにゅ………分かった」

 

 何とか壁に用意されている案内板のところまで移動してから、出口の位置を確認する。ラガヴァンビウス駅ほど複雑な構造にはなっていないが、改札口がいくつもあるから越える前に確認しなければならない。駅の外に出るつもりだったのに、またホームに戻ってきてしまうかもしれないからな。

 

 案内板に描かれている複雑な構造を凝視して「ふにゅー………?」と言いながら混乱しかけている姉の手を引き、ナタリアたちと共に左側にある階段を下り始める。階段を下りてからは目の前の壁に用意されている案内板を確認してから左の通路へと向かい、その向こうにある改札口にポケットから取り出した切符をかざす。

 

 役目を終えた切符から小さな魔法陣が消滅し、切符がただの小さな紙きれへと変貌する。あの魔法陣は切符を認証するための魔法陣で、目的地の改札口にある刻印にかざすと魔法陣が消滅する仕組みになっている。また列車に乗るためには、もう一度切符を買い直さなければならない。

 

「戻ってくるのは久しぶりね………」

 

 ステラの手を引きながら改札口から出て来たナタリアは、駅の出口の向こうに広がる街並みを見渡しながら懐かしそうにそう言った。

 

 王都は賑やかな街だが、エイナ・ドルレアンは王都よりも落ち着いた雰囲気の街だ。もちろん活気が全く無いわけではなく、大通りの露店や売店の周囲には買い物客が集まっているし、工業地帯に行けば工場の機械が奏でる轟音と、従業員たちの怒号が来訪者を歓迎するようになっている。

 

 しかも南方のドルレアン領では、奴隷の売買を一切禁止している。だからエイナ・ドルレアンには奴隷を売る商人はいないし、商人たちに痛めつけられたり酷使された奴隷たちの姿もない。差別を完全に消し去れているわけではないが、ドルレアン領では様々な種族の人々が自由に生活している。

 

 そのため、主人の元から逃げ出した奴隷たちや迫害された人々が逃げ込んで来る街でもある。もちろん余所者だからと酷い扱いをすることはないため、迫害されている種族たちからすれば楽園というわけだ。

 

 逆に奴隷制度を後押しする貴族たちは、奴隷を平等に扱っているカレンさんを「奴隷に味方をする貴族の恥」と呼んでいるクソ野郎もいるらしい。だが、ここに拠点があるモリガンのメンバーは全員カレンさんの意見を後押ししているし、王都でモリガン・カンパニーを経営する親父が反対派の総本山に居座ってカレンさんを後押ししているため、彼らは声高にカレンさんを馬鹿にできない。

 

 親父は最強の傭兵ギルドのリーダーだし、発言力も非常に強い。しかも奴隷制度を維持し続けて得をするのは貴族や一部の工場の経営者だけだから、親父やカレンさんは奴隷たちや労働者たちなどの身分の低い人々から非常に強く支持されている。

 

「とりあえず、俺たちはカレンさんの屋敷に行くよ。ナタリアはお母さんのところに戻るのか?」

 

「ええ。久しぶりにママに会ってくるわ。済んだら屋敷の近くで待ってるから」

 

「分かった。ステラは?」

 

「連れて行ってあげなさい。ステラちゃんはタクヤの魔力がお気に入りみたいだし」

 

 そう言いながらステラから手を離すナタリア。ステラはきょろきょろと街を珍しそうに見渡してから、無言で俺の傍らへとやってくると、小さな手を伸ばして俺の手を握る。

 

「それじゃ、また会いましょう」

 

「おう!」

 

 ナタリアは手を振りながら、自分の家がある方向へと向かって走っていく。久しぶりに家に帰る事ができるから安心しているんだろうな。

 

 街路樹がいくつも並ぶ通りへと向かって嬉しそうに走っていく彼女に向かって手を振った俺たちは、まず最初にドルレアン邸を目指す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 様々な種類の花が植えられた大きな花壇と巨大な噴水に彩られた広場の向こうに建つ屋敷は、この広場を訪れる住民や観光客ならば必ず目にするほど目立っている。

 

 かつてドルレアン家の初代領主が活躍していた頃から変わらない伝統的な建築様式の、広間の向こうに鎮座する大きな屋敷が、俺たちの目的地であるドルレアン邸だった。

 

 四方は豪華な装飾の付いた鉄柵と白いレンガの塀で囲まれていて、正面の門にはドルレアン家の私兵と思われる男たちが、真っ赤な制服を身に纏って警備している。制服の胸に突いている銀色のバッジは、ドルレアン家の家紋が刻まれた特別なバッジだ。

 

 既に親父が招待状を送っているから、名乗ればきっと通してくれることだろう。少しだけ緊張しながら、俺はステラとラウラを連れて正面の門へと向かって歩き始める。

 

 すると、やはり私兵たちは俺たちを睨みつけてきた。アイテムの入ったホルダーやポーチを身に着けているから、きっと俺たちが冒険者だという事は予想している事だろう。だが、いくら冒険者でも領主の屋敷に正面から近づいて行けば怪しまれてしまう。

 

「すいません、カレン・ディーア・レ・ドルレアン様にお会いしたいのですが………。紹介状が送られている筈です」

 

「紹介状だって? 確か、ハヤカワ卿から紹介状が来ていた筈だけど………。君の名前は?」

 

「タクヤ・ハヤカワです」

 

 名前を名乗ると、名前を聞いてきたその私兵は目を丸くした。そのまま反対側に立っていた同僚の方を見つめて呆然としてから、再び俺の顔を見下ろしてくる。

 

 きっと、この人も俺を女の子だと思ってたんだろうなぁ………。確かに俺は母さんに似ているせいでよく女に間違われるし、声も高い。

 

 いい加減男だと見抜いて欲しいなぁ………。

 

「君、男の子だったのか………」

 

「は、はい………男です………」

 

「………失礼した。では、どうぞ。カレン様とお嬢様がお待ちかねだ」

 

 正面の門を開けてくれた私兵に礼を言い、俺たちは屋敷の庭へと足を踏み入れる。王都にある俺たちの家よりも広い庭には花壇がいくつもあり、先ほど通過してきた広場の花壇に植えられていた花たちと同じ種類の花が植えられていた。庭の中心には剣を手にした女性の騎士の銅像が鎮座している。

 

 おそらくあの銅像の女性は、ドルレアン家の初代当主である『リゼット・テュール・ド・レ・ドルレアン』だろう。大昔に勃発した700年戦争を終結させたオルトバルカ王国の英雄だが、家臣に裏切られて暗殺されてしまうらしい。

 

 カレンさんやカノンの先祖なんだが、リゼットの顔つきはカレンさんとカノンにそっくりだ。もし当時の鎧を身に纏った2人を大昔の彼女の家臣たちが目にしたら、勘違いしてしまうに違いない。

 

「―――――――あらあら、お久しぶりですわね」

 

 銅像を見上げていた俺たちを、屋敷の入口の方から響いてきた少女の声が出迎えた。

 

 以前に聞いた時から大人びた声だったが、まだ幼さも残っている。幼少の頃から何度も王都の家に遊びに来ていた妹分の声だと理解するよりも先に声が聞こえてきた屋敷の入口の方を振り返った俺とラウラは、屋敷の入口の前に立って嬉しそうに微笑む橙色の髪の少女を目にして安堵した。

 

 声音だけでなく、姿も成長していた。微笑みながらこちらを見つめる彼女の笑顔には、3人で家の中を駆け回って遊んだあの時の楽しそうな笑顔の面影が残っている。

 

「―――――久しぶりだな、カノン」

 

 ドルレアン邸を訪れた俺たちを出迎えてくれたのは――――――立派なお嬢様に成長した、俺たちの妹分だった。

 

 

 

 



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エイナ・ドルレアンのお嬢様

 

 カノンは、俺たちよりも3歳年下の女の子だ。人間のカレンさんとハーフエルフのギュンターさんの間に生まれた子で、母親に似たせいなのか種族は人間という事になっている。

 

 頻繁に王都を訪れていたカレンさんやギュンターさんと共によく俺たちの家に遊びに来ていたから、住んでいる街は遠く離れているというのに過ごした時間は長く、俺とラウラにとっては3歳年下の妹のような存在だった。家に遊びに来れば、親父や母さんたちが話をしている間に俺たちと人形で遊び始めたり、読み書きを覚えたラウラに絵本を読んでもらっていた。

 

 ドルレアン領の領主の娘として生まれた彼女は、その頃からもう貴族としてのマナーを教え込まれていたらしく、段々と家を訪れてくる度に彼女の言葉遣いは幼い少女に似合わないほど丁寧になり、マナーも立派になっていった。さすがにまだマナーの教育をするのは早過ぎるのではないかと思ったんだが、彼女はいつか母親から領主の座を受け継ぎ、南方のドルレアン領を統治しなければならない。だから、マスターしなければならない科目は庶民として生まれた俺たちよりも遥かに多い。

 

 母親の思想も学ばなければならないし、政治や政策についても学ばなければならない。更に、奴隷の廃止を目的としているのだから、下手をすれば奴隷制度廃止の反対派に命を狙われる可能性もある。護衛を引き連れればいい話だが、場合によっては護衛と一緒に行動できない場合もあるし、凄腕の暗殺者が襲ってくる可能性もある。

 

 だから、カノンは幼少の頃からモリガンのメンバーだった両親から、剣術や魔術だけでなく、親父から支給される現代兵器についての扱い方も学んだという。

 

 彼女が身に着けた無数の技術が、まるで凛とした雰囲気を強調しているかのようだ。微笑んでいるせいなのか素直そうな感じもするが、ややつり上がった蒼い瞳がただの素直な少女ではないと断言している。自分の民を傷つけるような輩が現れたのならば、両親から叩き込まれた戦闘技術を駆使して徹底的に蹂躙するという強い意志が具現化したような目つきだった。

 

「タクヤ、あの人は誰ですか?」

 

「彼女はカノン・セラス・レ・ドルレアン。このドルレアン領を治める領主の娘だよ」

 

 ステラは1200年前からナギアラントの地下で眠り続けていた最後のサキュバスだから、彼女と面識があるわけがない。

 

 最初は警戒をしていたようだが、俺たちの知り合いだと分かって少し安心したのか、ステラは静かに俺の陰から顔を出すと、見知らぬ少女を1人引き連れている俺たちを見つめていたカノンにぺこりと頭を下げた。

 

 母親から差別はしないという思想を幼少期から教え込まれているから、彼女はステラの種族が人間ではなくサキュバスだと知っても避けるようなことはしないだろう。きっとステラも受け入れてくれる筈だ。

 

「えへへっ。カノンちゃん、久しぶりだねっ!」

 

 久しぶりに妹分と再会したラウラも、出迎えてくれたカノンに向かって微笑みながらそう言う。幼い頃からカノンに「お姉様」と呼ばれていたラウラだが、性格のせいなのか、今ではしっかりとした教育を受けたカノンの方がラウラよりも大人びているように見えてしまう。

 

 精神年齢では、間違いなくカノンの方が上だろう。姉と妹分が逆転してしまうのではないだろうか?

 

 逆にラウラがカノンをお姉様と呼ぶところを想像してみようとしていると、なかなか想像し辛い光景を思い浮かべられずに苦戦している間に、カノンは銅像の近くにいるラウラの方を凝視していた。

 

「お、お姉様…………!」

 

 顔を紅潮させながらぷるぷると震え始めるカノン。彼女が発した言葉からも先ほどの凛とした雰囲気は消滅していて、まるで俺にしがみついて甘え始める直前のラウラが発するような、甘えたがっているような雰囲気が取って代わっている。

 

 そういえば昔から魔物の図鑑や魔術の教本を読んでいた俺の隣では、遊びに来ていた幼いカノンがラウラに甘えたり、一緒に昼寝をしていたものだが、俺と一緒に育ったラウラの甘え方が成長するにつれてエスカレートしていったように、まさか彼女の甘え方までエスカレートしているのではないだろうかと予想した頃には、もうその予想はカノンの身体を操り、結果をうっすらと実体化させつつラウラへと急接近していた。

 

 モリガンのメンバーだった両親によって鍛え上げられたカノンのスピードは、貴族が身に纏うような派手なドレスを身に着けているとは思えないほどのスピードだった。肉食獣すら置き去りにしてしまうほどの凄まじい速度で目を丸くしながら慌てふためくラウラへと爆走したカノンは、目を輝かせながら両手を広げてラウラにタックルして彼女を押し倒すと、まるでラウラが俺に甘えて来るかのように彼女に向かって頬ずりを始めた。

 

「ふにゃあああっ!? か、カノンちゃんっ!?」

 

「お姉様、会いたかったですわ! こんなに立派なレディになりましたのね!? 相変わらず可愛らしいですわ! ―――――ああっ、良い匂いがしますわ、お姉様っ!」

 

「あっ、か、カノンちゃん………タクヤの目の前だよぉっ!?」

 

「お兄様は羨ましいですわ。こんなに可愛らしいお姉様と一緒に生活できるなんて…………ふふっ、お姉様ぁ……………!!」

 

 ラウラの話と共通していたのは、お兄様という単語が登場していたことくらいだろうか。それ以外はあっさりと除外され、困惑するラウラの周囲を漂っているに違いない。

 

 やっぱり、カノンも甘え方がエスカレートしていた。昔は頭を撫でてもらうと大喜びしていたし、外で鬼ごっこをして遊んで帰ってくると、読書をしている俺の隣でいつの間にか一緒に眠っていたものだ。

 

 押し倒されたラウラの上で頬ずりを続行するカノンを見下ろして呆然とする俺の傍らに立っているステラも、目を丸くしてカノンを見下ろしていた。

 

「か、カノンちゃん…………ひゃんっ!?」

 

「ふふっ、お姉様ぁ………おっぱいも大きくなっていますわねぇ……。素敵ですわ、お姉様………!!」

 

「か、カノン。あまりお姉ちゃんに変なことをするなよ?」

 

「あら、ダメですの?」

 

「ダメだよ」

 

「残念ですわ。もっとお姉様に甘えていたかったのに…………」

 

 ラウラの胸を揉んでいた両手を引っ込め、残念そうにしながら立ち上がるカノン。押し倒されていたラウラは地面に落ちていたベレー帽を拾い上げてから立ち上がると、よだれを拭いながらもう一度ラウラの方を見てにやりと笑うカノンを目の当たりにしてびくりと震えてから、まるで逃走する猫のように凄まじい速さで俺の傍らへと駆け寄ってきた。ミニスカートの下から尻尾を伸ばして俺の片手に絡みつかせ、背後に隠れながらカノンの方を凝視している。

 

 お姉ちゃんはステラによく襲われてるんだが、もしかしたら彼女は女に襲われやすい体質なんだろうか? 親父から聞いたんだが、エミリアさんもなぜか女に襲われやすい体質だったらしく、依頼で敵対した吸血鬼の少女に襲われかけたり、若い頃のエリスさんによく押し倒されていたらしい。

 

「――――――冗談ですわ、お姉様。お兄様の大切なお姉様を横取りするつもりはございませんもの」

 

 俺の背後でぶるぶると震えるラウラを見つめながら微笑むカノン。いつの間にか先ほどの変態のような表情は消え、出迎えてくれた時のように貴族らしい凛とした表情に戻ると、咳払いをしてから踵を返す。

 

「さあ、中へどうぞ。歓迎いたしますわよ、皆様」

 

 もしこの場に親父がいて今のカノンの甘え方を目の当たりにしていたならば、きっと若き日のエリスさんのような変態だと言う事だろう。

 

 誰のせいでこんな変態になってしまったのか。モリガンの女性陣の中で最もまともだったというカレンさんのせいとは思えないから、九分九厘ギュンターさんのせいだろう。あの人は頻繁に風呂場を覗いていたらしいし、何だか自分の娘を甘やかしそうな感じがする。

 

 ギュンターさんのせいだろうなと思いながら、俺は未だにぶるぶると震えるラウラとステラを連れ、屋敷の中へと足を踏み入れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドルレアン邸の中には、様々な絵画や派手な彫刻が飾られていた。カレンさんの祖父がこのような美術品を収集していたらしく、まるで屋敷の中には一般公開すればそのまま美術館になってしまいそうなほど絵画や彫刻があふれている。

 

 そんな美術品だらけの廊下を眺めながら、俺たちはカノンの部屋まで案内された。絵画や彫刻で埋め尽くされていた廊下とは違って、部屋にはあまりそのような美術品は置かれていない。我が家のリビングの6倍以上も広い彼女の部屋の床には高級そうな赤い絨毯が敷かれていて、部屋の中央にはテーブルとソファが鎮座している。既にテーブルの上にはクッキーとティーセットが用意されていて、バターと香ばしい香りを部屋の中へとばら撒き始めていた。

 

 部屋の奥には大きめのベッドが置かれていて、枕元には小さな時計とオルゴールが置かれている。

 

「さあ、どうぞ」

 

「悪いな」

 

 ラウラたちと一緒に腰を下ろすと、テーブルの向かいにいたカノンも静かに腰を下ろした。貴族ではなく平民の子供として育った俺たちはあまり貴族のマナーは分からないんだが、妹分の前とはいえ可能な限り無礼な真似はしないように気を付けよう。

 

「それにしても、立派になったな」

 

「ふふっ。お兄様ったら」

 

 変態であることを除けば、カノンは本当に立派なお嬢様に成長している。母親から徹底的にマナー等を教育されたおかげだろう。

 

 でも、勉強や訓練ばかりではなかったんだろうか? あの後、ちゃんとカノンの生活に娯楽はあったのか? 心配になったが、彼女のベッドの近くに置かれている大きめの本棚には教科書や魔術の教本に混じってマンガの単行本も並んでいるのが見えて、俺は安心した。勉強や訓練ばかりの日常ではなかったらしい。

 

 そんな生活を送っていたらストレスが滅茶苦茶溜まってしまうからな。ちゃんとカレンさんは彼女を休ませることも考えていたようだ。経済学や政治学の分厚い本の隣に並ぶマンガのタイトルを見てにやりと笑った俺は、そのまま並んでいるマンガのタイトルを眺め始める。

 

 あのマンガは俺も持ってるぞ。騎士が復活したレリエルを倒すために旅に出るという内容のマンガだったな。その隣にあるのは恋愛のマンガだろうか。俺は全く読んだことはないが、ラウラがよく本屋で購入して読んでいた。

 

 色んなジャンルのマンガを読んでいるんだなと思いながら本棚の方を見つめていると、一番下の段にずらりと並ぶマンガの背表紙に裸エプロン姿の少女の絵が描かれていたような気がして、俺は思わず目を見開きながらそれを凝視してしまう。

 

 恋愛のマンガではない。背表紙の絵とタイトルが放つ雰囲気は、幼少の頃に両親の部屋で発見してしまったエリスさんのエロ本と全く同じだった。単行本の群れに紛れ込んでいるようだが、凝視してみると雰囲気の違いはすぐに分かる。

 

 しかもその隣にはメイド服を身に着けた少女が背表紙に描かれているものもあるし、更に左側にはなんとBL系のマンガと思われるエロ本がびっしりと並び、男子である俺にだけ猛烈な威圧感を押し付け始めていた。

 

「か、カノンッ!?」

 

「あら、お兄様。どうしましたの?」

 

「何でエロ本が並んでるんだよッ!? しかもBLのやつまであるぞ!?」

 

「お兄様、あそこにあるのは氷山の一角ですわ。大半は隣の書庫に―――――」

 

「書庫にエロ本保管してんのかよッ!?」

 

 え、エリスさんよりレベルが高いぞ………。しかも普通のマンガだけでなく、エロ本も色んなジャンルのやつが並んでいる。何でこんなに隙の無い性癖なんだよ………!?

 

「ふにゃあ…………!」

 

「タクヤ、あの本は何ですか?」

 

「み、見ない方が良いぞ、ステラ………」

 

「?」

 

 なぜ俺が止めようとしているのか理解していないのだろう。ステラは立ち上がろうとした彼女の肩を掴んで必死に止めようとする俺の顔を見上げて首を傾げると、素直にソファに腰を下ろし、表情を変えずにテーブルの上のティーカップへと手を伸ばした。

 

「………ところで、その子は仲間なんですの?」

 

「ああ。ステラっていうんだ」

 

「初めまして」

 

 ティーカップを見つめて首を傾げていたステラは、カップを皿の上に置いてから相変わらず感情のこもっていない声であいさつをすると、テーブルの上のクッキーを1つ手に取り、まじまじとクッキーを見つめてから首を傾げる。

 

 もしかすると、ステラはクッキーを知らないのか? 紅茶にも口を付けずに、ティーカップを見つめて首を傾げるだけだった。どうやらステラは、見た事の無いものを目にすると首を傾げる癖があるらしい。可愛らしい癖だ。

 

 今の彼女の仕草を目にして、カノンは違和感を覚えたらしい。口元に運びかけていたティーカップを止めると、目を細めながら訝しそうに彼女を見つめる。

 

 カノンに、ステラの正体を話しておくべきだろうか? 彼女は既にステラを怪しみ始めているし、もう誤魔化すことは出来ないだろう。下手に誤魔化すよりはカノンがサキュバスを受け入れてくれると信じて彼女の正体を明かし、味方になってもらった方が良いと思う。

 

 ちらりとラウラの方を見てみると、彼女も俺の方を見て頷いた。きっと彼女も同じことを考えていたんだろう。

 

 ステラにも尋ねてみようと思って彼女の顔を見下ろそうとした瞬間だった。一足先に飛び出した彼女の冷たい声と、その声が形作った言葉が、カノンの部屋の中へと響いた。

 

「………ステラは、サキュバスの最後の生き残りなのです」

 

「!」

 

 ステラは誤魔化すつもりではなかったんだろうか。俺が訪ねるよりも先に自分の正体を明かしたステラは、まるで全く心配していないかのようにティーカップを持ち上げると、少しだけ躊躇うように中に入っている紅茶を見下ろしてからカップを口元へと運ぶ。

 

 様々な教育を受けたカノンならば、サキュバスと魔女狩りの事も知っているだろう。彼女を拒絶しないように祈りながらラウラと共にテーブルの向かいに座っているカノンの方を振り向く。かつてサキュバスは他者から魔力を奪い取る恐ろしい魔女と言われており、現在でもあらゆる伝承や物語にレリエルや恐ろしい魔物と並んで悪役として登場している。

 

 その悪役と言われて大昔に絶滅した筈の種族の最後の生き残りだと言う小柄な少女が、目の前のソファに座っている。果たしてカノンは彼女をサキュバスだと信じるだろうか? それとも、幼い少女の幼稚な嘘だと決めつけて笑い飛ばすだろうか?

 

「…………本当ですの?」

 

 目を丸くしながら、美味しそうに紅茶を飲むステラを凝視するカノン。ひやひやした表情で彼女を振り向いた俺たちの顔を見て、カノンはステラの言った事が事実だと察したのだろう。

 

 元々彼女の正体は明かすつもりだったから、俺とラウラは否定しなかった。何も言わずに首を縦に振り、彼女と共にティーカップの中の紅茶を飲み干すサキュバスの最後の生き残りを見下ろす。

 

「サキュバスは絶滅したと聞きましたが…………」

 

「生き残りがいたんだよ。ナギアラントの地下にな」

 

「それからは、私たちの仲間なの」

 

「タクヤ、この飲み物は美味しいです。ステラはこれが気に入りました」

 

 ステラは自分の正体を明かしたことを全く気にしていないようだ。空になったティーカップを両手で持ちながら、カップの底を見下ろしている。

 

「あら、おかわりならこちらにありますわよ」

 

「ありがとうございます、カノン」

 

「クッキーも美味しいですわよ。きっと気に入りますわ」

 

 ポットを拾い上げてティーカップに再び紅茶を注いでくれるカノンに礼を言ったステラは、嬉しそうにカップを口元へと運び、紅茶を冷まし始める。

 

 どうやらカノンは、ステラをサキュバスだからと拒むつもりはないらしい。

 

 仲間の1人が妹分に拒まれなかったことに安心した俺は、隣で同じようにひやひやしていたラウラと目を合わせると、苦笑いしながら皿の上のクッキーへと手を伸ばす。

 

 カノンが用意してくれたクッキーの歯応えと甘さが、不安をかき消していった。

 

 



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ステラに銃を作ってあげるとこうなる

 

 ドルレアン邸の地下には、まるで駐車場のように広い地下室が広がっている。大理石の床と装飾が付けられた無数の柱はまるで宮殿の中にいるように豪華だが、部屋の奥に浮遊する魔法陣のような的を見てみれば、この地下室の用途がパーティーを開くためではないという事は火を見るよりも明らかだ。

 

 ハヤカワ邸の地下室にあった設備と全く同じ設備が、この地下室に存在している。元々はオルトバルカ王国騎士団が、弓矢の射手の訓練のために考案した射撃訓練用の設備らしいんだが、かつてネイリンゲンで活動していた頃のモリガンでも採用され、地下室での射撃訓練に使用されていたらしい。

 

 ここにある設備は、それをベースにした発展型と言える代物のようだ。難易度はレベル1からレベル20まで選択する事ができるらしく、難易度を上げていけば的の数と的の機動力が上がっていく仕組みになっているようだ。

 

「ふにゃあ……私たちの家の地下室より広いよぉ………!」

 

「元々はお母様とお父様の訓練用に用意された部屋ですの。最近はわたくしも使わせてもらっていますわ」

 

 きょろきょろと地下室を見渡すラウラに説明しながら、カノンはここまで自室から持ってきた得物の調整を始める。

 

 彼女が手にしているのは、ロシア製セミオートマチック式ライフルのドラグノフだった。アサルトライフルよりも長い銃身と、銃身の後部とグリップの下部から伸びる木製の銃床が特徴的なマークスマンライフルである。セミオートマチック式だから、ラウラのSV-98のように発砲する度にボルトハンドルを引く必要はないため連射速度はこちらの方が上だ。その代わりに命中精度と射程距離ではボルトアクション式のスナイパーライフルに劣ってしまうため、遠距離からの狙撃よりも、中距離からの狙撃で真価を発揮するようになっている。

 

 カレンさんとギュンターさんは、モリガンのメンバーだ。モリガンはかつて親父と母さんが結成した小規模な傭兵ギルドだったんだが、魔術が主流となっている異世界で銃という強力な武器を多用して戦っていたせいで瞬く間に凄まじい戦果を挙げ、世界最強のギルドと呼ばれるほどになった。現在ではメンバーたちが全員集まることはないが、転生者ではないメンバーの元にも親父から武器や弾薬の支給は続いているため、カノンも6歳頃からは銃を使った訓練を受けていたという。

 

 アサルトライフルやハンドガンなどの扱い方も学んだというが、彼女が最も得意とするのは―――――――マークスマンライフルを駆使した、中距離からの狙撃だった。

 

『射撃訓練レベル20を開始します』

 

 コントロール用の魔法陣から響くアナウンス。カノンはスコープの調整をしながらその音声を聞き流し、表情を全く変えずに射撃位置まで移動する。

 

 ウォーミングアップはしていない筈だが、いきなり最高難易度の訓練から始めて大丈夫なんだろうか? 同じく狙撃を得意とするラウラも「い、いきなり20!?」と驚いている。

 

「この程度、すぐに終わりますわ」

 

 スコープの調整を終え、ライフルを構えるカノン。的までの距離は60mくらいだろう。スコープではなくアイアンサイトを使っても問題ない距離だが、レベル20は伊達ではない。まるでレベルの高い転生者のように超高速で動き回る上に、フェイントのような動きまでしてくるため、正確に狙って撃ち抜くのはかなり困難だ。しかもハンドガンやSMGのような取り回しの良い武器を使っているならまだしも、カノンが手にしている得物はアサルトライフルよりも長い銃身とスコープを持つマークスマンライフル。いくらカレンさん直伝の射撃の技術があると言っても、凄まじい速度で動き回る的の群れを撃ち抜くのは困難だろう。

 

 ハンデがある状態で射撃をするようなものだ。そう思いながらライフルを構える彼女を見つめていたんだが、カウントダウンが0になると同時に響き渡った銃声の群れが、的だけでなく俺の考えまでも撃ち抜き、木端微塵に粉砕してしまう。

 

「!?」

 

「ふにゃっ!?」

 

 大理石の床と、豪華な装飾がついた柱が並ぶ美しい地下室には似合わない荒々しい轟音の群れが、目の前に出現した的を片っ端から食い破っていく。複雑に動き回っている的も、轟音が響き渡る度に紅い火花となって焼失し、次々に弾丸に撃ち抜かれて消滅していった。

 

 銃声の残響が消えるよりも先に、新たな銃声が轟く。

 

 モリガンのメンバーたちが活躍していた頃、メンバーの一員であったカレンさんも、マークスマンライフルを愛用して正確な狙撃で仲間たちを援護していたという。親父や母さんも、その狙撃はまるで中距離からの早撃ちだと評価するほど素早い上に百発百中の射撃だったようだ。

 

 カノンは、母親からその技術を受け継いでいた。フェイントのような動きをして射手を翻弄しようとする的の動きを見切り、正確に真ん中を撃ち抜いて消滅させる。そのような精密な射撃をまるでガンマンが早撃ちしているかのような速度で繰り返しているんだ。

 

 やがて、ドラグノフのマガジンが空になる。銃声の残響の中でやっと薬莢が落下する金属音が聞こえてきたと思った頃には、もう彼女の目の前に浮遊していた紅い的は全て消滅し、的の代わりにメッセージが投影されていた。

 

『おめでとうございます。全弾命中です』

 

「す、すげえ………!」

 

「ふにゃ………カノンちゃん、すごい………!」

 

「当然ですわ。お母様から教わった技術ですもの」

 

 確かに彼女の母親は優秀な選抜射手(マークスマン)だ。でも、いくらカレンさんの娘とはいえ、母親の技術をそっくりそのまま習得するのは不可能だろう。しかし今の射撃を敵に叩き込む事ができる選抜射手(マークスマン)が前衛と後衛の中間で援護してくれたのならば、前衛は近距離戦闘を仕掛けやすくなるし、後衛は敵に接近されるというリスクを減らす事ができる。

 

 誇らしげに銃を肩に担いで戻ってきたカノンは、成長した彼女の射撃を目の当たりにした俺たちに向かってにっこりと笑うと、ライフルを柱に立て掛けてからすたすたとこっちにやってきて、なんと今度はいきなり俺に抱き付いてきた。

 

「ふにゃっ!?」

 

「うおっ!?」

 

「ふふっ、お兄様っ………! ああ、お兄様からもお姉様と同じ匂いがしますわぁ………! 四六時中お姉様とずっと一緒にいるからですのね。それにお肌も女の子みたいですし………」

 

「ふにゅー…………カノンちゃん、タクヤは私のものなんだからねっ!?」

 

 唇を尖らせながら両手を腰に当てて言うラウラ。すると、俺に頬ずりしながらなぜかコートのジッパーへと手を伸ばし始めていた変態(カノン)は、幸せそうににっこりと笑ったまま不機嫌そうなラウラを見上げた。

 

「ご安心ください、お姉様。私はお姉様からお兄様を取るつもりはございませんの。むしろ、お姉様とお兄様が結ばれるようにサポートするつもりですわ」

 

「はぁっ!?」

 

「ほ、本当!?」

 

「ええ。お姉様がお兄様の素敵なお嫁さんになれるよう、手助け致しますわ」

 

「ありがとう、カノンちゃん!」

 

 なんてこった………。

 

 俺から手を離し、ラウラと握手をするカノン。彼女にサポートしてもらえると聞いたラウラはかなり大喜びしたらしく、そのままカノンの手を引っ張って彼女を思い切り抱き締めてしまう。

 

 いきなりラウラを押し倒して頬ずりを始めるような彼女は、ラウラに抱き締められて顔を真っ赤にしていた。

 

「おっ、お姉様………ッ!」

 

「えへへっ。カノンちゃんも大好きだよっ!」

 

「だ、大好き………!? お……お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 銃を使った訓練のために用意された地下室なら、ちゃんと防音壁で囲まれている事だろう。銃声よりも遥かに音の小さい2人の声が上の階に聞こえていないことを祈りながら、俺はため息をつく。

 

 そういえば、ナギアラントで転生者を倒したおかげで俺のレベルはもう41まで上がっているんだよな。転生者を狩ると普通の魔物よりもレベルが上がりやすいから、ポイントも短時間で大量に手に入る。仲間たちの分の武器も俺が生産して用意しなければならないから、かなりありがたい。

 

 今のところ8000ポイントも溜まっているから、ラウラとカノンが抱き締め合うのを止めるまでスキルや武器を生産して暇潰ししよう。

 

 まず、もうレベルは40を超えているので既に『所持可能弾薬数UP』というスキルはアンロックされている筈だ。このスキルは、俺の能力が用意してくれる弾薬の数を、最初に装填してある分と再装填(リロード)3回分から、最初に装填してある分と再装填(リロード)5回分に増やしてくれるという便利なスキルだ。消費した弾薬が補給されるのは12時間後であるため、こいつを装備すれば弾切れになる危険性が希釈される。銃を主に使うならば必需品だろう。

 

 他にも、スキルにはあらゆる毒を無効化するスキルや、剣による攻撃を強化するスキルなどが存在する。今のところこのスキルだけで問題はなさそうだ。

 

 スキルは5つまで装備する事ができるらしい。

 

 一番最初のスキルを生産して装備した俺は、未だに抱き合っている2人をちらりと見て苦笑しながら、今度は武器の生産のメニューを開き、新しい武器を生産することにした。

 

 個人的に作りたいものもあるし、ステラにも武器を作ってあげたい。

 

「ステラ、銃を使ってみる気はないか?」

 

「あの大きな音のする飛び道具の事ですか?」

 

「ああ。強いぞ?」

 

「興味深いです。どのようなものがあるのですか?」

 

 ステラが見やすいようにメニュー画面を開いたまましゃがみ、彼女に画面を見せる。ちなみにこのメニュー画面の文字は、目にした人物の母語に自動的に変換されるらしい。

 

「いろんな種類があるんだ。遠くから敵を狙えるような奴もあるし、連射できる奴もある」

 

「たくさん種類があるのですね。………では、ステラは連射が出来るものを見てみたいです」

 

 どうやらステラは連射が出来る武器を使ってみたいらしい。何を使うつもりなんだろうか? 小柄な彼女にはSMG(サブマシンガン)が似合うかもしれない。M10イングラムのような小型のSMGを2丁装備した彼女の姿を想像しながらメニュー画面を見つめていると、武器の項目をじっと見ていたステラが、コートの袖をぐいぐいと引っ張り始めた。

 

「ん?」

 

「タクヤ、このガトリングガンという武器は何ですか?」

 

「がっ、ガトリングガンッ!?」

 

 まさか、ガトリングガンを使うつもりなのか!?

 

 ガトリングガンの連射速度と破壊力は、LMG(ライトマシンガン)やアサルトライフルの集中砲火をはるかに上回る。だが、比較的小型のガトリングガンであるM134(ミニガン)でもLMG並みのサイズだし、反動が大き過ぎるためヘリや装甲車に搭載してぶっ放すような代物だ。いくらサキュバスの身体能力が高いとはいえ、こんな恐ろしい代物を使いこなせるわけがない。

 

 顔を青くしながら「ステラ、冗談だよな?」と問いかけたけど、彼女は無表情のまま首を横に振った。

 

 勝手に画面をタッチし、ガトリングガンのメニューを開くステラ。ずらりと縦にあらゆるガトリングガンの名前が表示され、名前の脇にある枠には武器の画像と攻撃力や連射速度などのパラメータが表示される。

 

「ガトリングガンとはどのような武器なのですか?」

 

「えっと、他の連射できる銃よりも凄まじい速度で弾丸を連射できる武器なんだ。でも、大きい武器だよ?」

 

「問題ありません。ステラはもうグラシャラボラスという巨大な武器を使って戦っています」

 

 確かに彼女は、直径約2mの鉄球を使いこなしているからな。もしかしたらガトリングガンも使いこなす事ができるかもしれない。

 

 画像を見ながら下の方にある武器の名前を見ていたステラが、画面に触れていた指を止めた。どうやら気に入ったガトリングガンがあったらしい。

 

「――――――タクヤ、ステラはこれが気に入りました」

 

「ん? ――――――――はぁっ!?」

 

 ステラが気に入ったと言い出したガトリングガンの画像と名前を目にした瞬間、俺は目を見開いてしまった。

 

 彼女が選んだガトリングガンは、なんとGSh-6-30というロシア製のガトリング砲だったのだ。約2mの巨大な砲身を持つ巨大なガトリング砲で、重量は一般的な重機関銃をはるかに上回る約150kg。更に使用する弾薬は30mm弾だ。

 

 ちなみに、俺とラウラが使っているアンチマテリアルライフルの弾薬のサイズは12.7mm。ステラが気に入ったと言ったこのガトリング砲の弾薬のサイズはアンチマテリアルライフル用の弾丸の倍以上で、破壊力も桁が違う。

 

 30mmの砲弾を超高速で連射するこのガトリング砲は、本来ならば戦闘機の機関砲や、空母や駆逐艦に搭載されているような代物だ。しかも戦闘機に搭載した場合、華奢な戦闘機ならばその連射した時の反動に耐え切れずに破損してしまうほどの凄まじい反動であるため、いくら身体能力が高いサキュバスでも使いこなすことは難しいだろう。

 

「す、ステラ。本当にこれがいいのか?」

 

「はい。ステラはこれがいいです」

 

「……わ、分かった」

 

 もしかしたら使いこなしてくれるかもしれないからな。

 

 生産に使うポイントは破格の1000ポイント。早くも手に入れたポイントの8分の1を消費した俺は、生産したばかりのGSh-6-30のカスタマイズを開始する。

 

 反動を小さくするために弾薬を小口径のものに変更しようかと思ったんだが、それではこの大型ガトリング砲を作った意味がない。弾薬のサイズは変更しないことにしよう。

 

 砲弾である30mm弾は巨大であるため、弾数は少なめになる。弾薬を見てみたが、こいつの弾薬はカスタマイズして増やしても200発が限界で、用意される弾薬もスキルに関係なく再装填(リロード)2回分しかないらしい。

 

 グリップとキャリングハンドルを装着し、200発入りの弾薬タンクを装着。接近戦になった場合のために、砲身の中央から伸びている突起物をランスのようなスパイクに変更しておく。これを使えば銃剣のように敵を突き刺す事ができるようになるだろう。

 

 カスタマイズを終えた俺は、一旦メニューを解いてから実際にこのガトリング砲を装備してみることにした。武器の装備のメニューを開いてガトリング砲をタッチすると、いきなり背中が地面に引っ張られるような感覚がして、後ろによろめいてしまう。

 

「お、重………ッ!?」

 

 大理石の床に落とさないように気を付けながらグリップを掴み、俺の背中に出現したガトリング砲を見つめて目を輝かせるステラに何とか手渡す。ぷるぷると震える俺の腕からGSh-6-30を受け取ったステラは、キャリングハンドルを握ってからグリップを掴むと、そのまま非常に長い砲身をまじまじと見つめる。

 

「重くないの………?」

 

「はい。グラシャラボラスの方が重いです」

 

 あの鉄球の方が重かったのか………。

 

 さすがにこのガトリングガンをこの地下室で試し撃ちするわけにはいかないので、試し撃ちは魔物に向かってやってもらう事にしよう。

 

 ステラに「試し撃ちはここではやるなよ?」と釘を刺しておき、俺も作ろうと思っていた武器を生産する事にする。

 

 今の手持ちのリボルバーには既にプファイファー・ツェリスカという強力な得物がある。親父がおすすめしていた強力なリボルバーだが、俺はもう少し小型のリボルバーを使いたい。

 

 前にリボルバーを見ていた時に興味深い代物があったことを思い出しながら画面を下へと進めていくと、俺が作ろうとしている得物の名前も並んでいた。

 

「こいつだ」

 

 俺が作ろうとしているのは、レ・マット・リボルバーというかなり旧式のリボルバーだった。

 

 アメリカの南北戦争で活躍したリボルバーで、木製のグリップと、オクタゴンバレルと呼ばれる銃身が特徴的な銃だ。コルト・シングルアクションアーミーと同じくシングルアクション式なんだが、リボルバーの中では珍しく弾数は9発となっている。

 

 でも、こいつは弾数よりも特徴的な機能を持っている。なんと、リボルバーでありながら1発だけ小口径の散弾を装填する事が可能なのだ。

 

 シリンダーの中央に1発だけ散弾を装填し、通常の銃身の下にあるもう一つの短めの銃身から発射する事ができる。そのため、弾数だけでなく火力も旧式のリボルバーの中では高い。

 

 だが、さすがにカスタマイズせずに使うわけにはいかない。カスタマイズをして近代化改修をする必要がある。

 

 レ・マット・リボルバーを2丁生産した俺は、早速近代化改修を開始することにした。まず、撃鉄(ハンマー)と弾薬を古めかしいパーカッション式から、主流となっているセンターファイア型に変更する。弾薬も42口径の弾丸から、強力な.44マグナム弾へと変更しておく。こんなカスタマイズをしたために撃鉄(ハンマー)の形状は大きく変わってしまい、何だががっちりした形状になっている。もちろん破損しないように、全体の強度を強化しておこう。再装填(リロード)の方式は中折れ(トップブレイク)式に変更し、フレームの追加と強度の強化で対処しておくことにする。そして特徴的な散弾は、旧式の散弾から小口径の410番の散弾へと変更し、カスタマイズを終えた。

 

 強度を強化するためにフレームを増やし、シリンダーと銃身も.44マグナム弾と410番の散弾に合わせて太くしたせいで、カスタマイズするよりもごつごつした形状の銃に変貌している。ホルスターの中に納まっている2丁のリボルバーを引き抜いた俺は、このレ・マット・リボルバーを興味深そうに見上げているステラに向かってにやりと笑うと、リボルバーをくるりと回してからホルスターの中へと戻した。

 

 旅に出る前から、早撃ちの訓練もやってたんだよね。だから、個人的にはハンドガンよりもリボルバーのほうが使い易いし、ダブルアクション式よりもシングルアクション式の方が良い。

 

 俺もこの射撃訓練場で試し撃ちをさせてもらおうかな。そう思いながらカノンに声をかけようとしたが、カノンは未だにラウラと抱き合いながら顔を真っ赤にしている。

 

「…………」

 

 無断で使うわけにもいかない。俺は呆れて苦笑いすると、ステラを見下ろしながら肩をすくめた。

 

 

 

 

 



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カレンたちが屋敷に戻ってくるとこうなる

 

 数日前までは暖かかった風がもう冷たくなり始めているのを感じながら、俺は車両の窓を開けて外に広がる草原を見据えていた。

 

 愛しい妻と結婚し、カノンという可愛らしい1人娘が生まれてからもう14年も経過する。かつて湿気に包まれた故郷で奴隷として働かされていた頃の俺では、異世界からやって来た奇妙な少年たちに救出され、彼らと共に世界最強の傭兵ギルドの1人として激戦を何度も経験し、そしてかつては憎んでいた人間の貴族の少女と結ばれるとは思わないだろう。間違いなく、俺のようにこんな数奇な運命を経験した同胞はいない筈だ。

 

 中には、俺の事を「貴族に屈したハーフエルフの恥さらし」と蔑む奴もいる。俺もかつては人間の貴族を毛嫌いしていたから、貴族と結ばれた同胞をそう言う奴の気持ちはよく分かる。

 

 だが、俺の妻は貴族でありながら奴隷を解放しようとしている強い女だ。奴隷が存在するのが当たり前なこの国に生まれた貴族たちからすれば、いきなり自分たちの隊列から離れて剣を抜き、襲い掛かって来る雑兵の1人にしか過ぎないだろう。

 

 しかし、そのたった1人の雑兵は、俺たちのように虐げられてきた者たちからすれば英雄に等しい。

 

 最初は、どうせこの女も俺の事を汚らしいハーフエルフだと思っているんだろうと決めつけていた。この世界の奴隷の人口で最も多いのはハーフエルフと言われているし、仕事で貴族の屋敷を訪れれば、身体中に痣が浮かび上がった痛々しい同胞たちの姿を何度も目にする。だから彼女も同じような貴族だと考えていた。

 

 だが、カレンは仲間だけでなく、俺と妹を見捨てなかった。自分が統治する領地で生きている大切な民だからと、奴隷だった俺たちまで受け入れてくれたんだ。

 

 あの時、俺は俺たちを救ってくれた傭兵と、この貴族の少女について行こうと思った。長年虐げられ続けた俺たちを受け入れてくれる貴族が存在しているという事実は、あの時からずっと各地の奴隷たちを救い続けている。

 

 もちろん彼女にばかり任せるわけにはいかない。ハーフエルフである俺が彼女の右腕として活躍すれば、世界中の人々がハーフエルフを見直してくれるだろう。

 

 長い間政治の面や戦場で戦い続けたせいで、浅黒い俺の両手はすっかり傷だらけになっていた。剣で切り裂かれた傷痕もあるし、矢に貫かれた痕もある。しかも俺の左目は、若い頃の激戦で失ってしまっているため、今では義眼を移植し、眼帯で覆って生活している。

 

 そのせいで、初対面の人達からは俺がどんな格好で彼らの元を訪れても、盗賊団のリーダーやギャングだと勘違いされてしまう。普通に用件を話しているだけで相手はぶるぶると震えだしてしまうため、まるで恐喝しているような気分になってしまうんだ。何とかしたいんだが、この無数の傷は一生消えないだろうし、今更筋肉だらけのこの身体も元には戻らないだろう。

 

「カノンの奴、大丈夫かな?」

 

「心配し過ぎよ、ギュンター」

 

 冷たくなり始めた風の中でつぶやいた俺にそう言い返して来たのは、車両の向かいの席で考え事をしながら微動だにしなかった俺の妻だった。

 

 王都の議会で話し合われた、東の島国に艦隊を派遣するという提案について考えているのだろう。以前から断片的に流れてくる情報によれば、東に広がる海を越えた向こうに、ダンジョンに指定されている海域に囲まれた島国が存在するという。ダンジョンのせいで長年列強国が小競り合いを続ける世界から隔離されていたその島国との技術の差はあまりにも大きく、このオルトバルカ王国や同盟国では列車が走っているというのに、その島国では未だに馬車での移動が主流らしい。

 

 種族は全て人間の東洋人だけで構成されているらしく、サムライと呼ばれる刀の使い手たちがその国を守っているという。

 

 その国を開国させ、同盟を結ぶというのがシャルロット女王の考えらしいが、他の貴族共は技術や戦力のレベルが遥かに格下だと知ると、早くも搾取する事ばかりを考え始めていた。私腹を肥やす事ばかり考える老害共と討論するのは、きっとカレンもうんざりしている筈だ。

 

 今の考え事もそれについて考えていたに違いない。屋敷に戻るまでの間くらいは家族の話でもして休んでもらおうと思った俺は、唇を尖らせながら座席に背中を押し付けた。

 

「だって、屋敷には使用人が今日は数人しかいないんだぜ? しかも俺たちまで留守だし、カノンはまだ14歳だぞ? 若旦那やラウラちゃんみたいにさらわれたらどうする?」

 

「救出するわ。それ以前に、カノンは私たちから訓練を受けているのよ?」

 

 すぐにそう返してくるカレンだが、少しだけ誇らしげにしているような気がした。自分の技術や思想を受け継いでくれる立派な愛娘の話になると、いつも彼女はこのように微笑むんだ。

 

 確かに、まだ幼いのならばさらわれる心配はあるが、もうカノンは14歳だ。俺たちから戦い方は学んでいるし、銃の扱い方もマスターしている。侵入者が屋敷の中に入り込んできたところで、すぐに気絶させてしまう事だろう。

 

 幼かった頃の愛娘を連れて王都まで出かけた時の事を思い出していると、向かいの席で外を眺めていたカレンが、唐突にこっちを振り向いた。

 

「そういえば、力也からの紹介状は読んだわよね?」

 

「おう。若旦那たちがエイナ・ドルレアンまで来るんだろ?」

 

 若旦那というのは、タクヤの事だ。彼の親父である力也は旦那と呼んでいる。旦那の息子でまだ若いから若旦那というニックネームを勝手につけさせてもらってるんだが、もし旦那の孫が生まれたら何と呼べばいいんだろうか? 

 

「2人とも、きっと立派になってるわよ」

 

「そうだろうな」

 

 立派になっているに違いない。

 

 かつて俺の故郷を転生者から救ってくれた、あの最強の傭兵の子供たちなんだから――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 カノンがラウラから離れるまでステラと2人で雑談し、ついでにステラに魔力(ごはん)をあげてから数分経って、やっと俺たちは地下室を後にした。再びカノンの部屋に案内され、紅茶を飲みながら両手を動かして先ほどよりも力が入っていることを確認してから、皿の上のクッキーに手を伸ばし、隣で一心不乱にクッキーを齧り続けるステラを凝視して手を引っ込める。

 

 彼女の好物を奪うわけにはいかない。紳士的な理由を付けてクッキーから手を引いた俺は、普通の食べ物を口にする必要はないと公言していた筈のステラの頭を優しく撫でると、ティーカップを拾い上げた。

 

「このクッキー、美味しいです」

 

「あら、気に入りましたの? もっとたくさん作っておけばよかったですわね」

 

「ん? これって手作りだったのか?」

 

「ええ。お母様に教わりましたのよ」

 

 てっきり屋敷で雇っている料理人の人達が作ったのかと思ったぞ。そういえばカレンさんは前に王都に来た時に、母さんから料理を教えてもらっていたからな。元々料理は上手だったらしいけど。

 

 ちなみに、俺も料理は得意だ。前世の親父があんなクソ野郎だったせいで家事は殆ど俺がやっていたから、料理どころか家事は殆ど慣れている。

 

「ふにゅう………。すごいよ、カノンちゃん。私はこんな美味しいクッキー作れないよぉ………」

 

「あらあら。美味しい料理を作れるようになれば、お兄様もきっと喜んでくださいますわよ?」

 

「ふにゅ……」

 

 片っ端からステラの手に連れ去られて数が減っていくクッキーを見下ろしてから、ちらりと俺の方を見るラウラ。彼女の炎のように赤い瞳と目が合った瞬間、ラウラは頬を赤くしながら目を逸らしてしまう。

 

 実は、ラウラは料理がかなり下手なのだ。

 

 7歳の時、ラウラはエリスさんと一緒にホットケーキを焼いてくれたことがあった。あの日は親父と母さんも仕事が休みだったから、みんなでラウラの料理の恐ろしさを知る羽目になったんだ。

 

 最愛の愛娘が母親と一緒に頑張ってホットケーキを作ると言い出したので、エリスさんと一緒だと知った親父はひっそりと回復用のエリクサーを2箱ほど近所の売店で購入してから俺たちに配り、微笑みながらラウラが料理をするのを見守っていた。

 

 ホットケーキを焼いているならばバターの良い匂いがする筈なんだが、フライパンの出番がやって来てからキッチンの方から漂ってきたのは、まるで汚水の中に生ごみをどっさりと放り込んだような悪臭だった。親父は鼻をつまみながら端末を取り出してガスマスクを生産して配ってくれたんだが、ガスマスクを付けても悪臭は消えなかった。

 

 そして、ラウラがにこにこと笑いながら運んできたホットケーキを見た瞬間、親父はガスマスクをかぶったまま、皿の上に乗っている凄まじい外見のホットケーキを凝視していた。

 

 皿の上に乗っていたのは、紫色のホットケーキだったんだ。上に乗っている溶けかけのバターは何故かピンク色で、まるで酸で溶かされたかのように泡を立てながら溶け始めていた。生地の表面にかけられている血のように紅い液体は、きっとメープルシロップだったんだろう。

 

 親父が恐る恐るフォークでバターをつついたんだが、バターに触れた瞬間にどろりと溶けてしまったフォークを目にした親父は、ガスマスクをかぶりながら涙目になって俺の方をじっと見つめてきた。

 

 自分の愛娘が、人生で初めて料理を作ってくれたのだ。フォークを溶かしてしまうほどの恐ろしい料理でも、娘を悲しませるわけにはいかない。親父は頷いてからガスマスクをとると、紅いメープルシロップが生み出す毒ガスのような気体を吸い込んで何度も咽ながら、なんと自分と俺の分と母さんの分を完食し、大喜びするラウラに「おかわりをくれないか?」と言って、なんと彼女の料理を全て完食したんだ。

 

 その日の夜から親父は2日間の間、意識を失ってしまう羽目になったが、俺はあの時から更に親父を尊敬するようになった。

 

 そして、ラウラには絶対に料理をさせるべきではないという事も理解した。彼女に料理をさせたらパーティーが壊滅してしまう。

 

 回復用のエリクサーを何本も飲んで咳き込みながら、愛娘のためにと料理を完食した親父の姿を思い出していると、屋敷の玄関の方で呼び鈴が鳴ったのが聞こえた。ドアの向こうでは雇われているメイドや使用人の人達が、玄関の方へと向かっているようだ。

 

 お客さんだろうか? 

 

 ドルレアン家は南方のドルレアン領を統治する領主の屋敷だ。カレンさんやギュンターさんの友人が訪れてくることもあるだろうし、仕事のために訪れるお客さんもいる事だろう。だが、その呼び鈴と使用人たちの足音を聞いて立ち上がったカノンは、呼び鈴を鳴らした張本人が前者でも後者でもないことを理解したようだ。

 

「お父様とお母様ですわ」

 

「戻ってきたのか」

 

 カレン・ディーア・レ・ドルレアンとギュンター・ドルレアン。2人ともモリガンのメンバーであり、カノンの両親だ。

 

 王都から帰ってきたんだろう。2人とも奴隷制度を廃止するために庶民や労働者を味方につけ、貴族などの権力者と王都の議会で戦い続けている。

 

 俺たちも出迎えに行った方が良いだろう。親父が紹介状を送ったのはカレンさんだし、俺たちもカレンさんと話をするためにドルレアン邸を訪れているのだから。

 

 ソファから立ち上がり、メニュー画面を開く。目立たない内ポケットの中のMP412REXとナイフは解除しないが、それ以外の装備は解除しておこう。

 

 部屋のドアを開け、1階にある広間へと向かってみんなで階段を下りて行く。既に使用人やメイドたちが整列し、玄関の大きなドアを開けて屋敷の中へと戻ってきた自分たちの主人を出迎えているところだった。

 

 整列する使用人たちの奥にある玄関から歩いてきたのは、豪華な紅いドレスに身を包んだ金髪の女性と、漆黒のスーツとシルクハットを身に着けた、紳士の格好が全然似合わないがっちりした大男だ。

 

 女性の顔つきはカノンにそっくりだった。ややつり上がった蒼い瞳は娘であるカノンと全く同じだが、当然ながら彼女よりも遥かに大人びていて、議会で権力者たちを相手に何度も議論を続けてきたという威厳を纏っている。他の貴族に蔑まれても動じないほどの凛とした雰囲気は、まさに女傑と例えるべきだろう。

 

 その女性の隣を歩いているのは、隣を歩く妻とは対照的に荒々しい雰囲気を放つ男性だった。がっちりした身体にはいくつも傷痕が残っていて、左目に着けている黒い眼帯のせいで盗賊団のリーダーのように見えてしまう。そんな荒々しい姿をしているせいなのか、身に着けているスーツは全く似合っていない。

 

「お帰りなさいませ、お父様っ! お母様っ!」

 

 階段を駆け下りながら帰ってきた両親の元へと走っていくカノン。左右に整列するメイドと使用人たちは、両親を出迎えるお嬢様の姿を微笑みながら見守っている。

 

「ただいま、カノン」

 

「ガッハッハッハッ! 今帰ったぞ、カノン!」

 

 駆け寄ってきた愛娘を傷だらけの剛腕で抱きしめたのは、父親のギュンターさんだった。カレンさんは父親に抱き締められるカノンを微笑みながら見守っていたが、階段の近くで待っていた俺たちに気付くと、「あら?」と言ってからこっちへとやって来た。

 

「お久しぶりです、カレンさん」

 

「久しぶりね、タクヤ君。紹介状の件でしょ?」

 

「はい」

 

 紹介状は送ってもらっているんだが、どんな内容なのかは親父から教えてもらっていない。エイナ・ドルレアンにいるカレンと信也叔父さんが力になってくれる筈だから、その2人に会えと言われただけだ。

 

 どんな内容だったのか予測していると、カレンさんは俺の顔をまじまじと見つめ始めた。

 

「本当にエミリアにそっくりなのねぇ………。彼女が若返ったのかと思ったわ」

 

「よ、よく言われるんです………」

 

 母さんと俺の見分け方は、キメラの特徴である角と尻尾を隠した状態では胸の大きさと瞳の色くらいしかないらしい。それほど似ているんだろうか。

 

 家にいた頃に何度か洗面所の鏡の前で並んで立ったことがあったけど、本当に俺と母さんはそっくりだった。母さんがもう少し若ければ、双子の姉弟と勘違いされてしまうかもしれない。

 

「でも、雰囲気は力也にそっくりね」

 

「親父にですか?」

 

「ええ。なんだか無茶しそう」

 

 無茶をするのは親父の悪い癖だったらしい。何度も母さんとエリスさんを心配させた悪い癖だが、俺にもその悪い癖は遺伝しているんだろうか?

 

「とりあえず、応接室で待ってて。すぐに行くわ」

 

 カレンさんはそう言うと、カノンをまだ抱き締めていたギュンターさんのスーツを引っ張って階段を上がり始めた。

 

 

 

 



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タクヤが報酬を受け取るとこうなる

 

 分厚い本と書類の束がずらりと並ぶカレンさんの部屋は、しっかりと整理整頓されていた。怠惰と無数の書類の物量が押し寄せてきても、いつも仕事が終わった後はしっかりと片付けているのだろう。書類はちゃんとまとめてあるし、机の上に並ぶ判子や羽ペンもちゃんとケースの中にきれいに並べられている。本棚に並んでいるのは辞書や政治学についての教本ばかりで、カノンの部屋のようにマンガやエロ本が混じっているようなことはない。

 

 プライベートでも仕事をしているのではないかと思ってしまうほど殺風景で、堅苦しい分厚い本に囲まれた部屋だけど、休日ではここでカレンさんとギュンターさんが過ごしているとは思えない。

 

「無事に冒険者になったみたいね。おめでとう」

 

 俺たちを部屋に招いたカレンさんは、俺とラウラとステラの3人の顔を眺めて微笑みながらそう言った。紹介状が書かれたのは俺とラウラが王都から出発する前だったようだから、ステラの事について書かれている筈はない。

 

 きっとカレンさんは、ステラは道中で一緒になった仲間だと思っているんだろう。まだこの人には、ステラがサキュバスだという事は明かしていない。

 

 仮に明かしたとしても、彼女はステラを拒むようなことはしないだろう。カレンさんの宿願は奴隷制度の廃止と、種族が差別されずに生活できる世界を作る事。それに、彼女は元々は奴隷だったギュンターさんと結婚し、カノンという愛娘を生んでいる。

 

 明かしておいた方が良いだろうか?

 

「えへへっ。ありがとうございます、カレンさん」

 

「ふふっ。………それにしても、2人とも大きくなったわね。ラウラはエリスさんに似たのかしら?」

 

「確かに、雰囲気が似てるよな」

 

 頭にかぶっていたシルクハットを傍らに置き、ソファに座りながらギュンターさんが言う。普段のラウラは確かにエリスさんに雰囲気は似ているんだけど、戦闘になると親父のように猛烈な威圧感を放つようになる。二重人格というわけではないんだが、戦闘中のラウラがいつも甘えてくる甘えん坊の姉とは思えない。

 

「転生者はもう倒したみたいだし」

 

「………それも、紹介状に?」

 

「ええ。ちゃんと書いてあるわよ。予想以上だってね」

 

 そんなことまで紹介状に書いてやがったのか。てっきり俺たちがエイナ・ドルレアンに到着したら何か力を貸してやってくれという事を書いているのかと思っていたが、そんなことまで書きやがって。

 

 だが、モリガンのメンバーたちからすれば、転生者を撃破することは当たり前なのだろう。全盛期の頃のモリガンは、メンバー1人分の戦力は騎士団の一個大隊並みだと言われていたほどだ。だからカレンさんたちからすれば、転生者を撃破するのはまだ序の口だという事になる。

 

「そういえば、そのコートは力也のやつでしょ?」

 

「あ、はい。フィオナちゃんが冒険者用に改造してくれたんです」

 

「へえ。旦那の血まみれのコートは、息子に引き継がれて更に血まみれになるってわけだな?」

 

 禍々しいコートだなぁ………。

 

「何言ってるのよ、馬鹿。――――――でも、似合ってるわよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 親父の息子である俺がこのコートを受け継いだんだから、もしかすると俺の息子もこのコートを受け継ぐことになるかもしれないな。もし子供がいたら、俺たちみたいに冒険者になるんだろうか?

 

 母親は誰になるんだろうかと考えた瞬間、俺は思わずちらりとラウラの方を見てしまった。

 

 落ち着け。ラウラは腹違いとはいえ実の姉だぞ。

 

「ところで、今後の予定はどうするのかしら?」

 

「えっと、もう少しここに滞在してから国外のダンジョンの調査でもしてみようと思ってます。詳細は仲間たちと後日話し合いますが」

 

「国外ね………。気を付けるのよ? 最近のオルトバルカ王国は、隣国のラトーニウス王国との関係が徐々に悪化しているし、ヴリシア帝国とも睨み合いが始まっているから…………」

 

 隣国のラトーニウス王国は、母さんとエリスさんの出身地だ。オルトバルカ王国よりも小さな国土を持つ国で、魔術の発展では隣国に先を越されてしまっているため、現在では他国から技術を盗みつつ、相変わらず剣術に力を入れて騎士団の増強を続けているらしい。

 

 ちなみに俺たちが生まれる前に一度だけネイリンゲンに侵攻したことがあったらしいんだが、親父たちの活躍で侵攻部隊の隊長だったジョシュアという男が戦死し、部隊もそのまま壊滅している。その後のラトーニウス王国は、侵攻は国の判断ではなくジョシュアの独断であると言い放って知らんぷりをしていたそうだ。

 

 モリガンに何度も痛い目に遭わされてきた国だからなのか、モリガンへの憎しみは強いらしい。

 

 いずれはラトーニウスのダンジョンにも行こうと思ってたんだけどなぁ………。俺とラウラは東洋人とラトーニウス人の混血だから誤魔化せるかもしれないと思ったんだが、よく考えれば俺は母さんに似ているから、入国したら騎士団を離反した母さんだと勘違いされる羽目になるかもしれない。

 

「とりあえず、許可証を発行する準備をしておくわ。騎士団に見せればどこでも通してくれる筈だし、貴族しか立ち入る事ができない場所にも入れるようになるわよ」

 

「ありがとうございます! 助かります!」

 

「ふふっ。ただし、有効なのはドルレアン領内だけだからね? 他の領地で見せても意味はないから、ドルレアン領を出る時はちゃんと破棄する事。分かった?」

 

「はい」

 

「はーいっ!」

 

 領主の許可証か。確かに助かるぞ。

 

 騎士団に見せれば一般の冒険者でも立ち入る事ができないような場所に入ることも出来るようになるだろうし、貴族しか入れないような場所でも通してもらえるはずだ。冒険がしやすくなるから、許可証を用意してもらえるのはありがたい。

 

「そういえば、信也くんの家にも紹介状が行ってるんでしょう?」

 

「はい。叔父さんの所にも立ち寄る予定です」

 

 その前に、管理局の施設にレポートを提出して報酬を貰わなければならない。危険度の低いダンジョンだったから報酬は安いかもしれないが、宿泊費やアイテム台の足しには十分だろう。

 

 統治する領内だけとはいえ、領主の後ろ盾を得られるのは大き過ぎるメリットだ。両親の人脈に感謝しながら、俺とラウラはカレンさんたちに力を貸してもらう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 許可証の発行には少し手続きが必要らしく、すぐに発行できるようなものではないらしい。それにまだ信也叔父さんの家を訪ねていないし、管理局から報酬も受け取っていないので、今のところはしばらくエイナ・ドルレアンに滞在する予定になっている。

 

 エイナ・ドルレアンは治安がいいし、奴隷制度も領内のみだが禁止されているので、平和な街だ。それに南方で一番大きな都市でもあるので、大通りに行けば様々な物を販売している露店や店がある。暇潰しにはもってこいだ。

 

 カレンさんたちにお礼を言ってからドルレアン邸を後にした俺たちは、何故かカノンまで連れて4人で屋敷の前に広がる広場の花壇の前で待機していた。この広場で別行動をしていたナタリアと合流することになっている。

 

「ふにゃー…………」

 

「お姉様……幸せそうですわぁ………やっぱり、お姉様は可愛らしいですわ………!」

 

 待ち時間に退屈そうにちょっかいをかけてきたので、反撃という事でラウラの頭をベレー帽の上からひたすら撫で続けたり、頬を撫で回したりしているんだが、幸せそうにしている彼女の傍らでは、カノンが自分のハンカチで鼻血を拭き取りながら、ラウラの顔を見て彼女まで幸せそうにしている。

 

 南方の都市とはいえ、ここは北国だ。暖かかった風もいつの間にか冷たくなり始めている。

 

「あ、タクヤー!」

 

 ラウラの頭を撫でながら広場で待っていると、反対側の入口の方で金髪の少女が手を振っているのが見えた。自宅で髪型を変えたのか、髪型はロングヘア―からツインテールに変わっていたけど、強気そうな雰囲気と笑顔は変わっていない。

 

「おう、ナタリア」

 

「おかえりっ!」

 

「ただいまー。どうだった? 力を貸してもらえるって?」

 

「ああ。許可証を発行してくれるらしい。いろんな場所に入れるようになるぞ」

 

「本当!?」

 

「おう。領内限定だがな」

 

 ダンジョンの調査が仕事の冒険者にはありがたい助力だ。

 

「ところで、その女の子は? 知り合い?」

 

「えっと、彼女は領主の娘のカノン。俺たちの妹分だ」

 

 俺が紹介すると、カノンは鼻血を拭き取ったハンカチを素早くポケットの中に放り込み、いつものしっかりしたお嬢様のような雰囲気を一瞬で纏ってから、スカートの裾をつまんでぺこりと頭を下げた。やはり幼少の頃から母親から教育されているらしく、まさに立派な貴族のお嬢様のお辞儀だった。何度も貴族たちの前で披露してきたのだろう。

 

「初めまして。カノン・セラス・レ・ドルレアンですわ。お見知りおきを」

 

「は、初めまして………。ナタリア・ブラスベルグよ」

 

 領主の娘に自己紹介されて緊張しているのか、いつも強気な彼女の言葉はぎこちないような気がした。

 

「とりあえず、レポートを提出してから叔父さんの家に行きたいんだが、いいか?」

 

「ええ、わたくしは構いませんわ」

 

「うんっ!」

 

 いつまでもレポートを提出せずに持っているわけにはいかないからな。早く提出して報酬を受け取らないと、提出し忘れてしまうかもしれない。

 

 基本的に冒険者の収入で一番大きいのはレポートを提出して受け取る報酬だ。ダンジョンの危険度にもよるが、魔物の素材を売るよりも遥かに報酬の方が高額であるため、実力のある冒険者はリスクは高いがダンジョンの調査を最優先する。

 

 フィエーニュの森は危険度の低いダンジョンだったが、トロールがいたという事もレポートには書いてあるし、証拠にトロールの骨も持って来てある。上手くいけば報酬が増額されるかもしれない。

 

 広場から管理局の施設まで歩き出そうとすると、すかさずラウラが俺の隣へとやってきて手を握った。最近はステラとよく手を繋いでいたから、こうやって手を繋ぎたかったんだろう。

 

 俺よりも少しだけ背の低い彼女を見てみると、ラウラはステラを見下ろしてから頬を膨らませ、上目遣いでじっと俺の事を見上げていた。

 

 たまには、お姉ちゃんも甘えさせてあげないとな。

 

 ラウラと手を繋いで歩きだした俺たちは、合流したナタリアを連れて管理局の施設を目指す。管理局の施設があるのはエイナ・ドルレアンの東側だ。西側には工業地帯が広がっているため、騎士団の拠点や冒険者管理局の施設などは西側に集中している。

 

 通りを走る馬車を利用しようかと思ったんだが、それほど施設が遠くにあるわけでもないし、財布の中の銀貨を節約したかったので、このまま歩くことにした。

 

「号外! 東のジャングオ民国、フランセン共和国に宣戦布告! ついに戦争が始まる!」

 

 新聞を販売している若い男性の声を聞いて、俺は顔をしかめてしまう。

 

 フランセン共和国は国土の大半が火山地帯になっている国で、かつてガルちゃんが封印されていた場所だ。最古の竜の伝説が残るその国と、東にある島国の近くに位置するジャングオ民国が、どうやらついに戦争をするらしい。

 

 基本的に戦争に駆り出されるのは王国の騎士団だが、近年はモリガン・カンパニーも戦力を増強しているため、万が一オルトバルカ王国が戦争を始めた場合はモリガン・カンパニーも協力するべきだと貴族たちに言われているらしい。

 

 親父はどうするつもりなんだろうか?

 

 顔をしかめたまま考え事をしているうちに、もう新聞を売っていた男性の声は聞こえなくなっていた。

 

 物騒な内容の新聞を販売していた男性の声の代わりに耳へと流れ込んできたのは、大通りの露店で買い物をする住民たちの大きな声だった。野菜を袋に入れてから銅貨を渡す客もいるし、値切ってもらおうとする客もいるようだ。

 

 管理局はその大通りを通らずに、右へと曲がった先にある。

 

 賑やかな大通りから目を逸らすように右へと曲がり、そのまま真っ直ぐ小さな通りを進む。馬車が走れないほど狭い小ぢんまりとした通りを抜けた先には、やはり目的地が鎮座していた。

 

 冒険者管理局の、エイナ・ドルレアン支部。漆黒のレンガで建てられているという点以外は騎士団の拠点と雰囲気は変わらない。手続きやレポートの提出のために訪れる冒険者たちと共に正門を潜り、入口のドアを開けて中へと入る。

 

 騒がしかった王都の管理局本部と比べると、エイナ・ドルレアンの支部は比較的優雅で、落ち着いていた。相変わらず大騒ぎする冒険者もいるし、仕留めた魔物の自慢をする奴もいるが、騒がしさは本部の3分の1くらいだろう。

 

「あ、そういえばステラも冒険者の手続きをやった方が良いんじゃない?」

 

「そうだな。確かにそっちの方が良い」

 

 冒険者の手続きを済ませておけば、管理局の施設を利用する事ができる。これから一緒に俺たちと一緒に旅をするのだから、手続きをしておいた方が良いだろう。

 

 幸いステラの容姿は幼い人間の少女と全く変わらない。魔力を吸収するための舌の刻印も、魔術だと言えば誤魔化せるだろう。

 

「はい、分かりました」

 

「えへへっ。ステラちゃんも冒険者だねっ」

 

 そう言いながらステラの頭を撫で回すラウラ。まるで姉妹のように見えるが、ラウラの性格が幼くて、ステラが逆に大人びているせいでアンバランスな姉妹になっている。

 

「ようこそ、エイナ・ドルレアン支部へ」

 

 窓口へと近付いて行くと、向こうで仕事をしていた女性が落ち着いた声で対応してくれた。

 

「どうも。レポートの提出に来ました。それと、彼女の手続きをお願いします」

 

「かしこまりました。では、手続きはあちらの窓口でどうぞ」

 

 対応してくれている金髪の女性の耳は人間よりも長い。エルフかと思ったが、エルフよりも更に長い上にやや上に向かって伸びているため、おそらくこの女性はハイエルフなんだろう。

 

 ハイエルフはエルフやハーフエルフの一種で、光属性の魔術の扱いに長ける種族だ。他の種族と比べて身体能力は低いものの、体内の魔力の量は他の種族と比べると非常に多い。また、鍛冶の技術はドワーフと肩を並べるほど高く、デリケートなレイピアや剣を作る技術は非常に高い。他のエルフたちと同様に頻繁に奴隷にされている種族でもあるが、エイナ・ドルレアンには奴隷制度は存在しないため、彼女のように就職して働くハイエルフも多いと聞く。

 

 余談だが、ドワーフはハイエルフとは逆に斧や大剣のような荒々しい武器の製造を得意とするらしい。

 

「おいで、ステラちゃん」

 

「はい、ナタリア」

 

 ハイエルフの女性に指示された窓口へと、ステラを連れて行くナタリア。2人が窓口へと向かっていくのを見送った俺は、早速コートのポケットの中に入っていた冒険者のバッジを提示し、女性に冒険者として登録されていることを確認してもらう。

 

 それからレポートの用紙を広げ、傍らにトロールの骨を置いた。

 

「ええと、この骨は?」

 

「トロールの骨です。フィエーニュの森で撃破しましたので、持ってきました」

 

「とっ、トロール!?」

 

 フィエーニュの森は、新人の冒険者にはもってこいのダンジョンだと言われるほど危険度が低い。主な魔物はハーピーやゴブリン程度で、危険度の高い魔物が現れたとしても稀にゴーレムが出現する程度だ。

 

 彼女はそんな簡単なダンジョンにトロールが生息していた事に驚いているのだろうか? それとも、冒険者になったばかりの俺のような子供が、危険度の高いダンジョンに生息している筈のトロールを撃破したことに驚いているのだろうか?

 

 冒険者のバッジには登録された日付が刻まれているし、一緒に刻まれている小さな魔法陣を照合することで持ち主を確認することも出来る。窓口の後ろの方にある装置でバッジをもう一度スキャンし、俺のレポート用紙を何度も確認した女性は、俺が置いたトロールの骨の破片を装置でスキャンすると、顔を青くしながら呟いた。

 

「し、信じられない………。一週間前に登録されたばかりの女の子が………!!」

 

 俺は男です。ちゃんと息子を搭載しています。

 

 すると、先ほどまで後ろの座席のほうで自慢話をしていた冒険者たちが、ざわつきながら俺たちの方をじろじろと見始めた。どうやらこの女性の呟いた声が聞こえていたらしい。

 

「嘘だろ……?」

 

「信じられん。あんな子がトロールを……?」

 

「俺でも倒したことなんてないぜ………? なんて奴だ………!」

 

「結構可愛いなぁ………。食事に誘ってみようかなぁ………」

 

 隣でラウラは胸を張りながらニヤニヤしているが、トロールを撃破したという話を初めて聞いたカノンは、他の冒険者たちと同じように目を見開いてぎょっとしている。

 

「と、とりあえず、報酬をお願いします」

 

「は、はいっ! 申し訳ありませんっ!」

 

 なぜか頭を下げてから、大慌てで窓口の奥へと早足で向かう女性。隣でニヤニヤする姉と、周囲でまだざわつく冒険者たちに囲まれながら気まずい状況で30秒ほど待っていると、奥の方から小さな袋を手にした女性がやっと戻ってきた。

 

「こちらが報酬ですね。銀貨40枚です」

 

「どうも」

 

 銀貨40枚か。報酬を受け取る前の所持金が銀貨10枚だったから、4倍に増えたというわけだな。

 

「では、頑張ってくださいね」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 女性に礼を言ってから窓口から離れた俺たちは、さすがにこっちをじろじろ見てくる冒険者たちの近くに座りたくはないので、ステラたちが手続きを終えるまで出口の近くで待つことにした。

 

 

 

 



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ノエルとの再会

 

「さすがお兄様とお姉様ですわ! トロールを登録から一週間足らずで撃破してしまうなんて!」

 

「お、おい、カノン………」

 

 彼女にはこのことをもっと早く話しておけばよかったと後悔しながら、トロールを撃破したという話を聞いて興奮するカノンを落ち着かせようとする。トロールを撃破したのは事実だが、あまり大声で話されると他の冒険者たちがじろじろ見てくるから恥ずかしい。

 

 それに、あの戦いはラウラの狙撃のおかげで勝利できたんだ。超遠距離から最初の一撃でラウラが正確にトロールのアキレス腱を狙撃してくれなければ、俺はあいつの顔面にロケットランチャーを叩き込むことは出来なかった。だから俺1人の戦果ではない。

 

「でも、本当にすごいわよ。あの武器があったとはいえ、登録したばかりの冒険者の動きじゃなかったし。この2人は本当にすごいわ」

 

 ナタリアならば一緒にカノンを落ち着かせてくれるだろうと思っていたんだが、しっかり者のナタリアは逆に胸を張りながら、カノンを更に興奮させるようなことを言いやがった。

 

「当たり前ですわ! お兄様とお姉様は、あのモリガンの傭兵たちのご子息なのですから!」

 

「お、落ち着けって!」

 

 頼むから大通りでそんなことを大声で言わないでくれ………。

 

 ナタリアの方をじっと見ていると、彼女はやっと俺が恥ずかしがっていることに気付いてくれたらしく、はっとしてから小さく頭を下げ、カノンと別の話を始めた。そのまま彼女が沈静化してくれることを祈りながら、次の目的地を確認する。

 

 次の目的地は、エイナ・ドルレアンの市街地にあるモリガンの本部。俺たちの叔父である信也叔父さんが住んでいる家でもある。

 

 かつてはネイリンゲンに本部があったモリガンだが、ネイリンゲンが転生者たちの攻撃によって壊滅し、今ではダンジョンと化してしまっているため、生き残った住民たちと共にエイナ・ドルレアンに本部を立て直して活動している。

 

 何度か親父と共に叔父さんの所に遊びに行ったこともあるから道は知っているつもりだったが、さすがに数年も経過すると都会の景色は変貌してしまう。ワイン倉庫の近くにあるパブは周囲の建物が大きくなっていく中で何とか生き残っていたけど、その向かいにあった筈の花屋は既に取り壊されてしまったらしく、アパートに変わってしまっている。

 

 前に叔父さんの家を訪れた時の事を思い出しながら、面影が残っている通りを進んでいく。工業地帯と居住区が隔離されているとはいえ、通りに連なる建物は徐々に伝統的な建築様式から産業革命の頃のイギリスのような建物へと変貌し始めていて、中世のヨーロッパのような建築様式の建物は駆逐されつつある。段々と勝手知ったる街ではなくなっていく事に不安になりながら、俺は仲間たちを連れて曲がり角を曲がり、水路の上にかけられた橋を渡った。

 

 モリガンの本部があるのは市街地で、近くには貴族の屋敷がある。貴族たちは大きくて派手な屋敷を建てようとする傾向があるんだけど、モリガンの屋敷は逆で、どちらかというと質素で小さな感じの屋敷になっている。他の屋敷が5階建てや6階建てになっているのに対して、モリガンの本部は3階建てなんだ。だからすぐに見分ける事ができる。

 

 いくら産業革命の影響で周囲の景色が変わっているとはいえ、その屋敷は変わっていない筈だ。

 

「タクヤ、見てください。ステラのバッジです」

 

「おお、似合ってるぞ。………ところで、冒険者になるには17歳以上じゃないと登録できない筈なんだが、大丈夫だったのか?」

 

「はい。ステラは今年で37歳ですので」

 

「そ、そうなのか………!?」

 

「サキュバスの寿命は人間よりも若干長いのです」

 

 見た目は12歳くらいなのに、もう37歳なのか………。

 

 ちなみに、17歳未満でも『冒険者見習い』として登録すれば、冒険者の資格を持つ人が同伴するならばダンジョンへの立ち入りが許可されている。資格を持つ冒険者が一緒ならば安心だし、早いうちにダンジョンの調査を経験することによって、冒険者見習いをふるいにかけることも出来る。魔物に立ち向かう事ができる勇敢な人材ならば問題ないが、魔物を目の当たりにして怖気づくならば諦めろという事なんだろう。

 

 冒険者見習いとして登録した者は、冒険者のような銀のバッジではなく銅のバッジを交付される。そして17歳になれば手続きを済ませてそのまま冒険者になることも出来るし、資格を返還して冒険者になるのを諦めることも出来る。

 

 しかし、いくら見習いとはいえ10歳以上でなければ見習いの資格は交付されない。さすがに小さい子供をダンジョンに放り込むのは危険過ぎるからな。

 

 ちなみに、カノンはもう既に冒険者見習いの資格を持っているため、俺たちと一緒ならばダンジョンに入る事ができる。

 

「ふにゅう………ノエルちゃん、元気かなぁ?」

 

「会うのは久しぶりだからなぁ」

 

 ノエル・ハヤカワは、俺たちの従妹だ。叔父であるシンヤ・ハヤカワと叔母のミラ・ハヤカワの娘で、種族は母親であるミラさんと同じくハーフエルフということになっている。非常に気が弱い女の子で、身内でもあまり会ったことのない人を目にすると怖がって両親の後ろに隠れてしまうほど内気な子だ。しかも4歳になってから身体が弱いという事が判明し、現在はベッドの上で生活している。

 

 最初の頃は俺たちや親父まで怖がっていたんだが、何度も会っているうちに怖がらなくなってくれた。今では俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれるし、ラウラの事は「お姉ちゃん」と呼んでいる。

 

 あいつは家の中で生活しているせいで外に出ることは全くないから、ダンジョンに行ったことを話せば喜んでくれることだろう。トロールの息子をいきなり吹っ飛ばした話はするつもりはないけどな。

 

 面影がかろうじて残っている通りを右へと曲がると、少しずつ周囲の建物が大きくなり始めた。建設途中のアパートではなく、広い庭と豪華な装飾のある貴族の屋敷だ。門の入口には私兵や騎士が立っていて警備をしている。

 

 そろそろモリガンの屋敷は近いだろう。

 

「あっ、見えたよ!」

 

 貴族の屋敷の群れの中に、見覚えのある小さな屋敷が見えた。

 

 他の豪華な屋敷と違って3階建てで、庭は広い。ブラウンのレンガで建てられているせいなのか、赤いレンガで造られている他の屋敷と比べると重々しく、質素な感じがしてしまう。

 

 その小さな屋敷も他の屋敷のように見張りを用意していたが、その屋敷を警備している守護者は、他の屋敷の警備兵と比べるとはるかに獰猛である上に無慈悲であることだろう。

 

 屋敷の周囲を奇妙な音を立てて飛び回る彼らは、人間ではない。円盤状のファンの下にLEDのついたセンサーを搭載したドローンで、そのセンサーの下には警備に使うには過剰で容赦がないとしか言いようがないほど恐ろしい武装が搭載されている。

 

 アンチマテリアルライフル並みの長い銃身とT字型のマズルブレーキを搭載した、ロシア製重機関銃のKordだ。俺とラウラのアンチマテリアルライフルと同じく12.7mm弾を連射する重機関銃で、人間の身体を容易く吹き飛ばしてしまうほどの破壊力がある。

 

 モリガンは世界最強の傭兵ギルドと言われているが、他のギルドと比べると非常の規模が小さい。メンバー全員が騎士団の一個大隊並みの戦力を持っているというのに、メンバーは全員で9人しかいないんだ。

 

 だから本部の警備をメンバーが担当するわけにはいかない。見張りのためにメンバーを残せば、重要な仕事で戦力がダウンしてしまうし、疲労も溜まってしまう。

 

 そこで、若き日の親父と信也叔父さんは、警備を武装したドローンに依存することにしたんだ。転生者や大型の魔物に通用するように大口径の武装を搭載したドローンを巡回させて警備させれば、仲間に警備を担当させる必要もない。

 

 メンバーたちがなかなか集まる事ができなくなったせいで更に人数が減ったモリガンだが、ドローンに警備を依存しているのは21年経過した今でも変わらないようだ。

 

 門の前へと向かうと、屋敷の周囲を飛び回っていたドローンの内の1機が高度を落とし、俺たちの目の前へと舞い降りてきた。センサーで俺たちをまじまじと見つめたそのドローンは、まるで屋敷の中に入ることを許可したかのように再び高度を上げると、屋敷の上空を旋回する仲間たちの所へと戻っていった。

 

「か、変わった門番ね………」

 

「ドローンって言うんだ。あれも異世界の兵器だよ」

 

 重機関銃を搭載したドローンに見つめられると緊張するなぁ………。

 

 同じように緊張して冷や汗を拭うナタリアにそう説明した俺は、静かに屋敷の門を開け、やけに広い庭へと足を踏み入れた。

 

 他の貴族の屋敷ならば噴水や花壇があるんだが、このモリガンの屋敷には何もない。広い庭の中に、ひたすら芝生が植えられているだけだ。訓練をするためなんだろうか?

 

 モリガンの特徴は、現代兵器だけでなくこの世界の武器も使用するという事だ。実際に親父は銃だけではなく剣や刀も使っていたし、母さんは銃を持っている相手だろうと大剣1本で瞬殺してしまうほどの実力を持っている。

 

 そのような武器を使う訓練も必要であるため、このように剣術の訓練ができるようなスペースを用意しているんだろう。

 

 玄関のドアの前まで到着した俺は、ちらりと仲間たちの方を見てからドアをノックすることにした。そっと左手を伸ばしたドアに近づけ、木製の厚みのあるドアをノックする。

 

(はーいっ!)

 

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、元気そうな女性の声だった。しばらくドアの前で待っていると、階段が近くにあるせいなのか、階段を駆け下りる音がドアの外まで聞こえてくる。

 

 ドアの前で待っていると、目の前のドアがゆっくりと開き始め、向こうから黒い制服に身を包んだ銀髪の女性が静かに顔を出した。セミロングの銀髪の左右からは白くて長い耳が突き出ているけど、彼女はエルフではなくハーフエルフである。

 

 その女性はドアの向こうから俺の顔を見上げると、にっこりと微笑みながらドアを一気に開け、にっこりと微笑んだ。

 

(あら、タクヤ君! 大きくなったのね!)

 

「お久しぶりです、ミラさん」

 

 彼女の名はミラ・ハヤカワ。信也叔父さんの妻で、カレンさんの夫であるギュンターさんの妹である。

 

 とても元気な女性なんだけど、彼女が話しているところを見るとどうしても違和感を感じてしまう事がある。

 

 言葉を発しているというのに、口が全く動いていないのだ。

 

 ミラさんはギュンターさんと同じように奴隷扱いされていた事があり、他の女性たちと一緒にある転生者に囚われていた。当時は気が弱かったミラさんは泣きながら何度も兄であるギュンターさんに会いたいと転生者に懇願していたんだが、その転生者はなんとミラさんが二度と喋る事ができないように、彼女の喉を潰してしまったらしい。

 

 だからミラさんはもう二度と言葉を発することは出来ない。食事をする時以外は、基本的に口を開くことはないだろう。

 

 でも、今のように声を発する事ができるのは、彼女が希少な『音響魔術』をマスターし、それを応用して声を失う前の自分の肉声を再現しているからだという。

 

 音響魔術は、エルフたちが考案した魔術の1つだ。あらゆる音波を自由に操る事ができる魔術であり、どの属性の魔術にも分類されない特殊な術だ。現在では廃れてしまっているため、この魔術を使いこなす事が出来るものは数人しかいないらしい。

 

 だから彼女の喉には、まだ喉を潰された時の古傷が残っている。二度と声を出す事ができなくされてしまっても、ミラさんはモリガンのメンバーの1人として戦い、こうして信也叔父さんと結婚し、ここで幸せな生活を送っている。

 

 基本的にハーフエルフは肌が浅黒い人が多いと言われているんだけど、ミラさんはエルフだった母親に似たのか肌が白く、よくエルフだと勘違いされるらしい。フードの付いた黒いチャイナドレスのような制服に身を包んだ彼女は、微笑んだま俺たちを屋敷の中へと招き入れてくれると、玄関のドアを閉めた。

 

「久しぶりです、ミラさんっ!」

 

(久しぶりね、ラウラちゃん。エリスさんにそっくりになってきたわね)

 

「えへへっ」

 

(後ろにいる子は仲間かしら?)

 

「はい。金髪の子はナタリアで、銀髪の子はステラです。みんな冒険者なんですよ」

 

(ふふふっ、可愛らしい仲間ね。私はミラ・ハヤカワよ。よろしく)

 

「よ、よろしくお願いしますっ」

 

「よろしくおねがいします」

 

 やはりモリガンのメンバーの前にいると緊張するのか、ナタリアの挨拶はいつもよりも堅いような気がした。

 

 モリガンのメンバーは世界最強の傭兵たちと言われているためなのか、有名だからなぁ………。

 

「ところでミラさん。親父からの紹介状は………?」

 

(ええ、届いてるわよ。でも、シンはまだ帰ってきてないのよねぇ………)

 

「仕事ですか?」

 

(そうよ。力也さんからの依頼なんだって)

 

 親父からの依頼? 何があったんだ?

 

 俺の親父はモリガンのメンバーの中でも最強と言われているリキヤ・ハヤカワだ。何かあったのならば自分で動けば容易く敵を蹂躙できるというのに、その親父が信也叔父さんに仕事を依頼しただって?

 

 何かあったんだろうか。

 

(ついて来て。ノエルったらタクヤ君たちが来るのを楽しみにしてたのよ?)

 

「はははっ、分かりました」

 

 小さい頃から、あいつの遊び相手は両親か俺たちかカノンだったからなぁ………。

 

 階段を上り始めたミラさんの後について行く。屋敷の中には絵画や彫刻はあまり置かれていなくて、一般的な家をそのまま広くしたような雰囲気だ。信也叔父さんはそういう美術品にあまり興味が無いらしい。

 

 階段を上り終えて3階の廊下を進み、ミラさんがドアをノックする。やはり前に訪れた時と全く屋敷の中は変わっていない。

 

(ノエル、お兄ちゃんたちが遊びに来たわよ)

 

「えっ、本当!?」

 

 ドアの向こうから聞こえたのは、ラウラと同じく雰囲気が幼い少女の声だった。彼女の声を聞いて安心したが、その後に聞こえてきた咳き込む声が安心に亀裂を生み出す。

 

 相変わらず、彼女の身体は弱いままのようだ。

 

 ミラさんがドアを開けた先に広がっていたのは、やはり俺たちの従妹の部屋だった。木製の床の上には桜色のカーペットが敷かれていて、白い壁紙が貼られた壁面には白黒の写真が何枚か額縁に入って飾られている。親族全員で撮った写真もあるし、ハロウィンの時の写真もある。

 

 部屋の中にはソファが置いてあるんだけど、この部屋の持ち主は基本的にベッドから出ることはないためあまり使われていない。まったく汚れていない赤いクッションが2つ置いてあるだけだ。

 

 窓の方には本棚があり、その中には様々なマンガが置かれている。部屋から出ることの少ない彼女にとっての娯楽なんだろう。

 

 その近くに鎮座しているのは、桜色の毛布が敷かれている大きなベッドだった。毛布の上には小さな人形やぬいぐるみがいくつも置かれている。ベッドの上にいる人形の群れに囲まれているのは、耳の長い黒髪の少女だった。

 

 瞳の色も黒く、まるで日本人の女の子のようだ。おそらく信也叔父さんに似たせいなんだろう。でも黒髪の中から伸びる長い耳は、ハーフエルフの証だ。

 

「久しぶり、ノエル」

 

「あっ、お兄ちゃんっ! ――――ゴホッ、ゴホッ」

 

 咳き込みながら微笑んでくれたノエルに向かって微笑むと、俺はドアを閉めてからベッドの近くへと向かって歩き出した。

 

 彼女は気が弱いから、初めて会うナタリアとステラの事を怖がってしまうかもしれない。でも、あの2人は怖い人じゃないし優しいから、きっとノエルの友達になってくれる筈だ。

 

 それに、ダンジョンに行った話もしてあげよう。外に出ることがないノエルは、きっと喜んでくれる筈だ―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 血の臭いは、今まで経験した戦いで何度も嗅いだ。

 

 モリガンの傭兵の戦いが終われば、戦場には火薬と血の混じった臭いしか残らない。21年前から、僕たちが戦えば敵が蹂躙されるという結果は何も変わっていない。

 

「………」

 

 兄さんから動き出した吸血鬼の先遣隊を撃滅してくれと依頼を受けた。吸血鬼とは21年前に戦った事があるけれど、あの時戦った吸血鬼が伝説のレリエル・クロフォードだったせいなのか、今回相手にすることになった吸血鬼たちはあまりにも弱く、戦闘は10秒も経たないうちに終わってしまった。

 

 弱過ぎる。これがあのレリエル・クロフォードの眷族だというのか?

 

 先遣隊などではないだろう。おそらく、差し向けられたこの吸血鬼たちは下っ端だ。主力の吸血鬼たちは、もっと手強いに違いない。

 

 空になったシャープス・ライフルに弾丸を装填した僕は、西部開拓の時代にアメリカで活躍したライフルを肩に担ぐと、ポケットの中から懐中時計を取り出して時刻を確認した。

 

 そろそろタクヤ君たちがエイナ・ドルレアンに到着する頃だろう。もう家にはついているんだろうか?

 

 僕もそろそろ帰ろう。吸血鬼たちが本格的に動き出して戦争になる前に、彼らに力を貸してあげなければならない。

 

 ライフルを背中に背負った僕は、踵を返し、血の臭いがする森の中を後にした。

 

 



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メサイアの天秤

 

 人形やぬいぐるみに囲まれながらベッドで横になる少女の微笑は、以前に出会った時と変わらない。元気そうに見えるけど弱々しく、ベッドで横になっているせいなのか痛々しく見えてしまう。俺たちに心配をかけないように笑ってくれているのだろうか?

 

 肌はミラさんと同様に白いけど、ベッドの毛布から覗く彼女の手はやや痩せ気味だ。ちらりと見えた彼女の手を見て目を細めた俺は、ベッドの傍らへと向かってしゃがみ込むと、桜色の毛布をかぶりながら出迎えてくれた従妹に微笑みかけ、彼女の頭の上に静かに手を置いた。

 

 ノエルの頭の上に手を置いてみると、いつも俺の手が予想以上に小さいことに気付く。前世の自分の身体よりも身長が低くすらりとした今の身体は、母さんに似ているせいで女だと勘違いされても確かに仕方がない。

 

「やあ、ノエル。久しぶりだね」

 

「うんっ。お兄ちゃん、立派になったね」

 

「ありがとう。ノエルも可愛くなったよ。………身体の調子はどう?」

 

 立って歩くことは出来るだろう。だが、身体が弱いせいで走り出せばすぐに意気が上がり、そのまま咳き込んだり吐血する可能性があるため、彼女はこうしてベッドの上で安静にするしかないのだ。だからノエルは、家の外に出たことは殆どない。他人を怖がってしまうほど気の弱い彼女にとっては最善なのかもしれないけど、ノエルはつまらなくないんだろうか?

 

 咳き込んでから「うん、元気だよ」と言うノエル。身体が頑丈と言われるハーフエルフの子供として生まれた彼女がなぜこのような体質なのかは、まだ不明だ。フィオナちゃんが検査したことがあるらしいんだが、原因は分かっていないという。

 

 黒髪の中から突き出たハーフエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながら喜ぶノエルの頭を撫でていると、今度はラウラもベッドの近くへとやって来た。

 

「えへへっ。ノエルちゃん、元気そうだね!」

 

「うんっ! お姉ちゃんも立派になったね。お兄ちゃんとは喧嘩してない?」

 

「うんっ。いつもラブラブだから大丈夫なのっ!」

 

「あははははっ。2人とも仲が良いもんね」

 

 仲は良いんだけど、もうキスしてるんだよな………。

 

 彼女にダンジョンの土産話を聞かせてあげたいところだが、その前に仲間を紹介しなければならない。ちらりとドアの近くで待っているナタリアたちの方を見ると、ノエルは彼女たちに気付いたらしく、ぴくりと身体を振るわせ、先ほどまでぴくぴくと動かしていた長い耳の動きを止めながら、そっと俺の陰に隠れようとする。

 

 相変わらずノエルは気が弱いんだな。

 

「大丈夫だよ。俺たちの仲間だ。怖くないから」

 

「ほ、本当………?」

 

「ああ。みんな優しいよ」

 

 ナタリアはしっかり者だし、ステラは無表情だけど仲間想いだ。

 

 ドアの近くで待っている3人を手招きすると、ノエルに何度も会っているカノンはすぐにベッドの近くへとやって来た。初対面のナタリアとステラは、ちらりと俺の方を見てから気まずそうにやってくる。

 

「初めまして、ノエルちゃん。私はナタリア・ブラスベルグよ。よろしくね」

 

「初めまして。ステラ・クセルクセスです」

 

「は、は、初めまして………」

 

「ノエル。ナタリアの種族は人間なんだけど、ステラの種族は何だと思う?」

 

 ステラはエルフのように長い耳を持っているわけでもないし、キメラのように尻尾が生えているわけでもない。見た目は普通の人間の女の子にしか見えないだろう。

 

 いきなりそんな質問をされたノエルは、「え?」と首を傾げながらステラを凝視する。隣に立つナタリアがじっと俺を見下ろしてくるけど、ステラの正体がサキュバスだという事を知っても、ノエルはきっと拒まないだろう。むしろ喜ぶかもしれない。

 

 外に出る事ができないノエルは、今までずっと本を読むか、ベッドで眠るか、人形たちと遊んで暮らして来た筈だ。だからサキュバスが絶滅しているという話も知っている。

 

 もしその本に書かれていた話が間違っていたと知れば、本物のサキュバスに出会う事ができた彼女は大喜びするに違いない。

 

「えー? わかんないよぉ………」

 

「じゃあ、正解を教えてあげる。正解は―――――――なんとサキュバスなんだ」

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 やはりびっくりしているようだ。ドアの近くで俺たちを見守っていたミラさんも、目を見開いて呆然としながらステラの後姿を見下ろしている。彼女もステラを人間だと思っていたんだろう。

 

 ステラは驚かずに、無表情のままぺこりと頭を下げた。

 

「ほ、本物………?」

 

「はい。ステラはサキュバスです」

 

 小さな唇から舌を伸ばし、舌に刻まれている刻印をノエルに見せるステラ。自分の舌を指差した彼女は舌を引っ込めると、「ここから魔力を吸収します」と説明し、くるりと俺の方を向いた。

 

 なぜ俺の方を向いたのかと思った直後、ステラの毛先が桜色になっている特徴的な銀髪が伸び始め、俺の身体に巻き付き始めた。呆然としながらこっちを見ているノエルを見たステラは、髪で捕まえた俺の身体を引き寄せながら「小腹がすいたので実演します」と言うと、一気に俺を引き寄せてから、従妹の目の前で俺の唇を奪いやがった。

 

「はむっ」

 

「んっ!? ………んっ……ん……………!」

 

 刻印が刻まれたステラの小さな舌に絡みつかれながら、俺は顔を真っ赤にして角を伸ばしてしまっていた。ラウラやナタリアの目の前で何度も魔力は吸われたんだが、ノエルとカノンの目の前でステラに魔力(ご飯)をあげるのは初めてだし、しかもミラさんまで見ている。

 

「お、お兄ちゃん!?」

 

「おっ、お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 いきなり幼女にキスをされて驚愕するノエルとカノン。ノエルは驚いているだけのようだが、カノンは何故か顔を真っ赤にしている。

 

 ステラの小さな舌に絡みつかれ、小腹がすいたという割には魔力を予想以上に吸い取られてから、やっと舌を離してもらった。ステラはうっとりしたような表情で口元の唾液を舐め取りながら、お腹を両手でさすっている。

 

 ふらつきながらなんとかしゃがみ込んだ俺は、ベッドに掴まりながら何とか呼吸を整えた。

 

「はぁっ、はぁっ………。す、ステラは………本物のサキュバスなんだ…………」

 

「す、すごい………! でも、サキュバスはもう絶滅しちゃったって本に書いてあったよ!?」

 

「彼女は生き残りなんだ」

 

「はい。ですからステラは、最後のサキュバスなのです」

 

「すごい……! ステラちゃん、握手して!」

 

 やっぱり喜んでくれた。

 

 今まで嫌われていたサキュバスが身体の弱い少女に喜んでもらえると思っていなかったのか、ステラは少しだけ驚いて俺の顔を見上げてきた。頷くと、いつも無表情のステラは珍しく微笑むと、毛布の中から伸びるノエルの痩せ気味の手を小さな手で包み込む。

 

「ねえ、お兄ちゃん。もう冒険者になったんでしょ?」

 

「ああ。紹介状に書いてあったのか?」

 

「うんっ。ねえねえ、もうダンジョンに行った?」

 

「おう。じゃあダンジョンの話をしてあげようか」

 

「わーいっ!!」

 

 外に出る事ができないノエルにとっては、家の外の話を聞くのは楽しみなんだろう。特に一般の人間では立ち入る事ができないダンジョンの話は特に楽しみにしている筈だ。

 

 まだ冒険を始めたばかりだけど、もう土産話はたくさんある。

 

「まず、俺たちは最初にフィエーニュの森に行ったんだ。これはステラが仲間になる前だな。ナタリアとはここで出会ったんだ」

 

「ステラも聞いたことのない話です」

 

 そういえば、ステラにはトロールを倒したことしか話してなかったな。彼女にも教えてあげよう。

 

「ここで肩慣らしに、フィエーニュの森を調査していくことにしたんだ。危険度も低かったからな。それに銃もあるし楽勝だと思ってたんだ。――――――でも、危険度が低い筈の森には、なんとトロールがいたんだよ!」

 

「と、トロール!?」

 

「そう。本にも載ってる恐ろしいトロールさ。10mくらいの大きさのトロールが、森の中にいたんだ」

 

「や、やっつけたの!?」

 

「ああ。俺とナタリアとラウラが力を合わせてやっつけたんだ」

 

 グレネードランチャーでトロールの息子さんを吹っ飛ばした話はやめておこう。ラウラがその話をしないか心配だったが、彼女はその話をするつもりはないらしい。

 

「その骨を管理局に持って行ったら、窓口の人は驚いてたもんね」

 

「そうそう。しかも女の子に間違われちゃってさ」

 

「あははははっ! お兄ちゃんは声も高いし、エミリアさんにそっくりだからね」

 

 母さんに似ているだけなら声で男だと気付かれる筈なんだけど、声も高い方だからなぁ………。声を低めにして話しても勘違いされるから、もしかしたら一生女に勘違いされ続けるかもしれない。

 

 俺たちは笑いながら、今度はナギアラントでステラと出会った時の話をすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 まだ旅が始まったばかりだったから、土産話はすぐに話し終えてしまった。ナギアラントでステラと出会い、転生者を倒して街を解放し、そこで勇者扱いされた事を話したら、ノエルは「力也おじさんと逆だね」と言いながら笑っていた。

 

 親父は魔王と呼ばれている。魔王の息子たちが勇者と呼ばれていることを知ったら、親父はきっと苦笑いする事だろう。

 

「楽しかったよ、お兄ちゃん。ありがとっ」

 

「あははっ。良かった」

 

 いつもベッドの上で生活している彼女に楽しんでもらう事ができて安心した。ラウラも同じように安心したらしく、クマのぬいぐるみを抱えながらベッドの上にいるノエルの頭を撫で始める。

 

 ラウラは幼い性格なんだけど、年下の従妹の頭を撫でる姿はやけに大人びているように見えて、俺はどきりとしてしまった。

 

「じゃあ、ノエルもお返しに面白い話を聞かせてあげるね」

 

「面白い話?」

 

「うんっ。――――――お兄ちゃんたちは、『メサイアの天秤』って知ってる?」

 

「ああ、知ってるよ。絵本で読んだことがある」

 

 メサイアの天秤は、この世界に存在すると言われている伝説の天秤だ。大昔に大天使から功績を認められたある錬金術師が作り出したと言われている天秤で、なんと手に入れた者の願いを叶えてくれるという。

 

 だから大昔には、自分の願いを叶えてもらおうと冒険者や勇者たちが争奪戦を繰り広げたらしい。しかし、現在でも調査は続いているが実在するかは不明で、どこにあるのかも不明という事になっている。

 

「ふにゅ? メサイアの天秤って、手に入れた人の願いを叶えてくれる魔法の天秤だよね?」

 

「うん、そうだよ。………実はパパから聞いたんだけど、天秤についての古代の資料がラトーニウス王国で見つかったらしいの!」

 

「えっ!?」

 

 今まで実在するか分からなかった伝説の天秤についての資料だって? 信也叔父さんが言ってたって事は、叔父さんは調査しに行ったのか? 

 

「ということは…………もしかしたら、メサイアの天秤は実在するって事?」

 

 先ほどまで静かだったナタリアが楽しそうに聞く。願いを叶えてくれる天秤の伝説を絵本で目にした時は、よくラウラともし手に入れたらどんな願いを叶えてもらうかって話し合ったものだ。きっとナタリアもそんなことを考えているんだろう。

 

 ラウラは「タクヤのおよめさんになる!」って言ってたけど、それは天秤を使わなくても実現できるのではないだろうか?

 

 ちなみに俺は、今のところ願いが思いついていない。思いついたとしても実現可能な願いばかりで、天秤を使う必要のないものしか思いつかないんだ。

 

 ノエルの話を聞いて期待していると、さっき俺から魔力を吸収してずっとお腹をさすっていたステラの一言が、俺たちを更に高揚させた。

 

「―――――――メサイアの天秤は、実在します」

 

「え………?」

 

 相変わらず表情は変わっていない。だが、ステラの冷たい声とノエルを見据える蒼い瞳が、嘘をついていないという証拠になっている。

 

 そういえば、ステラが封印されたのは今から1200年前だ。レリエル・クロフォードが世界を支配したのが300年前だから、あの伝説の吸血鬼よりも前の時代で生きていたという事になる。

 

 古代語が使われていた時代で生きていたのだから、天秤についても現代の人間より詳しく知っている筈だ。

 

 実在すると言い切った理由について考えていると、ステラが話を始めた。

 

「―――――ナギアラントで最後の戦いを始める数ヵ月前に、激減したサキュバスたちは戦闘力の高い4人のサキュバスにメサイアの天秤を手に入れるように命じ、旅に送り出しました」

 

「願いは………サキュバスの再興?」

 

「はい。その頃はもう人間たちとも関係が悪化していましたし、魔力を吸収する体質を取り除いても他の種族との対立は続くため、再興して別の地でサキュバスの国を建国するという計画が立てられていたのです」

 

「そ、そうなの………!?」

 

「はい」

 

 ステラ以外のサキュバスは絶滅しているため、このような話はどんな本にも記録されていない。サキュバスについて記録されている本にあるのは、サキュバスの性質や彼女たちをナギアラントで滅ぼしたという事だけだ。自分たちの大昔の功績を記載するだけで、絶滅しないようにと必死に足掻いた彼女たちの事情は全く記録されていない。

 

「残ったサキュバスたちは、彼女たちが天秤を手に入れてくれると信じ、必死にナギアラントの街を守り続けました。………彼女たちが出発してから8ヶ月後、防壁の外からやっと天秤を手に入れるために送り出されたパーティーのうちの1人が帰還したのです」

 

「1人だけ?」

 

「はい。………しかもそのサキュバスは片腕と片目を失う重傷を負っていました」

 

 他のメンバーはどうなったんだ? それに、そのサキュバスに何が起きた………?

 

「仲間たちは必死にそのサキュバスを手当てしましたが…………彼女は、帰ってきてから三日後に息を引き取ってしまったのです」

 

「そんな………。天秤は手に入れられなかったの………?」

 

「その通りです。ですが彼女は、絶命する前に『天秤を見つけた』と言い残しています」

 

 天秤を見つけたという事は、天秤は実在するという事だ。だが、そのサキュバスのパーティーたちは天秤を手に入れることは出来ず、しかも生きて帰ってきたのは重傷を負った1人のサキュバスだけだという。

 

「実在するという事が分かったのは良いのですが、既に彼女が帰還した頃には多くのサキュバスが殺され、ナギアラントに立て籠もったサキュバスたちは玉砕寸前で、もう一度パーティーを派遣できる戦力は残っていなかったのです。………ステラを隠してくれたママは、きっと天秤を手に入れられなかったことを知った時点でステラを逃がそうとしてくれたのでしょう」

 

 その派遣されたサキュバスたちに何が起きたんだろうか? なぜ4人のパーティーで派遣されたのに、生きて帰ってきたのは1人だけだったのか?

 

 天秤が実在するのは凄い事だが――――――ステラの話で、演劇やマンガの題材にされる大人気の伝説が、禍々しく不気味な伝説へと変貌してしまった。

 

 だが、もし天秤を手に入れる事ができたのならば、本当に願いを叶える事ができるかもしれない。

 

 もし手に入れたら―――――――人々が虐げられないような平和な世界にしてもらおう。

 

 転生者や権力者に人々が苦しめられず、平和に過ごせるような世界になれば、もう種族で差別されたり奴隷にされることもなくなる。今までなかなか思いつかなかった俺の願いが、伝説を知ってから12年後にやっと決まった。

 

 天秤が実在するというのならば、俺たちがその天秤を手に入れてやろうじゃないか。

 

 俺たちは、冒険者なのだから。

 

 

 

 



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転生者が仲間と鍛冶屋に行くとこうなる

 

 信也叔父さんが帰って来るまでまだ時間がかかりそうなので、俺たちは叔父さんの家の近所にある鍛冶屋に行って装備を購入することにした。当然ながら、この世界に銃は存在しないため、鍛冶屋で扱っているのは剣や弓矢などのこの異世界で普及している武器ばかりだ。もちろんそういう武器もメニュー画面から生産できるようになっているんだが、近距離武器くらいは鍛冶屋で購入することにしている。

 

 理由は、ポイントの節約のためだ。

 

 もし俺1人で冒険に出るのであれば、銃だけでなく近距離用のナイフもこの能力に依存しても問題はなかっただろう。だが、今のパーティーのメンバーは4人。もしカノンまで近くのダンジョンについて行くと言い出せば5人になる。いくらポイントが溜まっているとはいえ、5人分の装備を全て揃えると莫大な量のポイントを消費する羽目になるし、装備が偏るか、1人1人の装備が中途半端になってしまう。

 

 親父のような熟練の転生者ならば仲間全員分の装備をすぐに生産できる量のポイントを持っているんだが、俺はまだレベルが低い。だからポイントを使うのは銃やスキルや能力に絞り、この世界で購入できるものは極力鍛冶屋で購入するようにしている。

 

 ちなみに今の近距離武器は、俺とラウラがナイフで、ナタリアはククリ刀になっている。ステラにはグラシャラボラスがあるし、カノンの近距離武器はまだ見せてもらっていない。

 

 このメンバーの中で武器を購入する予定があるのは、俺とラウラとナタリアの3人だ。ステラにはグラシャラボラス以外にも魔術があるから問題ないらしいし、カノンも今の装備で満足しているそうなので購入はしないようだ。

 

「それにしても、メサイアの天秤かぁ………。小さい時に絵本で読んだ伝説の天秤を、冒険者になって追い求めることになるなんてね」

 

 今までは世界中のダンジョンを調査しながら旅をする予定だったんだけど、ノエルから天秤の話を聞いた俺たちは、これからはメサイアの天秤を手に入れるための旅をする事にしていた。サキュバスのパーティーが天秤を手に入れるために旅立って壊滅したという不気味な話があるが、この手に入れた者の願いを叶えてくれるメサイアの天秤を手に入れる事ができたのならば、俺たちの願いを叶えてもらう事ができる筈だ。

 

 だが、メサイアの天秤が願いを叶えてくれるのは一度だけだという。そのため、まだ気が早いかもしれないが、もし手に入れたら誰の願いを叶えるのか話し合っておいた方が良いだろう。伝説の天秤を手に入れてから仲間割れを起こして全滅してしまえば旅が全て水の泡になってしまう。

 

 優先的に願いを叶えるべきなのはステラだろう。彼女の願いはきっとサキュバスの再興である筈だ。

 

「天秤の資料がラトーニウス王国で見つかったって事は、天秤は隣国(ラトーニウス)にあったって事なのかな?」

 

「分からん。でも、目的地は決まったな。当初の予定と変わってないけど」

 

 ラトーニウス王国に資料があったという事は、メサイアの天秤がまだラトーニウス国内に眠っている可能性がある。もしなかったとしても、ヒントはあるかもしれない。

 

 元々ラトーニウス王国方面のダンジョンを調査する予定があったから好都合だ。

 

 アパートが連なる通りの奥にある角を左へと曲がり、焼き立てのパンの香りがするパン屋の前を横切る。店内から流れ出てくる甘い香りのせいでついついパンを購入したくなってしまうが、俺たちが買い物にやって来た目的ば武器の購入だ。

 

 そう思いながら通過しようとしたんだが、ステラはどうやらパンの甘い香りに誘惑されてしまったらしく、じっと店内に並ぶパンの群れを見つめながらよだれを垂らしそうにしていた。

 

「ステラ、行くぞ。パン食べたかったら帰りに買ってやるから」

 

「ありがとうございます、タクヤ」

 

 くるりとこっちを振り向き、追い付いて来るステラ。いつもは無表情なんだが、駆け寄ってくる彼女は楽しそうに微笑んでいる。

 

 段々とステラも感情豊かになってきたな。こっちの方が可愛らしい。

 

 ハンカチをポケットから取り出し、駆け寄って俺の手を掴んだ彼女の口元を拭き取った俺は、ステラとラウラの2人と手を繋ぎながら通りを歩き続けた。

 

 何だか親子みたいだ。

 

 ステラを誘惑したパンの香りが薄れ始めるほど離れたところに、鍛冶屋の看板が出ていた。看板の下の方には、2枚の真紅の羽根とハンマーのエンブレムが描かれている。

 

 あのエンブレムは、親父が立ち上げたモリガン・カンパニーのエンブレムだ。あの鍛冶屋はモリガン・カンパニー傘下の鍛冶屋という事なんだろうか。

 

 モリガン・カンパニーは社員への待遇が非常に良く、社内でも種族の差別は全くないため、奴隷として売られることがあるドワーフやエルフなどの種族の職人たちが集まっていると聞く。人間よりも優れた技術を持つ彼らを数多く社員としているモリガン・カンパニーは、今やこの世界で最高の技術を持つ超大型企業に成長している。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 店に入ろうとしていると、背の小さな銀髪の少女が出迎えてくれた。顔つきは大人びているんだが、身長はステラよりも小さい。仕事熱心なのか右手には金槌を持っていて、顔には少しオイルがついていた。

 

 おそらく、彼女はドワーフなんだろう。この世界の鍛冶職人で最も多いのはドワーフとハイエルフで、ドワーフは大剣やハンマーなどの荒々しい武器の製造を得意とする。彼らが生み出す武器や防具は非常に頑丈で威力も高く、値段も安いので冒険者や騎士たちに好評となっている。

 

 逆に、ハイエルフの作る武器や防具はドワーフが作ったもののように頑丈ではないが、非常に軽量で切れ味が鋭く、装飾の付いた派手なものが多い。扱い辛い上に値段が高いため、熟練の冒険者や貴族に好評らしい。

 

 ここはどうやらドワーフが経営しているようだ。所持金も節約したいから、武器の値段が安いのは非常にありがたい。

 

 出迎えてくれたドワーフの少女に挨拶してから、店内へと足を踏み入れる。棚やショウケースの中にはずらりとロングソードや防具が並んでいて、壁には長いランスやボウガンが飾られている。ショウケースの中には日本刀も飾られていたんだけど、俺の近距離武器はナイフのように小型の武器が良いため、購入する予定はない。

 

「ん?」

 

 ショウケースの隣にある棚を眺めていると、ナイフが並んでいる棚の中に珍しい武器が並んでいた。ナックルダスターのようなフィンガーガードがついている大型のナイフで、俺の持っている大型トレンチナイフとデザインが似ているんだが、峰の部分だけでなく、刃の部分までノコギリのような大きめの刃がついているため、俺のナイフよりも獰猛な感じがする。

 

 棚には『大型ソードブレイカー』と書かれている。ソードブレイカーとは防御用の短剣のようなもので、ギザギザした峰やノコギリの刃のような峰を持っているのが特徴だ。このギザギザした峰で敵の剣を受け止める事ができるんだが、この棚に置かれていた大型のソードブレイカーは、刃の代わりにノコギリの刃を大きくしたような刃がついている。峰にもサバイバルナイフのようなセレーションがあるせいで、防御用のナイフだというのに攻撃的な武器に見えてしまう。

 

 峰ではなく刃の方にノコギリのような大きめの刃がついているのは、ナックルダスターのような大型のフィンガーガードのせいで、相手に峰を向ける事ができないからだろう。

 

「………悪くない」

 

 値段も銀貨4枚だ。これと今の大型トレンチナイフの二刀流で戦ってみるかな。デザインも刀身の形状以外は同じだから統一感があるし。

 

「すいません、このソードブレイカーください」

 

「はい、ありがとうございます! 銀貨4枚ですね!」

 

 俺は早速装備が決まった。武器を買う予定のラウラとナタリアはどうするつもりなんだろうか?

 

 ソードブレイカーをカウンターへと持って行くと、カウンターの奥からがっちりした体格のドワーフの男性がやって来た。作業着はオイルで汚れで黒ずんでいて、顔には傷がある。

 

「おう、ありがとな。銀貨4枚だ」

 

「どうも」

 

「それにしても、お前みたいな女の子が使うには荒々しい武器だな!」

 

「………」

 

 この人にも女に間違われた………。

 

 訂正せずに苦笑いを浮かべ、銀貨4枚を支払ってからソードブレイカーを鞘と一緒に受け取る。早速それを腰に下げた俺は、苦笑いを浮かべたままドワーフの男性に礼を言うと、踵を返して仲間たちのところへ戻ろうとする。

 

「あら、決まったの?」

 

「おう。ナタリアは?」

 

「こっちにするわ」

 

 彼女が手にしていたのは、前までの得物と比べるとかなり小型化されたククリナイフだった。フィンガーガードがついていて、峰にはサバイバルナイフのようにセレーションがついている。モリガン・カンパニー製の武器にはこのようなデザインの武器が多い。

 

「ナイフが流行ってるみたいだし」

 

 そういえば、俺たちが使っている武器は小型のものが多い。俺はナイフだし、ラウラも同じくナイフだ。大型の近接武器を使っているのは、今のところステラだけだろう。

 

 近距離武器で戦うならならば大型の得物でも問題ないんだが、俺たちの得物はあくまでも銃だ。大剣を持っていたらかさばるから、出来るだけ得物は小さい方が良い。

 

 母さんは背中に大剣を背負いながら銃で戦ってたけどな。

 

「ふにゅ? 2人とも決まったの?」

 

「おう、ラウ――――――――それにすんのか………?」

 

 武器についてナタリアと話をしていると、後ろの方からラウラの声が聞こえてきた。どうやら彼女も買う武器を決めたらしいんだが、ラウラが持っていた得物を見た瞬間、俺とナタリアは唖然としてしまった。

 

 ラウラが持っていたのは、今まで彼女が手にしていたようなナイフではなく、2本のトマホークだった。漆黒に塗装された鋭角的な形状の刃がついていて、反対側には短めのサバイバルナイフを思わせるピックがついている。

 

「ふにゅ? ナイフなら足にもあるよ?」

 

 そう言いながら片足を上げ、ブーツの脹脛の部分に装着されているカバーの中からサバイバルナイフの刀身を出す。確かにトマホークは冒険者に人気の武器だけど、2本も買うつもりなんだろうか。

 

 とりあえず、彼女に財布を渡してから購入した得物を持って店の入口へと向かう。鍛冶屋の入り口では、カノンがステラの頭を幸せそうに撫で回しているところだった。

 

 普通は頭を撫でられた方が幸せそうな表情をするんじゃないだろうか………?

 

「タクヤ、買い物は終わりましたか?」

 

「ああ。あとはラウラとナタリアだな」

 

 2人とも武器は決まっていたから、買い物はすぐに終わるだろう。

 

 店先で待っていた2人に合流した俺は、彼女たちが戻ってくるまで俺もステラの頭を撫でて待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 約束通りに鍛冶屋から帰る途中にパンを購入し、屋敷へと向かうと、モリガンの屋敷の前には真っ黒な馬車が停まっていた。リベットが突き出た鉄板で覆われた車体はまるで旧式の装甲車のようで、威圧的なその馬車を操る御者は黒いスーツに身を包み、シルクハットをかぶっている。

 

 見覚えのない馬車を目にしてナタリアはぎょっとしたようだが、幼少の頃から何度もあの威圧的な馬車は何度も目にしているため、俺とラウラはあまり驚くことはなかった。

 

 リベットと真っ黒な鉄板に覆われた車体には、先ほど訪れた鍛冶屋の看板と同じく真紅の羽根とハンマーのエンブレムが描かれている。

 

 モリガン・カンパニーの馬車だ。しかもその企業の中で戦闘能力に優れるという『警備分野』の保有する馬車だった。

 

 親父の会社は、大きく分けて『インフラ整備分野』、『製薬分野』、『技術分野』、『警備分野』の4つに分かれている。その4つの分野を指揮する者は『四天王』と呼ばれているらしく、企業の社長である親父は『魔王』と呼ばれている。

 

 警備分野はその名の通り警備を担当する分野で、傭兵のように貴族や王族の護衛や、騎士団の拠点の警備などを行っている。黒い制服とシルクハットを身に着け、仕込み杖を使って戦うため、彼らは『紳士』と呼ばれることもある。

 

 ちなみに警備分野を指揮する四天王は、俺の母親であるエミリア・ハヤカワだ。

 

 屋敷の門の近くまで行くと、馬車の御者台に座っていた男性は俺たちに頭を下げてから馬車を走らせて行った。どうやら俺とラウラが社長の子供だと気付いていたらしい。

 

 何で屋敷の前にモリガン・カンパニーの馬車が停まっていたんだろうか?

 

 正門を開けて広い庭を進み、玄関のドアを開けて屋敷の中へと入る。そのまま階段を上って3階の廊下へと辿り着くと、ノエルの部屋の中からミラさんの話し声が聞こえてきた。話し相手はノエルだと思ったんだが、彼女の声に返事を返したのは弱々しいノエルの声ではなく、低い男性の声だった。

 

「ただいま帰りました」

 

 盗み聞きするわけではなかったので、俺はノックをしてからノエルの部屋のドアを開けた。

 

「やあ、お帰り」

 

「し、信也叔父さん……?」

 

 ノエルのベッドの傍らに立っていたのは、真っ黒なトレンチコートに身を包み、漆黒のシルクハットをかぶった黒髪の男性だった。細身ではなくがっしりとしているけど、優しそうな雰囲気を放つ人だ。

 

 左手は普通の人間と同じ肌色なんだけど、その男性の右手は肌色ではなく、まるで防具を身に着けているかのような銀色の金属のようなもので覆われている。

 

 彼の名はシンヤ・ハヤカワ。俺たちの親父であるリキヤ・ハヤカワの弟で、俺たちの叔父だ。しかも親父と同じく転生者である。

 

 モリガンのメンバーの1人として親父と共に戦い、策を立案して仲間と共に強敵を打ち破ってきた名将でもある。金属のようなもので覆われている叔父さんの右腕は、普通の腕ではなく義手だ。ネイリンゲンが壊滅した日、若かった叔父さんはミラさんを庇って右腕を失い、キングアラクネという魔物の素材で作られた義手を移植したらしい。

 

 親父と違って変異を起こさなかったため、この人はキメラではなく人間のままだ。

 

「大きくなったじゃないか。ノエルと遊んでくれた時よりも大人びてるね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 この人は、モリガンのメンバーの中で数少ないまともな人と言われている。親父は大口径の武器が大好きな人で、ギュンターさんは変態だったらしい。

 

「紹介状は読んだよ。力を貸して欲しいらしいね?」

 

「はい」

 

「分かった。とりあえず、今日はここに停まって行ったらどうだい? 部屋は空いてるし、ノエルも喜ぶから」

 

「いいんですか?」

 

「ああ。せっかく立派になった甥っ子たちがここまで旅してきてくれたんだ」

 

「ありがとうございます、叔父さん」

 

「信也さん、わたくしはそろそろ屋敷に戻りますわ」

 

 すると、俺たちの後ろにいたカノンが前へとやってきて、信也叔父さんにそう言った。てっきり俺たちと一緒に停まると思っていたんだが、カノンはどうやら屋敷に戻るつもりらしい。

 

「あれ? 泊まらないの?」

 

「申し訳ありません、お兄様。わたくしもお兄様たちと一緒にお泊りしたかったのですが………お母様とお話がありますの」

 

 カレンさんと話があるだって? 何の話なんだろうか。

 

 カノンは信也叔父さんにお辞儀をすると、俺たちに向かってにっこりと笑ってから部屋を出て行った。

 

「ふにゅう………何のお話なんだろう?」

 

「分からん」

 

 彼女は次期当主候補だ。ドルレアン家の次期当主候補には、当主から試練を与えられるという。

 

 ちなみにカレンさんは当主になる際、ダンジョンの奥で発見されたドルレアン家の地下墓地から『リゼットの曲刀』という武器を回収するように命令され、ギュンターさんと2人で回収してきたことがあるという。もしかしたらカレンさんとの話は、その試練についてかもしれない。

 

(みんな、ついて来て。部屋に案内するわ)

 

 叔父さんの家に泊まるのは幼少期以来だ。何度かここに来たことはあったけど、いつも日帰りだったから叔父さんの家に泊まることはなかったんだよな。

 

 明日にはエイナ・ドルレアンの近くにあるダンジョンに行ってみる予定だ。ドルレアン家の地下墓地もまだダンジョンに指定されたままになっているし、危険度はやや高いけどそこを調査してみるのも悪くないかもしれない。

 

 明日の予定を立てた俺は、部屋に案内してくれるミラさんに後について行った。

 

 



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カノンの試練

 

「お呼びですか、お母様」

 

「ええ」

 

 ドアがノックされた音を聞いて、私は羽ペンをケースへと戻した。言った通りに屋敷の執務室を訪れた愛娘の顔を見据え、私はギュンターと一緒に頷く。

 

 3歳の頃からマナーや政治についての教育を受けていたカノンは、他の貴族の子供と比べると遥かに大人びているように見える。誇らしいけれど、力也が言っていた通り教育を始めるのが少し早すぎたかもしれない。この子を見ると、もう少し子供として遊ぶ時間を残してあげればよかったと後悔してしまう。

 

 でも、彼女にはもう1つ試練を受けてもらわなければならない。これを乗り越えてもらわなければ、分家にいる他の次期当主候補に差を縮められてしまう。

 

「―――――カノン、あなたには試練を受けてもらうわ」

 

「試練ですか…………?」

 

 かつて、私も父上から受けさせられた試練。

 

 危険度の高いダンジョンの更に億で発見された、我がドルレアン家の地下墓地に向かい、最深部の棺から祖先が愛用していた曲刀を回収するという厳し過ぎる試練を、若き日の私は夫と共に成し遂げ、こうしてドルレアン領の当主となった。

 

 仲間たちにAK-47の一斉射撃で祝ってもらった夜の事を思い出して微笑んだ私は、デスクの椅子に腰を下ろしたまま腕を組んだ。

 

「ええ。―――――これを乗り越えれば、あなたは確実に次期当主となる事ができる」

 

「………!」

 

 シルクハットを目深にかぶりながら壁に寄りかかっていたギュンターが、ポケットに手を入れたまま私の方を見上げた。

 

 試練を受けさせるにはまだ早い。私も、父上から試練を受けさせられたのは17歳の時だったのよね。

 

 でも、3年後まで待つわけにはいかない。だから今カノンにこの試練を受けてもらうしかなかった。

 

「お母様、試練の内容は?」

 

「ええ。―――――――オルエーニュ渓谷は知っているわよね?」

 

「はい、お母様」

 

 オルエーニュ渓谷は、エイナ・ドルレアンの東部に広がる渓谷。ドラゴンが数多く生息する渓谷で、20年以上前からずっとダンジョンに指定されたままになっている。

 

 あの渓谷にはドラゴンの巣がいくつもあるから、足を踏み入れれば冒険者たちはドラゴンの集中攻撃を受ける羽目になる。しかも足場が非常に狭いから、逃げるのも難しいし、攻撃してくるドラゴンに反撃するのも非常に困難よ。剣を振るえばバランスを崩して谷底に落下することになるし、ぐずぐずしてればドラゴンたちの餌になってしまう。

 

 そこを突破して奥へと進めば、今度は岩場に巣を作っているアラクネやアラクネの変異種の集中攻撃が待っているわ。ドラゴンの攻撃に比べれば危険度は低いけど、岩場の隙間から変幻自在に攻撃してくる彼らの奇襲は侮れない。

 

 でも、カノンに目指してもらう場所は更にその奥。だからこの2つの障害はただの前哨戦でしかない。

 

「あなたに目指してもらうのは―――――――オルエーニュ渓谷の奥にある、我がドルレアン家の地下墓地よ」

 

「地下墓地………? 確か、リゼット様が埋葬されたというダンジョンですわよね?」

 

「そう。私たちのご先祖様が眠る地下墓地よ」

 

「ですが、あそこからはもうお母様が曲刀を回収した筈では?」

 

 21年前、私はギュンターと共に地下墓地に向かい、最深部の棺からリゼットの曲刀を回収してきた。だからあそこは、ドルレアン家の歴史が記録された大昔の遺跡でしかない。

 

「――――――今回は回収してもらうために地下墓地に行ってもらうわけではないわ」

 

「?」

 

「討伐よ」

 

 もしかすると、これは私が受けた試練よりも辛い試練かもしれない。でも、まだ14歳の娘に受けさせるわけにはいかないと言って私が手を貸すわけにもいかなかった。

 

「討伐………?」

 

「ウィルヘルムは知ってるわよね?」

 

「ええ。リゼット様の家臣の1人で、忠実だったハーフエルフの戦士ですわよね?」

 

「そう。リゼットの家臣が彼女の曲刀を欲して次々と裏切る中、彼女に最後まで忠誠を誓い、裏切った家臣たちとの戦いで命を落とした英雄よ」

 

 リゼットの棺から曲刀を回収する時、私の目の前に現れたリゼットの魂が見せてくれた幻の中で、ギュンターにそっくりな顔つきの騎士が剣を振るっていた事を思い出しながら私は告げた。

 

 風の精霊から風を操る力を持つ曲刀を与えられたリゼットは、その曲刀を手に入れようとする家臣たちの裏切りが原因で死亡してしまう。でも、ウィルヘルムが時間を稼いでいる隙に彼の仲間たちがリゼットの遺体を曲刀と共に地下墓地に埋葬し、地下墓地のトラップを発動させたことで、リゼットの曲刀が家臣たちの手に渡ることはなかった。

 

「実は、最近あの地下墓地に新種の魔物が現れるようになったらしいの」

 

「新種ですか……?」

 

「ええ。血まみれになった傷だらけの黒い甲冑を身に纏い、雄叫びを上げながら襲い掛かって来る変わった魔物らしいわ。逃げ帰ってきた冒険者が何人もそう報告しているの」

 

「お母様、失礼ですがウィルヘルムとは何の関係もないのでは? ただのデュラハンかもしれませんし――――――――」

 

「いえ、関係はあるわ」

 

 なぜならば、ウィルヘルムが戦死したのはあの地下墓地の入口の前なのだから――――――。

 

「―――――――仮説だけど、その魔物は…………大昔に死亡したウィルヘルムかもしれないわ」

 

「!?」

 

 説明を聞いていたカノンが目を見開き、ギュンターの方を見た。ギュンターにもこの話はしてあるから、彼は驚くことなくカノンを見つめて頷く。

 

「ありえませんわ。ウィルヘルムが戦死したのは、もう1000年以上前ではありませんか!?」

 

「その通りよ。…………でも、何年経っても彷徨い続ける魂は存在するわ。彼らが彷徨う原因になった未練は、それほど強いものなのよ」

 

 それに、100年以上もネイリンゲンの屋敷に住み着いていた可愛らしい幽霊の女の子もいるし。あの子は今では数多の特許を持つ天才技術者だけどね。

 

 でも、彼女の未練も同じだった。12歳で死にたくないという強い未練が、彼女が幽霊として彷徨う原因となった。病で命を落としたとはいえ、平和な時代の死者が100年間も彷徨い続ける事ができるのだから、裏切った家臣たちとの戦いで、主君のために命を落とした騎士が更に強烈な未練で彷徨い続けていたとしてもおかしくはない。

 

「あなたに与える試練は、このウィルヘルムと思われる魔物の討伐よ。これを討伐し、他の冒険者たちの安全を確保する事。危険度が高いから、仲間を連れて行ってもいいわ。………どうする?」

 

「――――――受けるに決まっていますわ」

 

 問い掛けてから5秒足らずで、愛娘は返事を返してきた。自信満々なところは私の夫にそっくりね。

 

「立派な領主になって、奴隷制度の撤廃と平等な世界を作ると誓いましたもの」

 

「―――――見事ね」

 

 さすが私の娘。

 

 仲間は連れて行っていいと言ったから、きっとカノンはタクヤ君たちを連れて行く事でしょう。彼らは冒険者だからあの地下墓地も調査しに行くでしょうし、冒険者見習いのカノンもこれでダンジョンに立ち入る事ができる。

 

 紹介状には彼らに力を貸してやってくれって書いてたけど、力を貸してもらったのはこっちの方だったわ。もしかしたら力也は、カノンに助けが必要なことを見抜いていたのかしら?

 

 昔から単純な奴に見えて、信也くん並みに何かを企んでいるような男だったから、きっとそうに違いないわ。

 

 でも、彼には礼を言っておきましょう。

 

「――――――では、準備を始めますわ」

 

「ええ。武器はタクヤ君に作ってもらいなさい」

 

 あの子は、転生者の端末の機能に似た能力を生まれつき持っているわ。転生者と普通の人間の子供だからなのかしら?

 

「はい、お母様」

 

 スカートの裾をつまみ上げながら私に向かって頭を下げるカノン。教えたとおりにしっかりと挨拶した彼女は、ギュンターにも微笑みかけてからドアを開け、執務室を後にした。

 

 私は息を吐きながら再び羽ペンを拾い上げ、デスクの上の書類にサインを始める。

 

「…………やっぱり、早過ぎるんじゃねえか?」

 

「何言ってるの。私たちの娘よ? ――――――それに、あいつらの子供たちも一緒なんだから大丈夫よ」

 

 でも、私も心配になってきたわ。カノンは訓練や剣術の試合では優秀な成績を出しているけど、タクヤ君たちと比べると実戦を経験した回数は少ないのよね。

 

 それに対してタクヤ君とラウラちゃんは、幼少の頃から魔物を相手に実戦を経験しているし、最強の傭兵である親たちを相手に模擬戦をして育っているから、経験では圧倒的にあの2人が上だわ。

 

 もしかしたら、彼らに頼る羽目になるかもしれない。

 

「………大丈夫かなぁ」

 

「……大丈夫よ」

 

「だってさ、俺たちの可愛いカノンがついにダンジョンに行くんだぜ? …………し、心配だ。魔物がいっぱいいるし、地下墓地の中は真っ暗だし…………」

 

「あんたはカノンを甘やかし過ぎなのよ」

 

「何言ってんだ! 可愛いカノンが怪我したらどうすんだよッ!?」

 

「あのね、あんたは過保護すぎるの! ある程度実戦を経験させないと強くなれないでしょ!?」

 

「か、カノン………無事に帰って来いよぉ………。うう……………」

 

 心配し過ぎよ、ギュンター………。

 

 椅子から立ち上がり、ポケットからハンカチを取り出した私は、壁に寄りかかったまま泣き崩れてしまった大男の傍らへと歩み寄ると、ため息をつきながら彼の涙を拭い去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………まだかな」

 

 屋敷の廊下で壁に寄りかかりながら、俺は吹き抜けの向こうに見える反対側の廊下を凝視していた。どうやら俺は退屈になると無意識のうちに尻尾を振ってしまう癖があるらしく、先ほどから俺の右側では蒼い外殻に覆われた尻尾がふらふらと揺れている。

 

 ステラも退屈らしく、まるで猫じゃらしを捕まえようとする子猫のように、背伸びしながら小さな手を俺の尻尾に向かって伸ばしていた。

 

「何で部屋から出されたのかしら?」

 

「さあ?」

 

 あの後、俺たちはミラさんに部屋まで案内してもらった。

 

 この屋敷はかつてネイリンゲンにあったモリガンの屋敷の内部を再現しているらしく、中の構造は全く同じだという。だから親父はこの屋敷の中を見て懐かしがってたのか。

 

 俺たちが使わせてもらう事になった部屋は3階にある一室で、部屋の中には既に大きめのベッドが2つも用意されていた。ギュンターさんのような大男でなければ、2人くらいは1つのベッドで眠れるくらいの大きさだ。俺たちの今の人数は4人だから丁度いいと思うんだが、さすがに俺は男だからソファを使わせてもらう予定である。

 

 シャワーを済ませてくつろがせてもらっていたんだが、ミラさんがニヤニヤしながらラウラを呼んで何かを話したかと思ったら、いきなりラウラ以外の3人は部屋の外で待っててと言われてしまったんだ。先ほどから部屋の中から恥ずかしそうなラウラの声と楽しそうなミラさんの声が聞こえてくるんだが、あの2人は部屋の中で何をやっているんだ?

 

「なあ、ステラ。あの2人は部屋の中で何をやってると思う?」

 

「分かりません」

 

 俺の尻尾に向かって手を伸ばしていたステラが、ついに俺の尻尾をキャッチする。そのまま尻尾を自分の目の前まで引っ張って行くと、蒼い外殻の表面を真っ白な手で撫で回し始めた。外殻の上を触られている筈なんだが、何だかむずむずしてしまう。

 

「………タクヤ」

 

「ん?」

 

「タクヤの尻尾の先に、小さな穴があります」

 

「危ないぞ」

 

 俺の尻尾の先端部はダガーのように鋭くなっているからな。だから武器の代わりにもなるし、その先端部の穴は更に危険な攻撃の時に使用する。さすがにラウラの目の前で使った事はないけどな。

 

 首を傾げながら見上げてくるステラに向かって肩をすくめると、静まり返った廊下にドアが開く音が静かに響き渡った。木製のドアの向こうから顔を出したミラさんが、にっこりと笑いながら手招きする。

 

(どうぞー)

 

「あの、ミラさん。ラウラと2人で何をしてたんです?」

 

(うふふっ。秘密だよっ)

 

 ニヤニヤと笑い始めるミラさんの笑い方は、何だかエリスさんにそっくりだった。

 

 いつまでも廊下にいるわけにもいかないので、嫌な予感を感じながらも言われた通りに部屋の中へと足を踏み入れる。

 

「ラウラ………?」

 

「ふにゃっ!?」

 

 聞き慣れた姉の声が聞こえたのは、部屋のベッドの上からだった。ミラさんの企みの犠牲になった姉がどうなっているのか心配になりながら、部屋に足を踏み入れた俺はベッドの上を凝視する。

 

 整理されたベッドの上には、先ほどまで部屋の中に残っていたラウラが腰を下ろしていた。何事もなかったのかと思って一瞬だけ安心してしまったが、すぐに先ほど部屋の中から彼女の恥ずかしそうな声が聞こえてきたことを思い出し、俺は息を呑みながら彼女の服装を確認する。

 

「………!?」

 

 楽しそうに笑っているのはミラさんだけだ。ベッドの上で顔を真っ赤にし、俺たちに背を向けながらこっちをちらちらと見てくるラウラの服装を目の当たりにした瞬間、俺とナタリアとステラは息を呑んでしまう。

 

 彼女が身に着けているのは、先ほどまで身に着けていた赤いパジャマではなくなっていたんだ。

 

 ふわふわした毛皮で覆われた暖かそうなパジャマでフードもついているみたいなんだけど、白と黒の2つの色の不規則な模様が描かれている。迷彩模様かなと思ったんだが、迷彩模様にしては模様が大き過ぎるし、正反対の色だけで模様を作ったとしても全く意味はない。まるでそのパジャマの模様は牛のようだ。

 

 ラウラが身に着けていたのは―――――牛と同じ模様のパジャマだった。

 

「は………? う、牛…………?」

 

「うぅ…………」

 

(ほら、ラウラちゃん。恥ずかしがっちゃダメだよ?)

 

「ふにゃあ………み、ミラさん、やっぱり恥ずかしい………」

 

(頑張って!)

 

「う………」

 

 もう一度ちらりとこっちを見たラウラは、瞳を瞑ってからくるりとこっちを向いた。そしてベッドの上に座ったまま、胸元のチャックを少しずつ下ろして、大きな胸を強調するために少し前かがみになる。

 

 チャックを開けられた牛と同じ模様のパジャマの隙間からは、彼女のお気に入りのピンクと白の縞々模様のブラジャーが見えていた。

 

「もっ……………モー…………っ」

 

「……………」

 

 恥ずかしそうに牛の鳴き声の物まねをするラウラ。左手を頭の上に伸ばして角が伸びていることを確認した俺は、息を呑みながら顔を紅潮させているラウラを凝視する。

 

 いつも抱き付いてきたり、一緒に風呂にはいる時は恥ずかしがらないんだが、恥ずかしがっているラウラもなかなか可愛らしい。

 

 ナタリアとステラは呆然としたままになっている。

 

 俺は息を吐いてからベッドの近くへと歩み寄ると、まだ恥ずかしそうにしているラウラの隣に腰を下ろした。

 

「お姉ちゃん」

 

「な、なに………?」

 

 まだ顔を紅潮させ、ぷるぷると震えているラウラ。俺は呼吸を整えてから片手を伸ばすと、牛の模様のパジャマに身を包んでいる姉を抱き寄せた。

 

「ふにゃっ………!?」

 

「可愛いよ、お姉ちゃん」

 

「ふにゃあっ!?」

 

 久しぶりに恥ずかしがるラウラを見る事ができた。俺は彼女を両手で抱きしめながら、ドアの近くでにっこりと笑っているミラさんに向かってぺこりと頭を下げる。

 

 すると彼女は笑ったままウインクし、呆然としている2人の肩を静かに叩いてから部屋を後にした。

 

「こ、これ………っ! み、ミラさんがくれたの…………」

 

「ミラさんが?」

 

「う、うん。タクヤが大喜びするからって…………。は、恥ずかしいけど」

 

 ラウラも俺の背中に両手を回し、パジャマから伸ばした尻尾を俺の体に巻き付けてくる。彼女は最近甘える時に、両手だけでなく尻尾まで絡みつかせて来るようになった。俺の尻尾よりも短いんだけど、満足するまで尻尾と両手を離してくれないため、一度甘えられるとなかなか離してくれない。

 

 でも、今は俺もお姉ちゃんから手を離すつもりはなかった。

 

「ど、どうかな………?」

 

「とっても可愛いよ、ラウラ」

 

「ふにゅ…………」

 

 もし今までシスコンにならないように耐え続けていたとしても、牛の模様のパジャマに身を包み、恥ずかしそうにしながら牛の真似をされたら今の一撃でシスコンにされてしまっていた事だろう。

 

 俺はラウラの唇を奪ってから、もう一度彼女を抱き締めた。

 

 

 

 

 



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転生者がオルエーニュ渓谷に出発するとこうなる

 

 パジャマからいつもの服装に着替え、ミラさんの手料理をご馳走になった俺たちは、借りている部屋の中でエイナ・ドルレアン周辺の地図を広げていた。

 

 エイナ・ドルレアンは南方では最大の都市とされていて、魔物の攻撃に備えて建造された防壁は王都の次に巨大とされている。近年では魔物が街を襲撃する件数が激減していて、他の都市では騎士団や守備隊の軍縮が始まっているというのに、この年だけが伝統的なあの防壁を維持し続けているのは、近くにダンジョンが存在しているからだった。

 

 近くにダンジョンがあれば稀にそこから出てきた魔物が街を襲撃する事があるため、予算に余裕のある都市や拠点は防壁を建造する。エイナ・ドルレアンもそのせいで防壁を取り壊す事の出来ない城郭都市の1つで、あの防壁は数年前から全く変化していないという。

 

 付近に存在するダンジョンの中でも特に規模が大きいのが、東部のオルエーニュ渓谷だ。ドラゴンの巣が数多く存在する渓谷地帯で、足を踏み入れればたちまち凶暴なドラゴンたちに襲撃されることから、ドラゴンたちの外殻を貫通できるほどの威力の魔術が発明される前までは、足を踏み入れれば確実に死ぬと言われていた場所でもある。

 

 ドラゴンの空襲を凌いでも、奥へと向かえば今度は谷間に巣を作ったアラクネたちの奇襲攻撃に苛まれる。ドラゴンから逃げ切り、油断して彼らの奇襲攻撃で命を落とした冒険者は数多い事だろう。

 

 更に、21年前にその最深部で新たなダンジョンが発見された。

 

 カノンの実家であるドルレアン家の初代当主であるリゼット・テュール・ド・レ・ドルレアンが埋葬された地下墓地だ。かつて家臣たちの裏切りで命を落とした彼女は、彼女に忠誠を誓い続けた忠臣たちの手によって愛用の得物と共に埋葬され、約1000年もずっと眠り続けていたという。地下墓地の内部には入り込んだ魔物たちが巣を作っている上に、忠臣たちがリゼットの棺の中にある曲刀を奪われることを防ぐために用意したトラップまで残っているため、その危険度は渓谷の2倍と言われている。

 

 内部に生息する魔物は、主にゾンビやスケルトンと言われている。奥に進めばスライムも生息しているという。ゾンビと戦った経験はあるが、スライムやスケルトンと戦ったことはない。

 

 しかも、この2つのダンジョンの危険度はフィエーニュの森の危険度とは比べ物にならないほど高い。

 

「俺らには早過ぎるか………?」

 

「どうする? 他のダンジョンにしてみる?」

 

「うーん………」

 

 他にもダンジョンはあるが、危険度が低いものや、情報が殆ど無いダンジョンもある。前者は槍応えが無い上に報酬も安いだろうし、後者は逆にこういった情報のないダンジョンの方が危険である可能性もある。

 

 地図を見下ろしながら腕を組んで考えていると、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえた。ミラさんか信也叔父さんかと思ったんだけど、あの2人の足音にしては音が小さい感じがする。

 

 地図から目を離してドアの方を凝視していると、木製の綺麗なドアの向こうからノックする音が聞こえてきた。やはりこちらも、この屋敷の持ち主たちのノックよりも音が小さくて可愛らしい。

 

「お兄様」

 

「カノンか」

 

 朝早くからこっちの屋敷にやってきたというわけか。

 

 ドアを開けて入って来たカノンに挨拶をしようと思ったが、部屋に入って来た彼女の表情は、ラウラにちょっかいをかけた時のようにふざけるつもりはないと断言しているようだった。

 

 真面目で、危機感を含んだ重い表情だ。

 

「どうした?」

 

「わたくし、お母様からの試練を受けることになりましたの」

 

「試練? もう?」

 

 ドルレアン家の次期当主候補の子供たちは、当主となるために試練を受けるという習慣がある。その試練の内容は当主が決めることになっているため、難易度はばらついている。もちろんカレンさんもその試練を受けているんだが、彼女の試練は、あの発見されたばかりの地下墓地の最深部にあるリゼットの棺から、他の冒険者や転生者に奪われる前にリゼットの曲刀を回収するという危険な試練だったという。

 

 カレンさんが試練を受けたのは17歳の時だと聞いたが、カノンはまだ14歳。いくら両親から戦い方を教えられている上に様々な才能があるとはいえ、実戦を経験した回数は俺たちよりも遥かに少ない筈だ。ほぼ毎日魔物との戦いを経験していた俺たちが多過ぎるだけかもしれないが、まだ14歳が試練を受けるのは早過ぎるのではないだろうか。

 

「……内容は?」

 

「ドルレアン家の地下墓地周辺に出没する、新種の魔物の討伐ですわ」

 

「新種の魔物?」

 

「ええ。血まみれになった真っ黒な甲冑を身に纏った騎士のような魔物で、冒険者を発見すると雄叫びを発しながら襲い掛かって来るらしいですわ」

 

「デュラハンか?」

 

 甲冑を身に纏っているという特徴を聞いて、俺は図鑑で読んだデュラハンという魔物を連想していた。デュラハンは強力な魔物の一種で、甲冑を身に纏った大男のような姿をしている。だがその大男の首は斬り取られて、紫色の禍々しい炎に包まれながら胴体の周りを浮遊しているという気味の悪い魔物だ。身長は2mほどだけど、腕力はゴーレムをはるかに凌駕し、スピードは全速力で飛ぶドラゴンをあっさりと置き去りにしてしまうほどだという。

 

 元々は大昔に戦死した騎士や戦士の未練や怨念の集合体であると言われており、出没するのは古戦場という事になっている。ドルレアン家の地下墓地の周辺ではかつて裏切った家臣たちとの内乱が繰り広げられていたという記録があるため、出没してもおかしくはない。

 

「いえ、お母様は―――――――もしかしたら、彷徨い続けているウィルヘルムの魂なのではないかと………」

 

「そんな馬鹿な。ウィルヘルムって、最後までリゼットに忠誠を誓い続けた忠臣の1人だろ? 戦死したのは1000年も前だし―――――――」

 

 ありえないと思ったが、俺はすぐに前言を撤回する羽目になった。

 

 強烈な未練のおかげで最強の傭兵たちとして活躍した少女が実在するのだ。今から121年前に病死し、まだ生きていたいという未練で、今では数多の特許を持つ天才技術者として活躍しているフィオナちゃんは、幽霊として未だにこの世界に残り、親父たちと共に活躍を続けている。

 

 彷徨っていた年月は彼女よりも遥かに上だが、1000年も彷徨っている幽霊がいてもおかしくはなかった。

 

 フィオナちゃんの事を思い出してはっとしながらカノンの方をちらりと見ると、彼女は苦笑しながら「まだお母様の仮説ですわ」と呟いた。

 

 もしその魔物の正体が裏切った家臣との戦いの中で命を落としたウィルヘルムならば、その怨念は他の悪霊の比ではないだろう。かつて共に敵を討ち破った戦友たちへの失望や怒りが、彼の成仏を妨げているに違いない。

 

「………危険過ぎるぞ」

 

「分かっていますわ。でも、この魔物を撃破しなければ冒険者の犠牲が増え続けるでしょう。次期当主候補として何とかしなければなりません。それに―――――もしウィルヘルムならば、彼を鎮める事ができるのはリゼットの子孫であるわたくしだけですわ」

 

 ドルレアン家初代当主のリゼットは、カノンやカレンさんの先祖だ。現存する肖像画に描かれている美しい金髪の女性は子孫であるカレンさんやカノンに瓜二つで、もし当時の鎧を2人が身につけたら、きっと人々はリゼットが復活したと勘違いしてしまう事だろう。

 

 彼女の子孫であるからこそ、彼女のために命を落とした英雄を鎮める事ができる。だからカノンはその試練を引き受けようとしたのかもしれない。

 

「ですが、わたくし1人では力不足ですわ」

 

「カノン………?」

 

 部屋を訪れた彼女は、ベッドの上に広げた地図の近くで話を聞いていた俺たちの顔を見回すと、立ち上がってから頭を下げた。

 

「お願いします。―――――――皆さん、わたくしに力をお貸しください」

 

 1人では成し遂げることのできないほど難易度の高い試練だが、もしかするとカノンが部屋に入って来た時に感じた彼女の危機感の原因は、これから危険な試練に挑むことへの緊張ではなく、もしかしたらここで俺たちに拒まれてしまう事だったのかもしれない。

 

 ここで俺たちに断わられれば、カノンは危険な魔物にたった1人で挑まなければならなくなってしまう。

 

「―――――当たり前だ」

 

「お兄様…………」

 

「俺たちの可愛い妹分を、たった1人で行かせるわけにはいかない」

 

「そうだよ、カノンちゃん。私たちも手伝うよ!」

 

 腕を組みながらステラとナタリアの方をちらりと見ると、2人とも首を縦に振りながら微笑んだ。

 

「私たちも手伝うわ。それにあなた、冒険者見習いなんでしょ? 冒険者と一緒じゃないとダンジョンに入れないじゃない」

 

「ステラもお手伝いします」

 

「皆さん…………!」

 

 彼女を1人だけで危険な魔物と戦わせるわけにはいかないからな。

 

 彼女の試練の手伝いをすることにした俺たちは、早速地下墓地へと向かうための準備を始めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン本部の地下に広がる射撃訓練場は、ドルレアン邸の地下にある射撃訓練場と同じくらい広い。さすがに大理石の床ではなく、壁や柱にも一切装飾はない殺風景な空間だったけど、ここにある設備はドルレアン邸の訓練場と全く同じものだ。

 

 コントロール用の魔法陣の傍らで、俺は的に向かって何度もトリガーを引くカノンを見守っていた。武器は俺に作ってもらうように言われて来たらしく、彼女が持っているのは俺の能力で先ほど生産したマークスマンライフルだった。

 

 俺が用意した方がすぐにカスタマイズすることも出来るから、親父が支給した銃を持参するよりも俺が用意した方が良いだろう。

 

 カノンが手にしているライフルは、ドイツ製マークスマンライフルのSL-9だ。俺が使っているG36Kの銃身を伸ばし、キャリングハンドルを低くしてスコープを取り付けたような外見をしており、カスタマイズ済みの俺のG36Kと同じくサムホールストックになっている。

 

 使用する弾薬はアサルトライフルよりも大口径の7.62mm弾で、破壊力と射程距離は彼女のライフルの方が上だ。しかもセミオートマチック式だから、1発撃つ度にボルトハンドルを引く必要はない。

 

 地下墓地に突入することになれば通路での戦いになるため、搭載しているスコープはACOGスコープにしている。倍率は4倍で、接近戦もできるようにスコープの上には小型のドットサイトも装備している。

 

 銃身の下には、伏せながら狙撃することはないと思われるため、バイポットではなく折り畳み式のフォアグリップを装備している。

 

 マガジンの中の弾丸を全て撃ち尽くしたのか、カノンはマークスマンライフルを肩に担ぐと、踵を返してこっちへと戻ってきた。

 

「どうだ?」

 

「7.62mm弾も良いですけど、もう少し口径が小さい方が良いですわ」

 

「5.56mm弾にするか? でも、威力は落ちるし…………。6.8mm弾はどうだ?」

 

 6.8mm弾は、ドイツ製アサルトライフルのXM8などに使用されている弾丸だ。7.62mm弾よりも口径が小さいから反動も小さいし、命中精度も高い。

 

 これならば問題はない筈だ。

 

「では、それでお願いしますわね」

 

「おう」

 

 メニューを開いて生産済みのSL-9をタッチし、カスタマイズ用のメニュー画面を開く。弾薬の項目をタッチして7.62mm弾から6.8mm弾へと変更した俺は、ついでにマガジンの弾数を10発から15発に増やしておいた。弾丸が小さくなったからマガジンの中の弾数も増やせるし、弾数が多い方が攻撃できる回数も多くなる。

 

 50ポイントを使ってカスタマイズを済ませた俺は、SL-9を持つカノンに「弾数は15発に変更した」と告げ、頷いてから再び的の前へと戻っていく彼女を見守る。

 

 スコープを覗き込んだカノンは、折り畳み式のフォアグリップを素早く展開すると同時に照準を合わせ、トリガーを引く。7.62mm弾よりも少しだけ小さな銃声が、射撃訓練場の中を蹂躙し始める。

 

 まるで狙撃しながら早撃ちをしているかのように素早く銃口を的に向け、撃ち抜かれた的の残光が消え去るよりも先に次の的のど真ん中を正確に撃ち抜くカノン。ラウラのように遠距離からの狙撃は苦手らしいが、中距離からの狙撃ならば一瞬で敵を殲滅してしまう事だろう。正確な狙撃と早業が融合した、見事な連続射撃である。

 

 やがて全ての的を撃ち抜いた彼女は、目の前に表示されたメッセージで自分の得点を確認すると、にやりと笑いながらこっちを振り向いた。得点は当然ながら満点だろう。

 

「素晴らしいですわ」

 

「よし、弾薬は6.8mm弾にしよう。…………俺のG36Kも弾薬変えてみるかな」

 

 威力は上がるだろうし、カノンと弾薬を分け合う事ができるようになる。そっちの方が良いかもしれない。

 

 再びメニュー画面を開き、生産済みのG36Kをタッチして弾薬を変更する。50ポイントを消費して弾薬を変更した俺は、ついでにマガジンの横にもう1つのマガジンを取り付けるジャングルスタイルへと変更すると、セレクターレバーをセミオート射撃に切り替え、魔法陣の表面をタッチして射撃訓練を開始する。

 

 あくまで命中精度と反動の強さのチェックのためだから、難易度はレベル1だ。

 

 キャリングハンドルの後部にあるドットサイトを覗き込み、的の中心に照準を合わせてからトリガーを引く。彼女のマークスマンライフルと比べると、俺のG36Kは銃身が短いため命中精度では劣る事だろう。

 

 だが、弾丸は的の中心へと正確に風穴を開けていた。反動も7.62mm弾ほど強くないため、フルオート射撃も十分に可能だろう。

 

「こっちの方が良いな」

 

 ライフルを腰の後ろに下げた俺は、コントロール用の魔法陣をタッチしてトレーニングを終了し、踵を返した。

 

 基本的に、魔物を相手にする際は可能な限り大口径の弾丸が望ましいと親父から教わっている。人間ならばM16などの5.56mm弾で十分だが、魔物の中には巨大な身体を持つものもいるし、アラクネのように硬い外殻を持つ魔物も存在する。防御力の高い魔物には5.56mm弾が弾かれてしまう可能性があるし、巨大な魔物には5.56mm弾の効果が薄いため、魔物と戦う時は大口径の武器が最も有効なのである。

 

 特に、今のところはアンチマテリアルライフルの12.7mm弾を弾くほどの防御力を持つ魔物はいないため、俺たちが使っているアンチマテリアルライフルの火力があれば魔物は容易く撃破できるだろう。

 

 ちなみに親父たちと戦った時のガルちゃんは、無反動砲の対戦車榴弾を弾き、C4爆弾の爆発でもかすり傷すらつけられないほどの防御力を持った怪物だったらしい。最終的に信也叔父さんが咄嗟に生産したロシア製の迫撃砲による砲撃と、エリスさんのパイルバンカーで止めを刺されたらしいけど、もしガルちゃん並みの防御力を持つ魔物が存在するというのならば、俺たちもそろそろ戦車や戦闘ヘリの生産を考えなければならない。

 

「よし、装備はこれにしよう。もう準備は出来たか?」

 

「ええ。あとは部屋に戻って荷物を持つだけですわ」

 

「じゃあ、1時間後に出発しよう」

 

 今回の相手は、もしかしたら伝説の騎士の1人であるウィルヘルムかもしれない。もし本当にウィルヘルムなのならば、長年彷徨い続けている彼を成仏させる必要がある。

 

 まるで俺たちも試練を受けに行くような気分だ。俺はそう思いながら、カノンと共に射撃訓練場を後にすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

『タクヤ君たちは出発したよ』

 

「そうか」

 

 無線機から聞こえる弟の声を聞きながら、社長室の外に広がる街並みを見渡す。モリガン・カンパニーの本社は高い建物というわけではないため、窓の外に見えるのは低い建物や、防壁のようにそびえ立つ工場の群れだけだ。

 

 産業革命の影響で余計に殺風景で重々しくなった風景を見てため息をついた俺は、椅子に腰を下ろしてティーカップを口へと運ぶ。

 

「―――――準備は?」

 

『既にドルレアン家の私兵には対吸血鬼用の装備を支給してある。ノエルの護衛はミラに任せて、僕も戦う予定だよ』

 

「おいおい、参謀が前線に出るのかよ?」

 

『何言ってるの。今まで全線で戦ってたんだよ? 同志リキノフ』

 

「――――――無茶はするなよ、同志シンヤスキー」

 

『人のことは言えないでしょ?』

 

 自分の悪癖の事を言われ、俺は苦笑いした。

 

 ずっとこの悪い癖のせいで、妻や仲間たちに心配をかけてしまった。ボロボロになって帰った俺の姿を見て、泣きそうになっていたエミリアたちに謝る度に何度ももう無茶はしないと思うんだが、この悪癖はなかなか俺の中から消えてくれない。

 

 まるで焼き印のように、俺の中に刻み込まれているのだ。

 

 この悪癖のせいで――――――あの時、彼は死んだ。

 

「ところで、メサイアの天秤の行方はどうなってる?」

 

『ヒントが全く無い。ごめんね、兄さん。まだまだかかるよ』

 

「気にするな。最優先は吸血鬼の迎撃だ」

 

『ところで、兄さんは天秤で何か叶えたい願いでもあるの?』

 

「ああ」

 

 大き過ぎる願いが1つだけある。

 

 これを叶える事ができれば、業火が生み出した陽炎という灼熱の幻は消え去る。俺の戦いはそれで終わるのだ。

 

 だが、願いを叶えるためにはまた無茶をしなければならない。その時の無茶で、今度は誰を泣かせる羽目になってしまうのだろうか――――――。

 

「ありがとな、信也。気を付けろよ」

 

『了解、同志リキノフ』

 

 無線機のスイッチを切り、ティーカップの中の紅茶を全て飲み干した俺は、社長室のデスクの上に飾られている一枚の白黒の写真を見つめる。

 

 その写真に写っているのは、俺と妻たちと子供たちだ。子供たちの中に紛れ込んでいる幼い少女は、モリガンのメンバーであり、最古の竜でもあるガルゴニス。俺の魔力を元にして人間の姿になっているため、顔立ちはラウラにそっくりである。

 

 全員が集まった家族写真は、あの1枚だけだ。もう二度とあの時のように6人がそろう事はないだろう。

 

 だが、メサイアの天秤は手に入れなければならない。

 

 写真に写る幼い頃の子供たちを見つめた俺は、ため息をつきながら椅子から立ち上がった。

 

 



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カノンが対空戦闘をするとこうなる

 

 目の前の景色が、草原から渓谷に変わっていた。

 

 大昔に形成された巨大な亀裂は大瀑布へと変貌し、ドラゴンたちの咆哮までかき消してしまうほどの轟音を響かせている。この大瀑布の絶叫は、まるでここから先に入り込むならば、轟音と凄まじい水飛沫の合間を飛び交うドラゴンたちの餌食になると警告しているかのようだった。

 

 大昔の人々ならば、飛び回るドラゴンたちの影を見て個々の調査を諦めた事だろう。だが、今ではドラゴンを撃破できるほどの破壊力を持つ魔術が考案されているし、撃破するための戦術も考えられている。臆病な冒険者以外には通用する事のない警告だった。

 

「ここがオルエーニュ渓谷か………」

 

「ふにゃあ………すごい滝だね………!」

 

 谷の向こうに見える大瀑布を見つめながら言うラウラ。俺ももう少しこの巨大な渓谷を眺めていたいと思ったが、俺たちがここにやって来たのはカノンの試練に手を貸すためだ。頭を掻いてからフードをかぶり、大瀑布を見つめる姉の隣で装備の確認を始める。

 

 俺の装備はグレネードランチャー装備のG36Kと、アンチマテリアルライフルのOSV-96だ。このアンチマテリアルライフルはロケットランチャーを装備しているため非常に重いが、12.7mm弾と対戦車榴弾の併用による凄まじい攻撃力ならば日ドラゴンの群れを薙ぎ払うことも出来るだろう。だが、ステータスが低いままいつまでもこの得物を背負っているわけにもいかないので、こいつは地下墓地に到達したら装備から解除しておこう。

 

 近代化改修を済ませた2丁のレ・マット・リボルバーも装備しているし、大型トレンチナイフと鍛冶屋で購入した大型ソードブレイカーも装備している。あとは手榴弾とC4爆弾も用意しておいた。内ポケットの中には、リボルバーのMP412REXもある。

 

 ラウラの装備はアンチマテリアルライフルのゲパードM1と、2丁のPP-2000だ。サイドアームに装備しているのは俺と同じくMP412REXで、撃鉄(ハンマー)やグリップなどが紅く塗装されている。それ以外の装備は両足のサバイバルナイフと、鍛冶屋で購入した2本のトマホークとなっている。それ以外にも手榴弾やC4爆弾を装備しているようだ。

 

 地下墓地に到着したら重い武器は装備から解除する予定だが、もし攻撃目標となるヴィルヘルムの防御力が高く、アサルトライフルやマークスマンライフルの弾丸を弾いてしまう場合は、再びアンチマテリアルライフルの出番となるだろう。

 

「ほら、ラウラ。行くわよ」

 

「はーいっ!」

 

 準備を終えたナタリアが、マグプルPDRを腰に下げたながらラウラを呼んだ。既に彼女たちも準備を終えているようだ。

 

 ナタリアの装備は、いつもと同じくマグプルPDRとモリガン・カンパニー製のコンパウンドボウ。このコンパウンドボウには思い入れがあるらしく、装備を変えるつもりはないらしい。サイドアームに装備しているのはロシア製ハンドガンのMP443で、近距離武器はククリナイフとなっている。

 

 それと、もしウィルヘルムの防御力が高かった場合のために、彼女には強力な武器を渡してある。

 

 ナタリアに渡したのは、スウェーデン製無反動砲のカールグスタフM4だ。砲身に照準器とグリップを取り付けたような形状の武器で、84mmの強力な砲弾を発射する事が可能だ。ナタリアには榴弾と対戦車榴弾の2種類を渡してある。

 

 発射した瞬間に後方に強烈なバックブラストを噴出するため、他のロケットランチャーと比べると反動は非常に小さい。それに強烈な破壊力を持つため、ウィルヘルムに命中させる事ができれば彼に致命傷を与えることも出来るだろう。もしかしたら一撃で撃破する事ができるかもしれない。

 

 照準器を搭載しているが、砲身の上には『スポットライフル』と呼ばれる照準用の機銃を搭載している。これは『曳光弾』と呼ばれる発行する弾丸を発射するための装備で、砲弾を発射する前にこれを発射することで照準を合わせる事ができる。彼女のカールグスタフM4に搭載してあるのは9mm弾を発射するタイプで、弾数は7発になっている。砲身の上にある細い銃身の上部から突き出ているのが、スポットライフルのマガジンだ。

 

 ちなみに、ここに到着する前にエイナ・ドルレアンの防壁の外でゴブリンを相手に少しだけ訓練を行っている。

 

 無反動砲の砲身を背中に背負う彼女は、渓谷へと向かえそうな道を見つけたらしく、こっちを振り向いて手を振り始めた。

 

 ドルレアン家の地下墓地へと向かうには、狭い足場から落ちないように移動し続けて中央部へと向かわなければならない。武器を背負ったまま彼女の近くへと向かった俺は、ナタリアが発見した道を見下ろしてため息をついてしまう。

 

「………ここしかないのか?」

 

「大丈夫よ。あんた、男にしては細身だし」

 

「でもさ………狭過ぎるぞ」

 

 ナタリアが発見した道は、いきなり狭い道だった。まるで小さな亀裂をある程度広げて強引に作ったような道で、細身の人間が横向きになってやっと通れそうな程度の幅である。小柄なステラは問題なく通れるかもしれないが、さすがに装備は一旦解除してから進まなければならないだろう。

 

 もうここは危険なダンジョンなのだ。レディーファーストというわけにはいかない。

 

 メニュー画面を開いてアサルトライフルとアンチマテリアルライフルを装備から解除し、内ポケットからMP412REXを引き抜いた俺は、リボルバーを左手に持ったまま狭い道へと向かう。

 

 身体を横向きにし、少しずつ進んでいく。北国の風のせいで岩肌はひんやりとしていて、表面には苔が生えていた。お気に入りのコートについた苔を息で吹き飛ばし、道の狭さに顔をしかめながら岩肌の間の道を通り抜ける。

 

 素早くリボルバーを周囲に向けながら魔物が周囲にいないか警戒したけど、渓谷の入口にはまだ魔物はいないようだ。

 

 狭い道の向こうは、まるで展望台のようになっていた。絶壁の真っ只中にある足場なんだろうけど、この広めの足場からは大瀑布がよく見える。吹き上がる水飛沫の真っ只中を舞うドラゴンの影がこっちに向かって来ないことを確認した俺は、息を吐きながら後の道を振り返った。

 

「敵はいない。いいぞ」

 

 仲間たちが装備している大型の武器を一旦全て解除してから、仲間たちに報告する。ラウラの返事が聞こえてきたのを聞いた俺は、にやりと笑ってから自分の武器をもう一度全て装備し、警戒を続けることにした。

 

 今までは幼少期の訓練で撃破したことのある魔物ばかりだったが、このダンジョンに生息しているのは戦った事のない魔物ばかりだ。渓谷に生息している魔物の中で最も数が多いのはドラゴンとアラクネの2種類で、どちらもアサルトライフルの5.56mm弾を弾いてしまうほど硬い外殻に覆われているため、外殻を撃ち抜くには5.56mm弾よりも口径の大きい弾丸が望ましいと親父から聞いたことがある。この6.8mm弾では撃ち抜くことは出来るだろうか。

 

 武器をリボルバーからアサルトライフルに持ち替えながら待っていると、岩場の道の奥からラウラの呻き声が聞こえてきた。

 

「ふにゃあっ………タクヤぁ……っ!」

 

「はいはい」

 

 狭い道の間から手を伸ばしてくる彼女の手を握り、岩場の間から姉を引っ張り出す。彼女はよろけながら俺の胸に飛び込んでくると、そのままくんくんと匂いを嗅ぎ始める。

 

 わざと胸に飛び込んで来たのかよ………。

 

「えへへっ、良い匂いがするっ」

 

「ラウラと同じ匂いだよ」

 

「あらあら、お姉様ったら」

 

 ラウラの次に岩場の間から出て来たカノンは、ダンジョンの中だというのに俺に甘えているラウラを見て顔を赤くすると、ミニスカートの中から伸びているラウラの尻尾を撫で回し始めた。

 

「ラウラ、ダンジョンの中なんだから」

 

「はーい…………」

 

 残念そうに俺から離れたラウラの頭を撫でていると、今度はナタリアとステラが岩場の間から出て来た。これで全員あの狭い道を通過したという事になる。

 

 メニュー画面を開き、再び全員の武器を装備させる。

 

 ステラの背中に出現したのは、ドルレアン邸の地下で彼女のために生産したロシア製ガトリング機関砲のGSh-6-30だ。接近してきた敵にも攻撃できるように、砲身の中央から突き出ている突起物はランスのようなスパイクになっているため、銃を知らないこの世界の人々がこいつを目にすれば、奇妙なタンクとベルトを装備した変わったランスだと勘違いしてしまう事だろう。

 

 スキルを装備したことによって、武器の弾薬は一部を除いて最初から装着されている分と再装填(リロード)5回分に増加している。だが、ステラが装備するこの獰猛なガトリング機関砲の弾薬は再装填(リロード)2回分しかないし、装着されている弾薬タンクの中には200発しか砲弾が入っていないため、十中八九すぐに弾切れしてしまうに違いない。

 

 そのため、彼女にはサイドアームとしてハンドガンのMP443を渡してある。

 

「それにしても、ステラって重そうな武器ばかり装備してるわよね………」

 

 身の丈よりも巨大なガトリング砲を背負ったステラを見つめながらナタリアが言う。確かに身長が140cmくらいの小柄な少女が持つにはあまりにも巨大過ぎる武器だが、ステラは約150kgのガトリング砲を背負って歩き続けても全く表情を変えていない。

 

 おそらくこの光景から違和感が消えることはないだろう。俺もそう思いながら彼女を見ていると、ステラは隣を歩くナタリアの顔を見上げながら首を傾げた。

 

「グラシャラボラスの方が重いです」

 

「あの鉄球の方が重いのね………」

 

 もしかしたら、ステラなら大型の迫撃砲や戦車まで持ち上げてしまうかもしれないな。

 

 幼い少女が戦車を持ち上げている姿を想像してくすくすと笑った俺は、仲間たちと共に岩場から下へと続く道へと下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

「死体が増えてきましたわね」

 

「ああ」

 

 岩場を移動し続け、絶壁の表面にあった細い足場を何とか通り抜けてきた俺たちの目の前には、腐臭を纏った死体がいくつか横たわっていた。フードの付いたコート姿の死体もあるし、金属製の防具を装備した男性の死体もある。

 

 岩肌に寄りかかった状態で倒れていた白骨化した死体を見下ろした俺は、その死体の胸に装着されている穴の開いた防具を凝視した。おそらくあの穴は魔物の攻撃で空けられたものだろう。

 

 ダンジョンの中は当然ながら危険だ。そのため、ダンジョンの中で命を落とせば基本的に死体は回収してもらえないため、このように腐敗したり白骨化するまで放置される羽目になる。

 

 ナタリアやカノンが顔をしかめる中で、俺とラウラは冷静に死体を調べていた。

 

 死体があるという事は、当然ながらここで殺されたという事だ。その死体に残っている傷痕を見れば、ここでどのような魔物に襲われたのか判別する事ができる。

 

 死体を調べていると、その中に黒焦げになった死体が混じっていることに気付いた。死因は炎で焼き尽くされたということはすぐ分かるんだが、その死体が身に着けている剣は他の死体が持っている剣と違って、新型のロングソードのようだ。

 

 モリガン・カンパニー製のロングソードだろう。従来のロングソードよりも切れ味が上がっているこれを持っているという事は、この冒険者はモリガン・カンパニーの武器が普及し始めた後にここで死亡したという事になる。しかもこのロングソードはモリガン・カンパニーの最新型だ。鍛冶屋にもポスターが張られていた事を思い出した俺は、はっとして咄嗟に折り畳んだ状態で背負っているアンチマテリアルライフルへと手を伸ばす。

 

 最近販売が始まったばかりの武器を持っているという事は、この冒険者が死亡したのは最近だという事だ。そしてこの渓谷で人間を黒焦げにして殺す事ができる魔物は―――――――ドラゴンしかいない。

 

「ラウラッ!」

 

「―――――――分かってる」

 

 背後から聞こえてくる翼の音と唸り声。仲間たちがぎょっとして空を見上げるよりも先にその魔物の襲撃を予測していた俺とラウラは、同時に背中のアンチマテリアルライフルに手を伸ばしながら左右へとジャンプしていた。

 

 その直後、天空から急降下してきた巨大な杭のような爪が、鈍色の岩肌にめり込んでいた。爆風のような砂埃の中で爪が引き抜かれ、落下した岩肌の破片が、まるで黒焦げになった死体を埋葬するかのように降り注ぐ。

 

 地面に着地しながら、砂埃の向こうで再び高度を上げた魔物を見上げる。今の一撃で獲物を全く仕留められたなかったそいつは悔しそうに咆哮を上げると、空中で旋回しながら再び高度を落としてきた!

 

「ドラゴンだ! 対空戦闘ッ!!」

 

 もしドラゴンからの奇襲を受けたのがさっき通過してきた細い道だったのならば、俺たちはたちまちブレスで焼き尽くされていた事だろう。

 

 アンチマテリアルライフルの銃身を展開しながら、照準をドラゴンへと合わせる。ドラゴンのスピードは戦闘機ほどではないが、飛んでいる最中のドラゴンを狙撃で撃ち落とすのは難しいだろう。かつて親父は空を飛んでいるドラゴンを1.7kmの距離から狙撃で撃ち落としたことがあるらしいが、俺にそんな狙撃は出来ない。

 

 だから、ラウラに撃ち落としてもらう。俺は彼女の傍らで発砲し、ドラゴンを牽制するのだ。

 

 ラウラも俺が牽制するためにOSV-96を構えた事に気付いたらしく、一瞬だけこっちをちらりと見てからゲパードM1のアイアンサイトを覗き込んだ。彼女のアンチマテリアルライフルが装填できる弾丸は1発のみだが、命中精度と射程距離はアンチマテリアルライフルの中ではトップクラスだ。しかもそれを手にしているのは、既に狙撃の技術では親父を超えている最強の狙撃手(スナイパー)である。

 

 命中する確率は100%だ。

 

「お待ちください、お姉様」

 

「カノンちゃん?」

 

 旋回を終えたドラゴンにラウラが照準を合わせていると、マークスマンライフルのスコープを調整しながらカノンが呼び止めた。

 

「これはわたくしの試練ですわ。ですから、あのドラゴンはわたくしが仕留めます」

 

「だ、大丈夫なの?」

 

「ええ」

 

 胸を張ったカノンは、スコープの調整を済ませてから銃口を空へと向けた。大瀑布の轟音が響き渡る渓谷の上空から急降下してくるのは、岩肌と同じく鈍色の外殻に覆われた1体のドラゴンだった。騎士団や貴族たちもよく移動に使っているドラゴンである。

 

 幼少の頃、ハヤカワ家に寝泊まりしていたガルちゃんから「ドラゴンには優しくしろ」と言われたが、ドラゴンに襲撃されている状態で優しくできるわけがない。情けをかければ食い殺されてしまう。

 

 ガルちゃんには悪いが、狙撃しようとしているカノンを止めるわけにはいかなかった。

 

『ゴォォォォォォォォッ!!』

 

「お姉様とお兄様を狙うなんて」

 

 そう言った途端、スコープを覗くカノンの目つきが鋭くなった。獲物を狙う時だけにあらわになる、傭兵だった両親から受け継いだ威圧感。カノンのその目つきも、ラウラと同じだった。

 

 マークスマンライフルの銃口を向けられているにもかかわらず、ドラゴンは雄叫びを上げ、口の中に炎を生成しながらこちらへと急降下してくる。まるで機銃掃射で地上を攻撃する戦闘機のように、俺たちをブレスで焼き尽くすつもりなんだろう。

 

 だが、そのドラゴンの業火が俺たちに解き放たれるよりも先に火を噴いたのは、14歳の少女が構えていたマークスマンライフルの方だった。

 

 SL-9の長い銃身からマズルフラッシュが噴き出し、その中から1発の6.8mm弾が解き放たれる。人間を食い殺してしまう獰猛なドラゴンと比べれば小さ過ぎる弾丸かもしれないが、その弾丸は5.56mm弾よりも大口径の弾丸である。5.56mm弾では外殻に弾かれてしまうが、6.8mm弾ならば外殻を貫通して肉をズタズタにすることは可能なのだ。

 

 ドラゴンが発する炎の光で弾丸が見えなくなったと思った直後、ドラゴンの口の中で燃え盛っていた炎が、無数の火の粉となっていきなり霧散し始めた。口の中から無数の火の粉を放出し始めたそのドラゴンは、続けてぐらりと巨体を傾け始め、そのまま岩肌へと向かって墜落していく。

 

 やがて、岩肌とドラゴンの頭が激突する音が聞こえてきた。激突した衝撃で外殻が割れてしまったらしく、ドラゴンが墜落した周囲には鈍色の岩肌の破片と外殻の破片がいくつも転がっていた。

 

「――――――命中ですわ」

 

「い、一撃で…………?」

 

「脳を狙ったのですね」

 

 目を見開くナタリアの傍らで、ステラが無表情のまま小さな声で言った。

 

「ええ。外殻を貫通できる弾丸ですもの」

 

 カノンはなんと、急降下してくるドラゴンの脳を撃ち抜いていたんだ。ドラゴンは5.56mm弾を弾いてしまう外殻を纏っているが、6.8mm弾を弾くことは出来なかったらしい。

 

 遠距離からの狙撃ならばラウラの方が上だけど、中距離での狙撃ならば優秀な選抜射手(マークスマン)だったというカレンさんに鍛えられたカノンの方が上だ。

 

「頼もしいな」

 

「嬉しいですわ、お兄様」

 

 アンチマテリアルライフルを折り畳んで背負った俺は、狙撃を終えたばかりの妹分にそう言うと、彼女の頭を撫でてから奥にある道へと歩き始めた。

 

 



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転生者が地下墓地へ向かうとこうなる

 

 

 6.8mm弾の集中砲火が、鈍色の外殻に覆われたアラクネの顔面を蜂の巣に変貌させた。紫色の体液が岩肌を紫に染め上げ、顔面を滅茶苦茶にされたアラクネが痙攣しながら崩れ落ちていく。

 

 アラクネは、強靭な外殻を持つ防御力の高い魔物だ。外殻に覆われた蜘蛛と人間の女性を融合させたような怪物で、蜘蛛の頭の部分から上へと伸びる人間の女性のような上半身まで同色の外殻に覆われている。だがその顔は人間の女性とは異なり、口の中には無数の牙が並んで常に紫色のよだれを垂らしているため、かなり気持ち悪い。

 

 極めて硬い外殻に覆われているが、頭だけは外殻に覆われていないため、防御力の低い武器でこの魔物を倒すには正確に頭を狙わなければならない。かつてアラクネと戦った親父も、アサルトライフルの弾丸を弾いたこいつらの防御力に驚きながらも頭を撃ち抜いて次々に討伐したと聞いている。

 

 防御力が高い上に動きまで素早い魔物だが、家の地下室にあった射撃訓練場の的のスピードに比べればこいつらの方が遅い。

 

 G36Kをセミオート射撃に切り替えて射撃していると、弾薬を節約するためなのか、隣でMP412REXで射撃を続けていたラウラが、いきなりリボルバーをホルスターに戻してからトマホークを引き抜いた。黒光りする漆黒の禍々しいトマホークを振りかざしながら一瞬だけ俺の方を見るラウラ。俺は彼女と目を合わせながら頷くと、アサルトライフルを腰の後ろに戻してから、腰の左右に下げているホルスターの中に納まっているレ・マット・リボルバーを引き抜いた。

 

 このレ・マット・リボルバーは既にカスタマイズによって近代化改修が実施されている。パーカッション式から近代的なセンターファイア型へと変更され、使用する弾丸も42口径の弾丸から更に破壊力の高い.44マグナム弾へと変更され、この特殊なリボルバーの目玉である散弾も410番の散弾へと変更されている。再装填(リロード)する際の方式は中折れ(トップブレイク)式だが、フレームの追加と強度の増強によってかなり頑丈な銃へと変貌している。

 

 無骨な形状になった旧式のリボルバーを2丁引き抜いた俺は、2本のトマホークを振りかざしながらアラクネの群れへと突撃を開始したラウラを援護するために、リボルバーによる射撃を開始する。

 

「ラウラの援護を!」

 

「了解ッ!」

 

「了解です」

 

「お姉様、無茶をしてはいけませんわよ!」

 

 仲間たちの声を聞きながら、俺のお姉ちゃんはアラクネたちが吐き出す糸の弾幕を容易くひらりと回避すると、姿勢を低くして更に加速し、糸を吐き出し終えたばかりのアラクネの足元へと辿り着く。

 

 ラウラが発する殺気に驚愕したのか、先ほどまで俺たちを獲物だと思って喜んでいたかのようなアラクネは、怯えるようにラウラから距離を離そうとする。しかしラウラはトマホークの裏にあるピックを足の外殻の隙間に突き立てると、呻き声を上げるアラクネの胴体の上へとよじ登り、よだれをまき散らしながら絶叫する魔物の顔面にトマホークを振り下ろした。

 

 まるで水を含んだティッシュを踏み潰したような音がして、アラクネの頭が真っ二つに割れる。よじ登ってきたラウラを鷲掴みにするために伸ばしていた巨大な腕から力が抜け、胴体がゆっくりと地面に崩れ落ちていく。

 

 仲間を殺されて激昂したのか、近くにいたアラクネが咆哮を発しながら、死体からトマホークを引き抜いているラウラへと向かって腕を伸ばしていく。

 

 俺はそいつを狙おうと思ったが、仲間たちの銃撃がもう既にそいつの外殻に被弾していたし、少し離れた位置で糸を吐き出そうとしていた奴がいたため、そいつを狙う事にした。

 

 左右のリボルバーのアイアンサイトを覗き込み、同時にトリガーを引く。このレ・マット・リボルバーは他のリボルバーと違い、9発も弾丸を装填できる。しかも再装填(リロード)の方式も中折れ(トップブレイク)式であるため、再装填(リロード)の速度は非常に素早いのだ。

 

 アメリカの南北戦争で活躍した旧式のリボルバーとはいえ、近代化改修のおかげで性能はかなり向上している。

 

 生まれ変わったレ・マット・リボルバーから吐き出された2発の.44マグナム弾が、胴体から糸を吐き出そうとしていたアラクネの両目を同時に抉り取った。大口径のマグナム弾で目を撃ち抜かれ、剛腕で両目を抑えながら絶叫するアラクネ。距離を詰めて止めを刺してやろうかと思ったが、その絶叫を聞いてステラがそのアラクネに気付いたらしく、左手でハンドガンを撃ちながら右手の鎖を握り、それをそのアラクネへと向かって振り下ろした。

 

 その直後、直径約2mの巨大な鉄球が、巨大な落石のようにアラクネの胴体を押し潰した。ぐちゃ、と鉄球に押し潰されたアラクネが気色悪い音を残し、絶命する。

 

 ステラの持つグラシャラボラスは、ただの鉄球ではない。直径約2mの巨大な金属製の球体に取り付けられているランスのような突起物は、全てドリルのように回転させる事ができるし、その先端部から魔術やレーザーを放つ事が可能なのだ。

 

 攻撃力ならば、今のメンバーたちの中でステラがトップクラスだろう。

 

 両手のリボルバーの撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻しながらラウラの方を振り返ると、既に彼女を狙っていたアラクネは、ラウラが投擲したトマホークによって頭を砕かれ、岩肌の近くで崩れ落ちているところだった。

 

《レベルが上がりました》

 

「おお、上がったか」

 

 どうやら今の戦闘でレベルが上がったらしい。メニュー画面を開いて入手したポイントとステータスを確認する。

 

 現在のレベルは44。攻撃力は1056になり、防御力は1008まで上がっている。一番低いスピードは、まだ989だ。

 

《武器『XM8』がアンロックされました》

 

《武器『TAR-21タボール』がアンロックされました》

 

 レベルアップが上がって追加された武器は、どちらも最新型のアサルトライフルだ。しばらくG36Kを使うつもりだが、いつか作ってみよう。特にXM8は好きな銃だからな。

 

《服装『カレンのドレス』が追加されました》

 

 絶対着ることはないだろう………。

 

「被害は?」

 

「ないわ」

 

 マグプルPDRからマガジンを取り外していたナタリアから報告された俺は、仲間たちを見渡してから頷いた。

 

 アラクネたちに襲撃されたという事は、そろそろ渓谷の中心部という事なんだろう。ドルレアン家の地下墓地は近くにあるに違いない。

 

 今までアラクネと戦ったことはなかったんだが、防御力が高い事と奇襲が上手い事以外は大したことのない魔物だ。弾丸が弾かれるのならば正確に頭を狙えば問題はないし、頭を撃ち抜かなくてもグレネード弾やC4爆弾で吹き飛ばしてしまえばすぐに終わる。

 

 レベルが上がったついでに、俺は仲間たちのステータスも確認しておくことにした。ステータスによって身体能力を強化できるのは転生者だけであるため、仲間たちのステータスはあくまで転生者を基準に換算したものである。

 

 まず、ラウラのレベルは俺と同じく44。攻撃力は998で、防御力は892だ。スピードは俺を上回る1200となっている。仲間の中で最速は間違いなくお姉ちゃんだろう。

 

 ナタリアのレベルは43。攻撃力と防御力は同じく990で、スピードが1120となっている。おそらく彼女が一番バランスが取れているだろう。

 

 カノンのレベルは実戦経験が少ないせいなのか38で、攻撃力は790。防御力は770で、スピードは822になっている。3つのステータスは低めだが、その分射撃の技術が非常に高いため、ステータスが低くても全く問題はない。

 

 ステラのレベルは俺やラウラと同じく44。攻撃力はなんと俺を遥かに上回る3900になっている。俺の攻撃力の約3倍だ。その代わり他のステータスは低めとなっていて、防御力は420、スピードは680となっている。

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 メニュー画面を見ていると、目を見開く原因となったステータスの持ち主が、俺のコートの袖をぐいぐいと引っ張りながら俺の顔を見上げていた。

 

「少しお腹が空きました」

 

「おう」

 

 そろそろドルレアン家の地下墓地に到着する事だろう。戦闘中に魔力を使い果たしてしまった場合、サキュバスである彼女は強力な魔術による攻撃が一切できなくなってしまう。サキュバスは人間やエルフと違って、自分の体内で魔力を生成する能力を持たないのだ。

 

 だから、他の種族や魔物から魔力を吸収しなければ、生きていく事ができない。

 

「どうぞ、ステラ」

 

「はい。――――――んっ」

 

 いつものようにステラに唇を奪われながら、彼女の頭を優しく撫でる。他者から魔力を吸収するための刻印が刻まれた彼女の小さな舌と自分の舌を絡み合わせていると、徐々に身体から力が抜け始めていった。

 

 俺の魔力が、彼女に吸収されているんだ。

 

 今のところ、よくステラに魔力(ご飯)をあげているのは俺とラウラの2人だ。ステラは俺とラウラの魔力の味を気に入っているらしい。

 

 今回は少しお腹が空いただけなのか、ステラはいつもより早めに舌を離し、キスを止めた。そして俺から吸収したばかりの魔力を飲み込むと、うっとりしながら顔を赤くし始める。

 

「やっぱり、タクヤの魔力は美味しいです」

 

「ははっ、ありがと」

 

「いえいえ。いつも美味しいご飯をくれて、ありがとうございます」

 

 サキュバスにとって魔力は攻撃するための動力源だけではなく、主食でもある。だからサキュバスが普通の食べ物を口にしたとしても、彼女たちから空腹が消えることはない。

 

 お礼を言ってくれた彼女の頭を撫でると、俺は転がっているアラクネたちの死体を見渡してから仲間たちの所へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

「ここか………?」

 

 目の前に鎮座する巨大な壁面を見上げながら、俺はそう呟いていた。

 

 その壁面は、明らかに岩肌の壁面ではない。表面に古代文字が刻まれている事を除けば、まるで街を囲む巨大な防壁のように見えてしまう。壁面には森で倒したトロールが通れそうなほど巨大な扉があって、その入り口は少しだけ開いていた。

 

 扉の前に鎮座しているのは、首の欠けた騎士の石像だ。

 

 もしここがドルレアン家の地下墓地への入口ならば、あの入口の奥から魔物が襲いかかってきてもおかしくはない。

 

 ホルスターからリボルバーを引き抜いて警戒しながら入口を凝視していたが、ステラだけは入り口ではなく、壁面に刻まれている古代文字を見上げている。

 

 そういえば、ステラは封印が解除された時、スペイン語やロシア語のような語感の古代語で俺に話しかけてきていた。リゼットが死んだとされているのは1000年前で、彼女たちが絶滅したとされているのが1200年前だ。リゼットの時代の言語も古代語に分類されている言語で、しかもその言語が話されていたのはこのオルトバルカ王国だから、ステラにとってあの古代文字は自分の母語なんだろう。

 

 すらすらと古代語を読み上げ始めるステラ。俺はレ・マット・リボルバーを入口へと向けながら、ステラに問い掛けた。

 

「なんて書いてある? 訳せるか?」

 

「―――――――『此処(ここ)は我らが英雄が眠る場所なり。眠りを妨げるならば、我らの剣が汝を貫くだろう』と書かれています」

 

「警告ってことか」

 

 我らの剣というのは、おそらく内部に仕掛けられているトラップの事だろう。そのトラップで地下墓地の調査に向かった冒険者も数多く命を落としているという。

 

「そういえば、ウィルヘルムが戦死したのはこの入口なんだろ?」

 

「はい、お兄様。ウィルヘルムは、ここで裏切者たちを喰い止め続けて戦死したのですわ」

 

 きっとここで戦死したウィルヘルムの魂が、主君の棺を守るために地下墓地の中へと入り、侵入してきた冒険者たちを攻撃し続けているんだろう。

 

 足を踏み入れれば、俺たちも敵だと判断されるに違いない。主君の棺を必死に守ろうとするウィルヘルムから見れば、俺たちは主の眠る場所に足を踏み入れてきた敵でしかないのだから。

 

 だが、彼の戦いはもう1000年前に終わっている。ウィルヘルムは、自分の戦いが終わっていることにまだ気付いていないのかもしれない。

 

 彼に戦いは終わったと告げるのは、リゼットの血を受け継いでいるカノンの役目だ。俺たちは彼女を、リゼットの忠臣たちのように支えなければならない。

 

「………行きますわよ、皆さん」

 

「おう」

 

 カノンはマークスマンライフルを背負うと、腰に下げていた銃を取り出した。

 

 カノンが取り出した銃は、ドイツ製PDWのMP7A1だ。彼女のために生産したSL-9と比べると遥かに銃身が身字が短いが、4.6mm弾を連射する事ができる獰猛な破壊力のPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)である。折り畳み式のフォアグリップとチューブ型のドットサイトを装備し、地下墓地内部での戦闘のためにライトも装着してある。

 

 レ・マット・リボルバーをホルスターに戻した俺は、心配そうにカノンを見つめているラウラを見て頷いてから、地下墓地の入口へと入って行こうとする彼女の肩を掴んだ。

 

「お兄様………?」

 

「レディーファーストというわけにはいかないからな。………俺が先頭だ。カノンはラウラの近くにいろ」

 

 実戦経験の浅い彼女を先頭にするのは危険だ。

 

 だが、これはカノンの試練だ。試練を与えられたドルレアン家の次期当主候補としてのプライドがあるカノンは、首を横に振ってから俺の手を振り解こうとする。

 

「ダメですわ。これはわたくしの試練――――――」

 

「ああ、そうだ。お前の試練だ。…………だからお前を守らなければならない。死んだら領主にはなれねえぞ」

 

「お兄様………」

 

 彼女の肩をぽんぽんと優しく叩いてから、俺は腰の後ろに下げていたG36Kを取り出し、ライトのスイッチを入れた。巨大な扉の隙間から内部を照らし、魔物が潜んでいないことを確認してから、仲間たちの方を振り向いて頷く。

 

「ラウラとステラはカノンを守ってくれ。ナタリアはサポートを頼む」

 

「了解よ」

 

 ラウラはエコーロケーションで敵を察知する事ができるからすぐにカノンに襲い掛かっていく魔物を迎撃できるし、ステラは魔術も使う事ができるからカノンの近くでサポートしてもらった方が良いだろう。

 

 指示を出し終えると、ナタリアも俺の近くへとやってきてマグプルPDRのライトで入口の中を照らし始めた。彼女のPDRも、俺のアサルトライフルやカノンのマークスマンライフルの弾薬と同じ6.8mm弾に変更してある。

 

「ラウラ、敵の反応はある?」

 

「―――――――入り口付近にはいないよ。でも、通路の奥には動いてる奴がいる」

 

「魔物か?」

 

「多分ね」

 

 通路の奥か………。いきなりその魔物を撃破する羽目になるかもしれない。

 

 息を吐きながらナタリアを見て頷いた俺は、素早く開いている入口の中へと飛び込んだ。超音波で索敵したラウラは入口の付近に魔物はいないと言っていたから、いきなり地下墓地の中に飛び込んだ俺が攻撃されることはありえないだろう。

 

 少しだけひやひやしながら銃を構えたが、やはり魔物が襲い掛かって来ることはなかった。俺の足音が通路の奥へと響いていく以外は静かで、真っ暗な通路が広がっているだけである。

 

「………」

 

「静かな場所ね………」

 

 俺の後に入って来たナタリアが、真っ暗な通路をライトで照らしながら呟いた。

 

「それにしても、このライトって便利よね。松明やランタンよりも明るいし」

 

「ああ、こっちの方が便利だ」

 

 それに、俺は炎を自在に操る事ができる。もしライトが使えなくなってしまったら、自分の炎をランタン代わりにすれば問題はないだろう。

 

 入口の外で恐る恐るこっちを見つめているカノンに向かって頷きながら親指を立てた俺は、ナタリアと共にゆっくりと遺跡の通路を進み始める。

 

 真っ暗な通路の壁面に刻まれているのは壁画だろうか。何ヵ所か崩れているせいでどのような壁画が描かれているのか分からないが、おそらくリゼットや彼女の忠臣たちの壁画だろう。

 

 壁画と共に壁に刻まれているのは、ここで犠牲になった冒険者たちの血痕だ。魔物に食い殺された冒険者たちの血痕が残っている壁面をライトで照らし出した俺は、顔をしかめながら通路の奥を照らす。

 

 この地下墓地に調査に向かった冒険者の生存率は40%。やはり俺たちにはまだ早かったのだろうか?

 

 生存率の事を思い出してぞっとしていると、入り口に入ってからずっとエコーロケーションで敵の索敵を続けていたラウラが告げた。

 

「――――――気を付けて。魔物が私たちに気付いたよ」

 

「了解」

 

 魔物たちは、もう俺たちが地下墓地に入り込んだことに気付いたらしい。

 

 隣でPDWを構えるナタリアをちらりと見た俺は、G36Kの銃口を通路の奥へと向けながら、キャリングハンドルに装着されているスコープを覗き込んだ。

 

 



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転生者が地下墓地の魔物と戦うとこうなる

 

 スコープのカーソルの向こうにうっすらと見えたのは、防具を身に着けた人影だった。錆びついた防具を身に着け、ボロボロになった剣を片手に持ちながらふらふらとこちらに向かって来るその人影の手足は、普通の人間と比べるとやけに蒼白く、細い。

 

 他の冒険者かと思ってしまったが、ラウラのエコーロケーションによる索敵によって既にその人影の正体は魔物であると理解している。地下墓地のようなダンジョンに生息し、あのように蒼白く細い手足を持つ魔物の正体を理解した俺は、その魔物の頭へと照準を合わせると、すぐにトリガーを引いた。

 

 セミオート射撃でぶっ放した6.8mm弾がマズルフラッシュで照らされた通路の中を一瞬で駆け抜けて行き、残響が反響を繰り返しながら弾丸を追いかけていく。しかし荒々しい残響が哀れな魔物に掴みかかるよりも先に、スコープの向こうにいたその魔物の首から上は、かつん、と軽い音を立てながら胴体の上から転がり落ちていた。

 

「スケルトンだッ!!」

 

 地下墓地や廃墟に生息する魔物の一種だ。草原や森などには生息する事のない魔物だが、このようなダンジョンには必ず生息している。ゾンビのように動きは非常に鈍いが、基本的にボロボロの鎧と剣で武装している上に集団で襲い掛かって来る危険な魔物である。

 

「射撃開始!」

 

「了解ッ!」

 

 隣にいたナタリアもPDWをセミオート射撃に切り替えて攻撃を開始する。まだ射撃の命中精度は低く、何発か狙いを外して胴体を撃ってしまっていたが、草原でゴブリンと戦っていた頃と比べるとナタリアの命中精度は上がっているようだ。

 

 スケルトンたちは防具を身に着けているものの、その防具は錆びついたりボロボロになっている粗末な防具だ。5.56mm弾でも普通の防具を貫通できるのだから彼らの粗末な防具に弾かれるわけがないし、スケルトンの防御力も高くはない。

 

 G36Kのセミオート射撃でスケルトンの頭を吹き飛ばし続けていた俺は、ちらりと仲間たちの様子を確認した。カノンはMP7A1を構えて射撃しようとしているが、ラウラは俺とナタリアの2人で判断したのか、射撃しようとしている彼女を止めている。

 

 確かに数は多いが、人間と同じく頭を撃ち抜けばすぐに倒せるというのならば短時間で殲滅できるだろう。

 

「ステラ、そのガトリング砲はまだ温存しとけよ!」

 

「はい。では、ステラはタクヤのカッコいい戦い方をじっと見ています」

 

「あ、ああ……」

 

 ステラにそんなことを言われて少しだけ顔を赤くしてしまったが、それを聞いていたラウラが睨みつけてきたので、咳払いしてから攻撃を続けることにした。

 

 スコープから目を離してドットサイトを覗き込む。フルオート射撃で一気に薙ぎ払ってしまおうかと思ったが、まだここはダンジョンの入口だ。ウィルヘルムと思われる新種の魔物との戦いのために弾丸は温存しておくべきだろう。

 

「ナタリア、援護を!」

 

「えっ? た、タクヤっ!?」

 

 G36Kを腰の後ろに下げ、鞘の中から大型トレンチナイフと大型ソードブレイカーを引き抜く。この大型ソードブレイカーは、以前から俺が使っている大型トレンチナイフの派生型の武器らしく、グリップとフィンガーガードのデザインは全く同じだ。重量もほぼ同じだから、引き抜いた時の感覚もこの得物に近かった。

 

 スケルトンたちが持っているボロボロの剣と比べれば、大型のナイフとはいえ短い。だが、切れ味と頑丈さならばこっちの方が上だ。日本刀の素材にも使われる玉鋼を使用したこのナイフが、あんなボロボロの剣に負けるわけがない。

 

『グォォォ!!』

 

 戦士のような雄叫びを上げながら剣を振り下ろしてくるスケルトン。俺は左手のソードブレイカーを構え、大きめのセレーションでスケルトンの剣戟を受け止めると、そのままソードブレイカーを反時計回りに捻った。

 

 スケルトンが手にしていた錆びついたロングソードが曲がったかと思うと、一瞬だけ錆だらけの刀身に亀裂が浮かび上がり、その亀裂が瞬く間に巨大化して刀身がへし折れる。錆びた破片をまき散らしながら左側へと吹っ飛んでいった刀身が壁に激突すると同時に、今度は右手に持っていた大型トレンチナイフをスケルトンの顔面に思い切り突き立てる。

 

 まるで木の幹にナイフを突き刺したような感覚だった。スケルトンは呻き声を発すると、右手からへし折られた剣を落とし、そのまま地面に崩れ落ちてバラバラになった。

 

 服の下から蒼い外殻に覆われた尻尾を出し、前方から錆びついたカトラスで斬りかかってきたスケルトンの喉元を貫く。銃弾を弾き返してしまうほど硬い外殻に覆われた尻尾は容易くスケルトンの防具を貫き、そのまま首の骨まで貫いてしまう。

 

 このまま首をへし折って止めを刺してやろうと思ったんだが、止めを刺す前にそのスケルトンの眉間にナタリアの6.8mm弾がめり込み、俺の尻尾に止めを刺される前にそのスケルトンはバラバラになってしまった。

 

「おいおい、獲物を取るなよ」

 

「何言ってんのよ。………怪我はない?」

 

「ああ、無傷だ」

 

「それはよかったわ」

 

 ナイフを鞘に戻しながら報告すると、ナタリアは微笑みながら頷いた。彼女の方も怪我はしていないようだ。

 

「弾薬は?」

 

「このマガジンの中にあと5発くらいかしら? でも、マガジンはまだあと5個あるわ」

 

「今のうちに別のマガジンに変えとけ」

 

 戦闘中に再装填(リロード)するのは危険だからな。いくら銃でも、再装填(リロード)中は攻撃できないから、もしさらにスケルトンの大軍が襲いかかってきた場合、再装填(リロード)の最中に距離を詰められてしまう恐れがある。

 

 ナタリアがマガジンを交換しているうちに、俺はスコープを覗き込み、ライトで照らし出しながら通路の奥を凝視した。このスケルトンたちが襲いかかってきた通路の向こうにはもう何もいないようだが、ここは危険度の高いダンジョンだ。もしかしたら別の魔物が隠れている可能性があるし、

 

 トラップが仕掛けられているかもしれない。特に裏切者たちの侵入を防ぐためのトラップで、命を落としていった冒険者たちは数多いのだ。

 

「何もないな」

 

 仲間たちに向かって手を振り、奥へと歩き出す。

 

 通路の奥には曲がり角があった。ちらりと後ろを歩くナタリアを見てから曲がり角に隠れ、恐る恐る通路の向こうを覗いてみる。

 

 相変わらず、その曲がり角の向こうにも崩れかけの壁画と苔やツタに覆われた床が続いているだけだった。魔物は見当たらないし、トラップもない。念のために天井も見上げてみたけど、天井の隙間から伸びた木の根が、まるで女性の頭髪のようにぶら下がっているだけだった。

 

「ん?」

 

 通路の奥をスコープで覗いてみると、無数の白骨死体が転がる通路の向こうに、ボロボロの台座のようなものが鎮座していた。その上には黒い残骸のようなものが乗っているようだが、既に破壊されているらしく機能を停止しているようだ。

 

 おそらく、トラップの制御装置の1つだろう。

 

「あれは何?」

 

「安心しろ。………制御装置のようだが、もうぶっ壊れてる」

 

 既に他の冒険者が破壊したようだ。焦げ付いている台座が苔で覆われ始めているという事は、かなり前に破壊されていたらしい。床の上に転がる白骨死体の中の誰かが、命懸けで破壊してくれたんだろうか。

 

 後ろからやってくるカノンやラウラたちに手招きし、彼女たちが合流してくるまで通路の様子を確認する。壁画が描かれている崩れかけの壁面や、気味の悪い木の根がぶら下る天井を何度も確認してトラップが無い事を確認してから、アサルトライフルを足元に立て掛けてため息をつく。

 

 指先に小さな蒼い炎を出してランタン代わりにしながら、ポケットから取り出した懐中時計を照らし出して時刻を確認する。今の時刻は午前11時26分。まだダンジョンに入ったばかりだから、最深部に到着するのは午後になるだろう。下手をしたらこのダンジョンの中で野宿をする羽目になるかもしれない。

 

 非常食はあるし、炎はこのように自由に出す事ができるから、壁面から伸びている木の根を使えば焚火は出来そうだ。だが、こんな気味の悪いダンジョンの中で眠るのは難しいだろう。間違いなく安眠は出来ない筈だ。

 

「べ、便利な身体ね………」

 

「まあな。属性は決まってるけど」

 

 キメラは普通の人間と違い、既に体内に属性に変換された魔力を持っている。普通の場合は詠唱や魔法陣などで魔力を属性に変換し、それから撃ち出す必要があるんだが、キメラの場合は既に魔力が返還されているため、その属性の魔術ならば詠唱や魔法陣は必要ない。しかもこのように指先から炎を出したり、手から炎を噴出してバーナー代わりにすることも可能なのだ。

 

 その代わり、体内の属性に特化しているため、それ以外の魔術を使う場合は一旦体内の魔力を無属性に変換し直してからもう一度変換し直さなければならないため、普通の人間と比べると魔術を使うための時間が長くなってしまう上に、発動できる他の属性の魔術も威力が落ちてしまう。

 

 俺の属性は親父から受け継いだ炎と、母さんから受け継いだ雷の2つ。ラウラはエリスさんから受け継いだ氷属性のみとなっている。キメラの体内にある魔力の属性は、どうやら両親が得意としていた魔術の属性で決まるようだ。

 

「ふにゅう………何かあった?」

 

「何もないよ。………行こうぜ」

 

 合流してきたラウラにそう言って、曲がり角の向こうへと向かう。

 

 仲間たちが合流する前にトラップが無いか確認しておいたんだが、念のためにまだ床や天井をライトで照らしながらゆっくりと進んでいく。ラウラのエコーロケーションは敵の索敵は出来るが、このように通路などに隠されているトラップまで発見するのは不可能だ。だから彼女の索敵に頼らず、自分で探さなければならない。

 

 通路の真ん中に鎮座する台座の上には、真っ黒に焦げた石ころのようなものが乗っていた。石炭のように見えるが、よく見ると表面には複雑な模様が刻まれている。

 

 やはりこれはトラップの制御装置だったのだろうかと歩きながら考えていると、最後尾を歩いていたステラの方から、べちょ、と水溜りを踏みつけたような音が聞こえてきた。

 

「ん? ステラ?」

 

「………何か踏みました」

 

 顔をしかめながら俺の傍らへと駆け寄ってくるステラ。どうやら気持ち悪かったらしい。

 

 だが、床に水溜りはなかったぞ。床にあるのは苔と白骨死体の破片くらいだった筈だ。ステラはいったい何を踏みつけたんだ?

 

 はっとしながら立ち止まり、G36Kのライトで先ほどステラが踏みつけた床を照らし出す。ランタンよりも明るい蒼白いライトが先ほどまで照らし出していたのは苔だらけの床だった筈だが、ライトに照らし出されたのは苔に覆われた床ではなかった。

 

 水溜りのようなものを踏みつけてしまったステラの小さな足跡が残されている床の隙間から、赤紫色の粘液のような何かが溢れ出していたんだ。

 

 床から溢れ出してきたその粘液は水溜りのようになってから盛り上がり始めると、まるでゼリーの球体のような姿へと変貌していく。

 

「こ、こいつは――――――スライムか?」

 

 今まで一度も戦ったことはないが、家にあった図鑑で何度も目にしたことがある。

 

 強酸性の粘液で形成された魔物の一種で、生物を見つけるとすぐに襲い掛かり、粘液で体を溶かして吸収してしまうという恐ろしい魔物だ。しかも剣で斬りつけたり、矢で撃ち抜いても全く意味はないため、基本的に撃破するためには魔術を使うしかない。そのため、魔術が使えない冒険者はスライムと遭遇したら逃げるしかない。

 

 目の前に現れたスライムは50cmくらいの大きさしかないが、銃弾を何発も叩き込んだとしてもこいつは倒せないだろう。弾丸が無駄になるし、迂闊に弾丸をお見舞いすれば飛び散った粘液で負傷する可能性もある。

 

「お姉ちゃんに任せて」

 

「ラウラ?」

 

 銃口を向けながら仲間たちと共に後ずさりしていると、ラウラがにっこりと笑いながら前へと歩き始めた。武器は手にしていない。

 

「お姉様、危険ですわ!」

 

「ラウラ、無茶よ!」

 

「大丈夫だよ、みんな」

 

 彼女はこっちを振り向いてから微笑むと、スライムを見下ろしながら右手を振り上げた。すると、ラウラの白い肌がまるで鮮血のように紅い氷に包まれ始め、地下墓地の通路を冷気で蹂躙し始める。

 

 スライムは近くにいるラウラから吸収しようとしたようだが、獲物に触れなければ溶かして吸収できないスライムでは、俺のお姉ちゃんに勝利することは出来ないだろう。

 

 なぜならば、ラウラは相手に触れなくても冷気だけで氷漬けにする事ができるのだから。

 

 ラウラを吸収するために近付き続けていたスライムに彼女が氷で覆った自分の手を近づけた瞬間、その手を包み込もうとスライムが伸ばした粘液の触手が、紅い氷に覆われ始めた。やがて触手を全て氷結させた紅い氷は主を吸収しようとしていたスライムを逆に包み込み始め、そのまま氷漬けにしてしまう。

 

 手をそっと離したラウラは、冷気の中に鎮座する紅い氷の塊を見下ろすと、にこにこと笑いながら俺の方を振り向いた。そのまますたすたとこっちに近付いてくると、いつも甘えてくる時のように抱き付いてくる。

 

「えへへっ。どうだった?」

 

「かっこよかったよ、お姉ちゃん」

 

「えへへへっ、ありがとっ」

 

 抱き着いたまま頬ずりを始めるラウラ。かなり喜んでいるらしく、ミニスカートの中から伸びる彼女の紅い尻尾は先ほどから左右に揺れている。

 

 彼女の頭を撫でてあげようと思ったんだが、手を伸ばしかけたその時、尻尾を振りながら俺に抱き付いているラウラの背後の床から、またしても赤紫色の粘液が滲み出した事に気付いた俺は、慌ててラウラの身体を引っ張りながら叫んだ。

 

「おいおい、まだいるぞッ!」

 

「ふにゃあっ!? お、お姉ちゃんがまた凍らせる!?」

 

「いや………」

 

 さっきみたいな小さい奴だけならばもう一度ラウラにお願いしていた事だろう。だが、ラウラの後ろの床から滲み出した粘液の量は、先ほど姿を現したスライムよりも遥かに多い。確実に先ほどのスライムよりも巨大なスライムが形成されることだろう。

 

 しかも、他の床からも次々に粘液が滲み出し、スライムを形成しつつある。このままではこの粘液たちに包囲される羽目になる。

 

「逃げようぜ!」

 

 アサルトライフルを腰の後ろに下げてからラウラの手を引いた俺は、片手をスライムへと突き出し、手の平に蒼い炎の球体を形成した。体内の炎属性の魔力を抽出して形成した炎の球体を放ち、形成する途中だったスライムの粘液をいくらか蒸発させた俺は、牽制するためにもう一発炎の球体を別のスライムへとお見舞いすると、セミオート射撃でスライムたちを牽制していた仲間たちを連れて通路の奥へと突っ走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 産業革命の影響で、エイナ・ドルレアンの街並みは変わっている。城郭都市だという事はかつてレリエル様がこの世界を支配していた頃から変わらないが、その防壁も新しいものに変更されて頑丈になっている上に、防壁の上には新しい装備を身に着けた騎士たちが駐留して警備している。

 

 だが、彼らが戦う相手は基本的に盗賊か魔物だけだ。姿が人間と変わらない我々を見分ける事ができない彼らとは戦う必要はないだろう。

 

 我々の目的は、かつてレリエル様を魔界で葬った憎たらしいあのキメラを抹殺する事だ。今やこの国で最大の企業となったモリガン・カンパニーの頂点であり、最強の傭兵ギルドと言われたモリガンのリーダーでもあるリキヤ・ハヤカワを消せば、再び我々が世界を支配する事ができるだろう。

 

 しかし、リキヤ・ハヤカワはレリエル様を倒した最強の男だ。しかも奴の妻たちは我々の同胞を瞬殺してしまうほどの実力者だし、奴の仲間の1人である策士のシンヤ・ハヤカワは厄介だ。おそらく我々がリキヤ・ハヤカワを狙っていることはもう察知しているだろう。

 

 だから、奴よりも先にシンヤ・ハヤカワを消すのだ。優秀な策士を消し、魔王に苦痛を与えてやるのである。

 

 シンヤ・ハヤカワが住んでいるのはエイナ・ドルレアンの屋敷だ。かつてネイリンゲンにあったというモリガンの屋敷を再現しているらしく、そこで妻と娘と3人で暮らしているらしい。

 

 舞台裏での戦いは勝ち目はないだろう。だが、奴はモリガンのメンバーの中でも非力な方だと聞いている。だから直接襲撃すれば抹殺するのは容易い筈だ。

 

 隣を歩く同胞と目を合わせようとしたその時だった。天空から爆音が聞こえてきたかと思うと、俺の顔の近くを何かが通過し、その通過した何かが隣にいた同胞の顔面に喰らい付いた。

 

「なっ!?」

 

 我々は吸血鬼だ。弱点である銀で攻撃されない限り、すぐに傷口を再生させる事ができる。だが、たった今何かに頭を吹き飛ばされた同胞は、手足を痙攣させながら倒れているだけで、傷口を再生させる気配は全くない。

 

 まさか、今の攻撃は銀なのか………!?

 

「おい、フレデリックが!」

 

「分かってるッ!」

 

 同胞を怒鳴りつけながら、俺は今の攻撃が飛来した建物の屋根の上を見上げた。

 

 産業革命の影響で建築された工場から突き出た槍のような煙突の上で、白い煙と共に黒いトレンチコートがたなびいている。その漆黒のコートを身に纏いながら黒いシルクハットをかぶっている人物を睨みつけながら、俺は同胞と共に剣を抜いた。

 

「―――――――やあ、吸血鬼の諸君」

 

「貴様がシンヤ・ハヤカワか!?」

 

 剣を向けながら問い掛けると、男は煙突の上でシルクハットを頭の上から取って頭を下げ、再びかぶり直した。挨拶をしたつもりなんだろうか。

 

「ようこそ、エイナ・ドルレアンへ」

 

 煙突の上から見下ろしてくる男が発する威圧感は、彼が我々よりも遥かに手強いという事を告げ始めていた。非力な者が発するさっきと威圧感ではない。まるで吸血鬼の英雄であるレリエル様のように強烈な威圧感だ。

 

 モリガンのメンバーの中でも非力な男が、こんなに凄まじい威圧感を発するのか………!!

 

 威圧感だけで心を折られそうになりながら、俺と同胞は剣を構え、煙突の上の男へと飛び掛かって行った。

 

 



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地下墓地の最深部に向かうとこうなる

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

 息が切れるまで全力疾走したのは久しぶりだ。ラウラと一緒に息切れするまで屋根の上を駆け回って鬼ごっこをしていた頃を思い出しながら呼吸を整え始めつつ、俺は後ろを振り返る。

 

 スライムは強酸性の粘液で出来た恐ろしい魔物だが、スピードは非常に遅い。だが、動きが遅い魔物とはいえ液体状である上に触れられればすぐに身体を溶かされてしまうため、取り囲まれたり退路を断たれる前に脱出しなければならなかった。動きが遅いからと油断してスライムの餌食になった冒険者は何人もいるのである。

 

 だが、ステラが踏みつけた床から姿を現したスライムたちはもう俺たちに追いつけないと判断したのか、背後から追いかけてくる気配はなかった。念のためアサルトライフルのライトで照らしながら床を確認してみるが、湿っている場所はないし、スライムがまた出てくる気配はない。

 

「に、逃げ切れましたわね………!」

 

「ああ………」

 

 呼吸を整えながら蜘蛛の巣だらけの天井を見上げた俺は、呼吸を整えながら懐中時計で時刻を確認し、通路の奥をライトで照らした。

 

 俺たちが到着したこの通路は、さっきスライムに襲われた通路の奥にあった階段を駆け下りた先に広がっている通路である。それほど長い通路ではないようだが、奥の方には重そうな2つの扉が用意されているようだった。その扉の間にある壁にはリゼットらしき女性が描かれた壁画がある。

 

 基本的に一本道だったんだが、どうやら分かれ道になっているようだ。どちらかがトラップである可能性もある。

 

 いきなりライトで照らされて逃げ回る蜘蛛やムカデを見て顔をしかめながら、俺は仲間たちと共にその扉の近くまで向かった。

 

 扉はどちらも全く同じデザインだった。もしかしたらどちらも普通の扉で、この先にリゼットの棺が置かれているという最深部があるんじゃないかと思ったが、ここは彼女の家臣たちが裏切者たちの侵入を阻むために無数のトラップを仕掛けたという危険なダンジョンだ。易々と侵入者を最深部に向かわせるような仕掛けがあるわけがない。

 

「どっちかがトラップって事なのか………?」

 

 どちらかを開ければトラップが発動する仕組みにでもなっているのだろうか? 

 扉や壁に描かれている壁画にヒントはないだろうかと思って壁を凝視してみたが、描かれているのは2本の曲刀を手にするリゼットの壁画のみで、ヒントらしきものはなにも描かれていない。

 

 どちらを開ければいいのだろうか? 迂闊に開けてトラップを作動させてしまい、仲間たちを危険にさらすわけにはいかない。しかもこのダンジョンにやって来たのはいつものようなダンジョンの調査ではなく、カノンの試練のためである。この試練を達成して生還し、カレンさんから当主の座を受け継ぐべき彼女を守り抜かなければならない。

 

 その緊張が俺の手に絡みつき、先ほどから扉を開けようとする俺の手を阻み続けていた。

 

「………タクヤ」

 

「ん?」

 

 考えている最中にまたしてもぐいぐいと俺のコートの袖を引っ張ってくるステラ。もしかして、もうお腹が空いたのだろうか? 確かにそろそろお昼だから彼女にも魔力(ご飯)をあげなければならない。

 

 ついでに昼食でも摂りながらどちらの扉が正解なのか考えてみようと思いながらサキュバスの幼い少女を見下ろすと、彼女はちらちらと後ろを見て顔をしかめながら、後方を指差していた。

 

「………また来ました」

 

「えっ?」

 

 また来た………?

 

 先ほど彼女がスライムを踏みつけた時に、気持ち悪そうに顔をしかめていたのを思い出した俺は、ぎょっとしながら後ろを振り返る。

 

 先ほど歩いてきた時は黴臭い通路の中に苔の生えた石畳が広がっているだけだったが、その石畳の一部から赤紫色の粘液が滲み出していることに気付いた俺は、ぎょっとしながら大慌てで扉の方を振り向いた。

 

 どうやらこの通路に潜んでいたスライムたちが、俺たちがやって来たことに気付いたらしい。奴らの動きは遅いが、もしさっきの通路のようにスライムの大軍が出現してくれば、ここは先ほどの場所よりも短い通路だから容易く追い詰められてしまう。

 

 ラウラの氷と俺の炎があれば撃退する事ができるかもしれないが、魔力を大量に使う羽目になるし、背後からスライムに襲い掛かられてそのまま取り込まれてしまう危険性もある。それに目的は最深部まで向かう事だから、ここでスライムと戦う必要はない。

 

 リスクの高い戦いを避けるために、俺はすぐ逃げることを選択した。

 

 どちらかの扉がトラップである可能性があるが、背後からスライムが出現し始めているのだ。一刻も早くこの扉の向こうに逃げ込まなければならない。

 

 背後の石畳から溢れ出した恐怖に警戒心をかき消された俺は、躊躇することなくまず右側の扉を両手で掴み、少しずつ開け始めた。石畳と扉のこすれ合うドラゴンの唸り声のような重々しい音が、通路に響き渡っていく。

 

 大慌てでアサルトライフルを取り出し、ライトのスイッチで扉の向こうを照らし出しながら足を踏み入れる。だが、扉の向こうにあった通路を照らし出す筈だったライトの蒼白い輝きは、暗闇の中に鎮座していたゼリーのような何かに反射され、赤紫色に変色した光で通路を照らし出した。

 

 G36Kのライトで照らされていたのは――――――赤紫色の粘液の塊だった。

 

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 通路の高さは7mくらいだろう。その通路を塞いでしまうほど巨大な粘液の塊が、地下墓地の通路にぎっしりと詰まっていたのである。

 

 獲物が扉を開けてくれたことに気付いた粘液の表面がうねり始めたが、俺はスライムがそこから粘液の触手を伸ばしてくるよりも先に後ろの通路へと戻り、全力で扉を閉めてから反対側の扉を掴んだ。

 

「ふにゃっ!? ど、どうしたの!?」

 

「あっちの通路にもスライムがいた!」

 

 あんな通路を通れるわけがない。あれはドルレアン家の家臣たちが遺したトラップなのだろうか? それとも、偶然スライムが居座っていただけなのだろうか?

 

 扉を開けながらちらりと後ろを見てみると、既に通路の後方ではスライムが何体も出現し始めていた。ラウラとカノンがSMGとPDWのセミオート射撃で牽制しているけど、弾丸は粘液にめり込むだけだ。やはりスライムに銃弾は通用しないようである。

 

 両腕に力を込めながら扉を開き、こっちにもスライムがぎっしり詰まっていませんようにと祈りながらアサルトライフルのライトで照らし出す。

 

 もしこっちにもスライムが詰まっていたのならば炎で焼き尽くしてやるつもりだったんだが、ライトが照らし出したのは苔まみれの石畳と崩れかけの壁面だけだった。瞬時にトラップが仕掛けられていないことを確認した俺は、後方でスライムを牽制している仲間たちに「早く来いッ!」と叫ぶと、左手でG36Kに装着されているグレネードランチャーのグリップを握り、こっちを追いかけてくるスライムの群れに向かって40mmグレネード弾をお見舞いした。

 

 薄暗い通路の中で一瞬だけ橙色の光が膨れ上がり、炸裂した砲弾の爆風が粘液の集合体を木端微塵に吹き飛ばす。石畳の破片と共に飛び散ったスライムの飛沫が再生する前に仲間たちを扉の中へと招き入れた俺は、コートの内側にある手榴弾を1つ取り出し、安全ピンを引き抜いてから再生しているスライムたちへと向けて投げつけた。

 

 爆風で粉々にされても奴らは再生してしまう事だろう。だが、吹き飛ばされれば奴らはその度に再生しなければならない。再生している間は追いかけてくることは出来ない筈だ。

 

 赤紫色の飛沫が再生を始めているのを確認した俺は、隣でハンドガンを発砲しながら牽制の手助けをしてくれていたステラの手を引くと、扉を閉めてから息を吐いた。

 

「ふう………。すごい数のスライムだなぁ………」

 

「ステラは、あのぬるぬるした魔物が嫌いです」

 

「え? そういえば、さっき踏んじゃったんだよな………」

 

「はい。とっても気持ち悪かったです」

 

 踏みつけた時の感触を思い出したのか、いつも無表情のステラはぷるぷると震えながら顔をしかめ、ちらりと自分の靴を見下ろした。

 

 靴にスライムの粘液がついていないことを確認したステラは顔をしかめるのを止めると、「行きましょう」と言ってから仲間たちの所へと戻っていく。

 

 ステラはスライムが嫌いなんだな………。

 

 彼女の苦手な魔物を知った俺は、手招きしているラウラに向かって肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の先にあった通路は、長い螺旋階段になっているようだった。最下層までの深さはおそらく200m以上だろう。円柱状の空間の縁に用意された螺旋階段に手すりは用意されていないため、転落しないように壁に寄りながらゆっくりと下層へ下りていく。

 

 こんなところで魔物に襲撃されたら、魔物の攻撃で命を落とすよりも先に転落してしまう事だろう。幸いなことにトラップは先にここを訪れた冒険者が破壊していたのか、俺たちに牙を剥く事はなかった。

 

「ほら、カノン」

 

「も、申し訳ありませんわ………」

 

 腰に下げていた水筒を後ろにいるカノンに手渡し、彼女に水分補給をさせる。オルエーニュ渓谷へと足を踏み入れてからもう3時間以上も経過しているが、魔物の襲撃とトラップへの警戒心のせいでなかなか休憩できていない。音をあげるメンバーはまだ1人もいないが、疲労は弾っている筈だ。

 

 先ほどのように壁からいきなりスライムが出現しないか警戒しながら、螺旋階段を下りていく。

 

 この地下墓地は先ほどの2つの扉を除けばほとんど一本道だった。だから迷う事はなかったんだが、危険な魔物やトラップに警戒しながら進まなければならなかったため、集中力はどんどん削られていった。

 

 他の冒険者もこのように集中力を削られ、トラップや魔物の餌食にされてしまったんだろう。長い通路を延々と警戒しながら進み続ければ集中力は削り取られていく。そして集中力がなくなればトラップを見落としたり、魔物の餌食になるわけだ。迷宮のように複雑な通路を用意するよりも凶悪でたちが悪い。

 

 長い螺旋階段にトラップが仕掛けられていなかったことに安心しながら最下層へと到着した俺たちは、目の前に鎮座する巨大な扉を見上げた。

 

 円柱状の空間の最下層にあるその扉は、間違いなく10m以上の大きさがある。1人の英雄を埋葬するにしては過剰過ぎる大きさだ。少しだけ開いているその扉の表面には古代文字の羅列がずらりと並び、その下には鎧を身に着けた男女の壁画が描かれている。

 

 その2人の壁画の下に刻まれていたのは――――――ドルレアン家の家紋だった。

 

「ここが最深部のようですわね」

 

「あれも古代文字よね……? ステラちゃん、読める?」

 

「はい。………『偉大なる風の戦士はここに眠る。彼女の誇りを穢す咎人は立ち去れ』と書かれています」

 

「ふにゅ………」

 

 侵入者への最後通告なのだろうか。

 

 扉に刻まれている古代文字の羅列を見上げながら、俺はアサルトライフルのグリップをぎゅっと握った。

 

 ここを訪れた理由は、リゼットの忠臣であるウィルヘルムの魂と思われる新種の魔物を討伐し、冒険者たちの安全を確保する事だ。まだその新種の魔物がウィルヘルムなのかは分からないが、もしかするとカレンさんの仮説は正しいのかもしれない。

 

「――――――扉の向こうに何かいるよ」

 

「………!」

 

 エコーロケーションで少しだけ開いている扉の向こうを索敵していたラウラが、この向こうに敵がいるという事を告げた。

 

 この扉の向こうに行けば、ボスとの戦いが始まるという事だ。

 

「――――――カノン」

 

 仲間たちが武器の点検を始めたり、深呼吸する中で、俺はMP7A1のマガジンをチェックしていたカノンの名前を呼んだ。彼女は新しいマガジンに交換し、コッキングレバーを引いてから、息を呑んで俺の顔を見つめる。

 

「――――――いいな。ウィルヘルムを殺しに来たんじゃない。………開放しに来たんだ」

 

「分かっていますわ、お兄様」

 

 主君を裏切った家臣たちとの戦いで命を落としたウィルヘルムがこの扉の奥で待っているというのならば、彼と戦い、大昔から剣を振るい続けている彼を解放してやらなければならない。

 

 もう既に、ウィルヘルムという英雄の戦いは終わっているのだから。

 

 カノンに向かって頷いてから、俺はG36Kを構えた。素早くドアの近くへと移動し、ナタリアとラウラに合図を送る。

 

「ステラ、攻撃は俺とナタリアとラウラの3人で行う。ステラは回復とカノンのサポートを頼むぞ」

 

「了解です」

 

「よし、行くぞ」

 

 仲間たちが武器を構えたのを確認し、俺はG36Kを構えながら扉の向こうへと飛び込んだ。

 

 扉の向こうに広がっていたのは、地下に用意された円形の広間だった。地下墓地の中というよりは闘技場を思わせる広間だが、壁面にあるのは観客席ではなく、エメラルドのような美しい緑色の結晶の群れだった。その結晶達がまるで街灯やランタンのように緑色の光を発しているため、広間の中は緑色の光で包まれている。

 

 ライトで照らす必要はないだろう。アサルトライフルのライトのスイッチを切った俺は、後ろから突入してきた仲間たちと共に広間の中を見渡す。

 

 広間の床は石畳で作られているようだけど、広間の中心部には緑色の模様が浮かんでいて、そこから広間の奥へと向かって3本の緑色の線が伸びていた。

 

 その3本の線の終着点に鎮座するのは―――――――緑色の炎が灯った3つのロウソクに囲まれた1つの棺と、その傍らに跪く人影だった。

 

「あれが………リゼット様の棺………!」

 

 間違いない。あの棺の中に埋葬されている人物は、カノンやカレンさんの祖先であるリゼット・テュール・ド・レ・ドルレアンだろう。風の精霊から2本の曲刀を与えられ、その力を欲した家臣たちの裏切りで命を落とした初代ドルレアン家の当主が、あの棺の中に眠っているのだ。

 

 大昔の英雄の棺を目にした俺は息を呑んでから、銃口を棺の傍らにいる人影へと向けた。

 

 その人影の格好は、普通の冒険者と比べると異様だった。古めかしい漆黒の甲冑は返り血らしきもので赤黒く汚れていて、背中には所々赤黒く染まった漆黒のマントがある。腰には大きなバスケットヒルトのついたブロードソードを下げている。特徴的な大型のバスケットヒルトは漆黒に塗装されていて、表面には鮮血のような紅い装飾がついている。

 

 棺の傍らに跪いていたその禍々しい騎士は、広間に俺たちが入って来たことに気付いたらしく、ゆっくりと立ち上がりながら武器を向ける俺たちを睨みつけてきた。

 

 まるで数多の敵兵を薙ぎ倒し、戦いを終えたような雰囲気の騎士だった。種族はハーフエルフなのか、短い銀髪の左右からは浅黒く長い耳が突き出ている。

 

 確か、ウィルヘルムの種族はハーフエルフだった筈だ。まさかこいつは、本当にウィルヘルムなのか………?

 

 唸り声を上げながら、禍々しい返り血まみれの騎士は剣の柄を掴みながらこっちへと向かって来る。もう発砲するべきだろうかと思いながらスコープで彼の顔に照準を合わせた瞬間、俺は我が目を疑う羽目になった。

 

「え………?」

 

「そんな………」

 

 スコープの向こうに見えたのは、見覚えのある強面の男性の顔だったのだ。顔中に無数の傷が残っているせいなのか、騎士というよりは盗賊団のリーダーのような雰囲気の大男。おそらく彼の姿を目にして最も驚愕しているのは、この試練を受けることになったカノンだろう。

 

「――――――お、お父様………!?」

 

 俺たちの目の前に現れた血まみれの騎士は――――――カノンの父親であるギュンターさんにそっくりだったのだから。

 

 



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リゼットの忠臣

 

「ギュンター………さん………?」

 

 黒い甲冑に身を包んだその騎士の顔を目の当たりにした俺は、我が目を疑いながらG36Kの銃口を下ろしてしまった。

 

 もしここに来た目的がウィルヘルムと思われる新種の魔物の討伐ではなくダンジョンの調査だったのならば、こんなに驚愕することはなかっただろう。仲間たちと最深部まで到達し、ここに立つ騎士の顔を見て驚愕することは変わりないかもしれないが、もし調査が目的だったのならば銃を下ろしてしまう事はなかったかもしれない。

 

 だが、俺は下ろしてしまった銃口を慌てて目の前の騎士へと向け、スコープを覗き込んだ。こいつは敵だ。管理局にレポートを提出しに行く俺たちを見送ってくれたギュンターさんがこんなところにいるわけがない。

 

 ギュンターさんにそっくりな男を目にして俺は驚愕していたが、あの人とは違う部分を見つけたおかげなのか、徐々に敵意と冷静さが息を吹き返し始めた。

 

 ―――――目の前のこの騎士は、ギュンターさんのように眼帯をしていない。

 

 確かに顔は傷だらけだ。緑色の光で照らし出される広間に立つその騎士の顔には、刃物で切られた無数の傷跡が浮かび上がっている。しかし、この騎士は眼帯を付けていない。片方の目を失ったわけではないらしい。

 

 カノンの父親であるギュンターさんは、俺とラウラが3歳の頃に、転生者たちとの戦いで左目を失っている。身体中に弾丸が被弾してボロボロになって生還したギュンターさんは、カノンが生まれてから義眼を移植し、その義眼を隠すために黒い眼帯を付けている。

 

 義眼を見せてもらったことは一度もないが、左右で瞳の色が違うらしい。だから仮にあの人が眼帯を外していたとしても、瞳の色で判別する事ができる。

 

 目の前の騎士の瞳の色を見て安心した俺は、驚愕する仲間たちの方を振り返ると、「安心しろ、ギュンターさんじゃない」と教えた。

 

 自分の父親ではないという事が分かってカノンは安堵したようだったけど、彼女の表情は徐々に緊張に支配され始めていた。目の前の騎士が父親ではなかったとしても、この騎士と戦わなければならない。この騎士を倒す事がカノンの試練の目的なのだから。

 

 それに、もしこの騎士がウィルヘルムだったのならば――――――彼を倒し、解放してあげなければならない。

 

 セレクターレバーをセミオート射撃からフルオート射撃に切り替え、先制攻撃を仕掛けようとしたその時、スコープの向こうでギュンターさんにそっくりな騎士が、真っ赤な目を見開いた。

 

 彼の恐ろしい瞳が見つめているのは先頭に立つ俺ではない。―――――最後尾に立つ、カノンだった。

 

『―――――リゼット様………?』

 

「え………?」

 

 声もギュンターさんにそっくりだった。またしてもこの騎士はギュンターさんなのではないかと思ってしまったが、すぐにその疑惑を消し去ると、今度は銃口を騎士へと向けたままカノンの方を振り向いた。

 

 この騎士は、カノンをリゼットと勘違いしているのか………?

 

 リゼットはカノンやカレンさんの先祖だ。絵画に描かれているリゼットの姿は2人にそっくりで、もし2人が当時の鎧を身に纏ったならば、彼女の家臣たちは2人をリゼットと見間違えてしまう事だろう。

 

 だが、リゼットとカノンの髪の色は違う。リゼットはカレンさんと同じく金髪なんだが、カノンはギュンターさんの母親から遺伝したらしく、髪の色は橙色になっている。いくら顔つきが自分の主君に似ているとはいえ、勘違いしてしまうだろうか?

 

 先ほどまで唸り声を上げながら俺たちに襲い掛かろうとしていた騎士は、片手をブロードソードから離すと、彼女と一緒にいる俺たちに武器を向けられているというのに、まるで武器を向けられていることに気付いていないかのように俺の隣を通過すると、銃口を下げてあたふたするカノンの目の前で跪いた。

 

『リゼット様………。良かった、蘇ってくださったのですね………!』

 

「あ、あの………」

 

 ウィルヘルムはリゼットの棺を裏切者たちから守るために、この地下墓地の入口で裏切者たちと戦って戦死している。彼女が風の精霊から授けられたという曲刀の力を彼らに渡せば九分九厘裏切者たちは悪用するだろう。それに、リゼットはウィルヘルムにとって命の恩人であったという説もある。

 

 だから彼は、不利だというのに裏切者たちとたった1人で戦い、仲間たちが地下墓地の中にリゼットを埋葬するまで時間を稼いだんだ。リゼットはただの主君ではなく、命の恩人でもある。だから彼は裏切者たちに彼女の曲刀を渡さないように、たった1人で裏切者たちと戦ったんだ。

 

 おそらく、カレンさんの仮説は的中している。この男はリゼットの忠臣のウィルヘルムだろう。1000年前に戦死したというのに、未だに戦死した古戦場をさまよっているに違いない。

 

『待っておりました、リゼット様。もうこの世に裏切者共はおりませぬ。リゼット様、再び我らをお導き下さい…………!』

 

「あ、あなたは………ウィルヘルム………?」

 

 恐る恐る問い掛けるカノン。どうやら彼女の予想は当たっていたらしく、返り血まみれの甲冑に身を包んだハーフエルフの騎士は、まるで母親に褒められた子供のように嬉しそうに微笑みながら顔をあげた。

 

『覚えていて下さったのですね!? そうです、ウィルヘルムです!』

 

「やっぱり………」

 

 この男は、あのウィルヘルムだ。

 

 まるで盗賊団のリーダーのような雰囲気の騎士は、目の前にいる少女がリゼットではなく、彼女の子孫であることに気付かないまま喜び続けた。

 

「………ねえ」

 

「ん?」

 

 カノンを自分の主君だと思い込んで大喜びするウィルヘルムを見下ろしていると、近くでPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)を構えていたナタリアが囁いた。彼女が持つマグプルPDRの弾薬は、5.56mm弾から俺たちと同じく6.8mm弾に変更してある。ウィルヘルムが身に着けている防具の防御力は不明だが、6.8mm弾の貫通力ならば貫通させることは出来る筈だ。

 

 だが、さすがに大昔の英雄を背後から撃ち抜くわけにはいかないのだろう。正々堂々と戦う事のない俺も、今の彼を撃つ気にはなれなかった。

 

「どうしてリゼットじゃないって気付かないのかしら?」

 

「分からん」

 

 勘違いしているとはいえ、カノンはリゼットの子孫である。本人ではないとしても主君の子孫に再会している彼を撃ちたくないという情けのような気持ちもあるけど、いささか楽観的だが、合理的な理由も持ち合わせている。

 

 ウィルヘルムはこの地下墓地に足を踏み入れた冒険者たちを無差別に攻撃していた。おそらく俺たちが説得しても、問答無用で攻撃を続ける事だろう。だが、リゼットだと勘違いしているとはいえ、侵入者である俺たちを無視してカノンに跪いているのだ。もしかすると、カノンが説得すれば戦わずに成仏してくれるかもしれない。

 

 カノンがリゼットではないという事がバレてしまっても、彼女の子孫だという事を理解してくれれば話を聞いてくれる筈だ。

 

 もし彼女の話を聞いてくれなければ――――――武力行使しかない。

 

『さあ、リゼット様。エイナ・ドルレアンへ戻りましょう。やはりあの街を統治するのはあなた様が最も相応しい! このウィルヘルムも、あなたのために――――――』

 

「――――――いえ、ウィルヘルム。もう良いのです」

 

『え………?』

 

 どうやらカノンは、自分がリゼットではないという事を明かすつもりらしい。さすがに自分の祖先のために戦い、裏切者たちとの戦いで散ったハーフエルフの英雄を騙すような真似はしたくないのだろう。

 

 彼女がリゼットではないという事を知ったウィルヘルムは、失望するだろうか。

 

『……り、リゼット……様…………?』

 

「―――――――わたくしは、リゼットではありません。彼女の子孫のカノン・セラス・レ・ドルレアンですわ」

 

 先ほどまで大喜びしていたウィルヘルムが、目を丸くしながらカノンを見上げた。

 

 認めたくないんだろう。目の前に立つ少女が、自分の主君ではなかったという事を。1000年間もずっとこの地下墓地をさまよい続けてやっと彼女と出会えたと思っていたというのに、その少女は主君ではなく、主君の子孫だったのだから。

 

 大昔からずっと主君と再会したいと望んでいた亡霊に、少しの間だけとはいえカノンをリゼットだと思い込ませてしまったのは、かなり残酷な事だったかもしれない。

 

 彼の痛々しい呆然とする顔を直視しながら、カノンはカノンは言った。

 

「彼女は今、あの棺の中で眠っているではありませんか。………もう、あの時代から1000年も経っています。相変わらず戦いは続いていますが、あなたはハーフエルフの英雄として語り継がれているのです。もう、十分に剣を振るったでしょう? 十分に敵を屠ったでしょう? 甲冑が血まみれになるまで戦い続けたのならば、もう良いのです。………ウィルヘルム、あなたの戦いは大昔に終わっています。ですから、もう休んで良いのです」

 

『リゼット様、何をおっしゃるのです………? あなたは間違いなくリゼット様だ。ドルレアン領を統治し、風の精霊から曲刀を授けられた英雄の――――――』

 

「――――――話を聞きなさい、ウィルヘルム」

 

 首を横に振りながら言ったカノンは、一瞬だけ唇を噛み締めた。

 

 長い間ずっとこの地下墓地をさまよい続け、やっと主君と再会できたと大喜びしている英雄の魂を突き放さなければならないのだ。リゼットはもうこの世にはいない。だから彼は、彼女の元へと還らなければならない。それを告げなければならないカノンも、辛い思いをしているに違いない。

 

「―――――――もう、あなたはリゼットの待つあの世へと還りなさい。あなたが守るべき主君は、もうこの世にはいないのです」

 

 頼む、成仏してくれ。

 

 銃口をウィルヘルムの背中に向けながら、俺はそう祈った。あんたの戦いはもう終わっている。だから成仏して、あの世にいる主君を守ってやれ。

 

 きっとリゼットも、あんたの事を待ってる筈だ。

 

 彼が素直に成仏してくれることを祈りながら銃を向けていると、カノンを見上げていたウィルヘルムが俯いた。もう目の前の少女がリゼットではないという事を理解したのか、彼女をリゼットだと決めつけるような言葉は発しない。黙って命令を聞く家臣のように跪き、緑色に照らされる床を見つめている。

 

 やがて、彼の背中が小刻みに震え始めた。鎧が揺れる小さな金属音の中から、やがてウィルヘルムの小さな笑い声が聞こえてくる。

 

『フッフッフッフッフッフッフッ…………………』

 

「………」

 

 幼少期から戦闘訓練を受けていた俺とラウラとカノンは、ウィルヘルムが家臣のような敬意をかき消し、敵意を纏い始めたことに瞬時に気付いた。広間を照らすエメラルドのような美しい輝きが、彼の放つ敵意に汚染され、禍々しい色に染まったように見える。

 

 銃を構えながら後ずさりすると、ウィルヘルムは静かに立ち上がった。右手で腰の鞘の中に納まっているブロードソードを引き抜き、くるくると回してから切っ先を床へと叩き付ける。

 

 リゼットではなく子孫だという事を明かさずに説得した方が良かっただろうかと考えてしまったが、彼はもう剣を抜いている。後悔している場合ではないのは明らかだ。

 

『リゼット様では………ないのか………』

 

「ウィルヘルム、わたくしは――――――――」

 

「カノン、武器を構えろッ!!」

 

 もう説得できない。こいつを成仏させるのならば、戦わなければならない。

 

 カノンはまた唇を噛み締めると、右手に持っていたMP7A1の銃口をウィルヘルムへと向けた。彼の戦いを終わらせるには、俺たちが彼を倒さなければならない。

 

 俺たちがこいつをリゼットの所に連れて行ってやろう。

 

『貴様らも、リゼット様の曲刀が目的か………! 裏切者め! あのお方の曲刀は渡さんッ!!』

 

 リゼットの曲刀は、既にカレンさんとギュンターさんが21年前に回収している。あの棺の中にあるのはリゼットの遺体だけだ。

 

 もしかしたら、ウィルヘルムは未だに曲刀があの中にあると思い込み、戦いを続けようとしているのかもしれない。だが、俺たちを裏切者と呼んだという事は、今度は俺たちの事をリゼットを裏切った家臣たちだと勘違いしているのか………?

 

 支離滅裂だ。この亡霊は混乱しているんだろうか。

 

 彼を説得できないと理解した瞬間、俺はすぐにトリガーを引いてしまえるような気がした。目の前の英雄を撃つことなど出来ないという躊躇いが完全に消滅し、彼の敵意を俺の敵意が押し返そうとする。

 

 敵意を向けられたのならば、こちらも敵意を向けて殺す。幼少の頃からそんな訓練を受けていたではないか。あの頃から教え込まれていたせいで、俺の身体は勝手に安全装置(セーフティ)を解除していた。

 

 スコープの向こうで剣の切っ先をカノンへと向けようとしているウィルヘルムの後頭部へと照準を合わせ、トリガーを引く。いきなり至近距離から轟いた宣戦布告と俺の敵意にウィルヘルムは反応できず、カノンにブロードソードを向けるよりも先に彼の後頭部に6.8mm弾が襲いかかる。

 

 銀髪で覆われた後頭部に、いきなり赤黒く彩られた風穴が出現した。ウィルヘルムはまるで後頭部を突き飛ばされたかのように首を大きく前方へと振ると、カノンへと向ける途中だったブロードソードを手から離し、血涙と鼻血を流しながらうつ伏せに崩れ落ちた。

 

 銃声の残響が響き渡る広間の中に、鎧を身に着けた大男が崩れ落ちる金属音と、ブロードソードが落下する音が響き渡る。

 

「お、お兄様………」

 

「…………」

 

 ゆっくりと銃口を下げながらカノンを見つめ、首を横へと振る。

 

 躊躇っている場合ではなかった。ウィルヘルムは俺たちを敵だと思い込み、剣を抜いたのだ。説得できなくなった以上、彼と戦うしかない。だから俺は銃を向け、躊躇わずにトリガーを引いた。

 

 英雄への敬意が全く無いわけではない。だが、カノンが受けた試練は彼を撃破する事だ。躊躇って斬り殺されたのならば当主になることなど出来ない。

 

「…………許してくれ、ウィルヘルム」

 

 うつ伏せに倒れながら鮮血を流すウィルヘルムに向かって、俺は呟いた。

 

 これで成仏してくれただろうか。見ず知らずの冒険者に背後から撃たれるのは、大昔の英雄にとっては屈辱的な死に方かもしれない。でも、あんたの戦いは大昔に終わっている。あんたは主君の棺を裏切者たちから守り抜いたんだ。立派な最期だったじゃないか。

 

 だから、もう成仏してくれ。G36Kを腰の後ろに下げ、そう祈りながら踵を返そうとしたその時だった。

 

 緑色の光で照らされた床に崩れ落ちていたウィルヘルムの巨躯が、ぴくりと動いたのだ。

 

「…………ッ!」

 

 痙攣したわけではない。まるで目を覚まし、ベッドから起き上がろうとしているかのように身体がぴくりと動いたのである。

 

 ぎょっとしながら反射的にレ・マット・リボルバーを腰のホルスターから引き抜きながら振り返ると、ウィルヘルムは既にゆっくりと起き上がっていた。右手を伸ばして床の上のブロードソードを拾い上げ、頬を汚していた血涙を返り血まみれのガントレットで拭い去った大昔の英雄は、唸り声を上げながら先ほどの不意打ちを叩き込んだ俺を睨みつけてくる。

 

『私は――――――もう死なぬ』

 

「………ッ!」

 

 その直後、目の前の大男が赤黒い残像に変貌した。

 

 俺は慌てて後ろへとジャンプしつつ、左手を腰に伸ばして鞘の中から大型ソードブレイカーを引き抜く。咄嗟に攻撃用のナイフではなく防御用の得物を引き抜いたのは、ウィルヘルムの剣戟が襲い掛かって来ると予測したからだった。

 

 大きなセレーションのついたソードブレイカーを構えた瞬間、血生臭い突風が襲来したかと思うと、いきなり手元から猛烈な金属音が轟き、まるで腕の中にある骨をハンマーで殴打されているかのような衝撃が左腕を爆走する。

 

 今の攻撃を常人が受け止めていたら、ソードブレイカーもろとも左腕が剣戟の衝撃だけでズタズタにされていたかもしれない。人間よりも頑丈なキメラとして生まれて良かったと思いながら、目の前に出現した血まみれの騎士を睨みつけた。

 

『殺す………ッ! 我が主君を貶めようとする愚か者は、このウィルヘルムが絶滅させるッ!!』

 

「く………ッ!」

 

 右手のレ・マット・リボルバーを至近距離でウィルヘルムの腹に突き付け、トリガーを引く。近代化改修によってカスタマイズされたリボルバーから飛び出した.44マグナム弾は容易くウィルヘルムの鎧を貫通すると、彼の腹にも風穴を開けてしまう。

 

 腹をマグナム弾で撃ち抜かれた直後のウィルヘルムを蹴り飛ばしつつ、撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻す。

 

 ウィルヘルムの剣戟は、訓練の時に受け止めた母さんの剣戟と同等の重さだった。この男に接近戦を挑むのは危険かもしれない。

 

「タクヤ、大丈夫!?」

 

「ああ、大丈夫だ。―――――俺とラウラが前衛をやる。ナタリアは無反動砲を何とか叩き込んでくれ」

 

「わ、分かったわ!」

 

 おそらく、カールグスタフM3の対戦車榴弾を叩き込んだとしてもあの亡霊は再生してしまう事だろう。

 

「ステラ、あいつの弱点は分かるか?」

 

「何とか調べてみます。ですが、ステラは無防備になってしまいます」

 

「構わん、俺らが死守する。………カノン、戦えるか?」

 

 俺とラウラとナタリアの3人でウィルヘルムを食い止めている間に、ステラがあの亡霊の弱点を分析する。もし今の装備で撃破するのが不可能ならば、一旦このダンジョンから脱出するか、通路まで戻って魔物を撃破してレベルを上げ、ポイントを入手してから装備を整えなければならない。

 

 もし撃破できるのならばこのまま戦いを続けるつもりだが―――――カノンは戦えるのだろうか。

 

 彼女は俺たちと比べると実戦を経験した回数は少ない。大昔の亡霊に殺意を突き付けられたのは、きっとこのウィルヘルムとの戦いが初めてだろう。

 

 戦えないのならば、あの扉の向こうまで逃がすべきだろうか。もし彼女が戦えなかった場合の作戦を考えながら焦っていると、唇を噛み締めていたカノンはMP7A1を腰に下げ、背中に背負っていたマークスマンライフルを構えた。

 

「―――――――お兄様、これはわたくしの試練ですわ」

 

「――――――そうだな」

 

 どうやら戦えるらしい。

 

 彼女に向かってにやりと笑った俺は、傍らでトマホークを取り出していたラウラに向かって頷くと、2人で同時にウィルヘルムへと向かって走り出した。

 

 

 



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冒険者たちがウィルヘルムと戦うとこうなる

 

 裏切者たちの剣で貫かれるよりも、主君を失った痛みの方が遥かに苦痛だったことは、あの時から忘れたことはない。

 

 もし彼女が敵国との戦いで散って行ったのならば、どのみち辛いだろうがこのような苦痛は感じることはなかった筈だ。民のために戦い、敵国の猛者たちとの戦いの中で斃れるのは誉れだからだ。だが、リゼット様は――――――私利私欲を肥大化させた家臣たちに裏切られ、殺されてしまった。

 

 奴らの目的はリゼット様が風の精霊から授けられた2本の曲刀の力だった。風を自由自在に操る事ができるあの曲刀は、薙ぎ払うだけで風の斬撃が荒れ狂い、眼前の敵の隊列を蹂躙してしまうほどの力を持つ。それを手に入れれば、ドルレアン領の領土を凄まじい勢いで広げ、このオルトバルカ王国を掌握することも可能であろう。

 

 だが、リゼット様はその力を民を守るためだけに使った。ドルレアン領を侵略しようとする他の領地の騎士たちだけ、あの風で蹂躙したのである。

 

 家臣たちの中には、他の領地を容易く攻め落とせるほどの力を持つというのに侵略をしないリゼット様を、甘いと言う輩もいた。確かにリゼット様は優し過ぎる。平和な世界ならば家臣たちにそんなことを言われることもなかっただろう。

 

 しかし、彼女は他の領地を全く攻め落とそうとはしない。ドルレアン領を侵略しようとする敵を返り討ちにしつつ、民の頼み事を何でも聞くような優しいお方だった。中には他の領地を攻め落として欲しいと言う領民もいたが、あのお方は首を横に振りながら彼らを説得していたものだ。

 

 リゼット様は、平和な世界を作ろうとしていたのだ。だが、いくら精霊から与えられた曲刀があるとはいえ、平和な世界を作ることは難しい。だからあのお方は、まず自分の領地を平和な場所にしようとしていたのだ。最初にドルレアン領を平和な場所にし、賛同してくれる他の領地と同盟を結び、少しずつ戦争を終わらせていこうとしていたのである。

 

 だが、あのお方の持つ曲刀の力を欲した家臣たちは、彼女のその理想を踏みにじった。

 

 彼らに曲刀を渡せばドルレアン領は他の領地への侵略を開始するだろう。あの美しい曲刀は、犠牲になった者たちの返り血で真っ赤に汚れてしまうに違いない。

 

 だから我々は、リゼット様が裏切者に殺された後、リゼット様の遺体と共に曲刀を埋葬し、この地下墓地に封印しておくことにした。大量のトラップを仕掛け、最深部の広間以外はわざと魔物が侵入しやすい構造にしたこの地下墓地が、永遠にリゼット様の棺を守ってくれるに違いない。

 

 彼女のように優しい人物が領主になってくれますようにと祈りながら、私はリゼット様の埋葬が終わるまで時間を稼ぐ役を買って出た。

 

 私はあのお方に救われたのだ。エルフの血の混じった薄汚いハーフエルフだからという理由で魔物たちの群れの中に置き去りにされた時、リゼット様が助けに来て下さったのだ。

 

 奴隷だった私を見捨てずに、あのお方は受け入れて下さった。だから私はあのお方に恩を返したいと思っていたのだ。

 

 あのお方の棺を守り切る事ができれば恩返しになるだろうと考えた私は、他の家臣たちにリゼット様の埋葬を託し、得物を手にして裏切者たちの前に立ちはだかった。

 

 絶対に、あの裏切者たちは許さない。

 

 私を救ってくださったリゼット様を貶めた下衆な者たちを、私は永遠に呪い続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣を受け止めるために構えたソードブレイカーを叩き折ってしまいかねないほどの凄まじい衝撃が、またしても俺の左腕の中を爆走する。歯を食いしばりながらソードブレイカーを捻るが、こいつの剣はスケルトンたちが持っていたような錆びついた粗末な剣とはわけが違う。

 

 返り血で赤黒く染まった禍々しい得物を受け止めたばかりのソードブレイカーを捻ろうと思ったが、スケルトンの錆びついた剣のように折れるわけがない。血で赤黒く汚れているとはいえ、英雄が使っている剣だ。大昔の鍛冶職人が作り上げた傑作の剣に違いない。

 

 ウィルヘルムのブロードソードは折る事ができないだろうと直感した俺は、このまま彼の得物を受け止め続けて隙を作り出すことにした。俺たちはいくつも武器を持っているが、ウィルヘルムの得物はこの大昔のブロードソード1本のみだし、魔術を使うには詠唱が必要になる。仮にウィルヘルムも俺たちのように魔術の詠唱をせずに攻撃できるとしても、その攻撃は剣戟よりも早く察知する事ができるだろう。

 

 詠唱をする必要が無いとはいえ、そのまま振り下ろすだけの剣戟と比べれば攻撃開始の速度では必ず劣ってしまう。だからウィルヘルムが魔術を使おうとした気配を察知してからでも、回避は出来る筈だ。

 

 だから得物を受け止め続け、隙を作る。今のところ接近戦を挑んでいるのは俺とラウラとナタリアの3人。ステラは古代の魔術を使って早くもウィルヘルムの弱点を調べ始めているし、彼女の傍らではマークスマンライフルを構えたカノンが、俺を誤射しないようにウィルヘルムへと狙いを定めている。俺が離脱した瞬間にすぐさま彼を撃ち抜くつもりなのだろう。

 

 ナタリアはカールグスタフM3で砲撃する準備をしているが、さすがに俺がソードブレイカーでウィルヘルムの得物を受け止めている間は砲撃できない。彼女の対戦車榴弾で俺まで吹っ飛ばされてしまう。

 

 だが、俺がウィルヘルムの重い剣戟を押し返さない限り打つ手がないわけではない。

 

 むしろ、すぐに剣を引き戻して逃げなければ打つ手がなくなってしまうのは彼の方だろう。

 

 呪詛を剣戟に乗せて振るっていたウィルヘルムは、このままソードブレイカーもろとも両断されそうになっている俺が他の冒険者のように怯えていない事に気付き、もう1人の獰猛なパートナー(転生者ハンター)が急迫しているのに気づいたのだろう。血涙の流れた痕の残る眼を見開きながら慌てて剣を押し込むのを止め、一瞬で後ろにジャンプする。

 

 彼が感じ取った殺意の正体は、彼が残した血生臭い空気を引き裂き、緑色の光で照らされた石畳を叩き割った小さな漆黒のトマホークだった。反対側には小型のサバイバルナイフを思わせるピックが装着された得物を持つのは、幼少の頃から一緒に鍛え上げられた赤毛の少女。同じ父親と違う母親を持つ、腹違いの姉だった。

 

 頭を叩き割る筈だったトマホークが石畳を叩き割ったことに気付いたラウラは、そのままトマホークを大人しく引き抜き、距離を離したウィルヘルムを睨みつけるほど穏健な性格ではなかった。

 

 この姉は、敵意を向けた相手には非常に攻撃的になる。彼女が普通の元気な少女だと思い込んでいた者たちは、きっと獰猛な彼女を目にすれば驚愕する筈だ。いつも甘えてくる時と戦闘中の彼女のギャップは、あまりにも大き過ぎる。

 

 親父から獰猛な部分を受け継いだラウラは、トマホークを拾い上げるために姿勢を低くしたかと思うと、彼女の白い手がトマホークのグリップを掴むと同時にくるりと反時計回りに回転した。バレリーナのようにスムーズに回転しながら、ラウラは服の右肩にあるメスのホルダーへと利き手である左腕を伸ばすと、漆黒のグリップを握って引き抜き、右手でトマホークを石畳から引き抜くと同時にメスをウィルヘルムへと投擲した。

 

 魔物から内臓を摘出するために冒険者が持ち歩く一般的なメスだ。内臓を摘出する以外にも、一部の冒険者はこれを投げナイフのように投擲して攻撃する事があるという。

 

 旅をする途中で魔物から内臓を取り出す事もあるだろうと思って用意しておいたメスを攻撃の直後に投擲し、ラウラはウィルヘルムの意表を突いてみせた。

 

 最初の一撃は、ウィルヘルムにわざと回避させるためのフェイントだったのだ。

 

 ラウラは近距離での戦闘訓練では俺よりも動きが良くなかった。母さんとの戦闘訓練ではいつも剣を払い落とされていたし、素振りも俺より遅かった。だから接近戦が苦手だと親たちから言われていたんだが―――――――変則的な武器を使った変則的な接近戦ならば、ラウラは真価を発揮できる。

 

 両親たちの戦い方が、ラウラに合っていなかっただけなのだから。

 

『くっ!?』

 

 驚愕したウィルヘルムは慌ててブロードソードを振るい、ラウラが投擲したメスを叩き落とす。剣に叩き落とされる音を奏でながらメスが床へと落下するが、獰猛になった彼女はまだ続くようだった。

 

 左手を背中に伸ばし、背負っているアンチマテリアルライフルの銃床を掴み取る。ゲパードM1を背中から取り出しながら右手のトマホークをホルダーに戻した彼女は、左手でゲパードM1のグリップを握ると、大型のマズルブレーキが装着されたアンチマテリアルライフルの銃口をウィルヘルムへと向け、右手でキャリングハンドルを握り、トリガーを引いた。

 

 小太刀のような形状の三十年式銃剣が取り付けられたマズルブレーキから、12.7mm弾が飛び出す。ウィルヘルムの唸り声をかき消した轟音を引き連れて駆け抜けた弾丸は、銃を初めて目にした大昔の英雄へと襲い掛かっていく。

 

 弾丸の速度は、先ほど彼女が投擲したメスの比ではない。一瞬で着弾する12.7mm弾の予想以上の弾速に驚愕しながら回避しようとしたウィルヘルムの左腕を、ラウラの敵意を纏った12.7mm弾が抉り取る。

 

 鎧が砕け、破片と肉片が床の上にまき散らされる。だが、その破片と肉片たちはすぐに黒い煙のように変貌すると、怯えてしまったかのように揺らめきながら消えていった。

 

『ぬ………なんという威力の飛び道具だ…………』

 

 しかも弾速は弓矢を遥かに上回る。更に、魔術のように詠唱する必要もない。

 

 見たこともない飛び道具で攻撃され、ウィルヘルムが驚愕する。今しがたラウラの一撃で抉り取られた彼の左腕の断面は黒い煙のようなものが覆っていて、徐々にその煙が抉り取られた左腕と防具を形成しているようだった。

 

「くそ、再生してやがる………!」

 

 ウィルヘルムは、普通の人間のように殺すことは出来ない。既に彼は大昔の戦いで死んでいるし、目の前にいるのは彼の亡霊でしかないのだ。どれだけ彼の手足を抉り、身体を切り裂いたとしても、あのように再生してしまう事だろう。

 

 すると、いきなり緋色の光を纏った小さな礫(つぶて)が飛来し、彼の防具に命中してかつん、と小さな音を立てる。その一撃はウィルヘルムの防具を貫通することはなかったが、その直後に獰猛な一撃が襲来するという事の予兆であった。

 

 ラウラがボルトハンドルを兼ねるグリップを引き、アンチマテリアルライフルから空の薬莢を排出すると同時に、ウィルヘルムの側面から黄金の炎と猛烈なバックブラストが迸る。広間を照らす緑色の光を蹂躙した煌めきの中から姿を現したのは、アンチマテリアルライフルの12.7mm弾を遥かに上回る破壊力の一撃だった。

 

「喰らえッ!」

 

 太い筒に短い銃身と照準器を取り付けたような武器を肩に担ぎながら叫んだのは、かつて親父がネイリンゲンで命を救った少女だった。

 

 最初にウィルヘルムに着弾した緋色の礫は、スポットライフルの曳光弾だ。スポットライフルはあくまで砲弾の照準を合わせるための機銃でしかないため、攻撃力は全くない。だがそれが命中したという事は、そのままの状態で砲弾のトリガーを引けば強力な無反動砲の84mm対戦車榴弾が命中するという事である。

 

 今までの銃撃のように全くダメージが無かったその一撃を侮ったウィルヘルムは、その直後に飛来した対戦車榴弾の餌食になる羽目になった。主力戦車(MBT)を撃破できるほどの威力を持つ砲弾が飛来し、彼の腹にめり込んだ直後に爆風へと変貌していく。

 

 ウィルヘルムは数多の裏切り者を食い止め続けたハーフエルフの英雄だ。だが、剣術は俺の母であるエミリア・ハヤカワと同等とはいえ、防御力は防具を身に着けた普通の人間とあまり変わらない。ハーフエルフは人間よりも身体は頑丈だが、主力戦車(MBT)を粉砕する対戦車榴弾を防ぎ切れる防御力ではなかった。

 

 砲弾が着弾した段階で防具があっけなく砕け散り、彼の腹に突き刺さった砲弾から突き出た爆風が膨れ上がる。獰猛な爆風の渦に上半身を削り取られた彼は、呻き声を上げながら爆炎に包み込まれた。

 

「命中!」

 

「油断すんな! 再装填(リロード)しろッ!!」

 

 まだ、ウィルヘルムの弱点は分かっていない。このまま攻撃していても、あいつは再生し続ける事だろう。何とかステラが弱点を調べてくれるまで持ちこたえなければならない。しかも、弾薬を使い過ぎないように気を付けなければならないのである。

 

 爆炎を睨みつけながら歯を食いしばっていると、舞い上がっていく黒煙が段々と黒い霧のように変貌し、先ほど砲弾が着弾した床の上に集まり始めた。爆炎の真上から黒煙だけを選び抜いてかき集めたような黒い塊は徐々に肉体と防具を形成し、ウィルヘルムの姿へと戻っていく。

 

 対戦車榴弾で木端微塵に吹っ飛ばしても、元通りになっちまうのか………!

 

 黒煙の中からブロードソードを手にした騎士が睨みつけてきたことに気付いた俺は、舌打ちをしてからレ・マット・リボルバーを構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ステラさん、ウィルヘルムの弱点はまだ分かりませんの?」

 

 スコープを覗き込み、お兄様たちを狙撃で支援しながらわたくしは傍らでウィルヘルムの弱点を調べているステラさんに問い掛けましたわ。彼女は目の前に魔法陣を展開し、無表情のままその魔法陣の表面に投影される古代文字をタッチしたり、なぞって調べているようでしたが、まだ彼の弱点は判明していないようでしたわ。

 

「もう少しです」

 

 マークスマンライフルの銃声の残響の中で、ステラさんの全く感情のこもっていない声が聞こえてきました。催促すれば彼女の邪魔になってしまうと判断したわたくしは、それ以上は彼女に問い掛けずに狙撃を続行します。

 

 お兄様がウィルヘルムに接近している間は撃たず、彼が距離を離したり、お兄様がウィルヘルムの剣戟で吹き飛ばされている間に撃ち続けます。何発かウィルヘルムに命中しましたが、やはり彼はすぐに再生してしまいますのね。ステラさんが弱点を調べてくれない限り、勝ち目はないようです。

 

 ですが、これはわたくしが領主になるための試練なのです。それに、彼にこのまま地下墓地の中をさまよわせるわけにはいきません。冒険者たちの犠牲が増えますし、ウィルヘルムの戦いはもう大昔に終わっているのです。

 

 空になったマガジンを取り外し、お父様とお母様から教わった通りにマガジンを取り付け、コッキングレバーを引いて再装填(リロード)を済ませたわたくしは、お兄様がウィルヘルムに接近したことを確認して狙撃を中断しましたわ。お姉様が愛しているお兄様を誤射するわけにはいきませんもの。

 

 お兄様は重そうなアンチマテリアルライフルを背負っているというのに、ウィルヘルムの剣戟を何度もひらりと回避していましたわ。先ほどまでは大型ソードブレイカーで受け止めていたようなのですけど、お兄様が今手にしている得物はナイフとソードブレイカーではなく2丁のレ・マット・リボルバーですから、彼の重い剣戟を受け止めるわけにはいきませんわね。受け止めてしまったら強度とフレームが増強されているとはいえ、両断されてしまいますわ。

 

 至近距離でマグナム弾を連発しつつ、ローキックをウィルヘルムの片足に叩き付けて体勢を崩すお兄様。がくんと大きな身体を揺らした隙に頭に銃口を押し付け、そのままマグナム弾を叩き込んだお兄様は、左目の上に風穴を開けられたウィルヘルムの顔面を蹴り飛ばし、後ろへとジャンプして距離を取ります。

 

 お姉様だったら追撃しているところかもしれませんが、お兄様はお姉様と比べると冷静ですわ。お姉様はリキヤおじさまに獰猛なところが似たのですわね。

 

「――――――弱点が判明しました」

 

 起き上がったばかりのウィルヘルムに照準を合わせたその時でしたわ。隣で魔法陣を操作し続けていたステラさんが、そう告げながらわたくしの顔を見上げましたの。

 

 弱点が分かったという事は、ウィルヘルムを撃破し、彼を成仏させるための手段が分かったという事ですわ。

 

 わたくしは先祖の忠臣に別れを告げる寂しさを感じながら、スコープから目を離しました。

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、ウィルヘルムの弱点が判明しました」

 

「本当か!?」

 

 .44マグナム弾を続けざまに叩き込み、マグナム弾を撃ち尽くした2丁のレ・マット・リボルバーの再装填(リロード)を開始する。シリンダーの中心部にはまだ散弾が装填されたままだが、こいつはこのリボルバーの切り札だ。中距離でぶっ放すのではなく、至近距離でぶっ放さなければならない。

 

 9発の弾丸を装填できるシリンダーから空の薬莢を取り出しながら、俺はステラに尋ねた。

 

「どこが弱点だ!?」

 

「―――――――心臓です」

 

「心臓…………!」

 

 心臓に攻撃を叩き込めば、何度も再生するウィルヘルムを成仏させられるというわけか。先ほどナタリアが対戦車榴弾で木端微塵に吹っ飛ばしていたが、粉々になっても再生したという事は、直接弾丸をお見舞いしなければならないらしい。

 

 ならば、止めを刺す役割は主役(カノン)にやらせるべきだろう。俺たちは彼女の試練を手伝いに来たに過ぎない。祖先の家臣の戦いを終わらせる役目は、カノンが最も相応しい。

 

 再装填(リロード)を終えた俺は、レ・マット・リボルバーをホルスターの中へと戻すと、腰の鞘の中からナイフとソードブレイカーを引き抜いた。

 

 今まで武器とスキルばかり生産してきたが、密かにある能力を生産しておいたのだ。接近戦でしか使えない能力だが、接近戦を挑んでくる相手を迎え撃ち、隙を作るにはうってつけの能力だろう。

 

 大型トレンチナイフと大型ソードブレイカーを引き抜いた俺は、2本の得物を構えると、ウィルヘルムを睨みつけた。

 

「――――――巨躯解体(ブッチャー・タイム)、発動」

 

 

 

 

 



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巨躯解体

 

 異世界に転生した俺が生まれつき持っていたこの能力は、レベルが上がった際に手に入るポイントを消費して、武器や能力を自由自在に生み出す事ができるというとてつもない代物だった。

 

 ポイントが無ければ全く意味がないが、ポイントがある限りどんな能力や武器でも生み出す事ができるし、レベルが上がればステータスによって身体能力は爆発的な速度で強化されていく。非常に汎用性が高い上に、常人よりも強くなる速度が速いという事になる。

 

 その便利な2つの能力の前者を使って、俺は既に能力を1つだけ生産して装備していた。

 

 今までは武器やスキルばかり生産していたし、人間ではなく特殊な能力をいくつも持っているキメラとして生まれたから、あまり能力は頼りにしていなかった。

 

 炎を操る能力ならば、親父から受け継いだ炎がある。電撃を操る能力ならば、母さんから受け継いだ電撃がある。再生能力もあったけど、そもそも攻撃を回避すれば再生する必要はないし、回避できないのならば外殻を生成して防御すればいい。

 

 だから数日前まで、能力の生産のためにポイントを使うという事は、ただのポイントの無駄遣いだと思い込んでいた。

 

 でも――――――どんな能力でも生産できるという俺の能力の汎用性は、予想以上だったのである。

 

 早速その能力を発動してみたんだが、俺の身体や手にしている得物には全く変化はない。緑色に照らされた地下墓地の広間の中で、光を全く反射する事のない漆黒のナイフとソードブレイカーが威圧感を放つだけだった。

 

 変化がないからなのか、俺を見つめているナタリアやカノンは呆然としていた。何かの能力を発動させたはずなのに、何も変化は起きていない。もしかすると、俺が能力の発動に失敗したと思っているのかもしれない。

 

 でも、ウィルヘルムの分析を終えたステラと、幼少の頃から常に一緒にいた腹違いの姉は、俺が能力を発動したという事を察したらしく、少しだけ目を細めた。

 

 俺が生産した能力は、巨躯解体(ブッチャー・タイム)という能力である。これはレベル30でアンロックされる能力なんだが、低いレベルでアンロックされる能力だから弱いというわけではない。他にも強力な能力があったが、俺にうってつけの能力はこれしかないだろう。

 

 フィンガーガードの付いた大型トレンチナイフをくるりと回し、大型ソードブレイカーを逆手持ちにすると、切っ先を目の前にいるウィルヘルムへと向けた。

 

 あいつも俺が何かの能力を発動させたということに気付いているらしい。俺を睨みつけてくる亡霊の顔が、威圧感で強張る。

 

 相手に変化が起きた場合、迂闊に攻撃すればカウンターで逆に致命傷を負う可能性が高い。だから相手が能力を発動させた場合は、様子を見てどのような能力なのか把握し、対応すればリスクは低くて済むのだ。特に剣術の試合ではなく絶対にやり直しができない殺し合いでは、リスクの高い戦い方をする事ほど愚かしい行為はない。

 

 大昔の戦乱でリゼットと共に活躍したこの男も、やはり迂闊に攻撃してくることはなかった。ブロードソードの切っ先を俺に向けながら、俺が先に攻撃してくるのを待っている。

 

 ならば、俺から攻撃してやろう。この能力は近距離攻撃で真価を発揮する能力なのだから。

 

 今のウィルヘルムはかなり警戒している。普通に攻撃したとしても、躱されるか剣で防御され、あっさりと反撃されてしまうに違いない。

 

 だが、この能力を発動している状態ならば――――――ウィルヘルムの剣術が俺を上回っていたとしても、躱さない限り意味はない。

 

 フードをかぶったまま前へと駆け出す。ウィルヘルムは俺が痺れを切らして先手を打ったと思ったんだろう。予想通りに剣を構え、受け流してから反撃していようとしている。

 

 ―――――――その選択肢が、チェック・メイトまで続くのだ。

 

 右手の大型トレンチナイフを振り上げ、そのまま思い切り振り下ろす。フェイントでウィルヘルムを騙すつもりは全くない。単純過ぎる、ただのナイフの一撃である。ウィルヘルムのような剣豪じゃなくても容易く受け流す事ができるだろう。

 

 何かの能力を発動させたはずなのに、繰り出されたのは何の変哲もない単純な一撃だったことにウィルヘルムは驚いているようだった。先ほどの威圧感は錯覚だったのかと思っているに違いない。

 

 その予想以下だったこの一撃が、ウィルヘルムの中に慢心を生み出す事になった。

 

 振り下ろされた漆黒のナイフを、大昔の返り血まみれになったブロードソードが迎え撃つ。いくら日本刀の素材でもある玉鋼を刀身に使用して切れ味を向上させたナイフとはいえ、これから激突しようとしているのは何倍も長い刀身を持つブロードソードだ。強度では同等かもしれないが、切れ味と重量でナイフを凌駕する彼の得物を突き破るのは不可能だろう。

 

 黴臭い空気を両断しながら振り下ろされた大型トレンチナイフが、ウィルヘルムのブロードソードと激突する。銃弾が跳弾する音にも似た金属音が広間の中で膨れ上がり、漆黒の小さな破片が緑色の光の中を舞う。

 

 普通の剣戟ならばこのまま鍔迫り合いになる筈だった。鍔迫り合いになれば得物の大きなウィルヘルムの方が有利である。得物を押し込むための筋力も間違いなく彼の方が上だろう。

 

 しかし、先ほどの慢心と鍔迫り合いに勝てるという慢心が、ウィルヘルムに俺の能力を見落とさせた。

 

 ブロードソードと激突した得物の感覚が早くも変わり始める。まるでウィルヘルムが剣を引き、俺に前進させているかのようだった。だが、彼は剣を全く動かしていない。俺よりも遥かに太い剛腕で分厚いブロードソードを支え、ナイフを押し返そうとしているだけだ。

 

 切り裂くべき獲物の前に立ちはだかった剣を、俺のナイフがまるで幽霊が剣をすり抜けていくかのように両断しているのである。

 

 確かに受け止めているというのに俺の剣戟が突き進んでくることに気付いたウィルヘルムは、両断されつつある自分の得物を目にして驚愕する。

 

 初めて発動した巨躯解体(ブッチャー・タイム)が、牙を剥いたのだ。

 

『―――――グゥッ!?』

 

 電動ノコギリで木材を両断するようにブロードソードをあっさりと切断したナイフが、今度はウィルヘルムに襲い掛かった。彼の左肩から右側の脇腹へと斜め左下に振り下ろされた一撃は、今しがた彼の得物を両断したのと同じように防具を切断し、肉体に長大な傷痕を残していく。

 

 傷口から鮮血を吹き上げつつ、目を見開きながら後へとジャンプするウィルヘルム。剣を黒い霧に変化させて再生させながら構える亡霊を追撃するために、俺は再び彼に襲い掛かる。

 

 右から振り払ってきた重い剣戟を左手のソードブレイカーで受け止め、すぐに引き戻されないように捻って妨害しつつ、ウィルヘルムの喉元に大型トレンチナイフを突き立てた。

 

『グガァッ!?』

 

「どうした、ウィルヘルム!?」

 

 せっかく再生させて振り払ってきたというのに、ソードブレイカーの大きなセレーションに絡み付かれた彼のブロードソードが、金属音を断末魔代わりにしながら再びへし折られる。

 

『ば、馬鹿なぁッ!? 切れ味が………上がっただとぉッ!?』

 

 ブロードソードをたった一撃の剣戟で両断できるナイフなど、存在する筈がない。いくら腕のいいドワーフの鍛冶職人が玉鋼を素材に使って作り上げた逸品でも、大きなブロードソードを両断した上にその使い手を切りつける事ができるナイフを生み出すことは不可能だ。

 

 だが、転生者ならば能力やスキルを装備することで、武器の切れ味や威力を爆発的に向上させる事ができる。

 

 俺が使っている巨躯解体(ブッチャー・タイム)の効果は、簡単に言えば高周波によって手にした刃物に振動を発生させ、それによって切れ味を爆発的に向上させるという能力だ。刃物を装備している状態でしか使う事ができない上に、接近しなければまさに無用の長物でしかない能力だが、訓練のおかげでナイフの扱いには慣れているし、元々キメラとして生まれたおかげで身体能力は高い。だから接近するのは容易いのだ。

 

 接近戦が得意な俺ならば使いこなせる能力だろう。

 

 ソードブレイカーでウィルヘルムの剣戟を受け止め、右手のナイフで攻勢に転じる。胴体に突き刺し、そのままナイフを捻ってから胸元まで振り上げるが、弱点である心臓を守るためにウィルヘルムは後ろへとジャンプすると、傷口を再生させながら剣を地面へと突き立てた。

 

 石畳に突き刺さった彼のブロードソードの表面をオレンジ色の光が突き抜けたかと思うと、亀裂の入った石畳にも同じ模様が形成され、やがて古代文字で彩られた複雑な模様の魔法陣へと成長する。

 

『隆起せよ! アース・フレンジー!!』

 

「うお………!」

 

 また接近戦を挑んでくると思っていたんだが、ウィルヘルムは魔術で中距離から反撃するつもりらしい。

 

 やがて、その魔法陣が震源地だったように地面が少しだけ揺れたかと思うと、いきなり石畳の亀裂が成長し、その裂け目から黒い岩盤で形成された極太の槍が何本も突き出た。

 

 土属性の魔術である『アース・フレンジー』だ。フレンジー系の魔術は地面から何かしらの属性の魔術が噴き出す攻撃になっていて、地面の上に立つ敵兵や魔物には回避するのは困難だと言われている。しかも土属性のアース・フレンジーの場合は、攻撃が回避されたとしても岩盤の槍は残るため、敵の逃げ道を塞ぐ効果もあるんだ。厄介な魔術である。

 

 予想外の攻撃を繰り出された俺は、突っ走るのをすぐにやめて回避しようとするが、全力で走り始めていた状態でいきなり回避するのはキメラの瞬発力でも不可能だった。辛うじて右にジャンプしたが、黴臭い空気を蹂躙しながら壁際へと突き抜けていった岩盤の槍の群れが俺の左足の脹脛を掠め、皮膚を削り取って行った。

 

「くっ………」

 

「タクヤッ!!」

 

「大丈夫だ!」

 

 掠めただけだ。

 

 左側に形成された岩盤の壁を睨みつけた俺は、この壁のせいでナタリアとラウラの2人が見当たらない事に気付いた。あの2人は左側に移動していたが、俺は咄嗟に右側に移動したせいであの2人と分断されてしまったらしい。

 

 後方にはカノンとステラがいるが、すぐに俺の傍らまで来てウィルヘルムを剣で迎え撃つのは不可能だろう。一時的に、俺は孤立してしまった事になる。

 

 舌打ちしながら前方を見据えると、この壁を生み出した張本人が血走った眼で俺を見つめ、にやりと笑いながらゆっくりと歩いてくるのが見えた。仲間たちが合流する前に孤立した俺を仕留めるつもりなんだろうか。

 

「ヒール」

 

 後方から感情が全くこもっていない幼い少女の声が聞こえてきたかと思うと、まるで再生能力を持つウィルヘルムと同じように、左足の掠り傷が塞がっていった。痛みも消えていき、やや白い肌には血の付着した後だけが残る。

 

「ありがとな、ステラ!」

 

「気にしないでください」

 

 致命傷ではなかったのだが、魔術で治療してくれたのは心配していたからなのだろうか。彼女は少しずつ感情豊かになり始めているが、まだ無表情で過ごす事が多いため、何を考えているのか分からない事は多い。

 

 踵を返してウィルヘルムを迎え撃とうとしたその時、俺を治療してくれたステラが小さな手を背中へと伸ばしたかと思うと、幼い少女が持つにしてはあまりにも巨大過ぎる背中の得物のグリップを掴み、もう片方の手でキャリングハンドルを握りながら構えたのが見えた。

 

 出発前にドルレアン邸の地下室で彼女に作ってあげた、ロシア製30mmガトリング機関砲のGSh‐6‐30だ。アンチマテリアルライフルの12.7mm弾を上回る破壊力の30mm弾を凄まじい勢いで連射する獰猛な兵器で、本来ならば戦闘機や駆逐艦に搭載されるような代物である。しかも、華奢な戦闘機ならばその連射した際の凄まじい振動に耐えられずに破損してしまうため、いくら鍛え上げた大男でもこれを構えて連射するのは不可能だ。

 

 しかも、重量は約150kg。無骨な砲身の長さは約2mだ。こんな巨大な得物を幼い姿の少女が使いこなせるとは思えないが、ステラは人間ではなく、遥かに身体能力の高いサキュバスの最後の生き残りだ。しかも彼女は、これよりも重い鉄球を使いこなしている。

 

 今からステラは、あの獰猛なガトリング機関砲をぶちかますつもりなのだ。

 

 装着されている巨大な弾薬タンクの中に入っている砲弾の数は200発。ガトリング砲の連射速度ならばすぐに撃ち尽くしてしまう事だろう。しかもこの弾薬だけは再装填(リロード)5回分ではなく1回分しか支給されないため、ボス戦であるウィルヘルムとの戦いまで温存していたのである。

 

「やれ、ステラ! 撃て(アゴーニ)ッ!!」

 

了解です(ダー)

 

 出発前に少しだけ試し撃ちした時に教えた返事を返したステラが、ガトリング砲の砲口をウィルヘルムへと向ける。アサルトライフルのようにドットサイトやホロサイトを覗きながら砲撃するわけではないため、命中精度は劣るかもしれないが、こいつを叩き込めばウィルヘルムも致命傷を負う事だろう。

 

 幼い少女が巨大な得物を構えているのを目の当たりにし、ウィルヘルムが目を見開く。何度でも再生できる自分に致命傷を与える可能性のある凶悪な重火器を、幼い少女が手にしている事に驚いたのだろう。

 

 ステラが持つガトリング機関砲の砲身が、まるでこれから彼を蹂躙するという事を宣告するかのようにきゅるきゅると唸り始める。やがて砲身の回転は徐々に高速化していき――――――ついに、回転する砲口から一番最初の巨大なマズルフラッシュが迸った。

 

 凄まじい速度で回転する砲口が、マズルフラッシュで煌めき続ける。その中から30mm弾が飛来するよりも先に横へと退避していた俺は、一旦能力を解除してから、ウィルヘルムが巨大な現代兵器に蹂躙されている姿を見据えた。

 

 ガトリング機関砲から大量に巨大な薬莢が飛び出し続ける。本来ならば残響と共に聞こえてくる筈の美しい金属音まで蹂躙するこの恐ろしい轟音を聞きながら、カノンは耳を塞いでいた。

 

 マズルフラッシュの光が地下墓地の中を蹂躙し、轟音の群れがウィルヘルムの呻き声をかき消す。

 

 一番最初に飛来した30mm弾がウィルヘルムの右腕を抉り取った直後からは、彼の肉体は立て続けに襲来する30mm弾の中で次々に引き千切られ続けた。瞬時に再生させた腕がまたしても千切れ飛び、回避しようとする両足を砲弾が叩き潰す。数多の剣戟から彼の身を守ってきたあの甲冑も、戦闘機を木端微塵にしてしまう恐るべきガトリング機関砲の前では全く意味がない。自分の主の足手まといでしかないのである。

 

 四肢や胴体を次々に抉られる激痛に耐えながらも、瞬時に身体を再生させてステラへと突進するウィルヘルム。彼が駆け抜けた後には被弾する事のなかった砲弾が石畳に大穴を穿ち、彼が被弾する度にまき散らす肉片と鮮血が穴だらけの石畳を彩った。

 

 先ほどから何発も被弾し、被弾する度に手足が抉られているというのに、ウィルヘルムは憎悪に乗っ取られた目で俺たちを睨みつけながら前進してくる。

 

 このままでは、ウィルヘルムを仕留めるよりも先にガトリング機関砲が弾切れしてしまう。あの重火器の再装填(リロード)は巨大な弾薬タンクを交換しなければならないため、アサルトライフルやLMG(ライトマシンガン)よりも手間がかかる。撃ち尽くしてしまったら、ウィルヘルムはすぐさまステラに襲い掛かる事だろう。

 

 ステラの得物が弾切れした時に時間稼ぎをするために、背中のアンチマテリアルライフルへと手を伸ばしたその時だった。突然、先ほどまで豪快なマズルフラッシュを噴き上げ、地下墓地の中を照らし出していた巨大なガトリング機関砲の銃声が徐々に残響へと変わり始めていったのだ。新たな銃声は聞こえず、マズルフラッシュの残光と轟音の残響が遠退いていくだけだ。

 

 拙い。弾薬タンクの中身が空になっちまったのか!

 

 ラウラとナタリアはあのアース・フレンジーによって生み出された壁の向こう側だ。ラウラが何とかよじ登って越えようとしているのが見えるが、あの状態からウィルヘルムに攻撃を加えるのは不可能だろう。

 

 俺は今得物のグリップを掴んだばかりで、折り畳んだ状態のOSV-96の銃身をまだ展開していない。この状態で射撃ができるわけがなかった。

 

 ウィルヘルムはまだ心臓に被弾したわけではないため健在である。しかももう再生は終わっていて、右手には禍々しいブロードソードを握っていた。ステラは身体能力の高いサキュバスだが、彼女が得意としているのは魔術を駆使した中距離戦や、重火器を使った支援だ。近距離武器を使って正面から戦うのはステラの苦手分野である。

 

「ステラ―――――――」

 

 彼女にガトリング砲を投げ捨てて逃げろと指示を出そうとしたその時だった。

 

 空になった弾薬タンクを取り外すステラの隣でマークスマンライフルを構えていたカノンが、自分の祖先の忠臣だった男に向かって、トリガーを引いたのだ。

 

 豪快なガトリング機関砲の掃射と比べると小さな銃声だったが、その銃の使い手が持つ技術によって狙い澄まされた極めて精密な一撃は、主君を裏切った仲間たちや彼女の棺を荒らそうとする者たちへの憎悪を纏う血まみれの騎士の胸へと、正確にめり込んでいた。

 

 まるで、怒り狂う彼に一言だけ優しい言葉をかけたかのように。

 

 彼がこれ以上手足を抉られる苦痛を味わわないように、一撃で心臓を撃ち抜き、彼を成仏させようとしたのだろう。かつて彼が使えた主君の子孫として、ウィルヘルムを苦しませたくなかったのかもしれない。

 

 しかし、彼女が引いた引き金は、マークスマンライフルの引き金だけではなかった。

 

 銃の引き金だけではなく、ウィルヘルムの怨念の引き金まで引いてしまったのである。

 

 



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ヴィルヘルムの心臓

 

「くっ………急がないと………!」

 

 無数の岩盤の槍でタクヤたちと分断された私とナタリアちゃんは、大慌てで槍と槍の間をすり抜けるようによじ登り、仲間たちと合流しようとしていた。

 

 まだ向こうからは銃声が聞こえるけど、銃声が聞こえるという事はまだウィルヘルムを仕留められていないという事。だから早く合流して、タクヤたちに加勢しないと……!

 

 背負ったアンチマテリアルライフルが岩盤の槍に当たり、ガリガリと擦れる。

 

 きっとさっき聞こえてきた大きな音は、ステラちゃんがガトリング砲を連射した音だと思う。でも、その掃射の轟音が聞こえた後も銃声が聞こえたという事は、ウィルヘルムはまだ仕留められていない。この壁の向こうで、タクヤたちに剣を振るい続けている。

 

 そんなの、許さない。

 

 タクヤは私の大切な弟。あの時、私を守ってくれた強い子なの。

 

 だから、今度はお姉ちゃんである私があの子を守らなければならない。あの子が幸せになるためなら、お姉ちゃんは手足を失ってもいい。全身血まみれになって、恐ろしい姿になっても構わない。

 

「ナタリアちゃん、早く!」

 

「分かってる!」

 

 ステラちゃんの分析のおかげで、ウィルヘルムの弱点は心臓だという事は判明している。そこを撃ち抜く事ができれば、もう再生して襲い掛かって来ることはない筈。

 

 回復アイテムはまだ1つも使っていないし、誰も致命傷は負っていない筈だけど、このまま戦いが続けばみんな銃の弾薬を使い果たしてしまうかもしれない。もしそうなったら接近戦を挑まなければならなくなるんだけど、接近戦ではおそらくウィルヘルムの方が上手かもしれない。

 

 だから、弾切れする前に倒さないと!

 

 隆起した岩盤の槍が複雑に組み上がった壁をすり抜け、ナタリアちゃんの手を引きながら奥へと進んでいく。アース・フレンジーはこのように発動後も槍が残るから、攻撃以外にも相手の逃げ道を奪う事ができる便利な魔術なんだけど、こんなに大きい槍は見たことがない。

 

 タクヤ、待っててね。すぐにお姉ちゃんも加勢するんだから!

 

 目の前に見える隙間から、緑色の光とマズルフラッシュの光が入り込んでくる。あそこから外に出れば、きっとタクヤと合流できる!

 

 弟に加勢しなければと思いながら槍の群れの中を進んでいると、いきなり緑色の光を何かが遮った。数少ない光源だった外の光が覆われ、私たちの周囲が一時的に暗闇に変貌する。

 

 何かに塞がれたわけではないみたい。出口が一つなくなってしまったんじゃないかと思ってしまったんだけど、光を遮った何かはすぐに左側へと引っ込んでいった。

 

 引っ込んでいく時、マズルフラッシュの光で一瞬だけその遮っていた何かの表面が見えた。赤黒い液体で濡れた漆黒の防具のような金属に覆われていて、その先端部には指のような細い物が生えている。

 

 まるで、防具を身に着けた騎士の片腕のように見えたの。あの場であんな恰好をしているのはウィルヘルムだけなんだけど、今の腕のような物はフィエーニュの森で戦ったトロールの剛腕のように大きかった。彼がいくらハーフエルフの大男と言っても、あんなに腕が大きいわけがない。

 

「い、今のは………何……!?」

 

「腕………?」

 

 もし仲間たちが傍らにいたなら、念のためにエコーロケーションを使って敵の索敵と大きさの反応を確認していた。でも、今はこの向こうでタクヤたちが戦っている。一刻も早く合流しなければ、私の大切な弟と仲間たちが死んでしまうかもしれない。

 

 悠長に索敵している場合ではないと判断した私は、大慌てで目の前の槍の表面に手を伸ばし、鷲掴みにしながら前へと突き進んだ。岩盤の地面を踏み越え、緑色の光が流れ込んでくる穴から顔を出す。

 

 ガトリング砲の掃射で、広間の石畳は何ヵ所も穿たれていた。大穴や亀裂の入った石畳がびっしりと広がる広間は、かつてリゼットが埋葬された静かな地下墓地とは思えない。まるで、この顔を出した穴が地下墓地の広間にそっくりな戦場に繋がってしまったかのような感じがして、私は少しだけ混乱してしまう。

 

 分断された間に、広間がこんなに変貌するほどの攻撃が実行されたというのに、ウィルヘルムは未だに倒れない。予想以上に恐ろしい相手だという事を再認識しながら広間を見渡すと―――――――穴から見て左側に、その異形は鎮座していた。

 

「――――――え?」

 

 その異形を目にした私と顔を出したばかりのナタリアちゃんは、同時に我が目を疑った。

 

 確か、タクヤたちはウィルヘルムと戦っていた筈。大昔に家臣たちの裏切りで命を落としたリゼットの棺を守ろうと、無数の裏切り者たちへと戦いを挑み、戦死した英雄の亡霊戦っていた筈なのに――――――今のタクヤたちは、ウィルヘルムではなく、その異形に向かって攻撃している。

 

 赤黒い血で汚れた甲冑を身に纏っているのはウィルヘルムと変わらない。防具に刻まれた摩耗しかけの複雑な装飾も、彼のデザインと全く同じだった。でもその防具を身に纏い、大きなブロードソードを手にして唸り声をあげているのは、もはや主君を守ろうとする亡霊ではなくなっていた。

 

 浅黒かった肌はまるで怨念の炎で燃え尽きてしまったかのように真っ黒に染まり、まるで皮膚の下の筋肉をすべて取り除かれてしまったかのように、頬や手足は痩せ細っていた。胴体に至っては痩せ細っているどころか皮膚すら見当たらなくて、真っ黒な背骨と肋骨だけで上半身と下半身を繋いでいる。

 

 まるでミイラが防具を身に纏って騎士の格好をしたような怪物の痩せ細った顔には、まだウィルヘルムの面影があった。顔中の肉が取り除かれてしまったせいなのか、皮膚の下に骨格があるだけの彼の顔は皺だらけになっていて、両目は見開かれた状態のままになっている。攻撃を続けるタクヤたちをぎょろりと睨みつける真っ赤な眼は、何百倍に増幅された怨念が凝縮されたかのようだった。

 

 もう、あれは騎士ではない。自分の怨念で永遠に苦しみながら怨嗟を生み出し続ける恐ろしい怪物に変貌しているみたい。

 

「これが………ウィルヘルム…………?」

 

 隣にいたナタリアちゃんが、怪物を見上げながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそったれ………!」

 

 OSV-96を肩に担ぎ、突っ走りながら毒づいた。

 

 背後の石畳が大剣のように巨大化したブロードソードの剣戟で砕け散る音を耳にし、今までの実戦や訓練では全く味わった事のない恐怖を感じながら、左手でMP412REXを引き抜いて発砲する。

 

 この5mくらいの大きさの怪物は、先ほどまで俺たちが戦っていたウィルヘルムの成れの果てだ。

 

 カノンはついさっき、あいつの心臓に正確に6.8mm弾をお見舞いした筈だった。ステラの放ったガトリング砲でウィルヘルムが嬲り殺しにされている間に狙いを定め、30mmの砲弾の連射と比べると遥かに地味な中距離からの狙撃で、ついにウィルヘルムを仕留めた筈だった。

 

 ところが、ウィルヘルムは成仏してくれなかった。歯を食いしばりながら両手で心臓を抑えたかと思うと、怨念のこもった金切り声を上げながら、この騎士の真似事をするミイラのような姿になってしまったんだ。

 

 全身の肉が失われ、焦げてしまったかのように黒く染まった皮膚で覆われた巨体は、まるでウィルヘルムの怨念が具現化したような恐ろしい姿である。だがその姿が甲冑を纏っているのは、もしかすると彼の中にはまだ怪物にはなりたくないという未練があったからなのかもしれない。

 

 痛々しく禍々しい怪物に.357マグナム弾が立て続けに被弾するが、怪物に変貌したウィルヘルムは少しだけ身体を揺らしながら、傷口を再生させていくだけだった。せっかく.357マグナム弾が開けた風穴が、早くも黒い霧に覆われて埋まっていく。

 

 巨大化した上に再生能力は変わらないのか………!

 

 これはカノンの試練だが、このまま戦いが続くのは拙い。銃は魔術や剣術が主流である異世界では非常に強力な武器だが、弾丸を撃ち尽くしたら攻撃が出来なくなるという大きな弱点がある。

 

 再び振り払われたウィルヘルムの剣戟にひやりとしながら、俺は残っている弾薬の数を思い出す。

 

 G36Kのマガジンは、装着している分も合わせるとあと2つ。中に入っている弾丸の数は30発だから、6.8mm弾はあと60発で品切れだ。

 

 レ・マット・リボルバーの弾薬は、.44マグナム弾はあと36発。410番の散弾の方はまだ全く使っていないため、合計で12発だ。

 

 MP412REXの.357マグナム弾は、先ほどから使い始めているためまだ余裕がある。だが、このように牽制に使っていたらすぐに底をついてしまう事だろう。そろそろ心臓を撃ち抜いて決定打になるダメージを与えたいところだ。

 

 そして肩に担いでいるOSV-96は、アンチマテリアルライフル本体の弾薬はまだ残っている。今しがた最初に装着されていたマガジンの弾薬を使い切ってしまったが、まだ予備のマガジンは5つ残っているし、銃身の下には虎の子のRPG-7V2はまだ1発もぶっ放していない。あの怪物に致命傷を与えるとしたら、この対戦車榴弾の一撃だろう。

 

 そろそろこいつをお見舞いしてやろうかと思ったが、キャリングハンドルを掴んで照準器を覗き込もうとした直前に、ウィルヘルムがぎょろりと俺を見下ろしながらブロードソードを振り下ろしてきた。

 

『死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!』

 

「うおッ!?」

 

 大慌てで横にジャンプし、黴臭い空気を大量に吸い込みながら起き上がる。土埃まで吸い込んで咳き込みながら駆け出しつつ、空になったマガジンを取り外し、再装填(リロード)しながら対戦車榴弾をお見舞いするチャンスを探る。

 

 あの攻撃は、おそらくキメラの外殻では防げないだろう。剣のサイズは3m以上に巨大化している上に、剣戟の重さも爆発的に増えている筈だ。まだ人の姿をしていた時の彼の一撃で、受け止めた片腕の骨が木端微塵にされそうな衝撃だったのだから、あれを受け止めようとすれば今度は全身が木端微塵にされてしまうに違いない。

 

 一撃も攻撃を喰らう事は許されないのだ。

 

 またしても剣戟を回避されたことに苛立ったのか、ウィルヘルムは歯を食いしばると、再び剣を振り上げる。

 

『私はリゼット様を守る者! あのお方の棺は渡さんぞ、裏切者共ッ!!』

 

 もう、俺たちを裏切者と勘違いしている。言葉を発するのは戦い始めた時から変わらないが、支離滅裂だ。先ほどまでカノンをリゼットだと勘違いしていたというのに、今では彼女まで裏切者扱いである。

 

 ウィルヘルムが剣を振り下ろそうとしたその時だった。

 

 彼の絶叫をかき消すかのように響いた1つの轟音が、彼の膝に風穴を開けたのである。

 

 人間が被弾したのならば、たちまち弾け飛んでしまうほどの大口径の弾丸による狙撃だったが、ウィルヘルムの巨体から見れば小さな穴が開いたのと全く変わらない事だろう。だが、彼の黒い皮膚を貫通した弾丸は骨を砕いたらしく、一時的にとはいえ骨を砕かれたウィルヘルムは、剣を振り下ろす途中でよろめく羽目になった。

 

 6.8mm弾では、おそらく膝に撃ち込んだとしてもあの巨体をよろめかせることは不可能だろう。12.7mm弾による狙撃ならばできる筈だ。それに、今の弾丸が飛来したのは俺の後方からではなく、ウィルヘルムの右側からである。

 

「タクヤっ!」

 

「さすがラウラ!」

 

 今の狙撃を叩き込んだのは、やっと合流してくれたラウラだった。彼女の後ろにいるナタリアが、ウィルヘルムがよろめいている隙にすかさずカールグスタフM3の対戦車榴弾を叩き込み、ウィルヘルムの胸元を抉り取る。

 

 獰猛な爆風に抉り取られた防具の下に見えたのは、真っ黒な肋骨や胸骨が並ぶがらんどうの胴体だった。ここに来る途中で倒したスケルトンをそのまま巨大化させたような身体があらわになり、仲間たちが目を見開く。

 

 爆風で砕けた胸骨の穴の向こうには漆黒の背骨があったが、その背骨の前には何かが浮遊しているようだった。胸骨の内側から伸びたロープのような何かで繋がれ、まるで鼓動しているかのように膨張と収縮を繰り返すグロテスクな物体である。

 

 親父から魔物の内臓をメスで摘出する訓練は何度か受けていたから、今更内臓を見せつけられても全くグロテスクだとは思わない。今思えば、あの時訓練を受けた時点で、前世の世界で身に着けた俺の常識は壊れていたのかもしれない。

 

 そこにあった肉の塊は――――――巨大な心臓だった。

 

 だが、明らかにそのサイズは常人の心臓よりも大き過ぎる。1m弱のサイズの心臓を持つ人間など存在するわけがない。

 

 その鼓動する唯一の肉の塊は、再生していくウィルヘルムの胸骨に包み込まれ、ついに見えなくなってしまった。

 

「―――――あれだ」

 

 あれを撃ち抜けば、ウィルヘルムの戦いは今度こそ終わる。

 

 だが、あれを撃ち抜くためにはまず防具と胸骨を破壊した上で、それらが再生するよりも早く正確に心臓を撃ち抜く必要がある。そんな芸当が出来る狙撃手は、このメンバーの中でラウラとカノンのみ。その2人のうちどちらがあの怪物に止めを刺すべきなのか考えると、最も適任なのはカノンであった。

 

「カノン、あれを撃てるか?」

 

「………」

 

 撃てば、ウィルヘルムはおそらく成仏する。

 

 祖先のためにここをさまよい続ける亡霊を、ついに解放してやる事ができるのだ。あの血まみれの騎士にとっての幸福は、ここで主君の棺を守り続けることなどではなく、あの世にいる主君の元へと送り出してやることではないのか。

 

 大昔の英雄に別れを告げる覚悟を決めたカノンは、数秒だけ瞳を瞑ると、俺の顔を見つめながら頷いた。

 

「わたくしが狙い撃ちますわ。皆さんは――――――」

 

「ああ、任せてくれ」

 

 俺たちの役割は、彼女が心臓を撃ち抜くための下準備をする事だ。要するにあいつの剣戟をすり抜けながら、胸に集中攻撃して防具と胸骨をぶち壊し、心臓を撃ち抜けるようにするのである。

 

 それほどの風穴を開けるためには、アンチマテリアルライフルや対戦車集団は必需品になるだろう。さすがにカノン以外の全員で突撃するわけにもいかないので、ステラには魔術による援護をお願いするとしよう。

 

「ステラ、援護を頼む」

 

「了解しました。―――――――タクヤ」

 

「ん?」

 

 コッキングレバーを引いていると、ステラが俺を見上げながらコートをぐいぐいと引っ張った。

 

「無事に終わったら、ご飯が食べたいです」

 

「――――おう。終わったら、腹いっぱい食っていいからな」

 

「楽しみです。タクヤの魔力は美味しいので」

 

 ラウラの魔力は甘いらしいんだが、俺の魔力ってどんな味がするんだろうか………。

 

 そんなことを考えていると、近くにいたラウラがゲパードM1の再装填(リロード)をしながら俺を睨みつけてきた。そういえば、最近はあまり彼女は俺に甘えていない。色々とやる事が多かったせいなのかもしれない。

 

 これが終わったら、逆に俺がお姉ちゃんに甘えてみよう。きっとラウラは喜ぶはずだし、恥ずかしがるラウラの顔が見れるかもしれない。

 

 それに、ノエルにも地下墓地の冒険の話をしてあげよう。

 

 戦いが終わった後の楽しみを考えながら、目の前にメニュー画面を出現させる。今の装備でもあいつの胸元を抉る事は可能だが、もう一押しした方が良いだろう。

 

 いくつか新しい武器を生産した俺は、前衛としてこれからウィルヘルムに肉薄するラウラに、その生産した武器を手渡した。ナタリアにも渡したいところだが、彼女は使い方の訓練を受けていない。

 

 ラウラに渡したのは、グリップの先に太い円柱状の爆薬が取り付けられた古めかしい手榴弾をそのまま大型化したような代物だった。棍棒の代わりに使えそうなほど大きなこの得物は手榴弾に分類されるが、普通の手榴弾のように人間へと投擲するためのものではない。

 

 戦車に叩き込むために開発された、『対戦車手榴弾』と呼ばれる特殊な手榴弾だ。最近では戦車を攻撃する兵器は対戦車榴弾となっているため廃れつつある武器だが、こいつの破壊力ならばあの防具を吹き飛ばし、胸骨を抉り取る事ができるだろう。

 

 彼女に渡したのは、ソ連製対戦車手榴弾のRKG-3である。

 

 それを3つ受け取った彼女は、早速1つを手に取ると、残りの3つを腰に下げた。

 

「訓練はやったよな?」

 

「えへへっ。懐かしいね」

 

 対戦車用の手榴弾だというのに、ラウラは訓練で何度もゴブリンに向かって放り投げていた。あの時の楽しそうな彼女の顔を思い出してぞっとしながら、俺も生産したもう一つの得物を準備する。

 

 生産したのは1本のナイフだ。普通のナイフのように斬りつけることも可能なんだが、このナイフが真価を発揮するのはある機能を使った瞬間だろう。間違いなく、数多のナイフの中で最強クラスの殺傷力を持つナイフに違いない。

 

「―――――あいつの戦いを、終わらせるぞ」

 

 仲間たちにそう言った俺は、ナイフを構えながらラウラとナタリアと共に走り出した。

 

 

 

 

 



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ヴィルヘルムと鎮魂歌

 

 ある日、この地下墓地の最深部を訪れた少女の姿を目にして、私は我が目を疑った。

 

 奇妙な武器を持ち、ハーフエルフの少年と共にここを訪れた少女は、リゼット様に瓜二つだったのである。

 

 もしかすると、彼女はここに封印された棺から自分の得物を取りに来たリゼット様だったのかもしれない。すぐにでも彼女の傍らに跪きたかったが、あの時の私は未練がまだ足りなかったのか、今のように実体化することも出来なかったため、黙って2人が最深部の曲刀を手に入れるのを見守る事しかできなかった。

 

 蘇ったリゼット様が曲刀を手に入れる間、もう1人のハーフエルフの少年は、他の冒険者たちとたった1人で戦い、彼女を守り続けていた。相手の方が手強かったようだが、ハーフエルフの少年はひたすら鉈を振るい続け、彼女が戻るまで格上の相手と戦い続けていたのである。

 

 まるで、私が裏切者たちと戦ったあの時のようだった。勝ち目がないと仲間たちに言われても、私も彼のように手強い裏切者たちと戦った。

 

 私まで蘇ったかのようなハーフエルフの少年だった。

 

 彼がいれば、リゼット様は大丈夫だろう。私もあのお方を守りたかったが、未練の足りない私では何もできない。だが、私の同胞でもある勇敢な彼ならば、きっと私の代わりに今度こそリゼット様を守り抜いてくれるに違いない。

 

 彼らが訪れたのは、確か21年前の筈だ。

 

 あの同胞がいるならば、今頃リゼット様は活躍されている事だろう。もう大昔に死んだ戦死者の出る幕ではない。そろそろ私も成仏するべきなのかもしれない。

 

 そう思いながらいつも私は剣を離そうとするのだが、かつて数多の敵兵を両断してきたこの得物は、私の手から離れてくれない。必死に指を離そうとしても、私の指はブロードソードの柄から離れないし、力を抜こうとしても無意味だ。目の前に敵が現れれば、いつも私は怨念のこもった絶叫をあげながら剣を振り下ろしている。

 

 もう未練は残っていない。リゼット様が復活し、新たな家臣と共に戦いを始めているのだから。

 

 だから、もう私の出番はない。なのに、私は未だに成仏できない。

 

 怨念が、消えないのだ。

 

 どうすればいい?

 

 誰か……教えてくれ…………。

 

 

 

 

 

 

 

『グォォォォォォォォォォッ!!』

 

 怨嗟の絶叫で、地下墓地の広間が激震する。1000年間も蓄積してきた裏切者たちへの怒りが肥大化し、ついに弾けようとしているかのような凄まじい絶叫。だがこの絶叫は、何だか怨念以外の感情も混じっているような気がした。

 

 大半は確かに裏切者たちへの怒りだ。リゼットの曲刀を手に入れ、世界を支配するという私利私欲のためだけにリゼットを殺害し、曲刀を奪おうとした愚か者たちへの怒りは1000年経っても全く弱まっていない。

 

 だが、その後ろに別の感情があるような気がするんだ。まるで助けを求めているような弱々しい別の感情だ。

 

 待ってろ、ウィルヘルム。今解放してやる………。

 

 隣にいるラウラと目を合わせ、まるで親父にいたずらしていた時のようににやりと笑った俺たちは、咆哮するウィルヘルムへと向かって走り出した。

 

 俺たちの役目は、あいつの胸骨を吹き飛ばして風穴を開け、カノンに心臓を狙撃させる事。彼に止めを刺すべきカノンは後方でマークスマンライフルを構えているし、その傍らではステラがいつでも援護できるようにガトリング砲を構えている。

 

「ナタリアッ!」

 

「了解! 攪乱は任せなさい!」

 

 走り出した俺たちとは別方向にナタリアが走り出す。担いでいたカールグスタフM3を背負い、左肩のホルダーに預けていた愛用のコンパウンドボウを構えた彼女は、腰の矢筒の中から矢を引き抜いて番え、ウィルヘルムへと狙いを定める。

 

 ナタリアは俺たちよりも半年前から冒険者として活動している先輩だ。銃の使い方にはまだ不慣れだが、他の冒険者から受けた訓練では最も弓矢による戦闘を得意としていたという。

 

 弓矢は銃のように銃声を発しないし、装備しているのはモリガン・カンパニー製の新型コンパウンドボウである。貫通力は、従来の弓矢の比ではない。

 

 弓で狙われていると気付いたウィルヘルムは雄叫びを上げながら剣を振り上げるが、それを振り下ろすよりも先に、まるで流星群のような30mm弾の群れが飛来し、防具もろともウィルヘルムの右腕をズタズタに食い破っていく。

 

 アンチマテリアルライフル以上の口径の砲弾を連射できる重火器を手にしているのは、ステラしかいない。彼女が俺たちを援護するために、残っている砲弾を連射してくれたのだろう。

 

 ちらりと後ろを見てみると、大型の弾薬タンクを取り付けられた巨大なガトリング砲を手にした幼い少女が、凄まじい反動で搭載している戦闘機まで破損させてしまうほどの得物を容易く連射している姿が見えた。彼女が装着している弾薬タンクの砲弾を撃ち尽くせば、あのガトリング砲の砲弾は底をつく。

 

 だが、ステラは構わずガトリング砲を連射し続けた。砲弾の高速連射でウィルヘルムの腕をついに切断し、そのまま彼の胸元へと砲弾の群れを迸らせる。マズルフラッシュの残光を纏った砲弾たちが、薄暗い広間に煌めきを刻みつけながらウィルヘルムの防具を貫通し、胸骨に穴を開けていく。

 

『小娘がァァァァァァァァァァァァッ!!』

 

 30mm弾の連射を煩わしいと思ったのか、ウィルヘルムは右手を再生させつつ左手で胸を抑え、砲弾に心臓を貫かれないようにしながら絶叫した。彼が叫んでいる間に問答無用で30mm弾が彼の左手を滅茶苦茶にしていくが、もう激痛すら気にならないほど激昂しているらしく、ウィルヘルムは再生させたばかりの腕で剣を拾い上げる。

 

 そのままステラまで接近しようと前に踏み出した瞬間だった。

 

 荒々しく華やかな轟音とマズルフラッシュが迸るステラのガトリング砲とは別の方向から、物静かだが獰猛な1本の矢が飛来し、皺だらけの顔に埋め込まれたウィルヘルムの眼球へと突き刺さったのである。

 

『ギャアアアアアアアアアアアッ!!』

 

「さすがナタリア!」

 

 どうせすぐに眼球を再生させ、この怪物は再び襲いかかってくることだろう。だが、一時的にとはいえ隻眼の状態での戦闘を強いられる。

 

 それが、接近するチャンスだ。彼の剣すら届かないほど肉薄し、俺とラウラが手にした得物であいつの胸骨を吹っ飛ばす!

 

『貴様ァァァァァァァァッ!!』

 

 激昂しながら、ウィルヘルムは眼球に突き刺さった矢を強引に抜き取った。指先で裁縫に使う針のように細い矢を投げ捨てた彼は、1000年間も蓄積していた怨念と自分の眼球を撃ち抜いた少女への怒りを組み合わせ、今度はナタリアに狙いを定める。

 

 そろそろ牽制を始めようかとリボルバーのホルスターに手を伸ばしたその時、地下墓地の広間で停滞し続ける黴臭い空気が、微かに冷えたような気がした。

 

 何年間もずっと来訪者が無かった地下墓地の空気は、21年前にこの場所が知られてからも相変わらず黴臭かったことだろう。たかが21年だけで変わるわけがない。

 

 基本的に変わる筈のないここの空気が、変わり始めている。普通の人達ならば以上だと思うだろうが、その元凶と幼少の頃から常に一緒にいた俺は、早くもこの原因を理解し、その原因となった赤毛の少女が何を始めようとしているのかを察していた。

 

 空気の冷却は止まらない。徐々に吐き出す息が白く染まり始め、しまいには緑色の光で照らされている石畳が、鮮血のように紅い霜で覆われ始める。ウィルヘルムが流した鮮血が凍り付いたわけではない。空気中の水分が凍結し、それらが結合して床を覆い始めているのである。

 

 やがてその霜は他の霜たちと共食いを始めたかのように結合し始め、厚みを増していく。雪原のように気温が下がった頃には、石畳は鮮血のような氷に覆われ、黴臭い地下墓地の中には火の粉を思わせる紅い雪が降り始めていた。

 

 まるで、雪と氷が真紅に染まったスケート場だ。

 

「きゃははっ!」

 

 隣を走っていた元凶(ラウラ)が、まるで大好きなおもちゃを目にした子供のように笑うと、凍り付いた床の上でジャンプしながら両足のサバイバルナイフを展開した。

 

 あのサバイバルナイフは、足に取り付けられるように脹脛の部分にカバーが用意されている。基本的にナイフはそこに収納されており、攻撃する際は展開して足技を繰り出すかのように敵を斬りつける事ができる。普通の戦い方よりも変則的な戦い方を好む愛娘のために、モリガン・カンパニーの技術分野を統括するエリスさんが用意したという特注品だ。

 

 だが、最も変則的なのは、ラウラの能力と組み合わせられるように用意されているギミックだろう。

 

 彼女の両足から展開したナイフが着地するよりも先に更に伸びたかと思うと、くるりと半回転し、爪先の方向へとカバーと刀身の境い目からL字型に折れ曲がる。

 

 その形状は、まるで靴底にサバイバルナイフの刀身を取り付けた物騒なスケートシューズだった。

 

 空中で両足の得物をスケートシューズのような形状に変形させたラウラは、紅い氷の上に着地すると、こんこん、とサバイバルナイフの切っ先で氷の表面を叩き、左手をMP412REXのホルスターへと伸ばす。

 

 カラーリングは彼女をイメージしているため、黒と真紅の2色となっている。

 

「いくよ、タクヤ」

 

「了解、お姉ちゃん」

 

 ラウラの得物はリボルバーと、RKG-3対戦車手榴弾。リボルバーは牽制用で、対戦車手榴弾は奴の胸骨を吹っ飛ばすための得物である。棍棒としても使えそうなほど巨大な古めかしい手榴弾をくるくると回した彼女は、俺がホルスターからMP412REXを引き抜いたのを見てにやりと笑うと―――――俺と同時に、再びウィルヘルムへと突撃を開始した。

 

 まるでスケートの選手のように、華麗に氷の上を滑っていくラウラ。地下墓地の広間が凍結した事に驚いたウィルヘルムが雄叫びを上げながら剣を突き刺してくるが、ラウラはウィルヘルムの殺気と威圧感をぶつけられても全く怯まない。氷の上でくるりと回転して突き下ろされるブロードソードの切っ先を躱しつつ、反撃にリボルバーをぶっ放し、.357マグナム弾でウィルヘルムの眉間を狙い撃つ。

 

 続けざまに剣を引き抜き、再びラウラを串刺しにしようとするウィルヘルム。だが、やはりラウラには全く当たらない。ゴーレムやトロールすら串刺しにしてしまうほどの恐ろしい剣戟をひらりと躱し、氷の表面に2本の傷跡を刻みつけながらウィルヘルムに急迫する。

 

 スケートシューズで滑りながらウィルヘルムの剣戟を躱している間に、今度は俺がウィルヘルムへと接近した。この亡霊はラウラを叩き潰す事に夢中になっている。だから、俺には全く攻撃が来ない。

 

 姉が生み出した氷で滑らないように気を付けながら接近した俺は、まだ俺に気付かない亡霊を見上げてにやりと笑うと、皺だらけの真っ黒な皮膚で覆われたウィルヘルムの左足にナイフを突き立てた。

 

 やはり筋肉が中に入っていないのか、手応えは今までナイフで切り刻んできた魔物とは全く違う。皮膚をあっさりと突き抜けたナイフの切っ先はすぐに骨に突き当たり、進撃を止めてしまう。

 

 巨大な怪物を倒すには小さ過ぎるナイフに見えるが――――――もしかしたら、こいつは対戦車手榴弾並みに獰猛な得物かもしれない。間違いなく、ナイフの中で一番殺傷力の高い代物だろう。

 

 攻撃されたことにウィルヘルムが気付き、俺の身体を鷲掴みにしようと手を伸ばしてくるが、残念ながらもう間に合わないだろう。最強のナイフの刃は、もう突き立てられているのだから。

 

 唸り声を発しながら手を伸ばしてくる怪物を嘲笑うと、俺はナイフに取り付けられているスイッチを押した。

 

 その瞬間、まるでナイフの刀身の中から圧縮された空気が流れ出すような音が一瞬だけ聞こえた。

 

 ナイフの切っ先にある小さな穴から、たった今このナイフが最も獰猛だと言われる理由が、ウィルヘルムの体内へと流れ込んだのである。

 

 突然、ぶくりとナイフが突き立てられていた周囲の皮膚が膨らみ始めた。真っ黒に染まった皮膚が徐々に団子のように膨れ上がったかと思うと、その成長した膨らみの表面が唐突に破け、まるで内部に爆弾でも仕込まれていたかのようにそのまま弾け飛んだ。

 

『ガァァァァァァァァッ!?』

 

「さすがワスプナイフだぜッ!!」

 

 飛び散る鮮血と皮膚の破片を浴びながら、俺は後ろにジャンプしつつ叫んだ。

 

 ワスプナイフとは、アメリカ製のナイフの1つだ。グリップの中に高圧のガスを充填した小型のカートリッジを搭載しており、スイッチを押すとカートリッジ内部の高圧ガスが噴出される仕組みになっている。ナイフで刺された標的の体内を、さらにこのガスがズタズタに破壊するというわけだ。

 

 まさしく、最強のナイフだろう。

 

 左足の脹脛の皮膚を殆ど吹き飛ばされたウィルヘルムは、激昂しながら早くも皮膚を再生させ始めている。黒い霧のようなものが傷口を覆い始めて皮膚を形成していく速度は、やはり早い。胸骨を破壊して風穴を開けたとしても、すぐに狙撃しなければ着弾前に再生してしまう。

 

 ナイフのグリップの中からカートリッジを排出し、予備のカートリッジを装填する。獰猛な破壊力の動力源を得たナイフをくるりと回した俺は、もう一度片足を吹き飛ばしてやろうかと思ったが、氷の上を自由自在に滑り回るラウラを追いかけ回しているウィルヘルムの胸に緋色の礫が命中したのを目にして、第二波を断念した。

 

 今の緋色の礫は、ナタリアに渡した無反動砲のスポットライフルに装填されている曳光弾だ。あれをぶっ放したという事は、そろそろ対戦車榴弾を叩き込むつもりなんだろう。今の曳光弾による射撃は、照準を合わせると同時に、そろそろ決着を付けようという意見だったに違いない。

 

 確かに、そろそろ決着をつけるべきだ。既にステラのガトリング砲は砲弾を撃ち尽くしてしまっているし、このまま戦いを続けていれば弾薬が底をつく。

 

 それに、ウィルヘルムを早く成仏させてやらなければ。

 

 ラウラもその曳光弾を見ていたらしく、リボルバーによる牽制を中断すると、対戦車手榴弾に取り付けられている安全ピンへと手を近づけた。いよいよ戦車を吹っ飛ばすために開発された獰猛な手榴弾の出番がやってきたというわけだ。

 

 対戦車手榴弾の準備をしつつ、またしてもウィルヘルムの剣戟をひらりと躱すラウラ。俺よりも身軽な彼女は氷の表面にひときわ深い傷跡を刻んで跳躍した彼女は、紅い氷の破片を周囲に纏っていた。まるでルビーのように紅い氷の破片たちが緑色の光を反射し、鮮血のダイヤモンドダストを作り出す。

 

 見惚れそうになってしまったが、今は戦闘中だ。

 

 スケートシューズのナイフを元の状態に戻し、ウィルヘルムの巨大な腕を踏みつけて着地するラウラ。常にナイフを展開した状態で疾走を始めたため、彼女が一歩進むごとにナイフが突き刺さり、彼の剛腕から鮮血が噴き上がる。

 

 ウィルヘルムは必死にラウラを叩き落とそうとするが、剛腕で攻撃するという事を見切っていた彼女は既に腕からジャンプし、空中で手榴弾の安全ピンを引き抜いていた。

 

 ピン、という小さな金属音が、冷酷にウィルヘルムに突き刺さる。そしてその手榴弾を持つ少女の笑みは、この広間を覆い尽くす紅い氷よりも冷たい。

 

「―――――おやすみなさい、ウィルヘルム」

 

 目を合わせるだけで凍り付いてしまいそうなほどの冷笑と共に、ついに対戦車手榴弾が解き放たれる。棍棒に使えそうなほど大きな古めかしい手榴弾はくるくると縦に回転し、ウィルヘルムの胸元へと向かっていく。

 

 彼はその武器を目にしたことはない筈だが、危険なものだという事は理解したのだろう。慌ててそれを払い落とそうとしたが、既に安全ピンを抜かれ、放り投げられた後のそれを払い落とすのは不可能だった。

 

 巨大な手の平が対戦車手榴弾を叩き落とす前に、ラウラが放り投げた手榴弾が爆風を生み出したのである。戦車を吹き飛ばすために開発された対戦車手榴弾の爆薬は瞬時に膨張すると、生み出した爆風をすぐ近くにいたウィルヘルムへと叩き付けた。

 

 大量の爆薬が形成した獰猛な爆風が、ウィルヘルムの防具を融解させ、吹き飛ばす。未だに続く爆風の嵐はあらわになった彼の胸骨に喰らい付くと、胸骨の表面を抉り、破片でズタズタにしながら食い破る。

 

 さすがに1つでは胸骨を抉ることは出来なかったらしく、荒々しかった爆風が早くも黒煙へと変わり始めている。だが――――――立て続けに、もう1つの獰猛な得物から放たれた砲弾が、抉られたばかりの胸骨へと飛び込んでいった。

 

 それは、ナタリアが放った無反動砲の対戦車榴弾であった。

 

『グォッ!?』

 

「命中ッ!!」

 

 再生している途中だった胸骨と激突した対戦車榴弾は、対戦車手榴弾以上の爆風を生み出し、それで胸骨を削り取りながら、爆風の中で更に強力なメタルジェットの牙を突き立てた。

 

 戦車の装甲を突き破るほどの威力があるメタルジェットは胸骨を完全に突き破ったが、その風穴は思ったよりも小さい。すぐに再生してしまうため、カノンに狙撃させるためにはもっと広げなければならない。

 

『無駄だ、私は死なんッ! リゼット様の棺を今度こそ守り切るまで死ぬことなどないのだッ!!』

 

「―――――――いや、もう休め。ウィルヘルム」

 

 まだ主君の棺を守らなければならないという執念と忠誠心は素晴らしい。まさに彼こそ立派な忠臣だ。もしリゼットが存命していたら褒め称えている事だろう。

 

 だが、お前の戦いはもう終わっている。―――――もう、苦しまなくていい。

 

 彼の忠誠心を痛々しく感じた俺は、目を細めてから跳躍した。尻尾を伸ばして先端部を腕に突き立て、ラウラと同じように彼の腕の上を全力疾走。払い落とすために迫ってくる剛腕をひらりと回避し、ワスプナイフを構えながら再生している最中の彼の胸板に飛び移る。

 

 既にナタリアの対戦車榴弾が開けた風穴は塞がりかけていた。暗黒の霧の中にうっすらと見えるのは、既に死んでいるというのに鼓動を続ける禍々しい巨大な心臓。彼の執念と怨念の根源でもある臓器の鼓動は、やっぱり痛々しかった。

 

 ワスプナイフを再生中の胸板に突き立てた俺は、腰の後ろから伸びるキメラの尻尾も同じように突き立てた。

 

 ステラが尻尾を弄っている時に、彼女に俺の尻尾は危険だぞと注意したことがあったが、危険なのは外殻が鋭くなっているからではなく、その先端部に小さな穴が開いている事だ。親父にも尻尾は生えているが、俺のように穴が開いているわけではない。

 

 実は、俺の尻尾もワスプナイフと似たような芸当ができるようになっているんだ。体内で生成した高圧の魔力を突き刺した対象の体内に噴射することで、同じく体内をズタズタにする事ができる。炎属性の魔力を調節すれば、尻尾の先端から火炎放射器のように炎を噴出することも可能だ。

 

 名称を付けるとしたら『擬似ワスプナイフ』だろうか。

 

 ウィルヘルムの恐ろしい顔が、胸板に張り付いている俺を見下ろす。痩せ細ったような顔に埋め込まれた真っ赤な瞳は、相変わらず怒り狂っているように見えたけど、何故か微かに安心しているようにも見えた。

 

 まるで、やっと戦いが終わったことを喜ぶ兵士のような、安心した目つきだった。

 

「―――――じゃあな」

 

 ゆっくり休め――――――。

 

 瞼を瞑ってから、俺はワスプナイフのスイッチを押すと同時に、尻尾の中に高圧の魔力を送り込んだ。

 

 風穴を必死に塞いでいた黒い霧が膨れ上がり、胸骨の表面に不規則な亀裂が生まれる。割れ目から微かに高圧ガスと魔力が漏れ始めたと思った直後、一瞬だけ胸骨が膨らみ、体内に送り込まれた魔力とガスに耐え切れなくなった胸骨はあっけなく弾け飛んだ。

 

 無数の骨の破片が針のように飛び出し、俺の顔や身体に突き刺さっていく。何度も鋭い痛みに喰らい付かれながら飛び降りた俺は、落下しながら後方でマークスマンライフルを構えるカノンを振り返る。

 

 この距離なら、当てられるだろ?

 

 いつも訓練の最高難易度で満点なんだから。

 

 撃て、カノン。

 

 終わらせろ。

 

 こいつの苦しみに、終止符を打て。

 

「――――――――カノン、撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 絶叫した直後、聞き慣れた銃声が地下墓地の広間を駆け回った。

 

 カノンが構えたSL-9の銃口から、彼に別れを告げるための6.8mm弾が飛び出したんだ。マズルフラッシュの残光を未だに纏いながら飛来した弾丸は、仰向けになりながら落下する俺の目の前を流れ星のように通過すると、黴の臭いを火薬の臭いで上書きし、残響を響かせながら、塞がっていく彼の風穴へと向かっていく。

 

 そして――――――彼の怨念が具現化したような暗黒の霧の奥にある心臓に、ついに6.8mm弾が飛び込んだ。

 

 

 



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ヴィルヘルムの直刀

 

 そこに広がっていたのは、花畑だった。

 

 見慣れた防壁もない。青空の下に広がる筈の草原まで呑み込んでしまったかのように広がる、広大な花畑。花の色はバラバラで統一感は全くなかったが、ここを眺めているとなぜか安心する事ができる。

 

 暖かい風のおかげだろうか? それとも、この花の香りのおかげだろうか?

 

 安心感の正体を明らかにしようとしたが、私はいつも手にしていた筈の剣を持っていないことに気付き、やっとこの安心感の原因を理解した。

 

 やっと、私の戦いが終わったのだ。もう返り血まみれになりながら、戦場で必死に剣を振るう必要はない。そして裏切った者たちへの怨念を抱きながら、あの地下墓地をさまよう必要もないのだ。

 

 1000年間も続いた私の戦いは、ようやく終わったのだ。

 

『ウィルヘルム』

 

 暖かい風の中で様々な色の花弁が舞うと同時に、美しい女性の声が聞こえてきた。儚いような声だが、優しいだけでなく凛としている不思議な声音。

 

 その声は、私が大昔から再び耳にしたいと願っていたある女性の声と全く同じだった。

 

『リゼット………様………?』

 

 振り返ってみると、私の後ろには1人の女性が微笑みながら立っていた。

 

 リゼット・テュール・ド・レ・ドルレアン。1000年前に私が仕えた、ドルレアン領の領主。風の精霊と親しくなったことから風の力を操る曲刀を授けられ、民たちの幸福を願いながら裏切者によって殺された、私の主である。

 

 彼女の葬儀には私も参加したから、棺の中で曲刀と共に眠る彼女の姿は目にしている。

 

 確かに彼女は死んでしまった。生きていてほしいと何度も思ったが、彼女はもう既に死んでいるのだ。

 

『やっと、会いに来てくれましたね』

 

『リゼット様………』

 

 ずっと、私はこのお方と再会したいと願っていた。

 

 涙を流しそうになりながら、私はリゼット様の目の前で跪く。

 

『ずっと私のために、苦しんでいたのですね。ウィルヘルム』

 

『………』

 

『ですが、もう苦しまなくてもいいのです。あの世界は――――――私の子孫と、あなたの子孫の子供が引き継いでくれることでしょう』

 

 そういえば、あの橙色の髪の少女はリゼット様の子孫だと言っていた。確か、名前はカノンという名前だったような気がする。

 

 彼女はリゼット様の子孫らしいが、私の子孫とは誰なのだろうか。

 

『さあ、おいで。眠りましょう、ウィルヘルム』

 

『はい、リゼット様』

 

 ずっと、あなたに会いたかった。

 

 剣を振るう事を止めるだけで、私はもう彼女に会う事ができたのだ。武器を手から離せばもう彼女と再会する事ができたというのに、私は彼女の棺を守らなければと必死に剣を握り、怨念を抱きながら剣を振るっていたのである。

 

 なんと愚かしい。どうして剣を手から離せばいいという事に気付かなかったのか。

 

 怨念に呑み込まれる前に、剣を離していれば成仏できたのだ。

 

 もう、怨念はない。裏切者たちはまだ許すことは出来ないが、もう憎まなくてもいいのだ。リゼット様と再会する事ができたのだから。

 

 これからは、彼女と共に眠ろう。そして、私たちの子孫を見守るのだ。

 

 あの少女たちに礼を言わなければ。

 

 ありがとう、カノン―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 ウィルヘルムの中の憎しみは、消えたのだろうか?

 

 心臓をたった1発の弾丸に撃ち抜かれ、漆黒の霧をまき散らしながら消滅していく巨体を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。未だに体中に突き刺さる針のような骨の破片の激痛も全く気にならない。石畳に叩き付けた背中の激痛も、あまり感じない。俺の痛みは、彼の苦痛に比べればはるかにちっぽけなのだから。

 

《レベルが上がりました》

 

 強敵を撃破したからなのだろう。レベルが上がったというメッセージが表示され、続けてレベルが48に上がったというメッセージが表示される。画面をタッチすると上がったステータスが表示され始めるが、今までのように嬉しいとは思えない。

 

 レベルが一気に48に上がったおかげで、ステータスも強化された。攻撃力と防御力は1400になり、一番低かったスピードのステータスも1290に強化された。更に新たにポイントも10000ポイント追加されたので、少々贅沢できるだろう。

 

「終わったんだね………」

 

「ああ」

 

 これで、もうウィルヘルムはこの地下墓地をさまよう事はなくなる。

 

 彼の戦いはもう終わっていた。だが、彼は未練と怨念のせいで成仏する事ができず、この地下墓地をさまよい続けていたのだ。自分の主君の棺を、侵入者から守るために。

 

 今度こそ、主君を守り切るために。

 

 1000年間もたった1人で過ごすのは、寂しいだろう。俺がそんなことをする羽目になったら、間違いなく耐えられないに違いない。

 

 彼が憎しみを捨て、安らかに成仏したことを祈りながら、崩壊していく彼の残滓を見つめ続けた。

 

 防具を身に着けたミイラのような姿の巨体が、黒い霧と骨の破片をまき散らしながら崩れ落ちていく。崩壊した骨の破片はやがて砂鉄のような黒い粒子になり、緑色の光の中へと消えていった。

 

「……ん?」

 

 すると、崩れ落ちていくその死体の中に、蒼く煌めく六角形の結晶のようなものが浮かんでいるのが見えた。確か、あれは撃破した敵から何かがドロップした際に出現する結晶だったような気がする。

 

 短いマントの内側にあるホルダーからエリクサーの瓶を取り出し、一口飲んで傷を治療してからその結晶へと近付いていく。既にウィルヘルムの残滓は砂鉄の山のように崩れ、消滅を始めていた。

 

 黒い粒子の中で蒼く輝く結晶に触れると、その結晶が甲高い音を立てながら弾け飛んだ。蒼いダイヤモンドダストのような光の中でメッセージが表示され、目の前に漆黒の鞘に収まった刀が具現化する。

 

 柄に漆黒の護拳がついているからサーベルかと思ったが、鞘から引き抜いてみると、その柄の先に取り付けられている刀身は、真紅の古代文字が刻み込まれた日本刀のような形状の真っ直ぐな刀身だった。

 

 まるで、旧日本軍で使用されていた軍刀のような形状の刀である。

 

《軍刀『ウィルヘルムの直刀』を入手しました》

 

 どうやらこの刀は、ウィルヘルムの直刀という名称らしい。リゼットが手にしていた2本の刀はリゼットの曲刀と呼ばれているから、それと対になる代物なのではないだろうか。

 

 軍刀を鞘に戻した俺は、このウィルヘルムの直刀を装備から解除せずに踵を返すと、消滅していくウィルヘルムを見つめていたカノンの所へと戻った。

 

 祖先と共に戦った偉大な忠臣の戦いを終わらせたのは、彼女なのだ。だからこの得物は俺ではなく、カノンが持った方が良いだろう。そうした方がウィルヘルムも喜んでくれるに違いない。

 

「………こいつは、お前が持て」

 

「これは………刀………?」

 

「ウィルヘルムの直刀だ。こいつを振るうのは、お前が一番ふさわしい」

 

 それに、俺が銃以外で一番使い慣れている得物はナイフだ。剣術の訓練も受けたけど、小さい武器の方が接近戦をやりやすいし、格闘術も併用しやすい。

 

 鞘に収まった直刀を彼女に渡すと、カノンはマークスマンライフルを背負ってから直刀を受け取った。鞘の中から漆黒の刀身を引き抜き、全く刃こぼれしていない美しい刀身を見つめた彼女は、両目にほんの少しだけ涙を浮かべた。

 

「………お兄様………ウィルヘルムの憎しみは、消えたのでしょうか………?」

 

「消えたさ」

 

 心臓を撃ち抜かれた瞬間のあいつの顔を、俺は目にしていた。

 

 カノンに心臓を撃ち抜かれたウィルヘルムは、一瞬だけ安心していたように微笑んでいたのだから。

 

 やっと戦いを終え、あの世にいるリゼットと再会できるのだ。憎しみを抱いたまま逝くわけにはいかないだろう。

 

 だから、きっと憎しみは消えたと思う。

 

 そう断言すると、カノンは涙を拭い始める。だが14歳の少女に1人の忠臣の戦いを終わらせるのは辛すぎたらしく、やがて拭い去れないほど涙があふれ始め、彼女の頬に涙の跡ができた。

 

 領主の娘として涙を流すわけにはいかないと思っていたようだが、耐えられなくなってしまったらしい。

 

 まるで泣き顔を隠すように、目の前に立っている俺の背中に手を回して抱き付いてくるカノン。久しぶりに再会した時のような凛としたお嬢様ではなく、久しぶりに妹分としてのカノンを目にしたような気がする。

 

 俺の胸に顔を押し付けて泣き始めたカノンを、俺はそっと抱き締めた。

 

 こっちを見つめてくるラウラの表情は、不機嫌そうな表情ではなく、珍しく安心したような表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、カレンさんから与えられたカノンの試練は終了した。

 

 きっとカレンさんは、既にあの亡霊の正体がウィルヘルムだという事を知っていたんだろう。本当の試練の目的は亡霊を撃破して実力を証明する事ではなく、彼を成仏させることで哀しみをカノンに理解してもらう事だったような気がする。

 

 実力ならば、もう領主になる事ができるレベルだろう。だが、カノンはまだ14歳の少女だ。領主になるには幼過ぎるし、戦いで生まれる哀しみを知らない。

 

 戦友を失う哀しみや、敵を屠る哀しみ。敵へと剣を振り下ろせば必ず生じる感情だ。

 

 それを理解させるためにカノンをウィルヘルムと戦わせたのだろう。

 

 最強の傭兵たちの1人娘として生まれ、次期領主候補となった彼女には、戦い方やマナー以外の事も教えなければならない。この世界は俺や親父が住んでいた前世の世界と違って、平和ではないのだから。

 

「よくやったわ、カノン」

 

 ウィルヘルムの直刀を眺めながら、執務室の椅子に座るカレンさんは微笑んだ。かつてカノンと同じくあの地下墓地を訪れ、最深部から曲刀を回収した経験のあるカレンさんは、きっとカノンが乗り越えた試練の辛さをよく知っている事だろう。

 

 刀身に刻まれている古代文字を眺め、鞘に戻したカレンさんは、直刀を傍らに立つギュンターさんに渡した。直刀を受け取ったギュンターさんはそれをカノンへと返すと、微笑みながら『よくやったな、カノン』と言って愛娘の頭を大きな手で撫で回す。

 

 ギュンターさんの顔つきは、本当にウィルヘルムにそっくりだ。もしかしたらあそこにいたのはウィルヘルムではなくギュンターさんだったのではないかと思ってしまうほど瓜二つで、俺は違和感を感じてしまう。

 

 もしギュンターさんがウィルヘルムと同じ恰好をしたら見分けがつかなくなるんじゃないだろうか。

 

 カレンさんはリゼットの子孫だけど、もしかするとギュンターさんはウィルヘルムの子孫なのかもしれないな。

 

「これで、他の次期当主候補の子たちに差がついたわ。カノンが領主になるのは決定的ね」

 

「ありがとうございます、お母様」

 

 俺も、出来るならばカノンに領主になってもらいたいものだ。

 

 リゼットとカレンさんの遺志を受け継いだカノンならば、きっとドルレアン領をもっと平和な領地にしてくれることだろう。そして、この世界から奴隷制度を消し去ってくれるに違いない。

 

 差別という馬鹿馬鹿しい思想は消え去るべきだ。だから、もしカノンが領主になったら、俺とラウラも彼女に力を貸したいと思う。

 

「でも、まだカノンは14歳だし、領主になるには早いわね」

 

「ええ。ですから、わたくしは引き続き訓練を―――――――」

 

 カノンの言葉を聞きながら、カレンさんは首を横に振った。

 

「―――――カノン。あなたは優秀な娘よ。私たちも鼻が高いし、分家の子供たちの模範にもなっているわ。でもね………あなたには、実戦経験が少ないという大きな欠点があるの」

 

 彼女は、幼少期から魔物と実際に戦っていた俺やラウラと比べると、圧倒的に実戦経験が少ない。いくら訓練で優秀でも、実戦を経験していなければ本当に強くなることは出来ない。

 

 経験は非常に大切なのだ。仮に一瞬で強くなる事ができる者がいたとしても、数多の戦いを経験した猛者ならばすぐに経験をベースにして、作戦を立ててしまう。そしてそのまま撃破してしまう事だろう。

 

 経験は、戦術の土台になる。経験は試行錯誤の過程なのだから。

 

 カノンには、その土台が足りないのである。

 

「で、では………」

 

「あなた、冒険者見習いの資格を持ってるわよね?」

 

「ええ、お母様」

 

 すると、カレンさんはギュンターさんと目を合わせてから、まるでこれから親にいたずらする悪ガキのようににやりと笑い、カノンの後ろに立つ俺とラウラを見つめてきた。

 

 凛としたカレンさんには珍しい笑い方に、俺は窮地ではないというのにぞっとしてしまう。

 

「―――――タクヤくん。悪いけど………この子に、経験を積ませてあげられないかしら?」

 

「経験ですか? あの、カレンさん。それって―――――――」

 

「ええ。あなたたちの冒険に―――――――カノンも連れて行ってほしいのよ」

 

 俺たちの冒険に、カノンも連れて行けということか。

 

 確かに俺たちはこれから様々な魔物や転生者と戦う事になるだろう。一緒にいればすぐに実戦の経験を積む事ができるし、判断力を養うことも出来る。それに世界中を旅するのだから、様々な文化や場所を知る事ができるだろう。

 

 領地を統治する者には、必要な知識だ。

 

 首を横に振られるのではないかと、心配そうな顔でこっちを見つめてくるカノン。俺は隣に立つ仲間たちと目を合わせて頷き合うと、心配そうな顔をするカノンを見つめてから頷いた。

 

「分かりました。カノンも連れて行きます」

 

「お兄様…………!」

 

「カノンは優秀ですからね。彼女の射撃には助けられましたし」

 

「それはよかったわ。………では、カノンをお願いね」

 

「頼むぜ、若旦那!」

 

 ギュンターさんは親父を旦那と呼んでいる。俺を若旦那と呼ぶのは、旦那の息子だからだろうか。いつも女に間違われている俺は男らしいニックネームを付けられたことに安心すると、デスクの向こうに座っているカレンさんに向かって首を縦に振った。

 

 こうして、選抜射手(マークスマン)のカノンが俺たちの仲間に加わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでいいのか、カレン」

 

 タクヤくんたちが執務室を後にして少し経ってから、腕を組んでいたギュンターが突然そう言った。

 

 彼の問いがどういう意味なのかすぐに察した私は、屋敷の庭を門へと向かって歩いていく彼らを見送りながら「ええ、これでいいの」と返答する。

 

 タクヤくんたちに愛娘を託したのは、あの子に実戦経験を積ませるため。でも、それ以外にも大切な理由がある。

 

「先遣隊による攻撃があったという事は―――――――本格的に攻め込んでくるかもしれないわ」

 

「エイナ・ドルレアンも危険になるな…………」

 

 だから、あの子たちに娘を託し、吸血鬼との戦場になる危険があるこの街から遠ざけることにした。それが、あの子をタクヤくんたちに同行させたもう1つの理由だった。

 

 吸血鬼たちの先頭に立つのは、おそらくあの白い服を着た吸血鬼の少女。11年前に力也が倒したレリエル・クロフォードの腹心であり、現時点で最も彼の血を多く受け継いでいる最強の吸血鬼。

 

 彼女の顔を思い出した私は、何気なく左手を首筋へと伸ばした。21年前に始めて吸血鬼と遭遇した際に、私はその少女の吸血鬼に血を吸われてしまっている。

 

 彼女の牙を突き立てられた場所にはもう古傷すら残っていないけど、あの時の事を思い出すと、稀にずきりと痛み出す事がある。

 

 いつか、リベンジしないとね………。

 

 私は門からタクヤくんたちが出て行ったのを確認すると、今度は空を見上げた。

 

 エイナ・ドルレアンの空は、曇り空だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…………」

 

 信也叔父さんの屋敷に戻り、ミラさんに手料理を振る舞ってもらった俺たちは、この屋敷でもう一泊してから出発することにした。さすがにウィルヘルムとの戦いで疲労が溜まっているし、弾薬もかなり使ってしまった。それに、アイテムも補充しておかなければならない。

 

 3階の廊下の奥にある風呂場でシャワーを浴びながら、俺は息を吐いた。

 

 かつてこの異世界の風呂には、シャワーはなかったという。浴槽と桶が置いてあるだけのシンプルな風呂場で、髪を洗う時は湯船のお湯を桶で組み上げて泡を流していたらしい。

 

 しかも浴槽の中のお湯は、基本的に井戸から汲み上げてきた水を湯船の中に入れ、炎属性の魔術で加熱してお湯にしていたという。やがて魔術を応用したシャワーが考案され、貴族たちの間に普及したが、現在では産業革命の恩恵でより簡略化されたフィオナ製のシャワーが庶民たちの間にも普及している。

 

 フィオナちゃんのおかげだなぁ………。

 

 シャワーがあるおかげで、風呂に入っている感覚は前世の世界と全く変わらない。数多の発明品を生み出している幽霊の少女に感謝しながら、俺は蒼い髪を覆っている泡を洗い流した。

 

 そういえば、ポイントも溜まったからそろそろ武器を作っておこうかな。そう思った俺は泡を流しながらメニュー画面を開き、今のポイントを確認する。

 

 現在のポイントは18000ポイント。基本的に武器の生産に使うポイントは1000ポイント前後だから、少しだけだが贅沢は出来そうだ。

 

 近距離武器でも作ってみるか。もう作りたい武器は決まっているし。

 

 シャンプーの泡をシャワーで洗い流しながら、画面を何度もタッチしてナイフの項目を開く。ちなみにこのメニュー画面は立体映像のような物らしく、シャワーのお湯は画面に降りかかってもすり抜けて床に落ちていくだけだ。

 

 ナイフの中からワスプナイフを選んだ俺は、更にもう1本のワスプナイフを生産。カスタマイズのメニューを開き、刀身のカスタマイズを開始する。

 

 一般的なナイフのような形状をしている刀身を、今の得物である大型トレンチナイフと同じくサバイバルナイフを大きくしたような形状に変更。分厚い刀身の峰には、もちろんセレーションも用意されている。あとはグリップにナックルダスターのようなフィンガーガードを追加しておく。

 

 もう1本のワスプナイフにも同じようにフィンガーガードを追加した後、こちらの刀身を大型トレンチナイフのような大きめのセレーションがついた刀身に変更する。峰には小型のセレーションがあり、刃があるべき場所には大型のセレーションが用意されたのを確認した俺は、満足してメニュー画面を閉じた。

 

 これで、俺はワスプナイフを2本も持つことになる。しかも尻尾で擬似的にワスプナイフの真似事ができるため、3本もワスプナイフを使っているのと同じというわけだ。接近戦での攻撃力はこれで爆発的に上がった筈だし、接近戦ならば巨躯解体(ブッチャー・タイム)という凶悪な能力もある。

 

 久しぶりに1人で入浴を楽しんでいると、後ろの扉が開いた音が聞こえてきた。今日は珍しく1人で入浴していたんだが、やはりラウラは我慢できなくなったのだろうか。いつも欠かさずに一緒に風呂に入っていたから、寂しくなってしまったに違いない。

 

 よし、今回は逆に甘えて驚かせてやろう。そう思いながら後ろを振り向いたが、後ろに立っていたのはいつもの赤毛の少女ではなかった。

 

「こんばんわ、お兄様っ♪」

 

「か、カノンッ!?」

 

 バスタオルを身体に巻いて後ろに立っていたのは、俺たちの妹分のカノンだった。楽しそうに微笑んでいるが、恥ずかしいのか彼女の顔は赤くなっている。

 

 あ、危なかった……。腰にタオルを巻いておいてよかったぜ。もし巻いていなかったら、今頃彼女に俺の息子を見られていた事だろう。

 

「おいおい、一緒に入っていいのかよ………?」

 

「ええ。お姉様からは許可をいただいておりますから。さあ、お兄様。今夜はわたくしが背中を流して差し上げますわ」

 

 珍しいな。ラウラが俺と一緒に入らなかっただけでは幕、他の女子に譲るなんて。

 

 そう思っていると、ボディソープで泡をたてたタオルを用意したカノンが、泡だらけのタオルを俺の背中に押し当て始めた。ラウラと比べると小さなカノンの手が、タオル越しに俺の背中を撫で回す。

 

「ふふっ。女の子のようなお兄様ですけど……ちゃんと筋肉はついていますのね」

 

「当たり前だろ。小さい頃から訓練受けてたんだよ」

 

「逞しいですわ………ふふっ」

 

 お、襲って来ないだろうな………。カノンならこのまま俺をここで押し倒しかねないぞ。

 

 びくびくしながら前を向いていると、俺の背中を撫で回していたカノンの手が止まった。そして泡だらけの小さな手が俺の肩に乗ったかと思うと、その小さな手に引っ張られて俺は後ろを振り向かされる。

 

「………ありがとうございました、お兄様。お兄様たちのおかげで…………」

 

「………気にするなって。ウィルヘルムは、きっとあれで救われたよ」

 

 お前が終わらせたんだ。あいつの長い戦いを。

 

 俺を振り向かせたカノンは微笑むと、瞳を瞑りながら顔を近づけてきた。

 

 ラウラが襲ってくるかもしれないと思ってぞっとしたけど、カノンに入浴を譲ったのならば襲ってくる確率は低いだろう。それに、拒むわけにはいかない。

 

 少し躊躇ってから、俺はカノンの唇を奪った。

 

 

 

 

 

 



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天才技術者がやってくるとこうなる

 

 花の香りと石鹸の匂いが混ざり合ったような甘い香りが、目を覚ましたばかりの俺を出迎えてくれた。これがいつも通りの目覚めだ。甘い匂いに包まれ、傍らで寝息を立てる姉の寝顔を愛でてからベッドから起き上がる。そんな朝が日常茶飯事になったのは、この異世界にタクヤ・ハヤカワという少年として転生し、同い年の姉と一緒に言葉を話せるようになった頃だろう。

 

 もう17歳になり、普通の姉ならばもっと弟と距離を置いて彼氏と交際を始めてもおかしくない年頃なんだが、ラウラは未だに俺に依存したままだ。何度かそろそろ俺から離れた方が良いんじゃないかと彼女に言ったことがあるんだが、その度に拒否され、更に依存されてしまう。

 

 それに、もしラウラが本当に俺から離れてしまったら大丈夫なんだろうかと思う事もある。彼女は料理が苦手だし、洗濯物を畳むといつも滅茶苦茶になるし、家の中を掃除しても必ずゴミが残っている。家事が苦手な不器用な少女である。

 

 だから俺が支えてあげなければならない。彼女が苦手な家事は俺の得意分野だし、俺もお姉ちゃんのことが好きになってしまったのだから。

 

 そう思いながら、今日も姉の寝顔を愛でようかと手を動かそうとした。だけど、いつもなら毛布の中から何事もなく出てくる筈の俺の腕は、寝相のせいなのか全く動かない。

 

 何とか動かそうとしたんだけど、まるでステラに魔力を吸われて疲れ果てている時のように全く動かなかった。しかも、何だか冷たくて硬いものが両腕と足首の辺りを覆っているような気がする。

 

 まるで、氷漬けにされているかのようだ。

 

 ん? 氷漬けだって?

 

 ゆっくり瞼を開けながら周囲を見渡す。俺が眠っていたのは広めの部屋の中に用意されたベッドのうちの1つで、隣のベッドではカノンとステラがパジャマ姿で抱き合いながら寝息を立てている。反対側のベッドではナタリアが、先ほどから解読不能な謎の寝言を連呼していた。まるで魔術や黒魔術の詠唱みたいだ。

 

 笑いそうになったけど、ナタリアの謎の寝言で笑っている場合ではない。手足が動かない原因を探らなくては。

 

 そう思って再び自分の身体の上を見てみると――――――そこに、赤毛の少女がいた。

 

 パジャマのボタンを外し、母親譲りの大きな胸を覗かせながら、うっとりした表情を浮かべて俺の身体の上に跨っているのである。彼女は俺が目を覚ましたことに気付くと、嬉しそうににっこりと笑ってから顔を近づけてきた。

 

「おはよう、タクヤ」

 

「お、おはよう………」

 

 原因は、十中八九ラウラだろう。

 

 ラウラは俺の頬にキスをすると、両手と両足を動かせない状態の俺の身体を抱き締め、更に尻尾まで巻き付けてきた。最近彼女は俺を抱き締める際、逃げられないようにするためなのか、尻尾まで巻き付けてくることが多い。

 

「ら、ラウラ」

 

「ふにゅ? どうしたのかな?」

 

「あのさ、手足が動かないんだけど………しかも冷たいし」

 

 すると、ラウラの目つきがゆっくりと虚ろになっていった。幼少の頃、一緒に遊んでいた女の子に抱き付かれた時にラウラが機嫌を悪くしたことがあったんだけど、この表情はあの時から何度も目にしている。

 

 女の関係で不満があるんだろう。下手をしたらこのまま殺されかねないので、いつも俺はこの表情のラウラを目にする度にぞっとしてしまう。

 

「あっ、ごめんね。タクヤに逃げて欲しくなかったから、ちょっと両手と両足を凍らせたの」

 

「え?」

 

 俺に見せてくれるつもりなのか、ラウラはそっと毛布を捲り始めた。少しずつあらわになっていくのは、毛布の下で氷漬けにされている俺の手足。しかもその手足を覆っているのは鮮血のように紅い禍々しい氷だ。

 

 普通の氷ならばあり得ない色の氷は、ラウラが生み出した氷である。

 

 氷属性の魔術を得意とし、『絶対零度』の異名を持つ母親から遺伝したからなのか、ラウラは炎を操るサラマンダーのキメラだというのに炎を使う事ができず、逆に氷属性の攻撃を得意としている。

 

 その母親譲りの能力で生み出した彼女の氷が、俺の手足を覆っていたんだ。

 

「えへへっ。これなら動けないでしょ?」

 

「うん、動けない」

 

 炎を使えば脱出できない事はない。でも、そんなことをすればベッドが燃えてしまうし、この屋敷が火事になってしまいかねない。だから炎を使うわけにはいかないのだ。きっとラウラはそれを利用しているんだろう。

 

「お姉ちゃん」

 

「どうしたの? 何かしてほしいことある?」

 

「風邪ひきそうなんだけど………。あの、出来れば氷を解除してくれない?」

 

「ダメ」

 

 胸板に頬ずりしながらうっとりしていた彼女の目つきが更に虚ろになる。ぴたりと頬ずりを止めて顔をあげた彼女は、虚ろな目つきの顔を近づけてくると、俺の頬に指を這わせた。

 

 氷を解除してもらえないと、風邪をひいてしまいそうなんだが………。

 

 俺もサラマンダーのキメラだけど、サラマンダーは元々火山に生息するドラゴンだ。耐熱性ではドラゴンの中で最高峰で、中にはエンシェントドラゴンに比肩するものもいるという。

 

 だが、逆に寒さに弱いのだ。

 

「だって、タクヤは私の弟だもん」

 

「風邪ひいちゃうからさ、こんな感じに動けなくしてもいいから、今度からは縄で縛るようにしてよ。氷は冷たいな」

 

「ふにゅ? 縄ならいいの?」

 

「うん」

 

 出来るなら縛らないでほしいんだけど、手足を氷漬けにされるよりは縄で縛られた方がマシだ。

 

「ふにゃっ、どうしよう……!? た、タクヤが風邪ひいちゃう! ごっ、ごめんね!? 今解除してあげるから―――――――」

 

 俺に風邪をひかせるわけにはいかないらしく、大慌てで氷を解除しようとするラウラ。俺の事をちゃんと考えてくれるお姉ちゃんの優しさに感激しながら、俺は解放されたばかりの冷たい右手で彼女の頭を優しく撫でた。

 

 ラウラは俺に頭を撫でられるのが大好きらしく、頭を撫でられると無意識に尻尾を横に振ってしまうらしい。まるで飼い主に遊んでもらって大喜びする子犬や子猫のように見えてしまう。

 

 やっと冷たい感覚から手足を解放してもらった俺は、体内の魔力を使って氷漬けにされていた手足を温め始めた。上に跨ったまま見守っているラウラは、申し訳なさそうに俺を見下ろしている。

 

 いつもは甘えてくることの方が多いので、申し訳なさそうにしている姉の姿は珍しい。

 

 朝っぱらからこんなことをしてきたという事は、きっと久しぶりにたくさん甘えたかったんだろうなぁ………。最近は甘える時間が減ってるみたいだし。

 

 じゃあ、今日は逆に俺が甘えてみよう。もしかしたら恥ずかしがるお姉ちゃんが見れるかもしれない。

 

「あ、あの………タクヤ、ごめんね? タクヤに甘えたかったから――――――ひゃんっ!?」

 

 彼女が話している間に手足を温め終えた俺は、右手を彼女の肩へと伸ばすと、ぐいっと引っ張って彼女を引き寄せた。彼女は幼少期から俺と一緒に訓練を受けているんだけど、当然ながら体重は俺よりも軽い。

 

 ラウラを引き寄せてから抱き締めた俺は、先ほど彼女が尻尾を巻きつけていたように彼女の身体に自分の尻尾を巻きつけて逃げられないようにすると、いきなり抱き締められて顔を赤くしているラウラの頬に指を這わせながら囁いた。

 

「俺も、お姉ちゃんに仕返ししないとな」

 

「し、仕返し………?」

 

「そう。いつも甘えてるからな。………だから、お姉ちゃんに仕返しするよ」

 

 もちろん、大切なお姉ちゃんを痛めつけるわけではない。逆に俺が甘えるだけだ。

 

 俺をシスコンにした原因だしな。

 

 顔を真っ赤にしている彼女の顔を数秒見つめた俺は、にやりと笑ってから彼女の唇を奪う。自分の舌と彼女の舌を絡ませながら、ラウラの身体をぎゅっと抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 ミラさんの朝食をご馳走になり、ショップでアイテムも買いそろえてきた俺たちは、借りていた部屋の整理と次の目的地の確認をしていた。

 

 まず最初に目指すのは、メサイアの天秤の資料が見つかったというラトーニウス王国の『メウンサルバ遺跡』。やはりここもダンジョンに指定されていて、危険な魔物が徘徊している場所だという。危険度はドルレアン家の地下墓地以上らしい。

 

 そこを目指すためには、まず国境を超えて隣国のラトーニウス王国に入らなければならない。エリスさんと母さんの祖国だ。だが、最近ではオルトバルカ王国とラトーニウス王国の関係は悪化し始めているらしいから、普通に入国するのは難しいかもしれない。いざとなったら、かつて親父と母さんがこの国に逃げ込んできた手段を参考にさせてもらうつもりだ。

 

 エイナ・ドルレアンを出たら、まずオルトバルカ王国の最南端にあるネイリンゲンを目指す。かつてモリガンの本部があり、俺たちの故郷でもあった街だ。今では転生者による攻撃で廃墟になったままで、魔物が住み着いてダンジョンに指定されている。

 

 ネイリンゲンを経由してラトーニウス王国を目指し、国境にあるクガルプール要塞を何とか越える。そうすれば、ラトーニウス王国に入国する事ができるだろう。

 

 片付けた部屋のベッドの上で地図を広げていると、ドアの方からノックする音が聞こえてきた。ミラさんかなと思ったんだけど、彼女は窓の外で洗濯物を干している。それに、信也叔父さんは朝早くから仕事に行っているらしい。

 

 ノックできる人物はノエルしか残っていないんだけど、彼女は基本的にベッドの上だ。もし彼女がここまで頑張って歩いてきたとしても、もっと弱々しいノックになる筈である。

 

 違和感を感じながらもドアの方を振り向いてみると、ゆっくりとドアが開き、廊下から白いワンピースに身を包んだ白髪の少女が、宙に浮いた状態で姿を現した。

 

 見た目は12歳くらいの幼い少女に見えるんだけど、見た目よりも遥かに大人びているような感じがする変わった少女だ。まるで母親のように優しい雰囲気を放つ蒼い瞳が、部屋の中にいる俺たちを見つめている。

 

『あら、タクヤくん。仲間がいっぱいできたんですね』

 

「フィオナちゃん……?」

 

 部屋を訪れたのは、この異世界で産業革命を引き起こした天才技術者のフィオナちゃんだった。100年前に病死し、強烈な未練でこの世界をさまよっていた彼女は、若き日の親父や母さんと出会ってモリガンの一員となり、傭兵として活躍した。現在ではモリガン・カンパニーの製薬分野を統括しつつ、個人的な趣味で様々な発明を続けているらしく、彼女の持つ特許は増加を続けているらしい。

 

 噂ではそろそろ1000件を突破しそうだという。

 

「え!? この子が……あの天才技術者の!?」

 

「ああ、そういえばナタリアは会った事ないんだよな」

 

 俺たちは小さい頃からモリガンのメンバーと過ごす事が多かったからあまり驚かないけど、ナタリアやステラはモリガンのメンバーと会ったことはあまりない。フィオナちゃんと話すのは初めてだ。

 

 天才技術者と呼ばれるのは恥ずかしいらしく、少しだけ顔を赤くしながら照れるフィオナちゃん。確か彼女は本社の研究室か、自分が所有する研究室の中で毎日何かの発明をしているらしいんだけど、どうしてエイナ・ドルレアンにいるんだろうか。出張か?

 

「えっと、何でフィオナちゃんはここに? 仕事は?」

 

『力也さんから休暇を貰ったんです。ですから、久しぶりに信也くんやノエルちゃんに会いに来たんですよ。それに、ちょうどタクヤくんたちもここにいるって聞きましたし』

 

 なるほどね。休暇か。

 

「ね、ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 フィオナちゃんと初めて出会ってまだ驚いているナタリアが、俺の耳元で囁いた。

 

「私、フィオナ博士って大人の女の人を想像してたんだけど………」

 

「ああ、見てのとおり幼女だ。しかも幽霊なんだぜ」

 

「ゆ、幽霊!?」

 

 でも、実年齢はもう100歳を超えている。精神年齢が見た目以上に大人びているのは、やはり100年間もずっとさまよっていたからなんだろうか。

 

 ナタリアにそう言っていると、いつの間にかフィオナちゃんが目の前までやってきて、ナタリアが肩のホルダーに着けているコンパウンドボウをまじまじと見つめていた。

 

 このコンパウンドボウは、モリガン・カンパニーで製造された武器で、現在では冒険者や騎士団に普及している遠距離武器の主役である。きっとフィオナちゃんも、生産や改良に携わっていたんだろう。製薬分野を統括しているらしいんだけど、製薬だけでなく武器の製造も兼任しているらしいし。

 

『あら、これは3年前のモデルですね』

 

「えっ?」

 

『使い易さの代わりに殺傷力を落としたタイプなんですよ。ですからこれの改良型では殺傷力をあげてるんです』

 

「そ、そうなんですか………?」

 

『はい。設計を行ったのは私ですから』

 

 やっぱり、フィオナちゃんも開発に携わってたのか。

 

 懐かしそうに自分の発明品を見つめていたフィオナちゃんは、顔をあげてナタリアの顔を見つめた。

 

『あの、これからもっと危険なダンジョンに行くんですよね?』

 

「は、はい」

 

 ネイリンゲンを経由してラトーニウスに行く予定なんだが、そのネイリンゲンもダンジョンに指定されているからな。それに、メサイアの天秤の資料があったというメウンサルバ遺跡はドルレアン家の地下墓地以上に危険だと聞いている。

 

『もしよろしければ、このコンパウンドボウを改造させてもらえませんか?』

 

「か、改造ですか!?」

 

「い、いいの?」

 

『はい。当然ながらお代はいりません。趣味ですから』

 

 趣味で武器を改造するのかよ。

 

 でも、設計した技術者が自ら改造してくれるのならば、ナタリアのコンパウンドボウの弱点である殺傷力の低さを補ってくれるかもしれない。もしかしたら、ライフル弾並みの殺傷力まで向上するかもしれないな。

 

 お代は取らないって言ってるし、カスタマイズをお願いした方が良いんじゃないだろうか。ナタリアのコンパウンドボウは俺が能力で作った武器じゃないから、カスタマイズするには鍛冶屋に行かなければならない。開発者に無償で改造してもらえるならば、そっちの方が良いのは明らかだ。

 

「どうする?」

 

「うーん………お願いしてみようかしら」

 

 彼女はホルダーからコンパウンドボウを取り外すと、フィオナちゃんに手渡した。

 

「お願いします、フィオナ博士」

 

『はい、お任せください!』

 

 胸を張りながらナタリアのコンパウンドボウを受け取るフィオナちゃん。でも、武器を改造するには道具や設備が必要なんじゃないのか? 

 

 それに、素材も必要になる筈だ。改造するのはいいんだけど、必要な物は持ってるんだろうか?

 

「フィオナちゃん、設備とか素材は? 持ってるの?」

 

『ご安心ください。素材は鍛冶屋さんから購入しますし、改造用の道具なら持っていますので』

 

「ふにゃっ!? か、鍛冶屋さんから素材を買うの!?」

 

『はい。よく実験で素材が足りない時は鍛冶屋さんから購入するようにしています。お値段は高くなっちゃいますけど』

 

「俺たちが取ってこようか? 冒険者だし………」

 

 無償で改造するのに費用が掛かるのは拙いだろ。いくら趣味でも、フィオナちゃんが損をすることになる。

 

 でも、フィオナちゃんは首を横に振った。

 

『いえ、問題ありませんよ。私の趣味ですし、お金の使い道は素材の費用くらいですから』

 

「そ、そうなの?」

 

『はい。そしてその素材で発明を繰り返してるので………減るどころか、増えてるんです』

 

 彼女は特許をいくつも持ってるからなぁ………。

 

 申し訳ないけど、彼女に無償で改造してもらった方が良いだろう。そう思った俺はナタリアに向かって頷くと、目の前の天才技術者を見つめた。

 

 やっぱり、フィオナちゃんは天才だった。趣味で発明した発明品で、更に特許を取ってしまうような技術者なのだから。

 

 



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フィオナの発明品

 

 ナタリアのコンパウンドボウを受け取ったフィオナちゃんが向かったのは、俺たちが借りている部屋の隣の空き部屋だった。この信也叔父さんの屋敷はネイリンゲンにあったというモリガンの屋敷の構造と全く同じらしく、あの屋敷を知っているモリガンのメンバーならば案内は必要ないという。

 

 隣の部屋から聞こえてくる金属音や、空気が抜けるような音を聞いてどんな改造をされるのか想像した俺は、買いそろえてきたアイテムをコートのホルダーに入れ、仲間たちが準備を終えるまで武器の点検でもすることにした。

 

 親父は武器の口径はできるだけ大きい方が良いと言っていたが、ウィルヘルムには十分通用していたため、現時点で採用している6.8mm弾で十分だろう。7.62mm弾も使ってみようかなとは思ったんだけど、あの弾丸は反動が大き過ぎる。レベルが上がってステータスが強化された状態ならば使いこなせるかもしれないが、俺にはまだ早いかもしれない。

 

 ベッドの上に腰を下ろし、サムホールストックに改造した愛用のG36Kに搭載されているスコープを調整していると、ラウラが鼻歌を歌いながら腰を下ろし、俺の尻尾を弄り始めた。今朝は彼女に手足を氷漬けにされて風邪をひくところだったけど、その後にキスをしたせいなのか、今日の彼女は機嫌が良いらしい。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「もしメサイアの天秤を手に入れたら、誰の願いを叶えるの?」

 

「ああ、それは決めておかないとな」

 

 メサイアの天秤は、手に入れた者の願いを叶えてくれるという。だが、叶えられる願いは1つだけだから、メンバーの中で誰の願いを叶えるべきなのか話し合って決めておかなければならない。

 

 手に入れてから仲間割れを起こして全滅したら洒落にならないからな。

 

 この話を始めた瞬間、服装をチェックしたり、持参した小説を読んで暇潰しをしていた仲間たちがこっちに視線を向けた。気が早いかもしれないけど、やはりこれは決めておくべきことだと思っているんだろう。

 

「この中で、何か願いがある奴はいるか?」

 

「私は………特に無いわね」

 

 肩をすくめながらナタリアが言う。何か願いがあるんじゃないかと思っていたんだが、どうやら彼女には願いは特にないらしい。俺は「本当に?」と問いかけてみたけど、彼女は俺の目を見つめながらあっさりと首を縦に振った。

 

 彼女の傍らで小説を読んでいたカノンも、同じように俺に目を合わせられてから首を横に振る。ドルレアン家の次期当主候補である彼女ならば、てっきり領内の民の平和を願いにするのかと思ってたんだが、どうやら彼女にも願いは無いようだ。

 

「ステラはどうする? お前の場合は………種族の再興だろう?」

 

 この中で、最優先で願いを叶えるべきなのは間違いなくステラだろう。彼女の種族であるサキュバスは1200年前に全滅しており、生き残っている最後のサキュバスはステラのみ。彼女の目的は子供を作り、サキュバスを増やして再興する事だ。メサイアの天秤を手に入れるのは困難かもしれないが、手に入れる事ができれば、サキュバスは再興できる筈である。

 

 だから、俺にも願いはあるけど、もしステラに願いがあるのならば彼女の願いを優先するつもりだった。彼女は首を縦に振るだろうと思いながらじっと見つめていると、以外にもステラは首を横に振った。

 

 なぜだ? 天秤があれば、簡単に種族の再興が出来るのに………?

 

「確かに、ステラの目的はサキュバスの再興です。ですが………時間がかかりますが、ステラがたくさん子供を作って育てていけば、実現可能です」

 

「でも…………天秤を手に入れれば、種族は再興できるんだぞ?」

 

「はい。ですが、再興したとしても再び魔女狩りが始まるのが関の山でしょう。現代でもサキュバスは魔女だと決めつけられているようですし」

 

 全く表情を変えないステラが淡々と言う。確かにサキュバスは、他の種族から魔力を奪っていく魔女として語り継がれている地域は多い。もし大昔に死んだ彼女の同胞がそっくりそのまま生き返ったとしても、サキュバスが魔女扱いされている以上、十中八九1200年前の魔女狩りの二の舞になるに違いない。

 

 そうなれば、ステラの願いは水の泡になる。

 

 つまり、サキュバスは魔女だという風潮を変えない限り、再興させたとしても再び魔女として狩られるだけなのだ。だから彼女は首を横に振ったんだろう。

 

 下手をしたら、これは種族を再興させるよりも困難かもしれない。

 

「そういうタクヤは、願いはないのですか?」

 

「俺は――――――」

 

 俺にも、願いはある。人々が虐げられることのない、平和な世界を作るという願いだ。

 

 奴隷制度がある限り、奴隷は虐げられる。そしてサキュバスたちも復活したところで同じように虐げられるだろう。彼らがどんな苦痛を与えられているのかは想像に難くない。それに、前世で親父に散々暴力を振るわれてきたから、虐げられるのがどれだけ辛い事か理解している。

 

 だから俺は、この願いを叶えたいと思っている。かなり困難な願いだけど、メサイアの天秤ならばこの願いを叶えてくれる筈だ。

 

「――――――人々が虐げられることのない、平和な世界を作りたいって願うつもりだ」

 

「悪くありません。その願いが叶えば、ステラの子供たちも安心して生きていけます」

 

「そうね。悪くないかも。………奴隷にされてる人たちも救われるし」

 

「ええ、良いですわね。まさにお母様の理想ですわ」

 

 仲間たちは、俺の願いに賛成してくれるらしい。

 

 メサイアの天秤が無ければ一番実現が難しいこの願いを聞いた仲間たちは、否定せずに肯定してくれた。この願いが叶えば、奴隷制度は廃止される。それにサキュバスは魔女だという風潮も消滅し、再びサキュバスたちも平和に生活できるようになるだろう。

 

 隣を見てみると、ラウラも微笑みながら首を縦に振ってくれた。

 

「みんな、ありがとう。………ところで、ラウラには願いはないのか?」

 

「ふにゅ? 私? お願いはあるけど………私のお願いも実現は出来るよ」

 

 きっと、こいつの願いは昔から何度も言っているあの夢なんだろうなぁ………。

 

 でも、俺もラウラの事は大好きだし、彼女の願いを叶えてあげるのも悪くない。

 

 小さい頃からラウラは、親の前で堂々と「タクヤのお嫁さんになる」って何度も言っている。エリスさんは応援してくれるみたいだけど、母さんはラウラが大きくなるにつれて顔を青くしながら説得しようとしていたし、親父はもう諦めたのかいつも新聞紙を読んで現実逃避していた。

 

 昔の事を思い出し、思わず笑ってしまう。

 

 親父たちは元気だろうか。旅に出てからまだ少ししか経っていないというのに家族の事を思い出した俺は、ラウラの頭を撫でながら窓の外を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『完成しました!』

 

 元気な声と共にフィオナちゃんが部屋の中へと戻ってきたのは、改造を始めてから僅か30分後の事だった。ちょっとした改造ならば数分で済むかもしれないんだけど、作業中に隣の部屋から聞こえてきた音は明らかに大規模な改造をされた音だ。30分だけで改造が済むわけがない。

 

 予想以上に早かった作業の終了に驚いていると、ナタリアが預けたコンパウンドボウの他に、いくつか武器と思われる代物をいくつか手にしたフィオナちゃんが、それらをベッドの上に置き、まず彼女の得物であるコンパウンドボウからナタリアに差し出した。

 

「え………あの、博士………?」

 

『はい?』

 

「これって………弓ですよね…………?」

 

『はい、そうですよ?』

 

 彼女からコンパウンドボウを受け取ったナタリアが、目を見開きながらフィオナに尋ねる。俺もフィオナの改造で変わり果ててしまったコンパウンドボウを見つめながら、ナタリアが驚愕するのも無理はないだろうと思った。

 

 フィオナによって改造されたナタリアの得物には、まだ面影は残っていた。弓矢として機能するフォルムは当然ながら維持されていて、両端にある特徴的な滑車も健在だ。だが、その滑車は全く装飾がついていなかった無骨な滑車ではなく、まるで機械の中の歯車を思わせる形状の滑車に変更されている。

 

 だが、滑車よりも目を引くのはグリップよりも下に取り付けられている無数の細い配管だろう。何に使うのか分からないが、弓矢に小指の5分の1くらいの細い配管が他の部品を包み込むかのように配置され、圧力計と小さなバルブのようなものまで用意されているのである。

 

 照準器はまるでグレネードランチャーのような折り畳み式の照準器に変更されているようだ。

 

「えっと、この配管は………?」

 

『はい。このバルブを開けた状態でグリップに魔力を流し込むと、その魔力がこの配管を通って圧縮され、番えられた矢に伝達されるようになっているんです』

 

「魔力を圧縮するんですか?」

 

『そうです。そして矢に伝達された魔力は、矢が何かに着弾した瞬間に元の圧力に戻る仕組みになっているんですよ』

 

「つまり………矢が当たった標的はどうなるんです?」

 

 すっかり変わってしまった得物を見つめていたナタリアが、この改造をしたフィオナに問い掛ける。するとフィオナはこの説明をすることを楽しみにしていたかのようににっこりと笑うと、いつもと変わらない口調で言った。

 

『はい、元の圧力に戻る魔力によって抉られます』

 

 何だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?

 

 ちょっと待て! 殺傷力が上がり過ぎじゃないか!? それって遠距離まで届くワスプナイフみたいな代物じゃねえか!!

 

 今まで標的を射抜くだけだった彼女のコンパウンドボウが、フィオナの技術によってこんなに殺傷力を強化されるとは………。しかも、弓矢は元々銃と違って音がしないから、かなり恐ろしいぞ。

 

「………」

 

 グリップを掴んだまま呆然とするナタリアは、ちらりと俺の方に視線を向けてきた。どうやら予想以上に殺傷力を上げられた自分の得物に驚いているらしいが、今の説明を聞いた仲間たちもみんな驚愕している事だろう。安心しろ、ナタリア。

 

『それで、この改造は予想外に早く終わった上に素材も余っちゃいましたので………』

 

「まだ作ったんですか!?」

 

『はい。だって素材が勿体ないじゃないですか』

 

 楽しそうに言ったフィオナちゃんは、今度はベッドの上に置いていた武器らしき物体の片方を拾い上げた。腕に装着する武器らしいが、何故か銃身のようなものが取り付けられている。照準器まで取り付けられているから、近距離武器ではなく飛び道具だろう。

 

 銃身の側面には腕時計よりも小さな小型の圧力計と、ガスボンベを小指くらいの大きさに小型化したボンベのような物が取り付けられている。

 

「これは?」

 

『余った素材で作った小型エアライフルです。皆さんが持っている銃のように火薬を使って撃ち出すのではなく、圧縮した空気でクロスボウ用の小型の矢を撃ち出します』

 

 圧縮した空気で小型の矢を撃ち出すエアライフルか。ということは、あの小型の圧力計は空気の圧力を確認するための圧力計なんだろうか。

 

 空気で矢を放つわけだから銃声はしないし、銃身も短いから服の袖の中に隠すことも出来るだろう。隠し持つ事が出来そうだし、暗殺にも使えそうだ。

 

『射程距離は8mくらいしかありませんし、プロトタイプですので殺傷力も低いですが、命中精度はクロスボウ以上です』

 

「連発できるんですか?」

 

『いえ、単発式です。発射したら側面にあるハッチから矢を装填して、脇にあるバルブを捻る必要があります』

 

 単発式か。不意打ちや隠密行動が前提ならば問題ないな。

 

 この代物は親父たちが使っている銃を参考にしたんだろうか。エアライフルという名称だけど、銃身の長さはおそらく6インチくらいだから、ライフルというよりはハンドガンのようなものだ。

 

 実際に腕に装着し、装填用のハッチと照準器を確認するナタリア。その隙にフィオナちゃんは、もう1つの武器を拾い上げる。

 

 彼女が最後にナタリアに渡したのは、刀身とグリップの境い目の部分に小型のカートリッジが取り付けられたククリナイフだった。やはり漆黒に塗装されていて、グリップにはフィンガーガードも用意されている。

 

 あのカートリッジには圧縮されたガスが充填されていて、ワスプナイフのように突き刺した獲物をズタズタにするような代物なんじゃないだろうかと思っていたんだが、カートリッジの中に入っているのは紫色の液体だった。圧縮されたが図ではないらしい。

 

 あれは何だ?

 

「こっちは………ククリナイフですか?」

 

『はい』

 

「このカートリッジは?」

 

 ナタリアもそのカートリッジが気になったらしい。普通のククリナイフには決して取り付けられることのない奇妙な代物をまじまじと凝視しながら、ナタリアは尋ねた。

 

『毒です』

 

「毒ぅ!?」

 

 あの中身は毒なのか。

 

『グリップにトリガーみたいなスイッチがついてますよね?』

 

「は、はい」

 

『それを押すと、カートリッジの中の毒が刀身にある小さな穴から滲み出す構造になってるんです。ですからその状態で敵を斬りつければ、敵は苦しむことになりますね』

 

 たった30分で恐ろしい武器が3つも出来上がってしまった………。しかも、仕事ではなくフィオナちゃんの趣味だという。

 

 彼女はもしかしたら、ただの技術者ではなくマッドサイエンティストなんじゃないだろうか。

 

『ちなみに、毒や矢はショップで売られている物ですので、無くなったらショップで購入できますよ』

 

「あ、ありがとうございます………」

 

 この世界の冒険者向けのショップでは、毒が売られているのは当たり前である。用途は当然ながら凶暴な魔物に対抗するための毒で、剣や矢に塗って使ったり、これを使ってトラップを作って魔物を攻撃する冒険者も多い。

 

 容易に手に入るため、暗殺者や傭兵も好んで使う事が多く、中には人間に対して使う冒険者もいると聞いている。

 

 フィオナちゃんがショップで売られているアイテムで武器を使えるように設計したのは、毒や矢を容易に補充できるようにするためだろう。規格の違う矢を使わなければならないように設計したら、使い果たしてしまった場合はわざわざ彼女の所に戻って補充しなければならない。

 

 消耗品には必要以上に気を付けなければならない冒険者にとっては、ショップで普通に購入できるのはかなりありがたい。

 

「あ、ありがとうございます、フィオナ博士………」

 

『いえいえ。何かあったら手紙を送ってください。すぐに発明品を送りますので』

 

 なんだかすごい発明品が送られそうだな。たった30分でこんな恐ろしい武器を3つも作ってしまう天才技術者(マッドサイエンティスト)なのだから、本気を出して武器を作ったら現代兵器並みの性能を持つ武器を作ってしまいそうな気がする。

 

 モリガンのメンバーって、化け物ばかりだ………。

 

『あ、そうだ。タクヤくん、力也さんからの伝言です』

 

「親父から?」

 

 親父からの伝言? 何なんだろうか。

 

 会社の経営と傭兵の2つの仕事をしている親父はかなり多忙だ。そんな親父が伝言を送ってきたという事は、かなり大切な事なんだろう。俺たちの事を心配しているだけというわけではなさそうだ。

 

『長旅に出ていたガルちゃんが、ネイリンゲンの近くにやってきているそうです』

 

「ふにゅ!? ガルちゃんが来てるの!?」

 

「本当ですか!?」

 

 ガルちゃんか。懐かしいな。

 

 俺たちが生まれる前から親父たちと一緒に生活していた、ラウラにそっくりの幼い少女だ。彼女もモリガンのメンバーの1人なんだが、実は彼女の正体は人間ではなく、この異世界で最も先に生まれたと言われている最古の竜『ガルゴニス』だという。

 

 彼女の本当の姿を見たことは一度もないんだが、かつてガルちゃんと戦った親父たちは、ガルちゃんに無反動砲の対戦車榴弾やC4爆弾が全く通用しなかったため、挫けそうになったという。

 

 小さい頃はよく遊び相手になってくれたし、俺たちに訓練もしてくれた。俺とラウラにとってはもう1人の家族だし、教官でもある。

 

 そのガルちゃんが、ネイリンゲンの近くに来ているという。

 

『郊外で合流したいそうなので、ぜひガルちゃんと合流してあげてください』

 

「はーいっ!」

 

 そういえば、ガルちゃんとは親父が朝早くから外出していた11年前のあの日から会う回数が減ってしまったな。成長した俺たちを見たら、ガルちゃんはびっくりするだろうか。

 

 合流したら土産話でもしてやろう。

 

 ガルちゃんと合流するのを楽しみにしながら、俺は早くもどんな土産話をするのか考え始めた。

 

 



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ネイリンゲンへの旅路

 

 フィオナちゃんから武器を受け取り、彼女を見送ってから出発の準備を終えた俺たちは、料理を振る舞ってくれたミラさんと従妹のノエルに別れを告げるため、彼女がいる部屋を訪れていた。

 

 大きなベッドの上でぬいぐるみや人形に囲まれているノエルは、俺たちが装備を整えて部屋に入って来たのを見て、もう出発するつもりなんだと察したんだろう。少しだけ寂しそうな顔をした後ににっこりと笑うと、「もうお別れなんだね」と言った。俺は微笑みながら頷くと、ベッドの傍らにある椅子に腰を下ろし、ノエルの頭を撫でる。

 

 おそらく、しばらくここに帰ってくることはないだろう。これから俺たちはダンジョンと化しているネイリンゲンを経由してラトーニウス王国へと入国し、メサイアの天秤の資料が発見されたというメウンサルバ遺跡を目指す予定だ。そこで天秤についてのヒントを手に入れた後は本格的に天秤を探す旅に出ることになる。

 

 だから、天秤を見つけるまでここに帰ってくる確率は低いだろう。管理局の施設で手紙を出す事は可能なので、ダンジョンの調査をしたら定期的にノエルに手紙を書き、土産話の代わりでもしてあげようかと思っている。いつも部屋のベッドの中で生活している彼女はダンジョンの土産話を大喜びで聞いてくれたから、きっとこの話も手紙で送れば喜んでくれる筈だ。

 

「ごめんな、ノエル。そろそろ出発するから………お別れを言いに来たんだ」

 

「うん、仕方ないよ。………ゴホッ。お兄ちゃんたちは冒険者だもん。ゴホッ、ゴホッ」

 

 久しぶりに再会した俺たちと別れるのは辛いに違いない。俺もノエルとお別れするのは辛いと思っているが、咳き込む彼女を見ていると別の辛さが俺の胸を穿とうと牙を突き立ててくる。

 

 身体が屈強だと言われているハーフエルフとして生まれた彼女は、普通の人間よりも身体が弱い。それに、エイナ・ドルレアンを訪れた時よりも咳が悪化しているような気がする。

 

(ノエル、大丈夫?)

 

「うん……ゴホッ。大丈夫。ありがとう、ママ」

 

 苦しそうに咳き込むノエルの背中を、ミラさんが優しく摩る。

 

 ノエルの身体が弱い原因はフィオナちゃんが検査中だし、色んな治療魔術師(ヒーラー)に診てもらった事があるらしい。だが、騎士団に所属する優秀な治療魔術師(ヒーラー)でも原因を解明できなかったようで、現在はフィオナちゃんが定期的に診察に来てくれているという。

 

 でも、フィオナちゃんでもなかなか原因が分からないらしく、ノエルの体質は昔から全く変わっていないらしい。

 

 信也叔父さんは傭兵の仕事をしながら、彼女の体質を治す方法を探しているらしいんだけど、全く治療のための情報は手に入らないようだ。

 

 もし俺たちの冒険の途中でその情報が入ったら、手紙を送って知らせてあげよう。この異世界は前世の世界よりも広いみたいだから、どこかの地域に治療法があるかもしれない。

 

 それに、現在では治療魔術師(ヒーラー)の魔術による治療が主流になっているが、大昔には前世の世界のように手術で病気を治していた医者が存在していたらしい。現在ではほんの少しの魔力を消費するだけで治療ができる魔術に取って代わられてしまったため、この世界で医者を目にすることはないけど、この世界のどこかに医療技術を受け継いで細々と治療を続けている一族がいると聞いている。

 

 もしかしたら、彼らならばノエルの体質を治せるかもしれない。

 

 この子は昔から外で遊んだことが殆ど無い。気が弱い奴だから怖がるかもしれないが、もし体質が治ったら彼女を連れて買い物に行こう。そうすれば気の弱い性格も直るかもしれないし、喜んでくれるかもしれない。

 

「あ、お兄ちゃん」

 

「ん? どうした?」

 

「あのね、これ持って行って」

 

 考え事をしている最中に俺を呼んだノエルは、何度か咳き込みながらベッドの枕元にある小さなぬいぐるみへと手を伸ばした。手の平の3分の1くらいの小さなぬいぐるみで、おそらく彼女の手作りなんだろう。ノエルは少しだけ顔を赤くしながらそれを俺に渡すと、俯きながら指を弄り始めた。

 

 その小さなぬいぐるみは、黒いコートを身に纏った奇妙なぬいぐるみだった。髪の色は蒼くて、髪型はポニーテールになっている。そのポニーテールの下に隠れているのはコートのフードらしく、ちゃんとフードには真紅のハーピーの羽根らしき装飾もついていた。

 

 これのモデルになったのが誰なのかすぐに察した俺は、これを完成させたノエルの器用さに驚きながら顔を上げる。

 

「これは―――――俺か?」

 

「う、うん。お兄ちゃんのぬいぐるみ……作ってみたの。………み、みんなの分も作ったんだよ」

 

 そう言いながら枕元の他のぬいぐるみも手に取るノエル。よく見ると、そのぬいぐるみたちの中にはベレー帽をかぶった赤毛の少女のぬいぐるみもあったし、弓を持った金髪の少女のぬいぐるみもあった。更にお嬢様のようなドレスを身に纏った橙色の髪の少女のぬいぐるみもあるし、ワンピースを身に着けた銀髪の少女のぬいぐるみもある。

 

 全て、俺の仲間たちを模したぬいぐるみだった。サイズはやはり手の平の3分の1くらいで、常に持ち歩けそうな大きさだ。

 

「ふにゃあ………! 私のもある!」

 

「器用なのね………すごいわ、ノエルちゃん」

 

「えへへっ………これ、私からのプレゼントだよっ」

 

 俺たちが地下墓地に行っている間に作っていたんだろうか。ちゃんと服装や特徴的な部分まで再現してある。俺のぬいぐるみはよくみるとちゃんと髪の中から角が伸びているし、ラウラのぬいぐるみはミニスカートの中から尻尾が伸びている。それに、ステラのぬいぐるみの特徴的な銀髪は、ちゃんと毛先のほうは桜色になっていた。

 

 これはお守りにしよう。

 

 受け取ったぬいぐるみを握りしめてからポケットに入れた俺は、微笑みながら「ありがとな、ノエル」と礼を言うと、もう一度彼女の頭を撫でた。

 

 彼女もラウラのように俺に頭を撫でられるのが大好きらしい。小さい頃から頭を撫でると、ノエルはハーフエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながら喜んでくれる。

 

 身体が弱くなってベッドの上で生活していても、その耳を動かす癖は変わっていなかった。幼少期から変わらない癖を見て安心した俺は、ミラさんに頭を下げてからゆっくりと立ち上がる。

 

 そろそろ、出発しなければならない。俺たちの旅の目的はメサイアの天秤を手に入れる事だ。俺の願いを叶える事が出来れば、世界中で虐げられている人々は救われることになる。

 

 もし俺たち以外にメサイアの天秤が実在するという事を知る者がいれば、そいつらと争奪戦になる事だろう。それに、更に凶悪な魔物たちとの戦いにもなる筈だ。

 

 これからの旅で起こる戦いは、更に厳しくなるに違いない。

 

 でも、その戦いに勝利して進まなければ、天秤を手に入れることなど出来ないだろう。だから進まなければならない。虐げられている奴隷の人々を救い、サキュバスたちを再興させるためにも。

 

「ミラさん、お世話になりました。俺たちはこれで」

 

(ええ、気を付けてね。厳しい旅になるでしょうけど………)

 

「頑張りますよ。戦い方は幼少の頃から両親に教え込まれてるんで」

 

 そうだ。俺たちは小さい頃から戦い方を学んできた。

 

 敵を倒すためだけの戦いじゃない。誰かを救うための戦いもあるし、人々を虐げる転生者のようなクソ野郎を蹂躙するための戦いもあるだろう。その戦い方は、数多の激戦を経験してきた両親(猛者)たちから教わってきたではないか。

 

 それに、仲間もできた。ダンジョンで共に強敵と戦った大切な仲間たちと一緒ならば、厳しい戦いも勝利できる筈だ。

 

「気を付けてね、みんな」

 

「うん。ノエルちゃん、旅が終わったらまた来るからね!」

 

「その時は、土産話をたくさん聞かせてあげるからな」

 

「うん、楽しみにしてるね!」

 

 メサイアの天秤という大昔の錬金術師が生み出した伝説の天秤を探し求めるのが旅の目的だが、あくまで俺たちの本業は冒険者だ。天秤ばかり探すのではなく、適度にダンジョンの調査も続けていく予定である。

 

 旅を終えて戻ってきた時、果たしてノエルに膨大な量の土産話を話し切れるのだろうか。

 

 これからの旅路への心配の他にそんな心配までしてしまった俺は、仲間たちに「行こう」と告げると、見送ってくれるミラさんとノエルにもう一度別れを告げてから踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 メサイアの天秤の資料が発見されたというメウンサルバ遺跡は、隣国のラトーニウス王国にあるという。親父と母さんが初めて出会った場所だ。

 

 ラトーニウス王国はオルトバルカ王国の南にある隣国で、オルトバルカよりも魔術の発展が遅れているためなのか、騎士団は魔術よりも接近戦を重視しているらしい。そのため剣術では世界最強と言われているらしいが、凄まじい速さで魔術が発展していく中で未だに剣術を主体としているため、他国の騎士たちからは時代遅れの騎士団と揶揄されることもあるという。

 

 だが、俺の母さんの剣術はその時代遅れの騎士団の中で培われてきた技術だ。もしかする母さん並みの剣豪がいるかもしれないから、あの国の騎士団は侮れない。

 

 エイナ・ドルレアンからラトーニウス王国に最も早く向かうためには、ネイリンゲンを経由するべきだろう。かつてはオルトバルカ王国の最南端にある田舎の街で、モリガンの本部があった場所だが、現在では転生者たちの攻撃で荒れ果て、廃墟となった街は丸ごとダンジョンに指定されている。

 

 皮肉なことに、このダンジョンと化したネイリンゲンがあるからこそ隣国が迂闊に進行できなくなっているという。ラトーニウスの騎士団が躊躇うほど危険なダンジョンというわけだ。

 

 当然ながら人は住んでいないため、鉄道の線路はそこまでつながっていない。ここからネイリンゲンに向かうには、従来のように馬や馬車を使うか、徒歩で行くしかないだろう。道中にはダンジョンもないと言われているため、退屈な旅路になりそうだ。

 

「今夜は野宿だなぁ………」

 

 まだ時刻は午前10時だというのに、俺は蒼空を見上げながらそんなことを言った。蒼空を見上げながら野宿すると宣言するのは早過ぎるかもしれないが、ここからネイリンゲンまで向かうには1日以上かかってしまう。野宿は考えておいた方が良いかもしれない。

 

 ネイリンゲン方面に向かう商人の馬車に乗せてもらえれば良いんだが、あんな危険なダンジョンの近くを通りたがる商人は当たり前だが1人もいない。街で馬を借りても返しに来なければならないため、ここは歩いていくしかないだろう。

 

「なんだか、歩いて移動するのは久しぶりだね」

 

「そうだなぁ………。かなり歩く羽目になるけどな」

 

「あらあら、お散歩はお嫌いですの?」

 

「散歩より、ラウラと一緒に鬼ごっこをやってる方が性に合うよ」

 

 訓練も兼ねてラウラと何度も鬼ごっこをやったことがあったんだが、おそらくあんなに凄まじい鬼ごっこを経験したことのある姉弟はどこにもいないだろう。

 

 ラウラが鬼の時はエコーロケーションを使って索敵してくるから隠れても全く意味がないし、逃げようとしても足元を凍らせた上に両足のナイフをスケートシューズ代わりにして追いかけてくるから、基本的に走って逃げるのは不可能だ。

 

 逆に俺が鬼の時は、ラウラが道を凍らせて足止めしようとしても瞬時の氷を解かせるので時間稼ぎは意味がない。それに反応の速さならば俺の方が上だから、彼女がフェイントを使って逃げようとしてもすぐに見切って対応できる。ラウラほど派手ではないけど、俺の場合は手堅くラウラを追いかける事が出来る。

 

 あの訓練のおかげで身体能力はかなり上がったし、状況判断の能力も向上したと思う。だが、ラウラは訓練ではなく完全に遊びだと思っていたらしい。

 

「えへへっ。なら、ネイリンゲンまで走ってみる?」

 

「ば、馬鹿。到着する前にぶっ倒れて―――――――ラウラぁ!?」

 

 冗談だと思ってそんなことを言っていると、俺の隣から漂っていた甘い香りが遠ざかっていくような気がした。甘い香りを含んだ冷たい風が吹き、隣にいた筈の赤毛の少女が幼少期のようににこにこと笑いながら、草原へと向かって駆けて行く。

 

 おいおい、ここから本当に走っていくのかよ!?

 

「きゃはははははっ! ほら、競争しようよ!」

 

「ま、待てって! おい、お姉ちゃん!」

 

「ちょっと、本当に走っていくつもり!?」

 

「まあ、お姉様ったら………楽しそうですわ」

 

「タクヤ、ラウラがはぐれたら大変です」

 

 確かに、はぐれたら大変だ。こんなに広い草原ではぐれたら探し出すのはかなり難しい。

 

 俺はため息をつくと、楽しそうに走っていく姉を仲間たちと共に大慌てで追いかけ始めた。

 

 きっとこれからの旅は、もっと厳しい旅になるだろう。

 

 俺たちが探し求める伝説の天秤は、それほど価値がある物だ。大昔から語り継がれていて、実在するか分からないと言われてきた大昔の錬金術師の遺産が実在するという事を、かつてサキュバスの戦士たちが証明しているのだ。

 

 だから、俺たちが手に入れる。仲間たちと厳しい旅路を耐え抜き、メサイアの天秤を手に入れてやる。

 

 そして、虐げられている人々を救うのだ。

 

 

 

 第三章 完

 

 第四章へ続く

 

 



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第4章
冒険者がネイリンゲンに向かうとこうなる


 

 六角形に削り出した蒼白いガラスを延々とつなぎ合わせたような空間は、単調な世界だからなのか殺風景で、まるで防壁に囲まれた王都の街並みのように閉鎖的に感じてしまう。

 

 遮蔽物もないこの蒼白い世界は開放的に見えるが、ここが現実ではないせいなのか全く開放的とは思えない。無数の蒼白い六角形の結晶が支配する世界で目を覚ました俺は、久しぶりに味わった閉鎖的な感覚を受け流すと、目の前に表示されたメッセージを見てため息をついた。

 

《トレーニングモードの起動を確認しました。どのトレーニングを行いますか?》

 

 これはトレーニングモードだ。俺が持つ能力の1つで、選択すると強烈な眠気で眠ってしまい、意識はこの空間へと転送される。そして、この閉鎖的で単調な夢の中でトレーニングができるというわけだ。

 

 武器や能力を試すことも出来るし、今まで戦ってきた敵と戦う事も出来る。ここでいくら敵を倒してもレベルが上がることはないが、ここで戦えるボスのみ武器や能力をドロップする事があるらしい。

 

 俺の目的は、あるボスからドロップする武器だった。

 

 訓練の項目の中から『模擬戦』をタッチし、次に表示される『通常』と『ボス』の2つの項目からボスを選択する。

 

 すると、今まで戦ったボスがずらりと表示された。ナギアラントで戦った転生者もいるし、あの地下墓地で戦ったウィルヘルムもいる。上の方にいるのは、フィエーニュの森で戦ったトロールだ。

 

 だが、俺が戦おうとしているボスは、おそらくこの中で一番手強いに違いない。

 

 そのボスの名前を見つけた瞬間、夢の中だというのに猛烈な威圧感が襲いかかってきた。このボスには敵意を向けるべきではないかもしれないという後悔が滲み出すが、俺が欲しいアイテムがドロップするのはこの強敵だけである。

 

 それに、ここは現実ではないのだ。敗北して殺されてしまってもこのメニュー画面に戻されるだけで、特にペナルティはない。

 

 つまり死ぬことはありえないんだが、このトレーニングモードは威圧感だけでなく痛みまで再現しているため、当たり前だが撃たれれば風穴を開けられた部位から激痛を感じる羽目になる。

 

 死ぬことはないのだから、俺が恐れているのは痛みなのだろうか。この恐怖と無縁になるためにはマゾヒストにでもならなければならないなと思いながら息を呑み、俺はそのボスの名前をタッチする。

 

 目の前に表示されていたメニューが消え―――――――目の前に広がっていた床の一部が、まるで砕け散ったかのように蒼白い粒子に変貌した。床を形成していた粒子たちは床から盛り上がると、徐々に人間のような姿を形成していく。

 

 蒼白い雪のような無数の粒子の中から姿を現したのは、漆黒のスーツとシルクハットを身に着けた1人の紳士だった。シルクハットの下から覗くのは炎のような赤毛で、スーツの袖から見える左手はまるでドラゴンの外殻に覆われているかのように赤黒い。

 

 そこに立っていた紳士は、俺とラウラの父親であるリキヤ・ハヤカワだった。俺とラウラに戦い方を教えた最強の傭兵であり、モリガンのメンバーの中で最強と言われている男。数多の転生者を狩り続け、『転生者ハンター』と『魔王』の2つの異名を持つ男は、標的に向けるべき威圧感を息子である俺へと向けながら、腰の鞘の中から2本のボウイナイフを引き抜いた。

 

「………久しぶりだな、親父」

 

 だが、目の前に現れた親父は何も返事を返さない。まるで敵にこれから襲いかかろうとしているかのように俺を睨みつけているだけだ。

 

 親父の威圧感や顔つきがしっかり再現されているから、まるで本物の親父と再会したような懐かしさを感じていたんだが、返事が返ってこないせいなのかその懐かしさは消え失せてしまう。

 

 これから戦うのだから、そんなものを感じている場合ではないか。それにこの男は懐かしさを感じながら戦える相手ではない。

 

 生産したばかりの大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを引き抜き、いつものように構える。この2つの得物は前に使っていた大型ソードブレイカーや大型トレンチナイフと全く同じ形状で、機能も高圧ガスを噴射できる以外は全く同じだ。ボウイナイフとサバイバルナイフを融合させたような形状の刀身を親父へと向けると、俺と親父の頭上にいきなり緑色のゲージのようなものが表示された。

 

 どうやら、俺と親父のHPらしい。

 

 そのゲージが出現したことに気付いた直後、ボウイナイフを構えていた親父が姿勢を低くした。はっとして親父を睨みつけつつナイフを構え、防御の準備をする。

 

 既にカウンターには、初歩的な技だが『パリィ・アンド・ペイン』という技を装備している。一番最初に訓練をした時に装備していた技で、ガードした後に連続で反撃するカウンターである。複数の敵を攻撃できるほど攻撃範囲は広くはないが、敵が1人ならば連続攻撃で畳みかける事が出来る筈だ。

 

 こっちから攻撃を仕掛けたとしても、受け流すか躱されて反撃されるだろう。この父親に先制攻撃を仕掛けるのは愚策でしかない。だから、何とか最初の一撃を受け止める事が出来れば――――――。

 

「!」

 

 息を呑んだ直後、目の前の親父が消滅したような気がした。

 

 トレーニングモードのバグかと思ってナイフの構えを止めようとしたが、もしそのままバグだと思い込んで両手を下ろしていたのならば、俺は模擬戦が始まってから1秒足らずで喉元をボウイナイフに貫かれ、またあのメニュー画面を凝視する羽目になっていた事だろう。

 

 突然出現する威圧感と凄まじい衝撃。まるで巨大な鉄槌で叩き潰されたかのような衝撃が、俺の両腕を振るわせる。

 

 それほどの一撃を放ってきたのは、やはり親父だった。目の前に俺に急接近した直後に、両手に持ったボウイナイフを振り下ろしただけだったんだろう。

 

 これがボウイナイフの威力なのかよ………!? 

 

 当然ながら、訓練の時の親父は全く本気を出していなかった。あの時の剣戟の重さはよく覚えているが、今しがた受け止めたこの一撃はあの時の5倍以上重い。

 

 この剣戟を受け止めて亀裂が入らない自分の得物の頑丈さにも驚きながら、何とか親父を押し返す。このままカウンターで反撃できるかと思ったが―――――押し返され、距離を取らざるを得なくなった親父が無造作にボウイナイフを放り投げたため、カウンターで畳みかけるわけにはいかなかった。

 

 親父のレベルは既に900を超えている。おそらく、転生者の中でも最強クラスだろう。この男が転生者を狩り続けたせいで、一時期だけだが転生者の数が激減したこともあるという。

 

 転生者にとって天敵という事は、俺にとっても天敵という事だ。この男も転生者だが、易々と狩れる相手ではない。

 

 左手の大型ソードブレイカーを振り上げ、回転しながら急迫してきたボウイナイフを蒼白い空へと弾き飛ばす。距離は離れてしまったが、また接近してくることだろう。それに、今の投擲で親父のボウイナイフは1本のみ。もし仮にその1本を使った剣戟を俺に受け止められれば、俺の持つもう1本の得物には対処できまい!

 

 そう思った直後、いきなり何かに俺の頭が突き飛ばされたような気がした。

 

「――――――え?」

 

 頭が揺れる最中、頭上にあった自分のHPのゲージがゼロになっていることに気付く。いったい何が起きたのかと思いながら身体を動かそうとするが、手足には力が入らない。

 

 得物を両手から落としながら崩れ落ちる最中に、ナイフを投擲したために空いた左手に巨大なリボルバーがあったことに気付いた俺は、親父が何をしたのか理解した。

 

 ナイフを俺が弾いている隙に、片手でガンマンのように早撃ちしたんだ。しかも、手にしている得物は.600ニトロエクスプレス弾をぶっ放す、最強のリボルバーのプファイファー・ツェリスカ。

 

 凄まじい反動の巨大なリボルバーで早撃ちをやりやがった。しかも、俺がナイフを弾くよりも先に一瞬で引き抜き、ヘッドショットしている。

 

 勝てるわけねえだろ………!

 

 これが………初代転生者ハンターか…………!

 

 父親の強さに驚愕しながら、俺は蒼白いガラスのような床の上に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、起きてー」

 

 甘い香りの中で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声音は大人びているというのに、口調のせいで幼く聞こえてしまう特徴的な声。ベッドの上で目を覚ましたばかりのようなだるさを感じながら瞼を開けると、隣に座る赤毛の少女が微笑みながら俺の顔を覗き込んでいた。

 

「おはよう、ラウラ」

 

「えへへっ。おはよっ」

 

 彼女が自分の姉だと気付いた俺は、先ほどからがたがたと聞こえてくる車輪の音で、自分がどこでトレーニングモードを始めたのか思い出す。

 

 確か、エイナ・ドルレアンを後にして草原を進んでいた時に、近くを商人の荷馬車が通りかかった。そして、その商人に途中まで馬車に乗せてもらえることになったんだ。

 

 御者台を見てみると、やはりそこには帽子をかぶった初老の男性が腰を下ろし、手綱を握っていた。俺たちが乗っている荷台の上には酒の入った樽やエリクサーの瓶が入った木箱が所狭しと積み込まれている。俺や仲間たちが腰を下ろしているのは、荷物の間にある隙間だった。

 

「訓練はどうだった?」

 

「親父に挑戦してみた」

 

「ふにゅ? パパに」

 

「ああ」

 

 手も足も出なかった。俺と親父の戦いは、何秒くらいで終わっていたんだろうか。

 

「どうだった?」

 

「1発も攻撃を当てられなかった………」

 

 レベルの差があり過ぎるからなぁ………。レベル48で900以上の転生者に勝てるわけがないよな。

 

 落胆しながらメニュー画面を開き、武器の生産のメニューからナイフをタッチする。そのまま項目の下の方にあった武器の名称をタッチした俺は、表示された武器のパラメータと画像を見つめてため息をついた。

 

 俺が生産しようとしていた武器は、ソ連で開発された『NRSナイフ形消音拳銃』と呼ばれる特殊なナイフである。ナイフのグリップの中から1発だけ特殊な弾丸を発射する事が出来るナイフで、銃声はしない。

 

 俺もロシアの武器は好きだから作っておこうかと思ったんだが、この武器はトレーニングモードの模擬戦で戦う事の出来る親父からドロップする事になっているらしく、他の入手方法はないため、手に入れるにはレベル900以上の親父を倒さなければならない。

 

 つまり、現時点では入手不可能ということだ………。

 

 せめてラウラたちもトレーニングモードに連れて行く事が出来れば、もしかしたら善戦できるかもしれない。でもトレーニングモード中は眠っている状態と同じだし、眠っていると言っても疲労は消えないので、何度も使うわけにはいかない。

 

 このトレーニングモードに夢中になって寝不足になったことを思い出して笑っていると、俺たちを乗せてくれた商人の馬車が少しずつスピードを落とし始めていることに気付いた。どうやらそろそろ商人のおじさんとはお別れらしい。

 

「ほら、ステラさん。起きて下さいな。そろそろ降りますわよ」

 

「ん………」

 

 樽に寄りかかりながら眠っていたステラを、カノンが揺すって起こし始める。ステラが瞼を擦り始めたのを見た俺は、フードの上から頭を掻いてからため息をつく。

 

 まだネイリンゲンには到着していないが、おそらく今夜くらいにはネイリンゲンに辿り着く事だろう。あそこはダンジョンに指定されている危険な場所だけど、まだ半壊した建物は残っているらしいし、モリガンが拠点に使っていたフィオナちゃんの屋敷も半壊したままらしい。

 

 近くに管理局の施設はないけれど、半壊した建物を隠れ家代わりに出来るかもしれない。魔物を警戒するために誰かが見張りをする必要があるだろうから、それは俺がやっておこう。

 

「………ふにゅ? ナタリアちゃん、どうしたの?」

 

「えっ?」

 

 馬車から下りる準備をしていたラウラが、荷台の後ろの方でぼんやりしていたナタリアに声をかけた。いつもならば真っ先に準備をしているようなしっかり者なんだが、今回は珍しくぼんやりしていたらしい。

 

「ナタリア、どうした?」

 

「いえ………懐かしいなって」

 

「ああ、そうか………」

 

 俺たちにとって、ネイリンゲンは故郷だ。

 

 ナタリアも3歳まであの街で生まれ育ったそうだし、俺とラウラもあそこの森で育った。ネイリンゲンの郊外にある森は、この異世界へと転生してきた俺が、リキヤ・ハヤカワとエミリア・ハヤカワの息子として産声を上げた場所なのだ。

 

 今では転生者の攻撃で壊滅してしまったが、あそこは俺とラウラとナタリアの3人にとって大切な故郷なんだ。

 

「14年ぶりか………」

 

 14年ぶりに、俺たちは変わり果てた故郷を訪れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 親切な商人のおじさんにお礼を言ってから馬車を下り、そのまま南へと日が暮れるまで進み続けていると、赤黒く染まり始めた禍々しい空の下に、街と言うには不規則過ぎる影が見えてきた。

 

 崩れ落ちた家や焼け落ちた小屋の残骸が乱立し、手入れをする人のいなくなった畑の畝(うね)は崩れ、魔物の足跡が刻み込まれている。おそらくもう二度とあの畑に野菜が植えられることはないだろう。

 

 今や、この街は魔物たちの街なのだから。

 

「………久しぶりに来たな」

 

 夕日に照らされる廃墟の群れを見つめながら、俺は呟いた。

 

 転生者たちの攻撃によって壊滅したネイリンゲンの街並みを最後に目にしたのは、あの森の家から王都へと向かう馬車の中からだったような気がする。

 

 遊びに行ったことのある見慣れた街が、まるで爆撃された廃墟のように変わり果てていたのを見てショックを受けたことを思い出した瞬間、少しだけ胸が痛んだような気がした。

 

 この街は魔物に襲われることは稀だったから、他の街と違って防壁は建造されなかった。しかも街の中には傭兵ギルドがいくつもあったし、中には最強の傭兵ギルドであるモリガンもいたから、防壁をわざわざ作る必要はなかったんだろう。

 

 21年前にはラトーニウス王国騎士団のジョシュアという男が侵攻してきたことがあったらしいが、その男も親父や母さんたちの活躍で返り討ちに遭っている。

 

 傭兵たちの活躍で守られてきたネイリンゲンは、今では魔物に支配された廃墟でしかない。崩れかけの廃墟の真っ只中を駆け抜けて行く風が、まるでここで命を落とした人々の呪詛のように不気味な音を立てて去っていく。

 

「………こ、ここで野宿するの?」

 

「うーん……廃墟の中なら隠れ家代わりにできると思ったんだけど…………」

 

 予想以上に不気味な場所だ。しかもここはただのダンジョンではなく、なんと怪奇現象が頻発するダンジョンでもあるらしい。中には魔物ではなく、この怪奇現象で命を落としたり、行方不明になった冒険者もいるという噂を聞いたことがある。

 

 やっぱり、郊外で野宿した方が安全だろうか。妥協するべきか考えながら街の方をじっと見ていると、街の入口の近くにいつの間にか小さな人影が立っているのが見えた。

 

 まさか、幽霊か!? 早くも怪奇現象が起きちまったのか!?

 

 ぞっとしながら早撃ちでもするかのように素早くレ・マット・リボルバーを引き抜き、銃口をその小さな人影へと向ける。

 

 すると、その小さな人影は手にしていた杖を振りながら、俺たちの方へと向かって歩いてきた。腰にぶら下げていた小さなランタンに明かりをつけたらしく、その人影の姿が薄暗い夕日の中であらわになる。

 

 その人影は、8歳くらいの幼い少女だった。血のような紅と黒の2色で彩られた貴族のようなドレスを身に纏い、頭には真っ黒なヘッドドレスをつけている。そのヘッドドレスの下に広がるのは、まるで炎のように真っ赤な赤毛だ。

 

 貴族のような服装の少女だが――――――背中に背負っている得物を目にした瞬間、俺はその人影がただの貴族のお嬢さんではないという事を理解する羽目になった。

 

 小柄な少女の背中には槍のようなものが背負われているが、よく見るとその槍の柄には小さな細かい穴が規則的に開いているし、刃がついている部分も柄から少しだけずれている。本来ならばその刃がついているべき場所に居座っているのは、銃に装着されるマズルブレーキだ。

 

 柄の脇にはドラムマガジンが装着されていて、そのマガジンの中から伸びた弾丸のベルトが、銃本体へと繋がっている。

 

 おそらくあれは、ドイツ製LMGのMG34だろう。

 

 第二次世界大戦で活躍したドイツのLMGで、恐ろしい連射速度と威力でアメリカ軍やソ連軍を圧倒したLMGの傑作の1つだ。目の前の少女は、それに銃剣を取り付けたものを背中に背負っているのである。

 

 幼女が背負うにしては物騒過ぎる得物だが、俺たちに向かって杖を振り続けるその人影の顔を見た瞬間、俺は目を見開きながらゆっくりとリボルバーを下ろした。

 

「ガルちゃん………?」

 

 俺たちに杖を振っていた幼女の正体は――――――家で一緒に暮らしていた、ガルちゃんだったのだ。

 

 

 

 

 

 



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ガルゴニスとの再会

 

「久しぶりじゃのう、タクヤ!」

 

「おう、ガルちゃん」

 

 やはり、ネイリンゲンの入口の近くに建っていた小さな人影の正体は、小さい頃まで一緒に家で生活していた家族の1人だった。まるでラウラを幼くしたような姿をしていて、彼女の妹にも見えてしまうが、俺やラウラと血がつながっているわけではない。

 

 彼女の名はガルゴニス。モリガンのメンバーの1人であり、かつて親父たちと戦って圧倒したという伝説の最古の竜でもある。親父たちとの戦いで敗北し、長年蓄積していた体内の魔力の大半を失ってからは、親父から魔力を分けてもらって幼女の姿をしているが、彼女の本当の種族は人間やキメラではなく『エンシェントドラゴン』と呼ばれるドラゴンなのだ。

 

 ガルゴニスはこの異世界で最も先に生まれたエンシェントドラゴンとされており、あらゆるドラゴンを凌駕する力を持つと言われている。人間にドラゴンたちが利用されていることを嫌ったガルゴニスは大昔に同胞を率いて人間に戦争を挑んだことがあるらしいが、当時の勇者の活躍によって撃退され、フランセン共和国の火山地帯に封印されていたという。

 

 親父から魔力を分けてもらったおかげなのか、顔つきは若干親父に似ている。見た目はラウラにそっくりな幼女だが、基本的にエンシェントドラゴンには性別はないため、ガルちゃんの性別は男でも女でもない。どうして幼女の姿になったのかは、本人もわからないらしい。

 

 ちなみにエンシェントドラゴンには寿命が無い。他のドラゴンや人間のように、老衰で死ぬことはないのだ。だから繁殖する必要はないし、性別も必要ない。強大な力を持ちながら永遠に生きる伝説の存在なのである。

 

 赤黒い杖を手にしながらやって来た彼女は、武器をホルスターに戻したばかりの俺の顔を見上げて嬉しそうに笑った。彼女にとって俺とラウラは弟妹か子供たちのようなものなんだろう。

 

 彼女と出会うのは何年ぶりだろうか。親父が仕事に行っている間に何度か家に戻ってきたことがあるらしいが、再会したのは久しぶりだ。彼女と最後に出会った時の事を思い出そうとしていると、ラウラとガルちゃんが握手をしているのを見守っていたナタリアが後ろから声をかけてきた。

 

「知り合い?」

 

「ああ。彼女は――――――」

 

 本当のことを言った方が良いよな。あの伝説のガルゴニスが俺たちの家族の一員で、今はあんな幼女の姿をしているという事を話せばナタリアたちは驚愕するだろう。

 

「――――――実は、この子はあの伝説のガルゴニスなんだ」

 

「えっ?」

 

 俺とラウラの妹だと思っていたのか、ナタリアは予想外の事を言われて目を丸くした。もう一度ガルちゃんを見下ろしてから、再び俺の顔を見て「冗談よね?」と聞いてくるナタリア。やはり、俺の言った事を冗談だと思っているらしい。

 

「本当だぞ。親父が仲間にしたんだ」

 

「だ、だって、ガルゴニスって………あの最古の竜でしょ? なんで幼女の姿をしているの?」

 

 親父はその伝説のエンシェントドラゴンを倒して、仲間にしたんだよ。

 

 カノンは既にガルちゃんの正体を知っているから、ナタリアのように驚くことなく「お久しぶりですわ、ガルちゃん」と挨拶している。その隣ではステラが、俺とナタリアの会話を聞いて同じように目を丸くしていた。

 

「タクヤ、この子は本当にガルゴニスなのですか?」

 

「ああ。親父たちとの戦いで魔力を失っちゃったから、今は幼女の姿だけどな」

 

「む? タクヤよ、その小娘たちもお主の仲間か?」

 

「おう」

 

 カノンに頭を撫で回されていたガルちゃんは、頭に着けている黒いヘッドドレスを片手で直しながら2人をまじまじと見つめた。ガルちゃんは俺とラウラが生まれた時からずっと幼い姿のままで、8歳くらいの少女にしか見えない。だからメンバーの中で一番大人びているナタリアと比べるとさらに幼く見えるし、ステラと比べても幼く見えてしまう。

 

「は、初めまして…………なっ、ナタリア・ブラスベルグですっ」

 

「うむ、よろしくのう。それと敬語は使わなくてもよいぞ」

 

「は、はい」

 

「………ところで、そっちの幼女は変わった魔力じゃのう。―――――――お主、もしかしてサキュバスかのう?」

 

 魔力で見破ったか。さすが最古のエンシェントドラゴンだ。サキュバスは自分の体内で魔力を生成する能力を持たないから、体内にある魔力は他者の魔力ばかりでバラバラだという。俺では全く感じ取れないんだが、どうやらガルちゃんは見破る事が出来たらしい。

 

 ステラは頷くと、表情を変えることなくぺこりと頭を下げた。

 

「初めまして。ステラ・クセルクセスです」

 

「サキュバスの生き残りか………。よく生き残れたのう。ナギアラントに立て籠もったサキュバスは全滅したとファフニールの奴が言っておったが………」

 

 まじまじとステラを見つめながら呟くガルちゃん。やはり彼女もサキュバスは絶滅してしまったと思っていたんだろう。寿命が存在しないから殺されない限り死なないエンシェントドラゴンの彼女がそう思っていたという事は、ステラ以外の生き残りは存在しないという事なんだろう。

 

 もしかしたら、ステラ以外にも魔女狩りから逃れたサキュバスが世界のどこかにいるかもしれないと思っていたんだが、本当にステラがサキュバスの最後の生き残りらしい。

 

「ママが封印して隠してくれたので………ステラは生き延びました」

 

「ふむ、母のおかげか………。ならば、絶対に生き延びるのじゃぞ。そしてサキュバスを再興するのじゃ」

 

「はい。必ず再興します」

 

「うむ、そうするのじゃ。………ところで、タクヤ」

 

「ん?」

 

 ステラに向かって頷いていたガルちゃんが、いきなり俺の方を振り向いた。何か用件でもあるんだろうかと思いながら彼女を見下ろしていると、ガルちゃんはまるで親父にいたずらしていた頃の俺たちのようににやりと笑い、俺の耳元に顔を近づけてきた。

 

 何の話をするつもりなんだろうか。背の低い彼女に耳を貸すために、俺は一旦しゃがみ込む。

 

「―――――お前の仲間は少女ばかりじゃのう。ハーレムでも作るつもりか?」

 

「できれば、作りたいです」

 

 お姉ちゃんがヤンデレだから、ハーレムを作るのは難しいと思ってたんだけどね。

 

 苦笑いしながらガルちゃんの肩を軽く叩いていると、いきなり俺の隣から冷気にも似た冷たい威圧感を感じた。北風かと思ったが、周囲の草原の草は全く揺れていない。風が吹いたわけではないのだ。

 

 この威圧感を感じているのは俺だけらしい。しかも、この威圧感は幼少の頃から何度も感じた事がある。初めて感じたのは――――――公園に遊びに行って、同い年の女の子に抱き付かれた時だったような気がする。嬉しかったんだけど、その喜びを叩き潰すかのようにこの威圧感が俺を包み込んだんだ。

 

 その威圧感の発生源を察した俺は、冷や汗を流しながらゆっくりと左隣を振り向く。

 

 そこで俺を虚ろな目つきでじっと見つめていたのは―――――――やっぱり、お姉ちゃんだった。

 

「ひぃっ!?」

 

「ら、ラウラッ!?」

 

「へえ…………タクヤって、ハーレムが作りたかったんだぁ…………」

 

 ガルちゃんがビビるほどの威圧感を放ち、虚ろな目つきで俺を見つめながら、そっと左手をトマホークの柄へと近付けていくラウラ。

 

 拙い。このままでは、お姉ちゃんに殺されてしまう………。

 

「お姉ちゃんじゃダメなの? お姉ちゃんじゃ足りなかった? ねえ、タクヤ。教えてよ。――――――――ねえ、お姉ちゃんじゃダメ?」

 

「い、いや………」

 

 後ずさりしながら、仲間の方をちらりと見てみる。だが、ナタリアは苦笑いしながら俺を見ているし、相変わらずステラも無表情で俺たちを見ている。カノンは両手を頬に当てて「やっぱり、ヤンデレのお姉様は素晴らしいですわ………!」と言いながらうっとりしている。

 

 誰も助け舟は出してくれないようだ。このままでは俺は天秤を手に入れる前に、姉のトマホークでぶち殺されてしまうに違いない。

 

 だが、どうすればいいんだ? どうやってラウラを落ち着かせればいい?

 

 大慌てで色々と方法を探し始めたが、対策を考えるための時間はあまりにも短すぎた。効果がなさそうな案をいくつか思いついた時には、ラウラはもう既にトマホークをホルダーから引き抜いていたのである。

 

「お、落ち着くのじゃ。とりあえず、もう暗くなっておるから野宿の準備をしよう。さもないと魔物に喰われてしまうぞ!」

 

「はーい………」

 

 た、助かったよガルちゃん………。

 

 唇を尖らせながらトマホークをホルダーに戻すラウラ。何とか殺されずに済んだが、きっと後でいつも以上に甘えてくることだろう。

 

 ちらちらと俺を見てくるラウラの目つきがいつもの目つきに戻ったことに気付いた俺は、安心してからガルちゃんを見下ろした。

 

「………すまぬ、墓穴を掘ってしまった」

 

「いや、助かったよ。ありがとう」

 

 ガルちゃんに礼を言ってから、俺も野宿の準備をすることにした。

 

 左手の手の平に蒼い炎を出現させ、その明かりをランタン代わりにして薄暗い草原を照らし出してみる。ネイリンゲンの周囲は草原に囲まれているから、遠くに見える森に行かない限り遮蔽物はない。こんなところで野宿をしようとすれば夜行性の魔物に取り囲まれ、全滅してしまう事だろう。

 

 少し離れたところに俺たちが住んでいた森がある。あそこに移動して野宿しようかと思ったんだが、魔物が寄り付かないから安全だと言われていたネイリンゲンがダンジョンと化しているのならば、あの森も安全だという保障はない。

 

 やはり、不気味だがネイリンゲンの廃墟を隠れ家代わりにするのがベストかもしれない。怪奇現象が起きる不気味なダンジョンで、冒険者たちは夜間にここを訪れる事を嫌うらしいが、逆に言えば少なくとも寝ている間に他の冒険者の襲撃を受けることはないということだ。

 

 正気の沙汰とは思えないかもしれないが、どうやら今夜はあの街の廃墟を使わせてもらうしかないらしい。

 

 街の方を見つめて肩をすくめた俺は仲間たちを見て頷くと、かつて俺たちの故郷だった街へと向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて転生者たちによる攻撃によって廃墟と化したネイリンゲンは、やはり14年前と比べると変わり果てていた。多くの露店が並んでいた筈の大通りの石畳は抉れ、左右に並ぶ建物は原形を留めていない。

 

 1つ残らず倒壊したか半壊していて、産業革命が起こる以前の伝統的な建築様式の建物が、まるで死体のように佇んでいるだけだ。

 

 吹いてくる冷たい風が廃墟の中を駆け抜け、まるで呪詛のような禍々しい音を奏でて立ち去っていく。夕日はもう沈んでしまっているため、光源は俺が左手から出している蒼い炎のみだ。

 

 ここに魔物が住み着き、ダンジョンと化したおかげでラトーニウス王国は迂闊にオルトバルカ王国に攻め込む事が出来ない。だが、逆に言えば俺たちも迂闊に南方のラトーニウス王国には向かえないという事だ。ここはもう魔物の街で、命を落とした人々の魂が彷徨い続けているのだから。

 

 ここにやって来たのはダンジョンの調査ではなく、一泊する場所を見つけるためだ。もっと早く到着するか、朝方に到着していたらあわよくば調査してレポートでも書こうと思ったんだが、危険な魔物が徘徊する真っ暗なダンジョンの中を、怪奇現象に怯えながら調査する気にはなれない。

 

 転生者たちの襲撃の後、親父たちはここで亡くなった人々の遺体を回収し、エイナ・ドルレアンの墓地に埋葬したという。その中には親父たちと仲の良かった人々が何人も混じっていて、埋葬する時は涙が止まらなかったらしい。

 

 レ・マット・リボルバーを右手に持ち、左手の炎に注入する魔力を調節しながら周囲を照らし出す。ライトでもつけようかと思ったんだが、迂闊に魔物を照らし出したら気付かれてしまうだろう。そのまま戦闘になったら面倒なことになるので、光源はこの炎に頼る事にしている。

 

 すると、崩れ落ちた靴屋の看板の隣に白い何かが佇んでいるのが見えた。ぎょっとしながらリボルバーを向け、照準を合わせるが、そこに佇んでいたのは迷彩服を身に着けた白骨死体だけで、幽霊は見当たらない。

 

 きっとこの白骨死体は、この街を襲撃した転生者の死体なんだろう。街の住民の遺体は埋葬したらしいが、転生者の死体はそのまま埋葬せずに放置していたという。

 

「ふにゃっ!? び、びっくりした………」

 

 そう言いながら俺に抱き付いてくるラウラ。機嫌はもうよくなったらしいが、早くも俺に甘え始めている。警戒しながら進んでいるのによく甘えられるものだと思いながら近くにいるステラを見てみると、ステラはどうして見つめられたのか理解できなかったらしく、俺の目を見ながら無表情で首を傾げた。

 

 彼女は理解できない事があると、首を傾げる癖があるらしい。

 

「ところで、タクヤ」

 

「ん?」

 

 ステラが片手でお腹を押さえながら、もう片方の手で口元のよだれを拭い去る。

 

「ステラはお腹が空きました」

 

「悪い、もう少し待っててくれ。寝れそうな場所を探すからさ」

 

 さすがにここで魔力を吸われるのは拙い。動けなくなったところを魔物に襲撃されたら洒落にならないからな。

 

 リボルバーをホルスターに戻して彼女の頭を撫でながらそう言うと、隣で俺に抱き付いていたラウラが頬を膨らませながら、ミニスカートの中から伸ばした尻尾で俺の後頭部を突き始めた。

 

 ステラだけ頭を撫でられて羨ましかったんだろうか。

 

 彼女の頭から手を離し、今度はラウラの頭を撫で回す。するとラウラは気持ち良さそうに「ふにゅー………」と言いながら、尻尾で俺の頭を撫で始めた。

 

「ふむ………やはり、あそこが一番かのう」

 

 崩れ落ち、中に入れそうにない廃墟を見つめながら呟くガルちゃん。この大通りの跡地の左右に連なる廃墟は全て崩れ落ちていて、中に入ったとしても倒壊しそうな建物ばかりである。下手をしたら、寝ている間に倒壊に巻き込まれて生き埋めになってしまうかもしれない。

 

 屋根のない廃墟で眠れば、魔物にも発見されてしまうだろう。理想的なのは屋根が残っていて、可能な限り原形を留めている建物だが、14年前の攻撃はかなり激しかったらしく、そんな理想的な廃墟はなかなか見つからない。

 

 妥協しようかと思ったんだが、ガルちゃんは良い場所を知っているようだ。

 

「あそこ?」

 

「うむ」

 

 にやりと笑ったガルちゃんは、街の外れの方を指差す。

 

 真っ暗になったせいであまり見えなかったが、よく見ると街の外れにある草原の中にも1軒だけ大きな廃墟が佇んでいるようだった。暗闇の中に鎮座し、月明かりに照らし出されているその屋敷は、左側が半壊してしまっているが、何とか中に入る事が出来そうだ。

 

「あら? あの屋敷は…………」

 

 月明かりに照らされる屋敷を目にして呟くカノン。あの屋敷に見覚えがあるのだろうかと思ったが、俺もすぐにその屋敷が何の屋敷なのか理解した。

 

 かつて、ネイリンゲンで結成された最強の傭兵ギルドが拠点として使っていた古い屋敷。ガルちゃんにとっては実家のような物だろう。

 

 その屋敷は―――――――かつてモリガンが拠点に使っていた屋敷なのだから。

 

 

 



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モリガンの屋敷

 

 世界最強と言われたモリガンの本部は、田舎の街だったネイリンゲンから少し離れた草原の上に建てられている。元々その屋敷はフィオナちゃんの実家だったんだが、彼女が100年以上前に病死し、幽霊となった彼女を恐れて家族が逃げ出してしまってからは、ずっとフィオナちゃんはその屋敷の中で1人で過ごしていたという。

 

 幽霊の少女が現れるという事から買い手もいない状態だったところに、ちょうどラトーニウス王国から逃げ延びてきた親父と母さんが転がり込み、そこでフィオナちゃんと一緒に傭兵ギルドを結成したというわけだ。

 

 それから仲間を増やしていき、国王からの依頼も引き受けるようになった彼らは、他のギルドと比べると非常に規模が小さかったが、世界最強の傭兵ギルドと呼ばれるようになったという。

 

 そのモリガンの本部が壊滅したのは、今から14年前だ。

 

 親父たちと敵対していた転生者の集団が、このネイリンゲンに攻撃を仕掛けたのである。この奇襲で多くの住民が犠牲になり、信也叔父さんも右腕を失う重傷を負った。次々に撃ち殺されていく住民たちを目の当たりにした親父は激昂し、たった1人で重武装の転生者たちを蹂躙していったという。

 

 幼少期のナタリアが親父と出会ったのは、その戦いの最中だったんだろう。

 

 G36Kに取り付けたライトのスイッチを入れ、埃だらけの玄関のドアをそっと開ける。軋む音を広間の中に響かせ、埃をまき散らしながら開いたドアの向こうに広がっていたのは、おそらく14年前と全く変わらない屋敷の広間だった。

 

 床は埃で灰色に染まり、壁には燃えたような跡が残っている。どれほど激しい襲撃だったのかと予想しながら右を見てみると、入り口から右に伸びている筈の廊下は崩落した瓦礫で塞がれていて、進めそうにはなかった。

 

 奥の方には裏庭へと向かうためのドアがあり、左側には上に上がるための階段がある。階段の手すりはところどころ剥がれ落ちていて、階段の上には天井や手すりの破片が転がり、埃に覆われている。

 

「懐かしいのう………あの時のままじゃ」

 

「あら、ノエルちゃんの家と本当にそっくりですのね」

 

 ガルちゃんにとって、この屋敷は実家のようなものなんだろう。14年前の惨劇の痕が残る痛々しい場所だけど、ここに残っているのはそれだけではない筈だ。かつて人間を憎んでいたあのガルゴニスが、憎んでいた筈の人間たちと共に戦い、思い出を残した場所なのだから。

 

 信也叔父さんの家は、この屋敷を再現しているらしい。だからエイナ・ドルレアンの屋敷とこの屋敷の構造は全く同じになっている筈だ。

 

「こっちじゃ。3階にリキヤたちが使っておった部屋が残っている筈じゃ」

 

 親父の部屋? 今日はそこで寝るのか?

 

「パパの部屋かぁ………どんな部屋なのかな?」

 

「叔父さんの屋敷の部屋と同じだろ」

 

 もしかしたら魔物が入り込んでいるかもしれないので、念のためアサルトライフルのライトで照らしながらガルちゃんの後をついて行く。でも、先頭を歩くガルちゃんは全く警戒している様子はないし、ここに戻ってきたことを懐かしがりながらきょろきょろと見渡しているだけだ。彼女はここに魔物が入り込んでいない事を知っているんだろうか。

 

 他の仲間たちも警戒している様子はない。生真面目に武器を構えてライトを付けているのは俺だけだ。なんだか少し恥ずかしくなってきたが、もし小型の魔物が襲いかかってきたら大変だからな。ここはもう平和な街ではなく、魔物が住むダンジョンなのだから。

 

 2階には、応接室と書斎があった。階段から見て左側にも廊下が続いているようなんだけど、こっちの廊下も落ちてきた瓦礫で塞がれているため、奥に何があるかは分からない。

 

 部屋の中を確認してから3階へと上ると、埃まみれの廊下の左側に2つのドアがあった。叔父さんの屋敷の構造がここを再現しているというのなら、この左側のドアの向こうは寝室になっている筈だ。

 

 廊下の奥にもドアがあるが、そこはおそらく風呂場だろう。この屋敷には元々水道はなかったらしく、風呂に入るためにはいちいち外にある井戸から水をここまで運んでくる必要があったらしい。

 

 王都にある俺たちの家は当然ながら水道があるからそんなことをする必要はなかったんだが、親父たちの時代は大変だったんだな………。

 

 水道の便利さを実感していると、ガルちゃんが風呂場寄りのほうの部屋のドアを開けた。まるで魔物の唸り声のような軋む音を立て、埃を舞い上げながらドアが開く。

 

「ここがリキヤたちの部屋じゃ」

 

「へえ………若き日の親父の部屋か」

 

 部屋の中はやはり埃まみれだったけど、ここはあの惨劇で燃えることはなかったのか、長年掃除をしていないだけの部屋のように見えてしまう。ベッドは埃で灰色に汚れ、ソファも腰かけようとは思えないほど埃まみれだったけど、ここがどんな部屋だったのかという面影は残っている。

 

 大通りの周囲に広がっていた廃墟よりも、寝泊りするならばここが最適だろう。14年間も放置されていたせいで大量に埃が落ちているのが気になるが、埃は掃除すればいい。それに、ここに泊まるのは今夜だけだ。明日はすぐに国境を超えるため、ラトーニウス王国のクガルプール要塞へと向かわなければならない。

 

「いい部屋だけど………凄い汚れね」

 

「それは俺が掃除するさ」

 

「え? 掃除するの?」

 

「おう」

 

 ついでに風呂場も掃除しておこう。さすがに襲撃を受けて放置されてから14年も経っているから、水道が使えるとは思えないが、俺とラウラの能力を応用すれば風呂には入れる筈だ。

 

 シャンプーはどうしようかと考えていると、隣で部屋の中を見渡していた筈のナタリアが、目を細めながら俺の顔をじっと見ていた。

 

「………どうした?」

 

「………あんたって、女子力が高いわよね」

 

「えっ?」

 

 女子力が高いだって?

 

 確かに家事は得意だけど、それは前世の世界で生まれ育った環境がクソ親父のせいで最悪だったから技術が身についただけだ。あのクソ親父は料理はしないし、家事は他人任せだった。文句を言えばすぐにキレて暴力を振るってきたしな。どうして俺の母さんはあんなクズと結婚したんだろうか。

 

 あんな父親の息子として生まれるくらいならば、生まれない方がマシだったと思うレベルであの親父は嫌いだ。あいつ家事とか料理が全然できないから、今頃死んでるんじゃないだろうか。

 

 もし死んでこっちの世界に転生してたら、ちゃんと親孝行(仕返し)してあげないとな。

 

 そんなクソ親父と一緒に生活する羽目になったから、自分で料理も出来るようになったし、家事も得意分野になった。転生してからも小さい頃から母さんの手伝いをやったし、大きくなってからは家族に手料理を振る舞う事も何度かあった。

 

 だから家事は俺にとって得意分野なんだが、どうやらそれのせいで女子力が高くなってしまったらしい。

 

 ちなみにラウラは料理が下手だし、家事も苦手だ。お姉ちゃんはもう少し女子力を上げた方が良いんじゃないだろうか。

 

「む? 掃除するのか?」

 

「ああ。さすがにピカピカにはできねえけど………」

 

 14年間も放置された部屋だからなぁ………。

 

「では、私は結界でも張ってくるかのう。魔物や悪霊が入り込んできたら大変じゃ」

 

「結界?」

 

「うむ」

 

 確か、光属性の魔術だったような気がする。教会の魔術師が大昔に編み出したと言われている魔術の1つで、特殊な魔法陣を数ヵ所に刻み込むことによって光属性の魔力の壁を作り出し、中にいる者を守る事が出来ると言われている。

 

 魔物は中に入ることは出来ないし、発動させた者と敵対している人間も同じく入ることは出来ない。さらに物理的な防御だけでなく、悪霊のような霊も中に入り込む事は出来ないため、聖地を守る騎士たちは必ずこの魔術を習得させられるという。

 

 さすが最古の竜だな。複雑な魔術までマスターしてるのか。

 

「誰か手伝ってくれないかのう?」

 

「では、ステラがお手伝いに行きます」

 

「おお、サキュバスの末裔が来てくれるのか。お主もこれは使えるか?」

 

「はい。昔ママから習いましたので」

 

「では、私は西側と東側に魔法陣を刻んでくる。お主は北側と南側を頼むぞ」

 

「分かりました。では、行ってきます」

 

「うむ。何かあったらすぐに逃げるのじゃぞ」

 

「はい」

 

 ステラって結界が使えたのか。サキュバスは魔力の扱いに秀でた種族だって聞いていたけど、幼少期にそんな複雑な魔術を母親から教わってたのかよ。

 

「ほら、掃除しちゃいましょ」

 

「おう。ラウラ」

 

「はーいっ!」

 

「では、わたくしもお手伝いしますわ」

 

 結界を張りに行くガルちゃんとステラを見送った俺たちは、この埃まみれになっている部屋の掃除を始めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

「よし。ラウラ、氷出してくれ」

 

「はーいっ。えいっ!」

 

 ラウラの元気な声が聞こえた直後、まるでブリザードに呑み込まれたかのように狭い風呂場の空気が一気に冷却された。一瞬だけ吐き出した空気が白くなるが、その冷気はすぐに収縮を始め、鮮血のように紅い氷となって風呂場の浴槽の中に落下する。

 

 ごとん、と大きな紅い氷が浴槽の中に落下し、冷気を放出し始める。ラウラの能力で空気中の水分を集中させ、結合させながら氷結させた氷だ。どういうわけか血のように紅いが、溶かせば普通の水に戻る。

 

 部屋の掃除はナタリアとカノンが担当しているが、そろそろあっちの掃除は終わる頃だろう。風呂場は俺とラウラが2人で担当したんだが、部屋よりも狭かったおかげで早めに掃除は終わった。今はラウラに氷を出してもらい、これでお湯を作るところである。

 

 両手に着けていた黒い革の手袋を外し、静かに氷の表面に触れる。血のように禍々しい色とは裏腹に全く臭いはしないし、普通の氷よりもひんやりとしている。

 

 右手の手の平に蒼い炎を出現させた俺は、その炎を氷へと押し付けた。蒼い炎が紅い氷の中にあっさりと沈み込み、巨大な氷を少しずつ溶かして水に変えていく。

 

 こうやって氷を溶かして水に戻し、さらに過熱すればお湯になる。俺たちの能力って戦闘以外でも役に立つんだよな。結構便利な能力だぜ。

 

「えへへっ。今夜は一緒にお風呂に入れるね」

 

「ん? ああ」

 

 前はカノンと一緒だったからな。………キスしちまったし。

 

 バレてないよな? もしバレたらトマホークで真っ二つにされそうだから、このことは話さないようにしよう。まだ死にたくないからな。

 

 もしバレた時の事を考えてぞっとしていると、後ろからラウラがゆっくりと抱き付いてきた。右手の炎が生み出す熱気の中に甘い香りが混じり、何度もこうして抱き付かれてきたというのに俺は顔を赤くしてしまう。

 

 大きな胸を押し付けながらぎゅっと俺を抱き締めるラウラ。さすがに作業中に彼女を抱き締めるわけにはいかないので、俺は左手を伸ばして彼女の頭を撫でておく。

 

「えへへっ。やっぱり、タクヤと一緒にいるのが一番幸せだよ」

 

「そうか?」

 

「うんっ。タクヤって優しいし、可愛いもん」

 

「お前、俺を妹だと思ってないか?」

 

「ふにゅ? 可愛い弟だと思ってるよ? ふふっ」

 

 俺は男らしくないって事か。

 

 母さんに似過ぎたせいなのか顔つきが女に見えるし、髪型も女みたいだし、しかもナタリアには女子力が高いって言われたからな。やっぱり男には見えないのか。

 

 でもちゃんと息子は装備してるんだよ………?

 

 幸せそうに微笑みながら俺の頭の角に触り始めるラウラ。感情が昂ると勝手に伸びる不便なこの角は、後ろから抱き付いているお姉ちゃんのせいで既にダガーのような長さに伸びていた。

 

 キメラの身体は身体能力も高いし便利なんだが、この角だけは不便だと思う。尻尾は服の中に隠せるし、この角もフードや帽子で隠せるんだけど、こういう時に勝手に伸びるのはかなり不便だ。

 

 ちなみにこの角は頭蓋骨の一部が変異して伸びたものらしい。何度かこれを折ってしまおうと思ったんだが、これを折るという事は頭蓋骨を折る事と同じなので、やめておいた方が良いだろう。でもかなり硬いらしく、アサルトライフルの5.56mm弾を喰らっても傷はつかないという。

 

 もしかしたら、これを伸ばした状態で頭突きをすれば魔物を殺せるんじゃないだろうか。

 

 釘バットみたいな頭だ………。

 

 姉に抱き締められてドキドキしている間に、氷はすっかり溶けて水になっていた。まるで鮮血を凍らせたかのように紅かったラウラの氷は水になり、少しずつ湯気を発し始めている。

 

 そろそろ良いだろうかと思いながら左手をお湯の中に沈ませてみたが、まだ少々温いようだ。もう少し熱した方が良いかもしれない。

 

 このぬるま湯がもっと暖かくなるまで、お姉ちゃんに甘えさせてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 やっと身体に力が入るようになってきた。まだ痙攣する腕を何とか動かした俺は額の冷や汗を拭い去ってから仰向けになり、部屋の薄汚れた天井を見上げる。

 

 ここを見つける前からお腹を空かせていたせいなのか、今日はいつもよりも魔力(ごはん)を吸収する量が多かったような気がする。

 

「んっ……ん………はぁっ、はぁっ………」

 

「ぷはっ………。ラウラの魔力は甘いですね。デザートみたいです」

 

 俺の隣で仰向けになったラウラの上に跨り、小さな手で彼女の胸を触りながら再び唇を奪うステラ。食事ならば唇を奪うだけでいい筈なんだが、胸まで触っているのは羨ましいからなんだろうか。

 

「お、お姉様………っ! 可愛らしいですわ、お姉様!」

 

 ステラに魔力を吸収されるラウラを見て興奮しているのは、しっかり者の貴族かと思いきやトップクラスの変態だったカノンさん。顔を真っ赤にして呼吸を荒くしながら、俺の姉が幼女に魔力を吸収される光景を見守っている。

 

 小さい頃はしっかり者だったのに、どうしてこんな変態になっちゃったんだろう。カレンさんはしっかり者だから、ギュンターさんが原因なんだろうか。

 

「す、ステラさん! わたくしも混ぜてくださいなッ!」

 

「お、落ち着けカノン! お前もそろそろ風呂入って来いッ!」

 

「嫌ですわ! わたくしもステラさんに唇を奪ってほしいですわ!!」

 

「ごめんなさい、もうお腹いっぱいです。ごちそうさまでした」

 

「えぇ!?」

 

 ラウラから唇を離したステラは、ぺろりとラウラの唇を舐めてから頭を下げ、彼女の上から下りてお腹をさすり始めた。本当にお腹がいっぱいになってしまったらしい。

 

 無表情だったステラの顔が、少しずつうっとりした表情に変わっていく。

 

「うう………お姉様だけずるいですわ」

 

「ふにゃー…………」

 

「おーい、ラウラ? 大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫だよぉ………」

 

 まだ力が入らないらしい。魔力が回復すれば彼女も動けるようになるだろう。

 

「ほら、カノン。早く風呂入って来い。見張りは俺がやっておくから」

 

「わ、分かりましたわ………」

 

 残念そうに立ち上がり、カノンは風呂場へと向かっていく。先ほど浴槽の蓋を閉じる音が聞こえてきたので、ナタリアはもう風呂からあがっている事だろう。

 

 ちなみに風呂場はこの部屋のドアから見てすぐ左にあるので、それほど俺たちから離れるわけではない。

 

 俺が風呂に入るのは最後にする予定だ。結界を張っているとはいえ魔物が入り込んでくる可能性もあるし、この街は怪奇現象が起こる街だ。住民のほぼ全員が14年前の襲撃で命を落としているため、かなりの数の魂がさまよっていることになる。

 

 まだ痙攣する手を伸ばし、メニュー画面を開いてレ・マット・リボルバーを装備しておく。漆黒の銃身と木製のグリップは一見すると旧式の銃に見えるかもしれないが、近代化改修を済ませてあるため、スペックは新型のリボルバーとあまり変わらない。

 

 それを2丁装備し、愛用の大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーも装備した俺は、ランタンの明かりの下で懐中時計を取り出した。

 

 もう深夜0時になる。もしかしたら、そろそろ怪奇現象が起こるかもしれない。

 

 今まで幽霊を見たことはないが、この街で初めて怪奇現象を体験する羽目になるかもしれない。そう思って緊張しながら、俺は1人で臨戦態勢に入った。

 

 



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転生者が怪奇現象に遭遇するとこうなる

 

 懐中時計の秒針が動く度、緊張が徐々に強くなっているような気がする。まるで怪奇現象が起こるかもしれないという恐怖が、氷に穴を穿とうとするピックのように少しずつ突き立てられているかのようだ。

 

 今の時刻は午前1時50分。仲間たちが目を覚ますのは早くても午前6時くらいだろうから、今から俺は約4時間ほど眠らずに見張りをしなければならない。

 

 こういう時に、武器があるとほんの少しだけだが恐怖は希釈される。圧倒的な破壊力を持つ武器を見に着けていれば、敵だけではなく恐怖にも打ち勝てるかもしれないと無意識のうちに思っているのかもしれない。姿の見えない幽霊や怪奇現象に、物理的な攻撃である現代兵器を向けるのはおかしいかもしれないが、幼少の頃から俺とラウラはこうやって敵と恐怖に打ち勝ってきたのだ。

 

 武器があるから大丈夫。この武器を持っているから、敵にも勝てる。決して慢心というわけではなく、恐怖を持ちつつ適度な安堵も併せ持つ。だからこそ、武器は俺たちにとってはまさに頼みの綱なのである。

 

 それに、この恐怖を薄めてくれるのは武器だけではない。

 

「ふにゅう………」

 

「………」

 

 傍らにレ・マット・リボルバーを置き、俺の膝を枕にして気持ち良さそうに眠る少女を見下ろした瞬間、更に恐怖が薄められたような気がした。

 

 先ほど手持ちの非常食で夕食を済ませた仲間たちは、見張りを担当する俺を残して全員部屋の中で眠っている。俺の座っている場所の向かいではナタリアが眠っているし、その隣ではガルちゃんが寝言を言いながら寝息を立てている。

 

 俺の左隣で眠っているのはカノンで、彼女は相変わらず無表情のまま眠っているステラをぎゅっと抱きしめている。

 

 仲間たちを守るのは、俺なのだ。

 

 だから怪奇現象でビビっているわけにはいかない。女とよく見間違えられるが、俺は男なのだから。

 

「ふにゃあ………えへへっ、タクヤぁ…………」

 

 俺の膝を枕にして眠っているラウラは、俺の夢を見ているんだろうか。いつも弟に甘えているお姉ちゃんらしい夢だなと思いながら見守っていると、ラウラはミニスカートの下から伸びる尻尾を、まるで頭を撫でられて大喜びする子犬のように振り始めた。

 

 尻尾を横に振っている時は喜んでいる時だ。頭を撫でられたりすると、彼女はいつも尻尾を横に振る。尻尾を縦に振っている時は逆で、機嫌が悪い時らしい。まるで「私を見て」と言わんばかりに尻尾を縦に振り、ぺたん、と床を何度も叩くのだ。

 

「タクヤぁ………もうすこしで……赤ちゃん…………生まれるよぉ…………」

 

 どうやらお姉ちゃんは、自分の夢が叶った後の夢を見ているらしい。しかも子供もいるのかよ。

 

「えへへ………これで………20人目だね…………」

 

 こ、子供が多いッ!! 何人産んでるんだよ!? 大家族じゃねーか!!

 

 そんなに子供がいたら一気にキメラの数が増えるぞ。しかも俺とラウラは同じ種族だからみんな純血って事になる。

 

 その子供たちも俺たちから色々と受け継いでいくんだろうとは思うんだが、さすがに20人も子供がいるのは多過ぎないか? 親父みたいに妻が2人いたとしても多過ぎるぞ。

 

 それにしても、純血のキメラって凄そうだな………。

 

 どんな子供になるんだろうかと考えようとしたんだが、考え事が途切れかけた瞬間、その隙間から先ほどまで感じていた恐怖が侵入してきて、俺はぎょっとしてしまった。恐怖を感じないように考え事をすることも大切だが、それで警戒を疎かにするわけにはいかない。彼女たちの命を預かっているのは俺なのだ。

 

 懐中時計を見てみたが、そろそろ午前2時になる。あと4時間だ。あと4時間もこの恐怖と暗闇に耐え続けなければならない。

 

 もし俺が暗所恐怖症だったら、とっくに発狂していることだろう。

 

 割れた窓ガラスから入り込んでくる冷たい風が、不気味な歌声を奏で始める。普通の風の音よりも低く、まるで死んでいった人たちの呻き声のような気味の悪い歌声。果たしてこれは本当に風の音なんだろうか? もしかしたら、もう既に霊はすぐそこにいるのではないか。

 

 もう死んでいった人たちの霊が集まっていて、この部屋を取り囲んでいるのではないか――――――。

 

 落ち着け。そんなことを考えれば余計怖くなるだけだ。それにこの屋敷はガルちゃんたちが結界を張ってくれたから、霊や魔物は易々と侵入できない筈だ。

 

 でも、結界があるから大丈夫というのは楽観的過ぎるような気がしてしまう。ランタンの中で明かりを放ち続ける炎を見つめながら考えていたその時、ランタンの明かりに映った影が一瞬だけ膨れ上がったような気がした。

 

「!?」

 

 まさか、霊がいるのか!? 俺たちを見つけて呪おうとしているのか!?

 

 ぎょっとしてリボルバーを構えながら部屋の中を見渡したが、今の影が膨れ上がった原因は見当たらない。ランタンの明かりが部屋の中を照らし出し、その中で仲間たちが寝息を立てているだけだ。

 

 今のは何だ………?

 

 どきりとしながらリボルバーを構えて部屋の中を見渡していると――――――今度は、部屋のドアノブがゆっくりと回り、古びた木製のドアが小さな軋む音を立てはじめた。

 

 やがて反対側から誰かが押したかのようにゆっくりとドアが開き、埃まみれの廊下があらわになる。

 

 なぜドアが開いた………?

 

 勝手に開いたわけではないだろう。開く前にドアノブがゆっくりと回転しているところを目にしているのだ。そうなると誰かがドアを開けたことになるが、俺以外の仲間たちは全員眠っていて、ドアを開けられるわけがない。それに、そもそもドアの近くで眠っている仲間もいないから、いたずらというわけではないだろう。もちろん俺がドアを開けたわけでもない。

 

 恐る恐るドアの向こうにリボルバーを向けながら、俺は懐中時計で時刻を確認した。今の時刻は午前2時3分。ちくしょう、まだ2時になってから3分しか経っていない。早くも怪奇現象に遭遇しちまったってわけか。

 

 左手に炎を出し、開いたドアの向こうを照らし出してみるが、埃のせいで灰色になった壁と廊下が見えるだけだ。

 

 とりあえず、あのドアは閉めておくべきだろう。いつまでも開けていたら、あの入口から何かが入ってきそうで気味が悪い。

 

 一旦左手の炎を消し、俺の足に頭を乗せて眠っているラウラを静かに退けてから、もう一度炎を出して入口へと向かう。廊下を照らしつつリボルバーを向けて廊下を確認したが、やはり幽霊がいるわけでは無いようだ。怪奇現象はこれで終わりか?

 

 肩透かしを食らったのだろうかと思いながらドアノブに手を伸ばしたその時だった。

 

 今しがた確認した時は何も見えなかったのに――――――廊下の右側で、何かが揺れたような気がした。

 

「………!」

 

 気のせいだろうと決めつけて、そのままドアを閉めてしまえばよかった。そうすればこんなにぎょっとする羽目にはならなかったかもしれない。後悔しながらその何かが揺れたと思われる場所にリボルバーを向け、炎で照らし出して確認する。

 

 元々怖い話はあまり好きではないし、幽霊について詳しいわけでもない。でも、その蒼い光に照らし出された何かを目にした瞬間、そいつの正体が普通の人間ではないということをすぐに理解した。

 

 そこにいたのは、ボロボロの服を身に纏った少女だった。ノエルやカノンと同い年くらいだろうか。身に着けている服は焼け焦げたのかところどころ真っ黒に焦げていて、袖の中から伸びる少女の腕には火傷の痕や、まるで銃弾で撃ち抜かれたような傷がある。

 

 こんなにボロボロになっている少女が、危険なダンジョンの中を夜中に徘徊するだろうか? 徘徊しているとすれば魔物か、いきなり理不尽な襲撃を受けて命を落とし、未練を残してさまよう幽霊たちだろう。

 

 その少女は、まさにその幽霊だった。

 

 絶叫しそうになったが、全く声が出ない。恐怖が限界を超えると、叫び声というのは出ないものなのだろうか。絶叫もできないほど硬直しながら、目の前に出現した恐怖を凝視して心を削られていくだけ。それが限界を超えた恐怖なのだろうか。

 

 異世界に転生して幽霊に遭遇するとは思っていなかった俺は、今まで感じた恐怖を遥かに超える恐怖を感じながらそんなことを考えていた。

 

 廊下を照らさなければよかった。確かに何が揺れたのかは気になったが、気のせいだろうと決めつけてさっさとドアを閉めていれば、こんな恐怖を感じることはなかったのだ。

 

 迂闊に廊下を照らしてしまったことを後悔していると、ボロボロの服を身に纏った少女は、俺と目を合わせながらにやりと笑った。

 

『―――――ねえ、お兄さん』

 

「………?」

 

『落とし物が見つからないの。ママからもらった、大切なお守りを落としちゃったの………』

 

 一緒に探してくれという事なのか?

 

 それが彼女の未練ならば――――――落とし物を見つけてあげたら、この少女は成仏するのではないか?

 

 ならば、一緒に探してやった方が良いかもしれない。未練を消して成仏してくれるのならば、彼女もあの世で眠る事が出来るのだから。

 

 少女に向かって頷くと、その少女は嬉しそうに微笑み、何も言わずに廊下の向こうへと歩き始めた。いつまでも年下の少女にリボルバーを向けているわけにはいかないので、さすがに銃口は下ろしたけれど、もしかしたら結界を突破した魔物がいるかもしれないからリボルバーは持ったままにしておこう。

 

 彼女は14年間も、母親から貰ったという大切なお守りを探すために、この廃墟で落とし物を探し続けていたのだろうか。

 

 ずっと1人で探し続けるのは、寂しかっただろう。

 

 俺の目の前を歩く少女が、階段を下りて2階へと向かう。そういえば、この子の落し物はどこにあるんだろうか。もし14年前の襲撃の最中に落としてしまったというのならば、街から離れたこの屋敷にやってくるわけがない。つまり、ここに落とすわけがないのだが、どうしてこの子はこの屋敷の中にいる?

 

 違和感を感じたが、先ほど気になったことを明らかにしようとして恐ろしい目に遭ったばかりだ。気のせいだったと思い込んで、これ以上考えない方が良いだろう。もし考えてしまったらもっと恐ろしい目に遭う羽目になるかもしれない。

 

 やがて少女は1階へと下りると、玄関がある右側には行かず――――――そのまま、真っ直ぐに廊下を進もうとした。

 

 あれ? そっちは確か崩落したせいで道が塞がってる筈じゃないのか………?

 

『………お兄さん?』

 

「いや、そっちは―――――――」

 

『ねえ、早く』

 

 ここで俺は、2回目のミスをしてしまった。

 

 恐怖を感じるのが嫌だからと、考えることを怠ってしまったのだ。あの違和感の原因をしっかりと探っていれば、こんなことにはならなかった筈なのに。

 

 傷だらけの少女の幽霊は、行き止まりの筈の廊下の前に立ちながら俺に手招きしている。彼女が連れて行こうとしている場所は、落とし物を落としたという場所なのか。それとも――――――幽霊たちが待つ場所なのか。

 

 真っ暗な廊下の向こうから、冷気のようなものが漏れているような気がした。まるで無数の触手が俺の身体に絡み付き、あの暗闇の中へと誘っているような錯覚も感じてしまう。

 

『早く、来て』

 

 炎で照らしているというのに、崩落して行き止まりになっている筈の廊下の奥は真っ暗なままだ。―――――俺の炎では、照らせない。

 

 たった1人の生者の炎では、無数の死者たちを照らせないように―――――。

 

『早ク、コッチニ来テヨ』

 

 この幽霊は―――――俺をあの世へと連れて行くつもりなのだ。

 

 まだ生きているものが恨めしいからか? 自分たちの街で勝手に寝泊まりしている冒険者が憎たらしいからか?

 

 また、声が出なくなる。身体が勝手にぶるぶると震え始め、動かなくなる。

 

『寂シイヨ………。コッチニ来テ………』

 

 少女が笑みを浮かべながら、こっちへとやってくる。

 

 その笑みは明らかに俺に探し物を手伝ってもらえて喜んでいる笑みではない。あのような笑みは、どこかで見たような気がする。確か、中学校の修学旅行の時に仲間外れにされていた奴が、男子のグループに仲間に入れてもらった時のような笑みだ。

 

 あの時の生徒の笑みと同じだ。こいつはきっと、俺を死者にしてしまうつもりなんだろう。だから、こんな笑みを浮かべているのだ。

 

 もし彼女に捕まったら――――――俺も幽霊になってしまうのかもしれない。

 

 傷だらけの少女が、笑みを浮かべながら俺に手を伸ばしてくる。あと数歩歩けば、彼女の小さな手が俺の身体に触れる事だろう。

 

 どうすればいい? どうすれば逃げられる………?

 

 くそったれ………。まだ死にたくねえのに………。

 

 歯を食いしばりながら後悔していると、突然幽霊の少女が歩くのを止めた。俺の目の前で立ち止まり、まるでチャンスを逃して惜しむかのように目を見開きながら俺の後ろを凝視している。

 

「――――――タクヤ」

 

 背後から聞こえてきたのは、男性の低い声だった。威圧感の混じったその声は、敵対した状態で聞いたのならばぞっとしてしまう事だろう。恐ろしいが、頼もしい声。しかもこの声は、生まれて初めて聞いたわけではない。

 

 生まれた時から何度も耳にした声だ。この声で褒められたこともあるし、叱られたこともある。俺にとって憎む対象でしかなかった父親を、尊敬すべき対象へと変貌させた人物の声だ。

 

 いつの間にか身体が動くようになっていた事の気が付いた俺は、すぐに後ろを振り返る。

 

 そこに立っていたのは―――――黒いスーツに身を包み、シルクハットをかぶった紳士のような赤毛の男性だった。

 

「お、親父………?」

 

 彼の姿を目にした瞬間、感じていた恐怖が一瞬で燃え尽きたような気がした。だが、どうして親父がここにいる? 親父は今頃家に戻って、母さんたちと一緒に寝てる筈ではないのか?

 

 まさか、俺たちの後をついてきたのか? 

 

「どうしてここに………?」

 

 すると、親父は首を横に振った。

 

「――――――タクヤ、そっちに行ってはいけない」

 

「え?」

 

 親父がゆっくりとこっちに歩いてくる。俺を連れ去ろうとしていた幽霊の少女は親父を睨みつけていたが、親父に一瞥されただけで怯えたのか、舌打ちをしてから後ずさりして後ろの真っ暗な通路の中へと消えてしまう。

 

 俺は親父にどうしてここにいるのか聞こうとしたが、俺が喋るよりも先に親父の大きな手が俺の腕を掴み、そのままぐいっと腕を引っ張られた。転ばないように踏ん張りながら親父を見上げると、親父はため息をついてから俺を睨みつけた。

 

「お前のいるべき世界は、そっちではないだろう?」

 

 恐怖を感じ過ぎたせいで、見間違えてしまったのだろうか。

 

 俺を幽霊から救ってくれた親父の姿が、旅立つ前に目にした親父よりも若いような気がした。まるで幼少の頃に俺たちを狩りに連れて行ってくれた頃のようだ。

 

 それに、懐かしい感じもする。

 

 その懐かしさを感じた瞬間、急に身体から力が抜け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ! タクヤっ!」

 

「う………?」

 

 何だ………? 誰の声だ………?

 

 そっと瞼を開けてみると、黒いベレー帽をかぶった赤毛の少女が俺の顔を覗き込み、必死に身体を揺すっているようだった。俺の身体を揺すっているのは―――――ラウラだ。俺と一緒に生まれてきた、腹違いの姉。いつも一緒にいる大切な家族である。

 

「あれ………ラウラ………?」

 

「タクヤっ! 心配したんだよ!?」

 

 起き上がると、周囲を見渡すよりも先にラウラに抱き付かれ、俺は再び埃まみれの床の上に転がる羽目になった。灰色の誇りが薄暗い通路の中で舞い上がり、彼女が放つ甘い香りを歪ませる。

 

 確か俺は、見張りをしている最中に幽霊の少女に出会って、一緒にここまでやって来たんだ。そして親父が助けに来てくれて――――――気を失ったのか?

 

 はっとして横になったまま周囲を見渡してみる。ここは確か、俺が気を失った場所だ。俺を助けてくれた親父はどこだ? あの幽霊の少女はどうなった?

 

 通路の向こうを見てみると、通路を塞いでいる瓦礫が見えた。天井の破片やレンガの破片が固まり、本来は廊下だった場所をまるで隔壁のように塞いでしまっている。

 

「急にいなくなって、みんなで探したんだから!」

 

「ご、ごめん………」

 

「バカ! タクヤのバカ!! 幽霊に連れて行かれたのかと思ったよぉ!!」

 

「う………」

 

「タクヤは私の弟なの! 幽霊なんかにあげないんだから!!」

 

 涙声になりながら叫ぶ姉を抱き締めながら、俺は苦笑いした。

 

「あ、あのさ、ところで親父は見なかった?」

 

「え………? パパ?」

 

「ああ。親父が助けてくれたんだ」

 

 幽霊に連れて行かれそうになった時、確かに親父が来てくれた。恐ろしい幽霊を一瞥して追い払い、あの世に連れて行かれそうになっていた俺を助け出してくれたんだ。

 

 きっとみんなと一緒にいるに違いない。そう思ったんだが、ラウラは首を傾げながら目を丸くした。

 

「パパは来てないよ? 何言ってるの?」

 

「え? だって、確かに親父が助けて――――――」

 

「ふにゅ? だって、ここにいるのは私たちだけだし、パパは王都にいる筈でしょ?」

 

 確かに親父が助けに来てくれたはずだ。まさか俺は幻を見ていたのか?

 

 そういえば、気を失う直前だったからよく覚えていないが、あの時助けに来てくれた親父は今の親父よりも少しだけ若かったような気がしたし、懐かしい感じもした。

 

 あれは、親父の幻だったのか?

 

「ほら、みんな待ってるよ」

 

「お、おう」

 

 奇妙な経験だな。親父の幻か………。

 

 何度もあの時の事を思い出して首を傾げながら、俺はラウラと共に階段を上り始めた。

 

 

 

 



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ナタリアがコンパウンドボウを使うとこうなる

 

 防壁がないネイリンゲンの朝は、重々しい防壁に囲まれた王都の朝と違って開放的だった。昨日の夜のような出来事がもし起きなければ、心地よく目を覚ます事が出来ただろう。

 

 仲間たちの元へと戻り、心配をかけたことを謝ってから仮眠を取らせてもらった俺は、かつて親父たちが使っていた部屋の中で目を覚ました。薄汚れた天井を見上げながら起き上がり、あくびをして眠気を引き剥がす。先ほどまでの仮眠で何の夢を見ていたのかと思い出そうとしたが、夢の内容を思い出す前にあの怪奇現象の事を思い出してしまった俺は、反射的にドアの方を振り返った。

 

 そこにある古めかしいドアは、昨晩確かに勝手に開いた。そしてその向こうに幽霊の少女がいて、俺をあの世へと連れて行こうとしたのだ。それを助けてくれたのは――――――確かに親父だった。

 

 光源が俺の左手の炎しかなかったからよく見えなかったけど、俺たちの知っている親父よりも若かったような気がする。まるで、俺たちを狩りに初めて連れて行ってくれた頃の親父のように若々しかった20代の頃の親父が助けに来てくれたような気がするが、あれは幻だったのだろうか。

 

 いくら転生者でも、若返るわけではない。それに親父は確かに王都にいる筈なのだ。

 

「おう、起きたか」

 

「あ、ガルちゃん」

 

 背伸びをしながらアイテムの確認をしていると、部屋のドアの向こうからガルちゃんが缶詰を手にしてやって来た。缶詰にはハーピーのイラストが描かれていて、イラストの隣には『ハーピーの塩漬け』と書かれている。

 

 冒険者たちに人気の缶詰だ。旅に出るための準備をしている前に準備をしている時に、母さんとエリスさんと親父の3人にこの缶詰を奨められたのを思い出した俺は、苦笑いしながらガルちゃんが差し出した缶詰を受け取った。

 

 右手を硬化させ、外殻で覆われた硬い爪を使って蓋を取り外す。フォークは見当たらないので、このまま素手で食うことにしよう。

 

 効果を解除した右手で塩水に漬けられている肉を1つつまみ、口へと運ぶ。少々味が濃い鶏肉のような味の肉を噛み砕き、呑み込んでからもう1つ口へと運ぶ。

 

「なあ、ガルちゃん」

 

「何じゃ?」

 

「昨日の夜、俺は1階の廊下に倒れてたんだよな?」

 

「うむ。確かあの先はキッチンだった筈じゃ。力也とギュンターの奴がよくキッチンで酒を飲んで酔っ払っておったわい。そしてのう、エミリアとカレンがため息をつきながら2人に肩を貸して部屋まで連れて行くんじゃ。懐かしいのう」

 

 昨日の体験が無ければ、ここがモリガンの本部だった頃の思い出話をもっと聞いてみたいと思っていたに違いない。ガルちゃんの思い出話を聞き流しながら、俺は昨日の夜の事を思い出し始める。

 

 気を失った後、俺はどうやらキッチンの前にある廊下で倒れていたらしいのだ。目を覚まして目の前を見てみると、あの幽霊が俺を連れて行こうとした真っ暗な通路ではなく、初めて目にした時と同じように崩落した瓦礫が廊下を塞いでいるだけだった。それに、埃まみれの床の上には俺の足跡しか残っていなかったという。

 

 では、あの時俺を助けてくれた親父はやはり幻だったのだろうか。親父の足跡が残っていないという事は、親父はここに来ていないという事になるのだから。

 

「………なあ、ガルちゃん」

 

「む?」

 

「やっぱり、俺を助けてくれた親父って幻だったのかな………」

 

 するとガルちゃんは、思い出話を止めて目を細めた。

 

「―――――当たり前ではないか。幻じゃ。あの馬鹿がここまで来るわけがないではないか」

 

 楽しそうに思い出話をしていたガルちゃんならば、あっさりと幻だと言って笑い飛ばしてしまいそうな感じがしたんだが、彼女は逆に悲しそうな目をしながら俺を見つめ、そう言った。

 

 なぜ、彼女はそんなに悲しい顔をしているのだろうか。最古のエンシェントドラゴンとして人類よりも大昔から生き続けている目の前の彼女が、悲しい顔をするのは滅多にない事だろう。例えば、自分にとって大切な存在を失ったのならばこんな顔をするかもしれないが、たかが父親の幻を見たという話だけでなぜこんな顔をするのか。

 

 どうせ「それは幻じゃ、馬鹿者」と笑い飛ばされるだろうと思っていた俺は、悲しそうな顔をする彼女に違和感を覚えた。

 

「それより、よく眠れたか?」

 

「ああ。アイテムも無事だし、武器もある。いつでも出発できるぜ」

 

「よろしい。ラウラたちも準備を済ませておるから、とっとと缶詰を平らげてしまえ。食い終わったら出発じゃぞ」

 

「はーい」

 

 いつもの表情に戻ったガルちゃんは、部屋の中にある鏡を見ながら自分のヘッドドレスを直すと、壁に立て掛けられていた銃剣付きのMG34を担ぎ、部屋の外へと出て行く。

 

 彼女はどうしてあんなに悲しそうにしていたのか。おそらくこの疑問の終着点へと辿り着くためには、まだ情報が足りないのだろう。習ってもいない複雑な計算をしろと言われているようなものだ。回答に辿り着くためには、もう少し情報を得てからでもいいだろう。

 

 もう1つ塩漬けの肉をつまみながら、俺はちらりと鏡を見た。14年間も手入れされずに放置されてきた鏡面は、違和感と怪奇現象に遭遇して混乱する俺のように曇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 かつてモリガンの本部だった屋敷を後にした俺たちは、更に南方へと向かって出発した。目的地はメサイアの天秤の資料が発見されたというメウンサルバ遺跡。その遺跡があるのは、オルトバルカ王国の隣にあるラトーニウス王国である。

 

 ラトーニウス王国へと向かうためには、まずネイリンゲンの跡地を更に南方に進み、ラトーニウス王国の最北端にあるクガルプール要塞を超えなければならない。以前までは門の警備をしている兵士に話をすれば通してもらえたらしいのだが、今ではオルトバルカとラトーニウスの関係は悪化し始めており、通してもらえない可能性もあるという。

 

 おそらくその対立の原因は、俺たちの親父が率いていた傭兵ギルドだろう。

 

 かつてラトーニウス王国騎士団のジョシュアという男が、部下を率いてネイリンゲンに侵攻した。今から21年前だから、親父たちが俺たちと同い年の頃の話だ。

 

 もちろんモリガンのメンバーは総出で迎撃し、騎士団からモリガンに寝返ったエリスさんにも加勢してもらって何とか撃退したという。親父が片足を失い、義足を移植してキメラになるきっかけになったのはこの戦いなのだろう。

 

 ラトーニウス王国は指揮官であるジョシュアを失った上に騎士団の切り札だったエリスさんに裏切られるというかなりの痛手をこうむっている。しかも自国の国力をはるかに上回るオルトバルカ側からの報復を恐れ、大慌てで全ての責任をジョシュアに擦り付け、辛うじて戦争への突入を回避したという噂も聞いたことがある。

 

 この時点で、両国の間に軋轢はあったのだろう。

 

 ジョシュアの許婚だった母さんを奪い去り、更にオルトバルカ王国騎士団の精鋭部隊と渡り合うための切り札だったエリスさんまで奪い去って行ったモリガンとリキヤ・ハヤカワを、ラトーニウス王国の国民たちは目の敵にしているに違いない。

 

 自国に煮え湯を飲ませたのは、10人未満の小規模な傭兵ギルドだったのだから。

 

 オルトバルカ国民からすれば、母さんとエリスさんは英雄の1人。死に物狂いで奮戦したモリガンのメンバーだが、ラトーニウス国民からすれば、自国を崩壊寸前まで追い込んだ裏切者でしかないのだ。

 

 そして俺とラウラは、その裏切者と怨敵の子供なのである―――――。

 

「それにしても、怪奇現象に遭遇したのは俺だけか………」

 

「はい。ステラたちには特に何もありませんでした」

 

 あの屋敷で怪奇現象に遭遇したのは俺だけで、部屋で寝ていた仲間たちには何も起こらなかったらしい。

 

 そういえば、あの幽霊は俺の事を「お兄さん」って言ってたな。……やったぞ。やっと男子だと思ってもらえた! 相手は幽霊だけどな。

 

「ところで、お主らはこれからラトーニウス王国に行くのじゃろう?」

 

「ああ」

 

「なるほどのう。リキヤとエミリアとは逆じゃのう」

 

「ふにゅ、そうだね」

 

 この異世界に転生してきた親父は、ラトーニウス王国の小さな街で母さんと出会ったという。街を襲撃してきた魔物を早くも生産していた現代兵器で撃退したところを目撃された親父は、母さんから色々と話を聞かれ、彼女と共に騎士団の駐屯地があるナバウレアという街へと向かったらしい。

 

 そこでジョシュアの許婚だった母さんを連れ去った親父は、何とかクガルプール要塞までたどり着き、そこで飛竜を奪ってオルトバルカまで逃げ込んできたのだ。

 

 俺たちはその道を逆に進み、メウンサルバ遺跡を目指す。

 

 親父たちが逃げて来た国に、俺たちが踏み込むのだ。

 

 メサイアの天秤を手にいれ、誰も虐げられることのない平和な世界を作るために。

 

 それにしても、親父は騎士団の指揮官から許婚を奪い去ったのかよ………。何やってんだ、あの馬鹿親父。そして母さんとエリスさんの姉妹と結婚し、俺とラウラが生まれたというわけか。両手に花じゃねえか。

 

 羨ましいなぁ………。

 

「私もラトーニウスには用事があるのじゃが、クガルプール要塞を超えたらお別れじゃのう」

 

「え?」

 

「ふにゃっ!?」

 

「仕方がないじゃろう。私も調べたい場所があるのじゃ」

 

 要塞を超えたら早くもガルちゃんとお別れか。頼りになると思ってたんだがなぁ………。

 

 もう少し彼女と話をしていたいと思った俺は話題を探し始めたけど、話が続きそうな話題を見つけようと探っている最中に、いきなり隣に立っていたラウラが足を止めた。

 

 炎のように赤い瞳が鋭くなり、彼女の手が背中のゲパードM1のグリップへと伸びる。

 

「魔物か」

 

「うん」

 

 彼女の視覚と聴覚は、俺や親父をはるかに上回っている。レーダーとソナーの機能を併せ持つ高精度のセンサーのようなものだ。彼女がソナーで感知できる範囲は半径2km。スコープなしで見渡せる範囲もおそらくそのくらいだろう。

 

 彼女が感知したという事は、魔物は半径2km以内にいるという事だ。

 

「どこにいる?」

 

「12時方向、距離1884m」

 

 相変わらず凄まじい感知能力だ。コートの短いマントの内側にあるホルダーから折り畳み式の望遠鏡を取り出し、距離を調節しながら覗き込む。

 

 草原を駆け抜ける風の向こうに見えたのは、ごつごつした外殻に覆われた1体の巨体だった。まるで巨大な岩石に手足をくっつけて歩かせているように見えるその巨体の正体をすぐに理解した俺は、望遠鏡を隣にいるカノンに渡し、メニュー画面を開いてOSV-96を装備する。

 

 相変わらずこの得物はロケットランチャーを搭載しているせいで重いが、レベルが上がったおかげなのか以前より少しだけ軽く感じる。雀の涙だが、早くこの重さを感じないくらいレベルを上げてしまいたいものである。

 

 俺のOSV-96とラウラのゲパードM1の射程距離は2km。1884m先のあのゴーレムは射程距離内だ。このまま狙撃を開始すれば、ラウラが先に命中させてしまうに違いない。

 

「お姉ちゃん、先に撃たせてよ。狙撃の練習がしたい」

 

「えへへっ。じゃあ、お姉ちゃんが教えてあげる?」

 

「――――――待って」

 

 地面に伏せてバイボットとモノポッドを展開し、狙撃体勢に入った俺たちを呼び止めたのは、カノンから渡された望遠鏡を覗き込んでいたナタリアだった。

 

「どうした?」

 

「フィオナ博士が作ってくれた武器(これ)を試してみたいの」

 

 望遠鏡をステラに渡したナタリアは、左肩のホルダーに着けていたコンパウンドボウを取り出すと、グリップを握りながらそう言った。フィオナちゃんによって改造された彼女のコンパウンドボウには細い配管がいくつも取り付けられ、圧力計とバルブのようなものも装備されている。普通の弓矢ならばあり得ないフォルムだが、この装備は矢に圧倒的な殺傷力を持たせるために必要な物だという。

 

 それに、こいつはフィオナちゃんが今度開発する予定の武器のプロトタイプでもある。

 

 グリップの脇に折り畳まれているグレネードランチャーのような照準器を展開したナタリアは、あのゴーレムは自分に仕留めさせてくれと言わんばかりににやりと笑う。

 

「――――――頼んだぜ、ナタリア」

 

「ええ」

 

 ラウラに向かって頷くと、彼女も頷いてくれた。あのゴーレムをナタリアに倒させることに賛成してくれるらしい。

 

 だが、あのゴーレムとの距離は1884m。コンパウンドボウの射程距離は150m前後である。さすがにここから狙撃するのは不可能だし、こちらから接近していったとしても時間がかかってしまう。

 

「おびき寄せるべきじゃのう」

 

「その通り」

 

 ラウラと同時に照準器とスコープを覗き込み、ゴーレムの身体に照準を合わせる。いくら凄まじい防御力を誇るゴーレムとはいえ、12.7mm弾が直撃すれば木端微塵だ。巧くわざと外し、襲撃者はここにいるのだと教えてやる必要がある。

 

 それに、ゴーレムの素材も売れるかもしれない。外殻は防具やハンマーの素材に使われることもあるし、内臓も摘出すればそれなりに高値で売れるという。資金を稼がせてもらうとしよう。

 

「カノン、あいつがこっちに来たら威嚇射撃を頼む」

 

「了解ですわ」

 

「ステラとガルちゃんも威嚇射撃を頼む。ナタリアを狙わせるな」

 

「はい」

 

「ふふっ。立派になったものじゃ」

 

 それはどうも。背中のLMGで攻撃の準備をするガルちゃんと目を合わせながらにやりと笑った俺は、ガトリング砲を構えたステラに「いいか、当てるなよ?」と釘を刺してから再びスコープを覗き込んだ。30mm弾なら1発被弾しただけでゴーレムが粉々になっちまう。

 

 レンジファインダーで距離を確認する。少々近付いているのか、距離は1879mになっていた。左手を伸ばしてカーソルを調整し、風が吹いていないか確認する。

 

 今のところ風は吹いていない。撃つなら今だろう。

 

「みんな、耳を塞げ」

 

 アンチマテリアルライフルの銃声は、スナイパーライフルの銃声と桁が違う。

 

 仲間たちが耳を塞いだのを確認した直後―――――――俺とラウラは、同時にライフルのトリガーを引いていた。

 

 2つの轟音が、草原の真っ只中で弾け飛ぶ。OSV-96から排出されたでかい薬莢が回転しながら落下していく向こうで、2発の12.7mm弾がマズルフラッシュの残滓を纏いながら、ゴーレムへと襲い掛かっていく。

 

 すると、ゴーレムの両肩の辺りで火花が散った。まるで火打石がぶつかり合ったかのような小さな火花だったが、その火花を生み出した元凶が持っていた運動エネルギーは想像を絶するほどの凄まじさだったらしく、いきなり狙撃されたゴーレムはよろめいてからこちらを睨みつけてきた。

 

 両肩には、何かが掠れたような跡が残っている。俺とラウラの弾丸はそこを掠めたのだろう。

 

「上手になったじゃん」

 

「お姉ちゃんのおかげだよ」

 

「えへへっ」

 

 ゴーレムがこちらに気付き、あの剛腕で叩き潰すために突進してきたのを確認した俺は、落ち着いてスコープから目を離し、バイボットとモノポッドを折り畳んだ。ラウラも同じようにバイボットとモノポッドを折り畳み、ボルトハンドルを兼ねるグリップを引いて薬莢を排出する。

 

「ところで、タクヤ」

 

「ん?」

 

 もう1発威嚇射撃をしてゴーレムに俺たちの位置を教えた後に、ラウラが耳を塞ぎながら話しかけてきた。

 

「お姉ちゃんね、新しいアンチマテリアルライフルが欲しいの」

 

「新しいやつ?」

 

「うん。ボルトアクション式で、連発できるやつがいいな」

 

 ボルトアクション式で連発できるタイプか。ゲパードM1は単発だから、1発ぶっ放したら再装填(リロード)しなければならないからな。

 

 よし、後で西側のアンチマテリアルライフルでも作ってあげよう。

 

「任せて」

 

「ありがとっ」

 

 威嚇射撃を終えた俺の身体に尻尾を絡み付かせ、微笑みながら頬にキスをしてくるラウラ。彼女をこのまま抱きしめたいところだが、すぐ傍らでコンパウンドボウを構えるナタリアは呆れているし、カノンはもう威嚇射撃を始めている。戦闘中にイチャイチャするわけにはいかないし、ナタリアにどん引きされたら傷つくのでやめておこう。

 

「ナタリアさん、そろそろ出番です」

 

「了解ッ!」

 

 ガトリング砲で威嚇射撃を始めたステラに言われ、ナタリアは矢筒の中から矢を取り出した。その矢を番える前に取り付けられたバルブを開き、圧力計の針が動いたことを確認してから矢を番える。

 

 細い配管の隙間から蒸気が噴き出し、やや冷たい風の中に熱気を解き放つ。あの機能を使うと目立ってしまうため、フィオナちゃんが追加した機能は隠密行動には向かないかもしれないが、その殺傷力は既存の弓矢を大きく上回る筈だ。

 

「外すなよ、ナタリア!」

 

「分かってます!」

 

 ナタリアにそう言いつつ、ガルちゃんもMG34を構えて威嚇射撃を開始する。幼女がキャリングハンドルを掴みながらLMGを連射するのはありえないだろうが、ガルちゃんの正体は最古の竜なのだ。LMGを発ちながらぶっ放すのは朝飯前だろう。

 

 何発かは命中しているようだが、ゴーレムが被弾しているところは急所ではないし、中には外殻だけ抉った弾丸もある。わざと致命傷を与えないようにしているのだろう。

 

 さすがモリガンのメンバーだ。俺たちとは錬度が違う………!

 

「ナタリアさん、今ですわ!!」

 

 無数の弾丸が外殻を掠めても、全く怯まずに突っ込んで来るゴーレム。だが、その弾丸はわざと外しているのだ。最初の狙撃の段階でも殺せたんだが、お前をここまで接近させたのはナタリアの武器を試すためだ。

 

 じゃあな。

 

「――――――行くわよ」

 

 ナタリアが番えている矢が、一瞬だけ莫大な量の蒸気を纏ったような気がした。また幻でも見てしまったのかと思っているうちに、蒸気が噴き出す奇妙な弓から放たれた1本の矢は、まるで蒸気を纏った彗星のように彼女の弓から飛び去ると―――――拳を振り上げていたゴーレムの額に、蒸気と共に突き刺さった。

 

 普通の弓矢ならば、刺さっただけで終わりだ。辛うじて外殻を貫いたとしても、硬い外殻をもつ魔物には決定打にはならない。

 

 だが、フィオナちゃんが改造したそのコンパウンドボウは――――――ゴーレムの外殻と共に、その通説をも吹き飛ばした。

 

 外殻の隙間から蒸気が噴き出し、冷たい風が熱風に変えられていく。あの細い矢の中に込められた圧縮された魔力が、ゴーレムの額に着弾してから元の状態に戻ろうとしているのだ。

 

 まるで蒸気機関のようにゴーレムは外殻の隙間から蒸気を吐き出し続けていたが、やがて額の部分の外殻が急に膨れ上がり――――――内側から突き破られたように、弾け飛んだ。

 

「え――――――」

 

「な、なんだよ、その武器………」

 

「ふにゃあ………」

 

 鼻から上を消し飛ばされたゴーレムが、手足を痙攣させながら後へと崩れ落ちる。

 

 蒸気で加熱された血の臭いの中で、俺たちは予想以上の破壊力で葬られたゴーレムを凝視していた。

 

「こんな破壊力の武器が、遠距離から飛来するのですか………。ステラは恐ろしいです」

 

「こ、これはフィオナが作ったのかのう………。お、恐ろしいわい」

 

「さすがですわ、フィオナ博士! 可愛らしい上に天才なんて!! ああっ、押し倒して抱きしめたいですわッ!!」

 

 遠距離からワスプナイフをぶっ放してるようなものじゃないか。発射する際は目立ってしまうけど、この殺傷力はかなり頼りになるぞ。

 

 アンチマテリアルライフルを装備から解除した俺は、まだ呆然とするラウラの隣を通過すると、崩れ落ちたゴーレムの死体をじっと見つめているナタリアの肩を軽く叩いてから、コートのホルダーからメスを取り出した。

 

 さて、素材を取ってしまおう。商人やショップでいくらで売れるだろうか。

 

 メスを手にした俺は、まだあのコンパウンドボウの破壊力に驚愕しながら、外殻の隙間にメスを突き立てた。

 

 

 

 

 



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ラウラに新しい装備を渡すとこうなる

 

 巨木が乱立する森の中は、草原と違って様々な植物の香りがする。この異世界に転生してから初めて目にした特異な植物ばかりの森の中の香りは、今まで嗅いだことのないような奇妙な香りに包まれている筈だった。

 

 だが、今はその奇妙な香りを、炙られた肉と脂の臭いが台無しにしている。

 

 まるで美術品が陳列する美術館の中に、オイルまみれの鉄の塊を放置するようなものだろうか。こんな例え方をすると森に対しての冒涜のように思ってしまうが、これと同じことをした冒険者は数多いのではないだろうか。

 

「ふにゅう………私、ゴーレムのお肉って食べたことないよ?」

 

「何言ってるのよ。ここからラトーニウスに入国するまで管理局の施設とか宿屋はないのよ?」

 

 ネイリンゲンがまだ街だった頃は、あまり一般人は口にすることのない魔物の肉を炙って口にする羽目にはならなかったことだろう。だが、今はネイリンゲンがダンジョンと化し、クガルプール要塞までの間に街や管理局の施設は用意されていないため、結果的にこの地帯で野宿を何度か繰り返す事になるだろう。野宿をすることになれば、当然ながら食事は手持ちの非常食や調達した食材になる。

 

 野宿を終えてから食料を補充できる保証があれば、わざわざ非常食を節約するために魔物の肉を調理して口にする必要はないのだ。だが、これから俺たちが向かうのはオルトバルカ王国と関係が悪化しつつあるラトーニウス王国。もしかしたら、ショップや管理局の施設で非常食を販売してもらえない可能性もある。

 

 そのため、俺たちは可能な限り非常食を節約する事にしていた。

 

「安心せい。ゴーレムの肉は不味いわけではないぞ」

 

 焚火の上で炙られるゴーレムの肉を見ながらガルちゃんはそう言ったけど、彼女が過去に食ったゴーレムの肉があまり美味かったわけでもなかったのか、彼女が浮かべているのは笑顔というよりは苦笑だった。

 

 先ほど木で作った即席の串に貫かれ、焚火の上で炙られる肉たちは、先ほどナタリアが草原で仕留めたゴーレムの肉である。頭は木端微塵にされていたため、それ以外の部位から外殻と肉を取り、内臓もいくつかメスで摘出している。もちろん、そのままポーチに入れておくわけにはいかないので、ラウラの氷で凍らせてから布にくるんで入れてある。

 

 基本的にゴーレムの肉は、スラムでも販売されることはない。ゴーレム自体を撃破するのも危険だからという理由もあるが、そもそもゴーレムの肉はそれほど美味しくはないのだ。だからゴーレムの肉需要は無いに等しく、口にするのは俺たちのような状況の冒険者くらいだろう。

 

 見た目は普通の肉みたいだが――――――硬くてなかなか噛み千切れないし、仮に噛み千切って咀嚼したとしても段々と肉がざらざらし始めるという。親父は若い頃に口にしたことがあるらしいが、あまり食べたい肉ではないと言っていた。

 

 出来るならハーピーの肉を食いたいところだけど、この森にはハーピーが生息していないのか、先ほどから空を飛んでいるのは美しい鳴き声を響かせる小鳥たちだけである。親父たちから受けた訓練でサバイバルも経験したことがあるが、不味いとはいえ肉があるのならばわざわざ調達しに行く必要はないだろう。

 

 徐々に生々しい赤色から灰色に変色しつつある肉をちらりと見て、もうそろそろ食べごろだろうと察した俺は、顔をしかめながらメニュー画面を開いた。

 

 せめてゴーレムの肉を口にする前に好きな銃でも眺めて誤魔化そうとした俺は、アンチマテリアルライフルの項目を目にした瞬間にラウラとの約束を思い出した。

 

 先ほど彼女に新しいアンチマテリアルライフルが欲しいと言われていたのだ。

 

 彼女が今使っているのは、ハンガリー製アンチマテリアルライフルのゲパードM1。12.7mm弾を使用するボルトアクション式のライフルで、マガジンが存在しないため弾丸を発射したら再装填(リロード)しなければならない。その代わり破壊力と命中精度は極めて優れている逸品なんだが、どうやらラウラは連発できるタイプの銃が欲しいらしい。

 

 でも、連発できる銃が欲しいとはいえ、彼女はおそらくセミオートマチック式の銃は好まないだろう。

 

 セミオートマチック式は、ボルトアクション式のライフルのように1発放った後にボルトハンドルを引く必要はない。そのため、連射速度で勝るのはセミオートマチック式となる。だが、連射速度が速い代わりに命中精度ではボルトアクション式に劣るため、遠距離からの狙撃を好むラウラはボルトアクション式のライフルを愛用している。

 

 連射速度の速いセミオートマチック式のライフルが主流なのは、中距離射撃を行うマークスマンライフルだろう。カノンが持っているSL-9も、元々は7.62mm弾を使用するマークスマンライフルである。

 

 だからラウラのためのライフルを作るという時点で、候補はボルトアクション式のみだ。

 

 アンチマテリアルライフルの項目をタッチし、まだポイントが9000ポイント残っていることを確認した俺は、ついでにサイドアームも新しい銃を作ってあげようと思いながらライフルを選び始める。

 

 何を作ろうかな。ラウラは遠距離狙撃をするから、命中精度が良くて射程距離も長いライフルがベストだと思うんだが………。

 

「―――――――お」

 

 アンチマテリアルライフルの名称の羅列を見つめていた俺は、あるライフルの名前を見つけた瞬間、タッチしていた指を止めてからそのライフルをタッチする。

 

 ――――――良い得物を見つけたぞ。

 

 画面に表示されたライフルの画像を見てにやりと笑った俺は、首を傾げながら焼けた肉を凝視している姉を見て、もう一度にやりと笑った。

 

 すぐにそのライフルをタッチして生産し、素早くカスタマイズも済ませる。そしてメニューの下にあるボタンをタッチして武器の種類がずらりと並ぶメニューまで戻り、今度はラウラのサイドアームの生産を開始する。

 

 彼女はアサルトライフルを使わず、小型のSMG(サブマシンガン)を使う事が多い。SMGはハンドガンと同じ弾薬を使うため、アサルトライフルよりも威力が低く、一部を除いて命中精度も劣る。

 

 ラウラの場合は、SMGは敵に接近された際の迎撃用なので、威力はあまり重視しなくてもいいだろう。むしろ連射速度と弾数を重視するべきだ。弾数を重視するならば、まるでタンクのような大型のヘリカルマガジンと呼ばれるマガジンを持つPP-19Bizonを作ろうと思ったんだが、彼女は接近戦を行う事もあるため小型の方が良いだろう。

 

 小型で弾数の多いSMGかぁ………。あれが適任かもしれない。

 

 SMGの項目をタッチし、ずらりと並ぶSMGの名称をチェックしていく。

 

「あった………!」

 

 しかも、生産するための特殊な条件もない。もしトレーニングモードでの強敵からドロップする武器だったら妥協しようと思っていた俺は、自分の姉の得物になる筈のそれを歓喜しながら2丁も生産し、ニヤニヤと笑いながらカスタマイズを開始した。

 

「はい」

 

「ん?」

 

 姉のための得物を生産してニヤニヤ笑っていると、誰かにつんつんと背中を突かれた。メニュー画面を開いたまま後ろを振り返ると、片手を腰に当ててもう片方の手に串に刺さったゴーレムの肉を手にしたナタリアが立っている。

 

 彼女が手にしている串の肉はもうこんがりと焼けていて、ほんの少し焦げ目がついている。見た目は普通の焼いた肉と変わらないが………顔をしかめながらあまり美味しくなかったと言っていた親父の事を思い出した俺は、まだ一口も食っていないというのに顔をしかめつつあった。

 

 だが、非常食の節約のためだ。それに親父と味覚が違って美味いと感じるかもしれないじゃないか。

 

 これは肉を焼いただけ。料理が下手なラウラが調理したわけではないんだ。食っても吐き出したり死にかける事はないだろう。それに、俺とラウラはキメラだから顎の力は人間以上の筈だ。

 

 あ、でも親父も噛み千切るのが面倒くさかったって言ってたから、キメラにとっても硬いのかもしれない。

 

「あ、ありがと………」

 

「ちゃんと残さず食べなさいよね。私が仕留めたゴーレムの肉なんだから」

 

「はーい………」

 

 残したら、俺まであの恐ろしいコンパウンドボウの餌食になりそうである。

 

 まるで野菜を残そうとする子供を咎める母親のようにそう言ったナタリアは、仲間たちにゴーレムの肉を手渡すと、自分の分の肉を口へと運び――――――辛うじて肉を噛み千切り、顔をしかめながら咀嚼を始めた。

 

 何度ももぐもぐと口を動かしている筈なのに、全く飲み込む気配がない。顔をしかめながら延々と咀嚼を続けるだけである。

 

「………美味しいの?」

 

「………」

 

 顔をしかめたまま首を横に振るナタリア。やっぱり美味しくなかったのか。

 

 試しに串を近づけ、肉の臭いを嗅いでみる。臭いは豚肉を焼いた臭いに近いから美味そうに思えるが、焚火の向こうで未だに一口目の咀嚼を続けるナタリアの顔を見た瞬間、食ってみようという意欲が一気に吹っ飛ばされてしまう。

 

 すると、今度はじっと肉を見つめていたステラがゴーレムの肉を少しだけ齧った。だがなかなか肉を噛み千切れないらしく、彼女の頭くらいの大きさの肉に噛みついたまま、まるで嫌いな食べ物を食べる羽目になった小さな子供のような顔で俺を見上げている。

 

 珍しいな。ステラがあからさまにゴーレムの肉を嫌ってる………。

 

「なあ、やっぱりこの肉止めないか?」

 

「え、ええ。わたくしもそう思いますわ」

 

「うむ………やはりゴーレムの肉は不味いわい」

 

 おい、ガルちゃん。さっき「不味いわけではない」って言ってただろうが。

 

 そう思いながら彼女をじろりと睨んでいると、ガルちゃんは苦笑しながらゴーレムの肉に齧り付いた。肉に噛みついたまま小さな手で串を押さえ、必死に肉を噛み千切ろうとしている。

 

 ラウラとカノンはまだ肉を口にしていない。今のうちに得物を渡しておいた方が良いだろうか。

 

「お姉ちゃん」

 

「ふにゅ?」

 

「お姉ちゃんにプレゼントがあります」

 

 開いたままになっていたメニュー画面をタッチし、先ほど生産したばかりのサイドアームを装備する。この能力はあくまでも俺の能力であるため、装備した武器などは俺に装備される。仲間に渡すためには、俺が装備した武器を仲間に渡さなければならない。

 

 何だか不便だな。アップデートはないんだろうか。もしアップデートがあったなら、仲間に武器を装備させる機能も追加して欲しいものだ。仲間に渡した分の武器は全て俺が装備していることになっているから、仲間たちがいつもの武器を全て装備した場合、メニュー画面での俺が装備している武器の数はすさまじい事になる。

 

 アンチマテリアルライフルを2丁持ち、背中には30mmガトリング機関砲を装備して、アサルトライフルやマークスマンライフルを腰に下げているんだからな。キメラの身体能力でもそんな重装備は出来ねえよ。

 

 首を傾げながら「ふにゅ? プレゼント?」と言った彼女に、まず生産したばかりのサイドアームを2丁渡す。

 

 彼女に渡した銃は、まるで大型のハンドガンの上にヘリカルマガジンを取り付けたような、奇妙な形状のSMGだった。ちなみに普通のSMGならばグリップの前にマガジンをリ付けるか、ハンドガンのようにグリップの下から装着するタイプが主流である。

 

 ラウラのために生産したのは――――――アメリカ製SMGの、キャリコM950だ。

 

 同じくヘリカルマガジンを装着できるロシアのPP-19Bizonと比べると小型で、銃身の上に搭載されているヘリカルマガジンの中には、9mm弾が50発も入っている。弾数が非常に多い上に小型であるため、接近戦を行う場合もあるラウラにはうってつけだろう。

 

 ちなみにグリップとハンドガードは、俺の趣味で木製に変更してある。

 

「ふにゅう………変わった銃だね」

 

「それ、50発も9mm弾が入ってるんだぜ」

 

「ご、50発も!?」

 

 しかもSMGの中では小型だ。接近戦でも戦いやすいだろう。それに50発も弾丸を連射できれば、彼女の狙撃を回避して接近してきた敵でも返り討ちにできる筈だ。そもそも彼女の狙撃を躱して接近できる敵はかなり少ない筈だけどな。

 

 メニュー画面を開いて彼女のPP-2000を装備から解除すると、ラウラはキャリコM950を眺めてからそれをホルスターの中へと納めた。

 

 試し撃ちは後でやってもらおう。それに、これからラウラ用のメインアームも渡さなければならない。

 

 メニュー画面を開き、またしても生産したばかりの武器をタッチする。新しい武器を渡されたばかりのラウラは、俺がまた新しい武器を手にしていることに気付くと、今度はこのアンチマテリアルライフルを凝視した。

 

「それもお姉ちゃんにくれるの?」

 

「おう。さっき新しいのが欲しいって言ってたろ?」

 

 そう言いながら、俺はラウラに新しいアンチマテリアルライフルを渡した。

 

 先ほど渡したキャリコM950よりも遥かに巨大で、長い銃身の先端部にはスナイパーライフルよりも巨大なマズルブレーキが装着されている。普通のライフルよりも太い銃身の下部には大口径の弾丸が入っているマガジンが装着されており、その後方にはグリップと、折り畳まれたモノポッドが装備されている。

 

 俺がラウラ用のメインアームとして用意したのは、フランス製アンチマテリアルライフルのヘカートⅡだ。

 

 12.7mm弾を使用するボルトアクション式のアンチマテリアルライフルで、射程距離は約1.8km。前まで使っていたゲパードM1と比べると若干距離が短くなっているが、その代わり連発できるようになっているため、以前よりも素早い狙撃が出来るようになっている。命中精度も高いため、非常に優秀なアンチマテリアルライフルの1つである。

 

 カスタマイズしたのは、まずスコープの代わりに大型のアイアンサイトを取り付けたことだろう。サラマンダーと同等の視力を持つラウラの場合は、スコープを使うと逆に照準を合わせ辛くなるらしい。

 

 そして大型のマズルブレーキの下には、金具のサイズを調整し、折り畳めるようにした三十年式銃剣を装備している。この銃剣は接近戦のために一応装着しておいたものである。

 

 それと、使用する弾薬を俺のOSV-96と同じ12.7mm弾に変更したことだろう。元々ヘカートⅡも12.7mm弾を使用するんだが、ロシアなどで使われる12.7mm弾とアメリカやヨーロッパで使われる12.7mm弾は違うのだ。

 

 OSV-96が使うのは、12.7×108mm弾。ヘカートⅡが使用する弾薬はブローニングM2などにも使用される12.7×99mmNATO弾である。

 

 だから、弾薬を共用できるようにヘカートⅡの弾薬を12.7×108mm弾へと変更したのだ。

 

 凄まじい破壊力を持つライフルを受け取ったラウラは、早速ヘカートⅡのグリップを握り、木製の銃床を肩に当ててアイアンサイトを覗き込んだ。照準を巨木に合わせているが、トリガーに指は当てていないため発砲するつもりはないのだろう。

 

 肩から銃床を外し、折り畳まれている銃剣の刀身を確認したラウラは、ヘカートⅡを背負ってからにっこりと笑った。このプレゼントを気に入ったらしい。

 

「どう?」

 

「最高のライフルだよ………! ありがとう、タクヤっ!」

 

 幸せそうに笑いながら、俺の頭を撫で始めるラウラ。思わず顔を赤くしてしまった俺は、その顔をカノンに見られていたことに気付き、更に顔を赤くしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンの南方にある森林地帯を抜けると、再び草原が広がっている。緑と蒼だけの単純で開放的な世界だが、その奥に無骨な防壁が鎮座しているせいで、開放的な雰囲気が半減しているような気がする。

 

 その防壁の本来の目的は、親父たちが若かった頃までは2つあった。魔物から街を守る事と、国境の向こうから攻め込んでくるオルトバルカ王国騎士団を迎え撃つためである。

 

 魔物が街を襲撃するケースが激減した現在では、後者の理由しか残されていない。攻め込んでくるかもしれない敵を迎え撃つためだけの防壁は伝統的な防壁のままになっているが、門は鋼鉄の門に変更されているらしく、防壁の中央に鎮座して草原を睨みつけている。

 

 あれが、かつて親父たちが突破してきたというクガルプール要塞である。世界最強の大国が攻め込んできた際に迎え撃つためのラトーニウス王国の拠点で、あそこを通り抜ければラトーニウス王国へと入国する事が出来る。

 

「あれが……クガルプール要塞か」

 

「パパたち、あんなところを突破してきたの………?」

 

 要塞の防壁の上には無数の大型バリスタと弓矢を手にした騎士が整列し、要塞の上空を飛竜に乗った騎士たちが舞っている。隣国との関係が悪化しているため、なおさら警備を強化しているのだろう。

 

 かつて親父と母さんは、母さんの許婚であるジョシュアという男から逃げるため、たった2人であの要塞から飛竜を強奪して逃げて来たという。これから俺たちは、親父たちとは逆にラトーニウス王国へと向かわなければならない。

 

 正面から入る事が出来ればいいのだが、ラトーニウスとの関係が悪化しているため難しいだろう。門前払いされるかもしれない。

 

「やっぱり、勝手に入国するしかないな………」

 

 こっそり入国するためには、あの飛竜に乗った騎士たちに気付かれないように要塞を迂回しなければならい。だが、要塞の周囲は草むらだけだ。身を隠せる遮蔽物は存在しない。

 

 このまま進めば発見されてしまうだろう。ラウラの能力を使っても、あれは魔力を使っているため、発見されないように魔力を調節したとしてもラウラが魔力を使い果たしてしまう可能性が高い。

 

 草むらか………。

 

 普通ならば隠れる場所はないが、あの装備ならば騎士たちに見つからずに進めるかもしれないな。

 

 隣国へと入国する作戦を思いついた俺は、足元の草むらを見下ろしながらにやりと笑った。

 

 

 

 



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クガルプール要塞を越えようとするとこうなる

 

「どうするの? 勝手に入国する?」

 

「うーん………」

 

 ナタリアに問い掛けられた俺は、腕を組みながら要塞の防壁の上に並ぶ騎士たちの隊列を見つめた。

 

 オルトバルカ王国とラトーニウス王国の関係は悪化している。以前は強大な隣国の機嫌を損ねないようにラトーニウス側が息を潜めているだけだったが、モリガンに煮え湯を飲まされた上に母さんとエリスさんを連れ出され、騎士団の戦力は大幅に落ちた。しかも、戦力の再編を行っている間に隣国で産業革命が起こり、戦力だけでなく国力にまで大きな差を付けられたラトーニウスは、ひとまずこの借りを返す機会を先延ばしにし、息を潜めつつ国力の増強を続けていたのである。

 

 そして、オルトバルカ王国に一矢報いる事が出来るほどに成長した時点で―――――強気になり始めた。

 

 オルトバルカ出身の旅人は入国を拒否されたり、門前払いされる事も少なくないという。冒険者が入国を拒否されたという話は聞いたことがないんだが、旅人や商人が門前払いされているという事は、冒険者も入国を拒否される可能性があるという事である。

 

 やはり、普通に入国してみた方が良いかもしれない。もし門前払いされたのならば、勝手に入国するだけだ。

 

 ラトーニウス国内にも冒険者管理局の施設はあるし、そこでは出身国で差別されることはないと聞く。危険地帯の中にある安全地帯というわけだな。

 

 それに、俺たちはなんとしてもこの国に入国し、メウンサルバ遺跡を目指さなければならない。そこにメサイアの天秤の資料があったというのならば、他のヒントもあるかもしれない。おそらく遺跡に刻まれている文字は殆ど解読の難しい古代文字だろうが、俺たちの仲間にはその古代文字が母語となっているステラがいる。彼女ならば容易く解読してくれるに違いない。

 

「よし、二段構えだ。普通に入国できなければ、俺の思いついた作戦と装備を使って勝手に入国する。まず要塞の騎士と話をしてみようぜ」

 

「うむ、そっちの方が安全じゃのう」

 

 勝手に入国すれば、そのままラトーニウス騎士団を敵に回す事になるからな。魔術の分野ではオルトバルカ王国の後塵を拝する事になっているが、その分騎士たちの訓練は剣術などを重視しているため、近距離での戦いではラトーニウス騎士団の方が有利と言われている。母さんもここで剣術を学び、モリガンのメンバーとなった後もあらゆる戦場でその剣術を発揮して転生者を圧倒していたという。

 

 つまり、ラトーニウス王国の騎士団には弱体化した母さんが何人もいるというわけだ。騎士団時代の母さんは優秀な騎士だったらしく、今では容易く撃破できる魔物相手に苦戦していた当時では常に最前線で戦い、魔物の撃破数は駐屯地の同期たちの中でも抜きん出ていたという。エリスさんのように当時のラトーニウス王国の切り札として温存されていたわけではないとはいえ、母さんも精鋭部隊に引き抜かれていてもおかしくない実力者だったようだ。

 

 いくら銃で接近される前に射殺できても、接近戦が得意な騎士が人海戦術で攻撃を仕掛けてきたら接近されてしまうだろう。殲滅できないことはないと思うが、出来るならば敵には回したくないな。

 

 ちなみに、母さんは何度か実戦で分隊を指揮したこともあるという。剣術だけでなく、当時の分隊を指揮した経験を今でも会社で生かしているというわけだ。

 

「それじゃ、一旦武器を装備から解除するぜ」

 

 そう言いながらメニュー画面を開き、大型の派手な武器は全て装備から解除していく。俺が背中に背負っていたアンチマテリアルライフルがいきなり消失し、ラウラが背負っていたヘカートⅡもまだ一度も発砲していないというのに装備から解除される。

 

 冒険者は武器を持っているのが当たり前だが、さすがに銃を持ってたら怪しまれるからな。この世界で銃を使って活躍しているのは、モリガンの関係者くらいのものなのだから。

 

「あっ、ステラのガトリング砲が………」

 

 気に入っていたのか、いつも背負っていた巨大なガトリング砲を装備から強制的に外され、ステラが珍しく不安そうに背中へと手を伸ばす。必死に小さな両手をぱたぱたと振っても、もうガトリング砲は消失しているため、彼女の手はお気に入りのガトリング砲ではなく自分の後ろ髪を掠めるだけである。

 

 武器を解除されたことに気付いたらしく、基本的に無表情のステラが横から俺を睨みつけてきた。可愛らしいサキュバスに睨みつけられてもあまり恐ろしくはないんだが、いつも表情を変えない彼女が段々と感情豊かになりつつあることに驚いた俺は、呆然としながら彼女の顔を見下ろし、「ごめん、あそこ越えるまで我慢してくれ」と頭を下げながら言った。

 

 ステラは大型の武器を好んでいるようだが、狭い部屋の中でも戦えるように小型の武器も持つべきだと思う。今のところ、彼女が持っている取り回しの良い武器といえばMP443くらいだろう。

 

「タクヤ」

 

「ど、どうした?」

 

「ステラからガトリング砲を取り上げたお仕置きです。………今度はいっぱい魔力を吸うので、覚悟してください」

 

「えぇ!?」

 

 マジかよ。いつもみたいに吸われるだけで身体が動かなくなってしまうっていうのに………。

 

 ちなみに、魔力を吸われ過ぎた場合は死亡する事もあるので、手加減して欲しいです。お願いですステラさん。

 

 すると、頬を膨らませていたステラが小さな手を伸ばして俺の左手を握りはじめた。先ほどの口調は怒っているようだったけど、俺の手を握っている彼女はまるで親と一緒に出掛ける小さな子供のように幸せそうだ。

 

「ふにゅ!? す、ステラちゃん、ずるいよ! 私も手を繋ぐっ!」

 

「はぁっ!? ちょっと、ラウラ!」

 

 入国を拒否されませんようにと祈りながら要塞に向かっているというのに、ステラとラウラは全く心配していないらしい。

 

「落ち着けって! もう要塞につくから――――――」

 

「やだやだ! お姉ちゃんも手を繋がないとダメなのっ!!」

 

 小さい時と同じ駄々のこね方である。17歳になっても、駄々のこね方は全く変わっていない。

 

 駄々をこねられても拒否すると機嫌を悪くしてしまう事があるから、これ以上拒否するのはやめておこう。最後通告みたいなものだな。

 

「やれやれ、父親と同じで両手に花じゃのう」

 

「う………」

 

「えへへっ!」

 

 片方はヤンデレなんだけどね。

 

 姉に頬ずりされながら歩き続け、クガルプール要塞の門の近くまで向かう。防壁の上では警備していた騎士たちが俺たちを見下ろし、隣の騎士と話をしているようだ。

 

 どうせまた女だと勘違いされるんだろうなぁ………。しかも、ステラとラウラと手を繋いでいるせいで気まずいし。

 

 騎士たちに見られているというのにお構いなしに甘えてくる2人に呆れていると、巨大な鋼鉄の門の前にハルバードを構えて立っていた騎士が、銀色のハルバードの先端部を俺たちへと向けて睨みつけてきた。

 

「貴様ら、このクガルプール要塞に何の用だ?」

 

 さすが実戦を経験しているラトーニウスの騎士だ。目つきが鋭い。もし俺やラウラが幼少の頃から訓練を受けていなかったら、この威圧感でビビっていた事だろう。

 

 だが、何度も親父たちの威圧感を向けられながら模擬戦を繰り返してきた俺たちにとってはどこ吹く風としか言いようがない。前世だったらビビっていただろうが、無駄な威嚇である。

 

 挑発しないように気を付けながら、俺は抱き付いている2人から手を離した。ポケットの中から冒険者のバッジを取り出し、その騎士に見せながら言う。

 

「オルトバルカから来た冒険者のパーティーです。ここを通して欲しいのですが」

 

「オルトバルカ人だと? ふん、世間知らずのガキどもめ。我が国とそちらの関係が悪化しているのを知らんのか?」

 

「知っています。ですが、こちらの国に用事があるのです。通してください」

 

 やはり、ダメか。

 

 モリガンによって煮え湯を飲まされたこの国の憎悪は、予想以上に大きかったようである。

 

 親父め。やり過ぎだぜ。ネイリンゲンに侵攻してきた時は正当防衛だったかもしれないけど、親父のせいで通してもらえなくなったじゃねえか。

 

 やはり、こっそり入国するか?

 

 早くも拒否されそうになる中、俺は仲間たちの顔をちらりと見た。黙って騎士の話を聞いていたナタリアも彼らの憎悪の強さを感じ取ったらしく、入国を諦めたかのように肩をすくめている。

 

「お母様の許可証は?」

 

「あれは領内じゃないと意味ないだろ」

 

 結局カレンさんの許可証は使わなかったな………。ここで見せても、オルトバルカのドルレアン領だけで有効な許可証だから意味がないし、彼らを挑発することになるかもしれない。

 

「帰れ。奴隷制度を撤廃しようとしているいかれた奴らの話なんて聞きたくないぜ」

 

「………!」

 

 親父やカレンさんの事じゃないか。

 

 腰の大型ワスプナイフを引き抜き、高圧ガスでこの馬鹿の頭を消し飛ばしてやろうかと思ったが、ここでブチギレしたら騎士団を敵に回す事になる。そうすれば天秤の手がかりが遠退くだけだ。

 

 罵倒されても耐えよう。

 

 唇を噛み締めながら手をナイフから遠ざけていると、今度はそいつの隣にいた騎士も話し始める。

 

「考えられないよな。奴隷制度を撤廃したら、あんな汚らしい奴隷共と一緒に暮らす羽目になるんだろ? 家畜と一緒に飯を食うのは嫌だぜ?」

 

「まったくだ。なんでそんなことを思いつくんだろうな?」

 

「確か、ドルレアンとかいう貴族が提唱してるんだよな? 可哀想に。どうせ薄汚いハーフエルフに脅されてるんだろう。もしくは賄賂でも受け取ったのか?」

 

「提唱者も薄汚ねえな! ぎゃはははははははっ!!」

 

 ふざけんな………!

 

 カレンさんはそんな人じゃない。あの人は………差別が存在しない世界を作るために、必死に頑張り続けているだけだ! 傭兵として世界中で戦い、奴隷が虐げられる惨状を目にしているから努力を続けているのに、カレンさんが賄賂を受け取るわけがないだろう!?

 

 今度こそナイフを引き抜きそうになったが、歯を食いしばって何とか耐える。

 

 歯がゆいな………。くそったれ、こうなったらいっそ騎士団を敵に回すか? そうすればこいつらを切り刻めるが、騎士団を敵に回してしまう上に天秤のヒントが遠ざかってしまう………。

 

 耐えるしかないのかよ………!

 

「………!」

 

 隣でトマホークを引き抜きそうになっていたラウラも、同じように耐えることにしたらしい。性格は幼くても、ここで武器を引き抜いて八つ裂きになればラトーニウスでの冒険が台無しになると理解しているんだろう。

 

 だが、一番耐えるのが難しいのはカノンだろう。目の前で、自分の母親の悪口を言われたのだから。

 

 ひやひやしながら彼女の方を見てみると、カノンは歯を食いしばって耐えようと足掻きながら、徐々に右手を腰の軍刀へと近付けていた。あれは地下墓地のウィルヘルムからドロップした、ウィルヘルムの直刀だ。

 

 落ち着け。それでこんな下衆を斬るんじゃない。

 

 俺は「落ち着け、カノン」と言って彼女の手を掴むと、首を横に振りながら彼女を落ち着かせた。

 

 やっぱり、こっそり入国するべきだったな………。最初から勝手に入国する事を選んでいれば、カノンは目の前で母親を馬鹿にされる苦痛を感じなくて済んだかもしれないのに。

 

 俺のせいだ。

 

 まだカレンさんを馬鹿にし続けている目の前の騎士を睨みつけ、歯を食いしばってから踵を返そうとしたその時だった。

 

 まるで巨大な金属の塊を地面に擦り付けたかのような重々しい音が騎士たちの背後で膨れ上がり、耳障りだった2人の言葉を飲み込んだのである。

 

 その音を発しているのは、2人の背後に鎮座している筈の巨大な鋼鉄の門だった。表面に細かいリベットがいくつも打ち込まれた無骨な門が、轟音と錆のような臭いを草原にばら撒きながら、ゆっくりと防壁の中へと吸い込まれているのである。

 

 そして、防壁の中へと消えていった門の向こう側から、ラトーニウス騎士団の制服に身を包んだ3人の男たちが歩いてきた。左右に立つ2人は防具も身に着けているけど、真ん中に立つ30代後半くらいの男性は防具を一切身に付けず、紺色の制服の上にまるで昔の軍人のような黄金の派手な肩章を付けている。この要塞の指揮官だろうか。

 

 口元に髭を生やした指揮官と思われる男性は、俺たちをちらりと見て目を細めると、先ほどまで耳障りな罵声を繰り返していた部下を一瞥した。

 

「――――――何事かね?」

 

「びっ、ビーグリー指令ッ!」

 

「実は、この少女たちがここを通して欲しいと……!」

 

「通してやればいいではないか」

 

「し、しかしっ! こいつらは傲慢なオルトバルカ人であります! 我が国の情報を手に入れに来たスパイでは―――――――」

 

 すると、クガルプール要塞の司令官はため息をついた。呆れただけなのかもしれないが、そのため息は呆れただけではなく、枷のようなものを外す合図のようにも思えた。

 

 指揮官と一兵卒の放つ威圧感は違う。指揮官や司令官の威圧感もすさまじいが、最前線で敵を殺すのは一兵卒なのだ。だから一兵卒の方が純粋で、威圧感も恐ろしくなる。

 

 この司令官が放ち始めた威圧感は、司令官の威厳も感じたが、まるで最前線で戦う騎士が放つ純粋な威圧感のようだった。この人は一兵卒から司令官まで出世してきた人物なんだろうか。最前線での殺し合いを経験しなければ、こんな威圧感は出せない筈である。

 

「馬鹿者が。スパイならもっと目立たない変装をするだろう?」

 

「し、しかし、この黒いコートは―――――――」

 

「冒険者ならこのような格好は当たり前だ、間抜け。スパイなら騎士団の制服を用意して紛れ込んだり、一般市民に変装するだろうが」

 

「も、申し訳ありませんッ!!」

 

 俺たちを罵倒していた騎士を叱責し、威圧感を放つのを止めてから俺たちの方を見つめた司令官は、「すまなかったね、君たち」と言いながら頭を下げた。

 

 今しがたこの人が放っていた威圧感は、なんだか親父に似ていたような気がする。顔つきは親父と全然違うし、第一俺たちの親父は王都にいるからラトーニウス騎士団の拠点にいるのはありえないんだが、何故か威圧感が似ているだけでこの人は親父なのではないかと思ってしまう。

 

「私はアレクサンドル・ビーグリー大佐。このクガルプール要塞の指揮官だ」

 

「え、えっと、タクヤ・ハヤカワです。こちらこそ、関係が悪化しているのに無理なお願いをして―――――――」

 

「ん? ハヤカワ?」

 

 しまった。

 

 オルトバルカ出身で、ハヤカワというファミリーネームを持つという事は、ほぼ確実にモリガンの傭兵の関係者という事になる。そしてそのファミリーネームは、ラトーニウス王国の憎悪を叩き付けるべき男の血族である証だ。

 

 せっかくこの司令官が助けてくれたっていうのに。やっぱり敵に回すしかないのかよ………!

 

 自分を責めながらナイフを引き抜く準備をしていると――――――ビーグリー大佐が、いきなりフードをかぶっている俺の顔を覗き込んだ。

 

「!?」

 

「………ふふっ、そうか。ペンドルトンの子供か」

 

「え?」

 

 ペンドルトンって………確か、母さんとエリスさんの旧姓だ。2人はラトーニウス国内にあるペンドルトン家出身の貴族だったんだが、ラトーニウス王国が21年前にオルトバルカに侵攻しようとした際の黒幕が自分たちの父親だったと知ると、片足を失ったばかりの親父と共に実家を襲撃し、自分たちの父親に引導を渡している。

 

 だからもう、この姓は名乗る筈がない。両親の昔の話でしか聞いたことのない聞き慣れないファミリーネームに困惑していると、ビーグリー大佐はにやりと笑いながら腕を組んだ。

 

「そうか………。あの時、ナバウレアから連れ去られたペンドルトンも子供を作ったか………」

 

「えっと………母さんの知り合いですか?」

 

「ああ、エミリア・ペンドルトンだろう? 彼女は私の同期でな。よく剣術の模擬戦でボコボコにされていたものだよ。ハッハッハッハッハッ」

 

 ど、同期だとッ!?

 

 しかも若き日のお母さんにボコボコにされていた!? まさか、昔の恨みを俺に叩き付けるわけじゃないだろうな!? 

 

 笑い終わったらいきなり剣を引き抜いてくるのではないかと思ったが、ビーグリー大佐はただ思い出話をしていただけらしい。笑うのを止めた指揮官は微笑むと、俺の顔を見て頷きながら「やはり、母親にそっくりだな。瓜二つだ」と言った。

 

 こんなところに、母さんの同期がいるとは思わなかったよ………。

 

「ついてきなさい。入国のための手続きをしよう」

 

「い、いいんですか!?」

 

「ああ。同期のよしみというやつだよ」

 

 良かった………。これで何事もなく入国できるぞ。

 

「危なかったわよ、馬鹿」

 

「す、すまん。俺のせいだ」

 

 抗議してきたナタリアに謝ってから、俺たちは要塞の中へと歩いていくビーグリー大佐の後について行った。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 エリスとラウラの駄々のこね方

 

リキヤ「おい、エリス。頼むから離れてくれ………」

 

エリス「えぇ!? やだやだ! 今日はダーリンにずっと甘えてるのっ!」

 

タクヤ「ラウラ、少し離れてくれるか? 頼むよ」

 

ラウラ「えぇ!? やだやだ! お姉ちゃんから離れたらダメなのっ!」

 

エミリア(甘えん坊なのは姉さんの遺伝子が原因か………)

 

 完

 

 



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ラトーニウス王国に入国するとこうなる

 

「――――――失礼したね。騎士団内部のオルトバルカへの敵意は凄まじくて………」

 

「い、いえ、気にしないでください。仕方がないですから………」

 

 大柄なビーグリー大佐の後を歩きながら、要塞の奥へと向かっていく。俺たちを睨みつけてくる騎士たちを睨み返し、彼らを青ざめさせながら進んでいくビーグリー大佐の威圧感は、やはり親父に似ている。一兵卒から要塞の司令官にまで昇進したのだから、かなり努力を続けてきた人物なのだろう。努力家だからこそ纏える貫禄と威厳をこの騎士は兼ね備えている。だからこそ、このような威圧感を出す事が出来るに違いない。

 

 なんだか、大佐に睨みつけられてぎょっとする騎士たちが気の毒だった。中にはこっちをちらりと見ただけで大佐に睨まれ、顔を青ざめさせながらそそくさと逃げていく騎士もいる。あの人はさすがに悪くないんじゃないだろうか。大佐、無差別攻撃は敵陣の中だけにしてくれ。

 

 クガルプール要塞は、ラトーニウス王国の最北端にある要塞だ。大国との国境にある要塞であるため、昔からかなりの戦力が蓄積されていた重要な拠点であったらしい。親父と母さんはここを逃げる際、たった2人でここに襲撃を仕掛け、今しがた通り過ぎた飛竜の発着場から飛竜を奪って飛び去ったという。

 

 飛竜は戦闘ヘリのようにホバリングできるし、戦闘機のような速度で飛び回ることも可能な航空戦力だ。育成が非常に困難である上に個々で性格が違うため、育て方を間違えれば人間を襲ってしまうという不安定な戦力だが、飛行機やヘリが存在しないこの異世界では標準的かつ貴重な戦力なのだ。

 

 ただし、いくら飛竜でも戦闘機やヘリに比べれば戦闘力ははるかに劣る。小回りはヘリの方が上だし、機関砲やロケットランチャーで武装したヘリに対し、飛竜は射程距離の短いブレスしか持たない。中にはレーザーのような射程距離の長いブレスを吐き出す種類の飛竜もいるが、一般的に騎士団が運用する飛竜ならばヘリに太刀打ちすることは不可能だろう。機動性や速度では戦闘機に劣るため、やはりドッグファイトでは戦闘機に太刀打ちできない。

 

 発着場では、世話係と思われる騎士に頭を撫でられながらくつろいでいる飛竜がいる。その隣では、大きな皿の中に入った餌を別の飛竜が頬張っていた。

 

「ところでタクヤ君。エミリアの奴は元気かね?」

 

「はい。相変わらず毎朝の素振りは欠かしませんし、親父にドロップキックをぶちかましてます」

 

「ハッハッハッハッ! あいつのドロップキックなら私も喰らった事があるぞ! なんだ、君の親父も私の同類か!!」

 

 この人も蹴られてたのかよ!?

 

 お母さんも無差別にドロップキックしないで!? 俺たちが仕返しされるかもしれないでしょ!?

 

「す、すみませんでした!」

 

「気にしないでくれ。夜遅くまで大騒ぎしていた私たちが悪いんだよ。………夜間の訓練が終わった後、他の同期たちとトランプをしていてね。盛り上がって騒いでいたら、いきなりドアが開いて―――――――みんな蹴られた」

 

 れ、連発!?

 

「『夜遅くまで騒ぐな、馬鹿者ッ!!』って怒られてな。ハッハッハッハッ」

 

 しかも、怒られた原因が親父と同じじゃないか………。

 

 このビーグリー大佐は、本当に親父と同類らしい。

 

「む………リキヤにそっくりな奴じゃのう」

 

「う、うん……パパみたいな人だね………」

 

「ハッハッハッハッ。………ところで、君たちの父親はあの時エミリアをさらっていった少年かね?」

 

「は、はい」

 

 21年前にこの世界に転生した親父は、ナバウレアという街の駐屯地に所属していた母さんを連れて、オルトバルカ王国へと逃亡している。さっきも「ナバウレアから連れ去られた」と言っていたから、この人は母さんが連れ去られた際にその場にいたのだろう。

 

 ビーグリー大佐は楽しそうに笑うと、歩きながら話を始めた。

 

「あの時は驚いたよ。魔物の討伐に出かけた筈のエミリアが、見知らぬ男を連れてきたんだからな。フードの付いた変な服を着て、見たことのない奇妙な武器を持ってた東洋人だったよ」

 

 ちなみに、転生したばかりの頃の親父の服装は紺色のジーンズと黒いパーカーだったという。

 

「行く当てが見つかるまで空き部屋に住ませる事になったんだが、エミリアの許婚だったジョシュアが猛反発してね。翌日の朝には井戸で彼に襲い掛かってたんだよ」

 

「そ、そうだったんですか………」

 

「ああ。それで、ジョシュアと決闘する事になったんだ。あの時は退屈な訓練ばかりだったから、駐屯地の奴らは盛り上がってたよ。しかもあの男は、ジョシュアの前で『俺が勝ったらエミリアを貰う』って宣言してな。それであの貴族の息子はブチギレしたってわけさ」

 

「結果は………親父の勝ちですか?」

 

「その通り。圧勝だったよ。ジョシュアの奴が手も足も出なくてね、決闘を見ながら私はもっとボコボコにしろって祈ってたんだ。あいつは嫌われ者だったからね」

 

 そのジョシュアって奴はかなり嫌われてたんだな………。嫌われ者とではなく親父と結ばれて良かったじゃないか。

 

「どさくさに紛れてぶん殴ろうと思ったんだけど、すぐに決着がついてしまって――――――――おっと、もう窓口か」

 

 ビーグリー大佐の思い出話を聞いていると、いつの間にか巨大な要塞の反対側に差し掛かりつつあった。防壁の中に築かれた巨大な要塞の建物の真ん中はトンネルのようになっていて、その出口のところに窓口のような場所がある。国境を越えようとする旅行者や商人をチェックするための検問なんだろう。盾のエンブレムが描かれた腕章を付けた数人の騎士が、短めの剣を腰に下げたまま整列している。

 

 門の外を警備していた奴らはオルトバルカ王国からやって来た俺たちを馬鹿にしていたけど、ここを守る騎士たちは真面目な奴のようだった。ビーグリー大佐に立派な敬礼をし、返礼されてから素早く手を元の位置に戻す。

 

「休め」

 

「はっ!」

 

「冒険者のパーティーだ。入国したいらしい」

 

「では、手続きを」

 

「お、お願いします」

 

 整列していた中の1人が窓口の席へと向かい、木製の机の上に置いてある奇妙な装置の電源を入れる。まるで巨大な歯車を取り付けられた漆黒のミシンのような機械だったが、縫物をするための針は当然ながら取り付けられておらず、針の代わりに冒険者のバッジをチェックするためのセンサーのようなものと、小型の画面が取り付けられている。

 

 あのセンサーの先端から魔力を放射し、バッジの情報を読み取ってモニターに表示する仕組みなんだろう。冒険者のバッジは証明書にもなるため、このような入国の手続きにも必要になる。

 

 だから紛失しないようにしなければならない。

 

 それにしても、ビーグリー大佐のおかげで助かったよ。もし大佐みたいな人が司令官じゃなかったら、今頃俺たちは騎士団を敵に回すか、門前払いにされてこっそり入国する羽目になっていた事だろう。

 

 手続きをしてくれる騎士にバッジを渡すと、騎士は「失礼します」と真面目な声で言ってバッジを装置にセットした。レンズのような土台の上に置かれたバッジに、センサーの先端部からピンク色の光が放射され始める。

 

「ところで、そのフードは取らないのかい?」

 

「えっ?」

 

 自分のバッジがピンク色の光に包まれているのを見守っていると、いきなりビーグリー大佐がフードを見つめながら問い掛けてきた。

 

 いくら同期の子供とはいえ、全く警戒していないわけではないという事か。フードの下で気付かれないように目を細めた俺は、警戒し始めたという事を悟られないように肩をすくめる。

 

 この転生者ハンターのシンボルでもある黒い革のコートを身に纏う際は、基本的にフードで頭を隠すようにしている。頭を隠す理由は、キメラの身体的な特徴でもある角を隠すためだ。

 

 普段ならば角は短髪でも髪で隠れてしまうほど短いから、特にフードや帽子で隠す必要はない。だが、感情が昂った場合は髪で隠せないほど伸びてしまうため、戦闘中や敵に挑発されている時は気を付けなければならない。

 

 だから、キメラにとって帽子やフードは必需品なのだ。せめてキメラの数が増えて種族として認可されれば隠す必要はないんだが、まだこの世界にキメラが3人しか存在しない状態で頭から角が生えていることがバレれば、化け物と呼ばれて差別されてしまうに違いない。

 

 先ほど兵士たちに罵倒されたが、今ではもう元の長さに戻っている事だろう。フードについている真紅の羽根を直すふりをして角の長さを確認した俺は、ちゃんと角が縮んでいることを知ってからフードを外した。

 

 フードの中に充満していた甘い香りが、要塞の中に解き放たれる。石鹸と花の香りが混ざり合ったこの甘い匂いは、ラウラの匂いと全く同じである。

 

 漆黒のフードの中から現れるのは、男子とは思えないほど長い蒼い髪。頭を軽く振って母さんと同じポニーテールをあらわにすると、俺を見ていたビーグリー大佐は嬉しそうに微笑んでいた。

 

「………はははっ、お母さんにそっくりじゃないか」

 

「………」

 

 大佐の後ろで俺を見ていた騎士たちも、呆然としながら俺を見つめている。窓口の中でバッジの点検をしていた騎士まで俺をまじまじと見つめていたけど、果たして俺は男だと思ってもらえているんだろうか。

 

 要塞の中に、機械が作動する音だけが響く。甘い匂いを包み込んだ暖かな風が、俺たちを愛撫するかのように吹き抜けていった。

 

「ステラはフードを取ったタクヤを久しぶりに見ました」

 

「そうですわね。お兄様はいつもフードをかぶってらっしゃいますもの」

 

 角を隠すためだからな………。ちなみにラウラも黒いベレー帽をかぶっているけど、その理由も俺と同じだ。

 

「えへへっ。やっぱりタクヤはポニーテールが一番似合うよっ!」

 

「俺は男の子なんですけど」

 

 俺の髪型をポニーテールにしたのは、エリスさんが原因だ。毎朝俺が歯を磨いている最中に面白半分でこんな髪型にしたらしいんだが、予想以上にポニーテールの俺が母さんに似ていたらしく、いつの間にかこのポニーテールがお決まりの髪型になっている。

 

 しかも、顔つきは親父よりも母さんに似ている。親父に似たのは性格と瞳の色くらいだろうか。それ以外は大体母さんに似ているため、男ではなく女だとよく間違えられる。

 

「大佐、手続きが完了しました」

 

「よろしい。………では、奥にある門から入国しなさい」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 とりあえず、何とか騎士団を敵に回さずに入国する事が出来たぞ。ビーグリー大佐のおかげだ。

 

 返却されたバッジを受け取り、ポケットの中へと戻す。すると俺の目の前で、どさくさに紛れてガルちゃんまで冒険者のバッジを受け取っていることに気付いた俺は、はっとしてバッジをポケットに入れるガルちゃんを見下ろした。

 

 あれ? ガルちゃんって冒険者の資格持ってたっけ? しかも、見た目は明らかに8歳くらいの幼女だから冒険者見習いの資格すら取得できないんじゃないのか?

 

 もしかして、親父のコネを使ったのか………?

 

「かたじけないのう」

 

 どうやって資格を取ったんだろうか。まさか、自分の正体を明かして強引に資格を取ったんじゃないだろうな。

 

 呆然としていると、俺に見られていることに気付いたガルちゃんがにやりと笑った。後でどうやって資格を手に入れたのか聞いてみようかな。

 

「では、健闘を祈るよ」

 

「ありがとうございました」

 

 助けてくれた大佐にもう一度お礼を言い、俺たちは窓口から要塞の出口へと向かって歩き出す。

 

 これから俺たちが歩く旅路は、かつて親父たちがナバウレアから逃げる際に通って来た道だ。21年後に、自分たちの子供たちがここを逆方向に進み、旅に出るとは思っていなかっただろう。

 

 これで俺たちは、祖国から離れることになる。隣国のラトーニウス王国へと入国したわけだが、ここが最終的な目的地ではない。俺たちの目的は、あくまでメサイアの天秤を手に入れる事。だからここはそのヒントを得るための場所でしかないのだ。

 

 それに、これはただの冒険ではない。もしかしたら、俺たち以外にもメサイアの天秤を狙う冒険者や組織がいるかもしれない。

 

 ただの冒険ではなく、争奪戦になる可能性もあるという事だ。

 

 手を振ってくれているビーグリー大佐と窓口の騎士たちに手を振った俺たちは、要塞の出口へと向かって進んでいった。

 

 争奪戦になるのならば――――――必ず打ち勝ってみせる。

 

 そうしなければ、天秤は手に入らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 いつもならば社長の席に腰を下ろしている男がいないせいなのか、部屋の中の威圧感は半減しているような気がする。モリガンのメンバーの中で最も強かった男が不在なのだから、威圧感も彼がいない場合の戦力と同じように減少するのは当然だろう。ならば、これが彼の戦力の目安なんだろうか。

 

 いや、威圧感程度で戦闘力が全て分かるわけがない。一時的に空席となっている社長の席を見下ろしながら、私は後ろに立つハーフエルフの男性に問い掛ける。

 

「ヘンシェル、吸血鬼共の動きは?」

 

「はい、エミリアさん。現在、各地で討伐部隊が次々に吸血鬼を討伐しております。負傷者は出ていますが、今のところ戦死者はゼロです」

 

「素晴らしい」

 

 フィオナから最新の装備を支給され、対吸血鬼用の戦闘訓練を行っていた猛者たちの戦果は予想以上に高いようだ。戦闘を請け負うモリガン・カンパニーの警備分野はこの会社の矛のような存在だが、社員たちはスラムのごろつきだったものや、ヘンシェルのように騎士団を除隊した事情のある奴らもいる。だから戦力がバラバラになるのではないかと心配だったのだが、予想以上に活躍しているようだな。

 

 だが、ヘンシェルの声が少し低くなったことに気付いた私は、彼が次にどのような報告をするのかすぐに察した。いつまでも喜んでいれば、彼の報告で叩き潰されてしまうかもしれないと思った私は、すぐに報告を聞く前のように冷静になる。

 

「ですが、第12分隊と交戦した吸血鬼が逃走したと聞きました」

 

「第12分隊だと?」

 

「ええ。強力な吸血鬼だったため、深追いはしなかったそうです」

 

「どこに逃げたか分かるか?」

 

「おそらく、ラトーニウス方面かと」

 

 ラトーニウス方面か。かつての私の祖国ではないか。

 

 今ではもう実家であるペンドルトン家は滅亡し、私や姉さんは裏切者扱いされているが、私はあの国で生まれ、姉さんと思い出を作ってきたのだ。

 

「もう傷は再生している筈だ………」

 

 吸血鬼の弱点は、主に銀や聖水だ。銀で攻撃すれば吸血鬼の持つ再生能力は機能しなくなるし、強力な吸血鬼でも再生能力は半減する。最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードと彼の眷族は銀で攻撃しても意味がないほどの強力な再生能力を持っていたが、エイナ・ドルレアンを襲撃しているような三流の吸血鬼ならば再生能力は機能しなくなることだろう。

 

 第12分隊が取り逃がした吸血鬼が強力な吸血鬼だったのならば、もう銀で攻撃された傷口は塞がっている筈だ。

 

「追撃させますか?」

 

「――――――いや、私が行こう」

 

「なっ!? エミリアさん、危険です!」

 

 ヘンシェルに咎められながら、私は社長室の壁に掛けてあるクレイモアの柄を握った。

 

 サラマンダーの素材の中でも最も硬いと言われる角を使用して生産された、サラマンダーの大剣である。力也と結婚する前から愛用しているそのクレイモアを背負った私は、力也が置いて行ってくれたハンドガンのベレッタM93Rをホルスターの中から引き抜くと、マガジンの中に弾薬があるか確認してからホルスターの中へと戻し、まだ私を止めようとするヘンシェルを見つめた。

 

「問題ない。久しぶりに実戦にいくだけさ」

 

 最近は指揮と訓練ばかりだからな。モリガンのメンバーとして依頼を受けていた頃よりも、実戦に出る回数は減っている。

 

 だから、久しぶりに暴れたい。

 

「飛竜を手配してくれ。すぐにラトーニウス方面に向かう」

 

「りょ、了解しました………」

 

 私に頭を下げてから、そそくさと飛竜の手配に向かうヘンシェル。私は彼が閉めていったドアの音を聞きながら、窓の外を見つめてにやりと笑っていた。

 

 力也、私は久しぶりに暴れたいのだ。いいだろう?

 

 窓の外を見つめている私の笑みは、薄暗くなり始めた王都の夜景に呑み込まれ、窓に映る事はなかった。

 

 

 

 



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ラトーニウスの森

 

 クガルプール要塞を超えた先に広がるのは、広大な森だった。この森を越えればまた草原が広がり、その先にかつて母さんが所属していたというナバウレアがる。その街には騎士団の駐屯地があり、近隣の街が魔物や盗賊に襲撃された際に対応したり、オルトバルカがせめて来たらクガルプール要塞の騎士たちと連携して迎撃することになっているらしい。要は後詰めだ。

 

 ジョシュアという男が騎士を引き連れてオルトバルカへと侵攻した際に、親父たちの猛攻でクガルプール要塞もろとも一度陥落している拠点だが、21年も経過すれば再建されているだろう。今でも立派に駐屯地として機能し、近隣の街の盾になっているという。

 

 俺たちが目指すのは、更に内陸にあるメウンサルバ遺跡。だからこのナバウレアを通る必要はない。近くにある街に宿でもとって情報を集め、アイテムや非常食を多めに補充してから出発してもいいだろう。

 

 ナバウレアの近くには、親父と母さんが初めて出会ったというアウガルスという街があるらしい。小さな街だが、そこには管理局の施設もあるらしいから、そこで宿泊していった方が良さそうだ。

 

 久しぶりに森の中を歩きながら、息を思い切り吸い込む。雨上がりだったのか空気は少し湿っていたけど、普段よりも濃くなった木々や草の香りが懐かしい。幼少の頃はボルトアクションライフルを手に、親子で森の中を駆け回ったものだ。そして銃を撃つ目的が狩りから戦いへと変わっていき――――――俺たちは、転生者を狩る最も恐ろしい狩人となった。

 

 血と火薬の臭いばかりの日常が、木々の香りの中で薄められていく。

 

「この森を越えれば草原じゃが………今夜は一旦ここで野宿じゃのう」

 

「そうね………。草原で野宿するよりも、こっちの方が隠れる場所も多いし。タクヤ、そうしましょうよ」

 

「ああ、そうしよう」

 

 野宿をするならば、遮蔽物が多い場所が好ましい。隠れる事が出来れば警戒しなければならない範囲が狭まるし、運が良ければ敵や魔物から見つかる事もない。万全を期すならばトラップでも仕掛けてゆっくりと眠りたいところだが、やはり今夜も誰かが起きて見張りを務める必要がありそうだ。眠っている最中に激痛を感じ、二度と目を覚ます事が出来なくなるのは嫌だからな。

 

 ここは木が多いから、ワイヤーを使ったトラップが真価を発揮する事だろう。単純に切れ味の鋭いワイヤーを張ってもいいし、ワイヤーでつないだクレイモア地雷を仕掛けてもいいかもしれない。

 

 クレイモア地雷とは、爆薬と無数の小型の鉄球で敵を攻撃できる小型の地雷だ。俺の能力でも生産可能で、1つ生産するために使うポイントはたったの50ポイント。生産した分だけ使う事が出来るけど、調子に乗っていくつも生産すればポイントが劇的に減ってしまうため、もう少し安価なトラップも併用するべきだろう。

 

 地雷には他にも対戦車地雷があるけど、これは余程身体の大きな魔物と戦わない限り意味はないだろう。人間が乗ったとしても起爆する事はないし。

 

 とりあえず、クレイモア地雷を5個とトラバサミを10個生産しておく。トラバサミはスパイクがついたタイプだから、こいつを踏み抜いた奴の足はただでは済まないだろう。

 

「と、トラバサミ!? それ仕掛けるの!?」

 

「おう。寝てる間に魔物に食い殺されるのは嫌だろ?」

 

「え、ええ………」

 

 ナタリアに肩をすくめながら説明すると、彼女は俺が生産したサメの口を思わせるトラバサミを凝視し、顔を青くした。

 

「あ、懐かしいね! それ狩りの時使ったことあるよ。タクヤ、覚えてる?」

 

「ああ。確か、ラウラが仕掛けたやつにでっかい雄の鹿が引っ掛かったんだよな?」

 

「そうそう! あの鹿は大きかったよね!」

 

 狩りで慣れていたからなのか、親父たちから受けたトラップの訓練は楽勝だった。それに魔物と戦い始めた頃も、母さんに「銃を使わず、トラップだけで見つからずに戦え」と課題を出されたことがあったんだが、ゴブリンたちが相手だったとはいえ簡単にそれを成功させたこともある。

 

 この異世界では魔術を使ったトラップが最も普及しているが、魔術を使えば魔力の気配で察知されることもあるため、トラップを隠匿する場合に最も適しているのはこのトラバサミであると言われている。

 

 だから地雷やC4爆弾の訓練だけでなく、原始的なトラバサミの訓練も受けた。

 

「お兄様、野宿ならあそこはいかがでしょう?」

 

「ん?」

 

 ランタンで森の中を照らしながら、カノンが巨木の向こうにある倒木の辺りを指差す。そこに倒れている倒木は雨で湿っていて、表面にはキノコやツタが生えていた。倒木の後方には高い岩肌があって、その岩肌の表面には3mくらいの洞窟のような穴が開いている。

 

 あの洞窟に他の動物や魔物が住んでいないか気になるが、もし何もいない洞窟ならば今夜の野宿に使わせてもらおう。

 

「あそこにしよう」

 

 左手から蒼い炎を出し、ランタン代わりにしながらその洞窟へと向かう。ツタで覆われた岩肌に空いた穴の中はやや広くなっていたけど、やはり実家の部屋に比べればはるかに狭い。辛うじて全員中に入れるだろうが、中で焚火は出来そうにないな。ランタンをいくつか置くしかないか。

 

 コートの内ポケットからMP412REXを引き抜き、洞窟の中に魔物が潜んでいないか確認した俺は、後ろでこちらを見守っている仲間たちに向かって首を縦に振ると、リボルバーを内ポケットにしまってから仲間を手招きした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまー」

 

 空になった缶詰の缶をランタンの傍らに重ね、俺は壁にもたれかかりながら雨が降り始めた森の中を見つめた。雨水が最初にぶつかるものが頭上にあるせいなのか、森の中では雨の音は大きく聞こえる。

 

 木々や葉の間をすり抜けて地上に落ちてきた滴と、枝の群れに激突して音を奏でる雨水たちの二重奏に耳を傾けていると、小さな手がくいっと俺のコートの袖を引っ張り始めた。ラウラにしては手が小さいなと思いながら振り向くと、無表情のまま頬を膨らませたステラが、俺の顔を見上げていた。

 

「お腹が空きました」

 

「ああ、ご飯の時間だな」

 

「はい。今日はいっぱいもらいますからね」

 

 まだ根に持ってたのか………。

 

 ステラはガトリング機関砲のGSh-6-30をかなり気に入っているらしく、先ほどクガルプール要塞を通過する際に強引に装備から解除した時は不機嫌そうにしていた。きっと彼女は、いつもよりも多めに魔力を吸わせなければ許してくれないだろう。

 

 いつもならばラウラが不機嫌そうにするか、虚ろな目でステラに襲い掛かろうとするんだが―――――――洞窟の中を見渡した俺は、既にステラの髪に絡み付かれ、鎮圧されている姉の姿を見て安心してしまった。

 

 自由に伸ばす事の出来るステラの髪に手足を縛られ、大きなおっぱいを撫で回されているラウラ。顔を真っ赤にしてプルプルと震える彼女の傍らでは、カノンが「お姉様ぁ………!」と言いながらラウラを見守っている。

 

 これからお仕置きをするのに俺がラウラを見ていることが気に入らなかったのか、ステラは小さな頬を膨らませると、壁に寄りかかりながら座っている俺の上に乗り、顔を近づけてきた。

 

「今からタクヤのお仕置きをするのです。ラウラを見ている場合ではありません」

 

「ご、ごめん」

 

 謝ると、ため息をついたステラが少しだけ微笑んだ。彼女が表情を変えるのは珍しいから、もっと彼女の可愛らしい微笑を眺めていたかったんだけど、すぐに彼女はまた顔を近づけてきて―――――――いつものように俺の唇を奪った。

 

 彼女の舌に触れれば魔力が吸収されてしまうというのに、俺は彼女と舌を絡ませ続けた。主食である魔力を吸収するステラの頬が赤くなり始め、小さな手が首の後ろをぎゅっと掴んでくる。彼女が吸収した魔力を飲み込む音を聞きながら力を抜くと、ステラはゆっくりと唇を離し、うっとりしながら小さな指で自分の唇に触れる。

 

 いつもならこれで終わる筈なんだけど、今回の食事は俺のお仕置きも兼ねているという。いつもよりも多めに数という事は、まだ続けるという事だ。

 

 お腹をさすっていたステラは、俺を見て微笑んでからまた顔を近づけてきた。もう吸収を始めるのかと思ったけど、彼女はまだ俺の唇を奪わない。まるで皿の上に残った好物にフォークを近づけ、惜しんでいる子供のようだ。

 

 刻印が刻まれた小さな舌を伸ばし、頬をぺろりと舐めるステラ。そのまま両手を伸ばして俺に抱き付くと、可愛らしい声で囁いた。

 

「タクヤって、可愛いです」

 

「俺は男だって」

 

「関係ありません。………ふふっ、まだお仕置きは終わってませんよ。では、もっとステラにご飯をくださいね。―――――――はむっ」

 

 再び唇を押し付け、舌を絡ませてくるステラ。魔力を吸収されて疲れ切った身体から、更に魔力が搾り取られていく。

 

 人間よりも体内の魔力の量が多いと言われているキメラの魔力を吸い上げ、呑み込んでいくステラ。常人だったらもう気を失っている頃だろうか。

 

 静かに舌を引き、唇を離す。小さな舌で自分の口の周りを舐め回したステラは、片手でお腹をさすりながら囁いた。

 

「美味しいです、タクヤ。………でも、もっと欲しいです。もっとタクヤの魔力が欲しいです。だから―――――」

 

 片手を伸ばし、かぶっていたフードを取るステラ。フードの下から姿を現したのは、男子にしては長すぎる蒼い髪と、その中から突き出たダガーのような角だ。

 

 感情が昂っている証でもある角を撫でたステラは、うっとりしながら顔を近づける。

 

「―――――――もっと、ステラにタクヤをください」

 

「え―――――――」

 

 もっと魔力をよこせという意味なのか、それとも俺の事が好きという意味なのかは、ステラの表情のせいでよく分からなかった。大好きな食べ物を食べ始める幼い子供の表情にも見えたし、好きな男子に告白して恥ずかしがる乙女のようにも見えたステラの顔は、またしてもキスを始めたせいでもう見えない。

 

 更に襲ってくる疲労感が、身体から魔力と力を奪っていく。手足が痙攣を始め、息苦しくなってくる。

 

「―――――――ふふっ。では、お仕置きはこれくらいにしておきましょう。ごちそうさまでした、タクヤ」

 

 今度こそ唇を離し、吸収した魔力を飲み込んでから告げるステラ。もう真出を使う事が出来なくなるほど魔力を吸収していた俺は、荒い呼吸をしながら辛うじて首を縦に振ると、呼吸を整えながら入口の外を見る。

 

 すると、小さな手がまた俺の頭を掴み、静かに持ち上げた。また魔力を吸収するつもりなのかと思ってぎょっとしたけど、持ち上げられた頭の下に柔らかい枕のようなものがあったことに気付いた俺は、呼吸を整えながら上を見上げた。

 

 俺の頭を掴んでいたのは、やはりステラの小さな手だった。非常に長い銀髪を纏いながら腰を下ろしたステラが、俺の頭を自分の太腿の上に乗せてくれたのである。

 

 つまり―――――膝枕だ。

 

 ラウラの太腿と比べると細くて小さいけど、とても柔らかいし甘い香りがする。今夜は俺が見張るつもりだったのに、このまま眠ってしまいそうだ………。

 

 眠らないように気を付けている俺を見下ろすステラは、微笑んでいた。

 

「吸い過ぎてしまいましたね。ごめんなさい」

 

「いや………気にするな」

 

「ふふっ。………しばらく、休んでいてください」

 

 太腿の上で休ませてもらおう。いつもならラウラに殺されそうになるかもしれないけど、ラウラはまだステラの髪で縛られているから殺される心配はないだろう。

 

 ステラの髪で縛られているラウラを見て顔を赤くした俺は、息を呑んでから外の景色を見つめる。

 

 ダガーのように伸びた角が元の長さに戻るのはいつだろうか。そんな想像をしながら、俺はため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時の事を、私は忘れない。

 

 私の楽しみを奪ったあの男を見つけたら、必ず復讐してやるつもりだ。

 

 絶対に許さない。私の身体をボロボロにしたことはどうでもいいけど、敵を殺すという楽しみを私から奪ったことは絶対に許せない。

 

 でも、今のこの身体ならば――――――いくらでも殺しを楽しめる筈だ。

 

 だからまず最初に、復讐を果たそう。この怒りを全て消してから殺しを楽しむとしよう。

 

 既に傷は全て塞がっている。モリガン・カンパニーの社員たちはなかなか手強かったから、復讐を果したらまずあいつらから血祭りにあげよう。きっと、あの男が死んだ後ならば烏合の衆になるだろうし、私を憎みながら攻撃してくるに違いない。

 

 その復讐心を、今度は私が踏み躙る。

 

 楽しみだよぉ………速河力也ぁ―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 おそらくこの雨は、一晩中振り続ける事だろう。濡れた木々の枝が邪魔で空が見えないが、月が見えるならば濡れた葉がその光を反射する筈だ。だが、洞窟の入口から上を見上げてみても、湿った葉に滴が落ちる音が聞こえてくるだけだった。

 

 仲間たちはもう寝息を立てている。俺の役割は、今度こそ次の日の朝まで仲間たちを守り抜く事である。

 

 ここには幽霊は出ないというから、ネイリンゲンの屋敷のように怪奇現象に遭遇することはないだろう。G36Kを傍らに立て掛け、レ・マット・リボルバーを点検しながら外を見つめ、俺は頷く。

 

 真っ暗な森の中に響き渡る雨の音と、点検中のリボルバーの金属音が混ざり合う。雨の日は家の中で本を読むか、雨の音が全く聞こえない地下室にこもって延々と射撃訓練をしていたから、この2つの音を同時に聞くのは久しぶりだった。銃を持って魔物と戦い始めた頃に何度か聞いたことがある音と再会した俺は、昔の事を思い出しながらリボルバーをホルスターに戻す。

 

 この異世界に転生してからもう17年だ。平和な世界でクソ親父と一緒に暮らすよりも、物騒な世界だけどこうやって仲間と旅をしながら生活するほうが遥かに楽しい。

 

 もし元の世界に戻れることになったとしても、俺はもう2度と水無月永人(みなづきながと)に戻ることはないだろう。修学旅行に行く途中の飛行機の中で、前世の俺は死んだ。そして、タクヤ・ハヤカワという少年として転生したのだから。

 

 そういえば、あの時一緒に飛行機に乗っていたクラスメイト達はどうなったんだろうか。彼らも死んだと思うんだが、俺と同じように転生しているんじゃないだろうか? それとも、成仏してしまったのか?

 

 中には気に入らない奴もいたけど、仲のいい友達は何人もいた。俺が親父から暴力を受けていることを知って、家に泊めてくれた奴もいた。家に戻ってから散々暴力を振るわれたけど、父親に怯えずに夜更かししたのは楽しかったなぁ………。

 

「………」

 

 雨の中を冷たい風が突き抜けたような気がして、俺は反射的にアサルトライフルを拾い上げた。G36Kの安全装置(セーフティ)を解除し、セレクター・レバーをセミオート射撃へと切り替える。

 

 今の冷たい風は、おそらく殺気だ。

 

 普通なら殺気は感じられないようにする筈なんだが、感じ取れるほどの殺気を放っているという事は素人なのか? それとも、わざと殺気を感じ取れるようにしているのか?

 

 相手に殺気を感じさせた場合のメリットは、相手に恐怖を叩き込めるからだろう。だが、こんな殺気は何度も経験しているから、今更殺気を感じ取っても全くビビらない。何度も復習を繰り返した計算問題を何度も出題されるようなものだ。

 

 こいつは何を考えている?

 

「おい、みんな。起きろ」

 

「ふにゅ………」

 

「何じゃ………また幽霊か………?」

 

「いや―――――――敵だ」

 

 この敵は何を考えているのだろうか。目を覚ました仲間たちもすぐにこの殺気を感じ取り、武器を拾い上げて戦闘態勢に入っている。

 

 奇妙な敵だが、俺たちに敵意を向けているというのならば叩き潰すのみ。暗い森の中に銃口を向け、スコープを覗き込む。

 

 相変わらず森の中は真っ暗だったが――――――ちらりと、ランタンの光を何かが反射したような気がした。

 

 湿った木々の葉ではない。金属のようなものだろうか。表面は雨のせいで濡れていたようだけど、茶色い錆にも似た何かが付着している。

 

 あれは何だ? 防具か?

 

 接近してくるという事は、もうこっちの居場所は分かっているという事なんだろう。ランタンも消していないから、今更ライトを付けたとしても問題はない筈だ。

 

 アサルトライフルのライトを付け、俺はその襲撃者を照らし出した。

 

「あれは………騎士団の防具!?」

 

 ライトに照らされたのは、ボロボロの防具を身に纏った1人の女性だった。長い銀髪の中からは浅黒くて長い耳が突き出ていて、肌も同じく浅黒い。おそらくハーフエルフなのだろう。

 

 その女性が身に纏っているのはラトーニウス王国騎士団の制服のようだが――――――現在の制服ではなく、昔に採用されていた制服のようだった。

 

 現在の制服は、基本的にあまり金属製の防具を装着できないように作られていることが多い。理由は、モリガンの傭兵たちが防具を身に着けずに戦っていた事の影響を受けているからだという。だが、あの女性が身に着けている制服には古めかしい防具がいくつも取り付けられていて、手にしている剣もオルトバルカ王国で産業革命が起こるよりも昔の古い剣だ。

 

 何だ? ラトーニウス騎士団の亡霊か?

 

 ライトに照らされた亡霊のような女性は、スコープを覗く俺の方を見ると――――――にやりと笑った。

 

 まるで、憎たらしい怨敵を見つけたかのような、嬉しそうな笑みだった。

 

「見つけたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………!」

 

 



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狂戦士の襲来

 

 殺意には、種類がある。

 

 暗殺者や傭兵が相手へと向ける殺意は、私情が全く存在しない非常に冷たい殺意である。彼らの引き受けた仕事がその人物の暗殺であるならば、確かに私情は存在することはないだろう。それが彼らの生業で、報酬を受け取る手段ならば市場がある方が愚かしい。

 

 そして猛烈な怨念を相手へと向けるものが持つ殺意は、非常に禍々しい。その人物への復讐心や憎しみが過程となり、結果が殺意になっているようなものだ。だから殺意の原因を知ろうとすればその人物の憎しみを知る羽目になる。

 

 俺たちへと向けられている殺意は、後者の方だった。

 

 この人物は、どんな事をされたのだろう。迎撃するためにG36Kを暗闇の中へと向け、この殺気を放つ人物がどんな仕打ちを受けてこのような憎悪を生み出すようになったのかと考え始めてしまう。

 

 先ほどちらりと見えたのは、俺たちが生まれる前に採用されていたタイプのラトーニウス騎士団の制服だった。今の制服はあまり防具を取り付けられないようになっていて、防御は防具ではなく盾や魔術に依存する方式に変更されている。その方が騎士も動きやすいし、防具を作るコストも削減できる。産業革命によって科学だけでなく魔術も発達しているため、こちらの方式の方が合理的なのだ。

 

 つまりあの制服は、産業革命以前にラトーニウスで採用されていた物という事になる。そういった古い装備品を愛用する人物だったのかもしれないが、おそらくあの人物はそのような趣味は持ち合わせていないのかもしれない。

 

 憎悪を殺意へと変換するような人物が、自らの復讐に趣味を入れてくるとは思えないのだ。

 

 復讐は恨みを晴らすための戦い。だから復讐する者は、怨敵を倒す事しか考えない。復讐劇に趣向など存在しないのである。

 

 違和感を感じながらも、俺は先制攻撃を仕掛けることにした。ランタンの明かりのおかげで辛うじて襲撃者の位置は分かる。そこへ照準を合わせた俺は、回避された場合にすぐ射撃できるように準備しながらトリガーを引いた。

 

 ランタンの優しい明かりを、物騒なマズルフラッシュの光が包み込む。森の中を一瞬だけ照らした光の中を駆け抜けて行った1発の6.8mm弾が命中する事を祈りながら、カーソルを引き続き睨みつけ続ける。

 

 あんな憎悪を持つ人物が、簡単に倒れるだろうか。

 

 この敵は、手強いかもしれない。

 

 弾丸が命中し、その一撃で絶滅してくれたのならば続けざまに叩き込むことになる弾丸を消費することはないだろう。だが、その期待は暗闇から聞こえてきた跳弾の音のような金属音によって打ち崩され、俺は舌打ちしながら続けざまにトリガーを引く羽目になった。

 

 今の一撃を剣で弾いたのか?

 

 この異世界に銃は存在しない。銃を持っている人物がいるとすれば、そう言った武器を生み出せる転生者か、その転生者の武器を解析して複製できる天才技術者だけだろう。

 

 だから銃がどのような武器なのか知っている人物は少ない筈なのだ。初めて目にして弾丸を弾くなど、ありえない。

 

 おそらくあの襲撃者は、転生者と交戦した経験があるんだろう。勝敗はどうなのか分からないが、あの人物が生きているという事は交戦した転生者は死亡している可能性がある。

 

 ステータスで身体能力を強化され、強力な武器や能力を手にしている転生者と戦って生き残っている襲撃者が手強いという事は、想像に難くない。

 

 セレクターレバーをセミオート射撃から3点バースト射撃へと切り替え、3発の6.8mm弾を撃ちまくる。剣で弾丸を弾く相手ならば、手数を増やして風穴だらけにしてやるまでだ。先ほど見えたんだが、相手の得物は古びたロングソード1本のみ。しかも玉鋼を使用し、新しい技術で生産された新型のロングソードよりも遥かに切れ味の劣る従来の剣である。おそらく切れ味は、しっかりと砥がれた包丁と木の棒くらい差があるに違いない。

 

 俺だけではなく、マークスマンライフルを手にするカノンと、LMGを構えたガルちゃんも射撃を開始する。かつて第二次世界大戦で活躍したドイツ製LMGと、高い性能を持つドイツ製マークスマンライフルが立て続けにマズルフラッシュを発する。

 

「ナタリア、今のうちに側面に回り込め!」

 

「了解ッ! 私は奇襲ね!」

 

 敵はこっちに向かってきている。俺たちがあの襲撃者の相手をしていれば、ナタリアに気付くことはないだろう。敵が隙を見せたらナタリアにあのコンパウンドボウで仕留めてもらえばいい。

 

 PDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)で銃撃を始めようとしていたナタリアが、コンパウンドボウを準備しながら右側へと走っていく。彼女の得意とする戦い方は攪乱か奇襲だから、この森のように暗くて遮蔽物の多い場所ならば真価を発揮できるだろう。それに彼女の奇襲が外れても、その隙に俺たちが止めを刺せばいいのだ。

 

 ガルちゃんのLMGが無数の7.92mm弾を放ち、その弾丸を回避している敵へとカノンが正確に7.62mm弾を叩き込む。剣で弾いたような音は聞こえなかったから、今の狙撃は命中したと思うんだが――――――まだ敵は接近を続けている。

 

「タクヤ、ステラも撃ちますか?」

 

「いや、ステラは魔術で援護を頼む」

 

 あの敵は何かおかしいぞ。

 

 今、確かに被弾した筈だ。命中した箇所までは分からなかったが、掠めただけだったのか? それとも激痛を無視して走り続けられるほど精神力の強い敵なのか?

 

 ステラの持つガトリング砲の出番はまだ早いと思いながら、俺は射撃を続行した。掠めただけならば続けて何発も叩き込んでやればいいし、被弾した激痛に耐えたというのならば耐えきれないほどお見舞いしてやるだけだ。

 

 規則的に3発分の薬莢がG36Kから排出され、湿った地面に落下する。いつもならば聞こえる筈の薬莢の落ちる音が聞こえないせいなのか、いつもよりも心細い気がする。

 

 すると、背後で轟いた銃声が、その心細さを撃ち抜いた。俺たちが撃つアサルトライフルやマークスマンライフルとは比べ物にならないほど大きく、凄まじい銃声。その銃声を発したのは、俺たちの最後尾にいる赤毛の少女が持つ、巨大なライフルであった。

 

 フランス製アンチマテリアルライフルの、ヘカートⅡだ。スコープを使わないラウラのためにアイアンサイトを装備した特注品が、まだ試し撃ちもしていないというのに火を噴いたのである。

 

 銃声でズタズタにされていた静寂に、ヘカートⅡの銃声が止めを刺す。だが、まだ試し撃ちをしていなかったことが仇になったのか、いつもならばスコープを使わなくても百発百中だったラウラの狙撃が右へとずれ、接近してくる襲撃者を掠めた。

 

「ふにゃっ、外しちゃった!」

 

「落ち着け! 右にずれたんだ!」

 

 試し撃ちをさせておけばよかった。試し撃ちをして微調整をしていれば、今の一撃で仕留められたかもしれないのに………!

 

「ごめん、修正するね!」

 

 リアサイトに右手を伸ばし、早くも調整を開始するラウラ。調整が完了するまで彼女は狙撃が出来ないから、何とか俺たちがあいつを食い止めなければならない。

 

 3点バースト射撃でマガジンの中の弾丸を撃ち尽くしてしまった事に気付いた俺は、舌打ちをしてからマガジンを取り外し、再装填(リロード)を済ませてからライフルを腰の後ろへと戻した。そして腰の鞘から大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを引き抜き、銃撃を続ける仲間たちに「俺が引きつける!」と告げてから洞窟の入口から飛び出した。

 

「タクヤ、無茶をするでないぞ!」

 

「分かってる!」

 

 無茶はしないさ。親父の悪い癖だったらしいからな。

 

 俺は無茶をするつもりはない。無茶をするくらいならば卑怯な戦い方をして、必ず勝利する。

 

 卑怯者だと罵倒したいなら、俺と戦って生き残ればいいだろう。

 

 暗闇の中だし、敵は1人だけだ。しかもその敵はカノンとガルちゃんの銃撃を剣で弾いたり、回避している真っ最中である。どうやら俺が接近を赤い死したことに気付いているようだけど、下手に俺を迎え撃とうとすれば仲間の銃撃の餌食になるぜ?

 

 仲間の射撃を剣で弾き、火花を散らし続ける敵へと急迫する。火花で照らされた襲撃者が身に着けているのは、確かに旧式の騎士団の制服だった。ラトーニウス騎士団の制服のようで、紺色の生地は薄汚れている。ところどころに錆のようなものが付着しているが、あの錆のようなものは何だ? 布は錆びない筈なんだが、布にも錆のようなものがついている。

 

 火花と金属音の中で、襲撃者が笑う。やはりその笑みは楽しんでいるような笑みというよりは、やっと復讐したい怨敵を見つけたという嬉しそうな笑みだ。

 

「やっぱり、お前だぁぁぁぁぁぁぁ………!」

 

「はぁ?」

 

 この女は誰だ? 俺はこいつと会った事はあっただろうか?

 

 俺の知り合いにいるハーフエルフの女性はミラさんやノエルくらいだろう。でもあの2人はエルフのように肌が白いから、浅黒い肌のハーフエルフの女性の知り合いはいない。

 

 人違いじゃないか?

 

「悪いな、お姉さん」

 

 銃弾を弾くために剣を振り上げている最中に距離を詰め、大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーの切っ先を女性へと向ける。この大型ソードブレイカーもワスプナイフと同じく高圧ガスを噴射する仕組みを持つため、防御用の得物でありながら殺傷力は非常に高い。しかも―――――生まれつき殺傷力の高い武器をもう一つ所持している。

 

 コートの中から尻尾を伸ばし、小さな穴の開いている先端部を女性へと向ける。いきなり目の前の少女のような少年の身体からドラゴンのような尻尾が伸びたのだから、この女性は驚いたことだろう。ナイフを構えながら顔を見てみると、やはり女性は目を見開きながら尻尾を凝視していた。

 

 普通の人間は持たない、ドラゴンの尻尾。人の姿をしていながらその尻尾を持つのは、21年前に生誕したキメラという種族だけである。

 

 しかも、その尻尾が殺傷力の高い武器になるのは――――――俺だけだ。

 

 俺の尻尾には、親父やラウラとは違って小さな穴が開いている。これは体内から高圧の魔力を噴出するための穴で、この尻尾を敵に突き刺した状態で魔力を噴射すれば、ワスプナイフと同等の殺傷力を発揮する。

 

 つまり、実質的にワスプナイフを3本も所持しているという事なんだよ!

 

 襲撃者が目を見開いている隙に、俺はその尻尾を彼女の喉元へと突き立てた。跳弾の音の中から小さな呻き声が聞こえてきて、跳弾の音がぴたりと止まる。

 

 更に、俺は両手の得物を彼女の腹へと突き立てた。胸元は防具で覆われているが、腹は制服だけだ。もし仮にそこまで防具で覆われていたら巨躯解体(ブッチャー・タイム)で貫通してやるところだったが、その必要はないだろう。

 

 あっさりとナイフが突き刺さる。喉元と腹を串刺しにされれば絶命するだろうが、止めは刺しておくべきかもしれない。不意打ちで殺されるのはごめんだ。

 

 俺は目を細めながら、両手のナイフのスイッチを押すと同時に尻尾の中へと魔力を送り込む。

 

 女性の腹の中から、空気が漏れるような音が聞こえた。血で赤黒く染まりつつある制服が一瞬だけ膨れ上がり――――――体内で爆弾が爆発したかのように、弾け飛んだ。

 

 体内に噴射されたナイフの高圧ガスと尻尾の魔力が、彼女の腹と喉元を突き破ったのである。ナイフで付けられた傷とは思えないほどの大穴を開けられた襲撃者は、首から上を砕かれ、腹に大穴を開けられた状態でよろめくと、右手から古びた剣を落とし、ゆっくりと崩れ落ちた。

 

 血まみれになった得物を鞘に戻し、真っ赤になった尻尾を撫でてから服の中へと戻す。ナイフと尻尾で貫かれただけならば致命傷で済んだかもしれないが、ガスと魔力まで噴射されたのならば絶命するしかない。

 

 このナイフは、最強のナイフなのだから。

 

「俺は、あんたに会ったことはないぜ」

 

 無残な姿になった襲撃者に言い、俺は踵を返す。

 

 あんたは俺たちを恨んでいたみたいだが、俺たちはあんたに会ったことはない。悪いな。

 

 そういえば、今の戦いでレベルは上がっただろうか。強敵だったみたいだが、撃破したのだからレベルは上がる筈だろう。レベルが上がったのならばメッセージが表示される筈なんだが、目の前にはいつもの蒼白いメッセージは表示されていない。

 

 もしかして、雑魚だったのか?

 

 首を傾げてから仲間たちに手を振ろうとしていると――――――洞窟の入口でLMGの照準器を覗き込んでいたガルちゃんが、絶叫した。

 

「―――――馬鹿者ッ、まだ終わってないわッ!!」

 

「は?」

 

 何言ってんだ? あの襲撃者は、ワスプナイフで粉々になったんだぜ? もう襲ってくるわけがないだろう――――――――。

 

 勝利したという感覚が、背後で再び膨れ上がり始めた怨念と殺気で薄められていく。まだ戦いは終わっていないという仲間の警告と敵の殺気が俺を再び戦いに引きずり込もうとしていたかのように、終わった筈の戦いが再び始まろうとしていた。

 

 ぞっとした俺は、ナイフではなくリボルバーへと手を伸ばした。近代化改修を済ませたレ・マット・リボルバーである。

 

 ホルスターから引き抜くと同時に後ろを振り向き、照準器を覗き込まずにそのままトリガーを引く。本当に戦いが終わっていなかったのか半信半疑だったが、そのマズルフラッシュが今しがた粉々にした敵の顔を照らし出したのを見て、俺は銃声の中でぎょっとした。

 

「馬鹿な―――――――」

 

 確かにワスプナイフで粉々にした筈だ。体内に高圧ガスと魔力を噴射され、首と腹を粉々にされて絶命した筈なのに、背後で起き上がって俺に殺意を向けていたのは――――――さっきの襲撃者だった。

 

 驚愕する寸前に放った.44マグナム弾が、その女性の額を撃ち抜く。ぼさぼさになった銀髪と頭蓋骨をマグナム弾に粉砕されたハーフエルフの女性は再び後ろへと崩れ落ちるが、まるで誤って転んだ子供が起き上がるかのように、またしても起き上がったのである。

 

 まさか、今の至近距離で外れたのか!? だが、血は出ていた。弾丸は命中した筈だし、早撃ちの訓練は何度もやった。親父から教わった早撃ちだぞ!?

 

 撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻しながら目を見開いていると、その女性はマグナム弾に抉られた頭を片手で押さえながら笑い始めた。

 

「きゃははっ………! この武器………やっぱり、あの男の………!」

 

「て、てめえ………!」

 

 血で真っ赤になった女性の手の下で、マグナム弾が抉った頭の傷が塞がり始める。抉られ、欠けた肉と骨が伸びて反対側の肉と結びつくと、徐々に塞がっていく肉と骨を皮膚が覆っていく。

 

 傷口が再生した………!?

 

 馬鹿な! こいつは何だ!? 本当にハーフエルフか!? それとも、こんな魔術があるのか!?

 

 幼少の頃から魔術の本も読んでいたんだが、再生の魔術なんて聞いたことがない。ヒールやヒーリング・フレイムは治療用の魔術に分類されるが、さすがにマグナム弾で頭を抉られたり、ワスプナイフで砕け散った人体をすぐに再生させるのは不可能である。

 

 ならば、こいつは何だ? 化け物か?

 

「速河……力也ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「!?」

 

 こいつ、親父の事を知っているのか!?

 

「お前のせいで、私はあの時死にかけたッ! そのせいで人を殺せなくなった!! よくも私の楽しみを………!!」

 

「ちょっと待て。お前、親父を――――――――」

 

「もうジョシュア様もいない! もう私はあんな男の奴隷じゃない! つまんない敵と戦わされ、犯される奴隷じゃないんだッ! 好き勝手に殺していいんだッ!! なのに、私から楽しみを奪った!!」

 

 ジョシュアって、確か母さんの許婚だよな? 21年前にオルトバルカに侵攻し、親父たちに返り討ちにされたラトーニウスの貴族だ。しかも戦死した後はラトーニウスの貴族たちによってオルトバルカへの侵攻は彼の独断だったという事にされ、汚名を着せられた男である。

 

 こいつはそのジョシュアの奴隷だったのか………。

 

「何をしておる、タクヤぁッ!!」

 

 その時、俺の背後から幼い声が聞こえてきた。声は幼いというのに、その声が纏う威圧感はまるで数多の激戦を経験した傭兵のようである。そんなアンバランスな絶叫を上げながら襲撃者へと襲い掛かったのは、赤黒い杖を手にした赤毛の幼女だった。

 

 ジャンプしながら杖を振り下ろし、柄頭にあるドラゴンの頭を模した装飾で襲撃者を殴りつける。狂ったように絶叫していた襲撃者の顔面にドラゴンの装飾がめり込んだかと思うと、まるで巨大な鉄球で殴りつけられたかのように、その襲撃者は暗い森の中へと吹っ飛んでいった。

 

「ガルちゃん、こいつは………!?」

 

「フランシスカじゃ………!」

 

「フラン……シスカ………?」

 

「うむ。エミリアを連れ戻すために、ジョシュアという男が送り込んだ追手の1人じゃな。じゃが、21年前に2人に殺された筈じゃ………」

 

「なに? あいつは死人なのか!?」

 

 馬鹿な。ならば、あいつは幽霊なのか? ウィルヘルムのように、親父への憎しみのせいで成仏できていない霊だというのか?

 

 驚愕していると、ガルちゃんは「いや、あいつは―――――霊ではない」と呟いた。

 

 ウィルヘルムもあのような再生能力を持っていたが、彼とは違う存在なのか? ガルちゃんにそう問いかけようとしたが、形成されかけていたその疑問を、空から響いてきた大きな音がバラバラにしてしまう。

 

「………?」

 

 これはヘリの音か?

 

 空を見上げてみたが、湿った巨木の葉が邪魔で星空すら見えない森の中で、夜空を飛び回っている筈のヘリが見えるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 異世界の森の上空を、重装備の怪物が飛行していた。

 

 円形のキャノピーを直列に取り付けたような特徴的なコクピットの下部には、センサーと圧倒的な破壊力を持つ機関砲が搭載されている。胴体の左右に装着されている翼のような部分には対戦車ミサイルとロケットランチャーがいくつも搭載されていて、先ほどの雨のせいで湿ったまま月明かりを浴びている。

 

 凄まじい攻撃力と防御力を併せ持つというのに、その怪物は胴体に兵員室を持つため、武装した兵士を地上へと降下させることも可能であった。

 

 夜の森の上空を旋回するのは、南アフリカで開発されたMi-24/35Mk-Ⅲスーパーハインドである。かつてソ連で開発されたハインドを改良した怪物の胴体はグレーと黒の迷彩模様で塗装されていて、胴体の左右には真紅の羽根とハンマーのエンブレムが描かれている。

 

『まもなく、目標地点です』

 

 コクピットから聞こえた男性の声を聞き、兵員室の中で腕を組んでいた女性は目を開いた。既に得物の点検は済ませてあるし、これから自分が戦う敵の事も調べてある。作戦は立ててあるから、あとは得物を振るって敵を倒すだけだ。それは夫と初めて出会った21年前から全く変わっていない。

 

 自分以外には誰も乗っていない兵員室の中で、エミリア・ハヤカワはゆっくりと立ち上がった。ハッチの近くへと移動すると、兵員室のハッチがゆっくりと開き始め、かつての祖国の冷たい風が彼女を包み込む。

 

 もう、この区には自分の祖国などではない。自分は貴族の地位を欲する父の野望のためだけに生み出され、そのために死ぬ筈だったのだ。自分を利用し、殺すために生み出した国を祖国とは呼びたくはない。

 

『エミリアちゃん、気を付けるのよ』

 

「ああ、姉さん」

 

 無線機から聞こえてきた姉の声を聞いて安心した彼女は、微笑みながら返答する。

 

 今から戦うのは、21年前に死ぬ筈だったハーフエルフの女である。しかも、交戦する地域はかつてその女と戦った場所ではないか。死に物狂いで夫と共に逃げていた頃を思い出しながら漆黒の軍帽をかぶり直したエミリアは、森を睨みつけながら息を吐いた。

 

「では、出撃する」

 

『エミリアさん、まだ高度は―――――――』

 

 高度を落とす必要はない。操縦を担当するヘンシェルに「必要ない」と言ったエミリアは、左手で軍帽を押さえながら――――――兵員室から森へと飛び降りた。

 

 湿った突風に包まれながら、彼女は飛び去って行くスーパーハインドに手を振る。あのヘリには武装が搭載されているが、おそらく航空支援は必要ないだろう。鍛え上げてきた自分の剣術であの亡霊を討ち破るのみだ。

 

(最前線で戦うのは久しぶりだな………)

 

 今まで社員の指導ばかりだったから、剣を振るって戦うのは久しぶりだ。

 

 森へと急降下しながら、エミリアは笑った。

 

 

 



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エミリアが参戦するとこうなる

 

 あの時、私は死んだ。

 

 ジョシュアの許嫁であるエミリアを連れ去った少年と、彼に連れ去られたエミリアに敗北し、木端微塵になった筈だった。

 

 見たこともない武器で攻撃された私は、あの少年が放った攻撃で吹っ飛ばされる寸前に何とか脱出する事が出来たけど、両腕と両足を折られた上に肋骨や背骨を粉砕され、動くことは出来なかった。

 

 殺してやりたいのに、動けない。

 

 このまま、森の中で復讐できずに朽ち果てるのか………。

 

 そんなのは嫌だ。私から楽しみを奪ったあの男に、復讐がしたい。それにもっと殺したい。まだ私は、楽しんでいない。

 

 だから、復讐するチャンスが欲しい。もう一度身体を動かせるようにしてほしい。

 

 そう思いながら、私は死にかけた状態まま森の中であの少年を呪い続けた。

 

 すると、ある日私の目の前に1人の少女がやってきた。マントの付いた真っ白な服を身に纏っていて、頭には雪のように白いリボンを付けている。ここを通りかかった貴族のお嬢様が、死にかけているハーフエルフを眺めて楽しんでいるのだろうか。私が死にかけているのが面白いか? 

 

 その少女も憎たらしいと思った私は、身体中の骨を折られ、食事を摂っていないせいで痩せ細っていた身体で少女を睨みつけた。

 

 呪い殺してやる。腕が動くなら剣で真っ二つにしてやるところだが、腕は骨が砕けているせいで動けない。だから呪ってやるのだ。

 

『―――――素晴らしい復讐心だわ』

 

 少女は私の目を見つめると、嬉しそうに微笑んだ。

 

 まるで誕生日に両親からプレゼントをもらい、大はしゃぎする子供のような笑み。だが、もう私はその少女を憎たらしいとは思っていなかった。なぜならば、この見ず知らずの少女は私の復讐心を理解してくれたのだから。

 

 あの男を殺したいという、私の復讐心を。

 

 白い服を身に纏った金髪の少女は、口の中に生えていた鋭い牙で自分の白い指に傷をつけた。人間よりも明らかに長い犬歯で切り裂かれた美しい指から鮮血が流れ始めたのを見た少女は、微笑みながらその指を私の目の前へと差し出す。

 

 指を傷つけて何をするつもりなのかと思ったけど、まるでその美しい手は、私を救おうとしているように思えた。

 

『さあ、私の血を飲みなさい。―――――私が、あなたの復讐心を叶えてあげる』

 

 この少女は、私を助けてくれるというのか。

 

 私に復讐させてくれるというのか。

 

 この血を飲めば――――――私は復讐できるのか。

 

 ならば、その血をくれ。

 

 私はあの男に復讐する。

 

 差し出された少女の指に喰らい付いた私は、必死に少女の血を啜り続けた。血を啜り、指を舐め回す私を見下ろしていた少女は私の頭を撫でてきたけど、別に腹は立たなかった。この少女は私に復讐させてくれる。この少女は、むしろ恩人なのだ。

 

『いい子ね。これであなたも―――――――私たちの同胞よ』

 

 月明かりの中で、白い服に身を包んだ少女がにやりと笑う。

 

 その小さな口の中に生える牙は――――――まるで、吸血鬼のように鋭かった。

 

 

 

 

 

 

 

 凄まじい轟音が響き渡り、フランシスカの左半身を抉り取った。アサルトライフルの集中砲火やマークスマンライフルの狙撃ではない。この一撃は12.7mm弾の狙撃だろうと直感した俺は、最愛の姉に誤射される前に横へとジャンプしつつ、早くも左半身の再生を始めたフランシスカへとリボルバーの銃口を向けた。

 

 恐ろしい再生能力だ。たった今アンチマテリアルライフルによって半身を抉られたばかりだというのに、もう肉片となった左腕の再生が始まっている。

 

「おいおい、何だよこの再生能力は!?」

 

「くっ、こいつ………!」

 

 ガルちゃんも想定外だったんだろう。再生させながら振り下ろしてきたフランシスカの剣を杖で受け止め、小さな足でフランシスカにローキックをお見舞いしてから杖をレイピアのように突き出して距離を取る。幼女の一撃だが、幼女の正体は最古の竜ガルゴニスだから、そのパワーは普通の人間の比ではない。杖で突き飛ばされただけだというのに、フランシスカは爆風に呑み込まれたかのように吹っ飛ばされ、後方にあった巨木の幹へと叩き付けられた。

 

 その隙に杖を腰に下げ、背負っていたMG34を取り出すガルちゃん。フランシスカが動き出す前にトリガーを引き、7.92mm弾の嵐を容赦なくお見舞いする。

 

 華奢な銃身から次々に飛び出す大口径の弾丸が、幹から逃げ出そうとするフランシスカの肉体を抉り、再び肉片へと変えていく。

 

 敵の攻撃でまだ負傷はしていない。だが、いつまで一方的に攻撃できるだろうか。弾薬が尽きればこちらも接近戦をせざるを得なくなる。そうなれば、接近戦を元々得意とするフランシスカが有利になる。時間が経てば経つほど敵が有利になっていくのだ。

 

 その前に殲滅できるならば問題はない。12時間待てば、こちらは勝手に弾薬が補充されるのだから。だが、弾丸で遠距離から攻撃できるという大きなアドバンテージは、弾薬を撃ち尽くすだけでピンチへと変わってしまう。

 

 弾切れする前に仕留められるという保証がない。せめて敵が再生能力を持っていなければ、消耗戦になる事はなかったのだ。

 

 ウィルヘルムのように弱点はないのかと思いながら射撃を続行していると、ガルちゃんが撃ち続ける7.92mm弾の中を、傷だらけのフランシスカが疾走していくのが見えた。

 

「!?」

 

 弾丸で片目を抉られ、頬を引き裂かれても、あの不気味な女は笑い声を上げながら突進していく。さすがにガルちゃんも気味が悪いと思ったらしく、キャリングハンドルを握りながらLMGに取り付けた銃剣で接近戦の準備をしていた。

 

 マズルブレーキの下部に取り付けたナイフ形銃剣で、フランシスカの一撃を受け止める。鉄板と鉄板がぶつかり合うような金属音が巨木に激突し、反響を繰り返しながら残響を生み出していく。

 

「ぎゃはははははははっ!」

 

「く………ッ!」

 

 LMGを振り払い、銃剣を突き出してフランシスカの太腿を串刺しにしてから、ガルちゃんが小さな足を振り上げた。太腿を突き刺されてフランシスカが体勢を崩しているうちに振り上げた小さな足が顔面に直撃し、フランシスカの鼻の骨を容易くへし折る。

 

 ハンマーで顔面を殴られるのと同じだろう。鼻血を流しながらフランシスカが崩れ落ちたと思った直後、今度は暗闇の中から飛来した漆黒の矢が、すとん、とフランシスカの背中に突き刺さる。

 

 ガルちゃんはその矢がどのような代物なのかをすぐに理解したらしく、追撃を中断して後ろへとジャンプした。

 

 その直後、矢が突き刺さっているフランシスカの背中が膨れ上がったような気がした。先ほどワスプナイフで攻撃した時と同じだ。どんどん膨れ上がり、傷口や裂け始めた皮膚から蒸気のようなものが噴き上がり始める。

 

 それは、圧縮された魔力だった。フィオナちゃんの発明によって圧縮された魔力が、元の密度へと戻ろうとして膨れ上がっているのである。

 

 やがて、膨らんでいたフランシスカの背中が砕け散った。筋肉や背骨の破片が飛び散り、起き上がりかけていたフランシスカが再び動かなくなる。だが、俺はまだ武器を下ろさなかった。先ほどから散々攻撃を喰らい、何度も即死している筈なのに、この化け物は何度も傷口を再生させながら攻撃を続けているのだ。

 

 こいつは不死身なのか?

 

「タクヤ、こいつはいったい………!」

 

「分からん。だが、まだ終わりじゃない!」

 

 ナタリアも、こいつが再生しているところを目にしていたんだろう。今しがたフランシスカを殺した筈のナタリアにそう言った俺は、背中の再生を始めたフランシスカの姿を見て嘔吐しそうになった。

 

 再び伸び始める筋肉と背骨。断面から新たな肉が生え、反対側の肉や骨と結びつき、徐々に傷口を塞いでいく。もし俺が魔物から素材を取ることに慣れていなかったら、既に嘔吐するか発狂していたことだろう。

 

 もう死んでくれ。もう再生しないでくれ。

 

 そう祈りながら再生するフランシスカを見下ろすが、彼女は相変わらず楽しそうに笑いながら起き上がり、剣を向けてくるだけである。

 

 くそったれ、このままじゃ全員弾切れだぞ!?

 

 ステラのガトリング砲を投入するか? いや、あれは切り札だ。凄まじい連射速度で30mm弾を連射するあのガトリング砲の集中砲火に耐えられる魔物は数少ないだろう。だが、あれはすぐに弾切れしてしまうという弱点があるし、敵が再生するならばどれだけ攻撃しても焼け石に水である。せめて敵が再生できる回数に上限があるならばいいんだが、再生回数に限度があるならばわざわざ被弾しながら攻撃してくる真似はしないだろう。

 

 歯を食いしばりながら作戦を考え始めていたその時だった。

 

 巨木の葉に覆われていた筈の夜空が、蒼白く煌めいたような気がした。はっとして頭上を見上げると同時に駆け抜けて行ったのは、落雷のような轟音。その音を聞くだけで身体を引き裂かれ、たちまち感電死してしまうような凄まじい轟音だった。

 

 これはただの落雷ではない。猛烈な雷属性の魔力だ。

 

「敵か………?」

 

 もしこれが新たな敵の来訪ならば、チェック・メイトだ。ただでさえフランシスカに手こずっているというのに、こんな雷属性の魔術を操る敵までやってきたのならば、もう撤退しか選択肢はあるまい。逃げる方向は考えず、メウンサルバ遺跡へと向かうという目的を一時的に除外して、敵からの逃走を最優先にして遁走しなければならない。

 

 すると、がさがさと頭上の葉の群れが揺れた。雨で湿った葉の群れを突き破り、何かが夜空から下りて来たのだ。

 

 その下りてきた何かが、空中で武器のようなものをフランシスカへと向ける。クロスボウなのかと思ったが、その武器は銃のようにマズルフラッシュを3回も発し、3発の弾丸をフランシスカへと叩き付けた。

 

 一瞬だけ、微かな月明かりでその得物が見えた。ハンドガンのようだが、トリガーの前部から斜め下にフォアグリップが伸びている。特徴的なフォアグリップと、ハンドガンでありながら3点バースト射撃が可能だという特徴で、俺はすぐにその銃の正体を見切る。

 

 イタリア製マシンピストルのベレッタM93Rだ。高い命中精度を持つ上に3点バースト射撃が可能な銃で、9mm弾を使用する。今しがたそれをぶっ放した人物は続けざまにフランシスカに弾丸をお見舞いすると、右手を背中へと伸ばし―――――――細身のクレイモアを引き抜き、落下しながらフランシスカの頭へと叩き付けた。

 

「ギエッ――――――――」

 

「………」

 

 漆黒の刀身は、先端部のみ溶鉱炉に放り込まれた金属のように赤くなっている。あれはサラマンダーの角の特徴であり、角を素材に使った剣は必ずあのような色になるという。つまり、あの大剣はサラマンダーの素材を使っているという事だ。

 

 通常のドラゴンに分類されるサラマンダーだが、戦闘力ならばエンシェントドラゴンに分類されてもおかしくないと言われるほどのドラゴンである。その素材はサラマンダーの討伐が困難であるせいでなかなか出回らず、鍛冶屋でもそれを使った武器は稀にしか作られることはない。

 

 あの人物は、サラマンダーを撃破できるほどの実力を持つというわけだ。

 

 この人は誰だ?

 

 フランシスカを両断したその人物は、早くも再生を始めたフランシスカに弾丸を撃ち込むと、ため息をついてから俺の傍らへとジャンプして下がってきた。

 

 身に着けているのは軍服のような漆黒の制服だ。漆黒の軍帽をかぶり、背中には大剣の鞘を背負っている。制服の肩にあるエンブレムは―――――――真紅の羽根と、ハンマーのエンブレムである。

 

 軍帽の下から後ろへと伸びるのは、俺と同じポニーテールだった。髪の色は分からないが、おそらく蒼だろう。

 

 この人物の特徴から母親を連想した俺は、暗闇の中ではっとしながらその人物の後姿を凝視した。

 

「まさか………母さん!?」

 

 あの剣は、確か母さんも持っていた。銃を手にしても剣を使い続けたという母さんは、親父が義足を作ってもらった際に余った素材で作られたサラマンダーの大剣を愛用し、今でも使い続けているという。家で素振りしている時も使っていたし、これを愛用するポニーテールの剣士は母さんしかいない。

 

 すると、駆けつけてくれたそのポニーテールの剣士は、剣を構えながらゆっくりとこっちを振り向いた。

 

「――――――久しぶりだな、タクヤ」

 

 凛々しい声。この声は、生まれた時から何度も耳にした声だ。俺を夜更かしさせた親父を咎める時や、俺とラウラを叱った時に聞いた声もこの凛々しい声だった。

 

 凛々しくて、心強い。久しぶりに母の声を聞いた俺は、息を吐きながら久しぶりに母の瞳を見つめる。

 

「母さん、こいつは………?」

 

「フランシスカか。なるほど………懐かしい奴だ」

 

「あぁぁ………あら、エミリアじゃないのぉ………」

 

 再生を終えて立ち上がったフランシスカも、母さんが現れたという事に気付いたらしい。頬に残っていた自分の血を舐め取り、にやりと笑ったフランシスカは、地面に突き刺さっていた自分の剣を引き抜いた。

 

「21年ぶりねぇ………。やっぱり、老けたのかしらぁ?」

 

「………吸血鬼になったか、フランシスカ」

 

「ふふっ………きゃはははははははっ! これでいいわ! これであなたにも復讐できる! エミリアをズタズタにして力也の前に連れて行けば、きっとあいつは絶望するでしょうね! 自分の妻が―――――――」

 

 その時、狂喜していたフランシスカの左腕がいきなり切り離され、後方へと吹っ飛んでいった。まるで何かに切り落されたかのようだったが、母さんは俺の目の前に立ったままだし、剣は全く動かしていない。

 

 まさか、エリスさんも助けに来てくれたのかと思った俺は、母さんの剣の市場ほんの少しだけ変わっていることに気付き、今何が起きたのかを理解した。

 

 ―――――――凄まじい速度で剣を振り払い、衝撃波だけでフランシスカの左腕を切断したのである。

 

 馬鹿な………! おいおい、全然見えなかったぞ!? 

 

 今の剣戟は何だ!? 

 

「なっ………!?」

 

「私をズタズタにする? ………ふん、その前にお前がキャベツみたいに千切りにされるのではないか?」

 

 左手のベレッタM93Rを向け、母さんが笑う。

 

 これが世界最強の傭兵たちの実力なのか………! 

 

 剣戟は全く見えない。笑っただけで増した威圧感に引き裂かれそうになる。この錯覚は、それほど実力に差があるという事を意味しているのだろう。

 

 母さんは味方だというのに、ぞっとした。

 

「殺すのが楽しいのだろう? ほら、楽しい殺し合いをしようじゃないか。私に復讐したいんだろう? 力也にも復讐したいのだろう? なら始めようじゃないか。――――――なあ、フランシスカ」

 

「こ、この………騎士団を裏った売女がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 絶叫し、剣を振り上げながら突っ込んで来る。母さんはベレッタM93Rをホルスターの中へと戻すと、両手でクレイモアの柄を握り、切っ先をフランシスカへと向けた。

 

「エミリア・ハヤカワ――――――――推して参る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の大剣が、蒼白い電撃を纏う。炎属性のドラゴンであるサラマンダーの素材を使っているというのに電撃を纏わせるのは、武器と纏わせる属性があっていないと思うかもしれない。普通の魔術師ならばそう決めつけ、彼女の本当の力を見ることはないだろう。

 

 だが、エミリアからすればこの剣こそが自分の雷属性の魔力を最大限に発揮できる最良の得物である。

 

 マグマだらけの火山で生き抜いてきたサラマンダーの素材は、耐熱性や耐火性に非常に優れる。マグマの中に長時間放り込んでいても融解する事はないし、燃え上がる事もない。だからサラマンダーの素材を使った武器に纏わせるべき魔力は炎属性だと言われる。

 

 エミリアは騎士団にいた頃から、剣に雷を纏わせて戦う事があった。雷属性こそが彼女の最も得意とする属性であったため、それを纏わせていたのである。だが、電撃を強力にすればするほど剣は電流が流れる際に生じる熱に耐えきれなくなり、融解するか劣化する羽目になる。そんな真似をすれば、手にしている剣はたちまち使い物にならなくなってしまうのだ。

 

 だからそれは切り札のようなものだったのだが――――――このサラマンダーの大剣ならば、彼女の電撃と熱に耐えてくれる。

 

 つまりこの得物ならば、エミリアはやっと本気で雷を使う事が出来るのだ。

 

 復讐しようとしていたエミリアを目にして、狂喜しながら怒り狂うフランシスカ。21年間も蓄積した恨みを放出しながら迫ってくるフランシスカだが、エミリアはその憎悪を真正面から目にしても、冷静沈着だった。

 

 その程度の憎悪なら、戦場で何度も経験してきた。

 

 フランシスカは21年間も怨念を貯めこんでいたようだが、エミリアは21年間も戦闘の経験を貯めこんでいるのである。この貯め込んだものの違いで、早くも勝敗は決まっていた。

 

 盾に振り下ろされたフランシスカの剣を、エミリアは右から左へと剣を振り払って迎撃する。時々夫と模擬戦をする事があるのだが、様々な得物を使いこなす夫に勝利した回数はまだ数回しかない。だからエミリアにとって、今の一撃は別に本気の剣戟ですらなかったのだが――――――フランシスカからすれば、凄まじい一撃であった。剣を持っていた腕もろともへし折られてしまいそうな衝撃に耐えたフランシスカは剣を引き戻すが、反撃するよりも先にエミリアは更に接近していた。

 

 振り払った剣の切っ先を地面に突き立て、まるで地面もろとも切り刻もうとしているかのように、地面を擦りながら大剣を振り上げるエミリア。森の地面を覆う苔や草むらが蹂躙され、土色の溝が刻まれる。

 

 吸血鬼となったフランシスカだが、再生能力を持つとはいえ痛覚が存在しないわけではない。先ほどタクヤたちと戦っていた時は被弾しながら突撃していたが、今しがたの剣戟で恐怖を感じてしまった彼女は、いつの間にか激痛を忌避するようになっていた。

 

 その忌避感が、フランシスカを後ろへと回避させる。

 

 すると、そのまま振り上げられる筈だったエミリアの大剣が、突然ぴたりと止まった。

 

「!?」

 

「ふん」

 

 なぜ剣を止めたのかと思った瞬間、まるで剣だけを置き去りにするかのようにエミリアが1歩前へと前進した。そして右手を愛用の得物の柄へと伸ばして掴むと、大剣を地面から引っこ抜き、まるで柔道の背負い投げをするかのように構えてから思い切り振り下ろしたのである。

 

 土の中から引き抜かれた漆黒の大剣が、蒼い電撃を纏う。

 

 モリガンのメンバーの中でも接近戦を得意としていたエミリアは、銃という異世界の武器を知っても、剣を手放すことはなかった。彼女にとって最良の得物は、やはり銃よりも剣だったのだろう。

 

 だからこそ剣を使い込み―――――――慣れたのだ。

 

「フェイントだ、阿呆」

 

「こ、この――――――――」

 

 振り下ろされた刀身が、再びフランシスカの頭を蹂躙した。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 親父たちのせい

 

要塞の騎士1「オルトバルカ人は通してやらないからな」

 

要塞の騎士2「ぎゃははははははっ!!」

 

タクヤ「く、くそ………」

 

フランシスカ「見つけたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

ラウラ「ふにゃああああああああ!?」

 

エミリア「………原因は私たちだよな?」

 

リキヤ(ご、ごめんなさいッ!)

 

 完

 

 



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最期の呪詛

 

「ぐ………げ………ッ!」

 

「貴様の怨念はこの程度か、フランシスカ」

 

 頭を大剣で両断され、大量の鮮血を森の中にまき散らしながらもまだ睨みつけてくるフランシスカを、母さんは冷淡に見下ろしていた。

 

 21年間も恨み続けたのならば、その怨嗟は凄まじいものになるだろう。だが、彼女が親父や母さんを恨み続けている間に、母さんたちは数多の実戦を経験して実力を上げ続けていたのだ。

 

 人々を蹂躙する転生者を瞬殺し、騎士団を薙ぎ払う魔物を殲滅するほどの実力を付けた母さんたちに、ひたすら恨み続け、吸血鬼となった奴が勝てるわけがない。

 

 あの再生能力はかなり厄介だが、これほど実力差が開いているのならば再生を繰り返す事は苦痛でしかない。再生して再び蘇るという事は、また死ぬ苦痛を味わう事になるのだから。しかも、自分で死のうとしてもその再生能力が勝手に傷口を再生させてしまうため、死ぬことは出来ない。

 

 母さんの持つ大剣の刀身を素手で握り、強引に頭から離して再生を始めるフランシスカ。だが、もう彼女は笑っていない。今までの怨念をぶつけるべき相手の1人が目の前にいるせいなのか、フランシスカは息を荒くしながら母さんを睨みつけている。

 

「その剣………銀の剣ではないみたいね………!」

 

「ああ」

 

「なら、私は殺せない! 吸血鬼の弱点は知ってるんでしょ!?」

 

 吸血鬼の弱点は、幼少の頃に図鑑で読んだことがある。

 

 今では数が激減している吸血鬼の弱点は、日光や銀や聖水などである。他にも教会の鐘の音も弱点の1つと言われており、殆どの吸血鬼はこの弱点で攻撃されれば再生することは出来ない。

 

 日光は彼らにとって熱線に等しく、聖水は濃硫酸のように吸血鬼の肉体を溶かしてしまう。銀の剣や矢で攻撃されれば再生することはなく、人間のようにそのまま死んでしまう。

 

 だが、中にはそれらの弱点で攻撃されても再生し、身体能力が若干低下する程度であまり効果が無い吸血鬼も存在するという。そういう吸血鬼はあのレリエル・クロフォードのように吸血鬼の中でも強力な者たちであるため、倒すには複数の弱点で同時に攻撃しなければならないという。ちなみに親父たちもヴリシア帝国でレリエルと交戦し、複数の弱点での攻撃で辛うじてレリエルを撃退している。

 

 母さんの剣は強力な代物だが、いくら凄まじい切れ味を持ち、高熱に耐えられるほどの耐熱性を有していても、銀や聖水を纏っていない限りフランシスカは殺せない。彼女との戦いは終わらないのだ。

 

 だが、百戦錬磨の傭兵である母さんが吸血鬼の弱点を知らない筈がない。ため息をついた母さんは剣を地面に突き立てると、腰に下げていたホルダーの中から1本の杭を取り出した。

 

 ナイフのようなグリップがついているが、そのグリップの先に取り付けられているのは銀の杭だ。杭の表面には古代文字のような記号が刻まれていて、微かな月明かりに照らされながら銀色に煌めいている。

 

「これなら、殺せる」

 

「そ、それは――――――――」

 

 杭を目にしたフランシスカの怨嗟が、一瞬だけ消失した。

 

 銀の杭で貫かれれば、再生することは出来ない。今までのように何度も体を再生させ、襲い掛かることは出来なくなる。人間と同じ条件になるのだ。

 

 吸血鬼の身体能力が人間を凌駕する事を加味しても、彼女では杭を持った母さんから逃げられるわけがない。剣術で劣っているし、瞬発力やスピードでも敵わないだろう。

 

 逃げることはできないのだ。

 

 杭を逆手持ちに構え、母さんがゆっくりと歩き出す。

 

 フランシスカは後ずさりしたが――――――母さんから逃げることはできないと理解しているのだろう。後ずさりの速度がゆっくりと遅くなり、その代わりに片手に持った剣を強く握り始める。

 

 追い詰められて、恐怖よりも怨念が上回ったのだろう。フランシスカは金切り声のような雄叫びを上げると、頭を斬られた際に付着していた血で汚れたまま、剣を振り上げて母さんへと向かって駆けだした!

 

 一矢報いるつもりか! 

 

「か、母さんッ!」

 

「心配するな」

 

 杭を構え、母さんはフランシスカを迎え撃つ。

 

 絶叫しながら剣を振り下ろすフランシスカ。その剣戟は先ほど母さんに圧倒されていた時よりも遥かに速かったが――――――その一撃は、母さんよりも遅い。

 

 毎朝あの剣で素振りを繰り返していた母さんを子供部屋の窓から見下ろしていたから、あの一撃が母さんの足元にも及ばないという事はすぐに理解した。最速のスポーツカーとランナーが勝負するようなものだ。

 

 あっさりと右に避けられ、フランシスカは目を見開く。ぎょっとしながらフランシスカは母さんを追撃しようと剣を引き戻すが、もう既に回避を終えて杭を突き出していた母さんを剣で斬れるわけがない。

 

 彼女の剣が引き戻され、やっと振り払われ始めた頃には、もう既に杭の先端部が彼女の胸に触れ、皮膚を食い破ろうとしているところだった。

 

 恐怖が、彼女に喰らい付く。

 

 21年間恨み続けても、21年間戦い続けた猛者には届かない。

 

「―――――ギエェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」

 

 彼女が発した絶叫は、あの杭に心臓を貫かれて死ぬという恐怖と、復讐する事が出来なかったという無念が混ざり合った禍々しい叫びだった。杭を突き立てる母さんを睨みつけ、まだ殺意を向けた絶叫を発するフランシスカだが、母さんは冷淡なままだ。

 

 銀色の杭が皮膚を突き破り、肉に風穴を開けて胸骨を打ち砕く。そしてその奥にある心臓を貫き―――――――フランシスカの絶叫を、止めた。

 

 ぴたりと彼女の絶叫が止まる。残響が反響を繰り返す中から聞こえてくるのは、フランシスカの呼吸だけである。

 

「………終わりだ」

 

「ふ……ふざ…ける……なぁ………ッ! 私は……速河………力也を………殺すんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「!」

 

 絶叫は止まったが、まだ彼女の殺意は止まっていなかった。

 

 杭で心臓を貫かれたフランシスカが、鋭い牙の生えた口を大きく開き、杭を突き立てて直後の母さんに掴みかかったのだ。俺は大慌てでリボルバーをホルスターから引き抜き、銃口をフランシスカに向けたが―――――――トリガーを引くよりも先に、リボルバーの銃声を上回る轟音が森の中に響き渡った。

 

 聞き覚えのある轟音だと思った瞬間、いきなりフランシスカの下半身が木端微塵になる。俺のリボルバーは火を噴いていない。母さんはフランシスカに掴みかかられたまま目を見開いているだけだ。いくら母さんでも、瞬時に彼女の下半身を木端微塵にできるような攻撃を繰り出せるわけがない。

 

 その攻撃を放ったのは―――――――最も獰猛で、最も冷酷な遺伝子を父から受け継いだ最強の狙撃手(スナイパー)だった。幼い頃から狙撃と索敵に秀でていた腹違いの姉が、フランシスカの憎悪の外側から12.7mm弾を放ち、彼女を突き放したのである。

 

 ヘカートⅡを構えながら標的を睨みつけるラウラの赤毛は、明るいところで見れば炎のような赤毛に見えるが、暗闇で見れば鮮血のような紅に見える。

 

 ラウラの弾丸に止めを刺されたフランシスカは、口から血を吐き出しながら自分に止めを刺した少女を睨みつけた。

 

「ま……た………殺されるのか………!」

 

 止めを刺したのは、21年前に自分を殺した男の娘。それが更に彼女の憎悪を肥大化させたが、心臓に銀の杭を突き立てられた彼女の身体は、もうその憎悪を俺たちに叩き付ける事が出来なくなっていた。

 

 木端微塵にされた下半身の断面が、まるで水をかけられて崩れていく砂の山のように崩壊していく。肉片や骨が崩れ、徐々にフランシスカの身体が消えていく。

 

「呪って……やる………」

 

 21年間も親父たちを憎み続けた亡霊が、最後の呪詛を発する。

 

「死んでしまえ……裏切り者………! お前の子供も……孫も………!」

 

「………」

 

「お前の一族など………滅んで………しまえ………………ッ! あははっ………キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 両腕が崩壊し、フランシスカの胴体が地面に落下する。

 

 流れ落ちた鮮血も煙になって消滅し始め、胴体も崩壊していく。取り残された彼女の頭だけがひたすら狂ったように笑い続けていたけど、すぐにその頭も崩壊し、冷たい森の地面の上で消滅していった。

 

 最後の最後まで、あのフランシスカという吸血鬼は呪詛を発し続けていた。ここで殺された21年前から、ずっと親父たちの事を憎んでいたのだ。

 

「………今撃ったのは、ラウラか?」

 

「ああ」

 

「………そうか。娘に助けられたな」

 

 ラウラが撃たなかったら、俺がリボルバーで頭を撃っていた。母さんに親孝行するチャンスだったのかもしれないが、ラウラに横取りされちまったな。

 

 フランシスカが消滅した地面の上には、彼女の心臓を貫いた銀色の杭が取り残されていた。付着していたフランシスカの鮮血すら消滅し、まるでまだ得物を貫いていないかのように煌めくその杭を拾い上げた母さんは、悲しそうな顔をしてからしゃがみ込むと、フランシスカが呪詛を発し続けていた場所にその杭を突き立て、目を瞑ってから軍帽をかぶり直す。

 

「………残虐な奴だったが、あいつは私の戦友だった」

 

「同じ騎士団だったんだよな………」

 

「ああ………。きっとあいつは、私があの世に行っても恨み続けるだろうな………」

 

 母さんや親父を恨んでいるのは、フランシスカだけではないだろう。

 

 傭兵として世界中で戦いを続けてきた母さんたちは、もう何人も敵を殺している。傭兵の戦いは敵との戦いだけではなく、死者の怨嗟との戦いでもあるのだろう。

 

 サラマンダーの大剣を地面から引き抜いた母さんは、「ほら、行くぞ」と俺に言うと、剣を背中の鞘に戻してから踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、仲間が増えたな。それにガルちゃんも元気そうだ」

 

「ふふっ。久しぶりじゃのう、エミリアよ」

 

 野宿する事にしていた洞窟の前に立つ仲間たちを見渡しながら、母さんは嬉しそうにそう言った。まだ王都を出発してから半月くらいしか経過していないが、仲間は増えたし、強くなることも出来た。

 

 腕を組みながら喜ぶ母さんの隣に立っていると、ナタリアが俺を見てから母さんの顔を凝視し始めた。きっと俺と母さんがかなり似ていることに驚いているのだろう。

 

 性格は親父に似たのかもしれないが、俺の顔つきや髪の色等は母さんに似ている。しかも髪型も同じだから、母さんと同じ服装をしたら見分けるのは難しいだろう。さすがに俺は女じゃないから胸の大きさで見分けることは出来るかもしれないけどな。

 

「みんな。すまないが………これからもこの2人を頼む」

 

「はい、任せてください!」

 

「わたくしたちが支えますわ!」

 

「ステラも手助けします」

 

「ふふっ。いい仲間たちだ。――――――あ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 両手を腰に当てながら笑っていた母さんは、いきなり笑うのを止めると俺の方を振り向いた。何か話でもあるんだろうかと思いながら首を傾げると、いきなり母さんに手を掴まれ、仲間たちから少し離れた場所まで引っ張られ始めた。

 

 何の話だろうか?

 

 すると、母さんは俺の耳元に口を近づけ、囁き始める。

 

「実はな………フィオナが最近キメラの研究を始めたんだが………」

 

「フィオナちゃんが?」

 

 数日前までエイナ・ドルレアンにいて、ナタリアのために新しい武器を作っていたというのに、王都に戻ってもう別の研究を始めたのか。

 

 しかも、研究しているのはキメラの研究だという。キメラは義足を移植した親父が変異して生まれた新しい種族なんだが、親父よりも前に変異を起こした前例はないため、研究するのはかなり難しいだろう。

 

「それでな………キメラは、基本的に人間と同じなんだが、一部だけサラマンダーと同じ習性を持っているらしい」

 

「同じ習性?」

 

「ああ。その習性の中で面倒な習性があってだな………。その、ラウラよりもお前の方がしっかりしてるから、これを託しておく」

 

 え? 面倒な習性って何?

 

 母さんは詳しい事を言わないままポケットに手を突っ込むと、小さなケースを取り出して俺に渡した。試験管の半分くらいの大きさのケースにはコルクの蓋がついていて、中には風邪薬のような小さな錠剤が入っている。

 

 これは何だ?

 

「母さん、この薬は?」

 

「その習性の対策だ。―――――――実はな、お前とラウラには………発情期があることが判明した」

 

「………は?」

 

 は、発情期………?

 

 どういうこと? 俺とラウラに発情期があるだって?

 

 母さんは俺から目を逸らしつつ、説明を続ける。出来るならば目を合わせたまま説明してほしいものだ。

 

「期間は17歳から18歳までの間で、突発的に衝動が来るらしい。だから衝動が来たら、この薬を飲めば………」

 

「衝動を止められるって事か?」

 

 俺が言うと、母さんは目を逸らし、顔を赤くしたまま首を横に振った。

 

 え? この薬で衝動を止めるんじゃないのか? じゃあ、この薬は何に使うんだ?

 

「この薬を飲めば、相手が妊娠することはないぞ。安心してラウラに食べられるがいい」

 

「-――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 ちょっと待て! それ衝動を止めるための薬じゃなくて、妊娠させないための薬かよ!? しかも何で俺がラウラに食べられるんだよ!? 俺が襲われるのか!!

 

 それに、何で止めないの!? 俺とラウラは腹違いだけど姉弟なんだぞぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?

 

「お、お母さん!? 何で止めないの!? 何で俺がラウラに食べられるの!?」

 

「………ラウラが怖いんだもん」

 

 お母さんまで諦めないでぇッ!!

 

 しかもお母さんもラウラにビビってるのかよ!?

 

「それにな………ハヤカワ家の男は、女に襲われ易い体質らしい」

 

「マジ!?」

 

 という事は、親父も母さんやエリスさんに襲われたのか………。

 

 母さんは相変わらず目を逸らしたまま腕を組むと、ちらりと仲間たちの方を見てから更に顔を赤くした。

 

 俺の仲間は女ばかりだ。もし俺まで女に襲われ易い体質を受け継いでいたのならば、親父よりも大変な目に遭うだろう。親父はエリスさんと母さんの2人で済んだかもしれないが、俺の仲間は全員女である。

 

「キメラの衝動はドラゴン並みに強いらしいから、人間の精神力では耐えられないらしいぞ」

 

「う………」

 

 なんてこった。

 

 ドラゴン並みに強い衝動なら、人間の精神力では確かに耐えられないだろうな。俺でも耐えられないかもしれない。

 

 もし衝動が来たら、この薬を飲めという事か。

 

「では、私はそろそろ王都に戻る。吸血鬼の討伐も済んだし、薬も渡したからな」

 

「そういえば、吸血鬼がいるって事を知ってたのか?」

 

「ああ。諜報部隊が察知していたんだ」

 

 モリガン・カンパニーには諜報部隊までいるらしい。戦う分野は警備分野だけだと思ってたんだが、物騒な企業だな………。警備分野だけでも騎士団を凌駕するほどの戦力があるというから、もしかしたらこの企業ならばオルトバルカ王国を掌握できるんじゃないか? 親父の支持率も高いし。

 

 まあ、親父は絶対にそんなことはしないだろう。美女を2人も抱いた変態親父だが、そんな野心家ではないからな。

 

「………母さん」

 

「ん?」

 

 踵を返し、どこかで待っている仲間の所へと戻ろうとする母さんを呼び止める。

 

 フランシスカは、母さんが来てくれなければ倒せなかっただろう。ガルちゃんが吸血鬼だと見抜くまで分からなかったし、吸血鬼と戦ったことはなかったから混乱していた。

 

 でも、母さんのおかげで助かったんだ。今までお世話になったんだし、いつか親孝行しないと。

 

「―――――――いつか、絶対親孝行するよ。ありがと」

 

「ふっ。なら、子供が生まれたら遊びに来るがいい。子供たちが幸せに生きているのが、最高の親孝行だよ」

 

 にやりと笑い、手を振りながら森の中へと歩いていく母さん。

 

 俺の子供が出来たら、母さんにとっては孫か。

 

 そんなことを考えながら、俺は森の中へと歩いていく母さんへと手を振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 



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ガルゴニスの警告

 

 クガルプール要塞の南に広がる森の先には、騎士団の駐屯地があるナバウレアという街がある。かつて母さんが所属していた駐屯地でもあるし、親父が母さんを連れ去り、オルトバルカへと逃げ延びるきっかけになった場所でもある。

 

 両親の戦いが始まった場所とも言える街だが、俺たちの目的地はそこではない。俺たちの目的地は、メサイアの天秤の資料が発見されたというメウンサルバ遺跡だ。

 

 既に発見された資料は聖地の騎士たちが回収し、聖地の倉庫に保管したという。

 

 聖地とは、この異世界の南極に存在する場所の事である。世界中の秘宝や伝説の武器などが保管されている場所であり、各国の教団が管理している場所とされている。保管されている物で最も有名なのは、おそらくレリエルと大天使の伝説に登場する聖剣だろう。

 

 かつて大天使がレリエルを討伐するために旅立った際、神々が大天使のために2つの剣を作った。片方はロングソードで、もう片方はダガーだったという。

 

 レリエルとの戦いで大天使は彼の心臓にロングソードを突き立て、封印することに成功するが、吸血鬼が持つ汚染された魔力によって刀身は浸食され、禍々しい魔剣へと変貌されてしまう。その戦闘でひたすらレリエルの攻撃を弾き返し、辛うじて汚染されずに済んだダガーの方が聖剣と呼ばれている。

 

 その本物の聖剣が、南極の聖地に名だたる秘宝と共に保管されているのだ。そして大昔に錬金術師が作り出したというメサイアの天秤の資料も、伝説の秘宝と共に保管されることになる。

 

 おそらく、その資料を閲覧することは不可能だろう。閲覧が許されているのは各国の教団の上層部のみで、国王や皇帝でも秘宝を閲覧することは許されていない。

 

 だが、メウンサルバ遺跡に到着すれば収穫はあるかもしれない。ステラたちが話す古代語は非常に複雑な言語であり、現在でも完全に解読は出来ていないという。そのため資料の翻訳は難航するだろう。教団が天秤を回収するために動き始めるには、まだ猶予が残っている筈だ。

 

 俺たちの仲間には、その複雑な古代語を母語とするサキュバスの生き残りがいる。ステラからすれば、翻訳の難しい古代語は自分の母語なのだから、容易くそれが何を意味するのか翻訳してくれることだろう。

 

 資料が保管されていた遺跡は、考古学者たちにとっては複雑な言語の山でも、俺たちにとってはその資料と同じ価値を持つヒントとなる。

 

 母さんの加勢のおかげでフランシスカを退け、無事に森を抜けた俺たちは、メウンサルバ遺跡を目指して南へと移動を続けていた。

 

「やっと街についた………」

 

「ふにゅう………つ、疲れたよぉ………」

 

「まあ、昨日の夜は襲撃されてゆっくり眠れなかったし………」

 

 母さんを見送った後、俺が見張りを担当してみんなは眠ることになったんだが、いきなり強敵の襲撃を受けて落ち着けなかったせいなのか、全員あまり眠れなかったようである。だが、魔物が徘徊している可能性のある森の中で寝坊するわけにもいかないので、何とか近隣の街までやってきたのだ。

 

 俺たちが辿り着いたのは、ナバウレアの西にある『ドナーバレグ』という街だ。周囲に防壁が建てられているのは他の街と同じで、街の入口から工場の煙突や巨大な倉庫が見えるのも他の産業革命の影響で発展した街と変わらない。

 

 産業革命が起きたのはオルトバルカだが、隣国であるラトーニウスや、フィオナ機関を輸出されたヴリシア帝国も徐々に発展を始めている。ただし、やはり一番最初に発展したオルトバルカ王国には追い付けていないらしく、後塵を拝する格好になっている模様だ。

 

「ひとまず、朝食にいたしません? 腹ごしらえも大切ですわ」

 

「それもそうだな………」

 

 慌ててトラップを回収して森を後にしたため、朝食はまだ摂っていない。カノンに朝食を摂るべきだと提案された瞬間に鳴り始めた自分の腹の音を聞き、顔をしかめた俺は、同じく空腹の仲間たちを見渡しながら苦笑する。

 

「ステラにもちゃんとご飯をあげるからな。………さすがに街中じゃ拙いから、管理局の宿泊施設につくまで我慢してくれよ?」

 

「はい。頑張って我慢します」

 

 街中でステラにご飯はあげられない。なぜならば、彼女の主食は普通の食べ物ではなく魔力だからだ。しかも魔力を吸収するためには生まれつき刻まれている刻印を相手に触れさせなければならない。

 

 ステラの場合、刻印は舌に刻まれているため、魔力を吸収するには相手に舌を触れさせながら吸収しなければならない。だから彼女が食事をする際はいつもキスされるんだが、そんなことを街中でやったら大問題になる。

 

 だから、彼女の食事は場所をちゃんと選ばなければならなかった。

 

 我慢してくれると言ったステラの頭を撫でると、ステラは嬉しそうに微笑みながら顔を赤くする。以前までは無表情が普通だった彼女だが、一緒に旅をするようになってからは段々と感情が豊かになりつつある。

 

 もう少ししたら、もっと笑ってくれるだろうか。彼女の笑顔はきっと可愛らしいんだろうなと想像しながら大通りを進み、宿屋か管理局の宿泊施設を探す。

 

 管理局の施設は世界中に用意されており、普通の宿屋よりも格安で宿泊できるし、ダンジョンについての情報も無償で提供してくれるため、普通の宿屋よりも出来るならばこちらを利用したいところである。しかも食堂もあるし、値段も安い。更にアイテムや非常食を販売するショップも施設内にあるため、冒険者ならばメリットだらけの場所なのだ。

 

 この街にも施設はある筈だと思いながら大通りを進む。露店で販売されている物なのか、美味しそうなパンの香りが鼻孔へと入り込み、その露店へと俺の身体を誘おうとする。ここでペンを購入し、仲間と分け合いながら食べるのも悪くないなと思いつつ歩き続けていると、やがて露店の群れの向こうに見覚えのあるエンブレムと真っ黒な看板が出現した。

 

 伝統的な建築様式を守り続ける他の建物とは違い、より近代的で威圧的な建築様式の漆黒の建物が、鍛冶屋の隣に鎮座している。壁を真っ黒に塗り潰されたビジネスホテルのように見えるが、入口の看板に刻まれているエンブレムと、その施設に入っていく剣を持った冒険者の姿が、その建物がビジネスホテルではないという事を物語っている。

 

 冒険者管理局の宿泊施設だ。

 

「ここだな」

 

「む、お前たちはここに泊まるのかのう?」

 

 施設を見つけて安心していると、フランシスカとの戦いで援護してくれたガルちゃんが瞼を擦りながら尋ねてきた。戦闘中は的確な弾幕で援護してくれたガルちゃんだが、大人びていたように見えた戦闘中とは違い、眠そうに瞼を擦る姿は8歳の幼女と変わらない。

 

「ああ。ガルちゃんはどうする?」

 

「ふう………すまぬが、ここでお別れじゃのう」

 

「え? もう別れるんですか?」

 

 ガルちゃんと俺たちの行き先は違うのだ。彼女もこれから向かわなければならないところがあるのだろう。

 

 11年前からずっと長旅に出ているガルちゃんは、親父から仕事を頼まれて世界中を旅しているという。何のための旅なのかは教えてくれなかったけど、彼女もいつまでも俺たちと一緒にいるわけにはいかない。

 

「残念じゃよ。………じゃが、お前たちがちゃんと成長しているようで安心したわい」

 

「ふにゅう………またガルちゃんとお別れなのぉ………?」

 

 ラウラや俺にとって、ガルちゃんは姉のような存在だ。見た目は幼女だけど俺たちよりも常に大人びていて、戦い方を教えてくれた彼女とは、もうお別れしなければならない。

 

 家族の1人でもあるガルちゃんとお別れするのが辛いらしく、まるで小さな子供のように涙目になるラウラ。このままガルちゃんが踵を返したら、泣き出してしまうに違いない。

 

 17歳になっても小さい頃と変わらない姉を見つめながら微笑むガルちゃん。彼女は涙目になったラウラの頭の上に背伸びしながら手を伸ばすと、ベレー帽の上からラウラの頭を撫で始めた。

 

「まったく………背伸びしないと手が届かなくなってしまったわい」

 

「うう………ガルちゃん、寂しいよぉ………」

 

「お前ももうこんなに大きくなったんじゃ。………あんな強敵と戦えるほど強くなったのじゃろう? じゃから泣くな、ラウラよ」

 

「………ぐすっ」

 

 服の袖で涙を拭い、ラウラはガルちゃんを見下ろした。幼い頃のラウラにそっくりな姿のエンシェントドラゴンは微笑むと、静かにラウラに抱き付いた。

 

 ガルちゃんはラウラから手を離すと、今度は俺の近くまでやってきた。やはり彼女も俺たちと別れるのが寂しかったのか、ラウラに抱き付いていたガルちゃんの目の周りは微かに濡れている。

 

「タクヤよ、お前たちはこれからどこへ向かうのじゃ?」

 

「えっと、メウンサルバ遺跡だけど………」

 

「ふむ、あそこも確かダンジョンの1つだった筈じゃ。冒険者として実力を上げるがいい」

 

「ああ。それに――――――――メサイアの天秤の手がかりもあるかもしれないし」

 

「なに?」

 

 メサイアの天秤の名前を聞いた瞬間、先ほどまで微笑んでいたガルちゃんの顔が強張った。そういえばガルちゃんに旅の目的が天秤を手に入れる事だというのは言っていなかったが、どうしてそんなに驚いているのだろうか?

 

 最古の竜なのに、天秤が実在する事を知らなかったのか? それとも、天秤がどんな代物なのか知っているのか?

 

「お主、天秤を探し求めておるのか………?」

 

「そうだけど………。なあ、ガルちゃんは最古の竜なんだろ? 天秤がどんなものなのか知ってるか?」

 

 するとガルちゃんは、俯いてから息を吐いた。天秤がどんな代物なのか知っているらしいが………どうしてこんな表情をする?

 

「ああ、知っている」

 

「本当ですか!?」

 

「ガルちゃん、教えてくれ。天秤ってどんな物なんだ? 普通の天秤みたいなのか?」

 

 願いを叶える事が出来るメサイアの天秤は、大昔の錬金術師が生み出したものだと言われている。ガルちゃんが生まれたのは人間という種族が生まれるよりもずっと昔だから、彼女は天秤の存在を知っている筈なのだ。

 

 だが、ガルちゃんはまるで危険な遊びをする子供を咎める母親のように溜息をつくと、俺の顔を見上げた。

 

「―――――あんなもの、求めてはならん」

 

「え?」

 

 天秤を求めるなって事なのか………?

 

 どういうことだ? だって、メサイアの天秤は願いを叶える事が出来る伝説の天秤なんだろ? どうして求めてはいけないんだ?

 

「なあ、ガルちゃん。天秤を求めるなって事か?」

 

「その通りじゃ」

 

「どうしてですの? あれは伝説の―――――――」

 

「ああ、確かにあれは手に入れた者の願いを叶える伝説の天秤じゃ。―――――――じゃが、あんなもので願いを叶えても、願いが叶わんのと同じじゃよ」

 

「は? どういう意味だよ………?」

 

 メサイアの天秤を使って願いを叶えても、叶わないのと同じ………?

 

 俺はガルちゃんに尋ねようとしたが、天秤の事を知っている伝説のエンシェントドラゴンはもう天秤の話をするのが嫌になったのか、俺を見つめていた目を逸らすと、踵を返して街の門の方へと歩き出してしまう。

 

「おい、ガルちゃん!」

 

「………お前たち、天秤には関わるな」

 

 その一言は、本当の警告のようだった。

 

 警告を残したガルちゃんは、今度こそ踵を返して入口の方へと歩いていく。小柄な彼女の姿はすぐに人込みに隠され、掻き消されてしまったかのように遠ざかっていく。

 

 彼女は、俺たちが天秤にかかわるのを止めようとしているのか?

 

 メサイアの天秤は、あのガルゴニスが警告するほど危険な代物なのか?

 

 あの天秤は、手に入れた者の願いを叶える伝説の天秤ではなかったのか? 

 

 次々に組み上がる疑問の産声を抑え込みながら、俺はまだ微かに見えるガルゴニスのヘッドドレスをじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。冒険者管理局ドナーバレグ支部へようこそ」

 

「宿泊したいんですが、いいでしょうか?」

 

 ロビーのカウンターにいる制服姿の女性に出迎えられた俺たちは、証明書代わりにもなる冒険者のバッジを提示しながらそう言った。バッジを受け取った女性は「少々お待ちください」と言うと、バッジを確認するためのミシンのような機械を作動させ、俺たちの確認を始める。

 

 宿泊施設のロビーは、まるで前世の世界のホテルのようだった。木製の床と天井に包まれた素朴で伝統的な宿屋とは異なり、真っ白な壁と真っ赤に絨毯で装飾されたロビーは、宿屋での宿泊に慣れた冒険者からすれば貴族の屋敷のようにも見えてしまう事だろう。

 

 だが、このような内装を見たことのある俺は、まるで前世の世界に戻ってきたような感じがして、またあのクソ親父のいる家に戻らなければならないと思うと浮かんでくる憂鬱な気分を久々に味わった。

 

 もう、戻りたくない。俺はもう、この世界で生きるキメラなのだ。

 

 水無月永人はもう死んでいるのだから。

 

「はい、ありがとうございます。空いているお部屋は2人部屋と3人部屋のみになっておりますが、こちらでよろしいでしょうか?」

 

 5人部屋は空いていないという事か。やはり、冒険者向けに用意されている施設は利用する冒険者が多いな。朝食を摂らずにここに来たのは正解だった。

 

 仲間たちの顔を見渡すが、宿泊費が高くなる宿屋に泊まってまで5人部屋で休もうとするメンバーはいないようだった。宿屋ならば宿泊するために1人につき銀貨10枚は必要になるが、管理局の施設ならば、冒険者だという確認が取れれば銀貨4枚で済む。

 

 所持金と非常食を節約しながら旅をしてきた俺たちがどちらを選ぶべきなのかは、もう決まっているのだ。

 

「ええ、ここでお願いします」

 

「かしこまりました。お部屋は4階の411号室と412号室になります」

 

 女性から鍵を受け取り、仲間たちと共に階段を上がっていく。

 

 石で作られた立派な階段を上り、踊り場に飾られている銅像を鑑賞しながら4階へと辿り着いた俺たちは、空いていると言われた部屋のドアを開けて部屋の中を確認した。

 

 411号室は2人部屋になっていて、やや狭めの寝室にトイレと浴室が用意されている。部屋の真ん中に置かれている小ぢんまりとしたテーブルの上には新聞とコーヒーカップが置かれていて、傍らにあるソファの上にはチラシとクッションが置かれていた。

 

 その隣にある412号室の方は3人部屋のようだ。411号室よりも若干広く、ベッドの数やソファの広さが違うが、基本的に構造は同じになっているらしい。

 

「さて、どっちの部屋にする?」

 

「ふにゅー………お姉ちゃんは、タクヤと一緒がいいな」

 

「私はどっちでもいいわよ?」

 

「ステラも構いません」

 

「では、お姉様とお兄様が2人部屋でよろしいのではありませんか?」

 

 その方が良いだろうな。俺とラウラが離れることになったら、きっとお姉ちゃんは不機嫌になるだろうし。

 

 カノンの提案を聞いたラウラは嬉しそうに笑うと、「うん、それがいいっ!」と楽しそうに言いながら俺に抱き付いてきた。

 

「じゃあ、そうしよう。ほら、鍵」

 

「どうも」

 

 ナタリアに412号室の鍵を渡してから、俺はラウラに頬ずりされたまま部屋の中へと向かい、入り口のドアを閉める。

 

 少しだけ仮眠を取ってからはずっと歩いたままだったから、俺は真っ先にソファに腰を下ろした。相変わらず俺にくっついたままのラウラも同じように隣に腰を下ろすと、勝手に俺のフードを取り、あらわになった蒼い髪の匂いを嗅ぎ始める。

 

 別れる直前に言っていたガルちゃんの警告がまだ気になるが、俺たちは天秤のヒントすら掴んでいない。まずはメウンサルバ遺跡に向かってヒントを集めなければ。

 

 俺の髪の匂いを嗅いでいたラウラが、今度は俺の喉元へと手を伸ばしてきた。コートのチャックをゆっくりと下に下ろし始め、髪の匂いではなく首筋の匂いを嗅ぎ始める。

 

 まさか、発情期の衝動が早くも来たのかと思った俺は、大慌てで母さんが渡してくれた薬の容器へと手を伸ばしたが、どうやら甘えたかっただけらしく、横から抱き付いたまま俺の匂いを嗅ぎ続けていた。

 

 野宿している時はこんなに甘える暇はなかったからな。それに、やっぱり2人きりの時の方が甘え易いんだろう。

 

 俺が逃げられないように自分の尻尾を巻きつけてくるラウラ。彼女の柔らかい尻尾を片手で撫で回すと、尻尾の先端の方がぴくりと動いた。

 

 もう少し尻尾を撫で回してから、彼女のベレー帽をそっと取る。森の中では鮮血のような紅に見えた彼女の赤毛は、あの時のような禍々しい色ではなく、炎のような赤毛に戻っていた。いつもの甘えん坊で優しいお姉ちゃんの赤毛だという事を理解して安心した俺は、伸び始めている彼女の角を触りながらもう片方の腕でラウラを抱き締めた。

 

 



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20秒で紳士を辞めるとこうなる

 

 管理局の宿泊施設には、食堂も用意されている。冒険者向けの施設だからなのか、収入が少ない冒険者の事も考慮して食堂のメニューの代金は極めて安価だ。普通の食堂やレストランならばカレーライス1人分で銅貨10枚くらいなんだが、ここの食堂ならば銅貨5枚でカレーライスを注文する事が出来る。実力のある優秀な冒険者ならば所持金を節約するようなことはしないんだが、まだ収入が低い俺たちにとっては非常にありがたい。

 

 メニューの代金を見て、ハーピーの照り焼き定食がたったの銅貨3枚で味わえると知った時は嬉し泣きしそうになったんだが、その感動は目の幼女の前に並んでいた料理が消え、皿が積み上げられていく度に摩耗していった。

 

 皿に盛られたソーセージをフォークで口へと運び、その傍らに添えられていたザワークラウトをスープ用のスプーンで一気に掬い、同じく小さな口へと運んで咀嚼する。先ほどまでは皿の上に乗っていた5人分のソーセージを1人で平らげてしまった幼い少女は、空になった皿を他の皿の上に重ねると、今度はフライドチキンが乗っている皿へと手を伸ばす。

 

 俺たちはぽかんとしながら、彼女が次々に料理を平らげていく姿を見つめる事しかできなかった。

 

「タクヤ、このフライドチキンという食べ物は美味しいのですね」

 

「あ、ああ………」

 

 片手に持った小さなフォークでフライドポテトをまとめて串刺しにし、口の中で噛み砕かれているフライドチキンを飲み込むまで順番待ちさせるステラ。口の周りにフライドチキンの肉汁を付けながら飲み込んだ彼女は、今度はフライドポテトを口へと放り込み、美味しそうに咀嚼を始める。

 

 ちょっと待て。サキュバスの主食は魔力だろ? 

 

 ハーピーの照り焼きをフォークで突き刺したまま辛うじてサキュバスの体質を思い出す事が出来たが、お構いなしに次々に料理を平らげ、食費を増やしていく彼女を咎めることは出来なかった。

 

 長い間1人で地下に封印されていて、寂しかったんだろう。まだ物騒な世界だけど、彼女にはこの世界を楽しんでほしい。

 

 だが、いくら食事の値段が安価とはいえ、いくつも料理を平らげられては食費が凄まじい事になる。下手をしたらステラの食費だけで所持金を使い果たし、アイテムや素材を売る羽目になるかもしれない。

 

 とりあえず、食事が済んだら前にナタリアが仕留めてくれたゴーレムの素材を売りに行こう。肉は売れないかもしれないが、外殻と内臓ならば買い取ってもらえることだろう。

 

「す、凄い食欲ですわね………」

 

「あ、カノン。そのポテトサラダを取ってもらえますか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 フライドチキンを喰い尽し、今度はカノンの目の前に置いてあったポテトサラダを食べ始めるステラ。俺の隣でデザートのパフェを食べていたラウラとナタリアは、やはりまだぽかんとしながらステラを見つめている。

 

 サキュバスの主食は魔力であるため、人間などが食べるような普通の食べ物をステラが口にしたとしても、空腹が消えることはない。しかも魔力以外の食べ物を口にしても満腹になる事はないし、太る事もないので食べ放題というわけだ。

 

「すみません」

 

「は、はい、何でしょうか?」

 

 コップの乗ったトレイを手にしていたエルフのウェイトレスをステラが呼び止める。最初は幼い少女が料理を注文しようとしていたからなのか、ウェイトレスの人は微笑んでいたけど、ステラが完食した料理の皿の数を目にした途端、目を見開きながらこっちを見てきた。

 

 ステラの目の前に積み上げられている皿の数は20枚以上。明らかに幼女が平らげられる量ではないし、ステラはまだ料理を食べるつもりだ。

 

 さすがに客に食べ過ぎだと咎めるわけにはいかないため、黙って用件を聞くウェイトレス。食事代が所持金を上回らない事を祈りながら、俺は照り焼きを口へと運ぶ。

 

「ホットケーキを5人分お願いします。それと、アイスクリームのチョコレートを」

 

「か、かしこまりました………」

 

 それも1人で食うつもりじゃないだろうな?

 

 苦笑いしながら彼女を見つめていると、ステラは俺の顔を見ながら首を傾げた。彼女は何か理解できない事があると、あのように無表情で首を傾げる癖がある。

 

 可愛らしい癖だが、出来るならこのデザートで注文は最後にしてほしい。このまま放置してたら、厨房の食材を全部喰い尽してしまうんじゃないだろうか。

 

「す、ステラちゃんって大食いなのね………」

 

「ふにゃあ………あんなに食べられないよぉ………」

 

「そうですか? ステラはまだまだたくさん食べられますが………」

 

 そんなに食べたら金がなくなるよ。

 

 冷や汗をかきながらハーピーの照り焼きを完食し、水の入ったコップを持ち上げる。朝食を食っていなかったから俺も料理を大盛りで注文してしまったが、果たして食事代は足りるのだろうか。足りなかったら手持ちのアイテムを売って支払うしかない。

 

 きっと、危険なダンジョンをいくつも調査している優秀な冒険者たちはこんなに食事を注文しても涼しい顔で支払うんだろうなぁ………。

 

 コップの水を飲みながらため息をつく。今は食事を摂る時間じゃないから他の冒険者は少ないだろうと思っていたんだが、冒険者にとって規則正しい生活とは無意味なものらしい。他のテーブルには俺たち以外の冒険者たちが居座っていて、もう朝食の時間ではないというのに料理を注文したり、金を賭けてトランプをしながら、調査したダンジョンや討伐した魔物の自慢話をしている。

 

「それで、この前ダンジョンでスライムに追いかけられてさ――――――」

 

「知ってるか? 最近はボルトスネークの皮が高値で売れるんだぜ?」

 

 ボルトスネークか。家にあった図鑑にも載ってたな。

 

 ボルトスネークは高圧の電流を発する魔物だ。獰猛な魔物で、成長すると全長が10m以上になるという。獲物を発見すると子供の絶叫のような特徴的な鳴き声を上げながら絡み付き、高圧電流で感電死させてから捕食するらしい。

 

 中にはドラゴンを感電死させて捕食した個体もいるという。

 

 凄いな。あんな怪物を討伐した冒険者もここにいるのか。

 

「ふにゅ………ボルトスネークかぁ………」

 

「ん? どうした?」

 

「ねえ、タクヤの電撃とボルトスネークの電撃だったらどっちが勝つのかな?」

 

「分からん」

 

「お兄様なら負けませんわ」

 

「ええ。きっとタクヤなら、逆にボルトスネークを感電死させて食べてしまう事でしょう」

 

 俺がボルトスネークを食うのかよ………。

 

 苦笑いしながらナタリアの方を見てみると、彼女はパフェのスプーンを咥えながらにやりと笑った。どうやら彼女も俺がボルトスネークを倒せると思っているらしいが、俺はあくまでサラマンダーと人間の混血のキメラだからな? 電撃は使えるが、これは本来の能力ではなく母さんから遺伝したものだ。

 

 それにしても、キメラの身体って便利だよな。生まれつき持っている能力にもよるけど、人間よりも身体能力が高いし特殊な能力を持っている。立って歩けるようになった時は、前世の時よりも身軽に動けたことに驚いてよく家の中を歩き回っていたものだ。姉であるラウラよりも先に歩き出したものだから、母さんは大喜びしていた。

 

 幼い時のことを思い出しながらコップをテーブルの上に置くと、やっとステラのデザートが運ばれてきた。大きめの皿の上に乗る5枚のホットケーキの上にはメープルシロップと溶けかけのバターが乗せられていて、甘い香りを放ち続けている。

 

 そして、一緒に運ばれてきたチョコレート味のアイスクリームの皿がテーブルの上に置かれる。これでもう終わりだよな?

 

 美味しそうなホットケーキの香りを嗅ぎながら食事代の心配をしていると、また食堂に別の冒険者がやってきた。まったく汚れや傷のついていない銀色の立派な防具を身に着け、背中には黒と黄金の二色で塗装された立派な槍を背負っている。防具の下に来ている紅い服には黄金の装飾がついていて、肩の辺りには家紋のような紋章が刻まれていた。

 

 貴族出身なのか?

 

 その武器と防具を身に着けているのは、細身の金髪の少年だった。俺たちと同い年くらいなのだろうか。同い年という事は冒険者の資格を取得したのは最近という事になるが、あんなに立派な装備を持っているのは報酬で購入したからなのだろうか。それとも、貴族だからあんな立派な装備をすぐに買えたのだろうか。

 

 ここにいる冒険者たちに自分の装備を見せつけながら歩く少年の後ろからは、斧を手にした体格のいい大男と、杖を手にした魔術師の女性がやってくる。彼の仲間なのだろう。

 

「おい、あの槍ってボルトスネークの牙を使ったやつじゃないか………!?」

 

「マジかよ。そんな高級品を持ってるのか!」

 

 自分たちの自慢話から、その少年の装備へと冒険者たちの話題が変わる。それを聞いて気分が良さそうににやりと笑ったその少年を見た瞬間、俺はすぐに目を逸らした。

 

 どうせ自分で討伐したのではなく、大金を払って買い取ったものなのだろう。ボルトスネークと実際に戦ったことはないが、図鑑にもドラゴン並みに危険な魔物だと書かれている魔物をあんな少年が倒せるわけがない。

 

 親父や母さんのような猛者たちと幼少期から模擬戦をやってきたせいなのか、相手がどれほどの実力を持つのかはその人物の纏う雰囲気で予想できる。親父たちのような百戦錬磨の傭兵ならば、戦う時や相手を威嚇する時以外は威圧感を抑えておくものだ。相手に自分の実力を予測させず、確実に仕留めようとする。だがあの少年はまるで自分の実力を見せびらかしているようにしか見えない。この時点で、あいつが大した実力者ではないという事は予測できてしまう。

 

 椅子の背もたれに寄りかかりながら食事中のステラを見守っていると、後ろの方から足音が近づいてきているような気がした。まさか、あの冒険者がこっちに来ているのかと思って後ろをちらりと見てみると、やはり先ほど食堂に入ってきた冒険者が、空いている席を探すふりをしながらわざとらしくこっちへと歩いて来ている。

 

「おやおや、随分と大食いな仲間がいるんだね」

 

 幼女があんなに料理を頬張っていれば話しかけてくることだろう。出来るならば話しかけて欲しくなかったが、無視すればさらに話しかけてくるに違いない。

 

「………まあな」

 

 とっとと空いている席に座って飯を食ってから帰ってくれと願ったんだが、この少年はしつこい奴なのかもしれない。ハーピーの照り焼きを完食した俺の隣へとやってくると、俺の肩に触れてきやがった。

 

 腕をへし折ってやろうかと思ったが、まだステラが食事中だ。彼女の食事を邪魔するわけにはいかない。

 

 冒険者同士の喧嘩は日常茶飯事で、殴り合い程度ならば管理局は干渉してこない。喧嘩を本当に止めようとするのは、武器を使って喧嘩を始めようとした場合のみである。

 

 それにこいつはおそらく貴族出身だ。こんなところでぶん殴ったら面倒なことになるに違いない。親父だったらぶん殴っている事だろうが、親父は貴族の許嫁を連れ去ったから面倒なことを経験しているのだ。しかもその事件はフランシスカの襲撃やラトーニウスとの関係の悪化にも影響を与えている。

 

 俺は親父の二の舞にはならんぞ。女に間違われる男子だが、紳士的に済ませてやる。俺は紳士なのだ。

 

「食事代は大丈夫? 僕が代わりに支払おうか?」

 

「結構だ。手痛いが、支払い切れる額だからな」

 

「そう。………ところで君たち、随分と軽装だね。初心者なのかな?」

 

 うるせえ。俺たちは銃を使うから防具が要らないだけなんだよ。それに接近戦はナイフで十分だ。剣はかさばるからな。

 

 全く装飾がついていない荒々しいワスプナイフを見下ろした少年が、鼻で笑いながら言った。

 

「こんなナイフだけじゃ、ダンジョンの魔物は危険だよ? 剣を買った方が良いんじゃない?」

 

「大きなお世話だ」

 

 それにこいつはワスプナイフだ。剣よりも殺傷力は高い。

 

「怖いねぇ。―――――――もしかして、装備を買うお金が無いのかな?」

 

 装備を買う金は確かにない。だが、俺には武器を生み出せる転生者の能力がある。ポイントを消費するが、これならばコストは全くかからないから武器の心配はする必要が無い。

 

 イライラしながら黙っていると、この少年は図星だと勘違いしたのかにやりと笑った。まだ20秒経過したばかりだが、もう紳士を辞めてぶん殴るべきだろうか。

 

「もし良かったら、一緒に闘技場の試合に出場しない?」

 

「闘技場?」

 

「知らないのかい? この街には闘技場があってね、毎週冒険者同士の試合が開かれてるんだよ」

 

 そういえば、部屋に置いてあったチラシにも闘技場の事が書かれてたな。疲れてたし、ラウラに甘えたかったからちゃんと読まなかったけど、確か優勝者には賞金も出ると書いてあったような気がする。

 

 賞金かぁ………。優勝できれば、ステラの食費も気にならなくなるかもしれないな。出場してみようかな。もちろんこの貴族の野郎とは一緒に出場するつもりはないけどな。

 

「一緒に出場してみない? 僕と一緒なら、確実に優勝できるよ?」

 

「遠慮しておく。出場するなら、この仲間たちと出場させてもらうよ」

 

「へえ。………こんな弱そうな奴らと一緒に? 君も弱そうだけど」

 

 あ?

 

 おい、弱そうな奴らだって? ラウラやナタリアたちが弱そうな奴らなのかよ?

 

 隣で少年を無視するようにパフェを頬張っていたラウラのスプーンが止まった。赤い瞳が虚ろになり、腰のホルダーに収まっているトマホークへと片手を伸ばし始める。

 

 俺は首を横に振ってラウラを止め、少年を睨みつけた。俺の左隣にいるナタリアは表情を変えていなかったが、やはりこの馬鹿は気に入らないらしい。放つ雰囲気がより冷たくなっている。

 

 カノンも同じく黙っているが、やはり彼女も不機嫌そうだ。その隣にいるステラは、少年が眼中にないのか相変わらずホットケーキを頬張り、チョコレート味のアイスクリームを口へと運んでいた。

 

 俺の仲間たちは、全員強いぞ? お前は俺の仲間を侮り過ぎだ。

 

「ねえ、エリック。もう行きましょうよ。お腹空いたわ」

 

「そうだぜ。初心者に高級な装備を見せつけるのは可哀想だろ?」

 

「あははっ、それもそうだね。じゃあね、初心者の皆さん」

 

 後ろで待っていた仲間たちに催促され、エリックはニヤニヤ笑いながら俺たちに手を振りながら空いている席へと向かって歩いて行った。

 

 まだイライラするが、コップの中の氷を噛み砕いて強引に落ち着かせる。もしかしたら、俺は親父よりも我慢強いのかもしれない。

 

「………嫌な奴ね」

 

「ふにゅ………あいつ、絶対許さない。タクヤは初心者だけど、小さい頃から強くなるために訓練を受けてるのに………!」

 

「ラウラ、落ち着け」

 

 俺が弱いと言われてかなり腹が立ったらしく、ラウラはスプーンを持っている手を握りしめながらあの少年を睨みつけた。いきなり冷気がテーブルの周囲に出現したかと思うと、彼女の白い手に握りしめられているスプーンの表面が鮮血のように紅い氷に覆われていく。

 

 無意識のうちに氷を出してしまうほど怒り狂っているのだろう。俺はラウラにもう一度「落ち着いて」と言うが、俺も彼女のように怒り狂っている。

 

 ラウラが弱いわけがない。俺と一緒に幼少期から訓練を受けてきた大切な姉なのだ。身体能力では俺よりも劣っていたから、壁を登る訓練やランニングではいつも俺に遅れていたけど、悔し涙を何度も流し、血反吐を吐きながら努力を続けてきたのだ。

 

 だから、彼女を侮辱するのは絶対に許さない。

 

「ところで、あのお馬鹿さんたちは闘技場の試合に出場するようですわね?」

 

「ああ、そうみたいだな。試合はいつだ?」

 

「確か、明日じゃない?」

 

 そうか。闘技場の試合は明日開催されるのか。

 

「じゃあ俺たちも出場してみようぜ。賞金が手に入るらしいし、それに―――――」

 

 コップに残っていた最後の氷を口へと放り込み、奥歯で思い切り噛み砕く。口の中へと飛び散った氷の破片を体温と怒りが溶かし、水へと変えてしまう。

 

 フードをかぶりながらにやりと笑った俺は、仲間たちの顔を見渡しながら言った。

 

「――――――あの馬鹿共を、半殺しにできるからな」

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 キメラの発情期

 

タクヤ「発情期か………。そういえば、親父もキメラだよな?」

 

リキヤ「ああ」

 

タクヤ「親父も発情期はあったのか?」

 

リキヤ「分からん」

 

タクヤ「は?」

 

リキヤ「毎日あの姉妹に搾り取られてたから、発情期の衝動が来たかどうか全く分からなかった………」

 

タクヤ(そんなに襲われてたのかよ………)

 

エミリア「息子に何を言っているんだ馬鹿者ぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

リキヤ「ねげふっ!?」

 

タクヤ「お、お母さんッ! ドロップキックはやめてぇッ!!」

 

エリス「あらあら、ダーリンったら♪」

 

 完

 

 

 



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ボコボコにする準備

 

 工場の煙突や倉庫が乱立する街並みの真っ只中に、その建造物は鎮座していた。周囲に建つ建物が全て小動物のように小さく見えてしまうほどのドーム状の建造物は、天井の中央部だけがくり抜かれていて、その内側から噴き上がる歓声を天空へと放ち続けている。

 

 ドナーバレグの街の中心にある、闘技場だ。

 

 昔は闘技場はなかったそうなんだが、かつてここに駐留していた騎士団たちが訓練を一般公開し始めたことが闘技場の始まりだと言われている。騎士たちの訓練でどちらが模擬戦に勝利するかを観客たちが賭けるようになり、やがて訓練よりもその試合の方が有名になり、このような闘技場が出来上がったというわけだ。今ではもう騎士団の拠点はないため騎士の試合を見ることは出来ないが、世界中から集まってくる冒険者同士の試合はまさに名物で、ここでの賞金で生計を立てる冒険者も存在すると聞く。

 

 試合の前日だというのに、窓口の前には冒険者が何人か並んでいた。明日の試合に出場するために申し込みに来たんだろう。

 

 騒がしい声を聞きながら順番待ちを続け、ついに目の前の冒険者が窓口の前から退く。背後からは「おいおい、美少女たちが申し込みに来たぞ」とからかう声が聞こえてきたが、どうせ明日の試合で半殺しにしてやるのだ。戦う事になったらボコボコにしてやればいいではないか。

 

 窓口の向こうにいたのは、薄汚れた服に身を包んだスキンヘッドの大男だった。身長は2mを超えているだろうか。肌は若干浅黒い大男で、額には魔物の爪で引き裂かれたような古傷がある。傭兵か騎士団出身なんだろうか? 

 

 おそらくこの男性は人間ではなく、オークなんだろう。オークは巨大な身体を持つ種族で、エルフやハーフエルフと同じように奴隷として売られることが多い。身体が頑丈なのはハーフエルフだが、最もパワーがあるのはオークと言われているため、戦場ではオークの奴隷で構成された部隊が最前線でよく奮戦すると言われている。

 

 オークはハイエルフやドワーフのように鍛冶が得意なわけではないし、知能も他の種族と比べると低いらしい。身体が大きい事以外は人間とあまり変わらないため、小柄なオークならば人間と見分けるのは難しいと言う。

 

「すいません、明日の試合に出場したいのですが」

 

「おう、あんたらも申し込みだな? ルールは見たよな?」

 

「はい」

 

 個々の闘技場の試合にはルールが決められている。

 

 まず、試合は団体戦になっている。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人で戦うルールで、5回の戦いのうち3回の戦いに勝利すれば試合は終了となる。例えば、先鋒と次鋒と中堅で勝利すれば、副将と大将は相手の選手と戦わずに済むというわけだな。

 

 しかもこれはトーナメント戦ではなくリーグ戦になっているという。だから必ずあのエリックのチームと戦う事になるというわけだ。

 

 更に、相手を殺さなければどんな手を使ってもいいらしい。銃を使う場合は急所を撃たないように注意するか、あらかじめ実弾ではなく訓練用のゴム弾を準備しておくべきだろう。

 

 個人的にはゴム弾を使うべきだと思う。俺とラウラとカノンは射撃に慣れているから急所を撃ち抜かないようにしていたぶることは出来るが、ナタリアとステラは急所を撃ち抜き、相手を殺してしまう恐れがある。特にステラは正確に射撃をするのではなく、破壊力の大きな重火器を乱射して敵の群れを殲滅するタイプだから、正確な射撃は苦手な分野だ。

 

 それに、ゴム弾だけではなくそれ以外の武器も作っておくべきだろう。特にステラの得物は30mmの砲弾を連射する危険なガトリング機関砲である。例えそれにゴム弾を使ったとしても、その破壊力は実弾と殆ど変わらないだろう。

 

 だからステラのために、せめてLMGは作っておくべきだとは思う。何を作るかは帰路で考えよう。個人的には仲間の武器と同じ弾薬を使う銃が良いと思っている。今のところは6.8mm弾を使ってるけど、そろそろ大口径の7.62mm弾を使用する銃でもいいだろう。

 

「ふむ、ちょうど5人か。言っておくが、相手は殺すなよ? そしてお前たちも死ぬな。殺されそうになったら降伏するんだ。いいな?」

 

「はい」

 

 相手の選手が降伏した場合も、その試合は終了となる。だから殺されそうになったら降伏しろという事なんだろう。

 

 悪いけど、俺は絶対に降伏しないぜ。殺さなければどんな手を使ってもいいのなら卑怯な手をどんどん使ってエリックをボコボコにしてやる。どうせあいつは大将でエントリーするだろうからな。

 

「よし、参加料は銀貨10枚だ。返金はできないぞ」

 

「分かってます。では、お願いします」

 

「おう」

 

 優勝すれば、かなりの量の賞金を手に入れる事が出来るだろう。銀貨10枚をしなう事を恐れてどうする。

 

 銀貨を10枚窓口の男性に渡し、差し出された書類に羽ペンでサインしていく。申込用紙には出場するメンバーと試合に出る順番を記入する必要があるようだが、誰から出場するべきだろうか。

 

 羽ペンを手にしたまま悩んでいると、申込用紙を覗き込んでいたカノンがにやりと笑った。

 

「では、わたくしが先鋒で出場しますわ」

 

「いいのか?」

 

「ええ。お兄様やお姉様のために、このわたくしが露払いをいたします。よろしいですわね?」

 

「頼む」

 

 いきなりカノンが出場するのか。

 

 彼女が最も得意とするのはマークスマンライフルを使った中距離戦だ。精密な狙撃と素早い射撃を同時に行う彼女にセミオートマチック式の銃を持たせれば、戦場は瞬時に彼女の独壇場となる。

 

 しかも、彼女は幼少の頃から剣術や魔術も学んでいるため、敵に接近されたとしてもすぐに迎撃し、返り討ちにする事だろう。

 

 彼女が腰に下げている直刀を見下ろしながら、俺は息を呑んだ。

 

 カノンがドレスのようなデザインの私服の腰に下げているのは、地下墓地での戦いでウィルヘルムからドロップした『ウィルヘルムの直刀』である。ブロードソードのようなバスケットヒルトを持つ直刀で、カレンさんが持つ『リゼットの曲刀』と対になると説明文には表示されている。

 

 まだ一度も振るったことがないらしいが、土属性の強力な刀らしい。そのウィルヘルムの直刀とモリガンの傭兵たちから教わった技術を併せ持つ彼女をいきなり先鋒にするのは早過ぎるのではないかと思ったが、彼女以外の仲間も実力者ばかりだ。

 

 カノンが立候補してくれたのならば、先鋒は彼女に任せるべきだろう。

 

「次は次鋒だな」

 

「じゃあ、私が行くわ」

 

「ナタリアか」

 

 次鋒に立候補したのはナタリアだった。彼女はカノンのように射撃が得意なわけではないが、敵を攪乱する戦い方と奇襲を得意とする。特に弓矢を使用した攪乱はナギアラントでの戦いでも大きな戦果をあげているし、今の彼女はフィオナちゃんによる武器の改造でパワーアップしている。

 

 さすがにコンパウンドボウは殺傷力が高すぎるため使えないかもしれないが、左手の試作型エアライフルは普通の矢ではなく模擬戦用の矢に変更すれば相手を殺害する恐れはないだろう。ククリナイフも毒の入ったカートリッジを取り付けなければ問題はない筈だ。

 

「よし、頼む」

 

「任せなさい。瞬殺してきてあげる」

 

「次は中堅だな」

 

「では、中堅はステラにします」

 

「おお、ステラか」

 

 大型の武器ばかり愛用するサキュバスの末裔が、中堅に立候補した。魔力を自分で回復する能力を持たない種族であるため、戦闘中に魔力が切れてしまわないか不安だが、短期決戦ならば魔力が切れる前に決着を付けられる筈だ。

 

 それに、彼女の武器は破壊力が大きなものばかりだから、もしかすると相手がビビって棄権してくれるかもしれない。

 

 これで中堅まで決まったな。残っているのは俺とラウラだが、どちらが対象をやるべきだろうか。俺はどちらでもいいが、個人的にはエリックを半殺しにしたいから大将をやりたいものだ。

 

 そう思いながら腕を組んでいると、ラウラがニヤニヤ笑いながら俺の顔を覗き込んできた。幼少期からいつも一緒にいた子の腹違いの姉は、何も言わなくても俺が何を考えているのかすぐに察してしまう。母さんたちには「お前たちはテレパシーで会話しているのか」と言われてしまうほどだ。逆に俺も彼女が何を考えているかすぐに察する事ができるから、戦闘中は声に出さなくても連携を取ることは出来る。

 

 幼少期から常に一緒に過ごし、互いの癖や仕草を完全に理解しているからこんな芸当が出来るんだろう。

 

 いつものように俺が何を考えているのか察したラウラは、にっこり笑いながら手を挙げた。

 

「はーいっ! 副将はお姉ちゃんがやりますっ♪」

 

「あら、お姉様が副将ですの? でしたらお兄様が大将ですわね」

 

 ありがたいな。これでエリックの奴を半殺しにできる。

 

「決まったな。すいません、この順番でお願いします」

 

「おう。それじゃ、明日は頑張れよ」

 

「ありがとうございます」

 

 受付の男性に礼を言ってから、俺たちは踵を返して闘技場の出口を目指す。

 

 さて、あの馬鹿共を半殺しにするための武器を決めておこうか。今後の戦いでも主力の武器として使えるように汎用性が高く、なおかつ大口径の弾丸が装填できる銃が望ましい。

 

 だが、ポイントを消費するため、こだわり過ぎるとすぐにポイントを使い果たしてしまうだろう。出来るだけ節約しつつ武器を用意したいところである。

 

 もう持っている武器を確認した俺は、あるアサルトライフルがその一覧の中に紛れ込んでいることに気付き、にやりと笑った。

 

 これがいいな。これならば汎用性が高いし、大口径の弾丸も使える。それに使った事のある得物だから使い慣れているぞ。

 

 早くも使う武器が決まった。あとはこのライフル用にゴム弾も準備しておこう。もちろん、7.62mmの大口径ゴム弾だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ステラにご飯をあげた後、まだ痙攣する腕でアサルトライフルのマガジンを拾い上げた俺は、それをライフルの下部に装着してコッキングレバーを引く。がちん、と元の位置にコッキングレバーが戻る音を聞いて満足してから、肩に担ぎながら息を吐いた。

 

 懐かしい銃だ。旅に出る前の訓練ではよくお世話になっていたアサルトライフルである。

 

 俺が肩に担いでいるのは―――――――ロシア製アサルトライフルのAK-12である。AK-47を改良したAK-74の改良型で、最新型アサルトライフルの1つだ。原点となったAK-47は大口径の7.62mm弾を使用する強力なライフルだったが、命中精度が低く、破壊力が高い代わりに反動が大きいという弱点があった。だがAK-12は命中精度の低さを克服しているし、反動は使用する弾薬を口径の小さな弾薬に変更することで解消する事が出来る。

 

 これを使っていた当時は、弾薬をM16などで使われている5.56mm弾に変更していた。理由は反動が小さくて扱い易かったからなんだが、最近はレベルも上がって反動が気にならなくなってきたため、そろそろ大口径の弾丸が撃てるように改造してもいいだろう。

 

 既に弾薬は5.56mm弾から7.62mm弾へと変更している。折り畳みが可能な銃床は固定式の木製型銃床に変更し、銃身の下にはロシア製グレネードランチャーのGP-25を装備している。マガジンはジャングルスタイルに改造しており、銃身の右斜め上には折り畳み式のスパイク型銃剣を装着した。上部のレールには、チューブ型ドットサイトとブースターを装備している。

 

 余談だが、この折り畳み式スパイク型銃剣はカービン型のモシン・ナガンと全く同じものだ。

 

 銃床だけでなく、グリップとハンドガードの側面や上部を木製のパーツに変更しているため、見た目は最新型のアサルトライフルというよりもAK-47やAK-74に近くなっている。これは俺の好みだ。

 

 ロシア製の武器を愛用する親父におすすめされた銃で、俺も気に入っている。

 

「ふみゅー………懐かしい銃だね」

 

「ああ。しかも弾薬は大口径のやつに変更したから、パワーアップしてるぜ」

 

 眠る前に明日の試合で使う武器の点検をしているラウラが持っているのは、数日前に彼女に渡したキャリコM950だ。彼女にもAK-12を作ってあげようと思ったんだが、ラウラはアサルトライフルを使わないし、SMGもキャリコM950があるから大丈夫だと言われたので彼女の分のライフルは作っていない。

 

「やっぱり、異世界の武器って凄い………」

 

 銃からマガジンを取り外し、弾薬をチェックしてから再び元に戻すナタリア。彼女の持つ銃も、申し込みを済ませてから新しく生産したものである。

 

 ナタリアが持っているのは、ロシア製ショットガンのサイガ12だ。セミオートマチック式のショットガンで、弾薬は12ゲージの散弾を使用する。普通のアサルトライフルと同じように弾薬の入ったマガジンを装着しているため、ショットガンというよりはアサルトライフルのようなフォルムをしている。

 

 連射速度が速いため、近距離での破壊力はアサルトライフルの連射を上回る事だろう。彼女のサイガ12も木製の銃床とハンドガードとグリップに変更されており、接近戦用の折り畳み式スパイク型銃剣にフォアグリップを装備している。

 

「やはり、銃は心強いですわね」

 

「そうだろ?」

 

「ええ」

 

 カノンにも、新しいライフルを用意しておいた。

 

 彼女が持っているのは、AK-12をマークスマンライフルに改造したSVK-12というライフルだ。AK-12の銃身を伸ばしてスコープとバイポットを装備したような外見をしているセミオートマチック式のライフルで、俺のAK-12と同じく7.62mm弾を使用する。

 

 あくまで中距離での射撃のためのライフルであるため、折り畳み式のスパイク型銃剣は装備していない。その代わり木製の銃床には狙撃しやすいように折り畳み式のモノポッドを装備し、銃口にはマズルブレーキを装備している。

 

 こいつで敵をひたすら狙撃し、接近されたのならばウィルヘルムの直刀での戦いに切り替えるつもりなのだろう。新しいマークスマンライフルを点検するカノンは、鼻歌を口ずさみながらマガジンを装着し、コッキングレバーを引きながらスコープを覗き込む。

 

 コッキングレバーが引かれる荒々しい音が、彼女の歌声の中に物騒な波紋を浮かべた。

 

「ガトリング砲と比べると小さいですね………」

 

「す、ステラちゃん。その武器も十分大きいからね?」

 

 新しい銃を点検しながら呟いたのは、いつも大きな武器ばかり使うステラだ。

 

 彼女が持っているのは、同じくロシア製LMGのRPK-12。俺のAK-12をLMG(ライトマシンガン)に改造したタイプの銃で、銃身を長くしてバイボットを装着し、普通のマガジンの代わりに大型のドラムマガジンを装着している。こちらも使用する弾薬を7.62mm弾に変更している。

 

 LMGでありながら、銃身の下には俺と同じくグレネードランチャーのGP-25を装着して火力を強化しているほか、キャリングハンドルも装備している。やはり彼女の得物の銃床とグリップとハンドガードの一部も木製のパーツに変更しており、古めかしい雰囲気を纏っていた。

 

 さすがに実弾を使うと相手の冒険者を殺してしまいかねないため、模擬戦用のゴム弾に変更してある。ただし7.62mmのゴム弾であるため、被弾すれば骨折する可能性はあるだろう。

 

 このゴム弾は模擬戦に使うためのものではない。馬鹿を半殺しにするための弾丸である。

 

「明日の試合………楽しみですわね」

 

「はい。ステラも早くこのLMGをぶっ放したいです」

 

「気に入らない奴らだったし………撃ちまくってやるわ」

 

「ふにゅ………手足の骨を木端微塵にして半殺しにしてやる………きゃははっ………!」

 

 武器の点検を終えた仲間たちが、薄暗い部屋の中でにやりと笑いながら殺気を纏い始める。もし殺気を纏う仲間たちをエリックが目にしたら、この仲間たちが弱いという発言をすぐに撤回する羽目になるだろう。

 

 だが、もう撤回させてやらない。撤回する前に半殺しにするだけだ。

 

「タクヤを馬鹿にしたんだから………思い切り痛めつけてやる。えへへっ、楽しみだなぁ………キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」

 

「そうだなぁ………。楽しみだよ」

 

 明日の試合が楽しみだ。

 

 仲間(同志)たちと一緒に、馬鹿たちをボコボコにするのだから。

 

 スパイク型銃剣を展開した俺は、黒光りする銃剣の表面を撫でながらにやりと笑った。

 

 

 

 



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先鋒の戦い

 

 小さい頃に親父たちと一緒に王都の闘技場で試合を観戦したことがある。オルトバルカ王国の闘技場では人間同士の試合の他に、人間と魔物の試合も行う事があるのだが、貴族たちや裕福な者たちが娯楽として見物しに来る王都と比べると、ラトーニウスの闘技場の観客席に座る観客たちは庶民や労働者が中心のようで、貴族は少数だ。

 

 まだ試合が始まったわけではないというのに闘技場の中では歓声が暴れ回り、激流のように天井の大きな穴から天空へと突き出されている。

 

 初めて闘技場を見に行った時の事を思い出しながら、俺たちは控室へと向かっていた。あの時は観客席で試合を見ていたが、今度は俺たちが試合に出場するのだ。戦うための力は生まれつき持っていたし、その力は親父たちとの訓練で研磨されている。

 

 防具も身に付けず、コートやドレスのような私服姿で場内に入って来た俺たちを、他の冒険者たちは嘲笑しながら見てきた。最近は昔のように全身に防具を身に着ける者は変わり者呼ばわりされ、騎士団などでもそういったタイプの防具は廃れ始めている。今では肩や腕の一部に金属製の防具を付けるのが主流になっているのだが、俺たちはその防具すら身に着けていない。傍から見れば、防具を購入する資金もない初心者だと思われることだろう。

 

 しかも、背負っている武器はこの異世界に存在する事のない武器だ。他の冒険者たちがじろじろと見てくる理由は防具を身に着けていない事と、銃を背負っているからなのだろう。

 

 受付の男性に教えてもらった控室へと向かって長い廊下を進んでいると、見覚えのある金髪の少年が仲間たちと話をしているのが見えた。背中にはやはりボルトスネークの牙を使って作られたと思われる槍を背負い、全く汚れていない銀色の防具を身に着けている。

 

 彼の姿を目にしただけで、ラウラは早くも腰に下げているトマホークへと手を近づけた。あいつが俺を馬鹿にしたことをまだ許していないようだが、彼女の手がトマホークの柄を掴むよりも先に首を横に振った俺は、ため息をついてから再び廊下を進み始めた。

 

 あいつは気に入らないが、ここで怒りを貯めておけば試合でボコボコにした時に爽快な気分を味わう事が出来るだろう。ストレスは溜まるが、怒りを温め直すのも悪くない。

 

「あれ? 君たちも出場することにしたんだね」

 

「………」

 

「あははっ、賞金が欲しいんでしょ? まあ、防具を買う資金もないみたいだし、そこの銀髪の子が食べ過ぎちゃったせいでお金が無くなっちゃったんでしょ? だから僕が払うって言ったのに………」

 

 再びトマホークに手を近づけるラウラ。試合前にこいつを八つ裂きにさせるわけにはいかないので、左手を伸ばして彼女の手を掴んで止めておく。

 

 ラウラ、落ち着け。

 

「お金がないから闘技場の賞金に賭けたか………。言っておくけど、そんな装備じゃ勝てないよ。変わった武器を持ってるみたいだけど、せめてドラゴンの素材を使った武器は用意するべきだね」

 

「………そうだな。だけど、その武器を使いこなせる実力がないと意味がないよな」

 

「なに………?」

 

 こいつは、自分の武器を見せびらかしているだけだ。持っている武器は凶悪な魔物の素材を使った代物のようだが、そういった武器を使いこなすにはその武器を使って戦った経験が必要不可欠となる。

 

 当然ながら武器の間合いは全く違うし、中には癖があるものもある。それを熟知したうえで振るう一撃は、何も知らずに振るう一撃よりも遥かに鋭く、強烈な剣戟となる。

 

 母さんが剣術の訓練の時にいつもこう言っていた。だから剣術の訓練の時は自分で得物を磨き、素振りを欠かすなと言われていたのだ。

 

 エリックの槍は立派だが、まだ実戦で何度も使った事はないのか傷のようなものはないし、砥いだ痕も見当たらない。その程度の経験で使いこなせるわけがないだろうが。

 

「おいおい。防具を買う金を持ってない初心者が先輩を馬鹿にするんじゃねえよ、お嬢ちゃん」

 

 俺に反論されて唇を噛み締めるエリックの隣に立っていた大男が、腕を組んで俺を睨みつけながらそう言ってきた。身に着けている防具も大きめで、腰に下げている剣もでかい。

 

「どうせモリガンの連中の真似でもしてるんだろ? やめとけって。お前らじゃあいつらみたいに強くなれねえだろうし、あの傭兵共も奇妙な飛び道具に頼りっきりの臆病者なんだからよ」

 

「お前――――――」

 

「落ち着け、ラウラ」

 

「ははっ、尊敬してた傭兵たちが馬鹿にされて怒ってるのかぁ?」

 

「やめなよ、ゴードン。初心者の夢を馬鹿にしちゃ可哀そうでしょ?」

 

「とりあえず、頑張ろうね」

 

 肩をすくめながら右手を伸ばしてくるエリック。握手を無視しようかと思ったが、俺は奴の手を握ることにした。

 

 ぎゅっと手を握り、ニヤニヤ笑うエリックを睨みつけながら手を離す。

 

「じゃあね」

 

 エリックは嘲笑しながらそう言うと、仲間を連れて廊下の奥へと歩いて行った。奴らの控室は向こうなのか。

 

 仲間と話を続けるあいつを見てにやりと笑った俺は、仲間たちに「行こうぜ」と言ってから再び控室を探し始めた。

 

「ねえ、なんで握手しちゃったのよ? 無視すればいいのに」

 

「おいおいナタリア。俺の戦い方を知ってるだろ?」

 

 腹の立つ奴と握手をしたことが気に食わなかったのか、エリックたちが控室に戻ってから不機嫌そうに言うナタリア。だが、俺は全く不機嫌ではない。むしろ調子に乗るエリックを見ていると笑い出しそうになる気分だ。

 

 ナタリアはやはり気付いていなかったらしく、「は?」と言いながら首を傾げる。昔からずっと一緒にいるお姉ちゃんなら気付いているよなと思いながら隣にいるラウラを見てみると、先ほどまで不機嫌そうだったラウラは親父にいたずらした時のようにずっとニヤニヤ笑っているようだった。

 

 相手を殺さなければどんな手を使ってもいいというルールならば、問題はない筈だ。

 

「――――――俺が正々堂々と戦うわけないじゃん」

 

「えっ?」

 

「あ、控室はここかな?」

 

 ラウラが見つけた木製のドアには、俺たちの名前が書かれた張り紙が貼られていた。さすがにラトーニウスで『ハヤカワ』や『ドルレアン』と名乗るわけにはいかないため、俺とラウラとカノンはファミリーネームまで申込用紙には書いていない。フルネームで書いてあるのは、ナタリアとステラだけである。

 

 ドアの向こうに会ったのは食博施設よりも狭い部屋で、中には木製のテーブルと椅子が人数分置かれている。テーブルの上には水の入った容器が用意されていて、その傍らには試合の順番が書かれた紙が置かれていた。

 

「ふむ………タクヤ」

 

「ん?」

 

 椅子に腰を下ろしてメニュー画面を開き始めた俺を、その紙を拾い上げたステラが呼んだ。ステラは初めて俺から魔力を吸収した際に言語などの情報も一緒に吸収しているため、現代の文字の読み書きはお手の物である。魔力にはそういった情報も含まれているらしい。

 

 俺たちの試合がいつなのか分かったんだろう。「いつだ?」と問いかけると、いつも無表情のステラは珍しくにやりと笑い、紙を隣にいたナタリアに渡しながら言った。

 

「―――――――幸先が良いですよ。1回戦目からあのお馬鹿さんたちと対戦です」

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始の時刻が近づいてきて、闘技場のスタッフが呼びに来てからは笑いが止まらなくなりつつあった。微かに聞こえてくる歓声と審判のアナウンスを聞きながら廊下を歩き、試合会場へと向かう。

 

 足音と銃が揺れる音を聞く度、ニヤニヤと笑ってしまう。あんなに調子に乗っていたバカが、完膚なきまでにボコボコにされるのだから。

 

 俺は大将だから戦うのは一番最後だが、せめて早く先鋒の試合でも観戦しながら大笑いしたいものだ。まるで楽しみにしている大イベントの前日のようにウキウキしながらスタッフの後ろを歩いていると、廊下の奥にある巨大な扉の前まで俺たちを案内したスタッフが、「健闘を祈る」と言ってから遠ざかっていった。

 

 この向こうが試合会場なのだろう。

 

「さて――――――ボコボコにしにいくか」

 

「えへへっ、楽しみだなぁ」

 

 カノンが先鋒で、ナタリアが次鋒を務める。中堅はステラで、副将はラウラが立候補してくれた。

 

 あ、もしカノンとナタリアが先に買ってしまったら俺たちの出番がないな。エリックの仲間が完敗するのを見るのも面白そうだが、やっぱり馬鹿は直接ぶちのめさなければ。

 

「もし先に2回勝っちまったら、悪いがあと2回はわざと負けてくれるか? 俺もあの馬鹿をぶちのめしたい」

 

「ステラは構いません」

 

「ふにゅ………すっきりしないけど、タクヤのためだもん」

 

 申し訳ないな………。

 

 俺は2人の頭に手を伸ばすと、撫でながらにやりと笑った。

 

「申し訳ない。――――――でも、いきなり降伏する必要はないからな。審判が止めない程度に思い切りボコボコにしてから降伏しなさい」

 

「それはいいですね」

 

「うん、そうするっ!」

 

 圧倒していた奴が相手を散々ボコボコにしてからわざと降伏すれば、あの馬鹿も腹を立てるに違いない。しかも碌な防具を持っていない初心者だと決めつけていた奴らにそんな事をされれば、あいつのプライドは木端微塵になるだろう。

 

 面白い戦いになりそうだなぁ………。ひひひっ、楽しみだぜ。

 

『観客の皆さん、お待たせしました! ついに本日の第一試合が開始されます! では、選手に入場して頂きましょう!』

 

 音響魔術を使ったアナウンスが聞こえてきたかと思うと、目の前に鎮座していた巨大な扉がゆっくりと左右に開き始めた。

 

 このアナウンスに使われているのは、エルフが編み出し、数年前までは廃れていた音響魔術だ。音波を魔力によって操る事が出来るこの特殊な魔術を使いこなす人材はごく少数なのだが、ミラさんがモリガンの一員として活躍し、その一員がこの音響魔術で戦果をあげたことで、各国で音響魔術の見直しが始まりつつある。

 

 扉の向こうに広がっているのは、円形のアリーナのように巨大な広場だった。ドーム状の広場の天井には穴が開いていて、そこから観客たちの歓声を天空へと打ち上げ続けている。広間の周囲に用意されている客席は庶民や労働者が埋め尽くしており、飲み物や軽食を販売員から購入しながら、これから始まる試合を待ち続けていた。

 

 客層は違うが、この熱気はあの時と変わらない。かつて王都の試合を見に行った時、俺たちもあの客席に座って冒険者や騎士たちの試合を見物していたのだ。

 

『なんと、今回は初心者のチームも出場しております! 黒いコートの美少女が率いるこのチームはまだ無名ですが、防具を身に着けずに奇妙な武器を持つモリガンを彷彿とさせるチームであります! 今回の試合を勝ち抜くことは出来るのでしょうかッ!?』

 

 あれ? 申込用紙にはちゃんと性別を書いておいた筈なんだが、さっきあのアナウンスの人は俺の事を美少女って言わなかったか? 間違えたのかな?

 

 仲間たちの中で、俺以外に黒いコートを着ているメンバーはいないし、黒いコートの美少女というのは俺の事に違いない。

 

「美少女だって、タクヤ」

 

「ふにゅっ。タクヤは男の子なのに」

 

 くすくすと笑い始める2人に向かって肩をすくめ、広場へと入場する。扉を通過した瞬間に歓声が更に膨れ上がり、天井に空いている円形の穴から入り込む日光が俺たちを照らし出した。

 

 雨が降った時はあの穴をどうするんだろうかと思っていると、またアナウンスが聞こえてきた。反対側にある扉がゆっくりと開き、その向こうから金髪の少年に率いられた5人のパーティーが、客席に手を振りながら入場してくる。

 

『おっと、第一試合はいきなりエリックのチームが登場です! 前回の大会で優勝したチームと初心者たちの試合です! あの少女たちは大丈夫なのでしょうか!?』

 

「あら、前回の優勝者でしたのね」

 

「優勝者ってあの程度なのですか?」

 

「この闘技場のレベルが低いだけなんじゃないの?」

 

 なるほどね。前回の試合で優勝している奴なら、まだ無名のチームに完敗したらプライドを木端微塵にされるだろうな。普通の奴ならば前回の優勝者という肩書には恐怖を感じるだろうが、俺たちの場合はむしろ戦意が上がっている。ボコボコにして、プライドを粉砕してやるのだ。

 

『では、さっそく先鋒の試合を開始しましょう! 他の選手の皆様は、座席までお下がりください!』

 

 座席が用意してあるのか。では、そこからカノンの試合を観戦するとしよう。

 

「頑張れよ、カノン」

 

「ええ。ボコボコにしてきますわ」

 

「おう」

 

 SVK-12を背中に背負いながら広場の中央に残るカノン。俺たちは楽しそうににこにこ笑う彼女を更に励ますと、後ろの方に用意してある座席へと向かい、腰を下ろした。

 

 俺たちの座席と客席が近いせいなのか、頭上から観客たちの声が良く聞こえる。

 

「おいおい、あんな可愛らしいお嬢様が戦えるのかよ?」

 

「部屋の中で大人しく舞踏会の練習でもしてた方が良かったんじゃねえか?」

 

 カノンは確かにお嬢様だが、幼少期から戦いからを学んでいる猛者でもあるんだよ。他のお嬢様よりも遥かに強いぜ。

 

 エリックのチームの先鋒は、痩せ細った男性だった。黒いシャツに黒いバンダナを身に着け、モリガン・カンパニー製の短剣を持っている。まるで盗賊のような恰好の男だ。

 

 では、相手を半殺しにしてやれ、カノン。

 

 

 

 

 

 

 睨みつけてくる相手の選手の威圧感は、全くカノンには通用していなかった。幼少の頃から両親に戦い方を教えられ、モリガンの傭兵である2人の威圧感を感じながら模擬戦を続けているのである。

 

 だから、その程度の敵が放つ威圧感で怖いと感じる感覚は、彼女が成長するとともに置き去りにされているのだ。

 

 カノンが持つSVK-12に装填されているのは、7.62mmのゴム弾。相手を殺さないようにタクヤが用意した代物だが、元々大口径の弾丸をゴム弾へと変更したものであるため、被弾すれば骨折する可能性もあるだろう。

 

 中距離用のマークスマンライフルを使うには少々近いが、カノンはあまり気にしない。14歳の少女にしては大人びているカノンは、いつものようにスコープを覗き込み、かつて傭兵として戦っていた母親と同じように相手を睨みつけた。

 

「アベル、殺すなよ! お嬢様だからな!」

 

「分かってるって!」

 

『では――――――試合、始めッ!』

 

 音響魔術で増幅された審判の声が、観客たちの歓声にのしかかるかのように闘技場へと響き渡る。

 

 もう試合は始まり、自分は得物を相手へと向けているというのに、カノンの対戦相手となったアベルは得物である短剣を手にしたままニヤニヤと笑った。

 

 相手が14歳の少女で、まだ冒険者の資格を取得できない冒険者見習いだから侮っているのだろう。しかも、貴族の少女は基本的に戦い方を本格的には教わらず、勉強やマナーばかり重視される傾向にある。カノンが身に着けている私服が他の仲間よりも豪華だったから貴族だと判断したのだろう。

 

「お嬢ちゃん、降伏した方が良いぜ? 可愛らしい服が汚れるぞ?」

 

「あらあら、お優しい紳士ですわね」

 

 もう試合が始まっていて、相手に得物を向けられているというのに喋り始めるとは。カノンの事を侮り過ぎである。

 

 呆れながら照準を下へとずらしたカノンは、ため息をつくと同時にトリガーを引いた。

 

「俺でよければ、闘技場の外までエスコートしてやっても―――――――ウギャッ!?」

 

 下衆な紳士へと、淑女が7.62mmのゴム弾をお見舞いしたのである。

 

 中距離用のマークスマンライフルから放たれたゴム弾は、調子に乗っているアベルの右足の太腿を直撃した。きっとこの男は、カノンが持つマークスマンライフルが超高速で弾丸を射出する飛び道具ではなく、クロスボウやボウガンのようなものだと思い込んでいたのだろう。飛び道具というのは正解だが、残念ながらSVK-12の弾丸の弾速はボウガンなどの弾速を遥かに凌駕する。

 

 相手を完全に侮っている状態で、至近距離から放たれたゴム弾を回避できるわけがない。カノンを小馬鹿にしている最中に一撃をお見舞いされるという醜態を観客たちに晒す羽目になったアベルは、今しがた被弾した右足を片手で押さえながら呻き声を上げ、混乱しながらカノンを睨みつけた。

 

「申し訳ありませんが、エスコートはいりませんわ。お1人で出て行きなさいな」

 

「て、てめえ………ッ!」

 

 続けてもう1発ゴム弾をお見舞いしてやろうかと思ったが、アベルは今の一撃を喰らって距離を詰めてくることだろう。開始早々に被弾した右足の激痛がどれだけ彼の動きを阻害してくれるかは分からないが、十中八九距離を詰めてくるに違いない。

 

 こんな馬鹿でも、前回の試合の優勝者の1人なのだ。弾速の速い飛び道具を相手に、遮蔽物のない場所で詠唱が必要な魔術で応戦しようとする馬鹿ではあるまい。

 

 だから距離を詰めてくるだろうと判断したカノンは、他の仲間たちのように銃剣を装備していないSVK-12を早くも背中に背負った。再び出番が来るとすれば、相手が距離を離した瞬間だろう。もっとこのライフルの試し撃ちをしたいところだが、試しに使ってみたい得物はもう1つある。

 

 14歳の少女に蔑まれ、一撃を喰らって醜態を晒す羽目になったアベルが激怒しながら再び立ち上がる。

 

(いい気味ですわ。――――――さて)

 

 カノンは腰へと手を伸ばし、腰に下げていた鞘の中から1本の直刀を引き抜いた。大きなバスケットヒルトがついているその直刀は、刀身を見なければブロードソードと誤認されてしまう事だろう。だが、鞘の中に納まっているのは両刃の刀身ではなく、日本刀を思わせる真っ直ぐな刀身だ。

 

 両手で持てるように柄は長くなっており、漆黒の刀身には古代文字が刻まれている。

 

 地下墓地での戦いで、ドルレアン家の忠臣であったウィルヘルムの亡霊からドロップした逸品である。 今までの戦いでは距離を詰める前に戦いが終わっていたため一度も試し斬りは出来なかったが、1対1の戦いで、相手がこれから距離を詰めてくるというのならば、これの試し斬りを兼ねて迎撃しない手はないだろう。

 

(久しぶりに、暴れるのも悪くないかもしれませんわね)

 

 ストレスを発散するために、接近戦をするのも悪くない。

 

 幼少期から勉強やマナーを母から学び、戦い方を両親から教わっていたカノンが経験した遊ぶ時間は、一般的な貴族の子供たちと比べると少ないだろう。普通の貴族の少女ならばマナーや勉強を重視されるため、魔術や剣術を教わるのは珍しいのだが、カノンはその珍しい戦い方を教わった上に銃の扱い方の訓練も受けたため、なかなか遊ぶ事が出来なかったのである。

 

 母親の事は尊敬しているが、全く反感を持っていないわけではない。それを発散する事が出来るのが読書と―――――――近距離戦なのだ。

 

「このガキ、俺の足を――――――」

 

「うるせえんだよ、雑魚が」

 

「えっ?」

 

 今しがた自分の足に一撃をお見舞いしたのは、14歳のお嬢様の筈だ。なのに言い返してきたその少女の声は先ほどよりも粗暴で、声のトーンも低くなっている。思わずこの少女ではなく、彼女の仲間が代わりに話しているのではないかと思ってしまったアベルだが、目の前で口を動かしているのは確かにカノンである。

 

 漆黒の直刀を肩に担ぎ、不機嫌そうな表情でアベルを睨みつけるカノン。いつも丁寧な口調の彼女の粗暴な態度を目の当たりにして度肝を抜かれたのはアベルだけでなく、座席でその様子を舞見持っていたタクヤたちも同じく度肝を抜かれ、目を丸くしていた。

 

「あたしを舐めてるからそうなるんだよ。てめえが悪いんだろうが。何キレてんだ、馬鹿が」

 

「ちょ、ちょっと待て………君、貴族だよね?」

 

「ああ、貴族だよ。何だぁ? 貴族のお嬢様は常に丁寧な口調で話さなきゃダメなのか? あぁ!? ふざけんな、クソ野郎がッ!!」

 

「ひぃッ!?」

 

 直刀を振り上げ、切っ先をアベルへと向けるカノン。当然ながら今の彼女は、いつもよりも荒々しかった。

 

 

 

 

 おまけ

 

 モリガンの皆さんが闘技場の戦いを見るとこうなる パート1

 

カノン『貴族のお嬢様は常に丁寧な口調で話さなきゃダメなのか? あぁ!? ふざけんな、クソ野郎がッ!!』

 

カレン「………」

 

ギュンター「………」

 

エリス「あらあら、カノンちゃんったら元気いっぱいね」

 

シンヤ(反抗期か………)

 

 完

 

 



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カノンの八つ当たり

 

 カノンは俺たちにとっての妹分だ。3つ年下の貴族の少女で、次期ドルレアン領領主候補として生まれたため、マナーや勉強の他に戦い方も両親から教わっていた。だから成長するにつれて会って遊ぶ機会もかなり減ったし、会う度にマナーを教わったせいなのか大人びていた。

 

 小さい頃は俺を『お兄ちゃん』と呼んでくれていた妹分なんだが―――――――あんな粗暴な口調のカノンは、今まで一度も見たことがない。

 

 近所の悪ガキと喧嘩になった時は、ラウラと一緒に震えながら俺の後ろに隠れるほど気が弱かったカノンが、ウィルヘルムの直刀を鞘から引き抜いた瞬間に豹変したのだ。

 

 上品だった口調はごろつきのように粗暴になり、今まで習ってきた優雅な剣術とは程遠い荒々しい剣戟を何度も繰り出しては、彼女と対戦することになったアベルを圧倒している。

 

「ふにゅ………カノンちゃんが怖くなっちゃった………!」

 

「おいおい………」

 

 剣戟を辛うじて回避したアベルを左手のパンチで殴り飛ばし、怯んだ瞬間に鎖骨へと直刀を振り下ろす。だが、対戦相手のアベルは何度も闘技場で戦った経験のある男だったらしく、その一撃を片手の短剣で何とか受け止めていたようだった。

 

 闘技場のルールは、基本的に相手を殺さなければどんな手を使っても問題ない。だから殺さなければ、剣で手足を斬りおとしてもお咎めなしなのだ。

 

 今の剣戟を受け止めなければ、アベルの左腕はカノンの剣戟で切断されていた事だろう。

 

「タクヤ、あれが貴族なのですか?」

 

「ステラちゃん、普通の貴族は違うからね?」

 

「カノンは特別な貴族なんですね」

 

 確かに特別な貴族だな………。あんな貴族いないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘技場の試合を見物しに来た観客たちは、普通ならば考えられない冒険者同士の戦いを見下ろし、目を見開いていた。せっかく販売員から購入した飲み物やフライドポテトを購入した客も、それを口に運ぶ途中のまま動きを止め、中央の広場で繰り広げられる戦いを凝視している。

 

 無数の観客たちの眼下で繰り広げられているのは――――――14歳の少女の試合などではなく、ただの八つ当たりであった。

 

 剣戟と共に私怨を振り下ろし、対戦相手となった哀れな冒険者に全く反撃させない。剣戟を受け止めて反撃しようとしても、ドルレアン家の次期領主候補らしからぬ粗暴な左手のボディブローがアベルを打ち据え、彼の反撃を阻害しているのである。

 

「ほらほら、おっさん! このままだと14歳の女の子に負けちまうぜ!? しかも観客の前でなぁ!」

 

「くっ………ウグッ!?」

 

 またしても、カノンの左手のボディブローがアベルに直撃する。みぞおちではなく肋骨を殴りつけられたアベルは汗を流しながら片手で腹を抑え、後ずさりする。しかし、いつまでも腹を抑えているわけにはいかない。

 

 この少女は先ほど腕を両断するつもりで刀を振り下ろしてきた。試合が終了した時点で相手が生きていればお咎めなしということは、もし仮に試合の後に致命傷を負った相手が治療が間に合わずに出血で死亡したとしても、その選手に致命傷をお見舞いした対戦相手はお咎めなしなのである。

 

 つまり、この少女は容赦をするつもりがない。手足を斬りおとすつもりで刀を振り下ろしてくるのだ。

 

 肋骨を殴られた程度の痛みで、隙を作るわけにはいかなかった。

 

 しかし、隙を作らないように必死に耐えても、反撃するチャンスが無い。剣戟を受け止めたとしても反撃する前に殴られ、怯んでいる隙に次の攻撃が始まる。いっそこの少女のスタミナが底をつくまで耐えてみるべきだろうかと考えたアベルだったが、先ほどからこの少女の猛攻は全くペースが落ちていない。攻撃を耐え抜くよりも先にこちらが倒れてしまう事だろう。

 

(く、クソがッ! 俺がこんなガキに………!)

 

 アベルは、ダンジョンの調査よりも闘技場での戦いで活躍しているタイプの冒険者である。特にラトーニウスの闘技場は魔物との戦いよりも対人戦がメインになっているため、他の冒険者よりも対人戦ならば一日の長があるつもりだった。

 

「アベル、何やってんだ! さっさとぶちのめしちまえ!」

 

「う、うるせ―――――ぐへっ!?」

 

「おいおい、仲間と喋ってる場合じゃねえだろ?」

 

 またボディブローを叩き込まれるアベル。このままでは反撃する事すらできずに倒されてしまうに違いない。何とか反撃するには、一旦距離を取るべきだろう。

 

 何度も対人戦を経験したアベルはそう判断し、ボディブローを喰らった腹を抑えながら後へとジャンプする。そしてこの少女が刀を空振りした直後に再接近し、反撃をお見舞いするのだ。

 

 攻撃を回避されて驚愕する少女を想像しながら短剣を構えるアベル。しかし――――――目の前を横切る筈だった少女の直刀は、振り払われる途中で軌道を変えて地面へと突き立てられ、そのまま急迫する少女と共に地面を抉りながら急接近してきたのである。

 

「!?」

 

「後ろに下がれば避けられるって思ったかぁ!? ギャハハハハハハハッ!!」

 

 アベルの回避は、もう見切られていたようだ。ウィルヘルムの直刀を地面に突き立て、地面を抉りながら接近してきたカノンは両手で刀の柄を握ると、まるで剣豪が刀を鞘から引き抜くかのように地面から得物を引き抜き、右下から左斜め上へと振り上げた。

 

 刀を引き抜かれた地面が爆音にも似た断末魔をあげる。舞い上がる土の礫の中を駆け抜けた鋭い一太刀が、回避している最中のアベルの胸を掠め、少量の血飛沫を土の欠片の中へと混じらせた。

 

「ぎゃははっ!」

 

「ぐぅ………!」

 

「おいおい、おっさん。しっかりしろよ。あんなに調子に乗ってたんだから、こんなところで年下の女の子に負けちゃったらかなりカッコ悪いぜ?」

 

「だ、黙れッ!」

 

「へへへっ。――――――ああ、まだ続けて欲しいね。あたしのストレスはまだ残ってるんだ………」

 

 振り払った刀を引き戻し、まるでヘリコプターのローターのように回転させてから再び地面に突き立てる。

 

 カノンが持つこのウィルヘルムの直刀は、これをドロップしたウィルヘルムの得物と同じ代物ではないものの、リゼットの曲刀と対になる刀である。

 

 風を操るリゼットの曲刀と対になるという事は――――――この得物には、大地を操る力が備わっているという事なのだ。

 

 かつてリゼットのために剣を振るったウィルヘルムは、剣術だけでなく土属性の魔術も得意としていたという。おそらくその得意分野が、この刀に反映されているのだろう。

 

 地面に突き立てていた刀を、またしてもカノンが引き抜く。だがその刀身があらわになった瞬間、彼女と対峙していたアベルだけでなく、座席で試合を見守るエリックやタクヤたちまで目を見開く事になる。

 

 最後の最後までリゼットに従い続けたウィルヘルムの忠誠心のように真っ直ぐだった刀身が、荒々しい漆黒の岩石のようなものに覆われていたのだ。

 

「――――――グランド・エンチャント」

 

「なっ………!? と、刀身が―――――――」

 

 日本刀を思わせる細身の刀身は、漆黒の岩石に覆われて荒々しい形状に変貌していた。辛うじて日本刀の刀身のような輪郭は残っているものの、シンプルだった刀身の表面からは不規則に岩石のスパイクが突き出ていて、刃の部分にはノコギリやサバイバルナイフのようなセレーションがある。

 

 刃物と鈍器を組み合わせたような無骨な刀を地面に叩き付けたカノンは、怯えるアベルを見つめながら楽しそうに笑った。

 

「続けようぜ、おっさん」

 

「ひぃっ……!?」

 

 続けられるわけがない。回避は見切られていたし、彼女の剣戟を防御すれば反撃が出来なくなってしまう。

 

 しかも、土属性の魔力で得物は強化されている。先ほどと同じように防御できるだろうか。

 

 目の前の少女への恐怖が、ついにアベルのプライドを全て食い破った。

 

「こ、降参する!」

 

「あ……? 降参だって?」

 

 今まで以上に強化された剣戟を防ぎ切れる可能性は低い。そんな状態で先ほどと同じ攻撃を繰り返されれば、もうアベルは回避することも出来ないし、防御することも出来なくなってしまう。攻撃されれば確実に傷を負うという状況に追い込まれることになるのだ。

 

 辛うじて防いでいた状態が、辛うじて生きている状態になってしまうという事である。無事に生きて試合を終えることは出来ても、そんな試合が終われば出血が原因で死んでしまうかもしれない。

 

 だから彼は、プライドを対価にすることにしたのだ。

 

「ふざけやがって。おい、まだあたしのストレスは残ってんだぜ? 最後まで戦えや、クソ野郎」

 

「ま、待ってくれ! もうやめてくれぇ………!」

 

「うるせえ。小せえ頃からマナーとか勉強ばっかりやってたせいで、あたしはあんまり遊べなかったんだぞ? お兄ちゃんとは段々会えなくなるし、マンガを買って帰ればお母さんに怒られるし………」

 

「えっ? お、お嬢ちゃん………?」

 

 明らかにその怒りは、アベルへの怒りではない。勉強やマナーの教育ばかりでまともに遊べなかった幼少期の鬱憤である。

 

「お母さんの理想には賛成するけどよぉ………もう少し遊ばせろやぁッ!! あたしだって遊びたかったし、男の子と恋もしたかったんだよぉッ! なのに毎日ダンスの練習とかピアノの勉強ばかりで疲れるっつーの! マンガ読んでればお母さんに小言を言われるしよぉ、あたしの味方はお父さんだけだったんだよッ! 読んでても怒られずに済んだのは童話と教科書だけだよ! ふざけんなッ! ――――――おい、おっさん! 子供はもっと遊ばせるべきだよなぁ!?」

 

 母親への怒りなのだろうか。岩石に覆われた刀身を、怯えるアベルに向けながら尋ねるカノン。ここで首を縦に振らなければ、そのまま両断されてしまうに違いない。アベルはぶるぶると震えながら首を縦に振ることにした。

 

「あ、ああ………俺もそう思う……」

 

「ああ、そうだろ? まったく………。とりあえず、もう許してやるよ」

 

 カノンがそう言うと、彼女の直刀を覆っていた漆黒の岩石がぼろりと崩れ落ちた。まるで乾燥した泥の塊が剥がれ落ちていくかのように岩石が落下し、再び刀身が日本刀のような形状に戻っていく。

 

 あの恐ろしい刀の餌食にならなくて良かったと安堵したアベルだったが、その安堵と共にやってきたのは、14歳の少女に完敗した上に降参したというみっともない結果であった。

 

『勝者、カノン選手ッ!』

 

「おい、アベル! ふざけんな、なんで降参してんだよ!?」

 

「………」

 

 もう、背後から短剣で攻撃するわけにもいかない。それに彼女はおそらく、それを不意打ちと思う事はないだろう。

 

 背後から今攻撃すれば、確実に今度こそあの刀の餌食になる。憤怒を恐怖が上回っていたせいなのか、アベルは短剣を鞘に戻し、散々殴られた腹を抑えながら仲間の元へと戻る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝ちましたわ、お兄様っ♪」

 

 元の上品な口調に戻り、座席に座る俺にカノンが抱き付いてくる。幼少期からモリガンの傭兵たちに戦い方を教わっていたのだから、当然ながらカノンの圧勝だった。もし彼女が普通に戦っていたのならば、ここで仲間たちと抱き合ったり、すぐに労っている事だろう。

 

 だが、幼少の頃から一緒に遊んでいた俺たちでも見たことのない粗暴なカノンを目の当たりにしてしまったせいで、俺はすぐに彼女を労うことは出来なかった。ぽかんとしながら椅子に座り、戻ってきて抱き付くカノンをぎこちなく抱きしめる事しかできない。

 

 あんなにストレスたまってたのか………。しかも、読んでも怒られなかった本って教科書か童話だけかよ………。

 

 だからカノンの部屋にマンガに混じって教科書が並んでたんだな。ということは、書庫に保管してあるというマンガたちはカレンさんに内緒で購入したものなんだろうか。

 

 カレンさん、もう少しカノンを遊ばせてあげても良かったんじゃないでしょうか。

 

「あらあら。お兄様、どうしましたの?」

 

「い、いや………その、試合お疲れ様。すごかったよ」

 

「ありがとうございますわ。お兄様たちのために頑張りましたのよ。ふふっ。………うふふふふっ。お兄様って、やっぱりお姉様と同じ匂いがしますわ」

 

「当たり前だよ。私の弟だもんっ」

 

「そうですわね。お姉様の大切な弟ですし………」

 

 そう言ったカノンは、今度は隣に座るラウラに抱き付いた。彼女の甘い残り香に包まれながら隣を見てみると、カノンに頬ずりされて困っているラウラの向こうで、次鋒に立候補したナタリアが戦いの準備をしている。

 

 腰に下げられたフィオナちゃん特性のククリナイフからは、既に毒の入ったカートリッジは取り外されている。コンパウンドボウも装備していなかったが、左手に装着されているもう一つの獰猛な武器は、もう点検を終えているようだった。

 

 フィオナちゃんが作った試作型のエアライフルだ。ライフルとはいえ、圧縮空気で従来のクロスボウ用の小型の矢を撃ち出す代物であるが、ハンドガン並みにコンパクトである上に貫通力も高く、腕に装着するから袖の中に隠すことも出来る。射程距離は短めになっているが、暗殺や奇襲に向いている。

 

 1発撃ったら再装填(リロード)しなければならないが、利点は大量にあるのだ。

 

「嘘だろ……? なんだよ、あの新人のチームは!?」

 

「おいおい、もしかしたらエリックの奴が負けるかもしれねえぞ!?」

 

「番狂わせだッ!」

 

「おい、急いであのチームを調べろ!」

 

 背後の客席では、観客たちの驚愕する声が聞こえてくる。俺たちはあいつらと違ってまだ無名のパーティーだから、調べようとしても全く情報は出てこないだろう。

 

 さて、次はナタリアの出番だな。

 

「ナタリア、頼んだぞ」

 

「任せなさい。瞬殺してあげる」

 

 そう言いながら、彼女は腕に装着したエアライフルに模擬戦用の矢を装填し、サイガ12を背負った。

 

 

 

 

 

 

 

『続きまして、次鋒の戦いです!』

 

 座席から立ち上がり、肩を回してから広場へと向かって歩き出す。客席からはまだ先鋒の戦いに驚愕する声が聞こえてきたが、ナタリアのこの戦いで彼らは更に驚愕する羽目になる事だろう。

 

 タクヤに作ってもらった新しい相棒にゴム弾を装填したナタリアは、木製のグリップを握りしめながら天井を見上げた。

 

 今から14年前、ネイリンゲンでモリガンの傭兵に救われた彼女は彼らに憧れた。燃え上がる街の中から駆けつけて来て、母親とはぐれてしまった幼いナタリアを救い出してくれたのである。

 

 自分もあの傭兵のように強くなりたいと思ったナタリアは、最初は傭兵を目指そうとしていた。あの時のモリガンの傭兵のように、人々を助けようとしたのである。

 

 だが、魔物の襲撃の件数が激減したことによって傭兵の需要も下がり、母親にも傭兵を反対されたため、冒険者を目指す事にしたのである。

 

 ベテランの冒険者から訓練を受け、今はその傭兵の子供であるハヤカワ姉弟や仲間たちと共に伝説の天秤を目指して旅を続けている。目標とするモリガンの傭兵からは遠ざかってしまったかもしれないが――――――強くなることは出来た。

 

 燃え上がる街の中で助けてくれたリキヤ・ハヤカワという傭兵の敬礼する姿を思い出したナタリアは、天井に開けられた大きな穴を見上げながら微笑んだ。

 

 いつか、タクヤとラウラにお願いしてリキヤに会わせてもらおう。そして、14年前のお礼を直接言うのだ。

 

 あの最強の傭兵は、果たして幼かったナタリアの事を覚えていてくれるだろうか。

 

「おい、どこ見てんだ?」

 

「え? ………ああ、ごめんなさいね」

 

 粗暴な声に呼ばれたナタリアは、少しだけ目を細めながらため息をついた。そういえば、今からこの対戦相手と戦わなければならなかったのだ。

 

「眼中になかったわ」

 

「何だとぉ!?」

 

 相手のチームの次鋒は、斧を手にした男性だった。手にした斧には傷や砥いだ痕がいくつも残っていることから、あの得物はかなり使い込んだ得物なのだろう。

 

 私服の上に小型の防具を装着するのは他の冒険者と同じである。それ以外の武器は見当たらないから、攻撃手段は斧か魔術程度なのだろう。

 

 いきなり年下の小娘に「眼中にない」と言われた男性が、唇を噛み締めながらナタリアを睨みつける。基本的に冒険者として登録できるのは17歳以上であるため、ナタリアのような年齢の冒険者は基本的に初心者だ。その初心者に眼中にないと言われれば、経験を積んだ冒険者は激怒する事だろう。

 

 経験を積んでいない初心者に、自分の経験を踏みにじられて激昂するベテランは少なくないのだ。

 

『では――――――試合、始めッ!!』

 

「この小娘がぁッ!!」

 

 開始早々に斧を振り上げ、正面からナタリアに襲い掛かる男。金属製の斧で攻撃されれば、防具で防御したとしても防具が破壊されるか、防具もろとも骨まで粉砕されてしまうに違いない。

 

 しかし――――――男の雄叫びは、圧縮された空気が噴き出すような音が聞こえた瞬間に消えることになる。

 

「グヘッ!?」

 

 その攻撃を喰らった瞬間、男は驚愕していた。

 

 目の前の小娘が左手をこちらへと向けたと思ったら、いきなり頭を突き飛ばされたような衝撃と激痛を感じたのだから。

 

(い、今のは……魔術!? しかし、魔力は感じなかったぞ!?)

 

 どんな攻撃を喰らったのか、まったく理解できない。魔術ならば魔力の気配がするから分かりやすいのだが、今の攻撃は魔術ではないとでもいうのだろうかと混乱を始めてしまう。

 

 男の頭に攻撃を直撃させたのは、ナタリアの左手に装着されたフィオナ製試作型エアライフルであった。装填された模擬戦用の矢が頭に直撃しただけなのだが、ナタリアに侮辱されて激怒していた男は怒りが生み出す陽炎に隠されてしまったかのように、その攻撃がどのような攻撃だったのかを見抜くことは出来なくなっていた。

 

 混乱しているうちに、ナタリアは追撃を開始する。

 

 背中から取り出したのは、ロシア製セミオートマチック式ショットガンのサイガ12。アサルトライフルのようなマガジンを持つショットガンであり、ポンプアクション式のショットガンよりも連射速度が素早いため、凄まじい速度で散弾を敵に叩き付ける事が出来るという強力な代物である。

 

 今装填されているのは模擬戦用のゴム弾であったが、近距離で連射すれば鍛え上げられた冒険者でも容易く気絶するか、骨を折られてしまう事だろう。その獰猛な得物を取り出し、照準を合わせたナタリアは、目の前でまだ混乱している男を冷たい目で見つめながらトリガーを引いた。

 

「―――――だから、眼中にないって言ったのに」

 

「ギャッ!?」

 

 大口径のゴム弾が、男の胸元に喰らい付く。胸元をゴム弾に打ち据えられて呻き声を上げる男に、今度は顔面にゴム弾が激突する。

 

 再び頭ががくんと揺れる。照準器を覗き込むナタリアはもう少し連射しようかと思ったのだが、ゴム弾で頭を撃たれた男が白目になり、口からよだれを垂らしながら倒れそうになっていることに気付いたナタリアは、ため息をついてからショットガンを肩に担いだ。

 

 もう勝負が決まってしまったようである。

 

『そ、そこまでッ!』

 

 1発も攻撃を食わらずに勝負が終わってしまった。

 

(銃って凄いのね………)

 

 相手の弱さに落胆しつつ銃の性能に驚愕したナタリアは、ため息をつきながら仲間たちの座る座席へと戻っていった。

 

 

 

 おまけ

 

 モリガンの皆さんが闘技場の戦いを見るとこうなる パート2

 

カレン「もう少し………カノンを遊ばせてあげればよかったわ………」

 

エミリア「うむ……やはり子供は遊ばせるものだ」

 

ギュンター(お、俺たちの娘があんな粗暴な口調に………!? ど、どうしよう!? 俺のせいなのか!? ま、まさか、俺の遺伝子のせいか!?)

 

エリス(ナタリアちゃんかぁ………。可愛いなぁ………。今度襲いに行ってみようかしら)

 

 完

 

 



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ステラが闘技場で戦うとこうなる

 

「では、次はステラが負ければいいんですね?」

 

「おう。頼む」

 

 先鋒のカノンと次鋒のナタリアは勝利しているため、俺たちのチームはこの中堅の戦いで勝利すればエリックたちのチームに勝利する事が出来る。優勝すれば賞金を手に入れる事が出来るんだが――――――俺の目的は、もう1つある。

 

 それは、俺の仲間たちを馬鹿にしたあのエリックをボコボコにすることだ。この闘技場の試合はリーグ戦になっているんだが、ここでステラが勝利してしまうと俺はエリックをボコボコにしないまま次の試合をする羽目になってしまう。

 

 だからステラと副将のラウラには、わざと負けてもらう。もちろんそんなことをすればこの2人もストレスを残してしまうので、相手の選手が戦闘不能だと審判が判断しない程度までボコボコにし、プライドを木端微塵にしてからわざと降参してもらう予定だ。

 

「では、無事に終わったらステラにご褒美をください」

 

「いいぞ。何がいい?」

 

「えっと………」

 

 何が欲しいんだろうか。また前みたいに多めに魔力を吸うのか? それともそれ以外のご褒美がいいのか?

 

 珍しく顔を赤くして俯いていたステラは小さな手をぎゅっと握りしめると、顔を上げて俺を見つめながら言った。

 

「あ、空いた時間でいいので………す、ステラと……一緒にいてください………」

 

「………えっ?」

 

 どういうことだ? 一緒にいるだけでいいのか?

 

 また魔力を多めに吸わせてくれって言い出すと思ってたんだが、どうしたんだろうか。一緒にいるだけでいいならまた動けなくなることはないし、問題はないと思うんだが………どうして改めて一緒にいて欲しいとお願いしてきたんだ?

 

 首を傾げながら背の小さなステラを見下ろしていると、目が合った彼女は恥ずかしそうにまた俯いてしまう。

 

「で、では………約束ですからね、タクヤっ」

 

 ちらりと広場の方を見ると、エリックたちのチームの中堅の選手が戦う準備をしているところだった。確か、一番最初にエリックに馬鹿にされた時、一緒にいた魔術師のような恰好の少女である。

 

 いつまでもここで恥ずかしがっている場合ではないと思ったのだろう。顔を赤くしたまま言ったステラは、背負っていたRPK-12の安全装置(セーフティ)を解除すると、銃身の右斜め上に装着されているスパイク型銃剣を展開し、幼い少女が持つにはあまりにも大きな武器を肩に担ぎながら走って行った。

 

「それにしても、あいつも感情豊かになったよな」

 

「ふにゅ………そうだね。前はずっと無表情だったもん」

 

 彼女は大昔に同胞を皆殺しにされる光景を目にしている。そのショックのせいなのか、ずっと表情は無表情だったのだ。でも、最近は少しずつ感情豊かになりつつある。旅を続けていれば、そのうち無表情になる前のように笑ってくれるだろうか。

 

 笑顔のステラは、きっと可愛らしいことだろう。

 

 微笑む彼女の顔を想像していると、隣に座っていたラウラが虚ろな目つきで俺を見つめながらニヤニヤ笑い始めた。彼女の目つきが虚ろになるのは機嫌が悪い時なんだが、その目つきでニヤニヤ笑われるのは違和感を感じてしまう。

 

「えへへっ。でも、タクヤはお姉ちゃんのものだからねっ!」

 

「え?」

 

「きゃはははっ。ステラちゃんに取られないように、そろそろ監禁用の縄も準備しておいた方が良いかも。タクヤの手って女の子みたいに細いから、縄も短めでいいよね? 前は氷漬けにしちゃったけどあれだと冷たいでしょ? だから今度はちゃんと縄で縛るから、安心してね。えへへっ」

 

 また監禁するつもりかよ。

 

 逃げるべきだろうかと考えながら虚ろな目の姉を見ていると、客席に座る観客たちが驚き始めた。どうやら俺たちのチームから出て来た選手が、明らかに冒険者どころか冒険者見習いの資格を取得できる年齢よりも幼いのが原因なんだろう。

 

 だが、問題はない。ステラの年齢は39歳。つまり、俺たちのパーティーの中では最年長なのである。見た目は幼い姿だけど、ちゃんと冒険者として登録できる年齢よりも上なのだ。

 

 審判はやや困惑していたようだが、係員から問題ないと言われると、もう一度疑うような目つきでステラの姿を凝視してから咳払いした。

 

『では――――――試合、開始ッ!』

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者同士の試合だというのに、目の前に見たこともない武器を担いだ幼い少女がやってきて、その幼女と戦う事になれば、大概の冒険者は慢心する事だろう。慢心しない冒険者はその幼女の能力や実力を知る者だけに違いない。

 

 だから、中堅として試合をすることになった魔術師の女性も、見たことのない奇妙な武器を担いで出て来た銀髪の少女を目にした瞬間、既に慢心していた。

 

 先鋒と次鋒は油断していたからやられたというのに、早くも同じ轍を踏もうとしているのである。

 

「ロゼット、勝ってくれよ! 負けたら終わりだぞッ!」

 

 座席の方から怒鳴るのは、相手のチームの選手を試合前に挑発していたエリックである。前回の大会では優勝しており、今回も優勝して賞金を手に入れられるだろうと考えていた彼は、無名のチームに敗北寸前まで追い詰められてかなり焦っているようだった。

 

 あれだけ油を注ぎ、更に薪まで放り込んで燃え上がらせた炎に自分を焼かれそうになって、焦っているのだ。既に彼のプライドには焦げ目がつき、これ以上温度が上がれば発火してしまうに違いない。

 

 貴族出身の愚かなチームメイトの声を聞きながら、ロゼットも慢心していた。あんな幼い少女に負けるわけがない。防具すら身に着けておらず、身に着けているのは純白のワンピースのみ。毛先の方が桜色に染まっているという変わった銀髪の少女にはよく似合っているが、そんな可愛らしい格好はこんな闘技場でするものではない。

 

 そんなことも分からないような相手なのだ。だから自分の得意な魔術を1度でも放てば、この戦いは終わる事だろう。

 

 大きな帽子を片手で押さえたロゼットは、愛用の杖を掲げながら魔力を杖へと流し込んだ。まるで片腕だけで腕立て伏せを何十回もした後のような脱力感と疲労感を感じつつ、魔力を送り込みながら詠唱を始める。

 

 魔力を使うと、このように擬似的な脱力感と疲労感を感じるのだ。だから魔術を乱発すると、凄まじい疲労感と脱力感のせいで動けなくなってしまう。ステラに魔力を吸収された後のタクヤとラウラが動けなくなるのは、これが原因だ。

 

 杖の柄頭の上に黄金の魔法陣が出現したかと思うと、それが回転しながら膨張していく。円の中心に複雑な記号が描かれた魔法陣が出来上がり、スパークを纏い始める。

 

 目の前で奇妙な武器を担ぐ幼い少女は、無表情のまま首を傾げていた。どんな魔術なのか理解できないのだろうか。普通ならば阻止するために攻撃を始めるか、回避するために移動を始めるというのに、棒立ちのまま首を傾げて攻撃を待つのはまさに愚の骨頂だ。この魔術を喰らいたいとでもいうのか。

 

 慢心していたロゼットだが、段々と目の前の少女に不気味さを感じていた。まるで常識を知らないかのように棒立ちのまま、ロゼットを見つめている謎の少女。武器を向けて攻撃してくる素振りもなく、黙って武器を担いだままロゼットを見つめながら首を傾げている。

 

 彼女の持っている武器は奇妙な武器だった。槍かと思ったが、柄からは何かのパーツのようなものが突き出ているし、後端の部分は逆に膨らんでいるのだ。普通の槍ならば先端部は尖っていて、後端の部分はあのように膨らんでおらず、奇妙なパーツも突き出ていない。あれでは振るい辛いだけなのではないかと思ったロゼットだったが、先鋒と次鋒の試合でも相手のチームの選手が似たような武器を手にしていた事を思い出した。

 

 確か、轟音が響き渡ったかと思うと、あの武器を向けられた仲間たちが急に怯んだのである。どんな攻撃だったのか全く見えなかったし、魔力も全く感じなかった。

 

 あの少女はそれを放ってくるのではないかと思ってぞっとしたロゼットだったが、目の前の幼女は武器を担いだままだ。攻撃してくる気配はまだない。

 

「――――――可哀そうに。戦い方も知らないのね」

 

「そうでしょうか」

 

 魔法陣が更に肥大化し、中央部が膨れ上がり始める。膨れ上がった中央部に形成され始めたのは、数多のスパークを纏いながら煌めき続ける電撃の槍であった。

 

 非常に長い射程距離を誇る『ボルト・ランツェ』と呼ばれる雷属性の魔術である。高密度の雷属性の魔力を槍型にして、後端部を形成する魔力に圧力をかけて破裂させ、超高速で攻撃目標に向けて撃ち出すという魔術で、射程距離はこれを使う魔術師の素質に左右されるが、概ね600m程度と言われている。

 

 槍のコントロールが非常に難しいが、弾速が非常に速いため回避するのは難しいと言われるほどの魔術である。それを繰り出そうとしているというのに、この少女はなぜ回避しようとしないのか?

 

「終わりよ、お嬢さん」

 

 魔力の量は手加減してあるから、喰らえば意識を失うだけで済むだろう。

 

 奇妙な武器を持ち、防具を身に着けずに戦うのはあのモリガンの真似事なのかもしれないが、戦い方を全く知らないのならば全く意味はない。ロゼットはそう決めつけ、後端部を破裂させるために魔力の比率を変化させ始める。

 

 やはり、ロゼットも同じ轍を踏んでいた。慢心し過ぎていたのである。

 

 彼女の中で膨れ上がった慢心が、彼女の逃げ道を塞いでしまうのだ。

 

「いえ、きっとお姉さんの方が先に終わります」

 

「えっ?」

 

 白いワンピースに身を包んだ幼い少女が――――――首を傾げたまま、笑った。

 

 まるで、答えが間違っていることにも気づかずにテストを提出しようとしている者を笑うような笑みであった。なぜそんな笑みを向けているのかとロゼットが思った直後、やっと幼女の肩に担がれているだけだった槍のような武器がぴくりと動いた。

 

 熟練の騎士が剣を一瞬で鞘から引き抜くかのように武器を構えるステラ。右手で木製のグリップを握り、小さな左手で銃身の上部から伸びるキャリングハンドルを握ると、照準器を覗き込まずにそのままトリガーを引き続けた。

 

 スパイク型銃剣を装着された銃口から、轟音とマズルフラッシュが躍り出る。さらにそれらを突き破って駆け抜けて行くのは、相手を殺さないようにするために用意された7.62mmゴム弾の群れである。

 

 元々、ステラはラウラやカノンのような精密な射撃は得意ではない。だが、身体能力の高いサキュバスとして生まれたためなのか、常人どころか鍛え上げられたキメラでも使いこなすのが難しい重火器を容易く扱う事が出来るのだ。特に彼女は連射できる重火器を好んで使うのだが、それは彼女が狙撃を苦手とするためである。

 

 だからこそ、彼女は近距離や中距離で弾幕を敵に叩き込むような戦い方で真価を発揮する。凄まじい反動のガトリング機関砲ですら使いこなしてしまうほど屈強な彼女は、反動が大きな7.62mm弾を連射するLMG(ライトマシンガン)を容易くフルオート射撃で連射し、無数のゴム弾をロゼットへと叩き付けていた。

 

「きゃあっ!?」

 

 さすがに命中精度は低い。照準器を覗き込んでいないのだから当たり前だろう。だが、彼女の目的はロゼットに弾丸を命中させることではない。

 

 魔力の扱いに秀でるサキュバスの彼女の目的は、ロゼットへダメージを与える事ではないのだ。

 

「この………ッ! 喰らいなさい、ボルト・ラン―――――――」

 

 だが、今更反撃してきたとしても、もうロゼットは詠唱を終えているためいつでも魔術を放てる状態だ。恐ろしい弾速の飛び道具で、しかも連射速度はクロスボウの比ではないが、反撃するタイミングが遅すぎたのではないか。

 

 そうやって焦りを思いついた理屈で鎮めようとするロゼットであったが―――――ステラの意図を理解した瞬間、ロゼットは自分もやられた2人と同じ轍を踏んでいた事を理解し、戦慄する羽目になる。

 

 自分の傍らに召喚したボルト・ランツェが、まるで破裂する寸前の配管のように不規則に膨れ上がり、魔力が噴き出す音を奏でながら震えているのである。

 

 このような遠距離型の魔術で最も重要なのは、魔力のコントロールである。特にこのボルト・ランツェのように圧力を変化させて意図的に破裂させ、それを利用して撃ち出すようなタイプの魔術は、魔力のコントロールを誤れば暴発し、使用した魔術師を殺傷する恐れもあるのだ。だからこそ騎士団は魔術師を最後尾に配置し、剣士や大型の盾を持った兵士に護衛させる。魔術師が接近戦に向かないという理由もあるが、彼らの魔術の暴発に巻き込まれては元も子もないという意味もあるのである。

 

 ステラは、ボルト・ランツェの制御が難しくなるタイミングをずっと待っていたのだ。梯子の上で作業している最中に、その梯子を揺らしてやるような嫌がらせである。

 

 ロゼットは暴発しようとしているボルト・ランツェを慌てて制御しようとするが、もう既に後端部や中心部からは高圧の魔力の小さな柱が突き出て、徐々に雷の槍を崩壊させつつあった。

 

 崩壊し始めているボルト・ランツェへと杖を向けて新たな魔法陣を生み出し、制御を始めるロゼット。しかし、ステラはロゼットにLMGの銃口を向けると、散発的にトリガーを引いてゴム弾を撃ち出し、制御しようとするロゼットを何度も打ち据える。

 

「きゃっ!? ちょっと、やめて! お願いだから………! ぼ、暴発しちゃう………!」

 

「何を言っているのですか。今は戦闘中ですよ」

 

 ゴム弾に腕を突き飛ばされ、ロゼットの杖が床に落ちる。慌てて拾い上げてコントロールを続行しようとするロゼットであったが、彼女の目の前に浮遊する雷の槍は不規則に膨張を続け、雷の球体に変貌しつつあった。

 

 その表面を、太陽の炎のようにスパークが飛び回る。

 

 もう制御は出来ない。杖を回収して離れるべきだ。

 

 慢心していたとはいえ魔術を何度も使った経験のあるロゼットはそう判断するが、立て続けに放たれるステラの7.62mmゴム弾が脇腹や足に喰らい付き、暴発寸前の雷の塊から離れるのが遅れてしまう。

 

「ひっ………!」

 

「油断しなければ、こうなりませんでしたね」

 

 相手が幼女だからと慢心していたから、阻止されて暴発する恐れのある遠距離型魔術を使ってしまった。そのような魔術を使う場合は、仲間に護衛されながら遠距離攻撃をするのが鉄則だというのに。

 

 慢心して、鉄則を無視してしまったのだ。

 

「うぐっ……! や、やめて………ッ!」

 

 ロゼットはまだ逃げようとするが、ステラは安全圏からひたすらLMGを撃ち、ロゼットの遁走を妨害する。このままではロゼットは暴発に巻き込まれ、意識を失う羽目になるだろう。

 

 つまり、エリックのチームの敗退である。

 

 だが―――――――そうなると、ステラたちには都合が悪い。

 

 だからステラは、このまま待ち続ければ勝利できるタイミングで、タクヤに指示された通りにすることにしたのである。

 

「審判さん」

 

『は、はい。何でしょうか、ステラ選手』

 

 左手をキャリングハンドルから放し、ステラは片手でLMGの射撃を続行しながらお腹をさすり始める。

 

「お腹が空きました。このままではステラは死んでしまいます」

 

『えっ? あ、あの、ステラ選手。元気そうなんですけど………?』

 

「いえ、このままでは死んでしまいます。今すぐご飯を食べなければなりません」

 

『えっと、試合中なんですが………』

 

「降伏します」

 

『え?』

 

「お腹が空いたので、降伏してご飯を食べてきます。死にそうですので」

 

「ちょ、ちょっと待って! 降伏するならせめて助けてよ!」

 

 降伏すると言い出したステラに向かって叫んだのは、未だに彼女のゴム弾によって遁走を阻止されながら、自分が生み出した魔術の暴発から逃れようとするロゼットであった。

 

 ステラが降伏するというのならば、もう試合は終わりだ。

 

『よ、よろしいのですか?』

 

「ええ。――――――そろそろ頃合いですし」

 

「ちょっと! 早く助け―――――――」

 

『では、ステラ選手の降伏ということで、中堅はロゼット選手の勝利となりま―――――――』

 

 審判が音響魔術を使ってロゼットの勝利を宣言しようとしたその時であった。ゴム弾の連射を止め、ステラが踵を返すと同時に、広場の上で膨張を続けていた雷の球体が弾け飛び、スパークを伴った爆風がロゼットを飲み込んだのである。

 

 電流の混じった火柱が広場の中で吹き上がり、意識を失ったロゼットが地面へと叩き付けられる。ステラが降伏すると言っていなければ、明らかに彼女が勝利していた事であろう。

 

 だが、もう既に審判に降伏すると告げたし、審判もステラの降伏によりロゼットの勝利だと宣言している。だからこの勝負はステラの敗北だ。

 

 タクヤの言ったとおりに、ステラは負けたのだ。圧倒していたというのにわざと負けることによって、相手のプライドを踏みにじって。

 

「――――――勝利おめでとうございます、ロゼットさん」

 

 冷たい声でそう言いながら踵を返したステラは、笑いながら仲間たちの座席へと向かって歩き始めた。

 

 

 

 おまけ

 

 モリガンの皆さんが闘技場の戦いを見るとこうなる パート3

 

ギュンター「今回の幼女は腹黒いな………」

 

ミラ(フィオナちゃんは真っ白だったのにね)

 

リキヤ「しかもギュンター並みの強靭さだな。一回勝負してみたらどうだ?」

 

ギュンター「マジかよ、旦那」

 

カレン「ギュンターが負けたりして」

 

ギュンター「負けるわけねえだろ!?」

 

エリス(腹黒い幼女かぁ………。あのパーティー、可愛い子ばかりじゃないの………!)

 

 完

 

 



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ラウラの猛攻

 

「負けましたよ、タクヤ」

 

「おう、ありがとな」

 

 ステラって、腹黒いんだな………。

 

 さっきの試合は明らかにステラの勝利だ。それに審判の宣言がもう少し遅ければ、彼女が降伏しようとしても関係なしにステラの勝利となっていた事だろう。ヒヤヒヤしたが、これで予定通りに副将の戦いとなる。

 

 ここでラウラが負ければ――――――次は、俺の出番だ。

 

 フードをかぶったまま、相手のチームの席を睨みつける。エリックたちのチームの方では、意識を失って担架で運ばれるあの魔術師の傍らで、エリックが副将として出場する男を怒鳴りつけているようだった。

 

 確かあいつは、最初にエリックが馬鹿にしてきた時も一緒にいたな。試合開始前にも一緒にいた大男だ。あいつがラウラの対戦相手という事なんだろう。

 

「次はお姉ちゃんの出番だねっ」

 

「頼んだぜ、お姉ちゃん」

 

「えへへっ、タクヤのために頑張って負けてくるねっ!」

 

 普通なら勝ってほしいところだが、ここで勝利してしまうと俺の出番がなくなり、エリックの野郎を半殺しにできなくなってしまう。そのため、ラウラにはステラと同じくわざと負けてもらう予定である。

 

 もちろん、いきなり降伏してわざと負けるのではなく、相手を半殺しにしてプライドを粉々にしてからだ。

 

 楽しそうに笑いながらウインクしたラウラは、席から立ち上がって俺の肩に手を伸ばして来たかと思うと、そのまま両手を絡み付かせて抱き付いてきた。薄れていた彼女の甘い匂いが一気に濃くなり、ふわふわするラウラの赤毛が俺の頬に触れる。

 

「頑張れよ、お姉ちゃん」

 

「うんっ。タクヤのためだもん」

 

 俺も彼女を抱き締めつつ、静かにラウラの頭を撫でた。

 

 相手の座席の方からは、大剣を手にした大男が歩き始めていた。ラウラの対戦相手である。得物はあの大剣だけのようで、それ以外に武器を持っている様子はない。魔術を使ってくるようなタイプというよりも純粋に剣術だけで挑んできそうな相手だが、見た目で判断すれば相手の選手たちの二の舞である。

 

 格下でも、侮ってはならない。

 

 ラウラの柔らかい手が、静かに俺の頭を撫でた。そしてもう一度微笑んでから踵を返し、腰のホルスターに収まる2丁のキャリコM950へと伸ばす。

 

 彼女のSMGに装填してあるのも、もちろん9mmのゴム弾である。それに背中に背負っているアンチマテリアルライフル用にも、12.7mmのゴム弾を用意している。だが、こちらで撃たれたらさすがに骨折するんじゃないだろうか。しかも銃剣も取り付けたままである。

 

 キャリコM950の木製のグリップを彼女の白い手が掴んだ瞬間――――――闘技場の広場の中だけが、凍り付いたような気がした。

 

 その殺気を感じ取ったのは俺だけだったのだろうか。彼女の場合は相手を焼き尽くすのではない。炎を操るサラマンダーのキメラでありながら、全てを氷つかせてしまうのである。

 

 かつてラトーニウス騎士団で『絶対零度』と呼ばれた最強の騎士の娘と、最強の転生者の娘として生まれたラウラは、両親から最も獰猛な部分を受け継いでいるのだ。

 

 俺はラウラが誤って相手を凍死させることがありませんようにと祈りながら、広場へと歩いていくラウラを見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどの戦いはステラがわざと敗北したとはいえ、実質的に勝利していたのは彼女の方である。前回の大会で優勝しているチームの選手が立て続けに3回も実質的な敗北を喫しているとなれば、まさにこの試合は番狂わせとしか言いようがない。

 

 エリックのチームが圧倒するだろうと予測していた観客たちも、既にその可能性は低くなっていると判断したのか、つまらない試合を見る態度からまるで猛者同士の決勝戦を見るかのように熱狂し始めていた。

 

 だが、その観客たちの熱気の中でも、ラウラだけは冷たいままだった。冷気にも似た殺気を纏い、いつも腹違いの弟に甘えている時とは全く違う鋭い目つきになりながら、目の前に立つ大男を睨みつけている。

 

 周囲が熱狂していても、ラウラまで熱狂してはならない。

 

 熱は彼女にとって天敵だ。熱くなれば冷静になれなくなる。冷静にならなければ、正確に狙撃は出来ない。それに索敵しても敵を見逃してしまう可能性がある。だから常に冷めていなければならない。冷静で、熱狂とは無縁を維持し続けなければ、ラウラはいつも通りには戦えない。

 

 それはおそらく、母親からの遺伝なのだろう。彼女の母であるエリス・ハヤカワも氷の魔術の使い手であり、戦闘中に熱狂することは殆ど無く、常にハルバードを手にしながら冷気にも似た殺気を放ち続けていたという。

 

「ゴードン、頼むぞ! ロゼットみたいに舐めるなよ!!」

 

「分かってる! ………まったく、ガキ共が」

 

 無様な試合を3回も見せられた上に、ロゼットの試合では明らかに勝っていた状態で馬鹿にするかのようにわざと降伏され、副将のゴードンは苛立っていた。相手は無名のチームだし、冒険者としての活躍もあまり聞いたことのない初心者たちのチームである。何度もダンジョンの調査を達成し、この闘技場で優勝した経験もあるベテランのチームが、なぜあんな弱小なチームに圧倒されなければならない?

 

 目の前で睨みつけてくる赤毛の少女を見下ろしながら、ゴードンは息を吐いた。

 

 この少女も同じだ。防具を全く身に付けず、私服姿のままである。手にしているのはクロスボウのような奇妙な武器だが、これもまた先ほどの少女たちの得物のように轟音を発するのだろう。防具を身に付けないのは、そもそも接近される前にあの飛び道具で敵を殲滅してしまうから、防具を付ける意味がないからという事なのだろうか。

 

 距離を離せが脅威だが――――――距離を詰めれば、むしろ脆くなる。

 

 近年は昔のように全身に防具を身に着けるのは時代遅れとされているが、だからといって防具を全く身に付けないのは命取りだ。腕に防具を装着していれば盾の代わりになってくれるし、防具が敵の攻撃を弾いてくれるかもしれない。

 

 身を守るための装備を持たずに飛び道具を装備するのは間違いではないが、初心者がそんな戦い方をするのは愚の骨頂である。

 

(ふん、どうせモリガンの連中の真似事だろうよ)

 

 そう思ったゴードンだったが、目の前に立つラウラの目つきの鋭さに一瞬だけぞっとしてしまう。

 

 17歳の少女の目つきにしては、あまりにも鋭くて禍々し過ぎるのだ。まるで百戦錬磨の傭兵が得物を引き抜き、殺気を放出しながらこちらを睨みつけているような恐怖を感じてしまう。

 

『では―――――――試合、開始ッ!』

 

 その恐怖をかき消すよりも先に、試合が始まってしまった。

 

 慌てて大剣の柄を両手で掴み、振り上げながら雄叫びを上げるゴードン。威嚇のつもりでわざと雄叫びを上げたのだが、あんなに鋭い目つきをする少女が威嚇で動揺するわけがない。

 

 ゴードンの剣戟を回避するために右へとジャンプするラウラ。既に剣を振り下ろしていたゴードンは途中でその剣戟をちめることは出来ず、既に彼女が回避を終えた地面へと剣を叩き付ける羽目になる。

 

 ゴーレムやアラクネの外殻すら断ち切ってしまうほどの一撃を容易く回避したラウラは、目の前の大男が再び大剣で攻撃してくる前に射撃を開始する。

 

 両手のキャリコM950を向け、フルオート射撃を開始した。ハンドガンなどに使われる9mm弾はアサルトライフルやPDWの弾丸と比べると貫通力や破壊力には劣るが、非常に小型であり、マガジンの中に大量に入れておき易いのだ。一般的なアサルトライフルのマガジンの中の弾薬は20発から30発なのだが、それに対してラウラのキャリコM950のヘリカルマガジンの中には、50発もの9mmゴム弾が装填されている。

 

 無数の弾丸で肩や太腿を殴りつけられ、ゴードンは慌てて大剣を引き抜いた。歯を食いしばりながら飛来するゴム弾の痛みに耐えつつ、もう一度剣を振り払い、地面へと叩き付ける。

 

 だが、その剣が何かに激突した感触が来ることはなかった。素振りしている時と変わらない感覚が来るだけである。

 

(馬鹿な!? 避けたのか!?)

 

 激痛と轟音の中で目を見開きながら、ゴードンは驚愕した。防具を一切身に着けていないのならば動きやすいだろうが、それにしても動きが素早過ぎる。鍛え上げられた騎士や傭兵でも今の一撃を躱すのは難しい筈だ。

 

 しかし、ラウラは普通の人間ではないし、彼女に戦い方を教えた両親たちもただの傭兵などではない。変異を起こしてキメラとなった男の遺伝子と最強の騎士の遺伝子を受け継いで生まれ、その両親に幼少の頃から戦い方を教わっているのである。

 

 キメラは人間よりも身体能力が高いし、反射神経も人間より優れている。さすがにサキュバスのような馬鹿力は持ち合わせていないものの、サラマンダーのように炎を操り、堅牢な外殻で身を守る能力があるのだ。しかも身体能力が高く、そんな能力を持っている上に強力な銃を使いこなせるのである。

 

(くそ………それに、この武器は何だ? クロスボウじゃないのか!?)

 

 先ほどからゴム弾に全身を打ち据えられながら、ゴードンは舌打ちをした。このような武器は見たことがない。轟音を発し、凄まじい弾速で飛んで来る飛び道具が存在するという話は聞いたことがあるし、それをモリガンの傭兵たちが所持していたという話も知っている。一時期各地の鍛冶職人がその飛び道具を再現しようとしたり、本物だと嘘をついて販売したことがあったが、再現しようとした武器はモリガンの傭兵たちの武器の足元にも及ばなかったという。

 

 もしこの武器が本物ならば、この少女たちはモリガンの傭兵の関係者なのではないか。

 

 ゴム弾に被弾しながらも、ゴードンは雄叫びを上げながら大剣を振り払う。右から左へと思い切り振り払った一撃だが、はやりこの一撃もあっさりとジャンプされてしまう。

 

「くそ、動きが速すぎる………!」

 

 今の一撃を躱した少女を見上げながら驚愕していたゴードンは、着地しようとしていたその赤毛の少女の姿がいきなり薄れたような気がして、目を見開いた。

 

 噴き上がった蒸気が、やがて空気と同化してしまうかのように、宙を舞っていた赤毛の少女がいきなり消えてしまったのである。

 

(なっ………!?)

 

 息を呑むゴードンの周囲で、驚愕した観客たちが騒ぎ始める。観客たちのやかましい声に包まれながら、ゴードンは冷静に魔力の反応を探し始めた。

 

 あのように姿を消す事が出来る魔術は基本的に光属性である。だが、姿を消すためには長い詠唱を終わらせ、大量の魔力を消費しなければならないという欠点がある。だが、目の前で姿を消した少女は、どちらも済ませていない。第一、大量の魔力を消費する魔術ならば魔力の反応がする筈なのに、何も反応が無いのだ。

 

 姿は見えない上に、何も反応が無い。

 

(ば、馬鹿な………! これも魔術なのか………!?)

 

 こんな魔術は聞いたことがないと焦り始めたゴードンに、先ほどのゴム弾以上の激痛が喰らい付く。

 

「うっ………ぐぁっ!?」

 

 まるで、右肩だけを強引にもぎ取られるかのような激痛だ。おそらく今の一撃で骨が折れたのだろう。激痛は全く消えない上に、右腕は動いてくれない。思わず大剣から手を離し、左手で押さえながら飛来した方向を睨みつける。

 

 飛来した方向には、観客席と壁があるだけだった。だがその何もない空間から金色の小さな管のようなものが排出されたのが見えて、ゴードンは目を見開く。

 

 少女は、あそこにいる。

 

 あそこで飛び道具を構え、ゴードンを狙っているのだ。

 

 キン、と石畳に落下した金属の小さな管が音を立てた直後、今度は左から飛来した轟音と何かが、ゴードンの太腿を直撃する。

 

「がぁっ……ぐっ、がぁ………!?」

 

 もう移動していたというのか。

 

 ガキン、とレバーを引くような音が聞こえたかと思うと、またしてもあの金属の小さな管が、何もない空間から排出される。

 

(いったいどこから攻撃が………ッ!?)

 

 どこから攻撃が飛来するのか、分からない。

 

 必死に魔力の反応を探しながら周囲を見渡すゴードンだが、当然ながら赤毛の少女の姿は見えないし、魔力の反応もない。聞こえてくるのは轟音の残響と、仲間たちからの罵声と、観客たちの歓声ばかりである。

 

 あの少女は、ゴードンを嬲り殺しにするつもりなのだ。

 

 頭を撃てば鍛え上げられたゴードンでも気を失うに違いないだが、ラウラはゴードンの頭を狙わず、肩や足ばかりを狙って攻撃してくる。

 

「ふ、ふざけやがって! このガキ―――――――ギャアッ!?」

 

 次にゴム弾が喰らい付いたのは、一番最初に被弾し、既に骨折していた右肩であった。しかも骨折したせいで腫れている箇所と全く同じ場所に攻撃を叩き込んできたのである。

 

 砕けた骨が筋肉に突き刺さり、骨を折られた瞬間よりもしつこくて忌々しい激痛がゴードンの肩を食い荒らす。一撃も攻撃を当てられず、逆に17歳の少女に嬲り殺しにされていると理解したゴードンのプライドには、もう既に亀裂が入っていた。

 

「ふ、ふざけ―――――――ギャアアアアアアアアア!?」

 

 次に被弾したのは、左手の小指だった。手の甲の方向へとへし折られた小指を抑えようとするが、右腕が動かないせいで小指を抑える事が出来ない。

 

 続けざまに今度は骨を折られて動かない右腕に命中する。まるでボクサーが殴りつけるサンドバッグのように揺れる自分の腕を見下ろしながら、ゴードンは絶叫していた。

 

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ど、どこにいる!? この卑怯者がっ!! 結局モリガンの野郎度と同じ臆病者かよ!?」

 

 罵倒すれば、更に攻撃が来るだろう。降伏してしまった方が良かったのではないか。

 

 辛うじて壊れきっていなかったプライドのせいで相手を罵倒してしまったゴードンは、目を見開いて周囲を見渡しながらぶるぶると震え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の両親を馬鹿にしたのは許せないが、これ以上虐めてしまえばあいつは壊れるか、降伏してしまうだろう。もし降伏してしまえば試合は終了し、タクヤの出番はなくなってしまう。

 

 最愛の弟にお願いされたのだ。だからここで相手を追い詰めて降伏させるわけにはいかない。

 

 手足を砕かれて叫ぶ姿をもっと観察していたかったけど、そろそろ降伏させてもらうべきだろう。

 

 姿を消しながらアンチマテリアルライフルのヘカートⅡを構えていたラウラは、ぶるぶる震えながら周囲を見渡している情けない大男を冷たい目で見つめていた。

 

 彼女はサラマンダーのキメラでありながら、氷を自由に操る事が出来る。その能力を利用して、空気中の水分を凍らせて氷の粒子を生み出し、それを纏う事によって氷の粒子に光を反射させ、マジックミラーのようにして姿を消す事が出来るのである。

 

 しかも消費する魔力の量も極めて少ないため、感知するのはかなり難しい。もし仮に敵の転生者が熱で探知しようとしても、その時は粒子の密度を調整すれば探知されることはない。だからラウラは、姿を消した状態で敵を狙撃する事が出来るのだ。

 

 スコープを必要としないほど優れた視力と、潜水艦のように超音波で敵を探知する能力を併せ持つラウラは、遠距離での狙撃においては既に父を凌駕している。異世界と転生者の変異が生み出した最強の狙撃手(スナイパー)なのだ。

 

 ヘカートⅡを背中に背負い、ラウラは絶叫するゴードンに向かって歩き出す。武器を持たずに歩いているだけだというのに、激痛と恐怖にプライドを食い破られたゴードンは全くラウラに気付かない。

 

(………パパたちを馬鹿にするからよ)

 

 父親であるリキヤ・ハヤカワは、ラウラとタクヤを小さい頃から大切にしてくれた。幼少の頃はいつも狩りに連れて行ってもらったし、買い物に行けば欲しがっていたおもちゃをいつも買ってくれた。

 

 ラウラにとって、あの一番最初に生まれたキメラの父親は最高の父親なのだ。それに母であるエリス・ハヤカワも、もう1人の母であるエミリアによく「甘やかし過ぎだ」と咎められていたが、いつも可愛がってくれる優しい母親であった。

 

 家族やモリガンの傭兵たちを馬鹿にするのは許せない。それに、最愛の弟を馬鹿にする奴も絶対に許さない。

 

 ラウラにとって、タクヤはただの弟ではないのだ。いつも一緒にいてくれた遊び相手であり、ラウラを助けてくれるヒーローでもあるのだから。

 

 だからラウラは彼を守るために父から戦い方を教わり強くなろうとしたし、彼に惚れているのである。

 

 氷の粒子を解除し、そっとゴードンの肩に手を伸ばす。先ほどまで氷の粒子を纏っていたせいで冷たくなっていたラウラの手に触れられたゴードンは、目を見開きながらラウラを見上げてきた。

 

「お、お前――――――」

 

「黙りなさい」

 

 冷たい目つきでゴードンを睨みつけながらラウラが言った直後、ゴードンの肩がいきなり鮮血で作られた結晶のように紅い氷に覆われ始めた。左肩を覆ったそれは背中や下半身を飲み込んでいくと、氷つかせる速度を落としながら今度はゴードンの首を覆っていく。

 

 徐々に氷漬けになっていくゴードンの目の周りが、彼の涙で濡れ始めた。

 

「ひ、ひぃっ! な、なんだこれはぁっ!?」

 

「―――――審判さん」

 

『な、何でしょうか?』

 

 氷漬けにされながら泣き叫ぶゴードンを無視しながら、ラウラは弟に甘えている時とは全く違う口調で審判に告げる。

 

「私、降伏します」

 

『え!? ラウラ選手もですか!?』

 

「はい。風邪ひいちゃったみたいですので」

 

『か、風邪ですか!? でも、ステラ選手みたいに元気そうなんですが………よろしいですか?』

 

「はい」

 

「おい、ちょっと待て! 降伏するならこの氷を何とかしてくれぇっ!!」

 

 ゴードンの体を覆う氷は、まだ止まっていない。もうゴードンの首を飲み込んでしまった鮮血のような氷は少しずつ上に上がり続け、ゴードンの顎を包み込んでしまっている。

 

 あと30秒くらいで、あの大男は氷漬けにされてしまう事だろう。

 

『では、ラウラ選手の降伏により、ゴードン選手の勝利となります!』

 

「おい、頼む! 早くこのこ……お………り―――――――」

 

 そして、ついにゴードンの声が聞こえなくなった。まだ完全に氷漬けにされたわけではなく、鼻の辺りまで氷漬けにされたせいで喋れなくなってしまったらしいが、もうあの氷を止めることは出来ないだろう。

 

 恐怖と氷の冷たさで震えながらラウラを見つめるゴードン。だが、ラウラは必死にこちらを見てくるゴードンを見て鼻で笑うと、ヘカートⅡを肩に担ぎながら踵を返す。

 

「いい気味ね、お馬鹿さん」

 

 かつて絶対零度と呼ばれていた母親から、彼女は氷属性の魔力と冷たさを受け継いでいる。

 

 彼女の冷たさは、仲間に武器を向けてくる敵を薙ぎ払うためにあるのだ。

 

 その氷の餌食となったゴードンはもう真紅の氷に覆われ、紅い銅像のような姿になっていた。

 

 

 

 おまけ

 

 モリガンの皆さんが闘技場の戦いを見るとこうなる パート4

 

エリス「きゃあああっ! ラウラが活躍したわ!」

 

エミリア「姉さん、落ち着け!」

 

エリス「しかも最後は降伏した相手をちゃんと氷漬けにしてプライドを木端微塵にしてからわざと負けたのね!? 偉いわ、ラウラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

カレン「ちょっと、エリスさん! 落ち着いて!」

 

フィオナ(昔から全然変わってない………)

 

 完

 

 

 



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大将の戦い

 

 氷漬けにされたゴードンが運び出されるのを見つめながら、エリックは戦慄していた。

 

 見たことのない武器を持っているが、防具も身に着けていなかったから、あのパーティーはてっきりモリガンの傭兵たちの真似をしているだけなのかと思い込んでいたのである。

 

 メンバーの1人でも騎士団の一個大隊並みの戦闘力を持つと言われるほどの傭兵たちに憧れる冒険者や傭兵は多い。彼らの真似をして防具を装着せず、クロスボウや弓矢だけを装備して戦果をあげるギルドも存在しているが、モリガンの傭兵たちが戦果をあげる事が出来たのはクロスボウなどよりも遥かに性能の高い銃を持っていた事と、1人1人が常人を遥かに超えた技術や能力を持っていたためである。だから彼らの真似をしたところで敵に接近された場合のリスクを大きくしているだけに過ぎない。

 

 だから、彼らの真似をする者たちは軽蔑される傾向にあるのだ。

 

 戦う事になったあのパーティーも、そのようなパーティーの1つだと思っていた。それにメンバーたちは自分と同い年くらいだったし、おそらくそのような装備にしたのは防具を購入するための資金が無かっただけだと思っていたのだ。

 

 しかし――――――あのパーティーが持っている武器は、まさしくモリガンのメンバーが愛用した得物であったのである。

 

 弓矢よりも遠距離から敵を撃ち抜く上に弾速は非常に速いため、回避するのはかなり難しい。それ故に敵に接近される前に戦いは終わってしまうから、身を守るための防具も必要ないのだ。

 

 それに、接近できたとしてもエリックの仲間を返り討ちにしてしまうほどの身体能力と剣術を身に着けているのである。どの距離で戦っても勝ち目がないのは火を見るよりも明らかであった。

 

(な、なんてことだ………!)

 

 頭を抱えながら、エリックは歯を噛み締める。

 

 今のところ2勝2敗ということで、次の大将戦で勝敗が決することになっている。だが、エリックのチームが手にした2回の勝利は相手が意図的に降伏して勝利を譲ったようなものだから、実質的にはここまで惨敗が続いているようなものである。

 

 歯を噛み締めながら相手のチームの座席を見てみると、先ほどゴードンを半殺しにした上に氷漬けにして送り返してきた赤毛の美少女が、大将の席に座るフードをかぶった蒼い髪の美少女と抱き合っているところであった。戦いの最中のように冷たい顔ではなく、幸せそうな笑顔を浮かべている。もしあのような挑発をしてここで戦う羽目にならなかったならば、声をかけて食事にも誘っている事だろう。大人びた姿なのに幼い性格というのもなかなか可愛らしい。

 

 だが、これからエリックは相手の大将と戦わなければならないのだ。基本的にこのような団体戦では、パーティーのリーダーが大将を務める場合が多い。

 

 つまり、エリックの仲間たちをことごとく圧倒してきたメンバーたちの中で最も強い奴と、これから戦わなければならないのである。

 

(く、くそ………! 僕にはボルトスネークの槍があるけど、あいつの得物は………)

 

 エリックは貴族出身であるため、冒険者として登録したばかりでもすぐに高級な装備を買いそろえる事が出来た。防具も華奢だが魔術などの防御力が高いハイエルフの職人が作り上げたものを選んだし、武器は強力な魔物であるボルトスネークの牙を使った槍を購入した。金貨を10枚も払った装備なのだが、あの得物で遠距離から攻撃されればこの高級な装備が全て無用の長物になりかねない。

 

『続きまして、大将の戦いです! では、両チームの大将は準備をお願いします!』

 

「くっ………」

 

 実質的に4回も惨敗しているとはいえ、ここで勝利する事が出来ればエリックたちは彼らとの試合に勝つ事が出来るのである。この戦いで勝利し、わざと敗北して大将戦を始めさせたことを後悔させてやればいいではないか。

 

 それに、エリックにはこの槍以外にも切り札があるのだ。彼らのように惨敗する確率は低いだろう。

 

「え、エリック……気を付けろ。あいつら、変わった飛び道具を………」

 

「ああ、任せろよ」

 

 あの切り札ならば、飛び道具で攻撃されても関係ない。

 

 切り札の存在を思い出して恐怖をかき消したエリックは、胸を張りながら槍を手にすると、まだ氷漬けにされたゴードンの冷気が残る広場へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「次はタクヤだね」

 

「おう」

 

 次は大将戦だ。仲間たちを挑発してきたあの馬鹿を半殺しにするチャンスがやってきたのである。

 

 AK-12の点検を終えていた俺は、スパイク型銃剣を展開した状態で肩に担ぐと、左腕にしがみついているラウラの頭を撫でながら微笑んだ。相変わらず彼女の髪はふわふわしていて甘い香りがする。

 

 抱き締めようかと思ったんだけど、もう試合が始まる。可愛いお姉ちゃんとイチャイチャするのは、試合が終わってからにしよう。

 

「えへへっ。タクヤ、頑張ってね!」

 

「任せろって」

 

「お兄様、賞金を手に入れたら祝勝会ですわよ!」

 

「おう!」

 

 賞金はいくらもらえるんだろうか。もし手に入れる事が出来たら、さすがに全額使って祝勝会をやるのではなく、半分くらいは貯金しておきたいものである。熟練の冒険者ならば資金には困らないだろうが、俺たちはあくまで新人の冒険者なのだから。

 

 広場に向かって歩き出した俺の腕から、ラウラがそっと手を離した。柔らかくて少しだけ冷たい感触が腕から離れていき、甘い香りが薄れていく。

 

 ラウラの香りが薄れる度に、俺の目が鋭くなっていくような感じがした。

 

「………やあ、エリック。2勝おめでとう」

 

 ボルトスネークの槍を手にしながら歩いてきたエリックを睨みつけながら、俺は彼にそう言った。あいつのチームは中堅と副将の戦いで勝利を収めたことになっているが、実質的にあれは敗北していたようなものだ。惨敗を続けているチームのリーダーは左手を握りしめながら俺を睨みつけると、槍の先端部を俺へと向けてくる。

 

「調子に乗るなよ、新人が」

 

 やはり、無名のチームの新人たちに立て続けに惨敗し、かなりプライドに亀裂が入っているらしい。やはり貴族出身だったからなのだろうか、プライドを踏みにじられながら挑発された事にかなり腹を立てているようだ。

 

 AK-12を向けたいところだが、もう既にこの貴族出身の少年を更に馬鹿にする準備は出来ている。アサルトライフルを肩に担いだまま左手をコートのポケットに突っ込んだ俺は、プライドを踏みにじられて激昂しかけているエリックを嘲笑いながらポケットの中のある物を握りしめる。

 

 審判が試合を始めさせれば、すぐにこの嘲笑が大爆笑に変貌する事だろう。

 

『では―――――――試合、始めッ!』

 

「叩きのめしてやるッ!」

 

 アナウンスが響き渡る中、エリックは俺が銃を持っているにもかかわらず正面から突っ込んできた。今までの試合で散々チームメイトが打ちのめされているのを目にしただろうにと思ったんだが、エリックの突っ込んで来る速度は思っていたよりも素早く、俺は少しだけぎょっとしてしまう。

 

 両手で槍を握り、綺麗な金髪を電撃のように揺らめかせながら突っ込んで来るエリック。まるで稲妻のような素早い突撃だが―――――――母さんの剣戟や親父の突進の速度と比べると、お粗末すぎる突撃である。

 

 親父たちと模擬戦を繰り返していなかったら、もっと驚いていたかもしれない。俺たちの両親が強過ぎて、俺たちがその猛者たちとの戦いに慣れてしまっていただけだ。

 

 だから――――――すぐに嘲笑しながら後へとジャンプし、予定通りにポケットの中に仕込んでいたスイッチを押した。

 

 その直後、闘技場に響く歓声を押し潰すかのように、大きな音が響き渡った。一瞬だけ歓声をかき消すほどの音の中でエリックの右手が震え、薄い白煙に包まれ始める。

 

 今しがた響き渡った音の発生源は、エリックの右手だったのだ。

 

「グッ!? ………な、何だ………? 右手が………!?」

 

「なんだ、まだ気付いてなかったのか」

 

 出来るだけ気付かれないように調整したから、エリックのように慢心しているような輩では気付く事もないだろう。

 

 ボルトスネークの槍を地面に落とし、右手を抑えながら呻き声を上げるエリックの右手は、試合の前に俺と握手した箇所と全く同じ個所が少しだけ焦げていた。

 

 実は、試合する前にエリックと握手した際、気付かれないようにかなり小型化したC4爆弾を右手に貼り付けておいたのだ。小石よりも小型化したから殺傷力は片手を吹き飛ばす事が出来ないほど急激に落ちているが、利き手を使用不能にする程度の威力は持っているようだな。

 

 少しだけ焦げたせいで黒ずんだ手を抑えていたエリックは、やっとその傷のついた場所が俺と握手をした場所と同じであることに気付いたらしい。激痛を感じながらも激昂して睨みつけてきたエリックを嘲笑いながら、俺は彼に超小型C4爆弾の起爆スイッチを見せつける。

 

「お、お前ぇ………ッ! あ、握手した時か! あの時………何か仕込みやがった……なぁ………ッ!?」

 

「いやいや、自信たっぷりなエリックさんと戦う事になったら勝ち目がなさそうだったんで、ちょっと仕掛けさせてもらいましたよ。あははははっ」

 

 相手を殺さなければ、どんな手を使っても問題ないというルールだからな。だから、殺さない程度に殺傷力を落とした爆弾を使って利き手を潰してもお咎めなしというわけだ。

 

 久しぶりにいたずらを成功させた時のような快感を感じたよ。冷静な奴なら利き手の違和感に気付く筈なんだが、こいつは俺たちを格下だと思って慢心していたから気付けなかったらしい。

 

 ざまあみろ。

 

「ひ、卑怯者ッ!」

 

 卑怯者? これは闘技場のルールでも問題ない行為だぞ? 殺さなければお咎めなしなのだから。

 

 ポケットの中のスイッチから手を離し、アサルトライフルを手にしたまましゃがみ込んだ俺は、嘲笑しながら馬鹿にするかのようにエリックの顔を覗き込む。冷や汗で濡れ、苦痛と激昂が混じり合ったエリックの顔は貴族の少年のように華奢そうな顔つきではなく、散々蔑まれて相手を憎悪する奴隷のようであった。

 

 でも、まだプライドは壊れていない。敵がまだ生きているなら止めを刺さなければ。

 

 だから、こいつのプライドにも止めを刺す。

 

「いやいや、俺は新人だからさ。エリックさんと正面から戦っても負けちゃいそうだからさ。―――――――だから、正々堂々と戦うわけないじゃん」

 

「だ、黙れぇッ!」

 

「おっと」

 

 左手でボルトスネークの槍を掴み、片手で振り回してくるエリック。だが、片手で振り回しているだけだから攻撃の速度は遅く、お粗末な攻撃が続くだけである。

 

 容易く躱しつつ右足の脛の部分だけを硬化。振り払われてきた槍の柄を蹴り飛ばし、今度こそ槍をエリックの手から奪い取る。

 

「あっ………!」

 

 高級なボルトスネークの素材を使用した槍は回転しながら飛んでいくと、素材にされた雷を操る蛇の牙をレンガ造りの壁にめり込ませ、何度か長い柄を上下させてからぴたりと止まった。

 

 さて、これでエリックのお馬鹿さんは槍を失った。魔物から内臓を取り出すためのメスやナイフは持っているようだけど、あくまで一番使い慣れていた得物はあの槍だったのだろう。

 

 使い慣れていない得物を、利き手を潰された状態で振るわなければならないというわけだ。

 

「チェックメイトだ、エリック」

 

「ち、チェックメイトぉ……? くっくっくっくっ………勝負はもう終わったと思ってるのか? 間抜けな奴めぇ………」

 

「なに?」

 

 まだ何か切り札があるのか?

 

 目を細めながら銃口をエリックへと向けようとした瞬間、超小型C4爆弾で負傷した右手を抑えていたエリックが、いきなり左手を素早く伸ばして腰にある雌のホルダーへと伸ばし、そこに収まっていたメスを放り投げてきた。

 

 いつもの戦闘ならば問題ないんだが、ここは観客が何人もいる闘技場だ。キメラの硬化は使うわけにはいかない。

 

 アサルトライフルを向けながらも身体を左右に逸らし、エリックが投擲してきたメスを回避する。ナイフではなくメスを携帯する冒険者が多いのは、魔物の素材の中でも高値で売りさばく事が出来る内臓を傷を付けずに取り出すためだ。だから冒険者は医者というわけではないのだが、メスを携帯する場合が多い。

 

 しかもそのメスは、投げナイフの代わりに投擲する武器にもなる。

 

 容易くメスを躱した俺は、左手を伸ばしてハンドガードの下部を握り、銃口をエリックへと向けてトリガーを引いた。元々許すつもりはなかったが、利き手を潰された上に愛用の得物まで失ってしまえば戦意を台無しにできると思っていた。しかし、こいつはまだ切り札を持っている。だから牽制のために今メスを放り投げてきたのだろう。

 

 油断はしない。まだ戦うというのならば、切り札を出される前に半殺しにするだけだ!

 

 ゴム弾とはいえ、弾丸のサイズは一般的なアサルトライフルに用いられる5.56mm弾よりも大きな7.62mm弾。アサルトライフルよりも大口径のバトルライフルや、中距離狙撃用のマークスマンライフルに用いられる大口径のゴム弾を立て続けに叩き込めば、切り札を使うことなくこいつを半殺しにできるだろう。

 

 トリガーを引き、初弾がマズルフラッシュの中から飛び出していったのを目の当たりにして安心した直後、俺は目を見開く羽目になった。

 

 今しがた飛んでいった7.62mmゴム弾が、突然目の前に現れた灰色の壁のようなものに遮られ、まるで戦車の装甲に跳ね返されるかのような音を立てて弾かれてしまったのである。

 

「なに………?」

 

 射撃を続行しつつ、後ろへとジャンプする。

 

 何度もゴム弾を放ち、目の前に出現した壁には全く効果が無いと判明するまでトリガーを引き続けていた俺は、空になったマガジンを取り外しながらその灰色の防壁を見上げた。

 

 その防壁は、王都やナギアラントを取り囲んでいた防壁のように無骨な防壁ではなかった。表面は不規則に隆起しており、中にはまるでレイピアのように鋭く突き出ている部位もある。それを何枚もつなぎ合わせたかのような奇妙な防壁が覆っているのは――――――――頭のすぐ後ろから巨大な翼を生やした大蛇だった。

 

 頭部から伸びる巨大な2つの翼は、鳥の翼というよりはドラゴンの翼を思わせる形状をしていた。とてもこの巨体があの翼で飛び上がれるとは思えないが、ドラゴンの外殻に酷似した外殻で全身を覆われているせいなのか、もしかしたら飛行することも出来るのではないかと思ってしまう。

 

 全長は20m以上だろう。大蛇のような姿をしているが、普通の蛇ならば表面は外殻に覆われていないし、あのように頭から翼が生えているわけがない。

 

 頭も同じく外殻で覆われており、尖った外殻がまるで頭髪のように見えてしまう。その頭髪にも見える外殻が生えた頭はドラゴンに近かったが、微かに口から見える巨大な2本の牙と長い舌は巨大な大蛇を彷彿とさせる。

 

 まるでドラゴンから前足と後ろ脚を取り除き、蛇のように伸ばしたような姿の怪物である。その怪物が、黄金の瞳で俺を睨みつけていたのだ。

 

「こ、これは………ッ!?」

 

 魔物かと思ったが、魔力の反応が違う。

 

 体内に魔力を持つこの世界の人間として生まれ変わったから。魔力の反応も感知できるようになった。だがこの反応は今まで感知したことのない魔力である。

 

 魔力の反応を例えるならば水だろう。一般的な魔物は薄汚れた水のような反応なんだが、この目の前の怪物は全く違う。恐ろしい姿をしていながら、その反応はまるで湧き水のように全く汚れていないのである。

 

 つまりこいつは魔物ではない。

 

「ハハハハハハハハハッ! だから言っただろ!? これが僕の切り札だ!」

 

「くそったれ………!」

 

 珍しい技術を持ってたんだな。

 

 エリックの野郎は――――――――精霊を召喚しやがったんだ。

 

 



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転生者が精霊と戦うとこうなる

 

「ふにゃあっ!? 何あれぇっ!?」

 

 魔力の反応で、その怪物が魔物ではないという事はすぐに分かった。

 

 まるでレイピアのように鋭く尖った外殻で全身を覆われている大蛇のような怪物は、まるであのお馬鹿さんの盾になるかのようにいきなり出現した。闘技場の外からいきなり飛び込んで来たわけではないから、おそらくあの怪物はお馬鹿さんに召喚されたんだと思う。

 

 きっとあれは………精霊かも。

 

「あれって、精霊………?」

 

「珍しいですね。精霊を召喚できるなんて」

 

「精霊を召喚できるなら、確かに調子に乗ってしまいますわね」

 

 前に、タクヤが教えてくれた。

 

 精霊というのは、大昔にこの世界に舞い降りた大天使が世界中に残していったと言われる力の欠片の総称で、それと契約すればその精霊を自由に召喚できると言われてるんだって。あのレリエル・クロフォードとの戦いに勝利した大天使の力の欠片だから、大型の魔物さえも容易く蹴散らしてしまうほどの戦闘力を持つ存在らしいんだけど、契約するには非常に手間がかかるし、適性を持つ者しか契約する事が出来ないっていう最大の難点があるの。

 

 適性は生まれつき決まっているみたいだから、努力しても適性を高めることは出来ないんだって。しかも契約するための儀式も非常に手間がかかるらしくて、強力な精霊と契約するためには供物をたくさん用意した上に何日間も儀式を続けなければならない精霊もいるみたい。

 

 だから、精霊を召喚できる人は非常に強力な戦力だけど、契約するための条件が厳し過ぎるから騎士団では切り札のように扱われてるんだって。オルトバルカ王国騎士団では『ガーディアン』って呼ばれてるらしいよ。

 

 信じられないよ。あのお馬鹿さんが精霊と契約できる人だったなんて………。

 

「おそらくあの精霊は………『ケツァル・コアトル』と思われます」

 

「ふにゅ? ケツァル・コアトル?」

 

 タクヤなら知ってるかも。あの子、昔から魔物とか魔術の図鑑をよく読んでたし。

 

 私は精霊とか魔物の事はあまり詳しくないからなぁ………。ふにゅう……もっと勉強しないと。

 

 あ、そうだ。今度タクヤに教えてもらおう! タクヤは詳しいし、そうすればタクヤと一緒にいられるし! えへへっ、タクヤ先生と2人っきりだね!

 

「ステラちゃん、そのケツァル・コアトルってどんな精霊なの?」

 

「はい。ケツァル・コアトルは、水属性の精霊です。ほぼすべての水属性の魔術を詠唱せずに使用できる上に、水を自由自在に操る事も可能です。契約者の魔力を大量に消費する羽目になりますが、このドナーバレグを数十分で水没させることも可能かと思われます」

 

「す、水没!?」

 

 水属性の精霊かぁ………。ふにゅ? 水属性って事は、タクヤと相性が悪いんじゃない?

 

 タクヤは炎を操る能力を生まれつき持ってるけど、エミリアさんからの遺伝で電撃も操る事が出来るから、むしろ水属性の精霊を召喚したのは失策だったんじゃないかな?

 

「あら、水属性でしたらお兄様の圧勝ですわね」

 

「そうね。圧勝じゃない?」

 

「では、今夜の祝勝会をどこでやるか決めておきましょうか」

 

 タクヤの勝ちだね。

 

 あの子ならもう魔力の反応で気付いているだろうし、タクヤの電撃ならすぐに倒せるよ。

 

 頑張れ、タクヤっ!

 

 

 

 

 

 

「はっはっはっはっはっはっ!! どうだ、これが僕の精霊だッ!」

 

 おいおい、精霊と契約する条件は滅茶苦茶厳しかったはずだぜ? この馬鹿は精霊と契約するための適性を持ってたっていうのか?

 

 エリックが召喚した巨大な蛇のような怪物を見上げながら、俺は息を呑んだ。灰色の外殻に覆われた大蛇は巨大な口から細長い舌を伸ばしながら、黄金の瞳で俺を見下ろしている。

 

 おそらくこいつは、ケツァル・コアトルだ。水属性の精霊で、水を自由自在に操る能力を持つらしい。図鑑でしか見たことがないんだが、水を操るという事は俺との相性はいい筈である。

 

 危機感を感じたが、電撃を操る能力の事を思い出したらすぐに下らない危機感は消え去った。

 

 エリックは、俺が電撃を操る能力を母親から受け継いで生まれてきたことを知らないのだ。試合が始まってからは服の下を硬化させた時しかキメラの能力を使ってはいないから、こいつは俺が電撃を操ると知らないで勝ち誇っているんだろう。

 

 とりあえず、ライフルの弾薬をゴム弾から実弾に変えておこう。いくら人間の骨を折るほどの衝撃を持つゴム弾でも、装甲車並みの外殻を持つ精霊に通用するわけがない。

 

「行け、ケツァル・コアトル! あの馬鹿をぶっ潰せ!」

 

『ゴォォォォォォォォッ!!』

 

 ゴム弾から実弾のマガジンに変更し、コッキングレバーを引く。ガチン、とレバーが元の位置に戻る音を聞いて安心した俺は、でかい口を開けながら突進してきたケツァル・コアトルに銃口を向け――――――トリガーを引いた。

 

 頭を狙ったフルオート射撃だが、どうやらあの外殻の防御力はドラゴン以上らしい。弾丸は命中しているが、外殻を貫通することは出来ないらしく、跳弾する音を奏でながら火花を発して灰色の外殻を照らし出すだけである。

 

 しかも、ケツァル・コアトルは全くダメージを受けていない。これでは決定打にはならないなと思いつつ右へとジャンプし、ドラゴンのような大蛇の精霊に押し潰されないように回避する。

 

『ご覧ください、エリック選手のケツァル・コアトルです! 先週の試合では最後の戦いで披露されたエリック選手の精霊が最初の試合で召喚されるとは思っていませんでしたッ! さあ、タクヤ選手はこの精霊をどうやって倒すのか!?』

 

 うるせえアナウンスだなぁ………。

 

 これは俺とエリックの戦いだぜ? 精霊は強力だが、エリックに召喚されているに過ぎない。

 

 だから――――――エリックを狙えば問題ねえだろッ!

 

「ひぃっ! おい、ケツァル・コアトル! 僕を守れッ!」

 

『ギィィィィィィィッ!!』

 

 精霊ではなく契約者を狙っていると理解したエリックが、目を見開きながら必死に精霊に命令する。精霊は大天使の力の欠片と言われているが、自我はないらしい。だからこんな命令をされても文句を言わないというわけだ。俺がこいつの精霊だったら、契約を無視して反乱を起こしてるぜ。

 

 スパイク型銃剣を展開した状態で、ケツァル・コアトルを無視してエリックへと猛進する。背後から先ほど突進を躱された精霊が雄叫びを上げながら急迫してくるが、果たして俺がエリックをぶちのめすよりも先に止められるのか?

 

 ―――――いや、賭けは止めよう。こいつに負けるわけにはいかん。

 

 前傾姿勢で突っ走っていた俺は、踏み出した足に力を込めて急停止すると、その急停止に使った足を一気に延ばしつつ体重を左へと集め、左にジャンプして精霊の突進を回避した。いくらキメラでも猛スピードで突っ走っていた最中に立ち止まれば負荷がかかるものである。負荷がかかった脹脛の激痛を無視しつつ、尖った外殻で空気を掻き乱しながら掠めていったケツァル・コアトルへと発砲する。やはり外殻に弾かれてしまう事に舌打ちをしつつ、そろそろグレネードランチャーでもぶっ放すかと考えていると、突進でエリックを踏み潰さないように急上昇したケツァル・コアトルが空中へと飛び上がり、口を開けてこちらへと向けてきた。

 

 方向でもするつもりかと思いながらブースターをドットサイトの後ろへと移動させ、中距離射撃の準備をしていると、舞い上がったケツァル・コアトルの口に巨大な水の球体が生成され始める。

 

 それと同時に、周囲の空気が急激に乾燥し始めたような気がした。先ほどまでは普通の空気だったんだが、今の闘技場の空気はまるで砂漠の真っ只中にいるかのように乾燥している。

 

 なるほどな。あの水の球体は、空気中の水分で形成しているというわけか。それに圧力をかけて俺に向かってぶっ放すつもりか。

 

 やめてくれ。俺はサラマンダーだから水には弱いんだよ………。

 

 回避するべきかと思ったが、まだ水を吐き出す準備は出来ていないようだ。

 

「ほら、避けろよ!? 手加減はしてやるけど、あの水は飛竜だって両断できるんだからな!?」

 

 高笑いしながら言うエリックを一瞥し、俺も奴を嘲笑う。

 

「何言ってんだ。お前こそ自慢の精霊に避けろって命令しろよ?」

 

「あぁ!?」

 

「さもないと―――――――」

 

 グレネードランチャー用の照準器を展開し、そちらを覗き込む。左手でグレネードランチャーのグリップを握り、トリガーを引く準備をしながら照準を合わせる。

 

 こいつに装着されているロシア製のGP-25は、40mmグレネード弾を射出する事が出来る。アサルトライフルのように連射は出来ないけど、破壊力は普通の銃弾とは訳が違うんだ。

 

「―――――――口を火傷するぜぇッ!」

 

 ケツァル・コアトルは水を吐き出すために停止している。もう少しで水をぶっ放す準備が整うところだったみたいだが、今から強力な攻撃が飛来するかもしれないという恐怖心を克服できれば、照準を合わせるのは容易い。

 

 AK-12の下部に装着されているグレネードランチャーから、1発のグレネード弾が放たれる。放たれた直後の砲弾は、まるでケツァル・コアトルの上を飛び越えようとしているかのように上へと舞い上がったけど、徐々に落下を始め―――――水を吐き出そうとしていた精霊の口の中へと飛び込んだ。

 

「なっ――――――――」

 

 水の球体を突き破り、細い下に突き刺さるグレネード弾。ケツァル・コアトルが口の中に放り込まれた異物に驚いて呻き声を上げた直後、精霊の口の中で砕け散った砲弾の爆発が、水の球体を背後から押し出した。

 

 肉片と鮮血の混じった薄い赤色の液体が本来の攻撃の代わりに吐き出され、薄い黒煙を口から噴き上げながら大蛇が必死に頭を振る。

 

「ば、馬鹿なッ!? 何だ、今の攻撃は!? その武器は―――――――」

 

「やかましい」

 

 空になった薬莢を砲口から排出し、次のグレネード弾を装填。そして再び銃口をエリックへと向けようとしたが、実弾が装填されていることを思い出した俺はゴム弾へとマガジンを変えようとする。

 

 だが、交換している場合ではない。マガジンをゴム弾へと変更し、コッキングレバーを引いている間に、ダメージを折った精霊が怒り狂って俺に攻撃してくる可能性があるのだ。

 

 マガジンを交換するのを断念し、銃床で殴りつけることにした俺は、ライフルを構えて今度こそエリックへと向かって突っ走る。

 

 だが、やはり頭上の精霊は怒り狂っているようだった。エリックが命令していないというのに方向を上げたかと思うと、まるで爆弾を投下するために急迫する急降下爆撃機のような凄まじい速度で急降下し、周辺に生み出した無数の水の矢を俺に向けて放ってきたのだ。

 

「くっ!」

 

 絨毯爆撃か………!

 

 実弾で急降下してくる精霊を迎え撃つが、やはりあの外殻に弾かれてしまうためダメージは与えられない。

 

 くそったれ。あいつを倒さないと、エリックを攻撃している最中に不意打ちされちまう!

 

 あの外殻を貫通するためには、12.7mm弾が必要かもしれない。アサルトライフルを腰の後ろへと戻した俺は、いつものようにメニュー画面を開くと、素早く画面を何度もタッチして武器の装備のメニューを開き、親父も使っていたという相棒を装備する。

 

 ロシア製アンチマテリアルライフルのOSV-96だ。射程距離は2kmで、使用する弾薬は強力な12.7mm弾。セミオートマチック式だからボルトアクション式のライフルよりも連射が速い。

 

 ラウラはセミオートマチック式のライフルを使いたがらないんだが、俺はこっちの方がお気に入りだ。

 

 長い銃身の下に搭載されているのは、同じくロシア製ロケットランチャーのRPG-7V2。普通なら考えられないカスタマイズだが、こいつのおかげで火力はかなり上がっている。12.7mm弾でも貫通できなかった場合は、こいつの対戦車榴弾で吹き飛ばしてしまえばいい。

 

「なっ!? おい、何だそのでかい武器―――――――」

 

 エリックを無視しつつ、スコープを覗き込む。相手は急降下爆撃機のように飛び回る巨大な精霊だ。今からそいつをこのライフルで狙撃し、叩き落とさなければならない。

 

 スコープはもう調整しているから調整する必要はないだろう。レンジファインダーが距離を表示してくれるが、相手はこちらに向かって飛んで来るから距離を表示されても意味はない。

 

 落ち着け。狙撃はラウラの得意分野だが、動体視力と反射速度なら俺の方がラウラより上だ。

 

 カーソルを少しだけ上にずらし―――――――トリガーを引いた。

 

「わぁっ!?」

 

 OSV-96の銃声に驚いたエリックが、残響に包まれながら耳を塞ぐ。嘲笑してやりたかったが、俺はスコープを再び覗き込み、もう1発ぶっ放す準備をした。今の一撃が外れていたらまたぶっ放さなければならない。

 

 スコープの向こうで、ケツァル・コアトルの頭が揺れた。一瞬だけ火花が散り、側頭部から外殻の破片と鮮血が舞い散る。

 

 側頭部に命中したらしい。カーソルの向こうには、頭に12.7mm弾を叩き込まれて落下してくる巨大な精霊が見える。

 

 だが、ケツァル・コアトルはまだ力尽きていない。ズタズタになった口を大きく開けて方向を発すると、鮮血をまき散らしながら再び高度を上げ、闘技場の天井に空いた穴から外へと飛び出していく。

 

 逃亡した………? いや、あの精霊には自我がないから、契約者から逃亡するようなことはありえない筈だ。おそらく再び空から急降下してくるつもりなんだろう。

 

 12.7mm弾で仕留められないならば―――――――こいつの出番だ。

 

 銃床を肩に当てながら、スコープではなくロケットランチャーの本体から伸びる照準器を覗き込む。先端部に装着されているのは、主力戦車(MBT)を破壊する事が出来る虎の子の対戦車榴弾だ。

 

 いくら精霊でも、この対戦車榴弾には耐えられないだろう。

 

『ギィィィィィィィッ!!』

 

 ケツァル・コアトルが、天井の穴から突っ込んできた!

 

 周囲に無数の水の矢を展開し、口に再び水の球体を生み出しながら急降下してくる。灰色の外殻に包まれた水の精霊の猛攻を迎え撃つのは、最強の転生者の息子として転生した俺と、戦車を破壊できる獰猛な対戦車榴弾である。

 

 精霊と現代兵器はどっちが強いんだろうな? 試してみるか!?

 

「やれ、ケツァル・コアトルぅっ!!」

 

「УРааааааа(ウラァァァァァァァ)!!」

 

 照準器のカーソルをケツァル・コアトルに重ね―――――――ロケットランチャーのトリガーを引いた。

 

 本来ならバックブラストを噴射できる構造だったものを噴射しない構造に改造して搭載しているため、射程距離は改造前よりも短くなっている。反動もかなり強烈になっているが、装着された対戦車榴弾の破壊力は変わらない。

 

 天空から襲来する精霊へと、白煙を引き連れながら獰猛な対戦車榴弾が駆け上がっていく。まるで急降下してくる怪物へと、純白の槍が突き出されたかのような光景だった。だがその槍は普通の槍などではない。この世界には存在しない、戦車を破壊するための強烈な一撃である。

 

 決して邂逅する筈のないこの2つが、ドナーバレグの闘技場でぶつかり合った。灰色の外殻に激突した対戦車榴弾が起爆し、ケツァル・コアトルの頭を飲み込む。

 

 爆炎が外殻を焼き払い、メタルジェットが精霊の外殻に風穴を開ける。爆音の中から精霊の絶叫が聞こえてきたかと思った直後、黒煙に変貌した爆炎の中からまだ水の矢を展開したまま精霊が落下してきた。

 

 まだ攻撃するつもりか!?

 

 これが大天使の力の欠片なのかよ………!

 

 だが、今の一撃で頭の右半分は吹き飛ばされていた。灰色の外殻は吹き飛ばされ、メタルジェットで貫かれたと思われる右側の側頭部は抉り取られている。もし命中した場所が真ん中だったならば、今の一撃で仕留める事が出来ていた事だろう。

 

 ならば、止めを刺すまでだ。

 

 アンチマテリアルライフルを折り畳み、両手の拳を握りしめる。そして落下してくるケツァル・コアトルを見上げながら屈み――――――思い切り両足を伸ばして、ジャンプした。

 

『グォォォォォォォォォォッ!!』

 

 ケツァル・コアトルの周囲に浮遊していた水の矢が、ミサイルのように一斉に放たれる。だが頭を抉られたせいなのか、高圧の水の矢は俺の周囲を掠め、次々に闘技場の地面に突き刺さっては地面を濡らしていくだけだった。

 

 右手に力を込め、雷属性の魔力を集中させる。蒼白い電撃が俺の右腕を覆い始め、闘技場の中を蒼白い光が照らし出す。

 

 母さんから受け継いだ能力だ。これで止めを刺す。

 

「抉ってやるぅッ!!」

 

『キィィィィィィィィィィィィィ!!』

 

 最後の水の矢を左へと躱し、ケツァル・コアトルの抉られた側頭部を睨みつける。いくらキメラの腕力でも、パンチであの外殻を貫通することは不可能だ。親父だったらできるかもしれないが、俺には不可能である。

 

 それに俺は汚い手を使う男だからなぁ。悪いが、傷口を狙わせてもらうぜッ!

 

 右腕を振り上げ、拳を思い切り抉られた頭の傷口へと突き入れた。焦げた肉の臭いと血の臭いが混ざり合う中で、膨れ上がった蒼白い電撃がケツァル・コアトルの体内をズタズタに破壊し始める。

 

 荒れ狂う高圧電流は、水属性の魔力と反応するとさらに荒れ狂う。そのため、水属性の魔物は雷属性の魔物を嫌うと言われている。

 

 水を操るケツァル・コアトルも、やはり電撃が嫌いなようだった。電流によって体内を焦がされ、焼き尽くされているこの精霊は雄叫びを上げたが、もう俺を振り落す事は出来なくなっていた。

 

 焦げた肉の中から右腕を引き抜き、落下していく精霊から離脱する。せっかく精霊を仕留めたのに、墜落に巻き込まれたら大怪我しちまうからな。

 

 まるで大型の爆撃機が墜落したかのように、闘技場の地面に巨大な蛇のような姿の精霊が墜落する。爆炎のように肥大化する土埃の中でにやりと笑った俺は、腰のホルスターからレ・マット・リボルバーを引き抜くと、その墜落した精霊を見つめながらぶるぶると震えているエリックへと銃口を向けた。

 

 利き腕を潰され、切り札の精霊まで返り討ちにされたエリックのプライドと戦意は、もう喰らい尽されているようである。精霊が召喚された際に俺を嘲笑っていたエリックは、無名の冒険者に敗北したショックでぶるぶると震えながら、俺を見つめている。

 

「もう切り札は終わり?」

 

「こ、降伏………します………」

 

『―――――――勝者、タクヤ選手!!』

 

 審判のアナウンスの直後、観客席からの歓声が轟音の残響を飲み込んだ。中には「ありえない! エリックが負けちまった!」と叫ぶ観客もいたようである。

 

 こいつが勝つと思っていた観客にはまさに番狂わせだったことだろう。

 

 リボルバーをホルスターに戻した俺は、ニヤニヤ笑いながら踵を返し、仲間たちへと向かって手を振った。

 

 

 

 おまけ

 

 モリガンの皆さんが闘技場の戦いを見るとこうなる パート5

 

エミリア「………」

 

リキヤ「………」

 

エリス「あらあら、タクヤったら。精霊をやっつけちゃったのね」

 

ギュンター(若い頃の旦那より強いんじゃねえか?)

 

カレン(精霊を倒すなんて………)

 

エリス「凄いわ! ねえ、ダーリン? 私たちの子供が隣国で大活躍してるのよ? うふふふっ………帰ってきたら、2人ともたくさん褒めてあげないとね♪」

 

リキヤ(俺もそろそろレベル上げしてくるか………)

 

 完

 

 

 



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静かな祝勝会

 

「さすが傭兵さんの息子ね。まさか精霊を倒しちゃうなんて!」

 

「いや、あの使い手が三流だっただけさ」

 

 試合を終えて闘技場の控室へと戻った俺たちは、スタッフが用意してくれた水を飲んで水分補給をしながら、先ほどの試合のちょっとした反省会と次の試合の準備を進めていた。

 

 エリックたちとの試合は3勝2敗ということになったが、その2敗はわざと敗北したため、実質的には5つの戦いは全て圧勝という事になっている。

 

 この闘技場の試合はトーナメント戦ではなくリーグ戦だ。だから他の出場しているチームとも戦う事になるだろう。一番最初に戦ったから、他のチームは俺たちの持つ銃を目にし、破壊力に驚愕しながら対策を立てているに違いない。

 

 対策を立てたところで殆どの試合で相手を瞬殺していたから、全て手の内を見せたわけではないから彼らの対策は役に立たないとは思うんだが、こちらも同じ手を使わずに武器を変えたりして対応した方が良いだろう。

 

 慢心すれば敗北するという実例は、先ほど目にしたばかりなのだから。

 

「次はどうする? 武器を変えたい人とかいるか?」

 

「私はこのままで」

 

「私も」

 

「ステラも問題ありません」

 

「わたくしもこのままでよろしいですわ」

 

 みんな武器は変えないようだ。俺も武器を変えるつもりはないが、次の試合は銃を使わず、ナイフを主に使って相手の裏をかいてみようと思う。

 

 ひひひっ。正々堂々とは戦わないからな。

 

「えへへっ、さすが私の弟だね。精霊をやっつけちゃうなんて」

 

「訓練のおかげさ」

 

「えへへっ!」

 

「ん?」

 

 水の入ったコップをテーブルの上に置き、フードの上から俺の頭を撫で回し始めるラウラ。試合中の冷たい表情ではなく、今の彼女は甘えん坊のお姉ちゃんである。

 

「ご褒美だよっ♪」

 

「………あ、ありがと」

 

 いつも俺がラウラの頭を撫でてるんだが、たまにはお姉ちゃんになでなでしてもらうのも悪くないな………。唇を噛み締めながら顔を赤くしていると、向かいに座るナタリアがため息をつきながら肩をすくめ、苦笑いしていた。

 

 ナタリア、俺は元々シスコンじゃなかったんだからな。

 

「うふふっ。お姉様ったら」

 

「仲良しな姉弟です」

 

「えへへっ。大人になったら、タクヤのお嫁さんになるんだもんっ♪」

 

「お、おい………」

 

 ラウラ、あまりそれは言わないでくれ。ステラとカノンは問題ないかもしれないけど、この中で唯一まともなナタリアにどん引きされる……。

 

 そういえば、このパーティーの中でまともなのってナタリアだけだな。俺は卑怯者でシスコンだし、ラウラはブラコンでヤンデレのお姉ちゃんだ。カノンは変態のお嬢様で、ステラは男でも女でもキスをして魔力を奪っていくからな………。まあ、ステラは仕方がないよ。そういう体質の種族なんだから。

 

 モリガンのメンバーの中でも、まともだったのはカレンさんだけだったらしい。母さんはまともだったらしいんだけど、段々と親父と2人っきりの時は甘えるようになったらしいし、エリスさんはモリガンの中でトップクラスの変態だったという。

 

 か、カノンとエリスさんは遭遇させちゃダメだな………。この2人を会せるわけにはいかない。非常に危険である。

 

 姉に頭を撫でられながらそんなことを考えていると、控室のドアがノックされた。コンコン、と静かなノックである。

 

「どうぞ」

 

「失礼します。タクヤ選手、次の試合ですが――――――」

 

 え? もう次の試合が始まるの? まだ控室に戻って来てから15分くらいしか経っていないんだけど、団体戦ってそんなに早く終わるのか? 俺たちみたいに全部の試合で相手を瞬殺しないとそんな短時間じゃ終わらないぞ?

 

 俺たち以外にも相手のチームを瞬殺できるチームがいるって事か。前回の優勝チームが予想以上に弱かったから少し慢心していたのかもしれない。そんな相手がいるならば、油断するわけにはいかないな。

 

 よし、全力で叩き潰す! УРаааа!

 

 ウォーミングアップは必要ない。今すぐ試合が始まっても問題はないぞ。

 

「それで、相手のチームは?」

 

「そ、それが………………」

 

 控室を訪れたスタッフが、目を泳がせながら告げた。

 

「――――――――他のチームが、全て棄権してしまったんです」

 

「えっ?」

 

 き、棄権? 他のチームが全部棄権したって事か?

 

 つまり、対戦相手がいなくなったという事だよな………?

 

「その、先ほどの試合を見た他のチームの皆様が………『勝てるわけがない』って戦意を失ってしまったようでして………」

 

 俺たちがやり過ぎたせいじゃねえかッ!!

 

 実質的にエリックのパーティーを半殺しにするための戦いとなったあの試合を目にした他のチームが、全員ビビって棄権してしまったというのである。俺たちはもう既に次の試合の準備をしていたので、スタッフから対戦相手が全員棄権したと聞いた瞬間、俺は呆然としながら頭を抱えた。

 

 確かに、いきなり最初の試合から口調が粗暴になったお嬢様にボコボコにされるのを見せられたんだからなぁ………。しかもその後はナタリアが相手を瞬殺しているし、中堅では幼女が魔術師の魔術を暴発させて無傷で勝利している。最も凄まじかったのは俺とラウラの戦いだろうな。ラウラは氷の粒子を使って透明になり、相手をひたすら狙撃してボコボコにした上に氷漬けにしてしまったのだから。

 

 そして大将戦では、使い手が三流だったとはいえ圧倒的な力を持つ筈の精霊が俺に倒されている。前回の優勝チームに圧勝してしまうチームと戦えば、自分たちもエリックたちの二の舞になると思って棄権してしまったのだろう。

 

「え、ええと、対戦相手がいないという事ですよね………?」

 

「は、はい。ですので、その………優勝は、あなた方となります」

 

 もう試合が終わっちまった………。優勝して賞金を手に入れる事が出来たというのに、呆気なさ過ぎるこの出来事のせいなのか、パーティーの仲間たちは誰も歓声を上げることなく、呆然としたまま気まずそうに話すスタッフを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンから戻ってきた冒険者たちや、仕事を終えた騎士団の団員たちが料理を注文し、酒の入ったでっかいコップを持ちながら仕事の話やダンジョンでの自慢話を続けている。貴族たちが訪れるレストランのような優雅な雰囲気は全くない荒々しい場所だったが、それが冒険者たちにとって落ち着く場所でもある。

 

 男たちの大声や笑い声が響き渡る小さなレストランの中で、注文した料理を凝視しながら押し黙っている俺たちは、他の冒険者たちから見ればおかしなパーティーに見られてしまう事だろう。

 

 テーブルの上で香ばしい香りを放つローストビーフを凝視し、これが祝勝会なんだろうかと思いながら咳払いする。

 

 相手が全員棄権するという呆気ない結果になってしまったが、賞金は手に入れる事ができたのだ。俺たちが手に入れた賞金の額は金貨2枚。3枚あればローンなしで一般的な家を建てる事ができるほどの金額になるから、かなり大きな収入になった。

 

 最初は半分を使って祝勝会を開く事にしていたんだが、誰も話をしない状況ではレストランを貸し切りにして豪遊できるわけないよな………。

 

「と、とりあえず、優勝できて良かったじゃないか。なあっ?」

 

「そ、そうね………」

 

「ふにゅ………」

 

「そうですわね………」

 

「美味しそうなお肉です………」

 

 も、盛り上げようと思ったんだが、全く盛り上がらんだとッ………!?

 

 何ということだ。何とかして盛り上げたいんだが、準備をしていたというのに相手を瞬殺した最初の試合だけで優勝が決まってしまったという脱力感のせいで、ローストビーフを目にしてよだれを垂らし始めているステラ以外は盛り上がる気配がない。

 

 盛り上げるのって、こんなに辛いのか………? 修学旅行とか文化祭で盛り上げてる奴らって大変なんだな………。

 

 前世の学校の事を思い出しながら苦笑しつつ、俺は何かみんなを盛り上げられるような話題が見つかるまでメニュー画面を開き、生産可能な武器や能力を見て現実逃避する事にする。

 

 そういえば、確か闘技場で精霊を倒した時にレベルが上がっていたような気がする。

 

 メニュー画面を開き、現在のレベルとステータスを確認しておく。今のレベルは48から49に上がり、ステータスも上がっている。まず攻撃力が1500になり、防御力は1498になった。一番低かったはずのスピードは、なんと一気に一番高い攻撃力のステータスを追い越して1550になっている。

 

 敵と戦った時の戦い方がステータスの上昇に影響しているのか?

 

 とりあえず、一番低かったステータスが一気に一番高くなったのは喜ばしい事だ。接近戦ではナイフを多用するから、スピードが高い方がありがたいし。

 

 続けて、生産可能な武器や能力などを確認する。能力は何もアンロックされていなかった筈だが、武器と服装では新しいものがアンロックされていた筈だ。

 

 武器の生産をタッチし、画面を進めていく。確かあれがアサルトライフルだったうような気がする。

 

「お」

 

 レベルが上がったおかげで生産できるようになったのは、珍しいアサルトライフルだった。

 

 アンロックされたそのアサルトライフルは、ポーランド製アサルトライフルのwz.1988タンタルであった。wz.1988タンタルはポーランドがAK-74をベースにして改良したアサルトライフルで、弾薬は同じく5.45mm弾を使用する。外見はAK-74と瓜二つだが、wz.1988タンタルは銃床が折り畳むことが可能な非常に細いものに変更されており、そのせいなのかAK-74よりも小柄に見える。

 

 ポーランド製のアサルトライフルか………。生産できるポイントも比較的安いし、後で作ってみよう。5.45mm弾を使うから反動も少なそうだし。

 

 あとは服装も新しいのが追加されてたな。また女装用の服装じゃないだろうなと思いながら服装のメニューをタッチし、同じく画面を進めていく。

 

「お、これか」

 

 アンロックされていたのは、『ポーランドのレジスタンス』という名称の服装だった。見た目は普通の私服と同じに見えるんだが、何かスキルが装備してあるらしい。

 

 服装の中には転生者ハンターのコートのように、特別なスキルがついているものもあるらしい。ちなみにこのコートについているスキルは『転生者ハンター』という名称のスキルで、転生者に対しての攻撃力が2倍になるというスキルのようだ。

 

 では、このレジスタンスの服装にはどんなスキルがあるのだろうか。

 

《スキル『レジスタンスの反撃』》

 

 どんなスキルだ? やはり特別なスキルなのかもしれない。画面をタッチして説明文を表示させる。

 

《敵の数が自分のパーティーよりも多ければ多いほど、この服装のメンバーのステータスが強化される》

 

 ず、随分と強力だな………。つまり、敵の数が多ければこの服装のメンバーのステータスが高くなっていくというわけか。数で負けている時に真価を発揮する服装というわけだな。

 

 どっちもポーランドの装備か………。これも後で作っておこう。スキルは優秀だし、それに四六時中この転生者ハンターのコートを着ているのも目立ってしまう。

 

「――――よし、そろそろ食べようぜ。試合がすぐ終わってがっかりしてるのは分かるが、たった1回の試合だけで大金が手に入ったんだ。いいじゃないか」

 

「ふにゅ………それもそうだね」

 

「うん、確かにね」

 

「はい、お兄様」

 

「タクヤ、早くお肉が食べたいです」

 

 ステラは食いしん坊だなぁ………。

 

 早くもフォークとナイフを手にし、テーブルの上の巨大なローストビーフを凝視してよだれを垂らすステラ。早く食べさせてあげた方が良さそうだ。

 

 テーブルの上に置いてあるジュースの入ったコップを持ち上げ、椅子から立ち上がる。メンバーはステラを除いて全員未成年なので酒は飲めない。親父たちは17歳の頃には関係なく飲んでいたらしいが、俺たちは旅の途中だからな。酔っぱらうわけにはいかない。

 

「―――――――乾杯っ!」

 

 馬鹿野郎もぶちのめしたし、賞金も手に入れる事ができた。がっかりしている場合じゃない。

 

 仲間たちとコップを当て合った俺は、コップを傾け、中に入っていたオレンジジュースを飲み干しながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レストランで何時間も食事をしていたせいで、祝勝会を終えて外に出た頃にはもう真夜中になっていた。巨大な闘技場のあるドナーバレグは、いつもならばこの時間帯も試合で盛り上がっているらしいが、今週の試合は早く終わり過ぎてしまったため歓声は全く聞こえない。

 

 静かになってしまったのは、俺たちのせいだというわけだ。

 

 もう暗くなってしまったし、アイテムの補充もまだ済んでいないので、今夜も宿泊施設に一泊してから遺跡に向かって出発することにした俺たちは、施設の部屋に戻ってくつろいでいた。

 

 施設が用意してくれたパジャマを身に着け、濡れた長くて蒼い髪を自分の炎をドライヤーのようにして少しずつ乾かしていく。いつもポニーテールにしているせいで、こうやって髪を下ろしている自分の姿を見ることは少ないのだが、やはり髪が長い上に顔つきが母さんに似ているせいで女にしか見えない。そういえば、エリックの奴は俺が男だと気付いていたんだろうか。口調は男の口調だったけど、声は高いらしいから粗暴な口調の女にしか見えなかったかもしれない。

 

 ため息をつきながら炎を消し、乾いたばかりの髪に触れてからベッドの上に横になる。傍らでは先ほど髪を乾かし終えたばかりのラウラがベッドの上に座り、ぼんやりとしていた。

 

 こうやって横になっていればすかさず抱き付いて来て甘え始める筈なのに、今日は大人しいな。このまま甘えて来なかったら、俺が逆に甘えてみようかな? 

 

 恥ずかしがる姉を想像してニヤニヤしていると、いきなりラウラが俺に背を向けたままパジャマの正面に手を伸ばし始めた。何をするつもりなのかと思いながら見守っていた俺は、ラウラが始めたことを見て絶句してしまう。

 

 なんと、自分のパジャマのボタンを突然外し始めたのだ。

 

「お、おい、ラウラッ!? 何やってんだ!?」

 

「うぅ………」

 

 彼女を呼んでも、ラウラはボタンを外すのを止めない。ゆっくりと俺の方を振り向きながらついにパジャマのボタンを全て外し、赤くなった顔で大慌てする俺を見つめている。

 

 大きな胸と縞々模様の下着を見てしまい、顔を真っ赤にしながら角を伸ばしてしまった俺は、何とか彼女に再びボタンを締めさせようと手を伸ばすが――――――ラウラの身体がいつもよりも熱いことに気付き、はっとした。

 

 何だこれは………? 体温がいつもよりも高いぞ………?

 

「タクヤぁ………」

 

「ど、どうしたの?」

 

「さっきから熱くて………ボタンを外しても、全然涼しくないの………。たすけて、タクヤぁ………熱いよぉ………」

 

 試しに彼女の頬に触れてみる。ラウラの柔らかい頬は、確かにいつもよりも熱い。いくらサラマンダーのキメラとはいえ、体内に氷属性の魔力が大量にあるせいなのか体温が低めのラウラにしては、明らかに高すぎる。

 

 風邪でもひいたのかと思った俺は、クガルプール要塞付近の森で母さんから渡された薬の事を思い出し、ぎょっとしてしまった。

 

 まさか、これは発情期の衝動じゃないよな………?

 

 冷や汗を拭って深呼吸しながら、ラウラの様子を確認する。呼吸はいつもよりも荒いし、体温も高い。風邪をひいているだけなのかもしれないが、一応あの薬を飲んでおいた方が良いかもしれない。

 

 もし発情期の衝動が来ているなら、人間の精神力でその衝動を抑えるのは不可能らしい。だから衝動が来たら、確実に襲われてしまう。

 

 コートのポケットに入っていた小さな試験管のような容器を引っ張り出し、蓋を外してから錠剤を1つ口の中へと放り込む。呑み込んでから容器をポケットに戻して振り向こうとしたその時、左手の手首に柔らかくて熱い何かが絡み付いたような気がした。

 

 それを確認するよりも先にいきなり後ろへと引っ張られ、ベッドの上に再び横になる羽目になった。左手を持ち上げて手首を確認してみると、外殻ではなく真っ赤な鱗に覆われた柔らかい尻尾が、いつも俺に抱き付いてくるラウラのように手首に絡み付いている。

 

「タクヤ………」

 

「ら、ラウラ………?」

 

 ベッドの上に横になっている俺にのしかかってくるラウラ。甘えてくる時はこのまま頬ずりするか、俺の匂いを嗅ぎ始めるんだが、今のラウラは何もせずに顔を俺の首筋に押し付けているだけだった。

 

 息を呑んでから彼女を抱き締めようと腕を伸ばした瞬間、首筋に顔を押し付けていた彼女が顔を上げ、俺が抱き締めるよりも早く唇を押し付けてきた。いつもキスをしている時のように舌を絡ませ合い、離してから彼女を抱き締める。

 

「ね、ねえ、タクヤ」

 

「ん? どうしたの?」

 

「あのね………こうすれば、治りそうなの………」

 

 やっぱり、ハヤカワ家の男は女に襲われやすい体質なのか………。

 

 俺は元々はハヤカワ家の男ではないんだが、この世界にあの親父の息子として転生しているから、その変な体質まで遺伝しちまったのかもしれない。

 

 いつの間にかラウラに縄で両手と両足をベッドに縛り付けられていることに気付いた俺は、息を荒くしながら再びのしかかってくるラウラを見つめながら微笑んだ。

 

 人間の精神力で耐えられないのならば、仕方がない。衝動はドラゴン並みなのだから。

 

「―――――おいで、お姉ちゃん(ラウラ)

 

 それに、俺はラウラの事が好きだ。

 

 だから――――――彼女を受け入れることにした。

 

 

 おまけ

 

 若き日のエミリアさん

 

騎士1「おーい、ポーカーで勝負しようぜ!」

 

騎士2「いいね。金も賭ける?」

 

騎士1「せっかくだから賭けようぜ」

 

ビーグリー「面白そうだな! 俺もやるぜ!」

 

騎士2「いいぜ! イカサマすんなよ!?」

 

騎士1「ギャハハハハハハハハハッ!!」

 

エミリア「うるさいぞ貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

騎士1「たんたるっ!?」

 

騎士2「べりるっ!?」

 

ビーグリー「ぱらどっ!?」

 

エミリア「もう消灯時間だろうが、馬鹿者ッ!! 早く寝ろッ!!」

 

騎士1(い、今のドロップキックか………?)

 

騎士2(ゴーレムのパンチだろ………)

 

ビーグリー(こ、後頭部が………)

 

 完

 

 

 




※タンタルはポーランドのアサルトライフルです。
※べリルはポーランドのアサルトライフルです。
※パラドはポーランドのグレネードランチャーです。


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閑話 フィオナ・プロトコル

 

 最強の傭兵ギルドと言われたモリガンのメンバーは、ギルドが全盛期ほど機能しなくなった現在でも、この世界に大きな影響を与え続けている。

 

 最初はたった1人の少年と2人の少女だけだった無名のギルドが、わずか半年でネイリンゲン最強の傭兵ギルドと呼ばれるようになり、更に領主の娘やハーフエルフの奴隷の兄妹を仲間にし、さらに勢力を伸ばして世界最強の傭兵ギルドとなったのである。

 

 メンバーであるカレンやリキヤも奴隷制度の廃止のために活動を続けており、未だに多くの労働者や一部の貴族に影響を与え続けているが、この世界に与えている影響の規模ならば、最初期のメンバーの1人でもあるフィオナが最も大きいだろう。

 

 傭兵として活躍しながら研究を続け、リキヤたちが使用した現代兵器を目にした彼女は、異世界で普及している魔術や魔力の新しい使い方を考案したのである。

 

 元々魔力は、魔術を使うためのエネルギーという認識しかなかった異世界にとって、魔力を動力源にして機械を動かすという発想はなかったのである。リキヤたちが使った戦車や装甲車を目にしてそれを思いついた彼女は、ネイリンゲンが焼き払われた後も研究を続け、ついに異世界初の本格的な機械である『フィオナ機関』を開発したのだ。

 

 使用者の魔力を内部に流し込むことによってその魔力を圧縮し、高圧になったその魔力で機械を動かす仕掛けの新しい動力機関は、試作型の完成から実用化まで少々時間がかかってしまったが、凄まじい速度で異世界に普及した。フィオナ機関を動力機関として使用する列車が登場して活躍を続けているし、それ以外の様々な分野でも最初のフィオナ機関から派生した様々な動力機関が使用されている。

 

 たった1人の少女の発明が、魔術が主流だった異世界に産業革命を引き起こしたのである。

 

 普及したフィオナ機関に改良をしつつ、彼女はそれ以外の分野でも様々な発明を続けた。冒険者たちにとっての生命線でもある回復アイテムの『エリクサー』の改良や、魔物を討伐するための武器の設計も行っているし、伝統的な魔術の研究も継続している。既に彼女の持つ特許は800件を超えており、フィオナの所属するモリガン・カンパニーの社員たちからは『天才技術者』と呼ばれるようになった。

 

 だが、彼女は発明と研究を決してやめない。いつも仕事が終わってからは、個人用の研究所に閉じ籠ってはひたすら研究を続けているのである。

 

 フィオナがそんなに研究を続け、発明して世界中に普及させ続けているのは、彼女が他のメンバーたちと違って子供を残す事ができないからなのだろう。

 

 リキヤが異世界に転生する約100年前に、ネイリンゲンの貴族の娘であったフィオナは12歳で病死している。治療魔術があまり発達していなかった当時では治療することは出来ず、両親が雇った治療魔術師(ヒーラー)の見当違いな治療が全く効果がない中で息絶えた彼女は、まだ死にたくないという強烈な未練のせいで成仏する事ができず、幽霊となってしまったのである。

 

 死んでしまった愛娘の幽霊を目にした彼女の両親は、幽霊になった彼女を迎え入れてはくれなかった。死んだ筈の人間が目の前に現れる恐怖が、愛娘への愛情を上回ってしまったのだ。

 

 家族に怖がられてしまったフィオナは、家族に拒絶された悲しみと孤独感を感じながら、両親が持っていた自分への愛情はその程度だったのかと落胆しつつ、屋敷から逃げ出していく家族と使用人たちを見守っていた。

 

 彼女はもう大昔に死んだ人間である。強烈な未練のおかげで幽霊でありながら実体化する事ができるのだが、それは触る事ができる幽霊と変わらない。

 

 常人のように、子供を残す事ができないのである。

 

 何も残せない年齢で病死し、そのまま全てが停滞してしまった彼女にとって、研究と発明こそが生き甲斐なのだ。だから彼女は研究を続け、研究の成果を残し続けるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン・カンパニー本社の地下には、巨大な研究所がある。元々は騎士団の本部として使用されていた砦のような建物とは全く違い、地下の研究所の内装はより近代的で、勤務しているスタッフも魔術師のような恰好ではなく白衣を着用している。

 

 この異世界が彼女の技術で発展していくにつれて、段々と前世の世界に雰囲気が似てきたと思いながらも、リキヤは愛用の杖を持ちながら地下へのエレベーターへと乗り込んだ。

 

 このエレベーターもフィオナの発明品の1つである。天井と手すりと床しかないシンプルなエレベーターで、中にあるのは移動する階層を指示するためのパネルのみである。

 

 パネルには階層が表示されていて、行きたい階層をタッチすると指先から勝手に微量の魔力が吸収され、その階層へとエレベーターを動かす仕組みになっている。

 

 地下1階をタッチし、エレベーターが下へと下がり始める。

 

 壁ではなく手すりがあるだけなので、地下以外の階層ならば外の景色が見えるのだが、地下の研究所に行く時は当然ながら何も見えない。無骨なケーブルや配管の並んだ壁が囲んでいるだけである。

 

 地下1階に到達すると同時に、エレベーターの外に取り付けられているベルが鳴る。目的の階層への到達を伝えるベルなのだが、これはドアを開ける合図にもなっているのだ。

 

 枠に取り付けられている歯車が駆動し、ドアが開く。エレベーターの中から出てパイプやケーブルが突き出た壁を眺めていたリキヤは、右側の通路のパイプから噴き出した蒸気の向こうから人影が近づいてくることに気付き、右側を振り向く。

 

「やあ、フィオナ博士」

 

『どうも、リキヤさん』

 

 薄れ始めた純白の上記の向こうから現れたのは、白髪の小柄な少女であった。他のスタッフと同じく白衣を身に着け、その下に小さなワイシャツと真紅のネクタイを身に着けており、純白のメガネもかけている。前まではワンピース姿で仕事をしていた彼女だが、リキヤの妻であるエリスから「こっちの方が似合うわよ」と奨められてからはこの白衣を愛用しているという。

 

「お疲れ様。それで、今日は何を発明したんだ?」

 

『はい。こちらへどうぞ』

 

 凄まじい勢いで特許を取り続けているフィオナは、いつも様々な発明品を開発しては技術分野のエリスに相談し、何かの分野で使えそうなものはテストしてもらっている。

 

 ふわふわと浮遊しながら通路を移動していくフィオナ。幽霊でありながら実体化できる彼女は、基本的にあまり歩くことはない。このように宙に浮かんで移動したり、実体化を解除して壁をすり抜けて移動するから、彼女を見たことのない新入社員はいつも驚いているのだ。

 

 フィオナに案内されたのは、プレートに『第2研究室』と表示された広めの部屋だった。彼女は研究室を分野ごとに使い分けており、この第2研究室は魔術などのこの異世界の伝統的な技術の研究に使っている。だからこの部屋に通された時点で、リキヤは彼女が見せたがっている新しい発明がどのような代物なのか予測していた。

 

 奇妙な模様の魔法陣や古代文字の羅列が描かれた床の上に立ったフィオナは、かけていた小さなメガネを外すと、リキヤに『では、今から実演しますね』と言ってから詠唱を始める。

 

 聞いたことのない言語だった。語感は前世の世界の言語であるロシア語やスペイン語に近いが、当然ながら何を言っているのかは全く分からない。

 

 だが、彼女が詠唱を続けるにつれて魔力が足元の魔法陣に流れ込んでいるのは分かった。おそらくあの詠唱は、魔力を使用して足元の魔法陣を発動させるためのものなのだろう。

 

 魔術でも実演するつもりなのかと思いながら見守っていたリキヤの目の前で、その魔法陣が水色に輝き始める。ランタンの明かりをたちまち追い出した水色の輝きは、魔法陣の中心に立つフィオナを包み込むと、まるで握りつぶされたかのように収縮し――――――――再び膨れ上がり、爆風のように荒れ狂った。

 

「!」

 

 その光から感じたのは、猛烈な光属性の魔力であった。だが、今のは明らかに普通の魔術ではない。爆風で周囲の敵を木端微塵にするような魔術ならば、今頃リキヤは吹き飛ばされている筈である。

 

 リキヤはゆっくりと目を開けながら、魔法陣の中心にいた筈のフィオナを探す。今の実験は成功したのだろうかと思いながら部屋の中心を見据えていると、散って行く光属性の魔力の残滓の向こうに、明らかにフィオナよりも巨大な影が鎮座していた。

 

 フィオナではない。彼女はモリガンの中でも小柄なメンバーだ。それに目の前にいる影は四つん這いになっているようだし、頭のような部分からは雄の鹿を思わせる角が生えている。

 

 ホルスターから銃を抜くべきかと警戒しながら考えていると、その影の傍らに見覚えのある白衣姿の幼い少女が浮遊していた。

 

『うふふっ。成功です、リキヤさん』

 

「フィオナ、こいつは………?」

 

 実験が成功して喜ぶフィオナの傍らに鎮座しているのは、まるで獣のような生物であった。

 

 純白の体毛に包まれた巨体と、大きな爪の生えた四肢を持つ狼のような獣である。まるでグリズリーのように大きな純白の狼だが、この狼の頭からは雄の鹿のような蒼い角が生えている。まるでサファイアを木の枝のような形状に削り出した美しい角の中には、光属性の魔力が封じ込められているらしい。

 

 召喚したフィオナと同じく蒼い瞳を持つその狼は、傍らで首筋を撫でてくれている主に気付いたのか、床の上に座り込んで嬉しそうな鳴き声を発した。

 

「まさか、精霊か?」

 

『ええ』

 

 精霊とは、かつてレリエル・クロフォードを封印した大天使の力の欠片である。契約する事ができれば凄まじい戦闘力を持つ精霊を自由に召喚し、戦わせる事ができるのだが、契約するためには非常に手間がかかる上に、適性のある者しか契約する事ができないという欠点がある。

 

 そのため精霊と契約した者の数は非常に少なく、その契約者を保有する騎士団では契約者を切り札扱いしているという。

 

 本来ならば供物を用意したり、儀式を行わなければ契約できない筈の精霊を、フィオナは短時間の詠唱と魔法陣だけで召喚し、契約してしまったのだ。

 

「どういうことだ? 儀式はやったのか?」

 

『いえいえ、儀式はやってません。大量の魔力と魔法陣を用意しただけです』

 

「馬鹿な。それだけで契約できるわけがないだろ?」

 

『前までの方法ならそうです。ありえない契約方法ですね』

 

 召喚した狼のような精霊の頭を撫でながら、フィオナが説明を始めた。

 

『その前までの方法を簡略化し、簡単に契約できるように組み直したんですよ』

 

「何だって………? じゃあ、あとは適正があればすぐに契約できるって事か………?」

 

『はい。これで適性がある人ならば簡単に精霊を召喚できるようになります。新しいプロトコルです』

 

 彼女が行ったのは、精霊を召喚するための手順の簡略化だ。魔法陣を簡略化することで儀式を省略し、魔力を供物にするように再設定したというのである。

 

 この技術が普及すれば、騎士団は適性を持つ人物の育成を始める事だろう。そして精霊と契約した団員だけで部隊を結成するに違いない。

 

 将来的に、精霊と契約した者たちが主役になるのである。

 

『どうです? まだ改良できますから、実用化するためには時間がかかりそうですけど………』

 

「どのくらいかかる?」

 

『あと9年くらいは必要です』

 

「9年か………」

 

 おそらく、9年後には孫が生まれている事だろう。このフィオナの技術を使って戦う事になるのは、自分や子供たちではなく、孫たちになるに違いない。

 

「もし実用化したら、この方式を『フィオナ・プロトコル』と名付けよう」

 

『は、恥ずかしいです………』

 

 顔を赤くしながら精霊の頭を撫で続けるフィオナを見守りながら、リキヤは少しだけ目を細めた。

 

(この技術を使うのは、孫たちか………)

 

 タクヤやラウラの子供たちは、確実にキメラの遺伝子を受け継いで生まれる事だろう。傭兵として戦い、片足を失って変異した自分の遺伝子。数年後には子供たちも親になるのだろうかと思った瞬間、リキヤはあの時の事を思い出し、顔をしかめた。

 

 自分は彼らを見守るだけだ。そのために、大切な友人から様々な物を引き継いだのだから。

 

 自分は炎から生まれた灼熱の幻にしか過ぎないのだ。

 

 



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争奪戦と復讐劇

 

 朝は、いつも静かで落ち着く時間帯の筈だった。旅の途中で野宿をした時は基本的に俺が眠らずに見張りをするんだが、猛烈な眠気を感じていてもあの落ち着く雰囲気は変わらない。

 

 前世でもそう思っていたし、この異世界に転生した後もそう思っていた。

 

 でも、このドナーバレグという隣国の街で、初めて俺は落ち着かない朝を体験する羽目になってしまった。

 

「あの………ラウラ、落ち着いて?」

 

「ごめんなさい! ごめんなさい、タクヤぁっ!」

 

 着替えを済ませてベッドの上に腰を下ろしている俺に向かって、土下座しながら必死に何度も謝り続ける腹違いの姉。宿泊していた部屋の床の上で土下座する彼女を先ほどから何度も慰めているんだが、全く落ち着いてくれない。

 

 ラウラがこんなに俺に向かって謝り続けている原因は、十中八九昨日の夜の出来事だろう。

 

 俺たちの種族は人間ではなくキメラである。人間の遺伝子とサラマンダーの遺伝子を持つキメラは、基本的には人間と同じだが、角や尻尾が生えているし、一部だけだがサラマンダーの習性も持っている。例えばラウラは史上初の雌のキメラなんだが、彼女は外殻を生成して硬化するのを苦手としている。その原因はサラマンダーの遺伝子で、基本的にサラマンダーの雌は堅い外殻を持たないのだ。

 

 巣や妻を守るのは雄のサラマンダーの仕事で、雌のサラマンダーは生まれた子供たちをひたすら温め続けなければならない。だから外敵に襲われる可能性はないし、熱を遮断してしまう外殻はむしろ子育てする際に邪魔になってしまうため、退化しているのである。

 

 その習性が反映されているのか、ラウラは俺よりも外殻を生成する速度が遅く、硬化できる面積も俺より狭い。

 

 このように、キメラは人間に近いけれどもサラマンダーの習性も持つ新しい種族なのである。

 

 彼女がこんなに謝る原因となったのは、その習性のうちの1つであった。

 

 サラマンダーには―――――――発情期があるのである。

 

 しかも、その衝動の強さはドラゴン並み。キメラはサラマンダーの遺伝子を持つとはいえあくまで精神力は人間と同じであるため、その衝動に耐えることは不可能だという。

 

 昨晩、その衝動のせいで彼女は俺に襲い掛かってきたのだ。俺もラウラの事が大好きだから拒むようなことはしなかったんだけど………かなり搾り取られました。

 

 ハヤカワ家の男は女に襲われ易い体質らしいが、かなり面倒な体質が親父から遺伝したものである。もし母さんから渡された薬を服用していなかったら、早くも親父たちに孫ができていたかもしれない。

 

「あんなに乱暴な事するつもりはなかったのっ! でも………我慢できなくてぇ……………!」

 

「全く気にしてないから……だ、大丈夫だよ。ね?」

 

「うぅ………」

 

 涙声で謝りながらまだ土下座を続けるラウラ。彼女の頭を撫でれば泣き止んでくれるだろうかと思いつつ立ち上がったんだが、昨晩の疲れのせいなのか、立ち上がった瞬間にまるで腰を下へと引っ張られるような感覚がしてよろめいてしまう。

 

 ベッドに縛られたままひたすら襲われていただけなのに、なぜ襲われた俺がこんなに消耗しているのだろうか。しかもラウラは全く疲れている様子がない。

 

 おかしいな。ラウラよりも俺の方がスタミナはある筈なんだが、どうして彼女は疲れてないの? 

 

「おっと………。ほら、ラウラ。泣かないで?」

 

「グスッ……タクヤに嫌われちゃうよぉ………」

 

「嫌ってないって。お姉ちゃんのことは大好きだから」

 

「やだやだ、お姉ちゃんのこと嫌いにならないで………!」

 

「分かってる。お姉ちゃんのことは嫌いにならない。ね?」

 

 土下座している彼女を何とか立たせて抱き締める。両手を俺よりも若干小さな彼女の背中に回すと、安心してくれたのか、少しずつラウラの嗚咽が小さくなり始める。

 

 やっぱり、このお姉ちゃんは甘えてくる時が一番可愛いよ。だから泣いて欲しくない。

 

 彼女が気に入っている黒いベレー帽をベッドの上から拾い上げ、抱き締めながらラウラの頭の上に乗せた。先ほどまでは彼女の赤毛に隠れていたキメラの角がいつの間にか伸びていて、黒いベレー帽に覆われてしまう。

 

「大丈夫だよ、ラウラ」

 

「………本当?」

 

「うん。ラウラとずっと一緒にいるから」

 

「………えへへっ」

 

 やっと泣き止んでくれたみたいだ。力を抜いて腕を離そうとしたんだけど、柔らかい鱗に覆われた尻尾が腰に巻きついてきて、今度は逆に彼女に抱き締められてしまう。

 

 もう少し甘えてたいのかな。

 

 それにしても、ラウラは性格が幼いから姉というよりは妹みたいな感じだな。今度ラウラに「一日だけ妹になってくれ」って頼んでみようか。もちろん俺を呼ぶ時は名前じゃなくてお兄ちゃんって呼んでもらおう。

 

 彼女は姉だけど、もしかしたらそっちの方が似合ってるかもしれない。

 

 ラウラの甘い香りに包まれながら彼女を抱き締めていると、俺の胸に顔を押し付けていた彼女が顔を上げ、唇を近づけてきた。ラウラを抱き締めたまま彼女の唇を奪い、いつものように舌を絡ませ合う。

 

 静かに唇を離すと、顔を赤くしながら微笑んでいたラウラが再び不安そうな顔になった。まだ昨日の夜の事を気にしているのかと思いながら慰める言葉を考えていると、それが思いつくよりも先に彼女が話し始める。

 

「あ、あのね………もし、また昨日の夜みたいになっちゃったら………どうしよう………?」

 

 昨日の夜みたいに、発情期の衝動が再び来るかもしれないと思って不安になったんだろう。

 

 母さんの話では、キメラの発情期は17歳から18歳までの間で、衝動は突発的に来るという。つまり、あの衝動が来るのは1回だけではないのだ。

 

 だから、再び彼女に襲われる可能性は高いだろう。だから母さんは多めにあの薬を俺に渡してくれたに違いない。

 

「言ったでしょ? お姉ちゃんのことは絶対に嫌いにならない。だから………心配しないで」

 

「ふにゅ………」

 

 人間の精神力では耐えられないほど強烈な衝動だなのだから、仕方がない。彼女が俺を襲おうとするならば受け入れるだけである。

 

 安心したラウラが再び俺の胸に顔を押し付けようとしていると、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。ノックの音の後に聞こえてきたのは、気の強そうな少女の小言である。

 

「2人とも、早く準備してよね。今日は出発するんでしょ?」

 

「「はーいっ」」

 

 昨日の夜に搾り取られたせいで俺はまだ疲れているけど、他の仲間たちは疲れを取る事ができたらしい。俺のこの疲労は我慢するしかないだろう。

 

 ナタリアに急かされた俺はラウラから手を離し、コートのポケットやポーチにアイテムが入っているか確認すると、財布や冒険者の銀色のバッジがポーチにあるか確認した。財布の中には闘技場の賞金が入っているし、バッジは証明書代わりになるから紛失するわけにはいかない。

 

 後ろではラウラも同じように持ち物を確認しているけど、まだ甘えていたかったのか唇を尖らせたままだ。

 

 また2人っきりになったら甘えさせてあげようと思いながら、彼女を見つめつつ肩をすくめる。するとラウラはにやりと笑ってから、嬉しそうにウインクしてきた。

 

 やっぱり甘えてくる時のお姉ちゃんが一番可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちの次の目的地は、このラトーニウス王国にあるメウンサルバ遺跡というダンジョンだ。前までは危険度の高いありふれたダンジョンだったらしいんだが、ここを調査していた教会の兵士たちが今まで実在するか不明だったメサイアの天秤の資料を発見したため、有名なダンジョンとなった。

 

 だが、現在はもう既に教会の兵士たちがダンジョン内の魔物を殆ど壊滅させてしまったため、そろそろメウンサルバ遺跡からダンジョンの指定が外されることだろう。内部も殆ど調査されているから、もう冒険者が危険な魔物と戦いながら調査する必要もなくなったというわけだ。

 

 そこに向かおうとしている俺たちは、他の冒険者から見れば食べ終わった焼き魚の骨にありつこうとする貧乏人にしか見えないだろう。全く旨味のない骨に喰らい付いても意味はないと思っているだろうが、そこに辿り着く事ができれば俺たちは天秤のヒントを手に入れる事ができるのである。

 

 メサイアの天秤が作られたのは、使われていた言語が古代語だった時代である。この世界の古代語は語感がスペイン語やロシア語に似ている独特の言語で、資料が少ない上に非常に複雑な言語でもあるため翻訳が難しく、解読するには非常に時間がかかるという。当然ながら教会が聖地に保管したという天秤の資料も古代語で書かれており、考古学者たちが必死に解読を進めているという。

 

 資料は教会の兵士がすべて回収したというが、壁などに刻まれている壁画にも古代語があったというから、その中に天秤のヒントが含まれている可能性もある。

 

 確かに資料のないその遺跡は他の冒険者からすれば焼き魚の残った骨だ。だが、俺たちからすればまさにご馳走である。

 

 翻訳の難しい古代語でも、その古代語を母語として使っていた人物が俺たちの仲間にはいるのだから。

 

 1200年間も封印されていたサキュバスのステラの母語は、その古代語だ。初めて出会った時はその言語で俺に話しかけてきたし、ドルレアン家の地下墓地でも複雑な古代語を容易く翻訳していた。

 

 使い慣れた言語なのだから、俺からすれば書いてある日本語の文章を読めと言われているようなものだ。今ではもう日本語を使う事はなくなったが、稀に親父と話をする時に日本語を使う事がある。

 

「次のダンジョンは簡単に侵入できそうですわね」

 

「油断すんなよ。教会の兵士が片付けてくれたとはいえ、まだ魔物は残ってるらしいからな」

 

 油断しているカノンを咎めつつ、俺は次の目的地で古代語を翻訳することになっているステラを見つめた。ドナーバレグから遺跡の近くにあるという『アグノバレグ』へと列車で移動を始めてから、ステラは出発前に露店でいくつも購入したメロンパンを頬張り、幸せそうに微笑みながら窓の外を見つめている。

 

 メウンサルバ遺跡に到着したら、是が非でも彼女を死守しなければならない。彼女がいなければ俺たちは古代語を翻訳する事ができず、メサイアの天秤のヒントを手に入れる事ができないのだから。

 

 天秤は実在するということが証明されたが、この情報を他の冒険者たちも手に入れる事だろう。願いを叶える事ができる伝説の天秤が実在するという情報を他の冒険者たちが知れば、冒険者同士の争奪戦が始まる事は想像に難くない。

 

 ダンジョンに残っている魔物も気になるが、俺が警戒しているのは魔物よりも他の冒険者の方だ。もしメウンサルバ遺跡で他の冒険者と遭遇した場合、基本的にその冒険者も俺たちと狙いは同じだと判断するべきだろう。

 

 残った骨に喰らい付こうとするのは、その情報を知っている奴らだけなのだ。

 

 隣国の景色でも眺めようと思って窓へと視線を向けた俺は、いつの間にか敵を狙撃するためにスコープを覗き込む時のように目つきが鋭くなっていた事に気付き、顔をしかめながら窓の外を見つめた。

 

 街を取り囲む防壁から外に出ると、親父たちの時代から全く変わらない草原や森が広がっているだけだ。防壁の中は産業革命のおかげで発展する事ができても、この草原は変わらない。

 

 目つきが鋭くなっていた原因は、これから他の冒険者たちと天秤の争奪戦が始まるかもしれないと思っていただけではないだろう。

 

 ガルゴニスが言っていた天秤の事が、ずっと気になっているのだ。

 

 なぜ、あれで願いを叶えても叶えられなかったのと同じなのか。そして、なぜガルゴニスは天秤を探し求める俺たちを止めたのか?

 

 もしかしたら、天秤は非常に危険な代物ではないのか? 伝説のように手に入れた者の願いを叶えてくれる天秤ではないから、ガルゴニスは俺たちを止めようとしたのかもしれない。

 

 このまま、天秤を探し求める旅を続けていいのか。浮かび上がってきた不安を消す事ができないまま、俺は再び目つきを鋭くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時計塔の重々しい鐘の音は、彼が最も好きな音である。あの重々しい音が響き渡る度にストレスが希釈され、苛立ちも消えていく。

 

 オルトバルカ王国で始まった産業革命の影響で、新たな技術が様々な分野で普及し、世界中で巨大な建造物が建てられるようになった。今まではヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントに鎮座するホワイト・クロックこそが世界で最も巨大な建造物だと言われていたが、その記録は産業革命の開幕と共に破られており、現在は最古の巨大な建造物という新しい記録に逃げ込んでいる。

 

 だが、最古という響きは嫌いではない。生み出されたばかりの新しい物よりも、大昔から存在し続ける古い物の方が彼は好みなのだ。

 

 時計塔の鐘の音が好きなのは、あのホワイト・クロックが好きだっただけなのかもしれない。

 

 全く違う新しい時計塔の鐘の音を聞き、安心していた彼は、口元についている真紅の液体を舌で舐め取ると、踵を返して後ろに倒れていた女性の屍を飛び越えた。

 

 彼の後ろで倒れていた女性が絶命したのは数分前の事だ。彼のように貴族出身の優雅な青年のような容姿を持つ男が、忌み嫌う人間たちに混じってポーカーに興じていたのを見たこの女性は、彼の事を夜遊びを楽しむ貴族の青年だと勘違いしていたのだろう。

 

 女性が彼に惚れていたとしても、青年は絶対に女性を受け入れることはなかったに違いない。なぜならば、彼にとって人間は忌み嫌う敵であり、主食でしかないのだ。

 

 食事を終えた彼はワイン倉庫の中から出ようとするが、倉庫の出口にスーツを身に着けた人影が立っていることに気付き、彼はため息をついてから近くにあったワインの箱の上に腰を下ろした。

 

「おう、ヴィクトルじゃねえか」

 

「―――――――また食事か、ユーリィ」

 

 倉庫の床の上に倒れている女性を見下ろしてうんざりしたヴィクトルは、白い手袋で女性の首筋に残っている噛みつかれたような傷跡に触れた。その傷痕は、彼らの同胞が食事をしたという印である。

 

 傍らに置いてあったワインの箱の中から瓶を取り出し、蓋を外してワインを飲み始めるユーリィを睨みつけたヴィクトルは、自分よりも遥かに若い同胞を咎めるべきかと思ったが、説教はせずに立ち上がった。

 

 ヴィクトルは、生き残っている吸血鬼の中でも古参の吸血鬼の1人である。かつてネイリンゲンがまだ街だった頃、最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードと共に戦った経験を持つヴィクトルは、吸血鬼の残党を纏める彼女の右腕でもあるのだ。

 

「――――――カーミラ様から命令だ。お前はこれからメウンサルバ遺跡に向かい、メサイアの天秤の情報を手に入れろ」

 

「メサイアの天秤だって? おいおい、我らの大将は天秤で叶えたい願いでもあるのか?」

 

「決まっているだろう。我らの宿願は―――――――」

 

「ああ、レリエルさんの復活だっけ」

 

 吸血鬼たちのリーダーであったレリエル・クロフォードは、11年前にあるキメラの男によって倒されている。彼らの目的はこの世界を支配する事だが、それよりも先に吸血鬼の王であるレリエルを復活させる必要がある。

 

 それに、レリエルを殺した男にも報復をしなければならない。

 

「ちょうど、あいつのガキ共が遺跡に向かっているらしい。ついでに始末しろ」

 

「ガキだと?」

 

「ああ、小娘ばかりだ」

 

「おいおい、俺はロリコンじゃねえぞ。カーミラ様みたいな美女が好みなんだが――――――――」

 

「だったら任務を成功させて求婚でもすることだな。だが、あのお方が貴様のような若造を夫にするのはありえないが」

 

 肩をすくめ、ワインを飲み尽くしたユーリィは空になった瓶を放り投げた。ワインの味も悪くはないが、やはり一番美味いのは美女の血である。

 

 吸血鬼の主食は血であるため、パンを食べたとしても空腹感は消えないし、水を飲んだとしても喉は乾いたままなのだ。だから吸血鬼たちは血にありつくために人々を襲うのだ。

 

「で、ヴィクトルおじさんはどうするんだよ? 早くも隠居の準備か?」

 

「ぶち殺すぞ、若造が。―――――――俺はカーミラ様の元に戻った後、あの男を始末しに行く」

 

「―――――――ああ、リキヤ・ハヤカワだな?」

 

 その男が、レリエルの仇なのだ。

 

 11年前にレリエル・クロフォードを葬った世界初のキメラ。モリガンの傭兵として戦い続けた彼は、今では2人の妻たちと共に会社を経営しながらラガヴァンビウスで暮らしているという。

 

 奴を倒さなければ、この世界を支配することは不可能だ。モリガンの傭兵たちは1人で騎士団の一個大隊並みの戦闘力があると言われているが、今の彼らは明らかにそれ以上の戦闘力を持っている事だろう。

 

 だから、ヴィクトルのような古参の吸血鬼が行かなければならない。

 

「さすがに魔王(リキヤ)はヴィクトルかカーミラ様じゃないと殺せないな。頼んだぜ、ヴィクトルおじさん」

 

「ふん」

 

 少女の血はあまり好きではないのだが、魔王の娘たちならば楽しめるだろう。

 

 これから大仕事に向かう大先輩にワインの瓶を渡したユーリィは、あくびをしてから立ち上がると、ワイン倉庫を後にして大通りへと向かった。

 

 

 第四章 完

 

 第五章へ続く

 



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第5章
排煙と廃棄物の街


 

 大昔に、ある1人の錬金術師が天秤を作り上げた。

 

 レリエル・クロフォードを倒した大天使にも功績を認められた伝説の錬金術師が作り出したその天秤は、手に入れた者の願いを叶える事ができるという魔法の天秤だった。

 

 彼が何をするためにその天秤を作り上げたのかは不明だが、その天秤は願いを叶える能力を持つ事から『メサイアの天秤』と呼ばれ、現在でもマンガや演劇の題材にされている。

 

 数多の考古学者たちが調査を続け、冒険者たちが争奪戦を繰り返す原因となったその伝説の天秤は、ラトーニウス王国にあるメウンサルバ遺跡の内部から発見された資料によって、実在するということが判明した。

 

 だから俺たちはその天秤を手に入れ、誰も虐げられることのない平和な世界を作ってもらうのだ。

 

 そうすれば、もう奴隷にされている人々が苦しむことはなくなる。数が激減している吸血鬼たちも受け入れられるだろうし、サキュバスであるステラも恐ろしい魔女ではなく、仲間として生きていく事ができるようになるだろう。

 

 それが、俺たちの理想だ。だからそのために、俺たちは天秤を探し求めるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 産業革命で様々な技術が発達し、段々と前世の世界のようになってきているのは喜ばしい事だ。フィオナちゃんがあのフィオナ機関を発明する前までは、別の街に移動するためには基本的に馬車に乗らなければならず、魔物に襲撃される可能性も高かったため、各地を移動する商人たちは命懸けだったという。

 

 今では列車を使って移動できるから、馬車よりも早く目的地に到着する事ができるようになった。強力なフィオナ機関を搭載する機関車の速度には魔物はついて来れないし、草原に生息する魔物たちは騎士団が定期的に掃討作戦を実施して数を減らしてくれるから、列車か運行され始めてもう9年も経っているというのに、未だに列車が魔物に襲撃されて被害が出たという知らせを聞いたことがない。

 

 運賃も馬車より少し高い程度で、しかも安全だ。更に速度も速いから、高額すぎるせいで裕福な貴族や王族ぐらいしか利用していなかった飛竜による移動も段々と利用者が減り始め、貴族たちや王族は専用列車を利用するようになったという。

 

 産業革命が起きてからこの世界は発展してきているけど、防壁の内側に入った瞬間に感じる息苦しさにはおそらく慣れることはないだろう。壁に囲まれているという閉鎖的な雰囲気だけではなく、工場が発する煙や薬品の臭いのせいで、街の中にいる時に吸う空気と草原やダンジョンで吸う空気は全く違う。

 

 ちなみにオルトバルカ王国の工場では、前世の世界を知っている親父が公害を警戒していたおかげで、排煙や廃棄物の対策を立てているから街中でも空気は綺麗である。

 

 遠くから聞こえてくる時計塔の金の重々しい音に出迎えられながら、C62に似ているラトーニウス製の機関車に牽引された列車がホームに停車する。駅員のアナウンスと客車のドアが開く音を聞きながら立ち上がり、荷物を確認してから俺たちもホームへと向かう。

 

 俺たちが辿り着いたのは、ラトーニウス王国の中心近くにあるアグノバレグという街だ。目的地であるメウンサルバ遺跡に一番近い街で、闘技場があったドナーバレグと同規模の街でもある。

 

 こちらには闘技場はないらしいが、その代わり工場の数は多く、ここで仕事をする労働者も多いという。特に製鉄所が多いらしく、騎士団に良質な鉄材を提供しているようだ。

 

「凄い数の工場ね………。見て、駅の窓からも工場がたくさん見えるわ」

 

 ナタリアが指を指している窓をちらりと見てみると、その外には巨大な無数の煙突が屹立しているのが見えた。まるで空から襲い掛かってくる敵を撃ち落とすために天空へと向けられた無数の高射砲のようである。

 

 だが、その高射砲の砲身を思わせる煙突が吐き出しているのは、爆撃機を叩き落とすための砲弾ではなく、漆黒の排煙だ。そのせいで街の中から空を見上げてみると、蒼空が黒ずんでいるように見えてしまう。

 

 肩をすくめながらフードをかぶり直し、ラウラの手を引きながらホームを後にする。階段を上がっていく乗客にぶつからないように気を付けながら階段を下りていると、俺と手を繋いでいるラウラが微笑みながらしがみついてきた。

 

 金属とオイルの臭いがする中で、彼女の甘い香りが俺を包み込む。

 

「お、おい、ラウラ!」

 

「えへへっ♪」

 

 彼女は俺を襲ってから、更に甘えるようになったような気がする。前までは手を繋いでいる状態で手を離しても唇を尖らせる程度だけだったんだが、今は手を離そうとすると涙目になりながら再びしがみついてくる。

 

 依存し過ぎじゃないか?

 

 改札口にある装置に切符を提示した俺は、左手を突き出してメニュー画面を開いた。改札口を通過してからステラやカノンたちが来るまでいろいろと確認しながら待つことにしよう。

 

 久しぶりに好感度でも見てみるか。

 

 このメニュー画面では、仲間たちの好感度を見る事ができる。好感度はレベル5まであり、その人物が普通の性格ならばピンク色で表示される。ちなみに黄色はツンデレで、紫色はヤンデレで、蒼はクーデレを意味するという。

 

 当然ながらラウラのハートの色は紫なんだが………彼女の好感度を目にした瞬間、俺は驚愕した。

 

 なんと、ラウラの名前の横に、レベル5までしかない筈のハートマークが7つも並んでいたのだ。

 

 あれ? ラウラだけ好感度が7になってるぞ? これってレベル5までじゃないの?

 

 彼女の好感度のレベルを見て驚愕している隙に、ラウラは俺の右手の甲に頬ずりを始めた。あれだけ鍛えてきたというのに相変わらず真っ白で細い手は、ラウラの手とあまり変わらない。

 

 頬ずりしながら俺の右手の匂いを嗅ぎ始めるラウラ。手を引っ張ってやめさせようとするが、ラウラは必死に俺の手を両手で掴んで抵抗しつつ、くんくんと匂いを嗅ぎ続ける。

 

「く、くすぐったいよ」

 

「ふにゃあー………。タクヤの手、良い匂いがするよぉ……………」

 

 うっとりしながら匂いを嗅ぎ続けるラウラ。俺は大慌てで手を引っ張るけど、やはりラウラは俺の手を離さない。しかも切符を購入しようとしている人々が俺とラウラを見て、顔を赤くしたり目を逸らしている。

 

 お姉ちゃん、やめて。滅茶苦茶恥ずかしい………。

 

「ふふっ。甘えているお姉様も可愛らしいですわ」

 

「ちょっと、駅の中で何やってるのよ。このシスコン」

 

「タクヤ、ステラもタクヤに甘えたいです」

 

 ちょっと待て、ステラも甘えるつもりか!?

 

 おいおい、駅の中で甘えるのは拙いだろ!? そういうことは休憩中か宿屋でやってくれよ!

 

 とりあえず、俺は仲間たちを連れて駅の外へと出た。駅の中はまだ観葉植物とホームから流れ出たオイルの臭いだけで済んでいたんだが、工場の煙突が乱立する街に足を踏み入れた瞬間、俺は咳き込みそうになった。

 

 車の排気ガスにも似た臭いが、この街を覆い尽くしていたのだ。

 

「うわ………凄い臭いだな………」

 

「ゲホッ、ゲホッ……は、早くダンジョンに行きましょうよ………」

 

 まるで毒ガスみたいな臭いである。ガスマスクでも作って仲間に配るべきだろうかと思ったが、早くここを後にしてメウンサルバ遺跡に向かった方が良さそうだ。このままじゃ病気になるかもしれない。

 

 歩道を歩く人々はマスクをしているけど、何度も咳き込んでいるようだった。マスクをしている理由と咳き込んでいる原因が風邪ではないのは明らかだろう。

 

 早くこの街を出よう。涙目になりながら咳き込む姉の手を引きながら、俺はすぐに街の外を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 防壁の外に出ればあの排煙の臭いとおさらばできると思っていたんだが、どうやら壁の外でも排煙と廃棄物の悪臭の遊び相手にならなければならないらしい。

 

 支給されたマスクを着用したラトーニウス王国騎士団の騎士たちに見送られ、防壁の外へと出た俺たちは、草原の空気も防壁の中の空気とあまり変わらない事に落胆しながら、メウンサルバ遺跡を目指していた。

 

 街の中から草原へと続く水路には、工場の廃棄物と思われる物体が散乱している。廃棄物のせいなのか、まるで粘液のように変質した水路の水を見下ろして顔をしかめながら、俺はそろそろ仲間たちにガスマスクを支給するべきだろうかと検討し始めた。

 

 くそったれ。ここの領主は全く対策をしていないのか? それとも、領民よりも自分の領地の発展と金の方が大事だと思ってるのか? もし後者が理由だったら、領主失格だぞ。

 

「ゲホッ………これでは魔物も住めないわね………」

 

「いえ………この廃棄物や毒素の影響で変異するかもしれません」

 

「ふにゅ………」

 

 魔物の中には、生息している地域の影響を受けて変異した変異種も多い。そのような魔物は変異する前と属性が変わっていたり、その気候に耐えるために更に頑丈になっている場合が多いのである。

 

 例えば、毒ガスが噴き出る場所がある地域に生息する魔物は、その毒ガスによって苦しめられるが、段々とその毒ガスを体内に取り込んでいくため毒が通用しなくなるし、毒を使った攻撃をしてくることもある。

 

 今までは魔物の変異の原因は自然環境ばかりだったが――――――もしかしたら、人間が原因で変異する魔物も出現するかもしれない。

 

 もしそんな魔物が出てきたら非常に危険だ。今まで冒険者たちが戦ってきた魔物の情報はあるが、新しい変異種は当然ながら全く情報が無いため、非常に危険な存在となるのである。

 

 ステラの仮説が的中しませんようにと祈りながら、俺はメニュー画面を開いて仲間たちに武器を渡していった。ナタリアにサイガ12を渡し、カノンにはSVK-12を渡す。ステラに渡すのはLMGのRPK-12だ。ラウラにはスナイパーライフルのSV-98とリボルバーのMP412REXを装備させ、俺はAK-12を装備する。

 

 ラウラとナタリア以外の3人が使う弾薬は同じであるため、もし弾切れしそうになった場合は弾薬を分け合う事ができる。だから武器や弾薬は、可能な限り仲間と同じものを使うべきだろう。

 

 俺とステラの持つAK-12とRPK-12の銃身の下に装備してあったグレネードランチャーのGP-25は、ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドに変更してある。変更した理由は、こちらの方が再装填(リロード)が素早いからである。

 

 ロシア製のGP-25は、前装式と呼ばれる方式のグレネードランチャーである。この方式はアサルトライフルのようにマガジンを交換するのではなく、砲口や銃口から使用する弾薬を装填しなければならない。だが、ポーランド製のwz.1974パラドは一部のリボルバーのような中折れ(トップブレイク)式であるため、こちらの方が素早く再装填(リロード)ができるのだ。

 

 まるで銃身の下にそのまま砲身を取り付け、金具で留めたようなシンプルな形状のグレネードランチャーを点検してから、俺とステラは得物を肩に担ぎつつ仲間たちと共に遺跡を目指す。

 

 幸いなことに、街から離れるにつれて排煙や廃棄物の悪臭が薄れ始めた。あの排気ガスのような臭いを嗅がなくていいのは喜ばしい事だが、やはり魔物があの廃棄物の影響で変異していないか心配だ。変異して強力になった魔物の最初の餌食になるのは嫌だぜ。

 

 徒歩で草原を通過し、森へと足を踏み入れる。俺たちが幼少期に狩りをした森よりも木が低いが、街から噴き上がる黒い排煙が日光を包み込んでいるせいなのか、木の枝が細い上に葉も少ないというのに森の中は薄暗い。

 

 草原の向こうに見えるアグノバレグの防壁を振り返ってうんざりしながら、左手の親指の先に小さな蒼い炎を出現させ、腰のベルトに着けている小さなランタンに着火する。

 

 まだ午前11時で快晴だというのに、排煙のせいで森の中をランタンで照らしながら進まなければならないようだ。

 

「き、気味の悪い植物ばかりね………」

 

 同じように腰の小さなランタンで周囲を照らし出しつつ、サイガ12を構えるナタリアが怯えながら呟いた。一見するとこの森は普通の森のように見えるが、木の根元から生える雑草や草むらの中には、見たこともない植物が生えていることにすぐに気付いた。

 

 黄緑色の茎の先に、まるで人間の手のような形状の花が咲いているのである。しかも花びらの色は肌色で、一瞬だけ俺はそれが植物ではなく、本当に人間が助けを求めて必死に手を伸ばしているのではないかと思ってしまった。

 

 家に置いてあった本の中には植物の図鑑もあったが、こんな植物は載ってなかったぞ。新種か? 早くも排煙のせいで変異したのか?

 

「ラウラ、エコーロケーションで敵を索敵できるか?」

 

「待っててね。―――――――えいっ」

 

 ここの魔物は既に教会の兵士たちが掃討したと言うが、警戒せずにそのまま進もうとするのは愚の骨頂だ。念には念を入れて、確実に索敵した方が良いだろう。

 

 銃剣付きのスナイパーライフルを構えていたラウラが、目を瞑りながら超音波を発する。彼女はサラマンダーのキメラでありながら氷を操る事ができるんだが、それはあくまで母親であるエリスさんからの遺伝で、キメラとしての能力ではない。

 

 彼女はキメラの中でも突然変異の塊と言ってもいいだろう。俺や親父のように炎が使えない代わりに、索敵能力に特化しているのだ。

 

 遠距離の魔力を察知する事も可能だが、最も凄まじいのは2kmの狙撃でもスコープを必要としないほどの視力と、エコーロケーションによる索敵だろう。

 

 頭の中にイルカと同じくメロン体があるラウラは、それから超音波を発し、まるで潜水艦のソナーのように敵を探す事が可能なのである。範囲を伸ばせば索敵の制度は落ちてしまうが、現時点で2km先まで索敵する事が可能だ。

 

 視界が悪い場所でも、彼女に索敵してもらえば敵の位置は一目瞭然というわけだな。

 

 敵の居場所が分かるだけで感じる恐怖は軽減されるし、先制攻撃もできるようになる。だから彼女の能力はこのようなダンジョンでも重宝するのだ。

 

 周囲を警戒しながら彼女の様子を窺っていると、ラウラは首を傾げながら目を開いた。

 

「どう?」

 

「おかしいなぁ………。敵がいないよ?」

 

「やっぱり、兵士が殲滅したのか?」

 

「うーん………」

 

 もしかすると、本当に魔物がいないのかもしれない。ダンジョンの指定も解除されかかっているような場所だから、魔物がいない可能性も高い。

 

 ダンジョンはあくまで生息する魔物や環境が危険過ぎるせいで調査ができていない地域の総称だから、その危険が殆ど排除され、調査も終わりつつある場所がダンジョンではなくなるのは当たり前だ。

 

「なら、進みましょう。遺跡はこの森の中にあるのですから」

 

「そうだな」

 

 早くメウンサルバ遺跡に向かい、ヒントを探してから天秤を探さなければならない。天秤が実在するという情報を他の冒険者たちが知れば、確実に天秤の争奪戦が勃発する事になるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――あいつらか」

 

 奇妙な武器を持つ少女たちを木の上から見下ろしながら、その金髪の青年はにやりと笑った。まるで貴族のように優雅な雰囲気を放つ青年だが、口調は貴族のように丁寧ではなく、まるでごろつきのように粗暴な口調である。

 

 同胞のヴィクトルから命令され、メウンサルバ遺跡を目指すためにやってきたユーリィは、ついでに始末しろと言われた標的たちを見下ろしつつ息を呑んだ。

 

 彼の好みの血の味は、20代の女性の血である。10代の少女の血は味が薄いし、30代の女性の血は味が濃いから20代の女性の血が一番好みなのだが、今回はあまり味わうことのない10代の少女の血を愉しむのも悪くないだろう。

 

 特に、ナイフを付けたクロスボウのような奇妙な武器を持つ赤毛の少女の血は美味そうである。10代の少女にしては大人びているし、あの炎のような赤毛も悪くない。

 

(………ハハッ)

 

 メサイアの天秤の情報を手に入れ、あの少女たちを始末するのがユーリィの任務だ。標的たちの中の2人は魔王の娘だとヴィクトルから聞いているが、まだ冒険者に登録したばかりの初心者だろうし、吸血鬼であるユーリィは普通の攻撃で殺す事ができない。

 

 吸血鬼の奇襲を想定していないのならば、勝ち目はないだろう。

 

 唸り声を発したユーリィは、あの赤毛の少女から血を吸う事を考えながら追跡を開始した。

 

 



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メウンサルバ遺跡

 

 気色悪い植物に覆い尽くされた薄暗い森の中心部に、石柱が屹立していた。ところどころ崩れ落ち、イソギンチャクを思わせる奇妙な花を咲かせるツタのような植物に絡み付かれたその石柱には、掠れているが古代文字のようなものが刻まれており、それが遺跡の一部であるということを告げていた。

 

 同じデザインの石柱が、その奥にも何本か並んでいる。中には倒壊してしまっている者もあるようだったが、どうやら俺たちは道に迷わずにここに辿り着く事ができたらしい。

 

「到着したみたいですわね」

 

「注意しろ。魔物がいるかもしれないぞ」

 

「ふにゅ、大丈夫だよ。ソナーには反応はなかったし―――――」

 

 先ほどから、何度もラウラはエコーロケーションを使って敵の索敵を行ってくれていた。探知できる範囲を広げると索敵の制度が落ちるため、定期的に範囲を変えて何度も索敵を繰り返してもらっていたんだが、未だに魔物や他の冒険者と思われる反応はない。

 

 それに、ここは前に教会の兵士たちが魔物を掃討している場所だ。既に生息していた魔物たちは殆ど壊滅しており、遭遇する確率も極めて低いという。事前に管理局の宿泊施設で収集しておいた情報を思い出したが、俺はまだ違和感を感じていた。

 

 もし、先ほどステラが言っていたように街の廃棄物や排煙で突然変異を起こした新種の魔物が、この辺りに生息していたら非常に危険だからだ。当然だが、新種と戦った事例がないのならばその魔物の攻撃手段や弱点などの情報はない。戦いながら自分たちで情報を集め、レポートに書いて提出するしかないのである。

 

 だから新種と戦う羽目になる冒険者は、基本的に貧乏くじを引く運命になるのだ。

 

 俺が危惧しているのはその新種の魔物がいるかもしれないという事なんだが、魔物の中には植物のような姿をした魔物も存在する。植物と同じく地面に生えている巨大な魔物や、ゴブリンのように襲い掛かって来る小型の魔物も存在するんだが、そういった魔物は基本的に森林地帯の最深部に生息している。

 

 その生息している可能性のある場所は、このメウンサルバ遺跡の外も当てはまるのではないだろうか。その仮説が次々に違和感を生み出し、俺の警戒心を守っているようだった。

 

 もし、ラウラの超音波が捉えていたのは魔物ではなく、植物のように擬態した魔物や地面から生えているタイプの魔物だったならば、いきなり奇襲を仕掛けてくる事もあるのだ。だから油断するわけにはいかない。

 

 ランタンで遺跡の外を照らし出しつつ、周囲を警戒する。

 

 遺跡の外には魔物は見当たらない。見当たるならばとっくにラウラが感知している筈だ。擬態しているような奴も見当たらないし、植物といっても石柱に絡み付いているイソギンチャクみたいなグロテスクな植物だけだ。

 

「タクヤ、考え過ぎなんじゃない?」

 

「うーん………でも、まだ違和感が消えないんだよねぇ………」

 

 おかしいな。

 

 そう思いながらAK-12を下げ、首を傾げながら歩き始める。警戒し過ぎていただけだったのだろうかと思いながら、とりあえず遺跡の入口を探す事にした。

 

 石柱はまるで大通りの街路樹のように並んでいるから、この石柱の間を通っていけば入口がある事だろう。ここで天秤のヒントを得る事ができれば、冒険者同士の本格的な争奪戦が始まる前に天秤を探す事ができるのである。

 

 だから、そのアドバンテージを何としても手に入れなければならなかった。

 

「あっ、あそこが入口じゃない?」

 

「ん?」

 

 すると、サイガ12を構えていたナタリアが石柱の列の奥を指差した。相変わらずイソギンチャクのようなグロテスクな植物に絡み付かれた石柱の隊列の向こうには、苔で覆われた階段のようなものがある。それほど高くないその階段の向こうには石で作られた建造物が鎮座していて、石柱や階段のように植物に覆われている。

 

 入口は正面にあるようだが、その入り口にもゴーレムの胴体のように太いツタが絡みついている。まずあれを取り除かないと、遺跡の中には入れそうにない。

 

 調査する前にあんな太いツタを斬りおとさなければならないのかと面倒くさがりながら、アサルトライフルを腰の後ろに下げて大型ワスプナイフを引き抜く。普通ならば俺のナイフよりもラウラの持つトマホークの方が太い木やツタを斬りおとす際は適任なのだが、俺には巨躯解体(ブッチャー・タイム)という強力な能力がある。

 

 高周波によって振動を発生させ、手にした刃物の切れ味を劇的に強化する事ができるこの能力ならば、普通のナイフでも日本刀を上回る切れ味になる。だから何度もトマホークをツタに叩き付けるより、この能力を使って両断した方が速いのだ。

 

 漆黒の刀身を鞘から引き抜き、ツタを切り裂くために巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させようとしたその時、入り口をふさいでいた邪魔な太いツタが、ぴくりと動いたような気がした。

 

 風で動いたのかと思ったが、風は吹いていない。

 

 すると、先ほど感じた違和感が再び俺を包み込み始めた。このツタは普通のツタなのだろうか? 普通のツタに擬態した魔物なのではないか?

 

 擬態した状態では、ラウラはソナーを使ってそれを探知しても植物に擬態した魔物を植物だと認識してしまう。あくまでもラウラのエコーロケーションは、超音波を使って敵を探知するためのソナーであり、敵の姿を見て探知するような方法ではないのである。

 

 仮説を一瞬で立てた瞬間、俺はナイフを構えながら後へとジャンプした。

 

 その直後、鞭にも似た抹茶色の何かが俺の目の前を通過し、脇に立っていた石柱を打ち据えた。まるで細長いゴムを鉄板に叩き付けたような乾いた音が遺跡中に響き渡り、その鞭の攻撃を喰らった石柱が倒壊していく。

 

「た、タクヤ!?」

 

「気を付けろ、敵だッ!」

 

 着地しつつ左手で大型ソードブレイカーを引き抜きつつ逆手持ちにし、たった今石柱を叩き壊した敵を睨みつける。

 

 俺が睨みつけていたのは、その入り口をふさいでいた巨大なツタだった。ゴーレムの胴体のように太いそのツタは、まるで森の中に生えている巨木のようだ。だがそれから伸びているのは木の枝ではなく同色の細いツタで、下の方には巨木の根を思わせる触手のような物が生えている。

 

 擬態を見破られたうえに攻撃を回避され、もう擬態を続ける意味はないと判断したのだろうか。入口にへばりついていたその植物は遺跡の壁から自分の身体を引き剥がすと、いたる所から生えたツタのような触手を振り上げて威嚇を始めた。

 

 入口の扉にへばりついていたのは、やはり植物型の魔物だった。道を塞いでいた胴体の上には、食虫植物であるハエトリグサを思わせる円盤状の頭があり、巨大な口の中には針のように細い牙が何本も生えている。その巨大な口で魔物や冒険者を捕食すると思いきや、腰の辺りにはまるで人間がポーチを下げているかのように、ウツボカズラのような袋状の物体がぶら下げられている。その袋の中から流れ出ているのは、メープルシロップのような甘い香りだ。

 

 胴体から伸びる2本のひときわ太いツタは先端部のほうで枝分かれしており、無数の抹茶色の触手になっている。そして足元から生えているのは、巨木の根を思わせる太い触手の群れである。

 

 まるで複数の食虫植物を合体させ、それを巨大化させたような植物の魔物が、俺たちの目の前に立ちはだかっていた。

 

「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「き、キモっ………」

 

 スナイパーライフルを構えながら驚愕するラウラ。彼女の傍らでショットガンを構えていたナタリアも、その醜悪な食虫植物の集合体のような魔物を見上げながら顔をしかめる。

 

 大きさは7mくらいだが、触手は非常に長い。おそらく腕のような触手は10mくらいはあるだろう。そしてこいつの主食が昆虫ではなく、人間であることは火を見るよりも明らかだ。

 

『ピュウウウウウウウウウウウウッ!』

 

「………カノン、観賞用にどう?」

 

「い、要りませんわ。………あ、そういえばそろそろリキヤおじさまの誕生日なのでは?」

 

「親父はエリスさんの愛妻弁当でダメージ受けてるし………こいつで追撃するのは可哀想だろ」

 

 カノンに冗談を言っていると、傍らでこの怪物を見上げていたステラが自分の口元を拭い、目を輝かせ始めた。

 

「す、ステラ?」

 

「タクヤ、この植物は食べれるでしょうか?」

 

 ………えっ? 

 

 まさかお前、これ食うつもりなの………?

 

「あ、明らかに食えねえだろ………」

 

「ですが、アロエという植物は食べる事ができると聞いたことがあります」

 

 アロエは食べれるけど、これは明らかに食えないだろ。でっかい口の牙の間からは紫色のよだれが垂れてるし、あの腰のウツボカズラみたいなやつの中に入ってるのって、きっとシロップじゃなくて消化液とか酸だぞ? 

 

 これ食ったら死ぬんじゃないか? 

 

「止めとけ、ステラ。とっとと倒して先に――――――」

 

「――――――いただきます」

 

「す、ステラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 これ食うつもりなのかよ!?

 

 グレネードランチャーとスパイク型銃剣付きのRPK-12を担いだまま走り出したステラは、走りながらスパイク型銃剣を展開しつつよだれを拭い去り、キャリングハンドルを小さな左手で掴んで発砲する。

 

 俺は先に進むためにこの魔物を倒そうとしてたんだが、どうやらステラはこいつを食うために倒そうとしているらしい。………もしかして、調理は俺の仕事なのか?

 

 7.62mm弾が命中した細い触手が弾け飛び、ピンク色の粘液のような血液が噴き上がる。どうやらドラゴンやゴーレムのように外殻は持っていないらしく、防御力は高くないようだ。5.56mm弾を上回る破壊力の7.62mm弾ならば容易く貫通できるだろう。

 

『ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ!』

 

 よだれを流しながら絶叫し、接近してくるステラを威嚇する魔物。しかし、このグロテスクな植物の魔物を仕留めて食べようとしているステラにとって、この巨大な魔物はこれから肉食動物に捕食される草食動物でしかない。

 

 7.62mm弾の射撃によって少しずつ触手を引き千切りながら肉薄していくステラは、まるでホワイトタイガーのようだった。

 

 すると、魔物は残っている触手を腰の袋の中へと突っ込んだ。腰についているウツボカズラのような袋の中からどろりとした粘液の塊を取り出した魔物は、まるで手榴弾を投げるかのように触手を振り払い、酸性の粘液をステラに向かってまき散らす。

 

 香りはメープルシロップのようだが、その粘液が付着した地面や石柱は、紫色の気味の悪い煙を発しながら融解していく。甘い香りとは裏腹に、あの粘液は極めて強力な酸らしい。

 

 しかし、その強力な酸を目の当たりにしたステラは飛散した酸性の粘液の散弾をあっさりと回避しつつ、今の一撃を繰り出した直後の魔物に向かって、銃身の下に装着されているグレネードランチャーのトリガーを押した。

 

 ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドから放たれた40mmグレネード弾は、振り払われたばかりの触手の群れをすり抜けると、抹茶色のツタのような胴体の左側へと落下し――――――――腰にぶら下がっている消化液の入った袋に着弾した。

 

 薄い袋を突き破り、消化液の中で爆発したグレネード弾が、ウツボカズラを思わせる消化液の袋を内側から吹き飛ばす。体液と消火液が混じった無数の飛沫を至近距離で浴びた魔物は、自分の消化液で身体を溶かされる羽目になり、絶叫しながら触手を振り回す。

 

 グレネードランチャーの一撃で袋を狙い、ステラは敵の消化液を使って逆に大ダメージを与えたのである。巧い戦い方だが、彼女に銃の使い方を教えたのは数週間前だ。何度か実戦を経験しているが、彼女はもう現代兵器を使いこなしているというのか。

 

 サキュバスの学習能力は、人間やエルフを遥かに上回っているようだ。

 

「すげえ………」

 

「ふにゃあ………!」

 

 先ほどまでは援護しようと思っていたんだが、ステラが巨大な植物を圧倒しているのを見ていた俺たちは、もう援護する必要はないだろうと判断していた。

 

 消化液を至近距離で浴び、死にかけている魔物に向かって攻撃しても無駄である。だからこのまま、ステラに任せた方が良い。

 

 がむしゃらに振り払い続ける触手たちをすり抜け、ジャンプして魔物の頭の上に降り立ったステラは、左手でもう一度よだれを拭い去ってからスパイク型銃剣を突き刺し、トリガーを引いた。

 

 至近距離で7.62mm弾のフルオート射撃が叩き込まれる。反動が大きな弾丸だが、スパイク型銃剣を突き立てている上に至近距離ならば、反動が大きくても関係ない。猛烈なストッピングパワーと貫通力を魔物の頭に捻じ込み続け、ハエトリグサに似た頭をズタズタに食い破っていく弾丸たち。魔物の頭を弾丸で抉るステラは、マズルフラッシュに照らし出されながら笑っていた。

 

 まるで、小さな子供がおやつを見て喜ぶかのように。

 

 マズルフラッシュが消え、銃弾の連射も終わる。ドラムマガジンの中の弾丸を全て至近距離で叩き込まれた魔物は、口から体液の混じった涎を噴き出すと、足掻くようにもう一度だけ触手を振り回してから、崩れ落ちていった。

 

「やりました」

 

「ひ、1人で倒しやがった………」

 

 ドラムマガジンを交換しながら微笑むステラを見つめながら、俺たちは呆然としていた。

 

 新種と思われる厄介な魔物を、たった1人で倒してしまったのだから。

 

 驚愕している俺たちの前で、ステラは近くに落ちていたさっきの魔物の触手と思われる肉片を拾い上げると、匂いを嗅いでから首を傾げた。彼女はまだあの魔物を食べるつもりなんだろうか?

 

 ピンク色のアロエのような肉片を小さな口へと近付ける。俺やナタリアははっとして止めようとしたが、彼女から肉片を奪い取るよりも先にステラは魔物の肉片を齧り、咀嚼を始めていた。

 

 もしかしたら毒があるかもしれないじゃないか! 新種だぞ!?

 

「は、吐き出せ! ステラ、危ないぞ!」

 

「そうよ! いくらサキュバスでも―――――――」

 

「―――――――タクヤ」

 

 咀嚼を続ける彼女の肩を掴み、吐き出させようとするナタリア。するとステラは傍らにいる俺の顔を見上げ、咀嚼を止めた。

 

「ん?」

 

 先ほどまでは楽しそうに微笑んでいたのだが、今の彼女はまるで子供が嫌いな野菜を口に入れた時のような顔をしている。

 

「―――――これ、美味しくないです」

 

「………」

 

 よだれのついたピンク色の肉片を吐き出す彼女を見下ろしながら、俺とナタリアは再び呆然としてしまった。

 

 

 

 

 おまけ

 

 悩み事

 

ナタリア「キメラの身体って便利よね。硬化できるし、ラウラは索敵ができるんだから」

 

ラウラ「えへへっ。これでタクヤの居場所もすぐに分かるのっ♪」

 

タクヤ「でも、この身体は不便だぞ?」

 

ナタリア「え? なんで?」

 

タクヤ「だって、俺の顔つきって母さんに似てるせいで女っぽいじゃん」

 

ナタリア「ええ」

 

タクヤ「だからトイレに行く時、男子トイレに行くと他の人が滅茶苦茶驚いてるんだよね」

 

ナタリア「………」

 

タクヤ「温泉に行った時も、どっちに入ればいいのか分からないし………」

 

ナタリア(タクヤって大変なのね………)

 

エミリア(すまん、タクヤ………)

 

 

 完

 

 

 



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分断

 

 遺跡の中に入ればあのグロテスクな植物たちを目にすることはないだろうと思っていたが、大昔に造られた遺跡の中が、当時のままになっているわけがない。大昔の建造物ならば、床や壁が崩落したり、中に入り込んだ苔やツタに覆われているのは当たり前だ。

 

 古代文字や壁画が描かれている壁は一部を除いて殆どツタに覆われており、抹茶色の太い茎から分かれた触手のようなツタは、まるで食虫植物を思わせる花を咲かせている。

 

 俺たちがランタンで照らし出すまでは暗闇のままだった通路の中で咲くグロテスクな花たちを見下ろして顔をしかめつつ、奥へと進んでいく。

 

 壁にへばりつく気色悪い花が発するのは、錆びついた金属のような臭いだ。その臭いとこの遺跡の黴臭い臭いが混ざり合い、俺たちを追い返そうとしているかのように鼻孔へと流れ込んでくる。

 

 よく見てみると、壁の表面には冒険者が身に着けていたと思われる防具の一部や、白骨化してツタの群れに取り込まれている人骨も見て取れる。少なくともこの人骨や防具の持ち主たちは、資料がここで発見された後に絶命した冒険者たちではあるまい。

 

 この遺跡を調べようと、魔物を退けてきた勇敢な冒険者たちだろう。よく見ると装備している防具や剣もモリガン・カンパニーが設立されるより前の旧式で、一般的な魔物との戦いでも苦戦していた頃の代物である。

 

 今ではもう完全にモリガン・カンパニー製の武器や新しい技術で作られた防具などに取って代わられ、騎士団などではほとんど退役している。

 

「ラウラ、エコーロケーションに反応は?」

 

「うーん、見当たらないけど………またさっきみたいに擬態してる奴がいるかも」

 

「警戒しないとな………」

 

 ラウラのエコーロケーションは極めて強力な索敵能力である。索敵できる範囲を増やせば索敵の精度は落ちてしまうが、視覚ではなくソナーのように超音波で敵を察知するため、例えば霧の中や夜間での索敵の際は、視界が悪くても関係なしに敵を感知する事ができるのだ。

 

 しかし、これはあくまで超音波で周囲にあるものを察知する能力である。擬態している敵が潜んでいたとしても、それを察知する事は可能だが、あくまでこれは超音波を使った索敵であるため、敵が擬態しているという事まで知ることは出来ないのである。

 

 例えば、敵が木に擬態している場合、ラウラがエコーロケーションを使ってそれを探知したとしても、ラウラはそれを擬態している敵ではなく木として認識してしまうため、擬態を見破ることは出来ないのだ。

 

 それがラウラの探知能力の弱点である。

 

「分かった。とりあえず、擬態しないで徘徊している敵はいないってことだな?」

 

「う、うん」

 

「じゃあ、あとはエコーロケーションは解除していい。魔力を消耗する事になるからな」

 

 消費する量は一般的な魔術を遥かに下回るが、いつまでも使っていれば魔力は減るし、彼女の集中力も減ってしまう。

 

 ラウラにエコーロケーションを解除させ、アサルトライフルのライトとランタンで索敵を続ける。

 

「ステラ、さっきから壁画に古代文字が書いてあるみたいだけど、あれには何て書いてあるんだ?」

 

「…………天秤については書かれていませんね。ですが、『最古のホムンクルス』と書かれている壁があります。崩落とツタのせいでよく読めませんが………」

 

「最古のホムンクルス?」

 

 ホムンクルスとは、この異世界ではクローンの事を意味する。オリジナルとなる人間から遺伝子を採取し、それを魔術で調整しながらひたすら培養することで生み出されたクローンの総称で、助手と共にその技術を確立したのは『ヴィクター・フランケンシュタイン』という伝説の錬金術師であるという。

 

 しかも、メサイアの天秤を生み出した伝説の錬金術師はそのヴィクター・フランケンシュタイン氏なのだ。だからその資料が発見された遺跡に最古のホムンクルスに関して書かれていたとしてもおかしくはない。

 

「もしかすると、ここはフランケンシュタイン氏の実験場だったのかしら?」

 

「もしそうだったら、当時の発明品とか実験体が襲い掛かって来るかもな」

 

「ふにゃあっ!?」

 

 冗談だったんだが、それを聞いたラウラだけはぶるぶると震えながらSMGを構えつつ、周囲に向けて警戒し始めた。怯えてるのか?

 

 怖がるお姉ちゃんも可愛かったので、もう少し怖がらせてみよう。さっきの冗談を頭の中で改造しながら、俺はニヤニヤと笑う。

 

「例えばホムンクルスの失敗作とか。失敗して廃棄されたホムンクルスたちの怨念がたくさん集まってきて、遺跡に迷い込んだ冒険者たちを――――――――」

 

「ふにゃああああああああっ!?」

 

 すると、ぶるぶると震えていたラウラが後ろから抱き付いてきた。両手を俺の胴体に絡み付かせながらしがみつき、ぶるぶると震え始める。

 

「こ、怖い………タクヤ、怖いよぉ………!」

 

「大丈夫だって。ホムンクルスは人間と変わらないらしいし、銃弾を叩き込めば倒せるさ」

 

「ほ、本当………?」

 

「ああ。――――――でも、怨念が相手だったらむしろ逆鱗に触れるかも」

 

「ひっ………!?」

 

 今度はミニスカートの中から尻尾まで伸ばし、俺の首に絡み付かせてくるラウラ。ちょっと苦しいけど、彼女の尻尾は俺や親父みたいに硬い外殻に覆われているわけではなく、柔らかい鱗に覆われているので、ぷにぷにしていて気持ちいい。

 

 暖かい彼女の尻尾をさすっていると、隣を歩いていたナタリアがサイガ12を担ぎながらため息をついた。

 

「仲が良いわねぇ………」

 

「シスコンになっちゃったからな」

 

「えへへっ。お姉ちゃんはブラコンだもんっ♪」

 

 背中にしがみつきながら胸を張るラウラ。フードの下で顔を赤くしながらニヤニヤしていると、ナタリアがラウラの大きな胸を見てから俺を睨みつけてくる。

 

 ラウラの胸は母親のエリスさんと同じく大きいからなぁ………。前世の友人には貧乳が好きな奴もいたけど、俺は大きい方が好きだな。だからこっちの方がいい。

 

 それに親父も、大きい方が良いものは『威力とストッピングパワーとおっぱいだ』と言ってたし。あの変態親父め。

 

 ちなみに、ギュンターさんも親父の意見に賛同しているらしい。モリガンのメンバーは、女性陣だけでなく男性陣もまともではなかったという事だ。数少ないまともな人は、信也叔父さんかカレンさんだけだったという。フィオナちゃんはまともそうに見えるけど、当時からマッドサイエンティストになりつつあったらしいし、ミラさんは戦車を爆走させるのが大好きだったという。

 

 モリガンで採用されていたのはドイツのレオパルト2A6と日本の10式戦車で、ミラさんは10式戦車の操縦士を担当していたらしい。異世界で爆走する10式戦車かぁ………。

 

 変態親父の理念(性癖)を思い出しながら歩いていると、隣を歩いていたナタリアの足元が一瞬だけ光ったような気がした。彼女もその光に気付いたらしく、足元にショットガンを向けながら通路の床を見下ろすが、もうその光は残光を引き連れて消えた後で、光っていたという形跡は残っていない。

 

 俺を見上げながら首を傾げるナタリア。だが、あの光は俺も見たから見間違いではない筈だ。

 

 今の光は何だと仲間たちに問い掛けようとした、その時だった。

 

 ――――――突然、足元の石畳が表面の苔もろとも消滅し、巨大な落とし穴に変貌したのである。

 

「――――――えっ?」

 

「ッ!」

 

 拙い。今すぐラウラを突き飛ばせば彼女は助かるし、俺も硬化した腕で壁を掴めば助かるだろう。だが、俺とラウラよりも若干前を歩いていたナタリアは、目を見開きながら早くも暗闇の中へと落下を始めている。

 

 窮地が突然襲来し過ぎたせいなのか、ナタリアはまだ落下するという恐怖を感じる事ができていないようだ。ぽかんとしながら目を見開き、俺に向かって手を伸ばしている。

 

 ごめん、ラウラ! ナタリアを見捨てるわけにはいかない!

 

「ふにゃっ!?」

 

 ラウラを後ろへと突き飛ばし、尻尾の先端部を落とし穴の縁に突き立てながらナタリアへと向かって手を伸ばす。俺はオスのキメラだからなのか、ラウラよりも尻尾が長いため、攻撃する時や移動する時は非常に便利なのだ。

 

 あっさりと石畳を貫き、まるで杭のように突き刺さった尻尾でぶら下がりながら、右手を伸ばして落下していくナタリアの手首を掴み取る。いきなり落下が中断されたことでナタリアの身体が大きく揺れ、俺も下へと引きずり込まれそうになる。

 

 くそったれ。トラップが用意してあるとは………!

 

 左手に持っているAK-12で穴の底を照らし出そうとしてみるが、アサルトライフルのライトを向けても底の方は真っ暗なままだ。この落とし穴はかなり深いらしい。

 

 転落すれば、キメラでもただでは済まないかもしれない。

 

「ご、ごめん、助かったわ………」

 

「気にすんな。無事か?」

 

「ええ、怪我は―――――――」

 

 ナタリアが返答している最中に、頭上からぼこん、とまるでレンガやコンクリートの壁が崩れ落ちるような音が聞こえてきた。冗談だろうと思いながら頭上を見上げようとするよりも先に周囲の壁が上へと加速を始め、足元の暗闇が俺たちを飲み込み始める。

 

 尻尾の先を見上げてみると―――――――尻尾は縁の部分の石畳に突き刺さったままだった。だが、その尻尾に貫かれていた石畳が外れてしまったせいで俺とナタリアは落下する羽目になったらしい。

 

 もう少し頑丈に作ってくれよと不満を感じながら、ナタリアの絶叫の中で俺は穴の上へと手を伸ばしていた。

 

 穴の縁から身を乗り出し、泣き叫びながら俺へと手を伸ばしている赤毛の少女が見える。

 

 泣かないで、ラウラ―――――――。

 

「きゃあああああああああああああああッ!!」

 

 ライフルを腰に下げつつ、俺はナタリアの腕を引っ張った。そして絶叫する彼女を抱き抱え、背中をサラマンダーの硬い外殻で覆っていく。

 

 親父とは違って蒼い外殻を生成した俺は、そのままナタリアの下敷きになるように移動する。全身ではなく背中だけ外殻で覆ったのは、落下した衝撃でナタリアが怪我をしないようにするためだ。全身を硬化した場合、落下した際の衝撃で死ぬことは無くても、衝撃で俺の外殻にナタリアがぶつかって負傷してしまうかもしれない。

 

 アンチマテリアルライフルや重機関銃の12.7mm弾さえも弾き飛ばすほどの外殻なのだから、身を守るのは背中だけでいい。

 

 いつ地面に叩き付けられるのかと恐怖を感じ始めた直後、突然落下が止まった。鉄板の上に小さな鉄球を落としたかのような金属音が反響し、火花が暗闇の中で舞う。ついに落とし穴の底まで落下し、俺は床に背中を叩き付けてしまったのだと理解した瞬間、外殻を突き抜けてきた衝撃が生み出す激痛が俺を飲み込んだ。

 

「グウッ………あッ………はぁっ、はぁっ………!」

 

 内臓や骨が砕けてしまったかのような激痛の中で、俺はナタリアを抱き締めながら呼吸を整えた。喉の奥から暖かい液体と血の臭いが沸き上がり、口の中を侵食していく。

 

 コートのホルダーの中から、辛うじて割れていなかったヒーリング・エリクサーの試験管のような容器を取り出すと、蓋を取ってから中身を口へと流し込み、喉から逆流しつつあった自分の鮮血と共に飲み込む。

 

 まるで背中を巨大な鉄球で殴りつけられたような激痛が消え去るまで呼吸を整えてから、守るために抱き締めていたナタリアを見下ろした。

 

 彼女も先ほどの強烈な衝撃を感じたようだが、俺のように負傷はしていないようだ。仲間が無傷だったことを知って安心した俺は、異性であるナタリアをいつまでも抱き締めていたことに気付き、顔を赤くしながら慌てて手を離した。

 

「わっ……ご、ごめんナタリア!」

 

「げほっ、げほっ………だ、大丈夫よ。あんたのおかげで助かったわ………」

 

 埃が舞う中で立ち上がったナタリアは、片手で頭を押さえながら周囲を見渡すと、近くに落下していた自分のショットガンを拾い上げた。落下した際に破損していないかチェックしているんだろう。

 

「そ、それに……………わ、悪くなかったわ………」

 

「は?」

 

 小声だったのと、まだ落下した時の音が反響していたせいで何て言ってたか聞こえなかった。やはりどこか怪我をしたのだろうか?

 

「何て言った? やっぱり怪我してたのか?」

 

「ち、違うわよ、馬鹿! ………まったく」

 

『タクヤ! ナタリアちゃん! 聞こえる!?』

 

 顔を赤くしながら下を向いたナタリアを見ながら首を傾げていると、耳元に装着している無線機から、ノイズと共に焦ったラウラの声が聞こえてきた。いつも仲間たちが身に着けている小型無線機だ。2km以上離れている際は通信できないが、非常に小型で使い方も簡単だから、これを仲間たちに支給している。

 

 ちなみに2kmはラウラや俺が狙撃で援護できる射程距離と同じだ。だから俺たちと通信できないという事は、援護できないという事を意味する。仲間たちとどれだけ離れているのかの目安にもなるのだ。

 

 安心した俺は、息を吐いてから無線機に向かって返答した。

 

「ああ、聞こえる。こっちは無事だよ」

 

『ふにゅう………よ、良かったよぉ………! 待ってて、お姉ちゃんも今から落ちるから!』

 

『お、お姉様、落ち着いてくださいな! お姉様まで落ちたら意味がありませんわよ!?』

 

 ラウラまで落ちようとしてるのかよ!?

 

 やめとけって! 外殻の生成が下手なラウラが落ちたら、骨折するかもしれないぞ!?

 

「ねえ、あれって通路……?」

 

「え?」

 

 俺たちを救出するために穴に落ちようとするラウラを必死に止めるカノンの声を聞いていると、後ろでショットガンのチェックをしていたナタリアが穴の奥を指差した。

 

 円柱状の空間の最下層に、木製の扉があったのだ。表面は苔と埃で覆われていて、開けられた形跡が全くない古い扉が鎮座している。

 

 それ以外に扉は見当たらない。どうやらここから逃げ出すには、あの扉から上へと上がらなければならないらしい。

 

 なんてこった。ラウラたちと分断されちまったぞ。

 

「ラウラ、出口らしき扉を見つけた。俺とナタリアはそこを通っていくから、二手に分かれよう」

 

『えぇ!? やだやだ! タクヤと一緒じゃなきゃ嫌なのっ!!』

 

「お姉ちゃん、必ず合流する。合流したらいっぱい甘えていいから、我慢してくれるかな?」

 

『ふにゅう………分かった、頑張って我慢するぅ………』

 

「ありがと。………それじゃ、気を付けてね」

 

『はーいっ!』

 

 通信を終え、俺もアサルトライフルの点検を開始する。落下の衝撃のせいなのか、銃身は曲がっている上にマガジンは歪んでいたし、ドットサイトのレンズも割れていた。ブースターは千切れてしまっている。

 

 また作り直さないといけないな。銃身や部品を交換するという手もあるんだが、内部の部品も破損している可能性がある。念のため作り直しておいた方が良いだろう。

 

「ナタリア、武器はどうだ?」

 

「マガジンが壊れたわ。銃身も曲がってるし、ハンドガードには亀裂が入ってる」

 

 彼女のショットガンも破損してしまっているらしい。こちらも作り直しておいた方が良いかもしれない。

 

「分かった、ちょっと待ってろ」

 

 あの扉の向こうには、もしかしたら擬態している魔物が潜んでいるかもしれない。開けられた形跡がないという事は、魔物を掃討したという教会の兵士たちはここまで来ていないという事だ。

 

 魔物の残党が潜んでいた場合、俺とナタリアの2人だけで突破しなければならない。

 

 メニュー画面を開き、破損した武器をもう一度作り直しながら、俺は古びた扉を睨みつけた。

 

 



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吸血鬼たちの襲撃

 

 幼少の頃から、姉と弟は常に一緒にいる事が多かった。同じ父と違う母を持つ姉弟は、父と同じくキメラという新しい種族として生まれ、厳しい訓練を受けながら一緒に育ってきたのである。

 

 射撃訓練では互いにアドバイスを出し合い、ランニングや辛い模擬戦では励まし合いながら成長してきた2人の絆は、普通の姉弟の絆よりも遥かに強靭で硬いのだ。

 

 だから、片割れと別合同をする羽目になった直後から、ラウラはずっと不安を感じ続けていた。今まで隣を歩いていた最愛の弟は、今頃はナタリアと共に落とし穴の底から脱出を図っている。あの落とし穴の底に別の通路があったのは僥倖だが、最愛の弟と再会できるのはいつになるのだろうか。

 

(タクヤ………)

 

 隣に弟がいないだけだというのに、不安になる。

 

 今すぐに自分もあの穴に飛び込み、落ちてしまった弟と再会したい。でも、そうすればカノンとステラを置き去りにすることになるし、タクヤにも迷惑をかけてしまうかもしれない。タクヤは防御力に優れるオスのキメラだが、ラウラは外殻による防御を苦手とするメスのキメラなのだ。タクヤでもダメージを折ってしまうほどの深さの穴に落下すれば、彼のようにエリクサーを飲んで回復できる程度のダメージで済む保証はない。

 

 だから、カノンとステラと3人で進むしかない。そうしなければ、タクヤと再会は出来ないのだから。

 

 キャリコM950の木製グリップを握りしめながら、ラウラは通路の奥を見据えた。このまま進んで天秤のヒントを得たら、タクヤと連絡を取って合流を図るべきだろう。それか、彼らが来るまで最深部で待機するべきだろうか。

 

 それは彼と連絡を取って確認すればいい。

 

「それにしても、あのようなトラップがあるなんて………」

 

「もしここがフランケンシュタインの実験場だったのなら、トラップはまだ生きている筈です。ラウラ、注意を」

 

「りょ、了解」

 

 確かにトラップは生きていた。ナタリアが床を踏んだ瞬間、いきなり通路があのような落とし穴へと変貌したのである。おそらく他にも、ホムンクルスの生産方法を確立したヴィクター・フランケンシュタインが研究成果を他の錬金術師に奪われまいと用意したトラップが残されている事だろう。

 

 先ほどの落とし穴はエコーロケーションで察知もできず、魔力の反応も全く感じなかった。他のトラップも、同じように感知することは出来ないだろう。

 

 タクヤなら見破れただろうか? 不安を感じ続けていたラウラは、またしても最愛の弟の事を思い出していた。幼少の頃から読書を好み、魔物や魔術の図鑑をよく読んでいた賢い弟ならば、あのトラップも見破っていたのではないだろうか。

 

(でも、自分で切り抜けないとね。………私はタクヤのお姉ちゃんなんだし)

 

 甘えるだけならばタクヤも許してくれるだろう。だが、いつまでも彼に頼り続けるのはさすがに許されない。彼は許してくれるかもしれないが、頼り続けるという事は彼に負担をかけるという事だし、ラウラはタクヤの姉なのだ。

 

(うん、しっかりしないと)

 

 もう一度銃のグリップを握り、ラウラは2人を連れて通路を奥へと進んでいった。

 

 相変わらずグロテスクな植物に覆われた気味の悪い通路だったが、元々は本当に実験場だったのか、迷宮のように複雑な通路は存在せず、一本道だった。中には部屋のような場所へと入るための扉も見受けられたが、崩落したかツタに覆われていて、中に入ることは出来そうにない。もしあの中に天秤のヒントがあるのならばC4爆弾を使ってでも中に入りたいところだったが、手持ちのC4爆弾はタクヤに分けてもらった2つしかない。もし最深部へ向かうための扉が同じように崩落していたら、そこで使うC4爆弾がなくなってしまう。

 

 いくら凄まじい破壊力を持つ現代兵器でも、C4爆弾がなければ瓦礫や扉を吹き飛ばす事は不可能なのだ。

 

 ステラの鉄球(グラシャラボラス)で吹き飛ばすという手もあるが、あれは燃費が悪い武器らしく、召喚するだけで凄まじい量の魔力を消費するという。ステラは自分で魔力を生成する事ができないサキュバスであるため、魔力がなくなれば他者から魔力を吸収しなければならない。しかし、魔力を吸収されれば身体に力が入らなくなってしまうため、その隙に魔物に攻撃されればやられてしまう。

 

 だから、迂闊に彼女に鉄球(グラシャラボラス)を使わせるわけにはいかないのだ。

 

 右側にあった崩落した通路をじっと見つめ、あの奥を確認してみたいと思ったラウラだったが、今は天秤のヒントを探すのが最優先である。貴重なC4爆弾を取り出そうと勝手に動いた右手を止め、息を吐いた彼女は、そのまま最深部へと歩き続ける。

 

 錆びた金属にも見た悪臭に包まれた通路を進んでいると、広い部屋のような場所へと辿り着いた。どうやらここには教会の兵士たちが入り込んだらしく、壁を覆っている植物は焼き払われているようだ。そのおかげで、壁に描かれている壁画や古代文字があらわになっている。

 

 焼き払われた痕を確認してみるが、おそらく最近焼かれたのだろう。

 

 部屋の中央には棺のような石で作られた長方形の箱が並び、蓋は全て開けられている。あの中には財宝か研究成果でも収まっていたのだろうかと思いながら銃を構え、部屋の中を見渡していると、ランタンが発する橙色の光に照らされる部屋の中にいきなり口笛の音が響き渡った。

 

 部屋に擬態して潜んでいた魔物だろうかと思いながら、口笛の聞こえた方向に同時に銃を向けるラウラたち。ランタンと銃のライトで照らし出された部屋の奥に立っていたのは、擬態していた植物のような魔物ではなく、黒いスーツに身を包んだ金髪の青年であった。

 

 スーツの襟や袖のボタンは黄金で装飾されており、一般的なスーツよりも豪華になっている。そういったスーツは最近の貴族が好んで身に着けているから、この青年も貴族出身なのだろうか。

 

 だが、貴族なのだとしたらどうしてスーツ姿でこんなところにいるというのか。近年の冒険者は、昔のように防具を全身に身に着けるようなことはなくなったが、それでも肩や腕の一部には金属製の防具を身に着ける者が多い。ラウラたちのように一切防具を身に付けずに戦う冒険者もいるが、大概はモリガンの真似事をしている者たちばかりである。

 

 この男もそういう冒険者なのだろうか? それとも、防具を必要としないほどの実力者なのだろうか?

 

 銃を向けながら警戒していると、その貴族と思われる金髪の青年はライトの光の中で微笑んだ。まるで紳士が女性に話しかける時のような微笑だったが、彼に銃を向ける3人はぞくりとしながら銃を向け続けた。

 

 この青年が気色悪かったわけではない。もし3人がタクヤ・ハヤカワという少年に惚れていなかったならば、この男に惚れてしまっていたかもしれない。

 

 しかし、この青年が普通の貴族や冒険者ではないという事を見抜きつつあった3人は、銃を下ろさずに照準を合わせ続けた。

 

 普通の貴族や冒険者ならば、なぜ防具を身に付けずにここにいる? しかも、よく見ると腰には剣すら下げていない。いくらダンジョンの指定が解除されつつある遺跡とはいえ、丸腰で訪れるのは愚の骨頂である。

 

「やあ、お嬢さんたち」

 

 3人の少女に武器を向けられているというのに、いくら銃を知らないとはいえ、その青年は全く怯えずに声をかけてきた。声音は優しく、口調も丁寧で、幼少期からマナーの教育を受けてきたカノンとしては礼儀正しい貴族の青年だと思ったが、その微笑や礼儀正しい口調はおそらく偽物だろうとすぐに見抜いた。

 

 この青年は敵だと、カノンはラウラよりも先に見抜いたのである。

 

 マークスマンライフルを向けながらラウラをちらりと見て、この男は危険だと告げながら臨戦態勢を続けるカノン。ラウラも銃を向けたまま、彼に問い掛ける。

 

「あなた、何者? 冒険者なの?」

 

 いつもタクヤに甘えているラウラを目にしている2人からすれば、凛々しくて冷静なラウラの声には違和感を覚えた。彼女の操る氷のように冷たく、その中に鮮血のような禍々しさも伴う彼女の声が目の前の青年を貫くが、その声を聞いても青年は全く動揺しない。

 

 肩をすくめながらため息をつき、近くにある石の棺の上に腰を下ろす。その表面を白い華奢な指でなぞり、指に付着した埃を振り払った彼の微笑は段々と変化しつつあった。

 

 少女に声をかける紳士の優しい微笑が、徐々に敵意と殺気で汚染された禍々しい笑みへと変わっていく。

 

「――――――君たちも、メサイアの天秤を狙ってるんだろ?」

 

「!?」

 

「あなた………天秤を知っていますの!?」

 

「当たり前じゃないか。欲しがってるのは僕のご主人様なんだけどね。………君たちも狙ってるって事は、僕と争奪戦をするって事になるんだよね?」

 

 ゆっくりと右手を振り上げる青年。すると、彼の手の中に赤黒い光が集まっていき、猛烈な闇属性の魔力へと変貌していく。

 

 赤黒い霧にも似たその中から右手を引き抜いた青年の手には、いつの間にか返り血で真っ赤になったかのようなロングソードが握られていた。錆びついた金属のような臭いと黴の臭いを血の臭いが飲み込み、鮮血のような刀身がランタンの光の中で煌めく。

 

「悪いけど―――――――君たちも排除しろって上司から言われてるんだ。………殺してもいいよね?」

 

「――――――殺せるの?」

 

「ああ。でも、君はとても美味しそうだし――――――――犯して、血を吸ってから殺すよ」

 

 鮮血のロングソードを構え、にやりと笑う青年。一瞬だけ彼の口の中に見えたのは、クガルプールの森で交戦したフランシスカと同じく、吸血鬼のような鋭い牙だった。

 

(こいつ、吸血鬼!?)

 

 今では数が激減している吸血鬼だが、その戦闘力は非常に高い上に、強力な吸血鬼たちは弱点で攻撃しても再生してしまうほどの再生能力を持つと言われている。

 

 銃で風穴を開けても、銀の弾丸でなければこの吸血鬼は殺せない。しかもここは遺跡の中である。彼らの弱点である日光はない。

 

 更に、弱点である銀の弾丸を生産できるのは落とし穴の下にいるタクヤだけだ。彼と合流しない限り、この吸血鬼を倒すことは不可能である。

 

(普通の銃弾でも、傷はつけられるよね………)

 

 銃弾で攻撃し、わざと再生させ、その隙に逃げ切るしか手はない。

 

 タクヤと合流するまで逃げ切れるだろうかと思いながら、ラウラはキャリコM950のトリガーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国は、産業革命によって最早世界最強の大国となりつつある。同盟国や周辺諸国では凄まじい数のオルトバルカ製のフィオナ機関が採用され、世界各地で各国を発展へと導き続けている。

 

 10年前はレンガ造りの伝統的な建物が並ぶ王都も、今ではアパートや工場が乱立する息苦しい場所へと変貌していた。中には伝統的な建築様式の建物も点在するが、自分たちの種族と同様に激減してしまっている。

 

 馬車から下り、ネクタイを直したヴィクトルは、目の前に鎮座する巨大な劇場の看板を見上げながら息を呑んだ。

 

 今から自分が始末しに行くのは、この世界の工場と呼ばれる大国で最も恐ろしい男だ。かつて主君であるレリエル・クロフォードを倒し、吸血鬼を絶滅寸前まで追い込んだ最強の傭兵。その男を、消さなければならない。

 

 王都に潜伏していた眷族の情報では、モリガン・カンパニーの社長であるあの男は、妻たちと共にこの劇場で演劇を鑑賞しているという。

 

 吸血鬼の中ではトップクラスの戦闘力を持つヴィクトルだが、もしリキヤ・ハヤカワと真っ向から戦った場合、勝てる確率は0%だろう。相手はレリエル・クロフォードを倒したキメラの王なのだ。しかもレリエルを倒した後も実力を上げ続けているため、真っ向から戦うわけにはいかない。

 

 だから、暗殺する。彼が演劇を楽しんでいる間に消すのだ。

 

 カウンターでチケットを購入し、客席へと続く階段を上がっていく。本来ならば催眠術を使ったり、護衛をしているリキヤの部下を尋問して場所を聞き出すのだが、客席の一角から流れ出る威圧感のおかげで、そんなことをする必要はなさそうだった

 

 豪華なカーペットの敷かれた通路を進み、客席へと向かう。その威圧感の発生源をちらりと見てみると、そこには確かに漆黒のトレンチコートに身を包んだ赤毛の男が腰を下ろし、ステージを見下ろしているのが見えた。傍らには蒼い髪の女性が2人いて、夫と楽しそうに雑談している。

 

 彼らの周囲には護衛の社員が数名いるが、瞬殺できるだろう。護衛たちは杖を持っているが、おそらくあれは仕込み杖に違いない。

 

 魔力を使わないように気を付けながら客席へと近付いていくヴィクトル。かつて21年前のネイリンゲンで、当時の主人だったレリエルと共に彼らと共闘した経験があるのだが、今はあの男は味方ではない。レリエル・クロフォードを葬った怨敵なのだ。

 

 それに、あの男を消さなければ吸血鬼は再興できない。

 

 客席の通路を歩き、リキヤの座る客席へと近付き始めたその時だった。

 

「――――――今夜の演劇は面白いらしいぞ。君も見ていったらどうだ?」

 

「………!」

 

 明らかに、妻たちに言ったのではないだろう。どきりとしながらヴィクトルが立ち止ると同時に、こちらを振り返った護衛の社員たちが一斉に杖を構えながら睨みつけてくる。

 

(バレていたか………!)

 

 逃げるべきだろうか。それとも、このまま戦って一矢報いるべきか。

 

 ただでさえ吸血鬼は数が少ないため、ヴィクトルのような幹部クラスの吸血鬼がここで倒れたとなれば、同胞たちはかなり大きな痛手を被ることになる。だが、ヴィクトルは主人に魔王を仕留めてくると誓ったのだ。逃げ帰るわけにはいかない。

 

「たった1人でリキヤに挑みに来るとはな………」

 

「残念ね、吸血鬼」

 

「落ち着け、2人とも」

 

 静かに客席から立ち上がり、ヴィクトルの方を振り向くリキヤ。右手にはサラマンダーの頭を模した装飾がついている杖を手にしているが、おそらくあれも仕込み杖に違いない。

 

 杖を持ちながら立ち上がった彼は、まるで友人とこれから出かけるかのように微笑みながら、ヴィクトルの隣を通り過ぎた。

 

 彼を見逃すつもりではないだろう。

 

「――――――ここで戦うわけにはいかん。ついて来い」

 

 ここで戦えば、他の観客も戦いに巻き込まれる羽目になる。だから、殺し合うならば他の場所で殺し合おうという事なのだろう。

 

 観客を人質に取るという手も思いついたが、そんな卑怯な手を使えば、あの男も容赦なく卑怯な手を使ってヴィクトルを潰すに違いない。大人しく彼に従い、隙を見て殺すしかない。

 

 唇を噛み締めたヴィクトルは、客席の通路を歩き始めたリキヤの後について行くことにした。先ほど上ってきた階段を下り、カウンターの前を通過して劇場の外へと出ると、リキヤは自分が乗ってきたと思われる馬車へと乗り込み、御者に「客人だ。街の郊外まで頼む」と言いながら座席に腰を下ろした。

 

 ヴィクトルを本当に社長の客人だと思ったのか、御者はヴィクトルに向かって微笑みかけると、彼が馬車に乗ったのを確認してから手綱を振るい、馬車を走らせ始める。

 

 向かいの席にいるのは、リキヤ・ハヤカワのみ。これならば殺せるのではないかと思ったが、彼が発する威圧感に押さえつけられたヴィクトルは、黙って馬車が王都の郊外に到着するまで待つ事しかできなかった。

 

 



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実験室と錬金術師の記録

 

 扉を開けた瞬間に魔物が襲ってくるかもしれないと警戒していたから、わざわざ破損した武器を装備から解除し、全く同じカスタマイズを済ませた代わりの銃を用意してまで扉の向こうへと突入したというのに、その扉の向こうに広がっていたのは穴に落ちる前と全く変わらない通路だった。壁はツタや苔で覆われ、天井を覆い尽くしているツタの一部が、まるで女性の髪のように垂れ下がっている。

 

 ライフルのライトでツタを照らし、魔物が擬態していないか確認するために怪しいところをスパイク型銃剣で軽く突く。だが、漆黒の針を大きくしたようなスパイク型の銃剣は、太いツタに浅い穴を開けるだけで、魔物が擬態している様子はない。

 

 拍子抜けしながらため息をつき、後ろでサイガ12を構えているナタリアに合図を送る。

 

「何もいないの………?」

 

「ああ、擬態している様子はないな………」

 

 魔物はここまで入り込んでいないのか? それとも、教会の兵士たちが殲滅してしまったのか? ライトで通路を照らしてみるが、もし教会の兵士たちが魔物を殲滅していたというのならば、ここにやってきた形跡が残っている筈だ。例えば狙いを外してしまったボウガンの矢や、魔物の死体などが残っていても良い筈なのに、この通路にはそのような形跡が全く残っていない。

 

 ということは、ここにはそもそも魔物が入り込んでいなかったという事になるのだろうか。もしそうならばありがたい事だと思った俺は、まるで安心する事を許さないかのように湧き上がってきた新しい不安を抑え込んだ。

 

 この通路は、上に通じているのか? ラウラたちとは合流できるのか?

 

 不安を感じながら通路をライトで照らし出していると、左側のツタがぴくりと動いたような気がした。この遺跡の入口で擬態していた奴のように、壁のツタに擬態しているのかもしれない。

 

 突入する時と同じ轍を踏んでたまるかと思いながら銃口を向けたが、その擬態していた魔物は俺に殺意を向けられていることを察したのか、擬態し続けることを諦めたかのように姿を現した。

 

 入口にいた奴よりも小さいが、同種なのかもしれない。頭はハエトリグサのように円盤状になっていて、頭全体が口になっているようだ。牙も生えているが入口の魔物よりも短い。サイズは2mくらいで、腰にポーチのように下げているウツボカズラにもにた消化液入りの器官は、まだ発達していないのかつぼみのように閉じている。

 

 だが、醜悪な姿だというのは変わらない。口からピンク色の唾液をまき散らしながら姿を現したその魔物は、俺がトリガーを引く直前に片手を前へと突き出すと、ツタのような触手を何本も伸ばして攻撃してきた!

 

「うわっ!?」

 

 紫色の粘液を纏った触手に絡み付かれる前に、すぐさま左へとジャンプして回避する。狭い通路だったから回避した直後に壁に肩を打ち付けてしまったけど、あんなぬるぬるした触手に絡み付かれるよりはマシだ。しかも俺は男だからな。

 

 その隙に本体に向けてフルオート射撃をお見舞いしてやろうと思ったんだが――――――背後から聞こえてきたナタリアの悲鳴が、トリガーを引く寸前だった俺の指を止めた。

 

「きゃああああああああああっ!?」

 

「えっ?」

 

 悲鳴にしては、やけに恥ずかしそうな絶叫だった。

 

 射撃を中断し、恐る恐る後ろを振り返ってみる。もしあの魔物の触手が俺を狙っていたのならば、躱された時点で引き戻してもう一度攻撃してきてもおかしくない筈だ。もしかしたら狙いはナタリアだったのかと冷静に考察して現実逃避しながら後ろを振り向くと、紫色のぬるぬるした粘液を纏った触手たちが、俺の後ろでショットガンを構えていたナタリアに絡み付いているのが見えた。

 

 手足に絡み付いた触手を必死に引き剥がそうとするナタリア。サイガ12の木製の銃床で触手を打ち据える彼女だが、表面がぬるぬるしているせいなのか銃床はつるりと滑ってしまい、触手を全く振り払えないようだ。

 

 やがて、俺を無視した魔物が更に彼女に触手を伸ばし、今度はナタリアの腹や胸に絡み付かせ始める。どうして俺を無視して彼女ばかり狙うのだろうか。この野郎、男は眼中にないっていうのか?

 

「くっ……離しなさいっ、この変態! ――――――ひゃんっ!?」

 

『ピギィィィ………!』

 

 無視されたことに憤っていると、彼女の胸に絡み付いていた触手が、するすると彼女の服の中へと潜り込み始めた。触手にショットガンを取り上げられた彼女は必死にその触手を止めようとするけど、両腕は他の触手に絡み付かれているから何もできない。顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら絶叫するだけだ。

 

「ちょっと、なんなのこいつ――――――んっ、や、やめなさいっ!! タクヤ、早く助けてよ!」

 

「あ、ああ」

 

 女みたいな顔つきなのに男だと見抜いてもらえたのは嬉しいし、触手に絡み付かれて恥ずかしそうにしているナタリアを眺めていたいが、早く助けないと彼女にビンタされてしまいそうだ。

 

 左手を腰の鞘に伸ばして大型ソードブレイカーを引き抜き、ぬるぬるした触手の群れに向かって思い切り振り下ろす。あの粘液は敵の剣戟を滑らせるためのものなのかもしれないが、相手の剣を受け止めるための大きなセレーションを防ぐことは出来ないだろう。

 

 本来なら防御のために使う得物が触手に喰らい付く。ノコギリを思わせる深いセレーションが触手を引き千切り、ぶちぶちと噛み千切っていく。

 

 強引に振り下ろして一気に触手を何本も両断した俺は、得物を腰の鞘に戻しつつ右手のAK-12を本体へと向けた。そしてすぐに左手で銃身を支え、トリガーを引く。

 

 よくも俺を無視しやがったな!? この変態植物がッ!!

 

『ピギィィィィィィィィィィィィィッ!?』

 

 腰の器官や胴体や頭を次々に穴だらけにしていく。こいつもやはり強固な外殻を持っているわけではないらしく、防御力はかなり低いようだ。

 

 身体中から紫色の体液を噴き上げ、蜂の巣にされた魔物が崩れ落ちる。まだ千切られた触手を痙攣させているそいつに7.62mm弾を1発叩き込んで止めを刺した俺は、薬莢が床に落下する金属音を聞きながら後ろを振り返った。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫………。なんなのよ、この触手………」

 

 手足にまだへばり付いている触手を指先でつまみ、気持ち悪そうに少しずつ引き剥がしていくナタリア。もう本体は死んでいるし、切断されているから簡単に取れるだろう。まだ痙攣しているのが気色悪い。

 

 手を貸してあげるべきだろうかと悩んでいると、ナタリアの腰の辺りにもその触手の残滓がへばり付いているようだった。ナタリアは気付いていないようなので取ってあげようかと思い、手を伸ばしたんだが、よく見るとその触手は腰にへばりついているだけではなくて、先端部は少しだけだが彼女のズボンの中に入り込んでしまっているようだった。

 

 ど、どうしよう………?

 

 ナタリアに教えてあげるべきか? でも、ナタリアはまだ手足や胸の辺りの触手の相手をしているし………俺が取ってあげた方が良いだろう。

 

 彼女にビンタされる覚悟で、その触手を掴み取る。抹茶色の触手の表面はまだ紫色の粘液で覆われており、非常にぬるぬるしている。

 

「うう………キモい………」

 

 手から離れないようにしっかりと触手を握った俺は、息を呑んでから―――――その触手を引っ張った。

 

「ひゃぁっ!?」

 

 触手を引っ張った瞬間、手足の触手を引き剥がしていたナタリアがびくりと震えた。やはりズボンの中にも触手が入りかけていたことに気付いていなかったらしく、ナタリアは目を見開きながら俺の方を振り向く。

 

 粘液でぬるぬるしていたせいなのか、ズボンの中に潜り込んでいた触手の先端部はあっさりと引き抜く事ができた。彼女の私服を粘液で濡らしながら出て来た魔物の残滓を摘み、無造作に通路へと放り投げる。

 

「い、いや、ズボンにも入ってたし………取ってあげようかなってさ………」

 

 俺を睨みつけてくるナタリアに言い訳しながら、指についた粘液をズボンに拭う。やっぱりビンタされるのかなと思いつつ言い訳を続けていると、彼女は胸元に残っていた触手を掴み、それを振り上げた。

 

「――――――この、変態キメラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 恥ずかしさと怒りを俺に叩き付けるかのように、ナタリアは触手の残骸を思い切り振り下ろす。粘液と体液をまき散らしながら振り下ろされたその一撃は、まるで熟練の騎士が振り下ろす本気の剣戟のような速度で落下してくると、ばちん、とまるで鞭のような音を立てて俺の頭を直撃した。

 

「みにみっ!?」

 

 び、ビンタよりも痛てぇ………。

 

 角折れてないよね? キメラの角って頭蓋骨の一部が変異したものだから、折れたら致命傷だぞ? 頭蓋骨を骨折するのと同じなんだからな?

 

 フードを取りながら角をさすり、キメラの特徴でもある角が無事であることを確認した俺は、ナタリアがさっき触手に取り上げられていたサイガ12を拾い上げると、グリップやハンドガードに付着していた粘液を拭ってから彼女に返した。

 

「まったく………」

 

「す、すいませんでした………」

 

「………で、でも、あんたのおかげで助かったわ。――――――ありがとね、タクヤ」

 

「お、おう」

 

 いつも真面目で女性陣の中では一番大人びているナタリアだが、微笑んでいる彼女も可愛らしい。もしかしたら顔が赤くなっているかもしれないと思った俺は、彼女に見られないようにフードを目深にかぶろうとしたんだけど、指に残っていた粘液のせいでうまくかぶり直せない。

 

「何やってるの? ほら、早く行くわよ」

 

「ああ………ん?」

 

「どうしたの?」

 

「いや………今の奴から、何かドロップしてる」

 

「え?」

 

 今しがた蜂の巣にして撃破した魔物を振り返るナタリア。ツタまみれの通路の真っ只中で仰臥(ぎょうが)する体液まみれの死体の上には、武器や装備がドロップしたことを意味する蒼白い六角形の結晶のような光が浮遊していた。

 

 これは俺の転生者としての能力なんだが、俺が転生者であることを知る親父以外の人々には、俺や仲間が敵を倒すと、その敵が装備をドロップするようになる能力だという説明をしてある。

 

 他にも魔物が潜んでいるかもしれないので、警戒しながら死体まで近づいていく。敵がいない事を確認してから決勝に手を伸ばすと、目の前にメッセージが表示された。

 

《アサルトライフル『63式自動歩槍』を入手しました》

 

 63式自動歩槍か。珍しい武器がドロップしたな。

 

 この魔物がドロップした63式自動歩槍は、中国のアサルトライフルである。AK-47や俺たちがカスタマイズしたAK-12と同じく7.62mm弾を使用するライフルで、まるでAK-47に折り畳み式の銃剣を取り付け、グリップをピストルグリップではなくボルトアクションライフルのような曲銃床にしたような外見を持つ変わったライフルだ。

 

 大口径の弾丸を連射できるため攻撃力とストッピングパワーは非常に高いんだが、やはり反動が非常に強い。それに一般的なアサルトライフルと比べると銃身が長いという欠点がある。そのため最終的にAK-47を改良した中国製アサルトライフルの56式自動歩槍に取って代わられ、全て退役してしまっている。

 

「強い武器でも出た?」

 

「珍しいのが出た」

 

「珍しいの?」

 

 ナタリアに見せるために、入手したばかりの63式自動歩槍を装備する。AK-47を曲銃床にしたような形状のライフルを構え、アイアンサイトを覗き込んでいると、ナタリアは珍しそうにこの中国製のライフルを見つめ始めた。

 

「これ………アサルトライフル?」

 

「ああ。珍しい形だけどな」

 

 使ってみようかなぁ………。反動が大きいらしいけど、キメラの腕力なら耐えられるだろう。もう7.62mm弾のフルオート射撃を片手でぶっ放せるようになったし。それに、AK-12の弾薬の節約にもなる。

 

 とりあえず、ライフルグレネード用のアダプターを銃身に装備しておこう。

 

 ライフルグレネードとは、通常のグレネードランチャーのように砲身からグレネード弾を撃ち出す方式ではなく、アサルトライフルやボルトアクションライフルの銃口にグレネード弾を装着し、それを撃ち出す方式の事だ。第一次世界大戦や第二次世界大戦では主流だったし、現代でも自衛隊の89式自動小銃やフランスのFA-MASなどはこの方式を採用している。

 

 AK-12を一旦装備から解除し、代わりに63式自動歩槍を装備した俺は、まだ珍しそうにライフルを見つめるナタリアに向かってにやりと笑ってから、彼女と共に通路を進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 警戒しながら通路を進み続けたんだが、結局擬態していたのはナタリアに触手を絡み付かせてきたあの変態植物1体だけだった。注ぎ続けた警戒心を無駄にしてしまったような気がするが、無警戒のまま進んで魔物の餌食になるよりはマシだ。安全のための対価だったのだと思いながらライフルを肩に担ぎ、目の前に鎮座する扉を見据える。

 

 魔物が擬態している様子はない。念のためスパイク型銃剣で突いてみるが、扉を覆っているツタは本物のツタだ。

 

 63式自動歩槍を構えながら息を呑んでいると、サイガ12を構えていたナタリアが俺を見つめながら頷いた。音を立てずに扉の前まで移動し、片手を錆びついたドアノブへと近づけていく。

 

 射撃準備を整えてから彼女に向かって頷くと、ナタリアの白い手が錆びついたドアノブを捻り、そっと扉を後方へと押す。

 

 その扉を思い切り蹴飛ばし、俺は部屋の中へと突入した。

 

 蹴り飛ばされた扉が外れ、部屋の中にあった机に激突すると、その机の上に乗っていた何か―――――おそらくフラスコや試験管などの実験器具だろう―――――を弾き飛ばしながら落下し、爆炎のように埃を巻き上げる。

 

 部屋の中には、蛍のような虫が舞っていた。尾で蒼白い光を煌めかせつつ飛び回る虫の群れ。彼らが部屋を照らし出してくれるおかげで、ランタンで照らさなくても部屋の中は明るかった。

 

 あの虫は何だ? 幼少期に読んだ図鑑には載ってなかったぞ。新種か?

 

 あの変態植物も新種だった。この2つをレポートに書いて提出すれば、報酬はいつもより高く支払ってもらえるに違いないと考えながら、俺はナタリアと共に部屋の中を見渡す。

 

「何、ここ………」

 

 規則的に並ぶ机の上には、分厚い図鑑や大きなビーカーが並んでいる。ビーカーの中で赤黒い液体に包まれているのは、魔物か動物の臓器だろうか。グロテスクな代物が収まっているビーカーを凝視した俺は、部屋の奥に鎮座する円柱状の物体に気付き、ランタンで照らしながらそれの傍らに駆け寄った。

 

 ガラスで作られた円柱状の物体は、まるでビーカーをそのまま大きくして、上部に無数のケーブルやプラグに似た器具を突き刺したような形状をしていた。おそらくこの中で何かが培養されていたんだろう。だが、これが使われていたのは大昔らしく、今ではガラスは割れ、曇ったまま放置されている。

 

「実験室………?」

 

 壁に『最古のホムンクルス』と古代文字で刻まれていたとステラが言った際、俺は冗談でこの遺跡はヴィクター・フランケンシュタインの実験施設だったのではないかと言ったが、もしかするとその冗談は本当だったのかもしれない。確か、ホムンクルスを培養するにはこのように巨大な設備が必要だと錬金術の本に書いてあったような気がする。

 

「ねえ、見て」

 

「何だ? ………記録か?」

 

 机の上からナタリアが発見したのは、埃まみれになり、穴だらけになった古い本だった。中には古代文字の羅列が並び、たまに何かの図解や設計図も記載されている。

 

 古代語は読めないが、記載されている図解でそれが何を意味するのか理解できる。この巨大なビーカーを思わる設備の中で培養される人間の絵が描かれているから、これはホムンクルスの培養方法だろう。

 

 古代文字で、こんな実験を記録しているのは――――――十中八九、ホムンクルスの培養方法を確立したヴィクター・フランケンシュタインに違いない。

 

「すげえな………伝説の錬金術師が書き残した記録か! おい、天秤は載ってないのか?」

 

「待って、調べてみるわ」

 

 いいぞ。もしかしたら、これで天秤のヒントが手に入るかもしれない!

 

 実験室の中を見渡しながら、俺はヒントが見つかりますようにと祈り続けていた。

 

 



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狂気のユーリィ

「タクヤ、見て!」

 

 実験室の中を調べていた俺を、先ほどの記録を見ていたナタリアが古びた本を見下ろしながら手招きした。ヴィクター・フランケンシュタインが残した実験の記録の中から、ついにメサイアの天秤のヒントを見つけたのだろうかと期待しながら彼女の傍らへと向かい、埃臭い部屋の中で記録を見下ろす。

 

 相変わらずわけの分からない古代文字の羅列が連なっていたが、右側のページにはインクで図解のようなものが書かれていた。装飾がついた豪華な天秤で、その傍らには3つの鍵が描かれている。天秤の図解なら分かるが、なぜ鍵まで描かれている? 天秤には無関係だろ?

 

 その周囲に書かれている古代文字は、おそらく天秤についてのヒントなんだろう。俺たちに解読する術はないので、これを持ち帰ってステラに解読してもらうしかない。

 

 一流の考古学者でさえ解読が困難と言われる古代語を母語としているのは、ステラだけなのだから。

 

「これが天秤か?」

 

「多分ね。………これ、なんで鍵まで書いてあるのかしら?」

 

 イラストの中では、天秤の脇には3つの鍵が並んでいる。何のための鍵なのかと考え始めたが、仮説はすぐに出来上がった。

 

「――――――隠してたんだ………。赤の他人が、こいつを使って好き勝手に願いを叶えられないように………」

 

 なぜそんな事をするのかと思ってしまうが、この天秤を作ったヴィクター・フランケンシュタインならばそうする事だろう。彼はこれを何のために造り出したのかは不明だが、みだりに他人に手に入れさせ、好き勝手に願いを叶えさせられるような状況にしたくはなかった筈である。

 

 だから防護措置のために、3つの鍵を作ってどこかに隠した………? くそったれ、面倒だな。つまり天秤を手に入れるためにはその3つの鍵を集め、天秤が保管されている場所を探し出さなければならないって事か。

 

 大冒険になるのは面白いが、その分激しい争奪戦が長引くという事だ。

 

「もしかしたらここに保管されているかもしれないって思ったんだけど………甘くないわね、フランケンシュタイン氏は」

 

「綿密に秘匿した挙句、3つの鍵を集めさせるのか………。せめて秘匿だけにして、ここに保管してくれても良かったんじゃないか?」

 

 愚痴をこぼしつつ、ハングルに似ている古代文字を睨みつける。俺たちは読むことは出来ないが、ステラはこれが母語だから読めるんだよな。確か、古代語の語感はロシア語やスペイン語に近かったような気がする。

 

 彼女の喋っていた古代語を思い出そうとしていると、いきなり聞き覚えのある少女の叫び声が聞こえてきたような気がして、俺は目を見開きながら埃とツタまみれの天井を見上げた。

 

「ラウラ………?」

 

「え? どうしたの?」

 

 今の絶叫は――――――ラウラの声だった。

 

 ナタリアには聞こえていなかったのだろうか。ぎょっとしながらナタリアを見つめるが、彼女は俺の表情に驚きながら「な、なに?」と聞いてくるだけだ。おそらく、今の絶叫が聞こえたのは俺だけなのだろう。

 

 幻聴ではないだろう。確かに、ラウラの絶叫は聞こえてきた。

 

 もしかして彼女は――――――助けを求めているのか?

 

「………ナタリア、その資料は持って行こう。―――――ラウラたちが、危険な目に遭っているかもしれない」

 

「え? ちょっと、何で?」

 

「ラウラの声が聞こえたんだ」

 

「ラウラの?」

 

「ああ」

 

 小さい頃から、彼女とずっと一緒にいた。常に一緒に行動して育ってきたからなのか、今では互いに指示を出さなくても片割れが何を考えているのか察して行動する事ができる。だから、意思の疎通に言葉を使う必要がない。

 

 母さんたちには「お前たちはテレパシーを使って会話してるのか?」と何度も言われるほど、俺たちは互いの考えを察する事ができる。

 

 だから今の叫び声も、幻聴ではない。彼女が危険な目に遭っているかもしれないという予測の信憑性はかなり高い筈だ。

 

 63式自動歩槍を担いだまま、俺はナタリアから記録を受け取った。腰のポーチに埃まみれの記録を押し込み、部屋の奥にあるもう一つの扉を開く。

 

「う、嘘でしょ? 私には何も聞こえなかったわ」

 

「………俺には聞こえた」

 

 早く助けに行かなければならない。

 

 一緒に生活してきた姉弟の片割れが、助けを求めているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分よりも格上の相手と幼少の頃から訓練を続けていたラウラにとっては、この戦いは久しぶりの苦戦であった。タクヤと共に転生者ハンターとなり、旅に出てからは転生者たちのステータスのせいで苦戦したことはあったが、幼少期から磨き続けてきた2人の技術を上回る者はおらず、彼女は敵を狙撃しながら拍子抜けしていたものだ。

 

 だが、今回の敵は今までの転生者よりも遥かに手強い。ステータスではなく、純粋な戦うための技術において劣っていると理解した時点で、ラウラは相手が自分よりも格上だという事を察していた。

 

 彼女の最も得意な遠距離戦で戦えないという理由も苦戦の原因となっている。だが、もし仮にここが遺跡の中ではなく平原で、得意な狙撃ができる状況だったとしても、どのみち苦戦する事になっていただろう。

 

 今まで戦ってきた相手ならば、弾丸で撃ち抜けば死ぬし、ナイフで貫いても死ぬ。強固な防具や外殻で防ぐか躱さない限り殺せる相手だったのだ。しかし今回の相手は、銃弾で撃ち抜き、ナイフで貫いても死なない。死ぬのはたった数秒だけで、すぐに蘇ってしまうのである。

 

「やぁっ!!」

 

「ゲェッ!?」

 

 呼吸を荒くするラウラの目の前で、吸血鬼の青年と斬り合っていたカノンの持つ直刀が、その振り払われた剣戟を受け止めようとした青年の剣をすり抜け、彼の首筋にめり込んだ。防御力は人間と変わらない吸血鬼はあっさりとその一撃で首を刎ね飛ばされ、広間の中に鮮血をばら撒きながら床に崩れ落ちる。

 

 目を見開いたまま落下してくる青年の生首。しかし、その切断された生首は紫色の光を発すると、そのまま残光が薄れていくかのように消滅してしまう。

 

 すると、今度は首を刎ね飛ばされた身体の方が動き出した。人間ならば即死しているというのに、両手で体を支えながら起き上がり、更に床に落ちていた自分の得物を拾い上げたのである。

 

 切断された首の断面から、筋肉繊維の束と骨が伸びていく。まるで木が成長するかのように枝分かれを繰り返し、やがて人間の頭のような形状になったそれを、今度は表面に現れた皮膚が覆っていく。

 

「おいおい、お嬢さん。いきなり僕の首を斬りおとさないでくれよ。今みたいに再生できるけど、痛みがないわけじゃないんだよ?」

 

「くっ………!」

 

「カノンちゃん、下がって!」

 

 切断された場所に触れながら言うユーリィ。首を切断される痛みを先ほどまで感じ続けていた筈なのに、彼は目を見開きながら後ずさりするカノンを見下ろしてニヤニヤと笑っていた。

 

 彼の剣戟をすり抜け、カノンが首を切断したように見えたが、おそらく今のはカノンにわざと首を斬りおとさせたんだろう。彼女の技術を見るためなのかもしれないが、九分九厘それは彼の目的ではない。

 

 再生能力を見せつけ、絶望させるためにわざと首を刎ね飛ばさせたのだ。人間やエルフならば死んでいるような攻撃を喰らっても再生してしまうところを見せつけるために、剣戟をすり抜けられたように見せかけたのである。

 

 何と悪辣な演出だと思いつつ、ラウラはカノンに後退するように指示を出した。カノンの得意分野は中距離射撃だし、いくら彼女がモリガンの傭兵であった両親から訓練を受けていたとはいえ、この男と戦うならばそのアドバンテージでは足りない。せめて吸血鬼の弱点を持ち合わせていれば彼女に前衛を任せ、その隙に弱点を使って攻撃するという作戦も使えたのだが、あの再生能力を阻害する手段がステラの魔術しかない以上、このままカノンに前衛を任せるべきではない。

 

「――――――アストラル・レイピア」

 

 感情がこもっていない声と共に、ステラの目の前に白銀の魔法陣が出現する。彼女の詠唱は古代語で行っていたらしく、どのような魔術を繰り出そうとしているのかは属性しか分からなかったが、どうやら彼女が今から放とうとしているのは強力な光属性の魔術らしかった。

 

 ステラが生み出した魔法陣の中から、レイピアの刀身を思わせる白銀の棘のようなものが出現する。

 

 光属性の特徴は、雷属性と同じく攻撃の速度が非常に速い事である。特に遠距離攻撃が可能なタイプは弾速が非常に速いため、闘技場で敵の魔術師が繰り出そうとしていたボルト・ランツェのように回避するのは非常に難しい。

 

 中には、光の速度で相手に飛来する恐ろしい代物もあるという。だが、さすがにそんな魔術を繰り出せば1発でステラは体内の魔力を使い果たしてしまう。自分で魔力を回復する術がないステラは、このような戦いでは魔力を節約しながら戦わなければならないのだ。

 

 しかし、彼女が繰り出そうとしている魔術は、節約しているとはいえ強力なものであった。光のレイピアを召喚して撃ち出すという単純な魔術であるが、その弾速は非常に速いため回避するのは難しく、しかも貫通力も高いため防御しても貫通する可能性が高い。遠距離戦においては、ボルト・ランツェと同じく厄介な魔術だと言われている。

 

 古代語での詠唱で生み出した光のレイピアを、ステラはカノンが後退したのを確認してから撃ち出した。後端部から光の輪を生み出しつつ、レーザーのように飛び去る光のレイピア。ユーリィは苦手な属性の魔術を繰り出されて目を細めたが、躱し切ることは出来ないと覚悟していたのか、その光のレイピアが直撃する寸前に右へとジャンプした。

 

 やはりユーリィはステラの一撃を躱し切る事が出来ず、取り残された左半身を光のレイピアに貫かれる羽目になった。ユーリィの左の鎖骨を貫いたアストラル・レイピアは彼の肉を焼き、骨を焦がしながら彼を蹂躙する。

 

「ぎっ………ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 他の種族と異なり、体内に極めて高濃度の闇属性に汚染された魔力を持つ吸血鬼にとって、日光を浴びるのは熱線を浴びるのと同じだ。人間が暖かいと感じる日光でも、吸血鬼が浴びれば肌が燃え上がり、肉は焦げていく。

 

 強力な吸血鬼ならば身体能力と再生能力が低下する程度で済むのだが、ユーリィはレリエルやヴィクトルのように強力な吸血鬼ではない。だから日光よりも強力な光属性の魔術を喰らえば、ただでは済まないのである。

 

 しかし、直撃して消滅するよりは左半身を焼かれた方がマシだ。吸血鬼には再生能力があるが、だからこそ死を恐れるのだ。

 

 それに、プライドも高い。それゆえにユーリィは、年下の少女たちに討ち取られるわけにはいかない。

 

 風穴を開けられ、真っ黒に焦げた左腕をぶら下げながら着地するユーリィ。キャリコM950を構えつつ照準を合わせていたラウラが追撃するが、ユーリィは緩やかに左半身を再生させ続けるだけだった。銀で作った弾丸でも撃ち込まない限り殺せないのだから、回避する必要はないと判断したのだろう。容赦なく9mm弾の群れが風穴を開けていくが、ユーリィはニヤニヤと笑ったまま被弾し続けるだけである。

 

(やっぱり、ステラちゃんの魔術だけじゃ………!)

 

 吸血鬼の弱点が不足しているだけではない。よりにもよって、この場に前衛であるタクヤがいないのである。ユーリィと戦う羽目になったのは本来なら狙撃で援護する筈のラウラと、中距離からの射撃で真価を発揮する選抜射手(マークスマン)のカノンと、魔術による攻撃や重火器による支援を担当するステラの3人だ。

 

 つまり、後衛だけでこの吸血鬼と戦わなければならないのである。

 

 前衛がいない上に、敵に決定打を叩き込めるのはステラの光属性の魔術のみ。せめて落とし穴に落ちてしまった2人と合流する事が出来れば勝てるかもしれないが、3人の後衛だけではユーリィを撃破するのは困難であった。

 

(やっぱり、逃げ切るしかないのかな………)

 

 こうなったら、カノンとラウラの2人が前衛を担当し、ステラに隙を見て光属性の魔術を叩き込んでもらうしかない。そうやって戦いつつ時間を稼ぎ、タクヤに合流してもらうのだ。

 

 SMG(サブマシンガン)による射撃からトマホークを使って接近戦を挑もうとしていたその時、急に再生を終えたユーリィが笑うのを止めた。

 

「―――――――ああ、長引かせるとあの小娘にやられそうだからな………。とっととぶちのめそう」

 

「へえ………舐め過ぎてたって事に今気付いたわけ?」

 

「いやいや、面倒だなって思っただけさ」

 

 キャリコM950からトマホークに持ち替えながらユーリィを睨みつけるラウラ。笑うのを止めたユーリィは、手にしていた鮮血の剣を投げ捨てると、再生を終えたばかりの左手を右手で掴む。

 

 もう、彼は笑っていない。それどころか、まるで追い詰められたように冷や汗をかきながら、必死に呼吸を整えて自分の左手を見下ろしている。

 

「面倒なんだよ、本当に。………これ、滅茶苦茶痛いからさぁ」

 

(滅茶苦茶………痛い……?)

 

 左半身を焼かれ、何度も銃弾に貫かれて死んでいた男が、今更痛みを恐れている。違和感を感じながらユーリィを睨みつけていると、自分の左手を掴んだユーリィは一旦瞼を閉じてから―――――――歯を食いしばりつつ、まるで意図的に肩を脱臼させようとしているかのように自分の左腕を引っ張り始めたのである。

 

 何か攻撃を繰り出してくると思い込んでいたラウラたちは、いきなり自分の腕を引っ張り始めたユーリィを驚愕しながら見つめていた。

 

 何かの魔術でも繰り出すのではないかと思ったが、それにしては魔力に変化が全くない。吸血鬼は大昔から闇属性の魔術を得意としていたのだが、それを繰り出そうとしているわけでもないようだ。

 

 ただ、自分の腕を引っ張っている。

 

 ドラゴンを持ち上げてしまうほどの筋力を持つ吸血鬼が本気で引っ張れば、片手で自分のもう片方の手を千切り取ることは可能である。まさか自分の腕を千切るつもりなのだろうか? しかし、自分で傷を負う真似をして意味はあるのだろうか?

 

 魔術に詳しいステラも理解できないらしく、無表情のまま首を傾げていた。

 

 やがて、ユーリィの左手が何度も打ち据えられたかのように真っ赤になり始めた。今度は左腕の筋肉繊維と皮膚が千切れ始める音が聞こえ始め、その中で左腕の骨格が絶叫する。

 

 左腕の断末魔を無視するかのように、ユーリィは腕を引っ張り続けた。

 

「あ……ああ………痛てえ………痛てえ、痛てえぇッ!! くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 そして――――――――彼が身に着けているスーツの袖の中から、ぶちん、と筋肉繊維の束が千切れる音が聞こえてきた。じたばたと痙攣していた左腕が動かなくなり、まるで鞘の中から引き抜かれた剣のように、するりと切断されたユーリィの左腕が姿を現す。

 

 千切られた断面からは鮮血を流しながら、まだ紅潮している左腕があらわになった。

 

「くそ、痛てぇッ! 母ちゃんのビンタの600000倍痛てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「こ、こいつ、何やってるの………!?」

 

 全く理解できない。再生能力があるとはいえ、自分で自分の片腕を千切り取ったのである。不気味で、禍々し過ぎるその行動を見てしまったラウラたちは、ユーリィが激痛で苦しんでいるというのに攻撃する事が出来なかった。

 

 今まで戦ってきた敵よりも禍々しく、ありえない敵。これが両親たちが戦った吸血鬼なのだろうか。

 

「お前らぁぁぁぁぁぁぁぁ………見たところ五体満足みたいだなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!?」

 

 ゆらりと揺れてから息を吸い込み、千切れたばかりの左腕を剣のように握るユーリィ。すると、肩の断面から新しい左腕が再生を始めると同時に、千切れた方の左腕が変形し始めた。

 

 まだ紅潮している皮膚の一部が膨らみ始めたのである。続けざまにあらゆる場所が膨張し始め、瞬く間に彼の左腕はぼこぼこした棍棒に早変わりしてしまった。

 

 しかし、それが終着点ではなかったらしい。

 

 まるで爆弾が爆発したかのように、今度はその膨張した部分が弾け飛んだのである。肉片を含んだ血飛沫が舞う中からあらわになったのは―――――――骨と鮮血で形成された、両刃の禍々しい刀身であった。

 

「じゃあ、手足を切断した時の………激痛も知らないわけだなぁ………? ヒヒィッ………未経験だな!? 手足失ったことないんだよなぁ!? ヒヒヒヒヒヒヒヒヒィッ!」

 

 ラウラたちを侮っていた態度ではない。激痛のせいで狂ってしまったのだろうか。

 

 紅く汚れた美しい金髪を右手で払いながら、目を血走らせつつ笑い続けるユーリィ。冷や汗と口元のよだれを拭い去り、左腕で作った禍々しい剣の切っ先をラウラたちへと向けた彼は、血まみれになったまま笑い続けた。

 

「俺の痛みも理解できないんだよなぁぁぁぁぁぁぁ!? じゃあ、理解できるように手足を斬りおとしてやるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 この狂気を、今から迎え撃たなければならない。

 

(タクヤ………ッ!)

 

 最愛の弟の事を一瞬だけ考えた彼女は、カノンに向かって頷いてから、ユーリィと狂気を迎え撃つために走り始めた。

 

 



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狂気と吸血鬼

 実験室を出た先には、何かの残骸のようなものが鎮座していた。通路よりもやや幅が広くなった程度の空間は、まるで吹き抜けのように上へと伸びている。ランタンで照らしながら上を見上げてみるけど、蒼白い光が照らす中に見えるのは、暗闇の中から垂れ下がる千切れた鎖だけだ。

 

 かつて、その鎖がこの残骸を吊るしていたのだという事は想像に難くない。残骸の形状を見てみると、この残骸がかつてリフトのようなものだったことも予想できる。

 

 ここが建設されたのが大昔なのだから当たり前だろう。リフトを支える鎖は劣化し、大昔にリフトを吊るし続けることが不可能になり、ついに落下して大破してしまったに違いない。

 

「なんてこった………」

 

「嘘でしょ………?」

 

 大昔に大破し、埃まみれになっているリフトの残骸を見下ろしながら、俺はライフルを構えるのを止めた。あの落とし穴からここまで一本道で、隠し通路のような場所も全くなかった。上に上るための通路や階段も見当たらなかったのだから、上へと戻るにはこのリフトを使わなければならない構造だったらしい。

 

 しかし、そのリフトは大破し、使用不能になっている。

 

 上に戻る手段はないのか………? ラウラたちが危険な目に遭っているかもしれないのだから、早く合流しなければならないというのに。

 

 既にメサイアの天秤の情報は手に入れている。後はステラに翻訳してもらえれば、すぐに次の目的地を決めて計画を立て、出発する事ができるのだ。

 

 それにしても、ラウラたちは大丈夫だろうか。いったい何があった? もしかして、ダンジョンに潜んでいた危険な魔物に襲撃されているのか?

 

 もし襲撃されているのならば、戦って倒す必要はない。天秤の情報は手に入れたのだから、後は逃げるだけでいいのだ。

 

「そんな………どうすればいいの………?」

 

「………」

 

 落ち着け………。確かにリフトは使えないが、他に上に上る手段はある筈だ。もし仮にここの持ち主だったヴィクター・フランケンシュタインが想定していなかった方法だとしても、上に戻る方法はある筈なのだ。

 

 絶望しながらリフトの残骸を見つめているナタリアに「落ち着け」と言うと、俺は63式自動歩槍を肩に担ぎながら壁の近くへと向かって歩き、レンガで形成された壁に触れた。

 

 ひんやりとする埃まみれの壁。指を引っ掛ける事が出来そうな隙間は見当たらない。両腕を硬化させ、強引に指を壁にめり込ませて登ってみるかと思ったが、さすがにランタンで照らしても天井が見えないほどの高さなのだから、いくら幼少期から鍛えていたキメラでも登り切る前にスタミナがなくなるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 しかも、ナタリアも冒険者として鍛えていたとはいえ、身体能力ではキメラに劣る。だから俺と一緒に上って来れるわけがないし、彼女を背負ったまま登り切ることは不可能だ。何とかスタミナを消耗せずに上る方法はないのだろうか………。

 

 そういえば、幼少期の壁を登る訓練でラウラと一緒にワイン倉庫の壁を登った事があった。確か、あの時ラウラが真面目に両手を使って壁を登っているのに、壁の中に補強のための鉄骨が入っていることに気付いた俺は、磁力を操って壁を歩いて登り、ラウラに卑怯だと抗議された事があったな。

 

 もしかして、この中にも鉄骨が入っているのではないだろうか?

 

 リフトのような物もあるし、実験室の中にも崩れた場所から金属のようなものが露出している箇所があったから、補強するために鉄骨や鉄板が壁の中に埋め込まれている可能性は高い。

 

 試しに左手の魔力を磁力に変換し、壁に近づけてみる。すると俺の左手は壁に引き寄せられ、埃で汚れた古びた壁に吸い付いてしまう。

 

「………いいぞ」

 

「ど、どうしたの?」

 

「ナタリア、上に戻る方法を見つけた」

 

「えっ?」

 

 リフトが使えないせいで上に戻ることは出来ないと思い込み、涙目になりかけていたらしいナタリアは、俺の言葉を聞いて一旦顔を上げてから慌てて両手で涙を拭い去った。

 

 この方法ならスタミナはあまり関係ないし、魔力の消費量も少ない。

 

 メニュー画面を開き、俺が装備している武器を全て装備から解除する。あくまで磁力を発生させるのは足の裏だけにするつもりだから武器は関係ないんだが、軽量化のためだ。武器を全て装備から解除して丸腰になった俺は、目の周りにまだ涙が残っている彼女に向かってにやりと笑うと、右足を上げ、まるで壁を蹴りつけるかのようにそっと足の裏で壁を踏みつける。

 

 続けて左足を持ち上げた時点で、ナタリアは唖然としていた。普通ならば落下して尻餅をつく筈なのに、俺の右足は壁に吸い付いたままなのだ。

 

 魔力を使っているのだが、これはトリックではない。母親から受け継いだ雷属性の魔力と、変異によって生まれたキメラという種族の体質のおかげで出来る芸当である。

 

「か、壁に………くっついてる!?」

 

「へへへっ」

 

 試しに何度か両足を持ち上げたり、ジャンプしてみるが、足の裏から磁力に変換した魔力を放出し続けている限りは落下する恐れは無いようだ。あまり高くジャンプし過ぎると落下する可能性があるが、そもそもこのままジャンプすることはないだろう。

 

 何歩か歩いて壁を確認し終えた俺は、真横の世界から驚愕するナタリアに向かって右手を伸ばした。

 

 いきなり右手を差し出されたナタリアは、混乱しているのか自分の足元を見下ろし、自分はちゃんと地面に立っている筈だともう一度認識してからもう一度お壁に立つ俺を見て、またしても呆然としたようだった。

 

「な、なんで……壁に立ってるの………? ま、まさか、壁をそうやって登っていくつもりじゃないでしょうね…………!?」

 

「この方が長持ちするぜ? ほら、掴まれ」

 

「う、うん」

 

 困惑するナタリアの手を掴んだ俺は、彼女の白くて柔らかい手を静かに引き寄せると、そのまま腕に力を入れて彼女を引っ張り上げる。「きゃっ!?」と声を上げながら引き寄せられた彼女の背中を右手で抱え、左手で彼女の両足を支えつつ胸板で体重を受け止める。

 

 予想以上にナタリアって軽いんだな………。これなら彼女を抱えたまま登っても疲れることはなさそうだ。

 

 闇に遮られた天井を見据え、これから壁を垂直に歩いて登っていこうとしていると、俺に抱えられているナタリアがいきなり顔を真っ赤にし始めた。

 

 どうしたんだ? もしかして、このまま抱えられているのが恥ずかしいのか? そう思いながら彼女をからかってやろうとした時、俺は彼女がどうして顔を赤くしたのか理解した。

 

 無意識のうちに出来るだけ楽な抱え方をしようとしていたせいで気付かなかったのだろう。

 

 ―――――俺は、ナタリアをお姫様抱っこしてしまっていたのである。

 

「ば、馬鹿っ! 下ろしてよ! 一旦下ろして、この馬鹿っ!!」

 

 やっぱり、誰も見ていないとはいえお姫様抱っこされるのは恥ずかしいのかなぁ………。ラウラだったら大喜びしそうなんだが………。

 

 別の抱え方に変えてあげるべきかと思っていると、いきなり彼女の柔らかい手が振り上げられた。振り上げて距離を取ってから再び落下してくる彼女の両手が、胸板や肩を何度も滅茶苦茶に打ち据える。

 

 ば、馬鹿! 落っこちるぞ!?

 

 いつも冷静で落ち着いているしっかり者のナタリアは、俺に抱えられて狼狽していた。鋭くて凛々しい顔を真っ赤にしながら目を瞑り、必死に両手を振り回して脱出しようとしている。

 

「お、落ち着けナタリ――――――がりるっ!?」

 

 彼女を落ち着かせようとした俺だったが、完全に混乱してしまっている彼女はじたばたするだけだ。どうすれば落ち着いてくれるのかと考え始めた直後、両手を無茶苦茶に振り回していた彼女の裏拳が、流れ弾のように俺の頬を直撃した。

 

 ぐはっ!? う、裏拳っ!?

 

 思わず抱えていた彼女を離してしまいそうになったが、すぐに体勢を立て直しつつ両手に力を込め、強引に壁を登り始めた。

 

「ちょっと、何でお姫様抱っこなのよ!? 下ろしなさいよ、恥ずかしいじゃないの!!」

 

「暴れるなって! 誰も見てねえよッ!」

 

「み、見てなくても恥ずかしいのッ! それにあんたが見てるじゃない!!」

 

「誰にも言わないって! それにラウラに言ったら殺されるぞ!?」

 

 お姉ちゃんはヤンデレだからなぁ………。最近は彼女以外の仲間と話をしていてもあまり機嫌を悪くするようなことはなくなったけど、もし2人っきりの時にナタリアをお姫様抱っこしてたって事がバレたらトマホークで八つ裂きにされてしまうに違いない。

 

 もしかすると「私にもやって!」ってせがんでくるかもしれないけど、お姉ちゃんに殺される方が確率は高いだろう。せっかく異世界に転生したのに、実の姉に殺されてバッドエンドになるのは洒落にならないぞ。

 

「それに、背中に背負ったら俺が上に到着するまでお前ずっと懸垂やる羽目になるぞ!? 俺の背中で!」

 

「うっ………」

 

 高校の部活や幼少期の訓練でもそんな馬鹿げた筋トレやったことねえよ。

 

「真正面は論外だよな?」

 

「ば、バカ………」

 

 垂直に上ってるわけだから、真正面から彼女を支えるのは抱き合ってるのと同じだ。そんな事しながら登ってたら角が伸びちまうし、彼女も嫌がるに違いない。

 

 この体勢がベストだということを理解してくれたのか、じたばたしていたナタリアはやっと両手で俺を叩くのを止めてくれた。

 

 両足から魔力を放出するのを怠らなければ、彼女をお姫様抱っこしながら歩いているのと同じだ。やはり硬化した両腕を使って壁を登るよりも効率的で合理的な手段だったようだな。

 

 みるみるうちに、落下したリフトの残骸が闇に包み込まれていく。ちらりと頭上を見上げてみると、リフトを支えていた鎖が垂れ下がっているのが見える。

 

 背後にあった筈の床は、もう真っ暗になっていて見えない。ここから落下したらまた背中を強打する羽目になるだろう。

 

 後ろを見て怖くなったのか、ナタリアがまだ顔を赤くしながら両手を俺の首の回りに回してくる。そのまま抱き付くように胸板に密着すると、ナタリアは恥ずかしそうに言った。

 

「お、落ちたら大変だから………その………抱き付いてても、いいわよね………?」

 

「お、おう」

 

 どきりとしながら、俺は辛うじて答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 バキン、と金属がへし折れる音が、ラウラの鼓膜に突き立てられた。漆黒の破片とトマホークの刃の残骸が舞う中から飛び退き、素早くへし折られた柄を投げ捨ててキャリコM950をホルスターから引き抜くが、彼女のSMG(サブマシンガン)の照準器が正面へと向けられた頃には、床に落下したトマホークの残骸と、真紅の残像が残されているだけであった。

 

 このまま敵を狙うのは危険だと判断したラウラは、更に後ろへと飛び退く。すると血の臭いを纏いながら飛来した鮮血の刀身が、石畳の床を串刺しにしてしまった。

 

「避けるなぁぁぁぁぁぁぁぁッ! もう少しで足を斬りおとせたのによぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

(は、速い………ッ!)

 

 自らの左腕を鮮血の剣に変え、狂乱をむき出しにしたユーリィの剣戟は、ラウラが今まで見てきたラトーニウス式の剣術や騎士団の剣術から逸脱していた。

 

 まさに狂乱の剣術である。意味不明の絶叫と共に振り払われるユーリィの一撃は、全く予測できないほどの変則的な軌道で振り払われて来るのである。見切ったと思って得物でガードしようとすれば、キメラを遥かに凌駕する反応速度で得物をすり抜けたり、その一撃をフェイントに切り替えて続けざまに攻撃してくる。

 

 予測するのが、無意味になっているのだ。

 

「ハッハッハッハッハァッ! グーテンモルゲンッ! グゥゥゥゥゥゥゥテンモォォォォォォォォルゲェェェェェェェェェンッ!!」

 

「!」

 

 ユーリィが、ラウラの足を切断するために放り投げた得物を狂気じみた絶叫と共に引き抜こうとする。しかしあの吸血鬼は、切っ先が床から引き抜かれる直前に強引に得物を振り上げ、石畳の破片を散弾のように弾き飛ばして牽制してきた。

 

 そのままトリガーを引けば9mm弾の弾幕をお見舞いできたというのに、ラウラはトリガーを引かずに回避しようとする。横へとジャンプして迫ってくる破片の群れから逃れるが、回避を終えて体勢を立て直しつつあった彼女に、刀身を床に擦り付け、口からよだれを垂らしながらユーリィが急迫してくる。

 

「ギャハハハハハァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 

「お姉様ッ!」

 

 カノンの声と共に響いた銃声。早くも反響を始めた轟音を突き破るかのように飛来した1発の7.62mm弾が、横から彼の剣を掠め、踏み出そうとしていたユーリィのアキレス腱を食い破る。

 

 いくら吸血鬼でも、アキレス腱を強烈なストッピングパワーを誇るライフル弾に貫かれれば動きは止まってしまう。

 

 がくん、とユーリィの動きがぎこちなくなる。先ほどよりも劇的にスピードが低下した彼は、すぐに傷口を自慢の再生能力で再生させ始めるが、彼に攻撃を続行させるものかと言わんばかりに7.62mm弾の連続射撃が始まる。

 

 今度は反対側の足のアキレス腱が吹き飛び、そこも再生を始めたかと思えば今度は鎖骨に2発も被弾する。骨が砕け、肉が千切れる激痛に貫かれて絶叫するユーリィだったが、苦しんでいるようには全く見えない。

 

 むしろ、狂喜しているように見える。自分の血肉を抉られ、相手の血肉を食い破る殺し合いを愉しんでいるのだ。

 

「く、狂っていますわ………!」

 

「カノンちゃん、早く再装填(リロード)を!」

 

 セミオートマチック式のマークスマンライフルは、いくらボルトアクション式のスナイパーライフルよりも多くの弾丸を装填できるマガジンを装着しているとはいえ、連射速度を重視しているのだから連続射撃をすればすぐにマガジンの中は空になる。

 

 母親と同じく中距離射撃を得意とし、幼少期からマークスマンライフルを愛用していた彼女も得物の長所と短所を理解している筈だ。だが、ここで射撃を止めればユーリィは再生を終わらせ、すぐに攻撃を再開する事だろう。ラウラのボルトアクションライフルでは彼を釘付けにすることは出来ないし、ステラの攻撃では叩き潰すことは可能だが燃費が悪すぎる。

 

 そして―――――――マークスマンライフルのマガジンが、空になった。

 

「………ッ!」

 

「ギャハハハハハハハハハッ!! 終わりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 抉られた肩やアキレス腱の肉が、露出していた骨を覆っていく。やがて傷を負った部位が皮膚に覆われ、再びユーリィが立ち上がる。

 

 立派だったスーツは血まみれになり、美しかった金髪には抉られた小さな肉片や鮮血が付着して赤毛のようになっている。血と狂気を愛するユーリィは、最早吸血鬼ではなく怪物のような風貌になっていた。

 

 血まみれのままにやりと嗤(わら)い、ユーリィは剣を振り払う。自分の左腕を千切り取って形成した狂気の剣が通過した奇跡から生まれ出たのは、残像ではなくラウラを切り裂くための真紅の衝撃波であった。

 

「お、お姉様――――――――」

 

「くっ!」

 

 メスのキメラであるラウラは、スピードや視力ではタクヤを大きく上回るが、外殻を生成して硬化する事は苦手な分野である。元々サラマンダーのメスは外殻が退化しているという体質が反映されているため、ラウラはリキヤやタクヤのように瞬時に身体を硬化させる事が出来ないのだ。

 

 カノンはマークスマンライフルの再装填(リロード)中で、ステラは魔術の詠唱中だ。仲間に手助けしてもらえる状況ではない。

 

 父であるリキヤと同じくラウラも賭け事をしない主義だが―――――――回避できそうにない状況で敵の攻撃が迫っているのだから、賭けざるを得ない。

 

 両腕に外殻を生成させるため、体内の血液の比率を変化させる。体内にあるのは人間の血液と、サラマンダーの血液の2種類だ。外殻による硬化などの肉体の変異は、この2種類の血液の比率を変化させることで意図的に行うのである。

 

 ラウラの白い腕に、まるで鮮血のように紅い斑点のようなものが浮かび上がる。その斑点は急速に成長し、厚くなりつつ他の部位へと広がっていく。彼女の操る紅い氷と同色の外殻が形成され始めるが、まだユーリィの衝撃波を防ぎ切れるほどの硬度にまで成長していない。

 

(ま、間に合わない………!)

 

 このままでは、両断されてしまう。

 

 辛うじて硬化が済んだ部位に防御を頼ってみるかと、賭けの中で更に賭けをしようとしたその時であった。

 

 ラウラから見て左から右へと、超高温を纏った蒼い光が駆け抜けて行ったのである。まるで太陽の表面で吹き上がる火柱を蒼くしたような灼熱の激流は、目の前を突き抜けようとしていたちっぽけな真紅の衝撃波を容易く呑み込み、焼き尽くすと、蒼い火の粉をまき散らしながら痩せ細り、反対側の壁を焼き尽くすよりも先に消え去っていった。

 

「え………?」

 

 目の前を駆け抜けて行ったのは、蒼い炎だった。

 

 普通の炎ならば赤い筈だ。どんな魔術師でも、今のように蒼い炎を生み出すことは不可能であるといわれている。しかし、ラウラの家族の中にはその蒼い炎を幼い頃から自由に操る能力を持つ少年がいるのだ。

 

「ラウラ!」

 

「みんな大丈夫!?」

 

「あ………!」

 

 やはり、今の一撃を放ったのは彼だった。

 

 ずっと一緒にいた、ラウラの最愛の弟。

 

 両親たちの訓練を一緒に受け、転生者ハンターとなった姉弟の片割れ。もう1人の転生者ハンターが、助けに来てくれたのである。

 

「――――――タクヤぁっ!!」

 

「助けに来たぜ、お姉ちゃんッ!」

 

 弟が助けに来てくれた。あらゆる能力や武器を生み出せる能力を持つタクヤが、ナタリアと共に合流してくれたのである。

 

 彼の事を考えていたから、助けに来てくれたのかもしれない。ラウラはそう思いながら微笑むと、タクヤとナタリアが合流したことに驚くユーリィへと銃を向けた。

 

 勝機が、これで大きくなった。

 

 

 




※ガリルはイスラエル製のアサルトライフルです。


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姉弟が吸血鬼に反撃するとこうなる

 

 ラウラたちを襲撃していたのは、随分グロテスクで奇抜な得物を手にした血まみれの青年だった。身に着けている豪華なスーツから、彼が貴族や裕福な資本家の息子かもしれないという事は予想できるが、本来ならば備わっている筈の上品さは血とその得物のせいで台無しになっている。

 

 貴族の美女とダンスを楽しんでいそうな青年ではなく、今の彼は狂戦士(バーサーカー)と言うべきだろうか。

 

 右手に持っている剣の刀身は、まるで鮮血を凍らせたかのように紅い。中心にはまるで芯のように白い何かが埋め込まれているが、それは剣の強度を向上させるための芯ではなく、何かの骨だろう。

 

 刀身が最も禍々しいと思いきや、柄の後端には最も異質で気味の悪いものがぶら下っていた。

 

 ――――――真っ白になった、人間の手である。指の配置からおそらく左手だろう。

 

 悪趣味な装飾かと思ったが、骨の芯はその手の中から伸びている。まるで人間の腕を斬りおとし、肉を取り払ってから鮮血を刀身の形状に凍結させ、中心に人間の腕の骨を埋め込んだかのような気色悪い剣であった。

 

 な、なんだあれ!? キモい得物だなぁ………。

 

 ドワーフやハイエルフの職人が作った武器や、魔物の素材を使って製造された武器は何度も見た事があるが、あの武器は何だ? 人間を素材に使ったのか!?

 

「タクヤっ!」

 

「ラウラ、そいつは!?」

 

「気を付けて! こいつ、吸血鬼だよ!」

 

「きゅ、吸血鬼!?」

 

 こいつ、人間じゃなかったのか!?

 

 禍々しい武器と襲撃者の正体に驚愕しつつ、あの森の中で遭遇したフランシスカの事を思い出す。

 

 かつて親父が母さんを連れて逃げていた時に、ジョシュアという男が送り込んだ追手だった彼女は、最早ハーフエルフではなく、弱点で攻撃しない限り死ぬことのない吸血鬼と化していた。母さんの加勢のおかげで辛うじて撃破する事ができたけど、怨念と呪詛を糧としていたとはいえ、キメラ並みの身体能力の高さに手を焼いたのだ。

 

 その怪物と、この青年は同族だと………!?

 

 後衛だけで持ちこたえた仲間たちを労いたいところだったが、それはこの遺跡を脱出してからにしよう。

 

 面倒だな。もし相手が魔物なら、スタングレネードやスモークグレネードで足止めして逃げていたんだが、吸血鬼ならばそうやって逃げるわけにはいかないだろう。ラウラたちは俺とナタリアと合流するためにここで時間を稼ぎつつ待っていたから逃げなかったのかもしれないが、もし仮に彼女たちが吸血鬼から逃げようとしても、逃げることは出来なかっただろう。

 

 まだ戦ったわけではないが、おそらくこの吸血鬼はあのフランシスカよりも遥かに上手だ。狂っているようだが、威圧感と殺気は彼女を超えている。

 

 見せびらかすような威圧感ではない。触れた者を巻き込み、磨り潰してしまう破砕機のように荒々しく、狂気じみた威圧感。闘技場で戦ったエリックたちとは違う。

 

 ならば、ダメージを与えて再生している隙にトラップを仕掛けつつ逃げるのがベストだろう。いくら再生能力を持つ吸血鬼でも、手足を一気に吹き飛ばされるような傷を負えば再生に時間がかかる筈だ。その隙にこの広間を出てトラップを仕掛け、追撃を遅延させつつ逃げ切るしかない。

 

 血で作ったような剣の刀身を舐め回しながらこっちを見てくる吸血鬼にどん引きしつつ、63式自動歩槍の銃口を向けつつラウラの隣へと向かう。ナタリアは挟撃するぞと目配せし、不意打ちの準備をさせておく。

 

「ラウラ、さっき天秤の情報を入手した」

 

「え?」

 

 小声でラウラに報告しつつ、後ろにある通路をちらりと見る。それだけでラウラは、俺がこいつを倒そうとしているのではく逃げ切ろうとしているという事を理解したらしく、同じようにちらりと通路を見てから頷いた。

 

「逃げ切るぞ。狙う場所は分かってるな?」

 

「うんっ」

 

 いくら身体能力が高い吸血鬼でも、足を切断されたり吹き飛ばされればすぐに追撃することは出来ない筈だ。仮に這ってきたとしても、そのスピードはたかが知れている。

 

 侮るのは厳禁だが、更にトラップで追撃を遅延させられる見込みもあるのだから問題はないだろう。

 

 計画を立てつつ、あの吸血鬼と戦っていた仲間たちの様子を確認する。ラウラはよく見るとトマホークを2本とも持っていない。石畳の上に散らばっている黒い残骸を見た俺は、戦闘中に破壊されてしまったのだという事をすぐに理解した。

 

 ドワーフの鍛冶職人が作る武器はかなり頑丈だといわれているんだが、それがへし折られるという事は、あの剣の切れ味と剣戟の威力が尋常ではないということだろう。キメラの外殻でも、受け止めるのはリスクが高いかもしれない。

 

 ラウラは近距離用の武器を失っただけだ。カノンは頬に掠り傷があり、身に着けているドレスのような私服が血で汚れているだけである。おそらくあの血は自分の血ではなく、吸血鬼の血だろう。致命傷は負っていないようだ。

 

 最も最後尾で援護を続けていたステラは無傷である。彼女の援護は強力だが、魔力はあとどれくらい残っているのだろうか。戦闘中に魔力を使い果たさないように気を付けてもらいたいものだ。

 

 俺とナタリアは無傷だが、俺は壁を登る際に魔力を2割くらい消費している。戦闘に支障はないが、自分で魔力を生成できるとはいえ無駄遣いは好ましくない。

 

「おー。獲物が増えたッ! いいね、これで切り刻める!! ヒヒヒヒィィィィィィィィィィッ!」

 

 やかましい敵だな………。

 

「ラウラ、行くぞ」

 

「うんっ!」

 

「カノンとステラは援護を頼む!」

 

「了解ですわ!」

 

了解です(ダー)

 

 そして、俺とラウラが突撃して敵にダメージを与える。ナタリアはその隙に回り込み、不意打ちするという作戦だ。もし失敗したら、ナタリアと挟撃する予定になっている。

 

「ハッハッハッハッハァッ!! 獲物が増えたッ! 血も増えたッ!! 素晴らしいッ!! ヒヒヒヒィィィィィィィィィィッ!!」

 

 吸血鬼の青年は狂喜すると、舐め回していた得物を地面に突き立て、そのまま切っ先で石畳を切断しつつ突進してくる。普通の剣ならばとっくに折れているだろうが、やはりあの剣の切れ味と強度は尋常ではないらしい。

 

 あれで斬られるわけにはいかない!

 

「くたばれぇッ!!」

 

 普通の銃弾ではくたばらないだろうと、自分の雄叫びと真逆の事を考えながら、小手調べと言わんばかりにトリガーを引く。中国製のこの63式自動歩槍は大口径の7.62mm弾を使用するため、破壊力とストッピングパワーは優秀である。普通の人間がこのフルオート射撃を喰らえば、瞬く間に木端微塵にされてしまう事だろう。

 

 しかし銃という武器である以上、あまりにも獰猛すぎる破壊力には極めて大きな反動という対価がある。案の定、この63式自動歩槍の反動も5.56mm弾や6.8mm弾を使用するアサルトライフルよりも遥かに大きく、俺は必死にハンドガードを鷲掴みにしたまま射撃を続けた。

 

 再生能力を持たない敵ならば、回避するか得物で弾く筈だ。しかし、再生能力を持つ吸血鬼は銃弾を避けない。63式自動歩槍が生み出した7.62mm弾の乱流の中へと飛び込み、被弾しながら突っ込んで来る!

 

 肩に風穴が開き、頬に喰らい付いた弾丸が肉を抉って血まみれになった歯を露出させる。より禍々しい笑顔になった吸血鬼は、被弾した場所から血肉を噴き上げながら剣を振り上げた。

 

 しかし、親父や母さんの剣戟に比べると大振りだ。空になったマガジンを取り外し、投げつけて牽制しつつラウラと共に横へとジャンプする。

 

 めき、と石畳が絶叫した。まるで叩き割られた氷のように破片をまき散らして砕け散る石畳の床。不可視の爆風が生じるほどの一撃を振り下ろした吸血鬼の肉体は、この時点でボロボロになっていた。

 

「ステラッ!」

 

「はい」

 

 最後尾でグレネードランチャー付きのRPK-12を構えていたステラの小さな手が、銃身の下に取り付けられている砲身へと伸びた。LMG(ライトマシンガン)の銃身の下にぶら下がっているのは、砲身と固定用の金具を組み合わせたようなシンプルな形状の、ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドである。

 

 あいつは剣を振り下ろした直後だから回避できないだろう。剣を手放してすぐに飛び退ったとしても、爆風で傷を負う筈だ。

 

「発射(アゴーニ)」

 

 感情豊かになりつつあるステラだが、戦闘中の声には全く感情はこもらない。敵に情けをかけるつもりはないだけなのか、それとも戦闘中はそちらの方がやり易いからなのだろうか。

 

 冷淡で無表情な声と裏腹に、その声の直後に放たれた一撃はあまりにも熱く、荒々しい爆風を吸血鬼へと叩き付けた。装甲車の装甲を抉るほどの威力を持つグレネード弾でも、弱点を使わない限り吸血鬼を殺すことは出来ないが、人間と防御力が変わらない吸血鬼を飲み込んだグレネード弾の爆風は、その烈火の中で吸血鬼の青年を嬲り殺しにした。

 

 荒れ狂う破片の群れが肉体を貫き、炎が彼を焼き尽くす。貫かれる激痛と、焼かれる激痛。2つの激痛が吸血鬼の肉体と精神を押し潰す。

 

 仕留められないだろうと理解していたが、やはりあの吸血鬼はまだ死んでいない。木端微塵になった手足が紫色の光を発しながら消滅していき、辛うじて消し飛ばなかった胴体から千切れ飛んだ手足が生えていく。

 

 伸びていく筋肉繊維の束を見下ろして顔をしかめながら、俺は63式自動歩槍を背中に背負った。銃弾よりも、肉体を抉ったり斬りおとす事が出来る得物の方が再生に時間をかけさせる事が出来る。爆発物で攻撃するのはステラとカノンに任せ、俺は得意な接近戦を仕掛けさせてもらうとしよう。

 

 大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを鞘から引き抜き、フィンガーガードのついたグリップを握る。漆黒の刀身と木製のグリップを持つ2本の大型ナイフはまるで古めかしい拳銃を思わせるが、こいつが放つのは弾丸ではなく、剣戟と高圧ガスだ。

 

 あらゆるナイフの中で最も獰猛な殺傷力を持つ得物を引き抜き、ソードブレイカーの方を逆手持ちにする。俺の親父は我流の剣術で二刀流を得意としていたが、親父も左手の得物は逆手持ちにしていた。俺の戦い方は、おそらく親父に似ているのだろう。

 

「行くぜ、ラウラ!」

 

「了解っ!」

 

 手にしていたキャリコM950をホルスターに戻したラウラが、にやりと笑いながら頷いた。

 

 彼女が最も得意とするのは遠距離からの狙撃であり、幼少期からラウラは剣術を苦手としていた。だが、彼女が苦手としていた剣術はラトーニウス式のような剣術であり、変則的な戦い方ができるのならば、彼女は接近戦でも凄まじい戦闘力を発揮する。

 

 変則的で自由な戦いで、ラウラは更に獰猛になる。彼女の持つ獰猛さは、親父から遺伝したに違いない。甘えてくるところはエリスさんから遺伝したんだろうな。

 

 爆風の残滓の中から吸血鬼が立ち上がる。奴は地面に刺さっている自分の剣を引き抜こうとするけど、俺と同時に駆け出したラウラが右足のサバイバルナイフを展開しつつ蹴り上げ、得物に伸ばしていた吸血鬼の右腕を斬りおとす!

 

「ガァ!? ギャッハッハッハッハッ!!」

 

「私たちの絆は、とっても固いんだよ!」

 

「小さい頃からずっと一緒だからな! 滅茶苦茶固いぜッ!」

 

 ラウラに右腕を斬りおとされ、よろけながら後ろに下がる吸血鬼を俺が追撃する。思い切り身体を右側に倒し、下から右手のナイフを振り上げる。石畳と擦れて火花を散らしたナイフの刀身が急上昇し、そのまま青年の脇腹に喰らい付いた。

 

「朝起きた時のタクヤの○○○みたいに固いんだからねっ!」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 戦闘中に何言ってんのッ!?

 

「ら、ラウラぁ!?」

 

 絶叫しながらナイフを突き刺し、グリップにあるガスを噴出するためのスイッチを押す。ついでに左手のソードブレイカーと尻尾も突き刺し、まだ右腕を再生している最中の青年の体内に、同時に魔力と高圧ガスを流し込んだ。

 

 3本のワスプナイフで串刺しにされているようなものだ。青年の身体が少しだけ膨張したかと思うと、高圧ガスと魔力を注入された上半身が一瞬だけ更に膨れ上がり、血肉を噴き上げながら弾け飛ぶ。

 

「戦闘中に何言ってんだよ!? 恥ずかしいだろうがぁッ!?」

 

「ふにゃあぁっ!? ご、ごめんなさいっ!」

 

 キメラの外殻で例えてくれよ。俺の息子は関係ないだろうが………。

 

 返り血を浴びたまま咎めた俺がかなり怖かったのか、涙目になりながらぶるぶると震え始めるラウラ。ここから脱出したら、ちゃんとラウラを慰めてあげよう。

 

「おい、フード野郎ッ!」

 

「あ?」

 

 フード野郎? フードをかぶっているのは俺だけだから、俺の事か。

 

 もう上半身の再生を終えたのかと吸血鬼の再生能力に驚愕しながら、俺は青年を睨みつけた。まだ完全に再生は終わっていないらしく、頬や額の一部の皮膚は裂けたままだったが、もう身体の輪郭は人の形状に戻っているようだった。

 

「てめえ、男だったのかよ!?」

 

「男だよ! ちゃんと息子搭載してんだぞ、クソ野郎がッ!!」

 

 こいつも俺を女だと思ってたのか!

 

 顔つきのせいなのか、髪を切ってもボーイッシュな女子と間違われるからなぁ………。訓練のおかげで筋肉はついたはずなのに、服を着ると細身になったように見えてしまうし。もしかしたら俺は男らしくなる事が出来ないんじゃないだろうか。

 

 また女に間違えられた憤りと不安を感じながら、俺はナイフのグリップの中から空になったガスのカートリッジを排出した。短いチューブのようなカートリッジが排出され、石畳の上に落下する。

 

 新しいカートリッジを装着しようとしたが、吸血鬼の青年は俺が女じゃなかったことに激怒したのか、「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」と絶叫しながら突っ込んでくる。

 

 しかし――――――禍々しい剣を手にしていた右手の手首にいきなり風穴が開いたせいで、その剣を振り下ろすことは出来なくなった。

 

 俺たちよりもやや後ろに立っていた、カノンの正確な射撃である。

 

「美少女同士も悪くありませんが………お姉様には、お兄様が一番似合いますわ」

 

「こ、このガキ―――――――」

 

 風穴を開けられ、剣を一時的に振るえなくなった吸血鬼。早くも傷を再生させ始めるが、そこで吸血鬼の背後に回り込んでいたナタリアが奇襲を仕掛ける。

 

「!」

 

「――――――遅いわよ」

 

 フィオナちゃんに作ってもらった猛毒のカートリッジ付きのククリナイフを構えながら突進し、彼女の奇襲を防ごうと振り向きかけていた青年の脇腹にククリナイフを突き刺す。既に刀身にいくつも開けられた小さな穴から溢れた猛毒が刀身を覆っていたため、あのナイフが敵に傷をつけるだけで、その猛毒は敵の体内へと入り込む。

 

 その一撃が命中すれば標的は弱っていくのだが――――――ナタリアは容赦せずに、素早くククリナイフをしまってからサイガ12を取り出すと、彼女を殴りつけるために振り払われた青年の裏拳をひらりと躱してから、至近距離で脇腹に散弾を叩き込んだ。

 

 肋骨もろとも内臓を抉る12ゲージの散弾。続けざまに2発放ち、吸血鬼の脇腹に大穴を開けてから飛び退る。

 

「早く決めなさい、この変態ッ!」

 

「おうッ! ――――――ラウラ!」

 

「行くよ、タクヤ!」

 

 現時点の装備では、どんなに攻撃してもこいつを殺すことは出来ない。

 

 だからこの連携で、ズタズタにしてやる!

 

「ガキ共がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 吸血鬼はプライドが高い種族だといわれている。だから俺たちに何度も攻撃され、再生する羽目になったこいつは怒り狂っているんだろう。

 

 先ほどまでは恐ろしいと思っていたが―――――――ブチギレすると、全く恐ろしくない。

 

 振り下ろしてきた鮮血の剣に向かって、大型ソードブレイカーを振り上げる。俺の得物は相手の得物よりもかなり短いナイフに過ぎない。だが、この大型ソードブレイカーは元々攻撃するために要した得物ではなく、防御用に用意した得物である。

 

 ガギン、と禍々しい刀身と激突するソードブレイカー。深いセレーションのついた刀身を押し上げて、吸血鬼の剣戟を受け止める。

 

「防御ありがと!」

 

「攻撃は頼むぜ!」

 

 相手の得物は剣のみ。それ以外の得物は所持していないから、俺の得物を押し返すために力んでいる今はがら空きなのだ。

 

 俺の持っている得物はソードブレイカーとナイフの2本。そして傍らには、両足にサバイバルナイフを装備している心強いお姉ちゃんもいる!

 

 左足の脹脛に装着しているカバーの中からナイフの刀身を展開したラウラが、まるで蹴りを放つように左足を振り上げ、展開している漆黒のナイフで吸血鬼の脇腹を斬りつけた。更に足を引き戻しつつ峰の部分のセレーションで傷口を抉りつつ、蹴り飛ばす。

 

「グアァッ!? ――――――畜生ッ!!」

 

 傷口を塞ぎつつ、今度は剣を薙ぎ払う吸血鬼。俺は防御を終えたばかりだから、今すぐこの攻撃を受け止めるのは不可能だろう。

 

 でも、幼少期から常に一緒にいるおかげで、片割れが何を考えているのか理解できるようになったパートナーも一緒にいるのである。

 

 鮮血の剣戟が、俺の首を横から切断するよりも前に漆黒の刀身に激突する。その刀身は俺のナイフの刀身ではなく――――――ラウラが右足に装備した、サバイバルナイフの刀身であった。

 

「今度はお姉ちゃんが守るね!」

 

「助かったぜ!」

 

 彼女が剣戟を防いでくれたおかげで、俺は両手の得物で吸血鬼を攻撃できるようになった。変則的な得物である両足のナイフで防御してくれたお姉ちゃんにお礼を言った俺は、右手のナイフを突き出して青年の胸元に突き立て、一旦ナイフから手を離しつつ反時計回りに回転して、左手のソードブレイカーで胸元を右から左に抉りつつ突き刺していた得物を引き抜いた。

 

 瞬く間に胸元がズタズタになる吸血鬼。しかし、やはり傷口は再生能力によって塞がってしまう。

 

 だが、こいつを倒す必要はない。追撃を遅延させ、逃げ切ればいいのだ。

 

「ラウラ!」

 

「うん!」

 

 幼少期の訓練や、冒険者になる前の実戦は常にラウラと一緒に乗り越えてきた。

 

 だからこの冒険も、ラウラや仲間たちと一緒に乗り越えて見せる!

 

 必ず、天秤を手に入れる!

 

 先ほどナタリアに攻撃された際にククリナイフに塗られていた猛毒が効き始めたのか、吸血鬼がナイフで刺された箇所を抑えながら苦しみ始めた。毒は吸血鬼の弱点ではないが、どうやら吸血鬼も人間たちと同じく痛覚を持っているらしい。

 

 物理的な激痛ではなく、毒が生み出す変則的な激痛。青年が苦しんでいる間に、俺とラウラはもうナイフで彼を八つ裂きにする準備を終えていた。

 

「!」

 

「「УРааааааааа(ウラァァァァァァァァァ)!!」」

 

 大慌てで鮮血の剣の柄を握るが――――――もう防げるわけがないだろう。猛毒の激痛のせいで動きにくくなっている上に、俺たちはもうナイフを振り下ろしていたのだから。

 

 吸血鬼の青年に、俺のナイフとラウラのナイフが同時に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 リキヤさんが嘆くとこうなる

 

リキヤ(この第二部って、前作の頃より下ネタ増えたよなぁ………)

 

 完

 



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遺跡から脱出するとこうなる

 

 斬撃を何度も叩き込まれた筈の敵が再生する姿を目にしてうんざりしながら、ナイフを鞘の中へと戻す。俺とラウラに散々切り刻まれ、とっくに八つ裂きにされている筈の吸血鬼の青年の身体から傷が消滅していき、流れ出ていた鮮血が再生した肉と皮膚に遮られてぴたりと止まる。

 

 弱点を使わない限り、吸血鬼は殺せない。

 

 親父たちもこの再生能力と身体能力の高さのせいで苦戦したらしいし、こいつらの総大将だったレリエル・クロフォードとの戦いでは、モリガンの傭兵が全員で挑んだにもかかわらず、全員殺されかけた上に引き分けだったという。

 

 下っ端と思われる吸血鬼でも手強いのだから、総大将ともし俺たちが戦う羽目になったら殺されてしまう事だろう。

 

 吸血鬼の力にぞっとしながらも、青年が再生を終えるにはまだ時間がかかりそうだと判断した俺は、メニュー画面を開きながら踵を返し、左手でラウラの手を引いて走り出した。

 

 こいつは殺せないし、目的である天秤の情報は手に入れたから脱出するだけだという事は、もう仲間たちも理解している。踵を返して俺が走り出すと、同じように武器を背負ってから後ろの通路へと向かって走り出す。

 

「よし、逃げるぞ!」

 

「待ってください」

 

「ん?」

 

 一足先に通路へと駆け込んだナタリアとカノンだったが、仲間たちの最後尾にいたおかげで通路に一番近いところにいたステラは、全く逃げようとしていなかった。

 

 まだ攻撃するつもりなのか? ダメージはかなり与えたし、再生に時間がかかりそうだから逃げるチャンスは今だぞ?

 

 すると、彼女は目を瞑りながら右手を天井へと向けて伸ばした。

 

 握れば包み込んでしまえるほど細く、華奢なステラの腕。こんなに小さな腕で大口径のガトリング砲を扱えるのは信じられないが、彼女は人間やキメラの身体能力を凌駕するサキュバスの生き残りなのだ。

 

 小さな手に鮮血のような紅い光が集まっていき、重々しい金属製の腕輪を形成する。その腕輪から伸びるのは、まるで凍結させた鮮血で作ったような真紅の鎖だ。

 

 その鎖の終着点に鎮座するのは―――――――毬栗のように全体からランスのようなスパイクが突き出た、直径2mの鉄球である。

 

 鉄球から生えるスパイクの1つ1つはドリルのようになっていて、それを稼働させるための魔力を供給するためなのか、根元の方には細いケーブルが見受けられる。鉄球の表面には細い配管やリベットがあり、どういうわけか圧力計のようなものまで取り付けられている。

 

 サキュバスが大昔に造った武器にしては、機械的な外見の恐ろしい鉄球であった。

 

「グラシャラボラス」

 

「おいおい………」

 

 一度振り下ろすだけで莫大な魔力を消費する、非常に燃費の悪いステラの武器。幼い少女が振るうにはあまりにも重々し過ぎる無骨なそれを、ステラは表情を全く変えずに振り下ろす。

 

 鎖が引き下ろされ、浮遊していた鉄球がスパイクで天井を削りつつ落下を始める。その鉄球があと2秒後に粉砕するであろう床の上にいるのは、まだ身体を再生させている途中の、哀れな吸血鬼の青年だった。

 

「ゲェッ!?」

 

「うわ………」

 

「ダメ押しです」

 

 あまりにも強烈過ぎるダメ押しだな………。

 

 ちなみに、あのグラシャラボラスはステラのために生産した30mmガトリング機関砲よりも重いらしい。しかもステラは、それを片手で振り回すのである。

 

 グラシャラボラスの実体化を解除し、ステラは鉄球に押し潰されて肉片となった吸血鬼に向かってにやりと笑う。ヤンデレのお姉ちゃんも恐ろしいが、ステラの容赦がない上に腹黒いところも恐ろしい。

 

「あ………お腹が空いてきました………」

 

「よし、ここから脱出したらお腹いっぱい食べていいからな!」

 

「はい」

 

 また俺とラウラが餌食になるのか………。

 

 苦笑いしながら、ステラの手を引いて通路へと駆け込む。ラウラが唇を尖らせながら手を伸ばしてきたけど、手を繋いで逃げる前にまだアレを準備しておかなければならない。

 

 開いたままになっていたメニュー画面を素早くタッチし、生産済みの装備の中からあるものを装備した俺は、右手の代わりにラウラにそれを差し出した。

 

「ふにゅ? これって………トラバサミ?」

 

「そう。この前の在庫」

 

 サメの牙を思わせる刃がついた恐ろしいトラップを彼女に手渡した俺は、自分の後ろの床に1つ設置すると、素早く数歩前に進んでから更にトラバサミを設置した。

 

 このトラバサミは、フランシスカに襲撃される前に生産したトラップの在庫である。もしかしたらあの戦闘中にフランシスカが引っ掛かってくれるんじゃないかと思ってたんだが、母さんが加勢に来てくれたおかげで結局トラップには何も引っかからなかった。だからあの森に設置したトラップは一度も作動することなく、メニュー画面の中で在庫と化していたんだ。

 

「さあ、皆さん。トラップの在庫を処分しましょう!」

 

「ふにゅ、在庫処分セールだねっ♪」

 

 トラップを生産するのに使うポイントは他の武器と比べると安価だから、1つ使ってしまうとまた生産し直さなければならないとはいえ気軽に使う事が出来るのだ。しかも弾薬のように最初から装填されている分と再装填(リロード)3回分――――――スキルで強化すれば5回分―――――――のように制限されているわけではなく、作った分はストックしておくことができるため、非常に便利なのである。

 

 積極的に攻撃するような場合には無用の長物だが、敵の待ち伏せや時間稼ぎでは大活躍する武器なのだ。

 

 しかも、設置しているのはトラバサミだけではない。クレイモア地雷も在庫が10個ほど残っているから、仕掛け放題だ。

 

 ひっひっひっ。幼少期に親父にいたずらした時の事を思い出すぜ。

 

 クレイモア地雷からワイヤーを伸ばし、ワイヤーの先端にあるスパイクを壁のレンガの間に捻じ込む。肝心な地雷本体は、崩れ落ちたレンガの残骸の中にさりげなく紛れ込ませておこう。どうせ狭い通路なのだから、このワイヤーを誤って引っ張ってしまったら、爆風と無数の鉄球たちにもてなしてもらえるに違いない。

 

「ふにゅ……トラバサミの方が在庫がいっぱいあるんだね」

 

「おう。だからこっちは隠して設置するんじゃなくて、床にびっしり仕掛けなさい」

 

「はーいっ!」

 

「よ、容赦ないわねぇ………」

 

 トラバサミの在庫は40個もあるからな。崩れたレンガとかツタの陰に隠しても良いが、びっしりと仕掛けて足止めした方が良いだろう。基本的にここのダンジョンは一本道なのだからどの道引っかかるしかないし、悠長にトラップをじっくりと仕掛けている時間もない。

 

 トラバサミはラウラに担当してもらう事にしよう。

 

 クレイモア地雷からワイヤーを伸ばし、反対側の壁のツタに引っ掛ける。自分で地雷を起爆しないように気を付けて屈み、ワイヤーの下をすり抜けてからもう1つの地雷を足元へと置いてからワイヤーを壁にセットする。

 

 うまく行けば最初の1つが作動した直後にもう1つも作動する事だろう。

 

「仕掛けたよ、タクヤ!」

 

「よし、逃げよう」

 

 これでかなり足止めできるぞ。

 

 あの狂った吸血鬼が罠に引っかかる姿を想像しながら、俺はにやりと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼は、他の種族と比べると非常にプライドが高い種族であると言われている。具体的な理由は不明だが、吸血鬼という種族の大半がそのような気質を持っているという事なのだろう。

 

 だから、あのように未熟な少女たちが吸血鬼をズタズタにするという事は、彼らの逆鱗に触れることと同じなのだ。

 

 案の定、ユーリィは通路を疾走しながら激昂していた。必ずあの冒険者たちに追いつき、八つ裂きにして惨殺してやると決めた彼の怒りは、他の種族の怒りの比ではない。

 

 寿命が極めて長い吸血鬼からすれば、人間や新しい種族でもあるキメラは公園で遊び回る子供と変わらない。それゆえにその子供たちに後れを取っているという事実は、油のように彼の怒りを覆い尽くし、更に燃え上がらせたのだ。

 

 もし仮にヴィクトルが一緒に行動していて、彼が静止したとしてもユーリィは無視していた事だろう。今の彼を落ち着かせる事が出来るのは、タクヤやラウラたちを惨殺することか、彼らの指導者である『カーミラ』に宥められることだけだろう。

 

(許さねえ………あのガキ共ぉッ!!)

 

 人間やキメラという餓鬼の分際で、吸血鬼である自分を傷つけた事は絶対に許さない。

 

(確か魔王のガキがいるんだよなぁ………。あいつらを捕まえたら、あの赤毛の姉を弟の前で殺してやる!)

 

 しかし、彼の怒りはそのガキたちの最も獰猛な置き土産によって、更に燃え上がることになる。

 

 目の前で姉を殺され、絶望するあのフードをかぶった少年の顔を想像しながら通路を駆け抜けようとしたその時、踏み下ろした右足が何かを踏みつけたような気がした。がこん、となぜか床が少しだけ沈んだような感覚が違和感と共に這い上がってくる。

 

 その違和感は、ユーリィが足を持ち上げる寸前に激痛へと変貌した。いきなり足に何かが掴みかかったかと思うと、その掴みかかった何かが足に食い込んだような感覚がして、下を見下ろす途中に激痛が襲ってきたのだ。

 

「――――――なぁッ!?」

 

 彼の右足に掴みかかっていたのは――――――サメを思わせる金属製の牙の群れであった。

 

 先ほどタクヤやラウラたちが、逃走しながら仕掛けていったトラバサミである。彼らを惨殺する事ばかり考えていたから、ユーリィは彼らが仕掛けていったトラップに気付く事が出来なかったのである。

 

「く、くそ! 調子に乗りやがって………ガァァァァァッ!!」

 

 トラバサミに噛みつかれた右足を強引に引き千切り、片足でジャンプしながら右足を再生させていく。早く追いかけなければあの冒険者たちに逃げ切られてしまう。ここで激痛に屈し、呻きながら再生させるわけにはいかないのだ。

 

 怒りと憎悪の中に、焦りが溶け込む。早く追いついて殺さなければならないという焦りが溶け込み、彼の警戒心と注意力を更に削り取る。

 

 やっと右足が指先の辺りまで再生が終わったその時だった。ひたすらジャンプを続けていたユーリィの身体が、今度は細いワイヤーのようなものに引っかかったのである。

 

「は? ――――――うぎゃあっ!?」

 

 埃や細いツタかと思った直後、いきなりそのワイヤーのようなものが伸びていたと思われる壁のレンガの一部が爆風を吐き出した。その爆風と共に飛び出した小さな鉄球がユーリィの肉体を貫き、外れた鉄球たちは通路の狭い壁に跳弾してから彼の肉体を打ち据えていく。

 

 それも置き土産のうちの1つであった。ワイヤーで作動するように改造されたクレイモア地雷である。ワイヤーを引くと爆発するだけでなく、無数の小型の鉄球を射出する仕組みになっている地雷であるため、仮に爆風に呑み込まれることはなくても、その爆風に押し出された鉄球たちに貫かれてしまう事だろう。

 

 ユーリィは、その爆風と鉄球の群れを同時に肉体に叩き込まれる羽目になった。灼熱の激流に嬲り殺しにされ、全身を鉄球の群れに食い破られる。プライドをズタズタにした餓鬼どもを殺しに行くというのに、断念してしまおうかと思ってしまったユーリィは、折れ曲がり始めた心を必死に押さえこみつつ身体を再生させ、激痛を怒りの中に放り込んで焼き尽くす。

 

「ゆ、許さねえ………あのガキ共ぉッ!!」

 

 身に着けていた豪華なスーツは血と爆薬の臭いで滅茶苦茶になっている。しかし、その血はあの冒険者たちの返り血ではなく、自分の血だ。そしてスーツに付着している爆薬の臭いは、自分が敵に叩き込んだのではなく、あの冒険者たちの置き土産に引っかかったことの証でしかない。

 

 その無様さを自覚する度に、彼は怒りを感じていた。

 

 歯を食いしばりながら再び通路を突っ走るが―――――――またしてもワイヤーが張られていたらしく、壁から噴き上がった火柱と鉄球の群れが彼を包み込んだ。

 

 脇腹に大穴を開けられながらも辛うじて耐え、そのまま走り続けようとしたユーリィの片足がまたしてもワイヤーを切断し、もう一つの火柱を生み出す。爆風に両足を一気に食い千切られ、焦げた石畳の上に顔面を叩き付けてしまう。

 

(く、くそぉ………何なんだ!? 吸血鬼の俺が、あいつらより劣ってるって事なのか!?)

 

 焦げてしまった両腕で起き上がろうとしつつ、目の前の通路を見つめるユーリィ。遺跡の外へと伸びる通路を睨みつけた彼は、自分の目の前の床が牙のように尖った何かによって埋め尽くされていることに気付き、目を見開いた。

 

 ツタに燃え移った炎が、ランタンのように通路を照らし出す。

 

 荒々しく揺れ続ける炎が照らし出したのは――――――――床を覆い尽くし、踏み抜いた獲物の足を食い破ろうとしているかのように待ち構える、無数のトラバサミの群れであった。

 

 

 

 

 

 

 

「逃げ切ったかな………?」

 

 背後からは、まだクレイモア地雷が発する爆音が聞こえてくる。跳弾するような小さな音は、おそらくクレイモア地雷の鉄球が壁に当たっている音なのだろう。

 

 遺跡の外まで何とか脱出した俺たちは、入口の扉の外から遺跡の中の通路を振り返りつつ呟いた。あの吸血鬼は作戦通りに地雷とトラバサミの在庫処分セールに引っかかり、足止めされているらしい。

 

 あとはこのまま遺跡を離れてしまおう。願わくば廃棄物と排煙の悪臭に覆われているあの街に戻りたくないのだが、あそこにも管理局の宿泊施設はあるし、手に入れたこのヒントをステラに解読してもらう時間が必要だ。

 

 メニュー画面を開き、クレイモア地雷を更に2つ生産した俺は、ダメ押しという事で入口の近くにその2つを仕掛けておく。

 

「ま、まだ仕掛けるの!?」

 

「足止めになるだろ。それに、こいつが爆発すればあの吸血鬼が外に出て来たって事だ。運が良ければ爆風で入口が崩れて、あの馬鹿を生き埋めに出来るしな」

 

 手榴弾を放り込まれれば崩落してしまいそうな入口の天井を見上げながら、俺はナタリアに説明した。

 

「合理的ですわね。それに遺跡の中から出れば油断するでしょうし」

 

「とりあえず、早く離れるべきだと思います」

 

「それもそうだね。タクヤ、早く」

 

「おう。ステラ、街に戻ったら解読を頼むぜ」

 

「了解です」

 

 今のうちにポーチの中から例の実験の記録が記された本を取り出し、ステラに渡しておく。ボロボロになっているその本の表紙に書かれているハングルに似た古代文字を眺めたステラは、久しぶりに自分の母語を目にして懐かしいと思ったらしく、埃臭いその本を微笑みながら抱き締めた。

 

 これで、やっと天秤のヒントを手に入れる事ができた。まだ解読してもらったわけではなく、ナタリアと一緒に本の中に記載されているイラストを見た程度だけど、天秤を手に入れるためには3つの鍵を集めなければならないらしい。

 

 もしかしたら、この中にその在処が書かれているかもしれない。それに、ガルちゃんが天秤を探すために旅をしている俺たちを止めようとした理由も、もしかしたらこの中に書かれているかもしれない。

 

 徐々に排煙の臭いが強烈になってくる。その臭いにうんざりしながら、仲間たちと共に街へと向かって全力疾走した。

 



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リキヤVSヴィクトル

 

 かつてヴィクトルは、ラトーニウス騎士団がネイリンゲンに侵攻した際、レリエルたちと共にリキヤと共闘した事があった。

 

 当時のヴィクトルは、見たこともない異世界の武器を手にして仲間と共に戦う17歳の少年を侮っていた。所詮は寿命も短く、制裁能力も持たない人間の1人。いくら異世界の強力な武器を持っていても、最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードを打ち倒すことは不可能だろうと思っていたのである。

 

 しかし、今ではその少年が吸血鬼たちにとって最大の脅威となっている。レリエル・クロフォードとの一騎討ちに勝利し、世界を守り抜いたリキヤ・ハヤカワという魔王を倒さない限り、吸血鬼が再興することはないだろう。

 

 ただでさえ数が少なかった吸血鬼に止めを刺すように、この男はレリエルを殺した。だからリキヤを殺しレリエルの仇を討たなければならない。

 

 投げナイフの短い柄を片手で握りしめながら、ヴィクトルは目の前に無傷で立つスーツ姿の魔王を睨みつけた。防壁の外でこの一騎討ちが始まってからまだ5分程度しか経過していないというのに、ヴィクトルは早くも片腕の骨を折られ、胸骨や肋骨を粉砕されていた。筋肉の下で砕けた骨が再び結びつき合う感触の中で、ヴィクトルは息を呑む。

 

(これが………レリエル様を超えた男か………!)

 

 皮膚の下で芋虫が這いずり回るかのような骨が再生する感触が消えてから、彼は冷や汗を拭い去る。

 

 もちろん、ヴィクトルは戦いが始まってからすぐに全力を出した。あらゆる魔術で攻撃し、自分が最も得意とする得物である投げナイフを何本も放り投げ続けた。もしも相手が普通の人間だったのならば、跡形もなくなってしまうほどの猛烈な総攻撃である。

 

 しかし―――――彼が対峙している男は、全く傷を負っていない。

 

(くっ………!)

 

「どうした? 俺はまだ得物すら出してないぞ?」

 

「黙れッ!」

 

 リキヤはまだ、得物を使っていない。ヴィクトルに何度も致命傷を与えた彼の攻撃は、全て何の変哲もないパンチや蹴りだけだったのである。

 

 その実力差に焦りつつ激昂したヴィクトルは、左手に持っていた投げナイフを力也に向かって投擲した。驚異的な腕力と瞬発力をフル活用して放り投げられたナイフの速度は弾丸と全く変わらなかったのだが、リキヤはそのナイフをあっさりと躱すと、かぶっていたシルクハットを片手で直しながら息を吐いた。

 

「しっかりしろ、吸血鬼。レリエルの眷族だったんだろ?」

 

「貴様………!」

 

 もう1本ナイフを投擲してやろうかと思ったヴィクトルだったが、更に激昂すれば攻撃が単調になってしまうという事に気付き、膨れ上がりかけていた怒気を抑え込んだ。

 

 吸血鬼はプライドが高い種族である。だから侮辱されればすぐに激昂してしまうのだ。リキヤの狙いは、ヴィクトルを更に激昂させて攻撃を単調にしてしまう事だったのだろう。

 

 部下のユーリィならばとっくに激怒し、単調な攻撃を何度も彼に仕掛け、反撃されていたに違いない。反抗的な同族の事を思い出して苦笑いしたヴィクトルは、再生が終わった右腕で懐から投げナイフを取り出す。

 

(ほう………激昂しなかったか)

 

 プライドの高い吸血鬼ならば、もう激昂していた事だろう。しかしリキヤの命を狙っていたこの古参の吸血鬼は、他の吸血鬼よりも冷静沈着だ。自分たちの種族の気質を熟知しているし、感情的になりかけてもそれをすぐに抑え込んでしまう。

 

 彼に心理戦を仕掛けるならば、骨が折れる事だろう。

 

 今では吸血鬼は激減しているが、このヴィクトルのように優秀な吸血鬼はまだまだ生き残っている。その吸血鬼たちを統括しているのは、レリエル・クロフォードの後継者である吸血鬼の女王だ。

 

 彼女と出会ったことは何度もある。それに、レリエルとの一騎討ちの招待状を送ってきたのは、彼女であった。ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントで戦い、ネイリンゲンで共闘したことのあるリキヤは、彼女が暗殺者を送り込んできたのは吸血鬼たちの戦力が増強されつつあるからだろうと見抜いていた。

 

 いくら優秀な古参の吸血鬼とはいえ、単独で暗殺のために送り込むわけがない。もし返り討ちになれば、優秀な吸血鬼を失う事になるからだ。だから数が少ないうちはそんなリスクが大きな戦法を取るわけがない。しかし、そのリスクが大きな作戦を選んできたという事は戦力が増えているという事なのだろう。

 

 レリエルとの戦いの後もリキヤは転生者を狩り続け、レベルを上げ続けていた。それに戦いの経験も積み続けていたため、既に戦闘力は11年前のレリエルを凌駕している事だろう。だが、生き残った彼の眷族たちも同じように強くなっているのは火を見るよりも明らかだ。だから迂闊に吸血鬼を殲滅するわけにはいかないのである。

 

 懐から取り出した小さなナイフを続けざまに投擲するヴィクトル。やはり弾速は弾丸と変わらないほどだったが、リキヤは同じように容易く回避する。

 

 彼もキメラであるため、サラマンダーの外殻を形成して硬化する事ができる。それに義足を移植した影響で変異してキメラになったせいなのか、彼の左腕だけは常に硬化され、外殻に覆われた状態のままなのだ。

 

 元々は人間だったのだから、リキヤはタクヤやラウラのように純粋なキメラではないのである。

 

(不完全なキメラってところか………。キメラの始祖が不完全とはな……)

 

 自嘲しつつ、次々に飛来するナイフを回避し続けるリキヤ。外殻を使って防御することは出来るが、彼が回避し続けているのはヴィクトルの攻撃を防御するまでもないと侮っているわけではなく、迂闊に防御するわけにはいかないという警戒心が原因であった。

 

 吸血鬼は闇属性の攻撃を得意としている。闇属性の魔術は人間でも使う事ができるが、より強力な闇属性の魔力を持つ吸血鬼の攻撃は桁が違う。それに、濃度の高い汚染された闇属性は他の属性の魔力を阻害してしまうため、もしそのような攻撃を受けて傷を負った場合、ヒールやエリクサーでは傷を治療できない可能性があるのだ。

 

 実際に、大切な友人がそれで命を落としているのである。

 

 だからこそリキヤは攻撃を受け止めず、ひたすら回避していたのだ。

 

 汚染された魔力のせいで治療する事が出来ず、家族の元に帰る事ができなかった友人の顔を思い出した彼は、歯を食いしばりながらナイフを回避し、地面に突き立てていた愛用の杖へと手を伸ばす。

 

 かつてモリガンの仲間たちと共にこの王国の女王を救出する依頼を成功させた際、国王から報酬として受け取った杖である。強力なドラゴンであるサラマンダーの外殻や角を使った杖であり、柄の内部には鋭い刀身が仕込まれている仕込み杖なのだ。

 

 その杖を、リキヤはフィオナに依頼して改造してもらっていた。

 

 ナイフを回避しつつ柄を捻る。がちん、と柄がずれる音が聞こえると同時に杖を引っ張り、サラマンダーの頭を模した装飾がついている上部と長い柄の下部の2つに分離させる。

 

 その分離された2つの中からスライドして姿を現したのは、短い刀身と長い刀身であった。装飾がついている上部から出現したのがダガーほどの長さの刀身で、柄の下部から出現したのがロングソードほどの長さの刀身である。

 

 どちらもサラマンダーの角を素材に使った刀身であり、先端部は溶鉱炉の中で融解していく金属のように真っ赤になっている。根元の方は漆黒になっているが、刀身の中心部に埋め込まれた白い部分が、赤と黒のグラデーションの中で異彩を放っていた。

 

 サラマンダーの角は金属のように見えるが、その白い部分には全く光沢がない。まるでそこにだけ魔物や動物の骨を埋め込んでいるかのようだ。

 

「やっと得物を使うのか?」

 

「長期戦はあまり好きじゃないんだよ。………だから、そろそろ終わらせる」

 

 杖の中から出現したロングソードとダガーを構え、今度はリキヤがヴィクトルに向かって攻撃を開始する。先ほどまではヴィクトルの攻撃を受け流し、接近戦を仕掛けてきた彼をカウンターで返り討ちにする戦法を使っていたのだが、いつまでもそんな戦法を使っているわけにはいかない。相手は弱点で攻撃しない限り死ぬことのない吸血鬼なのだから。

 

 ナイフを躱し、ダガーで弾きながらヴィクトルに急迫する。キメラとはいえ元々人間だったリキヤの身体能力は、レベルアップの恩恵で劇的に向上している。

 

 予想以上のスピードで接近されたヴィクトルは、更にもう1本ナイフを投擲しようとしていたのを中断し、慌てて後ろに下がりながらそのナイフを振り下ろす。しかし、慌てながら振り下ろした攻撃が、急迫してきた者の攻撃に勝るわけがない。

 

 バキン、と漆黒の破片が舞い散る。月の光の中で黒光りする破片の中を突き抜けていくのは、リキヤが右手に持っているソングソードだ。

 

 攻撃を防ぐための得物を粉砕されたヴィクトルだったが、吸血鬼には再生能力がある。リキヤが持つ得物は強力なドラゴンの素材を使った業物なのかもしれないが、見たところ弱点の銀を使っている様子はない。それに、ヴィクトルは主人であるカーミラから度々血を与えられているため、銀だけで攻撃されてもすぐに再生する事が出来るのだ。

 

 だからこの攻撃を喰らっても、再生してから反撃すればいいだろうと思い込んでいた。

 

 得物をダガーで粉砕されたヴィクトルの右腕に、振り上げられたロングソードの刀身がめり込む。皮膚が切断され、侵入してきた漆黒の刀身が筋肉と骨を断ち切っていく。再生能力を持つために何度も経験してきた激痛である。

 

「ぐっ………!」

 

 肘の裏に叩き込まれた刀身が、ヴィクトルの右腕を切断した。鮮血が月光の中に飛び散り、斬りおとされた右腕が草原の上に落下する。砕けた投げナイフの柄をまだ握っていた彼の右腕は、月明かりの中でまだ痙攣を続けていた。

 

 左手でナイフを投擲しつつ更に後ろに下がるヴィクトル。リキヤは再生が終わる前に続けて剣戟をお見舞いするべく接近してくるが、いくら再生能力を持つとはいえ何度も斬り刻まれれば激痛で発狂してしまう。ナイフを投擲してリキヤの接近を阻害しつつ、ヴィクトルは右腕を再生させ始める。

 

 弱点で攻撃されたわけではなかったらしく、再生速度はいつも通りであった。あっという間に筋肉繊維が伸び、その中で骨が生えていき、その2つを皮膚が覆っていく。

 

「………?」

 

 しかし、違和感が残っていた。

 

 再生はいつも通りだったのだが――――――腕を切断された瞬間の激痛が、消えないのである。

 

(なんだ………!?)

 

 普段ならば再生が終わると同時にその痛みも消滅する。しかし、今しがたリキヤに切断された右腕の激痛は、もう指先まで再生が終わっているというのに全く消えないのである。

 

 痛みが薄れる様子もない。まるで激痛を感じた瞬間が延々と続いているかのように、再生が終わったにもかかわらず痛みが消えないのだ。

 

「なんだ、これは………ッ!?」

 

 再生能力に異常が発生したのだろうか?

 

「貴様、これは何だ!?」

 

「―――――これだよ」

 

 無表情で、リキヤは漆黒と紅蓮のグラデーションの中で異彩を放つ刀身の白い部分をダガーで突いた。

 

 サラマンダーの素材で作られているというのに、白いのである。サラマンダーの外殻は赤黒く、体内の骨も黒い。だから白い部位分などありえないのだ。

 

「それは………骨か………!?」

 

「ああ。俺の失った左足の骨だよ」

 

「なっ………!?」

 

 21年前のネイリンゲンの戦いで、リキヤ・ハヤカワは左足を失っている。それが原因で彼はサラマンダーの義足を移植し、キメラの始祖となったのだ。

 

 刀身に埋め込まれている白い骨のような部分は、その際に失った左足の骨だという。

 

「草原に放置されてた腐りかけの片足から骨を回収したんだよ。その後、フィオナにそれを武器に組み込んでもらったってわけさ」

 

「ば、バカな………! それは―――――禁術だろうがッ!!」

 

 得物の正体を教えられたヴィクトルは、あまりにも禍々し過ぎる彼の得物を目を見開きながら見据えた。

 

 魔術とは、基本的に魔力を用いて使用するものである。魔力を別の属性へと変換し、それを更に魔法陣で変換することによって複雑な攻撃を実現しているのだ。だが、中にはそういった魔術から逸脱した危険な術もあるのである。

 

 それが、『禁術』と呼ばれる魔術である。呪いなどもこの禁術に分類される禍々しい術なのだが、リキヤが自分の足の骨を武器に組み込んでいるのは、その中でも強力で痛々しい術を発動するためであった。

 

「貴様―――――――幻肢痛の呪い(ファントム・ペイン)のために骨を………!」

 

「その通り。………こいつで斬られると、傷口の治療は出来るが斬られた際の痛みだけは残る。どんなにヒールを使っても消えることはない。俺を殺すか、俺が意図的に解除しない限りこの痛みは続く」

 

 例えば、指を斬り落とされれば斬られた際の痛みが延々と続くのだ。それを解除するには、リキヤを殺すか、リキヤが呪いを解除するしかない。

 

 だからその杖で敵を斬りつけ、呪いを発動させたまま逃げ回るだけで相手を発狂させる事も可能なのだ。

 

 自分の身体の一部を武器に組み込むと、この禍々しい呪術が使えるようになるのである。吸血鬼のように再生能力を持たない人間が、自らの身体の一部を失う代わりに手に入れた強力なこの禁術は、この術を研究するために自分の身体を切断する魔術師が後を絶たなかったことと、術自体が恐ろし過ぎることから、教会は禁術に指定し、研究や使用することを禁止している。

 

「そ、そんなものを使っていれば、教会に異端者扱いされる………! 教会に消されるぞ!?」

 

「ああ、そうだな。教会の騎士は手強い」

 

 教会からの命令を無視し、この研究を続けたことによって、教会の騎士たちに消されていった魔術師たちは何人もいるのだ。

 

 しかし、彼にとってそれは弱みになることはない。

 

「だが――――――俺の同志がいるのは、社内だけじゃないんだぜ?」

 

「………!」

 

 彼の『同志』がいるのは、モリガン・カンパニーの内部だけではないのだ。彼の味方は今では世界中にいる。リキヤの同志は、殆ど労働者なのだから。

 

 貴族が持つ強力な権力も、その命令を実行する者がいなければ機能しない。それゆえに、貴族は物理的な攻撃に脆い。そしてその命令に従う者は大概労働者や奴隷ばかりである。

 

 リキヤは、その大勢の実際に行動する者たちを何人も味方につけているのである。その中には騎士団に所属する者もいるし、教会に所属する者もいるのだ。

 

 この国中に、リキヤの同志が存在するといっても過言ではない。

 

(こいつ………教会に自分の工作員を潜伏させることによって、禁術を隠匿していやがるのか………!)

 

 だから、禁術を使っても問題ない。口外しても教会にいる工作員がそれをもみ消すし、その口外しようとしている者を消せばいいのだから。

 

「だが、お前を殺すつもりはない」

 

「何だと?」

 

「今夜は妻たちと演劇を楽しむ予定だったんだよ。………暗殺者を血祭りにあげるための夜ではない。それに、俺はお前の弱点を持ち合わせていないのでね。殺す手段がないのだ」

 

 転生者の端末で銀の弾丸を生産すれば、ヴィクトルを容易く殺してしまうだろう。彼のナイフを避けながら端末を操作するのは可能な筈だ。

 

 リキヤは、ヴィクトルを見逃そうとしているのである。

 

 ヴィクトルも、リキヤが彼を見逃そうとしていることをすぐに見抜いた。

 

 このまま戦闘を続ければ、リキヤならばあの剣でヴィクトルを何度も斬りつける事ができるだろう。しかもあの仕込み杖で斬られれば、傷口は治療できても痛みを消すことは出来ない。何度も斬りつけられていれば、発狂するのも時間の問題である。

 

「………だから、今回は止めよう。それでいいだろう?」

 

 肩をすくめながら刀身を収納し、元の杖に戻すリキヤ。それで呪いが解除されたのか、右腕の痛みが突然消滅する。

 

「―――――――覚えていろ、魔王」

 

 元々暗殺するためにやってきたのだ。正面から戦う羽目になった時点で、勝ち目はなかった。それでも暗殺を断念せず、正面から戦った自分が愚かだったと悟ったヴィクトルは、かつての主君の仇を睨みつけてから、身体を無数の蝙蝠(こうもり)に変化させて、夜空へと舞い上がっていった。

 

 彼の禍々しい闇属性の魔力も遠ざかっていく。逃げたように見せかけたのではなく、本当に逃げてくれたのだろう。

 

「やれやれ………」

 

 早く戻らなければ、演劇が終わってしまう。早く観客席に残してきてしまった妻たちの元へと戻らなければならない。

 

 肩を回しながらため息をついたリキヤは、後ろに鎮座する巨大な防壁へと向かって走り出した。

 

(暗殺者を送り込んでくるとは………。戦争を始めるつもりか? アリア………)

 

 おそらく、吸血鬼たちもメサイアの天秤を狙っていることだろう。彼らが天秤で叶えようとしている願いは九分九厘レリエル・クロフォードの復活に違いない。

 

 それに、タクヤたちも天秤を狙っている。彼らの願いは不明だが―――――――もし子供たちと戦う羽目になっても、絶対に天秤を手に入れなければならない。

 

 彼の願いは、タクヤやラウラのためにも絶対に叶えなければならないのだ。

 

 

 

 

 おまけ

 

 歳のせい?

 

ラウラ「そういえば、パパってテンション下がったよね」

 

タクヤ「歳のせいだろ」

 

リキヤ「あぁ!?」

 

 完

 



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魔法の天秤と3つの鍵

 

「ぷはっ………。ごちそうさまでした、タクヤ」

 

「お、おう………………」

 

 口の周りについた唾液を拭ったステラは、いつも食事を終えた時のようにうっとりしながらお腹をさすり始める。俺たちと同じ食べ物を食べた後ではなく、彼女にとって本当の食事を終えた後の彼女の癖だ。

 

 魔力を主食とするサキュバスは、人間たちと同じ食べ物を口にすることは出来るんだが、どれだけ食べても満腹感は感じることがないらしい。しかも栄養も接種することができないため、普通の料理を口にするのは彼女たちにとって食事ではなく、料理の味を楽しむ娯楽の1つでしかない。

 

 上にのしかかりながらお腹をさすっていたステラは、ぺろりと俺の頬を小さな舌で舐め回すと、まるでいつもラウラが甘えてくる時のように両手を絡み付かせてしがみついてきた。

 

 ステラも甘い匂いがするけど、ラウラとは違う匂いだ。ラウラは花と石鹸が混じったような匂いがするんだけど、ステラは純粋に花の匂いがする。まるで花畑で横になって昼寝をしている気分だ。

 

「もうお腹いっぱいかな?」

 

 魔力を消耗し過ぎると、全身に全く力が入らなくなる。疲労感と全く同じだ。だからステラに魔力(ご飯)をあげた後は、いつも身体が動かない。この隙に毎回ステラは甘えてくるのだ。

 

 呼吸を整えながらステラに尋ねると、彼女はまだ動けない俺に頬ずりしてから、また親の猫に甘える子猫のように頬を舌で舐めてくる。

 

「ええ、もうお腹いっぱいです。ですから今回はデザートは要りませんね」

 

「そ、そうか」

 

 ちなみに食事の時は、俺がメインディッシュでラウラがデザート扱いらしい。

 

 デザートは要らないって言ったばかりなんだが、彼女が触手のように伸ばしている長い銀髪はラウラに絡み付いたままだ。手足に絡み付いて彼女を押さえつけつつ、ラウラの大きな胸を何度も揉み続けている。

 

「す、ステラちゃん……やめっ………ふにゃあっ!?」

 

「ふふっ………」

 

「で、デザートは要らないんだろ?」

 

「ええ。でも、ラウラも可愛いので………やっぱり、デザートもいただきます」

 

「ふにゃあ!?」

 

 俺の上から静かに下り、自分の唇を人差し指で撫でながらラウラの方にゆっくりと近付いていくステラ。彼女の髪に拘束されているラウラは必死にじたばたするけど、キメラの筋力でも全くステラの髪が解ける様子はない。

 

 魔力を吸われたばかりなので、全く力が入らない。だからお姉ちゃんを助けることは出来ないんだよ。他の仲間たちもステラの体質を知っているから、全く咎める様子はない。ナタリアは顔を赤くしながら襲われるラウラを見守っているし、カノンは「ああ、お姉様が襲われる………!」と興奮しながら凝視している。

 

 まともな奴はナタリアだけかよ。

 

「では、いただきます」

 

「ま、待ってステラちゃん――――――むぐぅっ!?」

 

 顔を赤くしているラウラにしがみつき、そのまま唇を奪うステラ。唇を押し付けながら舌を絡み合わせ、舌に刻まれている刻印からラウラの魔力を吸収していく。

 

 ステラの喉が小刻みに動いている。ラウラから吸収した魔力を飲み込んでいるんだろう。彼女にとってはただの食事なのかもしれないけど、食事の方法が全く違う俺たちから見れば、美少女が幼女に唇を奪われている光景にしか見えない。

 

 すると、ステラはラウラのミニスカートの方へと手を伸ばし始めた。その中から伸びるラウラの尻尾を鷲掴みにすると、そのまま彼女の尻尾を愛撫し始める。

 

 俺の尻尾と違ってラウラの尻尾は外殻に覆われているわけではないため、非常に柔らかい。お姉ちゃんの膝枕も捨てがたいけど、あの尻尾を枕にして眠ったら熟睡できそうだ。今度お願いしてみようかな。

 

 手足が動くまでしばらく呼吸を整えていた俺は、やって腕が痙攣しながらも動くようになったのを確認すると、ゆっくりと起き上がって背伸びしながら窓の外を見つめた。

 

 メウンサルバ遺跡から脱出し、あの狂った吸血鬼から辛うじて逃げ切った俺たちは、アグノバレグにある管理局の宿泊施設で休憩していた。今夜はここで一泊しつつ例の情報を解読することにしている。

 

 アグノバレグは、工場が非常に多い街だ。窓の外には巨大な煙突が3つも鎮座し、街の風景を台無しにしている。だが、もし仮にあの煙突がなかったとしてもあまりいい風景ではなかったことだろう。

 

 工場から排出される排煙で夜空であるというのにし、廃棄物のせいで水路を流れる水はどろどろだ。前世の世界で公害の危険性を知っていた親父は、モリガン・カンパニーの工場を建設する際は必ず公害を防止するためにいくつも規定を用意していたというが、このラトーニウス王国はそんな規定を全く用意していないに違いない。

 

 強大な隣国が更に発展したため、追い付かなければならないと焦っているんだろう。

 

 窓の外を見てうんざりしていると、勝手にメニュー画面が開いた。俺が開こうとしない限り開く事のない能力なんだが、どうして勝手に開いたんだ? バグか?

 

《タクヤ・ハヤカワ様、お疲れ様です。これは能力のアップデートのお知らせでございます》

 

「は? アップデート?」

 

「え? どうしたの?」

 

「いや、俺の能力に新しい機能が追加されるんだってさ」

 

 ナタリアにそう言いながら、俺は目の前に出現したメッセージをタッチする。すると蒼白い枠に表示されたメッセージが消滅し、蒼白い画面に説明文と画像が表示され始めた。

 

《今回のアップデートでは、トレーニングモードに様々な機能が追加されます》

 

 トレーニングモードのアップデートなのか? 

 

 このメニューの中にあるトレーニングモードを選択すると急に眠くなり、眠っている間に夢の中で様々なトレーニングができる。今までは武器の扱いや能力の使い方などのチュートリアルと、今まで倒した敵との模擬戦しか機能がなかった。

 

《アップデート後からは、最大で10人まで仲間と一緒に訓練をする事ができます。どうしても倒せない強敵がいる時等は、仲間と協力して撃破しましょう!》

 

 おお、ついに仲間と一緒にトレーニングモードができるようになるのか!

 

 今までは俺しかトレーニングが出来なかったんだが、今後は仲間を連れてトレーニングモードで訓練する事ができるようになるらしい。

 

 よし。これでトレーニングモードに登録されているクソ親父をボコボコに出来るぜ。ひひひっ。

 

《さらに、戦車や戦闘ヘリなどの操縦方法を訓練できるモードも追加されます!》

 

 兵器の操縦方法も訓練できるようになるのか!

 

 このモードを使えば、ラウラたちと一緒に戦車を操縦する事ができるようになるかもしれない。もし仲間たちが兵器を操縦できるようになったら、誰かに戦闘ヘリで上空から援護してもらったり、自走砲で遠距離から砲撃して支援してもらったりできるようになる。敵の大軍と戦う時や強敵との戦いで重宝する事だろう。

 

 もし戦車を生産するなら………ドイツのティーガーⅠかイギリスのチーフテンに乗ってみたいな。

 

 ティーガーⅠは第二次世界大戦で活躍したドイツの重戦車だ。機動力が低い代わりに非常に強力な主砲と分厚い装甲を持つ強力な重戦車で、戦時中はアメリカのM4シャーマンやソ連のT-34を蹂躙し続けていたという。

 

 チーフテンはイギリスの第二世代型主力戦車(MBT)だ。ティーガーⅠと同じく非常に強力な主砲と堅牢な装甲を持つ戦車で、今ではもう退役してしまっている。

 

 でも、俺たちは旅をしているわけだから、戦車ではなく装甲車を生産して居住性も考えてみるというのもいいかもしれないな。

 

 どちらにせよ、このアップデートは非常にありがたい。今までは銃を使って敵と戦うだけだったけど、これで色んな作戦を立てる事ができるようになる。

 

《そして、17年間も生き残ったあなたに報酬です!》

 

 ん? 報酬?

 

《モリガンの傭兵たちが使用していた装備を無条件で入手できます!》

 

 親父たちが使ってた装備の事か? 無条件で手に入るって事は、条件をクリアしたりレベルを上げて生産する必要はないって事なのか?

 

 首を傾げながらもメッセージをタッチすると、いきなり目の前に『ダウンロード中』というメッセージとバーが表示された。ゆっくりと右側へ進んでいくバーを凝視しながら、俺は早くもどんな兵器を作っておくべきか考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「ステラ、何て書いてある?」

 

「………これは実験の記録というよりは、フランケンシュタイン氏の日誌です」

 

 ベッドの上に腰を下ろしながら、俺とナタリアが持ち帰った記録を凝視するステラ。ハングルに似た古代文字が何を意味するのか全く分からないが、ステラはその言語を母語としているから、使い慣れた言語の羅列を読んでいるのと全く変わらない事だろう。

 

 すらすらと古代文字の羅列を読み、ページをめくっていくステラ。まるで子供がマンガを読んでいるかのような速度だ。

 

「――――――愛おしいリディア、どうすればお前は帰ってくるのか………? リディア?」

 

「誰だ? リディアって」

 

「………どうやら、ヴィクター・フランケンシュタイン氏の1人娘のようです。幼少期に病死してしまったようですね」

 

 病死か………。そういえば、フィオナちゃんも病死して幽霊になったんだよな………。

 

 死んでしまった彼女は強烈な未練のおかげで幽霊になったらしいけど、フランケンシュタインの娘のリディアは成仏する事ができたのだろうか。

 

「―――――なるほど。フランケンシュタイン氏がホムンクルスを生み出したのは、元々はリディアを蘇らせるための研究だったようです」

 

「それで、実現できたのかな?」

 

 ラウラが尋ねると、ステラはフランケンシュタインの日誌を見下ろしてから首を横に振った。

 

 最愛の娘を蘇らせるためにホムンクルスを生み出し、その失敗作が世界中に認められるとは………。ヴィクター・フランケンシュタイン氏は悲運の錬金術師だったらしい。

 

「―――――私は399体のホムンクルスを生み出して実験したが、どのホムンクルスも我が娘となることはなかった。リディアの記憶をインプットしても欠落があるし、どれもこれも失敗作だ。私は一番最初に造り出したプロトタイプを残し、他の失敗作を廃棄することにした………」

 

 ホムンクルスの事ばかりだな。天秤のヒントはまだないのか? 

 

 日誌を読み上げるステラの声を聞きながら、俺は指の爪を噛んでいた。天秤の在処が他の冒険者たちに知られれば、世界中で天秤の争奪戦が勃発するだろう。その争奪戦が本格化する前にヒントを手に入れる事ができたのは幸運だった。

 

「―――――あ、天秤の事が書いてあります」

 

「読んでくれ」

 

「はい。―――――――何度実験を繰り返しても、ホムンクルスは失敗作となるばかりだ。他の錬金術師たちはこれを素晴らしい発明だと言うが、私にはリディアが蘇らない限り素晴らしい発明には思えない。こうなったら、神秘の力に頼るしかない。あらゆる願いを叶える魔法の天秤を作り出し、それでリディアを生き返らせるのだ」

 

「――――――それのことね、メサイアの天秤って」

 

 何度ホムンクルスを生み出しても、愛娘は生き返らない。だから神秘の力に頼って娘を生き返らせようとしていたのか。

 

 娘を着帰らせるために、ヴィクター・フランケンシュタインはメサイアの天秤を生み出したんだな。

 

「――――――助手のブラスベルグ君と共に、私はついに魔法の天秤を作り上げることに成功した。この神秘の力を持つ魔法の天秤ならば、きっとリディアを蘇らせてくれるに違いない。私たちはこの天秤を『メサイアの天秤』と呼ぶことにした」

 

 日誌の中に登場した助手の名前を聞いた瞬間、猛烈な違和感を感じた俺は反射的にナタリアの方を振り向いていた。確か、今しがた出てきた助手の名前は『ブラスベルグ君』だったよな………?

 

 ナタリアのファミリーネームも『ブラスベルグ』だった筈だぞ………?

 

「偶然なのか………?」

 

「わ、分からないわよ。私の家系に錬金術師なんて………」

 

 まあ、この世界には何人もブラスベルグというファミリーネームの人物はいるだろうからな。きっとこの助手の子孫と思われる人物はその中にいるんだろう。ナタリアは違うようだが。

 

「すまん、ステラ。続けてくれ」

 

「はい。――――――天秤にあらゆる願いを叶える力があると知った他の者たちが、私の天秤を狙い始めた。危機感を感じた私とブラスベルグ君は、この天秤を隠すことにした。3つの鍵を別々の場所に隠し、天秤を異次元空間へと保管することにしたのだ。3つの鍵は異次元空間をこじ開け、天秤を呼び寄せる媒体である」

 

「………やはり、天秤の争奪戦が起きていましたのね………」

 

「当然だ。願いを叶える力があるんだからな」

 

 その日誌には隠した場所は載っているんだろうか。もし載っていなかったら、世界中を虱潰(しらみつぶ)しに探すしかないぞ。

 

 日誌に乗っていますようにと祈りながら耳を傾けていると、ステラが再び日誌の朗読を続行した。

 

「鍵を保管した場所が載っています」

 

「ラッキーだな。………それで、鍵はどこにある?」

 

「はい。1つ目はラトーニウス海の海底にある海底神殿です」

 

「なっ………!?」

 

「か、海底神殿って………!」

 

「――――――はい、ダンジョンの中でも極めて危険なダンジョンとして管理局が指定している場所です」

 

 冒険者として登録する前から、俺は危険なダンジョンについても調べていた。ステラが言った海底神殿は、その危険なダンジョンの中でもモリガンの傭兵たちのような猛者でなければ生還することは不可能だと言われるほどのダンジョンとして知られている。

 

 古代の人々が建設した海底の神殿で、危険な魔物が大量に徘徊しているため未だに内部の構造が判明していないというダンジョンである。しかも神殿の中に入るには、極めて高度な光属性の魔術である転移を使うか、フィオナちゃんが発明した高価な潜水艇を使わなければならない。

 

 転移は大量の魔力を消費する代わりに、好きな場所に瞬間移動できる便利な魔術だ。だが習得は極めて難しい上に、消費する魔力の量が一般的な人間が体内に持つ魔力では足りないため、生まれつき魔力を大量に蓄積できる体質の者でなければ習得どころか使うことも出来ない。

 

 潜水艇はフィオナちゃんが開発したもので、動力源が魔力という以外は前世の世界の潜水艇と変わらない。でも非常に高価で、貴族や大型企業の社長でなければ購入するのは難しいという。

 

 しかも、そのどちらかの方法で中に入っても危険な魔物だらけだ。

 

「ふにゅう……厄介なところに隠されちゃったね………」

 

「ええ……。ちなみに、他の2つはどこにありますの?」

 

「他の2つは………倭国のエゾという場所にある『九稜城(くりょうじょう)』の中に1つ保管されています。もう1つは、ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントのシンボルであるホワイト・クロックの地下です」

 

 倭国とは、東の海の向こうにある島国だ。周囲の海域がダンジョンに指定されていることと、昔から鎖国していたせいで全くどんな国なのか不明だったらしいが、現在はオルトバルカ王国海軍の活躍で開国し友好条約を結んでいるという。しかし鎖国の維持を主張する旧幕府軍と、開国して国を発展させるべきだと主張する新政府軍の間で戦争が勃発しており、オルトバルカ王国は新政府軍を後押しするために騎士団を派遣する予定らしい。

 

 何だか幕末の日本みたいな国だ。

 

 そしてもう片方の鍵があるのは、ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントにある巨大な時計塔のホワイト・クロックの地下か。親父たちはその帝都であのレリエル・クロフォードと戦い、辛うじて撃退している。その戦闘でホワイト・クロックが倒壊してしまったらしいが、鍵は地下にあったから無事だったんだろうか。

 

「なるほど」

 

「どうします? ここから一番近いのは海底神殿ですが………」

 

 やっと天秤の鍵の在処が分かった。その3つを手に入れれば、天秤を手に入れる事が出来るのだ。

 

 人々が虐げられることのない平和な世界を作るために、必ず天秤を手に入れなければならない。

 

 ランタンの明かりの中で笑った俺は、こっちを見つめてくる仲間たちに向かって宣言した。

 

「―――――――まず、海底遺跡に向かおう」

 

 

 第五章 完

 

 第六章に続く

 



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番外編 最古のホムンクルス
若き日の力也の戦い


 

 蒼い髪の少年と赤毛の少女が、2人で草原へと歩いていく。その2人を遠くから見守りながら、俺はその2人組が誰なのだろうかと考え続けていた。

 

 少年が身に纏っているのは、見慣れたデザインのコートだった。短いマントが追加され、アイテムを入れておくためのホルダーが増設されているが、あのコートは間違いなく俺がいつも身に纏っているモリガンの制服に違いない。そしてそのコートを纏っている少年は――――――俺の妻に瓜二つだった。

 

 そうか、あいつは――――――タクヤの成長した姿なのか。

 

 もしあの少年がタクヤならば、隣を歩く少女はラウラか? 

 

 あの2人は、子供たちが成長した姿なのか。

 

 ―――――――いってらっしゃい、2人とも。

 

 現実味がない世界だというのに、俺はそう思いながら2人を見送ることにした。どうして見送ろうとしたのかは全く分からない。現実味がない上に、まだ俺の子供たちは1歳だ。今頃家にいるエミリアやエリスに絵本を読んでもらったり、一緒に昼寝をしている筈なのに。

 

 子供たちの成長した姿を見てしまった俺は、微笑みながらあの2人に手を振る。

 

 相変わらず現実味はなかったけれど――――――父親になったという実感を味わう事ができて、俺は安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、旦那。起きろ。起きろって、同志リキノフ」

 

「ん………?」

 

 がっちりとしたでかい手に肩を揺すられ、俺は瞼を擦りながら起き上がる。眠気が薄れていくと同時に戻ってくる現実味と、やけに大きなヘリのローターの音。微かにオイルの臭いのする兵員室の中で目を覚ました俺は、愛用の懐中時計を取り出して時刻を確認する。

 

 時刻は午前3時。そろそろ作戦が始まる時間だ。世界最強の傭兵ギルドの一員が、いつまでも寝ているわけにはいかない。

 

 ちなみにこの懐中時計は、エミリアと初めて王都にデートに行った時に彼女がプレゼントしてくれた大切な物だ。だから依頼を受けて戦場に向かう時も、お守りとしていつも身に着けている。

 

『――――――そろそろ降下準備を』

 

「了解、同志シンヤスキー」

 

 スピーカーから聞こえてきた信也の声を聞いて、俺は気流のせいで揺れる座席から立ち上がった。兵員室の反対側にあるドアを開き、今までドアが遮断してくれていた湿気と冷たい風と対面する。

 

 まだ太陽が出てくる時間ではないため、ドアの向こうは真っ暗だった。兵員室の中を照らし出すランプ以外に光源は全く見当たらない。数分後に装備を身に着けた状態で、この真っ暗な森へと降下しなければならないのだ。

 

 俺たちが引き受けている依頼は、普段のようなクライアントからの依頼ではなく、仲間であるフィオナからの依頼だった。隣国であるラトーニウス王国に侵入し、ダンジョンに指定されているメウンサルバ遺跡へと潜入して、その中に保管されているあるものを回収してきてほしいという大仕事だ。

 

 しかも、他の冒険者が持ち去る前にそのあるものを回収しなければならない。

 

「――――――大昔の錬金術師が遺した実験体ねぇ………。フィオナちゃん、その実験体を使って何をするつもりなんだ?」

 

「さあ? 本格的にマッドサイエンティストになるつもりなんじゃないか?」

 

『な、なりませんよ!?』

 

 座席に座りながら装備の点検をするギュンターと冗談を言っていると、いきなりコクピットの方の壁から反論する可愛らしい声が聞こえてきた。やがて殺風景なグレーに塗装された兵員室の内壁をすり抜けて、白髪の少女が壁の中から顔を出す。

 

 彼女の名はフィオナ。モリガンの傭兵の1人であり、最近は本部の研究室の中で様々なアイテムや魔術の研究を続けている天才技術者である。俺たちが愛用している新型のエリクサーの開発者だ。

 

 従来のエリクサーは不味い上に、瓶の中に入っている液体を全て飲み干さなければ傷口が塞がらないほど回復力が低かったんだが、彼女が開発した新型エリクサーは一口だけで傷口が塞がるし、オレンジジュースみたいな味がするから非常に美味い。

 

 内壁をすり抜ける事が出来るのは、フィオナが幽霊だからである。

 

『もうっ。ちゃんとした研究のためなんですからねっ!』

 

「はははっ、すまん。そうだよな」

 

 ちゃんとした研究か………。

 

 俺たちが回収しようとしている代物は、確かに転生者に悪用される前に回収しなければならない危険な代物だ。

 

「――――――最古のホムンクルス………リディア・フランケンシュタインか………」

 

『はい………』

 

 大昔の有名な錬金術師であるヴィクター・フランケンシュタインは、この異世界で始めてホムンクルスを生み出した人物であると言われている。それ以外にも、手に入れた者の願いを叶えるメサイアの天秤という魔法の天秤を作り上げたという噂があるんだが、天秤が実在するという資料は未だに発見されていないため、演劇やマンガの題材にされる程度だ。

 

 大昔にホムンクルスを生み出したそのフランケンシュタインが、実験の際に一番最初に生み出したというホムンクルスの試作型が、なんとまだ彼の実験施設だったメウンサルバ遺跡の最深部で生きているというのである。

 

 そのホムンクルスを回収するのが、俺とギュンターの仕事だ。

 

 この作戦に参加するのは全員で6名だ。俺とギュンターが遺跡に潜入し、信也とミラがこのロシア製のヘリを操縦する。オペレーターはフィオナに担当してもらう予定だし、ドアの近くに装備してあるLMG(ライトマシンガン)のPKPによる射撃はガルちゃんに担当してもらう予定である。

 

 エミリアとエリスにはまだ1歳の子供たちの世話をお願いしているため、この作戦には不参加という事になっている。カレンもドルレアン領の領主の仕事が忙しいらしく、参加することは出来なかったらしい。

 

 それにしても、最古のホムンクルスか………。エミリアの大先輩ってわけだな。

 

 俺の妻のエミリアはエリスの1つ年下の妹という事になっているが――――――正確に言うならば、エミリアは人間ではない。

 

 エミリアは、かつてレリエルの心臓を貫いた魔剣を復活させるため、バラバラにされた魔剣の破片のうちの1つを心臓に埋め込んだ状態で生み出されたエリスのホムンクルスなのだ。

 

 エリスの遺伝子を元に生み出された彼女は、生まれる前に死亡してしまった本当のエリスの妹に名付けられる筈だった名前を付けられ、エミリアとして生まれてきた。幼少期はそのことを知らないエリスと仲睦まじい姉妹だったのだが、騎士団に入団して魔剣を復活させるという計画とエミリアの正体をエリスが知ったことで、姉妹の間に大き過ぎる軋轢が生まれてしまった。

 

 だが、今はその軋轢は完全に消滅し、仲の良い姉妹として子育てをしている。

 

 今では人間という事になっているが、ホムンクルスとして生まれたエミリアから見れば、最古のホムンクルスであるリディア・フランケンシュタインは大先輩という事になる。

 

「無理をするでないぞ、力也。無茶をするのはお主の悪い癖じゃからのう」

 

「分かってる」

 

 ドアガンナーを担当するガルちゃんが、赤毛の幼女の姿で俺に釘を刺す。

 

「2人の妻を未亡人にするつもりはないよ」

 

 だからこそ、必ず生きて帰るのだ。

 

 お守りの懐中時計を握りしめながら目を瞑っていると、俺たちの乗っているKa-60カサートカが高度を落とし始めた。漆黒の絨毯にも似た森の木々が近くなり、メインローターが吹き付ける風圧で怯えたように揺らめき始める。

 

「そろそろ出番だぜ、同志ギュンコフ」

 

「おう!」

 

 武器の点検を終えたギュンターを呼びながらガルちゃんとフィオナに向かって頷くと、俺は風圧で揺らめく漆黒の絨毯へと向かって飛び込んでいった。

 

 メインローターの音が後方へと置き去りにされ、身体が森の中へと吸い込まれていく。操縦を担当しているミラはかなり高度を落としてくれていたらしく、予想していたよりも地面に着地するタイミングは速かった。まるで発射された迫撃砲の砲弾が落下するかのように地面に着地した俺は、素早く移動しながら持ってきた武器を構える。

 

 今回の装備は遺跡に潜入して実験体を回収する事が目的のため、かなりシンプルだ。まずメインアームはドイツ製SMGのMP5K。短い銃身にマガジンとグリップを取り付けたような形状の銃である。MP5の銃身を短くした小型のサブマシンガンで、非常に扱いやすい。使用する弾薬はハンドガンなどが使用する9mm弾だ。マガジンをジャングルスタイルに改造し、フォアグリップとチューブ型ドットサイトを装備している。

 

 サイドアームは同じく9mm弾を使用するドイツ製ハンドガンのUSPだ。軽量である上にバランスの良いハンドガンだから、このような依頼にはうってつけだろう。こちらは隠密行動用にサプレッサーを銃口に装着し、ドットサイトとライトを装備している。

 

 装備を確認し終えた直後、どん、と俺の後方に浅黒い巨躯が落下してくる。装備がぎっしりと詰まったコンテナでも落下してきたような音だ。もう少し静かに降下してくれよと顔をしかめながら振り向いてみると、やはりモリガンのメンバーの中で一番身体がでかいギュンターが降下を終え、あいつの身体から見ればハンドガンに見えてしまうMP5Kを構えながら俺の傍らへとやってきた。

 

「こちら『ジェド・マロース(アジーン)』。2人とも降下に成功した」

 

『了解。では、そのまま目標地点へ進んでください。我々は上空を旋回します』

 

「了解」

 

 今回の作戦ではコードネームを用意している。俺は『ジェド・マロース(アジーン)』で、ギュンターは『ジェド・マロース(ドゥーヴァ)』だ。上空を飛行するカサートカは『スネグーラチカ』というコードネームになっている。

 

 この世界には無線機は存在しないため、騎士団では伝令がまだ活躍している。だから無線を傍受される危険性はないんだが、俺たち以外に転生者はまだ存在するし、そいつらがこの依頼を受けた俺たちの無線を傍受しているかもしれない。だから今回は、信也がわざわざコードネームを用意してくれたのである。

 

 カサートカのローターの音が遠ざかっていく。おそらく、遺跡の上空へと接近して魔物がいないか確認してくれるのだろう。

 

 ここはダンジョンだから何体も危険な魔物が生息している。もしかしたら遺跡に潜入する前に遭遇する可能性がある。

 

 堅牢な外殻を持たない魔物ならば9mm弾でも対抗できるだろう。だが、もしアラクネのように硬い外殻を持っている魔物が生息しているのならば、最低でも6.8mm弾でなければ外殻を貫通することは難しい。

 

 魔物には遭遇したくないなと思いながら進んでいると、雨上がりのせいなのか木々の香りが濃くなっている森の中に、鉄の臭いにも似た異臭が混じり始めた。

 

 この臭いは何度も嗅いでいる。重傷を負った兵士や殺された直後の死体が発する血の臭いだ――――――。

 

「………こりゃ魔物の血だな。人間の血じゃねえよ」

 

「さすがハーフエルフだな。お前の嗅覚が羨ましい」

 

 後ろを歩いていたギュンターが、すぐに血の臭いの正体を見破った。ハーフエルフの聴覚や嗅覚は人間を上回っている。俺はもう人間ではなくキメラなんだが、身体能力が強化されているとはいえまだハーフエルフに敵わない部分も多い。

 

 ライトで足元を照らしてみると、確かに草むらがところどころ赤く染まっていた。前方を照らしてみると草むらの中にちょっとした血の海が出来上がっており、その中で狼に似た動物が横たわっている。

 

 シルエットは狼のようだが、身体の表面を覆っているのは毛皮ではなく茨だ。まるで何本も茨をかき集めてつなぎ合わせ、狼の形にしたかのような奇妙な魔物である。

 

「ローゼンヴォルフか………。絶命しているようだな」

 

 ローゼンヴォルフは、森の中に生息する魔物の一種だ。習性は狼とあまり変わらないが、非常に獰猛でスピードが速い上に、身体を覆う茨から稀に毒を出す事がある厄介な魔物である。しかも単独行動はせずに群れで襲い掛かって来るため、大規模な群れと遭遇した場合は熟練の冒険者でも大人しく逃げるようにしているという。

 

 その厄介な魔物が、草むらの上で絶命していた。茨で覆われた身体の表面には剣で斬られたような傷跡がある。

 

「冒険者が倒したみたいだな」

 

「まだ殺されたばかりのようだ………。遺跡に向かった冒険者がいるみたいだぜ、旦那」

 

「チッ………」

 

 おそらく、偶然遺跡の調査に向かった冒険者たちだろう。あの遺跡に最古のホムンクルスが眠っているという情報は、モリガンのメンバーしか知らない。漏洩するわけがない情報なのだ。

 

 面倒だな。冒険者の仕事はダンジョンの内部を調査する事だ。ダンジョンの中で別の冒険者と遭遇した際、成果を独り占めするために敵対するか、協力して調査し報酬を山分けするかは冒険者次第というルールになっている。

 

 だが、いくらなんでも最古のホムンクルスは山分けするわけにはいかないし、その情報を公表させるわけにはいかない。

 

 だから、他の冒険者がいるならば―――――――消えてもらう必要がある。

 

「ジェド・マロース(アジーン)よりスネグーラチカへ。冒険者が遺跡に向かった形跡あり」

 

『………了解。消すしかないね』

 

「………容赦ねえな」

 

『それがモリガンだよ、同志リキノフ』

 

 確かに、容赦がないのがモリガンだ。

 

 俺は納得しながら、ギュンターを連れて遺跡へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中に鎮座するその遺跡は、まるでツタまみれの宮殿のようだった。街路樹のように整列した石柱や、奇妙な壁画が描かれた壁まで伸び続けた植物のツタに覆われ、まるで緑色の血管が浮かび上がったかのようなグロテスクな壁面に変貌している。

 

 そんな壁面ばかりしか見当たらない遺跡へと向かっていく冒険者の人数は3人。鎧に身を包み、剣を手にした男性と、弓矢を装備した女性と、マントの付いたコートに身を包む魔術師の男性の3人だ。

 

 基本的に、冒険者は夜間にダンジョンに挑む事を避けるようにしているという。夜行性の魔物が集まってくる可能性があるし、視界も悪くなる。彼らの目的は魔物の排除ではなくダンジョンの調査なのだから、魔物と戦わずに内部の調査だけ行い、逃げ帰ってきてもお咎めなしなのである。

 

 それゆえに夜間の調査は忌避する。だが、あの冒険者たちは敢えて夜間に遺跡に足を踏み入れるつもりのようだった。どうせ夜間ならば他の冒険者はいないだろうから、調査の成果を独り占めしてしまおうという考えなんだろう。

 

 その考えが、俺たちに消される原因となる。

 

 匍匐前進で漆黒の草むらと同化しつつ、腰の鞘から漆黒のボウイナイフを引き抜く。刀身まで漆黒に塗装されているため、夜間の隠密行動の際でも目立つことはない。だから、モリガンで使用している刃物は一部を除き漆黒に塗装するように決めているのだ。

 

「俺が魔術師を消す。お前はここから弓矢を持ってる女を狙撃しろ」

 

「了解。気を付けろよ、旦那」

 

「おう」

 

 死ぬわけにはいかないからな。俺が死んだら、エミリアとエリスが同時に未亡人になっちまう。

 

 そっと立ち上がり、姿勢を低くしながら冒険者のパーティーへと接近していく。やはり夜間は昼間よりも非常に危険だという事を知っているらしく、かなり警戒しながら進んでいるようだ。

 

 まず最初に狙うのは魔術師がいいだろう。魔術で援護されたら厄介だし、敵を索敵するレーダーの役割も兼ねているに違いない。それゆえに、敵のパーティーの中に魔術師がいたら真っ先に狙うことにしている。

 

 姿勢を低くしながら接近して行くが、魔術師が俺に気付いた気配はない。かなり魔力を察知されないように気を配りながら接近しているんだが、一流の魔術師ならば違和感くらいは感じて背後をチェックしようとするだろう。

 

 散々警戒していたせいで集中力が摩耗しているのか、それとも自分の索敵能力を過信しているのか。

 

 気付いていないのならば、容赦なく消させてもらうまでだ。

 

 左手を伸ばして魔術師の口を抑えつつ、逆手持ちにした漆黒のボウイナイフを喉へと突き立てる。切っ先が首へとめり込んで声帯をあっさりと貫き、呻き声を金属の刃で封じ込めてしまう。

 

 だが、さすがに静かに仕留めるのは難しかった。今しがた仕留めた魔術師の男がじたばたと暴れたせいで、マントやコートが揺れる音に違和感を感じたらしく、前を歩いていた弓矢を持つ女性がこっちを振り返った。

 

「きゃあっ!? じょ、ジョンッ!?」

 

「なっ………!? 何だお前!? 盗賊か!?」

 

 モリガンの傭兵だよ。

 

 動かなくなった魔術師の喉からボウイナイフを無理矢理引き抜き、死体を横へと投げ捨てた俺は、血の臭いを纏ったナイフを手にしたまま、恐怖と鮮血を引き連れて左の草むらへと飛び込んだ。

 

「やれ、ギュンター!!」

 

「おう!」

 

 荒々しい男性の返事が森の中に響き渡り―――――――その残響を、背後から響き渡った轟音が押し流すように突き抜けていく。

 

 MP5Kのマズルフラッシュが森の中を照らし出し、その荒々しい殺戮の光の中で、彼のフルオート射撃の餌食となった2人の冒険者の身体が9mmに食い破られていく。

 

 断末魔まで呑み込んでしまった銃声が残響へと変わり始め、静寂で希釈される。ナイフを鞘に戻しながら起き上がった俺は、コートに付着した草を払いながら、魔術師の死体の傍らに横たわる穴だらけの死体を見下ろし、目を瞑ってから踵を返した。

 

「クリアだ、ギュンター」

 

「はいよ」

 

 絶対に、渡すわけにはいかない。

 

 リディア・フランケンシュタインは俺たちが手に入れる。

 

 

 

 



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偽物のリディア

 

 遺跡の通路というよりは、まるでジャングルの中に入り込んでしまったかのようだった。メウンサルバ遺跡の内部はそれほど荒れ果てていて、通路は血管を思わせる太いツタが埋め尽くしている。

 

 かつてフランケンシュタインがホムンクルスを何体も生み出していた実験施設は、今ではこのようにツタや苔に埋もれ、神秘と伝説の場所と化している。

 

 本当にこの最深部に最古のホムンクルスが眠っているのか? もしかしてとっくの昔に死亡し、ミイラのようになって俺たちを出迎える羽目になるのではないか? いくら伝説の錬金術師が生み出したホムンクルスとはいえ、何も食わずに永遠に生きている保証はないんだぞ?

 

 USPのライトでツタだらけの通路を照らし出しながら、邪魔なツタをボウイナイフで切断する。ぼとん、と俺の腕と同じくらいの太さのツタが床に落下する音を聞き、顔をしかめながら後ろにいるギュンターを見た俺は、彼に肩をすくめられてため息をついた。

 

「姉御を連れて来なくて良かったな、旦那」

 

「ああ。あいつ、未だに幽霊が怖いらしいからな………」

 

「マジかよ。トップクラスの実力者の弱点はまだ幽霊か?」

 

「そのようだな」

 

 相変わらず、エミリアは幽霊が苦手らしい。いつもしっかりしている凛々しい妻だが、幽霊や悪霊の話になると怖がって俺に抱き付いてくるんだ。

 

 もしここに連れて来ていたらずっと怖がっていたに違いない。子供たちの世話をお願いしていて良かったよ。

 

 初めてフィオナと出会った時もエミリアはかなり怖がってたな。護身用に生産したAN-94のフルオート射撃を室内でぶっ放されたけど、何とかフィオナは怖い幽霊ではないという事を理解してくれて、今では一緒に仕事をしている。

 

 昔の事を思い出しながら通路を進んでいたその時だった。

 

 一瞬だけ、光源が増えたような気がした。

 

 ツタに覆われたこの遺跡の通路に明かりはない。この通路を照らし出すためには、自分で松明やランタンなどを持参する必要がある。だから俺たちは武器にライトを装着して持ってきたんだが、それ以外に光ったような気がしたんだ。確か、光を放ったように見えたのは俺の足元のような気がする。

 

「ん?」

 

「旦那、どうした?」

 

「今、何か光らなかったか?」

 

「え?」

 

 後ろを振り返りながらギュンターに問い掛けるが、モリガンの黒い制服に身を包んだ彼は首を傾げながら足元を見下ろす。どうやらギュンターは床が光ったのを見ていないようだ。

 

 見間違えたのかと思った俺も、首を傾げながら先に進もうと通路の先を見据える。そして今まで通り警戒しながらゆっくり進もうと右足で前の床を踏みつけようとしたその時、足が踏みつける筈だった床をすり抜けてしまったかのように、俺の右足が下へと空振りした。

 

「―――――は?」

 

 下に空振りした………? どういうことだ? 俺は通路を歩いてたんだぞ?

 

 ひやりとしながら下を見下ろすが、奇妙な感覚の原因を理解するよりも先に、今度は俺の身体が下へと向けて引っ張られ始める。

 

 その感覚は何度も経験している感覚だった。高い場所から飛び降りたり、ヘリの兵員室から地上へと飛び降りた時に感じる、落下している感覚である。それと全く同じ感覚が無数の触手となって俺に絡み付き、下へと引きずり込もうとしているのだ。

 

 ぎょっとしながら下を見下ろすと、足元にあった筈の石畳の床は消失していた。夜空よりも黒い漆黒の大穴が、俺たちの足元に広がっているだけだ。

 

「お、落とし穴ッ!?」

 

「何ぃッ!?」

 

 さっきの光はトラップが発動した際の光だったのか!

 

 大慌てでコートの中から尻尾を伸ばすが、ダガーのように尖っている尻尾の先端部を突き刺せそうな場所まで届かない。何とかどこかに掴まろうともがき続けるが、俺とギュンターは漆黒の中へと引きずり込まれていくだけである。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

「ぎゅ、ギュンターッ!」

 

 俺は硬化が使えるから、高い場所から落下しても致命傷を負うことはないだろう。だがギュンターは身体が頑丈なハーフエルフとはいえ、こんな高さから叩き付けられたら即死してしまうに違いない。

 

 全身を赤黒い外殻で覆いつつ、尻尾をギュンターへと伸ばした。がっちりしたギュンターの胴体に尻尾を巻きつけて引き寄せ、俺がギュンターよりも先に叩き付けられるように調整しつつ、息を呑みながら俺たちを引きずり続ける漆黒の空間を睨みつける。

 

 やがて闇の中から埃まみれの床が迫ってきて――――――――ギュンターよりも先に、俺が叩き付けられた。

 

「がっ――――――」

 

 外殻で全身を覆っていたおかげで、痛みは殆どなかった。だが、12.7mm弾のフルオート射撃も弾き返してしまうほどの硬さの外殻でも、落下した際の衝撃まで防ぐのは不可能だったらしい。まるで本来ならば俺の身体を押し潰していた筈の激痛の代弁者となって襲い掛かってきた衝撃が、一瞬で俺の身体を突き抜け、内臓や骨を直接殴りつけて消えていった。

 

 口の中に湧き上がる血の味と暖かい液体。それを吐き出さずに辛うじて呑み込み、懐から取り出したフィオナのエリクサーで激痛と共に押し流す。

 

「はぁっ、はぁっ………ギュンター……無事か………?」

 

「あ、ああ………すまねえ、旦那………」

 

 俺の上にのしかかっていたギュンターは、呼吸を整えながらやっと退いてくれた。俺が先に床に叩き付けられ、俺の身体にギュンターが激突したおかげで彼も同じく尋常ではない衝撃で体内を抉られただけで済んだらしい。

 

 口から溢れかけていた鮮血を飲み込み、溢れてしまった鮮血の滴を大きな手で拭い去ったギュンターは、同じくエリクサーの瓶を取り出して回復すると、まだ呼吸を整えている俺に右手を差し出してくれた。

 

 彼の手を握って立ち上がり、床に落下してしまったUSPを拾い上げる。このハンドガンも同じく床に叩き付けられる羽目になったようだが、幸い全く損傷していないらしい。亀裂が入った箇所はないし、ドットサイトやライトも割れていない。

 

 得物の頑丈さに安心しながら、ギュンターの方を見てみる。ギュンターの装備していた武器も同じく殆ど破損していないらしく、暗闇の中でニヤニヤと笑いながらMP5Kを拾い上げる。

 

「助かったぜ、旦那!」

 

「おう。後で奢ってくれよ」

 

「当たり前だ。じゃあ、この仕事が終わったらネイリンゲンの居酒屋にでも飲みに行こうぜ」

 

「楽しみだ。………じゃあ、さっさとお嬢ちゃんを回収して帰るぞ」

 

 この落とし穴のせいで、リディア・フランケンシュタインが眠っていると思われる最深部まで遠退いてしまったみたいだがな。依頼が終わった後に、妻たちにギュンターと飲みに行ってくると伝えるべきだろうなと考えながら周囲を見渡す。穴の表面を覆っているツタを掴んでよじ登ることも出来そうだから、どこか登り易そうな場所を探すつもりで見渡したんだが、俺は予想以上のものを発見することになった。

 

 ――――――なんと、落とし穴の底だというのに扉のようなものが鎮座していたのである。

 

「はぁ? ………なんで扉が………?」

 

「え? あれってトラップじゃなかったのか?」

 

「分からん」

 

 あの扉の奥に進んでみるべきか? それとも、ギュンターと一緒にこの穴をまた登ってみるか? 前者はあの扉の向こうがどうなっているか分からないから、今までよりも警戒しながら進む必要がある。しかも、上に戻れる保証はない。

 

 後者はかなり無茶な行動になる。落下してきた高さを考えると、いくら毎日訓練を続けている俺やギュンターでも、登り切る前にスタミナがなくなってしまう可能性がある。高い場所へと上れば上るほど、間違えて落下した際に死ぬ確率も上がっていくという事だ。

 

 なんてこった。俺は賭けをしない主義なんだが、どっちも賭けじゃないか。

 

「旦那、どうする?」

 

「――――――この扉の奥を見てみよう。何かあるかもしれないし、もしかすると上に戻るための通路があるかもしれん」

 

「了解。確かに、ここを登るのは辛そうだぜ………」

 

 息を呑みながらツタまみれの壁を見つめるギュンター。出来るなら俺もこんな壁はよじ登りたくはない。毎日筋トレしているが、登り切れる保証はないからな。

 

 苦笑いしながらギュンターに合図した俺は、USPを構えながら目の前にある古びた扉を思い切り蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 小さい声が、言い争っている。

 

 2人の男の人の声だった。どちらの声も知っている。聞き覚えがあるというより、その声を知っているだけだという感じがする。私はその声を知ってるんだって誰かに暗示をかけられたように。

 

『フランケンシュタイン先生、他の錬金術師たちが来ています! 早く逃げましょう!』

 

『くっ………リディアを蘇らせることは出来なかったか………!』

 

 リディアという名前も〝知っている”。その少女の名前も、私は知っていた。きっと私はその名前を知っているんだって暗示をかけたのは、この奇妙な液体の中で眠る私を見上げる老人なのかもしれない。

 

 あの人は確か………ヴィクター・フランケンシュタイン。

 

 私を作った人。私のオリジナルであるリディア・フランケンシュタインの父親であり、彼女を蘇らせるために私を生み出してくれた創造者。

 

『許しておくれ、リディアよ………! リディアぁ………うぅ………っ!』

 

『先生、早く!』

 

『あ、ああ………』

 

 金髪の男性に腕を引っ張られ、〝お父さん”が部屋の外へと連れて行かれる。

 

 お父さんは、私の事をずっとリディアと呼んでいた。私はリディアではないのに。本物(オリジナル)のリディアは、もう天国に行ってしまったというのに。

 

 なのに、偽物()の事をずっとリディアと呼んだ。偽物だという事を知っている筈なのに、私を自分の娘だと決めつけていたのかもしれない。

 

 私が偽物のリディアだと認めれば、きっとお父さんの心は壊れる。私は心が壊れないように、お父さんの心を覆う鎧なんだ。

 

 でも、お父さんは私を置き去りにするつもりみたい。

 

 書類や実験器具がそのまま放置された部屋の中を見渡した私は、大きなビーカーのような装置を満たす培養液の中で瞼を瞑った。

 

 きっと、お父さんは帰って来ない。これから私はずっとこの装置の中で眠ることになるんだ。―――――だから、眠ってしまおう。眠れば夢を見ることも出来る。悪夢を見るのは嫌だけど………楽しい夢もあるかもしれない。

 

 今度は私が、孤独という敵に心を壊されないように鎧を作ろう。楽しい夢を鎧にして、ずっとここで眠り続けるのだ。

 

 眠ると、たまにお父さんと遊んでいる夢を見る。薬や薬草がいっぱい置かれた部屋の中を走り回る私を、若いお父さんが微笑みながら追いかけてくる夢だ。その夢が一番楽しい夢なんだけど、きっとその夢は私の夢じゃない。………本物(オリジナル)のリディアの記憶だ。

 

 ごめんね、リディア。もしかしたらまたあなたの夢を勝手に見てしまうかもしれない。

 

 でも、あの夢が一番楽しいの。だから――――――あの夢を見ても、許してね。

 

 

 

 

 

 

 

 トラップだと思われていた落とし穴の底にあった扉の向こうには、埃まみれの一本道が伸びていた。ダンジョンと言われているのだから迷宮のように複雑な通路でもあるのではないかと警戒していたのだが、俺たちが足を踏み入れた一本道にはトラップすら仕掛けられていない。

 

 念のため警戒しながらその通路を進み、トラップが全く仕掛けられていないただの通路だったことにがっかりしていた俺たちは、その奥に1つだけ鎮座していたボロボロのドアを蹴破り――――――そのドアの向こうの部屋をライトで照らしながら、絶句した。

 

「おいおい………」

 

 全く関係ない場所だから、とっとと上に上がって調査を続行しようと思っていたんだが、その〝全く関係ない場所”が大当たりであったと予測できるわけがない。

 

 埃まみれの机と、その上にずらりと並べられた実験器具。まるで何年も全く掃除をしていない理科室に足を踏み入れたような感じがする。

 

 テーブルの上に置かれたビーカーの中にはどろどろした気色悪い液体が入っていて、その隣のガラスの容器の中では何かの抜け殻のような物体が、膿を思わせる黄色い粘液の中に浮かんでいた。

 

 別のテーブルの上には分厚い本もあるし、実験の記録に使ったと思われるメモも見受けられる。きっとこの部屋の持ち主であるヴィクター・フランケンシュタインは、整理整頓を二の次にするような人物だったに違いない。

 

 だが、部屋の中に置かれている実験器具やテーブルは、演劇で例えるならば脇役に過ぎない。主役よりも少ないセリフと出番で演劇を盛り上げる者たちだ。

 

 この実験室の中にいる〝主役”は、一番奥に鎮座する巨大な装置の中に浮かんでいる存在だろう。

 

 すっかり錆びついた歯車の群れと、漆黒の血管のようなゴム製のチューブで繋がれた小さな試験管たち。その試験管から伸びるチューブの終着点は、まるでビーカーを巨大化させたようなデザインの、ガラスの柱のような巨大な容器だった。

 

 横倒しにすれば戦車の格納庫代わりにもできそうなほど巨大な容器の中には、緑色の液体が入っている。容器の上部からはまるで植物の根を思わせる細いチューブが伸びていて、その液体の中に浮かぶあるものへと接続されていた。

 

 その中身は、巨大な装置の中に入っている割にはあまりにも小さ過ぎる。

 

「旦那………も、もしかして、あれが………!」

 

「――――――最古の……ホムンクルス………」

 

 チューブが接続され、液体の中に浮遊していたのは、紫色の髪の幼い少女だった。チューブが後頭部に接続されているせいで容器の中心に固定されたまま、瞼を瞑っている。

 

 大昔の錬金術師が造り出したホムンクルスが、白骨化することなく残っていたことには驚愕するべきだろう。だが、拘束具を思わせる黒い服に覆われた彼女の腕や胴体はやはり痩せ細っていて、両足は太腿から下が切断されている。実験で切断されてしまったのだろうか?

 

「――――――ジェド・マロース(ドゥーヴァ)よりスネグーラチカへ。……さ、最古のホムンクルスを発見した」

 

『――――――では、急いで回収して脱出してください』

 

「了解」

 

 遺跡の上空を飛んでいるカサートカに連絡を入れたギュンターが、俺を見ながら頷いた。

 

 急いでこのお嬢ちゃんを回収して、家に戻ろう。もしこのお嬢ちゃんが生きているならば、早く治療して食事を与えた方が良いかもしれない。ホムンクルスは遺伝子を元にして造り出されるクローンのような存在であるため、人間と同じようなものを食べる。だから大昔に絶滅したサキュバスのように、人間と同じ物を食べても満腹にならないような体質ではない筈だ。

 

 あとで妻の手料理をご馳走してあげようと思いつつ、俺はUSPをホルスターに戻して左手の黒い革の手袋を取った。漆黒の手袋の中から姿を現したのは、変異を起こしてから常に硬化したままの状態になっている俺の左腕だ。

 

 子供たちは完全なキメラかもしれないが、俺は元々人間だった。人間から変異したのだから、不完全なキメラという事になる。

 

 その不完全な証である左手を握りしめた俺は、少女を幽閉している巨大なビーカーのような拳を睨みつけると、まるで主力戦車(MBT)の装甲のように堅牢な外殻で覆われた左手を、巨大なビーカーに叩き付けた。

 

 凍結した水溜りを踏み抜いたかのように、亀裂が刻まれると同時にガラスが砕け散る。埃だらけの部屋の中を舞う曇ったガラスの破片を、すかさず容器の中を満たしていた緑色の培養液が飲み込み、床へと叩き付けていく。

 

 刺激臭のする培養液を浴びながら、容器の中に幽閉されていた少女へと右手を伸ばす。尻尾を伸ばして彼女の後頭部に繋がっていたチューブを強引に切断し、両足のない幼い少女を受け止めた俺は、顔についた培養液を片手で拭いながら踵を返しつつ、少女の脈を確認する。

 

 どうやら、まだこのホムンクルスは生きているらしい。

 

「信じられん………1000年以上前のホムンクルスだぞ………?」

 

 俺の肩の上で、幼い少女が寝息を立てている。

 

 起こさないようにしながら連れて帰ろう。もしかしたら彼女は、楽しい夢を見ているかもしれないのだから。

 

 

 

 

 おまけ

 

 タクヤのニックネーム

 

タクヤ「そういえば、親父たちってロシア人みたいなニックネームがあるよな」

 

リキヤ「ああ。お前にもつけてやろうか?」

 

タクヤ「えっ?」

 

ギュンター「タクヤコフとか?」

 

リキヤ「コフだとギュンコフとかぶるだろ?」

 

シンヤ「タクヤスキー………これは僕とかぶるね」

 

タクヤ「い、いや、俺は………」

 

ギュンター「タクヤチョフはどうだ!?」

 

リキヤ「いいね! よろしく、同志タクヤチョフ!」

 

タクヤ「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 完

 

 



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リディアが目を覚ますとこうなる

 

「ただいまー」

 

「あら、ダーリン。お疲れ様」

 

 瞼の下に、まるで墨汁で塗り潰されたかのようなクマを刻んで帰宅した俺を、蒼い髪の女性が出迎えてくれた。側頭部の髪をお下げにしている特徴的な髪型で、凛とした雰囲気と優しさを併せ持つ美しい女性だ。

 

 彼女の優しい笑顔を目にするだけで疲労が全て消え失せてしまうような気がしてしまう。モリガンの本部でカサートカから下り、ギュンターと居酒屋に飲みに行くのは今夜にしようと話をしてから、重装備の時と同じくらいの重さの疲労を纏いながら森の中の我が家へと戻ってきた筈なのに、まるでベッドから目を覚ましたばかりのような心地よさが俺を包み込む。

 

「ただいま、エリス」

 

「ふふふっ。おかえり、ダーリン♪」

 

 彼女の名は『エリス・ハヤカワ』。俺の妻で、もう1人の妻であるエミリアの姉だ。正確には姉ではなく、エミリアというホムンクルスのオリジナルというべきなんだが、本当に同じ遺伝子で作られたのかと思ってしまうほど性格が違うし、エミリアが赤子の段階で受けた魔術による調整の影響なのか、瞳の色等は若干違うため、簡単に見分けられる。ちなみに、俺とエミリアよりも1つ年上だ。

 

 しっかりしているのがエミリアで、清楚と思いきや変態なのがエリスだ。目の前にいるのはエロい方の妻である。今のように微笑んでくれている時はとても美しい女性なんだが、もう子供が生まれたというのに夜になると襲ってくる変態である。

 

 せめて、彼女と俺の子供は変態になって欲しくないな。

 

 安心したせいなのか、前世の世界のように玄関で靴を脱ごうとしてしまう。この世界では一部の国を除いて家の中でも靴を履いているのが一般的らしく、この世界に転生してきたばかりの頃はこの癖でエミリアや他の仲間たちに笑われたものだ。

 

 脱ぎかけていた靴を履き直し、また前世の癖が出たのを見て笑うエリスを抱き締める。洗濯物を畳んでいた最中だったのか、頬を赤くしながら伸ばしてきた彼女の柔らかくて真っ白な手からは石鹸の香りがする。

 

 少しだけ顔を離してから、エリスの唇を奪う。いつも彼女は俺やエミリアにちょっかいをかけてくるんだが、このように俺がキスをしようとすると素直になるんだ。

 

 エミリアも出迎えに来るかもしれないので、舌を少しだけ絡み合わせてからすぐに唇を離す。エリスはもっとキスをしていたかったらしく、物足りないと言わんばかりに俺の服の裾を引っ張りながら見つめてきたけど、もしエミリアにキスをしているところを見られたら彼女の強烈なドロップキックの餌食になってしまう。

 

 結婚してから何度か彼女のドロップキックが直撃した事があるんだが、失神してしまいそうなほど強烈な破壊力だった。もし俺よりもレベルの低い転生者が喰らったら気を失ってしまうのではないだろうか。

 

 しかも顔面に直撃すると、二日酔いの頭痛にも似た痛みがしばらく頭にへばり付いたままになるので、エミリアのドロップキックでヘッドショットはされないように気を付けている。でも、避けるとエミリアが床に叩き付けられてしまうので、大切な妻が怪我をしないためにもせめて胴体に喰らうように心掛けているのだ。

 

 ドMになったらどうしよう。

 

 エミリアに見られないようにと警戒していたんだが、もう1人の妻よりも先に玄関へとやってきたのは、幼くて可愛らしい赤毛の来訪者だった。

 

「あうー」

 

「お、ラウラ。迎えに来てくれたのか?」

 

「あらあら、ラウラったら。パパをお出迎えするために玄関まで来たの?」

 

 廊下の向こうからハイハイしながらやってきたのは、赤毛の幼い女の子だった。髪の毛の色は俺から遺伝したのかもしれないが、まだ幼いけれど顔つきはエリスにそっくりである。

 

 エリスが生んでくれた可愛らしい愛娘へと手を伸ばした俺は、嬉しそうに笑いながらハイハイして寄ってきたラウラを抱き上げた。帰ってきた時の俺の声で自分の父親が帰宅したと理解したのだろうか。

 

「ぱー、ぱーぱー!」

 

「ラウラ、パパが帰ってきたぞー。ははははははっ」

 

「ぱーぱー! きゃはははははははっ!」

 

「うふふふっ。ラウラはパパが大好きなのねぇ」

 

 この娘にラウラという名前を付けたのはエリスだ。彼女とエミリアが幼い頃に一緒に読んでいた絵本に登場する、勇者の仲間のラウラという魔術師が愛娘の名前の由来らしい。

 

 俺の手よりも遥かに小さなラウラの手を握ると、抱き上げられているラウラは大喜びしながらはしゃぎ始めた。

 

 高い高いでもしてあげようかと思っていると、廊下の向こうにあるリビングからもう1人の蒼い髪の女性が、同じく蒼い髪の幼い子供を抱きながら歩いてきた。

 

 顔つきはエリスと瓜二つだけど、髪型はポニーテールだし、身に纏う雰囲気は真逆だ。エリスは他人を受け入れてくれそうな優しい雰囲気を纏っているんだが、彼女は凛々しい雰囲気を放っている。エプロン姿で家事をする彼女も美しいんだが、一番似合うのは黒い制服を身に纏って剣を持っている姿だろうか。この異世界で一番最初にできた仲間を見つめながら、初めて出会った時の事を思い出してしまう。

 

「おかえり、力也」

 

「ただいま、エミリア。……タクヤも出迎えてくれるのか?」

 

「うー………」

 

 エミリアが抱いている赤ん坊は、俺とエミリアの息子だ。髪の色と顔つきはエミリアにとてもそっくりで、きっと成長したら女に間違えられてしまうのではないかと思ってしまう。それどころか、母親と間違えられてしまうのではないだろうか。髪型まで同じにしてモリガンの制服を身に纏ったら見分けられる自信がない。

 

 彼にタクヤという名前を付けたのは俺だ。漢字にすると『拓也』だろう。

 

 最近は少しずつ傭兵よりも冒険者の方が仕事が多くなっているし、おそらく子供たちが成長した頃にはこの世界の主役は冒険者になっていることだろう。子供たちには、冒険して〝切り拓いて”ほしい。だから彼はタクヤという名前にした。

 

 フロンティアスピリットの詰まった名前だな。

 

「おいで、タクヤ」

 

 エミリアが抱いている息子にも手を伸ばすが、ラウラよりも大人しい性格なのか、タクヤは俺の手を嫌がるようにエミリアにしがみつくと、俺を無視して母親に甘え始める。

 

「あうー………」

 

「ふふっ。タクヤはパパよりも、ママの方が好きなのか?」

 

「………」

 

 息子に嫌われてるのかな………。

 

 触るなと言わんばかりに俺の手を拒絶し、エミリアに甘え続けるタクヤ。息子に拒絶されてがっかりする俺を見ながら、エミリアとエリスが大笑いする。

 

 俺も苦笑いするが、自分の子供に拒絶されるのってショックだぞ………。

 

 抱き上げられているラウラが、タクヤに拒絶されてがっかりする俺の頭を撫でてくれる。ありがとな、ラウラ………。や、優しい娘だなぁ………。

 

 家族たちとしばらく笑い合った後、俺はエミリアが作ってくれた朝食をいただくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋の中を支配しているのは、強烈な薬品の臭いだった。ベッドの近くの小さな机には花が飾られているけど、その花の香りでこの薬品の臭いに太刀打ちできるわけがない。せいぜいベッドの周囲の薬品の臭いを緩和するのが関の山だろうか。

 

 窓でも開ければこの臭いから解放されるのではないかと思ったが、オルトバルカ王国は北国である。春になり始めているとはいえ、まだストーブは必需品だ。だから窓を開ければ、ベッドで眠る人物が冷たい風で苦しむ羽目になる。

 

 真っ白なベッドの上で眠るのは、痩せ細った幼い少女だった。年齢はおそらく3歳か4歳くらいだろう。このドルレアン邸の中にある医務室に来る前に身体を洗ってもらったらしく、長い間培養液の中にいたせいで染み付いていた刺激臭は石鹸の香りにかき消されている。

 

 痩せ細っている以外は普通の少女に見えるが、彼女がかぶっている毛布は、いくら幼いとはいえ太腿がある筈の辺りで膨らみが消え失せていた。

 

「――――――容体はどうだ?」

 

『信じられませんよ………1000年以上も培養液の中で眠っていた筈なのに、普通に眠っているだけみたいです』

 

「もしかすると、あの装置は生命維持装置のような代物だったのかもな」

 

 メウンサルバ遺跡の地下にあった、ヴィクター・フランケンシュタインの実験室で、両足がない状態で大昔から眠り続けていた最古のホムンクルスの寝顔は、普通の人間の幼い子供と変わらない。ホムンクルスは元々人間などの遺伝子から造り出されるクローンのようなものなのだから。

 

「それで、この子はどうする? 研究に使うのか?」

 

『そうですね………』

 

 まさか、このホムンクルスの少女で人体実験をするつもりではないだろうな? フィオナは優しい性格だから、本当にマッドサイエンティストだというわけではない筈だ。人体実験をするわけがない。

 

 首は縦に振らないでくれと祈りながら息を呑み、考え込むフィオナの顔を凝視する。

 

『………あははっ、そんな事しませんよ』

 

「よ、よかった………」

 

『今、この子のために義足を作ってるところです』

 

「義足? 俺の義足みたいなやつか?」

 

『いえ、機械で作った義足に挑戦しているんです。力也さんが端末で生産する兵器に影響を受けまして………』

 

「機械か………」

 

 この世界に機械はないからな。代わりに魔術が発展しているんだが、おそらく機械が発展していないのは、魔力は魔術を使うためのエネルギーだという認識を持っているせいなんだろう。この世界の人々に、魔力を魔術のためのエネルギーとしてではなく、それを動力源として巨大な機械を動かすという発想はないらしい。

 

 もしフィオナが魔力で動く機械のようなものを発明し、それが世界中に普及すれば、この中世ヨーロッパに似た異世界で産業革命が起こるに違いない。

 

 産業革命の片鱗を、彼女は造り出そうとしている。

 

「それで、義足を作って彼女にプレゼントした後はどうする?」

 

『はい。彼女を保護して、研究を手伝ってもら―――――――』

 

 遺跡の地下から回収してきた少女をこれからどうするか説明していたフィオナの顔が、ちらりとベッドを見ると同時に凍り付いた。まるで説明するために用意していた言葉を全て抜き取られ、そのまま放置されてしまったかのように硬直してしまったフィオナ。どうして彼女が凍り付いてしまったのかを理解した俺も、ぎょっとしながら静かにベッドの方を振り向く。

 

 真っ白なベッドの上で、純白の毛布をかぶって眠っていた筈の少女が――――――ミステリアスと禍々しさを含有する真紅の瞳で、俺とフィオナを見据えていたのである。

 

「……おい、お、起きてるぞ………」

 

『………!』

 

 最古のホムンクルスが、ドルレアン邸の医務室にあるベッドの上で目を覚ましたのだ。

 

 傭兵を続けていたせいで、警戒心が滲み出すと反射的に右手を腰のホルスターへと伸ばしてしまう。だが、相手はいくら最古のホムンクルスとはいえ、普通の人間と変わらない幼い子供なんだ。俺は敵に全く容赦はしなかったが、幼い子供は一度も殺していない。もしホルスターからハンドガンを引き抜く羽目になったとしても、威嚇射撃で済ませるつもりだ。彼女が俺たちに襲い掛かって来るのならば、格闘で昏倒させるしかない。

 

 すると、リディア・フランケンシュタインはゆっくりと起き上がった。培養液の中ではなく、医務室の中で眠っていることに驚いているのだろうか。眠そうな瞳を見開き、薬品の並ぶ棚や机の上の花を見渡してから、俺とフィオナをもう一度見据える。

 

「………リディア・フランケンシュタインだな? 言葉は分かるか?」

 

 1000年以上前という事は、現在の言語ではなく古代語と呼ばれる大昔の言語が使われていた時代だ。だから今の言語で話しかけても、彼女にとっては全く聞いたことのない異国の言語と変わらない。

 

 知り合いの中で古代語を話せるのはガルゴニスだけだ。彼女に通訳をお願いするべきだったと後悔しながら問い掛けたが、俺を見つめていたリディアは目を少しだけ細めたかと思うと、驚くべきことに首を縦に振った。

 

 今の言語が分かるのか………?

 

 全く聞いたことがない筈の現代の言語を理解していることに驚いたけど、驚愕は溶けていく氷のように消え去り、新たに違和感が俺の脳裏を侵食する。

 

 目を覚ましたリディアは、全く言葉を喋る気配がないのである。

 

 普通ならば、ここはどこなのかと質問して来る筈だ。混乱していて質問できないだけなのかもしれないが、混乱しているにしては全く感心していないかのように落ち着いている。なのに、彼女は黙って俺とフィオナを凝視するだけだ。

 

「………喋れないのか?」

 

「………」

 

 首を横に振るリディア。俺たちの言語を理解し、自分も話す事ができる筈なのに、なぜかこの少女は全く喋らない。遺跡の中から連れてきた時もずっと眠っていたのだが、その時は寝言すら言わなかった事を思い出した俺は、何も喋らない彼女を見つめながら首を傾げる。

 

「何か、喋れなくなる呪いでも受けているのか?」

 

「………」

 

 また首を横に振るリディア。呪いを受けていないなら喋れる筈だ。このように質問していれば辛うじて意思疎通はできるが、こちらが彼女の気持ちを予測して質問しなければならないから手間がかかってしまう。

 

 肩をすくめてから頭を掻き、「変わった奴だ」と言いながら息を吐く。

 

 勝手に遺跡の中から連れ出した俺たちに敵意を持っている様子はないため安心したが、これからこの喋らない少女とどうやってコミュニケーションを取ればいいのだろうか。それに、義足を付けた後はリハビリもしなければならない。

 

 リハビリが終わって動けるようになった後は彼女を保護する予定だが、さすがにモリガンの本部は転生者の襲撃を受ける危険性があるため、しばらくドルレアン邸で預かってもらう予定だ。カレンとギュンターは、きっと彼女との意思疎通に苦戦する事だろう。

 

 すると、ベッドの上のリディアが毛布の中から痩せ細った手を伸ばし、手招きを始めた。生命維持装置の中で眠っていたとはいえ、1000年以上も何も食べていなかった彼女の手はぷるぷると震えていたけれど、どうやら俺を呼んでいるようだ。

 

 返答してもらえないだろうと思いながら「どうした?」と問いかけ、彼女の傍らへと向かう。近くにあった椅子に腰を下ろすと、リディアは手招きしていた手で自分のお腹に触れ、震えながらお腹をさすり始めた。

 

 お腹が空いてるのかな?

 

 確か、まだ制服のポケットの中にドライフルーツが入った小さなケースが入っていた筈だ。戦場での食事のために用意してもらった非常食だが、彼女の口に合うだろうか。

 

 ポケットの中から非常食の入った小さなケースを取り出し、蓋を開けてから中に入っている小さなドライフルーツをいくつか差し出す。ドライフルーツを見たことがなかったらしく、容器の中から現れたドライフルーツを見たリディアは警戒していたみたいだけど、甘い香りは嗅ぎ慣れた香りだったようで、ドライフルーツを痩せ細った手で掴んでから口へと運んだ。

 

「………!」

 

「美味しい?」

 

「……! ………!!」

 

 首を縦に振り、目を見開きながら更に手を伸ばしてくるリディア。やはりお腹が空いていたらしいが、小さなケースに残っていたドライフルーツでは満腹にならないだろう。

 

「ちょっと待ってろ。………フィオナ、厨房に行ってくるからこの子の面倒を見ててくれ」

 

『あ、手料理をご馳走してあげるんですか?』

 

「ああ。お前の料理ほど美味くはないだろうけどな」

 

 前世の世界では1人暮らしをしていたから、エミリアやフィオナのように美味い料理を作れるわけではないが、俺も料理は得意だ。

 

 フィオナにリディアの面倒を見てくれと頼んだ俺は、彼女に何を作ってあげようかと考えながらドルレアン邸の厨房へと向かった。

 

 

 

 

 



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弟子

 一般的な家を3軒ほど建てられるのではないかと思うほど広いドルレアン邸の庭は、たった1人の幼い少女が駆け回るには広過ぎたかもしれない。しかし、1000年以上も狭い装置の中でケーブルに繋がれながら眠っていたのだから、これほど広い遊び場でなければ彼女は満足することはないだろう。

 

 メウンサルバ遺跡から連れてきたリディアは、全く言葉を発しない奇妙な少女だったけど、全く感情がないというわけではないようだ。人形で遊んであげると喜んでくれるし、遊んでいる最中に転ぶと涙目になりながら俺のところへとやってくる。

 

 それに、どういうわけか現代の言語も理解しているらしく、絵本を読んであげると普通の子供のように楽しそうに笑いながら絵本を凝視しているのだ。

 

 彼女をドルレアン邸へと連れて来てから1ヵ月も経過しているというのに、リディアは全く喋らない。ドルレアン邸で雇われている使用人たちも、彼女の声を一度も聞いたことがないという。

 

「彼女が、私の大先輩というわけか………」

 

 広すぎる庭を笑いながら駆け回るリディアを眺めながら、隣で彼女を見守っていたエミリアが呟いた。

 

 彼女はエリスの1つ年下の妹という事になっているが………正確には、彼女は人間ではなくホムンクルスに分類される。

 

 レリエルの心臓を貫いたといわれる魔剣を復活させるための生け贄として生み出されたエミリアは、エリスと同じ母親から生まれた実の妹ではなく、エリスの遺伝子情報を元に生み出されたホムンクルスなのだ。それゆえに、彼女を生み出した方法を確立した伝説の錬金術師が、一番最初に生み出したホムンクルスであるリディアはエミリアにとっては大先輩なのである。

 

 だが、モリガンの仲間たちはエミリアの事をホムンクルスではなく、大切な仲間だと思っている。もちろん俺も大切な仲間だと思ってるよ。それに、彼女は俺の妻だからな。

 

 一番最初に異世界で出会って、一緒に戦った仲間は俺の妻になってくれた。出会った時から変貌してしまった(怪物)を受け入れてくれたのだ。

 

 かぶっていたシルクハットを静かに取り、右手を頭へと伸ばす。炎のような赤毛の中に埋まってしまっているが、頭皮から突き出ている硬い物体は変異した際に生えてきた角だった。

 

「………!」

 

 頭の角に触れながら昔の事を思い出していると、庭で遊んでいたリディアは俺とエミリアが見守っていることに気付いたらしい。追いかけ回していたボールを両手で抱えながらこっちへとやってきた彼女は、ボールを横へと放り投げると、まるで両親に甘える小さな子供のように俺に飛びついてきた。

 

「うおっ!? ………ははははっ、元気がいいな」

 

「ふふっ」

 

 飛びついてきたリディアをそのまま抱き上げ、ラウラと遊ぶ時のように高い高いを何度かやってから地面へと下ろす。もう少しやって欲しかったのかリディアは俺の顔を見上げながら手を伸ばしてきたけど、俺は笑いながら首を横に振り、かぶっていたシルクハットを彼女の頭にかぶせて誤魔化した。

 

 両足を失った状態で眠っていた彼女には、もうフィオナが製造した機械の義足が装着されている。桜色の可愛らしいワンピースの下から覗くのは肌色の皮膚ではなく、人工的に造り出された鈍色(にびいろ)の足だった。

 

 指の形状などは人間の足と比べると簡略化されているけど、フィオナがリディアのために4日で作り上げた義足は作動不良を起こす気配はなかった。ちゃんと彼女の両足となり、リディアを外で遊び回る事ができる子供へと戻している。

 

「それにしても………リハビリをたった半月で終わらせたのだろう?」

 

「ああ。それに、最近はギュンターの奴が遊び半分で剣術を教えてるらしいぞ」

 

「ほう?」

 

 剣術を重視するラトーニウス王国騎士団に所属していたからなのか、エミリアはリディアが剣術を習っていると聞いた瞬間、大きなシルクハットをかぶせられたままきょとんとしているリディアを見下ろした。

 

 モリガンの傭兵たちは、俺や信也が端末で生産した銃を多用する。だが、メンバーの中でもエミリアは剣に非常に思い入れがあるらしく、どのような任務の時も必ず剣を装備している。

 

 8歳で騎士団に入団し、教官に怒鳴られながら訓練を続けてきた彼女は、ナバウレアの駐屯地に配属されてからは同期の騎士たちよりも高い戦果をあげ、12歳の頃には何度か実戦で分隊を指揮したこともあったという。

 

 当時から常に剣を使っていたから、思い入れが特に強烈なのだろう。

 

 同じように幼い頃から剣術を習っているリディアに共感したのかもしれない。

 

 興味深そうにまだリディアを見下ろすエミリアを見て、もしかすると彼女に剣術を教えようと思っているんだろうなと察した俺は、「遊び半分で習ってるんだからな?」と釘を刺してからもう一度リディアを抱き上げた。

 

 大昔のホムンクルスとはいえ、リディアの年齢はまだ4歳だ。エミリアから厳しい訓練を受けるには幼過ぎる。

 

「む………なら、もう少し大きくなったら私が剣術を教えてやろう。彼女を立派な騎士に育てるのだ」

 

「いや、フィオナが反対するかもしれないぞ? 彼女はリディアを助手にする予定かもしれないし」

 

「なに!? ………だ、だが、白衣姿も似合うかもしれないな…………。なあ、リディア。お前は騎士と技術者だったらどっちに興味があるのだ?」

 

「………?」

 

 小さな手で大きなシルクハットを抑えながら首を傾げるリディア。おそらく俺たちの言語は理解しているんだろうが、〝騎士”と〝技術者”という単語の意味が分からないのかもしれない。

 

 彼女の将来の夢を勝手に決めるべきではないとおもったエミリアはリディアに問い掛けるが、リディアは俺のシルクハットをかぶったまま首を傾げたままだ。

 

 やっぱり、何も喋らないこの子との意思疎通は難しいなぁ………。

 

「まだ4歳だもんな。いっぱい遊ぶんだぞ、リディア」

 

「………!」

 

 抱き上げられながら頷いたリディアを地面に下ろし、笑いながら彼女の頭を撫でるために手を伸ばす。シルクハットの上から撫でるわけにはいかないので一旦俺の帽子を返してもらおうと思ったんだが――――――シルクハットが気に入ったのか、両手でシルクハットを抑えたまま駄々をこねるように首を横に振られてしまう。

 

 え? シルクハットが気に入ったの?

 

 もう少し手を近づけてみると、首を横に振っていたリディアは涙目になりながら首を横に振り始めた。どうやら俺の帽子を手放したくないらしい。

 

「わ、分かった。ほら、その帽子はあげる。プレゼントだ。だから泣くなよ………」

 

「………!」

 

 首を振るのを止め、顔を見上げるリディア。俺から帽子を貰えたのが嬉しかったらしく、改めて自分で帽子をかぶり直すと、庭に植えてある木の近くに落ちていた枝を拾い上げた。

 

 おそらく、庭の手入れをしている使用人が拾うのを忘れていたんだろう。その木の枝を持って杖のようにしながら戻ってきた彼女を見守っていた俺は、リディアがその木の枝を杖の代わりにしていることに気付き、エミリアと一緒に笑ってしまう。

 

 ははははっ。リディアは俺の真似がしたかったのか。

 

 シルクハットをかぶって杖を持ち、紳士になりきるリディア。幼い子供の遊びに、俺も付き合ってやることにした。

 

「ははははっ。リディア、紳士になりたいんだったらスーツも着ないとな」

 

「………」

 

「じゃあ、もっと大きくなったらスーツもプレゼントしてあげよう。………ところで、何か欲しい物はないか? もしあったら教えてくれ」

 

 フィオナは彼女を研究のために回収してきてくれと俺たちに依頼した。けれども、連れてきた彼女からデータを取っただけで、彼女に義足を作ってからは勉強を教えつつ遊び相手になっているという。

 

 今では、リディアは俺たちの子供のようなものだった。

 

 俺の真似をしている彼女に質問した俺は、彼女は全く言葉を話さないのだから欲しいものを教えてくれないだろうなと察し、苦笑いしながら可能性の低い返答を待つ。

 

 すると、首を傾げていたリディアが左手を静かに持ち上げ――――――俺やエミリアよりも遥かに小さな左手で、俺たちを同時に驚愕させた。

 

 ――――――なんと、リディアは『何か欲しいものはないか?』と質問された後に、俺を指差していたのである。

 

「――――――は?」

 

「え?」

 

 お、俺が欲しいの………?

 

 おもちゃでも欲しがるんだろうなと思いながら、早くもリディアのためのおもちゃを購入できそうな雑貨店を絞り込み始めていた俺は、幼い少女の不意打ちと肩透かしを同時に喰らい、目を丸くする羽目になった。

 

 嘘だろ? 一緒にいろって事なのか?

 

「り、リディア……? あの―――――――」

 

 まだ俺を指差しているリディアを説得しようとしたその時だった。猛烈な怒気と殺気の激流が、傍らから襲来してきたのである。

 

 ぎょっとして隣を見てみると、やはりその殺気の発生源は隣で拳を握りながら唇を噛み締めていた俺の妻だった。

 

 まるで依頼を受けて敵と戦っている時のような殺気を俺に向けつつ、何歩か後ろに下がって距離を取る。ちょ、ちょっと待てエミリア! 何で距離を取るんだ!? ま、まさか―――――ぶっ放すつもりなのか!? あの『対転生者用ドロップキック』をッ!?

 

「お、落ち着けエミリ―――――――」

 

「この………ロリコンがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 距離を取ったエミリアが、ブチギレしつつ絶叫しながらジャンプし―――――俺に向かって空中で両足を突き出した。

 

 小さい頃から騎士団で訓練を受け、俺よりも何度も実戦を経験して鍛え上げられたエミリアの身体能力は転生者並みである。凄まじい瞬発力によって底上げされた獰猛なドロップキックは、まるで戦闘機から発射されたミサイルを思わせる速度で俺に飛来し―――――いつも通りに、俺のみぞおちに直撃した。

 

「――――あばかんッ!?」

 

 当然ながら弁解する隙は無い。それに避けたら大切な妻が怪我をしてしまう可能性があるので、俺は彼女の蹴りを受け止めなければならないのだ。だから彼女が激昂してこのドロップキックをぶっ放してきたら、俺は必ず喰らっている。

 

 みぞおちに激昂したエミリアのドロップキックをお見舞いされた俺は、呼吸しようとしているのに全く酸素を吸う事が出来ない苦痛と、ヘリや飛行機から飛び降りた時のような感覚を同時に味わいながら吹っ飛ばされた。

 

 頭を地面に叩き付け、縦に回転しながら続けざまに花壇の縁に背中を打ち付ける。更に後頭部を芝生に擦り付ける羽目になった俺は、念のためポケットに入れておいたエリクサーの瓶を取り出すと、一口飲んで回復してから静かに立ち上がった。

 

「こ、この馬鹿者ッ! まだ幼い子供だというのに、お前は――――――」

 

「い、いや、もしかすると俺が欲しいんじゃなくて………父親が欲しいんじゃないのか?」

 

「えっ?」

 

 一口飲めば一瞬で傷口をできる筈のエリクサーでも消し切れないみぞおちの痛みに耐えつつ、俺はやっと弁解することができた。

 

 遺跡の中で、ずっと1人で眠っていたリディアの家族はとっくの昔に死んでいる。彼女と同じように自分自身のホムンクルスを作り、記憶や自我を魔術で調整して与えない限り、彼女の家族は存在しない。

 

 リディアが生み出された時点で、彼女の家族は父であるヴィクターだけだったのだ。記録では彼女の母親はオリジナルのリディアを出産してから、数週間後に亡くなっている。

 

 だからリディアは母親を覚えていない。彼女が家族だと認識できたのは、父親のヴィクターだけだろう。覚えのない母親が欲しいと言い出すよりも、父親を認識しているのならば父を欲する筈だ。

 

「そ、そうなのか?」

 

「………」

 

 エミリアに問い掛けられたリディアは、妻にドロップキックされた俺を見ておろおろしながら首を縦に振る。やはり俺の仮説は合っていたようだ。

 

「す、すまない、力也………!」

 

「気にしないでくれ。ちゃんとエリクサーで回復したから」

 

「大ダメージだったのか………」

 

 妻の蹴りは強烈だからな。普通の人間が喰らったら失神してるんじゃないか?

 

 謝罪を続ける妻を「大丈夫だから気にすんなって」と励ましながら、まだおろおろするリディアを見下ろす。

 

 俺たちには、もう子供がいる。大切な仲間が生んでくれた最愛の子供たちだ。

 

 父親と母親になったからこそ、子供を迎え入れる事が出来るのかもしれない。全く血のつながっていない子供を家族にするという決断は、結婚していなければ難しい事だろう。

 

 父親を欲するリディアが俺に父親になって欲しいと要求するのならば、彼女の父親になってやろうではないか。彼女を置き去りにせずに、俺たちが育てて見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の刀身がぶつかり合う金属音が、しんとしていた庭で暴れ回る。静寂は既に荒々しい金属音に追い出されており、冷たい風の中で得物を振るい続ける俺の彼女の独壇場へと変わり果てていた。

 

 ボウイナイフを逆手持ちに持ち替え、力任せに振り払う。九分九厘空振りするだろうと思いつつ振り払った一撃だったが、やはりその斬撃は彼女に命中することはなく、冷たい風の中を突き抜けただけだった。

 

 ナイフの持ち方を元に戻しつつ、反射的に右へと身体を傾ける。俺から見て左下から右上へと漆黒の刀身が通過して行き、切り裂かれた空気の残滓と、回避しなければ両断されていたという恐怖を俺の頬へと吹きかける。

 

 このまま斬り合うわけにはいかないと判断した俺は、まだ応戦すると見せかけて距離を取り、息を吐きながら感心していた。

 

 ――――――彼女はかなり成長している。まだ手加減しているが、本気を出したとしても彼女は俺の動きを見切り、反撃してくるに違いない。

 

「………よし、リディア。ここまでにしよう」

 

「………」

 

 4年前にメウンサルバ遺跡から保護してきた時から、結局彼女は何も喋らないままだった。フィオナに勉強を教えられている時も、俺やエミリアの弟子として戦い方を教わっている時も全く声を出さない。定期的に王都からエイナ・ドルレアンまで会いに来れば大喜びしながら出迎えてくれるのだが、その時も何も喋らずニコニコ笑っている。

 

 喋らない事は変わらなかったが――――――8歳になったリディアは、当然ながら成長していた。

 

 身長は伸びたし、雰囲気も少しだけ大人びたような気がする。一言も喋らないせいでクールというよりも冷たい雰囲気を放つ少女だが、感情が全くないというわけではない。喋らない事を除けば、他の子供たちと同じく感情豊かな少女である。

 

 だが、愛用の刀を手にして俺と訓練する時は――――――本当に冷たくなる。

 

 ミステリアスと禍々しさを含有する真紅の瞳は、まるで含有する雰囲気の比重が狂ったかのように冷たくなり、感情豊かだった彼女の表情も、本能が取捨選択しているかのように無表情以外は切り捨てられるのだ。

 

 彼女を作ったヴィクター・フランケンシュタインが、リディアというホムンクルスを設計した際にそのように魔術で調整したのかもしれない。

 

「強くなったなぁ、リディアは」

 

「………っ」

 

 照れたのか、顔を赤くしながら微笑むリディア。かちん、と漆黒の刀の刀身を鞘の中に戻した彼女は、腰の得物から手を離すと、かぶっていたシルクハットを取ってから俺に頭を下げた。

 

 彼女がかぶっている帽子は、4年前に俺が譲ったシルクハットだった。あの時はおもちゃ代わりにして遊ぶのだろうと思っていたんだが、リディアはなかなかあの帽子を手放すことはなかった。シャワーを浴びる時や眠る時以外は常にかぶっているほど気に入ったらしい。

 

 あの時から俺の真似をしていたリディアだが、今では服装まで真似している。まだ8歳だというのに私服よりも黒いズボンとスーツを好み、あの時俺から譲り受けた帽子をかぶっているのだ。可愛らしいスカートや美しいワンピースには全く興味がないらしく、俺と同じ恰好でいる事が多いという。

 

 変わった少女だ。以前にフィオナが洋服を作ってあげたらしいんだが、あまり気に入ってもらえなかったらしい。

 

 刀を下げた奇妙な紳士との訓練を終えた俺は、肩を回しながら呼吸を整えた。

 

 エミリアや俺から戦闘訓練を受けた彼女の実力は、モリガンでも傭兵見習いとして採用できるほどだ。もしかすると、もう転生者を倒せるかもしれない。

 

 そろそろリディアを実戦に連れて行ってもいいのではないだろうか。

 

「なあ、リディア」

 

「?」

 

 刀を腰に下げたまま、ドルレアン邸へと戻っていこうとする奇妙な紳士を呼び止める。くるりと後ろにいる俺を振り返った彼女は、きょとんとしながら真紅の瞳で俺を見つめてきた。

 

「そろそろ、実戦に行ってみないか?」

 

「………!?」

 

 手加減していたとはいえ、刀だけで俺と互角に戦っていたのだ。彼女の力が転生者に通用しないわけがない。

 

 それに、保護者という事で俺も同行するのだから問題はないだろう。

 

 俺は休日になると、タクヤやラウラと一緒に森へ狩りに行くようにしている。さすがにまだ5歳の姉弟に銃を撃たせてはいないが、あの2人は俺と一緒に狩りに行くのを楽しみにしているのだ。

 

 いつかタクヤとラウラにも教えるつもりだが―――――――俺の獲物は、動物だけではない。

 

「―――――――狩り方を教えてやる、リディア」

 

「………!」

 

 にやりと笑いながら、リディアは首を縦に振った。

 

 子供たちを狩りに連れて行ったように――――――リディアも、更に獰猛な狩りへと連れて行く。

 

 そして、彼女を立派な狩人に育て上げる。この異世界で人々を虐げ、蝕むクソ野郎を狩る恐ろしい狩人に。

 

 もう1人の、転生者ハンターとして育て上げるのだ。

 

 彼女は―――――――転生者ハンターの弟子なのだから。

 

 

 




※アバカンはAN-94の別名です。ちなみにロシア製アサルトライフルです。


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異世界のバネ足ジャック

 

 モリガンの傭兵たちが、メウンサルバ遺跡からリディア・フランケンシュタインを回収してから16年後の事であった。17歳になり、冒険者となって旅へと出発したタクヤとラウラの2人とすれ違うかのように、ある噂話が王都の防壁の中で生まれたのである。

 

 奴隷を売る商人や、人々を虐げる貴族がオルトバルカ王国中で次々に消されているというのだ。

 

 剣のような武器で死体は必ず両断されており、商人や貴族を守ろうとした兵士たちも同じく両断され、皆殺しにされているというのである。奴隷たちからすれば自分たちを救ってくれる英雄かもしれないが、奴隷を購入する資本家や貴族からすれば、労働力を削り取っていく厄介な殺人鬼でしかない。だから騎士団がその殺人鬼を討伐するために騎士を派遣したのだが………現場にすぐに向かっても、その殺人鬼を捕捉することは出来なかったという。

 

 だが、狙われる可能性のある貴族の屋敷に派遣された騎士たちが、その貴族を殺し、屋根の上へと逃げていくその殺人鬼を見たという報告が1件だけ存在する。

 

 彼らが言うには、その殺人鬼は紳士のような恰好をした人間だったと言うのである。スーツとシルクハットを身に着け、まるでその服装に抗うかのように腰には東洋の刀を下げた奇妙な格好の人間が、屋敷から出て来たと騎士団長に報告したのだ。

 

 冒険者でもそのような恰好をするものはごく少数だろう。だが、この報告だけならば変わり者だということで許容できる。しかし、騎士団長が目を疑い、この報告をした騎士たちを全員呼び出す羽目になるのは、この後に続く奇妙な報告であった。

 

 ―――――――なんと、その殺害された貴族の屋敷の天井まで一瞬でジャンプし、そのまま屋根の上を走って逃げていったというのである。

 

 護衛すべき貴族の護衛に失敗し、殺人鬼を取り逃がした挙句現実味のなさ過ぎるおかしな報告をしてきた部下たちを、騎士団長は何度も怒鳴りつけた。百戦錬磨の騎士だろうと反論することのできないほどの権幕だったのだが、彼に怒鳴られた騎士たちは彼の権幕に怯えるどころか、「見間違いではない」と反論してきたのだ。

 

 その後も騎士団は貴族や商人の護衛を続けたが、その殺人鬼は騎士団が到着する前に標的を殺し、お前たちと戦うつもりはないと言わんばかりに逃走してしまう。たった1人の殺人鬼のせいで騎士団の評価が落ちていく中、その殺人鬼を目にした騎士たちは―――――――その殺人鬼を、『バネ足ジャック』と呼ぶようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 ある1人の天才技術者が新たな動力機関である『フィオナ機関』を完成させ、産業革命を引き起こしてからも、大通りからあらゆる方向に延びる細い路地は変わらない。相変わらず左右に巨大な建物が鎮座するせいで日の光は殆ど当たらず薄暗いため、盗賊やギャングの隠れ場所や逃走経路にはうってつけだ。

 

 だが、ここを通って逃げるのはギャングや盗賊だけではない。しばしば何者かに追われている者も、その暗闇を利用して逃げ去るべく路地を利用する。

 

 置く場所がないために路地に積み上げられた木箱を蹴り倒し、転がっていた空のワインの瓶をお構いなしに黒いスニーカーで踏み潰しながら駆ける少年も、利用者の1人と言えた。

 

 産業革命によって建築様式や住民たちの服装は大きく変わり、黒いスーツやドレスを身に着ける人々が増えているものの、さすがに彼のようにジーンズとパーカーを身に纏って街を歩く者はいないだろう。この世界の人々から見れば、彼の服装は先進的過ぎるし、奇妙過ぎた。だから大通りを逃走すれば九分九厘目立ってしまう。

 

(く、くそっ!)

 

 壊れかけの木箱に止めを刺すように蹴り飛ばしながら路地を進み、ゴミ袋が積み上げられている場所を左折する。少しだけ広くなった路地をそのまま突き進み、水溜りの水でジーンズを濡らしながら、彼は必死に逃げ続けた。

 

 ちらりと後ろを確認してから、今度は屋根の上を見上げる。彼と同じように路地を追って来る可能性は低いだろう。彼の命を狙う襲撃者が追って来るならば、屋根の上を走ってくる可能性の方が高いのだ。

 

 その少年は、この世界に住む人間ではなかった。

 

 この世界と違って魔術や魔力が全く存在しない世界で死亡し、携帯電話にも似た奇妙な端末を与えられてこの世界へと転生してきたのである。

 

 いきなり奇妙な端末を与えられ、その端末で様々な武器や能力をポイントと引き換えに造り出せるという機能を全く信じていなかった少年は、半信半疑でその端末を使い――――――襲撃者に追われるまでは、手に入れたその力に酔いしれていた。

 

 前世の世界では、こんなことは出来なかった。家にあるゲームでしかできないような能力を、異世界で手に入れてしまったのだ。

 

 ゲームの中の能力ではない。現実で使う事ができる、汎用性が高い上に圧倒的な能力。現実で使う事ができるだけに、ゲームをプレイした時に感じる快感や優越感はより強烈になり、彼を瞬時に虜にしてしまった。

 

 今の自分には圧倒的な力がある。だから刃向かってくる輩を叩きのめす事ができるし、前世の世界で感じ続けていた鬱憤を晴らすこともできる。

 

 ここは前世の世界とは違う。自分に逆らう奴らは、この力で叩きのめしてやればいいのだ。

 

 猛烈な優越感の渦の中で、その少年は他の転生者と同じ運命を辿り始めていた。

 

 圧倒的な力を手に入れたために、どんなことをしても良いと勘違いしてしまったのである。村を占領し、食料や金品を独占して、女たちを奴隷にしても問題はない。盾突いて来る者たちは叩きのめし、処刑してしまえばいいのだから。

 

 そんな事を実行した転生者が、そういった愚者たちを狩り続ける恐ろしい狩人たちに何人も狩られていることを、彼は知らなかったのである。

 

 少年を追っているのは、まさにその〝恐ろしい狩人”であった。

 

 大きなマンションの裏を通り抜け、工場の近くにある倉庫へと到達した彼は、呼吸を整えながらやっと走るのを止めた。

 

 王都の中にある奴隷の商人が開いている店から2kmもずっと走って逃げ続けていたのだから、さすがにもうその襲撃者が追って来ることはないだろう。それに、走る速さは端末の機能であるステータスのおかげで前世の世界よりも早くなっていたから、いくら凄腕の殺し屋でも追いつくことは出来ない筈だ。相変わらずスタミナが前世と変わらないのは悩みの種だが、それは自分で鍛えるしかないのだろう。

 

 面倒だが、スタミナのためにも後で今回よりも落ち着く事ができるようなランニングをしておくべきだろうと思いながら顔を上げた彼は――――――倉庫の屋根の上に浮かぶ三日月の前に、人影が見えたことに気付いて絶句した。

 

「………ッ!」

 

 他の倉庫と同じ建築様式のせいなのか、全く個性的ではない倉庫の屋根の上に――――――短いマントの付いた漆黒のコートと、シルクハットを身に着けた襲撃者が立っていたのである。

 

 顔は見えないが、シルクハットの下から紫色のセミロングの髪が覗いているという事は女性なのだろう。大通りでよく見かける紳士のような恰好をしているにもかかわらず、腰に下げている得物は服装とミスマッチとしか言いようのない東洋の刀だ。大きめの鍔からはフィンガーガードが伸びており、柄の形状は日本刀と言うよりは旧日本軍で使用されていた軍刀に近い。

 

 奇妙な格好だったが、その奇妙な格好の人影が先ほどから少年を襲っている襲撃者の正体であった。

 

 片手でシルクハットを抑え、帽子に飾ってある真紅の羽根―――――おそらくハーピーから取れる真紅の羽根だろう―――――を夜風の中で揺らしながら、その人影は倉庫の屋根から飛び降りた。上着についている短いマントをたなびかせながら着地した襲撃者左手をシルクハットから離すと、ミステリアスと禍々しさを纏った真紅の瞳で少年を睨みつけつつ、倉庫の出口に立ちはだかる。

 

 倉庫から逃げるには、少々高い塀を乗り越えなければならない。だが、この襲撃者のスピードならば、少年が塀に触れるよりも先に急迫して両断する事ができるだろう。

 

 逃げようとすれば殺される。ならば――――――戦い、返り討ちにするしかない。

 

 息を呑んだ少年は、ポケットの中から携帯電話のような端末を取り出すと、素早く画面を指でタッチして武器を装備する。この世界にやって来てからは試しにハンドガンを生産してみたのだが、全く銃の事を知らない少年は安全装置(セーフティ)の解除の方法も分からず、ぴくりともしないトリガーを引き続けて諦めた事があるため、扱いやすいロングソードを愛用している。

 

 中心部が真っ赤に塗装された漆黒のロングソードを鞘の中から引き抜いた少年は、標的である自分が武器を抜いたというのに、自分の得物である刀の柄に手をかけていない襲撃者を睨みつけた。

 

(油断してんのか………?)

 

 得物を追い詰めたと思って、油断しているのかもしれない。

 

 しかし、あの襲撃者のスピードはこの倉庫の中では役立たずだろう。ここは遮蔽物が多いから、スピードを生かして戦うようなタイプの者には真価を発揮できない。

 

 彼女のような襲撃者が真価を発揮するのは、何もない広い場所なのだ。

 

 だから勝機はある。相手のスピードが半減するのならば、その隙にこちらが攻撃してやればいいのだから。そして攻撃すると見せかけて踵を返し、塀を乗り越えて逃げてしまえばいい。

 

 作戦を考えた少年は、鞘から引き抜いた剣を構えながら走り出した。魔物を倒し、刃向かってくる村人や他の冒険者たちを返り討ちにし続けた彼のレベルは60まで上がっている。あまり強敵とは戦わず、弱い者虐めを続けて上がったレベルだが、ステータスはちゃんと強化されている。

 

 剣術を習ったことは一度もないが、敵に向かって剣を振り払えば、端末がステータスで身体能力を強化してくれているから、技術は全く必要なかった。それほど転生者が端末から与えられる力は強大なのである。

 

 未だに得物に触れず、黙って少年を睨み続ける襲撃者。自分の動きを見切れないのかと思いつつ剣を振り下ろした少年だったが、一撃で魔物を両断してきた彼の斬撃を受け止めたのは彼女の刀ではなく――――――倉庫の床だった。

 

「!?」

 

 斬撃の前にいる筈の襲撃者が、消えていたのである。

 

 砕け散った石畳の床に、月明かりで影が浮かび上がる。剣を振り下ろしたばかりの影と――――――背後に立つ、紳士のような恰好の影だ。

 

 地面の影のおかげで襲撃者が背後に回り込んだことを知った少年は、すぐに剣を振り回して背中を切り刻んでやろうとしたが――――――剣を振り払う最中に、ぐらり、と身体が傾いたような気がした。

 

 左側の肋骨の辺りから胸の右側へとかけて刻まれた、激痛の線。その線の中から溢れ出してきたのは、暖かくて鉄の臭いがする、真っ赤な液体であった。

 

「え―――――――」

 

 転ばないようにしようとしているというのに、足は全く動かない。そのまま転倒している最中のような感覚と激痛を感じ続けていた少年は、地面へと身体が落下していく最中に、既に襲撃者の斬撃は自分に叩き込まれていたのだという事を理解した。

 

 背後を振り向く途中に、腰を捩った体勢のまま屹立する下半身は自分の物だろう。

 

 床の上に崩れ落ち、まだ立ったままになっている自分の下半身を見上げた彼は、先ほどの攻撃を空振りしたと同時にあの襲撃者に斬られ、真っ二つにされていたという事を理解しながら、目を瞑って絶命した。

 

 少年の手から、漆黒のロングソードが消滅する。転生者が絶命すると、その転生者が端末で生産した武器や能力は全て消滅し、その端末も機能を停止してしまうという特徴があるのだ。

 

 この少年が転生者であるという事を知っていた彼女は、今しがた真っ二つにされたばかりの少年の傍らに屈むと、まだ血を流し続けている少年のパーカーのポケットに手を突っ込んだ。暖かい血が発する鉄にも似た臭いの中で顔をしかめつつ、血まみれになった端末がちゃんと機能を停止していることを確認した彼女は、頷いてから端末を自分のポケットの中に放り込み、踵を返して倉庫の外へと歩き出す。

 

 夜風で血の臭いを吹き飛ばし、リラックスした彼女は、再び倉庫の屋根を見上げてから跳躍した。華奢に見える両足が彼女の身体をロケットのように押し上げ、一瞬で屋根の上へと送り届けてしまう。

 

 人々から『バネ足ジャック』と呼ばれる彼女は、騎士団がやってくる前に退散するため、屋根の上をいつものように走り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――お疲れさま、リディア(バネ足ジャック)

 

 王都で有名になった噂話に登場する殺人鬼を、俺は微笑みながら部屋の中に迎え入れた。返り血すらついておらず、血の臭いもしない。本当に獲物を仕留めてきたのかと問い詰めようと思っていたが、部屋の中へと入ってきた彼女が血まみれの端末を取り出したため、俺は納得してから椅子に腰を下ろした。

 

 もう、リディアにとって転生者ですら相手にはならないという事なのだろう。

 

 今回の転生者は比較的弱い奴だったとはいえ、あの小物よりも遥かにレベルの高い転生者を、リディアはもう30人も消している。しかも斬り合いにすらならず、全て居合斬りの一撃だけで撃破しているのだ。

 

 転生者以外のクソ野郎も含めれば、彼女によって両断された犠牲者は100人以上だろう。騎士団には手を出すなという俺の命令も彼女は守ってくれているようである。

 

 俺とエミリアから16年間も戦い方を習い、特に剣術による接近戦を得意な戦い方とする彼女は、今ではモリガン・カンパニーの4つの分野のうちの1つであるインフラ整備分野を統括してもらいつつ、転生者ハンターの弟子として俺の代わりに転生者を始末してもらっている。

 

 つまり、リディアもモリガン・カンパニーの四天王の1人ということだ。

 

 モリガン・カンパニーの事業には、4つの分野がある。それぞれの分野を統括する主任は『四天王』と呼ばれ、その四天王を統括している社長は『魔王』と呼ばれている。

 

「………もう、転生者を狩るのはつまらないか?」

 

「………」

 

 問い掛けると、20歳になったというのに相変わらず何も喋らないリディアは首を縦に振った。彼女はもう成人だが、未だに彼女の声を聞いたことはない。16年間も彼女と一緒に訓練をやったが、辛い筋トレや俺との模擬戦では、呻き声すらあげたことがないのだ。

 

 もう転生者では相手にならないと言わんばかりに首を縦に振ったリディア。おそらく、四天王の中で一番強いのは彼女だろう。もし彼女を21年前に保護していたのならば、モリガンのメンバーにスカウトしていたに違いない。

 

 ならば、彼女に大切な仕事をお願いしてみよう。

 

「――――リディア、お前に大切な任務がある」

 

「?」

 

「エリスと共に、ラトーニウス海の深海にある海底神殿へと向かえ。………その最深部に保管されている、メサイアの天秤の鍵を手に入れるのだ」

 

「………!」

 

 おそらく、タクヤたちも海底神殿へと向かう事になるだろう。もしかするとリディアは、海底神殿でタクヤたちと鉢合わせになるかもしれない。

 

 もし彼らがまだ天秤を手に入れるために旅をしているというのならば――――――必ず止めなければならない。あの天秤は確かに願いを叶える能力を持っているが、あの天秤を使って願いを叶えても、願いは叶っていないのと変わらないのだ。むしろ、絶望が増えるだけだろう。

 

 だから、子供たちには触れさせたくない。それに、そんな代物でも俺の願いを叶えるために手に入れなければならない。

 

 タクヤたちと争奪戦になるのではないかと懸念しているのか、リディアは目を細めながら俺の顔を見下ろしている。

 

 あの子たちには、天秤を渡さない。

 

「――――――タクヤたちと会ったら………あいつらに鍵を渡すな。奪い取れ」

 

「………!?」

 

「俺やエミリアたちの子供だが、構うな。手加減せずに叩き潰し、鍵を手に入れろ。いいな?」

 

「………」

 

 天秤を手に入れるつもりならば、あの天秤がどんな代物なのか教えてやるべきかもしれない。そうすればタクヤたちは諦めてくれることだろう。

 

「知っての通りだが、鍵は3つある。お前が海底神殿に向かっている間に、俺も鍵を手に入れるために倭国へと向かう」

 

「………」

 

 倭国のエゾという場所にある、旧幕府軍の拠点に2つ目の鍵が保管されている。ちょうど旧幕府軍と戦争中の新政府軍を後押しする騎士団から、現地で新政府軍を援護し、戦争を終わらせろという大仕事を頼まれているところだ。

 

 新政府軍を引き連れてエゾの九稜城へと攻め込めば、鍵を手に入れる事もできるだろう。倭国のサムライは剣豪ばかりだと言われているが、こちらには新政府軍と派遣される騎士団向けに開発されたフィオナの最新兵器がある。幕末の戊辰戦争を彷彿とさせる倭国の戦争は、その兵器を投入すればすぐ終結するに違いない。

 

「頼んだぞ、リディア(バネ足ジャック)

 

「………!」

 

 頷いてくれたリディアに微笑んだ俺は、息を吐きながら窓の外を見据えた。

 

 これから、子供たちと鍵の争奪戦を始めることになる。彼らからすれば、俺は夢を邪魔するクソ親父になってしまう事だろう。

 

 タクヤは俺を最高の親父だと言ってくれたが、彼らの旅が終わった後、俺は何と呼ばれるのだろうか。

 

 倭国の戦争よりもそれが気になった俺は、窓を見つめながらため息をついた。

 

 

 

 番外編 最古のホムンクルス 完

 

 第六章に続く

 

 

 

 



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第6章
潜水艇の訓練をするとこうなる


 

 精密な機器の群れを冷たく包み込む耐圧穀の中でも安心していられるのは、前世の世界で海に行くのが好きだったからなのだろうか。仲間たちと精密機器が同居する狭苦しい空間の中でも全く不安を感じないのは、前世の世界の記憶がその不安を上回っているからなのかもしれない。

 

 耐圧穀の向こう側から聞こえてくる水の音と精密機器の作動する音を聞きながら、久しぶりに前世の世界で過ごした時の事を思い出す。

 

 日常的に暴力を振るっていたクソ親父は、俺や母さんと外出することを嫌っていた。だから出かけようとすれば、基本的に俺は母さんと2人きり。外出して家に戻るまでは、その間だけとはいえ俺たちは解放されていた。

 

 母さんと出かけた場所の中でも、特に俺は海が好きだった。綺麗な蒼空と、やや違う蒼で彩られた海面。大嫌いな父親と猛暑を同時に忘れられる海で、俺はいつも母さんに見守られながら泳いでいた。

 

 そう、嫌いなことを忘れられる場所だから。

 

 痛みを―――――――捨てられる場所だったから。

 

 だから、このまま俺だけ沈んでしまってもいい。蒼と黒が支配する深海で眠ってしまってもいい。家に帰ることになる時間が近づくにつれて、俺は海に潜って足がつかないほど深い場所を見つめながら、そう思い続けていたものだ。

 

 でも、もうあの父親に会うことはない。なぜならば俺はもう飛行機事故で死亡し、転生したのだ。それゆえにあの世界を捨てる事ができた。

 

「目標地点に到達。ブロー開始」

 

 深海の中で思い出した前世の世界の思い出を、後ろにある艇長の座席に座る少女の声が塞き止める。今は昔の事を思い出している場合ではないと言わんばかりに冷たい声音だったが、彼女は俺が昔の事を思い出しているという事を見透かしていたのだろうか?

 

 仲間たちどころか、幼少期から一緒に過ごしてきたラウラにすら俺が転生者であるという事は明かしていない。俺が転生者だという事を知っているのは、父であるリキヤ・ハヤカワのみだ。

 

 だからナタリアが、俺が前世の事を思い出しているのを見透かしている筈がない。考え過ぎだ。

 

 少しだけ首を横に振り、「了解、メインタンクブロー」と復唱した俺は、手元にあるモニターをタッチして操作しつつ、目の前にある操縦桿にも似たレバーを少しずつ引き上げ始めた。

 

 水の音が、変わる。

 

 耐圧穀の纏っていた海水たちが、斜め後ろへと置き去りにされていく。猛烈な水圧に別れを告げるように、俺たちの乗る潜水艇が浮上していく。

 

 モニターに表示される深度を意味する数値がどんどん減少していく。やがてその数値が3桁を切ったところで、俺は目の前に出現する筈のメッセージを予測しつつ、操縦桿から左手を離していた。

 

《浮上しました。トレーニングモードを終了します》

 

「ふう………。みんな。訓練は終わったぞ」

 

「はぁ………」

 

「お疲れ様ですわ、みなさん」

 

「ふにゃあー………」

 

「終わりましたね」

 

 モニターから目を離し、座席の背もたれに寄りかかる仲間たち。俺も操縦桿から手を離し、目の前に出現しているメニュー画面を片手で操作し終えると、背もたれに寄りかかってからため息をついた。

 

 メウンサルバ遺跡で天秤の鍵の在処を知る事ができた俺たちは、早くも鍵を探すための旅を始めていた。一番最初に目指すのは、ラトーニウス海の深海に存在するという海底神殿である。

 

 産業革命によって潜水艇が発明され、海底にもいくつもダンジョンがあるという事が判明しているんだが、海底神殿はその中でも特に難易度の高いダンジョンとして知られている。

 

 まず、海底神殿が存在する深度が900mとされている。モリガン・カンパニーのフィオナちゃんが発明した潜水艇ならば1000mまで潜航する事ができるため、ギリギリ到達する事が出来る。しかし、潜水艇は非常に高価であるため、貴族や巨大企業の資本家くらいしか購入する事が出来ない。

 

 潜水艇を使わなくても、転移の魔術を使えば神殿の中まで転移することは可能だ。しかし、肝心の転移の魔術は習得が非常に困難であるため、この稀有な魔術を使いこなす魔術師はごく少数と言われている。魔術に精通しているサキュバスですら習得していた者は少数だったらしく、ステラも習得できていないという。

 

 そのため、この時点で未熟な冒険者は挑む事ができなくなるわけだ。転移の魔術を習得できるほど熟練している冒険者か、資金が豊富な者たちしか挑むことが許されない深海の神殿。そこに、メサイアの天秤が保管されている場所を開けるための鍵のうちの1つが保管されている。

 

 だから、俺たちは是が非でもそこに向かわなければならなかった。

 

 俺たちに潜水艇を購入できるほどの資金はないけど、俺にはあらゆる武器や兵器を生産する事が出来る能力がある。だからこの能力で潜水艇を生産し、神殿へと向かう事にしていた。

 

 海底神殿へと向かうために生産したのは、救難用に開発された潜水艇のDSRVだ。アメリカや日本で採用されている潜水艇で、太い魚雷の後部に大型化したスクリューを取り付け、上部にセイルのような物を装備したような外見をしている。

 

 このDSRVで深海へと潜航し、神殿へと向かう。脱出の際も同じくこいつを使い、深海から浮上するという計画だ。

 

「ねえ、やっぱり武装を積んだ方が良いんじゃないの? 海の中には大きな魔物がいっぱいいるわよ?」

 

 息を吐きながら休憩している俺にそう言ってきたのは、艇長の席に座るナタリアだ。搭載されている潜望鏡のハンドルを折り畳みながら武装を搭載するべきだと言ったナタリアは、くるりと振り向いた俺を斜め上の座席から見下ろしていた。

 

「ガトリングガンとかグレネードランチャーは積めないの?」

 

「ああ、水中でガトリングガンやグレネードランチャーは撃てないんだよ。防水処理をしても射程距離が激減するから使い物にならないし………」

 

「そうなの?」

 

「そう。だから、本番では魚雷を積むことにしてる」

 

 ロシアには水中で発砲できるアサルトライフルがあるが、潜水艇に搭載するならばそれよりも魚雷の方が良いだろう。

 

「ギョライ?」

 

「スクリューで水中を進む兵器だよ。敵に命中すると爆発するんだ」

 

「そ、そんな兵器もあるのねぇ………」

 

 魚雷は、主に潜水艦や駆逐艦に搭載されている。非常に威力が高い兵器で、第一次世界大戦ではドイツ軍のUボートが猛威を振るったし、太平洋戦争ではアメリカ軍の潜水艦によって日本軍の軍艦は何隻も沈められている。特に、レイテ沖海戦では巡洋艦の愛宕と摩耶が魚雷で撃沈されている。

 

 本番では、ドイツ軍のゼーフントのように潜水艇の左右に2本の魚雷を搭載する予定だ。巡洋艦や戦艦を撃沈してしまうほどの破壊力を持つ兵器だから、深海に生息する大型の魔物にも有効だろう。

 

「では、そのギョライをぶっ放すのはステラにやらせてください」

 

「おう、分かった」

 

 今回の訓練では、ステラにあまり出番がなかったからな。

 

 ちなみに、潜水艇を操縦する時の役割分担は、俺が操縦士を担当することになっている。しっかり者のナタリアは艇長で、頭の中にメロン体があるラウラにはソナーを担当してもらっている。カノンにはナタリアの隣にある座席で、機関部の操作をしてもらっているんだ。ステラは副操縦士なんだが、基本的に操縦は俺が担当しているし、搭載されているアームも今回は使わなかったから、ずっと隣に座って訓練を見守っているだけだったんだ。

 

 手を伸ばしてステラの頭を撫でると、彼女は少しだけ顔を赤くしながら喜んでくれた。

 

「じゃあ、トレーニングはこれで終わりな。そろそろ起きる時間だぜ」

 

 そう言って、俺はメニュー画面の下にある『トレーニングモードの終了』をタッチした。

 

 

 

 

 

 

 

 トレーニングモードから目を覚ます感覚は、目覚まし時計によって強引に起こされる感覚とよく似ている。瞼を塞き止める眠気を拭い去りながら起き上がった俺は、背伸びをしながら息を吸った。

 

 俺のトレーニングモードは、夢の中で武器の扱い方や倒したことのある敵と模擬戦する事が出来るというモードだ。始めると猛烈な眠気によって眠らされてしまうため無防備になってしまうし、眠っているとはいえ疲労は抜けない。だからトレーニングモードができるのは、宿屋の中や自宅くらいだろう。

 

 アップデートによって仲間たちと一緒にトレーニングモードで訓練ができるようになったから、なおさらトレーニングをする場所には気を付けなければならない。

 

 でも、これで仲間たちと一緒に兵器の操縦方法を訓練できるようになった。今のところは潜水艇しか兵器の操縦訓練はやってないけど、そのうち戦車や戦闘ヘリの訓練もやってみるつもりだ。

 

 ラトーニウス王国の南側にある小さな村で一泊することにした俺たちは、夕食を食堂で摂ってからひたすら潜水艇の操縦訓練を続けていた。そのおかげで時間はかなり経過していて、もう夜の10時になっている。

 

 小さな安い宿屋とはいえシャワーがあるので、早いところシャワーを浴びてから寝た方が良いだろう。もちろん、俺はシャワーを最後に浴びる予定である。

 

 ベッドの上で、次々に仲間たちが起き上がる。俺はみんなに「おはよう。早くシャワー浴びて寝ちまおうぜ」というと、仲間たちがシャワーを浴び終えるまで新しい武器でも作って待機していることにした。

 

 移動中に魔物を何体も倒したおかげで、もうレベルは60になっていた。ポイントも今のところは50000ポイントくらいあるから、銃を作ったとしてもあまり減ることはないだろう。ちなみに、アサルトライフルなどを生産するのに必要なポイントは平均で500ポイントから600ポイントくらいである。戦争中に造られた急造品やコストの低い中国製の武器は少量のポイントで作れるし、逆に高価な武器は高めのポイントで生産できるようになっている。

 

 今のステータスは、攻撃力が2890で防御力が2788まで上がっている。相変わらずスピードが一番高いステータスになっており、なんと3070になっていた。だから接近戦も仕掛けやすくなったし、相手の攻撃も回避しやすくなった。

 

「じゃあ先にシャワー浴びてくるわね。行きましょ、2人とも。私が洗ってあげるから」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いしますわね」

 

 ラウラがいつも俺と一緒に風呂に入っているからなのか、ラウラ以外の2人を連れてシャワーを浴びに向かうナタリア。俺は彼女に「悪いね」と礼を言うと、武器を生産するためにメニュー画面を開く。

 

 何を作ろうかな………。個人的には大口径のアサルトライフルがいいんだが、弾薬はカスタマイズで自在に変更できるから好きなライフルを作ればいいだろう。

 

「お」

 

「ふにゅ? どうしたの?」

 

 アサルトライフルの名称の中からあるライフルの名前を見つけた俺は、思わず画面を凝視しながらにやりと笑ってしまう。そのライフルの名称をタッチし、画面に表示されたパラメータと画像を見た俺は、隣にやってきたラウラにもそのライフルの画像を見せた。

 

「AN-94?」

 

「ああ。2点バースト射撃ができるアサルトライフルだよ。しかも滅茶苦茶速い」

 

 AN-94は、ロシア製のアサルトライフルである。AK-74やAKS-74Uと同じく5.45mm弾を使用する口径の小さなライフルなんだが、一般的な2点バースト射撃の連射速度を遥かに凌駕する速度で連射できる2点バースト射撃ができるため、その破壊力と命中精度は他のライフルの2点バースト射撃よりも抜きん出ている。

 

 形状はロシア製アサルトライフルの原点ともいえるAK-47に似ているけど、銃口にはまるでホイッスルを2つ縦に繋げたような形状のマズルブレーキが装備されているし、マガジンも若干右斜め下を向いている。

 

 AK-47と違って扱い辛いライフルだけど、幼少期の訓練で何度か使った事がある。

 

「それ作るの?」

 

「ああ」

 

 生産をタッチして生産する。AK-47よりもコストが高いせいなのか、使うポイントは750ポイントだった。

 

 グレネードランチャーのGP-25を装着し、銃剣も装備しておく。銃身の上にはチューブ型ドットサイトと、中距離射撃ができるようにブースターも装備しておこう。いざとなったら2点バースト射撃で狙撃できる筈だ。

 

 弾薬は殺傷力の高い5.45mm弾だけど、他の仲間たちはナタリアを除いて7.62mm弾を使用しているから、仲間たちと弾薬を分け合うためにも同じく7.62mm弾を使用できるように改造しておこう。

 

 尋常ではない速度の2点バースト射撃で7.62mm弾が飛来するのか………。破壊力とストッピングパワーが凄まじい事になりそうだ。魔物にも有効だな。

 

「ねえ、お姉ちゃんも新しい武器が欲しいな」

 

「分かった。何がいい?」

 

「えっと、小型で7.62mm弾を使用する銃が良いな」

 

「小型?」

 

「うん。2丁使うから」

 

 SMGやハンドガンみたいに7.62mm弾を使用する銃を2丁使うのかよ………。

 

 さすがキメラだな。

 

 ラウラに注文された通りに、俺は7.62mm弾を使用する銃を探す。当然ながらSMGやPDWには7.62mm弾を使用する大口径の得物は存在しないので、アサルトライフルの中から探すことにしよう。SMGとPDWの場合は使用する弾薬を変更すれば7.62mm弾でも問題ないんだが、反動がかなり大きくなってしまう。

 

 AN-94の名称のところで止まっていた画面を下へと動かそうとした瞬間、俺はすぐにラウラの注文にうってつけの銃を発見してしまった。

 

 こんなにはやく素晴らしい銃を見つけられるとは。

 

 その銃の名称をタッチすると、予想通りの画像が表示される。やけに短い銃身と、FA-MASを思わせる高めのキャリングハンドル。特徴的なのはキャリングハンドルの付け根の部分が木製の部品で出来ているせいで、ブルパップ式のライフルでありながら古めかしさを感じてしまうところだろうか。

 

「これはどう?」

 

「ふにゅ?」

 

 彼女に見せたライフルは―――――――ロシア製のブルパップ式アサルトライフルである、OTs-14グローザだ。特殊部隊などで使用されている小型のアサルトライフルで、AKS-74Uが原型になっている。

 

 非常に小型で口径も大きい優秀なライフルだが、他のブルパップ式ライフルのように空の薬莢を排出する方向を切り替える事が出来ないという欠点がある。そのため、左利きのラウラがそのままこのライフルを使わせるわけにはいかない。

 

 だから、片方だけ構造を左右で反転させておく。こうすれば彼女もこのグローザを2丁使う事ができるようになるだろう。

 

 グローザの種類の中にはグレネードランチャーを装備したタイプもあるんだけど、ラウラのために造ったグローザは非常に短い銃身を持つタイプだ。トリガーのすぐ前がもう銃口になっているほど銃身が短いため、フォアグリップすら取り付ける事が出来ない。

 

 2丁使うみたいだからフォアグリップは要らないだろうけど、もし作るならライフルグレネードを発射するためのアダプターを装着しておこう。

 

「どう?」

 

「か、かっこいい………! じゃあ、これ作って!」

 

「はーい」

 

 2丁のOTs-14を生産し、片方の構造を反転させておく。計画していた通りにライフルグレネード用のアダプターを追加してから装備した俺は、それをラウラに渡した。

 

 グローザはかなり銃身が短いから、もし狙撃ができないほど狭い場所での戦いになったとしても、ラウラを守ってくれることだろう。

 

 新しいライフルをまじまじと見つめ始めたラウラに向かって微笑んだ俺は、ナタリアたちがシャワーを終えるまでしばらく兵器でも眺め、どの戦車を作るべきか計画を立てておくことにした。

 

 

 

 



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港町に到着するとこうなる

 

 ラトーニウス王国の南には、ラトーニウス海と名付けられた海原が広がっている。気候は北国であるオルトバルカ王国と対照的で非常に暖かいため、オルトバルカからここまで旅をして来た者たちはいきなり雪山から南国へとやってきたかのような感覚を覚えるという。

 

 俺たちも、まさにその旅人たちと同じことを思っていた。

 

「あ、暑い………」

 

「ここが………ラトーニウスの南端の街ですのね………?」

 

 魔物を倒しつつラトーニウス王国を南下し続けていた俺たちは、潜水艇の操縦訓練を繰り返しつつ、ついに南端にある港町の『ノルト・ダグズ』へと辿り着いた。

 

 オルトバルカ王国と比べて発展が遅れているラトーニウス王国はまだ伝統的な建築様式の建物が目立つけど、このノルト・ダグズは特に伝統的な建物が多い。むしろ工場や新しい建物があまり建てられていない、昔ながらの街のようだ。

 

 中世ヨーロッパを思わせる白いレンガの建物がずらりと並び、海の方に行けば行くほど木造の質素な建物が増えていく。そしてその建物の群れの向こうには船が停泊する港が広がり、ラトーニウス海が広がっている。

 

 海底神殿があると言われているのは、このラトーニウス海の深海だ。

 

 潮風を浴びていると、昔の事を思い出してしまう。

 

 嫌な父親から解放され、母と2人で羽を伸ばした幼少の頃を。

 

 あの時は、俺にとって海は嫌なことを忘れるための場所であり、痛みを捨てる場所だった。何かを得るための場所ではなく、自分の心を蝕む感情を捨てるための大海原。しかし異世界に生まれ変わった俺は、その海から何かを得ようとしている。

 

 まるで、前世で捨てたものを掘り起こそうとしているかのように。

 

「どうする? 早速潜水艇でダンジョンに行く?」

 

「うーん………さすがに準備もしておいた方が良いだろうし、もう1回くらいリハーサルをやっておいた方が良いんじゃない?」

 

 早く鍵を手に入れなければならないんだけど、焦ってミスをし、全員で海の藻屑になるのはごめんだ。しかも水圧の高い深海に潜らなければならないのだから、ミスをするわけにはいかない。準備をしっかりと整え、計画を吟味しなければならない。

 

 ラウラを説得するためにも、俺は準備をするべきだという説明を続ける。意見が分かれるとチームワークの動きが悪くなってしまうからな。軋轢は今のうちに埋めておくべきだ。

 

「それに、あの神殿に鍵があるという事を知ってるのは今のところ俺たちだけだ。だからちゃんと準備していこう。焦ると逆に危険だぜ」

 

「ふにゅう………それもそうだね」

 

 それと、魚雷の発射訓練もやっておかなければならない。

 

 とりあえず準備をするためにも、宿を探そう。今日は準備を整えつつ訓練を行い、明日海底神殿に向かえばいいだろう。

 

 春の中盤まではストーブが必需品と言われるほどのオルトバルカ王国とは全く異なり、ラトーニウス王国の南部は12月の終盤にはコートやストーブが無用の長物と言われるほど暖かい。

 

 思わずフードを取りたくなるが、もし感情が昂ってしまったら頭の角が伸びてしまう。角が生えていることがバレてしまったら面倒なことになるので、せめて宿屋に行くまで我慢しよう。確か他にも服装は登録してある筈だし、レジスタンスの服装も生産しておいた筈だ。レジスタンスの服装はほぼ私服だから、少なくともモリガンの制服がベースになっているこの転生者ハンターのコートよりは薄着だろう。あっちの方が涼しい筈だ。

 

 潮の香りと木造建築の建物が発する匂いに包まれながら、町の通りを進んで宿屋を探す。通りにはやはり露店が並んでいて、店主たちの大きな声が買い物客たちの向こうから聞こえてくる。港町というだけあって露店で売られているのは殆ど海産物で、見慣れた魚も売られていた。

 

 あの平べったいのはヒラメかな? マグロみたいな魚も売られてる。いつか久しぶりに刺身を食べてみたいんだけど、どうやらオルトバルカやラトーニウスでは魚を生で食べることはないらしい。だから親父が若い頃にモリガンのメンバーに刺身を振る舞った時は、みんな生で魚を食べるのかと驚いていたという。

 

 そういえば、みんなも魚を生で食べたことはないんだろうか? 

 

「魚を見てると、刺身が食べたくなってくるな」

 

「ふにゅ、そうだね。お姉ちゃんも久しぶりに食べたいな」

 

「サシミ……?」

 

 やはり、みんな知らないらしい。カノンはギュンターさんかカレンさんから話を聞いたことがあるのか首を傾げてはいなかったけど、ナタリアとステラは知らないようだ。

 

 特に食べ物に興味があるステラは、すぐに食い付いてきた。

 

「タクヤ、サシミとはなんですか?」

 

「魚料理だよ。生の魚を切って、醤油で食べるんだ」

 

「な、生で………魚を食べるんですか……?」

 

「ああ、美味しいんだぞ? なあ、お姉ちゃん?」

 

「うん、とっても美味しいんだよ!」

 

 この世界の最中料理は火を通したものばかりだから、刺身や寿司は日本出身の転生者が自分で作らない限り、オルトバルカ王国では口にする事が出来ない。父親も転生者でよかったと思いながら露店の魚を眺めていると、俺の隣を歩いているステラが早くも口元のよだれを拭い始めていた。

 

 おいおい、ナタリアはまだ美味そうだと思ってないみたいなのに、もう興味を持っちまったのか?

 

「ところで、ショウユとは何ですか?」

 

「大豆で作る調味料だよ。多分、倭国にあるんじゃないかな?」

 

 あそこは日本に似ている国だからな。もしかすると醤油もあるかもしれない。

 

「お、あそこが宿屋じゃないか?」

 

 段々と奇妙でグロテスクな魚が売られている露店が増えてきたので、トラウマになる前に目を逸らしてしまおうと別の建物を見上げると、そこに都合よく宿屋の看板がついた木製の建物が建っていた。それほど大きな建物ではないみたいだけど、宿泊費は安めで住むだろう。準備と訓練をするための場所を確保できればいいのだから、そんなに豪華な宿屋ではなくても構わないし。

 

 仲間たちと共に、その宿屋の入口のドアを開ける。店内はやはりやや狭かったけど、床や壁はしっかりと掃除されているようだった。漁師が良く訪れる場所なのか、港町らしさを醸し出すためなのか分からないけど、ロビーの壁際には船の錨や錆びついた銛が飾られている。

 

 飾られている銛は、おそらく実際に漁に使われたものなのだろう。やや錆びついているけど先端部は研ぎ澄まされていて、このまま放り投げればでっかいサメも貫通できそうなほど鋭い。

 

 まじまじと銛を見つめていると、カウンターの奥にいた小柄な老人が俺たちに「いらっしゃい」と声をかけてきた。

 

 人間にしてはやけに小柄だ。身長は140cm前後だろうか。小柄だけどがっしりしているから、おそらくドワーフなんだろう。ラトーニウス王国に住むドワーフたちは、鍛冶以外に漁で生計を立てている者たちもいると聞いたことがある。この人は漁師だったのかな?

 

「はい。一泊したいんですけど………」

 

「構わんよ、部屋は空いてるからね。この宿には食堂がないから、すまんが食事は外にあるレストランを利用してくれ」

 

「分かりました」

 

「5名だね? じゃあ、この部屋を使ってくれ」

 

「どうも。ところで、値段は?」

 

「銀貨5枚だ」

 

 店主から鍵を受け取り、財布の中から取り出した銀貨を5枚支払う。狭い宿だけど、5人も泊まれるほど広い部屋があるんだろうか? もしかすると俺は床で寝る羽目になるかもしれないなと思いつつ、仲間たちを連れて部屋がある2階へと上っていく。

 

 他に利用している客がいないのか、部屋の中からは全く何も聞こえてこない。

 

 鍵に刻まれている番号を確認し、同じ番号のドアの鍵穴に差し込む。鍵を開けてからドアを開くと、潮の香りと木の香りを混ぜ合わせたような心地良い匂いが俺たちを出迎えてくれた。

 

 部屋の中はやはり狭く、ベッドはやや大きめだったけど3つしか用意されていなかった。ステラは小柄だから誰かと一緒に寝れば4人で眠れるだろうな。俺は床で眠るとしよう。

 

 真っ先に部屋の窓を開け、潮風を蒸し暑い部屋の中に迎え入れた俺は、コートの上着を脱いで用意してあったハンガーにかけた。久しぶりにあらわになったポニーテールを手で払い、灰色のワイシャツのボタンをいくつか外す。

 

 鏡で顔を見てみるが、やはり男子には見えない。仮に髪を短くしたとしても、ボーイッシュな女子だと思われてしまうだろう。きっと俺は、一生男らしくなるのは出来ないのかもしれない。

 

 部屋の中の鏡を見ていると、後ろでベレー帽を取っていたラウラが、俺のポニーテールを掴んでくんくんと匂いを嗅ぎつつ頬ずりを始めた。ミニスカートの中から尻尾を伸ばし、俺が逃げられないように身体に巻き付けてから、更に匂いを嗅ぐラウラ。最近の彼女は、甘える時は必ずこのように俺が逃げられないように尻尾を巻きつけてくるんだ。

 

 後ろを振り向いてお姉ちゃんに甘えようとしていると、ワイシャツの袖を小さな手にぐいぐいと引っ張られた。ステラだなと思いながら下を見てみると、片手をお腹に当てたステラが俺の顔を見上げていた。

 

 彼女の小さな身体から、お腹の音が聞こえてくる。どうやらステラは空腹らしい。

 

「――――――タクヤ、お腹が空きました」

 

「えっ? いや、今日はまだ早いんじゃ―――――――」

 

「はい。でも、お腹が空きました。ステラはもう我慢できません」

 

「ちょ、ちょっとステラ!?」

 

 おかしいよ!? 3時間前に思いっきり魔力吸ったばかりでしょ!?

 

 最近のステラは、魔力を吸う量が増えていると思う。身体に全く力が入らなくなるまで魔力を吸われるのは当たり前なんだけど、ある程度身体が動くようになってくると、おかわりと言わんばかりに第2ラウンドが待ち受けているのである。しかも、それが終わったら今度は再びラウラが餌食に。合計で4ラウンドですね、ステラさん。

 

 恐ろしい幼女だと思っていると、背伸びしたステラの小さな唇が、俺の唇に近付いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 アイテムを露店で購入し、トレーニングモードで魚雷を搭載している場合の訓練と発射訓練を済ませた頃には、もう夕方になっていた。昼食は露店で購入した魚のスープにしたんだが、夕食はどうしようか。レストランを探してそこで夕食を摂ろうかなと思いながら、レジスタンスの服に袖を通す。

 

 日が沈んでからは少し涼しくなったけど、まだコート姿で出歩くには暑すぎる気温だ。前に生産したレジスタンスの服の方が比較的薄着だから、出歩くにはこっちの方が良いだろう。

 

 真っ黒なハンチング帽をかぶった俺は、幼少の頃はよくこんな帽子をかぶって遊びに行ったなと昔の事を思い出しつつ、外出する準備を終えたナタリアに「どう?」とニヤニヤ笑いながら聞いてみる。

 

「なんだか……あんたっていつもコート姿だから、別人みたい」

 

「え? そんなに変わった?」

 

「うん。その服装も悪くないわよ? ………男装した美少女みたいで」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 おいおい、俺は男だぞ!? 息子はちゃんと搭載してるんだからな!?

 

 とりあえず、護身用にナイフとMP412REXだけ身に着けておこう。もちろんナイフは虎の子の大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーだ。ボウイナイフ並みのサイズのナイフで、どちらもガスを噴出する機能を持っている。

 

 ナックルダスターのようなフィンガーガードもついているので、相手を殺さずにボコボコにする時にも使える逸品である。

 

 仲間たちも護身用に小型の武器を持ったようだ。この異世界は物騒な場所でもあるからな。騎士団が駐留している街でもない限り、丸腰で外を歩きまわるのは自殺行為だ。

 

 部屋に鍵を閉めて階段を下り、カウンターを掃除していたドワーフの店主に鍵を預けておく。

 

「外出だね?」

 

「ええ。夕食でも食べてきます」

 

「ああ、気を付けてな。……夕食を食べに行くなら、町の中心にあるレストランを訪れてみるといい」

 

「おすすめなんですか?」

 

「うむ。若い料理人が1人で経営している場所なんだが、あそこの料理は美味くてなぁ。肉料理がやけに多い店だが、繁盛しているよ」

 

「ありがとうございます」

 

 肉料理かぁ………。でも、港町に来たんだから魚料理が食いたいな。その店には魚料理はあるんだろうか?

 

 とりあえず、そこで夕食を摂ることにしよう。その店を教えてくれた店主に礼を言った俺たちは、さっそく宿屋を後にして夕方の港町へと躍り出た。

 

 日が沈みかけていても、潮の香りは健在だった。露店の大きなランタンで照らされた大通りを突き進み、店主に言われた通りに町の中心へと向かってみることにする。

 

 それにしても変わった店だな。港町に店を出すなら、普通は魚料理の方が多い筈だ。食材は漁師たちに委託すればいい筈だし、すぐ近くに新鮮な魚が手に入る海があるのだから。

 

 違和感を感じながらも、露店の並ぶ通りから遠ざかる。雑貨店や喫茶店の並ぶ道を突き進み、灯台を模したモニュメントの前を横切ると、段々と美味しそうな匂いが俺たちを包み込み始めた。

 

「………お肉の匂いですわね」

 

「という事は、この近くにあるのか?」

 

「あっ、あそこじゃない?」

 

 ナタリアが指差した先にあった建物の傍らには、確かにレストランの看板が置かれていた。やはり港町らしさをアピールするためなのか看板は錨を模した形状になっていたけど、店の中から漂ってくる香りはステーキとソースの香りだ。

 

 矛盾した奇妙な店だけど、ここで夕食を摂ることにしよう。

 

 店のドアを開けると、より濃い肉の良い香りが店内から流れ出てきた。カウンターの前には小さな椅子がいくつか並び、他にもテーブルと椅子が並んでいる。白が基調になっている店内は喫茶店のようにおしゃれになっているが、その席で食事を摂っている客の前に置かれているのは、大きなステーキとポテトの乗った皿だった。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 港町のレストランにしては肉料理が多いというのは本当だったんだと思いながら違和感を感じていると、カウンターの向こうでフライパンを握っていた少年が元気な声で俺たちを出迎えてくれた。

 

 年齢はおそらく俺たちと同い年くらいだろうか。男子にしては俺がやや背が低いせいなのかもしれないが、少年の身長は俺よりも若干大きい。コックの帽子と白い服が似合う黒髪の少年だった。

 

「5名様ですね?」

 

「あ、はい」

 

「かしこまりました。では、あちらの座席にどうぞ!」

 

 少年に言われた通りに、窓際にある空いている席に腰を下ろす。すると少年は素早くカウンターから出て来てテーブルの上を拭き、メニューを置いてから再びカウンターの奥へと戻っていった。

 

 1人で切り盛りしてるのかな。かなり忙しそうだ。

 

 カウンターの奥へと戻っていく少年の後姿を見た瞬間、俺は彼のズボンにあるポケットから微かに何かが覗いていることに気がついた。彼が身に着けている服が真っ白だったから、一層それが目立っただけなのかもしれない。

 

 それは、真っ赤に塗装された携帯電話を思わせる端末だった――――――。

 

「………」

 

 あいつ、もしかして転生者なのか………?

 

 転生者が港町で店を開いたということなのだろうか。今まで殺してきた転生者は全員人々を虐げたり、奴隷を苦しめているようなクソ野郎ばかりだったから無意識のうちに警戒してしまっていたけど、彼はどうやら違うようだ。

 

 異世界に転生し、人々を虐げることなく頑張って働いているみたいだ。どうやらあの少年は努力家らしい。

 

「………」

 

「どうしたの?」

 

「いや、何でもない」

 

 こういう良い転生者もいるんだな………。

 

 安心した俺は、テーブルの上に置かれたメニューに手を伸ばすのだった。

 

 

 

 



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ステラが夕食を摂るとこうなる

 

「はい、魚のフライです」

 

「どうも。………ほら、ステラ」

 

「ありがとうございます」

 

 少年が厨房で作ってきた料理を受け取り、窓際の席に座るステラの前へと置く。揚げたてのフライの上にはソースがたっぷりとかけられていて、傍らにはポテトサラダが添えられた皿を彼女の前に置いた俺は、ステラの傍らに積み重ねられた皿の山を見上げ、静かに財布の中身を確認した。

 

 た、食べ過ぎだぞ、ステラ………。

 

 俺たちは魚のムニエルとかスープを注文してたんだけど、ステラは先ほどから何品も料理を注文し、それを完食して次のメニューを注文し続けていた。これでステラが注文した料理は15品目。3日分の宿泊費に匹敵するくらいの食費なんだけど、自重してくれるかな………?

 

「はむっ。………ん、魚料理も美味しいですね」

 

「ふにゃあ………いいなぁ、ステラちゃん。カロリーを吸収するわけじゃないから、太らないんでしょ?」

 

「はい、そうですね。ですので料理のカロリーは全く気になりません」

 

「羨ましいなぁ………最近はあまり食べ過ぎないように気を付けてるのに」

 

 そう言いながら自分のお腹を見下ろすラウラ。彼女は全く太っているようには見えないんだが、女子ってかなり気にしてしまうんだろうか。

 

 まあ、俺たちは小さい頃から厳しい訓練を受け続けてきたからな。食べ過ぎてもすぐに体重が落ちてしまうほどだったから、むしろ食べないとガリガリに痩せてしまうところだった。

 

 おかげでかなり筋肉と体力はついたんだけどね。

 

「何言ってるのよ、ラウラは全然太ってないじゃない」

 

「そ、そうかなぁ………?」

 

「そうですわ。お姉様はとっても素敵ですわよ?」

 

 ラウラのお腹をさすりながらフォローするカノン。おそらく彼女はラウラをフォローするよりも、彼女のお腹を触りたかっただけなんだろう。彼女のお腹をさする度になぜか呼吸が荒くなっていくカノンの前にそっと鼻血用にとティッシュを置いた俺は、どん引きしながらカノンを見つめていた。

 

「だから食事を制限する必要はないんじゃない? タクヤだって痩せてるし」

 

「そうか? 俺は男だからあまり気にしたことなかったけど………」

 

 前世でもあまり気にしたことはなかったなと思いながら、ハンチング帽の上から頭を掻く。服の上からだと細身の少女にしか見えないけど、シャワーを浴びる時に鏡を見てみると結構筋肉はついてるんだよ。

 

 もう少し筋肉を付ければ男子に見えるだろうかと思いつつ、コップの中に入ってみる水を飲んでいると、ナタリアが目を丸くしながら俺を見つめて「ああ、そうね」と言ったのが聞こえた。

 

 え? 何で目を丸くしてたの?

 

「そういえば、あんた男の子だったわね」

 

「お前喧嘩売ってんのか?」

 

 何だよぉぉぉぉぉぉ! 俺は男子だって言ってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 生まれつき母親に似過ぎてたせいで散々女だと勘違いされてきたけど、ついに一緒に冒険している仲間にまで男子じゃなくて女子だって認識されてたの!? 

 

「ひ、ひでえよナタリア………ぐすっ」

 

「ちょっ……ちょっと、何泣いてんのよ?」

 

「だって………みんな俺の事を女だって思ってるみたいだし………もう訂正するのに疲れたよぉ………」

 

「わ、分かったって! ごめんなさい、気を付けるから! もうっ」

 

 まったく………。

 

 ちなみに今のは嘘泣きではないです。本当に泣いてました。だからナタリアが必死になってたんだな。ひひひっ、ざまあみろ。

 

「ふにゅ……よしよし、お姉ちゃんはちゃんと男の子だと思ってるからね」

 

「ありがと、お姉ちゃん」

 

 やっぱりラウラは優しいなぁ………。ヤンデレじゃなかったら最高のお姉ちゃんだよ。

 

 ラウラになでなでされながら店内を見渡してみると、いつの間にか客の数が減っていた。テーブルの上には完食された料理の皿やフォークが置き去りにされていて、店内で食事を摂っているのは俺たちだけになっている。

 

 厨房の方では、あの少年が一息入れているところだった。特に料理の注文は入っていないし、先ほどステラが注文したばかりだから時間があると判断したんだろう。

 

 忙しそうだったからなぁ………。

 

 休憩している彼を眺めて安堵していると、ラウラの前を通過して伸びてきた可愛らしい小さな手が、ぐいぐいと俺の服を引っ張った。

 

「ん?」

 

「タクヤ、次はチョコレートパフェが食べたいです」

 

「わ、分かった………」

 

 デザートのつもりなんだろうか。一服している彼に新たな注文を伝えるのは申し訳ないような気がするが、俺は先ほど感じた安堵を投げ飛ばし、厨房へと向けて「すいませーん!」と大きな声を出す。

 

 すると、少年が素早くこちらのテーブルへとやってきた。申し訳なさそうに小さく頭を下げると、彼は苦笑いしながら頷いてくれる。……申し訳ない。多分これが最後だから、もう一頑張りしてくれ。

 

「チョコレートパフェを1人分お願いします」

 

「かしこまりました。では、お皿を――――――」

 

「あっ、それは私がやりますよ」

 

 忙しそうだった彼を手伝うつもりなのか、ステラが平らげた料理の皿へと手を伸ばした少年が皿を掴むよりも早く、ナタリアの白い手が空になっている皿を拾い上げた。

 

「いえいえ、お客様にそんな事をさせるわけには………」

 

「いいんです、気にしないでください。先ほどから忙しそうでしたし………無理をしてはいけませんよ」

 

「ですが………!」

 

「こんなに美味しい料理を作れる立派な料理人が倒れてしまっては、みんな困ってしまいます。ですから、お手伝いさせてください」

 

「も………申し訳ありません」

 

 かなり疲れていたんだろうな。俺たちが入店した時点でもかなり忙しそうだったし。

 

 厨房でフライパンを振るって料理を作り、客から注文が圧度に厨房から飛び出してメニューを聞き、1人でその料理も作る。休憩する時間は全くなかったに違いない。

 

 だから彼を手伝おうとしているのは、ナタリアの厚意なんだろう。

 

「では、申し訳ありませんが空いているお皿を厨房までお願いします。後は私が洗っておきますから………」

 

「いえいえ、皿洗いもやらせてください。こう見えても家事は得意なんですよ?」

 

「ほ、本当に申し訳ありません………」

 

 頭を下げた少年は、感激したのかナタリアの手を握ってからもう一度頭を下げ、彼女に礼を言った。

 

 ナタリアだけで大丈夫だろうか? 俺たちも手伝うべきではないんだろうか?

 

 彼女に俺たちも手伝おうかと申し出ようとしていたんだが、その言葉は突然口の中に現れた違和感によって塞き止められてしまう。

 

 ナタリアの手を握り、何度も頭を下げる転生者の少年。手伝うと申し出てくれた客に感激しているように見えるが―――――――目だけが、違うような気がする。

 

 あの目は違う。目だけは、感激しているという方向性が違う。あれはまるで忙しい時に手伝ってくれると申し出てくれた赤の他人に向ける目つきではなく、まるで獲物を見つけたかのような、狡猾さと狂気を兼ね備えたおぞましい目だ。

 

「………?」

 

「お兄様、どうしましたの?」

 

「いや、何でもない。………ところで、俺たちも手伝おうか?」

 

「大丈夫よ。久しぶりに家事がやりたいし、それほどお皿は多くないわ。すぐ終わるから、ここで待ってて」

 

「………」

 

 空になった皿を持ち、ウインクしてから厨房へと向かうナタリア。俺はもう一度コップの中に残っている水を飲んだけれど、口の中を塞き止めているこの違和感を押し流すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

(懐かしいなぁ………)

 

 こうやって皿を洗ったのは、家で母親を手伝っていた時以来だろうか。冒険者になる前に家事を手伝っていた感覚を思い出しつつ、ナタリアは泡立ったスポンジで皿を洗い続けていた。

 

 14年前にネイリンゲンが転生者たちに襲撃され、その際に父親を失ってからは、エイナ・ドルレアンで母親と2人暮らしだった。毎日母の家事を手伝いつつ商人の手伝いをして銀貨を貯め、本を購入して冒険者になるための勉強を続けていた日々を思い出したナタリアは、エイナ・ドルレアンで1人で暮らしている母親の事を思い出す。

 

 もう母は40歳を過ぎている。前に家に戻った時は元気だったが、まだ元気なのだろうか。

 

(今度、手紙でも出そうかな)

 

 さすがにメサイアの天秤を探すために旅をしていると手紙に書くわけにはいかないが、いくつもダンジョンの調査をこなしていると手紙に書けば、母はきっと喜んでくれるに違いない。それに、今は大切な仲間たちがいる。

 

 冒険者になってからは1人で行動していたナタリアは、あまり仲間を作ろうと思うことはなかった。冒険者の目的はダンジョンの調査で、それをレポートに書いて提出することで初めて管理局から報酬が支払われる。だから冒険者同士が共闘することもあるし、その成果を独り占めするために裏切るというのも日常茶飯事だ。

 

 仲間に裏切られるのを警戒していたというのもあるが、ナタリアのような美少女が1人で行動していれば、下心を剥き出しにした下衆な男たちが寄ってくる。

 

 だから、彼女にとって仲間は必要な存在ではなかったのだ。むしろ疑うべき対象だと思っていたのだが―――――――あのキメラの姉弟と出会ってから、変わった。

 

「………」

 

 特に、ハヤカワ姉弟の弟にフィエーニュの森で助けられた時に、疑うべき対象という認識が信頼できる対象へと変わったのだ。

 

 どうしてなのだろうか。彼が幼少期にナタリアの命を救ってくれた、モリガンの傭兵の息子だからだろうか。

 

(………多分、違う)

 

 彼は何度も助けてくれた。メウンサルバ遺跡で落とし穴に落ちた時もナタリアを庇ってくれたし、穴の底から登る時も彼が上まで連れて行ってくれたのだ。

 

 何度も一緒に行動した下衆な男たちとは全く違う。彼はあの男たちと違って、ナタリアをちゃんと仲間だと思ってくれているし、大切にしてくれている。

 

 いつの間にか手が止まっていた事に気がついたナタリアは、慌てて再び皿を磨き始めるが――――――綺麗になった真っ白な皿に、顔を真っ赤にしている自分の顔が映ったことに気付いたナタリアは、更に顔を赤くしてしまう。

 

 きっと―――――――タクヤの事を考えていたからなのだろう。

 

 いつも実の姉とイチャイチャしているシスコンで、卑怯な手を頻繁に使う男だが、あの少女のような少年は頼りになる。

 

 それに、彼と一緒にいると安心するのだ。

 

 まるで暗闇の中で輝くランタンのように、彼女の中の不安を照らし出し、溶かしてくれる蒼い光。

 

 飄々とした奇妙な少年だったが、フィエーニュの森で助けに来てくれた時は―――――――彼の後姿を見て、あの時助けてくれたモリガンの傭兵の後姿を思い出してしまった。

 

 とてもそっくりだったのだ。

 

 息子とはいえ母親に似た彼とあの傭兵は、顔つきや体格は全く違う。だが、彼女を助けるためにやって来てくれた時に纏っていたあの雰囲気は、同じだった。

 

(カッコよかったなぁ………)

 

 皿を洗い終え、拭いてから棚の上へと戻す。厨房の中にまだ洗っていない皿が残っていない事を確認したナタリアは、背伸びをしながら厨房の中を見渡した。

 

 あの同い年くらいの料理人を探し、皿洗いが終わった旨を伝えるために見渡したつもりだったのだが、このような飲食店の厨房に足を踏み入れた経験のない彼女は、好奇心を身に纏いながら厨房の中に並ぶ調理器具を見渡してしまう。

 

 しっかりと研ぎ澄まされた包丁とまな板。先ほどまで料理を作るために使っていた黒光りするフライパンは、洗われてから壁にぶら下げられている。

 

 調味料とオリーブオイルの香りがする厨房を見渡していたナタリアは、冷蔵庫と思われる金属製の長方形の箱の隣に半開きの扉がある事に気がついた。裏口かと思ったのだが、裏口らしき扉は他にもあるし、その扉の向こうには下へと続く階段があるようだ。

 

(地下室………?)

 

 おそらく、食材を保管するのに使っている倉庫でもあるんだろう。あれほどの料理を作るための食材を入れておくにしては、厨房にある冷蔵庫では小さ過ぎる。

 

「あ、終わりました?」

 

「はい、終わりましたよ。お疲れ様です」

 

 後ろから少年に声をかけられ、ナタリアはいささかぎょっとしながら後ろを振り向いた。大食いのステラのためにチョコレートパフェを作り終えたらしい少年は額の汗を拭い去ると、息を吐いてから右手を差し出してきた。

 

「助かりました。これで明日はゆっくり休めそうです」

 

「明日は定休日なんですか?」

 

「ええ。毎週日曜日は定休日にしてるんです。………でも、食材の仕入れもやっておかないといけませんから、実質的に休めるのは半日だけなんですけどね」

 

「た、大変なんですね………」

 

「はい、大変です。………でも、料理人になるのは夢でしたから、泣き言を言うつもりはありませんよ。今夜はしっかり夕飯を食べて、ゆっくり休みます」

 

(この人………まだご飯食べてなかったんだ)

 

 ひっきりなしに客から注文を受け、客のテーブルと厨房をひたすら往復して料理を作り続けていたのだ。夕食を摂る時間などある筈がない。

 

「頑張ってくださいね」

 

「ええ、頑張ります」

 

 少年の手を握り返すナタリア。ひたすらフライパンを振るい、食材を包丁で切り続けてきた彼の手は、体格が細身なのにもかかわらず思ったよりごつごつしていた。これが料理人の手なのだろうと思って感心していると、少年がポケットの中からハンカチを取り出したのが見えた。

 

 まだ残っている汗でも拭くのだろうと思っていたナタリアだったが――――――そのハンカチは、少年の頭へと向かっていく最中にいきなり方向を変え、ナタリアの顔へと迫ってきた。

 

「え―――――――むぐっ!?」

 

 真っ白なハンカチに口と鼻を塞がれ、片手を握られたままもがくナタリア。しかし、段々と身体に力が入らなくなり、じたばたさせていた手足の動きも段々と鈍くなっていく。

 

 その感覚は、ベッドで眠る時の感覚に似ていた。段々と力が抜け、眠気に呑み込まれる感覚。おそらくハンカチに睡眠薬でも染み込ませてあったんだろうと予測した頃には、彼女はついに屈し、瞼を閉じてしまっていた。

 

 理性が眠気によって封じ込められ、瞼を閉じたナタリアが崩れ落ちる。物音を立てられないように彼女を抱き抱えた少年は、寝息を立てる金髪の少女の顔を見下ろしながらにやりと笑った。

 

「頑張らせてもらいますよ、お客さん」

 

 

 

 

 

 

 

 やっとステラがパフェを完食してくれた。口の周りについた生クリームとチョコレートを舐め取り、お腹をさすっていたステラの頭をカノンが撫で回す。

 

 食事を終え、昼寝を始める猫のようにうっとりとしている彼女を見守っていた俺は、先ほどからちらちらと厨房の方を見ていた。ナタリアはまだ皿を洗っているんだろうか? それにしては水の音が聞こえてこないんだが、別の手伝いでもしてるのか?

 

 そう思いながらコップの中の水を飲み干そうとしていると、料理人の少年が厨房の奥からこっちの座席へと戻ってきた。

 

「ナタリアは?」

 

「申し訳ありません。お客様にはもう少し手伝っていただきたい仕事がございまして………」

 

「俺たちも手伝いましょうか?」

 

「いえいえ、大丈夫です。もう少しで終わりますから、先に宿に戻っていてほしいだそうです」

 

 皿洗い以外の仕事? 何をやってんだ?

 

 再び違和感を感じつつ、俺は少年に「会計お願いします」と告げた。ステラが何品も平らげたせいで、また財布が軽くなりそうだ。告げられる食費にビクビクしながら財布を準備していると、少年が目を一瞬だけ見開いてから言った。

 

「ぎ、銀貨60枚です………」

 

「ステラぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「ご、ごめんなさい。ここの料理はとても美味しかったので………」

 

 ヤバいぞ、早くも闘技場の賞金がステラの食費だけで削り取られつつある。そろそろダンジョンを調査して金を稼がないと、また資金不足になっちまいそうだ。

 

 幸いこれから向かう海底神殿は難易度が高く、まだ内部の構造も分からない部分が多いダンジョンだから、ダンジョンの構造をレポートに記して提出するだけでも金貨はもらえる筈だ。鍵をゲットするおまけに資金も稼いでおこう。

 

 財布の中から銀貨を取り出し、数えてからカウンターに10枚ずつ並べていく。大量の銀貨を出した後の俺の財布はかなり軽くなっていて、振ってみても前のように銀貨のぶつかる音はしない。

 

「では、俺たちは先に宿屋に戻ってるので、ナタリアに伝えておいてください」

 

「はい。ありがとうございました!」

 

 彼に礼を言ってから、俺は仲間たちを連れてレストランを後にする。喫茶店のようにおしゃれなドアを開け、夜風の中へと躍り出た俺は、ラウラとつないでいた手を静かに離すと、後ろに立っているあの少年が経営するレストランを振り向いた。

 

「………タクヤ?」

 

「ごめん、ラウラ。先に宿に戻っててくれ」

 

「え?」

 

 あれだけ水を飲んだというのに、まだあの違和感は俺の口の中に残っている。

 

 あの少年の目つきは――――――他のクソ野郎と同じだ。

 

 仲間たちに「すぐ戻るから」と告げた俺は、片手をホルスターの中のMP412REXに近づけつつ、再び店の方へと戻っていった。

 

 



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タクヤの激昂

 

 エイナ・ドルレアンに移り住んだ後、新しい家の近くにあった肉屋に母と2人で買い物に行った時の事を思い出す。夕食の食材に使うために店を訪れたブラスベルグ家の親子を出迎えてくれた店主の後ろには、いつも大きな肉の塊が吊るされていた。

 

 その肉の塊が豚の肉なのか、牛の肉なのかは分からなかった。もしかすると食用の魔物の肉だったのかもしれない。

 

 冷却された空気の中から伸びてくる生肉の臭い。彼女を包み込む空気の臭いは、あの時の肉屋の臭いに酷似していた。

 

「ん………」

 

 ゆっくりと瞼を開け、眠気を掻き消しつつ何が起きたのかを思い出す。タクヤたちとレストランを訪れ、忙しそうだった少年の手伝いをすると言って厨房で皿を洗い、奇妙な地下室への入口を見つけたところで―――――――ナタリアは、その後に何が起きたのかを思い出して戦慄した。

 

 あの少年に、睡眠薬を仕込んだハンカチで眠らされてしまったのだ。

 

(ここは………?)

 

 彼女がいるのは、倉庫のような場所だった。彼女の傍らに小さなランタンが置かれているだけで、この倉庫の中に何があるのかは分からない。

 

 まるでランタンが光で照らしているのではなく、彼女にこの部屋の中を見られないように闇で隠しているかのようだ。

 

 両腕を動かそうとした彼女だったが、頭上と床から伸びた鎖によって手足を縛られているらしく、全く動くことは出来なかった。護身用にと持ってきたククリナイフは没収されたらしいが、彼女をここに拘束している人物は左腕に装備している小型エアライフルには気付いていなかったらしい。

 

 1発しか装填できない得物だが、この鎖から解放され、脱出することになった暁には役に立つだろう。ククリナイフは近くにある机の上に置いてあるようだ。まずはこの鎖から逃げなければと考え始めた彼女は、試しに手足を動かしてみるが、闇の中から「おやおや、逃げないでくれよ?」と聞き覚えのある声が聞こえてきて、鎖と共に彼女の身体を縛り付けた。

 

「あなた………何を考えてるの!? 早くこの鎖を外しなさい!」

 

「ダメだよ。せっかく獲物が手に入ったんだからさ」

 

 暗闇の中からランタンの光の中へと入ってきたのは、やはりあのレストランを経営していた少年であった。あの時と同じく白い服とコックの帽子をかぶっているが、白い服の上に身に着けている純白のエプロンには返り血のようなものが付着しており、右手には血まみれの大きな包丁を持っている。

 

 もしコックの服とエプロンを身に着けていなければ、殺人鬼に見えたことだろう。

 

「ああ、やっぱり綺麗な手だ………とても白くて、細身で美しい」

 

「ちょ、ちょっと………!」

 

 包丁を近くにあった机の上に置き、少年は鎖に縛られているナタリアの手を握った。彼女は必死に触られまいと抵抗するが、鎖に手足を縛られているのだから逃げられる筈がない。

 

 あの時握手をして来たのは、まさか感激して握手してきたのではなく、彼女の手に触れるためだったのではないだろうかと考えたナタリアは、少年に対して感じていた感心が全て嫌悪に変えてしまった。

 

「………私をどうするつもり? 商人にでも売り飛ばすの?」

 

「そんなことするわけないじゃないか。商人に売ったら、どうせ貴族がすぐに買い取ってしまうだろうからね。君みたいな美少女を手放すわけがないだろう?」

 

 コックの帽子をそっと取って机の上に置き、血まみれの大きな包丁を拾い上げる少年。その包丁を口元へと持ち上げると、まるでキャンディーを舐めるかのように刀身に付着している返り血を舐め取り、彼はにやりと笑う。

 

「それに――――――君は美味しそうだ」

 

「えっ?」

 

 どうせ、今まで彼女を仲間に勧誘してきた冒険者たちのような下心を持つ下衆な男なのだろうと思っていたナタリアだったが―――――少年の笑みは、そのような理由を付けるにはあまりにも獰猛で、残酷過ぎることに気付いたナタリアは、彼が何をしようとしているのか察し、またしても戦慄した。

 

 彼は料理人だ。そして、彼のレストランにはやけに肉料理が多い。

 

 血まみれの包丁とエプロン。『まだ夕飯を食べていない』と言っていた少年。

 

(ま、まさか………!)

 

 その恐怖は、今まで感じたことのある恐怖を全て一瞬で屈服させてしまった。幼少の頃に燃え上がるネイリンゲンで感じた恐怖を焼き尽くし、フィエーニュの森でトロールに殺されそうになった恐怖を喰い尽した新しいその恐怖。今までの恐怖よりも異色で、禍々しい。それゆえに今までよりも強烈で純粋な恐怖であった。

 

 この少年は――――――ナタリアの事を喰おうとしているのだ。

 

 まるでこれから豚肉や牛肉を切り刻み、調理するように。この少年にとってナタリアは獲物で、これから調理するべき『食材』でしかなかったのである。

 

「まだ夕飯を食べてないからねぇ………お腹が空いてるんだ、俺」

 

「う、嘘でしょ………?」

 

 冒険者の中には、魔物に食い殺されて命を落とした者も多い。だが、同じ人間に喰われて死亡した冒険者はごく少数だろう。

 

 このままでは、ナタリアもそのごく少数の死因で殺されてしまうに違いない。

 

(い、嫌………だ、誰か………!)

 

 少年を手伝おうとしなければ、こんなことにはならなかったかもしれないと後悔する。あの誠実そうな少年がこのような本性を持っていたと見抜けなかった自分が悪いのだが、他人の本性をすぐに見抜けるわけがない。

 

(タクヤ……助けて………ッ!)

 

 涙目になりながら、彼女はいつも自分を助けてくれたキメラの少年に、またしても助けを求めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 いくら営業時間が終了したとはいえ、店の明かりが消えるのがやけに早い。ちゃんと施錠されているだろうなと思いつつ入り口のドアを軽く引っ張ってみるが、案の定鍵がかけられている。

 

 ため息をつきながら右手の血液の比重を変化させる。キメラは人間とサラマンダーの混血であり、サラマンダーの外殻を形成して防御力を高める硬化と、彼らの持つ炎を自在に操る能力がある。ラウラは例外だが、キメラという所属は親父が史上初であるため、まだどのような能力を持っているものなのかも分かっていない。突然変異の塊のようなものなんだろう。

 

 右腕の手首から先のみ、人間の血液の比率を30%まで下げる。残りの70%はサラマンダーの血だ。血液の比率の変化は、水に絵の具を垂らして変色させるイメージで変化させられる。幼少の頃から散々訓練してきたから、一瞬で降下させるのはもうお手の物だ。

 

 めきり、と氷に亀裂が入るような音が右手から聞こえてきたかと思うと、肌色の右手が蒼い外殻に覆われていく。まるでドラゴンの身体から外殻を引き剥がし、人間に皮膚の代わりにその外殻を移植したかのような姿に変貌した右手を軽く動かし、人差し指を伸ばすと、指先から蒼い炎をバーナーのように噴出させ、ドアノブへと近づけた。

 

 ドアノブが超高温の蒼い炎に屈し、熱の中で溶けていく。

 

 外殻で覆われた手でドアノブが融解したドアを軽く引っ張り、ついに店内へと侵入することに成功した。この外殻は耐火性と耐熱性に非常に優れているため、融解した金属の中に手を突っ込んでも全く熱さを感じない。だからこの外殻を生成している間ならば、実質的に炎属性の魔術は俺には効かないというわけだ。便利な身体だな。

 

 効果を解除してから、ホルスターの中からMP412REXを引き抜く。俺のリボルバーは漆黒に塗装してあるが、撃鉄(ハンマー)やグリップの一部は蒼く塗装してある。

 

 ちなみにラウラにも同じリボルバーを渡してあるが、あちらは彼女の色をイメージして、黒と赤の2色で塗装してある。

 

 ライトを付けようと思ったが、あの少年に気付かれる恐れがある。だからライトはつけずにこのまま進むことにしよう。

 

 親父から受けた隠密行動の訓練を思い出しつつ、足音を立てないように厨房へと潜入する。やけに明かりが消えるのが速いと思ったが、どうやら食器を洗うのを途中で中断していたらしい。いくら明日が定休日とはいえ、皿洗いはしっかりやっておくべきだろうが。あの少年は何を考えてる?

 

「………ん?」

 

 厨房の奥に、ドアがあった。裏口かと思ったが、裏口と思われるドアはもう一つあるし、そのドアの向こうには階段のようなものが伸びているのが見える。おそらく地下室に行くための階段なんだろう。

 

 地下室か………。どうせ食材でも保管してるんだろう。厨房にも冷蔵庫はあるが、あんなに料理を作っていたんだから、冷蔵庫に入っている食材だけでは足りない筈だ。

 

 ナタリアはおそらく、あの少年に連れ去られたんだろう。裏口からどこかへと連れて行ったという可能性もあるが、明かりが消えてから店を出て行った気配はない。それに、俺が潜入したのは明かりが消えてからすぐだったから、裏口から外に出る時間はない。

 

 地下だな。おそらく、彼女は地下に囚われているに違いない。

 

 静かにドアを開け、リボルバーを階段の下へと向ける。人影は全く見えないし、気配もしない。暗闇がぎっしりと詰まった不気味な階段があるだけだ。

 

 静かに下へと下りていくにつれて、俺は顔をしかめた。

 

 ――――――生肉の臭いがする。血の臭いではなく、肉の臭いだ。

 

 前世の世界でも嗅いだことがあるし、転生した後も嗅いだことがある。どちらも母が買い物に行った際、肉屋で嗅いだ臭いだが、地下室から伸びてくるこの臭いはそれと同じだった。

 

 階段を下りてから、素早くリボルバーを通路の奥へと向ける。九分九厘あの転生者の少年が敵になる事だろう。相手のレベルは不明だが、もし俺よりもレベルが上だったのならば、いくら.357マグナム弾を発射できるリボルバーだけでは火力が足りないかもしれない。

 

 場合によってはこれで足止めし、大型ワスプナイフで止めを刺すか、足止めしてナタリアを救出し、彼女を連れて逃げなければならない。手っ取り早いのは後者だろう。こちらの方がリスクも小さい。

 

 そう思いながら奥へと進んでいくと、広い倉庫のような部屋へと辿り着いた。生肉の臭いはここから流れ出ている。おそらく肉の保管庫なのだろう。

 

 その時、入口の近くに金属の箱が置かれていることに気がついた。生肉の臭いがする場所だが、その箱の中からは血の臭いがする。転生者と戦った時や魔物と戦った時に何度も嗅いだし、魔物から内臓を摘出する時にも嗅いだことがある。その臭いが、箱の中から溢れ出しているのだ。

 

 ちらりと箱の中を覗いてみると――――――赤とピンク色の塊が、ぎっしりと詰まっていた。

 

「――――――!」

 

 内臓だ。牛や豚の内臓なのだろうか。

 

 ライトがないからよく見えないが、胃のような形状の臓器もあるし、腸と思われる長いロープにも似た臓器もある。おそらく調理するために購入してきた豚や牛の内臓を取り出し、この箱に入れておいたんだろう。

 

 気色悪いな………。ライトで照らさなくて良かったよ。親切な暗闇だ。

 

 そう思いながら再び倉庫の中に銃を向け、奥へと進んでいく。

 

 やはりここは肉を保管しておく保管庫のようだ。天井からは鎖が垂れていて、その鎖には肉の塊が吊るされている。牛や豚と思われる肉の塊もあるし、見たことのない形状の肉も吊るされている。

 

 魔物の肉か?

 

 ハーピーなどの魔物は、食用の肉として販売されることも多い。値段も安いから冒険者たちが持ち歩く非常食としても人気がある。

 

 隣に吊るされているのはゴブリンの肉なんだろうか。ところどころ切り取られているけど、上半身は辛うじて原形を留めている。グロテスクな肉の塊を見るのを止めた俺は、息を吐いてから倉庫の奥へと進んでいく。

 

 すると、奥の方にランタンの明かりが見えてきた。倉庫の中を照らし出せるようなサイズのランタンではないようで、照らされているのはあくまで倉庫の一角だけど、その光の中にいる人物が誰なのかを確認するには十分な明るさだった。

 

 明かりの中にいるのは、コックの服を身に着けた少年だ。血まみれのエプロンに身を包み、大きな包丁を持っている。これから肉を切り刻むところなのだろうかと思いながら、これから加工される鎖で吊るされた肉を凝視した俺は――――――目を見開く羽目になった。

 

 少年の目の前に吊るされているのは、皮と内臓を取り除かれた肉の塊ではなく、俺たちの大切な仲間の1人だったのだ。

 

「ナタリア………!?」

 

 ランタンの明かりの中で吊るされているのは、ツインテールの少女だった。怯えながら少年を睨みつけ、手足を鎖に縛られた状態でもがき続けている。

 

 おいおい、まさかあの転生者は――――――ナタリアをここの肉みたいに調理するつもりなのか!?

 

 くそったれ、カニバリズムかよ………!

 

 リボルバーのグリップを握り、息を呑んでから俺は銃を転生者の少年へと向けた。

 

「動くな」

 

「た、タクヤぁ………!?」

 

 これから切り刻まれ、あの少年に喰われてしまうという恐怖で涙目になっていたナタリアが、いつもしっかりしている彼女とは思えない弱々しい声で俺の名前を呼んだ。ランタンの明かりの中で、彼女の瞳から流れ落ちた涙が煌めく。

 

 銃を少年へと向けながらゆっくりと近付いていく。もしこいつが俺よりもレベルが下ならば1発で殺せるが………相手のレベルが分からない以上、迂闊にぶっ放すわけにはいかない。場合によってはナタリアを連れ出し、逃げなければならないのだから。

 

 彼女に何とか逃げるための時間を稼ぐという理由もある。

 

 俺に銃を向けられている少年は、舌打ちをしてからゆっくりとこっちを振り返った。先ほどまで厨房と客の座る席を往復し、必死に働いていた誠実そうな少年の顔ではない。やはり、今まで消してきたクソ野郎たちと同じだ。

 

「おいおい………調理中の料理人の邪魔をしないでくれるかな………?」

 

 血まみれの包丁は、おそらくここにぶら下げられている肉の塊を切り刻むのに使っていたんだろう。その包丁を手にしたまま振り返った少年は、俺が銃を持っていることに驚いたみたいだったけど、ドットサイト越しに彼を睨みつける俺の顔を見て楽しそうに笑った。

 

「へえ………銃を持ってるって事は、君も転生者なのかな? この世界に銃なんてないもんねぇ………」

 

「勘違いすんな。俺は転生者の子供だ。この能力も親父からの遺伝なんだよ」

 

 実際は分からない。本当に親父から遺伝した可能性もあるが、親父の場合は携帯電話みたいな端末を持っている。だが、俺の場合は目の前に立体映像のようにメニュー画面を展開する方式だ。遺伝というよりは別物だろう。

 

 それに、ナタリアたちに俺も転生者だという事をさすがに明かすわけにはいかない。

 

「へえ………転生者の子供か」

 

「どうでもいい。今すぐナタリアを離してもらう」

 

「それは無理だね。彼女には今から食材になってもらうんだから」

 

 やっぱり、こいつナタリアを喰うつもりだったんだ!

 

「た、タクヤ………やだ、死にたくない………っ! た、助けて………ッ!!」

 

「分かってる! ――――――おい、包丁を捨てろ! とっとと仲間を離せ! さもないとマグナム弾をしこたまぶち込むぞッ!!」

 

 しかし、少年は包丁を捨てる気配はない。ニヤニヤ笑いながら、俺を無視してナタリアを解体しようとしている。

 

 ふざけんな。彼女は大切な仲間だ。――――――壊滅したネイリンゲンで生き残ってくれた、大切な命なんだ! 彼女を死なせるという事は、彼女を助けた親父の戦いを無駄にするようなものだ!

 

 全く躊躇わず、俺は目の前のクソ野郎に向かって引き金を引いていた。暗い倉庫の中で銃声が反響し、禍々しい咆哮のように暴れ回る。

 

 頭を狙った射撃だが、少年は包丁を構えて弾丸を弾き飛ばした。跳弾した弾丸が近くにぶら下がっていたゴブリンと思われる肉の塊にめり込み、肉の破片が舞い散る。

 

「何をするんだよ。ああ、お気に入りの肉に穴が開いちゃったじゃないか」

 

「うるせえ、早くナタリアを―――――――」

 

 少年は片手をその肉の塊に伸ばすと、舌打ちをしてから弾丸が撃ち込まれた表面を撫で回した。

 

「――――――この子も、可愛かったのになぁ………」

 

「………?」

 

「この子の〝食感”、気に入ってたんだよ………?」

 

「………まさか、その肉って………!?」

 

 あいつが撫で回してるのはゴブリンの肉じゃないのか? 〝この子”って……どういうことだ………?

 

 こいつ、まさかナタリア以外にもこうやって少女を連れ去らってきて――――――ここで〝調理”してやがったのか!?

 

「―――――こ、このクソ野郎がッ!!」

 

 おぞましさに激昂しながら、俺はさっき目にしたゴブリンと思われる肉の塊の事を思い出した。こいつの犠牲になった少女は他にもまだいる可能性がある。もしかすると、さっきの肉の塊も犠牲者だったのか………?

 

 猛烈な吐き気を抑え込みつつ、俺はリボルバーを少年に向ける。

 

 こいつは狩らなければならない。こいつみたいなクソ野郎を狩るために、親父は転生者ハンターになった。転生者ハンターはクソ野郎を狩るために存在しているのだ。

 

 俺も転生者ハンターとなったのだから――――――こいつを狩らなければならない。

 

 クソ野郎は――――――狩る。

 

 



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タクヤの失望

 

 銃声と跳弾の音が、先ほどから物騒な音を奏で続けている。マズルフラッシュが倉庫を照らし、銃弾がクソ野郎に飛来したかと思うえば、あの包丁に弾かれて壁や吊るされている肉の塊へと叩き付けられていく。

 

 6発目の.357マグナム弾をぶっ放し終えると同時に、俺は危機感を感じた。MP412REXのシリンダーに装填できるマグナム弾の弾数は6発。一般的なハンドガンと比べると、中でも弾数が少ないシングルカラム式のハンドガンよりも弾数は少ない。だが、リボルバーの売りはハンドガンよりも高い威力とストッピングパワーだ。せめて直撃させる事が出来れば、レベルが高い転生者にも通用する筈だ。

 

 距離を詰められる前に腰のホルダーからメスを引き抜き、投擲しつつ肉の塊の影へと飛び込む。ハンドガンのスライドに覆われた銃身に似た中折れ(トップブレイク)式のリボルバーから空の薬莢を排出し、スピードローダーにセットしてある弾丸をシリンダーへと装填する。

 

 あとは銃身を元の位置に戻すだけだと思っていた直後、肉の塊を吊るしている鎖が火花を発した。超高速で振り抜かれた包丁の斬撃が叩き込まれ、鎖が切断された際に発した火花だ。

 

「ッ!」

 

 落下してくる肉の塊を蹴りつつ回避し、別の肉の塊の影へと逃げ込む。別に上に肉の塊が落下してきても致命傷にはならないだろう。だが、動きが鈍った隙にあの包丁で斬られるのはごめんだ。息の根を止められた後に俺も皮膚と内臓を切り取られ、ここに吊るされるのだろうと考えてぞっとしつつ、再び射撃を再開する。

 

 銃で攻撃している以上は射程距離というアドバンテージがある。だが、相手のスピードのステータスはかなり高いらしく、先ほどから弾丸を包丁で弾くか回避することでダメージを受けずに済んでいる。

 

 もしかすると、このまま銃で射撃を続けるのは得策ではないのかもしれない。

 

 リスクは高くなってしまうが、こっちもナイフで応戦するべきだろうか? 反射速度には自信があるし、ナイフの訓練は親父と散々繰り返した。最強の転生者から教わった技術の中でも得意分野なのだから、それほどリスクが高くなるわけでもないだろう。

 

 2発目のマグナム弾をぶっ放し、素早くリボルバーをホルスターへと戻す。左手で大型ソードブレイカーを引き抜きつつ、少年が振り下ろしてきた包丁へと思い切り振り上げた。

 

 ギン、と短い刀身が闇の中で激突する。左手で使うこの得物の名称は『大型ソードブレイカー』ということになっているが、大型とはいえ刀身のサイズはボウイナイフ並みだ。マチェットや大型のククリ刀には及ばないし、こいつは防御用の得物である。

 

 それに対して、このクソ野郎が持っているのは大型の包丁だ。俺のソードブレイカーよりも大型で、サイズは大型のククリ刀と同程度である。それゆえに斬撃の重さは相手の方が上手だ。

 

 まるで落下してきた自動車を片手で受け止めたかのような衝撃だったが、俺の腕と得物は屈していない。亀裂すら入らない大型ソードブレイカーの堅牢さに感謝しつつ、引き抜いたばかりの大型ワスプナイフを少年の喉へと突き上げた。

 

 こちらの得物もサイズはボウイナイフと変わらない。通常のワスプナイフよりも柄と刀身が大型化されているため、柄の中に装填されている高圧ガスのカートリッジも大型化されている。相手に噴射できるガスの量が増えているのは喜ばしいが、こいつの切っ先を相手に突き立てなければ普通のナイフと変わらない。

 

 左手の得物で相手の斬撃を受け止めつつ、右手のナイフで刺突する戦い方になるだろう。このような二刀流の訓練も親父から受けている。親父も二刀流を得意としていたからな。

 

 姿勢を低くしながら、今度は俺が突進する。吊るされている肉の塊をすり抜け、迎え撃とうとしていた少年に向かって右手の大型ワスプナイフを振り上げた。

 

 そのまま振り抜けば少年の喉を切り裂ける筈だったが―――――警戒されていたのか、いきなり急所を狙った一撃の前に立ちはだかった包丁によって、この斬撃は受け止められてしまう。

 

 警戒されていたのか………? それとも、見切っていたのか!?

 

「うん、結構いい動きだね。君の筋肉はさぞかしいい歯応えに違いない」

 

「うるせえッ!」

 

 喰われてたまるか!

 

 このままナイフを押し込もうと思ったが、レベルが上かもしれない相手に力比べを挑むのは愚の骨頂だ。特に転生者同士の戦いでは、ステータスに依存せざるを得ない部分で格上の相手に挑むのは自殺行為である。

 

 すぐに鍔迫り合いを止め、俺は後ろにジャンプした。距離を離しつつ、もう一度周囲を確認する。

 

 遮蔽物になるのは吊るされている肉程度だろう。鎖は利用できそうだが、遮蔽物には使えない。少年の後方にはナタリアが囚われているが、こいつを無視して助けに行けば背後から切り刻まれてしまう事だろう。

 

 スタングレネードでも投げるか? いや、今しがた斬り合ってみたが、こいつの反応速度は思ったよりも速い。得物は包丁だけだというのに、俺の剣戟にすぐに反応してくる。安全ピンを抜いている間に距離を詰められ、阻止されるのが関の山だろう。

 

 反応速度は俺と同程度か………。

 

 なら――――――お前の反応速度を置き去りにさせてもらおう。

 

 少々リスクが高くなるし、タイムリミットもあるが、あいつの反応速度よりも早く攻撃するにはこれしかない。

 

 体内にある雷属性の魔力を、身体中に分散させていく。まるで思い切り力を込めた後に力を抜いたかのような脱力感が全身を包み込んでいく中で、微かに身体の外に漏れた雷属性の魔力が、スパークとなって倉庫の中を照らし出した。

 

 ラウラは、氷の細かい粒子を無数に纏う事でマジックミラー代わりにし、自分の姿を消す事が出来る。俺も炎属性の魔力を応用すれば似たような事ができるが、どちらかといえば俺は隠密行動寄りも接近戦に適した体質で生まれてきている。

 

 たった今発動したのは、その体質を更に接近戦に特化させる奥の手だ。

 

「………?」

 

 小さなスパークを数秒だけ纏った俺を少年が警戒する。

 

 だが、その警戒は無意味だ。

 

 迂闊に攻撃するべきではないと判断したんだろう。先ほどまで俺を斬りつけようとしていた少年が、自分の食欲を抑え込みながら警戒し、俺を睨みつけている。

 

 いつもの俺なら、俺も迂闊に攻撃せず、何か作戦を考えてから攻撃するようにしているんだが―――――――これを発動したからには攻撃しなければならない。

 

 ナイフを構え、俺は姿勢を低くした。攻撃を仕掛けてくる事を知った少年が包丁を構えるが、彼の動きは先ほどよりも非常に遅く見える。

 

 俺が駆けだしたのは、彼が包丁を構え終えるよりも先だった。身体から漏れる微かな魔力を纏いながら駆け抜け、大型ワスプナイフを左から右へと振り払う。

 

 その一撃は受け止められてしまったが、俺にはまだ左手の得物がある。大きなセレーションがついた、大型ソードブレイカーだ。こちらにも高圧ガスを噴出する機構が搭載されているため、こいつを奴に突き立ててスイッチを押すだけで勝敗は決する。

 

 少年はすぐにナイフを押し返し、ソードブレイカーも受け止めようとしたが――――――先ほどよりも反応する速度が遅くなっているようだった。

 

 辛うじて包丁の切っ先がソードブレイカーの刀身を掠めたが、本気で振り払った一撃を掠めただけで軌道を変えられるわけがない。幼少の頃から鍛え上げてきた筋肉と瞬発力によって送り出された超高速の剣戟は、大きなセレーションで切り裂かれた風の断末魔を纏いながら、少年の胸元へと喰らい付いた。

 

「ぎっ!?」

 

 片手で胸元を抑え、後ろに下がる転生者。俺は彼が置き去りにした返り血を浴びながら、更に距離を詰める。

 

 急迫してきた俺を迎え撃つために包丁を振り回してくるが――――――どの斬撃も、簡単に受け止められるほど遅くなっていた。

 

 ダメージを受けたとはいえ、深手ではない。それほど剣戟の速度が落ちる筈はないのだ。先ほどと相手の攻撃の速度は変わらない筈なのに、全ての剣戟を受け止めてしまえるほど遅く見える。

 

 それは、俺が発動したある能力が原因だった。

 

 雷属性の魔力を体中に分散させる事によって、身体中の神経への電気信号の伝達速度を更に上げたのだ。本来よりも速い速度で筋肉へと伝達された信号によって、普段よりも飛躍的に反応速度が上がり、相手の攻撃をより素早く見切る事ができるようになったのである。

 

 接近戦で最も重要なのは、筋力や瞬発力よりも反応速度だ。いくら筋力がついていても、相手の剣戟を見切る事が出来なければすぐに斬られてしまう。それゆえに、素早い反応速度が重宝する。

 

 屈強な人物ならば剣で斬られても耐えるだろうが、その一撃が急所に喰らい付けば、屈強さには意味がない。

 

 元々ラウラよりも速かった俺の反応速度を、電気信号の伝達速度を更に高速化することによって劇的に強化したのだ。だから相手の剣戟が容易く見切れるし、相手が見切るよりも先に攻撃できる。

 

 便利な能力だが、電気信号の伝達速度が更に速くするこの能力は、簡単に言えば電線に耐え切れないほどの超高圧電流を流しているのと同じだ。発動し続けていると、電線と同じように俺の神経も破壊されてしまう事だろう。

 

 おそらく、発動し続けていられるのはたった30秒。だから30秒以内にこいつを倒さなければならない。

 

 距離を詰め、喉へとナイフを突き出す。しかし少年は辛うじてその刺突を見切ったらしく、横から包丁を叩き付けることでナイフを逸らして回避した。しかし、辛うじて逸らすことに成功した程度だ。得物を無理矢理振り回したことによって体勢は崩れるし、力任せに弾いたせいですぐに反撃する事が出来ない。連続攻撃で畳みかけてくる相手にとっては、その一撃は次の攻撃を叩き込むための布石にしかならないのだ。

 

 案の定、次のソードブレイカーの斬撃は見切れていない。セレーションが服と肉にめり込み、そのまま肉を引き裂いていく。

 

 悲鳴を上げながら包丁を振り回す転生者だったが、やはりその攻撃も遅く見えるし、2回も斬りつけられて焦っているせいなのか攻撃も荒くなっている。

 

 姿勢を低くして出鱈目な斬撃を潜り抜け、今度はアキレス腱を斬りつけた。がくん、と少年の身体が揺れ、脹脛から血を噴き上げながら地下室の床に崩れ落ちていく。

 

「ギャアアアアアアアッ!?」

 

 そのまま飛び掛かってナイフを突き立て、ガスを噴出させて惨殺してやろうと思ったが――――――少年が振り回していた包丁が、偶然俺のワスプナイフの刀身を殴りつけた。逆手持ちにしようとしていた最中に喰らったため、フィンガーガードからあっさりと指が外れ、俺の愛用の得物はブーメランのように後ろへと飛んでいく。

 

「チッ!」

 

「こ、この野郎ッ! てめえなんか、殺した後に八つ裂きにして魔物の餌にしてやる!」

 

 うるせえ。アキレス腱斬られて歩けなくなったくせに、どうやって俺を八つ裂きにするんだよ。

 

 言い返してやろうと思ったところで、俺は全身の血管や筋肉がいつも以上に発熱していることに気付いた。まるで血液の代わりにガソリンを流し込まれ、それに着火されてしまったかのように。

 

 そろそろタイムリミットだ。このまま発動し続けていれば、神経が破壊されて身体が動かせなくなってしまう。そうなったら天秤を探しに行く事が出来ない。

 

 賭け事はしない主義なんだが、何でこんなリスクのでかい能力を身に着けてしまったのだろうか。雷属性だから十中八九母さんからの遺伝なんだろう。

 

 電気信号の伝達速度を通常に戻し、息を吐いた俺は床に倒れながら俺を見上げている少年を見下ろした。

 

 どうして、転生者にはこんなクソ野郎が多いのだろうか。

 

 前世の世界では普通の人間だった筈だ。なのに、異世界に転生し、あの端末で強力な力を手に入れてから悪用する転生者が多過ぎる。

 

 なぜだ。前世の世界では出来なかったからか? 蹂躙するのが楽しいのか?

 

 何だ? お前らは何だ?

 

「何なんだ………」

 

 踵を返し、先ほど弾き飛ばされた大型ワスプナイフを拾い上げてから少年の元へと戻った俺は、まだ鎖に縛られたまま俺を見守っているナタリアに「もう少し待っててくれ。もう終わる」と告げてから、再び少年を見下ろす。

 

 得物を取り戻した俺を見上げる少年は、もう怯えていた。

 

 今までこいつに殺されていった犠牲者たちも、殺される直前にこんな顔をしていたのだろう。刃物を向けられ、周囲にぶら下げられた肉の塊を見て、自分は殺されるだけではなくこの少年の食欲のために喰われるのだと知り、絶望と恐怖に心を蹂躙されながら――――――肉の塊へと変えられていったに違いない。

 

 お前も、こうやって怯えさせたんだろう?

 

 お前も、こうやって殺したんだろう?

 

 同じじゃないか。俺は今から、お前を殺す(狩る)殺す(狩る)だけだ。喰うつもりはない。

 

 そう、殺す(狩る)。昔から親父に教わってきたように。クソ野郎を消すために。

 

「何なんだ、お前らは」

 

 無意識のうちに喋っていた俺の声には、全く感情がなかった。

 

「何でこんなことをした?」

 

「………喰いたかったからだよ。ハッハッハッハッ………みんな旨そうだったからさ。だから旨そうな奴をここに連れて来て〝調理”してただけさ」

 

「………なんでだ」

 

 訳が分からない。

 

 全く分からない。

 

 もう、理解できない。――――――理解したくない。

 

 醜悪だ。醜過ぎる。………もう嫌だ。

 

「―――――何なんだよ、お前らッ!?」

 

 転生者に対する嫌悪が、思い切り膨れ上がった。ナイフを床に置いて少年の胸倉を思い切り掴み、そのまま壁に叩き付ける。

 

「何でこんなことするんだよ!? 楽しかったか!? 思い切り他人を蹂躙して、前世の世界で出来なかった蹂躙を愉しんでッ!! 他人が苦しめるのが愉しかったのかよ!? あぁッ!?」

 

「ぐ……ぁ………っ!」

 

 思い切り腕を押し込むと、少年の鎖骨から変な音がした。手が彼の胸元にめり込んでいき、胸筋の奥にある胸骨を少しずつ歪めていく。

 

 すると、苦しんでいた少年が俺の頭を見上げ、苦しみながら目を見開いた。

 

「つ………角………ッ!?」

 

 キメラの角が伸びていたのだろう。当たり前だ。俺は転生者に対して失望し、激怒している。こいつだけではなく、世界中で蛮行を繰り返すクソ野郎共全員に対して失望し、激怒しているのだ。

 

 床には俺のハンチング帽が転がっていた。先ほど彼を壁に叩き付けた瞬間に落ちてしまったのだろう。

 

 頭から生えたダガーのような角を凝視していた少年が、更に怯える。苦しみながらぶるぶると震え、涙目になりながら俺を見下ろしてきた。

 

「ば、化け物………ッ! 怪物だ………お前こそ何なんだよ!? 怪物のくせに、何でキレてんだよ!? 馬鹿じゃねえの!? 怪物なんだったら黙ってろよ! てめえには関係ねえだろ―――――――ウグッ!?」

 

 片手で胸倉を掴んだまま、もう片方の手で少年の首を絞めていく。鍛え上げられた握力と俺の怒りを動力源にして、指が少しずつ少年の首にめり込んでいく。

 

 だが――――――首を絞めて殺すのはつまらない。

 

 こいつには、もっと恐怖をプレゼントしてから殺してやる。

 

「いいか、〝人間”。………怪物っていうのはな……てめえらじゃ絶対に勝てねえから〝怪物”って呼ばれてるんだよ」

 

 首と胸元から手を離し、代わりにナイフを拾い上げる。必死に空気を吸い込み、涙目になりながら見上げてくる少年をまたしても見下ろした俺は、唇を噛み締めてからナイフを振り下ろした。

 

 もう理解したくない。

 

 真面目に働いている誠実な転生者に出会えたと思ったのに。

 

 結局こいつも、クソ野郎だった。

 

 ふざけるな。

 

 もう嫌だ。

 

 ナイフを振り下ろし、絶叫する少年の肉を切り落しながら、俺は涙を流していた。

 

 悔しかった。こいつはいい転生者だと思っていたのに、結局クソ野郎だったのだから。

 

 こいつに、裏切られた。

 

 だから悔しい。許せない。

 

 血まみれになりながら、俺はナイフを突き立て続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったよ、ナタリア」

 

 巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させ、彼女を吊るしていた鎖と両足の鎖を切断した俺は、怯えていたナタリアを抱き締めようとしていた腕が返り血まみれになっていた事に気がつき、そっと手を下ろした。

 

 彼女は怯えているのだろうか? 怖かっただろうか?

 

 動けるようになったナタリアは、机の上に置いてあった自分のククリナイフを鞘の中へと戻すと、悲しそうな目で俺を見つめてから――――――俺の目元を、白い手で拭ってくれた。

 

 そこにも返り血がついていたから、彼女の指は真っ赤になっていた。でも、よく見るとその血の中に透明な液体が混じっている。

 

 俺は………まだ、泣いていたのか。

 

「………ナタリア、教えてくれ」

 

 しっかり者の彼女なら、知っているかもしれない。

 

「何なんだよ………なんでクソ野郎ばっかりなんだよ………」

 

「………私にも分からないわ」

 

 首を横に振ったナタリアは、もう一度俺の涙を拭ってくれた。返り血まみれになった頬の涙を拭ってくれた彼女の手はとても暖かくて、俺は更に涙を流してしまう。

 

 あまり泣きたくなかったんだけどなぁ………。しかも、ナタリアに見られちまった。

 

「………まったく」

 

 優しく微笑んでくれたナタリアが、俺の背中へと手を伸ばす。今の俺は返り血まみれになっているから触れば彼女も汚れてしまうだろう。だから後ろに下がろうとしたんだが、ナタリアは逃がしてくれなかった。

 

 手を掴んでから、背中へと白い手を回す。そのままナタリアは、俺を抱き締めながら頭を撫でてくれた。

 

「泣くのは今回だけにしなさいよね。……………あんたは、私を助けてくれた……カッコいいヒーローなんだから」

 

 ああ、もう泣きたくない。

 

 だから今日だけ――――――泣かせてくれ。

 

 俺も彼女の背中へと手を伸ばし――――――血まみれのまま、泣いていた。

 

 

 



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異世界の切り裂きジャック

 

 真っ赤になった指で冷たい壁をなぞり、何本も鮮血の線を描く。先ほどまでは生暖かった鮮血はもう冷たくなり、鉄の臭いにも似た悪臭を純粋に放ち続けていた。

 

 服に染み付いた血が気になるが、どうせ能力を使って服装を変えれば着替えは済むし、勝手に汚れは落ちる。どれだけ血まみれになっても全く気にしなくていい。

 

「ね、ねえ………」

 

「ん?」

 

 指についた血が薄れたので、足元に転がっている血まみれのコックの服を着た肉塊から補充しようと手を伸ばしていると、先ほどから俺を見守っていたナタリアが問い掛けてきた。

 

 冒険者は魔物から素材を取る際、頻繁にメスやナイフを使って内臓を摘出するため、肉片や内臓を見るのに慣れている者も多い。それにダンジョンで命を落とす同業者も多いのだから、魔物に惨殺された人間の死体も何度も目にしている。

 

 それを見てショックを受け、耐えられなくなって冒険者を辞める者も多い。冒険者はダンジョンを調査する大人気の仕事だが、そういった光景を目にすることに耐えるという試練もあるのだ。

 

 それに――――――初代転生者ハンターに育てられたのだから、今更惨殺されたクソ野郎の死体を見ても全くショックは受けない。そこにバラバラになった死体が転がっていると思うだけだ。〝これ”はもう、この地下室の中に置かれたオブジェの1つでしかないのだから。

 

「その………血で何を書いてるの?」

 

 彼女が指差したのは、俺が壁に書いている文字の羅列だった。

 

 この世界で使われている言語ではない。それに、あのメウンサルバ遺跡で目にした古代文字でもない。この世界で使われている言語はアルファベットに似ているし、古代文字はハングルににているんだが、俺が壁に書き込んでいる文字の雰囲気はその2つの言語とは全く違う。

 

 ―――――この文字を目にするのは、17年ぶりか。

 

 前世の世界の事を思い出しながら、俺は壁に描いた日本語の羅列を見つめた。

 

 前世の世界と異世界では使われている言語は全く違う。転生者の持つ端末には言語を翻訳してくれる機能がついているようだが、俺はその端末を持たない特殊な転生者として生まれてきた。もちろん、異世界の言語は小さい頃に母さんやエリスさんから教わって読み書きができるようになっている。

 

 だが、前世の記憶はある。だから俺が〝水無月永人”という男子高校生だった頃から使い慣れていた言語(日本語)も、まだ覚えていた。

 

 転生者は大半が日本人だという。中には親父たちと一緒に戦った中国出身の転生者のように日本以外の国から転生してきた転生者もいるらしいけど、親父が仕留めてきた転生者は大半が日本人だと言っていた。

 

 それゆえに―――――――この〝メッセージ”は彼らにのみ通じる筈だ。

 

 だから、俺は敢えて前世の世界の言語で、この異世界中のクソ野郎共にメッセージを残すことにしていた。

 

「メッセージだよ」

 

「メッセージ? ………それ、何語?」

 

「日本語だ」

 

「ニホン語? どこの国?」

 

「親父が生まれた国だ。………異世界の国だよ。極東にある、滅茶苦茶小さな島国さ」

 

 そして、俺が虐げられてきた世界だ。何度も虐げられた最低の前世。もう二度と、前世の世界には戻りたくない。

 

 水無月永人は、もう死んでいるのだから。

 

「そういえば、傭兵さんは転生者なのよね………」

 

「ああ。………親父が言ってたんだが、転生者の大半は日本出身らしい。だからこの言語は、そのクソ野郎共にだけ通じる」

 

 港町で有名だったレストランの料理人が惨殺されたのだから、これは大事件になるだろう。奴の死体と一緒に、騎士団によってこのメッセージも発見されるに違いない。

 

 異世界の人々から見れば、ただの奇妙な文字が書かれた殺人事件に過ぎない。しかし、こいつと同じように人々を虐げているクソ野郎たちにとっては、このメッセージは宣戦布告と抑止力になるだろう。

 

「何て書いてあるの?」

 

「―――――『世界中のクソ野郎共へ。これ以上蛮行を続けるなら、てめえらもこうなる。死にたいなら続けるがいい。俺が全員狩りに行く。転生者ハンターより』………って書いた」

 

「なるほどね。転生者にだけ通じる言語か………」

 

 同じように人々を虐げ続ければ、こいつと同じようにぶち殺す。これを宣戦布告だと思っている奴はそうするつもりだ。これでビビって悪さを止める転生者がいるのならば、殺しに行く必要はない。

 

 新聞記者たちに、転生者ハンターの恐ろしさを宣伝してもらうとしよう。

 

 まるで、切り裂きジャックみたいだな………。異世界の切り裂きジャックか。

 

「ねえ………」

 

「ん?」

 

 書き終えたメッセージを眺めつつ血まみれの手でハンチング帽を拾い上げた俺は、ナタリアに呼ばれて後ろを振り返った。

 

 あの転生者をナイフでバラバラにした俺は血まみれになっちまったけど、ナタリアは血まみれになった俺を抱き締めてくれただけだから、それほど血で真っ赤になっているわけではない。

 

 でも、多少は血で汚れている筈だ。なのに、今の彼女は全く汚れていないように見える。

 

 おそらく、それは彼女が纏う覚悟のせいだろう。転生者の欲望を直視する羽目になり、そのおぞましさと禍々しさを知った彼女は、きっと何かを決めたのだ。

 

 自分を虐げる世界との決別。どんな世界でも、その世界と決別し、今まで過ごしてきた枠組みから乖離(かいり)するのは非常に難しい。何も知らない世界に無知のまま旅立つ事と同じなのだから。

 

 しかし、彼女は手探りでも世界から乖離することを望むだろう。だからこそ覚悟は強靭で―――――汚れない。

 

「タクヤ、お願いがあるの」

 

「何だ?」

 

 血まみれの手で血まみれの頬を拭いながら、俺は彼女に尋ねた。

 

 乖離する覚悟を纏った彼女の答えは――――――俺の予想以上に真っ直ぐで、真っ黒だった。

 

「―――――――私も、転生者ハンターになる」

 

「は?」

 

 ナタリアも転生者ハンターに………?

 

 無謀じゃないか? 転生者ハンターになるって事は、転生者と戦い続けるという事だ。レベルが上の相手と何度も戦い、死にかけながらもクソ野郎を抹殺し続ける殺意と血まみれの狩人。転生者ハンターは、最も禍々しい狩人なのだ。

 

 俺や親父は転生者だ。ラウラは転生者ではないが、キメラとして生まれているため身体能力は高いし、特殊な能力もある。それに現代兵器の扱い方を幼少の頃から訓練されているから、彼女の戦闘力は転生者と同等だ。

 

 だが、ナタリアは転生者ではない。今まで彼女は俺たちと共に強敵と戦ったことはあるが、本格的に転生者と戦うには危険過ぎる。

 

 ナタリアは転生者と戦う危険性を知っている筈だ。止めておけと言おうとしたが、ナタリアは俺が止める前に言った。

 

「だって、こんな奴が世界中にいるんでしょ?」

 

「ああ。だが、それは俺やラウラの仕事だ。お前は――――――」

 

「ええ、そうよ。転生者じゃない。銃の使い方もまだ未熟よ。………でもね、私も許せないの。異世界からやってきた奴らに、私たちの世界を荒らされるのが」

 

「………」

 

 彼女たちからすれば、転生者は余所者に過ぎない。

 

 彼らは何者かから与えられた端末と力を悪用し、他人の家で暴れ回っているのと同じなのだ。

 

「お願い。私も………あいつらを狩りたい。生まれ育った世界を守りたいの」

 

「………転生者ハンターになれば、ずっと血まみれのままだ。それでもいいのか?」

 

「え?」

 

「奴らの返り血は………消えないぞ。いいのか?」

 

 昔から奴らを狩り続けていた親父も、ずっと血まみれだったんだろう。

 

 初めて転生者を狩り、自分と同じ世界からやってきた人間に失望しながら―――――銃弾で彼らを貫き、刃で切り刻み続けた。

 

 硝煙と血と殺意は、二度と消えない。転生者に失望している以上は―――――絶対に消えない。

 

「………構わないわ」

 

 でも、ナタリアは足を踏み入れようとしている。血と硝煙の地獄に。銃声と絶叫が支配する狩場に。

 

 止めるべきか? 誘(いざな)うべきか?

 

 親父は、俺たちを誘った。転生者を狩る先駆者として、俺たちに狩りを教えてくれた。

 

 なら、俺も親父のように彼女を誘おう。一足先に転生者ハンターとなった先人として、彼女を狩人にするのだ。

 

 拒まなくていいだろう。――――――迎え入れよう。

 

 狩りたいと言うのならば――――――。

 

「――――――分かった。一応親父にも連絡しておく」

 

「ありがとう」

 

 転生者ハンターはまだ俺とラウラと親父の3人しかいない。

 

 いくら数多の転生者を狩ってきた転生者ハンターでも、まだ抑止力にはなっていないだろう。蛮行を続ける馬鹿野郎共に、蛮行を続ければ転生者ハンターに狩られると教えるには、もっと転生者ハンターを増やさなければならない。

 

 もしかしたら、いつか『転生者ハンターギルド』を結成することになるかもしれない。

 

 そう思いながら、俺は転生者ハンターに志願した彼女を見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

《リキヤ・ハヤカワ様より、メッセージです》

 

 宿屋の小さな部屋で目を覚ました俺の目の前に、朝っぱらからそんなメッセージが勝手に表示された。

 

 今までこんなメッセージが表示されたことはない。というか、この能力にメールみたいにメッセージを送る機能があったのかよ。初耳だぞ。もしかして、アップデートで追加された機能なんだろうか。

 

 今まで知らなかった機能に目を丸くしつつ、瞼を擦ってから蒼白いメッセージをタッチする。

 

 仲間たちはまだ寝息を立てている。そろそろ午前9時になるが、今まで旅をしていて疲れているのか、ラウラやナタリアたちは目を覚ます気配はない。特にナタリアは昨日の夜に怖い思いをしているから、ゆっくり眠っていたいのだろう。目を覚ましているのは俺だけだ。

 

 それにしても、親父からのメッセージか。何のメッセージだ? 

 

 タッチした後に画面に表示されたメッセージの内容を見た俺はぎょっとした。そこに表示されていたのはこの世界の言語ではなく―――――俺が転生者の死体の近くに書いた文字と同じく、日本語だったからだ。

 

《タクヤへ。念のため、このメッセージは日本語で書いておく。――――――昨晩、ノルト・ダグズでレストランを経営していた少年が惨殺されたというニュースが新聞に載っている。もうオルトバルカまで届いているぞ。………その少年は、転生者だったんだろう? 人間の肉を好む狂った野郎だ。前から消そうと思っていた奴なんだが、お前に先を越されてしまったよ》

 

 もうオルトバルカの新聞にも載ってるのかよ。昨日の夜に殺した奴の記事だぞ?

 

《転生者を狩り続けているようだが………あの殺し方は、切り裂きジャックの真似事か? 日本語でメッセージを書いたのは、転生者たちに警告するためなんだろう? 残酷な殺し方をしたことを咎めているわけではない。むしろ、あんなクソ野郎は惨殺されるのがふさわしい。だが………切り裂きジャックを気取ったあんな殺し方を、クソ野郎じゃない人々には決してするな。そうすれば、お前がクソ野郎に成り下がってしまう。もしお前がクソ野郎になり下がったのならば――――――俺が、転生者ハンターとしてお前を殺す(狩る)。絶対に忘れるな。リキヤより》

 

 ………釘を刺しておくって事か、親父。

 

 当たり前だ。あんな殺し方をするのはクソ野郎だけだ。何もしていない人々に、そんな事をするつもりはない。

 

 あんたを敵に回したくはないからな。俺はあんたから戦い方を教わった息子(弟子)で、あんたは俺に戦い方を教えた父親()なのだから。

 

 それに、俺はクソ野郎になるつもりはない。虐げるならば俺はクソ野郎共を虐げる。

 

 メッセージを読み終えた俺は、目の前から蒼白い画面を消すと、ため息をついてからベッドから起き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラトーニウス王国の南端にあるノルト・ダグズで起きた殺人事件で、その港町は大騒ぎになった。町で最も有名だったレストランの地下室で、そのレストランを経営していた少年の死体が発見されたのである。

 

 肉を保管していた地下の倉庫で発見された少年は、ナイフでバラバラにされていた。手足や指は切断され、内臓まで切り裂かれて惨殺されていたのである。客たちからの話でその少年がとても誠実な料理人だったと聞いた騎士団は、入り口のドアノブが融解していたことから強盗に殺害されたのではないかと仮説を立てたが、レジの中から銀貨を奪われた形跡はない。

 

 しかも―――――現場の壁に少年の血で記されたと思われる奇妙な文字が記されていたのである。

 

 明らかに現代の言語ではない。古代文字ではないかと判断した騎士団の分隊長は考古学者を呼び寄せたが、古代語の翻訳ができる考古学者も「こんな文字は見たことがない」と言い、解読する事が出来なかったという。

 

 惨殺された少年の死体と、見たこともない言語の羅列。この事件を知った新聞社はすぐに記事を作り上げ、平和な港町で起こった怪事件として世界中にその情報を送り始めた。

 

 案の定、その言語の意味を知らぬ人々はただの怪事件だと判断したことだろう。

 

 しかし――――――異世界からやってきた一部の者たちは、その言語の意味を理解していた。

 

 それは血まみれのおぞましい狩人からの警告であり、宣戦布告でもあったのだ。

 

 ―――――『これ以上蛮行を続ければ、貴様らもこの少年のように殺す』という、狩人からの警告。既にその狩人の恐ろしさを知っていた者たちは戦慄し、彼らを侮っていた者や新参の転生者たちは、それを宣戦布告だと判断した。

 

 そして――――――この事件が、〝異世界の切り裂きジャック”の産声となるのであった。

 

 



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海底へと潜航するとこうなる

 

 殺人事件が起き、現場に騎士団と野次馬が殺到しているというのに、ノルト・ダグズの港は関係なく静かなままだった。波の音とカモメの鳴き声に包まれながら停泊する漁船の群れ。縄で船を固定し、道具を積み込むドワーフの漁師たち。きっとこの街の港の風景はいつもこの風景なんだろう。

 

 港から少し離れた位置にある桟橋の上から、俺は漁船の近くで作業するドワーフの男性たちを見守っていた。

 

 これから潜水艇で海底神殿へと向かうというのに、俺たちが潜水艇で海の旅に出ると決めた場所は、漁船の並ぶ港ではなく放置された造船所の跡だった。

 

 かつてはあの港に停泊している漁船を何隻も造船していたと思われる木造の建物の中には、様々なサイズの漁船が造られている途中で放置されている。海原へと解き放たれることなく潮風を浴び続けている彼らの船体には、フジツボが付着した痕はない。

 

 こんな場所を出発する場所に選んだのは、出来るだけ潜水艇を見られないようにするためである。

 

 俺の能力は色んな武器や能力を自由に生産できるし、それを自由に装備する事ができる。それを使っていきなり潜水艇を出現させれば怪しまれるという理由もあったが、目立たない場所から出発することにしたのは、他の冒険者たちに極力俺たちが海底神殿に向かったという事を秘匿するためだ。

 

 争奪戦が本格化する前に全ての鍵を手に入れてしまうのが最も望ましいが、おそらくその前に争奪戦の規模は大きくなることだろう。だから、せめて1つでも鍵を争奪戦の前に手に入れておきたい。それが、俺たちの思惑である。

 

 その海底神殿へと向かうための潜水艇の船体には、左右に1本ずつ魚雷が吊るされていた。元々魚雷を大きくしてセイルを取り付けたような形状だからなのか、まるで大きな魚雷が小さな魚雷を引き連れているようにも見えてしまう。

 

 黒とグレーの迷彩模様で塗装された船体を見つめていた俺は、カノンがハッチから艇内へと乗り込んでいったのを確認してから、船体に飛び乗った。乗り込む前に潮風を吸い込み、前世の世界で味わった安らぎと再会してから、俺も艇内へと滑り込んだ。

 

 耐圧穀と電子機器に取り囲まれた艇内は非常に狭い。元々このDSRVは救難用の潜水艇なんだが、武装するために魚雷を装備した影響で、その魚雷を発射するための設備まで追加する羽目になったため、新たな配管やケーブルが居座った艇内はなおさら狭くなっている。

 

 中心には潜望鏡の柱があり、その左隣には4つのモニターに取り囲まれた艇長の座席がある。そこに腰を下ろすのは、訓練でも何度も艇長を担当していたナタリアだ。彼女はパーティーの仲間たちの中では一番しっかりしている上に冷静沈着だから、艇長には適任だろう。

 

 ナタリアの座席の右手には、電子機器からケーブルでつなげられた大きなヘッドホンが置かれている席がある。そこで機器や計器をチェックしているのは、ソナーマンを担当するラウラ。頭の中にメロン体があるため、幼少の頃からエコーロケーションを使い続けていた彼女は、視力だけでなく聴覚も非常に優れている。ソナーマンにはうってつけだ。

 

 艇長の座席から見て左手には、グラフや数値がいくつも表示されたモニターが鎮座している。そのモニターの傍らに用意された座席で早くもチェックを始めているのは、機関士を担当するカノンだった。

 

 潜望鏡の柱を躱し、船首の方にある座席へと向かう。船首の方には2つの座席が並んでいるが、俺が座るのは右側の方にある座席だろう。

 

 その座席の正面には深度計と小さなモニターがいくつか設置されており、真正面からはがっちりした灰色の操縦桿が伸びている。操縦桿の右隣からは小さなレバーが2本ほど突き出ていた。

 

 これは、操縦士を担当する俺の座席だった。ちなみに左隣にも座席があるが、そっちの席にはもう先客がいる。

 

 小さな指で素早くモニターをタッチしつつ、後付けされた魚雷発射用のシステムをチェックし終えたステラは、目を輝かせながら目の前のレバーについている赤いボタンを凝視していた。

 

「ステラ、そのボタンは押しちゃダメだからな」

 

「はい。ですが、ステラは早くギョライをぶっ放したいのです」

 

「わ、分かってるって。魔物が出たら頼むよ」

 

「はい」

 

 ステラが担当するのは………副操縦士という事になっているが、実質的には魚雷の射手だ。武装するという計画になる前までは機関士の補助やダメージコントロールを担当してもらう予定だったんだが、操縦する上に魚雷の発射まで担当するのは大変だし、ステラが「ギョライを撃ってみたいです」と希望してきたので、彼女に担当してもらう事になったのだ。

 

 まるでこれから遊びに行く子供のようにワクワクしながら、じっと目の前の発射スイッチを凝視するステラ。あの魚雷は潜水艦の魚雷よりも小型だし、潜水艦のように発射管から発射するわけではないから、発射する前に注水する必要はない。諸元入力をしてから銃のように安全装置(セーフティ)を解除し、あのスイッチを押して発射するだけである。だから発射管に注水する際の音で察知されるリスクはないが、小型であるため潜水艦の魚雷と比べると威力は低い。それに、諸元入力を間違えれば命中することはない。

 

 ちなみに、訓練での魚雷の命中率はトレーニングの成績のデータによると56%だという。魚雷の発射訓練が操縦訓練よりも短かったとはいえ、まだ命中率は低い。魔物と遭遇したら応戦はせずに逃げることになるだろう。

 

「機関部、異常ありません。バラストタンクにも異常なし。オールグリーンですわ」

 

「ソナーも異常なし。大丈夫だよ、ナタリアちゃん」

 

 おっと、俺もチェックを終わらせて報告しないと。

 

「深度計、各種計器異常なし。舵も問題ないぜ、ネモ船長」

 

 ニヤニヤ笑いながら、俺はナタリアに報告した。ちなみにこのDSRVは仲間たちに『ノーチラス号』と名付けられている。

 

 ネモ船長と呼ばれたナタリアは目を丸くしながら首を傾げていた。俺はまだ笑いながら計器類を再チェックするふりをして、ステラが報告を終えるのを待つ。

 

「ギョライに異常はありません。安全装置(セーフティ)にも異常なし。オールグリーンです」

 

「了解よ。………じゃあ、出航しましょう」

 

「イエッサー。ノーチラス号、抜錨ッ!」

 

 ついに、海底神殿へと向かうのだ。伝説の天秤の鍵を手に入れるために。

 

 前世の世界では痛みを捨てていた海から、俺は目的を手に入れようとしていた。………いや、もしかすると取り戻そうとしているのかもしれない。

 

 あの痛みを。――――――克服するために。

 

 操縦桿の脇にあるスイッチを押すと、耐圧穀の外側からまるでリールがワイヤーを巻き取っているかのような擦れる音が聞こえてきた。船首に搭載された小型の錨が、ワイヤーと共に巻き取られているんだろう。

 

 本来ならばDSRVは母艦から出撃するんだが、俺たちはこの潜水艇を出撃させるための母艦を持っていないため、停泊用の錨も追加してある。母艦を生産するには莫大な量のポイントを使うし、第一乗組員が全く足りない。一応様々な箇所を自動化することができるらしいんだけど、そんな改造をするのにも莫大な量のポイントを使う羽目になるため、どの道俺たちは母艦を使う事が出来ないのだ。

 

「機関、始動しますわ」

 

「沖に出るまで微速前進よ。念のためソナーで警戒をお願いね」

 

「了解!」

 

「はーいっ!」

 

 機関室の中で、モーターたちが一斉に吠えた。甲高い咆哮をハッチの向こうから響かせつつ、このノーチラス号をゆっくりと沖の方へ送り出していく。

 

 魔物はあまり港に近付いて来ないと言われているが、稀に港の内部まで侵入し、暴れ回って漁船を破壊する魔物もいるという。ナタリアが早くもラウラにソナーで警戒させているのは、その〝稀に”やってくる短気な来訪者を警戒している証拠だろう。

 

 もしラウラがその来訪者を感知した場合に備えて、俺は操縦桿に手をかけたままいつでも転舵できるように準備していた。深海まで潜るための耐圧穀に覆われているとはいえ、もし海底に住む巨大な魔物に体当たりされれば、たちまち俺たちはこの潜水艇もろとも木端微塵だ。潜水艦や潜水艇の防御力は非常に低いのである。

 

 ステラも魚雷の発射準備をしているようだったが、結局ラウラが「港を出たよ。反応はなし」と報告したため、何故か落胆しながらボタンから手を離していた。

 

 頭上のハッチを開け、双眼鏡で海原を見渡すナタリア。海中も警戒しなければならないが、潜航する前に野生の飛竜が空襲してくる可能性もある。魚雷は搭載しているが対空用の機銃までは搭載していないので、もし仮に飛竜が襲ってきた場合は逃げるしかない。

 

 だが、聞こえてくるのはカモメの鳴き声だけだ。ハッチから入り込んでくる潮の香りを吸い込んで安堵しつつ、俺はネモ船長(ナタリア)に「そろそろ潜る?」と問いかけつつ、彼女の座席のモニターにマップを送信する。

 

 そのマップには、海底神殿の位置が表示されている。海底神殿が存在するのはラトーニウス海の深度900m。このDSRV(ノーチラス号)ならば到達する事が出来るだろう。

 

 双眼鏡で飛竜を警戒していたナタリアはちらりと座席のモニターを見てから、もう一度双眼鏡で周囲を見渡した。

 

「………そうね、もう潜った方が良いかも。周囲に漁船もいないし」

 

「了解、じゃあハッチ閉めてくれ」

 

「はいはい」

 

 双眼鏡を首に下げ、ハッチを閉めてから席に戻るナタリア。潮の香りとお別れするのは残念だが、鍵を手に入れてもう一度浮上すれば、前世の世界で海に行く度に俺と母さんを慰めてくれたあの香りと再会できるだろう。

 

 鍵を手に入れて海面に戻って来れれば、あの潮の香りが勝利の美酒となる。

 

「バラストタンクに注水、潜航開始。まだ深度は20mでいいわ。目標海域に到達するまで、深度20mを維持」

 

「了解(ダー)」

 

 潜水艇や潜水艦は、潜航する場合はバラストタンクと呼ばれるタンクに海水を注水し、それを重りにすることによって潜航する。逆に、浮上する場合はそのバラストタンクから注入した海水を排出するのだ。

 

 潜水艦よりも遥かに小さなバラストタンクに流れ込んだ海水が、DSRV(ノーチラス号)を深海へと誘っていく。微かに床が前方へと傾き、魚雷のような船体が海水の絨毯の中へと潜り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国の東には、『エメラルドハーバー』と名付けられた軍港が存在する。オルトバルカ王国の海上騎士団が保有する拠点の1つで、産業革命が起こるよりも昔から常に軍艦が停泊している巨大な軍港だ。

 

 フィオナの発明によって産業革命が起きてからは、そこに停泊する軍艦の外見は目まぐるしく変貌していった。木製の帆船だった軍艦は、今では鉄鉱石で造られた鋼鉄の装甲に覆われた装甲艦となり、原動力も帆から巨大な高出力型のフィオナ機関へと変更されている。

 

 同様の方式の軍艦は何隻も停泊しているが――――――その中で最も巨大なのは、王国の女王の名を冠された漆黒の装甲艦であるクイーン・シャルロット級一番艦『クイーン・シャルロット』と、姉妹艦の『ブリストル』だろう。どちらも従来の軍艦では大型であった40mを超える60mの巨体を持ち、いたる所にモリガン・カンパニー製の最新兵器を満載した最新鋭の装甲艦である。

 

 その二番艦『ブリストル』の甲板の上で、リキヤは甲板の外側へと砲口を向けて眠る新兵器を見渡していた。

 

 一見すると天体望遠鏡のように見えるが、その望遠鏡の部分は6本の細い筒を束ねられているという事が分かる。その砲身の束の根元には円柱状のタンクが垂直に装着されており、それらを金属製の脚が支えていた。その足の左右には、屈強な水兵でも腰を下ろせそうな座席が用意されている。

 

(………この世界の技術も、変わるな)

 

 甲板の上に配置されているそれは、フィオナが発明した『スチーム・ガトリング砲』と呼ばれる最新兵器の1つであった。超小型の蒸気機関を搭載しており、それで生成した高圧の蒸気によってクロスボウ用の小型の矢を連射するという代物だ。タクヤの仲間であるナタリアにフィオナがプレゼントしたという小型エアライフルを発展させた武器であり、既に社内でのテストを終えて騎士団へと納品が始まっている。

 

 ガトリング砲とはいえ、ハンドルを手動で回転させて連射させるというかなり旧式のガトリング砲と同じだ。ヘリや装甲車に搭載されているM134(ミニガン)のように、スイッチを押すだけで高速連射ができる代物ではない。

 

 しかも、もう1人の水平がハンドルを操作して射角を調整しなければならないため、使い勝手がいい武器ではないだろう。だが、空中から襲い掛かって来る飛竜に対する対空兵器としては非常に優秀で、社内のテストでも7.62mm弾並みの貫通力を持つという成績が出ている。

 

「どうですかな、ムッシュ・ハヤカワ」

 

「ああ、ジェイコブ艦長。立派な船ですね」

 

 スチーム・ガトリング砲の群れを見つめていたリキヤは、後ろから声をかけてきた紅い制服姿の初老の男性に頭を下げた。

 

 肌は浅黒く、頬には髭を剃った後が残っている。制服に包まれた肉体はがっちりしていて、身長は2mほどはあるのではないだろうか。彼のために防具を用意する羽目になればオーダーメイドになるだろう。

 

 おそらく、この艦長の種族はオークなのだろう。オークは彼のような大男が多く、2mでも彼らの中では平均的な身長だという。

 

 差別と奴隷制度が未だに撤廃されないオルトバルカ王国で、差別されているオークの男性が最新鋭の装甲艦の艦長になるという事は、周囲からの差別を押し退けてしまうほどこの艦長が優秀であるという事を意味している。

 

「いい船です。この船を建造したのはあなたの会社ですからね」

 

「建造したのは我が社の社員(同志)たちですよ、ジェイコブ艦長。………では、倭国までよろしくお願いしますね」

 

「ええ、もちろん」

 

 この装甲艦ブリストルの任務は、倭国で勃発している戦争に参加して新政府軍を支援する事だ。リキヤとエミリアとモリガン・カンパニーの精鋭部隊も同行し、現地で新政府軍を支援するという依頼だが、リキヤたちの目的は新政府軍の支援ではなく――――――旧幕府軍の拠点である九稜城に保管されている、メサイアの天秤の鍵を手に入れる事である。

 

 たまたま敵の本拠地に鍵があるから、殲滅するついでに回収するのだ。

 

 ブリストルに同行するのは、駆逐艦『エドガー』と『アービター』の2隻である。一番艦であるクイーン・シャルロットまで出撃すると本国の海軍の戦力が激減するため、クイーン・シャルロットはエメラルドハーバーに残ることになっている。

 

 隣に鎮座する同型艦を眺めながら、リキヤは海底神殿へと向かったもう1人の妻の事を思い出していた。リディアと共に海底神殿へと向かったエリスは、タクヤたちと戦う羽目になったら躊躇うだろうか?

 

(………いや、躊躇わんだろうな)

 

 我が子とはいえ、鍵の争奪戦になるならば容赦はしない筈だ。天秤から遠ざけることは、子供たちのためなのだから。

 

(切り裂きジャックとバネ足ジャックの対決か………面白い戦いになりそうだな、エリス)

 

 海底の神殿で、ジャックの異名を持つ2人の転生者ハンターが激突する。

 

 少しだけ笑ったリキヤは、目を細めてからブリストルの甲板を後にした。

 

 

 

 

 

 



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海底神殿に到着するとこうなる

 

「現在、深度700m」

 

 目の前の深度計に表示された数値を報告すると、雑談が聞こえなくなったのは何分前からだっただろうかと思い出し始めた俺の背後でナタリアが「このまま900mまで潜航するわよ」と指示を出す。

 

 深度300mくらいまでは鼻歌を口ずさみながらモニターを見ていたナタリアだったが、もう鼻歌どころか雑談すらせず、黙って手元のモニターを凝視するだけだ。

 

 深度300mから雑談がなくなるのは、訓練の時と同じだ。訓練の時は何度も操縦や機関の速度を間違えたり、ラウラが聞こえてきた音の報告を間違って潜水艇を岩礁に激突させる羽目になって何度も沈没している。いつも沈没していたのが深度300m以下だったから、いつの間にか300mを過ぎたら黙るというルールが出来上がってしまっているのだろう。

 

 潜航しているとはいえ、海底神殿がある海域まではまだ距離がある。そのため俯角はまだ緩やかで、5度ずつゆっくりと潜航している状態だ。

 

 潜水艇の硬い床をしっかりと踏みしめて、辛うじて少し傾いていると認識できる程度の傾斜を感じながら、俺はモニターに表示されているマップを確認した。

 

 ラトーニウス海は非常に深い海だ。大陸の近くの海底は平坦な岩盤が延々と続いているだけなんだが、離れていく度にその岩盤は槍のように屹立を始め、やがて複雑な岩礁の迷路と海流を形成する。

 

 俺たちは既に、その難所のうちの1つである『ノルト・ダグズ海流』の近くへとやって来ていた。

 

「………そろそろ海流ね」

 

 蒼白い画面に投影された海流の位置を確認しつつ、ナタリアが呟いた。

 

 モニターのマップには、海流は紅い矢印として表示されている。矢印のサイズが大きければ大きいほどその海流の流れが強烈だという事らしいんだが、このDSRV(ノーチラス号)が迫りつつある海流は、まだ小さな海流のようだった。

 

「増速して突っ込むわよ。ラウラ、ソナーに魔物の反応は?」

 

「ないよ、大丈夫!」

 

 潜航を始めてから、未だに魔物には遭遇していない。しかし、あの海流を超えて岩礁の迷宮へと突入すれば、海中の魔物も増えるだろう。例えるならばあの小さな海流は、海底神殿というダンジョンに入るための入口なのだ。

 

 増速して一気に海流を超えるんだろうなとナタリアの出す指示を予想しつつ、右手を操縦桿から離して速度調節用のレバーに近づけていた俺は、右端の座席でヘッドホンを耳につけているラウラの「待って、何か聞こえる………!」という真面目な声を聞き、早くも魚雷をぶっ放すのかと思いつつ手を離す。

 

「4時方向………数は………1。20mくらいの大きさの何かがこっちに来る………」

 

「潜水艇?」

 

 いや、潜水艇ではないだろう。この世界で一般的な潜水艇はせいぜい10mくらいだ。

 

 予想は当たっていたらしく、ナタリアの質問を聞いていたラウラは首を横に振った。

 

「スクリュー音が聞こえないもん」

 

「どんな音が聞こえる?」

 

「えっと………泡の音と、呼吸音みたいな………」

 

 フィオナ機関を搭載している潜水艇ならば、スクリュー音が聞こえてくる筈だ。それにフィオナ機関が作動している音もそれなりに大きな音だから、ソナーで聞き取ることは出来るだろう。

 

 しかし、スクリュー音が聞こえない上に呼吸音みたいな音が聞こえるという事は――――――明らかに接近しているのは潜水艇ではない。

 

「………魔物ですわね」

 

 機関士を担当するカノンが、俺の代わりに結論を口にした。同じ予測をしていた彼女と目を合わせて頷き、操縦桿を握ったままナタリアを振り返る。

 

 早くも指示を出そうとしていたナタリアだったが、右端の座席からラウラが発した「何かがぶつかる音が聞こえる………外殻かな?」という自信のなさそうな声が彼女の目の前を横切った。

 

 泡の音と呼吸音を発し、外殻のぶつかる音がするという事は……少なくともその魔物は、クラーケンのような軟体の魔物ではなく、ドラゴンのように堅牢な外殻を持つ魔物であるという事だろう。

 

 海中には外殻を持つ魔物は何種類も生息している。その中で最も有名なのは、5つの頭を持つと言われている『シーヒドラ』と呼ばれるドラゴンだろう。海底神殿に生息していると言われる巨大なドラゴンで、エンシェントドラゴンの一種とも言われている。しかし、シーヒドラにしては20mは小さ過ぎるし、第一シーヒドラは神殿の中に生息しているのだから、神殿から離れるどころか海流の外まで出向いて来る筈がない。

 

「………おそらく、接近しているのはリヴァイアサンだ」

 

 ひとまず様々な懐中の魔物の特徴を思い浮かべ、消去法で選択肢を絞り続けた俺は、自分の体温で暖かくなった操縦桿をぎゅっと握りながらそう答えた。

 

 リヴァイアサンもドラゴンのように外殻を持っているが、その姿はドラゴンというよりは蛇に近い。海底に生息するため翼はなく、鋭角的な外殻と巨大なヒレを持っている。

 

 魔術を使ったり、口から炎を吐き出すことはないのだが、外殻は強靭である上に水中での機動力が非常に高く、縄張りに侵入した冒険者の潜水艇を何度も体当たりで撃沈している厄介な魔物だ。

 

 目は退化しているらしく、代わりにイルカと同じように頭の中にあるメロン体でエコーロケーションを行い、獲物を探して襲い掛かるという。

 

「………ギョライで応戦しますか?」

 

 応戦するべきだと言ったのは、隣にいるステラだ。

 

 確かにこのDSRVでは最大船速を出したとしても逃げ切ることは出来ないだろう。その上、この潜水艇は攻撃用にと小型の魚雷を2本も船体に吊るしているため、更に機動力が低下している。

 

 魚雷で攻撃すれば船体が軽くなるし、運が良ければその魚雷でリヴァイアサンを仕留める事ができるかもしれない。ステラの意見には一理あるが、それを肯定するわけにはいかなかった。

 

 まだ、ダンジョンの〝入口”にすら入っていない状況で、いきなり虎の子の魚雷をぶっ放すべきではないという意見が、俺の喉に絡み付いているのだ。出し惜しみかもしれないが、先の事を考えずに魚雷をぶっ放すべきでもないだろう。

 

「……いえ、まだ魚雷の出番は早いわ」

 

 彼女も俺と同じ意見だったらしい。表情のないステラの顔を見据えながら首を横に振った彼女は、手元のモニターをタッチすると、俺たちの傍らにあるモニターのマップにいくつか矢印型のマーカーを表示させた。

 

 海流を突き抜けるように表示されたマーカーを凝視した俺は、彼女が説明する前にどうやってリヴァイアサンをやり過ごそうとしているのかを理解する。

 

「このまま、最大船速で海流を突っ切りましょう」

 

「ふにゃ!? 戦わないの!?」

 

「ええ、魚雷は2本しかないわ。1本では仕留められないだろうし、2本とも使って仕留めたとしても、今度は武装がなくなる。だから相手にはせずに海流を超え、岩礁に逃げ込むの」

 

「なるほど、海流の向こうは岩礁だらけ。しかも自分よりも危険な魔物の縄張りですから、迂闊に追いかけて来れない………という事ですわね? ナタリア艇長」

 

「そういうこと」

 

 魚雷(重り)のついた潜水艇で、リヴァイアサンから一目散に逃げるという作戦の意味を理解したカノンにウインクすると、ナタリアは残念そうに彼女を見つめるステラに「大丈夫、きっと出番はあるわよ」とフォローした。

 

 いや、魚雷の出番があったら拙いと思うんだが。それってヤバい魔物と遭遇するって事だろうが。

 

「カノンちゃん、機関最大! このまま海流に突っ込んで!」

 

「了解、出力最大! お兄様、頼みましたわ!」

 

「了解、よーそろー」

 

 さて、魚雷をくっつけたまま逃げ切れるか?

 

 リヴァイアサンはこっちに接近しているらしいが、まだこの潜水艇を獲物だと判断できていないらしい。半信半疑のまま近づいて、仕留めるべきか否か判断していると言ったところだろうか。

 

 判断してから攻撃してくるまでのタイムラグはごく僅かだろう。幸い海流は近くにあるが――――――飛び込む前に、奴に追いつかれたら終わりだ。そのまま浮上できずに沈没するか、操縦不能になって海流に呑み込まれ、岩礁に叩き付けられて海の藻屑になるしかない。

 

 とにかく、リヴァイアサンが俺たちを仕留めるべき獲物だと認識していない今のうちに、最大船速で逃げ去るべきだ。操縦桿の右隣にあるレバーを一番奥まで倒し、フットペダルを思い切り踏みつけて船体を加速させつつ、緩やかに右へと移動し始めた速度計の針を睨みつけた。

 

 さあ、早く逃げろ。早くあの海流に飛び込んじまえ―――――!

 

「ッ! リヴァイアサン、咆哮ッ!」

 

「威嚇!?」

 

「いや、攻撃が始まる!」

 

 ついに海中のドラゴンが、俺たちを獲物だと判断した。必死に逃げる草食動物を追い立てるように、海水を引き裂きながら追って来るのだ。

 

「海流までの距離は!?」

 

「あと300!」

 

 どっちが先になる………? 俺たちが海流に飛び込むのか? それとも、リヴァイアサンに追いつかれるのか?

 

「リヴァイアサン接近! 4時方向、距離1900!」

 

 ギリギリだ。どちらが先にやってくるのか判断できない。海流ならば歓迎するが、来訪者が後者なら門前払いするところだぞ、くそったれ。

 

 冷や汗や手汗を拭う余裕すらない。もしかしたら、それらを拭うために手を離した隙に追いつかれてしまうかもしれないという不安が、俺の両手を操縦桿に釘付けにしていた。

 

 訓練でも経験したことのない状況。俺と同じように、仲間たちも自分の座席に釘付けにされ、微動だにせず仕事を続けている。

 

「海流まで150!」

 

 タッチダウンまでもう少しだ………!

 

「リヴァイアサンとの距離、800!」

 

 くそ、やっぱりリヴァイアサンの方が速度が速い………! 魚雷みたいな速度じゃねえか………!

 

 耐圧穀の向こうから、少しずつドラゴンの咆哮よりも重々しい絶叫が聞こえてくる。逃げ出した獲物を追い立て、仕留めようとする海中の強者の咆哮だ。

 

「海流突入まで、10秒前!」

 

「みんな、衝撃に備えて! タクヤは最大船速を維持!」

 

「了解(ダー)ッ!!」

 

「9、8、7、6、5………」

 

 海流に飛び込んでしまえば、リヴァイアサンは追って来ることはないだろう。海流の向こうは彼にとって格上の隣人が住む場所だ。そんなところに縄張りを無視して入り込めば、尋常ではない制裁が待ち受けているのは想像に難くない。

 

 だから奴はそれを恐れて、深追いはしてこない筈なのだ。

 

「4、3……突入――――――今ッ!!」

 

 ラウラが報告した直後、潜水艇がまるで振り回されているかのように大きく揺れた。操縦桿が勝手に回転しようと暴れ回り、深度計と速度計の数値が滅茶苦茶になる。

 

 先ほどのリヴァイアサンの咆哮よりも更に重々しい海流の咆哮が、小型の潜水艇を包み込んだ。岩礁へと向かう海流に嬲られながらも、俺は必死に操縦桿を抑え込んで抗い続ける。

 

 やがて、その激震も徐々に海流と共に立ち去っていった。操縦席のモニターが発するアラームを消しつつ、ラウラの報告を待つ。

 

「リヴァイアサンは………?」

 

「………………追って来る様子なし。―――――逃げ切ったよ、みんな!」

 

「やりましたわね、お姉様ッ!!」

 

 辛うじて、リヴァイアサンから逃げ切った………!

 

 操縦桿を左手で握ったまま、俺は右手の拳を握りしめながら笑っていた。船体に損傷がないかはこれからチェックするが、今のところ損傷している箇所はなさそうだし、貴重な魚雷は1本も使っていない。

 

 やはり、逃げるべきだという選択は正しかったな。ナタリアに艇長をお願いしたのは正解だった。

 

 今すぐ座席から立ち上がり、ラウラと抱き合いたいところだけど、操縦士が操縦桿から手を離すわけにはいかないよな。鍵を手に入れたら、その時についでに抱き合おう。

 

「ほら、すぐに船体をチェックして。機器が故障してたら大変だからね」

 

「ええ。――――――機関部、異常なしですわ」

 

「ふにゅ、ソナー系も問題なし。ちなみに周囲に敵はいないよ」

 

「こっちも大丈夫。舵は無事だし、バラストタンクにも損傷なし。オールグリーンだ。ステラは?」

 

 そう思いながら左隣を振り向いてみると――――――そこに腰かけていたステラは、片手で鼻を抑えながら、涙目になっていた。

 

 え? 何で鼻押さえてんの? しかも鼻血出てるよ………?

 

 もしかして、さっき海流を越えてた最中にぶつけたのか? 確かに左隣からガツンってどこかにぶつかったような音が聞こえてきたけど、あれってステラが鼻をぶつけた音だったのか。てっきり岩礁にぶつかった音だと思って肝を冷やしたぞ。

 

「は、鼻をぶつけました………痛いですぅ………」

 

「だ、大丈夫か?」

 

「はい……魚雷と安全装置(セーフティ)は異常ありませんが、鼻血が………」

 

 なんてこった、可哀そうに。

 

 涙目のステラに見つめられた俺は、苦笑いしながら後ろのナタリアを振り返った。彼女も同じように苦笑しながら肩をすくめ、ポケットをぽんぽんと叩いている。

 

 ハンカチを出してあげなさいって事なんだろう。

 

「ほら、ステラ。ハンカチ使え」

 

「す、すみません………痛い………」

 

 ポケットから取り出したハンカチを彼女に渡す。ステラは俺からハンカチを小さな手で受け取ると、涙目になりながら鼻を押さえるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――前方に巨大な物体あり」

 

 ラウラの報告を頼りに岩礁を躱し続けていた俺は、新たにラウラが報告した〝巨大な物体”という単語を聞いて首を傾げそうになった。

 

 岩礁ではないのか? 巨大な物体って何だ?

 

 彼女が距離を報告してくる前に、ちらりと傍らのモニターを見下ろす。中央に表示されている海底神殿が存在する海域の近くまでやって来ているから、そろそろ神殿に辿り着いてもおかしくはない。

 

 まさか、神殿なのか………?

 

 海底神殿でありますようにと祈りながら、俺はラウラに聞き返す。

 

「岩礁?」

 

「ううん、岩礁にしては構造が規則正し過ぎるよ………………。何これ、柱………?」

 

「――――――どうやら、到着したみたいね」

 

 魔物と岩礁への警戒心からやっと解放されて安心したのか、艇長の席から聞こえてきたナタリアの声は楽しそうだった。まだ決めつけるべきではないと思いつつマップを確認するが、確かにDSRV(ノーチラス号)の反応は海底神殿のあると思われる海域と重なっている。

 

 ということは、本当に到着したのだろう。

 

 大昔に造られた海底神殿。冒険者たちはここに財宝が保管されていると聞いてこの神殿を訪れたがるが――――――財宝は目的ではない。一攫千金に興味はないのだ。

 

 金貨や宝物の山よりも、俺たちはここにあるたった1つの鍵を欲している。その鍵は伝説の天秤を手に入れるために必要な鍵であり、俺たちの願いを叶えるための鍵でもあるのだから。

 

 さあ、宝探しだ。

 

 かつて痛みを投げ捨てた海から――――――俺は、鍵を手に入れる。

 

 

 

 



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海底神殿の守護者

 

 ナタリアの指示通りに近くの足場に接舷し、機関部が停止したのを確認してから座席から立ち上がる。早くも船外から潮の香りと小さな波の音が聞こえてきて、早くあのハッチの外に飛び出したいという衝動が膨れ上がったけど、ここは遊園地じゃない。熟練の冒険者でも容易く命を落とす危険なダンジョンの中なのだ。

 

 ハッチから出た瞬間に魔物が襲ってくるかもしれない。ハッチの向こうに広がる開放感の中へ躍り出ようとする衝動に耐えながら、一番槍となるナタリアはMP443を片手に持ちつつ外を警戒する。

 

 銃口を左右に向け、頭上にも魔物が潜んでいない事を確認してから合図するナタリア。甲板に飛び出した彼女に続いて、同じくサイドアームのMP443を構えるカノンがタラップを登って甲板へと上がる。

 

「忘れ物ない?」

 

「ふにゅ、ないよ」

 

「はい、ないです」

 

 生産した兵器の中に何か忘れ物をした場合ってどうなるんだろうな? 一緒に収納されるのか? 

 

 基本的に、俺の能力で生産した武器や兵器は収納してしばらく経つと最善の状態に勝手にメンテナンスされるようになっている。例えば、なけなしの燃料しか残っていない状態で潜水艇を装備から解除して収納し、12時間待つと、燃料は満タンになっている上に修理されたり、弾薬も補充された状態で再び使用できるようになるというわけだ。

 

 逆に言えば、燃料を使い切ったら12時間待たなければならない。一般的な軍隊のように補給するわけにはいかないため、使い勝手が良い局面もあれば、逆に使い勝手が悪くなるというわけだ。

 

 特に遠距離にある敵陣に進撃する場合、この制約は確実に足枷となる。それは何かしらのスキルか能力で補えって事なんだろうな。

 

 俺もサイドアームのMP412REXをホルスターから引き抜き、シリンダーの中にちゃんとマグナム弾が装填されているか確認する。隣ではラウラも、俺と色違いのMP412REXを準備していた。

 

 彼女の〝色”をイメージして赤と漆黒の2色で塗装されたリボルバーは、俺の蒼と黒のリボルバーよりも攻撃的で、妖艶な雰囲気を放っている。

 

「みなさん、魔物はいませんわ。早く下船してくださいな」

 

「はいはーい。ほら、ステラ」

 

「はい」

 

 ホルスターからハンドガンを引き抜きかけていたステラは、外が安全だと聞いたからなのか、得物は引き抜かずに小さな手をタラップへと伸ばし、そのまま素早く頭上のハッチへと向かって上がっていった。

 

 続けてラウラも甲板へと上がっていく。周囲に冒険者や人間がいなくてリラックスできるからなのか、彼女は黒いミニスカートの下からキメラの尻尾を出し、ひょこひょこと左右に揺らしながらタラップを登っていく。

 

 おいおい、尻尾はしまっておけって。他の冒険者に見られたら大変だろうが。それにラウラの尻尾の方が俺よりも短いんだからしまい易いだろ?

 

 呑気な姉を見上げ、彼女が登り終えたのを確認してから俺もタラップを登る。ひんやりしたタラップを踏みつけながら素早く登り切り、DSRVの小ぢんまりとした狭い甲板へと飛び出る。

 

  その建造物を目にした瞬間、俺は古代のギリシアに迷い込んでしまったのかと思ってしまった。

 

 騎士の隊列のように規則正しく並ぶ純白の柱と、その隊列に飾り立てられた純白の彫刻。太古に造られたそれらの表面は欠け、崩れかけているが、むしろ今の方が元々放っていた美しさにミステリアスな雰囲気が加わって、よりいっそう神秘的になっている。

 

 この世界の人々が、海底の世界を知るよりも遥か昔からここに〝在り続けた”神殿。それが――――――――海底神殿だ。

 

「おお………」

 

 港から見渡した海原とは別格の美しい海水の絨毯を見下ろし、俺は感嘆していた。

 

 海原は当たり前だがかなり広い。それゆえに美しさよりも広大さが目立っているんだが―――――この海底神殿を包み込む小さな海原は、全く広大さがない。その代わり海水は非常に透き通っていて、淡い蒼の小さな海原は日光に照らされていないというのに蒼く煌めき続けている。

 

「綺麗………!」

 

 小さな海原に下から照らされる中で、ラウラが呟いた。

 

「ねえ、こんなところで海水浴できたら最高だよね!?」

 

「ああ。でも、ここには危険な魔物がいっぱいいるからな?」

 

「ふにゃっ!? もう………タクヤのバカ………」

 

 現実的なことを言い過ぎたか………。お姉ちゃんにバカって言われちゃった………。

 

 それにしても、海水浴かぁ………。悪くないな。天秤の鍵を探す旅の最中だけど、息抜きも必要だろう。常に天秤の鍵を探すことに集中してたら疲れてしまうし、リラックスできないからな。

 

 余裕ができたらどこかに寄って、海水浴でも楽しもう。

 

 とりあえず、今はここで鍵を見つけなければ。

 

 目的を思い出しつつメニュー画面を開き、仲間たちに使い慣れたメインアームを支給する。ラウラにはヘカートⅡと2丁のOTs-14グローザを渡し、ナタリアにはショットガンのサイガ12と無反動砲のカールグスタフM4を渡す。選抜射手(マークスマン)を担当するカノンにはマークスマンライフルのSVK-12を支給し、魔術や射撃でのサポートを担当するステラにはLMGのRPK-12を渡した。

 

 そして、俺は生産したばかりのAN-94(アバカン)を装備する。通常の5.45mm弾ではなく、より大口径の7.62mm弾に弾薬を変更しているため、連射速度が圧倒的に速い2点バースト射撃と組み合わせれば魔物との戦いでも猛威を振るう筈だ。

 

 ちなみに、ラウラのグローザとカノンのSVK-12とステラのRPK-12と使用する弾薬は同じなので、弾薬を分け合う事が可能だ。ナタリアの得物は12ゲージの散弾やスラグ弾を使用するショットガンだから、弾薬が別物なのは仕方がない。

 

 安全装置(セーフティ)を解除し、セレクターレバーをセミオート射撃に切り替えてから、潜水艇の上から飛び降りる。純白の石畳の上に着地してからすぐに銃口を正面へと向け、魔物が潜んでいないか再確認した俺は、仲間たちに合図を送った。

 

 仲間たちが潜水艇の甲板から飛び降りたのを確認してからメニュー画面を開き、DSRVを装備の中から解除する。大きな魚雷のような形状の潜水艇が淡い蒼の海原から消失したのを見届けてから、仲間たちと共にいよいよ神殿へと前進した。

 

 

 

 

 

 

 1人になると、昔の自分に戻っているような気がする。最も自分が軽蔑している頃の自分に。――――――妹を嫌い、突き放していた頃の冷たい自分に戻っているのかもしれない。

 

 絶対零度という異名は、もしかして氷の魔術が得意だからという理由ではなく、妹に対しての態度が冷たいから付けられた別称なのではないだろうか。何気なく始めた自分の異名の考察がいつの間にか被害妄想になりかけている事に気がついた彼女は、自嘲しながら海を見つめた。

 

 身に纏っている今の制服は、最愛の仲間たちと共に傭兵として戦っていた頃のものとは全くデザインが違う。漆黒のメイド服のようなデザインだった制服は、今では首から上と胸元以外に露出している箇所が全くない、実用的なデザインになっている。

 

 すらりとした漆黒のブーツと同色のズボンに、マントの付いた黒い上着。娘であるラウラと同じく、上着の胸元は大きく開いているが、彼女の転生者ハンターの制服よりも露出は少ない。

 

 転生者の攻撃は非常に重く、獰猛である。それゆえに防御力を上げるために甲冑を身に着けるのは愚の骨頂だ。防具もろとも攻撃を受けて木端微塵にされるのが関の山なのだから。

 

 それゆえに、モリガンの傭兵たちは防具をほぼ身に着けることはない。標的を狩ることに最適化させつつ、個人の好みのデザインの制服を身に着けて敵を狩るのだ。

 

 露出が少なくなったのは、エリスの好みが変わったからなのだろうか。

 

 まるで18世紀のヨーロッパの海軍がかぶっていたような小型の小さな三角帽子をかぶりながら海を眺める彼女は、もし帆船の甲板の上にいたのならば女の海賊と間違われていることだろう。

 

 だが、海賊に例えたのはあながち間違いではない。なぜならば彼女は今から海底にある神殿へと向かい、メサイアの天秤の鍵を手に入れなければならないのだから。

 

「………さて。行きますか、リディアちゃん」

 

「………」

 

 エリスの後ろに立つのは、彼女よりもやや小柄な紫色の髪の女性であった。同行者であるエリスに微笑みかけられても無表情で頷くだけで、一言も喋らない彼女の服装は、エリスよりも異様といえるかもしれない。

 

 短いマントのついた黒いコートに黒いズボンを身に着け、紫色の髪の上には古びたシルクハットをかぶっている。紳士の恰好をした女性は人口の多い王都でもあまり見かけることはないが、仮にそんな格好の女性と出会ったとしても、リディアのように腰に東洋の刀を下げている女性はいないだろう。

 

 エミリアのラトーニウス式剣術やリキヤの我流の剣術を教わり、独自の剣術を作り出したリディアが最も好んでいるのが、東洋の刀であった。しかも普通の刀ではなく、東洋出身の鍛冶職人の技術を参考にフィオナが造り出した刀である。

 

 『響(ヒビキ)』と名付けられた特殊な刀だ。〝吹雪”とフィオナが名付けた刀の系譜の中で22番目に製造された刀であり、この刀に搭載されたある機能が響という名称の由来である。正式名称は『吹雪型特殊刀〝響”』だ。

 

 リキヤによって遺跡の地下から保護されてから何年も経過しているが、教官として彼女に戦い方を教えた1人であるエリスも、リディアの声を一度も聞いたことがない。声帯はちゃんとついているらしいし、呪われているわけでもないようなのだが、彼女が喋らない理由は未だに不明である。

 

 ミステリアスなホムンクルスの少女と共に海を眺めていたエリスは、相変わらず一言も喋らない彼女に向かって肩をすくめると、「静かな子なんだから」と言いつつ黒い手袋で覆われた右手を眼下の海水へと触れさせた。

 

 結婚してからは一度も訪れることのなかった祖国の海は、日光に照らされているというのにひんやりとしていた。まるで海水浴や漁ならば受け入れるが、この深海にある遺跡へと入ろうとする者だけは拒もうとしているかのように。

 

 だが、拒まれては困るのだ。海原が拒むというのならば―――――強引に突き抜けるのみ。

 

 体内の魔力を素早く氷属性に変換し、右手から海中へと流し込んでいく。藍色の海面が一瞬だけ蒼白く煌めいたかと思うと、その煌めいていた箇所が凄まじい速度で蒼白い氷へと変貌していく。

 

 それは絶対零度の異名を持つ最強の騎士がもたらした、人工的な氷河期であった。襲い来る敵がいるのならば槍で貫き、氷で凍てつかせてきた彼女が最も得意とする氷属性の魔術。正確な魔力の調整と、常人を遥かに上回る量の魔力を体内に蓄積して生まれてきたエリスだからこそできる、超低温の氷の魔術である。

 

 しかも、ただ凍らせただけではない。凍てついた海面にはよく見ると斜め下へと続いていく穴があり、その穴の中にはご丁寧に氷で作られた階段と手すりまで用意されている。

 

 海面を凍らせつつ、深海900mの海底神殿まで続く氷の通路を瞬時に生み出したのだ。神殿のある座標を把握したうえで、膨大な魔力の大半を注ぎ込んで生み出す氷の通路。この方法ならば一時の疲労を堪えるだけで、潜水艇も転移の魔術も使わずに海底神殿へと向かう事が出来るのだ。

 

「はぁっ、はぁっ………」

 

「………?」

 

「ご、ごめんね、リディアちゃん………私は……大丈夫よ」

 

 魔力を使い過ぎると、疲労感にも似た苦痛を味わう羽目になる。一歩も動いていなくても魔力を使い過ぎると息切れし、身体を全く動かせなくなってしまうのだ。

 

 それでも、エリスは座り込まずに呼吸を整えた。持ってきた漆黒のハルバードを地面につきながら辛うじて立ち、心配そうに肩を貸してくれたリディアに微笑みかける。

 

「ありがとう、リディアちゃん」

 

「………」

 

 一言も喋らないが、感情はちゃんとある。ミステリアスなホムンクルスに励まされたエリスは、彼女と共に氷で作られた通路へと進み始めた。

 

 『バネ足ジャック』の異名を持つリディア(ジャック)と、『切り裂きジャック』の異名を持つタクヤ(ジャック)の邂逅は―――――近付きつつあった。

 

 

 

 

 

 

 古代ギリシアの神殿を思わせる柱が屹立する中に、その奇妙なものは佇んでいた。

 

 遠くからドットサイトとブースターで確認した時は、どうせ純白の石で作られた騎士の石像だろうと思っていた。古めかしい甲冑とロングソードを手にし、左手には盾を持った古代の騎士の像。中には槍を持っている石像もあるし、斧を手にしている石像もある。

 

 どの石像も2m程度で、整列する石柱の間に1つずつ配置されているため、かなりの数になる。その石造にトラップでも仕掛けられているのではないかと思い、そのまま通路を進むのを躊躇しているうちに――――――その守護者たちは、動き出した。

 

「おいおい………!」

 

「ふにゃっ、これって………!」

 

「あらあら、これは………!」

 

「くっ、拙いわね……!」

 

「ええ――――――」

 

 台座の上に鎮座する石像が、ぴくりと動いた。

 

 剣を手にした騎士の石像が台座から下り、右手に持った剣を振り上げる。その傍らでは槍を手にした石像が得物の先端部を床に突き立て、石の兜に覆われた顔から紫色の炎を噴き上げて咆哮していた。

 

 そう、柱の間に飾られていた石像たちが――――――動き出したのである。

 

 純白の石の破片をぽろぽろと落としながら動き出したそれらは、しばらく勝手に剣を振り下ろしたり、試し斬りをするかのように柱を斬りつけていたけど―――――俺たちの近くにいた1体が俺たちと目を合わせた直後、他の石像たちも動きをぴたりと止めてから、一斉にこっちを睨みつけてきた!

 

 うわ、怖ぇ………! 

 

「――――――この石像たちは、古代人が遺した神殿の守護者でしょう」

 

「つまり、俺たちは侵入者………?」

 

「当たり前です」

 

 無数の敵が動き出したというのに、あっさりとそう言うステラ。

 

「突破するしかないわよ………みんな、いける!?」

 

「当たり前ですわ」

 

「はい。あいつらは食べられないでしょうが、頑張ります」

 

「あれ石だからな!?」

 

 石まで喰おうとしてるのかよ、ステラ!?

 

 彼女の食欲に驚愕しつつ、俺は隣にいるラウラを見て苦笑いした。最近はなかなか得意な狙撃ができないせいなのか、ラウラは残念そうにヘカートⅡを背中に背負い、腰のホルダーから2丁のグローザを引き抜く。

 

 ああ、7.62mm弾ならあいつらは倒せるだろう。小口径の5.56mm弾でも倒せるだろうが、あいつらのようなハード・ターゲットを仕留めるならば大口径の銃の方が効果的だ。

 

「―――――コンタクトッ!」

 

 俺が叫んだ直後、俺たちの先制攻撃が始まった。

 

 

 

 

 おまけ

 

 カノンの置き土産

 

カレン(最近は仕事が忙しいわね………。ギュンターの奴、大丈夫かしら………?)

 

執事「カレン様、失礼します」

 

カレン「あら、どうしたの?」

 

執事「その………お嬢様のお部屋を掃除していたら、隠し部屋を見つけまして………」

 

カレン「か、隠し部屋!? そんな部屋、業者に造るように依頼した覚えはないわよ!?」

 

執事「おそらく、旦那様が勝手に増設したのかと………」

 

カレン(あの馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!)

 

カレン「それで、その中には何が?」

 

執事「はい、その………せっ、成人向けのマンガが………500冊ほど」

 

カレン「はぁっ!?」

 

執事「しかも男性向けのマンガまで混じっていましたし、その……男性向けなのか女性向けなのかよく分からないものまで含まれておりまして………」

 

カレン「ぜ、全部処分しなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!!」

 

 完

 

 




リディアの刀の名前の元ネタは、旧日本軍の駆逐艦『響』からです。なんだか日本の軍艦の名前ってかっこいいですよね(笑)


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蒼と紅の剣戟

 

 AN-94(アバカン)は、有名なアサルトライフルであるAK-47の系譜の中でも極めて特異な銃である。

 

 形状を見ればAK-47やAK-74などのライフルの発展型であると一目で分かるが、トリガーの前から下へと突き出たマガジンは右斜め下へと伸びており、銃口に装着されるマズルブレーキは、まるでホイッスルを前後に2つ繋げたような奇妙な形をしている。

 

 性能も得意であり、使用する弾薬はロシアで一般的な5.45mm弾―――――俺のは7.62mm弾に変更してある――――――であり、祖先であるAK-47よりも反動が小さい上に命中精度も格段に向上しているため、近距離だけでなく中距離でも獰猛な破壊力を発揮できるようになった。

 

 しかも―――――このAN-94は他の一般的なアサルトライフルの連射速度を、一瞬だけとはいえ遥かに上回る速度での2点バースト射撃が可能なのだ。

 

 命中精度は高く、ストッピングパワーも優秀だ。しかもフルオート射撃とは違って連射するわけではないので、マガジン内部の弾丸を早く撃ち切るようなこともない。

 

 その代わりAK-47と比べるとコストが高くなり、扱い辛くなってしまったが、AK-47と同様に極めて頑丈な優秀なライフルの1つである。

 

 そのロシア製の優秀なライフルが――――――異世界の海底神殿の真っ只中で、火を噴いた。ホイッスルを2つ繋げたような形状のマズルブレーキから噴き出した閃光が、戦いの火蓋を切って落としたのである。

 

 1発の7.62mm弾が、剣を構えながら突っ込んできた石像の守護者の頭を直撃する。まるで人間や魔物の頭を抉ったかのように、一般的なアサルトライフルのストッピングパワーを上回る弾丸が石像の頭を撃ち抜いた。

 

 白い石の塊が弾け飛び、欠片が石畳の上にばら撒かれる。だが――――――頭を失ったというのに、その石像は剣を振り上げたまま突進を続けた!

 

「はぁっ!?」

 

 馬鹿な、頭がないのに………!?

 

 ヘッドショットだったんだぞ!? 

 

 もしかすると、こいつらは頭を木端微塵にされたとしても、普通の生物のように即死するようなことはないのかもしれない。そもそも、こいつらは生物ではないし、おそらく動き回る事ができているのは体内の魔力が動力源だからだろう。

 

 くそったれ。つまり、ヘッドショットで頭を粉々にしても無意味ってことか。

 

「タクヤ、頭を狙っても人間のように即死はしません」

 

 傍らで7.62mm弾のフルオート射撃を石像たちにお見舞いしつつ、魔力や魔術に詳しいステラが説明してくれる。彼女の射撃はラウラやカノンのように命中精度が高いわけではないが、その分近距離になれば有利になる。特に、今のように敵が大量に接近してくる場合に最も火力を発揮できるのだ。

 

 アサルトライフルやLMG(ライトマシンガン)の中でも口径が大きい弾薬である7.62mm弾が、猛進してくる石像の群れに雷雨のように襲い掛かる。

 

 弾丸という金属の猛獣に喰らい付かれた哀れな敵たちは、次々に破片をまき散らし、手足を千切り取られながら崩れ落ちていく。

 

 魔術と違って魔力を使わず、しかも詠唱も必要ない。更に弓矢を遥かに上回る破壊力の遠距離攻撃が、連続で敵に飛来するのだ。弾数があるとはいえ、遠距離から一方的に敵を攻撃できるというのは極めて大きなアドバンテージである。

 

 しかし、敵は数えきれないほどの石像の群れだ。俺たちを八つ裂きにするために突進し、ステラの弾幕に飛び込んだ石像が次々に白い石ころに変わっていっても、後続の石像たちがどんどん殺到してくる。

 

 舌打ちをしながらセレクターレバーをセミオートから2点バーストへと切り替えておく。ステラの言う通りに、頭を狙っても無意味だ。敵の形状は極めて人間に近いが、あくまでこいつらは古代人がこの遺跡に遺していった代物だ。それゆえに人間と同じような仕留め方では仕留められない。

 

 ならば――――――怪物の仕留め方で、仕留める。

 

「なるほどねぇ………胴体にしこたま銃弾をお見舞いしろってか!」

 

 隣にいるステラのLMGがマガジンの中の弾丸を撃ち尽くすと同時に、銃身の下のグレネードランチャーを放つ。40mmグレネード弾は先頭にいた槍を持っている石像の頭にめり込むと、そいつがよろめき、仲間の群れの中へと押し戻された最高のタイミングで炸裂した。周囲にいた石像を巻き込み、敵の隊列が一瞬だけ崩れる。

 

 そこに、仲間たちの一斉射撃が襲いかかった。ナタリアのスラグ弾が石像たちの胸に大きな風穴を開けて沈黙させ、フルオート射撃ができる火器を持っていないカノンはまるでガンマンの早撃ちのような速度で、次々に石像たちの足を狙い撃ちにしては転倒させている。転倒した石像が後続の石像を転倒させ、彼らの突撃を台無しにしたタイミングで、今度はナタリアが安全ピンを引き抜き、レバーから手を離して放り投げた手榴弾(グレネード)をお見舞いした。

 

 目の前にころころと転がっていったM67手榴弾が、起き上がろうとしていた石像たちの目の前で膨れ上がったかと思うと、中から噴き上がった爆風と破片が石像たちを飲み込む。感情がないどころか顔が兜にも似た形になっているため奴らは全く怯えなかったが、もし仮に今のが人間の兵士だったとしたら、目の前に転がってきたのが手榴弾だと理解し、怯えるよりも先に吹き飛んでいただろう。

 

「突っ込むぞ、ラウラ!」

 

「了解!」

 

 2点バースト射撃で今の爆発の向こうから押し寄せてきた石像を撃ち殺す。1体だけとはいえ、突撃してくる敵の速度を遅らせる事ができた。

 

 そこに―――――俺とラウラが、それぞれAN-94(アバカン)とグローザを構えて突撃した。

 

「「УРаааааааааа(ウラァァァァァァァァァァァッ)!!」」

 

 石像の群れとの距離はそろそろ50mになる。銃による射撃はかなり効果的だが、敵の数が多過ぎる上に銃には再装填(リロード)がある。これ以上とどまって射撃にこだわっていれば、接近戦に対応できなくなってしまう。

 

 だから、ここまで接近されたのならば大人しく白兵戦に持ち込んだ方が安全なのだ。

 

 ハンドガードから左手を離し、右手でAN-94のグリップをしっかりと握りつつジャンプした俺は、全ての体重を前方へと注ぎ込み―――――斧を振り回そうとしていた石像の胸に、銃剣を力任せに突き立てた。

 

 ピキ、と石像の表面に亀裂が入る。その亀裂から噴き上がる蒼白い光は、石像の内部に込められていた魔力なのだろう。

 

 魔力が傷口から抜けていった石像を蹴り飛ばし、くるりと反時計回りに一回転してから後続の石像の顔面を銃床で殴りつける。石像が得物を落とし、よろめいた隙に銃口を向けて銃弾をプレゼントした。

 

 一瞬で2つの風穴が胴体に空き、人間が鮮血を吹き上げるかのように魔力を噴き出しつつ砕け散っていく石像。その残骸の上を、冷気を纏った赤毛の少女が飛び越えていく。

 

 敵の先陣は挫いた。さあ、ラウラ。暴れよう!

 

「―――――愉しもうぜ、ラウラ」

 

 彼女は親父と同じく獰猛だ――――――。

 

 石畳の上に着地したラウラが、目を細めながら――――――笑った。

 

 ああ、またあの時のように笑った。まだ冒険者の資格を手に入れる前に、スナイパーライフルの照準を合わせていた時のような冷たく、獰猛な笑み。親父から遺伝した獰猛さが、最も剥き出しになった時の恐ろしい笑みである。

 

 次の瞬間、彼女が両手に持っていた2丁のブルパップ式アサルトライフル―――――アサルトライフルとはいえ銃身が短いから、SMG(サブマシンガン)とあまり変わらない―――――がそれぞれ左右を睨みつけたかと思うと、ライフルグレネード用のアダプターが取り付けられた短い銃身から、同時に凄まじい勢いでマズルフラッシュを噴き上げた。

 

 エジェクション・ポートから排出される7.62mm弾の薬莢たちが床に落ちる度、彼女のマズルフラッシュの彼方では、砕かれた石像たちが次々に石ころへと変貌していく。

 

 2丁のグローザの銃口を今度は正面へと向け、1秒程度の連射で一気に石像を4体薙ぎ倒すラウラ。7.62mm弾の反動は非常に凄まじいため、鍛え上げた兵士でも片手で連射するのは不可能である。だが、身体能力や筋力などが人間を遥かに上回るキメラならば、例えアンチマテリアルライフルや対戦車用の無反動砲も片手でぶっ放す事も可能だという。

 

 実際に、親父はアンチマテリアルライフルのOSV-96を片手でぶっ放した事があるらしい。

 

 生まれつき強靭に育つように〝できている”キメラならば、獰猛なストッピングパワーの重火器を片手で従えることも可能なのだ。

 

 ラウラの背後から接近していた石像を2点バースト射撃で黙らせ、彼女の傍らへと駆け寄る。

 

「数が多いな………」

 

「ふにゅ、どうする? 逃げる?」

 

「ああ、その方が得策かも………」

 

 驚異的な連射速度の2点バースト射撃で石像を撃ち抜きながら、俺はちらりとこいつらの群れの向こうを見た。相変わらず神殿の柱の間からぞろぞろと石像の隊列が出現しているように見えるが―――――――こいつらの群れの向こうには、神殿の中へと伸びる真っ白な階段がある。

 

 こいつらを相手にしていたら、俺の能力が用意してくれる弾薬を使い切ってしまいかねない。もし使い切ってしまったら神殿の中にいる魔物と戦い辛くなってしまう。

 

 出し惜しみは本末転倒だが、逆に使い過ぎは愚の骨頂だ。このように無数の敵の殲滅が目的ではない場合は、出し惜しみをしても許されるだろう。

 

「みんな、こいつらを突破して奥の階段に向かうぞ!」

 

「え、こいつら無視するの!?」

 

「当たり前だろ! 殲滅する前に弾切れになっちまう!」

 

 ライフルの銃身の下についているグレネードランチャーから空の薬莢を取り出し、砲口から次の40mmグレネード弾を装填しておく。残りのグレネード弾は装填した分も含めると5発。マガジンも30発の弾丸が入ったやつが5つ残っている。

 

 やはり、2点バースト射撃の機能を持つAN-94の火力を、7.62mm弾で底上げしたのは正解だったらしい。弾薬の消費量は減ったし、敵への攻撃力は維持されたままだからな。

 

 後ろで石像たちを睨みつけていたラウラが、ちらりと仲間たちの方を確認した。ナタリアやステラたちは、どうやら石像の群れを突破するために白兵戦を開始し、前方にいる奴のみを倒しながら階段へと向かっているらしい。

 

 かちん、と背後で何かが固定される冷淡な音が聞こえた。ぎょっとしてラウラの得物を見てみると―――――いつの間にかライフルグレネード用のソケットに、膨らんだ楕円形の胴体に小さな羽根を付けたかのような奇妙な物体が装着されていた。

 

 ―――――ライフルグレネードだ。彼女のサイドアームの火力を底上げするために用意した装備だが、そいつで仲間を援護するつもりなんだろう。

 

 なるほどね。こいつを装着したって事はラウラが無防備になるから、その間は俺が援護するって事か。彼女が考えていることを察した俺は、セレクターレバーを2点バーストからフルオートに切り替えた。

 

 お姉ちゃんは俺が守る。ああ、俺はお姉ちゃんが大好きだからな。

 

 だから―――――任せろ。

 

 彼女と目配せしながらにやりと笑い、俺は早くも〝仕事”を開始する。

 

 トリガーを引き、マガジンの中に残っている7.62mm弾を近くにいる石像たちに浴びせかける。この石像たちは侵入者を排除することしかできないようだから、威嚇は何の意味もない。だから極力攻撃が命中するように弾丸をばら撒き、エジェクション・ポートから最後の薬莢が飛び出すと同時に、下部から伸びるマガジンを切り離す。

 

 予備のマガジンを尻尾に巻き付け、ハンドガードから離した左手の代わりに再装填(リロード)を尻尾にやらせつつ、左手をホルスターの中へと伸ばす。そしてMP412REXを引き抜き、AN-94の射撃準備が整うまで石像をリボルバーでぶちのめす。

 

 6回目の.357マグナム弾の絶叫が響いたタイミングでリボルバーをホルスターの中に戻し、接近していた石像を蹴り飛ばす。そいつが起き上がる前に7.62mm弾を2発胸に叩き込んで胸元を粉微塵にし、フルオート射撃でラウラの周囲にいる石像どもを薙ぎ払う。

 

 もう、殲滅ではない。これは突破するために敵を〝駆除”しているのだ。

 

 そう、駆除。雑草や害虫と同じように。

 

 駆除して乗り越える。メサイアの天秤を俺たちが手に入れるために。

 

「ラウラ、やれぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「――――――発射(アゴーニ)ッ!!」

 

 グリップのすぐ前には銃口があるほど短い銃身のグローザから、先端部に取り付けられた2発のライフルグレネードが同時に解き放たれた。

 

 装甲すら吹き飛ばしてしまうほどの破壊力を秘めた、2発のライフルグレネード。その獰猛さを例えるならば双頭の猛犬と言ったところだろうか。前世の世界では決して実在しない、2つの頭を持つ猛犬。2つの頭が獲物を睨み、吠えたてて恐れさせる。

 

 だが、2つだけの頭では凄味がない。―――――――どうせなら、もう1つ足してケルベロスにしてやろう。

 

 追加だぜ、ラウラ。

 

 掴みかかってきた石像を銃床で殴り飛ばし、そいつを尻尾で串刺しにしつつ後ろを振り返る。早くも銃口を向けた向こうでは、ククリナイフで石像を斬りつけつつ後衛の2人を先導するナタリアの姿が見える。

 

 片手にククリナイフを持ち、斬りつけている間に接近してくる敵には咄嗟に左手の小型エアライフルをお見舞いするナタリア。単発式のエアライフルをぶっ放した後は、左手にMP443を装備してひたすら胴体に9mm弾をお見舞いし続けている。

 

 すると、彼女たちの前方に立ちふさがっていた石像の群れの中に、2つの黒い楕円形の何かが放り込まれた。着弾地点にたまたま立っていた哀れな石像にめり込んだそれは、その場で緋色の爆風を生み出すと、外殻を形成していた金属すら破片として武器にし、周囲にいた石像たちに襲い掛かった。

 

 まるで、猟犬が獲物に喰らい付いたかのように破片が石像たちを貫き、ただの石の塊へと変貌させてゆく。

 

 更にその爆発―――――ラウラのライフルグレネードの砲撃―――――の後に、今度は1発の40mmグレネード弾がすかさず放り込まれた。ケルベロスの3つ目の頭が、ついに標的の群れに喰らい付いたのだ。

 

 3つの爆風によって、ナタリアたちの目の前にいた石像の群れはもう総崩れになっていた。空になったハンドガンのマガジンを交換しつつククリナイフを振って礼を言ってくるナタリア。彼女にウインクした俺は、息を吐きながら後方の階段を睨みつける。

 

 そろそろ、俺たちも階段に向かった方が良いだろう。潮時だぜ、お姉ちゃん。

 

「―――――タクヤ」

 

「――――おう」

 

 銃を腰の後ろや腰のホルダーに戻し、得物を近距離用のナイフへと切り替える。俺は大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを鞘から引き抜き、ラウラは刀身を30cmくらいの長さに変更したスペツナズ・ナイフを2本鞘の中から引き抜く。あの狂った吸血鬼に折られた彼女のトマホークの代わりに、俺が能力で用意したものだ。

 

 刀身が本来のサイズよりも長くなっているが、これはラウラがカスタム前のスペツナズ・ナイフを見て「ふにゅう、刀身が短いなぁ………。ねえ、伸ばしてよ」と要求してきたからである。………お姉ちゃん、このナイフは刀身を発射できるから短くても問題ないと思うよ?

 

 ボウイナイフ並みの長さになったスペツナズ・ナイフを見て苦笑した俺は、ラウラと同時に頷いてから――――――階段に向かってダッシュした!

 

「はぁっ!」

 

「うおぉっ!!」

 

 排除する敵は正面にいる奴のみ。側面と後方の奴は無視してやろう。

 

 剣を俺のソードブレイカーで受け止め、その隙にラウラがスペツナズ・ナイフの刀身を石像の顔面に突き立てる。人間と違って頭を撃ち抜かれても死ぬことがない敵なのだから、頭にナイフを刺された程度では死なないだろう。

 

 だが、頭が砕かれたことによってその石像がよろめく。断面からは蒼白い魔力を噴き上げながらぐらりと揺れた石像を蹴り飛ばし、前方にいた石像の群れへと叩き付けてそいつらを転倒させる。石畳の上でもつれ合っているそいつらをラウラと2人で踏みつけてジャンプし、2人で同時に着地地点にいた敵をナイフで串刺しにする。

 

 全く言葉は交わさない。でも、俺はもうラウラがどの敵にどんな攻撃を繰り出そうとしているのか察していた。

 

 だから俺は、彼女を守る。ソードブレイカーで攻撃を受け止め、敵の剣をへし折り、逆に蹴りで反撃する。そして俺が攻撃しようとすればラウラが敵の攻撃を受け止め、足のサバイバルナイフで敵を切り刻んでくれるのだ。

 

 蒼い剣戟と紅い剣戟が、白い雑兵の真っ只中で乱舞する。

 

 無数の守護者たちが俺とラウラを取り囲んでいるというのに――――――俺たちは全く止まらない。むしろ、目の前にいる敵を薙ぎ倒し、蹂躙し続けている。

 

 フィンガーガードで石像の顔面を殴りつけ、石で作られた騎士の兜を粉砕してから横へと蹴り飛ばす。左隣ではラウラが、スペツナズ・ナイフの刀身を発射して石像の顔面を貫き、予備の刃を装着しつつ胸を足のナイフで両断して止めを刺していた。

 

 そして――――――やっと、石像の隊列が消えた。

 

 立ち塞がっていた奴らのみを蹂躙し、背後から追いかけてくる敵や側面にいた奴らを無視して駆け抜けてきた俺とラウラの目の前には、古代ギリシアの神殿を思わせる純白の階段と、その階段の傍らで待っていてくれた仲間たちがいた。

 

「2人とも、早く!」

 

「おう!」

 

 ハンドガンで援護しつつ叫ぶナタリア。彼女に向かってにやりと笑った俺は、ラウラと同時にナイフを鞘に戻すと、仲間たちと共にその階段を駆け上がり始めた。

 

 

 




余談ですが、第一次世界大戦の白兵戦では塹壕を掘るためのスコップまで武器に使われたそうです。さすがに第二次世界大戦では活躍できなかったみたいですけどね。

それにしても、神殿に入るまで長引いてしまいました。申し訳ありません………。どうやらバトルが始まるとつい長く書いてしまう癖があるみたいです(苦笑)


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5つの頭と守り神

 

「はぁ………初っ端から人海戦術かよ」

 

 蒼白い光で照らし出された純白の通路を進みながら、俺はこの海底神殿で受けた〝歓迎”を思い出しつつ悪態をついた。

 

 潜水艇で上陸した俺たちを、無数の石像が待ち構えていたのだ。何体の石像が襲いかかってきたのかは数え切れなかったけど、あいつらを殲滅して進むのではなく、立ち塞がった最低限の奴らだけを倒して神殿の中へと逃げ込んだのは正解だったかもしれない。

 

 銃という武器を使う以上、持久戦だけは絶対に避けなければならない。弾薬が湯水のように備蓄してあるのならば持久戦でも問題ない。だが、俺の能力で生み出した武器に用意される弾薬の数は最初に装填されている分と、再装填(リロード)5回分のみ。しかも、ステラの持つGSh-6-30のような大型ガトリング機関砲などの重火器は再装填(リロード)2回分か、再装填(リロード)用の弾薬すら支給されない場合がある。

 

 この能力を駆使して戦っている以上、スキルで補っても焼け石に水である。それゆえ、持久戦は好ましくない。

 

 あの石像たちがひしめく広場を突破し、神殿の中へと逃げ込んだ俺たちは、蒼白い光で照らされた神殿の通路を進んでいた。相変わらず壁や床は純白の石畳のようなもので作られていて、壁には壁画のようなものが刻まれている。古代文字も見受けられるが、ステラは解読できるだろうか。

 

 壁の一部や床の一部はガラス張りのように透明になっており、そのガラスの向こうには、光に照らされた美しい海中の光景が広がっていた。

 

 本物の光景なのだろうか? それとも、あのガラスのような透明な部分はモニターの画面のようなもので、それに映像を映し出しているだけなのだろうか? 

 

 海中に屹立する日光の柱。ダークブルーとライトブルーのグラデーション。蒼で支配された世界の中を泳ぐ、小さな魚の群れ。人類という邪魔者の介入を拒絶した、蒼い楽園だ。

 

「綺麗だな………」

 

「タクヤ、あれは映像です」

 

「あれっ? 本物じゃないの?」

 

「はい。あれは『メモリークォーツ』というクリスタルに似た鉱石に投影された、製作者がイメージした海中の光景です」

 

「メモリークォーツ?」

 

 聞いたことのない鉱石だな。初めて耳にした鉱石の名前を聞いて首を傾げると、ステラはLMGを肩に担ぎながら説明してくれた。

 

「魔力を注入しながら何かしらの映像をイメージすることにより、そのイメージした映像を実際に映し出す事が出来る特殊な鉱石です」

 

「そんな鉱石があったのか」

 

「はい。ですが、私が封印している間に枯渇してしまっているようですが」

 

 枯渇したって事は、採掘し尽くしちまったって事なのか。自分のイメージした映像を実際に映し出す鉱石は、確かに需要があるだろうな。前世の世界のビデオや写真のように思い出を残す時にも利用できるだろうし、戦いでも偵察の時に役に立つだろう。斥候が目にした映像を思い出すだけで、仲間たちにそれを見せる事が出来るのだから。

 

 それゆえに採掘し尽くし、現代では残っていないという事なんだな。

 

「なるほど………じゃあここにあるのを剥ぎ取って持ち替えれば、高値で売れるってわけだな?」

 

 にやりとかなり下衆な笑みを浮かべながら、俺は海中の映像に見惚れている仲間たちに向かって冗談を言った。実際にここのメモリークォーツを持って帰れば大金になりそうなんだけど、こんな鉱石が古代に存在していた事を知っているのは考古学者ぐらいだろうなぁ………。

 

 有名な冒険者の体験記をよく本屋で購入して読んでたんだが、メモリークォーツについては全く書かれてなかった。つまり、知名度はかなり低い幻想的な鉱石ということだ。

 

 もちろん、そんな事をするつもりはないけどな。

 

「やめなさいよ、勿体ないでしょ?」

 

「冗談だって」

 

「あらあら、お兄様ったら」

 

 冗談だよ。

 

 肩をすくめながら誤魔化し、AN-94を肩に担ぐ。獰猛な2点バースト射撃が可能な相棒を担いだまま、俺はそろそろラウラにエコーロケーションで敵の索敵をお願いしようとしたんだが………ラウラの奴は、壁に埋め込まれたメモリークォーツに映し出される海中の映像をずっと覗き込んだままだった。

 

「おい、ラウラ?」

 

「ふにゅー………」

 

「そろそろ索敵をお願いしたいんだが―――――――」

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 なぜか顔を紅潮させながら振り向いたラウラは、恥ずかしそうに俯くと、頭の上に乗っている真っ黒なベレー帽を目深にかぶりながら言った。

 

「こ、これって魔力を流し込みながらイメージしたものを映すんだよね………?」

 

「ああ、そうらしいよ?」

 

「じゃ、じゃあ………けっ、結婚した時のことをイメージすれば………映る……かな?」

 

 ………はぁっ?

 

 え? お姉ちゃん、何言ってるの? お前まだ17だろ? 結婚は先の話じゃないか。

 

 恥ずかしがりながら言ったラウラの言葉に、ステラを除く3人が一斉にぽかんとしてしまう。いや、ちょっと待て。結婚した時の事って、ウエディングドレス姿の大人になったラウラ………?

 

「――――――ッ!?」

 

 い、いかん………! 大人びてウエディングドレスを纏ったラウラの姿を想像したら………も、萌えてしまった………!

 

 今のままでも十分大人びているラウラだけど、性格は幼少の頃からあまり変わっていない。戦闘中はさすがに冷静になってるんだが、普段は昔と同じく俺に甘えてくる事が多いんだ。

 

 でも、その幼い性格のお姉ちゃんが立派な大人になって、ウエディングドレスを纏っていたら………!

 

「………さ、最高だな………ッ!」

 

 ああ、ウエディングドレス姿のラウラかぁ………。見てみたいな。

 

「じゃあ、ちょっと持って行かない………?」

 

「よし、さっそく俺が硬化で………」

 

 左手を硬化させて壁に伸ばそうとしていると、いきなりかぶっていたフードの上からナタリアにチョップされた。やけに素早いチョップで、しかも正確に俺の頭に生えている左右の角の間に炸裂するナタリアのチョップ。まるで鉄パイプで殴られたかのような衝撃を感じつつ、俺は涙目になった。

 

「――――――たぼーるッ!?」

 

「何やってんのよ、バカ………」

 

「いや、ウエディングドレス姿のラウラを見てみようかなと………」

 

「ふにゃあっ!?」

 

「はぁっ!?」

 

 顔を真っ赤にするラウラとナタリア。2人の後ろではカノンがラウラを凝視しながらニヤニヤ笑っているし、ステラは無表情のまま首を傾げている。

 

「た、タクヤのバカ……」

 

「何考えてんのよ………で、でも、ウエディングドレスかぁ………」

 

 顔を赤くしながらじっとメモリークォーツを凝視してるが、ナタリアもウエディングドレス姿のラウラを見てみたいのかな? きっとかなり綺麗だぞ。

 

 ラウラは小さい頃から『タクヤのお嫁さんになる』って言ってたからなぁ………。結婚する相手は俺なのかな? もし他の男だったら………引き下がろう。俺はシスコンになっちゃったけど、ヤンデレじゃないし。

 

 ただし――――――もしラウラと結婚した男がお姉ちゃんを悲しませたら、全身全霊でぶち殺しに行く。12.7mm弾の集中砲火をお見舞いしてやるぜ………!

 

「ナタリアさん、どうしましたの?」

 

「えっ? な、なんでもないわ………」

 

 カノンに言われてからちらりと俺の顔を見て、恥ずかしそうにしてから通路の奥へと歩き始めるナタリア。なぜ彼女が恥ずかしそうにしたのか察する事が出来なかった俺は、傍らで俺たちの会話を聞いていたステラと首を傾げ合うと、まだ顔を赤くしているラウラの手を引いて通路を進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどの広間で襲ってきた石像たちのように、古代の人々が守護者として遺していった奴らばかりがこの神殿を守っているのかと思っていたが、奥にはより獰猛そうな外見の魔物が待ち受けていた。

 

 全身を橙色の体毛に覆われ、ライオンに似た顔を持つ二足歩行の怪物が、骨で作られた鋭利な槍を携えて待ち伏せしていたのである。

 

 こいつらも、家にあった図鑑に載っていた魔物だ。『ナラシンハ』と呼ばれる獰猛な魔物で、遺跡や神殿の奥に生息しているという。

 

 獣人のように見えてしまうが、人類の種族の中の1つに分類されている獣人のように言語を話す事もなく、人類と意思の疎通をする事もない。しかし野蛮で荒々しい姿とは裏腹に知能は高く、仕留めた獲物の骨を加工して武器を作り、その武器と素早い動きで戦いを挑んでくる難敵だ。

 

 ―――――そのナラシンハの群れの中にいた、何かの魔物の頭骨を頭にかぶっているリーダー格の個体を、14歳の少女が放った1発の弾丸が貫く。

 

『グォ――――――』

 

「遅いですわ」

 

 ナラシンハの突進する速度は、加速に乗れば全力疾走する黒豹をも追い越すと言われている。加速に乗らなくてもその瞬発力は非常に高く、中堅の冒険者でも瞬く間に反撃されて殺されるという。

 

 それほど素早い魔物だが――――――カノンにとっては〝遅い”らしい。

 

 セミオートマチック式のマークスマンライフルから薬莢が排出された音を聞きながら、俺は当たり前だろうなと思いつつ彼女の射撃に仕留められるナラシンハを見据えた。

 

 ナラシンハの動きは非常に素早い。生息するだけでダンジョンの危険度が跳ね上がるほど強力な魔物だが――――――幼少の頃からマークスマンライフルによる中距離狙撃の訓練を重点的に受け、成長してからは早撃ちのような速度で次々に標的を撃ち抜けるほどの正確さと反射速度を身に着けたカノンからすれば、訓練の移動する標的よりも鈍重で単純な敵であるに違いない。

 

 ズドン、とまた彼女のSVK-12が火を噴く。7.62mm弾の餌食になったのは、リーダーがやられたことに驚愕していた側近のナラシンハであった。

 

 側頭部を弾丸に食い破られ、砕け散った頭の破片をまき散らすナラシンハ。他の奴らも怯えるが、まるで熟練のガンマンのファニングショットを思わせる連射速度の狙撃が次々にそいつらの後頭部に風穴を開け、仕留めていく。

 

 遠距離での狙撃ならばラウラには手も足も出ない。しかし、カノンが真価を発揮するのは中距離である。

 

 父であるギュンターさんのようにLMGを撃ちまくる戦い方よりも、カレンさんのように中距離から敵を狙撃する選抜射手(マークスマン)のほうが、彼女には合致していたという事だろう。

 

「さすがですね、カノンさん」

 

「ふにゃー………やっぱり、カノンちゃんって凄いよ。私にはあんな素早い狙撃できないもん」

 

「何を言っていますの、お姉様。遠距離狙撃ならお姉様の方が遥かに上ですわ」

 

 しかも、スコープを使わずに狙撃してるからな。

 

 2km先にいる素早い魔物にもスコープを使わずに狙撃し、頭を正確に撃ち抜いた事がある。彼女の視力はサラマンダーの遺伝子のおかげで非常に良いんだが、体質だけではないだろう。狙撃の素質があったラウラを、親父から教わった技術が開花させたに違いない。

 

 空になったマガジンを取り外した彼女に、俺は予備のAN-94のマガジンを渡した。使用している弾薬は同じく7.62mm弾―――――弾薬を分け合えるように俺が変更した―――――だし、マガジンも使えるように調整してあるから、そのままアサルトライフルのマガジンを装着するだけでいい。

 

「ですが、これはお兄様の弾薬では?」

 

「他にも武器はあるさ。………援護は頼むぜ、カノン」

 

 マガジンを受け取った彼女の頭を撫でつつ微笑む。こうやって頭を撫でると喜んでくれるのは、幼少の頃に遊んでいた時と変わらない。

 

 貴族としてのマナーを教え込まれ、急速に大人びていったカノンだが―――――頭を撫でられて嬉しそうに笑う笑顔は、幼少の頃と同じだった。

 

 この顔が、一番面影が残っている。

 

「………ええ、任せてくださいな。お兄様のために頑張りますわ」

 

「ははっ、ありがとな」

 

 小さい時から一緒に遊んでいたカノンは、俺とラウラにとって妹のようなものだ。血は全く繋がっていないけど、小さい頃は一緒に家の中で絵本を読んだり、親父の帽子を取って親父と鬼ごっこをしたこともある。

 

 昔の事を思い出しながら彼女の頭を撫でていると―――――背後から飛来した威圧感が、俺の背中に突き立てられた。

 

「ふにゅー………!」

 

「………」

 

 久々に、ラウラの目が虚ろになってる………。

 

 虚ろな赤い瞳でじっと俺を見つめながら、ミニスカートの下から伸ばしたキメラの尻尾を縦に振るラウラ。尻尾を横に振っている時は喜んでいる時や満足している時だが、「私を見て」と言わんばかりに縦に振っている時は機嫌が悪い時の合図だ。

 

 いかん、このままカノンを撫で続けていたら殺されるかもしれない。もしくは宿屋で2人部屋になった時に監禁される可能性もある。

 

 カノンに目配せし、静かに彼女が不機嫌になりつつあることを知らせると、カノンはにやりと笑ってからウインクした。今度はラウラの頭も撫でてやれという事なんだろう。

 

 彼女の頭から手を離し、不機嫌になっているラウラの傍らへと戻ろうとした俺は、今しがたカノンが片付けてしまったナラシンハの死体の上に蒼白い六角形の結晶にも似た物体が浮遊していることに気付いた。

 

 雪の結晶を思わせるそれを凝視しつつ、俺はラウラの手を引いた。するとラウラは尻尾を縦に振るのを止め、代わりに俺の右手にそのぷにぷにする柔らかい尻尾を絡ませてくる。

 

「えへへっ」

 

「相変わらず柔らかい尻尾だなぁ」

 

 サラマンダーのメスは孵化したばかりの子供たちを温める際に耐熱性の高い外殻が邪魔になるため、外殻は退化しているという。それが原因なのか、ラウラは俺よりも外殻を生成する能力を苦手としている。

 

 柔らかいラウラの尻尾に触りながら、俺は一旦AN-94を背中に背負い、ラウラの尻尾に触ったままそのドロップした武器へと手を伸ばす。

 

《『ソードオフ・ショットガン』を入手しました》

 

 おお、獰猛な代物がドロップしたな。

 

 ソードオフ・ショットガンとは、基本的に銃身を短くしたショットガンやライフルの総称だ。銃身や銃床を短くすることでサイズが小さくなり、軽量になる。

 

 ライフルの場合は命中精度と射程距離が低下するだけなんだが、ショットガンの場合は散弾が拡散しやすくなるという恩恵がある。その理由は、ショットガンの銃口に装着されるチョークというパーツが銃身もろとも切り詰められ、取り外されるからだ。

 

 チョークはショットガンの散弾を拡散しにくくし、極力束ねたまま標的に叩き込ませる役割を担っている部品だ。それが取り外されるため、散弾が拡散しやすくなるのである。

 

 これはメリットだが、距離が離れれば離れるほどデメリットとなる。散弾が拡散し過ぎるため、遠距離どころか中距離でも使い物にならなくなるからだ。

 

 だから、こいつを使う以上は近距離で使わなければならない。

 

 メニュー画面をタッチして画像を確認してみたが、ドロップしたのは2本の銃身を持つ水平二連型ショットガンのソードオフ・ショットガンのようだ。しかも、大型の撃鉄(ハンマー)がついている有鶏頭(ゆうけいとう)と呼ばれる古めかしいデザインだな。

 

 使ってみようかと考えていると、他の死体からももう1つドロップしている。興味深そうにメニュー画面を覗き込んでいるラウラを連れたままそっちもチェックしてみるが、そちらからドロップしていたのも水平二連型のソードオフ・ショットガンだった。

 

 おいおい、2つもドロップしてるぞ。2丁使えって事か。

 

 まあ、俺は近距離で戦う事が多いからな。ソードオフ・ショットガンは俺が使った方が良いかもしれない。

 

「あ、これパパも使ってたやつだよね?」

 

「ああ。そういえば狩りで使ってたな」

 

 親父が使ってたのは一般的な12ゲージの散弾を使うタイプではなく、さらに大型の散弾である8ゲージの散弾を使う大口径タイプだったが。

 

 転生者の防御力が高かったせいで苦戦したから大口径の武器を好むようになったらしいが、使い辛くないんだろうか………? さすがに8ゲージは反動(リコイル)が大き過ぎる気がしますよ、お父さん。

 

 入手したばかりだけど、さっそく装備してみよう。

 

 画面をタッチして2丁のソードオフ・ショットガンを装備すると、腰の後ろにショットガン用のホルスターと共にがっちりした水平二連型のソードオフ・ショットガンが出現した。

 

「あら、また新しい銃が出たの?」

 

「おう。さっそく使ってみるよ。ショットガンなんだ、これ」

 

「え? 私のショットガンより小さいじゃないの」

 

 そう言いながら自分のサイガ12を凝視し、目を丸くするナタリア。俺は彼女に「ソードオフ・ショットガンっていうタイプなんだ」と説明すると、まだ俺の右手にくっついているラウラの頭を撫でたまま通路の奥へと歩く。

 

 壁に埋め込まれていたメモリークォーツはもう見当たらない。最深部が近いのか、段々と通路の装飾が壁画のようなものに変わり始めている。

 

 しばらく広い通路を進んでいると、水の流れ落ちる音が聞こえてきた。蒼白い光に照らされた通路の奥から聞こえてくるその音は、滝が落ちるような荒々しい音であり、滴が水面に落ちる儚い音でもある。

 

 そろそろ最深部かと思った瞬間、ラウラが俺から手を離した。さすがにいつまでもくっつているわけにはいかないと判断したんだろう。背中に背負っていた銃剣付きのヘカートⅡを構え、目つきを鋭くするラウラ。俺もAN-94の安全装置(セーフティ)を解除しつつ、仲間たちに戦闘準備を促す。

 

「………奥に大きい奴がいる」

 

「大きい奴?」

 

「うん。この先は闘技場みたいに広くなってるみたいだけど、その真ん中に大きい奴がいるよ」

 

 大きい奴か………。まさか、この神殿に生息していると言われる『シーヒドラ』か?

 

 シーヒドラはドラゴンに分類されているが、国によってはエンシェントドラゴンに分類されている。極めて硬い外殻を持ち、5つの頭がある巨大な竜で、水を自由自在に操ると言われている。

 

 古代の人々はシーヒドラを海の守り神として崇めており、シーヒドラは未だに古代の人々の供物である財宝を守り続けているという伝説がある。

 

 先ほどカノンが片付けたナラシンハも強力だが――――――シーヒドラの戦闘力は、ナラシンハの比ではない。同じくドラゴンに分類されているサラマンダーと同等の力を持つドラゴンだ。

 

 ちなみに、サラマンダーの戦闘力はエンシェントドラゴン並みだと言われている。ただし、サラマンダーは普通のドラゴンに分類されている。

 

 エンシェントドラゴンとは、一般的に人語を話し、何かを司っている存在なのだ。例えば有名な『ウロボロス』は〝生命”を司っていると言われているし、最古の竜であるガルゴニスは〝進化”を司ると言われている。

 

 今から戦う羽目になるかもしれないシーヒドラは――――水を司っている。

 

 拙いな………。電撃で応戦すればいいかもしれないが、炎は全く通用しないだろう。更に敵の攻撃を喰らった場合、体内の魔力が暴発する危険性がある。

 

 変換済みの魔力というのは、特定の魔力に偏っている状態といってもいい。台の上に乗っている人を突き飛ばせば台から落ちてしまうように、変換済みの魔力が苦手とする魔力をぶつけると、ぶつけられた魔力は暴発してしまう可能性があるのだ。

 

 だからあらかじめ変換済みの魔力を体内に持つキメラは、属性に気を付けなければならない。

 

 ラウラは影響がないだろうが、俺は水属性の攻撃を喰らうだけで暴発し、自滅する可能性があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 通路の奥には、ラウラの索敵通りに闘技場のような広間が広がっていた。球体状の巨大な空間に円盤状の広い足場が浮遊し、その足場から下は壁面から流れ落ちる水によって満たされている。先ほど通路まで聞こえてきた水の音は、ここの水の音だったらしい。

 

 広間の奥には大きな扉がある。透き通った蒼い結晶のようなもので作られた扉の向こうには、既に積み上げられた無数の財宝らしきシルエットが見えている。俺たちが探し求めている天秤の鍵もあの中にあるのだろうか。

 

 しかし、その財宝の山をいつまでも凝視しているわけにはいかなかった。俺たちの欲を遮ってしまう脅威が、広間の中央に浮遊しているのだから。

 

 水で満たされた広間の中央に浮遊するそれは、巨大な水の球体であった。半径は15mくらいだろうか。まるで夜の静かな大海原の上に浮かぶ月のようだが―――――その月の中で眠るのは、大昔からここを守り続ける存在。かつて古代人が海の守り神として崇めた、5つの頭を持つエンシェントドラゴン。

 

「こいつが………シーヒドラ………!」

 

 こいつを倒さなければ、鍵を手に入れることは出来ない。

 

 海底神殿で最強のドラゴンを倒さなければ――――――天秤で願いを叶えることは出来ないのだ。

 

 だから、この怪物を乗り越えなければならない。――――――俺たちの、願いのために。

 

 

 

 

 




※タボールはイスラエルの滅茶苦茶カッコいいブルパップ式アサルトライフルです。

そろそろ銃以外の名前も叫び声に採用しようかな(ネタ切れの予兆)


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先手

 

 古代の人々が海の守り神として崇めていたエンシェントドラゴンは、広間の中心で巨大な水の球体に包まれたまま、浮遊していた。眠っているのだろうか。自分自身が司る水に抱かれて、冒険者が辿り着く事も少ない神殿の最深部で。

 

 水の球体に包まれているとはいえ、その巨躯の形状は明らかに普通のドラゴンよりも威圧的で、一般的なドラゴンの姿からは逸脱していると言える。

 

 ダークブルーの外殻と鱗は日光を拒む深海を思わせる。サラマンダーや他のドラゴンのように外殻は尖っておらず、むしろイルカやサメのヒレのように丸みを帯びて突き出ている程度だ。背中からはやはり巨大な4枚の翼が生えているが、もちらも一般的なドラゴンの翼というよりは、ドラゴンの翼とサメのヒレを融合させたような形状をしている。元々海中に生息するエンシェントドラゴンであるため、〝飛ぶ”というよりも〝泳ぐ”ことの方が多いからあのような形状になっているのだろうか。

 

 他のドラゴンよりも異質な姿だが、あの姿を目にすれば、最も異様な部分は頭だという人は多いだろう。

 

 ――――――シーヒドラには、5つも頭があるのだから。

 

 サメのヒレを思わせる翼や外殻とは裏腹に、頭の形状はドラゴンに近かった。相変わらず外殻は流線型ではあるけど、眉間からランスのように伸びた長い角はまるでサファイアで作られているかのように透き通っている。優美な美しい角だが、その頭にある口の中には鋭い牙が何本も連なっており、シーヒドラの持つ獰猛さもちらつかせていた。

 

 頭の形状は全く同じだが、記録によるとあの頭はそれぞれ別々の意思を持つと言われており、人語を話すという。

 

 俺たちが広間に入ってきたというのに、シーヒドラはまだ目を覚ます気配がない。装備を整える時間はあるが、これはシーヒドラが俺たちに気付いていないだけなのだろうか?

 

 いや、もしかしたらこのエンシェントドラゴンは俺たちを見下しているのかもしれない。人類はドラゴンには勝てないのだから、どれだけ準備をしても無駄なのだと………。

 

「………起きないね」

 

「今のうちに作戦とか立ててみるか?」

 

 そう言いつつ、俺は仲間たちに重火器を配り始める。ナタリアは既に切り札の1つであるカールグスタフM4を装備しているので、ステラ用のGSh-6-30を彼女に渡し、カノンにはSVK-12用のライフルグレネードを支給する。

 

 迫撃砲なら決定打になるかもしれないと思ったんだが、この広間は広いとはいえ、迫撃砲を使えるほど天井が高いわけではない。こんなところでぶっ放したら、迫撃砲の砲弾が落下するよりも先に天井に激突し、崩落してきた天井で生き埋めにされてしまう事だろう。

 

「どうするの?」

 

「まず、ラウラは遠距離から援護だ。広間の外周に陣取って狙撃を頼む」

 

「うんっ!」

 

「カノンは中距離からの射撃。7.62mm弾で貫通できる可能性は低いから、牽制だと思え。隙を見たらライフルグレネードで砲撃する事」

 

「分かりましたわ」

 

 シーヒドラはオルトバルカ王国ではドラゴンに分類されているが、他の国ではれっきとしたエンシェントドラゴンに分類されている。エンシェントドラゴンの戦闘力は極めて高く、外殻も硬い。討伐するには優秀な魔術師が必須だと言われている。

 

 それはつまり、剣や弓矢では攻撃が通用しないということを意味している。いくら銃でも、外殻に弾かれてしまう可能性があるのだ。

 

 普通のドラゴンでも、外殻を貫通するには最低でも6.8mm弾が必須である。しかし、相手は普通のドラゴンではない。今まで数多の魔物を葬ってきた獰猛な7.62mm弾が、通用しない可能性は高いのだ。

 

 アンチマテリアルライフルの12.7mm弾でも物足りないだろう。俺たちの持っている装備で頼りになるのは、俺のOSV-96に取り付けてあるRPG-7V2とナタリアのカールグスタフM4で使用可能な対戦車榴弾か、ステラのガトリング機関砲の30mm弾だろう。

 

『―――――貴様ら、財宝を奪いに来たのか?』

 

「!」

 

 重火器の支給を終え、これから目の前の怪物に対戦車榴弾をお見舞いしてやろうと思っていたその時だった。持ち上げたOSV-96のマズルブレーキの向こうで眠っていた5つの頭のうち、1つの頭がゆっくりと動いたかと思うと―――――鮮血を思わせるほど紅い双眼で、俺たちを見下ろしていたのである。

 

 トリガーを引こうとしていた指が、慄いたようにぴたりと止まる。

 

 自分よりも遥かに強力で、巨大で、古い存在。数多の戦いを経験し、〝歴史”を蓄積してきた猛者。まるで親父と訓練していた時に何度も感じた先人への畏怖を、俺は久しぶりに思い出していた。

 

 経験と力は、猛者の象徴。ただ俺たちを見下ろすだけで、このシーヒドラは俺たちに畏怖をもたらしたのだ。

 

『―――――ふん、人間ではない者も混じっているようだな』

 

『他者から力を吸わなければ生きていけないサキュバスに………ほう、我が同胞たちとの混血か。なんとおぞましい』

 

『人間め、どうせ財宝が目的なのだろう?』

 

『まるで欲望の塊だな。貴様らに渡せば、宝物が穢れてしまう』

 

 他の4つの頭も目を覚まし、俺たちを見下ろし始める。

 

 彼らの言葉の中には俺とラウラとステラを侮辱も含まれていたが、俺たちにはそれに憤っている余裕はなかった。仲間が馬鹿にされたのだから、いつもならば馬鹿にした敵をボコボコにしているところだが――――――こいつはレベルが違い過ぎる。

 

 今まで戦っていた奴らが猛獣だとするならば、こいつはその猛獣を蹂躙する恐ろしい恐竜だ。

 

 シーヒドラを包んでいた水が、ゆっくりと広間の足場へ滴り始める。大きな滴が何度も純白の足場を濡らし、うっすらと水を張り始めた。そこへと水の球体を形成していた水が吸い込まれていったかと思うと、足場の下を埋め尽くしている水の水位が上がり、俺たちの足首から下を飲み込んでしまった。

 

 念のため、体内の魔力をチェックしておく。今のところ炎属性の魔力が暴発する様子はないが、もし暴発しそうになったら雷属性の魔力で上書きし、沈静化しなければならない。

 

 氷を使うラウラには何の問題もない相手だが、サラマンダーの炎を受け継いだ俺にとっては相性の悪い相手だ。

 

『立ち去るがいい、下等生物共。さもなくば海の藻屑になるぞ』

 

「申し訳ないが………立ち去るつもりはないぜ、シーヒドラ」

 

 ビビってる場合じゃない。

 

 こいつを倒し、鍵を手に入れなければならない。そうしなければ人々が虐げられることのない平和な世界は手に入らないのだから。

 

 かつて親父たちも、仲間と共に火山で最古の竜ガルゴニスを打ち倒している。モリガンの傭兵たちは、強力な竜との戦いを乗り越えているのだ。

 

 ―――――だったら、俺たちも乗り越えて見せようじゃないか。

 

 親父たちが乗り越えたのならば、俺たちも乗り越える。

 

 俺たちも―――――――竜を打ち倒す者(ドラゴンスレイヤー)になってやろう。

 

「―――――散開ッ!」

 

 まだシーヒドラに慄きながらも、俺は仲間たちに指示を出しつつ、アンチマテリアルライフルを肩に背負いながら走り出していた。床を覆う水を跳ね上げ、他の仲間たちも散開し始める。

 

 ドラゴンなどの巨大な魔物と戦う際、昔の騎士団は密集隊形で応戦するという戦法をとっていた。耐火性に優れた盾でドラゴンの炎を防ぎつつ、槍で反撃して少しずつ弱らせていくのだ。

 

 しかし、モリガンの傭兵たちの影響と産業革命による技術の発達によって、その従来の戦法は愚の骨頂と言えるほど危険で非効率であるということが判明し、とっくの昔に廃れている。現代ではむしろ盾を持たず、最低限の防具のみ身に着けて散開し、敵を包囲して集中攻撃を仕掛けるという戦法が主流だ。

 

 密集すれば、まとめて炎で焼き払われる可能性がある。シーヒドラの場合は炎ではなく水だろうがな。

 

 相手がどんな攻撃をしてくるにせよ、密集していれば一撃で殲滅される危険性もある。だから散開して敵を取り囲むのだ。

 

 散開していればまとめて攻撃することは出来なくなり、相手は各個撃破していくしかない。それは誰か1人が狙われるということを意味するが、逆にそれ以外のメンバーには攻撃が来ないという事にもなる。それゆえに、狙われたメンバーは全力で攻撃を回避し、他の仲間が無防備になっている敵を攻撃する事が出来るのだ。

 

 これが、現代の魔物との戦いの鉄則である。

 

 仲間は思いやるべきだが、戦闘中は密集してはならない。騎士団の戦術の教本にもこれは記載されている。

 

 ズドン、と広間に荒々しい轟音が響き渡り、シーヒドラの真ん中にある頭の首筋に火花が散った。アンチマテリアルライフルよりも小さな銃声という事は、先手を打ったのはカノンという事になる。彼女のSVK-12の7.62mm弾が、シーヒドラの首筋に飛び込んだのだ。

 

 しかし、やはり外殻を貫通することは出来ていない。猛烈なストッピングパワーを持つ7.62mm弾でも外殻は貫通できず、火花を散らすだけか………。

 

 ならば――――――12.7mm弾だッ!

 

「喰らえッ!」

 

 距離は十分近いから、スコープを覗き込むまでもない。本来ならばスコープをしっかりと覗き込み、相手の弱点と思われる部分を正確に狙撃して大ダメージを与えるべきなのだろうが、相手の防御力を確かめる必要もある。

 

 あわよくば貫通してくれよと願いつつぶっ放したのだが―――――まるで鉄板に石ころを投げつけたような、カンッ、という硬い音を響かせ、カノンの射撃と同じく火花を散らし、俺の12.7mm弾も弾かれてしまう。

 

 くそったれ、戦車並みの防御力なのか!?

 

 舌打ちしながら移動するが、俺から見て一番左側の頭にある双眼が、俺の狙撃に被弾した瞬間のみ目を細めていたような気がした。

 

 弾かれてしまったが衝撃がダメージになったのか? それとも俺の一撃が煩わしいと思ったのか?

 

『ふむ、変わった武器を使うものだ』

 

『見たことのない武器だな。クロスボウではないようだが』

 

『しかし、それでは我らは殺せぬ。我らの外殻は砕けぬぞ』

 

 ああ、外殻は砕けないだろうな。――――――弾丸なら、無理な話だ。

 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦では、〝対戦車ライフル”と呼ばれる武器が活躍していた。当時のライフルの口径を遥かに上回るでっかい銃弾をぶっ放し、敵の戦車を破壊するための兵器である。

 

 しかし、重火器を搭載した頑丈な戦車を銃弾で狙撃するよりも、パンツァーファウストなどのロケットランチャーを叩き込んだり、大型の砲弾を発射する対戦車砲が最も有効であるという事になり、対戦車ライフルは廃れてしまう。

 

 アンチマテリアルライフルも対戦車ライフルと同じく大口径の弾丸を使用するが、こっちは戦車を破壊するための兵器ではなく、スナイパーライフルを超える超遠距離からの狙撃に使用される代物だ。大口径の弾薬ゆえに破壊力はあらゆる弾丸を上回るが、徹甲(AP)弾を使わない限りハード・ターゲットを撃破するのには向かない。

 

 だから―――――防御力の高い奴を相手にする時は、ロケットランチャーが手っ取り早いんだ。

 

 俺がアンチマテリアルライフルの下にロケットランチャーを付けてるのは、そういう硬い奴に対応するためなんだよ!

 

「じゃあ、こっちでも喰らってなッ!」

 

 左手をキャリングハンドルから放し、素早くRPG7-V2から伸びるグリップを掴み取る。人差し指を伸ばしてトリガーに絡み付かせると、やはり照準器を覗き込むことなくそのままぶっ放した。

 

 銃弾よりも弾速は遅いが、煙を吐き出しつつ急迫する爆薬を満載したロケット弾は、シーヒドラに危険な攻撃であると思わせたらしい。先ほどまでは俺たちを侮りながら攻撃を受け続けていたシーヒドラが、俺の発射したロケット弾を見てやっと危機感を案じたように目を一瞬だけ見開く。

 

 だが、危機感を感じるのが遅かったようだな――――――。

 

 爆発に巻き込まれないように後ろへとジャンプした直後、ついにロケットランチャーから放たれた対戦車榴弾が、ごつん、とシーヒドラの外殻に激突した。

 

 しかし、その弾頭はすぐに原型どころか形状の輪郭を失う事になる。自分が生み出した炎とメタルジェットに突き破られて飛び散る弾頭の破片。一瞬だけ煌めき、残光で黒煙を照らし出す閃光。そしてその黒煙と、シーヒドラの堅牢な外殻を貫くメタルジェット。

 

『ぐっ………今のは何だ………ッ!?』

 

「よし………!」

 

 左手を握りしめながら、ロケット弾が着弾した箇所を凝視する。

 

 ダークブルーの外殻の表面には焦げ目がついている。どうやらあの外殻は思ったよりも耐火性が高く頑丈なようだが――――――メタルジェットは防げなかったようだ。

 

 焦げ目がついている部位のほぼ中心には、銃弾が通過できそうな程度の大きさの穴が開いている。今しがたぶっ放した対戦車榴弾と比べればあまりにも小さな風穴だが、ロケットランチャーの対戦車榴弾ならばシーヒドラに有効だという事の証明である。

 

 すると、今度は側面からシーヒドラの胸元に、燃え盛る炎の礫が飛び込んだ。弾速は銃弾よりも若干遅く、火花すら散らさずに着弾すると同時に燃え尽きてしまったが、俺はそれが本命の攻撃ではないという事をすぐに理解した。

 

 それはあくまで、次の攻撃を確実に命中させるための予兆。後続の砲弾を誘う水先案内人でしかないのだから。

 

 直後、俺から見てシーヒドラの反対側にいたナタリアが担いでいた得物が火を噴いた。肩に担いでいた筒状の得物の前後から炎が噴き出し、それから飛び出した炎の塊が、先ほど炎の礫が命中した箇所へと飛び込んでいく。

 

 先ほどの礫は、彼女のカールグスタフM4に搭載された照準用のスポット・ライフルによる射撃だったのだ。燃え盛る曳光弾を発射し、それを照準代わりにするスポット・ライフルは全く攻撃力がないが、本命の攻撃を発射する前にあらかじめ弾道を確認する事ができるため、一般的な照準器よりも命中精度を高める事が出来るという利点がある。

 

 近年では廃れ始めている一昔前の装備だが、こちらの方が訓練しやすいだろう。それにコストも低い。

 

 彼女が放った対戦車榴弾も、シーヒドラの胸元へと喰らい付いた。俺のRPG-7V2よりも弾速の速い砲弾が激突し、シーヒドラの胸板貫くメタルジェットの槍をを爆炎と黒煙で覆ってしまう。

 

「ステラ、畳みかけろッ!」

 

「了解(ダー)」

 

 次の対戦車榴弾をアンチマテリアルライフルの下のロケットランチャーに装填しつつ、爆炎の向こうでガトリング砲を準備しているステラに向かって叫んだ。

 

 ステラの持つガトリング機関砲は、ロシア製のGSh-6-30と呼ばれる大型のガトリング砲である。歩兵が持って運用するためのものではなく、戦闘機の機銃や駆逐艦や空母の対空砲として使うために設計されたものだ。それゆえに口径は大きく、連射速度も速い。

 

 凄まじい重さのガトリング砲を構えたステラは、表情を全く変えずに砲口をシーヒドラへと向けると、無表情のまま淡々と30mm弾の追い討ちを始めた。きゅる、と太い砲身がドリルのように回転を始め、その砲身から猛烈なマズルフラッシュが迸る。

 

 あらゆる連射火器を凌駕する速度で吐き出される砲弾と大きな薬莢。シーヒドラに次々に着弾したその砲弾たちは、外殻に弾かれているようだったが、全く通用していないというわけではないらしい。

 

 立て続けに着弾した箇所の外殻に、亀裂が入っている。

 

 ――――――このまま攻め続けられれば勝てるだろうが………弾薬は足りるだろうか。

 

 ロケットランチャーとガトリング砲の砲撃は有効だ。しかし、どちらも能力によって支給される弾薬の数が少ないため、すぐに撃ち尽くしてしまう事だろう。

 

 途中でこっちの攻撃が止まれば、シーヒドラが反撃してくるに違いない。

 

 もし仕留めきれなければ、一旦さっきの通路まで撤退し、装備をもう一度整えてから再挑戦した方が良いかもしれない。

 

 攻撃が通用することを知って高揚する自分を現実で冷却しながら、俺はそう考えていた。

 

 



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シーヒドラ

 

 ひとまずは、俺たちの攻撃が通用することを知って安心した。

 

 12.7mm弾は弾かれるため、早々から虎の子の対戦車榴弾を投入する羽目になっているが、切り札である対戦車榴弾はちゃんと通用しているため、仲間たちと訓練したこともない大型の重火器を投入する羽目にならなくて済んでいる。

 

 しかし――――――ステラのガトリング砲が大型の薬莢を吐き出し、ナタリアのカールグスタフM4が火を噴く度に、俺の中に生まれた焦りは徐々に膨れ上がっていった。

 

 こちらの攻撃は通用する。対戦車用に開発された大型のものばかりだが、それらならば外殻を貫いてダメージを耐えられる。その事実が勝機であり、希望でもある。

 

 しかし、そのような重火器に限って弾数が少ないのだ。

 

 既に俺も動き回りつつ対戦車榴弾を3発使用しているため、虎の子の対戦車榴弾の弾数は残り3発。ナタリアは先ほどから何度も使用しているため、そろそろ対戦車榴弾が底をつく筈だ。

 

 ステラのガトリング砲はいつまで続くのかと思いつつ彼女の方を振り返ろうとした瞬間、いきなりぴたりと勇ましい轟音のうちの1つが消失する。

 

「――――!」

 

 立て続けに響き続けていた、最も勇ましい轟音。戦闘機や空母に搭載されるサイズのガトリング砲の咆哮である。対戦車榴弾ほどの破壊力はないとはいえ、大口径の砲弾を凄まじい速度で連射するその代物は、間違いなく切り札の1つだ。

 

 その切り札の1つが、沈黙したのだ。

 

 焦燥に貫かれ、冷や汗が流れ落ちる。早くもシーヒドラに対する決定打の1つが弾薬を使い果たし、沈黙してしまったというのか。

 

 振り返ってみると、確かにステラが持つGSh-6-30のマズルフラッシュは消え失せていた。灼熱の砲弾の連射に耐え続けて真っ赤になった砲身は、まるで睡魔に誘われて眠る子供のようにゆっくりと冷め始めており、回転する速度も緩やかになりつつある。

 

 背負っていた弾薬タンクを投げ捨て、ガトリング砲から手を離すステラ。まだ冷めきっていなかった砲身が海水の張られた床に落下し、水の沸騰する音と水蒸気を生み出す。

 

「タクヤ、ガトリングは弾切れです。グラシャラボラスで応戦します」

 

「了解、無茶すんな!」

 

 くそったれ、早くも30mm弾が底を突くとは………!

 

 ガトリング機関砲を手放し、砲弾と銃弾が突き抜ける闘技場の真っ只中で、ステラが今度は巨大な鉄球を召喚する。封印されていた彼女が最初から手にしていた、サキュバスたちの技術によって造られた巨大な鉄球。無数のドリルのようなスパイクとケーブルに表面を覆われたそれは、中世ヨーロッパを思わせる異世界で造られたとは思えないほど先進的な外見をしている。

 

 だが、前世の世界であらゆる機械を目にして来た俺からすれば、先進的というよりも〝荒々しい”得物に見えてしまう。

 

 鮮血を凍結させたかのように紅い鎖の群れを引き、ステラがその鉄球をシーヒドラへと向けて振り下ろす。

 

 シーヒドラの大きさは全高15mほどだろう。そんな巨大な怪物へと向かって振り下ろされたのは、直径2m程度の金属の塊に過ぎない。いくら魔力を流し込んで強化し、全身をドリル型のスパイクに覆われているとはいえ、戦車の装甲を破壊することに優れた対戦車榴弾並みの破壊力を持っているとは思えなかった。

 

 ごん、と遠心力と重力の恩恵を受けた鉄球が、シーヒドラの胸元に叩き込まれる。先ほど俺の対戦車榴弾によるメタルジェットで穴があけられた部分だ。黒く焦げた外殻の表面をスパイクで削り、火花と外殻の破片をまき散らしていく。

 

 まるで線香花火みたいだ………。

 

『小賢しい………』

 

「……!」

 

 すると、彼女のガトリング砲がもう使えなくなったということに気付いたシーヒドラが―――――――前足を伸ばした。

 

 棘のようなものがいくつも生えた鋭角的な外殻ではなく、流線型の美しい外殻に覆われた剛腕が海水の中から持ち上げられたかと思うと、胸元に喰らい付いて火花を散らし続けているステラのグラシャラボラスを鷲掴みにする。

 

「ッ! ステラ、攻撃を止め―――――――」

 

 慌ててスコープから目を離し、ステラに今すぐ鉄球から手を離せと警告しようとしたが、もう既に彼女のグラシャラボラスはシーヒドラの巨大な前足に鷲掴みにされ―――――握りつぶされかけていた。

 

 ぎし、とスパイクが歪み、回転が止まる。表面を覆っているケーブルの被覆が潰れ、中に入っていた黄金の配線があらわになる。今度は鉄球の表面が軋み始め、ぼろぼろとスパイクが落下を始めていた。

 

 しかも、シーヒドラはその鉄球を鷲掴みにしたまま、前足を更に持ち上げた。まだ緩んでいた紅い鎖が張り詰め始め、それを右手の腕輪に装着していたステラの小さな身体が、天井へと吸い込まれ始める。

 

「す、ステラ!」

 

「………危険です」

 

 あのままでは、彼女が危険だ。いくらキメラを上回る筋力を持つサキュバスでも、エンシェントドラゴンと力比べをすれば敗北するのは火を見るよりも明らかである。それゆえに、あの状態から鉄球を引っ張り、自力で逃げ出すのは不可能だ。

 

 俺たちが助け出さなければ!

 

 OSV-96の銃口をシーヒドラの腕に向け、何度もトリガーを引く。しかし流線型の外殻に激突した大口径の銃弾は、外殻を貫通することなく、全てダークブルーの外殻によって弾かれてしまう。

 

 ならば、対戦車榴弾で吹っ飛ばしてやるか?

 

 そう思って左手を銃身の下にあるロケットランチャーのトリガーに近づけたその時だった。

 

 ―――――俺の目の前を、1発の銃弾が横切ったのだ。

 

 シーヒドラの外殻を何度も穿ち、奴が見下していた人類でも竜の外殻を貫く事が出来るのだと見せつけた対戦車榴弾に比べれば、あまりにも小さ過ぎる1発の弾丸に過ぎない。

 

 なぜならば、対戦車榴弾はその名の通り戦車の装甲を破壊し、メタルジェットで貫通して破壊するために造られた砲弾であるからだ。元々戦車を破壊するために設計された砲弾と、遠距離を狙撃するために造られた弾丸では孕む威圧感も全く違う。

 

 しかし、その銃弾は―――――俺の銃弾のように、弾かれることはなかった。

 

 メタルジェットが開けた外殻の穴へと、正確に飛び込んでいったのだから。

 

『―――――ぬぅッ!?』

 

 黒焦げになり、中心部に穴が穿たれたシーヒドラの胸板の穴。その穴へと正確に飛び込んでいった1発の銃弾はお構いなしに筋肉繊維を断ち切ると、人間や普通の魔物とは堅牢さと厚みが違う胸骨に遮られるまで、毛細血管や筋肉を蹂躙し続けた。

 

 ロケット弾よりも地味で威圧感もない、たった1発の銃弾。それに胸の穴を更に穿たれたシーヒドラが、呻き声を上げながら鉄球から手を離す。

 

「ステラッ!!」

 

 ライフルを投げ捨て、俺は鉄球と共に落下してくるステラの下へと向かって走り始めた。まるで浅瀬で走っているかのように足元の海水が絡み付いてくるが、その海水の束縛を踏み潰しながら突っ走る。

 

 そして思い切りジャンプし、落下してくるステラの小さな身体を空中で抱き抱えた俺は、ステラの代わりに海水が張られている床へと肩や背中を叩き付ける羽目になった。

 

 まるで海中に放り込まれた機雷のように水飛沫を上げ、俺とステラが一緒に落下する。鼻や口の中に飛び込んでくる海水の飛沫。たちまち口の中を支配した潮の味に顔をしかめながら、俺は胸板にしがみついているステラを先に立たせた。

 

「げほっ、げほっ、げほっ………だ、大丈夫か………?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 だが、彼女が身に着けている白いワンピースのような服は海水で濡れてしまっている。同じく海水で濡れてしまった銀髪を片手で払いながら、ステラは起き上がろうとしていた俺に手を伸ばしてくれた。

 

 彼女の小さな手を握り、「良かった」と微笑みながら言った俺は、先ほどの狙撃でメタルジェットの穴に正確に弾丸を叩き込んだ優秀な狙撃手の顔を思い浮かべる。

 

 カノンではないだろう。彼女は中距離ならば正確な狙撃ができるが、彼女の最大の売りは狙撃しながら早撃ちができるという点だ。カノンが得意とするのは、複数の敵を矢継ぎ早に撃ち抜く早業なのである。

 

 それに対して、俺の姉が得意とするのは遠距離から正確に敵を撃ち抜く狙撃だ。カノンと比べると地味かもしれないが、基本的にラウラは狙撃をあまり外さない。しかも、スコープを使わずに2km先の標的を撃ち抜く事もできるのだ。

 

 あんな狙撃ができるのは、このメンバーの中ではラウラしかいない。振り返ってみると、やはり黒いベレー帽をかぶった赤毛の少女が、フランス製アンチマテリアルライフルのヘカートⅡを構えつつ手を振っている姿が見えた。

 

 左手でボルトハンドルを引き、一般的なライフル弾よりも大きな空の薬莢を排出するラウラ。その薬莢が海水の中に落ちるよりも先に大きなマズルブレーキが装着された銃口を動かし、アイアンサイトを睨みつけた彼女が―――――容赦なくトリガーを引く。

 

 彼女のヘカートⅡは、左利きであるラウラのためにボルトハンドルなどの部品の配置を左右で逆にしてあるのだ。

 

 再び放たれる12.7mm弾。外殻を穿つ事はできないが、ラウラのような狙撃技術を持ち合わせている狙撃手ならば、十数cmほどの小さなターゲットでも撃ち抜くことは出来るだろう。

 

 幼少の頃から彼女と共に訓練を受け、魔物と戦い、場合によっては観測手(スポッター)を担当し、常に傍らで見守っていたから分かる。

 

 ――――――彼女の狙撃は、百発百中なのだと。

 

 黄金のマズルフラッシュを置き去りにし、ラウラの12.7mm弾が疾駆していく。先ほどメタルジェットの穴に弾丸を撃ち抜かれ、悶えるシーヒドラはラウラを睨みつけようと振り向く途中だったのだが、またしてもその巨体が、揺れた。

 

『グォォォォォォォォ!?』

 

『こ、この娘ッ………まさかッ!?』

 

『胸元の風穴を………!?』

 

 その通り。

 

 シーヒドラの野太い声を聞きながら、俺はにやりとしていた。

 

 2発目も、同じ穴へと飛び込んだのである。その一撃は筋肉繊維を破壊するようなことはなかったけれど、一足先に飛び込み、重厚な胸骨によって防がれていた1発目の後端を猛烈な運動エネルギーで後押ししたのだ。

 

 運動エネルギーが底を突き、〝死んでいた”12.7mm弾が再び胸骨へと牙を剥く。

 

 立て続けにボルトハンドルを引き、大型の薬莢を排出。そしてアイアンサイトを睨みつけてトリガーを引くラウラ。

 

 3発目の弾丸も同じようにシーヒドラの胸の穴へと飛び込み、1発目と2発目の弾丸を更に押し込む。まるで岩盤に杭を突き立て、その杭をハンマーで打ち据えて岩盤を削るかのように。

 

「す、すごい………」

 

 いつも無表情のステラが、十数cmしかない小さな穴を何度も正確に撃ち抜くラウラの狙撃技術を目の当たりにして感嘆する。

 

 ああ、ラウラは凄い。あいつは幼少の頃から遠距離の標的を撃ち抜くセンスを持ち合わせていたんだ。その彼女に狙撃を教え、才能を研磨したのがモリガンで狙撃手として活躍していたリキヤ・ハヤカワ。更にその研磨されたラウラの才能を仕上げ、本格的に開花させたのが幼少の頃から続けていた狩猟と、魔物との戦いなのだから。

 

 ラウラにとっては――――――2km先を飛んでいる小鳥を、スコープを使わずに撃ち落とすのは朝飯前なんだよ!

 

 俺のお姉ちゃんは、最強の狙撃手なんだからなぁ!

 

『小癪なぁ………ッ!』

 

 4発目の弾丸が撃ち込まれたシーヒドラが、ラウラを睨みつけつつジャンプした。サメのヒレを思わせる巨大な翼を広げ、円形の闘技場を思わせる足場の上から、足場の下を埋め尽くしている海水の中へとダイブしていく。

 

 まるで巨大な潜水艦が海底に潜航していくかのように、攪拌された海水が純白の泡で水面を彩る。獲物に逃げられたラウラは今のうちにボルトハンドルを引き、マガジンを交換する。

 

 ラウラの狙撃で痛手を与えたのはいいんだが、シーヒドラは逃げたのか………?

 

 いや、逃げるわけがない。あのエンシェントドラゴンが、下等生物だと見下している人間たちに痛手を負わされた程度で逃げ出すのはありえない。それは自分のプライドを自分で叩き潰しているのと同じなのだから。

 

 その時、俺はぞっとした。

 

 シーヒドラは深海に生息するエンシェントドラゴン。つまり真価を発揮するのは地上ではなく―――――海中である。

 

 海中へと飛び込んだのは逃げ出したのではなく、自分の真価を発揮するため。すなわち、本気を出すためなのではないのか?

 

 そう思った俺は、咄嗟にステラの小さな身体を再び抱き抱えてダッシュしていた。既にグラシャラボラスを解除していた彼女の身体はとても軽くて、潮の臭いの中でも甘い香りがする。

 

 すると――――――俺たちがラウラの狙撃を眺めていた純白の足場が、突然巨大な水柱と化した。純白の泡で覆われた海水と、その中から飛散する純白の足場の破片。その水柱の中を昇っていくのは、ダークブルーの外殻に全身を覆われ、サメのヒレのような巨大な翼を持つ怪物であった。

 

 こいつ、足場の床を突き破りやがった………!

 

 あれほど堅牢な外殻で覆われているのならば足場を突き破ることは出来るだろう。足場も堅牢とはいえ、これはあくまで純白の石畳でしかないのだから。

 

 足場を突き破ったシーヒドラが、外殻の表面を海水で濡らしながら再び足場の上に舞い降りる。猛烈な水飛沫が噴き上がる彼方には、俺たちを睨みつける5つの顔が鎮座している。

 

 拙いな………。

 

 今まで俺たちは、あらゆる強敵と戦ってきた。転生者とも戦ったし、ヴィルヘルムの亡霊も退けている。

 

 だが、その強敵たちはあくまで〝俺たちと同じ条件の敵”でしかなかった。再生能力を持っている強敵もいたが、彼らも俺たちと同じく〝地面の上に立つ”敵ばかりだったのだ。

 

 しかし、このシーヒドラはそれだけではない。深海の水圧に耐えきれるほどの外殻を持ち、海中からも襲ってくるのだから。

 

 地上だけでなく、海中にも注意しなければならないのだ。

 

 海水の上に浮遊するこの闘技場は、シーヒドラを打ち倒すための闘技場などではない。ここはシーヒドラにとって―――――ただの狩場でしかないのかもしれない。

 

 手持ちの対戦車榴弾も少ない。いくらラウラの狙撃があるとはいえ、胸骨を砕いたところでシーヒドラはくたばらないだろう。このまま戦い続けるのは無謀だ。一旦撤退して、作戦を立てつつ新しい武器を用意しなければならない。

 

「―――――総員、撤退だ。さっきの通路まで撤退する!」

 

『撤退!? 逃げるの!?』

 

「手持ちの対戦車榴弾も少ない。それに、作戦も立てなければ」

 

 怪物とは、人間では絶対に勝てないから怪物なのだ。

 

 ああ、こいつも怪物だ。現代兵器を活用しても苦戦するのだから。

 

 しかし、こいつを何としても打ち倒さなければならない。乗り越えなければならない。

 

「ステラ、俺が殿を担当する。みんなと一緒に通路まで戻れ」

 

「嫌です」

 

「おい、ステラ―――――」

 

 首を横に振った彼女は、腰の後ろに下げていた自分のRPK-12を取り出した。小さな手でハンドガードに付着していた海水を拭い去り、俺の顔を見上げる。

 

「1人で殿を担当するのは、危険過ぎます」

 

「大丈夫だ、あいつを引きつけるだけだからな」

 

「いえ、大丈夫ではありません。………ステラは、タクヤが心配なのです」

 

「ステラ……………?」

 

 目の周りに付着した海水と別の滴を拭い去り、ステラが俺の手をぎゅっと掴む。

 

「タクヤはステラを受け入れてくれました。それに、いつもステラにご飯をくれる優しい人です。……だから、ステラはタクヤに死んでほしくありません。ずっと一緒にいて欲しいのです。………お願いです、タクヤ。ステラも一緒に戦わせてください。ステラもタクヤを守りたいのです」

 

「………はははっ、そうか」

 

 この子は、優しい子だ。

 

 ずっと1人で眠り続け、同族が全て滅んでしまった絶望的な世界に取り残されても、彼女の中には優しさが残っている。

 

 海水で濡れてしまったステラの銀髪を撫でた俺は、微笑みながらステラを見下ろした。

 

「よし、一緒に戦おう。ただしステラ、俺もお前に死んでほしくない。………いいな?」

 

「はい」

 

「よし、射撃開始! ナタリア、カノンとラウラを連れて通路に戻れ! 俺たちはもう一頑張りさせてもらうッ!」

 

『了解!』

 

 彼女の返事が聞こえてきた直後、後方から飛来した緋色の礫が、またしてもシーヒドラの外殻へと飛び込んだ。かつん、と小さな歩とを立てて弾かれてしまった礫だが、数秒後にその礫が命中した箇所へと飛び込んできたのは、シーヒドラの外殻さえも貫通するメタルジェットを携えた対戦車榴弾であった。

 

 正面から見て右から2本目の首の付け根に飛び込んだその一撃が、メタルジェットで外殻に穴を開ける。緋色の火柱に右側の首が飲み込まれ、外殻の表面を覆っていた海水が蒸発する。

 

『最後の1発よ!』

 

「ナイス!」

 

 シーヒドラがよろめいている隙に、俺は再びダッシュした。先ほどステラを助けるために投げ捨てたOSV-96を海水の中から拾い上げ、表面に付着している海水を素早く拭い去る。海水の中にあったのは1分未満だから、ある程度海水を拭き取れば発砲できるだろう。

 

 海水を拭いながら走り、立て続けに12.7mm弾をぶっ放す。相変わらずシーヒドラの外殻に弾かれてしまうが、あくまで仲間たちが通路まで戻る間囮になっていればいい。

 

「おい、シーヒドラ! 随分と立派な外殻が穴だらけになっちまったな! 俺が縫い直してやろうか!? 裁縫は得意分野の1つなんだぜ!?」

 

『調子に乗るなよ………下等生物がぁッ!!』

 

 一番左側にあった首が激昂した。LMGで反撃を始めたステラではなく俺を睨みつけ、巨大な口を開く。

 

 無数の鋭い牙が生えている口の前に、水色の魔法陣がいきなり浮かび上がる。エンシェントドラゴンの放つ炎や水は、他のドラゴンの攻撃とは発射する原理が違うし、威力も桁外れなのだ。

 

 普通のドラゴンたちは自分たちの体質を利用し、そのまま炎を吐き出す。しかしエンシェントドラゴンは、更にその炎や水を魔力で10倍程度に増幅してから攻撃するため、攻撃範囲や破壊力は劇的に上がるのである。

 

 水を司るシーヒドラが吐き出すのは当然ながら水だ。そんな攻撃を喰らえば、俺の体内の魔力は一瞬で暴発し、俺の肉体は木端微塵になってしまうだろう。

 

 だから回避するべきなのだが………俺はにやりと笑った。

 

「ステラぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「了解(ダー)」

 

 いつの間にか、俺の背後にグレネードランチャー付きのRPK-12を装備したステラが立っていた。シーヒドラとの戦いでは未だにRPK-12を使用していなかったため、弾薬は全て温存されたままである。

 

 彼女の小さな手が、銃身の下に搭載されているポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドへと伸びた。

 

 側面に折り畳まれていたグレネードランチャー用の照準器を覗き込み、その照準をシーヒドラの口の中へと合わせるステラ。いくら強靭な外殻に覆われているシーヒドラでも、口の中には牙が並んでいるのみ。拳銃用の弾丸でも風穴を開けることは出来るだろう。

 

 俺も同じく、アンチマテリアルライフルに取り付けてあるRPG-7V2の照準器を覗き込み、カーソルを口の中へと合わせる。

 

「こりゃ裁縫じゃなくて溶接だな」

 

「いいじゃないですか」

 

「ああ」

 

 こっちの方が殺傷力がある。

 

「「――――――発射(アゴーニ)ッ!!」」

 

 2人で同時に、得物のトリガーを引いた。

 

 ロシア製のロケットランチャーから虎の子の対戦車榴弾が飛び出し、ポーランド製のグレネードランチャーから40mmグレネード弾が放たれる。

 

 煙を放ちながら槍のように飛来するロケット弾と、そのロケット弾の傍らを飛ぶグレネード弾を目にしたシーヒドラが目を見開き、慌てて口を閉じようとするが――――――巨大な口が閉ざされるよりも先に、その2つの矛は巨大な口の中へと飛び込んでいた。

 

 その直後、シーヒドラの口の中に並んでいた牙の群れが一気に吹き飛んだ。歯茎もろとも吹き飛ばされた牙たちの後ろから噴き上がったのは、戦車を破壊するために開発された対戦車榴弾の爆風と、グレネードランチャーの荒々しい爆風だ。

 

『ギャァァァァァァァァァァァッ!?』

 

「よし、逃げよう」

 

「了解(ダー)」

 

 今のうちに通路へと撤退しよう。あいつが体勢を立て直したら、絶対に激昂して襲い掛かって来るだろうからな。

 

 アンチマテリアルライフルを肩に担いだ俺は、ステラに向かってにやりと笑うと、彼女と共に通路へと向けて走り出した。

 

 

 

 



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タクヤたちがもう一度攻撃を仕掛けるとこうなる

 

 潮の匂いにも慣れてしまったせいなのか、もう懐かしさを感じる海の香りはしなくなっていた。海水でずぶ濡れになったズボンを払いながら壁に寄りかかり、隣でヘカートⅡの点検をしているラウラに非常食の干し肉を3枚ほど渡してから俺も海水まみれになってしまったOSV-96を点検する。

 

 勝機はあるのだが、勝利までこぎつけるまでに必要な作戦とカードが必要だ。12.7mm弾であの外殻は貫通できないものの、対戦車榴弾をはじめとする形成炸薬(HEAT)弾は通用する。それにあの巨体ならば、戦車を吹き飛ばすほどの破壊力を持つ対戦車地雷も通用する事だろう。

 

 しかし、どちらも前世の世界で主流だった主力戦車(MBT)には非常に有効だ。だが………今回の相手は戦車よりも巨大で、しかも潜水艦のように潜航する事ができる。地上での戦いだけを考えると痛い目を見るのは想像に難くない。

 

 ならばどうやって倒すべきか。どの兵器と作戦が切り札となり得るのか。

 

「まず、通用する兵器なんだが、あの外殻の貫通を目指すなら対戦車榴弾しかない。形成炸薬(HEAT)弾のメタルジェットなら貫通できるし、ラウラならその穴に更に12.7mm弾を放り込めるからな」

 

「ふにゅっ。お姉ちゃん頑張ったよ♪」

 

 胸を張りながらにっこりと笑うラウラ。俺も笑いながら彼女の頭を撫でると、緊張が少しだけ溶けだしたのが分かった。

 

「ですが、30mm弾は貫通できませんでした」

 

「ああ。だが有効じゃないというわけでもないな。………だが、次は爆発物を中心に使って行こう」

 

「爆発物というと、対戦車手榴弾とか?」

 

「そうだな。次は普通の手榴弾の代わりにRKG-3を支給しておく。………だが、もっと強烈な一撃を叩き込める得物もあるぜ」

 

 目を見開きながら一斉に俺を見てきた仲間たちを見渡しつつ、俺はメニュー画面を開く。

 

 ロケットランチャーの一撃よりも更に重い一撃を叩き込める代物は確かにあるが、少人数で使うにはリスクが大きい上に使い勝手が悪いため、最初の攻撃で使うわけにはいかなかったんだ。しかもおそらく、これを使いこなせるメンバーはカノンくらいしかいないだろう。

 

 中距離狙撃以外にも彼女が持ち合わせているもう一つの特技を生かさなければ、こいつは使いこなせないのだから。

 

 メニュー画面に表示された画像には、まるで長いロケットランチャーの下部に三脚を取り付け、照準器とスポット・ライフルを装着したような外見の巨大な砲身だった。

 

「何これ? ロケットランチャー?」

 

「無反動砲だよ」

 

 俺が画像に表示させたのは、アメリカ製無反動砲のM40だった。ナタリアに渡したカールグスタフM4の84mm弾よりも巨大な105mm弾を使用する大型無反動砲で、砲弾のサイズは戦車砲並みである。

 

 彼女に渡したカールグスタフM4と同じくスポット・ライフルを装備しているため、発射する前にスポット・ライフルで照準を合わせることで命中率を劇的に向上させることが可能だ。こいつで対戦車榴弾をぶっ放せば、先ほどのロケットランチャーよりも大きなダメージを与える事が出来るだろう。

 

 ただし、こいつは非常に重くて巨大な代物であるため、三脚を使うかジープなどに搭載しなければ使う事は難しい。人間を上回る身体能力を持つキメラやサキュバスならロケットランチャーのように担いで使う事もできそうだが、やはりちゃんと三脚を使った方が、命中率も上がる事だろう。強力な敵が相手なのだから、確実に命中させなければならない。

 

「砲弾のサイズは105mm。さっきまで使ってた対戦車榴弾とは桁が違う」

 

「すごい………! ねえ、これならシーヒドラを倒せるんじゃない!?」

 

「ああ。………カノン、砲手を頼めるか?」

 

「ええ、お任せくださいな」

 

 カノンは、中距離からの狙撃だけでなく、迫撃砲やこのような大型無反動砲の砲撃訓練も受けている。やはり砲撃の分野も母親であるカレンさんの得意分野であったらしく、モリガンの傭兵として戦っていた頃のカレンさんは戦車で砲手を担当していたらしい。

 

 一緒に戦った親父や母さんが言っていたんだが、カレンさんに砲撃を任せると百発百中は当たり前だったらしく、しかも1発の砲弾で転生者の乗る戦車を一気に2両も仕留めた事があるという。

 

 カレンさんからその技術を教え込まれたカノンならば、この無反動砲も使いこなしてくれる筈だ。

 

「訓練でこいつを使った事は?」

 

「5回しかありませんわね。ですが、使い方はちゃんと覚えてますわよ」

 

「よし、頼む。あのドラゴンを仕留めてくれ」

 

「ええ」

 

 エンシェントドラゴンを仕留めるための槍は、彼女に託した。

 

「ステラはカノンのサポートと装填手を頼む」

 

「ふにゅ、了解!」

 

「ええ、分かったわ」

 

 作戦は俺とラウラとナタリアの3人がシーヒドラを攪乱し、その隙にカノンとステラがあの広間の外周からM40で砲撃することになる。シーヒドラの外殻でも、さすがに戦車砲並みのサイズを持つ105mm対戦車榴弾を防ぎ切ることは出来ないだろう。

 

 こいつの砲弾が、ドラゴンを殺す槍となる。

 

 無反動砲を生産し、外周に辿り着くまでそのままにしておく。それ以外にも俺たちの分の装備を用意しておかなければ。

 

「ステラさん、装填手はお任せしますわね」

 

「了解(ダー)。カノンは心置きなく砲撃してください」

 

「さて、2人は私たちが守り切らないとね」

 

「ああ。………ところで、みんな」

 

 シーヒドラを撃破できる兵器を使った作戦を思い付き、士気を高めることはできた。だが、仲間たちの目的はいつの間にか変わってしまっているのではないだろうか?

 

 危うく自分も目的を変えてしまうところだったということに気付いた俺は、にやりと笑いながら仲間たちに言った。

 

「――――――俺たちの目的は、天秤の鍵を手に入れる事だ。シーヒドラを倒すことじゃない」

 

「えっ?」

 

「ふにゅ?」

 

 鍵を手に入れるために、俺たちは潜水艇の訓練を繰り返してこの海底神殿までやってきたんだ。シーヒドラを倒すのではなく、鍵を手に入れなければならない。

 

 鍵が保管されているのは広間の奥にある扉の向こうだ。厚さは不明だが、C4爆弾を使えば吹き飛ばしてしまえそうな扉だった。だからシーヒドラを倒すのではなく、破壊工作を担当するメンバーにC4爆弾を持たせて扉を爆破し、俺たちがシーヒドラの相手をしているうちに鍵を回収させ、仲間たちと仲良く逃げてしまえば、シーヒドラを撃破することは出来なくても俺たちにとっては大勝利なのだ。

 

 自分が考えた作戦を台無しにしかねない作戦だが――――――裏を返せば、これは逆にシーヒドラを仕留める作戦にもなり得る。

 

 メニュー画面で色々と武器を生産した俺は、蒼白い光の中でにやりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水を司るエンシェントドラゴンは、広間の中心に再び巨大な水の球体を召喚し、浮遊するその球体の中で休息しているようだった。だが、すぐに俺たちが広間の中に突入してきたことを感知したらしく、水の塊の中で5つの巨大な頭が同時に動き出す。

 

 最初に睨みつけられた時は、猛烈な威圧感のせいで慄いていた。いくらキメラでも、この〝純粋な怪物”には打ち勝つことは出来ないと。人間が打ち勝つ事が出来ないから怪物と呼ばれるのだと、俺は思い知らされていた。

 

 でも、もうそんな事は思わない。怪物を打ち倒したいのならば、俺たちも怪物になればいい。そう、現代兵器という怪物を使って、怪物を打ち倒せばいい。

 

「よう、シーヒドラ」

 

『………ふん、逃げたのではなかったのか?』

 

『貴様らの武器には驚いた。だが……それでも我らには勝てぬぞ』

 

『逃げるならば今のうちだ。拒否するのならば、貴様らを海の藻屑にしてやろう』

 

 海の藻屑? お断りだね。

 

 俺は今度こそ、爺さんになるまで生きるんだ。大切な人と結婚して、子供をちゃんと育てて、親父や母さんたちを孫と合わせてから子供たちを見届けて死ぬ。それ以前に死ぬつもりはないし、家族を死なせるつもりもない。

 

 死にに来たわけじゃねえんだよ――――――!

 

 シーヒドラには言い返さず、俺は今回のメインアームを背中から取り出した。

 

 四角いバレルジャケットに覆われた銃身と、左側面に取り付けられたドラムマガジンを持つその長い銃は、かつて第二次世界大戦の際にドイツ軍で採用されていた、MG42と呼ばれる強力なLMG(ライトマシンガン)である。

 

 当時のドイツ軍で採用されていたボルトアクションライフルのKar98Kと同じく7.92mm弾を超高速で連射することのできる優秀なLMGで、『電動ノコギリ』という別名も持っている。

 

 12.7mm弾まで弾いてしまうシーヒドラを相手にするには非力な得物かもしれないが、あくまで俺たちの目的はこの怪物の攪乱だ。これくらいの連射速度とある程度の破壊力を持ち合わせている得物ならば、攪乱することは出来るだろう。

 

 サイドアームは作ったばかりの2丁のソードオフ・ショットガンである。

 

 ラウラの得物は先ほどと変わらず、メインアームがヘカートⅡとなっている。サイドアームは相変わらずライフルグレネードが使用できるようにカスタマイズしたグローザだ。

 

 ナタリアの装備は先ほどから変わらない。もう1つ生産したカールグスタフM4を使って、シーヒドラにどんどん対戦車榴弾を撃ちこんでもらう予定だ。

 

 それと、俺たちの持つ手榴弾は全て普通の手榴弾から対戦車手榴弾のRKG-3に変更してある。戦車を破壊するために開発された、ソ連製の対戦車手榴弾だ。こいつを叩き込めばシーヒドラにも通用するだろうし、対戦車榴弾の節約にもなるだろう。

 

 それに他にもシーヒドラ用の装備を用意してきた。

 

 さあ………こいつを倒そう。

 

「―――――コンタクトッ!」

 

 指示を出すと同時に、俺は走りながらMG42のトリガーを引いた。少しでも貫通力を高めるために、装填している弾薬の炸薬の量を増やして強装弾にし、更に装甲を貫通するための徹甲(AP)弾に変更している。これでもシーヒドラの外殻を貫通することは難しいだろうが、ナタリアの無反動砲や対戦車手榴弾で耐久力の落ちた外殻ならば、運が良ければ貫通してくれるかもしれない。

 

 トリガーを引くと、猛烈なマズルフラッシュが大きな銃口から迸った。アサルトライフルよりも口径の大きな7.92mm弾が次々にマズルフラッシュの光を突き破り、水の球体から姿を現したシーヒドラへと激突する。

 

 やはり貫通することは出来ず、次々に弾丸は弾かれてしまうが―――――その7.62mm弾の群れの中に、銃弾よりもやけに大きな2発の砲弾が紛れ込んでいた事を、シーヒドラは見抜く事が出来なかったらしい。

 

 銃弾の激流と共に外殻に叩き付けられたその2発の砲弾が爆発し、シーヒドラの首の付け根を炎で包み込む。対戦車榴弾よりも口径が小さいため効果は薄いかもしれないと思ったが、その2発分の衝撃でシーヒドラの首がぐらりと揺れる。

 

『ぬ………!?』

 

 ラウラがグローザから放った、2発のライフルグレネードだ。

 

 続けざまに俺はトリガーを引き、再びダッシュしながら銃弾の連射を再開する。徹甲弾の群れを弾きながら俺たちを睨みつけ、5つの頭が全て同時に口を開く。

 

 瞬く間に口の前に5つの蒼い魔法陣が出現し、複雑な記号や古代文字を投影しながら肥大化していく。水の激流をあそこから吐き出し、一斉砲撃で俺たちを殲滅するつもりなんだろう。

 

 炎や水を吐き出す原理が普通のドラゴンとは異なるエンシェントドラゴンたちの攻撃は、どれもドラゴンよりも強力だ。どんな強力な防壁を魔術で召喚しても、防ぎ切ることは難しいと言われている。それゆえにエンシェントドラゴンの討伐に成功した冒険者はほとんどおらず、エンシェントドラゴンは国によっては守り神として崇められているのだ。

 

 苦手な水属性の攻撃が来ると悟った瞬間、俺はぞくりとした。あんな攻撃を喰らったら木端微塵になってしまう。外殻を使って防いだとしても、炎属性の魔力が苦手とする水属性の攻撃を喰らった時点で暴発してしまうため、俺の身体は粉々になってしまうに違いない。

 

 だからこそ、喰らうわけにはいかない。

 

 それに、恐れるわけにはいかない。

 

 ラウラにとっては俺は弟だ。

 

 それに―――――ナタリアにとって、俺はヒーローらしいからな。

 

 逃げ出すヒーローってカッコ悪いだろ?

 

 再び俺の銃弾の中に、緋色の礫が紛れ込む。7.92mm弾の激流と共にシーヒドラの外殻にぶつかったそれは、続けて放たれる獰猛な一撃の予兆。戦車の装甲を貫くという宣告に等しい。

 

 やはり、その緋色の礫とほぼ同じ軌道を、炎を纏った1発の砲弾が疾駆した。俺の頭上を通過して行ったその1発の砲弾は、一足先に放たれたスポット・ライフルの曳光弾と同じように外殻に喰らい付くと、シーヒドラのダークブルーの外殻を緋色の爆炎で彩った。

 

 だが、華やかなその爆炎が外殻を破壊するのではない。その爆炎の中で生まれたメタルジェットの槍が、外殻を貫くのだ。

 

『うぐぅっ!?』

 

 シーヒドラの魔法陣が消失し、巨体がまたしても揺れる。

 

 バレルジャケットの中から覗く銃身が早くも真っ赤になっていることに気付いた俺は、舌打ちをしてからバレルジャケットの側面を解放し、真っ赤になった銃身を排出した。足元に張られている海水の絨毯へと落下した銃身が海水を沸騰させる。

 

 予備の銃身を差し込んでハッチを閉じ、ついでにドラムマガジンも取り外す。新しいドラムマガジンを装着してベルトを上部ハッチの中に差し込み、コッキングレバーを引いて再装填(リロード)する。そして再び照準器を覗き込もうと思ったが――――――予想以上にシーヒドラに接近できていることに気付いた俺は、にやりと笑いつつMG42を背中に背負うと、ポケットからC4爆弾を2つ取り出し、そのまま前へと突っ走った。

 

 接近してくる俺を真っ先に叩きのめそうとしたのか、シーヒドラが巨大な前足を振り上げた。ステラの鉄球を握りつぶしてしまうほどのパワーを持つあの前足を叩き付けられたら、すぐに肉片の塩漬けにされてしまうに違いない。

 

 速度を上げてシーヒドラの懐に潜り込み、その振り下ろされてきた足を置き去りにして回避する。背中に海水の飛沫を浴びながらも疾走し、シーヒドラの巨大な後脚の傍らを通過した俺は、続けて振り払われたクジラの尻尾を思わせる巨大なシーヒドラの尻尾をジャンプして躱すと―――――踵を返してシーヒドラには向かわずに、そのまま奥にある扉へと向かって走り続けた。

 

『―――――なっ、何ッ!?』

 

『この下等生物が! 貴様、このシーヒドラを無視して宝を狙っておったのか!』

 

『許さん………! 古代の人々が遺した宝物は、貴様らには渡さぬぞッ!』

 

「ぎゃははははははっ!」

 

 引っかかりやがったな! このC4爆弾はシーヒドラの外殻を破壊するためじゃなくて、あの扉を吹っ飛ばすために用意したんだよ!

 

 高笑いしながら走り続ける俺の背後で、シーヒドラが激昂しつつこっちを振り返る。あいつの目的はここの宝を守り抜く事だから、宝物のある部屋へと向かう奴がいれば真っ先にそいつを狙ってくる事だろう。

 

 案の定、シーヒドラはラウラとナタリアを無視して俺を狙う事に決めたらしい。5つの首が同時に俺を睨みつけ、巨体が俺に向かって全力疾走してくる。

 

 まるで軍艦が突っ込んで来るかのような威圧感だった。戦車並みの防御力を持ち、戦車以上の攻撃力を持つ15mの怪物。そいつが俺だけを狙い、背後から突進してくるのだ。

 

 更に走る速度を上げるが――――――振り切れない。このままでは追いつかれ、踏み潰されてしまう。

 

 そんなグロテスクな死に方は嫌だ―――――。

 

 だが――――――全力疾走しながら、俺は嗤っていた。

 

 俺がピンチになったのではない。この怪物が、逆に狩場へとやって来てくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 親父から銃の扱い方の訓練を受けた幼少期の俺とラウラは、やがて親父と一緒に銃を持って狩りに行くようになった。ボルトアクション式の銃を渡され、森で動物を狙っていたんだが、段々とラウラと比べて俺はあまり獲物を仕留められなくなった時期があったんだ。

 

 いつもラウラに先に獲物を仕留められ、俺はなかなか仕留められない。俺は狩りに向いてないのかなと思っていると、親父は俺にアドバイスをくれたんだ。

 

『タクヤ、狙って仕留められないのなら、裏をかけ。仕留めようと意識しているから逆に仕留められないんだ』

 

 仕留めるためには意識しなければならないのに、意識するなという事なんだろうか? それで仕留められるようになるのか?

 

『仕留めようとすれば相手は警戒する。だから仕留めようとはせずに、黙って無視するんだ。そして、相手が警戒心を緩め始めた瞬間を狙って――――――』

 

 ――――――仕留めろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父の教えは、狩りではなく実戦でも役に立った。

 

 しかも、今から仕留めようとしているのは森の動物ではない。討伐した者が殆どいないと言われている、エンシェントドラゴンのうちの1体なのだから。

 

 そう、仕留めようと意識するから仕留められない。

 

 だから狙いはその獲物ではないのだと思わせ――――――警戒心を緩めた瞬間に、狩る。

 

 引っかかりやがったな、シーヒドラめ。

 

「カノン」

 

『ええ、お任せくださいな』

 

 走りながら、ちらりと後ろを振り向く。

 

 この広間の入口に残してきたカノンとステラ。あの2人に託した105mmの巨大な無反動砲の砲口が、シーヒドラの背中へと向けられている。

 

 それの砲手を担当するのは、百発百中の砲手としてモリガンで大活躍したカレン・ディーア・レ・ドルレアンの娘のカノンである。

 

 かつん、とシーヒドラの背中にスポット・ライフルの緋色の弾丸が喰らい付く。ナタリアのカールグスタフM4と同じく、これから更に強力な一撃でその外殻を貫くという獰猛な宣告。

 

 シーヒドラは、宝物を狙う俺を仕留めるために俺だけを狙っている。つまり、他の仲間たちは全く狙っておらず、警戒すらしていないという事。

 

 だからこそ対策も立てられないし、回避もできない。無防備な状態で攻撃を喰らうしかない。

 

「―――――やれ、カノン」

 

 その直後、広間の入口で炎が噴き上がった。

 

 シーヒドラの砲口を上回る轟音を響かせ、炎と衝撃波で足元の海水を波立たせた無反動砲の一撃は――――――警戒心を緩めてしまった獲物(シーヒドラ)の背中へと、喰らい付いた。

 

 

 

 

 



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シーヒドラとの激闘

 

 M40無反動砲から放たれた105mm弾は、先ほどまで俺たちが撃ち続けていた対戦車榴弾とは訳が違う。ロケットランチャーのように簡単には持ち運べず、ジープなどの車両に搭載するか、三脚を使って砲台のように固定して撃たなければならないという事は、それほど巨大で強力な砲弾を使用するという事であり、威力も桁が違うという事になる。

 

 スポット・ライフルの命中によって着弾が確定した105mm対戦車榴弾は、ロケットランチャーや普通の無反動砲を遥かに上回る猛烈なバックブラストで海水を噴き上げ、長い砲身から業火と共に躍り出た。

 

 幼少の頃から何度も狩りを経験した。だが、今の俺は狩人(ハンター)ではない。獲物を狩るための銃は優秀な射手(カノン)に託している。だから今の俺は狩人(ハンター)ではなく、狩りを手助けする猟犬(ハウンド)でしかない。

 

 シーヒドラを無視し、宝物を狙うと見せかけた俺の作戦に、シーヒドラはまんまと引っかかった。C4爆弾がどのような武器なのかは分からない筈だが、どうやら俺が宝物が保管されている部屋の扉に向かったことで、俺が何かしらの武器で扉を破壊するつもりだと判断してくれたらしい。

 

 そうやって見せかけることにより生じた危機感が、シーヒドラの矛先を俺へと誘った。

 

 全ての首が俺だけを睨みつけ、ラウラとナタリアを無視してこっちを狙ってきたシーヒドラ。俺だけを狙っていたため、ナタリアとラウラどころか、一番最初から広間の入口で無反動砲の狙いを定めていたカノンとステラにすら気付いていなかったシーヒドラは、背後から放たれた照準用のスポット・ライフルを避ける事が出来ず、無反動砲が命中するという保証を2人に明け渡す羽目になった。

 

 潮の香りの中に火薬の臭いを生じさせつつ飛来した対戦車榴弾が、炸薬が生み出した爆炎の残滓を纏ったままシーヒドラの背中に喰らい付く。着弾した部位は、中央の首の付け根の部分だ。人間で例えるならばうなじの部分だろうか。

 

 ナタリアの84mm対戦車榴弾の時点で、メタルジェットによるダメージを与えられるという事は分かっている。それよりもサイズの大きな砲弾が着弾すればどうなるのかは、火を見るよりも明らかだ。

 

 外殻の破片をまき散らしながら、うなじから火柱が噴き上がる。ダークブルーの美しい外殻が黒焦げになって四散し、その爆風の真っ只中で生じたメタルジェットの槍が外殻もろとも筋肉繊維を貫き、分厚い筋肉の下に延びる首の骨を掠める。

 

 がくん、と中央の首が垂れ下がる。無反動砲の餌食になった頭の瞳が虚ろになり、砲弾がもたらした凄まじい運動エネルギーの残滓が、シーヒドラの全高15mの巨体を前方へと突き飛ばす。

 

 さすがM40無反動砲だ。戦車砲並みのサイズならば、いくらシーヒドラが堅牢な外殻に守られていても関係はない。

 

 フェイントのために持っていたC4爆弾を大急ぎでポケットの中に突っ込み、腰の両脇にぶら下げていた金属の塊を取り出した俺は、こっちに向かって倒れてくるシーヒドラに向かって突っ走った。

 

 背後から突き飛ばされたシーヒドラは、まるでビルのように見える。そんな巨体が持ち合わせている重量は、たかが170cmの身長の俺を押し潰すには十分だ。

 

 しかし、その重量がこちらの攻撃手段となる。

 

 腰にぶら下げていた正方形の金属の塊を2つ手にし、それを重ねてからシーヒドラが倒れてくると思われる地点に投擲する。まるでホットプレートのような形状のその金属の塊は、アメリカで開発されたM19対戦車地雷である。

 

 対戦車地雷とは、戦車を破壊するために設計された対戦車用の地雷だ。一般的な地雷とは違い、車両や戦車などの重い物が地雷の上に乗らない限り爆発することはないため、生身の人間が乗っても軽すぎて爆発することはない。

 

 だから俺が乗っても爆発することはない。しかし、明らかに戦車よりも遥かに重いシーヒドラがこいつの上に乗れば、確実に地雷は爆発することになるだろう。戦車を吹き飛ばすほどの威力があるのだから、いくらエンシェントドラゴンでもひとたまりもない。

 

 2つ重ねた地雷を投擲し終えた俺は、すぐさま腰に下げていたソ連製対戦車手榴弾を取り出し、安全ピンも引き抜かずに手持ちの手榴弾を全てそのまま投擲した。小さなドラム缶にグリップを取り付けたような古めかしい外見の対戦車手榴弾は、海水の中に沈んだ対戦車地雷の傍らに転がり落ちた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 ありったけの対戦車用の爆発物をシーヒドラの落下地点にスタンバイし、俺は大慌てで踵を返して走り出した。シーヒドラの転倒と対戦車手榴弾や地雷の爆発に巻き込まれる可能性があったからだ。

 

 俺が何かを仕掛けていたのを見ていたシーヒドラが目を見開く。目が虚ろになって沈黙している真ん中の頭以外が一斉に目を見開いて絶叫していたが、俺は無視してそのままダッシュし――――――思い切りジャンプした。

 

 その直後、俺の背後が緋色に煌めいた。

 

 シーヒドラの巨体に押し潰された地雷が起爆し、傍らの3つの対戦車地雷を巻き込んだのだ。2つに対戦車地雷の爆発に巻き込まれた3つの対戦車手榴弾まで一斉に爆発を起こし、無反動砲の砲撃によって転倒したシーヒドラの巨躯を、容赦なく押し上げる。

 

 水飛沫が徐々に紅いくなり、爆発に押し上げられたシーヒドラが絶叫した。胸板の外殻を叩き割られ5つの対戦車用の爆発物に胸の筋肉を焼かれたのだ。黒煙の中からちらりと見えたシーヒドラの胸元は無茶苦茶になっており、流線型の美しい外殻は叩き割られているようだった。胸元は焦げ、外殻の下にある肉も赤黒くなっている。無数の破片が突き刺さった胸元の大きな傷からは焦げた破片を含んだ赤黒い血が滴り落ち、水面を紅くしていく。

 

『き、貴様らぁ………ッ!』

 

『おのれぇ………!』

 

『下等生物の分際でッ!!』

 

『許さぬッ!!』

 

 喋ったのは4つの頭のみ。うなじに対戦車榴弾を叩き込まれた真ん中の頭は沈黙したままで、俺たちを罵る気配もない。

 

 すると、沈黙した真ん中の頭を連れたまま、シーヒドラが広間の外周へと向かって走り出した。最初に俺たちと戦った時のように海中へと飛び込み、攪拌された白い水柱を突き立てる。

 

 またしても海中から攻撃してくるつもりなのだ。潜水艦のように浮上して水の激流で砲撃してくるつもりか? それとも最初に攻撃してきたように、足場を粉砕して真下から体当たりしてくるつもりなのか?

 

 目視で索敵する事が出来ないのならば――――――ソナーを使うまでだ。

 

「ラウラ」

 

「うん」

 

 2丁のグローザを既に腰のホルダーに戻していたラウラが、瞳を瞑りながら早くもエコーロケーションを開始する。彼女は生まれつき頭の中にイルカと同じくメロン体を持っているため、潜水艦のソナーのように超音波を発し、それで敵を索敵する事が出来るのだ。索敵する範囲を広げれば精度は落ちるが、現時点で彼女の索敵可能範囲は半径2km。この広間も十分広いが、どう見ても半径2kmはないだろう。彼女のエコーロケーションは、十分な精度を維持したまま確実にシーヒドラを探し当てることが可能なのだ。

 

 まるで駆逐艦の船員みたいだな。第一次世界大戦や第二次世界大戦では、ソナーで敵のUボートを探し当て、駆逐艦や巡洋艦が魚雷や爆雷を投下して仕留めていた。そうやって潜水艦を撃破したように、俺たちもシーヒドラを探し当てて追撃しなければならない。

 

『お兄様、どうですの!?』

 

「ああ、お前の砲撃で頭の1つが死んだらしい。それに、俺の追撃で今のあいつの胸元にはでっかい傷ができてる。肉が丸見えだから、もう銃弾でも通用するぞ」

 

 外殻がないのならば、銃弾が弾かれることはない。背負っていたMG42を取り出した俺は、その長い銃身を肩に担ぎながら無線で仲間たちに連絡する。

 

「ステラ、次の装填を急げ。カノンは奴が浮上した直後に叩き込めるように準備を頼む」

 

『了解(ダー)』

 

『了解ですわ!』

 

「ナタリアは引き続き攪乱しつつ、対戦車榴弾かスラグ弾で胸元を狙え。例のコンパウンドボウを使ってもいい」

 

『任せなさい!』

 

 ナタリアの持つコンパウンドボウは、簡単に言えば遠距離用のワスプナイフのようなものだ。発射する前に矢に超高圧の魔力を充填し、標的に突き刺さった瞬間にその魔力を元の密度に戻すことによって擬似的な爆発を引き起こし、標的を確実に撃破する。逆に言えば、その矢がちゃんと標的に刺さらなかった場合は、この爆発は起こらない。

 

 貫通力とストッピングパワーは7.62mm弾と同等であるため、ゴーレム程度の貫通は朝飯前だが、さすがにシーヒドラは貫通できない。だからこの戦いでは決定打にはならなかったのである。

 

 すると、俺の傍らで索敵をしていたラウラが目を開きつつ対戦車手榴弾を手に取った。エコーロケーションで海中のシーヒドラを発見したのだろう。彼女は安全ピンを右手で引き抜くと、対戦車手榴弾のRKG-3を俺から見て3時の方向に広がる海面へと放り込んだ。

 

 藍色の海面に呑み込まれた手榴弾が、数秒で見えなくなってしまう。小さなドラム缶とグリップを組み合わせたようなシルエットが藍色の中に溶け込んでしまったと思った直後、緋色の煌めきが一瞬だけ海中を照らし出し、灰色の気泡をいくつも生み出した。

 

 その煌めきに映し出されたのは、5つの頭を持つ異形のエンシェントドラゴン。そのうち1つの頭は沈黙してしまっているが、まだ4つの頭は健在である。

 

 まるで潜水艦を撃沈するために投下された爆雷のように、安全ピンを彼女に抜かれた対戦車手榴弾が海中で起爆したのだ。しかも、よりにもよって起爆した位置はカノンの無反動砲によって抉られた傷口の真上だったらしく、海中でシーヒドラの頭たちが一斉に咆哮したのが聞こえた。

 

 灰色の気泡に細かい肉片と鮮血が混じり、海面が少しだけ紅くなる。

 

「―――――浮上してくる」

 

「カノン」

 

『準備完了ですわ、お兄様!』

 

 5つの頭のうち1つは沈黙し、堅牢な外殻も胸元にはない。うなじにもダメージを与えられるような傷口ができている。狙うべきなのは、その2つの部位だ。

 

 うなじと胸板。ここに集中攻撃すれば、シーヒドラを撃破できる。

 

 もう少しで、伝説の竜を打ち倒せるのだ。

 

 MG42の照準器を覗き込み、俺はラウラに「どこから浮上してくる?」と問いかける。するとラウラはヘカートⅡを構えながら言った。

 

「―――――1時方向」

 

「よし」

 

 今の手榴弾の攻撃で、海中からの攻撃を断念したのだろうか。浮上しつつ水の激流や魔術で砲撃してくる可能性はあるが、こちらも反撃しなければならない。

 

 通路の入口では、カノンが照準器を覗き込みつつスポット・ライフルのトリガーに指を近づけているし、彼女の傍らではステラが次の砲弾を抱えて待機している。

 

 俺と彼女たちの中間にいるナタリアは、カールグスタフM4の対戦車榴弾を節約するためなのか、一番使い慣れているコンパウンドボウを構えている。矢筒の中から矢を取り出して番え、弓に取り付けられているバルブを捻って魔力の重点を開始しているようだ。

 

 もう対戦車手榴弾は使い切った。アンチマテリアルライフル用の12.7mm弾もラウラに全て託しているため、俺の手元に残っているのはMG42と2丁のソードオフ・ショットガンしかない。

 

 ならば、出て来た瞬間にこいつ(電動ノコギリ)の連射を胸板に叩き込んでやる。

 

 幼少期の狩りを思い出せ。こうやって照準器を覗き込んで、獲物に狙いを定めただろう?

 

 もう、決着をつけるべきだ。

 

 決着をつけて、天秤を手に入れるんだ。

 

 クソ野郎共に、何度も奴隷や弱い人々が蹂躙されているところを目にしてきた。ナギアラントで魔女狩りに苦しむ人々や、大昔からその地下で1人だけで眠り続けていたステラ。オルトバルカ国内でも、奴隷を買って苦しめている転生者もまだ残っている。

 

 そんな奴らから、人々を救済するために俺たちは天秤を使う。誰も虐げることのない、平和な世界。それが俺たちの理想だ。

 

 だからこそ天秤を求める。願いを叶えてくれる神秘の天秤ならば、この理想を叶えてくれるに違いない。

 

 さあ、乗り越えよう。

 

 シーヒドラという試練を乗り越えて。

 

 天秤を、手に入れよう―――――――!

 

 照準器の向こうに広がっていた海面が、水柱へと変貌した。純白の泡に覆われた巨大な水柱には薄い紅色が混ざっていて、その中から現れた怪物も同じく紅く染まっていた。

 

 胸板の外殻は砕け、その下の筋肉も引き裂かれている。胴体から生えている5本の首のうち真ん中の1本は力尽きたらしく、ぐったりとしていた。その首のうなじの部分の外殻も裂けており、表面には対戦車手榴弾の破片が突き刺さっている。

 

 サメのヒレにも似た巨大な翼を広げ、まるで天空へと舞い上がろうとしているかのように海面から飛び上がったシーヒドラ。生き残った4本の首が俺たちを睨みつけ、同時に蒼い魔法陣を展開する。

 

 向こうも決着をつけようとしているのだろう。大昔からこの神殿を守り続けた古い竜として、使命を果たすために。

 

 俺たちは願いを叶えるために、こいつと戦っている。シーヒドラは使命のために、俺たちを迎え撃った。

 

 〝願い”と〝使命”を、最後にぶつけ合う時が来たのだ。

 

『終わりだ、下等生物共ッ!!』

 

『激流に呑まれて消えるがいいッ!!』

 

「決着をつけるぞ、みんなッ!」

 

 MG42で照準を合わせる俺の隣で、ラウラがヘカートⅡのアイアンサイトを覗き込む。ナタリアはコンパウンドボウを構え、カノンとステラは虎の子の105mm対戦車榴弾をお見舞いするべく、砲口をシーヒドラへと向けている。

 

 俺たちの一斉射撃で仕留められなければ、あの激流攻撃の餌食だ。4つの首の魔法陣が睨みつけているのは、俺とラウラとナタリアだけでなく、無反動砲による砲撃を担当するカノンとステラだ。全ての敵を同時に薙ぎ払うつもりなんだろう。

 

 逃げるべきか? 強大な敵の強力な一撃の予兆を目の当たりにし、俺はそう思った。

 

 一旦この攻撃を回避すれば、また隙を探せるだろう。だからこの攻撃を回避して確実に倒せばいい。

 

 しかし、俺たちの弾薬も減ってきている。対戦車地雷はもうないし、対戦車手榴弾を持っているのは俺以外の4人。俺はもう使い切ってしまった。それに、あの激流で頼みの無反動砲が破壊されてしまう恐れがある。

 

 M40無反動砲が破壊さればチェック・メイトだ。破壊される前に砲弾をお見舞いしなければならない。

 

 仲間たちは逃げ出さなかった。巨大な魔法陣に睨まれながらも、自分の得物を構えて照準を合わせ、この巨大な竜を倒そうとしている。

 

 ―――――ああ、俺だけ逃げるわけにはいかねえな。

 

 回避するべきだと考えた自分を嘲笑した俺は、改めて照準器を睨みつけた。MG42の照準器の向こうには、シーヒドラの砕けた胸板が広がっていた。

 

「――――――――発射(アゴーニ)ッ!!」

 

 噴き上がる海水の音を押し返すように、俺は叫んだ。

 

 MG42の銃口が獰猛なマズルフラッシュを放ち、傍らのラウラのアンチマテリアルライフルが12.7mm弾を放つ。シーヒドラの向こう側ではナタリアのコンパウンドボウの矢が蒸気にも似た魔力の噴流を纏いながら疾駆し、カノンとナタリアの担当する無反動砲からは、緋色の礫が放たれる。

 

 俺たちの攻撃と同時に―――――――シーヒドラの魔法陣が、膨れ上がった。

 

 蒼い魔法陣が肥大化し、まるでダムを決壊させて突き出てきたかのような激流が、太い高圧の水柱となって広間の中を駆け抜ける。まるで殺意を伴った大瀑布だ。

 

 それに肉体が砕かれてしまうと思ったが――――――シーヒドラが放った激流は、少しずつ上へとずれ始めたかと思うと、俺の頭上を突き抜けて後方の壁へと叩き付けられた。運よくシーヒドラが狙いを外してくれたのかと思ったが、今の攻撃の失敗の原因は、俺たちの仲間の1人が咄嗟に放った1発のグレネード弾だったらしい。

 

「―――――――壊れたグラシャラボラスの仇です」

 

 無反動砲の傍らで砲弾を抱えていた筈のステラが、グレネードランチャー付きのLMGを構え、激流が放たれる寸前にうなじの傷口へとグレネード弾を正確に叩き込んでいたのだ。メタルジェットに貫かれた傷口を更に抉られたシーヒドラは、その激痛に耐えられずに巨体をまたしても揺らし、決着をつけるために魔力を込めた本気の一撃を外す羽目になった。

 

 被害は――――――ない。俺のポニーテールとフードが風圧で揺れただけだ。

 

 激流の残した水飛沫の彼方で、俺の放った7.92mm弾が立て続けにシーヒドラの胸板に突き刺さる。その中を突き抜けていくラウラの12.7mm弾も外殻の裂け目から焦げた筋肉に喰らい付き、またしても胸骨を打ち据える。

 

 ナタリアの放ったコンパウンドボウの一撃も、ステラのグレネード弾と同じくシーヒドラのうなじへと飛び込んだらしい。外殻ではなく筋肉に突き刺さった蒸気の矢は設定された通りに纏っていた魔力を元の密度へと戻すと、ロケットランチャーの爆発のように弾け飛び、ぐらついていた外殻の破片を更に吹き飛ばした。

 

 そして――――――スポット・ライフルの曳光弾が命中した部位に、ついにカノンの一撃が突き刺さる。

 

 バックブラストで海水を噴き上げ、派手に旅立ったその1発の砲弾は、炎の残滓を纏いながら海水の飛沫を立て続けに蒸発させ、潮の匂いを突き破ると、今度は胴体の脇腹の部分に喰らい付いた。

 

 みし、と外殻に亀裂が入った直後、早くも弾け飛んだ外殻の小さな破片を緋色の光が飲み込んでしまう。爆炎と爆風は外殻の亀裂からシーヒドラの体内に侵入すると、既に生じていたメタルジェットと共に巨大な竜の肉と骨を焼いた。

 

 肋骨がメタルジェットに貫かれ、内臓が爆炎に蹂躙される。

 

『『『『――――――グォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』』』』

 

 生き残った4つの首が同時に咆哮し――――――巨大な口から血を吐きながら、海面から舞い上がっていたシーヒドラは再び海中へと戻っていく。

 

 もう、浮上してくるとは思えない。あのドラゴンは対戦車榴弾のメタルジェットに貫かれ、肉と内臓を焼かれたのだから。

 

「や、やった………!」

 

 血の混じった海面を見つめていたラウラが、ヘカートⅡを静かに下ろしながら言った。

 

「………よくやった、カノン!」

 

『やりましたわ!』

 

『さすがカノンちゃん!』

 

『今後も砲撃はカノンにお願いしましょう』

 

 無線機の向こうから、仲間たちがはしゃぐ声が聞こえてくる。俺もMG42を肩に担いで息を吐くと、傍らではしゃいでいたラウラに向かってにっこりと笑い、「やったな、お姉ちゃん」と言ってから手を伸ばす。

 

 俺とラウラのハイタッチの音が、シーヒドラの沈んだ広間の中に響き渡った。

 

 

 

 



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もう1人の母親

 

「わあ………!」

 

「すげぇ………!」

 

 C4爆弾で爆破した扉の向こうに保管されていた財宝を目にした瞬間、俺と仲間たちは目を輝かせていた。

 

 古代文字の刻まれた金貨の山がいくつも連なり、その中には古代に造られたと思われる王冠や宝石がいくつも使われたシャンデリアが紛れ込んでいる。傍らには黄金の刀身と宝石が埋め込まれた大剣が置かれているが、これは明らかに実戦で使うために造られたものではなく、装飾用に造られたものであることは火を見るよりも明らかだった。蒼白い光に照らされ、黄金であるというのに白銀の輝きにも似た光を反射するそれを持ち帰ればいくらになるだろうかと早くも頭の中で計算が始まったけど、イコールどころか途中式を書き込む前に俺は考えるのを止める。

 

 落ち着け。俺の目的はあの大剣ではなく、この中に保管されている筈の天秤の鍵だ。

 

 大剣に伸ばそうとしていた手を慌てて抑えつつ、俺は部屋の中に積み上げられた金貨の山を見渡す。

 

 おそらく、ここにある金貨1枚だけでも、管理局に提出すればかなりの額の報酬になるだろう。難易度が高いと言われる海底神殿の調査を終えた場合の報酬を上回る額にもなりかねない。だからこれを全て持って帰ればどれだけの金額が手に入る事だろうか。

 

 その金貨の山の中からたった1つの鍵を探し、他の金貨は置いていかなければならないのは勿体ないような気がしてしまうが、帰る際に潜水艇にまた乗ることになるため、積み過ぎるとそのまま深海へと沈む羽目になる。欲が原因で死にたくはないので、諦めざるをえない。

 

 ため息をつきながら金貨の山に埋まっている綺麗なネックレスをつまみ上げ、宝剣を退けて鍵を探す。鍵はこの中に保管されている筈なんだが、箱の中に入ってるのか? それとも、この金貨の山の中に紛れ込んでるのかな?

 

 もし紛れ込んでたら探すのにかなり時間がかかりそうだ。ラウラのエコーロケーションでも探し出すのは不可能だろう。

 

 手探りで鍵をこの中から見つけなければならないって事か。俺の勘で何とかなるだろうか。………そういえば、俺の勘って鋭かったっけ? ラウラは鋭かったような気がするけど、俺は彼女ほど鋭くはなかったような気がする。

 

 いや、ラウラがそういう才能に特化し過ぎているせいだ。きっと俺も鋭いだろう。

 

 俺たちが知っているのはこの中に鍵が保管されているという情報だけだ。この部屋のどの辺に鍵が保管されているのかという親切な情報までは知らない。

 

 ああ、これは時間がかかるな。

 

 シーヒドラとの激闘が終わったばかりだというのに。

 

「うーん………これではありませんわね」

 

 宝箱を開け、中にたっぷりと入っていたクリスタルの山を見下ろしながらため息をつくカノン。貴族でも欲しがりそうなほどの量のクリスタルを見てため息をつき、蓋を閉めてからその宝箱を退ける姿には猛烈な違和感を感じてしまう。

 

 普通なら喜ぶ筈なのにな。

 

「ふにゅう………やっぱり、エコーロケーションじゃ探せないよぉ………」

 

「手探りしかないみたいね………」

 

「まあ、シーヒドラは倒したんだ。気楽に探そう」

 

 一番厄介な守護者は、もうカノンが止めを刺してしまった。今頃はそこの広間の外周に広がっている海水の中に沈んでいるに違いない。

 

 奴との戦いでプレゼントしてもらった疲労はたっぷりと残ってしまっているが、このダンジョンの難易度を高くしていた原因はもう既に絶命しているのだ。在庫を処分しつつ宝の山の中から宝探しをしていても問題はないだろう。

 

 ポケットの中から小型の水筒を取り出し、中に入っている冷たい真水を口に含む。すると、隣で俺が水を飲むところを見ていたラウラが嬉しそうに笑いながら、頬を赤くした。

 

 実は、この水筒の水は出発する前に汲んできた真水ではない。ラウラの能力を利用して空気中の水分をかき集めた水なんだ。ラウラの能力で最も強力なのは鮮血のように紅い氷を操る能力なんだけど、それは空気中の水分をかき集め、それらを彼女の氷属性の魔力で凍結させるという原理である。

 

 それで氷を作り、俺の炎で溶かして水に戻し、更にラウラに適度に冷やしてもらったのがこの水だ。彼女の氷は血のように紅い禍々しい氷だけど、溶ければどういうわけか普通の透明な水に戻る。

 

 彼女がいる限り、水に困ることはないという事だ。ダンジョンの中では水と食料の調達が難しい場合があるんだが、少なくともこの能力を持つ彼女がいれば、水の確保には困らない。

 

「えへへっ、美味しい?」

 

「うん、最高だよ。ありがと」

 

「ふにゅー………」

 

 お礼を言いながら彼女の頭を撫でると、ラウラはミニスカートの中から伸ばした尻尾を左右に振り始めた。まるで飼い主と一緒に遊んで喜ぶ子犬みたいだ。

 

 もっとなでなでしてたいんだが、今は鍵を探さなければならない。可愛いお姉ちゃんとイチャイチャするのは鍵を回収し、この神殿を後にしてからにしよう。そうしないとナタリアに制裁される。

 

 物足りなさそうに見つめてくるラウラにウインクすると、彼女は顔を真っ赤にして「う、ウインクされちゃった………ふにゃあ」と言いながら〝宝探し”を再開した。

 

 さて、俺も宝探しを再開するとしよう。

 

 宝の山の中から宝探しをするという奇妙な自分に違和感を感じつつ、俺は金貨の山をかき分け続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「………これ、本当にここにあるのか………?」

 

 水筒の中の水を飲みながら、ガラス張りのようにも見える部屋の天井を見上げた俺は、メモリークォーツによって天井に映し出されている海中の映像を見上げてため息をついた。

 

 おそらくあれは、海中から海面を見上げた映像を映しているのだろう。海面の向こうから流れ込んでくる黄金色の柱。その日光の煌めきを見上げていると、手を伸ばしたくなってしまう。

 

 かぶっていたフードを取り、久しぶりに蒼いポニーテールをフードの外に出した俺は、男子にしては長過ぎる蒼い髪に触れながら水筒をポケットの中に戻し、傍らの金貨の群れの中に右手を突っ込んだ。

 

 どれだけこの部屋を探しても、メサイアの天秤を手に入れる際に必要となる鍵は見つからない。もしかすると、もう他の冒険者が持ち去ってしまったのだろうかと思ってぞっとしたが、少なくともあのシーヒドラを倒さない限りこの部屋の扉を開けるのは困難だ。シーヒドラが健在だったという事は、少なくとも鍵はまだここにあるという事である。

 

 広い部屋というわけではないので、もう少し探していれば見つけられそうなんだが………先ほどから聞こえてくるのは仲間たちのため息と、じゃらじゃらと鳴りながら退けられていく金貨たちの悲鳴のみだ。

 

 この部屋で一泊する羽目になるのかなと発狂しそうな冗談を考えたその時だった。

 

「―――――タクヤ」

 

「ん?」

 

 なんとなく掴み取った金貨を弄っていた俺のコートの袖を、ステラの小さな手が引っ張る。何かを見つけたのだろうかと思いつつ金貨を放り出し、その金貨が落ちる金属音を聞きながら振り返ってみると、ステラは握りしめていた小さな右手を静かに俺の前に差し出し、小さな指を広げた。

 

 彼女の手が包み込んでいたのは、白銀の鍵のような物体だった。傍から見ればごく普通の鍵で、こんなところに置いてあることに違和感を覚えそうなデザインだったが、よく見てみると表面には鮮血のような紅色が、電子機器のような模様で白銀の鍵を飾っている。

 

 明らかに普通の鍵ではない。普通の鍵にはこんな模様はないし、こんなところに置いてある筈がないのだから。

 

 それにこの模様は分からないが――――――デザインは、あのメウンサルバ遺跡の実験室で目にした鍵の図解と瓜二つだった。

 

「………ステラ、あの記録はまだ持ってるよな?」

 

「はい」

 

「見せてくれ」

 

 これが鍵ではないのかという興奮を抑え込みつつ、俺は冷静な声で彼女に言った。

 

 背負っていたバッグの中からフランケンシュタインの記録を取り出したステラから、記録を受け取って天秤についての図解が記載されていたページを捲る。そこに載っている鍵の形状を凝視し、目に焼き付けてからもう一度ステラの探し出した鍵を見下ろす。

 

 形状は全く同じだ。模様についてまでは記載されていなかったが――――――天秤の保管されている場所の鍵を開く事が出来るのは、この鍵に違いない。

 

「………これだな」

 

「これが………天秤の鍵………?」

 

 形状は一般的な鍵のように見えるが、やはり特徴的なのは電子回路を思わせる紅い模様だろう。こんな模様の鍵は見たことがない。

 

「でかしたぞ、ステラ」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

 珍しく笑ったステラの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに頬を赤くした。

 

 よし、これであとはこの神殿を脱出するだけだな。もうシーヒドラは撃破しているし、俺たちが上陸した場所まで戻ってから再びDSRVに乗り込んで脱出することになるだろう。そして海流と魔物に警戒しながら海面に浮上し、次の目的地を目指せばいい。

 

 シーヒドラは強敵だったが、まず3つの鍵のうちの1つを手に入れる事ができた。争奪戦が本格化する前に鍵を手に入れる事ができたのは大きなアドバンテージとなるだろう。

 

「よし、鍵はステラが持っててくれ」

 

「了解(ダー)」

 

 あとは、この神殿から脱出するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シーヒドラと戦った海底の闘技場を後にし、メモリークォーツで深海の映像が映し出された通路を戻って行く。天井から蒼白い光で照らされ、壁と床に深海の映像が映し出されているせいなのか、まるでダンジョンにやってきたというよりは、客が少なくて空いている水族館にでもやってきたような気分になってしまう。

 

 今では枯渇してしまったメモリークォーツを眺めつつ、どうせここに他の冒険者がやってきたらメモリークォーツを持って行ってしまうのだろうな、と思って俺はため息をついた。

 

 でも、俺たちはそうやってこの神殿から財宝や希少な鉱石を持ち帰る冒険者を糾弾できない。なぜならば、俺たちも自分たちの願いを叶えるために、シーヒドラを殺して鍵を手に入れているのだから。

 

 どれだけ〝理想”という立派な言葉で隠しても、俺たちも同じだ。自分たちの〝欲”のために殺し、奪い去っていく存在。俺たちも変わらない。それゆえに、他の冒険者を糾弾できない。

 

 坂を登りながら頭を掻き、水筒の水を飲む。そう言えば上陸した際に石像の群れを無視して奥までやってきたのだが、もしかするとまたあいつらと戦う羽目になるのではないだろうか。一番最初に乗り越えた関門が、またしても関門として俺たちの目の前に立ち塞がるのだろうと思った俺は、無意識のうちに背中に背負っているMG42のグリップへと手を伸ばし、得物を肩に担いでいた。

 

 奥に向かう時も奴らと交戦し、かなり数を減らした筈だったが、あの一番最初の広場にはまだまだ騎士の石像たちが残っている筈だ。2mほどの高さの、石で造られた無数の騎士たち。このまま神殿から脱出しようとすれば間違いなく彼らと再戦する羽目になる事だろう。

 

 別ルートは無いものかと思って通路を見渡してみるが、分かれ道になっている場所はあるものの外の海に続いている水路らしきものは見当たらず、今では誰も祈ることもなくなった太古の祭壇や、今ではもう崩れてしまった彫刻が鎮座する部屋があるだけだった。

 

 またあいつらを突破しなければならないらしい。だが、またあの石像たちを無視して潜水艇を装備し、それに乗り込んで離脱するのは至難の業だ。機関を始動させている間に攻撃を受けて損傷するかもしれないし、そもそももう一度あの無数の石像たちを突破できるか分からない。

 

 潜水艦や潜水艇の防御力は極めて低い。しかも俺たちが乗ってきたのは救難用に設計された潜水艇だから、深海の水圧に耐えることはできても魔物の攻撃には耐えられないのだ。

 

 いっそ殲滅するという愚策が思い浮かんだ頃には、数時間前に大慌てで逃げ込んできた神殿の入口が見えてきた。仲間たちもここに辿り着いたことと、俺が獲物を手にしていた事であの石像の群れの事を思い出したらしく、蒼白い光が入り込んでくる入口を凝視して顔を強張らせた。

 

 黒いフードをかぶり、蒼いポニーテールを覆う。仲間たちに向かって頷いた俺は――――――入口から外の広場へと飛び出し、待ち受けている筈の石像の群れに向かってLMGを向ける。

 

 しかし――――――アイアンサイトの向こうに広がっていたのは、蠢いていた無数の守護者たちの姿ではなく、胴体や手足を切断され、バラバラにされた無数の石像の残骸だった。

 

「は………?」

 

「あれ………? ねえ、私たちってこんなに倒したっけ?」

 

「いえ、目の前に出て来た敵しか倒してない筈よ。それに………殆どグレネードか銃弾で倒したわよね?」

 

「はい。ですが、あの残骸は………斬られていますわね」

 

 俺とラウラが仲間たちに追いつく際、確かに俺たちはナイフを使った。しかし、そのナイフで倒した敵の数は少数で、殆どはライフルの銃弾かグレネードで撃破している。

 

 なのに、古代ギリシアを思わせる純白の柱が並ぶ広間には、何かで切断されたと思われる石像たちの残骸が転がっているだけだった。

 

 ―――――あいつらを倒したのは、俺たちじゃない。

 

 誰だ? まさか、他の冒険者が来たのか?

 

 照準器から目を離しつつ、広間を見渡している。しかしどこにも冒険者らしき人影は見当たらないし、動いている石像もいない。

 

 どうやらここにいた石像は―――――――全滅してしまったようだ。

 

 あんなに数がいたというのに。俺たちがシーヒドラとの戦いで苦戦していたとはいえ、その間に無数の守護者たちを殲滅したという事は、おそらくその冒険者はかなりの実力者なのだろう。

 

 全滅させられた無数の守護者たちの残滓を見つめて呆然としていると―――――崩れかけの白い柱の陰で、漆黒のコートのようなものが揺らめいた。

 

 俺がそのコートが見えていることに気付いたのか、そのコートを身に纏っている人物が柱の影から姿を現す。短いマントの付いた漆黒のコートに身を包んでいるせいでがっちりしているように見えるが、そのコートの袖から覗く黒い手袋に覆われた手は思ったよりも華奢で、やけに古びた黒いシルクハットの下から覗く白い顔からも女性であるという事が分かる。

 

 女性の冒険者用に女性用の防具も鍛冶屋は用意するのだが、それを嫌って男性用の防具を選ぶ女性も多い。しかし、その柱の影から姿を現した女性はそのような類の冒険者とは全く違うようだった。

 

 女性用の防具を嫌うというよりも、まるで好んで男装しているような感じなのだ。

 

 肌は白く、シルクハットの下から伸びる紫色の髪も美しい。ドレスを身に着けて佇んでいれば、たちまち貴族の男たちが次々に口説こうとする事だろう。豪華なドレスを着こなしてしまうほどの美貌を持つ女性が、ミスマッチとしか言いようのないコートに身を包み、更にその紳士を思わせる服装にミスマッチな日本刀を腰に下げているのである。

 

 違和感を感じる格好だが、俺はそれよりもその女性がかぶっているシルクハットと、そのシルクハットに飾られている2枚の真紅の羽根を凝視していた。

 

 ―――――2枚の真紅の羽根は、転生者ハンターの象徴である。

 

 何の変哲もないハーピーの羽根が転生者を狩る転生者ハンターの象徴となったのは、かつて親父がある転生者と交戦した際、レベルの差のせいで苦戦し、レベル上げのために魔物をひたすら倒し続けたことに端を発する。その際に戦利品としてハーピーの真紅の羽根を持ち帰り、ちょっとした記念品のつもりで当時のモリガンの制服のフードに飾ったのだという。

 

 その格好のまま転生者を狩り続けたため、いつしか2枚の真紅の羽根は異世界の人間を狩る転生者ハンターの象徴となった。

 

 真紅の羽根を防具や服に飾ることは珍しくはないが、そういった装飾は基本的に1枚のみだ。あくまでハーピーの羽根は飾りであり、何かの象徴という意味はないのである。

 

 しかし――――――モリガンの象徴ともいえる黒服と2枚の真紅の羽根を見ると、どうしても転生者ハンターの特徴としか思えない。

 

「あの人も………転生者ハンター?」

 

「いや………」

 

 モリガンのメンバー全員とは面識がある。元々モリガンは少数精鋭の小規模な傭兵ギルドであったため、幼少の頃からよくメンバーにお世話してもらった。

 

 だが、あんな女性は見たことがない。最近入団した傭兵見習いなんだろうか?

 

 その女性を凝視していると――――――今度は別の柱の陰から、黒い制服と漆黒の三角帽子を身に着け、長大なハルバードと銃剣の付いたライフルを背負った蒼い髪の女性が、ゆっくりと姿を現した。

 

「――――――あらあら、久しぶりね」

 

「え、エリスさん!?」

 

「ママ!?」

 

 柱の影から姿を現したのは、俺にとってもう1人の母親であり、ラウラを生んだ母親でもあるエリス・ハヤカワだった。今ではモリガン・カンパニーの技術分野を統括する四天王の1人として様々な兵器や武器の開発を指揮しつつ、モリガンの傭兵として依頼を受け続けている凄腕の傭兵である。

 

 しかも、弱冠12歳でラトーニウス王国騎士団の精鋭部隊にスカウトされ、氷属性の魔術を変幻自在に操って敵を蹂躙したことから『絶対零度』の異名を持つ最強の騎士でもあるのだ。ラウラが氷を操る能力を持って生まれたのも、母親の素質が全て遺伝したからなのだろう。

 

 幼少の頃の俺たちの面倒を見るかのように、優しく微笑むエリスさん。なぜ彼女がここにいるのだろうかと問うよりも先に、エリスさんは紳士の恰好をした女性の隣へと歩くと、静かに背負っていた銃剣付きのライフルに手を伸ばした。

 

 エリスさんの武器は――――――アメリカ製セミオートマチック式ライフルの、M1ガーランド。第二次世界大戦でアメリカ軍が使用したライフルで、強力な大口径のライフル弾を次々に発射できる。アサルトライフルが主流になった現代ではとっくの昔に退役しているが、その威力はアサルトライフルやマークスマンライフルにも劣らない。

 

 ナイフ型の銃剣を取り付けたそれと、昔からの愛用の得物であるハルバードを手に取ったエリスさんは、にっこりと笑ったまま言った。

 

「鍵は、見つけたの?」

 

「え? は、はい。何とか………」

 

「まあ、素晴らしいわ! さすが私たちとダーリンの子供たちね! シーヒドラをやっつけちゃうなんて!! ああん、今すぐラウラを抱き締めてあげたいんだけどぉ………」

 

 抱き締めてあげたいと言っているのに、なぜ得物を持っているのか。もう既に敵を倒したというのに。

 

 エリスさんが得物を手にした理由を察した俺は、ぞくりとしながら息を呑んだ。MG42のグリップをぎゅっと握り、目の前の母親を凝視する。

 

 しかし――――――彼女の言葉が、俺たちを凍らせた。

 

「―――――――じゃあ、その鍵を渡して?」

 

 鍵を………渡す?

 

 エリスさんに、この鍵を渡せって事か?

 

 ちょっと待て、エリスさんも俺たちが天秤を手に入れようとしているのを止めようとしているのか? それとも、まさかエリスさんも天秤で叶えたい願いがあるのか?

 

「………冗談ですか?」

 

 辛うじて聞き返したが―――――帰ってきたのは、彼女の異名と同じくらい冷たい声だった。

 

「本気よ」

 

「何で………? ねえ、ママ。私たち頑張ったんだよ? 頑張って鍵を手に入れたのに………横取りするの?」

 

「………………ダーリンの指示なの」

 

「親父の………!?」

 

 親父がエリスさんに指示を出した!?

 

 まさか、親父も天秤を狙っているのか!?

 

 くそったれ………! まさか、天秤の争奪戦が身内で勃発するなんて………!!

 

「さあ、今すぐ鍵を渡しなさい。子供たちを傷つけたくないの」

 

「………すいません、エリスさん。それだけは無理です」

 

「………どうして?」

 

 翡翠色の美しい瞳で、彼女の要求を拒否した俺を睨みつけてくるエリスさん。親父の傍らで激戦を経験してきた凄腕の傭兵の目つきは、やはり今まで戦ってきた強敵の目つきよりも鋭く、恐ろしい。

 

「俺たちにも、願いがあるんです」

 

「そう」

 

 俺の言葉を聞いたエリスさんは、少しだけ微笑んだ。自分たちが育て上げた子供たちが、猛者の威圧感に屈することがなくなったのが嬉しいのだろうか。

 

 しかし――――――要求を拒否したという事は、ここでエリスさんと戦うということを意味する。俺たちに戦い方を教えてくれた育ての親に刃を向け、銃弾を放たなければならないのだ。

 

「仕方がないわね。リディアちゃん、戦うわよ」

 

「………」

 

「ごめん、ラウラ………戦うしかない」

 

「うん………仕方がないよ」

 

 歯を食いしばりながら、俺はMG42の銃口を―――――もう1人の母親(エリスさん)へと向けた。

 



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リディアの剣術

 

 エリス・ハヤカワはラウラの実の母親であり、俺にとってはもう1人の母親だ。

 

 若き日はラトーニウス王国騎士団に所属しており、弱冠12歳で王国の精鋭部隊にスカウトされたことのある優秀な騎士である。生まれつき常人と比べると莫大な量の魔力を持ち、魔力の調整が極めてデリケートで、完全に制御するためには並外れた集中力が必要と言われる氷属性の魔術を使いこなし、他国の騎士や魔物をことごとく氷漬けにしていったことから、生き残った他国の騎士たちからは「絶対零度」と呼ばれていたほどの実力者だ。

 

 才能がある上に、彼女はラトーニウス王国を離反してからも自分の実力の研磨を続けていた。親父の傍らで共に強敵と戦い、銃というこの異世界には存在することのない遠距離武器の使い方も熟知した彼女は、あらゆる距離から敵を蹂躙できる隙のない最強クラスの傭兵の1人となったのである。

 

 彼女の才能はしっかりと娘のラウラに遺伝し、彼女の中で生きているが―――――才能は同等でも、俺たちよりも遥かに実戦を経験している最強の傭兵の1人だ。優勢でも油断せず、劣勢でも動揺しない。普段は優しい母親のエリスさんだが、家を離れて武器を持ちながら戦場へと思向けば、最も獰猛な戦士の1人となる。

 

 そんな傭兵たちに、俺たちは育てられた。幼少期から基礎体力や筋力を鍛え上げられ、生まれつき持っていた外殻の生成による硬化と氷や炎を操る能力の制御方法を教えられつつ、銃などの現代兵器の使い方も教えられた。

 

 俺たちを育てた母親に銃を向けたくはなかったが、もし仮に躊躇いなく銃を向けたとしても――――――勝ち目はないだろう。

 

 模擬戦では何度も投げ飛ばされ、武器を突き付けられて敗北した。ラウラと2人がかりで戦いを挑み、ちゃんと作戦を考えても一蹴される。試しに罠を張って消耗させようとしても、罠はあっさりと見破られて無効化され、逆に俺たちがエリスさんの罠に引っかかってしまう。

 

 何度も母親に敗北した過去の記憶が脳裏から漂流してくる。投げ飛ばされて地面や床に叩き付けられた痛みは忘れてしまったが、漂流してくる昔の記憶だけでも、この母親にはまだ勝てないと判断できた。

 

 あの時よりも成長しているし、実戦も経験しているのだからもしかしたら勝てるのではないかとは思わない。なぜならばエリスさんは俺たち以上に実戦を経験しているし、出発する前の模擬戦の時点で殆ど手加減していたのだから。

 

 未だにエリスさんに一度も本気を出させる事が出来なかったのだから、勝ち目はないのだ。

 

 それに俺たちは、先ほどのシーヒドラとの戦いで疲弊してしまっているし、手持ちの武器の弾薬もかなり激減している。まだいくつか対戦車用の武器の弾薬が残っているが、そのなけなしの切り札を投入したとしても勝利するのは無理だ。それに、エリスさんはもう1人の女性を引き連れている。見たことのない女性だが――――――おそらく彼女も、モリガンのメンバーとなった実力者なのだろう。

 

 モリガンは世界最強の傭兵ギルドと言われているが、メンバーの人数は10人未満で支部はなく、活躍とは裏腹に非常に規模の小さい傭兵ギルドである。その分メンバーは1人で騎士団の一個大隊並みの戦闘力を持つと言われている。

 

 入団すると、十分な実力がつくまではギルド内で〝傭兵見習い”とされ、他のメンバーと共に様々な実戦を経験したり、他のメンバーに戦い方や銃の扱い方を指導される。そしてメンバーたちから十分な実力がついたと判断されれば、「卒業試験」ということで難易度の高い依頼を与えられ、それを成功させてやっと傭兵の1人として認められるのである。

 

 新しいメンバーの育成に時間がかかるため規模は非常に小さいが、それゆえに少数精鋭であり、1人1人の実力は極めて高い。

 

 もし彼女もモリガンのメンバーだというのならば、更に勝ち目はなくなる。

 

 もちろん、あの2人にここで天秤の鍵を渡して逃げるのは論外だ。俺たちの目的は天秤を手に入れ、誰も虐げられることのない平和な世界にする事なのだから。

 

 親父たちにも叶えたい願いがあるらしいが、鍵を譲るわけにはいかなかった。

 

 勝ち目はないのだから、鍵を持ってあの2人から逃げなければならないわけだが、ここから潜水艇を使って逃げるのも難易度が高い。もし仮に誰かがあの2人と戦っているうちに潜水艇に乗り込み、機関を始動させてから仲間を回収して逃げ出そうとしても、エリスさんならば潜水艇が潜航を開始する前に海水ごと凍らせ、無血で拿捕する事ができるだろう。

 

 むしろ、エリスさんはそれを狙っているのか? 俺たちがシーヒドラとの戦いで疲弊しているから、戦わずに逃げようとしているのを待っているのかもしれない。そっちの方が俺たちから鍵を力ずくで奪う必要がないからだ。

 

 エリスさんの狙いを察した俺は、他に潜水艇で脱出できる場所がないか先ほどと折ってきた通路の構造を思い出すが、他の分かれ道の先にあったのは使われなくなった祭壇や彫刻が飾られている部屋ばかりで、海水があったのはシーヒドラと戦った広間のみだ。しかもあそこは海水が入って来ているとはいえ、外に繋がっている様子はない。

 

 いっそ爆破して海水を侵入させようかと考えたが、そんなことをすれば潜水艇もろとも壁に叩き付けられ、航行不能になるだけだ。

 

 くそったれ。逃げ切れないのかよ………!

 

 すると、エリスさんの隣に立っていた女性が一歩前に出た。左手で腰の鞘を掴み、真紅の瞳で俺だけを睨みつけている。

 

「紹介するわね。彼女はリディア・フランケンシュタイン。あのヴィクター・フランケンシュタイン氏が遺した最古のホムンクルスで、私たちが鍛え上げた4人目の転生者ハンターよ」

 

「!?」

 

 リディア・フランケンシュタイン……!?

 

 彼女の名前を聞いた瞬間、俺は反射的にステラの方を見ていた。確か、彼女に預けておいたフランケンシュタインの実験の記録の中にホムンクルスの作り方が記載されていたが、その中に何度もリディアという名前が登場していたし、その伝説の錬金術師とファミリーネームが同じだ。

 

 本当にあの女性は、大昔に造られた最古のホムンクルスなのか……? もしそうなのならば、あの遺跡の地下にあった実験室の装置の中に入っていたのは、あの女性という事になる。

 

 俺たちが目を見開いていると、エリスさんは言った。

 

「私たちは大分前から面識があるけど、あなたたちと会せるのは初めてよね」

 

「大分前から………!?」

 

「ええ、あなたたちが小さい頃からよ。ダーリンとギュンターくんが遺跡から保護してきたの。メウンサルバ遺跡からね」

 

 やはり、あの装置の中に入っていたのはあの女性なのか………?

 

 しかも4人目の転生者ハンターとして親父たちが鍛え上げただと? だからシルクハットに転生者ハンターの象徴である真紅の羽根を2枚も付けているのか。

 

「なぜ、俺たちに隠していたんです?」

 

「ふふっ。教えてほしいなら、鍵を渡して頂戴」

 

「お断りします」

 

 おそらく、親父は手元に転生者ハンターを1人は残しておきたかったに違いない。冒険者になり、成長すれば旅に出る俺たちは親父の元を離れることになる。親父1人でも転生者を蹴散らすことは出来るが、モリガン・カンパニーの社長となった親父は小回りが利かない。

 

 だから小回りの利く戦力を手元に用意しておきたかったんだ。もし自分が迂闊に動けない場合の実働部隊として、彼女を転生者ハンターにしたに違いない。

 

「彼女はまだ新米だけど、実力はかなり高いわよ? ………彼女、オルトバルカでは〝バネ足ジャック”って呼ばれてるの」

 

「なるほど………聞いたことがありますよ。宿屋でも冒険者たちが噂話をしていますし」

 

 旅に出た後から、何度か宿屋や宿泊施設でバネ足ジャックの噂話を聞いたことはある。人々を困らせる貴族や圧政を続ける領主を殺害し、屋根の上を走っていく謎の殺人鬼。殺すのはその標的と私兵だけで、騎士団に危害を加えたことはないという。

 

 貴族だけを殺しているわけでもなく、時には村を壊滅させて独裁者を気取っている者を消すこともあるという。おそらくそいつらは転生者なのだろう。

 

 屋根の上を駆け抜けて逃げてしまう事から、騎士団ではその殺人鬼を『バネ足ジャック』と呼ぶようになったという。

 

「あらあら。〝切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)の噂話も聞いてるわよ?」

 

 まだ1人だけなのに、もう有名になっちまったのか。もっと転生者をあんな感じに消さない限り有名になることはないだろうと思っていたんだが。しかも、俺の予想通りの名称で呼ばれているらしい。

 

 劣勢の中で武器を構えて苦笑していると、エリスさんは武器を握ったまま両手を広げた。頭上の蒼白い光を見上げながら息を吐き、くるりと左手のM1ガーランドを回す。

 

「面白い戦いじゃないの? バネ足ジャックと切り裂きジャック。しかも、どちらも私たちが鍛え上げた〝子供たち”………」

 

「ええ、確かに」

 

 戦う組み合わせは面白いが………こちとら劣勢だ。面白いわけがない。

 

「タクヤ」

 

 どうやって逃げるべきか考えていると、隣でRPK-12を構えていたステラが冷静な声で俺の名前を呼んだ。無意識のうちにグリップを思い切り握っていた手から力を抜きつつ彼女を見下ろすと、ステラは銃口をエリスさんに向けたまま言った。

 

「撤退するべきだと思います。相手の体内の魔力の量から判断すると、私たちの勝率は0%です」

 

 魔力の扱い方に精通しているサキュバスだから、すぐに分かったのだろう。エリスさんの体内には常人を遥かに上回る莫大な魔力があり、それを氷属性の魔術のために使った場合、どれほどの破壊力となって俺たちに牙を剥くのか。

 

 しかも、その氷属性の魔術がなかったとしても、エリスさんはかなり強い。更に俺たちは疲弊している。こっちの状態は最悪だし、相手も最悪。もう勝ち目はない。

 

 俺は頷くと、唇を噛み締めてから「だが、逃げ場もないぞ」と彼女の進言に返答した。

 

 勝率はないから逃げるのがベストだが、その逃げ場もない。潜水艇で逃げようとすればエリスさんの氷で航行不能にされ、拿捕されてしまう。だから迂闊に潜水艇で逃げるわけにはいかないのだが、俺たちには潜水艇で逃げる以外の手段はない。せめて誰かが転移の魔術を習得していればすぐに逃げる事ができたんだが、あんなに習得が難しい魔術を使いこなせる魔術師は稀有だ。サキュバスのステラでも習得することは出来なかったというから、どれだけ難易度の高い魔術なのかは想像に難くない。

 

 焦りの激流に押し流されないように息を吐き、冷静さを維持しようと足掻く。

 

 神殿の中に籠城するか? それともエリスさんの思惑通りに潜水艇を使って逃げ、氷が来たら俺が炎で溶かすか? 次々に愚策が浮かんでくる中、リディアが右手を日本刀の柄に近づけたのが見えて、俺は大慌てで作戦を考えるのを止めなければならなかった。

 

「彼女、タクヤと戦いたがってたのよ。切り裂きジャックの噂を聞いてからね」

 

「良かったですね、エリスさん。面白い戦いが見れますよ」

 

「ふふっ。息子に親孝行してもらえて嬉しいわ。鍵を渡してもらえればもっと親孝行になるんだけど………渡してくれないのよね?」

 

「当然です」

 

「それなら仕方がないわ。―――――――やりなさい、リディア」

 

 エリスさんに言われると同時に、リディアがこっちへとゆっくり歩き始めた。腰の日本刀に手を近づけてはいるが、まだ鞘から刀身を引き抜いてはいない。

 

 まだ逃げるための作戦すら思い付いていないのに、勝率のない相手と戦わなければならなくなったことを呪いたくなったが、このまま慌てて作戦を考えたところで愚策しか出てこないのだ。応戦した方がいい。

 

 そう判断した俺は、接近してくるリディアに向かってMG42のトリガーを引いていた。

 

「リディアの相手は俺がやる! 悪いが、みんなはエリスさんを頼む!」

 

「ふにゅ、無理しちゃダメだよ!」

 

「まさか、傭兵さんの奥さんと戦うなんて………」

 

「くっ………勝ち目はありませんが、戦いますわ! お兄様、お任せください!」

 

「了解(ダー)」

 

 入口の通路から離れ、エリスさんを迎え撃つために銃のトリガーを引き始める仲間たち。自分のLMGと味方の銃声を耳にしながら照準器の向こうを睨みつけ、俺はフルオート射撃を継続する。

 

 電動ノコギリの異名を持つMG42が立て続けに7.92mm弾を連射する。第二次世界大戦の頃にドイツ軍が使用していた旧式の弾薬だが、口径は大きく破壊力も強烈な弾丸だ。飛竜の外殻を貫通する破壊力はあるだろう。

 

 その弾丸の豪雨の中に、リディア・フランケンシュタインは躍り出た。大口径の弾丸が次々に掠めていく真っ只中に突っ込む彼女を見て、正気の沙汰ではないと思った俺だったが、すぐに彼女には弾丸を全て躱すことのできるほどの動体視力と反射速度が備わっているのだと見抜いた瞬間、これ以上弾幕を張り続けるのは得策ではないと判断した。

 

 このまま弾幕を張ることにこだわり続けていれば、接近され、ナイフを引き抜くよりも先にやられる。それよりは距離を離した状態で仕留めるのを諦め、接近戦の準備をした方が良い。

 

 銃声の真っ只中で聞こえることのない舌打ちをし、トリガーから指を離してLMGを投げ捨てる。どの道ドラムマガジンにはあと数発しか弾薬が残っていなかった筈だから、あのまま連射していれば再装填(リロード)する羽目になっていただろう。

 

 鞘からナイフを引き抜き、俺もリディアと同じく距離を詰めた。

 

 彼女は未だに鞘から刀を抜いていない。右手を柄に近づけ、前傾姿勢で距離を詰めてくる。

 

 俺の得物は大型のナイフとはいえ、彼女の持つ刀の刀身の長さと比べればはるかに小さい。こっちの刀身の長さは30cmくらいしかないのだ。

 

 このまま突っ走って加速し、すれ違いざまに両手のナイフを薙ぎ払おうとしていたのだが―――――――そろそろ腕を薙ぎ払おうとしたところで、やっとリディアの右手が日本刀の柄を握ったように見えた。

 

 こいつの剣術は、普通の剣術ではない。やけに刀を刀身から抜くタイミングが遅く、常に鞘の中に収めていたことから違和感を感じていたのだが、彼女が柄を握った瞬間に俺は彼女の剣術がどのようなものなのかを察した。

 

 リディアの剣術は――――――居合斬りなのだ。

 

 相手の剣術を悟った瞬間、鞘に収まっていた筈の刀と柄が一瞬だけ消え―――――目の前を、何かが駆け抜けた。

 

 近くを弾丸が掠める音にも似た、風を蹂躙する音。その音が聞こえたと思った瞬間、咄嗟に俺は右へとジャンプしていた。

 

 左脇腹からの激痛と、飛び散る紅い液体。真紅の飛沫で石畳を紅くしながら床に転がり落ちた俺は、手放してしまった大型ソードブレイカーを拾い上げながら反射的に脇腹を抑え、起き上がってから素早くリディアを睨みつける。

 

「………」

 

「おいおい、この紳士は居合斬りの達人かよ………!」

 

 改めて紳士の格好に日本刀はミスマッチだと思いつつ、彼女の居合斬りの技術に戦慄していた。

 

 俺はラウラよりも反射速度には自信があるし、接近戦ならばラウラに勝てる。狙撃も得意なのだが、俺が最も得意とする距離は近距離だ。だから俺は基本的に前衛を担当する事が多い。

 

 それゆえにあらゆる攻撃を瞬間的に見切り、何度も受け止めてきたのだが―――――リディアの剣戟は、見えなかった。

 

 辛うじて右手が柄を掴んだのが見える程度だ。刀身はおろか、その刀身が振り払われる軌道や軌跡まで全く見えない。下手をすれば親父やエミリアさんよりも刀を振るう速度が速いのではないかと思ってしまうほどのスピードである。

 

 まるで、世界を置き去りにしてしまうほどの速度だ――――――。

 

 彼女の最速の剣戟には、誰も追いすがる事ができない。それゆえに攻撃を見切ることは不可能だ。

 

 親父たちは………こんな転生者ハンターを育てやがったのか………!

 

 素早くポケットの中から回復用のヒーリング・エリクサーを取り出して中の液体を飲み込み、脇腹の傷を塞ぐ。痛みが徐々に消えていくのを感じながら試験管を思わせるガラスの容器を投げ捨て、息を呑む。

 

 もし仮に疲弊していなかったとしても、リディアの剣戟は見切れない――――――。

 

 それほど、彼女の一撃は速いのだ。

 

 

 



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絶対零度のエリス

 

 M1ガーランドの放つ.30-06スプリングフィールド弾が、ラウラの左肩を掠めた。幼少期の射撃訓練で試し撃ちしたことのある銃であるため、そのライフルがどれほどの破壊力を持っているのかという事は覚えている。8発までしか装填できないというシングルカラム式のハンドガン並みに少ない弾数が欠点だが、セミオートマチック式やボルトアクション式のライフルが主流だった第二次世界大戦の頃で言えば欠点ではない。

 

 アサルトライフルという銃の発想がなかった時代の兵器とはいえ、矢継ぎ早に大口径の弾丸を連射できるというのは大きなアドバンテージだ。その分狙撃向きではなくなってしまったものの、連射と破壊力を両立できるライフルである。

 

 ボルトアクション式のライフルを好んだラウラはあまり使う事はなかったが、セミオートマチック式の銃を好むタクヤはよくこの銃を使っていた。

 

 大口径の弾丸に掠められてひやりとしながらも、ラウラは両手のグローザでエリスを牽制しつつ、彼女の銃の〝燃料切れ”を待ち続ける。

 

 現代のアサルトライフルやマシンガンではすっかり廃れてしまっているが、第二次世界大戦の頃に使用されていたライフルなどはマガジンを交換して再装填(リロード)する方式ではなく、『クリップ』という金具に弾薬を何発も連ね、それを使って装填する方式が主流であった。

 

 エリスが今しがた片手で放っているM1ガーランドもクリップを使うタイプの銃なのだが、この銃は装填している弾丸を全て撃ち尽くすと、クリップを排出する金属音を発するという特徴がある。その特徴を知っていたラウラは、彼女のライフルが弾切れした隙に反撃しようと弾丸を躱し続けているのだ。

 

「お姉様、援護しますわ!」

 

「援護します、ラウラ」

 

 マークスマンライフルでカノンが立て続けに射撃し、ステラがLMGで弾幕を張ってくれるが、エリスはM1ガーランドの連続射撃でラウラを牽制しつつ、利き手である左手に持つハルバードを回転させ、片っ端からカノンとステラの7.62mm弾を叩き落としてしまう。

 

 鋼鉄のプロペラと化した彼女のハルバードに遮られた弾丸たちが、甲高い跳弾する音を奏でながら地面へと叩き付けられていく。排出された薬莢が地面に落下する音を聞きながら、カノンは息を呑んだ。

 

 カノンの狙撃は、ラウラのように遠距離の敵を狙い撃つタイプではなく、中距離にいる敵を素早く狙撃することに特化したタイプだ。だからこの程度の距離ならば百発百中なのだが、先ほどから攻撃しているというのにエリスには1発も命中していない。

 

 それに、彼女と共に射撃をしているステラの弾幕も、同じように1発も命中していなかった。カノンのマークスマンライフルの連射速度よりも早く弾丸を叩き込める重火器でも、エリスにはやはり命中していないのである。

 

 幼少の頃からお世話になった人だからと躊躇しているわけではない。むしろ、躊躇できない。躊躇すれば瞬く間に氷漬けにされ、鍵を奪われてしまうという危機感が常に彼女たちの躊躇いを喰らい付くしているからなのだろう。

 

 だからこそ、本気で反撃している。しかしエリスは4人の少女に攻撃されているというのに未だに無傷なのだ。

 

 またしても肩を掠める.30-06スプリングフィールド弾。タクヤと比べて外殻の硬化の速度が遅いラウラは、あの大口径の弾丸の餌食にならなくて良かったと安堵しつつ、今の弾丸が7発目であるという事を思い出す。

 

 あと1発撃てば、エリスのライフルは弾切れだ。再装填(リロード)するには銃身の上部のハッチからクリップを押し込む必要がある。

 

 転生者のようにステータスが強化されているわけでもないのに、大口径のセミオートマチック式ライフルを片手で連射するエリスの腕力には度肝を抜かれたラウラたちだったが、あと1発を躱せば射撃は止まる。そうなればエリスの得物はハルバードと得意の氷の魔術の2つのみ。いよいよ氷属性の魔術が牙を剥くという事になるのだが、遠距離から大口径の弾丸で撃ち抜かれることはなくなるという事だ。

 

 そして、またしても轟音が迸り――――――その残響の中で、金属音の旋律が荒々しい残響を彩った。

 

(――――弾切れだ!)

 

 今の金属音が、M1ガーランドの弾丸を撃ち尽くしたという証拠である。

 

「あらあら、弾切れね」

 

「はぁっ!」

 

 グローザをホルダーに戻し、ナイフを引き抜いている暇はない。エリスのような熟練の傭兵ならば素早くクリップで再装填(リロード)することは可能だろう。だからこそ、隙は与えられない。

 

 2丁のグローザを手にしたまま、ラウラはエリスへと向かって走った。セレクターレバーをフルオートに素早く切り替えつつジャンプし、右足に装備している折り畳み式のサバイバルナイフを展開すると、エリスを踏みつけるように頭上から斬りつけた。

 

 しかし、ナイフが激突したのは彼女の肉体ではなく――――――漆黒に塗装された、モリガン・カンパニー製のハルバードであった。

 

「ッ!」

 

「いい動きねぇ………。前よりも強くなってるじゃない。偉いわ、ラウラ」

 

「くっ………!」

 

 反撃される前に後ろへとジャンプするラウラだったが、石畳を右足のナイフで削り、ブレーキ代わりにしながら2丁のグローザを向けた向こうでは、既にエリスはM1ガーランドの銃剣を地面に突き立て、右手を制服のホルダーへと伸ばしていた。

 

 ホルダーの中に入っていたM1ガーランド用の8発の弾丸が連なったクリップを掴み取り、それをハッチを開けた状態で地面に突き立てられているM1ガーランドの内部へと叩き込む。そして素早くライフルの銃床を掴み取って石畳から銃剣を引き抜き、その引き抜く反動を使って強引にハッチを閉めたエリスは――――――不敵に笑いながら、再びライフルの照準をラウラたちに向けていたのである。

 

 幼少期に習った装填方法ではない。利き手でハルバードを使うために、エリスは片手でライフルを再装填(リロード)したのだ。

 

「ラウラ、下がって!」

 

「ナタリアちゃん!?」

 

 後ろを振り向くと、エリスをショットガンのスラグ弾で牽制し続けていたナタリアが、肩にカールグスタフM4を構えて照準を合わせていた。先ほどのシーヒドラとの戦いでもあの外殻を穿った一撃を、エリスにも叩き込もうとしているのだろう。

 

 さすがに対戦車榴弾はやり過ぎだと咎める間もなく、ナタリアはエリスに向かって無反動砲のトリガーを引いていた。

 

 まるで砲身の前後から同時に砲弾を発射したかのように、照準器とグリップが取り付けられた砲身の前後から同時に火柱が噴き上がる。だが、実際に攻撃を吐き出したのは当然ながら前方だ。後方の火柱は、猛烈な反動を打ち消すための爆発でしかないのだ。

 

「あらあら」

 

 超高速で砲弾が接近しているというのに、エリスは不敵に笑ったままだった。銃弾ではなく砲弾が放たれたことに全く戦慄していないらしい。つまり、彼女ならば砲弾を防ぐか回避することが容易くできるという事だ。

 

 その時、呼吸を整えるために吐き出していたラウラの息が―――――白く染まった。

 

(………!?)

 

 違和感と肌寒さを感じながら、ラウラはいつの間にか海底神殿の中の気温が下がっていたことに気付く。オルトバルカとは違って暖かい南方の海の中なのだから、全く寒さは感じなかったのだが、エリスとの戦いが始まってから徐々に寒くなり始めていたのは錯覚ではなかったようだ。まるで冬にでもなったかのような寒さの気温。

 

 それが、絶対零度の異名を持つ騎士が真価を発揮する―――――予兆だったのだ。

 

 冷却された大気の中を駆け抜けていく砲弾から、炎の残滓が消え失せる。陽炎すら纏えなくなるほど冷却された84mm対戦車榴弾は、ナタリアの命令通りにエリスに向かって飛来したが――――――息を吐きながら振り下ろした彼女のハルバードに打ち据えられ、ごつん、とまるで金属の塊を叩いたような鈍い音を奏でながら、石畳の上へと叩き付けられてしまった。

 

「なっ………!?」

 

 照準器から目を離し、担いでいたカールグスタフM4の砲身をゆっくりと下ろしながら驚愕するナタリア。今の対戦車砲弾をハルバードで打ち据えれば、その瞬間に爆発するだろうと考えていたからこそ驚愕しているのだろう。

 

 しかし、彼女が叩き落とした砲弾を見下ろした4人の少女たちは、石畳の上に転がっている砲弾を目の当たりにして更に驚愕することになる。

 

(ほ、砲弾が………ッ!)

 

 砲身から射出され、すこし焦げ目の付いている金属の砲弾が、蒼白い結晶のようなものに覆い尽くされた状態で地面に転がっていたのだ。クリスタルにも似た結晶が放つのは、まるで湯気のように白濁した煙。

 

 何とエリスは、飛来した砲弾を一瞬で氷漬けにしてしまったのである。砲弾の表面に氷の塊が出現することによって砲弾はバランスを崩し、弾道がエリスからずれたのだ。あとは砲弾を起爆させないように細心の注意を払いつつ、軽く砲弾を打ち据えて運動エネルギーを消滅させてしまえば、あのように砲弾を爆発させることなく無力化できるのである。

 

「うん、良い狙いよ。モリガンにスカウトしたくなっちゃう」

 

「………ッ!」

 

 凍てついた砲弾をハルバードの先端部で軽く突き、石畳の向こうへと追放するエリス。その砲弾を突いた彼女のハルバードは、彼女の魔力によって生み出された氷によって既に覆われており、漆黒から蒼白いハルバードへと変色していた。

 

 彼女は弱冠12歳で騎士団の精鋭部隊にスカウトされた女性である。しかも、21年前に任務でモリガンと交戦した際、一度だけだがリキヤを倒しているのである。その時点で実力差があるというのに、更に彼女はラウラたちが訓練を受けている間も依頼を受け続け、実戦で才能と技術を磨き続けていた。

 

 才能を持つ上に、エリスは努力家なのである。

 

 自分の能力の〝原点”となったエリスの力を目の当たりにしたラウラは息を呑んだ。砲弾を一瞬で氷漬けにしてしまうほどの圧力の魔力を瞬時に放出し、詠唱すらせずに周囲の空間を冷却してしまうほどのエリスの力。やはり、自分の母親には敵わない。経験してきた実戦の数が違うし、自分の実力を磨き続けた期間も違う。数ヵ月前に旅立ったばかりの自分たちは、まさに井の中の蛙だったのだ。

 

「―――――信じられません。サキュバスでも、あんなに一瞬で氷漬けにするのは不可能です」

 

 表情を変えずにそう言ったステラだったが、彼女も驚愕しているという事は理解できた。

 

 まさに〝絶対零度”である。魔術などの技術に乏しいラトーニウス王国が、まだ弱冠12歳の少女を精鋭部隊にスカウトした理由は、莫大な魔力と才能を持つ逸材だったからというだけでなく、純粋にエリスならば切り札となるだろうと判断したからに違いない。

 

 魔力の使い方に精通しているサキュバスのステラでさえも、あのように一瞬で砲弾を凍らせるのは「不可能だ」と言ってしまうほどの力を、エリスは身に着けているのだ。

 

 その瞬間、湯気のように揺らめく冷気の幕の中から、黒い制服と三角帽子を身に着けた蒼い髪の女性の姿が消えた。彼女が纏っている筈の冷気を頼りに母を探したラウラは、そのエリスの纏う冷気がナタリアへと襲い掛かろうとしていることに気付き、振り向きながらナタリアに警告しようとするが、冷気と威圧感の塊はもう既にナタリアの目の前まで急接近していた。

 

「ナタリアちゃんッ!」

 

「!?」

 

「うふふっ………♪」

 

 咄嗟にカールグスタフM4を投げ捨て、腰の鞘の中からククリナイフを引き抜くナタリア。漆黒の小さなナイフを構え、エリスが突き出してきたハルバードを辛うじて右へと逸らすことに成功したのだが、再装填(リロード)を終えた状態ではエリスの得物は1つではない。そう、彼女の右手にはまだ、弾丸が装填された状態のM1ガーランドが残っているのである。

 

 銃口の下に取り付けられた白銀のナイフ型銃剣が、氷の欠片と冷気のカーテンの奥からナタリアを睨みつけた。咄嗟に引き抜いたククリナイフで弾いたに過ぎないため、ナタリアは続けざまにエリスが放つ銃剣の刺突を受け流す術がない。

 

「しまった………ッ!」

 

 左手にはフィオナが作ってくれた試作型のエアライフルがあるが―――――秘匿による不意打ちを前提に設計された貧弱な攻撃力で、相手の殺傷を前提に設計された銃剣を防げるだろうかと考え始めた彼女の眼前で、唐突に銃剣から火花が散り、エリスのナイフ型銃剣の切っ先が逸れた。

 

 その隙に後ろへとジャンプし、距離を取りつつエアライフルを放つナタリア。圧縮空気によって小型のクロスボウの矢が放たれるが、さすがにその一撃は素早く体勢を立て直したエリスの冷気に絡み付かれたかと思うと、冷気のカーテンの中で次第に氷に取り込まれていき、やがて冷気を放つ蒼白い氷の塊となって床に落下する。

 

(今のは………カノンちゃん?)

 

 呼吸を整え、冷や汗を拭いながら周囲を見渡したナタリアは、今のエリスの銃剣を逸らしてくれたのはカノンだと理解した。中距離でマークスマンライフルを構え、エリスの隙を探り続けていたカノンが、彼女の銃剣の餌食になりそうになっていたナタリアを救うために銃剣を狙撃し、その一撃を逸らしたのである。

 

 エリスの目的はあくまで鍵を奪う事であるため、自分の子供たちやパーティーの仲間を殺すのはありえない。しかし、このように鍵を渡さずに抵抗しているのだから、おそらく抵抗できない程度に痛めつけるのはありえるだろう。

 

 誰か1人を行動不能にし、人質にでもすれば鍵を奪いやすくなる。それゆえに相手の攻撃を受けるわけにはいかない。

 

(くっ………タクヤ、やっぱり勝ち目はないわよ………!?)

 

 別格だ。

 

 今まで多々あってきた敵とモリガンの傭兵は、格が違い過ぎる。

 

 エリスの冷気と共に実力差を痛感したナタリアは、リディアの剣術に苦戦するタクヤを見つめながら息を呑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 試験管にも似たガラスの容器の中の液体を飲み干し、身体中の傷口を一気に塞ぐ。最低でも回復用のエリクサーは5本はストックしておくように心掛けているんだが、いくら一口で傷口を治療できるとはいえ、立て続けに見切れないほどの速度の剣戟を繰り出されれば、相手の手数がそのまま傷の数になる。

 

 空になってしまった4つ目の容器を投げ捨て、ホルダーの中に残る最後の1本を一瞥した俺は、唇を噛み締めながらナイフを構え直した。

 

 いつまでも戦っているわけにはいかない。一刻も早くこの神殿を脱出する作戦を考え、仲間たちと共に鍵を持って脱出しなければエリスさんに鍵を奪われてしまう。

 

 実力差があり過ぎる上に、俺たちは疲弊しているのだから。

 

 冷や汗を拭い去った直後、またしてもリディアが動いた。左手で腰の鞘を抑え、鞘の中に納まった日本刀の柄を掴みながら急接近してくる。

 

 相手の剣戟は回避する自信がないが………フェイントを仕掛けることで回避することは出来るだろうか?

 

 こっちが反撃すると見せかけて攻撃を中断させるか、回避すると見せかけて追撃を誘発し、別の方向に回避する。こういった小細工はすぐに思いつくというのに脱出手段は思い付かない自分の頭に苛立ちながらも、俺は後者を選択して実行することにした。

 

 今までと同じようにナイフを構えつつ突進し、リディアにまたしても接近戦を仕掛けるように見せかける。今のところ、彼女が居合斬りを仕掛けてくるタイミングは俺が攻撃を仕掛ける直前だ。

 

 両手のナイフを薙ぎ払おうとした瞬間に刀を鞘から引き抜き、俺の攻撃が命中する直前に斬るように調整しているのである。攻撃中は防御もできないし、いきなり攻撃されれば外殻による硬化もできない。それゆえに、リスクは高いが確実に攻撃を命中させられるタイミングである。

 

 これは相手よりも反応速度と純粋なスピードが上回っていなければ、同じ手を使って反撃することは出来ない。残念ながらリディアの方が俺よりも速度が上回っているため、俺も同じ手を使って彼女にダメージを与えるのは不可能というわけだ。

 

 だから、小細工を使うのさ。

 

 同じようにナイフを振り上げ、リディアに向かって振り下ろそうとする。フェイントを仕掛けようとしていることを悟られないように、疲弊している中で足掻いているように見せかけつつ振り下ろす一撃。いつもよりも速度は落ちているし、軌道も容易く見破れる。力任せの剣戟である。

 

 リディアは――――――それを、本当に悪あがきだと判断したようだ。

 

 一瞬だけリディアの紅い瞳がシルクハットで隠れたかと思うと、彼女の手が日本刀の柄へと伸びる。俺はその瞬間に両腕を止め、念のため胸元と首を外殻で覆いつつ後ろへとジャンプした。

 

 その瞬間、全く表情を変えなかったリディアが目を見開いた。そう、今の一撃は悪あがきではない。フェイントと小細工を仕込んだ大嘘の一撃だ。

 

 既に彼女の瞬発力によって解き放たれた一撃は、鞘の中を飛び出して俺の首を掠めていた。まるで電動ノコギリをコンクリートに掠めさせたような甲高い音が響き、漆黒の刀が左側へと通過していく。

 

 いつも、俺の相手は格上ばかりだった。

 

 その格上の相手をどうやって倒すか、俺はいつも作戦を立ててたんだよ。あっさり見破られる小細工かもしれないけど、こういうふうに土壇場で仕掛けておくとみんな引っかかるものなのさ。

 

「――――――小細工に相手を引っ掛けるコツは、〝相手をどうやって裏切るか”だ。覚えときな、お嬢さん」

 

「………!」

 

 目を見開くリディアは空振りした刀を引き戻そうとするが、いくら俺よりもスピードの速い彼女でも俺より先に反撃するのは不可能だろう。もう既に、俺は攻撃を繰り出しているのだから。

 

 さすがに彼女を殺すわけにはいかないのでナイフでは攻撃しないが―――――俺のナイフには、ナックルダスターのような大型のフィンガーガードがついている。しかも指を保護することよりも接近戦で相手をぶん殴ることの方を重視しているらしく、刀身と同じくフィンガーガードも分厚く無骨になっている。

 

 左足を前に踏み出した俺は、思い切り右腕を後ろに引いてから―――――腰を左に捻りつつ、そのナイフのフィンガーガードを使って、リディアの腹にボディブローを叩き込む。

 

「………ッ!」

 

 鍛え上げられた瞬発力と筋力によって撃ち出された拳を腹に叩き込まれたリディアは―――――目を見開きながら吹っ飛ばされていた。

 

 



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タクヤが脱出作戦を考えるとこうなる

 

「はぁっ、はぁっ………!」

 

 静かに拳を引き戻した俺は、コートの袖で冷や汗を拭い去りながら呼吸を整えていた。今しがたお見舞いした腹パンでリディアが吹っ飛んでいく度に、ギリギリで彼女の一撃を躱したという緊張も遠ざかっていくのを感じながら、ナイフのグリップを握り直す。

 

 やっとリディアに一撃だけ叩き込む事ができた………!

 

 だが、今のようなフェイントはもう見切られるに違いない。いや、見切られるというよりは通用しないだろう。実際に俺はあのような小細工を何度も繰り返すようなことはない。長期戦になれば裏をかくつもりで同じ手を使ったり、アレンジを加えた作戦で意表を突くが、リディアのような長期戦を挑むべきではない相手に同じ手を使うのは愚の骨頂でしかない。

 

 それに、そろそろ逃げる作戦を考えるべきだ。

 

 エリスさんと戦っているラウラたちを一瞥し、俺は息を呑んだ。現時点で重傷を負っている仲間はおらず、氷漬けにもされていないようだが、彼女たちも無理をしているという事は一目で分かった。

 

 遥かに格上の強敵の攻撃を辛うじて見切り、その攻撃を喰らわないように常に警戒しなければ戦わなければならないのだ。勝ち目のない戦いだというのに、俺が脱出するための作戦を考えるまで強敵の攻撃にさらされ続ける恐怖と疲労。おそらく、もう耐えられなくなってしまうだろう。

 

 なのに、仲間たちは勝手に逃げ出さずに戦い続けている。彼女たちの苦痛を打ち消し、再び海原の上へと連れ戻せるのは俺だけなのだ。そう、俺が速く作戦を思い付かなければならない。

 

 吹っ飛ばされていったリディアに警戒しつつ、俺はもう一度神殿の中の構造を思い出す。俺たちが上陸したのはこの広場だが、やはりここから逃げ出すのは論外だ。せめて他にも水路があればそこから逃げられるのだが、ここ以外に大きな水路があったのはシーヒドラと戦った広場のみである。しかも、あそこは海水があるとはいえ、海水が流入しているのは潜水艇どころか人間すら通れないほど狭い穴だ。

 

 あの穴の向こうには、やはり深海があるのだろうか。この神殿を建てた古代人たちの技術によって水圧を下げ、まるで水道から緩やかに流れ出る水のようにあの広間へと流れ込む深海の海水。せめてあの穴がもっと広ければ、潜水艇で逃げられたというのに………。

 

「ん………?」

 

 待て。もしかしたら………ああ、逃げられるかもしれない。この広場からではなく、あのシーヒドラと戦った広間からならば脱出できる可能性がある!

 

 そうだ。潜水艇にはあれを積んでいるではないか。ステラの出番だ!

 

「………はははっ……もっと早く思い付けよ、バカ野郎が」

 

 自分自身に向かってそう言いながら、俺はナイフを鞘に戻した。崩れかけの純白の柱に叩き付けられていたリディアが立ち上がり、傍らに転がっていた自分の日本刀を拾い上げて立ち上がったが、俺は彼女が走り出すよりも先にコートのホルダーからメスを引き抜くと、続けざまに彼女に向かって投擲していた。

 

 元々は魔物から内臓を摘出するためのメスだ。現代の冒険者はナイフと一緒に携行する事が多く、投げナイフなどの投擲を得意とするものはこのメスを武器にすることもあるという。

 

 サプレッサーが用意できなかった場合の代用品になるからと、俺たちも幼少の頃からナイフを投擲する訓練を受けていたため、中距離の敵に向かってナイフやメスを投げつけて攻撃するのはお手の物だ。さすがに銃弾に比べると弾速は遅すぎるが、射程距離の短いソードオフ・ショットガンよりはマシだろう。

 

 あくまで、リディアの突撃を遅延させられればいいのだから。

 

「撤退! 神殿の中に撤退しろッ!!」

 

「了解! みんな、早くッ!!」

 

 俺の指示を聞いたラウラがグローザの銃口をそのままホルダーにぶら下げてあるライフルグレネードの後端に突っ込み、ライフルグレネードを装着すると、スモークグレネードの代わりにエリスさんへと向けてそのライフルグレネードを放った。

 

 同時に放ったのではなく、やや時間差をつけて放ったラウラ。そのように発射したのは、2つとも氷漬けにされるのを防ぐためだろう。

 

 エリスさんの冷気は強烈だ。接近するだけで対戦車榴弾が氷漬けにされてしまうほどの超低温なんだが、あくまでその超低温の冷気はエリスさんが纏っている状態だ。

 

 つまり、その冷気は前方から流れてくるという事になる。ならば砲弾の前方に何かを配置して冷気の盾に使えば、少なくとも後続の砲弾は凍結することなく爆発させることが可能だ。それを見抜いたラウラは、ちょうど2発だけ残っていたライフルグレネードでそれを実行したというわけである。

 

 案の定、一足先に放たれたライフルグレネードはあっという間に霜に覆われ、やがて氷の塊に呑み込まれ始めた。後続のライフルグレネードにもエリスさんの冷気が絡みつくが、前方に盾代わりになった砲弾があるおかげなのか、それほど凍り付いてはいない。

 

 それに気付いたエリスさんは一瞬だけ目を見開くと、にやりと笑ってから後ろへとジャンプした。彼女ならば後続の砲弾もろとも凍らせることはできる筈だが、間に合わないと判断したからなのかもしれない。

 

 地面に氷漬けになった砲弾が落下し、続けてやや霜が付着した程度の後続の砲弾が、最初に発射されて氷漬けにされた砲弾の後端に激突した。石畳の上で追突した砲弾が膨れ上がり、こびりついていた霜と氷の欠片を一瞬で融解させると、まるで一足先に放たれた砲弾を温めようとしているかのように爆炎で呑み込み――――――その中で、更に爆炎が生まれた。

 

「くっ………!」

 

「みんな、今だよっ! 走って!!」

 

 2つの爆炎に遮られ、ラウラたちをすぐに追撃するわけにはいかなくなったエリスさん。爆炎に足止めされている彼女を更に牽制するように7.62mm弾を断続的に連射しつつ、ラウラも素早く入口の方へと走っていく。

 

 向こうは大丈夫そうだ。それにしても、やはりラウラの射撃は正確だな。2発の砲弾のうち片方を冷気を防ぐための盾に利用するなんて。

 

 彼女の卓越した射撃の技術に改めて驚愕しつつ、俺も入口の方へと走った。現時点では俺が仲間たちに置き去りにされている状態だ。もたもたしていたらリディアだけでなく、エリスさんにまで追撃されてしまう。

 

 左肩にあるホルダーのメスを全て投げ尽くし、右肩のホルダーからメスを纏めて掴み取りつつ踵を返す。エリスさんはラウラの射撃が足止めしているから、俺はリディアだけから逃げればいい。

 

 親父と鬼ごっこをしていた時の事を思い出しつつ全力疾走する。床に転がっている石像の残骸を飛び越え、砕け散った石畳を踏みつけながら階段を駆け上がり――――――階段を上る途中で屈み、床に落ちている物体を拾い上げる。

 

「タクヤ、早く!」

 

「分かってるって!」

 

 ただ、最後にダメ押しするだけさ。

 

 俺が今掴み取ったのは――――――最初に射撃の途中で投げ捨てた、LMGのMG42なのだから。

 

 キャリングハンドルを握りながら素早く後ろを振り返り、照準器の向こうから追随してくるリディアを睨みつける。親父や母さんのように鋭い目つきで追撃してくる彼女を睨み返しながら、俺は「プレゼントだッ!!」と叫びつつトリガーを押した。

 

 ドラムマガジンの中に残っているのはなけなしの7.92mm弾だ。連射速度の速いこいつで撃ちまくればあっという間に撃ち尽くしてしまうし、肝心の銃身もまだ完全に冷却されたわけではない。うっすらと紅く染まり、陽炎を生み出し続けているこいつの銃身はもうオーバーヒートしかけているのだ。

 

 頼む、たかが数発の弾丸だ。耐えてくれ。

 

 ドイツ製の高性能なLMGに祈りつつ、マズルフラッシュの彼方を睨みつける。リディアは俺たちに追いつくことだけを考えているのか、最初に俺の弾幕の中を駆け抜けてきた時のように積極的な回避はせず、弾丸の中を走ってくる。

 

 何発かが肩や彼女の太腿を掠め、黒いコートを引き裂いていく。

 

 そこで、俺は連射している最中の銃口を下へと向けた。照準器の向こうに映っていたリディアの姿が消え失せ、特に撃っても意味がないような真っ白な床だけが照準器を埋め尽くす。

 

 ―――――小細工を成功させるコツは、相手をどうやって裏切るか。

 

 俺の目的は一旦神殿の中まで逃げる事だ。ここでリディアを殺すことではない。

 

 これから放つ数発の弾丸が、またしても彼女を裏切るのだ。

 

 石畳に斜めに命中した弾丸が、純白の石の破片をまき散らしながらバウンドし、破片と共に舞い上がる。その破片が舞う範囲の中に飛び込んでくるのは―――――俺たちを追撃してきた、リディア・フランケンシュタインだ。

 

「――――――!!」

 

 咄嗟に左手を鞘から離し、破片と跳弾した弾丸から頭を守るリディア。容赦なく彼女に喰らい付いた石畳の破片に邪魔され、彼女のスピードが劇的に落ちる。

 

 その隙にMG42を投げ捨て、俺はラウラの手を引いて神殿の奥へと駆け込んだ。だが、このままラウラたちと一緒に神殿の中へと逃げ込んでもリディアは追いかけてくるだろう。もう少し彼女たちの追撃を遅延させる必要がある。

 

 ラウラを連れて走りながらメニュー画面を開き、俺はひたすらクレイモア地雷やC4爆弾を生産し続けた。せっかくレベルを上げて貯めたポイントが凄まじい速度で減っていくが、それを惜しんでいたら追いつかれてしまう。ポイントを惜しんでいる場合ではない。

 

「ラウラ、氷を!」

 

「任せて!」

 

 突然、背後から流れ込んで来ていた蒼白い光が消え失せた。その代わりに神殿の中に入り込んできたのは――――――冷気だった。

 

 振り向いてみると、どこからか出現した鮮血のような氷の壁が、神殿の入口をしっかりと塞いでいた。外から流れ込んでくる蒼白い光を紅い氷の壁がろ過し、真逆の色彩の壁を通り抜けた光が禍々しく煌めく。

 

 ラウラに氷で通路を塞いでもらったのだ。エリスさんやリディアならば破壊して突破してくるだろうが、彼女だってエリスさんの才能を受け継いで生まれてきたキメラである。あの氷が易々と破壊できるわけがない。

 

 リディアの姿が氷のせいで見えなくなったのを確認してから、俺は片っ端から生産したばかりのクレイモア地雷を装備すると、次々に神殿の通路の中に仕掛け始めた。瓦礫の影や暗闇の中にワイヤーを張って仕掛け、時折分かりやすいところに堂々と仕掛けておく。その堂々と仕掛けた地雷を罠だと思って警戒してくれるならば時間が稼げるし、油断してそれを飛び越えれば別の地雷の餌食になるという作戦だ。おそらくエリスさんならば見破ってどちらも無力化しそうだが、数秒でも時間を稼げればいい。

 

 そうやって地雷を仕掛けながら、俺たちはシーヒドラが沈んだ広間へと再び向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 エリスさんたちの侵入によって入口の広場は蹂躙されていたけど、この広間は俺たちがシーヒドラと戦っていた時とあまり変わらない。あんな巨体が沈んだせいで若干水位が上がっているような気がしたけど、ここから逃げるという作戦を思い付いた俺たちからすれば水位は高い方が好都合だ。

 

 円形の足場の外周を埋め尽くす海面でDSRVを装備して出現させる。目の前に出現した迷彩模様の潜水艇に仲間たちが次々に乗り込んでいくのを確認した俺は、後ろに立つナタリアに転生者ハンターのコートの上着を預けると、中に着ていたグレーのワイシャツから紅いネクタイを外し、同じくナタリアに預けた。

 

「早く戻ってきなさいよ……?」

 

「任せろ、泳ぎも得意分野なんだよ」

 

 そう言っていつものように笑ってから、俺は海中へと躍り出た。そう言えば俺の笑顔ってどんな感じなんだろうか? 彼女の不安を希釈できればいいなと思いながら下へと潜っていきつつ、少しずつ増していく水圧に耐えるために身体を徐々に外殻で覆っていく。

 

 水圧に耐えるためとはいえ、サラマンダーの外殻の本来の用途は炎と物理的な攻撃を防ぐことである。潜水艦の耐圧穀のように水圧に耐えられるわけではないため、出来るだけ早めに切り上げる必要があった。

 

 それに、エリスさんたちも俺たちを追って奥へと向かっているのだから。

 

 押し潰されるような感覚を覚えながら、半球状になっている海中の一角へと辿り着く。藻やフジツボが付着している純白だった壁の表面を確認してから、俺は水中でズボンのポケットの中に手を突っ込んだ。

 

 その中に入っていたのは、6つのC4爆弾だった。

 

 C4爆弾を全てフジツボと海藻まみれになった壁に設置してから、今度は海面から小型の錨を下ろして停泊している潜水艇へと向かって少しずつ浮上していく。

 

 幼少の頃から泳ぐ訓練も受けていたため、水中で泳ぎ回るのは朝飯前だ。それにこの効果能力のおかげで、空気さえ何とか出来れば潜水服なしでもある程度の深度まで単独で潜ることが可能なのである。

 

 本当に便利な身体だよ。

 

 足場の縁に浮上すると、ちゃんと俺が預けたコートを持ってくれていたナタリアが手を伸ばしてくれた。海水まみれになった前髪を片手で払ってから彼女の手を握り、引き上げてもらう。

 

「仕掛けた?」

 

「もちろん。後はステラ次第だ」

 

「そうね。よし、乗って。あんたが操縦士でしょ?」

 

「おう」

 

 びしょ濡れのまま彼女から上着とネクタイを受け取り、一緒に潜水艇へと乗り込む。タラップを降りて操縦士の座席に座り、操縦桿を握っていると、背後からナタリアがハッチを閉じる音が聞こえてきた。

 

 念のため、もう一度潜水艇の船体をチェックしておく。来る時も異常はなかったのだが、やはり現在も異常は無いようだ。バラストタンクやスクリューも正常だし、舵もちゃんと動く。

 

「頼むぞ、ステラ」

 

「了解(ダー)」

 

 返事をしながら懐中時計を取り出したステラは、頷きながら目の前のレバーに取り付けられているスイッチを凝視した。

 

 俺が考えた作戦は、かなりリスクの高い作戦だ。この広間の下部は海水に覆われているのだが、その下部の一角をC4爆弾と潜水艇に搭載しておいた2本の魚雷で爆破し、この広間を水没させてから脱出するという作戦である。

 

 空気がまだまだ残っている状態ならばその穴から凄まじい量の海水が流れ込んでくるが、この空間を水没させた後ならばその海水の勢いも削られる。それにその海水が、エリスさんたちの追撃を阻止してくれる筈だ。

 

 海水の勢いが弱くなったら、その穴から潜水艇で離脱すればいい。

 

「………これより、海底神殿脱出作戦を実行するわ。異常はないわね!?」

 

「機関部異常なしですわ」

 

「ソナーも問題なし」

 

「バラストタンク、トリムタンク、ネガティブタンク異常なし。いつでも潜航できるぜ」

 

「ギョライも問題なしです」

 

 ナタリアに報告を終えてから、俺はC4爆弾の起爆スイッチを取り出した。魚雷の弾着と同時にこのスイッチを押して起爆する必要がある。それを担当するのは、魚雷の発射を担当するステラだ。

 

 彼女にスイッチを渡してから、俺は再び操縦桿を握った。

 

「ベンド弁開放、トリムタンク及びバラストタンクに注水開始」

 

「了解、ベンド弁開放」

 

 この作戦が失敗すれば、俺たちは袋の鼠だ。いくら母親でも天秤の鍵を譲るわけにはいかない。

 

 頭上にあるコンソールをタッチしてベンド弁を解放し、トリムタンクとバラストタンクに注水が始まっていることを確認する。すると太い魚雷にも似た船体が少しずつ傾き始め、シーヒドラが沈んだ海底へと潜航を開始する。

 

 息を呑みながら左隣を見ると、魚雷の発射スイッチに小さな手を近づけているステラも同じように息を呑んだのが見えた。彼女も緊張しているのだろう。

 

「………魚雷発射用意」

 

「了解(ダー)」

 

 この潜水艇に装備されている魚雷は、発射管から発射するタイプではなくミサイルや爆弾のように吊るしてあるタイプだ。それゆえに発射する前に発射管に注水する必要はない。

 

「――――――発射(アゴーニ)ッ!」

 

「発射(アゴーニ)」

 

 ステラの小さな指が、赤い魚雷発射用のボタンを押した。

 

 がきん、と足元から金属音が轟く。本来は救命用に設計されたDSRVがステラの命令によって、やっと異質な〝荷物”を下ろすことが許された瞬間であった。

 

 すぐに金属音は消え失せ、短すぎる残響をたちまち魚雷のスクリュー音が飲み込む。そのスクリュー音まで遠ざかっていくのを確認したステラは、左手にC4爆弾の起爆スイッチを準備しつつ右手に持った懐中時計を注視する。

 

「20……19……18……」

 

 まだこの潜水艇は錨を下ろしたままだ。流れ込んでくる激流に押し流され、壁に激突して航行不能になるのを防ぐためである。潜航したまま錨を上げるわけにはいかないので、脱出する際はこいつを切り離すことになるだろう。

 

 ステラならタイミングよく起爆してくれる筈だ。そう思いながら、俺は錨を切り離す準備をする。

 

「10……9……8……7……6……5……………………弾着………今」

 

 相変わらずステラの冷たい声が狭い潜水艇の中に響き渡ると同時に、かちん、とC4爆弾の起爆スイッチを彼女の小さな指が押し込んだ。

 

 その直後、潜水艇の前方で凄まじい量の爆薬が弾け飛び、魚雷と爆弾の断末魔が潜水艇を包み込んだ。

 

 

 



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モリガンとの敵対

 

 神殿の通路に仕掛けられたクレイモア地雷のワイヤーをM1ガーランドの射撃で正確に撃ち抜き、爆風と無数の鉄球によって木端微塵にされることのない安全な場所から起爆させる。

 

 鉄球が通路に激突して跳弾する音を聞きつつ、エリスとリディアは既にこのトラップは2人を仕留めるために設置されたものではなく、2人の進行を遅延させるための時間稼ぎに仕掛けられたものだという事を見抜いていた。

 

 通路は当然ながら、平原などの野外と違ってその通路のある方向にしか進めない。それゆえに移動できる場所は制限されるため、その通路をトラップで塞いでしまえば、相手はそれに引っかかるかトラップの解除に時間を割かざるを得なくなる。

 

 自分が教えた技術のうちの1つを実践されたエリスは、子供たちがちゃんと成長してくれていた事に喜びながら、少しばかり危機感を感じていた。

 

(………タクヤは作戦を思い付いたみたいね)

 

 あの子は、幼少の頃から賢い子であった。

 

 勝てない相手と戦う羽目になれば、姉であるラウラよりも先に正面の攻撃ではなく、作戦を立てて相手を欺きつつ戦いを挑んで来たのである。正々堂々と正面から戦う事を好む母親(エミリア)とは真逆で、非常に狡猾な少年だった彼は、時折エリスをひやりとさせるような戦い方をしたものだ。

 

 その時に感じた感覚を、エリスは既に危機感として感じ取っていた。あの少年はもう何かを思い付いた。鍵を持ったまま自分とリディアから逃げおおせる作戦を思いつき、もう実行しようとしているのだろう。このまま悠長に地雷処理をしていれば、彼らに逃げ切られれしまうに違いない。

 

 タクヤの作戦を察したエリスだったが、焦って彼らを追うわけにはいかない。地雷の処理を怠ればたちまちあの鉄球と爆風の餌食になってしまうからだ。だから彼らが逃げようとしているというのに追いつく事ができない歯がゆさを感じながら、地雷を処理して少しずつ進むしかない。

 

「出でよ、我が氷の矛―――――ピアーシング・アイス」

 

 通路中に設置されたクレイモア地雷を一瞥し、エリスはすぐに.30-06スプリングフィールド弾による駆除は非効率的だと判断した。アイアンサイトで狙いを付けて処理するよりも、使い慣れた氷で処理した方が効率的だし手っ取り早いのである。

 

 銃剣を装着したM1ガーランドを背負い、左手を突き出したエリスは素早く無数の氷の棘を召喚していた。彼女の周囲に冷気と共に8本の氷の棘が出現したかと思うと、まるでドリルのように回転を始め―――――ロケット弾のように冷気を空間に刻みつけながら、次々にクレイモア地雷のワイヤーを食い破り、地雷たちを起爆させていった。

 

 いたる所で爆風が膨れ上がり、弾け飛んだ無数の鉄球たちが跳弾を繰り返す。その中の流れ弾に貫かれるのを防ぐために走らの影や曲がり角の影に隠れたエリスとリディアであったが、こうやって爆炎から身を守るために隠れ、跳弾して荒ぶる鉄球たちが鎮まるまで待たなければならないのはタクヤたちの思惑通りである。それを察した2人の胸中では、逃げられるかもしれないという危機感が徐々に膨れ上がり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 C4爆弾で相手を爆破したことはあるが、それを6個も設置した上に魚雷を2本も使って爆破した経験はない。地上よりも比較的振動を感じにくい水中にいるとはいえ、鳴動する海水の中で潜水艇まで揺さぶられるのを感じ取った俺は、それがどれほど凄まじい爆発だったのだろうかとぞっとしていた。

 

 今の一撃で、この広間の底に穴が開いてくれればいい。もし穴が開いていても潜水艇が通れない程度の穴だったのならば―――――やり直しは出来ない。もう既に海水の浸水は始まり、広間の中の酸素は駆逐されつつあるのだから。

 

「浸水開始………現在、海水80%」

 

 エコーロケーションと潜水艇のソナーを併用し、広間の中の海水の量を報告するラウラ。爆破で空いた穴のサイズの報告が来ないのは、まだ感知できていないからという事なのだろうか。

 

 操縦桿をぎゅっと握り、流入してきた海水によって揺れる潜水艇が転覆しないように足掻き続ける。バラストタンクやトリムタンクの微調整を繰り返し、まだ下ろしたままの錨にしがみつきながら、必死に海水に押し流されないように堪え続けていると、徐々に揺れが小さく張り始めた。

 

「ラウラ、穴は!?」

 

「えっと………………大丈夫、潜水艇でも通れるよ!」

 

「よし………ッ!」

 

 あとは、俺の操縦でその穴から脱出し、海流と魔物に気を付けながら海面まで少しずつ浮上していけばいい。

 

 不安の1つが消え失せて少し安心した俺は、傍らで魚雷の発射ボタンを見下ろしたまま微動だにしないステラを見た。彼女はどうやらかなり緊張していたらしく、懐中時計をぎゅっと握ったまま深呼吸をしている。

 

 彼女の小さな頭の上に手を置き、ステラを優しく撫でた。彼女の銀髪はふわふわしていて、まるで子猫やリスを撫で回しているような感じがする。

 

「よくやった、ステラ」

 

「き、緊張しました………」

 

「ここからは任せろ。………はははっ、あとでご褒美をあげないとな。欲しいものがあったら言ってくれよ?」

 

「は、はい………」

 

 正確に魚雷をC4爆弾が仕掛けられている地点へと命中させてくれたステラを労った俺は、もう潜水艇を揺さぶっていた海水がかなり大人しくなっていることを確認すると、後方の席に座るナタリアに「錨切り離し!」と報告してから、操縦桿の左脇にある小さなレバーを手前へと倒した。

 

 パキン、とまるで細い金属の棒が折れるような音が、耐圧穀の向こう側から聞こえてきた。先ほどまでしがみついていた金属の重りを断ち切り、これから俺たちは深海へと向かって脱出するのだ。

 

「微速前進。タクヤ、頼むわよ………!」

 

「はいよ。ラウラ、修正は?」

 

「上に1度、右に3度」

 

「了解、トリムタンクブロー」

 

 船首にあるトリムタンクから、潜航するために注水した海水を少しだけ排水して船首を持ち上げる。そのまま操縦桿を右へと倒してラウラに言われた通りに3度修正し、トリムタンクに再び注水して浮上を止める。

 

 言われた通りの角度に修正したが、これでいいか? ソナーマンの座席に座る彼女を一瞥すると、ラウラは俺に向かって微笑みながら親指を立ててきた。

 

 これで合っているという事なんだろう。

 

 後方から聞こえてくるスクリューの音に包まれながら、手元のモニターを確認する。すると、徐々に再び船体が揺れ始める。広間の浸水によって海水の流入する勢いが落ちたとはいえ、今度は俺たちが通ってきた通路へと海水が逃げ込むわけだから、その分の海水もこの穴から〝補充”されることになる。つまり、完全に神殿が浸水しない限りこの海水は止まらない。

 

 ガタガタと震え始めた操縦桿を必死に握り、潜水艇の進路がずれないように維持する。せっかくラウラが修正するための角度を教えてくれたのだ。少しでもずらせば彼女の索敵が無駄になるし、爆破によって突き破られた壁の断面に激突して航行不能になる恐れもある。

 

 今度は俺が踏ん張る番だ。ステラが魚雷を正確にC4爆弾が設置されている地点に命中させ、それと同時にタイミングよくC4爆弾を起爆させたからこそこの穴は開いたのだ。俺がミスをすれば、全員の努力が水の泡になる――――――。

 

 船体の揺れが船首から船体の腹へと移り、後部へと続く通路の辺りを揺らしたかと思うと、徐々に揺れは船尾の方へと移動していった。やがて操縦桿も揺れなくなり、船尾からも機関の音とスクリューの音だけが聞こえるようになる。

 

「――――――海底神殿、脱出!」

 

「やった………!」

 

「さすがですわ、お兄様っ!」

 

 いいぞ。これでエリスさんたちは追撃してこれなくなる!

 

「海流に注意して。船速を上げつつ取り舵40、海流を抜けるまで今の深度は変えないように」

 

「了解、とーりかーじ」

 

 操縦桿を倒しながら復唱する俺の胸中で、やっと鍵を手に入れる事ができたという安心感と同時に、不安が湧き上がってくる。

 

 鍵はあと2つある。倭国のエゾにあると言われている九稜城と、ヴリシア帝国のホワイト・クロックと呼ばれる巨大な時計塔の地下だ。次の目的地はわ北にする予定だが、倭国は現在旧幕府軍と新政府軍の戦争が勃発している危険地帯である上に、鍵がある九稜城は旧幕府軍の本拠地と言われている。

 

 鍵を手に入れに行くという事は旧幕府軍の本拠地への攻撃を意味するのだが、俺の中に湧き上がってきた不安はそれよりも大きい。

 

 今回の神殿の一件で、親父も天秤を狙っているという事が分かったからだ。

 

 この海底神殿の鍵を手に入れられなかったとエリスさんが報告すれば、親父は全力で鍵を確保しようとする事だろう。親父だけでなく、他のモリガンの傭兵たちも動き出すに違いない。

 

 つまり、これ以上鍵を手に入れようとすれば―――――最強の傭兵ギルドであるモリガンと、争奪戦を始めることになる。よりにもよって親父たちと敵対することになるのだ。

 

 勝てるのか………?

 

 湧き上がった不安を必死に押さえこみながら、俺は操縦桿を倒し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、ダーリン。タクヤたちに鍵取られちゃったわ」

 

 耳に装着していた小型無線機のマイクに向かって、エリスは報告する。目標であった鍵を奪う事が出来なかったというのに、極東の海の上にいる筈の夫へと報告する彼女の声には、子供たちに出し抜かれたという悔しさは全く含まれていない。

 

 むしろ、喜んでいるようだった。新しい事を覚えたり、数日前までハイハイしていた幼い子供たちが立ちあがって歩き始めたことに大喜びしているかのように、鍵を奪われずに逃げ切った子供たちを称賛しているのだ。

 

 もちろん、鍵を奪えなかったことを全く反省していないわけではない。しかし、夫もこの報告を聞けば喜んでくれる筈だ。だからエリスは明るい口調で報告しているのである。

 

(それにしても、神殿の壁を爆破して逃げるとは思わなかったわ)

 

 すぐ後ろで凍結し、荒々しい氷のオブジェと化している海水の壁に寄りかかりながら、エリスはそう思った。どうやらタクヤたちは脱出するために最深部の壁を爆破したらしく、いきなり通路の奥から海水の激流が躍り出てきた時はぎょっとした2人であったが、絶対零度の異名を持つエリスに水で挑むのはまさに愚の骨頂。一瞬で対戦車榴弾を氷漬けにしたように海水も凍結させ、押し流される前に身を守った彼女は、傍らで俯くリディア・フランケンシュタインの頬を撫でながら息を吐いた。

 

『そうか………。あいつらは成長してたか?』

 

「ええ。すごい連携だったわよ」

 

『なるほど』

 

 極東の海を航行する戦艦『ブリストル』の甲板の上で報告を聞いている筈の夫も、エリスを咎める様子はなかった。

 

「ダーリン、船旅はどう?」

 

『ああ、気分がいい。いつか家族みんなで………旅行に行きたいもんだ。船に乗ってな』

 

 彼の声音が少しだけ悲しそうな声音に変わったような気がしたが、エリスは息を吐きながら苦笑した。家族全員で豪華客船にでも乗り、世界旅行に行くのも悪くない。この天秤の争奪戦が終わったら、子供たちも誘って是非旅行に行こう。そう思って「そうね」と無線機に向かっていった彼女は、リディアの頬を撫でるのを止める。

 

「エミリアちゃんは元気?」

 

『あいつ、船に弱かったみたいで………その、船酔いに苦しんでる』

 

「………旅行に行けないわね」

 

 早くも船での世界旅行を諦める羽目になりそうだ。今まであまり船に乗る機会はなかったから妹が船酔いに弱いという弱点を知らなかったエリスは、若き日に経験した18年前のファルリュー島の戦いで、よく船酔いに耐えたものだと妹を称賛しながら再び苦笑した。

 

 あの凄まじい戦いを思い出しつつ、目を細める。モリガンが今まで経験してきたのはあくまで〝依頼”だった。他者から依頼され、クライアントの代行者となって報酬のために戦う傭兵の仕事。しかし、あの時の戦いは〝依頼”ではなく〝戦争”だったではないか。依頼を受けたわけではなく、ネイリンゲンを壊滅させられたことの報復攻撃。共に戦った海兵隊員の1人1人が復讐心を持ち、敵の転生者を皆殺しにした禍々しい戦争である。

 

 今からリキヤとエミリアは、異国での戦争に参戦することになる。倭国という極東の島国で勃発した、旧幕府軍と新政府軍の戦争。しかも新政府軍側に騎士団と共に参戦し、倭国の戦争を終結させろと依頼してきたのはオルトバルカ王国の女王である『シャルロット・アウリヤーグ・ド・オルトバルカ』なのだ。王室から信頼されているからこその大仕事だが、やはり本国に残ることになった妻の1人としては、戦争に向かう妹と夫が不安になってしまう。

 

 あの2人の強さは分かっているが、不安は消えなかった。

 

「ねえ、ダーリン」

 

『ん?』

 

「あのね………ダーリンは若い頃から無茶をする悪い癖があるけど………もう、無茶はしちゃ駄目だからね?」

 

『おう』

 

 若い頃からの夫の悪癖だ。

 

「お願い………ちゃんと帰って来て」

 

『任せろ。ついでに鍵も手に入れて帰るさ。………妻を未亡人にするわけねえだろ?』

 

「ふふっ………ありがと。愛してるわ、ダーリン」

 

『俺も愛してるよ、エリス。………それじゃ、みんなを頼んだ』

 

 悪癖が消えないのは分から頃から変わっていないが、頼もしさも変わらない。彼の声を聞いていると、必ずエミリアと共に帰ってきてくれるだろうと信じる事ができる。

 

 夫の声を聞いて安堵したエリスは、静かに胸に手を当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 ハッチを開けると、開放的な海原の景色と共に潮の香りが潜水艇の中へと流れ込んできた。息を思い切り吸って潮の香りを吸い込んでみたが、やはりこれからモリガンと敵対する羽目になるという不安は消えない。

 

 ハッチから顔を出し、双眼鏡で周囲の海域を見渡すナタリアを一瞥した俺は、びしょ濡れになったズボンの裾をつまんで顔をしかめた。炎を出して乾かしたいところだが、狭い潜水艇の中でサラマンダーの炎を出すわけにはいかない。今はハッチを開けているから窒息死する心配はないが、潜水艇の内部は当然ながら狭いため、迂闊に炎は使えないのだ。

 

 いつまで海水で濡れたズボンとパンツを穿き続けなければならないのだろうかと考えていると、俺の後頭部にぷにぷにした柔らかい何かが絡み付いてきた。一瞬だけびっくりしたけど、その触り心地でラウラの尻尾だと理解した俺は、その尻尾を撫で回しながら顔を上げる。

 

 すると、やはり赤毛の少女が操縦士の座席に座る俺の顔を上から覗き込んでいた。垂れ下がった彼女の長い赤毛が発する甘い香りに包まれながら姉の顔を見上げていると、何故かドキドキしてしまう。

 

「お疲れさま、タクヤ」

 

「お、おう」

 

 そのまま顔を近づけてくるラウラ。俺も顔を赤くしながら顔を近づけ、いつものように彼女の唇を奪う。舌を絡み合わせてからそっと顔を離しつつ頭に触れてみると、やはり俺の頭の角はダガーのように伸びてしまっていた。

 

 便利な能力が備わったからだだが、この角はかなり不便だ。感情が昂ると勝手に角が伸びてしまうので、迂闊にドキドキすれば頭に角が生えているとばれてしまう。

 

 だからキメラには、角を隠すためのフードや帽子が必需品なのだ。

 

「ねえ、次はどこに行くの?」

 

「そうだなぁ………」

 

 ラトーニウス海とヴリシア帝国はかなり距離が離れている。正反対というわけではないが、ホワイト・クロックにある鍵のためにヴリシア帝国へと向かうよりは、近くにある倭国へと向かった方が良いだろう。

 

 目的地を決めた俺は、ニコニコと笑いながら顔を覗き込むラウラに言った。

 

「――――――極東を目指そう。次の目的地は、倭国だ」

 

 

 

 第六章 完

 

 第七章へ続く

 

 



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第7章
転生者が無人島に到着するとこうなる


 

 DSRVの甲板にあるハッチから、再び潮の香りの中に躍り出る。海の上にいるからなのか、潮の香りのする風は予想よりも涼しくて心地よかった。波が来訪する度に揺れる潜水艇の小さな甲板の上で空を見上げ、飛び去っていくカモメの群れを眺めてた俺は、もう一度深呼吸して潮の香りを味わうと、踵を返して後ろに立つ赤毛の少女の方を振り向いた。

 

 甲板からジャンプして岩場の上へと飛び移るラウラ。他人に見られる心配がないからなのか、漆黒のミニスカートの中からは、紅い鱗に覆われた柔らかそうな尻尾が伸びている。彼女にはサラマンダーの雌の特徴が反映されているらしく、尻尾は俺と違って硬い外殻に覆われているわけではない。

 

 最近では甘えてくる時に、逃がさないと言わんばかりに俺の身体に巻き付けてくる柔らかい尻尾がゆらゆらと揺れるのを眺めていた俺は、やや大きな波の来訪によって潜水艇が揺れたことで我に返ると、愛用のAN-94を背負ったまま俺も岩場へとジャンプした。

 

 そして素早くメニュー画面を開き、潜水艇を装備していたものの中から解除する。メニュー画面を閉じて見上げてみると、もう目の前には太い魚雷にも似た潜水艇は見当たらなかった。潮風と波に愛撫されてゆらゆらと揺れていたDARVが消え失せた事を確認した俺は、背伸びをしてから息を吐く。

 

 メサイアの天秤の鍵を手に入れ、海底神殿へとやってきたエリスさんたちから辛うじて逃げ切った俺たちは、ラトーニウス海を経由して極東へと向かう最中でこの無人島に立ち寄っていた。

 

 ラウラの能力を使えばいつでも真水は補充できるんだが、非常食も補充しなければならないし、なによりそろそろ潜水艇の原動力である蓄電池の充電も必要だ。充電とはいえ、充電するための設備はないし、充電や燃料の補給はその兵器や乗り物などを装備から解除した状態で12時間経過すれば、勝手に補充される仕組みになっているので、補給用の設備がなくても12時間待てば再び燃料や電力が満タンの状態で、更にメンテナンスまで済んだ状態で再び乗れるようになるというわけだ。便利な能力だな。

 

 だから、充電が終わるまでこの無人島で食料を探し、時間があればちょっとした海水浴でも楽しんでいこうという計画を立てたのである。

 

 ラトーニウス海の真っ只中にある小さなこの無人島には特に危険な魔物は生息していないらしいが、念のためライフルは携行しておいたほうがいいだろう。

 

 この楕円形の無人島は、南側が岩場になっている。俺たちの現在位置はまさにその岩場の上だ。そこを北側へと進むとちょっとした林があり、そこを越えれば砂浜があるようだ。食料の確保は林とこの岩場になるだろう。林の中には木の実や野草がありそうだし、もしかすると小動物も生息しているかもしれない。岩場ならば釣りができるし、海の中に潜れば大きな魚や海藻も手に入りそうだ。

 

 幼少期に経験したサバイバル訓練の事を思い出しながら林の中へと向かう。とりあえず、12時間もこの無人島で待機しなければならないので、仮設の拠点でも用意しておくべきだろう。

 

 スコールが来る可能性もあるので、出来るならば屋根代わりになるものがある場所が良いな。洞窟は見当たらないから、林の中で探すべきだろうか。

 

「えへへっ。小さい頃のサバイバル訓練みたいだねっ♪」

 

「ああ。あの時は面白かったよな」

 

 冒険者は場合によっては食料を自分で調達する必要もあるので、魔物と戦う技術以外にもサバイバルの技術が必要になるという事で、幼少期に親父からサバイバル訓練を受けていたのだ。王都の外れにある森の中で動物を狩ったり、ラウラと協力して木の実やキノコを採って、俺が火を起こして一緒に食ったものだ。俺は炎を操る能力を身に着けていたから火を起こすのは素早くできたし、いざという時はラウラの氷で消火できたから火には困らなかった。

 

 学校に通い、家に帰ってクソ親父の暴力を受けていた前世では体験できなかったサバイバルは刺激的で、幼少期に経験した訓練の中では一番好きだった。食料の調達は大変だったけど、慣れてきた頃はもうキャンプに出掛けているような楽しさを感じていたからな。

 

「確かあの時、ラウラが間違えて毒キノコ持ってきたんだよな?」

 

「あはははっ、そうだったね。それでタクヤが毒キノコだって見抜いてくれたんだよね」

 

「そうそう。はははっ」

 

 あの時、ラウラはにこにこ笑いながらどっさりと採ってきたキノコを焚火の近くに置き、仕留めたウサギの毛皮をナイフで引き剥がしていた俺に向かって胸を張りながら自慢してきたんだけど、そのキノコの中に毒キノコが紛れ込んでたんだよなぁ………。

 

 当然ながら解毒剤やエリクサーなどの持ち込みは禁止されていた訓練だったから、毒キノコを喰ったら解毒剤代わりの薬草を自力で探さなければならない。

 

 危なく毒キノコまで焼くところだったんだ。

 

「あ、あんたたちってそんな訓練まで受けたの………?」

 

「ん? ナタリアはサバイバル訓練は受けなかったのか?」

 

「食用の野草とか木の実を図鑑で調べたりした程度よ。さ、さすがにそんな訓練は受けてないわ………」

 

「ふにゅ? じゃあ蛇とかサソリを食べた事ないの?」

 

「さ、サソリぃっ!?」

 

 そういえばサソリも食べた事があったな。顔を青くしながらラウラの話を聞くナタリアを見て笑いながらサソリの味を思い出そうとしていると、左手の袖を小さな白い手がくいっと引っ張った。

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 見下ろしてみると、グレーのワイシャツの袖をステラが掴んでいた。サバイバルで調達した食料の話を聞いていたのか、彼女の小さな唇の端にはよだれを拭い去った後がある。

 

 ちょ、ちょっと、ステラ? まさか、サソリを美味そうだと思ったのか?

 

「サソリは美味しいのですか?」

 

「いや………すまん、味は覚えてない………」

 

「そうですか………では、今度見かけたら食べてみます」

 

 食うつもりかよ。

 

 サキュバスって魔力を吸収していれば食い物を食べる必要はない筈なんだが、どうしてステラは食べ物に興味を持つのだろうか? 仮に普通の食べ物を食べたとしても、魔力を吸収しない限り満腹感は感じない筈だし、栄養も吸収できない筈だ。純粋に味が好きなんだろうか?

 

 前は食虫植物っぽい魔物も食ってたし………。お腹を壊さないか心配だ。

 

「海水浴も楽しみですわね」

 

「そうね。調達をさっさと済ませて、泳ぎましょうよ」

 

「ああ、そうしよう」

 

 海水浴か………。

 

 こっちの世界に来てからは、あまり海水浴には行っていない。オルトバルカ王国が北国である上に住んでいた場所が内地で、海までかなり距離があったせいで殆ど海には行けなかった。ラウラが海に言って泳ぎたいって駄々をこねた時は親父がハンヴィーを運転して連れて行ってくれたけど、きっと大変だっただろうな。

 

 道中で魔物に襲われた時は、速度を上げたりドリフトで回避して逃げ切っていたし、それを何度も繰り返してずっと運転してたんだ。母さんやエリスさんが運転を変わろうとしたんだけど、親父は「気にすんな。運転は俺に任せてくれ。子供たちを頼む」って言って、海につくまでハンドルをいつまでも握ってた。

 

 前世のクソ親父のせいで、親父というのは大概クソ野郎なんだと決めつけていた俺にとって、今の親父は最高の親父だ。転生してきた時は童貞だった俺から見れば美女を2人も妻にしてたのは許しがたい事だったんだが、俺たちや母さんたちに暴力は全然振るわないし、むしろ逆に大切にしている。それが当たり前の父親なのかもしれないが………前世の親父がクソ野郎だったからな。

 

 林の中に入ると、潮風の香りの中に木や草の香りが混ざった。一瞬だけ森の中で狩りをしていた頃を思い出しつつ、林の真ん中に屹立するやけに大きな木の根元にポーチやバッグなどの道具を置く。ついでにコートの上着とワイシャツも脱いでここに置いておこう。さすがに南にある無人島でコートを着るのは辛いし、狩りをするならこっちの方が動きやすい。

 

 そう思いながらボタンを外し、ワイシャツを脱いでからコートの上着と共に畳んでポーチの上に置いておく。背負っていたAN-94のセレクターレバーをセミオートに切り替えてからポニーテールを払った俺は、同じように荷物を置く仲間たちに向かって言った。

 

「よし、食料の調達に行こうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティーのメンバーは5人いるので、食料の調達は二手に分かれることにした。林はそれほど広くはないので、林での食料の調達は2人という事に決めている。残った3人には南側の岩場で釣りをしてもらい、魚を確保してもらうという計画だ。

 

 分担は俺とナタリアが林の中での食材の調達を担当し、残った3人には釣りを担当してもらう事になった。幼少の頃から森で何度も狩りをしていたから俺はこのような環境でも動きやすいし、サバイバルの技術も訓練のおかげで身についている。ナタリアはサバイバル訓練を受けたことがないらしいので、彼女の訓練にもなるだろう。

 

 ラウラに釣りをお願いしたのは、彼女にはエコーロケーションという能力があるからだ。メロン体から発する彼女の超音波なら、海中の魚を用意に察知できるだろう。魚群探知機みたいな使い方だが、それなら効率的に魚を調達できるに違いない。実際に昔のサバイバル訓練でもその能力を発揮し、素早く魚を探知して釣り上げていたから大丈夫だろう。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 木の根の近くに生えていた野草を摘んでポーチに入れていると、ククリナイフを使ってキノコを採っていた筈のナタリアが声をかけてきた。何かを見つけたんだろうと思いながら立ち上がり、彼女の傍らへと向かうと、ナタリアは大きな植物の茎から生えた真紅の実を凝視していた。

 

 茎から伸びた短い枝のような部分に、びっしりと小さな真紅の実が生えている。まるでトウモロコシの実を紅色にしたような毒々しい植物だ。確かこの植物もサバイバル訓練の時に何度か目にしている。

 

「こいつは『クレナイトウモロコシ』だな。色んな気候の森の中に生えてるトウモロコシの一種だよ」

 

「そうなの? じゃあ、焼トウモロコシにできるわね!」

 

 目を輝かせながらその紅いトウモロコシをククリナイフで切り落そうとするナタリアだが、俺は素早く手を伸ばすと、ククリナイフを手にしていたナタリアの白い腕を掴んだ。

 

 トウモロコシの一種っていう前に、これの特徴も説明しておけば良かったな。

 

「え? 採らないの?」

 

「それが………これ、食用じゃないんだよ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。むしろ危険だ。毒がたっぷり入ってるからな」

 

「えぇっ!?」

 

 毒が入ってると聞いたナタリアは、大慌てでククリナイフを握っていた手を引っ込めると、素早く俺の背後に隠れてから恐る恐る真紅のトウモロコシを睨みつけた。

 

 俺は苦笑いしながら、背中に隠れた彼女にこの禍々しいトウモロコシの説明をする。

 

「このトウモロコシは栄養素よりも地中の色んな毒素を最優先に吸収するっていう性質があるんだ。だから実や茎の中にはその毒素が凝縮された猛毒がたっぷり詰まってる。まあ、その毒を武器に使ったりするケースもあるんだけどな」

 

「た、食べれないじゃない!」

 

「ああ、食ったら死ぬぞ。解毒剤はあるけど。―――――でも、こいつは地中の毒素を根こそぎ吸収してしまうから、これが生えている土地には殆ど毒素は残っていないんだ。だから他の野菜とか植物は純粋な栄養を吸収して成長できるってわけ。農場によっては意図的にこいつを植えてる場所もあるんだぜ」

 

「そ、そうなの………?」

 

「おう」

 

 変わった特徴を持つこのトウモロコシのおかげで、毒ガスのせいで人類が住めなかった土地が暖かい大草原や農場に変わった場所も多い。

 

 こいつが土地の毒素を吸収し、肩代わりしてくれているってわけだ。

 

 そのクレナイトウモロコシの根元に生えていた野草を摘み取ると、「ほら、早く調達済ませようぜ」といいながらまだ背後に隠れていたナタリアの肩を軽く叩いた。

 

 ちなみにあまり喜ばしくない話だが、そのたっぷり毒素を吸収したクレナイトウモロコシの猛毒は頻繁に武器に転用されている。飛竜にも通用するほどの猛毒で、売店や管理局にあるショップに行けばこの毒のカートリッジを購入することが可能だ。きっとナタリアが使っているククリナイフの毒もこれの毒なんだろう。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

「あんたってさ………色んな事を知ってるのね」

 

「まあ、小さい頃は図鑑とか読んでたから………」

 

「ふふっ………タクヤの知識って、頼もしいかも」

 

「………っ」

 

 お、落ち着け。ナタリアに褒められて照れてしまった俺は、倒木の陰から生えているでっかいキノコを引き抜きつつ息を吐く。

 

 続けてそいつの隣に生えていた小さなキノコへと手を伸ばしたんだが、表面に触れる寸前にそのキノコが毒キノコだということに気付いた俺は、大慌てで手を引っ張った。

 

「………どうしたの?」

 

「い、いや………ほら、でっかいキノコがあったからさ。あはははははっ」

 

 倒木の陰から取れたキノコで誤魔化しつつ、俺はナタリアから目を逸らした。

 

 そういえば、あまりナタリアに褒められたことはない。遺跡の地下で2人きりになっちまった時も変態キメラって言われた上に触手で頭を叩かれたし。

 

 あまり彼女に褒められたことがなかったからこそ、改めて褒められて照れてしまったのかもしれない。

 

「へえ、そんなに大きいキノコも生えてるんだ?」

 

「ああ」

 

 コートの上着を着ていれば、赤くなった顔をフードで隠せたんだけどなぁ………。

 

 苦笑しながら深呼吸した俺は、誤魔化すために取り出したそのでっかいキノコをポーチの中へと戻すと、太い木の枝にぶら下がっている木の実を取るために、巨大な木の幹を登り始めた。

 

 



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転生者が無人島で食料を調達するとこうなる

 

 林の中で収穫したキノコや木の実を抱えて岩場の方に戻ってみると、暖かい風の中で3人の少女が並び、近くにある木の枝にワイヤーやロープを巻き付けただけの即席の釣竿を海面に向けて伸ばしている姿が見えてきた。

 

 細い枝だと魚に引っ張られて折れてしまう可能性があるので、比較的太めの枝をナイフで削ったものなんだろう。作り方を教えたのはラウラに違いない。小さい頃のサバイバル訓練でこういう釣りも経験しているからな。

 

 でも、その簡単な釣竿を持つラウラの隣には、奇妙なものが鎮座していた。

 

 木製のグリップと銃床が取り付けられていて、銃床の下部からはモノポッドが伸びている。そのまま先端部の方へと太い銃身が伸びており、銃身の上にはスコープではなく、ラウラのために取り付けておいたピープサイトが居座っていた。その銃身にはワイヤーが巻き付けられている。

 

 ら、ラウラ………ヘカートⅡを釣竿代わりに使うなよ……。確かにモノポッドとバイポットを使えば置いたままでも大丈夫だし、アンチマテリアルライフルの重量なら魚に引っ張られて海に落ちることもないだろう。でも、かなり物騒な釣竿だ。

 

 岩場の上に座り、ミニスカートの中から伸ばした尻尾を左右に振りながら海を眺めるラウラ。彼女の傍らには鮮血のように紅い氷で氷漬けにされた魚が3匹ほど転がっている。俺たちが林の中で食料を調達している間に釣り上げた魚なんだろう。

 

 他の2人は釣ったのかな?

 

 カノンの近くには氷漬けにされた魚が4匹並んでいる。しかも、ラウラが釣り上げた魚よりも若干大きい。もしかして、カノンって釣りが得意なのかな? 彼女を連れて釣りに行ったことはないから分からないんだが、もし釣りが得意ならあとでコツを教えてもらおう。釣りを楽しむ時にも役立つだろうし、食料を調達する時の技術としても役立つからな。

 

 どっさりと持ってきた木の実やキノコを岩場の上に置きながら、一番左側に座るステラの方を見てみる。彼女も3匹釣り上げているみたいだ。そのうち2匹はイワシみたいに小さい魚なんだが、残った1匹はやけに大きい。身体の表面は黒ずんでいて、頭からは何故か羊みたいな角が生えている。………図鑑にあんな魚載ってたっけ? 新種かな?

 

 あんな魚が食えるんだろうかと思いつつ、ステラの釣果の確認を終えようとした瞬間だった。よく見てみるとその氷漬けにされたでっかい魚の陰に、ほんの少しだけ肉が残った魚の骨が転がっていたんだ。

 

 しかも、ステラの小さな口は何かを咀嚼しているようだ。

 

 まさか………釣った魚をもう食べちゃったの………?

 

「………ふにゅ? あっ、お帰りなさいっ! どう? いっぱい採れた?」

 

「おう。今夜は木の実とキノコが食べ放題だぞ」

 

 ナタリアと2人で収穫してきた食料を岩場の上にまとめておいた俺は、両肩を回して息を吐きながらラウラの隣に腰を下ろした。するとラウラは早くも俺の近くに寄ってきて、頬を俺の肩に押し当てる。

 

 相変わらずラウラは甘えん坊だなぁ。

 

 左手で彼女の柔らかい尻尾を鷲掴みにすると、ラウラは「ひゃっ……!?」と小さな声を出しながら震えた。いきなり尻尾を鷲掴みにされてびっくりしたんだろう。

 

 でも、ラウラは顔を赤くしながら俺の方を見ると、すぐににこにこ笑いながら頬ずりを始めた。俺の左手に掴まれている尻尾も、逃がさないと言わんばかりに左腕に絡み付き始める。

 

 俺もお姉ちゃんに甘えたいんだから、逃げるわけがないじゃないか。

 

 幸せそうに頬ずりする彼女の頭を撫でてあげようとしたその時だった。彼女が傍らに置いていたヘカートⅡの銃身に巻き付けられているワイヤーが、ぐいっと海面に引っ張られ始めたのである。

 

「お、おい、ラウラ!」

 

「ふにゅ? あっ、魚だね」

 

 自分の持っていた木の釣竿を俺に渡し、ラウラは尻尾を俺に巻き付けたままヘカートⅡへと手を伸ばす。

 

 強力な12.7mm弾を使用することを想定しているだけあり、当然ながら銃身などは非常に頑丈だ。その分スナイパーライフルよりも重くなってしまっているアンチマテリアルライフルだが、その重量のおかげで餌に喰らい付いた魚に引っ張られても微動だにしない。

 

 モノポッドとバイボットを展開したまま鎮座し、荒ぶる魚を釘付けにし続けているライフルを手にしたラウラは、左手でグリップを掴みつつ右手でキャリングハンドルを握ると――――――ワイヤーの巻きつけられた銃身を、力任せに振り上げた。

 

「――――――えいっ!」

 

 元々キメラは、人間よりも遥かに強力な筋力を持つ。おそらく身体能力が高いのはサラマンダーの血のおかげなんだろう。だからキメラの少女として生まれたラウラの腕力も、17歳の少女とは思えないほど極めて強靭だ。

 

 ワイヤーを引っ張っている魚はあっさりと彼女に引っ張られ、ちょっとした水柱を噴き上げながら海の上へと引きずり出された。

 

 思ったよりも簡単そうに釣り上げたから小さな魚だったんだろうと思っていたんだが、ヘカートⅡを釣竿代わりにしたラウラが釣り上げたその魚は、俺の予想以上に大きな魚だった。アンコウのようにずんぐりとしていて、目玉は何故か4つもついている。まるでアンコウの目玉を増やし、そのまま太らせたような姿の魚だ。全長は2mくらいだろうか。

 

「わお………大物じゃねえか」

 

「えへへっ♪ じゃあ、お料理はお願いね」

 

「任せろ」

 

 料理は得意分野だからな。

 

 俺の母親であるエミリア・ハヤカワも料理が得意で、基本的にハヤカワ家で毎日料理を作るのは母さんの役割になっている。騎士団で1人暮らしをしていた頃から料理をしていたらしく、母さんの料理は非常に美味い。

 

 冒険者になったら自分で料理しなければならないので、俺は訓練を受け始めた辺りから母さんに料理を教えてもらっていたのだ。母さんが仕事で忙しい時は俺が代わりに夕食を作ることもあったんだが、俺が料理する度に家族のみんなは大喜びしてくれた。

 

 ちなみに、このパーティーの中では俺が料理を担当することになっている。

 

「さて、それじゃあ俺は調理器具でも用意するか」

 

 トントン、と足元の岩を軽く叩いた俺は、もう一度ラウラのぷにぷにした尻尾を撫でてから彼女の尻尾を離してもらった。

 

 メニュー画面を開いてサバイバルナイフを1本だけ生産し、仲間たちから距離を取る。

 

「何するの?」

 

 足元の岩場を見下ろしていると、ラウラが釣り上げたばかりの魚を氷漬けにしているのを見ていたナタリアが尋ねてきた。まあ、何をするのか説明しなければ俺が何を始めるのか分からないだろうな。いきなりサバイバルナイフを装備して、最中ではなく岩場を観察し始めたのだから。

 

「ちょっと調理器具を作ろうかなと」

 

「調理器具?」

 

「そう。だって俺ら、鍋とか持ってないだろ?」

 

「そういえばそうね。今まで非常食とか、宿屋の厨房を借りてたし………」

 

 前までは干し肉などが非常食の主流だったんだが、フィオナちゃんによって缶詰が発明され、それ以降は非常食の主流は缶詰になっている。ダンジョンや野宿をする際の食事は缶詰にし、宿屋の食堂などで普通の料理を食べるようにしている冒険者は多いのだ。そうすればいちいち調理するためにフライパンや鍋などの調理器具を持って行かなくてもいいからな。

 

 俺たちもそうしてたため、調理器具は持ち合わせていない。食料を調達したとしても塩で少し味付けし、焼いてから食べる程度だ。でも今回はこんなに食料を調達できたし、非常食として持ち歩くには多過ぎるので、ここで調理して食事をするためにも調理器具を用意しなければならない。

 

 だから、自分の能力をフル活用して色々と用意するのだ。

 

「何を作るの? まな板?」

 

「まあ、まな板も必要だな。包丁は俺の能力で生産できるし。………まず、鍋を用意するよ」

 

「鍋? ………ちょっと待って、何で鍋を作るつもりなの?」

 

「ん?」

 

 俺はニヤニヤ笑いながら、右足でトントンと足元の岩場を軽く踏みつけた。

 

「い、岩………?」

 

「おう。安心しろって、俺は器用だから」

 

「え? 岩で作るって………削れるの?」

 

「ああ、そういう能力があるから。………じゃあちょっと離れてろ。危ないぞ」

 

 サバイバルナイフを逆手持ちにし、俺は久しぶりに巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させる。

 

 巨躯解体(ブッチャー・タイム)は、高周波によってその能力を使用したものが手にしている刃物に振動を発生させ、切れ味を飛躍的に向上させるという能力だ。鈍器や銃を手にしている場合は何の意味もないが、刃物であれば振動は発生するため、投げナイフと併用すれば切れ味の上がったナイフを敵に投げつける事ができるというわけだ。

 

 近距離ではナイフを多用する俺には、うってつけの能力である。

 

 ナタリアが俺から離れたのを確認してから、外殻を生成して全身を硬化させる。そして逆手持ちにしたサバイバルナイフを、巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させた状態で少しずつ岩場へと近づけていく。

 

 切っ先が岩に触れた瞬間、一瞬だけ火花が散ったかと思うと、すぐに岩の粉塵と小さな破片が飛び散り始めた。カツンと何度も外殻の表面に小さな破片が激突するが、弾丸を容易く弾いてしまうほどの硬さの外殻に激突しても全く傷はつかない。

 

 そのまま刀身を岩の中へと押し込み、ゆっくりと岩を正方形に削り始める。いきなり鍋の形に削るわけにはいかないので、まずは正方形に削り取ってから取り出し、そこから徐々に鍋の形に削っていくつもりだ。

 

 左手で目を守りつつナイフで岩を切り裂き、正方形になった岩を岩場の中から引っ張り出す。削り取られた岩場には、あまりにも不自然過ぎる長方形の穴が開いていた。

 

「す、凄い切れ味ね………」

 

「ふにゃあ………!」

 

「はっはっはっはっ」

 

 本当に便利な能力だなぁ。

 

 削り取った岩の塊を地面の上に置いた俺は、全身を外殻で覆ったまま腰を下ろし、その岩の塊を切れ味が強化されたサバイバルナイフで削り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 岩を削り終えてから他の調理器具も準備し、夕食を調理する準備は整った。持ってきた食材や用意した調理器具は、俺が岩を削り出した正方形の穴にまとめて保管してあるので、夕食を作る時は岩場に戻ればいい。

 

 12時間経過すれば潜水艇の蓄電池の充電が完了するのだが、今夜はせっかくだからこの無人島に一泊して休んでいくことになった。

 

 しかもまだ日が暮れるまでまだまだ時間があるし、この無人島の北側には砂浜もあるので、海水浴を楽しんでいく余裕はあるだろう。

 

 だが、当然ながら水着は常に持ち歩いているわけではない。持ち歩いているのは最低限の着換えや冒険に必要なアイテム等だ。新しい服が必要になったら街の服屋で買いそろえるか、緊急時は俺の能力を使うしかない。

 

 ここは無人島なので、当たり前だが服屋はない。そのため、レベルを上げて貯めたポイントを使って全員分の水着を用意することになった。

 

 メニュー画面を目の前に展開したまま、目を瞑った上に必死に真横を見て目を逸らし続ける俺。その俺の傍らでは、仲間たちが楽しそうに雑談しながらメニュー画面をタッチし、自分たちの水着を選んでいる。

 

「ねえ、ラウラはこういうのが似合うんじゃない?」

 

「ふにゅー………悪くないかも。……あっ、ナタリアちゃんはこれがいいんじゃない?」

 

「えぇっ!? こ、これは………」

 

「ふむ………ステラは水着を着たことがないので、全く分かりません」

 

「では、ステラさんの水着はわたくしが選んで差し上げますわ」

 

 は、早く選び終えてくれないかなぁ………。

 

 顔を真っ赤にして角を伸ばしながら、俺はそう願っていた。

 

 成長して冒険者として旅に出た俺とラウラだが、俺は母さんに似過ぎたせいで旅に出てから色々と困っている事がある。まず、トイレに入る時だ。当たり前だがトイレは男性用と女性用に分かれているんだが、俺の性別は母さんに似ているとはいえ息子を搭載した男なのだから、トイレでは男性用トイレに入らざるを得ない。しかし、トイレに入ると他の利用者が凄まじい目つきで俺の事を凝視してくるのである。

 

 まあ、女子みたいな容姿の男子ですからね。男性の皆さんはいきなり男性用トイレに女子が入ってきたと勘違いしてるんですね。

 

 同じく容姿の問題で、温泉に入る時も大変だ。旅立ってからではなく10歳の時なんだが、家族で温泉に行った時、俺は親父と2人で男湯の方に入っていった。あの時も男湯に入ってたおっさん共が顔を真っ赤にしながら俺の方を凝視してきたんだよなぁ………。どうせ蒼い髪の幼女が男湯に入ってきたと勘違いして興奮してたんだろうな。だが、残念ながら当時の俺は幼女じゃなくて用事ですよ。はははははははっ………。

 

「ほら、お兄様も早く選んでくださいな」

 

 昔の事を思い出してため息をついていると、水着を選んでいたカノンに声をかけられた。

 

「いや、俺は普通の海パンにするから………」

 

「あらあら、ちゃんとした水着の方が………そういえば、お兄様は殿方でしたわね」

 

「かっ、カノン!? さっきお前俺の事を〝お兄様”って呼んでたよね!?」

 

「申し訳ありませんわ。お兄様が可愛らしかったので………ふふっ」

 

 仲間にまで間違われてるぅ………。

 

 前世は普通の男子だったのに、転生してからはこの容姿のせいでずっと勘違いされてるんだけど………。母さんに似たくなかったってわけじゃないんだけど、出来ればもう少し親父に似たかったなぁ………。今の親父ってがっちりしてて男らしいし。

 

「と、とりあえず俺は普通の海パンにするからさ………」

 

「あらあら、そうですの? ………でも、お兄様にこういう水着は似合いそうですわよね?」

 

「ん?」

 

 そう言いながら、カノンはメニュー画面をタッチして画面に水着の画像を表示させる。そこに表示されていたのは俺が生産しようとしていたごく普通の海パンではなく―――――――明らかに女性用の、蒼い水着だった。しかも白いフリルまでついている。

 

「あぁ!?」

 

「きっと似合いますわ。ねえ、お姉様?」

 

「ふにゅ? うんっ、とても可愛いと思うよ♪」

 

「お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!?」

 

 おいおい、俺にこんな水着を着せる気かよ!? 俺は男だぞ!?

 

「タクヤ」

 

「ん? ステラ、どうした?」

 

「きっとタクヤには似合うと思います」

 

「えっ?」

 

「むしろ、ステラはタクヤの普段の服装の方に違和感を感じます。おそらく、タクヤは男装よりも女装の方が似合うかと」

 

「はぁッ!?」

 

 普段の服装の方に違和感を感じるだと!?

 

「う………嘘だろ………?」

 

 ショックだよ………男なのに、男らしい服装をすると違和感を感じるって事は、常に女装してた方が似合うって事だろ?

 

 苦笑しながら、俺は画面に表示されている女性用の水着を凝視していた。

 

 白いフリルの付いた可愛らしいこの水着は、俺ではなくナタリアやカノンが着た方が似合うだろう。その水着を自分が身に着けている姿を想像してしまった俺は、更にショックを受けてため息をつく羽目になった。

 

 

 




水着だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ(笑)


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転生者が無人島で海水浴をするとこうなる

 

 前世で散々父親に暴力を振るわれ、転生して来てからも両親の厳しい訓練に耐えてきたのだから、精神力にはかなり自信があった。前世のあんなクソ親父には一言も感謝したくないが、ここまで鍛え上げてくれた今の両親には感謝している。

 

 おかげででっかい魔物に襲われてもビビらなくなったし、劣勢になっても取り乱すようなことはあまりなくなった。幼少の頃から続けてきた模擬戦と厳しい筋トレの成果が、精神の強度を底上げしてくれたんだろう。

 

 だから絶望的な状況でも耐え抜く自信はあったんだが――――――もう、耐えられない。

 

「うぅ………ぐすっ、ぐすっ………」

 

 な、何で俺が女子用の水着着ないといけないんだよ………。

 

 しかも、着る羽目になったのはさっきカノンが似合うって言っていた蒼い水着だ。真っ白なフリルがついている水着で、当然ながら女子用である。俺よりもカノンやナタリアが着た方が似合うんじゃないだろうか。

 

 涙を拭い去ってからもう一度自分が切る羽目になった水着を見下ろしてみたんだが………どういうわけなのか、全く違和感を感じない。

 

 俺だって小さい頃から鍛えているし、男子なんだから腹筋は割れている。それに他の筋肉もちゃんとついているから、男子にしては細身とはいえそれなりにがっちりしている筈なのに………。

 

 やっぱり、普段の服装の方がおかしいのかな? 俺って女として転生してくるべきだったのかな………?

 

「ふにゃあ………タクヤ、可愛い………っ!」

 

 顔を真っ赤にしながら涙目になっている俺の目の前で、同じく顔を真っ赤にしながら大はしゃぎするお姉ちゃん。真っ赤な尻尾を左右に振りながら大はしゃぎするラウラの傍らでは、カノンが「か、カメラがあれば………ッ!」と悔しそうに言っていた。

 

 おい、こんな姿を写真に撮るつもりかよ。

 

 産業革命が起きるよりも少し前にフィオナちゃんが発明したカメラは、ラッパを思わせるでっかいストロボがついた古めかしいカメラだ。今までそういった画像を記録に残すには画家を雇って絵を描いてもらうしかなかったんだが、カメラの発明によって瞬時にその瞬間の画像を残す事ができるようになったというわけだ。ただ、画家を雇うよりも価格が高いため、貴族や会社専属の写真家くらいしか持っていないらしい。

 

 まあ、ドルレアン家の財産ならばいくつでも購入できると思うんだけどな。ちなみに写真はカラーじゃなくて白黒だ。でも、フィオナちゃんならいつかカラー写真とかテレビまで発明してしまいそうである。

 

 なんとなくカメラの事を思い出してこの恥ずかしさを誤魔化そうとしたんだけど――――――誤魔化せなかったよ………。恥ずかしいよ、これ。何で男子の俺がこんなフリルの付いた水着着ないといけないんだよ。大泣きしたいんだけど。

 

「ねえ、やっぱり海パンに着替えたいんだけど………」

 

「「えぇ!?」」

 

 カノンまで嫌がるなよ。

 

「やだやだ! 今日はそれ着てないとダメなのっ!!」

 

「そうですわ、こんなに可愛らしいのに! 勿体ないですわッ!」

 

「いやいや、滅茶苦茶恥ずかしいんだけど!? 何で女子用の水着着ないといけないんだよ!?」

 

「似合ってるから恥ずかしがらなくても大丈夫だよ? えへへっ♪」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 ど、どうしてこんなに母さんに似てしまったんだろうか………。

 

 ため息をつきつつ、浜辺へと伸びてきた波を見下ろしてみる。産業革命による廃棄物の影響で環境の汚染が進んでいるラトーニウス王国が近くにあるというのに、このラトーニウス海の海水は非常に透き通っていて美しい。

 

 日光で煌めく海水は、まるで鏡のようだ。

 

 その伸びてきた波の表面に映ったのは、白いフリルの付いた蒼くて可愛らしい水着を身に纏った、蒼い髪と赤い瞳の少女だった。ラウラたちのように胸は全く膨らんでいないけど、フリルの付いた蒼い水着はよく似合っている。違和感は全く感じない。

 

 つまり………俺が着ても、違和感はないという事だ。自分で見ても違和感を感じないなんて………。

 

「やっぱり、タクヤはこういう格好の方が違和感がありません」

 

「す、ステラ……あの、俺は男だからな………?」

 

「でもこっちの方が似合います」

 

「う………」

 

 女装の方が違和感ないのかよ。

 

 涙目になりながら、俺はメンバーの中で唯一まともなナタリアに助けを求めることにした。き、きっとナタリアなら助け舟を出してくれる筈だし、違和感くらいは感じてくれる筈だ!

 

 だ、大丈夫だ、ナタリアは一番まともだし、しっかり者だから! だからきっとこの女装を止めさせてくれる!

 

 そう思いながら彼女の方をちらりと見てみたんだが、ナタリアは俺と目が合った瞬間に顔を赤くしたかと思うと、そのまままじまじと水着姿の俺を見てから更に顔を赤くした。

 

「た、確かに………かっ、可愛い……わね………」

 

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!! かっ、艦長! 巡洋艦ナタリアまで轟沈でありますッ!!

 

 嘘だろ………ナタリアまで違和感を感じなかったなんて………。

 

「………ねえ、ナタリア」

 

「な、何よ?」

 

「全然違和感感じない?」

 

「えっ? ………い、いや………あまり、感じないわ………」

 

 な、なんてこった………。

 

「も、もう着替えてもいいよね? 俺男だし、海パンもあるからさ………」

 

「え、ええ、いいわよ。………勿体ないけど」

 

 も、勿体ない!?

 

 ナタリアまでこれを着てろっていうわけじゃないよな!? もう着替えるからな!? この水着脱いで海パンで泳ぐぞ!?

 

 涙目になって唇を噛み締めながら林に向かった俺は早くもメニュー画面を開き、なぜこんなに母親に似てしまったのかと思いながら、ごく普通の海パンをタッチする準備をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、海パンの方がいい。あの水着よりも動きやすいし、恥ずかしくないからな。50ポイントで生産したごく普通の海パンを穿いてみんなの所に戻った時はカノンとラウラに文句を言われたけど、もうあの水着は一生着ない。メニュー画面の中でひたすら放置する予定だ。

 

 俺よりもラウラやカノンが着た方が似合うんじゃないかと思ったんだが、ラウラは明るい性格だし、赤毛のせいなのか蒼はあまり似合わないような感じがする。

 

 あのフリルの付いた水着よりも、今彼女が身に着けている黒ビキニの方が似合ってるな。ラウラの性格は幼いけど、彼女は大人びているように見えるからあんな感じの水着が似合う。カノンが選んだんだろうか?

 

「タクヤー! こっちこっち!」

 

「はーい!」

 

 さっきはあの水着のせいでショックを受けたけど、もうあれを着るように強要されることはなさそうだ。とりあえず久しぶりの海水浴を満喫しよう。

 

 ちなみに俺の能力に、一度作った装備や能力を廃棄して使ったポイントを元に戻すような機能はないため、一度生産した装備は基本的に使わない場合は放置するしかない。

 

 肩を回しながらラウラの傍らへと向かうと、彼女はすかさず手を俺の手に絡み付かせてきた。

 

「ふにゅう………本当はみんなでピーチバレーしたかったんだけど、ボールがないし………」

 

「すまん、さすがにそれの代用品は用意出来ない」

 

「そうだよねぇ………。あの木の実を使おうと思ったんだけど、堅そうだし」

 

 ん? 木の実?

 

 食べれそうなやつなのかなと思いつつ、ラウラが指を指している木の上を見上げてみると―――――ステラのグラシャラボラスみたいに、無数の棘が生えたでっかい鉄球みたいな木の実がぶら下っていた。

 

 滅茶苦茶重そうな形状をしているんだが、よく折れないな………。あの木はかなり頑丈らしい。

 

「あ、あれでやるつもりだったのか!?」

 

「大丈夫。棘を全部斬りおとせば――――――」

 

「いやいや、重そうじゃん! 腕折れる!!」

 

「うふふふっ。今日のお兄様ったら、ツッコミばかりですわね♪」

 

 つ、ツッコミは俺の本業じゃないんだけど………。どちらかというと、俺ってボケをやった方が良いと思う。ツッコミはナタリアかな。一番しっかりしてるし。

 

 ラウラに甘えられている俺を見ながらニヤニヤ笑うカノンが身に着けているのは、彼女らしく上品な雰囲気を放つ蒼い水着だった。フリルのせいでやけに派手だった俺の水着とは違い、非常にシンプルな感じになっている。

 

 てっきりカノンはもっと派手なのを選ぶと思ってたんだが、14歳とはいえラウラよりも精神面が大人びている彼女にとってはこれがベストなんだろう。

 

 ちなみに胸はまだ小さい。Bカップくらいだろうか。

 

「あれ? そういえば、ステラは?」

 

「ああ、ステラさんでしたら………あそこですわ」

 

「ん?」

 

 そろそろ泳ぎ始めようと思っていたんだが、ステラは何をしているのだろうか。カノンに指を指された方向を振り向いてみると、ステラは林の近くで彼女の武器であるグラシャラボラスを召喚し、砂浜にちょこんと座ったままそれを見つめ続けていた。

 

 ちなみに、彼女が身に着けているのは普通の水着ではなく………スク水だった。

 

 どうせあれはカノンが選んだんだろう。さっきみんなで水着を選んでいた時もステラの分を選ぶと言っていたし。きっとロリコンが今の彼女の姿を見たら大喜びするに違いない。

 

「おい、ステラ。泳がないのか?」

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 よく見ると、彼女のグラシャラボラスの表面に突き出ているドリルのような棘はへし折られ、表面のケーブルがことごとく千切れてしまっていた。旧式の戦車の装甲を思わせる表面にも亀裂が入り、球体だった彼女の鉄球のシルエットはひしゃげてしまっている。

 

 シーヒドラとの戦いで、この鉄球は握りつぶされて大破してしまっているのだ。この鉄球は俺の能力で生産したものではないため、装備を解除して放置しても勝手にメンテナンスされるわけではない。しかも、これは太古のサキュバスたちが造った武器であるらしく、今では彼女たちの技術は完全に廃れてしまっているため、どんなに腕のいいドワーフやハイエルフの職人でも修復することは不可能だという。

 

 修復どころか、応急処置すらできないだろう。

 

「あー………壊れちゃったもんな、これ」

 

「はい。ママがくれた大事な武器で、ステラのお友達だったのです」

 

「と、友達?」

 

「はい。もちろん言葉は喋れませんが、昔はよくこの表面に寄りかかって眠っていました」

 

 思い入れのある武器だったのか………。昔って事は、ナギアラントが陥落する前という事だよな?

 

「………修復は無理なのか?」

 

「ステラは、武器の治し方を知りませんので」

 

「………」

 

 修復できる可能性があるのは――――――産業革命の発端となったフィオナちゃんくらいだろうか。でも、今はもうモリガンとは敵対してしまっているから彼女に武器の修理を依頼するわけにはいかないだろう。

 

「すまん………俺も、治し方は………」

 

「気にしないでください。相手が強過ぎただけなのです」

 

「ステラ………」

 

「この子は、ここに置いていきます」

 

「分かった。何か新しい武器が欲しくなったら、声をかけてくれ」

 

「はい。――――――では、泳ぎましょうか」

 

「おう!」

 

 ステラの手を引いて、再び海の方へと戻っていく。既にラウラとカノンは2人で笑いながら水をかけあっていて、それにナタリアも参戦しようとしているところだった。

 

 彼女が着ているのはオレンジ色の水着である。胸の辺りにほんの少しだけ黄色いフリルがついている程度で、それ以外の装飾はあまりついていない。カノンと同じくシンプルな水着だ。

 

 色が彼女の放つ雰囲気にマッチしているせいなのか、オレンジ色の水着は非常に似合っている。まるでヒマワリみたいだ。

 

「あ、本当に着替えちゃったの?」

 

「あ、ああ」

 

 だってあれ女子用の水着だぞ?

 

「それより、日が暮れる前に泳ごうぜ」

 

「うん、それもそうね。ボールとか用意できなかったから泳ぐしかないけど」

 

「ふにゅ、だからあの木の実を使えばいいじゃん」

 

「えっ? ………あ、あんなの使ったら腕折れちゃうでしょ!?」

 

 さ、さすがナタリア。これからツッコミは彼女に任せよう。俺はツッコミよりもボケの方がきっと適任だと思う。

 

 俺と同じツッコミを聞いて笑いながら、俺は海の方を見渡した。

 

 前世の世界のように防波堤がないからなのか、この無人島の海は非常に開放的で広く見える。みんなで競争でもしようと思ったんだが、ゴール代わりにできそうな目印がないからなぁ………。競争もできないのか。これは好き勝手に泳ぐしかなさそうだ。

 

 銛とか水中用のアサルトライフルでも装備して魚を取ろうかと思ったんだが、魚はもう十分ラウラたちが釣り上げてくれたし、あまり獲りすぎても持ち運べなくなってしまう。どうせここには1日しか滞在しないのだから、食べきれないほど獲るのは控えるべきだろう。

 

 ステラなら全部平らげてしまいそうだが。

 

「タクヤ、一緒に泳いでくれますか?」

 

「ん? ステラって泳げなかったっけ?」

 

「いえ、ステラはちゃんと泳げるのですが、海に来たことはないのです」

 

「そうなのか?」

 

「はい。ステラが生まれた頃は、ちょうどサキュバスへの迫害が始まった頃でしたので………海水浴どころではありませんでした」

 

 可哀想に………。

 

 なら、今日はたっぷり楽しんでもらわないとな。

 

「いいぞ。一緒に泳ごう」

 

「ありがとうございます」

 

 一緒に泳ぐと言っても、彼女の傍らを泳いでいればいいんだろうかと思ったんだが、彼女にそうすればいいのかと問う前にステラは俺の背中にしがみついてきた。そのまま俺の背中をよじ登って両手と両足を俺の胸板へと回してくると、落ちないように力を入れ始める。

 

 まるで幼い子供をおんぶしているような感じだ。

 

「す、ステラ!?」

 

「ステラはこうやって背中にくっついていますので」

 

 こ、コアラみたいだな………。

 

 背中にしがみついている彼女が落ちないように尻尾を巻きつけた俺は、小柄なステラを背負ったままゆっくり海へと向かって歩き始めた。柔らかい足元の砂が段々と下がっていき、海水が冷たくなっていく。

 

 腰まで水に包み込まれたところで一旦立ち止まり、「じゃあ、潜るぞ」と告げた俺は、彼女が首を縦に振って息を吸い込むのを待ってから海中へと潜った。

 

 思ったよりも海中は冷たい。でも、蒸し暑かった岩場の上と比べれば、この冷たさは非常に心地良い。海中で耳にする波の音の低さに懐かしさを感じながら、ステラを背中に乗せたまま徐々に深い場所へと進んでいく。

 

 息を止めたまま海底を見下ろしていたステラが、底にある岩の表面から生えるイソギンチャクや海藻を目にした瞬間目を見開いた。海に行ったことがないという事は、図鑑で絵を目にした程度だったんだろう。水中だから声を出すことは出来ないんだが、いつも無表情のステラが生まれて初めて目にした海の中を目の当たりにし、はしゃいでいるのはすぐに分かった。

 

 とんとん、とステラの小さな手が俺の肩を叩く。振り向いてみると、ステラは自分の胸を手で押さえていた。そろそろ息継ぎがしたいんだろう。

 

 頷いてから、海面へと浮上していく。

 

「ぷはっ! ………タクヤ、あの海底でゆらゆらしていたのは何ですか!?」

 

「ああ、あれはイソギンチャクっていうんだ」

 

「確か、図鑑で見ました。あれが本物のイソギンチャク………!」

 

「はははっ。……よし、もう一回潜るぞ」

 

「はい!」

 

 はしゃいでいる彼女を見て安心しながら、俺は再び息を吸い込んだ。ステラに合図してから再び海の中へと潜り、今度は深い方へと向かって進んでいく。

 

 すると、俺とステラの傍らを赤い何かが突き抜けていった。魚かと思ったけど、ヒレのようなものは全くついていない。尻尾が生えていたような気がしたけど、それ以外のシルエットは人間だったような気がする。

 

 突き抜けていったそれは―――――ラウラだった。

 

 黒いビキニを身に纏い、海中を自由自在に泳ぎ回るラウラ。急に潜ったかと思えば急浮上して、底からすぐに急旋回。再び俺とステラの傍らを突き抜け、見惚れている俺たちを見ながらにっこりと笑っている。

 

 綺麗だ―――――。

 

 彼女の赤毛はサラマンダーの翼のようにも見えるけど、泳ぐラウラの姿は――――――サラマンダーのキメラというよりは、人魚(マーメイド)のようだった。

 

 

 

 

 




※巡洋艦ナタリア
 オルトバルカ王国の誇る最新鋭巡洋艦。優秀な速度と魚雷発射管による高い攻撃力を誇る優秀な艦艇であったが、無人島の沖で機雷(タクヤ)に接触し、轟沈。最後まで違和感を感じることはなかったという。


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転生者と抑止力

 

 潜水艇になったような気分を感じながら、再び息を吸い込んで海の中へと潜る。遠退いていくカモメたちの鳴き声と、段々と変質していく波の音。夏だというのにひんやりした海の中では海藻とイソギンチャクが、まるで俺たちに手を振るかのように揺らめいている。

 

 海藻の森の間をすり抜けていくあの小さな魚は何だろうか? 虎のように黒と黄色の縞々模様で、形状はサメをイワシくらいに小さくしてしまったような姿をしている。獰猛な魚ではないのか、俺たちを見つけてもむしろ怯えて海藻の中へと潜り込んでしまったから、肉食ではないのだろう。

 

 あまり島から離れ過ぎると今度は海中の魔物のテリトリーに入り込んでしまう可能性があるので、適当なところで引き返すつもりだ。ステラはがっかりしてしまうかもしれないが、これから海は何度も訪れることになるだろうし、もっと彼女が見たことのないような光景を目にするかもしれないのだから。

 

 少し深めに潜り、海藻とイソギンチャクの真上を通過する。フジツボが付着している岩の傍らを通り抜け、海藻の中から浮上してきた小さな魚たちと並走しつつ、ステラが息継ぎをしたがるまで泳ぎ続ける。

 

 ちなみに俺とラウラの肺活量は人間を上回っているため、それなりに長い時間潜っていることが可能だ。これもサラマンダーの遺伝子の恩恵なんだろうか。

 

 とんとん、と再びステラの小さな手が俺の背中を叩く。そろそろ彼女は息継ぎがしたいらしい。

 

 自分の胸を抑えながら合図する彼女に向かって頷いた俺は、小魚の群れとの並走を止めて浮上を始めた。

 

 そういえば、いつか潜水艦とかも生産してみたいな。さすがに乗組員をそろえるのは大変なので、カスタマイズで莫大なポイントを消費して機関部とか魚雷発射管などを自動化するしかなさそうだけど。

 

 ちなみに、親父たちも昔に経験した大規模な戦闘で、駆逐艦や空母を投入した際にはそうやって可能な限り自動化し、人手不足を補うために乗組員を削減していたという。俺が今まで貯めてきたポイントの倍以上を使う大規模なカスタマイズを、よく実現できたものだ。

 

 その際に親父たちが投入した戦力は、近代化改修したエセックス級空母1隻、タイコンデロガ級巡洋艦1隻、アーレイ・バーク級駆逐艦2隻、ワスプ級強襲揚陸艦3隻だという。エセックス級空母以外はアメリカ軍が使用している水上艦ばかりで、そのエセックス級はアメリカ軍が第二次世界大戦で使用していた旧式の空母だ。しかも自動化だけでなく近代化改修までしているのだから、どれだけポイントを消費したんだろうか。

 

 そんな艦隊を準備するポイントは俺にはないが、旧式の潜水艦くらいなら辛うじて生産できるかもしれない。

 

 俺の能力で生産できる兵器や武器は、現代兵器の場合は実際のその兵器のコストも反映されているらしい。旧式の兵器や安価な武器ならば低いポイントで生産できるというわけだ。

 

 だから旧式の潜水艦をいつか作ってみたい。個人的にはフランスの『スルクフ』を作ってみたいな。潜水艦なのに20.3cm連装砲を搭載しているという奇妙な潜水艦だ。

 

 大型の潜水艦の甲板の上に巨大な連装砲が搭載されている船体を思い浮かべつつ、ステラをコアラのように背負ったまま再び海面へと浮上する。片手で顔を拭きながら後ろを振り返ってみると、いつの間にか島から予想以上に離れていた。浜辺の上ではナタリアがこっちに向かって手を振っているのが見える。

 

 やばいな、そろそろ戻ろう。あまり島から離れ過ぎると本当に魔物に襲われるかもしれない。

 

 武器を持っているなら対抗できるが、さすがにステラを背負ったままキメラの能力だけで応戦するのは自殺行為だ。

 

「ステラ、そろそろ戻ろう」

 

「そうですね。残念ですけど………離れ過ぎるのは危険です」

 

 生き残ったサキュバスの少女を背負い、あの砂浜を離れた時はこんなに海の水は冷たかっただろうか? 島から離れたことに気付き、海水の温度も下がっているような気がすると思いつつ島に向かって泳ぎ続ける。

 

 俺の背中に乗りながら、ステラは何度か後ろに広がる大海原を振り返り、ため息をついていた。やはり、もっと海の中を見てみたかったんだろうか。

 

 まあ、このまま泳いで戻っても面白くないだろう。ステラのためにサービスしてあげるとするか。

 

「ステラ、もう少し潜るか?」

 

「い、いいんですか?」

 

「ああ。帰り道だけどな。別の角度から海の中が見えるぞ」

 

「お願いします、タクヤ!」

 

 目を輝かせながらそう言ったステラに「おう」と返事をしてから、息を吸い込む。ステラも俺と同じく息を吸い込んでから、息を吸い終えたという合図に肩をトントンと叩いた。

 

 頷いてから再び海の中へと潜り込み、どんどん深く潜っていく。海底で揺らめく海藻の群れに沈み込んでしまうほど潜航し、口や鼻から微かに出た気泡を海中に刻みつけながら、サキュバスの少女のために海の中を泳ぐ。

 

 すると、再び海藻の中から小さな魚たちが浮上してきて、俺とステラの隣に集まり始めた。俺たちを外敵ではなく魚の仲間だと判断してくれたのだろうか? ほんの少し上へ浮かぼうとしても、その魚たちは俺たちについてくる。

 

 おいおい。このままついて来たら、ラウラたちに釣り上げられて夕飯にされちまうぞ。

 

 俺とステラの周りに集まってきた魚たちを見まわしながら、俺は彼女が息継ぎしたがるまで魚たちとの並走を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりの海水浴を堪能しているうちに、蒼空が段々と赤くなり始めていた。今夜出発するわけではなく、ここで一泊してから倭国へと向かう予定になっているため、夕食を用意しなければならない。

 

 もちろん、食材に使うのは昼間のうちにここで調達した食材だ。調達する事ができたのは野草、キノコ、鶏肉、魚、木の実の5種類だ。中にはサバイバルで口にしたことのある食材もあったし、それ以外の食材もステラが釣った魚を除いて全て図鑑に載っていたものばかりだったから、毒がないのは分かっている。

 

 40ポイントで生産した包丁を使い、手作りのまな板の上で野草やキノコなどの食料を次々に切り刻んでいく。小さい頃から母さんに料理を教えてもらっていたし、前世でも料理をやっていた経験はあるので、食材を包丁で切るのはお手の物だ。

 

 それに俺は切り裂きジャックだからな。料理する時に切り裂きジャックって名乗ると、かなり善良な切り裂きジャックになってしまう。ただのコックじゃないか。

 

「ふにゅ、お姉ちゃんも手伝う?」

 

「え? あー、大丈夫。ラウラは休んでて」

 

「大丈夫なの?」

 

「おう」

 

 ………ラウラの料理は、かなり下手である。

 

 小さい頃に料理を作っている俺の真似をして、彼女も夕飯を作った事があった。作ったメニューはカボチャのシチューで、自分たちの愛娘が一生懸命に料理を作ったと聞いた親父や母さんたちは大喜びしたんだが………鍋の中身を見た瞬間、全員絶句していた。

 

 カボチャのシチューは、普通ならば黄色かオレンジ色の美味しそうなシチューの筈なんだが、ラウラが作ったカボチャのシチューは、まるで色んな化学薬品を何種類も混ぜたかのようにどろどろしていて、何故か紫色に染まっていたんだ。

 

 しかも、その危険なシチューを見て絶句している間に鍋は徐々に溶けていくし、薄紫色のガスみたいな気体もどんどん鍋の中から漏れ出ていた。でも、せっかくラウラが頑張って作ったのだから残すわけにはいかないと思ったのか、親父は「おお、美味しそうじゃないか! ラウラはお母さんみたいに料理が上手なんだな!」と全く演技とは思えないほど嬉しそうな声で言い、全て1人で完食してしまったのである。

 

 明らかに食ったら即死しそうなほど危険な料理だったんだが、あの親父は娘を悲しませないために、そのカボチャの猛毒シチューを完食したんだ。さすがにラウラにばれないようにこっそりと回復用のエリクサーを呑みながらシチューを食べていたけど、あの時の親父はかなり立派だった。

 

 もちろん、次の日から3日間も高熱を出していたけどな。

 

 ちなみにエリスさんもかなり料理が下手で、結婚する前から親父はエリスさんの料理を残さずに食べていたという。無論、傍らには回復用のエリクサーを常に用意していたらしい。

 

 さすがに俺は親父のようにラウラの料理に耐えられるような胃袋は持っていないので、彼女に料理をさせるわけにはいかない。もし彼女に料理を作らせたら、倭国に行く前に死んでしまう。

 

「タクヤ、ご飯はまだですか?」

 

「おう、もう少し待っててくれ」

 

 切り刻んだ野草とキノコをまな板の上に置いたまま、俺はもう一つのまな板の上にステラの釣ったでっかい魚を置いた。内臓を取り出してから骨ごとぶつ切りにし、切り身からできるだけ骨や小骨を取っておく。後はその切り身を、塩と水を入れておいた岩の鍋の中へと放り込み、指先から炎を出して薪に火をつける。

 

 そのうちに他の魚もまな板の上に乗せ、同じように内臓を取り出しておく。ステラが釣ったでっかい魚に比べれば小さい魚ばかりだから、骨や小骨を取り出す必要はないだろう。持ち歩いている荷物の中から塩が入っているケースを取り出してふりかけ、木で作った串を刺してからその魚たちを日の近くに刺しておく。

 

 あとはさっき切り刻んだ野草とキノコを鍋の中に入れて、岩を削って作った無骨な蓋を閉める。このまま待てば塩味のスープになる。白米が食べたいところだが、さすがにここで白米は調達できないので諦めよう。

 

「さてと、この木の実はデザートだな」

 

 俺とナタリアが収穫してきたこの木の実は、『ラトーニウスパイン』という名前がついている小型の木の実だ。見た目は小さなヤシの実に見えるが、味はパイナップルに似ているという。ラトーニウス王国の南部ではよく売られているらしく、母さんやエリスさんも小さい頃はデザートに食べていたらしい。

 

 とりあえず、そのまま氷水に入れて冷やしておこう。真水はラウラと俺の能力を組み合わせればいくらでも生成できるので、使い過ぎても問題はない。

 

 既にラウラに用意してもらった氷水を入れた木製のボウルの中に、収穫したパインを洗ってから放り込む。スープと魚の塩焼きを完食し終えた頃には、十分に冷えている筈だ。

 

「本当に料理が得意なのね」

 

「まあね。母さんに教わったんだけど」

 

 前世でも経験してるんだけどな。喜んでくれたのは俺の母さんだけで、あのクソ親父は礼を言うどころか「不味い」って言っていつも残してたけど。

 

 母さんに褒められた時は本当に嬉しかったなぁ………。転生してからこっちの母さんにも褒めてもらった時は、前世の事を思い出して泣きそうになってしまった。

 

「ねえ、後で私に料理を教えてくれない?」

 

「え? だってナタリアも十分上手いだろ?」

 

「いいじゃん。タクヤのを見てると勉強になるし」

 

 俺の料理は母さんから教わった料理ばかりなんだけどなぁ……。

 

 苦笑いしつつ、木を削って作ったおたまを持って静かに鍋の蓋を開けてみる。さすがに岩で作ったから素手で触れば火傷してしまうので、一応片手だけは外殻で覆っておく。やっぱりキメラの身体って便利だな。真っ赤になった鉄に触れてもあまり熱さを感じないほどの対価性と耐熱性の外殻は素晴らしい。

 

 沸騰し始めている鍋の中におたまを入れ、少しだけ塩味のスープを味見してみる。冷ましてから口の中に含んでみると、魚やキノコの風味を纏った薄い塩の味が口の中へと染み渡ってきた。

 

 少し薄かったかなと思いつつ首を傾げ、塩の入ったケースを取り出す。

非常食ばかり食べていたから塩はまだ余ってるけど、あまり使い過ぎるのは拙いだろう。でも、倭国でも補充できるだろうし、場合によっては途中にある『ジャングオ民国』に立ち寄るのもいいだろう。

 

 ジャングオ民国は極東にある大国の1つで、大昔から倭国との交流を行っている国だ。倭国が鎖国している間も細々と交流は続いていたらしい。

 

 そのジャングオ民国には、ある転生者がいる。

 

 かつて親父たちと共に転生者たちに反旗を翻し、このラトーニウス海にあると言われているファルリュー島の死闘に参加した、珍しい中国出身の転生者である。

 

 その転生者の名前は『張李風(チャン・リーフェン)』。ファルリュー島の戦いでは親父たちと共に転生者たちと戦い、モリガンの傭兵たちと共に黒幕だった勇者を打ち倒した英雄だ。ファルリュー島攻略作戦が終わってからもモリガンとは定期的に合同演習を実施していたようで、よく親父が演習に出かけていた。

 

 現在では残存部隊を引き連れて民間軍事会社(PMC)を結成し、ジャングオ民国でモリガンとの同盟関係を維持しつつ活動しているという。

 

 何度かハヤカワ邸にやってきたこともあるので、俺も李風さんを見たことはある。ラウラは覚えているだろうか。

 

「………これくらいでいいかな」

 

 塩味を調整し終えた俺は、もう一度鍋の蓋を閉じると、おたまを近くに置いてから暗くなった空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 仲間たちが眠った後、いつも俺は眠らずに見張りをする役を担当する。仲間たちに夜中も1人で見張りをさせるわけにはいかないし、たまには静かな暗闇の中で考え事をしたいと思っているからなのかもしれない。

 

 暗闇の中にいると落ち着くと感じるのは、昔からだ。

 

 17年前からではない。もっと昔からである。そう、この異世界に転生する前からだ。クソ親父に虐げられ、痣だらけになっていたみじめな前世の頃から、1人で暗闇にいると落ち着くと感じていたのだ。

 

 もう水無月永人(ビッグセブン)はクラスメイト達と共に死に、タクヤ・ハヤカワという別人に転生したというのに、暗闇の中で安心するこの感覚は変わらない。これ以外にも、前世の感覚はまだ残っている。

 

 あの虐げられ続けていた嫌な前世に、未練が残っているかのように。

 

 その感覚を感じる度に、前世の事を思い出してしまうのだ。

 

 クソ親父に虐げられていた前世を――――――。

 

「チッ………」

 

 もう、水無月永人は死んだ。そんな感覚は忘れてしまえ。

 

 いつまでも残っている前世の残骸に苛立ちながら、俺は肩に担いでいたAN-94のグリップをぎゅっと掴んだ。もうこの世界は前世の世界ではない。名前や身体は変わり、両親も変わった。文化も前世とは全く違う。魔術や魔物が実在する異世界なのだ。

 

 小さなランタンの光を睨みつけていると、そのランタンの周囲に浮かんでいた影の1つが小さく動いた。寝返りだろうと思いながらランタンを睨みつけていると、草むらの上に自分の荷物を置き、それを枕代わりにしていたナタリアがゆっくりと起き上がった。

 

 瞼を擦りながらあくびをするナタリア。ツインテールではなく髪を下ろしているせいなのか、いつものしっかり者のナタリアとは雰囲気が違う。

 

 少しぼさぼさになった金髪を直そうと白い指でなぞりながら、彼女はもう一度あくびをした。そのまま横になると思いきや、他の仲間を起こさないように静かに立ち上がると、アサルトライフルを担いで倒木に寄りかかってた俺の隣までやってきた。

 

「……眠くないの?」

 

「ああ、慣れてる」

 

 見張りにも慣れたが、前世の残骸に苛立つのも慣れた。後者の理由はさすがに口にするわけにもいかないので、自嘲して誤魔化しつつランタンの光を見下ろす。

 

「そう………。ごめんね、いつも見張りさせちゃって」

 

「気にすんな。暗闇の中だと落ち着くんだよ」

 

「ふあ………」

 

 もう一度あくびをしてから、彼女はまた瞼を擦った。眠気が消えてきたのか、段々と彼女の放つ雰囲気がいつもの雰囲気に戻り始める。

 

 ぼさぼさになっている髪を手でなぞったナタリアは、息を吐いてから俺の近くに寄ってきた。男子にしては小さい俺の肩に、俺よりも小さなナタリアの肩が触れる。

 

「………あのさ、私も転生者ハンターになるって言ったわよね」

 

「ああ」

 

「………私もね、許せないの。ネイリンゲンを焼いたのも………転生者なのよね?」

 

「そうらしい」

 

「あの時………とても怖かったの。傭兵さんのおかげで助かったけど………まだあの時の夢を見るの。傭兵さんが助けに来てくれなくて、そのまま焼け死ぬ夢。………力を持つ奴らに虐げられるのって、あんなに怖いのね」

 

 彼女はネイリンゲンが焼かれた時、親父に助けられて生き残った。まだ3歳の少女にとって、住んでいた故郷がいきなり焼かれるのはかなり恐ろしかったことだろう。見慣れた街並みが焼き払われ、近所の人々が蹂躙されるのだから。

 

 だからこそ彼女は、蹂躙される怖さを知っているのだ。俺も虐げられる怖さを知っている。前世のクソ親父に暴力を振るわれ、いつも痣だらけになっていた。

 

 それゆえに、俺はクソ野郎が許せない。

 

 ナタリアも転生者ハンターになろうとした経緯は、俺と同じだ。蹂躙される恐怖を知り、その蹂躙をもたらした奴らが許せなくなった。だからそいつらを狩ろうとしているのだ。

 

「………ナタリア」

 

「なに?」

 

 彼女の名を呼ぶと、ナタリアはそっと俺の手を握ってくれた。いつも銃のグリップやナイフを握る物騒な手を、俺よりも華奢なナタリアの手が包み込む。

 

「………いつか、転生者を狩るためのギルドを作ろうと思ってるんだ」

 

「転生者ハンターのギルド?」

 

「ああ。管理局や議会には認可されないだろうから、非公式のギルドになると思うけど………」

 

 転生者は次々にこの異世界へとやってくる。全員その能力を悪用しているわけではないと思うんだが、悪用して人々を虐げる馬鹿野郎が多過ぎるのだ。

 

 いくら俺たちや親父が狩ってもきりがない。―――――だから、転生者との戦う狩人だけで構成されたギルドを設立し、俺たちがより大規模な抑止力になる必要がある。

 

 そのために、転生者ハンターギルドを設立しようと思っている。

 

「面白い提案ね。………それで、名前とかエンブレムはどうするの?」

 

「名前は………」

 

 エンブレムは、まだ決めていない。

 

 しかし、名前の方はこのギルドを設立しようと考えた時に思い付いた名前がある。

 

「―――――『テンプル騎士団』にしようかなって思ってる」

 

「テンプル騎士団………」

 

 前世の世界で、中世に実在した騎士団の名前。十字軍の侵攻の際に活躍した騎士団である。

 

 この世界を転生者たちから守るために、その転生者を狩る狩人たちのギルドを設立する。そしてそのギルドを少しずつ大規模なギルドにしていき、最終的に巨大な抑止力となることで転生者からこの世界を守り抜く。

 

 力を悪用すれば、テンプル騎士団に狩られるという恐怖を抑止力にするのだ。親父のように直接転生者を狩り続けるのも効果的だが、効率が悪い。だから恐怖と抑止力を利用する。

 

「………いい考えかもね、それ」

 

「転生者が悪さをしなければいいんだけどな………」

 

 でも、奴らは力を悪用する。だから転生者ハンターが必要になる。

 

 ため息を吐きながら、俺はランタンの明かりの向こうに見える黒い海原を睨みつけた。

 

「――――――でも、無茶はダメよ?」

 

「え?」

 

「あんたも、無茶をする悪い癖があるわ」

 

 親父には無茶をする悪癖があったが、俺にも同じ癖があったのか? 俺は賭け事をしない主義だから無茶をしないように意識している筈だが、親父に似てしまったのだろうか。

 

 悪癖を指摘されて目を丸くしていると、ナタリアはランタンの明かりの中で微笑んだ。

 

「………だから、無茶はしないで。………いいわね?」

 

「あ、ああ」

 

「ふふっ。――――――私だって、あんたのこと………気に入ってるんだから」

 

「え?」

 

 俺の事を………気に入ってる?

 

 彼女にそんな事を言われて驚いていると、ナタリアの甘い香りがゆっくりと近付いてきた。左隣に座っている彼女を振り向こうとしていた左肩を彼女の金髪が覆い、柔らかい唇が俺の唇を包み込む。

 

 ――――ナタリアにキスをされたと気付いた瞬間、頭の角が一気に伸びたような気がした。彼女が唇を離し、顔を赤くしながら微笑んでも、まだ彼女の甘い香りは俺を包み込んだままだった。

 

 

 



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ブリストル急襲

 

 ジャングオ民国の東側には、『倭国海』と呼ばれる海が広がっている。海中に危険な魔物が生息しているため、産業革命が起こるよりも前までは船でその海域に侵入すれば殆ど撃沈されていたのだが、現在では甲鉄の装甲に覆われた船が主流になりつつあるため、魔物に襲われても堂々と突破していくことが可能になっている。

 

 その海域を突破したのは、漆黒に塗装された鋼鉄の装甲を持つ巨大な戦艦であった。従来の軍艦のような木製ではなく、装甲に覆われている上に無数の大砲と対空用のガトリング砲を満載したその戦艦は、魔術が実在する異世界の船というよりは、幕末の頃に登場したストーンウォール号に近い。

 

 倭国で勃発した旧幕府軍と新政府軍の『維新戦争』を支援するため、オルトバルカ王国から派遣された戦艦『ブリストル』は、駆逐艦『エドガー』と『アービター』を引き連れ、新政府軍の艦隊が停泊するミヤコ湾へと入港していた。

 

 新政府軍が建造した軍艦とはいえ、停泊しているのはどれもブリストルよりも小さな船ばかりだ。旧式の帆船を真っ黒に塗り直した小さな軍艦の甲板の上からは、巨人のようなブリストルを見上げる新政府軍の兵士たちが帽子を振っているのが見える。

 

 乗組員たちが帽子を振り返す中で、リキヤは冷たい目つきのまま艦首の向こうに見えるミヤコ湾を睨みつけていた。

 

 転生してきたばかりの頃は全く気付かなかったが、この世界で起こっている歴史的な出来事は殆ど、前世の世界での出来事に酷似している。それに気付いたのは、フィオナの手によって産業革命が起こった後の事だ。

 

 この維新戦争でも、それほど兵力があるわけでもない旧幕府軍は敗北する事だろう。既に何度も敗戦を続け、本拠地であるエゾの九稜城まで撤退していと聞く。維新戦争が終結した暁には、今度はこの極東の島国の本格的な改革が始まるのだろう。そして軍備をどんどん拡張していき、前世の日本と同じ運命を辿る――――――。

 

(………落ち着け)

 

 ここはもう異世界だ。前世の世界ではない。

 

 甲板の上で頭を振り、「機関停止、錨下ろせ! 周りの小型船(チビ)どもを巻き込むなよ!」と絶叫したジェイコブ艦長の声を聞きながら瞼を開けたリキヤは、もう自分は日本人ではないのだと思いつつ、踵を返して海を眺めた。

 

「……戦争も、もう終盤ではないか」

 

 カモメの声と船の汽笛が混じった軍港の音を聞いていると、隣へとエミリアがやってきた。黒い制服に身を包み、背中には相変わらず若い頃から愛用している大剣を背負っている女性の顔つきは、どんどん老けていくリキヤと違って若いままだ。今でもタクヤと並ぶと、どちらが妻なのか見分けがつかなくなる時がある。

 

 海を眺めながら呟いたエミリアの声はつまらなさそうだったが、彼女は安心しているかのように微笑んでいた。

 

 戦争を楽しむわけではない。騎士団に所属していた彼女は、1対1の決闘ならば楽しむだろうが、戦争を楽しむようなことはしない。彼女が浮かべている微笑は、この大仕事がすぐに終わるという安堵の証なのだろう。

 

 しかし、この仕事が終わっても―――――――まだ天秤の争奪戦がある。エリスからの報告では、タクヤたちはシーヒドラを撃破して天秤の鍵を入手し、その鍵を強奪するために送り込んだエリスとリディアから逃げ切って、もう海底神殿を後にしているという。

 

 彼らの次の目的は、おそらくこの倭国だ。ヴリシア帝国にも鍵が1つあるが、海底神殿から帝国までかなり距離がある。それに倭国に保管されている鍵は、劣勢の旧幕府軍の本拠地である九稜城の天守閣だという。近い上に火事場泥棒の真似事もできるのならば、こちらから手に入れようとする筈だ。

 

 昔から賢かったタクヤならば、そうするだろう。リキヤが倭国に来ているという事は知らないだろうが、仮に知っていたとしてもこっちから手に入れようとする筈だ。上手く行けば最大の脅威を欺いて鍵を手に入れ、一足先に帝国へと向かう事もできるのだから。

 

 タクヤたちの次の目的地を予想しながら、リキヤは「ああ、それなら仕事が早く終わって助かる」とエミリアに返答した。今の本職はモリガン・カンパニーの社長ではあるが、傭兵を引退したわけではない。大仕事があればシンヤやミラたちと協力して依頼を受けるし、このように親密な関係にある王室からの依頼は引き受けるようにしている。

 

「それに、社員たちや騎士たちにも新しい装備を渡してある。次の九稜城侵攻で、維新戦争は終わるさ」

 

「それもそうだな」

 

 やや短期間だったが、その新兵器の訓練ももう終わっている。社員たちに最優先で配備したものの、その新兵器の開発を担当したフィオナの活躍で量産は予想以上の速度で進み、社内どころか数ヵ月で騎士団の6割にまで装備が普及しているという。

 

 周囲の小型船を見てみると、倭国の船よりも巨大で頑丈な戦艦を目にした新政府軍の水兵たちが、ブリストルの巨体を見上げながら口々に何かを言っている。今の倭国から比べれば、当然だが世界の工場と言われているオルトバルカ王国は先進国だ。その先進国が最新の技術を結集して生み出した戦艦がこのクイーン・シャルロット級なのだから、この巨体に釘付けにされてしまうのは当たり前だろう。

 

 未だに船に搭載されたバリスタや、乗り込んでいる魔術師の攻撃に頼っている新政府軍の軍艦とは違い、ブリストルは強力な装備と堅牢な装甲を併せ持ち、最新型の高出力型フィオナ機関によって20ノットも速度を出す事が可能な軍艦である。兵装は対空用のスチーム・ガトリング砲と、敵の要塞や軍艦を砲撃するための12.8cmスチーム・カノン砲の2つだ。どちらも武装の後端に小型の蒸気機関を装着しており、そこで生成した超高圧の蒸気をそのまま武器の内部へと伝達して、小型のクロスボウ用の矢や高圧の魔力を充填した砲弾を発射するという代物である。

 

 作り笑いを浮かべ、試しに水兵にでも手を振ってやるかと思ったリキヤだったが、ブリストルの後方で錨を下ろそうとしていた駆逐艦エドガーから聞こえた鐘の音を聞き、はっとしながら艦尾を振り返った。

 

 オルトバルカ海上騎士団では、敵襲を知らせる際には各艦に用意されている警鐘を特定のリズムで鳴らすという規定がある。騎士団と共闘することも多かったため、いつの間にか自分も騎士団の一員になったかのように騎士団の規定を覚えていたリキヤは、甲板で大砲の点検をしていた中堅の水兵よりも早くその警鐘に反応しつつ、腰のホルスターに手を近づけていた。

 

 ブリストルよりも小さな駆逐艦エドガーの甲板の上では、水兵たちが大慌てで大砲の準備をしつつ、ブリストルに向かって右舷を指差しながら何かを叫んでいる。

 

 右舷からの敵襲かと思いつつ海原を睨みつけると、そこにはブリストルへと接近してくる1隻の軍艦の姿があった。黒と金の二色で塗装された外輪船で、マストの上でたなびいている筈の旗は降ろされ――――――旧幕府軍の旗が、代わりにマストの上で揺らめき始める。

 

「敵襲! 旧幕府軍です!」

 

「何故気付かなかった!?」

 

 報告する水兵に怒鳴るジェイコブ艦長だったが、オークである艦長の巨躯と怒気に怯えながらも、その水兵は「直前まで我が国の国旗を上げていたんです!」と言い返す。

 

 直前までオルトバルカ王国の国旗を上げ、あの軍艦はミヤコ湾へと侵入してきたのだ。

 

「馬鹿な………ッ!」

 

「砲撃準備! 右舷全スチーム・カノン砲、砲撃用意だ!」

 

「馬鹿者ッ、近すぎる! ブリストルまで巻き込むぞ!!」

 

 甲板で指示を出していた砲術長を怒鳴りつけたジェイコブ艦長は、冷や汗を拭わずにそのまま腰のサーベルを引き抜いた。彼のために特注されたサーベルなのか、サーベルというよりは大剣のように巨大な剣である。

 

 スチーム・カノン砲は敵に砲弾を叩き込み、その砲弾の中に充填されている高圧の魔力を暴発させることで爆発を起こし、敵艦を撃沈するために設計された大砲だ。簡単に言えば時限信管型の砲弾のようなもので、着弾すると同時に時限信管が起動するようになっている。

 

 爆発するまでの時間は設定可能だが、基本的に時間は5秒。設定し直す時間はないし、このまま発射したとしても、右舷から接近してくる敵艦の爆発にブリストルまで巻き込まれてしまうだろう。

 

「突っ込んで来るぞ、衝撃に備えろッ!」

 

「衝突する!」

 

 右舷で大砲の発射準備をしていた水兵たちが大慌てで左舷へと逃げ出していく中、ついに旧幕府軍の軍艦の艦首が、ブリストルの右舷へと叩き付けられた。みしり、と木製の敵艦の艦首がひしゃげる音がして、甲鉄の装甲に身を包んだブリストルの巨体が激震する。リキヤとエミリアは近くにあったワイヤーにしがみついて転がり回らずに済み、ジェイコブ艦長は辛うじて踏ん張ったようだったが、他の水兵たちは殆ど甲板の上を転がり回っていた。

 

 ブリストルの船体が軋む音を立てる中、激突した旧幕府軍の軍艦の艦首から、腰に刀を下げ、倭国の伝統的な古めかしい防具に身を包んだ兵士たちが顔を出す。

 

「突撃じゃぁッ! この艦を奪えぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「うおおおおおおおおおおッ!」

 

(なるほど、旧幕府軍の狙いはこのブリストルの強奪か)

 

 新政府軍の猛攻により、敗戦を繰り返している旧幕府軍の保有する兵器の大半は、産業革命以前の旧式の武器ばかりであるという。世界の工場とも呼ばれるオルトバルカ王国の支援を受け、最新鋭の装備を数多く輸入している新政府軍と比べると兵器の性能差は大き過ぎるのだ。

 

 保有する軍艦も例外ではない。外輪船ということは産業革命以降に建造された比較的新しい船なのだろうが、オルトバルカ王国は既に木造の外輪船ではなく、甲鉄の装甲を使用した最新鋭の装甲艦や戦艦を建造しつつある。

 

 だから、このミヤコ湾に停泊したブリストルを奪おうというのだろう。オルトバルカ海上騎士団の切り札でもあるクイーン・シャルロット級のうちの1隻を強奪し、旧幕府軍の旗艦にすれば、旧幕府軍にも敵の切り札を奪える力があるという証明になるし、新政府軍とオルトバルカ王国の顔にも泥を塗れる。戦略的にも政治的にも成功すれば強烈な一撃となる一手だが………いささかリスクが大き過ぎる一手でもある。

 

 ホルスターの中からハンドガンを引き抜きつつ、リキヤは隣で背中の大剣を引き抜いた妻(エミリア)に目配せした。

 

「―――――白兵戦だッ! 東洋の武士に負けるな、騎士団の力を見せてやれッ!!」

 

「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」」

 

 甲板の上に上がってきた騎士や水兵たちを鼓舞しつつ、ハンドガンを船に乗り込んできたサムライに向け――――――トリガーを引いた。

 

 彼が使っているハンドガンは、アメリカ合衆国で設計された『ブレン・テン』と呼ばれる珍しいハンドガンである。ハンドガンの弾薬で主流と言われているのはベレッタM93Rなどで使用される9×19mmパラベラム弾や、コルトM1911などで使用される.45ACP弾だが、彼の持つブレン・テンは10mmオート弾と呼ばれる10mmの弾薬を使用するのである。

 

 当然ながら一般的な9mm弾よりも威力とストッピングパワーで勝っている強力な弾丸だ。それを使用するハンドガンを2丁もホルスターから引き抜いた力也は、刀を引き抜いて突進してくるサムライたちをその10mmオート弾で次々に撃ち抜いていった。

 

「うがっ………!?」

 

「ゲェッ――――――」

 

「エミリア、前衛は任せる!」

 

「任せろ!」

 

 矢継ぎ早にトリガーを引き、乗り込んできたサムライたちの屍を次々にブリストルの甲板の上に転がしていくリキヤ。ブレン・テンのスライドがマズルフラッシュの閃光と共にブローバックし、微かに煙を纏う薬莢を吐き出していく。

 

 木製の甲板の上に薬莢が落下する美しい音は、傍らで大剣を引き抜いた彼の妻が発した声によってかき消されることになった。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 大剣にしては細身の刀身を携え、甲板の騎士たちがサムライたちに斬りかかるよりも先にエミリアが先陣を切った。リキヤの射撃で倒れていくサムライたちの死体の上を容易く飛び越え、再び甲板の上に降り立つと同時に大剣を力任せに振り下ろす。

 

 彼女が狙ったのは、落下地点で刀を構えていた黒服のサムライだった。サムライたちの剣術は非常に強力で、接近戦を挑むのは危険だと騎士団の教官が注意するほどだったが、エミリアは敢えて大剣で接近戦を挑んでいた。

 

 エミリアもリキヤと共に長年激戦を経験しているベテランの傭兵なのだ。相手が東洋の剣術の達人ならば、恐れるどころかむしろ奮い立つものだろう。

 

 辛うじてエミリアの大剣を刀で受け止めたサムライだったが――――――エミリアが使っている大剣は、サラマンダーの大剣である。あらゆる剣戟や矢を触れただけで融解させてしまうほどの熱を常に纏い、巨大な鉄槌も逆に砕いてしまうほどの硬さを誇る恐ろしいドラゴンだが、あの刀身の素材に使われているのはそのサラマンダーの部位の中でも特に硬いといわれている角である。

 

 優秀なハイエルフの鍛冶職人も「削り出すのに苦労した」というほどの硬さだ。しかも刀身の形に削り出し、刃を研いでから柄に取り付ける以外は全く手を加えていないという。

 

 長年鍛冶職人をしてきたハイエルフの職人が、自分の技術を加えるよりも、あえてそのままにした方が切れ味は上がると判断したからなのだろう。

 

 それゆえに、いくら玉鋼で鍛え上げられた東洋の名刀とはいえ、落下する力と鍛え上げられたエミリアの全力を纏った大剣の一撃を受け止められるわけがなかった。鉄骨で細い木の枝がへし折られるかのように、一瞬だけ火花を散らした両者の得物であるが、敗北したのはサムライの刀の方であった。

 

 金属の破片が散ったかと思うと、そぐその銀色の破片の中に真紅の飛沫が舞い踊る。

 

 崩れ落ちた旧幕府軍の兵士を蹴り飛ばし、更に奥から乗り込んできたサムライたちと斬り合うエミリア。妻を狙うサムライたちを、後方でブレン・テンを構えるリキヤの連続射撃がことごとく食い破っていく。

 

 いきなり旗艦に突っ込まれて狼狽していた騎士たちであったが、奮戦するハヤカワ夫妻の姿を見て奮い立ったのだろう。徐々に剣を手にして雄叫びを上げ、前衛で戦うエミリアを援護しようと突撃を開始する。

 

 その中には、戦艦ブリストルの指揮を執るジェイコブ艦長も紛れ込んでいた。彼はオーク出身であり、人間やハーフエルフよりも大きな身体であるため一目で分かる。

 

 マガジンの中に入っていた10発の10mmオート弾を撃ち尽くしたリキヤは、片方のハンドガンをホルスターに戻してからマガジンを装着し、素早くもう片方のハンドガンにもマガジンを押し込んだ。再装填(リロード)を済ませてから再び銃口を正面へと向けたが――――――最早、甲板の上は乱戦だ。先ほどのように自分が援護し、エミリアが前衛として敵を斬るという作戦通りにはいかない。

 

 騎士たちも奮戦しているのだ。先ほど通りの戦い方をしていれば、仲間を誤射してしまう可能性がある。

 

「チッ」

 

 ハンドガンを手にしたまま、リキヤも襲来したサムライたちの群れの真っ只中に躍り出た。走りながら思い切りジャンプし、両手のブレン・テンのトリガーを次々に引いて旧幕府軍の兵士たちを葬っていく。

 

 頭を撃ち抜き、胴体に2発弾丸を叩き込んで蹴り飛ばし、義足のブレードで足を斬りつけ、体勢を崩してから至近距離で頭に撃ち込む。確かに騎士の剣戟よりも力強く、キレのある美しい剣術だ。さすが西洋よりも魔術の発達が遅れたために剣術を重視していた国の剣豪たちである。

 

 彼らの剣戟が空振りする度にひやりとするが――――――この程度の緊張感は、最前線で何度も味わったではないか。

 

 くるりと回りながら10mmオート弾の一斉射撃。四方から力也に斬りかかろうとしていたサムライたちを次々に撃ち抜き、空になったマガジンをグリップの中から排出する。

 

 片足のブレードで応戦しつつ再びマガジンを押し込んだ彼は、サムライの群れの中で善戦していたエミリアの傍らへと向かうと、左足に内蔵されているブレードでまだ息のあった兵士を踏みつけて止めを刺してから、彼女と背中を合わせた。

 

「どうだ、東洋の剣士たちは?」

 

「素晴らしい。1人1人が剣術の達人のようだな」

 

「それは良かった。………さて、このまま押し返すか」

 

「ああ、子供たちに負けていられない」

 

 海底神殿で鍵を手に入れたタクヤたちは、エンシェントドラゴンのシーヒドラを撃破している。エンシェントドラゴンは普通のドラゴンとは異なり、何かを司る強力な存在だ。国によっては彼らを守り神として崇めているという。

 

 そのドラゴンを撃破した子供たちに、負けていられない。遠方で活躍する子供たちの戦果が、2人のベテランの傭兵に火をつける。

 

 再びサムライたちを蹂躙しようとしたその時であった。

 

 ブリストルに突撃してきた旧幕府軍の軍艦の艦首に、1人の男が立っていたことに気付いたのである。甲板に突撃したサムライたちの奮戦を見守っていたその男は、エミリアやリキヤと目が合ったかと思うと、ほんの少し笑ってから―――――――甲板へと飛び降りてきた。

 

 他のサムライたちのように防具は一切身に着けていない。西洋風の黒服に身を包み、腰には刀を1本だけ下げている。

 

 明らかに、その男の発する殺気は他のサムライたちよりも濃密で、より威圧的であった。しかし目立つような殺気ではない。リキヤやエミリアでも、彼の殺気に気付かないほど静かな敵意だったのだから。

 

 そう、静かなのだ。しかしそれゆえに、その静寂の中で眠る殺意は別格となる。

 

「――――――西洋の剣士………見事な剣術だ」

 

「私の事か?」

 

「ああ、貴女の事だ。………合戦の最中だが、貴女に決闘を申し込みたい」

 

「決闘だと?」

 

 乱戦の最中だというのに、その男はエミリアに決闘を挑んで来たのである。彼女の傍らでブレン・テンを構えていたリキヤも、思わず目を丸くしてしまっていた。

 

 銃を持っている気配はないし、転生者の端末を持っている様子もない。エミリアを指名したという事は、彼女の剣術に興味を持ったという事なのだろう。

 

「いいだろう」

 

「ありがたい」

 

 あの男と同じように、エミリアもサムライたちの剣術に興味を持ち始めていた。その中でも別格の殺気を秘めた男からの決闘を、エミリアは断るわけがない。

 

「―――――貴殿の名は?」

 

 リキヤから距離を取りつつ、大剣の柄を握ってそのサムライの名を問うエミリア。

 

 彼女に決闘を申し込んできたその男は――――――冷たい声で、名乗った。

 

「―――――――土方歳三(ひじかたとしぞう)だ」

 

 

 

 



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エミリアとサムライ

 

 エミリア・ハヤカワは、ラトーニウス王国のペンドルトン家に生まれた次女である。姉であるエリス・シンシア・ペンドルトンの1つ年下の妹で、幼少の頃からずっと仲の良い姉妹であった。読み書きを覚えたエリスはよくエミリアのために絵本を読み、2人で笑いあう幼少期を過ごしていた。

 

 いつも一緒にいる2人を見れば、仲の良いそっくりな姉妹だろうと思う事だろう。実際に仲はいいし、戸籍上でもちゃんとエミリアはペンドルトン家の次女と〝いうことになっている”。

 

 しかし――――――正確に言うならば、エミリアは人間ではなかった。

 

 かつて、大天使がレリエル・クロフォードを封印した際に、彼の血と魔力で穢れてしまった恐ろしい魔剣を復活させるためだけの道具に過ぎなかったのである。回収された魔剣の破片の1つを心臓に埋め込んで長年彼女の魔力を吸収させ、十分に破片が活性化したタイミングで彼女を殺し、心臓から破片を取り出して魔剣を復活させる。それが魔剣を手に入れようともくろんだエミリアの父親と、ジョシュアという形だけのエミリアの許嫁の計画であったのだ。

 

 最初は魔剣の〝餌”になる役割をエリスに担わせる予定であった。しかし、エリスは既に検査で驚異的な量の魔力を持ち、しかも氷属性の魔術の扱いに長けた天才であるという結果が出ており、ただでさえ魔術師の数が少ないラトーニウス王国の上層部はエリスが成長したら騎士団に入団させ、精鋭部隊に編入しようと躍起になっていたのである。

 

 まだ生後数ヵ月だったが、エリスは成長すれば利用価値がある。没落しかけていたペンドルトン家を立て直すための宣伝だ。エリスを計画のために使い物にならなくするのはあまりにも惜しい。

 

 だから生まれてくる予定だった次女を生け贄にする予定だったのだが―――――まるでその非人道的な計画を咎めるかのように、生まれてくる予定だった次女は母親の胎内で死んでしまったため、生け贄にできる子供がいなくなってしまうというアクシデントが発生してしまう。

 

 そこで、エリスの父親は太古の錬金術師が確立した技術を利用することにした。―――――人間の遺伝子を元に、ホムンクルスを生み出すという技術である。

 

 当然ながら遺伝子の元にするのはエリスだ。彼女は優秀な魔術師になれる素質を持った子供だし、その遺伝子をベースにすれば、あわよくば〝もう1人のエリス”が生まれるかもしれない。弱過ぎる生け贄では体内の魔剣を守り切れない可能性があるため、ある程度強い子供になってもらわなければならないので、エリスをベースにするというのはベストと言えた。

 

 そして生まれてきたホムンクルスが――――――エミリアである。

 

 母の胎内で死んだ次女の名を受け継いで生まれてきたホムンクルス。成長して騎士団に入団した彼女は、着実に剣術を身に着けて強力な騎士の1人となった。

 

 ラトーニウス王国は魔術の発展が遅れた国であるため、その分剣術による接近戦を重視する。エリスのような魔術の才能を持たなかったエミリアは、騎士団の戦術通りに剣術を磨き、入団して数年で分隊の指揮をするほど成長していった。

 

 そして、異世界から転生してきたリキヤ・ハヤカワと出会ったのである。

 

 魔剣の計画を知らず、ジョシュアをただの嫌な許嫁だと思い込んでいたエミリアは、彼と出会ってからすぐに騎士団の駐屯地から連れ去られる羽目になる。異世界からやってきた奇妙な少年との、まるで駆け落ちのような逃走劇。エミリアにとってはやっと自由になるチャンスだったのだが――――――彼女に逃げられて困るのは、彼女の心臓に魔剣を埋め込んで復活させようとしていた者たちであった。

 

 生け贄が、身体の中の魔剣の事も知らずに、余所者の少年と逃亡したのである。しかも2人が逃げ込もうとしているのは、よりにもよってラトーニウス王国の隣に鎮座するオルトバルカ王国。迂闊に追撃すれば外交問題になるし、ラトーニウス王国の20倍以上の戦力を持つ大国を怒らせれば、隣の小国などあっという間に焼け野原になる。

 

 逃亡してしまった彼女を奪還するため、オルトバルカ王国から入国許可を得て、しかもラトーニウス王国騎士団の切り札となっていた〝絶対零度のエリス”を呼び寄せたというのに、エリスがモリガンへ寝返った事とジョシュアが魔剣の力を過信したこともあり、魔剣もろともその計画は消え去ることとなった。

 

 魔剣を蘇らせるための道具としてだけ生み出されたエミリアであったが、仲間たちに励まされつつ傭兵として戦い続け、エリスと共にリキヤの妻となった後も何度も実戦を経験してきた。

 

 彼女の傍らにいたからこそ、リキヤは妻がどれだけ強いのか熟知している。妊娠中はさすがにやらなかったが、出産を終えて回復し始めてからは毎朝大剣を手に家の外へと出て、朝早くから大剣の素振りをしていたのである。

 

 そう、既に転生者を瞬殺するほどの力を持っているというのに、彼女は満足しない。更に強くなろうと鍛錬を繰り返す努力家なのだ。

 

 だから妻が弱いわけがない。土方に決闘を申し込まれ、それを受けることにしたエミリアを見守りながら、リキヤは頷いた。

 

 銃という異世界の武器の威力を知っても、彼女は剣を絶対に手放さない。幼少の頃は勇者に憧れ、成長してからは騎士として魔物の群れや盗賊と戦ってきた彼女の得物は、ずっと1本の剣だったのだ。だからその1本の剣で、彼女は今から東洋の剣豪と戦うのである。

 

 相手は旧幕府軍に所属する土方歳三(ひじかたとしぞう)。前世の世界にも同じ名前の偉人がいた事を思い出しながら、リキヤは大剣を構えるエミリアの前に立つ土方を見据えた。

 

 リキヤたちの制服と同じような西洋風の黒服に身を包み、1本だけ刀を持つ土方。エミリアがサラマンダーの角で作られた両刃の大剣を構えるのを見ると、土方も少しだけ目を細めてから刀を鞘から引き抜く。

 

 大抵の転生者たちは、自分に与えられた端末に頼り過ぎている傾向がある。あくまで強化される身体能力は攻撃力と防御力とスピードの3つのみ。スタミナや純粋な技術が自分で努力して身に着けなければならい。

 

 それゆえに、大概は力押しだ。だからあっさりと躱せるし、容易く瞬殺できるのである。

 

 むしろ転生者ではない強敵の方が恐ろしい。彼らには技術があるし、便利な武器を使わずに生き残ってきた猛者ばかりなのだから。

 

 土方歳三も、その強敵のうちの1人なのだろう。

 

 愛用の得物を構えながら土方と睨み合うエミリアは、土方の発する静かな殺気の中で大剣の柄を握り――――――先制攻撃を仕掛けることにした。

 

 一瞬だけ姿勢を低くし、その隙に力を溜めてから鍛え上げた瞬発力で一気に前に出る。モリガンと騎士団で鍛え上げた彼女の剣術の中でも最も優れているのは、一撃の殺傷力よりもその瞬発力が生み出す速さと鋭さである。

 

 元々は魔術で魔物に対抗するという作戦を取ることができないラトーニウス騎士団が、魔物の硬い外殻を貫通できるようにと考案した攻撃方法が、その瞬発力を生かしての一撃である。踏み込む前に狙いを定め、外殻の脆い部分を見つけてからそこに正確に剣戟を叩き込む。そしてその一撃が通用したのならばさらに追撃するという攻撃的な剣術だ。

 

 もちろん、それは対人戦でも猛威を振るう。

 

 人間の装備できる防具は、魔術に頼らない限り限界がある。剣を弾くほど分厚くすれば他の部位の防御が疎かになるし、凄まじい防御力の防具を全身に纏えば今度は動けなくなる。人間である以上、必ずどこかに脆弱な部分があるのだ。

 

 そこを剣で狙い、鍛え上げた瞬発力で瞬時に切り裂く。むしろラトーニウス流の剣術は、対人戦で真価を発揮すると言っていい。

 

 その自慢の瞬発力を生かした剣術で土方へ大剣を突き出すエミリアだが―――――目の前で火花が散ったかと思うと、彼女の剣は右へと逸らされていた。

 

(――――――!?)

 

 目を見開いた瞬間、目の前で刀を構えていた筈の土方が消えていることに気付いた。瞬発力と剣戟の速度には自信があったのだが、土方はその一撃を見切っていたのだろうか。

 

 しかし、まだ最初の一撃だ。今の一撃が奥の手というわけではない。

 

 すぐに冷静になったエミリアは、今の一撃を土方が受け流し、エミリアの側面へと回り込んでいる事を確認した。右手の刀を引き戻しつつ攻撃の準備をする土方の顔は無表情のままだったが、目は先ほどよりも少しだけ開かれている。

 

 エミリアも大剣を引き戻そうとしたが――――――彼女はそれをフェイントにするという作戦を瞬時に思いついた。剣を引き戻し、大人しくセオリー通りに反撃するように見せかけて回転し、少しタイミングをずらして意表を突きつつ一撃を叩き込むのである。

 

 当たり前だが、剣士は様々な戦い方をする。流派で剣戟は違うし、その剣術を学んだ個人でも剣の振り方は若干違うものだ。剣士によってはその剣術にアレンジを加えて使って来ることもある。

 

 しかし、ナイフや短剣を使うタイプの剣士ではなく、ロングソードや大剣を使う剣士は大概は剣戟を得物で弾こうとするものだ。短剣で相手の得物を受け止めようとすれば得物もろとも弾き飛ばされている可能性があるからである。武器や科学技術の発達で防具や盾の需要が激減している産業革命以降では、得物は相手の攻撃を弾くという役割も担うようになったのだ。

 

 それは倭国でも同じ筈だ。だから次の一撃は、最初のように受け止めるに違いない――――――。

 

 エミリアはそう判断し、剣を引き戻すと見せかけて、思い切り反時計回りに身体を回転させた。漆黒のドレスを思わせる制服が揺らめき、彼女の手が握る大剣がその中で踊る。

 

 騎士というよりは、剣を手に踊る姫のような姿だ。

 

(!!)

 

 次の一撃を再び得物で弾き飛ばし、その隙に攻撃しようと目論んでいた土方は、エミリアがその土方の攻撃を見切っていたという事を理解しつつ驚愕した。

 

 しかし、土方も今まで剣術の鍛錬を続けてきた剣豪であり、旧幕府軍の切り札の1人である。彼が実戦すればこの作戦も成功するだろうという期待から、土方もこのミヤコ湾への突入作戦への参加を許されたのだ。

 

 相手を畏怖させる抑止力として鎮座するのは望まない。最前線で刀を振るってこその侍なのだから。

 

 エミリアと同じように、土方も瞬時に冷静になる。彼女がタイミングをずらして攻撃してきたというのならば、それを改めて受け流して反撃すればいい。ここで戸惑えばその一撃を喰らうだけだ。

 

 くるりと刀の柄を真下へと半回転させ、切っ先を甲板へと向けた状態で左側から飛来したエミリアの重い斬撃を受け止めた。サラマンダーの角で作られた大剣を玉鋼で作られた日本刀が受け止め、火花を散らし合う。

 

「――――――さすが、東洋の剣豪だ!」

 

「貴女こそ………これが西洋の騎士か!」

 

 互いに得物を押し返し合い、後方へとジャンプして同時に距離を取る。甲板に着地しつつ呼吸を整え、改めて目の前で剣を構える相手を睨みつける。

 

(なるほど………冷静なサムライだな)

 

 今まで戦ってきた転生者とは間違いなく別格だ。この男ならば生半可な転生者を瞬殺してしまうに違いない。

 

 夫であるリキヤとどちらが強いのか比べたくなったが、今は彼と決闘をしているのだ。いくら最愛の夫でも、今は夫の事を考えている場合ではない。

 

 再び先に仕掛けようと思ったエミリアであったが――――――今度は、土方が攻撃を仕掛けてきた。

 

「!」

 

 だらりと刀を持つ手を下ろしたかと思うと、刀の切っ先を甲板に触れさせ―――――刀身をブリストルの木造の甲板に擦り付け、傷痕を刻みつけながら突っ込んできたのである。

 

 常に甲板を擦っている状態のため、土方に彼の得物が置き去りにされ始める。しかし、得物の動きを妨げている甲板から刀身が離れれば、勢い良く刀身が振り上げられてくるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 大剣の切っ先を甲板に突き立てるかのように構えた直後、その大剣の表面を斬撃の流星が打ち据えた。

 

 ギン、とぶつかり合う音を奏でながら振り上げられる刀。それが素早く振り下ろされるよりも先に身体を捻ったエミリアは、土方の鋭い剣戟を辛うじて回避していた。今の一撃をガードしようとしていたら、今頃あの刀身は彼女の右肩にめり込み、甲板に鮮血をぶちまける羽目になっていたに違いない。

 

(くっ………やはり、刀の方が速い………!)

 

 瞬発力によって真価を発揮する剣術を使うならば、レイピアやサーベルなどの小さな得物を使うものである。しかし、エミリアは重い大剣を使用し続けている。これはミスマッチのように見えるが、彼女の場合は防御力の高い転生者や魔物を両断する事を考慮しているため、確実に相手を切り裂けるように大剣を使わざるを得なかったのである。

 

 それゆえに、相手のスピードが自分よりも勝っていた場合は分が悪くなるのだ。

 

 だが、分が悪くても関係ない。土方の素早い剣戟を大剣で弾きつつ、彼女は得物が生じる火花の中で笑っていた。

 

(―――――――良い戦いだ)

 

 段々と、若き日の自分の戦いが変わっていく。技術が発展し、武器も変化していくせいで自分が培ってきた技術も変質していった。より合理的で実用的な武器や戦術が主流になっていく中で、古めかしい得物を使い続けていたのは、自分の培った技術を手放したくないという彼女なりの絶叫だったのかもしれない。

 

 しかし、ここにも同じように叫んでいる男を見つけた。

 

 倭国という極東の島国で、新政府軍に淘汰されようとしている旧幕府軍の一員として刀を振るう男。新選組の局長として刀を手放さず、西洋の大国が後押しする新政府軍に戦いを挑んだ1人の武士との死闘の真っ只中で、エミリアは歓喜していたのだ。

 

 極東の島国で、同類を見つけたのだから。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「!!」

 

 土方の剣戟を受け止めた直後に、彼女も反撃を開始する。受け止めた土方の一撃を押し上げつつ距離を詰め、土方が後退しようとする瞬間に大剣を振り上げる。

 

 得物を押し上げられたせいで受け止める事が出来なかった土方は―――――辛うじて身体を左へと大きく傾け、エミリアの一撃を回避していた。

 

「………!」

 

 エミリアにもう一度刀を振り下ろしてから距離を取る土方。今の一撃が掠めたのか、彼の黒服の右肩の辺りが、ほんの少しだけ切り裂かれていた。

 

 次はどのような攻撃を繰り出そうかと考えていたエミリアだったが―――――その決闘を見ていたサムライの1人の絶叫が、2人の戦いを終わらせてしまう事になる。

 

「副長、回天が包囲されてしまいます! もう限界です、撤退しましょう!」

 

「………分かった」

 

 残念そうに目を瞑ってから刀をくるりと回転させ、滑らかに鞘の中へと戻した土方は、「潮時だ。悪いが引き上げさせてもらう」と言い残してから、ブリストルに体当たりしてきた外輪船の甲板へとジャンプして言った。他のサムライたちも外輪船の甲板へとよじ登り、ブリストルの甲板から撤退していく。

 

 数名の騎士が撤退する彼らに弓矢を向けようとしていたが、いつの間にかハンドガンをホルスターに戻していたリキヤに睨みつけられると、一瞬だけ震え上がってから大人しく弓を下ろした。

 

「エミリア、どうだった?」

 

「………最高の戦いだった。あの男とまた戦いたいものだ」

 

「安心しろ、九稜城でまた戦えるさ」

 

 おそらく、エミリアと土方が次に戦う事になるのはエゾにある九稜城だろう。出来るならばリキヤも2人の戦いを見るべきなのだろうが、彼も九稜城で手に入れなければならないものがある。

 

 だからリキヤとエミリアは、九稜城に到着したら別行動になるだろう。

 

 血と硝煙の臭いに支配された甲板の上で、リキヤとエミリアはミヤコ湾から去っていく旧幕府軍の外輪船を見守り続けていた。

 

 

 



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戦車をみんなで選ぶとこうなる

 

 鼓膜が砕けてしまいそうな轟音と、それが引き連れている激震。濃密な炸薬とオイルの香りに支配された鋼鉄の兵器の中で、それぞれの仕事を続ける仲間たち。休憩する余裕すらない仕事だ。気を緩めれば、敵の攻撃でこっちが木端微塵になってしまうのだから。

 

 砲口から飛び出す砲弾が置き去りにした黒煙と熱に包まれ、加熱された灰色の装甲の上に上半身をへばり付かせつつ、すぐ右を砲弾が掠めていく恐怖を耐え抜く。怯えて逃げ出すことは許されない。俺の役割はここに陣取り、車内で仕事をする仲間たちに無線機で指示を出すことだ。

 

 草原の向こうからは、草むらを無骨なキャタピラと大型の魔物にも匹敵する重量で蹂躙しつつ、車体の上に鎮座する砲塔から砲弾を吐き出し続ける6両の怪物たちが接近してくる。オリーブグリーンで塗装された無骨な車体と、丸みを帯びた砲台。その主砲から放たれるのは、75mmの徹甲弾である。

 

「ナタリア、徹甲弾装填!」

 

『了解!』

 

 手元にある無線機に向かって命令すると、すぐにしっかり者の少女の元気な声が返ってきた。身を乗り出している車内から砲弾が装填される金属音がい越えてきたかと思うと、またしても俺たちの乗る戦車の車体へと飛来した砲弾が、後退するキャタピラの跡が刻まれた地面に着弾した。

 

「カノン、目標は一番手前のシャーマンだ! あの車両の攻撃だけ精度が良いから、先に潰すぞ!」

 

『了解ですわ!』

 

 敵の戦車は、第二次世界大戦中にアメリカ軍が採用していた中戦車の〝M4シャーマン”である。旧式の戦車の中ではバランスの良い性能で、第二次世界大戦では日本軍やドイツ軍との激戦で大活躍している戦車だ。

 

 現在では戦車は基本的に主力戦車(MBT)と呼ばれており、第二次世界大戦の頃は『軽戦車』、『中戦車』、『重戦車』などに分けられていたんだ。でも、段々と戦車が改良されていくにつれてそのような種類に分ける必要がなくなったため、現在ではそのようなカテゴリーは廃れてしまっている。

 

 相手は第二次世界大戦で、ソ連軍のT-34と並んで大活躍した優秀な戦車だ。しかもそのM4シャーマンが6両も隊列を組み、主砲を放ちながらこっちに接近してくる。

 

 だが―――――――俺たちの乗ってる戦車も、シャーマンには負けていない。

 

「命中させろよ、カノン!」

 

『安心してくださいな、お兄様。砲撃は得意ですの』

 

 心強い返事だ。

 

 彼女の自信のおかげで、俺も少しだけ励まされる。彼女の砲撃の技術ならば、砲撃は百発百中と言っても過言ではないだろう。カノンの技術がこの戦車の主砲と組み合わせられれば敵無しだ。

 

 俺たちが乗っているのは――――――同じく第二次世界大戦で活躍した、ドイツ製重戦車の〝ティーガーⅠ”である。ドイツで開発された強力な戦車であり、堅牢な装甲と圧倒的な破壊力の88mm砲を兼ね備える重戦車の傑作の1つだ。よく故障を起こしてしまうという欠点があるが、アメリカのシャーマンに砲撃されても装甲を貫通されることはなく、全くダメージを受けることはなかったという。それだけでなく、搭載されている主砲もシャーマンより遥かに強力で、あっさりとシャーマンの装甲を貫通して次々にアメリカ軍やソ連軍の戦車を蹂躙している。

 

 その時、まるで金属の塊を長方形に切り取ったようなティーガーの車体が激震した。火花が散り、金属が微かに焦げる悪臭を発する。

 

 シャーマンの砲弾が、ティーガーの正面の装甲に着弾したのだ。熱されたキューポラの縁に胸板を打ち付けながらも無線機に向かって「被害は!?」と叫ぶ。砲弾は貫通していないようだが………今の衝撃で内部が破損していたり、他のメンバーが負傷している可能性がある。

 

『ふにゅ、びっくりした………! こっちは大丈夫だよ!』

 

『頭をぶつけましたが、大丈夫です。故障もありません』

 

『問題ありませんわ!』

 

『大丈夫よ! それより早くやり返しましょう!』

 

 どうやら仲間たちは負傷していないようだ。それに、戦車の方にも損傷はないらしい。

 

 さすが傑作の重戦車だ。

 

 ドイツの戦車の堅牢さに驚愕しつつ、俺はぽんぽんとティーガーの装甲を軽く叩いた。シャーマンの砲撃でもびくともしない堅牢な装甲の持ち主は、砲口を最寄りのシャーマンに向けながら、今の仕返しをする時を待ち続けている。

 

「―――――発射!」

 

『発射(ファイア)ッ!!』

 

 無線に向かって叫んだ直後―――――――シャーマンのほうを向いていた砲口が煌めいたかと思うと、その砲身から炎を纏った1発の砲弾が姿を現した。纏う炎の熱で一瞬だけ陽炎を生み出しつつ駆け抜けたその砲弾は、草原を吹き抜ける風をズタズタにしながら飛翔し、先ほど俺たちのティーガーに徹甲弾をお見舞いしてくれたシャーマンに〝仕返し”をしてくれた。

 

 突き刺さった88mm徹甲弾があっさりとシャーマンの装甲を貫き、車体の内部で膨れ上がる。砲塔と車体の付け根から無数の小さな火柱が躍り出たかと思うと、その後に噴き出した業火の奔流によって丸みを帯びた砲塔のキューポラから火柱が噴き上がり、カノンの砲撃に撃ち抜かれたシャーマンは動かなくなった。

 

「目標撃破!」

 

『さすがカノンちゃん!』

 

『ふふっ、砲撃は得意分野ですのよ』

 

 シャーマンを撃ち抜いたカノンが誇らしげに言うが――――――まだ戦いは終わっていない。シャーマンは5両も残っている。

 

 向こうの攻撃ではほとんどダメージを受ける恐れは無いティーガーだが、装甲が薄い部分も存在するのだ。そこを撃ち抜かれればこちらも、あのシャーマンと同じ運命を辿る羽目になる。

 

『タクヤ、横に回り込みます』

 

「なに?」

 

 撃破したばかりのシャーマンを睨みつけていると、操縦士を担当するステラが提案してきた。

 

 このまま後退しつつ砲撃するよりも、意表を突くために横へと回り込み、それからカノンの砲撃で仕留めるつもりなのだろう。確かにこのまま砲撃を受け続けていれば、着弾した際の猛烈な衝撃でティーガーが故障する恐れもある。撃ち抜かれることはなくても、行動不能になれば残骸と同じだ。回り込むのはリスクが大きいが、このまま後退していてもリスクが牙を剥こうとしているのならば、乗り越えられる方を乗り越えてチャンスを手に入れるべきである。

 

「――――よし、やってくれ。ナタリア、続けて徹甲弾だ!」

 

『了解!』

 

『了解(ヤヴォール)』

 

 草原をキャタピラで滅茶苦茶にしながら後退していた巨体が、ぴたりと止まる。今度はキャタピラが逆方向に回転を始めたかと思うと、エンジンが咆哮にも似た大きな音を発し、ティーガーが今度は前進を始めた。

 

 大昔に退役したドイツの老虎(オールドタイガー)が、ついに反撃の狼煙を上げたのだ。

 

「―――――撃て(ファイア)ッ!」

 

『発射(ファイア)ッ!』

 

 ティーガーⅠの巨躯が前進を始めると同時に、再び主砲が火を噴いた。狙いは撃破されたシャーマンの残骸の近くを通る最後尾のシャーマン。二番目に砲撃の精度がいいのはあいつだ。砲弾を叩き込んでくる優秀な射手の乗っている戦車は、先に潰さなければ。

 

 砲弾は荒ぶりつつ、今度はシャーマンの砲塔の右半分を食い千切った。砲身の根元や砲塔の軸が剥き出しになり、ぐるりとシャーマンの砲塔が右方向を向いてしまう。

 

 無力化したも同然だが、撃破したわけではない。ティーガーの脅威になるわけではないが、まだ車体に装備されたブローニングM1919重機関銃は健在だ。

 

 だが、あいつの料理は後回しにしよう。側面に回り込んでから健在なシャーマンを血祭りにあげてから止めを刺しても、遅くはないだろう。

 

『えいっ』

 

「んっ?」

 

 すると、主砲の砲口の中に、ステラの変な掛け声が混ざった。掛け声というよりは独り言のような声音で、全く迫力もない。戦闘中に発する掛け声には相応しくない声である。

 

 方向転換でもしたのかなと思いつつ敵の戦車を見張っていたその時、突然緩やかに右方向へと曲がってから直進していたティーガーの車体が―――――着弾した時以上に、かなり大きく揺れた。

 

 ぐるん、と目の前の景色が右へ吸い込まれていき、猛烈な力で体が左側へと引っ張られる。踏ん張る魔も与えずに襲来した正体不明の揺れで仲間たちまで大きく揺られたが、キューポラから身を乗り出していた俺は、その大揺れで容赦なくティーガーの車外へと放り出される羽目になった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッ!?」

 

 じたばたしながら放り出される俺。不規則的で滅茶苦茶な回転をしながら飛んでいく俺の目の前に、一瞬だけ揺れが駆け抜けた直後のティーガーの姿が現れる。

 

 敵戦車部隊の側面へと回り込むために右へと直進していた筈の車体は、いつの間にかシャーマンの車列を睨みつけていた。いつの間にあんな方向転換をやったのかと思いつつティーガーの足元を見てみると、キャタピラに踏み潰された地面が、途中から大きく抉れているのが見えた。

 

 まるでかなりの重量のある何かを引きずり回したようだ。

 

 その抉られた跡を見た俺は、あの揺れの正体と方向転換の方法をすぐに理解する。

 

 ―――――ステラの奴、強引にティーガーでドリフトしやがったんだ!

 

 まるでスポーツカーがドリフトするかのように、よりにもよって故障しやすいティーガーⅠでドリフトしたとしか思えない。方向転換の号令もかけていないというのに勝手に方向転換した時点でも咎めるべきだが、ステラはかなり無茶なドリフトで方向転換をしたのだ。

 

 な、何考えてんだよ!? 故障したらどうすんだ!!

 

 抗議したいところだが、故障しやすいティーガーに無理をさせた張本人は操縦士の座席に腰を下ろしている。地面に落下し終わったらすぐに駆け戻って、強引なドリフトを咎めてやろう。

 

「――――――ふぁますっ!?」

 

 滅茶苦茶な回転をしながら吹っ飛ばされていた1人だけの遊覧飛行も、右側頭部を草原に打ち据えた瞬間に終幕した。まるで頭を巨大なハンマーで殴られたかのような鈍痛を感じながらも立ち上がろうとしたが――――――すぐ近くから聞こえたキャタピラの音で、ぞっとした。

 

 ティーガーのキャタピラの音ではない。第一、俺が乗っていた戦車は草原の向こうで未だにシャーマンの集中砲火を受けているではないか。

 

 冷や汗をかきながら振り向いてみると―――――すぐ近くに、敵のシャーマンが迫っていた。

 

「………わお」

 

 しかも、俺が墜落したのは走行中のシャーマンの真正面。つまり、このまま寝そべっていればあのキャタピラに踏み潰されてしまうわけである。

 

 逃げようとしたが………もう間に合わなかった。泥と草の切れ端まみれになった無骨なキャタピラが、オイルの臭いを纏いながら俺の上に覆い被さってきたのだから。

 

 その直後、自分の頭が潰される音が聞こえ――――――目の前に蒼白いメッセージが表示された。

 

《タクヤ・ハヤカワ KIA》

 

 

 

 

 

 

 

「―――――敗因は何だと思う?」

 

 蒼白い六角形の結晶で形成された床の上に、毛先の方だけ桜色になっている特徴的な銀髪の幼女が正座していた。蒼い瞳でじっと俺を見上げる彼女は俺に問い掛けられてからすぐに首を傾げたが、首を傾げるのは言われたことを理解できなかった時の彼女の癖だ。

 

 首を傾げたステラは小さな指で頬を掻いてから、その指を俺に向けた。

 

「………タクヤが戦車に踏まれたことでしょうか?」

 

「いや、お前のドリフトのせいなんだけど」

 

 ステラがティーガーを強引にドリフトさせたから、俺はキューポラから投げ出されて草原に墜落し、シャーマンのキャタピラに頭を潰されて戦死しちまったんだからな!?

 

「あのさ、最初にティーガーは故障しやすい戦車だから無理させるなって言ったよな?」

 

「はい。ですが、方向転換にはドリフトが――――――」

 

「戦車はスポーツカーじゃねえぞ!?」

 

「スポーツカー………?」

 

 そういえば、この世界にはまだ車は存在していないんだよな。だからスポーツカーは知らないのか。

 

「ええと………戦車はな、あんなドリフトはしないんだぜ?」

 

「ふむ………」

 

 まったく………。ただでさえ故障しやすい戦車なんだから、ドリフトはやめてくれよ。

 

 結晶の床の上にちょこんと座っているステラを見下ろして頭を抱えた俺は、メニュー画面を表示してさっきのトレーニングの戦績をもう一度確認する。

 

 敵はM4シャーマンが6両。こっちの戦力はティーガーⅠが1両のみで、敵を殲滅すればトレーニングはクリアできた筈だった。………しかし、ステラのドリフトで俺が車外に吹っ飛ばされ、そのまま反転した直後のシャーマンに轢かれて戦死するというアクシデントのせいで車長はいなくなり、混乱したままシャーマンの集中砲火でティーガーⅠが破壊されるという結果になったのである。

 

「うーん………」

 

 あの無人島から倭国へと向かう途中で、俺たちは戦車の操縦訓練をトレーニングモードで繰り返していた。このモードなら兵器の操縦方法を学ぶ事ができるし、そろそろ戦車を戦いに投入しても良いだろうと判断したからだ。

 

 だからどの戦車を採用するか試行錯誤しつつ、このように模擬戦を繰り返していたんだが………仲間たちが乗りたいと主張する戦車は、殆どバラバラだった。

 

「なあ、やっぱりティーガーじゃなくて新型の主力戦車(MBT)にしないか?」

 

「タクヤ、ステラはその意見に猛反対です。あの戦車を改造し、このパーティーで採用するべきです」

 

「でも、近代化改修するなら主力戦車(MBT)のほうがいいんじゃないか?」

 

 ステラの主張を聞いていると、彼女の後ろで俺の説教を聞いていたカノンがにやりと笑いながら立ち上がった。

 

「お兄様、主力戦車(MBT)でしたらわたくしは〝M1エイブラムス”をおすすめいたしますわ!」

 

「エイブラムスも捨て難いよなぁ………」

 

 M1エイブラムスは、アメリカ軍が採用している最新型の主力戦車(MBT)である。強力な44口径120mm滑腔砲を搭載しており、防御力と速度も優れている上に汎用性も高い事から、世界中の戦車の中でも最強クラスの戦車と言われている。

 

 エイブラムスならば、改めてカスタマイズする必要もないほど強力な戦車だ。しかし生産するためのコストも高く、すぐに生産するわけにはいかない。

 

 すると、今度はナタリアが腕を組みながら俺に言った。

 

「私はメルカバMk4がいいわ。武装も強力だし、防御力も高いじゃないの」

 

 メルカバMk4は、イスラエル軍で採用されている主力戦車(MBT)である。横に大きな砲塔と車体の後部にあるハッチが特徴的な戦車で、防御力が重視されている。更に対戦車ミサイルなどを迎撃するための『アクティブ防御システム』と呼ばれる装備を搭載しているため、敵の遠距離攻撃を迎撃することが可能なのだ。

 

 こちらも捨て難い戦車だが、やはりコストが高い。アクティブ防御システムのせいなのだろうか。

 

「うーん………」

 

 それに、乗組員の人数も考えなければならない。

 

 俺たちのメンバーは5人だ。だが、エイブラムスもメルカバも乗組員は操縦士、装填手、砲手、車長の4名であるため、1人だけ余ってしまう事になる。

 

 せめて3人乗りの戦車ならば残った2人に戦車の護衛を担当してもらえばいいんだが、1人で担当するのは荷が重すぎる。だからスペックだけでなく、人数まで考慮しなければならないのである。

 

 まいったな。いっそ自動装填装置を外して装填手の役割を作るか?

 

「どうしよう………」

 

「タクヤ、ティーガーに乗りましょう」

 

「いえ、ステラさん。エイブラムスのスペックは最高峰ですわ」

 

「何を言ってるの。防御力重視のメルカバを選ぶべきよ。5人しかいないんだし、その方が合理的だわ」

 

「近代化改修をすれば性能を底上げできます」

 

「エイブラムスも汎用性が高いですわ。ですからこちらも改造で性能が底上げできます」

 

「底上げの問題じゃないわ。仲間を失わないための策を考えるのが最優先でしょ?」

 

 ろ、論戦が始まってる………。

 

 ちなみに、彼女たちが各国の戦車を知っているのはもう既にこのトレーニングモードで使ってみたからである。その中で気に入ったのが、その3両というわけだ。

 

 個人的にはナタリアの意見に賛成したいんだが………俺も乗りたい戦車があるんだよなぁ。

 

「なあ、お姉ちゃん」

 

「ふにゅ?」

 

 3人の論戦を見守っていたラウラの傍らに向かうと、彼女は微笑みながら振り返った。幼少の頃から一緒に過ごしてきたラウラなら、きっと戦車の好みも同じ筈だ。一緒に行動してばかりいたせいなのか、片方が何を考えているのか察する事ができるほどなのだから。

 

「ラウラはどの戦車に乗りたい?」

 

「えへへっ。………きっと、お姉ちゃんはタクヤと同じやつだよ」

 

 やっぱり、ラウラも俺と同じ戦車を希望しているわけか。

 

 お姉ちゃんと同じことを考えていたのが嬉しくて、俺は微笑んだ。

 

 メニュー画面を表示し、生産可能な戦車の一覧を表示する。手持ちのポイントの半分を消費する戦車ばかりだったが、やはりその一覧の中に俺がおすすめする戦車の名前も表示されている。

 

 それを指差した俺は、ラウラに問いかけた。

 

「これだよね?」

 

「うんっ♪」

 

 俺が選んだのは――――――イギリスのチャレンジャー2だった。

 

 

 




※FA-MAS(ファマス)は、フランスのアサルトライフルです。


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みんなでMBTに乗るとこうなる

 

 蒼白い六角形の結晶に似た無数の足場が浮遊する空間は、現実の空間ではない。俺の能力によって形成された、トレーニングモード用の空間である。

 

 まるで本当にこんな空間に入り込んでしまったかのような感じがするが、あくまでこれは夢の中のようなものだ。俺たちの身体は潜水艇のシートに寄りかかって寝息をたて、トレーニングをする〝夢”を見ているのである。

 

 あまりにも無機質過ぎる夢の中に、威圧的な物体が鎮座していた。

 

 がっちりした装甲に覆われた車体と、その両サイドに搭載されている重厚なキャタピラ。モスグリーンとダークグリーンの2色で迷彩模様に塗装された巨体の上に鎮座するのは、長い砲身を搭載した巨大な砲塔である。

 

 堅牢な装甲に身を包んだ巨躯だが、まるで鎧と兵器に身を包んだ騎士のようにも見える。いや、人間のように立って歩くわけでなく、その人間を乗組員として乗せつつ敵を蹂躙していくのだから、騎士というよりは軍馬というべきだろうか。

 

 騎士を乗せる軍馬。科学が発達した前世の世界の戦争で、騎士は消え、騎兵は廃れ、機械が残った。兵士を乗せて敵兵を葬る甲鉄の軍馬。存在が消えてしまっても、役割は残っている。

 

 その役割を全うさせるために異世界で生産したのが―――――――このイギリスのチャレンジャー2と呼ばれる戦車であった。

 

 車体の上に飛び乗り、砲塔によじ登ってからキューポラの中を覗き込む。前にも一度だけ乗ったことのある戦車だったから、車内は見慣れていた。操縦士、砲手、装填手、車長の4人の乗組員を必要とするこの甲鉄の軍馬は、非常に優れた戦車のうちの1つである。

 

 まず、搭載されている主砲は55口径120mmライフル砲と呼ばれるタイプの主砲である。現代で主流になっている銃の銃身の中には、殆ど〝ライフリング”と呼ばれる溝がついている。それがついた状態の砲身や銃身から弾丸や砲弾を発射することで、その攻撃の命中精度が劇的に向上するという仕組みだ。

 

 大昔のマスケットや現代の一部の銃などにはついていないが、殆どの銃にはこのライフリングがついているのである。このチャレンジャー2の主砲にも、このライフリングが用意されているのだ。

 

 ちなみに、最近の戦車は殆どライフル砲ではなく、ライフリングがない〝滑腔砲”という戦車砲を採用している。滑腔砲ではライフル砲と比べると命中精度が落ちてしまうという欠点があるが、ライフル砲よりも様々な種類の砲弾を発射する事ができるし、その砲弾も強力なものが多いのである。

 

 砲弾の種類は少ないが、このチャレンジャー2は正確な砲撃ができる戦車という事だ。

 

 その120mmライフル砲以外の装備は既にカスタマイズによって変更や追加を行っている。キューポラの近くや砲身の脇に装備する同軸機銃として用意されているのは、ロシア製重機関銃のKordだ。俺の愛用するアンチマテリアルライフルのOSV-96と同じ弾丸である12.7×108mm弾を連射可能な重機関銃であり、射程距離も非常に長い。この大口径の機銃ならば、接近してくる敵の歩兵や魔物を薙ぎ倒してくれるに違いない。

 

 それに俺やラウラの持つアンチマテリアルライフルと同じ弾薬だから、いざとなったらこの重機関銃から弾薬を拝借できるというわけだ。

 

 更に、接近してくる敵を迎撃するために、砲塔の四隅に〝Sマイン”と呼ばれる装備を搭載している。

 

 これは本来は地雷なんだが、接近してくる敵から戦車を守るための兵器として改造してから搭載してある。Sマインとは第二次世界大戦の際にドイツ軍が開発した地雷であり、地中からジャンプしてから爆発し、その爆風と内蔵している無数の鉄球で敵兵を蹂躙するという恐るべき地雷の1つである。その地雷を改造して搭載しておいたのだ。

 

 奇妙な装備かもしれないが、こんな装備は実際に第二次世界大戦のドイツ軍の戦車に搭載されていたという。

 

 それと、車内には非常用の武器として銃をいくつか用意している。武装はこんなところだ。

 

 防御力もカスタマイズによって向上している。まず、新型の戦車には〝複合装甲”と呼ばれる装甲が装備されているんだ。別々の素材で作られた装甲を組み合わせた強靭な装甲であり、様々な装甲の中でも極めて優秀な防御力を持っている。そのため、様々な戦車の装甲として採用されており、このチャレンジャー2にも複合装甲が搭載されているんだが………全体にその複合装甲が搭載されているわけではないため、防御力はやや低めになっている。

 

 そのため、乗組員の生存率を底上げするためにも可能な限り複合装甲を増設。更に正面には爆発することで敵の攻撃から車体を守る爆発反応装甲を装備し、両サイドと後方はまるで鉄格子をそのまま張り付けたかのような外見の〝スラット・アーマー”と呼ばれる装甲を装着している。

 

 複合装甲をはじめとする装甲の増設と武装の強化により、若干速度が低下した代わりに攻撃力と防御力が向上したのである。

 

 生存率を底上げするために装甲を増設したのは、ナタリアの懸念を反映したためだ。俺たちのメンバーは5人のみで、軍隊のような大規模な組織のようにメンバーを〝補充”するわけにはいかない。だからメンバーの1人が負傷して再起不能になるだけで、極めて甚大な痛手となる。

 

 それを防ぐためにも、防御は必要なのだ。

 

「よっと。………みんな、乗り心地はどうだ?」

 

 キューポラから車内へと降りて、車内を見渡している仲間たちに問い掛けてみる。ナタリアは興味深そうに車長の座席を見つめているし、カノンは早くも砲手の席に腰を下ろして照準器の調整を始めている。あいつは砲手を担当する気満々だな。

 

「……タクヤ」

 

「ん?」

 

「座席が低すぎます」

 

 座席が低い?

 

 操縦士の座席の方を見てみると、座席に腰を下ろしているステラが不機嫌そうな顔をしながら、じっと俺を見つめていた。一番小柄なステラでは、やはり操縦士の座席は大き過ぎたのだろう。操縦用のレバーは彼女の顎の辺りに突き出ているし、あれではハッチから外に顔を出すこともできそうにない。

 

「座席を上げればいいじゃないか」

 

「そしたらアクセルが踏めません」

 

 それもそうだな………。

 

 どうしよう。ステラには別の役割を担当してもらうべきかな?

 

「というか、役割まだ決めてなかったな。どうする?」

 

「まず、カノンには砲手をやってもらいたいわね」

 

「それもそうだな。砲手はカノンだ」

 

「お任せ下さい、皆さま。このわたくしが砲手を担当すれば砲弾は百発百中ですわ!」

 

 本当に百発百中になるので、彼女にお願いしよう。そうすれば全ての砲弾が、まるで最新型の誘導ミサイル並みの命中精度になる。

 

 ちなみにラウラにも一度だけ砲手を担当してもらったんだが、いつもスコープを使わずに狙撃している彼女にとって、戦車用の照準器も「見辛い」らしく、あまり命中精度は高くならなかった。それに戦車の砲撃は歩兵の狙撃とはわけが違うので、本格的に砲撃の訓練を受けているカノンの方が適任なのである。

 

「それで、車長はナタリアかな」

 

「え、私?」

 

「ふにゅ。ナタリアちゃんって冷静だし、しっかりしてるから指揮官に向いてると思うよ。とっても仲間想いだし♪」

 

「頼むぜ、ナタリア大佐」

 

「わ、分かったわ。任せなさい」

 

「決まったな。………問題は操縦士と装填手と、余った1人か」

 

 大問題になりそうなのは、余った1人の役割だろう。

 

 このチャレンジャー2に必要な乗組員は、操縦士、砲手、装填手、車長の4人のみ。それに対して俺たちのメンバーの人数は5人だ。つまり、1人だけ余ってしまうのである。

 

 どうしよう。昔の戦車のように車体にも機銃を装備して、副操縦士にそれを担当させるべきだろうか? でもそんな事をしたら防御力が台無しになるし、爆発反応装甲の爆発に巻き込まれる恐れがある。現実的な手段とは思えない。

 

 だからといって、1人だけ護衛の兵士として車外に放り出すのも問題だ。機動力のある俺やラウラなら不可能ではないけど、それ以外のメンバーには荷が重すぎると言わざるを得ない。

 

「ステラちゃん、操縦士は私がやるから装填手をお願いできるかな?」

 

「はい、ラウラ」

 

「えっ?」

 

 あ、あれ? 俺が頭を捻ってるうちに役割分担決まっちゃった……?

 

「じゃあ、車長は私で砲手はカノンちゃんね。装填手がステラちゃんで、操縦士はラウラで決まりかしら。………あら、タクヤは?」

 

「あ、余ったみたい………」

 

 おいおい、本当に俺1人で護衛しなきゃいけないの? せめてあと2人くらいは一緒に随伴して欲しいんだけど………。

 

 誰か俺と一緒に戦車に随伴してくれないかなと思いつつ仲間たちの顔を見渡してみるんだが、みんな出遅れて余ってしまった俺を苦笑して憐れんでいる。

 

「………わ、分かったって。じゃあ俺が1人で随伴歩兵と紅茶を淹れる係やるから」

 

 そう言いながらそそくさとキューポラから外に出ようとする俺の腰のベルトを、車長の席に座るナタリアの手ががっしりを掴んだ。

 

「待ちなさい」

 

「な、何かな? ナタリア大佐」

 

「紅茶を淹れる係ってどういうことかしら? ………初耳なんだけど、教えてくれるかしら? ねえ、タクヤ二等兵………?」

 

「は、はい………」

 

 ついでに彼女たちに教えておいた階級で呼ばれた俺は、予想以上に怖いナタリアの威圧感にビビりつつ、車内の後ろの方に設置されている機材と小さな木箱をちらりと見た。ナタリアはやっとそれらに気付いてくれたらしく、俺のベルトから手を離すと「何これ?」と言いつつその箱の中をまじまじと見つめ始める。

 

 彼女の威圧感が逸れて安堵しつつ、俺はキューポラの縁から手を離した。そして機材の中から一般的な形状のポットを手に取ると、水筒の中の水をそのポットの中に注ぎ、蓋をしてから小型のホットプレートの電源をつけ、それでポットの中の水を加熱し始める。

 

「ちょっ、ちょっと待ちなさい」

 

「ん?」

 

「それも………能力で追加したの?」

 

「ああ。紅茶って美味しいじゃん。だから必須だと思って――――――」

 

「ばっ、バカじゃないの!? そんな無駄な装備を追加するくらいなら、装甲とかセンサーをもっと増設しなさいよ!!」

 

 何だと!? ナタリア、紅茶は必要なものだぞ!? オルトバルカ王国の名物の1つは紅茶だし、冒険者の中にはわざわざダンジョンの中にまで紅茶の茶葉を持ち込む奴もいるんだからな!?

 

 魔物に怯えながら生温い紅茶を飲むよりも、堅牢な装甲に守られてる車内で暖かい紅茶を飲めるんだぞ!? かなり恵まれてるんだからな!?

 

 決して無駄な装備ではない。紅茶を死守するために、俺もナタリアに向かって反論を始める。

 

「む、無駄じゃねえよ! 車内で紅茶が飲めるようになるんだぞ!?」

 

「水筒の水で我慢しなさいよ! 贅沢し過ぎじゃないの!?」

 

「馬鹿、こいつは他の使い方もできるだろ? コーヒーを淹れたり、烏龍茶を淹れることも―――――――」

 

「だから水筒の水で我慢しなさいって言ってるでしょうがッ!?」

 

 く、くそ、さすがナタリア大佐だ………ッ! なかなか頑固じゃねえか。まるで戦艦大和の装甲みたいだぜ。

 

 けど、紅茶は絶対に死守しなければ! 散々女に間違われる俺を癒してくれるのは、お姉ちゃんの愛と紅茶なんだよッ!!

 

「ちなみに砂糖とミルク以外にも色んなジャムを用意してるぜ」

 

「あっ、ジャム入れて飲むのも美味しそ――――――――だから水で我慢しなさいッ!」

 

 駄目か………。でも、ナタリアってジャムが好きなんだろうか。あとでダンジョンで収穫した果物や木の実を使ってジャムを作ったら喜んでくれるかもしれない。

 

 よし、これからは定期的にナタリア大佐にジャムを献上してみよう。きっと紅茶を見直してくださるに違いない。ふっふっふっ。

 

 一旦諦めてホットプレートの電源を切ろうとしていると、照準器の点検をしていたカノンが立ち上がった。

 

「ナタリアさん、わたくしは紅茶は必需品だと思いますわ」

 

「そ、そうかしら………?」

 

「ええ。確かに贅沢に思えるかもしれませんが、過酷な状況になればストレスを和らげるための何かが必要になるものですわ。せっかくお兄様が用意してくださったのですし、ストレス緩和のためにも有効活用してみるべきではないかしら? それに、戦闘の時間が長引けば車内で食事を摂ることにもなりますから、あのホットプレートはその時にも活用できますわ」

 

 おお、かなり合理的な説得だ………! これならきっとナタリアも納得してくれるに違いない!

 

 ホットプレートの電源を切らずにナタリアを見上げていると、俺とカノンに見つめられているナタリアはおろおろし始めた。俺に説教する時や、いつものしっかりした彼女ではない。俺の熱意とカノンの合理的な説得に押し返されかかっているのだ。

 

 しばらくしてから彼女はラウラとステラの方もちらりと見たが、ラウラは「やった、紅茶が飲める♪」と喜びながら尻尾を振っているし、砲弾の表面を撫でていたステラは「タクヤの紅茶も美味しいので、ステラは大好きです」と、反対する理由を欲して撃たナタリアに止めを刺した。

 

「わ、分かったわ。それはそのままにしておきなさい。………その代わり、ストロベリージャムは取っておきなさいよ。私の好物なんだから」

 

 あ、ストロベリーが好きなんだ。よし、定期的にストロベリージャムを作っておこう。

 

「―――――それと、あんたは随伴歩兵に任命するわ。休憩時と紅茶を淹れる時以外は………車体の上に乗るのって何て言うんだっけ?」

 

「タンクデサントな」

 

「タンクデサントね。それで待機する事。環境とかが危なくなってきたら戻って来ていいから、ちゃんと役割を全うしなさい。さもないと、紅茶は撤去しちゃうんだからね」

 

「了解、ナタリア大佐」

 

「ふふっ。無理は………しないでね?」

 

「おう」

 

 危なかった………。これで紅茶は無事だな。

 

 紅茶の代わりに俺だけタンクデサントしつつ随伴歩兵としてチャレンジャー2を死守することになったが――――――キメラの機動力ならすぐに対応できるだろうし、外殻を使えば敵の攻撃も防御できる筈だ。生身の兵士のタンクデサントよりも、はるかに安全性が高い。

 

 こうして、俺は随伴歩兵を担当することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海原の向こうに、巨大な島が見えてきた。

 

 今まで経ちよった無人島や、通過してきた小さな島ではない。大海原を遮るかのようにそこに鎮座する、土と大自然の塊。大昔からこの極東の海に浮かび、ダンジョンに指定されている海域に囲まれながら国民たちを守ってきた極東の島国に――――――ついに、到着したのである。

 

「あれが……倭国か」

 

 戦車の操縦訓練を繰り返しつつ、俺たちは倭国へと辿り着いたのだ。

 

 現在、倭国では新政府軍と旧幕府軍の間で起こった『維新戦争』と呼ばれる戦争が続いていると言われていたが、最近はサムライを中心とした旧幕府軍が劣勢となっており、オルトバルカ王国騎士団の支援を受けている新政府軍が圧倒しているらしい。

 

 天秤の2つ目の鍵は――――――劣勢の旧幕府軍の本拠地である、エゾの九稜城の天守閣にあるという。攻め込んでくる新政府軍と騎士団を迎え撃つために警備が厳重になっている城塞に、潜入して手に入れなければならないのだ。しかも新政府軍が攻め込んでくれば、大混乱になるだろう。

 

 海底神殿と同じく、ここも難所だ。

 

「―――――でも、俺たちが手に入れる」

 

 俺たちには、実現させたい理想があるのだから。

 

 いくら親父でも、天秤は絶対に渡さない。

 

 モリガンと敵対するのは怖いけど――――――彼らよりも先に鍵を手に入れなければ、俺たちの願いは叶わないのだから。

 

 それゆえに、超える。

 

 最強の傭兵たちを――――――超えてみせる。

 

 



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偵察

 

 倭国は、極東の島国である。

 

 近隣には大国の1つであるジャングオ民国があり、大昔から互いに貿易を繰り返しては技術の供与で共に成長してきた友好国だ。そのような経緯のためなのか、ダンジョンに指定されるほど危険な海域に囲まれた上に、幕府の命令によって鎖国されたあとも、特別にジャングオ民国だけは貿易を許されていたという。

 

 大昔からサムライたちが活躍しているという島国だが――――――その島国は、変わろうとしている。

 

 鎖国を維持し、サムライと幕府による政治を続けようとする旧幕府軍と、開国して西洋の技術を取り入れ、列強に追いつこうと主張する新政府軍。その2つの派閥の対立が、ついに『維新戦争』と呼ばれる戦争を勃発させた。

 

 早い段階でオルトバルカ王国からの支援を受けていた新政府軍は、新型の装備を駆使して緒戦から旧幕府軍を圧倒。段々と彼らを北へと押しやっているという。

 

 旅をしている途中で耳にした話ばかりだが、その時点で旧幕府軍が連敗を続けているというのならば、もう既に北の方まで追い詰められている筈で、本拠である九稜城の攻防戦が始まるのも時間の問題だ。しかし、焦ってこのまま九稜城に鍵を手に入れるために乗り込むのも愚の骨頂でしかないので、もう少し情報収集が必要になる。

 

 本拠があると言われているエゾに上陸した俺たちは、早くも潜水艇を装備から解除し、町へと向かう準備を進めていた。

 

 エゾは日本で言うならば北海道と同じだ。しかもまだ本格的に開拓されたわけではないらしく、俺たちの周囲には木々が乱立している。戦車が通れないほど狭い道ばかりというわけではないんだが、それではかなり進路が限定されてしまうし、木を撤去しながら進めば時間がかかってしまう。

 

 木を撤去していたら九稜城が陥落していたという事になったら元も子もないため、とりあえず情報収集をしてから鍵を手に入れに行くべきだろう。

 

 手に入れるべき情報は、新政府軍の進軍の状況だ。場合によっては敢えて新政府軍に九稜城を襲撃させ、旧幕府軍の守備隊が防衛線をしている間に鍵をいただくという火事場泥棒の真似事も視野に入れていたため、タイムリミットになる可能性があるがチャンスにもなる。これも知っておくべきだろう。

 

 九稜城の位置はフランケンシュタインの記録に記載されているため、それを参考にすれば発見できる筈だ。

 

「よし、二手に分かれよう」

 

「ふにゅ?」

 

 倒木に腰を下ろして水筒を取り出し、一口だけ水を飲んでから俺は仲間たちに告げた。

 

 新政府軍が九稜城を攻撃するのも時間の問題だ。進軍の状況を確認し、それから九稜城の警備を確認している暇はないかもしれない。同時進行で迅速に済ませなければ。

 

「俺とラウラが新政府軍の偵察に行ってくる。残った3人は九稜城の偵察を頼めるか?」

 

「2人だけで大丈夫なの?」

 

「ああ」

 

 ナタリアに答えながら、俺は夕日を見上げた。

 

「もうじき夜だ。………このコート、夜間の隠密行動に向いてるんだぜ」

 

 そう言いながら、俺は転生者ハンターのコートをぽんぽんと叩いた。親父が身に着けていたモリガンの制服をベースに、フィオナちゃんが冒険者用に改造してくれたこのコートは、真っ黒であるため夜間の隠密行動では非常に発見されにくいという特徴がある。コートだけでなく、ズボンやブーツも同じく真っ黒だし、更に革の手袋までしているから顔以外は全く露出していない。それに顔はフードを目深にかぶれば誤魔化せるし、真紅の羽根もそれほど目立たない。

 

 これを参考にフィオナちゃんが作ってくれたラウラの転生者ハンターの服も、夜間の隠密行動を考慮して設計されたものだ。でもラウラの場合は露出が若干多いので、俺のコートほど地味ではないけどな。

 

 でもラウラは氷を使って姿を消せるので、露出度はあまり関係なさそうだ。

 

 大きな胸を覆っている彼女の服をちらりと見てから、俺は目の前に立つナタリアの服装を見つめた。

 

 前までは私服を改造し、ごく一部に金属製の防具を取り付けただけの一般的な冒険者の格好だったナタリアだけど――――――今の彼女の服装は、まるで第二次世界大戦中のドイツ軍の指揮官のようだった。

 

 漆黒の軍服と、同じく漆黒の軍帽。俺のように隠密行動を重視したデザインというよりも、戦車などの車内でも動きやすいように無駄を省いたシンプルなデザインになっている。アイテム用のホルダーやポーチは最小限になり、金属製の防具も一切装着していないためなのか、俺たちよりもすらりとしている。

 

 黒い軍服の下には白いワイシャツと黒いネクタイを身に着けている。軍服の左腕にはグレーの腕章が付けられていて、その腕章には紅いエンブレムが描かれていた。

 

 そのエンブレムは―――――――移動中にみんなで考えた、テンプル騎士団のエンブレムである。転生者ハンターを意味する2枚の真紅の羽根が交差しており、その正面には現代兵器のAK-47が描かれている。それらの真上にあるのは真紅の星だ。

 

 ナタリアがかぶる帽子の正面にも同じエンブレムがついているし、帽子の側面には転生者ハンターの象徴である2枚の真紅の羽根がついている。それらの制服はフィオナちゃんが作ったものではなく、俺が能力で生産した服装の1つだ。モリガンとはもう敵対してしまったため、今後はこういった服装は俺が用意することになる。

 

「似合ってるよ、ナタリアちゃん」

 

「そ、そうかしら」

 

 もう既に、彼女が転生者ハンターになった事とテンプル騎士団を設立しようとしているという事は、仲間たちに説明しておいた。転生者を狩る転生者ハンターだけで構成された非公式のギルドを作り、転生者を迎え撃ちつつこの世界を守るという俺の計画。その計画を聞いてくれたナタリア以外の仲間たちも、この計画に賛成してくれている。

 

 これで、テンプル騎士団のメンバーは5人になった。時間はかかるかもしれないが、こうやってメンバーを増やしたり、他の転生者を仲間に引き入れたりして世界中で〝同志”を増やしていけば、力を悪用する転生者たちの抑止力となってくれるに違いない。

 

「では、わたくしたちは偵察に向かいますわね」

 

「おう、頼むぜ」

 

 カノンとステラも、身に着けている服装が変わっていた。

 

 カノンは相変わらず貴族のお嬢様を思わせるドレスに似た黒い制服で、胸元には真紅のスカーフがついている。スカートの裾や袖口には真紅のフリルがついていて、やや禍々しい印象のドレスになっているけど、アイテム用のホルダーやポーチの増設など実用的なデザインも含まれている。彼女の場合は頭に黒と紅のヘッドドレスをかぶっているだけなので、真紅の羽根は右肩に2つ取り付けられていた。左腕にはやはりエンブレム付きの腕章がついている。

 

 ステラの方は、まるでソ連軍のコートのような制服と、ロシアの帽子であるウシャンカだった。若干サイズが大きかったのか、口元はコートの襟で隠れてしまっている。頭にかぶっているウシャンカにはテンプル騎士団のエンブレムと真紅の羽根が2枚付いており、彼女も転生者ハンターとなったという事を証明している。厚着になった影響でポケットやホルダーが増設されており、メンバーの中で最も多くのアイテムを持ち歩けるようになっているんだが、それは自分だけがアイテムを使うのではなく、仲間にそのアイテムを補給するという事も考慮している。もっとも、彼女の場合は後衛なので補給の方が多くなりそうだ。

 

 ちなみに、この転生者ハンターの制服には「転生者に対するすべての攻撃力が2倍になる」という転生者を狩ることに特化したスキルが装備されているため、少なくともある程度レベルが上の転生者に対しても攻撃通用するようになっている。

 

 しかもそのスキルが適用されるのは身に着けた者全員なので、これを着るだけで転生者との戦いが有利になるのだ。

 

「じゃ、全員無理は禁止な」

 

「了解(ダー)」

 

 仲間たちと別れた俺とラウラは、さっそくエゾに上陸した新政府軍の偵察へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 フードをかぶったまま双眼鏡を覗き込み、すっかり暗くなった森の向こうに見える焚火を注視する。その傍らで何かの話―――――どうせ維新戦争の戦況の話だ――――をしながら非常食を口にする新政府軍兵士の装備を確認した俺は、他の兵士の装備や人数も確認することにした。

 

 エゾに上陸した新政府軍は、既に簡単な駐屯地を用意して、そこで装備を整えているようだった。後方に広がる海には何隻も軍艦が停泊しているんだが、その中にはオルトバルカ海上騎士団から派遣されたと思われるでっかい軍艦が停泊している。

 

 小さな帆船を黒く塗り直しただけのような、お粗末な新政府軍の軍艦とは異なり、漆黒の装甲に覆われた巨大な装甲艦だ。側面には無数の大砲とガトリング砲に似た兵器を搭載しており、船体の形状は第一次世界大戦の頃に主流だった戦艦や装甲艦に似ている。

 

 確か、幕末にあんな船があった気がする。確か『ストーンウォール号』という名前だった筈だ。

 

 オルトバルカ王国は、ついにあんな近代的な船まで実戦に投入したのか。………それにしても、あのガトリング砲みたいな武器は何だ? 本当にガトリング砲なのか?

 

 ミニガンのような新型のガトリングガンというよりは、クランクを回さなければ連射できない旧式のガトリング砲のような外見だが、バリスタや大型の弓矢が主流だった頃と比べると進歩しているのは明らかだ。

 

「ねえ、ガトリング砲みたいなのがあるよ」

 

「この調子じゃ、いずれ銃も発明されるかもね」

 

 双眼鏡で巨大な装甲艦を観察しながらラウラに返答すると、その装甲艦の甲板の上にでっかい人影がいたことに気付いた。身に着けているのは紅い制服で、肩には黄金の肩章がいくつも付いている。腰には大剣ではないかと思ってしまうほど巨大なサーベルを下げた、オークの男性だ。

 

 この世界には様々種族が存在するんだが、オークはその所属の中で最も大きな身体を持つ種族だ。もちろん筋力や膂力もすさまじく、鍛え上げられたオークの成人男性ならば素手でゴーレムと殴り合えるほどだという。

 

 しかし、そのオーク達も人間に奴隷として売られる事が多く、世界中で苦しんでいる種族でもある。

 

 そのオークの男性が、立派な軍服を身に着けている姿には違和感を覚えた。しかも豪華な肩章がついているところを見ると、おそらく一兵卒ではなく将校だろう。錨のエンブレムがついたバッジも付いているから、あの装甲艦の艦長なのかもしれない。

 

 奴隷扱いされている種族の男性が、最新鋭の装甲艦の艦長になるのは普通ならばあり得ない。奴隷の種族が上に立つのはありえないという主張をする貴族に阻まれ、最終的に左遷されるケースが多いためだ。だから騎士団の上層部は殆ど人間で構成されているのだが………親父が率いるモリガン・カンパニーが「労働者と国民こそ国家に一番貢献している」と主張し、発言力が強くなり始めてからは人間以外の所属が出世して指揮官になるケースが激増しているという。

 

 あのオークの艦長も、その1人なのだろう。

 

 すると、その艦長がくるりと後ろを振り向いた。双眼鏡の向こうでにやりと笑ったその艦長は後ろにいる人物を手招きすると、甲板へとやってきた人物にワインのグラスを手渡す。

 

 騎士団のお偉いさんかなと思いつつ双眼鏡をズームした瞬間――――――俺はその人物を凝視し、凍り付く羽目になった。

 

 双眼鏡が動かない。両手が痙攣しているというのに、動いている感じが全くしない。その痙攣を知覚する余裕が一瞬で吹き飛ばされてしまうほど狼狽している証拠なんだろう。

 

「ど、どうしたの?」

 

 隣で駐屯地を見張っていたラウラが問い掛けてくるけど、俺は唇を噛み締めたままその甲板の上を凝視していた。

 

 艦長から奨められたワインを受け取った人物には、見覚えがあったのだ。

 

 俺と同じく蒼い髪で、その髪をポニーテールにしている。瞳の色までは見えないが、おそらくその女性の瞳の色は美しい紫色だろう。そしてその瞳は鋭く、強靭なプライドを身に纏っている筈だ。

 

 年齢は20代中盤か後半くらいのように見えるが、実年齢はそろそろ39歳になる頃だ。

 

 実年齢を知っているのは―――――それほど、親しい人間だからである。

 

「か………母さん………?」

 

「え?」

 

「甲板の上に………母さんが……!」

 

「――――――まさか、新政府軍の援助のために………?」

 

 甲板の上でワインの入ったグラスを受け取った人物は――――――俺を生んでくれたこの異世界の母親である、エミリア・ハヤカワだった。

 

 俺たちと同じく黒い制服に身を包んでいるが、その制服に刻まれているエンブレムは当然ながらテンプル騎士団のエンブレムではなく、世界最強の傭兵ギルド(モリガン)のエンブレム。クソ野郎を淘汰する転生者ハンターの象徴である真紅の羽根のエンブレムが、ランタンに照らされて燃え上がっている。

 

 すると、また船室の方から甲板へと人影がやってきた。その人物も黒い制服にを包んでいて、2枚の真紅の羽根がついたフードをかぶっているという時点で、俺とラウラはもうその人物の正体を見破っていた。

 

 なんてこった。よりによって、あいつが鍵を手に入れにやってくるなんて………!

 

「親父………ッ!」

 

 甲板に上がってきたのは――――――世界最強の傭兵ギルドを率いる、最強の転生者。そしてキメラという種族の原点となった俺たちの父親でもある。

 

 最強の吸血鬼を打ち倒し、最強の魔王となった男が―――――ついに倭国へとやってきたのだ。

 

 メサイアの天秤の鍵を、手に入れるために………!

 

「そんな………パパまで………!?」

 

「おいおい、あの2人が新政府軍に参加したら旧幕府軍はすぐ壊滅するぞ………?」

 

 しかも、新政府軍の進撃準備は整いつつあるようだった。数日以内に進撃し、途中の拠点を陥落させ、九稜城へと攻め込もうとしているに違いない。

 

 一足先に潜入し、あわよくば火事場泥棒の如く混乱を利用して鍵をいただくという計画を立てていたが……もう、一刻の猶予もない。すぐに仲間たちの所へと戻り、親父たちが進撃してくる前に鍵を手に入れなければ。

 

 幸い親父たちは新政府軍を援助するためにやってきたようだから、命令を無視してすぐに鍵を手に入れに行くわけにもいかないんだろう。クライアントからの命令が枷になっているのならば、あの2人がその枷を討ち破るよりも先に鍵を手に入れる必要がある。

 

「ラウラ、十分だ。戻ろう」

 

「う、うん………!」

 

 これは拙いぞ。急がないと、親父たちに鍵を奪われちまう………!

 

 



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九稜城への潜入作戦

 

 新政府軍と九稜城の偵察が終わったら、森の中でナタリアたちと合流する手はずになっていた。無線で彼女たちの現在位置を確認しながら倒木を飛び越え、巨木の幹をすり抜けて森の中へと入っていくと、少しだけ広くなっている場所に仲間たちが隠れているのが見えた。

 

 彼女たちは警戒していたのか、俺たちの足音を聞くと素早くサイガ12の銃口を向けてきたけど、俺とラウラだということに気付くと慌てて銃口を下ろしてくれた。敵に撃ち殺されるのは許容できる死に方だが、仲間に撃ち殺されるのはごめんだ。俺を撃った仲間を永遠に後悔される結果になってしまう。

 

 緊張とストレスのせいなのか、もし殺されるならラウラに殺してほしいと考えてしまった俺は、頭を右手で軽く叩いてから仲間たちに手を振る。

 

「早かったな、ナタリア」

 

「まあね。………どうだった?」

 

「厄介だ」

 

 まず最初に、俺とラウラが偵察してきた情報を彼女たちに伝えよう。

 

 俺の短い言葉と表情で、ナタリアは俺たちが手に入れてきた情報が悪いものばかりだという事を察したらしく、目を細めながら「何があったの?」と報告を促す。

 

「新政府軍はもうエゾに上陸してる。………しかも、オルトバルカ王国の最新型の装甲艦までご一緒だ」

 

「そ、装甲艦………!?」

 

 装甲艦の戦闘力は、今までの帆船の比ではない。

 

 魔物の突進であっさりと真っ二つにされていた帆船とは異なり、装甲艦は船体を堅牢な装甲で覆われている。しかも最新鋭の高出力型フィオナ機関の採用により、船速は帆船を遥かに上回る。大型の魔物が襲いかかってきても、十分に回避できるほどの速力だ。

 

 しかも――――――大砲やガトリング砲のような兵器を搭載していた。

 

 従来の帆船の武装は、大型のバリスタ程度のお粗末なものばかりだった。それで敵の船を攻撃しつつ時間を稼ぎ、一緒に乗り込んでいる魔術師が魔術で敵の船を撃沈するという戦法が取られていたのである。それゆえに火力は極めて貧弱で、魔術師がいなかった場合は敵の船の撃沈は不可能と言われている。

 

 しかし、もしあれが大砲だった場合は、魔術師がいなくても砲撃の知識がある乗組員が健在である限り敵艦を撃沈するのは容易だ。しかも連射速度に優れるガトリング砲を搭載しているという事は、対空戦闘能力も高いということを意味する。

 

 全ての性能で帆船を上回っている上に、設計や機能が科学によって合理化されているのである。あの装甲艦ならば、1隻でも帆船の大艦隊を殲滅することは造作もないだろう。

 

 装甲艦や戦艦とは、今の時代では最強の兵器の1つなのである。

 

「圧倒的な数の歩兵で前進し、装甲艦の砲撃で援護する作戦なんだろうな。ちなみに、歩兵の人数は新政府軍と騎士団を合わせて10000人前後だ」

 

「嘘でしょ………? 九稜城の守備隊は4000人くらいだったのに………!」

 

 10000人対4000人。装備の性能でも、人数でも最早旧幕府軍は劣勢だった。

 

 だが、俺が仲間に報告した情報はまだ序の口である。―――――本当に厄介な敵が、その10000人の先頭に立つ可能性があるのだから。

 

「しかも――――――俺たちの親父と母さんもいた」

 

「!?」

 

「リキヤおじさまが………!?」

 

 双眼鏡で、確かに確認した。

 

 王国の装甲艦の甲板に、母さんと親父がいたのだ。しかもどちらも見慣れたスーツ姿ではなく、モリガンの制服姿だった。

 

 モリガンは極めて小規模な傭兵ギルドで、一般的なギルドが小規模でも20人前後の人員を堅持しているのに対し、モリガンのメンバーは10人未満。当然ながら支部もなく、現在はエイナ・ドルレアンに本部があるだけだ。

 

 しかもその本部を警備する歩哨を用意できるほどの人数もいないため、警備は無人兵器に依存しているという有様だ。そんな規模で本当に世界最強の傭兵ギルドだなのかと疑いたくなるが、その戦果を見てみると人員不足は最強の傭兵たちを生み出すための対価だったのだと思えてくる。

 

 まず、設立してからすぐにたった2人で無数の魔物を殲滅。しかも、作戦に参加した若き日の親父と母さんは無傷で、騎士団が戦場に向かった頃には穴だらけの魔物の死体が転がっていただけだったという。

 

 さらに、あのレリエル・クロフォードと交戦している。ヴリシア帝国での戦闘では撃破することは出来なかった上に、メンバー全員が死にかけるという大損害だったようだが、レリエルを撃破寸前まで追い詰めて撃退したという。相手の戦闘力を考えれば、これは大勝と言える大戦果だ。

 

 そして、ネイリンゲンに侵攻してきたジョシュア率いるラトーニウス騎士団を、モリガンのメンバーだけで迎撃して守り抜いている。

 

 これほどの大戦果を常にたたき出す傭兵ギルドのメンバーたちは、1人で騎士団の一個大隊並みの戦闘力を持つと各国から評価されており、全盛期はまさにあらゆるクライアントから引っ張りだこ状態で、他の傭兵ギルドには全く仕事が回らなくなった時期があるほどだったという。

 

 そのメンバーの中でも特に戦闘力が高いのが、俺たちの両親たちである。

 

 特にリキヤ・ハヤカワはあのレリエル・クロフォードを討伐し、数多の転生者を葬り続けている最強の転生者なのだ。

 

「勝ち目がないじゃない………!」

 

「旧幕府軍は? いきなり九稜城で決戦を挑むつもりか?」

 

 親父と戦わなくてもいい。俺たちは鍵を手に入れて逃げるだけでいいのだから。

 

 絶望するナタリアを諭す代わりに、俺は彼女にも手に入れた情報を報告するように促す。

 

「いえ、いきなり決戦ではないわ。九稜城の前にある『フタマタグチ』と『マツマエグチ』の二ヵ所に兵力を展開して、そこで新政府軍を迎え撃つつもりみたい。もう兵力はそこに展開している筈よ」

 

「つまり、九稜城の守りはある程度手薄になっているという事だな?」

 

「そういう事になるわね。………すぐ仕掛ける?」

 

「もちろん」

 

 確かに親父と戦う事になれば勝ち目はない。はっきり言って、親父の戦闘力はエリスさんの倍以上だ。エリスさんに勝たなければ、親父に勝利することは不可能である。

 

 だが、戦う必要はない。大仕事を引き受けている傭兵はクライアントとの契約の影響でなかなか身動きが出来ないものだ。契約を破ればギルドの信用は失墜するし、それ以前に自分の仕事を投げ出すという事にもなる。

 

「―――――フタマタグチとマツマエグチの守備隊には粘ってもらおう。その隙に俺たちは九稜城へと潜入し、新政府軍の到着前に鍵を手に入れる」

 

「そうすればおじさまとも戦わずに済むということですわね?」

 

「そういう事だ。……潜入は少人数の方が良いだろうな」

 

 強敵と戦う時は、仲間と連携した方が良い。現代の魔物との戦い方でも味方との連携は鉄則と言われている。しかし、潜入の場合はその鉄則はむしろ足枷となる。

 

 少人数の方が目立たない。場合によっては、むしろ単独の方が動きやすいこともある。しかし連携を全くしないわけではなく、潜入する者以外にはあくまで〝間接的なサポート”をお願いする予定だ。

 

「人数はどうする? とりあえず俺は潜入担当に立候補するが………」

 

 すると、ナタリアはため息をついた。何か呆れさせるようなことを言っただろうかと思っていると、彼女は腰に手を当てながら苦笑する。

 

「せめて2人で行きなさい。………まあ、あんたと立派に連携できるメンバーは1人しかいないけど」

 

 そう言いながら彼女がちらりと見た〝立派に連携できるメンバー”は………俺の傍らでミニスカートの中から伸びた尻尾を小さく振っていた、赤毛の少女だった。

 

 確かに、俺と言葉を交わさずに連携を取れるのは彼女しかいない。ナタリアやカノンたちと全く連携を取れないというわけではないのだが、幼少の頃から常に一緒に訓練を受けてきたラウラが一番連携が取れるというのは明白だった。だからナタリアは、ラウラを同行させようとしているのだろう。

 

「ラウラ、お願いね」

 

「了解、ナタリア大佐!」

 

 絶望的な状況だというのに、嬉しそうに笑いながらナタリアに敬礼するラウラ。場違いな表情だけど、彼女の笑顔を見た瞬間に絶望が薄れ始めたのが分かった。

 

 俺だけでなく、他の仲間もラウラの笑顔を見て安心いたらしい。ナタリアはにやりと笑いながら軍帽をかぶり直し、倒木の上に座っていたステラもランタンの明かりの中で頷く。カノンも「ええ、お姉様が適任ですわ」と言って太鼓判を押してくれた。

 

「じゃあ、私たちは九稜城の外周でサポートをするわ。場合によってはチャレンジャー2での援護砲撃とか、陽動も考えてるんだけど………」

 

「陽動ねぇ………」

 

 フタマタグチとマツマエグチを守るために、守備隊が出払っているおかげで九稜城は手薄だろう。しかし、守備隊を全員出撃させたとは考えにくい。それに、仮にも九稜城は旧幕府軍の本拠地だ。仮設の駐屯地とは違って簡単に陥落させるわけにはいかないから、少なくとも主力部隊が戻って来るまで時間を稼げる程度の守備隊は残っている筈である。

 

 陽動を行えばその守備隊の注意を逸らすことは出来るだろう。しかし、そうすれば今度はナタリアたちが危険な状態にさらされる。いくら最新型の主力戦車(MBT)とはいえ、キューポラから爆弾を放り込まれて乗組員がやられれば動けなくなってしまうのだから。

 

 陽動を仕掛けるという作戦には賛成だが、たった3人でチャレンジャー2を操り、陽動という役目を果たせるだろうか。

 

「………あ、いいこと思い付いた」

 

「ふにゅ?」

 

 これなら目立つぞ。

 

 チャレンジャー2と同じくイギリスの兵器で、第二次世界大戦中に設計された代物なんだが………絶対にこれは目立つ。

 

「よし、さっそく作戦を立てよう。それに潜入用の装備も用意しないと」

 

 メニュー画面を開きながら、俺はそう言った。

 

 作戦通りに行けば―――――親父が到着する前に鍵は入手できる筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ開拓されていない森を抜けると、小ぢんまりとした市街地が見えてきた。オルトバルカやラトーニウスの街並みよりも小さく見えるのは、2階建てや3階建ての建物が殆どなく、1階建ての木造の建物ばかりで構成されているからだろう。劣勢の軍の本拠地という事もあるのか、活気は全くなく、通りに並ぶ露店には何も品物が並んでいない。店主たちもだるそうに近くに座り込むか、寝転んでいる状態だ。

 

 旧幕府軍に優先的に食料が提供されるため、市民たちには殆ど食料がいきわたらなくなっているのだろう。

 

 その小ぢんまりとした市街地の中心に―――――巨大な城が鎮座していた。

 

 周囲は堀に囲まれ、その堀の内側には分厚い城壁が用意されている。それは西洋の要塞と似通った建築様式だけど、その城壁の内側にある城の建築様式は前世の世界でも何度も見た〝東洋の城”だった。

 

「あれが九稜城か」

 

 旧幕府軍の本拠地である九稜城を双眼鏡でにらめつけた俺は、その天守閣を確認してから双眼鏡を下ろす。

 

 侵入できそうな場所は正面の門くらいで、それ以外では堀を泳いでから城壁をよじ登る羽目になりそうだ。後者はキメラの身体能力なら容易いから問題ではないんだが、やはり予想通りに城を警備するための最低限の守備隊は残っているらしく、正門の前には鎧に身を包んだサムライたちが薙刀を手にして警備している。

 

 幸い堀を渡るための橋は広いが―――――チャレンジャー2の重さに耐えられないのは火を見るよりも明らかだった。

 

 だから、チャレンジャー2は移動させない。街の郊外の森の中で待機させ、ここで固定砲台として支援砲撃してもらう。

 

 くるりと後ろを振り向き、砲塔の後部に腰を下ろす。既にモスグリーンの迷彩模様に塗装されているチャレンジャー2はかなり発見し辛くなっている筈だが、もう一押しするという事でカノンとステラが両サイドのスラット・アーマーに木の枝やツタを絡み付かせているところだった。

 

 作業する2人を見下ろしつつ、車外に出していたホットプレートの上からポットを拾い上げ、お湯を紅茶のティーバッグの入った迷彩模様のマグカップに注ぐ。少し間を置いてからティーバッグを取り出してストロベリージャムを少し入れ、マドラーでかき混ぜてから、そのマグカップを傍らで装備の点検をするラウラに手渡した。

 

「あっ、ありがとね」

 

「おう」

 

 自分の分もすぐに用意し、俺もストロベリージャム入りの紅茶を飲みつつ装備の点検を始める。

 

 今回の潜入は、俺とラウラの2人で行う。俺が潜入してラウラが狙撃で支援するという役割分担だ。だから俺の装備は銃身の短いアサルトライフルと、使いやすいハンドガンと、室内で戦闘になった際のソードオフ・ショットガンの3つとなる。

 

 まずアサルトライフルは、ロシア製のA-91というライフルを選んだ。ラウラの使うグローザの改良型でもあり、まるでフランス製アサルトライフルのFA-MASを更にコンパクトにし、銃身の下にグレネードランチャーを取り付けたような外見をしている。

 

 本来ならば7.62mm弾を使用するライフルなんだが、今回は潜入だし、反動もできるだけ小さい方が使い易いという事で使用する弾薬は5.56mm弾へと変更している。交戦する距離も近距離になるだろうという事と、遠距離の敵にはラウラに対処してもらうという事でキャリングハンドルの上に搭載したのはオープンタイプのドットサイトのみ。銃口にはサプレッサーを装着してある。

 

 サイドアームとなるのは、同じくロシア製ハンドガンのPL-14。9mm弾を使用するバランスの良いハンドガンだ。外見はソ連軍が採用していたトカレフTT-33を更にがっちりさせたような形状をしている。

 

 こちらにもドットサイトとサプレッサーを装着しており、念のためにライトも装着してある。

 

 室内戦を想定して持ち込むことにしたソードオフ・ショットガンは、もちろん前に海底神殿でドロップした水平二連型のショットガンだ。有鶏頭と呼ばれるタイプで、銃身の後部からは上にでっかい撃鉄(ハンマー)が突き出ている。グリップの形状は一般的なピストルグリップではなく、マスケットを思わせるストレートグリップと呼ばれる古めかしいデザインだ。ちなみに、片手での射撃を想定しているのでイングリッシュ先台という方式を採用している。

 

 更にこの銃は複合銃と呼ばれるタイプの銃で、2つの銃身の下に1つだけ小さな銃身が搭載されている。そこにも小型の弾丸である.22LR弾を1発だけ装填できる仕組みになっているらしく、それのトリガーはショットガン本体のトリガーを覆うフィンガーガードの後部にある。つまり、グリップを握ると中指の位置に.22LR弾発射用のトリガーがあるということだ。

 

 そのソードオフ・ショットガンを2丁腰の後ろのホルスターに突っ込み、マグカップに残っていた紅茶を全て飲み干した。香ばしさと甘酸っぱさが混ざった香りを放つマグカップを砲塔の上に置き、ラウラの装備も確認する。

 

 彼女は狙撃での援護を担当するため、スナイパーライフルを装備している。今回の作戦のために選んだのは――――――イギリス製スナイパーライフルの、L96A1というライフルだ。

 

 命中精度が極めて高い優秀なボルトアクション式のライフルであり、サムホールストックとマガジンが特徴的な銃である。スコープが見辛いというラウラのためにスコープを取り外し、代わりに照準用の大型ピープサイトを搭載しておいた。それと、やはり潜入なのでサプレッサーも装着している。使用する弾薬は猛烈なストッピングパワーと優れた命中精度を誇る、スナイパーライフル用弾薬の代名詞でもある.338ラプア・マグナム弾だ。

 

 連射し辛いスナイパーライフルをメインアームとするラウラのために、サイドアームは対照的に連射しやすく軽量なマシンピストルを選択した。今回の彼女のサイドアームは―――――――ロシア製マシンピストルの、スチェッキンである。

 

 マカロフの銃身を伸ばしたような外見のマシンピストルで、本来ならば9×18マカロフ弾を使用するんだが、俺のサイドアームと弾薬を合わせるという事で9×19mmパラベラム弾を連射するように改造してある。銃身を延長して命中精度を高めたほか、ドットサイトとレーザーサイトを取り付けており、更にこいつの木製ホルスターをグリップに装着することでSMG(サブマシンガン)としても機能するようにしてある。フルオート射撃を想定しているため、マガジンは通常のマガジンではなくドラムマガジンを小型化したような〝スネイルマガジン”に変更した。

 

 余談だが、スネイルマガジンと木製の銃床を持つドイツ製のハンドガンにルガーP08ランゲ・ラウフと呼ばれる銃がある。

 

「この紅茶美味しい………。ふふっ、また飲みたいな」

 

「じゃあ、倭国を無事に出たらいくらでも淹れるよ」

 

「うん、お願いね♪」

 

 尻尾を振りながら紅茶を飲み干したラウラは、微笑みながら俺の頬にキスをすると、砲塔の側面に立て掛けておいたL96A1を拾い上げて背中に背負った。傍らに置いてあった漆黒のベレー帽をかぶり、息を吐いてから目つきを鋭くする。

 

 彼女はエリスさんに似たようだが、親父からはしっかりと獰猛な部分も受け継いでいる。このように目つきが鋭くなった時の彼女の雰囲気は、まさに親父と同じだった。

 

 フタマタグチとマツマエグチを守備する旧幕府軍がどれだけ粘ってくれるかは不明だが、出来るだけ粘ってくれることを祈ろう。その間に鍵を手に入れて逃げられればいいんだが、新政府軍には親父と母さんがいる。あまり長時間粘るのは不可能な筈だ。

 

 だから、その前に鍵を手に入れなければならなかった。

 

 

 



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転生者が潜入するとこうなる

 九稜城へと侵入するためには、堀を突破して城壁を登るか、正面の門から突っ込むしかない。しかし、いくら守備隊がマツマエグチとフタマタグチから戻ってくるまで時間を稼げる程度の兵力を残しているとはいえ、俺たちの人数に比べれば向こうの兵力の方が圧倒的に上だ。

 

 潜入とは、少数の兵力で敵に発見されずに進入するという非常にリスクの大きな作戦である。発見されれば敵兵力に包囲されてしまうが、発見されずに潜入する事が出来れば、敵の機密情報を奪ったり、敵の指揮官を暗殺して敵軍を瓦解させる事も可能なのである。

 

 しかし、それゆえに潜入するには極めて高い技術と判断力が要求される。

 

「………ラウラ」

 

「うん」

 

 九稜城の裏手に回った俺たちは、城壁の手前に広がっている堀を見下ろしていた。堀の中にはやはり水が溜まっているんだが、ただ水を溜めているだけとは思えない。考えすぎかもしれないが、トラップが仕掛けてあったり、肉食の獰猛な魚型の魔物が放し飼いにされている可能性がある。

 

 そこで、泳いで侵入するという選択肢は選ばない。その代わりに―――――ラウラの能力をフル活用させてもらう。

 

 俺よりも一足先に、ラウラが掘の中へと向かってジャンプした。キメラはサラマンダーと人間のハーフのような種族で、サラマンダーの持つ能力や突然変異で身に着けた能力を自由自在に使う事ができる、突然変異の塊のような種族だ。でも、さすがにサラマンダーのように空を飛ぶことは出来ない。

 

 だからこのままでは、ラウラが掘の中に落ちてしまう。

 

「えいっ」

 

 しかし――――――氷を操る能力を持って生まれてきたラウラにとって、堀の中に水を溜めていたところですぐに凍結させられるのだから、泳がなければならないような池や川も彼女の前では足場になるしかない。

 

 案の定、彼女の爪先が水に触れると思った瞬間には、いつの間にか水面が鮮血のように紅く凍り付き――――――氷の通路が、堀の中に出来上がっていた。

 

「さすがお姉ちゃんだ」

 

 彼女が生まれつき持っている能力は、氷を操る能力である。あのように水を瞬時に凍結させたり、周囲に氷の粒子を纏ってマジックミラーのように自分の姿を消す事も可能なのだ。

 

 その能力の原理は、生まれつき体内に膨大な量の氷属性の魔力が存在するという事である。一般的に、魔力はどの属性にも変換されていない〝無属性”の状態で人体に蓄積されている。魔術を使うには魔法陣や術式を媒体にし、その魔力を特定の属性に変換するという手順が必要になるんだが、俺やラウラの場合はもう既に魔力に属性がついているため、詠唱や魔法陣で変換する必要がないのである。

 

 しかも魔術よりも自由度が高いので、実質的に〝自由自在に操る”ことが可能なのだ。

 

 強力な能力だが、既に変換済みの魔力というのがネックになる場合もある。海底神殿で経験したが、属性には弱点も存在するのだ。例えば炎属性ならば水属性が弱点だし、水属性ならば雷属性が弱点なのだ。

 

 弱点となっている属性の攻撃を喰らうと、体内の魔力が不安定になり、暴発する可能性が高くなる。つまり、自分自身の魔力で自滅する可能性が高くなるという事だ。これは無属性の状態ならば決して起こらない現象なのだが、キメラは魔物などと同じようにあらかじめ変換済みの魔力が体内に蓄積されているため、属性にも注意しなければならない。

 

 ラウラが作ってくれた氷の足場の上に降り立ち、彼女の頭を撫でてから城壁へと向かう。瞬間的に凍結させたとはいえ、銃をいくつも装備した俺たちが乗っても軋まないほど分厚い氷が生成されている。さすが絶対零度の異名を持つエリスさんの娘だ。母親の才能を全て受け継いでいるらしい。

 

 改めて姉の能力に驚愕しつつ、見張りに警戒しながら城壁の目の前まで移動する。

 

「〝ヘンゼル”より〝マイホーム”へ。陽動を開始してくれ」

 

『こちらマイホーム、了解よ』

 

 久しぶりにこのコードネームを使った気がする。冒険者の資格を取る条件として転生者を抹殺したあの日以来だろうか。

 

 俺のコードネームはヘンゼルだ。ラウラがグレーテルで、チャレンジャー2に乗っている支援部隊はマイホームとなっている。由来はもちろんグリム童話のヘンゼルとグレーテルだ。

 

 足場から堀に落ちないように気を付けながら、俺はそっと正面の門へと伸びる橋の方を見た。今回の作戦は潜入作戦だが、さすがにそのまま裏手から潜入しても危険であるため、陽動で敵の注意を正門に集中させるという作戦を取ることにしている。

 

 しかし、陽動とはいえ砲撃すれば砲撃地点がばれてしまうし、乗組員が1人足りない状態ではチャレンジャー2の戦闘力は半減しているようなものなので、まだチャレンジャー2の出番ではない。その代わり、英国の大スターに活躍してもらおうじゃないか。

 

 双眼鏡を覗き込むと、もう既にその兵器が攻撃準備に入っている姿が見えた。

 

 その兵器は、まるで車輪のような形状だった。一見するとただの車輪に見えるが、馬車や列車の車輪にするにはやけに大き過ぎるし、車輪の縁にも無数の筒のようなものがいくつも搭載されているのが分かる。まるで一般的な車輪を大型化し、甲鉄のフレームで何度も補強しつつ、車輪の縁にジェットエンジンに似た筒のような物体を取り付けたかのような外見をしている。

 

「さあ、行け―――――――〝パンジャンドラム”」

 

 次の瞬間、緩やかに転がっていた鈍重そうなその車輪が――――――覚醒した。

 

 おそらくナタリアが起動スイッチを押したのだろう。車輪に取り付けられている筒が一斉に火柱を噴き上げたかと思うと、まるで最大速度に達しようと全力疾走する機関車の車輪のように、その巨大な車輪が無数の火柱を纏って、凄まじい速度で回転しながら正門へと突撃を始めたのである!

 

 その兵器は、イギリスが第二次世界大戦中に開発した『パンジャンドラム』と呼ばれる兵器であった。

 

 巨大な車輪に爆薬を満載し、それにロケットモーターを取り付けて高速回転させ、敵陣に突っ込ませる目的で開発された大英帝国の誇る大スターである。しかし問題点が非常に多い兵器であったため、結局実戦に投入されたことはない。

 

 だが、ロケットモーターで火柱を噴き上げながら超高速で回転する車輪は、やはり目立つ。だから俺はそれを陽動に使おうと考えたのだ。

 

 色々と改造したパンジャンドラムを正門に突っ込ませた後に自爆させ、旧政府軍に敵が正門を破壊するために行動を開始したと思い込ませる。そうすれば残った守備隊は正門を守るために集中するから、他の場所の守りが手薄になるという作戦だ。下手をすれば交戦中の守備隊を呼び戻される可能性があるという諸刃の剣と言わざるを得ない作戦だが、守備隊が戻って来るまで20分はかかる筈である。その間に鍵を手に入れ、逃げてしまえばいい。

 

「な、なんじゃ!?」

 

「おい、あの車輪は何だ!? ………つ、突っ込んで来るぞぉッ!?」

 

「逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 正門を警備していたサムライたちも、さすがに炎を噴射しながら突っ込んで来るパンジャンドラムを食い止めようとは思えなかったらしい。正門に繋がる橋の上を猛スピードで回転していく巨大な車輪は、派手にロケットモーターから炎を噴き上げつつ正門に急迫し―――――――ついに、九稜城の正門へと飛び込んだ。

 

 くそ、カメラを持ってくればよかったぜ。撮影したかったなぁ………。

 

 どんな猛者の突撃も阻んでしまうほど分厚い九稜城の正門を、高速回転する甲鉄の車輪が蹂躙する。まるで最高速度に達した機関車が突進したかのように正門を突き破ったパンジャンドラムは、さすがにその衝撃で転倒してしまったらしく、今度は横向きになりながら炎を噴き上げ続ける。

 

 しかし、こいつの役割はただ火を噴きながら回転するだけではない。パンジャンドラムの真髄は派手な回転する姿と、搭載した大量の爆薬による破壊力なのだ。前者は目にしたが、まだ後者の出番が残っている。

 

 次の瞬間、九稜城が揺れた。

 

 正門の残骸が吹っ飛び、城壁の一部が衝撃波で突き飛ばされて崩壊する。その崩壊した防壁から突き出たのは、パンジャンドラムが生み出した紅蓮の爆炎であった。

 

 パンジャンドラムの姿を見守っていた俺たちの元に、爆炎で加熱された熱い風が吹いてくる。微かに火の粉を引き連れたその熱風は、まるでパンジャンドラムが「ほら、後はお前たちの出番だぜ」と告げているかのようだった。

 

 な、泣きそう………。

 

 よし、次は俺たちが潜入する番だ。

 

「行くぞ、ラウラ………」

 

「ふにゅ、何で涙声なの?」

 

「あれがロマンだよ………」

 

 涙を拭いながら両手を硬化させ始める。肌色の皮膚が蒼い外殻に覆われたのを確認してから、鋭い爪の生えている指先を防壁の表面へと突き立てた。堅牢そうな外殻だが、MBT(主力戦車)の複合装甲並みの防御力を持つキメラの外殻からすればまだまだ綿のように柔らかい。

 

 少し勢いを付けるだけで、鋭い爪と指先はあっさりと防壁にめり込んだ。その調子で反対の手もめり込ませ、防壁を登り始める。

 

 防壁の中に何か金属でも入っていれば、前みたいに壁を歩いて潜入できるんだが、残念ながらこの防壁の中には何も入っていない模様だ。

 

 ラウラも同じように両手を硬化させ、壁を登り始める。幼少期からよく壁をよじ登ったりする訓練を受けていたし、2人で鬼ごっこをする時も頻繁に壁をよじ登ったりしていたので、この程度の防壁を登るのは朝飯前だ。

 

「そういえば、工場の煙突に上ったこともあったよね」

 

「その後エリスさんに怒られたけどな」

 

 昔の話をしながら防壁を登り切り、九稜城の中へと入る前に防壁の近くに敵兵がいないか確認する。防壁の内側に広がる庭の中に敵がいない事を確認してから、俺は背中に背負っていたA-91を取り出しつつ九稜城の中へと足を踏み入れた。

 

 庭というよりは、ただの広場のようだ。右手には倉庫と思われる小屋があり、左手には木々が生えた広場があるだけである。遮蔽物になりそうな物は左右にあるそれらだけだろう。

 

「よし、別行動だ。支援は頼んだぞ」

 

「任せて。―――――無茶しちゃ駄目だからね」

 

「分かってるって。お姉ちゃんは泣かせたくないからな」

 

「ふふっ。―――――愛してるよ、タクヤ」

 

「おう」

 

 少しだけラウラとキスをしてから、俺たちは別行動を開始した。

 

 スナイパーライフルを背負ったラウラは、凄まじい瞬発力とジャンプ力を駆使して防壁や塀の上を飛び越えつつ、早くも氷の粒子を生成して自分の姿を消している。聴覚や嗅覚には自信があるが、あのように姿を消してしまったラウラの姿を見つけ出すのは、俺でも不可能だ。

 

 目を細めつつ、俺も行動を開始する。

 

 A-91を構えつつ前方にある塀へと近付き、木造の薄い塀の陰に隠れつつ端へと向かう。人間よりも優れているキメラの聴覚をフル活用し、何か物音を聞き取ろうとしてみるが――――――聞こえてくるのは旧幕府軍の兵士たちが慌てふためく声と、走り回る際の足音のみ。

 

 いや、それだけでいい。音が聞こえるならば、それで敵兵のある程度の位置は把握できるのだから。

 

 目安があるだけで、警戒できる。

 

 息を吐いてから塀の陰から飛び出し、渡り廊下へと侵入する。左手には小さな建物があるが、あんな場所に鍵が保管されているわけがない。右手にある入口から城の中へと入り込むのが正解だろう。

 

 入口の扉を開けようとした瞬間、通路の向こう側から足音が聞こえてきた。扉を開けずに息を殺し、その兵士が遠ざかるのを待つ。

 

「おい、正門で爆発が起きたぞ!」

 

「車輪が火を噴きながら突っ込んで来たらしい!」

 

「なんじゃそりゃ!? 新政府軍の新兵器か!?」

 

 大英帝国の大スター(パンジャンドラム)の事だろう。彼はちゃんと陽動作戦に貢献してくれたらしい。

 

 足音が遠ざかったのを確認してから扉を開け、九稜城の内部へと侵入する。通路は思ったよりも広く、遮蔽物は少ない。遮蔽物に使えそうなのは曲がり角くらいだろうか。

 

 敵に見つからないようにサプレッサーを装着してきたのは良いが、一番いいのは敵に遭遇しない事だ。敵を始末すれば、今度はその死体も隠さなければならなくなる。放置すれば侵入者がやってきたという事を敵に教えることになるから、手間が増えてしまうのだ。

 

 素早く通路を抜けると、再び渡り廊下に出た。周囲を確認して飛び出そうとしたのだが、無線機から『グレーテルよりヘンゼルへ』とラウラの声が聞こえてきたので、俺は飛び出さずにそのまま彼女からの報告を聞くことにした。

 

「どうした?」

 

『3時方向に敵』

 

「なに?」

 

 通路の陰に隠れながら待ち構えていると、右手の方から2人の兵士がやってきたのが見えた。紺色の制服に身を包み、腰に日本刀を下げた2人の旧幕府軍の兵士だ。

 

 通り過ぎるまで待とうと思ったんだが………そいつらは途中で立ち止まると、中庭で雑談を始めやがった。そのまま通り抜けようとすれば見つかるし、遮蔽物もない。

 

「くそったれ」

 

『始末しようよ』

 

「仕方ないな」

 

 早速撃つ羽目になるのか。

 

 舌打ちをしてからセレクターレバーを切り替え、セミオート射撃の準備をしつつドットサイトを睨みつける。

 

 ラウラのスナイパーライフルは極めて命中精度が高いといわれるイギリスのL96A1だ。しかしボルトアクション式であるため、いくらラウラでもセミオートマチック式のライフルより連射速度は遅くなってしまうという欠点がある。

 

「俺が右のを撃つ」

 

『じゃあ、お姉ちゃんは左の奴を狙うからね』

 

「了解(ダー)。ラウラが先に撃ってくれ。俺は後から撃つ」

 

『了解(ダー)』

 

 さあ、ラウラ。―――――撃て。

 

 思い浮かべた姉への合図が伝わったのか、俺がそう思った直後、いきなり飛来した1発の.338ラプア・マグナム弾が片方の兵士の頭を食い破った。

 

 サプレッサーを装着していたため、銃声は聞こえない。いきなり相方の頭が粉々になったことにもう片方の兵士が驚いたが、そいつの頭も5.56mm弾によって貫かれ、あっという間に2人は即死する羽目になった。

 

「さすがお姉ちゃん(グレーテル)

 

『えへへっ♪』

 

 さて、あの死体は隠しておくか。

 

 他に敵兵がいない事を確認してから、俺は中庭へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の矢が突き刺さり、屹立する巨木が次々にハリネズミと化していく。ハリネズミのような姿になっているのは巨木だけではない。数え切れぬほどの一斉射撃をやり過ごした土方は、息を吐きながら隣で横たわる部下を見下ろした。

 

 旧幕府軍に参加した頃から、ずっと一緒に戦ってくれた戦友のうちの1人だ。3回前の一斉射撃で集中攻撃を浴び、彼もハリネズミの如く数多の矢に貫かれて絶命している。

 

 数日前にミヤコ湾で戦ったあの騎士がいるかと思っていた土方であったが、このフタマタグチへと攻撃を仕掛けて来ているのは騎士団の部隊ではなく、どうやら新政府軍の兵士たちらしい。

 

 失望しながらも次の一斉射撃をやり過ごそうとしていたその時であった。

 

「副長、緊急事態です!」

 

「どうした」

 

 彼の事を副長と呼ぶのは、新選組の仲間である証拠だ。振り向いてみると、やはり見覚えのある若者がいた。

 

「マツマエグチの守備隊が突破された模様です!」

 

「なに………?」

 

 旧幕府軍は、現在マツマエグチとフタマタグチの二ヵ所に守備隊を展開している。そのマツマエグチが、新政府軍の軍勢に突破されたというのである。

 

 その報告を聞いた他の兵士たちが騒ぎ出す中で、土方は目を瞑りながら「そうか………」と呟いた。

 

 今のところ、フタマタグチが陥落する気配はない。食料さえ確保できればいくらでも粘ることは出来るだろう。しかし、マツマエグチが突破されたのならば敵は無理にフタマタグチを突破しようとせず、そちらを通り抜けて九稜城を攻め落とそうとする筈だ。このままここを守り続ける意味はない。

 

 むしろ、九稜城へと戻って他の兵力と合流し、そこで最終決戦を挑むべきである。

 

「よし、撤退する。九稜城まで撤退だ」

 

「に、逃げるのですか!?」

 

「このままここを守っていても、既にマツマエグチが突破されているのならば守る意味はあるまい。それよりも九稜城に戻り、そこで決戦を挑んだ方が良い」

 

「わ、分かりました………」

 

 愛用の刀を腰の鞘に納めた土方は、もう一度息を吐きながら空を見上げた。

 

 ここに攻め込んで来ているのは、新政府軍の兵士ばかり。オルトバルカ王国が派遣した騎士団の戦力は、おそらくマツマエグチの方を攻略したのだろう。

 

 マツマエグチにも猛者たちがいた筈だが、こんな短時間で突破されたという事は――――――間違いなく、向こうを攻め落とした軍勢の中にあの騎士がいる。蒼い髪の、美しい女性の騎士がその軍勢の中にいる筈なのだ。

 

(………また、あの女と戦いたい)

 

 九稜城まで戻れば戦えるだろうと思いながら、土方は踵を返した。

 

 



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リキヤ襲来

 

 2人の死体を、中庭の茂みの中に放り込む。もしかしたら警備の兵士に発見されてしまうのではないかと危惧したが、圧倒的な兵力の新政府軍とオルトバルカ王国騎士団がすぐそこまで迫っているのだ。発見したとしても、対処する前に九稜城攻防戦が始まってしまうに決まってる。

 

 両手にへばりついた血をコートの裾で拭い去り、俺はA-91を背中に背負った。中庭にもう用はない。これから向かうのは、ここよりもずっと狭い場内だ。だからほんの少しでも銃身が長くて重いアサルトライフルよりも、咄嗟に敵を撃ち抜けるように軽く、素早く対処できるハンドガンの方が好ましい。ただでさえ素早く対処することが求められる室内戦になる上に潜入中なのだから、素早く対処するというのはまさに最優先事項だ。

 

 ホルスターの中からPL-14を引き抜きつつ、渡り廊下から城内へと潜入する。前世の世界で目にした日本の城とあまり変わらない建築様式の九稜城は思ったよりも広いというのに、通路は段々と狭くなっているような気がした。

 

 こんなところで敵に見つかり、白兵戦に突入するのはごめんだ。それに屋内ということは、ラウラの支援を受ける事ができない。

 

 いや………幸い通路には窓がある。かなり限定的になってしまうが、ラウラなら窓もろとも敵兵の頭を撃ち抜いてくれる筈だ。それに、壁も意外と薄い箇所がある。.338ラプア・マグナム弾の貫通力ならば貫通できるだろうか。

 

 ラウラにとって、敵を探す索敵手段は視力だけではない。突然変異なのか、頭の中に生まれつき存在するイルカのようなメロン体と、その超音波を聞き分けるために発達した聴覚。遠くで聞こえるほんの小さな物音でも、瞬時にその正体を聞き分けることが可能なほど発達した彼女の耳は、標的が壁の向こうにいたとしても関係なく敵を察知する。

 

 半径2km以内に標的がいる限り、彼女は常にそうやって敵を探すことが可能なのだ。突然変異によって発達したセンサーの塊。それが、俺の姉のラウラ・ハヤカワの体質なのである。

 

 通路の向こうから兵士たちが走る足音が聞こえてきて、俺は咄嗟に近くに置いてあった木箱の陰に隠れた。あまり大きくはない木箱だが、男子にしては小柄な俺が隠れるには十分だろう。いつもと比べて軽装だったことも功を奏したと言える。

 

 ハンドガンを構えつつ、木箱の陰から兵士たちを観察する。装備は日本刀―――――日本が存在しない異世界で『日本刀』は変だと思う――――――と、モリガン・カンパニー製のクロスボウを装備しているようだった。まるでマスケットの銃床とクロスボウを組み合わせたかのような古めかしい外見で、まるでドットサイトを思わせる照準用のレンズのようなものを装備している。

 

 一昔前までは、騎士団にも正式採用されていたモデルだ。今ではフィオナちゃんが連発できるクロスボウを発明したおかげで一気に退役してしまったモデルだが、大半は海外に売却されて現役だと聞いている。

 

「大変だ、マツマエグチの守備隊が騎士団にやられたらしい」

 

「なに? 土方殿は!?」

 

「現在、守備隊を引き連れて撤退している最中だ。もうじき決戦が始まるぞ。兵士を集めて防衛の準備を」

 

「分かった! しかし、あの正門の爆発は何だったんだ?」

 

「さあ? 新政府軍の破壊工作か? とりあえず、正門に兵士を集中させよう」

 

 パンジャンドラムを使った陽動作戦は功を奏したようだが………このままでは拙いな。もうマツマエグチが突破されたのか………。

 

 しかも、土方だって? まさか、新選組の土方歳三か?

 

 異世界にも同じ名前の偉人がいるのだろうか。出来るならば会ってみたいが、向こうからすれば俺たちは勝手に城の中に入り込み、鍵を手に入れて逃げようとしている盗人と変わらない。会ったとしても斬られるのが関の山だ。

 

「グレーテル、聞いたか?」

 

『うん、聞いたよ。………急いだ方が良いかも。鍵は天守閣なんだよね?』

 

「ああ」

 

 急いだ方が良い。

 

 マツマエグチが突破されたのならば、もう片方のフタマタグチに残った守備隊は撤退を選択する筈だ。もう片方の守備隊が突破されたのならば、敵はフタマタグチを攻め落とさずに九稜城を攻撃し始めるだろう。だからフタマタグチの防衛にこだわるのではなく、撤退して本拠地の守備隊と合流し、そこで新政府軍を迎え撃とうとする筈だ。つまり―――――もうじき防衛線が始まる。

 

 その新政府軍とオルトバルカ騎士団の中に、親父や母さんもいる事だろう。モリガンの中で最強の男が、鍵を手に入れるためにここに来るのだ。

 

『ヘンゼル、ここから敵兵を狙撃するから天守閣に急いで』

 

「やれるのか?」

 

 思わず彼女に聞き返してしまったが――――――愚問だろう。ラウラなら、壁の向こうにいる敵兵ごと狙撃して仕留めるのは造作もない。マラソンを何度も経験しているベテランのランナーに「完走できるのか?」と尋ねるようなものだ。

 

 馬鹿らしい質問をしてしまったと自嘲していた最中に、無線機から『当たり前じゃん』とラウラの声が聞こえてきた。ああ、彼女ならやれる。相手が壁の向こうにいようが、壁もろとも撃ち抜いてくれる。

 

「ヘンゼルよりマイホームへ。今から少し強引な潜入になる。場合によっては砲撃支援を頼む」

 

『了解(ダー)。ステラちゃん、粘着榴弾装填』

 

『了解(ダー)』

 

 粘着榴弾とは戦車砲などに使用される砲弾の一種で、命中した瞬間に着弾した際の衝撃で砲弾が潰れてから爆発する砲弾である。強力な砲弾だが、メタルジェットによって装甲を容易く貫通する形成炸薬(HEAT)弾や、極めて強力な貫通力を有するAPFSDSが主流になっているため、旧式の砲弾と化してしまっている。

 

 しかしコストは低く、砲身にもあまり負荷をかけないことから完全に退役はしていない。

 

 貫通力の低い砲弾だが、爆発は強力なので貫通力を必要としない場合には重宝する。それにチャレンジャー2のライフル砲は粘着榴弾以外にも、貫通力の高いAPFSDSも使用することができるため、相手の防御力などで使い分ける事ができる。

 

 親父が到着する前に鍵を見つけ出す必要があるため、少し急がなければならない。脱出する際はもう隠密行動は一切考慮せずに、正面突破するしかないだろう。ラウラの狙撃とカノンの砲撃に援護してもらえば、少なくとも3分以内に撤収することは可能な筈だ。

 

 目の前で話をしていた兵士を仕留めようと思ったけど、彼らは話を終えると、大慌てで通路の奥へと走っていった。ハンドガンを向けていた俺は息を吐きながら銃口を下ろし、先を急ぐ。

 

 まあ、生かしておいた方が正門に集合しろっていう命令を伝達してもらえるし、その方が結果的に動きやすくなる。遭遇した敵は全員殺せばいいって事じゃない。

 

 通路の奥まで走り、曲がり角にあった木製の階段を駆け上がる。急いでいるせいで足音が聞こえてしまうが、慌てて戦闘配置につく兵士が多いのだから目立つ事はないだろう。それにもし仮に発見されたとしても、早撃ちには自信がある。更に、壁の向こうには心強い狙撃手がいるのだ。

 

「さて、このまま天守閣までダッシュだな………」

 

 階段を駆け上がり、上の階の通路を素早く見渡す。先ほどの通路とほぼ同じ作りで、相変わらず狭い上に遮蔽物はない。こんなところで白兵戦だけはやりたくないなと思いつつ索敵し、敵がいない事を確認したが――――――人間離れしたキメラの聴覚が、背後から近づいてくる足音をしっかりと聞いていた。

 

 誰かが階段を駆け上がってくる。おそらく、上官へ報告に向かう兵士か、戦闘配置につく兵士だろう。遮蔽物が少ないせいで隠れる場所はない。

 

 こいつは殺すしかないと思い、振り返りかけたその時だった。

 

「ぎっ―――――――」

 

「………!」

 

 構えかけたPL-14が、途中で止まる。

 

 いきなり壁を突き破って飛び込んできた1発のライフル弾が、的確に兵士のこめかみに飛び込んでいたのだ。皮膚に風穴が開き、肉片と鮮血を反対側から噴き出しながら兵士が倒れる。

 

 相変わらず凄まじい命中精度だ。………幼少期の訓練以来、あまりラウラが狙いを外したところは見たことがない。

 

 しかもそんな狙撃を、スコープを取り外したスナイパーライフルでやっているのである。まるでシモ・ヘイヘのようだ。

 

「さすが」

 

『えへへっ』

 

 再び正面を向き、上の階へと続く階段を探す。メウンサルバ遺跡の地下で入手したフランケンシュタインの記録によると、鍵が保管されているのはこの九稜城の天守閣のようだ。なぜこんな極東の城の天守閣に保管されているのは分からないが、おそらくこの城を立てた大名が宝物だと思い込んで保管しておいたんだろう。

 

 言うまでもないが、鍵自体は宝ではない。その鍵を使って得る天秤こそが、あらゆるお伽噺の題材にもなっている本当の宝物だ。

 

 通路の向こうにあった階段の近くには、兵士が2名ほど倒れていた。2人とも頭には既に風穴が開き、頭の肉片をまき散らした状態で絶命している。どうやらもう既にラウラが狙撃し、排除していたらしい。

 

 おいおい、俺のハンドガンの出番はないんじゃないか?

 

 かつん、と上の階の方から音が聞こえてくる。薄い壁を何かが突き破るような小さな音だ。その音の正体が何なのか理解した俺は、この上の階に広がっている光景を想像しながら階段を駆け上がった。

 

 相変わらず狭い通路には――――――やはり、旧幕府軍の兵士たちの死体が転がっていた。どの兵士も鞘から刀を抜いていないため、全員敵襲に気付かないうちに葬られたという事が分かる。

 

 わ、我が家のシモ・ヘイヘは恐ろしい………。

 

 念のためハンドガンを構えつつ警戒してみるが、曲がり角や和室の出入り口の所にも兵士の死体が転がっていた。おそらく出入口の所で息絶えている兵士たちは、仲間たちが倒れていくのを目の当たりにし、何が起きたのかと部屋を飛び出し開けたところを狙撃されてしまったのだろう。

 

 しかも、やはり壁越しに。更にラウラは、スコープを使っていない。

 

 姉の戦果を目の当たりにして息を呑みつつ、上の階へと向かった。先ほどまでは簡単な作りだった階段だが、この階からは業火になっている。縁には黄金の装飾がついていて、手すりまであるのだ。

 

 ここからはちゃんと警戒するべきか………?

 

 城内の作りが変化しているという事は、天守閣に近付いているという事なのだろう。それはそれで喜ばしいが、フタマタグチの守備隊と新政府軍もこっちに迫っているから喜んでいる場合ではない。

 

 階段を登り切ると、今までのような狭い通路と部屋が並ぶフロアではなく、武者の鎧ややけにでかい薙刀が飾られている広い部屋に出た。床や壁は木造で、まるで何かの道場を広くしたような雰囲気を纏う部屋である。

 

「………」

 

 敵がいるなら、ラウラが狙撃している筈だ。そう思ったが――――――メウンサルバ遺跡の事を思い出した俺は、はっとしながら立ち止まった。

 

 彼女の索敵能力は凄まじく高い。特に聴覚と視覚を駆使した索敵は最新のレーダー並みである。だが、彼女の索敵能力の象徴ともいえるエコーロケーションにも弱点がある。

 

 それは、あくまで音波での索敵のため、敵の擬態まで見破ることは不可能という事だ。どれだけ擬態している敵に向かって超音波を飛ばしても、あくまで〝そういうオブジェがある”とラウラが認識するだけで、〝あのオブジェは敵の擬態だ”と見破れるわけではないのだ。

 

 実際に、メウンサルバ遺跡では魔物の擬態を見破ることは出来ず、魔物の奇襲を許してしまっている。

 

「………」

 

 息を呑んでから、右肩にあるホルダーの中からメスを1本引き抜く。元々は魔物の内臓を摘出するために持ち歩いているメスだが、銃と違って銃声を発しないことから、時折恐ろしい武器と化すのだ。

 

 左手の指でメスを持った俺は―――――そのメスを、目の前に鎮座する武者の鎧に向かって投げつけた。何も音を出さずに左手から飛び出したメスは、真っ直ぐにその鎧へと飛翔すると、鎧の眉間へと凄まじい勢いで突き刺さる。

 

 とん、と鎧にメスが突き刺さった音だけが、広間に響いた。戦闘配置につく兵士たちの声や足音から遮断されたかのような広間に響いた音は、それだけだ。残響が消えた後には、再び静寂が広間に浸透する。

 

「トラップなし、クリア」

 

 考え過ぎだったかもしれない。あの中に敵兵が潜んでいるかもしれないと思ったんだが、ただの観賞用の鎧だったらしい。

 

 呆れながら広間を通り抜け、俺は更に階段を上った。

 

 

 

 

 

 

 

「社長、フタマタグチの守備隊は撤退したようです」

 

「やはりな………」

 

 九稜城まで撤退し、城の守備隊と合流してから最終決戦を挑もうとしているのだろう。フタマタグチの防衛にこだわり、本陣を攻め落とさせてしまったら本末転倒だ。

 

 やはり、予想通りだ。土方は兵士たちを引き連れて後退し、俺たちに最終決戦を挑む。これで九稜城攻防戦は大規模な戦闘になる。

 

 ああ、大規模にやってくれ。その方が俺も鍵を手に入れ易くなるのだから。

 

 腰に下げていた水筒の中の水を飲み、眼前に見えてきた九稜城の天守閣を睨みつける。既に正門の方からは黒煙が上がっているが、まだ艦隊が砲撃を始めたというわけではないだろう。ブリストルは俺たちと共に北上を続けているが、まだ砲撃を開始する位置についたわけではないのだから。

 

「いよいよ我が社の新兵器が活躍する局面がやって参りましたな、社長」

 

「ああ」

 

 警備分野に所属する社員の言葉を聞きながら、その新兵器の準備をする社員と騎士たちを見据える。

 

 一般的な防具を外し、その代わりに彼らは背中に巨大なボンベのようなものを背負い始めている。まるでダイバーが背負うボンベのようだ。それから伸びるケーブルと圧力計の点検を行う彼らに、指揮官が小型の矢を何本も支給し始めている。

 

 この兵器が投入され、大きな戦果をあげれば――――――この異世界で普及している剣や弓矢は、すぐに廃れてしまう事だろう。そして急速にこの武器の改良が進み、前世の世界のような兵器が活躍する時代が訪れるに違いない。

 

「――――――エミリア、指揮は頼む」

 

「任せろ。………なあ、リキヤ」

 

「ん?」

 

 端末を取り出し、ミヤコ湾の戦いで弾薬を消耗していたブレン・テンの代わりに何か銃を装備しようとしていると、隣で九稜城を睨みつけていたエミリアに声をかけられた。戦闘中は常に目つきの鋭い彼女だが、戦場にいるというのに今の彼女の目つきはまるで家にいる時のように優しい目つきである。

 

 少しだけ違和感を感じたが――――――結婚してからはずっと愛し合ってきた妻なのだ。彼女が何を考えているのかを察した俺は、彼女がそれを口にする前に「大丈夫だ」と言った。

 

「子供たちがどれだけ成長したのか、見てくるだけさ」

 

「ああ、頼む」

 

 正門から上がっている黒煙の正体は、十中八九あのクソガキの攻撃だろう。俺たちが九稜城に到着する前に鍵を回収するつもりなのかもしれないが、そんな事をさせてたまるか。

 

 あの鍵は、俺が手に入れる。俺にも叶えなければならない願いがあるのだから。

 

 それに―――――――あいつらに天秤を手に入れさせるわけにはいかない。お伽噺の正体を知るだけならばいいのだが、下手をすればあいつらは大切な物をことごとく失う羽目になってしまう。

 

 だから、子供たちを守るためにも俺が天秤を手に入れなければならないのだ。

 

 あいつらが無知というわけではない。あの天秤の恐ろしさを知っている者は、最早俺やエンシェントドラゴンたちしか残っていないだろう。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「ああ」

 

 エミリアとキスをしてから、俺は進撃する部隊から離れた。素早く茂みの中に飛び込み、そのまま九稜城へと向かって全力疾走を開始する。

 

 海底神殿ではエリスとリディアを出し抜き、鍵を手に入れて逃げ切ったそうじゃないか。格上の相手から消耗した状態で逃げ切った事には驚いたが――――――それだけ成長しているという事なんだろ?

 

 だったら――――――どれだけ強くなったか見せてみろ、タクヤ。

 

 俺が相手になる。

 

 

 

 

 

 



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九稜城攻防戦

 

 そこからは、未開拓の森がよく見えた。

 

 倭国という島国からほんの少しだけ離れた位置に浮かぶ、エゾと名付けられた巨大な島。まだ倭国人がこの島を開拓し始めてからあまり時は経っていないのだろう。所々に小さな集落や村が見えるけど、基本的には森ばかりだ。木々は西洋の森よりも小さいけれど、森の規模ははるかに大きい。まるで草原の上を覆う二層目の草原だ。

 

 ここも開拓されれば、この風景は見れなくなるのだろうかと思いつつ、俺はハンドガンをホルスターの中に戻した。ラウラが敵兵を片っ端から狙撃し、ヘッドショットしてくれたおかげで天守閣には予想以上に早く到着する事ができたが………休んでいる場合ではない。早くここから鍵を見つけ、逃げ出さなければならないのだから。

 

「くそったれ、鍵はどこだ?」

 

 天守閣の中にある部屋は整理整頓されており、旧幕府軍の大将がしっかり者であるという事を証明している。本棚には倭国語で書かれた分厚い本がずらりと並び、西洋式の机の上には書類がどっさりと積み上げられている。部屋の壁際には幕府が健在だった頃に貰った物なのか、黄金の刀身を持つ日本刀がこれ見よがしに飾られている。

 

 天秤の鍵はここにある筈だが………引き出しの中とか棚の中にはないんだろうか? もしそれが宝物だと気付いていたら、厳重に管理していてもおかしくない。黄金の刀が飾られている棚をちらりと見てみたけど、そこに飾られているのはその日本刀と鞘だけだ。

 

『マイホームよりヘンゼルへ』

 

 引き出しの中を物色していると、耳に装着していた小型無線機からナタリアの声が聞こえてきた。相変わらず冷静な声だったけど、少しだけ焦っているのだろうか。いつもと若干声音が違うことに気付いた俺は、彼女からの報告の内容を予想しつつ応答する。

 

「どうした?」

 

『緊急事態よ。フタマタグチの守備隊が戻ってきたみたい』

 

「マジかよ………」

 

 天守閣の窓から外を見てみると――――――森の中から、馬に乗った旧幕府軍の兵士たちが九稜城へ向けて全力疾走していた。猛烈な土埃を舞い上げて戻ってくるサムライたち。人数は2000人くらいだろうか。

 

「騎士団と新政府軍は?」

 

『そっちも………到着したみたいよ』

 

「おいおい………!」

 

 拙いぞ。騎士団が到着したって事は、親父も到着したって事だろ!?

 

 親父のレベルはどれくらいかは不明だが、俺が幼少期の時点で既にレベルは995だった。ステータスがどれほど高かったのかは想像に難くないが、あの時からレベルが全く上がっていない筈はない。もうとっくの昔に1000を突破していてもおかしくはないのだ。

 

 それに対し、俺のレベルはまだたったの51。ステータスもやっと3000代後半くらいである。しかも向こうは、俺とラウラが生まれる前から実戦を経験しているベテランだ。ステータスやレベルだけでなく、経験でも完全に負けている。

 

 しかも模擬戦の時は手を抜いていたらしいが――――――鍵を手に入れようとしているのならば、本気で俺たちに襲い掛かって来る筈だ。手を抜かれていても攻撃を1発当てるのがやっとだったのだから、本気を出されれば本当に勝ち目はない。

 

 くそったれ! 鍵はどこだ!?

 

 焦りながら俺は引き出しを閉め、棚を開けてその中を探り始めた。まさか大将が身に着けているわけじゃないだろうな? もしそうだったら、大将を見つけて鍵を奪わなければならない。集中しながら天守閣までやってきたのが全部水の泡になっちまうぞ。ふざけんな。

 

 棚を閉めてからその下にある棚を開ける。やけに軽い棚だが、中身が入っていないわけではないらしい。

 

 大慌てでその棚の中に手を突っ込むと―――――――金属製の小さな何かが、その中に入っていた。

 

「ん?」

 

 それを掴み、棚の外へと引きずり出す。中に入っていたのは小さな金属の物体だ。ひんやりとしていて、先端部と思われる部分にはギザギザしている。

 

 それを握って引きずり出し、手の平の中にあるそれを見下ろした俺は――――――胸の中に絡み付いていた不安が、全て発破されたかのように粉々になる感覚を覚えつつ、それを素早くポケットの中に突っ込んだ。

 

「こちらヘンゼル、鍵を回収した」

 

『ふにゃっ!? 見つけたの!?』

 

「ああ。これより撤退する。マイホーム、合流ポイントは打ち合わせ通りだな?」

 

『ええ』

 

「了解(ダー)。では、離脱する。支援砲撃を頼む」

 

『了解(ダー)。カノンちゃん、出番よ!』

 

『やっとわたくしの出番ですわね!』

 

 俺からの要請があるまで待機し続けていたカノンが、嬉しそうにそう言うのが聞こえてきた。悪かったな、カノン。今からやっとお前の出番だ。

 

 ホルスターからハンドガンを引き抜きつつ、俺は天守閣の小部屋を後にした。後はここから逃げるだけだ。幸い親父と遭遇する前に鍵を見つける事ができたが―――――帰りも遭遇せずに逃げ切れれば、まさに大勝利である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「副長、側面に敵です!」

 

「分かっている!」

 

 部下からの報告を聞いた土方は、その部下に怒鳴り返しつつ馬の上で刀を引き抜いた。もう既に九稜城の堀と城壁は目と鼻の先だ。ここで戦闘を始めたとしても、肝心な城から離れ過ぎているという事にはならないだろう。

 

 フタマタグチの守備隊は2000人。どの兵士も幕府に所属していた猛者や、旧幕府軍を指示している大名の元から派遣されてきた精鋭ばかりである。

 

 彼らの奮戦のおかげで、フタマタグチは死守できた。土方の指揮と作戦も連勝に貢献しているのだが、彼はそれを手柄だとは思っていない。あの連勝はあくまで部下たちの奮戦のおかげで、自分は彼らを支えただけなのだから。

 

 しかし、今度はあの時のように連勝できるとは思えない。胸中に封じ込めていたが、土方はこの戦いに勝ち目はないと考え始めていた。

 

 相手の兵力は総勢で10000人。オルトバルカ王国騎士団や、騎士団と共に参戦してきたモリガン・カンパニーの精鋭部隊だけで5000人に達する。彼らの方が新政府軍よりも手強いというのは言うまでもない。

 

 しっかりと補給を受けられる彼らと、連勝しているとはいえ物資が乏く、疲弊している旧幕府軍の兵士たち。更に兵力も桁が違う。士気は高いが、勝ち目はない。

 

(これが………俺の最後の戦いなのかもしれん)

 

 刀を振り上げつつ、土方はそう思った。

 

 だが、それでもいい。幕府が崩壊していく中で新選組の仲間たちが次々に命を落としていったが、やっと土方も彼らの所に還れるのだから。

 

 しかし―――――――死を認めるのはただの腑抜けと同じだ。ここで死ぬとしても、最後まで刀を振るい続け、敵を葬る。散って行った新選組の仲間たちの元に逝く前に、彼はもう少し〝戦果”を欲していた。

 

「ここが我らの死に場所だ! 撤退は許さん、突撃ぃッ!!」

 

 部下たちの雄叫びを聞きながら、土方は馬を加速させた。

 

 側面から姿を現したのは、真紅の制服に身を包み、頭には熊の毛皮で作られた大きな帽子をかぶったオルトバルカ王国騎士団の部隊であった。刀を構え、馬に乗りながら急接近しているというのに、彼らは全く怯まない。

 

 退かないというのならば、このまま接近して斬るまで。そう思いながら突撃していく土方達であったが――――――戦いの経験を積んだ土方は、その騎士団の装備に違和感を感じていた。

 

 以前まで、騎士団の装備は一般的な剣だった。どのような素材を使っているのかは不明だが、やけに頑丈で、騎士と斬り合った部下の刀がへし折られたという話を何度か聞いたことがある。

 

 だから鍔迫り合いは避けろと言った事があるのだが―――――その厄介な剣が、見当たらないのである。

 

 その代わりに騎士たちが持っているのは、クロスボウに似た奇妙な装備であった。背中には圧力計や小さなケーブルが何本も取り付けられたガスボンベのようなタンクを背負い、そこから伸びたやけに太い1本のケーブルが、彼らの構えるそのクロスボウのような武器に接続されている。

 

 構え方もクロスボウと同じであることから、土方はその装備が飛び道具であるという事を見抜いていた。

 

(あれは………何だ?)

 

「構え!」

 

 指揮官の怒声を聞いた騎士たちが、一斉にそのクロスボウのような武器を持ち上げ、発射口を突進していくサムライたちへと向けた。

 

 その瞬間、土方はぞっとした。その感覚は今まで何度も味わっていた感覚である。敵の奇襲を受けそうになる度に、その直前に何度も感じた感覚。それが再び、土方の脳裏で芽吹こうとしている。

 

 嫌な予感を感じた土方は、咄嗟に馬を右へと走らせた。

 

「―――――撃てぇッ!!」

 

 土方の乗る馬が右へと逸れた直後――――――騎士たちの持つ武器から白煙にも似た蒸気が噴き上がったかと思うと、まるで空気が噴き出すような音と共に、凄まじい速度で何かが射出された。

 

 辛うじて回避した土方だったが、彼の後続の兵士たちは、その飛び道具の餌食となっていた。猛スピードで放たれた何かに貫かれた兵士たちが、次々に雄叫びを途切れさせつつ馬の上から転落していく。

 

 傍らを走っていた部下もその何かに撃ち抜かれ、馬から転落していった。

 

(あれは………!)

 

 その部下の死体に、土方は矢が突き刺さっていたことに気付いた。

 

 従来の弓矢の矢と比べると短く、しかも全て漆黒の金属で作られている。おそらくあの飛び道具は、何かを動力源としてあの短い矢を凄まじい速度で発射しているのだろう。

 

 射程距離は弓矢よりも長く、しかも弾速はクロスボウを遥かに上回る。命中精度も両者を凌駕しているため、それを装備した兵士を何人も配置するだけで敵に接近される前に殲滅することが可能なのである。

 

 あの武器の登場で――――――接近戦という戦い方が、廃れる。

 

 進化していく西洋の技術が生み出した新しい武器。そしてそれを用いた、新しい戦法。それによって従来の白兵戦はやがて駆逐され、廃れていく。

 

(なんと恐ろしい武器を………!)

 

 しかし、隙がない遠距離攻撃というわけでもないようだ。

 

 今しがた一斉射撃を仕掛けてきた敵の隊列を睨みつけた土方は、今の攻撃に部下たちが圧倒されて慄いている中で、早くも隙を見つけていた。

 

 今の攻撃を放った兵たちが、その武器に取り付けられているバルブを閉め、蒸気の排出によって生じた水滴を排出し、銃口から矢を装填しているのである。

 

(なるほど、再装填に時間がかかるというわけか………)

 

 だが――――――その隙を補うための策を、敵は考えている。

 

「スチーム・ライフル隊第二陣、前へ!」

 

「!!」

 

 一斉射撃を終えた部隊の後方から、同じ武器を背負った隊列が前へと躍り出たのである。その騎士たちも同じように発射口を土方達へと向け―――――スチーム・ライフルの照準を土方達へと向けた。

 

「ま、また来るぞぉっ!!」

 

「なんじゃあの威力は!?」

 

「おのれ、西洋の騎士共めぇ………!!」

 

「怯むな! 一斉射撃の後には隙がある!!」

 

 慄く部下たちを一喝した土方は、再び馬を走らせた。いくら第一陣の後方に第二陣を配置し、更に第三陣を用意していたとしても、ガトリング砲のように次々に連発できるわけではない。次の隊列に後退する際に必ずタイムラグが生じる。

 

 その間に距離を詰め、接近戦へと持ち込めばいいのだ。

 

 歯を食いしばりながら、土方は騎士たちの隊列へと突撃していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「第二陣、再装填急げ! 第三陣前へ!」

 

 指揮官の怒号を聞きながら、エミリアはフィオナが造り出した新兵器の性能に驚愕していた。

 

 リキヤの率いるギルドのメンバーとなり、共に異世界の兵器を使って敵を蹂躙してきた経験があるため、彼が造り出す現代兵器と比べれば、このスチーム・ライフルの性能に驚くことはない。

 

 しかし、彼女が驚愕しているのは――――――その現代兵器を参考にしたとはいえ、この世界で銃に似た兵器が誕生したという事である。

 

 銃を装備するというメリットは極めて多い。剣や槍よりも射程距離が長く、破壊力も大きい。更に魔術のように詠唱をする必要がないし、魔力の量で優劣が生まれるわけでもない。兵器として極めて強力で、扱う兵士にも魔術ほど大きな負担をかけるわけでもないのだ。まさに理想の武器である。

 

 それの原型となるであろう兵器が、この九稜城攻防戦で産声を上げたのである。

 

 生産したのは、やはり天才技術者と呼ばれるフィオナだ。前々から銃をこの世界の技術で再現できないかと試行錯誤を繰り返していたフィオナが、ついに銃を完成させたのだ。

 

 火薬ではなく蒸気を使って矢を発射するこの『スチーム・ライフル』は、クロスボウを強化したような兵器に思える。しかし高圧の蒸気によって放たれる屋の弾速と貫通力は凄まじく、ゴーレムや飛竜の外殻を貫通できるほどの威力がある。

 

 高圧の蒸気を充填したタンクを背負い、そこから太めのケーブルをマスケットを思わせる形状のライフルに連結することによって、ライフル内部の薬室に高圧の蒸気を供給する。発射した後はケーブルに装着されている安全弁を閉鎖し、内部の水滴を排出してから矢を装填し、安全弁を再び開放すれば射撃可能となる。

 

 ただし、この画期的な遠距離武器を使用するためには動力源となる高圧の蒸気が必須であるため、射手は常に10kgの蒸気のタンクを背負わなければならない。しかも射程距離は100m程度しかないため、モリガンの傭兵たちが使用していたライフルのように長距離からの狙撃は不可能である。

 

 命中精度と貫通力は優秀な装備なのだが、やはりタンクが重いというのが一番の欠点だろう。ちなみに、ライフル本体の重量は4kgである。

 

「撃てぇッ!!」

 

 指揮官が号令を発し、騎士たちがスチーム・ライフルのトリガーを引く度に、突進してくるサムライたちは次々に倒れていく。中には凄まじい貫通力のせいで胸を貫かれたり、刀を握る腕が千切れ飛ぶサムライも見受けられる。

 

 しかし――――――1人だけ、そのスチーム・ライフルの一斉射撃を潜り抜けつつ突進してくるサムライがいた。刀を1本だけ手にし、西洋風の黒いコートに身を包みながら急迫してくる1人のサムライ。

 

 それは、あの時ブリストルの甲板の上で、エミリアに決闘を挑んで来た土方であった。

 

「ヒジカタ………!?」

 

 スチーム・ライフルの一斉射撃に圧倒され、サムライたちが次々に倒れていくが、あの男だけはそれを躱して急迫してくる。射撃を終えた第三陣の代わりに第一陣が再び一斉射撃をするが――――――土方はその矢を刀で叩き落とし、矢で撃ち抜かれた馬から飛び降りて突進を続けている。

 

(なるほど………やはり、あの男は強い)

 

 だからこそ、また戦いたい。

 

 東洋のサムライと――――――決着を付けたい。

 

 再び燃え上がったエミリアは、背負っている大剣の柄に右手を近づけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 外から聞こえるサムライや騎士たちの雄叫びと――――――九稜城に直撃する、粘着榴弾の爆音。カノンの支援はもう始まっており、先ほどから砲弾は城に残っている守備隊や大型のバリスタを正確に吹き飛ばしているらしい。

 

 階段を駆け下り、転がっている死体を飛び越えて通路を駆け抜ける。城内にはもう兵士は残っていないのか、聞こえてくるのは〝外からの音”だけだ。城の中から聞こえてくる音は、粘着榴弾の爆発によって落ちてくる瓦礫の絶叫だけである。

 

「ヘンゼルよりグレーテルへ。もう支援は良いから、脱出を!」

 

『了解………待って、誰か城の中に入って行ったよ』

 

「なに? 敵の増援か?」

 

『これは―――――――』

 

 階段を駆け下り、またしてもあの鎧やでかい薙刀が飾られていた広間に辿り着いたところで――――――今しがたラウラが報告してきた侵入者と、俺は遭遇する羽目になった。

 

 おそらく粘着榴弾の着弾によって開いた大穴から入ってきたのだろう。

 

 その侵入者は、明らかに旧幕府軍の守備隊や、新政府軍の兵士ではなかった。身に着けているのは両軍の制服ではなく、夜間の隠密行動を重視しているかのような漆黒のコートである。拘束具を思わせるベルトに似た装飾と、アイテムを入れておくためのホルダーが備え付けられており、短いマントがついている。

 

 しかもそのコートにはフードがついていて――――――フードには、2枚の真紅の羽根が取り付けられていた。

 

 2枚の真紅の羽根は、転生者ハンターの象徴である。そしてその黒いフードの下から微かに覗くのは、見覚えのある炎のような赤毛だ。

 

「鍵を手に入れたようだな、同志タクヤチョフ」

 

「親父………!?」

 

 広間で待ち構えていたのは―――――俺たちの親父である、リキヤ・ハヤカワだった。普段のスーツではなく転生者ハンターのコートに身を包み、しかも武器まで装備している。俺と交渉に来たわけではないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 装備している武器は、アメリカ製ショットガンのウィンチェスターM1897だろう。しかも銃身を切り詰めてバレルジャケットを装着し、長い銃剣と散弾用のホルダーを装備した『トレンチガン』と呼ばれる近距離特化型のタイプである。

 

 アメリカ軍が第一次世界大戦で投入した、強力なショットガンだ。

 

 腰にはなぜかスコップが収まったホルダーを装備しているし、反対側にはハンドガンの収まったホルスターも下げている。

 

 おいおい、今から塹壕の中に突撃しに行くつもりなのか? 

 

「ここに敵の塹壕はねえよ、同志リキノフ」

 

「ふん。………タクヤ、お前の持っているその鍵を渡せ」

 

「おいおい、俺はわざわざ階段を全部駆けあがって、天守閣から取ってきたんだぜ? 最強の転生者が階段を上がるのを怠けんのかよ?」

 

 俺はそう言ったが、親父は一瞬だけにやりと笑うだけだった。見逃してくれる気配はない。

 

「天秤を手に入れるつもりか?」

 

「ああ。それで俺たちは、願いを叶える」

 

「―――――止めておけ。あれは絵本に出てくるような神秘の天秤などではない」

 

「………知ってるのか?」

 

「ああ」

 

 親父は、天秤の正体を知っているだと………?

 

 おそらくガルゴニスから教えてもらったんだろう。ガルゴニスは最強のエンシェントドラゴンで、最も古い竜と言われている。だから天秤がどのような代物なのか知っていてもおかしくはない。

 

 それにしても、天秤は危険なものなのか?

 

「早く鍵をよこせ」

 

「待て、天秤の正体を知ってるんだろ? 親父、教えてくれ。天秤はどんな代物なんだ?」

 

「………知らない方が良い。求めても……解き明かしても、絶望するだけだ」

 

 くそったれ、教えてくれねえのかよ………!?

 

「さあ、早く」

 

「――――――お断りだ」

 

「何だと?」

 

 腰のホルダーから2丁のソードオフ・ショットガンを引き抜き、撃鉄(ハンマー)を全て元の位置に戻して発砲の準備を終える。

 

 相手は遥かに格上の転生者だが――――――逃げ切るしかない。

 

「俺たちも、願いを叶えなければならないんだ。この世界で虐げられている人々を救うために………!!」

 

「………馬鹿野郎」

 

 親父も同じく、トレンチガンを構えた。説得して鍵を渡さないのならば、力ずくで奪っていくつもりなんだろう。

 

 この親父に戦いを挑んでも勝ち目はない。倒すのは不可能だ。ステータスとレベルに差があり過ぎるし、実戦の経験も向こうの方が上である。

 

 だが、倒す必要はない。もう俺たちは鍵を手に入れたのだから、逃げ切るだけでいいのだ。

 

「――――――なら、叩きのめす。ついでにどれだけ成長したのか見せてもらおう」

 

 ああ。―――――親子喧嘩の始まりだ。

 

 

 



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タクヤVSリキヤ

 

 モリガンは、世界最強の傭兵ギルドと言われている。支部すら持たぬほど小規模で、本部の警備も無人兵器に依存しているほどの規模だが、そのメンバーの戦闘力は1人で騎士団の一個大隊に匹敵すると各国から評価されている。

 

 その傭兵たちの頂点に立つのが――――――俺たちの父である、リキヤ・ハヤカワだ。

 

 冒険者になるために情報を集めていた頃は、『ハヤカワ』というファミリーネームのせいなのか、よく親父たちの活躍を耳にしていたし、母さんたちからも親父の活躍を聞かされた。商人とか冒険者たちの噂話はさすがに誇張し過ぎだという話もあったけど、親父と共に戦った母さんたちから聞いた親父の本当の戦果は、まさに怪物と言っても過言ではない。

 

 〝狩った”転生者の人数は、俺たちが10歳の時点で2000人を超えており、更に最強の吸血鬼として知られているレリエル・クロフォードを単独で撃破したという。

 

 あらゆる転生者を狩り続ける、最強の転生者(怪物)。現時点ではこのリキヤ・ハヤカワこそがこの世界で最強の存在なのではないだろうか。

 

 その最強の男から――――――――俺は、逃げ切らなければならない。

 

 俺を睨みつける銃剣付きのトレンチガン。その恐るべきショットガンを持つ男の瞳の鋭さは、銃剣の切っ先の鋭さを凌駕している。

 

 ここでこの男と戦う必要はない。もう鍵は手に入れているのだから、逃げ切るだけでいいのだ。あの海底遺跡でエリスさんと遭遇した時と似た状況だが―――――今、俺の周囲には仲間がいない。

 

 ラウラは狙撃準備をして待機している事だろう。ナタリアやカノンたちは、城の郊外からチャレンジャー2で援護砲撃を繰り返している。実質的に、この男からは俺だけで逃げ切らなければならない。

 

 親父の装備はトレンチガンとスコップ。ホルスターの中にはハンドガンらしき武器も収まっているが、コートの裾のせいでどんな銃なのかははっきりと見えない。

 

 こっちの武器は隠密行動を前提に選んだ武器ばかりだ。メニュー画面さえ開ければすぐにいつもの武器に切り替えられるんだが………そんな暇があるとは思えない。何しろ、相手は最強の転生者だ。レベルが自分よりも上の転生者を容赦なく葬り、数多のクソ野郎を〝駆除”することによってこの世界を密かに守り続けてきた男なのだ。俺たちが生まれる前から戦い続けているこの男が、その隙を見逃すとは思えない。

 

 俺の得物はソードオフ・ショットガン。しかも2発しか装填できない水平二連タイプである。それに対して親父のトレンチガンは弾数が多いし、しかも『スラムファイア』と呼ばれる高速連射が可能なのである。

 

 スラムファイアとは、トリガーを引きっ放しにしつつハンドグリップを引く〝ポンプアクション”を繰り返すことで、まるでセミオートマチック式の銃のように散弾を連射する射撃方法である。実際にトレンチガンは第一次世界大戦と第二次世界大戦の接近戦で、その威力と凄まじい連射速度で猛威を振るっている。

 

 銃身を切り詰めたとはいえ、向こうの方が散弾は拡散し辛い。それゆえに射程距離も長い。しかし俺の銃は銃身をかなり切り詰めているため、散弾をぶちかますにはかなり距離を詰めなければならない。

 

 ハンドガンやアサルトライフルで応戦するべきだろうかと思った瞬間――――――悩みつつ睨み続けるだけだった俺に、ついに親父が先制攻撃を開始した。

 

「!」

 

 ぴくりと親父の人差指が動いた瞬間、俺は右へと思い切りジャンプして、飾られている鎧の陰へと飛び込んだ。トレンチガンの銃声が広間に轟き、発射された散弾が空気を食い破る。

 

 ハンドグリップを引く音と、排出された薬莢が落下する音が聞こえてきた。これで親父のショットガンには、もう2発目の散弾が装填されている。トリガーを引くだけで、再び獰猛な散弾が襲い掛かって来るのだ。

 

 片方のショットガンをホルスターへと戻し、大慌てで腰のホルスターからPL-14を引き抜く。サプレッサーを外してほんの少しだけ軽量化させたそれを鎧の陰から突き出すと、反対側でショットガンを構えている親父に向かって連射した。

 

『マイホームよりヘンゼル、応答して』

 

「どうした!?」

 

『状況は!?』

 

「パパと交戦(親子喧嘩)中!」

 

 鎧の陰から飛び出し、ジャンプ中に連続でトリガーを引く。今度は牽制ではなく、命中させることでダメージを与える目的での攻撃である。だから連射で怯ませるのではなく、命中させるためにしっかりと照準を合わせていた。

 

 だが――――――ドットサイトのカーソルの向こうには、親父の姿がなかった。黒いコートを身に纏った恐ろしい赤毛の男の姿が、見当たらない。

 

 猛烈な威圧感を感じた俺は、はっとしながら銃口をそちらへと向け、トリガーを引いていた。その威圧感を発していた男の正体は、やはり俺の親父だった。俺が射撃の目的を切り替えたことを察し、トリガーを引かれる前に素早く回避していたのである。

 

 普通の転生者ならば、相手とのステータスの差が大きければこんな戦い方はしないだろう。一般的に転生者同士の戦い方では、自分の防御力のステータスを相手の攻撃力のステータスが下回っている場合、銃弾は命中しても皮膚を打ち据えるだけだし、剣戟が命中しても斬られることはない。痛みはあるけれど、致命傷になることはないのだ。だから転生者は相手のステータスが自分よりも低いと理解すると、全く回避をせずにステータスと能力に頼り切った〝だらしない戦い方”をする。

 

 しかも親父の場合、外殻で弾丸を弾く事も可能だ。親父ほどの反射速度ならば、マズルフラッシュを目にしてから外殻を生成しても十分に弾丸を防御できるだろう。

 

 だが、親父は外殻を使わない。第一、防御力には頼らない。

 

 相手の攻撃を見切り、全て躱すつもりなのだ。

 

「くっ!」

 

『傭兵さん………? ヘンゼル、傭兵さんと戦ってるの!?』

 

「ああ! 逃げたいところだが、逃げる隙がない!!」

 

『そんな………!』

 

 ナタリアが絶句すると同時に、親父に向かって撃ち続けていたPL-14のマガジンが空になる。ブローバックしたまま動かなくなったスライドを一瞥して舌打ちしつつ、空になったマガジンをグリップの中から切り離し、新しいマガジンを装着する。

 

 再びハンドガンをぶっ放そうとしたが――――――その時、親父の目つきが更に鋭くなった。

 

 何かを察知したのだろう。その目つきを目にした瞬間、俺はいつも一緒にいる姉の目つきを思い出していた。ラウラはエリスさんに似ているとよく言われる少女だけど、戦闘中の彼女はエリスさんよりも親父に似ている。あの鋭い眼つきも、何かを察知した時の彼女と同じだった。

 

 親子なのだから、当然だろう。ラウラはエリスさんと親父の間に生まれた娘なのだから。

 

 唐突にハンドグリップから手を離し、トレンチガンを片手で持つ親父。ポンプアクション式のショットガンを装備している以上、片手で撃つことは出来ても、同じように片手でポンプアクションをすることは困難だ。それゆえに、ポンプアクション式やボルトアクション式の得物は、両手で使用することが鉄則なのである。

 

 親父のような百戦錬磨の傭兵が、その鉄則を無視するわけがない―――――。

 

 すると、親父はその左手をホルダーの中のスコップへと伸ばしていた。取っ手を掴んで勢いよく引っ張り、そのまま思い切り振って折り畳み式のスコップを展開すると――――――それを頭の高さまで振り上げつつ、身体を後ろへと逸らした。

 

 その直後、ガギン、とそのスコップに何かが激突し、煩わしい金属音を奏でる。一瞬だけ出現した火花が火薬の臭いのする広間を彩り、弾けた金属の発する臭いが火薬の臭いに混ざり合う。

 

「――――――やはり、ラウラも一緒だったか。お前たちは本当に仲が良いな」

 

「………!」

 

 馬鹿な………! 遠距離からの.338ラプア・マグナム弾の狙撃を見切っただと………!?

 

 いくら人間よりも身体能力が高いキメラとはいえ、遠距離からの狙撃を見切って回避するのはほぼ不可能だ。しかもラウラは姿を消している。姿を消している状態の彼女は、親父でも発見するのは難しい筈である。

 

 これは最早、見切ったというよりは〝直感”なのだろう。長年戦場で戦い続けて身に着けた凄まじい感覚。激戦の真っ只中で研磨された感覚が、親父にラウラの狙撃を教えたのだ。

 

『み、見切られた………!?』

 

 無線の向こうから聞こえたのは、ラウラの驚愕する声。

 

 しかし、彼女の狙撃を見切ってスコップを使って防御しつつ回避したとはいえ、いくら軍用のスコップでも.338ラプア・マグナム弾の貫通力を撥ね退けるほどの防御力を持ち合わせている筈はない。よく見てみると、親父が手にしている折り畳み式の軍用スコップは、ラウラの弾丸に貫通されており、漆黒の表面には風穴が開けられていた。

 

 あくまであのスコップは、弾丸を阻むために盾にしたのだろう。弾き返す目的ではなく、弾丸を遮ることによって自分に着弾するまでの時間を遅延させ、その隙に身体を逸らして回避するためにスコップを使ったに違いない。

 

 だが、何にせよ狙撃を見切って回避するというのは、信じがたい離れ業としか言いようがない。

 

 これがモリガンの傭兵の力か………!

 

「くそったれ!」

 

 ハンドガンをホルスターに戻し、ソードオフ・ショットガンを引き抜きつつ今度は距離を詰める。銃剣を取り付けて銃身を切り詰め、接近戦に特化したトレンチガンを持っている相手に対しては無謀な先鋒と言えるかもしれないが、今の親父は肝心なトレンチガンから片手が離れている。12ゲージの散弾ならば、キメラの外殻でも防御は可能だ。そして片手が離れている以上、ポンプアクションで次弾を装填するのは困難。つまり最初の一撃を防御すれば、親父は銃剣で応戦せざるを得ない!

 

 それに対して、こっちは水平二連型とはいえソードオフ・ショットガンだ。しかも複合銃に改造してあるから、1発ずつとはいえ.22LR弾も装填してある。銃剣はオスのキメラにのみ備わっている外殻付きの尻尾で受け流せばいい。

 

 念のため、今のうちに身体の正面を外殻で覆って防御しておく。

 

 その直後、左手でスコップを持っていた親父のトレンチガンが火を噴いた。早いうちに外殻で防御しておいてよかったと安心しつつ、俺は衝撃に殴打される準備をしながら散弾の群れの中へと飛び込んだ。

 

「ぐっ――――――」

 

 やっぱり、至近距離で喰らう散弾は強烈だ。もし外殻で防御していなかったら、今頃肉片と内臓を床にばら撒いて死ぬ羽目になっていた事だろう。

 

 いや、そんな強烈な攻撃を躊躇せずに息子に向かってぶっ放してきたという事は―――――俺が散弾を防御することは承知の上だったのか?

 

 まさか、もう見切られている?

 

 ぞくりとした直後―――――――親父が、トレンチガンの銃剣を床へと突き立てた。

 

 どうやって応戦するつもりなのか、俺はすぐに察した。今の射撃の後は、続けざまに散弾で射撃するのではなく、そのまま白兵戦を挑むつもりだったのだ。だからスコップを手放さずに、逆にショットガンの方を手放したのである。

 

 外殻の硬化を解除しかけていた頬を、軍用スコップの先端部が擦過した。もし外殻を解除していたら頬が切り裂かれていた事だろう。

 

「このッ………!!」

 

 辛うじてスコップの一撃を躱し、親父の胸板にショットガンの銃口を突きつける。自分の育ての親に実弾をぶっ放したくはないが――――――この親父は、実弾で撃たれたとしても死ぬことはないだろう。

 

 ごめん、親父。

 

 そのままトリガーを引こうとした瞬間―――――――いきなり、俺の身体が浮いた。

 

 えっ………?

 

 腹の辺りを何かに突き飛ばされ、俺の頭が下を向いてしまう。凄まじい衝撃に撃ち抜かれる中、俺はその衝撃の正体を知る羽目になった。

 

 いつの間にか、親父の左足が曲げられたまま持ち上げられていた。そしてその膝は、俺のみぞおちに正確にめり込んでいる。

 

 トリガーを引く直前に膝蹴りを喰らったのだと理解した瞬間、みぞおちで産声を上げた激痛が、瞬く間に全身にその痛みをばら撒き始めた。呻き声を上げようとしても、変な声しか出す事ができない。息を思い切り吸い込もうとしても、なかなか空気が吸えない。

 

 そういえば、何度も模擬戦やってた頃はみぞおちに強烈な攻撃喰らって、呼吸できなくなってたな………。

 

「動きは成長しているが――――――――判断力がまだ未熟だ、同志タクヤチョフ」

 

「………ッ!」

 

 次の瞬間、がつん、と猛烈な衝撃が頭に覆い被さってきたかと思うと、まるで金属の柱をスコップで殴りつけたかのような金属音が、吹っ飛ばされていく俺を見送ってくれた。

 

 大きく揺れる自分の頭。辛うじて、振り抜かれた直後のスコップの先端が見える。親父の野郎、あれで俺の頭を殴りやがったのか………。

 

『タクヤぁっ!!』

 

 ラウラ、やっぱり………この親父、強過ぎるよ………。

 

 床に叩き付けられてから、やっと息が吸えるようになってきた。必死に空気を吸い込んで呼吸を整えつつ、ホルダーの中からエリクサーを取り出して中身を全て飲み干す。

 

 くそ、俺はキメラの能力をフル活用してるっていうのに、親父はまだキメラの能力である硬化すら使ってないぞ………!

 

「タクヤよ、俺たちは怪物だ。………人間では絶対に打ち勝てないから、奴らは俺たちの事を怪物と呼ぶ」

 

 辛うじて立ち上がった俺の目の前で、親父はスコップを肩に担ぎながら言った。

 

「そして――――――その怪物でも倒せないから、俺は〝魔王”と呼ばれるのだ」

 

 人間では、怪物を倒す事ができない。どんな武器を造り出し、どんな魔術を身に着けていても、怪物を打ち倒すことは出来ないのだ。だからこそ人々は大昔からそのような存在を怪物と呼び、恐れ続けてきた。

 

 その怪物でも倒せないからこそ―――――『魔王』。

 

 親父は何年も前から、その魔王になっていたのだ。

 

 ただの称号ではない。レリエル・クロフォードを倒した時から、正真正銘の魔王になっていたのである。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 船の名前

 

騎士団長「ハヤカワ卿、実は近々クイーン・シャルロット級の3番艦と4番艦が進水する予定なのですが」

 

リキヤ「ええ、聞いていますよ」

 

騎士団長「はい。それで3番艦の名前は決まったのですが、4番艦の名前が決まっていなくて………」

 

リキヤ「なるほど。名前を一緒に考えてくれというわけですな?」

 

騎士団長「いえ………あなたも我が国に貢献してくださっているという事で、女王陛下がぜひ4番艦にハヤカワ卿の名前を――――――」

 

リキヤ「!?」

 

エリス「あらあら、戦艦にダーリンの名前が付くのね!?」

 

エミリア「うむ、素晴らしい事ではないか」

 

リキヤ「あのー………は、恥ずかしいので他の人の名前にしてもらえませんかね?」

 

騎士団長「女王陛下からのご命令なのですが………」

 

リキヤ(くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇっ! 4番艦の名前が『リキヤ・ハヤカワ』になるだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?)

 

騎士団長「まあ、ハヤカワ卿のご意見も大切ですし………女王陛下には伝えておきます」

 

リキヤ「ああ、すいません」

 

騎士団長(仕方ない。名前は『クニャージ・リキノフ』にしておこう)

 

 完

 

 



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ナタリアの奇策

 

 スチーム・ライフルの一斉射撃で圧倒されていた旧幕府軍のサムライたちであったが、土方が躱しながら距離を詰めていくことで照準が彼に集中し、サムライたちへと向けられるライフルの数は一気に減少することになった。

 

 弾幕が減少するという事は、騎士団の射手たちへの接近が容易になるという事である。案の定、サムライたちは土方のおかげで騎士の隊列への接近に成功しており、一方的な一斉射撃は終わりつつあった。

 

 スチーム・ライフルは強力な武器だが、単発型である上に再装填(リロード)に時間がかかり、更に運用するためには蒸気が充填された重いタンクを背負わなければならないため、射手たちの機動力はかなり低下する。しかも銃とタンクがケーブルで繋がっているため、取り回しも悪い。

 

 接近戦にはかなり不利な武器である。

 

「銃剣を装着しろ! 接近戦だ!」

 

 念のためナイフ型の銃剣が装着できるようになっているが、やはりケーブルでタンクと繋がっていることと、そのタンクが非常に重いせいで、銃剣を取り付けられるといっても接近してくる敵を返り討ちにできるような武器にはならない。

 

 突進してくるサムライたちに慄きながら、騎士たちが大慌てでライフルの先端部にナイフ型の銃剣を装着する。いくらモリガン・カンパニーの最新の技術で製造された銃剣とはいえ、取り回しが悪いスチーム・ライフルとの組み合わせは劣悪と言わざるを得ない。

 

(フィオナ、もう少し改良が必要だぞ………)

 

 銃剣の装着にもたつく騎士たちを一瞥しながら、エミリアは大剣を引き抜くと、騎士たちの隊列の前へと踏み出した。

 

 突進してくるサムライたちの雄叫びと、彼らが乗る馬の足音に怯える騎士たち。しかし、今まで何度もこのような大軍を相手にしてきたエミリアは、全く怯むことはない。

 

 この程度で怯えていられないのだ。祖国を離反し、異世界からやってきた少年と共に傭兵ギルドを立ち上げ、結婚してからも共に戦い続けているのだから。

 

「迎え撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 大剣をかざして騎士たちに命令しつつ、彼女は単独でサムライたちへと突撃していく。漆黒のブーツで極東の大地を踏みつけ、血生臭い戦場を駆け抜けていくエミリア。サムライたちの雄叫びが近づいてくるにつれて、彼女も昂っていた。

 

「やぁッ!!」

 

 馬に乗りながら迫ってきたサムライの一撃を受け流し、そのまま反時計回りに回転しつつ胸元を斬りつける。返り血で漆黒の制服を汚しながら舞い上がった彼女は、更に空中で縦に一回転すると、まるで放たれた迫撃砲の砲弾が着弾するかのように地面へと落下し――――――真下にいたサムライを、跨っていた馬ごと貫いていた。

 

 すぐに大剣を引き抜き、血まみれのままの得物を振るって突撃する。5秒足らずで2人の仲間を殺されたというのに、サムライたちは全く怯んでいない。エミリアと同じく、むしろ昂っているように思えた。

 

 彼らも同じなのだ。西洋と開国を拒み、今まで通りのサムライが支配するという状態を維持しようと考えた旧幕府軍の兵士たち。しかし、もう既に新政府軍が圧倒的に優位となり、この九稜城攻防戦に勝利したとしても優勢になることはない。

 

 しかし、撤退するべき場所も最早残っていない。それゆえに東洋のサムライたちは、新政府軍に投降するのではなく、ここで戦って散る道を選んだのだろう。

 

 戦力の差があり過ぎるにもかかわらず戦いを挑んできた勇気には、エミリアも感心していたが―――――――彼女には、その無謀さが理解できなかった。

 

 騎士団に入団したばかりの頃から魔物と戦わされ、目の前で同期の仲間を失っていったエミリアからすれば、戦いでは〝生き残る”ことが最も重要なことである。生き残って敵の戦力を味方に伝え、その対策を準備してから再び戦う。もし今回の攻防戦のような戦いになっても、残った戦力を集めてゲリラ戦で戦えばいい。

 

 勇敢なところは共感できるエミリアであるが、この無謀さだけは理解できない。

 

 それは、西洋と東洋の価値観の違いだろう。

 

 生き残って敵を打ち倒そうと考える西洋と、散って自分たちの誇りを刻みつける東洋。エミリアの持ち合わせていた価値観は前者で、この東洋のサムライたちが持ち合わせている価値観が後者だったのだ。

 

 突き出された槍を右へと受け流し、そのまま大剣を槍の柄に擦り付けながら使い手の首を刎ね飛ばす。首を切断された死体を蹴り飛ばし、その後方から飛び出してきたサムライの日本刀を受け止める。

 

「西洋の奴らに………負けるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ここはわしらの国じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「くっ………!」

 

 確かにエミリアたちは、女王から依頼を受けて新政府軍の戦いを後押ししに来たに過ぎない。倭国の人々からすれば、まさに赤の他人である。

 

 だが、そのような戦いも何度も経験した。傭兵とは、そういうものだ。報酬のために他人の戦いに介入し、敵を蹂躙して立ち去っていく災厄のような存在。今回もいつものように、戦場が赤の他人の国になっただけである。

 

 刀を受け止めていた剣を捻り、彼女と鍔迫り合いになっていたサムライが体勢を崩した隙に、エミリアは姿勢を低くしてそのサムライの後方へと回り込んだ。後方へと回り込んだのはそのサムライを攻撃するためではなく、鍔迫り合いになっている最中のエミリアを狙っていたもう1人の敵兵を倒すためである。

 

 仲間との鍔迫り合いから抜け出したエミリアに驚愕する敵兵。目を見開いているその敵兵に向かって、エミリアは容赦なく大剣を振り下ろした。

 

 がつん、とその兵士がかぶっていた兜に刀身が激突する。やがて兜の破片が血飛沫に変わり、鼻の辺りまで頭を両断されたその敵兵が血涙を流しながら崩れ落ちていく。

 

 すかさず踵を返し、先ほど鍔迫り合いから抜け出した兵士を背後から斬りつける。しかしその兵士もエミリアの奇襲を予測していたらしく、彼女が振り下ろした大剣の刀身は肩甲骨の間を掠めただけだった。

 

「!」

 

「甘いわぁッ!!」

 

 辛うじてエミリアの剣戟を会したその兵士が、回転しながらエミリアへと刀を振り上げる。得物を振り下ろしたばかりで受け流す事が出来なかったエミリアだが、日頃の夫との模擬戦で鍛え上げた驚異的な反射神経をフル活用し、彼女は咄嗟に身体を左へと傾けていた。

 

 夫の剣戟は、もっと速い。最強の転生者である夫との模擬戦で、互角に戦えるのは最早エミリアとエリスだけである。

 

 サムライの一撃は彼女の首を刎ね飛ばすことなく――――――頬を掠め、ほんの少しだけ彼女の血で濡れただけであった。

 

「!!」

 

「貴様の方が甘い!」

 

 そして―――――――逆に、エミリアの振り上げた大剣の一撃が、そのサムライの左脇腹へと飛び込む。

 

 東洋でも全身に装着するタイプの防具は廃れているようで、そのサムライが身に着けていたのは旧幕府軍の制服くらいだった。しかし、もし仮に東洋の伝統的な防具を身に着けていたとしても、サラマンダーの角で作られた大剣と、それを振るうエミリアの強烈な一撃を受け止めることは不可能だっただろう。

 

 堅牢な刀身はあっさりと肋骨を寸断すると、筋肉と内臓を蹂躙して背骨を切断し――――――そのサムライを、真っ二つにしてしまった。

 

「はぁっ、はぁっ………!」

 

 やはり、東洋のサムライは手強い。

 

 ちらりと後方の騎士団の方を見てみると、銃剣を装着した重いスチーム・ライフルでも、騎士たちは何とか善戦しているようであった。1対1で斬り合うのではなく、1人が刀を受け止めている間にもう1人が銃剣で攻撃するという戦法で、辛うじてサムライたちに対抗しているようである。

 

 彼らの応援に向かう必要はないだろう。そう思ったエミリアは、敵の中にいる筈の決着をつけるべき男を探し始めた。

 

 あのミヤコ湾で、エミリアに決闘を挑んできた最強のサムライ。確かにあの男も、この中にいる筈なのだ。決着をつけるチャンスは今しかない。

 

「!」

 

 彼も同じことを考えていたのか―――――――サムライたちの死体の向こうで、馬から下りた1人の男が、血まみれの刀を手にしながらゆっくりとエミリアの方へ歩いてきた。西洋風の黒いコートに身を包み、他のサムライたちよりも獰猛な殺気を静かに発している1人の猛者。戦艦ブリストルの甲板の上で戦ったのは、間違いなくその男である。

 

「――――――決着を付けよう、ヒジカタ」

 

「ああ。これが最後の機会だろう」

 

 西洋の騎士と、東洋のサムライ。

 

 両者が、再び九稜城で激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな………!」

 

 砲撃をいったん中断させ、チャレンジャー2のキューポラから双眼鏡で九稜城の中を見渡していたナタリアは、砲弾の直撃によって開いた大穴の向こうで、見覚えのある蒼い髪の少年と赤毛の男性が戦っている姿を確認し、目を見開いた。

 

 少年の方は仲間の1人のタクヤである。そしてそのタクヤをスコップで攻撃している男は―――――――間違いなく、彼の父親であるリキヤ・ハヤカワだろう。

 

 やはり、幼少の頃にナタリアを救ってくれた傭兵の正体は、タクヤの父親だったのだ。あのフード付きの黒い制服と、それを纏うがっちりした巨躯。あれから14年も経過しているが、あの時彼女を救ってくれた憧れの傭兵の姿は、全く変わっていないように思える。

 

 しかし――――――今は、その憧れの傭兵が敵なのだ。殺さなければならない敵ではないというのが救いだが、争奪戦という競争の相手となってしまったのは非常に厄介である。

 

「どうするのよ………!」

 

『ナタリアさん、砲撃してみますか?』

 

「何考えてるの!? タクヤまで巻き込むし、傭兵さんも………!!」

 

 無線機から聞こえてきたのは、砲塔の中の砲手の座席に腰を下ろすカノンの声だった。照準器を覗き込みながらナタリアの命令を待っていた彼女が狙っているのは、九分九厘あそこで銃を使った史上最大の親子喧嘩をしている最中の父親の方だろう。

 

 呑気な声ではなく、戦闘中に纏う鋭さも感じられる声だったが、いくら仲間の窮地とはいえ強力な爆発を起こす粘着榴弾を、味方の目と鼻の先に撃ち込むなど正気の沙汰ではない。

 

 それに、リキヤに命を救われているナタリアは、出来るならば命の恩人を傷つけたくないという躊躇いも持っていた。

 

『ご安心くださいな。リキヤおじさまは例え戦艦の艦砲射撃を1年中浴び続けていても死にませんわ』

 

「え?」

 

『おじさまはとっても頑丈な方ですのよ。きっと粘着榴弾が直撃しても無傷ですわ』

 

 レベルが1000を超えている転生者の防御力と、自分の能力を完璧に制御できるようになったキメラの始祖の防御力が組み合わされば、実際にそのような攻撃を受け続けていても無傷で済むだろう。

 

 耳を疑いつつ聞き返そうとしたナタリアだったが、双眼鏡の向こうでタクヤがスコップで殴り飛ばされた光景を目の当たりにし、聞き返している暇はないとすぐに理解する羽目になる。

 

(どうすればいいの………!?)

 

 もう既に、鍵は手に入れている。だから基本的に後は逃げるだけでいい。

 

 しかし、逃げる途中で襲撃してきたのは最強の傭兵のリキヤ・ハヤカワ。百戦錬磨の傭兵から逃げ切る事ができる確率は極めて低く、撃退するのも困難である。

 

 ラウラの狙撃も見切られ、タクヤは圧倒されている。彼らを救う事ができるのは、このチャレンジャー2の120mmライフル砲のみだ。

 

(傭兵さんにはお礼が言いたかったのに………!)

 

 しかし、躊躇っている場合ではない。

 

 相手が実の子供なのだから殺すことはないだろうが、あのままでは鍵が奪われてしまう。

 

(ごめんなさい、傭兵さん………ッ!)

 

 相手は命の恩人だが、彼に鍵を譲るわけにはいかないのだ。

 

 歯を食いしばったナタリアはやっと砲撃でタクヤを支援するべきだという命令を下そうとしたが――――――躊躇いを排除しても、その砲撃で彼を支援できる可能性が低いという事に気がついた。

 

 まず、爆風でタクヤを巻き込んでしまう。それにラウラの狙撃を見切るほどの男なのだから、いくらラウラよりも離れているとはいえチャレンジャー2の砲撃も見切る可能性が高い。

 

 もし砲撃が外れれば――――――爆風はタクヤに牙を剥き、こちらの支援で仲間の命を奪う事になる可能性がある。

 

 カノンの砲撃はまさに百発百中だが、彼女の技術だけに頼るわけにもいかない。可能な限り、確実に砲弾を命中させ、更にタクヤを支援できるような策を考えるべきだ。

 

 タクヤは、ナタリアに指揮官を任せてくれたのだから―――――――。

 

「―――――ステラちゃん、聞こえる?」

 

『はい』

 

「粘着榴弾をすぐ装填できるように、もう1発用意してくれないかしら?」

 

『了解(ダー)』

 

「それと、ちょっとだけ小細工をお願いね」

 

『小細工ですか?』

 

「ええ」

 

 タクヤを逃がすための作戦を思いついたナタリアは、装填手を担当するステラに指示を出すと、再び双眼鏡を覗き込みながら不敵に笑う。

 

 こんな作戦は、きっとタクヤが車長だったら真っ先にやっている事だろう。フィエーニュの森から彼らと共に戦っていたナタリアは、まだ日が浅いとはいえこの仲間たちの中ではキメラの姉弟の仲間となったメンバーの中では一番の古参だ。

 

 それに、今までタクヤの汚い小細工を何度も目にしてきた。だからこそ、彼の真似ができるのである。

 

(タクヤ………お願い、もう少しだけ耐えて)

 

 スコップの連続攻撃で苦しむ彼を見守りながら、ナタリアは祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空になったエリクサーの瓶を投げ捨て、口元に付着した血を拭い去る。身体中の痣が瞬く間に消えていき、痛みもどんどん消滅していくが、回復できる回数はあと1回だ。ホルダーに残っているエリクサーの瓶を一瞥した俺は、舌打ちしながら目の前の男を睨みつけた。

 

 ラウラの狙撃は先ほどから何度も見切られて躱されており、俺の攻撃もすべて受け流されている。この攻撃ならば命中するだろうという一撃も見切られ、逆にカウンターで反撃されてばかりだ。

 

 親父から逃げるだけでいいんだが――――――逃げ出せば、今度はショットガンで追撃される。トレンチガンのスラムファイアを喰らえば、俺でもひとたまりもない。

 

 再び親父が身体を逸らし、ラウラの放った.338ラプア・マグナム弾を回避した。親父に命中することのなかった弾丸は飾られていた薙刀に命中すると、柄を抉ってバウンドしてから壁へとめり込んだ。

 

『また見切られた………?』

 

 ラウラは狙撃してからちゃんと移動しているし、彼女のL96A1にはサプレッサーが到着されている。だから銃声は全く聞こえないし、狙撃している場所も違うからどこから狙撃されるか全くわからないというのに、この親父は全て直感で見切っているのである。

 

「くそったれ!」

 

 ソードオフ・ショットガンを親父へと向け、俺はまたトリガーを引いた。撃鉄(ハンマー)が銃身の後部へと潜り込み、短くなった銃身から12ゲージの散弾が飛び出してゆく。

 

 この一撃も見切られている筈だ。だからこいつを回避したら、続けざまに銃身の下の.22LR弾で追撃してやる!

 

 やはり、親父は俺がショットガンをぶっ放すことを見切っていたらしい。銃口を向けられた時点で早くも姿勢を低くしていた親父は、あの海底神殿で俺を圧倒したリディア並みのスピードで右へと走り始める。

 

 素早くそちらへと銃口を向け、グリップを握っていた中指で.22LR弾のトリガーを引く。

 

 さすがにキメラの外殻を貫通できるほどの貫通力はないが、不意打ちにはなるだろう。何とか隙を見つけられれば、そのうちに逃げられる筈だ。

 

 すると親父は、俺のショットガンが普通のソードオフ・ショットガンではなく複合銃だったことに気付いていなかったのか、目を一瞬だけ見開いた。しかしこの攻撃に対応できないというわけではなかったらしく、素早くスコップを構えて弾丸を弾き飛ばし、俺に向かって投げナイフを一気に4本も放り投げてきやがった!

 

「うお!?」

 

 しかもナイフの速度が速い! 弾丸とあまり変わらねえじゃねえか!!

 

 大慌てで左手を硬化させ、飛来してきた投げナイフを纏めて振り払う。さすがにキメラの外殻を貫通するほどの切れ味ではなかったみたいだけど――――――腕を払い終えた直後、俺は今の一撃を回避するべきだったと後悔する羽目になった。

 

 親父はこの攻撃を外殻で弾くだろうと予測していたのだ。しかも、一気に振り払えるようにわざとナイフをまとめて放り投げてきたに違いない。

 

 左手を振り払って攻撃を防いだのは、まさに親父の思う壺だったのである―――――。

 

「予想通りだ」

 

「―――――!」

 

 慌てて銃口を向けるが、もう親父の持つスコップは俺へと向けて突き出されていた。

 

 先端部が突き刺さるよりも先に胸元を外殻で覆い、スコップの一撃を防御する。思い切り押し込んでも俺の身体に突き刺さらないことに気付いた親父は、にやりと笑いながら俺の顔を見上げる。

 

「ほう、硬化の速度は上がったか? はははっ、便利な能力だろ」

 

「ああ………便利な身体だよッ!」

 

 ズボンの中から伸ばした尻尾で反撃しようとするが、親父も同じく尻尾を伸ばすと、あっさりと俺の尻尾を弾き飛ばしてしまった。親父もオスのキメラであるため、尻尾が堅牢な外殻に覆われている。俺のように高圧の魔力を噴射するための器官が尻尾に無いとはいえ、先端部の切れ味は俺以上だ。

 

 スコップを押し退けて親父を突き飛ばし、再び距離を取る。すると今度は、親父が俺に向かって左足を振り上げ――――――金属の板がスライドするような音を奏でながら、その足からブレードを出現させやがった!

 

 そういえば、親父の左足は義足なんだ。今から21年前に勃発したネイリンゲンの戦いで片足を失い、サラマンダーの義足を移植した親父は、その移植が原因で変異し、キメラになったという。

 

 義足に仕込まれたブレードが、慌てて後ろにジャンプした俺の胸板を擦過した。コートの胸元を切り裂いて通過した義足のブレードにぞっとしつつ、俺は目を見開く。

 

『―――――ヘンゼル、聞こえる?』

 

「ああ………!」

 

『今から傭兵さんを直接砲撃するわ! 巻き込まれないでね!?』

 

「はぁ!?」

 

 親父を直接砲撃するだって!? いくらカノンでも、親父に砲弾を命中させられるわけないだろ!?

 

 正気の沙汰じゃない。無茶な作戦だ。

 

 しかし、俺が反論する前に――――――再び、聞き覚えのある轟音が聞こえてきた。

 

 その轟音は――――――チャレンジャー2が、砲弾を放った轟音だった。

 

 

 

 



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九稜城から脱出するとこうなる

 

 その戦いはまるで、廃れていく戦いの終幕のようであった。

 

 これからは、フィオナが開発したスチーム・ライフルがあらゆる接近戦を廃れさせていくことだろう。鎧を身に纏う騎士は姿を消し、彼らの持つ剣も指揮官が腰に下げる程度しか残らないに違いない。最新の装備が行き渡らない辺境での戦いか、意地を張って剣を好む者たちしか、剣を振るうことはなくなるだろう。

 

 これが、剣と刀がぶつかり合う最期の激戦になる。自分が年を取って老婆になる頃には、もしかしたら騎士団の訓練から剣術は廃れているかもしれない。慣れ親しんだ武器が姿を消す事に寂しさを感じながら、エミリアは東洋のサムライと戦い抜くことにした。

 

 ブーツで大地を踏みつけ、鍛え上げた瞬発力で前進する。両手で構えた大剣を振り上げ、加速しながら土方へと向けて振り下ろすエミリア。ゴーレムの外殻どころか、ドラゴンの外殻まで寸断してしまいそうなほどのギロチンのような斬撃である。

 

 土方はその一撃を――――――左へと回避した。命中させ、両断するつもりで振り下ろした一撃であったが、エミリアは土方ならば躱すだろうと予測していた。この倭国が開国の一件で大騒ぎになる前から、この土方歳三という男は実戦の経験を何度も積んでいる。それにミヤコ湾での戦いで自分と互角に戦った男なのだから、こちらの斬撃を容易く見切ってしまうだろう。

 

 彼女の剣戟を容易く躱した土方は、エミリアが追撃するよりも先に刀を振り上げた。そのまま両手で柄を握りながら、今しがたエミリアが振り下ろしたように猛烈な斬撃を放ってくる。

 

 しかし、さすがに速度や鋭さは別格であった。エミリアの得物は大剣であり、切れ味だけでなく剣戟の〝重さ”も考慮されて製造されている。大型の魔物が多く生息する西洋ならではの剣の設計であり、エミリアの剣も素材を除けば、設計は極めてオーソドックスな部類に入る。

 

 だが、東洋の刀は全く違う。東洋には鬼のように巨大な魔物が生息しているが、あくまで東洋の人々は斬撃の重さを全く考慮せず、それよりも〝斬る”ことを最優先に設計している。相手を叩き潰すような重量をすべて排除して製造された刀は、まさに切れ味では最高峰の逸品と言っても過言ではない。

 

 それゆえに土方の剣戟の速度は――――――エミリアの剣戟の比ではなかった。

 

「ッ!!」

 

「はぁッ!!」

 

 速度が、全く違う。

 

 予想以上の速度で飛来した一撃を辛うじて受け止めたエミリアであったが、その土方の一撃は、一瞬だけエミリアから冷静さを奪い、彼女を狼狽させた。

 

 ミヤコ湾で戦った時よりも、土方の剣戟はより鋭くなっていたのである。

 

 彼が持つ覚悟が、その一撃を鋭くさせたのかもしれない。

 

 エミリアはこの戦いに勝利し、〝生き残ろう”としている。死ねば当然ながら家族と過ごすことは出来ないし、旅を終えて家に帰ってくる愛しい子供たちを出迎えてあげることもできない。それに、彼らから土産話も聞けなくなってしまう。

 

 それゆえに彼女は〝死”を避けようとする。死なないように必死に戦い、生き残ろうとする。彼女の戦いはそういう戦い方だが――――――旧幕府軍と共にエゾまで追い詰められた土方の戦い方は、まさに対局であった。

 

 土方は――――――戦って〝散る”つもりで、刀を携えながらここへとやってきたのである。

 

 もう既に彼の故郷は新政府軍に占領されており、このエゾ以外に友軍はいない。しかも撤退できる場所も残されておらず、食料や物資もほんの僅かしか残されていない。

 

 それに、逃げ続けてばかりというのは自分自身のプライドを踏みにじるようなものだ。もう既に勝ち目はないが、降伏して誇りを穢すくらいならば、潔く戦い、一矢報いてから死ぬべきだと土方は考えていた。

 

 だからもう、土方に〝次の戦い”はない。これが最後だ。それゆえに出し惜しみする意味はなく、温存の必要もない。この戦いで全てを使い切り、自分自身の命まで投げ捨てようとしているからこそ、彼の剣戟はこれほど鋭くなったのかもしれない。

 

 哀しい戦い方だが――――――それがサムライたちの、最後の煌めきである。

 

 追撃されぬように後ろへと下がるエミリアだが、土方はすかさず前に出る。そのせいで全く距離は開くことなく、後ろへと下がりながら反撃するエミリアの剣戟はどんどん〝軽く”なっていくだけだ。

 

 右から来た一撃を受け止め、左斜め下から振り上げられた斬撃を辛うじて躱す。続けて反撃しようとするが、土方の猛烈な刺突を防がなければならなくなり、攻撃の途中から強引に剣を動かして刀を受け止めざるを得なくなる。

 

「ハヤカワ主任!」

 

 剣を仕込んだ仕込み杖で、サムライたちと斬り合っていた社員の1人の叫び声が聞こえてきた。いつもはエミリアが相手を瞬殺して帰ってくるから部下たちもこんなに焦ることはないのだが、今の彼女は土方に押されているように見えているらしく、他の部下たちも心配そうに彼女の方をちらりと見つめている。

 

(くっ―――――――負けられるか!)

 

 死に物狂いで刀を振るうならば、こちらも全力で受け流し、迎え撃つだけだ。

 

 立て続けに振るわれる土方の剣戟を受け止めているうちに―――――段々と、エミリアは彼の斬撃を受け止めるのではなく、〝避ける”ようになってきていた。

 

「………!?」

 

 先ほどまでは受け止めるしかないと思っていた斬撃を―――――躱す。

 

 続けざまに右斜め上から振り下ろされる一撃を、身体を瞬間的に肩向けて回避する。

 

 防戦一方だった彼女が、徐々に剣戟を見切り始めていることに土方も驚愕しているようだった。彼女を睨みつけ、歯を食いしばりながら刀を振るっていた彼は、ひらりと何度も高速の一撃を躱すエミリアを見つめて息を呑んだ。

 

(この女―――――――俺の斬撃に〝慣れた”のか!?)

 

 殺し合いの最中でも余裕を維持するのは、極めて困難である。相手の攻撃を喰らえば致命傷を負うか、そのまま死ぬかもしれないという恐怖が冷静さを駆逐し、緊張感となるのである。そんな状態で冷静さを維持するだけでなく、エミリアはなんと土方の斬撃に慣れてしまったのである。

 

 正確には、斬撃の速さとタイミングの2つだけになれたのだ。完全に見切るならば癖まで全てを学習する必要があるが、手っ取り早く相手の攻撃に慣れるためには、その2つを最優先で見切る必要がある。

 

「―――――面白い!」

 

 数多の斬撃を躱されながら、土方は笑った。

 

 ミヤコ湾での戦いだけではなく、今まで経験してきた戦いの中で笑ったことなど一度もなかった。得物を手にしながら笑ったのは――――――今は亡き新選組の仲間たちとの、稽古の時くらいだろうか。

 

 道場で剣術の稽古をしていた頃を思い出しながら――――――土方は何度も、エミリアに向かって刀を振り下ろし続けた。

 

(最後の戦いが、これほど面白い戦いになるとは!)

 

 実戦の中で初めて笑った土方の目の前で、躱し続けていたエミリアが反撃を開始する。土方の持つ刀よりも長大で分厚いサラマンダーの大剣は、彼女の持ち味である瞬発力を生かさない限り、このようなスピードが物を言う接近戦では無用の長物でしかない筈なのだが――――――連続攻撃の真っ只中で繰り出された彼女の反撃は、土方をぞっとさせた。

 

 予想以上の速度で、大剣が振るわれているのである。

 

 得物を振るうだけの速度ならば、土方の方が一枚上手だ。そもそも日本刀と両手で持たねばならない大剣の速度は、乗用車と自転車を比較するようなものなのである。

 

 しかしエミリアの反撃は、先ほどよりも素早い。

 

 その原因を、土方は早くも理解していた。

 

(防御していない………!?)

 

 土方の斬撃に慣れていれば、回避することは可能だ。間に合わないような攻撃が飛来した場合を除いて、わざわざ受け止める必要はない。

 

 ガードするために得物を動かせば、今度は攻撃の際にタイムロスになってしまう。だからエミリアは攻撃を受け止めるのではなく躱し、攻撃に移るまでのタイムロスを丸ごと排除し、『攻撃』と『スピード』の2つだけで勝負を仕掛けたのだ。

 

 しかもその反撃は、彼女の持ち味である瞬発力をフル活用した素早い斬撃だった。

 

 すると、今度は土方の斬撃が段々と減っていった。反撃しつつエミリアの攻撃を躱そうとする土方だが、よりにもよってエミリアは土方が剣を振るおうとするタイミングで反撃してくるため、咄嗟に躱す事が出来ず、攻撃を中断して受け止めなければならなくなってしまう。そして反撃しようとすれば、その一撃はエミリアにあっさりと回避されてしまうのである。

 

 エミリアが彼の剣術に慣れたことで――――――逆転していたのだ。

 

 彼女の大剣を受け止める度に、愛用の刀が軋み始めているのが分かる。何度も手入れした刀身が徐々に刃こぼれを起こし始め、重い大剣を受け止める度に一瞬だけ火花を発する。

 

 エミリアの剣戟は速い上に、武器の重量と彼女の驚異的な瞬発力のせいで非常に重い。迂闊に受け止めれば、得物ごと吹き飛ばされてしまうほどだ。

 

 そんな連続攻撃を、大剣と比べればはるかに華奢な刀で受け止め続けられるわけがない。そろそろ反撃するべきだと思った土方は、攻撃を受け流してからすぐに刀をエミリアへと振り下ろし、彼女が構えた大剣へと叩き付けるが――――――その最中に、得物の重さが変わったような気がした。

 

「――――――!」

 

 何度も軋んでいた得物。標的を斬るために設計された刀では、重い斬撃を何度も受け止められるわけがない。

 

 つまり、重さが変わったのは――――――愛用の得物が、力尽きてしまったという事である。

 

 確信した直後、目の前で銀色の破片が舞い散った。金属の塊が砕け散る絶叫を奏でながら、白銀の破片が流星を思わせる火花と共に煌めいている。

 

 その白銀の破片の真っ只中を、同色の刃が回転しながら跳ね上がっていった。いつも戦いや稽古が終わった後は必ず自室で手入れをしていた、愛用の刀。主である土方よりも先に、得物の方が力尽きたという事か。

 

 砕け散った得物の最期を看取った土方は―――――まだ、微笑んでいた。

 

 得物を砕かれ、これからあの大剣で斬られるというのに、どうして微笑む事ができるのだろうか。

 

(これで………終わったのか………)

 

 土方の戦いは、これで全て終わった。

 

 その最後の戦いで、彼女のような猛者と戦う事ができたからこそ、敗北したというのに満足することができるのだろう。

 

 悔いは、全くない。

 

(そういえば――――――この美しい騎士は、なんという名前なのだろうか………)

 

 ミヤコ湾でも戦っていたというのに、エミリアの名前を知らなかったことに土方が気付いた瞬間――――――サラマンダーの大剣が、彼の胸を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その轟音を聞いた瞬間、俺は咄嗟に全身をサラマンダーの外殻で覆っていた。

 

 戦車砲で成人男性とはいえ人間を直接砲撃するのは、正気の沙汰とは言えない。しかもここにいるのは、世界最強の傭兵ギルドの長であり、あのレリエル・クロフォードを撃破した最強の男なのだ。

 

 遠距離からのラウラの狙撃を見切って回避しているのだから、いくら更に遠距離とはいえ、戦車砲の砲弾も回避するか防いでしまうに違いない。

 

 それに、仮に直撃したとしてもダメージがそれほど大きくないというのは明白だ。レベルが1000を超えている転生者の防御力という要素もあるが、ダメージを与えようとするならば粘着榴弾ではなく、形成炸薬(HEAT)弾や貫通力の高いAPFSDSを使うべきだ。しかし先ほどの通信で、ナタリアはステラに粘着榴弾を装填するように指示を出していた。今しがた発射されたのも、おそらく粘着榴弾だろう。

 

 粘着榴弾は爆発が強力な代わりに、貫通力は殆どないと言っていい。そのため敵の戦車に向けて発射されることはあまりなく、敵兵が潜んでいる塹壕などの貫通力を要求しない目標への砲撃に使用される事が多い。

 

 親父の防御力のステータスとキメラの能力でもある外殻の硬化を考えてみると、もし仮に命中したとしても親父を撃破できる確率は――――――かなり低いだろう。

 

 ナタリアには砲弾の種類は説明したし、トレーニングモードで敵の戦車に向かって実際に砲撃する訓練もみんなで経験した筈だ。彼女が砲弾の選択を間違えたとは考えられない。

 

 全身を外殻で覆うと同時に、俺は目を瞑りながら左へとジャンプしていた。何度も聞いたことのある砲弾が迫る絶叫が九稜城を包み込み――――――粘着榴弾が、俺たちが戦っていた広間の床に着弾した。

 

「うおおおおおおおおお!?」

 

 やはり爆風と衝撃波の獰猛さは、ロケットランチャーや対戦車手榴弾の比ではなかった。俺の絶叫すら全く聞こえないほどの轟音と熱風が、九稜城の広間の中を包み込む。

 

 城主が観賞用にと置いておいた薙刀や東洋の鎧は、今の爆風で滅茶苦茶になっている事だろう。主流ではなくなった砲弾とはいえ、粘着榴弾の爆風は歩兵が持つ重火器よりも遥かに強烈である。

 

 背中に振りかかって来る細かな瓦礫の破片を払い落としつつ、俺は親父の心配をしてしまった。転生者のステータスで防御力はかなり強化されている上に、キメラの能力を駆使すれば砲弾が直撃してもダメージをあまり受けないような怪物を心配するのはおかしいだろう。しかもその怪物が、鍵を奪い合っている最中の競争相手なのだから、本来ならば心配するべきではない。

 

 しかし、その怪物は―――――この世界の俺の父親だ。前世のクソ野郎ではなく、家族思いの〝本当の父親”であり、俺を受け入れてくれた最高の親父なのだ。無事だろうという先入観があっても、やはり心配してしまう。

 

 黒煙を吸い込んで咳き込みつつ、俺は後ろを振り返った。

 

「ゲホッ、おい、親父……ゲホッ、ゲホッ! 大丈夫か!?」

 

「当たり前だ。全く………今の砲弾は粘着榴弾か?」

 

 黒煙の向こうから聞こえてきたのは、着弾前と全く声音の変わらない親父の声だった。今の爆風に呑み込まれた筈なのに、やはり無事だったらしい。

 

 あっ、今のうちに逃げるべきだったか………?

 

 おいおい、何やってんだよ。今の爆風を利用して逃げるべきだったんじゃねえか? だからナタリアはわざと粘着榴弾を使ったんだろ!?

 

 頭を抱えながら唇を噛み締めようとしていた、その時だった。

 

 ――――――再び、チャレンジャー2の120mmライフル砲が、砲弾をぶっ放したのである。

 

「えっ?」

 

「な――――――!?」

 

 ちょっと待て、第2射が早過ぎるぞ………!?

 

 戦車の中には、『自動装填装置』と呼ばれる装置を搭載する戦車も存在する。そのような戦車には、当然ながら装填手は不要というわけだ。装填手の技術に依存する必要がないため、連射する速度ならばこの自動装填装置がついている戦車の方が一枚上手になる。

 

 自動装填装置がついているならば納得できるんだが――――――チャレンジャー2には搭載されてないし、カスタマイズで追加した覚えもないぞ? なのに、なんでこんなに矢継ぎ早に砲弾をぶっ放せるんだ………!?

 

 この連射速度には、親父も度肝を抜かれたようだ。しかもまだ先ほどの爆発の黒煙が残っており、飛来する砲弾が全く見えない。

 

 砲弾の音とあの直感を駆使できる時間も、予想外の連射の驚愕に駆逐されているらしく、親父の動きは先ほどよりも遅くなっていた。

 

 そして――――――カノンが放った粘着榴弾が、回避しようとしていた親父の右肩へと飛び込んだ。

 

「うぐぅッ!?」

 

 あ、当てた………!?

 

 妹分の砲撃の命中精度に驚愕しつつ、吹っ飛ばされていく親父を見守る。

 

 親父の右肩に着弾した砲弾は、やはり潰れていた。この後は爆発するのだろうと思いつつ、その爆風から身を守るために外殻を硬化させていたんだが―――――親父に襲い掛かったその砲弾は、全く起爆する気配がない。

 

「……?」

 

 不発か………?

 

 結局その砲弾は、親父の右肩に噛みつくかのような形状に潰れつつ、親父を広間の壁へと叩き付けると、まるで巨大な枷のように親父の動きを拘束してしまう。

 

「………まさか、これが狙いか!?」

 

 ナタリアは、これが狙いだったのか。

 

 おそらく――――――あの粘着榴弾からは、信管が取り外されているのだ。

 

 信管とは、砲弾などに取り付けられている起爆装置だ。ナタリアはおそらく、砲弾を装填する前にステラにその信管を取り外すように命令をしていたんだろう。

 

 信管がない砲弾は、着弾しても爆発することはない。しかしそんなことをすれば攻撃力は激減するから、砲撃する際にそんな事はしない筈なんだが―――――ナタリアは、粘着榴弾という砲弾を攻撃ではなく俺を撤退させるために使うつもりなのだ。

 

 粘着榴弾は、着弾してから潰れて爆発する砲弾である。しかし爆発しなければ、ただの着弾してから潰れるだけの砲弾と化してしまう。その〝潰れる”という特性を利用し、砲弾を親父の動きを拘束するための枷代わりにしたのである。

 

 最初の砲撃で黒煙を発生させつつ、装填手のステラの怪力を頼りに予想外の速度での装填を行い、矢継ぎ早に砲撃する。もちろん砲手は、メンバーの中で一番砲撃が得意なカノンだろう。

 

「すげえ………」

 

『ヘンゼル、早く脱出しなさい!』

 

「りょ、了解!」

 

 なるほど、このために粘着榴弾を装填してたのか。

 

 納得しながら、俺は粘着榴弾の枷から逃げ出そうとする親父を見上げつつ、九稜城の外へと飛び降りた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 祖父と祖母

 

ラウラ「ねえ、ママ」

 

エリス「あら、どうしたの?」

 

ラウラ「パパとママとエミリアさんが私たちの両親なんだよね?」

 

エリス「ええ、そうよ?」

 

ラウラ「前から気になってたんだけど………おじいちゃんとおばあちゃんはどこにいるの?」

 

エリス「えっ?」

 

ラウラ「ふにゅう………パパは転生者だけど、ママとかエリスさんのパパとママはいるんだよね?」

 

エリス「え、えっと………い、いるけど、その………」

 

エミリア(ラ、ラウラ………)

 

リキヤ(………あー、粛清しちゃったんだよな、エミリアたちのパパ)

 

タクヤ(ハヤカワ家怖ぇ………)

 

 完

 

 



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九稜城から離脱するとこうなる

 

「………ヒジカタ」

 

 胸を大剣に貫かれ、横たわる黒服のサムライを見下ろしながら、エミリアは彼の名を呼んだ。

 

 エミリアも、彼との1対1の戦いの最中に高揚していた。こんなところで死ぬわけにはいかないという意思もあったが、彼女も土方との戦いを楽しんでいたのは同じであったのである。

 

 いずれ、フィオナが発明したスチーム・ライフルの普及によって、騎士やサムライたちが剣を振るう時代は終わる。もしかすると、剣という武器まで廃れてしまう時代が来るかもしれない。

 

 自分の慣れ親しんだ得物が博物館でしかお目にかかれないような時代が、始まろうとしているのである。もしそうなったら彼のような猛者とは、もう戦えなくなってしまうだろう。

 

 土方にとっては最期の戦いであったが、エミリアにとっても彼との戦いは、〝騎士”としての自分の最期の戦いでもあった。

 

「………ああ………西洋の騎士よ………貴女の名前を……教えて………くれ」

 

「なに?」

 

 最期を看取ってやろうと思い、横たわる彼に近付いたエミリアだったが、大量の血を流しながら力尽きかけているサムライが微笑みながら発したのは、彼女の名前を教えてくれという言葉であった。

 

 そういえば、あのミヤコ湾の戦いでは土方は自分の名を名乗っていたが、エミリアはまだ自分の名前を名乗っていない。

 

「私は………エミリア・ハヤカワだ」

 

「エミ……リア………ふふっ、綺麗な響きだ………。そうか、この俺を打ち倒した騎士は………エミリアという名前か………」

 

 呼吸が荒くなっていき、段々と彼の身体が動かなくなる。九稜城の天守閣よりも上に広がる空を見上げる彼の目は、徐々に虚ろになっているというのに、まだ戦っていた時のような鋭さを持ち続けているようだった。

 

 その瞳が――――――少しだけ、優しい瞳へと変わる。

 

 いつの間にか、土方は笑っていた。この維新戦争が勃発してからは滅多に笑うことのなかった土方歳三が、力尽きる寸前に笑っている。

 

「これで………近藤さんやみんなに……………自慢………で…きる………。ありがとう、エミリア……………最後に、戦ってくれて………」

 

「何を言っている………。貴方こそ、私のような女に付き合ってくれて………本当にありがとう………!」

 

「ふっ………」

 

 嬉しそうに笑おうとした土方の顔が――――――そのまま、動かなくなる。

 

 弱々しくなってしまった彼の声も全く聞こえなくなり、荒くなっていた彼の呼吸も全く聞こえない。虚ろな目で空を見上げ、笑顔のまま動かなくなった土方の身体は、もう微動だにしなくなっていた。

 

 彼の目を静かに閉じてやろうと思ったエミリアであったが、何もしないことにした。伸ばそうとしていた片手をすぐに戻して立ち上がり、へし折られた愛用の得物をまだ握り続けている土方の亡骸を見下ろす。

 

 彼は最期に、笑いたかったに違いない。

 

 ならば、まだ笑わせてあげようではないか。

 

 時代遅れになっていく自分のような騎士に付き合ってくれた、同じく時代遅れになっていくサムライなのだ。――――――自分と似たような男に、もう一度付き合うのも悪くはない。

 

 大剣を背中の鞘に納めたエミリアは、返り血と土で汚れた手で目から零れ落ちた涙を拭い去ると、踵を返して戦場を睨みつけた。

 

 まだ、戦いは続いている。今すぐに彼を埋葬してあげたいところだが、まだ騎士とサムライたちの殺し合いは終わっていない。新政府軍を勝利させろという依頼を引き受けたのだから、その仕事もやり遂げなければならない。

 

 〝騎士”から〝傭兵”へと戻ったエミリアは、再び目つきを鋭くすると―――――再び背中から大剣を引き抜き、サムライたちへと襲い掛かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ラウラ(グレーテル)、離脱したか!?」

 

 九稜城の庭を全力疾走しながら、俺はラウラに無線で問い掛ける。俺が親父にボコボコにされている間も狙撃で支援していたラウラは、俺よりも逃げるのは容易い筈だ。

 

 今のところ、反射速度ならば俺の方が上だが、動体視力やスピードならばラウラの方が上だ。それに城の外にいたのだから、離脱は俺よりも速い筈である。

 

 全力疾走しつつ木箱を飛び越え、両手を硬化させてから城壁をよじ登る。堅牢なキメラの外殻を城壁にめり込ませてよじ登っていると、右耳に装着している無線機からラウラの声が聞こえてきた。

 

『こちらグレーテル、こっちは離脱してるよ! もう堀の外にいる!』

 

 俺よりも先に、ラウラは脱出していたらしい。

 

 つまり俺が一番遅いというわけだ。しかも鍵を持っているのは俺なのだから、俺が遅れれば仲間たちに迷惑をかけてしまうし、親父を砲撃し続けているカノンにも負担をかけてしまう。

 

 粘着榴弾がさく裂した瞬間に浴びた爆風のせいなのか、俺のコートは一段と火薬臭い。親父と戦っていたことと、緊張しているせいで呼吸は荒くなっていて、息を吸う度に返り血の臭いすら掻き消すほどの火薬の臭いを吸い込む羽目になる。

 

 より濃密な悪臭を吸い込みつつ顔をしかめ、城壁の上へと上ると、堀の向こうでスナイパーライフルを担いだ赤毛の少女が、必死に手を振っていた。

 

 彼女が手を振る度に揺れる大きな胸を数秒だけ凝視しつつ手を振り返し、にやりと笑いながら今度は堀の中へとジャンプする。念のため下半身と両腕を外殻で覆って硬化させ、堀の中へと飛び込んだ俺は、そのまま堀の底からジャンプするかのように飛び上がると、まるでトビウオのように堀の中から一気に飛び出し、堀の壁面を登り始めた。

 

 轟音が響き渡り、またしても信管の外された粘着榴弾が九稜城へと飛来していく。親父の足止めのための砲弾なのだろうが、後ろを振り向くことなく突っ走ってきたから、親父の足止めになっているのかは分からない。命中してそのまま親父を足止めしてくれているならば、後はそのまま戦車に乗って離脱するだけでいいだろう。

 

 親父は仕事を引き受けてここに来ている筈だから、迂闊に俺たちを追撃して城を離れることは出来ない。モリガンは有名な傭兵ギルドだから、そのギルドの名前に泥を塗らないためにも親父は契約を必死に守ろうとするだろう。だからクライアントとの契約を無視して追撃してくる可能性は限りなく低い。

 

 親父は強力な転生者だが、立場のせいで全く身動きができないのである。それを利用すれば、俺たちは逃げ切る事ができる。

 

 堀の壁面の上へと差し掛かると、ラウラが俺に向かって手を伸ばしてくれた。ありがたく彼女の手をしっかりと握って引き上げてもらった俺は、「ありがと、お姉ちゃん」とお礼を言ってから2人で森の中へと走り出す。

 

『――――――2人とも、気を付けて!』

 

「え?」

 

『砲撃が外れた! 傭兵さんが追撃してくるわよ!!』

 

「ッ!?」

 

 くそったれ、足止めできなくなっちまったか!

 

 4.7km先から、120mmライフル砲の粘着榴弾を立て続けに親父に命中させていたカノンの砲撃が、ついに外れてしまったらしい。

 

 おそらく、親父は既に粘着榴弾の枷を打ち破って追撃を始めている頃だ。俺とラウラのスピードにも、親父ならばすぐに追いついてくるに違いない。

 

 ちらりと後ろを振り向くと――――――早くも、城壁の上に黒いコートを身に纏った赤毛の男が立っているのが見えた。腰にはスコップの収まったホルダーを下げ、右手には銃剣付きのトレンチガンを持っている。

 

 おいおい、もう追いついたのか!?

 

 親父のスピードにぞっとしていると、後方から何かが堀の中に落ちる音が聞こえてきた。もう一度後ろを振り向いてみるが、やはりもう城壁の上に親父の姿は見当たらない。

 

 今の音は、親父が堀に飛び込んだ音か!

 

「くそったれッ!」

 

 無駄だろうが、とりあえずスモークグレネードを取り出し、安全ピンを引き抜いてから後方へと投げつける。しかし、俺たちと同じように人間を上回る聴覚や嗅覚を持つキメラの親父ならば、スモークグレネードを使われても関係なく俺たちを発見する事だろう。このスモークグレネードは、果たして時間稼ぎになるのだろうか。

 

 ごろん、と俺たちの足元に何かが転がり落ちる。ぞくりとしながら足元を見下ろした俺は、その転がり落ちてきた物体の形状を理解した瞬間、ぎょっとしながらラウラの身体を抱えつつ左へとジャンプしていた。

 

「ラウラッ!」

 

「きゃっ!?」

 

 まるで太くした乾電池に、木製のグリップを取り付けたかのような金属の物体が俺たちの足元に転がっていたのである。その代物は俺たちも何度か使った事がある。あのシーヒドラとの戦いでも、堅牢な外殻を破壊するために投入した武器だ。

 

 足元に転がってきたのは――――――ソ連製対戦車手榴弾の、RKG-3だったのである。

 

 人間の兵士を殺すために開発された通常の手榴弾ではなく、戦車を破壊するために開発された大型の手榴弾だ。現代ではもう対戦車ミサイルや砲弾が主流になったため、殆ど退役してしまっている代物だが、こいつを戦車用ではなく対人用に改造した場合の殺傷力はかなり恐ろしい。

 

 戦車ではなく俺たちに向かって放り投げてきたという事は――――――対人用に改造された代物である可能性が高いという事だ。

 

 ラウラを庇いつつ全身を外殻で硬化した直後、ついにその大きな手榴弾が炎を噴き上げながら膨れ上がり――――――獰猛な爆風と化した。

 

 やはり、対戦車用ではなく対人用に改造されていたらしい。爆風の破壊力は全く変わらないが、内部にクレイモア地雷のように超小型の鉄球が無数に入れられていたらしく、先ほどから機銃掃射のように灼熱の鉄球たちが何度も俺の外殻を打ち据えている。

 

 もしあの手榴弾に気付かずに硬化しないまま走っていたら、今頃俺たちはあの鉄球に貫かれてズタズタにされていたに違いない。親父は俺たちならば気づくだろうと思ってこれを放り込んだのかもしれないが、放り込むならもう少し殺傷力の低い武器にしてくれ。

 

 でも、このアイデアはあとで使わせてもらおう。対人用に改造するからもう〝対戦車手榴弾”とは呼べなくなるが、対戦車用の強力な爆薬と無数の鉄球を使った手榴弾は、対人戦の時に役立ちそうだ。

 

「ら、ラウラ、大丈夫………?」

 

「う、うん、大丈夫だよ。………えへへっ、タクヤに助けられちゃった」

 

 どうやら怪我はしていないらしい。

 

 姉が無事だったことに安心しながら立ち上がろうとしたが――――――目の前に、もう黒いコートに身を包んだ男が立っていたことに気付いた俺は、ぎょっとしながらホルスターからソードオフ・ショットガンを引き抜いた。

 

 今の手榴弾の攻撃は、俺たちを足止めするための攻撃だったのだ。攻撃範囲が極めて広くなるように調整した手榴弾を放り投げ、俺たちが防御している隙に距離を詰めるという作戦だったんだろう。

 

「がっ!?」

 

 トリガーを引くよりも先に、トレンチガンの銃床が俺の頬へと叩き込まれた。激痛と衝撃が混ざり合い、俺の頭の中で弾け飛ぶ。強烈な衝撃のせいなのか、一瞬だけ今何をしているのかを忘れてしまい、何も分からなくなってしまう。

 

 そして、思い出し始めた頃に再び本格的な激痛が頭の中で弾け飛ぶのだ。それを思い出した瞬間、脳味噌の内側が痛み出す。

 

 再び地面に突き飛ばされた俺は何とか立ち上がろうとするが、親父を睨みつけようとした俺の目の前には、再びトレンチガンの銃床が迫っていた。

 

 その直後、再び凄まじい衝撃が額を打ち据え――――――俺は気を失ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「た、タクヤっ!!」

 

 ショットガンの銃床で頭を殴られたタクヤが、動かなくなってしまった。もしかしたら殴られて死んでしまったんじゃないかって思ってしまった私は、タクヤを殴ったパパを睨みつけながら、腰のホルスターからスチェッキンを引き抜いて銃口をパパへと向ける。

 

 ハンドガンの弾丸で、パパの外殻を貫くことは不可能。それに私も、私たちを育ててくれたパパを殺したくない。

 

 だから通用しないという事は理解できても――――――ハンドガンのトリガーは、引けなかった。

 

 どうしてなんだろう。スナイパーライフルで狙っていた時は撃てたのに――――――。

 

「――――――これが鍵か」

 

「あっ………!」

 

 私が躊躇っているうちに、タクヤのコートのポケットの中からパパは鍵を取り出した。多分あの鍵が、タクヤが取ってきた鍵なのね。

 

「だ、ダメ………パパ、お願い………その鍵を渡して………!」

 

「―――――――ラウラ」

 

 自分の娘に銃を向けられているというのに、パパは微笑みながら私の方を振り向きつつ、タクヤから奪った鍵を自分のポケットの中へと入れてしまった。きっとパパも叶えようとしている願いがあるのかもしれない。だから説得しても、鍵を返してくれる可能性は低い。

 

 やっつけて奪い返そうと一瞬だけ思ったけど、パパに勝てるわけがない。小さい頃から続けてる模擬戦でも、私とタクヤはかなり手加減しているパパたちに攻撃を1発当てるだけで精いっぱいだったんだから。

 

「いいか、ラウラ。天秤はかなり危険な代物だ。あれは確かに人々の願いを叶えてくれる神秘の天秤だが―――――――あれを使ったとしても、何も変わらん。むしろ逆に大切な物を奪う、悪魔の天秤にもなるぞ」

 

「え………?」

 

「だから………もう、天秤は諦めろ。いいな? あんなものは………パパに任せなさい」

 

「ど、どういうこと………?」

 

 悪魔の天秤………? だって、メサイアの天秤は人々の願いを叶えてくれる魔法の天秤なんでしょ? 願いを叶えてくれる筈なのに、どうしてその人の大切な物を奪っていくの………?

 

 聞き返そうとするよりも先に、パパは私の目の前までやってきた。大きな手で私が持っていたスチェッキンの銃口をそっと下げさせると、左手を私の頭の上に乗せて、小さい頃みたいになでなでしてくれる。

 

 パパの左手は、変異してキメラになった時から常に外殻に覆われているから、右手よりも若干大きいし、常にごつごつしてる。だから右手でなでなでしてもらう時とは全く感触が違うんだけど―――――――今のパパのなでなでは、小さい時にパパが撫でてくれた時と全く感触が違う。

 

 まるで………赤の他人に頭を撫でられてるみたい。

 

 大きくなったから、感覚が変わったのかな?

 

 頭を撫でてくれたパパは、自分のコートのホルダーからエリクサーの瓶を取り出すと、静かに私の手の上に置いた。

 

「本当は痛めつけたくなかったんだ。最愛の我が子たちだからな。―――――――タクヤが目を覚ましたら、それを飲ませてあげなさい。フィオナが作った新型だ」

 

「う、うん」

 

「ふふっ。………タクヤを頼むぞ、ラウラ。お前はお姉ちゃんなんだからな」

 

 パパはそう言いながら私の頭をまた撫でると、持っていたショットガンを背中に背負って、再び九稜城の方へと戻っていく。パパは依頼を引き受けてここに来ているから、きっと今からお仕事に戻るのかもしれない。

 

 気を失ったタクヤの所に行って、弟の身体をそっと抱き締める。

 

 タクヤ………パパはやっぱり、強かったね。

 

「ごめんね……パパに鍵を取られちゃった………」

 

 タクヤを抱き締めながら、私は戦場に戻っていくパパを見送った。

 

 パパの目の前にある九稜城は――――――もう、燃え上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 海上戦力

 

タクヤ「なあ、モリガンって海上戦力は持ってなかったのか?」

 

リキヤ「少人数で戦艦を動かせるわけねえだろ」

 

タクヤ「でも親父のポイントなら、艦橋以外を全部自動化できそうな感じがするんだけど………」

 

リキヤ「まあ、かなり改造すれば出来るぞ」

 

タクヤ「じゃあなんで作らないんだよ? 王室に貸しもあるんだろ?」

 

リキヤ「ああ。………しかし……若い頃に、それがきっかけで内乱になりそうになった事があってなぁ」

 

タクヤ「!?」

 

リキヤ(17)『おいシンヤ! 海上戦力とか作っておかないか?』

 

シンヤ(17)『いいね。確かに戦艦や駆逐艦があれば、支援砲撃とかもできるようになるし。僕は賛成だよ、兄さん』

 

リキヤ『よし、じゃあ戦艦だな! ソビエツキー・ソユーズ級を建造して、主砲を―――――』

 

シンヤ『ちょっと待ってよ。戦艦を作るんだったら大和でしょ?』

 

リキヤ『はぁ? 待てって。大和を造るためにどれだけポイントがかかるか分かってんのか? しかも改造にもコストがかかるから、建造したとしても初っ端からホテルになるぞ?』

 

シンヤ『じゃあレベル上げしようよ』

 

リキヤ『いやいや、コストを考えてソビエツキー・ソユーズ級にしよう。性能差はカスタマイズで補って―――――――』

 

シンヤ『性能差? だったらビスマルクとかシャルンホルストでもいいじゃん』

 

リキヤ『いや、ソビエツキー・ソユーズ級にする』

 

シンヤ『大和にしてよ、お願いだからさ』

 

リキヤ『やかましい! 俺はホテル作るためにレベル上げしてるんじゃねえんだよッ!!』

 

シンヤ『何言ってるんだよ!? ソビエツキー・ソユーズ級だって完成してないじゃん!!』

 

リキヤ『完成してないからこそ活躍させるべきだろ!? 46cm砲を搭載した超弩級ホテルよりマシだ!』

 

シンヤ『何だって!? 兄さん、あまり僕の好きな戦艦を馬鹿にしないでくれるかな!? そっちは完成してないんだから、活躍すらしてないじゃん!!』

 

リキヤ『あぁ!? 俺の好きな戦艦を馬鹿にするんじゃねえッ! 久々に兄弟喧嘩でもするかぁ!?』

 

シンヤ『ああ、受けて立つよ!』

 

リキヤ「………こんな感じの大喧嘩になってなぁ」

 

タクヤ「おいおい………」

 

 完

 

 

 



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リキヤの願い

 

 額には、まだ忌々しい鈍痛がへばり付いている。この痛みは何が原因だったのかと思い出そうとすると、思い出さなくていいと言わんばかりにエンジンとキャタピラの音が耳の中へと流れ込んでくる。しかも、どうゆうわけかガタガタと滅茶苦茶揺れている。

 

 すっかり弱々しくなった炸薬の臭いが、数分前までは戦闘中だったのだという事を俺に教えてくれる。片手で額を抑え、未だにへばりついている鈍痛に抗いながら身体を起こした俺は、息を吐きながらそっと瞼を開いた。

 

「あれ………?」

 

 俺の真下に、見慣れた迷彩模様の装甲があった。オリーブグリーンの迷彩模様に塗装された装甲の先端部からは、ロケットランチャーや無反動砲とは比べ物にならないほど大きな砲身が伸びていて、俺の座っている場所の近くには砲塔の中へと入るためのキューポラがある。

 

 砲塔の下にはがっしりとした車体があって、その両サイドでは無骨なキャタピラが鳴動し、地面に跡をひたすら刻みつけていた。

 

 チャレンジャー2………? 砲塔の脇には対人用のSマインが取り付けてあるし、塗装にも見覚えがある。それに、キューポラに備え付けてある機銃はロシア製重機関銃のKordに換装されている。

 

 ああ、これは俺たちの戦車だ。

 

 自分が横になっていたのが、微速で走行中のチャレンジャー2の上だったということに気付いた瞬間、徐々に弱々しくなっていく額の鈍痛が、まるで息を吹き返したかのように一気に強くなり、激痛を俺の額に叩き付け始める。

 

 その激痛の中で、俺はその痛みの原因を思い出した。

 

 砲撃で燃え上がる九稜城。トレンチガンを手にした、俺たちの実の親父。気を失う前に、俺たちは最強の傭兵とメサイアの天秤の鍵を奪い合っていたのだ。

 

 逃げ切ることすらできずに―――――――完敗したのだ。全力で最強の傭兵と戦い、仲間たちが俺を逃がすために必死に援護してくれたというのに。

 

 気を失ってしまったという事は、せっかく俺たちが手に入れた鍵も奪われている事だろう。俺を気絶させ、何もせずにあの親父が立ち去るわけがない。

 

 ポケットの中に手を突っ込み、中に空のマガジンしか入っていないことを確認してから、再びガタガタと揺れる戦車の砲塔の上に寄りかかる。幼少期の頃から、かなり手加減している状態の親父たちとは戦った事があるけど………九稜城で戦った親父も、まだ手を抜いていた事だろう。

 

 まだまだ親父たちには勝てないって事か………。

 

「あっ、タクヤ」

 

「おう、ナタリア」

 

 砲塔に寄りかかりながら水筒の水を飲もうとしていると、キューポラの中から黒い制服姿のナタリアがひょっこりと顔を出した。キューポラの縁に少し軍帽がぶつかったのか、ドイツ軍の指揮官を思わせる軍帽は少し傾いている。

 

 しっかり者のナタリアはこういう制服をちゃんと着るタイプだから、軍帽が少し傾いている彼女は意外と可愛らしい。

 

「大丈夫?」

 

「まだ頭が痛てえけど………大丈夫だ、生きてるし」

 

 トレンチガンの銃床で2回もぶん殴られたんだよな………。

 

 今度こそ腰の水筒に手を伸ばし、蓋を外して中に入っている水を飲む。冷水が喉に浸透し、急速に冷えていくのを感じながら身体の力を抜く。

 

 ああ、勝てなかった。

 

 逃げ切ることすら出来なかった………。

 

「くそったれ」

 

「………傭兵さんと、戦ってたんだよね」

 

「ああ」

 

 俺がボコボコにされているのは、きっとナタリアも目にしていた事だろう。

 

 キューポラの中から出てきた彼女は、腰を下ろす前に軽く装甲の上を白い手で払うと、「戦車の上って揺れるのね………」と言いながら俺の隣に腰を下ろした。

 

 おい、俺はいつもタンクデサントしてるんだからな? もうこの揺れと装甲の塗料の臭いには慣れちまったよ。

 

「お礼……言いたかったなぁ………」

 

「………親父に?」

 

「ええ。………あの時から、1回も会えなかったから」

 

 14年前に、当時のモリガンの本部があるネイリンゲンを、転生者の集団が襲撃するという事件が起こった。あの時は俺とラウラはまだ3歳だったから、親父は俺たちと母さんたちを家に残して、家を訪れていたフィオナちゃんとガルちゃんを連れてネイリンゲンへと向かったんだ。

 

 ネイリンゲンは俺たちが生まれた場所だし、ナタリアにとっては故郷である。

 

 彼女はその事件の際に、街に駆けつけた親父によって命を救われたというのだ。だから俺たちの親父であるリキヤ・ハヤカワは、ナタリアにとっては命の恩人ということになる。

 

 きっと彼女は、支援砲撃をする際にかなり躊躇ったことだろう。自分の命の恩人に恩を返す前に、攻撃する羽目になったのだから。

 

「いつか、お礼を言いたい」

 

「そうだな………。この旅が終わったらさ、王都に遊びに来いよ。こんな争奪戦が終わった後だけどさ」

 

「ふふっ、そうね。じゃあお邪魔させてもらおうかしら」

 

 きっと、家族のみんなは歓迎してくれる筈だ。この争奪戦で誰が天秤を手にすることになるのかは分からないが、きっと母さんや親父たちはナタリアの事を歓迎してくれるに違いない。

 

 親父は、ナタリアの事を覚えているだろうか?

 

「………あ、あの……タクヤ」

 

「ん?」

 

「気にしないでね………? あ、相手は傭兵さんだったんだし………プロだったから………」

 

 どうやら彼女は、俺が鍵を取られたことを気にして落ち込んでいると思ったらしい。作り笑いをしながら励まそうとしている理由を知った俺は、彼女に「あ、ああ」と小さな声で返しつつ、親父との戦いで完敗したことをまた思い出してしまう。

 

 俺の攻撃は全て見切られていたし、信じられない事だがラウラの狙撃まで見切られてしまっていた。あの時ラウラが狙撃していた距離はおそらく700mくらいだろう。1km以上の遠距離から狙撃するのが当たり前のラウラにしては近い方だが、それでも彼女の狙撃を見切り、スコップだけで回避してしまうのはありえない。

 

 あれが戦場で鍛え上げた直感なのだろうか。自分の技術などの合理的な要素だけでなく、直感などの不確定要素さえも〝使いこなして”しまうからこそ最強の傭兵と呼ばれるのかもしれない。

 

 いくら人間よりも身体能力が高いキメラとはいえ、あんな直感で.338ラプア・マグナム弾の狙撃をやり過ごすのは考えられないけどな………。

 

 確かに親父との戦いでは完敗した。逃げ切ることすらできなかったのだから。

 

 でも――――――俺たちの戦いは、あくまで争奪戦である。天秤を手に入れるために必要な鍵を手に入れて逃げ切れば、それで勝利できるのである。

 

「で、でも、まだ鍵は――――――」

 

「ははははっ。おいおい、ナタリア。何で俺の事を励ましてるんだよ?」

 

「え?」

 

 隣に座る金髪の少女は、まだ俺の事を励まそうとしていたらしい。確かに全力で戦ったのに手も足も出なかったのはショックだけど――――――争奪戦では、負けてないぜ?

 

 いきなり笑い出した俺を見つめるナタリアが、きょとんとしている。鍵を奪われたから自分を責めていると思っていたのかもしれないが、俺は何も責めてはいない。予想以上に親父が手強くて驚愕していた覚えはあるが、自分を責めた覚えはないし―――――――〝負けた覚え”もない。

 

 目を丸くするナタリアに水筒を持たせると、俺はその手を右足のブーツの中へと突っ込んだ。泥まみれの漆黒のブーツの中から男子にしては細い右足を引っ張り出し、ブーツを逆さまにしてから何度か上下に振る。

 

 九稜城の中庭で入り込んだのか、しっかりと磨かれた灰色の小さな石がチャレンジャー2の砲塔の上に落下し、バウンドして車体の方へと落ちていく。もう少し強くブーツを振った直後、今度はさっきの小石よりも大きく、光沢のある奇妙な形状の物体がブーツの中から零れ落ちた。

 

 装甲にバウンドして舞い上がったそれを素早く掴んだ俺は、泥まみれのブーツを傍らに置いてから、キャッチしたその物体をつまんでナタリアに差し出した。

 

「はい」

 

「え、これ………えっ?」

 

 彼女が受け取った物体は――――――銀色の鍵だった。

 

 ごく普通の鍵のように見えるが、その表面には電子機器の中にある複雑な電子回路を思わせる紅い模様が刻まれており、この鍵が普通の鍵と乖離した存在であるという事を訴えかけている。

 

「――――――これ………嘘、天秤の鍵!?」

 

「ご名答」

 

「えっ? だって、傭兵さんに奪われちゃったんでしょ!?」

 

「ははははっ。………ナタリア、俺って器用なんだよ」

 

「そ、そうよね。岩を削ってお鍋とか作ってたし………」

 

 無人島で過ごした時の事だろう。俺が巨躯解体(ブッチャー・タイム)を使って岩を削り出し、調理用の鍋を作っていた時の事を思い出しているに違いない。

 

 小さい頃から、そういう事には自信があった。小学校の頃から絵をかいたり、粘土で何かを作ったりするのは得意で、あのクソ野郎は見向きもしてくれなかったけど母さんはよく褒めてくれていた。

 

 暴力ばかり振るわれる毎日を送っていたから、そんな辛い日々を経験していれば、優しい母親に褒めてもらうのはかなり嬉しいし、虐待で傷ついた俺を癒してくれた。だから俺は母さんにもっと褒めてもらおうと、よく自室で絵を描いたり、粘土で色々と作っていたんだ。

 

 前世で鍛え上げた〝器用さ”が、転生してから生かされたのである。

 

「親父に奪われたのはな………ここに来る途中にこっそり作ってた偽物さ」

 

「にっ、偽物?」

 

「そう」

 

 俺を殴って気絶させた親父が持って行ったのは、おそらくコートのポケットの中に入っていた方の偽物の鍵だろう。あの九稜城の天守閣で鍵を手に入れた後、天守閣から下りる途中の階段の踊り場で、親父と遭遇して鍵を奪われないようにと本物の鍵をブーツの中へ移しておいたのだ。

 

 その代わりに偽物をポケットの中に入れておいた。どうやら親父でも見破ることはできなかったらしい。

 

 ざまあみろ、クソ親父め。前世で鍛え上げた俺の器用さを舐めるなぁッ! ガハハハハハハハハハハハァッ!!

 

「ちゃんと金属を溶かしてリアルに作ったんだぜ? 上陸してから森の中に落ちてた刀とか鎧の破片を使ったんだ」

 

「あ、あんた………凄いわね………」

 

「ありがと。………親父には完敗したけど、これで鍵は2個になったな」

 

「え、ええ」

 

 最後の鍵があるのは―――――――西側にあるヴリシア帝国の帝都である『サン・クヴァント』。その帝都の中央に屹立する、『ホワイト・クロック』と呼ばれる巨大な時計塔の地下だという。

 

 ヴリシア帝国は、オルトバルカ王国と同等の国力を持つ島国だ。極めて大規模な騎士団を持つ大国だが、産業革命によって一気に工業力を向上させたオルトバルカ王国に遅れた形になっているため、既に騎士団の戦力ではオルトバルカ王国を下回っているだろう。

 

 強力な海軍を持つ帝国だが、主力の船は未だに旧来の帆船だと聞いている。それに対してオルトバルカ海上騎士団の戦力は、甲鉄の装甲に覆われた戦艦や装甲艦が中心だ。どちらが有利かは火を見るよりも明らかである。

 

 現在ではにらみ合いが続いているから、ここも入国には一苦労しそうだ。

 

 ちなみにその帝都は、21年前に親父たちが初めてレリエル・クロフォードと死闘を繰り広げた戦場でもある。その際に帝都の象徴であるホワイト・クロックは一度だけ倒壊しているらしいが、親父が言うにはその倒壊の原因はレリエルで、親父との戦闘中に巨大な時計塔を突き倒したという。

 

 ちなみにホワイト・クロックの高さは400m。そんなでっかい時計塔を、最強の吸血鬼は腕の筋力だけで倒壊させたらしい。

 

 初めて耳にした時はかなりビビりました。キメラでもそんな事は無理です。

 

 お父さん、レリエルを倒してくれてありがとう。そんな怪物と戦う羽目になったら俺たち全滅しちゃいますから。

 

 そして、親父たちはその化け物を撃退したのか………。

 

「さて、早いところ倭国を出ようぜ。偽物だって事に気付いたら、親父が追撃してくるかもしれないからな」

 

「そ、それもそうね」

 

「あ、それとさ」

 

「なに?」

 

 キューポラの中へと戻ろうとしているナタリアを呼び止める。きっと鍵をステラに預け、俺が偽物を用意していたおかげで2つ目も手に入ったという話をしに行くところだったんだろう。

 

 早くその話をしたいのか、ナタリアは少しうずうずしているようだ。

 

 俺は彼女の頭上の軍帽を見上げると、ニヤニヤしながら教えてやった。

 

「軍帽ずれてるぜ、ナタリア大佐」

 

「えっ? …………あ、ありがと」

 

 少しだけ顔を赤くして、そそくさとキューポラから車内へと戻っていくナタリア。せっかく直した軍帽が再びキューポラの縁に当たってずれたのを見てしまった俺は、砲塔の後ろに寄りかかりながらそっと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 へし折られた刀身が、彼女との戦いを楽しんだ男の墓標となっていた。

 

 九稜城の攻防戦の最中に、主と共に力尽きた1本の刀の刀身。九稜城の守備隊が全滅して戦いが終わった後も、エミリアの剣戟に耐え切れずに折れてしまった土方の刀の刀身は、ずっと主の亡骸の傍らに突き刺さったままだったから、すぐに見つける事ができた。

 

 立派な墓石はないし、棺も用意できない。しかし、共に戦った得物が自分の墓標となるのであれば、きっとこの攻防戦で散った土方も満足してくれる筈である。

 

 友軍の兵士たちが撤収の準備を進めている中で、エミリアは静かに夕日に照らされる土方の墓標を見守り続けていた。刃にまとわりついた赤い光が、まるで血涙のように下へと垂れていく。

 

「……土方の墓標か」

 

「ああ………」

 

 墓標を見つめたまま答えると、返り血まみれになったスコップを腰に下げた夫が隣へとやってきた。彼もエミリアと同じく傷を負ったわけではないようだが、フードの下から覗く彼の顔は、気のせいなのか悔しそうな顔をしている。

 

「……鍵は?」

 

「偽物だった」

 

 いつも冷静沈着で、仲間(同志)たちと共闘する時は彼らを鼓舞しながら戦う最愛の夫が悔しそうな顔をするのは珍しい事である。親しい親友や仲間が命を落とした時は、その場では涙を流さずに、いつも1人で涙を流すような男が、珍しく悔しさをあらわにしているのだから。

 

 珍しい夫の顔をまじまじと見つめたエミリアは、再び墓標を見つめながら息を吐いた。

 

「そうか」

 

「ああ。………タクヤは賢い奴だよ。あいつが一番恐ろしい相手かもしれん」

 

 気が強く、汚い手を何度も使う狡猾な少年だった。模擬戦では相変わらず手加減した状態で常に圧倒していたのだが、稀にひやりとしてしまうような一撃を繰り出してくるのは、いつもタクヤの方だった。今はまだレベルもステータスも低く、実戦の経験もまだまだ足りない青二才でしかないのだが、このまま実戦の経験を積んで鍛え上げていけば―――――――リキヤを超え、最強の転生者になるかもしれない。

 

 そして仲間たちと共に成長し、モリガンを超える最強のパーティーとなることだろう。

 

 転生者ハンターに必要なのは、力を悪用する転生者を狩るための力。そして、転生者たちに対しての強烈な抑止力である。

 

「ところでリキヤ」

 

「ん?」

 

 踵を返し、本国へと帰還するブリストルへ戻ろうとしていると、まだ墓標を見つめていた妻に呼び止められた。

 

「お前は――――――天秤で、どんな願いを叶えるつもりだ?」

 

「………」

 

 まだ、妻たちに彼の願いや、天秤がどのようなものなのか話していない。だからエミリアたちも、タクヤたちと同じく天秤をお伽噺通りの魔法の天秤だと信じている。

 

 天秤を欲する夫を支えるために、彼女たちは真相を知らないまま力を貸してくれている。そろそろ真相を教えるべきだろうかと思ったリキヤだったが、全て教えてしまえば彼女たちはリキヤを止めようとするに違いない。

 

 だから、あくまで教えるのは片鱗だけだ。

 

「………家族を取り戻すだけさ」

 

 天秤で〝求める”のではなく、天秤の力で〝取り戻す”。

 

 妻に自分の目的の片鱗を告げたリキヤは、聞き返される前にフードをかぶり直すと、本国へと帰還する戦艦ブリストルへと向けて歩いていく。

 

 彼から目的の片鱗を聞かされたエミリアは――――――ブリストルの汽笛が轟くまで、黙って土方の墓標を見守り続けていた。

 

 

 

 第七章 完

 

 第八章へ続く

 

 

 



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第8章
シベリスブルク山脈


 

 この世界に転生してからは、血の臭いがかなり身近な臭いになった。

 

 前世の世界では、怪我をしない限りは嗅ぐことのない臭いだろう。だが、あの世界で起きた飛行機事故で死亡し、タクヤ・ハヤカワという少年として転生した俺は、幼少期の頃からこの火薬の臭いと血の臭いを嗅ぎ、狩りと訓練をしながら成長した。

 

 狩りに行って獲物を仕留めれば、その獲物が流す血の臭いと、獲物を仕留めた銃の火薬の臭いが鼻孔を侵食する。前世では非日常的と言えるが――――――この異世界では、日常茶飯事である。

 

 強力な騎士団が街に駐留して治安維持しているものの、どの街も治安が良いというわけではない。街中にギャングや盗賊が潜んでいるのは当たり前だし、時折魔物が街を襲撃してくる事がある。

 

 どれだけ安全な街に住んでいる裕福な人間でも、魔物やごろつきに襲われて殺されるのがあり得る世界。転生したばかりの頃は、魔術が実在する夢のような世界だと思っていたんだが………前世よりも血生臭く、物騒な世界だ。

 

 そんな世界で、敵を蹂躙していき伸びてきた両親に育てられたからこそ、もう人を殺すことを躊躇わなくなったのかもしれない。

 

 血まみれになったナイフを腰の鞘に戻し、床の上に転がる死体の手足をほんの少しだけ蹴飛ばす。切断された少年の片腕がごろん、と転がり、真っ赤になった床の上でまた動かなくなる。

 

 指先に付着した血をハンカチで拭き取った俺は、壁にその血で描かれた文章を見上げながら息を吐いた。

 

《これ以上人々を虐げるならば、お前たちもこうなる》

 

 短い文章の片隅に『切り裂きジャックより』と書き足し、俺は踵を返した。

 

 部屋の中でバラバラにされているのも、転生者の1人だった。どうやら最近この町へとやってきたらしく、端末で作りだしたと思われる能力で警備していた騎士団を蹂躙し、町長を追い出してちょっとした独裁国家を作り上げていたのである。

 

 『奇妙な能力を使う少年が町を乗っ取った』という噂を聞いた俺たちは、すぐにその少年の事を調査し始め、転生者であるという事を確認してから襲撃を仕掛けた。まだレベルの低い転生者であったらしく、町長のものだった屋敷を警備していたごろつきをあっさりと殲滅してから少年をぶち殺すよりも、壁にこのメッセージを書く方が時間がかかってしまったほどの弱さだった。

 

 もちろん、壁に彼の血で書いたメッセージは日本語だ。この異世界の一般的な共通語として使われているオルトバルカ語ではなく、翻訳できる人物もかなり限られる異世界の言語でメッセージを残したのは、これが読める人物へのメッセージであるからだ。

 

 親父が言うには、転生者の大半は日本人らしい。

 

 理由は不明だが、大半が日本人ならばメッセージを日本語で書けば彼らは理解できる。転生者はオルトバルカ語についての知識を得た状態で転生してくるため、俺のように赤ん坊の状態で転生したケースを除けば改めて言語を勉強する必要はない。それに日本語の記憶も残っているから、最初から2つの言語をマスターしているという事になる。

 

 だから、より親しい言語を使って、その〝限定的な連中”へとメッセージを送っているのだ。

 

 異世界の文字だから、この世界の人々では絶対に翻訳することは出来ない。どれだけ有名な考古学者でも、別の世界の言語を翻訳することは不可能なのだ。だから異世界の人々にはただの奇妙な模様にしか見えない。

 

 家で生活していた頃は、親父と秘密の話をする時はよく日本語で会話していた。おかげで母さんたちをかなりびっくりさせることになっちまったが、親父が「ニホン語の勉強の時間だ」と言って誤魔化してくれたから、怪しまれずに済んだけどね。

 

 クソ野郎共へのメッセージを残した俺は、ドアノブを開けて1階へと下りていった。既に廊下を警備していたごろつき共は蜂の巣になっていたり、バラバラになった状態で廊下に転がっている。ただの襲撃者に殺されたならばもっと原形を留めている筈なんだが、これでは人間の面影を残した肉片が転がっているのと同じである。

 

 血生臭い屋敷の中から外へ出ようと、やはり血飛沫が付着したドアを開けた。町を支配していたバカ野郎が惨殺されていれば、すぐに新聞記者たちが記事にしてくれるだろう。もちろん、あの壁の異世界の文字(日本語)も白黒の写真で撮影してくれるに違いない。

 

 そうしてくれれば、この異世界中のクソ野郎共がそのメッセージを目にしてくれる筈だ。『人々を虐げるのならば、お前たちもこうなる』という転生者ハンター(切り裂きジャック)からのメッセージ。ビビって蛮行を止めてくれればいいんだが、続けるような馬鹿な片っ端から狩らなければならない。

 

 そして再びメッセージを残し、あの馬鹿共を恐れさせる。その恐怖が彼らへの抑止力となるのだ。

 

 これで蛮行も減ってくれるだろうかと思いながら屋敷の外へと出ると、甘い匂いを引き連れた夜風が、俺の血生臭い臭いを洗い流した。

 

 火薬の臭いもするが、かなり薄れている。

 

 俺と同じく血生臭い戦場にいるというのに、その甘い香りは、血の臭いの中でも消えることはない。

 

 血の臭いが支配する夜空の下に佇んでいたのは、漆黒の制服に身を包み、銃剣の付いた長大なライフルを肩に担いだ1人の少女であった。

 

 2枚の真紅の羽根で飾られた漆黒のベレー帽の下から覗くのは、炎を思わせる長い赤毛。前髪の下で足元の死体を見下ろすのは、同じく炎を彷彿とさせる赤い瞳。しかし炎を思い浮かべてしまう色にしてはその目つきは冷たく、むしろ目つきだけならば氷を思わせる。

 

 しかしその冷たい目つきは、屋敷の中から出て来た俺を目にした瞬間、一瞬で加熱されていつも目にする優しい目つきへと変わっていった。

 

「あっ、お疲れ様。終わった?」

 

「ああ。早く逃げようぜ」

 

 ラウラが抱き付いてくる前にそう言った俺は、アンチマテリアルライフルのヘカートⅡを肩に担ぐ彼女の手を引くと、一緒に屋敷の塀を飛び越え、仲間たちとの合流地点へと向かう事にした。

 

 この作戦は、ナタリアが立案した作戦である。

 

 まず、ナタリアが警備のごろつきを堂々と襲撃して囮になる。彼女を追撃するごろつき共をカノンとステラが待ち構えている森の中へと誘導して殲滅しつつ屋敷の警備を手薄にしてから、俺とラウラが屋敷を襲撃するという作戦だ。

 

 おかげで、戦闘は5分くらいで終わった。

 

「転生者は強かった?」

 

「いや? 喋ってる間にナイフで喉を斬ったら死んだ」

 

 それだけで、今回の戦いは終わったのである。

 

 強力な力を手に入れて油断していたのだろうが、相手が自分より格上である可能性もあるのだから、当たり前だが油断しないのが鉄則なのではないだろうか。

 

 容易く狩れるのは喜ばしいが、愚かな敵が多過ぎる。

 

 落胆しながら、俺はラウラを連れて走り続けた。

 

 もう、血の臭いは消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 倭国での九稜城攻防戦の最中に、何とか本物の鍵を手に入れる事ができた俺たちは、親父に追撃される前にエゾを後にして倭国海をDSRVで越え、その向こうにあるオルトバルカ王国の領土の『ヴィラヌオストク』へと到着していた。

 

 ヴィラヌオストクはオルトバルカ王国の最も東に位置する半島で、すぐ隣にはジャングオ民国がある。列強と呼ばれる先進国がある巨大な大陸を貫くかのように位置するこの地域は、オルトバルカ王国の極東地域での橋頭保とも言える。そのためなのか建物の建築様式には東洋の建築様式の影響が見受けられるし、王都からかなり離れているせいで産業革命の影響が少なかったのか、鉄道が走っている様子はなく、道路を走っている馬車も古い物が多い。

 

 オルトバルカ王国の名物であるフィッシュアンドチップスを頬張りながら、片手で頭上のハンチング帽を直す。いくら髪の中に隠れてしまうほどの長さの角とはいえ、感情が少しでも昂れば勝手に伸びてしまうため、キメラにとって角を隠すための帽子やフードは必需品である。

 

 服装はいつものコート姿ではなく、ごく普通の私服と変わらない『ポーランドのレジスタンス』にしている。あのコートを身に着けていても別に問題はないんだが、たまにはフードじゃなくてハンチング帽をかぶりたかったので、服装はあまり目立たないこちらの方を選んだ。

 

 ちなみに服装にもスキルがついており、身に着けるだけでそのスキルを使う事ができるようになる。この服装にも敵が多ければ多いほど自分のステータスが上がるという便利なスキルが装備されているのだが、基本的にコート姿のまま戦うし、仲間と連携ばかりするせいで複数の敵を相手にする事が全く無いので、こっちの服装は俺の私服と化している。

 

 タルタルソースの付いたフィッシュアンドチップスを飲み込み、パブのテーブルの上に置かれていた新聞紙を手に取る。どうやら新しい新聞のようだ。

 

 その新聞紙に記載されている記事の中で一番大きな記事を目にした瞬間、俺はもぐもぐとフィッシュアンドチップスを噛み砕いていた口を、思わず止めてしまう。

 

 ――――――《切り裂きジャック、ヴィラヌオストクへ上陸か》。

 

 あらら、もう記事になってる。

 

「ふにゅ、今日の新聞だね」

 

 パブの隣の席でフライドポテトを頬張っていたラウラが、さりげなく俺の頬に頬ずりしながら新聞紙の記事を覗き込んだ。花と石鹸の匂いを混ぜ合わせたような甘い香りにドキドキしながら、ハンチング帽を押さえつつ俺も記事を凝視する。

 

『昨日、ヴィラヌオストク地方のフラシスブルクを乗っ取り、町民たちを圧政で苦しめていた謎の少年が惨殺される事件が起こった。騎士団の調査では、少年の死体はバラバラにされており、壁には少年の血で奇妙な記号のようなものが描かれていたという。先週にはラトーニウス王国のノルト・ダグズでも同じ事件が勃発しており、同じ犯人による事件ではないかと思われる。なお、この殺人事件の犯人は〝切り裂きジャック”と呼ばれている』

 

 その文章の下には、少年が乗っ取った屋敷の白黒写真が掲載されていて、町民へのインタビューも載っているようだ。インタビューはとりあえず流し読みして隣にいるラウラに新聞紙を渡し、残っていたフィッシュアンドチップスを口の中へと放り込む。

 

 海が近いからなのか、ここのフィッシュアンドチップスは王都のよりも美味いような気がする。食材が新鮮だからなんだろうか。

 

「ふにゅー………切り裂きジャックだって」

 

 他のテーブルでも、これから仕事に行くと思われる労働者の男性たちが新聞紙を読みながら、ハムエッグとトーストを頬張っているところだった。今日の新聞に載った切り裂きジャックが同じパブで朝食を摂っているんだが、もし俺の正体を知ったらここの客はかなりびっくりするに違いない。

 

 だが、無差別にあんな殺し方をするわけではない。あくまで惨殺するのは悪さをする転生者だけ。この世界の人間でも悪さをする奴はもちろんぶち殺すが、血でメッセージを書くのは転生者を殺した時だけにしている。

 

 クソ野郎以外の奴をあんな方法で殺したら、俺もクソ野郎になってしまう。親父に狩られるわけにはいかないし、クソ野郎になるつもりはないので、このルールは絶対に守るようにしたい。

 

「この恐怖が抑止力になってくれればいいのですが………お兄様を侮る輩が多過ぎますわ」

 

「ですが、テンプル騎士団の規模が大きくなれば転生者たちの蛮行も減るかと」

 

 ステラの言う通りだ。今はこれまで通りに天秤を探しつつ、適度に転生者を狩り続けていればいい。

 

 親父のように転生者を狩り続けるのも有効な手段だが、人数が少なすぎるという欠点がある。いくら最強の転生者でも、たった1人で世界中の転生者を皆殺しにするのは不可能だし、転生者は次々にこの世界へとやってくるので全く切りがない。

 

 そこで、俺は恐怖を抑止力にすることで、転生者たちの蛮行を止めようという計画を立てた。人々を虐げ、圧政を続けるような転生者はテンプル騎士団に狩られるという事を知らしめることで、彼らの蛮行を抑制して人々を守るのだ。

 

 そのために、モリガンのような少数精鋭ではなく、大規模な組織にしなければならない。最終的に世界中の諜報員を派遣して情報を入手させ、実働部隊がその転生者を狩るという仕組みにする事が出来れば、俺たちの〝狩り”は効率が良くなるだろう。

 

 親父は自分の能力で造った武器を同志に悪用されることを恐れていたようだが、虐げられた経験のあるもの同士ならば力を悪用しようとはせず、自分たちを虐げていた理不尽な奴らに復讐しようと団結するものだ。俺は親父から様々なことを学んだが、これだけは親父と同じ方法にするつもりはない。

 

「まず、諜報員が欲しい。情報収集のプロを各地に派遣して転生者の情報を入手して………実働部隊が転生者を狩る。これを世界中で出来るような規模にしたいんだが………」

 

「それ、王国の騎士団並みの人員が必要になるわよ………?」

 

 理想的な仕組みを口にするが、向かいの席でバターとストロベリージャムを塗ったトーストを齧っていたナタリアにあっさりとそんな事を言われてしまう。

 

 うぅ………。確かに世界中に諜報員とか実働部隊を派遣できる組織って、この王国の騎士団並みの人員がいなければ実現できねえよな………。実働部隊を少数精鋭にするとアンバランスになるし、諜報員を減らせば肝心な情報が集まらなくなる。

 

 うーん、やっぱり人数を増やさないとダメか。

 

「正式採用のライフルとか考えてたのに………」

 

「へえ? 何にするつもりだったの?」

 

「AK-47とマカロフ」

 

 どちらもロシア製のアサルトライフルとハンドガンである。

 

 他の国に派遣する場合は別の武器にするべきだし、臨機応変に武器を変えた方が効率的なんだが、少なくとも雪国のオルトバルカ王国で戦うならばロシアの銃が適任だろう。気候も似ているし、武器は滅茶苦茶頑丈だからな。

 

「ふにゅ、狙撃手も育成するの?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、狙撃手の銃はSV-98にしようよ! 私もあれ使ってたし!」

 

「お姉様、ドラグノフも捨て難いですわよ」

 

 ま、また武器の論争が始まりそうだ………。

 

 とりあえず、テンプル騎士団の人員の事は旅をしながら考えよう。このまま話を続けていたらヤバい。

 

 

 

 

 

 

 

「次の目的地は、ヴリシア帝国ですね」

 

「ああ」

 

 アイテムをコートのホルダーに入れ、ポーチの中身を今のうちに確認しておく。銃のチェックもやっておきたいところだが、街中でこの世界に存在しない銃を見せびらかしたくはないのでチェックは郊外でやろう。アイテムを販売している露店の近くでチェックするのは、あくまでアイテムと接近戦用の得物のチェックのみである。

 

 これから俺たちは、このヴィラヌオストクから更に北に向かい、オルトバルカ王国の領土内で最も危険な場所と言われる『シベリスブルク山脈』を超え、ヴリシア帝国を目指すことにしている。

 

 オルトバルカ王国は国土の4分の1が雪山になっている雪国だ。シベリスブルク山脈は、その雪山の中でも最も高く危険な場所である。山脈の全域が危険なダンジョンにしているされている雪山で、エンシェントドラゴンに匹敵するほど危険な魔物がうようよ生息している危険地帯なんだが――――――最も危険なのは、その魔物よりも環境の方だ。

 

 手前の小さな山脈はごく普通の雪山なんだが、中心部へ近づくにつれて段々と気温は低くなり、常にブリザードが荒れ狂っている。そのブリザードの先にあるシベリスブルク山脈は永久凍土となっており、最深部の最低気温は-102.8度だと言われている。

 

 屈強な冒険者や魔物でもあっさりと凍えてしまう気温だ。しかも山脈の周囲は危険な魔物が徘徊しているため、開拓どころか調査すら進んでおらず、ここを調査しようとする冒険者は数少ない。

 

 ちなみに、オルトバルカ王国ではシベリスブルク山脈をダンジョンだけではなく流刑地にも指定しているらしく、犯罪者はここに追放される事があるという。

 

 俺たちは、今からその山脈を超えようとしているのだ。ちなみに調査が目的ではないので、危険な中心部ではなく外周部を通って反対側へと向かうだけだ。

 

 危険な場所だが、ここを突破すれば隣国のフランセン共和国の植民地がある。そこから船に乗るか潜水艇を使えば、島国であるヴリシア帝国まですぐに向かえるというわけだ。

 

 この危険な場所を通ろうとしたのは、親父たちよりも早くヴリシア帝国に辿り着かなければならないためである。倭国での争奪戦で痛感したばかりだが、親父たちには勝てない。逃げ切ろうとしていたにもかかわらず敗北し、偽物とはいえ鍵を奪われてしまっている。だから遭遇するのではなく、そもそも親父たちと争奪戦をしてはいけない。

 

 だから、最短ルートを通ってヴリシア帝国へと向かわなければならない。

 

「よし、これでいいな」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

「ん?」

 

 回復用のエリクサーを胸のホルダーに差し込み終えた俺にナタリアが声をかけてくる。彼女はもう既に準備を終えているらしく、腰には愛用のククリナイフを下げていた。

 

「何だ?」

 

「ねえ、それは何?」

 

「え?」

 

 ナタリアが見下ろしているのは、俺が左足の太腿のホルダーに差し込んでいるやつだろう。

 

「あ、これ? さっき鍛冶屋で買ってきたんだよね」

 

 そう言いながら、俺は太腿のホルダーから伸びる柄を握り―――――中に入っていたスコップを、引き抜いた。

 

 朝食を終えてからアイテムの準備を始めたんだが、その時に近くの鍛冶屋で購入してきたのだ。ちなみにこのスコップはモリガン・カンパニー製で、折り畳み式である。

 

「何でスコップを買ったわけ?」

 

「え? 親父が使ってたし、便利かなって思ってさ」

 

 倭国で親父が使ってたんだよ。戦闘中に何回かスコップで殴られたし、あの親父はラウラの狙撃をスコップで防いでたからな。

 

 あの時、俺もスコップがどれだけ便利なものなのか気付いたんだ。塹壕を掘る時に使うし、ダンジョンの中で使う事もあるだろう。それに武器にもなる筈だ。実際に第一次世界大戦では、接近戦でスコップも武器として使用されていたという。

 

 だから俺も、親父みたいにスコップで敵の狙撃を防げるようになりたいのさ。

 

「た、確かに使ってたわね………」

 

「雪山でも活躍すると思うぜ」

 

 これを購入したのは、親父の影響を受けただけなんだけどね。

 

 親父も使っていたという事を思い出したナタリアが納得している間に、俺はこっそりとラウラの方を振り向くと、にやりと笑いながらウインクするのだった。

 

 

 



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タクヤの本音

 

 ヴィラヌオストクから北へと向かうと、広がっている草原は早くも雪原へと変貌していた。8月下旬から9月上旬には雪が降り始めるほどの雪国であるオルトバルカ王国では、別に珍しくない光景の1つである。むしろ、常に草原が雪で覆われている景色の方が馴染み深く感じてしまうほどだ。

 

 ため息をつくと、その息は白くなって後方へと置き去りにされてゆく。フードの正面から流れ込んでくる雪を孕んだ冷気を払い落とすかのように頬を両手で温めながら、俺は雪原を全力疾走するMBT(主力戦車)のエンジン音とキャタピラの旋律に耳を傾けていた。

 

 俺たちがこれから向かうのは、雪国のオルトバルカ王国の中で最も寒いと言われているシベリスブルク山脈。最低気温は-102.8に達する極寒の山脈で、その過酷な寒さを利用して流刑地にも利用されている物騒な山脈である。しかも生息している魔物も非常に凶暴であるため、冒険者による調査すらまともに進んでいないという有様だ。麓には小さな村があり、そこにも小規模な冒険者管理局の施設があるらしいのだが、そこを訪れる冒険者は少ないし、その村に行こうとする商人もなかなかいないので、向かうには広大な雪原を徒歩で向かうか、自腹で馬車を借りていくしかない。

 

 そんなことをすれば肝心な山脈に辿り着く前に凍死する羽目になるのは火を見るよりも明らかである。いくら防寒着を用意していたとしても、食料も確保できないし、魔物まで生息しているのだ。少なくとも徒歩での移動は自殺行為でしかない。

 

 でも――――――戦車なら関係ない。

 

 雪原をホワイトとグレーの迷彩模様で塗装されて疾走するチャレンジャー2の砲塔に腰を下ろしながら、俺は愛用のAN-94を担いだまま雪原を見渡していた。

 

 もちろんいつもの黒いコートはちゃんと着ているし、いつものように1人でタンクデサントする羽目になるのだからと、水筒の中には熱々の紅茶を用意しておいたんだけど………腰の水筒の中からは、もう数分前のような温もりは全く感じない。まるで冷凍庫の中から取り出したばかりの氷のように、ひんやりとしている。

 

「さ、寒いよぉ………」

 

 くそ、戦車の中は暖かいんだろうな。ちゃんと暖房も追加で装備しておいたし、中にはホットプレートもあるから暖かい紅茶も飲み放題。それに対して俺は一人ぼっちで冷たい紅茶とライフルを手にタンクデサントだと?

 

 おいおい、誰だよ。こんな理不尽な役割分担にしたの。何で俺だけこんなに充てられる役割が過酷なの? 

 

「あ、あははは………紅茶がアイスティーになってるよお姉ちゃん………」

 

 しかも俺は炎属性と雷属性のキメラだから、寒さにそれほど強いわけではないのです。ラウラは純粋な氷属性のキメラだから、仮に俺のようにタンクデサントする羽目になっても薄着で問題ないだろう。

 

 ああ………凍死しちゃう………。

 

 水筒の蓋を開けてみると、中からはアイスティーと化した暖かかった紅茶が、まるで寝返ったかのように俺の顔に向けて冷気を発してくる。最後の支えだった暖かい紅茶が完全に冷めてしまったことに絶望しながら、俺は微かにジャムの甘みがするアイスティーを口に含んだ。

 

 冷たくなった水筒の蓋を閉じようとしていると、雪に覆われかけていた砲塔の上のハッチがゆっくりと開いた。暖かい車内の空気を身に纏いながら顔を出したのは、まるでランタンの優しい光を思わせる橙色の髪の少女だった。頭には紅と黒の2色のヘッドドレスを乗せ、身に纏っている制服はドレスのようなデザインになっている。しかし普通の貴族のようにただ華やかなだけではなく、胸元や肩にはマガジンやアイテムを入れておくためのポーチが用意されているため、華やかさと実用性を兼ね備えていると言える。

 

「あら、結構寒いですわね」

 

「あれ? カノン?」

 

 ハッチの中から顔を出したのは、俺たちの妹分でもあるカノンだった。普段はマークスマンライフルを手に中距離から俺たちを援護し、戦車に乗る際には砲手を担当している。特に砲撃の技術は非常に高く、超遠距離から俺たちの親父に粘着榴弾を直撃させるほどの実力を持っている。彼女に砲撃を任せれば、まさに百発百中というわけだ。

 

 その百発百中の砲手が、どうして外に出て来たのだろうか? 確かに今は魔物も出てこないし、警戒は車長のナタリアと外で震えている俺に任せればいいから、砲手と装填手は暇になる。俺に会いに来てくれたのだろうか?

 

「砲手は?」

 

「ステラさんに変わっていただきましたわ」

 

「ステラか………」

 

 彼女には、トレーニング中にティーガーⅠの上からドリフトで振り落とされた事があるからなぁ………。でも、幸い操縦士はラウラが担当してくれているからまたドリフトで放り出されることにはならないと思う。というか、なったら戦死は確定である。

 

 危険人物(ステラ)が砲手を担当しているのもまだ危険だとは思うが、いきなりドリフトされるよりは危険度は下だろう。まだマシだ。

 

「お兄様とお話しようと思っていたのですが………」

 

「ん?」

 

「―――――結構寒いので、やっぱり中に戻りますわ。それでは、お兄様」

 

「はぁっ!?」

 

 ちょっと待って!? え? 俺と話に来てくれたんでしょ!? 

 

 予想以上の寒さに震えながら、再び戦車の中へと戻ろうとするカノンの肩を大慌てで掴んだ俺は、まるで彼女に泣き付くかのように彼女の肩を引っ張る。逃がしてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!

 

「待って! カノン、お願いだから外にいて!」

 

「ちょ、ちょっとお兄様!? 離してくださいな!」

 

「やだやだ! 寒いのはもう嫌なのっ!!」

 

 何だかラウラの駄々のこね方と同じになってる………。

 

「冗談ですわ、お兄様。ご安心くださいな」

 

「冗談なのかよ………」

 

 手を離した瞬間に砲塔の中に滑り込んで逃げる気なんじゃないかと思ってビビったけど、カノンはそのままハッチの中から出てくると、俺の隣に腰を下ろしてくれた。

 

 よ、良かった………。話し相手がいるなら、何とかこの寒さに耐えられそうだ。というか俺も戦車の中に入れてくれてもいいと思うんだけど、どうして俺だけ車外で放置なんですかね?

 

「はい、お兄様。こっちの紅茶の方が暖かいですわよ」

 

「お、ありがとな」

 

 優しい妹分だ………。

 

 カノンから新しい紅茶の入った水筒を受け取り、さっそく中に入っている熱々の紅茶を口へと運ぶ。水筒の中から溢れ出す湯気で寒さを洗い流しながら紅茶を飲んでいると、隣に座っていたカノンが静かに腕を俺の腕に絡ませ始める。

 

「ふふっ。何だか、お兄様に甘えるのは久しぶりですわね」

 

「そうか?」

 

「ええ。小さい頃はよく甘えていましたわ。覚えていませんの?」

 

「ん? ………あー、待って。思い出した」

 

 そうだったな。よくおままごとをやっている最中に甘えられたよ。俺が父親の役で、ラウラが母親。カノンの役割はいつも1人娘だった。

 

 彼女が俺に「おかえりさない、おとうさまっ♪」って言いながら甘えるのを見る度に、カノンの父親であるギュンターさんに睨まれたけどね。うん、ああいう時のギュンターさんは滅茶苦茶怖いのよ。

 

 成長するにつれてカノンも色々と貴族としての教育が本格化して会えなくなったし、会ったとしてもマナーを身に付けた後の彼女だったから、いつも俺たちに甘えていた可愛らしい妹分とは別人のようになっていて、俺とラウラはよく戸惑っていたものだ。

 

「ああ、やっぱりお兄様って良い匂いがしますわ………」

 

「あまり甘えてると、ラウラに怒られるぞ」

 

「ご心配なく。わたくしはお姉様からお兄様を取るつもりはありませんの。むしろお姉様がお兄様と結ばれるように手助けするつもりですわ」

 

「マジ?」

 

「ええ。………ねえ、お兄様」

 

「ん?」

 

 また紅茶を飲もうと思って水筒の蓋を開けようとしていると、俺の肩に頬ずりしながら匂いを嗅いでいたカノンが、いつの間にか真面目な目で俺の顔を見上げていた。微笑んでいるんだが、目つきだけはいつもよりも真面目なのである。だから次に彼女が口にする話は真面目な話なんだろうなと予想しながら、「どうした?」と聞き返す。

 

「お姉様は………やっぱり大切な人なのですわよね?」

 

「当たり前だ」

 

 ラウラは、俺にとって大切な人だ。

 

 家族の1人だし、俺は彼女の事を愛している。姉なのだから弟を守らなければと頑張っているんだけど、彼女は不器用な少女だからなかなかうまく行かずに、結局いつも俺に頼る羽目になっているけど、弟としてはそうやって頑張ろうとしているお姉ちゃんを見ていると嬉しくなってしまう。

 

 前世では俺は一人っ子だったし、虐げられてばかりの前世だったから、俺のために頑張ろうとしてくれている姉の優しさをより大きく感じてしまったのかもしれない。

 

 だから――――――俺は、ラウラの事を愛している。

 

「小さい頃から甘えてばかりの困ったお姉ちゃんだけどさ………俺のためにいつも頑張ろうとしてくれてるんだよ。弟としてはそういう姿を見てしまうと、滅茶苦茶嬉しいんだ。………だから俺も、お姉ちゃんにちゃんと恩返しがしたいし、出来るならずっと一緒にいたい。もう離れたくないんだ」

 

「お兄様………」

 

「………はははっ、俺もすっかりシスコンになっちまったなぁ」

 

 何だか恥ずかしい………。

 

 でも、俺はこれからもラウラと一緒にいるつもりだ。小さい頃に誘拐された時のように、もう怖い思いは絶対にさせない。

 

「………良かったですわね、お姉様」

 

「えっ?」

 

 え、何言ってるの? ラウラは操縦士やってるんでしょ?

 

 ぎょっとしながら、俺は場違いなことを言ったカノンを見下ろし――――――雪原の真っ只中で、凍り付く羽目になる。

 

 何とカノンは、耳に装着していた無線機に向かってそう囁いていたのだ。しかも彼女の真っ白な左手の指は、ずっと無線のスイッチを押したままになっている。今のはラウラに向けての連絡だったんだろうが、もしあの指が先ほどからずっとスイッチを押し続けていたのだとしたらと思った瞬間………今度は凍り付いたはずの俺の身体が、一気に熱くなっていくのを感じた。

 

 物理的な熱さではなく、恥ずかしさが原因であるのは言うまでもないだろう。

 

「――――――かっ、か、かか……カノン………ッ!? まっ、まさか今の前部………!?」

 

 狼狽しながら再び彼女に掴みかかると、カノンは微笑みながらウインクしつつ、容赦なく俺に止めを刺してきた。

 

「ええ、ずっとスイッチは押しっ放しでしたわ♪」

 

「―――――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ぜっ、全部ラウラどころかみんなに聞かれてたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?

 

 今すぐに戦車から飛び降りるか、気を失って倒れてしまいたいところだったが――――――それよりも先に、車内の方からハッチを思い切り掴む音が聞こえてきたかと思うと、再び砲塔の上のハッチが勢い良く開いた。

 

 ああ、ついに今の俺の本音を聞いた本人が襲来する………!

 

 今まで震えていた寒さすら感じる余裕がなくなるほど狼狽していた俺は、ハッチの中から凄まじい速度で何かが飛び出したのを目の当たりにし、息を呑みながら雪の降る空をゆっくりと見上げた。

 

 まるでイージス艦から発射された対潜ミサイルのアスロックのように、雪の降る空へと舞い上がったそれは――――――いつも俺の隣にいた、赤毛の可愛らしい少女であった。

 

 アスロックがパラシュートを開き、海面へと下りていくかのように急降下を開始した赤毛のアスロックは、そのまま冷たい風と雪を引き裂きながら、両手を広げて俺へと急降下してくる!!

 

「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! タクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ら、ラウラ、待っ―――――――」

 

 そして、ついにその赤毛の少女が、潜水艦に直撃するアスロックのように真上から俺へと飛び込んできた。ずどん、と猛烈な衝撃を纏って飛び込んできた彼女を辛うじて受け止められたのは僥倖かもしれないが、彼女が連れてきた運動エネルギーと衝撃まで一緒に受け止める羽目になった俺は、複合装甲で強化されたチャレンジャー2の砲塔に思い切り後頭部を叩き付ける羽目になってしまった。

 

「――――――どらぐのふっ!?」

 

 頭が叩き割られてしまうのではないかと思うほどの激痛と凄まじい衝撃を味わいながら、俺は静かに起き上がろうとする。でも頭上から落下してきたラウラは俺を起き上がらせるつもりはないらしく、両手で俺の身体を抱き締めながら尻尾を俺に絡み付かせ、エリスさんと同じく大きな胸を押し付けながら既に頬ずりを始めていた。

 

 雪の中で、彼女の甘い香りと温もりが俺を包み込む。頬ずりしていた彼女が頬を俺から離したかと思うと、今度は俺の頬にキスをしてから再び頬ずりを続行する。

 

「嬉しいよ、タクヤ! お姉ちゃんの事そんなに大切に思ってくれてたのね!? うん、お姉ちゃんも絶対にタクヤから離れないからね!? 一生こうやってくっついてるからね!? 甘えん坊って言われても関係ないもん、お姉ちゃんはタクヤの事が大好きなんだから! ……ああ、タクヤぁ……やっぱりタクヤって良い匂いがするよぉ………! ふふっ、これからもタクヤのためにいっぱい頑張るから、何かして欲しい事があったら何でも言っていいんだよ? えっちなことでもお姉ちゃんはしてあげるからね? うふふふっ………タクヤ、大好き………タクヤっ♪」

 

「あ、ああ………俺も大好きだよ………」

 

 あー、後頭部が痛い………。

 

 辛うじてラウラにそう言った直後、後頭部の痛みが消えると同時に身体が動かなくなってしまった。

 

 多分、気絶しちまったんだと思う。

 

 




これがラウロックミサイル(対タクヤミサイル)。

※ドラグノフは、ロシアのマークスマンライフルです。


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スオミの里

 

 シベリスブルク山脈の麓には、雪に覆われた『シベリスブルク平原』と呼ばれる平原が広がっている。山脈の中で荒ぶるような猛烈なブリザードとは無縁の平原だが、全く寒くないわけでもない。半年は雪に覆われている極めて広大な平原で、麓にある村までは距離がある上に魔物も数多く生息しているため、商人たちはここを通過する際は傭兵を護衛として雇う事が多いと聞く。

 

 しかし、それでもこの平原を通過して行く商人の数は少ない。その理由はまず鉄道がその村まで通っていない事だろう。やはり産業革命で列車が登場し、馬車よりも短時間で目的地へと移動できるようになった時代で、列車が通っていない村は必然的に訪れる人が減っていくものである。俺たちが一番最初に訪れたフィエーニュ村も、列車が通らなかったために訪れる人が減っていった村の1つである。

 

 そして、近くにあるダンジョンに挑もうとする冒険者がかなり少ないというのが原因かもしれない。

 

 魔物たちによる村や街への襲撃の件数が激減し、更に工業をはじめとするあらゆる技術の発達によって強力な装備を開発できるようになったため、人類はやっとダンジョンの調査を本格的に進める事ができるようになった。そのため、傭兵の仕事が減少していくと同時に冒険者たちが主役になり、彼らを統括するための〝冒険者管理局”が設立されたのも最近の話である。

 

 今や、世界中のあらゆる職業の主役は冒険者と言っても過言ではない。危険なダンジョンへと入り込み、中にいる危険な魔物を倒して秘宝や素材を持ち帰る冒険者は、まだ完全に開拓されたわけではないこの世界に必要不可欠な存在だし、彼らを題材にした物語を目にしている子供たちにとってはまさにあこがれの職業なのである。

 

 しかし、シベリスブルク山脈に挑もうとする冒険者は少ない。やはり環境があまりにも過酷すぎることと、更に危険な魔物が生息していることが原因だろう。そのせいで冒険者は全く立ち寄ることもなく、鉄道も通る予定がないためその村を訪れる人は非常に少ないという。

 

 まあ、訪れる人が少ないというより、〝その村の人々が拒んでいる”のも原因かもしれないが。

 

「お、見えたぞみんな」

 

 極寒の中で1人だけタンクデサントする羽目になっていた俺は、体内の魔力で辛うじて堪えていた身体を何とか動かし、降り続ける雪の向こうに姿を現した村を見つめながら戦車の上ではしゃいでいた。やっと雪の中で野晒しにされる時間が終わり、雪山に上る前に暖かいベッドで眠れるというわけだ。何度も車内から差し入れとして暖かい紅茶とストロベリージャムを分けてもらったけど、気温のせいでその差し入れはことごとくアイスティーとストロベリーのシャーベットと化し、俺の体温を雪と共にどんどん奪っていくのに一役買っていたのは言うまでもない。

 

 祝砲代わりに持っているAN-94のフルオート射撃をぶっ放したいところだったけど、それはさすがに村の人々に迷惑だろうからやめておく。それに弾薬も無駄にしてしまうからな。

 

 俺の能力で生産した武器の弾薬は、一部の武器を除いて最初に装填されている分と再装填(リロード)3回分が用意されるようになっている。その数はスキルを装備することである程度増やす事ができるらしいので、俺は『所持可能弾薬数UP』というスキルを装備し、弾薬の支給される数を再装填(リロード)5回分まで増やしている。

 

 さすがに戦車に乗ったまま村に突入するわけにはいかないので、村から少し離れたところで戦車を停めてもらい、仲間たちと共にライフルを背負ったまま村へと向かう事にした。

 

 アサルトライフルを背負ったまま戦車の砲塔から飛び降りると、男子にしては華奢な俺の両足はあっさりと雪原に降り積もった雪の中へとめり込んでいった。何年もこんな環境での雪遊びを繰り返していた俺はあっさりと足を引き抜いたけど、仲間たちの中で一番小柄なステラは、ずぼん、と胸元まで雪の中に沈んでしまう。

 

「ひゃん………ッ!?」

 

「す、ステラ!?」

 

 いきなり胸元まで沈んでしまってびっくりするステラ。彼女は雪の中から出ようともがいているんだけど、必死に振り回す彼女の小さな手は雪の欠片を俺たちにぶちまけるだけで、彼女の身体を持ち上げるという役割を果たしていない。

 

 し、仕方ないな………。このまま風邪を引かせるわけにもいかないし………。

 

 彼女の身体を両手で持ち上げ、振り回されるステラの小さな手にぺちん、と顔を叩かれながらも、俺は彼女を抱き抱えながら戦車を装備の中から解除し、村へと向かって歩きだした。

 

「た、タクヤ………」

 

「ん?」

 

「そ、その………今、顔……叩いちゃいましたよね………?」

 

「ああ、気にすんな。大丈夫だって」

 

 抱き抱えられながら顔を赤くするステラ。前まで彼女は殆ど無表情だったんだけど、最近は少しずつ感情豊かになってきている。特に無人島で一緒に泳いだ時は、海の中を生まれて初めて目の当たりにしてはしゃいでいた。

 

 自分以外の同族を失ったショックで、きっと彼女は感情を出す事が出来なくなっていたんだろう。自分以外の同胞が壊滅するショックというのは、想像できないほど大きかったに違いない。

 

 逆に言えば、彼女が感情豊かになっているという事は、少しずつそのショックが薄れているという事だ。サキュバスが絶滅寸前まで追い詰められたという痛々しい事実まで忘れるべきではないが、それをいつまでも引きずるわけにもいかないだろう。

 

 血生臭い戦乱の世界で生きていた彼女には、今の世界を謳歌して欲しいものである。

 

 ライフルを背負い、まだぷるぷると震えているステラを背負いつつ歩き続けると、やがて雪の降る中に木製の柵と簡単な入口の門が見えてきた。魔物の侵入を防ぐために建造されるようなバリケードではなく、農場に設置されているような飛び越えられる程度の木製の柵は、外敵をそこで防ぐという用途のために用意されたとは思えない。防壁を用意できないのであれば門の前に警備兵や見張りを配置しておくのが鉄則なのだが、魔物が生息している平原だというのに、閑散とした門の前には人影は見当たらない。

 

 いくら極寒の平原とはいえ、しっかりした防寒着と焚火でも用意して見張りを配置するべきなのに………。もうこの村を守ることを諦めているのだろうか?

 

「ここが〝スオミの里”か………」

 

 俺たちが辿り着いたこの村は、オルトバルカ人たちからは〝スオミの里”と呼ばれている。

 

 かつてオルトバルカ王国という大国は、現在の国土の20分の1程度の国土しか持たない小さな国だったという。徐々に力を付けて行く他国に対抗するために騎士団を結成し、騎士を各地から徴兵して軍備を拡張したオルトバルカ王国は、瞬く間に周辺諸国を陥落させて併合し、凄まじい速度で国土を広げていったという。

 

 このスオミの里も、かつてはハイエルフたちだけで構成された〝スオミ族”と呼ばれる部族の村だったらしい。当時のオルトバルカ王国はスオミ族の土地の併合も目論んでいたらしく、騎士団とスオミ族の戦士たちとの激戦は何年も続いたと歴史の本に書かれていた。

 

 結局、少数精鋭で勇猛だったスオミ族の戦士たちはオルトバルカ王国騎士団の物量に勝利することは出来ず、制圧されて併合を許してしまう。ステラが封印されるよりも300年ほど前の話である。

 

 そんな大昔の出来事を彼らは忘れていない。なぜならば、ハイエルフの平均寿命は他の種族を遥かに上回る800歳であるからだ。だから俺たちにとって歴史の教科書の中に記載されている出来事の1つでも、彼らにとっては父親の代の話になるし、中には当時の戦いを生き延びた戦死の生き残りもいるという事だ。

 

 だからスオミ族の者たちは、今でもオルトバルカ人を〝リュッシャ”と呼んで忌み嫌っているという。

 

 これが、ダンジョンの難易度と村の立地条件以外で、冒険者が立ち寄らない最後の理由である。

 

「平和に済めばいいんだが………」

 

 彼らと一戦交えるのは嫌だぞ………。

 

 念のため、銃の安全装置(セーフティ)はもう既に外してある。だが、出来るならば彼らと戦う事だけは本当に避けたい。もし俺たちと戦ったことが発端になり、再び彼らが王国に反旗を翻すようなことになったら取り返しがつかなくなる。

 

 そろそろステラを地面の上に下ろし、村の門を潜って木製の柵の中へと足を踏み入れていく。村の入口には見張りすらおらず閑散としていたが、村の中も同じ状態だった。降り積もった雪に覆われた畑の畝の傍らには、一仕事終えた状態のまま放置されていると思われる鍬(くわ)が置き去りにされているし、雪の上には村人たちの足跡すらない。

 

「ここで本当に休んでから行くの?」

 

 村の様子を目の当たりにし、早くも警戒心をあらわにしているナタリアが尋ねてくる。彼女はもう既にいつでもハンドガンを引き抜けるように準備しているが、俺は彼女の問いに答える前に、ホルスターから手を遠ざけろと目配せをしてから説明する。

 

「そうした方が良い。このまま行きたいのも山々だが………そうしたら、夜中にブリザードの真っ只中で寝る羽目になるぞ」

 

「でも―――――――」

 

 ナタリアが喋ろうとしたその時だった。

 

 彼女が反論するよりも先に、俺の後ろにいたラウラの白い左手が腰のホルスターへと伸び――――――その中に納まっていたMP412REXのグリップを掴んだかと思うと、そのまま漆黒の銃身をまるでガンマンのような凄まじい速度で引き抜いたのである。

 

 しかも、彼女の紅い瞳はもう既に狙いを定めているらしく、得物を引き抜いている間は微動だにしない。

 

 それは、もう既にラウラが標的を捉えているという証だった。

 

「――――――鋭いな、リュッシャのくせに」

 

「………!」

 

 殺気と銃口を向けたラウラへのお返しなのか、今度は鋭い声が畑の畝の向こう側から聞こえてきた。武器を向けられているというのに全く動じていないその声は、込められている威圧感の割には若く、ややアンバランスな感じがしてしまう。

 

 しかし、決して青二才とは決めつけられない奇妙な貫禄が、その声には含まれていた。

 

 鍬が放置された畝の向こう側から、真っ白なコートに身を包んだ人影が姿を現す。その人影が今の声の主なのだろうか。雪が降っているせいでなかなかはっきり見えないが、身長は明らかに俺よりも高く、体格はまるで格闘家やラグビーの選手のようにがっちりとしている。

 

 手には武器を持っている様子はないが――――――俺たちの目の前に姿を現した男が武器を向けられても動じない理由を、俺も察した。

 

 ―――――右の家の中におそらく2人。そしてその向かいの小屋の陰に3人か4人。微かだけれど、風の音に呼吸の音が紛れ込んでいるのが分かる。それに微弱だけど、魔術の詠唱の準備をしているのか、魔力の気配もする。

 

 後者は魔術に精通していれば感じ取れるが、前者は人間よりも五感が発達しているキメラだからこそ聞き取れる小さな音だ。ラウラはきっと、ナタリアの言葉を遮ったタイミングでもうその音を聞き取っていたのかもしれない。

 

 姉の聴覚の凄まじさに驚愕しながらも、俺はリボルバーを握るラウラの手をそっと下げさせた。

 

 俺たちは、スオミ族と戦いに来たんじゃない。ここの宿泊施設で一泊して、雪山へと向かう準備をするためにここへと立ち寄っただけなのだ。彼らはオルトバルカ人の事を憎んでいるかもしれないが、いくら彼らに敵意を向けられているとはいえ、戦うわけにはいかない。

 

「変わった武器を持ってるんだな。何だそれ? クロスボウか?」

 

「………すまない、俺たちはあなた方と戦うつもりはないんだ。ここの管理局の施設で、一泊させてもらうためにきた」

 

「管理局だと? ………ふん、お前ら冒険者か」

 

 すると、腕を組んでいたそのスオミ族の男性は腕を組むのを止め、小屋の陰に隠れていた奴らと家の中に隠れていた他の仲間に向かって聞いたことのない言語で何かを言い始めた。この異世界で共通語となっているオルトバルカ語ではなく、おそらくスオミ族たちの母語なのだろう。語感はフランス語に似ているような気がする。

 

 戦う事にならずに済んだんだろうか………? 安堵しつつ、俺はラウラに「ラウラ、銃をしまって」と指示を出す。

 

「でも………」

 

「敵意を見せてどうするんだ」

 

 目の前にメニュー画面を出現させ、俺と仲間たちが装備している武器の一覧を表示させてから、素早く俺が装備しているAN-94とナイフとMP412REXを装備から解除していく。いつも身に着けていた武器の重量が、まるで雪がつけるかのように消え失せていったのを確認した俺は、丸腰の状態で前へと歩き始めた。

 

「ちょ、ちょっと、タクヤ!?」

 

「タクヤ、何考えてるの!?」

 

「ちょっと交渉してくるだけだ」

 

 交渉か………。俺の本職はクソ野郎の殲滅と冒険者なんだが、交渉なんてできるんだろうか? まあ、今はとりあえず敵意がないという事を伝えればいい。そうする事が出来れば、今夜は予定通りに休みながら準備できる筈だ。

 

 制止しようとする仲間たちにそう言いながら、俺は畑の畝を踏みつけないように迂回してからそのスオミ族の男性の方へと向かって歩いていった。

 

 俺たちを待ち受けていたスオミ族は、俺が予想していた以上に大柄な男性だった。親父くらいがっちりしているだろうか。暖かそうな純白の帽子の下から覗くのは、降り積もる雪で作ったのではないかと思ってしまうほど白い肌と、ハイエルフの証でもあるやや上を向いた長い耳だ。その耳を半分まで包み込んでいる頭髪も、雪のように白い。

 

 美しさと力強さを兼ね備えた、ハイエルフの男性だった。

 

「――――――丸腰で何をするつもりだ、リュッシャ」

 

「敵意はない。俺たちはただの冒険者だ。バッジもある」

 

 俺の仲間たちは武器を下ろしているが、この男性の仲間たちはどうだろうか。ポケットの中から冒険者の資格でもある銀のバッジを取り出し、そのスオミ族の男性に見せつつ警戒する。

 

 ちらりと小屋の陰の方を見てみると、数人のハイエルフの男性たちが弓矢を手にして隠れているのが見えた。彼らが手にしているのは細心のコンパウンドボウではなく、木を削り出して作った従来の弓のようだった。新型のコンパウンドボウは魔力を伝達しやすい構造になっているんだが、あのような従来の弓矢は伝達率にばらつきがある。

 

 しかし、彼らはオルトバルカ騎士団に大損害を与えた部族の戦士たちだ。古い武器でも、その戦闘力はすさまじいに違いない。

 

「………あの山を調査しに来たのか?」

 

「いや、頂上まではいかない。何とか最短ルートで越えて、反対側のフランセン共和国の植民地に行く。ここにはそのための準備に立ち寄らせてもらった」

 

「なるほど。………手荒くてすまんね、リュッシャ。うちの部族はみんな荒っぽくてな。………おい、ニパ! イッル! こいつらは悪いリュッシャじゃない! 弓矢を下ろせ!」

 

「はぁ!? おい、アールネ! 本気か!?」

 

 アールネ………?

 

 この男性の名前はアールネっていうのか? それに、たった今この男性は仲間の名前を呼んでたみたいだけど、『ニパ』と『イッル』って言ってなかったか?

 

 偶然なのか………? アールネとニパとイッルって、全員前世の世界で勃発した冬戦争で大活躍したフィンランド軍の軍人の名前と愛称じゃねえか!

 

 同一人物ではないよな? 目の前にいる男たちはハイエルフの男性だし。………もしや、俺みたいに異世界に転生して、赤ん坊からやり直したパターンの転生者なんじゃないだろうか? もし冬戦争で活躍した英雄たちと同一人物なら感激だ………! 

 

 ちょっと質問してみようかな。

 

「す、すいません、アールネさん」

 

「ん?」

 

「あの………もしかして、ファミリーネームは〝ユーティライネン”ですか?」

 

「ああ。何で知ってるんだ?」

 

「ゆ、有名なので………」

 

 実際に有名な軍人だからね、〝モロッコの恐怖”は。

 

「ところで、冬戦争っていう戦争は知ってます………?」

 

「冬戦争? いや、知らんな」

 

 同一人物じゃないのか………?

 

 ふむ、ちょっと残念だけど………この世界は結構興味深いな。時代はバラバラだけど、色んな歴史上の出来事に類似した出来事が起こっているし、前世の世界に似ている場所や人物も存在する。

 

 何か前世の世界と関係があるんだろうか………?

 

「とりあえず、スオミの里にようこそ。オルトバルカ人は嫌われてるが………お前らは敵じゃないって事は分かった。とりあえず、宿泊施設まで案内してやるよ」

 

「た、助かります」

 

「あ、それと敬語は止めてくれ。聞き慣れてねえから何だか耳がムズムズするんだ」

 

 そう言いながら、アールネはハイエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながら笑った。

 

 



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ナタリアにライフルを撃たせるとこうなる

 

「ここが宿泊施設だ。お前らの街のと比べると小さいかもしれんけどな」

 

 アールネに案内してもらった建物には、確かに冒険者管理局の看板がぶら下っていた。雪に覆われているその小さな看板は冷たい風で何度も揺れ、今にも壁から剥がれ落ちそうになっている。

 

 その看板がある建物は、確かに俺たちが今までお世話になってきた宿泊施設と比べると随分と小さな木製の建物だった。2階建ての建物なんだけど、このスオミの里を訪れる冒険者が少ないせいでそれほど大勢の人々を宿泊させることを想定していないのか、それとも元からこの大きさの建物だったのか、窓の数と建物の面積を見る限り部屋の数はそれほど多いとは思えなかった。

 

 雪に覆われた屋根からはヨーロッパ風の鉄製の煙突が、まるで潜水艦の潜望鏡のように突き出ている。そこから姿を現す黒煙は、〝噴き上がる”というよりは〝流れ出る”という弱々しい表現が最も似合うだろう。飢えて痩せ細ってしまったかのように細い煙が流れ出て、雪を孕んだ風に流されていく。

 

 活発なのは、その風の中でひたすらぐるぐると回り続ける風見鶏くらいだろうか。

 

「あら、アルじゃないの」

 

「おう、おばさん。客だぜ」

 

 忙しそうな風見鶏を見上げていると、俺たちをここまで案内してくれたアールネがいつの間にか宿屋の入口のドアを開け、中にあるロビーの床を掃除していた女性に声をかけていた。彼は〝アル”って呼ばれてるのか。

 

 暖かそうな毛皮の服に身を包み、ロビーの床をデッキブラシで磨いていたその女性も、アールネと同じくやけに肌の白いハイエルフの女性だった。短めの頭髪も真っ白だが、年老いて白髪になったというよりは生まれつき白かったかのようだ。

 

 そういえば、アールネと一緒にいた他のハイエルフの人々も同じように真っ白だったな。この村の人々はみんなアルビノなんだろうか?

 

 確か、家にあった本にも大昔のスオミ族との戦いについて記載されていたんだけど、彼らは生まれつき身体が白かったため、雪の降る雪原ではその皮膚の色が保護色となり、発見するのが困難だったという。しかも彼らは弓矢を使用して狩猟をしながら生活している部族だから、弓矢の命中精度は極めて高かったらしい。

 

 つまり、迷彩服やギリースーツを身に着けたスナイパーが何人も待ち構えているようなものだ。少数でありながら騎士団を圧倒できたのは、その生まれつきの体質と鍛え上げた射撃の腕が理由だったのかもしれない。

 

「あらあら、冒険者の方? バッジを見せてくれるかしら?」

 

「は、はい」

 

 あれ? 俺たちはオルトバルカ人なんだけど、警戒しないのか? てっきりまた〝リュッシャ”って呼ばれて警戒されるのではないかと思って説得の準備をしてたんだが、杞憂だったようだ。

 

 まあ、スオミの里とはいえここは冒険者管理局の宿泊施設なんだから、いくらオルトバルカ人が憎くてもいちいち喧嘩を売っていたら仕事にならないよな。当たり前だろう。

 

 初老の女性に銀のバッジを提示すると、女性は近くにあったタイプライターのような機械の上にそのバッジを乗せ、カタカタとボタンを指で何度もタッチし始めた。あれは冒険者のバッジを識別するための機械だが、少し旧式の機械だな。王都で採用されているような新型の機械がここまで届いていないのだろうか。

 

 渡したバッジを返してもらい、仲間たちがバッジの識別をしてもらうのを待つ。冒険者の資格を取った際に交付されるこの銀のバッジは、冒険者の証であるのだが、同時に身分証明の際に使用するので、紛失するとかなり面倒なことになる。宿泊施設では利用する際にバッジを提示する必要があるので、紛失したら管理局の施設に宿泊することは出来なくなってしまうのだ。

 

「はい、チェックが終わりましたよ。えっと、鍵は………ああ、あったわ。どうぞ」

 

 カウンターの後ろにある棚をあさっていた女性が、そこから取り出した鍵をどういうわけか2つ俺たちに渡してきた。渡された鍵はやけに錆びついていて、鍵穴に差し込んだ瞬間に折れてしまわないか不安になったが、どうして鍵を2つも渡したんだろうか?

 

「あれ? 2つですか?」

 

「ごめんなさいね、ここは狭い部屋しかないから5人部屋はないのよ」

 

「そ、そうなんですか………」

 

 た、確かに狭いところだからなぁ………。2人部屋か3人部屋しかないのか。

 

 まあ、贅沢を言うわけにはいかないな。

 

「5人部屋はないんだって」

 

「私は良いわよ?」

 

「うん、私も♪」

 

 ラウラはむしろこっちの方が良いだろうな。2人部屋になったら、ほぼ確実に俺と2人きりになるんだから。ブラコンでヤンデレの彼女からすれば、俺を独占できる絶好のチャンスというわけだ。

 

 ま、また搾り取られたりしないよね………?

 

「じゃあ、ゆっくり休んでね」

 

「はい、ありがとうございます。アールネもありがとな」

 

「おう、気にすんな」

 

 ここまで案内してくれたアールネに礼を言ってから、俺たちはさっそく部屋へと向かって歩きだした。

 

 彼らはオルトバルカ人を憎んでいるみたいだけど、俺たちが全く敵意を持っていなかったことを理解した瞬間からかなり親切になったな。敵意を向けられるよりははるかにマシなんだけど、何だか彼らの〝敵意の向け方”に違和感を感じてしまう。

 

 あの時俺たちに向かって弓矢を向けていたのは、人間で言うと15歳から20歳くらいの男性ばかりだった。ハイエルフの寿命は人間よりも遥かに長いから、容姿で俺たちと同い年くらいだと判断することは出来ないんだが、彼らは間違いなくハイエルフの中でも若い部類なんだろう。ということは、大昔のオルトバルカ人との戦争を経験したわけではないという事だ。

 

 やはり実際に経験した場合と、他人から聞いた場合では抱く憎しみの濃度が違う。実際に敵に虐げられた事がある人ならば、その虐げた敵への憎悪で心まで真っ黒になってしまうのは想像に難くないが、どれだけ怨敵の話を聞いて育った子供でも、自分が経験していない以上はわずかに〝白い部分”が残るものなのだ。彼らからは、その〝純粋な敵意”を感じることは出来なかった。

 

 それに――――――あの時の彼らは、オルトバルカ人を憎んでいるというよりはまるで〝警戒している”ようだった。憎たらしいオルトバルカ人を憎んでいたのならば、俺たちに敵意がないという事が分かっても武器を下ろして通すような真似はしないだろう。

 

 何だか、変だ。

 

 違和感を感じながら、俺は仲間たちと共に階段を上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の結晶を思わせる蒼白い六角形の床と、その結晶がいくつも浮遊する蒼い世界。その結晶の群れに覆い尽くされた光景が、どこまでも広がっている。

 

 遮蔽物が存在しないため解放感はあるが、どこまで突っ走っても壁や崖のようなものは存在しないため、単調過ぎる光景だ。確かに閉鎖的な場所はあまり好きではないけど、同じ光景を繋ぎ合わせてどれだけ広くしても解放感を感じる場所になるわけではない。殺風景すぎるにもほどがある。

 

 しかし、どれだけ抗議しようとしても無駄なことだ。これは俺が生まれつき持っていた能力の一部なのだから。

 

 目の前にメニュー画面を出現させ、生産済みの武器をタッチして装備する。メニュー画面を閉じると同時に出現した猛烈な重さの何かが俺の背中にのしかかってくるが、その感覚は久しぶりだ。最近はアサルトライフルばかり使っていたし、狙撃はラウラに任せっきりだったからな。

 

「久しぶりだな、相棒」

 

 背中にいつの間にか折り畳まれた状態で装備されていたそれを持ち上げ、銃身を展開する。

 

 俺が装備していたのは――――――ロシア製アンチマテリアルライフルのOSV-96だ。連射が利くセミオートマチック式のアンチマテリアルライフルで、2つに折り畳む事ができるため、小回りが利かない傾向があるアンチマテリアルライフルの中では扱いやすい部類に入る。射程距離も約2kmであるため、スナイパーライフルを上回る遠距離からの狙撃も可能という優秀なライフルだ。

 

 遠距離からの狙撃で真価を発揮する筈のそのライフルの下部には、荒々しい対戦車用のロケット弾を先端に装着したロケットランチャーが装備されている。こちらはロシア製ロケットランチャーのRPG-7V2と呼ばれる代物で、扱いやすい上に破壊力も高く、最新型の戦車にも命中すれば十分に通用する威力を秘めている。

 

 普通ならば別々に使うべきなんだが、俺のアンチマテリアルライフルにはロケットランチャーまで取り付けてあるという、ありえない上に奇抜な改造が施されている。ライフル本体でも10kgを超える重さだというのに、それに更に重いロケットランチャーを取り付けて併用するなど正気の沙汰とは言えないだろう。

 

 しかし、強靭な身体能力を持つキメラならば、このあまりにも重過ぎる得物を使いこなす事ができる。実際に若き日の親父は、こんなありえないカスタマイズがされた銃を携え、あらゆる戦場を後の妻となるエミリア・ハヤカワと共に駆け抜けていたのだ。

 

「………やっぱり、重くなったかな」

 

 更にカスタマイズしたOSV-96のキャリングハンドルを握って持ちながら、俺は首を傾げた。

 

 このライフルは12.7mm弾を使用するアンチマテリアルライフルである。俺は久しぶりに装備したこいつの弾薬を、カスタマイズによって別の弾薬に変更していた。

 

 その弾薬は――――――更に大口径で、かつては対戦車ライフルの弾薬としても採用されていた14.5mm弾である。

 

 対戦車ライフルとは、その名の通り戦車を撃破するために開発された極めて大型のライフルである。初めて対戦車ライフルが姿を現したといわれているのは、第一次世界大戦の頃だ。

 

 第一次世界大戦では戦車が実戦に投入され、その戦車の相手をする羽目になったドイツ兵たちを震え上がらせていた。堅牢な装甲で機関銃やライフル弾をことごとく弾き返し、強力な武装をぶっ放しながらキャタピラで前進してくる甲鉄の怪物は故障する事が多かったものの、彼らの進撃を食い止めるにはもっと破壊力の大きな武装が必要であるという事に気付いたドイツ軍は、当時正式採用していたライフルを更に強力にした対戦車ライフルを実戦に投入することとなる。それが、『マウザーM1918』である。

 

 単発型のボルトアクション式の代物ではあったが、当時の戦車の装甲を貫通するには十分すぎる破壊力で、戦車に蹂躙されるだけだったドイツ軍の兵士たちは辛うじて反撃することに成功する。こうして戦車の装甲を貫通するほどの威力を誇る〝対戦車ライフル”という新しい武器が生まれ、第二次世界大戦の中盤頃まで使用されていくことになる。

 

 しかし、その第二次世界大戦で対戦車ライフルは姿を消す事になる。強力なエンジンや堅牢な装甲を搭載した戦車が次々に投入されたのだが、ついに対戦車ライフルの貫通力が、戦車の防御力に追いつけなくなってしまったのである。結局戦車を破壊するための対戦車兵器の主役はロケットランチャーとなり、対戦車ライフルは衰退していくのだ。

 

 だが――――――戦車を相手にするのではなく、遠距離からの狙撃などの用途ならば、大口径の狙撃銃も無用の長物というわけではない。その事が第二次世界大戦後の戦いで証明され、対戦車ライフルの遺伝子を受け継ぐアンチマテリアルライフルが開発されていくことになる。

 

 俺が使用することにした弾薬は、その対戦車ライフルでも採用されたことのある14.5mm弾である。どちらもソ連軍の対戦車ライフルで採用された事があり、強力なドイツ軍の戦車との戦いで活躍している。

 

 もう戦車の装甲を貫通することは出来ないが、狙撃に使うならば問題はない。口径が更に大きくなったことで攻撃力は向上し、射程距離も若干伸びて2.1kmとなった。反動は若干大きくなり、重量も増えてしまったが、より大口径の弾薬を選んだのは間違いではない筈だ。

 

 試し撃ちでもしてみようかと思ってバイボットを展開し、既に超遠距離に設定されている的を狙撃しているラウラの隣に寝そべる。いつもならば甘えてくる彼女だが、狙撃に集中しているからなのか、銃から手を離して抱き付いてくる気配はない。

 

 重くなった相棒を地面に立て掛け、スコープのレンズを覆っていたカバーを開ける。スコープのカーソルを調整し、レンジファインダーが計算してくれる距離を参考に調節していく。

 

「お待たせ」

 

「おう、ナタリア」

 

 そろそろ進化した得物をぶっ放そうかとしていると、後ろの方から元気そうなナタリアの声が聞こえてきた。彼女も俺のトレーニングモード用の空間へとやってきたらしい。

 

 このモードは元々俺1人しか訓練できない仕組みだったんだが、今では誰かが実施してくれたアップデートのおかげで、仲間を連れて行くことができるようになっている。仲間になっているメンバーを招待するだけで、仲間と共に訓練をすることが可能なのだ。

 

 この空間の中では死ぬことはないし、現実で銃をぶっ放しているわけではないので周囲の状況を気にする必要がないというメリットがある。しかし、俺たちの身体は眠っている状態で放置されているので、安全な場所でやらなければならないという欠点もある。だから今回は全員でトレーニングを行うのではなく、カノンとステラには見張りをお願いしている。

 

 今回はOSV-96の調整も兼ねて、仲間たちと狙撃の訓練をすることにしていたのだ。俺たちのパーティーのメンバーの得意分野はバラバラであるため、常に連携しながら戦うようになっているんだが、やはりこういった他の分野の訓練は必要だろう。

 

「あ、命中!」

 

 その時、俺の顔を覗き込もうとしていたナタリアが、遥か遠くで結晶の的が砕け散ったことに気付いて顔を上げた。ラウラの得物から放たれた弾丸が、1.7km先の標的を粉砕したのだ。

 

 彼女が使っている銃は、いつものスナイパーライフルではない。俺のアンチマテリアルライフルの改造に合わせて、彼女も使用する得物を新しいものに変えている。

 

 ラウラが使っているのは―――――南アフリカで開発された『ダネルNTW-20』と呼ばれるアンチマテリアルライフルだ。

 

 ラウラが得意とするボルトアクション式のアンチマテリアルライフルであり、14.5mm弾と20mm弾を使用する複数のモデルが存在する。彼女が手にしているのは、14.5mm弾よりも更に大口径の20mm弾を使用するモデルであった。

 

 その破壊力はまさに破格で、攻撃力はあらゆるアンチマテリアルライフルの中でも間違いなくトップクラスだろう。反動も他のライフルとはケタ違いだが、それは銃の内部に搭載されているショックアブソーバーと呼ばれる機能によってかなり軽減されている。

 

 他の銃とは異なり、マガジンを銃の左側に装着する方式となっている。ラウラは左利きであるため、銃の構造は左右で逆にしておくというオリジナルの改造も忘れずに実施している。

 

 それと、20mm弾を使用した場合の射程距離は約1.5kmとなっている。十分に狙撃できる射程距離だが、ラウラが「せめて1.8kmくらいの射程距離が欲しいな」と言っていたので、銃身を延長し、20mm弾の炸薬の量を増やした強装弾にすることで、辛うじて射程距離を1.8kmまで強引に伸ばしておいた。これで満足してくれるだろうか。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「前から思ってるんだけど………そのライフルの先についてる部品って、本当に反動を軽減してるの?」

 

 俺の得物を見下ろしながら、ナタリアがそう質問してきた。

 

「じゃあ、ちょっと俺の銃を撃ってみろ」

 

「え、この重いやつを?」

 

「ああ」

 

 立ち上がってナタリアに場所を譲ると、彼女はゆっくりと寝そべって俺の顔を見上げてから、何故か不安そうにOSV-96のグリップへと手を伸ばした。スコープを覗き込もうとしている彼女に「もう調整は住んでるからな」と教えながら、彼女の狙撃を見守ることにする。

 

 ナタリアの得意とする武器は、ショットガンやPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)だ。だからこんなに大きな得物を使うことはあまりない。

 

「う、撃つわよ」

 

「ああ、撃て。発射(アゴーニ)」

 

 俺がそう言った直後、ナタリアが息を呑んでからトリガーを引いた。

 

 隣で20mm弾を矢継ぎ早に連発するラウラの銃声ほどではないが、14.5mm弾の銃声も普通の銃声と比べればはるかに豪快である。反動もそれなりに増加しているだろう。

 

 ナタリアはびっくりしていたようだったけど――――――銃声が残響へと変わり始めた頃にそっとスコープから目を離し、息を吐いてから俺の顔を見上げた。

 

「す、凄い音………」

 

「ちなみに今の狙撃は外れだな」

 

「えっ? ………う、うるさいわね、バカ!」

 

 彼女の放った弾丸は、俺が撃つために準備していた的の右側を通過していった。風はない状態で設定しているんだが、もう少しカーソルを左にずらすべきだったな。それとも、俺の調整が不完全だったのか?

 

「じゃあ、次はこっちをぶっ放してみな」

 

「何それ?」

 

「対戦車ライフルのマウザーM1918。今お前が撃ったライフルは反動を軽減する装備がついてるけど、こっちにはついてない」

 

 念のため作っておいたそのマウザーM1918をナタリアに渡した俺は、「え、ついてないって事は………」と不安そうに言いながら青ざめる彼女の顔を見てニヤニヤ笑いながらOSV-96を受け取った。

 

 マウザーM1918は、一般的なボルトアクションライフルより遥かに大型だが、形状はあまり変わっていない。ピストルグリップが装着されていることくらいだろうか。

 

 それを受け取ったナタリアは恐る恐る床の上に伏せると、バイボットを展開して銃床を肩に当て、アイアンサイトを覗き込んだ。当時の対戦車ライフルは射程距離が短いものが多かったため、スコープではなくアイアンサイトで狙撃することが多かったという。

 

「――――――い、いいの?」

 

「おう」

 

 俺がそう言うと――――――ナタリアがついに、マウザーM1918のトリガーを引いた。

 

 銃口から迸る猛烈なマズルフラッシュと白煙。かつて第一次世界大戦で、進撃してくる戦車部隊を迎え撃ったドイツ軍の矛が、トレーニングモード用の蒼い空間の真っ只中で荒れ狂う。

 

 だが――――――荒れ狂ったのは銃弾ではなく、猛烈な反動(リコイル)のほうだった。

 

「――――――痛ぁッ!?」

 

 バイボットを展開しているにもかかわらず、太い銃身はあっさりと荒々しい反動に敗北した。重い銃身を投げ飛ばしたその反動が矛先を向けたのは、どうやら銃をしっかりと構えていたナタリアの右肩だったらしい。

 

 こんなに強烈な反動の銃を何発もぶっ放さなければならないのだから、兵士たちはこの反動のせいで次々と肩を痛めていったため、ドイツ軍の兵士たちはこの銃を『ツーショット・ライフル』と呼んでいたという。

 

 軍人が肩を痛めてしまうほどの強烈な反動を味わったナタリアは、左手で右肩を押さえながら立ち上がる。ここで負傷することがないとはいえ、彼女にこいつをぶっ放させるべきではなかったかもしれない。

 

「どうだった?」

 

「――――――このバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ああ、怒ってた………。

 

 謝るべきだったと後悔した頃には、もう既にナタリアの鉄拳が俺の顎に向かって突き上げられていた。

 

「―――――らぷたー!?」

 

 乙女のアッパーカットを喰らう羽目になった俺は、激痛と共に蒼い空間を舞う羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

 




※ラプターはアメリカのステルス戦闘機です。


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スオミ族の戦士

 

「ふにゃあー………えへへっ、タクヤっ♪」

 

 新しいライフルの試し撃ちも兼ねた狙撃のトレーニングを終えると、ラウラはすぐに目を覚ました俺に両手を絡ませて抱き付いてきた。朝に目を覚ましたばかりの眠気の残滓にも似た感覚を彼女の香りに薙ぎ払われた俺は、トレーニング中のクールだったカッコいいお姉ちゃんの姿を思い出しながら、もしかしたらラウラは二重人格なんだろうかと思いつつ彼女を抱き締める。

 

 スナイパーライフルを構えているラウラは、こんな感じに甘えてくるようなことはない。アイアンサイトをじっと覗き込み、数秒後には風穴を開けることになる標的をずっと凝視しているのである。まるで容姿と声だけ同じで、それ以外の全ての要素が別人と入れ替わってしまったと信じてしまうほど、彼女の性格は大きく変化している。

 

 スオミの里で何とか一泊させてもらう事ができた管理局の施設の部屋は、予想以上に狭い部屋だった。まるでビジネスホテルの1人用の部屋のようなスペースで、そこに木製の使い古されたベッドが2つと簡単な机や家具がいくつか置いてあるだけなのである。装飾は一切なく、シンプル過ぎる部屋だ。

 

 ベッドが2つもあるせいで狭くなっている部屋が、この里では2人用の部屋らしい。

 

 しかも、今晩の同居人となるのはやはり、腹違いの姉のラウラだった。

 

「ねえ、そういえばスオミ族の人ってハイエルフなんだよね?」

 

「ん? そうだよ?」

 

 スオミの里に住むスオミ族の人々は、種族ではハイエルフに分類される。ハイエルフは優れた技術を持つ種族と言われており、鍛冶の分野では扱いが難しい代わりに強力な代物を数多く作りだすことで評価されているほか、光属性の魔術を得意とする種族とされており、光属性のみに限れば優秀な魔術師も多い。

 

 寿命は全ての種族の中で長く、平均的な寿命は800歳と言われている。肉体の頑丈さではハーフエルフなどの他の所属に劣るが、貴重な知識と技術を受け継いでいる存在なのである。

 

「みんな肌とか髪の毛が真っ白だったよね?」

 

「アルビノなのかな………?」

 

「ふにゅ、それ聞いたことある! えっと、確か正式名称は〝テンテンセーチキソケツボージョー”だよね!?」

 

「先天性色素欠乏症(せんてんせいしきそけつぼうしょう)だよ」

 

「ふにゅー………間違えちゃった」

 

 ………実は、勉強の成績ではラウラの方が俺より低いのだ。

 

 この世界ではまだ義務教育という仕組みが存在せず、学校は裕福な家の子供や貴族が通う教育機関となっており、多くの子供は家庭教師に勉強を教わるか、両親に勉強を教わってから社会に出て行くケースが多い。中には読み書きすら教えてもらえず、仕事のやり方だけ教わってから職場に送り出される子供も多いという。

 

 そのためドルレアン領を統括するカレンさんや俺たちの親父は、義務教育を導入することによって学力を向上させるべきだという意見を議会で提唱しているらしい。

 

 俺たちも両親から勉強を教わって育ったんだが………いくら俺には前世の学校で習った知識があるとはいえ、ラウラは一般的な子供よりもほんの少しだけおバカと言わざるを得ない。こんな感じで答えを間違え、教師を担当した両親たちを笑わせていたものである。

 

 関係ない話だが、母さんは凝り性だったのか授業の時は何故かメガネをかけていた。とってもきれいだったよ、お母さん。

 

 戦闘中になるとおバカじゃなくなるんだけどなぁ………。本当に二重人格なんだろうか?

 

「えへへっ。タクヤは頭がいいなぁ♪」

 

「………」

 

 そう言って楽しそうに笑いながら、俺の頭を撫でてくれるラウラ。お姉ちゃんにはもう少し勉強して欲しかったんだけど、頭を撫でてもらうのは大好きなので、何も言わずに彼女になでなでしてもらう事にする。

 

 2人部屋にしては狭い部屋のベッドの上で、姉に抱き締められながら頭を撫でられる俺。もう既に頭からはキメラの特徴でもあるダガーにも似た平たい角が伸びていて、ベッドの毛布に軽く突き刺さりつつあった。

 

 この角って本当に不便なんだよなぁ………。感情が昂ると勝手に伸びるから外出する時は頭を隠さなければならないし、これのせいでヘルメットもかぶれない。何度もへし折ろうと思ったんだけど、親父が言うにはこの角はキメラの頭蓋骨が変異して頭皮から外に突き出たものらしく、折れれば頭蓋骨まで損傷して致命傷を負う可能性があるという。しかも骨そのものの強度が非常に高いらしく、至近距離でアンチマテリアルライフルを矢継ぎ早に叩き込んでも掠り傷がつく程度だという。

 

 これを伸ばした状態で頭突きをすればどんな敵も倒せるんじゃないだろうか?

 

「うっ………?」

 

「ふふっ………!」

 

 自分たちの体質の事を考えていると、いきなり左耳の耳たぶを柔らかい何かが包み込み、愛撫を始めた。その柔らかい何かの中からぬるりとした何かが出現したかと思うと、俺の耳たぶの上を這いずり回り始める。

 

 いつの間にか、ラウラの顔が俺の顔の左側にあった。でも見えるのは彼女の頬と真っ赤な赤毛だけだ。

 

 俺の耳からそっと唇と舌を離したラウラが、顔を紅潮させながら微笑む。唇の周りを舐め回しながら俺の身体の上に乗った彼女は、息を呑んでから唐突に俺のコートを少しずつ脱がせ始めた。

 

 ま、まさかまた発情期の衝動か………!?

 

 キメラは色々と便利な身体なんだが、不便な体質も多い。フィオナちゃんの検査によって発覚した発情期も、不便な体質の1つに分類できる事だろう。

 

 17歳から18歳までの間に突発的に起こる衝動であり、人間とほぼ同じ精神力のキメラでは、ドラゴン並みの衝動を抑え込むことは不可能だという。つまり、かなり厄介な事になるのだが………こうなったら、大人しく食べられるしかないというわけだ。

 

 だから母さんも止めようとする対策を立てる事が出来ず、苦笑いをしながら「安心してラウラに食べられるがいい」と言ってから、俺に妊娠を防ぐための薬を託していったのである。

 

 俺は人身御供なのか?

 

「ちょ、ちょっと待ってラウラ!」

 

 大慌てで彼女に脱がされたコートのポケットに手を突っ込み、母さんから貰った薬のケースを取り出す。蓋を取り外して中に入っていた錠剤を口の中へと放り込んでから飲み込むと、うっとりしているかのような表情で俺を見下ろしている彼女を見上げた。

 

 これで、ラウラに食べられても子供ができることはない。それに部屋の鍵もちゃんとかけたから問題ないだろう。

 

「………め、召し上がれ」

 

「うんっ、いただきますっ♪」

 

 ハヤカワ家の男って、本当に女に襲われやすい体質なんだな。呪いか?

 

 彼女が笑顔でそう言った直後――――――俺は再び、彼女に襲われる羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ふらつきながら廊下を歩き、辛うじて階段を下りてから売店で飲み物を購入する。スオミの里は極寒の山脈の麓にあるからなのか、冷たい飲み物よりも暖かい飲み物の方が多い。人気のない売店の棚に並んでいるのは暖かい飲み物ばかりだから、冷たい飲み物を探し出すのはいつもよりも骨が折れた。

 

 暖かい飲み物は、今は必要ない。数分前までラウラにひたすら搾り取られていたのだから、出来るならばクールダウンのためにも冷たい飲み物が欲しいところだ。

 

「おじさん、水1つください」

 

「はいよ。………お嬢ちゃん、リュッシャの冒険者かい?」

 

「は、はい」

 

 また女と間違えられてるよ………。

 

 もう訂正するのも面倒になってきたし、搾り取られて疲れたのでお嬢ちゃんという事にしよう。うん、俺は女だ。蒼い髪の女の子なんだ。

 

「珍しいねぇ。ほら、水だ。銅貨2枚だよ」

 

「どうも」

 

 カウンターの向こうにいた初老のハイエルフの男性に銅貨を2枚渡し、やけに大きな氷が入った水を購入する。水が入っているのはビーカーを縦長にしたようなガラスの容器で、上に行くにつれて細くなっている。前世で理科の勉強を習った俺から見れば、ビーカーかフラスコの中に氷水を淹れ、コルクで蓋をしているようにしか見えない。

 

 今すぐに汗ばんだ身体でこのガラスの容器を思い切り抱き締め、身体を冷やしたいところだが、さすがにそんな事をするのは恥ずかしいので普通に飲もう。

 

 ふらつきながら売店を離れ、階段の近くにある休憩用の椅子にもたれかかる。俺たち以外に個々を利用している冒険者は見当たらないから、施設の中は非常に静かだ。稀に管理人の人や村人が雪かきをする音が聞こえてくるが、それ以外の音はあまり聞こえてこない。

 

 だから、近付いてきた足音にすぐに気付く事ができた。

 

「あら、お兄様」

 

「カノンか」

 

「どうしましたの? 汗をかいてますわよ?」

 

「ちょっと暑くてな………」

 

 いや、こんな極寒の村で「暑い」って言うのはおかしいだろ。

 

「え、暑い?」

 

「すまん、気にしないでくれ」

 

「そ、そうしますわ。………お姉様は?」

 

「部屋で寝てる」

 

 搾り取った後、ラウラは眠ってしまった。もし彼女が起きていたのならば今頃は俺に抱き付いてこの買い物に同行していた筈である。

 

 甘えてくる彼女はとっても可愛らしいんだけど、色々と不便なこともあるので、搾り取った後に眠ってしまったのは幸運だった。

 

「ところで、どこに行くんだ? 買い物か?」

 

「ええ。何か特産品でも購入しようと思いまして」

 

 特産品か。確か、さっきの売店には何故かサルミアッキが売られていたような気がする。あれは前世の世界のフィンランドの名物だった筈なんだが、どうやらこの異世界ではスオミの里の名物という事になっているらしい。

 

 コルクの蓋を外し、ガラスの容器の中に入っている冷水にありつく事にする。蓋の向こうから漂ってくる冷気と、氷のからん、という旋律が魅力的でたまらない。

 

 氷に冷やされた冷水が、俺の唇に触れようとしたその時だった。

 

 外から聞こえてきた雪かきの音が、いきなり無骨な金属音によってかき消されたのである。無骨な音であるにもかかわらず軽さを残しているその音は、おそらく何かの鐘の音だろう。何が起きたのかと思いつつ窓の外を見てみると、真っ白な防寒着に身を包んだスオミの里の住民たちが、弓矢を手にして走り回っている姿が見えた。家から飛び出してきた女性や子供は山の方へと走っていき、若い男性たちは弓矢を手にして逆方向へと走っていく。

 

 何だ? 今の鐘の音は警鐘か?

 

「アールネ………?」

 

 すると、その弓矢を持って走っていく男性たちの先頭に、俺たちをここまで案内してくれたハイエルフの屈強な男の姿が見えた。雪の降る中で叫びながら、奮い立つ少年や男性たちを引き連れて平原の方へと走っていく。

 

 武装した男性たちと警鐘。俺はその2つのヒントから、この村が何かの襲撃を受けようとしているのではないかという仮説を瞬時に組み上げた。カノンも同じことを考えていたらしく、取り出しかけていた財布をポケットの中にしまった彼女は、俺を見つめながら「早くライフルをよこせ」と言わんばかりに頷いた。

 

 ああ、分かってるよ。お前のライフルは今渡す。

 

「ほら、カノン」

 

「ありがとうございます、お兄様。―――――さあ、行きましょう!」

 

「おう!」

 

 メニュー画面を開いて彼女用のマークスマンライフルを渡した俺は、調整を終えたばかりのアンチマテリアルライフルを装備すると、コートのジッパーを閉めてから建物の外へと飛び出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいか、お前ら!? 相手は薄汚いリュッシャだ! 容赦はするんじゃねえぞ!」

 

「おう、スオミ族の力を見せてやる!」

 

 弓矢を手にし、奮い立つスオミ族の同胞たち。装備している弓矢は平原の木で作ったお手製のもので、最近の弓矢と比べると性能は低いかもしれないが、俺たちはこれと魔術で戦うしかない。

 

 警鐘の大きな音が響き渡る中で、俺は唇を噛み締めながら平原側の入口を睨みつけた。

 

 この村に住んでいるスオミ族の同胞は300人ほどだ。その中で村の警備をするのは少年や若い男性の仕事である。その中でも飛竜を飼いならす事ができる人材は飛竜に乗って上空からの警備に充てられる決まりになっている。

 

 その見張りが、先ほど平原からこの村へと向かってやってくる盗賊団を発見したという。今日の見張りの担当は、確か俺の弟のイッルだった筈だ。

 

 イッルという名前は俺たちが付けたニックネームだ。本名は『エイノ・イルマリ・ユーティライネン』という名前で、村の中では最も飛竜の扱い方が巧い逸材という事で有名になっている。

 

 野生の飛竜が襲来した時は、あいつの親友のニパと2人で飛竜の背中に乗り、敵の飛竜の吐き出す炎を全て回避して無傷で戻ってきたことから、村では〝無傷の撃墜王”と呼ばれている。

 

 戻ってきたイッルの報告では、盗賊団の数はおよそ30人ほど。今まで何度か盗賊たちの襲撃を受けたことはあったが、今回は今までよりも規模が大きい。今から俺たちはそいつらを撃退しにいかなければならない。

 

 俺たちの親たちは、あのリュッシャの騎士団との戦いを経験している。幼少の頃から、俺とイッルは卑劣なリュッシャ共の話を聞いてきたが、経験したことのある彼らとの戦いは盗賊との小競り合い程度だ。今回は小競り合いと言うには規模の大きい戦いになりそうな感じがする。

 

 雪の降る空を見上げてみると、既に飛竜が2体ほど飛び立っていた。片方はイッルが乗っているのだろう。もう片方は誰だ? ニパか?

 

「………戦闘開始だ。リュッシャ共を生きて返すな」

 

 防寒着のフードをかぶった俺は、俺よりも年下の少年たちにそう言うと、弓矢を手にしたまま静かに門へと向かって走り始めた。

 

 かつてリュッシャの騎士団を食い止めた戦士の力を見せてやる――――――。

 

 



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スオミの里防衛線

 

 コートのフードをかぶり、サイドアームのMP412REXを腰のホルスターに収めながら、俺は雪の降る村の中をカノンと2人で突っ走っていた。

 

 背中には、14.5mm弾を発射できるように改造したロケットランチャー付きのOSV-96を背負っている。メインアームはこちらで、リボルバーは接近戦の際に使用するために装備している。あとはいつものナイフと、ここにやってくる前に鍛冶屋で購入したモリガン・カンパニー製のスコップが俺の武器だった。

 

 隣を走るカノンの装備も軽装だった。メインアームのマークスマンライフルはいつものSVK-12ではなく、新しく用意した『SKSカービン』と呼ばれるセミオートマチック式のライフルである。

 

 SKSカービンは、1945年にソ連軍に採用されたライフルだ。AK-47と同じ弾薬である7.62×39mm弾を使用する銃であり、銃の上部や銃身のデザインはAK-47にそっくりである。まるでAK-47の銃身側を切り取って猟銃やボルトアクションライフルに取り付けたような外見だ。

 

 マガジンを交換するのではなく、旧来のライフルと同じくクリップを使って装填するという旧式のライフルではあるが、極めて堅牢である上に銃身の下部には折り畳み式のナイフ型銃剣が装備されているので、接近されてもそれで反撃できるという利点がある。

 

 AK-47が採用されたことによってあっさりと退役してしまったライフルだが、このSKSも優秀な銃なのだ。

 

 カノンの持つSKSには、モシン・ナガンなどのライフルに装着されるPUスコープが装着されている。倍率はやや低いものの、中距離射撃を得意とするカノンには丁度いい倍率だろう。それにスコープが小型であるため、銃身の上部にある装填用のハッチを塞いでしまう事もない。

 

 銃口にはマズルブレーキが装備されているが、そのマズルブレーキにはライフルグレネードも装着できるようになっているため、いざという時はグレネード弾での砲撃も可能となっている。

 

 彼女のサイドアームは、同じくロシア製のPL-14だ。俺とラウラもサイドアームをこれに変更するべきか検討しているハンドガンで、一般的な9mm弾を使用する。

 

 今のところ、雪は降っているが全く目の前が見えないというわけではない。さすがに1km以上の狙撃は困難かもしれないが、この程度の雪ならば800mから900mの狙撃は容易い筈だ。雪の中での狙撃は幼少の頃から経験しているし、俺はこの雪国で育ったのだから。

 

 それにしても、一体何が起きているのだろうか? 慌ただしく武器を持った男たちが入口へと向かい、女性や子供が避難しているところを見ると何かがこの村を襲撃してきたというのは想像できるが、その襲撃してきた者たちは魔物なのか? それとも盗賊団とか山賊か?

 

 情報を得るために、出来るならば村人を呼び止めたいところだ。そう思いながら走っていると、近くの家の中からちょうど弓矢を手にしたハイエルフの少年が飛び出してきた。アールネや受付のおばさんと同じく、白髪と白い肌が特徴的な少年だった。

 

「ちょっと聞きたい事があるんだが、良いか?」

 

「何だよ? リュッシャに話す事なんてないぞ!」

 

「教えてくれ。何が襲撃してきてる?」

 

「盗賊団だよ! どうせ村の金品を奪ったり、女を連れて行って奴隷にするつもりなんだろ!?」

 

 なるほどね、盗賊団か。

 

 という事は、魔物のように堅牢な外殻を持っているわけではないという事だ。中に魔術師が混じっている可能性はあるものの、彼らの防御力は魔物たちと比べて貧弱としか言いようがない。魔術を用いた防御にも、必ず弱点はある。完全に攻撃を防ぐことは不可能なのだ。

 

「ありがとう、戦士さん」

 

 俺の代わりにカノンがお礼を言ってくれている間に、俺はOSV-96の銃身の下にぶら下がっているRPG-7V2の先端部に装着されていた対戦車榴弾を取り外した。それを腰のベルトに引っ掛けてぶら下げつつ、対戦車榴弾とは違う弾頭を取り出し、そいつをランチャーの先端部に装着しておく。

 

 ロケットランチャーは強力な武器だが、人間の敵を狙うならば貫通力の高い対戦車榴弾ではなく、爆風や破片による殺傷力が凄まじい対人榴弾を使用することが望ましい。その方が攻撃範囲が広くなるし、人間の兵士の防御力はたかが知れている。

 

 丸みを帯びた形状の対人榴弾をライフルの下にぶら下げたまま、俺もそのスオミ族の少年に「ありがとな! 死ぬなよ!」と言ってから、村の平原側の入口へと向かった。

 

 出来るならば高い場所から狙いたいが、ここは平原の真っ只中にある小さな村だ。針葉樹が雪の中から突き出ているのが見えるが、こんなに重くてでっかいライフルを手にした少年が上に乗るには、枝が細過ぎる。

 

 狙撃する位置を探しながら走っていると、もう平原側の入口が目の前に広がっていた。俺たちがやってきた頃には閑散としていた寂しげな村の入口は、弓矢を構えながら門の前に立ちはだかるスオミ族の戦士たちの殺気によって、物騒な入口へと姿を変えている。

 

 真っ白なフードの付いた防寒着に身を包む純白のハイエルフたち。その中の1人が、聞き覚えのある声を発した。

 

「攻撃用意! 弓矢、構え!」

 

「アールネ………?」

 

 今の野太い声は、俺たちを案内してくれたアールネに違いない。フードをかぶっていたせいで分からなかったが、あの少年たちで構成された守備隊を指揮しているのがアールネなんだろう。

 

「アールネ!」

 

「ん? ………お前ら、どうしてここに?」

 

 いきなり背後から名前を呼ばれたアールネが、雪の付いた顔を俺たちの方へと向けてきた。彼の指揮下の少年たちも俺たちの方を振り向き、「おい、リュッシャがいるぞ」とざわめき始めるが、アールネが彼らを睨みつけるとすぐに弓矢を構え直し、ここへと迫ってくる盗賊たちへの警戒を続ける。

 

 やはり俺たちも警戒されているのだろう。彼らを虐げたことはないとはいえ、かつての怨敵と同じ人種なのだから。

 

「俺たちも手伝う」

 

「何だって? ………確かに武器は持ってるみたいだな。見たことのない武器だが………それはどんな武器だ?」

 

「飛び道具だ。あとは実際に見せてやる」

 

「ほう。………では、お前たちには側面からの狙撃を頼みたい」

 

 側面か。敵をアールネたちが正面から攻撃しているうちに、俺たちが側面から狙撃で奇襲を仕掛け、敵を攪乱させつつ数を減らせという事なんだろう。

 

 敵の数は不明だが、良い作戦だ。正面からただ攻撃するよりも、伏兵を用意しておいた方が敵に奇襲を仕掛けられるし、そうやって混乱させれば敵の指揮系統も滅茶苦茶になる。

 

 なるほどね、こうやってスオミ族の戦士たちは圧倒的な物量の敵を蹴散らしたのか。大軍は強力だが、その分小回りが利かないからな。命令を伝達する際に伝令が間違った命令を伝えたり、誤報が飛び交うのは珍しい事じゃない。

 

「了解だ。任せてくれ」

 

「おう。………おいみんな、このリュッシャの冒険者たちは味方だ! リュッシャは憎たらしいかもしれんが、こいつらは撃つな! いいな!?」

 

「了解!」

 

「ビビるなよ、リュッシャ!」

 

 任せろ。こっちは何度も実戦を経験してきてるんだから、盗賊ごときでビビるわけがないだろう。

 

 中には俺たちが仲間だという事を聞いて訝しむ者たちもいたけど、信用できないという気持ちは分かる。彼らに信用してもらうためには、この戦いで俺たちが敵ではないという事を証明しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アールネたちに手を振って彼らと別れ、盗賊たちがやってくると思われるルートの側面へと移動する。相変わらずシベリスブルク平原は平坦な地形になっていて、遮蔽物は散発的に立っている細い針葉樹のみ。高い場所がない以上、狙撃をするには伏せて雪の上からぶっ放すしかないだろう。

 

「………ちょっと服の色を変えるぞ」

 

「ええ、どうぞお兄様」

 

 メニュー画面を開き、生産済みの装備の中から今の服装をタッチする。俺の能力ではカスタマイズできるのは生産したもののみという事になっているんだが、どういうわけか服装だけは生産したものでは無いものでも身に着けているだけで勝手に生産済みの装備の中に登録され、いつでもタッチするだけで着替える事ができるようになる。だから服装にはあまりポイントはかからないというありがたい仕組みになっている。

 

 転生者ハンターのコートとカノンの制服をタッチし、表示されたメニューの中から『カスタマイズ』をタッチ。画面が切り替わって服装の画像とスキルなどが表示されるが、今からカスタマイズで変更しようと思っているのは色だけだ。黒が基調になっているテンプル騎士団の制服では、雪の上では逆に目立ってしまう。

 

 服装の色をホワイトとグレーの迷彩模様に変更し、すぐにメニュー画面を閉じる。バイボットを展開しつつ自分の服装を見てみると、いつの間にか見慣れていた真っ黒なコートはホワイトとグレーの迷彩模様に染まっていた。

 

 こっちの方が雪の上では目立たない。敵を狙撃する以上、目立ってはいけないのだ。だから狙撃手は敵を狙撃しやすい場所ばかりを探すのではなく、目立たない場所も狙撃するポイントとして選ぶのである。

 

 隣にいるカノンのドレスのような制服も、同じ迷彩模様に染まっていた。彼女のSKSはこのように伏せながらの狙撃を想定していないため、カノンは目の前に雪を集めて小さな山を作ると、その上にSKSカービンの銃身を置いて依託射撃(いたくしゃげき)の準備をする。

 

 スコープの蓋を開いてから覗き込み、索敵を行う。この村に到着した時と比べると、もうあまり雪は降っていない。見晴らしはそれなりによくなっているのはありがたかった。

 

 純白の平原の彼方に、人影が見える。村の方向とは反対側で、人数は明らかに20人以上はいる。幽霊のようにも見えてしまったが、スコープをズームして確認すると、その人影たちはちゃんと防寒着を身に着けていたし、中には防寒着の上に防具を身に着けている奴らもいた。装備を見てみるが、どの装備も産業革命以前の古めかしいものばかりだ。今でもあんなに古い武器を採用しているのは、最新の装備が行き渡らないほど辺境にある騎士団の前哨基地くらいだろう。それ以外は博物館に行くか、騎士団の武器庫で保管されている物しか残っていない筈である。

 

 装備は古いロングソードや斧など。中にはやけに重そうな盾とでっかい槍を装備した奴もいる。防寒着を着ている事を除けば、母さんが若かった頃の騎士団にも見えるだろう。

 

 カーソルを合わせると、すぐさまレンジファインダーが標的までの距離を計測する。レンジファインダーによると、目標までの距離は750m。俺はすぐにスコープへと手を伸ばしてカーソルを調整し、再び狙撃準備に入る。

 

「カノン、まだ射程距離外だろ?」

 

「ええ。でも仰角をつけて撃てば当てられますわ」

 

 さすが最強の選抜射手(マークスマン)の娘だ。狙撃はお手の物ってわけか。

 

 俺は彼女に「分かった、無茶すんなよ」と言うと、呼吸を整えてから照準を合わせ――――――戦闘の口火を切った。

 

「………ッ!!」

 

 やはり、反動は12.7mm弾とは違う。より大口径となり、獰猛な破壊力とストッピングパワーを手に入れたOSV-96の放った14.5mm弾は、降り注ぐ雪を切り裂き、銃声の残響を身に纏いながら雪原の真っ只中を疾駆していく。通常のライフル弾よりも遥かに巨大な弾丸が今から狩るのは、俺が照準を合わせていた先頭の盗賊だ。

 

 どうせスオミの里を陥落させた後の話でもしていたのだろう。野蛮な笑い方をする髭だらけの中年の男がスコープのカーソルに映っているが―――――その余命の残りには、もう小数点がついていた。

 

 ―――――目の前に、14.5mm弾が迫っていたのだから。

 

 次の瞬間、雪原の一角が真っ赤に染まった。まるでそこに紅いペンキをばら撒いたかのように、白銀の雪原が一ヵ所だけ真っ赤になっているのである。その真っ赤な領域の中に転がっているのは、ズタズタにされた防寒着の一部や、肉屋で売られている肉の切り身と見分けがつかないほど砕かれた人体の一部であった。

 

「―――――命中」

 

 銃声の残響が、やっと消える。

 

 排出された薬莢が煙を吐き出しながら雪の上に落下し、身に纏う熱で雪を溶かしながら沈んでいく。親指よりも大きな雪の穴を一瞥した俺は、すぐに次の標的に照準を合わせる。

 

 あいつらの装備は旧式のものばかりだが――――――やはり優先的にぶち殺すべきなのは、飛び道具を持っている奴らかな?

 

「おっと」

 

 いきなり仲間の1人が木端微塵にされ、慌てふためく盗賊たち。遠距離から〝何かに狙撃された”事には気付いているみたいだが、それがアンチマテリアルライフルによる狙撃だという事を知る者は存在しない筈だ。

 

 その慌てふためく無様な男たちの中に、1人だけ杖を手にした男が紛れて込んでいることにすぐ気付いた。その男はすぐに杖を構えると、狙撃から身を守るためにバリアのようなものを展開し始める。

 

 光属性のバリアか。消費する魔力はやや多めだが、防御できる範囲が広い上に物理的な攻撃やあらゆる魔術から身を守る事ができる魔術だ。ポピュラーな魔術の1つで、これを習得している魔術師は多い。ダンジョンの中でも魔物の攻撃から身を守る際に重宝するという。

 

 だが―――――魔物の攻撃力と、こいつの攻撃力は格が違うぞ。

 

 今度はその魔術師を狙う。魔術師は治療魔術を使って仲間を回復させる場合もあるし、何より魔術で攻撃されるのは一番厄介なので、敵対する場合は真っ先に狙うのが鉄則だ。逆に言えば、味方に魔術師がいる場合は真っ先に狙われるので、しっかり守らなければならないという鉄則があるのだが、敵はどうやら仲間が粉々になったことがショックらしく、その鉄則を守っている暇はないらしい。

 

 カノンも仰角をつけ、俺の隣で狙撃を開始した。しかし彼女の得意とする距離よりもやや遠いらしく、1発目の弾丸は慌てふためく盗賊の肩を掠めて雪に突き刺さり、1発目はそいつの片足に喰らい付いた。

 

「………やはり、遠いですわね」

 

「無理すんなよ」

 

 得意な距離でないのならば、無理に狙う必要はない。

 

 彼女にそう言った俺は、そろそろあの魔術師に引導を渡すことにした。

 

 幼少期に狩りに行った時の事を思い出す。森の中でいつもスナイパーライフルを構え、ラウラと一緒にどちらが大物を仕留めるかよく競争していたものだ。ラウラは銃を構えるといつも目つきが鋭くなっていたんだけど―――――俺の目つきはどうなんだろうか。

 

 そんな事を思いながら引いた引き金は、いつもより軽い感じがした。

 

 ズドン、とマークスマンライフルよりも獰猛で野太い銃声が響き渡り、再び14.5mm弾が駆け抜けていく。標的にされた哀れな魔術師は魔力を放出するために立ち止まり、必死に杖を構えて魔力の放出を続けている。

 

 その魔術師の身体が――――――バリアもろとも、弾け飛んだ。

 

 ぴきん、と光のバリアに亀裂が入ったかと思うと、その亀裂の原点となった一角が砕け散り、金色の光の破片の中を突き抜けた1発の弾丸が間髪入れずに魔術師の肉体に喰らい付いたのだ。突然自慢の魔術を打ち破られたことに驚愕したまま弾け飛んだ魔術師の頭が、小さな肉片と鮮血をまき散らしながらごろりと雪の上に転げ落ちる。

 

 続けざまに、今度は左手をRPG-7V2のグリップへと伸ばした。バックブラストを強引に廃止したため反動は増大し、射程距離も減少している得物だが、仰角をつけて撃てば十分に命中させられる距離だし、装着されている弾頭ならば正確に狙いを付ける必要はない。

 

 装着されているのは、いつもの対戦車榴弾ではなく対人榴弾。貫通力が激減しているため装甲で守られている相手に効果はないが、その分爆発や破片の範囲と破壊力は増大しているため、堅牢な敵よりも敵の歩兵の群れに叩き込む際に真価を発揮する。

 

 虎の子の魔術師を肉片にされ、すっかり混乱している盗賊たちの群れの真っ只中に、俺は無表情のままその対人榴弾を放り込むことにした。

 

 まるで彗星のように真っ白な白煙を引き連れながら、今度はより獰猛な一撃が雪の中を駆け抜けていく。数名の盗賊が辛うじて俺たちの居場所に気付いたらしいが、遅かったんじゃないか? 

 

「―――――バーカ」

 

 RPG-7V2の照準器の向こうで、対人榴弾の丸みを帯びた弾頭が膨れ上がったように見えた。その中から姿を現したのは、周囲にいる敵兵を蹂躙するために生誕した炎の剛腕と金属の破片であった。

 

 時限信管によって、ついに弾頭が炸裂したのだ。弾頭の中から膨れ上がった爆風は近くにいた男たちを飲み込むと、金属の破片で他の盗賊たちの肉体をズタズタにしてから爆風で吹き飛ばし、彼らをことごとく蹂躙していくのだった。

 

 

 

 



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転生者が白兵戦をするとこうなる

 

「おいおい………何だあれ」

 

 あの蒼い髪のリュッシャが戦いの火蓋を切って落としたのは、ここからも良く見えた。槍みたいに長い奇妙な武器を手にしたリュッシャたちだったが、どうせ側面からの奇襲で敵をびっくりさせられる程度だろう。冒険者は魔物との戦いを経験するものだし、場合によっては他の冒険者と〝戦果”の奪い合いになることも珍しくないと聞く。

 

 リュッシャ共だけでなく、スオミ族の子供たちも憧れる職業だ。誰もが憧れる大人気の仕事だが、その冒険者の欲が最もはっきりと表れる職業は他にないだろう。それゆえに魔物だけでなく、他の冒険者との争いも絶えない。

 

 だから戦いには慣れていてもおかしくないが、所詮2人だけだ。たった2人で30人もの盗賊共を蹴散らせるわけがない。俺以外の同胞たちもそう思っていた筈だ。

 

 ――――――その過小評価が原因で、俺たちは目を丸くした挙句、我が目を疑うする羽目になっている。

 

「な、なあ、アールネの兄貴………あれ何………?」

 

「し、知るか」

 

 弓矢を手にした年下の男子が、その光景をすっかり丸くした目で見つめながら俺に質問してくるが、俺もあんな武器は見たことがないから答えられるわけがない。

 

 本当に奇妙な武器だった。金属でできた槍みたいに見えるんだが、どういうわけか金属の平たい箱のようなパーツや、望遠鏡みたいなやつがくっついている。それに、槍にしては先端部に刃がついておらず、その代わりに空洞になった金槌にも似た奇妙な部品が取り付けられている。

 

 金髪のリュッシャが持っていた短い槍は、先端部に刀身と思われるものが折り畳まれていたから辛うじて槍だということは分かるんだが………あそこで盗賊を攪乱するどころか蹂躙しているあの2人の得物は、本当に接近戦用の得物ではなく飛び道具らしい。

 

 ドン、と凄まじい轟音を奏でたかと思うと、槍のような得物の先端部が爆発したかのように一瞬だけ火柱を噴き上げる。その火柱で攻撃するのかと思いきや、先端から姿を現した火柱は盗賊共に喰らい付けるほど伸びる前に姿を消し、雪の中に僅かな陽炎を刻みつけるだけだ。

 

 なんだ、でかい音を出すだけの武器なのか?

 

 数秒前までそう思っていたからこそ――――――俺は、我が目を疑う羽目になった。

 

 あれはでかい音を出すだけの槍のような武器ではないという事を、スオミの戦士たちと共に理解することになったのだ。

 

 何が起きたのか、全く見えなかったんだが――――――あのリュッシャが武器を向けていた遥か先にいた盗賊の身体が、なんの前触れもなく木端微塵に弾け飛んだのである。

 

 スオミの里のハイエルフたちは、皆幼少の頃から狩猟に親しみながら育つ。雪山の中に数人で弓矢を手にしながら入って行き、魔物や動物を仕留めて村へと戻る毎日を送るのだ。それゆえに大人になる頃には男だろうと女だろうと立派な戦士に育つし、実戦経験も豊富になる。

 

 もちろん俺やイッルも厳しかった親父と共に狩りを経験し、弓矢の訓練を続けてきた。だから飛び道具ならばその弾道を見ることは容易いだろうと思っていたんだが――――――それは高を括っていたと言わざるを得ない。

 

 あのリュッシャが持っていた槍のような飛び道具が火を噴いたのは確かに見えた。しかし、そこから炎以外に何が放たれたのか、全く見えなかったのだ。

 

 動体視力が鍛え上げられた俺たちでも視認する事ができないほどの弾速で、何かが飛んでいったとしか思えない。しかも、1発で人間の身体を木端微塵にしてしまうほどの破壊力を秘めた何かが、視認できないほどの弾速で遠距離から飛来するなんて………。

 

 それほどの破壊力があるならば、それなりに隙はある筈だ。優秀な魔術師だって魔力切れは絶対に解決できない問題と言われているし、優秀な剣士だっていつまでも剣を振るえるわけではない。必ずスタミナが底を突く。だからリュッシャの武器にも欠点はある筈だ。

 

 そう思った直後にあいつらの武器が再び火を噴いたのを目にした時は、またしても我が目を疑ったよ。

 

「何だよあれ………ボウガンか?」

 

「いや、ボウガンはあんな音出ないだろ………? それに、矢が見えないぞ………!」

 

「しかも連発してるぞ………! リュッシャの奴ら、あんな武器を作ったのか!!」

 

 いや、確かにリュッシャ共は産業革命によって工業を飛躍的に発達させ、新しい技術を活用して国を一気に発展させた。剣はより頑丈になり、防具はコンパクトになった。防御を盾に依存し、集団で魔物と戦う戦術が発達したことで戦い方も段々と変わりつつあるし、最近では新兵器が騎士団に配備されたという噂も商人から何度か聞いた。

 

 しかし、あの武器は何だかリュッシャ共の武器とは違うような気がする………。雰囲気が違うというか、一気にあらゆる過程を飛ばしてずっと先にある物を持ってきたような感じがするのだ。例え方がかなり変かもしれないが、俺はそう思う。

 

 立て続けに轟音が平原から響き渡り、雪の中で血飛沫と肉片が舞い上がる。緋色の光が煌めく度に、雪の向こうから奇妙な臭いが漂ってくる。

 

 まだあの2人のリュッシャが戦いの火蓋を切って落としてから2分足らずだというのに、もう既に盗賊たちの隊列はすっかり乱れてしまっていた。

 

 次々に粉々にされていく仲間たち。仲間の返り血で真っ赤になり、足元に転がる仲間の肉片で躓き、絶叫しながら逃げ惑う盗賊たち。あれはもう戦いというより、敗北して撤退していく敗残兵を追い立てて嬲り殺しにしているようにしか見えない。

 

 戦いというよりは――――――蹂躙。

 

 そう、あまりにも一方的過ぎるのだ。

 

「おい、アールネの兄貴。こりゃ俺たちの出番はなさそうだぜ………?」

 

「む………」

 

 腕を組みながら、仲間たちと共にリュッシャの武器の破壊力に驚愕していたその時だった。

 

 雪が降り注ぐ空の一角が、一瞬だけ光ったように思えたのだ。太陽はすっかり真っ白な雲に呑み込まれ、辛うじて薄い日光が雪原を照らし出している状態だというのに、空にそんな光が見えるわけがない。天空に広がる雪原のように白い雲の中には、切れ目も見当たらなかった。

 

 不自然に思った俺は、轟音と絶叫が聞こえてくる雪原から数秒だけ目を背けることにした。空が光った理由には思い当たる節がある。

 

 純白の空を見上げてみると、やはり光った位置の近くには2体の飛竜が舞っていた。おそらくイッルとニパが操る飛竜だろう。あの2人が村の戦士の中で特に飛竜の扱い方が上手いため、戦いになればあのように空を舞って偵察したり、場合によっては飛竜のブレスで支援することになっている。

 

 すると、その空を舞っていた飛竜の背中で銀色の光が煌めいた。飛竜の艶のある外殻が日光を反射したわけではない。ほんのわずかだが、光属性の魔力の気配がするという事は、あれは光属性の魔力を体外に放出することによって生じさせた光という事だ。天空を舞う飛竜に乗る戦士とは、このように発行信号でやり取りをするのである。

 

「………なに?」

 

 イッルとニパが送ってきた発行信号を脳内で解読し、俺たちの慣れ親しんだ言語に変換して並べた瞬間――――――俺は目を見開き、再びリュッシャたちのいる方向を振り向いた。

 

《敵、増援見ユ。2時方向、数40》――――――。

 

 それが、イッルとニパが送ってきた最悪のニュースだった。

 

 あの盗賊共の増援が、更に平原の向こうからやって来ているというのである。どうやらあの30人の盗賊共は先遣隊か斥候だったらしい。本隊が来たところで、もう既に先遣隊は壊滅しているも同然なのだから問題ないだろうと再び高を括りそうになった自分を、危機に気付いた俺が殴りつけて黙らせる。

 

 問題になるのは、その増援がやってくる方角だ。

 

 現在、リュッシャたちが盗賊共を蹂躙している地点が、ちょうど俺たちから見て2時の方向。―――――つまり彼女たちは、40人もの敵の本隊の進軍ルートにいるにもかかわらず、盗賊共の本隊の存在に気付いていないという事だ。

 

 慌てて俺は「リュッシャにも知らせてやれ」と発行信号を送ろうとしたが、そこで俺はスオミ族とリュッシャの母語が違うという事に気付いた。

 

 現在では世界中で公用語として使われているオルトバルカ語であるが、俺たちのこういったやり取りは基本的に俺たちの母語である古代スオミ語だ。オルトバルカ語の発行信号のパターンも考えれば用意できるが、あの2人のリュッシャは俺たちからすれば赤の他人。俺たちの連絡に使われる暗号を知っているわけがない。

 

 当然ながら、今更あいつらにそれを教える時間があるわけでもなかった。

 

「やべえ………ッ!」

 

 拙い。あのままでは………あの2人が盗賊共の餌食になっちまう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい敵意が増えたのは、もう既に察していた。

 

 3歳の頃からラウラと共に親父の狩りに同行して森での行動に慣れ、6歳からはライフルを手にして本格的な狩りを始めた。戦闘訓練まで受けるようになった頃には銃の使用が許され、防壁の外で魔物を倒しては素材を売って小遣いを稼ぐ幼少期を過ごしてきたのだ。暗殺者や熟練の戦士のように気配を隠すことなく、殺気や敵意を向けながらやってくる奴らは、防壁の外に出ればすぐに遭遇するようなゴブリン共と変わらない。

 

 マガジンの中に残っていた最後の1発をぶっ放し、仲間の肉片で真っ赤になっていた痩せ気味の男を粉微塵にすると、俺はマガジンを取り外して新しいマガジンに交換しつつ、ため息をついた。

 

 おそらく敵の増援だろう。数は少なくとも30人以上。殺気の濃さから判断すると、規模は今しがた片付けた奴らよりも少し多い程度だろう。35人から40人程度の規模に違いない。

 

「増援だ」

 

「あら、増えましたわね」

 

 隣でSKSカービンをぶっ放し、まだ生きている盗賊たちに止めを刺していくカノン。彼らは殆ど俺の狙撃で木端微塵になったか、対人榴弾で吹き飛ばされて肉片になった筈だが、まだ生きている奴がいるのだろうか。

 

 そう思いながらちらりとスコープを覗いてみると、カノンが誰を狙っているのかが理解できた。数秒前に骨盤辺りに14.5mm弾をお見舞いされ、千切れた内臓と肉片をぶちまけながら上半身だけになっちまった哀れな男を狙っていたらしい。

 

 そいつの眉間に風穴が開くと同時に、じたばたと動き回っていた血まみれの両手が動かなくなる。下半身が消失した恐怖と、激痛から解放されて安堵したかのようだ。

 

 顔をしかめながらスコープから目を離すと、隣ではマガジン内部の7.62mm弾を撃ち尽くしたカノンが、顔をしかめながらクリップを使って弾丸の再装填(リロード)をしているところだった。10発の弾丸をマガジンの中へと押し込んで上部のハッチを閉鎖した彼女の目つきは、いつの間にか鋭くなっている。

 

 両親から戦い方を教わっているとはいえ、カノンはまだ14歳の少女だ。――――――普通ならこんなグロテスクな戦場を目にすることなく、快適な屋敷の中で勉強に勤しんでいる筈である。カレンさんに「旅に出ろ」と言われて俺たちに旅に同行することになったカノンだが、さすがにこの惨状を見せるには早かったかもしれない。

 

 モリガンの傭兵の娘として生まれた以上、いずれはこんな戦場を目の当たりにし、その真っ只中で戦う羽目になるのだろうが………まだ早いか………?

 

「カノン、辛いなら―――――」

 

「いえ、お兄様………これが戦場だというのなら、克服するまでですわ」

 

 戦場を、克服する――――。

 

 首を横に振りながら断言した彼女は、OSV-96を肩に担いでいる俺の顔を見つめながら不敵に笑うと、再び狙撃を再開した。

 

 今の笑みは――――――作り笑いだろう。いつもの彼女が秘めているような自信が感じられない、どこか希薄で欠けたような感じのする悲しげな笑顔だった。高過ぎる壁を乗り越える自信はないけれど、俺を心配させないために虚勢に頼りつつ、壁を乗り越えるために足掻き続けようとしているのだろう。

 

 やはり早かったのだ。せめてもう少し魔物相手に実戦経験を積ませ、実戦に慣れてから俺たちの度に同行させるべきだったと思う。平民生まれの俺たちと比べれば、貴族として生まれたために常に多忙だったことは想像に難くない。ならば旅に出すのは来年や再来年でもよかったのではないか。カレンさんやギュンターさんは、彼女に試練を早めに与え過ぎたのではないか―――――。

 

 バラバラになった人体の転がる雪原を見据え、逃げていく盗賊を追撃しようとするカノンの背中を見つめていたその時、金属が何かに擦れるような甲高い音が、銃声の残響の中からひっそりと顔を出した。

 

 まるで、剣を鞘から引き抜いた時のような音だ。

 

 はっとした俺は、大慌てでアンチマテリアルライフルを折り畳んで背中に背負い、腰のホルダーの中からヴィラヌオストクの鍛冶屋で購入した漆黒のスコップを引き抜いた。息を呑みながら後ろを振り向き、スコップの持ち手をぎゅっと握る。

 

 敵の増援との距離は、思っていたよりも近かったらしい。スコップを握りながら後ろを振り向いてみると、雪が降り注ぐ平原の向こうに剣や斧を手にしながら突撃してくる人影の群れが、うっすらともう見えていた。

 

 接近されたと思ってアンチマテリアルライフルはもう折り畳んだ。再び取り出して銃身を展開しようとすれば、スコープを覗き込む頃にはもう盗賊共の間合いに入ってしまうのは火を見るよりも明らかである。

 

 現時点で咄嗟に反撃できる銃はリボルバーのMP412REXのみ。それ以外の武器は、スコップと2本の大型ワスプナイフのみである。その気になればメスを投擲して中距離から攻撃できるが、白兵戦の真っ只中にホルダーまで手を運び、メスを引き抜いて放り投げる余裕があるとは思えない。

 

「カノン、白兵戦だ!! 援護しろ!!」

 

「はい、お兄様!」

 

 カノンにはヴィルヘルムの亡霊からドロップした『ヴィルヘルムの直刀』があるが、あの直刀は土属性の得物という事になっている。真下が普通の地面ならばまさに独壇場となるが、残念ながらここは雪原の真っ只中。ここで使ったとしても雪に魔力の伝達を阻害され、本来の破壊力を発揮できないのが関の山である。

 

 だから彼女には、援護をお願いする。もう既に先遣隊は壊滅し、残っている奴らは武器を放り捨てて逃げてしまった。烏合の衆とすら呼ぶこともできない状況なのだから、もう無視してしまっていいだろう。それよりもこっちの増援を全力で叩くべきである。

 

 ああ、文字通りスコップで叩いてやるぜ………!

 

 左手をリボルバーのホルスターに近づけ、銃を引き抜こうとしたその瞬間だった。

 

 後方から雪を引き裂いて疾駆してきた何かが、すとん、と盗賊の1人の頭に突き刺さったのである。見事に眉間を1本の矢に串刺しにされた盗賊の男は、白目になりながら血涙を流し、頭を大きく後ろに振りながら雪の中へと崩れ落ちていく。

 

 先陣を切ろうとしていた1人が射抜かれたことによって、罵声を上げながら突っ込んできた盗賊たちが怯える。中には棒立ちになりながら犠牲になった仲間を見据える者もいた。

 

「―――――お前らに手柄を独占されてたまるか」

 

「アールネ!」

 

 背後から聞こえてきた、野太くて力強い男性の声。スコップを手にしたまま後ろを振り返ってみると、やはり俺とカノンの背後には純白の防寒着に身を包んだハイエルフの巨漢が、他の戦士たちと共に弓矢を手にして立っていた。

 

 今しがた矢を放ったのは、どうやらアールネらしい。

 

 豪華のように赤い瞳で里へと襲来した盗賊たちを睨みつけつつ、手にしていた弓をそっと背負うアールネ。そして腰にぶら下げていたホルダーの中からトマホークを引き抜くと、彼はそのトマホークを振り上げながら叫ぶ。

 

「―――――白兵戦だぁッ! スオミ族の力を見せてやれッ!!」

 

「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」」

 

 アールネの力強く、豪快な声に鼓舞され、他の戦士たちも腰のホルダーや鞘の中から次々に剣を引き抜いていく。リーダー格のアールネを含めても人数は20人程度だが、戦士たちに睨みつけられている盗賊たちは、もう既に彼らの気迫に慄いているようだった。

 

 倍の兵力で襲撃してきたというのに、少数の敵の気迫を恐れている。

 

 情けない事に、最後尾の方の盗賊は弱々しい声を上げながら遁走を始めているというのに――――――スオミ族の戦士たちは、もしかしたらモリガンの傭兵内に容赦のない戦士たちなのかもしれない。

 

 戦士の1人が素早く剣から弓矢に持ち替えて狙いを定め、戦場から逃げ出そうとしていた男の背中を正確に射貫く。肩甲骨の近くを矢で射抜かれ、揺らめきながらこちらを振り返ろうとする盗賊の男だったが、無慈悲な矢の群れが立て続けに彼の背中に突き刺さり、まるでヤマアラシのような姿となってその盗賊は雪の上へと崩れ落ちる。

 

 先頭に1人の死体。そして、最後尾にも仲間の死体。

 

 死体に挟まれているのは、瞬く間に2人の仲間を殺された挙句先遣隊まで壊滅させられ、このままでは皆殺しにされると感付き始めている哀れな盗賊たち。

 

 戦意を失いつつあった彼らに――――――ついに、戦士たちが襲いかかる。

 

「突撃ぃッ!!」

 

「УРааааа!!」

 

 アールネの号令に言い慣れた雄叫びを返し、俺もスコップとリボルバーを手にし、余所者が先陣を切ってもいいのだろうかと考えながら、怯える盗賊の群れの中へと踊り込んでいく。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「に、逃げろ! こいつらヤバいぞ!!」

 

 中にはそんな情けない事を言いながら逃げ出す奴もいたが、やはり武器を振るって応戦してくる男たちも残っていた。もう逃げられないと察してやけくそになったのか、それともこんな少数の敵に怯えている場合ではないという意地で踏みとどまったのかは分からない。

 

 しかし、立ちはだかるのならば屠るまで。その敵がクソ野郎ならば――――――蹂躙するまでだ。

 

 手始めに左手のMP412REXをぶっ放し、左側で斧を手にしていた男の顔面を.357マグナム弾で撃ち抜く。獰猛なストッピングパワーのマグナム弾に顔面を食い破られた男が崩れ落ちるよりも先に、目にしたこともない銃の威力に驚愕する盗賊へと肉薄した俺は、無精髭だらけの真っ黒な顔を睨みつけながらにやりと笑うと、まるで今からアッパーカットをお見舞いするボクサーのように腰を低くしてから、思い切り右手のスコップを振り上げる。

 

 ざく、と土にスコップを突き立てた音に似た音が、「ぎぃっ……!」という呻き声と共に頭上から聞こえてきた。ちらりと見上げてスコップが男の喉笛を貫いていた事を確認した俺は、彼の腹を思い切り蹴飛ばしてスコップを喉から引き抜きつつ、後続の盗賊と衝突させて時間を稼ぐ。

 

 その間にくるりと時計回りに回転し、勢いを付けつつ思い切りスコップを左から右へと薙ぎ払う。がつん、と今度はスキンヘッドの中年くらいの男性の顔面に血まみれのスコップが叩き付けられ、彼の鼻の骨を粉砕してしまう。

 

 崩れ落ちかけていたその男性に止めを刺したのは、無慈悲としか言いようのないトマホークの一撃だった。

 

「リュッシャのくせに、なかなかやるじゃねえか!」

 

 雄叫びを上げながら斬りかかってきた小柄な盗賊の首を掴み、そいつがもがいている間に顔面にトマホークを叩き付けて粉砕しながら、アールネがそう言った。彼も戦いには慣れているようだけど、どちらかというとどこかの剣士に習ったというよりは我流でここまで戦い抜いてきたかのような、荒々しい戦い方だった。

 

 盗賊が突き出してきた槍の一撃をひらりと回避し、すれ違いざまに至近距離からリボルバーでこめかみを撃ち抜く。盗賊たちの中にはやけに速い剣戟の奴も紛れ込んでいるようだが、大半は素人だ。剣を振る速度は遅く、軌道も容易く見切れる。

 

 崩れ落ちていく死体が手放した槍の柄を蹴飛ばし、向こうから斧を振り上げつつ突進してきた男のみぞおちを串刺しにする。槍を引き抜こうと痙攣しながら足掻く男の頭にスコップを突き立てて止めを刺し、次はどいつを仕留めようかと顔を上げた俺だったが、いつの間にか盗賊共は武器を投げ捨て、一目散に平原の向こうへと逃げ出し始めていた。

 

 とはいえ、逃げ出しているのは3分の1くらいだろうか。逃げ遅れた奴らがまだスオミ族の男たちと戦っているけど、明らかに剣術の技術に差があり過ぎる。力強い剣戟を矢継ぎ早に叩き込んでいくスオミ族の戦士と、ガードするのがやっとの盗賊。

 

 まるで熟練の剣士と素人の試合を目にしているほどの、一方的な戦いだった。

 

 やがてその盗賊も、隙を見て振り下ろされた太いマチェットの餌食となり、鮮血を吹き上げて目を見開きながら崩れ落ちていく。

 

「………終わりだ」

 

 その戦いを見守っていたアールネが、返り血を拭いながら呟く。

 

 スオミの里の雪原は、盗賊たちの血で真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 



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長老に呼び出されるとこうなる

 

「おい、リュッシャ! やるじゃねえか!」

 

「見直したぜ! 逃げ出すどころか先陣を切るなんてよ!」

 

「頼もしいなぁ。ハハハハハハッ!」

 

「ど、どうも………」

 

 次から次へとでかい手が降りかかってきて、俺の頭を鷲掴みにしてはかなり強引に撫で回していく。角はもう縮んでいるので彼らの手に突き刺さることはないだろうという見当違いの安堵を感じながら、俺を褒め称えてくれる屈強な戦士たちの間を通って村の方へと戻っていく。

 

 少数精鋭で、あらゆる侵略を撥ね退けてきた歴戦の戦士たちに褒められるのは嬉しい事だが、何だか非常に恥ずかしい。彼らにこのまま祭り上げられでもしたら、恥ずかしさのあまり再び角が伸びてしまいかねないので、早めに宿泊施設に戻るべきだろう。

 

 頭を撫で回され、豪快に笑う戦士たちに肩や背中を叩かれる俺の姿を見て、後ろで援護していたカノンもSKSカービンを担ぎながら苦笑いしていた。あの、カノンさん。お願いだから助けて。

 

「おいお前ら、リュッシャを褒め称えるのは後にしろ。とっとと死体を片付けちまおうぜ」

 

「お、おう。魔物が寄ってきたら大変だからな……」

 

 人込みを何とかすり抜けながら村へと戻ろうとする俺に助け舟を出す意図があったのか、アールネは俺の周りにいる戦士たちに向かって大きな声でそう言うと、トマホークの返り血を足元の雪で洗い落としてからホルダーへと戻し、戦場となった平原に横たわる盗賊たちの死体を指差した。

 

 中には逃げ帰ったやつもいたが、大半がこの雪原で命を落とす羽目になったため、死体の数はかなり多い。しかし、放置しておくと肉食性の魔物がやってくるし、血の臭いが魔物を引き寄せる呼び水となるため、このような死体は焼却するか、遠くに投げ捨てるか、とっとと埋めてしまう事が望ましい。

 

俺も彼らの手伝いをしようと思って踵を返しかけたんだが、作業に取り掛かる戦士たちを腕を組みながら見ていたアールネが、俺を見て不敵に笑いながら「いいからとっとと部屋に戻ってろ」と言わんばかりに目配せをしていたので、俺は彼に頭を下げてからカノンを連れて宿泊施設まで戻ることにした。

 

 マークスマンライフルを担ぐ彼女を連れ、村の入口まで戻ろうとしていると、いきなり俺の目の前に蒼白い見覚えのある画面が立ち塞がった。いつも俺が開いているメニュー画面だが、今回は開こうとした覚えは全くない。勝手に画面が表示され、俺の目の前に立ち塞がったのである。

 

《レベルが上がりました》

 

 お、久しぶりにレベルが上がったな。この通知は久しぶりに見たような気がする。

 

 続けて現在のレベルとステータスが表示され、レベルアップによってアンロックされた装備や能力の一覧が表示される。俺の能力は確かに便利な能力だが、能力や装備を生産する場合は何かしらの条件を満たさなければ生産できないものもあるので、ポイントさえあれば何でも作れるわけではないのである。

 

 例えばある魔物からドロップしたものを入手する必要がある武器もあるし、何かしらの能力を装備しなければ生産できない兵器もある。他にも、特定の敵をどれくらい倒さなければならないというような条件が付いている代物も多い。

 

 新たにアンロックされたのは………『ポリアフの召喚』とかいう能力だ。どうやら〝ポリアフ”と呼ばれる氷の精霊を召喚して戦わせるという能力らしいが、俺は炎属性と雷属性が専門なので使う事はないだろう。

 

 現在のレベルは65。全てのステータスは順調に3000を超え、現在ではスピードが4010となっている。攻撃力と防御力は、まだ共に3990だ。どうやらステータスの伸び方は規則的ではなく、その転生者の戦い方に合わせて伸びるようになっているらしい。だから伸び方にはばらつきがあるようだ。

 

 他に何かアンロックされたスキルとかはないのか?

 

「ん?」

 

《弾薬支給先の変更》

 

 そんな名称のスキルが、アンロックされた能力やスキルの端に小ぢんまりと表示されていた。それをタッチして説明文を確認する。

 

《弾薬の支給先を、武器の生産者から使用者へと変更します。これによって新しい弾薬は武器を手にしている仲間の元へと支給されます》

 

 結構便利な能力じゃないか? 

 

 要するに、12時間毎に支給される弾薬を送る行き先を変更するという事だ。現時点では俺の元に全ての武器の弾薬が支給されるような仕組みになっており、仲間たちに武器を支給する際は弾薬をセットで支給しなければならない。だから仲間の弾薬がなくなった場合は12時間待ち、俺の元へと新しい弾薬が届いてから仲間へと支給するという方法で弾薬を支給していた。

 

 しかしこのスキルは、その武器を持っている仲間の元へと弾薬が補充されるように送り先を変更するというスキルらしい。例えばナタリアがショットガンを使う場合、今までは俺の元にショットガンの弾薬が支給され、そこから俺がナタリアに支給する方式だったんだが、このスキルを使えば最初からナタリアの元にショットガンの弾薬が支給されるという事になる。

 

 仲間と長期間の別行動をする場合は、仲間の弾薬の心配をする必要がなくなるという大きなメリットがある。他の転生者と違って仲間にも武器を支給している俺としては、こういう能力は重宝するだろう。

 

 小さく表示されていたのは、不人気なスキルだったからだろうか。転生者の大半は仲間―――――待遇は手下と変わらないようだ―――――に力を持たせることを忌避し、強力な力を自分で独占しようとする傾向があるため、仲間に武器を渡す事はあまりないという。そんなクソ野郎から見れば、このような能力は自分を脅かす自爆スイッチのようなものだったのだろう。

 

「カノン。今度からは俺だけじゃなく、お前たちにも弾薬が支給されるぞ」

 

「あら、便利ですわね」

 

 これは生産するべきだ。生産に必要なポイントは400ポイントとなっており、一般的なアサルトライフルのコストよりもやや高いポイントだったけど、これは作っておこう。

 

 新しいスキルを生産して早速装備しつつ、村の門を再び潜って宿泊施設へと向かう。

 

 このスキルがあれば、遠くにいる仲間にもいちいち弾薬を届けに行かなくて済む。だからもしテンプル騎士団の組織の規模を拡大した場合、武器を渡して仲間の訓練を行うだけで、弾薬は12時間毎に彼らの元に支給されるようになるのだ。

 

 何とかして転生者を仲間にし、その転生者に武器と弾薬の支給を行ってもらおうかと思っていた問題だが、このスキルがあれば解決できそうだ。

 

 テンプル騎士団の規模を拡大するという事を考えていた俺は、ふと門の向こうで死体を焼いているアールネたちの方を振り返る。

 

 俺たちの理想と転生者の存在を彼らに話したら、スオミ族の戦士たちはテンプル騎士団の〝同志”となってくれるだろうかと思ったのだ。彼らは少数精鋭で、今まであらゆる侵略者を撃退してきた経験を持つ戦士たちである。もし彼らが仲間になってくれれば純粋に戦力がアップするだろうし、それ以外にも新たな同士のスカウトも担当してもらえるだろう。上手く行けば、スオミ族出身の諜報員も誕生するかもしれない。

 

 だけど、彼らはオルトバルカ人にかなり反感を持っているようだからなぁ………。大昔に故郷を侵略され、強引に併合されて搾取されてきたのだから、オルトバルカ人の俺が「仲間になってくれ」と言っても首を横に振るのは目に見えている。

 

 これは難しいか………?

 

 気が付くと、もう宿泊施設の入口から中へと入り、カノンと共に部屋へと向かう階段を上がっていた。すっかり慣れた寒さをストーブの温もりで引き離しつつ、階段を登り切って部屋のドアの前に立つ。

 

「1人で出て行ったから、ラウラ怒ってるかなぁ………?」

 

 というか、あの戦闘の最中も寝てたんだろうか? 

 

「ふふっ。またお姉様と2人きりですわね」

 

「監禁されたら助けてね?」

 

 部屋へと戻ろうとするカノンに助けを求めるけど、彼女はニヤニヤと笑いながら口元のよだれを拭い去り、「やっぱり、お兄様が搾り取られるのかしら………?」と小声で言い始める。どうやら妄想を始めてしまったようだけど、俺はもう2回もラウラに襲われて搾り取られてますからね。

 

 ああ、これじゃ監禁されてもカノンが助けてくれる確率は0%だ。そのまま部屋に監禁されてヤンデレのお姉ちゃんと過ごすことになるのか………。

 

 恐る恐る部屋のドアを開け、カノンと別れてから部屋の中へと足を踏み入れる。木造の建物が発する木の優しい香りと、ラウラの甘い香りの残り香が漂う部屋で息を思い切り吸い込んでから、そっとベッドの上を見下ろす。

 

「あれ?」

 

 てっきり、いつものように機嫌が悪い時の虚ろな目で俺を見つめてくるのではないだろうかと思ったんだが、ベッドの上は毛布が乱れているだけで、ラウラの姿は見当たらなかった。シャワールームのドアの近くで耳を澄ましてみるけど、中に誰かが入っている気配はない。

 

 どこに行ったんだ?

 

 狭い部屋だし、隠れられる場所などほとんどない。仮に彼女が氷の粒子を纏って姿を消していたとしても、これだけ暖かい部屋の中で彼女の粒子が正常に機能するとは思えないし、第一微かな冷気で隠れている場所はすぐに分かる筈だ。

 

 おかしいな………。まさか、俺を探しに行ったのか?

 

 そう思いながら部屋の真ん中に差し掛かったその時だった。

 

 背後からドアが開いた音が聞こえたのである。古いドアなのか、軋む音はやたらと大きいからこっそり開けようとしてもすぐにバレてしまう。

 

 ぎょっとしながら後ろを振り返ろうとしたのも束の間、部屋に入ってきた人物の姿を目にするよりも先にぷにぷにした柔らかい何かが俺の腰に絡み付いたかと思うと、続けざまに嗅ぎ慣れた甘い香りを纏った両手が絡み付いてきて、そのまま右側にあるベッドの上へと俺を押し倒してしまう。

 

 枕の上に後頭部を押し付けながら目を開けてみると――――――涙目になった赤毛の少女が、俺の身体の上にのしかかっているところだった。

 

「ら、ラウラ………?」

 

「タクヤのバカ! どこに行ってたの!? お姉ちゃん、心配したんだからぁ………ッ!!」

 

「あ………」

 

 売店で水を買うために1階に下り、そのまま盗賊の迎撃に言ってしまったのだから、部屋で寝ていたラウラは心配したことだろう。

 

 胸に顔を押し付けながら泣き始めたラウラを抱き締め、「ごめん………」と小さな声で謝ると、ラウラは静かに胸から顔を離し、涙を拭ってから唇を近づけてきた。俺も彼女の唇を受け入れ、そのまま2人でしばらく抱き締め合う。

 

 満足したのか、静かに唇を離したラウラは、上目遣いで俺の顔をじっと見つめ始めた。

 

「………もう、いなくならないでね?」

 

「分かった。ごめんね、お姉ちゃん」

 

「………うんっ♪」

 

「ところで、ラウラはどこに行ってたの?」

 

「えっと、ナタリアちゃんたちと一緒に住民を避難させてたの。武器はサイドアームしかなかったから………」

 

 なるほどね。

 

 やはり異世界で銃は目立つけど、街中で冒険者が武器を持ったまま歩き回るのは珍しい事じゃない。だから俺たちも同じように堂々とライフルを背負って街中を歩くようにしていたんだけど、今回はオルトバルカ人を忌み嫌うスオミ族の村という事で、彼らに敵意はないという事を示すために武器はサイドアームのみにしていたのである。

 

 メインアームを使うためには、俺に武器を出してもらわなければならない。でもその俺は盗賊の迎撃のために最前線にいたため、置いていかれたラウラたちの得物はサイドアームだけとなってしまった。

 

 だから戦いには参加せずに、住民を避難させていたという事か。

 

「そっか………お疲れさま、お姉ちゃん」

 

「うんっ♪」

 

 彼女の涙を拭ってから、俺はもう一度ラウラの身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、リュッシャ」

 

 アイテムの補充と地図の購入のために売店で買い物をしていた俺たちを呼び止めたのは、やや細身の白髪の少年だった。特徴的な白髪と業火のように赤い瞳は、アルビノのハイエルフのみで構成されてるスオミ族の特徴である。

 

 俺たちを呼び止めた少年の顔つきは、なんとなくアールネに似ているような気がした。彼のようにがっちりした体格ではなく、表情は常に優しそうな感じがする。年齢は俺と同い年くらいだろうか。

 

 その少年の後ろには、同じく短い白髪のハイエルフの少年が不機嫌そうな表情を浮かべながら立っている。唇を尖らせながらやたらと俺を睨みつけてくるが、彼はやはりオルトバルカ人が許せないのだろうか。温厚そうで紳士的な雰囲気を放つ少年とは対照的に、荒々しく攻撃そうな雰囲気を放つ少年である。

 

「兄さんが褒めてたよ。『あのリュッシャはすげえ』って」

 

「兄さん………? アールネのこと?」

 

「うん。僕はエイノ・イルマリ・ユーティライネン。みんなはイッルって呼んでるんだ。こっちの不機嫌そうなやつはニルス・カタヤイネン。みんなはニパって呼んでる」

 

 アールネの弟か。確か最初に俺たちがこの村を訪れた時も、弓矢を構えながら他の戦士たちと一緒にいたような気がする。

 

「ほら、ニパ。挨拶しなよ」

 

「ハッ。イッル、俺はこのリュッシャを信用する気にはなれねえな。確かに強かったけどよ」

 

「あははははっ。ごめんね、ニパは素直じゃないから………。本当はニパも君たちの事を評価してたんだよ?」

 

「はぁっ!? おい、何言ってんだバカ!!」

 

 顔を真っ赤にしてニパがイッルを怒鳴りつけるが、イッルは面白そうに彼の怒声を笑いながらひらりと躱し、恥ずかしがるニパを宥め始める。

 

 何だか、雰囲気がシンヤ叔父さんに似ているような気がする。武闘派の兄がいるというのもそっくりだ。………でもあの人はもっと物静かというか、常に落ち着いているような人だからな。

 

「ふにゅ………あの、私たちには何の用?」

 

「うん。スオミの里の長老がね、君たちに会いたいんだって。盗賊の撃退を手伝ってくれたお礼がしたいって」

 

 長老だって?

 

「外で兄さんが待ってるから、もし良ければ来てくれるかな?」

 

「そうだな………」

 

 もちろん、盗賊の撃退を手伝ったからと言って調子に乗るつもりはない。あくまで長老の賛辞を聞いて、挨拶してから戻ってくるだけだ。テンプル騎士団への協力をお願いしてみるのも一つの手かもしれない。

 

 でも、中にはやはりニパのようにオルトバルカ人を嫌う住民もいる事だろう。だから協力要請は、様子を見ながら判断しよう。

 

 仲間たちもアイテムをもう補充しているみたいだし、地図はもう俺が購入したから大丈夫だ。買い物をしていた仲間たちに「大丈夫か?」と問いかけてみたけど、仲間たちはみんな首を縦に振ってくれた。

 

「ああ、大丈夫だ。案内を頼む」

 

「うん、良かった。これで長老もお喜びになる」

 

「勘違いすんなよ、リュッシャ。てめえらは盗賊を撃退してくれたけどな―――――――」

 

「ほら、ニパ。早く行くよ」

 

「お、おう」

 

 イッルに手を引かれ、宿泊施設の外へと連れて行かれるニパ。俺たちも引っ張られていくニパの後を追い、持っていた部屋の鍵をロビーにいたおばさんに預けてから入り口のドアを開けて再び里の雪と対面する。

 

 外は、再び静かになっていた。盗賊たちを撃退するために慌ただしく走っていく戦士の姿はもう見当たらず、防寒着を身に纏ったスオミの里の住民たちが、雪で覆われた道を歩いて家の中へと入って行くだけだ。もう死体の片づけは終わったんだろうか。

 

 雪玉を投げ合いながら遊んでいるハイエルフの子供たちを見守っていると、宿泊施設の反対側の建物の壁にもたれかかりながら、腕を組んでこっちに手を振っている男の姿が見えた。

 

 イッルの兄のアールネだ。

 

「おう、リュッシャ」

 

「連れてきたよ、兄さん」

 

「ご苦労。さて、マンネルヘイム長老がお待ちだ。行こうぜ」

 

 腕を組むのを止めたアールネが、俺たちを手招きしてから村の中心へと向かって歩きだす。近くで雪合戦をして遊んでいたスオミ族の子供たちに手を振ると俺たちもアールネの後について行く。

 

 スオミの里は小さな村だけど、彼らのような少数精鋭の戦士たちによって守られている。その上非常に厳しい寒さにも守られているため、魔物にさえ警戒していれば問題はない。だからこの村には、他の街のように防壁が必要ないのだろうか。

 

「ところでニパ、今回はちゃんと飛べたか?」

 

「はぁ? おい、アールネの兄貴。何言ってんだ?」

 

「ガハハハハッ。去年の大晦日みたいに自分の飛竜が風邪ひいて飛べなくなったんじゃないかって心配になってな」

 

「う、うるせえ! あっ、あれからはちゃんと自分の飛竜の体調管理を徹底してだな――――――」

 

「そして自分の体調管理を疎かにして、今度は飛竜の風邪をうつされて新年早々寝込む羽目になったんだよね、ニパは」

 

「い、イッル………」

 

「たしかそれで〝ついてないカタヤイネン”って呼ばれるようになったんだっけ?」

 

「おい、やめろよ! 恥ずかしいって!!」

 

 お、おいおい………。

 

 というか、カタヤイネンさんはこっちの異世界でも色々と不運だったのか。飛竜が風邪を引くのは稀に騎士団でも起こることらしいけど、その飛竜に風邪をうつされたという話は全然聞いたことがないぞ。しかも飛竜の風だから、人間がひく風邪とはわけが違う。

 

 飛竜の普通の風は、人間にとってはインフルエンザのようなものだという。

 

 ニパ、お大事に………。

 

 顔を真っ赤にしながらユーティライネン兄弟に言い返すニパを見守りながら、俺はそう思った。

 

 



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スオミの長老

 

 アールネやニパたちに長老の家へと案内されながらスオミの里を眺めてみたけれど、オルトバルカの産業革命とは無縁とも言えるような環境の場所にある村というだけあって、村の中に機械らしきものは殆ど置かれておらず、村の様子は中世と全く変わっていない。

 

 スオミ族は幼少期から狩猟を経験し、成長すれば猟師として森の中で獲物を仕留める日々を送る民族だと聞いたことがあるが、正確に言うならば狩猟と農業を両立しながら生活している民族と言うべきだろう。

 

 半年以上は雪が降り注ぎ、真夏でも暖かくなり始めた頃の春と気温があまり変わらない、夏という季節を知らない極寒の山脈の麓。そこに太古から住んでいるスオミの民は、危険な山脈や平原へと弓矢を手にして狩りに赴き、女性や老人は極寒の中で畑仕事に勤しむ。そして時折襲来する魔物や盗賊たちを撃退し、いつもの生活を続けるのだ。

 

 他者が入り込んで来れないような環境にあるためなのか、太古からその生活は変質することなく現在まで続いている。しかも、まるで運命がこの里を発展から守ろうとしているかのようにこの里まで列車を走らせるという計画も見事に頓挫しており、産業革命の影響は全く受けられていない。

 

 オルトバルカ人をリュッシャと呼び、常に余所者扱いしている彼らからすれば、そっちの方が過ごしやすいのかもしれない。見ず知らずの他国の人間に里に入り込まれ、搾取されるのは確かに嫌だし、新しい技術を信用できないという考え方も理解できる。

 

 畑の畝を掘り返し、その中から真っ黒なジャガイモのようにぼこぼこした実を拾い上げていた老人に手を振ると、そのスオミ族の老人は俺たちがオルトバルカ人だという事に気付いた瞬間に顔をしかめたけど、俺たちがアールネと一緒にいることに気付くと、目を丸くしながらこっちを見つめ始めた。

 

 きっと、余所者の俺たちがアールネと一緒に歩いているのが信じられなかったんだろう。しかもその余所者はただの余所者ではなく、かつて自分たちの村へと侵略してきたリュッシャの末裔たちである。

 

 正確に言えば、俺たちはオルトバルカ人だけど当時の人々の末裔と言うわけじゃないんだよね。親父は転生者である日本人だし、母親は隣国のラトーニウス人だ。だから俺たちはリュッシャと呼ばれる筋合いはないんだけど、国籍はオルトバルカという事になっているし、そんな無責任なことをいうわけにもいかない。

 

 それに、寿命の長いハイエルフであれだけ高齢なのだから、きっとあの老人はオルトバルカに侵略された当時からの生き残りなのだろう。

 

 騎士たちの侵略の後に生まれた者たちに比べれば、秘めている憎しみはより純粋で、決して取り除けないほどに深い憎しみ。老人のしかめた顔を再び思い出し、改めて彼らの敵意の強さを思い知った俺は、王国とスオミの民の距離を改めて理解する。

 

 畑の畝が連なる雪道を通過すると、そこから先は小さな雑貨店や鍛冶屋が並んでいた。やはり王都の立派な店と比べると建物は小さく、品揃えも各地から商人が運んできた製品ではなく、この里の特産品が多いようだ。

 

 見たこともない奇妙な野菜やお手製の弓矢が並ぶ店の前を、暖かそうな毛皮の防寒着や帽子に身を包んだ小さな子供たちが、襲撃から数時間しか経過していないというのに楽しそうな笑い声を上げながら走ってきた。やはりその子供たちも髪と肌が真っ白で、瞳はみんな炎のように赤い。

 

「あっ、アールネ兄ちゃん!」

 

「おう、坊主ども。怪我はなかったか?」

 

 駆け寄ってきた小さな子供たちの頭を、アールネの大きな手が優しく撫でた。

 

「うん! ところでアールネ兄ちゃん、盗賊はいっぱいやっつけたの?」

 

「またたたかいに行ったんでしょ? アールネ兄ちゃんはとっても強いから、今日も兄ちゃんがやっつけたんだよね?」

 

 彼に頭を撫でられていた子供たちが、アールネの今回の武勇伝を聞こうと彼の近くに殺到する。彼の活躍を聞きたがる小さな子供たちにすっかり取り囲まれてしまったアールネは、いつもの鋭く不敵な顔つきではなく、大柄で豪快な彼には似合わない苦笑を浮かべながら、俺たちやイッルに助け舟を出せと言わんばかりにちらちらとこっちを見てくる。

 

 同じく苦笑しながら「あ、兄貴………」と呟くニパの隣でにこにこと笑っていたイッルが、彼の腕を肘で軽く突いてから一歩前に出た。

 

「はーい、みんなー。今日は兄さんだけじゃなくて、ここにいる冒険者の人にも手伝ってもらったんだよー。ねえ、兄さん?」

 

「ん? ああ、そうだぞみんな。そこにいる蒼い髪のお姉さんが村を救ってくれたんだ」

 

 ん? 待て待て、アールネ。蒼い髪のお姉さんだって?

 

 ちょっと待てよ。まさかこいつまで俺の事を女だと思てたのか? 確かに俺は母さんに似てしまったせいで散々女に間違えられるけど、日頃から男の口調で話すようにしたり、服装は男性が好んで身に着けそうな物を選んだりして、少しでも男子だと思われるような努力を続けてるんだぞ? 

 

 なのに………お前まで俺の事を女と………。

 

 ああ、泣きたい。あわよくばお姉ちゃんに抱き締めてもらって、なでなでしてもらいながら思い切り泣きたい。

 

「えー? なんだか兄ちゃんよりひょろひょろしてるし、よわそうだよー?」

 

「………」

 

「ふにゅ、そんなことないよ! タクヤはとっても強いんだから!」

 

 お姉ちゃんが反論してくれるけど、小さい子供に言われると滅茶苦茶傷つく………。こ、これ辛い………。

 

 辛うじて苦笑いを浮かべながら堪えていると、俺のコートの裾をステラの小さな手がくいっと引っ張った。

 

「タクヤ、落ち込まないでください」

 

「あ、ありがとう………」

 

 彼女の短い慰めを傷薬代わりに心に塗り込み、ため息を吐きながら子供たちがアールネから離れて遊びに行くまで待機する。

 

 親父は体格ががっちりしているのに対し、俺は散々筋トレしていたにも関わらず男子からすれば細身なので、弱そうと言われるのも無理はない。………で、でも、弱そうだと思って喧嘩を売ってきた奴に実力差を見せてやれば、売ってきた馬鹿が絶望してる顔見れるし。うん、それで優越感を味わう事が出来るんだからいいじゃないか!

 

 そうだ、この弱そうな見た目は俺にとって優越感を味わうための疑似餌なんだ! 

 

 開き直る理由を考えていると、アールネを取り囲んでいた子供たちが「ばいばい、兄ちゃん!」と元気な声で言いながら、畑の方へと向かって走っていった。

 

 とりあえず、俺も去っていく子供たちに手を振っておく。

 

「さて、行くか」

 

「ああ」

 

 アールネが俺を女だと思っていた事と、子供たちの追撃で長老の家に辿り着く前に致命傷としか言いようがないほどの大ダメージを受けてしまった俺。ポーチの中やホルダーには回復アイテムのエリクサーがあるけれど、残念ながらこのモリガン・カンパニー製エリクサーは肉体の傷を塞いで癒してくれるだけで、精神的なダメージを癒してくれるわけではないのである。

 

 フィオナちゃんに精神的なダメージを治療できるエリクサーを作ってってリクエストしてみるかな。そうしたらトラウマと無縁になると思うんだけど。それに悪口を言われても回復できるしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 アールネが案内してくれたのは、村の中心にあるごく普通の一軒家だった。1階建ての木造の家で、里の中に立つ他の建物と雰囲気は全く変わらない。里の人口はそれほど多くはないので建物も少なく、家が小さい割に庭がやたらと広いという特徴も他の家と同じだ。

 

 雪で真っ白になった屋根からは煙突が突き出ていて、そこから流れ出る煙が薪の焦げる臭いを雪の中へとばら撒き続けている。幼少の頃、ネイリンゲンの郊外にある森の中に住んでいた時も、冬場は暖炉の近くでこの匂いに包まれながらラウラと遊んでいたものだ。幼少期の頃を思い出しながら小さな門を開け、玄関のドアをノックする。

 

 ここが本当に長老の家なんだろうか。スオミの里の規模が小さいとはいえ、里を統率する長老なのだからもっと豪華な家に住んでいると思っていたんだが、本当にごく普通の質素な一軒家である。

 

『はいはーい?』

 

 数秒ほどドアの前で違和感を感じながら待っていると――――――やけに若くて陽気な男性の声が、ドアの向こうから聞こえてきた。長老の家族の方かな? それとも、長老が雇っているお手伝いさんとか執事なんだろうか。やっぱり長老なんだから普通の家に住んでいても、そうやってお手伝いさんを雇ってるんだろう。貴族や金持ちはメイドとかお手伝いさんを雇うのは普通だからな。俺の実家は何故かメイドを雇ってなかったけど。

 

「長老、俺です」

 

『あー、アルちゃん。ようこそ』

 

 ん? 長老? 

 

 アールネとやけに若い男性の会話に違和感を覚えた瞬間、ドアの向こうから段々と足音が聞こえてきたかと思うと、いきなりドアノブが回り始め、チョコレートの塊を思わせる色合いのドアが開く。

 

 家の中から漂う温もりと、暖炉の発する薪の焼ける香り。この雪国に住めばすぐに親しむことになる香りと温もりを纏い、ブラウンのドアの向こうから顔を出したのは、やはりスオミ族の特徴である真っ白な肌と髪が特徴的なハイエルフの男性だった。

 

 体格はアールネよりも細身だけど、すらりとしている割には非力そうな雰囲気は全くない。やや長めの白髪の中から斜め上へと突き出ているのは、やはりハイエルフの証でもある長い耳だ。

 

 エルフとハイエルフは非常に似ている種族なんだけど、耳が伸びている角度で見分ける事ができる。エルフはそのまま長い耳がやや後ろへと伸びているのに対して、ハイエルフは耳が斜め上に延びているんだ。それで見分けることは出来るし、魔術師なら体内の魔力の属性で見分けてしまう。

 

 ちなみにエルフは風属性の魔術を得意とし、ハイエルフは光属性の魔術を得意とする。似通った種族でも、魔力の属性は異なっているのである。

 

「どうも、マンネルヘイムさん」

 

「やあ。彼女たちが例の冒険者かな?」

 

「ええ、優秀なリュッシャです」

 

「なるほどね。よし、入ってくれたまえ。コーヒーとサルミアッキもあるよ」

 

 サルミアッキかぁ………。売店でも売られてたな。

 

 それにしても、この男性が長老なのか? 老人だと思ってたんだけど、年齢はアールネより少し年上くらいじゃないか? 長老と呼ぶには若すぎる男性だ。

 

 とりあえず、アールネたちと一緒に長老の家にお邪魔することにする。この里でもオルトバルカと同じく、日本のように玄関で靴を脱ぐ習慣はないらしい。転生してきたばかりの頃は家の玄関で靴を脱ごうとして、良くエリスさんや母さんに笑われたものだけど、靴を脱がずに家に上がる生活を17年間も続けていれば前世の習慣など忘れてしまうものだ。家に上がる前に靴の裏の雪を軽く落とし、「お、お邪魔しまーす……」と小声で言ってから長老の家に上がらせてもらう。

 

 家の中も、一般的な家のようだった。よく狩猟に出かける人物なのか、暖炉の傍らには木製の弓と作りかけの矢が立て掛けられていて、その近くには仕留めた獲物の頭蓋骨や毛皮が飾られている。少々物騒なリビングだけど、雰囲気はネイリンゲンの家にそっくりである。

 

「椅子が足りないね。ちょっと待ってね」

 

 リビングにはソファが置いてあるけど、少人数で腰かけるためのものらしくそれほど広くはない。吸われる人数は3人程度だろうか。家を訪れた人数は全員で8名なので、これだけで足りるわけがない。

 

 部屋の隅から木製の椅子を人数分持ってきた長老が、「まあ、座って。今コーヒー持ってくるから」と言ってからキッチンと思われる部屋の方へと、スキップしながら向かっていった。

 

 やけに若いし、陽気な長老だなぁ………。

 

「な、なあ、あの人が長老なの?」

 

「ああ、そうだ。あの人は偉大な長老だぞ。かつて弓矢でドラゴンを仕留めてきた男なんだからな」

 

「すげえな………」

 

 ドラゴンを弓矢で仕留めるのは、非常に困難なことである。

 

 まず、ドラゴンの外殻は非常に硬い。産業革命によって発達した技術で製造された武器ならばまだ通用するが、この里は産業革命とは無縁。つまり、武器は昔と変わらないお手製のものばかりという事である。木製の弓矢では外殻の貫通は困難だし、何よりドラゴンの機動力は他の魔物の比ではない。

 

 更に強力な炎や突進を避けながら攻撃しなければならないのだ。それゆえに昔の騎士団では、討伐する際には必ず魔術師を同行させる事にしていたという。

 

 そのドラゴンを、旧来の装備で1人で討伐するほどの実力者なのか………!

 

「お待たせー。はい、コーヒーとサルミアッキね」

 

「ど、どうも………」

 

 大木の切り株を思わせる円形のテーブルの上に、黒っぽい飴がどっさりと乗った木製の皿が置かれる。テーブルに置かれたそれを凝視していたナタリアは苦笑いすると、ちらりと俺の方を見てからもう一度サルミアッキの山を見下ろした。

 

 このサルミアッキは、スオミの里の名物らしい。早くもニパやイッルがそのサルミアッキの山に手を伸ばしているけど、俺はちょっと遠慮させてもらおう。とりあえずコーヒーを飲むとするか。

 

「アールネが君たちの事を褒めてたよ。一緒に戦ってくれてありがとう」

 

「いっ、いえいえ………里を守る事ができて良かったです」

 

 口に運びかけていたマグカップを止めてそう言うと、長老はにっこりと笑ってからサルミアッキを口へと運んだ。

 

「俺は『カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム』。アールネから聞いただろうけど、このスオミの里の長老だ。………若いでしょ?」

 

「は、はい。意外です」

 

「ふふふっ。まあ、歴代の長老の中では最年少らしいからね」

 

 やっぱり最年少なのね。

 

 口の中のサルミアッキを噛み砕き、マグカップを持ち上げる長老。ブラックコーヒーを口に含んだ瞬間、一瞬だけだけど温和そうな長老の目つきが鋭くなった感じがして、俺はそろそろ本題に入るんだろうなと予測する。

 

 温和で陽気な長老に思えるけど、この人はただの陽気な長老などではないのだろう。裏と言うか、狡猾で鋭利な一面もあるという事に違いない。

 

「さて。―――――――君たち、奇妙な飛び道具を使っていたそうだね。大きな音のする槍のような武器って報告されたんだけど」

 

「………」

 

 長老が銃の事を聞き出すためにそう言った瞬間、コーヒーを啜ったり、サルミアッキを珍しそうに眺めていた仲間たちの手が一斉に止まった。

 

 銃はこの世界には存在しない。あれは俺の前世の世界の武器であり、俺が身に着けていた能力で擬似的にこの世界に持ち込んだようなものなのだ。だから彼らは銃の正体を知らないし、銃を未知の武器だと認識している。

 

「それはどこで手に入れたのかな? もしや、リュッシャの新兵器?」

 

「………」

 

 本当のことを言うべきか? 転生者や、人々を虐げる転生者を狩る転生者ハンターの事も。この世界の人々からすれば異世界の武器となる銃を話すという事は、彼らに異世界からやってきた転生者の事を暴露するのと同じことだ。

 

 隠すべきかと思ったけど、本当の事を話しておいた方がいいかもしれない。おそらくこの長老を誤魔化すのは不可能だろうし、嘘をつけば十中八九怪しまれる。ただでさえオルトバルカ出身という理由で信用されていないのだから、どうにか信用してもらえるように立ちまわりたい。

 

 それに、上手く転生者たちの悪行を話し、それを何とかしようとしているテンプル騎士団のことも話せば―――――――彼らを仲間にできるかもしれない。組織の規模を大きくしようとしている俺にとっては、スオミの里を味方につけるのはかなりメリットの大きな話だ。

 

 仲間たちを見渡してから、頷く。今からこの長老に銃や転生者の事を話すという意図で首を縦に振った俺に、仲間たちも同じく首を縦に振ってくれる。

 

 みんな同じ考えなんだろう。「この長老は誤魔化せない」ということを、理解したのだ。

 

 無言でホルスターに手を伸ばし、MP412REXを取り出す。いきなり得物を取り出そうとした俺を見ていたニパが慌てて腰のナイフに手を伸ばすけど、腕を組みながら様子を見ていたアールネに睨まれ、唇を噛み締めながら静かにナイフから手を離す。

 

 取り出したリボルバーを机の上に置いた俺は、静かに両手をテーブルの上に置くと、息を吐いてから説明を始めた。

 

「――――――戦闘に使った物の1つです」

 

「報告では、槍のような武器と聞いたんだけど?」

 

「ええ、それとは別物です。ですが、それも同じですよ。〝大きな音のする飛び道具”です」

 

「ふむ」

 

 さすがにOSV-96をテーブルの上に置くわけにはいかないからな。全く別物だけど、それも銃なのだからこいつを見せるだけでも説得力は上がる筈だ。

 

「どこで手に入れた?」

 

「いえ、俺が生み出しました」

 

「なに?」

 

 リボルバーに手を伸ばし、シリンダーを回しながらまじまじと見つめていたマンネルヘイム長老が、手を止めて真っ赤な瞳で俺をじっと見つめてくる。やはりどこかで手に入れた武器だと思っていたんだろう。こんな女みたいな男――――――この人も俺を女だと思っている可能性はある―――――――が生み出した武器とは信じない筈だ。

 

「………君は鍛冶屋なのかね? そのようには見えないけど」

 

「ええ、そうでしょうね。………ですけど、俺には父親からの遺伝のせいで、生まれつき〝そんな能力”があるんですよ」

 

 そう言いながら立ち上がり、左手を目の前に突き出していつものメニュー画面を出現させる。いきなり目の前に出現した蒼白い画面を目にしたイッルやアールネは息を呑み、ニパは「何だ!? 魔術か!?」と大きな声を出しながら再びナイフを抜こうとしている。

 

「――――――それは『銃』という、異世界の武器なんです」

 

 ああ、だから話すんだ。銃の事だけではなく、転生者とテンプル騎士団の事も。

 

 

 

 



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スオミ族の長老と交渉するとこうなる

 

「異世界からの転生者………そんな者たちが、この世界にやって来ているのか………」

 

 俺の話を聞いてくれた長老は、腕を組みながら目の前のテーブルに置かれているマグカップを見下ろして呟いた。もう既にマグカップの中で湯気を上げていたブラックコーヒーは残っておらず、香ばしい残り香と余熱が徐々に薄れていくだけである。

 

 最初は俺が話をする度に、嘘をつくなとか作り話だと否定的なことばかり言っていたニパも、その度にアールネと長老に咎められ続け、いつの間にか何も言わずに信じがたい俺の話に耳を傾けてくれていた。

 

 もう、彼らには殆ど話した。銃という兵器の存在や、その銃が生み出された異世界からやってくる転生者の話。そしてその転生者の大半が、与えられた自分の能力を欲望のためだけに悪用しているという現実。

 

 今のところ、転生者という存在の認知度は極めて低い。奇妙な端末を持つ者たちの噂話は頻繁に耳にするが、その噂話をする者たちは、その端末の持ち主がこの世界の住人ではなく異世界からの来訪者だとは思いもしなかった事だろう。

 

 それに、殆どの転生者はこの世界中に知られる前にモリガンの傭兵たちによって〝駆除”されているため、転生者という存在と真相を知る者はごく僅かとされている。

 

 信じがたい話だが、俺とラウラが生まれた頃にはほぼ毎日〝仕事”に出かけていく親父によって、転生者という物たちそのものの数が激減したらしく、まさに絶滅する寸前だったという。

 

「なるほど、君たちは彼らを狩るための組織を結成しようとしているわけだね?」

 

「はい」

 

「ふむ………確かに、欲をあらわにした輩を話し合いで留めるのは不可能だ。我らの父たちも、リュッシャの侵略の時にそれを痛感したという」

 

 大昔のオルトバルカの侵略も、やはり原因は彼らの欲望だったのだろう。領土を広げて他国を追い抜き、列強国となって他者からの搾取を開始する。典型的な帝国主義だ。自分たちは利益を啜り、あらゆる苦痛は植民地の人々や原住民に押し付ける。そして我が物顔で圧政を続け、搾取していく。

 

 それが大国の規模での欲望だ。それと比べると遥かにちっぽけな欲望だが―――――――本質は、同じだ。自分の欲のために他者を虐げ、搾取して苦しめる。前世の世界で押さえつけられていたからこそ、ルールすら破壊できるほどの力を手に入れた彼らは肥大化した欲を満たすために力の悪用を始めるのだ。

 

 他者の言葉で欲に耐えられるわけがない。言葉で留めようとすれば、彼らは敵意を向けてくる。

 

 だからもう狩るしかないのだ。

 

「まるで共食いだな」

 

「………ええ、その通り。同胞を喰らう共食いと同じです」

 

 俺から聞いた話を整理したのか、長老はやたらと山盛りにされたサルミアッキの山から1つ摘み取ると、黒っぽい飴を自分の口へと運んで噛み砕き、そう言った。

 

 転生者を狩るために、同じ転生者が転生者ハンターとなる。まさに共食いと同じだ。

 

「ですが、共食いをしなければこの世界が喰われます」

 

「………ふむ。確かにその転生者とやらが里を襲撃してきたら厄介だ。我らの持つ手製の弓矢では太刀打ちできんだろう」

 

 いくらスオミの里を守る戦士たちが勇猛な者たちばかりであったとしても、射程距離が短く、威力と連射速度も乏しい弓矢では、矢継ぎ早に弾丸を連射するライフルに太刀打ちするのは不可能だろう。射程距離外から弾丸を叩き込まれ、攻撃する事すらできずに全滅させられるのが関の山である。

 

 それに転生者が誇る猛威は、銃だけではない。ステータスによって強化された身体能力に加え、極めて汎用性の高い端末によって生み出される特殊な能力やスキルの数々。理不尽なステータスと能力を何とかしない限り、この世界の人々に彼らを倒すのは不可能だ。

 

 現時点では幸運なことに、スオミの里は転生者の攻撃を受けたことはないという。しかしもし転生者がやってくれば、この里を襲撃して壊滅させ、人々を奴隷にして独裁者の真似事を始めようとするのは目に見えている。

 

 だからこそ俺は、転生者ハンターたちで構成されたギルドを立ち上げ、この世界を彼らから守るという計画を考えた。世界中に諜報部隊を派遣することで情報を集め、現地に現代兵器で武装した実働部隊を派遣して転生者を狩る。それを世界規模で実行することで転生者に対する抑止力とし、彼らの蛮行から世界を守るという計画である。

 

 蛮行を続ければ狩られるという事を理解すれば、彼らは能力の悪用を止める筈だ。物騒な方法だけどこれは効果的な手段に違いない。

 

「テンプル騎士団か………面白い計画ではないか。なあ、戦士の諸君」

 

 サルミアッキの山に手を突っ込み、一気にいくつもサルミアッキを拾い上げた長老が、それを口へと放り込んだ。ごりごりと飴を咀嚼する長老の目つきが、段々と陽気な目つきから戦場で戦う兵士を思わせる鋭い目つきへと変貌していく。

 

「悪くない計画だ、リュッシャ」

 

「ありがとうございます」

 

 もしかして、協力してもらえるのか? 現時点では何とか期待できそうな雰囲気だ。このまま彼らを説得する事が出来れば、スオミ族の戦士たちに協力してもらう事ができるかもしれない。

 

 彼らだって、虐げられる辛さは知っている筈だ。彼らの父親や母親たちは、侵略された際の当事者なのだから。

 

 俺も、転生する前はクソ親父からずっと虐待を受けていた。いや、あんな男はもう父親と呼びたくはないし、俺の父親を名乗って欲しいとは思わない。もう水無月永人は飛行機の事故で死に、異世界にタクヤ・ハヤカワとして転生した。今の俺の父親は、リキヤ・ハヤカワだけなのだ。

 

 もしも協力してくれるのならば―――――――あらゆる現代兵器を彼らに託してもいいと思っている。アサルトライフルやSMG(サブマシンガン)だけではなく、戦車や戦闘ヘリをはじめとする兵器も彼らに譲渡する予定だ。テンプル騎士団の一員として戦ってもらえるのならば、相手は転生者になる。少なくとも現代兵器を持っていない限りは太刀打ちできないだろう。

 

 この里を守り続けなければならない戦士たちにとって、強力な武器はかなり魅力的な代物である筈だ。

 

「………俺たちの親父は、リュッシャ共と戦った戦士だ」

 

 長老がサルミアッキを咀嚼する音の中で、唐突に小さな声でそう言ったのはアールネだ。荒々しく、豪快な彼とは思えない冷静な声音で、真っ直ぐに俺を見つめながら彼は話し始める。

 

「だから父や母たちは、侵略される辛さを知っている。俺たちも幼少期からその辛い話を聞き、二度と里を侵略させないようにと立派な戦士を目指して修行してきた」

 

「アールネ………」

 

「なあ、リュッシャ。教えてくれ。………その武器があれば、俺たちはこの里を守り抜けるか? もう二度と誰にも虐げられないように、仲間たちを守れるようになるのか?」

 

 守ることはできる。そして――――――蹂躙することもできる。

 

 守るのか。それとも、壊すのか。

 

 武器という存在の使い道は、大きく分けてその2つ。しかしどちらも、〝敵を殺す”という本質は同じだ。目的と状況が違うし、それを実行することによってどのような結果になるのかが変わるだけ。守るために武器を振るう人もいるし、壊すために武器を振るう人もいる。

 

 その2つのうち――――――アールネたちは、前者を選ぼうとしている。

 

 虐げられないように、武装する。

 

 武装せざるを得ない民族の戦士だからこそ、力を欲する。

 

 彼らの気持ちを理解する事ができた俺は――――――告げた。

 

「―――――ああ、できるさ」

 

「ありがとう………」

 

 彼は頷いてから礼を言うと、サルミアッキを飲み込み終えたマンネルヘイムさんをじっと見つめた。話を聞いていたニパやイッルも、里のトップである長老を見つめる。

 

「――――――長老、俺はテンプル騎士団に協力するべきだと思います」

 

「僕も兄さんに賛成です。もう虐げられるのはこりごりですからね。それに、この銃という武器を貰えるというのも大きなメリットかと」

 

「俺も賛成です、長老」

 

 アールネとイッルとニパは賛成してくれた。

 

 しかし、トップの長老が首を横に振ればスオミの民に協力してもらうという話は一瞬で水泡に帰す。最年少で長老となった一族の長には、それほどの権限がある。

 

 首を縦に振り、俺たちを信用して力を貸してくれるのか。それとも首を横に振り、この話を一蹴してしまうのか。

 

 固唾を飲みつつ、俺たちも長老を真っ直ぐに見据え続ける。

 

「―――――――いいだろう」

 

 コーヒーの残り香が漂う暖かい部屋の中に、先ほどよりも軽い声が静かに響いた。

 

「確かに、転生者とかいう奴らは脅威になる。それにこの里には更なる力が必要だ」

 

「長老………」

 

「スオミの里は、テンプル騎士団に協力しよう」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 や、やったぞ……! これでスオミの里の人々が仲間になり、テンプル騎士団の規模が大きくなる!

 

「ああ。だが、中にはやはりリュッシャを嫌う奴らもいるだろう。彼らには私が話をしておく。………なに、納得してくれない奴らにも協力しろと強要するわけじゃないさ」

 

「感謝します、長老」

 

 確かに、中にはオルトバルカ人を嫌う戦士もいるだろう。特に彼らの侵略を実際に経験した古参の戦士たちは、オルトバルカ人の子供が率いるテンプル騎士団への協力を拒む人がいてもおかしくはない。

 

 長老の説得に期待したいところだけど、強引に協力させるわけにもいかないので、納得してくれなかった場合は賛同してくれる戦士たちに協力してもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしかしたらテンプル騎士団に協力してくれる戦士と、協力を拒んだ戦士たちとの軋轢が原因となり、スオミの里で内乱が起きてしまうのではないかと危惧していたんだけど、スオミ族のトップであり、単独でドラゴンを討伐した実績のある長老の言葉は効果的だったらしく、オルトバルカを嫌っていた古参の戦士や村中の戦士たちまで協力してくれるようになったという。

 

 予想以上に早くスオミ族の本格的な協力が現実となったため、俺たちは早くも彼らへの武器の支給や、銃の扱い方の訓練に精を出すことになった。

 

 まず、スオミの里はオルトバルカ王国の国土の中でも最も雪が降る一帯にあるため、運用する銃や兵器は寒冷地に最適なものを厳選する必要がある。半年以上は雪が降る場所であるため、彼らに支給する装備の最も大きな条件は『頑丈であること』だった。

 

 銃には様々な性能のものがあるが、中にはデリケートな銃も多く、このような場所で作動不良を起こしてしまうものもある。戦闘中に銃が撃てなくなってしまうのは命取りなので、そのようなことがないように頑丈な銃の候補を選んでおき、実際に戦士たちに試し撃ちしてもらってから正式採用するものを選ぶことにしていた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 雪の中でマズルフラッシュが煌めき、フルオート射撃の豪快な銃声が冷たい風を打ち砕く。そしてその両者を吐き出す銃を構える戦士の剛腕は、猛烈な反動(リコイル)にあっさりと敗北してしまったらしい。

 

 元々ハイエルフはハーフエルフやオークのように屈強な肉体を持つ種族ではない。むしろ華奢で、魔術を使った後方からの攻撃が本職と言われるほど身体能力が低い傾向にあるのである。それに加え、やはり7.62mm弾のフルオート射撃は彼らには荷が重かったようだ。

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ。……凄い音だな、これ………」

 

 耳を押さえながら言ったニパから銃を受け取り、安全装置(セーフティ)をかけておく。

 

 スオミの里は極寒の山脈の麓にあるため、頑丈なライフルでなければ運用は困難である。だから俺は正式採用するライフルの候補の中に、頑丈なアサルトライフルの代名詞と言えるAK-47を入れていた。

 

 AK-47はロシアの誇る極めて頑丈なアサルトライフルである。滅多に作動不良を起こすことがない銃であるため、そのような故障とは無縁と言っても過言ではない。そのため雪の降るロシアだけでなく、中東の砂漠の戦場でも使用されている。

 

 寒さだけでなく、暑さにも耐えることのできる堅牢なAK-47なんだけど、使用する弾薬が一般的なライフルよりも口径が大きいために反動も大きく、また命中精度もやや低いという欠点がある。命中精度はとにかく、前者の反動の大きさは華奢なハイエルフのスオミ族には荷が重かったらしい。

 

 そこで、今度はAK-47の弾薬の口径を小さくしたAK-74をニパに渡してみたんだが、フルオート射撃の結果はAK-47と同じだった。彼の腕力は再び反動に敗北し、目の前の的には縦に弾痕が刻み込まれてしまう。

 

「おい、何でこんなに反動がすごいんだよ!?」

 

「うーん………フルオートはダメなのかな………?」

 

 アールネならあっさり使いこなしそうなんだけど、弓矢を使って戦ってきたスオミ族の戦士たちにはアサルトライフルではなく、旧来のボルトアクションライフルやセミオートマチック式のライフルが適しているのかもしれない。

 

 さっきSMG(サブマシンガン)も試し撃ちしてもらったんだけど、ライフル弾ではなくハンドガンの弾薬を使うSMG(サブマシンガン)の反動は問題にならなかったようだ。

 

「5.45mm弾のフルオート射撃がダメってことは………やっぱり昔のライフルか………?」

 

 こうなったら、アサルトライフルが登場する以前のライフルを試し撃ちしてもらおう。

 

 生産する武器の項目をアサルトライフルからボルトアクションライフルに切り替え、表示されるライフルの中からどれを生産するか考え始める。ボルトアクションライフルが正式採用されていたのは第二次世界大戦頃までであり、アサルトライフルが登場してからは改良されてスナイパーライフルとして使用されるか、そのまま退役して姿を消してしまったライフルばかりだが、連射が難しいというならば単発式のライフルでも問題ない筈だ。アサルトライフルの猛烈な反動の原因は、連続的に発生する1発1発の反動なのだから。

 

 というわけで、少々古いライフルの中から俺はあるライフルをタッチし、カスタマイズせずにそのまま生産したそれをニパに手渡した。

 

「こっちを使ってみてくれ」

 

「何これ?」

 

「ボルトアクション式だ。脇にあるボルトハンドルを引くやつ」

 

 彼に渡したライフルは、かつてソ連軍で使用されていたものをベースにフィンランド軍が改良した『モシン・ナガンM28』と呼ばれるボルトアクションライフルである。雪国であるソ連が採用していた銃を、同じく雪国であるフィンランドが改良した銃であり、信頼性は極めて高い。

 

 アサルトライフルと比べると連射は出来ないものの、命中精度はそれなりに高く、1発の破壊力ならばこちらの方が上だ。それにスオミ族の人々は弓矢を使った狩猟を経験しながら育った人が多いというから、どちらかというと撃ちまくるような代物ではなく、単発の銃での射撃の方が親しみ易いのではないかという可能性もある。

 

 興味深そうにボルトハンドルに触りながら、ニパは「ああ、さっき説明してたやつだな?」と言いながら銃を構え、フロントサイトとリアサイトを覗き込みながら銃口を的へと向けた。

 

「1発の反動はでかいけど、連発するタイプの銃じゃないからさっきみたいにはならない筈だ」

 

「それならついてないカタヤイネンも大丈夫だね」

 

「うるせえぞ、イッル!」

 

 茶化してきたイッルに言い返したニパは、的に照準を合わせ――――――トリガーを引いた。

 

 AK-47と比べると長い銃身から、大口径の7.62mm弾が躍り出る。マズルフラッシュの輝きに抱かれながら姿を現した弾丸は、先ほどのフルオート射撃のように派手ではなかったものの、銃を持つニパの腕力が反動に屈するようなことはなかった。

 

 弾丸は的代わりに用意した木の板に容易く風穴を開けると、その後方に積もっていた雪の中へとめり込み、そのまま姿を消してしまう。

 

 ぎこちなくボルトハンドルを引き、薬莢を排出するニパ。モシン・ナガンから零れ落ちた薬莢が宙を舞い、足元の雪に埋もれていく。

 

「どうだ?」

 

「俺はこっちの方が良いな。連射するよりも、狙い撃つ方が性に合うぜ。多分他の奴らもこっちの方を好むと思う」

 

「なるほどね」

 

 念のため、他の戦士の人にも試し撃ちしてもらおう。

 

 それとさすがにボルトアクションライフルを手にした兵士だけで構成すると、近距離ががら空きになってしまう。いくら銃剣を取り付けることによって白兵戦ができるといっても、長い銃身に銃剣を取り付けるのだから、取り回しは槍と変わらない。

 

 やはり、何人かSMG(サブマシンガン)を使う兵士も決めておいた方が良いだろう。

 

 そんな事を考えながら、俺は次のスオミ族の男性にモシン・ナガンを手渡すのだった。

 

 

 

 

 

 



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スオミ支部

 

 スオミ族がテンプル騎士団に協力してくれるようになったのは喜ばしい事だ。少数精鋭の戦士たちで構成される彼らは雪山や雪原での戦いに精通しているし、大昔には少数の戦士たちだけでオルトバルカ騎士団に大損害を与えたという実績を持つ。既に錬度の高い彼らが現代兵器で武装すれば、心強い味方になってくれるに違いない。

 

 しかし、彼らの専門はあくまでも侵略してきた敵を待ち伏せ攻撃で叩き潰し、その後は不意打ちを繰り返すゲリラ戦で戦力をひたすら削り取っていく〝防衛戦”である。相手の攻撃を防ぎつつ反撃と奇襲を繰り返し、最終的に敵を撃退するような戦い方を得意としているのだ。つまり、逆に攻撃を仕掛けるようになった場合、不慣れな戦い方で苦戦することも予想される。

 

 それは訓練で補うしかないだろう。そう思いながら、俺は仲間たちと共に里のすぐ近くにある大昔の炭鉱跡地の響き渡る銃声を聞いていた。

 

 結局、ニパ以外の戦士たちにもアサルトライフルを試してもらったのだが、何人かはフルオート射撃の反動(リコイル)に耐えられる者はいたものの、大半が小口径のフルオート射撃でも耐えることは出来ず、アサルトライフルよりも古めかしいボルトアクションライフルを正式採用する方針となった。ハンドガンの弾薬を使用するSMG(サブマシンガン)は元々反動も少ないので、こちらは彼らに気にいられているようだが、汎用性の高いアサルトライフルを持たないというのは正直に言うとやや不安である。

 

「まあ、ハイエルフは華奢な人が多い種族だから………仕方ないわ」

 

「そうだよな………」

 

 ハイエルフは、この異世界に住んでいる種族の中でも華奢な部類に入る種族だ。だから一般人の持ち上げられるような剣を持ち上げられないというのは珍しい話ではない。

 

 それを考慮すれば、ボルトアクション式のライフルを主力武器とするのは合理的な判断なのかもしれない。

 

 今しがた雪の積もった炭鉱の広場で訓練をしているのは、主力武器となるモシン・ナガンM28を持つ兵士たちだ。既に彼らの編成は済んでいるので、現在は編成された部隊ごとに訓練を行っている状況だ。

 

 スオミの里の歩兵たちは、大きく分けて『ライフルマン』、『工兵』、『砲兵』、『特技兵』の4つに分けられる。

 

 ライフルマンはオーソドックスな種類であり、ボルトアクションライフルとハンドガンを主な武装とする一般的な兵士である。ライフルを使っての射撃が主な任務だが、中にはスコープを搭載したスナイパーライフル型のモシン・ナガンでの狙撃を実施する狙撃兵も含まれている。現代の軍では一般的なライフルマンとスナイパーは別々の部隊に編成されるようになっているんだが、使用する銃の弾薬が同じであることと、想定している交戦距離がアサルトライフルの射程よりも長く、やや狙撃のような射撃となることから、別々の部隊としてではなく同じ部隊に編成することにした。中にはセミオートマチック式のシモノフSKSカービンを装備する者も含まれている。

 

 工兵は破壊工作や塹壕の用意などを行う歩兵である。ライフルマンのように積極的な攻撃は行わないものの、スオミの里のお家芸とも言える防衛戦闘に欠かせない塹壕を掘る部隊でもあるし、爆弾を用いた破壊工作もスオミの戦士たちが想定しているゲリラ戦には欠かせない。全く戦闘に参加しないというわけではないのでちゃんと武装しているけど、スコップやC4爆弾などの装備も携行する必要があるため、武装はSMG(サブマシンガン)とハンドガンという軽装になっている。また、元々スオミの里の戦士も人数が少ないため、工兵の規模もそれほど大きくない。

 

 砲兵はその名の通り、大型の対戦車砲や迫撃砲を運用する役割を持つ兵士の事である。遠距離から砲撃して敵の部隊や魔物の群れに大打撃を与えるスオミの里の〝矛”ともいえる攻撃的な部隊であり、規模はライフルマンの次に多い。『アハト・アハト』の愛称で有名なドイツ製の8.8cmFlak18を対戦車砲に改造した8.8cmPaK43をはじめ、一般的なサイズの迫撃砲であるBM-37や、超大型迫撃砲として有名なM-43も運用する。それ以外にも炭鉱に設置した〝ある秘密兵器”も彼らが運用する手筈になっている。携行する武装は工兵と同じで、自衛用のSMG(サブマシンガン)とハンドガンのみである。

 

 特技兵はこの4つの歩兵の種類の中で、一番癖の強い部隊かもしれない。主な武装はSMG(サブマシンガン)とハンドガンなんだが、この部隊はロケットランチャーの使い方の訓練も受けているため、もし敵の転生者が戦車を投入してきた場合は彼らが大活躍することになるだろう。雪原をスキーで素早く移動し、高速で敵の戦車に接近しながらロケットランチャーを叩き込んだり、SMG(サブマシンガン)の掃射で敵兵を薙ぎ倒し、肉薄して火炎瓶を放り投げていく特殊部隊のような存在だ。実際にも前世の世界で勃発したソ連とフィンランドの冬戦争において、フィンランド軍はスキー部隊を編成し、ソ連軍に大損害を与えている。

 

 歩兵部隊の中核はこの4種類の歩兵だ。それ以外にも少数になるが戦車やヘリを運用する人員の訓練も行っている。

 

 最終的には諜報部隊も設立し、各地に派遣して悪さをしている転生者についての情報収集も行いたいものだが、それを実施するためには諜報活動の訓練もしなければならないし、なによりスオミの民はみんなアルビノのハイエルフということで目立つため、諜報活動は今後の協力者に頼んだ方がいいだろう。それに俺たちもずっとここに滞在しているわけではない。急いであの山脈を越え、3つ目の天秤の鍵を手に入れなければならないのだ。

 

 予定通りならば明日の朝にはこの里を出発する予定だったんだが――――――もう少しだけ、この里でお世話になることになってしまった。

 

 なんと、俺たちが越えていく予定だったシベリスブルク山脈のほぼ全域に、かなり強烈なブリザードが発生しているというのである。この極寒の気候に慣れているスオミの里の人々も立ち入れないほどの猛吹雪となっているらしく、さすがにそんな吹雪の真っ只中を素人の俺たちが越えていくのは不可能と判断したため、吹雪が収まるまでは里に滞在することになった。

 

 長老の予測では、おそらく3日程度で収まるらしい。出来れば早く出発したいところだが、その3日間は里の戦士たちの訓練に使わせてもらおう。組織の強化のためでもあるのだから。

 

「おーい、ハユハー!」

 

「ふみゅ?」

 

「ん?」

 

 訓練しているスオミの里の戦士たちを見守っていると、雪だらけになった階段を数人の男性が駆け上りながら俺たちに声をかけてきた。特徴的な白い防寒着の胸元と左肩には、テンプル騎士団のスオミ支部を意味するエンブレムが刻まれている。

 

 ちなみにスオミ支部のエンブレムは、蒼空を思わせる蒼い十字架の下部で2枚の白い羽が交差しているようなデザインで、十字架の左斜め上には真っ赤な星が描かれている。蒼い十字架はスオミの里の象徴らしく、その象徴に合うようにそのエンブレムをデザインしたという。

 

 カッコいいエンブレムだなと思いながら彼らの防寒着を眺めていたんだけど、ハユハって誰だ? 俺たちの仲間にハユハって名前の奴はいないぞ?

 

 聞き慣れない名前を聞きながら、俺は改めて頭の中で仲間たちのフルネームを思い出してみるが、やはりハユハという名前が含まれている仲間はいない。

 

「あっ、私の事かな?」

 

「え、ラウラ?」

 

 何で? ラウラってフルネームはラウラ・ハヤカワだよな? 俺の知らない間にハユハっていうミドルネームでも付いてたのか? ラウラ・ハユハ・ハヤカワ………? 

 

 仲間たちと共に首を傾げていると、ラウラがいつもの笑顔を浮かべながら説明してくれた。

 

「えっとね、オルトバルカ語では私の名前は『ラウラ』って読むんだけど、古代スオミ語だと『ハユハ』って読むらしいの。面白いねっ♪」

 

 そ、そうだったのか………。つまり、スオミの里の人から見れば、ラウラ・ハヤカワじゃなくてハユハ・ハヤカワという名前になるって事か。

 

 面白そうに笑いながら、足元の雪にオルトバルカ語の文字で自分の名前を書き始めるラウラ。現在のこの異世界で共通語とされているオルトバルカ語の文字は英語のアルファベットに似ているし、語感も英語のように聞こえる。

 

 ラウラの事をハユハと呼びながら上がってきた数人の兵士たちは、みんなモシン・ナガンM28を肩に掛けていた。スコープを装備している奴はいないけど、モシン・ナガンを装備しているという事は全員ライフルマンなのか。最前線で戦う部隊だから、実戦でも彼らには頑張ってもらいたいものだ。

 

「ハユハ、もう一回狙撃を教えてくれよ」

 

「どうしても当たらなくてさぁ………」

 

「ふみゅ、良いよ♪ じゃあ、ちょっと教えてくるね!」

 

「はーい」

 

 数名のライフルマンたちを引き連れ、階段をスキップしながら下りていくラウラ。彼女がスキップする度に揺れる大きな胸を見ると思わず顔を赤くしてしまうけど、雪の積もった金属製の階段の上でスキップしたら転んでしまわないだろうか。な、何だか危なっかしいなぁ………。

 

 だ、大丈夫かなぁ………。お姉ちゃん、大丈夫? 転ばない?

 

 17年間も彼女とずっと一緒にいるんだけど、どうしてもあんな危なっかしいことをしている姉の姿を見てしまうと、弟として心配になってしまう。一緒に育ったわけだけど、前世の世界で生きていた分を含めれば俺の方が年上だし………。

 

「タクヤ」

 

「ん? ステラ、どうした?」

 

「見てください」

 

「ん?」

 

 階段を下り、的の方へとスキップしていくラウラ。俺のコートの袖を引っ張ったステラが指差しているのは、その彼女がスキップする度に揺れている胸だった。

 

 しかも注目しているのは俺たちだけではない。よく見ると、訓練している他の少年や青年たちも、いきなりスキップしながら訓練に飛び入り参加してきた赤毛の美少女の胸に釘付けになってるじゃねえか。

 

 おい、あれ俺のお姉ちゃんだからな。

 

「あんなに揺れてます」

 

「う、うん」

 

「ですが、ステラがスキップしても全然揺れません」

 

 そう言いながら自分の胸を見下ろし、両手でとんとんと叩いてからため息をつくステラ。彼女はパーティーの中で最も小柄で、胸も仲間の中で一番小さい。前々からラウラの魔力を吸う時は彼女の胸を触りながら羨ましそうにしていたのを度々見たことがあるが、やっぱり小さいのを気にしているんだろうか。

 

 じっと自分の胸を見下ろしてから、もう一度ステラはラウラの胸を凝視する。もうスキップするのを止めて射撃を始めているけれど、彼女の方が胸が大きいというのは火を見るよりも明らかである。

 

 うん、あれは超弩級戦艦ラウラですな。46cm砲を搭載した超大型の戦艦に違いない。

 

「タクヤ、ラウラの胸はどうして大きいのですか?」

 

「………」

 

 ごめんなさい、分かりません。

 

 ラウラの場合はエリスさんに似たんだろうな。顔つきとか性格も似ているし。胸が大きくなったのは母親の遺伝なんじゃないだろうか? 父親の遺伝はありえないよね。というか、親父の遺伝で胸が大きくなったらヤバいだろうが。

 

「き、きっと遺伝じゃないかな? えっと、ラウラのお母さんも巨乳だし………」

 

「………ステラのママも、貧乳でした」

 

 遺伝かよ!?

 

 そういえば、サキュバスの子供の遺伝子は基本的に母親の遺伝子で、父親の遺伝子は母親の遺伝子に上書きされる形で無視されるらしいから、実質的に生まれてくる女の子は母親とほぼ同じという事になる。つまりステラのお母さんも、ステラと同じく小さかったんだろうか。

 

「だ、大丈夫だって。成長すれば――――――」

 

「ステラはもう37歳なのですが」

 

「うっ」

 

 そ、そうでした………。この子、パーティーの中で最年長だったんだ。もう成長してるじゃないですか。

 

「それに、ママもステラと同じく小柄でした」

 

「はぁ!?」

 

「あらあら、お母様も幼女でしたのね♪」

 

「か、カノンちゃん………」

 

 おいカノン、何でよだれ垂らしてるんだ。お前は何を考えてるんだよ………。

 

「パパは小柄で幼い顔つきの女性が好みだったそうです」

 

「なるほど、ステラさんのお父様はロリコンでしたのね?」

 

「はい。ですので貧乳は大歓迎だったそうですが、ステラはどうしてもラウラのように大きな胸が羨ましくて………」

 

 段々とラウラの胸を見つめるステラの目つきが虚ろになっていく………。そ、そんなに羨ましいのか!? 

 

 俺は何とか慰めようとするが、なかなかどうやって慰めればいいのか思いつかない。変な事を言えば逆効果になる可能性もあるからな。慰めればいいというわけではない。

 

「ステラさん、おっぱいの大きなお姉様から毎日魔力を吸っていれば、ステラさんもいつか大きくなる筈ですわ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 カノォォォォォォォンッ!? ちょっと、何言ってんの!? 

 

 なんてこった。カノンの奴、ラウラを生け贄にしやがった………! こいつ、ステラへのアドバイスと言うよりは幼女に襲われてるラウラの姿が見たかっただけなんじゃないか?

 

 ちらりと彼女を見てみると、カノンはよだれを拭って笑いながらウインクしやがった。可愛らしいウインクなんだけど、そのウインクと笑顔の原因はお前の下心だよね? 

 

「では、さっそく今夜やってみます!」

 

「ええ。楽しみにしておりますわ♪」

 

 たっ、楽しみぃッ!?

 

 ラウラ、気を付けろ。今夜からはカノンの下心のせいで、ステラにかなり魔力を吸われる羽目になるぞ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズドン、と豪快な銃声が立て続けに響き渡り、続けてボルトハンドルが彼女の白い手によって後ろまで引かれていく。微かに白い煙を吐き出し、回転しながら雪の中へと排出されていくのは、内包した炸薬を炸裂させ、弾丸を送り出すという役目を終えた金属の薬莢。

 

 既に雪の中へと沈んだ薬莢の数は、もう10本になる。それだけ弾丸を放っているにもかかわらず、彼女が銃口を向ける先に立っている的には、未だに風穴は1つしか開いていない。

 

 スコープを取り付けていないモシン・ナガンM28で、400m先の的を狙っているのに風穴が1つしかないという状況を一般人が目の当たりにすれば、未だに命中したのは1発だけなのだろうと思うに違いない。実際に俺も幼少期の彼女の射撃訓練に付き合っていた時、風穴が1つしか開いていない事を外していると〝勘違い”し、彼女にスコープの装着を奨めてしまっている。

 

 しかし、あれは外したわけではない。ラウラにとっては、これが普通なのだ。

 

 ――――――彼女の放った弾丸は、全て最初に開いた風穴を通過しているだけなのだから。

 

 クリップを使って再装填(リロード)したラウラが、再び7.62mm弾をど真ん中に開いた風穴へと送り込む。またしても風穴が増えることはなく、ほんの少しだけ弾丸によって風穴の縁が削れた程度だったが、弾丸は風穴を予定通りに通過し、反対側に屹立する岩肌に激突して消えていった。

 

 訓練用の弾薬を全て撃ち尽くしたところで、ラウラはやっとアイアンサイトから目を離した。モシン・ナガンをくるりと回してから肩に掛け、後ろで彼女の狙撃を見守っていた俺たちに向かって微笑みかける。

 

 戦闘中の鋭い目つきから一瞬で可愛らしい笑顔を浮かべた彼女に向かって、見学に来ていたスオミ族の戦士たちが一斉に歓声を上げた。

 

「す、すげぇ!! あんなに離れてるのに、あの望遠鏡みたいな部品使ってなかったぞ!?」

 

「しかも全弾真ん中の風穴を通り抜けてたよな!? 何だあれ!?」

 

「べ、別格だぁ………真似できねえよ………」

 

「ハユハちゃん可愛いなぁ………!」

 

 大人気じゃないか、ラウラ。

 

 ちなみに今の訓練のために用意されていた弾薬は20発。ストップウォッチを使ったわけではないので正確ではないが、彼女は1分間でその弾薬を全て撃ち尽くした上、400m先の的に全弾命中させている。

 

 しかも、朝っぱらからカノンの下心が生んだ迷信を信じたステラに魔力を大量に吸われた後だというのに、命中精度はあまり変わっていない。しかも幼少期の射撃訓練に使っていたSV-98よりも命中精度の劣るモシン・ナガンM28を使って、ベストコンディションとは言えない状態でこの成績なのだから、彼女の狙撃の技術は極めて高いという事になる。

 

 あの親父が「狙撃でラウラに負けた」と言うほどなのだから、この世界にラウラに勝る狙撃手はいないだろう。彼女が仲間だからこそ、安心して戦える。

 

「いえーいっ♪ タクヤ、見てた!? お姉ちゃん頑張ったよ!」

 

「凄いじゃないか。ちゃんと見てたよ」

 

「えへへへっ♪ じゃあ、ご褒美になでなでしてほしいなぁ………♪」

 

 お安い御用だ。

 

 静かに彼女がかぶっているベレー帽を取って、ふわふわしているラウラの赤毛を優しく撫でると、彼女は幸せそうにしながら防寒着の中から尻尾を伸ばし、その尻尾を左右に向かって元気に振り始めた。

 

 スオミの里の戦士たちが協力してくれることになった際、もう既に俺たちの正体が人間ではなくキメラという新しい種族だという事は、アールネたちの目の前で宣言している。もしかしたら気味悪がられるのではないかと思っていたんだけど、嫌われている気配は全くない。

 

 むしろ、まるで飼い主に頭を撫でられる犬のように尻尾を振るラウラの姿は、スオミ族の少年や青年たちに大好評らしい。頭を撫でながら周囲を見てみると、ラウラと同じように幸せそうな顔をしながら、尻尾を振る彼女を戦士たちが見守っている。

 

「よう、コルッカ」

 

「ああ、アールネ。おはよう」

 

 ラウラの頭を撫でていると、その戦士たちの群れの中からやけに身体のでかいハイエルフの男がこっちへとやってきた。肩にはモシン・ナガンM28をかけているが、長い銃身のライフルだというのにSMG(サブマシンガン)なのではないかと思ってしまう。それほどアールネの身体はでかい。

 

 親父やギュンターさん並みだよな、この体格。190cm以上はあるんじゃないか?

 

 彼らに自己紹介した後、俺たちはもうリュッシャとは呼ばれなくなった。それどころか盗賊との戦いに参加した俺は、彼らから『コルッカ』と呼ばれるようになっている。

 

 どうやらコルッカと言うのは古代スオミ語で『狙い撃つ者』を意味するらしく、スオミ族の勇猛な戦士のための称号らしい。たった一度の戦いでそんな称号を受け取ってしまっていいのだろうか。

 

「今日が最後だな………。明日の朝には出発するんだろ?」

 

「ああ。なんだか寂しいが………」

 

 今日が、スオミの里に滞在する最終日となる。

 

 ヘリの操縦訓練も兼ねて山脈の様子を確認しに行ったイッルによると、ブリザードも徐々に弱まっており、明日の明け方にはもう山脈に入っても問題ないと言う。だからスオミの里で戦士たちの訓練を行えるのは、今日が最後だ。

 

「そういえば、〝あれ”の調子はどうだ? 訓練はやってるんだろ?」

 

「おう。まさにスオミの里の秘密兵器だぜ」

 

 やっぱりな。

 

 昨日の訓練中も、炭鉱の広場の方からやけにでかい爆音がずっと聞こえていたんだ。

 

 スオミの里の近くには、もう鉄鉱石が採掘できなくなったために大昔に廃棄された炭鉱が存在する。坑道や竪穴は当時のままになっているらしく、それを利用して地下壕にしようとしていたんだが、地下壕の構築と同時に秘密兵器の配置も進んでいる。

 

 現在はそれを操作する要員の訓練の真っ最中だけど、実用化できるようになれば少なくともスオミの里の近辺ではかなり強力な支援が期待できる事だろう。

 

 その秘密兵器を目にしたスオミの里の人々は、それに『スオミの槍』という愛称を付けているという。

 

「さあ、訓練開始だ」

 

 今日が滞在の最終日だ。彼らの強化のためにも、銃の扱い方をしっかりと教えてから旅立つとしよう。

 

 

 

 

 




※フィンランドではシモ・ヘイヘのことを「シモ・ハユハ」と言うそうです。
※冬戦争では、シモ・ヘイヘ以外にもスロ・コルッカという狙撃手が大活躍しています。


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スオミの里との別れ

 

 雪が、舞い上がる。

 

 3日間もシベリスブルク山脈を包み込んでいた獰猛なブリザードは、もう寒波の中へと立ち去りつつある。しかし、山脈の麓に位置するために山脈の気候の大きな影響を受けるスオミの里の天気は、山脈の観測に行ったイッルたちの報告通りならば雪すら降らない曇り空の筈である。

 

 山脈の天気と矛盾した雪の降る中で、スオミの里の外にある旧採掘場に用意されたテンプル騎士団スオミ支部のヘリポートに整列した俺たちは、吹きつけてくる雪を孕んだ風から片手で顔を守りながら、その雪を舞い上げる原因となっているヘリを出迎えた。

 

 メインローターの轟音は、まるで戦に勝利して帰ってきた豪傑の凱旋のように勇ましい。しかしその勇ましい轟音を奏でるヘリは、荒々しいメインローターの音に反してすらりとしていて、武装も見当たらない。小柄な胴体の先端部から小ぢんまりとした機関砲の砲身が突き出ている程度で、それ以外の武装は搭載されていないようにも見える。それゆえに他の戦闘ヘリのような威圧感は感じないし、武装を搭載するスタブウイングすら搭載されていないという外見が、小柄に見えるというイメージに拍車をかけている。

 

 山脈の観測と魔物たちの偵察といういつもの任務を、訓練も兼ねて果たしてきたそのヘリは――――――アメリカで開発された、『RAH-66コマンチ』と呼ばれる試作型ステルス偵察攻撃ヘリコプターである。

 

 従来のヘリとは大きく異なり、ステルス戦闘機のようにステルス性を持つというかなり変わったヘリだ。既にアメリカ軍で採用されているヘリにもステルス性を持つように改造されたものは存在するが、このコマンチはステルス性を持たせるために本腰を入れて設計されたヘリであり、あらゆる攻撃ヘリとは設計が全く異なる。

 

 まず、従来のヘリは主な武装は『スタブウイング』と呼ばれる部分に搭載するものである。一般的なヘリは、胴体から左右に延びるそのスタブウイングの下部に、戦闘機と同じように対戦車ミサイルやロケットポッドを搭載するのが普通なんだが、このコマンチはステルス性を重視したヘリであるため、まずそのスタブウイングが存在しないのである。

 

 スタブウイングのようなものは、ステルス性を低下させる原因になってしまうのだ。だからステルス性を重視すればするほど、必然的にコンパクトでシンプルなデザインになっていくのである。最新型のイージス艦やステルス戦闘機の形状がシンプルになっているのは、その証拠だ。

 

 では、肝心なスタブウイングを搭載しないこのコマンチはどうやって戦うのかという事になるが、さすがに機種の機関砲だけで戦うようなヘリではない。ちゃんと凄まじい威力の武装を搭載できるように設計されている。

 

 なんと、胴体の内部に武装を搭載できる『ウェポン・ベイ』というスペースが用意されており、その内部に対戦車ミサイルや対空ミサイルを搭載できるようになっているのである。例えるならば丸腰に見える男が、服の中にアサルトライフルやマシンガンを隠し持っているようなものだ。このように武装を機体の内部に内蔵しておくことによりステルス性は高まるし、機体のサイズが小さくなるから格納庫のスペースは狭くてもいいというメリットがある。

 

 このようなウェポン・ベイを採用している戦闘機で有名なのは、やはりアメリカのF-22だろうか。

 

 とはいえ、ステルス性が高まるのはいいのだが、このように機体の内部に武装を格納すれば武装の量が必然的に少なくなってしまうというデメリットもある。かといって武装を増やそうとすれば機体が大型化し、そのサイズに見合う量の武装を搭載できないからまた機体を大型化するという悪循環がスタートするわけだ。

 

 だから、ステルス性を低下させるのは覚悟の上ということで、あえて武装を搭載するためにスタブウイングを後付けする場合もある。前述のラプターも、武装を増量する場合は主翼の下部にミサイルなどを搭載することもあるのである。潜入か攻撃かによって使い分けることになるだろう。

 

 しかし、このコマンチはコストがかかり過ぎるため開発は中止されてしまい、結局アメリカ軍に採用されることはなかった。日の目を見る事ができなかった、悲運のステルスヘリコプターなのである。

 

 開発中止の原因がコストの高さという事で、それが反映されたせいで生産するポイントも1機につき9000ポイントと我が目を疑うポイントの量だったが、ステルス性をはじめとする性能は折り紙付きだし、スオミ支部は人員の関係で大量に兵器を配備する事が出来ないので、量よりも質を重視するという方針で基本的に性能を重視することにしている。

 

 ちなみに、アメリカ軍や自衛隊などで採用されている攻撃ヘリコプターの『AH-64アパッチ』の生産に使うポイントは僅か4300ポイント。倍以上である。こんなにコストの高いヘリを大量に配備すると俺のポイントが底を突いてしまうので、とりあえずスオミの里には訓練用兼予備のコマンチを1機と、戦闘用の機体を3機配備することにしておいた。もちろん1機につきスタブウイングをはじめとするオプションも用意したし、パイロットを担当する戦士たちの要望に合わせたチューニングも実施しているため、36000ポイント以上は使っていることになる。な、泣きそうな量だ………。何だか小遣いを使い過ぎて財布の中が空になった時の気分だわ、これ。

 

 余談だが、一般的なアサルトライフルならば500ポイントから700ポイントで生産できるし、第二次世界大戦以前の武器ならば100ポイントやそれ以下のポイントで生産できるようになっている。それに全体的にコストが低い中国製の武器は300ポイントから400ポイントで生産できるため、このような武器もポイントを節約したい場合に重宝する。それに武器も運が良ければ敵からドロップするし、ドロップした武器はカスタマイズしない限りポイントはかからないので、そのような武器も有効活用すればポイントの節約になる。

 

 で、でも、イッルたちのためだ。少数精鋭の戦士たちなのだから、彼らに見合う高性能な兵器を支給しなければ。

 

 コマンチのために消えていったポイントの事を思い出し、流れかけた涙を慌てて拭い去る。機首の脇に『01』と描かれたホワイトとグレーの迷彩模様のコマンチがヘリポートに降り立つと、パイロットを担当する2人の白髪の少年がキャノピーの中から姿を現した。機体と同じ迷彩模様の制服に身に纏い、同色のヘルメットを抱えながらヘリから下りてきたのは、『無傷の撃墜王』の異名を持つイッルと、『ついてないカタヤイネン』の愛称を持つニパの2人だった。

 

「お帰り、2人とも」

 

「うん、ただいま」

 

「飛竜と違ってバタバタうるせえけど、いい機体じゃねえか。早くこれで魔物を血祭りにあげてみたいねぇ」

 

 紳士的なイッルと攻撃的なニパだが、一人前の戦士となって飛竜に乗ることが許されてからは、ほぼ毎日雪山の天気の観測や、空中からの魔物の殲滅などを行っていたらしく、場合によっては里を襲撃してきた野生の飛竜や騎士団の飛竜と交戦して撃墜していたという。

 

 だからこの2人に、虎の子のコマンチたちを託すのだ。

 

 ちなみに転生者の能力で兵器を運用する場合、装備を解除して12時間放置することで燃料や弾薬が補充され、戦闘不能になるほど破壊されない限りは損傷も勝手に修復される仕組みになっている。しかしこの機体をここに置いていけば装備を解除する度に里まで届けに来なければならなくなってしまうため、補うためのスキルをちゃんと用意してある。

 

 それは、レベル47でアンロックされていた『整備士』というスキルだ。これを装備している限り、生産した全ての銃や兵器を装備から解除しなくても、12時間放置することで弾薬や燃料の補充をはじめとするメンテナンスが勝手に実行されるという、遠隔地の仲間への装備の支給を前提としたスキルだ。

 

「でも、飛竜の乗り方に慣れてる奴らも多いからよ、本格的にこいつに乗れるようになるには時間がかかるぜ」

 

「ああ。それは訓練用のやつで慣れてくれ。………しかし、さすがイッルとニパだな。もう慣れたのか?」

 

「おう。なんだか飛竜より華奢そうだけど、武装は強力みたいだしな」

 

「それに飛竜と違って風邪をひかないからね、コマンチは」

 

「うっ、うるせえ!」

 

 紳士的だけどいたずら好きのイッルにからかわれ、ヘルメットを抱えたまま彼に抗議するニパ。飛竜に乗る戦士たちの中では飛びぬけて不運な彼は、去年の大晦日では自分の飛竜が風邪をひいたせいで出撃する事が出来ず、さらに飛竜の風邪が完治したかと思えば今度は自分が飛竜の風邪をひいてしまい、しばらく寝込んでいたという。

 

 スキルは高く、イッルの次に優秀な戦士だと言われているニパだが、まるで彼だけに狙いを絞っているかのように襲来する不運のせいでなかなか実力を発揮できないようだ。

 

 確かにコマンチは機械だから風邪はひかないけど、あまりその風邪の話で彼をからかうのは止めようよ、イッル。

 

 ちなみにコマンチはスオミの里で訓練機を含めて4機運用することになっているけど、兵員の輸送も考慮してアメリカ軍でも採用されている『UH-60ブラックホーク』を2機運用することになっている。正確に言えば、2機のうち1機は電子機器を増量した改良型の『EH-60C』で、もう片方は負傷兵の輸送や救命用に用意した『UH-60Q』となっている。前者はスタブウイングにロケットポッドをこれでもかというほど搭載し、ドアガンとしてM134ミニガンを搭載しているほか、機首の下部には20mm機関砲を搭載したターレットを搭載して火力を底上げしている。後者は武装を一切搭載しておらず、治療用の設備や薬品代わりの各種エリクサーを積み込んでいる。また、スタブウイングには救出活動の時間を長くするために増槽を搭載しているため、こちらに攻撃力は一切ない。

 

 ちょうどその2機は、この採掘場に用意されたヘリポートで点検を受けているところだった。体格の良いスオミ族の戦士が取り外されていたドアガンを担いで取り付け作業をしているのが見えるけど、その隣ではイッルの兄であるアールネが、我が目を疑う事をやっていた。

 

 なんと、無数の小型ロケット弾が搭載された支援用のロケットポッドを肩に担ぎ、木製のでっかい脚立を使って人力で取り付け作業をやっているのである。歯を食いしばっているのがちらりと見えたから無理をしているんだろうが、普通の人間にはあんなの持ち上げるのは無理だぞ。というか、鍛え上げた軍人でも人力で取り付け作業をやるのは無理だ。しかも非力な人が多い傾向にあるハイエルフでそんな事をやるなんて………。

 

 馬鹿力だよ、お兄さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてその日の訓練も終わり、部屋へと戻った俺たちはいよいよ明日の登山に向けて準備を再開していた。シベリスブルク山脈の天気も元に戻り、ブリザードの規模も元の規模にすっかり戻っているという報告を受けているため、登山のルートは当初と変わらない。出来るだけ近道になるように配慮しつつ、ブリザードの真っ只中に突っ込まないように山脈の外周部を通って反対側へと向かう。

 

 それでも最低気温は-70℃を超える事だろう。夜になれば気温は更に低くなるのは明白だし、ただでさえ極寒の山脈を超えるのは骨が折れる事だというのに、夜間になれば獰猛な魔物が襲撃してくる可能性があるため、出来るならば夜になる前に超えてしまいたいところである。

 

 防寒着は村の売店で購入したし、エリクサーとかロープも購入した。非常食も購入したし、これで準備は万全である。

 

「いよいよ、ここの人たちとお別れだね………」

 

「そうね………みんないい人ばかりだったし、何だか別れたくないわ………」

 

「寂しいですわね………」

 

 ああ、何だか俺も寂しくなってきた………。

 

 天秤の鍵のためにも早く出発しなければならないというのに、もう少しここで過ごしていたいと思ってしまう。

 

 最初は俺たちがオルトバルカ人だというせいで警戒されてしまったけど、敵意がないという事はちゃんと理解してくれたし、それにこの里の人たちはみんな仲間想いだった。

 

 一緒に訓練した戦士たちと息抜きに雪合戦をやったこともあったし、スオミ族の子供たちと一緒に雪だるまを作ったこともあった。中にはアルビノじゃない上にハイエルフでもない違う種族の俺たちに怯える子供もいたけど、意外と面倒見のいいナタリアと性格が幼いラウラのおかげで受け入れてもらう事ができた。

 

 でも、そんな人々と過ごすのは今夜が最後である。明日の朝はもう別れを告げ、あの巨大な山脈に挑まなければならない。

 

 もし旅が終わったら、またここに寄ろうかな。天秤を探し求めるこのたびは長くなりそうだけど、里のみんなは俺たちの事を覚えていてくれるだろうか。

 

 何気なく腰のポーチに手を伸ばすと、指先に柔らかい小さなものが当たった。俺の手よりも小さな毛糸で作られたそれは、エイナ・ドルレアンを出発した日に従妹のノエルが作ってくれた俺たちの人形だった。モデルとなった本人と比べると遥かに小さいけれど、無事に旅を終えますようにという彼女の大きな願いがしっかりと込められた大切なお守りである。

 

 ………そうだな、終わったらエイナ・ドルレアンにも寄らないと。そして身体の弱いノエルに、俺たちの冒険の土産話を聞かせてあげるんだ。

 

 ちゃんと角まで再現されている自分の人形を握りしめると、部屋のドアから小さなノックする音が聞こえてきた。そろそろ食堂で夕食を摂っておこうと思っていた頃なんだが、誰なんだろうか? イッルたちかな?

 

 入口の一番近くにいた俺は、ベッドの上から立ち上がってドアの方へと向かった。ドアノブを捻って木製のドアを開けると、ドアの向こうに立っていたのは紳士的な雰囲気を放つイッルではなく、彼の兄であるアールネだった。射撃訓練でもやってきたのか、彼が身に纏うコートには雪と硝煙の香りが染み付いている。

 

「おう、アールネ」

 

「暇か?」

 

「ああ、準備も終わったし、そろそろ夕食を―――――」

 

「なら丁度いいな。ちょっと食堂まで来てくれ」

 

 ん? なんだ? 一緒に飯を食おうって事か? まあ、今日が最終日だから色々と話をしておきたいんだろう。実質的に最前線で戦う里の戦士たちのリーダーは彼らのだから、新たな武器を手に入れた戦士たちのリーダーとして、俺たちからのアドバイスを欲しているのかもしれない。

 

 彼らにはお世話になったからな。それにテンプル騎士団に協力するという大きな決断をしてもらっているのだから、貢献できる事ならば何でも貢献しようじゃないか。

 

 彼に誘われた俺たちは、用意していた荷物を部屋に残して彼と共に食堂へと向かう事にした。やけに小さくて古びた宿泊施設の廊下だけど、何だか住み心地の良い場所だったな。懐かしい感じがするというか、こういう質素なところに住んでいると安心する。

 

 階段を下りて1階へと向かうと、食堂に通じる木製のドアはどういうわけか閉じられていた。いつもは開いているから食堂の中が丸見えになっているんだけど、どうして閉じているんだろうか?

 

「さあ、入れコルッカ」

 

「え?」

 

 何だか、いつもと違う。何だこれ?

 

 戸惑いながらアールネの顔を見上げると、彼はニヤニヤしながら「いいから。ほら、ハユハも」と言いながら俺たちの背中をでっかい手で押し、ドアへと近づける。

 

 ちゃんと説明してもらえなかったからまだ訳が分からないんだけど、とりあえず食堂に入ろうか。入らないと夕食にありつけないしな。

 

 ラウラと目配せして同時に頷いた俺たちは、後ろにいる仲間たちの顔を見てから2人で同時にそっと食堂のドアを開けた――――――。

 

「よう、コルッカ!」

 

「ハユハ、ようこそ!!」

 

「えっ………?」

 

 扉の向こうで待ち構えていたのは――――――防寒着姿の戦士たちと、里の人々たちだった。利用する冒険者が全くいないせいで閑散としていた食堂のテーブルや椅子はすべて撤去されていたけど、その代わり中央にはやたらと大きなテーブルが鎮座していて、スオミの里のみんなはそのテーブルを囲むようにして俺たちを出迎えてくれていたのである。

 

 しかも、そのテーブルの上にはまるでパーティーでも開催するかのようにあらゆるご馳走が用意されていた。里の野菜を使ったシチューもあるし、仕留めた獲物の肉を使ったステーキらしき巨大な料理もある。

 

 な、何だこれ………? パーティーか? 誰かの誕生日なのか?

 

 言っておくけど、俺とラウラの誕生日はそろそろだけどまだだぞ。俺とラウラの誕生日は9月22日。姉弟2人そろって乙女座なのだ。

 

 ラウラは乙女座で合ってると思うよ。………でも、何で俺まで乙女座なの? ラウラよりも数秒後に生まれたから誕生日が同じだっていうのは分かるし、仕方ないと思うけど、何で星座まで俺の事を女だっていう事にしようとしてるの? ああ、そうか、女になればいいのか。じゃあ○○○は斬りおとせばいいんだな!?

 

 お、落ち着こう。誕生日の事は忘れるんだ。傷つくだけだし。

 

「あ、アールネ………?」

 

「これは俺たちからのお礼だよ。里を守ってもらったし、お前らにはお世話になった」

 

「あ、いや………世話になったのは、俺たちの方だよ………」

 

「ガッハッハッハッハッ! 何言ってやがる、コルッカ! お前らは俺たちの英雄だ! ほらみんな、さっそく乾杯しようぜ!!」

 

「ふみゅ………みんな………」

 

 食堂の真ん中へと連れて行かれると、一緒に雪だるまを作った子供たちに大きなグラスを渡された。あっという間にグラスの中にオレンジジュースを注がれ、俺たちは余計に戸惑ってしまう。

 

 つまりこれは………明日お別れになる俺たちのために、お祝いしてくれてるって事か………?

 

「た、タクヤ………?」

 

「ん? おい、コルッカ。何で泣いてるんだよ?」

 

「い、いや………」

 

 あれ………? 俺、泣いてた………?

 

 左手を目の近くに持って行くと、確かに暖かい雫が左手の指に流れ落ちた。慌ててそれを拭い去り、必死に俺は微笑む。

 

 ―――――異世界にやって来て、本当に良かった。

 

 前世の世界は最悪だった。学校にいる間は友達と話ができて楽しかったけど、家に帰れば親父の虐待に苦しむ羽目になる。あの世界で俺は必要とされない人間だったらしく、何度も親父には「何でてめえみてえなガキがいるんだ」と常に言われ続けてきた。

 

 だから俺は、必要のない子供だったんだという事を小さい頃から理解していた。

 

 でも――――――今はもう、俺はこの世界の住人だ。あれだけ虐げられたのだから、俺にはこの世界で虐げられている人々の苦しみはよく分かる。

 

 彼らのためにテンプル騎士団を作り、人々を転生者の圧政から救う。天秤にも似たような願いを叶えてもらうつもりだけど、これが俺の最も大きな宿願だ。

 

 そうだ。俺はもう――――――必要のない人間じゃない。

 

 仲間(同志)たちと一緒に戦い、この世界を守る。今の俺はテンプル騎士団の1人なのだ。

 

 その仲間たちに祝ってもらったのが嬉しかったから、涙が出てしまったのかもしれない。前世でこんなことをしてくれたのは、俺の母だけだったのだから。

 

「みんな………」

 

 うわ、まだ涙声だ。何だか恥ずかしいなぁ………。

 

 でも、言おう。涙声でもいいじゃないか。

 

「――――――あ、ありがとうっ………!」

 

 俺がそう言うと―――――――みんなの拍手が、俺たちを包み込んでくれた。

 

 

 

 

 

 

 こうして俺たちはスオミの里の人々に見送られ、里を後にするのだった。

 

 彼らともっと過ごしたかったけど、旅を止めるわけにはいかない。

 

 天秤を手に入れ、願いを叶えるために。

 

 この願いで、大勢の人々が救われるのだから―――――――。

 

 

 

 

 

 



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白き猛虎 前編

 

 重々しく、荒々しいエンジンの絶叫。草原を踏みつけて蹂躙するのは、この世界を走り回っているどんな馬車よりも重い車体と、その両サイドの金属のキャタピラだ。

 

 まるで獰猛な肉食獣が自分の縄張りを他の猛獣たちに知らしめるかのように、その金属の巨大な怪物は草原を蹂躙しながら突き進む。搭載されたエンジンの咆哮で他者を威嚇し、それでも盾突いて来るような愚か者には徹底的に鉄槌をお見舞いする。文字通り圧倒的な力を持つ捕食者に必要な獰猛さを、この金属の猛獣は兼ね備えている。

 

 あくまで猛獣と言うのは比喩表現に過ぎないが、この最強クラスの兵器のルーツを調べてみれば、あながち間違った比喩表現でもないだろう。

 

 俺たちが乗っているその猛獣の名は――――――『レオパルト2A4』。ドイツの誇る主力戦車(MBT)であり、新型戦車の中では傑作とされるアメリカのM1エイブラムスに匹敵する性能を有する、主力戦車(MBT)の優等生である。装甲は堅牢で、戦車砲も破壊力が高く、搭載されているエンジンも信頼性が高い上に強力だ。エイブラムスに匹敵するというのも過言ではない。

 

 このレオパルト2が開発される前、ドイツ軍は『レオパルト1』という戦車を採用していた。人間で例えるならば、レオパルト2の父親にあたる戦車である。

 

 そして、レオパルト2にとって祖父と言えるのが――――――第二次世界大戦で連合軍の戦車を血祭りにあげ、兵士たちから恐れられた『ティーガーⅠ』や『ティーガーⅡ』である。どちらも機動性が最悪という大きな欠点があるが、戦車砲の集中砲火を喰らってもほとんど装甲で弾き返してしまうほど堅牢な装甲と、一番装甲の厚い正面の装甲をあっさりと貫通してしまうほどの破壊力の主砲を搭載していた強力な重戦車だ。

 

 今ではその猛威を振るった祖父(ティーガー)たちを遥かに上回る怪物が世界中の軍隊で採用されているが、ドイツの戦車は他国の戦車に置き去りにされたというわけではない。大きな戦果をあげた祖父たちの技術を生かして父親(レオパルト1)が開発され、その父の発展型としてこのレオパルト2が生み出されたのである。

 

 新型の戦車であるレオパルト2だが、特徴的な楔形装甲と呼ばれる装甲を装備していないせいなのか、そのフォルムはエイブラムスやチャレンジャーのように近代的な戦車よりも、第二次世界大戦で活躍した祖父(ティーガー)に似ている。しかもティーガーⅠのような形状により近づけているのは、砲塔の周囲や車体の側面などに装着されている〝シュルツェン”という名称の装甲だ。かつての第二次世界大戦中のドイツの戦車も、このように装甲を取り付けて戦ったという。

 

 最新型の戦車を敢えてこんな古めかしい外見に改造し、真っ白な塗装にしたのは………こいつの〝持ち主”の趣味なのだろう。砲塔の上にある装填手用ハッチから身を乗り出し、傍らにマウントされている汎用機関銃のMG3の銃床に片手をかけながら、俺はちらりと隣の車長楊のハッチから身を乗り出す金髪の美少女の横顔を見る。

 

 ここが戦車の砲塔の上ではなく学校の屋上で、身に着けている服も迷彩服ではなく私服か制服だったならば、俺は余計な事を考えずに見惚れてしまっていた事だろう。

 

 冷たい風の中でたなびく長い金髪に彩られているのは、目の前の荒れ地を真っ直ぐに見据えるエメラルドグリーンの瞳。厳しい性格のような印象を与える目つきだけど、どこか悲しそうな雰囲気も纏っている不思議な目つきだ。普段はかなり活発な彼女だけど、こういう時はこんな表情になる。

 

 そんな彼女に、俺は惚れてしまったのだ。

 

「なあ、クラン」

 

「ん? どうしたの?」

 

「こいつの燃料ってあとどれくらいかな?」

 

 レオパルト2の砲塔の上を軽く叩きながら、俺は彼女に尋ねる。

 

「さあ? 燃料なら木村に聞きなさい」

 

「はいはい」

 

 彼女の名は『クラウディア・ルーデンシュタイン』。俺たちは『クラン』と呼んでいる。ドイツから日本の大学へとやってきた留学生で、付き合ってからはもう3年経っている。最初は彼女と付き合うとは全く思っていなかったんだけど、大学の屋上で今のような表情をする彼女に見惚れてしまい――――――数日後に、この戦車を操縦する友人たちに背中を押されて告白し、付き合う事になったのである。

 

 付き合ってからすぐに知って驚いたんだが、彼女が銃や戦車などの兵器に詳しいミリオタだったのだ。俺も同じくドイツ系が専門分野のミリオタだったため、付き合ってから更に意気投合し、友人たちからは凄まじい怨念を向けられる羽目になった。

 

 どうして現代兵器に詳しいのか疑問だったんだけど、その原因は彼女の家系だった。彼女の父親はドイツ連邦軍の現役の戦車兵で、レオパルト2A6に乗っているという。更に彼女の祖父もドイツ連邦軍の戦車兵でレオパルト1に乗っていた退役軍人で、更になんと曽祖父はスターリングラード攻防戦からベルリン攻防戦まで純白のティーガーⅠに乗り、連合軍からは『ホワイトタイガー』と呼ばれて恐れられながら生き残ったベテランの戦車兵だという。

 

 そんな戦車兵一家に生まれたのだから、彼女が影響を受けないわけがない。レオパルト2A4をティーガーⅠのような形状に改造し、真っ白に塗装しているのも曽祖父の影響を受けている証拠だろう。

 

「ねえケーター、今夜は野宿でもいいかしら?」

 

「いいんじゃないの? 木村と坊や(ブービ)にも聞いときなよ」

 

 彼女と出会った時から、クランは俺の事を『ケーター』と呼んでいる。俺の本当の名前は『小笠原敬太(おがさわらけいた)』なんだけどね。どうやらなかなか『ケイタ』と発音できないらしく、どうしてもケーターと伸ばしてしまうという事と、彼女の父親が『ペーター』という名前で似ているという事で、ずっと俺はケーターと呼ばれている。

 

「ねえ、2人とも。今夜は野宿でいい?」

 

「俺は別に問題ないよ」

 

「俺もー」

 

 車内から返事を返したのは、大学の友人であり、同じくミリオタでもある2人の男たちである。

 

 車体の前の方にある操縦席に腰を下ろし、どういうわけか常にガスマスクを装着している身体のでかい男は『木村剛(きむらつよし)』。さすがに大学にいる時はガスマスクはつけてないけど、一緒に遊びに行く時は基本的にあのガスマスクを肌身離さず身に着けているというかなり変わった男である。おかげで大学で一番ミステリアスな男と言われている。

 

 砲塔の中で砲手の座席に座る小柄な男は『小川勝太(おがわしょうた)』。身長は大学生としては低すぎるとしか言いようがない154cmで、しかも童顔であるため、クランや俺たちには悪ふざけで『坊や(ブービ)』と呼ばれている。最初は悪ふざけだったんだが今ではもう愛称と化しており、訂正されることもない。

 

 大学での生活を送りながら、俺たちはよく4人で遠くまで遊びに行ったり、一緒に買い物に行って休日を過ごしていた。そして大学を卒業したら、出来るならばこのドイツからやってきた彼女と結婚したいとも考えていたんだけど………ミリオタの仲間たちと過ごしていた楽しい毎日は、ある休日の買い物帰りに終わりを告げることになる。

 

 ああ、あんなことになるとは思っていなかった。―――――まさか、学生寮に戻る帰り道にある山道で交通事故に巻き込まれ、4人とも死ぬ羽目になるなんて。

 

 カーブで対向車に激突され、右前方から激突された俺たちの車は見事に弾かれてガードレールを直撃。更に対向車を避けようとした後ろの車に追突され、そのまま崖へと車ごと放り出される羽目に。

 

 崖の底を流れる川へと転がり落ちていく中で、俺は隣にいる筈のクランの手をしっかり握っていた。あの時、運転していたのは俺だ。俺があのクソッタレな対向車をちゃんと避ける事が出来れば、彼女や仲間たちを守る事ができた筈なのに………。これじゃ、ペーターさんに合わせる顔がないじゃないか。

 

 猛烈な未練を抱きながら、仲間たちと一緒に死んだと思った直後――――――俺たちは谷底ではなく、奇妙な端末を手にした状態で草原に立っていたんだ。

 

 最初は我が目を疑ったし、その草原があの世なんじゃないかとも思ったよ。でも、今でも迷彩服のポケットの中に入っている端末に『17歳に若返った状態で異世界に転生した』という事を告げられた挙句、その端末には信じられない機能が搭載されていたんだ。

 

 なんと、これはポイントを消費することで好きな武器や能力を自由自在に生み出す事ができるようになっているんだ! しかも、まるでゲームみたいに敵を倒せばレベルも上がるし、ステータスも上がって強くなれる!

 

 しかもちゃんと銃まで作れたんだから、俺たちミリオタ4人は大歓喜ってわけさ。さっそく最初に与えられているポイントを使い果たしてまで銃を作りだし、迷彩服まで用意し、中世のヨーロッパや産業革命の頃のイギリスみたいな異世界を、前世の世界の兵士のような恰好で旅しているってわけだ。

 

 ちなみにこの異世界にはダンジョンと呼ばれる領域があるらしく、冒険者の資格を持っていない状態で立ち入ると処罰の対象になるという。幸い冒険者になるためには特別な試験などはなく、個人情報を記載した書類を提出するだけでいいため、すぐに資格を取得できるという。

 

 まあ、さすがに住所とかも書かないといけなかったんだよね。とりあえず前世の世界で済んでた住所をこの世界の言語で書いて誤魔化したけど、それで資格とバッジが交付されたという事は、そんなに厳しいチェックをやっているわけではないみたいだ。ちゃんと仕事しようぜ。

 

 そして仲間たちと共に異世界生活を続けて、もう1年。

 

 俺たちは――――――『オルトバルカ王国』という大国に差し掛かりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国は、現時点で最も大規模な騎士団を持つ大国である。列強国の筆頭とも言える存在であり、歴史を調べてみるとその中から〝敗戦”という単語を見つけるのは極めて難しい。

 

 最初は小さな国だったんだが、徐々に周辺諸国への侵略と併合を繰り返すことで国土が肥大化していき、今では異世界最強の大国となっているという。しかも産業革命によってさらに工業力が強化されたことにより、最早軍事力では他の列強国を置き去りにしていると言っても過言ではない。

 

 しかし、発展している裕福な国と言う割には、割とその繁栄には地域によって差があるようである。首都である『ラガヴァンビウス』はまさに産業革命の影響で大規模な発展を遂げ、街中には魔力で走る列車が運行しており、街並みは大きな建物が立ち並ぶより近代的な街並みへと変わっているという。

 

 それに対して辺境の村はというと………中世のヨーロッパを思わせる、貧しそうな村である。

 

 鉄道は存在せず、馬車もほとんど走っていない。村に住む人々の主な仕事は農業や狩猟で、しかも農作物を大きな街まで売りに行くには魔物の生息する草原や森を超えていかなければならない。

 

 魔術とか冒険者が実在する夢のような世界だと思っていたんだけど、思っていたよりも過酷な世界のようだ。

 

 その典型的な貧しい村を目にした時、俺たちはやはり野宿になるんだろうなと思いつつ村の入口を潜り、畑や農作物が発する農場の香りに歓迎されながら村へと足を踏み入れた。

 

「なんだか………ここも貧しい村だな」

 

「産業革命の影響が届かなかったのかしら?」

 

 貴族とか工場の経営者が利益を独占してるって事か? だから労働者は安い賃金しか払われないし、こんな辺境の村は全く発展しないって事なのか?

 

 まあ、1年だけとはいえこの異世界を旅してきたから、そういう薄汚いクソ野郎は何人も目にしてきた。嫌がる女の奴隷を屋敷へと連れて行って酷使する変態貴族や、何も食べ物を食べられずに痩せこけた哀れな労働者に危険な仕事をさせる資本家。そういう奴らに富を搾取されているに違いない。

 

「………それにしても、迷彩服でこういう村に来るとさ、やっぱり目立つよね」

 

「お前は人のこと言えないだろ。とりあえずガスマスク取れや」

 

「な、何言ってんだ!? これは俺のトレードマークでな――――――」

 

 お前が一番目立ってんだよ、木村。

 

 ただでさえ迷彩服を着てヘルメットをかぶっている時点で目立ってるっていうのに、何でお前はプラスアルファと言わんばかりにガスマスクつけてんだよ。前世からだろ、それ。

 

 それにまさかのプラスベータで、こいつは戦車の外に出る時はメインアームとしてドイツ製火炎放射器のM35を装備している。いや、洞窟の中にいる魔物を焼き払う時は滅茶苦茶頼もしいんだけど、街中でガスマスクと火炎放射器の同時装備は止めろよ。お前は何をしに行くんだ? トーチカの中の兵士でも焼き払いに行くのか?

 

 ほら、村の子供が怖がってるだろうが。あー、奥にいる子なんか涙目になって「ママぁ!」って泣き叫んでるよ………。木村、マジでどっちか外せ。願わくばどっちも外せ。

 

「はっはっはっ、異世界でもガスマスクと火炎放射器は大好評だな、ケーター大尉殿」

 

「そうですねー。坊や(ブービ)、とりあえず木村から装備をかっぱらえ」

 

「了解(ヤー)!!」

 

「はぁっ!? ちょっ、ちょっと待て! お前らにはこの機能美が分からんのか!? ドイツ製だぞ!? 高性能なドイツ製………ああ、クランまでぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「あはははははははぁっ♪ ほらほら、観念して外しなさいよ。隊長命令よ?」

 

 俺たちの隊長はクランだ。そして副隊長が俺という事になる。だから木村、観念しろ。ツートップからの命令だ。

 

 小柄な坊や(ブービ)とクランの2人が取り押さえようとするが、木村は中学と高校と大学で続けてきたラグビーで鍛え上げた巨体をフル活用し、必死にもがく。まるで逃げ出そうとする牛を農家の夫婦が必死に押さえつけようとしているような光景だ。

 

 ………ん? おい、待て。夫婦だと? 

 

 待て待て。クランは俺の彼女だぞ? 坊や(ブービ)、俺の女だぞぉ!?

 

坊や(ブービ)、どけ! 俺が押さえる!」

 

「おお、頼もしい!」

 

「お前みたいな童顔で小柄で童貞の男にクランは渡さんッ!!」

 

「はぁっ!? 待てお前、童貞は余計だろ!?」

 

「きゃははははははっ♪ 坊や(ブービ)って童貞だったの?」

 

「クランまで………!」

 

 何だこれ。大学の時から変わってねえじゃねえか。

 

 何だか前世を思い出すなぁ………。

 

「あ、あの………」

 

「ん?」

 

「はい?」

 

 木村から火炎放射器かガスマスクを奪い取ろうとしているうちにいつも通りのじゃれ合いになった俺たちを、唐突に弱々しい老人の声が呼び止めた。よくこんな変わった格好の連中に声をかける気になったなと思いながら振り向くと、案の定俺の背後には杖を手にした小柄な老人が俺を見上げながら立っていた。

 

 身に着けている服はボロボロで、頬には火傷の跡がある。古傷というわけではなく、最近付けられた火傷のような傷跡だ。よく見ると手足にも新しい火傷の跡がある。

 

 火傷? 火事でもあったのか?

 

「あんたら、変わった格好じゃが………冒険者さんかの?」

 

「え? ああ、そうです」

 

「そうか………変わった恰好をしておるが、やはり冒険者さんじゃったか」

 

 一応冒険者の資格は交付されてるし、名乗っても問題ないだろう。ポケットの中から銀のバッジを取り出して老人に見せると、その老人は目を少しずつ開きながら頭を下げ始めた。

 

「冒険者さんなら………お願いしたい事があるのじゃ」

 

「お願いしたい事ですか?」

 

「うむ………」

 

 冒険者の主な仕事は、ダンジョンと呼ばれる領域の内部の調査である。ダンジョンは環境や生息する魔物が危険過ぎるせいで調査が進んでいない領域の事で、調査ができていないためこの世界の地図は空白の箇所が非常に多い。

 

 冒険者たちの目的はダンジョンの調査を行い、管理局に報告する事だ。それで測量部隊が立ち入れるほど安全だと管理局が判断すれば、管理局はダンジョンの指定を解除して騎士団に連絡し、地図の作成のために測量部隊を送り込むという手筈になっている。

 

 だから戦闘力よりも、調査能力を要求される仕事なのだが………稀に魔物の討伐などの依頼をされることもあるのである。そのような場合は管理局の管轄ではなくなるため、結局はクライアントとの口約束となる。両者が契約を守るという確証が持てないため、そのような口約束を忌避する冒険者は多い。

 

 だが………この老人はそのような類の人間か?

 

「実は………この先にあるザウンバルク平原に厄介な魔物が住み付いておるのじゃ」

 

「厄介な魔物………?」

 

 やっぱり、魔物の討伐か。

 

 それにしても厄介な魔物って何だ? 口約束で騙されるのはごめんだし、この人は俺たちを騙すような人には思えない。でも、貧しい村だし、その魔物と戦う危険度に見合う報酬を払ってもらえるとも思えない。

 

 とりあえず、話を聞こう。そしてクランたちと話し合って決めるべきだ。

 

「サラマンダーと言う魔物は知っておるかの?」

 

「ええ、火山に生息する魔物ですよね?」

 

 サラマンダーは、火山に生息するドラゴンの一種である。

 

 ドラゴンは全般的に戦闘力が高く、中には危険な能力を操る個体も存在するため、討伐する場合の危険度は非常に高い。ダンジョン内で初心者が遭遇した場合の死亡率は平均で87%と言われているほどであり、ドラゴンが生息しているか否かでダンジョンの危険度が左右されることもあるという。

 

 その中でも危険なドラゴンと言われているのが………サラマンダーだ。

 

 全身を堅牢な外殻で覆い、更に灼熱の炎を自在に操る危険なドラゴンである。その熱は剣を溶かし、飛来する弓矢を触れる前に焼き尽くし、あらゆる騎士たちを焼き殺してきたと言われており、討伐する際には氷属性の魔術を得意とする魔術師が3人は必須と言われる。

 

 まさか、それを倒しに行けという事なのか? 明らかに魔術師がいるようには見えないだろ? ガスマスクをかぶった変態はいるけど。

 

「そのサラマンダーの………変異種と思われる個体が平原に住みついておる。おかげで王都まで野菜を売りに行くこともできんのじゃ。………どうか、あやつを倒してくれぬか? 報酬はちゃんと払う。この通りじゃ………!」

 

 さらに深く頭を下げる老人。周りを見渡してみると、俺たちが冒険者だという事に気付いた他の村人たちが固唾を飲んでこっちを見つめている。首を縦に振ってくれるだろうかと期待しているのだろう。

 

 おいおい、どうする? こっちには現代兵器があるけど、これはちょっとヤバい仕事じゃないか………?

 

 少しビビりながら隣にいるクランの顔を見てみると………彼女はにやりと笑ってから、首を縦に振った。

 

「いいわ、そんな奴私たちがボコボコにしてあげる!」

 

「はぁっ!?」

 

「何ぃッ!?」

 

「おいおい、無茶だぞクラン! 相手はサラマンダーだし、しかも変異種らしいぞ!?」

 

 そう、変異種らしい。つまり通常のサラマンダーではないという事だ。

 

 しかしクランはビビらない。むしろ楽しそうに笑うと、俺の顔を見上げながらウインクした。

 

「Gut(いいじゃないの)」

 

「は?」

 

「相手にとって不足はないわ。叩きのめしてやりましょう」

 

 や、やる気か。こいつ、現代兵器でドラゴンに挑むつもりなのか?

 

 まあ、でもドラゴンを倒せば俺たちもレベルが上がるだろう。新しいポイントを手に入れるための戦いになるのならば、仮に報酬が払われなかったとしても、少なくとも〝損”にはならない。

 

 それに、俺たちには白き猛虎(ヴァイス・ティーガー)がいるじゃないか。

 

 かつて連合軍の兵士たちからホワイトタイガーと呼ばれた、クランの曽祖父の再現。スターリングラードの激戦からベルリンの攻防戦まで活躍を続けた戦車と同じ名を与えられた戦車が、俺たちの手元にはある。

 

 いいだろう、叩き落としてやろうじゃないか。

 

 拳を握りしめた俺も、その依頼を受けることにした。

 

 



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白き猛虎 中編

今思ったんですが、第二部から家庭家系のスキルが低いヒロインが多過ぎると思うwww
逆にタクヤのスキルが高いから………あっ、ヒロインこっちか。


 

 ザウンバルク平原は、オルトバルカ王国の王都ラガヴァンビウスの北東部に広がる平原だ。かつてはダンジョンに指定されていたらしいんだが、今のようにダンジョンの調査が本格化する前の冒険者の活躍によって調査は進み、現在ではダンジョンの指定は解除されてただの平原に戻っている。

 

 しかしここは単なる平原ではない。魔物が住みつく前は、世界を支配しようとしていた吸血鬼たちに人類たちが戦いを挑み、玉砕したという場所だ。つまりここは古戦場なのである。

 

 随分と禍々しい場所に行く羽目になったもんだ。レオパルト2A4の砲塔の上で地平線をじっと見つめながら片手を汎用機関銃のMG3の銃床に乗せる俺の隣では、ハッチの縁に腰を下ろしたクランが、両足をぶらぶらと揺らしながらドイツ語の歌を口ずさんでいる。これから現代兵器で挑んでも勝てるかどうかわからないほど危険なドラゴンと戦いに行くというのに、緊張感が全くない。

 

 マイペースな彼女にはいつも呆れてしまうけど、この異世界にやって来てから戦う前はいつもこのように歌を口ずさんでいたり、砲塔の中からこっそり足を伸ばしてちょっかいを出してくるのはいつもの事だ。大学に通っていた時も授業中にちょっかいを出してきたり、部屋に戻れば必ずいたずらを用意しているのである。体調を崩した時もちょっかいをかけてくるほどなので、彼女に弄られるのはほぼ毎日といっても過言ではない。

 

「あー、お腹空いたなぁー。ねえねえ、ケーター」

 

「ん?」

 

「今度さ、またケーターのアイントプフ食べたい」

 

「はいはい、食材がそろったら作ってやるから」

 

「Danke(ありがとっ)!」

 

 アイントプフは、ソーセージと野菜がたっぷり入ったドイツのスープ料理の1つだ。

 

 前世の大学の寮では俺とクランは同じ部屋で、彼女は料理ができないため基本的に俺が料理を作るか、寮の近くのレストランを利用していた。最初は日本食で満足していたクランだけど、やはり一番口に合うのは祖国の料理という事なんだろう。

 

 しかし、近くのレストランにはなかなかドイツ料理のある店がない。だから俺はクランのために、インターネットでドイツ料理の作り方を調べ、自分で作ることにしたのである。

 

 あの時、クランは大喜びしてくれた。さすがに彼女の両親が作る料理の味には遠く及ばなかったとは思うけど、満足してくれたのなら安心である。

 

 それはちょっとしたサプライズだったんだが………クランの奴は日本(ヤーパン)のボーイフレンドが、自分のためにアイントプフを作ってくれたという事を手紙でドイツの両親に知らせたらしく、その数週間後にはドイツ連邦軍の現役の戦車兵であるペーターさんが奥さんと一緒に来日するという事件が発生したこともある。

 

 うん、滅茶苦茶でかかったよ、ペーターさん。2mくらいの大男で、1発ぶん殴られたら即死するんじゃないかって思えるほど腕が太かったからね。もちろん相手はドイツ語で喋ってて、クランに通訳してもらいながら色々話してもらったんだけど、どうやらペーターさんはその時「娘を幸せにしてやってくれ」と言っていたらしい。

 

 まあ、それでペーターさん来日事件が終わったなら良かったんだけどね。でも寮にやってきただけではなく、なんと俺の実家にいる両親の所にも挨拶に行ったという。いきなり目の前に身長約2mのドイツ人男性と、クランにそっくりな奥さんが訪問してきたら田舎で農業やってる親父と母さんはびっくりしただろうね。

 

 だって、2人でテレビ見てたらケータイに電話がかかってきて、「おい、何かでっかいドイツ人が家に来たぞ」って滅茶苦茶慌ててたからなぁ………。というか、ペーターさんは何で俺の実家の場所を知っていたんだろうか。

 

 とりあえず、そのペーターさん来日事件以降は定期的に彼女のためにドイツ料理を振る舞うようにしている。今ではアイントプフだけでなく、時間さえあれば魔物の肉を加工してソーセージも作ることもある。

 

「あー、楽しみだなぁー………ふふふっ♪」

 

「………」

 

 か、可愛いなぁ………。

 

 もう少し楽しそうに笑うクランを見守っていたいけど、もうザウンバルク平原に入っている。今の俺たちはここを通過するためではなく、凶暴なサラマンダーの変異種を討伐するためにここへとやってきたのだ。

 

 相手はドラゴンの一種。ドラゴンは非常に種類が多い魔物であるが、その大半は翼を持つタイプである。中には海中を泳ぎ回る巨大なドラゴンも存在するらしいが、大半が空を飛ぶ事ができるというのならば、敵襲があるならば空からになる。

 

 それに冒険者になった時、魔物の図鑑にもちゃんと目を通しておいた。異世界を旅するのならば魔物の習性や特徴を知っていても損はしないだろうし、むしろ敵の情報を知ることは必須である。戦う敵を知らないのならば対策の立てようがない。その場しのぎの限界は目前なのだ。

 

 だから、打つ手がなくならないように事前に準備をしておく。戦う相手が分かっているなら徹底的に調べ尽くし、何通りも作戦や攻撃手段を用意して戦いに臨む。いつもマイペースなクランも、戦いの事になれば俺と全く同じことを考えている。いや、もしかすると彼女の方が俺よりも徹底しているかもしれない。

 

 MG3のグリップを手で握り、左手を銃床に沿える。リアサイトの前に折り畳んである対空照準器を展開し、照準器がずれていないか確認するために銃身を天空へと向けようとしたその時だった。

 

「………ん?」

 

「どうした?」

 

 突然、隣にいたクランが鼻歌を止めた。軽快で心地よかった彼女の歌声が日常と共に消え失せ、本格的な戦場が徐々に姿を現し始める。

 

「あれ見て」

 

「………何だ?」

 

 風邪でたなびいていた金髪を片手で押さえつつ、迷彩模様のヘルメットをかぶって臨戦態勢に入るクラン。彼女がヘルメットをかぶっている間、俺は彼女が目にしたものを見つけようと双眼鏡を手にし、前方の草原をズームする。

 

 ザウンバルク平原は、多少高くなっている丘は存在するものの、基本的には平坦な草原が延々と続く場所である。だから基本的に景色の色は蒼か緑の2色だけで、別の彩に変わるとすれば天気と時間帯で別の色に染まるだけだ。だから少しでも変化があればすぐに気付く事ができる。

 

 それゆえに、俺はズームする途中でもう〝それ”に気付いていた。

 

「………焦げてるじゃん」

 

 ――――――草原の一角が、真っ黒に焦げているのである。

 

 まるでそこだけ焼き払われたかのように、焼け野原と化しているのだ。他の場所はちゃんと草が生えているのに、どうしてそこだけ焼き払われているのか?

 

 しかも、よく見てみるとその焼き払われた跡は点々とどこかへ続いているではないか。

 

「木村、停車して」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 操縦士を担当する木村がレオパルトを停車させるよりも先に、俺はもう装填手用のハッチからアサルトライフルを手にしたまま飛び出していた。砲塔の横から草原の上に飛び降り、転生した時に初期装備として生産した相棒を構えながらその焦げた一角へと向かう。

 

 レオパルト2A6は4人乗りの戦車である。操縦士、砲手、装填手、車長の4人がそろわない限り真価を発揮することは不可能なのだ。俺が担当するのはその中の1つである装填手で、砲弾を砲身に装填するのが役割なんだが、その砲弾はもう装填してあるから今のところ俺の仕事はないのである。

 

 俺が装備しているアサルトライフルは、ドイツ製アサルトライフルの『G3A4』。現在ではアサルトライフルはポピュラーな装備となり、先進国や発展途上国などでも生産されているのが多く見受けられるが、このG3はその数あるアサルトライフルの中でも初期の部類に入る。

 

 世界初のアサルトライフルが開発されたのは、敗戦が現実味を帯びた第二次世界大戦中のドイツであった。第二次世界大戦までの戦争では、歩兵の主な装備は連射力の低いボルトアクション式のライフルかハンドガンの弾薬を使うSMG(サブマシンガン)のどちらかで、その歩兵たちをLMG(ライトマシンガン)や迫撃砲が援護するような戦法が主流だった。

 

 でも、ボルトアクション式のライフルは威力と精度が高い代わりに連射速度が遅く、遠距離での射撃ならば真価を発揮する代わりに中距離や近距離では撃ち負けてしまう。手数を重視しようとしてSMG(サブマシンガン)を持ち出せば肝心の射程距離と威力が低く、更に命中精度も悪いから狙撃には全く使えない。そしてLMG(ライトマシンガン)を投入すれば、確かに命中精度、威力、射程距離は申し分ないんだけど、装備そのものが重いせいで小回りが利かない。

 

 当時はM1ガーランドをはじめとするセミオートマチック式のライフルが実用化され始めた時代であり、中距離戦ならばセミオートマチック式のライフルが猛威を振るっていたんだけど、市街地での戦いに最適な武器とは言えなかった。平野と違って建物で遮られ、相手や自分の立ち位置次第で攻撃できる距離や位置がすぐに変わってしまう市街地戦では、セミオートマチック式のライフルも銃身が長過ぎるし、場合によっては近距離での撃ち合いになることもあってSMG(サブマシンガン)に撃ち負けることも珍しくなかった。

 

 そこで、ドイツ軍はボルトアクション式のライフルを上回る速度のセミオート射撃が可能で、近距離でもSMG(サブマシンガン)に撃ち負けないようにフルオート射撃の機能を持ち、更に威力を高めるためにある程度口径の大きなライフルとして、世界初のアサルトライフルとなる『StG44』を開発し、連合国との戦いに投入することになるのである。

 

 第二次大戦が終結すると、各国はこのStG44を参考に多種多様なアサルトライフルを開発していく。有名なのはソ連のAK-47だけど、このG3もそのStG44を参考にして開発されたライフルの1つである。

 

 使用する弾薬は、近年のアサルトライフルでは珍しくなってしまった7.62mm弾。破壊力と反動が大きいのが特徴だが、このG3は7.62mm弾を使用するライフルの中でも反動が小さく、命中精度が良好なライフルとして知られている。

 

 しかし、再装填(リロード)が従来のライフルよりも長くなってしまうという欠点がある。他国のライフルはマガジンを交換した後にコッキングレバーを引けば再装填(リロード)は完了するのに対し、G3は弾切れになったらコッキングレバーを引き、その状態でマガジンを交換し、そこからコッキングレバーを元の位置に戻す必要があるのだ。ほんの少しだけ面倒だが、圧倒的な破壊力と高い命中精度を両立している逸品であるため、俺はこいつを愛用している。

 

 それにクランにも滅茶苦茶おすすめされたしね。結局みんなでG3A4とかMP5を使ってるよ。

 

 G3A4の銃床は伸縮することが可能であるため、戦車から下りて戦う場合にもってこいだ。俺はそのG3A4の銃身の下に、同じくドイツ製グレネードランチャーのHK79を装備することでさらに火力を上げている。

 

 周囲に魔物がいない事を確認してから、俺は草原の上でしゃがみ込み、その真っ黒に焦げている部分の草を左手の指で軽くつまんだ。やはり何かの影響で真っ黒に変色しているわけではなく、本当に炎に焼かれて真っ黒に焦げているだけのようだ。指に触れた部分がすぐに砕け、ただの真っ黒な煤へと変わってしまったのを見届けた俺は、その焦げた跡が点々と続く方向を睨みつける。

 

 まるで、巨大な動物が歩いた足跡みたいだ。しかし足跡ならばなぜ焦げる………?

 

「ねえ、ケーター」

 

「ん?」

 

「サラマンダーの特徴は覚えてる?」

 

 ああ、覚えている。冒険者になった後に書店で購入した図鑑にも記載されていたし、移動中にもその図鑑でもう一度確認していた。

 

 サラマンダーは基本的に火山に生息する魔物である。身体的な特徴は堅牢な外殻と、頭から巨大な剣を思わせる角が生えている事だろうか。根元の方は真っ黒で、先端部に行くにつれて融解していく鉄板のように赤くなっているという特徴的な角を持っているという。

 

 防御力は非常に高く、外殻に剣を叩き付けても傷つくことはないという。むしろ剣が折れるか、異常に高い体温で溶けてしまうというから、接近戦でサラマンダーを撃破するのは至難の業だ。しかもスピードも平均的な飛竜以上だし、攻撃力はその高熱と炎がそのまま猛威を振るう事になる。ブレスはまるで溶鉱炉の中のように高温で、躱したとしても掠めただけで防具や剣は溶けてしまう。そんな高温を浴びれば人間の身体がどうなってしまうのかは語るまでもないだろう。人間の形をしたステーキの出来上がりというわけだ。焼き加減はウェルダン以上だろう。

 

 外殻の裂け目から炎を噴き出し、常に高温と炎を纏う灼熱のドラゴン。それが、この世界で恐れられているサラマンダーである。

 

 しかも今回の獲物は――――――それの変異種だという。

 

 外殻が柔らかかったり、炎が出ないようなマイナスの変異ならば非常に助かるんだが、そんな軟弱な変異種が生き残れるわけがない。むしろ、生存するためにはより強くならなければならないのだから、どう考えてもその変異種というのは普通の個体よりも厄介な進化を遂げていると考えるべきだ。

 

 外殻が更に硬くなっていたり、ブレスが更に高温になっている可能性もある。

 

「炎を操るドラゴン………なるほど、奴の足跡か」

 

「幸先が良いわ。獲物の足跡を見つけられるなんて」

 

「どうかな。相手は空を飛ぶドラゴンだ。足跡くらいじゃ―――――――」

 

 ………いや、幸先は確かに良さそうだ。〝獲物に遭遇できた”という意味ではな。

 

 問題は先制攻撃がどちら側になるかという事だ。あらゆる戦いにおいて、先制攻撃が許されるのは相手をおびき出した方である。

 

 だから俺は、その焦げた地面の真っ只中に変な形の影が出現し、それが段々と肥大化していることに気付いた時点で、相手の先制攻撃を許してしまったという事を悟ったのである。

 

「クラン!」

 

「!」

 

 クランもその影を見て、気付いた。

 

 ―――――――もう獲物は、俺たちという獲物を見つけてたのだ。

 

 2人で同時に右へとジャンプし、そのまま草原の上に伏せる。焦げた臭いと草の臭いが混ざり合う草原の空気を、唐突に後方で膨れ上がった熱風が焼き尽くしていく。

 

「熱っ!?」

 

「ケーター!」

 

 いや、大丈夫だ。足は燃えていない。

 

 火の粉が舞う中で後ろを振り返った俺は、相手の奇襲に気付いてよかったと思いながらも、その炎の強烈さにぞくりとしてしまった。

 

 頭上から降り注いできた炎が命中したのは、俺とクランの両足の先から4mくらい後方である。なのに、まるで両足をバーナーで直接焼かれているのではないかと思ってしまうほどの熱波が足を包み込んだのだ。両足がステーキにならなかったことに感謝しながら顔を上げた俺は―――――天空を舞う怪物と、対面することになる。

 

 巨大な翼を持つ、漆黒のドラゴン。その外殻は黒曜石のように艶があるわけではなく、むしろ石炭の塊から削り出されたかのように荒々しい。外殻のつなぎ目や裂け目からは溶接に使うバーナーのように炎が噴き出し、常に奴の周囲の空気を加熱し続けている。

 

 人間を容易く踏み潰してしまうような太い脚から伸びるのは、鎌のような太い爪。その足に踏みつけられた地面から生える草は、奴の体温のせいで瞬時に発火し、足跡の近くにあった植物たちと同じ運命を辿っている。

 

 嘘だろ………こんな怪物と戦うのか………!

 

「わお………ケーター、このドラゴン……す、凄い迫力よ………!」

 

「あ、あ、当たり前だ――――――」

 

 辛うじて笑うクランだが、彼女もこいつがヤバい相手だという事を理解している筈だ。

 

「――――――本物のドラゴンだからなぁッ!!」

 

 そう、本物のドラゴン。異世界に生息する、本物の怪物。

 

 俺たちの目の前に降り立ったのは――――――そのサラマンダーの、変異種だった。

 

 本来ならば頭に生えている1本の角は2本に増えており、尻尾も3本に増えている。更に背中からは炎と同じく真っ赤に染まったクリスタルのような結晶が何本も突き出ていて、更に荒々しくなっている。

 

『ゴォォォォォォォォォッ!!』

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「も、戻りましょう! 早く!」

 

 うん、戦車に戻ろう! 生身でこいつは倒せねえよ!!

 

 クランと2人で、凄まじい速度で踵を返して全力で突っ走る。俺たちが乗ってきた純白のレオパルト(ヴァイス・ティーガー)はまだ停車したまま待っている。距離は50m未満だから、レベル40の俺たちのステータスなら5秒未満でたどり着けるだろう。

 

 今まで経験してきた50m走のタイムを遥かに上回る速さで戦車の中へと逃げ帰った俺たちは、2人で同時に車長用と装填手用のハッチから車内へと滑り込み、とりあえずG3を壁に立て掛けた。

 

「ね、ねえケーター!? 何あれ!?」

 

「サラマンダーだよ! しかも変異種!!」

 

 尻尾と角増えてたろ!? 背中からはなんか変な結晶みたいなの生えてるし、体格も普通のよりでかかったぞ!? なにあれ!?

 

「え、えっと、戦車で勝てるかな………?」

 

「ぼ、坊や(ブービ)、大丈夫だ。げ、現代兵器なら怖くねえよ……あはははは………」

 

「とりあえず移動しましょう! 焼かれちゃう! 木村ぁっ!」

 

「はいはい、全員ステーキはごめんですよぉッ!!」

 

 そうだ、移動しなければ。あんなブレスを喰らったら、いくら複合装甲を装備している頑丈な戦車でもダメージを受ける可能性があるし、あんな巨体の攻撃はあらゆる戦車の形成炸薬(HEAT)弾よりも脅威になるに違いない。

 

 木村がガスマスクをかぶったまま、思い切りアクセルを踏んでレオパルト2A4を走らせる。エンジンの唸り声の中にサラマンダーの咆哮が混ざり込み、乗組員たちは一斉にぞくっとしてしまう。

 

 くそったれ、焼き殺されてたまるか!

 

 2回目に死ぬ時は孫を愛でてから老衰で死ぬって決めてんだよ、畜生!

 

「砲塔、右70度! 目標、サラマンダー!!」

 

「了解(ヤヴォール)!!」

 

 坊や(ブービ)が冷静になったクランの命令に返事をし、照準器を覗き込みながら砲塔を旋回させる。主砲に装填されているのは、対空用に使うならば最適だろうという事で装填しておいたキャニスター弾だが、あんな化け物に有効なのか………?

 

 まだ飛び立っていないのならば、それよりも貫通力を期待して形成炸薬(HEAT)弾をぶちかました方が良いんじゃないか? 

 

 そう思ったが、相手の防御力を知るのも重要だ。なにしろ相手は普通の個体ではなく、変異種なのだから――――――。

 

「――――――Feuer(撃て)!」

 

 クランの凛とした号令とキャニスター弾の轟音が、サラマンダーとの戦いの火蓋を切って落とした。

 

 

 

 

 

 

 



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白き猛虎 後編

 

 キャニスター弾とは、要するに散弾のような砲弾である。貫通力を重視した徹甲弾や、貫通力の代わりに爆発の威力と範囲を重視した榴弾などは敵の戦車や砲台などを攻撃するための砲弾なんだが、大型の砲弾から無数の散弾を拡散させるというこのキャニスター弾では、そのような目標を撃破するのはほとんど不可能である。

 

 このキャニスター弾が標的とするのは、堅牢な装甲に守られた戦車や装甲車ではなく――――――――人間の歩兵の集団だ。

 

 大型の砲弾から拡散するため、1発1発の散弾のサイズは大きく、当然ながらその数や殺傷力も従来のショットガンの比ではない。それゆえに歩兵の群れを相手にするには、うってつけの砲弾と言える。

 

 だからこそサラマンダーのような堅牢な外殻を持つ相手には、効果が薄くなる。やはり攻撃目標を歩兵部隊にしているだけあって、防御力の低い複数の敵には効果があるものの、堅牢な外殻を持つ単体の敵は専門外という事だ。

 

 足元に置いてある砲弾に手をかけながら、ペリスコープを覗き込むクランの命令を待つ。いくら現代兵器が強力であるとはいえ、適切ではない使い方をすれば効果は半減する。おそらくこの一撃ではあのサラマンダーを撃破することは不可能だろう。攻撃範囲が広い半面、キャニスター弾の貫通力は砲弾の中でも最低クラスなのだ。装甲を破壊できるだけの威力もないため、さすがにこれでサラマンダーの撃破は期待できない。

 

 ほんの少しだけ立ち上がり、俺も装填手用のハッチに増設してもらったペリスコープを覗き込んだ。もう既にキャニスター弾は拡散しているらしく、分解した砲弾の外殻が草原へと落下していく。

 

 サラマンダーは攻撃されたという事を理解していないのか、それとも甲鉄の散弾の群れなど回避する必要がないと高を括っているのか、一歩も動かずに牙の並ぶ口から炎を噴き出しては、俺たちへの威嚇を続けている。

 

 そして――――――キャニスター弾が着弾する。

 

「クソ………」

 

「チッ、やっぱり硬い!!」

 

 呟いた直後、照準器を覗き込んでいた坊や(ブービ)も悪態をついた。

 

 確かにキャニスター弾が運気出した散弾の群れは、俺たちが期待したとおりにサラマンダーの巨体へと着弾した。まあ、巨体に向かって散弾を撃ち込んだのだから当たり前である。問題はそれらの効果があるのかという事だ。相手の外殻は分厚く、更に銃弾や砲弾が着弾前に融解してもおかしくないほどの高熱を纏っている。

 

 その巨体に襲い掛かった散弾の群れが――――――やはり、弾かれた。

 

 しかも中には、まるで熱された鉄板の上に落とされた水滴のように、蒸発するような音を立てて融解する散弾も見受けられる。

 

「おいおい………散弾が溶けてる………」

 

 嘘だろ………? あれでは、アサルトライフルやLMGの弾丸は命中する前に融解してしまうじゃないか!

 

 くそったれ。どうやらあの怪物を撃破するには、対戦車ミサイルや砲弾を叩き込まなければならないらしい。重機関銃の銃弾でもおそらく今しがた融解したキャニスター弾の散弾と同じだろう。

 

「ケーター、次はAPFSDS!」

 

「了解(ヤー)!」

 

 正しい選択だ。今の攻撃で、この怪物を撃破するためには貫通力の高い砲弾でなければならないという事を再認識したのだろう。

 

 手をかけていたAPFSDSを拾い上げ、薬莢が排出されて空になった砲身の後部へと装填する。

 

 先ほどのキャニスター弾は歩兵を攻撃目標とした散弾だったが、今度のAPFSDSは歩兵用ではなく、戦車の装甲を貫通するために設計された最新式の徹甲弾である。これで貫通できなかったら外殻の薄い部位に向かって、他の砲弾を併用しながら次々に叩き込むしかない。

 

 弾かれませんように、と祈りながら砲弾を装填し、クランに「装填完了(クラー)!」と報告する。

 

「飛び立つ前に叩き込みなさい!」

 

「了解(ヤー)!」

 

Feuer(撃て)!!」

 

 そう、問題は相手の防御力だけではない。脅威を挙げるならば攻撃力も驚異の1つとなるが、より脅威なのは相手がドラゴンで、空を飛ぶ事ができるという点である。

 

 戦車は確かに強力な兵器だ。砲弾やロケットランチャを叩き込まれても装甲で弾き飛ばし、逆に戦車砲で敵を吹き飛ばす事ができるのだから。しかも搭載されているFCSをはじめとする装置のおかげで命中精度は極めて高く、地上での戦いならばかなりの脅威になる。

 

 しかし、野生動物にも天敵が存在するように、この戦車にも天敵が存在する。

 

 それは―――――――空を舞いながら対戦車ミサイルをぶっ放してくる戦闘ヘリや戦闘機などである。

 

 戦闘機はもう打つ手がない。いくら命中精度が優れていると言っても、音速で飛行する戦闘機に戦車砲を命中させるのは不可能だし、まず主砲の仰角が足りなくなる。だからといって搭載されている機関銃では戦闘機を撃墜するための威力が足りない。

 

 戦闘ヘリならばまだ撃墜できる可能性はある。しかし、やはりこちらも戦車が苦手とする天敵の一種であることに変わりはない。

 

 サラマンダーも同じだろう。今は地面の上に立ってこちらを威嚇しているけど、飛び立ってしまったら天敵に早変わりだ。飛び立たれる前に砲弾を叩き込み、撃破してしまうのがベストである。

 

 発射されたAPFSDSは、坊や(ブービ)が狙った通りにサラマンダーへと飛び込んだ。空中分解してしまったかのように剥がれ落ちた砲弾の外殻を置き去りにし、まるで槍のような形状の徹甲弾がサラマンダーの灼熱の外殻へと突き刺さる。

 

 どうだ………? 貫通したか………!?

 

 一瞬だけ猛烈な火花が散る外殻の表面。漆黒の欠片がいくつか剥がれ落ちる中、いきなり首筋に飛び込んできた砲弾に驚いたのか、サラマンダーの巨体がぐらりと揺れる。

 

 高を括っていつまでも威嚇してるからさ、バーカ。

 

「………APFSDS、貫通せず」

 

「………!」

 

 貫通できなかったか………! 戦車の装甲を貫通できる最新型の徹甲弾でも貫通できないのか!

 

 クランに次の砲弾は何を装填するべきなのか聞こうとしたその時だった。

 

「突進来る! 木村、回避して!」

 

「了解(ヤー)!!」

 

 ぎょっとしてペリスコープを覗き込むと、先ほどの砲弾に被弾したことで文字通りサラマンダーの逆鱗に触れてしまったのか、口から火の粉を噴き出しながら怒り狂うサラマンダーが、レオパルト2A4に向かって突進してきたのである。

 

 相手の外殻はAPFSDSで貫通できないほど堅牢で分厚い。そんな怪物に突進されたら、いくら主力戦車(MBT)の優等生とはいえ行動不能になってしまう可能性がある。砲塔の周囲と車体の両サイドには装甲として複合装甲で作ったシュルツェンを装備しているけど、あんな怪物の突進を喰らったらあっさりひしゃげてしまうのは火を見るよりも明らかである。

 

 木村がレオパルト2A4を全速力で走らせ、サラマンダーの突進を回避しようと試みる。翼を大きく広げながら突進してくるサラマンダーの姿が、ペリスコープの中で大きくなっていくにつれて右側へとずれていく。

 

 回避できたか………? そう思って安堵した瞬間、頭上からめきりと金属が折れ曲がるような絶叫が聞こえてきて、俺はぞっとしながら上を向いた。

 

 頭上には閉鎖された装填手用のハッチ。ペリスコープも損傷している様子はない。

 

「損害は!?」

 

「ないけど………くそ、多分MG3をやられた!」

 

 装填手用のハッチと車長用のハッチには、2丁のMG3が搭載されている。今のひしゃげるような音は、サラマンダーの翼がMG3に激突し、搭載されていた機関銃が破壊された音なのだろう。

 

「ケーター、次も同じ!」

 

「了解(ヤヴォール)!」

 

 先ほどは首筋に着弾したけど、弾かれてしまった。しかし全くダメージを与えられなかったわけではないらしく、ペリスコープから見てみると着弾した部位の外殻がはがれていることが分かる。全く損害がないというわけではないらしい。

 

 再びAPFSDSを装填し、ペリスコープから標的を覗き込む。

 

「木村、右から回り込んで!」

 

「了解(ヤー)!」

 

 突進を躱され、立ち止まるサラマンダー。反時計回りにこちらを振り向こうとしていたサラマンダーに対して、背後を取り続けようとしているらしく、クランは右から回り込めと指示を出す。

 

 戦車の速度と飛竜がこっちを振り向く速度では相手の方に軍配が上がるけど、少しでもこっちを振り向かれるのを遅らせることは出来る。少なくともサラマンダーの攻撃方法は正面への攻撃ばかりなのだから、背後は安全という事になる。

 

「――――――Feuer(撃て)!!」

 

「発射(フォイア)ッ!!」

 

 純白の戦車の砲口が、煌めく。

 

 120mm滑腔砲の砲口から1発のAPFSDSが飛び出し、自らを覆っていた金属の外殻を置き去りにして、サラマンダーの背中へと駆け抜けていく!

 

『グオォォォォォォ!?』

 

「着弾!」

 

「さすが坊や(ブービ)!!」

 

 今度の一撃は、サラマンダーの背中から生えていた赤い結晶の付け根へと叩き込まれたらしい。ペリスコープの向こうで結晶の山が一瞬だけひしゃげたかと思うと、すぐにその表面に亀裂を刻み込み、真紅の礫となって草原にまき散らされる。

 

 しかも結晶の付け根だけでなく、その付け根にあった肉まで抉ったらしい。よく見ると飛び散る結晶の破片の中には、肉や皮膚がこびりついているものもある。

 

 ――――――なるほど、あの背中が弱点か。

 

 何かしらの変異で背中から結晶が突き出ているようだが、肝心な外殻がその変異のせいで失われているならばただの弱点でしかない。

 

 ペリスコープから目を離し、クランに指示されるよりも先に形成炸薬(HEAT)弾を手に取る。そして彼女の方を見てみると、どうやらクランも俺にそれを装填尻と命令を出すつもりだったらしく、にやりと不敵に笑いながら首を縦に振ってくれた。

 

坊や(ブービ)、あの背中を撃てる?」

 

「何言ってんだよクラン。もう1年も滑腔砲(これ)ぶっ放してるんだぜ?」

 

 童顔で小柄な坊や(ブービ)は、砲手の席からクランを見上げながら言った。

 

「――――――任せろ、絶対当てる」

 

「頼もしいわね」

 

 ああ、頼もしい奴だ。転生してきたばかりの頃はよく砲撃を外していたんだが、1年間も砲手として実戦で経験を積み続けた彼は、まだ未熟な部分があるけど、仲間たちのカバーのおかげで一人前の砲手になりつつある。

 

 今のサラマンダーの背中は、結晶もろともAPFSDSに抉られて肉と背骨の一部が露出している。あそこに形成炸薬(HEAT)弾を叩き込む事が出来れば、それで勝負をつける事ができるだろう。

 

 竜の一撃が虎を屠るか、それとも虎の牙が竜を穿つか。

 

 既に砲弾()は装填した。後はクランの指揮と、坊や(ブービ)の砲撃次第で勝負が決まる――――――。

 

 しかし、どうやら勝負はそう簡単に決まりそうには無いようだ。

 

「おい、サラマンダーが!」

 

「!!」

 

 慌ててペリスコープを覗き込むと、背中を抉られたことに危機感を感じたのか、サラマンダーの変異種がドラゴンの専売特許と言わんばかりに翼を広げ、背中から流れ出た血肉をまき散らしながら飛び立とうとしているところだった。

 

 拙い、対空戦闘は戦車の専門外だ!

 

 慌ててハッチから身を乗り出し、機関銃で射撃しようと思った俺だけど、そういえば頼みのMG3はさっきの突進で破壊され、使用不能になっていた筈だ。あまり期待せずにハッチから身を乗り出してみると、案の定MG3の銃身は見事にへし折られており、射撃できる状態ではない。

 

「くそったれ!」

 

 どうすればいい!? このままじゃ、上空からのブレスで焼き殺されちまう!!

 

「落ち着きなさい、ケーター!」

 

 拳を握りしめながらサラマンダーを睨みつけていた俺を、車内で指揮を続けるクランが叱責する。

 

「何のための転生者なの!? 端末を使いなさい!!」

 

「そ、そうか!」

 

 そうだ、便利なものがあるじゃないか!! 

 

 独壇場に戻ったと思いながら飛んでいるサラマンダーに向かってにやりと笑いながら、迷彩服のポケットの中から端末を取り出す。転生者に与えられるこの端末を使えば、あらゆる能力や武器をポイントを消費して自由に開発し、カスタマイズすることが可能なのである。

 

 だが、これで新しい兵器を出せという意味ではないだろう。今更戦闘機やヘリを出したとしても、ここにいる仲間たちの中でそう言った兵器の操縦方法を知っている者はいない。

 

 しかし―――――――歩兵が装備できる武器で、空を舞う敵に対抗できる武器は存在する。

 

 素早く画面をタッチして武器の生産と表示されているメニュー画面を開き、天空の飛竜を穿つための矛を大慌てで生産する。

 

 俺が生産したその矛は―――――――対空ミサイルの代名詞でもある、アメリカ製対空ミサイルランチャーの『FIM-92スティンガー』である。

 

 照準器を覗き込んで敵をロックオンし、誘導するミサイルを発射する事ができるこの強力な対空兵器は戦車砲ほどの破壊力を持っているわけではないが、使い勝手が良いし、空を飛んでいる敵を攻撃するにはうってつけの代物である。

 

 フレアでミサイルを回避されることもあるが、サラマンダーには当然ながらフレアは搭載されていない。ただ浮かんでいるだけの巨大なクジラに、至近距離から銛を放り投げるようなものだ。

 

 こいつで撃ち落とし、それから坊や(ブービ)の砲撃で仕留める。クランが考えた作戦はそうだろう。

 

 照準器を覗き込み、天空を舞うサラマンダーをロックオン。俺たちに背中を向けて宙返りを終えたサラマンダーが、まるで急降下爆撃機のように俺たちに狙いを定め、大きく開けた口の中から炎を煌めかせながら、真っ直ぐに純白のレオパルト(ヴァイス・ティーガー)へと向かって急降下してくる!

 

 だが、こっちはもう矛をぶっ放す準備はできている。ただでさえ命中精度が高いのに、わざわざ突っ込んで来てくれるとはありがたい。

 

 しかし、サラマンダーはロックオンされているというか、危機を感じたらしい。すぐに口を閉めて再び高度を上げようとするが―――――――もうロックオンされている。この一撃を回避するのはもう不可能だ。

 

「くたばれッ!!」

 

 トリガーを引き、ドラゴンを穿つ矛を放つ。

 

 ミサイルランチャーから長大なミサイルが飛び出し、後端に取り付けられていた小さなブースターが切り離される。そしてそのまま天空へと舞い上がっていくのかと思いきや、今度は切り離されたブースターの下に取り付けられていたブースターから炎と白煙を噴き上げ、アメリカ軍の誇る最強のミサイルランチャーが天空へと飛び立っていく!

 

 サラマンダーはミサイルを目にすると、大慌てで複雑に飛び回り始める。急上昇したかと思うえば急旋回し、失速して急降下したかと思えば再び加速する。最新の戦闘機でも再現できそうにないほどの猛烈な動きだったが、スティンガーミサイルはその動きを全て見抜き、攻撃目標に突っ込むためにその動きに追いついていく。

 

 どれだけ旋回しても、ミサイルは降り切れない。白煙を大空に刻む歩兵の矛が、徐々にサラマンダーに追いついていく。

 

 そして―――――――天空で、紅蓮の閃光が膨れ上がった。

 

 尻尾の付け根をミサイルに激突され、爆風と運動エネルギーにつ起き飛ばされる形で高度を落とし始めるサラマンダー。必死に飛び続けようとするサラマンダーだが、背中を抉られていた激痛に邪魔されたのか、翼を上手く動かせないようだ。そのまま徐々に高度を落としていき―――――――ついに頭と胴体を地面に擦り付けながら、墜落する。

 

「―――――やったぞ、クラン」

 

「さすがケーター」

 

 さあ、後はあの背中に形成炸薬(HEAT)弾をお見舞いするだけだ。

 

 終わらせろ、坊や(ブービ)

 

「―――――――白き猛虎(ヴァイス・ティーガー)を侮るからよ、ドラゴン(ドラッヘ)

 

 墜落し、何とか立ち上がろうと足掻き続けるサラマンダーの変異種を睨みつけながら、クランが冷たい声で告げた。

 

 彼女の曽祖父はスターリングラード攻防戦からベルリン攻防戦まで、純白に塗装されたティーガーⅠで戦い抜いた戦車兵であり、その白いティーガーⅠは連合軍の兵士たちから『ホワイトタイガー』と呼ばれていたという。そして祖父と父も、曽祖父の活躍をたたえるために戦車にホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)のエンブレムを描き、訓練を続けていたらしい。

 

 彼女は異世界で、曽祖父の異名を受け継ぐのだ。

 

 この咆哮は――――――クラウディア・ルーデンシュタインが白き猛虎(ヴァイス・ティーガー)の異名を継承する、宣言の咆哮。

 

 形成炸薬(HEAT)弾が装填された120mm滑腔砲の咆哮が、サラマンダーの背中へと向けられる。もう照準は合わせられており、サラマンダーも立ち上がる気配がない。もう勝負は決まっている。

 

「――――Das Ende(終わりよ)!!」

 

「発射(フォイア)ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 坊や(ブービ)が絶叫し、滑腔砲の発射スイッチを押す。

 

 装填されていた砲弾が轟音を纏って飛び出し、足掻き続けるサラマンダーに向かって襲い掛かり―――――草原の戦いに、終止符を打った。

 

 命中してからすぐに炸裂し、猛烈なメタルジェットでサラマンダーの太い背骨を貫く。更にメタルジェットが纏う爆風は肉を抉り、外殻と肉の間に入り込んで背中の内側を焼き尽くすと、外殻の裂け目から焦げた血肉を伴った火柱として噴き上がり、サラマンダーの肉体をズタズタに破壊した。

 

『ガ……………ァ………』

 

 小さな声を上げながらも、サラマンダーはやっと立ち上がった。しかし背骨がメタルジェットに貫荒れているせいなのか、すぐに再び草原の上に倒れ込んでしまう。

 

 それからは、もう足掻くこともなかった。悲しそうな両目で何かを見つめると、その瞳から血涙を流し、すぐに動かなくなる。

 

「や、やった………倒したわよ………!」

 

「は、ははっ………! やりましたね、クラン! 坊や(ブービ)!!」

 

 仲間たちがサラマンダーの討伐に成功したことに喜ぶが、俺は何だか違和感を感じた。

 

 サラマンダーの奴は、何を見ながら力尽きたのか気になったのである。逃げようと足掻いていたというよりは、死ぬ前にその何かを目にしてから死のうとしていたようにも見えたのだ。俺はすぐに双眼鏡を覗き込み、サラマンダーの顔の先にある一帯をズームして――――――すぐにそれを見つけた。

 

 あれは何だ? 石ころか?

 

 更にズームしてみると、それはすっかり錆びついて朱色になってしまった金属製の何かだった。何かを埋めた跡のある地面の上に、その錆びついた金属の小さな塊が、まるで墓石のようにそっと置かれているのだ。

 

 その錆びついた金属の塊は、どうやら懐中時計のようだった。ずっと放置されていたせいなのか、表面は抉れて錆だらけの時計の針や歯車が露出している。

 

 あのサラマンダーは、あの墓標に用事があったのか? まさか、墓参りに来ていた………?

 

 というか、あれは誰の墓だ………?

 

「ほら、ケーター! 村に戻って報酬を受け取りましょう!」

 

「あ、ああ」

 

 あの墓は、一体なんだ?

 

 その疑問はなかなか消えてくれる気配はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村に戻り、依頼してきた老人にサラマンダーの死体がある位置を教えてから報酬を受け取った俺たちは、再びザウンバルク平原を戦車で北上していた。

 

 次に目指すのは、このオルトバルカ王国で最も寒いと言われているシベリスブルク山脈。山脈そのものがダンジョンに指定されているという危険地帯で、危険度はオルトバルカ国内でもトップクラスだという。

 

 危険過ぎるせいで挑戦する冒険者もいなくなってしまったという桁違いのダンジョンに、俺たちは向かおうとしているのだ。もちろんダンジョンに挑むつもりだが、中心部へは行かずに外周部の調査をして報酬を受け取り、その報酬で食材を買い込む予定である。

 

「ねえ、ケーター」

 

「ん? どうした?」

 

 段々と寒くなってきた風の中で、車長用のハッチから身を乗り出す隣のクランが、ニコニコと笑いながら俺の方を見てきた。

 

「異世界の生活って、不安だったけど………私ね、ケーターのおかげで今の生活を楽しんでるの」

 

「それは良かった」

 

「だから………そ、その………」

 

 何だか恥ずかしそうだな。顔が真っ赤になってるぞ、クラン。

 

「ず、ずっと一緒にいてくれるかな………?」

 

「当たり前じゃん」

 

「えっ?」

 

 当たり前だろうが。告白したのは俺なんだし、俺もクランの事が大好きなんだからさ。

 

 だから、彼女とずっと一緒にいる。仲間たちと一緒に、こうして異世界を旅する。

 

「――――――あ、ありがと、ケーター」

 

「おうっ」

 

 この異世界は、かなり危険な世界だ。前世の世界では考えられない環境もあるし、魔物も生息している。それに奴隷の制度もあるし、国を統治する王族や貴族はもう腐敗しているではないか。

 

 平民からすれば、理不尽な世界だ。でも俺たちはこれから、この理不尽な世界で生きて行かなければならない。

 

 理不尽が立ち塞がるというならば、その理不尽はぶち壊す。

 

 この戦車と、仲間たちと共に。

 

 俺たちのホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)は、結構凶暴だぜ?

 

 

 

 



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雪山に戦車で挑むとこうなる

 

 純白の世界には、あの里での生活に慣れたつもりだった。

 

 常軌を逸した寒さと、他の色の存在を許さぬ白の世界。世界を彩る純白の雪以外は何も見当たらない、単純過ぎる極寒の山脈。かつて数多くの冒険者たちがこの大地に挑み、長年にわたって詳細不明とされていたこの山脈を暴こうとして――――――散っていった場所。

 

 今では開拓の話も頓挫し、流刑地代わりに使用されている雪の大地。それがこのシベリスブルク山脈である。

 

 やや低めの山脈と、中心部に屹立する高い山脈で構成されるオルトバルカ国内で最も寒い場所だ。低い山脈と中心部の間を遮断するブリザードを越えれば、その内側の最低気温は-102.8℃に達するという。前世の世界の南極や北極よりも寒い場所である。

 

 俺たちが目指すヴリシア帝国へと向かうには、ここを越えていくのが近道だった。越えると言っても危険な中心部を突破していくのではなく、極力安全な外周部を通って山脈を越え、反対側にあるフランセン共和国の植民地へと向かう予定になっている。中心部は最低気温が-100℃以下になることと、現代兵器で挑んでも勝率が低いと思えるほど危険な魔物の巣窟となっているため、安全性と目的地への最短ルートを考慮して外周部を通ることにしたのである。

 

 フランセン共和国の植民地に出れば、後はそこから船に乗ってヴリシア帝国まで向かえばいい。途中の海域はクラーケンなどの魔物が出没する危険な海域と言われているが、海ならばラウラのエコーロケーションの独壇場だし、現代兵器ならば瞬殺できるくらいの魔物しか生息していないので、危険度はこちらの方が遥かに下だ。

 

「さすがに寒いな………」

 

 雪の中を進むチャレンジャー2の砲塔の上で、俺は向こうにそびえ立つブリザードの壁を見上げた。

 

 まるで雪で作られた防壁だ。高い円錐状になっている中心部の山脈を包み込むそのブリザードは、右方向へとひたすら鳴動を繰り返す純白の壁にしか見えない。あんな場所を越えて内側へと向かうと言い出せば、熟練の冒険者以外は正気の沙汰ではないと言い出す事だろう。

 

 そのブリザードから遥かに離れているというのに、もう気温は-20℃を超えている。吐き出す息は真っ白になり、雪の中に溶けて置き去りにされていくだけだ。

 

 こんな極寒の世界で俺1人をタンクデサントさせるなんて………酷いよみんな。

 

 真っ白なコートに身を包み、自衛用のAN-94を肩に掛けながらため息をつく。確かにチャレンジャー2の乗組員の数は4名で、パーティーの人数を考えれば1人余ることになる。だからってこんな寒い場所で俺1人をタンクデサントさせるのはどうかと思うんだ。

 

 だってもう-20℃以下だぞ? このまま気温が下がり続けたら、キメラでも死ぬよ? 俺は炎属性のキメラだけど、炎を応用していつまでも体温を維持できるわけじゃないからね? 限界はあるし、そもそもサラマンダーは本来氷と水属性に弱い魔物だから、ある意味で人選ミスだと思うんだよね。

 

 まあ、だからといって随伴歩兵を1人も用意しないのも拙いし、仲間をこんな寒い中に放り出すのも拙いので、俺が引き受けるわけにしたんだけどさ。

 

 雪を孕んだ風から隠れるように、砲塔の後部へと隠れる。水筒の中に入っているジャム入りの紅茶はとっくにアイスティーになっているどころか、少しずつ表面が凍り始めていて、ちょっとしたシャーベットになっていた。これを飲むのはさすがに体温を下げる自殺行為なので、水筒の底を指先から出した炎で少し温めてから口の中へと流し込む。

 

 さて、武器の点検でもするか。

 

 AN-94はいつもと同じだ。ドットサイトとブースターを取り外し、照準器をタンジェントサイトに変更した以外に弄った部分はない。

 

 タンジェントサイトとは、旧式のボルトアクションライフルなどに採用されていた照準器の一種である。スコープがない状態でも遠距離や中距離で狙撃するために調節できるようになっている照準器だけど、現在ではドットサイトやスコープをはじめとする光学照準器が発達したため廃れている。

 

 もう1つのメインアームとして、背中にはアンチマテリアルライフルのOSV-96を背負っている。今まではロケットランチャーを搭載して使用してきた相棒だけど、銃身の下にぶら下がっていたRPG-7V2は撤去し、がっちりしたバイボットに変更している。

 

 ロケットランチャーの運用は、ナタリアや後衛のステラに依存することにしたのだ。

 

 その代わりに銃口には、アメリカ軍が第一次世界大戦や第二次世界大戦で採用していた銃剣のM1905を搭載している。真っ直ぐな小太刀を彷彿とさせる漆黒の長い銃剣で、これを含めた全長は2mになった。さすがに常時銃剣を伸ばしていると危険なので折り畳み式に改良している。

 

 ロケットランチャーを装備するよりはこっちの方が軽量だし、もし敵の奇襲で突発的な白兵戦になった場合、すぐに接近戦に対応できる銃剣は便利な武器となる。実際に親父たちは銃に銃剣を装着し、射撃を突破して接近してきた魔物や敵兵に対応していたらしい。

 

 まあ、現代兵器同士の撃ち合いだったら無用の長物かもしれないが、この異世界では同じ現代兵器よりも魔物や剣を手にした敵兵と戦う場合の方が多いからな。

 

 それ以外には長距離狙撃を考慮して銃床の下部にモノポッドを装備している。このモノポッドの内部にはアンカー代わりのスパイクを内蔵しており、伏せて狙撃する場合は地面に突き立てて命中精度を向上させられるほか、接近戦にも使えるように考慮している。

 

 それと、スコープが戦闘中に破壊された場合のために、こちらにもタンジェントサイトを装備している。

 

 サイドアームには、チェコ製のCz75を装備している。チェコで製造された高性能なハンドガンの1つで、使用する弾薬は一般的なハンドガン用の弾薬である9×19mmパラベラム弾だ。マガジンに装填できる弾数は多く、命中精度も高い上に信頼性も優秀だ。しかもバリエーションも多いため、俺たちのパーティーではこれを標準的なサイドアームとして採用する方針としている。

 

 通常のハンドガン型のほか、フルオート射撃が可能なマシンピストルタイプも存在するのだ。

 

 俺が使用しているのは、そのバリエーションの中で最も特異なSP-01と呼ばれるモデルである。マガジンに装填できる弾数は18発になっており、連続射撃が可能な優秀な銃なんだが………なんと、このハンドガンには銃剣の装着が可能になっているのである。

 

 パーティーの中では前衛を担当し、真っ先に白兵戦に突入しがちな俺にとっては必要なカスタマイズとも言える。それ以外の装着しているのは暗所を索敵する際のライトと、ピープサイトの一種であるゴーストリングサイトである。

 

 それといざという時のために、Cz75の小型モデルであるCz2075RAMIをコートの内ポケットに1丁装備している。こちらは最後のサイドアームという事で全くカスタマイズはしていない。

 

 普段はタンクデサントをする際はアサルトライフルとサイドアームのハンドガンだけの軽装なんだが、今回はとりあえず重装備だ。理由はもちろん、もうダンジョン内に突入しているため魔物と遭遇する確率が高く、軽装では対処しきれない可能性が高いからだ。

 

 異世界に転生し、何度か実戦を経験して分かった事なんだが、堅牢な外殻を持つ魔物に対して有効な銃弾は最低でも6.8mm弾以上の弾丸でなければ外殻を貫通することは難しい。5.56mm弾や5.45mm弾でも正確に弱点を狙えば魔物を撃破出来ないことはないが、相手の攻撃を回避しながらの反撃になるため咄嗟の照準になる事が多く、正確に弱点を狙う余裕はあまりない場合が多い。だから弱点以外の部位の貫通も期待できる大口径の弾丸の方が、少なくとも魔物との戦いでは有利という事になる。

 

 逆に対人戦ならば前世と同じく、小口径の弾丸の独壇場だ。反動も小さくフルオート射撃がしやすい5.56mm弾が猛威を振るう事になる。

 

 そこでモリガンの傭兵たちは、対人戦と魔物との戦いの両方にも投入できる7.62mm弾を標準的な弾薬とし、それを使用する銃を多用して戦っていたと聞く。テンプル騎士団の敵は基本的に転生者になるが、場合によっては普通の人間や魔物との戦いにもなるので、俺たちもモリガンに倣って標準的な使用弾薬を決めておくべきだろう。

 

 とはいってもこっちは大規模な組織にする予定なのだから、物騒だけど対人戦専門の部隊を設立すればそれで済むんだよね。

 

 とりあえず、適度に熱したジャム入りの紅茶のおかわりを貰うとしよう。このままじゃ凍死しちゃう。

 

 コンコン、とキューポラのハッチを軽く叩く。でも吹雪の音とかエンジン音で聞こえてるんだろうか。もしかしたら車内まで聞こえていないかもしれない。しばらく砲塔の上で寒さを我慢しながら待ってみるけど、中からナタリアが姿を現す気配はなかった。

 

 うーん、やっぱり聞こえてないのか。

 

 砲塔の後ろから立ち上がり、ハッチの近くについているキューポラの上まで移動する。ハッチの上に張り付きながらそっとキューポラを車外から覗き込みつつ、砲塔の上をコンコンと叩き続けてみれば気付いてくれるだろうか。

 

 よし、実際に覗き込んでみよう。

 

『――――――きゃっ!?』

 

「ははははっ」

 

 ああ、ナタリアの驚く声が聞こえてきた。どうやらちゃんと索敵をやっていたらしい。

 

 彼女を驚かせたことに満足しながらハッチの上から退こうとしたんだけど、俺の顎が丁度キューポラの縁に差し掛かったタイミングでハッチが開き―――――まるでミサイルサイロから打ち上げられるICBM(大陸間弾道ミサイル)の如く伸びてきた少女の鉄拳が、俺の顎を見事に打ち据えた。

 

「みぐっ!?」

 

 口が丁度開いたタイミングでの直撃だったため、命中した瞬間に歯が見事にガチンとぶつかる。殴られた瞬間も痛かったけど、こっちも結構痛い………。血出てないよね?

 

 真下から顎を思い切り殴られた俺は、そのまま再び後方に転がって砲塔の上から落下し、車体の後部に脳天を叩き付ける羽目になってしまった。

 

「び、びっくりしたじゃないの!」

 

「ご、ごめんなさい………いたたた」

 

 角は折れてないみたいだな………。まあ、これ頭蓋骨の一部が変異して突き出ているものらしいし、折れてたら致命傷なんだけどね。

 

「ところで何の用? いたずら?」

 

「えっと、紅茶のおかわりが欲しいなと思いまして………」

 

「ああ、ちょっと待って。……ステラちゃん、紅茶のおかわりお願い」

 

「了解(ダー)」

 

 ナタリアに紅茶の入っていた水筒を渡し、車内のステラからおかわりを貰う。ハッチの中からは暖房が生み出す暖かい空気が流れ出て来て、俺を誘惑し始める。

 

 い、今すぐ装填手用のハッチから車内に滑り込みたいところだが………俺が索敵をやらないと、仲間たちが危険にさらされる………ッ! が、我慢だ! 耐えるのだッ!!

 

 とりあえず、ナタリアと雑談でもして誤魔化そう。誘惑されちゃダメだ。

 

「ところで、今どの辺?」

 

「地図だとまだ中間地点にすら到着してないわ」

 

「マジ? 時間はどのくらい?」

 

「うーん………あと5時間くらいかしら」

 

 凍死するわぁッ!! 5時間も-20℃の環境でタンクデサントしてろってか!?

 

 ナタリアから紅茶のおかわりが入った水筒を受け取り、さっそく熱々の紅茶を口へと運ぶ。やっぱりこの雪の中では、冷たい紅茶よりも暖かい紅茶の方が美味しいね。

 

 香ばしい香りにストロベリージャムの甘い香りが混ざった暖かい紅茶を喉へと流し込み、蓋を閉めてから紅茶を腰のホルダーへと戻す。さて、この温もりは何分で消え失せてしまうのか………。今のうちにこの暖かさを味わっておこう。

 

「タクヤ?」

 

「ん?」

 

「あ、あの………つ、辛かったら………中で休んでもいいのよ………?」

 

 や、休ませてくれるの………?

 

 ありがたいけど、休んでる間の索敵は大丈夫なんだろうか?

 

 どういうわけか恥ずかしそうに言うナタリアの言葉を聞いて感動する俺だったけど―――――人間よりも発達したキメラの聴覚が、雪とエンジンの音以外の別の音を捉えたのを確認した瞬間、俺の身体は勝手に臨戦態勢に入っていた。幼少の頃から射撃訓練を経験し、小遣いを稼ぐために魔物と戦っていた頃から戦う事になれていたんだろう。無意識のうちに右手が伸び、背中のアンチマテリアルライフルの銃床を掴んでいる。

 

 左手で折り畳んである銃剣を展開し、スコープの蓋を開けて狙撃準備に入る。出発前に照準は調整してあるし、移動中も定期的にチェックを繰り返していたので、調整し直す必要はないだろう。

 

「ど、どうしたの?」

 

「………警戒しろ、魔物かもしれない」

 

 少なくとも、チャレンジャー2のエンジン音ではない。まるで何かが崩れ落ちてくるかのような重々しい音である。

 

 ナタリアに「車内に戻れ。外は任せろ」と言いつつ砲塔の後ろに隠れると、ナタリアは心配そうに俺を見つめてから、首を縦に振って砲塔の中へと戻っていった。

 

 無線機の電源を入れ、車内の仲間たちに指示を出す準備をする。この雪山に生息しているのは危険な魔物ばかりであるため、現代兵器と戦車で武装していると言って油断するわけにはいかない。高を括って対策を立てなければ、死ぬだけなのだから。

 

 息を呑みつつ、音の聞こえてくる方向を睨みつける。現在俺たちの乗るチャレンジャー2はちょっとした坂道をドーザーブレードを装備しながら登っている真っ最中なんだが、音が聞こえてくるのは斜面の上からだ。集中して音を聞き、魔物の足音なのかどうかを判別し始めるが………この音は何だ? 魔物の足音とは違って重々しい音がずっと続いている。もしかして魔物の群れか? 

 

 その時、冷たい風が一層強くなった。

 

「あれは………?」

 

 戦車の目の前から迫っていたのは―――――――魔物の群れなどではなかった。

 

 何かが崩れ落ちる音。舞い上がる雪の群れ。

 

 斜面の上から襲来したのは、巨大な魔物たちの群れではなく――――――純白の壁のようにも見えてしまうほどの、巨大な雪崩の波だったのである。

 

 雪山がそのまま崩れてしまったのではないかと思ってしまうほどの猛烈な雪崩。斜面の雪を次々に呑み込み、辛うじて顔を出していた倒木を木端微塵に粉砕しながら流れ落ちてくる純白の濁流。俺がついさっき聞き取った音の正体は、この雪崩が迫ってくる音だったらしい。

 

「な――――――雪崩だッ!」

 

『雪崩!?』

 

「ラウラ、進路変更! 右90度!!」

 

『りょ、了解!!』

 

 拙いぞ、このままでは戦車が雪崩に呑み込まれてしまう!!

 

 幸い、右側はほんの少しだけ登り道になっているけど、高くなっているおかげで雪崩に巻き込まれる心配はない。巻き込まれる前にそこまで登り切れるかは不明だが、全速力で向かえばギリギリそこまで逃げ切れる可能性はある。

 

 チャレンジャー2の巨体が右側を向き、登り道へと向かって全力疾走を開始する。俺は左側から迫ってくる雪崩をちらちらと確認しながら息を呑むが………間に合うのか!?

 

 キャタピラが斜面を踏みつけ、チャレンジャー2の車体がその斜面を登り始める。このまま登り続けられればあの雪崩からは逃げ切れそうだ………!

 

 そう思いながら息を吐いたその時だった。ぐんぐんと斜面を進んでいたチャレンジャー2の左側面の後部に、ついに雪崩が到達してしまったのである。

 

 純白の飛沫が飛び散り、がっしりとしたイギリス製主力戦車(MBT)の巨体が大きく揺れる。その飛沫はやがて段々と濁流へと成長していき、チャレンジャー2を引きずり込もうとする。もしかしたら戦車もろとも雪崩の餌食になってしまうのではないかと危惧した俺だったけど、チャレンジャー2が秘めていたパワーは予想以上で、雪崩の勢いをものともせずに斜面をどんどん上り続けている。

 

「よし――――――」

 

 逃げ切れると確信した、次の瞬間だった。

 

 雪崩の勢いがいきなり強くなり――――――左側から、俺に向かって飛び込んできたのである。

 

 辛うじて砲塔の縁に掴まっていたんだが、逃げ切れるだろうと確信していたせいで力が緩んでいたため、その雪崩の不意打ちに耐えることは出来なかった。

 

 左手から冷たい装甲の感触が消え失せたと思った瞬間には、もう目の前が真っ白になっていて―――――全身を、冷たい雪の濁流が包み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、応答して。………タクヤ?」

 

 斜面を登り切ったという報告をラウラから聞いた私は、胸をなでおろしながら、タンクデサントをしている筈の彼の名前を呼んだ。タクヤが瞬時にこの斜面を見つけ、雪崩からの逃げ道を指示してくれたからこそ逃げ切れたのだから、彼にお礼を言わなければならない。

 

 そう思って彼の名前を呼び続けているんだけど………応答が、ない。

 

 まさか、雪崩に巻き込まれたの………?

 

「嘘でしょ………?」

 

 ぞっとしながら雪まみれのペリスコープを覗き込んでみるけど、砲塔の上に張り付いていたあの蒼い髪の少年の姿は見当たらない。でも、あいつは砲塔の後ろに隠れている筈だからペリスコープで見えないのは当たり前よ。

 

 うん、きっと隠れてるだけ。そう信じながら私は立ち上がり、ハッチを開けて砲塔の上に出る。きっとこの砲塔の後ろに、雪まみれのあいつが隠れてる。そして探しにやってきた私をまた驚かして大笑いするつもりに違いない。

 

 お願い………隠れていて。

 

 いたずら好きの彼がそこにいますようにと信じながら砲塔の影を覗き込んでみるけど―――――――そこにあったのは、装甲にこびりついた雪と、彼が数分前まで使っていた紅茶入りの水筒だけだった。

 

「嘘………」

 

 砲塔の後ろに――――――タクヤはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 タクヤのやまびこ

 

ラウラ「やっほーいっ!!」

 

やまびこ『やっほーいっ!!』

 

ラウラ「きゃははっ、凄いよタクヤ! タクヤもやってみてよ!!」

 

タクヤ「はははっ、分かったよ。………やっほーいっ!!」

 

やまびこ『――――――すっほーいっ!!』

 

タクヤ&ラウラ「!?」

 

 完

 

 

 

 




※ミグはロシアの航空機を製造しているメーカーです。
※スホーイもロシアの航空機を製造しているメーカーです。


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蒼い髪の拾い物

 

「寒っ………」

 

 装填手用のハッチから顔を出した瞬間、日本の冬とは比べ物にならないほど冷たい風が俺を出迎えた。吐き出した息は一瞬で真っ白になり、雪を孕んだ風の中に消えていく。

 

 防寒着をちゃんと着たつもりなんだが、もっと厚着にするべきだろうかと本気で検討してしまうほどの寒さである。今すぐに顔を戦車の中に引っ込めて、坊や(ブービ)の奴が淹れてくれるブラックコーヒーにでもありつきたいところだけど、やはり周囲の索敵はしっかりやらなければならない。ただでさえ随伴歩兵が1人もいないのだから、戦闘時以外は暇になる装填手の俺が索敵をしなければ。

 

 頭にかぶっているヘルメットにマウントした暗視スコープのPSV-14を目の前に展開し、レンズを覗き込む。事前にザウンバルク平原の外れにある村で気象情報を仕入れていたから数日前に大規模なブリザードがあったという事は知っていたんだが、この天気がこの山脈にとってのいつもの光景なんだろうか。

 

 とりあえず、肉眼では戦車のすぐ近くまでしか見えない。それ以外は降り注ぐ雪のせいで真っ白になっており、仮に遠くに何かがあったとしても、雪のせいで辛うじて輪郭が見える程度でしかない。こんな状況で凶暴な魔物に襲われたら、まさにジ・エンドである。

 

「ケーター、どう?」

 

「何もいない」

 

 車内から聞こえてきたのは、俺の彼女の声だった。

 

「それはよかったわ。ほら、早く車内に戻って」

 

「はいはい」

 

 クランの家系は、第二次世界大戦の頃から戦車兵として活躍している軍人ばかりである。彼女の父は現役のドイツ連邦軍の戦車兵で、レオパルト2A6に乗る優秀な車長だという。祖父もレオパルト1に乗っていた車長らしいのだが、一番凄まじい活躍をしたのは彼女の曽祖父だろう。

 

 ソ連軍との戦いとなったスターリングラード攻防戦から純白のティーガーⅠで参加し、その後も撤退を繰り返す中で数多の戦車を撃破しながらベルリン攻防戦を生き残り、連合軍の兵士たちからは『ホワイトタイガー』と呼ばれるほどの実力者だったという。

 

 そんな戦車兵の一家に生まれた彼女が、兵器を自由に生み出せるこの不思議な端末を手にしてから真っ先に戦車を作りたがったのは、彼女の実家であるルーデンシュタイン家の遺伝子なのだろうか。しかも新型の主力戦車(MBT)をわざわざ第二次世界大戦中の古めかしい戦車のように改造しているのは、曽祖父を意識しているのだろう。

 

「ううっ、結構寒いわね………」

 

「まあ、この異世界で一番寒い場所らしいからな」

 

 このシベリスブルク山脈は、異世界で最も寒い場所であると言われている。外周部でも-20℃になるのだが、ブリザードの防壁の内側の最低気温は、前世の世界では考えられない-102.8℃になるという。南極や北極を上回る極寒の山脈だ。

 

 だからこそ防寒着をしっかり身に着け、戦車でも走破できそうな緩い斜面の多い外周部を選んだ。ここの調査にも挑んでみようと思ったんだが、さすがに中心部の-102.8℃に挑むのは自殺行為なので、外周部を調査して報酬を貰うことにしていたのだ。

 

 ちなみにこの山脈は、あまりにも危険すぎるために調査する冒険者が殆どおらず、王都から麓にあるスオミの里まで鉄道を走らせるという計画も頓挫している。まあ、それはスオミの里に住む人々がオルトバルカ人の介入に猛反発したという理由もあるらしい。

 

 俺たちが上ってきたのはスオミの里の南西部からであるため、里を通過したわけではない。オルトバルカ人だと勘違いされて攻撃されたら困るし、アイテムや食材の補給も必要がなかったので、安全のためにも素通りしてきたのである。

 

「ねえねえ、今夜のメニューは何かな?」

 

「ん? 今夜はクランの大好きなアイントプフだぞ」

 

「えっ、本当!?」

 

「ああ。ちゃんと食材もそろえてある」

 

「やったぁ♪」

 

 異世界に転生してきてからも、彼女のためにドイツ料理を作ってあげると喜んでくれるので、定期的に食材を買いそろえてはドイツ料理を作って仲間たちに振る舞うようにしている。

 

 やっぱり故郷の料理は食べたくなるよな。俺も日本食が食べたくなる時がるし、彼女の気分はよく分かる。

 

 とりあえず索敵は終わったので、そろそろ俺も戦車の中で暖まろうかと思いつつ車内へと引っ込もうとしたその時だった。

 

 俺たちの乗るレオパルト2A4には、雪への対策のためにドーザーブレードを搭載しているんだが、そのドーザーブレードの方から、ゴツン、と何かが当たったような音が聞こえてきたのである。

 

「ん? 何かぶつかったぞ?」

 

「倒木じゃないの?」

 

「いや、何だか金属音っぽかった。木村、停車してくれ。見てくるから」

 

「マジかよ? 魔物だったらどうするんだ?」

 

「だから調べるんだろうが。いいから止めろって」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 いや、確かに硬い外殻を持つ魔物が激突すればあんな感じの金属音みたいな音が聞こえてくるかもしれない。でも、さっき暗視スコープで確認した時は何も見えなかったし、魔物と激突したんだったらその魔物は雪の中から俺たちを狙っていた狡猾な奴らか、たまたま俺たちの通り道で眠っていた大間抜けのどちらかである。

 

 こんな危険地帯に生息しているのだから、大間抜けなわけがない。そんな阿呆はとっくに捕食されている筈である。

 

 装填手の座席の近くに立てかけてあったグレネードランチャー装備のG3A4を拾い上げた俺は、レオパルトが停車したのを確認してから砲塔から抜け出すと、複合装甲で覆われた車体の上から飛び降り、息を呑んでからG3を構えた。

 

 本当に魔物なのか? それとも、ただの倒木か?

 

 魔物だったらすぐに撃ち殺してやろう。雪の中で眠っていただけだと言い訳されても関係ない。ああ、知った事か。すぐにトリガーを引いて顔面を粉々にしてやる………。

 

 暗視スコープを覗き込みながら銃口を雪の中へと向けつつ、戦車の車体の前方に鎮座するドーザーブレードの正面へと回り込む。雪をかき分け続けていたドーザーブレードの正面は最早ちょっとした雪山のようになっているから、今しがたぶつかった間抜けはこの中に埋まっているという事になる。

 

 グレネードランチャーからそっと手を離し、雪の中を探る。水分を含んで少々硬くなった雪が指に絡み付き、俺の指をどんどん湿らせていく。

 

 魔物だったら洒落にならない。ちらりと砲塔の上を見てみると、どうやら車長であるクランは俺の事を心配してくれているらしく、フォアグリップとチューブ型のドットサイトを装備したMP5A5を構えながら、照準を雪の中へと合わせている。

 

 MP5はドイツ製の有名なSMG(サブマシンガン)である。少々華奢な部分があるものの、他国のSMG(サブマシンガン)と比べると圧倒的に命中精度に優れており、特殊部隊などで採用されているケースが多い。俺の持つアサルトライフルのG3をベースにしているという変わったSMG(サブマシンガン)である。ちょっとばかりコストが高い点が欠点と言えるが、性能は極めて優秀だし汎用性も高い事から、クランはMP5A5を使用し、火炎放射器をメインアームとする変態の木村は小型化したMP5Kと呼ばれるモデルを使用している。

 

 優秀なSMG(サブマシンガン)だが、使用する弾薬はハンドガン用の弾薬である9mm弾であるため、魔物を相手にする場合は少々威力不足となる事が多い。堅牢な外殻を貫通するためには7.62mm弾クラスの大口径の銃弾でなければ厳しいという事は経験済みであるため、あくまで対人戦用の武器と言える。

 

 彼女に向かって頷いてから、俺は思い切り雪の塊の中に左腕を突っ込んでみた。これで中に潜んでいる魔物に噛みつかれ、片手を失う羽目になったらクランは大泣きするだろうなと思いつつ雪の中を探る。

 

 すると――――――雪の中を探っていた俺の手に、何かが当たった。

 

 これは何だ? コートか? やけに水分を含んでいるが、おそらくは防寒着だろう。魔物や動物の毛皮とは思えない。そのまま探り続けてみると、そのコートの中から人間と同じ形状の手が生えていることが分かった。そのまま付け根と思われる方向へと手を伸ばしてみると、肩や胸板と思われる部分もある。

 

 間違いない。魔物ではなく、人間だ。

 

「魔物じゃないぞ。人だ」

 

「遭難者?」

 

「分からん」

 

 遭難した冒険者か? 凍死していてもおかしくないけど、皮膚は痩せ細っていたわけではなさそうだし、もしかすると死んで間もないだけかもしれないし、まだ生きているかもしれない。

 

 死んでいるなら埋葬してあげたいし、生きているならば助けてあげたい。そう思った俺は無線機のスイッチを入れると、砲塔の中にいる坊や(ブービ)に「おい、手を貸せ」と言い、銃を肩に掛けてから車体の横へと向かった。

 

 万が一に備えて塹壕を作ったりできるように、戦車の両サイドには軍用のスコップを備え付けてあるのである。両サイドからそれを持ってきた俺は、ちょうど砲塔から姿を現した小柄な坊や(ブービ)に片方を渡すと、2人で雪の塊の中を掘り始めた。

 

 埋まっている遭難者を突き刺さないように気を付けながら、スコップの先端部を雪の塊に突き立てる。何だか寮の雪かきをやってた頃を思い出すな。

 

 それにしても、こんな外周部で遭難したんだろうか? 運悪く数日前のブリザードに襲われたのか?

 

 考えながらスコップで雪を掘り続けていると、やがてその埋まっていた遭難者の手が見え始めてきた。スコップを傍らに突き立ててその手を引っ張りつつ、周囲の雪を手で退けていく。

 

 やけに細い手だな。女性か?

 

「ふんっ! ………わお」

 

 細い手を引っ張るとその埋まっていた遭難者はあっさりと雪の中から姿を現した。引っ張り出される最中にかぶっていたフードが外れ、湿った蒼い髪とその白い肌があらわになる。

 

 雪の中に埋まっていたのは、蒼い髪を黒い髪留めで結んだポニーテールの美少女だったのである。年齢は俺たちと同い年くらいだろうか。一見すると凛とした雰囲気を放っていそうな気の強そうな少女だが、同じく気の強いクランは堅苦しさを感じさせないタイプの気の強さであるのに対し、この少女はどこか堅苦しさを感じさせるような、融通の利かないタイプの気の強さを纏っているような気がする。

 

 手足はすらりとしているけど、ただの少女ではなく、どこかで訓練を受けたのか鍛え上げられているという事は分かる。しかしその鍛えたという痕跡が主張することなく、このすらりとした身体の中に納まっているのは驚きだ。

 

 堅苦しさを感じさせる雰囲気だけど、だからこそその美貌が引き締まっているように思えるのだろうか………。

 

「女の子だ………。クラン、雪の中に女の子が埋まってた」

 

「脈は?」

 

「………ある。生きてるぞ、この子」

 

「おいケーター、これ………」

 

「何だ?」

 

 彼女の脈を確認していると、彼女に惚れてしまったのか、顔を赤くしていた童顔の坊や(ブービ)が彼女のコートへと手を伸ばした。まさか脱がせるつもりなんじゃないだろうなと思いつつその手の行き先を見守っていると、彼が掴んだのは彼女のコートではなく、その腰についているホルスターらしき物体だった。

 

 漆黒のホルスターの中には――――――同じく、漆黒の銃が収まっている。

 

「銃を持ってるぞ、この子」

 

「銃だって?」

 

 ということは、転生者か? だが、それにしては容姿が日本人とは思えないし、ヨーロッパ出身の転生者にも見えない。明らかにこの異世界の住人であるという事は一目瞭然だ。

 

 では、なぜ銃を持っているのか? この子が転生者だというならば納得できるけど、その可能性はかなり低いだろう。考えられるのは仲間に転生者がいて、その転生者から武器を分けてもらっているというパターンだけど、今まで遭遇した転生者は自分の力を仲間に分け与えるというよりも、その力を独占して他人を虐げるパターンが多かったため、その可能性も現実味はあるけど可能性は低い。

 

「すごいな、AK47を持ってるぞ」

 

「いや、よく見ろ。こいつはAN-94だ」

 

「ん? ああ、そうか。………背中に背負ってるのはなんだ? スナイパーライフルか?」

 

 いや、これはアンチマテリアルライフルだな。ロシアのOSV-96か。確かに雪山には適した武器と言える。こいつを支給した転生者はかなり仲間想いだったに違いない。

 

「ロシアのOSV-96だな。12.7mm弾を使うアンチマテリアルライフルだが………やけに銃身が太いな。カスタムでもしてあるのか?」

 

「ケーターって詳しいな」

 

「まあな。一番好きなのはドイツ系だけど」

 

 クランにドイツ系の兵器をおすすめされたのが原因なんだけどね。おかげで今はもうG3A4が俺の相棒だ。

 

「ハンドガンも持ってるな。銃剣付きということは………チェコ製か。Cz75だな」

 

 結構白兵戦を重視しているんだな。パーティーでは前衛だったんだろうか?

 

 それにしても、結構重装備だな。アンチマテリアルライフルだけでも重装備だというのに、グレネードランチャー付きのアサルトライフルにハンドガンを2丁か。それ以外にもやけにでかいトレンチナイフらしきナイフを2本持ってるし、折り畳み式のスコップまで装備している。

 

「綺麗な女の子だ………」

 

「何だ? 惚れたのか?」

 

「しょ、正直に言うと好みのタイプかも………」

 

「ふん、童貞坊やめ」

 

「ど、童貞坊やぁ!?」

 

 とりあえず、彼女を戦車の中に連れて行こう。目を覚ましたら事情を聞いて、最寄りの街にでも送り届けるか、仲間の所に連れて行ってあげなければならない。

 

 この坊や(ブービ)が手を出さないように見張っておかないといけないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歯車の回る金属音が、その暗闇の中を漂っていた。

 

 何度も反響を繰り返して消えていく耳障りな金属音。それが、はるか昔に造られた『ホワイト・クロック』と呼ばれる時計塔の鼓動なのだろう。

 

 吸血鬼の王と呼ばれるレリエル・クロフォードが世界を支配した時代から鎮座し続けるその時計塔は、今から21年前にその帝都で勃発したモリガンという傭兵ギルドとレリエルの戦いによって倒壊し、それ以降はヴリシア帝国の住民たちによって復元され、前までのように帝都の中心に鎮座している。

 

 耳障りな場所だが、彼はそこがお気に入りだった。

 

 日の光は入って来ないし、昼間だろうと夜だろうと適度な暗さだ。この歯車が止まって静かになってくれれば、その時計塔の中は彼にとって理想の隠れ家になるに違いない。

 

「ユーリィ」

 

「………なんだ、ヴィクトルおじさんしゃないですか」

 

 そこを根城にするユーリィは、自分よりも遥かに古参の吸血鬼に名を呼ばれても、相変わらず馬鹿にしているかのように返事をするだけだった。古参のヴィクトルからすれば生意気な若者でしかないユーリィだが、彼の戦闘力は吸血鬼の残存兵力の中でも高いし、ただでさえ同胞の数が減っているのだから迂闊に粛清することもできない。

 

 それに、生意気だからという理由だけで手にかければ、彼の主君が黙っていないだろう。

 

「鍵は?」

 

「カーミラ様が手に入れた」

 

 メサイアの天秤を手に入れるためには、天秤が保管されている場所の扉を開けるための3つの鍵が必要になる。そのうちの1つは海底神殿に保管され、2つ目は倭国の九稜城の天守閣に保管された。今ではその両方が、吸血鬼たちの怨敵であるリキヤ・ハヤカワの息子が持っているという。

 

 しかし最後の1つは――――――もう、彼らの主君が手に入れた。これであの魔王の息子たちが時計塔にやって来ても、地下にある宝箱の中は文字通りもぬけの殻。そして鍵を欲する彼らは、必然的に吸血鬼たちにおびき出されることになる。

 

「ユーリィ、あのガキ共にリベンジしたいとは思わんか?」

 

「なに?」

 

「メウンサルバ遺跡では無様にやられたそうではないか」

 

「黙れよジジイ」

 

 メウンサルバ遺跡で、リキヤの息子たちを襲撃したのはこのユーリィである。しかし彼はタクヤやラウラたちを完全に見下していたため、隙をつかれて何度もやられた挙句、鍵の場所が保管された資料を奪われて逃げられるという醜態を晒しているのである。

 

 プライドの高い吸血鬼が、汚名返上の機会を与えられれば確実に乗る。案の定ユーリィはヴィクトルの目論見通りに、その汚名返上のチャンスを欲していた。

 

 ヴィクトルはユーリィを嘲笑いながら言った。

 

「奴らは、シベリスブルク山脈を越えてこちらに向かおうとしているらしい。そのままおびき出すのも面白いが………カーミラ様は鍵を欲していらっしゃる。我らの王の復活のために」

 

「で?」

 

「奴らを襲撃し、鍵を奪って来い。そしてタクヤ・ハヤカワかラウラ・ハヤカワのどちらかを生け捕りにして連れてくるのだ」

 

「生け捕り? 何でだよ? とっとと血を吸って殺した方が良いじゃねえか」

 

「たわけ。子供を生かしておけば、魔王は必ず取り戻すためにやってくるだろう? そこで奴を殺し、レリエル様の仇を討つのだ。鍵はそろう上に怨敵も消せる。良い策ではないか」

 

「………ああ、悪くない」

 

 我が子が生け捕りにされれば、あの男は必ず取り戻すためにやってくる。つまり生け捕りにする理由は、子供を餌にするためだ。我が子を連れ戻すために攻め込んできた魔王を消せば、厄介な男が消えることで世界征服も難易度が下がるし、主君の仇もとれる。

 

 だが、ユーリィにとって魅力的な話なのは、あの遺跡の地下で自分をボコボコにした少年と戦えるという部分までだった。21年前に殺された吸血鬼の王と、その吸血鬼の王を殺した魔王の話は、彼にとってはどうでもよかったのである。

 

 子供にやられたという汚名を、あの雪山で消す。

 

 それがユーリィにとっての、魅力的な話だった。

 

 

 



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転生者の子供

 

「やだ………やだぁ………タクヤぁ……………うぅ……」

 

「泣かないでくださいな、お姉様。お兄様はきっと生きていますわ」

 

 雪崩でタクヤを失ったチャレンジャー2の車内には、腹違いの弟を案じる姉の嗚咽が漂い続けていた。幼少の頃から常に一緒にいたラウラにとって、腹違いとはいえ隣にいつもいてくれた彼の存在は最早自分の身体の一部と言えるほど大きく、彼が傍らから離れるだけで涙を流してしまう事など珍しくなかったのである。それゆえに彼女の感じている不安は、家族という事もあって他のメンバーよりも大きい。

 

 その腹違いの弟が雪崩に巻き込まれてから、そろそろ1時間が経過する。幸い彼が雪崩で脱落する前に雪道への対策としてドーザーブレードを搭載してあったチャレンジャー2であるが、迂闊に動けば逆にタクヤから遠ざかる可能性もある上、視界も悪いため迂闊に探しに行くこともできず、立ち往生している状態であった。

 

 操縦士の座席で涙を流すラウラを慰めるカノンの声を聞きながら、ナタリアはじっとペリスコープを覗き込み、忌々しい雪を睨みつけていた。

 

 幸い、装備は整っている。暗視スコープも装備してあるためこの雪の中でも索敵や捜索には困らないだろう。しかし、問題はその能力を生み出せる人物が脱落してしまったという事だ。

 

 彼がいたからこそ、戦闘中でも臨機応変に武器を切り替える事ができていたのである。しかし今はその彼がおらず、装備は整っていても臨機応変に対応することが不可能になっており、万が一想定外の戦闘になれば不利になるのは火を見るよりも明らかであった。

 

(探すべきポイントはさっきの雪崩の下流………でも、どこまで流されたのか分からない………)

 

 ふと、ナタリアは座席の脇にあるモニターをちらりと見た。モニターには戦車の状態が表示されているのだが、現時点でそれらの中で最も気を付けるべきなのはエンジンの状態や損傷の状態ではなく、燃料の残量である。

 

 タクヤの能力で兵器を生産して運用する場合、元々は彼が装備を解除して12時間放置し続ければ、勝手に燃料は補給され、弾薬も補充され、あらゆる損傷も修復された状態で再び運用する事ができる。そのため整備のための設備は必要ないし、整備士も不要となっていた。更に現在では彼の装備したスキルのおかげで、彼が装備を解除していない状態で12時間放置しても同様に修復と補給が住んでしまうため、より運用しやすくなっている。

 

 しかし――――――その12時間のインターバルが、刻一刻と近付いているのが問題だった。

 

(拙いわね………燃料の残量は、あと3分の2………。ギリギリ山脈を越えられるくらいしか残ってない………!)

 

 だからといって、仲間を見殺しにするわけにはいかない。あの燃え盛るネイリンゲンの街で救われた彼女だからこそ、たった1人で死にかける怖さはよく理解している。その命の恩人の息子が、今度は極寒の真っ只中で死にかけているのだ。

 

「ラウラ、しっかりしなさい。タクヤは生きてるわ」

 

「だ、だって………こんな寒い山の中に放り出されちゃったんだよ!?」

 

「安心しなさい。もし仮に彼が死んでいたのなら、この戦車や銃も消えてる筈でしょう?」

 

 転生者の能力で生み出された能力や武器は、その持ち主が死亡すれば消滅する仕組みになっている。タクヤの場合は他の転生者と少々仕組みが違うが、一般的な転生者は死亡すると同時に端末も機能を停止するようになっているため、その方式の転生者の息子である彼の能力もおそらく法則は同じになっている筈である。実証するわけにはいかないため仮説を立てるしかないが、なかなか説得力のある仮説だ。

 

 そう、もし彼が死んでいる筈ならばこのチャレンジャー2も消滅し、彼女たちは4人とも雪の中に放り出されている筈なのだ。チャレンジャー2が消滅していないという事は、少なくともタクヤはまだ生きているという事である。

 

 彼が生み出した装備は強力な武器であると同時に、彼の安否を知らせてくれるようになっているのだ。

 

「だから、彼はまだ生きてるわ。燃料がちょっと心配だけど、彼に2両目の戦車を作ってもらうか………頑張って徒歩で越えるしかないわね。ほら、あのバカを探しに行くわよ」

 

「う、うんっ」

 

 タクヤが生きているという事を知って安心したのか、まるで泣き止む子供のように両手で涙を拭い去るラウラ。この中で見た目は一番大人びているラウラだが、正確は最も幼いというアンバランスな彼女の仕草はなかなか愛くるしい。

 

 どきりとしてしまったナタリアは、仲間たちに悟られないようにペリスコープを覗き込みつつ軍帽をかぶり直すふりをすると、ラウラに「タクヤの捜索を続行するわよ」と指示を出した。

 

「ナタリア」

 

「な、何かしら?」

 

「たった今のラウラは結構可愛かったです」

 

 同意したいところだが、同意するわけにはいかないと思ったナタリアは、「そ、そうね………」と誤魔化すと、顔を赤くしながら再びペリスコープを覗き込む。

 

(タクヤの奴がシスコンになるわけね………)

 

 もし自分が男で、あのように性格の幼い姉がいたのならば、きっとナタリアもシスコンになっている事だろう。性格の幼い姉の世話をしているうちに、いつの間にかシスコンになってしまうに違いない。

 

 そう、まさにタクヤの二の舞である。

 

 だからこそ、早くその片割れを見つけなければ。

 

 ラウラの隣にいるのにふさわしいのは――――――その片割れしかいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体中を包み込んでいた冷たさは、いつの間にか消え失せていた。湿った冷たさと別れる事ができたのは喜ばしい事だが、ここはどこだろうか。

 

 そういえば、俺は何をしていたんだ? 確か………仲間たちと戦車に乗っていた筈だ。相変わらず俺が1人だけでタンクデサントしながら周囲の索敵を定期的に実施していた最中に雪崩が起きて………ああ、そうだ。俺はその雪崩の中に転落しちまったんだ。そしてそのまま雪の中に埋まっている筈だった。

 

 背中や腰に当たっている物体は、もう明らかに雪ではない。全く冷たくないから氷でもないだろう。これは何だ? もしかして、仲間が助けてくれたのか?

 

 そっと瞼を開けてみると――――――見慣れない少女の後姿が見えた。

 

 迷彩服に身を包んだ金髪の少女。俺は彼女が一瞬だけナタリアに見えたけど、ナタリアの髪型はいつもツインテールだし、何だか雰囲気が違う。それに服装はいつもテンプル騎士団の制服姿で、迷彩服を着ることはない。

 

 あの少女は誰だ? なんとなく雰囲気がナタリアに似ているけど、別人だろう。

 

「お、気付いたか」

 

 今度は男の声が聞こえてくる。小さく頭を振りながらそちらを振り向いてみると、俺から見て右側にある座席に腰を下ろしていた黒髪の少年が、俺を見下ろしていた。彼も同じく迷彩服姿で、頭には同じく迷彩模様のヘルメットをかぶっている。彼の座る座席の傍らには形成炸薬(HEAT)弾と思われる砲弾が何発か鎮座していることから、ここは戦車か自走砲の内部なんだろうという事を理解した俺は、身体を静かに起こしながら周囲を見渡した。

 

 やはり、俺がいるのは戦車の内部らしい。あの少年は装填手で、ナタリアに雰囲気が似ている少女は車長なんだろうか。

 

 車内に積み込まれているのは、どうやら砲弾だけではないらしい。戦車が行動不能になった際に備えてMP5Kが3丁ほど内壁のケースの中に備え付けられているのが見えるし、ずらりと並ぶ砲弾の箱に紛れて関係なさそうな木箱も置いてある。蓋の開いている木箱の中から覗くのはジャガイモやニンジンだ。

 

 こいつらは何者だ………? 戦車に乗っているという事は、転生者か?

 

 くそったれ、俺は転生者に拾われちまったのか!

 

 慌てて腰のホルスターへと手を伸ばそうとしたが………グリップがある筈の場所には、何もなかった。

 

「!?」

 

「おっと、悪いが武器はそっちだ」

 

 装填手と思われる男が、砲塔の隅にある木箱の中を指差す。そちらを見てみると、木箱の中から見覚えのある銃身が突き出ているのが見て取れた。さすがにアンチマテリアルライフルは木箱に入らなかったらしく、AN-94の入っている木箱の隣に立て掛けてある。

 

 おそらくCz75もあの木箱の中だろう。くそ、ナイフまで取り上げられている………!

 

 だが、どうやらコートの内ポケットの中に隠し持っていたCz2075RAMIには気付いていなかったらしく、その得物は俺のコートの内ポケットの中に納まったままだった。本格的なボディチェックはしていないようだな。それが命取りだ………。

 

「Guten Tag|(こんにちわ)」

 

 すると、その車長の席に座っていた金髪の少女がくるりと俺の方を振り向いた。ナタリアと同じく気の強そうな雰囲気の少女で、迷彩服姿もなかなか似合っている。俺を見下ろすエメラルドグリーンの瞳は何度も実戦を経験した熟練の兵士のように鋭く、敵なのか分からない人間に向けて浮かべる不敵な笑みは、彼女の余裕と器の大きさを象徴しているかのようだった。

 

 前髪のやや左側には、ドイツの象徴でもある鉄十字を模したヘアピンを付けている。そういえばさっきも俺に向かって何か言っていたよな。グーテンターク………ドイツ語? まさか、この少女が転生者なのか?

 

 彼女に気付かれないように左手をコートの中に突っ込み――――――俺は素早く、最後に残されたCz2075RAMIの小さなグリップを掴むと、まるで早撃ちを披露する西部劇のガンマンのような速度で引き抜き、銃口をその転生者の少女へと向けた。

 

「クランッ!!」

 

 先ほどの装填手の少年が大慌てでハンドガンを引き抜き、砲塔の座席に座る砲手らしき小柄な少年もハンドガンを俺に向けてきたけど、少女は不敵な笑みを浮かべたまま2人に手で合図するだけだった。彼女の腰にもドイツ製のUSPと思われるハンドガンが収まっており、いつでも反撃できるというのに、この金髪の少女は不敵な笑みを止めない。

 

「………素晴らしい速さね。躊躇なく銃を抜き、敵である可能性がある目標に銃を向ける………良い兵士だという証拠よ、誇りなさい」

 

「………」

 

「それに目つきも素晴らしいわ、お嬢さん(フロイライン)。………とにかく、銃を下ろしなさい。私たちは敵じゃないわ」

 

「………何者だ?」

 

「ただの転生者のパーティーよ」

 

 転生者のパーティー………!?

 

 つまり、そこにいる装填手の少年や砲手の少年も転生者って事か!? おそらく操縦士もいるだろうから、全員で4人か………!

 

 転生者は基本的に、他の転生者と手を組むようなことは少ない。自分の地位を脅かしかねない存在だし、基本的に力を悪用するような馬鹿共にとって他の転生者は邪魔な存在なのだ。だから転生者と手を組むケースは少ない。

 

 確かに、小型のハンドガン1丁で倒せるような相手ではない。それに相手のレベルもよく分からん。俺よりもレベルが上だったら弾丸が通用しない可能性もあるし、逃げようとしても戦車の中から飛び出す前に撃ち殺されるのが関の山だ。

 

 くそ、彼らに従うしかないか………。

 

 大人しく銃を下ろし、再びポケットの中に戻す。すると装填手の少年や砲手の少年も銃をホルスターへと戻してくれた。

 

「良い判断ね。………私はクラウディア・ルーデンシュタイン。そこにいるのがケーターで、そっちにいる小柄な子が坊や(ブービ)。あと、奥の方に木村っていう操縦士がいるわ」

 

「おいおい、愛称で紹介すんなよ。せめて本名でだな………」

 

「あら、いいじゃないの。呼びやすい上に親しみやすいでしょ?」

 

「うーん………それで本名を覚えてもらえないっていうのも悲しいぞ?」

 

 うん、確かにそれは悲しい。でもね、仲間にも男だっていう事を忘れられる方がもっと悲しいからな?

 

「それで、あなたの名前は?」

 

「………タクヤ・ハヤカワだ」

 

「「「えっ?」」」

 

 ………ん? 何で3人とも目を丸くしてんの?

 

 あ、あれ………? もしかして、こいつらも俺の事女だと勘違いしてたの………? 

 

「ちょ、ちょっと待って。………ねえ、ケーター。タクヤって日本(ヤーパン)の男の名前よね………?」

 

「あ、ああ。か、可哀そうになぁ。女の子なのに男の子の名前つけられて………」

 

 いや、男だっつーの。

 

 くそ、何で女だって間違えられるんだよ? ポニーテールのせいか? 顔つきのせいか? 髪型だったら頑張れば何とか男っぽい髪型にできるけどさ、顔つきはどうしようもないぞ? これは生まれつき決まってるわけだし………。

 

 何で俺はこんなに母親に似てしまったんだろうか。

 

 相変わらず女だと間違えられることを嘆いていると、走っていた戦車が急に止まった。操縦士の座席の方から誰かが立ち上がるような音が聞こえてきたかと思うと、突然その操縦士が車体の前の方から砲塔の方を覗き込み始める。

 

 おい、ちょっと待て。何だあいつ。

 

 なんか変な奴がこっちを覗き込んでるんですけど。迷彩模様のヘルメットと軍服姿で、しかも真っ黒なガスマスクを装着してるぞ。何だあいつ? 変態か?

 

「どうかしました? あっ、お嬢さん(フロイライン)。気がついたんですね?」

 

 だから男だっつーの!!

 

「き、木村。この子の名前タクヤだって………」

 

 やたらと震えながら、そのガスマスクをかぶった変態に報告する坊や(ブービ)。どうやら俺が男だったという事がかなりショックだったらしい。どうせ俺の事を普通の美少女だと勘違いしてたんだろう。それで口説こうとしてたら男の名前でショックだったということか。

 

「あははははっ、男の名前を付けられてたんですか。それは可哀想に―――――――」

 

「あ、あのさ」

 

「「「「ん?」」」」

 

 もう、暴露しよう。うん、その方が良い。俺が男だという事を暴露しないと、いつまでも俺はお嬢さん扱いだ。

 

「―――――――俺、男なんだ」

 

「………」

 

 あ、坊や(ブービ)が白目になってる………。

 

「う、嘘だろ………?」

 

「そんな美貌なのに男だなんて………」

 

「悪い事は言わないから、女として生きてみたら………?」

 

 いや、それは断る。俺は男だ。ちゃんと息子を搭載している男です。

 

「そ、それよりさ、坊や(ブービ)が白目になってるんだけど………」

 

「え? ………ぶ、坊や(ブービ)ぃぃぃぃぃぃぃぃッ!?」

 

「大変! ケーター、エリクサーを!」

 

「ああ、もう! こいつお前の事が好みって言ってたんだぜ!? 責任取れ!!」

 

「取ってたまるか!!」

 

 男に襲われてたまるか! 俺は男なんだよ!!

 

 というか、さっきまでかなり真面目そうで強そうな雰囲気だったんだけど、俺が男だっていう事が発覚した瞬間に賑やかになったな、こいつら………。

 

 それと、ショックを受けた人にエリクサーって効くの? 精神的なダメージには全く効果がない筈なんだけど………。

 

「ゲホッ、ゲホッ!!」

 

坊や(ブービ)、しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 

「く、くそ………おい、本当にお前男なのかよ!?」

 

「ああ、ちゃんと息子搭載してるぞ!?」

 

「ふざけんな! 明らかに顔つきが女だし、声だって高いじゃん! クランと変わんねえよ!」

 

「でも俺は男だ!」

 

「ち、ちくしょう………!」

 

坊や(ブービ)、旅の途中で素敵な女性ときっと出会えますよ。ですから落ち着いて」

 

「と、トラウマができた………」

 

 トラウマを作っちゃったよ………。ごめん、坊や(ブービ)

 

「ちくしょう………明らかにラノベのヒロインじゃねえかよ………!」

 

 ふ、ふざけんな! 俺がラノベのヒロインってことか!?

 

 だから俺は男だって言ってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

「ところで、タクヤちゃん?」

 

「男ですので君でお願いします」

 

「ああ、うん。タクヤ君」

 

 ありがとう、クランさん。

 

「あなたのファミリーネーム………ハヤカワって、あなたはリキヤ・ハヤカワの関係者?」

 

「………」

 

 やっぱり、彼女は手強いかもしれない。俺は嗤うのを止めると、息を吐いてから彼女の顔を見上げる。

 

 どうやら親父は思った以上に有名だったらしい。まあ、転生者たちの間で転生者ハンターの噂が有名になっているという証拠なんだろう。効率が悪いとはいえ、親父のやり方は効果があったみたいだ。

 

「………息子だよ。俺はあの魔王様の息子さ」

 

「転生者の子供………!?」

 

 転生者に子供がいるというのは、珍しい話ではない。しかしその子供たちがちゃんと結婚して家族となった両親の間に生まれた子供かという事になると、一般的な意味での〝子供”の数は少ない。おそらく俺とラウラやノエルくらいだろう。

 

 第一、家庭を作る転生者が少ない。大概は好き勝手に人々を虐げ、購入してきた奴隷と〝うっかり”子供を作ってしまうケースだ。

 

 だから俺たちみたいな子供は、基本的にあまり前例がないという事になる。

 

「というか、親父を知ってるのか?」

 

「ええ。転生者なら大体知ってるわ。………最強の傭兵ギルドの長で、数多の転生者を殺してきた転生者(私たち)の天敵。………転生者ハンターなんでしょ? あなたのお父さんは」

 

「………ああ」

 

 だからこそ、あの親父は最強の転生者と呼ばれる。今のあいつの〝魔王”という称号には、転生者から恐れられている存在という別の意味もあるに違いない。

 

 良かったな、親父。あんたの戦いにはちゃんと意味があったよ―――――――。

 

 

 

 



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怨念と雪山

 

 極寒のシベリスブルク山脈は、人間たちにとっては開拓が難しい場所であり、流刑地でもあるという。数多の冒険者がこの山脈に挑んで魔物に食い殺され、過酷な環境の中で次々に遭難した挙句凍死していったこの山脈に眠るのは、冒険者だけではない。王国を追放された罪人たちも、共にこの山に眠っている。

 

 だからこそ、この山には怨念がある。仲間に見捨てられて魔物の餌食になった冒険者の無念や、濡れ衣を着せられてここに送られ、王国に戻ることなく凍え死んだ罪人の憎しみ。それらがブリザードの中で荒れ狂い、ここにやってきた生者を飲み込もうとしているかのようだ。

 

 それゆえにこのような場所では、戦いやすい。闇属性の魔術を得意とする吸血鬼たちの独壇場と言ってもいい。だからユーリィからすれば、こちらが罠を張っている場所に獲物がまんまとやって来てくれたかのような状態であった。

 

 静かに手袋を外し、真っ白な右手を雪の中に晒す。常軌を逸した寒さが一瞬で彼の片手を包み込むが、ある魔術を使うために魔力の圧縮に集中していた彼にとっては、全く関係がなかった。麻酔薬を投与され、痛みを全く感じない状況で手術を受けているようなものである。

 

 魔力の圧縮は高度な技術の1つである。体内の魔力を圧縮することで次に使用する魔術の威力を底上げする事ができるのだが、圧縮する際は詠唱中のように無防備になるほか、圧縮の手順を間違えれば魔力が際限なく圧縮を始め、やがて限界点に達して爆裂してしまう。例えるならば、安全ピンを抜いた手榴弾を飲み込んでしまうようなものだ。自分ではなかなか取り出す事が出来ず、それが爆発するまで待つしかない。それゆえにかなりの集中力が必要となる。

 

 その集中力が、一時的にユーリィを寒さから守っていた。

 

 余談だが、熟練の魔術師はこの圧縮を詠唱する寸前に一瞬で行ってから魔術を発動する。ラウラの母にあたるエリスもこの圧縮を得意としていた1人であったという。

 

「さあ、出てこい………使い魔共」

 

 ユーリィは圧縮された魔術を右手に集中させると、その右手を足元の雪の中へと突き入れた。彼が圧縮していた魔力は、吸血鬼たちが最も得意とする属性である闇属性である。しかし、吸血鬼たちの闇属性の魔力は人間の魔力と比べると、より純粋だと言われている。

 

 そんな純粋な闇属性の魔力を圧縮すれば―――――――どす黒い魔力の塊に惹かれた怨念たちが、まるで樹液にありつこうとする昆虫の群れのように集まってくるのだ。

 

 案の定、1分足らずで凄まじい数の怨念がユーリィの周囲に集まってきた。この流刑地へと送られて命を落とした者や、ここで魔物に食い殺された冒険者。それだけではなく、山脈の向こう側へと商売に行く途中で遭難し、凍え死んだ商人の魂もある。

 

「ああ………いいね、美しい怨嗟だ」

 

 無念や怨念を込めた、死者たちの絶叫。その真っ只中でユーリィはにやりと笑っていた。

 

 どんな音楽よりも、彼はこういった死者の絶叫を聞くのが大好きだった。有名な楽団が奏でる美しい音楽よりも、こちらの禍々しい叫びに酔いしれてしまう。彼らの叫びに込められた恨みがどれほど痛烈なのか。そしてその魂たちを解き放ってやればどうなるのか。それを想像すれば、小説やマンガの続きを予想する時のようにドキドキする。

 

「………お前ら、そんなに憎いのか?」

 

 返事をする魂は1つもない。彼らに聞こえていないのか、それとも返事をする余裕がないほど怒り狂っているのだろう。別に返事がなくてもユーリィにとって支障はない。彼らに仕事を手伝ってもらえればそれでいいのだ。

 

「なら、一緒に戦え。―――――――俺の使い魔としてな」

 

 圧縮した魔力を流し込んだ右腕に、唐突に紫色のラインが浮かび上がる。やがてそのラインは他のラインと結びつき始め、まるでロシアのキリル文字のような模様を形成し始めた。更にその文字の周囲を複雑な記号が取り囲み始め、ユーリィの右腕が闇属性の魔力を放出し始める。

 

 彼の魔力に惹かれて集まってきた魂たちは、今度はユーリィの右手に取りつこうとし始めたが――――――その魔力に惹かれた時点で、魂たちは変異を始めていた。

 

 魂たちの絶叫が、獣の雄叫びにも似た野太い咆哮に変わる。ユーリィの周囲に集まっていた魂たちがどんどん膨れ上がり、肥大化していく。

 

(ああ………これでいい)

 

 実体化し、まるで獣のような姿に変異していく魂たちを見上げながら、ユーリィは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………寒っ」

 

 クランたちの操るレオパルト2A4の砲塔の上でくしゃみをしながら、支給してもらった暖かいブラックコーヒーを口の中へと放り込む。最初は熱々だったコーヒーは既に冷たい風のせいで冷却されていて、もう少しで温かさはぬるま湯くらいになってしまう事だろう。あと数分でアイスコーヒーが出来上がってしまうに違いない。

 

 装填手用のハッチの上に搭載されているMG3のグリップを握りながら、俺は水筒を腰にぶら下げると、借りた暗視スコープでもう一度戦車の周囲を見渡す。

 

 あれ? チャレンジャー2でもタンクデサントやってなかったっけ?

 

 おかしいな。ドイツの戦車に来ても全然待遇が変わってないよ………?

 

 まあ、拾ってもらったんだし、彼らは命の恩人だ。贅沢を言うわけにはいかないし、こういう過酷な役割を担当することで恩返しができるなら俺はやるけどさ、なんというか前と待遇が全く変わってないぞ。何で仲間たちの戦車でもこっちの戦車でも極寒の中でタンクデサントなの? 俺は永遠にタンクデサントやらないといけないの?

 

 俺も砲手とか装填手やってみたいんですけど。

 

 俺を拾ってくれたクランたちも、目的は俺たちと同じく山脈の反対側へと向かう事だったらしい。俺が雪崩で流されたのは山脈の南西部らしく、チャレンジャー2とはぐれてしまった地点から見れば反対側になる。このまま山を登り続けていれば合流できる可能性があるため、それまで彼らと共に行動する事になった。

 

 震えてからもう一度ぬるま湯と化したブラックコーヒーを口に含んでいると、いきなり尻尾の先端部がムズムズし始めた。びくりとしながら水筒を腰に戻し、装填手用のハッチから車内を覗き込む。

 

「きゃははっ、凄いわこの尻尾! 本物のドラゴン(ドラッヘ)みたい!」

 

「あのさ、いきなり触るなよ。びっくりするじゃないか」

 

「あら、ごめんなさい。尻尾もぶるぶる震えてたから温めてあげようと思ったの」

 

 俺はオスのキメラだから、尻尾はオスのサラマンダーと同じく堅牢な外殻で覆われている。先端部は槍の先端部のように鋭くなっていて、圧縮した魔力を噴射するための小さな穴がついている。そのため、この尻尾を標的に突き刺した状態で魔力を放出すれば、俺の尻尾は擬似的なワスプナイフとして機能するというわけだ。

 

 外殻で覆われていると言っても、触られている感触を全く感じないというわけではない。尻尾を触られる感触は肌を誰かに触られる感触と全く変わらないんだ。

 

「それにしても、片足を失った転生者が義足の移植で変異を起こしたのか……興味深い話だ」

 

 俺の尻尾を弄るクランを見守りながら、装填手のケーターが呟いた。どうやらこのパーティーの中で一番まともなのは彼だけらしい。俺たちのパーティーで言えばナタリアみたいな感じだろうか。

 

 どうやら俺から銃を取り上げる際に軽くボディチェックをしていたらしく、その際に尻尾と角が生えているという事はばれていたようだ。それを隠すわけにはいかなかったし、本当の事を話せば信用してもらえるだろうと思ったので、クランたちには俺が人間ではなくキメラであるという事を教えてある。

 

 ラウラと俺がキメラとして生まれる原因となったのは、親父であるリキヤ・ハヤカワが片足を失う羽目になった21年前のネイリンゲン防衛戦だという。

 

 俺の母であるエミリア・ハヤカワは元々ラトーニウス王国騎士団に所属しており、許嫁もいたらしいんだが、親父はその許嫁との決闘に勝利して、堂々と母さんと共にオルトバルカ王国まで駆け落ちじみた亡命を果たした。世界最強クラスの大国に、魔術の技術がかなり遅れている国家が刃向かえるわけがなく、母さんの許嫁は2人が国境を越えた時点で一旦追撃を断念する羽目になる。

 

 しかし、その許嫁は再び大軍を引き連れてオルトバルカ王国へと侵攻を開始することになる。その際に親父は許婚と再び戦って勝利しているんだが、その戦いで片足を失っているのだ。

 

 戦いで四肢を失った場合、前世の世界ならば退役するのが普通なんだが、親父は仲間に戦いを任せて退役するつもりはなかったらしく、義足を移植してリハビリを続け、傭兵として復帰することになる。

 

 この世界の義手や義足は、前世の世界に存在した義足のように機械を使うのではなく、魔物の外殻や筋肉を使って製造されるのだという。

 

 魔物の骨の周りに筋肉を取り付け、擬似的な神経や皮膚代わりの外殻で覆って作られるため、外見は素材にした魔物と人間の四肢を融合させたかのような禍々しい外見になるという。しかし、失う前の四肢以上に複雑な動きができるし、更にメンテナンスもほぼ不要というメリットがある。

 

 遺伝子的に全く違う生物の素材で作られた四肢を身体にくっつけるわけだから、拒否反応も発生する。そのため移植してからしばらくの間は、その義足や義手を体になじませるために、その素材に使った魔物の血液を定期的に投与する必要があるらしい。

 

 親父はその義足の素材にサラマンダーの素材を使い――――――変異を起こして、キメラとなった。

 

 義足や義手の移植で変異を起こしたというケースは全くないらしく、変異を起こしたのは親父が史上初という事になる。いきなり変異を起こした理由は不明だが、フィオナちゃんは『親父はこの世界の人間ではなく転生者であるため、それが原因で変異が起きたのではないか』という仮説を立てている。

 

 そして親父と母さんとエリスさんの間に、キメラとなった親父の遺伝子を受け継いだ俺とラウラが生まれたという事だ。

 

「ほら、ご飯よ」

 

「ありがと」

 

 尻尾を弄っていたクランは、装填手用のハッチの下まで手を伸ばすと、車内を覗き込んでいた俺に円柱状の太めのケースと、容器に入ったパンを1つ渡してくれた。

 

 このケースはやけに暖かいな。スープでも入ってるのか? 

 

「ケーターの自信作なの。食べてみて」

 

「へえ、料理はケーターが作ってるのか」

 

「そうよ。私が日本(ヤーパン)に留学してた時、よく作ってくれたの」

 

 なるほど、このパーティーではケーターが料理を作ってるのか。俺もパーティーの中では料理を作ることがあるから、色々と勉強させてもらおう。

 

 とりあえず、お言葉に甘えてスープを貰おうか。

 

 ケースの蓋を開けてみると、猛烈な湯気があふれ始める。寒い風の中へと次々に消えていく湯気の向こうから姿を現したのは、ジャガイモや玉ねぎがたっぷり入った美味しそうなスープだった。入っているのは野菜だけでなく、ソーセージやベーコンもぶつ切りにされて入っているようだ。

 

 美味そうだな。こんな寒い中で延々とタンクデサントをする羽目になった俺にとっては、こんなに温かいスープを貰えるのはありがたい。

 

「いただきまーす」

 

「おう」

 

 スプーンでさっそくスープに入っている小さなジャガイモを掬い取り、スープと一緒に口へと運ぶ。暖かいブラックコーヒーも数分でアイスコーヒーと化すほど寒い場所だけど、さすがに冷まさずに口の中へと突っ込めば火傷する羽目になるので、少し冷ましてから口へと運んだ。

 

「………あっ、美味い」

 

「当然よ。ケーターのアイントプフですもの♪」

 

 ちょっと薄味だけど、野菜はちゃんと煮込んである。これは何で味付けしたんだろうか?

 

 続けてぶつ切りにされているソーセージを口へと運んでみる。やっぱり肉もかなり柔らかくなってるんだけど、このソーセージの皮は中身が柔らかいのに歯応えがある………。何だこれ? 何を使ったんだ?

 

「なあ、このソーセージは何を使ったんだ? 街で売ってるやつじゃないだろ?」

 

「ああ。皮はゴーレムの腸を使ったんだ。硬いからずっと煮込んでても歯応えがあるんだよ」

 

「へえ………」

 

 ゴーレムの肉は食ったことあるけど、そんな使い道があったのか………。今度俺もやってみようかな。

 

 こっちのパンは何だろうか。大体手榴弾くらいの大きさの丸いパンで、結構硬い。ライ麦を使ってるんだろうか。

 

 俺は非常食とか冒険中に入手した食材で料理を作る程度だけど、ケーターはちゃんと街で食材を買い込んでから作ってるんだな。こっちのパーティーは戦車での移動が基本らしいし、車内には居住性を考えているのか寝袋らしきものも置いてあったし、荷物が多くてもこっちは問題ないんだろう。それに対して俺たちは普段は徒歩で移動しているし、戦車で移動するのは環境が過酷な場合や敵が多過ぎる場合などだから、居住性よりも戦闘力を重視している。戦車の活用方法が少しばかり違うようだ。

 

 硬いライ麦のパンを噛み砕きながら、俺は雪の向こうを睨みつける。

 

 今頃ラウラたちは、俺の事を探してくれているんだろうか。出来るならば一刻も早く合流して、彼女たちを安心させてあげたいところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナタリアが指揮するテンプル騎士団のチャレンジャー2は、雪崩に巻き込まれたタクヤを捜索するために雪道を逆走しているところだった。このまま引き返す途中でタクヤを発見できれば予定通りに山脈を越えられるが、もし彼を発見できずに捜索が長期化すれば、山脈を越える前に戦車の燃料が尽きてしまう可能性がある。

 

 もし燃料が尽きれば、そのまま12時間も放置しなければならない。そうなった場合は戦車を放置し、見張りを担当する歩哨を残して徒歩での捜索に切り替える予定だ。いくらタクヤが強靭な身体を持つキメラでも、12時間も-20℃を超える雪山の中に放置されれば凍死する可能性がある。

 

 登ってくる時に刻みつけてきたキャタピラの跡は、もう消え失せていた。雪崩に呑み込まれてしまったのか、それともこの雪が消してしまったのかは分からない。引き返しているこのチャレンジャー2が刻んでいるキャタピラの跡も、タクヤを連れて引き返すころには消えているんだろうと思いながらちらりと後ろを振り向いたナタリアは、彼に命綱を渡しておくべきだったと後悔した。

 

「ラウラ、燃料は?」

 

『ふにゅ、あと半分くらい』

 

「拙いわね……」

 

 もし今すぐタクヤを見つける事ができたとしても、今の燃料で山脈を越えるのは難しいだろう。しかもまだタクヤが発見できないのだから、戦車で山脈を越えるのは諦めなければならない。

 

『ナタリア』

 

「どうしたの?」

 

 この雪山の風では決して冷却できない焦燥を感じていたナタリアに無線で言ったのは、装填手を担当するステラだった。最近は段々と感情豊かになりつつある彼女だが、真面目な話をする時だけは初めてであった頃のように無表情になるという癖があるらしい。おかげで彼女の口調を聞くだけで、もうどんな会話をするのか察する事ができるようになりつつある。

 

 とはいえ、こんな状況でジョークを言うような性格の少女ではないから、何の話をするのかは察する事ができた。

 

『何だか、変な感じがします』

 

「変な感じ?」

 

『ええ』

 

 タクヤの魔力の気配を感じ取ってくれたのかと期待したナタリアだったが、ステラの報告は朗報ではなく、新しく警戒する必要のある項目を増設するかのような知らせだった。しかし怠けて警戒を疎かにすれば、この山脈で死ぬ羽目になった冒険者たちと同じ運命を辿ることになる。現時点で指揮を執っているナタリアとしては、そんな事をするわけにはいかない。

 

 すぐに「何? 魔物?」と聞き返しつつ、ナタリアは車長用のハッチの外に搭載されているロシア製重機関銃のKordを掴み、折り畳んであった照準器を展開して、12.7mm弾のベルトの点検を始めていた。

 

 ステラは魔力や魔術の扱い方に秀でたサキュバスの生き残りである。純粋な索敵能力ではラウラがトップだが、魔力の探知能力ではステラの方が上だ。もし彼女の感じた気配が純粋な魔力で構成されているようなものであった場合、ラウラが感じ取れなくてもおかしくはない。

 

 第一、今のラウラは戦車の操縦の真っ最中である。エコーロケーションを使った索敵は遠距離になればなるほど精度が落ちるという欠点もある上に、すぐ近くで戦車のエンジン音が響いているため、今の彼女の索敵能力は半減していると言える。

 

『いえ………何というか、これは………怨念………?』

 

「え?」

 

 魔物ではないようだが、怨念とはどういうことなのか。

 

 この雪の向こうに、幽霊がいるとでもいうのか?

 

「どういうこと?」

 

『分かりませんが、猛烈な怨念と………闇属性の魔力を感じます』

 

「敵なの?」

 

『おそらく』

 

 敵なのかという問いに即答するステラ。つまりこの雪の向こうにいる何かは、ナタリアたちの敵という事だ。正体は不明だが敵意は向けられているらしい。

 

(最悪よ………。タクヤがいない状態で………!!)

 

 しかし、戦わなければならないようだ。敵はこの雪の向こうで敵意をこちらに向けているのだから。

 

「――――――戦闘準備!」

 

 照準器を覗き込みながら号令を発したナタリアは、唇を噛み締めながら目を細めるのだった。

 

 

 



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白き猛虎の牙‎

 

 雪の中を突き進んでいくにつれて、段々と感じ取っていた寒さが別の物へと変質していくのが分かった。今までの寒さは、純粋な雪や氷の寒さ。冬の感覚である。しかし今の彼女が感じ取っている感覚は、極寒の真っ只中で感じるような〝寒さ”ではない。

 

 相手の恐ろしさを知ってぞくりとしてしまうような、恐怖。その恐怖が生み出す寒さだった。

 

 ステラが感じたという〝変な感じ”とは、このような感覚なのだろうか。車長用のハッチと装填手用のハッチの上に設置されたロシア製重機関銃のKordの射撃準備を済ませたナタリアは、ふと隣のハッチから顔を出しているステラを見た。

 

 彼女は魔力の扱い方に長けたサキュバスの生き残りだ。彼女が感じ取ったという気配と、怨念という仮説は、十中八九正鵠を射ている事だろう。魔力の気配を感じ取る精度はメンバーの中でステラが最も高いのだ。彼女の仮説を疑えるわけがない。

 

 息を呑み、再び照準器を覗き込もうと正面を向きかけたナタリアの視界の中で、ステラの手がぴくりと動いた。既に点検を終えていたKordのグリップを握り、ステラは素早く照準器を覗き込む。

 

「――――――来ました」

 

「………ッ!」

 

 雪のせいで正面は見えないが――――――確かに、先ほどから感じていた恐怖と威圧感を混ぜ合わせたような感覚は、より濃くなっている。

 

「ステラちゃん、敵が何かは分かる?」

 

「おそらく………これは〝グール”と〝デーモン”です」

 

 ステラの仮説を聞いた瞬間、ナタリアは目を見開いた。

 

 グールとデーモンは、どちらも闇属性の魔力を持つ魔物に分類されている。基本的に両者は、大昔に大虐殺が起こっていたり、処刑場に使われていたような怨念が集まり易い場所で自然発生すると言われている魔物で、その正体はやはり怨念の集合体だと言われている。

 

 前者はまだ弱い部類の魔物だ。すっかり乾燥したミイラのような人型の魔物で、ボロボロの鎧や剣で武装している。特に魔術を使って来ることもないし、攻撃手段は持っている武器を使うか、接近して鋭い牙で敵を食い殺す程度なので、危険度はゾンビよりも少し上という程度である。しかし単独で現れることは殆どなく、常に20体以上で出現するため、ダンジョンなどで遭遇した場合は包囲されないように戦わなければたちまち食い殺されてしまうだろう。新人の冒険者も戦う事が多い魔物であるため、図鑑や教本などでは真っ先に『囲まれるな』と記されている。

 

 そして、後者は――――――中堅の冒険者でも危険と言われている、厄介な魔物だ。闇属性の魔物の中でも凶暴な存在で、ドラゴンなどの大型の魔物を除けば最強クラスと言われている。かつてタクヤたちが遭遇したトロールと同じく、そこに存在するか否かでダンジョンの危険度が変動するほどの戦闘力を持っている。

 

「………数は?」

 

「グールはおよそ200体。デーモンは50体です」

 

「そんな………」

 

 グールだけならば、燃料が半分になっているこのチャレンジャー2でも切り抜けることはできただろう。グールのサイズは成人男性と変わらず、攻撃方法も近距離攻撃か弓矢程度なので、装甲を貫通される心配もないし、群れで突撃してくるだけなので、最悪の場合は砲弾や銃弾すら使わずに轢き殺せばいい。

 

 しかしデーモンが50体もいるという報告は、かなり絶望的であった。デーモンのサイズはゴーレムと同等で、小型の個体でも2m以上の身長である。しかも強力な魔術を活用してくる上に、戦車の装甲を粉砕しかねないほどの筋力を持っている。更に背中には悪魔を彷彿とさせる翼まで持っているため、空中から奇襲を仕掛けてくる事もあるのだ。

 

 グールの群れと合わせて、敵の数は250体。圧倒的な数の敵を、燃料が半分となったたった1両の戦車で突破する事ができるだろうか?

 

(正面突破………? 粘着榴弾をフル活用して吹っ飛ばせば………いえ、リスクが高いわ。せめて………戦闘ヘリの支援か、戦車がもう1両あれば………!!)

 

 タクヤが雪崩に巻き込まれて行方不明となっている上、貴重な現代兵器を生産する能力を持たないメンバーだけとなっているため、リスクの高い戦法は避けなければならない。燃料も少なくなってきているし、銃弾や砲弾を全て使ったとしても殲滅し切れない可能性があるほどの数なのだから、正面突破など言語道断である。

 

 その時、ナタリアはスオミの里の事を思い出した。

 

 スオミの里は、現在ではテンプル騎士団の支部として機能している。里の周囲には防衛のための対戦車砲や迫撃砲が配備されているし、里の近くにある炭鉱の跡地にはヘリポートや、タクヤが用意した〝秘密兵器”も配備されている。距離もまだそれほど離れていないため、さっそく救援を要請してみるのが最善かもしれない。

 

 早くも彼らを頼る羽目になってしまったが、意地を張ってこのままメンバーを全滅させるよりは、スオミの戦士たちに借りを作っておくべきだ。しかもスオミの里に配備されている戦闘ヘリは、アメリカ軍に配備されることはなかったものの、極めて高い性能を持つコマンチが4機。更に汎用ヘリのブラックホークも2機配備されている。

 

「ステラちゃん、スオミの里に救援要請を」

 

「了解です。タクヤの捜索もお願いしますか?」

 

「ええ、彼らの方がこの雪山には詳しい筈よ」

 

「了解(ダー)」

 

 ハッチから再び車内へと戻っていくステラを見守ったナタリアは、息を吐いてから照準器を覗き込んだ。

 

 今すぐに支援を要請したとして、ヘリポートから飛び立ったヘリが到着するまでの時間はおそらく15分。デーモンが50体もいるのは脅威だが、燃料が半分になっているとはいえ、こちらはイギリスが誇る第3世代型の主力戦車(MBT)である。装甲もタクヤの実施したカスタマイズで増強されているため、魔術が直撃したとしても貫通することはないだろう。

 

 15分ならば、持ちこたえられる。

 

 そう思った直後、雪の向こうに翼の生えた巨大な影がちらりと見えた。

 

 赤黒い皮膚に覆われた巨躯。城壁を思わせる分厚い胴体から伸びるのは、銃口で堅牢な筋肉に覆われた剛腕だ。鍛え上げられた人間の筋肉とは桁が違う。鍛え上げられた〝人間”ではなく、あれは鍛え上げられた〝巨人”と言うべきだろうか。

 

 体つきは人間に似ているが――――――首から上と背中は、まさに悪魔であった。

 

 顔は人間というよりは山羊を彷彿とさせる。頭からは闇のように真っ黒な長い頭髪が触手のように垂れ下がり、獣を思わせる恐ろしい双眸を覆い隠している。側頭部からは巨木の枝のように太い山羊の角が生えており、先端部には禍々しい真紅の炎が灯っていた。

 

 悪魔のような巨大な翼と、ドラゴンのように長大な尻尾を持つ怪物。あらゆる冒険者を剛腕で叩き潰し、闇属性の魔術で消し去ってきた恐ろしいデーモンの隊列が、グールを従えて迫っていた。

 

「カノンちゃん、砲撃用意!」

 

『できていますわ!』

 

 先制攻撃は、重機関銃よりも砲弾の方が良い。粘着榴弾でグールの群れもろともデーモンを吹き飛ばす事が出来れば、15分以上持ちこたえる事も可能だろう。

 

「ラウラ、後退して!」

 

『了解(ダー)っ!』

 

「目標、12時方向! 隊列中央のデーモン!」

 

 タクヤがいれば、勝てるだろうか。

 

 重機関銃から手を離し、砲塔の中へと戻ってモニターをタッチしながら、ナタリアはあの少女のような容姿の少年の事を思い出していた。

 

 かつて、幼少期の彼女を救ってくれた傭兵の息子。父であるリキヤ・ハヤカワから訓練を受け、冒険者となったあの少年は、ナタリアから見れば常識外れだが頼もしい大切な仲間だ。

 

 強敵と遭遇する度にその強敵を打ち倒し、欺いて逃げ切る彼は、やはりあの燃え盛るネイリンゲンでナタリアを救ってくれた彼の父を彷彿とさせる。少々卑怯者だが、彼の背中もリキヤ・ハヤカワのように勇ましい。

 

 だからこそ、一緒にいると安心する。

 

(………しっかりしなさい。タクヤがいなくても、切り抜けてやるんだから!)

 

 車内で軍帽をかぶり直したナタリアは、モニターに表示されているデーモンの巨体を睨みつけながら命令を発した。

 

「――――――撃て(アゴーニ)ッ!!」

 

「発射(アゴーニ)ッ!!」

 

 カノンが発射スイッチを押した直後、雪の中にチャレンジャー2の咆哮が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スオミの里の近くには、かつて鉄鉱石の採掘に使われていた炭鉱の跡地が存在する。地中の鉄鉱石を掘りつくし、無数のトンネルが地中で絡み合っているだけの迷宮と化している場所だが、今までならば静寂が当たり前だったその炭鉱跡地からは、エンジンが発する轟音が響いていた。

 

 雪を引き連れた風を切り裂く、戦闘ヘリのメインローター。それを胴体の上に乗せているのは、グレート灰色に塗装された獰猛な兵器である。

 

 テンプル騎士団の本隊からスオミ支部へと支給された虎の子のコマンチが、採掘場のヘリポートから飛び立とうとしているのだ。

 

 ステルス性よりも攻撃力を重視するため、普段ならばスマートなコマンチの胴体にはロケットポッドを搭載したスタブウイングが搭載されていた。胴体のウェポン・ベイには対戦車誘導ミサイルの『AGM-114Aヘルファイア』も搭載されている。

 

 スオミの里には訓練機も含めて4機のコマンチが配備されているが、今回の支援要請で出撃するのはそのうちの2機だ。コマンチに加え、雪崩で行方不明となったタクヤの捜索のため、救命用に配備されているUH-60Qも出撃することになっている。こちらには武装は一切装備されておらず、ドアガンも搭載されていないため、戦闘に参加することは不可能だ。

 

『ニパ、本当に大丈夫なの?』

 

 コマンチのコクピットで最終チェックをしているニパに無線で話しかけてきたのは、スオミの里がテンプル騎士団スオミ支部となる前から共に飛竜に乗って戦ってきた、『無傷の撃墜王』の異名を持つイッルだった。

 

 本来ならば彼も別のコマンチに乗り、あらゆる攻撃を回避しつつ敵を殲滅してきた空中戦の天才としてテンプル騎士団の本隊を支援するべきだが、その役目は既にニパが担当することになっている。イッルが兄のアールネから言い渡されたのは、戦闘ヘリではなく救命用のUH-60Qを操縦してタクヤを捜索し、彼を連れ帰ることだった。

 

 飛竜に乗っていた頃から野生の飛竜の攻撃を全て回避し、操る飛竜に傷一つつけずに帰ってくるのが当たり前だったからこそ、彼には無傷の撃墜王という異名がある。戦闘に参加させるべきかもしれないが、救出するべきタクヤの事を考慮すると、被弾した経験のないイッルに救命用のヘリを操縦させるのは正解と言える。

 

 それに、不運とはいえ優秀な技術を持つニパもいるため、支援するための人員は十分に足りていた。

 

「心配すんなよ、イッル。お前はコルッカの奴を助けてやれ。………それに、不運な俺が救出に行ったら、運が悪くてコルッカを見つけられないかもしれないし、連れて帰ってくる途中で墜落しちまうかもしれねえからな」

 

 イッルと呼ばれているエイノ・イルマリ・ユーティライネンは、才能と幸運を併せ持つ男だ。里の中で野生の飛竜の撃墜数が最も多いのは彼で、二番目に多いのはニパという事になっているのだが、ニパが頭角を現したのはイッルよりもずっと後である。

 

 飛竜に乗ってからすぐに多くの飛竜を撃墜したイッルに対し、ニパはひたすら努力して、やっと彼に追い付き始めたのだ。

 

 だからこそ、幸運で才能のあるイッルに仲間の命を託す。

 

『無理しないでね、ニパ』

 

「はいはい。―――――サシャ、チェックは?」

 

「問題ないぞ」

 

 ガンナーを担当する同い年のサシャに質問すると、ニパがイッルと話をしている間にチェックを終えていたサシャがすぐに返事を返してきた。几帳面で真面目な男だが、彼も何度も実戦を経験してきたスオミ族の戦士の1人である。

 

 隣では、機首に「02」と描かれたコマンチの2番機がもう飛び立っているところだった。無事に飛び立っていく2番機を見送っていた整備士が、炎の灯ったままの松明を持ち、今度はニパとサシャの乗るコマンチの正面へとやってくる。

 

 この作戦では、ニパたちのコールサインは『カワウ1-1』。たった今飛び立った2番機は『カワウ1-2』となっている。支援作戦ではなく、タクヤの救出に向かうイッルのUH-60Qのコールサインは『カワウ2-1』となっていた。

 

HQ(ヘッドクォーター)よりカワウ1へ』

 

 離陸する準備をしている最中に、今度はイッルと比べると野太い男の声が聞こえてきた。今回の支援作戦の編成を決めた男の声である。

 

 操縦桿をしっかり握りながら、ニパは「どうぞ、兄貴」と笑いながら答えた。

 

『いいか? ハユハたちからの報告だが、敵はグールとデーモンの群れだ。グールは怖くないが、デーモンの魔術には気を付けろ。あいつらの詠唱はすぐに終わるからな』

 

「はいはい」

 

『よし、頼む。――――――カワウ1-1、離陸せよ』

 

「了解、離陸する!」

 

 合図用の松明を振り上げた整備士に手を振ってから、ニパはコマンチと共に真っ白な空へと飛び立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪崩の跡は、もう見えなくなっている。

 

 降り注ぐ新しい雪に埋め尽くされた斜面は、他の雪山の斜面と全く変わらない。稀に雪の中から伸びる倒木の凍り付いた幹も、雪崩に巻き込まれてしまった哀れな倒木の1本なのか、それとも元々そこにあった倒木なのか判別することは出来ない。

 

 もちろん、チャレンジャー2が残した筈のキャタピラの跡も見つけることは出来ず、俺は何の変哲もない斜面を見下ろしながら息を吐いた。

 

「………こちらタクヤ。ナタリア、応答せよ。……………くそ、壊れちまったか………」

 

 耳に装着していた無線機は、やはり壊れているようだった。何度かナタリアたちを呼び出そうと試みたが、やはり応答はない。

 

 ノイズに嫌気が刺した俺は、その無線機を耳から外すと、メニュー画面を開いて装備から解除した。壊れてしまったのならば新しい小型無線機を生産するしかない。スオミの里の戦士に装備を支給する際にかなりポイントを使ってしまったが、無線機1つに使用するポイントは僅か100ポイントだ。惜しむほどの量ではないし、仮にポイントが多かったとしても、仲間と合流するためには生産せざるを得ないだろう。

 

「随分ハイテクな感じのメニュー画面ね」

 

「まあね」

 

 もちろん、転生者と同じ能力を持つ事はクランたちに説明済みだ。さすがに日本の男子高校生がこの異世界に転生したという事は言っていない。あくまでも、転生者の息子だから能力まで引き継いだのかもしれないと説明しただけだ。

 

 新しい無線機を生産した俺は、さっそく調整してから耳に装着して電源を入れる。これなら応答してくれるだろうか? 

 

 仲間たちが応答してくれることを祈りながら、俺は呼びかけた。

 

「チャレンジャー2、応答せよ」

 

 しかし―――――――やはり、応答はない。

 

 くそ、どういう事だ? 離れ過ぎてしまったのか?

 

 もしかしたら、もう仲間たちと合流できないのではないかと思ってため息をつこうとしたその時だった。

 

 人間よりも発達したキメラの聴覚が、風の音以外の音を探知したのである。明らかにそれは自然の発する音ではない。何かが作動するような音と、マシンガンの連射を思わせる凄まじい轟音。遠くから聞こえてきている筈なのに、レオパルトの上に乗っていても聞こえてくる。

 

 何の音だ? 銃声ではないな………。ヘリか?

 

 音の聞こえてくる方向へ、試しに背負っていたOSV-96を向けてスコープを覗き込む。ロケットランチャーを外し、代わりに長い銃剣を装着して随分と軽くなったアンチマテリアルライフルを構えながら空を見渡していると――――――スコープのカーソルの向こうに、その轟音の発生源が見えた。

 

 胴体の真上で回転するメインローターと、胴体から左右に延びたスタブウイング。そのスタブウイングにはまるで航空機に搭載されるような爆弾にも似た燃料タンクが取り付けられていて、攻撃用の武装は見当たらない。

 

 機体は白とグレーの迷彩模様に塗装されており、機首には見覚えのあるエンブレムが描かれているのが見えた。下の方で交差する2枚の純白の羽根と、中央に鎮座する蒼い十字架。左上の方には、小さくて真っ赤な星が描かれている。

 

「スオミの里のブラックホーク………?」

 

 あのエンブレムは、テンプル騎士団スオミ支部のエンブレムだ。武装を全く搭載していないという事は、救命用に配備したUH-60Qだろうか。

 

 どういうことだ? ナタリアやラウラたちが俺の救出を要請してくれたって事か?

 

 ありがたい事だが、救命用ヘリで救出された一番最初の人物が俺になるとはね………。

 

「ヘリ……? まさか、転生者か!? 坊や(ブービ)、対空戦闘用意!!」

 

「まて、ケーター! あれは俺たちの味方だ!」

 

「なに?」

 

「スオミの里に配備してきたブラックホークだ。それにあれは救命用のタイプだから、武装は全く積んでない」

 

 移動中にテンプル騎士団の事も話しておいた。転生者ハンターを世界中に配備し、蛮行を繰り返す転生者の駆逐を行うという大規模な計画を耳にした彼らは驚いていたけど、この計画に賛同してくれるだろうか。

 

 そう思いながら空を見上げると、どうやら接近中のブラックホークも俺たちの事を発見したらしく、徐々に高度を落とし始めているのが分かった。

 

『コルッカ?』

 

「イッルか?」

 

 すると、いきなり無線機から優しそうな少年の声が聞こえてきた。ノイズが混じっているが、おそらくこれはアールネの弟のイッルの声だろう。救命用のヘリに無傷の撃墜王を乗せたのか。

 

『大変だよ、コルッカ! ハユハやナタリアたちから支援要請があったんだ!』

 

「なに?」

 

 支援要請………!? つまり、魔物かなにかと遭遇して戦ってるって事か?

 

 拙い。きっと彼女たちは雪崩に巻き込まれた俺を探すために雪山の斜面を戦車で走り回っていた筈だ。燃料は減っているに違いない。それに、肝心な現代兵器を生産できる俺がいない状態での戦闘という事は、手持ちの武器の弾薬を全て使ってしまえば、12時間経過するまで彼女たちは武器が使えなくなってしまう。

 

 戦車に乗っていたのに支援を要請するという事は、敵はかなりの大規模な群れか、強力な魔物なんだろう。俺も早く行かなければ………!

 

「イッル、場所は分かるか!?」

 

『このまま斜面を登っていけば合流できる筈だよ!』

 

「分かった!」

 

「待って」

 

「何だ?」

 

 いきなりクランに呼ばれた俺は、アンチマテリアルライフルを折り畳み、車長用のハッチから身を乗り出してヘリを見上げていたクランの方を振り返った。

 

「私たちも行くわ」

 

「いや、俺だけでいい。クランたちまで巻き込むわけには――――――」

 

 彼女たちまで巻き込むわけにはいかない。ナタリアたちが支援要請を出すほどの相手なのだから、危険な相手だという事は想像に難くない。現代兵器で武装しているとはいえ、命を落とす可能性はある。

 

 だから救援には俺とスオミの里の戦士たちで行くつもりだ。だが、クランの強気な目つきは、明らかに俺のその意見を否定しようとしている目つきだった。

 

「巻き込む? ………ふふっ。勘違いしないで、ドラゴン(ドラッヘ)。私たちは〝巻き込まれる”のではなくて、通り道に敵がいるから〝粉砕するだけ”なの。私たちの目的もこの山脈を越える事だし」

 

「だが………!」

 

「それにね」

 

 微笑んだ彼女は、静かにレオパルト2A4の装甲を撫でた。元々真っ白に塗装されていた装甲の上には雪が降り積もっているが、どれが雪なのかは見分けがつかない。〝ホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)”と名付けられたこの戦車は、それほど白いのだ。

 

 まるで幼い子供を愛撫する母親のように砲塔の装甲を撫でたクランは、胸を張りながら言った。

 

「年老いた老兵(ティーガー)から名前を受け継いだこの子にも、ちゃんと牙はあるのよ?」

 

 曽祖父の異名を受け継いだレオパルト。彼女はどうやら、この戦車にかなり愛着があるらしい。

 

 確かにレオパルトの性能は高い。仲間たちの救援に最強クラスの主力戦車(MBT)が駆けつければ、きっと窮地に陥っているラウラたちも逆転する事ができるだろう。

 

 助けられてばかりじゃないか………!

 

「………分かった。手を貸してくれ、クラン」

 

「当たり前よ。――――――木村、速度上げて! 坊や(ブービ)とケーターは砲撃用意! 今から戦場に突撃するわよ! 気を引き締めなさい!!」

 

「「「了解(ヤヴォール)ッ!!」」」

 

「イッル、俺はこのまま戦車で突っ込む。お前は里でコマンチに乗り換えて支援に向かってくれ」

 

『了解!』

 

 よし、これで仲間たちと合流できるぞ。

 

 反転して里の方へと戻っていくイッルのブラックホークを見送った俺は、クランたちと共に戦う準備を始めるのだった。

 

 

 



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現代兵器と燃え盛る雪山

 

 雪の中から、獰猛な火柱が噴き上がる。その火柱は周囲で蠢いていたグールの群れを飲み込むと、彼らの肉体をバラバラにしながら吹き飛ばし、再び雪の中へと叩き落としていった。

 

 立て続けに響き渡るのは、チャレンジャー2の主砲同軸に搭載されたKord重機関銃の咆哮だ。後退しつつ砲塔を右へと向け、右側から剣を構えて接近してくるグールの群れを12.7mm弾の連射で薙ぎ払う。通常のアサルトライフルや機関銃の弾薬ではなく、アンチマテリアルライフルの弾薬としても使用される12.7mm弾の連射は、やはり普通の銃器の連射とはわけが違う。被弾すれば決して〝風穴”では済まない。

 

 雪の上で、次々に換装した肉塊が爆ぜる。ミイラのような身体の一部とごくわずかな体液を雪の上にまき散らし、12.7mm弾に食い破られた肉片が雪の上に転がる。

 

 だが、怨念の集合体でもあるグールは仲間たちの木端微塵になった死体を目にしても、止まらない。〝同胞”が死んだ程度では、彼らは立ち止まることはないのだ。この雪山で魔物や人間に殺され、凄まじい怨念と未練を残して死んでいった彼らを止めるには、同胞の死では全く足りない。

 

 戦法はただの人海戦術だ。お粗末な隊列を組んで少数の敵に襲い掛かるだけである。その程度の敵は現代兵器があれば掃討できるが、たった1両の戦車では少々数が多過ぎる。

 

「発射(アゴーニ)ッ!」

 

 砲塔の中で、カノンに砲撃命令を出しながらモニターを目にしたナタリアは、先ほどから蹂躙し続けているにもかかわらず未だに突撃を続けてくる怨念の大軍を目にして唇を噛み締めた。デーモンへのダメージにも期待して粘着榴弾での砲撃を続け、本格的にデーモンが前に出てくるようならばAPFSDSで仕留める作戦で踏ん張り続けているのだが、最新型の戦車とはいえ怨念の大軍に押されつつあった。

 

「側面よりデーモン2体!!」

 

「ステラちゃん、APFSDS!」

 

「了解(ダー)」

 

 砲弾をあっさりと持ち上げ、自動装填装置の装填速度を上回るのではないかと思えるほどの素早い動作で砲弾を装填するステラ。片手でドラゴンの頭を握りつぶせるという逸話があるほどの力を持つサキュバスだからこその早業である。

 

 すぐさまカノンは主砲の照準を側面から接近してくるデーモンへと合わせる。チャレンジャー2の左側面から接近してくる2体のデーモンは、どちらも3m程度の身長を持つ比較的小型の個体であったが、小型だからと言って侮れるような相手ではない。確かに小型になれば本来のサイズよりも筋力は落ち、防御力も低くなるが、その分小回りが利く上に魔術そのものの威力は全く変わらない。それゆえにサイズの違いによって立ち回りもほんの少しだけ変えなければ対応できなくなる。

 

「照準、左側のデーモン! 胸板に叩き込んでやりなさい!」

 

「発射(アゴーニ)ッ!」

 

 120mmライフル砲の砲身から火柱が飛び出す。

 

 炎を纏っていた砲弾の外殻が、デーモンに着弾する前にまるで空中分解を起こしたかのように脱落を始める。その中から姿を現したのは、砲弾とは思えないほどすらりとした、まるで槍のように細長い砲弾であった。

 

 今まで砲撃に使っていた粘着榴弾は、主に爆風での攻撃力を重視したタイプの砲弾である。装甲を貫通するようなタイプの砲弾ではないため貫通力は極めて低いが、爆風の破壊力が高いため攻撃範囲が広いという特徴がある。しかしこのAPFSDSは、その粘着榴弾とは真逆の砲弾と言える。

 

 攻撃範囲は極めて狭いが、最新型の戦車の装甲を貫通するほどの貫通力を秘めているのだ。

 

 その獰猛な徹甲弾はカノンの正確な照準によって、あっさりとデーモンの胸板へと突き刺さった。あらゆる魔術でも撃破が難しく、弓矢では貫通させることは不可能と言われているデーモンの屈強な皮膚と筋肉繊維が、まるで包丁を突き立てられた肉塊のように呆気なく突き破られる。

 

 強靭な戦士が投擲する投槍にも似たAPFSDSの砲弾の餌食になるには、〝柔らかすぎる”目標だったかもしれない。砲弾は先端部をほんの少しの鮮血で染められながら、凄まじい運動エネルギーでデーモンのがっちりした胸板を容易く食い破って巨大な風穴を開けると、そのまま後方の雪の斜面へと激突し、巨大な雪の爆風を生み出した。

 

 上半身があっさりと砕け散ったデーモンが、腕や胸板の破片をまき散らしながらゆっくりと崩れ落ちる。

 

「デーモン、撃破!」

 

「ラウラ、燃料の残量は!?」

 

「あと3分の1!」

 

 まだ敵は9割ほど残っている筈である。後退しながら砲撃で敵を蹴散らしている状況だが、燃料が尽きる前に救援は来るのだろうか。

 

 ステラが砲弾を装填する音を聞きながら、ナタリアはちらりと懐中時計を見下ろす。そろそろスオミの里から出撃した虎の子のコマンチが、ここへと航空支援にやってくる筈だ。実際に魔物を蹂躙しているところを見たことはないが、タクヤからあらゆるスペックは教えられていたし、飛竜以上の火力で空から支援してもらえるのならば勝機はある。

 

「みんな、念のため白兵戦の準備を―――――――」

 

 燃料が尽きて戦車が動かなくなった時のため、仲間たちに白兵戦の準備を指示しようとしたその時だった。

 

『――――――こちらカワウ1-1。加勢に来たぜ』

 

「ニパ君………?」

 

 無線機から、荒々しい少年の声が聞こえてきたのである。

 

 キューポラのハッチを開け、ナタリアは雪が降り注ぐ空を見上げようとしたが、見上げるよりも先に雪と共に流れ込んできたメインローターの轟音が、スオミの里が誇るコマンチの到着を告げていた。

 

 灰色の空の真っ只中を飛翔する、2機の獰猛な機械の飛竜。スマートな胴体から伸びたスタブウイングには、地上の敵を蹂躙するためのロケット弾がこれでもかというほど満載されているようだ。対戦車ミサイルが見当たらないが、コマンチの場合は対戦車ミサイルを胴体のウェポン・ベイの内部に搭載する仕組みになっているため、荒々しい他のヘリから見れば幾分かすらりとしているように見える。

 

 機体の胴体には、スオミの里の象徴でもある蒼い十字架が描かれていた。その十字架の下では2枚の真っ白な羽根が交差しており、十字架の左斜め上には赤い星が描かれている。テンプル騎士団スオミ支部のエンブレムだ。

 

『攻撃目標は? デーモン共はどこだ?』

 

「今信号弾を撃つわ!」

 

 ハッチから身を乗り出したまま、ナタリアは腰のホルスターへと手を伸ばす。右側のホルスターにはサイドアームのCz75が収まっているが、彼女が手を伸ばしたのは制服の左側にある方の少々大きなホルスターだった。

 

 その中に納まっているのは、ハンドガンというには銃身が太い変わった拳銃であった。形状はシリンダーを持つリボルバーを思わせるが、その拳銃には弾丸を装填しておくためのシリンダーが見当たらない。その代わりに、銃身の上にはグレネードランチャーに搭載されているような折り畳み式の照準器が取り付けられている。

 

 ナタリアが取り出したのは、第二次世界大戦でドイツ軍が採用していた『ワルサー・カンプピストル』と呼ばれる特殊なハンドガンである。普通のハンドガンは9mm弾や.45ACP弾を発射するのだが、そのカンプピストルが撃ち出すのは普通の弾丸ではなく、グレネードランチャーのような炸裂弾や対戦車用の形成炸薬(HEAT)弾である。拳銃ほどの大きさのグレネードランチャーのようなものだ。

 

 本来は信号弾を射出するための拳銃として使用されていた銃を改造して生産されたカンプピストルだが、ナタリアがその銃に装填していたのは炸裂弾ではなく、改造前での使用を想定されていた信号弾である。戦車で指揮を執る事が多く、タクヤが戦車を離れている場合は実質的な指揮官はナタリアになるため、彼女が信号弾で合図できるようにとタクヤが用意しておいたのだ。もちろん、通常の炸裂弾も装填できるようになっている。

 

 ナタリアはカンプピストルを空へと向けると――――――戦車を追って来るデーモンたちの頭上へと向けて、トリガーを引いた。

 

 射出された信号弾が空中で煌めき、真紅の閃光で真下の雪を赤く染めていく。いずれその雪は、あの忌々しいグールやデーモンたちの血で紅く染まるのだ。まるで閃光のその色は、それを予言しているかのようだった。

 

「あの信号弾の真下よ!」

 

『了解! カワウ1-1、攻撃を開始する!』

 

『こちらカワウ1-2。こちらも攻撃を開始する! 食い尽くしても文句は言うなよ、お嬢さん!』

 

 真紅の信号弾の元へと、2機のコマンチが進路を変えた。信号弾の真下では未だにチャレンジャー2を木端微塵にしようとするデーモンやグールたちが蠢いている。

 

 その閃光の下にいる輩が、今からすべてコマンチの標的となるのだ。軍帽に付着した雪を払い落としながら、ナタリアは信号弾を発射し終えたカンプピストルをホルスターの中に戻すと、再び車内へと戻ってモニターを凝視する。

 

 まだ、側面から接近してくるデーモンが1体残っているのだ。出来るならばコマンチに蹂躙される敵の大軍を見てみたいところだが、観戦するのはその1体を片付けてからでもいいだろう。

 

「デーモン、詠唱を開始!」

 

「ラウラ、右!」

 

「了解!」

 

 接近していたデーモンが、右手を先方へと突き出して魔法陣の展開を始めた姿がモニターに投影される。彼らの魔術の詠唱が終わる速さは人間の1.7倍と言われており、しかも体内の魔力の量も桁違いであるため、人間よりも連射できるという厄介な特徴がある。しかも闇属性の魔術は強力なものばかりであるため、攻撃を喰らえばほぼ確実に致命傷を負う事になるのだ。

 

 戦車に乗っているからといって、油断するわけにはいかない。複合装甲を貫通してくる可能性もあるのだから、回避するのが一番である。

 

 チャレンジャー2の車体が進路を変えた直後、まるで仲間を先ほど貫いたAPFSDSを模倣したかのように、投槍にもにた太いニードルのような漆黒の槍が、その魔法陣の中心から撃ち出された。モニターを凝視してひやりとしたナタリアが更に進路を変更するように命令しようとするよりも先に、その漆黒の槍はチャレンジャー2の砲塔の左側面を掠め、増設されていたスラット・アーマーを食い千切って後方へと飛んでいった。

 

「ふにゃっ!? 当たったの!?」

 

「スラット・アーマーが破損しただけよ、問題ない! カノンちゃん、撃ち返して!」

 

「了解ですわ!」

 

撃て(アゴーニ)ッ!」

 

「発射(アゴーニ)ッ!」

 

 デーモンは早くも2発目の詠唱を始めていたが、こちらはもう次のAPFSDSを装填している。それにその砲弾の照準を合わせるのは、魔王と呼ばれている最強の転生者(リキヤ)に粘着榴弾を直撃させた砲手である。

 

 再び120mmライフル砲から火柱が噴き上がり、APFSDSの外殻が剥がれ落ちる。その中から姿を現した投槍のような形状の砲弾は冷たい風に大穴を開け、食い破りながら直進していく。

 

 隣にいた仲間を食い破った一撃が飛来してくる事を悟ったらしいが、いくら素早い詠唱が可能なデーモンとはいえ、完成しかけている魔法陣を破棄してすぐに回避できるわけではない。詠唱の最中は、どんな生物でも動きが鈍るのだ。

 

 それゆえにもう回避することは不可能だった。APFSDSは闇属性の魔法陣に激突すると、まるで尖った金属の棒を窓ガラスに叩き付けたかのように魔法陣に亀裂を生み出し、その中央に風穴を開けた。更にそのままデーモンの腹部へと突き刺ささり、凄まじい貫通力と運動エネルギーでデーモンの巨躯を真っ二つにしてしまう。

 

「撃破ですわ!」

 

「よくやったわ!」

 

 崩れ落ちていくデーモンの下半身。モニターで真っ二つになったデーモンを確認した直後、今度は敵が襲来していた前方から轟いた爆音が、敵を撃破したという安堵を木端微塵にする。

 

 慌ててキューポラのハッチを開け身を乗り出すナタリア。またデーモンが接近してきたのかと思って重機関銃へと手を伸ばした彼女だったが―――――――その爆音は、頼もしい味方が生み出した爆音だった。

 

 天空から大地へと降りていく、数本の純白の槍。雪が降り注ぐ真っ只中を駆け抜けるその槍は、チャレンジャー2を追撃しようとしていたデーモンの巨躯へと突き立てられると、戦車砲並みの大爆発を引き起こしてデーモンやグールの群れを引き千切っていく。

 

 雪山を、轟音と爆風が支配する。

 

 その白い槍の正体は、2機のコマンチが機体のウェポン・ベイに搭載していた対戦車誘導ミサイルのAGM-114Aヘルファイアであった。一撃で戦車を木端微塵にしてしまうほどの凄まじい破壊力を誇るミサイルが、立て続けにウェポン・ベイから放たれ、チャレンジャー2へと進撃を続けるデーモンたちの頭上から襲い掛かったのである。

 

 強靭な肉体を持つとはいえ、その防御力は最新型の主力戦車(MBT)には遠く及ばない。その主力戦車(MBT)を吹き飛ばしてしまうほどの破壊力なのだから、戦車並みの防御力を持っているわけではないデーモンが耐えられるわけがなかった。

 

 あっさりと爆風に上半身を抉り取られ、木端微塵になったデーモンの肉片や、その爆風に巻き込まれた哀れなグールたちの死体が雪山を埋め尽くしていく。

 

 機首の機関砲で地表を掃射しつつ、2機のコマンチは左右に並びながらデーモンやグールたちの頭上を嘲笑うかのように通過。散々仲間を殺されたデーモンたちは、やっと頭上にも敵がいたのだという事を理解して空を見上げる。

 

 デーモンが何体か魔術の詠唱を始め、中には早くも魔術で対空射撃を始める個体も紛れていたが、もう既に旋回に入っているコマンチには全く命中しない。高速で移動するヘリに詠唱を必要とする魔術では叩き落とせないのだ。

 

『カワウ1-1、ロケット弾での攻撃を開始する!』

 

『カワウ1-2、ロケット弾攻撃に入る!』

 

 もう既に、グールたちの進撃は止まっていた。群れの戦闘付近を集中的にヘルファイアで攻撃したらしく、先頭の仲間たちを殺されたデーモンたちは慌てふためいていた。

 

 チャレンジャー2への進撃を停滞させるつもりで先頭の敵を集中的に狙ったのだろう。現代兵器を使い始めてまだ数日しか経っていないが、彼らが戦いを始めたのは百年以上前である。新しい武器の扱いに慣れていなくても、戦いそのものには慣れているらしい。

 

 だから、どこを狙うべきなのか瞬間的に同じ判断を下せるのである。

 

『喰らえ、クソ野郎共ッ! 斉射(サルヴォ)ぉぉぉぉぉぉぉッ!!』

 

『斉射(サルヴォ)!』

 

 機首の機銃で掃射しつつ、スタブウイングのロケットポッドにこれでもかというほど搭載されたロケット弾の一斉射撃が始まる。まるでガトリングガンの連射のように小型のロケット弾が立て続けに放たれ、グールの群れやデーモンの巨躯をたちまち爆炎で呑み込んでいく。

 

 ステルス性を敢えて低下させ、より攻撃的な戦い方ができるようにスタブウイングで武装を増設したコマンチの火力は、まさに戦車と同等であった。極寒の雪山が炎の山脈に変貌してしまうのではないかというほどの火力を、たった2機の斉射で敵の群れに叩き込んでいるのである。

 

 恨めしそうな咆哮を上げながらデーモンが反撃し、グールが手にしていた槍を空へと放り投げる。しかし、デーモンの魔術はコマンチに命中することはなく、グールの槍はそれ以前にコマンチの飛ぶ高度まで到達することはなかった。再び一方的に現代兵器で蹂躙され、無傷で頭上を通過されてしまう。

 

「すごい………!」

 

 散々恐ろしい魔物だと聞いてきたデーモンが、更なる強者に蹂躙される。

 

 どんな光景を目の当たりにしながら、ナタリアは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サシャ、ロケット弾の残弾は?」

 

 操縦桿を横に倒し、敵の群れの頭上を通過したばかりのコマンチを旋回させながら、ニパはガンナーの席に座る相棒のサシャへと問いかけた。イッルやニパとは違って全くふざけることのない真面目なサシャは、質問される前に残弾を確認していたらしく、すぐに「残弾無し! 撃ち過ぎたか!?」と聞き返してくる。

 

「いや、十分だ! これだけぶち込めば………!」

 

 対戦車ミサイルを全て叩き込み、ロケットポッドのロケット弾も全弾お見舞いしてやった。しかもそんな攻撃を2機のコマンチで同時に行ったのである。その火力があれば、一体何両の戦車がスクラップになるだろうか。

 

 飛竜に乗っていた頃とは比べ物にならない戦果に喜びながら、ニパはふと眼下で蠢く敵の群れを見下ろす。

 

(あれだけ攻撃したのに………!)

 

 雪山が炎の山に変貌するほどの火力を叩き込んだというのに、まだデーモンたちは残っている。このまま里へと戻って補給を受け、再出撃するべきだと思ったニパだったが、まだ敵の4割は無傷だ。チャレンジャー2の残弾は問題ないだろうが、燃料はもう半分を切っているにちがいない。そんな状態で彼女たちは逃げ切れるのかと不安になった彼は、補給に戻る前にもう一度攻撃を実行することを決意するのだった。

 

「サシャ、もう一回突っ込む」

 

「正気か? 武装はもう機関砲だけだぞ?」

 

「構わん。少しでも数を減らすんだ」

 

「分かった。付き合うぞ、ついてないカタヤイネン」

 

「ハッ」

 

 不敵に笑いながら、ニパは再びコマンチを旋回させる。

 

 機体のキャノピーから、燃え盛る雪山の斜面が見えたその時だった。

 

 飛行していたコマンチのキャノピーを、右斜め下から飛来した漆黒の矢が掠めていったのである。

 

「!?」

 

「お、おい、ニパ! 下にも敵が――――――――」

 

(待ち伏せ!? 馬鹿な、群れからはぐれたデーモンか!?)

 

 慌てて操縦桿を倒して攻撃を回避しようとするが、デーモンの攻撃にしてはその矢の連射速度は素早かった。まるで無数の高射砲からの対空射撃を受けているかのように、次々に漆黒の矢が飛来してくるのである。

 

 コマンチは強力なヘリだが、戦車のような防御力はない。闇属性の魔術の破壊力は高いものが多いため、被弾すれば戦闘ヘリにとって致命傷になる。

 

 必死に回避を繰り返すニパだったが―――――――――後方から、ガギン、と何かが突き刺さるような音が聞こえてきた瞬間、彼の身体が凍り付いた。

 

(被弾した――――――!?)

 

「おい、今のは――――――――うっ!?」

 

 唐突に、コマンチの機体が大きく揺れ始めた。キャノピーから見えた燃える雪山の光景が瞬く間にキャノピーの右側へと消えていき、左側から再び同じ光景が姿を現す。

 

 コマンチの機体が、反時計回りに回転を始めたのだ。必死に操縦桿を握りながら機体を安定させようと試みるニパは、目の前のモニターに表示された古代スオミ語のメッセージを見て目を見開いた。

 

《テールローター破損》

 

 つまり、機体の後端にある小型のテールローターを今の魔術で破壊されたという事だ。テールローターを破壊されると、ヘリはそのまま墜落する羽目になる。ヘリの弱点の1つだ。

 

 先ほどの何かが突き刺さったような音は、運悪くテールローターに被弾してしまった音だったのだ。

 

「くそったれ、テールローターをやられた! 操縦不能!」

 

 操縦不能と自分で言いながらも、ニパは操縦桿から手を離さなかった。

 

(くそったれ………新兵器に乗っても、俺は〝ついてないカタヤイネン”のままなのかよ………!)

 

「HQ(ヘッドクォーター)! HQ(ヘッドクォーター)! カワウ1-1、テールローター破損! 操縦不能! 墜落する!!」

 

 必死に報告するサシャの声を聞きながら、ニパは左から右へと次々に消えていく敵の群れを睨みつけていた。

 

 テールローターを失ったニパとサシャのコマンチは、ぐるぐると反時計回りに回転を繰り返しながらどんどん高度を落としていき―――――――雪で埋め尽くされた斜面へと、落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『緊急事態! カワウ1-1、ダウン! 繰り返す! カワウ1-1、ダウン!!』

 

「なっ………!?」

 

 爆炎と空を舞うコマンチの小さな姿が微かに見えた瞬間に、そんな連絡が俺の無線機から聞こえてきた。どうやら作戦に投入されたコマンチが墜落してしまったらしい。

 

 あのコマンチが撃墜されただと………!? 何にやられたんだ!? パイロットは大丈夫か!?

 

 

『カワウ1-1!? おい、ニパの機体じゃねえか!!』

 

 ニパ!? あいつがやられただって………!?

 

 あいつはイッルと一緒にドラゴンに乗っていたエースの1人だった筈だ。高性能なヘリで作戦に挑んだエースが撃墜されるのは、なおさら考えられない。

 

 だが、撃墜されたのならば助けに行かなければならない。彼らは俺たちの仲間だし、テンプル騎士団の1人だ。決して仲間を見捨てるわけにはいかない。

 

「木村、急いでくれ!」

 

『分かってます!』

 

 早く合流しなければ………!

 

 くそ、モガディシュはごめんだぞ………!

 

 

 

 

 

 

 



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シベリスブルクの激戦

 

 スオミの里の外れにある炭鉱のヘリポートで、新たな猛獣が目覚めようとしていた。

 

 30分ほど前にヘリポートを飛び去って行ったコマンチと比べると、機首にあるキャノピーは広くなっており、ずんぐりしているように見える。その胴体の左右にはドアガンのM134ミニガンが左右に1基ずつ装備されており、そのやや後方には兵員が乗るための扉がある。

 

 がっちりした胴体から左右に延びるのは、武装を搭載したスタブウイングだ。出撃していったコマンチもスタブウイングにロケット弾を満載したロケットポッドを装備していたのだが、そのヘリのスタブウイングに搭載されているロケットポッドの数は、最早ヘリに搭載するような数ではなく、まるで爆弾やロケットランチャーを搭載した攻撃機のようであった。

 

 ハイドラ70ロケット弾を19発搭載できるロケットポッドが、左右のスタブウイングにそれぞれ3基ずつ装備されているのである。コマンチにも同型のロケットポッドが搭載されていたのだが、そちらは左右のスタブウイングに2基ずつとなっており、ロケット弾による攻撃力はこちらの方が上となっている。

 

 しかし本来はこのような攻撃に投入されるような機体ではない。このような改造を受けたのは、スオミの戦士たちからの要望である。

 

「兄貴、本当に兄貴まで出撃するんですか!?」

 

「当たり前だ! ニパの奴がやられたんだぞ!?」

 

 スオミの里に配備されたEH-60Cの機体の傍らで、キャビンのドアを開けてヘリに乗り込もうとする巨漢の腕を、彼から見れば細身のハイエルフの少年が掴んだ。アールネは優秀な戦士の1人だが、彼の役割は指揮官である。明らかに最前線で戦えるような役職ではない。

 

 それにもかかわらず武器を手にして出撃しようとするのは、戦士たちへの彼の思いやりでもある。

 

 まだ手を離そうとしない背の小さな少年をぎろりと睨みつけた彼は、大きな右手で強引に彼の腕を掴んで引き離すと、まだ彼を止めようとする少年に向かって野太い声で叫んだ。

 

「いいから俺の対戦車ライフル(ノルスピッシィ)を持ってこい!」

 

「りょ、了解!」

 

 自分よりもがっちりとしている大柄な戦士に怒鳴りつけられた少年は、それ以上彼を止めようとはしなかった。もし仮に今の怒鳴り声を至近距離で喰らって耐えたとしても、アールネは強引に彼を引き離すか、手荒だが気絶させてヘリに乗り込んでしまう事だろう。

 

 キャビンのドアを開けてヘリに乗り込んだ彼は、一足先に乗り込んでいた戦士たちを見渡すと、頷いてから開いている座席に腰を下ろし、息を吐いた。

 

 撃墜されたニパとサシャを救出するため、臨時で編成された救出部隊の兵員は8名。そのうち2名はヘリの操縦と重火器による航空支援を行うため、実質的に戦場へと降り立つ事になるのはアールネを含めて6名という事になる。

 

 相手は無数のグールやデーモン。圧倒的な数の敵を迎え撃つのは、長年の実戦で鍛え上げられたスオミの里の優秀な戦士たち。

 

 彼らの武装は、主にボルトアクションライフルやセミオートマチック式のライフルと、旧式のSMG(サブマシンガン)となっている。

 

「――――――今から、サシャとニパを助けに行く」

 

 座席に座りながら腕を組み、アールネは戦士たちに言った。

 

 あの2人のコマンチが撃墜されたという知らせを聞いてから、戦士たちはみんな心配しているのだ。スオミの里の戦士は、騎士団の騎士たちのように人数が多いわけではない。少数精鋭の戦士たちで、長年この里を侵略者たちから守り抜いてきたのである。

 

 それゆえに、里の中では赤の他人というのは在り得ない。話したことのない若者がいるとしても、全員かけがえのない〝戦友”なのだ。

 

 ニパとサシャも、同じだ。今まで魔物の襲撃から里を守り、盗賊団を退け、共に防寒着に身を包みながら見張りを続けてきた大切な戦友である。だから見捨てるわけにはいかない。必ず助け出し、里へと連れて帰る。

 

 2人が死んでいるかもしれないという最悪の仮説を口にする者は、戦士の中にはいなかった。なぜならばニパは、ついてないカタヤイネンと呼ばれる男であるが、ひたすら努力を続けて技術を身に着け、あらゆる激戦を生き残ってきた猛者の1人なのだ。だから、彼は生きているに決まっている。戦士たちはニパの事を信じているのだ。

 

「兄貴、どうぞ!」

 

「おう! ついでにSMG(サブマシンガン)もくれや」

 

「おいおい、兄貴。あんまり武器を持ち過ぎると、肝心なブラックホークが重量オーバーで飛べなくなりますぜ?」

 

 彼らの持つモシン・ナガンM29やSKSカービンよりも遥かに長い銃身を持つ対戦車ライフルの『ラハティL-39』を受け取ったアールネは、それを軽々と持ち上げてキャビンの中へと強引に放り込むと、予備のマガジンを受け取ってから防寒着のポーチの中に放り込み、愛用の得物を持って来てくれた少年に礼を言ってからキャビンのドアを閉めた。

 

 ラハティL-39は、冬戦争や継続戦争で活躍したフィンランド製の対戦車ライフルである。当時の対戦車ライフルに使用される弾薬は、一般的にボルトアクション式のライフルよりも大口径のものが多かったのだが、このラハティL-39の口径は他国の対戦車ライフルよりも大きい。

 

 一般的なライフルで使用される7.62mm弾に対し、このラハティL-39は20mm弾を使用するのである。戦闘機に搭載するための機銃や対空射撃用の機関砲に使用されるようなサイズの弾薬であり、当然ながらその破壊力は平均的な対戦車ライフルと比べると抜きん出ている。

 

 やはり銃身は長く、その太い銃身はバレルジャケットで覆われている。20mm弾の入ったマガジンは、従来のライフルのように側面や下部から装着する方式ではなく、銃身の上に装着する方式となっている。現代ではすっかり廃れてしまった方式だが、第二次世界大戦の頃までは主流な方式の1つであり、イギリスのブレンガンや旧日本軍の九九式軽機関銃も同じ方式であった。

 

 銃身の下部には、まるでスキー板を彷彿とさせる形状のバイボットが搭載されている。

 

 圧倒的な破壊力を誇る対戦車ライフルだが、当然ながら重量は通常のライフルとは比べ物にならないほど重い。華奢な者が多い傾向にあるハイエルフの1人だというのに、そのような重い兵器を好んで使うアールネは、一般的な人間から見てもかなりの変わり者と言わざるを得なかった。

 

「――――――いくぞ、てめえら」

 

 先ほどまで仲間の1人のジョークで笑っていた戦士たちは笑うのを止めると、真面目な表情で首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う………」

 

 身体中を激痛に包み込まれながらも、ニパは静かに瞼を開けた。激痛以外に感じる感覚は常軌を逸した寒さだけだが、一体何が起きたのかをすぐに思い出すことは出来そうになかった。思い出そうとしても、なぜこんなところにいるのかという情けない疑問しか思い浮かんでこない。

 

 しかし、まるで鈍器で叩き割られたかのような穴が開いたキャノピーの向こう側から、おぞましい咆哮が聞こえてきた瞬間、ニパは反射的に激痛を発している腕を傍らのケースの中へと伸ばしていた。

 

 ケースの蓋を素早く開け、中から非常用の武器を取り出す。

 

 その中に納まっていたのは、まるで猟銃の銃身を短くし、下部にドラムマガジンを取り付け、短くなった銃身にバレルジャケットを搭載したかのような形状の、古めかしいSMG(サブマシンガン)であった。

 

 スオミの里で採用されている、『KP/-31』である。拳銃用の弾薬である9mm弾を使用する銃であり、平均的なSMG(サブマシンガン)よりも多くの弾丸を装填できるドラムマガジンを搭載しているため、ライフル弾より威力やストッピングパワーは低下するものの軽機関銃のように撃ちまくることが可能である。しかし平均的なSMG(サブマシンガン)と比べると重いため、スオミの里でこの銃を使っているのは腕力が強い戦士たちだけとなっている。

 

 万が一のために、里に配備されているヘリや戦車の中にはこのKP/-31が配備されている。今のように撃墜された際や、戦車が行動不能になった際に使う事を想定して配備されている。

 

 銃を手にしながら座席から静かに体を起こしたニパは、額から流れる血を左手で拭い去りながら、一緒にヘリに乗っていた筈のサシャを探し始めた。あの寡黙な男はこのコマンチにガンナーとして乗り込んでいた。几帳面でなかなか冗談を言わないような男だったが、戦士たちの中で一目置かれていた男である。こんな時にまで寡黙にならないでくれと思いながら、ニパはそっとガンナーの座席を覗き込んだ。

 

 ガンナーの座席からは呻き声すら聞こえてこない。撃墜された衝撃で死んでしまったのではないかと思いながらも、身体を起こしてガンナーの座席を見据えると――――――――サシャは、やはりその座席に腰を下ろしていた。

 

 ニパと同じように額から血を流しながら、まるで椅子に座ったまま居眠りをする学生のように俯いた状態で座席に腰を下ろしている。彼の顎からは、額から溢れた鮮血が床へと滴り続けていた。

 

「サシャ」

 

 戦友の名を呼んでみたが、返事が返ってくる気配はない。

 

 彼の身体を揺すろうと、手を伸ばしたその時だった。

 

『グゥ………?』

 

(やべえッ………!)

 

 墜落したコマンチの近くを、1体のグールが通りかかったのである。まるで旧式の防具に身を包み、古めかしいデザインの槍を手にしたミイラのような姿の魔物は、身体と同じく干からびているにもかかわらず真紅に煌めく双眸をコマンチの残骸へと向け、ゆっくりとコマンチへと接近してくる。

 

 グールの戦闘力は低い。群れで現れた場合は厄介な存在となるが、目の前にいるグールはどうやら単独だ。撃破するだけならば全く問題はない。

 

 しかし、そうしようとすれば銃声でこちらがまだ生きているという事を敵の群れに教えてしまう事になる。銃は強力だが、サプレッサーを装備しない限りは隠密行動には向かない。いつでも撃破できるのに、撃破することは許されないという歯がゆさと危機感を感じながら、ニパは銃を構えつつ息を殺した。

 

 いっそのこと発砲するかと思ったニパだったが、照準を合わせようとした直後に、その決断が正しかったという事を知る羽目になる。

 

 ずしん、とやけに野太い音を響かせながら、巨大な赤黒い足がコマンチのすぐ近くに落下してきたのである。その足の先には、悪魔のような翼の生えた巨大な上半身と、まるで山羊を思わせる巨大な頭があった。

 

(で、デーモン………!)

 

 グールならば倒せるだろう。しかし、デーモンを9mm弾で撃破するのは難しいかもしれない。

 

 もし数秒前に発砲していたら、あのデーモンの足は雪ではなく自分のいるコマンチの残骸を踏みつけていたかもしれない。トリガーを引かなくて良かったと安堵するニパだったが、雪の向こうから噴き上がった火柱に照らされた影を目の当たりにした瞬間、その安堵を投げ捨てる羽目になった。

 

 火柱を生み出したのは、燃料が減少していく中で奮戦しているラウラ(ハユハ)たちのチャレンジャー2。粘着榴弾でグールの群れを吹き飛ばしたらしく、火柱の周囲には干からびた肉片が飛び散っている。

 

 そのチャレンジャー2の位置を確認したニパは、自分とサシャが墜落した地点をすぐに予測した。

 

 2人は、奮戦するチャレンジャー2の反対側に墜落してしまったらしい。しかも墜落したコマンチの周囲には、少数とはいえグールとデーモンが徘徊している。サシャを抱えてチャレンジャー2まで走っていくのは不可能であった。

 

(なんてこった………!)

 

 敵に気付かれないように、このまま残骸の中に潜むしか手はない。

 

 そう理解したニパは、息を呑んでからKP/-31を抱えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コマンチが撃墜されたことで、再びナタリアたちは後退しながらグールやデーモンの群れの相手をしなければならなくなってしまった。

 

 虎の子のコマンチは片方が撃墜され、もう片方は弾薬の補給のために里へと撤退している。おそらく撃墜されたカワウ1-1のために救出作戦が実行されるに違いないが、もう1機のコマンチが到着するまでは、最初と同じ状態だ。弾薬も数が減り、燃料も底を突き始めている状態では最初よりも不利な状況かもしれない。

 

「カノン、APFSDSは弾切れです」

 

「では、粘着榴弾を!」

 

「了解(ダー)」

 

 ついに、デーモンを片っ端から葬り続けていたAPFSDSが底を突いてしまったらしい。装填手(ステラ)と砲手(カノン)の話を聞いて唇を噛み締めたナタリアは、キューポラのハッチを開けて砲塔の上から身を乗り出すと、腰のホルスターからサイドアームのCz75を引き抜き、肉薄し始めているグールを片っ端から撃ち抜いた。

 

 防具に身を包んでいるグールだが、粗悪品なのか拳銃用の弾丸でも貫通することは出来るようだ。ガチン、と金属音を奏でながら貫通していく9mm弾が、次々にグールの頭や胸元に風穴を開けていく。

 

 瞬く間にマガジンの中が空になったハンドガンを再装填(リロード)しながら、ナタリアは危機感を感じていた。

 

 対デーモン用のAPFSDSは底を突いた。残っている砲弾は粘着榴弾のみで、主砲同軸とハッチの上に搭載されているKordはまだまだ弾薬が残っているが、デーモンを撃破するためには火力が足りないと言わざるを得ない。

 

「ラウラ、燃料は!?」

 

『ふにゅ、あと5分の1!!』

 

 果たして、あと何分逃げ続けることができるのか。

 

 一段と強くなった危機感を感じながら、ナタリアはハンドガンをホルスターに戻し、ハッチの縁にマウントされているKordのグリップへと手を伸ばした。スコープを取り付ければアンチマテリアルライフルにも見える重機関銃の照準器を展開し、槍を構えて肉薄してくるグールを次々に粉砕する。

 

 血の臭いと炸薬の臭いが、この雪山で戦う者たちの鼻孔を支配する。銃声と爆音がそれ以外の音を排除し、雪山の一角に居座り続ける。

 

 デーモンの放った闇属性の光の矢が、再び砲塔を掠めた。砲塔には命中することはなかったが、装填手用のハッチの近くにマウントされていたKordがその一撃の餌食となってしまう。マズルブレーキが装着された銃口から後端のグリップまで貫いた闇の矢は、そのまま落下していく砲弾のように高度を落とし、斜面の表面を抉り取った。

 

「機銃が………!」

 

 まだ、Kordは車長用のハッチにもマウントされているし、主砲同軸にも同じものがある。しかし、弾薬もろとも武器を喪失するのは今の彼女たちにとってはかなりの痛手である。

 

 燃料がなくなるか、粘着榴弾が尽きればもう白兵戦だ。しかも白兵戦の武器も、タクヤがいないせいで手持ちの武器を使うしかない。車内に用意されている数丁のPP-2000となけなしの手榴弾だけでは、この敵の大軍を殲滅することは不可能であった。

 

 そのとき、絶望しながらも奮戦するナタリアたちの心を折ろうとしているかのように、聞き覚えのある狂った笑い声が爆音の真っ只中に響き渡った。

 

「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィッ!! おお、すげえじゃん! ガキ共のくせに、そんなに足掻くなんて想定外だぜぇッ!!」

 

『今の声は………?』

 

 無線機から、粘着榴弾の装填を続けるステラの呟く声が聞こえる。ナタリアも同じく、その声に聞き覚えがあった。

 

 ラトーニウス王国のメウンサルバ遺跡で、天秤の手がかりを奪い合ったあの吸血鬼の青年ではないのか? 少女たちを虜にしてしまいそうな美青年だったが、正確は極めて残忍で、常軌を逸した狂気を孕む吸血鬼。あの時はタクヤの参戦で逆転する事ができたが、今回はタクヤがいない。しかも吸血鬼に有効な銀の弾丸は、1発も持ち合わせていない。

 

 立て続けに襲い来る焦燥を抑え込み続けるナタリアの目の前に、ついにその金髪の美青年が姿を現す。チャレンジャー2を破壊するために殺到するグールやデーモンたちの全力疾走を嘲笑うかのように、その吸血鬼は雪の降り注ぐ空中に浮遊していた。

 

 背中からは、まるでコウモリの翼を大きくしたような翼が伸びている。吸血鬼たちの中には、あのように自由に翼を展開して飛行する事が出来る者がいるという。

 

 やはり、その不気味な翼を広げているのは、メウンサルバ遺跡で戦ったユーリィであった。

 

「あなた………! こいつらを召喚したのはあなたね!?」

 

「ヒッヒッヒッヒッ。ああ、そうさ。こういう怨念の使役は吸血鬼の専売特許なんだよぉ、金髪の美少女ッ!」

 

 ナタリアは反射的にKordをユーリィへと向けたが、銃身のカバー内部へと伸びている弾薬のベルトが亡くなっていることに気付き、慌てて予備のベルトを近くの箱の中から引っ張り出した。先ほどの掃射でベルトを使い果たしていたらしい。

 

 敵意を向けて威嚇するナタリアだが、威嚇や敵意を向けるのは無駄である。あの吸血鬼はこちらの武器を向けたところで攻撃してくるだろうし、人体を木端微塵にする大口径の弾丸を喰らったところで、吸血鬼の弱点で攻撃しなければ彼らは永遠に再生を続ける。

 

 しかも、燃料も少ない。吸血鬼の弱点はない。粘着榴弾の残弾も少ない。

 

 虎の子のコマンチは補給中だし、武器を自由に生み出せるタクヤは雪崩で行方不明。四面楚歌としか言いようのないこの状況で、吸血鬼やデーモンの群れを殲滅できる可能性は――――――0%である。

 

 逃げたとしても燃料が足りないし、ニパとサシャを置き去りにすることになる。

 

(何やってんのよ、あのバカ………!)

 

 自分の命を救ってくれた傭兵の息子は、何をしているのか。

 

 焦燥が弾け飛びそうになった、次の瞬間だった。

 

 突然、戦車砲の咆哮にも似た炸薬の雄叫びが、雪山の中に響き渡る。魔物やデーモンの咆哮ではないという事にすぐに気付いたナタリアやラウラたちだったが、チャレンジャー2のライフル砲が火を噴いたわけではない。第一、まだ砲身に粘着榴弾の装填が済んでいない。

 

 では、今の咆哮は何なのか。予測が終わるよりも先に、その答えは飛来する。

 

『ゴォッ!?』

 

「なっ!?」

 

「え――――――?」

 

 冷たい風の中を、微かに炎を纏った何かが疾走してきたのである。その飛来した何かはユーリィの真下を突き抜けると、彼の後ろで唸り声を上げていたデーモンの顔面を直撃し――――――その瞬間に生み出した爆風で、デーモンの首から上を抉り取った。

 

 後ろへと崩れ落ちていくデーモン。スオミの里の援軍がやってきたのかと思ったナタリアだが、彼女が今の砲撃が飛来した方向を振り向くよりも先に、無線機からまたしても聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

 それは、ユーリィのように敵対したものが発する威圧感ではない。むしろ、絶望を炎で焼き尽くしてくれるかのような、力強い声である。

 

『―――――みんな、無事か!?』

 

『ふにゃっ!? タクヤ!?』

 

「嘘………!」

 

『お兄様!?』

 

『タクヤ………!』

 

 聞こえてきたのは―――――――雪崩に巻き込まれた筈の、少年の声だったのだ。

 

「バカ………もっと早く帰ってきなさいよ、このバカ!!」

 

『ハハハハッ、悪い。心配かけちまったな』

 

『ふにゅう………お帰り、タクヤっ!』

 

『ただいま、お姉ちゃん! 会いたかったよ!!』

 

 絶望的な状況だったが、これで現代兵器での反撃ができるようになった。それに――――――ナタリアにとってのヒーローが、戻ってきてくれた。

 

 ネイリンゲンで押さなかった自分を救ってくれた赤毛の傭兵。彼の息子が、仲間たちの所に戻ってきてくれたのである。

 

 これならば、あの吸血鬼を打ち倒せる。

 

 先ほどのような無意味な威嚇ではなく、勝機を含んだ不敵な笑みをユーリィへと向けたナタリアは、増援が現れて狼狽するユーリーを睨みつけた。

 

『クソ野郎は――――――――狩る!』

 

 そう、反撃が始まる時間だった。

 

 

 

 

 

 

 



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タクヤたちが合流するとこうなる

 

 雪を纏った風を、灼熱の砲弾が蹂躙する。砲弾の纏う炎と熱で瞬時に雪を融解させ、極寒の風を加熱しながら疾駆するその砲弾は、最大速度で全力疾走する戦車(ホワイトタイガー)から放たれたというのに、実は誘導弾だったのではないかと疑ってしまうほどの精密さでデーモンの上半身に激突した。

 

 爆風がデーモンの皮膚を焼き尽くし、砲弾の内部で生み出された獰猛なメタルジェットの矛が、デーモンの肉を抉り取る。かつてドイツのティーガーⅠが、子ウサギを追い詰める虎のようにアメリカやソ連の戦車を追い詰めていたのと同じく、いきなり雪山の戦場に姿を現した白き猛虎(ヴァイスティーガー)は立ち塞がる敵を蹂躙し始めていた。

 

 砲弾をぶっ放し、すぐにケーターが再装填(リロード)。そして、クランの勇ましい号令で坊や(ブービ)が正確に敵を狙い撃つ。

 

 砲塔の後ろに隠れ、勇ましい120mm滑腔砲の咆哮を聞きながら、メニュー画面を開いて戦う準備をする。武装はもう装備している状態だが、相手の中にあの遺跡で戦った吸血鬼が含まれている以上、今の装備で戦いに挑んでも勝負はつかない。

 

 あの時は逃げることになったが………今度は、仕留める。

 

ドラゴン(ドラッヘ)、進路は!?」

 

「そのまま突っ込んでくれ!」

 

「分かったわ! 木村、このまま突っ込むわよ!!」

 

『了解(ヤヴォール)!! 久しぶりの力押しですね、クラン!!』

 

 彼女たちにはデーモンやグールの相手をしてもらおう。チャレンジャー2は俺が合流する前からずっと奮戦していたようだが、雪崩に巻き込まれる前から使っていたから、燃料の残量がかなり心配である。俺が雪崩に巻き込まれてからもずっと捜索を続けてくれていたというのならば、もう燃料は底を突く寸前だろう。それに、敵はかなりの数だ。今までそんな大軍と戦っていたのだから、弾薬の残弾数も激減している筈である。

 

 しかし、もう1両主力戦車(MBT)が加勢すれば逆転することはできる。レオパルト2は優秀な戦車の1つだし、更にそのレオパルトを操る乗組員たちの錬度も非常に高い。砲手である坊や(ブービ)の技術も、カノンと遜色ない。

 

 だからデーモンやグールの相手は彼らに任せることにする。俺が勝るべきなのは、その怨念たちの親玉だ。

 

 おそらく、このデーモンやグールたちは自然発生したタイプではなく、何らかの魔術で強制的に召喚されたタイプだろう。確かにグールが大量発生し、冒険者や傭兵が討伐に向かうのは珍しい事ではないが、闇属性のある魔術では、彼らの発生の原因となる怨念を強引に集合させ、それらを融合させることで人工的にグールやデーモンを召喚するものがあると聞いたことがある。しかし、結局人間の魔力では怨念を引きつけられるほどの闇属性の魔力は放出することはできない上に、死者の魂を怪物にして操るのは異端であるということで、大昔の教会の聖職者が一斉に猛反発し、考案した魔術師を国外に追放するというちょっとした事件があったという。

 

 それ以降はそれを試そうとする魔術師も現れたそうだが、やはり人間の魔力では怨念を引き寄せることは出来ず、この魔術は頓挫してしまう。だが――――――――生まれつき人間よりも純粋な闇属性の魔術を持つ吸血鬼ならば、音量を使役することは可能だ。

 

 奴らを使役する可能性のある吸血鬼がいる時点で、あの怨念たちは吸血鬼の傀儡であると考えるべきだ。ただでさえ厄介なグールやデーモンが、吸血鬼によって使役されることにより統制を持つ事は恐ろしい事だが………あの吸血鬼を撃破すれば、その統制は消える。

 

 とはいえ、吸血鬼を撃破してもあのデーモンたちは消滅しない。コントロールを失って自然発生した個体のように暴れ回る事だろう。だからあいつらも殲滅する必要がある。

 

「よし」

 

 装備している武器に使用する弾薬を、全て通常の弾薬から対吸血鬼用の銀の弾丸へと変更する。吸血鬼は凄まじい再生能力を持つが、一般的な吸血鬼ならば弱点で攻撃されると傷を再生させる事が出来ずに消滅するという。強力な吸血鬼ならば弱点で攻撃されても再生することはあるらしいが、その再生速度は著しく遅くなる上に身体能力も低下するため、弱点で攻撃するメリットはある。

 

 あの吸血鬼が果たして一般的な吸血鬼なのか、それとも吸血鬼という種族の中で幹部クラスの強力な個体なのかは不明だ。だが、倒さない限りこの雪山を越えることは出来ない。

 

 だからこそ、打ち倒さねばならない。

 

ドラゴン(ドラッヘ)

 

 銀の14.5mm弾を装填したOSV-96を担ぎ、爆走するレオパルトから飛び降りようとしていると、車長用のハッチから顔を出したクランが俺を呼び止めた。これから敵の群れの中に突撃するというのに、車内に戻って指揮を執らなくていいのか?

 

「何だ?」

 

「………思い切り暴れなさい。いいわね?」

 

 当たり前だ。

 

 敵は大量にいる。そしてその中に、因縁のある敵もいる。

 

 思い切り暴れるに決まってるじゃないか………。

 

 ハッチから見送ってくれたクランに向かって首を縦に振った俺は、俺を助けてくれたクランたちの操るレオパルト2A4の車体から雪の上へと飛び降りた。がっちりしたブーツが雪を踏みつけた直後に走り出しつつ、スコープのレンズを覆っている蓋を開いて射撃体勢に入る。

 

 俺が雪崩に巻き込まれたせいで、仲間たちを危険にさらしてしまった。

 

 もし無事に戦いが終わってみんなの所に帰ったら、仲間たちは俺を出迎えてくれるだろうか? それとも怒るだろうか?

 

 いや………どちらでもいい。

 

 仲間が俺を出迎えてくれるのならば、また一緒に旅を続けよう。

 

 もし怒っているのならば、しっかり謝って許してもらおう。

 

 幼少期からの訓練で鍛え上げた瞬発力をフル活用し、雪で覆われた斜面を一気に駆け上がっていく。もし前世の人間の身体でこんなことをすれば、あっという間にスタミナを使い果たして速度を落としていた事だろう。しかも前世の俺は運動が得意というわけではなかったから、すぐに疲れ果てていたに違いない。

 

 しかし、今の身体は全く違う。どれだけ全力で走っても息はあまり上がらず、瞬発力は前世の身体の比ではない。あっという間に雪で覆われた斜面の上で加速した俺に、どうやらやっとデーモンたちが気付いたようだ。獲物を嬲り殺しにする楽しみを邪魔されて怒り狂ったのか、それとも新しい獲物がやってきたことに喜んでいるのか、真っ先に俺の方を振り向いたデーモンのうちの1体が、剛腕を振り上げながら咆哮する。

 

 獲物………?

 

 おいおい、獲物じゃねえよ。

 

 俺は――――――――狩人(ハンター)だ!

 

 走りながら左手でキャリングハンドルを掴み、銃剣が装着された長大なアンチマテリアルライフルの銃身を持ち上げる。使用する弾薬を12.7mm弾から銀の14.5mm弾へと変更したこのセミオートマチック式アンチマテリアルライフルの破壊力は、従来のライフルの比ではない。しかも装填されている弾薬は、吸血鬼だけでなく怨念や悪魔も忌み嫌うとされている銀の弾薬である。

 

「――――――くたばれぇッ!!」

 

 叫びながら、トリガーを引いた。

 

 しっかり照準を合わせたわけではないが、発射した距離はいつもよりも遥かに近い。普段は600m以上からの狙撃をするのが当たり前だったんだが、今の俺とデーモンとの距離はおそらく200m前後。これくらいの距離から走りながら狙撃するのは、幼少期の訓練や魔物との戦いでも経験済みだ。

 

 走りながらぶっ放した銃弾が、銀色の光を一瞬だけ発してから飛翔する。エジェクション・ポートから排出された大きな薬莢が、炸薬の臭いと微かな煙を纏いながら、雪の中へと消えていった。

 

 発射した弾丸はどうやらデーモンの右の眼球を直撃したらしい。山羊のような顔を持つ巨人が、巨大な手で片目を押さえながら呻き声を上げている。

 

 もう1発お見舞いしてやろうかと思って銃口をそいつに向けたんだが―――――――無駄弾を使うなと言わんばかりに、次の瞬間、クランたちのレオパルトが放ったAPFSDSが容赦なくそのデーモンの胸板を喰い破り、眼球を砕かれて苦しむデーモンを解放した。

 

 確かに、いくら弱点の銀の弾丸である上に大口径の弾丸とはいえ、デーモンを一撃で倒すことは不可能だ。一撃で撃破するには、聖水の入った榴弾を装填したロケットランチャーや戦車砲の砲弾が適している。

 

 立ち塞がるグールを容赦なくキャタピラで踏み潰しながら爆走を続ける純白のレオパルト(ヴァイスティーガー)に向かって手を振った俺は、OSV-96のスコープの蓋を閉め、銃身を折り畳んで背中に背負う。

 

 AN-94を取り出そうとしたが――――――――まるで装甲車や戦車を護衛する随伴歩兵のようにデーモンの周囲に群がるグールが、撃破されたデーモンの仇を討とうとしているかのように俺に向かって走り出した。

 

 アサルトライフルで迎撃するのもいいが、AN-94の強みは凄まじい連射速度の2点バースト。フルオート射撃が不得意というわけではないものの、真価を発揮するのはやはり2点バースト射撃である。それに敵の数も多く、早くも白兵戦になるのは明白である。

 

 AN-94(アバカン)を取り出そうとしていた手を一旦止めた俺は、その手を腰のホルスターへと突っ込んだ。漆黒のホルスターの中に納まっていた2丁のハンドガンを引き抜き、安全装置(セーフティ)を素早く解除する。

 

 そのハンドガンは、銃口に取り付けられている装備以外は一般的なハンドガンと変わらない。漆黒のスライドやグリップを持つ銃だが、銃口に搭載されているそれは、明らかに普通のハンドガンに装着されるのは考えられない装備である。

 

 ―――――――銃口に、ナイフ型の銃剣が装着されているのだ。

 

 チェコスロバキアで開発されたCz75の、SP-01と呼ばれるモデルである。銃剣は本来ならば旧式のボルトアクションライフルやアサルトライフルに搭載されるような装備であり、ハンドガンに装備されるような武器ではない。第二次世界大戦中に日本軍が開発した『百式機関短銃』というSMG(サブマシンガン)には銃剣が装着できたといわれるが、基本的に銃剣は銃身の長い武器に装着するものである。

 

 ハンドガンに銃剣を装着したのは、俺の戦い方に適しているからだ。

 

 俺は狙撃も得意な分野の1つだが、狙撃はラウラの方が優秀であるため、彼女の補佐が必要な時以外は遠距離狙撃をすることはない。そういう場合は逆に前衛となるんだが、前衛となれば常に白兵戦になるわけだ。

 

 だから、銃撃と銃剣による接近戦を瞬時に切り替えられるこの銃は、俺にとって都合がいい。

 

「かかって来いよ、グール共」

 

 古めかしい槍や剣を手にして襲いかかってくるグールの群れへと突っ走りながら、俺はその銃を構えた。

 

 装填してあるのは、一般的なハンドガンの弾薬である9mm弾。他の仲間たちのサイドアームも、この9mm弾を使用する銃で統一してある。

 

 雪山の斜面を駆け下りてくるグールの群れ。この雪山で死んでいった怨念たちが、俺に向かって武器を向けている。

 

 その先頭のグールに銃口を向け―――――――トリガーを引いた。

 

 ズドン、と漆黒のハンドガンが咆哮する。マズルフラッシュの煌めきに押し返されたかのようにスライドがブローバックし、エジェクション・ポートから炸薬の臭いを纏う小さな薬莢が躍り出す。

 

 次の瞬間、スライドの上部に搭載された照準器の向こうにいたグールの額に、小さな風穴があいた。まるで顔面にパンチを叩き込まれたボクサーのように頭を揺らしたグールは、干からびた肉片をまき散らしながら雪の中へと崩れ落ちていく。

 

 立て続けに左右の銃をグールへと向け、トリガーを何度も引く。こいつらは死者の怨念の集合体であるため、仲間の1人が未知の武器で殺されたとしても、生者への怨念ですぐに恐怖を塗り潰して突進を続けてくる。それゆえに威嚇は意味がない。

 

 左右の銃がマズルフラッシュを発する度に、襲い掛かって来るグールたちの頭が食い破られていく。しかし、マガジンの中にある弾丸を全て放ち、グールに風穴を開け続けても、グールはまだまだ残っている。

 

 やはり早くも白兵戦を挑むべきらしい。

 

「――――――УРааааа(ウラァァァァァァァァァァァ)!!」

 

 グールが突き出してきた槍の先端部を、右足で思い切り蹴り上げる。俺を貫く筈だった錆だらけのボロボロの槍は雪の降り注ぐ空を見上げたかと思うと、そのまま回転しながら天空へと舞い上がっていく。

 

 その隙にくるりと反時計回りに回転しつつ、銃剣付きのハンドガンを右から左へと思い切り薙ぎ払う。ブチン、と銃剣が干からびた肉を断ち切るようなしたかと思うと、目の前には首を切断されたグールの身体が突っ立っていた。

 

 そいつを蹴り飛ばして強制的に転倒させ、後続のグールと激突させて攻撃を遅延させつつ、ポケットの中のマガジンを尻尾で引き抜く。空になったマガジンを取り外してマガジンを装着しようとしたところで、今度は右側からグールが突っ込んできた。

 

『ガァァァァァァァ!!』

 

「うるせえんだよ、ミイラ野郎」

 

 容赦はしない。

 

 死んで怨念を持つのは理解できる。異世界に転生したとはいえ、俺も一度死んでいるのだから。

 

 だが、その怨念を向けられる筋合いはない。邪魔をするならてめえらも狩る。蹂躙して、殲滅するだけだ!

 

 身体を左に傾け、振り下ろされたグールの剣戟を回避する。そして今度は時計回りに回転しつつ、加速させた右足でグールの顔面を蹴り上げる。

 

 転生者のステータスで強化されていたからなのか、破壊力は予想以上に凄まじかったらしく、まるでリンゴを足で思い切り踏み潰したかのような何かの潰れる感触がした。

 

 再装填(リロード)を終えたCz75SP-01をグールへと向け、また風穴を開けてやろうとしたその時だった。

 

「―――――――見つけたぞ、タクヤ・ハヤカワぁ……………ッ!!」

 

「あ?」

 

 グールの頭に弾丸をお見舞いしてから、俺は聞き覚えのある声が聞こえてきた空を見上げた。

 

 雪が降り注ぐ灰色の空の真っ只中に、背中からコウモリのような大きな翼を生やした金髪の青年が浮遊し、地上でグールの群れと戦う俺を見下ろしていたのである。数多の冒険者が凍死してきたこの極寒の山脈にいるというのに、防寒着ではなくスーツ姿というのは場違いとしか言いようがないが、吸血鬼はこの寒さにも耐える事ができるというのだろうか。

 

 楽しそうに笑いながら見下ろしているその男は、やはりあの時の吸血鬼だった。メウンサルバ遺跡で俺たちと戦った、あの自分の腕で作ったと思われるキモい剣を持っていた吸血鬼である。

 

「お前、あの時のキモい剣持ってた奴だな?」

 

「ヒッヒッヒッヒッ………ッ!! 俺をボコボコにした仕返しをしに来たぜ、クソッタレキメラぁ………ッ!!」

 

「うるせえ、クソッタレ吸血鬼が」

 

 またあのキモい剣使うのかなぁ………。あの剣を出すところは見てないんだけど、ラウラは「滅茶苦茶キモかったよぉ………」って涙目になりながら言ってたから、かなりキモいに違いない。トラウマにならない事を祈りつつ、俺は空中に浮遊する吸血鬼の銃口を向けた。

 

「――――――今度はぶち殺してやる、クソ野郎」

 

 そう、今度は殺す。

 

 あの時のような撤退戦ではない。今度は、殺さなければ進めない戦いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チャレンジャー2に肉薄しようとしていたデーモンの上半身が、いきなり左側から飛来した一撃によって引き千切られ、木端微塵になった巨大な肉片が雪の上に降り注ぐ。

 

 粘着榴弾の残弾も残り3発だという報告をステラから聞いていたナタリアは、その粘着榴弾がなくなり次第白兵戦を開始するつもりだった。どの道燃料はもう底を突こうとしているし、動かなくなった戦車に乗っていてもグールの群れに包囲され、そのまま食い殺されるだけである。

 

 それにタクヤも合流したのだから、何とか彼に新しい戦車を作ってもらうか、メインアームを支給してもらう事が出来れば戦いを続けることはできる。危険だが、白兵戦の方がメリットが多いのだ。

 

 しかし、その作戦を止めようとするかのように飛来した1発の形成炸薬(HEAT)弾がデーモンの上半身を引き千切ったことで、なけなしの粘着榴弾を消費することはなかった。

 

(今のは………戦車砲!?)

 

 先ほどからも何度か飛来していた。明らかに今の一撃も、最初に飛来した一撃も魔術ではない。猛烈な発砲音とあの破壊力は、間違いなくチャレンジャー2のライフル砲と同等の破壊力の戦車砲である。

 

 戦車砲を搭載しているのは、当然ながら戦車である。その戦車を生産してこの異世界で運用することが許されているのは――――――テンプル騎士団の敵である、転生者。彼らが戦車を使ってこの戦場を訪れ、デーモンを吹き飛ばしてナタリアたちの窮地を救ったという事になる。

 

「どういうこと? 転生者が――――――」

 

『こちらホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)。そこのチャレンジャー2、応答して』

 

 困惑していたナタリアの無線機から、今度は聞き覚えのない少女の声が聞こえてきた。戦場の真っ只中だというのに落ち着いており、強い意志を纏う少女の声。素人ならば戦場でこんなに余裕のある声で語りかけてくることはない。何度も実戦を経験しているベテランならば、こういう話し方をするものだ。

 

 移り住んだエイナ・ドルレアンの騎士団の分隊長の喋り方を思い出したナタリアは、その少女が素人ではないという事を見抜きつつ、「何者?」と聞き返す。

 

 助けてもらったが、味方ではないかもしれない。ダンジョン内で冒険者同士が戦果を奪い合う事は日常茶飯事であり、管理局にもそれを咎めるようなルールはない。手続きを担当する代わりに、それ以外は自由なのである。だから臨時で他の冒険者とパーティーを組み、ダンジョンを抜ける直前に裏切られることも珍しくはないのである。

 

 しかも、戦車に乗っているという事は転生者もいるということだ。蛮行を繰り返す彼らは、そのような冒険者よりも質が悪い。

 

『落ち着いて、お嬢さん(フロイライン)。あのドラゴン(ドラッヘ)の仲間ね?』

 

「ドラッヘ? ………誰の事?」

 

『あっ、ちょっと待って。本名忘れた。……ねえねえ、ケーター。あの子の本名なんだっけ? 男の名前だったわよね?』

 

『タクヤだろ。………あのさ、喋る前に名前確認しとけよ』

 

『あははっ、ごめんね。………えっと、タクヤの仲間?』

 

「え、ええ………」

 

『やっぱりね。今から、あなたたちを援護するわ。あの子に頼まれたの』

 

「タクヤに?」

 

『ええ』

 

「どういうこと? どうしてタクヤを知ってるの?」

 

『後で話すわ、お嬢さん(フロイライン)。新型の主力戦車(MBT)2両なら、逆転できるわ』

 

 再び雪の向こうで緋色の閃光が煌めき、飛来した多目的榴弾の爆風がグールの群れを飲み込んだ。その砲弾を放ったのは、雪山の斜面の下から爆走してくる、純白の戦車であった。

 

 装甲が増設されているせいなのか、チャレンジャー2よりも無骨に見える。純白に塗装されたその戦車の砲塔の上のハッチが開いたかと思うと、中から顔を出した車長と思われる金髪の少女が、奮戦を続けるチャレンジャー2へと手を振り始めた。

 

 あの少女がさっきの少女なのだろう。

 

「ラウラ、前進して」

 

『りょ、了解!』

 

「カノンちゃん、砲撃用。あの戦車と共闘するわ」

 

『了解ですわ!』

 

 なけなしの砲弾と燃料しか残っていないが、戦えないわけではない。

 

 チャレンジャー2(この戦車)にも、もう少し踏ん張ってもらう必要がありそうだ。先ほどからの戦闘でゴーレムの魔術に何度も被弾し、既に増設されたスラット・アーマーや爆発反応装甲の一部は破損していたが、致命傷を負ったわけではない。

 

 もう少しだけ戦ってくれとチャレンジャー2に向けて祈りながら、ナタリアは車長用のハッチを閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 



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ニパ救出作戦

 

 こんなに燃えている雪山の斜面は、見たことがない。轟音と何かの断末魔が轟くシベリスブルク山脈へと飛翔するEH-60Cのキャビンのドアを開け、雪の中から吹き上がる火柱を目の当たりにしたアールネは、KP/-31の曲銃床を右手で握りながら息を吐いた。

 

(これが………異世界の武器の威力なのか………!)

 

 破壊力ならば、タクヤたちとの共闘で目にした。

 

 弓矢よりも遠距離から凄まじい破壊力の弾丸を放ち、剣を手にした恐ろしい盗賊が接近してくる前に木端微塵にしてしまう、異世界で生み出された銃という兵器。自分たちもその銃を支給されているし、それよりも遥かに強力な兵器をいくつも貸し与えられている。その訓練も経験したのだから、どんな破壊力を秘めているのかは理解しているつもりだった。

 

 しかし、より大きな破壊力の兵器が実戦で使われるのは初めてだし、アールネもその破壊力を目の当たりにするのはこれが初めてだった。銃の破壊力を更に大きくした代物だろうという予想は正鵠を射ていたが、その破壊力は予想以上だったと言わざるを得ない。

 

 いつもは静かな雪山で火柱が荒れ狂い、燃え上がっているのだから――――――。

 

『間もなく降下地点です』

 

「ロープを準備しろ! 降下準備だ!!」

 

 今からあの雪山に、自分たちも降下する。

 

 目的はニパとサシャの救出と、奮戦を続けるラウラ(ハユハ)たちの支援である。

 

 現代兵器を使っての実戦は、これが初めてだ。里の戦士たちの筆頭であるアールネも緊張していたが、緊張をあらわにするわけにはいかない。アールネが動じないからこそ仲間たちはついてくる。いつでもアールネは仲間たちの先陣を切り、敵を追い払ってきたのだ。だから自分が一度でも怯んでしまえば、たちまち他の戦士たちも怯んでしまう。

 

 飛翔するEH-60Cの隣に、スタブウイングを装着した1機のコマンチが近づいてきた。機首には『03』と描かれており、ブラックホークと比べればすらりとしている胴体にはテンプル騎士団スオミ支部のエンブレムが描かれている。

 

 そのコマンチのキャノピーの向こうでこちらに手を振っているのは、『無傷の撃墜王』の異名を持つ弟である。

 

 タクヤの捜索から帰ってきた彼を見た時は、てっきりタクヤを回収して戻ってきたのではないかと思った。イッルの乗っていたブラックホークは、武装を全て取り外した代わりに医療用の装備やエリクサーを満載した救命用のヘリである。仲間の元へと送り届けるのではなく里へと戻ってきたという事は、ヘリに搭載されている装備では治療し切れないほどタクヤが重傷を負っているのではないかと心配したアールネだったが、幸いなことにキャビンの中は無人で、使用された形跡のない医療設備だけがドアの外から入り込んできた雪に晒されていた。

 

 イッルの報告では、タクヤは無事だったという。どうやら雪崩に巻き込まれて意識を失った彼を、雪山を通りかかった転生者が救助していたらしい。

 

 戦友の1人が無事だったことは喜ばしいのだが、その場で歓声を上げられない出来事が既に起こっていた。ニパとサシャが撃墜されたという知らせが入り、アールネたちはブラックホークと最後のコマンチを投入しての救出作戦を実行しようとしていたのである。

 

 実戦用の3号機を操るのは、もちろん無傷の撃墜王と呼ばれるイッル。コールサインは『カワウ1-3』となる彼の機体でガンナーを務めるのは、イッルの親友でもあるヨハンである。イッルよりも2つ年上の青年だが、幼少の頃からアールネたちと一緒に冒険者ごっこをして遊んだ友人の1人であり、戦士となったのはイッルよりも1年前となる。

 

 救出作戦に参加するのは、EH-60C1機とコマンチ2機。そしてブラックホークのキャビンの中には、里の戦士たちの中でも訓練の成績や実戦での戦果が高かった6人の精鋭が乗り込んでいる。

 

『カワウ1-2、先行する』

 

『カワウ1-3、先行します』

 

 EH-60Cの両脇を飛翔していた2機のコマンチが、速度を上げて戦場へと向かっていく。胴体のウェポン・ベイがすぐに展開し、機内に収納されていた対戦車誘導ミサイルのヘルファイアがあらわになる。

 

 一撃でデーモンを撃破してしまうほどの破壊力を持つそれを携えた2機のコマンチは、まるで伝説の槍を手にしてドラゴン退治へと向かう騎士のようだった。

 

 いよいよ、現代兵器を使用した初めての戦いが幕を開ける。先行する2機のヘリを見送りながら、アールネは初めて戦士になった時の事を思い出していた。今感じている緊張感は、やはり初めて経験する戦いになるからなのか、あの時の緊張感に似ている。

 

 初めて持つ弓。初めて持つ銃。

 

 初めて目にする魔物。初めて目にする標的。

 

(へへっ………懐かしい感覚じゃねえか)

 

 もう、こんな感覚を感じることはないだろうと思っていたアールネ。新米の戦士だった頃を思い出していた彼に、操縦士の『降下準備願います!』という声が送り届けられる。

 

 ロープを掴み、キャビンのドアの向こうから流れ込んでくる風の中へと躍り出る準備をしている彼の目の前で、先行した2機のコマンチがついに牙を剥いた。

 

 ウェポン・ベイから放たれた対戦車誘導ミサイルが、雪山の斜面へと向かって突き進んでいく。最新型の戦車さえも木端微塵に粉砕する現代兵器という騎士の槍が、傷ついて死にかけている仲間を脅かすデーモン共に先制攻撃を仕掛ける。

 

 その槍は、墜落したコマンチの周囲を徘徊していたデーモンとグールたちに容赦なく突き立てられた。

 

 純白の軌跡を残しながら殺到したヘルファイアが、みしり、とデーモンの屈強な上半身にめり込む。凄まじい速度で激突してきたその一撃は屈強なデーモンの内臓や骨格を粉砕し、それだけで絶命させる破壊力を持っていたのだが、ヘルファイアは単なる激突する兵器ではなく、戦車を吹き飛ばすために開発された対戦車ミサイルである。激突して相手を打ちのめすだけでは、終わらない。

 

 デーモンの上半身に突き刺さった直後、そのヘルファイアの胴体が膨れ上がったかと思うと、灰色に塗装されたミサイルの外殻を緋色の煌めきが突き破り、瞬く間にデーモンと傍らのグールたちを包み込んだ。

 

 緋色の爆風が彼らの肉体を焼き尽くし、破片と共に吹き飛ばしていく。

 

『降下開始!』

 

「行けぇッ!!」

 

 機内から取り出した対戦車ライフル(ノルスピッシィ)を何とか背負い、腰の後ろにKP/-31を下げたアールネは、高度を落としたEH-60Cのキャビンから身を乗り出すと、降下用のロープを大きな手で掴み取ると同時にヘリの外へと躍り出た。

 

 対戦車ライフルだけでも重装備だというのに、ハイエルフの中では珍しく屈強な彼にとってはこの程度の重量は当たり前である。

 

 降下しながら撃墜されたニパ機の状態を確認したアールネは、今すぐにロープを離してそのまま落下し、敵を蹴散らしながら墜落したコマンチに駆け寄りたくなった。分厚い手袋で掴んでいるために、降下する速度はかなり減速されている。このまま落下して足を追っても、自分の根性なら大丈夫なのではないか。戦士の筆頭として冷静沈着な彼がそう思ってしまうほど、撃墜されたコマンチの損傷は酷かった。

 

 機体の後部に被弾したらしく、テールローターへと伸びる胴体の後部は後端付近でへし折られていた。肝心のテールローターは、まるでローターの部分だけドリルでくり抜かれてしまったかのように抉り取られており、メインローターも墜落した際の衝撃で全壊している。

 

 テールローターを失って斜面に墜落したカワウ1-1は、まるでまだ飛び立とうと足掻く鳥のように機首を天空へと向ける形で横たわっていた。キャノピーやスタブウイングも破損しており、機首の機関砲の砲身も折れ曲がっている。

 

 出火していないのは僥倖だが、あんなに損傷した状態でニパたちは生きているのだろうか。幼少の頃から親しかった仲間の1人を案じながら斜面に降り立ったアールネは、すぐに走り出すようなことはせず、仲間たちが全員降りて来るまでSMG(サブマシンガン)を構えて周囲の警戒を始めた。

 

「降下完了!」

 

『こちらカワウ3-1。これより航空支援に移る』

 

「了解。容赦すんなよ」

 

『了解!』

 

 スオミの里が保有するEH-60Cには、大量の武装が搭載されている。攻撃が本職となるコマンチと比べても遜色ないほどの火力を有したブラックホークが、攻撃に参加するために彼らの頭上から飛び去っていく。

 

 救出部隊の主な装備は、SMG(サブマシンガン)のKP/-31やモシン・ナガンM29。1名のみSKSカービンで武装したライフルマンが含まれている。数名はライフルグレネードが発射できるようにライフルを改造されているが、ライフルグレネードでデーモンを撃破するのは難しいだろう。やはり歩兵で相手にできるのはグールだけである。

 

「いいか、デーモンは俺たちには荷が重い。グールだけを狙え」

 

「了解」

 

 頭上を飛び去ったブラックホークが旋回し、味方のコマンチを追いかけ回すかのように魔術を連続で放っていたデーモンを睨みつけた。グレーとホワイトの迷彩模様のヘリも、ついに攻撃を開始するのだ。

 

 ブラックホークに装備されているのは、19発のロケット弾を装填できるポッドである。スタブウイングにそれぞれ3基ずつ装備されたその破壊力は、敵の地上部隊を攻撃するために開発された戦闘ヘリやガンシップにも匹敵する。

 

 味方機がロケット弾を放ったら突撃する。仲間たちもそのタイミングでの突撃がベストであるという事を理解しているらしく、目を合わせると仲間たちは首を縦に振った。

 

『カワウ3-1、斉射(サルヴォ)!』

 

 そのロケットポッドから―――――――ついに、純白の無数の銛が放たれる。

 

 まるでマシンガンの掃射のように、円柱状のロケットポッドから立て続けにロケット弾が躍り出る。機関銃や機関砲の砲弾でも十分に強力だが、こちらはロケット弾である。一発一発の破壊力はそれらの比ではない。

 

 解き放たれた小型のロケット弾たちは、まるで獲物へと群れで襲い掛かろうとする蛇の群れのようだった。瞬く間に雪山の空を純白の煙で埋め尽くし、ブースターから噴射される炎で加熱しながら異世界の地表へと放たれたロケット弾の群れは、突撃してきたブラックホークを撃墜しようと魔術の詠唱を始めていたデーモンに次々に突き立てられた。

 

 数多の冒険者を叩き潰してきた恐ろしいデーモンの巨躯が、殺到したロケット弾が生み出す爆炎に包まれる。緋色の光が膨れ上がる度に肉体が爆ぜ、肉片や四肢が千切れ飛ぶ。

 

 ロケット弾の掃射の餌食になったのは、デーモンだけではない。頭上のヘリを応戦するために槍を放り投げ、呻き声じみた声を発しながら剣を振り上げていた彼らにも、ロケット弾の群れは喰らい付いたのである。

 

 古めかしい防具を纏った人間と変わらぬ存在が、ロケット弾の爆発に耐えられるわけがない。彼らの呻き声は爆音にあっさりと飲み込まれ、彼らの身体も同じように、爆風に包まれ、焼き尽くされていく。

 

 ロケット弾を吐き出し終えたブラックホークが、焼け焦げた肉片の散らばる斜面の上を飛び去っていく。もう十分に獲物を仕留め、満足した猛禽のように。

 

 猛禽は満足したかもしれないが、地上に降り立った獣たちは全く満足していない。これから仲間を助けなければならないし、まだ獲物にありついたわけではないのだ。

 

「突っ込むぞぉッ!!」

 

「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」」

 

 今の掃射で、厄介だったデーモンは倒れた。残っているのは、あの掃射で運よく生き残ってしまった哀れなグールの敗残兵のみ。

 

 グールやデーモンは、死者の怨念の集合体である。あらゆるダンジョンの中で命を落としていった彼らの悔しさは、アールネたちにも理解できる。スオミの戦士たちは少数精鋭の猛者ばかりだが、常に戦死者を出さずに勝利してきたわけではない。

 

 時には、戦友が戦場から帰って来ない事がある。里の墓地の中に墓が増えていて、その墓に見慣れた名前が刻まれていることもある。

 

 狩りや遠征に行っている最中に、親しい親友が命を落としていることもあるのである。幼少の頃は共に戦士たちの元で訓練を受け、一人前の戦士となって武器を手にした戦友が帰らぬ人となるのは、珍しい事ではない。

 

 悔しいのは死者だけではない。戦友に置いていかれる仲間も、同じく悔しいのだ。

 

 だから――――――仲間を守ろうとする。墓石の表面に、これ以上戦死した仲間の名前を刻ませないために。

 

 雪の上を、銃を手にしたハイエルフの戦士たちが駆ける。目指すのはグールたちの隊列の向こうに横たわるコマンチの残骸。その中から、かけがえのない2人の仲間を救い出すために。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 走りながらアールネはKP/-31のトリガーを引き続けた。SMG(サブマシンガン)にしては長い銃身から立て続けにマズルフラッシュが躍り出し、無数の9mm弾が雪の上を駆け抜ける。

 

 早くも生き残ったグールたちがアールネたちへと襲い掛かってきたが、銃にボロボロの剣で挑むのは自殺行為としか言いようがない。しかも、連射の利かないボルトアクションライフルが相手だったのならば、相手の射手がうっかり弾丸を外す確率も高かっただろう。

 

 しかし、先陣を切るアールネが手にしているのは、現代でも活躍し続けているSMG(サブマシンガン)である。威力はライフルほどではないが、その連射速度はボルトアクションライフルとは比べ物にならない。しかも剣は接近しなければ攻撃できないが、接近戦はSMG(サブマシンガン)の独壇場と言える間合いである。

 

 生者を葬ろうと接近してきたグールがあっという間に蜂の巣になる。9mm弾に貫かれてもまだ攻撃を続けようとするグールがいたが、生き残ってしまったグールは後続の戦士の放つモシン・ナガンM29のライフルを叩き込まれ、すぐに雪の中へと倒れていった。

 

 現代兵器の破壊力は、やはり弓矢よりもすさまじい。

 

 射程距離や破壊力はバラバラだが、あらゆる要素で弓矢を上回っている。弓矢には音がしないという利点があるが、それもサプレッサーを装着すれば克服できるという汎用性を現代兵器は持ち合わせているのだ。

 

 この世界には存在しない技術の塊。それを自由に生み出せる転生者は、やはり牙を剥かれれば脅威となる。タクヤ(コルッカ)と仲間になったのは正解だと思いつつSMG(サブマシンガン)の破壊力を実感するアールネだったが―――――――後方から聞こえてきた鎧の音をハイエルフの聴覚で聞き取った彼は、ぞくりとしながら後ろを振り返った。

 

 味方は防具を身に着けていない。こんな雪山で防具を身に着ければ機動力は落ち、魔物の餌食になってしまうからだ。だから各国の騎士団が防具を採用する中でも、スオミの里の戦士たちは防具を全く着用しない。防御力に期待するのではなく、相手の攻撃を確実に躱すことで無傷で帰る。それがスオミの戦士たちの戦いである。

 

 つまり、彼らにとって鎧の音は敵の発する音でしかない。

 

「兄貴、後方からグールが!」

 

「何!?」

 

 SKSカービンの連射でグールを撃ち抜いていた射手が、コマンチの残骸の逆方向を指差しながら叫んだ。音が聞こえる以上は敵が接近しているということだが、その音はあまりにも多過ぎる。

 

 後方を振り返ったアールネは―――――――歯を食いしばりながら、斜面の下から駆け上がってくる敵の群れを睨みつけた。

 

 彼らの後方では、タクヤを回収したという転生者たちの戦車と、ナタリアが指揮を執るチャレンジャー2が未だに奮戦を続けている。戦車の速度は歩兵の走る速度を上回っているため、最大速度で走行しながらの戦闘になれば肉薄することは不可能だ。

 

 恐ろしい敵とはいえ、身体能力はたいして人間と変わらないグールならば、戦車に置いていかれるのは当たり前である。しかも肉薄しなければ攻撃できないのだから、戦車を負えば置き去りにされる。あの機動力について行くことができるのは、歩幅の大きなデーモンだけである。

 

 その置き去りにされたグールたちが――――――――群れとなって、後方からアールネたちへと殺到してきたのである。

 

 既に前方のグールは壊滅しつつある。雪の向こうにふらつく人影が見えるが、銃声が轟く度に頭を粉々に砕かれて倒れていくだけだ。前に進むだけならばもう問題はない。

 

 しかし―――――――後方のグールたちに呑み込まれれば、いくら現代兵器を持っていたとしても一巻の終わりだ。

 

『兄さん、急いで! 援護する!!』

 

「イッル!!」

 

 その時、イッルの操るコマンチが再びアールネたちの頭上を通過して行った。温存していたロケットポッドからの掃射で接近してくるグールたちを薙ぎ払い始めるが、その爆風の向こうからは火だるまになったグールたちがまだ接近してくる。

 

 さすがに、たった6人の戦士たちだけでは勝ち目はない。航空支援がなければ相手をするのは無理だ。

 

『早く助けに行って!!』

 

「くっ………頼むぞ、イッル! ―――――続け!」

 

 ブラックホークと2機のコマンチがグールの相手をしているうちに、ニパとサシャを救い出すしかない。

 

 もう既に、前方の敵は壊滅状態。撃ち漏らしたグールを始末しながら突っ走るだけでいい。

 

 後方で轟く機関砲の咆哮が、彼らの背中を押してくれているようだった。全力で突っ走りながらグールを薙ぎ倒し、銃剣で貫きながら残骸へと向かう。もたもたすればイッルたちがグールを撃ち漏らすかもしれないし、サシャとニパを助けられないかもしれない。

 

「ニパ! サシャ!!」

 

 銃を腰の後ろに戻し、何とか辿り着いたコマンチの残骸に掴みかかる。分厚い手袋で機首へとよじ登り、砕けかけたキャノピーを掴んで持ち上げようとするアールネ。もうキャノピーの縁は歪んでおり、持ち上げようと力を込める度に悲鳴を上げたが、彼はそのまま強引にキャノピーを押し上げてからコクピットの中を覗き込んだ。

 

 生まれて初めて嗅ぐ、計器がショートした悪臭。溶けた配線の被覆が発するゴムの臭い。

 

 その悪臭の中で―――――――2人の戦友が、横たわっていた。

 

「おい、しっかりしろ! おい!!」

 

「あ、あに………き………?」

 

「ニパ! おい、こら! サシャ!! 寝てんじゃねえ!!」

 

 まるで喧嘩をしている相手に掴みかかるかのように強引にニパの胸元を掴み、彼をコクピットの外に放り出す。助け出すというよりは、席を変われと言わんばかりに放り出しているようにしか見えない。しかし、放り出されたニパを受け止めるために機首の下で待っていた仲間たちが、すぐに彼の身体を受け止める。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「良かった、生きてたよ! しっかりしろ、エリクサー飲むか!?」

 

「さ、サシャ………も………」

 

「大丈夫だ!」

 

 機首によじ登っているアールネを見上げたニパは、相変わらず屈強な戦友を見上げながら息を吐いた。

 

 みんな華奢な男が多いというのに、どうしてアールネだけこんな馬鹿力の持ち主なのか。実はハイエルフではなくハーフエルフなのではないかという噂もある彼の屈強さは、実戦の最中でも健在である。

 

 彼は既にサシャをガンナーの座席から引っ張り出し、まるでロケットランチャーを抱えているかのように肩に担いでいたのだから。

 

「イッル、2人を救出したぞ!」

 

 救出というよりは、コクピットから追い出したようなものである。

 

『了解! こっちは敵の数が多過ぎるよ………! これじゃ、弾丸が………!』

 

「くそ………」

 

 救出した後はブラックホークで回収して里へと連れて帰るべきだが、まだナタリアたちの戦いは続いているし、後方から接近するグールもまだまだ残っているという。

 

 ブラックホークの武装まで投入して何とか持ちこたえている状態のようだ。自分たちを回収するためにブラックホークを離脱させれば、グールの突破を許すことになりかねない。

 

「―――――――仕方がない。………みんな、〝スオミの槍”を使うぞ。里に連絡を」

 

 切り札を投入すれば――――――――あのグールを一掃できるかもしれない。

 

 スオミの里に、まだ切り札があるのだ。

 

 コマンチやブラックホークも切り札と言えるほど強力な兵器である。相手の攻撃をかわしながら、一撃必殺の対戦車ミサイルやロケットで地上を薙ぎ払う事ができるのだから。

 

 しかし――――――――里の名前を冠するほどの破壊力を持つ兵器が、まだ残っている。

 

 使用するには長老であるマンネルヘイムの承認が必要になるほどだが―――――――投入すれば、あの怨念の群れを容易く薙ぎ払ってしまう事だろう。

 

 切り札を投入する決心をしたアールネは、早くも無線機に向かって手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 



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2両のMBTが共闘するとこうなる

 

 全てを凍てつかせようと手を伸ばしてくる雪を、120mm滑腔砲の勇ましい咆哮が薙ぎ払う。発射された砲弾の外殻部が空中分解したかのように剥がれ落ち、中から出現した槍にも似た鋭い砲弾が姿を現す。

 

 主力戦車(MBT)の装甲を貫通してしまうほどの貫通力を持つAPFSDSは、いくら恐ろしい敵であるとはいえ、デーモンに使うのはやり過ぎかもしれない。いくらデーモンがあらゆる魔術を弾き飛ばし、弓矢や大型のバリスタでも皮膚や筋肉を貫通する事ができないほどの強靭な防御力を持っているとはいえ、その防御力が猛威を振るうのはあくまで異世界の技術で戦いを挑んだ場合である。

 

 戦車の装甲を貫通する砲弾を、生物の皮膚と筋肉が防ぎ切るのは不可能であった。APFSDSが想定している相手は、生物ではなく戦車などの強靭な装甲。つまり、いくらデーモンでも眼中にないのである。

 

 金属の槍がデーモンの肉体をあっさりと抉り取り、胸板に大穴を開ける。着弾した瞬間の衝撃と、APFSDSが纏っていた運動エネルギーの鎧によって肉体は更に抉られ、人間を容易く握りつぶしてきた剛腕までもが千切れ飛ぶ。

 

 これで、白いレオパルト(ヴァイスティーガー)が木端微塵にしたデーモンは4体目である。デーモンの咆哮を更なる砲撃の咆哮で上書きし、次々に戦果を伸ばしていくドイツ製主力戦車(MBT)の後方を進むチャレンジャー2の車内で、ナタリアは参戦してくれた正体不明の味方の後姿を凝視しながら息を呑んでいた。

 

 こちらは燃料が底を突く寸前で、デーモンへの攻撃力となる粘着榴弾も残り3発しかないため慎重に戦っているとはいえ、あのレオパルト2A4の乗組員たちは練度がかなり高い事がうかがえた。

 

 力任せに砲弾を放ち、機関銃で薙ぎ払うだけではない。敵の数が減り始めている状態とはいえ、油断することなく相手に効果的な砲弾を瞬時に選択し、それを砲手が的確に標的へと叩き込んでいる。車長の指示だが、装填手と砲手の技術も高いという事を証明している戦果である。

 

 特に砲手の命中精度は凄まじい。先ほどから前を進むレオパルトはデーモンから放たれる魔術をひたすら左右に移動して回避しているのだが、その回避の最中だろうと関係なく標的に砲弾を叩き込んでいるのだから。

 

 チャレンジャー2にもカノンという優秀な砲手がいるが、もしかしたら2人の命中精度は同等なのではないだろうか。モニターを見下ろしながらそう思ったナタリアは、砲塔のすぐ横を何かが突き抜けていったかのような音を聞き、唇を噛み締めながらペリスコープを覗き込んだ。

 

 今しがたの音は、デーモンの魔術が掠めていった音だろう。球体状の闇属性の魔力の塊が、チャレンジャー2の砲塔の周囲に増設されたスラット・アーマーを掠めていったのである。

 

 走行しながらの戦闘となっているため、既に戦車の速度について来れるデーモンのみが敵と言っていい。足の速さが人間と変わらないグールたちは、もう置き去りにされている。

 

「次の目標、3時方向のデーモン!」

 

「装填完了です、ナタリア」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

「発射(アゴーニ)!!」

 

 なけなしの粘着榴弾の1発が、120mmライフル砲から飛び出していく。

 

 滑腔砲とは違い、ライフリングを持つライフル砲から放たれた1発の粘着榴弾は、まるで長大なライフルから放たれた銃弾のように回転しながら躍り出ると、チャレンジャー2の右側から魔術による遠距離攻撃を繰り返していたデーモンへと襲い掛かった。

 

 まるで滑走路から離陸したばかりの飛行機のように舞い上がるかと思いきや、カノンが放った砲弾は段々と高度を落とし始める。ペリスコープから見れば外れたのではないかと思える砲撃だが、その砲弾が落下したのは、ナタリアが指示したとおりの標的である。

 

 めき、と骨格が粘着榴弾の直撃でへし折れたような音が聞こえた気がした。こんな遠距離で骨の折れる音が聞こえるのだろうかと違和感を感じたナタリアが、幻聴だろうと思った頃には、そのデーモンの上半身は粘着榴弾が生み出した爆風に包み込まれていた。

 

「粘着榴弾、のこり2発」

 

「ラウラ、燃料は!?」

 

「もうほとんど残ってないよ!」

 

 粘着榴弾が1発あれば、カノンがそれを必ず命中させた場合に限って1体のデーモンを確実に撃破できるということになる。つまり、そのように考えればチャレンジャー2にはあと2体のデーモンを撃破出来る火力が残されていることになるが、問題はやはり燃料である。

 

 砲弾を2発撃ち尽くすよりも先に、燃料が底を突いてしまうのではないか。もしそうなれば砲弾を残したままチャレンジャー2を放棄する羽目になる。

 

お嬢さん(フロイライン)、聞こえる?』

 

「えっ? ええ、聞こえるわ」

 

『そっちの燃料は?』

 

「そろそろ限界よ。砲弾もあと粘着榴弾が2発しか………」

 

『了解。戦車を放棄する時は伝えて。あのドラゴン(ドラッヘ)からあなたたちの武器を預かってる』

 

「タクヤから………?」

 

 自分たちの武器という事は、いつも使っている銃を預かっているという事なんだろうか。

 

 タクヤを拾ったのは彼女たちらしいが、タクヤは見ず知らずの転生者たちに仲間の武器を預けるほど、彼女たちを信用しているという事なのだろうか。転生者ハンターの息子として生まれた彼が気を許す転生者ならば確かに信用できるが、武器を預けるのは迂闊なのではないだろうか。

 

 ナタリアはそう思っていたが、これで白兵戦となった場合の火力は保証された。チャレンジャー2の燃料と砲弾が尽きて放棄する羽目になったら、真っ先にレオパルトの方へと武器を受け取りに行けばいいのだから。

 

「了解! 助かるわ!」

 

『それはどうも。ところで、前方のデーモンは見える?』

 

「え?」

 

 ペリスコープを覗き込み、前方から魔術を立て続けに放ってくるデーモンを確認する。爆走する2両の戦車の前方には、先ほどから大砲の砲弾を思わせる紫色の球体を放ってくる2体のデーモンと、まるでその2体に援護してもらっているかのように接近してくるデーモンの姿が見える。

 

 あの少女の車長が言っているのは、あの小規模な群れの事だろう。確かに先ほどからあの魔術は鬱陶しいと思っていたし、先ほど砲塔を掠めたのはあの後方の2体のうち片方の魔術であった。

 

「ええ、見えるわ」

 

『右側の後衛をお願い。前衛ともう片方はこっちで片付ける』

 

「1両で2体を………?」

 

『いいわね?』

 

「りょ、了解! カノンちゃん!」

 

「了解ですわ!」

 

 1両の砲撃で、2体のデーモンを同時に相手にするというのか。

 

 彼女は自分たちの技術と戦車に自信を持っているのか、それともただ自信過剰なのかもしれない。前者ならば頼もしい限りだが、後者ならばただでさえ疲弊しているこちらがカバーに回らなければならない。

 

 先ほどから凄まじい勢いで戦果をあげているレオパルトの戦闘力が高いということはもう理解している。だが、ナタリアはまだタクヤを助けてくれたクランたちを信用しているわけではない。

 

 先代の転生者ハンター(リキヤ)ほど転生者を狩ってきたわけではないが、それでも転生者がどのような者たちなのかは理解している。彼らは能力を悪用し、兵器で人々を虐げて独裁者じみたことを始める者たちである。敵対する者が現れればとことん見下し、慢心している状態である。そのせいで相手の力を理解する事が出来ずに、タクヤやラウラたちに何人も討ち取られているのだ。

 

 彼女たちもそうなのではないか。ナタリアは半信半疑だったが、タクヤが武器を託している以上は信用できる相手と判断するべきなのかもしれない。

 

「――――――撃て(アゴーニ)!!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 彼女の号令で、2発目の粘着榴弾がライフル砲の砲口から飛び出していく。標的はクランから指示された右側の後衛だ。ついさっき魔術を外し、続けて詠唱へと突入している。

 

 直撃しても複合装甲を貫通される恐れは無いが、全く損害を受けないというわけではないだろう。当たり所が悪ければ何かしらの機能が破損し、使用不能になる可能性もある。なによりも、元々チャレンジャー2は他の主力戦車(MBT)と比べると防御力は低い部類なのだ。タクヤのカスタマイズで複合装甲を増設し、何とか平均以上の防御力となっているが、当たり所が悪ければ損害を被る可能性は大きい。

 

「ラウラ、右! 散開して!」

 

「了解!」

 

 密集していれば、流れ弾が味方に命中する可能性があるし、逆に味方を狙った流れ弾を喰らう可能性もある。密集隊形が機能するのは、防御力と攻撃力だけでなく、物量でも相手を上回っている場合のみである。どれか1つでも欠けた状態で突っ込めば、逆に大損害を受けてしまう。それゆえに少数で戦う場合は適度に散開するのが鉄則だ。そうすれば、少なくとも一網打尽にされて壊滅させられるという醜態を晒すことはない。

 

 ぐん、とチャレンジャー2の巨体が右側へと逸れ始めた。砲弾のように飛来した魔力の塊が車体の左側を掠め、ひしゃげてしまったスラット・アーマーを揺らす。

 

 その魔術を放ってきたデーモンの上半身が――――――――消し飛んだ。

 

 カノンの一撃は見事なカウンターとなった。魔術を放ってきたデーモンの顔面が砲弾の直撃で潰れ、その直後に生じた爆炎で焼き尽くされる。その爆風魔瞬く間にデーモンの上半身を喰らい尽くすと、燃え残った下半身を雪の上に置き去りにして消滅してしまう。

 

「さすがカノンちゃん!」

 

「いつかステラもぶっ放してみたいです」

 

「ふふっ。では、後でお任せしますわね♪」

 

 車長の席で崩れ落ちていくデーモンの下半身を凝視していたナタリアも、周囲を警戒しながらカノンを労おうとしたその時だった。

 

 今しがた仕留めたデーモンの隣にいた別のデーモンの胸板を、砲弾のようなものが貫いたのである。一瞬だけ見えただけだが、その砲弾はデーモンを仕留めるよりも前から血肉を纏っていたように見えた。まるでもう獲物を食い殺した獅子が、別の獲物に襲い掛かったかのように、その砲弾の先端部は血に塗れていたのである。

 

「!?」

 

 気が付くと、もう前衛のデーモンも同じように風穴を開けられ、崩れ落ちていくところであった。自動装填装置を搭載していたのだとしても、絶命した前衛のデーモンが崩れ落ちる途中の段階で後衛を撃破するのは不可能だ。

 

 つまり、今の砲弾(APFSDS)は、一撃で2体のデーモンを同時に仕留めたという事になる。

 

 まず前衛のデーモンを瞬時に仕留め、更にそのまま後衛で魔術を放ち続けていたデーモンを貫いたのだ。驚異的な貫通力を持つ砲弾でも、直撃すれば当然ながら弾道に狂いが生じる。一直線に並んでいたとしても、そのまま狙えば2体とも仕留められるようなものではない。1体を仕留めることはできても、2体目は暴れ馬と化した砲弾に委ねるしかないのだ。

 

(ほ、本当に1両で2体のデーモンを………!)

 

『さすが坊や(ブービ)!』

 

『ま、マジで当たった………!?』

 

『自身持て坊や(ブービ)!』

 

 どうやら、レオパルトの車内でも砲手が労われているらしい。

 

 これで前方にいたデーモンを仕留める事ができたが―――――――残る粘着榴弾は、1発のみである。

 

 しかも、底を突きかけているのは砲弾だけではない。

 

「ナタリアちゃん、もう燃料がない………!」

 

「くっ………仕方がないわ、戦車を放棄! 直ちに友軍と合流を!」

 

 ついに、チャレンジャー2の燃料が尽きてしまう。このまま車内に残っていれば、デーモンたちからの集中砲火を喰らう可能性があるため、素早く脱出して味方の戦車と合流し、武器を受け取ることが望ましい。

 

「ごめんなさい、燃料が尽きたわ。合流するから武器の準備をお願い」

 

『了解(ヤヴォール)。木村、速度落として! ケーター、装填は良いから外に出て。機銃で弾幕を張りつつ武器の受け渡しを!』

 

『任せろ! ハッチ開けるぞ!』

 

「みんな急いで!」

 

 車長のハッチを開け、砲塔の上に乗りながらナタリアはカンプピストルを引き抜く。炸裂弾を発射するとはいえ、あくまでも小型の炸裂弾であるためデーモンの撃破は難しいだろう。しかし、コンパクトでありながら火力もあるため、役に立つ武器である。

 

「ラウラ、待って」

 

「ふにゅ?」

 

 カンプピストルを構えて周囲を警戒しながら、ナタリアはハッチから出てきたラウラを呼び止めた。出来るならば、燃料が少ないにもかかわらず戦車を操り、必死に魔術を回避し続けてくれたラウラを労いたいところだが、それはこの戦いが終わってからだ。

 

 今は、彼女に託さなければならないことがある。

 

「武器を受け取ったら、タクヤの所に行って」

 

「え?」

 

「大丈夫。随伴歩兵は3人いるわ。………だからあんたは、タクヤを助けてあげて。お姉ちゃんなんでしょ?」

 

「ナタリアちゃん………」

 

 彼女の頭の上にそっと手を置いたナタリアは、いつもタクヤがラウラを撫でている時のように優しく彼女を撫でた。

 

「あいつの隣にいるのは………きっとラウラが一番似合うと思うの。だから助けに行ってあげて。いいわね?」

 

「………うんっ」

 

 ラウラはいつも、タクヤと共に戦ってきた。

 

 彼と同じ日に生まれ、腹違いの姉弟として幼少の頃から一緒に訓練を受けて冒険者となった。だからメンバーの中で最もタクヤと連携を取ることができるのは、彼女だけである。

 

 だから、託す。

 

 自分が行ったとしても、タクヤの足手まといになるかもしれないから。

 

 それに―――――――彼の隣は、ラウラが一番似合うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃはははははははははははっ!」

 

 狂ったような笑い声が、雪山の斜面にこだましていた。その笑い声を纏って振り下ろされる剣も、やはり持ち主の狂気と同じである。

 

 刀身は鮮血のように紅く、一見すると刀身の素材にルビーを使っているのではないかと思ってしまう。しかしその刀身の中心部に埋め込まれているのは、まるで人間の骨のような形状をした物体だ。その骨を思わせる軸が柄の下部まで伸びており、その柄の下部には人間の手首から先がくっついているのである。

 

 以前に戦った時も、俺はこの得物を目にした。先に戦っていたラウラたちが言っていたんだが、その禍々しい剣は吸血鬼が自分の腕を引き千切り、剣にしたものだという。

 

 腕が切断されてもすぐに再生できる吸血鬼だからこそ、そんな痛々しい戦い方ができるのだ。

 

 それに、そんな得物で斬られてたまるか。

 

 後ろへと少しだけジャンプして剣戟を回避しつつ、両手のCz75SP-01を目の前の吸血鬼へと向ける。装備されている銃剣は通常の銃剣であるため、これで斬りつけても吸血鬼はすぐに再生してしまうが、装填されている弾丸は奴らの弱点である銀の弾丸である。

 

「ギャハハハハハハハハハッ! おいおいクソキメラ、逃げてんじゃねえよ! とっとと斬られて肉片になりやがれェェェェェェェェェェェェェェ!!」

 

「うるせえんだよ、クソ野郎が」

 

 振り下ろされた剣戟を右へと回避しつつ、くるりと反時計回りに素早く回転する。俺を切り刻もうとしていた吸血鬼も応戦しようとしているが、俺はもう銃口を向けている。こっちはトリガーを引くだけでいい。

 

 どちらが先に攻撃できるかは、言うまでもないだろう。

 

 ズドン、と銃声とマズルフラッシュが荒れ狂う。漆黒のスライドがブローバックし、小さな薬莢が銃の外へと躍り出る。

 

 至近距離での射撃だ。躱せるはずがない。

 

 案の定、吸血鬼のこめかみに何の前触れもなく風穴が開いた。吸血鬼の頭が気味の悪い笑顔のままがくん、と揺れ、風穴から鮮血を流しながら雪原へと崩れ落ちていく――――――――。

 

 普通の吸血鬼ならば、勝負はついていた事だろう。銀の剣や矢で射抜かれた吸血鬼は、その傷を再生させる事が出来ずに人間と同じように死んでしまうという。しかし、伝説のレリエル・クロフォードのような強力な吸血鬼の場合は、銀の剣で切り刻まれても、聖水で攻撃されてもすぐに再生し、モリガンの傭兵たちを苦しめたという。

 

 ぴくり、と崩れ落ちていく吸血鬼の手が動いた瞬間に、俺はこの吸血鬼が普通の吸血鬼ではないという事を悟った。

 

 今まで格上の相手と戦う事の方が多かったため、慢心することに慣れていない。それが功を奏したという事なんだろうか。無意識のうちに生じていた警戒心のおかげで、俺はその一撃を避ける事ができた。

 

「!」

 

 念のため、胸板から頭にかけて外殻で降下させた状態で後ろへと回避する。目の前を真紅の剣が駆け上がり、俺が纏う白い防寒着のフードを掠める。

 

 どうせ吸血鬼を殺したと油断しているところを切り裂くつもりだったんだろう。下衆な手を使うものである。………いや、俺もそういう手は使うからな。不意打ちをするのではないかと察する事ができたのは、同じような戦い方をする卑怯者だからなのだろうか。

 

「チッ、バレてたか」

 

「同じ手を使うんでね」

 

「ハハハハッ。てめえも卑怯者って事か」

 

「勘違いすんな、吸血鬼(ヴァンパイア)。俺は比較的善良な卑怯者さ」

 

「ヒヒヒヒヒッ………生意気なんだよ、クソガキがッ!!」

 

 激昂した吸血鬼が剣を振るう。左右に持つ自分の腕で作った剣を振り払い、俺が後ろに下がるとすぐに前に突進してくる。そして剣を振るい、俺への追撃を何度も続ける。

 

 なかなかしつこい奴だ。前に出て攻撃する事しかしない。

 

 ハンドガンを連続でぶっ放すが、命中するのは肩や腕ばかりだ。立て続けに弾丸が命中しているんだが、この吸血鬼は頭や胸元に被弾しないように、被弾しながら突っ込んでくる。

 

 くそ、やっぱり動体視力も人間以上か………!

 

 ハンドガンを再装填(リロード)するふりをして、俺は銃をホルスターへと戻し――――――――デーモン用に用意していたある物を取り出す。

 

 グールやデーモンなどは人間の怨念の集合体だ。そのようなタイプの敵にも、吸血鬼の弱点である聖水や銀は効果がある。そのため、怨念から発生する魔物が徘徊しているようなダンジョンに向かう冒険者は、売店や教会から銀や聖水をありったけ買っていくという。

 

 俺が取り出したのは、まるで太い円柱状の金属にグリップを取り付けた奇妙な物体だった。一見すると短い棍棒のように見える武器だが、これの用途は相手をぶん殴ることではない。安全ピンを引き抜いてから敵に向かって放り投げることで、真価を発揮するのだ。

 

 それは、戦車を破壊するために開発されたソ連製対戦車手榴弾のRKG-3だった。現代ではロケットランチャーや対戦車地雷が使われているため、対戦車手榴弾は廃れてしまっている。

 

 本来ならば、投擲すると小ぢんまりとしたパラシュートのようなものが展開し、それで角度を調整しながら戦車に突っ込むように調整されているんだが、このRKG-3は対吸血鬼用に改造されているため、そのパラシュートもオミットしている。

 

 『対吸血鬼手榴弾』と言ったところか。内部には炸薬と、吸血鬼が苦手とする聖水がこれでもかというほど詰めてある。安全ピンを引き抜いてから数秒後に炸裂し、広範囲に聖水をばら撒く仕組みだ。

 

 人間などにとって、聖水は普通の水とあまり変わらないが、吸血鬼にとっては硫酸や王水のように強力な酸性の液体のようなものだ。吸血鬼の身体に付着すると、彼らの身体はあっという間に溶けてしまうのである。

 

 それでもすぐに再生してしまう可能性があるが、銀の弾丸よりもこちらの方がより強烈だ。

 

 安全ピンが引き抜かれた音を聞いた吸血鬼の剣戟が、警戒したのか一瞬だけ鈍った。回避しようと思っていたんだが、俺はその隙に逆に踏み込んでタックルをお見舞いすると、吹っ飛ばされていく吸血鬼に向かって、引き抜くと同時に安全ピンを抜いていた対吸血鬼手榴弾を放り投げる。

 

 彼らにとって手榴弾は未知の武器でしかないが、その手榴弾の近くにいたら危険だという事は理解したのだろう。吸血鬼が慌てて逃げようとするが――――――――逃げられないように、爆発するまでの時間を短めに調整してたんだよ。

 

 聖水は俺たちに害はないからな。

 

「グオォォォォォォォォォッ!?」

 

 次の瞬間、逃げようとしていた吸血鬼の両足がいきなり砕け散った。側面から飛来した何かが吸血鬼の片足を貫通し、そのままもう1本の足まで貫通して、逃げようとしていた彼を足止めしたのである。

 

 しかも、倒れ込んだ方向には―――――――――爆発する寸前の対吸血鬼手榴弾が転がっていた。

 

 まるで自分から手榴弾に飛びつくかのように倒れた瞬間、彼の身体の下から一瞬だけ閃光が煌めいた。炸薬によって内部の聖水が飛散し、周囲の吸血鬼を殺傷するように改造していたんだが、その飛散する聖水を全て浴びる羽目になったその吸血鬼の身体は、フライパンの上で溶けていくバターのようにどんどん溶けていく。

 

 予想外のダメージを与える事ができたが………今の狙撃は誰だ? ラウラか?

 

「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! タクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「えっ? ―――――――とむきゃっとっ!?」

 

 聞き覚えのある声が聞こえてきたかと思うと、後ろから誰かが凄まじい勢いで全力疾走してくる感じがして―――――――俺は雪の上に突き飛ばされていた。

 

 わ、脇腹が………!

 

 起き上がろうとしたんだけど、すかさず何かが俺の上にのしかかってくると、胸板に頬を擦り付け始めた。引き剥がそうとする両手をのしかかっている人物の両手が押さえつけ、更に尻尾を巻きつけて逃げられないようにしてしまう。

 

「会いたかったよぉ………ぐすっ、無事でよかったぁ………タクヤぁ………っ!」

 

「ら、ラウラ………」

 

「もう………お姉ちゃんから離れたら、ダメだよ………?」

 

「はははっ。………ごめんね、お姉ちゃん」

 

 心配かけちゃったな………。

 

 彼女を抱き締めてあげようと思ったけど、両手はまだ押さえつけられたままだ。まだ戦闘中だから早く話して欲しいんだけどなぁ………。

 

「この………クソガキがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ラウラ!」

 

「うん! もうお姉ちゃんは大丈夫だよっ!」

 

 まだ戦いは終わってない。早く、この吸血鬼をぶちのめさなければならない。

 

 彼女には慣れてもらってから起き上がると、あの吸血鬼は身体を再生させながら俺たちを睨みつけていた。まだ身体中が溶けたままになっており、肩や顔の半分は溶けてしまった皮膚の再生の途中だ。

 

 ちらりとラウラの武装を確認する。サイドアームだけというわけではなく、ちゃんとクランたちから武器を受け取ってきたらしい。デーモンやグール用に銀の弾丸を装填してあるから、彼女に弾丸を渡す必要はないだろう。

 

「なんだ、2人ともいるじゃねえかぁ………! よし、そっちのガキは八つ裂きにして、姉の方は生け捕りにして犯してやる…………! ヒヒヒッ!!」

 

「お前じゃ無理だな」

 

「あ?」

 

 確かに厄介な再生能力だし、剣戟も前より素早い。

 

 でも―――――――俺たちだって戦いを経験してきたんだ。

 

「俺を殺すのは無理だし………俺のお姉ちゃんを犯すのは、絶対に許さん」

 

「ふにゅっ、お姉ちゃんはタクヤのものだもんっ♪」

 

 ダネルNTW-20を構えるラウラの隣で、俺も2丁のCz75SP-01を構えた。

 

 



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スオミの槍

 

 銀色の弾丸が、雪の中に蜃気楼の軌跡を残して駆け抜ける。

 

 極寒の中に生まれた灼熱の軌跡が霧散するよりも先に、その弾丸はどちらかの結果を残す。――――――命中するか、外れるか。それほど弾丸の弾速は速いのだ。

 

 ラウラが参戦してからは、その結果は殆ど前者となった。ラウラの狙撃が吸血鬼の肉体を撃ち抜いて四散させ、再生したばかりの身体に俺の射撃も次々に命中していく。

 

「ぐ………がぁ………ッ!?」

 

 数多の風穴を胸元や顔に開けられた吸血鬼は、俺とラウラに憎悪を向けながらも苦しみ続けていた。吸血鬼は強力な力を持つからなのか、非常にプライドが高い種族であると言われている。他の種族よりも自分たちが優れているからこそ、彼らと戦争になれば吸血鬼が必ず勝利する。なぜならば、吸血鬼こそが最も優れた種族であるからだと、幼少の頃から教育されるからだという。

 

 それゆえに、どんなに冷静な吸血鬼でも顔に泥を塗られるようなことをされれば、必ず激昂する。目の前の吸血鬼も、もう激昂している頃だろうか。空になってしまったハンドガンのマガジンを取り外し、尻尾でポケットの中からマガジンを取り出しながらそう思った俺は、一旦後ろに下がりながら相手を観察する。

 

 吸血鬼以外の種族との戦いで劣勢に立たされるのは、吸血鬼にとって許しがたい事であるに違いない。自分たちよりも劣っている相手だと高を括っていたといのに、その劣っている種族に追い込まれるのだから。

 

 傷の痛みと、自らが生み出した憤怒。外側に生じる傷と内側に生じるプライドの亀裂が、吸血鬼を追い詰めていく。

 

「な、何故だ………? 俺は吸血鬼だぞ? 他の種族よりも優れている筈なのに、どうして………!? ――――――こんなガキ共にぃッ!!」

 

 吸血鬼の体内で、闇属性の魔力が一気に膨れ上がる。魔術でも放つつもりかと思いつつ銃を向けていた俺を睨みつけた吸血鬼は、歯を食いしばりながら駆けだすと、自分の腕で作った禍々しい剣を両手に持ったまま跳躍し、空中からそれを振り下ろしてくる。

 

 怒り狂っている証なのか、彼は必死に歯を食いしばっている。人間よりも遥かに鋭い牙の間からは涎が垂れ落ちていた。

 

 ハンドガンの銃剣で受け止め、がら空きになっている腹を思い切り蹴り飛ばす。俺の右足は見事に吸血鬼のみぞおちに突き刺さり、吸血鬼は両手の剣から手を離しながら吹っ飛ぶと、一時的に呼吸ができなくなる苦しみに嬲られながらゆっくりと起き上がった。

 

 怒り狂えば相手は容赦がなくなる。確かに恐ろしい事だが―――――――怒れば、俺の事しか見えない。自分が憎悪を向ける怨敵の事しか見えなくなってしまう。

 

 周りに、更に危険な射手が潜んでいるというのに………。

 

「―――――――グボォッ!?」

 

 次の瞬間、剣を拾い上げようとしていた吸血鬼の上半身が爆ぜた。

 

 両腕の一部や胴体の欠片が鮮血と共に噴き上がり、崩れ落ちていく下半身の周囲の雪を真っ赤に汚していく。雪の中に漂い始める猛烈な血肉の臭いの中に混じったのは、幼少の頃から何度も嗅いでいる炸薬の臭いだ。

 

 俺のハンドガンが放つ9mm弾では、1発で吸血鬼の上半身を粉々にする破壊力はない。ハンドガンどころか、大口径の7.62mm弾を使用するアサルトライフルやバトルライフルでも、粉々にするのは不可能である。

 

 肉体を砕くには、12.7mm弾などのアンチマテリアルライフルクラスの攻撃でなければならない。そんな強烈な攻撃をいつでも繰り出せて、なおかつ吸血鬼の近くにいたのは―――――――彼女しかいないだろう。

 

 唐突に、吸血鬼から見て左側に広がっていた雪と冷たい風だけの空間が歪んだような気がした。まるで粘土と化した鏡を目にしているかのように空間が歪んだかと思うと、その歪んだ空間の中から漆黒の無骨な銃身が姿を現す。

 

 先端部に装着されているのは、まるで空洞になった金槌を横倒しにしたかのようなT字型のマズルブレーキ。その先端部から根元へと向けて伸びるのは、従来のライフルよりも遥かに強靭な銃身だ。銃身の下部には太いバイポッドが装備されており、一目で遠距離からの狙撃を主眼に置いた大口径の狙撃銃であるという事が分かるが、肝心な照準用のスコープは見当たらない。

 

 いや、彼女には必要がないのだ。

 

 キメラは簡単に言えば、突然変異の塊である。そのキメラの中でも特に特異な体質を持つ彼女だからこそ、スコープを装着していないライフルで約2km先の標的を撃ち抜くという離れ業を常に成功させられるのである。

 

 常にそんな遠距離で百発百中なのだから、こんな近距離で命中させられるのは朝飯前だろう。

 

 歪んだように見えた空間の中から巨大なライフルを手にして姿を現したのは、純白の防寒着に身を包んだ俺の腹違いの姉だった。純白の防寒着を身に着け、雪に囲まれているからなのか、炎や鮮血を思わせる彼女の特徴的な赤毛はいつもよりも映える。

 

 普段は俺に甘えてくる腹違いの姉の今の目つきは――――――――全くいつもと違う。そう、今は優しいお姉ちゃんではない。

 

 父親の最も獰猛な部分が遺伝したのか、彼女の目つきは甘えてくるお姉ちゃんとは思えないほど鋭く、とても冷たい。ずっと目を合わせているうちに身体が凍り付いてしまうのではないかと思ってしまうほど冷たい目が見据えているのは、照準器の向こうで再生を始め、起き上がろうとしている吸血鬼の姿である。

 

 彼女の左手が、素早くボルトハンドルを引く。ガキン、と無骨で重々しい金属音が雪の中に響き、通常のライフル弾よりも遥かに巨大な薬莢が、陽炎と熱を纏いながら雪の中へ消えていく。

 

「クソ、調子に乗りやがって………!」

 

 先ほどの膨れ上がった魔力が、再生が終わったばかりの吸血鬼の右腕に集中する。毒々しい紫色の光となって実体化したそれは、彼の右手の前で人間の胴体くらいの大きさの魔法陣を展開したかと思うと、その表面にいくつかの小さな紫色のエネルギー弾を形成し始める。

 

 相手の反撃を察した俺は、再装填(リロード)を終えたハンドガンを手にしたまま吸血鬼へと向かって駆けだした。相手が攻撃する前に阻止できればいいが、おそらくあの魔術を止めることは不可能だろう。もう詠唱は始まっており、魔法陣も完成している。ステラが以前に闘技場でやったように暴発を狙うのは無理である。

 

 ダネルNTW-20を構えていたラウラが、再び姿を消した。彼女は俺と違って氷を操るキメラで、外殻の形成による防御を苦手としているが、その代わりに便利な能力を身に着けている。

 

 その一つが、氷を操る能力だ。空気中の水分を集中させて瞬時に氷結させることで、何もない空間から氷の槍を生成して攻撃したりする事ができるのだが、それはまだ序の口だ。彼女の能力の真価は、現代兵器と組み合わされた際に発揮される。

 

 姿を消したように見えるが、彼女の姿が消えたわけではない。あれも氷の能力の応用で、自分の身体の周囲に展開した氷の粒子を身に纏っているだけなのだ。極めて透明度の高い氷の粒子たちを身に纏う事で周囲の口径を反射させることで、まるでマジックミラーのように自分の姿を消しているのである。

 

 しかも消費する魔力の量も少ないため、魔力で探知することも不可能。しかも氷の粒子でしかないため極端に温度が下がることはなく、温度で彼女を探知することも不可能となる。魔術でも、現代兵器の技術でも探知することは極めて困難な狙撃手なのである。

 

 そんな存在が、相手を一撃で仕留められるような大口径の狙撃銃を装備していれば、敵は彼女に怯えながら戦わなければならない。

 

 ラウラが姿を消した瞬間、吸血鬼は目を見開いた。いきなり赤毛の少女が姿を消してびっくりしたんだろう。

 

 だが、出来るならば俺も警戒して欲しいものだ。ラウラももちろん吸血鬼を攻撃するが、すぐ目の前に敵の1人がいるんだぜ?

 

「ッ!」

 

「はぁっ!!」

 

 体勢を低くしつつ、まるで発射されるミサイルのようにハンドガンの銃剣を上へと振り上げる。吸血鬼の鼻を掠めたが、仮に吸血鬼の顔を切り刻んでいたとしても致命傷ではなかっただろう。銃剣の刀身は通常の素材で作られているため、吸血鬼の弱点ではないのだから。

 

 こいつを仕留めるには、銀や聖水などの弱点で何度も攻撃したり、複数の弱点で同時に攻撃しなければならない。先ほどから何度も銀の弾丸を撃ち込んでいるが、立て続けに再生しているという事はこいつも強力な吸血鬼という事だ。

 

 幹部クラスの吸血鬼ということか。

 

 やはり、あのフランシスカとは格が違う………!

 

 くるりと回転して左手のCz75SP-01の銃剣で斬りつけつつ、右手のハンドガンの銃口を押し付け、何度もトリガーを引いた。銀の9mm弾が肉体に撃ち込まれ、内臓を引き裂く度に吸血鬼の肉体がびくりと痙攣を繰り返す。彼らの再生能力でも再生が困難な攻撃手段が、彼らの内臓をズタズタにしていく。

 

「ガァッ! ギッ……! ギェッ………!? このぉッ!!」

 

 ずぼん、と銃剣を腹から引き抜き、そろそろ攻撃を切り上げようとしたその時だった。まだ片手に持っていたあの禍々しい剣を、吸血鬼が振り下ろしてきたのである。

 

 銃剣で受け止めるべきかと思いつつ、斜面を覆う雪を蹴って後ろへと下がりつつ得物を構えるが――――――銃剣で受け止める筈だった相手の剣戟は、飛来しなかった。

 

 剣が振り下ろされた瞬間に、何の前触れもなく吸血鬼の片腕が吹っ飛んだのである。

 

「ガァッ!?」

 

 飛来する攻撃を受け止めるため、上を見上げつつ得物を構えていた俺には、その攻撃の正体が見えた。

 

 銃声を置き去りにして飛来した20mm弾が側面から襲い掛かり、吸血鬼の肘の辺りに着弾したのだ。いくら恐ろしい再生能力を持つ吸血鬼とはいえ、防御力そのものは人間と大差ない。つまり20mm弾が直撃すれば、常人のように呆気なく吹き飛ばされてしまうのである。

 

 凄まじい速度で振り下ろされる吸血鬼の腕を、スコープを装着していないライフルでラウラが狙撃したのだ―――――――。

 

 防御力は人間と変わらないが、瞬発力は人間の比ではない。その速度はおそらく弾丸の飛来する速度と同程度だろうか。ラウラはそんな凄まじい速さで振り下ろされる腕を、側面から正確に撃ち抜いたのである。

 

 親父が「狙撃の技術ではラウラに負けた」と笑いながら認めていたが、やはり―――――――彼女の狙撃の技術は、ヤバい。

 

「――――――怪我はない?」

 

「あ、ああ」

 

 片腕を失って絶叫する吸血鬼を蹴り飛ばしながら答えると、ラウラはアンチマテリアルライフルを背負いながら、腰に下げていた銃身の短い2丁のアサルトライフルを取り出した。一見するとブル・パップ式のSMG(サブマシンガン)のようにも見えてしまうほど銃身が短く、トリガーとグリップの前はすぐに銃口になっている。銃身の上部へと伸びるキャリングハンドルはフランス製アサルトライフルのFA-MASを彷彿とさせるけど、やはり銃身が短すぎる。

 

 彼女が取り出したのは、ロシア製ブルパップ式アサルトライフルのOTs-14グローザだ。短すぎる銃身とキャリングハンドルが特徴的な、特殊部隊用のアサルトライフルである。

 

 中距離戦や近距離戦になった場合のメインアームとして彼女に支給していたそれを手にしたという事は、ラウラも接近戦に移るという事なんだろう。

 

 俺たちの目の前で、またしても吸血鬼が起き上がる。弱点の銀で立て続けに攻撃しているというのに、死ぬ気配はない。不死身なのではないかと思ってしまうほどの再生能力だが―――――――よく見ると、傷口の再生速度が段々と遅くなってきているのが分かる。

 

 緩やかに断面から骨と筋肉の束が伸び、少し遅れながらその表面を皮膚が覆っていく。やがて手首が元通りになり、筋肉の束と骨が5つに分かれて指を形成していき、元の手の形に戻る。先ほどまでは10秒足らずで再生していたが、今ではもう倍以上の時間がかかっている。

 

 つまり、弱っているという事だ。

 

「ラウラ!」

 

「うんっ!」

 

 一気に畳みかける!

 

「こ、この………ガキ共がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 先ほどから何度も手足を吹き飛ばされ、追い詰められた吸血鬼が絶叫する。

 

 左手を突き出し、凄まじい速さで魔法陣を形成する吸血鬼。そこから無数の紫色の矢にも似た光が放たれるが、その命中精度は最悪だった。本当に俺たちを狙っているのかと思ってしまうほど、照準がずれている。弱っているせいで照準を合わせられなくなったのか、それとも激昂しているせいで照準を合わせる余裕がないのだろうか。

 

「俺は……吸血鬼だぞ!? てめえらみたいな人間とドラゴンの混血みたいな、中途半端な化け物とは違うんだッ! 俺は吸血鬼だ! 世界を支配した吸血鬼の1人なんだッ!!」

 

 それは300年前の話だろうが。

 

 世界を支配したレリエルは大天使に封印され、11年前に親父に倒された。もうお前たちの英雄は、この世に存在しないんだ。

 

 街中にいればたちまち少女たちが集まってくるような金髪の青年の美貌は、憤怒で滅茶苦茶になっていた。美しい金髪は自分の血で汚れ、野心家を思わせる目つきはすっかり鋭くなってしまっている。元々顔が美しかったからなのか、なおさら醜悪に見えてしまう。

 

 姿勢を低くし、再び前傾姿勢になりながら攻撃を仕掛けようとする俺とは対照的に、隣を走っていたラウラが跳躍した。彼女のブーツのかかとの辺りからサバイバルナイフを展開し、まるでかかと落としを叩き込むかのようにサバイバルナイフを吸血鬼の頭に振り下ろす。

 

「ぎえっ―――――――」

 

 がつん、と頭蓋骨にナイフの刀身が激突する音が聞こえてきた。吸血鬼が血の混じった涎を口の端から垂れ流しながら、白目を剥いている。

 

「やっぱり、無理だったじゃねえか」

 

 銃剣を喉元に突き刺し、そのままトリガーを引きながら冷たい声で言う。

 

「俺は殺せないし、ラウラも犯せない」

 

 首を穴だらけにしつつ、銃剣を引き抜いて何度も振り払う。尻尾でマガジンを交換しつつ再装填(リロード)を済ませ、再生している途中だというのに斬撃と射撃で追い詰めていく。

 

 俺の9mm弾とラウラの7.62mm弾に蜂の巣にされた吸血鬼は、もう断末魔すら発することもできずに、闇属性の魔力と鮮血を風穴から垂れ流しながら、崩れ落ちていった。

 

「―――――――お姉ちゃん(ラウラ)は、俺のものだ」

 

 誰にも渡さない。

 

 こんな奴に――――――――渡してたまるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の中に、その物体は屹立していた。

 

 純白の雪に埋め尽くされた古い炭鉱のクレーターの中から伸びる柱にも似たそれは、まるで天空を貫こうとする槍のようにも見える。しかし、槍と呼ぶには機械的な形状で、下部に行けば行くほど形状は複雑になっている。

 

 スオミの里の外れにある炭鉱に設置されているそれは、里の切り札としてタクヤが所有するポイントの大半を費やして設置していった巨大兵器であった。その兵器を、戦士たちは――――――――『スオミの槍』と呼んでいる。

 

 槍に見える胴体だけで、その長さは約36mに達するだろう。無骨で巨大な台座に支えられたその巨躯の内部は空洞になっており、胴体はまるで巨大な橋を支えるための支柱にも似た柱で補強されている。

 

 その槍の周囲では、防寒着に身を包んだスオミの里の戦士たちが慌ただしく作業を続けていた。キャットウォークの上を駆け回り、壁面に埋め込まれたスイッチを操作してレバーを倒し、後端部にあるクレーンで巨大な物体を釣り上げる。太いワイヤーとアームによって掴み上げられたその物体は、円錐状の先端部と楕円形の胴体を持つ、まるで砲弾のような形状の金属の塊であった。

 

「急げ、アールネたちからの砲撃要請だ!」

 

「オーライ! よし、砲弾下ろせ!」

 

「イエッサー!!」

 

 クレーンで釣り上げられていたそれは、ただの鉄の塊などではない。今から後端部から槍の内部に装填され、雪山で戦う仲間たちを苦しめる敵の元へと砲弾が送り届けられるのである。

 

 スオミの槍と呼ばれるその切り札の正体は―――――――かつてドイツ軍が、第一次世界大戦で投入した『パリ砲』と呼ばれる巨大な列車砲をベースにした、超遠距離砲撃用の巨大な滑腔砲である。

 

 パリ砲は、その名の通りドイツ軍がパリを砲撃するために設計した巨大な列車砲である。当時の戦車砲や戦艦の主砲だけでなく、第二次世界大戦の戦艦の主砲でも類を見ないほど長大な砲身を持つ巨大な兵器で、その射程距離はなんと約130kmにも達する。発射された砲弾は高高度まで高度を上げ、そのまましばらく成層圏を飛行してから目標地点に落下するのである。

 

 スオミの槍は、そのパリ砲の発展型と言える。

 

 砲身を約28mから36mに延長し、列車に搭載するのではなく地表に固定することで強度を確保してある。延長された砲身の負荷は支柱の増設によって補っており、砲身内部に用意されていたライフリングも撤去して滑腔砲に変更している。滑腔砲を採用したのは、砲身の強度の確保と軽量化とコスト削減のためである。

 

 口径は戦艦大和と同じく46cmに大型化することにより、更に破壊力を向上させることに成功した。その代わり砲弾の装填は後端にあるクレーンで行う必要があり、再装填(リロード)にはかなり時間がかかってしまう。

 

 しかし、各所を自動化して人員を削減しているため、このスオミの槍の運用に必要な人員は僅か10名となっている。

 

 発射された砲弾は改造前のパリ砲と同じく、高高度まで一気に高度を上げる。そのまま落下して目標を撃破するというのは同じだが、こちらは砲弾の先端部にセンサーを搭載しており、スオミの里に配備されているコマンチやブラックホークが目標へと誘導するか、歩兵が砲撃支援要請地点に誘導用のビーコンを設置することで、そのビーコンへと落下するようになっているのである。これによってビーコンが確実に機能している場合に限り命中率は100%となっており、最大射程となる260km以内であれば確実に命中するようになっている。

 

 装填できる砲弾は通常弾や榴弾だけでなく、アメリカ軍が開発した圧倒的な破壊力を誇る爆弾の『MOAB』を内蔵した特殊榴弾も発射可能となっているため、その破壊力が山脈を破壊しかねないというのは想像に難くない。

 

 その怪物が、ついに実戦に投入されるのである。

 

『装填完了!』

 

「よし、では砲撃要因以外はただちに地下壕へと退避せよ。警報発令!」

 

『了解! ………おい、退避急げ! 吹っ飛ぶぞ!!』

 

 砲撃体勢に入ったことを意味するサイレンが響き渡り、それを耳にした作業員や戦士たちが炭鉱の坑道を改造した地下壕へと退避していく。

 

 最後の1人が地下壕へと入り、分厚い金属製の扉を閉鎖したのを双眼鏡で確認したマンネルヘイムは、くるりと後ろを振り返ると、砲手の座席に腰を下ろす戦士に向かって頷いた。

 

 凄まじい射程距離と破壊力を併せ持つだけでなく、発射の際の衝撃波まで凄まじいため、使用する際は長老であるマンネルヘイムの承認が必要となる。アールネたちがニパの救出に向かった際、もしかしたらこの最終兵器の出番があるのではないかと思っていたマンネルヘイムは、予想通りに出番があったことに驚きながらもすぐに使用を承認していた。

 

 下手をすると味方を巻き込む可能性があるが――――――――アールネならば上手く退避するだろう。彼はそう思っていたからこそ、あっさりと承認したのである。

 

 装填した砲弾は、デーモンやグールなどに効果があると言われている聖水を内蔵した『聖水榴弾』。着弾してから炸裂し、広範囲に聖水と衝撃波をまき散らすという恐るべき兵器である。聖水は常人に対しては全く殺傷力は無いものの、衝撃波だけでもヘリが墜落するほどの破壊力があるため、どの道付近の味方は退避させなければならない。戦艦大和の主砲と同じ口径の破壊力は伊達ではないのだ。

 

「砲撃準備完了。スオミの槍よりカワウ1-3へ。砲撃地点の誘導を開始せよ」

 

『了解!』

 

 砲手の目の前にあるモニターに、シベリスブルク山脈の地図が表示される。その山脈の麓の部分に何の前触れもなく赤いマーカーが浮き上がったかと思うと、そのまま点滅を始めた。

 

『砲撃地点、転送しました』

 

「了解、確認した。ただちに着弾地点周辺より退避せよ」

 

『了解! 兄さん、退避を!!』

 

『分かってる! おい、回収頼む! ハユハたちにも逃げろって伝えろ! 吹っ飛ぶぞ!!』

 

 着弾すれば、あのマーカーの周囲は衝撃波で蹂躙されることだろう。デーモンやグールでは耐え切れまい。

 

「砲身角度修正、仰角2度。………修正良し」

 

 発射された砲弾は、落下を開始する段階で目標地点へと誘導され始める。そのため正確に照準を合わせる必要はないのだが、適当に照準を合わせれば当然ながら命中しない。爆風や衝撃波で蹂躙される範囲が広いために、調整は正確に合わせる必要がある。

 

 がごん、と重々しい音が聞こえ、長大な砲身が固定される。

 

「カウントダウン開始。………10、9、8、7、6、5、4、3、2、1……0!」

 

「―――――――打ち壊せ(ハッカペル)ッ!!」

 

「発射(ファイア)ぁッ!!」

 

 砲手が発射スイッチを押した直後――――――――36mの砲身が、火を噴いた。

 

 



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スオミの槍が着弾するとこうなる

 チャレンジャー2を放棄したナタリアたちは、レオパルト2A4と合流してから得物を受け取り、戦車の随伴歩兵として奮戦を続けていた。既にデーモンやグールに甚大な大損害を与えるほどの奮戦を続けているのだが、まだかなりの物量だった敵の生き残りは多い。

 

 しかも、戦車が随伴歩兵のために速度を落としたことによって、後方に置き去りにしてきたグールたちも少しずつ戦車に追い付き始めたのである。前方や側面にはデーモンの生き残りが残っており、後方からはグールの突撃。包囲網が形成されつつあるが、強力な戦車砲を持つ主力戦車(MBT)を包囲するならばもっと防御力のある怪物を配置するべきだろう。いくら強靭な肉体を持つ打たれ強い怪物とはいえ、その防御力を発揮しているのは所詮表皮や分厚い筋肉である。防御力の秘密がそれらである以上、120mm滑腔砲を防ぎ切ることはまさに不可能と言えた。

 

 案の定、またしても形成炸薬(HEAT)弾の一撃がデーモンの首に喰らい付いた。瞬く間に喉元にめり込んだその砲弾は、瞬時に膨れ上がると、デーモンの喉をメタルジェットで貫き、更に爆風で抉り取る。山羊にも似た頭があっさりと砕け散り、爆風に焦がされながら巨躯が崩れ落ちていく。

 

 仲間がやられても、グールやデーモンは怯える様子はない。人間の怨念によって形成されている彼らが怯えることはないのだ。仲間が死んで怯えるのではなく、むしろ憎悪を増幅されて襲いかかってくる。それゆえにデーモンやグールは逃げることはないのである。

 

 PP-2000で後方へと弾幕を張りつつ、そろそろRPG-7V2の対人榴弾でグールの群れを吹き飛ばしてやろうかと思っていたナタリアは、SMG(サブマシンガン)を腰へと下げ、背中に背負っていたロケットランチャーへと手をかけようとした。しかし、まるで無駄弾を使うなと言わんばかりに耳に装着していた小型無線機からアールネの野太い声が聞こえてきたため、彼女はロケットランチャーで一網打尽にする事を断念する羽目になる。

 

『おい、ナタリア!』

 

「アールネ? どうしたの?」

 

『そこにいる転生者たちと一緒に、早くその辺から離れろ! スオミの槍が発射された!』

 

「………砲弾は?」

 

『聖水榴弾! とにかく逃げろ!!』

 

 取り乱さずに砲弾の種類を聞き出す事ができたのは、何度も実戦を経験して冷静さに磨きがかかっていたという事なのだろう。以前までの彼女であれば、砲弾の種類も聞かずに取り乱し、そのまま仲間に退避するように伝えていたかもしれない。

 

 急いで退避することも重要だが、砲弾の種類によって攻撃範囲や貫通力も異なる。榴弾のようなタイプならば爆発の範囲が広いため遠くまで逃げなければならず、徹甲弾のようなタイプならば貫通力はある代わりに爆発の範囲は狭いため、それほど遠距離まで逃げる必要はないのである。

 

 聖水榴弾は榴弾の一種で、やはり爆発範囲は広い部類に入る砲弾だが、殺傷に使うのは通常の榴弾のような爆風ではなく、吸血鬼やデーモンなどに有効と言われている聖水である。砲弾の内部には炸薬と聖水が内蔵されており、爆発した瞬間に内部の聖水が広範囲にばら撒かれる仕組みになっている。

 

 人間には全く害がないが、聖水は吸血鬼たちにとっては強酸性の液体に等しい。身体に付着すればたちまち肉や骨が溶けてしまうほどだ。しかし人間に害がないとはいえ、爆発の際の衝撃波は人間を吹き飛ばし、戦闘ヘリを地面に叩き落とすには十分すぎるほどである。

 

「戦闘中止! クランちゃん、聞こえる!?」

 

『どうしたの?』

 

「今すぐ戦闘を中止して! 味方からの支援砲撃が来るわ!」

 

『あらあら、ビビってるの? このヴァイスティーガーが支援砲撃ごときでやられるわけないでしょ?』

 

 確かに、複合装甲で守られた最新の戦車ならば、支援砲撃が直撃しない限り破壊されることはないだろう。しかも、味方からの支援砲撃である。前線の仲間を巻き込まないように配慮するのが当たり前だ。

 

 だが、それは通常の支援砲撃を想定した場合である。スオミの里に配備されているスオミの槍は、軍隊に配備されているような自走砲とはまさに別格なのだ。

 

「何言ってるの!? 巻き込まれるわよ!?」

 

『だから、支援砲撃くらいで―――――――』

 

「馬鹿、46cmよ!?」

 

『えっ、何が?』

 

 スオミの槍の口径を教えたことで、戦車の防御力に自信を持っていたクランが揺らいだ。

 

「だから、砲弾! 46cm砲なの!!」

 

『………そ、それって日本(ヤーパン)の大和と同じ………?』

 

『そ、そうだな。戦艦大和の主砲と同じだ………』

 

 一般的な戦車砲と同じ120mm弾であれば、まだ耐えることはできただろう。しかしあの戦艦大和の主砲と同じサイズの砲弾が、成層圏から垂直に落下してくるのであれば、いくら最新の戦車でも一撃で確実にスクラップと化すことは想像に難くない。

 

 走行する戦車の上に飛び乗ったナタリアの無線機からは、早くも狼狽を始めるクランやケーターたちの声が聞こえてきた。

 

『ちょ、ちょっと、何なの!? 46cm砲!? 何を要請してるのよ!?』

 

『木村、急いで逃げろぉッ!! 46cm砲の支援砲撃が来るぞぉっ!!』

 

『う、嘘ぉ!? 何それ!? えっ、何!? 何なのそれぇっ!?』

 

『別格じゃん! 木村、急いで逃げろ!』

 

「待って、まだタクヤたちが戦ってる!」

 

 このまま逃げれば、砲弾の爆発の範囲外へと逃げることはできるだろう。しかし、まだ砲弾が着弾する予定の地点では、まだタクヤとラウラが吸血鬼と戦っているのである。

 

 逃げる前に、まずあの2人を回収しなければならない。

 

 後ろを振り向いながら、ラウラは砲塔のハッチを開けた。たちまち狼狽する少年たちのやかましい声が溢れ出したが、彼女は顔をしかめながら手を伸ばしてクランの肩を叩く。

 

「早く、引き返して! 仲間がまだ残ってるの!!」

 

「当たり前じゃない! 仲間は見捨てないわ!! 木村、Uターンしなさい!!」

 

「え、逃げるんじゃないの!?」

 

「仲間を回収してから逃げるわ! 着弾までの猶予は!?」

 

「待って。………スオミ司令部、着弾までの時間は!?」

 

『――――――およそ230秒!』

 

「了解! この速度なら間に合うわ! お願い!!」

 

「了解(ヤヴォール)、お嬢さん(フロイライン)!! 木村、引き返しなさい!!」

 

「や、了解(ヤヴォール)!!」

 

 聖水榴弾の弾着まで、あと230秒。

 

 反転する戦車の上で、ナタリアは息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギエェェェェェェェェェェェェェッ!!』

 

「しぶといな………くそったれ」

 

 もう、再生する速度はかなり遅くなっている。このまま奴に風穴を開け続ければいずれ動かなくなるのは明らかだが………砲弾が着弾するまでに決着をつけるのは難しいだろう。

 

 先ほどのHQ(ヘッドクォーター)との通信は聞いていた。だから、スオミの槍が実戦に投入されるという事も把握している。俺の持つポイントの大半を消費して設置された46cm砲が、ついに異世界で火を噴いたのだ。

 

 弾着までの時間は残り230秒。約4分か………。どうやらナタリアたちが迎えに来てくれるみたいだが、俺たちももう戦闘を止めて逃げた方がいいかもしれない。こいつを始末する事ができても、自分が用意した兵器の一撃で吹っ飛ばされるのはごめんだ。

 

 ラウラのアンチマテリアルライフルで下半身を吹き飛ばされた吸血鬼は、もうゾンビのような姿になっていた。聖水の入った対吸血鬼手榴弾で皮膚はいたる所が溶けており、顔の左半分はまだ再生の途中だ。腰から下を20mm弾で食い千切られてもまだ俺たちを殺そうとする執念にはぞくりとしてしまうが、その執念はあと230秒で消え失せる。

 

 聖水を内蔵した1発の砲弾が、こいつの狂気と殺意を消滅させる。今頃成層圏を飛んでいる最中だろうか。

 

 コートの内ポケットからCz2075RAMIを取り出し、傍らに落ちている剣を拾い上げようとする吸血鬼の眉間に、引導を渡すかのように9mm弾を撃ち込む。ゾンビのようになっている彼の眉間に風穴が開き、美しかった青年の吸血鬼の頭ががくんと揺れる。後頭部から貫通した銃弾と血肉をまき散らしながら動かなくなった彼を一瞥しながら、俺はハンドガンを内ポケットに戻した。

 

「ラウラ、逃げよう」

 

「うんっ!」

 

 聖水榴弾は、爆風の代わりに聖水をまき散らす対吸血鬼用の砲弾である。有事の際はスオミの里にも支援してもらおうと配備しておいた砲弾だが、まさか記念すべき実戦での最初の砲弾が一番用途が少ない砲弾になるのは予想外だった。

 

 しかし、デーモンやグールも聖水を苦手としている。着弾すればこの周囲にいる敵は全滅する事だろう。だが、逃げ遅れればおまけに俺たちまで全滅してしまう。

 

『タクヤ、聞こえる!?』

 

「ナタリアか!」

 

 武器を背負って逃げる準備をしていると、耳に装着していた無線機からナタリアの声が聞こえてきた。どうやらもう戦車の上でタンクデサントしているらしく、聞き慣れた戦車のエンジン音まで聞こえてくる。

 

『こっちよ、早く!』

 

 唐突に、今度は雪の降り注ぐ空の真っ只中に真紅の閃光が煌めいた。おそらく彼女に渡しておいたカンプピストルの信号弾だろう。ピストル程度の大きさのグレネードランチャーのような得物だが、支援砲撃や航空支援の際の事も想定して信号弾も発射できるように改造してあるのだ。

 

 ナタリアに渡したのは、彼女が戦車を指揮する事が多いためである。

 

 彼女の閃光のおかげで、仲間の位置も把握できた。耳を澄ましてみると、確かに信号弾が打ち上げられた方向からは戦車のエンジン音やキャタピラの音が聞こえてくるし、グールたちを迎え撃つ仲間たちの銃声も聞こえてくる。発達したキメラの聴覚でなくても聞き取れる音だ。

 

 武器を背負い、信号弾が打ち上げられた地点まで全力疾走する。必死に雪に覆われた斜面を蹴り、血で真っ赤に染まった雪原を置き去りにしながら走り続ける。

 

 降り注ぐ雪の向こうに、段々と銃口で煌めくマズルフラッシュの輝きが見えてきた。太陽のようなはっきりした光ではなく、雪のせいでぼんやりとしている光を見た俺は、前世の世界で夏に何度も目にした蛍の群れを目にしたことを思い出してしまう。

 

 虐待を繰り返すクソ親父から逃れる事ができた季節は夏くらいだっただろう。その夏の夜に、よく母は俺を連れて祖父と祖母の住む家へと連れて行ってくれた。

 

 傷だらけになった俺の顔を見る度に離婚を奨める祖父と母の話し合いを聞きながらの生活だったけど、あんな家で生活するのと比べれば楽園だった。小さなスーパーくらいしかない田舎だったけど、俺はあの田舎で過ごすのが好きだったんだ。

 

 蛍を見たのも、そんなお盆の夜だったか………。

 

 物騒なマズルフラッシュから幼少の頃に見た光景を連想しているうちに、雪の中にシュルツェンを装着した無骨な戦車の輪郭が浮かび上がった。まるで雪に溶け込むことを望んでいるかのように真っ白な装甲は所々鮮血で汚れており、砲塔の上に配置されているMG3はひっきりなしに火を噴き続けている。その傍らでは、真っ白な防寒着に身を包んだ歩兵たちが接近してくるグールを片っ端から蹂躙していた。

 

 ああ、仲間たちだ―――――――。

 

 腰に下げていたAN-94を取り出し、セレクターレバーを2点バーストに切り替える。近距離での射撃になるからタンジェントサイトの調整は必要ない。隣ではラウラも同じくグローザを引き抜き、射撃の準備をしている。

 

 お互いの顔を見つめて同時に頷き―――――――俺たちは銃を構えながら、駆け出した。

 

 彼女が何をしたいのか、分かる。

 

 銃口を上げ、戦車に殺到していたグールを背後から撃ち抜く。干からびた肉片を舞い上げながら崩れ落ちるグールを蹴り飛ばし、背後の敵に気付いたグールの顔面を、回転しながら振り回した銃床で打ち据える。

 

 隣にいたラウラもブーツのかかとの辺りに装着されたサバイバルナイフを展開し、蹴りを放つかのようにナイフを振り上げる。みし、と刀身がグールの首筋に食い込み、まるで斧に割られる薪のようにあっさりとグールの頭が弾け飛ぶ。

 

「ナタリア!」

 

「2人とも、早く!!」

 

 背後から剣を振り下ろそうとしていたグールをCz75SP-01で撃ち抜き、またグールを蹂躙する。2人で一緒に飛び乗れば隙ができてしまうため、最初はラウラに乗ってもらうとしよう。お姉ちゃんだし、親父や母さんからは紳士的な男に育てと小さなころから言われていたからな。

 

 レディーファーストだぜ、お姉ちゃん。

 

「タクヤ、早く!!」

 

「おう!」

 

 ラウラが伸ばしてきた手を握りながら、俺も戦車の車体をよじ登る。シュルツェンの上に足をかけて車体の上に飛び乗った俺は、まだ俺たちを切り刻むために殺到するグール共を見下ろしながら銃口を向け、セレクターレバーをフルオートに切り替えた。

 

「いいわよ!」

 

「木村!」

 

『了解(ヤヴォール)!!』

 

 さあ、あとは逃げるだけだ!

 

「HQ(ヘッドクォーター)、着弾までの時間は!?」

 

『あと170秒! 退避急げ!』

 

 170秒以内に爆発する範囲の外に逃げられるのか………?

 

 不安になる俺たちの頭上を、2機のコマンチとブラックホークが通過して行った。どの機体にもスオミ支部のエンブレムが描かれており、ブラックホークのキャビンの中からはアールネと思われる戦士が俺たちに手を振っている。

 

 どうやらニパたちの救出は成功したようだ。コマンチ1機が大破し、チャレンジャー2は放棄か………。

 

 あ、そうだ。今のうちにチャレンジャー2を装備から解除しておこう。そうすれば聖水榴弾の衝撃波で吹っ飛ぶことはないし、12時間経過すればまた乗れるようになる。すっかり大破してしまったコマンチは作り直すしかないが、チャレンジャー2はまだ大破を免れることは出来そうだ。

 

 メニュー画面を開くと、いきなりレベルが上がったというメッセージが表示された。くそ、今は戦車を装備から解除したいだけなのに………!

 

 何度もタッチを繰り返してメッセージを消し、装備している兵器の一覧の中からチャレンジャー2を選択する。スラット・アーマーは砲塔や車体の脇に増設したものが大破しており、正面の爆発反応装甲もいくつか台無しになっているが、小破程度の損害だ。燃料と砲弾さえあれば、整備無しでそのまま戦えそうな状態である。

 

 複合装甲を増設しておいてよかったと安堵しながら装備から解除したその時だった。

 

 べちん、と湿った何かが車体に叩き付けられたような音がして、俺ははっとしながら後ろを振り向いた。まだ追いかけてくるグールをMG3の掃射で引き離していた仲間たちも、7.62mm弾のベルトの再装填(リロード)を一旦止めて訝しむ。

 

 ちょっと待て。何の音だ………?

 

 まるで水で濡れたタオルを、思い切り車に放り投げたような音だった。

 

 目を細めながらハンドガンを抜き、音の聞こえてきた方向を見下ろす。聞こえてきたのは車体の右側後部だ。シュルツェンが装着されている辺りである。

 

「今の音は何………?」

 

「待ってろ」

 

 Cz2075RAMIを構えながら、俺はその音が聞こえてきた右側の後部をゆっくりと覗き込んだ。千切れ飛んだグールの肉片でも飛んできたのだろうかと思ってたんだが―――――――それの正体を目にした瞬間、俺は息を呑む羽目になった。

 

 シュルツェンの縁に、ピンク色のロープにも似た何かが絡み付いていたのである。最初は本当に肉片かと思ったんだが、グールの肉片はもっと干からびている。それに対してその肉のロープのような物体の表面は湿っていて、戦車のキャタピラの跡が刻まれた後方へとずっと伸びていた。

 

 何だこれ? まさか、腸か………!?

 

「うえっ………!」

 

 マジかよ。戦車の装甲に腸が絡み付いてやがる!

 

「クソキメラがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「―――――――やれやれ」

 

 しつこい奴だ。

 

 ハンドガンを内ポケットに戻しながら、俺は肩をすくめつつ後方を見据えた。

 

 雪が降っているせいで後方はあまり見えない。戦車を追っていたグールやデーモンも、もう雪のせいで見えなくなっている。だから後方を振り向けば真っ白な空間が広がっている筈だったんだが―――――――そのスクリーンにも似た真っ白な空間の中に、人影のようなものが浮かび上がっている。

 

 装甲に絡み付いているグロテスクな腸は、その人影の腹部から伸びていた。

 

「逃がすかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! てめえらは、この俺が殺してやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」

 

「ふにゅう………しつこい上にキモいね」

 

「まったくだ」

 

 お前は俺たちにフラれたんだよ。大人しく雪の中で寝てろ。

 

 背中に背負っていたOSV-96を取り出し、折り畳まれていた銃身を展開する。元々は12.7mm弾を発射するようになっていたアンチマテリアルライフルだが、銃身や内部を改造したことによって14.5mm弾を連射できるようになった強力な銃である。人間に命中すれば、一撃で木端微塵になるだろう。

 

 俺の隣では、ラウラがダネルNTW-20をを取り出しているところだった。こちらは俺の銃と違ってボルトアクション式であるため、発射する度にボルトハンドルを引く必要があるが、発射する弾薬は俺の14.5mm弾よりも遥かに破壊力のある20mm弾である。弾薬にもよるが、人間どころか装甲車を相手にするのにも十分な破壊力を持っている。

 

 爆走する戦車の上で、俺とラウラは同時に銃口を人影へと向けた。もちろん、俺たちの銃に装填されているのは通常の弾薬ではなく―――――――対吸血鬼用の銀の弾丸だ。

 

 さあ、あのキモいストーカーにお見舞いしよう。

 

「今は昼間だぜ」

 

 そう、まだ昼間だ。まだ吸血鬼の時間じゃない………。

 

 夜更かししちゃダメだろうが。

 

「――――――――眠ってな、吸血鬼(ヴァンパイア)」

 

「――――――――おやすみなさい」

 

 標的までの距離は、僅か150m。幼少の頃に魔物を相手にしていた時よりも近い上に、標的はこっちに向かって走っているだけだ。命中させるのは朝飯前である。

 

 スコープのカーソルに照準を合わせ―――――――俺とラウラは、トリガーを引いた。

 

 さようなら、吸血鬼(ヴァンパイア)。

 

 吸血鬼が苦手とする2発の銀の弾丸が、カーソルの中心へと向かって疾駆していく。微かに炎をまだ纏ったその弾丸の煌めきは、やはり前世で目にした蛍のように見えた。

 

 弾丸が灼熱の軌跡を雪の中へと残し、グロテスクな腸の伸びる人影へと向かっていく。

 

 スコープの向こうで、弾丸に気付いた吸血鬼が目を見開いたのが見えた。今度被弾すれば再生できないかもしれない。再生能力を身に着けているせいで攻撃を喰らって死ぬ恐怖を味わったことがなかったのだろうか。

 

 そして―――――――カーソルの真ん中で、真っ赤な物体が飛び散った。飛散した破片は瞬く間に雪の中へと降り注ぎ、装甲に絡み付いていた腸も溶けて後方へと置き去りにされていく。

 

『―――――――弾着まで、あと10秒! 9! 8! 7! 6! 5!』

 

 これで、山脈に出現したグールやデーモンたちは消滅する。あの吸血鬼がまだ再生する事ができたとしても、46cmの砲弾の中に詰め込まれた聖水の雨が、今度こそあいつに引導を渡してくれることだろう。

 

 だから、これで終わりだ。

 

 ―――――――眠れ、吸血鬼(ヴァンパイア)。

 

『4! 3! 2! 1! 弾着……今!!』

 

 スオミの槍の砲手が、着弾すると告げた直後だった。

 

 雪と風を突き破りながら―――――――――ついに、里の名前を冠した甲鉄の砲弾()が飛来する。

 

 成層圏を飛び、そこからヘリの誘導で垂直に落下してきた46cmの砲弾が、雪で覆われた山脈の斜面へと突き立てられる。一瞬だけ降り積もっていた雪が舞い上がって砲弾を包み込んだかに見えたが、次の瞬間には砲弾が爆ぜ、内蔵していた炸薬によって大量の聖水が衝撃波と共に解き放たれていた。

 

 衝撃波で雪が吹き飛び、荒れ狂うグールやデーモンたちが次々に聖水の餌食になっていく。デーモンの巨躯が一瞬で融解し、グールが聖水の波に呑み込まれて消滅していく。核兵器ではなく聖水を内蔵した榴弾だというのに、その衝撃波で舞い上がった雪が、まるでキノコ雲のような形を形成していく。

 

「終わりだ」

 

 蹂躙されるデーモンたちを一瞥した俺は、ライフルをゆっくりと下げながら踵を返すのだった。

 

 

 

 

 



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雪山の戦いが終わるとこうなる

 

「悪いな、コルッカ。せっかく旅立ったばかりなのに………」

 

「気にすんなよ。こちらこそ、俺のせいで迷惑をかけてしまって………申し訳ない」

 

 大破したコマンチの代わりに新しいコマンチを生産し終えた俺は、メニュー画面を閉じながらヘリポートの方へと搬入されていく新しいコマンチを見送っていた。相変わらず生産する際に必要になるポイントは他のヘリと比べると圧倒的に高く、大量に生産すればレベルが100を超えていてもたちまちポイントを喰い尽くしてしまうほどの高コストだが、性能は最高クラスである。大量に人員を配置できないスオミの里だからこそ、兵器の質をより重視する必要がある。

 

 そう、彼らのためだ。そう思いながらポイントの残量を確認するけど………余裕のあったポイントが、今ではもう僅か5600ポイントしか残っていない。コマンチの生産に必要なのは9000ポイントなので、もし里の戦士がまたコマンチを大破させてしまった場合、俺がレベルを上げない限り配備は不可能となる。

 

 しばらくは新しい装備は低コストの武器で我慢するか。第二次世界大戦以前の兵器や中国製の兵器はコストが低いから、レベルが上がるまではそういった兵器で乗り越えるしかなさそうだ。

 

「ニパとサシャの容体は?」

 

「ニパは肋骨と右腕の骨を骨折してたが、機内で飲ませたエリクサーでもう元通りさ。サシャも意識がついさっき戻ったらしい」

 

「なるほどね。………本当に申し訳ない、アールネ。俺のせいで………」

 

 ニパとサシャが無事だったのは喜ばしい事だが、俺が雪崩に巻き込まれていなければ彼らを戦場に呼ぶ羽目にならずに済んだはずだ。あの戦いでの損害の責任は、俺にある。

 

「気にすんなって。こっちは実戦が経験できたし、お前のくれた兵器の力も目の当たりにする事ができたんだ。………これで、里は安泰だよ。お前たちのおかげでな」

 

「アールネ………」

 

 大きな手をいきなり肩の上に置かれた俺は、びっくりして大柄なアールネを見上げた。今まで里の戦士たちを支えてきた彼の手は予想以上に大きく、がっちりしている。本当にハイエルフなのかと思ってしまうその手に肩を何度か叩かれた俺は、息を吐いてから苦笑いした。

 

 あの雪山での戦いでは、こちらの損害は現状でコマンチ1機が大破し、2名が負傷という事になっている。恐ろしい吸血鬼だけでなく、無数のデーモンやグールが相手だったというのに損害がそれだけで済んだのだから、俺たちからすれば大勝利ということになる。

 

 だが――――――損害が〝それだけ”と思うのは、間違いだ。あんな戦いで損害は出すべきではないのだ。

 

 アールネは気にするなと励ましてくれたけど、あの戦いの責任は俺にある。

 

 テンプル騎士団の規模を大きくするという事は、仲間に迷惑をかけることもあるという事になる。それに、今後は戦いの中で損害を出すことにもなるかもしれない。

 

 やっぱり、組織を作るとなるとプレッシャーがかかるなぁ………。

 

「タクヤぁー! 出発するよー!!」

 

 もう一度ため息をつこうとしていると、ヘリポートが建設されている炭鉱跡地の階段の上の方からやけに元気な少女の声が聞こえてきて、俺は口の中まで達していたため息を飲み込んでから手を振った。

 

「はーい!!………すまん、アールネ。そろそろ出発するよ」

 

「おう。みんなで見送った後にまた見送るのは変な気分だが…………達者でな、コルッカ」

 

「ああ」

 

「ほら、これ。雑貨屋の婆ちゃんからプレゼントだ」

 

「ん? …………サルミアッキ?」

 

「里の特産品だ。持って行きな」

 

「いいのか?」

 

「おう。俺やイッルも小さい頃からよく食ってた飴だよ」

 

 サルミアッキか………。ステラは食べるかな?

 

 彼からやけに大きな紙袋を受け取った俺は、礼を言ってからちらりと袋の中を覗き込んだ。膨らんでいた紙袋の中にはぎっしりと真っ黒な飴が詰まっている。山脈を越えるまでに食べきるのは不可能なんじゃないだろうか。

 

「ありがと、アールネ」

 

「おう。旅が終わったら遊びに来いよ。みんなで歓迎するぜ」

 

「ああ、そうするよ。………じゃあな」

 

 サルミアッキがぎっしりと入った紙袋を抱えながら、俺はクレーターのようになっている炭鉱のヘリポートから上に上がる階段を登り始めた。雪が積もった階段で転ばないように気を付けながら駆けあがり、ちらりと後ろを振り返る。

 

 ヘリポートで眠るコマンチが小さく見える。その周囲では機体のチェックをする整備兵や、荷馬車でロケットポッドを運ぶ人の姿も見えた。俺を見送ってくれたアールネはまだヘリポートの近くにいたけど、もう整備兵たちの手伝いを始めるようだ。

 

 ヘリポートの傍らでたなびくテンプル騎士団の旗をちらりと見た俺は、前を向いて再び階段を駆け上がる。

 

 雪に覆われた階段を登り切った先では、もう既に燃料と弾薬の補給が済んだチャレンジャー2と純白のレオパルトが停車し、俺の事を待ってくれていた。撤退する直前に装備から解除したことで辛うじて大破せずに生き残ったチャレンジャー2は、もう12時間経過したことで燃料と弾薬も補充されており、再び魔物が襲ってきても返り討ちにできるようになっている。とはいえ、あの雪山での戦いをまた経験するのはごめんだ。出来るならば敵と遭遇せずに突破したいものである。

 

「ふにゅ、それ何?」

 

「サルミアッキ。アールネからどっさり貰った」

 

 ラウラに紙袋を渡し、チャレンジャー2を見つめる。デーモンの魔術で破損したスラット・アーマーや爆発反応装甲はもう修復が終わっており、主砲や機関銃にも弾薬はどっさりと用意してある。

 

 車体の上によじ登った俺は、砲塔の前方から突き出ている砲身にそっと触れた。早くも薄い雪に覆われている砲身は、雪山での戦いの際よりも若干大型化されている。

 

 実は、12時間経過するまでの間に主砲を120mmライフル砲から55口径120mm滑腔砲に変更しておいたのだ。ライフル砲とは違ってライフリングのない戦車砲であり、こちらの方が使用できる砲弾の種類が多いという利点がある。クランたちからもおすすめされたため、ライフル砲からこちらに変更することにしたのである。

 

 砲身を撫でるように、そっと砲身の上の雪を払い落とす。白い雪の下からあらわになるのは、ホワイトとグレーの迷彩模様で塗装された長大な砲身だ。

 

 さて、そろそろ乗るか。砲塔の上でまたタンクデサントする羽目になるのかと思ってため息をつき、砲塔の上へとよじ登る。腰を下ろす場所の雪を手で払い落していると、サルミアッキ入りの紙袋の中の臭いを嗅いでいたラウラが、砲塔の中へと入る前に俺の隣へとやってきた。コートの後ろから伸ばした真っ赤な尻尾を遊んでいる最中の子犬のように振りながら、俺の隣に腰を下ろす。

 

「ふにゃあ………タクヤが無事で本当に良かったよ」

 

「ごめんな、心配かけちゃって」

 

 ベレー帽をそっと取り、ラウラの頭を撫でながら言う。彼女は尻尾を俺の身体に巻き付けると、目を細めながらゆっくりと俺に寄りかかってきた。

 

 ふわふわした柔らかい赤毛が、冷たい風の中で俺の頬を撫で回す。

 

「もう、お姉ちゃんを1人にしちゃダメだからね?」

 

「うん、気を付けるよ」

 

「えへへっ♪」

 

 ベレー帽を彼女の頭に戻すと、ラウラは物足りなさそうな顔をしてから静かに身体と尻尾を離し、俺の頬にキスをしてから立ち上がった。

 

「寒くなったら、中で休んでもいいからね?」

 

「分かった。凍えそうになったらお邪魔するよ」

 

「うんっ。お姉ちゃん、待ってるから」

 

 ウインクしてからハッチを開け、砲塔の中へと消えていくラウラ。これから彼女は再び操縦士の座席に座り、ドーザーブレードを搭載したチャレンジャー2の操縦をするのだ。タンクデサントする俺も大変なことになるけれど、彼女も大変なんだろう。

 

 場合によっては俺が操縦を変わろう。俺も訓練はやった事があるから戦車の操縦はできる。もちろん、その間はラウラには休んでもらう。彼女をタンクデサントさせるわけにはいかないからな。

 

 砲塔の後ろに腰を下ろし、雪崩に巻き込まれてもまた遭難しないように買ってきたロープを取り出す。砲塔側面のスラット・アーマーにロープを結び付け、反対側を自分の腰に巻きつけた俺は、解けないか確認してから砲塔の後ろに腰を下ろした。

 

 チャレンジャー2の後方では、車体の前方にあるライトを点灯させたレオパルト2A4がエンジンを始動させ、出発を待っている。砲塔の上には車長用のハッチから身を乗り出したクランがいて、俺たちに手を振っていた。

 

『ヴァイスティーガーより〝怖いもの知らず(ドレッドノート)”へ。出発はまだかしら?』

 

 出発が待ち遠しいのか、クランから連絡が入る。砲塔の上では強気な彼女がニヤニヤしながら言っているんだろうなと思いつつ、俺は「こちらドレッドノート。もう出発ですので大丈夫ですよ、お嬢さん(フロイライン)」と返事をする。

 

 彼女たちの乗るレオパルトには、『白き猛虎(ヴァイスティーガー)』という名前が付いている。それに対して俺たちの戦車には彼女たちのように名前が付いていないため、修復が終わるのを待っている間に名前を付けておいたのだ。

 

 その名前が―――――――怖いもの知らず(ドレッドノート)である。名前の由来は、テンプル騎士団のメンバーが無謀な戦い方をするためだ。出来るだけ仲間に心配をかけないように戦ってきたつもりなんだが、どうやらいつの間にかみんなで無茶をするようになっていたらしい。そんな奴らのパーティーなのだから、この名前はうってつけだろう。

 

 それに、昔のイギリスの戦艦の名前にもなっている。チャレンジャー2もイギリスの戦車だからぴったりだ。

 

『お待たせ、クラン。出発するわよ』

 

『待ってましたー! 木村、出発よ!』

 

『了解(ヤヴォール)。みんなでまた山登りですね!』

 

『風邪ひかないでね、ドラゴン(ドラッヘ)♪』

 

「はいはい」

 

 まったく………。

 

 何だか、俺って異名とか愛称がバラバラだよな………。アールネたちからは〝コルッカ”って呼ばれるし、クランからは〝ドラッヘ”って呼ばれてる。そのうち混乱するんじゃないだろうか。

 

 苦笑いしながら待っていると、チャレンジャー2(ドレッドノート)がエンジンの音を響かせながら走り出した。後方のレオパルト2A4(ヴァイスティーガー)も俺たちの戦車の車体をライトで照らしながら、キャタピラで雪を押し潰して走り始める。

 

 どうやらクランたちもあの山脈の反対側に用事があるらしく、シベリスブルク山脈を越えるまでは同行してくれるらしい。

 

 それにしても、彼女たちみたいな転生者は珍しい。他の転生者と違って人々を困らせることはないし、むしろ逆にそのような事をやっている転生者を一度だけ倒した事があるという。

 

 転生してから力を悪用することなく、俺たちと価値観が近い存在。しかも戦闘力も極めて高い。…………できるならばクランたちもテンプル騎士団に勧誘したいところだが、彼女たちは加入してくれるだろうか。

 

「タクヤ」

 

「おう、ステラ」

 

 パタン、と装填手用のハッチが開いたかと思うと、装填手を担当するステラがハッチから顔を出した。背伸びして身を乗り出した彼女は、車内から水筒を取り出して俺に渡してくれる。

 

 何かを咀嚼してるみたいだが、何か食べてるのかな? そう思いながら熱々の紅茶の入った水筒を受け取ると、ステラはハッチの縁にアールネから貰ったサルミアッキの袋を置き、その中へと小さな手を突っ込んだのである。

 

 そのまま真っ黒な飴を鷲掴みにし、黙々と口に運んでいくステラ。仲間たちは長老の家に呼ばれた時以来あまり食べていないが、ステラはサルミアッキが気に入ったのだろうか。

 

「これ、美味しい飴です」

 

「………い、いっぱいあるからな」

 

「はい。ところで、この飴って他の街の売店でも売ってるんでしょうか?」

 

「どうなんだろう? 王都では見かけなかったけど………スオミの里の特産品だし、ここまであまり商人は来ないから取り扱ってないかも…………」

 

「…………ッ!? タクヤ、それは大変です! 今すぐ引き返して買い占めてきましょう!!」

 

「落ち着きなさい。袋の中にたっぷりあるでしょ?」

 

「これじゃ足りません!」

 

 えぇ!? ちょっと待って!? どっさり食材が入った買い物袋くらいの大きさの紙袋だぞ!? その中にアサルミアッキがどっさり入ってるんだぞ!? そ、それでも足りないの!?

 

「き、きっと他の街でも取り扱ってるって…………」

 

「うぅ………では、他の街で買い占めましょう」

 

「旅費を考えて下さい、ステラさん」

 

 あのね、ダンジョンを調査した報酬はちゃんと受け取ってるし、まだ闘技場で優勝した賞金は残ってるから現時点では問題ないけど、今のところ出費の大半を占めてるのは宿泊費とステラの食費なんだぞ?

 

 サキュバスの主食は魔力だから、普通の食べ物を食べても満腹感は全く感じないという。しかも高カロリーの食べ物を大量に食べても太ることはないという。女子にとっては夢のような体質かもしれないけど、ちゃんと食べ物は胃で消化してるんだろうか。

 

「タクヤ、買い占めてはいけないのですか?」

 

「いや、他にも買う人がいると思うし………」

 

「何を言っているのです。タクヤは甘すぎますっ」

 

「え?」

 

「冒険者たるもの、成果は早い者勝ち。ですので買占めは問題ありません。早い者勝ちですっ」

 

 そ、そんなに気に入ったのか。

 

「わ、分かったって。見かけたら買っておくようにするから」

 

「ふふっ、ありがとうございます。ステラはタクヤが大好きですっ♪」

 

「………」

 

 随分と感情豊かになったなぁ………。

 

 満足したように笑ってから俺にウインクして戦車の中へと戻っていくステラ。彼女と出会ったばかりの頃の事を思い出し、今しがた見せてくれた笑顔も思い出した俺は、息を吐いてから笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その巨大な鐘の音は、帝都中に広がっていた。

 

 大昔からずっと帝都のほぼ中心に鎮座し続ける巨大な時計塔。21年前のある傭兵と吸血鬼の戦いで倒壊してしまったが、その戦いが終わってからは国中の職人たちが帝都に集まり、復元作業に精を出していた。彼らのおかげで倒壊前と全く変わることのない新しい時計塔が生まれ、ここで鐘の音を奏で続けている。

 

 今では最上階にある展望台は閉鎖され、定期的に点検を実施する作業員以外は立ち入れないようになっている筈なのだが―――――――その展望台には、人影があった。

 

 夜空に姿を現した三日月の下で、その人影は静かに佇んでいた。窓ガラスの向こうに浮かぶ三日月を無表情で見上げながら、背後で響き渡る大きな鐘の音を聞き続けている。

 

 かつてその女性は、奴隷であった。人間の商人によって捕らえられ、本来の〝主食”を全く与えられることなく檻の中で売り物にされていたという屈辱は、今でも人間を憎む動力源となっている。カビの生えたパンや残飯をかき交ぜたようなわけの分からない味のスープを食べさせられ、ボロボロの服を着せられたまま牢屋で過ごしていたあの頃は、人間に復讐しようと思う事は全くなかった。あんな醜態を晒し続けながら生き続けるのならば、殺して欲しいと常に思っていたのである。

 

 彼女は、そういう種族なのだから。

 

 しかし――――――ある客が、彼女を救ってくれた。

 

 檻を強引に開け、彼女に血を与え、逃がしてくれたのである。

 

 彼女にとってその男は、まさに命の恩人であった。崩壊していくプライドを再生させ、人間たちに逆襲するための力までプレゼントしてくれたその命の恩人を、彼女は今でも崇拝している。

 

 だが――――――――その命の恩人は、もうこの世を去ってしまった。

 

 正確に言えば―――――――殺されたのだ。元々は人間だった、〝魔王(怪物)”に。

 

 その怨敵を思い出すたびに彼女の美しい真っ赤な唇は吊り上がり、金塊を糸にしたような綺麗な金髪が震える。命の恩人であった男はその最期で満足していたのだろうが、彼女は全く満足していない。恩返しすらできていなかったというのに、尊敬する男を奪われた挙句、恩を返す機会まで奪われてしまったのだから。

 

 だから―――――――男と、その機会を取り戻す。

 

 それが彼女の願いであった。

 

「―――――――カーミラ様」

 

 鐘の音の残響が消えると同時に、彼女の背後で跪いた金髪の男性が彼女を呼ぶ。漆黒のスーツに身を包み、シルクハットをかぶったその男性は一見すると紳士のように見えるが、跪いたまま報告する彼の唇からは鋭い犬歯が覗いている。

 

 その犬歯こそ、彼女の同胞の証である。

 

「どうしたの?」

 

「………ユーリィの奴が、死にました」

 

「………そう。負けたのね、あの子は」

 

「はい。殺したのは――――――――」

 

「――――――忌まわしいキメラということね」

 

 ユーリィはまだ若い吸血鬼だった。古参の吸血鬼の言う事を聞かない問題児だったが、数少ない同胞の1人であったし、実力者でもあったためカーミラやヴィクトルも認めていた。

 

 しかし、彼も敗北してしまった。彼を殺したのは――――――カーミラの命の恩人である、レリエル・クロフォードを葬った怪物の子供たち。

 

 またあの一族が、同胞の命を奪った。

 

 窓の外を見つめながら、カーミラは無意識のうちに歯を食いしばっていた。

 

「………残念だわ。でも、最後の鍵は我々が持っている」

 

「ええ。これでレリエル様が復活してくだされば、ユーリィも報われることでしょう」

 

「そうね」

 

 ゆっくりと、カーミラは報告してくれたヴィクトルの方を振り返る。

 

 その姿は―――――――21年前と全く変わっていない。

 

 真っ白なマントの付いた服に、純白の帽子。美しい金髪と共に揺れるのは、純白の百合の花を形をした綺麗な髪飾りだ。姿は17歳前後の少女のように見えるが、彼女の放つ雰囲気は少女と思えないほど凛々しく、気高い。

 

「さあ、キメラとの戦争が始まるわよ、ヴィクトル。同胞を集めなさい」

 

「御意」

 

 静かに展望台を後にしたヴィクトルを見送ったカーミラは、再び月を見上げ始める。

 

(待っていてください、レリエル様。必ずや復活させて差し上げます)

 

 この世を去った主君の顔を思い出しながら、『アリア・カーミラ・クロフォード』は静かに唇を噛み締めた。

 

 

 

 

 



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砂漠の街に到着するとこうなる

 

 シベリスブルク山脈は、この異世界で最も寒い場所と言われている。猛烈なブリザードの防壁で囲まれら中心部の最低気温は-102.8℃になるため、足を踏み入れればたちまち凍死してしまうという。炎属性の魔術ならば得意だと高を括って挑んだ魔術師の大半が凍死してしまうほどの環境であり、彼らの得意とする炎でも歯が立たないほど危険なダンジョンなのだ。

 

 しかも、ブリザードの壁を越えれば危険度が一気に上がる。魔物はより危険になり、気温も一気に下がる。ブリザードのせいで正面は全く見えず、場所によっては断崖絶壁になっている場所もあるという。

 

 未だに冒険者の調査を許していない場所であるため、一時期は中心部に何か秘宝が眠っているのではないかという噂が有名になり、多くの冒険者が挑んでいったというが…………結果はその中心部に向かう前に魔物に食い殺され、氷のオブジェになって帰らぬ人が大半を占めるという事態になった。

 

 今では死亡率90%以上の危険なダンジョンとされ、熟練の冒険者でも調査の仕事を引き受けることはないという。

 

 もちろん、俺たちはそんな危険な場所に向かうつもりはない。あくまでこの山脈を越えることが目的であるため、極力安全なブリザードの外周部を通って反対側へと越える予定になっている。そうすれば斜面も比較的緩やかだし、気温も中心部よりはマシなのだ。

 

 斜面をドーザーブレードで抉り、キャタピラの跡を残しながら進み始めてもう3時間が経過している。雪の中でも俺は命綱を腰に巻いたまま、まだ音を上げずにタンクデサントを続ける俺だったが、そろそろ車内に入るべきだろうか。スオミの槍でデーモンたちを掃討した影響なのか、今のところ魔物が姿を現す様子はない。

 

 この山脈を越えれば、フランセン共和国の植民地へと到達する。雪山の反対側なのだから寒冷地なのだろうと思いきや、信じがたい事に暖かい草原が広がっているらしく、そのさらに向こうには岩山と砂漠が広がっているという。気候が全く正反対だというのにお互いの環境を維持していられる理由は不明とされており、今でも学者たちが研究を続けているという。

 

 その植民地は―――――――『カルガニスタン』と呼ばれている。

 

 砂漠が雪からカルガニスタンを守り、雪山が熱風からオルトバルカを守っている状態なんだろう。前世では考えられない気候である。

 

 極寒の中でのタンクデサントを続けているうちに、雪が少しずつ晴れ始めた。戦車の上に降り積もっていた雪が少しずつ解け始め、車体の前方から聞こえてくる音が変わり始める。雪をかき分ける音が、段々と地面の岩にぶつかる硬い音へと変貌を始めているのだ。

 

「そろそろドーザーブレード外すか?」

 

『そうね。もう雪山も終わりだし』

 

「はいよ」

 

 メニュー画面を出し、装備している兵器の中からチャレンジャー2をタッチ。カスタマイズの中からドーザーブレードを選び、それだけを装備から解除する。その瞬間からドーザーブレードと岩がぶつかったり擦れる音がぴたりと止まり、装備が外れた戦車が少しだけ軽くなった。

 

 結局、山脈を走行している間は全く魔物に襲われることはなかった。そのため弾薬は1発も使っていないし、装甲は無傷のままである。

 

「ドレッドノートよりヴァイスティーガーへ。そろそろドーザーブレード外した方が良いぞ。どうぞ」

 

『了解(ヤヴォール)。ケーター、お願い』

 

『はいはい』

 

 この山を越えれば今度は砂漠だ。食料は買い込んでたのがまだ残ってるから大丈夫だし、貴重な水はラウラに氷を出してもらってから俺が溶かせばいくらでも調達できるし、問題はないだろう。

 

 とりあえず、カルガニスタンに到着したらまず『クラルギス』という街を目指す。オアシスの中に作った大きな街らしく、湧き水もあるため住民たちは水に困ることなく生活しているという。しかも街の中には大規模な農場もあるらしく、採れた野菜は商人たちが高値で買い取るらしい。

 

 到着したらそこで休んで、後は海を目指して旅をするわけだ。クランたちとはその街でお別れだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪山を越えた向こうに広がっていたのは、本当に草原だった。草で覆われた大地と蒼い空。幼少の頃から駆け回った防壁の外側と全く同じ景色が、雪山の向こうに広がっていたのだ。

 

 やっとアイスティーを飲んでも問題ない気温になったと喜んでいるうちにその草原も姿を消し始め、今度は逆にアイスティーでなければ飲めないほどに気温が上がり始める。最初は貧乏くじだったと思っていたタンクデサントだけど、きっと今頃車内はオーブンの中のように蒸し暑くなっているに違いない。

 

 いつの間にか草原ではなく砂の上を走行している戦車の上で、太陽に照らされながらそう思った俺は、まだ冷たいアイスティーが入っている水筒を口へと運んだ。

 

 ふははははははははっ! ここは特等席だぜ!

 

 フードのおかげで直射日光も気にならないし、適度に風も吹くから涼しい時もある。きっと今頃ナタリアたちは、タンクデサントという名目で風にあたる事ができる俺を羨ましがっているに違いない。

 

 きっとこれは、極寒の中でのタンクデサントに耐え抜いたご褒美なのだ。

 

「お兄様、紅茶のおかわりですわ」

 

「おう、ありがと。………ん?」

 

 ハッチからカノンが顔を出し、紅茶の入った新しい水筒を渡してくれる。軽く振っているとカラカラと氷がぶつかる音が聞こえてきたし、水筒もとても冷たいからアイスティーなんだろうという事はすぐに分かったが、その水筒を受け取った瞬間に俺は違和感を覚えた。

 

 蒸し暑い筈の車内から出て来たカノンは、全く汗をかいていないのである。もちろんタオルやハンカチで拭き取った跡もない。

 

 暑さに強かったのだろうかと見当違いの仮説を立てようとした俺に答えをくれたのは―――――――車内から溢れる冷気だった。

 

 ん? 冷気………? ラウラが氷でも置いてるのか?

 

 カノンが頭を引っ込めた瞬間に、俺も頭だけをハッチの中へと突っ込んで車内を見渡し―――――――目を見開いた。

 

「なっ…………!?」

 

 車内は、全く蒸し暑くなかったんだ。しかもむしろ涼しく、汗をかけるような環境ではない。

 

 嘘だろ…………? どうしてこんなに涼しいんだ!?

 

「はぁ…………この冷房って、とっても便利ねぇ…………」

 

 れっ、れ、冷房だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?

 

 そういえば、居住性も考慮してエアコンを搭載してたんだ! くそ、外が暑くても冷房が使えるから関係ないって事か!!

 

 ああ、羨ましい! 極寒の中でのタンクデサントの次は灼熱の中でのタンクデサントか! 何で俺はいつも貧乏くじばっかり引くんだ、畜生!!

 

 まるで昼寝している猫のように気持ちよさそうな顔をしながら、車長の座席でくつろいでいるナタリアを見下ろして苦笑いしながら顔を引っ込めた俺は、息を吐いてからそっとハッチを閉じた。………ひ、ひでえ………。

 

 絶望しながら砲塔の後ろまで這い、そのまま横になる。最初は気持ちいいと感じていた風だけど、心地良い冷風を常に吐き出し続ける快適さの塊(エアコン)を目の当たりにした後では、まるで俺を嘲笑う風にしか思えない。

 

 戦車の上でため息をついていると―――――――チャレンジャー2から見て左側に広がっていた砂の大地から、まるで噴水が噴き上がるかのように砂が噴き上がる。

 

『ピギィィィィィ………!』

 

「あぁ………?」

 

 砂の柱の中から姿を現したのは、不規則に棘やイボのようなものが生えた外殻を持つ、巨大なサソリだった。カニのように尖った足はずんぐりとした胴体へと繋がっており、その胴体の後端からは外殻で覆われた鞭を思わせる尻尾が生えている。先端部には毒々しい紫色の針が生えており、尻尾が揺れる度に紫色の液体をばら撒いていた。

 

 巨大なサソリのような姿をした魔物だが、ずんぐりとした胴体に生えている頭部は明らかにサソリのものではない。そこに生えているのは昆虫に似た甲殻類の頭ではなく、まるで人間の巨大な髑髏のような頭部である。

 

 確か、『デッドアンタレス』という名前のサソリ型の魔物だ。砂の中からいきなり姿を現して旅人を襲う獰猛な魔物だと図鑑に記載されていたが、まさか俺たちを獲物だと勘違いしてるんじゃないだろうな?

 

 戦車に喧嘩売ってんのかぁ!?

 

『敵襲! カノンちゃん、砲撃を――――――』

 

「俺がぶち殺すッ!」

 

『え?』

 

『あらあら、ドラゴン(ドラッヘ)ったら』

 

 勢いよく起き上がって砲塔の上のKord重機関銃を掴み取り、弾丸が装填されているのを確認してから機関銃を70度ほど左方向へと旋回させる。巨大な鋏を動かしながらこちらへと走ってくるデッドアンタレスは、でかい獲物を見つけたことを喜んでいるのだろうか。

 

 そんな姿を見ていると………とてつもなくイライラする。

 

 極寒の中でタンクデサントを終えたかと思えば、今度は灼熱の中でのタンクデサントだ。どうして俺ばっかりいつも貧乏くじを引いてしまうのか。

 

 幼少の頃から母親に似ているせいで女の子に間違えられるし、温泉とかトイレに入る時に男性用の方に入れば滅茶苦茶目立つ。かといって女性用の方に入るわけにはいかない。酒屋とか宿屋に行けば酔っぱらった冒険者が俺を女だと勘違いして絡んでくるし、時折仲間からも俺が男だという事を忘れられてしまう。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ! 八つ当たりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 とりあえず風穴だらけになれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!

 

 砂漠の真っ只中で絶叫しながら、俺は重機関銃のトリガーを引いていた。

 

 最初の一撃がデッドアンタレスの近くの砂を抉り取る。それでデッドアンタレスは反撃されているという事に気付いたらしいが、奴が逃げようと横に歩き始めたことには、もう重機関銃の12.7mm弾が外殻を抉り、肉をズタズタにしていた。

 

 死因は被弾。原因は、俺の八つ当たりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラルギスに到着したのは、夜になってからだった。

 

 オアシスの中に作られた小さな村が発展し、更にフランセン共和国による統治で本格的に発展したクラルギスは、オルトバルカ王国の大都市ほどではないものの大きな街で、建築物とオアシスの自然が同居する砂漠の中の楽園のような街だった。

 

 砂と木々が発する自然の香りに包まれた街の外で戦車から下り、戦車を装備から解除してからとりあえず宿屋を探す。幸いここには冒険者が多く訪れるらしく、宿屋だけでなく管理局の宿泊施設が何軒もあったため、宿泊する場所はすぐに見つかった。荷物を下ろして寒冷地用の服装からいつもの服装―――――ダンジョンに行くわけではないので、テンプル騎士団の制服ではなく私服―――――に着替えた俺たちは、街の中にある小さなレストランで夕食を摂ることにした。

 

 明日の朝にはお別れになるし、助けてもらった恩をまだ返していない。だからクランやケーターたちに奢ることにしている。

 

 9人で入ればもう満員になってしまうほど小さなレストランだから、もう実質的に貸し切りと変わらない。木で作られたテーブルの上には特産品の野菜を使ったサラダやスープ料理が並び、美味そうなスパイスの香りが漂っている。

 

「はい、飲み物です」

 

「どうも♪」

 

 店を切り盛りするドワーフのおじさんから飲み物の入った木製のコップを受け取り、みんなに渡すクラン。オレンジジュースとかアイスコーヒーの入ったコップが目の前に次々に置かれていくけど、何だか明らかにジュースとは違う匂いも漂ってくる。

 

 ん? ちょっと待て。これってアルコールの臭いか………?

 

「お、おい、クラン!? お前のそれってビールか!?」

 

「え? そうよ?」

 

 クランが手にしているコップの中にたっぷりと入っているのは、まるでクリームのように真っ白な泡を次々に生み出す透き通った黄土色の液体だった。それが発する匂いは、幼少期に家で親父や遊びに来た信也叔父さんが飲んでいたものと全く同じだったからすぐに分かった。

 

「おいおい、何でビール注文してるんだよ!? お前まだ未成年だろうが!?」

 

「あはははははっ♪ 安心しなさい、ドイツ(ドイッチュラント)では18歳からビール飲んでも大丈夫なのよ♪」

 

「いや、ここはもうあんたの祖国じゃないよ!?」

 

「いいじゃないの。私もう転生してから1年経って18歳だもんっ♪」

 

 うーん、酒が飲めるようになるのが20歳からになってる日本出身としては違和感を感じるが………彼女はそんな環境で育ったんだよな。これは仕方がないか。

 

 ちなみに一般的な転生者は、どんな年齢でも17歳に若返った状態でこの異世界にやってくるという。実際に俺たちの親父であるリキヤも転生する前は22歳の会社員で、転生した時には17歳に若返っていたらしい。

 

 約1名が当たり前のようにアルコールを注文してるけど………とりあえず、乾杯しよう。

 

「じゃあ、乾杯しようか」

 

「そうね」

 

 コップを持って全員で立ち上がる。小さな狭いレストランの中で一気に立ち上がったからなのか、厨房の向こうでせっせと野菜炒めのような料理を作っていたドワーフの店主がびっくりしてこっちを見ていた。

 

 す、すいません………。

 

「「「かんぱーいっ!!」」」

 

 立ち上がろうとすれば椅子かテーブルにぶつかってしまうほど狭い店の中で、俺たちの声が響いた。

 

 互いにコップをぶつけ合ってから、中に入っている飲み物を口へと運んでいく。ついさっきまでずっと直射日光の真下でタンクデサントしてたから、冷たいオレンジジュースが滅茶苦茶美味い。

 

 乾杯を終えてからは再び椅子に腰を下ろし、みんなで料理を食べ始めることにする。野菜を使った料理が中心だけど、牛肉とか豚肉を使った料理も含まれてるみたいだ。こっちのスープには………なんだこれ? でっかい鋏みたいなのが入ってるぞ。カニか?

 

「おじさん、この鋏ってカニですか?」

 

「ん? ああ、砂漠で木端微塵にされたデッドアンタレスの残骸が転がってたんでな。穴だらけになって死んでたんだ。勿体ないから食えそうなところを切り取って持って帰ってきたのさ」

 

 おい、これ俺が八つ当たりで殺した奴じゃねえか。

 

 まさか八つ当たりで殺した魔物が、調理されて夕食として再登場するとは………。

 

「ところでなんであんな死に方してたんだろうなぁ。見たことない傷痕だったぜ」

 

「そ、そうなんですかぁ………」

 

 おじさん、こいつを殺した張本人はここでサラダ食べてますよー。

 

「ぷはぁーっ! あー、やっぱりビール美味しい………! ねえ、ケーターも飲んでよぉ」

 

「俺も!?」

 

「いいじゃーん。ねえ、ケーター」

 

「しょ、しょうがねえなぁ………おじさん、ビール1つ追加で。あ、それとソーセージも下さい」

 

「はいよ、ちょっと待ってな!」

 

 お前も飲むのかよ。

 

 しばらくすると、野菜炒めと一緒にドワーフのおじさんがビールの入ったコップを持って来てくれた。彼からそれを受け取ったクランは、嬉しそうに笑いながらケーターにコップを渡し、乾杯してから2人で一気にビールを飲み干す。

 

 仲がいいんだなぁ………。ケーターから聞いたんだが、クランたちは元々大学生で仲間が良かったメンバーらしい。特にケーターとクランは寮では同室だったらしく、ドイツからわざわざクランの両親が来日するほどだったという。

 

「ふにゃあ………この野菜炒め美味しい」

 

「本当ですわね。あっ、お姉様。ピーマン食べます?」

 

「ふにゅ? 駄目だよカノンちゃん。ちゃんとピーマンも食べないと」

 

「で、でも………苦手ですわ、この緑の野菜は………」

 

「ならばステラがいただきます。はむっ」

 

 ステラには好き嫌いがないんだろうか。逆に食えそうにないものまで食おうとするから、その気になれば何でも食べれるのかもしれない。あの食虫植物みたいな変なものは食べないでほしいけど。

 

 仲間たちを見守っていると、ビールのコップを持ったクランが立ち上がり、ラウラの隣で野菜炒めを皿に取っていたナタリアの隣へとやってきた。顔はもう既に赤くなっているから、もう酔っぱらってるんだろう。

 

「Guten Abend!!(こんばんわ!!)」

 

「きゃっ!?」

 

「きゃははははっ。確か、あなたが車長だったのよね?」

 

「え、ええ。よろしく」

 

 車長はどちらも金髪の美少女か。

 

 ナタリアは冷静なしっかり者って感じだけど、クランはしっかりしていながらもお茶目な奴だから2人の印象とか雰囲気は全く違う。

 

「ほらほら、ナタリアちゃんも飲んでよ♪」

 

「えぇ!? いや、あの、私はちょっと………」

 

「なあ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 クランに酒を奨められるナタリアを見守っていると、テーブルの向かいに座っていたケーターに声をかけられた。他のみんなは雑談しながら食事を楽しんでいるんだが、今のケーターはどうやら真面目な話を始めるつもりらしく、表情は戦闘中のように冷静だった。

 

「お前の計画なんだが………」

 

「ああ」

 

 テンプル騎士団のことか。

 

 世界中に諜報部隊と実働部隊を配置し、転生者を狩ったり保護する組織を作るという俺の計画。実現すれば転生者の蛮行は激減するだろうし、この世界を守ることもできるかもしれない。まだスオミ支部ができたばかりだが、今後もいろんな場所で仲間を増やしていこうと思っている。

 

「俺たちも、転生者の蛮行を目にしてきた。………この世界にやって来て最初に殺した人間は、転生者だったんだよ」

 

「………」

 

「あんな奴が世界中で人々を苦しめてるのは許せない。………もしも、お前たちが奴らを狩るために戦うというのなら――――――――」

 

 フォークを皿の上に置いたケーターは、息を吐いてから頭を下げた。

 

「―――――――ぜひ、俺たちも仲間にしてくれないか?」

 

「え?」

 

「仲間たちとも話し合ったんだ。俺たちが世界中を旅しながら奴らと戦ってもキリがない。だから………」

 

 仲間たちともう話し合ってたのか………。もし彼の独断だったら仲間たちと話し合うまで待つつもりだったけど、もう意見が決まっているのならば迎え入れるしかない。第一、今のテンプル騎士団はまだまだ小さな組織なのだ。

 

 それに、実働部隊だけでなく、彼らに情報を伝えるための諜報部隊も編成しなければならない。まだまだ人員が足りないのだから、仲間にしてほしいと言う者がいるのならば積極的に迎えるしかない。

 

 仲間たちの方を見ると、みんな首を縦に振ってくれた。クランに絡まれていたナタリアもこっちを真っ直ぐに見つめながら首を縦に振ってるけど、口の周りには泡のようなものがついている。ん? まさか、ビール飲んじゃった?

 

「………歓迎するよ、ケーター」

 

「いいのか?」

 

「ああ。人員は全く足りないし、俺もケーターたちに仲間になって欲しいと思ってたところだ」

 

 俺1人で仲間たちに武器を支給し切るのは無理がるし、彼らの戦闘力も高い。仲間になってもらえるのであれば、確実にテンプル騎士団の戦力はアップするに違いない。

 

「テンプル騎士団にようこそ、同志」

 

「ありがとう、タクヤ」

 

 手を差し出し、彼のがっちりした手を握る。

 

 こうして―――――――転生者が一気に4人も仲間になった。

 

 

 



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紅い氷とパートナー

 

 俺たちが宿泊することにしたのは、クラルギスの街中に何軒も立ち並ぶ冒険者用の宿泊施設のうちの1軒だった。スオミの里の施設よりも大きく、暑い場所にあるからなのか大きな窓や吹き抜けが用意されており、風通しの良さを重視したデザインになっているのが特徴だ。そのため昼間でも風さえあれば暑さはあまり気にならないという。

 

 他の施設は他の冒険者が予約してたみたいだけど、俺たちが選んだ場所は殆ど予約されておらず、宿泊していた冒険者もダンジョンへと旅立ってしまったため、ここもレストランと同じように貸し切りのような状態になっていた。

 

 夕食を終え、酔っぱらったクランを連れて宿泊施設での予約を済ませた俺たちは、部屋に荷物を置いてから大浴場へとやって来ている。普通の施設なら部屋に小ぢんまりとしたシャワールームが用意されているだけで、こんな大浴場は全く用意されていない。

 

 艶のある石畳が敷き詰められ、鏡やシャワーが備え付けられた大浴場の奥の方では、熱々のお湯が湯気を上げ続けている。巨大な浴槽の奥には露天風呂らしき設備もあるようで、外に出るには浴槽から見て左側にある扉から通路を通っていく必要があるらしい。

 

 砂漠でこんな大浴場が見れるなんて思ってなかったよ。というか、前世の世界の温泉みたいな場所だな。

 

 ちなみに、当然ながら混浴というわけではない。ちゃんと男女専用の大浴場が別々に用意してある。

 

「さて、身体洗ってからリラックスしようぜ」

 

「おう」

 

 木製の小さな椅子の上に腰を下ろし、シャワーで長い髪を濡らしてからシャンプーで洗っていく。

 

 俺が入っている大浴場は、もちろん男湯である。いつも一緒に風呂に入っていたラウラは「やだやだ! タクヤと一緒じゃなきゃ嫌なのっ!!」って何度も駄々をこねていたけど、貸し切り状態とはいえ俺だけ女湯に入ったり、逆にラウラが男湯にやってくるのは拙いので、後でたくさん甘えさせてあげるという条件を付けることで何とか納得してもらった。

 

 一緒に男湯に入っているのは、俺とケーターと坊や(ブービ)と木村の4人。レオパルトの操縦士を担当する木村は、どういうわけかガスマスクを装着して素顔を隠したままシャンプーを始めている。あいつは何をやってるんだろうか?

 

「木村、ガスマスク取れって」

 

「何言ってるんです。泡が目に入るじゃないですか」

 

「シャンプーハット使えよ」

 

 何でこいつはいつもガスマスクつけてるんだよ………。俺、まだこいつの素顔見たことないんだけど。

 

「それにしてもさ………お前、やっぱり男だったんだな」

 

「あ?」

 

「いや、ちゃんと筋肉ついてるし………華奢だから貧乳の美少女かと思ってた」

 

 シャンプーしながら残念そうに俺の方をじろじろと見てくるのは、レオパルトの砲手を担当する坊や(ブービ)だ。小柄な上に童顔で、とても大学生とは思えない姿をしていたためクランたちからはそう呼ばれているらしい。

 

 何だか申し訳ないなぁ………。母さんに似過ぎたせいで、小さい頃からよく女に間違えられるんだよね。色々と男子に見えるように工夫してみたんだけど、短髪にしたり男用の服を着てもボーイッシュな美少女とか、女子が男装しているようにしか見えなかった。顔つきのせいなんだろうか。もし母さんと同じ服装で隣に立ったら、親父やエリスさんたちは見分けがつかなくなるに違いない。

 

 あ、でも母さん胸がでかいからそれで見分けがつくか。………そういえば、剣の素振りをする時とか滅茶苦茶揺れてたよなぁ…………。親父から聞いたんだが、ネイリンゲンの本部にいた頃は胸が揺れるのを防ぐために防具を注文したことがあったという。

 

「………やっぱり、本当に男?」

 

「○○○あるよ?」

 

「………ちくしょう」

 

 坊や(ブービ)、諦めろ。俺は男なのだ。

 

 シャンプーを終え、ボディーソープで身体を洗ってから浴槽へと向かう。ゆっくりと浴槽の中へと入り、中に用意してある石畳の段差の上に腰を下ろして息を吐くと、ヒーリング・エリクサーやヒールでは癒し切れない疲れが身体中から消え失せていくようだった。少しお湯が熱いけど、俺は炎属性のキメラなので全く気にならない。

 

「おー、こんな大浴場に入るの久しぶりだなぁ」

 

「ところでタクヤ君。我々もテンプル騎士団の一員になったのは良いのですが、何を担当すればいいんですかね?」

 

「うーん………できるなら、今は諜報部隊が欲しいんだよなぁ」

 

「諜報部隊か………たしかに、世界中の転生者に対応するためには情報収集する要員が必要不可欠だからな」

 

「ああ。それにメンバーのスカウトもやってもらいたいし」

 

 現時点での最大の問題は、人員が少なすぎるという事である。

 

 現時点でのメンバーは、俺たちやケーターたちのパーティーの9人に加え、スオミの里の戦士たちのみ。しかもスオミの里は元々少数精鋭の戦士たちで構成されているため、戦闘力の高さは期待できても物量は期待できない。しかも彼らの専門分野は、あくまで侵攻してくる敵を迎え撃つ防衛戦であるため、逆にこちらから攻撃するような戦い方には不慣れという弱点がある。

 

 更に、諜報部隊は相手の領地に潜入しての情報収集が主な任務であるため、目立ってはならない。だから制服や腕章は支給せず、私服での活動となるんだが、スオミの里の戦士の場合は全員がアルビノのハイエルフということで目立ってしまう。遺伝子の問題なので、これはどうしようもない。

 

「なるほどねぇ………じゃあ、俺たちは諜報部隊でいいか?」

 

「ああ、頼む。最初のうちはスカウトを繰り返してメンバーを増やしてくれ。………それと、諜報部隊の部隊名はどうする?」

 

「部隊名?」

 

「おう。あったほうが良いだろ?」

 

「うーん………」

 

 とりあえず、ケーターたちにはスカウトを繰り返してメンバーを増やしてもらおう。最終的には実働部隊と諜報部隊を編成する必要があるし、場合によっては特殊部隊も編成しておきたい。実働部隊が動けない場合に少数で潜入し、ターゲットを消すような特殊部隊だ。優先順位はやはり実働部隊だな。

 

 腕を組み、首を傾げながら色々と考え始めるケーター。たまにぶつぶつと部隊名の候補と思われる名前が聞こえてくるんだが、なかなか決まらないらしい。

 

『ケーター! 私、部隊名なら〝シュタージ”がいい!!』

 

「「「「!?」」」」

 

 俺も一緒に考えるべきかと思っていい名前を考え始めたその時、いきなり隣の女湯の方からクランの元気な声が聞こえてきた。小声で喋ってたつもりなんだが、壁の向こうの女湯まで会話が聞こえてたんだろうか? それとも地獄耳なのか………?

 

 というか、シュタージって東ドイツの諜報組織じゃねえか………。

 

 シュタージは、冷戦中の東ドイツに存在した大規模な諜報組織だ。優秀なスパイが何人もいたらしく、あのアメリカも警戒していたという。

 

 ぶ、物騒な名前だなぁ………。

 

「………シュタージにする?」

 

「そ、そうしよう………」

 

「じゃあ、俺エンブレム考えておきます………」

 

 まあ、エンブレムは違う方が良いからな。デザインは諜報部隊(シュタージ)のメンバーで決めてもらおう。

 

『あははっ♪ ねえねえ、ラウラちゃんっておっぱい大きいよねー』

 

『ふにゃあっ!?』

 

『ねえ、揉んでもいい?』

 

『だ、ダメだよぉっ! ちょ、ちょっとクランちゃ――――――ひゃんっ!?』

 

「おい、クラン!? 何やってんの!?」

 

 クランの奴、酔っぱらってるな………。しかもラウラが犠牲になってるよ………。

 

 止めに行くべきかな? でも向こうは女湯だし………ナタリアたちに何とかしてもらうしかないね。俺らは助けに行けないから。頼んだよ、ナタリア。

 

「木村、あの壁登れるかな?」

 

坊や(ブービ)、覗くのは拙いですよ。殺されます」

 

「だって、クランと巨乳の美少女が―――――――」

 

「いや、弟さんに殺されますって」

 

「え?」

 

 さすが木村だな。

 

 坊や(ブービ)がこっちを振り向くよりも先に、俺はメニュー画面を素早く開いて武器の一覧の中からハンドガンの項目をタッチし、Cz2075RAMIを装備してから銃口を覗きに行こうとしているバカへと向けていた。俺と目が合った馬鹿(ブービ)が、濡れた髪の下から冷や汗を流しつつゆっくりと浴槽へと戻っていく。

 

 覗いたら撃つぞ、この野郎。

 

『あー、いいなぁ………私よりも大きいよぉ………ひっく』

 

『ふにゃっ、だ、ダメっ………は、離してよぉ………っ』

 

『仕方ないなぁ。じゃあ次は………ナタリアちゃんかなっ♪』

 

『え? ちょ、ちょっと――――――――きゃああああああ!?』

 

 こ、今度はナタリアが………。

 

 とりあえず、壁際に移動しよう。こっちの方が声がよく聞こえるし、坊や(ブービ)のバカが覗きに行くのを防げるからな。

 

 腰を下ろしていた段差から、女湯の方にある壁際へと移動した俺は、タオルを頭に乗せながら息を吐いた。

 

『あ、私の方がちょっと大きいわね。ふふっ♪』

 

『や、やだっ、何してるの―――――――ひゃあっ!?』

 

『バランス取れてますねー♪ Gut!(さすが!)』

 

『く、クランちゃんっ………!』

 

『ふにゅう………負けないもんっ! えいっ!!』

 

『きゃっ!? ら、ラウラちゃんっ!?』

 

『えへへっ、私の方が大きいね♪』

 

『ちょ、ちょっと、2人とも。いい加減にしなさいよ?』

 

『あら、勝手に戦線離脱は許さないわよ? ほらっ!』

 

『きゃんっ!?』

 

『カノン、私たちも参戦するべきでしょうか?』

 

『いえ、ステラさん。あれは少なくとも重巡洋艦以上でなければ参加できない戦いですわ。残念ですが………小型艦艇のわたくしたちは参加できそうにありませんわね』

 

『………やっぱり、大きい人は羨ましいです』

 

 超弩級戦艦(ラウラ)と巡洋戦艦(クラン)と重巡洋艦(ナタリア)の戦いだからな。どうやらあの海戦はもう少し続きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー………明日からレベル上げようかなぁ」

 

 施設の大きな部屋の中で、残りのポイントを確認した俺は、眠っている仲間たちを起こさないように静かにため息をついてから呟いた。

 

 ただでさえ大量にポイントを消費したというのに、チャレンジャー2の主砲をライフル砲から55口径120mm滑腔砲に換装した影響で更にポイントが減っている。残りのポイントは僅か2700ポイントのみだ。スオミの里に到着する前は90000ポイント以上溜まっていた筈なんだが、スオミの槍をはじめとする兵器の配備で大量に消費してしまっている。

 

 ちなみに、アサルトライフルを生産するために必要な平均的なポイントは500ポイントから600ポイント程度。コストの低い中国製ならば300ポイントから400ポイントである。また、第二次世界大戦以前の武器ならばコストはさらに安くなるため、何かを生産する場合はそれらで乗り切るしかなさそうだ。

 

 今後も仲間を増やしていく予定なのだから、どんどんレベルを上げてポイントを稼がなければならない。それに、そろそろテンプル騎士団の本部も用意しなければならない。現時点では俺たちがテンプル騎士団本隊という事になっているけど、さすがに本拠地のない状態では組織全体を統治するのは不可能だ。

 

 しかし、俺の能力で生み出せるのはあくまで能力や武器や兵器のみ。例えば軍艦を運用するための軍港や、航空機の離着陸を行う滑走路などは自分たちで用意しなければならない。スオミの里のヘリポートは地面に分厚い木の板と鉄板を敷いただけの簡単なものだったからすぐ用意できたけど、さすがに本部を簡単に用意するのは無理である。

 

 実働部隊や諜報部隊だけでなく、拠点を構築するための要因もスカウトするべきだろうか? それとも、業者を雇うか? でも、業者を雇ったら本部の位置が他の組織や騎士団に漏洩する可能性がある。モリガンの傭兵たちが使っていた銃を欲しがる商人はまだまだいるらしいから、同じ武器を使っているテンプル騎士団の事をかぎつければ、銃を手に入れるためにしつこく交渉に来たり、強奪するために襲ってくる事もあるだろう。

 

 実際に親父が若かった頃、銃を売ってくれと何人も商人が押しかけてきた事があったという。もちろん、依頼ならば引き受けるが銃は売らないと言い放った親父は、まだ交渉にやってくる商人を全て門前払いにし、実力行使に移った商人は徹底的に蹂躙したという。

 

 というわけで、業者に依頼するのは無しだな。出来るなら身内に頼みたいものだ。昔に廃棄された砦の跡とか廃墟があれば、最低限の改装だけで再利用できそうなんだが………ヴリシア帝国を目指さないといけないし、あまり寄り道は出来ないよな………。

 

「ふにゅ………」

 

「ん?」

 

「あ………タクヤ、まだ起きてたんだ」

 

 俺と同じベッドで眠っていたラウラが、瞼を擦りながら起き上がった。白とピンクの水玉模様のパジャマを身に着けながら眠っていたんだが、パジャマの胸元のボタンは外れている。眠っている間に外れてしまったんだろうか。

 

「寝れないのか?」

 

「ん? 大丈夫だよ。………ねえ、タクヤ」

 

「どうしたの?」

 

「あのね、ちょっと話があるんだけど………いい?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、ちょっとベランダに行こうよ」

 

 ベランダ? 他の仲間に聞かれたくない話なのかな?

 

 とりあえず、俺はメニュー画面を閉じて立ち上がった。ラウラは俺の手を引くと、尻尾を俺の腰の辺りに絡み付かせたままベランダの方へと静かに歩いていく。

 

 10人まで宿泊できる大きな部屋には、バーベキューでもできそうな広いベランダが用意されている。10人分の椅子と広めのテーブルが置かれ、日よけ用のパラソルも置かれている夜のベランダに出ると、仲間たちの寝息すら聞こえなくなった。何も聞こえない。適度な涼しさと静寂だけの世界。

 

 椅子を2つ並べて腰を下ろすと、ラウラは静かに俺の肩に寄りかかってきた。でも、いつものように甘えているような雰囲気ではない。ちらりと彼女の顔を見下ろしてみると、やはり甘えてくる時のように笑っておらず、逆に不安そうな顔だった。

 

「………どうした?」

 

「あのね、私………ダメなお姉ちゃんなのかな………」

 

「え?」

 

「タクヤがいなくなった時ね、ずっと不安だったの。私だけで何ができるのか分からなくて………。小さい頃からずっとタクヤを頼ってばかりだったから、きっと何もできないまま育っちゃったんだよね、私………」

 

 不安だったのか………。

 

 彼女の気持ちを理解した俺は、何も聞き返さなかった。

 

 小さい頃から俺と一緒だったから、彼女は片割れがいなくなるだけで何もできなくなってしまう。きっと自分でも、俺がいなければ何もできない自分が嫌だったんだろう。

 

 それに、彼女は同い年で腹違いとはいえ、俺のお姉ちゃんだ。やっぱりお姉ちゃんとしてしっかりしたいんだろう。

 

「………ラウラ」

 

「なに?」

 

「実はさ………俺も、ラウラと離れ離れになった時は………ずっと不安だった」

 

 本当の話だ。メウンサルバ遺跡で落とし穴に落ちた時も、シベリスブルク山脈で雪崩に巻き込まれた時もずっと不安だった。確かにラウラは不器用だし、正確も幼いし、俺と比べると気が弱いところもある。でも今まで経験した戦いでは何度も彼女に救われているし、ラウラと一緒にいると落ち着くんだ。

 

 だから、何もできないわけじゃない。ラウラは決して―――――――ダメなお姉ちゃんなんかじゃない。

 

「出来ない事があるのは当たり前だよ。1人で出来ないんだったら、俺も手伝うからさ。小さい頃からそうやって育ってきたじゃん」

 

「でも………」

 

「それに、俺はラウラみたいにスコープなしで狙撃できないぜ?」

 

「………」

 

「氷の魔術も下手くそだし、ラウラより足も遅いし。………できない事があるなら、補い合えばいい。俺はいつでも隣にいるからさ」

 

「タクヤ………」

 

 ああ、俺はずっと隣にいる。

 

 もし仮に「姉の隣から離れろ」と命令されたとしても、俺はずっと彼女の隣にいる。彼女を消すために大軍が送り込まれたのならば、俺はいつでもラウラのためにホルスターから銃を抜こう。

 

 最後の最後まで―――――――俺は、ラウラの隣にいる。

 

「だからさ………えっと………隣にいるからさ………」

 

「?」

 

「あの………お、お姉ちゃんも………俺の隣に……いてくれるかな………?」

 

 は、恥ずかしいな………。

 

 月明かりの下で、じっと彼女の顔を見つめる。俺の言葉を聞いたラウラがほんの少しだけ目を見開き、ゆっくりと顔を上げた。

 

「こ、こんな不器用なお姉ちゃんでも………い、いいの………?」

 

「うん」

 

「あ、ありがと………。じゃあ、えっと………ずっと隣にいてね………?」

 

 彼女の手をぎゅっと握り、首を縦に振る。

 

 するとラウラは、顔を赤くしながら静かに俺に抱き付いた。

 

「ふふふっ………立派な子になったんだね」

 

 俺も、ラウラを優しく抱きしめる。

 

 立派な子になったのは、ラウラも同じだ。ラウラも立派な女の子になったじゃないか。

 

 パラソルに遮られて三日月になった満月の下で―――――――俺はラウラをずっと抱き締めていた。

 

 

 

 第八章 完

 

 第九章に続く

 

 

 

 



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第9章
砂漠の塔を見つけるとこうなる


 

 平和な前世の世界で生き続けていたならば――――――――こんなに火薬の臭いを嗅ぐことはなかっただろう。

 

 鼻孔が詰まってしまうのではないかと思ってしまうほど濃密で、重厚な火薬の臭い。ああ、確かに前世の世界で嗅ぐ機会は殆どなかった。もしあの飛行機事故が起こらなかったら、前世の平和な世界でこの臭いとは無縁のままだったことだろう。

 

 トリガーを引き、排出される薬莢が纏う臭いを嗅ぐ度にそう思う。火薬の臭いだけじゃない。あの世界では、銃とも無縁だった。少なくとも日本では無縁だったのだ。

 

 しかし―――――――今は、銃は俺たちの同志(パートナー)でもある。

 

『デザートハーピー排除!』

 

 天空を飛び回り続けていた黄土色の怪鳥が、いきなり木端微塵に砕け散った。犠牲になったのはデザートハーピーと呼ばれる鳥型の魔物で、砂漠のような感そうした環境に生息している。黄土色と肌色の迷彩模様を思わせる複雑な模様の羽毛が特徴的で、通常のハーピーよりも獰猛とされているが、どんなに獰猛な怪鳥でも現代兵器の前には無力である。

 

 しかも、その銃の射手が最強の狙撃手(スナイパー)なのだから――――――。

 

 ダネルNTW-20を構えるラウラが、今の一撃でデザートハーピーを粉砕したのだ。歩兵が持つ銃の口径の中ではトップクラスの大きさの弾丸を、全く防御力のない魔物が防ぎ切れるわけがない。あっさりと羽毛は突き破られ、自慢の翼もズタズタにされ、血肉の雨となって砂の上へと落ちていくだけだ。

 

 今のデザートハーピーが最後らしい。これで空から襲ってきた魔物はいなくなったという事になる。

 

 まるで燃え盛る石炭のように熱い砂の上に伏せていた俺も、そろそろ戦いを終わらせることにした。バイボットを展開していたアンチマテリアルライフルを拾い上げながら立ち上がり、左手を銃身の下に取り付けられている武器のグリップへと近づける。

 

 銃剣を取り外した代わりに、俺のアンチマテリアルライフルの銃身の下には、まるで太い銃身にドラムマガジンとマズルブレーキを取り付けたような武器が吊るされていた。

 

 OSV-96の銃身の下に装着したのは、中国製オートマチック・グレネードランチャーの『87式グレネードランチャー』だ。グレネードランチャーは簡単に言えば炸裂弾を発射する兵器で、装填する弾薬も従来の銃弾より遥かに巨大であるため、歩兵が携行するグレネードランチャーの中には単発式のものが多い。アサルトライフルの下に装着するようなグレネードランチャーも殆ど単発式である。

 

 アメリカ軍では、歩兵が携行するのではなく地面に設置して使用するために、機関銃のように連射することが可能なオートマチック・グレネードランチャーのMk.19を採用している。一発で歩兵を吹っ飛ばす破壊力を持つ炸裂弾をマシンガンのように連射できるのだから、その火力が極めて高いという事は想像に難くない。

 

 この87式グレネードランチャーも似たような武器だ。連発できるグレネードランチャーだが、設置して使う事が前提のMk.19と比べると歩兵が携行できるほど遥かに軽量なのである。その代わり口径は従来の40mmから35mmへと小型化されたため火力は落ち、連射できると言ってもドラムマガジンに装填できる弾数が少ないため、Mk.19のような火力はない。ただし歩兵が携行できるというメリットは極めて大きいと言える。

 

 まあ、軽量って言っても重量はOSV-96と変わらないんだけどね。これを2丁持ってるようなものだ。普通の人間の腕力では携行は難しいだろう。

 

 もちろんそのまま搭載するのではなく、ある程度カスタマイズも行っている。9発入りのドラムマガジンを装備し、左手で使用できるようにトリガーとグリップの位置をランチャー本体の右側面から下部へと移動しておいた。エジェクション・ポートの位置は本来グリップがあった右側面へと移動し、グレネード用の照準器はそのまま左側面に搭載している。

 

 これで重量は合計で24kg以上だ。

 

「こちらタクヤ。これよりグレネードランチャーによる支援砲撃を開始する」

 

『了解! ケーター、下がるわよ!』

 

『了解(ヤヴォール)!』

 

 グレネードランチャーの照準器を覗き込み、砂漠の向こうで荒ぶる巨大な茶色い岩を思わせる怪物へと照準を合わせる。

 

 まるで砂漠に点在する岩場から巨人の形に切り出されてきたかのような巨躯。身長は人間よりも遥かに巨大な4m程度だろうか。前線で必死にG3A4で応戦しているケーターやクランたちが、巨人に追い回される小人に見える。

 

 砂漠に生息するゴーレムの亜種だ。ゴーレムの生息する地域は極めて多く、あらゆる亜種が存在するため、ダンジョンの中では様々な種類のゴーレムを目にする事ができるという。ちなみに今のところ確認されている亜種の種類は41種類らしい。

 

 照準器の向こうで、ケーターたちが必死に走っている。ゴーレムは獲物に逃げられてたまるかと言わんばかりに全力疾走を始めるが、ケーターやクランたちは転生者だ。しかもレベルも高いらしく、ステータスのおかげで強化されたスピードで少しずつゴーレムを引き離している。

 

 狙うのは彼らを追いかけ回すゴーレムだ。トレーニングモードでこいつの弾速も把握しているし、形成炸薬(HEAT)弾の爆発範囲も把握しているから、それを考慮しながら照準を合わせれば………よし、これでいい。

 

「――――――発射(アゴーニ)!」

 

 左手で、トリガーを引いた。

 

 中国製のオートマチック・グレネードランチャーが熱砂の上で火を噴く。マズルブレーキが装着された銃口から飛び出したのは、ほんの少しばかり小口径の35mm形成炸薬(HEAT)弾だ。

 

 黄土色の砂漠の上を炎を纏いながら駆け抜けたグレネード弾は、そのまま少しずつ高度を落とし始めると、まるでケーターたちを追いかけるゴーレムを突き飛ばすかのように肩の辺りに着弾し、小ぢんまりとした火柱を噴き上げる。

 

 ぐらり、とゴーレムの巨躯が一瞬だけ揺れる。いきなり側面から攻撃されたゴーレムは慌ててこちらを振り向くが、視力がそれほどいいわけではないと言われているゴーレムが、400m先で伏せている俺を発見する事ができるのだろうか。

 

 きょろきょろと砂で覆われた大地を見渡すゴーレムに、答えを教えてやるかのようにもう1発放つ。今度は胸板に直撃したかと思うと、胸板を覆っていた外殻をメタルジェットで突き破ったらしく、砕け散った外殻や肉の破片が砂漠の上に降り注いだ。

 

 胸に大穴を開けられ、よろめき始めるゴーレムの亜種。更にお見舞いしてやろうと思ったが―――――――俺の隣で先ほどからそわそわしている幼い少女が、明らかに身の丈よりも巨大な漆黒の得物を構えながらこちらをちらちらと見ていることに気付いた俺は、にやりと笑いながら立ち上がった。バイボットを折り畳み、銃身も折り畳んで背中に背負う。

 

「ステラ、やっていいぞ」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。止めを刺せ」

 

 もう相手は瀕死だ。ステラの得物の火力ならば、あと1発命中するだけで終わるだろう。

 

 ステラに場所を譲るように後ろへと下がった俺は、彼女が構える新たな得物を眺めながら息を呑んだ。いつも火力の高い大型の武器を好むステラだが、PDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)のようにもう少しコンパクトな武器を持つべきだと思う。敵に接近された時はどうするつもりなのだろうか。

 

 10歳から12歳の少女にしか見えないステラが持っているのは――――――――第二次世界大戦が開戦する前にスイスで開発された、『ゾロターンS-18/1100』と呼ばれる大型の対戦車ライフルである。全長は2m以上となっており、重量も87式グレネードランチャーを装備したOSV-96の倍以上だ。さすがにキメラでも携行しながら戦うのは辛いと思えるほど重い代物を、幼女が軽々と手にしているのである。サキュバスの腕力ってすげえな………。

 

 かなり重い上に長大な得物であるため、当然ながらこのようにグリップとキャリングハンドルを握って持ち歩くのではなく、重機関銃のように地面に設置するか、台車に取り付けて使う必要があるため取り回しは極めて悪いと言わざるを得ない。しかし破壊力は間違いなく当時の対戦車ライフルの中ではトップクラスであったことだろう。

 

 なぜならば―――――――20mm弾でのフルオート射撃ができるのだから。

 

 そう、圧倒的な破壊力を誇る20mm弾を連射できるのである。しかもラウラのダネルNTW-20が使用する弾薬と同じ物であるため、いざとなったらその2人で弾薬を分け合う事も可能というわけだ。

 

 マガジンではなく20mmのベルトが収まった特大のドラムマガジンを銃本体の左側面に装備し、まるで大きな虫メガネを思わせる対空照準器を装備しているため、場合によっては敵の掃射だけでなく対空射撃もできるように改造してある。

 

 既にゴーレムの動きも止まっており、ケーターたちも離れている。彼らを巻き込まないように気を付ける必要はない。

 

「――――――発射(アゴーニ)」

 

 楽しそうなステラが告げた瞬間――――――――彼女のゾロターンS-18/1100が咆哮した。

 

 俺のアンチマテリアルライフルよりも太い銃身が立て続けに轟音を発し、遥かに巨大な薬莢が砂の上へと落ちていく。駆け抜けていく砲弾の群れがたちまちゴーレムを飲み込んだかと思うと、まるで石灰石の塊が削れていくように、岩でできたゴーレムの身体が少しずつ削られ始めた。

 

 剛腕が千切れ飛び、太腿が砕け散る。立ち上がる事ができなくなったゴーレムは断末魔を残しながら、自分の肉片が転がる砂の上へと崩れ落ちていく。

 

「――――――終わりですね」

 

「………す、すげえ火力だな」

 

 20mm弾のフルオート射撃だからなぁ………。徹甲弾を装填すれば、もしかしたら装甲車を破壊できるかもしれない。

 

 とりあえず、彼女にはあとでコンパクトな武器を奨めておこう。一応サイドアームとしてCz75も持ってるみたいだけど、対戦車ライフルとハンドガンのみというのは拙いだろう。

 

「みんな、損害は?」

 

『ふにゅ、こっちは大丈夫だよ♪』

 

『こっちも大丈夫。ところで今の銃声は何!?』

 

『きゃははははっ♪ ステラちゃんって凄い腕力なのね!』

 

 損害はないみたいだな………。

 

 ステラが構えるゾロターンS-18/1100を見下ろした俺は、幼女が持つには巨大過ぎる得物を凝視しながら苦笑いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラルギスを出発してからもう何時間も警戒している。メサイアの天秤を手に入れるために必要とされている最後の鍵があるというヴリシア帝国へと急ぎつつ、俺たちは途中で遭遇した魔物を蹴散らしながら進んでいた。

 

 理由は、レベル上げのためである。

 

 今の俺のレベルはおかげで70に達しているんだが、スオミの里で大量にポイントを消費しているため、兵器や能力を生産するためのポイントが底を突きかけている状況だ。辛うじてレベルが出発してから71に上がったのである程度ポイントが手に入ったが、もしまたテンプル騎士団の拠点を作ることになった時に足りなくなるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 まあ、ポイントが高いコマンチを合計で5機も作っちまったからなぁ………。

 

 とりあえず、87式グレネードランチャーは中国製であるためコストが低く、ステラのゾロターンS-18/1100も第二次世界大戦の頃の武器であるため同じくコストが低めなので、現時点ではあまり問題にはなっていない。

 

 それにしても、レベルが上がる以外にもポイントを獲得する手段が欲しいところだ。遭遇する魔物が弱過ぎるからなのか、レベルが71になってからはなかなかレベルが上がる気配がない。さすがに残りのポイントが4500しかないのは拙いので、早くレベルが上がって欲しいものである。

 

 魔物を殲滅した後、俺たちは戦車に乗って砂漠を西へと進んでいた。もちろん乗組員が4人という事になっているチャレンジャー2に乗る俺は車内に入れてもらう事が出来ず、直射日光をフードで防ぎながらのタンクデサントである。

 

 ラウラが作ってくれた氷の入っているアイスティーで猛暑に耐えながら、ちらりと後ろをついてくる戦車を眺める。チャレンジャー2よりも無骨で、砲塔や車体の側面に追加されているシュルツェンのせいで古めかしい雰囲気を放っているが、極めて高い性能を持つ主力戦車(MBT)の傑作である。

 

 後ろをついてくるレオパルトに乗っているのは、旅の途中で合流した転生者たちのパーティーだ。車体には、早くもテンプル騎士団諜報部隊のエンブレムが描かれている。

 

 2枚の真紅の羽根が下部で交差しており、その羽根の上にはドイツの象徴である鉄十字が鎮座している。そして、鉄十字の左斜め上には真紅の星が煌めいている。

 

 本当はクラルギスでお別れの予定だったんだが、元々どこかを目指して旅をしていたわけではなく、好き勝手にこの異世界を旅していただけらしいので、分かれるよりはもう少し一緒に行動する事になった。

 

『ところでさ、テンプル騎士団の本部ってどんなところに作るつもりなんだ?』

 

「あ、それはまだ考えてなかったな」

 

 アイスティーの入った水筒を傾けていると、耳に装着した小型の無線機からケーターの声が聞こえてきた。純白のレオパルト(ヴァイスティーガー)の装填手を担当するケーターだが、戦闘中にならない限り仕事はないので、今は暇なんだろう。

 

「本部か………。そろそろ作らないとなぁ」

 

 現時点で、テンプル騎士団の拠点はスオミの里のみである。

 

 諜報部隊(シュタージ)を設立したのはいいんだが、肝心な本部はまだ用意できていない。このまま旅をしながらテンプル騎士団を統括するのは無理があるし、こちらも仲間からの情報を受け取りにくくなってしまうため、あらゆる拠点や部隊を統括するための本部も作らなければならない。

 

 もちろん、襲撃された場合も想定して防御用の兵器も配置しなければならないし、場合によっては自分たちで本部を建築しなければならない。どこかに使われなくなった騎士団の砦や廃棄された村があれば、そういう場所の建物を〝再利用”させてもらいたいものだ。そうすれば建物を建築する手間も省けるし。

 

『色々と考えないといけないぞ。そこに住むことにするんだったらインフラも何とかしないといけないし、もちろん食料も考えないとな。場所にもよるが、街まで団員の分を買いに行くよりは自給自足の方が良いだろうし』

 

「ああ、そうだろうなぁ。野菜の栽培とか、家畜の飼育もやらないといけないんだよなぁ………。電気って魔術でなんとかなるかな? 俺、電気だったら得意なんだけど」

 

『ふにゅ、タクヤって凄いんだよ! 炎も出せるし、雷まで出るんだから!』

 

『なんだそりゃ』

 

『よろしくね、発電機(タクヤ)♪』

 

 俺が発電機!?

 

 ちょっと待て。一応、テンプル騎士団の団長は俺になってるんだけど………。ねえ、団長が発電機なの? どういうこと?

 

 仲間たちと本部についての意見交換をしているうちに、砂漠から岩場へと到達していた。砂で埋め尽くされた大地は後方に広がっており、眼前にはまるで城壁を思わせる重厚なブラウンの岩山がびっしりと屹立している。

 

 足場が一気に堅くなったせいなのか、戦車も揺れるようになった。おかげでタンクデサントしている俺は、アイスティーをぶちまけないように気を付けながら乗らなければならない。

 

 暑い上に揺れるのかと悪態をつこうとしていたその時だった。

 

「何だあれ………?」

 

『お兄様、どうかしましたの?』

 

「いや、一時方向に何だか塔みたいなのが見えるぞ」

 

『塔?』

 

 確認するためなのか、巨大な岩の壁の麓を走行していたチャレンジャー2の砲塔が、唐突にやや右側へと向けられた。砲塔に搭載されている高性能な照準器で、俺が発見した塔を確認するつもりなんだろう。

 

『え、どっち?』

 

『一時方向だってよ。坊や(ブービ)

 

『はいはーい』

 

 後続のレオパルトも、砲塔を一時方向へと向けて確認する。それと同時に車長用のハッチが開き、中から身を乗り出したクランが首に下げていた双眼鏡を覗き込んだ。

 

 チャレンジャー2のハッチも開き、中からドイツ軍の指揮官の軍服をそのまま真っ黒にしたようなテンプル騎士団の制服に身を包んだナタリアが、双眼鏡で確認を開始する。塔の咆哮を指差して彼女に教えながら、俺もアンチマテリアルライフルの銃身を展開し、スコープを覗き込んだ。

 

 確かに、カーソルの向こうに見えるのは―――――――塔だ。中世のヨーロッパに建っていそうな古めかしい外見の塔である。表面はブラウンのレンガで作られているためなのか、俺たちのいる位置から見ると岩山の一角にしか見えない。

 

 何だあれ? 何かの跡地か?

 

 スコープをズームして更によく確認してみるが、窓のような部分にはガラスが見当たらない。こっちの異世界でガラスが発明されるよりも以前の建築物という事なんだろうか。

 

「結構古いわね」

 

「調査してみるか?」

 

「なんだかドラゴンでも出てきそう………」

 

『あら、ドラゴン(ドラッヘ)ならナタリアちゃんの後ろにいるじゃない』

 

「えっ? あ………」

 

 ちょっとクランの言葉を信じたのか、慌てて後ろを振り向くナタリア。でも、彼女の後ろにいるのは俺だ。ドラゴンじゃない。

 

「えっと………こいつは、その……良い奴だから………」

 

「………」

 

 か、可愛いなぁ…………。

 

「とっ、とりあえず、調査してみない? 魔物がいるならレベル上げになりそうだし、老朽化してなかったら拠点にもできそうよ?」

 

「それもそうだな」

 

 老朽化が酷い場合は無理だが、人が住んでいないのであればテンプル騎士団の本部として再利用するのも手かもしれない。

 

 塔を見つめながら、俺はアンチマテリアルライフルを折り畳んで背中に背負い、息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 



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塔の中を調査するとこうなる

 

 岩山の真っ只中で発見した塔は、戦車で進んでいた道の先にあるちょっとした広場の中に屹立していた。不規則的に盛り上がる岩山の中で、その塔が突き出ている周囲だけが円形に切り取られ、窪んでいるかのような地形になっている。

 

 まるで隕石が落ちたクレーターのようにも思えるけど、元々こういう地形だったのか、それともあの塔を造った人々がこのような地形に作り替えたのかは分からない。自然的なのか、人工的なのか判別できないほどに、周囲の岩山は熱風や砂嵐に晒されて削られてしまっている。

 

 結構近づいてみたんだが、塔は予想以上に大きかった。塔の壁面に埋め込まれているレンガも一般的なレンガよりはるかに大きく、一体どうやってこのレンガを運搬してきたのだろうかと思わず考察してしまう。屈強なハーフエルフやオークでも、俺たちの身の丈以上の大きさのレンガを運んでくるのは不可能だ。

 

「………巨人が建てたのかしら?」

 

「ふにゃっ!?」

 

 MP5A5を手にしながら塔を見上げるクランが、そんな仮説を立てた。

 

 突入のために武器の準備をしていたラウラが驚くが、確かに巨人が建築した建物ならばレンガのサイズがやけにでかいのも納得できる。明らかに普通の種族には大き過ぎるレンガだが、巨人たちからすれば積み木みたいなものだ。運搬するのは片手だけで十分だろう。

 

 しかし、その割には窓や入口のサイズがごく普通の家と変わらないな………。

 

「なあ、ここってダンジョンに指定されてたっけ?」

 

「いえ………この辺りにダンジョンがあるっていう話は聞いてないわ」

 

「むしろ、ここに塔があるという話も聞いてませんわね」

 

 まさか、幻を見ているわけじゃないよな?

 

 もし幻なんだったら、人生で幻を見るのはこれで2回目になるぞ。ちなみに1回目はネイリンゲンで幽霊に連れて行かれそうになった時に見た親父の幻である。あの後何度も考えていたんだけど、相変わらず仲間たちはみんな「親父(リキヤ)は来ていない」と言うし、何だか助けに来てくれた親父も若かったから幻なのかもしれない。今の親父はもっと老けてるからな。

 

 しかし、ここに塔があるという情報もないのか。ここまで調査にやってきた冒険者がいないからなのかな?

 

 塔に接近した戦車が、レンガの塔が生み出す長大な影の中で停車する。砂を孕んだ熱風に包まれながら戦車から下りた俺は、ブーツの中に入り込んだ砂のせいで顔をしかめながらメニュー画面を開き、戦車から仲間が下りてくるのを待つ間に支給する武器を用意しておく。

 

 とりあえず、あの塔の構造がどうなっているのか全く分からないため、支給する武器は室内戦を想定したオーソドックスな武器にしよう。アサルトライフルもオーソドックスな武器だが、室内戦では射程距離は無用の長物となるので考慮する必要はない。適度なストッピングパワーと銃身の短さがあればいいから、この場合はSMG(サブマシンガン)やPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)やショットガンが適任だろう。

 

 対人戦ならばSMG(サブマシンガン)でもいいが、魔物の場合は貫通力や破壊力のみを重視する必要がある。内部に人間がいる様子はないため、とりあえず魔物との戦いを想定しよう。というわけでSMG(サブマシンガン)ではなくPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)とショットガンを用意する。

 

 用意したPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)は、ベルギー製の有名な『P90』だ。

 

 極めて短い銃身を持つブル・パップ式のPDWで、従来のSMG(サブマシンガン)などに使用されるハンドガン用の弾薬ではなく、より貫通力の高い5.7mm弾を使用する。アサルトライフルのように中距離射撃まで対応できるわけではないが、これで銃身の短さと貫通力の高さを両立しており、近距離用の火器の中ではトップクラスの殺傷力と対応力を兼ね備えている。

 

 最も特徴的なのが、P90のマガジンだ。従来のライフルやSMG(サブマシンガン)は銃身の下部にマガジンを装着する方式であるのに対し、このP90はマガジンを横倒しにした状態で、銃身の上に装着するのである。

 

「ほら、銃だ」

 

「ありがとっ!」

 

「あ、これ前に使ったやつよね? 確か………P90だっけ?」

 

「久しぶりに接近戦ですわね」

 

「む………ステラの銃より小さいです」

 

 ステラ、お前の銃がでかすぎるだけだ。

 

 彼女の武器は重機関銃とサイドアームのハンドガンという事になってるんだが、極端なんだよな。せめてカービンとかPDWも装備して欲しいものである。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん? ナタリア、どうした?」

 

「前から思ってたけど、SMG(サブマシンガン)とPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)って同じ武器じゃないの?」

 

「ああ、別の武器だぞ。SMG(サブマシンガン)はハンドガン用の弾丸を使うけど、PDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)はもっと貫通力の高い弾丸とか、アサルトライフル用の弾丸を使うんだ。だから別物だよ」

 

「へえ………。詳しいのね」

 

「幼少の頃から親父に鍛えられたからな」

 

 前世の知識だけどね。まあ、さすがに前世の知識だけで生き残るのは難しいだろうし、実際に銃を撃ったわけでもなかったから転生後に親父に鍛えられたというのは本当だけど。

 

 ちなみに、前にナタリアが使っていたマグプルPDRもPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)に分類される。

 

「それで、タクヤはPDWを使わないの?」

 

「ああ。俺はこれを使う」

 

 そう言いながら装備した銃を仲間たちに見せる。仲間たちが持つP90と比べると銃身は長く、形状も無骨に見える銃だ。

 

 俺が装備したのは、アメリカ製の『モスバーグM500』というショットガンである。1発発射する度にハンドグリップを引かなければならない『ポンプアクション式』と呼ばれるタイプのショットガンで、セミオートマチック式のものと比べると連射速度では負けてしまうが、信頼性は極めて高い。アメリカ軍でも採用されている優秀なショットガンである。

 

 レベル上げの最中に討伐したデザートハーピーからドロップしたんだよね。もちろんドロップした武器はポイントを払わずにそのまま使用できるから安上がりで済むし、カスタマイズに使うポイントは生産に使うポイントを下回るので、ほんの少しカスタムする程度ならばポイントは全く減らないのである。

 

 というわけで、銃身を切り詰めて銃床をピストルグリップに変更したソードオフ型に改造し、この塔の調査に使う事にしている。ショットガンはPDWみたいに連射は出来ないけど、至近距離での火力は絶大だから室内戦にはうってつけなのだ。

 

「で、私たちはどうするの?」

 

「俺たちが突入する。クランたちは念のため外で待機を頼む」

 

「了解。何かあったらすぐ連絡しなさいよ」

 

「了解(ヤヴォール)、お嬢さん(フロイライン)

 

 クランたちに敬礼してから、ショットガンを構えつつ塔へと近付いていく。

 

 壁になっているレンガは相変わらずでかい。なのに、入り口や窓は普通の家にあるような窓と同じサイズというアンバランスなデザインになっているが、果たしてこれを作ったのは本当に人間なんだろうか。もし巨人が作った塔だったら、手持ちの武器では火力不足になる。そうなったら外にいるクランたちに砲撃を要請することになりそうだ。

 

 巨人がいませんようにと祈りながら、俺は入口のドアを蹴破った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風通しが良いのか、塔の中は思っていたよりも涼しかった。ガラスがないせいで壁に空いた穴と化している窓から入り込んでくる熱風も、この塔の中では涼しい風に感じてしまう。一緒に太陽の光も流れ込んできているが、涼しい代わりに塔の中はやはり薄暗かった。

 

 ショットガンやP90にライトを装着し、見通しの悪い場所はライトで照らしながら進む。通気がいいおかげなのか黴臭さはまったくない。でも、その代わりに砂の臭いが塔の中を支配している。

 

 岩山で見つけた塔の中は、予想以上に広かった。入口から入った先に広がっていたのはちょっとした円形の広場で、目の前にはまるで会社やホテルのロビーを思わせるレンガのカウンターのようなものが配置されていた。その周囲には低いレンガで作られた座席が規則的に並んでいるけど、塔の中の雰囲気のせいで近代的なロビーと言うよりは、まるで古い教会の中のようにも思える。何かの修道院だったんだろうか。その割には祭壇のような部分は見当たらないし、壁画もない。

 

 左手には螺旋階段があり、壁に沿って上へと上がれるようになっていた。手すりは用意されていないため、転落しないように気を付けるべきだろう。

 

「足元に気を付けろよ」

 

「はーいっ! えへへっ、タクヤの尻尾を掴んでれば平気だもんっ♪」

 

「おいおい………」

 

 後ろにいるラウラが、俺の尻尾を片手で掴みながらにこにこと笑っている。オスのサラマンダーの尻尾は外殻に覆われており、メスよりも長いという特徴が反映されているからなのか、俺の尻尾はラウラの尻尾よりも長くなっている。おかげで服の中に隠すのがちょっと大変だけど、こういう時は命綱代わりにもなるから便利だ。

 

 でもさ、何だかムズムズするんだよね。しかもラウラは俺の尻尾を掴みながら外殻と外殻の間に指を入れて撫で回したり、顔に近づけて匂いを嗅いだり頬ずりしているらしく、先ほどから「ふにゃあ………タクヤの尻尾だぁ………」という姉の幸せそうな声が聞こえてくる。

 

 あのね、もう少し警戒してくれないかなぁ………。

 

「ラウラ。魔物が襲ってくるかもしれないからもう少し警戒してよ?」

 

「はーいっ。あ、ナタリアちゃんも触る?」

 

「えっ? で、でも、調査中だし………」

 

「いいじゃん。ほらっ♪」

 

「………じゃ、じゃあ………」

 

 え、ナタリアも!?

 

「す、すごい………! 本当にドラゴンの外殻みたい………!」

 

 尻尾を撫で回していた柔らかい手が増えたかと思うと、ナタリアと思われる手も外殻と外殻の間へと指を入れ始めた。そのままラウラと一緒に尻尾の柔らかい部分を撫で回し始める。

 

 ラウラの場合は甘えたいから撫で回したりしているだけだけど、ナタリアの場合は興味本位のようだ。とりあえず、お願いだから警戒してくれ。宿屋についたらずっと触ってていいから。それに外殻と外殻の間を触られると少しだけムズムズするんだよ。

 

 2人に尻尾を触られ、フードの中で角を伸ばしながら螺旋階段を上がり終える。2階もやはり巨大なレンガや小さめのレンガで構成された場所になっているようだけど、今度は1階のような広間ではなく、廊下と思われる通路の両脇にホテルを思わせる部屋がいくつも連なっているようだ。部屋の扉は既に砂まみれになってボロボロになっているのが殆どだけど、中にはまだ健在な扉も残っている。

 

「………手分けして索敵しよう。ラウラ、念のためエコーロケーションを」

 

「はーいっ!」

 

 擬態している魔物がいる可能性はあるが、擬態していない奴がいるのならば彼女の索敵で探知することはできる筈だ。何も探知できなければ、擬態している奴がいるというつもりで警戒しなければならない。

 

 敵と戦わずに済めばいいんだが、こんな岩山のど真ん中で放置されているような無人の塔に何も入り込んでいないというのは考えにくい。盗賊や山賊がアジトにしている可能性はあるし、魔物が住みついている可能性もある。管理局からの情報がない場所ならば、なおさら警戒する必要がある。

 

 しかし、逆に言えば冒険者たちも場所を知らないという事だよな。基本的に彼らが知ることになる情報は管理局経由だし、情報屋の情報もあるが信憑性は管理局経由の情報と比べればばらつきがある。冒険者は生存率を上げるために確実な情報を好む傾向があるため、情報屋から情報を入手する冒険者はごく僅かだ。つまり、基本的に管理局の情報を元に行動する冒険者の方が多数派ということになる。

 

 つまり、この塔の存在を知っている冒険者はごく僅かということになる。それによく考えてみれば、ここは砂漠のど真ん中にある岩山の真っ只中だ。周囲は岩山で守られているし、ここまで来るための谷のような道も限られている。空からここに来ようとしても対空兵器を大量に配置すれば空中の敵を返り討ちにすることは可能だ。

 

 なによりも、殆どの冒険者に場所を知られていないというメリットは大きい。

 

 ふむ………できるなら、ここをテンプル騎士団の本部にしたいところだ。確か近くに河もあった筈だし、食料は農作物の栽培と家畜の飼育で何とかなるだろう。他にもいろいろと考えなければならない事があるが、拠点としては理想的な場所だ。

 

 そんな事を考えながらモスバーグM500を構えていると、後ろでエコーロケーションを使っていたラウラが静かに目を開けた。

 

「………何だか、変な反応があるよ」

 

「どこに?」

 

「壁の中に」

 

「壁?」

 

 ラウラが指差したのは、廊下の真ん中あたりにある何の変哲もない壁だった。人間でも持ち運べる程度の大きさのレンガで作られた壁だが、あの中から変な反応がするというのか?

 

 ちょっと待て。ただの壁だぞ………?

 

 念のため、ショットガンを壁へと向ける。他の仲間たちもP90を壁へと向け始めているのをちらりと見てから、俺は「ラウラ、どんな反応だ?」と問いかける。

 

「えっと………何だろう? 壁の隙間に何か詰まってるような………」

 

「?」

 

 壁の隙間?

 

 確かにラウラが指差している場所には、レンガとレンガのつなぎ目がある。でもそのつなぎ目はちゃんとくっついているし、何かを詰めるほどの幅もないぞ?

 

「………カノン、あの壁を撃ってみろ」

 

「分かりましたわ」

 

 一歩前に出たカノンが、ライト付きのP90を構える。普段はマークスマンライフルを使う彼女だが、ドルレアン邸で訓練をしていた頃は様々な武器の扱い方をカレンさんから学んでいたらしいし、接近戦のためにPDWをサイドアーム代わりに装備することもあったから、連射するタイプの火器の扱いもお手の物だ。

 

 照準器を覗き込むと同時に彼女の目つきが鋭くなり―――――――蒼い瞳の中で、マズルフラッシュの光が煌めいた。

 

 廊下に銃声がこだまし、いきなり響いた銃声に驚いたかのように砂埃が微かに舞い上がる。数発の5.7mm弾がレンガのつなぎ目へと飛び込み、破片を散らしてレンガを削り取る。

 

 この攻撃で、彼女の感じた変な反応の正体は姿を現すだろうか。

 

 銃声の残響と薬莢の落下する音が小さくなっていく。ショットガンを構え、何の変哲もない壁を固唾を飲んで見守っていると―――――――抉られたレンガの壁がぴくりと動いたような気がした。

 

 いや、直接レンガの壁が動いたわけではない。その裏側で蠢いていた何かがレンガの壁を動かしたのだ。

 

 息を呑んだ次の瞬間、抉られたレンガの間から、どろりと茶色い泥にも似た奇妙な粘液のようなものが溢れ出した。泥の集合体のような姿の粘液はレンガの間から零れ落ちると、ぶるぶると震えながら少しずつ盛り上がっていき、やがて徐々に俺たちの方へと向かって移動を開始する。

 

「これは――――――――」

 

「スライムの亜種です」

 

 ああ、スライムの亜種か………。そういえば、ドルレアン家の地下墓地でもスライムに追いかけ回されたよなぁ………。

 

 ため息をついた俺は、試しにショットガンをぶっ放してみることにした。前回遭遇したスライムには銃弾が全く通用しなかったが、この亜種は普通のスライムよりも個体に近いようだ。もしかしたら弾丸も効果があるかもしれない。

 

 モスバーグM500を構え、トリガーを引く。PDWの銃声を一蹴してしまうようなでかい銃声が轟き、12ゲージの散弾が泥の塊のようなスライムの亜種を包み込む。

 

 スライムはあっさりと散弾の群れの中に呑み込まれ、あっという間に風穴だらけになったが―――――――飛び散った泥の飛沫が蠢いたかと思うと、再び本体と混ざり合い、元の大きさに戻ってしまう。

 

「うわ、効果がない」

 

「気を付けてください。スライムは強酸性の液体の塊のようなものです。ずっと触れていると溶けてしまいます」

 

「そういえば、あの時スライム踏んでたよな?」

 

「………気持ち悪かったです」

 

 かなり気色悪かったのか、顔をしかめながらぷるぷると震えるステラ。あの時はラウラに氷で時間を稼いでもらいながら逃げ切ったんだが、今回はどうやらあいつだけらしい。

 

 スライムは危険な魔物だが、撃破した冒険者は多い。スライムに最も効果的なのは魔術とされているが、その中でも特に有効なのは炎属性などの魔術による高熱か、雷属性の魔術という事になっている。スライムにもあらゆる亜種が存在するが、殆どが高熱に弱く、加熱されるとたちまち蒸発してしまうという弱点があるのだ。

 

 まあ、粘液の集合体だからな。蒸発すればそれで終わりだ。一応俺は炎も雷も使えるけど、あの変異種は何だか電気を通しにくそうだ………。炎の方が無難かもしれない。

 

 モスバーグM500を背負い、右手を前に突き出しながら肘の辺りまでを外殻で覆う。硬化しなくても魔術は使えるけど、硬化した方が魔力の伝導率が上がるらしく、魔術の威力を底上げする事ができるらしい。実際に一番最初に転生者を狩りに行った時も列車の接続部分を炎で溶断したけど、硬化しないで溶断するればもっと時間がかかっていた筈だ。

 

「焼くぞ」

 

「火事にさせないでよ?」

 

「火事になったらラウラの出番だな」

 

「ふにゅ、お姉ちゃんはいつでもいいからねっ」

 

 瞬く間に手の平の前に魔法陣が浮かび上がり、通常の炎とは異なる蒼い炎が渦巻き始める。ブラックホールのように回転しながら収縮を始めた蒼い炎は、高速回転を続けながら球体状に変形していく。

 

 体内の魔力の性質なのか、それとも突然変異の塊とも言われるキメラの特徴なのか、俺の炎はどんな方法で出現させても蒼い。だから一般的な魔術も、俺が使うと全く別物に見えてしまうという。

 

 既に変換済みの魔力が体内にあるため、詠唱も必要ない。セミオートマチック式のライフルのように連射できるというわけだ。

 

「―――――――ピアーシング・フレイム!」

 

 一瞬だけ、蒼い炎の球体が歪んだように見えた。

 

 ピアーシング・フレイムは、炎属性の魔術の中でも初歩的な魔術と言われている。炎属性の魔力を魔法陣の外に放出し、それを加圧させつつ収縮させることで小型の球体に変形させる。後はその炎の球体を前方へと押し出し、相手に向けてぶっ放すのである。

 

 普通ならちょっとした詠唱が必要になるが、俺には詠唱する必要がない。

 

 蒼いエネルギー弾にも似た炎の球体が、レンガを蒼く照らし出しながら廊下の中を疾駆する。スライムは攻撃が接近しているという事を理解していないらしく、そのままカタツムリのように俺たちに向かって前進してくるだけだ。

 

 ちなみに、普通のピアーシング・フレイムはもっと炎のように見えるらしい。俺のは蒼いレーザーにしか見えないな………。確かに別物だ。

 

 その蒼い炎が、スライムの真正面に喰らい付いた。まるで着火された油のように一気に炎が燃え上がり、泥の塊に似たスライムを包み込んでいく。スライムは炎を消そうと必死に蠢き続けるけど、炎は全く弱まらない。しだいに泥の塊のような姿のスライムの身体から水分が蒸発を始め、乾いた泥の塊のような姿に変わっていく。

 

「はぁ………スライムだけは厄介だな」

 

 銃が通用しないんだからな。次からはサーメートでも放り投げてやろうか。

 

「あんたって、銃だけじゃなくて魔術も使えるのね…………」

 

「まあね」

 

 まあ、今まで銃ばかり使ってたからな。魔術が使えるとは思ってなかったのかもしれない。

 

 それにしても、潜んでいた魔物はこいつだけなんだろうか。まだ潜んでいるなら殲滅しなければならなくなるけど、こいつだけならこの塔の中をよく調べてみたいものだ。

 

 個人的には、ここをテンプル騎士団の本部にしたいと思っているからな。

 

 

 

 

 

 

 

 



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塔の正体

 

「燃えろっ!」

 

 ピアーシング・フレイムの蒼い炎が、またしても壁から姿を現したスライムの亜種へと襲い掛かった。泥と粘液を混ぜ合わせたような気味の悪いスライムは、瞬く間に炎に包み込まれたかと思うと、そのまま炎で水分を容赦なく蒸発させられ、乾燥した泥のように真っ白に干からびていった。

 

 塔の調査を始めてからもう1時間ほど経過しているだろうか。燃え上がるスライムの死体を見下ろしながら背負っていたモスバーグM500を構えつつ、砂と泥の臭いのする空気を吸い込む。

 

 やはり塔の中には何体かスライムの亜種が潜んでいたが、もう最上階まで到達したというのに合計で6体しか倒していない。レベルを上げられるような数の敵が潜んでいなかったのはがっかりだが、おかげで調査は思ったよりも進んでいる。

 

「ふー………。スライムは厄介だな………」

 

「そうですわね………。銃弾が通用しないのは辛いですわ」

 

「タクヤ、銃で倒す手段はないのですか?」

 

「弾薬を変えれば通用する可能性はあるけど………」

 

 スライムの弱点は基本的に炎や雷などだ。特にあらゆる種類のスライムが苦手とするのは高温であるため、炎属性が最も有効であるとされている。

 

 そのため、使用する弾薬も高温を発するタイプの弾薬に変更すれば対抗できる可能性はあるだろう。例えば、俺の装備しているショットガンならば『ドラゴンブレス弾』という弾薬を使用すれば、スライムを撃破することはできるかもしれない。

 

 ドラゴンブレス弾とは、要するに炎を纏った散弾のようなものだ。炎を纏った灼熱の散弾であるため、高温を苦手とするスライムに命中すれば彼らの粘液をある程度蒸発させられるだろう。さすがに一撃で撃破は出来ないかもしれないが、通用する可能性はある。

 

 他にも機関銃ならば焼夷弾があるし、グレネードランチャーなどの武器ならば白燐弾がある。それに、火炎放射器や火炎瓶も有効だろう。どれも高温を発する兵器だし、命中させられればたちまち蒸発してしまうに違いない。

 

 今はまだポイントが少ないし、できるだけ節約したかったので魔術を使いながらここまで調査を続けてきたけど、今後はそういった兵器を投入する手もあるな。特に弾薬だけを変える場合はポイントも少数で済むし。

 

『こちらヴァイスティーガー。そっちの様子はどう?』

 

「スライムの亜種がいたけど、ほんの少数だ。損害無し」

 

『現在地は?』

 

「最上階。今から奥にあるフロアを調査する」

 

『了解。ねえ、こっちもそっちに行っていい? 待ちくたびれちゃった』

 

 まあ、最上階以外のフロアはきっちりと調査したし、敵が残っていないのもラウラのエコーロケーションで確認しているから問題ないだろう。トラップらしきものも見当たらなかったし、老朽化して崩落しそうな場所もなかったから安全だ。

 

「いいぞ。ただし、一応武装しとけよ」

 

『了解(ヤヴォール)、ドラゴン(ドラッヘ)

 

 さて、彼女たちが登ってくる前に奥のフロアを調査してしまおう。

 

 最上階以外の場所は全て調査してきたんだが、どうやらここは修道院のような施設だったと思われる。最初は大昔の砦か城の一部なのではないかと思っていたんだが、砦や城にしては防衛用の設備が設置されていた形跡がないし、1階の雰囲気も教会や修道院のような感じだった。

 

 それに、城の一部ならば他の部分も近くにある筈だ。砂の中に埋まってしまっている可能性はあるけれど、もし他の部分がすべて埋まっていて、この塔の部分だけが露出しているのだとしたら、明らかにこの塔だけ高いアンバランスな城だったことになる。それに周囲は岩山で囲まれているから、城壁を立てる余裕はなかったはずだ。その岩山を城壁代わりにしていたのだとしても、他の部分を建てるスペースがあったとは思えない。

 

 最上階へと続いていた階段のすぐ目の前には木製の大きな扉がある。貴族の屋敷にあるような過剰に飾り立てられた扉ではなく、ただ単に金具と木材を組み合わせただけの質素な扉だ。まあ、かなり昔に建てられた建物だから扉も穴が開いており、表面はかなり荒れてしまっている。かつてはこの扉も派手に飾り立てられていたんだろうか。

 

 いきなり扉を開けずに、俺はショットガンを構えながらそっと近づいた。他の仲間たちは俺が蹴破った直後に突入できるように、P90を構えながら準備している。

 

 ちらりと扉を支えている金具を確認する。扉そのものは反対側が見えない程度の穴が開いているが、金具の方はかなり錆びついている。ショットガンで破壊する必要はないだろう。キメラの脚力と俺の攻撃力のステータスならば薄氷を踏み抜くようなものだ。

 

「ラウラ、向こうに敵は?」

 

「気配はないよ。スライムの反応もない」

 

 敵はいないか………。だが、ラウラのエコーロケーションでも擬態している敵を見抜くことは出来ない。正確に言えばその擬態している敵も探知することは可能だけど、肝心なラウラはその擬態している敵を〝敵”ではなく、その索敵範囲内の〝風景の一部”として認識してしまうため、彼女の索敵で擬態を見破るのは不可能なのだ。

 

 例えば敵が木に擬態している場合、ラウラは超音波で「そこに木がある」ということを探知する事ができるが、「その木が敵の擬態だった」という事まで知ることは出来ないのである。彼女のエコーロケーションは便利な能力だが、このように弱点もある。

 

 だから過信すれば奇襲を受けてしまうのだ。

 

 仲間たちの顔を見渡し、首を縦に振ってから―――――――持ち上げた左足を、思い切り扉へと叩き込んだ。

 

 案の定、扉を支えていた錆だらけの金具はあっさりと外れ、金具を千切り取られた穴だらけの扉は蹴飛ばされた人間のように広間の中へと吹っ飛んでいく。床に落下した扉が砂埃を舞い上げる中へと踏み込んだ俺は、ライトを点灯させたモスバーグM500を構えながら部屋の中を見渡す。

 

 砂埃の膜が薄れていく向こうに広がっていたのは、最上階の4分の3を占めているのではないかと思えるほど広い円形の部屋だった。壁にはやはりただの穴にしか思えないシンプルな窓があり、そこから日光がレーザーポインターのように室内を照らしている。

 

 部屋の中は中世の城のようだ。銀色の甲冑に身を包んだ騎士が似合いそうな室内だが、ここにいるのは漆黒の制服に身を包んだテンプル騎士団のメンバーと、部屋の中央に置かれている古びた円形の大きなテーブルだけである。

 

 まるで、アーサー王伝説に登場する円卓だ。テンプル騎士団と円卓の騎士か………。

 

 そんな事を考えながら、室内に銃口を向けつつ索敵する。円卓の下や反対側に魔物が潜んでいたり、擬態している可能性がある。特に擬態するタイプの魔物はラウラでも察知することはできないため、注意しなければならない。

 

「………何もいないな」

 

「何なんだろう、ここ………」

 

 ただ中央に円卓が置かれただけの広間である。装飾は全くないし、かつてここにいた筈の者たちが遺した形跡も全く見当たらない。窓から入り込んだ砂が円卓や床に堆積し、チョコレートを思わせる茶色いレンガの床に黄土色の模様を描いているだけだ。

 

 中世のヨーロッパの城からあらゆる装飾を取り除けば、こんな光景になるのではないだろうか。

 

『こちらケーター。おい、タクヤ。聞こえるか?』

 

「ああ、聞こえる」

 

『お前ら、地下も見たのか?』

 

「えっ?」

 

 何だって? 地下?

 

 目を細めながら仲間たちと目を合わせると、みんなも同じように目を細めた。

 

 ちょっと待て、地下があったのか? 俺たちが調査したのは1階から最上階までだから、地下は見ていない。隠し通路でもあったんだろうか?

 

「いや、見ていない。見落としてたのかも」

 

『なるほどね。どうりで入った形跡がないわけだ』

 

『私たちが調査するわ。合流お願いできるかしら?』

 

「了解。………下まで降りよう」

 

 地下も調査しておくべきだろう。もしかしたらそっちに危険な魔物が潜んでいる可能性があるし、この塔が何のために建てられたのか記載された資料のようなものも発見できるかもしれない。

 

 仲間たちに告げた俺は、ショットガンを背負いながら再び階段に向かって歩きだした。冒険者の役割はダンジョンの調査。誰も知らない場所の正体を暴き、空白だらけの世界地図を完成させること。

 

 しかし、ここをテンプル騎士団の本部にした暁には、裏切者が情報を漏らさない限り誰も知らない場所になることだろう。世界に場所を暴かれる前に、自分たちで全てを暴き、そして隠す――――――。

 

 なんだか逆だ。冒険者がやることは場所を暴く事。俺たちがやろうとしていることは、暴かれかけている場所を隠す事。自分たちの計画のためとはいえ、冒険者からすれば邪魔者でしかない。

 

 階段を下りていればこの違和感は消えるのだろうか。そう思いながら、俺は再びレンガの階段を駆け下り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、この塔の中にいたのはごく少数のスライムだけだったらしい。通路に残されたスライムの死体を踏み越えながら1階のロビーにも似た空間まで降りたが、その間に遭遇した敵はいなかった。もちろんラウラにエコーロケーションで索敵してもらいながらの移動だったけど、相変わらず反応もない。

 

 ダンジョンみたいな雰囲気を放つ奇妙な塔だというのに、敵は殆どいない。もしかすると地下にその分危険な敵が潜んでいるのではないか。生息しているだけで一気にダンジョンの危険度を跳ね上げてしまうような大物が地下に封印されている可能性もある。もしそうだったら、先行したクランやケーターたちが危ない。

 

 早く合流しなければと思いながらも螺旋階段を駆け下りると、ロビーを思わせる奇妙な空間の奥の方に、下へと続く階段のようなものが見えた。床のレンガで階段を隠していたのか、傍らには退けられたと思われる大きめのレンガが置かれている。

 

「こんなところに………」

 

「どうやって気付いたのかしら………?」

 

 そういえば、あいつらはどうやってこの地下に気付いたんだろうか。

 

 とりあえず、俺たちも調査してみよう。危険な魔物が潜んでいるかもしれないし、合流すれば詳しい情報も聞けるかもしれない。

 

 照明のようなものはないため、ショットガンに装着されているライトを点灯させておく。地下だから当然ながら窓はないため、今までのように窓から入り込んでくる日光が光源になってくれることはない。松明のようなものや照明代わりになりそうなものがあるとは思えないため、ライトは必須だ。

 

 バッテリーは大丈夫だろうかと思いながらも、ライトを付けた状態で階段を下りていく。レンガで作られた階段は先ほどの床よりもひんやりとしていて、通路の空気も日光と熱風に晒された地上よりも涼しい。

 

 階段の左右に鎮座するレンガの壁には、やはり何の装飾も付いていない。何か文字のようなものでも刻まれていないだろうかと思っていたんだが、その文字も刻まれている気配はない。シンプル過ぎるにも程があるぞ。

 

 段々と左へカーブし始めた階段を下りた先には、またしても通路が続いていた。ライトで壁や天井を照らしてみるが、やはりレンガで作られているというのは変わらない。中世の城の通路を思わせる古びた廊下が真っ直ぐに伸びていて、左右には塔の2階のようにホテルの部屋を思わせる小部屋がいくつもある。

 

 いや、ホテルの部屋というよりは倉庫のようだ。客を宿泊させるような場所ではない。食料や物資を備蓄しておくためだけの空間。老朽化というよりは荒れているせいなのか、なおさら〝部屋”というよりは〝倉庫”のように見える。

 

 中をライトで照らしてみると、何も置かれていない殺風景な空間があるだけだった。ネズミやコウモリでもいそうな空間だが、何もいない。埃が砂と混じった状態で堆積しているだけである。

 

 普通の廃城とか廃墟ならば、コウモリやネズミだけでなく、更に危険な魔物が住みついていてもおかしくはない。街の中にある歴史的な建築物のように人が手入れをしているなら納得できるが、ダンジョンに指定されてもおかしくはない砂漠の真っ只中で、住みついている魔物が数体のスライムの亜種だけで済むわけがないのだ。通路をゴブリンやスケルトンが徘徊し、奥に進めば危険なドラゴンが待ち受けているようなダンジョンを想像してたんだが、これではただの探検と変わらない。

 

 期待外れと言いたいところだが………これは失望すればいいのだろうか。それとも、僥倖だと思うべきなのだろうか。レベル上げをしたいと思っていたからやってきたわけだが、レベルを上げられるほど敵がいたわけではないからがっかりしているのは事実だが、敵がいないという事はそれだけ安全だという事だ。その分どこかに危険な敵が潜んでいるかもしれないから油断はできないけどな。

 

 警戒する度に肩透かしを食らい続けながら進んでいたが――――――――その肩透かしだらけの短い旅路は、どうやら閉幕するらしい。

 

 黴の臭いのする通路の奥に、やけに大きな風化した木製の扉があった。表面は埃で灰色に染まっており、最上階の扉のようにショットガンで金具をぶっ壊さなくても容易く蹴破れそうなほどに荒れ果てている。

 

 その扉の近くに、迷彩服に身を包んだ4人の諜報部隊(シュタージ)のメンバーが待機していた。テンプル騎士団へ入団しているため、今の彼らの迷彩服の模様はモスグリーンを基調とした従来の色ではなく、黒と灰色の二色の迷彩服となっている。

 

「お待たせ」

 

「ここが最深部?」

 

「ええ、そうみたい」

 

 念のため、ラウラにエコーロケーションで内部を確認してもらうか。彼女に頼もうと思ったけど、ラウラはもう俺が何を頼もうとしているのかを理解していたようで、俺が彼女の方を振り向いた時にはもう両目を瞑ってエコーロケーションを始めていた。

 

 彼女のエコーロケーションは、最大で半径2kmまで探知することが可能だ。遠距離の物体を探知するために範囲を広げれば、索敵の精度は範囲に反比例して低下してしまうが、逆に近距離の索敵ならば極めて正確になる。この扉の向こうにどれくらいの広さの空間が広がっているかは不明だけど、彼女の索敵に任せた方が安全なのは明らかだ。

 

「広い空間になってるみたい。中には木みたいなのが1本だけ生えてる」

 

「木?」

 

「魔物の擬態かしら?」

 

「ごめん、擬態かどうかまではわからない………」

 

 広い空間か………。ということは、室内戦は考慮しなくてもよさそうだな。

 

 それにしても、中に生えている木って何だ? 擬態してる魔物か? ラウラのエコーロケーションには魔物の擬態を見破る能力はないから、本当に魔物の擬態である可能性はある。これだけ魔物の数が少なかったのは、その木がかなり凶悪な魔物の擬態で、他の魔物を殺し尽くしてしまったからなのかもしれない。

 

 広い空間になっているのならば、もう取り回しは関係ない。火力の高い武器を装備していくべきだろう。

 

「よし、いつもの装備を支給する。その木が魔物かもしれないから油断するなよ」

 

 メニュー画面を開き、次々に生産済みの装備をタッチしていく。タッチして装備した武器を仲間に手渡し、予備のマガジンや弾薬の連なったベルトを支給し終えてから、俺もいつもの装備をすぐに見につける。

 

 ケーターたちはいつもの装備で来ていたらしく、俺たちが装備を切り替えているのを「うわ、速いな………」と言いながら見つめていた。何回もこうやって装備を支給してるから慣れて早くなったんだろう。ケーターたちは1人1人が転生者だからこんなことをする必要がないからな。それは便利だと思う。

 

 7.62mm弾を発射するように改造したAN-94を構えた俺は、仲間たちも点検を終えていることを確認すると、シュタージのリーダーであるクランに目配せし、彼女たちも準備を終えているという事を確認する。

 

「さて、突入するか」

 

「そうね。さあ、ドラゴン(ドラッヘ)。とっととこのボロボロな扉をC4で吹っ飛ばしなさい」

 

「待て待て、蹴りで十分だろ。C4の無駄だ」

 

「何言ってるの。そんな野蛮な方法で突入する気?」

 

 や、野蛮………?

 

「あ、あのな、こんなところでC4使ったら生き埋めになる可能性もあるだろうが」

 

「C4の方が優雅よ。敵への宣戦布告にもなるし、きっと擬態してる敵もびっくりする筈だわ」

 

「おいおい、言い合いするなら俺が先陣切るぞ」

 

「ケーター………?」

 

 そ、そうだよな。テンプル騎士団のリーダーなんだし、みんなをしっかりとまとめなきゃならない。突入前に仲間と言い合ってる場合じゃない。

 

 冷静な奴だな、ケーターは。参謀に向いてるんじゃないか?

 

「ええと………あれ? 俺のC4どこだ?」

 

「お前もC4派!?」

 

 なんで!? お前もC4使いたかったの!?

 

「あー、これだ。よしよし、こいつを―――――――」

 

「ば、バカ、やめろッ!!」

 

「はあ!?」

 

「蹴破った方が早いって! こんな風化したドアにC4使うなよ!!」

 

「あのな、クランの命令だぞ!?」

 

「俺の方が権限上なんだけど!? 俺団長だからね!?」

 

「知った事か! C4の方が優雅なんだよ!!」

 

 何言ってんの!?

 

 とりあえず、スタンバイしていたアサルトライフルを腰に下げ、C4爆弾を設置しようとしていたケーターの腕を掴む。こんなところでC4を使ったら、天井のレンガとかが崩れてくるかもしれない。もし崩落してきたら生き埋めだぞ?

 

 ケーターの太い腕を必死に掴むけど、思っていたよりもこいつはステータスが高かったらしく、じたばた暴れはじめたケーターに何度も引き離されそうになってしまう。くそ、大人しくしろって! 生き埋めになりたいのか!?

 

「はあ………」

 

 あ、ナタリアが呆れてる………。

 

 彼女は頭を押さえながら軍帽をかぶり直すと、ため息をつき―――――――転生者並みのスピードで、俺とケーターの頭に拳を振り下ろしてきやがった!!

 

「えむぴーふぁいぶ!!」

 

「くるつっ!」

 

 待て、ケーター。勝手にクルツを付け足すんじゃない。しかも俺のネタをパクるな。

 

 何だかギャルゲーの続編のタイトルみたいになってるじゃねえか………。

 

「あのね、言い合いしてる場合じゃないでしょ!?」

 

「す、すみませんっ!!」

 

「まったく………。退いてなさい、私が蹴破るから」

 

「え、C4は―――――――」

 

「使わないわよ、バカ!」

 

 さすがナタリア。ケーターを一蹴しやがった………。

 

 呆れながら俺たちの前に出たナタリアは、軍帽を片手で押さえながら扉を睨みつけると、俺よりも細い片足を静かに持ち上げ―――――――まるで槍を持つ戦士の一撃のように鋭い蹴りを、風化したボロボロのドアへと叩き込んだ。

 

 ナタリアの細い足に突き飛ばされた扉が軋み、錆びていた金具が弾け飛ぶ。漆黒の制服に身を包んだ少女の一撃で蹴破られた扉は、あっという間に広間の中へと吸い込まれていった。

 

「え………?」

 

 そのまま先陣を切って突入しようとしていたナタリアの表情が、消失した扉の向こうに広がる景色を目の当たりにした瞬間に硬直する。

 

 てっきり、広間と言っても周囲をレンガの壁で囲まれ、真ん中に無造作に木が植えられているだけの寂しい空間だと思い込んでいた。相変わらず黴の臭いがして、閉鎖的であるという事は全く変わらない。誰もいない静かな地下の広間でしかないと思っていたんだが、その扉の向こうの光景はまさに予想外の塊と言えた。

 

 ―――――――黴の臭いではなく、土の臭いがするのだ。

 

 レンガの床ではなく、そこにまるで草原のような草むらに覆われていたんだ。ずっと放置されていたから床のレンガの間から生えてきたわけではなく、土の中から生えているのである。

 

 雑草だけではなく、様々な色の花もその中に混じっていた。緑だけではなく、赤い花や黄色い花も混じったカラフルな世界。半径数百メートル程度のドーム状の空間に、そんな世界が広がっていた。

 

 天井にはサファイアにも似た蒼い結晶のようなものが埋め込まれ、蒼白い光で広間の中を照らし出していた。全く光のない地下で植物が育つのは考えられないが、あの光が原因なんだろうか。

 

 その空間の真ん中に―――――――ラウラが察知した木が屹立している。

 

 広間の中心に生えているその木は、まるで無数の家臣に囲まれた王のようだ。長い間ここにあったらしく、幹というよりは巨大な城の柱のようにも見える。枝は数え切れないほど枝分かれしており、天井を突き破るのではないかと思ってしまうほど伸びた枝は、無数の小さな蒼い花で覆われている。

 

 美しい花だけど………何だか見覚えのある花だった。

 

「あれって………まさか、桜か………?」

 

 雑草に混じって生えている花よりも小さなその花は、間違いなく桜の花だった。前世の世界で何度も目にしたことのある美しい花だけど、俺が見たことがある桜の花は全てピンク色だった。

 

 これが異世界の桜なのか………? いや、小さい頃に見た図鑑に桜も載っていた筈だ。こっちの世界では東洋でしか目にすることのできない希少な花らしく、図鑑に載っていた情報もかなり少なかったけれど、大体前世の世界の桜と同じらしい。

 

 つまり、この世界でもあの蒼い桜は考えられない存在だということだ。

 

「蒼い桜………?」

 

「きれい………」

 

 念のため、AN-94を構えながら桜に近付いていく。雑草や花の群れの中を進み、広間の中心にある巨大な蒼い桜の幹へと接近した俺は、左手をAN-94のハンドガードから離し、何年もここに鎮座し続けていた桜の幹に触れた。

 

 幹を覆っている皮はでこぼこしていて、木とは思えないほど広い。まるで何百年も生えている巨木の皮を繋ぎ合わせて作った壁のようだ。

 

 しばらく触り続けていたけど、幹が動き出す様子はない。擬態している魔物ならばもうとっくに正体を現している筈だが――――――――散々触っているというのに何も起こらないという事は、この桜の木は魔物の擬態ではないのか………?

 

「………大丈夫だ、魔物じゃない」

 

 この塔は何なんだ………?

 

 魔物じゃない事が分かって安心したが………この塔をもう少し調べた方が良さそうだ。踵を返した俺は、顔をしかめながら仲間たちの所へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※MP5K|(エムピーファイブ・クルツ)はドイツ製のSMGです。

「えむぴーふぁいぶ!! くるつっ!」………二期とか続編みたいですね(笑)


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蒼い桜と少女のハミング

 

「何か分かったことはあったか?」

 

 何の痕跡も残っていない、砂漠の中にある奇妙な塔。いったい何のために建てられたのかというヒントすらない。説明不足にも程がある謎の塔の中を一通り調査した俺たちだったが、未だにこの塔が何なのか分からないままだ。

 

 グレネードランチャー付きのG3A4を背中に背負い、腰にUSPのホルスターを下げながら戻ってきたケーターに尋ねてみるけど、何もヒントが得られなかったという答えは彼の細められた目つきで分かった。迷彩模様のヘルメットを取りながら首を横に振った彼を「そうか………お疲れ様」と労うと、俺もAN-94を背負って立ち上がる。

 

 本当に、この塔はなんのための塔なのだろうか。雰囲気は中世のヨーロッパの城に近いが、内部の構造を考えると城とは考えにくい。ならば修道院は教会なのではないかと思うが、こちらも同じだ。確かに教会や修道院のような宗教関係の施設にも思えるが、それにしては石像のようなものはないし、壁画も見当たらない。

 

 それに、もし仮に城か宗教関係の施設だったのならば、あの地下にあった植物や蒼い桜は何なのか。どこかの国の拠点や修道院というよりは、ここはあの植物の研究施設のような場所だったのではないかと俺は考えている。

 

 あの蒼い桜を生み出すために、錬金術師が研究を続けていたのかもしれない。何らかの理由で錬金術師がこの塔を手放すかこの世から去り、塔そのものが忘れ去られたから管理局の情報にもなかったという可能性はある。

 

 冒険者がダンジョンを調査した成果を奪い合うように、錬金術師や魔術師も研究の成果を独占しようとする傾向が多い。それゆえに錬金術師や魔術師は、大規模な研究を行う際は研究どころか研究する場所まで秘匿し、信用できる助手だけを連れてひたすら研究を続けるという。

 

 前の話になるが、リディア・フランケンシュタインを生み出したヴィクター・フランケンシュタインも同じような方法で研究を続けていたようだ。彼の記録の中に名前が挙げられていた『ブラスベルグ』という助手と、2人で研究をしていたのだろう。

 

「痕跡は何もないか………」

 

「ああ。壁画とか、何かの実験があった形跡さえあれば………」

 

 その形跡すらないんだから、俺の予測も仮説でしかない。ヒントがないだけでなく、肝心な問題文が一部だけ欠落しているような説明不足の問題を解かされているようなものだ。

 

 くそ、本当にここは何なんだ? あの蒼い桜もいったい誰が生み出した………?

 

 ライフルを背負ったまま立ち上がり、地下の広間へと向かう。広間から流れ出す花の香りが緩和してくれているのか、最初にここへと降りてきた時よりも黴の臭いが薄れているような気がする。

 

 花の香りと謎が漂う広間では、まだ仲間たちの調査が続いている。銃を構えながら草むらの中を見渡し、中心部に屹立する蒼い桜の幹を眺めたり、よじ登って細部を確認している仲間たち。先ほどから数名が警備にあたり、数名が調査を続行し、それ以外は休憩するというローテーションでもう3時間は調査しているが………未だに手掛かりと思われるものは発見されていない。

 

 もし仮にこの塔が大昔から存在していたのであれば、残されている言語は古代語になる。有名な考古学者が数人がかりでも解読に数年かかってしまうほど難解な言語だが、俺たちの仲間にはその古代語を母語として育ってきたステラがいる。自分の母語を読んで解読するだけなのだから、その痕跡さえ見つける事が出来れば答えは出たも同然だ。

 

「ふにゃあー………何も見つからないよぉ」

 

「本当ね。ここ、何に使われてたのかしら? 植物園というわけではないわよね………?」

 

「植物園なのだとしたら、地下だけというのは考えられませんわ。それに植物園にするのだとしたらもっと別の場所に立てるはずですし、その建物が塔というのもおかしいですわ」

 

 確かに、その通りだ。植物園にするのならばわざわざ塔にする必要はないし、地下にだけ植物があるというのもおかしい。

 

「ステラ、この建物が幻覚だという可能性は?」

 

 魔術には様々な種類がある。炎や氷などで直接攻撃する者はポピュラーだが、中には闇属性の魔力による汚染で相手の回復を阻害するような魔術や、逆に光属性の魔力でしばらくの間だけ魔術による妨害を受けにくくするような特殊な者も存在する。

 

 その中の1つが、闇属性の魔術に分類される『幻覚』だ。

 

 闇属性の魔力を相手や自分の周囲に散布して操ることで、相手に幻覚を見せて攪乱する事ができるのである。一般的には幻覚そのものには攻撃力はないと言われているが、熟練した魔術師やその魔術師のアレンジ次第では攻撃力を持つ場合もあるため、相手の攪乱だけでなく奇襲にも活用されている。

 

 その反面、魔力を散布しなければ幻覚は成立することがないため、冷静に魔力を探知すれば容易く見破れるという弱点がある。とはいえ熟練の魔術師が使えば戦闘中に瞬時に探知するのは難しいほど微弱な気配しかしなくなるのだ。

 

 しかもその幻覚で作りだせるのはせいぜいドラゴンほどの大きさのものだけである。こんなに巨大な塔を幻覚で生み出すのは不可能だ。闇属性の魔術を扱うための教本にも記載されている初歩的な原則である。

 

 ありえないという事を承知でそれを訪ねるのがどれだけ愚かしいのかを理解しているつもりだが、転生者ならばこのような幻覚を生み出すことはできるかもしれない。この塔を本拠地にしようとしていたんだが、もし幻覚で作られたものならば最大級の肩透かしだ。

 

 そんな愚問を聞いたステラは、目を瞑って息を吐いてから首を横に振った。

 

「ありえません。明らかに魔力で生成できる幻覚のレベルではありませんし、魔力の気配も全くしません。もちろん、ここの植物や桜からも魔力の反応はゼロです。実物としか考えられませんよ」

 

「ふむ………」

 

 幻覚の可能性はなしか………。

 

 転生者の能力ならば魔力の反応はしないのではないかと思った俺は、メニュー画面を開いて生産できる能力の中から『幻覚』を選択し、人差し指で軽くタッチする。蒼白い六角形の結晶が砕け散るようなエフェクトが映ったかと思うと、すぐに目の前の能力の説明文や攻撃力などのパラメータが表示された。

 

《ごく少量の魔力を散布し、周囲に幻覚を生み出す。同じく能力の『魔術師』と併用すると効果が上がる》

 

 別の能力との併用による効果についての説明がアバウトだけど、原理はどうやら一般的な幻覚と同じらしい。幻覚を生み出すためには、まずごく少量でも魔力を周囲に散布していることが前提となる。

 

 つまり、この世界の魔術師でも転生者でも、結局魔力の反応で幻覚を見破ることは可能という事だ。

 

「………分かった。あまり無理はしないようにな」

 

「了解(ダー)」

 

 幻覚じゃないという事は、この桜の木は本物という事か。蒼い桜なんて見たことないぞ。

 

 やっぱり、魔術師とか錬金術師が実験で生み出したんじゃないか? ヒントすら見つかっていないが、やはりここは魔術師や錬金術師たちの実験場だった可能性がある。

 

「ねえ、ドラゴン(ドラッヘ)。ここはなんだか気味が悪いわ………」

 

「俺もだ。拠点にするのは諦めないか?」

 

「うーん………確かにそうかもしれないなぁ」

 

 何のために建造されたのか不明だし、ここの前の持ち主が何のために使っていたのかも不明。しかもそれらの痕跡が全く見つかっておらず、地下には普通ならあり得ない蒼い桜が隠されていた。

 

 確かに、気味の悪い場所だ。

 

 しかし、周囲の地形や管理局にも知られていなかったという事を考えてみれば、拠点にするには理想的な場所だ。周囲は適度に高い岩山に囲まれており、敵が侵攻してきた際は谷で奇襲を仕掛ける事ができる。それに地下にこんな空間があるのだから、掘り進めれば地下に大規模な設備を作ることもできるだろう。

 

 できるならば手放したくない場所だが………何か危険なものが隠されていたら大参事だ。下手をすれば、テンプル騎士団本隊とシュタージが同時に全滅してしまうかもしれない。

 

 ここを拠点にするメリットはかなり大きいが、メンバーが全滅してしまったら元も子もない。組織を動かすのは権力ではなく、その権力に従ってくれる仲間(同志)たちだ。利益よりも、彼らの命を最優先にしなければならない。商売ではないのだから、利益は二の次でいいのだ。

 

「―――――――やむを得ないな。みんな、調査は中断だ。ここから撤収するぞ」

 

「え、ここを拠点にするんじゃないの?」

 

「元々レベル上げのつもりだったけど、大した魔物はいなかったろ? それに何だか気味が悪い。拠点にした後になにか危険なものが見つかったら大変だからな。取り返しがつかなくなる前に離れておこう」

 

 ここに住みついていた魔物が少なかったのも気味が悪い。人間が出入りしていないような建物には、普通ならばもっと魔物が大量に住みついていてもおかしくないというのに、俺たちが遭遇したのはたった数体のスライムの亜種だけだ。もしかすると、他の魔物はここに住みついているもっと危険な魔物に怯えて近づけなかったのかもしれない。

 

 木によじ登っていた仲間たちが広間へと下り始め、外の通路を警備していた坊や(ブービ)や木村たちも銃を背負って撤収する準備を始める。

 

 こういう謎だらけの場所を探索するのもなかなか面白かったが、俺たちの目的はテンプル騎士団を大きくする事だけではない。一番最初に決めた目的が、この砂漠の向こうにある海を越えた先で待っているのだ。

 

 ヴリシア帝国に保管されている、最後のメサイアの天秤の鍵を手に入れなければ―――――――。

 

 アサルトライフルを背負い、仲間たちがぞろぞろと名残惜しそうに広間から出ていくのを見守りながら、そろそろ俺もここから出ていこうと思ったその時だった。

 

 せめてこの奇妙な空間に屹立するあの蒼い桜を目に焼き付けようと後ろを振り返った瞬間――――――美しいハミングが、唐突に俺の聴覚を支配したのだ。

 

「………?」

 

 ラウラのハミングだろうかと思ったけれど、彼女の声にしては少しばかり大人びているような気がする。ナタリアにしては幼い気がするし、カノンにしては無邪気で、ステラにしては情熱的。知っている少女たちの特徴が全く当てはまらない、謎のハミング。

 

 メロディーも聞いたことがない。物静かで優しいメロディーは幼子に聞かせる子守唄を思わせるけど、こんな曲は今まで耳にしたことがない。

 

「ふにゅ………ねえ、この子守唄は何? タクヤが歌ってるの?」

 

「そんなわけあるか。俺の声よりも高いぞ」

 

 ラウラにもこのハミングは聞こえているようだ。他の仲間にも聞こえているのだろうかと思って通路の方を見てみるけど、調査を終え、地上へと出ようとしている仲間たちは何事もなかったかのように、前や隣を歩く仲間と雑談をしながら階段の方へと向かって歩いている。

 

 何だ………? 仲間たちには聞こえてないのか………?

 

「なあ、みんな―――――――」

 

 去っていく仲間たちを呼びかけるけど、誰もこっちを振り返ってくれない。まるで俺たちの事に気付いていないかのように、通路の向こうを埋め尽くす闇の中へと歩いていく。

 

 彼女たちを追いかけようとした俺だったけど、手を伸ばしながら駆け寄ろうとした瞬間、容赦なく耳へと入り込んでくるハミングが激痛へと変化した。まるで耳の穴の中に長い甲鉄の針を差し込まれ、そのまま反対側まで貫かれてしまったのではないかと思ってしまうほどの痛み。反射的にうずくまりながら両耳を手で塞ぐけど、そのハミングは消えてくれない。

 

 むしろ、どんどん大きくなっていく。両手をすり抜けて頭の中へと入り込んでいく少女の歌声が弾丸の跳弾のように反響し、頭を内側から抉り取っていく。

 

 やがて、鼻血が流れ始めた。鼻を押さえようとして片手を耳から離したけど、その離した手の平はもう既に血で真っ赤に染まっている。

 

 その血が耳の穴から溢れ出た血だと気付いた頃には、もう平衡感覚がなくなっていた。仲間を追いかけようとしても立ち上がれない。どうすればバランスがとれるのか、理解できなくなってしまう。

 

「あ………あぁ……い、痛い……やめて……やめてぇ………っ!」

 

 隣にいたラウラも俺と同じ状態だった。鼻血を流し、両耳から出血しながら必死に耳を手で塞ぎ、目を瞑りながら激痛に耐え続けている。

 

 くそ、何なんだ? 何でみんな気付いてくれない!?

 

 痛い………! あ、頭が――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、ある1人の青年がいました。

 

 彼はとてもまじめで、家族思いの青年でした。高校を卒業してからは県外の企業に就職して会社員となり、給料やボーナスが出れば必ず実家の両親や高校生の弟へと仕送りをするようにしていました。

 

 ある日、残業を終えた彼は会社の帰りにスーパーに立ち寄ることにしました。住んでいる貸家と会社の中間にある小さなスーパーです。買い物をするためにそこに立ち寄った彼ですが、なんと悪い男の人にナイフで刺され、いきなり殺されてしまうのです。

 

 でも、哀れな青年は死んだ後に別の世界へと転生し、17歳の少年として異世界で生きていくことになりました。不思議な携帯電話みたいな端末を与えられ、魔術や剣が主流の異世界では存在しない銃をその端末で生み出した少年は、旅の途中で出会った騎士団の少女と出会い、彼女の許嫁と追っ手から逃げるために隣国へと亡命を始めます。

 

 これが………のちに『魔王』と呼ばれることになる、少年の物語の序章(プロローグ)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――あれ?」

 

 いつの間にか、あの痛みは全く感じなくなっていた。美しかったけど忌々しい少女のハミングも聞こえてこない。

 

 静かに両耳から手を離し、先ほどまでは血に染まっていた筈の手の平を凝視する。今まで耳を覆っていた手は真っ白なままで、血で汚れた形跡は全く見受けられない。まるで少女のように細くて真っ白な手が、すぐ近くにあるだけだ。

 

 鼻の下を指でなぞってみるけど、耳と同じく出血していた筈なのに血の跡がない。

 

 あのハミングは何だったんだ? すっかり消えてしまった異変の残滓を探し求めているうちに、俺はいつの間にか平衡感覚が元通りになっていることに気付いた。あのハミングを聞いている間、まるで転生してきたばかりの赤ん坊の頃に戻ったかのように―――――――正確に言えば、あれは平衡感覚の問題ではない―――――――立ち上がる事が出来なくなっていた筈なのに、今はもう元通りになっている。

 

 どうなっているんだと思いながら周囲を見渡していると、傍らに赤毛の少女が倒れていた。

 

 漆黒の制服とミニスカートに身を包み、炎のような赤毛の上に真紅の羽根の付いた真っ黒なベレー帽をかぶっている。大人びた容姿とは裏腹に性格は幼く、いつも俺に甘えてくる姉弟の片割れだ。

 

「らっ、ラウラ! おい、しっかり! ラウラ!」

 

「う………あ、あれっ? タクヤ………?」

 

「大丈夫か? さっきあんなに血が………」

 

「へ、平気だよ。それより………ねえ、何で空があるの?」

 

「えっ?」

 

 俺の顔ではなく、彼女から見れば俺の背景になっている空を見上げるラウラ。違和感を感じた俺も空を見上げ―――――――先ほどまでいた筈の地下の空間の事を思い出す。

 

 確か、俺たちは地下にいた筈だ。いきなりハミングが聞こえてきて、猛烈な頭痛のせいで出血が止まらなくなった。平衡感覚も失ってしまって立ち上がれなくなり、悶え苦しみ続けていた筈だ。なのに、何で地上にいる? ここはどこだ?

 

「………こちらタクヤ。ナタリア、応答せよ。………テンプル騎士団、シュタージ、応答せよ。こちらタクヤ。………くそったれ、またいかれたのか?」

 

「通じない?」

 

「ああ、ダメだ。………くそ、ここはどこなんだ?」

 

 俺たちの周囲は、延々と続く草原になっていた。緑色に染まった大地と蒼だけに支配された大空。蒼と緑しか存在することのない、単純過ぎる世界。

 

「ねえ、あっちに街があるよ?」

 

「とりあえず行ってみる?」

 

 草原をさまようよりも、街に行って情報を集めた方が良い。昔と比べると魔物の数が減っているとはいえ、草原をひたすら徘徊し続けるのは死を意味する。魔物の群れと遭遇するのは珍しい事ではないし、ダンジョンから出てきてしまった魔物の一団が周辺の街を襲撃するというのはよくある話だ。傭兵や騎士が殉職する原因の3割が魔物なのだから、彼らの縄張りである草原に留まるのは得策とは言えない。

 

 武器はちゃんと装備してある。いつ強力な魔物が襲いかかってきても良いように、歩きながらメニュー画面を開いていつもの武器を装備しておく。

 

 草原の向こうに見えたのは、小さな街だった。小ぢんまりとした丘があり、その向こうにはまるで仲間外れにされたかのように屋敷が1軒だけ建っている。近代的な建築様式ではなく、まるで中世のヨーロッパの貴族や領主が住んでいそうな感じの屋敷だ。

 

 でも、なんだかあの屋敷には見覚えがあるぞ………?

 

 一般的な貴族の屋敷と比べれば小さい部類に入るだろう。よく見てみると鉄柵も所々錆びていて、普通の貴族の屋敷というよりは没落しつつある貴族の屋敷のように思えてしまう。昔の実績を自慢して威張る典型的な貴族の姿が思い浮かぶけど、あの屋敷にいるのはそんな馬鹿野郎ではないだろう。

 

「ね、ねえ、あの屋敷って………」

 

「ふにゅ……お姉ちゃんも見覚えあるよ、あそこ………!」

 

 俺たちは―――――――その屋敷を目にしたことがある。

 

 3歳の頃、ネイリンゲンという田舎の外れにある森の中に住んでいた時に。

 

 そして―――――――荒廃してダンジョンと化した、ネイリンゲンの街を訪れた時に。

 

 その屋敷が近いのは前者の頃だろうか。いや、近いというよりはもう全く同じである。

 

「モリガンの………本部………!?」

 

 俺たちの目の前に姿を現したのは、今ではネイリンゲンと共に荒廃して幽霊屋敷と化した筈の、モリガンの本部だったのである。

 

 小さい頃はあそこで働いていた親父のところまでラウラと一緒に遊びに行ったし、みんなの訓練が終わった後はシンヤ叔父さんやミラさんに遊んでもらったこともある。だからモリガンの本部は、俺たちにとっては思い出の場所でもあるのだ。

 

 丘を通過して屋敷の近くに行くにつれて、幼少の頃に目にした屋敷が近づいてきた。もう見る事が出来ない筈の田舎の屋敷。門の向こうには傭兵とは思えないほど優しかった親父や叔父さんたちがいて、ミラさんが俺たちのためにお菓子を用意してくれていたものだ。

 

 門の前までやってきた俺は、思わず正面の門へと手を伸ばしていた。いつも閉じられていた門の手触り。日光で適度に温められた温もりも、当時と同じである。

 

「なんでだ………?」

 

 どういうことだ? 幻覚か? 

 

 俺たちはあの塔の地下にいた筈だ。あの蒼い桜が鎮座する広間にいた筈なのに、なんでネイリンゲンにいる? 

 

「ん? 依頼か?」

 

「えっ?」

 

 正門に触れたまま混乱していると、唐突に後ろから声をかけられた。

 

 依頼って言ったよな。まさか、傭兵か?

 

 息を呑んでから後ろを振り返ると、屋敷を見つめていた俺とラウラの背後に、いつの間にか漆黒のオーバーコートに似た制服に身を包んだ少年が立っていた。制服にはフードがついているようだけど、フードはかぶっていない。おかげで後ろ髪以外は短い黒髪があらわになっている。

 

「………」

 

 おい、ちょっと待て。この少年もどこかで見たことがある。

 

 一見すると優しそうに見えるけど、目つきは鋭い。戦いになれば獰猛な性格になるのは火を見るよりも明らかだ。ごく普通の少年にしては体格ががっちりしているし、筋肉も付いている。かなり鍛え上げられていることはすぐに分かった。

 

 も、もしかして、親父なのか………?

 

 しかも、まだ人間だった頃の親父だというのか………?

 

 親父がキメラになったのは今から21年前だ。当たり前だが、俺たちはまだ生まれていない。

 

 なんてこった。ここは―――――――21年前のネイリンゲンなのかもしれない。

 

 俺たちはあの塔の地下で、21年前のネイリンゲンにタイムスリップしてしまったようだ―――――――。

 

 



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若き日のモリガンの傭兵

 

 過去や未来に行く事ができたら楽しいだろうな、と今までに何度も思ったことはある。科学が発展すれば、誰かがタイムマシンを発明してくれるのではないか。そんなありえない事に憧れていた頃の俺がもし今の俺と同じ経験をしたら、きっと喜ぶだろうか。

 

 科学のおとぎ話が、現実になったのだから。

 

 俺たちが3歳の頃に壊滅し、放棄された筈のネイリンゲンの屋敷。かつては少女の幽霊が出没すると言われ、街の人々からは恐れられていた幽霊屋敷だ。モリガンが本部にしてからは街を守るための重要な拠点としてネイリンゲンの象徴にもなっていた屋敷が、俺たちの目の前にある。転生者たちの攻撃で破壊され、とっくに廃墟になっている筈の屋敷が、まるで幽霊のようにそこに存在しているのである。

 

 現れたのは屋敷だけではない。俺たちを育ててくれた速河力也(リキヤ・ハヤカワ)に瓜二つの少年も、俺たちの目の前にいる。

 

 いや………瓜二つというよりは、本人だろうか。

 

 漆黒のオーバーコートにも似た制服の肩には、見覚えのあるエンブレムが刻まれているのである。2枚の真紅の羽根が重なったようなデザインの、モリガンのエンブレムである。

 

「え、えっと………」

 

「ん? 依頼じゃないのか?」

 

 ど、どうしよう………。ここが21年前のネイリンゲンだって決まったわけじゃないけど、明らかにここは昔のネイリンゲンだろ………。今のネイリンゲンはダンジョンと化しているし、モリガンの本部も今ではただの廃墟だ。

 

 もし仮にこの少年が俺たちの親父だったとしたら、俺たちが未来からやってきたあんたの子供たちだって事は告げるべきなんだろうか? そっちの方が動きやすくなると思うが………信じてくれるだろうか。

 

 何と言えばいいのか分からず、俺は冷や汗を浮かべながら必死に言葉を考え始める。

 

「………ところでさ、お前ら」

 

「はっ、はい?」

 

「背中に背負ってるのは銃か?」

 

「え? ………あ」

 

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? や、ヤバい! そういえば護身用にいつもの武器を装備したままだった!

 

 俺たちの時代でも同じだけど、この世界に銃は存在しない。あくまで戦いの主流は魔術や剣で、火薬を使った銃のような兵器は存在しないんだ。つまり、銃を持っているという事は転生者か、その転生者の関係者だと言っているようなものなのである。

 

 しかも―――――――それを見抜かせてしまった相手が悪い。

 

 よりにもよって、若き日の親父と思われる黒髪の少年だ。モリガンのエンブレムが真紅の羽根になっているという事は、少なくとも転生者との戦いを経験し、この異世界で悪事や蛮行を続ける転生者を狩る『転生者ハンター』を名乗り始めた頃だと考えるべきだろう。

 

 一番ピリピリしてた頃じゃねえか! おいおい、拙いぞ。親父は1人で転生者を絶滅寸前まで追い込んでしまうほどの実力者なんだ………!

 

「え、ええと、これは………はい、銃です。AN-94です」

 

「ロシア製か。話が合いそうだが………てめえら、転生者か?」

 

 優しそうな雰囲気はいつの間にか消え失せていた。目つきが更に鋭くなり、狩りに連れて行ってもらった時ほどではないけれど、ぞっとしてしまうほど冷たい親父の目が俺とラウラを睨みつけていた。

 

「き、聞いてください。俺たち、実は………転生者の子供なんです」

 

「なに?」

 

 事実だよ。未来のあんたの子供だぞ。

 

 とりあえず、俺たちが未来からやってきた事は隠しつつ、極力本当のことを言おう。下手に目配せをすればバレてしまいそうなので、ラウラには目配せはしない。出来るならばいつもみたいに俺の考えていることを察してくれるとありがたい。

 

「転生者の子供………?」

 

「は、はい。父が転生者なんです」

 

「父親が? ………どうせ女を何人も抱いてその度に子供を作ってるようなろくでなしなんだろ?」

 

 い、いや………2人抱いてますね………。ろくでなしではないけど。

 

「ふにゅ、私たちのパパはろくでなしじゃありませんっ!」

 

「ら、ラウラ………」

 

「パパはとっても優しい人なんですっ! 私たちを狩りに連れて行ってくれるし、家族も大事にする人だし………」

 

「………すまない。失礼なことを言ってしまったな」

 

 未来の自分の事ですよ、力也さん。あんた数年後に母さんとエリスさんを姉妹そろって妻にしますからね。それで俺たち生まれるんですよ。

 

 真相を話したらこの人びっくりするだろうなぁ………。

 

 まあ、信じてもらえるわけはないだろうけど。

 

「それにしても、珍しいな………そんな転生者がいるなんて」

 

「ええ、大半はクソ野郎ですから」

 

「ああ、同感だ。………ところで、お前らは何でここにいるんだ? 依頼じゃないんだろ?」

 

 そうだった。何でここに来たのか説明しないと。とりあえず警戒するのは止めてくれたみたいだから、今なら信じてもらえるだろう。

 

「ええと、実は仲間とはぐれてしまいまして………」

 

 とりあえず、仲間とはぐれたという事にしておこう。冒険者のパーティーとはぐれてしまって、彷徨っていたらネイリンゲンに辿り着いたという事にしておけば信じてもらえるだろう。

 

「ん? 冒険者か?」

 

「ええ」

 

「なるほどねぇ………。まあ、行くあてがないなら上がってけよ。空き部屋はあるからいざとなれば寝れるし、飯も出す。安心しろ、金は取らないから」

 

「えっと………お姉ちゃん、どうする?」

 

「ふにゅう………すみません、お言葉に甘えさせてもらいます」

 

「おう、気にすんな。………ところで、お前」

 

 屋敷に入るために踵を返し、門を開けて中に入ろうとしていた親父が、ちらりと俺の顔を見た瞬間に門へと伸ばしていた手を止めた。俺たちが未来からやってきたという事がバレてしまったのかと肝を冷やしたが、先ほどの声と比べると警戒心は見受けられない。疑問が浮かんだから問い掛けてみたような軽い声音だ。

 

 何だ? 

 

「ちょっとフード取ってみろ」

 

「え?」

 

 フード? 何で?

 

 フードを取るために手を伸ばした俺は、転生した後の自分の容姿を思い出してはっとした。前世の俺はごく普通の男子だったんだが、今の俺は母親に似過ぎたせいで少女とよく勘違いされる不遇な男子である。しかもその母親は、のちにこの速河力也の妻になるエミリア・ハヤカワだ。

 

 目の前に仲間にそっくりな奴がいることに気付いたんだろう。ただのそっくりな男子と言えば誤魔化せるだろうか。

 

 ゆっくりとフードを外し、片手で蒼い髪をフードの外に引っ張り出す。漆黒の革のコートから躍り出たポニーテールが揺れ、花と石鹸の香りが混ざり合ったような甘い匂いをネイリンゲンの草原にばら撒く。

 

 角を隠すためのフードだったんだが、角が伸びない限りバレることはないだろう。

 

 俺の素顔を目の当たりにした若き日の親父と思われる少年が、目を見開きながら口を開く。まあ、フードをかぶっていた見知らぬ冒険者の素顔が自分の後の妻にそっくりなんだからな。

 

「え………え、エミ……リア………?」

 

「えっ?」

 

「え、エミリアだったのか!? おいおい、驚かさないでくれよ。じゃあこっちの赤毛の子は? 友達か?」

 

「い、いや………ひ、人違いです。俺はタクヤって名前なんです」

 

「えっ? ………ああ、確かに人違いだな。エミリアはこんな貧乳じゃないし………」

 

 巨乳ですからね、俺のお母さん。

 

「というか、タクヤって男の名前じゃないか。お前の親父さんも娘に可哀そうな名前を付けるもんだなぁ」

 

 ちょっと待て。このクソガキ、もしかして俺の事を女だと思ってんのか?

 

 あのね、俺は男ですからね。母親のせいでこんな少女みたいな容姿だけど、男として生まれたからタクヤっていう名前を付けられたんだ。ちゃんと息子も搭載してるんだぜ?

 

「あ、あの………」

 

「ん?」

 

「俺、男なんです」

 

 気を取り直して門を開けようとしていた親父が、再び凍り付く。がっちりした両手は見事にぴたりと止まり、鋭い目はまるでポカンとしているかのように丸くなったまま門の向こう側を見据えている。

 

「………う、嘘つくなって。貧乳の美少女なんだろ?」

 

「息子ついてます」

 

「………」

 

 辛うじて言葉を発した若き日の親父の疑問を即答で一蹴する俺。親父は再び動かなくなり、草原の草を揺らす風の音しか聞こえなくなる。

 

 け、結構混乱してるんだね………。

 

「………お、男だったの?」

 

「男です」

 

「ふにゅ、タクヤは私のとっても可愛い弟なんですっ♪」

 

「きょ、姉弟だったんだ。確かに似てるな………」

 

 そう言いながら今度こそ門を開ける若き日の親父。ところどころ錆びついた門が軋みながらスライドしていき、懐かしいモリガンの屋敷の庭があらわになる。

 

 それほど大きくない花壇には所狭しと花が植えられ、入り切らない花は大小さまざまな鉢に入れられている。カレンさんかフィオナちゃんが育てているのだろうか。貴族の屋敷と比べれば狭い庭だけど、金持ちだという事を主張している派手な庭よりも、こういうある程度狭くて控えめな庭の方が俺は好きだ。

 

 正面の玄関を開け、中に入って行く親父についていく。少し傷の付いたブラウンの扉の向こうに広がっていたのは、やはり幼少の頃に何度も訪れたあの屋敷と同じ広間だった。右手には食堂へと通じる通路があり、その通路の途中には地下室へと続く階段がある。この屋敷の地下室は射撃訓練場になっていて、カレンさんの父親が用意してくれた設備を使ってよく射撃訓練をしていたんだ。危ないからとなかなか入れてもらえなかったんだけど、銃には触らずに見学するだけということで親父がこっそりと入れてくれた事があった。確かあの時は、ちょうど若き日のシンヤ叔父さんが射撃訓練をやってたような気がする。

 

 広間の正面にはイスとテーブルがあり、リビングみたいな感じになっている。その奥には裏庭へと通じる裏口があって、その裏庭ではよく母さんが剣の素振りをやっていた。裏庭は薪割りとか格闘戦の訓練に使っていたという。裏庭の奥には戦車を格納しておく格納庫や飛行場があったらしいんだけど、それらを新設したのはエリスさんが仲間になった後らしい。そういえば、この時点でエリスさんは仲間になっているんだろうか。

 

 左手に見える階段を上がりながら、俺はそう思った。ラウラの母親であるエリス・ハヤカワ――――――結婚する前はエリス・シンシア・ペンドルトン――――――は、最初からモリガンの一員だったわけではないという。

 

 エリスさんがモリガンの一員となったのは、俺の母であるエミリア・ハヤカワの許嫁であるジョシュアという男が、調子に乗ってネイリンゲンへと侵攻したことに端を発する。その侵攻の前にエリスさんが率いる騎士団の分隊が派遣され、親父たちと戦ったという話を聞いた。エリスさんが仲間になったのは、ジョシュアに裏切られたことと親父に説得されたかららしい。

 

 あの人、元々は敵だったんだな。今では夫にデレデレな奥さんだけど、若き日のエリスさんってどんな人だったんだろうか。さすがにラトーニウス騎士団時代もあんなエロくてマイペースな人ではなかったと祈りたいところだ………。

 

 2階に上がると、親父は応接室に俺たちを招き入れた。ソファとテーブルが置かれたシンプルな部屋で、依頼が来た時はここでクライアントから話を聞いていたという。俺たちが遊びに来た時は裏庭でギュンターさんに遊び相手になってもらうか、訓練の見学ばかりだったから、ここに足を踏み入れるのは初めてだ。

 

「まあ、座ってくれ。あ、紅茶とコーヒーだったらどっちがいい? 個人的には紅茶をおすすめしたいんだが………」

 

「えっと、紅茶でお願いします」

 

「ふにゅ、私も」

 

「はいよ」

 

 小さい頃から紅茶をよく飲んでたからな。コーヒーも好きだけど、俺はどちらかというと紅茶の方が好きだ。特にジャム入りの紅茶は1人でタンクデサントする時には必需品になっている。

 

 シンプルな応接室で待っていると、ティーカップを乗せたトレイを手にした親父が戻ってきた。テーブルの上にティーカップを置き、おまけにジャムの入った瓶を真ん中に置いて「もし良ければどうぞ」と言った親父は、自分の分の紅茶をテーブルに置くと、向かい側のソファに腰を下ろす。

 

 やっぱり、この少年は俺たちの親父なんだろうか。輪郭は親父と全く同じだし、雰囲気も似ている。それに顔つきも面影があるから、彼の老後の姿があっさりと想像できてしまう。

 

「俺は速河力也(はやかわりきや)。このモリガンのリーダーだ」

 

「えっと、俺はタクヤ。こっちの赤毛の子は姉のラウラです」

 

「よ、よろしくおねがいしますっ」

 

 さすがにファミリーネームは名乗れないな。母さんに似ている上にハヤカワっていうファミリーネームなんだから、下手をすれば感付かれる。幸いこの世界ではファミリーネームがないというのは珍しい話ではないので、名前だけでも怪しまれることはない。

 

 それにしても、やっぱり同じ名前か………。屋敷やモリガンの服装の状態から見ると、やっぱりここは21年前のネイリンゲンだというのは間違いないらしい。ということは、目の前にいるこの男はやはり俺たちの父となる男なんだろうか。

 

「よろしくな。で、2人は――――――――」

 

「――――――力也、今帰ったぞ!」

 

 親父が話し始めようとしたその時、部屋の入口の方から凛とした少女の声が聞こえてきた。

 

 その凛とした声にも、聞き覚えがある。幼少の頃からずっと聞いている声だ。凛々しさと勇ましさを兼ね備えたその声は、ただ凛々しいだけではない。まるで小さな子供が親に体験した出来事を話そうとしているかのような無邪気さもある。

 

「おう、エミリア。お帰り」

 

「うむ。聞いてくれ、今日の依頼はすぐに―――――――む? 来客か?」

 

 やはり、母さんの声だった。正確に言えば若き日の母さんだ。

 

 転生者である親父にとって一番最初の仲間であり、ラトーニウス王国から駆け落ちじみた逃走劇を繰り広げた親父の妻になる少女。騎士団の頃から鍛え上げられた剣術はまさに努力の塊と言えるほどで、俺たちの母はそろそろ40歳になるというのに剣術の鋭さは健在である。

 

 部屋に入ってきたのは、黒い軍服のような制服に身を包んだ蒼い髪の少女だった。髪型は結婚した痕と同じくポニーテールで、黒いリボンで後ろ髪を結んでいる。腰には騎士団が採用しているようなバスタードソードを下げているけど、デザインが違う事からオーダーメイドの剣だという事が分かる。凛々しさと無邪気さを兼ね備えた少女を見上げた親父は、ニヤニヤ笑いながら言った。

 

「ああ。………見てくれ、エミリア。びっくりするぞ」

 

「む? ………なぁっ!?」

 

 ニヤニヤと笑う親父を訝しんでから、ちらりとこっちを見下ろす母さん。母親になってからも若い容姿のままなんだけど、さすがに21年前と比べるとこっちの方が若い。というか、若干幼い感じに見えてしまう。母親になった後の母さんは騎士団の教官になっていてもおかしくない雰囲気と威厳を放ってるけど、こっちの若い母さんにはまだあどけなさがある。

 

 彼女はソファに座っているのがただの客人かクライアントだと思っていたんだろう。すぐそこに自分に瓜二つの少年が座っているとは思わない筈だ。

 

 案の定、ソファの横から回り込んでこっちを覗き込んだ若き日の母さんのリアクションは思った通りだった。目を見開き、右手で俺を指差しながらかなり混乱している。

 

「なっ、な、な、なぜ私がもう1人いるんだ!? ふ、双子の姉妹がいたのか!? 初耳だぞ!?」

 

「は、初めまして。俺は―――――――」

 

「りっ、力也! こいつは何者だ!? ギュンターのいたずらか!? それとも、ど、ドッペルゲンガーというやつか!?」

 

「お、落ち着けって。彼は―――――――」

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 力也、何とかしてくれぇっ!」

 

 ちょっと待って。リアクションが予想以上だった。

 

 え? あ、あれが母さんなの? 毎朝剣の素振りを欠かさず、自分に厳しくて凛々しいエミリア・ハヤカワと同一人物なの? ちょっと待って、この人こそそっくりさんなんじゃないの?

 

 涙目になりながら、若き日の母さんは大慌てで親父の座っているソファの陰へと隠れると、親父の肩を掴み、首が千切れるのではないかと思ってしまうほどの勢いで思い切り振り始めた。ちょっと、母さん。親父が白目になってる。おい、しかも泡まで吹いてる。

 

 お願いだから手加減してあげて。出来れば落ち着いて。俺は未来のあなたの息子ですから。ドッペルゲンガーじゃありませんよ。

 

「ふにゃあっ!? ちょ、ちょっと! パ………力也さんが死んじゃう!」

 

「えっ? あっ、ああ! 力也ぁ!! おい、しっかりしろ! 死ぬなぁっ!!」

 

「あ………ぁ………ぁぁ………」

 

 死にかけてんじゃねえか!

 

 頭を押さえながら辛うじて起き上がった親父は、「ああ、大丈夫。慣れてるから」と言いながら頭を振り、息を吐いた。タフな親父だなぁ………。頑丈さは結婚前からなのか。

 

 というか、親父を殺さないでくれよ。親父が死んだら俺たちは存在しないんだからな。

 

「えっと、こっちのエミリアにそっくりなのがタクヤ。男の子らしい。で、こっちの赤毛の子がラウラだ。2人とも姉弟で冒険者なんだそうだ」

 

「ふむ………取り乱してすまない。その………怪談とか、怖い話は苦手なのだ………」

 

「き、気にしないでください。俺も苦手ですから………」

 

「2人とも、パーティーからはぐれちまったらしくてな。行くあてがないらしいからここで面倒を見たいんだが、大丈夫か?」

 

「ああ、問題ないぞ。空き部屋は………書斎が空いてるな」

 

 書斎? 確か、この隣にある部屋だな。古い辞典みたいなのがびっしりと本棚に並んでる、ちょっとした図書館みたいな部屋だったような気がする。

 

「書斎でもいいか? ベッドとかは運んでおくからさ」

 

「あ、はい」

 

「ありがとうございますっ!」

 

「おう、決まりだな。じゃあ………何人か仕事で出払ってるけど、地下に信也とミラのやつがいる筈だから挨拶しておこう。ついてきてくれ」

 

「はい、分かりました」

 

 叔父さんとミラさんかぁ………。後に夫婦になる2人に今から会いに行くんだな。

 

 過去にタイムスリップするというありえない現象を体験する羽目になったけど、なんだか楽しくなってきた。でも、いつまでもこの時代にいるわけにはいかない。早いうちに元の時代に戻る方法を探さないと。

 

 なあ、ラウラ。

 

 ちらりと隣を見ると、ラウラも真面目な表情でこっちを見ながら頷いていた。

 

 俺たちにはメサイアの天秤を手に入れるという目標がある。親父たちが倭国の戦いの事後処理で足止めされている間にヴリシア帝国へと向かうつもりだったんだが、このまま過去に留まっていては親父たちの追撃を許す結果になる。

 

 過去を見てみるのも面白いが――――――――早いうちに元の世界に戻らなければ。

 

 

 



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みんなで射撃訓練をするとこうなる

 

 貴族や領主の屋敷に地下室があるのは、珍しい事ではない。それどころかこの世界では一般的な家庭にも地下室があることの方が多いという。

 

 食料を備蓄しておいたり、財産をそこに隠しておいたりするには便利だし、魔術師や錬金術師ならば研究をそこでやる方が安全だ。彼らの研究も冒険者の成果と同じく、常に他者との奪い合い。自分の成果を秘匿しておなかければ、たちまち掠め取られてしまう。

 

 まあ、貴族の場合は地下室をろくなことに使わないケースの方が多いんだけどな。

 

 モリガンの屋敷も例外ではなく、ちゃんと広い地下室がある。中でバスケットボールでも始められそうなほど広い地下室だ。幼少の頃はそこでモリガンの傭兵たちの射撃訓練を見学するのが楽しみだったから、よく親父たちと一緒に足を運んでいた。

 

 壁にかけられたランタンの明かりや、ひんやりした階段。微かに漂う火薬の臭いも、あの時と同じだった。若き日の親父と母さんの2人に案内されながら中世ヨーロッパの城を思わせる石の階段を下りていくにつれて火薬の臭いが濃くなっていき、やがて目の前に木製の階段が姿を現す。

 

 その扉の向こうからは―――――――聞き覚えのある銃声が聞こえてくる。

 

 親父はにやりと笑うと、がっちりした右手を伸ばしてドアノブを握り、銃声が聞こえてくる地下室の扉を開けた。その瞬間に火薬の臭いと銃声が一気に濃密になり、懐かしい地下の射撃訓練場があらわになる。

 

 中世ヨーロッパの城の中にある一室を思わせる地下室だが、その部屋の中に射撃訓練用のレーンが5人分ほど用意されている光景はいささかミスマッチだ。騎士が居そうな城の中にそのまま軍隊の訓練で使われるような射撃訓練場を放り込んだような場所で、レーンで射撃訓練をしている2人の傭兵の目の前には、的代わりの魔法陣がいくつも飛び交っている。

 

 元々は弓矢を使う兵のために騎士団の魔術師が作成した当時では最新の射撃訓練用の設備らしく、モリガンのメンバーとなったカレンさん―――――――カノンの母親だ―――――――の父親が娘たちのためにと用意してくれたという。

 

「よう、お疲れさん!」

 

 親父は地下室の中へと入ると、ハンドガンを使って射撃訓練をしている2人の仲間に向かってそう言った。丁度マガジンを交換するタイミングだったからなのか、親父の声を聞いた2人がこちらを振り返る。

 

 片方はメガネをかけた気の弱そうな少年だった。テストでは当たり前のように満点を取ってきそうなイメージがある反面、何だか虐められてそうな感じの少年である。でも実戦を経験しているからなのか目つきは鋭く、指揮官を思わせる制服に身を包んでいる姿はまるでギルドの参謀のようだ。

 

 こっちは若き日のシンヤ叔父さんか。何だか………まだ貧弱そうな少年だなぁ………。21年後はモリガンを代表する名将になってる叔父さんだけど、若い頃はこんな少年だったんだな。

 

 そして叔父さんの隣に立っているのは、チャイナドレスを思わせるフードの付いた黒い制服に身を包んでいる女性だった。肌は白く、セミロングくらいの長さの黒髪からは左右へと人間よりも長い耳が伸びている。肌の色と耳の長さからエルフだろうと思ってしまうけれど、もし彼女が叔父さんの妻となる女性ならばハーフエルフだろう。

 

 くるりとこちらを振り向いた彼女の喉には、ヒールでも消し切れないほど深い古傷が残っていた。彼女の声帯がただでは済まなかったのは想像に難くない。理不尽な転生者によって喉を潰され、肉声を永遠に失った彼女は稀有な魔術である『音響魔術』をマスターすることになるんだが、やはりあの古傷は――――――痛々しいままだ。

 

「あれ、兄さん。仕事は?」

 

「さっき終わって戻ってきた。見てくれ、客人だ」

 

(えっ!? え、エミリアさんが2人っ!?)

 

 そんなに似てるんだなぁ………。

 

 射撃訓練場でハンドガンを手にしていた2人は、のちにノエルの両親となるシンヤ叔父さんとミラさんだった。叔父さんだけでなく、21年前のミラさんも母親となった後と比べると面影はあるものの、結構印象が違う。全体的に幼い感じがするし、胸も小さい。

 

 21年後は母さん並みに大きくなってるからなぁ………。元の時代に戻ったら、ステラの奴に教えてあげよう。あいつ結構気にしてたからな。

 

「凄いだろ? でも赤の他人なんだぜ。こっちのそっくりさんがタクヤで、赤毛の方がラウラ。姉弟で冒険者をやってるらしい。信じがたいんだが、2人とも転生者の子供らしい」

 

「転生者の子供!?」

 

「ああ。パーティーからはぐれてしまったらしくてな。仲間が見つかるまで、ここで面倒を見ることになったのだ。よろしく頼む」

 

「ああ、そうなんだ。僕は速河信也(はやかわしんや)。よろしくね」

 

(私はミラっていうの。よろしくね、2人とも♪)

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「えへへっ、よろしくお願いしますっ!」

 

 ミラさんは喉を潰されているため、二度と自分の肉声で喋ることは出来なくなってしまっている。その代わり、音を操る音響魔術を応用して、自分の肉声を再現することでコミュニケーションを取るようにしているという。

 

 そのため、よく見てみると喋っている最中の彼女の口は全く動いていない。聞こえてくる声は肉声ではなく、彼女が自分で再現した自分の肉声なのだ。

 

 この時代では廃れかけている魔術だけど、21年後の未来では再び普及を始めている。あらゆる魔術師がミラさんの出版した教本を参考に習得して活用しているし、戦闘だけでなくあらゆる産業で活用されている。後に産業革命の一翼を担う事になる重要な魔術なのである。

 

「後は3人くらい仲間がいるんだ。そのうち2人は出払ってる。もう1人は………研究室かな?」

 

「研究室?」

 

 もしかして、若き日のフィオナちゃんかな?

 

 というか、3人って言ったよな? 親父と母さんと叔父さんとミラさんの4人がいるのだから、後の3人はフィオナちゃんと………カレンさんとギュンターさんの2人か。ということは、ガルちゃんとエリスさんはまだ仲間になっていないという事か?

 

 つまり、この時代はエリスさんが仲間になる前なんだな。ガルちゃんが仲間になったのはエリスさんが仲間になった後らしい。

 

「ふむ。紹介しておくか?」

 

「いや、実験の邪魔をしたら悪い。とりあえず―――――――あ、そうだ。お前ら、銃持ってるよな?」

 

「え? ああ、はい」

 

 ぽん、と自分の腰のホルスターを叩いた親父が、俺の腰に下げられているホルスターを見下ろした。

 

「どうだ? 射撃訓練でもやってみないか?」

 

「ふにゅう………面白そう! ねえ、やろうよ!」

 

「そうだな。悪くない」

 

 射撃訓練か。出発する前に王都の実家の地下室で何度も経験したが、この屋敷でやったことはないんだよな。

 

 左手を前に突き出し、メニュー画面を開く。まるで立体映像のように目の前に蒼白い光が出現し、その中にずらりとメニューが並ぶ。従来の転生者の端末とは全く仕組みが違うメニュー画面だ。

 

「うお!? おい、なんだそりゃ!?」

 

「凄いよ兄さん、SFみたいだ! 僕、この端末よりこっちの方がいい!!」

 

 あ、あれ? シンヤ叔父さんのテンションが上がってる………。あの人っていつも静かな感じの人だったから、こんなふうにテンション上げてる姿は全く想像できなかったんだけど………。

 

 とりあえず、苦笑いしながらラウラ用にモシン・ナガンM28を渡しておく。スオミの里で採用されているボルトアクションライフルで、里での訓練でも彼女はこれを使っていたから使い方は理解している事だろう。

 

 もちろん、スコープはなし。代わりにタンジェントサイトがついているけれど、それほど距離が開いているわけではないため調節することはないだろう。この射撃訓練場は元々は弓矢用の設備であるため、訓練で想定している距離は短いのだ。だから長距離用の武器を運用する場合は、屋敷の外で訓練しなければならない。

 

 俺もサイドアームとして愛用しているCz75SP-01を2丁ホルスターから引き抜くと、ラウラと2人で訓練場の錬へと向かう。

 

(ねえ、シン。あのハンドガンに銃剣がついてるよ?)

 

「ああ、あれはCz75っていう銃なんだよ」

 

(へえ、そういう銃もあるんだ! シン、カッコいいから私にも作ってよ!)

 

「あはははっ、分かった。じゃあ作っておくよ」

 

(わーいっ♪ シン、大好きっ!!)

 

 叔父さんってミラさんに甘いなぁ………。まあ、モリガンの男性陣の中では唯一のまともな人だし、モリガンのメンバーの中でも数少ない普通の人だから逆にそう見えてしまうのかも。親父は大口径の武器ばっかり使うし、母さんはしっかり者と思いきや怖い話が大嫌いだし………。

 

 苦笑いしながらレーンで準備をしていると、親父もレーンに立ってからホルスターのハンドガンを抜いた。大口径の銃を好む傾向にある親父にしては珍しく、リボルバーではなくごく普通のハンドガンである。

 

 がっちりしたスライドとグリップはコルト・ガバメントのように見えるけど、コルト・ガバメントと比べるとよりがっちりしており、大型に見える。

 

 どうやらあれはコルト・ガバメントではなく、ソ連軍が採用していた『トカレフTT-33』のようだ。東側の銃を好む親父らしい銃である。第二次世界大戦中に採用されていたハンドガンで、他国のハンドガンと比べると構造はかなり単純となっている。大量生産しやすいため指揮官や最前線の兵士たちにも支給され、ドイツ軍との戦いの勝利に貢献した銃とも言える。使用する弾薬も貫通力が高いため最前線で猛威を振るったらしいが、なんとこのトカレフTT-33には安全装置(セーフティ)が搭載されていないため、安全性にはかなり難がある。

 

 それを引き抜いた親父は、しっかりマガジンの中に弾薬が入っていることを確認してから、後ろで見守っている母さんに「じゃあ難易度はレベル6くらいで頼む」と言った。

 

 レベル6か………。熟練の騎士ならば朝飯前の難易度だ。中級者にぴったりな難易度だが、俺たちには簡単すぎるんじゃないか。

 

「あ、エミリアさん。最高難易度でお願いします」

 

「なんだと?」

 

 予想外の注文に、魔法陣をタッチしていた母さんが目を見開く。最高難易度はレベル10となっており、熟練の騎士でもクリアするのは難しいという。なぜならば、的となる魔法陣は難易度を上げる度に数が増え、動きもより複雑になっていく仕組みになっているのだが、最高難易度ではまるでフェイントのような動きで射手の裏をかいてくるのである。しかもクリアするには全ての的の中心部に命中させる必要があり、モリガンの傭兵たちでも最初の頃にクリアできたのはカレンさんと親父だけだという。

 

 銃を持っているとはいえ、見知らぬ冒険者の姉弟がそんな注文をすればびっくりするだろうな。

 

「ふにゅ、確かにレベル6じゃ物足りないかも………」

 

「ちょっと、2人とも。レベル10って兄さんとカレンさんしかクリアできてないんだよ? ちょっと難し過ぎるんじゃ―――――――」

 

「――――――――上等だ」

 

 トカレフを手にしていた親父の目つきが、鋭くなった。

 

 ああ、21年後の親父と同じだ。俺たちよりも遥かに強く、最強の転生者と呼ばれた男の目つきだ。あらゆる転生者たちが自分たちの〝天敵”だと理解してしまうほどの実力者。そう思われてしまうほどの実力の片鱗は、この頃からあったということか。

 

「エミリア、難易度をレベル10に」

 

「分かった」

 

 王都の家で何度もレベル10ならクリアしている。俺たちからすれば、いつもこなしている訓練を改めて実演するようなものだ。

 

《射撃訓練を開始します》

 

 目の前に魔法陣に囲まれたメッセージが表示される。やがてそのメッセージが消滅し、カウントダウンが始まる。

 

 射撃訓練のレベル10。熟練の射手でもクリアできないほどの難易度に挑戦するのは、俺とラウラと若き日の親父の3人。それぞれ使う得物を握りしめ――――――カウントが5秒を切ると同時に、銃口を一斉にレーンの向こう側へと向ける。

 

 落ち着け。いつも経験したことだ。狙撃ではラウラに負けてしまうけど、反射速度では俺の方が勝ってるじゃないか。2丁拳銃での連続射撃や白兵戦は日常茶飯事。早撃ちも実戦で何度もやっている。

 

 やがて、カウントが0になり―――――――――3人の銃が、一斉に火を噴いた。

 

 早くも一番最初に出現した的の中心に風穴が開き、消滅すると同時に次の的が姿を現す。しかしまるでその登場した的は門前払いにされてしまったかのように、姿を現してから1秒足らずであっさりと中心部を撃ち抜かれて消滅してしまう。

 

 的となる魔法陣が姿を現す瞬間に、その空間が光るという特徴がある。だからそこに咄嗟に照準を合わせ、素早く微調整してから撃てばいい。

 

 立て続けにマズルフラッシュが輝き、ブローバックしたスライドから煙を纏った小さな薬莢が躍り出る。その薬莢が回転しながら床へと落下していくことには、もう的に風穴が開いて次の的が姿を現している。

 

 そろそろマガジンの中が空になる頃だと思いつつ、ちらりと隣で射撃を続ける2人を一瞥する。俺から見て右隣のレーンにいるラウラは、相変わらず正確に的の中心部を正確に撃ち抜いていた。俺と親父のハンドガンと比べれば反動は大きく、しかもボルトアクション式であるため素早い射撃が出来ず、装填できるライフル弾は5発までという3つのハンデがあるにもかかわらず、親父や2丁拳銃で撃ちまくっている俺の速度と比べても遜色ない。しかも、命中精度が落ちている様子もない。

 

 そして親父の方も、のちに最強の転生者と呼ばれることになるだけあって素早い動きだった。がっちりした両手でグリップをしっかりと握り、まるでベテランの兵士のような反応速度で銃口を向け、トリガーを引いている。転生者は身体能力がステータスによって強化されるという特徴があるが、反応速度やスタミナなどは強化されないため、自分で鍛え上げるしかない。それゆえに一般的な転生者は力押しになる傾向があるんだが、やはり親父は違う。薬莢が銃の高さよりも下に落ちる前に、もう銃口が次の的へと向けられている。

 

 くそ、俺も負けてられないな。こっちはダブルカラム式のマガジンを持つハンドガンを2丁持ってるんだぞ。

 

 目で見るのではなく、的が出現した空間に直感で銃口を向ける。微調整するのはその後だ。接近戦で必要なのはある程度の正確さと素早さだ。距離が近くなるという事は相手に命中させる難易度が落ちるという事だし、じっくり狙っている暇もない。だから正確さは二の次でいいのだ。

 

 最後の1発が姿を現したばかりの的に飛び込んでいき――――――――やっと的が出現しなくなる。カキン、と床に落下する薬莢の音を聞きながら静かに銃口を下ろした俺は、空になったマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着してからホルスターの中へと戻した。

 

《訓練終了。お疲れ様でした》

 

「終わりか」

 

「ふにゅ………」

 

「………エミリア、スコアは?」

 

 レベル10をクリアするためには、全ての的の中心部を撃ち抜かなければならない。1発でも外したり、真ん中以外を撃ち抜けばクリアすることは不可能になるため、このレベル10だけは他の難易度とは比較にならないほどクリアするのが困難になっているのだ。

 

 スコアが表示される魔法陣の前に立っている母さんは、「待ってろ」と言いながら魔法陣をタッチし―――――――表示されたスコアを見た瞬間、目を見開きながら口を開いた。

 

「ぜ、全員………ぜっ、全弾……命中………!?」

 

「なぁっ!?」

 

(す、すごい………! 力也さんは分かるけど、あの2人も………!?)

 

 当たり前だよ、幼少の頃から何度もクリアしてるんだから。

 

「すげえな、お前ら。モリガンにスカウトしたいくらいだよ」

 

「あはははっ。冒険者じゃなかったらぜひ採用して欲しいです」

 

「えへへっ♪」

 

「で、ラウラはスコープなしのライフル使ってたのか?」

 

「はい。スコープ付けると見辛いんです♪」

 

「………シモ・ヘイヘかよ」

 

 スオミの里だとハユハって呼ばれてるからね。

 

 にこにこと笑いながらモシン・ナガンを抱えるラウラは可愛らしいんだけど、射撃の最中の目つきは滅茶苦茶親父にそっくりだった。その目つきで感付かれてしまわないか心配だ。

 

 とりあえず、バレないように元の時代に戻る方法を探そう。それまでは若き日の親父たちと一緒に過ごすことになるが………問題がある。

 

 ―――――――今の時点で、エリスさんがまだ仲間になっていないという事だ。エリスさんが仲間になるのはネイリンゲンにラトーニウス騎士団が侵攻した後。騎士団を率いるジョシュアに見捨てられて裏切られたエリスさんを親父が受け入れたことで仲間になったと聞いたんだが、まだ仲間になっていないという事はそのネイリンゲン侵攻の前という事になる。

 

 もしかして―――――――エリスさんが仲間になるその戦いに巻き込まれたりしないよね………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女が騎士団の精鋭部隊にスカウトされたのは、ラトーニウス王国のナバウレア駐屯地に配属されたばかりの頃であった。魔術の発達の遅れにより、騎士団の戦法を魔術による遠距離攻撃ではなく剣術による接近戦にせざるを得なかったラトーニウス王国にとって、考えられないほど莫大な量の魔力を体内に持ち、しかもそれを自由自在にコントロールできる集中力を持つ彼女は、まさに切り札として王都の精鋭部隊に引き抜き、国王や貴族の命令でいつでも動かす事ができる手駒にしておいた方が都合がよかったのである。

 

 他国を牽制するための抑止力としてだけでなく、政敵を威圧するための矛。飢餓や疫病で命を落とす農民たちを見向きもせずに快適な暮らしをする肥えた貴族たちがそんな事を考えているという事は、その少女も理解していた。

 

 確かに精鋭部隊の待遇は良いが、太った貴族たちの思い通りにされるのは不快なものである。中には自分の権力を使い、彼女に求婚してくる貴族までいるのだ。だからその度に彼女は氷のように冷たく断り、自分自身を守り続けてきた。逆らうつもりか、と恫喝されても、彼らの持つ権力は彼女のように実際に命令を遂行する兵力があってこそ機能する力。しかも彼女は、王国の切り札とまで言われている最強の騎士である。貴族の要求を拒否できるほどの立場だし、実力でも他の騎士を圧倒しているため、貴族でも思い通りにすることは出来ないのだ。

 

 いつものように剣の素振りの訓練を終えた彼女は、タオルで汗を拭きながら騎士団本部の廊下を歩き、兵舎へと向かっていた。兵舎には精鋭部隊のみに使用が許されたシャワールームがある。貴族や裕福な家しかシャワールームを持たず、一般的な庶民は井戸から汲み上げた水を熱して身体を洗うか、冷たい水のまま身体を洗っているという。同じ騎士団でも一般部隊も似たような状態であるため、精鋭部隊は貴族並みに優遇されていると言える。

 

「おはようございます、エリス様」

 

「ええ。おはよう、アンナ」

 

 渡り廊下で挨拶してきた金髪の少女に挨拶を返したエリスは、そのまま話はせずに兵舎へと急いだ。シャワーを浴びたかったという理由もあるが、今日から彼女にはやらなければならない大きな任務があるのである。

 

 いや、任務と言うよりは―――――――計画と言うべきだろう。

 

 自分が生まれる前から続いていた計画。莫大な力を肥えた貴族に献上するようなことになるが、その代わりに決別できるものがある。だからエリスはこの計画に加わり、精鋭部隊の1人として任務をこなしながらも準備を手伝ってきたのである。

 

(ジョシュア………まだ早いんじゃないの………?)

 

 計画を主導するのは、ナバウレアを統括する貴族の次期当主であるジョシュアという年下の少年。実家の大きな権力を使って圧政を続ける典型的な貴族で、エリスもあまり彼の事を好んではいなかった。だから計画が終われば、エリスは彼の元を去るつもりだった。

 

 そのジョシュアがナバウレアで呼んでいるというのである。エリスはラトーニウス王国の切り札でもあるため、そう易々と呼び出せる人材ではない。半年前から要請を続けていたのだろうと理解したエリスは、新しいタオルと着替えを自室で手にしてからシャワールームへと向かう。

 

 これで―――――――忌々しい作り物と決別できる。

 

 自分と似た容姿で、ほぼ同じ遺伝子を持つ少女と。

 

 彼女と決別し、1人になる。1人になれば、やっとエリスは解放されるのだ。

 

(エミリア………ッ!)

 

 彼女は自分の正体を理解していない。所詮、計画のためだけに育てられたにすぎないという事を教えたら、彼女はどうなるのだろうか。

 

 そう思いながら、エリスは唇を噛み締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 若き日のエリス

 

ラウラ「ふにゃぁぁぁぁぁぁぁ!? ママのキャラが違うよぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

タクヤ「全然違うじゃん! ちょっと、なにこれ!? 今のデレデレのエリスさんじゃないじゃん!」

 

リキヤ「極端なツンデレなんだろ。今はデレデレなんだからさ」

 

エミリア(極端すぎるだろう………)

 

 完

 



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ラウラと一緒にお風呂に入るとこうなる

 

 漆黒の刀身を受け止めた瞬間、腕がそのまま砕けてしまうのではないかと思ってしまうほどの衝撃が、手首から肩の付け根まで貫いた。自分の骨が砕けてしまったと誤認してしまうほどの衝撃と運動エネルギーだが、俺の骨格は人間と同じ形状ではあるものの強度は別物である。対物(アンチマテリアル)ライフルの近距離射撃で辛うじて貫通できるほどの硬さの骨が悲鳴を上げるのだから、この剣を振り下ろしてきた剣士の一撃がどれほど重いのかは想像に難くない。

 

 転生者を一刀両断にできるほどだと言っても過言ではないだろう。衝撃でまだ骨がびりびりする左手に力を込め、漆黒のバスタードソードを受け止めた左手の大型ソードブレイカーを押し返し、距離を取りながら呼吸を整える。

 

「―――――――よし、ここまでにしよう」

 

「え? あっ、はい」

 

 てっきりまだ剣術の訓練を続けるのかと思っていたんだが、もう切り上げてしまうのだろうか。少しがっかりしてしまうが、よく考えてみれば転生者である上にキメラでもある俺の骨が悲鳴を上げるほどの剣戟を何発も受け止めていれば、いずれ本当に腕の骨が折れていた事だろう。うん、ここで止めておいた方が正解かもしれない。

 

 剣を鞘に戻した若き日の母さんは、満足したように笑いながら肩を回し始めた。俺もまだびりびりする左手を回し、得物を鞘の中へと戻す。

 

 それにしても、さすが母さんだ。21年後と比べると攻撃の受け止め方が甘いような気がするけど、鋭さは殆ど変わらない上に剣戟が重い。初代転生者ハンターの妻として共に転生者と戦い続けていたのだから、鍛えられるのは当たり前という事か。

 

「すごいわね。エミリアと互角なんて………」

 

「ど、どうも」

 

 ナイフを鞘に戻すと、俺たちの訓練を見物していた金髪の女性に声をかけられた。

 

 一見すると貴族の女性が好んで身に着けるドレスを黒くしたようにも見える制服に身を包んでいるのは、モリガンの傭兵の1人であり、のちに俺たちの仲間でもあるカノンの母親となる若き日のカレンさんだ。娘であるカノンと同じく蒼い瞳はややつり上がっており、微笑むと強気な女性のように見える。まあ、そのように見えてしまうのは目つきだけではないだろう。彼女の強い意志と今まで身に着けてきた技術が、あのような凛とした雰囲気を放っているに違いない。

 

 単なる金髪のお嬢様ではないということは、一目瞭然である。

 

「ねえ、剣術はどこで学んだの?」

 

「ええと、両親からです。みんな傭兵だったので………両親の技術を真似して、あとは自分なりにアレンジしたんです」

 

「なるほど………要するに、我流ね?」

 

「ま、まあ………」

 

「ふむ、我流か。それにしてはラトーニウス式の剣術の流れを汲んでいるようだが………」

 

 実際、ラトーニウス式の剣術はある程度参考にしている。

 

 母さんの故郷でもあるラトーニウス王国は、21年後でも同じだが他国と比べると魔術の発展が遅れている。オルトバルカ王国の騎士団でも1つの分隊に10人は魔術師が配備されることになっているが、ラトーニウス王国にとって魔術師は貴重な人材であるために出し惜しみする傾向があり、その人数も少ないため、1つの分隊どころか1つの大隊に10人いれば多い方だという。

 

 そのため騎士団の兵力は剣士に偏っており、その影響で剣術が発達したと言われている。それゆえに俺たちの時代でもラトーニウス式の剣術は剣士にとってポピュラーの剣術であり、オルトバルカ王国の騎士団でも剣術の参考にするほどだという。要するに、剣術の名門だ。

 

 ラトーニウス王国で実際に訓練を受けてきた母さんの剣術は、まさにこれだ。硬い外殻を持つ魔物を断ち切るために剣戟は重いうえに素早く、その習得も容易い。更に自分なりに好きな攻撃へと派生させることが容易いという理想的な剣術である。

 

 それと、エリスさんの変則的な攻撃と、親父の我流の剣術の3つを参考にしたのだから、俺もラトーニウス式の剣術の影響を受けているという事になる。

 

「母は元々騎士団でしたので………」

 

「ほう、ラトーニウスのか?」

 

「はい」

 

「なるほどな。では私の先輩という事か」

 

 いやいや、あなたの事ですよエミリアさん。

 

「それにしても、タクヤ君って本当にエミリアにそっくりよねぇ………」

 

「ああ、私もびっくりしたよ。てっきりドッペルゲンガーかと……あはは」

 

「あはははははっ。力也のやつから聞いたわ。かなりびっくりしてたらしいわね?」

 

「うぐ………ゆ、幽霊とか、怖い話は、その………どうしても苦手なのだ………」

 

 21年後は克服してるんだろうか。もし元の時代に戻ったら、母さんの前で怖い話でもしてみようかな。母親になってからは転生者を当たり前のように瞬殺できるほどの実力者になっているから、克服してるよね。あんなに凛々しくて強い母さんが21年後も幽霊でビビってる姿は想像できないな。

 

「と、とりあえず、剣術の訓練はこれで終わりだ。ありがとな、タクヤ」

 

「はい、こちらこそありがとうございました、エミリアさん」

 

 ぺこりと母さんに頭を下げてから、カレンさんにも挨拶して裏口へと向かう。正面の入口と比べると結構小ぢんまりとした木製の扉を開け、昼間は沈黙している小さなランタンが駆けられた短い廊下を進んで広間へと出た俺は、用意してもらった俺たちの部屋へと向かって階段を上がりつつメニュー画面を開いた。

 

 そろそろ何か新しい武器を作っても良いだろうか。それともカスタマイズかアップグレードをやってもいいかもしれない。

 

 生産済みの武器や兵器は、カスタマイズ以外にアップグレードをすることが可能なのだ。カスタマイズが何かしらの装備を取り付けたりする事ができるのに対して、アップグレードは武器の強度を強化したり、刀身の切れ味を上げたりする事ができる。基礎的な性能を底上げする事ができるという機能だ。剣やナイフなどが恩恵を受けやすいが、元々弾薬や弾速などで威力が決まる銃などの現代兵器はあまり恩恵を受け辛いというデメリットもある。

 

 例えば、戦車だ。アップグレードで車体の防御力を上げることはできるがほんのわずかしか向上しないため、それよりはカスタマイズで複合装甲を増設した方が少ないポイントで防御力を上げる事ができる。半面、剣などの武器ならば強度を上げて刀身を折れ辛くする事ができるし、切れ味を上げて攻撃力を上げる事ができる。

 

 まあ、現時点でのポイントはまだ少ないからな。もう少し我慢しよう。

 

 階段を上がり、メニュー画面を閉じてから書斎のドアを開け、中へと入る。

 

「ただいま、ラウラ」

 

「あっ、お帰りっ!」

 

 部屋の中に入った瞬間、部屋の中にあるベッドに腰を下ろしていた少女がいきなり立ち上がったかと思うと、ニコニコと笑いながら両手を広げ、部屋の中に入ったばかりの俺の胸に飛び込んできた。

 

 俺よりもほんの少しだけ背の小さい彼女の髪が顔を包み込み、その彼女は俺の胸板にくっついて頬ずりを始める。その度に甘い香りが舞い上がり、俺は顔を赤くしてしまう。

 

「えへへっ、訓練お疲れ様っ♪」

 

「お、おう。汗臭くない?」

 

「全然大丈夫だよっ。タクヤはいつでもいい匂いだもん♪」

 

「あはははっ。ごめんね、ちょっと上着脱ぐから」

 

「はーいっ!」

 

 物足りそうな顔をした彼女は、俺の顔を見上げてから頬にキスをすると、まるで小さな子供がはしゃいでいるかのようにベッドへと飛び込み、そのままごろごろしはじめた。

 

 俺たちのために用意してもらった部屋は、普段はあまり使っていない書斎だという。本棚の中には所狭しと分厚い図鑑やら辞書が並べられ、それらの上に降り積もった埃が堅苦しさをより一層強めているような気がする。

 

 しかも思ったよりもスペースがあるため、まるで図書館にでもやってきたような気分になってしまう。降り積もった埃と古い本の発する紙の臭いは、例え窓を開けたとしても全てこの部屋から消え去ることはないだろう。

 

 本棚を壁際へと移動させ、ベッドやタンスなどの最低限の家具が用意された即席の寝室に寝泊まりすることになるのは、俺とラウラの2人だけ。持っていた荷物も最低限のものばかりなので、部屋の中には荷物が殆ど置かれていない。

 

 木製のハンガーにテンプル騎士団の制服の上着をかけ、グレーのワイシャツの胸元から紅いネクタイを外す。ボタンもいくつか外して息を吸い込んだ俺は、後ろの方に置いてあるベッドを振り返った。

 

 それなりに広い部屋だし、2人寝るのだからベッドを2つ並べているのがごく普通の光景なんだろうけど………なんでベッドが1つだけなんだよ。

 

 本棚を壁に寄せてもまだ結構スペースがある書斎に、タンスと壁の鏡とベッドが置かれた即席の寝室。置かれているベッドは1つだけである。2人用のダブルベッドならまだ分かるよ。2人用だからね。………でもさ、何で1人用のやつが1つなの? お姉ちゃん、ダブルベッドでは不服なの?

 

「えへへっ。これでタクヤとくっついて寝れるっ♪」

 

 くっついてから襲うつもりだろ………。

 

 ベッドの上で横になりながら尻尾を横に振るラウラを見て苦笑いした俺は、ワイシャツから外したネクタイを畳んでタンスの横に置き、カレンダーの方をちらりと見た。

 

 今日は9月21日。実は、明日は俺とラウラの誕生日なのである。

 

 同じ日に生まれた俺とラウラは、当然ながら誕生日も同じだ。先に生まれたのがラウラだから彼女が姉という事になっているけど、彼女が生まれてから数分後に俺も生まれている。

 

 2人そろって乙女座ということだな。………そう、俺まで乙女座なのだ。

 

 よく女に間違えられる容姿に加えて乙女座か。そこまで徹底的に女にしようとしておいて、何で俺は男として生まれてしまったのだろうか。まあ、それも嫌な話だけど、いっそのこと女として生まれていた方がまだ困ることはなかったかもしれない。

 

 とりあえず、気付かないふりをしておこう。誕生日だと気付いていないふりをしたままこっそり街に行って、彼女のためにプレゼントを買うのだ。そして夕食の後にでも「誕生日おめでとう」って言いながら渡せば、ラウラは喜んでくれるに違いない。

 

 何をプレゼントしようかな。ラウラは何でも喜んでくれそうだけど………。あっ、そう言えばラウラってあまり髪型を変えることはないんだよな。いつもロングヘア―のままで、俺みたいにポニーテールにしたり、ナタリアみたいにツインテールにすることはあまりない。一時期だけツーサイドアップにしていた頃があったけど、すぐにやめてしまったし。

 

 うーん、髪留めとかリボンを持って来てる様子もないし、そういうのをプレゼントしようかなぁ………。

 

 髪型を変えたラウラの姿を想像してニヤニヤしていると、書斎のドアがノックされる。「どうぞ」と言うよりも先にドアノブが回転を始め、やがてブラウンのドアの向こうから、浅黒い肌の巨漢が姿を現した。

 

 身長は明らかに180cm以上はあるだろう。もしかしたら190cmくらいかもしれない。短い金髪からは肌と同じ色の長い耳が伸びており、ハーフエルフだという事が分かる。一見すると盗賊団とかギャングのリーダーに見えてしまうような風貌だけど、身に着けている黒い制服とそのエンブレムで、モリガンの傭兵の1人だという事は理解できた。

 

「おう、2人とも。風呂入っていいぞ。今上がったから」

 

「あ、はい」

 

 彼はモリガンの傭兵の1人であるギュンターさん。この21年前の年齢は17歳で、のちにカレンさんと結婚してカノンの父親になる男性である。

 

 もう夕方だ。夕食の前に風呂に入ってしまえという事なんだろう。

 

 うーん、このままここでお世話になるのもいいんだけど、何だか悪い気がするなぁ………。

 

「タクヤ、お風呂入ろうよっ♪」

 

「お、おう」

 

 メニュー画面を開いて服装をタッチし、着替えを出しておく。この服装だけは他のメニューとは違い、身に着けたことのある衣服が勝手に登録される仕組みになっている。そのためポイントを消費して服を生産しなくても、いつでも着たことのある服を取り出して身に着けることが可能なのだ。

 

 しかも武器や兵器と同じく12時間経過すれば勝手に洗濯されるため、自分たちで服を洗う必要がない。

 

 着替えを持った俺は、同じく着替えを手にしたラウラに片手に抱き付かれながら一緒に部屋を後にし、階段を上がった。幼少の頃はよく遊びに来た屋敷だけど、まさか過去にタイムスリップしてここでお世話になるとは思わなかったよ。冒険者になってから不思議な事ばかり体験しているような気がする。

 

 モリガンの屋敷の風呂場は3階にある。廊下の一番奥にあるドアの向こうは脱衣所になっており、その向こうが風呂場らしい。

 

 俺たちの生まれた時代は産業革命で発展したため、各家庭に水道があるのは当たり前だが―――――――この時代は一部の貴族や王族の屋敷以外に水道はなく、一般的な庶民は井戸から水をくみ上げ、それで身体を洗っていたという。産業革命で世界を発展させたフィオナちゃんには感謝するべきだけど、その水道が一般的ではない時代に、特に水道があるわけでもないのに風呂場を3階に作ったのは大きなミスだと思う。なぜならば、裏庭の井戸から水をたっぷり入れた重たい桶を持って3階まで上がり、浴槽に入れて火で温めなければならないのだから。

 

 風呂場の準備は当番制で、ギルドの当番の中では一番の重労働だという。

 

 脱衣所のドアを開け、出来るだけラウラの方を向かないように服を脱ぐ。近くにあったタオルを腰に巻いて尻尾を隠し、髪留めを外してポニーテールをやめ、とりあえずラウラが服を脱ぎ終えるまで待つ事にする。

 

 それにしても、俺も髪を下ろすとエリスさんやラウラにそっくりなんだな。まあ、エリスさんと母さんは姉妹だし、ラウラは俺の姉なんだからそっくりなのは当たり前だろう。もし髪を赤く染めたら彼女はびっくりするだろうか。

 

 小さい頃からラウラとはほぼ毎日風呂に入っていたんだけど、彼女が服を脱ぐ間はこうして必死に目を逸らすのはいつもと変わらない。特に、成長してスタイルが良くなり始めてからは俺の必死さも比例して上がっていた事だろう。

 

「お待たせっ!」

 

「お、おう」

 

 ゆっくりと振り返ると、にこにこと笑いながらバスタオルを身体に巻いたラウラが待っていた。機嫌が良い時の彼女の癖で、バスタオルの中では彼女の柔らかい尻尾が左右に揺れている。さらさらしている赤毛の中からは彼女の角が伸びているのが見えた。俺の角とは異なり、根元の方は真っ黒なんだけど先端部に行くにつれてまるでルビーのように紅くなっている。

 

 風呂場の扉を開けると―――――――あの荒れ果てたネイリンゲンで泊まった時と比べると、遥かにきれいな風呂場が俺たちを待っていた。とはいえ、スペースは一般的な前世の世界の家庭の風呂場程度だけど、こっちの世界の庶民の風呂場は産業革命以降でも前世の世界より狭く、貧しい感じがする。産業革命以前のより貧しかった庶民たちの家には風呂場がある方が少なく、大半は井戸の近くでの水浴びで済ませていたという家庭もあるため、風呂場があるのは恵まれているということなのである。

 

 浴槽の中には熱々のお湯がたっぷりと入っており、その脇にはシャンプーや石鹸が置かれている。後は大きな桶が2つと低い椅子が1つ用意されていた。

 

「ふにゅ。タクヤ、お姉ちゃんが背中洗ってあげるね♪」

 

「ん? いいの? いつも逆だろ?」

 

「いいじゃん。ほらっ♪」

 

 いつもはラウラから洗っているんだけど、今日は逆なのかな?

 

 とりあえずお言葉に甘えておこう。タオルを巻いたまま低い椅子に腰を下ろすと、ラウラは桶で浴槽の中からお湯をすくい取り、俺の髪を濡らしてからシャンプーを付け、髪を洗い始めた。

 

 不器用な事が多いラウラだけど、小さい頃から続けているせいなのか髪や身体を洗うのは上手だ。でも自分で自分の髪や身体を洗うのは苦手らしい。きっと俺の身体と髪ばかり洗っていたせいなんだろう。おかげで彼女の身体と髪を洗うのは俺の仕事である。

 

 大変なんだぞ、ラウラを洗ってあげるのは。俺のお姉ちゃんは超弩級戦艦なんだから。

 

「流すよー♪」

 

「はーい」

 

 髪についていたシャンプーを流してもらい、濡れた髪をタオルで吹く。前世ではごく普通の男子高校生だったからこんなに髪を流すことはなかったんだけど、やっぱり髪が長いと洗うのは大変だよ。なかなか泡が流れないし、ちゃんとタオルで拭いたと思ってもまだ濡れてるんだから。

 

 続けて今度は身体を洗ってくれるらしく、ラウラが石鹸でタオルを泡立て始める。

 

「えへへっ。タクヤって女の子みたいに見えるけど、ちゃんと筋肉ついてるよね」

 

「まあ、鍛えたからな」

 

「ふにゅー………腹筋も凄いよ。ちゃんと割れてる」

 

 細身だけどね。

 

 泡立ったタオルを持ったラウラが、背中の汚れを順調に落としていく。彼女は俺が好む力加減までちゃんと把握しているらしく、力を入れてほしいところではちゃんと力を入れてくれるし、逆に優しく洗ってほしいところはちゃんと力を抜いて優しく洗ってくれる。言わなくても、彼女は俺の好みを知っているのだ。

 

 最初は恥ずかしいと思っていたし、彼女が成長してスタイルが良くなってからはなおさら恥ずかしいと思っていたけど、彼女に甘えるのも悪くないかもしれない。

 

 そのとき、何の前触れもなく、暖かくて湿った何かが俺の右耳を静かに愛撫した。

 

「ん………ッ!?」

 

「ふにゃー………タクヤ、美味しそう………♪」

 

「お、おい、ラウラ………?」

 

 いつの間にか、俺の肩の辺りを洗っていた筈の彼女の手は止まっていた。泡に包まれたタオルは床に置かれ、代わりに彼女の両手は俺の背後から胸板の方へと絡み付いている。ラウラに背後から抱き締められているのだと理解した瞬間、抱き付いていたラウラがそっと顔を覗き込んできた。

 

 微笑んでいるけど、彼女も恥ずかしいらしい。顔は紅くなり、角も伸びている。

 

 静かに顔を近づけてきた彼女を拒むわけにはいかない。いつものように受け入れることにした俺は、彼女の唇を奪った。

 

 そっと唇を離し、ほんの少しだけ互いの顔を見つめ合う。

 

「えっと………ご、ごめんね、いきなり………」

 

「だ、大丈夫………。そ、その………びっくり……したけど、俺も………ラウラの事、好きだし………」

 

「ふにゃっ!? ………ば、バカ……」

 

 ご、ごめんなさい………。

 

 顔を赤くしたままのラウラに身体を洗ってもらい、身体を流してから俺も同じように彼女の髪と身体を洗う。身体を洗っている最中、俺もラウラみたいに仕返ししてやろうかと思ったけれど、無言の状態でそんな事をするのは気まずかったので何もせず、てきぱきと身体を洗い、泡を流してから2人で浴槽へと入る。

 

 それなりに幅のある浴槽なので、2人で横に並んでもまだスペースがある。俺とラウラは2人で横に並んで浴槽の中へと入ると、まだ無言のままお湯の中で手をつなぎ、互いの尻尾を絡み合わせた。

 

「………あ、あのね、タクヤ」

 

「ん?」

 

「わ、私ね、小さい頃からの夢は………えっと、タクヤのお嫁さんになることなの」

 

「う、うん」

 

 小さい頃から何度も言っていた。親父がラウラに将来の夢を聞くと、彼女は幼い時からずっと笑顔で「タクヤのお嫁さんになるのっ♪」と答え、親父と母さんを困らせていたものだ。

 

 もう明日で18歳になるというのに、相変わらずラウラの夢は変わらないようだ。好みの男子はどんな人なのかと聞くと「タクヤが大好きなの」と答えるし、おそらく今後も彼女が好きになるような男性は現れないだろう。

 

「そ、そうなんだけどっ………た、タクヤはどう思う………?」

 

「え?」

 

「こんな不器用なお姉ちゃんだけど………えっと、迷惑じゃない………?」

 

「………め、迷惑じゃないよ。むしろ………か、可愛いと思う」

 

「………………か、可愛い?」

 

「う、うん。だから、その…………俺、お姉ちゃんの事が………大好き」

 

「………!」

 

 いきなりお湯の中で握っていた彼女の手が消えたと思った瞬間、潜水艦のミサイルが海面から飛び出すかのように、お湯の表面からいきなりラウラの白い手が伸びてきた。あっという間に抱き締められた俺はびっくりしたけど、次の瞬間にはまたしても唇を彼女に奪われてしまう。

 

 下を絡ませてからゆっくりと唇を離す。身体を動かそうとすると、浴槽の縁にすっかり伸びてしまった角の先端部がごつん、と当たった。

 

「お姉ちゃんも、タクヤの事大好きだよ。………ねえ、それじゃあ………大人になったら、お姉ちゃんのこと、お嫁さんにしてくれる………?」

 

 普段の俺だったら、きっと悩んでいた事だろう。

 

 でも――――――――今の俺は、悩む事ができなかった。

 

 なぜならば、もう答えが出ていたからだ。彼女の質問にどう答えるべきなのか。俺を愛してくれるラウラに何と答えればいいのか、もう理解していた。

 

「―――――――た、旅が終わったら………お、俺の………お嫁さんになってください………」

 

「………う、うんっ!」

 

 これで、俺のお嫁さんになるというラウラの夢は叶ってしまったな。

 

 親父と母さんはラウラが怖いからという理由で首を縦に振っていたし、エリスさんはきっと全面的に応援してくれるだろう。………問題ないじゃん。

 

 顔を真っ赤にしながら、俺とラウラは浴槽の中でしばらく抱き締め合っていた。

 

 

 

 

 



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タクヤとラウラがプレゼントを買いに行くとこうなる

 

 21年前の親父たちは、毎朝こんな光景を目にしていたのだろうか。

 

 蒼い空の下に広がるレンガ造りの建物の群れ。21年後の産業革命で発展した王都のものよりも遥かに小さいが、それなりに大きな通りの左右にはずらりと露店が並び、買い物客で混雑している。田舎の街とは思えない活気に包まれた通りを眺めながら、幼少の頃を思い出す。

 

 ラウラと一緒にモリガンの屋敷に遊びに行く時は、この通りを通っていた。街の外れにあるモリガンの屋敷に行くならばわざわざ街の中を通っていく必要はないんだが、よく甘いお菓子を売っている露店があったので、余裕がある時は小遣いでこっそり買っていくか、母さんかエリスさんにお願いして買ってもらっていたものだ。

 

 21年後ならばチョコレートやキャンディーなどのお菓子は露店に行けば普通に購入できるし、一般的な家庭の子供たちも購入できるほど安い。しかし、まだ産業革命が始まる前はお菓子はなかなか貴重品らしく、一般的な家庭の子供たちは1ヵ月に1度口にできれば良い方だったという。

 

 俺たちの場合は両親の収入のおかげで1週間に数回は口にしていたけど、やっぱり恵まれてたんだなぁ………。

 

 よく2人でキャンディーを買っていた露店はこの頃からあったのだろうかと思いつつ、混雑する通りの中に足を踏み入れる。極力他の人にぶつからないようにするが、王都ほど広くはない通りが混雑している状況では無理な話だ。早くも体格のいいおじさんに肩をぶつける羽目になったけど、おじさんはこれが当たり前だから気にしないと言わんばかりに何も反応せず、そのまま通りの奥へと行ってしまう。

 

 こちらも気にせずに通りを進んでいくと、魔術師のような恰好をした男性が水晶や壺を売っている露店の隣に、見覚えのある露店が並んでいた。露店と言っても、所々に穴の開いた布で作った即席のテントの下に家庭に置いてあるような大きめのテーブルの上に仕入れた商品をありったけ並べただけの小ぢんまりとした店である。他の露店も似たり寄ったりで、個性が出ている点を挙げれば店主の恰好や商品の違いくらいのものだが、あの露店を目にする度にラウラが目を輝かせていたのを覚えている。

 

 懐かしい感じがするけど、この時代では俺たちはまだ生まれてないんだよな。

 

 ほんの少しだけ笑いながら、角を隠すためにかぶっているグレーのハンチング帽を目深にかぶり直す。露店に近付いていくと、そのテーブルの向こうで木箱をせっせと並べていたおばさんが俺に気付いたらしく、にっこりと笑いながら「何か買うかい?」と声をかけてきた。

 

 やっぱり、このおばさんだ。俺とラウラがここに寄った時も、このおばさんがにっこりと笑いながらお菓子を売ってくれたんだよな。この人は俺たちが生まれる前からここで店を開いていたのか。

 

「あら、エミリアちゃん?」

 

「あっ、いえ、違います。その………よく間違われるんですよ」

 

 うーん、母さんと同い年になるともう見分けがつかなくなるのかな。一応、胸の大きさと瞳の色で見分けることはできる筈なんだけど。

 

 胸の大きさは当たり前だが母さんの方が遥かに上だ。まさに超弩級戦艦エミリアである。それに対して俺は男だから膨らんでいる筈がない。魚雷艇とかコルベット程度だろう。筋力だったら………巡洋戦艦くらいかな。

 

 瞳の色は母さんが紫色で、俺は紅い。色がほんの少し似ているけど、この2点で見分ける事ができます。ですのでちゃんと見分けて下さいね。

 

 とりあえず、何かお菓子でも買っていこう。王都に引っ越ししてからはここの露店のお菓子は食べれなくなったし、買って帰ったらお姉ちゃんは喜んでくれるに違いない。

 

「あらあら、そうなの? そっくりなんだけどねぇ」

 

「あははっ、そうですか? あっ、そうだ。このチョコレート2つ欲しいんですけど」

 

「はいはい、銀貨2枚ね」

 

 うーん、やっぱり高いな。21年後の値段と比べると高過ぎる。まあ、主に購入しているのが貴族とか裕福な家庭の子供だし、この頃の庶民の子供はなかなか口にできなかったからな。

 

 財布の中から銀貨を2枚出し、袋に入ったチョコレートを2枚受け取る。おばさんにお礼を言ってから店を離れようと思って踵を返すと、チョコレートをポケットに入れて立ち去ろうとする俺を小さな2人の子供がじっと見つめていたことに気付いた。

 

 姉弟なんだろうか。お姉ちゃんの方は6歳くらいで、弟の方は4歳くらいだろう。身に着けている服は薄汚れていて、髪もぼさぼさになっている。

 

「………おばさん、チョコレートをあと2枚ください」

 

「はい、チョコレート2枚ね」

 

 後ろを振り向いてから銀貨を2枚おばさんに渡し、更にチョコレートを2枚受け取る。財布をポケットの中に突っ込んでから改めて踵を返した俺は、じっとこっちを見つめていたその姉弟の方に歩み寄ると、新しく買った方のチョコレートを微笑みながら差し出した。

 

「え………?」

 

「ほら、食べな。ここのチョコレートは美味しいんだぞ」

 

 まさかチョコレートを買ってもらえるとは思っていなかったんだろう。きょとんとしながら2人は俺の顔を見上げると、目を丸くしながら差し出されているチョコレートを見た。

 

 この時代の庶民の収入から考えるとお菓子は高級品だという事と、見ず知らずの男――――――どうせ女だと思ってるんだろう―――――――からお菓子を差し出されているからなのか、2人はなかなか受け取らない。申し訳がないとも思っているのかもしれない。

 

 微笑みながら頷くと、お姉ちゃんの方が恐る恐るチョコレートの袋に手を伸ばした。2枚とも受け取った小さな女の子は、もう片方を弟の方に渡すと、もう一度俺の顔を見上げる。

 

「い、いいんですか?」

 

「ああ、いっぱい食べなよ」

 

「あっ、ありがとうございます!」

 

「おねえちゃん、ありがとっ!」

 

 や、やっぱり女だと思ってたな………。

 

 もう慣れてきたよ。

 

 嬉しそうに笑いながら走っていく姉弟に手を振って見送り、俺も露店の前を離れることにする。何だかあの姉弟は、小さい頃の俺とラウラみたいに思えてしまう。だからあの2人にチョコレートをあげようと思ったのだろうか………。

 

 とりあえず、雑貨店に行こう。今日は普通の買い物に来たわけではないのだ。

 

 今日は9月22日。俺とラウラの誕生日である。この時代から4年後に、街の外れにある森の中の家で俺とラウラは産声を上げることになっている。

 

 しかし、それはエリスさんが予定通りに親父の妻になってくれればの話だ。もしここで俺たちが下手に歴史を変え、エリスさんが親父と結婚することがなくなったり、母さんや親父が命を落とす事になってしまったら………俺とラウラは存在しない事になってしまう。

 

 もしかしたら、あまり俺たちは干渉しない方が良いのかもしれない。下手に干渉すれば歴史が変わってしまうおそれがある。

 

「………」

 

 考え事をしながら街を歩いていると、いつの間にか通りから聞こえてくる買い物客の声が聞こえなくなっていた。露店の数も減り、その代わりに路地の左右にはずらりと傭兵ギルドの事務所や看板が並んでいる。入口の所では酒瓶を手にしたいかにもチンピラのような男たちが、チョコレートの袋を手に私服姿でやってきた俺を場違いだぞとでも言うかのように睨みつけている。

 

 とりあえず、無視しよう。殴り合いになったらめんどくさいし、今は護身用の武器は3つしかない。内ポケットの中のCz2075RAMIが1丁と、暗殺用と護身用に作っておいた秘密兵器が2つだ。

 

 目を合わせないようにしながら傭兵を無視して路地を通り抜けた先に、ぽつんと1軒の雑貨店があった。やはり小ぢんまりとした木造の建物で、店先には可愛らしい看板が置かれている。

 

 木材の香りのする店内へと足を運ぶと、カウンターの向こうで新聞を読んでいた背の小さい女性が出迎えてくれた。

 

 さて、ラウラに何を買っていこうかな。リボンとか可愛い髪留めをプレゼントしようと思ってたんだけど、他にも安物だけど色んな種類の懐中時計とかペンダントも売られている。プレゼントを決めるのは店内を見てからにしよう。

 

 棚に並んでいる懐中時計は大きな街で売られている物と比べると値段が安いみたいだけど、翼を広げたドラゴンの姿や騎士団のエンブレムが刻まれたカッコいいデザインの懐中時計も売られている。個人的にはこういう懐中時計はカッコいいと思うんだけど、ラウラはどう思うだろうか。というか、ラウラってあまり懐中時計を使う事はないんだよな。時間を知りたい時は俺に尋ねてくるし。

 

 というわけで、懐中時計は残念ながらやめておこう。ペンダントはどうだろうか?

 

 そう思いながらペンダントを見てみたんだけど、何だかラウラってペンダントを付けることはないんだよね。

 

 じゃあ、リボンとか髪留めはどうだろうか。その隣にあるリボンが並ぶ棚を見てみることにした俺は、持っていたペンダントを元の場所へと戻し、リボンが並ぶ棚の前へと向かう。

 

 うん、リボンならば喜んでくれそうだ。小さい頃とか旅に出る前はよく髪型を変えてたし、リボンや髪留めだったら喜んでくれるに違いない。とはいえ、大きさとか色も考えないといけないんだよな。

 

 色は赤かな。でも、ラウラって赤毛だから真っ赤なリボンだと目立たないし、別の色を基調にしたリボンの方が良いのかもしれない。

 

「お?」

 

 どの色にしようかと悩んでいると、左の方に黒と赤の2色のリボンが並んでいた。黒の方が基調になっていて、縁の部分が赤いラインで染まっている。ちょっと禍々しい色かもしれないけど、いつもテンプル騎士団の黒い制服を身に着けているせいなのか、ラウラにはこんな色が似合うのかもしれない。

 

 うーん、これにしてみようかな。念のため2つ買っておこう。

 

 リボンを2つ取った俺は、財布をポケットから取り出しながらカウンターの方へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへっ。タクヤはどんなプレゼントだったら喜んでくれるかなっ♪」

 

 今日は私とタクヤの誕生日だからね。あの子はお買い物に行っちゃったみたいだから、今のうちにこっそりプレゼントを買っておこう。そして、帰ってきたらタクヤにプレゼントを渡すの!

 

 喜んでくれるかなぁ………?

 

 どんなプレゼントを買ってあげようかと考えながら、私はネイリンゲンの懐かしい通りを進んでいく。この通りはモリガンの本部に遊びに行く時に通っていた道だから、どこにどんなお店があるのかすぐに分かるの。小さい頃はこの通りにあるお菓子を売ってる露店で、よくチョコレートを買ってたんだよね。

 

 ママとかエミリアさんに内緒でチョコレートを買ったこともあったね。あの時は確か、タクヤがお金を払ってくれてたような気がする。

 

 あの子って、小さい頃から大人びてたからなぁ………。私の方がお姉ちゃんなのに、なんだかお兄ちゃんができたみたいな感じだった。読み書きを覚えたのはタクヤの方が先だし、立って歩いたのもタクヤの方が先だったってママが言ってた。それに、パパの住んでた異世界のニホン語っていう言葉もすぐに話せるようになったし、お勉強でもタクヤの方がいつも成績が良かった。難しい問題をすぐに解いてしまうし、よく私に勉強を教えてくれることもあった。

 

 今度、あの子の事を「お兄ちゃん」って呼んでみようかな。きっと顔を赤くしちゃうと思う。

 

 顔を赤くしてるタクヤかぁ………えへへっ、可愛いかも。

 

 照れるタクヤの顔を想像しながら歩いているうちに、路地の向こうにある雑貨屋さんの前に到着していた。途中でごろつきみたいな変な男の人が睨んできたり、私の事を見ながら「おい、いい女がいるぞ」とか言ってたけど、おじさんたちに興味はないの。私はもうタクヤだけのものなんだから。

 

「いらっしゃいませ!」

 

「こんにちわー♪」

 

 カレンさんに教えてもらった雑貨屋さんは、王都のお店と比べると小さいけれど、予想以上に品揃えは多かった。植物を植えるための鉢とか、筆記用具もここで売ってるみたい。奥の方には懐中時計が売られている棚があるし、その隣にはリボンとか髪留めが並んでいる棚もある。

 

 懐中時計かぁ………。タクヤっていつも懐中時計持ってるんだよね。プレゼントは懐中時計にしようと思ったんだけど、あの子はもう懐中時計を持ってるから違うプレゼントの方が良いかも。

 

 うーん………。どれにしようかなぁ。

 

 ペンダントは………昨日の夜から下げてたような気がする。ハンドガンをもっと小さくしたような変わったペンダントだったよ。どこかで買ってきたのかな?

 

 あっ、そうだ。リボンはどうかな?

 

 タクヤっていつもポニーテールにしてるし、リボンを買っていったら喜ぶかも! それにもっと可愛くなるかもしれないし!

 

 えへへっ。色はどれにしようかなぁ………♪

 

 ウキウキしながら棚に並んでいるリボンを見ていると、蒼いラインのある黒いリボンを見つけた。黒が基調になってて、縁の部分はコバルトブルーになってる。禍々しい感じがするけど、タクヤっていつもあの転生者ハンターのコートを着ている事が多いし、黒と蒼は似合うと思うのよね。

 

 うん、これにしよう。

 

 私はタクヤがこのリボンを付けている姿を想像してニヤニヤしながら、カウンターへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クガルプール要塞の向こうに広がる森と草原を抜けた向こうに、街が見えた。

 

 ラトーニウス王国の隣国であり、世界最強の大国とも言われるオルトバルカ王国。その大国の最南端に位置するネイリンゲンという田舎の街が、草原の向こうに広がっている。

 

 最南端とはいえ、雪国であるオルトバルカ王国の街であるため、9月下旬か10月上旬にはもう雪が降り始めることは珍しくない。冬が異様に長く、逆に夏が異様に短い北国の田舎の街。雪が降り出す前に攻め込む事ができたのはジョシュアの手配のおかげかもしれない。

 

 いくら氷属性の魔術を得意とするエリスでも、冬のオルトバルカ王国に攻め込む羽目になるのはまっぴらごめんである。しかも相手になるのは、百戦錬磨のオルトバルカ王国騎士団だ。

 

 とはいえ、今は9月22日。雪が降り出すにはギリギリの時期である。

 

「無事に国境を越えられましたね、エリス様」

 

「ええ。ジョシュアの奴に感謝しないと」

 

 表向きは、オルトバルカ王国のネイリンゲンで活動する最強の傭兵ギルド(モリガン)との合同演習ということになっている。ネイリンゲンの周囲は草原になっており、魔物が姿を現すこともまれであるため合同演習にはもってこいだ。それにオルトバルカ王国には数多の傭兵ギルドが存在しており、国王も傭兵ギルドがどれほど存在するのか把握していない。そんな状態なのだから各ギルドのスケジュールまで把握できるわけがない。だからこそ、合同演習という名目でそれなりの規模の強襲部隊を送り込んでも目立つことはない。

 

 エリスが率いることになった強襲部隊の人数は200名。魔術師は僅か3名のみだが、その代わりに大型の盾と槍を持つ重装突撃兵は80名。ドラゴンのブレスを防ぐことが可能と言われている最新型の盾ならば、モリガンの傭兵が使うというクロスボウにも似た飛び道具を防ぐことは容易いだろう。

 

 目的は、エリスの妹であるエミリア・ペンドルトンを連れ戻す事。彼女がいなければジョシュアの計画は始まらないのだ。それに、その計画が終わればエリスは妹から解放される。だからエリスはジョシュアの計画に従っているのである。

 

「敵はたったの7名です。すぐ終わりますよ、エリス様」

 

「………そうね」

 

 部下たちは先ほどから高を括っているが、エリスは咎めなかった。

 

 というより、元からあてにしていないのだ。辺境の駐屯地であるナバウレアで魔物との戦いを経験している騎士たちとはいえ、せいぜいゴブリンやゴーレム程度だろう。初心者の冒険者や傭兵でも相手にできるような魔物ばかりだ。

 

 それに対し、エリスはドラゴンなどの危険な魔物との戦いも数回だけだが経験しているし、オルトバルカ王国から密入国した魔術師の排除や盗賊団の粛清なども経験している。そもそもナバウレアの騎士とは、練度が全く違うのだ。

 

 自分1人でも十分なのにと思いながら、エリスは乗っていた馬をゆっくりと前に進ませる。

 

 進軍していく軍勢の目の前には――――――――街の外れにある、モリガンの屋敷があった。

 

 

 



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エリスの襲来

 

 ラトーニウス王国とは、因縁がある。

 

 正確には、ラトーニウス王国騎士団に所属するジョシュアという男との因縁と言うべきか。半年前にこの世界に転生し、草原でエミリアと出会った俺は、彼女に導かれて騎士団の駐屯地のあるナバウレアという街に連れて行ってもらった。行くあてのない俺を受け入れてくれたエミリアだったが、彼女の許嫁であるジョシュアという男は面白くなかったらしく、俺を追い出すために決闘を挑んできたのである。

 

 しかし、結局俺の勝利で決闘は終わった。俺が勝ったらエミリアを貰うと言っていたので、言った通りにエミリアを貰おうとした俺だったが―――――――向こうはその約束を守る気などなかったのか、それとも自分が負けるとは思っていなかったのか、決闘は終わったというのに配下の騎士に命じて俺を殺そうとしてきたのである。

 

 だから俺は、エミリアを連れて逃げた。彼女もそれでよかったらしく、結局俺たちはそのまま騎士団でも簡単には追って来れない隣国まで亡命することになった。

 

 美少女と、たった2人での逃走劇。ちょっとした駆け落ちみたいな短い旅を楽しんだが、金がないために野宿を繰り返した上に、魔物を蹴散らしたり騎士団の追っ手と戦いながらの逃走劇となったため、国境へ近づいた時はもう疲れ切ってしまっていた。

 

 最終的に俺たちは国境を越え、このネイリンゲンで傭兵ギルドを始めることになる。それに対してラトーニウス側の被害は、追っ手に投入した騎士の大半が戦死し、国境を守るクガルプール要塞から貴重な飛竜を奪われるという大損害となった。確かに俺にも責任があるが、ジョシュアには自業自得としか言いようがない結果である。

 

 そんな事があったため、俺とあの国には因縁がある。国境を越えれば迂闊に追って来れないだろうとは思ってたんだが………国境を越えて追ってきた以上、撃退する準備をしておくべきだろう。可能であれば最初に交渉し、決裂したのならば仲間たちに発砲命令を下せばいい。

 

 モリガンの制服を身に纏い、いつもの装備を全て装備した俺は、側近として信也を引き連れて屋敷の玄関の扉を開けた。仲間たちは既に武器を装備し、窓から外にいる騎士たちに向かって銃口を向けている。

 

 でも、まだ撃つ必要はない。もしかしたら騎士団はエミリアを連れ去りに来たわけではないかもしれないからだ。かなり可能性は低いけど、俺たちに依頼をしに来た可能性もある。

 

 だが、もし「エミリアを返せ」と言ったのならば、俺は仲間たちに攻撃命令を下すつもりだった。

 

 騎士たちの隊列の中から、騎士を2人だけ引き連れてエミリアにそっくりの少女がこっちに歩いて来る。さっきスコープを覗いた時に隊列の先頭に立っていた少女だろう。やっぱり顔はエミリアにそっくりで、まるで双子のようだ。でも瞳の色と髪型は違う。エミリアの瞳の色は紫色なんだけど、彼女の瞳は翡翠色だ。それに、髪型はポニーテールではなく髪の両側をお下げにしている。

 

 エミリアと同じく凛々しい雰囲気を身に纏う美少女だった。

 

「―――あなたたちが、モリガンという傭兵ギルドね?」

 

「ああ」

 

 エミリアにそっくりな少女が、俺の顔を見つめながら問い掛けてきた。

 

「私は〝エリス・シンシア・ペンドルトン”。ラトーニウス王国騎士団に所属しているわ」

 

「ラトーニウスの騎士団にはお世話になったことがあるからな。………ジョシュアの野郎は元気か?」

 

「ええ。まだあなたのことを恨んでいたわよ? 速河力也くん」

 

「そうか。………それで、何をしに来たんだ?」

 

 右手を腰の右側に下げてあるプファイファー・ツェリスカのホルスターに近づけていく。もしエミリアを連れ戻すと言ったならば、すぐに.600ニトロエクスプレス弾の早撃ちをお見舞いしてやるつもりだ。

 

 エリスはちらりと俺の右手を見て、冷笑しながら言った。

 

「――――エミリアを返してもらいに来たのよ」

 

「………なるほど」

 

 やれやれ、もう交渉決裂か………。

 

 最初から一戦交える覚悟でやって来ていたのか、エミリアにそっくりなエリスはにやりと笑った。まるで早く武器を抜けと言わんばかりの笑みを目の当たりにした俺は、素早くホルスターの中に納まっているプファイファー・ツェリスカのグリップを握り、大型のリボルバーをホルスターの中から引きずり出した。スピードのステータスも他のステータスと同じように20000を超えているため、彼女に銃口を向けるまでの速度は西部劇のガンマンよりも速かっただろう。

 

 プファイファー・ツェリスカはオーストリア製の大型リボルバーである。コルト・シングルアクションアーミーと同じくシングルアクション式のリボルバーで、1発ぶっ放したら銃身の後端にある撃鉄(ハンマー)を引き戻す必要があるため連射速度ではハンドガンに劣るが、使用する弾薬は一般的なマグナム弾やハンドガン用の弾薬ではなく、大型のライフル弾である『.600ニトロエクスプレス弾』。破壊力ならば他のリボルバーを遥かに上回る。

 

 いきなり武器を引き抜いた俺に気が付き、エリスが引き連れていた2人の騎士が驚く。だが、エリスはまだ冷笑したままだ。

 

 俺は左手を撃鉄(ハンマー)に近づけると、まず最初にエリスに向かってトリガーを引いた。マズルフラッシュが噴き出た直後、すぐに左手で撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻し、銃口を今度はエリスの左右に立っている騎士に向けてトリガーを引く。3発の.600ニトロエクスプレス弾の早撃ちによる先制攻撃だ。

 

 もしかしたらジョシュアから既に銃の事を聞いているかもしれなかったが、このファニング・ショットには対応できないだろう。

 

 猛烈な銃声がまだ残響すら生み出さぬうちに、俺の目の前で2人の頭が砕け散った。.600ニトロエクスプレス弾に喰らい付かれ、頭蓋骨を粉砕されたのは、エリスが引き連れていた2人の騎士だけだ。

 

 エリスはどうした? まさか、躱したのか!?

 

 マズルフラッシュが消え始めた向こうに、エミリアと同じく蒼いエリスの髪が見えた。彼女が引き連れてきた2人の騎士は.600ニトロエクスプレス弾に被弾して頭を叩き割られたけど、エリスは何と俺の早撃ちを見切って右側に回避していたんだ。

 

 こいつ、俺の早撃ちを躱しやがった・・・・・・!!

 

「信也、屋敷に戻れッ!」

 

「りょ、了解ッ!」

 

 エリスはラトーニウス王国騎士団の精鋭部隊に所属していて、接近戦ではエミリアよりも強いらしい。エミリアは俺と互角だから、接近戦では俺よりも強いということになる。

 

 だから、信也では勝ち目がない!

 

「ハルバードを!」

 

「はっ!」

 

 エリスが後ろに立っていた騎士たちの隊列に叫ぶと、その隊列の中でハルバードを持っていた1人の騎士が、彼女に向かってハルバードを放り投げた。エリスはそのハルバードを後ろにジャンプしながらキャッチすると、槍の先端部を俺に向けて構える。

 

 なるほど、槍が一番得意なのか。

 

 近距離武器ではリーチが長い。しかもエミリア以上に接近戦が得意ならば、剣で挑むのは無謀だな。

 

 右手のプファイファー・ツェリスカをホルスターに戻しながら、耳に装着していた無線機に向かって指示を出す。

 

「各員、攻撃開始! 殲滅しろ! 撃て(ファイア)ッ!!」

 

『了解!』

 

 くそったれ、予想以上に手強い奴が襲来しやがった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷の方から聞き覚えのある物騒な音が聞こえた瞬間、俺は反射的に屋敷の方を振り返っていた。幼少の頃からその轟音を耳にし、それを生じる武器の扱い方を教わってきた俺にとっては、聞き覚えのあるというよりは身近な轟音である。

 

 銃身の中から撃ち出される炸薬の断末魔。そしてそれが放たれた向こうから聞こえてくるのは、敵の断末魔だ。

 

「銃声………?」

 

 ラウラにプレゼントするためのチョコレートとリボンの入った小さな箱を抱えながら歩いていた俺は、反射的に臨戦態勢に入っていた。射撃訓練場で銃声を耳にする時は訓練。それ以外の銃声は実戦だと思って生活していたためなのか、訓練とは思えない状況でそれを耳にすれば勝手に臨戦態勢に切り替わってしまう。

 

 平和な世界になったら大変な体質になるなと思いながらメニュー画面を開こうとしていると、いつの間にか賑わいが絶叫に変貌し、戸惑いながら逃げていく買い物客たちの間から、赤毛の少女が飛び出していくのが見えた。大人びた容姿の少女はいつものように真っ黒なテンプル騎士団の制服に身を包み、片手に包装された小さな箱を持ちながら、屋敷へと向かって走っていく。

 

「ラウラ!」

 

「タクヤ………? ちょっと、何してるの?」

 

「買い物帰りだよ」

 

 彼女のために雑貨店で購入したリボンの入った箱を後ろに隠しながら、俺は片手でメニュー画面を操作して武器をいくつか取り出した。ラウラ用のダネルNTW-20を渡し、接近戦になった時のためにOTs-14グローザを2丁取り出す。このグローザは薬莢が排出されるエジェクション・ポートが右側にある銃であるため、左利きの射手には向かない銃とされている。でも、左利きのラウラのために2丁のうち片方の内部構造を左右ですっかり逆転させた左利き専用のタイプを用意したので、これで問題はないだろう。

 

 サイドアームにはテンプル騎士団で採用しているCz75を渡しておく。俺のCz75SP-01と同じだけど、ラウラは元々白兵戦をあまり考慮していないため銃剣はつけていない。でっかいマズルブレーキとドットサイトとライトが取り付けてあるだけだ。

 

 俺もいつもの装備を取り出す。87式グレネードランチャーを銃身の下にぶら下げたOSV-96を背中に背負い、グレネードランチャー付きのAN-94を装備する。このAN-94は5.45mm弾から7.62mm弾に弾薬を変更しており、場合によってはラウラと弾薬を分け合う事も可能だ。マガジンも同じものを使えるように改良したため、いざという時はそのままマガジンを装着するだけでいい。

 

 サイドアームには2本の大型ワスプナイフと2丁のCz75SP-01を装備する。それと手榴弾をいくつか装備してから、俺はアサルトライフルの安全装置(セーフティ)を解除した。

 

 ここから屋敷までは走れば1分足らずで到着する。キメラの俺たちが全力疾走すれば20秒くらいで屋敷に戻ることは可能だろう。

 

「ラウラ、敵は?」

 

「待って。………騎士がいっぱいいるよ」

 

「騎士? 所属は?」

 

「えっと、分厚い盾を持ってて………剣を持ってるのが多いよ」

 

「ラトーニウスか………?」

 

 魔術の発展が遅れているラトーニウス王国では、魔術師が極めて貴重な人材とされているため、人材を失う危険性の高い最前線に魔術師を送り込むことは殆どないと言われている。上層部の出し惜しみなのは明らかだが、武器が発展して魔物に対抗できるようになるのは産業革命以降の話で、この時代では魔術師に援護してもらえない前衛は殆ど魔物の餌食になっているのが現実である。

 

 そんな前衛が少しでも生存率を上げるために必死に発展させたのが、母さんも習っていたラトーニウス式の剣術だ。魔術師が少ないラトーニウス騎士団では、特に接近戦を重視する。

 

「………急ごう」

 

「うんっ!」

 

 もし相手がラトーニウス騎士団ならば、接近戦になるだろう。白兵戦ならば俺の独壇場だが、相手も百戦錬磨の騎士団である。しかも産業革命以降と比べれば貧弱な武器で、魔物を相手にしてきたベテランたちだ。銃を持っているからと高を括れる相手ではない。

 

 ラウラと走りながら息を呑む。屋敷に近付いてくるにつれて銃声が大きくなり、屋敷を取り囲んでいる騎士たちの姿がはっきりと見えてくる。

 

 紺色の制服の上に白銀の防具。俺たちの時代の騎士団と比べると防具はがっちりしていて、剣も古めかしいものばかりだ。防具で魔物の攻撃を防ぐよりも、魔物の攻撃を回避しやすいように防具を極力減らした方が生存率が高くなると立証される前の装備だから仕方のない事だ。

 

 あの紺色の制服は………やはりラトーニウスか!

 

 屋敷がラトーニウス騎士団による攻撃を受けているようだ。それを理解した俺だったが、確かモリガンの屋敷が襲撃されたのは数回しかない筈だ。親父から聞いた話だが、その中でも騎士団による襲撃を受けたのは1回のみ。確か………エリスさんが、母さんを連れ戻そうとしていた時だ。

 

 もし歴史の通りならば――――――――あの中に、エリスさんがいるのか………?

 

「ラウラ、あの中に若い頃のエリスさんがいるかも」

 

「ふにゃっ!? ママが!?」

 

「ああ、だから殺すなよ。殺したらラウラは存在しなかったことになっちまう」

 

「う、うん! 分かった!」

 

 ここは21年前のネイリンゲン。俺たちが生まれる前だ。

 

 もしここでエリスさんが死んでしまったら―――――――ラウラは生まれなかったことになってしまう。そう、エリスさんが死ぬことで親父はエリスさんを妻にすることがなくなってしまうため、ラウラは存在しなかったことになってしまうのだ。

 

 仮説だが、もしそんな歴史を変えてしまうような真似をすれば――――――――元の時代に戻った瞬間、俺たちの時代がその影響を受けて変わってしまっている可能性がある。

 

 例えば、エリスさんが死んだ影響で最初からラウラがいなかったことになっていたり、逆に母さんが死ぬことで俺がいなかったことになっているという可能性もあるのだ。それに、親父が死ねば俺もラウラもいなかったことになってしまう!

 

 つまり下手に介入することは許されない。

 

 じゃあ、傍観するか? 下手に介入できないのであれば、このまま黙って2人で傍観を続け、俺たちの世界が変わらないように若き日の親父たちに戦いをゆだねてみるか?

 

 いや、歴史を変えなければいいのだ。介入の結果をしっかり考えれば歴史は変わらない筈だ!

 

 確かこのネイリンゲン侵攻では、親父やエリスさんの話では母さんと親父が不意を突かれて氷漬けにされ、親父はクガルプール要塞の地下で拷問を受ける羽目になるんだ。それで母さんは、よりラトーニウス王国の内地にあるナバウレアに拘束されることになったと聞いた。俺たちが介入しても、そんな感じの結果になるようにすればいい。

 

「ラウラ、歴史は変えるなよ!」

 

「了解! じゃあ、私は狙撃で支援するね!」

 

「おう。適度に手を抜いてくれよ」

 

 頼むぜ。歴史が変わって俺たちがいなかったことになるのはごめんだぞ。

 

 氷の粒子を全身に纏ったラウラの姿が消失し、草原を駆け抜けていく彼女の足音が段々と小さくなっていく。氷の粒子で周囲の光景を反射させ、まるでマジックミラーのように自分の姿を隠してしまうラウラの能力の1つだ。消費する魔力もごく少量であるため探知は難しく、熱で探知しようにも微細な氷の粒子のせいで反応はない。しかも氷の粒子自体が小さいため過剰に気温を下げることもないから、逆に寒さで探知しようとするのも難しい。

 

 ソナーのように音波で探知しようとしても、ラウラがメロン体から音波を発してそれを打ち消してしまえば探知は不可能だ。

 

 姿の見えない敵から、被弾すればほぼ確実に即死する20mm弾で狙撃されるのである。

 

 裏庭の塀を飛び越え、屋敷の右側から回り込む。頭上にある3階の窓からはLMG(ライトマシンガン)の銃口が突き出ていて、聞き覚えのある雄叫びと共に豪快な銃撃が騎士を薙ぎ払い続けていた。おそらく上の窓で撃ちまくっているLMGの射手はギュンターさんだろう。若き日のギュンターさんは、LMGを2丁持って敵の大軍をひたすら蜂の巣にしていたという。ステラみたいな役目だったらしい。

 

 窓の縁に向かって手を伸ばし、壁を登り始める。幼少の頃から近所のワイン倉庫や工場の壁を訓練で登っていたため、壁を登るのはお手の物だ。手をかけていた窓の縁に足を乗せ、さらに上の窓の縁や掴まれそうなところに手を伸ばすのを繰り返してあっさりと壁を登った俺は、窓から機関銃を突き出して下を睨みつけていたギュンターさんに声をかけた。

 

「ギュンターさん!」

 

「うおっ!? あ、姉御!? タクヤか!?」

 

「あの、これ預かっててください!」

 

「なんだこれ!?」

 

 ポケットに入れておいたり本の箱と、2人分のチョコレートをギュンターさんに預けておく。つまみ食いしないで下さいよ?

 

「ラウラへの誕生日プレゼントなんです! この戦闘が終わったら渡そうかなって!」

 

「お姉ちゃん想いなんだな! 任せろ!!」

 

「つまみ食いしないで下さいよ!」

 

「するか!」

 

 よし、俺も戦いに参加しよう。

 

 ちなみに、ギュンターさんが使っていたLMGはロシア製の『RPD』のようだった。大口径で頑丈な銃が多いロシア製を多用する傾向のあるモリガン―――――――テンプル騎士団も同じだ―――――――らしい武器だな。

 

 第二次世界大戦後に本格的に採用された機関銃で、AK-47と同じ弾薬を使用する。がっちりしたバイポッドと無骨なドラムマガジンを銃身の長いライフルに取り付けたようなフォルムの銃で、やはり極めて堅牢だったらしい。しかし現在では旧式の銃となったため、すっかり退役してしまっている。

 

「ギュンター、左に弾幕を張って! 右は私が仕留めるわ!」

 

「了解!」

 

 カレンさんはドラグノフを持っているようだな。こちらもロシア製のマークスマンライフルだ。娘となるカノンと同じく選抜射手(マークスマン)を担当していたカレンさんも、中距離ならば百発百中の優秀な射手だったという。

 

 さて、俺も戦おう。

 

 AN-94のセレクターレバーを2点バーストに切り替え、窓の縁に足を乗せたまま射撃を開始する。裏庭の方へと回り込もうとしていた騎士の背中を撃ち抜き、いきなり倒れた仲間を見て驚く騎士の顔面を7.62mm弾の速過ぎる2点バーストで粉々にする。

 

 数名の騎士が壁に足をかけた状態で狙撃してくる俺に気付き、慌てて分厚い盾を持ち上げた。産業革命以降では完全に退役し、騎士団の武器庫化博物館でしかご対面できない古い盾だ。稀にあんな感じの盾を持つ冒険者を目にするが、魔物を相手にするならばあんな盾を持つのではなく、相手の攻撃をかわす努力をするべきなのだ。盾が攻撃を全て防いでくれるとは限らないのだから。

 

 とはいえ、金属製の分厚い盾を7.62mm弾で貫通するのは骨が折れるだろうか。そう思いながら銃口を向けようとしたその時、密集隊形で盾を構えていた騎士たちの胴体が、何の前触れもなく千切れ飛んだ。

 

 ぐしゃぐしゃになった上半身が鎧の破片と共に地面に落ちる。噴き上がった鮮血が屋敷の庭を真っ赤に汚す。

 

「うっ………おえっ………!」

 

「ちょっとギュンター! 吐かないでよね!?」

 

 今の攻撃は――――――――ラウラの狙撃か。

 

 さすがに20mm弾は防げるわけがないよな。しかも被弾したのは盾ではなく、防具で覆われているだけの左脇腹。下手をすれば装甲車も破壊できる圧倒的な攻撃力の弾丸に耐えられるわけがない。

 

「白兵戦に移ります。もし良かったら援護お願いしますね」

 

「分かったわ! ……ギュンター、しっかりしなさい! ほら、援護するわよ!!」

 

「お、おう………!」

 

 し、しっかりしてくれよ………。

 

 苦笑いしながらAN-94を腰に下げ、腰の後ろにあるホルスターの中から2丁のCz75SP-01を引き抜く。安全装置(セーフティ)を外した俺は、眼下で慌てふためく騎士たちを見下ろすと、静かに窓の縁から飛んだ。

 

 白兵戦は―――――――俺の独壇場だ。

 

 

 

 

 



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タクヤの騙し討ち

 

 7.62mm弾の群れが、標的を食い破ることなく掠めていく。すぐに照準を合わせてトリガーを引くが、やはり弾丸の群れは標的には命中せず、地面を抉るか庭の花壇に着弾してレンガの破片を舞い上げる。

 

 マガジンが空になったことに気付いた俺は、舌打ちしながらAK-47のマガジンを取り外した。3つ目のマガジンを装着して右側面のコッキングレバーを引き、再び銃を構えてアイアンサイトを睨みつけるが、その照準器の向こうでは先ほどからこちらの射撃を躱し続けている強敵が、反撃の準備をしているところだった。

 

 今、トリガーを引けばあの蒼い髪の少女に当たるだろうか。

 

 エリスの持つハルバードの表面が、まるでドラゴンの外殻を思わせる氷の外殻に覆われているのを見ながら、俺は瞬時にそう思った。いくら魔力で形成したとはいえ、ハルバードを覆っているのはあくまでも氷である。剣戟を弾き飛ばすほどの防御力を発揮することはできても、歩兵が携行する一般的なライフル弾の中でもトップクラスの運動エネルギーと破壊力を誇る7.62mm弾のフルオート射撃を、たかが氷で覆った程度の金属性の武器で防ぎ切れるわけがない。仮に防いだとしても、得物が破損するか、損傷によって強度が著しく低下するのは目に見えている。

 

 彼女に接近されることなく、このまま銃撃を続けていれば隙を見つけて銃弾をぶち込むことは可能だろう。命中すれば風穴が開き、肉が千切れ飛ぶ。運が良くても致命傷である。

 

 しかし―――――――彼女はただの敵ではない。俺の大切な仲間の1人であるエミリアの実の姉だという。

 

 敵とはいえ、肉親だ。もしここで彼女を殺したら――――――――エミリアは悲しむだろうか。

 

 それとも、俺を恨むだろうか―――――――。

 

 余計な事を考えてしまったせいで、結局俺はトリガーを引く事ができなかった。その隙にエリスの詠唱は完了してしまったらしく、ハルバードはもう既に氷のハルバードと化している。

 

 躊躇してしまった自分の甘さに苛立ちながら、またしても躱されるか弾かれるだろうと思いつつ射撃を再開する。仮に弾いたり躱したとしても、隙はできる筈だ。無駄な射撃にはならならいだろう。

 

 轟音とマズルフラッシュの光を発し、凄まじい速度の弾丸を連射してくる銃にエリスは驚いていたが、もう慣れてしまったのか7.62mm弾が放たれるのを目の当たりにしても落ち着いていた。氷で覆われたハルバードを回してから構えた彼女は、エメラルドグリーンの美しい瞳を一瞬だけ細め―――――――まるでロングソードでも振るうかのようなハルバードとは思えない凄まじい速度で得物を振るい、狼の群れのように急迫していた7.62mm弾の群れを薙ぎ払った。

 

「………」

 

 彼女の持つハルバードは2mほどの長さだ。俺の愛用しているアンチマテリアルライフルと同等の長さだというのに、まるで普通の剣を振り回しているかのような速度でそれを振るってくるのである。そんな常軌を逸した速度で長大な得物を振るえるようになるにはやはり使い慣れている必要があるが、ただ単に使い慣れているだけではないだろう。―――――――やはり、かなり鍛えているに違いない。

 

 カキン、と地面に落下した弾丸が生み出した小さな断末魔がいつもと違う事に気付き、俺は違和感を感じながらもその弾丸を凝視する。普通ならば弾かれてひしゃげたか、先端部の砕けた弾丸が地面に転がっている筈なんだが―――――――断末魔と同じく、その弾かれた弾丸の末路も違っていた。

 

「!」

 

 そこに転がっていたのは、小さな氷の粒だったのである。小さな円柱状の氷の粒に見えるが、よく見ると先端部の方はひしゃげていたり、欠けているのだ。

 

 ただの氷の粒にも思えるが、あの形には見覚えがある。

 

「………嘘だろ?」

 

 こいつ、ハルバードで弾いた弾丸を凍らせやがったのか………!?

 

 凄まじい速度で飛来する弾丸にハルバードが接触する時間はごく僅かである。なのに、弾かれた弾丸がすっかり凍り付いたという事は、あの氷のハルバードに触れた瞬間に凍り付いてしまうと考えるべきだろう。

 

 エミリアが言うには、エリスの接近戦の実力はエミリアよりも上らしい。現時点での俺とエミリアの近距離での戦闘力は互角だから、俺とエリスが近距離で戦った場合、勝利するのは彼女の方という事になる。

 

 慢心している様子もない。むしろ冷静沈着だ。………くそったれ、隙がない。

 

「力也!」

 

「エミリア!?」

 

 エリスと睨み合っていた俺の隣に、屋敷の入口から飛び出してきたエミリアが駆け寄ってきた。ドットサイトを取り付けたAKS-74Uとバスタードソードを装備している彼女は、手に持っていたAKS-74Uの銃口をエリスへと向ける。

 

 何を考えてるんだ!? エリスの狙いはお前なんだぞ!? 屋敷の中で援護してろと言った筈なのに、出て来てどうする!?

 

「馬鹿、屋敷に戻ってろ! こいつらの狙いは――――――――」

 

「力也さん!」

 

 今度は―――――――エミリアにそっくりの容姿の少年の声だった。

 

 騎士たちの断末魔の中を駆け抜けながら、エミリアにそっくりな蒼い髪の少年が、チェコ製ハンドガンのCz75SP-01を両手に持って俺たちの傍らへと駆け寄ってくる。

 

「タクヤ!」

 

「加勢します!」

 

「ありがたい!」

 

 3対1だな。タクヤの実力はエミリアと互角。1対1では分が悪すぎるが、この3人でエリスと戦うのならば勝ち目はある。突出した1人の実力者と、その実力者にやや劣る程度の3人の実力者の勝負ならば、有利なのはこちらの方なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷に覆われたハルバードを手にする若き日のエリスさんを睨みつけながら、俺もハンドガンを構えていた。銃剣を取り付けたことで白兵戦でも猛威を振るえるようになったとはいえ、銃剣のサイズはサバイバルナイフ程度。小回りならば勝っているが、リーチや攻撃力で勝っているのはエリスさんのハルバードだ。

 

 騎士を蹂躙しながらエリスさんと若き日の親父の戦いを見ていたが、親父の弾丸をエリスさんは見切って弾いたり、回避していた。おそらく、俺が至近距離で銃弾を連射したとしても同じだろう。勝ち目があるのは距離を離して銃撃するような戦い方だ。弾かれるのを防ぐために、飽和攻撃でも仕掛けるべきだろうか。

 

 それにしても、何だか目の前にいる若き日のエリスさんは、戦闘になった時のラウラに雰囲気がそっくりだ。目つきが鋭くなるだけでなく、冷静沈着になり、口調も一気に大人びる。二重人格なのではないかと思ってしまうほど、戦闘になると俺のお姉ちゃんは変貌するのだ。

 

 でも、このエリスさんは俺の知っているエリスさんとかなり性格が違う。まあ、母さんが言うにはこの頃は仲が悪かったらしいからなぁ………。仲が良くなったのはネイリンゲンへの侵攻を撃退し、エリスさんがモリガンの一員になってからだという。それ以降は何が起きたのか、女性であるにもかかわらずあらゆる美女や美少女に抱き付いたり、男性向けのエロ本を大量に購入して親父の前で堂々と読んでいることもあったという。

 

 俺の知ってるエリスさんはそっちのエリスさんなんだよねぇ………。

 

 現時点でトップクラスのキャラ崩壊なんじゃないだろうか。俺、こんなエリスさん知らないんだけど。別人にしか見えないよ、こんな冷たいエリスさん。

 

 とりあえず、歴史を変えないような戦い方をしなければ。歴史の通りならばここで親父と母さんは敗北し、2人ともエリスさんに連れ去られることになっている。そして仲間たちがクガルプール要塞へと侵攻して親父を救出し、そのまま全員で母さんが拘束されることになるナバウレアの駐屯地まで進撃したのだという。

 

 つまり、ここで敗北するのが正解ということだ。ここでエリスさんを倒してしまったら、歴史がかなり変わってしまう。

 

 手加減してわざと負けるしかないな………。

 

 ごめん、親父。加勢できないわ。

 

「え、エミリアが………2人………!?」

 

 あ、エリスさんがびっくりしてる。

 

 まあ、俺の容姿って母さんに似過ぎてるらしいからな。しかも髪型まで同じだから、服装以外でだったら瞳の色と胸の大きさで判別するしかないって事だ。

 

「馬鹿な………ジョシュアの奴、予備を用意していたというの………!?」

 

 は? 予備?

 

 何のことだ? ジョシュアっていうのは………確か、母さんの許嫁だ。ナバウレア駐屯地の指揮を執る貴族の息子で、親父に決闘を挑んで完敗したという。その後ネイリンゲン侵攻を指揮するんだが、ネイリンゲンの草原でモリガンの傭兵たちと交戦し、寝返ったエリスさんと母さんと親父の3人に敗北して死亡するという。

 

 つまり、この侵攻作戦の黒幕だ。でも、予備って何の事だ?

 

 まあ、どうでもいい。

 

「姉さん、ジョシュアの命令なのか?」

 

「黙りなさい。………私はあなたの姉じゃない。それに、私はもうあなたの事を家族と思っていないわ」

 

「ね、姉さん………」

 

 お、おいおい。マジでエリスさんって若い頃はこんなに冷たかったのか!? 結婚した後のエリスさんは絶対こんなこと言わないし、むしろ楽しそうに笑いながら母さんに飛びついたり、親父を押し倒したりしてたんだぞ!?

 

「姉さん、何故だ!? 私が何をした!?」

 

「何も知らなくていいわ。………とにかく、ジョシュアの命令よ。貴方をナバウレアに連れ戻し、その男は始末する」

 

「俺は?」

 

「あ、あなたは………ど、どうしましょう………?」

 

 何で困るんだよ。

 

 困惑しながら下を向き、考え事を始めるエリスさん。まあ、俺についての命令は受けていない筈だ。なぜならば俺とラウラは、この時代には存在しない。未来からやってきたのだから。

 

 とりあえず、今のうちに攻撃してしまおう。

 

「隙ありぃッ!!」

 

「なっ!?」

 

「おいおい!?」

 

 俺は卑怯者だ! 正々堂々と戦うわけねえだろうが!

 

 銃剣付きのハンドガンを構えたまま跳躍し、空中で銃口を下へと向ける。考え事をしていたエリスさんははっとして顔を上げたけど、俺は彼女へと容赦なくトリガーを引いていた。

 

 装填されているのは実弾。しかも、ステータスが上の転生者にも通用するように炸薬の量を増やし、攻撃力と殺傷力を底上げした強装弾である。ライフル弾と比べれば威力がないハンドガン用の弾薬だが、被弾すれば致命傷になるだろう。

 

 しかし――――――エリスさんならば弾く筈だ。21年後はモリガンのトップクラスの実力者となり、数多の転生者を氷漬けにして葬ることになるのだから。それに、この時点でも『絶対零度』の異名を持つラトーニウス最強の騎士だという。反応が遅れたとはいえ、銃弾をハルバードで弾くことは可能だろう。

 

 案の定、エリスさんは俺の思った通りにハルバードを振るった。

 

 まるでロングソードを片手で振るっているかのような素早い一撃。振り払われたハルバードから剥離した冷気が衝撃波に絡み付き、俺が立て続けに放った9×19mmパラベラム弾を飲み込む。冷気の衝撃波は瞬く間に今度は弾丸に絡み付くと、金属製の弾丸の表面を包み込み―――――――そのまま氷の粒へと変えてしまう。

 

 殺傷力を失い、人間を凍結させられるだけの低温を維持することもできなくなった冷気の残滓が、跳躍している最中の俺へと届く。人体が凍結するのはありえない温度とはいえ、まるでちょっとした冷凍庫が発するような冷気だ。こんなのをまともに喰らう羽目になったら、人間どころか魔物まで瞬時に氷漬けにされてしまう。

 

 なんてこった。若い頃からこんな魔術を使ってたのか………!

 

 海底神殿での戦いで、エリスさんの戦い方は目にしたつもりだった。ハルバードを片手に持ち、もう片方に第二次世界大戦中にアメリカ軍が正式採用していたM1ガーランドを持つ変則的な戦い方をしていたエリスさんと比べれば、若い頃の方がまともな戦い方をする。というより、まだ変則的な戦い方を知らないだけなのかもしれない。見切るのが難しい攻撃にさらされるよりはマシだけど、こんな攻撃を繰り出してくるのならば手を抜いている場合ではない。全力で戦い、全力で負けなければ。

 

「いきなり攻撃してくるなんて、随分と卑怯な手を使うのね!」

 

「何言ってんだ。殺し合いっていうのは正々堂々やるものじゃねえだろうが!」

 

 前世の平和な日本ではありえなかったが、この世界で〝殺し合い”は日常茶飯事だ。盗賊が馬車や列車を襲ったり、ギャンブルで負けて逆上した男が相手に襲い掛かるケースは珍しくはない。相手は人間ではなかったけど、俺たちもそんな世界で育ったんだ。

 

 死ねば、何もできない。何かをするには生き残るしかない。

 

 そう、死にたくない。だからこそ卑怯な手も使う。

 

 騙すのは当たり前。欺くのは日常茶飯事。そんな環境で、俺とラウラは親父たちに鍛えられた。

 

 空中で発砲を繰り返しながら着地し、すぐに地面を蹴って後ろへと下がるエリスさんを追撃する。エリスさんは俺を牽制するためにハルバードを立て続けに突き出してきたが、後方に下がりながらの一撃はあまり脅威にはならない。当たったとしても軽く突き刺さる程度で、エリクサーを使えば簡単に治療できるだろう。

 

 しかし、エリスさんだからこそ脅威になる要素がある。

 

 ハルバードを覆っている、彼女の氷だ。

 

 先ほどエリスさんは、銃弾に向かってハルバードの衝撃波を放ち、その衝撃波が纏っていた冷気だけで凍結させていた。そんな冷気を発する事ができる氷のハルバードに触れてしまったら、俺まであの弾丸たちと同じ運命を辿る羽目になるのは想像に難くない。

 

 迂闊に接近するのは避けるべきだが、そうすればエリスさんが弾丸を回避しやすくなる。負けたように見せかけるためにも、このまま接近戦を続けるのが一番だろう。

 

「馬鹿、迂闊に突っ込むな! その氷は―――――――」

 

「分かってるッ! でも、距離を離していたら―――――――――」

 

 その瞬間、ブローバックしていたCz75SP-01のスライドが―――――――動かなくなった。

 

 薬莢がエジェクション・ポートに詰まってしまったのだろうかと思って目を見開いた俺だったが、ジャムったわけではないというのはすぐに理解できた。

 

 スライドと銃口に、蒼い氷が付着しているのである。その氷は徐々に成長し始めると、瞬く間にスライドを完全に包み込み、今度はそのまま株のグリップへと広がり始める。触れたら俺の手まで氷付いてしまうのではないかと思った瞬間、俺は大慌てで両手のハンドガンを投げ捨て、腰に下げていたAN-94を引き抜いた。

 

 しかし―――――――武器を持ち替える際に、当然ながら隙ができる。エリスさんはその隙に再びハルバードを突き出すと、今度はハルバードの先端部でAN-94のハンドガードの辺りを突いた。

 

 堅牢なロシア製のライフルはその一撃で壊れることはなかったが――――――――やはり、氷の塊がハルバードの命中した場所から生まれ、凄まじい速度でライフルを包み込み始めた。いくらロシアの武器が堅牢とはいえ、完全に氷漬けにされた状態で動くわけがない。

 

 くそったれ、AN-94はお気に入りなんだぞ………!?

 

 今度は背中のOSV-96に手を伸ばしつつ後ろへと下がるが、今度はエリスさんが先ほどの俺のように地面を蹴って前に出てきた。大慌てで折り畳まれていた銃身を展開しようとしたが、彼女のハルバードは展開を終えたばかりのアンチマテリアルライフルの銃身を直撃すると、またしても長大な銃身を氷で覆い始める。

 

 おいおい、マジかよ!? ふざけんな! これもお気に入りなのに………!

 

「ま、待って! もう武器持ってないって!」

 

「何ですって?」

 

 いや、まだナイフはあるんだけどね。懐にもCz2075RAMIがあるし、秘密兵器も残っている。だから武器を持っていないというのは嘘だ。

 

 狼狽しているかのような演技をしながら、俺は命乞いを始める。もちろん演技だよ?

 

「こ、降参する! 殺さないでくれ!」

 

「てめえ………! 見損なったぞ、タクヤッ!」

 

 ああ、親父には………事情を説明した方がいいかもしれない。説明するのはクガルプール要塞の牢獄の中になるかもしれないけど。

 

 激昂する親父を一瞥してから、俺は演技を再開した。

 

「ね、狙いはあの2人なんだろ? お、俺はもう邪魔しないから………た、頼む」

 

「………無様ね」

 

 ゆっくりとハルバードを下げるエリスさん。氷で覆ったままだったけど、どうやら呆れてしまったらしい。ゆっくりと踵を返したエリスさんはため息をつきながら、戦意を失った俺ではなく親父たちを攻撃するためにハルバードを構える。

 

「卑怯なことをするからこうなるのよ、愚か者―――――――」

 

「もらったぁッ!!」

 

 エリスさんが俺に向かってそう言っている最中に左手をベルトのバックルへと伸ばした俺は、バックルの装飾に見せかけていた金具を倒した。狼狽していた演技を止めてそんな事を言った挙句、金具を倒した音で気付いたのか、エリスさんがぎょっとしながら俺の方を振り返る。

 

 ベルトのバックルの正面が俺から見て右側へと展開し、縦に4つに穴の開いた側面の部分が露出する。続けてバックルの側面にあるスイッチを押した瞬間―――――――その穴の開いた側面の部分からマズルフラッシュが噴き出し、4発の小型の銃弾が一斉に飛び出した。

 

 護身用に持っておいた秘密兵器の片方が、この『バックルガン』と呼ばれる仕込み銃である。第二次世界大戦中のドイツ軍で開発されたらしく、ごく少数が指揮官へと配備されていたという。バックルの中に仕込むために銃身はかなり短く、更に命中精度も最悪だ。弾丸もかなり小型のものを使用するため威力も低いが、命中すれば致命傷を負う羽目になるだろう。

 

「ば、バックルガン!?」

 

 あ、親父は知ってたのか。

 

 念のため、こいつは炸薬の量を減らした弱装弾にしてある。だから殺傷力はかなり落ちている筈なんだが―――――――エリスさんには関係ないようだ。

 

 素早く振り返ったエリスさんが、またしてもハルバードを薙ぎ払う。ハンドガンの弾丸よりも小さな4発の小型の弾丸は瞬く間に冷気に包み込まれ、氷の粒と化して地面へと落下してしまう。

 

「あ………」

 

「―――――――氷漬けになりなさい」

 

 そう言ったエリスさんは、騙し討ちに失敗した俺を睨みつけながら、まるで捕鯨船の船員が巨大なクジラに銛を投げつけるかのように、氷のハルバードを放り投げた。

 

 冷気をまき散らしながら飛来したハルバードは思ったよりも速く、慌てて腹の辺りを外殻で降下し終えた直後に俺の腹を直撃した。硬化していなかったら間違いなく腹を貫通されていた事だろう。騙し討ちされて激昂しているのだろうか?

 

「ぐりぺんっ!?」

 

 そして――――――――ハルバードに触れてしまった俺も、弾丸と同じ運命を辿る羽目になった。

 

 

 




※グリペンはスウェーデンの戦闘機です。


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転生者がエリスに連れ去られるとこうなる

 

 氷の破片が冷気をまき散らしながら舞う。エリスのハルバードを躱す度に、ハルバードを覆っている冷気が俺の身体を掠めていく。

 

「ちっ………!」

 

 俺はAK-47の銃身の右側に装着された、両刃の銃剣をちらりと見た。彼女のハルバードを弾いていた俺の銃剣の先端部は、まるで彼女のハルバードのように氷で覆われている。先ほど彼女のハルバードの攻撃を受けたタクヤと同じだ。あのハルバードに触れたら、たちまち氷漬けにされてしまう。

 

 迂闊に彼女のハルバードには触れられないな。

 

「あの氷に気を付けろ!」

 

「分かっている!」

 

 タクヤは氷漬けにされてしまった。せっかく3対1で戦えると思っていたんだが、これではアドバンテージがない。

 

 相手が氷を使ってくるならば、炎で対抗してやる!

 

 装着していたAK-47を腰に下げ、背中に背負っていたロケットランチャー付きのOSV-96を取り出し、素早く銃身を展開した俺は、通常の弾丸が入ったマガジンではなく別のマガジンを装着してから、銃口をエリスに向けた。

 

 OSV-96が使用する弾薬は12.7mm弾。たった今装填したのは通常の弾薬ではなく――――――炎の弾丸とも言える『焼夷弾』である。相手が氷を使ってくるのならば、炎で対抗するまで。エリスの得意とする攻撃を考えれば最も効果があると言える。

 

 俺は彼女に照準を合わせると、エリスが突っ込んで来る前にトリガーを引いた。

 

 マズルフラッシュの中から飛び出たのは、まるでマズルフラッシュの輝きをそのまま纏ったかのような真っ赤な弾丸だった。被弾した敵兵を粉砕し、火達磨にするための焼夷弾が、熱気を放ちながら轟音と共にエリスへと向かって突っ込んでいく。

 

 エリスはすぐにその場から右に向かってジャンプした。ただでさえ12.7mm弾をガードするわけにはいかないのに、それが自分の氷を打ち破れるほどの炎を纏った弾丸に変わったのだから、彼女はこの攻撃を回避するしかない。ガードすればハルバードが粉砕されるかもしれないし、熱量でせっかく展開した氷が融解させられてしまうかもしれないからな。

 

 焼夷弾を回避したエリスを熱風が襲う。炎を纏って冷気の中を突き抜けて行った弾丸が残した熱風の刃がエリスに叩き付けられる。

 

「今だ!」

 

「やぁッ!!」

 

「!!」

 

 エリスが焼夷弾を回避した瞬間、AKS-74Uからバスタードソードに持ち替えていたエミリアが斬り込んだ。

 

 姿勢を低くしながらエリスに急接近し、左斜め下から右上に向かってバスタードソードを振り上げる。エリスは氷で覆われたハルバードでそれをガードしようとするけど、氷で覆われている筈のハルバードの柄の表面には、溶けかけた氷が少しだけ残っているだけだった。

 

「なっ………!?」

 

 驚くエリスを見つめながら、俺はニヤリと笑う。

 

 彼女のハルバードの氷が溶けた原因は、さっき俺がぶっ放した12.7mm焼夷弾の熱だった。

 

 さっきまで散々12.7mm弾を回避していたんだから、この一撃も回避されてしまうだろう。だからこいつで直接彼女を狙うのではなく、隙を作り出すことにしたんだ。

 

 エリスは焼夷弾を避けるために右に向かってジャンプした。つまり、彼女の利き腕である左腕が持っていたハルバードは、彼女の体よりも近い距離で焼夷弾の熱風に襲われたということになる。氷に覆われている場所に剣戟を叩き込むと剣まで凍り付いてしまう恐れがあったため、こうしてあらかじめ氷を溶かしておくことにしたんだ。

 

 こうすれば、エミリアが氷漬けになることはない!

 

「くっ!」

 

 エリスは氷に覆われていない柄でエミリアの剣戟をガードした。彼女はそのままエリスに押し返されないように、バスタードソードを押し込む。

 

「姉さん………!」

 

「姉さんと呼ぶなと………言ってるでしょうッ!」

 

「何故だ!? 昔はあんなに優しかったのに!」

 

「うるさいッ!」

 

 エリスは絶叫しながらエミリアを押し返そうとする。だが、エミリアがバスタードソードを押し込んでいるため、なかなかエミリアは離れてくれない。

 

 この間に俺が狙撃するべきか?

 

 アンチマテリアルライフルだとエミリアまで巻き込んでしまう可能性がある。ならば、アサルトライフルかリボルバーで狙撃した方がいいだろう。

 

 エリスの身体能力はかなり高いが、防御力は他の騎士たちと変わらない筈だ。それに彼女は人間だから、吸血鬼のような再生能力を持っているわけでもない。

 

 俺はアンチマテリアルライフルを右肩に担ぎながら、左手でホルスターの中からプファイファー・ツェリスカを引き抜いた。装着されているスコープを覗き込み、カーソルをエリスの腹に合わせる。

 

 その時だった。スコープのカーソルの上の方で必死にエミリアのバスタードソードを受け止めていたエリスのハルバードの柄が、再び氷に包まれ始めたんだ。

 

 まさか、氷を再構築しているのか!?

 

「拙い! エミリア、下がれッ!!」

 

 あのままでは、エミリアの剣が氷漬けにされる。もしかしたらそのまま彼女まで氷漬けにされてしまうかもしれない。

 

 エミリアも再び凍り付き始めたハルバードの柄に気が付いたらしく、すぐにバスタードソードを押し込むのを止め、エリスから距離を取ろうとする。

 

 だが、彼女がエリスに体重をかけるのを止めた瞬間、エリスは右手をハルバードから離してエミリアの袖を掴み、彼女を再び引き寄せた。そのまま凍結していくハルバードをエミリアに近づけていく。

 

「エミリアぁっ!!」

 

「し、しまった………!」

 

 エミリアの体に押し当てられたハルバードの柄が完全に凍り付き、その氷がエミリアの体を少しずつ凍結させていく。俺は彼女が氷漬けにされてしまう前にプファイファー・ツェリスカで狙撃しようと思ったが、背後から他の騎士たちが剣を振り上げながら接近してきたため、エリスを狙撃する事が出来なかった。

 

「邪魔するんじゃねぇッ!!」

 

「がぁッ!!」

 

 右肩に担いでいたアンチマテリアルライフルの銃身を接近してきた騎士の頭に叩き付け、兜ごと頭蓋骨を木端微塵にしてやる。潰れた頭の上にアンチマテリアルライフルの銃身を置いたまま後ろを振り返り、エリスを狙撃してエミリアを助けようとしたけど、カーソルの向こうに見えたのは既に氷漬けにされてしまったエミリアの姿だった。

 

 持っていたバスタードソードも、一緒に氷漬けにされている。

 

 思わずスコープから目を離し、銃口を下げてしまった。

 

「そ、そんな………! ―――がッ!?」

 

 銃口を下げて呟いた瞬間、いきなり後頭部を何かに殴りつけられた。ぐらりと俺の体が揺れ、目の前にいきなり地面が出現する。

 

 ステータスのおかげで防御力は強化されているが、攻撃された際の衝撃は全く軽減されない。倒れながら後ろを振り向いてみると、大きなハンマーを担いだ騎士が俺の背後に立っているのが見えた。

 

 こいつが邪魔しやがったのか………!

 

 エミリアが氷漬けにされたせいで、俺は動揺していた。その隙に背後から接近されてしまったらしい。

 

 そのまま地面に頭を叩き付ける羽目になってしまう。俺は何とか起き上がろうとしたけど、俺が起き上がってそいつに反撃するよりも先に、エミリアを氷漬けにしたエリスが、冷気と氷の粒子を纏いながらゆっくりと歩いてきた。

 

 起き上がろうとするが、もう一度ハンマーで背中を殴られる。ダメージは全く無いんだが、まるで衝撃が俺を押さえつけるかのように地面に釘付けにしてくる。

 

「………諦めなさい」

 

「くそったれ………!」

 

 彼女の白い手が、俺の身体に触れた。エミリアと同じく白く細い手。しかし、纏っているものは違う。エミリアは誇りと意思を纏っていたが、彼女の姉であるエリスは―――――哀しみのような冷たいものを纏っていた。

 

 明らかに、騎士が纏うものではない。

 

 その哀しみの原因を探るよりも先に、俺の身体を包み込んでいった。

 

 くそったれ、身体が動かない。力を込めてもこの氷を砕くことは出来ないようだ。

 

 必死にもがきながら、俺は氷漬けにされるまでエリスを睨み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリス様、被害が甚大です」

 

「問題ないわ。エミリアは確保したから、残存兵力を集めて撤退するわよ」

 

「はっ! この男と、エミリアにそっくりな奴はどうします?」

 

「連れて行きましょう。ジョシュアが仕返しをしたがっていたし、この飛び道具を解析できるかもしれないわ。こっちのそっくりな奴は………どうしましょう? 一応連れて行った方が良いかしら」

 

「了解しました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さんッ!」

 

 マークスマンライフルのスコープから目を離し、僕は絶叫した。

 

 エミリアさんがあの女の騎士に氷漬けにされた直後、兄さんの背後委から接近していたハンマーを持った騎士が、そのハンマーで兄さんの後頭部を思い切り殴りつけたんだ。いくら転生者でも、あんな大きなハンマーで後頭部を殴打されては意識を失ってしまう。

 

 兄さんは持っていたアンチマテリアルライフルとリボルバーを手放しながら、地面に崩れ落ちた。

 

 なんということだ。あのままではエミリアさんと兄さんが連れて行かれてしまう!

 

「くっ!」

 

 マークスマンライフルのM14EMRのスコープを覗き込む。遠距離狙撃を前提としているスナイパーライフルよりも命中精度では劣るけれど、これくらいの距離ならば中距離用のライフルの命中精度でも問題はない筈だ。僕は兄さんとエミリアさんとタクヤ君を連れて行こうとする女の騎士を狙撃するために、カーソルを彼女の後頭部に合わせる。

 

(シン、一斉射撃が来る!)

 

「なっ!?」

 

 スコープから目を離し、僕は塀の向こうにいる騎士たちの隊列を凝視した。既に生き残った騎士たちが塀の外に集結し、屋敷に向かって弓矢を構えている。

 

「構えッ!」

 

 隊列の中で、ロングソードを掲げた騎士団が絶叫する。

 

「一斉射撃が来るぞ! 隠れろぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 3階の窓から、ギュンターさんが絶叫したのが聞こえた。僕も慌ててM14EMRのバイボットを折り畳みながら部屋の中に隠れ、弓矢の一斉射撃に備える。

 

 ミラもPDWでの射撃を断念し、部屋の中に隠れた。

 

「放てぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 指揮官の野太い絶叫が響き渡った直後、無数の弓矢が一斉に騎士たちの隊列から放たれた。屋敷の壁や窓に何本も矢が突き刺さり、部屋の中にも矢たちが飛び込んで来る。

 

 この射撃は僕たちを仕留めるための射撃じゃない。エミリアさんと兄さんとタクヤ君を連れて逃げるために、僕たちを足止めにしておくための一斉射撃だ。つまり、再び僕たちが窓から銃を向けて射撃しようとしても、騎士たちはもう3人を連れて馬車で去っているということになる。

 

 僕は窓から再びアメリカ軍で採用されているマークスマンライフルを突き出してスコープを覗き込んだけど、やっぱり塀の向こうには走り出した騎士団の馬車が残した砂塵しか見えなかった。あの防具を身に着けた騎士たちの隊列は全く見当たらない。

 

「そんな………!」

 

 スコープから目を離し、僕は呟いた。

 

 兄さんとエミリアさんが、ラトーニウス王国の騎士団に連れて行かれてしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ、これでいいのね………?」

 

 これが、歴史を変えないための戦い方。

 

 あの子がわざとママに負けて連れて行かれたのは、すぐに理解できた。ここでママとの戦いに勝利してしまったら、歴史が大きく変わってしまう。下手をすればママは最終的にパパの仲間にならなくなってしまうかもしれないし、最悪の場合は死んでしまうかもしれない。そうなったら、エリス(ママ)リキヤ(パパ)の娘である私はいなかったことになってしまう。

 

 それを防ぐために、あの子はわざと負け、わざと拘束された。この結果は、あの子の計画通りなんだ。

 

 だから私は、逃げていくラトーニウスの騎士たちを追いかけなかった。でも、できるなら今すぐに追いかけたい。あの薄汚い騎士たちを皆殺しにして、ママやみんなを連れ戻したい。

 

 ママには早くエミリアさんと仲直りして欲しい。それに、タクヤを私から引き離そうとするなんて許せない………!

 

 でも、これも歴史を変えないため。ここで私が耐え切れずにタクヤを奪還するために追撃してしまったら歴史が変わってしまう。タクヤの思惑通りにならなくなったら、あの子は怒るかな?

 

「タクヤ………」

 

「うぐ………た、たすけ―――――――ガァッ!?」

 

 まだ生きていた騎士に左手のグローザを向け、私はトリガーを引いた。

 

 お前らなんか、死んでしまえ。私の大切なタクヤを連れ去ろうとする奴らや酷い事をする奴らは、みんな死んでしまえばいい。………いや、私が殺す。タクヤの姉として、弟は私が絶対に守る。あの子を殺そうとする奴らがいるならば、私が全員根絶やしにする。大国がタクヤを殺そうとしているのならば、その国を滅ぼすまで。

 

 うん、そうだよ。タクヤのためだもん。

 

 だから、死ね。

 

 胸を撃ち抜かれて崩れ落ちた死体の頭に、もう1発7.62mm弾を撃ち込む。大口径で破壊力のある弾丸を喰らった死体の頭が弾け飛び、頭蓋骨の破片や肉片が飛び散る。私も汚い返り血を浴びてしまったけど、拭い去らずにそのまま逃げていく騎士たちの荷馬車を見つめていた。

 

「………殺してやる」

 

 このネイリンゲン侵攻の黒幕は――――――――エミリアさんの許嫁である、ジョシュアという男らしい。その男はパパたちに返り討ちにされて死ぬらしいんだけど、私が殺しても大丈夫かな?

 

 どうせパパたちが殺すんだし、私が殺しても大して歴史は変わらない筈。

 

 なら、私が殺す。ママやパパたちを苦しめたクソ野郎を、私が狩る。

 

「きゃははははははははっ………楽しみだよ、タクヤ」

 

 早く―――――――狩りたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  荷馬車の荷台の上で、私はネイリンゲンで私と戦った少年が持っていた1.7mくらいの槍のような武器を見つめていた。先端部にはT字型の部品がついていて、傍から見れば槍のように見えるんだけど、この武器は槍ではなく飛び道具だ。

 

 ハルバードでもガードできないような何かを放ってくる飛び道具だったわ。おそらく、騎士団の大型の盾でも防御することは出来ないでしょうね。

 

 しかも、高熱を発する何かを射出することも出来るようだったわ。

 

 槍のような武器の上には、望遠鏡のような部品が取り付けられていた。私は少しだけこの槍のような武器を持ち上げると、その望遠鏡のような部品のレンズを覗き込んだ。

 

 遠距離の敵を確認するために、騎士団も望遠鏡を使っているけど、この武器に搭載されている望遠鏡のような部品は騎士団の望遠鏡よりも遠くを見る音が出来るようになっていたわ。この望遠鏡を覗きながらあの飛び道具で攻撃すれば、かなりの超遠距離から敵を狙撃する事が出来るわよ。

 

 防御が出来ない上に、超遠距離から狙撃が出来る武器だとでもいうの!?

 

 これがモリガンの武器………!

 

「恐ろしい武器ね………。いったい誰が作ったのかしら?」

 

「奴らの仲間も、このような武器を持っていました」

 

 一緒に荷馬車に乗っていた騎士がそう言った。

 

「誰が作ったんでしょう? 優秀な鍛冶屋でもあの街にいたんですかね?」

 

「いや、ハイエルフやダークエルフの技術ではないのか?」

 

 荷馬車の上で仲間の騎士たちが仮説を次々に建て始めるけど、明らかにどの仮説も外れているわね。

 

 もしこの武器を作ったのがハイエルフやダークエルフならば、使う時に魔力を流し込まなければならない筈よ。でも、ネイリンゲンでこの少年と戦った時、全く魔力は感じなかったわ。

 

 魔力を全く使わない武器ということね。

 

 もしこの武器を騎士団の魔術師たちが解析する事が出来れば、ラトーニウス王国騎士団は世界最強の騎士団になる。ヴリシア帝国やオルトバルカ王国の騎士団を蹂躙する事が出来るようになるわ。

 

「エリス様、クガルプール要塞です」

 

 荷馬車を引く馬の向こうに、巨大な防壁が見えてくる。オルトバルカ王国とラトーニウス王国の国境近くにある、クガルプール要塞だった。

 

 高い防壁で囲まれている要塞で、ラトーニウス王国側の方には街もある。かつてこの少年がエミリアを連れ去る時にたった2人で突破し、ジョシュアの左腕を吹き飛ばしていった場所でもあるわ。

 

 防壁の門がゆっくり開き、エミリアを連れ去ってきた私たちを迎え入れてくれる。要塞の防壁の内側では、守備隊の騎士たちが整列して私たちを出迎えてくれた。

 

「よくやった、エリス」

 

「ジョシュア………」

 

 荷台の上から氷漬けになったエミリアを部下に下ろしてもらっていると、整列している騎士たちの向こうから派手な防具に身を包んだ金髪の少年がやって来るのが見えたわ。

 

 派手な装備を身に着けて、自分の一族がどれだけの力を持っているのか見せびらかそうとするのは貴族の悪い癖なのかしら? ジョシュアも、その悪い癖に取りつかれた貴族の1人と言っても過言ではないかもしれないわね。

 

 彼は氷漬けになったエミリアに近づいていくと、右手で彼女の頬を撫で始めた。

 

「久しぶりだね、エミリア。会いたかったよ」

 

「………凍傷になるわよ。さっさと手を離しなさい」

 

 彼がエミリアの頬を撫でているのを見たくなかっただけよ。彼が凍傷にならないように心配したわけではないわ。

 

 それに、このモリガンの傭兵に惨敗した挙句、貴重な戦力でもあるフランシスカを失い、クガルプール要塞から飛竜を強奪されるという醜態を晒して私に頼る羽目になったというのに、図々しい奴ね。

 

「彼も連れて来たわ」

 

「………へえ」

 

 荷台の上から、氷漬けになった少年を地面に下ろす。自分の左腕を吹っ飛ばした恨めしい相手を対面したジョシュアは、気を凍っている彼の頭を踏みつけながら彼を見下ろした。

 

「彼の武器も一緒よ。魔術師ならば解析できるかも」

 

「良くやった、エリス。さすがは我が王国の切り札だな」

 

「それで、彼はどうするの?」

 

「武器とギルドの事について吐かせてから処刑する。………指令、彼を痛めつけてやってくれ」

 

「はい、ジョシュア様」

 

 ニヤリと笑いながらジョシュアに返事をしたのは、このクガルプール要塞の司令官だった。初老の司令官は部下に命令すると、少年を要塞の地下にある牢獄へと連れて行かせる。

 

「エミリアは?」

 

「ナバウレアに連れて行こう。―――その前に、僕も彼を痛めつけてから行く。エリス、君も来い」

 

 地下にある牢獄であの少年を拷問してからナバウレアに行くつもりなのね。

 

「ねえ、この子はどうするの?」

 

「え?」

 

 そう言いながら、私は忌々しいエミリアにそっくりな容姿の子を荷馬車の荷台から下ろした。不意打ちに失敗して返り討ちにされ、氷漬けにされている無様な蒼い髪の子を見下ろしたジョシュアに、私は問い掛ける。

 

 計画通りならば、エミリアは1人だけの筈。予備のエミリアが用意されていたという計画は全く聞いていない。

 

「………何これ?」

 

「予備じゃないの?」

 

「知らないぞ。何だこいつ?」

 

「一緒にいたのよ。何とか氷漬けにしたけど、なかなか腕の立つ子だったわ」

 

 どうやら、ジョシュアも知らなかったみたいね。という事はただのそっくりな子という事なのかしら? それとも、父上たちが勝手に用意したの?

 

 まあ、エミリアは確保したんだし、後はナバウレアで儀式をすればこの計画は成功する。そうしたら私はジョシュアの元を去って自由に生きる事にしましょう。それでやっと、忌々しいエミリアから解放されるのだから。

 

 ―――――――でも、本当に自由になれるのかしら?

 

 計画が終わった後の事を考えると、エミリアが必死に私の名を呼ぶ姿が目に浮かぶ。小さい頃は一緒に絵本を読んだり、おままごとをして遊んだ大切な家族だったのに………。

 

 いえ、もうあの子は家族じゃない。

 

 そう、家族じゃない。エミリアと言う名前を付けられた、ただの忌々しい存在。私を束縛する妹の姿をした鎖に過ぎない。鎖に繋がれているのならば、解放されて自由になりたいと思うのは当たり前よ。

 

 私は荷馬車の荷台に再び乗せられた氷漬けのエミリアを見つめてから、ジョシュアの後について行った。

 

 

 

 

 



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転生者が要塞から脱走するとこうなる

 

 目を覚ました瞬間に流れ込んでいたのは、血と膿と黴臭い空気が混ざり合った臭いだった。まるで埃まみれの地下室で、化膿した傷口の臭いを嗅がされたような悪臭のする部屋の中で、どうやら俺は壁に両腕と両足を縛りつけられているようだった。

 

 制服の上着は脱がされていて、身に着けていた筈の武器と端末は見当たらない。おそらく奪われてしまったんだろう。

 

 部屋の壁にはランタンがいくつか掛けられていて、埃だらけの部屋の中を照らし出している。俺のすぐ目の前には、火のついた石炭が入っている火鉢が置かれていた。その火鉢の中には、真っ黒な金属の棒が突っ込んだままになっている。あれは焼き印だろうか?

 

 部屋の壁には拷問に使うような道具や武器がいくつもずらりと並んでいるのが見えた。手入れはされているようだが、一見すると磨き抜かれているようにも見える拷問用の武器には錆びついた痕にも似た血痕が残っていることが分かる。つまりあそこに並んでいる武器の数々は、既に〝使用済み”ということだ。

 

 そして今からその武器の数々が、俺に向かって牙を剥こうとしている。

 

「―――――――久しぶりだな、余所者」

 

「ジョシュア………」

 

 壁に並んでいる道具を見渡していると、目の前から派手な防具に身を包んだ金髪の少年がやって来るのが見えた。彼の後ろには、ラトーニウス王国騎士団の防具に身を包んだエミリアにそっくりの少女もいるようだ。更に、彼女の後ろには氷漬けにされた状態の蒼い髪の少年も置かれている。どうやらタクヤも、俺と一緒に捕らえられてしまったらしい。

 

 バックルガンと彼の迫真の演技には度肝を抜かれたが、はっきり言ってあの不意打ちは愚策だったんじゃないだろうか。

 

「左腕の調子はどうだ?」

 

 ニヤリと笑いながら、俺はジョシュアに言った。

 

 目の前にいる金髪の男は、かつてエミリアの許嫁だった男だ。騎士団の駐屯地であるナバウレアの指揮を執っている男で、俺とエミリアを追撃する際も指揮を執っていた。俺たちはクガルプール要塞を通過する際、飛竜を強奪して一気に国境まで向かうという計画を立てたんだが、その際にも俺はこの男ともう一度戦っている。

 

 その際に、ジョシュアは俺のアンチマテリアルライフルの射撃で左腕を失っているのだ。だから今のこの男の左腕は、人間の腕ではなく義手なのである。

 

 ジョシュアは俺を睨みつけながら、壁に掛けられている武器の中からレイピアを取り出すと、レイピアを鞘の中から引き抜いて俺の方に近づいて来る。

 

「お前のせいで、義手を付ける羽目になったよ。――――お前のせいだッ!」

 

「ぐあッ!!」

 

 鞘から引き抜いたレイピアを、叫びながら俺の左腕に突き立てるジョシュア。細い刀身が俺の左腕に突き刺さり、少しずつ切っ先が皮膚にめり込んでいく。

 

 やがてレイピアの切っ先が俺の皮膚を食い破り、筋肉を引き裂きながら反対側から突き抜けて行った。背後の壁からレイピアの刀身がぶつかる音が聞こえる。

 

「よくも僕の腕を吹っ飛ばしてくれたな。お前のせいで腕を治療してもらった後、義手が完成するまでずっと鎮痛剤を投与し続けてたんだぞ! 許婚を連れ去られた上に左腕を失ったんだ!」

 

「くっ………。ははは………良かったじゃねえか。最高だろ?」

 

「黙れよ………!」

 

 ジョシュアは俺の顔を殴りつけてから、左腕に突き刺さっているレイピアを思い切り引き抜いた。レイピアが再び俺の筋肉を引き裂きながら引き抜かれていく。ジョシュアは血まみれになったそのレイピアを埃まみれの床の上に投げ捨てると、火鉢の中に突っ込んだままにされていた金属の棒を真っ赤になっている石炭の中から引っ張り出した。

 

 先端部が真っ赤に変色しているその鉄の棒を、ゆっくりと俺の方に近づけてくる。

 

 そして。真っ赤になった先端部をレイピアで貫かれた傷口に押し当てた!

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「ハッハッハッハッハッ! 熱いだろ!? でも、僕は腕を吹っ飛ばされたんだ。もっと辛かったんだよぉ! ほら、もっと押し込んでやるよ!」

 

「ああああああああッ!! こ、このクソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 真っ赤になった金属の棒の先端部を俺の傷口に押し込みながら笑うジョシュア。左腕を焼かれながら、俺はジョシュアの顔を睨みつけて絶叫していた。

 

 絶対に殺してやる! エミリアを助け出したら、こいつの眼球に焼き印を突っ込んでやるからな!!

 

 ジョシュアは俺の左腕の傷口からゆっくりと真っ赤になった金属の棒を引き抜いた。真っ黒になった皮膚があらわになる。

 

 フィオナのエリクサーがあれば治療する事が出来るんだが、そのエリクサーも敵に奪い取られてしまっている。つまり、この傷を塞ぐ方法はない。

 

「では、後は頼んだぞ。思い切り痛めつけてやれ」

 

「はい、ジョシュア様」

 

 ジョシュアはその金属の棒を再び火鉢の中に戻すと、腕を組みながら下を向いて俺が左腕を焼かれているのを見ないようにしていたエリスを連れ、部屋の奥にあるドアの向こうへと向かった。

 

 エリスは、俺が左腕を焼かれていたところを見ていなかったようだった。まるで見たくなかったかのようだ。

 

 2人がいなくなった後、残った1人の騎士が腕を焼かれたばかりの俺を見ながらニヤリと笑った。どうやらこいつが、今から俺に拷問をする騎士らしい。

 

「おい、ガキ。お前の持っていた武器とギルドの事について吐いてもらうぞ」

 

「言うわけないだろ、馬鹿………!」

 

「そうか」

 

 騎士は楽しそうに笑いながら、壁に立て掛けられていた金属製の棍棒を拾い上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾薬がどっさりと入った箱をいくつも詰め込み終えた僕は、屋敷の裏庭に鎮座している戦車の車長の席に腰を下ろし、端末で戦車の装備を整えながら仲間たちが出撃の準備を終えるのを待っていた。

 

 今まで全くカスタマイズがされていなかったこのレオパルト2A6には、様々な装備が追加されていた。まず、砲塔の上にイスラエル製の戦車が搭載しているアクティブ防御システムのトロフィーが追加された。本来ならば迎撃に散弾を使うんだけど、この世界の騎士たちは投石器なども使用することがある上に遠距離から魔術で攻撃してくるため、散弾ではなく大口径の20mm速射砲を搭載したターレットを装備している。この20mm速射砲は迎撃用の通常弾だけではなく、対人用のエアバースト・グレネード弾も射出できるようになっていて、切り替えは車長が座席の脇にあるコンソールで行うようになっている。

 

 他にも、接近してきた敵兵を迎え撃つために、砲塔の両脇にSマインの発射管が追加されている。Sマインというのは第二次世界大戦の頃にドイツ軍が開発した地雷だ。このレオパルト2A6に追加したのは、そのSマインを改良したものだ。グレネードランチャーのように発射管から射出して炸裂させ、接近してきた敵兵を頭上から無数の鉄球をばら撒くようになっている。つまり、このレオパルト2A6に接近した敵兵は、頭上から無数の鉄球に襲われることになる。彼らが身に着けている防具すら貫通するため、防具で防御するのは不可能だ。

 

 今回の相手は魔物ではなく人間の騎士たちであるため、対人用の装備をいくつも追加していた。

 

「やっとこいつが実戦で戦うんだな」

 

「はい、ギュンターさん」

 

 最後の弾薬の箱を車内に運び終えたギュンターさんが、額の汗を拭いながらそう言った。彼には装填手を担当してもらうことになっている。

 

 彼の隣には砲手の座席があって、そこには既にカレンさんが腰を下ろしていた。照準器の点検を終えたカレンさんは、ホルスターの中に納めていたイタリア製ハンドガンのベレッタM93Rをチェックし、すぐにホルスターに戻す。

 

 2人の前の方の座席に座って操縦用のレバーを握っているのは、操縦士を担当するミラだ。今まで何回かこの戦車に皆で乗ったことがあったけど、いつも彼女はこの戦車を操縦したがっていた。皆で温泉に行った時は楽しそうに操縦士の座席に腰を下ろしていたんだけど、今の彼女は全く笑っていない。

 

 そして、連れ去られたタクヤ君の姉であるラウラちゃんは、1人でアンチマテリアルライフルを背負ったまま戦車の砲塔の上で佇んでいた。屋敷が襲撃される前まではタクヤ君にずっと甘えていた彼女も、今は全く笑っておらず、鮮血のように紅い瞳は虚ろになっている。

 

 今から僕たちは、兄さんとエミリアさんとタクヤ君を助けるために、オルトバルカ王国の国境を超えてラトーニウス王国にたった1両の主力戦車(MBT)で殴り込みをしに行くんだ。

 

「照準器、オールグリーン。射撃管制装置も異常ないわ」

 

「各種砲弾も準備よしだ。ミラ、そっちは?」

 

(エンジンに異常なし。キャタピラにも問題ないよ。いつでも行ける)

 

「アクティブ防御システム、正常。対人装備も問題なし。――――フィオナちゃん、タンクデサントはお願いね」

 

『はい、任せて下さい!』

 

 砲塔の上でAKS-74Uを背負う小柄なフィオナちゃんは、微笑みながらキューポラから身を乗り出す僕に向かって敬礼する。いくら対人用の武器を装備しているとはいえ、それだけで騎士たちの相手をするのは難しいため、彼らを迎撃するためにラウラちゃんとフィオナちゃんの2人にはタンクデサントをお願いしている。

 

 おそらく、あの騎士たちは一旦クガルプール要塞に立ち寄っている筈だ。クガルプール要塞はオルトバルカ王国との国境付近にある大きな要塞で、万が一オルトバルカ王国との戦争になった場合を想定しているらしく、守備隊の規模はかなり大きいという。

 

 きっと兄さんたちは、そこで拷問を受けているに違いない。早く3人を救出しなければならない。

 

「分かった。………では、今から僕たちは、ラトーニウス王国に向かって進軍を開始します。目的地はクガルプール要塞。そこで兄さんとエミリアさんを救出し、要塞を守っている守備隊を殲滅します」

 

 これはクライアントから受けた依頼ではない。仲間を助け出すための、モリガンというギルドとしての戦いだ。

 

「捕虜を取る必要はありません。投降してきても関係なく殲滅します」

 

「はははっ。信也も容赦なくなったな! 旦那みたいだ」

 

 装填手の席でギュンターさんが笑う。

 

 確かに、兄さんも敵には全く容赦はしない。でも、あの騎士団は僕たちの大切な仲間を連れ去り、痛めつけているんだ。だから報復しなければならない。

 

「………シンヤさん」

 

「ラウラちゃん、どうしたの?」

 

「…………バイクを貸してもらえますか?」

 

「えっ? バイク?」

 

 ちょっと待って。何をするつもりなの?

 

 今から僕たちはクガルプール要塞に進軍するんだよ? 戦車で移動するんだから、彼女だけバイクで移動するメリットはない。ラウラちゃんは何をするつもりなんだろうか?

 

「私が1人でクガルプール要塞を壊滅させます」

 

「!?」

 

「おいおい、お嬢ちゃん! 正気か!?」

 

 正気の沙汰とは思えない提案だ。いくら現代兵器があるとはいえ、たった1人で大規模な守備隊がいる要塞を攻め落とせるわけがない。それに、彼女1人に要塞を攻撃させるよりも、全員で突撃した方が効率がいいのは火を見るよりも明らかだ。

 

「敵はすぐに内地へと向かう筈よ。距離が近い要塞に留まるとは思えない。だから私が攻撃して、シンヤさんたちが先回りすれば確実に遭遇できる」

 

「確かに……………」

 

「でも、お嬢ちゃんは1人なんだろ? 無茶だ」

 

「大丈夫ですよ、ギュンターさん」

 

 装填手用のハッチから身を乗り出したギュンターさんはラウラちゃんを止めようとするけど、彼女は首を横に振ってから虚ろな瞳のまま微笑んだ。

 

 も、もしかして、この子…………ヤンデレなのかな………? 

 

「――――――敵を皆殺しにするのは、日常茶飯事ですから♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転生者には、弱点がある。

 

 3つのステータスで身体能力を強化され、ポイントと引き換えに生産する武器や能力で圧倒的な戦闘力を誇る転生者だが、彼らの戦闘力は転生した際に与えられる端末がない限り機能しないのだ。つまり、彼らは自分の端末を身に着けていない限り、ステータスは著しく低下するか0になり、能力やスキルは使えなくなってしまうのである。

 

 端末を身に着けていない転生者は、はっきり言うとただの人間と変わらない。

 

 転生者について親父に教えられた際、その情報も教えてもらった。親父は「自分の体験談だ」と言っていたが、その体験談はこの時の話だったのだろうか。

 

 エリスさんの氷に全身を包まれたまま、俺は親父が焼き印で焼かれ、絶叫する姿を見ていた。炎属性の魔力が体内にたっぷりと備蓄されているおかげで、氷漬けにはされてしまったけれどいつでも自力で解凍できる状態だ。ただ単に氷で囲まれている状態と変わらない。

 

 今すぐに解凍し、親父を助けてやりたいところだが………まだあのジョシュアの野郎はクガルプール要塞を離れていないだろう。ここで騒ぎを起こせばエリスさんも戻ってくるだろうし、当然ながらこの要塞でエリスさんたちとの戦いになってしまう。つまり、歴史が変わる。

 

 親父には申し訳ないが、もう少し耐えてもらうしかない。

 

 くそったれ。目の前で父親が拷問されてるんだぞ………!?

 

「あの武器は何だ!? 答えやがれ、このガキ!!」

 

「はぁっ、はぁっ………ぶち殺してやる、くそったれ」

 

「何だと………!?」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 くそ、ジョシュアの野郎とエリスさんはそろそろ要塞を離れたか!? 俺はいつまで親父が拷問されるのを見ていればいい!?

 

「おら、さっさと言え! あの武器はどこで手に入れた!?」

 

「………」

 

 親父は答えない。棍棒で何度も殴られているが、絶叫するか呻き声をあげるだけだ。そのおかげで親父を拷問している男は問い掛ける度に機嫌が悪くなっている。

 

 男は親父の顔を思い切りぶん殴ると、棍棒を床に投げ捨てて再び火鉢の中から金属の棒を引き抜いた。先ほど左腕の傷口を焼いた真っ赤な金属の棒が、ゆっくりと胸に近づけられる。

 

 だが、親父は全く答えようとしなかった。仲間たちの情報を売ろうとする様子は全くない。むしろ、拷問をしている男を馬鹿にしているかのように見上げながらニヤリと笑い、挑発を続けている。

 

「いい加減答えろ! あの武器はどこで手に入れた!? 誰が作った!?」

 

「やかましいんだよ………。黙れ」

 

「貴様!!」

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 くそったれ、もう解凍してあの男をぶち殺してやりたい!

 

 転生してから、あの親父は俺たちの事を大切に育ててくれたんだ。確かに美女を2人も妻にしたのは気に喰わなかったけれど、前世のクソ野郎と比べるとずっと優しかったし、家族思いのいい父親だった。それに、俺が転生者という事を知った後も待遇は変わらなかった。俺をしっかり育ててくれたし、家族と呼んでくれたんだ。

 

 男はそっと胸から金属の棒を離し、火鉢の中へと戻す。何回あの真っ赤になった棒を押し付けて拷問しても答えないことにかなりイライラしているらしく、男はどれだけ親父を痛めつけても吐かせることのできなかった役立たずの道具を蹴りつけて唸り声を上げた。

 

 親父の胸元は、立て続けに焼き印を押し付けられたせいで黒ずんでいた。しかも、肩や額は棍棒で何度も殴られていたため、痣がいくつもできている。額から流れ落ちる鮮血が火傷した胸元に滴り落ち、そのまま床へと落ちていく。

 

「吐けば、エミリアにもう一度会えるぞ?」

 

「馬鹿野郎が………」

 

 今の親父が一番会いたがっている人物は、間違いなく母さんだろう。仲間を売れば、母さんに会える。男は親父から銃の事を聞き出すために親父を誘惑するが、仮に吐いたとしても2人が再開するのは考えられない。

 

 しかし―――――――親父は、その誘惑を拒んだ。

 

「………〝会せてやる”じゃねえだろ。てめえをぶっ殺して………ジョシュアをぶっ殺してから、俺たちが連れ戻しに行くんだ………」

 

「あ?」

 

「………ガキから何も聞き出せない無能のくせに調子に乗るな、くそったれ」

 

「………………チッ」

 

 そろそろ、この氷を解凍するべきだろうか。

 

 もう大丈夫だろう。ジョシュアとエリスさんが地下室を去ってから何分も経っている。

 

 体内の魔力を活性化させ、圧縮してから体外へと放出し始める。俺の身体の表面に蒼い光が生成され始め、やがて蒼い火の粉となって他の火の粉と繋がっていく。

 

 互いに取り込み合いながら成長していった蒼い炎たちは、やがて俺の身体と氷の間でちょっとした炎の膜を形成すると、徐々にエリスさんの氷を溶かし始めた。氷の表面がどんどん薄くなっていき、徐々に水がフライパンの上で蒸発するような音が響き始める。

 

 拷問を担当していた男は親父への拷問に夢中だ。背後に鎮座している氷漬けにされた俺が、自力で逃げ出そうとしていることには気付いていない。

 

 まず、右手を中心に解凍していく。あっという間に氷が溶けて右腕を動かせるようになった俺は、そのまま他の場所も同じように素早く解凍していく。

 

 手足が氷から解放され、胴体を覆っていた氷も溶けていく。顔にはまだ少し氷が残っているが、あの男を始末する障害にはならないだろう。

 

 氷から解放され、静かに男の背後へと向かって進み始めていると、焼き印を押し付けられて苦しんでいる親父と目が合った。いつの間にか俺が動き出していることに驚いたようだけど、今は苦痛に耐えるために必死になっている。びっくりしている場合ではないらしい。

 

 静かに男の背後へと接近した俺は―――――――左手を伸ばして男の首に引っ掛け、そのまま左足を突き出して男の太い両足に引っ掛けながら身体を捻り、男を床へと叩き付けた。いきなり背後から掴まれた上に投げ飛ばされた男は呻き声を上げながら目を白黒させている。

 

「!?」

 

「なっ―――――――」

 

 左手を伸ばして男の首を押さえつけた俺は、そいつが騒ぎ出す前に右手を振り上げると、黒い革の手袋に覆われている右手の人差指だけをキメラの外殻で硬化させ―――――――その指を、男の右目へと向けて突き入れた。

 

「ひぎっ――――――――」

 

 ぐちゅっ、と眼球が刃物と遜色ない鋭さの指に貫かれる。今まで何度か硬化した腕で敵を貫いたことはあったけど、眼球を貫く感触は肉を貫くよりも生々しいし、よりグロテスクだ。苦痛を与えるためとはいえ、別の場所を狙うべきだっただろうか。

 

 気色悪い感触を感じながら後悔している俺の下では、右目を貫かれた男が左目を見開きながら片目を抑え、必死に喚いていた。

 

「ぎゃあああああああっ! お、俺の目がっ………ああっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 もう片方も貫いてやろうかと思ったけど、このまま喚かせ続ければ警備している騎士たちが気付いてしまう可能性がある。もう少し苦しめてやりたいところだが、もう始末しておこう。

 

 喚いている男の髪を掴み、強引に引きずっていく。呼吸を整えながらこっちを見守る親父に向かって頷いてから目の前に置かれている火鉢を見下ろした俺は、邪魔な焼き印を引き抜いて床に投げ捨ててから、引きずってきた男を無理矢理立たせた。

 

 ほら、親父に火傷させたお返しだ。プレゼントしてやるよ。

 

「や、やめてくれぇ………!」

 

「死ね」

 

 容赦をしない事は、親父から学んだ。だからそれを実践するのは朝飯前である。

 

 相手の命乞いを聞き流した俺は、片手で掴んでいた男の顔を燃え盛る火鉢の中へと突っ込んだ。彼の呻き声が絶叫に変わるよりも先に肉の焼ける音がこだまし、焦げた肉の臭いが漂い始める。どちらも戦場で体験したことのある感覚だ。焼き尽くされた魔物や人間の死体が発する臭いと音。そう、いつもと変わらない。

 

 じたばたしていた男の手足が動かなくなり、火鉢の中に放り込まれた男の顔が真っ黒になっていく。もう絶命していることを確認した俺は、静かに彼から手を離すと、腰に下げていた大型ワスプナイフを引き抜き、囚われている親父の元へと向かった。

 

「お前………何をした………? 自力で………」

 

「すまないね、こうする必要があったんだ」

 

 一時的に巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させ、親父の手足を拘束している鎖を切断する。高周波によって手にした刃物に振動を発生させられるこの能力は、ナイフなどの刃物を使用した際にかなり大きな効果を発揮する。爆発的に向上した切れ味で攻撃する事ができるというわけだ。逆に、刃物を使わない戦い方の場合は何の意味もない能力である。

 

 あっさりと鎖をナイフで切断し、ナイフをしまってから親父に手を差し出す。咳き込みながら立ち上がった親父に手持ちのエリクサーを渡し、俺は言った。

 

「さあ、逃げようぜ」

 

「おう。………エミリアを助けないと」

 

「そうだな。………端末は?」

 

「くそ、奪われた」

 

「じゃあ、まずは端末だな。ついでに騎士を尋問してエミリアさんの居場所を聞き出すとしよう」

 

「ああ。………すまん、武器をくれないか?」

 

 あ、そうだな。今の親父は端末を持っていないから、自分で武器を装備できない状態だ。俺が貸し与え開ければ。

 

 素早くメニュー画面を開き、それなりに増えてきたポイントで生産できそうな強力な銃を探す。要塞の中とはいえ、室内戦だけを想定するのは危険だ。外に出ればちょっとした市街地戦に早変わりするのだから。

 

 したがって、このような状況に最適なのは比較的銃身が短く、なおかつ十分なストッピングパワーと命中精度を持つアサルトライフル型の銃であること。汎用性は二の次でいい。

 

「これでいいか?」

 

「これは………」

 

 生産した銃を受け取った親父は、それを眺めながら目を見開いた。

 

 俺が親父に渡したのは、日本製アサルトライフルの『89式自動小銃』だ。日本の自衛隊で採用されている銃で、アメリカ軍のM16やM4などと同じ5.56mm弾を使用する。弾薬だけでなく、マガジンまでM16やM4などと同じ物を使っているため、そのまま装着することが可能なのだ。

 

 他国の銃と比べるとすらりとした銃で、アサルトライフルの中でも銃身が短く、更に命中精度が極めて高いという特徴がある。更に反動も小さいため非常に扱いやすいが、汎用性が低いためカスタマイズがし辛く、他の銃と比べると生産に必要なポイントが高いという点だろうか。実際に89式自動小銃もコストが高いという。

 

「89式自動小銃か。いいな」

 

「適任だろ?」

 

「ああ」

 

 カスタマイズは特に何もしていない。とりあえず、ライフルグレネード用の砲弾と予備のマガジンを親父に渡した俺は、愛用のAN-94を装備すると、踵を返して階段へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 転生前の信也

 

ギュンター「なんだか、あのお嬢ちゃん怖いよな………。よく目が虚ろになるし、そのまま笑ってると滅茶苦茶怖い………」

 

信也「ラウラちゃんはヤンデレみたいですね」

 

ギュンター「や、ヤンデレ?」

 

信也「ええ。転生前に見ていたアニメやラノベにもしばしば登場していました。間違いなく彼女はヤンデレです。しかもターゲットはタクヤ君みたいですね」

 

力也「ん? アニメ見てたのか?」

 

信也「毎日見てたよ。アニメやってない時間はずっとラノベ読んでた。勉強もちゃんとやってたけどね」

 

カレン「そ、そうなの?」

 

信也「はい。ちなみに一番好きなのはクーデレですね。ヤンデレは萌えるけどちょっと怖くて………」

 

力也(こいつ、俺が就職してからアニオタになってたのかよ!?)

 

 完

 

 

 

 



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ラウラの襲撃

 

 ボロボロになったドアを開けて地下室の悪臭とおさらばした俺は、階段を上る前に少しだけ深呼吸をした。まだこの階段も黴臭く、とても澄んだ空気とは言えないだろうが、さっきの血と膿と黴の臭いが混じった地下室の空気と比べればまだ綺麗だ。地下室の中で散々吸った空気を絞り出してから階段の上を睨みつけ、俺はAN-94を構えながら階段を上った。

 

 階段を上り切り、再びボロボロの木製の扉を開ける。そして俺は、かつて親父と母さんが2人で潜入した防壁の内側へと足を踏み入れた。

 

 右側には飛竜の発着場があり、左側には見張り台もある。前回はあの発着場から飛竜を奪って逃走するのが目的だったらしいんだが、今回は要塞の内部に侵入し、端末を奪還する必要がある。母さんの居場所も知る必要があるが、おそらく居場所は十中八九ナバウレアの駐屯地だろう。あのジョシュアが統括する街だ。

 

 近くにあった木箱の陰に隠れ、要塞の中を警備している騎士たちの配置と人数を確認しておく。見張り台の上にはライフルくらいの大きさのボウガンを持った騎士が立っていて、その見張り台の近くにある通路には剣を持った騎士が警備しているのが見える。

 

 木箱の影から移動しようとした瞬間、背後から足音が聞こえてきた。俺は慌ててそちらを振り向きながら反射的にホルダーの中からメスを引き抜き、左手でいつでも投擲できるように構えながら再び小箱の陰でしゃがみ込む。

 

 後ろから歩いて来たのは見張りの騎士のようだった。まだ木箱の陰に隠れている俺には気づいていないらしく、そのまま俺の隠れている木箱の近くを通過して行こうとしている。

 

 メスを放り投げてやろうかと思っていると、樽の陰に隠れていた親父が「手を出すな」と言わんばかりに俺に向かって目配せしてきた。先ほど渡した89式自動小銃を背中に背負った親父は、俺が飛び出そうとしたのを中断したのを確認して頷くと、自分の隠れている樽の近くを通過しようとした騎士の背後に忍び寄り――――――――まるで擬態していた生物が正体を現し、哀れな獲物を捕食するかのように、がっちりした両腕でその騎士の首を絡めとった。

 

 さすがだな、親父。気配の消し方が上手い。まるで特殊部隊のようだ。

 

 そのまま首をへし折るのかと思いきや、親父は首をがっちりと押さえた騎士をそのまま樽の陰まで引きずると、剣を奪い取って強引に座らせる。

 

「騒ぐな。………エミリアはどこだ?」

 

「き、貴様………!」

 

「答えろ。さもないと、このままてめえの首を360度回転させてやる」

 

 いや、端末持ってる状態ならできるかもしれないけど、あんた今普通の人間だぞ? ステータスで強化されてるわけでもないのに、首の骨を折れるのか? しかも相手は鍛え上げられた騎士なんだぞ?

 

「し、知らない! 俺はここで物資の搬入をしてただけだ!」

 

「嘘をつくな」

 

 少しずつ首を絞め始める親父。騎士は必死にもがこうとするけど、予想以上に親父の腕力が強いらしく、両手で親父の両腕を動かそうとしてもびくともしない。

 

「ほ、本当だっ………! お、俺は何も―――――――」

 

「なるほど。じゃあ、俺の端末はどこだ?」

 

「た、タンマツ?」

 

「あー………俺の武器だ。どこにある?」

 

「け、研究室だ。今頃、魔術師の連中が解析してる………!」

 

 解析は無理だろう。転生者の持つ端末は仕組みが全く分からないし、誰が作ったのかも不明だ。前世の世界の技術を遥かに超えたオーバーテクノロジーの塊ともいえる端末を、この世界の魔術師が解析しようとしたとしても、おそらく解析はおろか分解すらできないだろう。

 

 それにしても、あの端末は本当に誰が作ったんだろうか? それに、俺は他の転生者と色々と能力の仕組みが違うが、俺は他の転生者と何かしらの種類が違うのか?

 

「研究室?」

 

「し、司令塔の近くの階段だ。そこから進めば、研究室が―――――――」

 

「ありがとよ」

 

「ひぎっ――――――」

 

 自分の正体について考察していると、傍らで騎士から色々と情報を聞き出していた親父の方から、ごきん、と骨がへし折れるような音が聞こえてきた。考え事を止めてそちらの方を見てみると、樽の陰に連れ込まれていた騎士が動かなくなっている。

 

 がっちりした胴体の上へと伸びる首は、明らかに通常ではそこまで動かせないだろうと一目で分かるほど捩れている。一見すると右を90度くらい見ているようにも見えるが、首の捻れ方を見てから考え直してみると、170度くらいは捻れているだろう。それだけ捻れていればその騎士の首の骨がどうなっているかは言うまでもない。

 

「す、すげえ腕力だな………」

 

「転生前はラグビーやってたんでね。転生した後も鍛えてるぞ。腕立て伏せ1000回以上は当たり前だ」

 

 親父って、端末がなくても戦えるんじゃないの? 当たり前のように腕立て伏せをそんなにやってるんだったら、端末要らないよね? 適当な武器さえあれば魔物を撲殺できると思うんだけど。

 

 転生者はステータスに頼り切るような奴が多いから、親父みたいに身体を鍛えている奴はかなり稀有だ。ステータスで強化されるのは攻撃力と防御力とスピードの3つのみで、スタミナや射撃の技術などは強化されないため、それらを強化したいのならば自力で鍛える必要がある。

 

 でも、剣を薙ぎ払うだけで衝撃波が出せたり、軽く走っただけでも恐ろしい速さで移動する事ができるような能力を持っている奴らが、そんな面倒なことをするだろうか?

 

 大概の転生者は自分を鍛えない。能力に頼り切り、力押しで相手を圧倒する。親父が身体を鍛えるようになったのは、そんなクソ野郎共との戦いで出来る限り優位に立てるようにするという理由らしい。レベルに差のある転生者と戦えば、その差がそのまま戦闘力の差になる。だからステータスに頼らないような戦い方も研究していたのだという。

 

「行くぞ、研究室だ」

 

「了解。………もしかしたら、そこの魔術師がエミリアさんの居場所を知ってるかも」

 

「そうだな。ぜひ尋問してみよう。………そういえば、無線機は持ってるか?」

 

「ああ。使うか?」

 

「頼む、同志」

 

 耳に着けていた小型無線機を親父に渡し、使い方を説明した俺は、首の骨を折られた騎士の死体を近くの樽の中へと放り込んだ。さすがにあのまま死体を放置しておくと、他の見張りの騎士に発見される可能性がある。

 

「信也、聞こえるか? 応答してくれ」

 

『――――こちら信也。兄さん、無事だったんだね!?』

 

 どうやらシンヤ叔父さんが応答してくれたらしい。AN-94で周囲を警戒しながら、俺も無線に耳を傾ける。

 

「今どこにいる?」

 

『オルトバルカ王国の国境付近だよ。みんなでレオパルトに乗って、そっちに向かってる』

 

 レオパルトに乗ってるのか? つまり、親父を助け出すためにこの要塞にたった1両の主力戦車(MBT)で攻撃を仕掛けようとしているということか。

 

「俺は今から端末を奪還し、エミリアを探す。端末を奪ったら信号弾を撃ち上げるから、援護砲撃を頼む」

 

『了解。気を付けてね』

 

「ああ、了解だ」

 

『あ、それとラウラちゃんが先行してるよ』

 

「ラウラ? あの赤毛の子か?」

 

「お姉ちゃんが?」

 

 え? ラウラがこっちに向かってんの?

 

 ちょ、ちょっとヤバいんじゃないかな………。

 

『バイクでそっちに向かってる。そろそろ到着する頃だと思うけど………』

 

「マジかよ」

 

「何だ、ヤバいのか? 弟想いの可愛いお姉ちゃんじゃないか」

 

「いや、その………たっ、確かに優しいお姉ちゃんなんだけどさ………」

 

 うん、ラウラは弟想いと言うよりはブラコンのお姉ちゃんだ。小さい頃から食事や風呂や寝るのは常に一緒だったし、外出する時も手を繋ぎながら一緒に出掛けていたものだ。しかも小さい頃は、俺が近くにいないだけで大泣きするほどの甘えん坊だった。

 

 でも今は、更にエスカレートしてとんでもない事になっている………。

 

「その………や、ヤンデレなんです」

 

「……………えっ?」

 

 そう。甘えん坊だったラウラは、ついにヤンデレになってしまったのである。しかもヤンデレになったきっかけは、小さい頃に遊んでいた公園で近所の女の子が俺に抱き付いたのが原因。いつも一緒に遊んでいた俺に女ができることで、自分は一人ぼっちになってしまうのではないかと思ったんだろう。あの日以来外出の回数は減ったし、ラウラは俺を独占できると言わんばかりになおさら甘えてくるようになった。

 

 しかも幼少期だけではなく、成長してからもずっとヤンデレのままなのである。

 

「……………マジで?」

 

「うん」

 

「ヤンデレか……………」

 

「しかもスナイパーですよ」

 

「狙われるじゃねーか」

 

 確かに、ヤンデレとスナイパーの組み合わせは凶悪過ぎると思う。しかもラウラは自由に姿を消す事ができる上に身体能力まで高いので、下手をすれば遠距離からヘッドショットされる恐れもある。

 

 通信を終了した親父は、何故かびくびくしながら移動を開始した。あの、あんたよりも俺が狙われる可能性の方が大きいからね? 仲間以外の他の女と仲良くしてると寝ている間に手足を縛られてるのは日常茶飯事なんだからな? 

 

 木箱の影から移動し、今度は集められている樽の群れの影に隠れる。見張り台の上の奴は俺に気付いていないようだ。

 

 今度こそメスを放り投げて仕留めようと思ったその時だった。

 

 何の前触れもなく轟音が響いたかと思うと―――――――その騎士の頭が、かぶっていた兜もろとも粉々に弾け飛んでいたのである。

 

「えっ?」

 

「まさか…………」

 

 ああ、到着しちゃったのか………。

 

 ついに、最強のヤンデレスナイパーが戦場へと到着したようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボルトハンドルを引くと、いつものように排出された空の薬莢の金属音が響き渡った。銃声の残響と重なったそれは私の鼓膜へと流れ込むと、そのままゆっくりと消えていく。

 

 冷たい風の中に紛れる火薬の香り。そして、アイアンサイトの向こうで弾け飛ぶ敵の肉体。

 

 いつもと同じ光景。そして、いつもと変わらない感覚だった。

 

 これが日常になったのは、初めて魔物との戦いをパパとママに許されてからだった。魔物を殺し、素材を手に入れて売り、自力で小遣いを稼げと言われてからは、いつもタクヤと一緒にライフルを担いで壁の外の魔物との戦いに明け暮れた。

 

 標的が魔物でも、人間でも――――――――この感覚は変わらない。

 

 外殻があるか否か。

 

 皮膚が肌色か否か。

 

 自分たちと似通った姿か否か。

 

 血の色が紅いか否か。

 

 それだけ。

 

 そう、違いはそれだけ。逆に、それ以外は何も変わらない。

 

 息を吐いてから再びアイアンサイトを覗き込み、突然の狙撃で慌てふためく要塞の中庭を見下ろす。見張り台にいた騎士が木端微塵にされたことには気付いているみたいだけど、私がどこにいるかは気付いていないみたい。

 

 敵が無能というわけではない。今の私は姿を消している状態で、要塞の防壁の中から伸びる尖塔の上から敵を狙っているだけなのだから。

 

 距離は400m未満。剣や弓は届かないけれど、私にとっては目と鼻の先。

 

 そう、逃げられない。そして敵は、絶対に逃がさない。

 

 私の大切な弟に酷い事をするような奴は―――――――――絶対にぶち殺す。

 

「―――――――死ね」

 

 飛竜の発着場の近くでボウガンを木箱から取り出し、仲間たちに手渡している騎士を狙う。目的は敵の排除と、他の騎士たちへの見せしめ。目の前でいきなり仲間の1人がぐちゃぐちゃになったら、彼らは復讐心を私に向けてくるだろうか? それとも、死にたくないと言って逃げ惑う?

 

 どっちでもいいわ。どちらであろうとも、私が殺すから。

 

 トリガーを引き―――――――20mm弾を放つ。

 

 普通のアサルトライフルの弾丸のサイズは、5.56mmか5.45mm。大口径のアサルトライフルでも6.8mmか7.62mmくらい。それらの直撃でも致命傷は確定だけど、20mm弾は致命傷どころでは済まない。手足に当たれば確実に千切れ飛ぶし、胴体に命中すれば人間である以上は確実に肉片が出来上がる。案の定、20mm弾を胴体に喰らう事になったその騎士は、慌てふためく仲間たちが次々にクロスボウを受け取っていく目の前で、無数の肉片と血飛沫へと変貌した。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

「な、何だ!? いきなりミンチになったぞ!?」

 

「ま、魔術か!?」

 

「馬鹿な!? 魔力の気配はしなかったぞ!?」

 

 バカね。遠距離から奇襲する際に、魔力の気配で気付かれる恐れのある魔術を使うわけないでしょう?

 

 銃は、遠距離攻撃の主役は魔術だと思い込んでいる愚か者には最適ね。魔力を発することはないし、射程距離も魔術よりも長い。

 

 さあ、見当違いの予測をしながら勝手に死んでいきなさい………!

 

「死ね……死ね…………死ね…………ッ!」

 

 私は、タクヤと一緒じゃないと嫌なの。

 

 あの子と離れ離れになると、とても不安になる。もう二度とあの子と会えないんじゃないかって思ってしまう。

 

 だから、離れるのは嫌。あの子と一緒じゃないと落ち着かない。

 

 1人は嫌なの。なのに…………何で私からタクヤを引き離すの?

 

 歴史を変えないために仕方なく捕まったのは分かる。それは仕方がないから、これは逆恨みでしかない。

 

 でも、逆恨みでもいい。私とタクヤを引き離そうとするのならば、誰であろうと絶対殺す。

 

 ボルトハンドルを引き、またしてもトリガーを引く。今度の標的は分厚い盾と巨大なランスを手にした重装備の騎士。産業革命以前はあのような恰好の騎士が密集隊形で前進し、敵陣から放たれる矢を防ぎながら敵の隊列を蹂躙していたみたいだけど、私たちの時代からすれば、ただの時代遅れな存在でしかない。

 

 それに、20mm弾を放つこのライフルの前では、金属の塊でしかない盾なんて何の意味もない。20mm弾は甲鉄の塊どころか、ドラゴンの外殻すら撃ち抜いてしまうほどの貫通力を誇るのだから。

 

 やっぱり、盾に大穴が開いた。何の前触れもなく空いたその大穴の向こうに見えるのは、ただのぐちゃぐちゃの肉片と化した人間の欠片のみ。どの肉片がどの部分を構成していたものなのかすら分からなくなるほど木端微塵にされた肉片を目の当たりにした騎士たちが、またしても絶叫する。

 

 そろそろ突撃するべきかしら? 狙撃は遠距離からひたすら攻撃できるけど、ちょっと敵の数が多過ぎるかも。それに、この後はナバウレアまで進撃する必要がある。歴史の通りならば、エミリアさんはそこに囚われているのだから。

 

アンチマテリアルライフルの弾丸も温存しておかないと。

 

 ダネルNTW-20を背中に背負い、腰に下げていた2丁のグローザをホルダーから引き抜く。ゆっくりと立ち上がり、2丁のブルパップ式アサルトライフルをくるりと回してから――――――――私は尖塔の上から、要塞の中へと向かって飛び降りた。

 

 両足に装備しているサバイバルナイフを展開し、それを壁に突き刺す。ガキン、と大きな音を響かせながら壁面に食い込んだナイフを利用して壁に立ち、その音に気付いてこちらを見上げた騎士たちを見下ろしながら笑う。

 

 もう、狙撃は終わり。これからはちょっと大暴れするだけ。だから、もう姿を隠す必要はない。

 

「お、おい、あんなところに女の子が―――――――」

 

「…………」

 

 これからやることも、いつもと同じ。

 

 敵に銃口を向け、トリガーを引いて、弾丸をお見舞いするだけ。そうすれば敵は穴だらけになったり、ぐちゃぐちゃになって二度と動かなくなる。

 

 今からそうなるのは――――――――この要塞にいる騎士たち。

 

 さあ、私に剣や弓矢を向けなさい。

 

 ――――――――全員、殺してあげるから。

 

 

 

 



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クガルプール陥落

 

 蹂躙の始まりの合図となったのは、壁面からナイフが美しい金属音を奏でながら引き抜かれた瞬間だった。キン、と剣がぶつかり合う音よりも優美な音が、惨劇の始まりになるとは彼女以外は誰も思わない事だろう。

 

 だが、その音がどんな音であっても、彼女には関係ない。目の前に敵がいるならば撃ち殺し、ナイフで切り刻み、蹂躙するだけなのだから。

 

 状況が違う状態でも、いつもと変わらない。

 

 両足のサバイバルナイフを壁面から引き抜くかのように跳躍したラウラは、眼下にいる騎士たちが彼女を敵だと認識するよりも早く両手の銃を向け、照準器を標的へと重ねていた。フランス製アサルトライフルのFA-MASを彷彿とさせるキャリングハンドルの上に設置されたリアサイトとフロントサイトの向こうに、唐突に頭上を舞う美少女の姿を見上げる間抜けな騎士の顔が見えた瞬間、彼女はトリガーを引いた。

 

 グリップのすぐ前に銃口があるほど銃身が短いグローザの銃口から、いつものようにマズルフラッシュが躍り出る。その中から飛び出し、火薬の臭いと微かな炎を纏いながら疾駆していくのは、獰猛な大口径の7.62mm弾である。ボルトアクション式やセミオートマチック式のライフルで使用されていた大口径のライフル弾から、徐々に主流とされている5.56mm弾や5.45mm弾へと進化していく途上で生み出された弾丸は、1発命中するだけでも被弾した対象に大きなダメージを与える。どこに命中しようとも、掠めた程度で済まない限り致命傷は免れない。

 

 その獰猛な弾丸が、まるで獲物へと襲い掛かっていくピラニアの群れのように大量に放たれたのである。もし騎士たちが彼女を敵だと知っていれば、少なくとも物陰に隠れたり、防ぎ切れる筈は無いものの手にしている盾を使って身を守ろうとすることはできた筈である。姿を現したのが赤毛の美少女だからと油断していた状態が、見事に仇になった。

 

 一番最初に弾丸の餌食になったのは、頭上を舞いながら2丁のグローザを向けるラウラの姿を先頭で見上げていた1人の若い騎士だった。銃声に驚愕しているところに容赦なく飛来した弾丸に右の頬を食い破られ、弾丸の凄まじい衝撃に嬲られているところに、立て続けにライフル弾が次々に命中したのである。騎士団専属の鍛冶職人が作り上げた鎧があっさりと貫通され、穴だらけの金属の塊と化した防具の内側で砕けた骨と肉が荒れ狂う。瞬く間にぐちゃぐちゃにされた騎士は、激痛を感じる前にバラバラになって地面へと崩れ落ちる。

 

 他の犠牲者も同じような運命を辿った。槍と盾を手にしていた騎士は装備の重さと反応が遅かったせいで蜂の巣にされ、近くにいた中年の騎士は流れ弾に被弾した後に後続の弾丸に撃ち抜かれ、上顎から上を木端微塵にされ、血まみれの頭蓋骨の破片をまき散らしながら倒れる羽目になった。

 

 たった数秒の掃射である。消費したマガジンの中の弾丸の数は左右のライフルを合わせて僅か14発。片方のグローザで7発しか発砲していない。

 

「なっ………!?」

 

「て、敵襲―――――――――グゲッ」

 

 敵襲だと仲間に告げようとした騎士の顔面に、いきなり漆黒の鋭い金属の刃が突き立てられる。額の左側へと突き刺さったその刃はあっさりと後頭部まで貫通し、その騎士を即死させる。

 

 その刃は、先ほどまで要塞の防壁に突き立てられ、少女を壁に立たせていた刃であった。

 

 哀れにも、その犠牲になった騎士は跳躍したラウラの〝着地地点”に選ばれてしまったのである。しかも、要塞の防壁にも易々と突き立てられるほどの切れ味と耐久性を兼ね備えた、産業革命で生み出された最新のサバイバルナイフだ。魔物や他国の騎士から守るために建てられた防壁に突き立てる事ができるほどの硬さの刀身なのだから、人間の頭蓋骨も容易く貫通してしまう。

 

 1人の敵を殺すと同時に地面に降り立ったラウラは―――――――笑った。

 

 いつも、最愛の弟に甘える時に浮かべる笑みなどではない。主に父親から遺伝した、力也と同種の獰猛な笑みである。蹂躙と死を欲する狂戦士の笑み。明らかに17歳の―――――――今日で18歳である―――――――少女が浮かべるにしては獰猛すぎるその笑みは、既に数名の仲間を射殺され、今しがた新たに1人の仲間が犠牲になっていた騎士たちの復讐心をへし折るには十分であった。

 

 強大で恐ろしい敵が目の前にいたとしても、復讐心があれば一定の士気は維持される。仲間の命を奪い、更に仲間の命を奪おうとする怨敵が目の前にいるならば、仲間を殺された憎しみを杖代わりにして立ちあがることはできるのだ。戦場では、そのような感情も士気を支える要素となる。

 

 しかし、それをへし折られてしまえば―――――――立ち上がることは出来ない。

 

 ラウラのその笑みは、足を骨折している怪我人から杖を奪うのと同じだった。片足が折れている怪我人は杖がなければまともに移動できない。騎士たちはまさに、その怪我人と同じ状態である。

 

 (復讐心)がなければ………立ち向かえない。

 

「ひっ………!?」

 

 にやりと笑ったまま、両手の銃を左右に立つ騎士の顔へと向けるラウラ。彼女の紅い瞳と銃口に見据えられた騎士たちが震え上がる。

 

 自分は得体の知れない少女に見たこともない武器を向けられ、殺されようとしている。ラウラに銃を向けられ、数秒後には新たな犠牲者となる2人の騎士はそう理解した。最早、この少女に反撃して返り討ちにし、仲間の仇を取ろうとは思えなかった。銃弾と共に放ったラウラの恐怖は、もう既に騎士たちの心を折っていたのである。

 

 断末魔を上げるよりも先に放たれた弾丸が、2人の騎士の頭蓋骨を同時に木端微塵にする。薬莢が落下する音を死体が崩れ落ちる音がかき消し、聞こえてくる筈の残響を騎士たちのざわめきが蹂躙する。

 

「な、なんだ、こいつは………?」

 

「女の子………!?」

 

 先ほど、騎士の頭に片足のナイフを展開した状態で着地したラウラの頬には、その騎士の返り血が付着していた。右手のグローザを一旦ホルダーに戻し、数十秒程度の殺戮の間に浴びた唯一の返り血にそっと触れたラウラは、真っ白な手の平に付着した鮮血を見下ろしながら顔をしかめる。

 

 もし返り血まみれになってタクヤと合流したら、彼は前のように自分の返り血を洗い流してくれるだろうか。血まみれになったことは今まで何度もあるが、気分が悪くなるのもいつも通りである。生まれてからずっとタクヤと同じ匂いだったというのに、他人の血の臭いで彼の臭いが消えてしまう。不快な感触だけでなく、ラウラはそれでタクヤと同じ匂いが消えてしまう事も嫌っていた。

 

 だから―――――――早く終わらせる。

 

 獰猛な笑みを消したラウラは、何も言わずに身体中に氷の粒子を展開した。通常の氷と異なり、突然変異の塊ともいえるキメラとして生まれてきた影響なのか、こちらも突然変異としか言いようのない鮮血のように紅い氷を自由自在に操るラウラ。母親譲りの強力な氷の魔術を詠唱せずに放つ事ができる彼女だが、氷を使った武器はそれだけではない。

 

 氷の粒子を身に纏い、光を複雑に反射させることによってマジックミラーのように自分の姿を消してしまうという能力である。魔力で氷を生成するわけだが、魔力の量は極めて微小であるため熟練の魔術師でも探知は難しく、しかもあくまで氷の粒子であるため極端に気温が下がるわけでもないから温度差で探知することも不可能。ソナーのようなもので探知しようとしても、ラウラの頭の中にあるメロン体を活用して全く逆の音波をぶつけて相殺してしまえば、やはり敵はラウラを探知できない。

 

 2人を鍛え上げた両親でさえも、彼女の姿を消す能力を警戒していたほどである。しかもそれに現代兵器の威力が組み合わされれば、まさに遠距離から狙撃してくる彼女を見つける事ができる者などいなくなってしまう。

 

 どこにでも潜む事ができる上に、その狙撃の命中率は100%。狙撃でなかったとしても、この姿を消した状態の彼女に太刀打ちするのはかなり困難である。

 

「がっ!?」

 

「マーティン!?」

 

 何の前触れもなく、震え上がっていた騎士の1人の喉にメスが突き立てられる。この異世界では魔術の発展の影響で遥か昔に廃れてしまった医術で使用される小さな刃物が、正確に男の声帯を貫いていた。

 

 声を発する事ができなくなった騎士に―――――――今度は、銃弾が叩き込まれる。

 

 先ほど数名の仲間を数秒で葬った、大口径の7.62mm弾の群れであった。

 

 鎧の破片と肉片が千切れ飛び、メスで声帯を貫かれた騎士に止めを刺す。ズタズタにされた騎士が後ろへと崩れ落ちていき、新しい犠牲者の死を見てしまった他の騎士たちがまたしても震え上がる。中には剣を構える騎士もいたが、彼らが剣を構えたのは仲間の敵討ちではなく、いきなり襲ってくる可能性のある赤毛の少女を撃退するためであった。

 

 いきなり姿を消し、見たこともない武器で攻撃してくる正体不明の少女。ラトーニウスの鍛冶職人たちが作った防具を容易く貫通するほどの威力の攻撃を、姿が見えない敵が恐ろしい連射速度で放ってくる恐怖。死にたくない筈なのに、死ぬかもしれないと思ってしまうほどの絶望が彼らを飲み込み始めている。

 

「く、くそ、どこに行った………!? どこから――――――――」

 

「ウゲッ!?」

 

「マイク!?」

 

 またしても、仲間が死んだ。しかし今度は今までのように銃声は聞こえない。聞こえてきたのは、仲間の呻き声と何かが肉に突き刺さるような音だけだった。

 

 今度もメスで殺されたのだろうかと思いながら仲間の様子を確認した騎士たちは、全員目を見開く羽目になった。犠牲になった仲間の喉元には漆黒の刃物が突き刺さっているのが見える。呻き声と共に聞こえてきた何かが突き刺さるような小さな音は、このナイフが原因だったのだろう。

 

 しかし、そのナイフのグリップからは――――――――漆黒の制服の袖に包まれた、白い腕が伸びていたのである。その先にある筈の肩や胸元は見当たらず、宙に浮いている腕がナイフを握っているという状態にしか見えない。

 

「………!?」

 

 徐々に、その腕から先があらわになっていく。大きく胸元が開いたデザインの漆黒の制服に、鮮血を思わせる長い赤毛。獰猛さと狂気を纏う大人びた少女の姿があらわになった瞬間、騎士たちは反射的に剣を構え、ここで彼女を討ち取ると言わんばかりに剣を振り下ろしていた。

 

 四方から振り下ろされるロングソードの剣戟。魔物の外殻を粉砕するほどの威力がないとはいえ、防具を身に着けていない人間が喰らえば八つ裂きになるのは間違いない。しかも、それを振るうのは鍛え上げられた騎士たちである。タクヤのように瞬間的に硬化する事ができないラウラにとって、攻撃は敵を欺く事で回避するか、自力で躱さなければならない。防御が苦手ならば避けるしかないのだ。

 

 だが、彼女は動かなかった。今しがた騎士の喉元に突き立てていた漆黒のスペツナズナイフを引き抜くと、利き手である左腕を振り上げて一番速かった騎士の剣戟を受け止めると同時に、身体を捻ってナイフを展開した状態の右足で鋭いローキックを放つ。

 

 そのローキックの餌食になったのは、逆に一番剣戟が遅かった騎士であった。太腿の防具の隙間に飛び込んできたナイフの刀身によって筋肉と骨を寸断された騎士があっさりと体勢を崩し、剣戟の軌道を台無しにしてしまう。他の騎士の剣戟もその巻き添えのせいでスピードが鈍り、ラウラに回避する時間を与えてしまう。

 

 しかし、全員の剣戟が台無しになったわけではなかった。乱れる仲間の斬撃に運よく巻き込まれなかった1本の剣が、真上からラウラの頭へと降り注いだのである。

 

 銀色の刀身が彼女の赤毛に触れる寸前、その剣を握る騎士は仲間の仇を取ることができたと狂喜していた事だろう。恐ろしい女を殺し、仲間の仇を取った。そしてクガルプール要塞を敵襲から守ったのだから、これで間違いなく昇進できる。一瞬しかないというのにこれで昇進できると考えていた彼は、目の前で少女の頭が真っ二つになるのを待つ。

 

 剣が少女の赤毛に触れようとしたその瞬間だった。頭蓋骨を真っ二つにするにしてはあまりにも硬過ぎる感触と、剣を握る手を痛めてしまうほどの反動が彼を襲ったのである。

 

 まるで、岩の塊を斬りつけたような感覚であった。騎士は訝しみながら剣の下にある筈の少女を見下ろし―――――――その感触の正体を知った。

 

 ―――――――少女は、その剣戟を受け止めていたのである。しかし、彼女の左腕は既に別の剣を受け止めているし、右手も今の一撃を受け止めるのには間に合わない筈だ。両足にもナイフを仕込んでいるようだが、それを使ったわけでもないのは明らかである。ならば、何で防御したというのか。一瞬で組み上がったその疑問が一瞬で崩壊していく中で、騎士はその赤毛の少女が怪物だったのだという事を理解しつつあった。

 

 ラウラは、振り下ろされてきた刀身に噛みつく事でそれを受け止めていたのである。もちろん、彼女はキメラとはいえ硬化していない状態では普通の人間と変わらない。だからこんなことをすれば、あっという間に歯が折れてしまう。

 

 騎士もそんな防御のやり方を否定しようとしていた。考えられない防御の方法である。そんなことをすれば歯が折れるし、食い止めきれなかった剣がそのまま頬と喉を切り裂いてしまうというリスクもある。

 

 剣を振り上げてもう一度攻撃しようと思っていた騎士は、なぜラウラの歯が砕けなかったのかを理解することになった。

 

 彼女の口に生えていた歯は、人間の歯と違う形状をしているのである。人間のような歯ではなく――――――――まるで猛獣や、獰猛なドラゴンを思わせる鋭い牙。怪物の牙をそのまま移植したような鋭い牙が、赤毛の少女の口の中から生えていたのだ。その牙の群れは刀身を抑え込むどころか銀色の刀身に食い込み、まるで骨を噛み砕く怪物のように剣を噛み砕こうとしている。

 

「ば………化け物……………ッ!」

 

 そう呟いた瞬間、彼の得物が少女の牙に噛み砕かれ―――――――――突き上げられた少女のナイフが、騎士の喉元を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だろ………」

 

 拷問を受けていた親父を地下室から連れ出し、本格的に要塞の守備隊に反撃を開始しようと思っていた俺は、防壁の内側に広がる広場を見渡しながら親父と2人で絶句していた。

 

 かなりの数の守備隊がここにいる筈だった。親父に渡した分の弾薬では足りないのではないかと思って別の武器も渡しておくべきだろうかと検討していたんだが、どうやら俺たちはもう発砲する必要がないらしい。

 

 広場に転がっているのは、騎士たちの死体だった。上顎から上を砕かれていたり、蜂の巣にされている死体が広場に散らばっており、強烈な血の臭いを発して要塞を包み込んでいる。辛うじて火薬のにおいも混じっているようだが、もう風前の灯火だ。

 

 若き日の親父もこんな状況を目にしたことはないらしく、89式自動小銃の銃口を下げながら目を見開いている。

 

「なんだこりゃ………」

 

「……俺のお姉ちゃんの仕業だよ、これ」

 

「………」

 

 ラウラは、かなり不機嫌だったらしい。小さい頃から俺と離れることをかなり嫌うほど甘えん坊だった彼女は、強引に引き離されると自力で俺のところに来ようとするか、機嫌を悪くしていた。ブラコンのお姉ちゃんの悪癖は、未だに治っていない。

 

 彼らはその犠牲者だ。俺たちに殲滅されていた方がマシだったに違いない。死体を見下ろしながら同情していると、その死体の群れの向こうで佇む少女の姿が見えた。

 

 反射的にアサルトライフルを構えた親父に「止めろ」と言いながら、俺は彼女の姿を見つめる。

 

 そこにいたのは――――――――やはり、ラウラだった。右手にマガジンが外れた状態のグローザを持ち、左手には返り血まみれになったスペツナズナイフを持ちながら、足元にある死体をじっと見下ろしている。

 

「………ラウラ?」

 

「ふにゃ?」

 

 恐る恐る彼女に声をかけてみた。もしかすると俺たちにまで襲いかかってくるかもしれないと思った俺は警戒していたんだが、返事はいつも通りのラウラの声だった。

 

 首を傾げながらこっちを振り向くラウラ。彼女と目が合った瞬間、返り血まみれになった彼女が微笑んだかと思うと、返り血まみれで武器を手にしたまま、俺に向かって凄まじい速度で走ってくる!

 

「ふにゃあああああああああっ!! タクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」

 

 やめろぉぉぉぉぉぉぉ!! 返り血まみれで笑いながら走ってくるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 

 滅茶苦茶怖いよ! ちょっと、せめて抱き付くのは返り血を拭いてからにしてくれ!!

 

 そう思ったんだが、半日くらい俺と離れ離れにされていたヤンデレのお姉ちゃんが立ち止るわけがない。血まみれのまま走ってきた彼女はそのまま俺に飛びつくと、俺を地面に押し倒してしまう。

 

「すぱすっ!?」

 

「タクヤぁっ! 大丈夫!? 拷問されてない!? 怪我してないよね!?」

 

「お、落ち着け………。大丈夫だって。何もされてないよ」

 

「ほ、本当!?」

 

 自力で解凍しただけだって。親父は酷い目に遭ってたけど、もうエリクサーで治療しているから傷口はない。

 

「ねえねえ、お姉ちゃん頑張ったんだよ? ほら、タクヤを連れて行った悪い奴らをみんな殺したの!」

 

「わ、分かった。やり過ぎるなよ………?」

 

「ふにゅう………何言ってるの? 私のタクヤに酷いことするクソ野郎は皆殺しにするのは当たり前だよ」

 

「………と、とりあえず、俺は無事だよ。ありがとね、お姉ちゃん」

 

「えへへっ♪」

 

 こ、怖いよ………。何だか悪化してないか?

 

 

 

 

 

 




※スパスはイタリアのショットガンです(スパス12など)。


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力也が端末を取り戻すとこうなる

 

「うわ、何だこれ………?」

 

 陥落し、死体で埋め尽くされたクガルプール要塞へと突入してきたレオパルト2A6から下りたギュンターさんは、血と肉片が散らばる要塞の広場を見渡しながらそう呟いた。

 

 ラウラから聞いたんだが、作戦ではラウラが要塞の正面から単独で突入して敵を攪乱し、その隙にレオパルトは要塞の後方へと回り込んで要塞から逃走するジョシュアとエリスさんを捕捉するという作戦だったらしい。もしそこで2人を捕捉できなかった場合はそのまま反転し、要塞を背後から砲撃するという作戦も用意されていたようだけど、せっかく若き日の信也叔父さんが用意してくれたその作戦は無駄になったと言わざるを得ない。

 

 結局レオパルトは一度も砲撃することなく、悠々と既に陥落したクガルプール要塞に侵入することになったのである。戦車から下りてきたギュンターさんは、89式自動小銃を背負いながら手を振る親父の傍らへと駆け寄ると、嬉しそうに笑いながら親父の手を握った。

 

「旦那ぁ! 無事だったんだな!?」

 

「当たり前だ。俺が死ぬと思ったか?」

 

「何言ってんだよ、旦那。あんたはドラゴンに噛み千切られても死なねえよ!」

 

「………それは転生者でも死ぬと思うんだが」

 

 うん、死ぬよ。転生者でも噛み千切られれば死ぬって。不死身じゃないんですよ、ギュンターさん。

 

「あ、そう言えば俺の端末は………」

 

「確か、研究室に置いてあるって言ってたな。………こんな大騒ぎになったんだから、端末を持ってた奴は逃げ出しちまってるかもしれない」

 

「それは困るな」

 

 ラウラの襲撃はかなり徹底的だった。要塞の広場を巡回していた警備兵は壊滅し、発着場にいた飛竜たちは全て縄を切られて解放されている。サプレッサーを付けない銃を何度もぶっ放して敵を殲滅したのだから、おそらく室内にいた警備兵やその魔術師も要塞が襲撃されているという事に気付いたことだろう。

 

 もしかしたら、親父の端末の解析をしていた魔術師は逃げ出してしまっているかもしれない。運が良ければ要塞の中に籠城することを選び、まだ引きこもっている可能性もあるが、もし逃げ出しているのならば今すぐ追撃する必要がある。

 

「ラウラ、エコーロケーションを」

 

「範囲は?」

 

「最大」

 

「はーいっ♪」

 

 血を拭き取っていたラウラが目を瞑り、エコーロケーションを発動させる。

 

 彼女の頭の中にあるメロン体が超音波を生成し、体外へと放射する。彼女の頭の中から解き放たれた超音波は凄まじい速さで広がっていき、ラウラに敵や要塞の構造などの情報を次々に与えていく。

 

 最新のセンサーと遜色ない速度で索敵を終えたラウラは、頬についていた返り血を拭き取りながら静かに目を開けた。彼女のエコーロケーションで探知できる範囲は最大で半径2km。アンチマテリアルライフルの射程距離くらいの範囲である。範囲は調節できるけど、範囲を広くすればするほど索敵の精度が低下するという弱点がある。

 

 でも、最大の状態での索敵でも、答えは出たようだ。

 

「ふにゅ、要塞の中にまだ残ってる奴がいるみたい」

 

「何人?」

 

「3人。なんか、端末みたいなのを持ってる」

 

 間違いない。奪われた親父の端末だ。どうやら端末を解析しようとしていた魔術師は、逃げ出すための隙を見つけることができなかったらしい。

 

 まあ、ラウラの襲撃の隙を見つけるのはかなり困難だから無理はないだろう。だが、救援が期待できない状態での籠城は愚の骨頂だ。しかも相手はモリガンの傭兵たちである。

 

「ちょ、ちょっと待て。何でそんな事が分かる?」

 

 あ、そうか。親父はまだラウラの能力を知らないんだ。一応説明した方がいいかもしれない。

 

「えっと、彼女の頭の中にはメロン体があるんです」

 

「メロン体って………イルカが超音波を出すのに使う器官か?」

 

「はい」

 

「なるほど………ソナーか。とんでもない体質だな」

 

 さすが親父だ。メロン体があるという説明だけで、ラウラが何をしたのか理解してしまったらしい。とはいえまだ信じがたいのか、若き日の親父はベレー帽をかぶったままきょとんとするラウラの頭をまじまじと見つめている。

 

 メロン体があるとはいえ、ラウラの頭の大きさは俺とあまり変わらない。というか、普通の人間と変わらない。彼女の頭の中にあるメロン体はかなりサイズが小さいようだ。

 

「なあ、カレン。メロンタイって何だ?」

 

「超音波を発生させる器官よ。海に住んでる魔物とかイルカが持ってるわ」

 

「チョーオンパ………? な、何だそりゃ………」

 

(お兄ちゃん、もっと勉強してよ………)

 

「あはははははっ」

 

 メロン体を知らないのは無理もないと思うけど、超音波まで知らないとは思わなかったよ………。

 

 ギュンターさんって、勉強が苦手だったんだな。未来ではちゃんとカレンさんに勉強を教えてもらったらしいけど。

 

「とりあえず、端末を取り返してくる」

 

「手伝います?」

 

「いや、俺とフィオナの2人で良い。フィオナ、頼めるか?」

 

『はい、お任せくださいっ!』

 

 戦車の上で要塞を見渡していた白髪の少女が、ふわりと宙に浮きながら胸を張る。

 

 21年前のフィオナちゃんは、やはり21年後のフィオナちゃんと全然変わっていない。服装がワンピースから白衣になった程度しか違いが分からない。

 

 まあ、フィオナちゃんは正確に言えば人間ではなく幽霊だし、歳をとるのはありえないからな。かつてネイリンゲンに住んでいた貴族のフィオナちゃんは12歳で病死する羽目になった哀れな少女なんだけど、「まだ死にたくない」という猛烈な未練のせいで成仏することはなく、そのまま幽霊となってしまったという。

 

 最愛の娘を失った彼女の両親は、幽霊になった愛娘を目にした瞬間に怯えてしまい、すぐに荷物を持って家から逃げ出してしまったらしい。親父がネイリンゲンに到着する100年前から、彼女はあの街の外れにある屋敷で1人で暮らしていたんだ。

 

 彼女を怖がらずに話を聞いてくれたのは、親父たちだけだったという。

 

 モリガンは少数精鋭の傭兵ギルドだが、規模が小さくても世界最強の傭兵ギルドとなった理由は仲間同士での結束だろう。フィオナちゃんのようにあらゆる人々から拒絶されたメンバーもいるし、母さんやエリスさんのように国に帰れなくなったメンバーもいる。そんな理由があるメンバーばかりだからこそ、結束力は城壁よりも堅くなったに違いない。

 

 89式自動小銃を背負いながら要塞のドアへと向かっていく親父を見送りながら、俺もそう思った。彼らの屈強な結束力は、テンプル騎士団も見習うべきかもしれないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要塞の壁面に、木製の扉が紛れ込んでいる。見張りはもう既に壊滅しているため、見張り台の上を警戒しながら先へと進む必要はないだろう。ちらりと木製の見張り台の上を見上げてみるけど、やはりその上には何もない。血で見張り台が赤くなっているだけだ。

 

 テントの脇を通り過ぎ、扉の方へと向かう。

 

 その扉を掴んで開けようとしても、木製の扉は全く動いてくれなかった。鍵がかかっているようだ。

 

「くそ………」

 

『任せてください!』

 

「フィオナ?」

 

 真っ白なワンピースを身に着けた幽霊の少女はドアをすり抜けて向こう側へと向かった。おそらく、内側から扉を開けてくれるんだろう。

 

 89式自動小銃を向けながら見張りが来ないか警戒していると、俺の背後に鎮座していた木製のドアがゆっくりと開き始めた。幽霊である彼女は自由に実体化したり、壁や天井をすり抜ける事ができる。その能力を利用してドアをすり抜けた彼女は、反対側から鍵を開けてくれたらしい。

 

「良くやった。ありがとう」

 

『えへへっ』

 

 ドアを開けてくれた彼女に礼を言うと、俺は要塞の中へと足を踏み入れる。

 

 とりあえず研究室を目指すべきだ。魔術師がそこで俺の端末を解析しようとしているらしい。そこで端末を奪還して魔術師の奴らからエミリアの居場所を聞き出したら、部屋の中に籠城しているクソ野郎共に仕返しをしてやらなければ。

 

 真っ白な壁の廊下を進み、曲がり角で廊下の向こうを確認しておく。まるで貴族の屋敷の中のようにカーペットが敷かれ、美術品が並んでいる要塞の廊下には誰もいない。ここを巡回していた筈の騎士たちも、襲撃してきたラウラを迎撃するためにッ外へと飛び出し、そのまま皆殺しにされてしまったに違いない。

 

 廊下を進んで奥にあった階段を上り、上の階へと移動する。上の階の廊下にも、やっぱり騎士は巡回していないようだった。

 

「あの部屋か………?」

 

 廊下の向こうにある扉の近くには、研究室と書かれたプレートが用意されている。あそこに俺の端末があるんだろうか?

 

『確認します』

 

「頼む」

 

 さっきみたいに扉をすり抜けて、部屋の中を確認してくれるらしい。

 

 89式自動小銃が使用する弾薬は5.56mm弾だけど、騎士たちの防具を貫通することはできる。この銃身の短いアサルトライフルならば、室内戦でもすぐに騎士たちに風穴を開けてやる事が出来るだろう。それに、ライフルグレネードもある。

 

 廊下に銃口を向けていると、扉の中から再びフィオナが姿を現した。

 

「どうだ?」

 

『ここみたいです。力也さんの端末もありました』

 

「無事だったか?」

 

『はい。安心してください。分解はされていません』

 

 良かった。端末は分解されていないようだ。

 

「部屋の中には何人いるんだ?」

 

『3人です。騎士が2人と魔術師が1人でした』

 

 解析をしている魔術師が1人と、護衛をしている騎士が2人ということか。

 

 ならば、その2人の騎士はとっとと射殺して、魔術師を問い詰めることにしよう。

 

 両手で89式自動小銃をしっかりと構え、思い切り目の前の木製のドアに右足の蹴りを叩き込んだ。蹴破られたドアが部屋の中の壁に叩き付けられ、中にいた騎士たちが慌てて腰から剣を引き抜こうとする。でも、彼らが俺を攻撃するには資料が何枚も乗った机を飛び越えるか迂回して接近して来なければならない。でも、俺は狙いを定めてトリガーを引くだけで、彼らに風穴を開ける事ができる。

 

 先手は俺が独占しているようなものだった。

 

 素早く右側の騎士の頭に向けてトリガーを引き、銃声が響き渡った直後にすぐに銃口を左側へと向けてからもう一度トリガーを引く。2発の5.56mm弾は2人の騎士の頭に直撃し、兜を簡単に貫通して頭に風穴を開けた。

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 崩れ落ちた2人の騎士を見ながら、魔術師の男が怯える。俺はその男に銃口を向けながら机の上に置いてあった端末を拾い上げると、電源を入れてから色んなメニューを開いて確認した。ポイントは全く使われていないようだし、武器もいじられていないらしい。どうやら全く解析できなかったようだ。

 

 俺は一応全ての武器の装備を解除してから、もう一度武器を装備し直すことにした。こうすればこの端末で生産した武器が敵に奪われていたとしても、強制的に俺の手元に呼び戻す事ができる。

 

「おい、エミリアはどこにいる?」

 

「え、エミリア………? エミリア・ペンドルトンの事か………!?」

 

「ああ、そうだ。エリスにそっくりな蒼い髪の女の子だ。この要塞にいるのか?」

 

「い、いや、彼女はもうナバウレアに………!」

 

「ナバウレアだと………?」

 

 俺とエミリアの旅が始まった城郭都市だ。確か、あそこには騎士団の駐屯地があった筈だけど、この要塞よりも規模はかなり小さい。なぜあんなところに彼女を連れて行くんだ?

 

 彼女が連れて行かれた理由を考えていると、銃口を向けられていた魔術師の男がいきなり嘲笑を始めた。

 

「ガキめ。まさか、あんな女の事が好きなのか?」

 

「何だと?」

 

「はははっ………。あんな女など、計画のために使ってから奴隷にされてしまうだろうな。返してほしいなら、商人に売られた彼女を奴隷として買えばいいじゃないか。そうすれば再会できるぞ? ハッハッハッハッハッ! ――――ギャアッ!!」

 

 男に向けていた銃口を少しだけ下げ、トリガーを引いた。5.56mm弾が嘲笑していた魔術師の男の左足を貫き、部屋の壁を真っ赤に汚す。

 

「ふざけるな………! 彼女が奴隷だと!?」

 

『り、力也さん………!』

 

 俺は89式自動小銃を机の上に置くと、胸のホルスターから装備し直しておいた水平二連ソードオフ・ショットガンを引き抜いた。中に12ゲージの散弾がちゃんと装填されているのを確認してから、銃口を魔術師の男に向ける。

 

 数歩その男に近づいた俺は、銃口を男の右腕に近づけてからトリガーを引いた。ゴーレムの頭を吹っ飛ばすほどの破壊力の散弾が、エミリアを侮辱した男の右腕を食い破った。散弾を何発も喰らった男の右腕の肘が血飛沫を吹き上げながら吹っ飛び、回転しながら資料が置かれているテーブルの上に落下する。

 

「ギャアアアアアアアアッ!! う、腕がぁぁぁぁッ!!」

 

 右腕を吹き飛ばされた男を見下ろしながら、俺は男の腹に銃口を向ける。即死させてやるつもりはない。このまま腹に散弾を叩き込み、内臓をズタズタにして殺してやる。

 

 腕を吹っ飛ばした武器が自分の腹に向けられているのを知った男は俺を見上げながら口を開いたけど、許すつもりはなかった。そのままトリガーを引き、至近距離で12ゲージの散弾を全て男の腹に叩き込む。

 

 肉片と肋骨の破片が舞い上がった。腹をズタズタにされた男は口から血を流し、痙攣してから動かなくなる。

 

 俺はソードオフ・ショットガンから空の薬莢を取り出して次の散弾を装填すると、机の上に置いておいた89式自動小銃を彼女に渡した。マガジンもテーブルの上に置き、フィオナに装備させる。

 

「ナバウレアか………」

 

『エミリアさんは、そこに連れて行かれたんですね』

 

「ああ。だが、計画って何だ? ジョシュアの野郎は何かを企んでいるのか?」

 

 まさか、目的はエミリアを連れ戻すだけではないということなのか? 

 

 ソードオフ・ショットガンを胸のホルスターに戻した俺は、背中に背負っていたOSV-96を取り出してから、銃身の下に取り付けられているRPG-7に対戦車榴弾を装着した。

 

 これから俺たちは、ナバウレアへと向かわなければならない。ジョシュアの野郎をぶち殺してエミリアを必ず救出する。

 

「ジョシュアの野郎………」

 

 あの時、殺しておけばよかった。ナバウレアでの決闘の際や、このクガルプール要塞で戦った時に止めを刺していれば、あのクソ野郎がエリスを送り込んでエミリアを連れ去ることはなかったんだ。そう、いつもと同じように過ごせる筈だった。

 

 この世界に転生したばかりの頃の俺は、甘かった。あのままエミリアを連れ去り、隣国へと辿り着けばもうジョシュアは手を出してこないだろうと決めつけていたのである。

 

 森の中でのフランシスカとの戦いで、殺さなければならない相手がいる事を学んだはずだ。なのに、全然学んでいなかったではないか。その後の要塞での戦いで、俺は片腕を失ったジョシュアを見逃してしまった。もしあの時殺していれば、エミリアが連れ去られることはなかったのである。

 

 俺の甘さのせいだ。もっと冷酷で容赦のない男にならなければ………。

 

 敵にはもう容赦はしない。仲間を苦しめるような奴らならば、命乞いをしてきても殺す。そうだ、敵は皆殺しにする。自分の中から甘さを淘汰しなければ、生き残ることは出来ないし仲間も守れない。

 

「次は殺す、ジョシュア」

 

 エミリアを連れ去るように命じた男。あいつを、今度こそ殺す。

 

 あいつの計画が進む前に、俺が撃ち殺す。もう二度と俺たちを狙えないように――――――。

 

「行くぞ、フィオナ」

 

『はい』

 

 今から俺たちが向かうのは、俺とエミリアの旅が始まった場所。今から俺たちは、かつて俺とエミリアが逃げてきた道を進軍しなければならない。

 

 もしあそこに、まだ躊躇するような甘い自分が残っているというのならば―――――――ジョシュアと共に、淘汰する。

 

 こちらの戦力は8人。そのうち、転生者はタクヤも転生者に含めるのならば3人となる。要塞を陥落させるならば1人でも十分だが、要塞の守備隊の中にはエリスもいる事だろう。

 

 彼女はエミリアの実の姉だという。エリスはエミリアの事を妹とは思っていないようだが―――――――もし彼女を助ける前に立ちはだかるというのならば、場合によってはエリスも消さなければならない。

 

 もし俺がエリスを殺したら、エミリアは悲しむだろうか? それとも実の姉を殺されたことに怒り狂って、俺に剣を向けてくるだろうか?

 

「………」

 

 歯を食いしばりながら、俺は静かになったクガルプール要塞の中で踵を返した。

 

 

 



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ナバウレアへの進撃

 

 私の周囲には、巨大な魔法陣が刻まれていた。巨大な魔法陣の中心に用意された金属製の柱に両腕と両足を縛り付けられているらしい。

 

 魔法陣の外を見渡してみると、懐かしい建物がずらりと並んでいるのが見えた。騎士団に入団してからずっと世話になった宿舎や馬小屋だ。ここはナバウレアの駐屯地なんだろうか?

 

「………久しぶりだねぇ、エミリア」

 

「ジョシュア、貴様………!」

 

「やっと君に会えたよ。………やっぱり君のような可愛い子は、あんな余所者には相応しくない」

 

「力也はどこだ? タクヤたちは無事なのか!?」

 

 ニヤニヤと笑いながら私の頬に手を伸ばしてくるジョシュア。私は頭を振ってジョシュアの手を弾くと、睨みつけながら問い掛けた。

 

「ああ、あの余所者たちか。あいつなら今頃クガルプール要塞で拷問を受けているよ。――――そのうち処刑されるんじゃないかなぁ! あっはっはっはっはっ!!」

 

「な、なに………!?」

 

 クガルプール要塞で拷問を受けているだと!?

 

 あいつは今も拷問され、苦しんでいるかもしれない。力也が苦しんでいるのを想像した瞬間、まるで剣を突き立てられたかのように胸が痛みだした。

 

「大丈夫だよ。君にはあんなやつなんて必要ないからね」

 

「貴様ぁ………!!」

 

 ふざけるな、ジョシュア!

 

 まだ私の頬に手を伸ばそうとしてくるジョシュアを睨みつけてると、彼の後ろから女の騎士が歩いて来るのが見えた。頭の両側はお下げになっている。あのお下げは、幼少の頃から全く変わっていない。

 

 姉さん―――。

 

「ジョシュア、儀式の準備は整ったそうよ」

 

「そうか。………あとは少し待つだけだ」

 

 ジョシュアに報告した姉さんは、ちらりと私の顔を見てから私を取り囲んでいる魔法陣を見つめた。私の顔を見てきた姉さんの顔は、悲しそうな顔に見えたような気がした。

 

 どうして悲しそうな顔をしたんだろうか? 昔は優しかったのに、姉さんはもう両親のように冷たくなってしまった。なのに、なんで悲しい顔をして私を見たんだ?

 

「それと………クガルプール要塞からの連絡が途絶えたわ」

 

「なに? 伝令は?」

 

「帰って来ない。魔物に襲われた可能性もあるけど………私たちの進軍の後に、魔物が残っているかしら?」

 

「………余所者め、逃げたのか………?」

 

 クガルプール要塞からの連絡が途絶えただと? あそこはオルトバルカ王国との国境付近に建てられた大規模な要塞の1つだぞ?

 

 大国の侵攻を防ぐことができるように、あそこの守備隊には騎士団から選抜された精鋭たちが優先的に配備されるようになっているし、飛竜の数も多い。相変わらず魔術師は全く配備されていないが、剣士たちの実力で考えれば十分にオルトバルカ王国の騎士団を足止めできるほどの戦力だし、数も多い。

 

 私がナバウレアに連れて来られてからはそれほど時間は経過していない。伝令が帰って来ない事に気付いた時間を考えても、要塞が陥落したとは全く考えられない。

 

 いや、力也やモリガンの仲間たちならば可能か? 私たちと同等の実力を持つタクヤとラウラも一緒ならば、短時間で要塞を攻め落とすことは可能かもしれない。それに、私たちには異世界の兵器がある。あらゆる騎士を蹴散らし、魔物を粉砕し、吸血鬼をも追い詰める最強の矛だ。そしてその担い手たちも少数精鋭の傭兵たち。守備隊のアドバンテージをひっくり返してしまう可能性は十分だろう。

 

 要塞が陥落したことが信じられないのか、ジョシュアは信じられないと言わんばかりに訝しみながら姉さんを睨みつけた。しかし、そんな目で睨まれている姉さんは全く意に介さず、予想外の事態で早くも狼狽えるジョシュアを馬鹿にするかのように肩をすくめる。

 

 貴族出身の指揮官は、こういう事態に弱い。それゆえに本当に優秀な指揮官は、地位と権力だけで指揮官の座につく傲慢な貴族たちではなく、実戦を経験した者なのだ。平民出身の騎士たちはそう思っている者が多い。

 

「………僕は執務室に戻るよ。念のため、警備兵の増量とあれの起動を」

 

「まだ調整が終わっていないわ。現時点では暴発の可能性もある」

 

「調整を急がせろ。あいつらがここまで進軍して来たら、計画は確実に頓挫するぞ」

 

 ジョシュアはそう言うと、まるで四方を敵の大軍に囲まれた指揮官のような渋面を浮かべ、駐屯地の方へと歩いていく。姉さんは無視するように黙って魔法陣の模様を見つめていた。

 

「………姉さん」

 

「もう姉さんって呼ばないでって言ってるでしょう………?」

 

 姉さんは小さな声で言うと、私の顔を睨みつける。ネイリンゲンの屋敷でそう言われた時も睨まれたけど、今の姉さんの顔はやっぱり悲しそうな感じがする。

 

 そういえば、姉さんはどうして冷たくなってしまったんだろうか? 昔は私に優しくしてくれた姉さんは、騎士団に入団してから冷たくなってしまった。

 

 騎士団で何かあったのだろうか?

 

「姉さん、なんで冷たくなってしまったんだ………?」

 

「………」

 

 姉さんは答えてくれない。悲しそうな顔のまま俯いてしまう。

 

「姉さん………?」

 

「………」

 

 歯を食いしばってから俯くのを止めた姉さんは、再び私を睨みつけてから踵を返し、宿舎の方へと歩いて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャタピラとエンジンの音を聞きながら、俺たちは森の中を見渡していた。かつて母さんと親父が2人でナバウレアから逃げ出した時に通った道だ。2人とも金を持っていなかったから、魔物を必死に倒しながら野宿を繰り返し、何とかさっきのクガルプール要塞に辿り着いたんだという。2人の駆け落ちじみた逃走劇はおとぎ話と同じくらい聞いたから、2人がどうやってオルトバルカ王国で傭兵を始めたのかも把握しているのだ。

 

 あの時は逃げようとしていた。ジョシュアという男からエミリアを解放し、この異世界で生きていくために。

 

 でも、今の親父は仲間たちを連れて、彼女を助けるためにナバウレアに攻め込もうとしている。半年前とは真逆だ。

 

 レオパルト2A6の砲塔の上に腰を下ろし、愛用のAN-94を弄りながら俺は息を吐いた。結局クガルプール要塞では一度もこの相棒は火を噴かなかったが、ナバウレアに到着すればきっと素敵な歓迎パーティーが幕を開けるだろう。モリガンの傭兵たちを快く思わないクソ野郎共が主催者となる、この異世界で最低最悪の歓迎パーティーである。

 

 その時だ。こいつが確実に火を噴き、真価を発揮するのは。

 

『力也さん、そろそろナバウレアですよね?』

 

「ああ、この森の先だ」

 

 砲塔の上に搭載された20mm速射砲のターレットの傍らで、AKS-74Uを点検していたフィオナちゃんが尋ねる。既にレオパルトの車内には4人の乗組員が乗っており、役割は残っていないため、乗組員となる4人以外は全員タンクデサントの真っ最中なのだ。

 

 何だか仲間が増えたような感じがする。

 

 タンクデサントをしているのは、俺と親父とラウラとフィオナちゃんの4人。いつもは甘えてくるラウラも、そろそろナバウレアに到着するため無言で武器の最終チェックを続けている。

 

 戦闘中になるといつもラウラは寡黙になり、敵を目にすると親父のように獰猛になる。普段はエリスさんで、戦闘中のみ親父みたいな性格になっているのだ。だから普段から彼女を見ているととてもアンバランスな性格に見えるし、二重人格なのではないかと思ってしまう。

 

 今から俺たちが攻め込むナバウレアは、先ほどラウラが1人で攻略してしまったクガルプール要塞と比べると規模が小さい。大国からの侵略を防ぐために建設されたのがクガルプール要塞で、それに対してナバウレアは国内の魔物を討伐するための騎士団が駐留する駐屯地なのだから、当然ながら規模の差は歴然である。

 

 だが、今は母さんの許嫁であるジョシュアが警備を強化しているに違いない。要塞から何も報告がなければ怪しむだろうし、勘が鋭ければ親父が脱走したという事も予測するだろう。母さんをさらわれた親父は必ず母さんを連れ戻すために、仮に単独であっても駐屯地に攻め込んでくる事は想像に難くない。今の時点であのレリエル・クロフォードと一戦交え、殺されかけたとはいえ全員で生還している傭兵ギルドのリーダーなのだから、どれほど警備を強化しても〝過剰”とは言えないだろう。それほどの本格的な歓迎会になるのは明らかだ。

 

 ナバウレアにも防壁はあるが、いきなり拷問を受けていた地下室から戦い始めたクガルプール要塞での戦いとは異なり、今度は防壁の外側から攻め込むような状況での戦いとなる。レオパルトの120mm滑腔砲を叩き込まれれば駐屯地の防壁など木端微塵だろうが、俺たちは母さんを救出しなければならない上、再びエリスさんと戦わなければならない。しかも、歴史を変えないように気を配りながら戦う必要があるのだ。

 

 とりあえず、ナバウレア周囲での草原の戦いと防壁内部での戦闘を想定すると、ベストな武器はやはりアサルトライフルだろう。

 

 ちらりとタンクデサントをしているメンバーを見渡す。親父は相変わらずグレネードランチャー付きのAK-47を肩に担いで戦車の前方を睨みつけているし、フィオナちゃんも武器の点検を終えて戦闘準備をしている。

 

 隣で銃の点検をしていたラウラも点検を終えると、先ほど俺が新たに支給したばかりの銃を構え、照準器を覗き込んだ。

 

 彼女が持っているのは、いつものグローザではない。先ほどのクガルプール要塞での戦闘で弾薬を撃ち尽くしてしまったらしいので、新しく別のアサルトライフルを用意したのである。

 

 そのアサルトライフルは――――――――AN-94と同じくロシア製アサルトライフルの、『AEK-973』と呼ばれる銃だ。『AEK-971』というアサルトライフルをベースにしたライフルで、俺のAN-94と比較するとさすがに2点バースト射撃は超えられないが、総合的な連射速度は速い。更にAN-94よりも頑丈で低コストという特徴がある。

 

 原型となったAEK-971はロシアなどの東側のアサルトライフルで一般的に使用される5.45mm弾を使用するのだが、俺がラウラに渡したAEK-973が使用する弾薬はより大口径でAK-47も使用する7.62mm弾。もちろん、連射速度は落としていない。

 

 タンジェントサイトとグレネードランチャーを取り付けたほか、ラウラの要望で銃口にはライフルグレネード発射用のカップ型のアダプターを装着してある。これで立て続けにグレネードでの砲撃ができるのだが、その代わり扱いは少々難しくなっている。

 

 後はフルオート射撃が可能なモデルのCz75フルオートを2丁装備している。こちらは近距離での射撃用らしいが、中距離での使用も考慮して折り畳み式のストックを装備して欲しいという事で、ベレッタM93R用のストックを改良して搭載している。おかげで、ストックを展開すれば小型のSMG(サブマシンガン)のように見えてしまう。

 

 ちなみに、俺もついでにCz75SP-01に折り畳み式のストックを装備しておいた。

 

「なあ、タクヤ」

 

「はい?」

 

「お前、何でスコップを持ってるんだ?」

 

 AK-47を担いでいた親父は、俺が腰の後ろに下げているホルダーを指差しながらそう言った。

 

 今の俺の腰の後ろにあるホルダーには、いつもの大型ワスプナイフではなく漆黒のスコップが2つ収まっている。もちろん両手で持つようなスコップではなく、マチェットよりも少し小さなサイズのものだ。しかも折り畳む事ができるため、折り畳んだ状態では大型ワスプナイフとサイズはあまり変わらない。

 

 片方を取り出し、折り畳んだ状態から展開する。ごく普通の穴を掘るためのスコップと比べると鋭角的で、先端部はナイフや剣の刀身を思わせる鋭い刃になっている。そのためこれでマチェットのように斬りつけたり、敵を突き刺すことが可能になっているのだ。普通のスコップでは考えられないが、軍用のスコップでは一般的である。

 

「塹壕戦にでも行くつもりか?」

 

「こいつでぶん殴るんですよ、ジョシュアを」

 

「なるほどね」

 

 敵を殺傷するだけでなく、塹壕を掘ることもできるので携帯しておくべきだろう。今回のナバウレア攻防戦では塹壕を掘る機会はないだろうけど、第一次世界大戦のように白兵戦で猛威を振るってくれるに違いない。

 

「なら、是非顔面をぶん殴ってやってくれ」

 

「了解です、同志リキノフ」

 

 ちなみに、余談だがロシア製のスコップには迫撃砲を内蔵したかなり珍しいスコップが存在するという。しかも改良されたタイプがロシア軍で採用されているらしい。

 

 そっちもぜひ作ってみようと思ったんだが、元々俺は二刀流で戦うため、迫撃砲として運用できるスコップを2つ作っても砲撃の際のメリットが小さいという事で生産はしていない。ステラに作ってあげたら喜ぶだろうか。

 

「あ、でも止めは俺が刺すからな。半殺しで頼む」

 

「ええ、同志の分もとっておきますからご安心を」

 

『す、スコップって戦闘に使うんですか………?』

 

「俺の世界で勃発した昔の戦争では戦闘に使ってたらしいぞ」

 

『は、初耳です………』

 

 雑談している間に、レオパルト2A6を取り囲んでいた木々の群れが消え失せていた。その代わりに今度は草原が広がり、その草原の彼方に防壁らしきものに囲まれた小さな駐屯地の姿があらわになり始める。

 

 あの駐屯地がナバウレアなのだろう。かつて母さんが所属していた場所で、親父と母さんの旅が始まった出発点。草原の真っ只中にある防壁を見つめながら、俺は息を吐いた。

 

「あれがナバウレアか………」

 

 呟きながらナバウレアを見つめていると、俺は防壁の近くに見慣れない建造物が建てられていることに気がついた。

 

 10mほどの高さの柱のようだ。まるでリボルバーのシリンダーの中に装填されている弾丸のように6本の柱が配置されていて、表面は紅色に発光している。

 

 あれは何だ? 俺は背中からOSV-96を取り出してスコープで確認しようとしたけど、長い銃身を展開する前にその6本の柱の上に真紅の光が出現し、柱たちの中央へと集まって巨大な球体を形成し始めたのが見えて、俺はすぐにアンチマテリアルライフルを背中に背負った。

 

『あれは………! し、信也くん! 回避してください!』

 

 俺の隣に乗っていたフィオナちゃんが、キューポラのハッチをすり抜けて中にいる信也叔父さんに言った。やはりあれは、ナバウレアからの攻撃なんだろう。

 

「ミラ、回避!」

 

(了解!)

 

 ナバウレアへと直進していたレオパルトが右へとカーブを開始する。俺は砲塔にしがみつくと、その真紅の光を睨みつけていた。

 

 レオパルトがカーブを終えて草原をL字型に抉ったその時、6本の柱たちの中心に浮遊していた真紅の光がいきなり収縮したかと思うと、再び膨張して俺たちの方へと向かって飛んできた!

 

 レーザーを思わせる恐ろしい弾速だった。でも、その凄まじい弾速にふさわしい音は全く聞こえない。ただ紅い光をまき散らしながら俺たちに向かって飛んで来るだけである。

 

 でも、発射される前にフィオナちゃんのおかげで回避を始めていたから、その紅い光がレオパルトの車体に飛び込んでくることはなかった。紅い光をばら撒きながらレオパルトが排出した排気ガスの真っ只中を突き抜け、森の方へと向かって飛んで行く。

 

「ありゃ何だ!?」

 

 装填手のハッチから身を乗り出したギュンターさんが叫ぶ。猛烈な魔力の気配がしたが、あんな魔術は聞いたことがない。まるで魔力の塊をかなり圧縮して撃ち出したかのような攻撃である。

 

『今のは………ゲイボルグ………!?』

 

「ゲイボルグ?」

 

『はい。私が生きていた頃、オルトバルカ王国の魔術師が提唱した遠距離攻撃用の魔術です!』

 

 フィオナちゃんが生きていた頃ということは、100年前ということになる。そんな大昔に提唱された魔術を、なんで魔術師の戦力に乏しいラトーニウス王国騎士団が所有してるんだ?

 

『今のうちに接近してください! 狙い撃ちにされちゃいます!』

 

「了解! ミラ、接近して! カレンさんは砲撃準備! 砲弾は徹甲弾! 目標、ゲイボルグ!」

 

「ヤヴォール!」

 

(ヤヴォールッ!)

 

 まずは、あのゲイボルグを砲撃で破壊しなければならないようだ。

 

「兄さんたちは突撃準備を!」

 

「おう!」

 

「ラウラ、出番だぞ」

 

「了解!」

 

 カレンさんがあのゲイボルグを徹甲弾で吹っ飛ばしてくれたら、すぐに突撃しよう。ナバウレアに突入して母さんを救出し、歴史通りにジョシュアをぶち殺す。

 

 間違いなくエリスさんと再び戦う羽目になるが、彼女が死ぬことになればラウラは生まれなかった事になってしまう。もしそんな事になったら、ラウラが消えてしまうかもしれない。

 

 歴史を変えるわけにはいかない。何とかしてエリスさんをモリガンの仲間にし、最終的には親父と結婚してラウラを生んでもらわなければ。

 

「撃てぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 

「発射(ファイア)!」

 

 信也叔父さんが絶叫した瞬間、俺は隣にいたラウラを抱き抱えながら両耳を塞ぐ。その直後、強烈なマズルフラッシュと砲声が俺とラウラたちを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 



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ナバウレアに突入するとこうなる

 

「ゲイボルグ、躱されました!」

 

「どこを狙ってるんだ! さっさとチャージしてもう一発叩き込め!」

 

 僕はゲイボルグが外れたと報告してきた騎士を怒鳴りつけると、腕を組みながら爆炎が吹き上がる森の方を睨みつけた。

 

 おそらく、攻め込んで来ているのはあの余所者が率いるモリガンとかいう傭兵ギルドだろう。目的は間違いなくエミリアの救出だ。彼女がここにいるということを知っているということは、余所者はクガルプール要塞を脱出したということなんだろう。

 

 まったく。クガルプール要塞の無能どもは何をやっているんだ。装備を取り上げて丸腰になっている上に拷問で重傷を負っている少年を取り逃がすとは。

 

 しかも、伝令も音信不通になっている。運悪く魔物に襲われて食い殺されたのならば、それは本当に運がなかったとしか言いようがない。騎士団を派遣して念入りに掃討作戦を繰り返しても、魔物たちは地下から染み出す水のように姿を現すからだ。だから「騎士団が掃討した後の場所なのに、魔物が現れて襲われた」という商人たちの批判は少なくはない。

 

「ゲイボルグ、再度チャージ開始。フルパワーまであと30秒」

 

「魔力、加圧開始」

 

 魔法陣を操作している騎士たちが僕に報告する。僕は燃え上がる森ではなく、再び紅い光を纏い始めた6本の柱をちらりと見た。

 

 あのゲイボルグは、100年前にオルトバルカ王国の魔術師が提唱した遠距離攻撃用の魔術を再現したものだ。魔力を放出するための魔法陣と、その魔力を加圧して抑え込むための6本の柱で構成される兵器で、魔法陣から放出された魔力は周囲の柱によって魔法陣の中心に束縛され、加圧され続ける。限界まで加圧したら攻撃したい方向の柱に加圧を止めさせれば、その加圧が止まった柱の方向から圧縮された魔力が放出され、遠距離の敵を破壊するという仕組みになっている。

 

 例えるならば、小さな袋に限界まで水を入れ続け、穴をあけるようなものだ。命中精度はあまり高くないけれど、射程距離は4kmもある。弓矢や魔術よりも射程距離が長いんだ。

 

「ゲイボルグ、フルパワー!」

 

「目標、モリガン!」

 

「加圧停止準備、完了!」

 

 モリガンの奴らはまだナバウレアに向かって前進している。また回避するつもりか?

 

 僕はニヤリと笑いながら剣を掲げ、モリガンの奴らに向かって振り下ろそうとした。ゲイボルグの発射を担当する騎士たちが、発射用の魔法陣に指を近づけて僕の方を見ている。

 

 その時だった。接近しているモリガンの奴らの兵器の先端部がいきなり煌めき、轟音が聞こえてきたんだ。

 

 何か魔術でも放ったのかと思ったが、敵との距離は普通の魔術が届く距離を遥かに超えている。どうせ追い詰められた魔物が我武者羅(がむしゃら)に暴れているかのような悪あがきなのだろう、と思た次の瞬間、いきなりゲイボルグに流し込まれていた魔力の塊を押さえつけていた柱が一気に2本も砕け散った。まるで高速で飛んできた何かに突き崩されてしまったかのように、紅い光を放っていたゲイボルグの柱が破片と土煙を吹き上げながら倒壊していく。

 

 魔力を押さえつけていた柱が倒壊してしまったせいで、加圧されて束縛されていた魔力たちが逃げ場を得てしまった。防壁の上で魔法陣を操作していた騎士たちが慌てて魔力を何とか別の柱に抑え込ませようとするけど、既に発射する直前だった魔力たちを抑え込むことは不可能だった。倒壊した柱の上から加圧されていた魔力が流れ出し、草原を抉り始める。

 

 その流れ出した魔力たちは外側から柱に襲い掛かり、次々にその柱を倒壊させていった。その柱が倒壊したせいで更に魔力が流れ出し、ゲイボルグがあった場所は真っ赤な光に包み込まれてから大爆発を引き起こしてしまう。

 

「げ、ゲイボルグ、消滅………!」

 

「ば、馬鹿な………! ゲイボルグの射程距離と同じくらいの距離から撃ち返して来ただと………!?」

 

「くそ………! 守備隊、戦闘準備! 急げ!」

 

 あの兵器はなんだ!? ゲイボルグと射程距離が同じなのか!? しかも、あんな距離から正確にゲイボルグの柱に攻撃を命中させただと!?

 

 敵は強力な兵器を持っている上に、優秀な射手までいるらしい。

 

「………エリス、来い」

 

「………」

 

 僕は後ろでゲイボルグが崩壊するのを見ていたエリスに言うと、踵を返してエミリアの所に行く事にした。そろそろ儀式を始めなければ、エミリアがモリガンの連中に連れ戻されてしまう。

 

 エリスはここで守備隊の連中と一緒に出撃させるのではなく、僕の近くに待機させて、駐屯地に突入してきた奴らを迎撃させたほうがいいだろう。所詮守備隊の連中は計画のための捨て駒だ。もしここでエリスと僕以外の騎士が全滅したとしても、僕の権力があれば他の駐屯地や要塞からすぐに騎士たちを補充する事が可能だ。僕のような貴族はなかなか後釜を探す事ができないが、貧しい平民出身の兵士ならばいくらでも後釜がいる。外に出れば必ず雑草を目にするかのような頻度で彼らを目にする事ができるのだ。

 

 さすがにエリスのような優秀な騎士を補充することは出来ないから、彼女だけは温存しておかないとな。それに、彼女は僕の計画を知っている人物だ。もしこの計画が頓挫したら、少なくとも議会にこの計画が露見しないように口封じをしなければならない。

 

「………なんで悲しい顔をしている?」

 

「………何でもないわ」

 

 僕は悲しい顔をしながら柱に縛り付けられているエミリアを見つめているエリスに言うと、防壁の階段を駆け下り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲイボルグの柱に命中!」

 

「すげえ! 1発であんな柱に命中させやがった!」

 

 カレンさんの放った徹甲弾は、3kmも先にあるゲイボルグの柱に命中したようだった。更に柱を貫通した徹甲弾は中心に浮遊していた魔力の塊の下をすり抜け、反対側の柱まで貫いて倒壊させてしまったらしい。

 

 すると、柱たちに取り囲まれていた紅い魔力の塊が膨張を始めた。球体のような形状で浮遊していた魔力の塊が崩れ出し、倒壊した柱のあった場所から外へと流れ出し始める。そして紅い魔力の塊に飲み込まれてしまったゲイボルグは、大爆発して崩壊を始めてしまった。

 

「やったわ!」

 

(さすがカレンさん!)

 

 僕も彼女の砲撃の技術を称賛しようと思ったけど、崩壊していくゲイボルグの向こうにあった防壁の門が開き、その向こうから騎兵や大きな盾と槍を持った騎士たちが出撃してきたのを見て、すぐに座席の近くにあるコンソールを操作する羽目になった。

 

 アクティブ防御システムを20mm速射砲から20mmエアバースト・グレネード弾へ切り替え、Sマインも準備しておく。飛竜は見当たらないから、今回は対人戦闘だけで問題ない筈だ。

 

「キャニスター弾、装填!」

 

「了解! キャニスター弾!」

 

 先陣を切るのは間違いなく騎兵だ。榴弾で薙ぎ倒すよりも、無数の散弾をばら撒くキャニスター弾で薙ぎ払った方がいいだろう。兄さんのための突破口も開く事が出来る筈だ。

 

「敵、12時方向から騎兵! 数は………30! 隊列の中央を狙ってください!」

 

「ヤヴォール!」

 

「みんな、準備は!?」

 

『いつでもいいぜ』

 

 無線機から突入準備を終えた兄さんの声が聞こえてくる。

 

「最初にキャニスター弾で敵を薙ぎ払うから、そしたら突入して!」

 

『了解だ。カレン、頼むぞ!』

 

「任せなさい!」

 

 ギュンターさんが装填用のハッチにキャニスター弾を押し込む。カレンさんは照準器を覗き込むと、前方から槍を構えて接近して来る騎兵たちに照準を合わせる。

 

 接近されてもレオパルトに搭載されているMG3やターレットで対応できるし、Sマインも装備している。それに、敵にはレオパルトの装甲を貫通させられるような武器はもうない。

 

撃て(ファイア)ッ!!」

 

「発射(ファイア)!!」

 

 僕の号令を復唱しながら、カレンさんが砲弾の発射スイッチを押した。

 

 砲声が轟き、強烈な火薬の臭いがレオパルトの車内を包み込む。排出された巨大な薬莢が床に落下する音を聞きながら、僕はモニターを覗き込んだ。

 

 120mm滑腔砲から飛び出したキャニスター弾が空中分解し、突撃して来る騎兵隊の眼前に無数の小さな散弾の群れを放り込む。彼らの防具を貫通してしまうほどの威力がある無数の散弾の群れの中に飛び込む羽目になった騎兵隊は、もう蹂躙されるしかなかった。

 

 馬たちの肉体が次々に砕け散り、乗っていた騎士たちの肉体も小さな散弾たちが簡単に食い破っていく。騎兵隊の隊列の中央で血飛沫と肉片が吹き上がり、砲声の残響の中で絶叫が響き渡った。

 

 しかも今のキャニスター弾の砲撃で騎兵隊の隊長が戦死したらしい。体勢を立て直すために引き返そうとする者やそのまま突撃を続行しようとする者のせいで、騎兵隊の隊列がバラバラになっていく。

 

「今だ!」

 

『おう! 頼んだぜ!』

 

 そして、そのバラバラになった騎兵隊の隊列の中に、黒いオーバーコートを身に纏った兄さんが突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火薬の臭いと血の臭いは、もう俺たちにとっては嗅ぎ慣れた身近な臭いだった。

 

 戦場や狩場で、俺たちは何度もこの臭いを嗅いで育った。壁の外での魔物との戦いや、森の中で動物へとボルトアクションライフルを向けた狩りの最中。前世の世界の人々が生み出した兵器の発する臭いが、俺たちを兵士へと〝最適化”させていく。

 

 AN-94を2点バーストに切り替えた俺は、ラウラと目を合わせてからレオパルト2A6の上から飛び降りた。戦車の砲撃で支援してもらいながら、今から俺とラウラと若き日の親父の3人はナバウレアへと突入しなければならない。

 

 全力疾走しながらタンジェントサイトを覗き込む。照準器の向こうに見えるのは、既に先ほどのキャニスター弾の砲撃を受けて総崩れになりつつある騎兵隊だった。相手は熟練の騎士たちだというのに、その割にはやけに統制が取れていないように見える。見たこともない兵器の破壊力を目の当たりにして驚愕しているのだとしても、その後に突撃してきたたった3人の傭兵を目にして百戦錬磨の騎士が慌てふためく筈がない。

 

 これではただの烏合の衆だ。満足に訓練を経験したわけではない新兵に装備を一式身に着けさせ、そのまま戦場に放り込んだ状態と変わらない。

 

 その醜態の原因は、どうやら指揮官の戦死であるようだった。

 

 先ほどカレンさんが放った120mm滑腔砲のキャニスター弾による一撃で、運悪く指揮官が小型の鉄球の餌食となってしまったらしい。

 

 またしても砲声が轟いた直後、いきなり目の前の騎兵隊の隊列が吹き飛んだ。土と肉片が舞い上がり、爆炎が草原を焼き尽くしていく。

 

 どうやらレオパルトが榴弾で総崩れになった騎兵隊に止めを刺したらしい。2点バースト射撃で薙ぎ倒そうとしていた敵をカレンさんに横取りされた俺は、ニヤリと笑いながら目の前の黒煙の中に突っ込んでいった。

 

 バラバラになった死体や防具の破片を踏みつけながら黒煙を突き破り、ナバウレアの防壁に向かって突撃していく。

 

 次に目の前に現れたのは、いきなり先陣を切る筈だった騎兵隊が全滅したのを目の当たりにして慌てふためいている騎士たちの隊列だった。

 

「も、モリガンの傭兵だ! 突っ込んで来るぞ!」

 

「落ち着け! たった3人だけだ!!」

 

 悲鳴を上げる騎士を指揮官が叱責するけど、その指揮官も怯えているようだった。どうやらモリガンのこの黒い制服はかなり有名らしいな。

 

 俺は今度こそタンジェントサイトの照準を騎士たちに合わせた。狙う目標は、狼狽した騎士を叱責していた指揮官と思われる男だ。俺の目的は母さんを救出することだから、この騎士たちを相手にしているわけにはいかない。だから、指揮官を倒してさっきの騎兵隊のように混乱させてから突破する。そうすれば、信也叔父さんたちも簡単にこいつらを殲滅する事が出来る筈だ。

 

 指揮官はまだ部下を叱責して何とか戦わせようとしているようだったけど、すぐにその怒声はアサルトライフルの銃声に砕かれることになった。俺が撃った数発の7.62mm弾に肉体を食い破られ、指揮官が血を吐きながら崩れ落ちる。

 

 立て続けに、今度は隣を走っていたラウラがフルオート射撃を開始した。今までは銃身の短いライフルを2丁装備している事が多かったラウラがアサルトライフルを持っている姿は、何だか違和感を感じてしまう。

 

 本当にフルオート射撃なのかと言いたくなるほどの凄まじい命中精度で、ラウラの7.62mm弾が続けざまに騎士たちの肉体を鎧もろとも食い破る。大口径の弾丸が防具に着弾した時点で、もう彼らの身体に風穴が開くのは決まっているようなものだった。あっさりと防具が突き破られ、まだ人間の肉体をズタズタにできるほどの運動エネルギーを温存している弾丸が脇腹や胸板を突き破り、まるで自分の威力を誇示するかのように胸骨や内臓を粉砕していく。

 

 それほどの火力の攻撃が、フルオートで叩き込まれるのである。1発や2発で済んだ騎士は幸運かもしれないが、哀れにもそれ以上の弾丸を喰らう羽目になった騎士たちはまさに悲惨であった。手足や上顎が砕け散り、人間に近い姿をした肉塊となってしまった彼らは、生き残っている仲間たちに恐怖を染み込ませていくしかない。

 

「ひぃっ!」

 

「く、来るぞぉっ!!」

 

 まだ戦うつもりか。

 

 俺は左手をグレネードランチャーのグリップへと伸ばし、照準を騎士たちの隊列へと合わせた。さっきの騎兵隊みたいにバラバラになってくれればそのまま突破するつもりだったんだが、まだ戦うつもりならば強引に突破していくわけにはいかない。

 

 騎士たちが何人か雄叫びを上げながら俺に向かって突っ込んで来る。大型の盾を持っているようだけど、40mmグレネード弾ならば関係なく吹っ飛ばしてくれるだろう。

 

 親父とラウラも同じことを考えているらしく、2人とも銃身の下に搭載してあるグレネードランチャーへと手を伸ばしていた。

 

 AK-47、AN-94、AEK-973に搭載されたグレネードランチャーの咆哮が、ついに牙を剥く。

 

 原点となったAK-47と、それから発展した2つのライフル。それの担い手は、親父という〝原点”から生まれた俺とラウラ。

 

「「「邪魔だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」」」

 

 俺たちは絶叫しながら、左手でグレネードランチャーのトリガーを引いた。

 

 発射されたグレネード弾は騎士たちの盾に命中して跳弾すると、前進してくる彼らの足元に突き刺さり、爆発する。足元で吹き上がった爆風に盾を簡単に砕かれ、騎士たちが粉々にされていく。3人から一斉に40mmグレネード弾の集中砲火を浴びる羽目になった騎士たちの隊列は、瞬く間に彼らの絶叫と炎に呑み込まれることになった。

 

 あの一撃で即死した騎士たちは幸運だった。普通なら死んだほうが運が悪いというかもしれないけれど、こういう場合はそっちの方が幸運だと言えるのかもしれない。そう、グレネード弾で即死することを免れても、その代わりに手足を吹き飛ばされたり、顔や身体中にグレネード弾や自分自身の装備していた防具の破片を突き刺されてのたうち回るよりは幸運だろう。もし俺ならば―――――――いっそ吹っ飛ばしてもらった方が、幸運だと思う。だから爆炎と血肉の欠片の真っ只中でのたうち回るのは、哀れで運のなかった〝生存者”でしかない。

 

 2点バーストの素早い射撃で追い討ちを叩き込み、騎士たちを更に殺傷していく。絶叫しながらのたうち回る負傷兵を楽にしてやりたいところだが、残念ながら彼らに止めを刺す余裕はない。急いでナバウレアへと突入しなければならないのだから、止めを刺すよりも戦闘ができない状態となってくれれば、俺たちには十分である。

 

「白兵戦!」

 

「「了解(ダー)!!」」

 

 親父の命令を聞く寸前に、俺も同じことを考えた。

 

 もう騎士の隊列との距離はかなり近くなっている。このまま銃撃を繰り返すよりも、そろそろ白兵戦の準備をして強引に突破した方が良い。多少〝食べ残し”があっても、後方にいるレオパルトの正確な砲撃が後片付けをしてくれる。なぜならば、砲手の座席に腰を下ろしているのは、遠距離から粘着榴弾を21年後の親父に命中させるという離れ業を成し遂げたカノンの母であるカレンさんなのだから。

 

 アサルトライフルの攻撃を止め、腰のホルダーから2本の小型スコップ――――――――斬撃で殺傷できるように刃になっている軍用スコップだ―――――――――を引き抜き、俺は先陣を切った。

 

 体勢を低くしながら駆け抜ける。スコップの先端部が微かに地面に掠った音を聞きながら騎士の懐へと接近した俺は、まるでボクサーが相手にアッパーカットをお見舞いしようとしているかのように、一気に足を伸ばしながら右手のスコップを突きあげた。

 

 地面に穴を掘る音よりも生々しい音が切っ先から微かに聞こえる。手応えは、穴を掘るために地面にスコップを突き刺す時とあまり変わらない。違いを言えと言われても、その違いを1つ言えるかどうかというほどそっくりな感覚だった。

 

 騎士の兜と胸を覆う防具の隙間から入り込んだスコップの先端部が、見事に騎士の喉を突き破っていたのである。顔を覆っているフェイスガードのスリットから鮮血が溢れ出した瞬間にはスコップを引き抜き、腹を蹴飛ばして後続の騎士と激突させる。

 

 その隙に、ラウラもナイフで敵に襲い掛かった。死体と激突して動きが鈍っている騎士に飛び掛かった彼女は、俺と同じように防具の隙間にスペツナズナイフを突き立てると、同じように何度もナイフで突き刺してズタズタにしてから離れる。背後から襲い掛かろうとしていた軽装の騎士の顔面に美しい右足を突き出し、その足に装備していたサバイバルナイフで騎士の頬を突き破ると、彼女は返り血を浴びながらそのナイフを引き抜いた。

 

 近くにいる騎士をスコップでぶん殴ってやろうと思っていると、何の前触れもなく傍らの騎士3人ほど同時に真っ二つになった。骨盤のやや上あたりで切断された3人の死体が崩れ落ち、大量の鮮血を噴き上げる向こうから姿を現したのは――――――――奇妙な形状の日本刀を手にする親父であった。

 

 一見すると漆黒の日本刀にも見えるが、鍔の代わりに柄と刀身の付け根からは機関銃のキャリングハンドルに似た部品が伸びているし、よく見るとボルトハンドルも装備されている。刀には決して装備されることのないパーツが取り付けられた奇妙な代物と、ごく普通の小太刀を手にした親父は、俺たちが無事であることを確認して頷くと、振り向くと同時にまた2人の騎士を一刀両断してしまう。

 

 経験を積んだ剣豪の鋭い剣戟のような一撃ではなく、実戦を経験しながら自分で編み出した荒々しい我流の剣術のような剣戟であった。実際に親父はどこかで剣術を学んでいたわけではなく、殆ど自分で編み出した我流の剣術を使っていたという。21年も経過して洗練されていった俺たちの目にしたことのある太刀筋よりも荒々しく、未熟な剣戟ばかりだけど、鎧もろとも両断してしまうような強烈な一撃であるという事は、21年後と変わらない。

 

 あの親父の強さの原点は、まさにこの時代だったのだろう。

 

 バラバラになった隊列の向こうには、まだ他の隊列が見える。大型の盾と槍を装備した騎士たちの隊列の後方には、弓矢を装備した騎士たちがずらりと並んでいるようだ。あの槍を持った騎士たちを防壁代わりにして、俺たちを弓矢で倒すつもりらしい。

 

 だが、そんな作戦で転生者が倒せるものか。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 2本の刀を構えながら、若き日の親父はその隊列に向かって突進した。

 

 今まで散々隊列を突破してきたが、目の前に並んでいる騎士たちの隊列は一番大きい。おそらく、あの隊列を突破する事が出来ればナバウレアに突入する事が出来るだろう。

 

 あれを突破すれば、母さんを助ける事ができる。最愛の恋人――――――――のちに妻の1人となる女である――――――――――を救うために、血まみれになった勇者が死に物狂いで突進していく。

 

 いや、勇者と言うよりは魔王と言った方が良いだろう。仲間のために何人も敵を殺し、その度に返り血を浴びて帰ってくるような男には、『勇者』という肩書は似合わない。

 

 あの男は、『魔王』だ―――――――。

 

 あらゆるおとぎ話で悪者とされる魔王。恐ろしい数多の魔物を従え、人間を蹂躙する勇者たちの敵。

 

 今の彼が蹂躙しているのは、まさに人間だった。人間(エミリア)を救い出すために、人間(ジョシュア)を蹂躙する。その魔王も、現時点では人間。

 

 より現実的なおとぎ話じゃないか。被害者も、犠牲者も人間。正義も、悪も人間。そんな価値観を生み出したのも人間だ。元々は単純な世界だった筈なのに――――――――人間が生まれてから、一気に複雑になったんじゃないだろうか。

 

「放てぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 指揮官らしき騎士が絶叫しながら剣を振り下ろした瞬間、盾を持った騎士たちの後方に並んでいた騎士たちが、まだ俺の近くに味方の騎士が残っているというのに、一斉に無数の弓矢を放ち始めた。彼らを切り捨てたということか。

 

 味方の騎士の矢に貫かれ、次々にラトーニウス王国の騎士たちが崩れ落ちて行く。親父は刀で無数の矢を叩き落としながら、前方の隊列へと向かって走り続けた。

 

「ぜ、前衛! 構え!!」

 

 指揮官が怯えながら指示を出す。大きな盾と槍を持った騎士たちが槍の先端部を俺に向け、盾を構えながら前進を始める。

 

 親父は左手の小太刀を一旦鞘の中に戻した。代わりに、左足の太腿の辺りにぶら下げていた手榴弾の柄を掴み、安全ピンを引き抜く。

 

 親父が引き抜いたのは、ソ連製対戦車手榴弾のRKG-3だった。しかし対戦車手榴弾は、転生者の能力で改良を加えない限りは戦車の装甲を破壊することを想定して開発された対戦車兵器の1つに過ぎない。人間を相手にするには過剰ともいえる火力を秘めているが、人間の群れを相手にするならばその破壊力よりも攻撃範囲を優先するべきである。それゆえに榴弾などの兵器は、歩兵の群れを蹂躙する事ができるのだ。

 

 接近してくる騎士たちに向かって、親父はその対戦車手榴弾を放り投げた。柄のついた手榴弾は後方からちょっとしたパラシュートのようなものを伸ばしながら騎士たちの足元に落下し、そこで大爆発を引き起こす。

 

 猛烈な爆風が、中に入っていた何かをまるでショットガンの散弾のようにまき散らした。爆風で吹き飛ばされた小さな何かに防具と肉体を切り刻まれた騎士たちを、対戦車手榴弾の爆風が吹き飛ばしていく。

 

 おそらく、あれは小型の鉄球だ。クレイモア地雷の中に入っているような小型の鉄球を対戦車手榴弾の中に詰め込み、攻撃範囲を一気に広くしたのだろう。モリガンは少数精鋭とならざるを得ないため、必然的に戦闘では敵の方が彼らの人数を上回る。そのため、多数の敵を相手にするために改造した武器を使用することが頻繁にあったという。

 

 親父は対戦車手榴弾の爆炎の中へと飛び込み、そのまま走り続けた。親父に突っ込んできた騎士たちの隊列は、たった1つの対戦車手榴弾でズタズタにされていた。

 

「か、構えッ!」

 

 目の前で、弓矢を装備した騎士たちが弓矢を構える。

 

 親父は目の前の最後の隊列へと向かって走りながら、両手に持っている刀と小太刀を鞘に戻した。そして両手を背中に伸ばし、俺の背中で2つに折り畳まれている得物を取り出し、長い銃身を展開する。

 

 OSV-96の銃身を展開した親父は、すぐに左手を銃身の下に搭載されているRPG-7のグリップへと伸ばした。そして目の前の隊列へと狙いを定め、ロケットランチャーのトリガーを引く。

 

 騎士たちの隊列が一斉に矢を放つよりも先に、ロケットランチャーをぶっ放した。隊長は慌てて号令を出しながら剣を振り下ろそうとするけど、ロケット弾が着弾する方が早かった。

 

「あああああああああああッ!!」

 

 ロケット弾が、弓矢を構えていた騎士に命中した。ロケット弾はまだ爆発せず、そのまま命中した騎士を後方の防壁の方へと連れ去っていく。

 

 そしてロケット弾に連れ去られた騎士は、後方にあったナバウレアの防壁に背中を叩き付けられてから、自分の腹にめり込んだロケット弾と心中する羽目になった。

 

 騎士を連れ去ったロケット弾が防壁に突き刺さった瞬間、爆風をまき散らして弾け飛んだ。魔物の襲撃を防ぐための防壁には、大穴が開いている。ロケット弾を再装填(リロード)しながら突っ走ると、防壁の破片と焦げた肉片を踏みつけながら防壁の大穴へと向かって走っていく。

 

「エミリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 俺たちの親父を止められる騎士はいなかった。彼を止めるために騎士が剣を振り下ろそうとしても、親父は全く怯えない。左手の小太刀で容易く受け止めたかと思うと、すぐに振り払って右手の刀で喉元に突き刺している。遠距離から弓矢で攻撃しようとしてもすぐにそれを見切り、左手の小太刀を放り投げて射手を始末してしまう。

 

 騎士たちでは、あの男を止められない。

 

 止めるために立ち塞がった奴から、すぐに絶命していく。

 

 たった1人の男に、騎士たちが蹂躙されている。

 

「す、すごい…………!」

 

「マジかよ………!」

 

 ――――――――強過ぎる。

 

 誰も、あの親父に勝つことは出来ない。

 

「エミリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 アンチマテリアルライフルを肩に担いで走りながら絶叫する。すると、先ほどのロケット弾の爆発が生み出した黒煙の向こうから、母さんの叫び声が聞こえてきた。

 

「力也ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

近くにいた騎士の顔面をスコップでぶん殴り、後ろから襲い掛かろうとしていた奴の首を斬りおとしてから、俺たちも防壁の穴へと飛び込んだ。

 

 駐屯地の庭の奥には、金属製の柱が鎮座していた。その柱の周囲の地面には複雑な記号や古代文字が描かれた魔法陣が刻まれている。そして、その金属製の柱には、やはり母さんが縛り付けられていた。

 

「え、エミリア………!」

 

「へえ。クガルプールから逃げ出したか………」

 

 母さんに向かって走り出そうとした瞬間、柱の近くに立っていたあの金髪の男がニヤニヤと笑いながら言ったのが聞こえた。相変わらず派手な防具に身を包み、腰には装飾だらけの派手なロングソードを下げている。クガルプール要塞の地下室で見た男だ。

 

 そして、ジョシュアの隣に立っているのは―――――――――のちにラウラの母親となる若き日のエリスさんだった。左手にハルバードを持ち、防壁を突き破って侵入してきた俺たちを睨みつけている。

 

「てめえ………!」

 

「エリス、今から儀式を開始する。時間を稼ぐんだ」

 

「…………」

 

 エリスさんは何故か悲しそうな顔をしてエミリアをちらりと見てから、ハルバードの先端部を俺に向けて来た。

 

 きっと、葛藤しているのだ。仲が悪いとはいえ、母さんはエリスさんにとっては大切な妹。幼少の頃は常に一緒に遊んでいた家族の1人なのだ。いったい何をするつもりなのかは分からないが、きっと彼女もこのまま母さんを傷つけたくないと思っているに違いない。

 

 上手く行けば………エリスさんを仲間にすることもできるかもしれない。

 

「エリス、そこを退け………!」

 

 しかし、親父はエリスさんを敵だと思っているようだ。彼女を殺さなければ母さんを連れ戻すことは出来ないと思っているならば――――――――親父は、きっとエリスさんを殺してしまう事だろう。そしたら、ラウラが消えてしまう………!

 

「………」

 

 彼女はまた悲しそうな顔をしてから俯くと、首を横に振った。

 

「…………行くわよ、力也くん!」

 

「…………ああ」

 

 親父は彼女を睨みつけながら、アンチマテリアルライフルの銃口を向けた。

 

 

 

 

 



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若き日の母の正体

 

 轟音が響き渡った瞬間、氷の破片が舞い上がった。その氷たちはT字型のマズルブレーキから放たれたマズルフラッシュと熱気を一瞬で冷却し、現れる筈の陽炎を消し去ってしまう。

 

 しかし、熱気を冷却して勝ち誇る冷気を、すぐに次の焼夷弾の熱気が消し飛ばしてしまう。そして、また冷気が焼夷弾の熱気の残滓を冷却する。先ほどからこれの繰り返しだ。その攻撃を繰り出している主人の戦いも、この熱気と冷気の戦いのように膠着し始めていた。

 

 空になったマガジンを取り外し、サムホールストックのホルダーから焼夷弾のマガジンを取り出すと、そのマガジンを装着してから銃剣をエリスに向かって突き出す。彼女がその銃剣を受け止めた瞬間にコッキングレバーを引いて再装填(リロード)を済ませ、至近距離でそのままトリガーを引く。

 

 でも、エリスはすぐに受け止めていた銃剣を上に押し上げ、右に回り込んだ。トリガーを引いた瞬間に銃身を押し上げられてしまったため、OSV-96の銃口は空へと向けられ、炎を纏った12.7mm焼夷弾は空へと飛んで行ってしまう。

 

「くっ…………!」

 

 俺は左手でキャリングハンドルを握りながら銃剣をエリスへと向け、横から奇襲してきた彼女のハルバードを受け止めた。焼夷弾をぶっ放したばかりのアンチマテリアルライフルの銃身が、氷を纏った彼女のハルバードで冷却されていく。冷却してもらえるのはありがたいが、大事な得物を氷漬けにされるわけにはいかない。銃身を左に振り回すようにしてハルバードを逸らし、銃剣を引き戻す。

 

 おそらく、エリスは左利きだ。だから俺から見て左側に得物を逸らされると、体勢をすぐには立て直せない筈だ。その隙に攻撃できるかもしれない。

 

 彼女はラトーニウス王国が切り札にするほどの戦闘力を持つ、最強の騎士。たった1人だけでもオルトバルカ王国に対する抑止力になってしまうほどの力がある。それは大げさな肩書などではないということは、ネイリンゲンで最初に戦った時に理解している。

 

「2人とも、エリスは俺が相手をする! お前らはジョシュアの儀式を止めてくれ!」

 

「了解!」

 

 俺1人で、エリスが倒せるだろうか?

 

 ネイリンゲンで一度負けているが、彼女の攻撃の癖ならある程度は見切っている。しかし、逆に彼女も俺の攻撃の癖を見切っている筈だ。互いに相手の攻撃の癖を理解し、対策を立てる事ができる状態。これでは差を縮めたとは言えない。膠着状態がなおさら長引いただけではないか。

 

 とにかく、ジョシュアの儀式を止めてエミリアを救出する必要がある。タクヤとラウラの2人にはジョシュアを何とかしてもらおう。ただし、ジョシュアに止めを刺すのは俺だ。

 

 エリスのハルバードの先端部が地面に叩き付けられた瞬間、俺は左手をキャリングハンドルから放して腰の後ろにあるホルスターに伸ばした。そのまま水平二連ソードオフ・ショットガンのグリップを握って引き抜き、2つの銃口をエリスの頭に向ける。

 

 でも、トリガーを引こうとした瞬間、ソードオフ・ショットガンの短い銃身がいきなり左に逸らされた。そのせいでさっきの焼夷弾のように、12ゲージの散弾たちは地面に大きな風穴をいくつも開ける羽目になった。

 

 どうやらハルバードから左手を離し、俺に撃たれる前に銃身を殴りつけて逸らしたらしい。

 

「ははははっ! 彼女に勝てるわけがないだろう!?」

 

「うるせえ!」

 

 俺はエミリアの近くで儀式の準備をしているジョシュアに怒鳴り返した。あいつに向かって今すぐ散弾か12.7mm弾をぶち込んでやりたいが、そうすれば近くで縛りつけられているエミリアまで巻き添えになってしまう。それに、エリスと戦っている最中にジョシュアに狙いを定められるわけがない。

 

 スコップを手にしたタクヤと、ナイフを手にしたラウラの2人がジョシュアに襲い掛かる。ジョシュアの野郎はあっさりと儀式を中断すると、後ろに下がりながら剣を抜いて応戦を始めた。魔術においてこのような大規模な儀式は決して省略できるものではないため、中断してしまえばまた最初からやり直しになってしまう。それを中断したという事は、もう儀式は終わっているという事なんだろうか?

 

 くそ、急がなければッ!

 

 ソードオフ・ショットガンをホルスターに戻して再びアンチマテリアルライフルのキャリングハンドルを握った俺は、後ろにジャンプしながら空中でエリスに照準を合わせた。そして彼女に向かってトリガーを引き、エリスが焼夷弾を回避している隙にOSV-96の長い銃身を折り畳む。

 

 そして、腰の左側に下げている刀と小太刀を引き抜きながら着地した。

 

 右手に持っているのはアンチマテリアルソード改だ。レリエルとの戦いで破壊されたアンチマテリアルソードの改良型で、ライフルのような形状から刀のような形状に変化している。12.7mm弾を1発だけ装填する事が可能な変わった刀で、トリガーを引くと薬室の内部で12.7mm弾が爆発するようになっている。その爆風を刀身の峰の部分にあるスリットから噴射することによって、アンチマテリアルライフル並みの運動エネルギーで敵を斬りつけることが可能になっていた。

 

 レバーアクション式のライフルのループレバーのような部品が装着された柄を握った俺は、小太刀を逆手に持ちながらエリスに向かって突撃する。左手の小太刀にはワイヤーがついていて、そのワイヤーは鞘に装着されているリールに繋がっている。だからこの小太刀は投擲するだけでなく、移動するのにも使えるようになっている。

 

「接近戦を挑むつもり!?」

 

「ああ!」

 

 エリスはこの刀に搭載されている機能を知らない。きっと変わった部品の付いた刀だと思っている筈だ。

 

 氷を纏ったハルバードの先端部を俺に向けて突き出してくるエリス。俺は左手の小太刀で先端部を受け流しながら左側に回り込み、右手の刀を右下から左上に振り上げる。

 

 いきなりトリガーを引くわけにはいかない。エリスは俺の早撃ちを見切るほどの強敵なんだから、いきなり繰り出したら見切られてしまうだろう。だから見切られずに攻撃を叩き込むには、何度か攻撃して普通の刀だと思い込ませなければならない。

 

 振り上げた刀身を躱したエリスはハルバードを一旦引き戻し、後ろにジャンプしながら俺に切っ先を突き出して来た。また小太刀で弾き返したけど、エリスはすぐに弾かれた先端部を引き戻し、また俺に向かって突き出してくる。

 

 エミリア以上のスピードだった。片手の小太刀だけでは受け止めきれない!

 

「うおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 右手の刀も使って、俺は彼女の連続攻撃をひたすら弾き続けた。刀とハルバードが衝突する度に火花と氷の破片が舞い上がり、すぐに消えて行く。

 

 小太刀で受け止めた瞬間にすぐに引き戻して突き出してくるため、弾いた直後に反撃する事が出来ない。

 

 どうやらエリスは、このままジョシュアが儀式を終えるまで消耗戦に持ち込んで時間を稼ぐつもりらしい。出来れば付き合いたくない戦いだが、リタイアすれば彼女のハルバードに串刺しにされてしまう。

 

「いいぞ、エリス!」

 

「くそ…………!」

 

 彼女の攻撃を弾きながら、俺はちらりと自分の得物の様子を確認した。刀と小太刀の漆黒の刀身は彼女の氷で凍り付き始めていて、段々と重くなってきている。

 

 拙いぞ。いつまでも2本の刀を振るっていられるわけがないし、段々と氷が増えて行くから重量も増えていく。このままでは彼女の連続攻撃に追いつけなくなってしまうだろう。

 

 ここで使うしかないみたいだ。

 

 俺は彼女のハルバードを左手の小太刀で受け止めてから、右手の刀で弾き返す筈だったハルバードを右足で左上に蹴り上げた。蹴りを叩き込んだ右足のブーツが凍り付く前に足を戻すと、目を見開きながらすぐにハルバードでガードの準備をしているエリスに向かって、トリガーを引きながら右手の刀を振り払った。

 

 右手の刀の中から、アンチマテリアルライフルのような凄まじい銃声が轟いた。薬室の中の12.7mm弾が絶叫を発した直後、峰の部分のスリットから真っ赤な爆風が噴出し、刀が早くエリスを斬りたいと言わんばかりに俺の右手を引っ張り始める。

 

 俺のこの刀は、普通の刀ではない。一見すると奇妙な部品がついた日本刀に見えるかもしれないが、こいつにはアンチマテリアルライフル用の弾薬を使ったギミックが内蔵されている。

 

 柄の中に搭載した薬室に12.7mm弾を装填し、内部でそれを炸裂させ、その爆風を刀身の峰にあるスリットから噴射することで、剣戟を加速させてアンチマテリアルライフル並みの運動エネルギーで敵を斬りつけることが可能になるのだ。その機能を使ったらボルトアクションライフルのようにボルトハンドルを引き、弾丸を装填する必要があるが、この斬撃を受け止められる魔物は存在しないだろう。ゴーレムの外殻ですら一刀両断にしてしまうほどの斬撃なのだから。

 

 消耗戦からリタイアするついでに、エリスを倒す!

 

「喰らえ、エリスッ!!」

 

 しかし、再び冷気が熱気を冷却し始めた。

 

 炎を噴出しながら振り払われた刀を、氷で覆われたハルバードの柄が受け止めたんだ。弾丸が跳弾するような大きな音が響き渡り、ハルバードから剥離した氷が熱気と共に舞い散った。

 

 受け止めたのか!?

 

 彼女は何とかハルバードで俺の攻撃を受け止めたけど、アンチマテリアルライフル並みの運動エネルギーを叩き込まれたエリスは、そのまま体勢を崩して吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられてしまう。

 

「きゃっ…………!!」

 

 今すぐに追撃すれば、彼女に止めを刺せる。

 

 彼女に飛び掛かって刀を突き立ててやろうと思ったけど、早くエミリアを助け出さなければ儀式が始まってしまう。ジョシュアはタクヤとラウラの2人と戦っているが、先ほど儀式をあっさりと中断したという事は、もう既にいつでも準備していた魔術を発動させられる状態にあるという事なんだろう。俺は踵を返すと、エリスが立ち上がる前にエミリアに向かって走り出した。

 

「エミリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「くっ…………! おい、エリス! 何やってんだよ!? さっさとその余所者を殺せ!」

 

 縛り付けられているエミリアの近くで、タクヤが振り払ったスコップが顔面を掠めたことに驚きながらジョシュアが叫んだ。

 

 今の俺のレベルならば、ジョシュアを一瞬で殺せるだろう。初めて戦った時よりもレベルやステータスが上がっているし、他の転生者やレリエルとの戦いも経験しているから、技術も上がっている筈だ。何度も死にかけながら戦ってきた俺に、権力しかない貴族の奴が勝てるわけがない。

 

 ジョシュアが慌ててこちらを振り向いた。俺も手こずるほどの実力を持つタクヤとラウラの姉弟に戦っている上に俺まで参戦したのだから、これで3対1。俺は情けない彼を睨みつけ、刀を振り上げながら突っ走る。

 

 だが、いきなり左から冷気を引き連れて突き抜けてきた氷の塊に邪魔をされ、俺は立ち止まる羽目になった。

 

「エリス…………!」

 

「い、いいぞ、エリス!」

 

 刀のキャリングハンドルを掴んで12.7mm弾を装填しながら、俺は氷の塊を放ったエリスを睨みつけた。彼女は地面に身体を叩き付けられただけらしく、あまりダメージはなかったようだ。

 

「お前、なんで邪魔をする!? 自分の妹が儀式に使われそうになってるんだぞ!?」

 

 何のための儀式なのかはまだ分からないが、この儀式にはエミリアが必要らしい。自分の妹が儀式に使われようとしているのに、エリスは何故止めようとしないのか?

 

 俺にも弟がいる。だが、俺はもし信也が何かの儀式に使われそうになったら、兄として止めようとするだろう。間違いなくエリスのように、ジョシュアに手を貸したりしない。

 

 苛立った俺は、彼女を睨みつけながら問い掛けた。彼女はエミリアに姉と呼ばれるのを嫌っていた筈なんだけど、何故か俺がエミリアを自分の妹と言ったのに嫌う様子がない。悲しそうな顔をしながら歯を食いしばり、縛り付けられているエミリアを見つめている。

 

「ハッハッハッハッ。余所者、教えてやろうか?」

 

「なに?」

 

「エミリアも知らないだろう? この儀式で何が始まるのか…………」

 

「くっ…………!」

 

 呼吸を整え、エミリアの頬を無理矢理撫でながら言ったジョシュアは、柱の近くに立てかけてあった1本の剣を拾い上げた。

 

 俺たちが使っている剣のように、真っ黒な刀身の剣だった。チンクエディアの刀身を伸ばしたような形状の剣で、バスタードソードくらいの大きさだ。でもその剣の切っ先は欠けており、全体的にボロボロだ。剣として機能するようには思えない。

 

 かなり古い剣なのかもしれない。先端部が欠けた剣を手入れせずに放置したような剣だ。

 

「その剣は何だ…………!?」

 

「ハハハハッ。――――余所者、レリエル・クロフォードを封印した大天使の話は知っているか?」

 

 大昔に世界を支配していた伝説の吸血鬼を倒し、封印した大天使の話なんだろう。以前にフィオナが寝る前に教えてくれた話だ。

 

 レリエルは神々から2本の剣を与えられた大天使に、剣で心臓を貫かれて封印された。だがその心臓を貫いた剣は吸血鬼の血で汚れ、全てを切り裂いてしまう魔剣へと変貌してしまった。神々や大天使たちはその魔剣を破壊し、レリエルが封印された場所から離れた地に封印したという。

 

「魔剣に成り果てた剣は破壊されて封印された。…………その魔剣は、これだよ」

 

「何だと…………!?」

 

 ジョシュアはニヤニヤと笑いながら、切っ先が欠けた真っ黒な剣を掲げた。あんな剣が魔剣だというのか!?

 

 縛り付けられているエミリアも魔剣を見て驚いているようだ。ジョシュアは笑いながらエミリアにその魔剣を見せつけると、真っ黒な刀身を左手で撫で始める。

 

 あんな手入れせずに放置したような古い剣が魔剣なのか?

 

「考古学者たちを何人も雇って破壊された魔剣の破片が封印された場所を探させたよ。ダンジョンの中にあったから、何人も騎士や考古学者が死んだ。…………でも、僕は魔剣を手に入れる事が出来たんだ」

 

「先端部が欠けてるみたいだな。どうした? なくしたのか?」

 

 ジョシュアを睨みつけながら挑発すると、奴は笑うのを止めてから俺を睨みつけた。でも、すぐに手元の魔剣を見下ろしてまたニヤニヤ笑い始めると、また手を縛り付けられているエミリアに近づけていく。

 

「――――――――いや、破片は戻って来た」

 

「―――――――どういうことだ?」

 

 すると、ジョシュアはいきなりエミリアが胸に装着していた防具を外し始めた。レベッカがエミリアのために作ってくれた漆黒の胸当てを取り外したジョシュアは、エミリアの左の胸を指差すと、楽しそうに笑いながら俺の方を振り向いた。

 

「―――――ここにあるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レリエル・クロフォードと魔剣の物語は、この世界でおそらくもっともポピュラーなおとぎ話の1つだ。この世界の子供たちならば必ず小さい頃に母親や父親に絵本を読んでもらったり、その話を聞かせてもらえるほど有名な物語なのだという。

 

 かつて、この世界は一度だけ吸血鬼によって支配されてしまった時期があった。サキュバスたちがステラを残して絶滅してからすぐに、今度はサキュバスたちと戦った吸血鬼たちが勢力を伸ばし始め、最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードを筆頭に人類を虐げ始めたのである。

 

 彼らの快進撃を誰も止める事が出来ず、あらゆる大国は次々と陥落。人類の残存部隊が最後の戦いを挑んだザウンバルク平原の戦いが、人間たちの惨敗で終わってからは、吸血鬼たちが人類を支配していたのである。

 

 それを終わらせるために、神々が作り上げた2本の剣を手にした大天使が地上へと降り立ち、レリエル・クロフォードに戦いを挑んだという。

 

 両者の戦いはまさに激戦だったというが、隙をついた大天使がレリエルの心臓に片方の剣を突き刺すことで決着がついた。しかし、神々の作り上げた伝説の剣でもレリエルを殺すことは出来ず、結局大天使は瀕死のレリエルを永遠に封印するという苦肉の策で吸血鬼の支配を終わらせることになる。

 

 しかし、その心臓を貫いた魔剣は吸血鬼の血で完全に汚染されてしまい、神々の加護であらゆる敵を薙ぎ倒す伝説の剣は、全てを切り裂いてしまう恐ろしい魔剣へと変貌してしまう。人間たちがそれを悪用することを恐れた神々は、大天使に魔剣を破壊させ、その破片を世界中に封印してしまったのだという。

 

 汚染によって魔剣になることを免れたもう片方の剣は、大天使を吸血鬼から守り抜いた『聖剣』として聖地に保管されているが、魔剣の方は完全に破壊された上に封印されているため、俺たちの時代でも所在は不明とされている。

 

 そのおとぎ話を小さな頃から聞き、それを題材にした絵本やマンガを見て育った俺たちからすれば、その魔剣の破片が1つでも存在することでも信じられないというのに、その破片を繋ぎ合わせた魔剣が存在するというのは考えられない事だった。

 

 確かに、ジョシュアの野郎が取り出した剣は普通の剣とは違う。騎士たちが持っているような古めかしいロングソードではなく、更に昔の剣のように思える。形状はチンクエディアをロングソードやバスタードソードのようなサイズに大型化し、漆黒に染めたかのような禍々しい剣だ。しかし先端部は欠けており、刃の部分も刃こぼれが酷いため、あのままでは剣として機能することはないだろう。

 

 そしてジョシュアが言った最後の魔剣の在処は―――――――――若き日の母さんの、胸だった。

 

「―――――――――どういうことだ…………?」

 

 魔剣の破片が、母さんの胸にあるだと? 

 

 俺はジョシュアを睨みつけてから、ちらりと左にいるエリスさんを睨みつける。エリスさんは魔剣の破片の在処を知っていたらしく、悲しい顔をしながら俯いていた。

 

「そ、そんなわけがないだろう…………!? 何を言っているんだ…………?」

 

「先端部の破片は君の中にあるんだよ、エミリア」

 

 先端部が欠けた魔剣を眺めていたジョシュアは、左手で母さんの胸を指差した。そのまま指を彼女に近づけると、心臓の辺りに触れる。

 

「この魔剣の先端部は…………君の心臓に埋め込まれているんだ」

 

「馬鹿な…………! 魔剣が心臓の中にあるって事か!?」

 

 どういうことなんだ!? 魔剣の最後の破片が母さんの心臓の中にあるだと!?

 

 ちょっと待て。ネイリンゲン侵攻の話や、エリスさんが最初は敵だったという話は何度も聞いたことがあるが、こんなことは聞いたことがないぞ!? 母さんの心臓の中に魔剣の破片が封印されていたということなのか…………!?

 

 ジョシュアは驚愕する俺たちの顔を見て笑うと、母さんの胸から手を離した。そして腰の鞘に入っている自分の剣を投げ捨てると、代わりに鞘の中に切っ先が欠けた魔剣を収め、両手を広げる。

 

「その通り。―――――――――魔剣の切っ先は、レリエルの心臓を一番最初に貫いた部分だ。だから吸血鬼の血による汚染が一番酷くてね。そのままくっつけても、既に汚染されている他の部位を侵食してしまって復活できなかったんだよ。…………魔剣を復活させるには、その切っ先に血を吸わせ、ある程度汚染を緩和させる必要があったんだ」

 

「なんだと…………?」

 

「だから、君が余所者に連れ去られた時はひやひやしたよ。魔剣の破片が連れ去られたんだからねぇ…………クククッ」

 

 魔剣の破片が連れ去られた…………? ふざけんな………母さんはてめえの許嫁だったんだろうがッ!

 

 ジョシュアの言葉にキレた俺は、握っていたスコップを今すぐにあいつに放り投げ、あのニヤニヤしているクソ野郎の顔面を叩き割りたくなった。親父には止めを刺させると約束したが、その約束を守るのは難しいかもしれない。

 

 こんなクソ野郎を見たのは旅に出てから初めてだ。嫌われていたとはいえ、愛していた許嫁が連れ去られて焦るのならば芯が通っていると言える。それならば同情してやっても良かった。だが、こいつは母さんが連れ去られた時に、母さんが連れ去られたから心配したのではなくて、母さんの心臓の中の魔剣が持ち出され、計画が頓挫することを恐れていたと堂々と言いやがったんだ! 

 

「おっと、そっくりさん。スコップを投げたらエミリアに当たるかもよ? いいの?」

 

「クソ野郎が…………! 自分の許婚じゃねえのかよ!?」

 

「こいつが? ハハハハハッ!! 魔剣に血を吸わせるための女が俺の許婚だって!?」

 

「くっ…………! タクヤ、もう殺しちゃおうよ…………ッ!!」

 

 ジョシュアの本音を耳にして、ついにラウラも堪忍袋の緒が切れたようだ。激怒のあまり食いしばった彼女の歯は、いつの間にかドラゴンのような鋭い牙に変異を始めているし、手足や頬などの部位が勝手に硬化を始めている。

 

 キメラの硬化は血液の比率の変化で行う仕組みになっているけど、このように激昂したりすると勝手に比率が変化してしまう事があるという。

 

 スコップを手にした俺もラウラと共にジョシュアに飛び掛かろうとしていると、激昂する俺たちを嘲笑ったジョシュアは、もう一度母さんの顔を見上げながら嘲笑した。

 

「ありえないよ。こいつは人間じゃないし」

 

「…………え?」

 

 親父と母さんが目を見開き、ジョシュアの顔を見つめている。

 

 どういうことだ? 母さんが人間じゃない…………?

 

 その言葉を聞いた瞬間、怒りがいきなり消え失せた。俺はジョシュアの顔を睨みつけるのを止め、母さんの顔を見つめる。

 

 彼女は人間だ。速河力也が結婚することになるエミリア・ペンドルトンは、ラトーニウス王国で育ったごく普通の人間の筈だ。人間じゃなくなったのは俺たちの親父で、母さんやエリスさんは最初から人間だった。そうだ、母さんは――――――――人間だ。当たり前じゃないか。俺たちはキメラと人間の間に生まれたんだから。

 

「―――――――――やめなさい、ジョシュア」

 

 呆然としていると、後ろからエリスさんの声が聞こえた。彼女はジョシュアを睨みつけながら、彼に向かって氷のハルバードを向けている。俺たちよりも強い彼女に得物を向けられているというのに、母さんの頬を撫で続けているジョシュアはまだニヤニヤ笑ったままだった。

 

「なんでだよ。君が彼女を嫌い始めた理由だろ?」

 

「言わないで、ジョシュア…………!」

 

 まさか、エリスさんも知っているのか?

 

 俺はゆっくりとエリスさんの方を見た。彼女はちらりと親父を見ると、さっきのように悲しい顔をしてから再びジョシュアを睨みつける。

 

 だが、ジョシュアは言うつもりのようだった。ニヤニヤと笑いながら母さんから手を離すと、親父や激昂する俺たちの顔を見ながら言った。

 

「エミリアは―――――そこにいるエリスの遺伝子を元に作られたホムンクルス(クローン)なんだよ!」

 

「!?」

 

「なっ…………!?」

 

 エミリアがホムンクルス(クローン)だった………?

 

 そんな馬鹿な。彼女は人間だ。エリスさんの妹で、親父たちのギルドの仲間だ。エリスさんの遺伝子を元に作られたホムンクルス(クローン)じゃない。親父と一緒に旅をした仲間で、俺たちの母親になる女なんだ…………!

 

「魔剣に血を吸わせたら、破片を取り出す際に埋め込まれた人間は死ぬ羽目になる。だから長女であるエリスに埋め込むわけにはいかなかった。エリスは魔術の素質があったし、議会が欲しがってたからね。だから僕の父上やエリスの父は、次女として生まれてくる子に魔剣の切っ先を埋め込んで血を吸わせることにしたんだ」

 

 相変わらずニヤニヤと笑いながら話を始めるジョシュア。今すぐスコップでぶち殺してやりたいと思っていた筈なのに、母さんが人間ではなかったという衝撃がその殺意をどこかへと消してしまったようだ。

 

 母さんが人間ではなくホムンクルスということは…………俺は、キメラとホムンクルスの息子…………?

 

 人間とキメラの子供じゃなくて、ホムンクルスとキメラの子供だったのか………?

 

「………嘘だ」

 

「た、タクヤ………!」

 

「でも、ペンドルトン家に生まれる筈だった次女は母親の胎内で死んでしまった。魔剣の切っ先に血を吸わせるための道具が死んじゃったんだ。でも、エリスに埋め込むわけにはいかない。だから僕の父上とエリスの父は、エリスの遺伝子を元にホムンクルス(クローン)を生み出し、そのホムンクルス(クローン)に破片を埋め込むことにした。………しかもそのホムンクルス(クローン)に付けたエミリアという名前は、生れて来る筈だった次女に付ける予定だった名前なんだ。―――――――騎士団に入団して僕の父上から計画を聞いたエリスはびっくりしてたよ。小さい頃から一緒に遊んでいた最愛の妹が自分の遺伝子を元に作られたホムンクルス(クローン)だった上に、本当の妹に付けられる筈だった名前を名乗ってるんだからさぁ!」

 

 ジョシュアは笑いながら言うと、柱に縛り付けられたまま呆然としている母さんの頬をまた撫で始めた。

 

「エミリア、聞いてたかい? 大好きなお姉ちゃんが冷たくなった理由だよぉ?」

 

「そんな…………! ね、姉さん…………!」

 

「…………!」

 

「ジョシュアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「おっと、もう儀式を始めないとねぇ。エリス、時間を稼いでくれるかな?」

 

 ふざけやがって…………!

 

「――――――――殺してやる」

 

 このクソ野郎を殺してやる。

 

 スコップで叩き殺すのも良いし、銃で蜂の巣にするのも捨て難い。焼夷弾で焼き殺すのも素晴らしい。とにかく、この男を殺したい。俺たちの時代では既に死んでいる男ならば、ここで俺が路しても問題ない筈だ。

 

 ああ、殺したい。惨殺したい。

 

 いきなり吹いてきた風のせいで、目深にかぶっていたフードが後頭部の方へと下がっていく。縛り付けられている母さんにそっくりな蒼い髪があらわになり、その中からすでに伸びていたキメラの角が――――――――21年前の世界の中へと晒される。

 

「角…………!?」

 

 俺の頭を見た親父が、目を見開きながらそう言った。俺が転生者の息子だという話は親父たちに話したが、変異を起こしてキメラになった男の子供だという話はしていない。

 

「な、何だその角は………!? に、にっ、人間じゃ………ないのか………!?」

 

「ああ、俺たちは―――――――人間じゃない」

 

 ――――――――化け物だよ、俺たちは。

 

 お前みたいなクソ野郎を狩るためにさまよう、化け物だ。

 

 ほら、怖がれよ。人間はいつでも化け物を恐れるものだろう?

 

 人間では倒すことができないからこそ、俺たちは化け物と呼ばれるんだ――――――――。

 

 今からお前を殺してやる。このスコップで切り刻んで、てめえの墓穴を掘ってやる。

 

 スコップの柄を思い切り握った俺は、頭に生えている角を見上げながら狼狽するジョシュアを睨みつけながら――――――――宣言した。

 

「クソ野郎は――――――――――狩る」

 

 

 

 

 



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最後の破片と少女の絶叫

 

 こんなに怒ったことは、無かった。

 

 あのクソ親父―――――――父親と呼びたくもないが、前世の父親だ―――――――が母さんに暴力を振るっている光景を目にした時も怒りを感じたことはある。いつもごろごろして酒を飲み、パチンコに行ったり新聞ばかり飲んでいるようなクズのくせに、必死に働いている母さんに暴力を振るうクソ野郎を目にする度に、その感情は俺を侵食していたものである。

 

 いっそ、殺してしまえ。何度もそう思った。台所の壁に掛けられている調理用の包丁。あれを手に取って、一思いに急所に突き立てればこんな生活は終わるだろうかと本当に考えたこともある。でも、その度に母さんは俺と目を合わせ、悲しそうな顔をしながら首を横に振った。そう、お前は手を汚すな、と言わんばかりに。

 

 人生最大の怒りは、今までずっとそれだった。これを凌駕する怒りなど感じることはないだろうと、その思い出に対して全額を賭けても良いと思えるほどだ。

 

 しかし――――――――もしそれが本当のギャンブルだったら、俺は大負けしていた事だろう。

 

 あの時感じた怒りを凌駕する怒りを、この異世界で感じているのだから―――――――。

 

 スコップを握る両手が、黒い革の手袋の中で勝手に硬化を始めているのが分かる。体内の血液の比率が目まぐるしく変化を繰り返している証拠だ。キメラが能力を使う際、人間の血液とサラマンダーの血液の比率を変化させることで能力を使う事ができるというメカニズムになっているが、どういうわけかその比率の変化は感情の変化にも影響を受けるようだ。

 

 自分の身体の中にあるサラマンダーの血も、怒り狂っているのだろうか。

 

 みし、と指が外殻に覆われていく。手袋の中で人間の指に戻ったり、怪物の指に変異を繰り返す自分の指を一瞬だけちらりと見下ろした俺は――――――――怯えるジョシュアに向かって、ラウラよりも先に襲い掛かった。

 

「タクヤッ!」

 

「ひっ、ひぃっ!!」

 

 ビビってんじゃねえよ、クソ野郎が!!

 

 姿勢を低くしながら、幼少期から鍛え上げた瞬発力で一気にジョシュアに急接近する。予想以上の速さだったのか、既に剣を抜いていたにもかかわらずジョシュアは俺の突撃に対応する事ができていなかった。剣を抜いたまま棒立ちになり、急迫する俺を目にして再び目を見開く。

 

 その目は、まるで自分の天敵である肉食獣に遭遇してしまったウサギのように弱々しく、情けない目だった。先ほどまではあれほど自信満々に魔剣を見せびらかし、母さんや親父たちを馬鹿にしていたというのに、自分の持つ権力や力が機能しない状態で敵に襲われれば貴族は大概こうなる。威張っているいつもの態度ではなく、ただ敵を恐れる臆病者。そのギャップが虐げられていた者たちの怒りに油をばら撒いていく。

 

 ジョシュアが剣を振り払おうとするよりも先に、俺は左手のスコップを振り上げていた。自分の左足の横から斜め上へと振り上げ、最終的にはジョシュアの顔面を左下から右斜め上へと斬りつけるようなコースだ。綺麗な顔に切り傷を付けるのも面白そうだが―――――――狙いは、顔面ではない。

 

 そのまま振り上げればスコップを遮る位置にある、ジョシュアの右足こそが俺の狙いだった。

 

「ぎっ―――――――」

 

 鋭い刃の付いたスコップが、正確に防具の隙間へと入り込んだ。本来の防御力をすり抜け、いきなりジョシュアの右足の膝の辺りへとめり込んだスコップは思ったよりも軽く斬りつける程度だったけど、痛みを感じたジョシュアが声を上げる。

 

 ああ、もっと苦しめ。

 

 もっと恐れろ――――――――。

 

 そのまま踏み込み、まるで今から強烈なパンチを放とうとしているボクサーのように右手のスコップを引く。右肩を思い切り引き、腰を捻りながら力を溜め―――――――右ストレートのように、右手のスコップを全力で突き出す。

 

 この一撃で喉を潰してしまうつもりだったが、ジョシュアの野郎は喰らえば確実に致命傷となるこの一撃だけは見切る事ができたようだ。目を見開きながら咄嗟に身体を横へと倒して回避するけど、スコップは奴の首を掠めた。

 

「こ、このっ!」

 

 自分の身体を傷つけられて怒りを感じたのか、やっとジョシュアが反撃を開始する。

 

 たった数センチ程度の傷口で怒るのか。なんとちっぽけな怒りだ…………。

 

 振り上げた剣を容易く横へと躱し、移動した動きを利用してくるりと反時計回りに回転する。回転しながら蹴りを繰り出し、ジョシュアの腹へとめり込ませた俺は、目を見開いて一気に息を吐きながら吹っ飛ばされていくジョシュアを追撃する。

 

 本気の蹴りではないが、命中したのはみぞおちだ。少しの間は呼吸が難しくなるだろう。

 

「カッ………ガァッ、あぁ…………ッ!」

 

 地面に叩き付けられ、立派な防具が泥で汚れて台無しになる。黄金の派手な装飾は地面で削れ、優美な防具を纏った金髪の騎士はまるで敗残兵のような無様な姿へと変わっていく。

 

 ああ、お前にはそっちの方がお似合いだ。

 

 戦場へと向かう勇ましい騎士よりも、無様に敗北して遁走を続ける敗残兵の方が似合ってるよ。

 

「立てよ、クソ野郎」

 

 泥だらけになって俺を見上げ、ぶるぶると震えているジョシュアに向かってそう言う。先ほどのちっぽけな怒りはもうすっかり消えてしまったらしく、ジョシュアは既にすっかり怯えているようだった。

 

 まあ、当たり前だろう。首をほんの少し傷つけられた程度の怒りが、これから殺されるかもしれないという恐怖に勝てるわけがない。その程度の怒りに負けるような恐怖を、俺はお前に与えた覚えはないぞ。

 

 一緒に吹っ飛ばされた剣を拾い上げようと、ジョシュアの手が傍らに転がっている剣へと伸びる。

 

 拾わせてやったところで、また吹っ飛ばされて手放すか、今度は腕を切断されて手放さざるを得なくなるのは明白だ。

 

 無様な貴族の男を見下ろしながら―――――――俺は無造作に、逆手持ちにしていた左手のスコップを、その腕へと向かって振り下ろす。

 

 ざくっ、とスコップの先端部が地面を貫いた。前世でも経験した感触だし、こっちの世界でも訓練で塹壕を掘る時に経験した感触だ。土に突き立てられるスコップの音。先端部が地面に突き刺さり、そのまま潜り込んでいく感触。

 

 そんな感触が2回分連なったような感じがしたけど―――――――それは狙い通りの場所に突き刺さったという事なんだろう。1回目の感触には硬い何かを貫いたような感触が混じっていたけど、それ以外は地面を掘る時と一緒だった。

 

「がっ………ああっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「…………………」

 

 右腕の肘の辺りを抑え、汗を浮かべながら絶叫するジョシュアを無表情で見下ろす。

 

 俺が振り下ろした左手のスコップは、まるでジョシュアの腕を肘の辺りで区切るかのように地面に突き立てられていた。もう二度と動くことはなくなり、傷口を押さえているジョシュアに見捨てられて寂し気に転がる彼の右腕の一部を拾い上げた俺は、激痛に耐えることで精一杯になっているジョシュアにその腕を返してやることにした。

 

「ほら、お前の腕だ」

 

「う、腕がッ! 僕の腕ぇッ…………あああああああっ、腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 無様だなぁ、クソ野郎。

 

 親父に左腕を千切られたらしいが、今度は息子に反対の腕を千切られるとは。

 

「こ、この怪物がっ…………!」

 

「怪物?」

 

「ああ、怪物だ…………お前、何なんだ!? エミリアのドッペルゲンガーか…………!? 計画用にエミリアを量産した覚えはないぞ!?」

 

 もう、殺してしまおうか。

 

 このスコップを振り上げ、そのままこのバカに向かって振り下ろすだけでいい。そうすればスコップがこいつの首に食い込み、右腕と同じように切断してしまう。さっき腕を切断した時と同じように。

 

 そうだ、殺してしまえ。

 

 殺せ。

 

 あの時と同じ感覚がした。目の前でクソ親父に暴力を振るわれている母さん。クソ親父を殺そうと思って、台所の包丁を見つめていた幼少期の俺。もう二度と感じることはないだろうと思った昔の感覚が、再び俺を侵食し始める。

 

 いっそ殺してしまえ。

 

 さあ、殺せ。

 

「――――――――死ね」

 

 右手に持っていたスコップを、ジョシュアの首に向かって思い切り振り下ろす。

 

 どうせさっきと同じ感触がするんだろうなと思いながら、スコップの刃がジョシュアの首を切断する瞬間を待っていたんだが――――――――今度は、感じた感触は一度だけだった。

 

 そう、一度だけ。腕を千切り取り、骨を切断した感触はしない。純粋に地面を抉った感触だけである。

 

「タクヤ、ジョシュアが!」

 

「………!!」

 

 俺に狙われていたジョシュアは、どうやら最後の力を振り絞って横へと転がって回避していたらしい。

 

 そして奴は――――――――先端部の欠けた魔剣へと、手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エミリアの正体を教えられたのは、私が騎士団に入団してからだった。私はジョシュアの父であるレオンから、エミリアは人間ではなく自分の遺伝子を元に作られたホムンクルス(クローン)だと教えられた。

 

 あの時、エミリアとの思い出が全て砕け散ってしまった。今まで妹だと思って可愛がっていたあの子が、人間ではなかった。しかも名乗っている名前は、本当ならばお母様から生まれる筈だった子供の名前だった。

 

 まるでエミリアが、その赤子の役割を奪い取って生まれてきたような気がして、私はあの子を嫌うようになった。

 

 あの子は自分の正体を知らない。だから、私がどれだけ冷たくしてもずっと「姉さん」と呼び続けた。

 

 どうせあの子の心臓には魔剣の破片が埋め込まれている。せいぜい血を魔剣に吸われて、用済みになってから死ねばいいと思っていたことがあった。でも、彼女を罵倒したり、そんなことを思う度に、私はどうしても幼少の頃に一緒に遊んでいたことを思い出してしまう。

 

 計画を知っていた両親に冷たくされながら、1人で子供部屋で私の帰りを待っていたあの子の顔を思い出すと、憎たらしいという感情が消え失せてしまう。

 

 あの子が消えればいいの? それとも、あの子と姉妹として生きていけばいいの?

 

 エミリアをナバウレアまで連れ去って来るまで、ずっと考えていたわ。

 

 そろそろジョシュアの儀式が始まる。儀式が始まれば彼女の心臓から魔剣の破片は抜き取られ、エミリアは死ぬ。

 

 いいじゃないの。それで憎たらしいホムンクルス(クローン)が死ぬんだから。

 

 でも、私はあの子と姉妹として生きてきた………。ジョシュアは私よりも遥かに弱いから、ハルバードを彼に向かって振るえば簡単に殺せる。そうすれば彼女を助け出せる。

 

 どうすればいいの?

 

 彼女はホムンクルス(クローン)? それとも私の妹なの?

 

 今まで彼女が憎たらしかったからジョシュアの計画に手を貸していた。でも、儀式が始まるのが近くなってくるにつれて、私は小さい頃の思い出を次々に思い出してしまう。

 

 どうすればいいか分からない。

 

「エリスッ!」

 

「!!」

 

 私は右手を額から離すと、氷を纏ったハルバードを構えた。私の目の前には、刀と小太刀を構えた少年が立っている。

 

 彼を迎え撃たなければならない。

 

 氷漬けになったハルバードの柄を握り、先端部を力也くんに向ける。

 

 彼はエミリアをナバウレアから連れ去った少年だった。フランシスカを退けてエミリアと一緒にオルトバルカ王国まで逃げ、モリガンという傭兵ギルドを結成している。

 

 彼にとって、きっとエミリアは大切な仲間なのね。彼ならば、エミリアが人間ではなくても大切にしてくれるかもしれないわ。

 

 でも………計画のために、彼を殺さないと。

 

 彼を殺せば、あの偽物の妹とお別れできる。

 

 私は刀を構えて突進してくる少年に向かって、ハルバードの先端部を突き出した。力也くんはその先端部を小太刀で弾くと、ハルバードを受け流しながら横に回り込んで来る。

 

「エミリアが憎かったのか!?」

 

 彼が叫びながら振り上げた刀を躱し、私は後ろにジャンプして距離を取ってから再び氷のハルバードを突き出す。力也くんはその先端部を横に躱すと、前傾姿勢になりながら刀を構えて接近してきたわ。そのまま接近するつもりなのかしら?

 

 私はハルバードを回転させると、凍り付いた柄を接近してくる彼に叩き付けた。力也くんは何とか刀でガードしたみたいだけど、そのまま後ろに吹っ飛ばされてしまう。

 

「ええ、憎かったわ!」

 

「くっ………! だが、一緒に遊んでたんだろう!? エミリアの姉として、一緒に過ごして来たんだろうがッ! 家族を捨てるのか!?」

 

「黙りなさいッ! あの子は………!!」

 

 凍り付いたハルバードが放つ冷気をまき散らしながら、先端部を彼に向けて走り始める。

 

 半年しか一緒にいなかったくせに、何が分かるのよ!?

 

 私は何年も彼女と一緒にいたわ。でも、今まで妹だと思っていたのは私の遺伝子を元に作られた偽物の妹だったのよ!?

 

「じゃあ、なんであんな悲しい顔をしてたんだよ!?」

 

「!」

 

 彼に向かって突き出そうとしていたハルバードの先端が、ぴたりと止まった。

 

 悲しそうな顔ですって?

 

 何を言ってるのよ。もう少しであの偽物の妹が死ぬのよ? 

 

 そう思いながら再びハルバードを突き出そうとした瞬間、いきなりあの子と遊んでいた幼少期の光景がフラッシュバックした。玩具の入っている箱の中からお気に入りの人形を持って来る彼女と、剣術の訓練から帰ったばかりの私が笑い合っている。

 

『お姉ちゃん』

 

 幻聴が聞こえてきた瞬間、思わず私はハルバードから右手を離し、再び額を押さえてしまった。目の前で刀を構えている彼は、私を攻撃せずにそのまま私を見つめている。

 

「本当にエミリアを嫌ってるなら、あんな悲しい顔はしないだろ!? 本当はエミリアとまた一緒にいたいって思ってるんじゃないのか!?」

 

「そんなわけ…………ッ! あ、あの子はっ、私の――――」

 

「家族だろうがッ!」

 

 家族…………?

 

 額から右手を静かに離し、私を睨みつけている彼の顔を見つめる。

 

「小さい頃の思い出はあるんだろ!?」

 

「思い出…………」

 

 小さい頃は、彼女と一緒にいる時間が一番楽しかった。訓練でやったことを離し始めると、エミリアはいつも楽しそうに聞いてくれていた。そして私が話を終えると、今度はエミリアが1人で読んでいた絵本の話をしてくれる。彼女にその絵本を読んでもらったこともあった。

 

 彼女の正体を教えられて思い出は砕かれてしまったけど、まだエミリアと一緒にいた思い出はある。

 

 やっぱり、彼女は――――私の妹だった。

 

 そう、エミリアは私の大切な妹―――――――――。

 

 どうして冷たくしてしまったんだろう。あの子がホムンクルスでも、関係ないじゃない。

 

「私――――」

 

「――――エリス」

 

 私が喋ろうとした瞬間、ジョシュアの声が私の声を切り裂いた。彼の声を聴いた瞬間、足元に広がっていた巨大な魔法陣が紫色の光を放ち始める。

 

 はっとしてジョシュアの方を振り向くと、エミリアにそっくりな少年との戦いで片腕を失ったジョシュアが、魔剣を手にしながらエミリアの胸に手を近づけているところだったわ。しかもジョシュアの左手には、この足元の魔法陣と同じ模様が浮かび上がっていた。

 

「では、魔剣の破片をもらおうかぁ…………ッ!」

 

「てめえッ!」

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 破片を彼女から取り出したら、エミリアが死んでしまう!

 

 私と力也くんは叫びながら走り出した。ジョシュアに魔剣を渡すわけにはいかないし、エミリアを死なせるわけにはいかない!

 

 彼女は、私の妹なんだから!

 

 必死に走りながらハルバードを突き出すけど、まだジョシュアを貫くことは出来ない。隣を絶叫しながら走る力也くんもあの飛び道具を取り出してジョシュアを狙うけど、間違いなく間に合わない。

 

 そんな。エミリアが死んでしまう。

 

 謝らないといけないのに。

 

 彼女に謝って、彼女とまた姉妹として一緒に生きたかったのに。

 

「――――姉さん」

 

 エミリアは虚ろな目で私の顔を見つめると、私の事を姉さんと呼んだ。

 

 そして、彼女の声が消えた瞬間、紫色の模様が浮き上がったジョシュアの魔剣が――――――――エミリアの胸を貫いた。

 

「―――――嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 

 

 

 



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魔剣が復活するとこうなる

 

『ねえ、おかあさん』

 

『ん?』

 

『どうしておかあさんのむねにはきずがあるの?』

 

 ―――――――幼少の頃、一度だけ母さんにそう尋ねた事がある。風呂からあがってきたばかりの母さんの胸元にちらりと見えた、何かに貫かれたような傷跡。この異世界ではどんな傷でも一瞬で治療してしまえるような魔術が普及しているのだから、その完全に癒えていない胸元の古傷には違和感を覚えた。

 

 母さんは、苦笑いをしながら答えてくれた。『これは、若い頃に戦ってついた傷だ』と。

 

 でも、母さんが教えてくれたのはそれだけだった。戦いでついた傷。若い頃から傭兵を続けていた母さんや親父たちにとって、負傷するのは日常茶飯事。相手を殺し、その仲間から攻撃され傷を負う。殺されないように攻撃を防いだり躱したりしながら、次々に敵を殺す。そんな血まみれの日常の中でついた傷。その程度の傷なんだろうと、俺は思っていた。

 

 しかし、奇妙な傷だった。すぐに治療できる筈の傷なのに治り切っていない母さんの傷。確か、親父の胸元にも同じような傷痕があったような気がする。

 

 その傷痕の正体は――――――――この戦いの傷だったのだ。

 

 21年前の戦い。エリスさんがモリガンの一員となる、ラトーニウス王国のネイリンゲン侵攻。ジョシュアというある1人の貴族が引き金となった、ラトーニウス王国にすら無断での大国への侵攻。王国側がしくじったジョシュアを切り捨てて白を切っているという説もあるが、母が胸元に傷を負った原因は、この戦いであったに違いない。

 

 モリガンの戦いをよく話してくれた両親だが、この戦いだけはちゃんと教えてはくれなかった。単なるネイリンゲンの侵攻ではなく、魔剣の復活をラトーニウスが目論んでいた事。そして、俺の母であるエミリア・ハヤカワが人間ではなくホムンクルスだったという事…………。

 

 俺は、何なんだ?

 

 俺は怪物で済むのか? 

 

 ずっと混乱していた。

 

 だから―――――――母さんが胸を貫かれているのを目の当たりにしても、俺は絶叫する事ができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ハッハッハッハッハッハッ! これが最後の破片かぁ!」

 

 エミリアの胸から引き抜かれたボロボロの魔剣の先端にあったのは、彼女の心臓の破片がこびりついた金属片だった。まるで鉄屑のようなその破片は、エミリアの血で赤黒く染まっていなければ、がらくたの中から出てきそうなただの破片だ。

 

 あれが、彼女の心臓の中に埋め込まれていた魔剣の破片らしい。心臓からその破片を引き抜かれた彼女は、目を見開いて血涙を流しながら動かなくなっている。

 

「エミ………リ……ア…………!?」

 

 ジョシュアに向けていたアサルトライフルを地面に落としてしまった俺は、突っ走るのを止めて棒立ちになった。

 

 死んだのか…………? エミリアが死んだ…………?

 

 嘘だろう? まだ生きている筈だ。だってエミリアは…………俺と一緒に旅をしてきた仲間なんだぞ…………? 転生者やレリエルと一緒に戦った戦友なんだぞ…………!?

 

 本当に死んでしまったのか?

 

 俺は信じられず、目を見開きながらエミリアの顔を見つめていた。もしエミリアが死んでしまったと認めてしまったら、俺は壊れてしまうかもしれない。

 

 破片からエミリアの心臓の破片を摘み取って投げ捨てたジョシュアは、狂喜しながら魔剣をかざした。すると先端部に付着していたエミリアの血がチンクエディアを長くしたような形状の刀身全体に広がり始め、脈動を始めた。

 

 魔剣が復活したんだ。

 

 かつてレリエルの心臓を貫いた大天使の剣が、伝説の吸血鬼が刻みつけた呪いを抱いて復活してしまった。

 

「悲しむなよ、2人ともぉ。エリスの遺伝子を使えばエミリアをまた生産できるんだからさ。いくらでも作れるんだぜ? なにせ、ホムンクルス(クローン)だからなぁ!! 記憶もある程度は修復できるんだから、悲しくないだろ? こんな作り物が1つ壊れた程度で…………ハッハッハッハッハッハッハッ!!」

 

「ジョシュアぁ…………ッ!!」

 

 よくも…………エミリアを…………ッ!

 

 しかも、エミリアをいくらでも生産できるだと…………!? ふざけるな。彼女は俺たちの仲間だ。エリスの遺伝子から作られていたとしても、彼女は人間なんだ!

 

「このクソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 絶対に許さん! このクソ野郎を穴だらけにしてやる!

 

 俺はジョシュアの野郎を睨みつけてAK-47のトリガーを引きながら、ナバウレアで最初に戦った時に殺しておけばよかったと後悔していた。あの時、ジョシュアは俺と戦って敗北し、自分でルールを破って魔術で攻撃してきた。俺はジョシュアに小型の散弾をぶっ放して傷を負わせるだけで済ませたんだが、あの時に殺しておけば、エミリアの心臓から魔剣を取り出すというジョシュアの計画はとっくに頓挫していた筈だ!

 

 甘かったんだ…………! エミリアは、俺のせいで…………! 俺の甘さのせいで…………!!

 

 絶叫しながらジョシュアに7.62mm弾をフルオート射撃で次々に叩き込む。だけど、ジョシュアは脈動する魔剣を掲げたまま突っ立っていた。

 

 すると、ジョシュアを穴だらけにする筈だった7.62mm弾の群れが、ジョシュアの肉体を食い破る前にいきなり何かに弾かれたんだ。まるで戦車に銃弾を弾かれているように、ジョシュアの目の前にある何かに弾丸たちが砕かれ、跳弾していく。

 

「すごい…………! いいぞ! これが魔剣の力か! これがあれば、世界を支配できる…………!」

 

「くそ、弾が…………!」

 

 空になったマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着してからコッキングレバーを引いた俺は、再びフルオート射撃で攻撃を続けた。でも、やっぱり弾丸は見えない何かに当たって跳弾し、地面に無意味な風穴を開けるだけだ。

 

「そんな…………エミリア…………!」

 

「おい、エリス!」

 

 エミリアを殺されてかなりショックを受けてしまったんだろう。銃撃を続ける俺の隣で呆然としていたエリスが、動かなくなってしまったエミリアを見つめながらいきなり膝をついてしまう。

 

「この魔剣があれば最強だ。――――そうだ、もうエリスも用済みだねぇ」

 

「!」

 

「エリス!」

 

 膝をついて涙を流しているエリスを嘲笑いながら、ジョシュアは漆黒の魔剣を振り上げた。すると刀身がいきなり血のように紅いオーラを放出し始め、刀身は瞬く間にそのオーラに包み込まれてしまう。

 

「拙い…………エリスさん、しっかりしろッ!!」

 

 タクヤがエリスに向かって叫んだが、エリスはまだエミリアが死んだショックのせいで動けないらしい。両手で顔を抑えながら、必死に「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼している。

 

 そして、ジョシュアはその真っ赤に変色した魔剣を、膝をついているエリスに向かって振り下ろし、真紅の衝撃波を放った。まるで戦車砲のような爆音を轟かせながら、エリスに向かって巨大な真紅の衝撃波が駆け抜けて行く。

 

 俺はアサルトライフルを投げ捨てると、彼女に向かって走り出した。レベルとステータスが高かったおかげで辛うじて衝撃波が到達する前にエリスの傍らに辿り着く事が出来た俺は、彼女の体を掴み、一緒に衝撃波の目の前から飛び退いた。

 

 ジョシュアが放った衝撃波は置き去りにされたエリスのハルバードと冷気を飲み込み、消滅させてから後方にあった防壁を突き破り、死体だらけになった草原へと突き抜けていった。

 

 なんて威力だ…………! 直撃したら、転生者でも消滅しちまうぞ!?

 

「あれは…………!?」

 

 その時、ジョシュアの衝撃波が突き破っていった防壁の向こう側に転がっていた騎士の死体が、いきなり起き上がったのが見えた。俺か外にいる信也たちが蹂躙した騎士だろう。死んだふりをしていたのかと思ったけど、その死体の腹は抉り取られていて、肉や肋骨が見えている。あんな傷を負えば間違いなく即死しているだろう。死んだふりをしていられる筈がなかった。

 

 起き上がったのはその騎士だけではなかった。その傍らでズタズタにされていた死体や、首が千切れ飛んだ死体が次々に起き上がり、地面に転がっている剣や槍を拾い上げると、呻き声をあげながら草原をさまよい始めたんだ。

 

 まるで、騎士の格好をしたゾンビの群れだ。

 

 まさか、魔剣の影響なのか…………?

 

「見ていろ、余所者。僕はこの魔剣で世界を支配する。…………そのあとに、僕に跪いた人間共の前でお前を処刑してやる。ハッハッハッハッハッ!!」

 

「待て、ジョシュア!」

 

 あのクソ野郎が魔剣を掲げた瞬間、背中に真っ赤な翼が出現した。吸血鬼たちが空を飛ぶために背中から生やしていた翼に形状が似ているような気がする。魔剣はレリエルの血を吸っているから、レリエルの影響なのかもしれない。

 

 ジョシュアは背中から血のように紅い蝙蝠の翼を生やすと、高笑いしながら空へと舞い上がった。脈動を繰り返す禍々しい剣を持って紅い翼で空を舞うジョシュアは、まるで魔王のようだった。

 

 とにかく、駐屯地から脱出しなければならない。このままではあのゾンビの群れに殺されてしまう。

 

 俺はちらりと縛り付けられたままのエミリアを見た。どうやら彼女はゾンビになっていないようだ。

 

 縛り付けられているエミリアの亡骸に駆け寄った俺は、鞘の中から小太刀を引き抜き、彼女の両手と両足を縛っていた鎖に思い切り漆黒の刀身を叩き付けた。漆黒の刀身が食い込んだ瞬間、金属音と火花が撒き散らされ、彼女の両腕を縛り付けていた鎖が両断される。俺はそのまま両足を縛り付けている鎖を両断してエミリアを解放すると、胸に大きな穴をあけられて絶命しているエミリアを思い切り抱き締めた。

 

 すまない、エミリア…………。あの時、俺がジョシュアに止めを刺していれば…………!!

 

 彼女の冷たい体からは血の臭いがしたけど、まだ甘い匂いが残っていた。俺はその甘い匂いを刻みつけてからエミリアの亡骸から顔を離すと、そっと彼女の流した血涙を拭き取り、瞼を閉じさせた。

 

「帰ろうぜ、エミリア…………。みんな待ってるからさ…………」

 

 もしかしたら返事をしてくれるかもしれないと思ったけど、やっぱり彼女は何も言わなかった。俺は端末を操作して背中のアンチマテリアルライフルの装備を解除してから彼女を背負うと、突入してきた時に開けた防壁の大穴を目指して歩き出す。

 

「ごめんなさい、エミリア…………。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………! お姉ちゃんを許して…………!」

 

「…………ねえ、エリスさん。逃げようよ」

 

 膝をついてエミリアに謝り続けるエリスを見下ろしながら、ラウラが言った。でも、エリスは立ち上がろうとしない。

 

「――――――――ねえ、いつまでも何してるの? 早くしないと、あのゾンビ共にやられるよ?」

 

「…………いいのよ」

 

 弱々しいエリスの声を聞いた瞬間、ラウラが鮮血のように紅い瞳を細めた。炎や鮮血を連想してしまう色だというのに、今の彼女の瞳は連想してしまうものとは裏腹に非常に冷たい。

 

 何だか、あの2人はそっくりだった。あの冷たい目つきはほとんど同じじゃないか。俺は先ほどまで、あんな冷たい目つきで俺を睨みつけていた少女と戦っていたのだから、見覚えがある。

 

「死んでも…………いいの…………。私が計画に手を貸したから、エミリアは…………」

 

 自分がジョシュアの計画に手を貸してしまったせいでエミリアが死んでしまったから、ここで死にたいって事なのか。

 

「だから、お願い。…………私を置いて行って」

 

「…………ふざけないで。あなたも来るの」

 

 ラウラは膝をついているエリスに右手を伸ばした。でも、ラウラの右手が彼女の肩に触れた瞬間、いきなりエリスが手を振り上げて俺の腕を振り払う。

 

 ラウラはもう一度エリスに向かって手を伸ばした。彼女はまたラウラの手を振り払おうとしてきたけど、すぐにその手を押さえつけ、エリスを立たせる。

 

「離してよ! お願い、死なせて!」

 

 彼女が絶叫した直後、ゾンビ共の呻き声が入り込んで来る駐屯地の庭に、平手打ちの音が響き渡った。ラウラは振り払った右手で頬に平手打ちを喰らったエリスの胸ぐらを掴むと、涙を流している彼女に向かって叫ぶ。

 

「ふざけないで…………! エミリアさんは、きっとあなたに生きていてほしいって思ってるわよ!」

 

「何で…………!? 何が分かるのよ…………私はあの子を――――――――――」

 

「私にも弟がいるの! エリス、よく聞きなさい!! もし私が弟のせいで死んでその子を残す羽目になったとしてもね、謝罪するために死んでほしいとは全く思わない! 償いたいんだったら生きてほしいって思うものなの! 生き残って、幸せに生きて欲しいってずっと願い続けるわ!! だって、死んだ自分の事を忘れられないで苦しむのは可哀想でしょう!? ここで死ぬのはただの自己満足にしかならないのよ!?」

 

 確かに俺はエミリアの家族ではないから分からない。余計なお世話なのかもしれない。でも、俺にも弟がいる。もしあいつのせいで俺が死んだとしても、俺は信也に生きてほしいと思うだろう。

 

 エリスを叱りつける姉を見てびっくりしているらしく、傍らで2人を見ていたタクヤは目を見開いていた。

 

「――――――それにね、エミリアさんは最後まであなたの事を『姉さん』って呼んでたわよ」

 

「エミリア…………」

 

 ジョシュアに魔剣の破片を抜き取られる直前、エミリアは最後に自分を助けようとするエリスに向かって姉さんと言っていた。

 

 あれだけ冷たくされたというのに、彼女はまだエリスを姉だと言ったんだ。いつかまた昔の優しい姉に戻ってくれると思っていたに違いない。だから、どれだけ冷たくされ、自分が人間ではないと言われても、彼女はエリスの事を姉さんと呼んだんだ。

 

「死んじゃダメよ。…………分かった?」

 

「うぅ…………っ」

 

「だから、行きましょう。…………生きないと」

 

 ラウラは、嗚咽するエリスに右手を伸ばした。今度は振り払わずに俺の手を握ってくれたエリスは、涙を拭い去りながら頷く。

 

 微笑みながら頷いたラウラは、エリスの手を引くと、エミリアの亡骸を背負ったまま防壁の大穴に向かって走り出した。

 

「…………行きましょう、力也さん」

 

「ああ」

 

 俺たちも、帰ろう。

 

 ジョシュアをぶっ殺すまで、死ぬわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターに映る映像を見た瞬間、思わず僕は正気じゃなくなってしまったんじゃないかと思ってしまった。この異世界に転生してからはありえないものばかり見ていたんだけど、モニターの映像は今まで見てきたありえない光景を上回っていた。

 

 車長の座席の近くに用意されているモニターに映っているのは、無数のゾンビたちだった。彼らはラトーニウス王国騎士団の防具と制服を身に纏い、ついさっき僕たちに蹂躙されて戦死したままの姿で死体の群れの中から続々と起き上がると、近くに転がっていた血まみれの武器を拾い上げ、呻き声をあげながら歩き始めたんだ!

 

 この世界に存在する普通のゾンビならば、中には腐敗の影響で手足がなくなっているゾンビもいるけど、基本的に彼らは五体満足だ。なのに、レオパルトの車外で次々にゾンビに変貌していく死体たちは、砲弾で手足や首をもぎ取られた死体やズタズタになった死体ばかりだ。中には首がないにもかかわらず立ち上がり、肉片まみれになった地面から得物を拾い上げる死体まである。

 

(シン、死体が…………!)

 

「そ、そのまま直進して!」

 

 一体何が起きているんだろうか? 

 

 でも、逃げるわけにはいかない。まだ駐屯地には兄さんとエミリアさんが残っているんだ。エミリアさんを助けに来たというのに、彼女と兄さんを見捨ててゾンビの群れから逃げるわけにはいかない。

 

「Sマイン、射出!」

 

 僕は手元のコンソールを何度もタッチしてSマインの射出準備をすると、駐屯地に向かうレオパルトに群がり始めたゾンビたちに向かって、Sマインをお見舞いすることにした。

 

 砲塔に搭載されている発射管からSマインが四方に射出され、空中で爆発する。その爆炎の中から姿を現したのは、Sマインの内部にぎっしりと詰め込んであった無数の鉄球たちだった。

 

 爆風と衝撃波に押し出された彼らは地上に降り注ぎ、レオパルトにしがみつこうとしていたゾンビたちを次々に穴だらけにした。ゾンビたちの返り血がレオパルトの装甲を真っ赤にしていく。

 

 でも、中にはSマインが射出した鉄球の雨に耐えて、まだレオパルトにしがみつこうとするゾンビもいた。僕は慌てて制服の内ポケットからワルサーP99を引き抜きながらキューポラのハッチを開け、車体の後方に手をかけてよじ登ろうとしていたゾンビに銃口を向けた。

 

「…………!」

 

 ドットサイトの向こうに見えたゾンビの顔を見た瞬間、僕はぞっとした。そのゾンビはどうやら散弾かキャニスター弾で顔を抉られて戦死したらしく、顔の左半分の皮膚が削げ落ちていたんだ。肉が露出したそのゾンビの頭に照準を合わせた僕は、目を細めながらトリガーを引いた。

 

 9mm弾によって頭に風穴を開けられたゾンビは、まだ呻き声をあげながら手を離すと、そのまま地面に叩き付けられる羽目になった。まだ起き上がろうとしていたようだけど、そのゾンビが叩き付けられたのはレオパルトの目と鼻の先。あっという間に戦車の車体に遮られたかと思うと、めき、とキャタピラに人間が踏み潰される音が聞こえてきた。

 

「す、凄い数だ…………」

 

 キューポラのハッチを閉めようとしながら、僕は戦車の周囲を見渡した。まるであの駐屯地を守っていた守備隊がゾンビに変わってしまったかのようだ。何人か逃走してしまった者もいるから全員ゾンビになってしまったわけではないのかもしれないけど、数百体ものゾンビがたった1両の戦車を取り囲み、呻き声をあげながら群がってくる光景はかなりグロテスクだった。モリガンで傭兵として実戦を経験していなかったら発狂していたかもしれない。

 

 戦車の中に戻ろうとしたその時、駐屯地の防壁に開いた穴の近くで爆音が轟いたのが聞こえた。何かが爆発したんだろう。でも、カレンさんは榴弾を撃っていない筈だし、砲声も聞こえなかった。

 

 まさか、兄さんが脱出してきたんだろうか?

 

 僕はよじ登ろうとしていたゾンビの頭をまたハンドガンで撃ち抜いて叩き落とすと、首に下げていた双眼鏡を覗き込み、爆音が聞こえた方向を確認した。

 

「…………兄さんだ!」

 

「旦那が帰って来たのか!?」

 

「はい! …………でも、誰か背負ってる…………?」

 

 爆炎の向こうからゾンビの群れをアサルトライフルのフルオート射撃で蹂躙しながら姿を現したのは、間違いなく兄さんだった。反動が強烈な7.62mm弾を使うAK-47を片腕で撃ちながら、誰かを背負ったままタクヤ君たちと一緒に僕たちの方に走ってくる。しかも、騎士団の格好をした蒼い髪の女の人も一緒だ。

 

 エミリアさんではないみたいだ。あの人は、確か屋敷の庭で兄さんと戦っていたエミリアさんのお姉さんじゃないか!

 

『信也くん、力也さんがエミリアさんを背負ってます!』

 

「え!?」

 

 戦車によじ登ろうとするゾンビをAKS-74Uのフルオート射撃で片っ端から叩き落としていたフィオナちゃんが言ったのが聞こえた。僕は双眼鏡で兄さんが背負っている人を確認する。

 

 確かに、兄さんが背負っているのはエミリアさんのようだった。身に着けているのは黒いドレスのような制服だし、蒼いポニーテールも見える。重傷を負っているんだろうか?

 

 僕は必死にゾンビを迎撃しているフィオナちゃんをハンドガンで援護しながら、腰のホルスターからワルサー・カンプピストルを引き抜いた。装填されているのは攻撃用の榴弾ではなく、信号弾だ。

 

 ワルサー・カンプピストルを空に向け、トリガーを引いた。天空に向かって真っ白な信号弾が打ち上げられ、そのまま白く煌めき続ける。

 

「ミラ、停止して!」

 

(了解!)

 

「兄さん、こっちだッ!!」

 

 どうして兄さんがエミリアさんのお姉さんを連れて来たのかは分からないけど、早く兄さんたちを連れてここを逃げなければならない。

 

 兄さんはエミリアさんを背負ったまま7.62mm弾をばら撒いて次々にゾンビをヘッドショットで仕留めると、エミリアさんのお姉さんと一緒にジャンプしてゾンビたちを飛び越え、返り血で真っ赤になったレオパルトの砲塔の上に着地した。そして、背負っていたエミリアさんを静かに砲塔の上に下ろす。

 

 彼女の体を見た瞬間、僕は目を見開いた。

 

 兄さんがエミリアさんを背負っていたのは、彼女が重傷を負っていたからではなかったんだ。彼女の胸には大きな穴が開いていて、エミリアさんは目を瞑ったまま動かない。頬には血涙を拭い去った跡が残っている。

 

 その時、ゾンビを叩き落としていたフィオナちゃんの銃声や、戦車を取り囲んでいるゾンビたちの呻き声が全く聞こえなくなったような感じがした。

 

 まさか、エミリアさんは…………死んでしまったの…………!?

 

 僕は無言でキューポラから兄さんを見上げた。彼女を横たえさせた兄さんは、悲しそうな顔をしていた。

 

「………そんな」

 

「…………信也、撤退を」

 

「りょ、了解…………」

 

 なんてことだ。エミリアさんが死んでしまうなんて…………。

 

 凛々しくて優しい人だったのに…………!

 

「…………ミラ、撤退しよう」

 

(う、うん…………)

 

 操縦士を務めるミラに指示を出した僕は、キューポラのハッチを閉めてから座席に腰を下ろし、頭を抱えながらモニターを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 返り血で迷彩模様が所々紅くなっている砲塔の先には、ネイリンゲンの屋敷が見えた。夕日はもう沈みかけていて、空は赤黒く変色してしまっている。

 

 ミラが操縦するレオパルトが、屋敷の塀の近くで停車した。エンジンの音が聞こえなくなり、装甲に包み込まれた車体が全く振動しなくなる。親父は砲塔の後ろから立ち上がると、母さんの死体を背負い、戦車の上から飛び降りた。

 

 一緒に乗っていたエリスさんも、無言で戦車の上から飛び降りる。

 

「…………彼女まで、ゾンビにならなくてよかった」

 

「そうね…………」

 

 他の騎士たちの死体は次々にゾンビに変貌していたんだが、母さんの死体だけはゾンビにならなかった。もし彼女がゾンビになって襲いかかってきたら、親父は彼女を撃つ事ができたのだろうか?

 

 そんな事にならなくてよかったと安心した瞬間、母親が殺された悲しみと憤怒が再び俺の心を蹂躙し始めた。憤怒のせいで勝手に血液の比率が代わり、服の中で俺の身体が勝手に硬化を始める。それを何とか抑え込みながら、悲しみと憤怒も抑え込む。

 

 これを叩き付ける相手は、ジョシュアの野郎だ。

 

「おい、旦那! なんでその女まで連れて来てんだよ!?」

 

 すると、母さんの死体を撫でている親父に向かって、戦車から下りて来たギュンターさんが親父に怒声を叩き付けた。確かにエリスさんは俺たちと戦ったが、彼女は母さんを助けようとしたんだ。悪い人ではない。

 

 彼の顔を見てから俯いたエリスさんの肩を優しく叩いた親父は、彼女の前に立ってギュンターさんに言った。

 

「彼女は悪い奴じゃない。確かにエリスはジョシュアの計画に手を貸したが…………彼女はエミリアを見捨てなかったんだ」

 

「信じられるか! そいつが旦那の邪魔をしたせいで……姉御が死んだんだろうがッ!」

 

「やめなさい、ギュンター…………!」

 

 確かに、彼女がジョシュアの計画に手を貸さなければ母さんは死ななかった。簡単にジョシュアの野郎をぶっ殺して、母さんと一緒にみんなでこの屋敷に帰って来る筈だったんだ。

 

 それに、ジョシュアに親父が止めを刺していればこの計画はとっくに頓挫して、母さんも死なずに済んだんだ。

 

「…………俺にも責任がある。転生したばかりの頃、ジョシュアに止めを刺していればあいつの計画は滅茶苦茶になってたんだ。…………ギュンター、あまりエリスを責めないでくれ」

 

「おいおい、旦那…………甘くなったじゃねえか。いくら姉御の家族でも、こいつは―――――――」

 

 すると、親父はため息をついてから腰のホルスターの中から水平二連型のソードオフ・ショットガンを引き抜いた。弾切れになっていたらしく、それに12ゲージの散弾を2発装填した親父は、そのショットガンをギュンターさんに渡した。

 

「至近距離で頭にぶち込めば、転生者でも殺せる。…………俺の責任だ。エリスを許せないなら、まず俺を撃て」

 

「旦那…………。すまねえ、分かったよ」

 

「すまない、みんな…………」

 

 戦車から下りた仲間たちに頭を下げた親父は、母さんの亡骸を背負って裏口へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてあの時、ジョシュアに止めを刺さなかったんだろうか。甘かった俺を問い詰め、滲み出そうとした言い訳を踏み潰す。俺が止めを刺さなかったせいでエミリアが死ぬ羽目になってしまったんだ。言い訳をするわけにはいかない。

 

 優しかった彼女が冷たくなってしまった理由は、エミリアが本当の妹ではなく自分の遺伝子から作られた偽物の妹で、本当の妹に名付けられる筈だった名前を付けられていたからだった。きっとエリスは、小さい頃から仲の良かった妹の正体を信じられなかったんだろう。そして、憎悪を持ったままジョシュアに手を貸してしまったんだ。

 

 でも、エリスはエミリアを助けようとした。やっぱりエミリアはエリスの妹だったんだ。もしエミリアが生きていたら、きっと仲睦まじい姉妹に戻っていたに違いない。

 

 俺がジョシュアに止めを刺さなかったせいで、エミリアは殺されてしまったんだ…………。

 

「…………くそったれ」

 

 エミリアが死んでしまったのは、俺のせいだ。

 

 左手で頭を押さえながら階段を上り続け、自室のドアを開ける。部屋の中に入ってランタンに明かりをつけ、エミリアをそっとベッドに寝かせた俺は、ベッドにそっと腰を下ろすと、目を開けてくれと祈りながら彼女の冷たくなった頬を撫でた。

 

 涙を返り血で汚れた制服の袖で拭い去ってから、エミリアの頬から手を離して立ち上がる。端末を操作して装備していた武器をすべて解除した俺は、もう一度エミリアの頬に触れてから自室を後にした。

 

 廊下に出てから階段を下り、1階にあるキッチンへと向かう。

 

 他のみんなは自室に戻ったらしく、もう裏庭にはいないようだ。そのまま1階まで下りてキッチンに入り込んだ俺は、棚の上に置かれていた酒瓶を拾い上げ、真ん中にあるテーブルの上に置いてから椅子に腰を下ろした。確かこの酒瓶は前にフランツさんが持って来てくれたラム酒だった筈だ。飲むことはないから誰かにあげようと思っていたその瓶を掴み上げて栓を抜き、口へと運ぶ。

 

 ラム酒を流し込んだ瞬間、彼女と一緒に初めて依頼を受けた時のことを思い出した。農場を襲撃している魔物の群れを2人で壊滅させて、モリガンが有名になったんだ。そして屋敷に戻ってから幽霊のフィオナと出会って、彼女を怖がっていたエミリアはすぐにフィオナと仲良くなった。

 

 そしてカレンから依頼を受けて、ネイリンゲンに戻ってきてから暗殺者に襲撃された。そしてその後に王都で彼女を守るために無数の暗殺者たちと戦ったんだ。

 

 もう一口ラム酒を口の中に流し込んでから涙を拭う。

 

 カレンが仲間になってから、ギュンターがボロボロになってこの屋敷を訪ねて来た。そして、ボロボロの袋にぎっしり入った銅貨を俺たちに差し出して、自分の町を占領した人間たちを殲滅してくれと依頼してきたんだ。その人間たちのリーダーは、俺が異世界で初めて出会った他の転生者だった。レベルの差があり過ぎるせいで苦戦して、俺は宇宙空間まで吹っ飛ばされる羽目になったんだ。でも、フィオナが力を貸してくれたおかげで何とか倒す事ができた。俺が戻ってきた時、エミリアの頬には泣いた跡があったっけな。

 

 そしてギュンターとミラが仲間になってから、信也までこの世界に転生して来てしまった。あいつはまだ未熟だけど、作戦を立てることと戦車やヘリを使った戦いは得意だ。今回の戦いも、戦車に乗ってみんなで俺たちを助けに来てくれた。

 

「エミリア…………」

 

 せっかくジョシュアの所から連れ出して、一緒に傭兵を始めたのに。

 

 俺のせいで死んでしまったんだ。ジョシュアに止めを刺さなかったせいで、エミリアはあいつに心臓から魔剣を取り出されて殺されてしまった…………。

 

 エミリアを貰うって言って連れ出して来たくせに、彼女を守れなかった…………。

 

 情けないなぁ…………。

 

「…………お酒に溺れるつもり?」

 

「エリス…………」

 

 口の周りを制服の袖で拭いながら、キッチンの入口に立っているエミリアにそっくりな少女を見つめた。彼女の姿が一瞬だけ出会ったばかりの頃のエミリアに見えたけど、彼女はもう死んでしまったんだ。あそこに立っているのは、彼女の姉だ。

 

 もう一口ラム酒を飲んでから酒瓶をテーブルの上に置き、俺は「何か用か?」と彼女に問い掛けた。彼女はモリガンのメンバーではないから、当然ながら自室は用意されていない。おそらく俺の後をついて来たんだろう。

 

「…………もしかしたら、エミリアを生き返らせる事が出来るかもしれないわ」

 

「なに…………!?」

 

 酔っぱらって聞き間違っちまったか? エミリアが生き返るだって?

 

 俺は椅子から立ち上がると、キッチンの入口の所に立っているエリスの肩を掴んだ。

 

「い、生き返らせる事が出来るのか!?」

 

「多分ね。かなり危険だけど…………」

 

「どうするんだ!? どうすればエミリアが――――――――――」

 

 すると、エリスはまた悲しそうな顔をしてから、そっと自分の胸に触れた。その場所は、エミリアがジョシュアの野郎の手に貫かれた場所と同じだった。

 

「え、エリス…………何考えてんだ…………!?」

 

「エミリアは私の遺伝子から生み出されたホムンクルス(クローン)よ。だから…………私の心臓を移植しても拒否反応は―――――――――」

 

「馬鹿野郎ッ! そんなことしたら、今度はお前が死ぬぞ!?」

 

 エミリアの心臓は木端微塵に破壊されたわけではない。心臓の中に埋め込まれていた魔剣を取り出されただけだから、簡単に言えば欠けた状態になっているわけだ。

 

 だからエリスは、その欠けた部分に自分の心臓を切り取って移植しようとしているんだ。確かにエミリアはエリスの遺伝子を元に作られているから問題ないかもしれないけど、移植したら今度はエリスが死んでしまう。

 

「分かってるわ。でも、私があんな計画に手を貸してしまったからエミリアは死んでしまったの…………。だから、私があの子を助けないと」

 

「…………なら、俺の心臓も使ってくれ」

 

「え…………?」

 

 いくらフィオナの治療魔術でも、欠けた心臓を元通りにするのは不可能だ。明らかにエリスの心臓だけでは足りないだろう。でも、俺の心臓も使う事が出来れば、エリスも生き残る事が出来るかもしれない。

 

「半年前に、俺がジョシュアを殺していれば彼女は死なずに済んだ。…………頼む、俺にもエミリアを助けさせてくれ」

 

「力也くん………」

 

 彼女の両肩を掴んだまま、俺はエリスの翡翠色の瞳を見つめていた。

 

 

 

 

 

 



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2人の正体

 

 

「あの親父は何を考えてんだ…………!?」

 

 ナバウレアで若き日の母さんが心臓を貫かれ、死亡したのはかなり大きなショックだった。しかし、のちに彼女と親父の間に生まれることになる俺が消えていないという事は、母さんは何かしらの方法で蘇生させられるという事を意味している。

 

 そうだ、俺は消えていない。俺を生んでくれる筈の母さんが死んだというのに、まだここにいる。ラウラの隣にいる事ができる。

 

 案の定、親父たちは母さんを蘇生させる方法を考えていたようだが――――――――その手段は、正気の沙汰とは思えなかった。

 

 今の母さんの心臓は、埋め込まれていた魔剣を強引に抉り出されたために4分の1が欠けている状態だという。そのかけている部分を補うために、エリスさんと親父の心臓の一部を移植するというのだ。

 

 エリスさんの心臓を移植するというのならば、納得できる手である。大きなショックだったが、母さんがエリスさんの妹ではなく彼女をモデルにして生み出されたホムンクルスならば、遺伝子は殆ど同じ。あらかじめ用意してあった自分の予備の臓器を移植するようなものだ。それゆえに、拒否反応を起こす可能性はほとんど考えられない。

 

 だが、さすがに4分の1も移植すれば今度はエリスさんが帰らぬ人になる可能性がある。そこで、親父も心臓を移植することになったようだが、親父と母さんは遺伝子的には全く違う赤の他人だ。それに2人は異世界の人間と転生者なのである。国籍どころか、生まれた世界すら違う。

 

 拒否反応が起こる可能性はどれほどかは分からないが、エリスさんよりは何十倍も高くなるに違いない。しかも、心臓の一部を移植するのだから、拒否反応を考えなかったとしても親父も危険な状態になる。

 

 その方法を廊下で信也叔父さんから聞いた瞬間、俺は親父がいかれてしまったのではないか、と思ってしまった。自分が危険になる上に、拒否反応を起こすかもしれない自分の心臓の一部を母さんの心臓に移植するというこの方法は、最早ただの賭け(ギャンブル)でしかない。

 

 俺は賭け事はしない主義だ。リスクがある状態で不確定な要素が多過ぎる作戦を使うよりも、確実に成功するような作戦を考えて実行する。無茶な作戦ばかりになってしまうが、賭け事よりはマシだ。こんなに賭け事を忌避するようになったのは、前世のクソ親父の影響もあるのかもしれない。

 

「自分の心臓まで移植するなんて…………」

 

「ふにゅ、危険だよ………! ねえ、信也さん。やめさせられないの?」

 

「僕も止めたいところだけど………無理だよ、きっと。兄さんは止まらない」

 

 21年後には廃墟と化しているモリガン本部の廊下で、信也叔父さんは肩をすくめた。自分の兄が危険なことをしようとしているのに、彼を止められないということを理解している信也叔父さんは苦笑いを浮かべている。

 

 転生する前から、叔父さんはこんなことを繰り返す親父を何度も見てきたのだろうか。仲間や家族のために必死に身体を張り、無茶ばかりする1人の男の姿を見守ってきたというのか。だから、命をかけて心臓を移植しようとする兄の事も、肩をすくめながら見送る事ができるのかもしれない。

 

 諦めと信頼なのだろうか。

 

「兄さんは、それくらいエミリアさんの事が大好きなんだろうねぇ…………」

 

「…………」

 

「よくエミリアさんの話をするんだよ、兄さん。『こっちで大人になったら、エミリアみたいな女と結婚したい』ってね。…………ふふふっ、この前は『もしエミリアにプロポーズする時、背中を押してくれないか』って真顔で頼まれたんだよね、僕。恋愛を経験したことないのに、勉強ばっかりしてた堅物に頼んでどうするつもりなのかな」

 

 ああ、親父はこの頃から母さんの事が好きだったのか…………。

 

 本当に愛しているから、結婚した後もあんなに家族の事を大切にできるに違いない。妻や子供たちの事を気遣って、家族が気付かないところで身体を張り続ける父親。ごく普通の父親ではなく、傭兵と会社の経営を兼任する多忙な父だというのに、あの男はそれでも家族を大切にし続けていた。

 

 前世のクソ親父とは正反対じゃないか…………。

 

「不器用なんだよ、兄さんは。…………でも、兄さんはもうこの賭けをやるつもりだ。だから………信じようよ」

 

「…………そうですね」

 

 信じてみよう。

 

 不器用で、無茶ばかりする馬鹿親父だけど。

 

 もし親父だけで耐える事ができなくなったのならば――――――――俺たちが背中を押してやればいい。

 

 今の主役(主人公)はお前なんだ。…………頑張れ、速河力也。

 

「信也さん、何か手伝えることはありますか?」

 

「そうだね…………。おそらく、ジョシュアは近いうちにオルトバルカへと進撃を始める可能性がある」

 

「ここへですか?」

 

「ああ。世界最強の大国を攻め落とし、魔剣の力をアピールしようとする筈だ。彼みたいな人間は目立ちたがり屋だからね」

 

 確かに、復活した魔剣の力を抑止力にするのならば、見せしめに大国を攻め落としてしまえばいい。隣にあるのは、この時代ではヴリシア帝国と肩を並べるオルトバルカ王国という最強の大国が存在するのである。その2つの大国のうち片方を攻め落とし、陥落させたのはたった1本の魔剣であると世界に知らしめてしまえば、魔剣が復活したことを知った他国はなかなか攻め込んでくる事ができなくなる。

 

 あとは、もう片方の大国であるヴリシア帝国を追い詰めていくだけだ。同盟関係にある国や植民地を少しずつ奪っていき、力を知らしめながら食料や物資を奪っていく。その過程で降伏するのならばそれで終わりだが、戦おうとするのならば同じように攻め落とすだけだ。

 

 その馬鹿げた世界征服の計画に一番最初にささげられるのが、このオルトバルカ王国という事になる。まだ叔父さんの推測だけど、このように動くのが可能性が高いかもしれない。

 

「そうなると、一番最初にジョシュアが攻め込んでくるのは…………」

 

「ああ、ここ(ネイリンゲン)だろうね」

 

 くそ、歴史の通りだ。

 

「一応、街の住民にはエイナ・ドルレアンへの避難を始めてもらってるよ。騎士団や他の傭兵ギルドには、住民の護衛をお願いしている」

 

「俺たちだけで迎え撃つんですか?」

 

「ああ。心細いかもしれないけど…………はっきり言って、魔剣に挑むには他の傭兵ギルドや騎士団では装備が貧弱過ぎる。戦車に木の棒で挑むようなものだよ」

 

 7.62mm弾を容易く防ぎ、衝撃波で分厚い防壁すら消滅させてしまうほどの力を持つ魔剣に、普通の人間が挑んだとしても瞬く間に消滅させられるだけだ。それどころか、魔剣を持つジョシュアに近付く前に、あいつが操る無数のゾンビたちに食い殺されるのは目に見えている。

 

 そう、脅威は魔剣だけではない。あいつはナバウレアで、戦死した騎士たちの死体をゾンビに変えて操っていたではないか。

 

「…………それに、ゾンビたちもいる。僕たちだけで防衛戦をやるしかない」

 

「人数が足りないのでは?」

 

「ああ。だから、武装したドローンやターレットをありったけ展開するし、地中にも地雷や爆薬を仕掛けておく。現時点ではまだジョシュアはラトーニウス国内にいるみたいだから、設置する時間はある筈だ」

 

「では、念のために塹壕も用意しておきましょうか?」

 

「塹壕?」

 

「ええ」

 

 にやりと笑いながら、腰の後ろのホルダーに納まっているスコップを片方だけ取り出す。漆黒に塗装された軍用のスコップには刃があり、殴りつけるだけでなく敵を斬りつけることもできるように設計されているのだ。だから強力な近距離武器にもなる。

 

 実際にスコップは、第一次世界大戦の塹壕戦で大活躍しているのだから。

 

「穴を掘るのは得意なんですよ」

 

「分かった。では、2人には塹壕の用意をお願いするよ。僕たちは爆薬とターレットの準備をする」

 

「了解。ラウラ、手伝ってくれ」

 

「了解(ダー)!」

 

 歴史の通りに攻め込んでくるならば、歴史の通りに返り討ちにしてやる。

 

 あのクソ野郎は、消さなければならない。ラウラや親父たちもそう思っている筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『し、心臓の一部を移植するんですか!?』

 

「ああ。手を貸してもらえないか?」

 

『む、無茶です!』

 

 研究室でエリクサーを作っていたフィオナは、やっぱり俺とエリスの心臓の一部をエミリアの心臓に移植するという提案に猛反対した。

 

 エリスはエミリアとほぼ同じ遺伝子を持つため、移植しても拒否反応を起こすことはないだろう。エミリアはエリスの遺伝子を元に作りだされたのだから、問題はない筈だ。

 

 でも、さっき死体を確認したけれど、思ったよりも心臓が欠けている部分が大きかった。だからその欠けた部分を全てエリスが移植すれば、今度はエリスが死んでしまう。

 

 だから俺の心臓も使ってくれとエリスに言ったんだ。俺とエミリアは赤の他人だから、当然ながら遺伝子は全く違う。拒否反応を起こす可能性もある。俺は賭け事はしない主義なんだが、彼女を生き返らせるにはこれしか手はない。

 

「頼む、フィオナ。…………俺のせいでエミリアが死んだんだ。だから…………」

 

『で、でも…………!』

 

「…………フィオナちゃん、お願い」

 

『うぅ…………』

 

 モリガンのメンバーの中で強力な治療魔術を使えるのは彼女だけだ。大きな傷を負ってしまっても、一瞬で傷を塞いでしまえるほどの魔術を自由に使う事が出来る。だから彼女に手を貸してもらえれば、移植が成功する確率は高くなる。

 

 彼女だって仲間を生き返らせたい筈だ。だから協力してほしい。

 

『わ、分かりました…………』

 

「すまん…………………」

 

『では、移植の準備をするので、医務室で待っててください』

 

 フィオナは俺とエリスにそう言うと、薬草を調合する作業を中断し、エリクサーを作るための何かの液体が入ったビーカーに蓋をしてから扉をすり抜けて研究室を出て行った。

 

 エリスは今までフィオナが普通の女の子だったと思っていたらしく、彼女が扉をすり抜けたのを目の当たりにしてからずっと目を見開いている。

 

「あ、あの子、幽霊だったの……………?」

 

「ああ。怖いのか?」

 

「だ、大丈夫よ……………」

 

 そういえば、エミリアも初めてフィオナを見た時はかなり怖がってたな。エリスもエミリアの姉だから、やっぱり幽霊が苦手なんだろうか。

 

 あの時の事を思い出して思わず笑ってしまった俺は、無理矢理ため息をついて笑うのを止めてから、研究室のドアを開けて医務室へと向かうことにした。

 

 医務室があるのは屋敷の2階だ。研究室や会議室などの部屋も2階の空き部屋を改装して用意してある。フィオナのエリクサーや治療魔術があるから医務室は必要ないんじゃないかと思っていたんだけど、万が一のために用意してほしいとフィオナにお願いされて、残っていた部屋を改装して医務室も用意しておいたんだ。

 

 今まで一度も使った事のなかった医務室のドアを開けた俺は、中に置いてあった大きなベッドに腰を下ろした。ドアを閉めてから、エリスも俺の隣に腰を下ろす。

 

 医務室の中は、転生する前の世界にあった病院のようになっていた。でもこっちの世界には機械は存在しないし、端末でも医療用の機材は生産できないから、部屋の中にはベッドと薬品の瓶が入った棚が置かれているくらいだ。俺やエミリアが住んでいた部屋よりも少し広い医務室の中を見渡していると、メスやピンセットをトレイに乗せたフィオナが、ノックしてからドアをすり抜けて医務室の中へとやって来た。

 

 どうやら、持っているものや身に着けているものも一緒にすり抜ける事が出来るらしい。

 

「きゃっ!?」

 

「だ、大丈夫だ、エリス」

 

『そ、それではベッドに横になってください』

 

 俺とエリスはベッドから起き上がると、別々のベッドに横になった。

 

 すると、フィオナが持っていたトレイを一旦机の上に置き、部屋の外へ出て行く。おそらく、エミリアを連れてくるんだろう。

 

 心臓の移植が成功すれば、エミリアは生き返ってくれるかもしれない。エリスの心臓の一部を移植するのは問題ないけど、俺は彼女たちとは全く違う遺伝子を持つ他人だ。もしかしたら、移植が成功しても拒否反応が起きてしまうかもしれない。

 

 賭け事はしない主義だが、賭けるしかなかった。

 

 しばらくベッドの上で横になりながら待っていると、医務室のドアがゆっくり開いた。そのドアの向こうから部屋の中に入ってきたのは、エミリアの亡骸を抱えたフィオナだった。彼女はエミリアを空いているベッドの上に横たえさせると、机の上にあるトレイから注射器を拾い上げ、俺が横になっているベッドの近くへとやって来る。

 

『では、麻酔を打ちます』

 

「頼む」

 

 俺は横になったまま、移植が終わった後に拒否反応が起こりませんようにと祈りながら目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ…………?」

 

 いつの間にか、俺は屋敷の前に立っていた。

 

 外はもう夜になっていた筈なのに、頭の上には蒼空がある。確か俺はエミリアに心臓を移植するために、フィオナに医務室で麻酔を打ってもらっていた筈だ。なのに、なんで屋敷の外にいるんだ?

 

 周囲を見渡してみると、草原と道の向こうに見える筈のネイリンゲンの街が見当たらない。屋敷の塀の外を草原が取り囲んでいるだけだ。

 

 蒼空と草原と屋敷しか存在しない、シンプル過ぎて殺風景な世界の中に、俺は突っ立っているようだった。よく見ると、俺が身に着けていた服はモリガンの制服ではなく、この世界に転生した時に来ていたジーンズとパーカーに変わっている。

 

 これは夢なんだろうか?

 

 パーカーのポケットに手を突っ込み、転生者に与えられる端末を取り出す。電源をつけて何か武器を装備しようとしたんだけど、電源のボタンを押しても端末の画面は暗いままだ。

 

 故障したのか?

 

 これでは武器を装備できない。俺の体はステータスで強化されているんだろうか? もし強化されていないのならば、敵に襲われたら間違いなく殺されてしまうだろう。

 

 ため息をつきながら端末をポケットに戻すと、いつの間にか屋敷の玄関の前に、蒼い髪の幼い少女が立っているのが見えた。水色のワンピースを身に纏ったその幼い少女は、エミリアやエリスに似ているような気がする。

 

 彼女は楽しそうに微笑みながら手招きすると、玄関のドアを開けて屋敷の中へと消えて行った。

 

 ついて来いということなんだろうか。

 

 俺はまたため息をつくと、パーカー姿のまま屋敷の中に足を踏み入れることにした。

 

 屋敷の中は、俺たちがいつも住んでいる屋敷とあまり変わらないようだった。でも、壁に掛けられているランタンの明かりは橙色ではなく蒼い光を放っていて、階段や床が蒼白く染まっている。

 

 いつもとは違う色で照らし出された屋敷の中を見渡していると、さっきの幼い少女が階段を上りながら手を振っているのが見えた。上がって来いということなんだろうか?

 

 俺は彼女の後について行くことにした。左側にある階段を上って2階へと上がり、そのまま3階へと上がっていく。

 

 あの少女は俺をどこに連れて行こうとしているんだ? 3階にはメンバーの部屋と風呂くらいしか部屋はない筈だ。

 

 すると、蒼い髪の少女は俺たちの部屋の前で立ち止まると、俺の方を振り返って微笑んだ。彼女が微笑んだ瞬間、いきなり身に纏っていた水色のワンピースが蒼い炎を噴き出して燃え上がり始めた!

 

 俺は慌てて少女を助けようとしたけど、蒼い炎に飲み込まれた少女はまだ微笑んでいた。そしてそのまま、蒼い炎と一緒に火の粉を残して消滅してしまったんだ。

 

「何だ…………………?」

 

 少女が残した蒼い火の粉を掴み取りながら俺は呟いた。彼女は俺をここに連れて来たかったんだろうか。この部屋の中に誰かいるのか?

 

 火の粉を握りしめていた右手を開き、そっとドアノブに触れた。そのままドアノブを捻ってドアを開き、幼い少女が案内してくれた自室へと足を踏み入れる。

 

 扉の向こうにあったのは、俺の知っている部屋の光景ではなかった。

 

 いつも俺がベッド代わりにしているソファも、ティーセットが置いてあるテーブルもない。それどころか、扉の向こうにあったのは部屋の中ですらなかった。

 

「ここは…………?」

 

 目の前にあったのは、屋敷の外に広がっているような草原だった。後ろを振り返ってみると、いつの間にか俺が開けたドアも消滅している。

 

 緑色の草原と蒼空しか存在しない世界。その中に入り込んだ俺は、2つの色しか存在しない開放的で殺風景な世界を見渡した。さっきの少女は俺をこんなところに連れて来たかったのか? 何故俺を連れて来た?

 

 その時、草原の向こうに人影が見えた。

 

 真っ黒なドレスのような制服を身に纏った、蒼い髪の凛々しい少女だった。

 

「あ……………」

 

 俺は彼女に向かって走り出した。

 

「あぁ…………………っ!」

 

 会いたかった。

 

 間違いなく、あの後姿は彼女だ。

 

 この異世界で、俺が初めて出会った大切な仲間だ。

 

 俺のせいで死んでしまった愛おしい彼女が、草原の向こうに立っていた。

 

「エミリア…………」

 

「…………………?」

 

 蒼い髪の少女が、ゆっくりと俺の方を振り向く。

 

 やっぱり、エミリアだった。ジョシュアに胸を貫かれ、魔剣を復活させるために利用されてしまった彼女が、この草原にいたんだ。

 

 でも、彼女は俺の姿を見た瞬間、まるで怯えたような顔になった。

 

「く、来るなッ!」

 

「え………………?」

 

「来ないでくれ、力也!」

 

 どうしてだ? 何で怖がってるんだよ?

 

 おい、エミリア…………………。

 

 彼女は俺に向かってそう叫ぶと、草原の奥へと向かって走り出してしまった。

 

 追いかけた方がいいだろうか? でも、エミリアは俺を怖がっているようだし、追いかけない方がいいんじゃないだろうか?

 

 彼女を追わずに引き返そうと思ったけど、俺は踵を返さなかった。

 

 彼女は、俺が貰ったんだ。一緒に旅をして、傭兵ギルドを作った。今まで一緒に強敵と戦ってきた仲間じゃないか。

 

 確かに彼女は死んでしまったけど、もしかしたら彼女を生き返らせる事が出来るかもしれない。だから俺はエリスと一緒に、彼女に心臓の一部を移植することにしたんだ。

 

 彼女を連れ戻すために!

 

 追いかけろ! 俺が貰うって言って連れ出した女だろうが!!

 

「エミリア、待ってくれ!」

 

 俺は草原を走り出し、エミリアを追いかけ始めた。

 

 どうやらステータスで身体能力は強化されているらしく、段々とエミリアに追いついていく。

 

 初めて彼女と出会った時、彼女は行く当てのない俺を受け入れてくれた。それに、強敵と戦う度に彼女を心配させてしまったし、何回か泣かせてしまった。

 

 まだ彼女に恩を返していない!

 

 走りながら右手を伸ばし、エミリアの肩を掴んだ俺は、まだ逃げようとする彼女を引き寄せた。怯えながら俺を睨みつけてきた彼女の目の周りには、涙の痕があった。

 

「やめろ、離してくれ!」

 

「エミリア、何で逃げるんだよ!?」

 

「私は………………! 私は、人間じゃないんだろう!?」

 

「…………………」

 

「姉さんの遺伝子から作られた、偽物の妹なんだ! だから姉さんは、私の事を憎んで…………!」

 

 彼女は俺の手を振り払おうとしたけど、俺はまだ彼女から手を離さなかった。

 

「だから、私はもういなくなっていいんだ! 私なんか……………!!」

 

「エミリア、そんなことは――――」

 

「――――馬鹿馬鹿しいじゃないか! ……………私は…………………お前の事が、好きだったのに…………………!!」

 

「お前………………」

 

 涙を流しながら、彼女は俺の胸を叩き始めた。

 

 自分は人間じゃなかった。だから、仲間を拒んで消えようとしているんだ。

 

「嫌だろう? こんな作り物に好かれても…………………」

 

「そんなわけないだろ」

 

 叩くのを止めて俯き、嗚咽するエミリア。俺は彼女の肩から手を離すと、両手で優しく彼女を抱き締める。

 

「――――俺も、お前が大好きだ」

 

「…………………本当に?」

 

「ああ。人間じゃなくても関係ない。――――それに、お前は俺が貰ったんだ。だからいなくならないでくれ」

 

 俺の腕の中で、エミリアの嗚咽が段々と小さくなっていく。

 

 彼女にいなくなってほしくない。俺はエミリアとずっと一緒にいたい。彼女が人間じゃなくても関係ないんだ。俺は彼女が大好きなんだから。

 

 だから俺は、彼女がいなくならないように、エミリアを思い切り抱き締めた。

 

「力也ぁ…………………」

 

 涙声で、エミリアが俺の名前を呼ぶ。

 

 すると、彼女を抱き締めていた俺の体が、いきなり燃え上がり始めた。火達磨になった俺の体が、炎を纏いながら少しずつ消滅していく。

 

 でも、全く熱くはなかった。炎の中で俺の皮膚は本当に焼けているように真っ黒になっていくけど、全然熱くなかった。

 

「力也…………………?」

 

 エミリアには、この炎は燃え移っていないようだった。

 

 少しずつ、俺の体が消えて行く。炎に包まれた両腕が燃え落ち、草原の上で火の粉になって消滅してしまう。

 

 すると、両腕がなくなった俺の代わりに、今度はエミリアが俺を抱き締めてくれた。段々と真っ黒になっていく背中を押さえ、燃え上がる俺の胸に顔を押し付ける。

 

 そろそろ戻って来いということなんだろう。確かに、まだぶっ殺さなければならない奴が残っている。このまま彼女と一緒にいるわけにはいかない。

 

 仲間たちの所に戻って、あのクソ野郎に復讐しなければならない。

 

「帰って来いよ、エミリア」

 

「ああ」

 

 彼女の声が聞こえた瞬間、俺の体は燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺を焼き尽くした炎が消え去ったかと思うと、俺はベッドの上で横になっているようだった。ゆっくりとベッドから起き上がり、部屋の中を見渡してみる。

 

 どうやらここは医務室のベッドの上のようだ。向かいのベッドではエリスが眠っていて、俺の隣のベッドにはエミリアの死体がある。傍らにある金属のトレイの上には血まみれになったメスとピンセットが置かれていて、その近くには空になった注射器が何本か放置されていた。

 

 移植は終わったんだろうか? いつの間にか上着を脱がされていた俺は、そっと右手で自分の胸に触れた。心臓がある辺りには、切り開いた後にヒールで塞いだような痕がまだ少し残っていて、そこだけ胸板が盛り上がっている。

 

 フィオナが移植を終わらせてくれたんだろう。ということは、今の俺は心臓が少しだけ欠けているということか。でも、エミリアを生き返らせるためならば問題ない。

 

 ベッドから起き上がって上着を羽織り、エミリアの様子を確認しようとしたその時だった。廊下の方から誰かが走ってくるような足音が聞こえたかと思うと、いきなり医務室のドアが開いたんだ。

 

「兄さん、大変だ!」

 

「信也?」

 

 大慌てで医務室のドアをいきなり開けた信也は、メガネをかけ直してから俺を見つめた。何があったんだろうか?

 

「――――ラトーニウス王国が、オルトバルカ王国に宣戦布告した!」

 

「なに!?」

 

 馬鹿な。ラトーニウス王国が宣戦布告したのか?

 

 オルトバルカ王国は、参戦した戦争で殆ど勝利している大国だ。そんな大国が隣にあるから、ラトーニウス王国は今まで全く手を出さなかったんだ。だが、今のラトーニウス王国には、魔剣を手に入れたジョシュアの野郎がいる。

 

 おそらくあいつが魔剣を手に入れたことで、ラトーニウス王国はオルトバルカ王国に喧嘩を売ることにしたんだろう。手始めに世界最強の大国を潰して世界中に魔剣の力を見せつけ、一気に征服するつもりらしい。

 

「信也、戦闘準備だ。武装したドローンやターレットをありったけ生産して、草原に配備しろ」

 

「もう済んでるよ、兄さん」

 

「随分と早いな」

 

「あの2人が手伝ってくれからね。塹壕も掘ってもらったんだ」

 

 塹壕まで用意したのか。

 

 ネイリンゲンはラトーニウス王国との国境に最も近い街だ。彼らがオルトバルカ王国に攻め込んで来るならば必ずここを陥落させるはずだ。

 

 つまり、ジョシュアもここにやって来るということだ。

 

 かかって来い、ジョシュア。

 

 魔剣もろともぶっ殺してやる。

 

「ああ、信也」

 

「なんだい?」

 

「今すぐ、メンバーを全員会議室に呼んでくれ」

 

「ああ、作戦会議だね?」

 

「まあな。だが、その前にあの2人に聞きたい事がある」

 

 ナバウレアでの戦いで―――――――タクヤは、何かの力を使った。

 

 そのような転生者の能力があるというのならば当然かもしれないが、あの時彼が使った能力は、転生者の能力とは違う能力かもしれない。

 

 少しばかり、彼に話を聞いた方が良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン本部の会議室には、モリガンの傭兵たちがずらりと並んでいた。親父はもう既に回復したらしいが、一緒に心臓を移植したエリスさんはまだ意識が回復していないらしく、会議室の中にエリスさんは見当たらない。

 

 会議室の中には大きな円卓が置かれ、その円卓の中心には大きな地図が置かれている。世界地図というわけではなく、ネイリンゲンからラトーニウスとの国境までを精密に描いた地図のようだ。

 

「お疲れ様、2人とも」

 

「どうも。………………とりあえず、この辺からここまで塹壕を掘っておきました。迫撃砲と重機関銃の配備も完了してます」

 

 円卓の上の地図にむけて手を伸ばし、塹壕を掘ってきた地点を指でなぞる。ラトーニウスからネイリンゲンへと直進できるルートを遮るように用意した塹壕には、迫撃砲や重機関銃を配備してきた。それと敵が塹壕内部に侵入してきた場合も考慮してスコップも備え付けてある。

 

 もちろん、侵攻してくる敵を食い止めるのは塹壕内部の重火器だけではない。モリガンの保有するレオパルト2A6を改造したものを投入する予定らしいし、信也叔父さんも新兵器の投入を考えているらしい。

 

「良くやってくれた。…………………ところで、タクヤ」

 

「はい?」

 

「聞きたい事があるんだが」

 

 親父はそう言うと、円卓の上に用意してあったでっかい地図を見下ろすのを止め、俺の顔を見つめ始めた。

 

 おそらく、親父が聞こうとしているのはこの防衛戦の事ではないだろう。何を俺から聞き出すつもりなのか、思い当たる節はある。

 

 それは的中する事だろうと思いながら、俺も親父の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

「―――――――――お前たちは、何者だ?」

 

 やっぱりな。

 

 それを聞いてくると思っていた。ナバウレアであらわになった俺のキメラの角。エルフのように耳の長い種族は存在するけれど、頭から角の生えた種族は〝まだ”存在しないのである。

 

 もう、明かしても良いだろう。ついでに、俺たちがあんたの子供だという事も。

 

 なあ、ラウラ。

 

 ちらりと隣を見ると、ラウラも首を縦に振っていた。ここで誤魔化せばモリガンの傭兵たちと軋轢を作る羽目になる。これから一致団結して防衛戦を開始するというのに、そんなことをすれば歴史の通りにならなくなる可能性もある。

 

 もう、話してしまおう。

 

「俺たちは、『キメラ』という新しい種族なんですよ、力也さん」

 

「キメラ…………?」

 

「おい、ちょっと待て。そんな種族聞いたことねえぞ?」

 

 静かにフードを外し、頭の角を晒す。ついでに服の中に隠していた尻尾まで出した瞬間、会議室の中に集まっていたモリガンの傭兵たちは、一人残らず見事に凍り付いていた。

 

 見た目は普通の人間なのに、角と尻尾が生えている怪物が目の前にいるのだから無理もない。

 

「し、尻尾…………?」

 

「あなたたちは…………いったい何者…………!?」

 

「転生者と人間のハーフ。…………そして、人間とサラマンダーのハーフでもあります」

 

「…………どういうことだ?」

 

「俺たちを生むことになるのは――――――――あんたなんだよ、速河力也(親父)

 

「なに?」

 

 傭兵たちが困惑する中で、静かに俺とラウラは手をつなぐ。そのまま傭兵たちの顔を見回してから再び親父を直視し――――――告げた。

 

「俺とラウラは、21年後の未来からやってきた――――――――あんたの子供だ」

 

 

 

 

 



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力也の覚悟

 

 そう告げた直後の傭兵たちの表情は、全員予想通りだった。俺が何を言ったのか理解できていないかのように、ポカンとしたままじっと俺とラウラを見つめている。いつも冷静でモリガンの誇る策士と言われる信也叔父さんまで口を半開きにしたまま、目を丸くして俺たちをじっと見つめているのだ。きっと、叔父さんのこんな表情はこの時代でしか目にできないだろう。

 

 俺たちは、21年後の未来からやってきた存在。人間とドラゴンの混血で、力也(あんた)の子供だ。もし俺たちの目の前に、同じように未来からやってきた俺の息子だと名乗る少年が姿を現したら、きっと俺もすぐには納得できずにこんな表情をする事だろう。だから彼らの感じている混乱はよく理解できる。

 

 でも、彼らも何度も実戦を経験している傭兵たちだ。戦場でいつまでも混乱していれば命を落とすだけ。だから混乱する時間は最小限にし、常に冷静でいなければならない。そんな考え方に慣れた彼らの混乱が、まるでスプリンクラーで徐々に消されていく炎のように小さくなっていくのが分かった。

 

 そして、ちゃんと考えられるほど混乱が小さくなった瞬間に、やっと親父は話し始める。

 

「な………何を言っている? 俺たちの子供って…………」

 

「そ、そうだぜタクヤ! これから戦争が始まるんだから、そんな混乱を招くような冗談は―――――――」

 

「冗談じゃありませんよ、ギュンターさん」

 

 確かに、これからネイリンゲン防衛戦が始まる。大規模な戦闘の前に彼らを混乱させるような真似はしたくない。でも、問い掛けてきたのはあんたらだ。俺たちの正体の片鱗を微かに見たとはいえ、好奇心で俺たちの正体を知ろうとしてしまった以上は、混乱してもらうしかない。

 

「――――――私たちのファミリーネームは『ハヤカワ』なの、パパ」

 

「ハヤカワって…………た、確かにオルトバルカでは見かけないファミリーネームね…………」

 

(ほ、本当に力也さんの子供…………?)

 

 ハヤカワというファミリーネームは、この異世界に住んでいる東洋人たちから見れば決して珍しいファミリーネームというわけではない。むしろごく普通の名前で、何の変哲もないと言っても過言ではない。

 

 だが、その東洋人たちが本格的に他国との交易を始めるのは、産業革命以降の話だ。俺たちが倭国で天秤の鍵を探していた時でさえ開国を主張する新政府軍と、鎖国維持を主張する旧幕府軍の全面戦争の真っ只中だったのだから、この時代で東洋人がオルトバルカまでやって来ているとは考えにくい。いたとしても、数が少ないのは火を見るよりも明らかである。

 

 その限られた東洋人の中で、ハヤカワというファミリーネームの者が何人いるだろうか。それも考慮してみれば、俺たちが親父たちをからかっているわけではないというのが理解できる筈だ。

 

 それに――――――――容姿も両親に似ている。

 

「な、なあ、タクヤ」

 

「なんだ?」

 

 何とか納得しようと努力しているのか、親父が目を細め始めた。

 

 親父は戦場で何度も死にかけた経験があると言っていた。そんな経験があるからこそ、戦闘の真っ只中に取り乱したり、混乱するのは命取りだと理解しているんだろう。実際にモリガンの傭兵たちの中でも、親父が一番冷静になるのが早い。

 

 ああ、そっちの方がありがたい。

 

「容姿がエミリアにかなり似ているが…………もっ、も、もしかして、俺の結婚する相手って…………」

 

 なぜか、親父の顔がちょっとずつ赤くなっていく。俺は一瞬だけにやりと笑うと首を縦に振り、顔を赤くしている親父に止めを刺すことにした。

 

「ああ、相手はエミリア・ペンドルトン。まあ、俺たちの時代ではもう『エミリア・ハヤカワ』だが…………」

 

「なぁっ!?」

 

「あ、あっ、あ、姉御が旦那と結婚すんのかぁ!?」

 

「ちょっと、何暴露してんのよ!? ネタバレはやめなさいよ!!」

 

(そうだよ、タクヤ君! 力也さんが可哀想だよっ!!)

 

 え…………? あ、あの、俺が悪いの…………?

 

 確かに俺もネタバレされるのは大嫌いだけど、聞いてきたのあんたじゃん。答えを聞いておいて非難するのはかなり理不尽じゃないですかね?

 

「え、エミリアが…………お、俺の………つ、つ、つっ、妻…………!?」

 

 あ、お父さんが滅茶苦茶混乱してる。

 

「ちょ、ちょっと…………冗談はやめろよ、おい! 俺はそんなに幸せ者じゃねえぞ!? エミリアと結婚なんて……………………さ、最高じゃん」

 

「まあね」

 

 確かに、母さんみたいな女性と結婚できれば幸せ者だろうな。料理は上手だし、家事も毎日素早く済ませてしまうし、しっかり者だ。融通が利かなかったり小言が多いところもあるけれど、夫のために尽力する女性は珍しいだろう。

 

 あんたは幸せ者になるんだよ。その分、今まで命懸けで戦ったんだから……………。

 

「そ、そうか…………俺はエミリアと2人も子供を…………」

 

「あっ、私はエミリアさんの子供じゃないですよ?」

 

「「「えっ?」」」

 

 ああ、ラウラの事もちゃんと言わないと。確かに俺はエミリアと力也の間に生まれることになる息子だが、ラウラはエミリア・ハヤカワから生まれたわけではない。

 

 ラウラは、俺にとって『腹違いの姉』なのだから。

 

「え、エミリアの娘じゃないって…………だ、誰の子供なんだ? 養子か?」

 

「ふにゃっ!? ふにゅ…………パパ、失礼だよっ!」

 

「す、すいません…………」

 

 父親が娘に怒られてる…………。

 

「私のママはね、エリス・シンシア・ペンドルトンなのっ!」

 

 ラウラがそう言った瞬間、再び会議室の中が静かになった。

 

 今しがた、俺が未来からやっていた子供だということを告げた時と同じ静寂。ついさっき感じたばかりの静寂を再び感じながら、俺は額に浮かんでいた冷や汗を少女みたいに細い指で拭い去る。

 

 まあ、さっきまで戦っていた敵の騎士が2人目の妻だと言われたんだから、確かに混乱するだろうな。

 

 ちなみに、この異世界では数人の妻と結婚する一夫多妻制の家庭は珍しくはない。日本ではありえないけど、この世界では一般的なんだ。だから親父はペンドルトン姉妹を2人とも妻にする事ができたのである。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「い、いや、ちょっと待て。…………えっ、妻が2人? 俺2人の女と結婚するの!? しかも姉妹!?」

 

「ふにゅ、そうだよ?」

 

「オイ旦那ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ひぃっ!?」

 

 話を聞いていたギュンターさんが、いきなり歯を食いしばりながら立ち上がった。一瞬だけギュンターさんの目には涙が浮かんでいたように見えたんだけど、なんで泣いてるんだろうか。

 

 椅子から立ち上がったギュンターさんはびっくりしている親父を睨みつけると、そのまま殴りかかるのではないかと思えるほどの剣幕で胸倉を掴み、至近距離で親父の顔を睨みつけた。

 

「ずるいぞ旦那! あんな巨乳の美少女をどっちも妻にしちまうなんて!」

 

「お、落ち着けバカ!」

 

「うるせえッ! わ、分けてくれてもいいじゃねえか! 俺も揉…………美少女と付き合いたいんだよぉッ!!」

 

 ちょっと、ギュンターさん…………?

 

 あっ、隣でカレンさんが腕を組んでちらちらと見てますよ? ギュンターさん、あなたと結婚することになる金髪の美少女が「こっちも見なさいよ」と言わんばかりに見てるんですけど?

 

「ギュンター、いい加減にしなさいよ?」

 

「で、でも…………ずるいぜ、旦那は! なあ、カレン?」

 

「…………バカ」

 

「あはははははっ。若い頃もパパたちは仲良しだったんだねっ♪」

 

「あ、ああ」

 

 仲良しだね、確かに。

 

 何だか俺たちのパーティーもこんな感じなんだよなぁ。なんというか、親子であんまり変わらない感じがする。

 

 それにしても、俺たちの時代の親父は21年前の親父と比べるとテンションが低くなったというか、雰囲気が変わったような気がする。さすがに38歳になればテンションは下がるものなんだろうか。でも、テンションが下がっただけじゃなくて悲しそうな表情をしているのもよく目にするようになった。特に、幸せな時に限ってあの親父は悲しそうな顔をしている。

 

 いったい何があったんだろうか? …………歳のせいなのか?

 

「ところで…………お前らの時代の家族はどうだ? みんな幸せか?」

 

「ああ。みんな幸せだよ」

 

「パパがお仕事を頑張ってるおかげだよっ♪」

 

「そうか…………はははっ、それは良かった」

 

 普通なら、まず最初に自分の事を聞くのではないだろうか。未来の自分はどうなっているのかと質問されるだろうなと思いながら答える準備をしていたんだけど、自分の事よりも先に家族の事を聞かれるとは思っていなかったから、簡単に答える事しかできなかった。

 

 そんなに家族の事を考えてくれる男だったのか、この親父は…………。

 

 自分よりも先に家族の事を大切にする。傍から見れば危なっかしい親父かもしれないけど………自分の事なんてどうでもいいと言わんばかりに家族を優先する男も珍しいと思う。

 

 平気で力を悪用する転生者の中でも、こんな男は珍しいだろう。

 

「そうか…………ということは、俺たちの戦いは無駄にはならないんだな?」

 

「ああ。むしろあんたらの戦いが、この世界を変える。21年後は凄いぞ。魔力で動く機関車が登場したり、でっかい機械のおかげで産業革命が起こってるからな」

 

「ははははっ、そうか。…………安心したよ」

 

 実際に、モリガンの傭兵たちの戦いは異世界に大きな影響を与えている。

 

 防具を身に着けず、遠距離からひたすら射撃することによって魔物や敵兵の群れを殲滅するという戦法は、のちに各国の騎士団が遠距離武器の開発に本腰を入れるきっかけにもなったし、防具を身に着けずに動き回り、仲間と連携して敵を殲滅するという戦法も発展していった。

 

 そういった戦法だけではない。現代兵器を参考に、フィオナちゃんが『フィオナ機関』と呼ばれる動力機関を発明するきっかけにもなるし、そのフィオナ機関が産業革命を引き起こす原因になるのだ。中には『モリガンは多くの騎士を虐殺した危険な集団だ』と喚く輩もいるけれど、彼らの戦いがこの世界にヒントを与えたと言っても過言ではない。

 

 それに…………転生者たちの蛮行から、この世界を守っていたのは彼らなのである。

 

 何だか、彼らにそう告げる事ができて安心した。数多の転生者や危険な魔物と戦い続け、世界最強の傭兵ギルドと言われた彼らの戦いは、この世界に発展するヒントを与えたのだと…………。

 

 だが―――――――この戦いの前に、もう1つ告げなければならない事がある。世界の事ではなく、俺たちの事。世界中から見れば個人的な事だろう。しかし、俺たちから見れば大きな事だ。俺たちだけではなく………速河力也という転生者から見ても。

 

 ジョシュアが率いる騎士団(ゾンビ)を迎え撃つ事になる、このネイリンゲン防衛戦。その最中に――――――――俺たちの父親は、左足を失う羽目になるのだ。

 

 そう、歴史の通りならば、親父はこの戦いで…………。

 

「…………ッ」

 

「タクヤ…………?」

 

 未来の事を知って盛り上がる親父たちを見つめながら、俺は歯を食いしばり、拳を握りしめた。なぜこれから親父が片足を失う事になるという事を先に告げなかったのか。そんな事を先に言ったほうが、気が楽になったのではないか。

 

 いっそ言わない方が良かったのではないかと思ったけれど…………やはり、言うべきだ。

 

 彼はこの戦いで片足を失い、義足を移植してキメラになる。そして母さんとエリスさんと結婚して、キメラの子供である俺たちが生まれる…………。

 

 ちらりと隣を見ると、俺よりも少し背の小さいラウラが顔を見上げながら頷いてくれた。

 

「………」

 

 ああ、言ってしまおう。

 

「…………親父」

 

「ん? どうした?」

 

「その…………この戦いの事なんだが」

 

「ああ、そうだな。お前らは未来から来たって事は、この戦いの結果も知ってるんだろ? もし良ければ…………教えてくれないか? この戦いがどうなるのかを」

 

 俺は息を呑んだ。今まで散々傷つき、仲間のために返り血を浴び続けてきた男に「お前はこの戦いで片足を失って、化け物になるんだ」って言うのはかなり残酷な事だ。やっぱり言わない方が良いのではないかと思って後戻りしたくなってしまうが、もう後ろを振り返っても逃げ道はない。

 

「…………この戦いは……モリガンが勝利する。死者はゼロ。母さんも意識を取り戻して、みんなと一緒に奮戦するんだ」

 

「お、エミリアも戦ってくれるのか! …………そうか、エミリアは帰ってきて―――――――」

 

「でも…………1人、重傷を負う奴がいる」

 

 そう告げた瞬間、先ほどの混乱よりも冷たい空気が会議室の中を包み込んだ。円卓に腰を下ろす傭兵たちは、息を呑みながら仲間たちの顔を見渡している。この円卓に座る仲間たちの中で、誰か1人が重傷を負う。

 

 人間ではなくなるという対価。そして怪物の力を手に入れるという見返り。重傷を負う本人は、再び立ち上がって戦いたいという願望のために足を取り戻そうとするだけなのに、そんな望みもしない対価と力を手に入れる事になる。

 

 息を吐いてから、俺は静かに右手を持ち上げた。そして―――――――――目の前に座っている黒髪の男へと向けて、ゆっくりと指を指す。

 

 傭兵たちが、一斉に指を指された男を見据えた。

 

「――――――――そうか、俺か」

 

「だ、旦那…………?」

 

「………嘘よ……な、何で力也が…………?」

 

「落ち着け、みんな。…………タクヤ、どんな怪我なんだ?」

 

「…………………どういう状況で傷を負ったのかは定かじゃないが……………あんたは、この戦いで…………………左足を失う」

 

 言った瞬間、俺は後悔した。

 

 やはり、言うべきではなかったんだ。大規模な戦闘の前にこんな士気を下げるようなことを言ってしまうなんて、愚行以外の何物でもない。言わなければよかった。言わなければ、彼らはもっと気楽に戦いに行く事ができた筈なのに。

 

「兄さん、戦闘が始まったら、兄さんは砲撃で支援を……………」

 

 兄が片足を失う結果にならないようにと、信也叔父さんが用意していた作戦を変更しようとする。この会議の前に聞いていた作戦では俺とラウラと親父の3人が突撃し、ジョシュアの野郎を始末することになっていたのだ。その間、他の仲間たちは塹壕や後方の迫撃砲などの火器からの一斉砲撃でゾンビの大軍に大打撃を与え、ジョシュアを始末するまでの時間を稼ぐことになっていたのである。

 

 あのゾンビたちを操っているのはジョシュアの魔剣だ。だから鍵になるのは、ジョシュアを始末するために突撃する俺たち。親父のような実力者が支援に回ってしまえば、作戦の成功率は著しく下がってしまう。

 

 叔父さんも分かっている筈だ。それが、愚策だという事を。

 

『力也さん、危険です』

 

「そうだぜ、旦那。代わりに俺が突っ込むから、あんたは援護を頼むぜ」

 

「―――――――いや、作戦通りでいい。俺とタクヤたちで突っ込む」

 

(力也さん、正気ですか!? 片足が……………この戦いでなくなっちゃうんですよ!?)

 

 仲間たちが引き留めようとしても、親父は首を横に振るだけだった。微笑みながらゆっくりと椅子から立ち上がり、後方にある大きな窓から向こうに広がる草原を見据える。

 

「…………タクヤ」

 

「?」

 

「お前は、その未来で満足しているか?」

 

 冷静な声で、そう問いかけられた。

 

 シンプルな問いだけど、あの結果で満足しているのかと言うだけの意味ではないような気がする。親父たちの戦いで発展した世界に生まれて満足なのか。ハヤカワ家の長男として生まれて満足なのか。両親が傭兵で満足なのか。

 

 俺たちが生まれることになる世界で、満足なのか。そのために片足を失う価値はあるのか。そう問われているような気がした。

 

 だから俺は、首を縦に振った。

 

「…………それでいい」

 

「兄さん、本気なのかい?」

 

「ああ」

 

 ゆっくりと踵を返した親父は、軽く自分の左足に触れてから微笑んだ。まるでこれから失う事になる自分の片足に別れを告げているように足に触れた親父は、息を吐いてから言った。

 

「俺たちが戦い抜いた結果で、子供たちが満足できる世界になるというのならば…………構わないさ、足がなくなっても」

 

「親父…………」

 

「信也、作戦会議を始めよう。俺は必ず最前線に配置してくれよ?」

 

 親父は覚悟を決めたのだ。

 

 自分の片足を生け贄にして、この戦いに参加する覚悟を…………もう決めてしまったのである。

 

 すまない、親父…………。

 

 歯を食いしばりながら、俺とラウラも席についた。

 

 

 

 

 

 



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エリスの参戦

 

「――――――――これが騎士団なの…………?」

 

 モニターの映像を見ていたカレンさんは、そう呟いた。

 

 会議室の席に腰を下ろし、まだ意識を失っている母さんと親父を除くモリガンの仲間たちが、信也叔父さんの持ってきたモニターの映像を見て絶句している。カレンさんは辛うじて呟く事が出来たみたいだけど、ギュンターさんやフィオナちゃんは最初にこの映像を目にした俺たちや叔父さんたちのように絶句しているようだった。

 

 モニターの映像に映っていたのは、騎士団の防具を身に纏った無数のゾンビたちだった。唸り声を上げ、ズタズタになった傷口をあらわにし、返り血や肉片まみれになった剣や槍を掲げながら進撃してくるゾンビの隊列。大国であるオルトバルカ王国を攻め落とそうとしているラトーニウス王国騎士団の隊列の正体は、このゾンビたちだった。

 

 騎士団とは思えない禍々しい軍団が、国境へと向かっているんだ。

 

「――――――――おそらく、このゾンビたちの数は10万体以上と思われます」

 

「10万体!? そんな…………! 仮に国境警備隊と街中の傭兵ギルドをかき集めても、こっちは400人足らずなのよ!?」

 

「…………その国境警備隊も、おそらく…………」

 

「全滅か…………」

 

 産業革命以降の強力な武装と戦術の合理化が進められた騎士団ならばまだしも、貧弱な武装と未発達としか言いようがない戦術で戦う昔の騎士団では、こんなゾンビたちの物量を食い止められるわけがなかった。時間稼ぎも期待できない。

 

 しかも、ゾンビたちの隊列の後ろには魔剣を持ったジョシュアがいる。

 

 無数のゾンビの群れに加えて、復活した魔剣までいるんだ。転生者が2人もいるこのモリガンが戦いを挑んだとしても、勝ち目がないだろう。

 

 しかも親父たちは、母さんという大きな戦力を喪失している。

 

 母さんは転生者とも渡り合う事が出来る転生者クラスの実力者だ。でも彼女はまだ昏睡状態で参戦できない。

 

『…………撤退するべきでしょうか』

 

 モニターの映像を見ていたフィオナちゃんが呟いた。

 

 確かに、このままネイリンゲンの戦力をかき集めて戦いを挑んでも、あのゾンビの群れと魔剣に蹂躙されるだけだ。だから王都の騎士団や国中の騎士団と合流して、ジョシュアが率いるゾンビの群れに戦いを挑んだ方が勝算がある。

 

「―――――――――良い案だけど、駄目だ」

 

『え?』

 

「住民たちを連れて逃げる必要があるし、この街は傭兵ギルドが多い街だよ? ――――――――モリガンに反感を持っているギルドもあるみたいだから、この案を無視して行動するギルドもいるかもしれない」

 

 もちろん、勝手にあのゾンビの群れに戦いを挑んで蹂躙されている間に逃げるという愚策も駄目だ。

 

「じゃあ、どうするんだよ? このまま戦うってのか?」

 

「―――――――――それしかないよ」

 

 このまま、ここで戦うしかない。

 

 他の傭兵ギルドと駐屯地の騎士団には住民の護衛をお願いしてこの街から退避してもらい、俺とラウラを含めた兵力のみでラトーニウス王国騎士団を迎え撃つ。

 

「作戦は考えてあります」

 

「どんな作戦だ?」

 

 信也叔父さんは壁に貼ってあるネイリンゲンの周囲の地図に、近くに置いてあった羽ペンで印をつけた。まず小さな丸を街の近くに書き込み、大きな丸をラトーニウス王国側に書き込む。そしてその大きな丸の中に、小さな点を書き込んでから仲間たちの方を見た。

 

「おそらく、あのゾンビたちを操っているのはジョシュアの魔剣です」

 

 親父が言っていたんだけど、ナバウレアで戦っていた時に死体が起き上がって襲いかかってきたのはジョシュアが魔剣を復活させた時だったらしい。だから魔剣の影響でゾンビが襲いかかってきたのかもしれない。

 

 魔剣はレリエルの心臓を貫いた際に彼の血で汚れてしまった剣の成れの果てだ。だから、ゾンビを生み出して操ることが出来るのかもしれない。

 

「だから、何とかゾンビの群れを突破して魔剣を破壊すれば…………」

 

「なるほどね。…………スーパーハインドで空から爆撃はできないの?」

 

「あの魔剣の衝撃波で、接近する前に撃墜される可能性があります」

 

 戦闘機ならば回避できるかもしれないけど、戦闘機を使うには飛行場や滑走路が必要だ。今から飛行場を作るわけにはいかないし、メンバーの中で操縦方法を知っているのは親父か信也叔父さんくらいだろう。

 

 俺も戦闘機の事は知っているけど、実際に操縦するのは無理だろう。俺の能力にあるトレーニングモードで訓練しなければ不可能だ。

 

 その時、会議室のドアがゆっくり開いた。

 

「――――――――失礼するわ」

 

「エリスさん?」

 

 ドアの向こうから姿を現したのは、ラトーニウス王国騎士団の制服を身に纏った蒼い髪の少女だった。母さんと同じく蒼い髪の少女で、長い髪の両側をお下げにしている。

 

 モリガンのメンバーたちは母さんが意識を取り戻したのかと期待していたみたいだけど、中に入ってきたのは彼女の姉の方だった。心臓の移植という負担の大きな手術を終えたばかりだからか、少々顔色が悪いし、ふらついているようだ。

 

「お願い、私も戦わせて」

 

「大丈夫なのか?」

 

 今の彼女は、心臓の一部が欠けている状態だ。いくら親父と一緒に心臓を出し合って母さんに移植することである程度負担が軽くなったとはいえ、今の状態のエリスさんでは戦場に行くのは自殺行為でしかない。

 

 俺も止めようと思った。負荷の影響で戦場でふらつき、隙を見せた好きにゾンビに食い殺される彼女を見たくはなかったから。それにエリスさんが死んでしまえば、ラウラは21年後の未来には存在しない事になってしまう。

 

 しかし、エリスさんの目つきは、弱っている状態だというのにあの時と変わらなかった。ラウラを生んで母となっても傭兵として戦い続けるエリスさんと、全く変わっていない。あの海底神殿で対峙した時と同じ目つきのエリスさんが、俺たちの目の前にいた。

 

「大丈夫よ、すぐに治るから」

 

「…………」

 

「旦那、こいつは信用できるのかよ? ジョシュアの腹心だった女だぞ?」

 

 やはり、敵だったエリスさんの手を借りることにまだギュンターさんは懐疑的らしい。実際に、あの人はエリスさんがこの戦いに参戦することに最後まで反対していたという。

 

 俺たちの時代では信頼し合っている傭兵ギルドの仲間になっているけど、昔のモリガンにもドロドロした部分はあったというわけだ。

 

「考えてみろ、ギュンター。エリスはジョシュアの野郎に用済みと言われ、殺されかけたんだ。切り捨てた腹心がまだ主人と繋がってると思うか?」

 

「で、でも…………」

 

「手足と同じさ。斬りおとされた手足は、自力ではもう二度とくっつかない」

 

 エリスさんを庇った親父は、苦笑しながら「…………まあ、俺の足もマジでそうなるかもしれないが」と笑えない冗談をぶっ放した。自分の反論を弾かれたうえにそんな冗談を聞いてしまったギュンターさんは、まるで唐突に自分の足元に手榴弾が転がってきた兵士のように目を見開き、息を吐いてから下を向いてしまう。

 

「…………カバーはする。エリス、力を貸してくれるか?」

 

「…………信じてくれるの? 力也くんは」

 

「ああ」

 

 頷いた親父は、踵を返して円卓の自分の席へと戻ると、まだ口をつけていなかった紅茶のティーカップを拾い上げ、エリスさんに手渡した。それほど冷めてはいないらしく、ティーカップの中に入っている紅い液体は湯気を発し続けている。

 

 まるで、ずっと妹を拒み続けていた彼女の心を溶かし、解放しようとしているかのようだった。

 

 まあ、エリスさんは結果的に親父と結婚してラウラを生んでいるし、俺の隣には2人の間に生まれることになる娘がいるんだ。裏切らず、モリガンの仲間となるという答えがあるようなものである。それに、エリスさんの今までの行動が全て演技だったのだとしたら、彼女はとんでもない悪女だ。だが、エリスさんはそんな女ではない。

 

 飄々としていて、敵に対しては非常に冷たくなるけれども、家族に対してはとても優しい女性だ。絶対零度と言う異名からは全く想像できないほど暖かく、優しい女性なのである。

 

「信也、敵の位置は?」

 

「国境警備隊の前哨基地を突破。もう国内に侵入している」

 

「ゾンビのスピードでは…………ここまで4時間はかかるな」

 

 言うまでもないが、ゾンビの足は非常に遅い。奴らが一斉に襲いかかってきた場合は凶悪なドラゴンよりも恐ろしい存在となるが、やはり奴らのスピードはあらゆる魔物の中でも最低クラスと言える。少なくとも奴らに近付かなければ、新米の冒険者でも問題なく討伐できる程度である。

 

 早足くらいのスピードを維持できれば、容易く逃げ切れるレベルなのだから。

 

「よし、今のうちにエリスにも銃の撃ち方を教えておく。他のメンバーは塹壕や車両で待機を。フィオナは屋敷に残ってオペレーターを頼む」

 

『了解ですっ!』

 

「エリス、ついて来い。俺たちの武器を渡す」

 

「ええ」

 

 いよいよ、ネイリンゲン防衛戦が始まる。

 

 これから俺たちも―――――――21年前の戦場で、戦う事になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺とラウラの持ち場は、幾重にも用意した塹壕の最も最前列である。ラトーニウス王国側の国境へと向けて三重に用意された塹壕の中にはブローニングM2重機関銃や、イギリス製迫撃砲の『L16』がいくつも配備されている。だが、おそらく俺たちがこれらを使用することはないだろう。

 

 迫撃砲は後続の味方が運用する手筈になっているし、重機関銃は一部を除いてターレットになっているため、わざわざ人間がグリップを握り、照準器を覗き込んで掃射する必要はない。

 

 傍らに置いてある木箱の中には、油の入った火炎瓶がぎっしりと用意されている。魔剣によって使役されているあのゾンビたちまで同じかは不明だが、一般的にゾンビは炎属性の攻撃を苦手とする傾向があるため、炎属性の魔術が使えない剣士や冒険者にとって、火炎瓶は心強い攻撃力となる。冒険者用のショップや売店でも販売されているシンプルな武器だ。

 

 必要最低限の魔術の知識があれば、ちょっとした小さな炎でも着火する事ができる。そのため炎属性の魔術は専門外であるラウラでも、辛うじて自力で着火する事ができるのである。

 

 その隣には、塹壕の遥か先にしこたま埋め込んだ爆薬を起爆するための起爆スイッチが置かれている。ゾンビの群れが爆薬を設置した地点に差し掛かったらすかさず起爆し、敵の数を削る手はずになっている。だが、これだけで殲滅は出来ないだろう。

 

 敵の数は10万体。それに対するこちらの兵力は、ターレットやドローンを除けば僅か9名。母さんが復帰したとしても、10名に過ぎない。

 

「………敵の数、すごいね」

 

「ああ。…………でもさ、親父の住んでた異世界の戦争もすごかったらしいよ。冬戦争っていう戦争なんだけど」

 

「ふにゅ? どんな戦争なの?」

 

 塹壕の中で座りながら、俺はラウラに説明する。

 

「ソビエト連邦っていう大国と、フィンランドっていう小さな国の戦争だったんだ。その中でも『コッラーの戦い』っていう戦いが今の状況に似てるかな」

 

「そうなの?」

 

「ああ。たった30名くらいのフィンランド兵が、4000人以上のソ連兵の大軍を食い止め続けたんだよ」

 

「たったそれだけで?」

 

「そう。しかも、その中には『シモ・ヘイヘ』っていう有名なスナイパーがいたんだ。その人もラウラみたいにスコープを付けないで狙撃したらしいよ」

 

 シモ・ヘイヘはおそらく世界中の狙撃手の中でも有名な存在だろう。狙撃手だというのに、愛用のモシン・ナガンにスコープを取り付けることなく、数多のソ連兵を狙撃してコッラーの防衛に貢献した兵士の1人と言われている。

 

 しかも狙撃だけでなく、SMG(サブマシンガン)の熟練の射手でもあり、彼に接近したソ連兵は片っ端から蜂の巣にされて戦死していったという。

 

「ふにゅ、私と同じなんだ…………」

 

「あはははっ。じゃあ、ラウラはこっちの世界のシモ・ヘイヘだね」

 

「えへへへっ」

 

 笑いながら、ラウラは接近戦用に彼女に支給しておいたP90の点検を始めた。

 

 P90はベルギー製のPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)だ。SMG(サブマシンガン)に使用される9mm弾や.45ACP弾よりも貫通力の高い5.7mm弾を使用するブル・パップ式の銃で、銃身は非常に短い。しかもマガジンの中に装填できる弾薬の量も従来のSMG(サブマシンガン)よりも多いため、比較的弾切れはしにくい。

 

 最も特徴的なのはマガジンだろう。従来の銃は下部やグリップの中にマガジンを装着するような方式なんだけど、この銃は上部に横倒しにするかのようにマガジンを装着するようになっているんだ。つまり、照準器のすぐ下にマガジンが装着されるのである。

 

 ラウラはそのP90を2丁装備している。

 

 それと、メインアームとなるアンチマテリアルライフルも、ダネルNTW-20からセルビア製の『ツァスタバM93』に変更してある。

 

 ツァスタバM93は、ラウラが好むボルトアクション式のアンチマテリアルライフルである。大口径の弾丸を使用するアンチマテリアルライフルの中では反動が小さく、命中精度も優秀な銃で、射程距離はおよそ1.8kmとなっている。使用する弾丸は、俺がカスタマイズする前のOSV-96と同じく12.7mm弾だけど、「20mm弾にしてほしい」とラウラにお願いされたので、内部や銃身をカスタマイズして20mm弾を発射できるように改造されている。射程距離を少しでも延長するために銃身を若干伸ばし、増大した反動を軽減するために銃床を通常からL96A1のようなサムホールストックに変更しているため、西側の狙撃銃を彷彿とさせる外見になっている。

 

 それと、更に火力を底上げしたいという要望もあったので、俺のOSV-96と同じく銃身の下に中国製オートマチック・グレネードランチャーの87式グレネードランチャーを装備している。装填してあるのは、ゾンビに効果のあると思われる白燐(はくりん)弾だ。

 

 先ほど外で試し撃ちもしたので、どちらも問題ないだろう。

 

 頭上は武装を搭載したドローンが飛行している。フリスビーを彷彿とさせるファンの下にぶら下げられているのは、7.62mm弾がしこたま詰め込まれた弾薬の箱と、ドイツ製LMGのMG3だ。圧倒的な破壊力の7.62mm弾を凄まじい速さで連射する凶悪な重火器である。

 

 ドローンの数は30機。中にはグレネードランチャーを搭載しているタイプもあるけど、彼らだけでゾンビの殲滅は難しいだろう。やはり、俺たちが突入して元凶(ジョシュア)を排除する必要がある。

 

 塹壕に備え付けておいたスコップを弄りながら、腰の鞘からナイフを取り出す。ナックルダスターを彷彿とさせる分厚いフィンガーガードの上へと伸びているのは、まるでマチェットの刀身をそのまま短くしたかのような分厚い刀身である。

 

 前まで使っていた大型ワスプナイフを、俺の能力を使ってアップグレードしたものだ。アップグレードには相変わらずポイントを使うが、武器に新しい機能を追加したり、強度や威力を上げる事ができる機能である。銃はアップグレードの恩恵を受けにくいという特徴があるけど、近接武器は受けられる恩恵が大きいため、こいつをアップグレードしておいたんだ。

 

 そうしたら…………何だか、別の武器になってしまった。元々高圧のガスを噴出し、敵を木端微塵に吹き飛ばす恐ろしいナイフだったんだが、もしかするとこっちの方が遥かに凶悪かもしれない。

 

 俺は息を呑みながら、メニュー画面の中から装備している近接武器を探し出してタッチした。

 

《テルミットナイフ》

 

 そう、このナイフの名前は―――――――『テルミットナイフ』という。

 

 要するに、噴出させるものが高圧のガスではなくなったというわけだ。代わりに噴出するのは、参加した金属の粉末とアルミニウムの粉末に着火したものである。

 

 傍から見れば殆ど無害なものを噴出しているように見えるかもしれないが、むしろこっちの方が危険なのだ。

 

 実は、参加した金属の粉末とアルミニウムの粉末を混ぜた状態で着火すると―――――――3000℃から4000℃の超高温を発しながら燃え上がるのである。これは『テルミット反応』と呼ばれ、冶金の技術の1つとしても利用されているほか、軍でも焼夷弾などの兵器として運用されている。

 

 つまり、こいつを突き刺された敵は体内にテルミット反応を起こしている熱々の粉末を送り込まれ、そのままローストビーフになるというわけだ。

 

 ただ、このナイフは強力だが、その機能を再び使うのはちょっとだけ面倒になっている。

 

 ハンドガンのようにグリップの中のカートリッジを交換した後、ナイフの鍔の部分から伸びる『火皿』と呼ばれる小さな穴に着火用の黒色火薬をほんの少し注入しなければならない。注入を終えてからフィンガーガード内のトリガーを引けば、火打石(フリント)の取り付けられた撃鉄(ハンマー)がその先にある金属製のパーツに激突して火花を発生させ、その火花が火皿の中に放り込まれて火薬に着火されるようになっている。

 

 要するに、こいつは『フリントロック式』という随分と昔の方式で作動するようになっている。

 

 再使用するための準備は面倒だけど、これを別の方式にするためにはもう一度アップグレードする必要があるという。それまでは、他の部位はカスタマイズできるけどフリントロック式からの変更は不可能らしい。

 

 とりあえず、それを2本装備している。ラウラもこいつを装備しているけど、彼女にはもう既に両足のナイフがあるから使う事は少ないだろう。

 

 ゾンビたちがここに襲来するまで、あと3時間。もしかしたら予定よりも早くやってくるかもしれないし、遅れるかもしれない。

 

 どちらにせよ、今度こそジョシュアの野郎を殺す。もし吸血鬼みたいに再生能力を持っているのならば何度でも焼いてやるし、強力なバリアのようなものを持っているのならば、そいつをぶち破るまで攻撃を叩き込んでやるだけだ。

 

 待ってろ、クソ野郎…………!

 

 

 



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ネイリンゲン防衛戦

 

 端末で生産したAK-47を肩に担ぎながら、俺は草原の向こうを睨みつけていた。ドローンが送って来た映像では、既に無数のゾンビたちは国境警備隊の要塞を突破し、オルトバルカ王国へと侵入している。ネイリンゲンは一番ラトーニウス王国に近い街であるため、あと数分でゾンビたちがここにやって来るということになる。

 

 敵の数は10万体以上。こっちの戦力は10人足らず。ドローンを含めたとしても、全く有利になったとは思えないほどの物量である。改造したMG3を搭載したドローンが飛行し、ブローニングM2重機関銃を搭載したターレットが草原の向こうを睨みつけている傍らでは、21年後の未来からやってきたという俺たちの子供たちが、グレネードランチャーを装備したアンチマテリアルライフルを構え、草原の向こうへと照準を合わせていた。

 

 その2人が銃口を向ける先にあるのは、目印として等間隔に木の棒が立てられた地点だった。

 

 このような塹壕での戦いの場合、突撃してくる敵を兵士たちが別々に撃っていると弾幕が一ヵ所に偏ってしまったり、極端に弾幕が薄くなってしまう箇所が現れて敵に突撃の隙を作ってしまう事が多々ある。それを防ぐために、塹壕内から敵に集中砲火を浴びせる時は、攻撃を開始する目安として『突撃破砕線』と呼ばれるポイントを用意しておくのである。

 

 俺は制服の上着を羽織ったまま、肩に担いでいたAK-47のチェックをしておくことにした。銃身の下にグレネードランチャーを装着しており、それ以外には特にカスタマイズはしていない。サイドアームはロシア製ハンドガンのトカレフTT-33となる。

 

 他の仲間たちもAK-47やAKS-74Uを装備している。俺の隣に立っているエリスのAK-47の銃身の下には、グレネードランチャーではなく射撃がしやすいようにフォアグリップが装着されている。

 

 ちなみに、エリスが身に纏っているのはラトーニウス王国騎士団の制服ではなく、エミリアが前まで身に着けていた黒い軍服のような制服だった。相手はゾンビとジョシュアだけど、彼らの着ているのはラトーニウス王国騎士団の防具や制服であるため、誤射(フレンドリー・ファイア)を防ぐために俺たちが見慣れている服を着てもらっている。彼女はエミリアよりも少々胸が大きいみたいだけど、基本的にそれ以外は彼女とあまり変わらないため、エミリアの制服は丁度いいみたいだった。

 

「エリス、大丈夫か?」

 

「ええ」

 

 彼女はそう言いながら俺の顔を見ると、にっこりと笑いながらアサルトライフルを構えて見せた。右手でフォアグリップを握り、左手でアサルトライフルのグリップをしっかり握って、銃床を左肩に付けながらライフル本体の上に装着されている照準器を覗き込んでいる。作戦会議の前に、俺が地下の射撃訓練場で彼女に教えた構え方だった。

 

 エリスは右利きではなく左利きであるため、一応エジェクション・ポートやコッキングレバーなどの位置を逆にしている。

 

「頼んだよ、兄さん」

 

「ああ。お前らも無理するなよ」

 

「うん。…………必ず、エミリアさんを殺したジョシュアに報復してね」

 

「任せろ」

 

 俺の隣にやって来た信也は、フォアグリップとドットサイトを装備したAKS-74Uを背負いながらそう言った。

 

 今度はあの時のように見逃さない。必ずぶち殺す。

 

「CP(コマンドポスト)、聞こえるか?」

 

『はい、力也さん』

 

 無線機から聞こえたのは、屋敷に設置した本部で指揮を執るフィオナの声だった。本部といっても、エミリアが眠っている医務室にターレットやドローンに指示を出すためのモニターと無線機を設置しただけだ。彼女には自衛用に武器をいくつか渡しておいたけど、もし俺とエリスが魔剣の破壊に失敗し、信也たちがゾンビたちに突破されてしまった場合は、昏睡状態のエミリアを連れて脱出するように指示を出してある。

 

 それと、医務室にはエミリアが目を覚ました時のために、彼女が愛用していた装備を一式置いておいた。目を覚ましてくれれば、彼女はきっとそれを装備して駆けつけてくれる筈だ。

 

「現在の敵の位置は?」

 

『12時方向。距離は5km先です』

 

「よし、ドローンによる先制攻撃を開始しろ」

 

『了解です。ドローンによる空襲を開始します』

 

 ドローンが搭載しているのは、搭載できるように改造したMG3やグレネードランチャーだ。俺たちの頭上を旋回していたドローンたちが、改造された銃をぶら下げながら草原の向こうから接近してくる敵の隊列に向かって突進していく。

 

 まず最初にドローンの攻撃で敵の数を減らし、敵が接近して来たら地中に仕掛けておいた無数のC4爆弾を爆破して更に数を減らす。そしてさらに、後方で待機しているカレンや信也たちに追い討ちをかけてもらってから、俺たちが攻撃を仕掛けることになっている。

 

 エリスを連れて、最前列にある塹壕へと滑り込む。塹壕の中へと入ってきた俺を見てにやりと笑ったタクヤが、C4爆弾の爆破スイッチを用意した。ドローンが攻撃を終えて戻ってきたら爆破するつもりなんだろう。

 

「親父、決戦だな」

 

「ああ」

 

「えっ? お、親父?」

 

「あっ、エリスには言ってなかったな。ここにいる2人は、信じられないと思うが21年後からやってきた俺の子供たちだそうだ」

 

「え? …………えぇ!? こ、こっ、子供ぉ!?」

 

「ふにゅ。初めまして、ママ。ラウラ・ハヤカワですっ!」

 

「ま、ま…………ママ?」

 

 これは言うべきなんだろうか。

 

 ラウラは、どうやら俺とエリスの間に生まれる子供らしい。彼女がいるという事は最終的に俺はエリスとも結ばれるという事なんだろうけど、今の段階で彼女は俺の事を全く気にしていないに違いない。いきなり赤の他人に「俺たちは結婚するらしい」って言われても、困るだけなのは明白だ。

 

 でも…………言うべきだろうなぁ。

 

「えっと…………か、彼女は、俺と…………お前の娘なんだってさ」

 

「――――――はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 戦闘前に大声出すなよ…………。

 

「わ、私が力也くんとっ!? あ、あ、ありえないわよそんなの! 私をからかわないでちょうだいっ!」

 

「ふにゃっ!? ご、ごめんなさい、ママ…………」

 

『うふふふっ。エリスさん、どう? 娘さんは自分にそっくりかしら?』

 

「ちょっと、カレンちゃん!?」

 

 カレン、あまりエリスをからかわないでやってくれ。戦闘中にまで狼狽したら大変だろうが。

 

『とりあえず、あの野郎をぶっ殺して姉御が目を覚ませばハッピーエンドってわけだ。旦那、勝ったらお祝いだな! ガハハハッ!!』

 

「何言ってんだよ。俺にとってのハッピーエンドは、幸せな余生を満喫してから子供たちや孫たちにに看取ってもらって死ぬことだ。それ以外は全部バッドエンドだぜ」

 

 そう、老衰以外で死ぬのはバッドエンドだ。俺はそう思っている。

 

 戦闘中に敵に殺されるのはバッドエンドだ。例え自分の死と引き換えに仲間を助ける事ができたとしても、それは自分にとってのバッドエンドでしかない。そう言う死に方が嫌だというわけではないけれど、理想的な人生の終わり方は、やっぱり家族に看取ってもらいながら老衰でこの世を去る事なのではないだろうか。

 

 成長して結婚した子供たちや、その子供たちから生まれた孫たちに看取られて死ぬ。銃を手にし、制服に身を包んで戦場で命を落とすよりも、その方が人生の達成感があると思う。

 

「――――でも、ハッピーエンドになるためにはこの戦いに勝たなければならない。負ければもちろんバッドエンドだ。本や演劇の物語でバッドエンドが好きな奴もいるかもしれないが、自分の物語までバッドエンドにするわけにはいかん。――――俺たちの物語は、必ずハッピーエンドにするんだ。いいな!?」

 

『了解!』

 

『おう!』

 

『はい!』

 

『うん!』

 

『了解ですっ!』

 

「ええ!」

 

「ふにゅっ!」

 

「了解、親父」

 

 仲間たちの返事を聞いた俺は、ニヤリと笑ってから草原の向こうで見えた爆炎を睨みつけた。おそらく、ドローンがグレネードランチャーで攻撃を開始したんだろう。MG3の銃声も聞こえてくるようだ。

 

 爆発の残響をフルオート射撃の銃声の群れが叩き潰し、その残響を次の爆音が粉砕する。銃声と爆音の争いが続く草原の向こうでは、ゾンビたちが次々に吹っ飛ばされて肉片になっていることだろう。

 

 だが、相手は10万体以上だ。武装したドローンが搭載している弾薬を全て叩き込んだとしても殲滅できる筈がない。それに、その後に待っているC4爆弾の爆破でも殲滅は出来ないだろう。

 

 だから俺たちがゾンビの群れを突破して、魔剣を破壊する必要がある。

 

「あ、そう言えば、21年後の俺ってどうなってんの?」

 

「え?」

 

「いやぁ、すっかり聞き忘れてたぜ。何だか未来の俺も気になるんだよね。一番は家族だけどさ」

 

「えっと…………」

 

 タクヤはアンチマテリアルライフルのスコープから目を離し、数秒ほど目を瞑ってから答えてくれた。

 

「とりあえず、ハゲる気配はない」

 

「ケンカ売ってんのか、ガキ」

 

 当たり前だろうが! 38歳でハゲてたまるか!! 出来れば頭のこと以外を教えてくれるか!? 相変わらず元気とか、そういう事を教えてくれよ! 何で真っ先に髪の事を言うんだよ!?

 

「ええと…………相変わらず妻たちに襲われまくり」

 

「何ぃっ!?」

 

『う、羨ましいよ、旦那ぁ…………痛ぇっ!?』

 

『この変態ハーフエルフ!!』

 

 お、襲われまくりって…………つまり、エミリアとエリスの2人に何度も押し倒されてるって事だよな…………? ハヤカワ家の男は女に襲われ易いって高校生の頃に親父が言ってたけど、本当に俺まで襲われるのか!?

 

 何でその体質まで転生した後も維持されてんだよ。

 

「そして、母さんのドロップキック喰らいまくり」

 

「夫婦喧嘩!?」

 

「いや、きっと妻の愛だろ」

 

「俺はドMじゃねえっつーの!!」

 

 な、何だそりゃ。ちょっと待って、21年後の俺はどうなってんの? ハゲる気配がないのは当たり前だけど、どんな状況になってんの…………?

 

 困惑しながら、タクヤがC4爆弾を起爆する前に、もう一度AK-47をチェックしておくことにする。グレネードランチャーにはしっかり40mmグレネード弾が装填されているし、マガジンもちゃんと装着されている。安全装置(セーフティー)も既に解除しておいた。

 

 あとはフロントサイトとリアサイトで照準を合わせてからトリガーを引けば、ゾンビを射殺できる。

 

 アイアンサイトを覗き込んで確認していると、銃声と爆音の争いが終わっていた。互いの轟音の残響が、そろそろ聞こえてくる筈のゾンビたちの呻き声をかき消してしまっている。

 

「――――C4爆弾、起爆する」

 

「やれ!」

 

 攻撃を終えて戻ってくるドローンたちを確認した直後、タクヤは耳に装着している無線に向かってそう言うと、塹壕の中に置かれてあったC4爆弾の起爆装置を起動させた。

 

 起爆装置のボタンを押した瞬間、草原の向こうに出現した黒煙と、その足元でふらつきながら歩いていた無数の人影が、地中から吹き上がった爆炎と爆風に飲み込まれ、一気に吹き飛んだ。ドローンたちが生み出した黒煙と残響を追い出すように姿を現したC4爆弾の爆風は既にズタズタだったゾンビたちを木端微塵に粉砕し、爆音で彼らの呻き声をかき消してしまう。

 

 まるで、爆炎の防壁が誕生したような光景だった。吹き飛ばした土と肉片を纏って吹き上がった爆炎の防壁は、追い出されて天空へと逃げようとしている黒煙の残滓に襲い掛かると、段々と黒煙に変貌していった。

 

 無数のC4爆弾たちが生み出した巨大な黒煙の防壁と陽炎を突破して、生き残ったゾンビたちが前進してくる。

 

「…………ふにゃあ、来たよ」

 

 致命傷を負っているかのようにふらつきながら歩いて来るゾンビたち。ジョシュアが魔剣で操っている戦死者たちの隊列が、呻き声をあげながらネイリンゲンへと向かってきている。

 

「よし…………カレン、信也。ロケット弾による攻撃を開始せよ」

 

『了解!』

 

『了解(ヤヴォール)!!』

 

 隣に立っていたタクヤは起爆装置から手を離すと、俺の顔をじっと見つめながら頷いた。C4爆弾の爆破とドローンの先制攻撃で殲滅できないという事は知っている。この後に用意されている攻撃でも殲滅は難しいだろうが、これで敵の数は大幅に削れる筈だ。

 

 これから投入するのは、それほど攻撃範囲の広い攻撃なのだから。

 

「――――――『BM-13カチューシャ』、攻撃用意」

 

 俺の号令が無線機へと送り込まれた直後、後方にある塹壕の向こうで、鋼鉄の塊が鳴動を始めた。

 

 鳴動という比喩表現をするには、その兵器はいささか小さ過ぎたかもしれない。隣に平均的な身長の兵士が立てば追い越してしまいそうなほど全高は低く、小ぢんまりとしている。がっちりした金属で構成された小さな車体の両サイドには小さなキャタピラが装着されており、その胴体の左側からは2連装の機銃が突き出ている。

 

 動き出した兵器の正体は、かつて第二次世界大戦の際にイタリア軍が大量に使用したと言われている、小型戦車の『L3』だった。戦車に分類されている兵器だが、肝心な戦車砲は搭載されておらず、主な武装は2連装の機銃のみである。他の戦車と比べれば装甲も薄く、武装も貧弱で、歩兵くらいしか相手にできなさそうな戦車と呼べる兵器ではないけれど、これは第一次世界大戦中の戦車と同じ目的で使う事を前提とした設計であるからである。

 

 第一次世界大戦の『ソンムの戦い』と呼ばれる激戦の最中に、敵の塹壕を突破する切り札として投入された戦車の目的は、『塹壕の強行突破』と、『進撃する歩兵の支援』とされていた。つまり、そもそも戦車同士で戦うのは想定外だったというわけだ。

 

 でも、第二次世界大戦ではむしろ戦車同士で戦う機会の方が多くなり、開発される戦車も対戦車戦闘を想定したものばかりが生産されるようになった。このように歩兵を支援するための戦車は『軽戦車』という種類の戦車として生き残っていくけど、近年ではその座は重武装化された装甲車に取って代わられ、完全に廃れてしまっている。

 

 戦車を相手にするには完全に非力と言わざるを得ない兵器だが、今回の相手は無数のゾンビたち。機銃しか搭載していないL3でも十分に相手にする事ができる。

 

 本来は機銃手と操縦士の2名のみで動かすL3だが、モリガンの人員不足を何とかするために無人型に改造してある。オペレーターを担当するフィオナちゃんが指示を出し、無人の小型戦車を戦わせるというわけだ。

 

 それに、そのL3は頼もしい兵器を牽引している。これから数多のゾンビを焼き払うという華々しい戦果をあげるのは、そっちの方だろう。

 

 L3の小ぢんまりとした車体の後方に連なるのは、まるで電車用のレールと金具を組み合わせたかのような物体を乗せた荷台だった。一見すると鉄道用のレールを運搬しているようにも見えてしまうけれど、そのレールの根元の方には無数のロケット弾がセットされている。

 

 その兵器が、これから数多のゾンビを焼き払うのだ。

 

 第二次世界大戦中のドイツ軍が恐れた、旧ソ連製のロケットランチャーの『BM-13カチューシャ』である。装填された無数のロケットをひたすら連発し、敵陣にばら撒くという恐るべき兵器で、第二次世界大戦中ではこれが大量に投入され、数多のドイツ軍の陣地を焦土と化していったという。

 

 それを搭載した荷台を牽引したL3が2両配備されており、塹壕の後方に展開している。カチューシャの再装填は力自慢のギュンターに担当してもらっている。

 

 攻撃を担当するのはカレンとミラの2人だが、元々このカチューシャは攻撃範囲のみを重視した兵器であるため、圧倒的な攻撃力と攻撃範囲を発揮する代わりに命中精度は劣悪と言わざるを得ない。とりあえず1体でも多くのゾンビを巻き込む事が出来れば上出来だ。

 

「―――――――撃て(アゴーニ)ッ!」

 

『発射(アゴーニ)!!』

 

 号令を発した瞬間、カチューシャ(スターリンのオルガン)が火を噴いた。

 

 停車したL3に牽引された荷台から、矢継ぎ早に無数のロケット弾が、まるで隕石のように凄まじい勢いで連射され始めたのである。立て続けに炎を吐き出しながらすっ飛んでいくロケットたちと、彼らが残した煙に包まれる発射用の荷台。あそこで作業しているカレンとミラは、今頃咳き込んでいるだろうか。

 

 仲間の心配を始めた直後、踵を返しかけた俺の左側で熱風を纏った閃光が産声を上げた。慌てて戦場を振り返った俺の目の前には見慣れた火柱が誕生していて、土や焦げた雑草の破片と共に、鎧を身に纏ったゾンビたちの身体の一部を空へと舞い上げている。

 

 カチューシャの最初の一撃が、地面に着弾したのだ。少しでも多くのゾンビを巻き込めるように調整されたロケット弾は地面に激突すると、偶然そこを歩いていた運の悪いゾンビを一瞬で叩き潰し、地面にある程度めり込んでから爆発した。

 

 膨れ上がる爆炎と爆風。それが消え去るよりも先に次の爆炎が生まれ、同じようにゾンビを次々に焼いていく。

 

 たった2基のカチューシャの砲撃とはいえ、立て続けにロケットが地面に撃ち込まれることによって生じる爆発は、戦車砲の集中砲火よりも派手だった。

 

「す、すごい…………」

 

「さて、俺たちもそろそろ突っ込むか」

 

 そう言いながら、AK-47を構える。傍らで伏せていたタクヤとラウラの顔を見下ろして頷いた俺は、息を吐きながら火柱を凝視した。

 

 火柱の向こうから火だるまになったゾンビたちが、ゆらり、と次々に姿を現す。酔っぱらいの歩き方にも似た動きだけど、苦手な炎に包まれたゾンビたちは、1体、2体、と次々に崩れ落ち、二度と動くことのないローストビーフと化していく。

 

 今ので、どれだけ数を減らせただろうか。せめて3桁以上のゾンビは減っているのならばありがたいと思いつつ、近くに備え付けてあったスコップを拝借しながら俺は立ち上がる。

 

 タクヤたちには、ある程度狙撃で援護してもらうとしよう。この2人が突っ込むタイミングは、俺とエリスよりも少し後だ。

 

「頼んだぞ、同志(タクヤ)」

 

「おう。行け、同志(親父)

 

 はははっ。まさか、未来からやってきた息子に援護してもらえるなんてな。

 

 ――――――――奮い立つじゃないか。

 

 これが父親の戦いなのだと教えてやらねば。

 

 何度か魔物の大軍と戦ったことはあったけど、無数のゾンビたちと戦ったことはない。でも、あのグロテスクな隊列を突破しなければ、ジョシュアをぶち殺して報復することができない。

 

 突破するしかなかった。

 

 俺たちの仲間を殺し、彼女の姉を利用したクソ野郎に必ず報復する。そして、今度こそ止めを刺す。

 

「いくぞ、エリス!」

 

「ええ!」

 

「―――――――УРааааааааааааа!!」

 

 接近してくる無数のゾンビの群れに向かって、俺とエリスが走り出した。首のないゾンビや肋骨があらわになっているグロテスクなゾンビたちが、口から血の混じった涎を垂らして呻き声をあげながら、突撃してくる俺とエリスに向かって得物を振りかざし始める。

 

 だが、あいつらの得物は基本的に剣や槍だ。こっちの武器はロシア製の優秀なアサルトライフルだぜ? 

「コンタクトッ!」

 

「了解!」

 

 隣を走るエリスに向かって叫びながら、俺は目の前のゾンビの隊列に7.62mm弾のフルオート射撃をお見舞いする。もちろん、アイアンサイトで照準を合わせているのはゾンビたちの頭だ。首のないゾンビには、胴体に弾丸を2発ほど叩き込んでおく。

 

 目の前のゾンビをフルオート射撃で薙ぎ倒しながら、左手をグレネードランチャーのグリップから離し、先ほど塹壕から拝借してきたスコップを近くのゾンビの頭に叩き付ける。隣を走るエリスも、同じようにフルオート射撃で次々にゾンビの頭を撃ち抜きながらスコップを引き抜くと、呻き声をあげながらゾンビが突き出して来た先端部の欠けている槍を塹壕のスコップで受け流し、そのまま反時計回りに回転すると、下顎が欠けているゾンビの顔面にAK-47の銃床を叩き付ける。銃床を叩き込まれてよろめいたゾンビの喉元にスコップを放り投げて止めを刺したエリスは、そのまま近距離射撃で次々にゾンビを仕留め始めた。

 

 俺もグレネードランチャーのトリガーを引き、40mmグレネード弾で槍を構えていたゾンビたちの隊列を粉砕すると、その爆炎の中に飛び込みながらAK-47を乱射した。そしてすぐに空になったマガジンを投げ捨て、新しいマガジンを装着してからコッキングレバーを引き、目の前で剣を振り上げようとしていたゾンビの額に左手のスコップを突き刺す。

 

 そしてスコップを引き抜きゾンビが突き出して来た槍を銃で受け流しながら、左側にいた首のないゾンビの胴体にフルオート射撃をお見舞いする。胸に風穴を3つも開けられたゾンビが崩れ落ち始めたのを確認した俺は、スコップと近距離射撃でゾンビを蹂躙しながらエリスに追いついた。

 

「どうだ!?」

 

「良い武器ね!」

 

 AK-47のフルオート射撃でまとめて3体のゾンビの喉元を引き裂きながらエリスが叫ぶ。。

 

「今までこんな武器を使ってたの!?」

 

「ああ! 俺の世界の武器だ!」

 

「なるほど、これがモリガンの武器の正体というわけなのね!?」

 

「そういうことだ!」

 

 隣でフルオート射撃を続けていたエリスのAK-47のマガジンが空になる。俺は右手でトリガーを引きながら左手をグレネードランチャーから離し、銃床のホルダーに戻すと、ホルダーの中のマガジンを彼女に放り投げた。

 

 エリスは空になったマガジンを投げ捨ててから俺のマガジンをキャッチすると、笑顔で「ありがと!」と言いながらそのマガジンを装着し、コッキングレバーを引いた。

 

「ちっ!」

 

 次々に接近してくるゾンビを射殺していると、俺のマガジンも空になった。マガジンを取り外して放り投げた瞬間、隣でゾンビの喉元をスコップで串刺しにしていたエリスが、銃剣を引き抜きながら今度は俺にマガジンを放り投げた。

 

「はい、恩返しよ!」

 

「助かるぜ!」

 

 俺は目の前のゾンビを蹴飛ばしてからグレネード弾を叩き込み、まとめてゾンビを粉々にしてから受け取ったマガジンを取り付け、コッキングレバーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 銃声が聞こえてくる。

 

 聞き慣れた音を聞いた私は周囲を見渡すが、どこにも銃は見当たらない。私の周囲には蒼い草原が広がっているだけだ。

 

 蒼と空が支配する幻想的で殺風景な世界だ。私は先ほどから、ずっとここに立っている。

 

 私の事を抱き締めてくれた力也が燃え尽きてしまった瞬間、私の立っていた草原は蒼く変色してしまったのだ。

 

 この銃声はどこから聞こえてくるのだろう? もしかして、力也が戦っているんだろうか?

 

『―――――――――こんにちは』

 

「………?」

 

 草原を見渡していると、いきなり目の前から声が聞こえてきた。明らかに力也の声ではない。私と同い年くらいの少女の声だった。だが、聞いたことのない声だ。明らかにカレンの声ではないし、姉さんの声ではない。

 

 私に声をかけて来たのは、いつの間にか目の前に立っていた蒼い髪のツインテールの少女だった。水色のワンピースを身に纏い、私の顔を見つめながら微笑んでいる。

 

 誰だ…………? 姉さんと私に似ているような気がするが、誰なんだろうか?

 

『もう、みんな戦ってるよ?』

 

 みんなだと…………?

 

 まさか、モリガンの仲間たちが戦っているのか?

 

 いきなり私の目の前に現れた少女は、どこからか聞こえてくる銃声を聞きながら楽しそうに笑った。

 

 



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殺戮の草原

 

 塹壕から頭を突き出すような恰好でずらりと並ぶターレットの数は、最前列の塹壕内のターレットだけでも30基を超えている。2層目の塹壕にも、3層目の塹壕にも同じ数のターレットが配備されており、搭載されたブローニングM2重機関銃の射角を微調整しながら、殺到してくるゾンビたちを睨みつけている。

 

 人間の射手よりも獰猛で、なおかつ冷酷な鋼鉄の射手たちは、最前列の塹壕の向こうに設けられた突撃破砕線を突破した敵を自動的に探知して掃射するようにプログラムされている。

 

 そんなターレットたちの群れに紛れ込んだ俺とラウラも、塹壕の中に設置された迎撃装置の一部と化していた。彼らのように冷酷ではなく、ちょっとしたミス(ヒューマン・エラー)をしてしまう事もあるけれど、ターレットたちの集中砲火よりも俺たちの方が獰猛だという自信がある。

 

 突撃破砕線の設置されている場所は、俺たちの位置から見て2km先。丁度、俺とラウラの持つアンチマテリアルライフルの射程距離だ。

 

 もう既に安全装置(セーフティ)は解除している。親父とエリスさんがAK-47とスコップを併用した白兵戦で突っ込んでいったおかげでゾンビの進撃速度は遅れたけれど、あの2人の蹂躙を免れたか、追いつく事ができなかった〝残り物”が、今度は塹壕の方へと殺到してきている。

 

 さあ、そろそろ出番だぞ。

 

 こつん、とOSV-96の銃床を軽く叩き、照準をゾンビに合わせる。レンジファインダーが計測して表示する数値が徐々に小さくなっていき、2000mを下回りそうになった瞬間に―――――――隣で伏せていたラウラの目つきが、いきなり鋭くなったような気がした。

 

 彼女はスコープを使用して狙撃することを嫌う――――――どうやらスコープを使うと見辛いらしい―――――――という、シモ・ヘイヘのような特異な狙撃手である。銃のパーツが1つ足りないため、ちらりと隣を見るだけで彼女の目つきがよく見えるのだ。

 

 そして、レンジファインダーの数値が2000mを下回り――――――――ターレットたちと、俺たちの銃が一斉に火を噴いた。

 

 まるで紅蓮の大瀑布が草原に出現したかのような轟音が、この戦場にいる傭兵たちの耳を劈(つんざ)く。その数多の銃声の真っ只中で発砲した俺の銃の反動(リコイル)が、いつもより大きくなったような気がした。

 

 俺は緊張しているのだろうか。マズルフラッシュが光源となる塹壕の中で、俺はトリガーを引き、ゾンビを薙ぎ倒しながらそう思った。緊張しているから、反動が大きく感じるのか。ならば、どうして俺は緊張している? こんな〝本格的な戦場”で戦うのが初めてだから? 塹壕の中から身を乗り出し、敵を薙ぎ倒したことがないから?

 

 いや、そんな事を考えてる場合じゃないだろう。

 

 考え事を止め、改めてスコープを覗き込む。カーソルと小さな数値の並ぶ複雑なスコープの向こうでは、もう既に無数の肉塊が草原を覆い尽くしているところだった。傍から見れば、どこかの誰かがわざわざ木の根を真紅に塗り直し、それを乾燥する前に積み重ねたようにも見えるけど、その正体を誤魔化そうとする煙の向こうをしっかりと見据えてみると、その積み重なっている真紅の木の根の正体が、12.7mm弾や14.5mm弾の集中砲火で木端微塵にされたゾンビの肉片や手足の一部であるという事が分かる。

 

 従来のライフル弾よりも大きな12.7mm弾の運動エネルギーで喰らい付かれれば、人体は確実にあのような末路を辿る。7.62mm弾を上回る威力の弾丸で撃ち抜かれ、五体満足で済むなどありえない。

 

 だが、その肉片を踏み越えて殺到してくるゾンビたちは、仲間が粉々にされても全く恐れていないようだった。もう既に自我を奪われ、死体を強引に動かされている状態の彼らは、どんな破壊力の兵器を見せつけられてももう怯まない。生者を道連れにしてやると言わんばかりにこちらへと殺到し、容赦なく食い殺すだけだ。

 

 だが、速い動きでも早歩き程度のスピードでは、いくら兵力があっても俺たちに触れる前に機関銃の掃射で殲滅されてしまうのではないだろうか。死体で防壁が作れそうなほどゾンビの亡骸が転がる草原を想像しながら、スコープの向こうのゾンビを木端微塵にする。

 

 かつては対戦車ライフルの弾薬にも使用されていた14.5mm弾が、ゾンビの臍(へそ)の辺りにめり込んだ。回転しながらゾンビに喰らい付いたその弾丸が突き刺さったと思った瞬間にはゾンビの身体が弾け飛んでおり、辛うじて生き残った手足や腐った骨の一部が地面に転がっていく。

 

 次の獲物を狙おうとした瞬間、一気に4体ほどゾンビが砕け散った。まるで目の前を塞がれたことに苛立った巨人がぶちかましたかのような重過ぎる一撃を放ったのは、隣でタンジェントサイトから目を離し、素早くボルトハンドルを引いて20mm弾の薬莢を排出するラウラだった。

 

 彼女が使っているツァスタバM93は、本来は12.7mm弾を使用するように設計されているライフルだ。そのライフルを、彼女の要望で20mm弾を使用するように改造し、射程距離も2kmまで延長するために銃身を伸ばしたり、炸薬の量を増やしたため、重量だけでなく弾丸の弾道もかなり変化している。まだ数回しか試し撃ちをしていない筈なのに、次々にトリガーを引くラウラの狙撃は、まるで熟練の狙撃手が使い慣れたライフルで当たり前のように狙撃しているかのような、信じられない命中精度だった。

 

 ズドン、と銃声が響き渡り、煙を吐き出しながら落下した空の薬莢が金属音を奏でる。そして弾薬がなくなったらマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着して狙撃を再開する。

 

「敵との距離、1000mをきるぞ!」

 

 ラウラに警告したその時だった。

 

 背後に展開している塹壕の方から、重機関銃の銃声を一瞬だけ掻き消してしまうほどの大きな音が聞こえてきたのである。後ろを振り向いて確認したかったが、今はそれどころではない。突っ込んでいった親父たちを支援するためにもここで狙撃を続けなければならないし、もう少ししたら俺とラウラもあのゾンビの群れに突っ込まなければならないのだ。

 

 すると、今度は何かが落下してくる音が聞こえてくる。何の音かと思いながらスコープから目を離そうとしたその時、仲間の死体を踏みつけ、進撃を続けようとした板ゾンビの群れの真っ只中に、またしても火柱が噴き上がったのである。

 

「迫撃砲!」

 

 後方の塹壕からの支援砲撃だ。信也叔父さんやギュンターさんが、支援砲撃を開始してくれたらしい。

 

 迫撃砲もカチューシャと同じように命中率が高いわけではないが、通常の榴弾砲や対戦車砲と比べれば連射速度は非常に速く、攻撃範囲も広い。進撃してくる敵の群れを叩き潰すにはうってつけの重火器である。

 

 立て続けに、ゾンビたちが吹っ飛ぶ。次々に産声を上げる火柱の群れに、ゾンビの大軍が遮られ始める。

 

「ラウラ、白燐弾!」

 

「了解(ダー)」

 

 重機関銃の一斉射撃と迫撃砲の砲撃を受け続けているというのに、ゾンビの群れはもう1層目の塹壕に接近していた。既にグレネードランチャーの砲撃でも有効なダメージを与えられるような距離である。

 

 2人で同時に銃身の下のグレネードランチャーに手を伸ばし、折り畳んであった照準器を展開する。この中国製の87式グレネードランチャーは、従来のグレネードランチャーよりも口径が小さいために威力が低いという欠点があるけれど、連射速度と射程距離ならばこちらの方が上だ。

 

 しかも、装填されているのは『白燐弾』と呼ばれる特殊な砲弾である。

 

 焼夷弾のような砲弾で、着弾した標的を焼き尽くしてしまう代物だ。砲弾や爆弾などに使用されていたが、近年ではさらに性能の高い焼夷弾などが開発されているため、発煙弾として使用されているものなどを除いて殆ど退役してしまっている。

 

 白燐弾は発火した場合、消化が非常に難しい。咄嗟に水をかけた程度ではまず消化できないため、炎を弱点とするゾンビたちには――――――――そもそも、ゾンビたちに白燐の炎を消化する知識はないだろう―――――――有効なのである。

 

 アンチマテリアルライフルの銃身の下に装着された87式グレネードランチャーから、矢継ぎ早に35mm白燐弾が放たれる。照準器を合わせた場所よりも上に逸れたかと思いきや、すぐに砲弾たちは急降下を始め、ゾンビたちの足元へと着弾した。

 

 真っ白な煙が噴き上がったかと思うと、その向こうから火だるまになったゾンビたちが姿を現した。内臓や肋骨があらわになるほどの大きな穴が開いたゾンビや、首から上がなくなっているゾンビたちの身体が燃え上がり、炎に包まれたゾンビたちが次々に力尽きていく。

 

 大半のグレネードランチャーならば1発撃ってから再装填(リロード)しなければならないが、この中国製グレネードランチャーはドラムマガジンに装填できる砲弾の数が多く、連射も利くので非常に強力なのである。地面に設置したり、戦車に搭載するオートマチック・グレネードランチャーは既にアメリカやロシアが開発しているが、このように持ち運ぶことを前提に軽量化したタイプを開発したのは、現時点では中国のみだ。

 

 ドラムマガジンを取り外し、新しいドラムマガジンを装着してコッキングレバーを引く。そのまま白燐弾で焼き払ってやろうと思ったけど、塹壕の向こうを振り返った頃には、もう既にスコープを覗き込めばゾンビたちが巨人に見えるほどの距離にまで接近されていた。

 

 俺は咄嗟に傍らの木箱の中から火炎瓶をありったけ引っ張り出すと、いくつかに着火して放り投げつつ、残った分の一部をラウラへと渡した。

 

「お姉ちゃん、そろそろ突っ込まない?」

 

「そうね、このままじゃ遅れちゃうわ」

 

 指先から小さな炎を出し、火炎瓶に着火したラウラは、それを放り投げてゾンビを火だるまにすると、アンチマテリアルライフルでの狙撃を中断して背中に背負った。腰のホルダーに下げられていた2丁のP90を引き抜き、白兵戦の準備をする。

 

 相変わらずお姉ちゃんは、戦闘中になると口調が変わるなぁ…………。もしかすると、ラウラは二重人格なのかもしれない。

 

 そう思いながらラウラを見つめていると、彼女は俺が何を考えながら自分を見ているのか気付いたらしく、にっこり笑いながらウインクしてくれた。

 

「――――――――ふにゅっ♪」

 

 か、可愛い………。

 

 よし、ジョシュアの野郎をぶちのめして元の時代に戻ることができたら、お姉ちゃんに思いっきり甘えよう。

 

「…………さて、突っ込みますか」

 

 親父たちは十分援護した。俺たちも、そろそろ親父たちの後に続いてジョシュアの元を目指してもいいだろう。

 

 あのクソ野郎は親父や母さんだけでなく、エリスさんまで弄んだ最低最悪のクソ野郎だ。しかも母さんを許嫁にしていた理由は、母さんを愛していたからではなく、母さんの心臓の中にあった魔剣の破片のためだったのだ。

 

 もし仮に母さんを愛していたから許嫁にしていたのであれば、奴は普通のクソ野郎の1人で済んだことだろう。だが、あいつはクソ野郎を超えてしまった。多くの人々を自分の計画のために利用し、切り捨てようとしたのである。

 

 必ず、あの男はぶち殺す…………!

 

 OSV-96を折り畳んでから背中に背負い、近くに置いてあったスコップを拾い上げる。左手には着火した状態の火炎瓶を握りしめた俺は、ラウラと頷き合ってから、2人で同時に塹壕の中から飛び出した。

 

 泥の臭いが消え失せ、腐った血肉と火薬の支配する世界へと躍り出る。そう、これが戦場の臭いだ。人類の殺意が濃縮された、血みどろの大地が発する臭い。

 

「「――――――УРаааааааааааааааа!!」」

 

 今殺しに行くぞ、ジョシュア…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は誰なんだ…………?」

 

 私は目の前で楽しそうに笑う蒼い髪の少女に問い掛けた。雰囲気は私と姉さんに似ているが、ペンドルトン家の子供は私と姉さんだけの筈だ。私は姉さんのホムンクルス(クローン)だが、姉さん以外に子供がいる筈がない。

 

 まさか、私以外のホムンクルス(クローン)か?

 

 もしかすると、もし魔剣を埋め込まれていた私が死んだ時のために他にもホムンクルス(クローン)を生み出していたのかもしれない。予備のホムンクルス(クローン)を用意しておけば、私が殺されても、心臓から魔剣を取り出して埋め込み直せば計画が頓挫することはない。

 

 つまり、予備の私ということか…………?

 

 すると、目の前の少女はにこにこと笑いながら言った。

 

『―――――――私は、エミリアと呼ばれる筈だった存在よ』

 

「なに…………?」

 

 エミリアと呼ばれる筈だった存在だと?

 

 つまり、彼女は生まれる前に死んでしまった本物のエミリアということか。魔剣を心臓に埋め込まれ、魔剣の破片に十分に血を吸わせるための道具としてだけ生み出された私とは違う、本物のエミリア。本当ならば姉さんと一緒にあの実家で育ち、妹と呼ばれる筈だった少女。

 

 何のために私の目の前に姿を現したのだろう? 自分の役割と名前を奪い、ジョシュアに利用されて死んだ私を嘲笑いに来たのだろうか?

 

『いつまでここにいるつもり?』

 

「え…………?」

 

 本物のエミリアはにこにこと笑ったまま、蒼い草原の向こうを指差した。彼女が指差した草原の向こうには、いつの間にか無数の半透明の人影が、まるで致命傷を負った負傷兵のようにふらふらと歩きながら、銃を構えて必死に弾丸を撃ち続ける半透明の人影たちへと向かって突進していく。

 

 どうやら先ほどから聞こえていた銃声は彼らが撃っていたかららしい。よく見ると、その銃を持っている半透明の人影たちは全員見覚えがあった。

 

 両手でLMGと思われる大型の火器を担ぎ、雄叫びを上げながら連射しているのはハーフエルフのギュンターだ。彼の傍らでアサルトライフルを構え、フルオート射撃で素早くゾンビたちの頭を撃ち抜いているのはカレンのようだ。

 

 彼らの近くでは、アサルトライフルを持った信也がミラと共に必死にゾンビたちに向かって銃を撃ち続けている。彼らが戦っている場所から離れたところにある屋敷の中では、真っ白なワンピースを身に纏ったフィオナが、モニターを見つめながらコンソールをタッチし、無線機で最前線の仲間たちに指示を出している。

 

 そして、ゾンビたちの群れの中を前進していく人影が見えた。片方は以前まで私が身に纏っていた黒い軍服のようなモリガンの制服を身に纏い、アサルトライフルとスコップでゾンビたちを蹴散らしている。彼女の隣では、同じくアサルトライフルを持った少年が、至近距離でのフルオート射撃でゾンビの頭を吹き飛ばし、スコップの連続攻撃でゾンビを何体もまとめて両断していた。

 

 その人影は、力也と姉さんだった。特徴的な黒いオーバーコートを羽織りながら戦う力也の隣で奮戦する姉さんは、まるで私のようだった。

 

 そしてその2人の後ろから、2人の人影がゾンビの群れを蹂躙しながら続く。私にそっくりな容姿を持つ少年と、鮮血を思わせる赤毛の少女が、まるで力也と姉さんのようにゾンビを蹂躙しながら進撃している。

 

 当たり前だ。私は姉さんの遺伝子を元に生み出された偽物の妹(エミリア)なのだから。

 

『彼らはあなたのために戦ってるんだよ?』

 

「私のため…………?」

 

『そう。あなたを殺した敵に報復するため』

 

 ジョシュアに報復するためだと?

 

『でも、あれはあなたの弔い合戦なんかじゃない。彼らはみんな、あなたが戻ってきてくれるって信じてる』

 

「私が…………?」

 

『うん。…………だから、戻ってあげて。そして、また一緒に戦ってあげて』

 

 そう言いながら、本物のエミリアは私の方に歩み寄ってきた。そして、ぎゅっと握っていた私の手を優しくつかむと、必死に戦っている仲間たちの姿を眺めていた私を引き寄せ、そっと抱き締めてくれた。

 

『私は生まれる事が出来なかった。でも、あなたは私の代わりに生まれて、私の名前を引き継いでくれた。あなたは、私の役割と名前を奪ったわけじゃない。私の代わりに、姉さんの妹になってくれた。だから、私はあなたの事を全然恨んでないのよ…………?』

 

「エミリア…………」

 

 彼女は私から両手を離すと、私を優しく後ろへと押した。後ろに向かってよろめいた瞬間、いきなり本物のエミリアの後方に蒼い草原が吸い込まれ始め、向こうで戦っていた半透明の人影たちが消滅していく。周囲の光景が吸い込まれて消滅していくというのに、目の前で微笑んでいる本物のエミリアは、まるで消えて行くこの空間に置き去りにされたかのようにまだ目の前に立っていた。

 

「エミリア!」

 

『そろそろ行ってあげなさい。…………あの力也っていう人が喜ぶわよ?』

 

 だが、微笑みながら私に手を振る彼女の体も、徐々に消滅を始めた。爪先が蒼い光を放ちながら崩れていき、周囲の光景と共に背後に吸い込まれていく。

 

 でも、彼女はまだ微笑んだままだった。自分から名前と役割を奪った私を見送ってくれているのだ。

 

『――――頑張って!』

 

「ありがとう、エミリア…………」

 

 そして、蒼い光が彼女を包み込んだ。蒼い人影となった彼女が崩れ去り、草原と共に消滅していく。

 

 彼女は、私を恨んでいなかった。

 

 私は彼女の代わりに生まれ、姉さんの妹になったんだと言ってくれた。

 

 ならば、彼女の代わりに仲間たちの所に戻ろう。そして、仲間たちと一緒に戦う!

 

 力也、今行くからな…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 最後のグレネード弾をぶっ放し、ゾンビ共がふらつきながら構えていた盾もろとも近くのゾンビを吹っ飛ばした俺は、端末が用意してくれた弾丸を全て撃ち尽くしてしまったAK-47を投げ捨てると、腰の後ろのホルスターから2丁のトカレフTT-33を引き抜いた。

 

 俺と一緒にゾンビの群れを突破しようとしているエリスもアサルトライフルの弾薬を使い果たしてしまったらしく、AK-47を投げ捨ててホルスターから引き抜いたトカレフで応戦している。

 

 弾幕を目の前のゾンビにだけ叩き付け、俺たちを食い殺そうとしてくるゾンビたちの隊列をこじ開けていく。崩れ落ちたゾンビの死体を踏みつけて前へと走り続け、ひたすらトリガーを引いた。

 

 火薬の臭いと血肉の臭いが混じり合う。銃声がゾンビたちの呻き声をかき消し、その銃声の残響をゾンビたちの呻き声が喰らいつくしていく。でも、このままゾンビたちの隊列を突破できなければゾンビたちの呻き声が銃声を喰いつくしてしまうだろう。その前にジョシュアの所に辿り着き、魔剣をぶっ壊さなければならない。

 

 でも、ゾンビの数が多すぎる。そろそろ500体くらいゾンビを倒したような気がするけど、俺たちが銃で攻撃を始める前にドローンとC4爆弾とカチューシャの先制攻撃で数を減らされているにもかかわらず、ゾンビたちは次々に俺たちに襲い掛かって来る。

 

 もう呻き声と銃声しか聞こえない。自分の雄叫びや呻き声は、発した瞬間に銃声と呻き声の争いに飲み込まれて消えてしまうだけだ。

 

 その時、ゾンビが突き出して来たランスが俺の左肩を掠めた。鮮血と肉片で真っ赤になった刃が俺の左肩を少しだけ切り裂く。全くダメージはないんだが、突き出されたランスのせいで少しだけバランスを崩してしまい、ゾンビに向けていたトカレフの銃口が天空を向いてしまう。

 

「くそったれ…………!!」

 

 弾薬を無駄にしちまった! 

 

「力也くん!!」

 

 エリスが叫びながら俺を援護しようと左手のトカレフを俺の近くのゾンビに向けようとするけど、彼女の周囲にもゾンビは何体もいる。両手のハンドガンで何とか撃破できているというのに、俺を援護できる筈がない。

 

 このままではジョシュアの所に辿り着く前に、こいつらに喰い尽されちまう…………!

 

 剣を持ったゾンビが、体勢を崩した俺に止めを刺そうとしたその時だった。

 

 空から無数の黒いレイピアの刀身のような棘が降り注ぎ、俺とエリスの周囲で呻き声をあげていたゾンビの群れを一瞬で穴だらけにしてしまったんだ。

 

「な…………!?」

 

「これは…………闇属性の魔術…………!?」

 

 一時的にゾンビたちの呻き声が消えていたから、エリスの呟いた声がよく聞こえた。

 

 この魔術は見たことがあるぞ。

 

 近くに倒れているゾンビの体中に突き刺さっている棘を凝視しながら、俺はこの闇の棘を目にした戦いの事を思い出す。確か、あれはヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントでの戦いだった。

 

 あの時戦った奴らが、こんな魔術を使ってきた。

 

 転生者よりも手強い奴だった。

 

「―――――――――しっかりしろ、力也」

 

 いきなり背後から聞こえてきたのは、低い声だった。やっぱりその声は、あの帝都で戦った強敵の声だ。互いに重傷を負い、止めを刺す事が出来なかった強敵。転生者よりも手強かったあいつの声だ。

 

 後ろを振り返ると、やっぱり黒いコートを身に纏った30代くらいの男性が、腕を組みながら俺を見つめていた。

 

「レリエル・クロフォード…………!?」

 

「え…………!? この人が、伝説の吸血鬼…………!?」

 

 トカレフを彼に向けようとしていたエリスが、伝説の吸血鬼の名を聞いて目を見開く。かつてこの世界を支配した最強の吸血鬼なのだから、エリスだって知っている筈だ。

 

 俺たちが帝都で戦った最強の男は、傍らに白い服とマントを身に着けた金髪の少女と、黒いスーツを纏った銀髪の少年を引き連れて、俺とエリスの後ろに立っていたんだ。白い服の少女は彼の眷族のアリアだけど、あの銀髪の少年は誰だ? 新しい眷族なのか?

 

 何をしに来たんだ? まさか、俺とまた戦いに来たのか?

 

 もし戦いに来たのならば勝ち目がないぞ。あの時はカレンとギュンター以外のメンバーで戦いを挑んだというのに、スーパーハインドを撃墜された上にみんな死にかけたんだ。弱点の銀すら用意していないから、こいつに攻撃したとしてもすぐに再生されてしまう。

 

「――――――――相手は魔剣のようだな」

 

「ああ。俺はそいつをぶち殺しに行くから、お前とは戦えないぞ。手一杯なんでな」

 

 レリエルはにやりと笑うと、腕を組むのを止めてからゾンビの隊列を睨みつけた。

 

「―――――――――この無礼者共は、我々に任せろ」

 

「なに…………?」

 

 ゾンビの相手を引き受けてくれるというのか?

 

 俺と戦いに来たわけではないということなんだろうか。

 

「私の好敵手を、このような下等な者共に殺させるわけにはいかん」

 

「好敵手か…………」

 

「ああ。貴様とはまた戦いたいからな」

 

 レリエルがそう言うと、彼の傍らで漆黒のレイピアを引き抜いたアリアも俺の顔を見て笑いながら言う。

 

「ゾンビ共は私たちに任せなさい。あなたたちは早く魔剣を破壊して」

 

「助かるぜ」

 

「行け、力也! 私と決着をつける前に死ぬな!」

 

「おう!」

 

 あのレリエル・クロフォードが加勢してくれるらしい。これならば、ゾンビの隊列をすぐに突破する事が出来るぞ!

 

 俺はレリエルに「ありがとな!」と叫ぶと、トカレフのリロードを済ませてからホルスターに戻し、鞘の中からアンチマテリアルソード改と小太刀を引き抜く。エリスも近接攻撃に使用していたスコップを投げ捨てると、背負っていたハルバードを取り出した。

 

 そして、伝説の吸血鬼に怯えているゾンビたちに向かって走り出す。魔剣はレリエルの血で汚れてしまった剣の成れの果てだから、ゾンビたちはその剣を汚した男を恐れているんだろう。まるで帝王を恐れる民衆のように、ゾンビたちは呻き声を上げず、黙って姿を現したレリエルと眷族たちを見つめている。

 

 でも、俺とエリスが最初にゾンビの首を両断した直後、再びゾンビたちは呻き声を上げ始め、真っ赤に汚れた得物を振り上げた。だが、既に俺とエリスは得物を構え、突進しながらゾンビたちに向かって武器を振り払っていたから、奴らが俺たちに武器を振り下ろすよりも先に、ゾンビ共が刀とハルバードの餌食になった。

 

 漆黒の刀に首を切断されたゾンビが崩れ落ちる。エリスが突き出したハルバードの先端部が、ゾンビを4体ほどまとめて串刺しにしてしまう。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 魔剣を持つジョシュアを守ろうと、ゾンビとなった騎士たちが必死に俺たちに向かって剣や槍を振り下ろしてくる。でも、すぐに傷だらけの体を鎧もろとも両断され、赤黒い血飛沫を上げながら崩れ落ちていった。

 

 血まみれの肉体が千切れ飛ぶ。俺とエリスの得物が、少しずつ真っ赤に変色していく。

 

 俺とエリスを囲んでいるゾンビたちが蹂躙されていく。後方でも信也たちや参戦してくれたレリエルたちにゾンビたちが次々に倒され、草原が死体だらけになる。

 

「どけッ!」

 

「遅いわよ!」

 

 前に踏み込みながら右手のアンチマテリアルソード改を振り下ろしてゾンビを頭から両断し、そのまま反時計回りに回転しながら左手のワイヤーの付いている小太刀を投擲。右隣のエリスに襲い掛かろうとしていたゾンビの頭を貫いたのを確認してから引き戻すと、目の前のゾンビのアキレス腱を右手の刀で斬りつけ、がくんと体勢を崩したゾンビの喉元に逆手持ちにしている小太刀の刃を叩き付ける。

 

 隣で奮戦しているエリスも、ハルバードの斧の部分でまとめてゾンビを吹っ飛ばし、目の前のゾンビがロングソードを振り上げた瞬間に頭を先端部で串刺しにする。そのまま得物を引き抜かずに振り回し、斧の部分でゾンビの頭を叩き潰しながら、串刺しになっていたゾンビを前方のゾンビの隊列に放り投げる。

 

 そして、エリスにゾンビを投げつけられて転倒した奴らに向かって、俺はトリガーを引きながら刀を振り下ろす。アンチマテリアルライフル用の弾薬が刀身の内部で爆発し、アンチマテリアルライフル並みの運動エネルギーを与えられた刀身がゾンビを5体も両断した。

 

 そのゾンビたちが吹き上げた血飛沫の向こうに、禍々しい剣を持った金髪の少年が立っていた。相変わらず派手な装飾の付いた防具を身に着け、ニヤニヤと笑っている。

 

「ジョシュアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 俺はエミリアを殺した怨敵に向かって絶叫した。

 

 この男がエミリアの心臓から魔剣の破片を取り出し、彼女を殺したんだ。そして計画に手を貸していた筈のエリスを殺そうとした。

 

 こいつに報復しなければならない。こいつをぶっ殺して魔剣を破壊するために、俺とエリスはゾンビ共の隊列を突破してきたんだ!

 

「まだ生きてたのか、余所者が…………」

 

「ぶち殺しに来たぜ、クソ野郎ッ!」

 

「ハハハハッ。僕をぶち殺す? 無理だよ。僕にはこの魔剣があるからね」

 

 そう言いながら、ジョシュアは紅いオーラを纏った禍々しい魔剣の切っ先を俺とエリスに向けて来た。

 

「あんなホムンクルス(クローン)を好きになるような馬鹿と、あんな魔剣を復活させるための道具を妹って呼んでる出来損ないなんて簡単に殺せる。安心しなよ。殺したら魔剣の力でお前たちをゾンビにして、僕の手下にしてやるからさぁ! ハッハッハッハッハッ!」

 

「―――今度は、止めを刺すからな」

 

「―――あ?」

 

 高笑いしていたジョシュアが、まだニヤニヤと笑いながら俺を見下ろした。

 

 お前は、また俺に負けるんだ。

 

「―――――――決着をつけるぞ、ジョシュアッ!」

 

「面白い。……………………無残に殺してやるぞ、余所者ッ!!」

 

 今度は、必ず止めを刺す。

 

 刀の持ち手を握りしめた俺は、姿勢を低くしてからジョシュアへと飛び掛かった。

 

 

 

 



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傭兵たちの奮戦

 

 こんなに大量の敵が押し寄せてくる光景は、見たことがない。

 

 シベリスブルク山脈で戦ったデーモンやグールの群れよりも遥かに多いのは明白である。きっとこのまま銃を撃てば、狙ったわけではなくても、俺から見て前方180度以内の範囲に向けて撃ったのならば全て敵に命中するのではないかと思えるほどの密度だった。

 

 その中へと、俺とラウラはたった2人で突っ込んでいた。大地そのものが敵に回ったかのような物量の敵に挑むのは、人間とサラマンダーの血を受け継いだ2人のキメラだとしても無謀と言わざるを得ないだろう。確かに、いくらドラゴン並みの硬さの外殻を自由に生成できて、炎や氷を操る事ができると言っても、敵はそれほどの数なのである。かつてドイツ軍が恐れたカチューシャの集中砲火でも、ありったけの機関銃の掃射でも相当し切れないほどの数の敵。人海戦術の極みとも言えるだろう。

 

 1体を倒しても、すぐに次の1体が襲いかかってくる。しかも相手は人間の兵士ではなく、魔剣の汚染された魔力によって操られている死体に過ぎない。もう既に痛覚は存在せず、恐怖もない。残されたのは肉体と、俺たちを殺そうとする殺意だけだった。

 

 スコップでゾンビの頭を殴りつけ、金属製の兜もろともひしゃげさせる。潰れたバスケットボールにも似た形の頭に変形したゾンビを蹴り飛ばしつつ、俺は左手に持っていた火炎瓶に瞬時に着火。接近してきたゾンビをスコップの側面で斬りつけつつ、目の前に立ち塞がるゾンビたちの群れに向かって、蒼い炎で着火された火炎瓶を放り投げる。

 

 瓶が割れた瞬間、俺たちを包み込んでいた腐臭が薄くなった。腐った肉が火炎瓶の中から躍り出た燃え盛るオイルに焼かれたせいで、肉の焼ける臭いが紛れ込んでしまったせいだろう。こちらの臭いならば戦場で何度も嗅いだことのある臭いだ。

 

 火だるまになりながら崩れ落ちていくゾンビたちの向こうへと、今度はラウラも火炎瓶を投擲。火の付いた火炎瓶がくるくると回転しながらゾンビの群れの中へと落下し、俺たちへと殺到してくる死者の群れを炙(あぶ)る。

 

 炎に包まれたゾンビたちは、呻き声を上げながら次々に崩れ落ちていった。人間の兵士ならば火を消そうとのたうち回るのだろうが、ゾンビたちは魔剣に操られているに過ぎないため、のたうち回るくらいならば動けなくなる直前まで獲物に接近しようとしてくる。対人戦と比べると、色々と勝手が違うから戦い辛い…………!

 

 火炎瓶の投擲を終えたラウラが、無数のゾンビたちの真っ只中でくるりと回る。瞬発力と遠心力で片足を持ち上げ、サバイバルナイフを展開しながら回転した彼女は、目の前に立ち塞がっていた3体のゾンビの首をまとめて両断すると、そのままジャンプして腰のホルダーからP90を引き抜いた。

 

 ベルギーが生み出したPDWが、トリガーを引いた少女の命令を受け、彼女の殺意を実現しようと無数の5.7mm弾を撃ち出し始める。彼女の獰猛さが伝染したかのような弾丸の群れは瞬く間にゾンビたちへと降り注ぐと、頭や心臓などの急所に的確に風穴を開け、ゾンビたちをズタズタにしていく。

 

 敵がたくさんいるからと弾丸をばら撒いているわけではない。確かに、ばら撒けばほぼ同じ数の敵に命中させられるほどの数の敵が、俺たちの目の前にいる。けれど、当たったからと言ってその1発で倒れてくれるような相手ではない。SMG(サブマシンガン)よりも貫通力のある武器とはいえ、その殺傷力は本格的なアサルトライフルや、大口径のバトルライフルと比べると劣ってしまう。しかも相手は痛覚や恐怖を持つ事すら許されなかった哀れな腐った肉の塊だ。だから、ばら撒けばいいというわけではない。

 

 攻撃の手数と、精密さの均衡を崩してはならない。俺もラウラに倣うように、より正確にゾンビの急所を狙って仕留めていくことにした。

 

 攻撃の速さや反応の速さならば俺の方が上だけど、そういう精密な攻撃は彼女の足元にも及ばない。集中しなければ、ゾンビを倒し損ねてしまう。

 

「!」

 

 目の前に現れたゾンビが、俺に向かって錆びついた槍を突き出してきた。相変わらず産業革命以前の古い槍である。旧式の槍はリーチの身を重視しているため非常に長く、扱い辛い得物だ。それに対して俺たちの時代の槍は、ある程度のリーチを維持しながら機動力を高められるように長さを押さえてあるため、こういった古い槍よりもスマートな見た目をしている。

 

 ゾンビの動きは、彼らの進む速度と同じくらい遅い。人間の騎士ならば一瞬で突き出している筈の槍をのろのろと伸ばしてくるのだから、避けたり武器で受け流すのは容易い。反応速度に自信のある俺にそんな遅い攻撃をするのは、避けて下さいと言っているようなものだ。

 

 案の定、俺は無造作にスコップを振り払ってその一撃を受け流した。そのまま頭を叩き割ってやろうかと思ってスコップを振り上げたその時―――――――がつん、と何かがスコップを打ち据えたらしく、俺の手からスコップが吹っ飛ばされてしまう。

 

「ッ!?」

 

「タクヤ!?」

 

 ぞくりとしながら、俺は後ろを振り返る。

 

 いつの間にか俺の背後にいたゾンビが、剣を振り払って俺の手からスコップを叩き落としていたのだ。剣術と言うよりは、ただのろのろと振り下ろしたようなお粗末な一撃だったけど、ちょうどスコップを叩き落とせるような角度で直撃したらしい。あんな一撃で俺の手から武器が落とされたことがまだ信じられないけど、それを認めずに意地を張れば死ぬだけだ。とりあえず、邪魔な意地はとっとと切り捨てて反撃するべきだろう。

 

『ガァァァァッ!』

 

 俺の手から武器が吹っ飛んだのがチャンスだと思ったのか、のろのろと動いていたゾンビたちが一斉に武器を振り上げた。剣や槍が天空へと突き上げられ、斧がゆっくりと天空へと背伸びする。

 

 その真っ只中を、先ほど吹っ飛ばされたスコップがくるくると回転しながら落下してくる。落ちてくると思われる場所は――――――――おそらく、俺の真上。

 

 それを理解した俺の頭の中で、反撃するためのあらゆる挙動が一気に組み上がる。

 

 両手をナイフの鞘へと伸ばし、戦闘前に生産したばかりの得物を引き抜く。一見するとマチェットをボウイナイフほどの長さにしたかのような分厚い刀身を持つ、無骨なナイフだ。フィンガーガードはナックルダスターを思わせる形状になっており、その部位での殴打も考慮された設計になっている。木製のグリップには銃を思わせるトリガーが装備されており、その近くにはフリントロック式のピストルを思わせる火皿や撃鉄が取り付けられていた。

 

 一見すると、ナイフなのか古式の銃なのかよく分からないデザインの得物である。

 

 荒々しいノコギリやチェーンソーを彷彿とさせるセレーションが刻まれた刀身を鞘の中から解き放ち、コートの中からキメラの尻尾も伸ばす。堅牢な外殻をいくつもつなぎ合わせ、先端部に剣の切っ先を取り付けたような外見の子の尻尾は、丸腰の際や戦闘中には武器の1つとして機能する。

 

 だが、両手の得物と尻尾で攻撃したとしても、対処し切れるのは3体まで。それ以上はラウラの支援をあてにするしかないが、こんな状況で彼女に支援を頼むわけにはいかない。第一、彼女も白兵戦の真っ最中なのだ。彼女の戦いを疎かにさせるわけにはいかない。

 

 静かに目を閉じ―――――――見開くと同時に、俺は落下してきたスコップを口に咥えた。

 

 尻尾を背後のゾンビの喉元に突き立て、両手のナイフを振り払って2体のゾンビの首を斬りおとしつつ別のゾンビの胸板に突き刺す。そして口に咥えたスコップは、スコップの柄はへし折れてしまうほどの

勢いで、目の前にいたゾンビの脳天へと振り下ろした。

 

 テルミットナイフのトリガーを引くと同時に、尻尾から高圧の魔力を放出する。俺の尻尾の先端には高圧の魔力を放射するための小さな穴があり、ワスプナイフとしても機能するという特徴がある。

 

 ぶくっ、と腐った肉の塊が膨れ上がった。それと同時にテルミットナイフの撃鉄が稼働し、火皿の中へと生み出した火種を放り込む。

 

 火種は火皿の中の黒色火薬のカーペットの上へと転がると、一瞬でその粉末に炎を灯した。火皿の中が一瞬で煌めき、現代の銃では考えられないほどの白煙が俺の両手を包み込む。黒色火薬は現代の兵器にはほとんど使われることのない旧式の火薬で、爆発の威力も大きく劣るし、銃に使えばこれほど大量の白煙を発生するため、敵に居場所を察知され易い。その上、煙のせいで次の射撃の際に狙いが付け辛くなるという欠点もある。

 

 その白煙の中で―――――――炎に包まれた2体の人影が誕生した。胸板に突き立てられたナイフの刀身に開いていた小さな噴射口からテルミット反応を起こした灼熱の粉末が噴き出し、ゾンビたちを体内から焼いているのだ。

 

 一瞬で肉が真っ黒になり、腐った眼球が溶けていく。辛うじてがっちりした成人男性だと分かったゾンビの輪郭が、まるでミイラのように一瞬で細くなっていく。もう、その哀れな2体のゾンビはその辺に転がっている焼死体と何も変わらない。

 

 そして、俺にスコップを叩き付けられたゾンビは、あっさりとスコップに頭を叩き割られ、俺の目の前で脳漿の切れ端や頭蓋骨の破片をぶちまけていた。俺が振り下ろしたスコップは脳天を粉砕し、やや右へと逸れてゾンビの左目へと急迫したところで止まっていた。

 

 そのスコップから口を離し、ナイフと尻尾を引き抜く。2体の焼死体と、2体の頭を潰されたゾンビが崩れ落ちていく。

 

「さすが」

 

「お姉ちゃんの弟だからな」

 

「ふふふっ♪」

 

 両足のサバイバルナイフでアキレス腱を斬りつけられ、まるでラウラに向かって跪くような恰好で膝をついていたゾンビに、ラウラは無慈悲にP90を突きつけた。まるで圧倒的な力を持つ女帝が、無様な敵の敗残兵に剣を突きつけるように見える。

 

 恐怖を奪われたゾンビたちにとって、降伏まで奪われたようなものだ。それゆえに彼らは、命乞いができない。

 

 もしあのゾンビが普通の人間のままだったとしたら、ラウラに何と言っていたのだろうか。そんな事を考えている間に彼女の美しい指はP90のトリガーを引き、ゾンビの頭に風穴を開けていた。

 

 本当に、親父と同じく容赦がないな。まあ、いちいち敵の命乞いを聞き入れていたり、情けをかけたりするような甘い奴は転生者ハンターには向かないだろうし、テンプル騎士団としてもそういう奴はお断りだ。

 

 その時、ゾンビの群れの向こうで火柱が上がった。迫撃砲の支援砲撃がここに着弾したのだろうかと思ったけど、砲弾が降ってくるような音は全く聞こえてこなかったし、塹壕の方はゾンビを寄せ付けないための一斉射撃で手いっぱいの筈だ。こんなところまで迫撃砲をぶち込む余裕があるとは思えない。

 

「パパ…………?」

 

「親父か?」

 

 親父はもう、ジョシュアの元に辿り着いたのだろうか。

 

 もしそうならば、俺たちも急がなければならない。

 

「ラウラ!」

 

「うんっ!」

 

 ナイフを鞘に戻した俺は、銃剣が装着されたCz75SP-01を引き抜くと、ラウラと共にゾンビの群れの蹂躙を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――いくぞ、ジョシュア」

 

 殺意を纏った力也くんが、刀の切っ先をジョシュアに向けた。

 

 ジョシュアは片手で顔を庇うのを止めて、魔剣を構えながら襲い掛かろうとしている力也くんを睨みつけている。

 

「ふん、新しい能力を身に着けたか。でも、そんな焼死体みたいな醜い姿の雑魚が僕の魔剣に勝てるわけ―――――――――」

 

 あいつがそう言った瞬間、彼に切っ先を向けていた力也くんが、自分の立っていた場所から消滅した。纏っていた殺意と敵意が、まるで突然いなくなってしまった自分たちの主人を探すかのように揺らめく。

 

 その殺意を生み出した主人は――――既にジョシュアの目の前に立っていた。

 

「!?」

 

「なっ…………!?」

 

 速過ぎる…………!

 

 明らかに、私と戦った時よりも動きが速くなっていたわ。自分が生み出した殺意までも置き去りにした彼は、いきなり目の前に出現したことに驚くジョシュアに向かって、炎を纏った刀の柄を両手で握り、刀の軌跡を業火で埋め尽くしながら振り下ろした。

 

 ジョシュアは慌てて紅いオーラを纏った魔剣でガードしたけど、刀ではなく彼が纏う高熱がジョシュアに容赦なく襲いかかる。ジョシュアは呻き声を上げながら紅いオーラを放出し、力也くんを突き放して冷や汗を拭ったわ。

 

 強引に突き放された力也くんは地面に炎を纏った刀を突き立てて立ち上がると、再び地面から刀を引き抜いて冷や汗を拭い終えながら予想以上のスピードに驚愕しているジョシュアに言ったわ。

 

「――――――――何が魔剣だよ」

 

「なんだと…………!?」

 

「―――――――――ハッ。雑魚が安物の剣を持ってるのと変わらねえなぁ」

 

「…………調子に乗るなよ、余所者がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「エリス!」

 

「ええ!」

 

 私も加勢しないと。

 

 私はハルバードを構えなおすと、炎を纏う刀を振るう力也くんと一緒にジョシュアに向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は歯を食いしばると、魔剣の切っ先を俺たちに向けてきたジョシュアに向かって突進した。おそらくジョシュアは、俺たちが接近する前にあのオーラを放出して、ナバウレアの防壁を消滅させたように俺たちを消し飛ばすつもりなんだろう。

 

 ―――――――やってみろよ。

 

 ニヤニヤと笑いながら切っ先にオーラを集中させていくジョシュア。俺は刀を構えたまま、そのまま走り続ける。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 ジョシュアが叫んだ瞬間、切っ先に集中していた真っ赤なオーラが膨れ上がり、地面を抉りながら俺とエリスに迫って来た。

 

 あのエネルギー弾はナバウレアの防壁を消滅させるほどの破壊力がある。いくら転生者でも、直撃すれば間違いなく一瞬で消滅してしまうだろう。既にその威力を目の当たりにしていたエリスは、このまま突っ込もうとする俺をちらりと見た。いくら俺の新しい能力でも、あんなエネルギー弾を喰らえば2人とも消滅してしまうと思っているんだろう。

 

 でも、俺はそのまま走り続けた俺が回避するのを諦めたと思ったジョシュアが、高笑いしながらエネルギー弾の向こうで何かを言っているのが聞こえる。

 

 その時、俺とエリスを飲み込もうとしていた目の前の巨大なエネルギー弾にいきなり亀裂が入ったかと思うと、その亀裂から小さな火柱がいくつも出現した。その火柱たちは他の火柱たちと融合すると、フレアへと変貌してエネルギー弾の表面を駆け回り、飲み込んでいく。

 

 発火したエネルギー弾の中を突き抜けた向こうに、驚愕するジョシュアの顔が見えた。

 

「ば、馬鹿な!? 魔剣の攻撃を―――――――――」

 

「やかましいッ!!」

 

 レバーアクションライフルのループレバーのようなハンドガードがついている柄を両手で握った俺は、トリガーを引きながら炎を纏ったアンチマテリアルソード改を振り下ろした。峰の部分にあるスリットが爆風を小さな火柱に変換して吐き出し、炎を纏った凄まじい運動エネルギーの剣戟が、ジョシュアの魔剣へと叩き込まれた。

 

 歯を食いしばりながら再び俺を押し返そうとするジョシュア。その隙に、俺と一緒に光の残滓の中を突き抜けてきたエリスが、愛用のハルバードを構えながら俺の後ろから飛び出し、俺の刀を受け止めているせいでがら空きになっているジョシュアの腹に向かって得物を突き出した。

 

 ジョシュアは慌てて彼女のハルバードをガードしようとしたけど、ガードすれば俺の刀に真っ二つにされる羽目になる。しかも俺に刀を押し込まれているから、回避することも出来ない。

 

「がぁっ!!」

 

 そして、エリスのハルバードの先端部が、ジョシュアの脇腹を貫いた。

 

 最愛の妹を魔剣を復活させるために利用された上に殺されたエリスは、憎悪を込めたハルバードを更に押し込んでから引き抜く。ジョシュアの肋骨を砕いた上に内臓を貫かれたジョシュアは、口から血を吐いて絶叫する。

 

「く、くそぉぉぉぉぉぉッ! 余所者と出来損ないのくせにッ!」

 

「やかましいって言ってんだろうが」

 

 柄から手を離してキャリングハンドルを握り、右手でボルトハンドルを引きながら薬室の中にアンチマテリアルライフル用の12.7mm弾を叩き込む。そして、辛うじてアンチマテリアルソード改を魔剣で受け止めているジョシュアを両断するために、俺は刀のトリガーを引いた。

 

 ジョシュアの呻き声を、猛烈な銃声がかき消した。炎を噴出した刀が更に押し込まれ、魔剣の表面のオーラに食い込んでいく。

 

「お前は毒で死にかけたことはあるか?」

 

「な、なに…………!?」

 

 カレンを狙っていた無数の暗殺者と戦った時のことを思い出しながら、俺はゾンビのように呻き声を上げているジョシュアに問い掛けた。

 

 ボルトハンドルを引いて使ったばかりの空の薬莢を排出し、再び薬室の中に12.7mm弾を再装填(リロード)。そしてまたしてもトリガーを引く。

 

 普通の刀ならば発することのない轟音が響き渡り、また炎を纏った刀身がオーラの中にめり込んだ。

 

「なら、巨大な時計の針に身体を貫かれて死にかけたことはあるか? ――――――――ねえだろ? お前が死にかけたことは、おそらく俺に片腕を吹っ飛ばされただけだろ!?」

 

「だ、黙れ…………! 余所者の分際で、調子に乗るな!」

 

 俺を睨みつけながら、ジョシュアが剣を押し返そうと足掻く。だが、既に俺の刀の刀身は魔剣が纏っているオーラを両断しかけているところだった。切断されたオーラにも亀裂が入り、その亀裂から先ほどのエネルギー弾と同じように小さな火柱が吹き上がる。

 

「ま、魔剣が余所者と出来損ないの女に負けるわけがないッ! 僕はこの魔剣で、世界を支配するんだ! お前なんかに――――――――――」

 

「てめえじゃ無理だ」

 

 お前は、少なくとも支配者には慣れない。器が小さ過ぎるんだよ、間抜けが。

 

 自分の器に、自分自身すら収まってねえじゃねえか。その程度で世界を支配するなんて言うな。笑っちまうだろうが。

 

 もう1発12.7mm弾を装填し、トリガーを引く。紅いオーラを両断しかけていた刀の刀身が更にめり込み、ついにオーラを両断して魔剣の刀身と激突する。両断されたオーラは、まるで人間の断末魔のような不快な音を発しながら魔剣の表面から消滅していった。

 

「俺は何度も死にかけたッ!」

 

「うぐっ!?」

 

 刀を魔剣に向かって押し込んだまま、俺はジョシュアの腹に向かって右足を蹴り上げた。みぞおちに蹴りを叩き込まれたジョシュアが血の混じった唾を吐き出しながら、魔剣を握ったまま炎で照らされる星空へと打ち上げられる。

 

 俺は刀を握ったままジャンプした。腹の傷口から血を噴き上げながら吹っ飛んでいくジョシュアに簡単に追いついた俺は、ぎょっとしているジョシュアを睨みつけ、炎と返り血で緋色に染まった刀を思い切り薙ぎ払う。

 

 でも、ジョシュアは何とか魔剣で俺の剣戟をガードしていた。あいつも俺に反撃しようとするけど、紅いオーラを消滅させられて魔剣が弱体化してしまったらしい。動きはさっきよりも鈍くなってしまっていた。

 

 反撃する前に俺に次の剣戟を叩き込まれ、ジョシュアはガードしかできなくなっていく。まるで俺とジョシュアが初めてナバウレアで戦った時と同じだ。あの時もジョシュアは殆ど反撃できず、最終的にパイルバンカーで得物をへし折られて敗北したんだ。

 

 俺は今まで何度も死にかけた。そして、エミリアを泣かせてしまった。

 

 炎と激痛に包まれながら、俺はジョシュアを睨みつける。

 

「お前は、また俺に負ける」

 

「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 

 俺の刀を弾き飛ばしたジョシュアが、オーラの消失したがらくたのような魔剣を俺に向かって突き出してくる。俺は素早く左手を柄から離して小太刀を引き抜くと、逆手に持ったその小太刀であっさりと魔剣を弾き飛ばしてしまう。

 

「今まで権力ばかり使っていた蛆虫が、実戦で何度も死にかけながら戦ってきた〝俺たちに”――――――勝てるわけがねえだろッ!!」

 

 俺たちと言った瞬間、ジョシュアははっとしたらしい。

 

 俺の剣戟を受け止めている間、段々と高度は下がっている。あと数秒で草原に落下するだろう。つまり、転生者である俺でなくてもジャンプすれば届く程度の高度まで落ちているということだ。

 

 奴の背後に姿を現した人影を見つめ、俺はニヤリと笑った。

 

「エリスぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」

 

「!?」

 

 慌ててジョシュアが後ろを振り向く。

 

 すでに、ジョシュアの背後にはハルバードを左手に持ったままジャンプしたエリスがいた。

 

「―――妹(エミリア)の仇よ…………!!」

 

 翡翠色の瞳でジョシュアの顔を睨みつけながら、エリスは氷を纏ったハルバードをジョシュアの背中に向かって突き出した。

 

 蒼い氷に包まれた先端部がジョシュアの肩甲骨を砕きながらめり込んでいき、胸の辺りから突き出てくる。そこから吹き出したジョシュアの血飛沫は俺に降りかかると、俺が放出している炎に飲み込まれ、鉄のような臭いを残して蒸発してしまった。

 

 ハルバードを引き抜いたエリスが草原に着地する。俺も彼女の傍らに着地すると、刀の切っ先をジョシュアへと向けた。

 

「ギャッ…………!」

 

 エリスに背中から貫かれたジョシュアは、魔剣を持ったまま地面に叩き付けられた。叩き付けられた衝撃で骨が何本も折れてしまったらしく、傷口から血を吹き出しながら呻き声を上げている。

 

「滑稽だな。あれだけ俺たちを見下していたくせに…………」

 

「だ、黙れぇ…………ッ!!」

 

 再び魔剣が紅いオーラを纏い始める。そのオーラは魔剣だけでなくジョシュアの前進を包み込むと、エリスがハルバードで空けた傷口へと流れ込んでいった。

 

 オーラが流れ込んだジョシュアの傷口が塞がっていく。まるで、帝都で戦った吸血鬼たちのようだ。

 

 なるほど。魔剣はレリエルの血で汚れているから、奴らの再生能力も使う事が出来るのか。

 

 だが、銀を用意する必要はないだろう。魔剣を破壊してしまえばいいのだから。

 

 俺とエリスは立ち上がったジョシュアを睨みつけると、再び得物を奴に向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レリエル・クロフォードが加勢してくれたおかげで、信也くんたちに襲い掛かっていくゾンビたちの数は減少していた。でも、信也くんの周りに展開しているドローンやターレットたちは次々に弾切れし、空を飛び回るかオーバーヒートしかけている銃身をゾンビに向けることしかできなくなっていた。

 

 そして、信也くんたちも装備している武器の弾薬を使い果たし、ハンドガンを使うか、接近戦を始めている。リゼットの曲刀を持つカレンさんが風でゾンビたちを蹂躙し、ギュンターさんが液体金属ブレードの刀身を伸ばして一気にゾンビたちの頭を切り裂いているけど、このままではゾンビたちに突破されてしまう。

 

 タクヤ君とラウラちゃんは善戦しているようだけど、まだジョシュアの所まで辿り着いていない。

 

『こちら信也! ターレット27番、沈黙!』

 

『こっちも弾切れ! サイドアームに切り替えます!』

 

『くそぉっ、重機関銃は弾切れか…………! 旦那、早くしてくれッ!!』

 

『フィオナちゃん、残ったドローンを終結させて、3層目の前に展開して! 最終防衛ラインよ!!』

 

『了解っ!!』

 

 モリガンの傭兵たちは、ゾンビの群れに押されていた。

 

 既に1層目と2層目の塹壕は放棄され、ゾンビたちの群れに呑み込まれている。地面に開けた塹壕からゾンビがはい出してくる姿は、まるで墓穴から怨念と共に蘇ってくる本当のゾンビのように見えた。

 

『―――――――どうすればいいの…………!?』

 

 私もみんなと一緒に戦うべきなの? 

 

 力也さんは、もしゾンビたちが突破して来たら昏睡状態のエミリアさんを連れて逃げろって言っていたわ。

 

 でも、見捨てられるわけがない。私も参戦しないと………!

 

 モニターから目を離し、傍らに用意しておいたAKS-74Uを拾い上げようとしたその時だった。私の後ろで眠っているエミリアさんの方から、起き上がるような音が聞こえてきたの。

 

 まさか、エミリアさんが目を覚ました…………?

 

「――――――――フィオナ、みんなは?」

 

『え…………エミリアさんっ!!』

 

 聞こえてきた声は、確かにエミリアさんの声だった。

 

 私の後ろには、真っ黒なドレスのような制服を身に纏った蒼い髪の凛々しい少女が立っていた。彼女はベッドの近くに立てかけてあった自分のバスタードソードを既に拾い上げていて、腰に下げている。

 

『目を覚ましたんですね!?』

 

「ああ。すまなかったな。迷惑をかけてしまった…………」

 

『い、いえ…………! 良かったです、エミリアさんが目を覚ましてくれて…………! 良かったですぅ…………!!』

 

 私は涙声になりながら、必死に両手で涙を拭い去った。エミリアさんは涙を拭っている私の頭の上に手を置くと、微笑みながら優しく撫でてくれた。

 

『み、みなさんはもうゾンビの群れと戦っています』

 

「分かった。――――――――私も参戦する。武器はあるか?」

 

『はい!』

 

 私は近くにあったクリス・ヴェクターを拾い上げた。もしエミリアさんが目を覚ましたら装備させてくれと力也さんが言っていたアサルトライフルを彼女に手渡すと、私もAKS-74Uを背中に背負った。

 

『私も、エミリアさんと一緒に戦います!』

 

「ああ、行こう!」

 

『はいっ!』

 

 私は微笑むと、エミリアさんと一緒にモニターが設置されている医務室を飛び出した。

 

 

 

 

 

 



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タクヤVSジョシュア

 

 真紅の光が、刀を振り払い終えた直後の俺の頭上を掠めた。頭を消し飛ばす筈だったその閃光は荒れ狂いながら草原を真紅に染め上げつつ、俺たちの周囲で蠢いていたゾンビたちを巻き込むと、地面にめり込んで光の粒子と化す。

 

 喰らえば、転生者でも消滅は免れない。一撃も攻撃を喰らう事を許されない状況で研ぎ澄まされた集中力が、辛うじて今の一撃を見切って避けるだけの余裕を俺に与えてくれたらしい。

 

 だが、ここで安堵すれば次の一撃は避けられないだろう。それゆえに安堵は許されない。そう、安堵していいのはこいつをぶち殺し、仲間が1人もかけていない事を確認してから屋敷に戻ってからだ。そこで仲間たちと祝杯をあげ、文字通り勝利の美酒を楽しむべきなのだ。

 

 小太刀を鞘に戻し、ホルスターからトカレフを引き抜く。拳銃用の7.62mm弾を連続で放って牽制するが、怒り狂ったジョシュアが防ぎ損ねた数発以外は魔剣の刀身に弾かれ、金属の細かい破片と化して地面に落下するか、周囲のゾンビを掠めて消えていく。

 

 肝心な命中した弾丸も、人間に例えるなら無駄死にと言ったところだろうか。普通の弾丸ならば、戦車や装甲車でない限り命中すれば貫通して敵を殺傷し、〝戦果”をあげる。しかし、敵が再生能力を持っていて、ありったけの攻撃をお見舞いしても徒労でしかないというのであれば無駄死にと同じだ。

 

「くそったれが…………!」

 

 ジョシュア自身の戦闘力は、それほど高くはない。あれから俺への憎しみを思い出しながらそれなりに鍛錬したのかもしれないが、結局こいつの戦い方は魔剣に頼っているだけだ。銃を撃ったこともない一般人が、最新型のアサルトライフルを手にしてはしゃいでいる状態でしかない。そして敵に一方的に攻撃され、癇癪を起こしているだけだ。

 

 だが、その程度の敵を倒し切れないのはあの再生能力のせいだろう。

 

 魔剣は元々は神々が作り上げた大天使のための剣であり、レリエル・クロフォードの魔力と血で汚染されたために魔剣と化した剣である。汚染されたという事は吸血鬼の体質まで受け継いでいるという事であり、それの担い手となったジョシュアにもその体質が反映されているという事になる。

 

 つまり今のあいつは、吸血鬼と同等の再生能力を持っているのだ。

 

 少々吸血鬼よりは劣るようだが、今の戦い方のままでこいつを倒し切れるのか? いっそのこと一度だけ戦線を離脱し、その隙に銀の弾丸でも用意して再戦するべきなのではないかとも思ったけれど、仲間たちが必死に耐えているというのに戦線を離脱するわけにはいかないという理性がその作戦をすぐに頓挫させる。

 

 先ほどから、無線機から必死に報告する仲間たちの声が聞こえてくる。ドローンの弾薬がつき、ターレットの隊列がゾンビの群れに呑み込まれ、2層目の塹壕が突破されたという報告。メインアームの弾薬がつき、サイドアームに切り替えたり、白兵戦を挑むという報告。作戦が始まってから、状況が好転しているような報告は一つもない。

 

 万一俺たちが負けるような事があった時のため、屋敷で指揮を執るフィオナには昏睡しているエミリアを連れてネイリンゲンから脱出するように指示を出している。

 

 もし目を覚ましたら、彼女は悲しむだろう。彼女が心臓を貫かれた時に俺が悲しんだように。

 

 でも―――――――彼女を守るために俺の命を代償にする必要があるのならば、喜んで代償を払ってやろうじゃないか。ナイフで心臓を抉り出し、拳銃で自分の頭を撃ち抜き、命を彼女にささげても俺は構わない。

 

 俺は、それほどエミリアが好きなのだ。

 

 ―――――――だが、ここで俺たちが死ねば生まれてくる筈のあの2人はどうなるのだろうか。

 

 産業革命が起き、急速に発展した21年後の世界。中世ヨーロッパを思わせる異世界の景色が消えていく産業革命の時代に生まれることになるタクヤとラウラは、生まれなかったことになってしまうのではないか。

 

 くそったれ、死ねないじゃないか。

 

 ああ、死ぬな。必ず生き延びろ。

 

 勝って生き延びろ。敵を殺して生き延びろ。

 

 諦めるな!

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 弾切れになったトカレフを投げ捨て、両手で刀の柄を握ってジョシュアに急迫する。ハンドガンで散々身体中を撃ち抜かれていたジョシュアは、鬱憤を晴らせると言わんばかりに俺に魔剣を向けると、切っ先から矢継ぎ早に真紅のレーザーを連射し始めた。まるでマシンガンを連射してくる塹壕に、刀を手にして突っ込んでいるような気分だ。俺たちと逆じゃないか。

 

「死ね、余所者ぉぉぉぉぉぉぉっ!! 死ね! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 悪いけど、俺はしぶといんだよ! レリエルと戦っても生き残った元会社員なんだからなぁッ!!

 

 真紅のレーザーが肩を貫き、太腿を掠め、脇腹に突き刺さる。でも、立ち止まって逃げることは出来なかった。激痛を恐れて逃げ出そうという気持ちもあったけど、俺の身体と理性が逃走を許さない。死にたくなかったら、なおさらこのまま突っ込むしかないのだ。

 

「力也くん、無茶よ!」

 

 無茶は専売特許なんだよ、エリス。

 

 刀の切っ先を地面に擦らせながら、レーザーを連射するジョシュアへとやっと接近した俺は、歯を食いしばりながら刀を思い切り振り上げた。エミリアやエリスのような整った剣術ではなく、自分で勝手に編み出した滅茶苦茶な我流の剣術。美しさや実用性は二の次になっている雑な一撃だったけど、その一撃は受け止めようとしたジョシュアの魔剣を掠めると、そのまま彼の胸板へと襲い掛かり、ジョシュアの胸筋と胸骨を右下から左斜め上へと切断していた。

 

 鮮血がジョシュアの豪華な鎧を汚し、切断された鎧の隙間から鮮血が噴き出る。クソ野郎の返り血を浴びながらさらに一歩踏み込み、内蔵している機能のせいで従来の刀よりも重い自分の得物を力任せに振り下ろす。

 

 今度の一撃は受け止められたけど、胸を斬りつけられたダメージのせいでジョシュアの腕が一瞬だけ痙攣する。力が抜けたその隙に更に体重を乗せて刀を押し込み、強引にジョシュアのガードを突き破る!

 

「!?」

 

「УРаааааааа!!」

 

 俺の刀身はジョシュアの魔剣を払い除けると、早く斬らせろと言わんばかりにジョシュアの右の鎖骨の辺りへと激突した。みし、と鎖骨に刀身が喰い込んだ感覚がしたと思った直後、すぐに肉が切り裂かれる感触が復活し、刀の刀身が更にめり込んでいく。

 

 振り下ろした刀身はジョシュアの鎖骨にめり込むと、そのまま脇腹の方へと突き進み、彼の胴体を覆っていた鎧を両断して血肉まみれの姿で再び姿を現した。付け根もろとも右腕を抉り取られるように斬りつけられたジョシュアも予想以上のダメージだったらしく、大き過ぎる傷口を左手で必死に押さえながら絶叫する。

 

「ぎゃあああああああああああッ!! あっ、あぁ…………お、俺の腕がぁぁぁぁぁッ! ま、また…………斬りやがったなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 傷口を早くも再生させながら絶叫するジョシュア。もっと痛めつけてやれるのは嬉しい事だが、戦いを長引かせると仲間たちがゾンビの餌食になってしまう。早いうちに魔剣を破壊し、あのゾンビたちをどうにかしなければならない。

 

 あの再生能力をどうやって封じるべきかと考えていたその時だった。――――――――何の前触れもなく、俺とエリスの傍らを、蒼い影が突き抜けていったのである。

 

「!?」

 

「今のは―――――――」

 

 蒼い髪。その髪型は、ポニーテール…………。

 

 まさか、エミリアが復活して参戦してくれたのか!?

 

 でも、何だかエミリアにしては胸が小さかったような気がする。彼女の胸は訓練の腕立て伏せやスクワットの時はこれでもかと言うほど良く揺れるサイズだから、あんなに小さいのはありえない。

 

 最早貧乳じゃないかと失礼なことを考えた直後、ジョシュアの絶叫が俺の考察を強制終了させた。

 

 はっとして顔を上げると、その貧乳のエミリアにそっくりな美少女が再生しているジョシュアに襲い掛かっていたのである。ナックルダスターを思わせる無骨なナイフを振り回し、辛うじて魔剣を拾って反撃してくるジョシュアの斬撃を軽々と躱しながら、攻撃を空振りするジョシュアの身体を少しずつズタズタにして行く。

 

 アキレス腱を斬りつけて動きを止め、ジョシュアが膝をついた瞬間にすかさず後ろへと回り込むと、ナイフの切っ先を喉元へと突き立てて何度も捻る。刀身の峰の部分にはやけに大きなセレーションがあったし、刀身そのものもマチェットをボウイナイフくらいに縮めたような無骨な形状だったから、あんなナイフを突き刺した後に捻られたらすぐに筋肉繊維が挽肉になっちまう。

 

「ガッ………ゲッ、ギィッ………!」

 

「どうだ、クソ野郎ッ!!」

 

「タクヤか!?」

 

 エミリアじゃなくてタクヤだったのか。ああ、それじゃ美少女じゃなくて美少年だな。訂正しとかないと彼に失礼だ。

 

 それにしても、タクヤは母親に似過ぎてるんじゃないか? もう顔の使い回しとか双子って言われてもおかしくないぞ?

 

 ジョシュアの首の肉をズタズタにしたタクヤは、すぐにナイフを強引に引き抜いてジョシュアから離れた。すぐにその傷も塞がり始めたのを目の当たりにしたタクヤは「はぁっ!? 何あれ!?」と驚愕している。

 

 吸血鬼の再生能力だ。それがジョシュアの奴にも反映されているんだよ。

 

「―――――――ラウラ」

 

『―――――――了解(ダー)』

 

 次の瞬間だった。

 

 ズドン、と重々しい轟音が響き渡ったかと思うと、何の前触れもなくジョシュアの腹に何かがめり込み――――――――そのまま、彼の上半身を食い破ってしまったのである。

 

「………!?」

 

 ちょっと待て。今のは………狙撃か!?

 

 しかも、ジョシュアの上半身が木端微塵になったという事は、少なくともバトルライフルやマークスマンライフルが使用するような7.62mm弾ではないだろう。もっと大口径の弾薬だ。おそらく、重機関銃やアンチマテリアルライフル用の12.7mm弾か、対戦車ライフル用の14.5mm弾に違いない。

 

 それ以上の口径の可能性もあったけど、人間を相手にするのに20mm弾を投入するのは正気の沙汰じゃないぞ? そんな弾薬があったら、装甲車の撃破も何とかできるかもしれない。

 

 それにしても、今の狙撃をやったのはラウラか? 全く気配がしなかったぞ………!?

 

 はっとした俺は、その弾丸が飛来したと思われる方向を振り返った。あの弾丸はジョシュアの肉体を派手に破壊した―――――――とはいえ、もう既に再生が始まっている―――――――ため、ジョシュアの肉片が飛び散っている方向と逆の方向を見れば、弾丸の飛来した方角となる。

 

 しかし、その先には何も見えない。蠢くゾンビの群れだけだ。

 

 錯覚だったのかと思ったその時、ゾンビたちの向こうにある倒木の上で―――――――鮮血を思わせる長い赤毛が、揺らめいた。

 

 全く気配がしなかった狙撃手は、そこにいたのだ。大人びた容姿をしているにもかかわらず子供のような性格で、いつも腹違いの弟に甘えている姉は、そこで17歳か18歳の少女が持つにしては大き過ぎる銃を構え、アイアンサイトを睨みつけている。

 

 スコープを付けずに遠距離から正確に狙撃する彼女は、まるで異世界のシモ・ヘイヘだ。

 

 もしこの戦いに勝利したら、この戦いは『ネイリンゲンの奇跡』と呼ばれるんだろうか。

 

 そんな事を考えながら、俺は再生を終えたジョシュアを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『つまらない的ね。まだ訓練用の的を撃ってる時の方が楽しいわ』

 

 珍しいな。ラウラが標的を罵り始めたよ………。

 

 しかもいつも俺に甘えてくる時の彼女の声音じゃない。幼い子供とか、飼い主に遊んでもらって喜ぶ子犬を思わせる可愛らしい声音ではなく、本当に冷酷な声。戦闘中の彼女の声よりも更に冷たいんじゃないだろうか。

 

 ズドン、と再び銃声が響き渡り、再生を終えたばかりのジョシュアの左足が唐突に消し飛んだ。弾丸に食い破られた足は原形を留めることなく空中分解すると、肉のへばり付いた骨の破片や肉片をまき散らしながら地面に落下した。

 

「がぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 痛いっ、ああ………あっ、足があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

『ふん、痛いのが嫌なら無様に逃げ回りなさいな。徒労になるけど』

 

 お、お姉ちゃん………? 

 

 またしても銃声が聞こえ、今度はジョシュアの腕が千切れ飛ぶ。今回は彼に絶叫させる暇を与えないつもりなのか、矢継ぎ早に次の弾丸が放たれ、今度は下半身が丸ごと消し飛んだ。

 

『ほら、逃げなさいよ。まだ片腕とご立派な魔剣が残ってるじゃない。………フフフフフフッ…………………』

 

 な、嬲り殺しじゃねえか…………。

 

「おいおい、ラウラって…………ドS?」

 

「いや、ヤンデレの筈だけど……………」

 

 とりあえず、俺も攻撃しよう。

 

 ナイフを鞘に戻し、2丁のCz75SP-01を引き抜く。折り畳み式のストックを展開して肩に当て、両方のハンドガンの照準器を覗き込んだ俺は、ラウラに嬲り殺しにされているジョシュアに追い討ちをかけることにした。

 

 何度もトリガーを引き、とにかく弾丸を叩き込み続ける。1発の破壊力は20mm弾に遠く及ばないのだから、高い殺傷力を発揮させるためにはとにかく撃ちまくるしかない。

 

 それにしても、ジョシュアも吸血鬼みたいな再生能力を持っているようだった。どれだけラウラが手足を吹き飛ばしても断面から新しい手足が生えてくるし、俺が開けた風穴もすぐに塞がってしまう。このまま銃弾を撃ち込み続けたり、弾切れになったらリンチすればこいつもかなり苦しむ羽目になるだろうとは思うけど、そんな事をしている時間はない。もう塹壕は2層目まで突破され、戦闘可能なドローンの数は20%未満。モリガンの傭兵たちも弾切れになった武器を放棄し、白兵戦に突入している。

 

 一刻も早くこいつを殺さなければならない。

 

 やっぱり接近戦しかないか。得意分野の1つで決着をつけるしかないらしい。

 

 折り畳み式のストックを折り畳んだのを遠距離から見ていたのか、ぴたりとラウラの容赦のない狙撃が止まる。彼女と一緒に戦う際は、こういう時にいちいち狙撃を止めてくれと言わなくても彼女が察して止めてくれたり、逆に俺がラウラのやりたいことを察して動きやすいように援護したりする事が多いので、このような状況で言葉を使わなくても連携を取れるのは大きなメリットだと思う。

 

 銃剣を装着し、折り畳み式のストックを装備した異形のハンドガンを2丁装備した俺は、まだ伊豆口の再生が終わっていないジョシュアへと追撃を仕掛ける。

 

「なっ……………え、エミリアッ!? 馬鹿な、彼女は心臓を抉られて――――――――」

 

「初めまして、エミリアの息子のタクヤですッ!」

 

 よく分からないけど、お姉ちゃんと一緒に21年前の世界に迷い込んじまったんだよ!

 

 動揺しながら振り払われたジョシュアの剣をあっさりと躱し、前傾姿勢になっているジョシュアの脇腹へと銃口を向ける。親父にトカレフで散々風穴を開けられていたジョシュアは、俺が手にしている武器がどのような威力なのかをもう理解しているのだろう。盾代わりにするつもりなのか、魔剣で銃口の前を遮ろうとする。

 

 確かに、9mm弾で魔剣を貫通するのは不可能だろう。……………でも、俺のハンドガンは2丁あるんだぜ?

 

 別に、9mm弾の飽和攻撃で魔剣を粉砕しようというわけではない。というか、そんな事をしたら魔剣を破壊する前にこっちの弾薬が底を突いてしまう。マケドニアシューティングでも、魔剣を打ち破ることは不可能だ。

 

 だからこそ、俺の専売特許を使う。俺は卑怯者だからな。

 

 銃弾の発射前に魔剣を構え、防いでやるぞと言わんばかりににやりと笑うジョシュア。このクソ野郎はもう勝ち誇っているようだが、残念ながら俺の得物は右手のCz75SP-01だけじゃない。

 

 左手にも――――――――もう1丁あるんだよ、バーカ。

 

 これ見よがしに、がちん、と左手の親指でハンドガンのスライドを叩く。その音に気付いたジョシュアが俺の左手を見て、意表を突かれる羽目になったということを理解した瞬間の顔を見ながら、今度は俺がニヤニヤと笑っていた。

 

 ジョシュアの神経を逆なでするような笑みが消えていくにつれて、俺の顔に笑みが浮かんでいく。

 

 少なくとも、ラウラや仲間たちに向けるような微笑ではない。―――――――俺の作戦にひっかかり、無様に殺されていく間抜けに向けるような、俺からの嘲りだ。

 

 左手の銃が下を向く。ジョシュアみたいなクソ野郎には、ヘッドショットや胴体に何発も撃つだけでは物足りない。

 

 だから、下を狙う。

 

 銃口を下げ―――――――トリガーを引く。

 

 スライドがブローバックし、銃口からマズルフラッシュが姿を現す。その真っ只中から飛び出した9mm弾はマズルフラッシュの残滓を纏うと、回転しながらジョシュアの魔剣の傍らをすり抜け――――――――奴の息子へと、突き刺さった。

 

「――――――――がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

「ぎゃはははははははははははははッ!!」

 

 ざまあみろ、クソ野郎!

 

 左手で血まみれになった股間を抑え、絶叫するジョシュア。俺は苦しむジョシュアを見下ろしながら、思い切り笑った。

 

 母さんやエリスさんを弄ぶからだ、クソ野郎。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葉刀を思い切り薙ぎ払って何体もゾンビの首を両断しているんだけど、目の前からやって来るゾンビたちの隊列はまだまだ残っている。騎士団の防具と武器を装備し、呻き声を上げながらやって来る戦死者たちの隊列。もうシンが私のために作ってくれた柳葉刀の黒い刀身は、彼らの血肉で赤黒く変色してしまっていた。

 

 シンは隣でまだ弾薬の残っているワルサーP99とスペツナズ・ナイフで応戦している。お兄ちゃんは塹壕のスコップでまとめてゾンビの群れを両断しているし、カレンさんもリゼットの曲刀が持つ風の力で、ゾンビたちを次々に粉々にしている。

 

 力也さんたちが魔剣を破壊してくれれば、このゾンビたちは消滅する筈。だから私たちはここでゾンビたちと戦っていたんだけど、アサルトライフルやカービンの弾薬はもう撃ち尽くしてしまったから接近戦を挑むしかない。

 

「拙いぞ。数が多すぎる……………!」

 

(くっ…………!)

 

 このままでは、突破されてしまう!

 

 私は近くにいたゾンビを柳葉刀で斬り倒しながら、ちらりと隊列の奥を見た。

 

 さっき向こうから男の絶叫が聞こえたけど、まだその絶叫が聞こえる辺りからは笑い声と銃声が聞こえてくる。

 

 やっぱり、まだ魔剣を破壊できていないんだ。

 

 またゾンビの頭を切断した私は、目の前のゾンビの隊列を睨みつける。

 

 その時だった。マズルフラッシュが見えなくなったせいで真っ暗になっていた草原が蒼い光でいきなり照らし出されたかと思うと、無数の蒼い電撃たちが槍のようにゾンビの隊列に襲い掛かり、次々に串刺しにしていった。

 

「なっ…………!?」

 

(で、電撃……………?)

 

 私とシンは、その電撃が放たれた方向を振り向いた。

 

 そこには、黒いドレスのような制服と防具を身に纏い、蒼い電撃を引き連れた1人の少女が立っていた。右手には腰の鞘に収まっていたバスタードソードを持ちながら、鋭い紫色の瞳でゾンビたちを睨みつけている。

 

 彼女は右手のバスタードソードから無数の蒼い電撃を放つと、ゾンビの隊列を一気に薙ぎ倒していく。中には発火しながら崩れ落ちていくゾンビもいるようだった。

 

「――――――――すまないな。私たちも参戦するぞ」

 

「え、エミリアさんっ!」

 

(もう目を覚ましたんですか!?)

 

 私たちを助けに来てくれたのは、真っ黒な制服と防具を身に纏ったエミリアさんだった。彼女は力也さんとエリスさんに心臓を移植してもらってからずっと昏睡状態だった筈なんだけど、目を覚ましてくれたんだ!

 

 エミリアさんの傍らには、真っ白な杖を持ったフィオナちゃんもいる。

 

「力也と姉さんは?」

 

(この隊列の向こうです。……………魔剣と戦っています)

 

「ありがとう。―――――――死ぬなよ、2人とも」

 

「はい!」

 

(分かってます!)

 

 エミリアさんはもう一度微笑むと、バスタードソードを構えて「行くぞ、フィオナ」と呟いてから、ゾンビの群れの中に斬り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ 

 

 ラウラVSジョシュア

 

ジョシュア「ぐあぁっ!」

 

ラウラ「ほら、避けなさいよ。どうしたの?」

 

ジョシュア「あっ…………!」

 

ラウラ「無様ね。まだゴブリンを相手にしてる方がずっと楽しいわ」

 

ジョシュア「ああ…………っ!」

 

ラウラ「フフフフッ…………」

 

タクヤ(容赦ねえなぁ…………)

 

ジョシュア「も、もっと………撃ってくださいぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

タクヤ「!?」

 

 完

 




※マケドニアシューティングは、ソ連で考案された二丁拳銃の戦法です。

普段のラウラが「お姉ちゃん」なら、今のラウラは「お姉様」ですかね(笑)



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燃え落ちた魔剣

「おいおい………………」

 

「嘘でしょ………………?」

 

 俺たちの目の前で、いきなりジョシュアが纏っていた紅いオーラが膨れ上がった。そのオーラは無数の触手のように拡散して周囲のゾンビたちへと伸びていくと、ゾンビたちの体に突き刺さり、彼らの体内から魔力を吸い上げ始める。

 

 オーラの触手たちが少しずつ太くなっていき、魔剣が纏っていたオーラとレリエルの血で汚染された魔力が濃くなっていく。

 

「ハッハッハッハッハッ!」

 

 親父とエリスさんに追い詰められ、更に俺とラウラの連続攻撃で嬲り殺しにされたジョシュアは、なんと周囲のゾンビたちから魔力を吸収し始めたんだ。そのせいで、もう既にジョシュアの股間から血痕が消えている。

 

 拙いな……………。俺は周囲を見渡しながらため息をつく。

 

 俺たちの周囲はゾンビだらけだ。ジョシュアは魔剣を使って、そいつらから汚染された魔力を吸収する事ができるようだ。ゾンビたちは俺たちやモリガンの傭兵たちが大量に倒した筈だけど、まだまだ残っている。だからジョシュアにとって、自分の傷を治しながらパワーアップするための〝道具”はまだ残っているということだ。

 

「これじゃ埒が明かないぞ…………。なあエリス。魔剣ごとジョシュアを氷漬けにできないか?」

 

「無理よ。私の氷は魔力で生成してる氷だから、あんな汚染された魔力に触れたら私の氷まで浸食されちゃうもの。……………力也くんこそ、ジョシュアだけさっきの炎で火達磨にできないの?」

 

「うーん……………タクヤ、できるか?」

 

「難しいッス。お姉ちゃんは?」

 

『○○○を何度もぶち抜けばいいの?』

 

「「や、やめろって……………」」

 

 しかも20mm弾だろうが。ぶち抜くじゃ済まないぞ、確実に。

 

 親父と同時に呟いた俺は、予想以上に親子で息が合っていることに驚きながらも、ゾンビたちから次々に汚染された魔力を吸収していくジョシュアを睨みつけた。

 

 実際に、他者から魔力を奪うような魔術は存在する。でも詠唱が長い上に、吸収できる範囲は魔術師の持つ魔力の量と集中力に依存するため、大概は剣で斬りつけられるような間合いに入らなければ魔力を吸われずに済む事が多い。

 

 だが…………それほど実用性がないため、脅威にはならないというのは常人が使った場合の話だ。目の前にいるクソ野郎は確かに魔剣さえなければ脅威にはならないような雑魚だけど、魔剣を持っているからこそ脅威になる。

 

 みるみるうちにジョシュアの体内の魔力が膨れ上がり、増大していく。身体から溢れ出した真紅のオーラにも似た魔力の奔流が荒れ狂い、奴の足元に生えていた花を瞬く間に汚染して枯らせてしまう。

 

 くそったれ、パワーアップしてやがる…………!

 

 舌打ちしながら、俺はCz75SP-01のマガジンを交換した。もしかしたら、このパワーアップしたジョシュアはちょっとヤバいかもしれない。あいつの体内から溢れ出した魔力の量は、現時点でもう既に俺とラウラの魔力を足した量を超えている。両親の素質をそのまま受け継いだ俺たちの魔力の量よりも多いのだから、今から繰り出される攻撃の威力が劇的に上がっているのは想像に難くない。

 

「ふん。またその飛び道具に頼るのか」

 

「お前こそ、まだ魔剣に頼るのかよ」

 

 撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻しながらジョシュアを睨みつけ、トリガーを引く。俺がジョシュアに向かって発砲すると同時に、隣でAK-47を構えていた親父とエリスさんもフルオート射撃を開始し、遠距離で狙撃の準備をしていたラウラの20mm弾も、ジョシュアへと向けて叩き込まれる。

 

 だがジョシュアはニヤリと笑うと、ゾンビたちから魔力を吸収したまま左手を殺到する弾丸たちに向かって突き出した。すると紅いオーラが奴の手の平の前でシールドを形成し、弾を全て弾き飛ばしてしまう。

 

「馬鹿な………!? 20mm弾も混じってたんだぞ!?」

 

「くそったれ………!」

 

「接近戦しかないみたいね…………」

 

 ああ、接近戦は俺の得意分野だ。でも、あんな汚染された魔力の塊ともいえるような奴と接近戦をやるのは気が引けるなぁ…………。

 

 俺はちらりと隣でハルバードを構えるエリスさんを見る。彼女はあの汚染された魔力の浸食を警戒して、ハルバードには氷を纏わせていない。

 

 相手は周囲のゾンビたちを使ってパワーアップと回復が出来る。こっちは男女が4人だけで、残っているのはなけなしの弾薬だけだ。

 

 不利だな…………。

 

 俺たちも不利だが、塹壕で防衛戦を続けている仲間たちはどうなっているのだろうか。

 

 銃弾を防いで高笑いしているジョシュアにもう一発お見舞いしようと思った俺は、もう一度ハンドガンのトリガーを引こうとする。でも、俺たちの後ろの方から蒼い光が近づいてきているような気がして、トリガーを引く前に俺たちは後ろを振り返った。

 

 暗くなった夜の草原を、先ほどまで照らしていた親父の炎の代わりに蒼い光が照らし出す。その蒼い光は一瞬で俺とエリスの間を駆け抜けて行くと、蒼い電撃を纏いながらジョシュアに突撃し、ゾンビから魔力を吸収していたオーラの触手をあっさりと両断してしまった。

 

 俺たちの間を蒼い光が突き抜けていった瞬間、俺は安心したような気がした。まるでその光に断ち切られた紅いオーラが霧散するように、焦燥が消滅していく。

 

「な、なにぃッ!?」

 

「今のは…………!?」

 

 蒼い光が紅いオーラの触手たちを断ち切る。両断された触手たちが紅い塵になりながら消滅していく。飛び入り参加と言わんばかりに戦場に乱入してきたそれの攻撃は、それだけでは終わらなかった。立て続けに蒼い電撃のような閃光で周囲のゾンビを切り刻んだかと思うと、今度はそのままジョシュアに向かって襲い掛かったのである。

 

「!?」

 

 一体それが何なのか、全く分からない。

 

 人間なのか? それとも、遠隔操作型の新しい魔術?

 

 レーザーにも似た蒼い電撃のような光が何度も煌めき、ジョシュアの紅いオーラに傷痕を付けていく。さすがにオーラごとジョシュアを切り裂くことはできていないようだけど、汚染された魔力に触れているにもかかわらず、全くその光は汚染されていない。

 

 いや、あれは…………〝汚染される前にオーラを切り刻んでいる”のだ。

 

 それほどまでに、あの攻撃は素早い。

 

「ぐっ!? こ、これは…………ッ!?」

 

「まさか…………」

 

 ――――――――俺は、あの攻撃を見たことがある。

 

 幼少の頃から、朝早くに子供部屋の窓を開ければ、その下でいつも煌めいていた蒼い剣戟の軌跡。俺たちの目の前で何度も煌めき、ジョシュアを追い詰めている光の軌道は、あの時目にしたそれにそっくりだった。

 

 そう、それは―――――――――母であるエミリア・ハヤカワの剣術。

 

 まさか、今のは…………!?

 

 紅いオーラの触手を両断した蒼い光が、電撃を引き連れながら俺たちの間に着地する。

 

 漆黒のドレスのような制服と防具を身に纏い、右手にバスタードソードを持ったその蒼い髪の人影は、隣に立っている親父の顔をじっと見つめてから微笑んだ。

 

「―――――――――ただいま、力也」

 

「エミリア…………?」

 

 間違いなく俺たちの隣に降り立った少女は、若き日の母さんだった。

 

 親父がこの異世界で初めて出会った仲間。そしてギルドを一緒に作ってからも、ずっと一緒に激戦を経験してきた、親父の妻になる少女。心臓を移植してから昏睡状態だった筈の彼女が、目を覚まして俺たちの所に来てくれたんだ!

 

「―――――――――おかえり、エミリア」

 

「ああ」

 

 帰ってきてくれた。

 

 親父の一番最初の仲間が参戦してくれる!

 

 母さんは、親父の隣に立つエリスさんの方を見た。エリスさんも嬉しいと思っている筈なんだけど、やっぱり今まで冷たくしていたから、申し訳なさそうな顔をしている。

 

「―――――――――姉さん」

 

「エミリア…………」

 

「一緒に戦おう」

 

「…………いいの? 私は、あなたの事…………」

 

「全く気にしてないさ。―――それに、また姉さんが昔の優しかった姉さんに戻ってくれて嬉しいよ」

 

「…………ありがと、エミリア」

 

 エリスさんも母さんに向かって微笑んだ。そして目の前で魔剣を持っているジョシュアを睨みつけ、ハルバードの先端部を向ける。

 

「あなたは、私の妹よ!」

 

「ああ! いくぞ、みんな!」

 

「おう! フィオナ、サポートを頼むぜ!」

 

『はい、力也さん!』

 

 俺はにやりと笑うと、隣で刀を構えている親父を見つめながら頷いた。やっぱり、自分の一番最初の仲間が参戦してくれて嬉しいのだろう。生死の境をさまよっていた母さんが、帰ってきてくれたのだから。

 

「あれれ? 偽物の妹が参戦したのかぁ? まだ生きてたんだねぇ。邪魔だからさっさと死んでくれればよかっ――――――――――」

 

 だが、エミリアは奴の言葉を全く聞いていなかった。蒼い電撃を俺たちの間に置き去りにし、先陣を切るかのように一瞬でジョシュアの目の前まで急接近すると、バスタードソードを振り下ろして弾丸を防ぐために突き出していたジョシュアの左腕を斬りつけた。

 

 漆黒の刃がジョシュアの腕に食い込み、そのまま骨を粉砕して断ち切ってしまう。傷口から紅いオーラと共に鮮血を吹き出しながらジョシュアの左腕がどさりと草原に落下し、彼女のスピードに驚きながらジョシュアが絶叫する。

 

「な、何だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! い、痛いッ! 腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「うわ、速っ…………!」

 

 おいおい、母さんの剣術がチートなのはこの頃からか!? 訓練で模擬戦やった時は互角だと思ってたけど、あの時は本気出してなかったのか!?

 

 これがモリガンの傭兵たちか…………!

 

 …………本当に、親子喧嘩しなくて良かった。

 

 はっきり言うと、今の母さんのスピードは転生者以上だ。おそらくあらゆるスキルや能力を装備したとしても、転生者たちが彼女に追いつくことは不可能だろう。

 

 自分で生み出した電撃すら置き去りにして腕を切り落したエミリアは、鼻水と脂汗を垂らしながら自分の左腕を再生しようとしているジョシュアを見下ろし、冷たい声で言った。

 

「――――――――確かに私は人間ではない。…………だが、お前は私以下だ。ただの虫けらと同じだよ」

 

「な、何だとぉ…………!? ほ、ホムンクルス(クローン)の分際でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 左腕の再生を終えたジョシュアが、激昂しながら魔剣を振るう。でも母さんは既に蒼い電撃を置き去りにして後ろにジャンプしていたから、ジョシュアが切り裂いたのは彼女が残した蒼い電撃の残滓だった。

 

「ラウラ!」

 

『うん、撃ちまくるよ!!』

 

 こいつを発動させて一気に攻めるのは今しかない!

 

 Cz75SP-01を立て続けに連射する。後方からも矢継ぎ早に20mm弾が飛来し、ジョシュアの纏うオーラへと叩き付けられる。

 

 母さんの素早い剣戟でオーラが削れていたのか、今度は弾かれることなく、弾丸たちはオーラを削ってジョシュアの弱体化に貢献してくれた。

 

「調子に乗るなよ、雑魚どもがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 魔剣を突き出し、紅いエネルギー弾を何発も放ってくるジョシュア。だが、彼は魔剣を手にしているにもかかわらず左腕を切断されたことでかなり焦っている上に激怒しているようで、エネルギー弾は全く俺たちに命中しなかった。避ける必要はないだろう。真っ直ぐに突っ走っているだけでも回避できる。

 

 地面に命中して紅いエネルギーの柱と化すエネルギー弾の群れの中を突っ走り、ジョシュアへと接近していく。俺が近くを通過したエネルギー弾の柱から炎が吹き上がり、俺の背後で火柱と化している。

 

 ジョシュアは必死に叫びながら俺たちにエネルギー弾を撃ち続けているけど、全く命中していない。しかも奴は俺たちを狙わず、親父だけを狙っているらしい。

 

「行くぞ、姉さん!」

 

「ええ、エミリア!」

 

 バスタードソードを構えた母さんが、エリスさんと共にジョシュアに向かって突っ走っていく。親父にエネルギー弾を連射していたジョシュアは蒼い雷を纏いながら突っ込んでいく母さんに気付いたようだったが、2人は既に蒼い雷と氷を纏った武器を振り上げていた。

 

「――――――――電皇(でんこう)!」

 

 蒼い雷を纏ったバスタードソードを振り払う母さん。だが、ジョシュアは辛うじて紅いオーラを纏った魔剣で彼女のバスタードソードを受け止めた。母さんの纏う蒼い雷と、魔剣が放つ紅いオーラが互いに浸食を始める。

 

 しかし、母さんがさっき魔力を吸収している最中にオーラを両断したせいで十分に汚染された魔力を補給できなかったらしく、魔剣の纏う紅いオーラが、徐々に母さんの蒼い雷に飲み込まれ始める。

 

 やがて紅いオーラが全て蒼い雷に飲み込まれてしまい、逆に蒼い雷が燃え移った炎のように魔剣の刀身を侵食していく。

 

「―――――――――雪花(せっか)ッ!」

 

 そして、その魔剣の刀身にエリスさんの氷を纏ったハルバードが直撃した。あのオーラを纏った状態ならば彼女の氷も侵食されてしまうが、今の魔剣のオーラは母さんの蒼い雷によって逆に侵食されてしまっている。

 

 だから、魔力を最大出力で流し込んでせいせいした氷を使った攻撃ができるんだ。

 

 エリスさんはすぐに魔剣からハルバードを引き戻し、今度は母さんのバスタードソードを受け止めるために踏ん張っていたジョシュアの右足を貫く。呻き声を上げながらジョシュアががくりと体勢を崩したところで母さんも鍔迫り合いを止め、一歩踏み込んでからジョシュアの腹に向かってバスタードソードを叩き付けた。

 

「ゲェッ!!」

 

 真っ白な刀身がジョシュアの腹にめり込み、肋骨と内臓を切り裂いていく。母さんはジョシュアの返り血を浴びながら更に剣を振り下ろして再び左腕を切断すると、攻撃を止めて右にジャンプする。

 

 さて、そろそろ俺も嫌がらせするか。

 

 懐から最後の火炎瓶を取り出し、着火。蒼い炎で少しずつ燃え上がり始めたその火炎瓶を携え、俺はジョシュアの背後から忍び寄る。

 

 俺は卑怯者なんでね。表舞台から堂々と登場するよりも、舞台裏からこっそりと登場する方が性に合ってるのさ。そういう派手な戦いは、親父や母さんたちにお任せしておこうじゃないか。

 

 それに、この時代の主役は親父たちなのだから。

 

 ジョシュアが剣を空振りした瞬間に、俺は左手に持っていた火炎瓶を思い切り放り投げた。着火された瓶がくるくると縦に回転しながらジョシュアの背中へと飛んでいき、オーラに命中すると同時に砕け散る。

 

 ガラスの破片が舞い散る中で溢れ出したオイルに炎が燃え移り、それがそのままジョシュアの身体に付着した。炎はオーラの周囲にへばりつくと、凄まじい勢いでジョシュアのオーラを削り始める。

 

「くっ…………調子に乗るなよ、この雑魚がぁッ!」

 

「うるせえ、ミスター火達磨」

 

 もっと火達磨になりな。

 

『―――――――До свидания(バイバイ)』

 

「ッ!?」

 

 激昂していたせいで、俺しか見えていなかったんだろう。

 

 どんな剣術の達人や熟練の兵士でも、冷静さを失ってしまえばいつも通りには動けない。ただでさえ剣術や戦術が全く新兵と変わらないレベルのこのバカが、冷静さを失って俺以外を見れる筈がない。

 

 それゆえに、ラウラの放った一撃は、奴にとっては視覚からの奇襲にも等しかった。

 

 遠距離から照準器を覗き込んでの、グレネードランチャーによる連続砲撃。装填されているのは通常の対人用の榴弾などではなく、対人用に限っていえばあらゆる兵器よりも凄まじい殺傷力を持つ白燐弾である。

 

 一度燃え上がれば消火は極めて難しい白燐を、これでもかと言うほど詰め込んだ砲弾だ。それを、中国やロシアの〝お家芸”ともいえる人海戦術や飽和攻撃の如く、矢継ぎ早に連射してきたのである。

 

 元々、ラウラの持つアンチマテリアルライフルに装備した中国製の87式グレネードランチャーは連射力を考慮したフルオートマチック式。アメリカやロシアで開発された同型の兵器と比べれば弾数と威力で劣るものの、両者よりも遥かに軽いために使い勝手がいいという長所がある。更に、設置して使用するタイプのオートマチック・グレネードランチャーよりも弾数は劣るものの、従来のグレネードランチャーと比べると弾数は多く、連続攻撃に向いているのだ。

 

 最初の1発目がジョシュアに着弾した直後、後続の白燐弾がまるでピラニアのようにジョシュアに殺到する。純白の煙と、白燐が発する強烈な臭い。9発の白燐弾を立て続けに叩き込まれたジョシュアは、オーラを完膚なきまでに削り取られ、防御力を奪われてしまう。

 

 再生能力は残るが、これで防御力はゼロだ。しかも、あの状態ではさすがにオーラの再展開は難しいだろう。

 

 畳みかけるならば今しかないけれど、俺は意地悪なんだよね。

 

 いや、仲間には優しくするよ。特にナタリアにそんなことしたら叩かれるから、できるだけ紳士的になりたいところだ。お母さんもそういう子供に育てっていつも言ってたし。

 

 でもさ、敵には意地悪してもいいよね?

 

 泣き出してしまうほどの、最低最悪の攻撃を。

 

「お客さん」

 

 俺も背中に折り畳んでいたOSV-96を取り出して銃身を展開し――――――――銃身の下に搭載されている87式グレネードランチャーのグリップに、手を伸ばす。

 

 装填されているのはもちろん、相手を焼き尽くす素敵な砲弾である。

 

「―――――――おかわり(追加の白燐弾)、ありますぜ?」

 

「――――――!!」

 

 ほら、あげるよ。

 

 トリガーを引きっ放しにした瞬間、目の前で白燐弾のショーが始まった。9発の白燐弾が装填されたドラムマガジンから白燐弾が次々に発射され、オーラによる防御力を失ったジョシュアに次々に着弾する。

 

 オーラを失い、むき出しの状態になってしまったジョシュアがどうなってしまったのかは言うまでもないだろう。白燐の放つ悪臭と白煙に包まれた彼がどうなったのかは分からないが、消火が困難な白燐に包まれ、悶え苦しんでいるというのは彼の呻き声からも理解できる。

 

 中華風(中国製)白燐弾のお味はいかがかな? ミスター・ジョシュア。

 

「ガァッ…………アァァァァッ! 熱いッ、アァァァァァァァッ!!」

 

「まだおかわりあるよ?」

 

「や、やめっ――――――――」

 

 何言ってんの。まだドラムマガジンが3つも残ってんだよ?

 

 空になったドラムマガジンを取り外し、新しいドラムマガジンに交換する。コッキングレバーを引いてマガジン内の白燐弾を装填し、もはや焼死体と化しているジョシュアに砲口を向けた。

 

「―――――――ほら、お食べ♪」

 

『私のもあげるっ♪』

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 合計で18発の中華風白燐弾が、ジョシュアに殺到した。

 

 もうオーバーキルだな。でも、どうせ再生するんだからオーバー〝キル”ではないよね。オーバー〝アタック”と言うべきか。

 

 でもさ、クソ野郎に同情する必要なんてないよ。前世の俺だったらこんな攻撃をするどころか、人を殺すことも躊躇ってたかもしれないけど、今の俺から見ればそれこそ正気の沙汰とは思えない。

 

 躊躇いなく人を殺すことが要求されるのは兵士だけだ。一般的な男子高校生にそんな感覚を持てと言うのは無茶があるし、平和な日本に生まれた奴らにそんな事を言うのも無理な話である。でも、幼少の頃からこの世界で生き残り、クソ野郎を狩るために、俺とラウラは両親からあらゆる『殺し方』を教わった。

 

 平和な世界なら殺すことを躊躇うのは必要な事だ。それ自体が最大の安全装置(セーフティ)なのだから。

 

 でも、殺し合いや虐殺が日常的な世界では、ただの足枷でしかない。前世の常識が不要となるこの異世界では、その箍(たが)を外さない限り生き残れない。

 

 命乞いをするクソ野郎でも、戦いが始まる前には泣き叫ぶ少女の奴隷を犯していたような奴だ。一目散に逃げる肥えた貴族の奴も、普段は庶民から金を搾り取っているようなクソ野郎だ。どんなクソ野郎でも、確実に狩る。それゆえにクソ野郎と遭遇したのならば、真っ先に銃口を向けなければならないのだ。

 

 言っておくが、俺は相手がクソ野郎ならば絶対に〝交渉”はしない。「話し合おう」と言われても、一方的に断って皆殺しにする。

 

 こいつも同じだ。この、俺たちの母さんを弄んだようなクソ野郎もだ。

 

「クソがッ!!」

 

「おっと」

 

 起き上がると同時に魔剣を振り上げるジョシュア。まだ白燐弾に焼かれた火傷が再生していないらしく、顔の半分が焼死体のようになっている。真っ黒に焦げた皮膚と、固まってしまった血肉の紅のグラデーションで彩られた痛々しい顔で俺を睨みつけるジョシュアを嘲笑いながら、俺はそろそろ舞台裏へと戻る。

 

 やり過ぎたら、親父たちの出番がなくなるからな。なあ、ラウラ。

 

「このガキ―――――」

 

「―――――――――未来の子供たちを馬鹿にしないでくれるかしら?」

 

「え、エリ―――――――――」

 

 母さんの後ろにいたエリスさんが、ジョシュアの顔面に向かって氷のハルバードを突き出していた。俺たちが中華風白燐弾のフルコースを満漢全席の如くお見舞いしている間、エリスさんは母さんの後ろで攻撃の準備をしていたんだ。

 

 ジョシュアは顔を再生させている最中で、身体中の火傷もまだ再生が始まっていない。しかもオーラも全く纏っていない。そんな状態で、エリスさんの強烈な氷のハルバードを受け止めることは不可能だ。

 

「ガァァァァァァァァァァッ!!」

 

 蒼白い氷に覆われたハルバードの先端部が、ジョシュアの左目を貫いていた。そのまま後頭部まで貫通し、ジョシュアの頭に大穴を開けてしまう。

 

「タクヤ!」

 

 親父たちの戦いを見物しようとしていた俺に声をかけたのは、刀を構え、今から傷を負ったジョシュアに切り込んでいこうとしている親父だった。

 

「――――――何やってんだ。行こうぜ」

 

 まるで、友達を遊びに誘う少年のように、親父はそう言った。

 

 親子で攻撃か。ああ、悪くないな。最高じゃないか。

 

 アンチマテリアルライフルを背中に背負い、腰の鞘からテルミットナイフを2本引き抜く。黒色火薬とカートリッジの交換は行っていないので、テルミット反応による攻撃は不可能だが―――――――俺には、刃物を装備している場合に限って強力な能力がある。

 

 ナイフを握り、絶叫するジョシュアへと向かって突っ走る。

 

 エリスさんは俺と親父が追撃しようとしていることを知ったらしく、すぐにジョシュアの頭から氷のハルバードを引き抜くと、横にジャンプする。

 

『ヒーリング・フレイム!』

 

「お」

 

 次の瞬間、親父の身体についていた傷口が真っ白な炎に包まれた。確かあの炎は、光属性の魔術であるヒーリング・フレイムだ。傷口に着火することで治療する事ができる、強力な治療魔術である。

 

 それを使って親父の傷を癒してくれたのは――――――戦いを見守っていた、フィオナちゃんだった。

 

 まだ彼女のエリクサーが全く普及していなかったこの時代では、彼女の治療魔術が重宝されていたという。

 

「ありがとな、フィオナ!」

 

「こ、このっ………!」

 

 頭の大穴を再生させながら俺を睨みつけ、魔剣を振り上げるジョシュア。他の傷の再生は全く終わっていないようだ。間違いなく、俺が攻撃を叩き込む前に再生を終えるのは不可能だろう。

 

 再生能力はかなり厄介だが、あのレリエルたちよりも遅い。再生する前に殺せる!

 

「僕は世界を支配するんだ…………! こんな余所者に負けるわけがないだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「だから、やかましいって言ってんだろうが」

 

 呟きながら、親父は走り続けた。

 

 もう、この戦いを終わらせなければならない。今頃塹壕の最終防衛ラインは限界に達している事だろう。

 

 だから、今から放つ一撃で終わらせる。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 絶叫しながら再び魔剣からオーラを噴出させ、俺たちに向かって振り下ろしてくるジョシュア。だが、紅いオーラの刃が俺の頭に振り下ろされる前に、俺と親父はもうジョシュアに接近していた。

 

 そろそろ、俺は能力を発動させる。

 

 高周波で劇的に切れ味を向上させる、『巨躯解体(ブッチャー・タイム)』を。

 

 頭上から紅いオーラを纏った魔剣が落ちてくる。おそらくガードしても得物ごと真っ二つにされてしまうだろう。転生者の防御力でも殺されてしまうに違いない。

 

 でも、防御する必要はない。

 

 なぜならば―――――――――遅すぎるからだ。

 

 俺と親父は姿勢を低くしながらジョシュアの顔を見上げ―――――――――ニヤリと笑った。

 

 21年前の初代転生者ハンターと、21年後の二代目転生者ハンター。異世界で現代兵器を武器に戦い抜く2人の転生者が、同時にクソ野郎に襲い掛かる。

 

「――――――――巨躯解体(ブッチャー・タイム)!!」

 

「――――――――皇火(おうか)!!」

 

 2本のナイフと1本の刀が――――――――蒼と紅の炎を纏いながら、夜の草原の中で振り払われた。

 

 誰も気付かないほどの速度で薙ぎ払われた真っ赤な刀と蒼い2本のナイフが、陽炎と高熱を纏いながら駆け抜ける。

 

 世界を置き去りにしてしまうほどの速さの剣戟と、全てを切り裂いてしまう剣戟を同時に叩き込まれたジョシュアは、もう原形を留めていない。ジョシュアの面影を残したただの肉片だ。

 

「――――――――もう喋るな」

 

「クソ野郎は、狩る」

 

 俺たちがそう言った瞬間、ジョシュアの身体がバラバラになった。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ラウラVSジョシュア その2

 

ジョシュア「あっ、まだ…………お、お願いしますぅ!」

 

ラウラ「…………死になさい」

 

ジョシュア「はぁッ…………あぁ………!」

 

ラウラ(キモ…………)

 

タクヤ「おいジョシュアぁ!!」

 

ジョシュア「?」

 

タクヤ「お姉ちゃんに撃たれるのはごめんだけどなぁ…………ッ!!」

 

ラウラ「?」

 

タクヤ「………お姉ちゃんに構ってもらうのは、俺のポジションだぞッ!!」

 

 完

 

 



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タクヤの悪あがき

 

 最初にナイフで切り刻んだ獲物は、何の変哲もないゴブリンだった。

 

 銃で戦う事も重要である。この異世界には銃が存在しないため、魔力を使わずに強力な射撃を連発でコイル銃は、あらゆる戦いにおいて重宝するからだ。それにこの世界の人々は銃を知らないため、対処法も知らない。よほどの難敵が現れない限り、対処するのは不可能だろう。

 

 だが、それだけに頼れば他の転生者たちと同じになってしまう。だから俺たちは何度も、銃を使う事を禁止された状態で、魔物たちに白兵戦を挑んだものだ。

 

 その時に俺は、握りしめたナイフでゴブリンを切り刻んだ。あらゆる冒険者が一番最初に相手にすると言われている弱い魔物を、数多の前例に倣って俺たちも相手にしたのだ。その時にゴブリンをナイフで切り刻んだ時の感覚は、旅に出た後も何度も思い出してしまう。

 

 なぜならば―――――――人間を切り裂く感覚と、全く同じだったからだ。

 

 皮膚の色は違うし、体格も違う。更に知識の量も違うし、ゴブリンは言葉を話さない。なのに、感覚は同じだった。ナイフが皮膚を貫き、筋肉繊維をセレーションでズタズタにして、骨にほんの少し阻まれながらも貫いていく感覚。ゴブリンではなく、相手が人間になっても感覚が全く同じなのである。

 

 偽善者でも、クソ野郎でも同じだ。そしてその前例と同じく――――――――ジョシュアをバラバラにした時の感覚も、全く同じだった。

 

 親父と俺の同時攻撃で、ジョシュアの野郎は見事にバラバラになっていた。身に着けていた防具や制服まで切り刻まれているけれど、あいつが手にしていた魔剣は両断されるのを免れたらしく、魔剣は渡さないと言わんばかりに柄を握りしめているジョシュアの手首から先がぎゅっと握り続けている。

 

「こいつを壊せば…………」

 

「ああ、もうジョシュアは再生しない。ゾンビ共も何とかなる筈だ」

 

 チンクエディアの刀身をそのまま伸ばし、漆黒に染めてから真紅のラインを刻みつけたかのような禍々しい魔剣を見下ろしながら、俺はナイフの中に内蔵されているカートリッジを交換し、点火用の黒色火薬を火皿の中へと注いだ。これで再び、テルミット反応を利用した強烈な一撃が使えるようになる。

 

 レリエル・クロフォードの血と魔力によって汚染されている魔剣だが、テルミット反応を利用すれば破壊できるだろうか? 場合によってはC4爆弾で爆破してしまってもよさそうだ。

 

 そう思いつつ、ナイフの先端にある噴射口を魔剣へと近づけ始めたその時だった。まるで意識を取り戻した人間のように、魔剣の柄を握っていたジョシュアの指がぴくり、と動いたのである。

 

「!!」

 

 咄嗟に、俺は親父の袖を掴みながら後ろへと飛び退いていた。前世でラグビーをやっていたという親父の身体は若い頃からがっしりしていて予想以上に重かったけど、強引に後ろへと引っ張る。

 

「おい、何を―――――――」

 

 俺を睨みつけた親父が抗議しようとした瞬間、魔剣を握っていたジョシュアの手が宙に浮き、まるで腕と繋がっているかのように魔剣の刀身を振り上げたのである。

 

 もしあのまま魔剣を破壊するために留まっていたら、今の予想外の攻撃で頭を下から両断されていた事だろう。使い手は雑魚としか言いようがないが、武器そのものはまさに最強の剣と言わざるを得ない。切れ味も、刀身の耐久性も最高クラス。おそらく、どんな鍛冶職人でもあの魔剣の複製は不可能だろう。

 

「ッ!?」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「あ、ああ………。すまん、助かった」

 

「気にすんな、親孝行ってやつだ。………それにしても、再生が早いんじゃないか?」

 

 ジョシュアの身体はバラバラになった筈だ。まだ再生能力は生きているが、完全に再生するにはまだ時間がかかる筈である。吸血鬼との戦いで経験したことだが、吸血鬼のような再生能力を持つ場合、再生にかかる時間の長さは負った傷の大きさに比例する。例えば、掠り傷ならば一瞬で再生してしまうが、腕を失ったり半身が消滅してしまうほどの重傷を負った場合、再生するのに時間がかかるという事だ。とはいえ、時間がかかると言っても長くて1分程度だろう。大概は30秒以内に完全に再生してしまう。

 

 しかし、今のは明らかに1分くらいはかかるほどのダメージだった筈なのに、まだ10秒も経ってないぞ…………?

 

 こんな状態で再生能力が強化されたのか? いや、あくまでジョシュアは人間だ。あの再生能力は吸血鬼の再生能力が劣化したものだから、吸血鬼の再生能力を上回るとは考えにくい。いくらゾンビから魔力を吸収していたとはいえ、その魔力を使ったオーラはさっきの戦闘で消失していたではないか。

 

『2人とも、気を付けてください!!』

 

 杖を構えながらジョシュアを睨みつけていたフィオナちゃんがそう言うと同時に、傍らにいた母さんとエリスさんも武器を構える。

 

 まだ戦いは終わっていない。予想以上の再生能力だが、何とか隙を見て魔剣を破壊するしかない。

 

 ナイフからアサルトライフルに持ち替え、また射撃で何とかジョシュアを殺すしかないと作戦を考えながら振り向こうとしていた俺は、ジョシュアから離れようとする俺と親父の影を奇妙な形の影が飲み込んでいることに気付き、一瞬だけ止まってしまう。

 

 その影の形状はどうやって例えればいいのだろうか。でこぼこした巨大な球体の表面に、適当に細い手足を何本も植え付けたようなグロテスクなシルエットである。

 

 この影は何だ…………?

 

 ぞくりとしながら後ろを振り返った俺と親父は―――――――そのグロテスクな姿を目の当たりにして、親子で同時にぎょっとした。

 

 バラバラになったジョシュアの死体が転がっていた筈の場所には、そのシルエットの通りの姿をした怪物が居座っていたのである。シルエットだけならば形状が分かるだけだからそれほどショックは受けないけど、実際に姿を目にしてみると、しばらくは夢で見てしまいそうなほどグロテスクな姿をしている。

 

 でこぼこした球体の表面は、黒ずんだ肌色や藍色で彩られていた。中には鮮血のように真っ赤な部位もあるけれど、大半は藍色と肌色だ。それをいくつもつなぎ合わせ、表面から人間の手足を生やしたような異形である。

 

 表面を構成しているのは――――――――俺たちの周囲で蠢いていた、無数のゾンビたちであった。まるでゾンビたちが組体操を始めたかのように一ヵ所に集まり、互いに腐敗したグロテスクな身体を繋ぎ合わせたゾンビの集合体のような姿だ。肌色に紛れている藍色の部分は、ゾンビたちが身に着けているラトーニウス騎士団の制服なのだろう。

 

 その表面からは無数の人間の手足が生え、びくびくと痙攣したり、ゆらゆらと揺れている。そんなゾンビたちの塊の中から生えているのは―――――――見覚えのある、金髪の少年だった。

 

 右手にはいつの間にかあの魔剣を握りしめ、ボロボロになった防具と制服を身に纏いながら、まるでケンタウロスのようにゾンビの塊の中から生えているのである。下半身はすっかりゾンビの塊の中に埋まっているらしく、いきなり分離して奇襲してくるような気配はない。

 

『キモっ…………』

 

「なにこれ…………に、肉団子?」

 

「グロ過ぎだろ………。ねえお父さん、今夜の夕飯はあれにしなよ。きっと未来の妻たちが喜ぶよ?」

 

「馬鹿、腹壊すだろうが。お前こそあれ持って帰って仲間に振るまってやれ。絶対株上がるって」

 

「いや、むしろ大暴落だろ!? 何考えてんだよ!? ゾンビを喰う奴なんて―――――――」

 

 …………あっ、ちょっと待って。喰いそうな奴、テンプル騎士団のメンバーで心当たりがあるんですけど。

 

「…………こ、心当たりあるの?」

 

「あ、あるッス…………」

 

 ステラだったら、「あれ美味しいぞ」って嘘をつくだけで目を輝かせながら飛び掛かりそうだ。くそ、彼女がいてくれたら魔剣もろともジョシュアを平らげてすぐに戦いが終わるのに…………!

 

 というか、ステラの最大の武器って重火器や強力な魔術よりも、あの食欲なんじゃないだろうか? 前もグロテスクな植物型の魔物に「アロエという植物は食用だと聞きました。きっとあれも食べられる筈です」と言いながら襲い掛かってたんだよな………。

 

『ギャハハハハハハハハハハッ! 余所者、俺はまだ死んでないぞ!』

 

「うわあ…………随分とキモい姿になりましたねぇ、ジョシュアさん」

 

 そう言いながら、俺と親父はアンチマテリアルライフルの準備をする。

 

 俺と親父のアンチマテリアルライフルはどちらもかなりカスタマイズされているけれど、どちらも同じくロシア製のOSV-96である。

 

 親父のOSV-96は、使用する弾薬は12.7mm弾のままになっている。ライフル本体の火力では14.5mm弾に弾丸を変更した俺の銃よりも劣るけれど、銃身の下には信頼性と射程距離を犠牲にして搭載したRPG-7がぶら下っている。戦車を破壊できるほどの威力を持つロケット弾と、大口径の銃弾による狙撃を併用できる火力特化型だ。

 

 あの化け物を殺すには、それくらいの火力がなければ足りない…………!

 

『そういえば、遠くにもう1人いるみたいだなぁ…………!?』

 

「!」

 

 ラウラの事か…………!

 

 だが、ラウラの能力を見抜くことはかなり難しい。彼女は小さな氷の粒子を全身に纏って周囲の光景を反射し、氷をマジックミラーのように使って姿を消してしまうし、それを探知するのも困難だ。しかも彼女はスコープを不要とするほど視力が良いし、視界が悪くてもエコーロケーションで強引に索敵して狙撃を行う事ができるのである。

 

 しかもスピードも速いから、狙撃した後の移動はかなり迅速なのである。

 

 先ほどからラウラが狙撃していたから、もう1人遠距離に味方がいるという事を察しているのだろうと思っていたが、にやりと笑ったジョシュアの顔を見た瞬間、俺はぞっとしながら冷や汗を拭った。

 

 こいつ、もしかしたらラウラの狙撃地点を…………!?

 

「拙い、ラウラ! 逃げろ!!」

 

『…………!?』

 

 魔剣を掲げた瞬間、漆黒の禍々しい刀身があの真紅のオーラを纏い始める。だがそのオーラの厚みは、先ほど俺たちと戦っていた時のオーラの比ではない。先ほどまでのオーラが戦車砲ならば、今のジョシュアのオーラは…………戦艦の主砲だ。

 

 しかも、闇属性の魔力が更に濃くなっている…………!

 

 ジョシュアが繰り出そうとしている攻撃の脅威を感じ取ったらしく、狙撃していた地点からラウラが慌てて移動を始める。氷を駆使した擬似的な光学迷彩すら解除して、全ての余計な魔力を封じた状態での全力疾走。本気を出した状態でなければ追いつくのは難しいほどの速さである。

 

 だが、ジョシュアはやはりラウラの狙撃地点を見破っていたらしく、彼女が姿を現した瞬間ににやりと笑った。

 

『消し飛べ、小娘ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!』

 

「ラウラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 魔剣が振り下ろされた瞬間、目の前が魔剣の発するオーラの光で真紅に染まった。あらゆる景色が真紅の光に塗り潰され、見えなくなってしまうほどの大きさの閃光が、運悪く掠めてしまった草原の草を一瞬で消滅させながらラウラへと向かって疾走していく!

 

 こんな状態になる前でも、ナバウレアの防壁を消滅させるほどの威力があったのだ。増幅されたその攻撃を、いくら転生者の遺伝子を受け継いでいるとはいえキメラが防ぎ切れるわけがない。

 

 ラウラと距離が離れているせいでかばうこともできない俺は、上手く躱してくれ、と祈りながらその閃光を見送る事しかできなかった。

 

 ついにジョシュアの放った真紅の閃光がラウラの走っていた地点の近くに着弾し――――――――核爆弾の爆発にも似たキノコ雲を生み出す。膨れ上がった黒煙は噴き上がった火柱を自分の中へと吸い込もうとしているかのように回転しながら舞い上がると、そのまま少しずつ夜空へと消えていった。

 

「ラウラ? …………ラウラ、応答せよ! ラウラ!」

 

『げほっ、げほっ…………だ、大丈夫。ちゃんと避けたよ』

 

「お姉ちゃん!」

 

 よ、良かった…………! 咳き込んでるみたいだけど、怪我をした様子はないみたいだ。

 

『ふふっ。タクヤのお嫁さんになるまで、お姉ちゃんは死なないからねっ♪』

 

「ああ…………そうしてくれ、ラウラ」

 

 過去に飛ばされて、その過去で命を落としたら笑えないからな。

 

 それに、もしラウラが死んだら…………俺は生きていけないかもしれない。今までずっと一緒にいたパートナーが帰らぬ人になるショックがどれだけ大きいのかは、前世でも経験している。

 

 ずっと俺を支えてくれた母さんが病死した時は…………本当に、俺も母さんの後を追おうとした。あの時は親戚のおかげで何とか自殺せずに済んだけど、もしラウラが命を落とすようなことになったら、俺は今度こそ駄目になってしまう。

 

「くそったれが、ふざけやがってッ!」

 

「待て、タクヤ!!」

 

 ぶち殺してやるッ!!

 

 OSV-96の銃身を持ち上げ、左手でキャリングハンドルを掴みながら照準を合わせる。とはいえ、ちゃんと銃床に方を当てながらスコープを覗き込んでいるわけではないので、命中精度は照準器を覗かずに撃ちまくっている時と変わらない。

 

 ズドン、とアサルトライフルを超える銃声が轟く。キャリングハンドルとグリップを握る腕を凄まじい反動(リコイル)が圧迫しようとするけど、人間よりも強靭なキメラの筋肉が、その反動(リコイル)を払い除ける。

 

 ぶちん、と化け物と化したジョシュアの胴体―――――――正確に言うならば下半身だろうか―――――――から生えていたゾンビたちの手足をいくつか巻き込み、強引にへし折りながら駆け抜けた弾丸が、ジョシュアの身体を直撃した。

 

 元々は対戦車ライフルの弾薬としても使用されていた14.5mm弾の直撃を喰らう羽目になったジョシュアの上半身が、その一撃で無数の真紅の欠片と化した。血飛沫をまき散らしながら弾け飛ぶその中から、原形を留めている欠片を探し当てるのは不可能だろう。

 

 しかし――――――――それでも、まだ断面が蠢く。魔剣の使い手となった男を蘇生させようと、あらゆる生物の特徴を無視するかのように肉や骨が蠢き、徐々にあの神経を逆なでする貴族の少年の上半身がゾンビの塊から再び生える。

 

 くそったれ、再生の速度も上がってやがる………!

 

「だったら!」

 

 白燐弾で焼き尽くしてやる! 燃やしてしまえば再生もある程度停滞する筈だ!

 

 左手を87式グレネードランチャーのグリップに伸ばし、さっそく白燐弾を叩き込もうとしたその時だった。

 

「―――――――」

 

 どん、と何かが俺の腹を突き飛ばしたような気がした。

 

 その瞬間だけは、〝突き飛ばされただけ”だと思っていた。

 

 でも――――――――グレネードランチャーのトリガーを引こうとする左手が動かないのである。まるでどれだけ力を込めても何かに吸い取られているかのように、力が入らない………!

 

「タクヤッ!!」

 

「あのバカ! 下がれぇッ!!」

 

「え―――――――」

 

 なぜ、下がる必要がある? こいつはあんたの妻になる女を弄び、利用してから殺したクソ野郎なんだぞ? 

 

 今だったら殺せる。白燐弾を叩き込み、再生速度を停滞させることさえ出来れば殺せるというのに。

 

 親父、まだ俺は戦える。まだ戦わせてくれ。この時代はあんたの時代かもしれないが、これは俺の戦いだ。

 

 そう思いながら後ろを振り向こうとした時、今度は踵を返そうとする身体がぴたりと動かなくなる。

 

 そこでやっと――――――――腹の辺りで、激痛が生じた。

 

「…………マジかよ」

 

 口の中が一気に血の臭いに支配される。吐血しないようにと必死に歯を食いしばるけれど、身体の中から噴き上がってきた自分の血は容赦がなかった。まるで俺の歯をこじ開けるかのように口の外へと溢れ出すと、顎を伝って下へと落ちていく。

 

 その雫が――――――腐った肉の触手に、遮られる。

 

 その触手が伸びていたのは――――――――俺の腹だった。

 

『ギャハハハハハハハッ! 調子に乗るからだ、クソガキぃッ!!』

 

 ジョシュアの下半身から伸びた1本の触手が、俺の腹を貫いていたのだ。

 

『タクヤ…………? 嘘…………やだ、やだ………タクヤ、逃げて…………!』

 

 ラウラ…………。

 

 ああ、くそったれ。ダメだ、身体が全然動かない。

 

 くそ…………ラウラが泣いてるじゃん…………。

 

 色々と不器用で世話の焼けるお姉ちゃんだと思ったことは何度もあるけど、俺だってお姉ちゃんに心配かけまくってんじゃねえか。落とし穴に落ちたり、雪崩に巻き込まれた度にラウラが泣いていた事を思い出しながら、俺はもう一度歯を食いしばりながら、ジョシュアを睨みつける。

 

 すまん、俺はダメな弟だ。

 

 でも―――――――もう少しだけ、足掻いてもいいかな?

 

『終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!』

 

「タクヤ、逃げてぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「УРааааааа!!」

 

 死んでたまるか。

 

 ―――――――2回も、死んでたまるか!!

 

 ニヤニヤと笑いながら、ジョシュアがオーラを纏った魔剣を振り下ろしてくる。外殻で防御したとしてもあの切れ味では切り裂かれてしまうだろう。だから、最後の力を振り絞って、ちょっとした賭けをしてみようと思う。

 

 賭けはしない主義なんだ。でも、ここでは賭ける必要がある。

 

 勝てば勝利が手に入る。負ければ命を失う。単純で、もっとも原始的な賭け(ギャンブル)

 

 なけなしの力を込め、両手を蒼い外殻で覆う。そしてその両腕を、振り下ろされてくる魔剣を左右から挟み込むかのように思い切り持ち上げる。

 

 真剣白刃取りだ。俺の動体視力と反応速度を頼りにした、俺なりの悪あがき。

 

 真紅のオーラを纏った魔剣が、徐々に俺の頭上から急降下してくる。あのオーラに触れてしまったら両断されるのではないかと思いながらも、俺はその魔剣を睨みつけ続けた。

 

 勝負だ、ジョシュア――――――!

 

 

 

 

 

 

《エラー発生。規格外の能力を獲得しました》

 

 

 

 

 

 

 

 



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星明りの蒼き剣

 

 その瞬間、自分の心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。

 

 まるで俺の心臓が耳元へとやってきたかのように、自分の鼓動が聞こえたのだ。たったの一度だけだったけれど、その鼓動は確かに俺の鼓動だろう。もしかしたら他人の鼓動だったのかもしれないとはどういうわけか全く思う事が出来ず、俺はもう自分の鼓動だと決めつけていた。

 

 けれども、どうして鼓動が聞こえる? 俺がこれから死ぬからか? 不慣れな賭け(ギャンブル)に挑んだのが運の尽きだという宣告なのか? それとも、走馬灯が始まるという開演の合図なのか?

 

 くそったれ、ラウラと一緒にいられなくなるのは嫌だな。ナタリアや、カノンや、ステラたちとも一緒に冒険ができなくなる。ケーターや坊や(ブービ)たちと冗談を言い合えなくなるし、仲間たちを置き去りにしてしまうじゃないか。

 

 まだ、三途の川は渡りたくないんだよ。

 

 そう願った俺の目の前に、見慣れた蒼い画面が浮き上がる。中世の頃のヨーロッパや産業革命の頃のイギリスを思わせるレトロな世界に持ち込むにしては、あまりにも先進的過ぎるメニュー画面。登場するならSFだろうと思ってしまうハイテクな雰囲気のメニュー画面が、俺の目の前に表示される。

 

 なんだ、これから走馬灯の上映会が始まるのか。観客は俺1人。上映時間は1秒未満。製作費は俺の障害に使われた金額の合計で、監督や脚本も全部俺。…………なんとちっぽけな走馬灯なんだろうか。

 

 いや、人間1人の走馬灯なんてこんなものなんだろう。自分から見れば大きいけれど、世界から見れば砂粒よりも小さい1人の人間。俺もその程度の人間だったんだろう。

 

《―――――――エラー発生。規格外の能力を獲得しました》

 

 …………は?

 

 エラー発生…………?

 

《シャットアウト不能。インストール開始…………規格外の能力(ファイル)です。システム破損の恐れあり》

 

 えっ? ちょっと待って。システム破損ってどういう事?

 

 転生者の能力の事か? 自由に武器を生み出したり、レベルを上げてポイントを手に入れるこの能力が〝システム”だというのなら、その『規格外の能力』をインストールしたら、能力が使えなくなる可能性があるっていう事だよな?

 

《システム破損を防ぐため、一時的にシステムの複数の機能をシャットダウンします》

 

 シャットダウン? 一時的に能力がいくつか使えなくなるって事なのか?

 

 すると、目の前のメッセージが消えると同時に数字が出現した。その脇には『インストール中』という文字が表示され、凄まじい速度で数字が100%を目指して増殖していく。

 

 そして――――――――ジョシュアの魔剣が俺の両手にほんの少しだけ触れた。おぞましい汚染された魔力に覆われた魔剣の感触は、普通の剣とあまり変わらない。けれどもその中に秘められた魔力の気持ち悪さは俺の予想以上だった。まるで汚泥の中に両腕をそのまま突っ込んでいるかのような悪寒がする。ここまで汚染され、濁ってしまった魔力を感じたことはない。

 

 ぞっとしながら魔剣を見上げようとしたその時、画面の中ですさまじい速度で増殖していた数字が、ぴたりと止まっていた。何かのエラーでも発生したのではないかと思いながら俺は画面を見たけれど、そこに表示されていた数字はちゃんと終着点を意味する3桁の数字だった。

 

《―――――――支配契約(オーバーライド)、発動》

 

 支配契約(オーバーライド)…………? 新しい能力なのか?

 

 規格外の能力の名前を目にした俺は、すぐにその能力がメニュー画面で生産する普通の能力とは異質であるという事に気付いた。

 

 転生者の端末や俺の能力でそのようなスキルや能力を生産した場合、自分で生産済みの武器や能力の中から装備したいものを選び、それを装備しない限り効果は反映されないし、実戦でも使う事は出来ない。例えばハンドガンを生産したとしても、装備しなければ丸腰のままなのである。

 

 普通ならそうなる。でも、この支配契約(オーバーライド)という能力は…………装備した覚えもないのに、勝手に装備されたうえに発動している。

 

 果たしてどんな能力なのか。メニュー画面を開いて説明文を確認してみたいところだが、残念ながら片手ですら動かせるような状況ではない。なぜならば、今の俺はジョシュアの魔剣を真剣白刃取りで受けと用としている最中なのだから。

 

 これじゃ、どんな能力なのか分からないじゃないか!!

 

 悪態でもついてやろうと思った、次の瞬間だった。

 

 何の前触れもなく――――――――両手を包み込んでいた悪寒が、消失したのである。

 

「…………?」

 

 ゆっくりと顔を上げてみる。顔を上げれば俺の両腕があって、その間を禍々しいオーラを纏った魔剣が急降下してくる光景が見える筈だ。ついでにジョシュアの顔も見えるだろうかと思いながら顔を上げた瞬間、今度は俺の顔を照らし出していた紅いオーラの煌めきが、蒼い光に上書きされた。

 

 まるで、落書きだらけの壁をペンキで塗り潰していくかのように、紅いオーラの煌めきが蒼い光に塗り潰されているのだ。瞬く間に魔剣の紅いオーラが消失して蒼い炎にも似た光が刀身を包み込み、剣の表面に刻まれていた紅いラインも姿を消していく。

 

『なっ…………!?』

 

「これは…………」

 

 いきなり自分の手にしていた魔剣が変貌したのを目の当たりにしたジョシュアが、嘲笑うのを止めて右手に持つ魔剣を凝視する。

 

 あの禍々しい汚染された魔力が、薄れていく。水が段々と干上がっていくかのように、魔剣の中から蒸発して消えていく。

 

 何が起きたのか、全く分からない。イチかバチかと言わんばかりに真剣白刃取りを実行し、それが失敗したと思った瞬間に魔剣が蒼く光り出したのである。

 

 ちょっと待て。まさか、これは俺が獲得した能力の仕業なのか――――――?

 

『熱ッ!?』

 

 混乱していると、いきなり魔剣を手にしていたジョシュアが柄から手を離した。魔剣を包み込んでいた光が、まるで炎のようにジョシュアの手に燃え移ったのである。

 

 傍から見れば、ジョシュアが燃え上がった魔剣から大慌てで手を離したように見えるけれど、俺にはまるで魔剣がジョシュアの事を嫌い、自力で彼の手から逃げ出したように見えた。お前は俺の使い手には相応しくないと言わんばかりに燃え上がり、ジョシュアを切り捨てたのではないだろうか。

 

 くるくると回転してから地面に突き刺さった魔剣は、まだ蒼い光に包まれていた。ジョシュアはそれを拾い上げるためにまた手を伸ばすけれど、また同じように指先を焼かれ、大慌てで手を引っ込める。

 

 ジョシュアを拒んだ…………?

 

 クソ野郎とはいえ、今の魔剣の使い手はジョシュアの筈だ。それを拒んだという事は、もしかするとあの魔剣は新しい使い手を欲しているのではないだろうか。

 

 当たり前だが、武器は使い手がいない限り機能しない。制御装置を内蔵された無人兵器でさえ、プログラムを入力する人間や命令を下すオペレーターがいなければ、ただの最新技術を詰め込んだ鉄屑に過ぎないのである。

 

 武器と使い手はセットなのだ。剣が廃れて銃が主流になっても、その理屈は大昔から変わっていない。石器時代でも原始人と石器はセットだったのだ。

 

 俺ならば、魔剣は受け入れてくれるだろうか。

 

 興味本位でそう思った俺は、息を呑んでから魔剣の柄に手を伸ばした。右手を魔剣に近づけた瞬間に、ジョシュアの触手に貫かれた腹が痛んだけれど、傷口を強引に硬化させて穴を塞ぎ、出血を防ぎながら右手を伸ばす。

 

 掴もうとする度に魔剣に拒まれているジョシュアが、呆然としながら俺を見下ろしていた。

 

 蒼い光に向かって手を伸ばし――――――――光の中にある、柄に指先で触れる。全く熱さを感じない事を確認してから、俺はジョシュアの目の前で、エクスカリバーを引き抜くアーサー王のように、堂々と魔剣の柄を握った。

 

 力を込め、地面に刺さっている魔剣を引き抜いていく。あのレリエル・クロフォードの心臓を貫いたせいで汚染されてしまった魔剣とは思えないほどこの剣の中に蓄積されている魔力は澄んでいて、触れているだけで安らいでしまう。

 

 引き抜かれる最中、ぼろぼろと魔剣の刀身が崩れ始めた。チンクエディアの刀身をそのまま伸ばしたような形状の刀身が崩れ去っていき、別の形状の刀身が形成される。

 

 その形状は、まるでスコットランドの戦士たちが愛用したというクレイモアのようだった。単純な形状だった本来の魔剣とは真逆で、その新しい形状の剣は刀身が短く、柄も細長くなっている。全体的に華奢な剣にも見えてしまうけど、蒼い光と共に放つ威圧感はどんな優秀な剣でも真似することは出来ない筈だ。

 

 最も特徴的なのは、その刀身だろう。細身の刀身は根元の方が紺色になっていて、先端へと行くにつれてサファイアのように透き通った明るい蒼へと変色しているのである。まるで俺のキメラの角を素材に使っているかのように、色彩がほとんど同じなのだ。

 

『ば、バカな…………ま、魔剣が…………俺の魔剣が…………ッ!』

 

 目の前で魔剣を奪われたジョシュアが、後ずさりしながら何度もそう呟く。

 

 あいつはこの魔剣と契約していた筈だ。なのに、契約した筈の魔剣に拒まれた挙句、その魔剣を俺に奪われるなんて考えられない。

 

 この世界に存在する武器の中には、使い手との契約を必要とする者が存在する。この魔剣もその中の1つであり、ちゃんとした武器として運用するためにはこの武器と契約しなければ、先ほどのジョシュアのように拒まれて使い物にならなくなってしまうのだ。

 

 無論、契約者以外が触れれば同じように拒まれる。だから俺も拒まれてもおかしくはない筈なんだが………拒まれるどころか、受け入れられているだと…………!?

 

 さっきの能力のおかげなのか? そう思いながら左手を柄から離し、メニュー画面を表示させる。

 

《???》

 

 説明文は表示されなかったが、この規格外の能力の名称から、予想はできる。

 

 支配契約(オーバーライド)。この能力は――――――――相手の契約を上書きし、支配してしまう能力なのだ。

 

 魔力を介して契約した相手から、契約した武器や精霊を奪い取ってしまう能力。それがこの能力に違いない。

 

 ところで、なぜ魔剣は形状が変わってしまったのだろうか? しかも汚染されていた筈の魔力もすっかり消えてしまっている。

 

 これはドロップした武器という事になるんだろうかと思いつつ、再びメニュー画面を開く。生産済みか入手済みの武器の一覧の中には、やはり見たこともない武器の名前がいつの間にか追加されていた。

 

《星剣スターライト》

 

 星明り(スターライト)か…………。

 

 確かに、この蒼い光は星の明かりにも見える。どんな夜空でも決して闇には屈さずに、輝き続ける星。

 

 禍々しい伝説と共に語り継がれていた魔剣が、星明り(スターライト)の名を冠した幻想的な剣に生まれ変わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だありゃ………!?」

 

 タクヤの奴が手にした剣は、間違いなくあの禍々しい魔剣だった筈だ。レリエルの血と魔力によってすっかり汚染され、あらゆるものを破壊してしまう恐ろしい魔剣と化した神々の剣。かつて大天使が振るったという得物の片割れが、あのような幻想的な蒼い剣に生まれ変わるなんて信じられるだろうか。

 

 それに、魔剣を振るっていたという事は、少なくともジョシュアは魔剣との契約を終えていたという事になる。魔剣は契約を必要とするほど強力な武器で、それなりに魔力の量が多い人間でなければ扱えない。

 

 しかも、契約者以外が契約済みの武器に触れれば、先ほどのジョシュアのように拒絶されるのが関の山だ。なのに、タクヤはそれを無視したかのように魔剣に触れ、刀身を造り変えて、自分の武器にしてしまっただと…………?

 

『契約の上書き………!? し、信じられない…………!』

 

「フィオナ、そんな事がありえるのか?」

 

 剣術の鍛錬を続けてきたエミリアが、その信じられない光景を目の当たりにしていたフィオナに問い掛けた。

 

『は、はい、不可能ではありませんが…………成功する確率は、小数点が付くレベルです…………!』

 

「馬鹿な…………そんなの、騎士団の教本にも載ってないわよ!?」

 

 もしこれがゲームならば、チートでも使わない限り実現できないほどの出来事である。まあ、転生者はこの世界の人々から見れば常にチートを使っているように見えるだろうが、未来からやってきた俺たちの息子は、それを遥かに超えている。

 

 伝説の武器を、土壇場で手懐けやがったのだから…………!

 

「パパ、見てた?」

 

「ラウラ?」

 

 いつの間にか、遠距離から狙撃していた筈のラウラがすぐ近くにいた。タクヤは俺とエミリアの間に生まれる息子で、ラウラは俺とエリスの間に生まれることになる娘だという。なぜ彼女が赤毛なのかは分からないけれど、顔つきは確かに母親になるエリスにそっくりだ。髪を蒼く染めてコスプレでもされたら、多分見分けがつかない。

 

 彼女は唖然とするエリスに向かってウインクすると、蒼く染まった魔剣を振り上げたタクヤを見据えた。

 

「―――――――あれが、私の弟なの」

 

「―――――――そして、俺の息子か…………」

 

 とんでもないガキが生まれてくるんだなぁ。

 

 ああ、あいつなら俺を超えられるだろう。もし歴史の通りにエミリアと結婚してタクヤが生まれたら、俺の持っている技術を全てあいつに教えてやろう。

 

 本当にとんでもないガキだ、くそったれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ば、バカな…………! お、俺の魔剣を…………』

 

「こいつはもう魔剣じゃない。―――――――星剣スターライトだとさ」

 

 返り血を浴び、そのまま放置されたような禍々しい剣ではない。かつてこの世界を支配した吸血鬼の王を葬った代償として穢れ、人身御供として世界から隔離された孤独な剣ではないのだ。今はもう、どういうわけか汚染された魔力は全て消え去り、蒼い剣として俺の手中にある。

 

 そう、クソ野郎を狩るために。

 

『ふ、ふざけるな…………! それは俺の魔剣だぞっ!』

 

 魔剣を使って世界を支配しようとした哀れな少年は、俺が契約を上書きして手に入れた星剣スターライトを指差しながら叫んだ。

 

 ジョシュアはただの虎の威を借る狐に過ぎない。威張り散らしていた狐(ジョシュア)は、頼みの(魔剣)がいなくなって焦っているのだ。しかもその虎の威を借るためだけに、俺の母さんやエリスさんを利用して切り捨てるつもりだったんだ…………!

 

 母さんたちは、このネイリンゲン侵攻のことはあまり話してくれなかった。母さんたちにとっては辛い出来事だったんだろう。姉妹で殺し合いを繰り広げた挙句、愛する男が片足を失ってしまう大事件だったのだから。

 

 その原因は、こいつだ。

 

『ひっ…………!』

 

 スターライトをゆっくりと振り上げ、怯えるジョシュアに向かってにじり寄る。

 

 威張り散らしていたジョシュアは、もう情けない声を上げながら怯えるだけだった。さっきは百獣の王を気取っていたくせに、今のこいつは泣き顔で巣穴に逃げ帰るウサギにしか見えない。

 

 こんな奴が、世界を支配するつもりだったのか。

 

『け、計画のために何年もかけてきたんだ………! こっ、こんなところで頓挫していい筈がない! 俺は…………その魔剣で、世界を――――――――』

 

 もういいよ、ジョシュア。

 

 しゃべるな、と言わんばかりに、俺はジョシュアを睨みつけながらスターライトを振り下ろした。生まれ変わった魔剣は、まるで優しい星明りを彷彿とさせる蒼い光を纏いながら急降下し―――――――――外見だけでなく思考まで醜悪な男の片腕に、めり込んだ。

 

 腐敗した肉が、まるでフライパンの上に叩き落とされたかのように煙を上げ、蒸発していく。蒼い光はそのまま炎となって燃え移ると、ジョシュアの傷口を飲み込み、彼に苦痛を与え続ける。

 

『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

 振り下ろしたスターライトを一旦地面に突き刺し、コートのホルダーから回復用のエリクサーを取り出すと、腹の傷口を塞ぐためにそれを飲み干す。

 

 空になった試験管にも似たガラスの容器を投げ捨て、俺は星剣スターライトを引き抜く。さっきは両手で振り下ろしたけど、今度は左手に銃も持っておこう。

 

 ホルスターからCz75SP-01を引き抜き、息を吐く。

 

 こいつは今まで狩ってきたクソ野郎を圧倒するレベルのクソ野郎だ。

 

「タクヤっ!」

 

「ラウラ」

 

 遠距離から狙撃で支援してくれたラウラが、俺の隣へとやってきた。ツァスタバM93の再装填(リロード)はもう済んでいるらしく、早くもキャリングハンドルを握りながらジョシュアへと銃を向けている。

 

 俺たち2人でぶち殺してもいいんだろうが、やっぱりこいつに利用された人たちに決着をつけてもらおう。俺たちはあくまで彼らの助力をすればいいのだ。そうすれば、歴史の通りになる。俺たちの世界と全く同じ決着へと辿り着く筈だ。

 

「同志リキノフ、終わらせようぜ」

 

「―――――――呼んでるぜ、同志諸君」

 

「分かっている」

 

「ええ」

 

『この人は、許せません!』

 

 もう、ジョシュアに魔剣はない。こいつはもうただのグロテスクな怪物だ。

 

 さあ。処刑の時間だ、クソ野郎。

 

 

 

 



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左足

 

 一歩前に進むと、ジョシュアの顔が更に引きつった。奴の下半身を覆う死者の肉の塊が蠢き、ゆっくりと後ろへ下がっていく。

 

 腐敗して黒ずんだ皮膚が蒼白い星明り(スターライト)に照らし出され、真っ白に染まる。今から真っ赤に染まるのだから、色が分かりやすくなってくれるのはありがたい。

 

『ま、待て。おい、魔剣! 牙を剥く相手が違うだろっ! 俺じゃなくて、そいつらを殺せ! 何をやっている!?』

 

 いい加減に認めろ。…………これはお前の剣ではなく、もう俺の剣なのだ。そしてお前は力を持っていないくせに、虎の力を借りて王座に座っていたに過ぎないただの狐。おまけに脅威だった再生能力まで失っているのだから、もうチェック・メイトと言っても過言ではない。

 

 先ほど斬りおとされた腕は、やはり再生していなかった。銃弾や砲弾を何発撃ち込まれても再生した怪物は、やっと人間に戻ってくれたのである。

 

 ああ、そっちの方が良い。怪物は俺たちだ。人間たちを蹂躙し、勝てないからと諦められ、畏れられるのは俺たちの方がふさわしい。

 

「…………よお、クソ野郎」

 

『ひいっ…………!』

 

 ガチン、と隣に立つ親父の方から音が聞こえてきた。魔剣だった蒼い剣を手にしながらそちらを見てみると、親父はいつの間にか愛用の超大型リボルバーを手にし、撃鉄を指で動かして射撃準備をしている。

 

 オーストリアで生み出された、『プファイファー・ツェリスカ』と呼ばれる大型のリボルバーだ。リボルバーとはいえソードオフ・ショットガンや通常サイズのSMG(サブマシンガン)に匹敵するサイズを持ち、シリンダーの中には強力な.600ニトロエクスプレス弾というライフル弾を5発も装填可能という、リボルバーを超えたリボルバーなのである。

 

 その代わりサイズが大型化し、銃そのものも重いため、普通のリボルバーのように片手で扱うのは転生者でもない限り不可能という、扱いの難しい得物だ。俺も使った事があるけれど、キメラでも扱うのが難しいと思ってしまうそれを、親父はこの時代から愛用していたという。

 

 速河力也という男は、とことん大口径の武器を好んだ。反動や実用性を二の次にしてまで、大口径の破壊力を探求し続けたのだ。そんなことをすれば銃は重くなるし、反動(リコイル)も大きくなる。威力を上げれば上げるほど、〝使いやすさ”は反比例して下がっていくものなのだ。

 

 そこまでして破壊力を求めたのは、彼が経験した戦いが原因だという。この異世界で初めて経験した転生者との戦いで、レベルの差のせいで通常の口径の弾丸はことごとく弾かれてしまい、ほとんどダメージを与える事が出来ずに苦戦したという経験をした親父は、レベルに差があっても確実に殺せるように大口径の武器を常に求めていくようになったのだ。

 

 そう、この男が経験した戦いは、俺たちが経験した今までの戦いよりも常に危険な戦いばかりだったのである。だからこそ―――――――この男は怪物となり、魔王になった。

 

 シングルアクション式のリボルバーを構える親父の隣で、ジョシュアに利用され、魔剣のための生け贄にされた母さんも銃を構える。手にしているのは、アメリカ製SMG(サブマシンガン)のクリス・ヴェクターだ。

 

 使用される.45ACP弾の強力なストッピングパワーも持ち味の1つだが、最大の持ち味はやはり反動を吸収する機構を搭載している事だろう。扱いやすさと破壊力を両立した優秀な銃である。しかも汎用性も高いため、あらゆるカスタマイズが可能なのだ。

 

 母さんはそのクリス・ヴェクターにサプレッサーとフォアグリップとホロサイトを装備しているようだった。剣と併用しながら使う事も考慮しているのか、すぐに狙いを付けられるようにレーザーサイトまで装備されている模様である。モリガンの特徴的な漆黒の制服に身を包んだ少女の騎士が、最新型のSMG(サブマシンガン)を手にしている光景は一見するとミスマッチに見えてしまうけれど、どういうわけなのか母さんが持つと全く違和感を感じない。

 

「…………ジョシュア」

 

『…………!』

 

 クリス・ヴェクターの銃口をジョシュアに向けながら、母さんがいつもよりもやや低い声で言った。凛としたいつもの声とあまり変わらないように聞こえるけど、彼女の声は殺意と冷酷さを孕んでいる。銃口を向けながら言われたジョシュアからすれば、もう名前を呼ばれるだけでも死刑宣告と変わらない。

 

「やりすぎたな、貴様」

 

『ほ、ホムンクルスの分際で…………! お、俺は人間だぞっ! ホムンクルスなんて、所詮人間が利用するための道具じゃないかっ!!』

 

 追い詰められたというのに、ジョシュアは今度は母さんを罵倒し始めた。お前はホムンクルスだから、人間と結ばれる資格なんてないと言わんばかりに言い放つクソ野郎に今すぐスターライトを振り下ろしてやりたくなったけれど、隣に立つラウラが俺に向かって首を横に振ったことで、俺は少し落ち着いた。

 

 これは、親父たちの戦いだ。止めを刺すのは俺ではなく、親父たちがふさわしい。だから俺たちは彼らを支えつつ、見守るだけでいいのだ。もし首を横に振っても俺が拒否するようだったら、ラウラはそう言って俺を諭すつもりだったのだろう。いつも甘えてばかりいる彼女も大人びたものだと感心しながら、俺はそっと星剣を下ろす。

 

『大人しくナバウレアで死んでいればよかったのに! 何で生き返ってるんだよ!?』

 

「…………」

 

『道具のくせに…………そんな余所者と一緒に旅をして、人間になったつもりか!? お前なんか、とっとと廃棄処分にすればよかったんだ! ああ、最低限の記憶しか持たないタイプでも作って、そっちに魔剣を埋め込んでもらえばよかった! 父上は間違ったんだ! こんな…………エリスを劣化させたような道具に、魔剣を埋め込むべきじゃなかったんだ!!』

 

 罵倒されても、母さんは全く動じなかった。黙ってクリス・ヴェクターを向けたまま、紫色の鋭い瞳で無様に脂汗を流しながら喚く少年を、黙って見下ろしている。

 

『お前なんか…………し、失敗作だ! 計画としても、道具としてもなぁッ!!』

 

「…………おい」

 

 重々しい声が――――――――ジョシュアの喚き声を、上書きする。

 

 その瞬間、一気に殺気が草原を包み込んだ。今まで数多の強敵と戦ってきた最強の転生者が、ついにジョシュアへの殺意を表面化させたのだ。

 

 そして―――――――――対戦車ライフルでも発砲したのではないかと思えるほどの轟音で、草原が震えた。ゆらりと揺れる血まみれの草たち。でも、その草よりも揺れたのはその上に転がる、怪物と化した金髪の少年の方だろう。

 

 轟音が響き渡った瞬間、まるで挽肉の中に埋め込んだ爆竹を炸裂させたかのように、細かい肉の破片が舞い上がった。

 

『がっ…………ああっ………ああああああああああああああっ!!』

 

 プファイファー・ツェリスカの.600ニトロエクスプレス弾が、ジョシュアの下半身を包み込んでいたゾンビの塊を直撃したのだ。まるで腐った肉で作り上げたカボチャのような形状の下半身から生える無数の手足が、びくん、と痙攣して動かなくなる。

 

 再生能力がなくなった以上、あの移動に適さない下半身はただの重りだ。ジョシュアは自ら自分の両足を斬りおとしたにも等しい愚行を選んでいたのである。

 

 もう、あれでは逃げられない。再生能力があれば機動力は必要なかったのだが、死ぬ確率が格段に上がった―――――――――正確に言うならば、やっと常人と同じ確率に戻った―――――――――事によって、問題なかった部分がそのまま仇になってしまったのだ。

 

 逃げられない上に、撃たれれば死ぬ。しかも相手は消耗しているとはいえ、のちに世界最強の傭兵ギルドとして伝説を作り上げるモリガンの傭兵たち。魔剣を失ったジョシュアは、もう殺される以外の選択肢はなかった。

 

「…………俺の女を、馬鹿にするな」

 

『はぁっ、はぁっ………俺の女? ………はっはっはっはっ…………そんな作り物を抱いて、子供でも作るつもりか…………? だったら、その子供も作り物だ! お前の血筋は、お前の代から作り物になるんだ!』

 

 撃鉄(ハンマー)を動かした親父は、一瞬だけ俺の方を見てにやりと笑った。

 

 そして、今度はジョシュアの脇腹を抉るように、わざと銃身を横に逸らしてからトリガーを引く。.600ニトロエクスプレス弾がジョシュアの脇腹の皮膚を抉り、肋骨を容易くへし折って肉を食い千切ると、あっさりと貫通して草原の中へとめり込む。

 

『ああああああっ!! こ、この野郎ッ!!』

 

 その瞬間、動きが止まっていたジョシュアの下半身がぴくりと動いた。てっきりさっきの親父の一撃で死滅したと思っていたんだが、どうやら大きなダメージを受け、一時的に動きを止めていただけらしい。

 

 もう再生はしていないようだが、生命力だけは人間を上回っていたようだ。それか、ジョシュアの執念なのかもしれない。

 

 けれど、こんなクソ野郎の執念に負けるわけにはいかないだろ?

 

 無数の腐った手足を蠢かせながら、怪物と化したジョシュアが立ち上がった。傷口から腐臭と鮮血をまき散らしながら、血走った両目で親父たちや俺たちを見下ろす。もう既に魔剣は残っていないが、あいつの体内にはまだ魔剣から供給された闇属性の魔力が残っているようだ。再生できるレベルの魔力ではないが、強力な魔術を使うには十分な量である。

 

「――――――撃て(ファイア)ッ!!」

 

 親父がそう言うと同時に、プファイファー・ツェリスカをぶっ放した。ズドン、と太い銃身からマズルフラッシュが噴き上がり、大口径のライフル弾が回転しながら飛び出していく。その隣では、親父の大型リボルバーほど派手ではなかったけれど、サプレッサーを装着されたクリス・ヴェクターも火を噴いていた。マズルフラッシュは見えず、銃声も聞こえないけれど、立て続けに放たれる獰猛な.45ACP弾の群れは確実にジョシュアの肉体に着弾し、腐った肉片と鮮血を更に周囲にぶちまけていく。

 

『がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

 

「うるさいわよ」

 

 数多の弾丸に貫かれていくジョシュアへと、今度はハルバードを手にしたエリスさんが突っ込んでいく。

 

 すると、ジョシュアの肉体がほんの少し盛り上がったように見えた。何をするつもりなのかと思いながらハンドガンを向けて警戒していると、その盛り上がった箇所から腐った肉を繋ぎ合わせたようなグロテスクな触手が飛び出し、まるで一斉発射されたミサイルのように、接近していくエリスさんへと向かって伸び始めたのである。

 

 先ほど俺の腹を貫いた触手だ。キメラである上に転生者でもある俺を貫くほどの威力があったのだから、エリスさんが喰らったら間違いなくただでは済まない。

 

「ラウラ」

 

「了解(ダー)」

 

 隣に立つラウラと目を合わせてから、俺たちも走り出す。

 

 走りながら左手のCz75SP-01を連射し、9mm弾で触手を撃ち抜いていく。幸いジョシュアの触手はそれほど防御力が高くない――――――――というより、防御力よりも再生能力の方が厄介だった―――――――――らしく、ハンドガン用の弾薬でも命中させられれば容易く千切る事ができた。

 

 ラウラのような精密な狙撃は出来ないけれど、このように複数の相手を素早く近距離で撃ち抜いていく〝CQB”は得意分野だ。

 

 隣を走っていたラウラは2丁のP90を構えると、無表情のままトリガーを引き続けた。貫通力に優れる5.7mm弾が立て続けに放たれ、その度にまるでマズルフラッシュの焔を曳いた弾丸の群れが、流星のように煌めきながら触手を寸断していく。

 

 当たり前だが、2丁の銃を同時に使うのは非常に困難だと言われている。少なくとも実際の戦闘ではそんな事をする場面は殆どない。二丁拳銃が活躍するのは映画やアニメの中か、西部劇の中だけだ。

 

 その定説を嘲笑うかのような命中率で、ラウラは俺よりも多くの触手を叩き落とす。エリスさんに向かっていた筈の邪悪な矛は、彼女に触れることすらできずに叩き落とされ、腐臭と血肉をばら撒いていく。

 

 左手でハルバードを構えるエリスさんが、ジャンプする寸前にこっちを見てウインクした。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

『グエッ―――――――――』

 

 跳躍したエリスさんの強烈な刺突は、おそらく最初はジョシュアの頭を狙っていたのだろう。再生能力が失われた今では、ジョシュアは普通の人間と同じように殺す事ができる。それゆえに急所への攻撃は、奴を殺すための近道なのだ。

 

 しかし、危機感を持ったジョシュアは思ったよりもしぶとかった。刺突を完全に避けることは出来なかった模様だが、まるでパンチを躱すボクサーのように上半身を横へとひねり、エリスさんの刺突を逸らして肩を抉られる程度で済ませたのである。

 

『この―――――――』

 

 右手を突き出し、攻撃を外したエリスさんへと魔術を放とうとするジョシュア。しかし―――――――次の瞬間、その右腕に鮮血を思わせる真紅の氷が突き刺さり、まるでギロチンのように彼の腕を寸断していた。

 

 そのギロチンを振り下ろした死刑執行人は、エリスさんから生まれてくる事になっている赤毛の少女。絶対零度の氷の魔術を引き継いだ、真紅のキメラであった。

 

「ママはやらせない」

 

「ナイス!」

 

『この小娘がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!』

 

「やかましいッ!」

 

 ラウラは小娘じゃねえ。もう立派なレディーだ!

 

 俺の接近にジョシュアが気付き、無数の触手を突き出してくる。弾幕を張っているつもりなのかもしれないが、その攻撃の弾道は全部容易く見切れた。どのように躱せば攻撃を喰らわずに済むかを一瞬で判別した俺は、右手に星剣スターライトを担ぎ、左手のハンドガンで躱し切れそうにないやつを叩き落としながら急迫する。

 

 腐臭が強くなっていく。血に塗れた触手が、俺を貫くことなく地面を貫く。

 

 まるで数多の迫撃砲が砲撃してくる真っ只中を駆け抜けているようだ。土が抉れ、すぐ近くに触手が着弾する。攻撃が掠める度にぞくりとするが、しかし全く当たらない。

 

 弾幕を全て躱した俺は、そのまま走りながら星剣を振り上げた。蒼い輝きを増しながら天空へと突き付けられたその得物を、剣そのもの重さと自分の腕力をフル活用しつつ振り下ろす。

 

 夜空で煌めく星明りを彷彿とさせる光を放ちながら振り下ろされた星剣スターライト。その煌めきは美しかったが、剣の届く間合いではない。傍から見れば空振りにしか見えないが―――――――――次の瞬間、剣を包み込んでいた蒼い光が刀身から剥離したかと思うと、蒼い斬撃を一瞬で形成し、そのままジョシュアへと向けて放たれたのである。

 

 星明りで形成された斬撃はジョシュアの胴体を切り裂き、身体から生えていた触手をまとめて切断してしまう。

 

『ギャァァァァァァァァァァァァァァッ!!』

 

 このまま止めを刺したいところだが…………今は、止めを刺すにふさわしい人間がいる。

 

 俺たちではないよ、止めを刺すのは。

 

『こ、このクソガキがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

 

 まだ生き残っている触手を総動員し、俺を貫こうとするジョシュア。

 

 そういえば、小さい頃に両親の寝室でエリスさんのエロ本を発見しちまった時、彼女は『触手って、素晴らしいのよ?』って言ってたっけな。まあ、確かに触手も悪くないけど…………俺が襲われるのはまっぴらごめんだ。

 

 はははっ、どうでもいいけどな。

 

「やっちまいなよ、2人とも」

 

 ああ、やれ。

 

 終わらせろ、速河力也――――――――!

 

「――――――――よお、ジョシュア」

 

「――――――――お返しだ、ジョシュア」

 

『…………………!!』

 

 俺に攻撃しようとしている隙に、ジョシュアは見事に一番危険な2人の接近を許していた。

 

 数多の転生者を葬ってきた初代転生者ハンターと―――――――――彼と共に激戦を戦い抜いた、最強の剣士の2人を。

 

 さあ、やれ。

 

 クソ野郎を、殺せ。

 

 狩れ。狩ってしまえ。

 

 剣を振るえ。銃を放て。理不尽を纏い、蹂躙を振るって、あらゆる敵を葬りつくせ。

 

「――――――――やれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「「УРааааааааааа!!」」

 

『や、やめ――――――――』

 

 もう、2人を迎撃できる触手は残っていなかった。殆ど俺とラウラに叩き落とされていたのだから。

 

 跳躍した親父と母さんが、手にしている銃をジョシュアに向かって突き出す。

 

 親父のプファイファー・ツェリスカと母さんのクリス・ヴェクターが、次の瞬間、同時に火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腐臭まみれの空気が、少しずつ元通りになっていく。

 

 銃をホルスターに戻した俺は、ため息をつきながら目の前で蜂の巣にされた金髪の少年を見下ろした。魔剣という忌々しい剣を復活させ、その力で世界を支配しようとしたちっぽけな野望の持ち主は、俺の目の前で今まで俺が殺して来た奴らの死体と同じように転がっているだけだ。

 

 エミリアとエリスを利用しようとした男は、もうくたばったんだ。そして俺とこいつの因縁も、さっきの一撃で終わった。

 

 タクヤの奴が魔剣を奪い取ってしまったせいなのか、周囲で蠢ているゾンビたちはもう見当たらない。本部の方はどうなっているんだろうか?

 

 ともあれ、邪悪で禍々しい伝説はこれで終わりだ。

 

 ジョシュアの死体から踵を返そうとしていると、何かが俺の左足を握ったような気がした。エミリアたちの手にしては少し大きな手が俺の左足を握っているようだ。

 

 誰だ?

 

 視線を左足に向けてみた瞬間、俺はぞっとした。

 

「なっ!?」

 

「パパ!」

 

『力也さん!!』

 

「が…………ぁ……………!!」

 

 ジョシュア……………! まだ生きてやがったのか!!

 

 俺の左足を掴んでいたのは、なんと今しがた俺たちに蜂の巣ににされたばかりのジョシュアだった。近づいてきた俺の左足を、まだ残っていた触手で掴んでいるんだ。

 

「お前の…………身体を………………よこせぇ……………!」

 

「こ、こいつ………………! ぐっ!?」

 

 俺の左足に触手で掴みかかっているとはいえ、こいつはもう風前の灯火だ。放っておいても力尽きるだろうし、もう1発銃弾を叩き込めば簡単に殺せるだろう。もう再生能力すら残っていないのだから、殺すのは容易い。

 

 でも、俺が奴を振り払う前に、俺の脹脛の部分に激痛が何本か突き刺さった。

 

 なんと、ジョシュアの触手は再びあの紅いオーラを纏っていた。先ほどゾンビたちから汚染された魔力を吸収した時のように、紅いオーラを更に小さな触手に変形させて、俺の足に何本も突き刺していたんだ。

 

 そしてその触手を俺に突き刺したのは、俺から力を吸収するためではなく、俺の身体を奪い取るためらしい。

 

 俺はこの世界の人間ではないから体内に魔力なんて持っていないが、もし俺の身体がこんな奴に奪われてしまったら、ギルドの仲間たちが蹂躙されてしまう。それに俺は転生者だ。俺の持っている能力と武器ならば、他の転生者たちのようにこの世界を蹂躙することは可能だろう。

 

 ジョシュアならば、間違いなく転生者の力を蹂躙のために使うだろう。

 

「ぐっ………………がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「力也!」

 

「力也くん!!」

 

「親父ッ!!」

 

 紅いオーラが流れ込んでいる左足の指が勝手に動き始める。激痛で痙攣しているわけではなく、それは体のコントロールが少しずつジョシュアに奪われているのが原因だった。やがて左足が痙攣を始め、動かそうと思っても全く動かなくなってしまう。

 

 汚染された魔力の浸食が始まる。左足の膝から下はもう全く動かない。

 

 このまま銃で止めを刺しても、おそらく浸食は止まらないだろう。それに、銃をぶっ放している間にもっと浸食されてしまうかもしれない。

 

 どうすれば助かるのかと考え始めた瞬間、俺はタクヤの奴が言っていた事を思い出した。俺はこの戦いで左足を失い、義足を付ける羽目になる―――――――。

 

 ああ、そういうことか。戦いの最中で足を奪われるという意味ではなく――――――――身体を奪われないように、左足を自分で切り落す、という事なのだろう。

 

 くそったれ、歴史の通りじゃないか……………。

 

 刀を引き抜こうとしたが、別の触手が俺の腰の鞘から刀を奪ってしまう。俺が足を斬りおとそうとしているのを読んでいたのだろうか。

 

 このままでは………身体が…………!

 

 くそ、こんな奴に身体を奪われてたまるか!

 

「タクヤ、その剣で足を斬ってくれッ!」

 

「!?」

 

 いきなり俺にそう言われたタクヤが動揺しているのは、一目瞭然だった。紅い瞳を見開きながら俺を見下ろすタクヤは、ぎょっとしながら自分の剣を見下ろす。

 

 こんな奴に身体を奪われるよりは、左足を失った方がマシだ。それに、これが〝歴史の通り”なのだとしたら、抗う必要はない。

 

「たっ、頼む………はやく…………!」

 

「そ、そんな………無理だ、親父! 自分の父親の足を斬るなんて…………!」

 

 ああ…………残酷なお願いだ、これは。

 

 子供たちに嫌われるようなクソ親父だったのならば、躊躇いなく願いを聞く事ができるのだろうか。そう思いながら俺は、タクヤに言った。

 

「何ビビってんだ、クソガキが………!」

 

「…………!?」

 

「力也、何を………!?」

 

 強がるようにニヤリと笑う。

 

「何人も斬ってきたんだろ? なあ、クソ野郎を斬るのには慣れてんだろ? 何で今更ビビってんだよ? 足の1本が何だ!?」

 

「おい、親父………」

 

「足程度でビビってんじゃねえよ!」

 

 そんな事は、全然思っていない。いきなり未来からやってきたと言われた時はかなり動揺してしまったけれど――――――――最愛の彼女たちとの間に生まれてくれた子供たちは、本当に愛おしい。

 

 くそ、俺はクソ親父だ………。こんなお願いの仕方をしてしまうなんて………。

 

「――――――――とっとと斬りやがれ、このチキン野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

『やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 俺の計画がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 蒼い剣を振りかざし、俺に向かって突っ走ってくるタクヤ。覚悟を決めた彼の瞳を見据えてから、これから俺の左足と心中することになるジョシュアの残骸を睨みつけ、にやりと笑う。

 

 ジョシュアに身体を乗っ取られるよりはましだ。

 

 さあ、やってくれ―――――――。

 

 タクヤの振り下ろした蒼い剣の光が、俺の視界を埋め尽くした。優しく煌めく蒼い輝き。それに見守られながら、俺は左足を失う激痛を受け止める。

 

 目の前で、蒼いの刃が俺の左足にめり込む。変わってしまったとはいえもとは伝説の魔剣なのだから、俺の防御力のステータスで防げるわけがなかった。まるで普通の人間の肉を切り裂くように俺の左足の皮膚を切り裂いた刀身は、そのまま俺の骨を切断して反対側の肉を引き裂き、俺の左足を切断してしまう。

 

「――――――――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「フィオナ、早くヒールを!」

 

『はっ、はいッ!!』

 

 強烈な激痛だった。レリエルに時計塔の針で腹を貫かれた時の激痛を思い出しながら、俺は驚愕しながら蒼い光の中へと消えていくジョシュアを見つめ、笑いながら手を振った。

 

 最後の力を振り絞った作戦もこれで水の泡だ。ざまあみろ。

 

 助けて、と蒼い光の中へ消えていくジョシュアが叫んだ。振り下ろされたタクヤの剣が生み出した蒼い光に呑み込まれながら懇願するジョシュアだったけど、誰も奴を助けようとはしない。

 

 タクヤの剣が生み出した蒼い光は、ジョシュアが取りついていた俺の左足を無視すると、もはや大きめの肉塊にしか見えないジョシュアの残骸だけに燃え移った。足に突き刺していた触手を必死に振り回してのたうち回るジョシュア。だが、誰もその炎を消そうとする者はいない。もし彼の部下がこの場にいたとしても、タクヤの剣が生み出したその蒼い光を消す事ができる者はいなかっただろう。

 

 光の中でジョシュアが真っ黒な塊となり、強風に削られていく灰の塊のように、少しずつバラバラになっていく。消えていくジョシュアに向かって中指を立てた俺は、剣を振り下ろしたまま混乱しているタクヤの肩にそっと手を伸ばした。

 

「あ、ああ………ッ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………ッ!」

 

「すまないな………。息子よ、良くやってくれた」

 

 混乱するタクヤに礼を言った直後、俺は直後に気を失ってしまった。

 

 

 

 

 

 



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防衛戦の傷跡

 

 

「――――――――終わったようですね、レリエル様」

 

「そのようだな」

 

 魔剣の魔力が消滅したのは先ほど感じ取った。かつて私の心臓を貫いた忌々しい大天使の剣は、無事に破壊されたのだろうか。

 

 ………………さすが私の好敵手だな。正直に言うと、今の時代はつまらないと思っていた。古(いにしえ)の猛者たちは殆どこの世を去り、残されたのは平和ボケした腑抜けの騎士団ばかり。今のこの世界を再び手中に収めるのは、赤子の手をひねるよりも簡単だと思っていた。

 

 しかし、奴のような猛者がまだいてくれるというのならば安心だ。あのような猛者と正面から戦い、勝利してこそ初めてこの世界は私にふさわしいものとなる。

 

 私は串刺しにしていたゾンビたちからブラックファングを引き抜くと、元の長さに戻してから肩に担いだ。力也が魔剣を破壊したため、もうゾンビたちは壊滅している。草原の上に転がっているのは死体に戻ったゾンビたちだけだった。

 

「―――――――――では、引き上げるとしよう。行くぞ、2人とも」

 

「はい、レリエル様」

 

「かしこまりました」

 

 アリアと新たな眷族のヴィクトルにそう言った私は、背中から翼を広げて眷族たちと共に夜空に舞い上がった。

 

 おそらく、私を倒す事が出来る存在は力也だけだろう。

 

 人間は執念を持つ怪物だ。そして力也は、いつか私を倒す怪物になる。

 

 吸血鬼を倒す怪物へと進化するだろう。

 

 実に楽しみだ。

 

 だから私は、いずれ私を倒しに来るあの少年を歓迎するために、眷族を集めておくのだ。さすがにたった2人の眷族と共に迎え撃つのは、怪物に成り果ててやってくる彼に失礼だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドから上半身を起こし、俺は窓の外を見上げていた。医務室の窓の外に見えるのはまだ星空だ。まだ夜は明けていないらしい。

 

 ということは、俺が気を失っていたのは短時間ということになる。無数のゾンビたちの進行を食い止め、未来からやって来てくれた子供たちと一緒にジョシュアを葬った。不利だったネイリンゲン防衛戦は、辛うじて俺たちが勝利したという事なんだろう。

 

 俺は医務室のベッドの上を見渡した。医務室には4つのベッドが用意してあるけど、俺が使っているベッド以外に横になっている人影は見当たらない。どうやら全員無事に帰って来る事が出来たらしい。

 

 いつまでもここで横になっているわけにはいかないな。みんなの所に行かないと。

 

 ベッドから起き上がった俺は、そのまま立ち上がろうとして―――――――――左側の側頭部を、床にたたきつけてしまった。

 

「ぶッ!?」

 

 あれ? 何でだ?

 

 こぶの出来上がった頭をさすりながら立ち上がろうとした瞬間、俺は左足のズボンの中に足が収まっていないことに気が付いた。ズボンが膨らんでいるのは太腿の半分辺りまでで、そこから先はなくなってしまっている。

 

 あ、そうか。ジョシュアに身体を奪われる前に、タクヤに頼んで斬りおとしてもらったから…………。

 

「あちゃー………………」

 

 これじゃ、歩くためには松葉杖が必要になるなぁ。軍だったら退役だぞ、これ。

 

 床にぶつけて晴れてしまった頭をさすりながらなんとか這ってベッドに戻ろうと足掻いていると、医務室のドアが開く音が聞こえてきた。ドアの向こうから入り込んできた足音が、俺の方に近づいて来る。

 

「りっ、力也? 何をしている?」

 

「あ、いや、ベッドから転げ落ちちゃってさぁ……………。あははは」

 

 するとエミリアは腰に手を当てて「やれやれ……………」と言いながら、俺に肩を貸してベッドに座らせてくれた。そしてそのまま、彼女も俺の隣に腰を下ろす。

 

「……………すまない、力也」

 

「え?」

 

「その、左足が………………」

 

「いや、悪いのはジョシュアだ。お前は悪くないよ」

 

 ジョシュアが身体を乗っ取ろうとしたから、乗っ取られる前に左足を切り落してもらっただけだ。彼女は全く悪くない。

 

 俺は申し訳なさそうな顔をする彼女の頭を優しく撫でながらそう言った。

 

「でも、足が……………」

 

「心配するなって。義足でもつけて、すぐに復帰するさ」

 

 そういえばジョシュアも義手を付けていたから、この世界にも義手や義足は存在するんだろう。それにタクヤの奴も、「義足を付ける羽目になる」って言ってたからな。結局歴史の通りになっちまったけれど、これでいいのかもしれない。でも、俺の世界にあった義手や義足とは違うのかもしれないな。少なくとも機械の義足ではないんだろう。

 

 あとでフィオナに聞いてみよう。彼女ならば知ってるかもしれない。

 

 エミリアは俺の左足に静かに触ってから、頭を俺の左肩に押し付けた。彼女の甘い香りが近くなる。

 

「そういえば、エリスは?」

 

「まだ私たちの部屋にいるぞ」

 

「そっか……………」

 

 彼女はジョシュアに利用された。だから、もうラトーニウス王国に戻るつもりはないんだろう。つまり今の彼女は、転生してきたばかりの俺のように行く当てがないということだ。

 

 俺たちの仲間になってくれないかなぁ………………。彼女が仲間になってくれれば戦力はアップするし、エミリアも喜ぶと思うんだよな。あとで仲間たちを何とか説得してみよう。特にギュンターは警戒してたみたいだからな。

 

「ところで、心臓の方はどうだ?」

 

「ああ、おかげさまで快調だ」

 

 俺の肩に寄りかかりながら、エミリアはそっと自分の左側の胸に手を当てた。訓練の時はこれでもかというほど揺れている彼女の大きな胸には、ちょっとした傷跡が残っている。俺とエリスの心臓を移植した際に残った傷痕だ。果たしてその傷は、タクヤたちが生まれてくるころには消えているだろうか?

 

 あ、そういえばエミリアはタクヤたちから本当の事を聞いたんだろうか?

 

「そ、そういえば……………たっ、タクヤの奴から話は聞いた?」

 

「ん? ………………う、うむ、全て……………き、聞いた」

 

 き、聞いたのか。あいつらが、俺たちの子供たちだという事を。

 

 やっぱりその事まで聞いたらしく、エミリアは顔を赤くしながら俯いてしまった。いつも堂々としていて凛々しい彼女が顔を赤くするのは、ギャップがあって結構可愛らしい。彼女の気に入っている表情の第3位だ。ちなみに、1位はもちろん笑顔な。

 

「そ、その…………歴史の通りに進めば、わ、私たちは………………結ばれるという事なのだな? え、えっと……………ふ、夫婦として、というか………………」

 

「お、おう」

 

 何だか恥ずかしいな……………。

 

「そ、それに、姉さんとも……………また一緒だ」

 

「ああ。……………やっぱり、肉親は仲良くするものさ」

 

「ふふっ。……………お前が繋ぎ止めてくれたのだ。礼を言うぞ」

 

「ありがたくいただこう」

 

 将来は俺とエミリアとエリスの3人で家族になるのか。そしてラウラとタクヤが生まれて5人家族というわけだ。ああ、何だか楽しそうだなぁ。結局俺は前世で死んでしまって、父親になることは出来なかったんだ。こっちの世界で父親になっても問題はないだろう。

 

 それにしても、タクヤの奴はショックを受けていないだろうか? 

 

 21年前で、このような結果になるとはいえ、自分の父親の足を斬れと頼んでしまったんだ。エミリアに自分たちの正体を教えられる状態だと聞いて少し安心したけど、完全にショックを受けていないわけではないだろう。尾を引かないように、父親として相談にも乗ってあげないと。

 

 それに、あいつらが元の時代に戻れるように手助けもしないとな。

 

「……………終わったな、力也」

 

「そうか?」

 

「ん?」

 

「……………まだ残ってるぜ? 倒さなきゃならない奴らが」

 

 エミリアとエリスを弄び、2人を引き裂いたジョシュアはもう死んだ。

 

 でも、まだ殺さなきゃならない奴らは残っている。

 

「……………そうだな。まだ残っていた」

 

「ああ」

 

「ならば、私と姉さんが―――――――――」

 

「いや、俺も行く。俺も行って見届ける」

 

「無理をするな。片足で戦えるわけがないだろう?」

 

「杖があれば大丈夫だ。片足と片腕でも戦えるさ」

 

 微笑みながら、俺は彼女を抱き締めた。

 

 彼女は強い少女だ。自分の正体を知っても、まだ生きようとしてくれている。

 

 だから俺は、彼女とエリスの戦いを見届ける。彼女は俺が貰うと言って、一緒に旅をしてきた大切な仲間なんだ。

 

「だから俺も一緒に行かせてくれ」

 

「……………分かった」

 

 彼女は微笑むと、俺に顔を近づけてくる。

 

 俺は彼女を思い切り抱き締めながら、自分の唇を未来の妻になる彼女の唇に押し付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しずつ、星空が消えていく。

 

 明け方の夜空だ。漆黒の夜空にも負けじと煌めき続けていた星たちが、少しずつ姿を消していく。廊下の窓の外に広がる空を見上げたならため息をついた俺は、自分の右手を見下ろしながらため息をついた。

 

 この手で、俺は親父の片足を奪った。

 

 仕方がなかったんだ。あのままでは親父はジョシュアに身体を奪われ、母さんやエリスさんに牙を剥いていたかもしれないのだから。それに、これが歴史の通りの流れだ。これで親父はキメラとなり、俺たちがキメラの姿で生まれる。

 

 そう擁護しようとしている自分が憎たらしくなり、歯を食いしばる。どれだけ擁護しても、片足を奪ったのは俺だ。親父を一時的に歩けなくしたのは、この俺なのだ。実の息子に足を斬られた親父は、さぞ辛かったことだろう。

 

 息を吐き、親父たちが俺たちの寝室として用意してくれた書斎の中へと足を踏み入れる。

 

 邪魔にならないようにと隅へ移動させられた本棚の脇には、俺たちのために用意してもらったベッドが1つだけ並んでいる。これは別々のベッドではなく一緒にベッドで眠りたいというラウラの要望が原因だ。2人部屋だというのに、1人用のベッドが1つだけ。せめてダブルベッドでもいいんじゃないだろうかと思ったけれど、彼女と一緒に眠るのは幼少の頃からの習慣だし、成長してからもずっと続いているので今更抵抗は感じない。

 

 スタイルの良さまでエリスさんから受け継いだ、ラウラのEカップくらいの胸が押し当てられるのは毎晩の事である。まあ、その度に顔を真っ赤にして角を伸ばしてしまってるんだけどね。

 

「ふにゅ? あっ、おかえりっ!」

 

「ただいま」

 

 部屋に戻ると、そのベッドの上でピンクと白の水玉模様のパジャマに身を包んだラウラが、俺の事を出迎えてくれた。やっぱりリラックスしたい時は尻尾を服の外に出していたいらしく、腰の後ろからは紅い尻尾が覗いている。それをまるで大喜びする子犬のように活発に振りながら立ち上がったラウラは、幼少の頃から変わらない無邪気な笑みを浮かべながら、部屋に戻ってきた俺に抱き付いてきた。

 

「お、おいっ、ちょっとラウラ!」

 

「ふにゅー。えへへっ、タクヤの匂い大好きっ♪」

 

「まったく……………。小さい頃から甘えん坊だな、お前」

 

「ふにゅ? だって、タクヤの事が大好きなんだもんっ。他の男なんか全然興味ないんだから」

 

「あははははっ、ありがとな、お姉ちゃん」

 

「ふにゅう…………♪」

 

 まったく、戦闘中とは本当に別人だな。戦いが終わった瞬間に一気に性格が幼くなるんだから…………。

 

 シャワーを先ほど浴びたばかりだから、彼女の頭を撫でた瞬間にシャンプーの香りが舞い上がる。俺の能力をちょっとしたドライヤー代わりにして彼女の髪をしっかりと乾かしたので、全く湿っていない。

 

「あっ、そうだ。ほら、これ」

 

「ふにゅ?」

 

「ギュンターさんに預かってもらってたんだ。ちょっとぐちゃぐちゃになってるけど…………」

 

 まあ、戦闘中だったしな。それは仕方がないよ。

 

 そう思いながら、俺は昨日の昼間に街で購入した2つのチョコレートと1つの箱を渡す。あんな激戦の真っ只中にギュンターさんに預けたせいで、せっかく包装してもらったのにちょっとだけぐちゃぐちゃだ。

 

「これ…………あっ、リボン?」

 

「そう。プレゼントだよ。ほら、こっちのチョコは露店のやつ。小さい頃に食べたやつだよ」

 

「あっ、懐かしい! うん、よくおやつに食べてたよね! そっか、21年前だからあのお店まだあるんだ…………」

 

 ネイリンゲンは、俺たちが3歳の頃に転生者たちの襲撃によって壊滅してしまう。そのため、俺たちの時代では廃墟と化し、更にそこに魔物が住みついたせいで危険なダンジョンとなっている。

 

 しかも、皮肉にもそのダンジョンと化したネイリンゲンが隣国であるラトーニウス王国の最大の障害となっているため、南方へ騎士団の大規模な拠点を構築する必要がないというメリットが生まれているのだ。

 

 このチョコレートを売っていた露店のおばちゃんも、その襲撃の犠牲になってしまう。だから……………俺たちの時代では、もうこのチョコレートは食べれない。

 

 ………………ああ、くそ。何だか悲しい気分になってきたな。せっかくのプレゼントなのに。

 

「ふにゅ、このリボン…………これって、雑貨屋さんのやつ?」

 

「ああ、そうだけど」

 

 すると、俺から貰ったリボンをまじまじと見つめていたラウラは急に目を逸らし始めた。………ん? お姉ちゃん、どうしたの?

 

「え、えっと…………これ」

 

「ん? ああ、ラウラもプレゼントを買ってくれたの?」

 

「う、うん」

 

 そう言いながら、ラウラもベッドの下から箱を取り出した。俺が今しがた渡したプレゼントの箱と全く同じ包装の箱だ。

 

 あ、あれ? もしかして、買った雑貨屋さんって同じ場所……………?

 

「あ、開けてみてよ」

 

「お、おう」

 

 優しく包装を解き、箱を開けてみる。手の平くらいの大きさの小さな箱の中に入っていたのは……………俺がラウラ用に購入したリボンと色の違う、同じデザインのリボンだった。

 

 俺が購入したリボンは、黒と紅の2色だ。真ん中が紅になっていて、その縁を黒が取り囲んだようなデザインになっている。ラウラの髪の色に合うようにとその色を選んだんだけど、彼女も俺の髪の色に合うように選んでくれたらしく、箱の中に入っていたリボンは真ん中が蒼くなっている。

 

 1枚しか入っていないのは、俺がいつもポニーテールにしているからだろうか。俺は場合によってはツインテールやツーサイドアップにもできるようにラウラのリボンを2枚買ったんだけど、彼女は俺が髪を下ろすかポニーテールにしかしていないから1枚にしたに違いない。

 

 というか、これ女子用じゃねえか………。

 

「あ、ありがとう。これ………………かっ、可愛いリボンだなぁ」

 

「ふにゅ、本当!? じゃあつけてみてよ!」

 

「あ、ああ」

 

 使っていた髪留めを外し、すぐにラウラから貰った髪留めを使って髪を結わえる。思ったよりも太いリボンだからなのか、正面から見ても髪を結んでいるリボンの端が見えてしまうくらいだ。

 

 部屋の中の鏡の前に向かうと――――――――髪の色に合わせたリボンを付けた、蒼い髪の美少女が立っていた。もちろんその美少女の正体は、俺である。

 

 なんじゃこりゃ……………女子っぽさに磨きがかかってんじゃねえか。

 

 もうラノベのヒロインだよこれ。男子っぽい要素が1つも残ってないぞ。

 

「ふにゃあ……………か、可愛いっ♪」

 

「あ、ありがと……………。あ、そうだ。ラウラもリボン付けてみてよ」

 

「えっ? ああ、そうだね♪」

 

 そう言うと、ラウラは俺が渡した箱の中からリボンを2枚とも手に取ると、片手で自分の髪をまとめながらリボンで結び始めた。でも、小さい頃から不器用だったラウラはどうやら自分で髪を結ぶ事ができないらしく、「ふにゅ? あれれっ?」と言いながら混乱している。

 

 小さい頃から髪を結んだり、寝癖を直すのは俺の仕事だったからなぁ…………。

 

「ちょっと貸して」

 

「ふにゃあぁぁぁぁ…………お、お願いします」

 

「はいはい」

 

 不器用なお姉ちゃんだ。

 

 彼女からリボンを受け取り、てきぱきとラウラのさらさらした赤毛を結んでいく。ツインテールにしようと思ったけど、そうするとナタリアと髪型が同じになってしまうので別の髪型にした方が良いだろう。うーん、ツーサイドアップなら似合うかな?

 

 そう思いながら、とりあえずツーサイドアップにしてみる。

 

「ほら、どうぞ」

 

「ふにゃ? …………ふにゃあ…………タクヤ、ありがとっ!」

 

 前まではロングヘアーだったんだけど、ツーサイドアップも何だか活発そうな感じがして似合っている。個人的にはロングヘアーのラウラも好きだけど、こっちのラウラの方が好きだな。

 

 活発そうに見えるし、元気なお姉ちゃんにマッチしてる。

 

「ほら、チョコも食べなよ。溶けちゃうよ?」

 

「うん。ほら、タクヤも食べようよ♪」

 

 懐かしい香りのするチョコレートを袋から出し、片方をラウラに渡す。彼女はツーサイドアップとリボンを揺らしながらそれを受け取ると、スキップしながらベッドに飛び込んだ。水玉模様のパジャマの後ろから伸びる尻尾を伸ばし、俺の手に巻き付けた彼女は、一緒に食べようよと言わんばかりに俺までベッドに引き寄せる。

 

 彼女の隣に座らされた俺も、チョコにありつくことにした。茶色いチョコレートを包んでいた紙からはうっすらと火薬の臭いがしたけれど、やっぱりチョコレートの香りの方が強い。

 

 チョコを口にする前に、俺たちはベッドの上で目を合わせた。

 

 髪の色は違うのに、俺たちの瞳の色は同じだ。紅い瞳で見つめ合ってから、俺たちは互いにそっと唇を近づけ合う。

 

「「――――――――誕生日、おめでとう」」

 

 ちょっと遅れたけど…………これで俺たちは、18歳だ。

 

 唇を触れ合わせ、下を絡ませる。そのまま互いに抱き締め合いながら、両手にぎゅっと力を入れた。

 

 もう二度と、姉弟が離れ離れにならないように。ずっと一緒にいられるようにと、明け方の空の下で願いながら。

 

 きっとこのキスの後にチョコレートを食べても、甘さは感じないだろう。俺はそう思いながら、ラウラをぎゅっと抱きしめた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ステラにお土産を渡すとこうなる

 

タクヤ「ステラ、お前にお土産だ」

 

ステラ「お土産ですか?」

 

ラウラ「うんっ。お肉だよ♪」

 

ステラ「おにく!?」

 

タクヤ「ほら」

 

ジョシュア(肉片)『ヨソモノガァァァァァァァァァァ!!』

 

ステラ「……………」

 

タクヤ「ちなみに、いっぱいあるからな」

 

ステラ「………………おえっ」

 

ラウラ「拒否!?」

 

 完

 

 



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オーバーキル

 

 いつもならば静かな筈の私の屋敷に、怒号と轟音が響き渡っていた。廊下を疾走する騎士たちの防具の音や、剣が何かに当たる金属音を、何かが爆発するような轟音の群れが粉砕していく。

 

 騎士たちの怒号と断末魔を聞きながら、私は屋敷の自室で震えていた。

 

 侵入者が現れたと警備をしていた騎士から報告を受け、最寄りの駐屯地に救援を要請しろと指示を出した。だが、救援が来る様子はなく、伝令に向かわせた騎士もいつまで経っても帰って来ない。

 

 やがて、廊下の方から騎士たちの足音が聞こえてきた。必死に私の部屋を死守しようとしているようだが、どうやら侵入者にここまで押し込まれてしまったらしい。

 

 侵入者は何が目的なのだ? まさか、私の命か?

 

 この屋敷には100人もの騎士たちが警備のために駐留していた筈だ。彼らに勝てる筈がないとは思うのだが、ここまで警備の騎士たちが押し込まれたということは、騎士たちが不利だということなのだろう。

 

 侵入者の正体について考察しようとしていると、ドアの前までやってきていたと思われる騎士の絶叫が、部屋の中にまで入り込んできた。その絶叫を、爆発するような轟音の群れが食い破り、絶叫の残響すら飲み込んでしまう。

 

 ―――――――侵入者が、もう部屋の前までやって来たのだ。

 

「くっ……………!」

 

 私は慌てて壁の方へと走った。だが、ここは屋敷の5階だ。窓から飛び降りて逃げられるわけがないし、部屋の中には武器など置いていない。若い頃は私も騎士だったが、引退してからは政治の面での戦いばかりであったから、侵入者への対処などは私が騎士団から引き抜いて来た選りすぐりの騎士たちに任せっきりだったのだ。

 

 警備の騎士たちは壊滅している。部屋には武器がない。しかも、部屋の位置が高すぎるから窓から逃げるわけにもいかない。

 

 何ということだ。この私が袋の鼠とは……………!

 

 追い詰められて歯を食いしばっていると、部屋のドアがそっと開き始めた。

 

「………!」

 

 騎士たちが侵入者を撃退し、報告するためにドアを開けたわけではあるまい。もしかしたら騎士たちが何とか勝利したのかとあまりにも小さ過ぎる希望を持ったまま、私は後ろを振り返った。

 

 そして、その小さな希望はすぐに押し潰されてしまった。

 

 ドアの向こうからやって来たのは、黒い制服に身を包んだ3人の侵入者だったのだ。3人のうち2人はおそらく少女だろう。片方は騎士のような漆黒の防具に身を包み、背中に大剣のクレイモアを背負っている。両手には剣ではない奇妙な武器を持っていた。もう片方の少女は軍服のような黒い制服を身に纏っていて、背中には伸縮式のハルバードを背負っている。やはり彼女も、両手に見たことのない奇妙な武器を持っていた。

 

「お、お前たちは……………!?」

 

 よく見ると、その2人の少女の顔つきはよく似ていた。

 

 騎士のような少女の顔つきは凛々しく、もう片方の少女は凛々しさと清楚さを兼ね備えている。貴族や騎士にふさわしい雰囲気を放っているが、私の事を見つめる2人の瞳は冷た過ぎた。

 

 しかも、2人の顔には見覚えがあった。

 

「久しぶりですね、お父様」

 

「え、エリス……………? ジョシュアの所から帰って来たのか? だが、何だその格好は……………!?」

 

 エリスの冷たい声を聴きながら、私はちらりと彼女の隣に立つ少女を見た。

 

 エリスに年が近く顔つきがそっくりな少女は、エミリアしかいない。だが、彼女は心臓に埋め込まれた魔剣の破片を取り出すために犠牲になった筈だ。伝令の騎士から魔剣が無事に復活し、オルトバルカ王国を攻め落とす事が出来ると報告を受けていたから、エミリアが生存しているなどありえない。

 

 何者だ? 彼女はまさか、エミリアの亡霊か!?

 

「な、何をしに来た……………!?」

 

「――――――――――あなたの命を貰いに来たのです、父上。決別のために」

 

 騎士のような恰好をした少女の声を聴いた瞬間、私はぞっとした。王国の切り札として王都の精鋭部隊に引き抜かれていったエリスの代わりに、魔剣を復活させる計画のためにとナバウレアに残しておいたホムンクルス(クローン)の少女と声が全く同じだったのだ。

 

 声の高さはエリスよりもやや低く、凛々しさと勇ましさを兼ね備えた声だった。

 

「え、エミリアなのか……………!? ば、馬鹿な。なぜ生きている……………!?」

 

 魔剣は心臓に埋め込まれていた。だから心臓から魔剣を取り出せば、彼女は必ず死ぬ。なのに、なぜ彼女は生きているのだろうか。

 

 すると、ドアの外で騎士たちの死体を見下ろしていた3人目の侵入者が、松葉杖を使いながら部屋の中へとやって来た。松葉杖を使っているのは左腕だけで、右腕にはエミリアたちが両手に持っている奇妙な武器を持っている。どうやら片足が無いらしく、左足のズボンが膨らんでいるのは太腿の半分くらいまでだった。

 

 黒いフードの付いたオーバーコートを身に纏った少年だった。フードの上にはハーピーの真紅の羽根が飾られている。フードをかぶっているせいで顔つきはよく見えなかったが、非常に鋭い目つきをしているのは見えた。

 

 年齢は私の娘たちと同じくらいだろう。私よりもかなり年下である筈なのに、彼の目を見た瞬間、私はぞっとしてしまった。

 

「初めまして、ペンドルトン卿」

 

「な、何者だ……………!?」

 

 すると少年は、手に持っていた武器を腰にしまい、壁に背中を押し付けながら松葉杖を伸ばすと、近くに置いてあった接客用の椅子を引っ張り、私の目の前でその椅子に腰を下ろした。

 

「私は速河力也。モリガンという傭兵ギルドに所属する傭兵です」

 

「も、モリガンだと……………!?」

 

 聞き覚えのあるギルドの名だった。奇妙な轟音のする武器を使う傭兵ギルドで、規模はギルドの中では非常に小さいが、その戦力はメンバー1人で騎士団の一個大隊に匹敵すると言われている。

 

 たった数人で一国を壊滅させる事が出来るほどの力を秘めた、最強の傭兵ギルド。そのモリガンという名前は、今まで何度も聞いていた。

 

 しかもリーダーの速河力也は、半年前にエミリアをナバウレアから連れ去り、魔剣を復活させるという計画を遅れさせた憎たらしい少年だ。彼がエミリアを連れ去ったせいで、王都からわざわざエリスを引き抜いて差し向けなければならなくなってしまったのだが、そのエリスが彼らと共に立ち、私に武器を向けるとはどういうことなのだ!?

 

「な、何をしに来た……………!?」

 

「――――――――彼女たちの戦いを、見届けに来ました」

 

「何だと…………!?」

 

「失礼ですが、私は手を下しません。見てのとおり片足なのでね。……………だから、ここで見物させていただきますよ」

 

 少年は松葉杖を椅子の近くに立て掛けてから肩をすくめると、勝手に近くのテーブルの上のティーセットに手を伸ばし始めた。

 

「き、貴様ら、この私の屋敷を襲撃してただで済むと思っているのか!?」

 

「ええ。既に準備は終えていますから」

 

 彼は3人分のティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。どうやら私の命を奪った後に、祝杯代わりに3人で紅茶を飲んでから退散するつもりらしい。

 

 だが、準備を終えているとはどういうことだ?

 

「ど、どういうことだ……………!?」

 

「駐屯地に救援を要請するために向かわせた伝令はどこに行ったんでしょうねぇ?」

 

 自分の分の紅茶を飲みながら言う力也。彼はティーカップをテーブルの上に置き、武器を向けられて震えている私を嘲笑っている。

 

 まさか、伝令が帰って来ないのは……………!

 

「ご安心ください、ペンドルトン卿。この一件はペンドルトン邸で火事が起き、屋敷が当主もろとも焼け落ちたということにしておきます」

 

 駐屯地に到着する前に伝令を消したということなのか!?

 

 何ということだ。護衛の騎士たちは既に壊滅しているから、外部に救援を要請する事が出来ない。つまり、私を消した後ならば火事が起きたという情報操作をすることで、この襲撃そのものをもみ消す事が出来るということだ。

 

 この作戦を立案したモリガンの参謀は、優秀な策士らしい。

 

「うーん、オルトバルカ産の紅茶の方が美味いな……………」

 

「き、貴様ら……………!」

 

「後は任せるぞ、2人とも。紅茶が冷めちまう」

 

「ああ」

 

「ええ」

 

 手に持った武器を構え、娘たちが私を睨みつけてくる。

 

 この部屋には武器など置いていない。警備の騎士たちがここに駆けつけて来ない限り、私に彼らを攻撃するための手段などないのだ。

 

 すると、椅子に座って紅茶を啜っていた片足の少年が、冷たい目で私を見つめながら言った。

 

「―――――――――権力ってのは、従う人間がいなけりゃ意味はないんだ。……………だから、孤立した貴族っていうのは本当に脆い」

 

 先ほどまでよりも粗暴な口調だった。

 

 私は窓から飛び降りて逃げようとした。ここは屋敷の5階だが、下は芝生だ。運が良ければもしかしたら逃げ切る事が出来るかもしれない。

 

 そう思って窓に手をかけようとした瞬間、背後から娘たちの冷たい声が聞こえてきた。

 

「さようなら、父上」

 

「あの世でジョシュアとレオンが待ってますよ」

 

「ま、待て――――――――」

 

 本当に父親を殺すつもりなのか!?

 

 わ、私はお前たちの父親なんだぞ……………!?

 

 背後を振り返ろうとした瞬間、先ほどから散々騎士たちの断末魔と共に聞こえてきたあの轟音が聞こえてきた。2人が構えている奇妙な武器が煌めき、無数の何かが私の身体を貫いていく。あっという間に私の身体から噴き出た血が部屋の中を汚し、壁やベッドが真っ赤に染まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「CP(コマンドポスト)、こちらアルファ1。こっちは終わったぜ」

 

『こちらCP(コマンドポスト)。はい、ブラボー隊も制圧は完了した模様です』

 

「いいね、さすがタクヤだ。――――――――では、あとは火事か強盗に見せかけて退散するように言ってくれ」

 

『了解しました』

 

 耳元の無線機から手を離し、俺はティーカップに残っている不味い紅茶を飲み干した。

 

 俺たちがエミリアたちの父親の屋敷を襲撃している間に、タクヤとラウラがジョシュアの父親であるレオンの屋敷を制圧したらしい。

 

 これで、エミリアとエリスを利用して魔剣を復活させようと企てていた奴らは消えた。悪いが、この貴族たちには、表向きには火事の犠牲になったということになってもらおう。

 

 襲撃そのものをもみ消すために、使用人や騎士たちも全員消しておいた。そして当主のこの太った男が風穴だらけの死体になったことで、この屋敷にいる生存者は俺たち3人だけになった。

 

「これで終わったな」

 

「ええ」

 

 エリスがフルオート射撃を終えたばかりのAKS-74Uを腰の両側にあるホルスターに戻しながら言った。彼女の隣で血まみれの父親の死体を見下ろしていたエミリアも、2丁のPP-2000を腰のホルスターに戻すと、テーブルに用意しておいた紅茶のカップを持ち上げる。

 

 倒さなければならない相手はもう全員死んだ。魔剣を使っていたジョシュアはタクヤに消され、その計画のために娘を差し出したエミリアとエリスの父も弾丸で撃ち抜かれて死んだ。

 

 ちなみに、エミリアとエリスの母親は既に病気で亡くなっているらしい。もし生きていたのならば、その母親にも銃を向けることになっていただろう。

 

 温くなっていた紅茶を飲み干した2人に、俺は腰にぶら下げていた瓶を取り出した。この屋敷を焼き払うために用意しておいた火炎瓶だ。

 

 2人に火炎瓶を手渡してから松葉杖を握った俺は、何とか椅子から立ち上がった。もう警備していた騎士たちは殲滅した筈だが、もしかしたら生存者がいるかもしれないため、一応右手にハンドガンを持っておく。取り出したハンドガンは、中国製ハンドガンの92式手槍だ。マガジンを伸ばしてフルオート射撃の機能を追加しているため、マシンピストルとしても使う事が可能である。

 

 だが、この92式手槍が火を噴くことはなさそうだ。廊下に転がっているのは死体ばかりで、呻き声も聞こえない。

 

 松葉杖をつきながら片足で何とか階段を下り、2人を連れて屋敷の外へと向かう。足があれば窓から飛び降りてすぐに屋敷の外に出る事が出来たんだが、今は片足が無い。ステータスで身体能力が強化されていると言っても、この状態で5階から飛び降りるのは危険だ。

 

 なんだか歯がゆいなぁ……………。

 

「力也、大丈夫か?」

 

「肩貸してあげる?」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 1人でも大丈夫だよ。

 

 何とか階段を下り切って玄関の外へと出た俺は、92式手槍をホルスターに戻すと、自分の分の火炎瓶を取り出した。火炎瓶に着火すると、2人の分の火炎瓶にも火をつけてから、目の前に鎮座するエミリアとエリスの実家を睨みつける。

 

「準備は良いな?」

 

 今から、2人の生まれ育った実家を焼き払うんだ。

 

 俺は隣に立つ2人を見た。2人とも躊躇っていないらしく、俺と目を合わせてから頷く。

 

 俺も頷くと、目の前の屋敷を睨みつけ――――――――火のついた火炎瓶を、壁に向かって放り投げた。

 

 瓶が割れ、炎が一瞬で屋敷の壁に燃え移る。俺が放り投げた場所の近くにエリスとエミリアの火炎瓶の直撃し、巨大な炎の塊を形成する。

 

 その炎の塊は次々に壁の表面を飲み込んでいき、開いていた窓の内側で揺らめいていたカーテンに燃え移ると、そのまま屋敷の中に入り込んでいった。やがて窓の内側が真っ赤になり、砕け散った窓ガラスの奥から火柱が出現する。

 

 ペンドルトン邸が燃え上がる。2人が生まれ育った実家が焼け落ちていく。

 

「―――――――――行こう、力也」

 

「ああ」

 

「戻りましょう」

 

 俺は踵を返し、後ろに停車しているハンヴィーへと向かった。一応車体の上にブローニングM2重機関銃を搭載してあるんだが、今回の襲撃で使ったのは最初に先制攻撃を仕掛ける時だけだった。おかげで重機関銃の弾薬はまだまだ残っている。

 

「エミリア、運転は頼むぜ」

 

「分かっている」

 

 片足だから運転するわけにはいかないんだよな。

 

 エミリアとエリスが後部座席に背負っていた武器を積み込み、運転席と助手席に腰を下ろす。俺は松葉杖を後部座席の下に下ろすと、シートを掴んで体を持ち上げ、後部座席に腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔剣との戦いは終結した。けれど、まだ消さなければならない奴は残っている。

 

 魔剣を復活させようとしたのは、ジョシュアだけではない。その力を悪用しようという計画そのものは、正確に言えばジョシュアや母さんの父親の代から続いていたものだ。だから、ジョシュアを消してもまだ元凶は残っているのである。

 

 俺たちが担当することになったのは、その元凶の片割れの〝処理”だった。殺し方そのものは何でも良いらしいが、さすがにモリガンがラトーニウスの貴族を襲撃したという事が表沙汰になると面倒なことになるので、家事か強盗に見せかけて殺さなければならない。

 

 そのまま殺すだけならば簡単だ。ナイフで切り刻んだり、長距離からスナイパーライフルでヘッドショットすればいい。そう、殺すだけならば容易い。だが、問題は何かに見せかけるということだ。

 

 いっそのこと屋敷ごと丸焼きにした方が手っ取り早いかもしれないけど、そうすると逃げ出してしまうかもしれないし、クソ野郎には最高の苦痛をプレゼントするべきだろう。だから、面倒だけど〝手っ取り早くは殺さない”。それなりに急ぎながら、ゆっくりと苦しめて殺すのがベストなのである。

 

 貴族の屋敷なのだから、当然ながら警備をしている騎士以外にも使用人もいる。残酷だけど、彼らもご主人様と一緒に消す必要がある。もし目撃された挙句それを王国に報告されたら、オルトバルカとラトーニウスの関係がさらに悪化する原因を作りかねない。

 

 要するに、屋敷の中にいる人物は〝火事か強盗に巻き込まれた、哀れな犠牲者”になってもらう必要がある。

 

 床に倒れ、動かなくなった騎士の死体をまたいで進む。先ほどまでは怒声を上げ、剣を振り上げて襲いかかって来た警備の騎士たちも、もう何も喋らない。悠々と進む俺たちを黙認するかのように、血を流しながら黙って床に倒れているだけだ。

 

 まだ警備兵は残っているだろうか? 

 

 ラウラから借りたP90の残弾を確認しつつ、隣でエコーロケーションを発動させたラウラの方をちらりと見る。彼女がエコーロケーションを発動している最中に雑音を立てると索敵を妨げることになるので、極力物音を立てないように注意する。

 

「残りは?」

 

「7階の寝室。警備兵が3名とターゲットが2名」

 

「あらら、奥さんも一緒か」

 

 まあ、計画に加担してなくても、申し訳ないが奥さんにも消えてもらわなければならない。この襲撃は強盗か火災に仕立て上げなければならないのだから、この場に居合わせているならば全員がターゲットだ。

 

 下の階からじわじわと逃げ道を絶つように襲撃したから、あいつらは上の階へと逃げざるを得なくなる。飛び降りれば運が良ければ助かるかもしれないけど、自分の権力を乱用して威張り散らしているような貴族にそんな度胸はないだろう。

 

「う……………ぐぅ……………き、貴様ら、こんなことを―――――――ギャッ」

 

「やべえ、こいつ生きてた」

 

 まだ息のあった騎士の喉元に投擲に使うメスを放り投げ、止めを刺す。喉に突き刺さったメスを強引に引き抜き、その騎士が絶命していることを確認してから、俺はラウラを連れて階段を登り始めた。

 

 今頃親父たちはペンドルトン邸に侵入し、母さんやエリスさんの父を消している頃だろうか。俺たちからすれば祖父に当たる人物だが、別に親父たちに消されても全く心は痛まない。

 

 そういうふうに、俺たちは育てられた。排除するべき標的に対して躊躇する必要はないと教え込まれ、そのための技術も幼少の頃から叩き込まれた。第二次世界大戦の後から戦争とは無縁だった日本人の感覚は突き崩され、冷徹な殺し屋のような精神に〝転生”したのである。

 

 7階まで上がり、ラウラに案内してもらいながら標的のいる寝室まで向かう。ジョシュアの実家であるマクドゥーガル家は、ラトーニウス王国の中では〝主柱”と言えるほど規模の大きな貴族であるという。他国との紛争や盗賊の討伐で名を上げたジョシュアの曽祖父の影響で一気に規模が大きくなり、母さんたちの実家であるペンドルトン家も傘下に収めてしまったらしい。

 

 まあ、その主柱が消えれば大打撃だろうな。奴隷や庶民たちは大歓迎するかもしれないが。

 

 色々とスキャンダルを公にして社会的に殺すのも面白いけど、回りくどくなるので直接消すことになっている。

 

 廊下を進んでいると、やり過ぎなのではないかと思ってしまうほど派手な装飾の付いた扉が目の前に現れた。翼を広げた黄金の竜の彫刻が埋め込まれた派手な扉の向こうからは、うっすらと数人の呼吸する音と、鎧の音が聞こえてくる。

 

 音の発生した位置から推測すると、おそらく――――――――ドアのすぐ前に2人の騎士がいて、奥の方にはもう1人の騎士が居る模様だ。ターゲットはその最後の1人が庇っているような状態だろう。装備はよく分からないが、少なくとも屋敷の中で槍や大剣を装備しているわけがない。武装はロングソードだと思われる。

 

 静かに左手を伸ばし、ドアに触れる。この装飾を上手く避ければドアを貫通するのは難しくないだろう。ハンドガン用の9mm弾でも貫通できそうなレベルだ。

 

 ラウラと頷き合ってから、セレクターレバーをセミオートからフルオートに変更する。そして呼吸する音が聞こえてくる位置に照準を合わせると、言葉を交わさず、思考だけでタイミングを合わせ――――――――同時にトリガーを引いた。

 

 狙う位置は、もちろん派手な装飾の付いていない部分。黄金の装飾は弾丸の貫通を妨げる恐れがあるし、もしかすると跳弾する可能性もある。

 

『ギャッ!?』

 

『がぁっ!!』

 

『な、なんだ!?』

 

「ラウラ」

 

「うん」

 

 トリガーを引いていたのは1秒足らず。ちょっとした3点バースト射撃程度の時間だ。

 

 ドアの向こうから鎧を身に着けた男たちが崩れ落ちる音が聞こえてくる。命中したのは胸元か首だろうか。

 

 命中した箇所を推測しながら、俺は左足を硬化させた。めきりとまるで薄氷に亀裂が生じるような音を立て、ズボンの下で肌色の皮膚が蒼い外殻に覆われていく。キメラの外殻の硬さは個人差があると言うが、俺と親父の防御力はフィオナちゃんの推測では第3世代型主力戦車(MBT)並みだという。つまり、チャレンジャー2やレオパルト2レベルの防御力を、キメラの外殻は有しているという事だ。

 

 そんな硬さの外殻で覆われた足が転生者のパワーを乗せて繰り出されるのだから、まさにその一撃は戦車との正面衝突にも等しい。めきりと音が聞こえた頃には、俺の蹴りを喰らったドアは木端微塵になり、黄金の装飾を含んだ木片の散弾となって部屋の中へと飛び散っていた。

 

「ぐあっ…………!」

 

「うわあああああああっ!?」

 

 その散弾の破片を浴びてしまったのか、防具に身を包んでいた騎士と、その後ろに立っていた太った中年の男性が顔を押さえながら床に倒れ込む。こいつと、そのデブを見下ろしながら慌てている女性がターゲットだろう。豚と一緒に肉屋に出荷できるほど太った男性はあまりジョシュアに似ていないが、母親の方はそっくりだ。

 

 あのクソ野郎のやらかした事を思い出して苛立った俺は、歯を食いしばりながらP90をのたうち回る騎士へと向けると、楽にしてやると言わんばかりにそいつのこめかみを撃ち抜いた。黄金のドラゴンの牙の破片が、まるで噛みついているかのように頬のように刺さった騎士がそれで絶命し、呻き声を上げなくなる。

 

「な、なんなの、あなたたちは!? その武器は何!?」

 

「ターゲット確認」

 

 問いには答えない。時間の無駄だ。

 

「ジョシュア・マクドゥーガルの両親だな?」

 

 逆に俺たちが問い掛けると、しおれたスイカみたいに肥えた顔から破片を引き抜いていたジョシュアの父親が立ち上がり、怯えながら怒声を上げる。

 

「貴様ら、ここはマクドゥーガル邸だぞ!? この私が誰なのか分かっているのだろうな!?」

 

 うるせえ、叫ぶな。汚ねえ唾が飛ぶだろうが。

 

 顔をしかめながら舌打ちし、ラウラの方をちらりと見た。彼女もイライラしているらしく、頷いてから左手に持っているP90をジョシュアの父親に向け、これでもかというほど詰め込まれた脂肪で膨れ上がった片足に、5.7mm弾を叩き込む。

 

 一瞬だけ、弾丸が太い足に穴を開ける瞬間が見えた。まるでソーセージをフォークで突き刺すように、派手なズボンと太腿の肉が弾丸の先端に微かに圧迫されてめり込み、そのまま風穴を開けられる。幼少の頃に何度も皿の上で目にした光景にそっくりだった。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「あなたっ! ああ、血が…………!」

 

「ぐ………う、うう……………ッ! 貴様ら、ただで済むと思うなよ…………!」

 

 P90の銃口を下ろしてから、俺はそっとフードに手を伸ばした。俺と母さんの容姿は似ているから、俺の顔をこいつらに見せればきっとびっくりするだろう。計画のために消費される筈だったホムンクルスの少女がここにやってきたのだと勘違いするに違いない。

 

 まあ、どうせここで死ぬんだ。どれだけ命乞いされても、どんな交渉をされても、俺はこいつらを消す。一生遊んで暮らせる金なんていらない。貴族の地位なんて不要だ。俺たちは、こいつらの命を奪う事を望んでいるのだから。

 

 フードを外した瞬間、脂汗を流しながら喚いていたマクドゥーガル夫妻の顔が凍り付いた。

 

「き、貴様……………ぺ、ペンドルトンの……………ッ!?」

 

「どうして…………? ま、魔剣はどうなったのっ!? 私たちの息子は!?」

 

「死にましたよ」

 

「なっ……………!?」

 

 本当に無様な男だった。あいつが苦しんでいた姿を思い出すと、ついにやりと笑ってしまう。目を見開きながら俺を見上げる夫婦の瞳には、ニヤニヤと笑う蒼い髪の悪魔が映っていた。

 

 これが、俺の笑い方か。まるで悪人だな……………。

 

「殺したんですよ、私がね」

 

「きっ、貴様! よくも私たちの息子を!」

 

「何てこと…………あの子をよくも…………ッ!」

 

「いえいえ、悪いのはあなた方だ。…………多くの人々を弄び、ペンドルトン姉妹の絆を切り裂いた、あなた方が元凶だ。糾弾される筋合いはない」

 

 ポケットの中から、テルミットナイフ用のカートリッジを取り出す。このカートリッジの中に詰まっているのはガスではなく、参加した金属の粉末とアルミニウムの粉末を混ぜ合わせたものだ。これに着火するとテルミット反応と呼ばれる現象が起こり、3000℃から4000℃にも達する高熱を生み出すのである。

 

 それの蓋を開けて粉末を周囲にばら撒き、下準備をしておく。後始末をする際は、これに着火するだけでいい。そうすればこの襲撃事件は、表向きには『マクドゥーガル邸で起こった火災』ということになる。

 

 科学が全く発達していないこの世界では真相を知る手段なんてないだろう。まあ、今頃ペンドルトン邸も〝どういうわけか”全く同じ状況になっていると思うけどな。

 

「こ、この悪魔め…………!」

 

「悪魔…………ふむ、間違いではないですね」

 

「なに?」

 

 だって、俺たちの父親は――――――――――魔王と呼ばれた、最強の転生者なのだから。

 

 さて、久しぶりに〝切り裂きジャック”になるか。奥さんの方はすぐ終わりそうだが、こっちのデブは解体するのが大変そうだ。30分以内に仕事は終わるだろうか。

 

 まあ、時間が足りなかったらとっとと着火して逃げよう。そうすれば人間の丸焼きが完成する。

 

 ナイフを鞘から引き抜いた俺は、壁に向かって後ずさりを始めるマクドゥーガル夫妻をゆっくりと追い詰める。2人の背後にあるのはただの壁で、この部屋から逃げるには俺から見て右側にある窓から逃げるしかない。入口から逃げられるかもしれないけど、明らかに運動が苦手そうな貴族の夫婦が、足を撃たれた夫を連れながら逃げられるかな?

 

 あっさりと部屋の角に辿り着いてしまい、俺の顔を見上げたながらぶるぶるとマクドゥーガル夫妻が震える。その瞳に移っているの、あナイフを手にしながらにじり寄ってくる、黒服に身を包んだ2人の姉弟。

 

 振り上げたナイフを同時に振り下ろした直後―――――――――綺麗な部屋の壁が、真っ赤に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらブラボー隊。仕事は終わった。どうぞ」

 

『了解しました。アルファ隊にも伝えておきます!』

 

 無線で報告しながら、屋敷の外に止めておいたモリガンのハンヴィーに乗り込む。黒とグレーの迷彩模様で塗装されたハンヴィーの運転席に腰を下ろし、ドリンクホルダーに置いてあった水をラウラに手渡した俺は、冷水を喉に流し込んでから息を吐いた。

 

「ふう…………もうデブをバラバラにするの止めようかな」

 

「ふにゅ? 今回はちゃんとできたじゃん」

 

「そうだけど、だるいんだよね。肉多いし。今度からは丁寧にバラバラにするんじゃなくてぶつ切りでも――――――――」

 

 助手席のラウラと話をしていたその時だった。

 

 レベルアップしたわけでもないのに、いきなり目の前にいつも目にするメッセージが表示されたのである。

 

《おめでとうございます! 『BATTLE OF NAYLINGEN(ネイリンゲンの戦い)』をクリアしました!》

 

「…………は?」

 

 何だこれ? クリア? …………バトル・オブ・ネイリンゲンだって?

 

 今までこんなメッセージが出たことなんてなかったぞ。勝手にメッセージが出たとすれば、レベルが上がった時とか、ドロップしたアイテムを入手した時とか、この能力のアップデートがある時くらいだった。戦いが終わってからこんなメッセージが出たことなんて一度もない。

 

 何だこれは。もしかして、この過去の戦いに巻き込まれる羽目になったのって、こいつの能力のせいなのか?

 

《明日の午前10:00に、元の時代への転送を開始します。お忘れ物がないよう、チェックすることを推奨いたします》

 

 転送…………?

 

 ちょっと待て、どういうことだ? これはこの能力が俺たちを過去に飛ばしたって事なのか? まるでゲームじゃないか。

 

「ふにゅ、なにこれ?」

 

「分からん…………」

 

 元の時代に戻れるのはありがたいが…………何なんだ、これは。

 

 まるで、本当にゲームのようだ。他の転生者たちはゲームのプレイヤーのようなもので、この世界はオンラインゲームのマップのようなものなのか? 

 

 もしそんな仕組みで転生者が送り込まれているのだとしたら…………ひょっとすると、オンラインゲームを管理する運営会社のような存在がいるのかもしれない。管理する存在がいないオンラインゲームなんて考えられないからな。

 

 運営している存在がいたとしたら…………そいつは何者なんだ? 少なくとも、並みどころか熟練の転生者でも太刀打ちできないレベルの存在であることは確かだ。

 

 運転席に座りながら冷水を飲み干した俺は、顔をしかめながら燃え上がるマクドゥーガル邸を見つめた。

 

 



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21年後への帰還

 

「失礼するわ」

 

 ドアをノックする音が聞こえた直後、ドアの向こうからエリスが書斎へと入り込んできた。身に着けている服はエミリアが以前に来ていた黒い軍服のようなモリガンの制服で、彼女のように凛々しい雰囲気を放つエリスによく似合っている。

 

 俺は彼女に「ああ、よく来たな」と言うと、ひとまず羽ペンから手を離した。

 

「それで、何の用なの?」

 

「ああ、お前についての事なんだが…………。エリス、行く当てはあるのか?」

 

「ないわね…………」

 

 エリスはラトーニウス王国騎士団の切り札で、絶対零度の異名を持つほどの騎士だ。でも、ジョシュアに利用されていたとはいえラトーニウス国内では裏切者扱いされており、国に戻ったとしても処刑されてしまうに違いない。

 

 それに、実家ももう焼き払ってしまった。しかも祖国の騎士団を離反しているから、肉親の所に逃げ込むわけにもいかない。

 

 今の彼女は、転生したばかりの頃の俺と同じ状況だった。

 

 だから、俺は彼女を呼び出したんだ。

 

「だろ? だからさ、その……………行く当てがないなら、ここで傭兵をやらないか?」

 

「え?」

 

 行く当てがないと言ったエリスは、書斎の椅子に座っている俺を見下ろした。

 

「大丈夫だ。もう仲間たちは説得してある」

 

 特に、彼女を警戒していたギュンターにも話をしておいた。ギュンターはエリスをまだ警戒していたようだったけど、彼女の出生と事情を詳しく話したら、涙を流しながら合意してくれたんだ。

 

 他のメンバーは特に反対しなかったし、賛成してくれている。

 

 エリスがモリガンのメンバーになってくれれば、確実に戦力はアップするだろう。なにしろラトーニウス王国の切り札が仲間になってくれるんだからな。しかも、エミリアも喜ぶはずだ。

 

「どうだ?」

 

「でも……………いいの?」

 

「ああ。みんな歓迎してくれるさ」

 

「――――――――なら、お世話になろうかしら」

 

 彼女はそう言って微笑んだ。どうやらここで俺たちと一緒に傭兵をやってくれるらしい。

 

 ここならば祖国の事を気にしなくていい。もし彼女を連れ戻そうと騎士団がやってくるならば、仲間たちと共に現代兵器を使って返り討ちにすればいいのだから。

 

 それがモリガンという傭兵ギルドだ。

 

「よろしくな、エリス」

 

「ええ、よろしく。……………それと、力也くん」

 

「ん?」

 

 彼女は微笑みながら俺に近づいて来ると、デスクを回り込んで俺の隣へとやって来た。何をするつもりなのかと思いながら彼女の方を向くと、彼女はそっと俺の両肩に手を置いて顔を近づけ――――――――唇を、俺の頬に静かに押し付けた。

 

 ―――――――――え? キスされた?

 

 何で? 顔を真っ赤にしながら顔を離していく彼女を見つめていると、エリスは楽しそうに笑いながら言った。

 

「……………君のおかげで、またエミリアと姉妹に戻る事が出来たわ。私たちを繋ぎ止めてくれてありがとっ」

 

「あ、ああ」

 

「それと、私………………惚れちゃったかも」

 

「え?」

 

「ふふふっ。―――――――それじゃ、みんなに挨拶してくるわね」

 

 彼女は楽しそうに笑いながらそう言うと、顔を真っ赤にして狼狽している俺の顔を見てウインクしてから書斎を後にする。

 

 惚れちゃったって………………まさか、俺にか?

 

「りょ、両手に花………………?」

 

 エリスの甘い香りが残る書斎の中で、俺は顔を赤くしながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パパたちに事情を話した後、私はタクヤと一緒に寝室で荷物の準備をしていた。どういうわけなのかは分からないけど、今日の午前10時に元の時代に戻ることができるんだって。タクヤの能力で転送する事ができるようになったみたいなんだけど、どうしてなのかな?

 

 うーん…………タクヤの能力も転生者の能力だから、転生者の能力を作った人が関係しているのかな? そもそも、私たちはどうしてこの時代に飛ばされたんだろう? 無作為に選ばれたわけではないみたいだし…………。

 

「ふにゅー……………わかんない」

 

「うん、俺もだよ。どうして戻れるようになったんだろう……………」

 

 そう言いながら、タクヤは腰に下げていた剣を見下ろした。

 

 魔剣は絵本で何度も見たことがあったけど、タクヤが腰に下げている〝魔剣だった剣”からはもう禍々しさは感じない。むしろ、まるで本当の星空のように透き通っていて、開放的で、蒼い刀身を見つめているだけで安心できるような、安寧の塊みたいな剣だった。

 

 星剣スターライトっていう名前みたい。

 

 歴史の通りなら魔剣は破壊されている筈なんだけど、タクヤが変異させたとはいえ、スターライトは元々は魔剣だから、元の時代に持って帰ったら存在しない筈の魔剣が残っているという事になっちゃうね。過去から持ってきたとはいえ、それの影響はないのかな?

 

「あー、母さんからもっとまじめに剣術習ってればよかった」

 

「ふにゅ? なんで?」

 

「剣よりナイフの方が得意だったんだけど、スターライト(これ)使うなら剣術は必須だろ?」

 

「あっ、そうだね」

 

「しかも発動すると滅茶苦茶魔力使うし…………常時使うと一瞬で魔力が空っぽさ」

 

 リスクがないわけじゃないんだね。

 

 もう一回剣を見せてもらおうと手を伸ばしていると、寝室のドアがノックされた。タクヤが「どうぞ」って返事をするとドアが開いて、モリガンの黒い制服に身を包んだママが入ってくる。

 

 何だか、騎士団の制服よりもこっちの方が似合ってるような気がする。この頃のママってまだ18歳だから………あっ、私たちと同い年なんだ! ふにゅう、なんだか変な感じがするね。自分の母親と同い年って。

 

「失礼するわ」

 

「ふにゅ? ママ、どうしたの?」

 

「ええと、ラウラと話があるの。できれば………2人で話がしたいなって」

 

「ああ、なるほど。………じゃあ、俺は親父たちに挨拶してくるわ」

 

 タクヤはそう言うと、私とママに向かって小さく手を振りながら壁際に置いてあったAN-94を背負うと、部屋を出ていった。私とママが2人きりに慣れるようにするついでに、パパたちとお話してくるつもりなんだろうね。

 

 何だか寂しいけど、すぐ戻ってきてくれるよね。あの子、いつも私と一緒だったし。

 

「ええと………………あのね、ラウラ」

 

「ふにゅ?」

 

 ママ、どうしたの?

 

 首を傾げていると、ママは私の手を握った。

 

「ナバウレアで、私の事ビンタしたじゃない」

 

「あっ」

 

 ふにゃああああああああああっ!! そ、そうだった!!

 

 私、若い頃のママに向かってビンタしちゃったんだ! えっと、あれはママを一緒に連れて行くためだったんだし、許してくれるよね!? ま、まさか私と2人きりになったのって、2人の状態でじっくりと仕返しするため!?

 

 予想が的中してしまったからなのか、私の手を握るママから何だか冷たいオーラのようなものがあふれ始める。私の氷でも太刀打ちできないほど冷たい冷気にも似たオーラが、私の身体を撫で始める。

 

 あ、ああ…………ご、ごめんなさい、ママ…………怒らないでぇ…………!

 

「………………ありがとね、ラウラ」

 

「…………えっ?」

 

 あ、あれ……………? ママにお礼言われちゃった……………?

 

「あの時、ラウラのビンタがなかったら私………………死んじゃってたかもしれないわ。あなたのおかげよ」

 

「ふにゃ…………? え? えっと…………ど、どういたしまして…………」

 

「うふふっ。………………それにしても、未来からやってきた自分の娘に助けられるなんてね。私、ダメなママかも」

 

「そ、そんなことないよっ! ママ優しいし、美人だし、毎日おやつくれたもんっ!」

 

 本当だよっ! 毎日3時になると、絶対おやつ準備してくれてたんだもん! もちろんお手製じゃなくて近所のお店から買ってきてたやつだけど。

 

 でも、そんな優しいママがダメなママなわけないもん!

 

「ふふふっ…………そうかしら?」

 

「うんっ! だから自信持ってよ、ママ!」

 

「そうね。……………うん、頑張るわ。頑張って結婚するんだから!」

 

「えへへっ。うん、頑張って。ママは優しい人だから、きっといい奥さんになるよっ♪」

 

 そしてエミリアさんと一緒に、みんなで家族になるんだもんね。

 

 だから頑張ってね、ママ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――それは本当か?」

 

「ああ」

 

 ラウラがエリスさんと話をしている間、俺は親父の部屋を訪れていた。転送されると告知された時刻まであと30分。それまでに若き日の親父や母さんに挨拶をしておきたかったんだが、最後にもう一つだけ、彼らに伝えておかなければならない事があった。

 

 これを伝えたら後味が悪くなるだろうと思ったんだが――――――――大参事を防ぐためには、必要な情報だ。

 

「……………7年後、転生者の襲撃でネイリンゲンが………………」

 

「ああ、壊滅する。生存者はわずかだ」

 

 そう、これを伝えなければならなかった。

 

 俺とラウラが3歳の時の事だ。当時、モリガンは〝勇者”と呼ばれていたある転生者が率いる大規模な勢力と対立関係にあり、情報を集めつつ少しずつ反撃の準備を進めていた。敵の規模はモリガンの規模とは比べ物にならないほど強大だったそうだが、作戦中に知り合った、中国出身の『張李風(チャン・リーフェン)』という転生者の率いる部隊と共に軍備を拡張していたのである。

 

 だが、それに先手を打つかのように、勇者の部隊がネイリンゲンへと大規模な襲撃を仕掛けたのだ。しかも標的はモリガンのメンバーだけでなく、住民まで標的にした無差別攻撃。この惨劇が原因で、俺たちの時代ではネイリンゲンは壊滅し、廃墟と化してダンジョンになってしまうのである。

 

 とはいえ、どのような襲撃だったのか詳しく聞いたわけではなかったから、どう対処すればよかったのかは分からない。あくまでも「しっかり警戒しておけ」というアバウトな忠告しかできないのが歯がゆいが、襲撃の事を知っていれば対処できる筈だ。

 

「…………そうか、この街が…………」

 

 片足を失ったばかりの親父に付き添っていた母さんが、窓の外を見つめながら呟いた。逃走劇の終着点であるこの田舎の街が、21年後には危険な魔物が徘徊するダンジョンと化していることが信じられないのだろう。

 

 この時代ではまだ武器の製造方法が発達しておらず、魔物と戦う難易度は産業革命以降とは比べ物にならないほど高かったという。それゆえに簡単なダンジョンでも冒険者の生存率は30%を下回るのが当たり前で、人気の職業と言われている冒険者も、経験者からすれば自殺行為と変わらないのだ。

 

「分かった、忠告ありがとう。……………しかし、いいのか?」

 

「何がだ?」

 

「俺たちがもしその襲撃を撃退すれば、歴史は変わる。お前たちが元の時代に戻ったとしても、お前たちの知っている歴史ではないかもしれんぞ?」

 

「それは……………」

 

 歴史が変われば、結果も変わる。

 

 行きつくことのなかった結果は予想がつくが、その結果から先にどのような結果があるのかは、全く想像がつかない。下手に歴史を変えれば、元の時代に戻ったとしても全く別の世界になっている可能性もあるのだ。

 

 だから、歴史を変えるという行為のリスクは大きい。

 

「…………でも、あの惨劇が起こるよりはマシだ」

 

「……………そうか」

 

 生存者はわずか100名程度。しかもその生存者の中で、五体満足で済んでいたのは4割ほどだという。

 

 それよりはマシだ。歴史が代わり、未来が変異するとしても。

 

「とにかく、忠告ありがとう。その惨劇は何とか防いでみせるさ」

 

「ああ、そうしてくれ」

 

 あの惨劇で、ナタリアも怖い思いをしたのだから……………。

 

 俺たちの仲間の1人であるナタリアも、ネイリンゲン出身だ。あの襲撃で母親と離れ離れになり、転生者たちに殺されそうになっていたところを親父に救われ、その親父を目標にして冒険者になったという。

 

 もしあの惨劇が起こらなかったら、ナタリアは冒険者ではなくなってるのではないだろうか。

 

 もしかしたら、冒険者以外の職業についているかもしれないし、王都まで出稼ぎに行っているかもしれない。そう、あの惨劇で親父と出会ったことが、ナタリアにとって冒険者になるきっかけになったのだ。だからその惨劇を防いでしまったら、ナタリアは冒険者にならずに他の道を選んでしまう可能性もある。

 

「…………」

 

「どうした?」

 

「いや、何でもない。…………とにかく、健闘を」

 

「おう」

 

 2人に挨拶をしてから、俺は部屋を後にした。

 

 転送予定の時刻まで、あと20分になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 21年前にやってくる事は、もうないだろう。そもそも過去の世界へと迷い込む事自体ありえないのだから、ここで転送されてしまったらここにいるモリガンの傭兵たちとはもう二度と再会することはありえない。

 

 未来にいる彼らの記憶の中には、思い出としてこの出来事は残るかもしれないが、もうここにいる親父たちに出会うことはないのだ。そう思うとなんだか寂しくなってしまうけど、そう言う俺たちがこの時代似ることの方が異常なのだから、早く元の時代に戻るべきだろう。

 

 俺たちが生きている時代は、21年後の未来なのだから。

 

《転送まで、あと2分》

 

 目の前にメッセージが表示され、カウントダウンが始まる。もう一度忘れ物がないか確認しようとした俺だったけど、そもそも持ち物は殆どない。あるとすれば、迷い込んだ時に身に着けていたアイテムとか、ラウラから貰った大切なリボンくらいだろう。

 

 ああ、あとは未来には存在しない筈の星剣(こいつ)だな。とりあえず、忘れ物はない。

 

「ラウラ、元気でね! …………ぐすっ、なんだか寂しいけど…………また、会えるわよね?」

 

「ふにゅう…………うん、会えるけど…………うう、なんだか寂しいよぉ……………!」

 

 な、何だかこんな場面を見たことがあるんだけど。確か、王都から旅立つ時だったっけか。あの時もこんな感じにエリスさんとラウラが抱き合って、2人で泣いてたな。

 

 おいおい、それは21年前でも同じか。

 

「まあ、達者でな」

 

「おう」

 

 抱き合う母と娘を苦笑いしながら見守っていると、片足を失った親父が松葉杖をつきながら近くまでやってきた。相変わらずモリガンの黒い制服に身を包み、まだ引退するつもりはないと言わんばかりに背中にAK-47を背負っている。

 

 ここで引退されても困るけどな。親父にはぜひ義足を付けてもらってキメラになってもらわなければ。

 

「なんだか、変な体験だな。未来からやってきた子供たちに救われるなんて……………」

 

「こっちこそ、若き日の親父と共闘するなんて思ってなかったよ」

 

「はははっ、クソガキめ」

 

《転送まで、あと30秒》

 

 俺と親父の間に、カウントダウンが表示されたメッセージが割り込んだ。少しばかり苛立ちながらメッセージを横へ届けると、いつの間にか親父の表情も寂しそうになっていた。

 

 安心しろって。あんたが歴史の通りに2人と結ばれてくれれば、また会えるんだ。寂しそうにしてんじゃねえよ、クソ親父め。

 

《転送まで、あと10秒》

 

 それにしても、この過去で良い体験ができた。何度か死にかけたけれど、モリガンの傭兵たちの戦いを学ぶ事ができたし、新しい力も手に入ったんだからな。

 

 そして、親父たちの若い頃の姿も見る事ができたし。この不思議な体験もノエルに教えてあげよう。他の仲間は信じてくれないかもしれないけど、ノエルは純粋な子だから信じてくれるに違いない。

 

「―――――――じゃ、未来を頼んだぜ」

 

「おう。あんたこそ、死ぬんじゃねえぞ」

 

「何を言っている。こいつは私たちの夫になる男だぞ?」

 

「あははははっ。…………じゃあ、また未来で」

 

「ああ」

 

 親父と握手してから、隣に立っていた母さんとも握手する。2人の手をぎゅっと握ってから、見送りに来てくれた他の傭兵たちの顔を見渡す。

 

 親父たちは様々な激戦を経験し、その度に死にかけてきた。けれど、五体満足のままでなくても1人も欠けずに未来まで生き残り、最強の傭兵ギルドと呼ばれるようになるのだ。俺たちは彼らの実力を信じて、元の時代に戻るとしよう。

 

《5、4、3、2、1…………転送します》

 

 じゃあな、親父。また未来で会おう。

 

 若き日の母さんと並んで立つ親父に向かって微笑んだ直後、俺とラウラの身体が光に包まれた――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇妙な夢を見た。

 

 21年前のネイリンゲン防衛戦の夢だ。そう、私と姉さんがネイリンゲンの草原で殺し合い、そして力也に繋ぎ止められたあの戦いの夢を、私は先ほどまで見ていたのだ。

 

 本当に奇妙な夢だった。あの戦いに――――――――未来からやってきたタクヤとラウラが、参戦してくれたのだから。

 

 確か、本当ならばあの戦いは……………ああ、そうだ。確か、本当にあの2人が加勢してくれたんだったな。未来から過去の世界に迷い込んだあの2人が、私たちに手を貸してくれたのだ。そしてタクヤはジョシュアの奴から魔剣を奪い取り、ラウラと共に未来へと帰っていった。ああ、懐かしい。あの時の夢だ。

 

 ベッドから身体を起こそうとしていると、毛布が揺れた音で目が覚めたのか、同じベッドで眠るリキヤがほんの少しだけ目を開けた。

 

「どうした?」

 

「いや、目が覚めてしまってな。…………ふふっ。リキヤ、聞いてくれ。昔の夢を見たぞ」

 

「ん? いつの?」

 

「ネイリンゲン防衛戦だ。ほら、未来からラウラとタクヤが来てくれただろう?」

 

 すると、リキヤは瞼を擦ってから顔をしかめた。てっきり「ああ、懐かしいな」と言ってくれると思っていたのだが、私が何を言っているのか理解できていないかのようにもう一度首を傾げると、また髭が伸びてきた顎を片手で撫でてから再び毛布をかぶり直す。

 

「何言ってんだ。あの時は俺たちだけだっただろ?」

 

「む? そんなわけないだろう? 確かにタクヤたちが加勢してくれたぞ?」

 

 あの2人のおかげで、私たちはネイリンゲンを守り切る事ができたのだ。……………それから7年後の惨劇は食い止めることは出来なかったが……………。

 

「ほら、いいから寝ようぜ。明日は休みだし…………」

 

 眠そうにあくびをしてから大きな手を伸ばし、身体を起こしていた私を抱き寄せるようにして寝かせるリキヤ。こいつもあの場にいた筈なのに、覚えていないのか?

 

 まあ、寝ぼけているだけだろう。明日の朝にもう一度話してやれば思い出す筈だ。

 

 ふふっ。それにしても、随分と頼もしい子供たちだったな。彼らから私たちが結ばれるという事を教えられた時、私がリキヤを愛しているという事がばらされて恥ずかしい思いをしたが…………ちゃんと結ばれたし、こうして立派な子供たちを生む事ができたのだ。

 

 またあの時の事を思い出しながら、私は再び瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体中が熱風に包まれている。身体を動かそうとすると、服の中に入り込んだ熱いざらざらした砂が蠢いて嫌な感触がした。その感触から逃れるように目を開いて起き上がった俺は、小さく頭を振りながら周囲を見渡す。

 

 おかしいな。眠ってたのか…………?

 

 というか、ここはどこだ? さっきまでネイリンゲンの郊外にある草原の上で、若き日の親父たちに見送られてたはずだけど…………?

 

「ふにゃ…………?」

 

「ラウラ、無事か?」

 

「ふにゅ、大丈夫…………。ねえ、ここどこ………?」

 

「ええと…………」

 

 そうだ。確か俺たちは、あの時代に迷い込む前に奇妙な塔の調査をしていた筈だ。そして地下で奇妙な蒼い桜を―――――――――。

 

 ん? 蒼い桜? ちょっと待て、俺は何を考えてるんだ?

 

 ずきん、と頭が軽く痛む。片手で頭を押さえようとしたけど、俺の手が頭に触れるよりも先にその痛みは消え去ってしまう。

 

 そうだ、蒼い桜なんてあるわけがない。桜ってピンク色の花だろ? 蒼い桜なんて存在しないんだよ。俺は何を考えてるんだ? 疲れちまったのか?

 

「あっ、こんなところにいた!」

 

「ん?」

 

 痛みが止んだ頭を押さえていると、階段の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。中世の城の中にも似たレンガ造りの壁の方を見てみると、上へと続く階段の近くに、黒い制服に身を包んだ金髪の少女が立っているのが見える。

 

 金髪のツインテールの少女は俺たちを見てため息をつくと、ゆっくりとこっちへやってきた。

 

「ちょっと、どこに行ってたの? 心配したのよ?」

 

「ナタリア………?」

 

 あれ? テンプル騎士団の制服に身を包んでいるっていう事は、ちゃんと俺たちの仲間になったのか?

 

 ということは、あの惨劇は起きた………? 親父たちは、ネイリンゲンの惨劇を食い止める事が出来なかったのか?

 

「どうしたの?」

 

「あ、いや…………なんでもない」

 

 おかしいな。そもそも、あの21年前の世界に迷い込んだあの体験は何だったんだ? 夢だったのか?

 

「ん? ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「その剣、何?」

 

「え?」

 

 ナタリアが指差していたのは、俺の腰に下げられている大きな剣の鞘だった。その鞘の中に納まっているのは、大昔にスコットランドで使われていたクレイモアを彷彿とさせる、大きめの剣である。

 

 これは確か、あの時ジョシュアの野郎から奪い取った剣だ。元々は魔剣だったんだけど、俺が奪い取った瞬間に蒼い刀身の剣に変わったんだ。

 

 ということは、あれは現実だったのか………?

 

「とにかく、みんなの所に戻りましょ。ここ、拠点にするんでしょ?」

 

「ん? ここってどこだっけ?」

 

「何言ってんのよ。砂漠の中で見つけた、大昔の騎士団の城でしょ?」

 

「あれ? 塔じゃなかったっけ?」

 

「はあ? ちょっと、いい加減にしてよね。寝ぼけてるんじゃないの?」

 

 あ、あれ………? 俺たち、砂漠の中で塔を見つけたんじゃなかったっけ………?

 

 ラウラの方を見ると、彼女も首を傾げていた。

 

 まあ、無事に元の世界に戻ってこれたんだし、変な事を言ってナタリアのビンタを喰らうのは嫌だからな。この調子だと、仲間たちに21年前に言ってきたって言っても信じてもらえそうにないし、あの冒険譚は内緒にしておこう。

 

 

 



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キメラの進化

 遠くから、鐘の音が聞こえてくる。午後の11時を告げる時計塔の鐘の音は、昼間と同じ音量だというのに、夜であるせいなのか少しばかり寂し気な音に聞こえた。

 

 窓の外に広がる王都の街並みを眺めるのを止め、後ろを振り返る。忌々しいネイリンゲンの惨劇の後、貸しを作っていた王室に頼んで用意してもらったハヤカワ邸は、一般的な家庭と比べると大きな建物だが、一般的な貴族の屋敷と比べると小さいという微妙なサイズの建物だった。実際、もう住み始めて何年も経つというのに、この自宅を〝家”と呼ぶべきなのか〝屋敷”と呼ぶべきなのかまだ分からない。

 

 そんなハヤカワ邸の一室に、今夜は客人が訪れていた。紳士を思わせるスーツにも似た黒い制服に身を包み、同色の髪をオールバックにした30代後半の男性と、真っ白な白衣に身を包んだ白髪の少女である。

 

 その2人の客人とは長い付き合いだが、白髪の少女の方は一番最初に出会った当時と全く容姿が変わらない。成長する様子はないし、食べ過ぎて太ったり、逆にストレスで痩せる気配もないのだ。体格を気にする女性にとってはまさに夢のような体質に思えるが、彼女の事を考えればその体質を羨ましいとは思えないだろう。

 

 彼女は、もうこの世に存在しない筈の幽霊なのだから―――――――。

 

「それで、研究の結果は?」

 

『はい、リキヤさん。リキヤさんの血液と、タクヤ君とラウラちゃんの血液の比較の結果なのですが…………』

 

 実は、数日前からフィオナにキメラについての新しい研究を依頼していたのである。

 

 21年前のネイリンゲン攻防戦で、俺は片足を失って義足を移植し、変異を起こしてキメラとなった。新しい種族であるキメラの中でも〝原点”や〝第一世代”と呼べる存在である。

 

 不完全だが、ある意味では純血のキメラといえる。では、ごく普通の人間の女性とキメラの間に生まれた俺の子供たちと俺に、能力や体質での差異はあるのだろうか。

 

 俺が第一世代のキメラならば、あの2人は〝第二世代のキメラ”と呼ぶべきだ。キメラはまさに突然変異の塊と呼ぶにふさわしい種族であり、フィオナもまだ完全にどのような種族なのか把握できていない状態なのである。前例がないというのが大きな要因だが、傾向を探ろうにも普通では考えられない特徴が多過ぎるため、なかなか傾向すら見つけられないという。

 

『実は、第二世代のキメラにはある能力が備わっているようです』

 

「ある能力?」

 

『はい。…………ご存知の通り、キメラは突然変異の塊です。サラマンダーの混血かと思えば全く関係ないメロン体を持っていたり、従来のサラマンダーとは違う蒼い外殻を生成するなど、まだまだ謎が多いのですが…………第二世代以降のキメラには、第一世代では絶対に発動できない固有の能力があることが判明しました』

 

「ほう」

 

 第一世代のキメラでは、絶対に発動できない能力か…………。

 

『発動すれば、それだけで強敵すら圧倒してしまうような能力になることは間違いありません。ですが、その能力を習得するには、何かしらの条件があるようです』

 

「条件?」

 

『はい。……………極限状態の中で追い詰められない限り、その能力は習得できないようなのです。実際に、21年前のネイリンゲン攻防戦では、タクヤ君がそれを発動させて魔剣をジョシュアから奪い取っています』

 

 数日前から、仲間たちはあの時の戦いにタクヤとラウラが参戦してくれたと口をそろえて言っている。未来からやってきた俺の子供たちが、魔剣を手に入れたジョシュアとの戦いに加勢してくれたらしいのだが、そんな覚えは全くない。あの戦いはモリガンのメンバーだけが参加し、ネイリンゲンを守り抜いたのではないか。第一、まだ生まれてすらいない子供たちが未来からやってくるなど考えられない事だ。

 

 だが、どうやら仲間たちは俺をからかっているわけではないらしい。……………いったい、これはどういうことなのだろうか。キメラの研究にも興味はあるが、この謎の現象が何なのかについても知りたいところである。

 

 俺だけがおかしいのだろうか。

 

「ああ、エミリアさんから聞いた。タクヤ君が魔剣をジョシュアから奪い取ったって」

 

 黙って報告を聞いていたシンヤも、異を唱えることなくタクヤが参戦したことを肯定している。彼ならば俺と同じように異を唱えてくれるのではないかと期待していたんだが、どうやらあの戦いにタクヤとラウラが参戦していたという記憶を持っているのは俺以外の全員らしい。

 

「それがその能力なのか?」

 

『はい。考えてみれば、あの時タクヤ君は瀕死の重傷を負っていました。能力を習得する条件は満たしていると言えます』

 

「相手の契約に介入し、その内容を書き換えて武器や術を乗っ取る能力か……………。確か、〝支配契約(オーバーライド)”だっけ」

 

 ちょっと待て。あのクソガキ、そんな能力を発動させてやがったのか?

 

 しかもジョシュアの奴から魔剣を奪った? …………ど、どういうことだ? あの魔剣は確かに俺たちが破壊した筈だ。だからもうこの世界に存在しない筈なのに…………あ、あれ?

 

「兄さん、どうしたの? 汗かいてるけど」

 

「す、すまん、混乱してきた」

 

 どういう事なんだ。もしタクヤとラウラが本当に過去の戦いに参戦し、魔剣を奪って無事に帰還したというのならば、その存在しない筈の魔剣を手に入れているという事になる。

 

 猛威を振るった魔剣を、第二世代のキメラが操る。間違いなくその組み合わせは、あのジョシュアの野郎よりも厄介だろう。下手をすればレリエル・クロフォードにも匹敵する強敵になりかねない。

 

「はい、ハンカチ」

 

「ありがと。…………フィオナ、タクヤにそんな能力があるという事は、ラウラもそれを習得する可能性があるというわけか?」

 

『同一の能力になるとは限りませんが…………その可能性は高いかと』

 

 絶滅する寸前で生物が変異したり、変化するのは珍しい事だ。魔物や動物はそうやって変異や進化を繰り返し、無数の亜種や変異種へと枝分かれを繰り返してきた。それが生物のあるべき姿だというのならば、怪物じみているとはいえ同じ生物であるキメラが追い詰められた果てに新たな能力を習得するのも、考えられない話ではない。

 

 俺は冷や汗を拭き取ると、息を吐いてからシンヤの方を見た。

 

 俺の弟であるシンヤも、この世界に転生してから右腕に義手を移植している。俺がネイリンゲン防衛戦で片足を失ったように、この男もネイリンゲンの惨劇で妻であるミラを庇い、右腕を失っているのである。

 

 この世界において、義手や義足の移植が原因で変異を起こしたという報告は今のところ俺の一件のみ。それ以外にキメラが誕生したという報告はない。

 

 おそらく、俺がキメラになってしまったのは――――――――転生者だからなのではないのだろうか。

 

 そもそも転生者はこの世界の人間ではない。だから、魔物の血液や遺伝子の介入による変異を食い止めるための〝免疫”のようなものを持っていなかったために変異を起こし、キメラになってしまったのではないだろうか。現時点ではフィオナがそんな仮説を立てているが、おそらくこれが正解だろう。

 

 そして、その条件を満たしている男がここにも1人いる。

 

「シンヤ、身体の調子はどうだ?」

 

「…………ああ、かなりいいよ。まだ使い慣れてはいないけど」

 

 そう言いながら、シンヤは自分の義手を動かして見せた。俺が移植したのはサラマンダーの義足だが、シンヤが移植したのは『キングアラクネ』と呼ばれるアラクネの一種の義手である。

 

 普通のアラクネは蜘蛛と同じように、糸を張って獲物を捕らえ、そのまま捕食するという習性を持つ。だがキングアラクネは自分の糸を獲物を捉えるために使うのではなく、獲物を〝切り刻む”ために使い、強力なドラゴンですら寸断して捕食してしまうという習性を持っている。

 

 シンヤがその義手を移植してからもう何年も経つ。もちろん、今更義手の調子を聞いているわけではない。俺は、〝今のシンヤの身体の調子を聞いている”のだ。

 

「それはよかった」

 

 今まで、キメラはサラマンダーと人間の混血のみを指す種族の名称のような扱い方だったが―――――――早くもその定義が書き換えられそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少年は、父親の事を憎んだまま死んでしまいました。

 

 家に戻れば暴力ばかり振るう父親と2人暮らしをすることにうんざりしていた少年にとって、その死は救いだったのかもしれません。

 

 少年は〝タクヤ”という新しい存在として、異世界へと生まれ変わりました。そして、『魔王』と呼ばれた転生者の息子として成長し、腹違いの姉と一緒に旅に出たのです。

 

 手に入れた者の願いを叶える事ができる、メサイアの天秤を手に入れるために。

 

「――――――――面白いよねぇ、この子」

 

 目の前に投影されている映像には、蒼い髪の少年の映像が表示されている。髪型と少女のような顔立ちに加え、服の上からでは華奢な体格にすら見えてしまうほどすらりとした彼は、最早少年というよりは少女という表現の方が適切なのではないかと思えてしまう。

 

 彼は、本当に面白い。

 

 父親も面白かったけれど、彼は違うジャンルの面白さがある。彼の父親が予想外の活躍を見せたダークホースならば、彼は予想以上の活躍をしてくれるアスリートのようなものだ。だから私は、彼と〝ある転生者”の2人には注目している。

 

「まあ、当たり前だよね。実験体1号(アインス)と実験体2号(ツヴァイ)は特別なんだから」

 

 そう、あの2人だけは、他の転生者と仕組みが違う。

 

 本来の転生者ならば、死亡してから17歳まで強制的に若返り、あらゆる能力や武器を生み出せる端末を手にした状態で異世界へと転生する。けれど、あの2人は従来の転生者とは異なり、赤ん坊の状態から再び成長し直すという方式を採用されている。

 

 この方法は手間がかかる上に、両親の素質や遺伝子に左右され易い。つまり、徹底した合理性を必要とする研究にあるまじき〝賭け”が必須となる。

 

 両親の〝あたりはずれ”が大きいという欠点があるけれど、その分強力な能力を身に着けた状態での転生ができる。それが、『次世代型転生者』とも呼べるあの2人の特徴。

 

「―――――――今のところ面白い結果が出てるけど…………もう少し刺激があってもいいかな?」

 

 生物はそうやって進化してきた。猿は知識を手に入れて文明を作り上げ、最終的に核兵器という凶悪な道具で世界を滅亡させかねないほどのレベルまで成長したのだから。

 

 だから、現時点でも世界を滅ぼせる可能性を秘めた2人の実験体が更に進化したら、どうなるだろうか?

 

 楽しみだね。

 

 かつて私は、その〝刺激”のために自分のお兄ちゃんに絶対的な力(チート)を与え、使い捨てにしたことがある。お兄ちゃんはあの実験体2号(ツヴァイ)の父親に当たるリキヤ・ハヤカワに敗北し、異次元空間を永遠にさまよう羽目になったけれど、その刺激は彼の思想を進化させた。

 

 より徹底的で、容赦のない冷徹な魔王を生み出す事ができたのだから、お兄ちゃんの犠牲は無駄ではなかった。

 

「ふふふっ……………♪」

 

 2人の実験体を観察して、あの方式が〝成功した”と言える結果になれば、次世代型転生者の増産にもめどが立つ。だから、あの2人にも頑張ってもらわないと。

 

 あの2人は、私の目的へと案内してくれる道しるべなのだから。

 

 

 

 

 第九章 完

 

 第十章へ続く

 



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番外編 突然変異の塊
予兆と可能性


 

 キャノピーの向こうに広がるのは、雲の浮かぶ蒼空だった。普段は見上げることでしか目にする事ができない空が、厚さ十数mmの防弾ガラスの向こうに広がっている。キャノピーを開けて手を伸ばせば、空の真っ只中へと自分の手を晒す事ができる。ロマンチックな感じがするけれど、そんなことをする暇はないらしい。

 

 何の前触れもなく、急にがくりと蒼空が周囲から眼前へと移動する。瞬く間に雲の群れがキャノピーの下の縁へと沈んでいき、黒ずんだ蒼空がキャノピーの向こう側を支配する。

 

 僕とキャノピーの間に、今何をしているのか思い出せと言わんばかりに鎮座しているのは、キャノピーの外まで突き出るほど長い銃身を持つ、無骨な機関銃だった。放熱用のバレルジャケットに覆われ、銃身の側面にドラムマガジンを装備したそれを握り、後方からのこのこと近付いてくる敵を叩き落とすのが僕の仕事だ。そう、今は仕事の真っ最中。しかも油断すれば死ぬ可能性のある、命懸けの仕事だ。

 

 さあ、仕事に戻ろう。

 

 背中のシートの奥の方から、サイレンにも似た音が聞こえてくる。その音が強くなっていく度に、まるで獣から逃げる草食動物のように蒼空がキャノピーの向こうへと遠ざかっていく。

 

 蒼空を眺めてうっとりする時間はもうおしまい。今は遊覧飛行の時間じゃないんだ。妻と2人っきりで遊覧飛行するのもロマンチックだけど、きっと彼女は景色を楽しむよりも、戦闘機や爆撃機の操縦を楽しむだろうね。若い頃から、僕の妻はそういう人だから。

 

(あぁ…………良い音)

 

「それは良かった」

 

(シン、私このサイレンみたいな音好きだよ)

 

 …………これが、僕の奥さんのミラ・ハヤカワである。

 

 初めて出会ったのは、僕がこの異世界に転生した直後だった。いきなりどこかの森の中に迷い込んだ僕は、その森の中で無口なハーフエルフの少女と出会い、襲って来たドラゴンから逃げるためにその少女と一緒にバイクに乗り、ちょっとした逃走劇を繰り広げた。物騒なきっかけだけど、それが僕とミラが出会ったきっかけだったんだ。

 

 その後は兄さんの率いる傭兵ギルドに合流し、長い間ミラと一緒に行動するうちに、僕は彼女に恋をした。ギュンターさんは反対してたみたいだけど、カレンさんや兄さんが後押ししてくれたおかげで僕は無事に彼女にプロポーズし、結婚して平穏な家庭を作ることができたんだ。

 

 ちなみに、結婚した後も子育てを続けながらこうして傭兵の仕事は続けているんだけど、こうやって夫婦で標的に向かって急降下爆撃を仕掛けるのは日常茶飯事だ。今ではそんな物騒な日常ですら〝平穏な日常”と言い切れるようになっている。

 

 かちん、と彼女がレバーについているスイッチを押す音が聞こえてきた。僕たちの乗る『Ju87シュトゥーカ』の翼の下に吊るされている爆弾が外れたのか、重々しい音を奏でていたシュトゥーカの咆哮がほんの少しだけ変化する。

 

 Ju87シュトゥーカは、第二次世界大戦の際にドイツ軍が採用していた〝急降下爆撃機”と呼ばれる爆撃機だ。大量の爆弾を上空から落とすような大型の爆撃機ではなく、戦闘機よりもほんの少し大きなサイズの機体に爆弾を搭載し、標的に向かって急降下しつつ狙いを定めて爆弾を投下するという戦い方をする機体なのである。

 

 現代では誘導する爆弾や照準システムが発達したため、わざわざ対空砲火を躱しながら急降下する必要もなくなったため、廃れ始めている戦法だ。でも産業革命が起きたとはいえ、満足な対空砲火として機能するのが魔術程度である以上は有効な戦術だし、古い機体の方が生産に使うポイントが安い。だから完全に最新型の機体を使うよりも逆に効率が良いのである。

 

 今度は主翼の下部に吊るされた37mm機関砲が火を噴いたらしい。急降下しながら地上の標的を狙い撃ちにする機体にすら置き去りにされた太い薬莢が、煙を吐きながらくるくると回転し、蒼空の中に置き去りにされていく。

 

 普通なら、シュトゥーカには37mm機関砲は搭載しない。搭載するのは急降下爆撃の際にぶちかます爆弾なんだけど…………実は、そんな装備を搭載したシュトゥーカを操ったエースパイロットが、第二次大戦中のドイツ空軍に実在している。

 

 凄まじい戦果を残した『ハンス・ウルリッヒ・ルーデル』というエースパイロットなんだけど、彼女の戦い方はそのルーデルを彷彿とさせる。

 

 ちなみに今回の標的は、近隣の村を襲撃してから満足して帰っていく盗賊団のみなさん。僕は後ろ向きに座っているせいで何も見えないけど、きっと今頃地上は地獄絵図でしょうね。だって重戦車を容易く吹っ飛ばす爆弾を投下された挙句、戦車を破壊するために追加で装備された37mm機関砲でダメ押しと言わんばかりに狙い撃ちにされてるんだから。

 

 ああ、今頃地面はとんでもない事になってるんだろうなぁ…………。グロ過ぎてノエルには絶対に見せたくない。見せるとしたらモザイクを用意しないと。

 

 目を瞑りながら合掌すると、急降下していた機体が高度を上げ始めた。蒼空が本来あるべき位置へと戻っていく中、黒煙と真っ赤な何かで染め上げられたグロテスクな大地が僕の目の前に……………。

 

 うわ、これモザイクじゃ無理だよ。そもそも娘にこんな光景見せちゃダメ。

 

(終わったよ、シン。はぁ……………やっぱり、急降下爆撃っていいね♪)

 

「そ、そうだね……………」

 

 大地を眺めてから、もう一度合掌する僕。

 

 ちなみにミラは、若い頃に参加したファルリュー島攻略作戦で、墜落してもおかしくないレベルの損傷を受けたたった1機のF-22ラプターで無数の敵の戦闘機を圧倒するという戦果をあげた、モリガンのメンバーの中でも熟練のエースパイロットなのである。

 

 あの時は凄かったよ。主翼は爆風のせいで破片が突き刺さりまくってたし、2つあるアフターバーナーのうち片方は炎じゃなくて黒煙を吐いて完全に機能を停止していたし、機体の下部にあるウェポン・ベイはカバーが外れて内部が剥き出しになっていた。しかも、残っていた武装は機銃のみ。そんな墜落してもおかしくない状態で無傷の敵機を次々に叩き落としていったんだ。

 

 当時の味方のパイロットは、『猛禽(ラプター)が不死鳥(フェニックス)になった』と言ってびっくりしていたらしい。

 

 それ以来、彼女は航空機の操縦を好むようになってしまったんだよね…………。今回の依頼はわざわざ急降下爆撃機を使わなくても十分だったのに…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンが転生者たちの襲撃で壊滅してからは、モリガンの本部はエイナ・ドルレアンへと移転している。オルトバルカ王国という大国の南側を統治するドルレアン家の本拠地ともいえる街であり、産業革命と試験的に導入した資本主義経済の恩恵に後押しされて劇的に発展したため、国民からは『第二の王都』とも呼ばれる大都市である。

 

 相変わらず魔物の襲撃を防ぐための防壁に囲まれた、城郭都市じみた伝統的な街だが、その防壁の内側はまさに近代的な大都市と言える。自動車はまだ走っていないが、魔力を原動力とする『フィオナ機関』を搭載した列車が他の都市と繋がっており、その市街地の風景は近代的なヨーロッパの街並みに近い。

 

 とはいえ、産業革命でもたらされた変革だけが存在する街というわけではない。もちろん、産業革命以前からの伝統も残る大都市である。工場や庶民の住む区画とは隔離されたかのような位置に広がるのは、エイナ・ドルレアンに住む貴族たちの屋敷。自分たちの屋敷や所有物を過剰に飾り立てる悪い癖が目立つ貴族の屋敷の中でも、異彩を放つ屋敷が1軒だけそこに建っている。

 

 屋敷と呼ぶには小さ過ぎるが、一般的な家と呼ぶにしては大き過ぎる。両者の中間と言えるかもしれないが、どちらなのかはっきりしない微妙なサイズのその建物は、どちらかというと伝統的なデザインを守り抜いている古い外見の建物だ。

 

 ブラウンのレンガで覆われたその屋敷は、現在のモリガンの本部である。

 

 壊滅したネイリンゲンの本部と全く同じ屋敷を、メンバーたちの要望で完全に再現した建物である。庭の面積や建物の大きさだけでなく、内部の構造まで完全に再現されているため、ネイリンゲンの屋敷をよく知る者が目にすれば、まるでネイリンゲンの屋敷をそのままエイナ・ドルレアンまで持ってきたのではないかと思い込んでしまうことだろう。

 

 街の防壁の外に用意された滑走路へと愛用の急降下爆撃機を着陸させた夫婦が、その屋敷の玄関を開けて中へと入って行く。モリガンのメンバーは全員がまだ現役であるが、モリガン・カンパニーが本格的に規模を広げ始めてからはメンバーが全員集まることが珍しくなったため、現在では実質的に活動しているのはシンヤとミラの2人だけという状況になっている。

 

(ただいま、ノエルっ♪)

 

「あ、ママ! おかえりなさいっ!」

 

 ネイリンゲンの本部ではリキヤやエミリアたちが寝室として使っていた部屋は、シンヤとミラの娘であるノエル・ハヤカワの部屋となっている。幼少の頃に身体が弱いという事が発覚してからは常にこの部屋で過ごしているため、彼女がこの部屋を出ることは稀なのだ。だから、最愛の娘のためにと必要な物はすべてこの部屋に完備されている。

 

 仕事を終えたミラは、ベッドの上で人形で遊んでいたノエルを抱き締めると、頬にキスをしてから微笑んだ。転生者とハーフエルフの間に生まれたノエルは、母親の血の方が濃かったのか、種族はミラと同じくハーフエルフという事になっている。自分と同じく尖った長い耳をぴくぴくと動かしながら母の顔を見上げたノエルは、微笑みながら手にしていた人形を毛布の上に置いた。

 

 彼女は裁縫が得意らしく、よく自作の人形を作っては1人で遊んでいる事が多い。ベッドの上には彼女が作った作品がずらりと並んでおり、まるで小人たちとパーティーを開いているようにも見える。

 

 どさくさに紛れて見覚えのある人物をモチーフにしたと思われる人形も、その中に加わっていた。紳士のような恰好の黒髪の男性と手を繋いでいる銀髪の女性のぬいぐるみは、ミラとシンヤがモデルになっているのは言うまでもないだろう。よく見るとその後ろにはモリガンのメンバーや旅立ったタクヤたちをモデルにした人形も並んでいる。

 

「ママ、見て見て! お兄ちゃんたちのパーティーとモリガンのみんなを作ってみたの!」

 

(あら、上手じゃない! ノエルは大人になったらお人形屋さんになるの?)

 

「ううん、いっぱいお人形さんがいるとね、寂しくないの。みんな一緒だもん」

 

(そう…………)

 

 屋敷の周囲は、重機関銃を搭載したドローンの群れが警備している。だからドローンを突破できるほどの実力者が攻め込んで来ない限り、屋敷の中は安全なのだ。

 

 しかし――――――――そのドローンたちは、ノエルの遊び相手ではない。彼女からすれば、幽閉されているにも等しい彼女を外敵から守る、無言の守護者たちでしかないのである。

 

(ごめんね、ノエル。最近は仕事が忙しくて…………)

 

「いいの、大丈夫だよ。私、1人でも大丈夫だもん」

 

(…………あっ、そうだ。ノエル、明日3人でお買い物に行かない?)

 

「お買い物!?」

 

 いつも家の中で過ごしているノエルにとって、家の外は魅力的な世界だ。大通りを進んでいく馬車も、遠くで蒸気を噴き上げながら客車を引っ張っていく列車の雄姿も、全て窓ガラス越しにしか目にしたことのない未知の世界。もちろん、足を踏み入れたことのない世界だし、他の都市と比べると治安が良いとはいえ、白昼堂々スリや殺人事件が起こるのも珍しい話ではない。それに、ノエルは元々気が弱い少女であるため、家の外には極力出さないように気を配っていたのだ。

 

 今まで続けてきたその習慣を破ってまで彼女を買い物に連れて行こうという提案をしたのは、傍らに置いてあるタクヤがモデルになったと思われる小さな人形を、愛娘が寂し気に見下ろしていたからだろう。

 

 軽率な提案かもしれないが、たまには彼女を外に出すのもいいかもしれない。さすがに、一生このまま部屋の中で過ごさせるわけにはいかないし、夫も娘を箱入り娘のままにするつもりもない筈である。

 

 相談すれば、きっと首を縦に振ってくれる筈だ。

 

「で、でも、ちょっと怖いな…………」

 

(大丈夫よ。パパとママも一緒だから)

 

「う、うん…………そうだよね。私のパパとママはとっても強いし」

 

(うんっ! 悪者なんか、すぐにやっつけちゃうわ!)

 

 微笑みながら拳を握りしめると、ノエルも真似をして拳を握りしめた。まだ14歳の彼女の手をぎゅっと握ったミラは、愛娘を抱き締めながら早くも何を買ってあげようか考え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――つまり、僕にも〝その可能性”はあると?」

 

『ああ。仮説だが…………お前も俺と同じ条件を満たしている。もしかするとお前も…………』

 

 僕は兄さんの仮説を聞きながら、息を呑んだ。もしこの仮説を教えてくれたのが兄さんではなかったのならば、そんな可能性もあるんだろうと思う程度で終わっていた事だろう。でも、その仮説を教えてくれたのがこの世界初の〝キメラの原点”となった男なのだから、あまりにも大き過ぎる説得力がある。

 

 キメラは突然変異の塊と言えるほど特異な種族だ。魔物の持つ能力を身に着けた人間のようなものと思いきや、その魔物に全く関係のない能力を兼ね備えている事がある。天才技術者と言われるフィオナちゃんでもその傾向すらつかめていないほどの、謎の種族なのだ。

 

 もし本当ならば、『キメラとは人間とサラマンダーの混血のようなものである』という定義が、書き換えられてしまうかもしれない。

 

『それに…………確か、ミラが妊娠したのは義手を移植した後だったよな?』

 

「…………まさか、ノエルにも?」

 

『ああ。むしろ、お前よりもノエルの方が可能性が高いかもしれん』

 

「馬鹿な…………兄さん、あの子は身体が弱いんだよ?」

 

『キメラは突然変異の塊だ。何があるか分からん』

 

「…………」

 

『とりあえず、しっかり面倒を見てやれ。それと何か予兆があったら報告しろ。いいな?』

 

「…………了解(ダー)、同志リキノフ」

 

 息を吐きながら無線の電源を切り、僕は近くにあった椅子に腰を下ろした。かぶっていたシルクハットをテーブルの上に放り投げ、形成が始まった仮説から目を逸らすようにティーカップを拾い上げる。

 

 ノエルは身体が弱いんだ。彼女に可能性があるなんて…………ありえない。

 

 でも、考えてみれば僕も条件を満たしているし、ミラが妊娠したのは僕が右腕にキングアラクネの義手を移植した後。定期的に血液を体内に注入していたから、ノエルの遺伝子にもキングアラクネの遺伝子が紛れ込んでいてもおかしくはない。

 

 もし今まで身体が弱かった原因が〝この仮説通り”なのだとしたら…………………!

 

「―――――――そんな馬鹿な」

 

 否定したかったけれど、口にした直後に兄さんの言葉を思い出してしまった僕は、もうその仮説を否定する事が出来なくなってしまった。

 

「………………」

 

 最近、夢の中に蜘蛛が出てくる。種類はバラバラで、世界中のあらゆる蜘蛛が僕の事を追いかけてくるのだ。

 

 最初は逃げ切れたんだけど、最近は段々と蜘蛛たちに追いつかれる事が多くなってきている。無数の蜘蛛たちが僕の身体にへばりつき、蠢きながら僕の身体を覆い尽くしていくのだ。

 

 もしかして、これが予兆なんだろうか。発狂してしまいそうなこの悪夢が、兄さんの仮説どおりの予兆なのか?

 

 僕は息を吐くと、ティーカップを傾けてからテーブルの上に置き、歯を食いしばった。

 

 

 

 おまけ

 

 過労死注意!

 

シンヤ「つ、つかれた…………」

 

リキヤ「お、お疲れ様」

 

シンヤ「今日で依頼40件目だよぉ…………」

 

リキヤ「働き過ぎだろ。お前、少し休めよ。クマ出てるし………」

 

シンヤ「うん、そうする――――――――」

 

ミラ(シン、大変だよ! また依頼が来てる!)

 

シンヤ「ま、またぁ!?」

 

ミラ(ほら、早く! 出撃だよっ♪)

 

シンヤ「うわぁぁぁぁ…………」

 

リキヤ(ルーデルみたいな奥さんだ…………)

 

ギュンター(シンヤ、頑張れ…………)

 

 完

 

 

 

 




リキヤ=強過ぎる変態
エミリア=まとも
エリス=純粋に変態
フィオナ=技術力がもう変態
カレン=まとも
ギュンター=純粋に変態(男性枠)
シンヤ=まとも
ミラ=エースパイロット過ぎる変態

…………なんだこの変態傭兵ギルド。


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ノエルが買い物に行くとこうなる

 

 エイナ・ドルレアンは第二の王都と呼ばれるほど発展した大都市の1つである。今では馬車を凌ぐ普及率を誇る列車の線路もオルトバルカの各地へと伸びており、利用する客も増加し続けている。工場の数も同じように増え続けているため、遠方から働きに来る労働者も珍しくなく、駅の改札口から先が混雑しているのは日常茶飯事だ。

 

 ガラス張りの華やかな駅の入口から出てくる利用客たちを見つめていた僕は、黒いスーツの裾をぐいっと引っ張られ、微笑みながら下を見下ろした。僕とミラの間に生まれた愛娘にとっては、今日は人生で初めて家の外を本格的に出歩く日なのだ。きっと楽しみにしているに違いない。

 

 僕の袖を引っ張ったノエルは、セミロングの黒髪から左右に延びたハーフエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながらはしゃいでいる。この耳を動かす癖は若い頃のミラと同じで、彼女もはしゃいでいる時は今でも耳をよく動かしている。逆に体調が悪かったり、落ち込んでいる時は耳が下を向くという特徴があるので、彼女とノエルの場合は耳を見ていれば何を考えているのか分かる。

 

「ねえねえ、今日はどこに行くの?」

 

「ええと、近くにあるショッピングモールでお買い物だよ。ノエルの服を見たり、今日の夕飯の食材を買ってから…………近くのレストランでお昼にしようか」

 

「レストラン!? 私、レストランに行くの初めてっ!」

 

「あはははははっ、そういえばそうだね。今日はいっぱい楽しみなよ」

 

「うんっ!」

 

 ああ、また耳が動いてる…………。

 

 元気な子犬を思わせる愛娘の頭を撫でながら、僕はそれを見守っている妻に向かって微笑んだ。耳を動かしながらはしゃぐ娘を見ていると、若い頃の妻の事を思い出してしまう。

 

 病弱でなかなか家の外に出ることがないノエルだけど、彼女も大きくなったら僕たちに結婚することになるのだろうか。ノエルがそれで幸せならば僕たちは祝福するけれど、何だか寂しいなぁ…………。いつも依頼を終えて家に帰ると、ノエルに笑顔で出迎えられた瞬間に疲労が全て消滅していたというのに、その彼女が見知らぬ男と結婚することになるのだから。

 

 ああ、愛娘を幸せにできるような男性と結ばれることを祈りたいけれど、もし彼女を悲しませるような奴だったら………………とりあえず、バラバラにしよう。うん、昔から何かをバラバラにするのは得意分野だからね。爪先から1cmずつハムみたいに輪切りにして肉屋に出荷してやる。

 

(それじゃ、行きましょう♪)

 

「おー!」

 

 ノエルの小さな手を優しく握りながら、家族3人で石畳に覆われた伝統的な通りを進んでいく。エイナ・ドルレアンは産業革命の恩恵で一気に発展した街だけど、伝統的な部分がすべて失われたというわけではない。この石畳の通りや古い建築様式の家は、オルトバルカの伝統らしい。

 

 中には僕たちが若い頃から景色が変わらないところもある。そういう場所を目にすると、魔物を目にする度にビクビクしていた若い頃を思い出してしまう。

 

 何だか、懐かしいな。アサルトライフルを抱えながらみんなよりもどうしても遅れてしまって、よく兄さんやミラに励まされてたような気がする。あの頃は銃が重いって思ってたんだけど、今では7.62mm弾を使用するような反動の大きな銃を片手でぶっ放すのは当たり前だ。……………腕力、かなり鍛えたんだよね。

 

「あ、パパ見て見て! 機関車!」

 

「本当だね。問題です、あの列車はどこに向かうのでしょうか?」

 

「えっと、確か王都はあっちに………………あっ、王都だ! ラガヴァンビウス行きっ!」

 

「あははははっ、大正解!」

 

「やったぁっ♪」

 

(ノエルは賢いのねっ♪)

 

 この子は外に出ることはないから、いつもは部屋の中で人形たちと遊ぶか、ミラが買って帰る本を読んで過ごしている。時折家を訪れるフィオナちゃんとお話をするのも楽しみにしているらしく、その度に色々と彼女から外の世界の事を聞いたりしているらしい。

 

 それと、不規則的に家に届くタクヤくんたちからの手紙でダンジョンの事を知るのも、家の外に出られないノエルの数少ない楽しみの1つだ。手紙の中には白黒の写真を同封している物もあって、その写真には仲間たちが一緒に写っていた。

 

 今頃、彼らはシベリスブルク山脈を越えているだろうか。一昨日家に届いた手紙には、『スオミの里のみんなと仲良くなった』って書いてあったし、今頃はスオミの里だろうか。

 

 あの辺りの気候はかなり特殊だ。シベリアを思わせる極寒の山脈の向こうに、中東を思わせる灼熱の砂漠が広がっているのだから。

 

 一説では、カルガニスタンやフランセン共和国から流れてくる熱風が、シベリスブルク山脈を温めることで〝辛うじて”オルトバルカが人間が住めるような雪国にしているのだという。その両国が存在しなければ、このエイナ・ドルレアンも今頃は永久凍土になっているに違いない。逆にシベリスブルク山脈がなければ、フランセン共和国は自国の火山のせいで火の海と化し、カルガニスタンも人間が住めないほどの気温になっているという。

 

 ちなみにこの説は、僕が学んだのではなく、ノエルが本を読んで僕に教えてくれた知識だ。前世の世界では考えられない事だけど、この世界ではこういう環境は当たり前らしい。

 

 この子は大きくなったら何になるんだろうね。フィオナちゃんみたいな研究者かな? 兄さんならあっという間に採用してくれそうだけど。

 

 お気に入りのぬいぐるみを抱えながら歩くノエルを連れ、妻と一緒に大通りを歩き続ける。すれ違った知り合いに挨拶していると、時折ノエルの抱えている人形を他の女の子が興味深そうにじっと見つめていた。きっと、あのぬいぐるみはどこで売っているんだろうかと思っているんだろう。

 

 残念だけど、ノエルが抱えているぬいぐるみは非売品だ。なぜならば、彼女が裁縫の練習を繰り返して作り上げた手作りのぬいぐるみなのだから。

 

 ちなみに、今抱えているぬいぐるみはラウラちゃんがモデルになっている。綺麗な赤毛や髪の中に隠れている角だけでなく、ミニスカートの中から伸びるキメラの尻尾までちゃんと再現してある。ノエルからすれば尊敬する元気なお姉ちゃんのぬいぐるみだけど、他の人から見れば何かのマスコットキャラクターにしか見えないだろう。

 

「それにしても、ノエルって器用だよね」

 

「えへへっ。このお人形さんね、ちゃんとナイフも持ってるんだよっ♪」

 

「え?」

 

 そう言ったノエルは、抱えていたラウラちゃんをモデルにした人形の足の方へと手を伸ばした。脹脛の辺りに装着されているパーツから伸びた糸を引っ張ると、その中に納まっていたナイフを模した黒い糸の塊が展開する。

 

 そ、それまで再現してるんだ……………。

 

「それでね、今度音響魔術を使っておしゃべりもできるように改造しようと思ってるのっ♪」

 

 ラウラちゃん、アフレコお願いします。

 

 というか、音響魔術ってそんな事もできるんだね。

 

 音響魔術は音波を操る事ができる魔術で、大昔にエルフが提唱した魔術の1つだ。一時期は廃れかけていたんだけど、モリガンの傭兵として各地で戦ったミラが得意としており、その力を目にした各地の魔術師たちが復興と普及を目指して努力を続けた結果、今ではメジャーな魔術の中に名を連ねつつある。

 

 特定のの属性に含まれない『無属性』に分類される魔術で、魔力を音波に変換することで超音波を発したり、今のミラのように口を動かさなくても声を出す事ができるようになる。その気になれば僕や兄さんの声の真似もできるらしい。上手く使えば、ボイスレコーダーのように音声の録音もできるんだとか。

 

(ノエルは器用なのねぇ)

 

「ありがとっ。あ、ママのお人形さんも作ったの。お部屋にあるよ♪」

 

(シン、私この子を純粋な子に育てられて満足してるわ)

 

「ぼ、僕も…………」

 

 純粋だよね、ノエルって。

 

 彼女の頭を撫でながら歩いていると、通りの向こうにショッピングモールが見えてきた。王都に引っ越しした昔の貴族の屋敷を購入し、それを改装してそのままショッピングモールにしたという変わった経歴のある大きな店で、天井の一部は駅のようにガラス張りになっていたり、床には豪華なカーペットが敷かれていて、貴族の屋敷だった頃の面影をまだ残している。

 

「あっ、あそこ?」

 

「うん、あそこだよ。さあ、最初はノエルのお洋服を見に行こうね」

 

「わーいっ♪」

 

 僕とミラは微笑むと、ノエルと手を繋ぎながら入口へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜日だからなのか、ショッピングモールの中はやたらと混雑していた。正装に身を包んだ紳士や、やけに派手なドレスに身を包んだ淑女も見受けられるけど、大半は週に数回の休日を謳歌する家族連れの労働者だろう。

 

 中には仕事で工場を訪れた時に顔を合わせたことのある労働者もいて、彼らと目が合う度ににっこりと微笑みながら小さく頭を下げておく。お互い家族連れで買い物の最中なのだから、仕事の話をして雰囲気を壊すような真似はしない。

 

 エイナ・ドルレアンの工場は他の工場や企業と比べると賃金も高いし、従業員への待遇もいいと言われている。それに、種族の差別を一切しないので、他の企業や工場に不満を持つ従業員の大半はエイナ・ドルレアンかモリガン・カンパニーに就職しているような状態だ。

 

 まあ、大概の貴族が経営する工場は利益を最優先にしてるからね。従業員兵の待遇は二の次だし、種族の差別は当たり前だ。酷いケースでは人間以外の種族の従業員の賃金が、人間の従業員の3分の1になっている工場もあるという。

 

 今しがた僕に頭を下げていったのは、この前その工場を退職してモリガン・カンパニーに再就職したハーフエルフの男性だった。3歳の息子と2歳の娘がいる4人家族で、さすがに家族を養うには賃金が3分の1では辛かったんだろう。今ではモリガン・カンパニーの技術分野で新技術の開発に勤しんでいるらしい。

 

「パパ、知り合いの人?」

 

「ああ、お仕事で会った事があるんだ」

 

「そうなんだ」

 

 僕も頑張って、この子を育てないと。

 

 ノエルの息が少しだけ上がっていることに気付いた僕は、ミラと頷き合ってから少しだけ歩くペースを落とした。彼女は幼少の頃から身体が弱くなっており、普通に歩くだけでも息切れしてしまう事は珍しくない。

 

 あらゆる種族の中でもオークと並んで身体が屈強とされているハーフエルフでは考えられない体質だ。

 

(ノエル、大丈夫?)

 

「う、うん、大丈夫だよ。えへへっ」

 

 呼吸を整えるノエルを連れ、エレベーターを目指す。洋服売り場は確か5階にあるから、そこまで階段を使ってノエルを連れて行くわけにはいかない。下手をしたらノエルが動けなくなってしまう。肩車とかだっこをしても良いんだけど、さすがに14歳の娘にそんなことをすればノエルが恥ずかしがってしまう。僕やミラは構わないんだけど、ノエルが嫌がるだろうからね。娘の事が第一だ。

 

 エレベーターは1階の隅の方に4つ並んでいた。前世の世界から見れば古めかしい雰囲気のエレベーターで、鉄格子を思わせるような扉が特徴的だ。もちろんモリガン・カンパニー製で、ワイヤーと側面の歯車を使ってエレベーターを昇降させる仕組みになっている。小型のフィオナ機関が動力源で、中にはそれに魔力を送るためにエレベーターガールが待機している。

 

「いらっしゃいませ。何階へ向かいますか?」

 

(5階でお願いします)

 

「はい、かしこまりました」

 

 制服に身を包んだエルフのエレベーターガールが、5階のボタンを押してから壁に描かれている魔法陣に手をかざし、フィオナ機関へと魔力の供給を開始する。張り巡らされた細かい配管の中で加圧された魔力が動力源へと伝達され、側面の歯車が、ガチン、と駆動し始める。

 

「わあ…………パパ、見て! すごーい…………!」

 

 袖を引っ張りながらノエルが見ているのは、後ろに広がるエイナ・ドルレアンの街並みだろう。エレベーターの壁はガラス張りになっていて、外の景色が一目瞭然なのだ。

 

 窓の外に釘付けになっているノエルの耳が、ひっきりなしにぴくぴくと動く。やっぱりこの子も妻(ミラ)と同じく、耳を見ていれば何を考えているのか分かる。いつもはしゃいでいる時はこんな感じに耳を動かしてるからね。

 

「5階でございます」

 

「ありがとう」

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

「お姉さん、ありがとうっ!」

 

「ふふふっ。楽しんでいってね」

 

 エレベーターガールを担当していたエルフの女性に手を振りながら、ノエルは僕たちの後をついてくる。彼女がはぐれないようにすぐに手をつないだ僕は、壁に用意されている案内板を確認しながら洋服売り場へと向かう。

 

 このショッピングモールが貴族の屋敷だった頃は、洋服売り場のスペースは何に使われていたのだろうか。やたらと広い広場の中にずらりと洋服が並び、壁際の方や広間の柱の近くには試着室が用意されている。前世の世界の洋服売り場の比ではない。天井にはやや小さめのシャンデリアがぶら下げられていて、まるでショッピングモールの中というよりは貴族の屋敷の中にでもいるかのようだ。本当にここは改装したのだろうか?

 

「わあ…………!」

 

 ノエルには何が似合うかな? 真っ白なワンピースが似合うんじゃないだろうか?

 

 まあ、ノエルの好きな服が一番だね。

 

 耳をぴくぴくと動かし、目を輝かせながら洋服売り場を見渡すノエル。僕が「好きなのを選んでね」というよりも先に、まるで飼い主が放り投げたフリスビーを一目散に追いかける子犬のように、ノエルは駆け足で洋服売り場の方へと走っていった。

 

 あ、ノエル。お前は身体が弱いんだから走ったらすぐに息上がっちゃうでしょ。

 

(ちょ、ちょっと、ノエル!)

 

「まったく…………」

 

 それに、はぐれたら大変だ。あの子は家の外に出て本格的に出歩くのはこれが初めてなんだから、僕たちからはぐれてしまったら九分九厘はぐれてしまうに違いない。

 

 少しばかり慌て、僕とミラは同時に走った。ノエルは目を輝かせながら並んでいる洋服の中から真っ白なワンピースを手に取ると、楽しそうに笑いながら試着室の方へと走っていく。

 

 まったく、ノエルったら。ちゃんと買ってあげるから、そんなに慌てなくてもいいじゃないか。

 

 ノエルが右に曲がったのを確認し、僕も通路を右に曲がる。確か、そっちの方にも試着室があった筈だ。前にこの洋服売り場に新しいスーツを買いに来た事があったんだけど、試着室の中も結構豪華だったんだよね。まあ、元々は貴族の屋敷だったし、そういう雰囲気を出しているのもここが人気の理由なんだろう。

 

 そんな事を考えながら通路を曲がり終えた瞬間、僕は目を見開いた。

 

「――――――――えっ?」

 

 あ、あれ? ノエル…………?

 

 通路の先に、黒髪のハーフエルフの少女の姿はなかった。はしゃぎながらワンピースを手にし、試着室へと走っていく愛娘の姿はなく―――――――――高級そうな雰囲気を放つ木製の床と、ずらりとならぶ大人用の洋服の間に挟まれた通路には、彼女が手にしていた筈のものと全く同じデザインの白いワンピースが…………。

 

 慌てて、僕は走った。近くに曲がり角があったから、そっちに走っていったに違いない。はしゃぎすぎてワンピースを落としてしまっただけなんだ。ああ、ノエルはちょっとおっちょこちょいだから…………!

 

 顔を青くしながら、近くにあった曲がり角を見据える。けれど、その先にはワンピースを落として慌てる愛娘の姿はなく、洋服を買いに来た買い物客や、新しい服をかける店員しかいない。

 

「ノエル………………」

 

 どこに行ったんだ、ノエル……………!?

 

 

 

 

 

 




タクヤ=シスコンの変態
ラウラ=ブラコン&ヤンデレの変態
ナタリア=まとも(ツンデレ?)
ステラ=食欲の変態
カノン=純粋な変態
ノエル=まとも
クラン=やや変態?
ケーター=まとも(ツッコミ役)
坊や(ブービ)=砲撃の腕が変態
木村=ガスマスクの変態

………モリガンよりテンプル騎士団の方がひでえwww


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蜘蛛と殺意

 

 今日は久しぶりに仕事が休みだというのに、相変わらず妻は容赦がない。

 

 柔らかい枕の上で、家族全員でピクニックに行く夢を見ていたというのに、我が家の愛車であるハンヴィーに乗り込んでエンジンを動かす瞬間に身体を揺さぶられ、妻に目を覚まさせられたのだ。もう少し待ってくれてもいいんじゃないかと抗議しようとしたけど、エプロンに身を包んで微笑む妻に見つめられると、抗議しようとする気持ちも消え失せてしまう。

 

 反則だよ、まったく…………。

 

「おはよう、リキヤ」

 

「ああ。おはよう、エミリア」

 

 身体を起こし、エプロン姿のエミリアを抱き寄せてキスをする。

 

 彼女は昔から早起きしている。俺が目を覚ますのは決まって―――――――エミリアに毎朝起こされる時間である―――――――午前6時と決まっているのだが、エミリアはそれよりも先に目を覚まし、庭で騎士団の頃から欠かしていない剣の素振りをしているのである。それからシャワーを浴びて髪を乾かし、朝食の準備をしてから俺やエリスを起こしに来てくれるのだ。その事を考えると、拒むわけにはいかないじゃないか。

 

 唇を離すと、エミリアは微笑みながら隣で眠っているエリスの身体を揺さぶり始めた。

 

「ほら、姉さん。起きろ」

 

「ん………やだぁ………………まだねむいよぉ………………」

 

「何を言っている。まったく……………だらしないぞ、姉さん」

 

「ん……………もうっ。せっかくスク水の美少女を押し倒す夢を見てたのに……………」

 

 どんな夢を見てるんだよ…………。

 

 とりあえずベッドから出て、着替えを持って隣の部屋へと向かう。寝室ではいつもエリスが着替えているので、俺は空気を読んで隣の部屋で着替えるようにしているのだ。

 

 ラウラとタクヤが父の日に買ってくれたパジャマからお気に入りの私服に素早く着替え、鏡の前で伸び始めた赤い顎鬚を少しばかり弄る。そろそろこの髭を剃った方が良いだろうかと思いつつ鏡の前を離れ、窓の外で全力疾走するD51にそっくりな機関車を眺めてから、俺はリビングへと降りる。

 

 既にテーブルの上には3人分のトーストとスクランブルエッグとサラダが並んでいた。この3人の中で一番料理が上手いのはエミリアなので、料理を作るのはエミリアの仕事になっている。騎士団にいた頃は1人暮らしが基本で、エリスのような精鋭部隊に所属していたわけではないエミリアは、少しでも生活費を節約しようと露店で安めの食材を購入し、自炊するようにしていたという。彼女の料理がどれも絶品なのは、騎士団の頃の涙ぐましい努力の賜物と言っても過言ではない。

 

 いつもの席につき、新聞紙を広げる。さて、今日は休みだし、妻たちを連れて若い頃みたいに演劇でも見に行こうか。確か、話題になってるヴリシア帝国の劇団が近くの劇場で演劇をやる筈だ。

 

「ほら、コーヒーだ」

 

「おう、悪いね」

 

「ふふふっ。…………そういえば、最近はモリガン・カンパニーに反感を持つ輩が多いらしいな」

 

「ああ、聞いてるよ」

 

 俺たちが経営しているモリガン・カンパニーは、前世の世界で主流だった企業の方式をベースにして運営している。社員の待遇や差別をしない事を最優先にしている企業はここだけだと言われるほどで、近年では社員の人数も増えており、世界中に支社が出来上がっている。社員だけで国が建国できるというジョークができるほどだ。

 

 今までは貴族や資本家に好き勝手に働かされるだけだったあらゆる労働者にとっては楽園かもしれないが、それで富を得ていた貴族たちからすれば目の上のたんこぶでしかない。労働者からは支持されるが、貴族からは煙たがられる。それがモリガン・カンパニーの立ち位置だ。

 

 とはいえ、若い頃に引き受けたある依頼で王室ともつながりがあるから、どんな貴族でも声高にその不満を口にする事が出来ないのが実情だがな。あの時、女王陛下を救出する依頼を受けておいて本当に良かったよ。

 

 でも、最近は王室()労働者()の両方から貴族を押さえつけるという構図に綻びが生じつつある。どこの貴族が雇ったのかは不明だが、謎の武装勢力や傭兵ギルドが情報工作を展開したり、こちらの社員を誘拐して身代金や企業の解体を要求する事件が何件か発生している。

 

 現時点ではエミリア率いる警備分野の社員たちの活躍によって、こちらの社員及び民間人の犠牲者はゼロのまま事件は解決されている。まあ、そんな馬鹿な事件を起こしたクソ野郎の人数分の棺桶はいつも必需品だがな。

 

「現時点では従来の装備でも鎮圧できるが……………やはり、そろそろ社員たちにも銃を渡すべきではないか?」

 

「うーん……………そうかもなぁ」

 

 今のモリガン・カンパニーの社員たちが装備している武器は、フィオナが作り上げたスチーム・ライフルや仕込み杖などだ。スチーム・ライフルはマスケットに似た画期的な遠距離武器としてオルトバルカ王国騎士団でも採用が始まっているが、原動力となる蒸気のタンクが重い事と、銃剣を装着して接近戦をする際にタンクとライフルを繋ぐケーブルが邪魔になることなどが挙げられており、現在はフィオナと数名のスタッフが改良を進めている。

 

 今までは社員の中に貴族のスパイが紛れ込んでいる可能性や、その異世界の兵器が原因で内乱が起きたりする可能性を危惧していたんだが、そろそろそれも検討した方がいいかもしれない。それに同志たちを疑うのは失礼だからな。

 

 コーヒーのカップを持ち上げたその時、玄関のドアがノックされた。我が社の社員ならもう少し静かにノックするものだが、ノックと言うよりは殴りつけているような豪快な音である。

 

 せっかくの朝食の時間を邪魔されたことに、向かいに座るエリスが顔をしかめる。俺は彼女を諭すように肩をすくめると、コーヒーのカップと新聞を置いて玄関へと向かった。

 

 ブラウンの上品なドアを開けると、紅い制服に身を包んだ若い男性が立っていた。随分と長い毛皮の帽子をかぶっており、肩に装着している銀の防具には騎士団のエンブレムが刻まれている。騎士団の近衛兵だろう。

 

「失礼します、ハヤカワ卿」

 

「おいおい、俺は貴族じゃないぞ。その呼び方は語弊がある」

 

「はっ、失礼しました」

 

「気にするな。……………ところで、何の用だ?」

 

「はい。先ほど、エイナ・ドルレアンに不審な傭兵の部隊が侵入したとの報告がありました」

 

 不審な傭兵部隊?

 

「……………人数は?」

 

「7人ほど。そのうち3名はスチーム・ライフルで武装していたそうです」

 

「……………わかった。向こうの騎士団にも連絡し、警備体制の強化を」

 

「了解しました」

 

 敬礼をしてから去っていく近衛兵に礼を言い、俺はドアを閉めて息を吐いた。

 

 やれやれ、今日は妻たちと3人で演劇を見に行くつもりだったのに。早くも休日が台無しになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は休日だ。だから仕事が休みになっている労働者の多くが、このエイナ・ドルレアンのショッピングモールを訪れる。それゆえに客の人数も多く、階段やエレベーターは混雑している。

 

 だから、その人混みが全体的に動揺しているという事にはすぐに気付いた。まるでのんびりと草を食べていた草食動物の群れの真っ只中に、いきなり腹をすかせた猛獣を放り込まれたかのような動揺。長年大都市が本格的な侵略を受けることがなく、国民の大半が平和ボケしている状態だったため、その反応は予想以上に大げさだった。

 

 いきなり姿を消してしまったノエルを探していた僕とミラは、ぞくりとしながら怯えている人混みの中へと飛び込んだ。逃げようとする人混みの反対側へと向かい、真っ直ぐに突き進む。

 

 洋服売り場はショッピングモールの5階にある。中央部は1階の広間からそのまま最上階まで吹き抜けになっており、ガラス張りになっている天井から入り込む日光のおかげで、大勢の買い物客が訪れても開放的な雰囲気を維持できるようなデザインになっている。

 

 どうやら人々が怯えている元凶は、その広場の一番下にいるようだった。黄金で装飾された手すりを掴みながら下を覗き込んだ僕は、広場の一番下で数名の男たちが何人かの買い物客を取り囲んでいることに気付き、反射的に臨戦態勢に入る。

 

 吹き抜けになっている広場の一番下には、5名ほどの武器を持った男たちが立っていた。何かの制服に身を包んでいるというわけではなく、私服の上に軽めの防具を身に着けただけだ。装備している武器も騎士団や冒険者が持っているような一般的なロングソードやコンパウンドボウだけど、1人だけ奇抜な武器を装備していることが分かる。

 

 一見すると、それは古めかしいマスケットのようにみえる。けれどもそのマスケットの銃床からは真っ黒なケーブルが伸びていて、それを装備している男の背中にある太いタンクへと繋がっていた。銃には圧力計のようなものが装着されており、針はひっきりなしにぶるぶると震えている。

 

(スチーム・ライフル……………!?)

 

「馬鹿な…………冒険者には装備されてない筈だ」

 

 その男が持っていたのは、モリガン・カンパニーで開発され、倭国で勃発した九稜城の戦いで初めて実戦投入された『スチーム・ライフル』だった。火薬ではなく高圧の蒸気で小型の矢を射出する飛び道具で、連射ができる代物ではないけれど、その貫通力だけならば7.62mm弾に匹敵する威力を誇る。

 

 しかし、まだ問題点も多いため、騎士団にのみ販売している兵器だ。一般の冒険者が手に入れることはできないため、横流しされたとしか考えられない。

 

 どこで手似れたのかは後で突き止めてもらうとしよう。

 

 どうやらその男たちは買い物客を取り囲み、人質にしているらしい。

 

 そういえば、最近はモリガン・カンパニーに反感を持つ貴族が多いという。自分たちが経営する工場よりも良い業績を常に出し続ける上に、社員への待遇も良いため彼らの元を脱走してモリガン・カンパニーへと就職する労働者も後を絶たない。それが段々と反感として成長していき、ついに形になってしまったという事なのだろう。

 

 裏で傭兵を雇い、モリガン・カンパニーに要求を突きつける事件は多発している。おそらく僕たちは、その現場に遭遇してしまったのだろう。

 

(シン、ちょっとあれ…………!)

 

「!?」

 

 ミラが指差した先には、赤毛のぬいぐるみを抱えた黒髪の少女がいた。

 

 先ほどまで大はしゃぎで白いワンピースを手にし、洋服売り場の試着室を目指していた少女と瓜二つである。人形をぎゅっと抱きしめ、ぶるぶると震えているその少女の黒髪から覗くのは、ミラにそっくりな尖った長い耳。

 

「ノエル…………!?」

 

 なんてことだ。ノエルが人質に…………!?

 

「くっ…………ミラ、敵の人数は?」

 

(5人…………いや、7人。見て。4階の手すりの所に狙撃手が)

 

 ミラに言われた場所を見てみると、そこにも2人ほどスチーム・ライフルを構えた狙撃手が待ち構えているようだった。あのまま迂闊に動いていれば、あの2人に狙い撃ちにされていた事だろう。下手をすれば流れ弾が人質に当たる可能性もある。

 

 こっちも隙をついて仲間を人質に取るべきかな? …………いや、ノエルの状態を考えると、出来る限り人質に取られるという極限状態は短時間に抑えておきたい。人質を取っている相手に対して人質を取って交渉するよりも、1人ずつ始末していった方が良い。

 

 ポケットから端末を取り出し、隠密行動の際にいつも携行している相棒を装備する。一見すると長いサプレッサーにそのままトリガーとグリップを取り付けたかのような形状のハンドガンを2人分装備した僕は、片方と予備の弾薬をミラに手渡し、頷いた。

 

 僕が彼女に渡したのは、第二次世界大戦中にイギリス軍が開発した『ウェルロッド』と呼ばれる特殊なハンドガンだ。銃身そのものがサプレッサーになっている隠密行動にはうってつけな銃で、ハンドガンには珍しいボルトアクション式となっている。とはいえ、ライフルのようにボルトハンドルを引くのではなく、後端部を捻ってから引く方式になっている。どちらにせよ連射力と威力は低いので、暗殺に特化した武器と言える。

 

 ある程度の狙撃もできるように、アイアンサイトではなくドットサイトを装着している。ミラはそれの点検をすると、頷いてから移動し始めた。

 

 まず、あの狙撃手から始末しよう。2人の狙撃手が配置されているのは4階の手すりのすぐ近く。立っている位置は吹き抜けを挟んでいる状態だ。片方を始末すればもう片方に気付かれるため、同時に仕留める必要がある。

 

 人込みの中からドットサイトで照準を合わせつつ、ミラが狙撃地点に移動するのを待つ。何をするつもりだと言わんばかりにこちらを見つめる男性に向かってにやりと笑い、再びドットサイトを覗き込むと、ミラが吹き抜けの反対側にあるショーウインドーの近くでウェルロッドを構え、こっちに向かって親指を立てているのが見えた。

 

 3秒後に、同時に発砲する。狙うのはもちろん頭だ。

 

 手すりの装飾の隙間から銃身をそっと出し―――――――――ミラとタイミングを合わせる。

 

 3、2、1、発射(ファイア)。

 

 小さな反動と小さな銃声。そして、銃口から飛び出していくのは小さな弾丸。小石ほどの小さな物体でも、それなりの運動エネルギーを得ることで簡単に人を殺す兵器と化すのである。殺傷力があるのならば、後はそれを使いこなせる人材が射手になるだけだ。

 

 2発の弾丸が吹き抜けの上空で交差する。その弾丸は一瞬だけ日光を小さな身体で遮ると、そのまま直進し、吹き抜けの近くでスチーム・ライフルを構えていた男の眉間へと飛び込んでいった。

 

 まるで眉間を殴りつけられたかのように、がくん、と男の頭が大きく揺れる。上の階にいた〝敵”を認識していたわけではないだろうし、次の瞬間には頭を撃ち抜かれて殺されるなどと想像もしていなかったからなのか、断末魔は全く聞こえなかった。高圧の蒸気が入ったタンクを背負ったまま後ろにあった売り物のベッドの上に崩れ落ちた男は、そのまま永遠に眠ってしまう。

 

 さて、ミラの方はどうなったのかな?

 

『…………クリア』

 

 命中させたみたいだね。

 

 さて、あとは下にいる5人だ。

 

「騒ぐんじゃねえッ! ………おい、モリガン・カンパニーの連中にはちゃんと要求を伝えたんだろうな!?」

 

「はい、リーダー。ちゃんと伝えましたよ」

 

 どうせ、企業を解体しろっていう無茶な要求なんだろう。自分の利益しか考えていない貴族が経営する企業で、この国を支えられるわけがない。それに今ではもうモリガン・カンパニーはオルトバルカどころか世界を支える超巨大企業だ。兄さんが率いる企業は、人類が生きるのに必要な酸素を作る木々のような存在と言っても過言ではない。あいつらが言っているのは、自分の家を作るために地球上の木を全て伐採しろと言っているようなものなんだ。

 

 そんなくだらない要求を呑む必要はないよ、兄さん。

 

 ああ、そう言えば今日は日曜日だったね。きっと兄さんは、この一件で騎士団に呼び出されている事だろう。おかげで立てていた予定が台無しだ。きっと現場にやってくる頃の兄さんは、すっかり不機嫌になっているに違いない。

 

「いいか? モリガン・カンパニーの連中が要求を呑むまで、てめえらは人質なんだ! 大人しくしてろッ!」

 

「なあ、リーダー。ちょっと催促するのもいいんじゃないですかね?」

 

「あ?」

 

 リーダー格の男に、ニヤニヤ笑う小太りの男がそう言った。

 

「人質はこんなにいるんだ。ちょっと殺して催促してやれば、あいつらも顔を青くするに違いない」

 

「ああ、確かにな。ご立派なハヤカワ卿は労働者の味方らしいからなぁ」

 

 待て、まさか人質を殺すつもりか!?

 

 ぞっとしながら見守っていると、その小太りの男が怯える人質たちの中から1人の少女の手を掴んで引っ張り上げた。その少女は黒髪で、赤毛の人形を大切そうにぎゅっと抱きしめた――――――――僕たちの、愛娘だった。

 

(ノエル!)

 

「拙い…………!」

 

 なんてことだ! 一番最初に選ばれたのがノエルだなんて…………!

 

 くそ、このまま突入してしまうか!? ウェルロッドは連射速度が遅い銃だけど、僕たちが持ってる武器はウェルロッドだけではない。巧く白兵戦に持ち込めれば…………!

 

「やっ、やだやだぁっ! 離してっ! 痛いっ…………! パパ! ママ! 助けてぇっ!!」

 

「ハッハッハッハッ、残念だねぇ、お嬢ちゃん。パパとママはどこにもいないよ? 悪いのはモリガン・カンパニーの社長さんなんだ」

 

 そう言いながら剣を引き抜き、怯えるノエルに向かって振り上げる男。

 

 もしノエルが死ぬ瞬間を見てしまったら――――――――僕とミラは、どうなってしまうのだろうか。

 

 病弱な子だったけど、いつかは元気になってくれると信じて育て上げた大切な娘が、あんな自分勝手な要求の生け贄にされてしまうなんて。

 

 そんな理不尽なことが、あってたまるか…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、パパとママと3人でお買い物に来ただけなのに。

 

 ねえ、何でノエルが死ななきゃいけないの?

 

 ずっと窓の外を見て、絵本を読みながら、いつか私もお兄ちゃんたちみたいに冒険者になって、ダンジョンを冒険してみたいと思ってた。だから頑張ってフィオナちゃんの言うとおりにお薬を飲んだり、検査を受けたりしてたのに、何で死ななきゃいけないの?

 

 リキヤおじさんは悪い人じゃない。最初は怖かったけど、いつもお見舞いに来てくれる優しいおじさんだった。

 

 こいつらの言ってることは、間違ってる。

 

 言ってることだけじゃなく、やってることも間違ってる。

 

 パパたちだったら、こういう奴らをどうするのかな?

 

『――――――――きっと、殺すと思うよ』

 

 いつの間にか、私の方の上に小さな蜘蛛さんが乗っていた。複雑でグロテスクな模様の、親指くらいの小さな蜘蛛さん。よく窓の隅に巣を作っている蜘蛛さんにそっくりだった。

 

 鳴き声すらあげない筈なのに、その蜘蛛さんは人の言葉を喋っている。私はそのことにびっくりしたけど、蜘蛛さんは私が「どうして喋れるの?」と質問するよりも先に、また話し始めた。

 

『理不尽でしょう? 嫌なら、殺しなよ』

 

 え? 殺す? ………このおじさんたちを?

 

『そう、殺すんだ。殺さないとこの世界では生きられない』

 

 む、無理だよ。だってノエルは小さいし、弱いんだよ? いつもベッドの上で過ごしてたから戦い方なんてわからないし、パパやママみたいに強くないのに………。

 

『大丈夫だよ。ノエルちゃんには素質がある』

 

『君には武器があるし、力もある』

 

『ノエルちゃんは強いよ。君は天才だもん』

 

『さあ、殺そうよ』

 

『殺せ』

 

『殺せ』

 

『殺せ』

 

『殺せ』

 

『殺せ』

 

 いつの間にか、私の周りに色んな種類の蜘蛛さんが集まってた。

 

 窓の隅で見たような小さな蜘蛛さんもいるし、図鑑に載っているような大きな蜘蛛さんや毒蜘蛛さんもいる。いつもの私だったらきっと気持ち悪くて泣き叫んでいる筈なのに、どういうわけなのか、こんなにたくさんの蜘蛛さんに囲まれても気持ち悪いとは思わなかった。

 

 むしろ、自分の作ったお人形さんに囲まれているみたいに、安心してしまう。

 

『殺せ』

 

 ああ、殺さないと、私死んじゃうんだ。

 

『殺せ』

 

 死んじゃったら、お兄ちゃんたちみたいに冒険できないもんね。

 

『さあ、殺せ』

 

 そしたら、他の女の子みたいに恋もできないもんね。

 

『そうだ、殺せ』

 

 結婚もできないし、子供も産めなくなっちゃうもんね。

 

『さあ、ノエルちゃん』

 

 うん、分かったよ。

 

 私――――――――こいつらを殺す。

 

 



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ノエルの覚醒

 

 エイナ・ドルレアンには大きなショッピングモールがある。昔にここに住んでいた貴族が王都へと引っ越したせいで、取り残されてしまった屋敷をある資本家が購入し、ショッピングモールに改装したという変わった建物である。だから王都にあるようなショッピングモールとは異なり、かつて貴族が生活していた頃の面影がまだ残っているという一風変わった店だ。

 

 第二の王都とも呼ばれるエイナ・ドルレアンの中でも人気のショッピングモールの周囲には、もう既に騎士団の団員たちが展開し、音響魔術を使って傭兵たちに何かを呼び掛けているところだった。シルクハットを片手で押さえながら妻たちと共に野次馬の中を進んでいくと、ショッピングモールを包囲していた団員の1人が俺の到着に気付き、隊長と思われる人物に「ハヤカワ卿が到着しました!」と報告する。

 

 言っておくが、俺は貴族ではない。会社を経営しているごく普通の庶民である。貴族でもないのにハヤカワ卿と呼ばれるのは、我が家が裕福なのか、それとも単なる愛称なのかはまだ分からない。

 

 不快なわけではないが、他の貴族の前でそう呼ばれると、貴族たちが一斉に渋い顔をするのだ。まあ、そいつらを尻目にニヤニヤと笑うのも面白いので、悪くはないけど。

 

 若い団員に敬礼された俺たちは、立ち止まって敬礼を返す。

 

「状況は?」

 

「はい、数名の傭兵たちがショッピングモールを占拠し、広間に立て籠もっています。モリガンカンパニーには『ただちに企業の運営を停止し、この国から退去せよ』と要求しているようです」

 

「馬鹿馬鹿しい。そんなお粗末な恫喝で動じるわけがないだろう」

 

 今まで、そんな事を要求して馬鹿な事件を起こしてきた奴らは全員棺桶に入る羽目になったのだ。きっとこいつらも、同じ運命を辿る羽目になるに違いない。

 

 端末を取り出し、妻たちに武器を支給する。当然ながら室内戦になるし、相手には人質もいるため、アサルトライフルではなくSMG(サブマシンガン)のほうが適任だ。このような場合、命中精度が低い傾向にあるSMG(サブマシンガン)の中でも群を抜いて命中精度の高いMP5が適任となる。

 

 その中でも特に銃身の短いMP5Kを妻たちに支給し、俺も軽く点検をしてからそれを腰に下げた。

 

「君たちはこのまま敵を引きつけてくれたまえ。我々が〝掃除”する」

 

「はっ。ご武運を、ハヤカワ卿」

 

「ありがとう」

 

 今までと同じだ。

 

 トリガーを引き、敵を殺す。今まで何度もやってきた事を、またここで繰り広げるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間に起こった出来事は、これから惨劇が起こると既に決めつけていた僕たちや他の人質たちの予想を容易く裏切った。

 

 傭兵たちや貴族たちの自分勝手な要求の生け贄として、14歳の少女が剣で切り裂かれるという理不尽な光景。次の瞬間には、泣き叫ぶ彼女の声が一瞬だけひしゃげ、鮮血を噴き上げる音にかき消されてしまう事だろうと、その光景を目にしていた全員が勝手に決めつけていたことだろう。

 

 父親にあるまじき考えかもしれないけど、正直に言うと、僕もその予想を裏切られた1人だったと言わざるを得ない。

 

 愛娘を死なせるつもりはない。でも、もしかすると死んでしまうかもしれない。ノエルは死なせない、という正しい思考の裏から染み出し、いつの間にか正常な思考の表面を塗り潰していた諦めを、その目の前の光景が更に塗り潰したのである。

 

 傭兵の振り下ろした剣で、少女が死ぬ。

 

 普通ならばそうなるだろう。

 

 なのに、その無残なシナリオをどう書き換えれば―――――――――その剣が、振り下ろそうとしていた小太りの傭兵の腹に、突き立てられるような結末になるのだろうか。

 

「ガッ……………?」

 

「は…………?」

 

 あの剣は、ノエルに突き立てられる筈ではなかったのか。

 

 ウェルロッドをその男に向けたまま、僕とミラは唖然としていた。手元が狂ったのか、振り下ろされた筈の剣は切っ先の向きを真逆へと変え、男の腹に突き刺さったのである。

 

 ただのミスだろうか? いや、こんなことをしたとはいえ傭兵だ。少なくとも魔物と戦うための訓練は積んでいる筈だから、いまさらそんなミスをするとは思えない。

 

「お、おい、何やってる…………?」

 

「あ、あ、あれ………?」

 

 リーダー格の男に問われ、剣が突き刺さってしまった哀れな男は目を見開いた。

 

 するとその男は、今度はもう片方の手で突き刺さっている剣の柄を握った。とりあえず刺さった剣を抜こうとしているのだろうと思いつつ見守っていると―――――――その男は、自分に刺さっている剣を引き抜こうとするどころか、逆にその剣を下へと下げ始めたのである。

 

 まるで、自分で自分の腹を切り開こうとしているかのようだった。

 

「あっ…………ア…………ギッ……………!?」

 

「ばっ、馬鹿、何やってんだ!?」

 

「わ、分かり………まッ……せんッ…………! で、でも………死ななきゃッ…………!」

 

「はぁ!?」

 

 まさに、自殺行為だ。

 

 小太りの傭兵は、そのまま剣を下に下げ続けた。臍の下の辺りまで剣を下げた彼の腹はまるでこれから調理される魚のように裂けており、殺し合いが日常茶飯事となっている戦場でもお目にかかれないほどの量の鮮血を噴き出し続けている。

 

 紅く汚れる純白の石畳。予想以上の惨劇を目の当たりにしてしまった、人質や野次馬たちの絶叫。そして血涙を流し、白目になりながらも両手を広げ、自分の腹を見せつける小太りの傭兵。

 

 そのまま倒れるのかと思ったけれど、その傭兵はまだ生きているようだった。

 

 今度はその剣を近くに投げ捨てると、その傭兵は空いた両手を自分の腹へと突っ込んだのである。傷口を塞ぐためではなく、逆に押し広げようとしているかのように。

 

 鍛え上げられた剛腕が傷口に入り込み、肋骨や筋肉を圧迫する。何をするつもりなのだろうかと思いながら見守っていると、その傭兵は狂ったように呻き声を上げると―――――――なんと、そのままその両手で自分の内臓を引っ張り出したのだ。

 

 踊り場の反対側で、グロテスクな光景を目の当たりにしてしまったミラが目を瞑り、顔をしかめながら横を向いてしまう。

 

 長い間傭兵を続けていれば、グロテスクな光景には慣れるものだ。戦場でズタズタにされた死体や焦げてしまった死体を何度も目にしてきた。殺した敵の死体が原型をとどめていないのは当たり前だ。でも、目の前で死のうとしている男のように、自分から無残な死に方を望んでいるような『死』は、一度も見たことがない。

 

 まるで見えない何かに、自分の内臓を全てささげようとしているようにも見える。

 

「アッ……ガッ…………アァァ…………ギィッ」

 

「うっ…………ば、馬鹿、やめろッ!」

 

 もう、その男は呻き声しか口にしていなかった。激痛のせいで正気を失っているらしく、もうすっかり白目になっている。でも、身体はまるで無残な死を望んでいるかのように、太い両腕を自分の腹に突っ込んで、相変わらず血で真っ赤になった腸を腹の中から荒々しく取り出し続けている。

 

 やがて男の目の前に腸の山が出来上がる。男は物足りないと言わんばかりにまだ内臓を取り出そうとしたけれど、次の内臓を取り出そうとしたところで身体が動かなくなった。ぴたり、と両腕の動きが止まり、ぐらりと小太りの男の身体が傾く。

 

 そのまま今しがた自分が取り出した腸の山の上に崩れ落ちた。ぐちゃっ、と腸の中から血液が絞り出される音が響き、呻き声の残響をかき消す。

 

「う、うわ…………」

 

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 男が絶命してから3秒ほど経過してから、その惨劇を目の当たりにしてしまった者たちは全員我に返った。予想外の惨劇に奪われていた感情が一斉に戻ってきたかのように、野次馬や人質たちはあっさりとパニックに支配されると、傭兵たちが武装しているにもかかわらずそのまま遁走を始めたのである。

 

 普通なら、逃げ出した人質たちを始末するために傭兵たちも武器を振るうところだ。しかし、その傭兵たちもいきなり仲間の1人が無残な死に方で自殺したことにショックを受けているらしく、唖然としたままだった。逃げ出す人質を追いかける傭兵は1人もいない。

 

 でも、その惨劇が起こった広場の中で、1人だけパニックを起こしていない少女が佇んでいた。もしいつもの彼女がこんな光景を目にしてしまったら、真っ先にパニックを起こしている筈なのに。

 

 しかも、すぐ近くで自分を殺そうとした男が無残な死に方をしたのに―――――――――ノエルは、全く動じていなかった。

 

「ノエル…………?」

 

 倒れている男を見下ろしていたノエルは、無言で顔を上げた。

 

 黒髪に付着した血を白くて小さな手で拭いながら、まだパニックを起こしているリーダー格の男に手を伸ばす。そして、彼女は―――――――――純粋な愛娘とは思えない言葉を、口にする。

 

「――――――――お前も、死んじゃえ」

 

「え…………?」

 

 信じられない。

 

 ノエルは優しくて、とても純粋な女の子なのに。

 

 あの子は、もし仮に憎たらしい相手が目の前にやってきたとしても、決して「死ね」と言うことはない筈だ。いったい何が起きているのだろうか。

 

 すると、そのリーダー格の男は、手にしていたスチーム・ライフルの銃口を自分の胸板に当てると、まるで自分の身体を自分で撃ち抜こうといているかのように指をトリガーへと近づけ始めたのである。スチーム・ライフルの貫通力は7.62mm弾にも匹敵するため、そんなことをすれば間違いなくただでは済まない。ヒールで治療する暇もないだろう。

 

 けれど、トリガーを引こうとしているリーダーの指は、まるで抵抗しようとしているかのように痙攣を続けていた。どうやら自分の意思ではなく、何かに身体を操られているらしい。

 

「り、リーダー! 何やってるんです!?」

 

「わ、分からねえ! かっ………身体が……………ッ」

 

 部下がリーダーの自殺を止めようとした頃には、リーダーの腕力が、見えない何かに屈してしまっていた。

 

 太い親指がトリガーを押し込み、スチーム・ライフルに接続されたケーブルが一瞬だけ膨らむ。その高圧の蒸気によって押し出された鉄製の矢はクロスボウを遥かに上回る運動エネルギーを与えられ、飛竜の外殻も貫通可能なほどの破壊力を纏いながら、銃口から飛び出す。

 

 その矢はすぐにリーダの胸板へと突き刺さると、容易く胸筋と胸骨を粉砕し、肺と心臓を木端微塵にすると、背骨を食い破って肩甲骨の間から姿を現した。

 

 そして今度はリーダーが背負っていた蒸気の入っているタンクを貫くと、高圧の蒸気でリーダーの背中をズタズタに引き裂いてしまう。至近距離で蒸気を放つだけでも人間の皮膚を容易く抉るほどの圧力の蒸気が噴き出したのだから、タンクを背負っていたリーダーの肉体が原型を留めていられる筈もない。純白の蒸気を先決と肉片で薄い紅色に染め上げながら、鍛え上げられた男の肉体が砕け散る。

 

「ひいっ……………!?」

 

 傍らで砕け散った男の返り血を浴びたノエルが、生き残った傭兵たちの方をゆっくりと見つめながら、いつも人形を抱えている細くて真っ白な手を、彼らへと向けて伸ばす。

 

 まるで「怯えるな」と言うかのような優しい仕草だったけど、その真っ白な腕が何の前触れもなく変色し始めた瞬間、唖然としていた傭兵たちが復活したパニックに再び支配された。

 

 何と、エルフに間違われるほど真っ白なノエルの右腕が、唐突に黒と黄色の複雑な模様へと変色したのである。単純な縞々模様ではなく、まるでジョウロウグモのような模様だ。しかも肌が変色しただけでなく、よく見ると昆虫の外殻と騎士の鎧を組み合わせたような形状の外殻に覆われているのが分かる。

 

 騎士の放つ重々しさと昆虫の醸し出すグロテスクさが融合した、奇妙な右腕。それが今のノエルの右腕である。

 

「あれは……………」

 

 ゆっくりと変異を終えていく彼女の腕を見た瞬間、僕は兄さんの身体の事を思い出した。

 

 この世界初のキメラとなった兄さんは、自由自在にサラマンダーの外殻を生成して皮膚を覆い、硬化する事ができる。外殻の形状と色は全く別物だけど、ノエルの今の右腕は、その兄さんの能力にそっくりだった。

 

「まさか…………!」

 

 ミラが妊娠したのは、僕が右腕にキングアラクネの義手を移植した後の事だ。この世界の義手は機械ではなく魔物の素材を使用するため、そのまま移植すると身体が拒否反応を起こしてしまう。そのため、遺伝子的に全く違う生物の身体の一部を馴染ませるために、少しずつその素材に使った魔物の血液を身体に投与する必要がある。

 

 この世界の人々はそれに免疫があるのか、変異を起こすことはない。けれど転生者はこの世界の人間ではないから、その免疫を持ち合わせていないために変異を起こし、キメラとなってしまう。それがフィオナちゃんの仮説だ。

 

 そして父か母がキメラとなった場合、その遺伝子まで子供に影響してしまう。両親の片方がキメラならば、生まれてくる子供もほぼ確実にキメラとして生まれてくるのだ。しかも、原点(第一世代)となる親よりも強力なキメラ(第二世代)として。

 

 今までノエルがキメラになる予兆は全くなかったし、種族もハーフエルフという事になっていたんだけど、どうやら極限状態を経験したことで変異が促進されてしまったらしい。

 

 つまり―――――――――ノエルは、キメラとして覚醒したという事になる。

 

 しかも、謎の能力まで身に着けた状態で。

 

(ノエルが、キメラに…………!?)

 

「…………!」

 

 突き出したノエルの右手の指先から、銀色に煌めく無数の何かが放出され始めた。とはいえ、おそらく常人では黙視することは出来ないだろう。常人離れした視力の持ち主か、魔術でも使わない限りその糸は見えない。

 

 まるで蜘蛛が巣を作ろうとしているかのように広がり始めたその糸は、いきなり右腕を変異させた少女に驚く傭兵たちの身体にひっそりと絡み付いた。傭兵たちは「な、何だその腕は!?」と叫びながら動揺しているけれど、ノエルは何も答えない。指を小さく動かしながら巧みに糸をコントロールし、傭兵たちの急所に的確に糸を巻き付けていく。

 

 もし彼女が僕の遺伝子のせいでキメラになってしまったのだとしたら――――――――あの糸は、普通の糸ではない。

 

 普通の蜘蛛は、粘着性の糸を使って獲物を絡めとり、捕食してしまう。魔物の一種であるアラクネも同じく、粘着性の糸を操ることで有名だ。けれども僕が移植した義手は、〝キングアラクネ”と呼ばれる強力な魔物の義手である。

 

 蜘蛛と騎士を融合させたような奇妙な外見の魔物で、他の蜘蛛と同じく糸を操るんだけど、その糸は得物を絡め取るための糸ではなく、触れたものを瞬く間に切り刻んでしまうほどの硬質の糸なのである。しかもキングアラクネは極めて獰猛で、その気になればドラゴンをバラバラにして捕食してしまうという。

 

 ノエルが受け継いだ遺伝子が、そのキングアラクネの遺伝子なのだとしたら、あの糸は―――――――!

 

「ぎっ」

 

 そう思った次の瞬間、すっかり人質が逃げてしまった広い広場でノエルを睨みつけていた男の肉体に、ついにその糸がめり込み始めた。皮膚に糸がめり込んだと思った頃には糸が皮膚を切断して筋肉繊維をズタズタにし、複雑な形状に寸断される羽目になった男たちが、一斉に鮮血を噴き上げた。

 

 床を埋め尽くした鮮血の上に、グロテスクな音を奏でながら無数の肉片が降り注いでいく。身に着けていた剣や防具もろとも切断していたらしく、中には金属の破片も混じっていた。時折聞こえる金属片はそれが原因なんだろう。

 

 もう、広場に立っている人影はノエル以外にいない。倒れている男たちも、全員原形を留めない状態で床に転がっている。まるで猟奇的な殺人事件の現場を目にしているようだ。

 

「!」

 

 覚醒したばかりだったからなのか、ノエルの小さな身体がぐらりと揺れる。返り血まみれのノエルがゆっくりと血の海の上で崩れ落ち、吹き抜けの上で見守っていた僕たちを見て微笑んでから、彼女は瞼を閉じた。

 

 

 



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キングアラクネのキメラ

 

 血生臭いあの臭いは、よく覚えている。数秒前まで彼女は、その臭いの真っ只中にいた筈だ。

 

 なのに、目の前に広がっているのは見覚えのある光景だった。いつも目を覚ませば決まって目にする、自室の落ち着いた天井。そこからぶら下がる小さなシャンデリア。顔を左右へと動かしてみると、まるで彼女の寝顔を見守るかのようにお手製の人形たちが彼女の事を見つめている。

 

 いつも目を覚ませば広がっている光景。常人から見れば狭すぎるかもしれないが、これが身体の弱い彼女の世界の面積だ。立ち歩くことはできるが、長続きはしない。まともに歩く事ができないというだけで、その個人の世界は著しく狭くなる。人類からすれば地球儀に描かれた領域が〝世界”の定義かもしれないが、彼女からすればこの部屋の外は〝世界の外”だ。

 

 そして彼女は、その世界の外に出た。いつも彼女を包み込む部屋を出て、街の中のショッピングモールに買い物に行き…………そこで、怖い思いをした。

 

「…………!」

 

 振り下ろされる剣。怒鳴る男たち。怯える人質たち。

 

 死にかけた瞬間の光景がフラッシュバックし、ノエルは慌てて両手で頭を押さえた。今までベッドの上で人形たちと過ごし、家族以外の他人に会う事は殆どないような状態で育ってきたのだ。彼女にとっては他人ですら恐ろしいというのに、その他人の中でもひときわ恐ろしい人間に殺されそうになったのである。

 

「ノエル」

 

「あ…………パパ…………?」

 

 ぶるぶると震える彼女に最初に声をかけたのは、ベッドの近くに腰を下ろしていたメガネをかけた男性だった。震えるのを止め、信也の方をじっと見つめ始めたノエルを見て安心したのか、彼女の父親はにっこりと微笑むと、ノエルの頭を撫でてから椅子をベッドの近くに引き寄せる。

 

「大丈夫かい?」

 

「う、うん」

 

「よかった」

 

「ね、ねえ、パパ」

 

「ん?」

 

 自分の部屋の中にいて、すぐ傍らには父親もいる。だから今のノエルは安心していたが、あのショッピングモールでの出来事はどうなったのだろうか。

 

 いきなり傭兵の男たちが入り込んできて、ワンピースの試着をしようとしていたノエルを連れ去って人質にし、広場でノエルを殺すと宣言した彼らに、ノエルは殺されかけた。彼女はそこまではっきり覚えている。

 

 しかし、信じがたい事なのだが、小さな無数の喋る蜘蛛を見た直後から全く覚えていないのである。それに、その小さな喋る蜘蛛を本当に目にしていたのかもわからない。もしかしたら極限状態の只中に目にした幻覚かもしれないし、その声も幻聴かもしれない。

 

 〝殺さなければ殺される”という事を理解した直後から、何も覚えていないのである。例えるならば、物語のクライマックスだけ抜け落ちている状態だ。だからノエルは、その事件の結末(クライマックス)がどうなったのかを聞くことにした。

 

「あの人たち、どうなったの?」

 

「え?」

 

「ノエルに酷いことした、あのおじさんたち」

 

「あ、ああ…………あの人たちは…………」

 

 本当の事を言うべきだろうか。

 

 娘に見上げられながらそんな質問をされ、シンヤは悩んでいた。ただでさえ気の弱い娘に「お前があの人たちを殺した」と告げるべきなのだろうか。告げれば十中八九ノエルは錯乱するか、大きなショックを受けてしまうに違いない。

 

 告げない方が良い。その結末を黙っておこうと思いかけていたシンヤだが、部屋の中を訪れていたもう1人の男が、彼の答えを遮った。

 

「――――――――俺が説明する」

 

「兄さん…………」

 

「あれ? リキヤおじさん…………?」

 

 シンヤの後ろにあった椅子に腰を下ろしていたのは、シンヤよりも体格のいい赤毛の男だった。お気に入りのシルクハットをかぶったまま、護身用に持ち歩いているボウイナイフを弄っていたリキヤは、剃ったばかりだというのにまた生え始めた真っ赤な顎鬚を指で弄りながら立ち上がると、シンヤの隣に立つ。

 

 元々シンヤよりもリキヤの方が体格ががっちりしているからなのか、転生の影響で同い年になったとはいえ、リキヤの方がより大柄に見える。自分の父が予想よりも小さく見えることにびっくりしているノエルを見下ろしながら、リキヤは告げた。

 

「ノエル、あの人たちはね…………君がやっつけたんだ」

 

「私が…………?」

 

「兄さん、よすんだ。ノエルはまだ―――――――」

 

「14歳だろう? 同い年のカノンは、タクヤたちと一緒に戦ってるんだぞ?」

 

 止めようとするシンヤに向かって、リキヤはそう言った。家もそれなりに近く同い年のカノンは、幼少の頃から両親によって訓練され、現在ではタクヤの率いるテンプル騎士団の1人として活躍している。

 

 しかし、それは生まれつきカノンが元気だったからだ。彼女の種族は人間だが、父であるギュンター・ドルレアンはハーフエルフである。人類の中でもトップクラスの屈強さを持つハーフエルフの血が混じっているのだから、身体が頑丈になるのは当たり前だ。

 

「それにな、この子はもう病弱じゃない。…………ノエル」

 

「な、なに?」

 

「ちょっと、ベッドから出て立ってみなさい」

 

「え?」

 

 今まで、ベッドから出るのはシャワーを浴びる時かトイレに向かう時だけだった。必要な物はベッドの上からでも手に取れるような位置に置いてあるため、ベッドから出て歩くのはそういう場合だけだったのである。

 

 戸惑ったが、リキヤに「大丈夫だ」と微笑みながら励まされたノエルは、シンヤの顔を見つめてからそっとベッドから足を出し、スリッパを履いてから立ち上がった。

 

 いつもなら、立ち上がった瞬間に両足が重く感じる。まるで両足のあらゆる場所に金属の重りを取り付けられているかのような感覚がしてしまう筈なのだ。ショッピングモールではしゃぎながら走る事ができたのは、普段では信じられない。

 

 しかし――――――――立ち上がった瞬間、ノエルは目を見開いた。

 

 いつもと感触が違うのである。あの両足にまとわりつく重い感覚は全くせず、まるでまだベッドで横になったままなのではないかと思ってしまうほど両足が軽いのだ。

 

「な、何これ…………? あ、足が………軽い…………?」

 

 試しに軽くジャンプしてみる。普段は足が重いため、ジャンプしようとすら思えないのだが、今ならば窓の外でいつも遊んでいる子供たちのように飛び回り、走り回る事ができるような気がする。

 

「すごい…………パパ、見て見て! 私ジャンプできるよ!」

 

「…………兄さん、やっぱり、ノエルは…………」

 

「ああ……………素晴らしい、彼女は覚醒したんだ」

 

 いつもはやろうと思えなかったジャンプを繰り返す少女の手を握ると、リキヤはきょとんとするノエルの顔を見下ろした。

 

 遺伝子は全く違うし、自分という原点から派生した存在でもない。けれど、〝同胞”が増えたことは喜ばしい。もう既に人間ではなくなってから21年が経過する彼は、まるで久しぶりに自分の事を訪れてくれた親友を出迎えるかのように微笑んだ。

 

「おめでとう、ノエル。君はキメラになったんだ」

 

「キメラ……………?」

 

「ああ、そうだ。身体の中に魔物の遺伝子を持つ、新しい種族だよ。おじさんとおなじさ」

 

「私、キメラになったの?」

 

「そうだ。キメラは身体能力が高いから、身体をすごく動かせるんだよ。君はあの時、殺される寸前にキメラとして覚醒した。そして、あの悪者をみんなやっつけたんだ」

 

「あの人たち、私がやっつけたの?」

 

「ああ。君がみんなを守ったんだ、ノエル。君はヒーローだ」

 

 頭を撫でられたノエルは、笑いながら耳をぴくぴくと動かす。もう既に彼女の種族はハーフエルフからキメラになっているが、あくまでハーフエルフがベースになっているため、覚醒前の特徴がそのまま残っているのだ。

 

 それを見ていたシンヤは、少しだけ安心した。まだ、自分の知っているノエルが残っている。彼女の中に潜んでいた怪物が目を覚ましてしまっても、まだ彼女(ノエル)は可愛い愛娘(ノエル)のままだった。すっかり怪物になったわけではないらしい。

 

「よし、ママに自慢してきなさい。おじさんはお父さんとお話があるから」

 

「はーいっ! パパ、ママの所に行ってくるねっ♪」

 

「あ、ああ。転ぶなよ」

 

 耳を動かしながら走っていくノエルを見送ったシンヤは、息を吐いてからリキヤを見つめる。

 

 彼がこれからする話の内容が、予想できる。おそらくリキヤはノエルに戦い方を教え、冒険者に育てろと言い出すに違いない。シンヤやリキヤが若い頃は傭兵と冒険者がこの世界で重要な職業とされてきたが、近年は魔物が街を襲撃する件数も減り、本格的なダンジョンの調査に国家予算を割く余裕も出てきたため、冒険者がこの世界で最も重要な役割となっている。

 

 ノエルを冒険者に育てれば、両親の元からすぐに巣立ってしまう。今まで家に帰れば娘が待っていてくれたシンヤからすれば、それは寂しい事だ。それに娘を危険にさらすことになる。

 

 だが、それがベストなのかもしれない。自分たちが「娘のために」と思って彼女をこの部屋の中で保護していても、もう既に彼女の興味と好奇心は部屋から溢れ出し、外の世界へと手を伸ばしている。このまま部屋の中で彼女を育てても、彼女はそのまま壊死してしまうだけだ。

 

 子供を大切にすることは良い事だ。だが、過保護は子供の持つ力を発揮する機会を奪ってしまう。何もできないまま育ち、老い、死ぬ。過保護に育てられた子は、この世界ではそういう運命を辿る。

 

 危険なダンジョンに巣立たせるのと、そうして壊死させるのは果たしてどちらが残酷なのか。子供の事を考えるならば〝途中式”は不要だ。すぐにイコールの右側に答えを書き込まなければならない。

 

「シンヤ」

 

「分かってるよ。あの子に、戦闘訓練を」

 

「ああ。そして基礎を教えたら……………タクヤたちに預けろ」

 

「……………正気かい? タクヤ君たちは、まさに最前線にいるんだよ?」

 

 訓練を終えたばかりの新兵を、いきなり紛争地帯の真っ只中に放り込むようなものだ。実戦を経験したことのない新兵では、ベテランと違って作戦を立てることもできないし、臨機応変に動く事もできない。教わった訓練という形式(パターン)を飛び出し、自分なりの戦い方を確立する。それが新兵がベテランになる条件だ。彼女にはまだ、自分なりの戦い方を確立できる力がない。

 

「キメラの育成には、キメラが適任だ。それにあいつらと一緒の方が、ノエルも落ち着くさ」

 

「……………そうだね」

 

 ベッドの傍らに飾られている白黒の写真を見下ろしながら、シンヤは息を吐いた。ノエルのベッドの傍らには、シンヤとミラと幼少期のノエルが写った写真が飾られている。

 

 少しずつ、家族が変わっていく。

 

 昔に失った右腕を無意識のうちに抑えたシンヤは、苦笑いしながらリキヤを見つめた。

 

「……………幻肢痛(ファントムペイン)か?」

 

「……………たまに痛むんだ。僕のはすぐに収まるけど」

 

「そうか。……………俺もまれに、足が痛む」

 

 機械の義手ではなく、魔物の素材を使った義手だ。だから血管もあるし、神経もある。ナイフが刺されば痛みも感じるし、スープを零せば熱さも感じる。元々の腕と変わらない感覚がするのに、唐突に感じる激痛がその腕が発するものではないというのはなんとなくわかるのだ。

 

 その痛みは、かつてそこにあった手足の痛み。義手という偽りの腕に、居場所を奪われた亡霊の叫びだった。

 

「これでキメラは4人だね」

 

「そうかな? すぐに〝5人目”が出来上がりそうな気がするが」

 

 にやりと笑いながら、リキヤは幻肢痛(ファントムペイン)の苦痛を乗り越えたばかりのシンヤを見つめた。

 

 シンヤの義手は、キングアラクネの義手。転生者には魔物の血液による変異を食い止めるための免疫がない。そしてノエルは魔物の遺伝子の影響でキメラとして覚醒した。

 

 ここにいる実の弟も、条件は満たしているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木々の上を飛び回りながら、木の発する自然の匂いを思い切り吸い込む。部屋の匂いや本の匂いとは全然違う、自然が生み出した木々の匂い。あの部屋の中では味わうことのできない匂いを楽しみながら、飛び回る方向を変えて相手の背後を取ろうとする。

 

 左手で目深にかぶったフードを押さえつつ、右手でポケットの中から取り出したジャックナイフを展開する。木々の匂いに紛れているのは、ごくわずかな金属の匂い。今まで何度も得物を両断してきた、血の染み付いた刃物の臭いだ。

 

 その臭いが目印だった。ターゲットがどこにいるのか、その殺してきた形跡が教えてくれるのだから。

 

 大きな木の枝を踏みつけ、木の幹を蹴って飛翔する。そのままちらりと真下を見てみると、そこに標的が佇んでいた。

 

 真っ黒なスーツに身を包み、同じく真っ黒なシルクハットをかぶった紳士。腰には刀の鞘を下げていて、左手をもう鞘に沿えている。

 

 標的を発見した瞬間、私は両足の力を抜いた。その代わりに右手に力を込めたまま落下しつつ、頭の中で水をイメージする。

 

 水の中に落ちたペンキが、水を血のように少しずつ紅く染めていくイメージ。そのイメージが組み上がっていく度に、私の右手の皮膚に複雑な模様が浮かび上がり、まるでジョウロウグモのような外殻が形成されていく。

 

「!」

 

 標的が、私の奇襲に気付いた。シルクハットをかぶったままこちらを見上げ、いつでも居合斬りをする準備をする。

 

 ジャックナイフを握る右手を振り払い、ナイフを投擲する。その標的はナイフを睨みつけたまま硬直しているかに見えたけれど、次の瞬間、まるで金属が弾かれるような音と共に、私の放り投げたジャックナイフが弾かれていた。

 

 やっぱり、あの居合斬りは速い……………! 刀を抜いたのが見えなかった!

 

 でも―――――――それだけじゃないんだよ、私の攻撃は。

 

 指を少しだけ動かすと、弾かれて飛んでいくはずだった私のジャックナイフがぴくりと動いた。そのまま磁石に引き寄せられるかのように空中でUターンすると、先ほどナイフを弾いた標的に、今度は別の角度から襲い掛かっていく!

 

 ナイフのグリップに、指先から伸ばした糸を付けておいたの。だからナイフを投擲した後も変幻自在に操る事ができるの。

 

 接近してくる私を狙っていた標的は、その戻ってきたナイフへの対応が少しだけ遅れてしまったみたい。慌てて身体を逸らしてナイフを回避するけど、改めて刀を引き抜くために手を戻したころには、もう既に外殻で右腕を硬化させた私が、その標的の目の前まで迫っていた。

 

 そして、外殻で覆った右腕を思い切り突き出し――――――――顔面に命中する寸前で、ぴたりと止める。

 

 そのまま突き出したら、彼女の顔面を砕いちゃうからね。それに、この模擬戦は引き分けみたい。

 

 ちらりと下を見てみると、いつの間にか引き抜かれていた白銀の刀身が、私のお腹に突き付けられていた。もしこれが実戦だったら、私は彼女の顔面を砕く事と引き換えにお腹を貫かれて戦死していたでしょうね。

 

「ふう……………ありがとね、リディアちゃん」

 

「……………♪」

 

 訓練に付き合ってくれたリディアちゃんにお礼を言うと、2人で握手する。リディアちゃんは私よりも年上のお姉さんで、リキヤおじさんから訓練を受けた〝転生者ハンター”の1人なの。無口で全然喋らない人なんだけど、最近はよく一緒に買い物に行くこともあるんだ。

 

 パパやリキヤおじさんに訓練を受けてからそろそろ1週間くらい経過するのかな。前まではベッドの上で生活するのが当たり前だったのに、今ではもう木の上を飛び回ったり、全力疾走で列車を追い越す事ができるようになったの。

 

 こんな事ができるようになったのは、キメラになったおかげ。

 

 私はお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいなサラマンダーのキメラじゃなくて、キングアラクネのキメラ。だからお兄ちゃんたちと比べると外殻の防御力は落ちるけど、自由に糸を出して獲物を絡めとったり、バラバラにする事ができる能力を身に着けてるみたい。

 

「2人とも、お疲れ様」

 

「あ、パパ!」

 

「あはははっ。ノエルも強くなったね」

 

「でも、リディアちゃんには勝てないよぉ。リディアちゃんの刀、速過ぎるもん」

 

「……………」

 

 恥ずかしいのか、リディアちゃんが顔を赤くしている。彼女は全然喋らないんだけど、とっても感情豊かなの。恥ずかしがり屋さんなんだね。

 

「さて、ノエル。十分強くなったし、そろそろタクヤくんたちの所に行ってみるかい?」

 

「うんっ!」

 

 えへへっ。お兄ちゃんたち、ノエルが合流したらびっくりするかな?

 

 よしっ、今のうちにいっぱいお人形さんを作ってあげようっ♪ そして、みんなにプレゼントしちゃうんだから♪

 

 待っててね、お兄ちゃん―――――――。

 

 

 番外編 完

 

 第十章に続く

 

 

 

 

 



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第10章
本拠地


 

 ここには砂と蒼空と陽炎しかない。どんな角度から双眼鏡で覗いても、それらの割合がほんの少しだけ変わるだけで、全身を包み込む熱い風は全く容赦がない。そう、ここは砂と蒼空と陽炎が支配する砂の世界なのだ。大昔から太陽の元に広がり、俺たちの祖国から発せられる冷たい風をシャットアウトしてきた、灼熱の領域。

 

 カルガニスタンの砂漠は、大昔から変わらない。

 

 ペリスコープを覗き込みながら、よくこんな場所でのタンクデサントに耐えたと驚いてしまう。雪山の寒さにも耐え、この暑さにも耐えた。生まれつき頑丈で、少しばかり特殊な身体だったからこそ耐えられたのかもしれない。後は時折車内から仲間たちが分けてくれる、差し入れのジャム入りアイスティーの恩恵だろう。

 

 すぐ近くに巨大な岩石が着弾し、砂を巻き上げる。砂粒の雨が装甲の上に降り注ぎ、漆黒と灰色の迷彩模様に塗装された戦車の装甲を少しずつ汚していく。

 

 戦車の車体と変わらない大きさの岩石の塊がすぐ近くに着弾したというのに、俺は全く狼狽していなかった。ペリスコープを覗き込み、カーソルを少しだけ右に逸らして攻撃してきた目標を確認し、左手に持っていた食べかけのスコーンを全部口の中へと放り込む。オイルと炸薬の臭いが充満する車内に美味しそうなバターの香りをばら撒いていたスコーンを平らげ、こちらもそろそろ本腰を入れて反撃をすることにする。

 

「『ウォースパイト』より『ドレッドノート』へ。目標、3時方向。距離3000m」

 

『了解。カノンちゃん、やれる?』

 

『当たり前ですわ!』

 

『『ヴァイスティーガー』へ。目標は3時方向よ!』

 

『了解(ヤヴォール)、お嬢さん(フロイライン)!』

 

 さて、味方に敵の位置は教えた。これで1分以内のあの哀れなゴーレムは木端微塵になるに違いない。

 

 攻撃をせずに逃げればいいのに…………。

 

「ラウラ、こっちも移動だ。早く移動しないとあの岩でマッシュポテトにされちまう」

 

「ふにゅ? 私たちはお芋じゃないよ?」

 

「ジョークだって」

 

「ああ、なるほど」

 

 正確に言うなら『マッシュキメラ』か。しかも戦車のスクラップ添えまでついてくる。あらら、随分と豪華な料理だねえ。調理されるのはごめんだけど。

 

 ラウラがアクセルを踏み込んだ直後、俺たちの乗っている戦車が唸りを上げた。

 

 いつもは『ドレッドノート』というコールサインの付いたチャレンジャー2に乗っている俺たちだけど、今回は彼女たちとは別の戦車に乗って別行動をしている。実は昨日討伐した魔物から珍しく戦車がドロップしたんだが、その戦車が性能の良い戦車で、装備可能な兵器の中で死蔵したままにしておくのは勿体ないという事で、俺とラウラの2人だけで操縦できるように改造して運用しているのである。

 

 その魔物からドロップした戦車の正体は、イギリスで開発された『チーフテン』と呼ばれる主力戦車(MBT)である。主力戦車(MBT)はかなり数が多いが、このチーフテンは〝第二世代型”に分類される戦車で、第三世代型であるチャレンジャー2やレオパルト2から見れば父親のような立ち位置なのである。

 

 開発されたのは冷戦の真っ只中だ。当時は歩兵の持つロケットランチャーや対戦車兵器の破壊力が発達しており、当時の戦車の装甲では耐える事が出来ないと言われていた。更に第二次世界大戦中の独ソ戦で、ドイツから戦車の製造技術のノウハウを学んだソ連軍は日に日に強力な戦車を配備しており、それらの主砲を装甲で防ぐのは不可能だと西側諸国では判断されていたのである。

 

 そこで、当時の西側諸国は可能な限り戦車を軽量化し、相手の攻撃を回避しつつ強力な戦車砲や対戦車ミサイルで反撃するという作戦を考えていた。その影響を受けて開発されたのが第二世代型主力戦車(MBT)たちだ。

 

 しかし、その第二世代型の戦車の中でも、このチーフテンは異彩を放っていたと言える。周囲の戦車がどんどん軽量化していくのに対し、むしろ装甲を分厚くし、武装も強力にした戦車を開発していたのだから。

 

 エンジンの信頼性が非常に低かったという欠点があったが、改良を重ねることで辛うじて問題をいくつか解決し、最終的には信頼性が大きく向上している。更に当時の戦車の中では破格の攻撃力と防御力を兼ね備えており、冷戦中の戦車の中では間違いなく最強クラスの戦車の中に含まれるだろう。

 

 残念ながらあまり戦果をあげられないうちに、息子にあたるチャレンジャー1に取って代わられてしまうが、そのチャレンジャー1のベースはこのチーフテンとなっており、更にそのノウハウが発展型のチャレンジャー2へと受け継がれているのである。

 

 『ウォースパイト』というコールサインの付けられた俺たちのチーフテンは、改良を重ねられたMk11。エンジンの信頼性も向上しているため、馬力を心配する必要はない。ただ、さすがに冷戦中の戦車を改造しない状態で運用するのは無理があったので、せめて第三世代型の戦車に対抗できるように色々と改造を施している。

 

 まず、車体の装甲をできる限り複合装甲に変更する。これで車体に被弾しても、砲弾に貫通される恐れは減る。複合装甲は様々な種類の装甲を組み合わせた装甲の事で、第三世代型の主力戦車(MBT)には必ず装備されているのだ。それに対して、チーフテンが元々装備していた装甲は複合装甲ではないため、貫通力が極めて高いAPFSDSや形成炸薬(HEAT)弾の直撃を喰らうと一撃で貫通される恐れがあるのである。

 

 魔物がそんな攻撃をしてくる可能性は低いが、将来的には戦車に乗る転生者との戦闘も発生する可能性がある。実際に、親父たちは旧日本軍の戦車に乗った転生者の部隊と交戦した事があるというから、念のため第三世代型の戦車への対策はしておいた方が良いだろう。砲塔に複合装甲は装備していないが、その代わりに爆発反応装甲を搭載することでカバーしている。

 

 主砲は120mmライフル砲から、55口径120mm滑腔砲へと変更。これで発射できる砲弾の種類も増やすことができる。そして主砲同軸に搭載する機銃を、大口径の14.5mm弾を使用するソ連製のKPV重機関銃へと変更する。これは装甲車の主砲としても搭載された事がある機関銃で、対人だけでなく、装甲車にも対処することが可能だ。

 

 そして砲塔の上には、車内から操作する事ができる『プロテクターRWS』というターレットを搭載している。巨大なカメラのレンズを思わせるセンサーの上に武装を搭載したような形状の砲台で、搭載されている武装は『MK19オートマチック・グレネードランチャー』だ。40mmのグレネード弾を矢継ぎ早に連射できる武装であるため、こちらも対人だけでなく強靭な防御力を持つ目標へも対処できるようになっている。

 

 それと、念のために車長用のハッチの上にはロシア製LMGの『PKM』を搭載している。AK-47と同じく7.62mm弾を使用するLMGであり、大口径の銃弾で弾幕を張ることが可能となっている。やはり堅牢な機関銃で、信頼性は極めて高い。他の武装が大口径のものばかりなので、掃射用にとこれを用意しておいたのだ。後は対人用にダメ押しと言わんばかりにSマインをいくつか装備している。

 

 更に、乗組員を削減するために自動装填装置を搭載している。本来は4人乗りの戦車なんだが、装填手を自動装填装置に任せて装填手を削減し、俺が車長と砲手を兼任することで、辛うじて2人での操縦が可能となっているのだ。

 

 まあ、接近してくる敵兵とか小型の魔物に警戒しつつ、自分で敵を観測して砲撃して撃破する必要があるし、ラウラにちゃんと指示も出さないといけないんだけどね。過労死しちゃうよ、俺。

 

 …………ん? これってタンクデサントよりも過酷なんじゃない?

 

 まあいいや。車内にいるから紅茶飲み放題だし、自作のスコーンもちゃんと持ってきた。それにナタリアがチャレンジしたストロベリージャムもある。ちょっと砂糖を入れすぎちゃったのかもしれないけど、紅茶に入れると丁度いいんだよね、このジャム。

 

 もう1つスコーンを食べようと思って手を伸ばした瞬間、ドン、とまたしても猛烈な衝撃がチーフテンMk11を突き抜けた。あのゴーレムが放り投げた岩石が、また近くに着弾したんだろう。やはりチーフテンのエンジンはチャレンジャー2と比べるとうるさいから目立ってしまうらしい。

 

 反撃しようかと思って砲塔を旋回させた瞬間、陽炎が支配する砂漠の上を、炎に包まれた金属の塊が疾駆した。陽炎のカーテンに大穴を開け、真下の砂を舞い上げながら突き抜けていったその金属の塊は、やがて空中分解を起こしてしまったかのように外殻を脱落させると、その中に秘めていた攻撃的な姿をあらわにする。

 

 まるで巨大なクジラを仕留めるための鋭利な銛にも似た、銀色の弾頭だった。最新型の戦車の装甲を貫通することが可能な、APFSDSである。

 

 その砲弾は陽炎をことごとく貫通して突き進むと、足元から岩を拾い上げようとしていたゴーレムの胸板に飛び込んだ。岩石のような外殻で構成された身体が弾け飛び、太い両腕が血肉をばら撒きながら吹っ飛んでいく。

 

 みぞおちから上を消し飛ばされたゴーレムは、足元の砂を自分の血で一時的に湿らせると、そのまま砂埃を少しだけ巻き上げてから動かなくなった。

 

『命中! さすがカノンちゃん!』

 

『ちょっと坊や(ブービ)、先越されてるじゃない!』

 

『罰ゲームが必要だな』

 

『はぁ!?』

 

 どうやらあのゴーレムを仕留めたのは、チャレンジャー2(ドレッドノート)に乗るカノンらしい。遠距離から俺の親父に粘着榴弾を直接命中させるほどの腕前を持つのだから、3000mからの砲撃なんぞ朝飯前なんだろう。

 

 おかげで先を越されてしまった坊や(ブービ)は、仲間から滅茶苦茶文句を言われている。

 

 とりあえず、罰ゲームを考えるのは面白そうなので俺も参加させてもらおう。傍らの皿の上からジャム付きのスコーンを拾い上げ、口へと運びながら思い浮かんだ罰ゲームを提案する。

 

「パンジャンドラムに縛り付けて転がそう」

 

『何それぇ!?』

 

『じゃあV2ロケットに縛り付けて飛ばすのは?』

 

『く、クラン!?』

 

『3日間女装で過ごす!』

 

『『『それはタクヤのポジションでしょ』』』

 

「ムグッ!?」

 

 ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 

 く、くそ、スコーンが喉に詰まるところだったじゃねえか……………。こ、紅茶はどこだっけ………?

 

「はぁっ、はぁっ……………」

 

『メイド服とか』

 

『いえいえ、ここはスク水でしょ』

 

『何言ってるの。日本(ヤーパン)のユカタでしょ! ねえ、ケーター?』

 

『うーん…………制服でいいんじゃないの? 女子高生の』

 

『みなさん、お兄様に一番似合うのは騎士団のコスプレですわ! 制服をボロボロにしておいて、粘液まみれにして、後は触手を…………』

 

『『『うおおおおおおおおおおおおおっ!!』』』

 

 しかも罰ゲームの話から俺の女装の話に変わってるし!! というか、触手!?

 

『もしくはニヤニヤ笑うゴブリンの群れッ!』

 

『『『うおおおおおおおおおおおおおっ!!』』』

 

『そしてそのままお兄様は、下衆なゴブリンの群れに――――――――』

 

『『『УРааааааааааааааааааа!!』』』

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 も、もうやめて…………お願い、俺は男なの。女の子じゃないの。

 

「うぐ…………」

 

「ふにゅう…………えへへっ、女装したタクヤも可愛いかもっ♪」

 

「四面楚歌!?」

 

 ラウラまで妄想始めてるよ…………。

 

 くそ、なぜこんな顔つきになってしまったんだろうか。いくら母さんに似過ぎているとはいえ、男なのに男装すると違和感があるってどういうことだ。

 

 車長の座席の上で落胆しながら、とりあえずナタリアが作ってくれたジャム入りのアイスティーを飲む。砂糖を入れ過ぎて甘くなってしまったジャムの味が、なんとなく俺の心の傷を癒してくれるような気がする。

 

 ああ…………まともな人って、大事なんだなぁ。ナタリアは最後の砦だよ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる戦車の中で紅茶を飲みながら、何とか予想外の精神へのダメージを回復し終えた頃、岩山の向こうにその巨大な塔が見えてきた。

 

 戦艦がひっきりなしに停泊しているのではないかと思えるほどの高さの岩山の向こうから見えるそれが、俺たちの本拠地の印である。数日前にカルガニスタンの砂漠を進んでいる最中にここを見つけ、調査してから本拠地にしているのだ。

 

 岩山に挟まれた谷を超えると、その塔の根元が見えてくる。まるで地面からせり上がった岩盤のテーブルを思わせる岩山の中心部だけ、円形にくり抜かれたようになっているんだが、俺たちの本拠はそのくり抜かれた部分と、その地下に広がっている。

 

 くり抜かれた中心部には、合計で7本の巨大な塔が屹立していた。6本の巨大な塔が円形の大地の外周部に立ち、中心部に立つひときわ大きな塔を取り囲んでいる。周囲の塔はおよそ20mほどの高さがあり、よく見ると根元には高高度に砲弾を発射する高射砲や対空砲を思わせる駆動部がある。その付近には砲弾を装填するためのクレーンが用意されており、そのクレーンを動かすためのコンソールもある。

 

 その塔の正体は、ドイツが第二次世界大戦の際に投入した『クルップK5(レオポルド)』をベースにした巨大な対空砲だった。

 

 クルップK5は元々列車砲で、これを搭載した車体を機関車で牽引して運用する方式なんだが、強度を増強するためにあえて地面に固定して運用している。スオミの里に用意してきた『スオミの槍』を小型化したものと言っても過言ではないほど近代化改修しており、偵察ヘリやビーコンを装備した歩兵と連携すれば誘導砲弾の運用も可能となっている。ちなみに口径は戦艦金剛や扶桑と同じく36cmとなっている。

 

 つまり、地面から金剛や扶桑の主砲が単装砲バージョンになって伸びているという事だ。ちなみにこれは地上の敵を砲撃するだけでなく、炸裂弾を使用することで航空機の撃墜も可能だという。

 

 これを設置したのはクランたちなんだが、彼女はどうやらさらにレーダーサイトの設置も検討しているらしく、それと連動して機能し始めた暁には『本部への空爆及び航空機による攻撃は夢物語となる』って断言してた。ただ、人員不足のため肝心な砲手がいないんだよね…………。

 

 ちなみに、中央に立つ塔はこれの3倍である60m。大空を睨みつけたままぴくりとも動かないが、実はこれがテンプル騎士団の〝決戦兵器”なのである。まあ、こちらも砲手がいない上に運用するリスクが大きいので、積極的に使うわけにはいかないのだ。下手をすれば本部の設備が損傷しかねない。

 

 この巨大な大砲の群れが塔に見えるため、俺たちはここを『タンプル塔』と呼んでいる。

 

 タンプル塔は、大昔にフランスにあったという史実のテンプル騎士団の本拠地だったという。フランス革命の際には国王たちが拘束されていた場所とされていたが、ナポレオンによって取り壊されてしまったため、現在のフランスにはもう残っていない。

 

 テンプル騎士団の本拠地に付ける名前としてはうってつけだろう。

 

 地上には、現時点でこの7門の巨大な主砲が鎮座している。最終的にはもう少し対空兵器を充実させたり、この岩山をくり抜いてトンネルを作り、滑走路でも用意して航空機の運用も考えている。それと前に調査した際、この岩山の中には洞窟があり、その先にはかなり広い川が流れていたという。そのままその川はヴリシア帝国とフランセン共和国の間にある『ウィルバー海峡』まで続いているらしいので、拡張すれば駆逐艦とか空母を収納できる超巨大軍港を作り上げる事ができるかもしれない。

 

 とはいえ、現時点ではシュタージのメンバーと俺たちしかいないため、飛行場の準備も軍港の準備も手付かずなんだけどね。

 

 とりあえず人員を集めて色々と施設を拡張したいところだが…………いつまでもここにいるわけにはいかない。俺たちの目的はテンプル騎士団の規模を大きくする事だが、その前にヴリシア帝国へと向かい、最後の1つの鍵を手に入れなければならないのだ。

 

 しかも敵は、モリガン・カンパニーを率いる親父たちと吸血鬼。今度は間違いなく、三つ巴になる。

 

 今のうちに兵力を集め、ヴリシア帝国で総力戦を仕掛けるべきなのか、それともこのまま少数で乗り込み、巧く裏をかいて鍵を奪うべきなのかは、もう少し仲間と話し合うべきだろう。

 

 チーフテンのハッチから身を乗り出し、相変わらず熱い空気を吸い込む。オイルの臭いも混ざった砂漠の熱風は、車長と砲手を兼任して疲れた俺にはまさに追い討ちだ。砂まみれになった砲塔の上に何とか這い上がり、車体の後方へと滑り降りてから息を吐く。隣にチャレンジャー2とシュタージの保有するレオパルト2も停車し、各車両から車長を担当していた2人が顔を出した。

 

 ちなみに、チャレンジャー2とレオパルト2も同じくプロテクターRWSを搭載している。チャレンジャー2はチーフテンと同じくMK19オートマチック・グレネードランチャーを装備しているけど、レオパルト2の方はブローニングM2重機関銃を4門も装備している。対空用に使うのも考慮して装備したらしい。

 

 まさに近代化改修型ティーガーⅠといったところか。

 

「兼任お疲れ様」

 

「おう、ナタリア」

 

 車体から下りると、真っ黒な軍帽を取りながらナタリアが労ってくれた。彼女と握手をしてから、後ろで停車しているチーフテンを振り向いて息を吐く。

 

「せめてもう1人は乗組員が欲しいところだ」

 

「だから無理するなって言ったのに…………」

 

「いや、出来そうな感じがしたからさ」

 

「ふふふっ、バーカ」

 

「あははははっ。………あ、そうだ。ジャム美味しかったぞ」

 

 ちょっと砂糖を入れ過ぎだと思うけどな。

 

「あっ、本当? じゃあまたいっぱい作るね」

 

「おう。それにしても、ナタリアって料理上手いんだな」

 

 現時点では俺とケーターがトップという事になってるけど、ナタリアの料理も絶品だ。まあ、料理というよりはお菓子の方が得意らしいけど。この前は手作りのプリンを作ってくれたんだよね。

 

 ジャムの事を褒めると、ナタリアは頭の上から取ったばかりの軍帽を何故か再び目深にかぶると、顔を赤くしながら下の方を向いてしまった。

 

「あ、あんたを………その、目標にしてた…………から…………」

 

「え?」

 

 随分と小さい声だな……………。

 

「な、なんでもないわよ……………。そっ、それより、本当に美味しかった?」

 

「ん? ああ。今度はもっとたくさん欲しいな」

 

「そ、そっか……………。よしっ、頑張ってたくさん作るから、待ってなさい!」

 

「おう、頼む」

 

 まあ、甘すぎるのもいいか。紅茶に入れればちょうどいい甘さだし、スコーンにもよく合う。今度はパンの中に入れてジャムパンにでもしてみようか。

 

 そんな事を考えていると、空の方からヘリのエンジン音のようなものが聞こえてきた。はっとして仲間たちの方を見てみるけど、まだこのタンプル塔にはヘリポートなんてないし、戦車の周りにはメンバーが全員そろっている。仲間の誰かがヘリを飛ばしたとは考えられない。

 

 まさか、誰かがヘリで接近しているのか?

 

 そう思った俺は、反射的に首に下げていた双眼鏡を覗き込み、ヘリのエンジン音が聞こえてくる方角へと向けていた。

 

 ズームされた蒼空の中に、黒とグレーの迷彩模様で塗装されたヘリが1機だけ飛んでいる。蒼空の真っ只中だというのに、まるで見つけて下さいと言わんばかりの目立つペイントだが、そのヘリの側面には見覚えのあるエンブレムが描かれている。

 

 一番下で交差する2枚の長い真紅の羽根と、その上で交差するハンマーとレンチ。そしてさらにその上には、真紅の星が描かれている。明らかにソビエト連邦の国旗の影響を受けたとしか言いようがないあのエンブレムは――――――――モリガン・カンパニーのエンブレムだ。

 

 しかもそのヘリは、強力な武装を大量に搭載することが可能な、南アフリカ製の『スーパーハインド』。それの原型となったヘリは、ソ連のアフガン侵攻の際に猛威を振っている。

 

「モリガン・カンパニーのヘリ…………?」

 

 まさか、いきなり対戦車ミサイルをぶち込んでくるようなことはしないよな…………?

 

 対空戦闘の指示を出すべきか悩みながら、俺は静かに双眼鏡を下げた。

 

 

 




※チーフテンのコールサインの由来は、クイーン・エリザベス級戦艦の2番艦『ウォースパイト』から。原案では金剛級戦艦の原型となった『エリン』にする予定でした。というか、そもそもエリン案はチーフテンではなくもう1両のチャレンジャー2の予定でした。


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ノエルが合流するとこうなる

 

 

 生まれて初めて、自分の目で本物の砂漠を目にした時は興奮した。

 

 家の中で本の絵を目にした時は、本当に砂で埋め尽くされた大地なんて存在するのだろうかと思っていた。少なくとも、私の住んでいるエイナ・ドルレアンの大地は石畳でちゃんと舗装されているし、土を目にする事ができるのは広場にある花壇や植木鉢の中だけ。土でできた大地をちゃんと見たこともないのだから、砂の大地が存在するという記述を見ても半信半疑だったの。

 

 でも、ちゃんと砂漠はあった。熱い風と日光に支配された、とても広い砂の大地。絵本の中で見たような光景が、生まれて初めて乗るヘリの窓の外に広がってたの!

 

 もう昔みたいに身体が弱いわけじゃない。私は、キメラとして生まれ変わった。おかげで身体能力は爆発的に上がったし、なによりも身体が常人以上に頑丈になったの。フィオナちゃんに検査してもらったけど、『もう普通の風邪をひくことはない』って言われた時は信じられなかったな。だって、今まではちゃんと体調管理をしてないとすぐに風邪をひいちゃってたし、パパやママもすごく気を使ってたから、これでもパパたちに心配をかけることはないし、私も自由になれる。

 

 これが、私の自由。そう、私は自由を手に入れた。

 

 そして今から、私もこの世界に旅立つ。

 

 ずっと憧れ続けた、私のお兄ちゃんたちと共に。

 

「ノエル、気分はどうだい?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

 スーパーハインドの兵員室で、パパが私にそう尋ねてくる。今から砂漠の真っ只中に向かうというのに、相変わらずパパと、一緒に来てくれたリキヤおじさんはいつものスーツ姿だった。熱くないのかな?

 

「なんだか、寂しくなるね……………」

 

「パパ…………」

 

「シンヤ、仕方がない事だ。子供は親の元から巣立つものなんだぞ」

 

「そうだけどさ……………ノエルは、一人娘なんだよ……………? この前までずっとベッドの上でお人形さんと遊んでたノエルが、いきなり危ないダンジョンに旅立つんだよ? 殆ど外を出歩いたことのない我が家の一人娘が魔物に……………ど、どうしよう、兄さん!? 何だかまた心配になってきた!」

 

 ぱ、パパ……………?

 

 もう、パパったら。出発する前もそう言ってずっと心配してたじゃん。最終的には出発に賛成してくれたままにずっと駄々をこねてたんだよね、パパ。もしかして親バカなのかな?

 

「兄さん、悪い事は言わない! 今すぐ引き返そう! やっぱりノエルにダンジョンは無理だ! というかノエルのいない生活なんて無理だぁッ!!」

 

「お、落ち着けバカッ!! というかお前そんな奴だっけ!? 数少ないまともなメンバーじゃなかったの!?」

 

「知った事かッ!! 可愛いノエルのためだったら、そんなポジションなんぞかなぐり捨ててやるわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ぱ、パパがリキヤおじさんの胸倉を掴んで叫んでる…………!

 

 パパ、ダメだよ! 兄弟喧嘩はダメッ!

 

「もうっ、パパ!?」

 

「は、はいっ!」

 

 素早くおじさんの胸倉から手を離し、兵員室の床に正座するパパ。その後ろでは先ほどまで胸倉を掴まれていたリキヤおじさんが、椅子に寄りかかったまま目を回していた。

 

 もう。お兄さんは大切にしないとダメだよ?

 

「私はもう1人で大丈夫だって言ってるでしょ?」

 

「だ、だって…………お外には危ない魔物がいっぱい……………」

 

「訓練で何度もやっつけたし、リディアちゃんも合格させてくれたんだから大丈夫だよ」

 

「も、もし悪い人に騙されたりしたら? ノエルは可愛いから、もしかしたら悪いおじさんに騙されて奴隷にされちゃうかも…………!」

 

「もしそんなことする人がいたら、一瞬でバラバラにするから大丈夫だもんっ」

 

「う、うぅ……………そうだよね、ノエルももう14歳だもんね……………。ごめん、ノエル。パパが悪かったよ」

 

 とりあえず、リキヤおじさんに謝りなよ。まだ目を回してるし…………。

 

 苦笑いしながら、私はポケットから銅色のバッジを取り出す。冒険者管理局で交付された、私の〝冒険者見習い”のバッジ。これがあれば、17歳未満でも冒険者と同伴ならばダンジョンへの立ち入り気が許可される。

 

 お兄ちゃんたちと合流する事を考慮して、パパたちが手続きするのを手伝ってくれた私の大切なバッジ。それをぎゅっと握りしめた私は、目を回しているリキヤおじさんを助け起こすパパの後姿を見て、苦笑いした。

 

 実は、私もちょっと緊張してる。今までずっとお人形さんとお部屋の中にいるだけだったもんね……………。

 

『ノエル、そろそろ目標地点だよ。準備して』

 

「うん、ママ」

 

「あぁ……………ッ! もうノエルが行ってしまうぅぅぅぅぅぅぅッ! み、ミラ! 引き返せ! 家に帰ろうッ!!」

 

『何言ってるの? 過保護にしててもノエルのためにならないでしょ!?』

 

「くッ……………ノエルぅ……………!」

 

「もう………」

 

 過保護なパパだなぁ。でも、パパとお別れするのもちょっと寂しいかも。もし旅がひと段落したら、顔を見せてあげようかな。それにお手紙もちゃんと書かないとね。もちろんみんなで撮った写真も添えて。

 

 スーパーハインドが徐々に速度を落とすにつれて、窓の向こうに巨大な7本の塔が見えてきた。塔というよりは、大きな大砲を天空へと向けた状態で固定しているようにも見える。周囲は岩石を削り出した巨大なテーブルのような岩山に囲まれていて、陸路であそこに向かうにはその岩山の間にある渓谷を進む必要がありそう。お兄ちゃんたちだったら、絶対に検問とかトラップを仕掛けてそうな気がする。

 

 ヘリが高度まで下げ始めると、段々とその塔の根元でこっちを見上げている人影が見えてきた。地上には3両の戦車が停車してて、その周囲に人影が立っている。

 

 お兄ちゃんはどれかな? 蒼い髪だからすぐに分かると思うんだけど、またフードで隠してるのかな?

 

『タクヤ君、聞こえる?』

 

『あれ? ミラさん?』

 

 あっ、お兄ちゃんの声だ!

 

『撃たないでね。お客さんが乗ってるの』

 

『お客さん? ―――――――おい、撃つなよ』

 

 えへへっ。早くお兄ちゃんに会いたいな。

 

 撃たないでねと祈りながら待っていると、砂漠が段々とせり上がってくる。やがてヘリが大きく揺れたかと思うと、窓の外にはヘリよりも下の方に見えていた砂の大地がすぐ近くに広がっていた。

 

 ママがコクピットから『着陸したよ』と言うよりも早く、私は兵員室のドアを開けると、熱い風の中へと躍り出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背中が、熱い。長い間太陽の光で熱され続けていた砂の上に押し倒されているのだから、当たり前だろう。砂漠の砂は最早ちょっとしたフライパンに等しい。

 

 フライパンの上で焼かれる卵やベーコンの気分を味わいながら、俺は目を見開いた。俺を押し倒した張本人が、今しがたミラさんが『お客さん』と言っていた人物に違いない筈だけど、ヘリの兵員室から姿を現したそのお客さんは、予想外の人物だったのである。

 

 決してここにいる筈のない存在。そう、今頃エイナ・ドルレアンにある小さめの屋敷の一室で、ベッドの上でぬいぐるみに囲まれて眠っている筈の、身体の弱い従妹。自宅で両親の愛情を受けながらずっと窓の外を眺めていた気弱な筈の少女が、ニコニコと笑いながら俺の上にのしかかっていたのだ。

 

「え――――――」

 

「お兄ちゃん、会いたかったよっ♪」

 

 身体の上にのしかかったまま、人間よりも長い耳をぴくぴくと動かす少女。肌の色は白く、耳も長いため、一見するとエルフに見えてしまうだろう。しかし、彼女は正確に言うならばハーフエルフだ。人間の父とハーフエルフの母の間に生まれた彼女は、母親に似たためにハーフエルフに分類されている。

 

 しかし、俺をお兄ちゃんと呼ぶ彼女は………身体が弱かったはずだ。4歳の頃から急に身体が弱くなり、ずっとベッドの上で生活していた彼女がどうしてここに…………?

 

「の、ノエル!?」

 

「ふにゃあっ!? ノエルちゃん!?」

 

「嘘!? ノエルって、あのエイナ・ドルレアンの子よね!?」

 

 ちょ、ちょっと待て。何でノエルがここにいるんだ…………? 第一、彼女は身体が弱かったはずだ。歩くだけでもすぐに息が上がってしまうし、握力とか腕力も全くない。腕立て伏せなんか1回もできないし、スクワットも10回もやらないうちに息が上がるほどである。

 

 屈強と言われるハーフエルフとは思えないほど身体が弱い彼女が、ヘリに乗っていたとはいえここまでやってきただと? 普通なら考えられない。

 

 俺の上に乗っていたノエルは、耳を動かしながらまるで飼い主に甘える猫のように頬ずりすると、にっこりと笑ってから身体を離してくれた。

 

「ノエル、どうしてここに? お前、身体が弱かったんじゃ――――――――」

 

「―――――――もう、彼女は変わったんだよ」

 

 シュタージのみんなはノエルの事を知らないからポカンとしていたけれど、エイナ・ドルレアンで顔を合わせている俺たちからすれば考えられない事だった。

 

 考えられない事に唖然としながら起き上がった俺の耳に、またしても聞き覚えのある声が流れ込んでくる。今度はノエルのように可愛らしい少女の声ではなく、むしろ屈強な兵士のように野太く、力強い声だった。

 

 降り立ったスーパーハインドの兵員室から、漆黒のスーツに身を包んだ男が2人下りてくる。片方はノエルの生みの親でもあるシンヤ叔父さん。親父よりも細身のメガネをかけた叔父さんには、紳士のような恰好がよく似合っている。

 

 そしてその後ろから下りてきたのは―――――――さっきの声を発した張本人だった。炎を彷彿とさせる短い髪に、同じく赤い顎鬚。叔父さんと同じような格好をしているが、どちらかと言うと紳士のような恰好よりも迷彩服とか防弾チョッキを身に着けた完全武装している姿の方が似合うのではないだろうか。そう思ってしまうほど屈強で、猛烈な威圧感を放つ男である。

 

「親父…………?」

 

 岩山と砂しか存在しない灼熱のカルガニスタンに、2人の紳士が降り立つ。産業革命とは無縁の大地に舞い降りるにはミスマッチとしか言いようのない2人の男を見据えつつ、俺は自分の育ての親に問い掛ける。

 

「な、なあ、親父。ノエルは身体が弱い筈だろ? なんでここにいるんだよ? 散歩か?」

 

「ノエルは……………ああ、ノエル。見せてあげなさい」

 

「はーいっ! お兄ちゃん、よく見ててね?」

 

「え?」

 

 見せる? 俺に何を見せるつもりだ?

 

 俺から離れたノエルは、ニコニコと笑いながらそっと右手の袖をまくり始めた。あらわになるのは、14歳の平均的な少女と比べるとあまりにも細い彼女の右手。肌も白く、今までどれだけ外で遊ぶことと無縁にならざるを得ない環境で育ってきたのかが窺い知れる。

 

 でも、何だか前に見た時よりも少しだけ腕が太くなっているような気がする。鍛えたのかな………? まあ、すらりとしているというか、痩せていることに変わりはない。

 

 そう思いながらぼんやりしていたその時だった。いきなり、彼女の右腕に異変が起きた。

 

 痩せていた彼女の腕の皮膚が、何の前触れもなく変色を始めたのである。黒と黄色を基調とした奇妙な色だが、中にはピンク色も混じっている。しかもドラゴンや他の魔物のような単純な色彩ではなく、奇妙としか言いようのない複雑で不規則的な色彩。あのような色の生き物を、俺は前世の世界でも目にしたことがある。

 

 窓辺や家の裏によく巣を張っている、ジョウロウグモだ。巣に引っかかった虫を一心不乱に食っていた、いつも身近にいた昆虫。相変わらず転生した後のこの異世界でも窓の外に巣を張り、部屋の中で遊ぶ俺とラウラを見守っていた見慣れた昆虫である。そのジョウロウグモを彷彿とさせる色に変色したかと思うと、今度は彼女の柔らかい肌が消え失せ―――――――昆虫の外殻を思わせる、硬質の外殻が隆起を始めたのだ。

 

 そしてその外殻は彼女の右腕を覆うと、形成をぴたりと止めた。まるで蜘蛛の外殻をいくつもつなぎ合わせたような奇妙な右腕を少し動かしたノエルは、唖然とする俺を見つめながら微笑む。

 

「なっ…………!?」

 

 馬鹿な…………。

 

 その能力は、俺たちと同じだ。魔物の外殻を形成することで硬化し、防御力を一時的に向上させる能力。俺と親父とラウラの3人が身に着けている、キメラの能力である。

 

 元になった魔物はどうやら違うようだが、あの能力は明らかにキメラの外殻。それを使えるようになったという事は、まさかノエルもキメラに………?

 

「ありえない話ではないよ、タクヤ君」

 

「叔父さん…………」

 

「ミラが妊娠したのは、僕が義手のリハビリを始めて数日だったんだ。移植したのはもっと前だけど。…………だから、ノエルもキングアラクネの遺伝子を持っていても不思議ではない」

 

 確かに、ありえない話ではない。

 

 シンヤ叔父さんは転生者たちとの戦いが激化する発端となったネイリンゲンの惨劇で、ミラさんを庇って右腕を失った。そしてキングアラクネと呼ばれる凶悪な魔物の義手を移植し、モリガンのメンバーに復帰している。復帰したのは、ミラさんがノエルを出産する数週間前だったという。

 

 つまり、確かに彼女の体内にもキングアラクネの遺伝子があってもおかしくはない。でも、何で今彼女がキメラ化したんだろうか? 今まで身体が弱かったのが関係しているのか?

 

「見ての通り、ノエルはキングアラクネとのキメラだ。お前たちとはだいぶ違うが、彼女はまさに〝第4のキメラ”と言える」

 

「第4のキメラ…………」

 

 〝同胞”が増えたのは喜ばしい事だ。でも…………前まではベッドの上で生活していた彼女が、こんなところにいて大丈夫なのだろうか。彼女は家の外の事を知らないし、本格的に出歩いたこともない筈だ。いくらキメラになったからと言って、世界の事を知らないのではあまりにも危険である。

 

「彼女がキメラになったのは?」

 

「2週間前。そのうち1週間はずっと訓練さ」

 

「訓練…………? おい、まさかその訓練って…………」

 

「ああ、そうさ」

 

 ノエルの頭の上に大きな手を置いた親父は、片手でシルクハットを抑えたまま低い声で告げた。

 

「転生者ハンターになるための訓練だ」

 

「…………おいおい」

 

 ノエルを転生者ハンターにするだと…………?

 

 ちょっと待てよ、大丈夫なのか? 

 

「大丈夫だよ、タクヤ君。彼女の訓練相手はリディアちゃんだったんだから」

 

「リディア? あの男装した居合使う女か?」

 

「ああ」

 

 確か、海底神殿で戦った女だ。ヴィクター・フランケンシュタインがこの異世界で一番最初に作り上げたホムンクルスで、モデルになったのはフランケンシュタインの実の娘であるリディア・フランケンシュタイン。死んでしまった娘を蘇らせようとする実験を繰り返していた彼だが、結局生み出された技術はクローンを生み出す技術だった。

 

 その失敗作の1つとして取り残されたのが、ホムンクルス第一号のリディア・フランケンシュタイン。つまり、あの海底神殿で戦った女である。

 

 女性でありながら紳士のような男装を好む変わった女で、モリガンのメンバーが銃を使う中で1人だけ日本刀を使い、しかも居合を主体に戦うという変わり者だ。彼女の実力はモリガンの傭兵たちと肩を並べるほどで、親父が手塩にかけて訓練したという。

 

 そう、俺たち以外のもう1人の転生者ハンター。〝バネ足ジャック”の異名を持つ難敵だ。

 

 あの女と訓練してたのかよ…………。

 

「ちなみに、戦闘訓練以外はひたすら基礎体力を向上させる訓練をこなしてたぞ。完全武装した状態で俺と屋根の上で鬼ごっこしたりとか、毎日戦闘訓練前に40kmくらいランニングするのは当たり前だった」

 

「あとはネイビー・シールズのヘルウィークをアレンジした訓練とか」

 

 異世界版ヘルウィークかよ…………。というか、そんな訓練をノエルにやらせてたのか!? 俺らもやったけど、かなり辛かったぞ!? それにあんたも息上がってただろうが!!

 

「お兄ちゃんたちに会いたいから頑張っちゃった♪」

 

「が、頑張ったな、ノエル…………」

 

 信じられん。こいつだったら、ネイビー・シールズに入隊できるんじゃないか?

 

「とりあえず、申し訳ないが今日からノエルを預かってもらえるか?」

 

「…………本気なのか?」

 

「ああ」

 

 ノエルを預かるっていう事は、彼女をテンプル騎士団の一員にするという事だ。テンプル騎士団の活動内容は主に転生者の討伐や、この世界にやってきたばかりの転生者の保護になる。後者なら彼女に任せても大丈夫だとは思うんだが、さすがに転生者を相手にするのは危険過ぎるんじゃないだろうか。

 

 それに、俺たちのパーティーに加えればメサイアの天秤の争奪戦に彼女を巻き込むことになる。俺たちと親父たちと吸血鬼たちの、三つ巴の争奪戦。しかも残る鍵はあと1つのみ。よりにもよって争奪戦が激化するタイミングで、戦闘経験の浅い彼女を戦闘に参加させるのは危険過ぎる。

 

「危険過ぎる。親父、正気か?」

 

「ああ、正気だ。ノエルにはお前たちと共に激戦を乗り越える力がある」

 

 激戦を乗り越える力か…………。

 

 確かに、あのリディアと訓練をしていたのならば実力がどれだけ高いのかは想像に難くないが、問題は実力だけじゃない。戦場の真っ只中にいれば、必ず極限状態に直面する。例えば、すぐ近くで仲間が殺されたりとか、無残な死体を目の当たりにして精神的なショックを受ける可能性もあるのだ。どれだけ優秀な成績で訓練を乗り越えても、それだけは乗り越えられない。

 

 下手をすればPTSDになる恐れもある。いくらなんでも危険過ぎるぞ、親父。そういう訓練はやってないんだろ?

 

「まあ、詳しく話をする。タクヤとラウラはついてきてくれ」

 

「ふにゃ?」

 

 俺たちだけ?

 

 ノエルの事についての話だと思うが…………もしかすると、それ以外の話もするのかもしれない。

 

 仮にも親父は俺たちと一度だけ、倭国で天秤の鍵を手に入れるために一戦交えている。あの時は偽物で何とか鍵を奪われるのは防いだが、今度はもう偽物には騙されないだろう。つまり、次に真っ向から戦えば九分九厘鍵は奪われる。

 

 鍵の話でもするつもりなんだろうか?

 

 とにかく、親父の話を拒否するわけにはいかない。ラウラと目を合わせて同時に頷いた俺たちは、タンプル塔の根元に向かって歩きだした親父の後について行った。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 シンヤは親バカだった

 

ノエル(5)「よいしょっ…………」

 

シンヤ「ノエル!? 無理しちゃダメじゃないか! ベッドから出る時はパパを呼ばないと!」

 

ノエル(5)「うー…………ごめんなさい、パパ」

 

シンヤ「ははははっ」

 

ノエル(8)「痛っ…………あ、針が指に刺さっちゃった…………」

 

シンヤ「たっ、大変だ! ミラ、早くヒールを! メディィィィィィック!!」

 

ミラ(し、シン…………)

 

ノエル(10)「あっ、お人形さんがベッドの下に…………」

 

シンヤ「ああ、大丈夫大丈夫。パパが拾ってあげるよ。転んじゃったら大変だからね」

 

ノエル(14)「パパったら、昔から過保護なんだから…………」

 

ミラ(モリガンの男性陣全滅じゃん…………)

 

 完

 

 

 



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三つ巴と共闘

 

 

「お前たち、次はヴリシア帝国に行くつもりだろ?」

 

 次の目的地を言い当てられた俺とラウラは、炎天下の真下にいるというのにぞくりとしてしまった。まあ、親父なら俺たちの目的地を把握していてもおかしくはないんだが、こんなふうに目的地や考えていることを言い当てられると、まるで真冬の雪山の中に放り込まれたかのようにぞくりとしてしまう。

 

 そう、俺たちの次の目的地はヴリシア帝国だ。オルトバルカ王国から見れば西側に位置する大きな島国で、大昔から吸血鬼にまつわる伝説が多く語り継がれている国でもある。それに、産業革命が起きた後はオルトバルカ王国に出遅れたものの、近年は急激な発展を続けており、オルトバルカに追いつきつつあるライバルのような国である。実際、今のオルトバルカ王国とまともな戦争ができるのはヴリシア帝国だけだと言われており、もしこの両国で戦争が始まれば、瞬く間に世界大戦が始まってしまうレベルだという。

 

 今は列強国同士で睨み合っている状態だ。そのライバルの国へと、俺たちはこれから旅立つ予定だったのである。

 

 目的は、そこに保管されているという最後の1つの鍵。手に入れた者の願いを叶える力を持つというメサイアの天秤を手に入れるために必要な、重要な鍵なのだ。虐げられている人々の救済のためにも、俺たちはその鍵を手に入れなければならない。

 

 多くの演劇やマンガの題材になる有名な伝説の天秤だが、実在するか否かは大昔から不明のままで、メサイアの天秤の話はまさにおとぎ話でしかなかった。しかし、メウンサルバ遺跡で発掘された資料に『実在する』と明記されていた事から、天秤が存在するという事が明らかになったのだ。

 

 そのことを知っている冒険者はまだほとんどいないだろう。だが――――――――狙っているのは、俺たちだけというわけではない。

 

 この目の前にいる俺の〝新しい父親”も、どうやらその鍵を狙っているようなのだ。実際、倭国では2つ目の鍵を巡って一戦交えている。

 

 まさか、鍵をここで渡せと言い出すんじゃないだろうな? こんなところで親父と戦うつもりはないが、もし俺から鍵を奪うつもりならば…………戦うしかない。左手を腰のホルスターへと伸ばし、中に納まっているPL-14のグリップを掴もうとする。

 

「やめとけ。俺は子供たちと喧嘩しに来たわけじゃねえ」

 

「じゃあ、何でその話を?」

 

「ああ、ちょっと今のヴリシアは危険だ。忠告だよ」

 

 息を吐き、肩をすくめながら親父は言った。その気になれば丸腰でも戦車をぶっ壊しそうな男ならば、もし仮に完全武装したテンプル騎士団を相手にしても単独で壊滅させることはできるだろう。しかし、この男に育てられたからなのか、本当に親父が俺たちから鍵を奪うつもりではないというのは理解できた。本当に奪うつもりならば、この男はもっと俺たちを威圧する。警告と言わんばかりに、鍵を渡さなければ命はない、と威嚇するのだ。その威嚇のフェンスを乗り越えて進撃してくるようならば、親父はやっと火を噴く。

 

 敵となる相手が目の前にいるというのに、その威嚇がないのだから、本当に戦うつもりはないのだろう。

 

 まあ、もし実際に戦う羽目になったら壊滅は確定だな。何しろここにいる相手は、あの伝説の吸血鬼を単独で討伐した最強の転生者なのだから。

 

 今の俺たちでは――――――――絶対に勝てない。

 

「ヴリシア帝国が危険ってどういうことだ?」

 

「確か、あそこは治安が良い筈だよ?」

 

「ああ、そうだな。治安の良い国だ。旅行にはもってこいだが……………お前たち、あそこが何の国って言われてるか、知ってるか?」

 

 ヴリシア帝国は、オルトバルカ王国よりも歴史のある国だ。俺たちの仲間であるステラが生まれるよりもずっと昔からある西の島国で、大昔は信じがたい事に人間と吸血鬼が共存していた時期もあったという。

 

 身体能力の高い吸血鬼が人間を守る代わりに、その吸血鬼に人間の血をささげる。そのような仕組みを作り、島の中で共存していたというのだ。今ではプライドの高い吸血鬼が他の種族を見下し、レリエル・クロフォードの元に集って世界を征服した吸血鬼を危険な種族だとみなした人類により、絶滅寸前に追い込まれている。だから、今ではそんな関係だったというのは信じがたい。

 

 ヴリシア帝国には、その吸血鬼の伝説も多い。レリエル・クロフォードが封印されていたというダンジョンに指定された洋館も、そのヴリシア帝国の森の中にあるという説があるほどだし、レリエルが世界を征服した際に本拠としたのがヴリシア帝国なのである。

 

 それに、親父たちがレリエルと初めて戦ったのもそこだ。

 

 それゆえに、ヴリシア帝国にはちょっとした通称がある。

 

「――――――――吸血鬼の国?」

 

 俺が答える前に、ラウラが小声で答えた。答えが合っているかどうか不安だから小声になったのだろう。外れているかもしれない、というラウラの不安が、幼少の頃から一緒にいる俺の心の中にも伝播する。

 

 もし今すぐに「大丈夫だよ」と心の中で言えば、彼女にも伝播するだろうか。なんとなくとはいえ、彼女の思考を仕草や行動を介して受信し、そしてこちらも仕草や行動を介して送信しているのだから、出来ないことはないだろう。

 

「正解。そう、あそこは吸血鬼の国だ。元々あの国は、奴らの総本山だった」

 

「だが、今はもう人間の国だ。吸血鬼なんてどこにもいない」

 

「何故そう思う?」

 

「奴らの王(キング)は、死んだ」

 

 あんたが殺したんだ。今から11年前に、数多の騎士団を返り討ちにしてきたこの世界で最も恐ろしい怪物をたった1人の怪物が葬った。そう、目の前にいるこの男がその時の怪物だ。怪物の王を王座から蹴落とし、王座に腰を下ろして王冠を手に入れる。そしてそれをかぶり、数多の怪物たちから畏怖される。怪物の王の称号を手に入れたのはレリエルではなく、お前だ。

 

 レリエル・クロフォードの死により、ただでさえ瓦解する寸前だった吸血鬼たちが本格的に衰退したのは言うまでもない。各地で人間に狩られ、生け捕りにされて珍しい奴隷として商品にされる。プライドの高い彼らからすれば、発狂してしまってもおかしくない扱いだろう。かつては最も優れた種族だと自負し、人間たちを食料や奴隷とみなしていた吸血鬼が今ではこの有様だ。男の奴隷は過酷な労働で潰されていき、女の奴隷は問答無用で犯される。けれども、再生能力に目を付けられて魔術師たちに人体実験の日検体にされた哀れな奴らよりはまだマシだろう。今頃、どこかで手足を切断されたり、身体中を燃やされて絶叫している吸血鬼がいるかもしれない。

 

 人間にとって、没落した吸血鬼はそのようなものだ。人間はいくら麻酔で痛覚を奪ったり、止血しても痛みを与え過ぎれば死ぬ。だけど吸血鬼は、弱点で攻撃しない限り再生し続ける。はっきり言えば〝決して壊れない、便利な実験材料”なのだ。そういう用途もあるからこそ、奴隷売り場では高い値が付く。

 

 まあ、もしそんな奴らがいたら助けてやりたいところだ。俺だって虐げられる辛さは知っている。彼らの同胞をラトーニウスと雪山で葬っているけど、助けることはできるだろう。

 

 しかし、父親が彼らを絶滅という崖下へと突き落としかけたのだ。俺たちも、きっと恨まれているに違いない。

 

「ああ、そうだ。レリエルは俺が殺した」

 

「相手の大将はもういないんだ。まだ吸血鬼は残ってるみたいだが、もう戦う力は―――――――」

 

「―――――――だが、まだ女王(クイーン)がいる」

 

 親父の言葉を聞いた瞬間、呼吸が止まったような気がした。

 

 レリエル・クロフォードは11年前に死んだ。そのレリエルこそが、吸血鬼の王。奴がいなければ数の少ない吸血鬼はただの烏合の衆だ。プライドが高い彼らを統率できるカリスマ性を持つのは、レリエルしかいなかったという事だ。

 

 だが…………女王(クイーン)がいるというのは、どういうことなのか。

 

「レリエル・クロフォードの後継者…………?」

 

「そう。…………王を失った国では、新しい王が必要になる。その王座にいるのが女王だ。……………お前たちも、吸血鬼と交戦したことはあるだろう?」

 

「ああ。雪山でキモいやつと戦ったし、ラトーニウスではあんたを恨んでるやつと戦ったよ」

 

「フランシスカか……………。エミリアから聞いた。まさか吸血鬼になってるとはな…………」

 

「それで、その女王ってのは何者なの? レリエルの後継者になる吸血鬼という事は…………」

 

 親父は静かにシルクハットを目深にかぶると、天空へと向けて伸びるタンプル塔の一番巨大な大砲に触れた。灼熱の太陽に毎日晒されている土台は、間近で見るとただの城壁にしか見えない。大地から天空へと伸びた柱の表面に触れながら、親父はぽつりと答えてくれた。

 

「―――――――アリア・カーミラ・クロフォード」

 

「え?」

 

 アリア? それがその女王の名前なのか?

 

「かつて、レリエルの側近だった少女だ。今頃は立派なレディになってると思うが…………吸血鬼は老い難いらしくてな。きっとまだ可愛らしいお嬢さんのままだろう」

 

「そいつと戦ったことは?」

 

「ある。…………元々生命力が強い吸血鬼だったのか、銀で攻撃してもなかなか死なない奴だったよ」

 

 銀で攻撃されても、死なない。中には聖水をかけられても死なないし、日光を浴びても平然と生活する吸血鬼もいるという。そのような種族の弱点を無視したかのような吸血鬼は、ごくまれに姿を現す。そのような吸血鬼は、大概大昔から生き続けている吸血鬼か、その血縁者なのだ。

 

 おそらくアリアもその1人なのだろう。

 

「しかも奴は、何度もレリエルの血を吸っている」

 

「おいおい……………」

 

 それって、レリエル並みの力を手に入れてるって事か?

 

「おそらく、現時点で最もあの男(レリエル)に近いのはあの小娘だろう。―――――――そのアリアが、ヴリシア帝国に潜伏している」

 

「……………!」

 

 お前たちに勝ち目はあるのかと問われているような気がした。現時点で俺たちは2人の吸血鬼と戦った経験があるが、雪山で戦ったあの吸血鬼はなかなか手強かった。自分の弱点では死なない、強力な吸血鬼。あらゆる吸血鬼の上に立った男が、ごく普通の吸血鬼である筈がない。

 

 そして戦闘力も、間違いなくあの吸血鬼よりも高い筈だ。もし仮にあの雪山で戦った吸血鬼が下っ端だったとしたら、アリアと言う吸血鬼の戦闘力は計り知れない。

 

 ああ、確かに全滅するかもしれない。いきなりラスボスに挑むようなものだ。

 

「奴らも鍵を狙っているようでな。おそらく、3つ目の鍵は既に奴らの手中にあるだろう」

 

「くそったれ」

 

 つまり、鍵のためにラスボスに戦いを挑むって事か!

 

 親父の時みたいに鍵だけ奪って逃げる事ができれば良いんだが、今度は1人1人がキメラ並みの戦闘力を持つ吸血鬼たちの総本山に攻め込むことになる。倭国の時のように、見張りを排除しながら進むという作戦は使えない。

 

「そこでだ。俺たちと協力しないか?」

 

「なに?」

 

 モリガン・カンパニーと強力だと?

 

 あんたらも鍵を狙ってるんだろ? 競争相手と共闘したとしても、鍵は1つだけだ。その共闘の後でどちらが鍵を手にするのか、そこで仲間割れが起こる可能性があるだろ?

 

 親父は何を考えてんだ?

 

「近々、ヴリシア帝国の吸血鬼に襲撃を仕掛けることになっててな。モリガン・カンパニーと、李風(リーフェン)の率いる『殲虎公司(ジェンフーコンスー)』との共同作戦だ」

 

「李風さん?」

 

「ああ、覚えてるだろ?」

 

 幼少の時に何度か会ったことのある、中国出身の転生者の名前だった。

 

 フルネームは『張李風(チャン・リーフェン)』。かつてはネイリンゲンを壊滅させた〝勇者”と呼ばれた転生者の部下だった男らしいけど、親父たちとの戦いを経験して勇者に反旗を翻し、共に勇者の撃破に成功している。

 

 数多の転生者同士がぶつかり合った、『転生者戦争』の英雄でもある。現在は当時の作戦で生き残った仲間を率いて、異世界初の大規模PMC(民間軍事会社)となる『殲虎公司(ジェンフーコンスー)』を設立し、世界中に現代兵器で武装した傭兵を派遣しているという。

 

 その殲虎公司(ジェンフーコンスー)とモリガン・カンパニーが、共同で吸血鬼を殲滅するのだという。テンプル騎士団も加えてくれるのはありがたいが、俺たちが出る幕は果たして残っているのだろうか?

 

 転生者戦争を経験した熟練の兵士たちが戦場へと向かうのだ。彼らから見れば俺たちは新兵のようなものである。

 

「李風のPMCは兵士の人数が多い。だが、吸血鬼を相手にするにはもう少し兵力が欲しい」

 

 なるほどね。その「もう少し」が俺たちって事か。

 

「どうだ? お前らだけで突っ込んで全滅するより、みんなで派手にやった方が良いだろ? パーティーみたいなもんさ」

 

 単独で突っ込めば、巧く行けば親父たちを出し抜いて3つ目の鍵を手に入れる事ができる。だが、そうすれば難易度は上がるし、何より吸血鬼以外にも親父たちとも争奪戦を繰り広げる羽目になる。しかも親父たちは、李風さんのPMCと共に攻め込んでくるという。

 

 兵力を敢えて教えておくことで、俺たちを釘付けにする作戦か。出し抜こうとすればこうなるぞと結果を見せ、俺たちが出し抜けられないようにしたつもりなのだろう。

 

 確かに、吸血鬼の下っ端に苦戦している俺たちでは奴らの親玉を倒すのは不可能だ。しかも、後方からは大兵力を引き連れた最強の怪物が攻め込んでくる。その真っ只中で鍵を見つけ、無事に離脱するのはどう考えても無理だ。

 

 こいつは、俺が賭け(ギャンブル)を嫌うという事を知っている……………!

 

「……………タクヤ、パパの言うとおりにしよう」

 

「そうした方が良さそうだ」

 

 前門の虎と後門の狼を同時に相手にするよりも、後門の狼の群れに紛れ込んで一緒に虎を襲った方がいい。そっちの方が生存率も上がるし、確実だ。

 

「賢くなったな。それでこそだ」

 

「ああ、だが鍵は俺らが貰うぜ?」

 

「ご自由に」

 

 あれ? 譲ってくれるの?

 

 親父も何か願いがある筈だ。だから海底神殿にリディアとエリスさんを差し向け、倭国では水から俺たちの目の前に立ち塞がった。天秤は目前という状況で最後の1つを譲るなど、考えられない。

 

「もし仮に、俺たちが本当に手に入れたら?」

 

「その時は、お前たちが鍵を渡したくなるような話をしてやる」

 

「……………なんだそりゃ」

 

 鍵を渡したくなる話? 言っておくが、鍵を手に入れた暁にはそのまま天秤を手に入れるつもりだ。そんな話を聞くつもりはないし、天秤ならば俺たちの願いを叶える事ができるのだから。

 

 鍵を譲りたくなる可能性なんて、0%から変動することはないだろう。

 

「まあいい。とりあえず、襲撃作戦は後で連絡する。それまでに兵力を集め、訓練させておけ」

 

 大砲の土台を触るのを止め、踵を返す親父。砂を孕んだ熱風と共に俺たちに届いた親父の言葉が、心の中で少しずつ冷えていく。

 

 襲撃作戦の実行がいつなのかは分からないが、はっきりと言わなかったという事は襲撃する日時も協議中という事なのだろう。とりあえず、俺たちはその襲撃作戦までに人員を集め、テンプル騎士団を大きくする必要があるようだ。

 

 それまでにどんな兵器が必要なのか、前世からミリオタだった俺の頭が早くも計算を始める。でも、その前に心の中で冷えていった親父の言葉が再び燃え上がったような気がして、俺は去っていく親父に問い掛けていた。

 

「親父、その鍵を渡したくなる話って何だ?」

 

 なぜ、問い掛けようと思ったのかは分からない。もしかしたらちょっとした好奇心が原動力になったのかもしれない。マンガの続きが早く読みたいから、すぐにページを捲る。リラックスした時間の中で感じる好奇心にも似た奇妙な感情だ。

 

 親父はその奇妙な感情に、更に好奇心を刺激するような答えを返してくれた。

 

「―――――――メサイアの天秤の………正体だ」

 

「「!?」」

 

 メサイアの天秤の、正体。

 

 願いを叶える魔法の天秤。ヴィクター・フランケンシュタインが作り上げた神秘の天秤の正体を、親父は知っているのか?

 

 嘘だ、と言いたくなったが、それを口にすることはできなかった。親父にそう言うよりも先に、ステラから前に聞いた話を思い出したのである。

 

 かつて、サキュバスたちは絶滅寸前の自分たちを救済するため、種族の中でも強かった戦士たちにメサイアの天秤の入手を命じて旅に出した。4人の最強のサキュバスたちは天秤を見つけたというが、最終的に帰ってきたのは、片腕を失うという重傷を負ったサキュバスの1人の戦士だけ。しかも天秤を手に入れることは出来ず、その戦士もすぐに死んでしまったという。

 

 そのサキュバスのパーティーに、一体何があったというのか。天秤を見つけた筈なのに、どうして持って帰ってこなかったのか?

 

 そして、なぜガルゴニスは天秤を手に入れようとする俺たちを止めた?

 

 もしかすると、俺たちが手に入れようとしている天秤は――――――――危険な代物なのか?

 

「待ってくれ、親父。天秤の正体は――――――――」

 

「―――――――兄さん、そろそろ戻らないと。会議あるんでしょ?」

 

「ああ、そうだな。……………すまんな、2人とも。またあとで」

 

 今ここで天秤の正体を聞こうと思ったんだがシンヤ叔父さんに会議があると告げられた親父は、俺の問いを聞くよりも先に手を振ると、そそくさとスーパーハインドの兵員室に乗り込んでしまう。

 

「悪いが、ノエルを頼んだぞ」

 

「おい、待て―――――」

 

 ヘリのメインローターが回転を始め、俺の声を飲み込んでしまう。手を伸ばしながらヘリに向かって走るが、親父とシンヤ叔父さんを乗せた黒いスーパーハインドはゆっくりと浮き上がると、砂を巻き上げながら高度を上げていき、メインローターの轟音を響かせながら王都へと機首を向けて飛び立っていく。

 

 残念ながら、キメラに空を飛ぶ能力はない。撃墜しない限り、親父から話を聞くのは無理そうだ。

 

 俺はため息をつきながら、「パパ、バイバーイ!」と大きな声で父親に別れを告げるノエルを見つめた。

 

 まず、彼女も訓練した方が良いだろう。それに、配属先も決めておかないと。

 

 親父が残した不安は、早くも俺の心の中で芽を出していた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ナタリアが探偵をやるとこうなる

 

ステラ(警部)「ナタリア、こちらです」

 

ジョシュア(死体)「……………」

 

ナタリア(探偵)「この人が被害者?」

 

ステラ「はい。名前はジョシュア・マクドゥーガル。ラトーニウス王国の貴族です。死因は身体中を斬りつけられたり、焼かれてます。あと銃で撃たれた痕も」

 

ナタリア「……………か、かなり恨まれてたみたいね」

 

ナタリア(と、とりあえず頑張らないと。私探偵なんだし)

 

ステラ「それで、容疑者はこちらのみなさんです」

 

力也(17)「……………」

 

エミリア(17)「……………」

 

エリス(18)「……………」

 

タクヤ「……………」

 

ラウラ「……………」

 

ナタリア(くっ…………犯人はいったい誰なの…………!?)

 

タクヤ(全員じゃねえか)

 

 完

 



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シュタージが偵察に行くとこうなる

 

 

 ズドン、と獰猛な銃声が、砂漠に響き渡る。

 

 エジェクション・ポートから排出された薬莢が、熱を孕んだまま真下の砂に半分ほど沈み、役目を終えた弾丸の墓標のようにそこに鎮座する。その傍らには、数秒前に役目を終えた弾丸の薬莢(墓標)が連なり、その近くには別の弾丸の薬莢(墓標)が連なる。日光に照らされる黄金の薬莢たちは、金色の光を放ちながらかつて自分たちが収まっていた銃を見上げるだけだ。

 

 足元に転がる薬莢を一瞥し、すぐに次のマガジンへと交換。コッキングレバーを引いて弾丸を装填し、再び俺はチューブ型のドットサイトを覗き込む。

 

 使用している銃は、ロシア製の最新型アサルトライフルであるAK-12。原型となったAK-47から発展した新型のライフルで、頑丈さを維持しつつ汎用性を高め、更にAK-47の弱点だった命中精度の悪さを改善した、東側を代表する傑作アサルトライフルである。更に、他にもLMG(ライトマシンガン)型、SMG(サブマシンガン)型、マークスマンライフル型が存在する。

 

 俺が使っているのはスタンダードなアサルトライフル型。本来なら小口径ライフル弾の5.45mm弾を使用するんだが、強靭な防御力を持つ魔物や、ステータスの高い転生者に少しでも通用するように、あえて大口径で反動の大きい7.62mm弾を使用している。更に、防御力の高い魔物の外殻を破砕するために、ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドを銃身の下に装備している。

 

 転生者以外の対人戦ならば、小口径の5.45mm弾や5.56mm弾が望ましい。反動が小さく命中精度も高いし、マガジン内に装填できる弾数も多くなる傾向があるからだ。ただし、その分殺傷力では7.62mm弾に劣るため、対転生者戦では火力不足になってしまう。

 

 なので、この異世界では転生者や対人戦にも対応できる大口径の銃の方が都合がいいのだ。

 

 的に風穴が開いたのを確認してから、横にずらしていたブースターをドットサイトの後方に移動させる。的に照準を合わせ、もう一度トリガーを引く。最初の頃は7.62mm弾を撃つのは無理なんじゃないかと思うほど反動が大きかったんだが、いつの間にか慣れていた。まあ、身体が魔物並みに強靭なキメラとして生まれたんだから、人間よりも貧弱なわけがない。

 

「…………こんなもんかな」

 

 ブースターから目を離しつつ、俺はAK-12を肩に担いだ。

 

 俺の前にある的は穴だらけ。人間の形をした的の胴体は蜂の巣になっており、首から上は度重なる被弾に耐えられずに捥げてしまっている。

 

 普通の人間なら、あんなに被弾すればとっくに死んでいる。それどころか、たった1発の弾丸でも当たり所によっては絶命してしまうほど脆い生き物なのだ。だからこそ身を守ろうと鎧を纏い、怪物を打ち払うために剣を握る。

 

 しかし、俺たちが親父たちと共に戦う事になった吸血鬼という怪物は、その程度では死なない。弱点の銀の弾丸で撃ち抜かない限り、奴らは何度でも再生してしまう。

 

 一体いつ吸血鬼たちの総本山に襲撃を仕掛けるのかは定かではないが、今のうちに訓練を積み重ねつつ、兵力の増強を推し進めなければならないのは明白だった。いくら少数精鋭とはいえ、銃の扱い方を知っている少数の男女だけでは、戦争を知っている大人たちの戦列に加わることは許されない。

 

 そんなプレッシャーを感じていた俺を、傍らで響いた銃声が慰める。

 

 タンプル塔の屋外に臨時で作られた即席の射撃訓練場で、俺と共に訓練をしていた少女の銃声である。というか、正確に言えば俺の訓練ではなく、彼女の訓練に付き合うついでに俺もAK-12の調整をするつもりだったんだ。

 

 数週間前まではベッドの上で生活していた少女が、俺の隣でハンドガンを構えている姿は、旅立ってから最初にエイナ・ドルレアンに立ち寄った時には想像もできなかった。けれど、今の彼女はもう病弱な従妹ではない。ネイビー・シールズの厳しい訓練にも匹敵する訓練を受け、強靭になった1人の戦士なのだ。

 

 ノエルが構えているハンドガンは、ソ連製の『マカロフPM』と呼ばれる、軍用ハンドガンの中でも小型に分類されるハンドガンの1つである。

 

 第二次世界大戦中のソ連軍は、トカレフTT-33というハンドガンを採用していた。大量生産のために徹底的に単純な構造の銃として設計されたトカレフは多くの兵士に装備され、ドイツ軍との戦闘の勝利に貢献したが、〝安全装置(セーフティ)”が搭載されていないというハンドガンには考えられない銃であったし、アメリカをはじめとする西側の国に対抗するためにも、新型のハンドガンを開発する必要があるという事で、当時のソ連は新型ハンドガンの開発を開始する。

 

 それが、ノエルの持つマカロフPMだ。こちらでは安全装置がちゃんと搭載されているほか、弾薬も新型の弾薬に変更されている。全体的にがっちりしていたトカレフと比べると、ドイツのハンドガンの影響を受けているからなのかかなりコンパクトな形状に変わっており、大男ならば手の平で隠せるのではないかと思えるほどのサイズだ。

 

 現在では退役している銃の1つだが、コンパクトなハンドガンであるため、隠し持つのにももってこいなのだ。実際、ノエルが数あるハンドガンの中からマカロフを選んだ理由が、「隠し持てるから暗殺に向いている」というとても病弱で純粋だった従妹が口にするとは思えない物騒な理由で、それを聞いた瞬間、俺とラウラは同時に顔を青くしたものである。

 

 いったい、どんな訓練を受けたんだろうか。

 

「お兄ちゃん、見て見て!」

 

「おお、ちゃんと当たってる」

 

 しかも、ハンドガンの命中精度も高い。地下で見つけた木材を削って作った人型の的の頭には、9×18mmマカロフ弾で穿たれた風穴がびっしりと開いている。

 

 キメラとして覚醒したのが2週間前で、それから1週間の間訓練を受けていたらしいが、たった1週間でこんな命中精度になるのだろうか。もしかすると、ノエルにもラウラみたいな射撃のセンスがあるのだろうか?

 

 素早くマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着。後ろに下がっていたスライドを元の位置に戻し、再び射撃を開始する。

 

 ノエルはどうやら、基礎的な訓練以外では「暗殺に特化した訓練」を受けていたらしい。射撃訓練を始める前にノエルも言っていたし、彼女の能力も暗殺で真価を発揮するタイプだという。もし部隊に配備するのならば、正面から戦うことの多い俺たちではなく、どちらかと言うと表舞台には立たないシュタージに配備した方が良いのではないだろうか。諜報活動をしつつ、場合によっては標的を暗殺する。そうする事でシュタージにも強みができるし、暗殺に特化した訓練を受けたという事は隠密行動の訓練も受けているという事だ。表舞台には立たないシュタージに配備すれば、ノエルは真価を発揮するに違いない。

 

「おー、結構当ててるなぁ」

 

「良い腕ね、その子。Gut(いいわ)!」

 

「おう、2人とも」

 

 俺の後ろから声をかけてきたのは、そのシュタージのツートップだった。前世ではドイツから日本に留学してきたクランと、彼女の彼氏であるケーターの2人である。2人とも早くもこの砂漠の熱さに慣れてしまったのか、ほんの少しだけ汗をかいている程度である。

 

 ドイツ連邦軍の迷彩服に身を包み、同じ迷彩模様のヘルメットを片手に持つ2人は、どうやら訓練の様子を見に来たのではなく、自分たちも武器の試し撃ちをしに来たらしい。2人がもう片方の手に持っているアサルトライフルとPDWがそれを物語っている。

 

 2人が持っている銃はアサルトライフルとPDWだが、元々はドイツ製の『XM8』という同じアサルトライフルなのだ。従来の無骨なライフルとは異なり、流線型の部品が多いアサルトライフルだが、キャリングハンドルや銃床の形状に従来のライフルの面影が辛うじて残っている。

 

 性能面では、まず非常に命中精度が高い。兵士にとって非常に構えやすい形状にデザインされているため、構えやすさから狙いやすさが生まれ、それがそのまま命中精度の向上につながるというわけだ。しかも反動も抑え込めるように設計されているので、反動はあまり感じないという。

 

 そしてもう一つの特徴が、下手をすれば汎用性が高いライフルの代名詞と言えるM16やM4を上回りかねない汎用性の高さだ。なんと、銃身やマガジンなどの一部の部品を別の物に変更することで、アサルトライフルからPDWに変更したり、『シャープシューター』と呼ばれるマークスマンライフルとして運用することが可能なのだ。

 

 更に、従来の銃のようなカスタマイズも可能であるため、更に高い汎用性を誇る。

 

「試し撃ちか?」

 

「ああ。そういうお前こそ、新しい得物の試し撃ちしてたんだろ?」

 

「いや、AKは前も使ってた」

 

「へえ。…………お前ってさ、筋金入りのロシア好きだよな」

 

 ああ、前世の頃から好きだったからな。親父の影響で更に悪化したけど。

 

 西側の武器に比べると汎用性では劣るけど、性能が低いというわけではない。AK-47は滅茶苦茶頑丈だし、サプレッサーと組み合わせると驚異的な消音性能を誇る弾丸がある。それに、兵器だったら有名なハインドがあるからな。驚異的な火力と歩兵の輸送能力を兼ね備えた優秀なヘリだ。

 

「悪いか?」

 

「いや? まあ、好みが違うのは当たり前だけどな。けどさ、西側もいいぜ? 資本主義にカモン」

 

「何言ってる。東側もいいぞ? 共産圏にカモン」

 

ドイツ(ドイッチュラント)の兵器は良いわよ? バランスの良い兵器が多いし」

 

 ああ、このまま論争が始まったら第二次独ソ戦が始まってしまいそうだ………。

 

 ケーターは「まあいいさ」と言いながらライフルを構えると、レーンの向こうに残っている的に向かって銃口を構えた。

 

 こいつのXM8は、グレネードランチャーとホロサイトを装備しているようだ。ライトも装備してあるようだが、それは暗所での戦闘を考慮しているからなのだろうか? 使用する弾薬は5.56mmか6.8mmのどちらかとなっているが、可能な限り大口径の弾薬を使用するようにと指示を出しているので、おそらく装填してあるのは6.8mm弾だろう。

 

 クランのXM8PDWは、そもそも彼女が戦車の車長や舞台裏での作戦行動を想定しているらしく、非常にコンパクトなカスタマイズがされている。まず銃床が折り畳まれており、フォアグリップとオープンタイプのドットサイトが装着されている。銃身の脇に装着されているのはレーザーサイトだろうか。

 

 試し撃ちをする2人の目はいつもよりも鋭かった。いつも飄々としている2人組とは思えないほどで、そんな2人に睨まれているレーンの向こうの的の首は、もう既に捥げかけていた。

 

 いつも冗談を言っているシュタージのメンバーだが、彼らは前世から仲の良かった仲間同士である上に、転生してからは共に激戦を生き延びてきた猛者たちでもある。彼らが俺たちと共に戦ってくれるのは、人手不足の俺たちからすれば本当にありがたい。

 

「あ、そうだ。おいクラン」

 

「なに?」

 

「ちょっとお願いがしたいんだけどさ」

 

 マガジンを交換していた彼女は、ぴたりと手を止めてからこちらを振り向いた。彼女がこっちを振り向いた瞬間、ついに彼女のレーンにあった人型の的から首がぽろりと転げ落ち、カタン、と寂しそうな音を立てる。

 

「お願い?」

 

「ああ。ちょっとシュタージのメンバーで偵察を頼みたい」

 

「偵察?」

 

「そう。まだこの辺の地形を把握したわけじゃないし、もしかしたら魔物もいるかもしれないだろ?」

 

 人員が増えるまでは、夜間の警備は少数の歩哨とターレットに依存する予定である。ターレットやドローンに警備を依存するのは、同じく人員不足だったモリガンの真似事だ。

 

 無人兵器は優秀な兵士だ。ハッキングでもされない限り、〝命令違反”など起こさないのだから。

 

「了解(ヤヴォール)。ケーター、あの2人にも伝えといてね」

 

「はいはい、お嬢さん(フロイライン)

 

 彼らに諜報活動を頼むのは、もう少し先になるんじゃないだろうか。

 

 悪いが、もう少し我慢してもらおう。

 

 任務を終えて彼らが帰ってくる頃は、おそらく午後の3時ごろになるだろう。アフタヌーンティーの準備でもして待ってるとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『なあ、ケーター』

 

「あ?」

 

 砂塵を纏いながら陽炎の中を疾走する、砂漠には場違いとしか言いようがないホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)の砲塔の上で、しつこい日差しにうんざりしながら答えた。

 

 新たに追加された砲塔の上のプロテクターRWSなら日陰になってくれるんじゃないかと思ったんだが、装填手用のハッチの位置からでは日陰として機能するのは砲身として突き出ている4門のブローニングM2のみ。大口径の弾丸を撃ち出す太い銃身とはいえ、日陰として考えるとあまりにも細過ぎる。

 

『俺たちってさ、諜報部隊として機能するのはもうちょい先かな?』

 

「先だろ。人員が足りないんだし」

 

 車内に一旦引っ込み、タクヤのやつが過剰に車内に積み込んでくれたアイスティーの容器を1つ拾い上げた。理科室に置いてあるようなビーカーに似た容器に紅い液体が入っているのを見ると、アイスティーというよりは変な薬品を調合した液体に見えてしまう。しかも、その中に鮮血を思わせる紅い氷が浮かんでいるのだ。そして、追い討ちのようにセットで添えられているストロベリージャム。そう、どれも紅い。

 

 ちなみにこのストロベリージャムはナタリアのお手製らしく、タクヤのために試行錯誤しているうちにたくさんできてしまったらしい。おかげでアイスティーを飲む時は常にこのジャムがセットでついてくるし、スコーンやビスケットにもこのジャムがついてくる。しかも砂糖を入れ過ぎたのか、やたらと甘い。

 

「うーんっ! このジャム甘くておいしい♪」

 

「女子って甘党が多いの?」

 

「あら。レディーはみんな甘いものが好きなのよ」

 

「へえ」

 

 甘いものは嫌いじゃないんだが、俺は辛い方が好きなんだよね。担々麺には追加で豆板醤を入れるし、前世では味噌汁にひたすら唐辛子を入れてた覚えがある。

 

「ふふっ。帰ったらナタリアちゃんの事、いっぱいなでなでしてあげようかなっ♪」

 

「ほら、木村に渡せ」

 

「へーい。ほら木村」

 

「どうも。…………ところで、このスコーンもナタリアちゃんが作ったんですかね?」

 

「いや、タクヤらしいぞ」

 

「マジかよ」

 

 あいつ、料理が得意らしいけどお菓子作りも得意だったのか…………。

 

 男子なのになんでそこまで女子力が高いんだろうか。この前は戦車を放置しているだけでも12時間経過すれば最適の状態に勝手にメンテナンスされるというのに、停車しているチーフテンとチャレンジャー2とレオパルト2の車体を洗ってワックスまでかけてたし、昨日の朝は本部の地下に作った厨房の向こうでエプロン姿で朝飯作ってた。こいつは男だってわかってたんだけど、マジで美少女にしか見えなかったよ。雰囲気は幼馴染って感じかな。

 

 …………だが、男だ。残念ながら。

 

 というか、何で髪型がポニーテールなんだよ。女に間違えられるのが嫌なんだったら髪型変えろよ…………。ポニーテールであの顔つきだったら完璧にラノベのヒロインだよ。ツンデレの幼馴染か転校生だって。だから俺は女子高生の制服が一番似合うって言ったんだ。

 

「うん、このスコーンも美味しいわ! ねえ、ケーターも今度お菓子作ってよ!」

 

「俺も女子力上げろってか」

 

 それよりレベル上げたいんですけど。

 

 ラノベのヒロインみたいな男子が作ったスコーンを咀嚼しながら、またうんざりする羽目になると知りつつハッチから顔を出す。ごつん、と縁にぶつかったヘルメットを片手で押さえながら顔を出した俺を出迎えるのは、嫌になる熱さの元凶と、その元凶に加熱された戦車の装甲だ。

 

 すぐに車内に戻ってモニターでも見ようかと頭を引っ込めかけたその時、戦車の進行方向から見て11時の方向に、今にも枯れそうな植物のようなものが見えた。一瞬だけサボテンかと思ったが、タクヤの話ではこのカルガニスタンの砂漠には西側に行かない限りサボテンは生えていないという。まだここは、サボテンの生えている範囲ではない。

 

 まあ、タクヤのその話も幼少期に読んだ図鑑の話らしいから信憑性は低い。とりあえず、車内に置いてある双眼鏡で確認してみるか。

 

 座席の近くにある双眼鏡を拾い上げ、ヘルメットと額の間から流れ落ちてきた汗を拭ってから双眼鏡を覗き込む。砂と蒼空しかない殺風景な世界の真っ只中に、放置された枯れそうな植物。誰かが投げ捨てていったのだろうかと思いつつズームしようとしたその時だった。

 

 ぴくり、と、その植物が―――――――動いた。

 

「魔物…………?」

 

「どうしたの?」

 

「11時方向に奇妙なものを発見」

 

「魔物?」

 

「分からん。木村、一旦停めろ。確認する」

 

『了解(ヤヴォール)』

 

 魔物だったら、すぐに撃ち殺す。

 

 グレネードランチャーに40mmグレネード弾が装填されているのを確認してから、新しい相棒のXM8の安全装置(セーフティ)を解除する。砂塵を纏っていたヴァイスティーガーがゆっくりと停車し、砂漠に刻まれていたキャタピラの跡もそこで止まる。

 

 砲塔がゆっくりと旋回し、その魔物と思われる奇妙な植物を睨みつける。もし調べに行った俺の身に何かがあれば、すぐに120mm滑腔砲で吹っ飛ばせるように準備してくれているのだろう。クランには申し訳ないし、仲間たちにもそんな事はさせたくないが、もし俺が襲われて命を落とすような事があれば、俺もろとも魔物を吹っ飛ばしてもらったってかまわない。

 

 心配そうにこっちを見ているクランに向かって頷き、俺は戦車の中から飛び出した。フライパンのように熱くなった装甲の上を滑り降り、XM8を構えながらその物体に近付いていく。

 

 すっかり水分はなくなっており、植物の根や高麗人参を思わせるような姿になっているそれは、もう生きているとは思えない状態になっていた。干からびる前はどのような姿だったのかは辛うじて予測できるけれど、これではただの枯草だ。あの時動いたように見えたのは気のせいか?

 

 でも、よく見ると人の形に見えるような――――――――。

 

「う……………」

 

「ッ!?」

 

 今のは…………呻き声!? こいつが発したのか!?

 

 ぎょっとしながら銃を構えた瞬間、俺の目の前に横たわっていた枯草のようなその物体が、確かに動いた。人間の手足のように伸びた、四肢を彷彿とさせる何かを動かし、上半身と思われる部位をゆっくりと持ち上げてこっちを見る。

 

 俺の姿を見つめている部位は、辛うじて頭だという事が分かる。よく見れば顔のようにも見えるが、その顔はまるで老婆のようだ。頭髪のように見える部分は、まるで枯れてしまったタンポポのように黒くなり、垂れ下がっている。

 

「あ…………み、みず……………」

 

「なんだって……………?」

 

「みず…………ください……………か、かれちゃう……………」

 

 水? もう枯れかけじゃないか。

 

 でも、戦車に戻れば大量のアイスティーがある。水じゃないけど、ジャム入りのアイスティーで我慢してもらえるだろうか。

 

 というか、こいつは何だ? たしか、転生したばかりの時もこんな種族に会った事がある。

 

 その時の事を思い出しながら、俺は戦車に向かって走っていた。

 

 

 

 

 



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アルラウネを拾うとこうなる

 

 本拠地の名前に『タンプル塔』の名を冠したのは、史実でもテンプル騎士団の本拠地だったという事と、地上に設置された大砲の砲身が長く、天空へと向けている様子はまるで塔のように見えるからという2つの理由だった。

 

 最終的には岩山の外周にレーダーサイトを設置したり、ヘリポートや飛行場を作りたいところなんだが、現時点では人手不足だ。なので、現時点では大砲以外には何も地上に用意されていない。

 

 元々は騎士団の古い駐屯地のあった場所のようだったが、建物の老朽化がかなり進行しており、眠っている間に倒壊して生き埋めになるのは嫌だったので、仕方なく大砲を設置する前に建物を全てC4爆弾で爆破して更地にしておいたのだ。では、どこに寝泊まりするのかというと、駐屯地の地下に残された部分を補強し、いくらか拡張して再利用させてもらっている。

 

 日光が当たらない分涼しいんだが、できるならば風が欲しいところだ。まあ、ラウラの氷を活用すれば涼しくはなるんだが、ごくわずかとはいえ氷の生成にも魔力を使うのだから、ラウラにも負担をかけてしまう。お姉ちゃんにはあまり無理をさせたくない。

 

 AK-12を背負ったまま、俺は地下に用意した自室のドアを開ける。

 

 元々は地上の兵舎に収容しきれなかった騎士たちの自室として用意されていたらしく、部屋はそれほど大きくはない。ちょっと安めの宿屋と言った感じか。

 

 床には木の板が張られており、壁は灰色のレンガで覆われている。地下なので窓はなく、その代わりに小さなランタンが3つほど壁にかけてある。部屋の真ん中には木製の小さなテーブルがあり、その奥には一般的な1人用のベッドが1つだけ置いてある。

 

 この光景を見れば、誰もが1人部屋だと思う事だろう。スペースは狭いし、ベッドも1人用。だから同居人などありえない。

 

 しかし、俺のすぐ近くにはそんな部屋でも一緒にいようとする困った人物がいるのである。

 

「あっ、おかえりっ♪」

 

 ベッドの上に腰を下ろし、ミニスカートの中から紅い鱗に覆われた尻尾を伸ばしているのは、腹違いの姉のラウラ。氷を操る強力なキメラなんだが、氷属性であるため暑さには弱いらしく、俺が試し撃ちをしている最中は地下室で待っていたらしい。

 

 まあ、溶けちゃったら大変だからな。ありえないけど。

 

 しかも部屋で待っていたのは、どうやら1人ではないらしい。もう1人の客人が、俺が不在の間に俺のポジションを奪っていた。

 

「ああ……………お姉様の膝枕、最高ですわ……………!」

 

「えへへっ。どう?」

 

「柔らかい太腿と黒ニーソの組み合わせは最強ですわ……………!」

 

 カノン、何やってんだ。

 

 俺のポジションを奪っている妹分を見下ろしながら、俺はわざとらしく背負っていたAK-12をテーブルの上に置いた。そして足音を立てながらベッドの方へと向かうが、カノンはラウラの太腿が気に入ってしまったらしく、彼女から離れる気配はない。

 

 こ、こいつ…………。

 

 せっかくお姉ちゃんに膝枕してもらおうと思ってたのに…………!

 

「あら、お兄様」

 

「おう」

 

 やっと俺に気付いたカノンが、顔を上げながらにっこりと微笑んだ。そのまま起き上がってからぺこりと頭を下げると、ラウラの反対側に腰を下ろし、テーブルの上に置いてあるアイスティーのカップに手を伸ばす。

 

 すると、ラウラがいきなり俺の方に手を伸ばしたかと思うと、そのまま肩を掴んで引っ張り始めた。いきなり引っ張られると思っていなかった俺は、びっくりしてそのままベッドの上に転がってしまう。

 

 ベッドの上に投げ出された俺の頭を支えてくれたのは、甘い香りのする柔らかい感触だった。ベッドの上にある毛布ではなく、もっと優しい柔らかさだ。それにその甘い香りは、幼少の頃から嗅ぎ慣れている親しい香りである。

 

 上を見上げてみると、赤毛の少女が微笑みながら唇を近づけてくるのが見えた。彼女の顔の後ろに見えるのは、部屋の天井。

 

 ああ、膝枕してもらってるのか…………。やっぱりラウラの太腿は柔らかいなぁ…………。

 

 そんな事を考えているうちに、俺と彼女の唇が触れ合う。そのまま少しずつ距離を詰め、舌を絡ませながら抱き締め合う。

 

 静かに唇を離すと、ラウラはまだ足りないと言わんばかりにまた唇を押し付けてきた。しかも今度は俺が逃げられないようにと、自分の尻尾を俺の腰の辺りに巻き付け、先ほどよりも強引なキスをしてくる。

 

 最近はよくキスをするようになったけど、キスを止めるタイミングを間違えるとこうなる。こうやって尻尾で俺を押さえつけ、逃げられないようにしてから強引にキスをしてくるのだ。しかもナタリアやステラが見ている前でもお構いなしに唇を奪ってくるし、強引に逃げようとすると顔以外の部分を氷漬けにしてでもキスをしようとするレベルなので、迂闊に断れば殺されるかもしれない。

 

 ああ、なんで俺のお姉ちゃんはヤンデレになっちゃったんだろうか。俺はクーデレ派だったのに…………。

 

「ああ…………お、お姉様とお兄様が………き、きっ、キスを……………!?」

 

「―――――――ぷはっ。……………えへへっ。大好きだよ、タクヤっ♪」

 

「お、おう……………」

 

「ふにゅう…………タクヤの唇ってとっても柔らかくて、ずっとキスしてたくなっちゃうよ♪」

 

 こ、呼吸整えないと…………。

 

 はっとして、片手を頭の上に伸ばす。案の定、髪の中に隠れる程度の長さだったキメラの角は、今しがたの長時間のキスでフードを突き破らんばかりの勢いで屹立しており、それを確かめてからため息をついてしまう。

 

 とりあえず、今のうちに装備の点検でもしておこう。21年前にタイムスリップした際に、向こうで経験したネイリンゲン防衛戦でかなりレベルも上がり、ポイントも溜まっているので今は余裕があるのだ。

 

 現時点で、俺のレベルはやっと90を突破し96となった。攻撃力のステータスは9044となり、防御力も9007まで上がっている。スピードは3つのステータスの中で一番高くなっており、9200となっている。最初は均等に伸びてきた俺のステータスだが、最近は段々とスピードに特化しつつある。まあ、接近戦ではナイフを使うし、動きも早い方が狙撃地点の変更や敵への接近の際に便利になるからありがたい伸び方ではある。

 

 もしかして、このステータスってその転生者の戦い方に合わせて伸びるようになってるんじゃないだろうか。だから転生者の得意分野と不得意な分野がはっきりとわかるようになっているのかもしれない。

 

 もしこれが俺のようなタイプの転生者ではなく、端末を持つ従来の転生者も同じ仕組みなのだとしたら、戦い方を見れば大方のステータスが予測できるかもしれない。例えば動きが早く、攻撃力がそれほどでなければスピード特化型だし、攻撃力だけ高くて防御力が貧弱ならば攻撃力特化型という事になるだろう。

 

 そうなるとオールラウンダー型が面倒だな。

 

 自分のステータスを確認してから起き上がろうとすると、起き上がりかけた俺の両肩をラウラの柔らかい両手が掴んだ。そしてそのまま再び俺の身体を引っ張り、太腿の上に寝かせてしまう。

 

「お、おい、ラウラ?」

 

「ふふふっ。ダメだよ、お姉ちゃんと一緒にいないと」

 

 どうやらお姉ちゃんはまだ満足していないらしい。

 

 最近はラウラと離れ離れになる状況が多かったから、多少は甘えても良いだろうと思って好き勝手に甘えさせていたけれど、なんだか最近はエスカレートしつつある。タンプル塔を拠点にしてからはまだ1回も襲われていないけど、下手をすれば今すぐにでも襲われそうな感じがする。

 

 うーん、来年の誕生日まで突発的な発情期に耐えなければならないのか。

 

「ところでお兄様」

 

「ん?」

 

 ラウラと俺がキスをしているところを間近で見せつけられ、顔を真っ赤にしていた妹分がいつの間にかホルスターの中に収めていたPL-14のマガジンを点検しながら、俺に質問してくる。

 

 普段は変態にしか見えないカノンだが、真面目な話をする時はちゃんと真面目になってくれる。こういう切り替えが素早い点は評価できるけど、いきなり真面目になるとこっちも対応できないんだよね。

 

 さて、彼女は何の話をするのだろうか? 武器の要望か? 

 

「――――――――姉と弟が○○○○する成人向けのマンガが欲しいのですが、この辺に書店はないのでしょうか?」

 

「あるわけねえだろ」

 

 ま、真面目な顔で変な質問すんなよ! そのマンガの内容、絶対俺たちの影響受けてるだろ!?

 

 とりあえず冷静なツッコミを返すけど、結構動揺してしまう。ここは先進国であるフランセン共和国の植民地とはいえ、近代的な街に作り替えられているのは総督のいる首都だけだ。それ以外の場所は共和国側の兵士が駐留しているだけで、小さな村などは全く手が付けられていない。

 

 そういう書店があるのは首都かな。

 

 俺も書店があったら立ち寄ってみようかなと思っていると、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。「どうぞ」と言いながらそっちの方を向くと、木製のドアの向こうから、漆黒の制服に身を包んだ小柄な少女が部屋の中へと入ってきた。

 

 少し大きいのではないかと思ってしまうサイズの制服に、ロシアの帽子であるウシャンカをかぶっている。そのウシャンカの下から伸びるのは、お尻の辺りまで届きそうなほど長い銀髪だ。ただの銀髪ではなく、毛先の方だけ桜色になっているという特殊な色彩の髪である。

 

「おう、ステラ」

 

「タクヤ、クランたちが戻ってきました」

 

「了解。ラウラ、行こう」

 

「はーいっ!」

 

 スコーンを用意しておけば良かったなと思いつつ、やっとラウラから解放された俺は、テーブルの上のAK-12を拾い上げてから部屋を後にする。部屋の外でステラと合流し、古めかしい城の中を思わせる薄暗い廊下を進んでいく。

 

 老朽化した地下の部分を補修しているとはいえ、元々限界が近かった設備だ。人手が増えてきたら本格的な改装も視野に入れなければ、下手をすれば本当に目を覚ましたら生き埋めになっているかもしれない。

 

 板を張り付けて塞いだ壁の穴を一瞥し、所々欠けている階段を登っていく。いつの時代の騎士団が使っていた施設なのかは不明だが、所々に古いオルトバルカ語が刻まれている事と、シベリスブルク山脈の向こうにあるという事を考えると、おそらくは大昔のオルトバルカ王国騎士団の橋頭保か前哨基地のような場所だったのかもしれない。魔物の侵攻か、補給の維持が難しくなって放棄されたのだろう。

 

 階段を登ると、周囲の岩山の中に穿たれた階段の出入り口から熱風が飛び込んでくる。微かに砂を孕んだその熱風に出迎えられながら外に出ると、チーフテンとチャレンジャー2の隣に、まるで砂漠で戦う事を全く考慮していないと言わんばかりに純白に塗装されたレオパルト2A4が停車し、一足先に出迎えにきていたナタリアが戦車の傍らでクランと話をしているようだった。

 

 ヴァイスティーガーの装甲を見る限り、被弾した様子はない。戦闘が行われた可能性は極めて低いだろう。まあ、攻撃を受ける恐れのある距離よりもはるか遠くから、滑腔砲で仕留めてしまったという可能性もあるが。

 

「おかえり」

 

「あら、団長」

 

 AK-12を背負ったまま戦車に近付いていくと、ナタリアと話をしていたクランが俺に気付いた。右手に持っていたXM8PDWを腰に下げた彼女は、にっこりと笑いながらこちらを振り返り、手を小さく振る。

 

「どうだった? 何か見つけたか?」

 

「別に? 紅茶を飲んでスコーンを食べながら砂漠の旅をしてきたわ。――――――――お客さんを拾っちゃったけど」

 

「お客さん?」

 

 お客さんって何の事だ? 偵察中に誰かを保護したという事なんだろうか。

 

 考え込もうとしていると、まるで答え合わせを始めようとするかのように戦車の砲塔の上のハッチが開き、その中からひょっこりと坊や(ブービ)が顔を出した。小柄で童顔の彼が迷彩模様のヘルメットをかぶっていると、勇ましい兵士が装備を身に纏っているというよりも、その兵士に憧れた子供が兵士のもの真似をしているようにしか見えない。

 

 そんな事を考えているうちに、坊や(ブービ)が再び砲塔の中へと頭を引っ込めた。そして「よし、そのまま」という彼の声が聞こえたかと思うと、再び彼が砲塔のハッチから顔を出し、中にいる仲間たちと共に車内から何かを引っ張り出し始める。

 

 彼らが掴んでいたものを目にした瞬間、俺や傍らにいたナタリアは唖然としてしまう。

 

 それは、戦車の中から出てくるようなものではなかったからだ。てっきり俺は、そのお客さんはどこかの商人からはぐれてしまった護衛とか、近くの貴族の屋敷――――――――砂漠しかないからあまり考えられない――――――――から逃げ出してきた奴隷を想像していたのだ。だから彼らが運び出すのは、衰弱した人間やエルフのような見慣れた種族だと思い込んでいた。

 

 しかし彼らが担ぎ出したのは……………人間の身体ではなく、やや茶色く染まった、まるで秋に家の外で何度も目にするような、冬になる前に枯れていく草のような物体だったのである。それをそのまま大きくし、人間を彷彿とさせる胴体と四肢を取り付け、頭を思わせる部分を付けたしたような、まるで植物で作られた人間のようなものを彼らは車内から運び出し始める。

 

「あれは……………アルラウネか?」

 

「ええ、砂漠で倒れてたの」

 

 小さい頃に読んだ図鑑に載っていた、希少な種族である。

 

 アルラウネは簡単に言えば人間と植物が融合したような種族だ。植物を彷彿とさせる手足を持ち、その機能は植物と人間の手足の機能を融合させたようなものだが、両足は植物の根のように発達しており、普段は土の中にその両足を突っ込んで養分を吸収しているのが当たり前なので、人間のような歩行は出来ない。というより、移動できない。

 

 そのため種から発芽した場所が、アルラウネたちにとって一生を過ごす場所になるのである。生息する地域は主に暖かい場所で、ジャングルに多く生息する傾向にある。性格は温和な者が多く、中には身体に実る木の実を動物や魔物に分ける個体も存在するというが、中には食虫植物のような身体を持つ個体もいるらしく、そのようなアルラウネは極めて好戦的だという。人間や魔物を見つけると捕食してしまうと言うが、彼らが拾ってきたそのアルラウネはごく普通の温和なタイプのようだ。

 

 それにしても、いくら暖かい場所に生息する種族とはいえ、砂漠にいるというのはおかしい。いくらなんでも暖かすぎるのではないだろうか。というか、むしろ暑い。根を張ることすらできず水分を奪われ、枯れていくのは分かっている筈だ。

 

 なのに、なぜ砂漠の中にいたのか。

 

「生きてるか?」

 

「ええ。でもかなり衰弱してるみたい。拾った時にアイスティーをいくらかあげたんだけど、私たちが持ってた分では足りなかったわ」

 

「ふむ……………」

 

 アイスティーをあげたのか………。

 

 とりあえず、外にいさせるのは危険だ。涼しい地下に連れて行かないと。それと植木鉢と土も必要だな。土は地下を掘っていれば確保できるけど、植木鉢は地下に置いてないから…………自作するしかないか。まあ、素材に使えそうなレンガはあるし、くり抜けば簡単な植木鉢は作れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『巨躯解体(ブッチャー・タイム)』という便利な能力とナイフがあれば、植木鉢の作成はお手の物だ。爆発的に切れ味を増したナイフで大きなレンガをくり抜き、その中に地下で手に入れた土を入れておくだけでいいのだから。

 

 僅か5分で制作した即席の植木鉢に、そのアルラウネが収まっている。まるで大きなレンガの中から人間の上半身が生えているような、なかなか怖い光景だけれど、アルラウネの頭から大きな髪飾りのように生えている花が、徐々に桜色に戻りつつあることを考えると、このアルラウネの体調は徐々に回復しているようである。養分のある土だったのか、それともケーターたちがあげたアイスティーが効果的だったのかもしれない。

 

「女の子なのかしら?」

 

「さあ」

 

 興味深そうにアルラウネを見つめるナタリアに言いながら、傍らに置いてある瓶の中の水を植木鉢の中に放り込む。少しだけ湿った土は瞬く間に水を吸い込むと、その水をアルラウネの根へと伝達し始める。

 

 確かに、体つきは人間の少女を彷彿とさせる。運び込まれた時は皺があって老婆のように見えたんだけど、今ではまるでカノンやノエルのような年齢の少女に見える。

 

 胸はちょっと小さいか。緑色の服にも見える植物の皮の下で膨らんでいるそれを一瞬だけちらりと見てから後ろを振り返り、興味深そうに見つめているノエルの頭を少しだけ撫でておく。

 

「それにしても、拾った時は婆ちゃんみたいな見た目だったのに、回復すると一瞬で美少女になっちまったぞ。……………異世界ってすげえな」

 

「この子、本物のアルラウネなのかな?」

 

「多分な。まあ、アルラウネは人類よりも数が少ないし…………」

 

 移動できない種族だからな。両足は根になってるし。

 

 そう思いながら見つめていたその時だった。目の前でぐったりとしていたアルラウネが、静かに両目を開けたのである。

 

 見慣れない光景を目の当たりにしてびっくりしているらしく、目を丸くしながら周囲を見渡すアルラウネ。自分の足元にある植木鉢を見てから再びこっちを向いた彼女は、黒い制服に身を包む俺たちを凝視してから――――――――絶叫した。

 

「―――――――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「えっ?」

 

「やだっ、やだやだやだぁっ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! もう逃げませんから! お願いです、痛い事しないでくださいっ!! なんでもしますからぁっ!!」

 

「まっ、待て待て。落ち着け。何もしないから……………」

 

 人間にかなり怯えているようだな…………。というか、「もう逃げませんから」ってどういうことだ? 彼女は奴隷だったのか?

 

 でも、アルラウネって移動できない種族だから、逃げたいと思っても自分で移動することは出来ない。それに、強引に両足を土から引き抜くと衰弱して死んでしまう可能性があるから、誰かに引っこ抜いてもらって逃げるという選択肢はリスクが大き過ぎるのだ。

 

 まあ、そんな〝逃げられない種族”だからこそ、特に女性のアルラウネは奴隷としての価値があるらしいが……………。

 

「やだ、やめてぇ…………! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……………!」

 

「……………」

 

「ラウラ?」

 

 すると、俺の手を握っていたラウラがそっと手を離した。ぎょっとする俺の顔を見てから頷いた彼女は、まるで怯える子供を慰める母親のように優しそうな笑みを浮かべると、両手を広げながらそっと怯えるアルラウネの少女の方へと近付いていく。

 

「ひいっ……………!」

 

「大丈夫だよ。私たちはあなたに何もしないから」

 

「……………ほ、本当? もう……………殴ったり、葉を千切ったりしない……………?」

 

「うん、大丈夫。だから怖がらなくてもいいのよ」

 

 すげえな。あんなに怯えてたのに、もう怖がってないぞ…………。

 

 怯えていた彼女を優しく抱きしめるラウラ。その光景を目の当たりにして顔を真っ赤にしながら「ああ、お姉様…………さすがですわ…………!」と小声で言っているカノンに向かって苦笑いしつつ、俺も彼女に質問する。

 

「初めまして。俺はタクヤ・ハヤカワ。ええと…………まあ、ここにいるメンバーを率いてるリーダーだ」

 

「えっと…………わ、私、『シルヴィア』って言います。見ての通り、アルラウネです…………」

 

「なるほどね。…………ところでシルヴィア、質問してもいいかな?」

 

「は、はい」

 

「君はどうして砂漠で倒れていたんだ?」

 

 ラウラが消した彼女の恐怖を、再び蘇らせてしまうかもしれない。でも、ジャングルや密林に生息する筈のアルラウネがどうして砂漠で倒れていたのか、その理由は知る必要がある。

 

 特に、彼女の先ほどの発言は奴隷を彷彿とさせる。もし彼女が奴隷だというのならば、他にも奴隷がこの近くにいるのかもしれない。そうなのだとしたら保護する必要がある。

 

「ええと…………私、元々はジャングルに住んでたんです。でも、ある日怖い人間がやってきて、私を引っこ抜いてどこかへと連れて行ったんです」

 

「…………ふむ」

 

「それで、そこで酷い事されて…………。無理矢理葉を千切られたり、殴られたんです。それに私は動けませんから…………色んな酷い事をされました」

 

 やはり、奴隷だったか…………。

 

「でも、この砂漠に住んでいる人たちが私を助けてくれたんです。〝ムジャヒディン”という組織の人たちでした」

 

「ムジャヒディン…………?」

 

 前世の世界にも、そのような武装勢力は実在していた。

 

 第二次世界大戦後、ソ連軍がアフガニスタンへと侵攻したことがある。アメリカに対抗するためにと軍備を拡張していたソビエト連邦軍の本格的な侵略に立ち向かったのが、アフガニスタンで共産主義に抵抗を続けていた人々だ。

 

 圧倒的な数で攻め込んでくるソ連軍を迎え撃った戦士たちが、その〝ムジャヒディン”なのである。

 

「おいおい、ここはアフガンか?」

 

 肩をすくめながら、ケーターがそんな冗談を言う。アフガン侵攻を知っている転生者のみんなは苦笑いしたけれど、それを知らないラウラやナタリアたちは首を傾げながら彼らを見ているだけだ。

 

「ああ、すまん。シルヴィア、続けてくれ」

 

「はい。…………でも、ムジャヒディンの拠点もフランセン共和国の駐留部隊に襲撃され、構成員の皆さんは捕虜に…………。私は護送の途中で魔物の襲撃を受け、その時に馬車から振り落とされてしまって……………」

 

「そのまま砂漠に放置か。可哀そうに……………」

 

 すると、シルヴィアが涙を流し始めた。自分を助けてくれた命の恩人たちが、襲撃で命を落としていった事を思い出してしまったんだろうか。

 

「お願いです、タクヤさん。まだそれほど時間は経っていません。今すぐ助けに行けば、ムジャヒディンのみんなを助けられるかも……………! お願いします、みんなを助けて下さいっ!!」

 

 頭を掻き、仲間たちの顔を見渡す。

 

 彼女の命の恩人が、クソ野郎共に囚われている。どれだけの損害を与えたのかは不明だけど、処刑される可能性もあるだろう。処刑を免れたとしても、奴隷として各地に売られてしまう可能性もあるし、そのまま過酷で危険な労働をさせられる可能性もある。

 

 助けられるのは、今しかない。

 

「シルヴィア、その場所は分かるのか?」

 

「はい。前に私が囚われていた場所が前哨基地になってるんです。まずはそこに護送される筈です!」

 

 場所は分かっているようだ。ならば、彼女に道案内をしてもらおうか。

 

 アフタヌーンティーはお預けだな、と思いながら、俺は息を吐いた。

 

「―――――――――同志諸君、戦争の時間だ」

 

 

 

 



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ムジャヒディン救出作戦

 

 

 天空に向けて屹立する鋼鉄の塔の間から、1両の金属の塊が疾走を開始した。巨大な塔から見ればまるで群れからはぐれてしまった哀れなアリのようにしか見えないかもしれないが、そのアリを人間が近くから見てみれば、まさに金属で作られた猛牛のように見える事だろう。

 

 装甲に覆われた車体と、それの上に砲塔が乗っているという構成は戦車に近いが、戦車にしては装甲が薄いし、車体下部の両サイドにくっついて回転を続けているのは、戦車の特徴ともいえるキャタピラではなく防弾性のタイヤである。

 

 俺たちが乗っているのはいつもの戦車ではなく、『装甲車』と呼ばれる兵器だった。

 

 装甲車とは、装甲に覆われた車両の事を指す。簡単に言えば、装甲と武装を搭載し、車内に歩兵を乗せて装甲し、戦場で歩兵を下ろしつつ敵を攻撃する戦闘用の車両の事だ。輸送に特化したタイプや重武装のタイプも存在するが、俺たちが乗っているのはその後者の方だろう。

 

 俺たちが乗っているのは、がっちりした堅牢な装甲と強力な武装を持つ、『歩兵戦闘車(IFV)』に分類されるロシア製の『BTR-90』である。

 

 戦車の車体をスマートにして車高を高くし、その上に機関砲を搭載した砲塔を乗せたような外見をしている歩兵戦闘車(IFV)である。装甲は戦車よりも薄いため、戦車砲の直撃を喰らえば瞬く間にスクラップになってしまうが、戦車よりも武装が豊富だし、中には戦車を破壊可能な対戦車ミサイルも搭載可能なので、状況にもよるが戦車に遭遇したからと言って大人しくやられるわけではないのだ。機動性は戦車よりも高いし、歩兵も下車させて連携すれば、下手をすれば戦車よりも強力な火力を発揮することもある。

 

 ちなみに、この車両が装備している武装は、砲塔に装備している主砲の30mm機関砲と、砲塔の上面に搭載されているプロテクターRWSが装備しているKord重機関銃だ。それと、砲塔の側面にはソ連製対戦車ミサイルの9K111を片側に2基ずつ装備している。

 

 この歩兵戦闘車(IFV)は、兵員室に乗る歩兵を除けば3人乗りだ。車体に乗る操縦士と、砲塔に乗る砲手と車長の3名さえいれば、この装甲車を動かすことは可能なのである。今までは戦車の方を運用するパターンが多かったけれど、空いた時間にこういった歩兵戦闘車(IFV)を運用する訓練を何度か繰り返してきたため、俺の仲間たちも操縦方法は知っているのだ。

 

 砲手はもちろんカノンが担当する。戦車でも砲手を担当しているし、粘着榴弾を親父に直接命中させた実績のある彼女ならば、安心して支援を任せられる。対戦車ミサイルも百発百中だろう。そして、車長を担当するのは戦車でも車長を担当したナタリア。パーティーの中で唯一のしっかり者だし、いつも冷静沈着だから、正確な指示を出してくれるに違いない。

 

 ああ、この2人ならば安心だ。……………問題は、操縦席で楽しそうにハンドルを握る銀髪の幼女である。

 

 ……………そう、この装甲車の操縦士は、故障しやすいティーガーⅠでドリフトを行い、訓練中に俺を空へと吹っ飛ばした素晴らしい実績を持つステラちゃんなのである。

 

『ナタリア、もっと速度を上げても良いですか!?』

 

『落ち着きなさい。目的地までは極力安全運転よ』

 

「……………」

 

 これ、人選ミスかなぁ…………?

 

 俺とラウラと、シュタージのみんなが保護したシルヴィアしかいない兵員室の中で、俺は頭を抱えてしまう。

 

 人選ミスと言っても、今回の作戦の編成を考えれば仕方のない役割分担である。シュタージのメンバーには後方支援が必要になる可能性もあるので本部に残ってもらっているし、ラウラは実際に車両から下りて狙撃してもらった方が真価を発揮するため、今回は下車して戦う歩兵として兵員室で待機してもらっている。俺も同じ理由で兵員室に乗っているし、何も知らないシルヴィアに装甲車の操縦を任せるわけにはいかない。それにノエルは今回が初陣となるため、俺の近くにいた方が安全だ。

 

 ナタリアは指揮官に向いているし、カノンも砲手に向いている。そのように消去法で編成を決めていけば、操縦士に残るのは問題児のステラのみという事になってしまう。

 

「ステラ、ドリフトはすんなよ?」

 

『だ、ダメなのですかっ!?』

 

「ダメだよ! また振り落とされたらどうすんだ!?」

 

 もうM4シャーマンのキャタピラで轢き殺されるのはごめんだからね!? あの時はトレーニングモードだったから死なずに済んだけど、実戦でそんなことされたら死ぬからね!?

 

 いくらキメラでも、戦車に踏まれれば潰れます。ですのでドリフトは禁止。そういうのはレースでやってください。

 

「な、なんだか賑やか…………ですね…………」

 

「あ、ああ。問題児ばっかりだけど」

 

 多分、俺も問題児のうちに含まれてるんだろうなぁ。勝手にナタリアが分類してそうだ。

 

 兵員室の床に置かれた植木鉢から伸びているシルヴィアは、苦笑いしながらそう言った。人間とは違って自分では移動できない種族なので、転倒を防ぐためにも念のため植木鉢は床の上に置いている。

 

「ところで、この乗り物はいったい何なんでしょうか? 馬車みたいですけど、馬はいないようでしたし…………」

 

「ああ、これは装甲車っていう乗り物なんだ。まあ、乗り物と言うか、兵器だな」

 

「そうこうしゃ…………? 聞いたことがないですね……………」

 

「まあ……………見かけないからな」

 

 とりあえず、この兵器が異世界の兵器だという事はまだ伏せておこう。俺たちが使っている兵器が異世界のもので、転生者ならばそれらを自由に装備する事ができるという情報はまだ開示しない方が良い。

 

『こちらHQ(ヘッドクォーター)。〝エリン”、聞こえる?』

 

『こちらエリン。聞こえるわ』

 

 クランの声だ。タンプル塔の地下に用意された地下指令室からの通信だろう。タンプル塔の設備は、現時点では地下に殆ど用意されているし、これからも地下を拡張していく予定なので、実質的に地上に用意されるのは迎撃用の設備くらいだ。地下に設備を集中させれば、大規模な地盤沈下が発生したり、的なバンカーバスターを投入した血も涙もない攻撃を仕掛けて来ない限りは損害を受けにくい。

 

 現時点ではただでさえ人員が少ないのだから、人員の損耗は防がなければならない。今後も変わらないが、同志の人名が最優先だ。

 

『もう一度作戦を確認しておくわよ。フランセン共和国騎士団の前哨基地は、あなたたちの現在地から南西に30km。目標を確認次第、アルファ1、アルファ2、アルファ3の3人が潜入してムジャヒディンのメンバーを救出する。そして脱出を確認したらマイホームは攻撃を開始して2人を支援し、ムジャヒディンを回収して離脱する。これでいいわね?』

 

「ああ、それでいい。場合によっては―――――――」

 

『タンプル塔からの支援砲撃。……………見せ場よ、坊や(ブービ)

 

『おい、頼むから俺の見せ場が来ないように立ち回れよ? 俺の見せ場があるって事は、悪い状況って事だ。OK?』

 

「何言ってんだ、お前の腕を披露するチャンスだろうが」

 

 実際に、坊や(ブービ)が砲撃の腕を披露するのは状況が悪い時だ。それに、タンプル塔の迎撃設備は現時点で6基のクルップK5と1基の切り札だけ。クルップK5は36cm砲に大型化されているとはいえ、まだ実際に稼働させたことはないし、坊や(ブービ)がぶっ放したのも俺のトレーニングモードでのみ。実戦での砲撃は一度もないのだ。

 

 だから彼には冗談を言ったが、できるならば彼に出番を与えたくないという気持ちは俺も同じだった。可能な限り迅速に、ムジャヒディンを救出する。しかも極力敵に気付かれずに。

 

 そのため、今回はサプレッサーを装着して作戦に挑むことになる。完全に銃声が消えるわけではないが、装着せずにぶっ放すよりははるかにマシだ。ただしこれにばかり頼るわけにもいかないため、場合によっては銃を使わずにナイフや体術で敵兵を無力化する必要も出てくる。

 

 俺のメインアームはサプレッサーとグレネードランチャー付きのAK-12。サイドアームはサプレッサーとライト付きのPL-14だ。後は各種グレネードとナイフに加え、投げナイフも何本か装備している。

 

 ラウラは俺に比べると重装備だ。メインアームはサプレッサーを装着し、スコープを取り外したSV-98。使用する弾薬は、命中精度を重視して.338ラプア・マグナム弾に変更してある。それと近距離戦用に、AK-12の使用弾薬を9mm弾にし、銃身を短くしたSMG(サブマシンガン)型のPPK-12を装備してある。それ以外の装備は俺と同じだ。

 

 そして今回が初陣となるノエルの装備は、メインアームがロシア製消音狙撃銃の『VSS(ヴィントレス)』となっている。隠密行動専用に開発されたスナイパーライフルだが、他のスナイパーライフルと比べるとかなり異彩を放っている銃である。

 

 まず、銃身が短い。普通のスナイパーライフルは命中精度と射程距離を少しでも底上げするために、銃身が長い傾向にある。しかしその常識を無視するかのように、このロシア製スナイパーライフルはかなり銃身が短く、逆にサプレッサーの方が長くなっているのである。まるで小型のSMG(サブマシンガン)にドラグノフのような銃床を取り付け、短い銃身に長いサプレッサーをはめ込んだような形状をしているのだ。

 

 射程距離は従来のスナイパーライフルよりも短く、命中精度も劣るが、使用する弾薬が7.62mm弾よりも口径の大きな専用の9×39mm弾であり、貫通力とストッピングパワーが大きい。更に口径が大きいために弾速が遅くなり、サプレッサーで銃声を消しやすくなっているのだ。そのため射程距離が短い代わりに、非常に静かに敵を始末する事ができる隠密行動向けのスナイパーライフルとして設計されているのである。

 

 しかも、スナイパーライフルなのにフルオート射撃も可能なので、中距離や近距離での戦闘にも対応する事ができる逸品なのだ。隠密行動や暗殺に特化した訓練を受けたノエルにはうってつけの銃だろう。

 

 サイドアームはイギリス製消音拳銃のウェルロッド。レーザーサイトとドットサイトが装着されている。

 

 ちなみに、彼女にもテンプル騎士団の制服が支給されている。ノエルの場合はキメラとはいえ元はハーフエルフであるため、長い耳が見える状態での作戦行動は都合が悪い。親父たちの働きによって奴隷の数が減少しているとはいえ、まだ種族で人を差別するような風潮は残っているし、奴隷もいるのだ。特に奴隷にされやすいハーフエルフだったのだから、耳は隠すべきだという事で、耳を隠せるように黒いフードがついている。それ以外は半袖の上着にホットパンツに似た短めのズボンを身に着けており、総じて露出度が高い。うん、控えめで大人しかったノエルとは思えないほど、露出度が高い。

 

 本人は「こっちの方が動きやすいもんっ」って言ってたが、これでいいのか……………?

 

「ノエル、大丈夫か?」

 

「うん、大丈夫。私、頑張る」

 

 そう言いながらマガジンを装着するノエルだが、緊張しているのか口数が少ない。まあ、元々あまり口数が多いおしゃべりな子ではなかったからかもしれないが、緊張しているという事も口数の減少を手伝っているのだろう。キメラとして覚醒してからは、おしゃべりになっていたからな。

 

 俺もロシア製サプレッサーのPBS-4をAK-12の銃口に取り付けながら息を吐いた。

 

「ヤバくなったら無理はするな。俺の後についてこい。いいな?」

 

「うん、お兄ちゃん」

 

 この子は、俺が守らないと。

 

 実質的に敵の前哨基地に乗り込むのは、俺とノエルの2人になるだろう。装甲車は最初から支援攻撃をするわけではないので、砂漠で待機することになる。したがって前半に俺たちの支援を担当するのは、ラウラという事になる。

 

 俺も狙撃はできるんだが、ラウラほどの命中精度はない。それに俺はボルトアクション派ではなくセミオートマチック派なので、ラウラと比べると使う銃でも命中精度が劣ってしまうのだ。

 

 だから俺が狙撃手になるのは、ラウラが狙撃に参加できない状況下、彼女のバックアップが必要な場合のみである。

 

『こちらエリン。そろそろ目標地点に到着するわよ』

 

「了解、出撃準備に入る」

 

 さて、隠密行動の時間だ。

 

 あ、念のためC4爆弾も持って行こう。何かを爆破するのに使えるかもしれないし。

 

「ノエル、スコーン食べるか?」

 

「えっ?」

 

「手作りなんだ。砂糖も多めに入ってる」

 

「ありがと、お兄ちゃん」

 

 それにしても、どうして女子って甘いものが好きなんだろうか。俺は一応辛い方が好きなんだが、最近はちょっと甘党になりつつある。それに色々とお菓子の作り方も勉強してる。…………ああ、また女子力が上がってる…………。

 

「えへへっ。これ甘い♪」

 

 耳をぴくぴくと動かしながらスコーンを頬張るノエルの頭を撫でると、彼女はもう緊張しなくなったのか、微笑んでくれた。

 

 すると、俺がノエルの頭を撫でる様子をじっと見つめていたラウラが、少しだけ恥ずかしそうに頭を俺の方へと寄せてくる。上目遣いでこっちを見ていた彼女は目が合った瞬間に慌てて横を向いてしまう。

 

 どうやら自分もなでなでして欲しいらしい。その証拠に、ミニスカートの中から伸びる尻尾が小さく左右に揺れている。

 

 AK-12を背負い、空いた右手で彼女の頭も撫でる。ノエルは俺たちよりも年下だからなのか、彼女の黒髪はどちらかというと猫のようにふわふわしている。それに対してラウラの赤毛はさらさらしている。従妹と腹違いの姉の頭を撫でながら、全く違う髪の感触を堪能させてもらった俺は、下車用のハッチへと手を伸ばし、熱風が駆け回る砂漠の向こうを見つめた。

 

 目標地点はフランセン共和国の前哨基地。シルヴィアの話では、ムジャヒディンや植民地の捕虜はまずそこに送られ、そこから強制収容所や処刑場へと送られるという。

 

 その前に救出しなければ…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男たちの野太い罵声と絶叫。先ほどから聞こえてくるのは、それだけだ。

 

 どこの部隊の所属なのかを問いただす声や、アジトの位置を問いただす声。答えなければ罵声が膨れ上がり、金属製の鈍器で人体を打ち据える鈍い音と絶叫が、ここまで聞こえてくる。

 

 黴と血と膿の臭いは高い気温で余計悪化し、牢屋の中を悪臭で蹂躙している。今まで何度か経験した牢屋の臭いだ。そこが捕虜を尋問するための牢屋という事になっていても、幼少の頃に経験した奴隷を入れておくための檻と全く変わらない。違うのは俺たちを見てくる人々の目つきだろうか。

 

 こいつはがっちりしているから力仕事に使えそうだ、とか、この女は良い体つきだから楽しめそうだ、という下衆な目。あそこでは、俺たちはまさに〝商品”だった。雑貨店の棚に並ぶ、商人が納入していく様々な品。俺たちが入れられていた檻は、その商品を陳列するための棚なのだ。

 

 また、罵声が聞こえてくる。しかし辛うじて応答していた呻き声は聞こえてこない。

 

『―――――――チッ、死んでる。強情なゲリラ共め』

 

『おい、次を連れてこい』

 

『はっ!』

 

 尋問されていた男が、死んだ。聞いたことがない声だったから別の場所から送られてきた捕虜なのだろう。先ほどから何度か聞き覚えのある絶叫が聞こえてきたが、他の仲間たちは無事なのだろうか…………?

 

「…………兄さん」

 

「イリナ……………」

 

 隣の牢屋から俺を見ている少女を見つめながら、俺は何とか微笑んだ。身体中には最初の尋問でつけられた傷痕がついているが、まだ心が折れてしまったわけではないらしい。

 

 彼女の名は『イリナ・ブリスカヴィカ』。俺のたった1人の肉親であり、2歳年下の妹である。

 

 幼少の頃に両親が人間に殺され、俺たちは奴隷として商人に売られた。兄妹で離れ離れにされなかったのは幸運だったが、それでも毎日地獄だった。鞭で打たれるのは当たり前だったし、食事も黴の付いたパンや泥の入った不味いスープばかり。稀に、俺たちが死なないようにと豚の血も貰えたけれど、毎日空腹だった。

 

 でも、その俺たちを買った貴族が〝ムジャヒディン”と名乗る戦士たちによって襲撃され、俺たちは救われたのだ。それからは行くあてのなかった俺たちも彼らの仲間となり、戦うために身体を鍛え、戦士の一員となった。

 

 今では、ムジャヒディンをまとめているのは俺という事になっている。

 

「大丈夫だ、チャンスがあったら逃げるぞ」

 

「うん」

 

 人間どもは慢心している。だから、隙はある。

 

 妹が頷いた直後、部屋のドアが開き、古めかしい鎧に身を包んだ3人の騎士と、勲章がいくつも付いた制服に身を包んだ小太りの男が部屋に入ってきた。指揮官と思われるその男は、牢屋の中に入っている俺たちをじろじろと見つめると―――――――俺とイリナが入れられている檻の隣を指差す。

 

 その中には、黒髪の少女が入れられていた。彼女も俺たちの仲間の1人で、イリナの親友だ。

 

「こいつにしよう。連れて行け」

 

「はっ」

 

「や、やだ…………やだ…………ッ!」

 

「ジナイーダ!」

 

 騎士が強引に鍵を開け、両手と両足を銀色の鎖で縛りつけられているジナイーダへと迫っていく。彼女は震えながら檻の奥へと逃げていくが、すぐに逃げ場はなくなってしまう。

 

 絶望した彼女が、涙を浮かべながら俺やイリナの方を見つめてくる。しかしすぐに騎士の太い腕が彼女の胸倉を掴むと、抵抗するジナイーダを強引に引きずっていく。

 

「やだやだぁっ! 助けて、イリナ! ウラル隊長!」

 

「やめろ、ジナイーダを離せっ!!」

 

「俺を連れて行け! 彼女は関係ない!」

 

「黙れ、蛆虫共め! …………早く連れて行け!」

 

 くそ…………!

 

 許してくれ、ジナイーダ…………!

 

 目を見開き、涙を流しながらこちらをいつまでも見つめるジナイーダ。閉じていく無慈悲な鋼鉄の扉の向こうへと連れて行かれる彼女を見つめながら、彼女が何とか持ちこたえてくれるようにと祈るしかなかった。

 

 

 

 




※装甲車のコールサインの元ネタは、金剛級戦艦の原型となった『エリン』から。
※ブリスカヴィカは、ポーランド語で『稲妻』。同名のSMGと駆逐艦がある。


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前哨基地への突入

 

 冷房のおかげで涼しかった車内から外に出た途端、猛烈な熱風と熱い砂の粒が身体を包み込んだ。うんざりしながらも首に下げた双眼鏡を片手に持ち、仲間たちが下りてくるまで目標の前哨基地を確認する。

 

 カルガニスタンの砂漠はかなり広大だ。そのうえ気温は高いため、いくら水を持っていたとしてもラクダや馬を使わずにこの砂漠を越えるのは自殺行為である。いや、仮に馬に乗っていたとしても、何事もなく砂漠を越えられる可能性は50%以下だろう。砂の下には獰猛な魔物が潜んでいるのだから。

 

 装甲車のエンジン音しか聞こえない砂漠の真っ只中に、ぽつんと建てられているのはレンガで作られた建物と、それの周囲に群がる馬小屋や見張り台だ。まるでそれらを守るかのように等間隔に木の棒が立てられ、それらの間を棘の生えた有刺鉄線が繋いでいる。

 

 フランセン共和国の騎士団が、この植民地に建設した小規模な前哨基地である。見張り台の上には新型のコンパウンドボウを持つ騎士があくびをしながら突っ立っているし、検問所には剣と盾を持った2人の騎士が待ち構えている。警備は本格的とは言えないが、手薄だからと言って油断すれば痛い目に遭う。油断して増援を呼ばれたり、救出するべきムジャヒディンが殺されるのを防ぐため、今回はいつもよりも確実性を優先しなければならない。

 

「ラウラ、エコーロケーション」

 

「了解(ダー)」

 

 右手を頭に当て、軽く目を瞑るラウラ。彼女の頭の中にあるメロン体が生成した超音波が、熱風に乗って砂漠へと広がっていく。

 

 彼女の超音波で探知できる範囲は半径2km。それ以内の範囲ならば自由に調節できるんだが、範囲を広げれば広げるほど索敵の精度が下がってしまうという欠点もあるため、この距離で敵の人数を決めつけてしまうのは早計だ。とりあえず索敵の結果を目安にして作戦を立てつつ接近し、正確かつ確実に索敵できる距離でもう一度索敵を頼むしかない。

 

「検問所は2人。見張り台の上に1人と、見張り台の下に3人。基地の裏側には5人。それ以外は建物の中」

 

 やけに数が少ないな。尋問中だからなのか? それとも、本当に規模の小さい基地だからそれほど人員がいないという事なのか?

 

 敵の数が少ないのは僥倖だが、まだ油断するわけにはいかない。基地の騎士たちが魔物の討伐で出払っていて、潜入中に帰ってくるという可能性もあるのだから。

 

 ひとまず、接近しよう。

 

「ラウラ、先行して接近してくれ。そしたら再度エコーロケーションを。ノエルは俺についてこい」

 

「了解(ダー)」

 

「了解(ダー)!」

 

 双眼鏡を下げ、AK-12を構えた瞬間、俺の隣に立っていたラウラの姿が一瞬で消えてしまう。微かに冷たい風が熱風を緩和したと思った瞬間には、誰もいない筈の場所にいくつも足跡が穿たれ始めた。

 

 本当に彼女の能力は便利だ。無数の細かい氷の粒子を纏い、それで周囲の光景を複雑に反射させることにより、マジックミラーのように自分の姿を消してしまうという擬似的な光学迷彩。彼女は平然とやっているが、魔術でそれを真似するのはかなり難しく、氷属性を得意とする魔術師でも実用化は不可能と言われている。

 

 キメラという常人離れした種族として生まれたという事と、母親の持つ素質が彼女にそんな芸当を可能にさせているのだ。

 

 ちなみに、全体的な視力はラウラの方が俺よりも上である。俺の場合は瞬間的なスピードや反射速度が彼女よりも勝っているだけで、視力と全体的なスピードならば彼女以下なのだ。

 

 姿勢を低くしながら前哨基地に接近していく。遮蔽物はほんの少しだけ盛り上がっている砂の丘程度で、それ以外に隠れられそうな場所はない。このような戦場ならば射程距離の長い武器が真価を発揮するんだが、俺たちはこれから潜入するのだ。気付かれていいタイミングまでは、ラウラに敵の相手を任せよう。

 

『え、えーと、聞こえます?』

 

 ん? シルヴィアか?

 

 耳に装着していた小型の無線機から、シルヴィアの声が聞こえてきた。後方で停車している車内で無線機を借りたのだろう。本当に自分の声が聞こえているのか、まだ半信半疑らしい。

 

「ああ、聞こえる。どうぞ」

 

『あっ、凄いです! これ本当に声が聞こえてます! …………ええと、タクヤさん。基地に潜入したら、〝ウラル・ブリスカヴィカ”という名前の男性を探してください』

 

「ウラル?」

 

『はい。ムジャヒディンのリーダーです。多分、そこにいる筈です』

 

「了解した。必ず救出する」

 

『お願いします』

 

 ウラル・ブリスカヴィカか。どんなやつなんだろう? 

 

 シルヴィアから教えられた1人の男の名前から、どんな人物なのかと人物像の想像をしつつ先へと進んでいく。陽炎に守られているかのように屹立する前哨基地の小ぢんまりとした建物には変化はなく、相変わらず見張り台の上には退屈そうな見張りが突っ立っているだけだ。

 

『こちらアルファ2、エコーロケーション開始』

 

「了解、頼む」

 

 戦闘中になると、ラウラは一気に大人びた少女になる。いつも甘えてくる腹違いの姉とは思えないほど冷静で大人びた声にびっくりしながらも、俺は返事を返して匍匐前進を始めた。

 

 本格的な戦闘になればいつも耳にする声だが、ラウラはいつも俺に甘えてくるブラコンのお姉ちゃんと言うイメージが強いためか、このクールな声には全然慣れない。戦いの最中にいる彼女は、冷たくて、淡々としていて、容赦がない。エリスさんの冷酷さと親父の容赦のなさが見事に遺伝していると言えるが、あの淡々とした雰囲気はどこから来ているのだろう? その源流は、いったいどこだ?

 

『――――――――索敵完了。敵の配置は先ほどと変わらない。タクヤ、狙撃許可を』

 

「ちょっと待て」

 

 匍匐前進のまま再び双眼鏡を覗き込み、敵の位置を確認。頭に焼き付いていた最初の索敵の結果を思い出しつつ、一番距離が近い検問所から順番に敵を確認する。検問所には相変わらず2人。見張り台の上に1人。障害になるのはこの3人か。

 

 距離を考慮すれば、もう射程距離に入っている。撃てば排除できるが、あいつらに戦友が〝消された”瞬間を見せるわけにはいかない。断末魔をあげられればゲームオーバーだ。それゆえに、こういう作戦ではヘッドショットが原則なのである。

 

 ブースターをチューブ型ドットサイトの後方に移動させつつ、セレクターレバーをセミオートに切り替える。隣で伏せているノエルにも射撃準備をするように目配せしつつ、無線に向かって言う。

 

「ラウラ、見張り台の奴をやれ。こっちは検問所を掃除する」

 

『了解(ダー)』

 

 標的の顔にカーソルを合わせた俺は、隣でVSSに装着されたロシア製スコープを覗き込むノエルの様子を窺う。

 

 標的との距離は300m前後。射程距離が短いVSSでも狙撃できる距離だし、アサルトライフルでも命中させられる距離だ。先行してどこかでスナイパーライフルを構えるラウラにとっては、1km先の目標でも目と鼻の先だろう。彼女にとってこの程度の狙撃は、まさに朝飯前に違いない。

 

 やれるかとノエルに問うよりも先に、彼女は俺の顔をじっと見つめながら頷いた。緊張しているみたいだが、この程度ならばやれると言わんばかりに微笑んでいる。

 

 ならば、訓練の成果を見せてもらおう。

 

「ノエルは右の奴を」

 

「了解(ダー)」

 

「落ち着けよ。狙撃は熱くなっちゃダメだ」

 

 標的を狙い撃つ時は、冷静にならなければならない。熱くなっていいのは報復の時や白兵戦の時だけ。スコープを覗きながら戦う場合は、熱くなってはならない。標的との距離が離れている場合、感情は照準を狂わせる敵でしかない。

 

 幼少期に聞いた親父の言葉を思い出しつつ、ブースターを覗き込む。

 

「狙撃準備」

 

 息を吐き、標的を睨みつける。

 

(トゥリー)(ドゥーヴァ)(アジーン)撃て(アゴーニ)

 

 銃声は、しなかった。聞き慣れた銃声だけがサプレッサーに取り除かれたが、これから殺戮をもたらす弾丸は健在である。

 

 慣れた反動を感じた直後、カーソルの中心へと飛び出した弾丸が駆け抜けていく姿が見えた。回転しながら飛翔していく弾丸の隣に一瞬だけ見えたのは、隣にいるノエルが放った9×39mm弾。俺の7.62mm弾よりも大柄で、ストッピングパワーが高い弾丸だ。

 

 その弾丸が標的と重なった瞬間、カーソルの向こうで鮮血が噴き上がった。照準を合わせられていた標的の頭が大きく揺れ、鮮血と脳味噌の破片が検問所を紅く汚す。肉がこびりついた骨の破片をまき散らしながら崩れ落ちていく2つの死体は、どうやら今の狙撃で上顎から上を吹っ飛ばされたようだ。狙撃される直前まで生真面目に砂漠の向こうを見つめていた騎士の顔は見当たらない。

 

「命中」

 

「や、やった」

 

「ラウラ、そっちは?」

 

『命中』

 

 双眼鏡を覗き込むと、見張り台の上にいた騎士も同じ運命を辿っていたようだった。上顎が無事かは定かではないけど、即死しているのは間違いない。ラウラの狙撃は正確だし、命中精度も高い.338ラプア・マグナム弾の殺傷力も優れている。

 

 まあ、ラウラならば命中させるのは当たり前だ。彼女が狙いを外したのを最後の見たのは、冒険者になる前に防壁の外で魔物を狩っていた時だろうか。それ以来、ラウラは滅多に狙いを外さない。遠距離用のライフルを彼女に持たせれば、たちまち戦場はラウラの独壇場になる。

 

「ラウラは引き続き援護を。俺たちは突入する」

 

『了解(ダー)、無理はしないでね』

 

「了解(ダー)、同志」

 

 さて、突撃するか。

 

 姿勢を低くし、死体が転がる検問所へと急ぐ。騎士団の馬車を出迎える検問所の壁は死体がまき散らした血肉で汚れていたけど、死体を隠せば誤魔化せる程度だ。素早くAK-12を背負い、倒れている2人の死体を検問所の中へと放り込む。鍛え上げられた男性の死体だったが、いくら上顎から上が吹っ飛んでいるとはいえほんの少し重い。まあ、片手で放り投げられる程度だけど。

 

 物音を立てずに死体を処理し、ちらりと検問所の中を見渡す。何か捕虜についての資料でも置いてあれば楽になるんだが、ここにはないのだろうか?

 

「お兄ちゃん、これ」

 

「ん?」

 

 すると、ウェルロッドを構えながら警戒していたノエルが、デスクの引き出しの中から紙切れを何枚か引っ張り出した。片面にびっしりと黒い文字が書き込まれた書類のようだ。言語は…………この異世界で公用語となっているオルトバルカ語ではなく、フランセン語のようだ。敵に情報を見られないための措置に違いない。

 

「読めないけど、もしかしたら手がかりかも」

 

「あー、ちょっと待て」

 

 確か、訓練の最中に列強国の本来の言語は一通り勉強したぞ。その中にフランセン語も混じってたはずだ。

 

 アルファベットに似た文字が書き込まれている書類を睨みつけつつ、幼少の頃に習ったフランセン語を思い出す。完全には翻訳できないが、ある程度翻訳できれば内容は理解できる筈だ。フランセン語を教えてくれた両親に感謝しなければ。

 

「どう?」

 

「……………でかしたぞ、ノエル。移送された捕虜について書いてある」

 

 どうやらムジャヒディンとその他のゲリラの構成員たちは、ここで尋問した後に強制収容所か処刑場に送られるらしい。処刑場に送られる奴は哀れだが、強制収容所で危険な労働をさせられる奴らも哀れだ。下手をすれば処刑されるよりも、強制収容所に送られる奴らの方が辛い運目を辿るかもしれない。

 

 そんな事はさせない。ムジャヒディンの戦士たちは、必ず俺が助け出す。

 

 ノエルに合図をしてから、俺はその書類を放り投げて検問所を後にする。完全に翻訳することは出来なかったが、重要な部分は親しんだ母語(オルトバルカ語)に翻訳し、脳味噌の中に保存した。捕虜たちはこの前哨基地で尋問され、今日の夕方に移送される。まだ夕方まで昼寝できるほどの余裕があるが、それまで戦士たちが尋問で命を落としたり、精神的に大きなダメージを受けないか心配だ。この世界にも条約はあるらしいが、前世の世界のようなちゃんとした条約はない。それゆえに敵兵の尋問はもうやりたい放題だという。

 

 検問所を飛び出し、前哨基地の建物へと向かう。俺たちは堂々と正門から入ってきたわけだが、それに気付いて応戦してくるような敵はいなかった。AK-12を構えながら周囲を見てみると、その役割を担っていた見張りの騎士たちはもう既に頭を撃ち抜かれ、うつ伏せや仰向けになって転がっているだけだったからだ。

 

 上顎を吹っ飛ばされたり、首に大穴を開けられた死体がある。倒れている格好はバラバラだけど、彼らには〝首から下には一切傷がない”という共通点がある。全員、ラウラにヘッドショットで仕留められたのだ。

 

 おいおい、まだこっちは1発しか撃ってないぞ。

 

「さすがお姉ちゃん」

 

『どうも』

 

 頼もしいよ。

 

 AK-12を背中に背負い、ホルスターの中からPL-14を取り出す。これから室内戦になるわけだが、それほど広い場所ではないだろう。アサルトライフルよりもハンドガンとナイフで応戦した方が立ちまわり易いに違いない。

 

「アルファ1よりエリンへ。これより室内へ侵入する」

 

『了解。見張りは?』

 

「全員ラウラが永眠させた」

 

『……………速いわね。あんたらが出て行ってからまだ4分よ?』

 

 計ってたのかよ。

 

 というか、警戒しながら慎重に進んでいたとはいえ、前哨基地を4分で制圧するとは。さすがラウラだ。

 

『とりあえず、こっちも移動するわ。幸運を』

 

「了解(ダー)、同志」

 

 俺は連絡を終えると、前哨基地の中へと続く扉を静かに開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 基地の中は、まるで奴隷売り場のような臭いがした。血と膿の臭いがするし、腐った食べ物の臭いがする。まだ奴隷制度を廃止するべきだという世論が勢いに乗る前にはラガヴァンビウスでも奴隷売り場は何ヵ所もあったし、そういう場所を目にしたこともあるけれど、店の外にもそういう臭いが広がっていた。近くを通る人々はその悪臭と奴隷たちの絶叫に包まれながら顔をしかめるだけで、彼らを助けようとはしなかった。

 

 そういう世界なのだ。前世の世界のように敗戦国の人命も尊重される世界ではなく、敗北すれば〝人”ではなく〝売り物”にされ、購入した者たちに労働させられたり、犯されるだけ。負ければたちまち人ではなくなる世界だからこそ、それは普通の光景に違いない。

 

 けれども、ここはある意味でそういう場所よりも酷い。まだ彼らは〝人”だというのに、そういう扱いを受けている。

 

 前哨基地の地下には、ずらりと牢屋が並んでいる。中には空いている牢屋もあるけれど、殆どの檻の向こうには様々な種族の捕虜が入れられていて、痣だらけの状態で横たわっていた。中にはここの騎士に犯されたのか、ボロボロになった服に身を包み、牢屋の隅で泣きながらぶるぶると震えている少女もいる。

 

「ひどい……………」

 

 ウェルロッドを構えていたノエルが、捕虜たちを見つめながら呟いた。

 

 これが敗者の末路だ。戦争に負ければ、こうやって虐げられる。

 

 牢屋の向こうで震えている少女に、「必ず助けるからな」とオルトバルカ語で話しかける。言葉が理解できなかったようだが、俺たちがこの騎士ではないと気付いたその少女は、虚ろな瞳に浮かんでいた涙を拭い去ると、唇を噛み締めながら頷いた。

 

 彼女の前を通り過ぎようとした次の瞬間だった。

 

『あっ…………ああ……………きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

「!」

 

 廊下の奥から、少女の絶叫が聞こえてきたのである。おそらく尋問されているのだろう。彼女がどれほどの苦痛を味わっているかは分からないが、普通の少女が発する絶叫とは思えないほどの叫び声だった。

 

 びくりとしたノエルを連れ、俺は訓練の時のように音を立てず、通路の奥まで走った。奥には牢屋が並んでおり、その脇には表面が剥がれかけている赤い扉がある。絶叫が聞こえてきたのは、その扉の中からに違いない。

 

『やだ、やめて……………たす………け……………て……………』

 

 弱々しい少女の声。言語はカルガニスタン語だ。

 

『おい、やめろ! ……………あーあ、壊れちまった』

 

『あ? おい、ガキ。死んだふりなんかするんじゃねえ!』

 

『馬鹿、もう死んでる。だからお前はやり過ぎなんだ。生かしておけば俺も楽しめたのによ』

 

『これも尋問だって。ギャハハハハハハハハハッ!』

 

 クソ野郎が……………!

 

 歯を食いしばりつつ、俺はノエルに目配せした。すると彼女は頷いてから、連射の利かないウェルロッドではなく、近接戦闘用のジャックナイフに武器を切り替える。

 

 そしてナイフの柄を握りしめてから――――――――右手を硬化させ、ナイフのフィンガーガードで思い切り扉を殴りつけた!

 

 めきり、とドアがあっさりとへし折れる。まるで自動車の体当たりを喰らった板の束のように木端微塵になったドアの向こうには、今しがた少女を殺した2人のクソ野郎が、いきなり乱入してきた俺たちを見て目を見開いていた。

 

 ハンドガンを足に向け、左側にいた男の足を撃ち抜く。太腿に風穴を開けられた男は倒れそうになるが、倒れるよりも先に下りてきた顎に向かって膝蹴りをぶちかまし、強引に立たせる。そして右手のナイフを振り上げると、俺の膝蹴りで口の中が血まみれになっている男の喉元へと、何度もナイフを突き立てた。

 

 瞬く間に漆黒のナイフが真っ赤に染まっていく。切っ先が首の骨を何度も直撃し、徐々に男の首の骨が折れていく。

 

 反対側では、もう1人の男もノエルによって掃除されている最中だった。ジャックナイフで片目を抉られ、両手で押さえている隙に今度は耳を斬りおとすノエル。そして今度は唇をズタズタにし、更にナイフを突き入れて歯茎をめちゃめちゃにする。

 

 最後は声帯に向かってナイフを突き立てて止めを刺した。

 

「クソ野郎にお似合いの最期だ」

 

 動かなくなった2人の男を見下ろし、俺は呟いた。そしてこの2人に尋問されていた少女を確認するために、顔を上げる。

 

 椅子に腰を下ろしていたのは、俺と同い年くらいの黒髪の少女だった。身に纏っていた筈の服はもうボロボロで、白い肌が殆どあらわになっている。身体中は痣と血で覆われていて、彼女の周囲の床には悪臭を放つ明らかに血ではない別の液体がへばり付いている。

 

 椅子の傍らには血まみれのナイフが転がっているし、細い彼女の指の先にある爪は、全て剥がされている。身体だけではなく、心まで壊され、汚された少女の残骸。顔をしかめながら、俺は目を見開いて絶命している少女の目をそっと閉じさせた。

 

 安らかに眠れと祈っても、無理だろう。彼女はきっと絶望して死んでいったのだから。

 

「……………許せ」

 

 もっと早く突入していれば……………!

 

 歯を噛み締めながら、俺は踵を返した。

 



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ウラルを救出するとこうなる

 

 

 人でありながら、売り物にされる奴隷。

 

 それを売る場所によく似た光景だが、ここにあるのは人の姿をした売り物などではない。まだ売り物ではなく人だというのに、条約によって歯止めを全くかけられない自由気ままな〝尋問”が、多くの惨状を生み出している。

 

 人でありながら、売り物のように扱われる捕虜。

 

 ここにいるのはそのような犠牲者たちだ。大国と軋轢を生み、勃発した戦争で敗北して搾取される。前世の世界でも本格的な条約が形になるまではまかり通っていた、単純で暴力的なルール。勝利の美酒を楽しめるのは、やはり勝者だけ。敗者はこうして血を流し、虐げられながら苦汁を舐めるしかない。

 

 血のこびり付いたナイフの刀身を一瞥し、俺は歯を噛み締めた。先ほど尋問を担当する男たちに痛めつけられ、犯された挙句殺された黒髪の少女。椅子に縛られて絶望したまま、心も体も壊され、汚されて命を落とした少女を目にした瞬間、幼少期に感じた一番最初の怒りが蘇ったような気がした。

 

 黴臭いボロボロの一室。そこで椅子に縛られ、暴漢に痛めつけられる姉の姿。転生してから初めて他人に殺意を向けたあの日の事を思い出してしまったせいで、感情的になり過ぎた。

 

 この殺意が生まれたのは、おそらく前世からだろう。必死に働いてくれている母さんに暴力を振るうろくでなしにも、こんな感じの殺意を向けた。もし今の状態であの光景を目にすれば――――――――今度こそ、俺はあのクソ親父を殺せるような気がする。

 

 二度と母さんに暴力を振るえないように。

 

「…………エリン、こちらアルファ1。捕虜を発見した」

 

『様子は?』

 

「全員負傷している…………。手持ちのエリクサーでは足りない」

 

『了解。ステラちゃん、ヒールの準備を』

 

『了解(ダー)』

 

「それと、人数も予想以上に多い。場合によってはもう1両装甲車を出す」

 

『分かったわ』

 

 連絡を終え、檻の向こうに横たわる捕虜たちを見下ろす。

 

 俺たちがフランセン共和国の騎士ではないという事には気付いているらしいが、だからと言って味方だと思っているわけでもないらしい。中には睨んでくる捕虜もいるし、助けてくれと言わんばかりに鉄格子を掴み、かすれた声で何かを言う捕虜もいる。

 

 彼らの前に置かれている血まみれのトレイの上に乗っているのは、カビが生えたり、すっかり腐っているパン。トレイの上ではなくゴミ箱の中の方が似合うような、パンの残骸だ。人間に例えるならゾンビのようなものだろうか。

 

 その隣に置かれている皿の中には、やけに黒ずんだ具の入った気味の悪いスープだ。おそらくあの具は野菜で、それも腐っているのだろう。本当ならばとっくに捨てているような食材で、申し訳程度の食事を作ってやったつもりなのだろうか。あんなものを食わされれば、どんな人間でも腹を壊してしまうに違いない。

 

「――――――――あんたら、ムジャヒディンのメンバーか?」

 

「あ、ああ……………そうだ」

 

 頭に血で汚れたターバンを巻いたハーフエルフの男性が、俺を見上げながら言った。年齢は俺の親父―――――――もちろん新しい方の親父だ――――――――と同じくらいだろうか。真っ黒な顎鬚は自分の血で赤黒く汚れ、顔には痣ができている。やりたい放題としか言いようがない過酷な尋問に耐え抜いたのだろう。

 

「ここにいるのは全員ムジャヒディンか?」

 

「いや、他のゲリラも混ざってる」

 

「ありがとう。……………ところで、この中に『ウラル・ブリスカヴィカ』という男はいるか?」

 

 するとハーフエルフの男性は、部屋の王の方にある牢屋の方を見つめた。俺も同じようにそちらの方を見てみると、隅の方にある鉄格子の中に、やけにがっちりした体格の男性が入っているのが見えた。髪の色は桜色のようだが、所々血で汚れている。身体中にも切り刻まれた傷痕や殴られた痣があるらしく、剛腕にはそれらの傷跡がいくつも浮かんでいる。

 

 あの男が、シルヴィアのの言っていたウラル・ブリスカヴィカなのだろうか。歯を食いしばってじっとしているようだが、立ち上がればおそらく身長は190cmくらいはあるだろう。ギュンターさんと同じくらいかもしれない。

 

 その傍らには、同じく桜色の髪の少女が入れられた鉄格子がある。更にその隣の鉄格子は――――――もぬけの殻だ。

 

「あの奥にいる男だ」

 

「ありがとう」

 

 教えてくれたムジャヒディンに礼を言った俺は、血まみれのナイフを取り出すと、巨躯解体(ブッチャータイム)を発動させた。高周波を利用して刃物の切れ味を爆発的に向上させる能力で、これを使えば戦車の複合装甲でも切り裂く事ができる。

 

 刀身を突き立てた瞬間、ボウイナイフ並みに分厚いテルミットナイフの刀身が鉄格子にあっさりとめり込んだ。まるでカッターナイフで紙切れを切っているような手応えのなさに自分で驚きつつも、その調子で鉄格子を寸断し、彼らを閉じ込めていた鉄格子の群れに大穴を開ける。

 

「え……………?」

 

「外で仲間が待ってる。さあ、早く」

 

「あっ…………あ、ありがとう!」

 

 続けて、隣にある鉄格子も同じように切断していく。切断された鉄格子の間から飛び出し、俺に礼を言ってから出口の方へと走っていったのは、ノエルよりも年下と思われる男の子だった。やはり顔や身体中に痣があり、緑色の髪が赤黒く汚れていた。

 

 あんなに小さな子供まで尋問してたのか…………!

 

 フランセン共和国騎士団の尋問に憤りながらも、そのまま次々に鉄格子を両断し、中にいる捕虜たちを解放していく。そしてもぬけの殻になっている鉄格子をスルーし、桜色の髪の少女が囚われている檻を切断しようとしたところで―――――――――俺は、その少女に睨みつけられている事に気がついた。

 

 俺やラウラと同い年くらいだろう。自分の血で赤黒く汚れた桜色の前髪の奥から俺を睨みつけるのは、まるで鮮血のように紅い瞳だった。その瞳に封じ込められているのは、自分や同胞たちにこんな仕打ちをした者たちへの憎悪である。

 

 ナイフで鉄格子を両断し、少女が通れるくらいの穴を開ける。すると彼女は目を見開き、はっとしながら檻の外へと飛び出した。

 

「ジナイーダッ!!」

 

 ジナイーダ? 彼女の仲間か?

 

 もしかして先に逃げたのかと思ったが、飛び出した彼女の表情は一足先に逃げた仲間を追う表情というよりは、瀕死の仲間を大慌てで助けに行こうとする必死さに埋め尽くされていた。

 

 そして、俺もはっとする。

 

 先ほど部屋の中で尋問され、殺された黒髪の少女。彼女の隣にあった、もぬけの殻の鉄格子。

 

 まさか、ジナイーダってさっきの女の子……………!?

 

「ダメだ、見るなッ!!」

 

 大切な友達なのだとしたら――――――――余計なお世話かもしれないが、あんな無残な姿は見せたくない。そう祈りながら彼女の細い傷だらけの腕を掴んだけれど、檻から飛び出した少女は、とても同い年の少女とは思えないほどの怪力で強引に俺の腕を引き離す。

 

「僕に触るなッ! ジナイーダが! ジナイーダがあの部屋の中に……………!」

 

「よせ、彼女はもう―――――――――」

 

 死んだ、というよりも先に、その少女は部屋の中を覗き込み―――――――――凍り付いていた。

 

 彼女が目にしているのは、俺たちが先ほど目にした少女の残骸。心も体も壊され、汚されて、部屋の中に置き去りにされた少女の遺体―――――――――。

 

 赤の他人の俺たちでも、無残な死体を目にした瞬間には心が痛んだ。クソ野郎をどんな残虐な方法で殺しても心が痛まないというのに、珍しく、死んだ犠牲者を目にして心が痛んだのだ。もしそれが赤の他人ではなく、彼女と親しかった仲間が目にすればどうなるかは想像に難くない。

 

 案の定、部屋を覗き込んでしまった少女は絶望していた。一見するとポカンとしているように見えるが、目が虚ろで、辛うじて持ち上げた自分の指先もぷるぷると震えている。

 

 認めたくないのだ。仲間が、あんな死に方をしたなんて。

 

「あ……………ぁ……………………ジナイー……………ダ…………………?」

 

「………………」

 

「う、嘘………………なんで…………? ねえ、何で目を瞑ってるの…………………? ははははっ…………冗談…………でしょ? ねえ、ジナイーダ………………」

 

 部屋の中へと入った彼女は、椅子の上で目を瞑っている少女の亡骸に近付くと、肩に触れながら彼女の身体を揺すり始めた。眠っている仲間を起こそうとするかのように、優しく揺する彼女。まるで授業中に居眠りしているような恰好の少女だけれど、彼女はもう目を覚ますことはない。

 

 身体を傷つけられる痛み。心を汚される苦痛。騎士たちの残酷な尋問に、彼女は耐え切る事ができなかった。

 

 もう、目は覚まさない。どれだけ身体を揺すっても、傷だらけの冷たいからだが揺れるだけ―――――――。

 

「あ……………あああああ…………………!」

 

「すまない、もっと早く突入していれば……………」

 

 傷だらけになっていたとしても、一命をとりとめていた可能性はある。あの時俺は慎重さを最優先し、彼女を見殺しにしてしまったようなものなのだ。

 

 唇を噛み締めながら見つめていると、こっちを振り返った彼女が手を伸ばし、俺の胸倉を掴んだ。やはり傷だらけの少女とは思えないほどの怪力で、それなりに踏ん張ったにもかかわらず、俺はそのまま後ろにあった壁に押し付けられてしまう。

 

「お兄ちゃん!」

 

「やめろ、ノエル」

 

 少女にウェルロッドを向けるノエルを止めつつ、俺は少女の瞳をじっと見つめた。

 

「あんたがもっと早く助けてくれれば…………ジナイーダは…………………ッ!!」

 

「ああ、すまない。俺のせいだ…………………」

 

 歯を食いしばり、自分の血の混じった赤黒い涙を流す少女。食いしばっている彼女の犬歯はやたらと鋭く、まるで獣や吸血鬼を思わせる犬歯だった。

 

 いや、もしかするとこの少女は――――――――本当に吸血鬼なのかもしれない。傷だらけで、黴だらけのパンや腐った具の入ったスープしか与えられない劣悪な環境に放置されていたにもかかわらず、これほどの怪力を維持しているのだ。普通の人間の少女では考えられない力である。

 

 シルヴィアの話では、ムジャヒディンには様々な種族が所属していると聞いたけれど、まさか吸血鬼まで参加しているなんて……………。

 

「よせ、イリナ」

 

「でも、兄さん!」

 

 俺の胸倉を掴み、ひたすら睨み続けていた少女に声をかけたのは、まだ牢屋の中に残っていた1人の大きな男だった。先ほどムジャヒディンの男性に教えてもらった、桜色の髪の大柄な男性である。

 

「止めるんだ。ジナイーダが助からなかったのは無念だが……………彼女は命の恩人だ」

 

「……………ごめんなさい」

 

 謝りながら、そっと手を離すイリナ。俺に対して謝ったのか、それとも自分を咎めた兄に向かって謝ったのかは分からない。

 

 彼女は涙を拭いながら踵を返すと、椅子に腰を下ろしたまま絶命しているジナイーダの亡骸にそっと触れた。頬を覆っている彼女の血を傷だらけの手で拭い去ったイリナは、彼女の両手を縛っている縄を優しく外すと、崩れ落ちそうになったジナイーダの亡骸を抱え、そのまま抱き締める。

 

「ごめんね、ジナイーダ……………。さあ、みんなの所に戻ろうよ」

 

「……………」

 

 歯を食いしばりながら、奥にある牢屋の前へと向かう。鉄格子の奥に胡坐をかいているのは、やはり最初に教えられた桜色の髪の男性だった。体格はがっちりしていて、目つきも鋭い。百戦錬磨の戦士のような雰囲気を纏う猛者を見下ろしながら、俺は小さな声で問い掛けた。

 

「あんたがウラル・ブリスカヴィカだな?」

 

「ああ、その通りだ」

 

「アルラウネのシルヴィアからここの話を聞いて、助けに来た」

 

「シルヴィア…………? 彼女は生きているのか?」

 

「ああ。俺たちが保護している」

 

「……………感謝する」

 

 ナイフを鉄格子に突き立て、先ほどと同じように彼の逃げ道を作る。ウラルは体格ががっちりしているから、少し大きめの穴を作らなければならないだろう。

 

 鉄格子を両断したナイフを鞘に戻し、彼に手を差し出す。やけにがっちりした手を掴んで外へと引っ張り出すと、ウラルは俺に礼を言ってから、ジナイーダが尋問を受けていた部屋の中を覗き込んだ。

 

 部屋の中にあるのは、俺とノエルが惨殺した2人の死体。ジナイーダが座っていた椅子はもうもぬけの殻で、傍らでは椅子からジナイーダを解放したイリナが彼女の亡骸を抱き締めている。

 

 もう動かなくなったジナイーダの顔を覗き込んだウラルは、一瞬だけ唇を噛み締めた。

 

「……………許してくれ」

 

 いや、あんたは謝らなくていい。どう励まそうと思ったけれど、俺にはそう言うことはできなかった。

 

 俺のせいなのだ。俺が慎重になり過ぎたせいで、彼女を見殺しにしてしまった。もしここにみんなが囚われた原因がウラルなのだとしても、少なくともジナイーダの一件は俺のせいなのだ。だから、あんたは謝らなくていい。

 

 すると、ウラルは惨殺された騎士たちの持っていた剣を拾い上げた。片方をイリナに渡し、もう片方を自分の腰に下げる。

 

「脱出するぞ。守備隊は血祭りにあげる」

 

「いや、守備隊はもう壊滅してる」

 

「なに?」

 

 正確に言えば、ラウラがとっくに壊滅させた。スコープを取り外すという長所を殺しかねないカスタマイズのライフルで、しかも姿を消しながら、敵に見つからないように的確に狙撃を繰り返して仕留めてしまったのだ。おかげで前哨基地の外は、上顎から上を吹っ飛ばされた死体だらけである。

 

「俺のお姉ちゃんが全滅させた。外にいるのは仲間だけだ」

 

「いや、外を警備していたのは残り物だ。本当の守備隊は魔物の討伐に出発している」

 

「つまり、戻ってくる可能性があるという事か……………」

 

 一戦交えるか?

 

 いや、捕虜にされていた人々は殆どが負傷していた。あんな状態で、治療しながら守備隊と戦うのは危険だ。勝ち目はあるかもしれないけれど、また犠牲者を増やしてしまう可能性がある。ここは戦わず、タンプル塔まで引き返した方が良いだろう。

 

 守備隊がすぐそこまで戻っているというのならば話は別だが、今は逃げるべきだ。

 

「戻ってくる前に逃げよう。拠点も近くにある」

 

「ありがとう。…………イリナ、行こう」

 

「…………うん」

 

 今は逃げよう。報復するのはその後だ。

 

 クソ野郎は、狩る。それがテンプル騎士団なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 壊滅した前哨基地から立ち去っていくのは、奇妙な乗り物だった。一見すると鋼鉄で作られた馬車のようにも見えるし、鉄道の機関車をレールではなく地面の上に置き、そのまま走らせたようにも見える。

 

 その見たこともない乗り物を望遠鏡で覗き込みながら、私は息を吐いた。

 

 かつて、見たこともない武器や兵器を多用し、世界最強の傭兵ギルドと呼ばれた者たちの伝説を私も聞いたことがある。凄まじい音のするクロスボウにも似た武器を使い、防具も身に着けずに魔物や無数の軍勢に挑んでいった傭兵たち。当時の戦士たちから見れば無謀な者たちかもしれないが、少なくとも防具を身に着けずに連携して戦うというのは、今の時代で主流になっている戦い方だ。彼らはその戦い方を、21年前から先取りしていたのである。

 

「まるでモリガンだな」

 

 見たことのないエンブレムが描かれた漆黒の車両を望遠鏡で追いながら、私は呟いた。

 

 彼らの武器を手に入れようと、当時は多くの商人たちが彼らの元を訪れて交渉していたという。モリガンの傭兵たちはそれらをことごとく断り、実力行使に出た馬鹿な商人は片っ端から血祭りにあげていた。だから今はもう、彼らにそんな事をする愚か者は1人もいない。

 

 しかし、それを欲する者たちが消え去ったわけでもない。その中の1人と言える私も、愚か者の1人なのだろうか?

 

「アドルフ准将、追撃しますか?」

 

 傍らで騎兵隊を指揮していた部下が問い掛けてくる。私は望遠鏡を静かに下ろすと、つい先日私の元に着任したばかりの部下を一瞥する。

 

「尾行しろ。どこかに拠点がある筈だ。その隙に本隊は駐屯地に戻って装備を整え、奴らの拠点を急襲する」

 

「はっ! …………それにしても、あの飛び道具はいったい………………?」

 

「モリガンの傭兵たちが使っていたという飛び道具にそっくりだ。………………もし手に入れられれば、我が国はオルトバルカを超えられる」

 

「ええ、是が非でも手に入れたいところですな」

 

 あの少女たちは、モリガンの傭兵ではないようだ。関係があるかどうかは不明だが、似たような武器を使っている以上はつながりがあるのだろう。

 

 上手く行けば、彼女たちを人質に取った上でモリガンと交渉できるかもしれない。

 

 あの武器を手に入れられれば、我が国の騎士団はまさに世界最強となるだろう。弓矢やバリスタよりも長距離からの狙撃が可能で、しかもその貫通力は魔術に匹敵する。さらに、魔力を一切使わないため魔力で探知される心配もない。

 

 何としても、手に入れなければ。

 

 去っていく奇妙な乗り物を見守りながら、私はそっと笑った。

 

 



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反撃開始

 

 装甲車の兵員室には、血の臭いが充満していた。フランセン共和国騎士団の過酷な尋問から生き延びたムジャヒディンのメンバーは大半が重傷を負っており、仲間たちから回復用のエリクサーを分けてもらっても行き渡らないほどだ。

 

 なので、重傷者から優先的にエリクサーを支給し、軽傷やもちこたえられる程度の傷を負っている負傷者には、申し訳がないが拠点に到着するまで我慢してもらう事になっている。タンプル塔には前々から多めに買い込んでおいた各種エリクサーの予備の備蓄があるし、エリクサーを使わなくてもステラのヒールならばすぐに治療は可能である。

 

 兵員室は重傷のメンバーに使わせ、軽傷のメンバーや日光に当たっても問題はない種族のメンバーは、タンクデサントのように装甲車の上に乗ってもらっている。明らかに定員オーバーだが、今は一刻の猶予もない状況だ。いつフランセン共和国騎士団の討伐部隊が前哨基地に戻ってくるかわからないのだから。

 

「シルヴィア、無事でよかった!」

 

「心配したんだぞ!」

 

「みっ、皆さんこそ、無事で何よりです! え、えっと、これ、テンプル騎士団の皆さんから。スコーンって言うお菓子だそうです。それと紅茶もあります」

 

 再会した仲間たちに、兵員室で仲間の手当てをしていたシルヴィアがスコーンと紅茶を振る舞う。嬉し涙を流しながら、もう二度と会えない筈の仲間たちを手当てする彼女を見守ってから、俺は息を吐いた。

 

 いつもなら隣にラウラがいるんだが、今はいない。魔術で素早く治療できるステラにムジャヒディンのメンバーの治療をお願いしているため、ラウラが代わりに操縦士を担当しているのだ。だから俺の隣にいるのは、ターバンを頭に巻いたあらゆる種族の戦士たちである。

 

「な、なあ、お嬢ちゃん」

 

「…………申し訳ない、俺は男だ」

 

「えっ? ……………し、失礼。と、ところでその……………変わった武器だな、それ。槍なのか?」

 

「……………まだ秘密だよ」

 

 肩に担いだAK-12を優しく撫でつつ、付着した砂埃を払い落とす。

 

 金属の弾丸をぶっ放す銃は、どうやら異世界の人々から見れば槍のようにも見えるらしい。まあ、確かに主流となっている飛び道具のクロスボウとはだいぶ違うし、銃剣を取り付ければなおさら槍に見える事だろう。

 

 興味深そうにAK-12を眺める戦士に向かってにやりと笑い、ポケットの中から非常食の缶詰を取り出す。基本的に冒険者は食堂や酒場で食事を摂る事が多いが、いつでも規則正しく街に戻って来れるとは限らないため、非常食を持ち歩くのは珍しい事ではない。中には魔物の肉をその場で解体して調理し、食料まで現地調達する猛者がいるのである。俺たちもそう言った訓練を受けたし、よくハーピーの肉でちょっとしたバーベキューをやった事があるから、環境にもよるけれど、そういう事をやって生き延びろと言われれば生存することは可能である。

 

 とりあえず、オルトバルカでは大人気のハーピーの塩漬けを全て取り出し、装甲車の上に乗っている戦士たちに渡す。ついでに水の入った水筒も渡して水分補給をさせておく。

 

 過酷な環境で、過酷な尋問を延々と受けていたのだ。食事は腐っていたようだし、水もほぼ泥水。腹を壊しながらもよく耐え抜いてくれたものである。

 

「ありがとう。……………ああ、久しぶりだよ。腐ってない肉を見るのは」

 

「ほら、水だ。あのお嬢ちゃんに礼を言うんだな」

 

「ありがとよ、お嬢ちゃん! 結婚したら、その優しさで旦那さんを喜ばせてやれよ!」

 

「え、ええと……………うん、頑張る……よ……………」

 

 ああ、訂正するのめんどくせえ…………。

 

 フードの上から頭を掻きながら、戻ってきた水筒を受け取って腰に下げておく。

 

 この装甲車に乗っているのはムジャヒディンのメンバーだけではない。他の小規模なゲリラや、フランセン共和国の過酷な政策に反旗を翻した植民地の反乱軍の残党も含まれているのだという。

 

 彼らの拠点は徹底的な攻撃によって壊滅しており、今の彼らには戻るべき拠点がないのだという。故郷の村もとっくに焼き払われているらしいので、もし仮に俺たちが彼らの治療を終えたとしても、彼らには帰る場所がないのだ。

 

 何人かは前哨基地の死体から装備を鹵獲したみたいだけど、殆ど丸腰の状態の彼らを魔物のいる砂漠に放り出し、独力で拠点を作れと言うのも無茶な話だ。

 

 うーん、テンプル騎士団に誘ってみるのはどうだろうか。まだ発展途上の拠点だけど、これだけの人数がいれば設備の拡張もできそうだし、何しろ今は人手が足りない。

 

『タクヤ』

 

「ん? ラウラ?」

 

 BTR-90を操縦するラウラの声が、小型無線機から聞こえてきた。もう戦闘は終わっているというのに彼女の声音は大人びたままで、まだいつもの彼女には戻っていない。

 

『後方から変な音がする』

 

「変な音?」

 

『うん。……………耳障りな、クソ野郎の音』

 

「……………距離は?」

 

『6時の方向。距離2km。数は……………30人前後』

 

 尾行されているだと?

 

 索敵している距離が、彼女の探知可能なギリギリの距離だから精度は低くなっている。しかし存在しない敵を探知するようなことはないため、敵の数が間違っていることはあっても、敵がいるかいないかで間違う事は殆どない。

 

 討伐部隊か? さっきの前哨基地を出払っていた討伐部隊が戻ってきて、俺たちを尾行しているのか?

 

 目的はおそらく、俺たちの拠点を発見する事だろう。このまま戻れば本隊に位置を報告し、総攻撃を仕掛けてくるに違いない。

 

『お兄様、どうなさいます? 装甲車の武装の射程距離内ですから、ご命令があればすぐにつぶせますわよ?』

 

「……………いや、このまま気付かないふりをしよう」

 

『誘い込むの?』

 

「ああ、そうだ。誘い込んで全力で潰す。1人も生かして返すつもりはない」

 

 それに、武装が使えると言っても車体の上には怪我をしているムジャヒディンのメンバーがいる。そんな状態で砲塔の機関砲や対戦車ミサイルをぶっ放せば、下手をすれば攻撃に巻き込んでしまう恐れがある。

 

 保護した彼らの事を考えれば、ここで戦うのではなく拠点まで戻った方が良いのは明らかだ。

 

「ナタリア、タンプル塔に連絡。36cm砲の砲撃準備をしつつ、負傷者の受け入れを」

 

『了解(ダー)』

 

 さて、どうやってあのクソ野郎共を返り討ちにするべきだろうか。

 

 ムジャヒディンのメンバーにも、できるならば銃を渡して訓練させたいところだ。最低でも撃ち方とマガジンの交換を覚えてもらえれば戦えるだろうか? もし無理なら剣や弓矢などの従来の武器を使わせてもいいかもしれないが、それだと死傷者が出る恐れがある。

 

 剣を持っている敵に、正直に剣で挑む必要はないのだ。

 

 装甲車の上に乗りながら、タンプル塔の周辺の地形を思い出す。タンプル塔へと向かうには、まるで防壁のようにそびえ立つ岩山の間に形成された谷を通っていく必要がある。岩石のテーブルを思わせる岩山の上に迎撃用の武器を設置するべきなんだろうけど、残念ながら現時点では何も配置していない。

 

 あの地形なら迫撃砲による攻撃が有効か? それとも、谷の中にバリケードを作って機関銃でも配備するか?

 

 うーん、どうやって迎え撃つべきか。まあ、36cm砲の砲撃ならば谷を飛び越え、敵の頭上から戦艦の主砲と全く同じ口径の砲弾を振らせることが可能だが、それだけでは小回りが利かない。

 

 まあ、拠点に戻るまで考えておくとしようか。大切なお客さんをもてなすんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 装甲車の中から、1人の少女の亡骸が姿を現す。砂だらけの大地を照らし出す日光や、岩山の防壁の中にあるタンプル塔にもお構いなしに入り込んでくる熱風の熱を、もう二度と感じることができなくなった少女の亡骸。シルヴィアやステラが移動中に身体を拭いてくれていたらしく、彼女の身体を赤黒く染めていた血は消え去っている。

 

 ジナイーダの亡骸を抱き抱えて外へと出てきたのは、彼女の親友だったというイリナ・ブリスカヴィカ。帰ってくるまでずっと涙を流し続けていた彼女は、もう泣いていない。凛とした表情で親友の亡骸を抱き抱え、シュタージのメンバーが用意してくれていた棺に、ジナイーダの亡骸をそっと横たえさせる。

 

 待ってくれていたクランやケーターたちの顔を一瞥すらせず、イリナは唇を噛み締めながら目を瞑ると、棺の中で眠るジナイーダの手を握ってから、静かに踵を返した。

 

 帰ってくる途中にウラルに聞いたが、ムジャヒディンたちは仲間が戦死した場合は、棺に剣を入れて火葬にするという。剣を入れて火葬にするのは死後の世界で襲い掛かってくる悪霊を打ち払うためらしい。

 

 ジナイーダの亡骸を見下ろしていたウラルが、腰に下げていた剣を鞘と共にジナイーダの胸の上に置いた。そして拳を握りしめながら目を瞑ると、イリナと同じように踵を返す。

 

「……………本当にありがとう。ジナイーダは助からなかったが……………君たちのおかげで、多くの同胞が救われたよ」

 

「いや、彼女を助けられれば……………」

 

「……………そんなに気にしないでくれ。君たちは、我々の命の恩人なのだから」

 

 だが、もう少し早く突入していれば、ジナイーダを助けることはできた筈だ。重傷を負う事は免れなくても、ここで治療することもできた筈なのだ。

 

 俺もできるならば気持ちを整理したいところだが、まだ1人になることは許されない。フランセン共和国騎士団の連中が近くに来ている筈だし、順調に尾行しているのであれば、今頃は本隊に伝令を向かわせたはずだ。報告はもちろん、こっちの拠点を見つけたという内容。それからすぐに拠点を攻撃し始めるのは想像に難くない。

 

「ところで、ウラルは吸血鬼なのか?」

 

 ふと、俺はウラルの犬歯が他のメンバーよりも鋭いことに気付き、問い掛けた。棺の中で眠るジナイーダの亡骸を見守っていたウラルはきょとんとすると、「ああ」と言ってから自分の鋭い犬歯を俺に見せてくれた。

 

 やはり、人間よりも鋭い。より首筋に穴を開け、そこから血を吸いあげることに特化した吸血鬼の牙である。

 

「俺とイリナは吸血鬼だよ。カルガニスタンの日差しは過酷でな。帽子やフードは必需品なんだ」

 

 無理に陽気なふりをして教えてくれるウラル。俺は「ああ、どうりで牙が鋭いわけだ」と苦笑いしながら返しつつ、拳を握りしめた。

 

 なんてこった………………。吸血鬼にとって、キメラは怨敵ではないか。

 

 吸血鬼の王であるレリエル・クロフォードを殺したリキヤ・ハヤカワ。俺たちの父親が、キメラの原点だ。つまりそれ以外のキメラがいるという事は、高い確率でその血縁者という事になる。

 

 仇を討つべき男の息子が、すぐ近くにいるのだ。なのにウラルは仲間を殺されたという哀しみを抑え込みながら、無理をして陽気に笑っている…………。

 

「―――――――――だから、あんたらと同じさ」

 

「え?」

 

 なんだって…………?

 

 笑うのを止めたウラルが、大きな手で俺のフードを掴んだ。そしてそのままフードを外し、俺の蒼い髪を熱風の中に晒す。砂を孕んだ熱風の中で揺れるリボンを指先で撫でたウラルは、更にその太い指を伸ばし―――――――――蒼い髪の中に隠れているキメラの角に、そっと触れた。

 

「この角……………やはり、あんたはキメラか」

 

「………………!」

 

 気付いていたのか……………!

 

 心臓の鼓動が大きくなる。暑さで浮き上がっていた汗の中に、冷や汗が溶け込む。

 

 吸血鬼にとって、キメラは自分たちの王を殺した憎たらしい敵。見つけたら血祭りにあげてしまうほど憎んでいるに違いない。

 

「キメラという事は……………リキヤ・ハヤカワの子供か」

 

「ああ。――――――俺は………………レリエル・クロフォードを殺した男の息子だ」

 

「そうか」

 

 キメラだという事がバレている時点で、親父の子供だという事もバレている筈だ。だから嘘はつかずに、俺はウラルの顔を見上げたまま息子だという事を明かす。

 

 できるならば、彼らとは一戦交えたくない。ただでさえ敵が拠点の近くにいるというのに、こんなところで吸血鬼たちと争っている場合ではないのだ。

 

 目つきが鋭くなったウラルだが――――――――彼は苦笑すると、また俺のフードを掴んで元に戻してくれた。

 

「ははははっ、冗談だ」

 

「……………キメラを憎んでないのか?」

 

「憎んでるのは過激派の連中さ。人間たちとの共存を拒み、自分たちの世界を作ろうとした血の気の多い奴らだよ。俺たちは人間と共存しようと努力した吸血鬼の末裔だから、別にあんたらを恨んでるわけじゃない」

 

「脅かすなよ……………」

 

「悪い悪い。はははははっ」

 

 というか、吸血鬼って一枚岩じゃないのか。

 

 俺たちを憎んでいるのが過激派という事は、まだ断定はできないけれど、遺跡と雪山で戦ったあのキモい吸血鬼も過激派ってことか? あいつの場合は俺たちを憎んでいたというより、鍵を手に入れようとしていたみたいだからまだ分からないが、ウラルやイリナはそういう奴らとは違うらしい。

 

 あ、安心した…………。

 

「お兄様、そろそろ迎撃の準備を」

 

「おう」

 

 俺の近くにやってきたカノンは、もう既にマークスマンライフルのSVK-12を背中に背負っていた。彼女の後ろの方では、XM8を背負った坊や(ブービ)と木村の2人が、36cm砲の土台にあるハッチを開け、砲台の中へと入って行く姿が見える。

 

「ウラル、仲間を集めてくれ。これからフランセン共和国騎士団と戦闘になる」

 

「やはり尾行されていたか…………了解だ」

 

 ちゃんとした訓練ではないが、まだアサルトライフルの使い方を教えられる程度の時間は残されているだろう。急ピッチでの訓練になるから、撃ち方とマガジンの交換の方法などの基本的な事しか教えられないかもしれない。

 

 支給する銃はAK-74にしよう。AK-47をベースに改良したアサルトライフルで、大口径の7.62mm弾ではなく小口径の5.45mm弾を使用するライフルだ。吸血鬼にとっては大口径の弾丸の反動も軽く感じるかもしれないが、全員そのように軽く感じるわけではない。そういう事を考えれば、小口径の弾丸を選ぶのは当たり前である。

 

 可能ならばRPDやドラグノフなどの武器も支給したいところだけど、そのような武器はアサルトライフルとは違う訓練が必要になるから、今のような時間がない状況では無理な話だろう。ひとまず、この襲撃を乗り切る必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんな岩山の中に奴らの拠点があるのか?」

 

 偵察部隊から送られてきた伝令に案内され、偵察部隊と無事に合流した我々の目の前に鎮座していたのは、砂漠の真っ只中に屹立する岩山だった。やや歪(いびつ)だが、テーブルを思わせる円形の岩山にはいくつかの裂け目があり、そこがそのまま中心部への入口となっているようである。

 

 一見すると、明らかにダンジョンにしか見えない場所だ。だが管理局が公開している情報では、ここにはダンジョンはないという事になっているため、なおさら気味が悪い。

 

 人が寄ってこないという意味では拠点にするにはうってつけだが、それにしては見張りがいる気配もない。微かに砂埃が舞い上がり、熱風が吹き抜けていくだけの岩山。こんなところを拠点にする奴などいるのだろうか。

 

 まあ、本当に拠点にしているのだとしても、敵の数はたかが知れている。モリガンの傭兵たちが持っていたという奇妙な飛び道具を使うようだが、我々の今の戦力は140名。しかも、全員魔物の討伐を経験したことのある百戦錬磨の騎士たちだ。奇妙な飛び道具を使うとはいえ、敵の数は少ない。しかも負傷したムジャヒディンの連中を何人も抱え込んでいる筈だから、そんなに迎撃に手は回らないだろう。

 

「早いうちに降伏させて、酒でも飲もうぜ」

 

「噂だとムジャヒディンを助けに来た奴らの中に可愛い女がいたらしい。捕虜にすれば楽しめるかもな」

 

 先ほどから、部下たちはそんな会話ばかりだ。勝利は見えているとはいえ、気を抜き過ぎではないだろうか。

 

 そう思った私が、部下たちを咎めようとしたその時だった。

 

「隊長、あれは何でしょう?」

 

「ん?」

 

 部下のうちの1人が、望遠鏡を覗き込みながらそう言ったのである。

 

 その部下から望遠鏡を受け取り、私も敵の拠点があると思われる岩山を確認する。

 

「あれは…………?」

 

 岩山の間にある道を塞ぐかのように、そこに漆黒の何かが鎮座していた。

 

 傍から見れば、まるで鉄道の機関車の車輪だけを取り外し、奇妙な筒のようなものをいくつか取り付けて巨大化させたような物体に見える。サイズは…………何メートルだ? 明らかに人間の平均的な身長を優に超えているようだが、あれは何だ?

 

 そう思った次の瞬間――――――――車輪に取り付けられていた筒が、一斉に火を噴いた!

 

「「「!?」」」

 

 その炎に押されるかのように、漆黒の車輪が、ごろん、とゆっくり転がり始める。よく見ると車輪の表面には、ギザギザした魔物の牙を思わせる刃がびっしりと取り付けられており、あの車輪がただのオブジェではなく、殺戮を目的とした兵器であるという事を私たちに告げているようだった。

 

 やがて車輪は加速を始め―――――――――我々に向かって、突進してきた!

 

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 な、何だ!? 何だ、あの車輪はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?

 

「何だ!? 魔物か!?」

 

「馬鹿、あんな魔物がいるか! 敵の攻撃だ!!」

 

「剣を抜け! 総員、突――――――――」

 

「隊長、新たな車輪が!!」

 

 な、なに…………!?

 

 まだ部下に返していなかった望遠鏡を覗き込み、迫ってくる車輪の後方へと向ける。その向こうに見えた光景を目の当たりにした瞬間、私は発狂しそうになった。

 

 先ほど車輪が止まっていた岩山の道からは――――――――我々に突進してくる車輪と全く同じ形状の車輪の群れが、ぞろぞろと姿を現していたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 気付いてなかった

 

タクヤ「俺は………………レリエル・クロフォードを殺した男の息子だ」

 

ウラル「なっ……………!? き、貴様――――――――」

 

ウラル「――――――――――男だったのかッ!?」

 

タクヤ「えっ」

 

イリナ(そういえば、前哨基地でも〝彼女”って言ってた………………)

 

クラン(悲惨ねえ……………)

 

 完

 



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パンジャンドラムの進撃

 

 

 それはまるで、無数の機関車が蒸気と炎を噴き上げ、猛スピードで正面から突進してくるかのような光景だった。

 

 砂漠にレールはない。機関車はレールの上を走るものだ。しかしその岩山の中から現れた無数の車輪の群れは、そんなルールは通用しないと言わんばかりに砂を抉り、成人男性を容易く磨り潰してしまえそうなほどの大きな轍(わだち)を刻みつけながら我々に向かって突進してくる。

 

 中には盾を構え、身を守ろうとする騎士もいる。あるいは上手く相手の攻撃を防ぎ、その隙に反撃しようとしているのだろう。あわよくば破壊して鹵獲し、手柄を立てようとしているのかもしれない。

 

 私は鞘から抜いていた剣を早くも鞘の中に戻し、立ち向かおうとする騎士たちを咎めようとした。功を焦って命を落としてきた仲間たちを何人も目にしてきたからだ。魔術の直撃を喰らって墜落したドラゴンに追撃しようとして突っ込んだ若い騎士が、次の瞬間には起き上がったドラゴンに頭を食い千切られていた事もあったし、逃げていくゴブリンの群れを追撃していた部隊が森の中へと誘い込まれ、アラクネに包囲されて無残に殺された光景も目にしてきた。あの時と同じだ。この車輪の群れに挑むのは、それと同じ行為なのだ。

 

 だから私は「良いから早く逃げろ!」と叫んだ。しかし、最前列で大型の盾を構えていた騎士は、もう私の言葉を聞く事ができる状態ではなかった。

 

 叫んでいる最中に、彼の身体が車輪によって遮られてしまったのである。断末魔は、聞こえない。ただ、今まで何度も耳にした盾が粉砕される音と、硬い防具を纏った肉が押し潰される音が微かに聞こえてきたのである。

 

 その騎士がどうなったのかを確認する暇はなかった。後続の無数の車輪が進撃してきているのだから、わざわざあの車輪の轍まで戻って遺体を確認できる状況ではない。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「に、逃げるな!」

 

 分隊長が逃げる部下を叱責するが、あんな車輪の大軍を目にして逃げずにいられる騎士などこの世界にはいないだろう。あんな猛突進は盾では防げない。どんなに性能が良い盾でも、機関車の猛突進を防ぎ切れないのと同じだ。

 

「魔術師部隊、詠唱急げ!」

 

 虎の子の魔術師部隊が後方で詠唱を開始する。今では産業革命による工業の発展で、段々と接近戦や弓矢のような武器が重要視されつつあるが、それでもまだ強力な魔術を使う事ができる魔術師は、あらゆる国家で重宝される。

 

 今のような強力な装備が発明される前は、彼らが各国の切り札だったのだ。堅牢なドラゴンの外殻を砕き、数多の魔物の群れを焼き払う事ができる彼らは、今でも各国の騎士団の切り札とされており、魔術師が多ければ多いほどその騎士団は強大となる。

 

 オルトバルカのように優秀な魔術師がそろっているわけでは無いものの、近年ではフランセンでも魔術師の教育の見直しにより、最低限の才能を持っていれば実戦投入できる程度に鍛え上げることが可能になった。おかげで今までよりも大量の魔術師を部隊に組み込む事ができるようになっているのである。

 

 車輪の到達まで、後衛の詠唱は間に合うだろうか。

 

 後方から聞こえてくる断末魔に肝を冷やし、全力で走っていたその時――――――――魔術師たちの目の前に形成されていた魔法陣がようやく完成し、指揮官が剣を振り下ろすとともに、その魔術が一斉に放たれる。

 

「放てぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「「「ピアーシング・フレイム!!」」」

 

 炎属性の魔術の中でもポピュラーな魔術だ。魔法陣の中に炎の塊を生成し、それを周囲から圧力をかけることによって縮小させ、最終的には圧力をかけたまま発射する。それによって弾速は劇的に向上し、炎属性を弱点とする魔物の外殻を容易く貫通できるほどの貫通力を獲得させることに成功した魔術だ。他の属性にも似たような魔術があるが、これが最も初歩的な魔術である。

 

 しかし、初歩的な魔術でも、数人で同時に放てば玄人にしか扱えないレベルの魔術にも匹敵する。実際にフランセン共和国騎士団は、そのような魔術による集中砲火でドラゴンやミノタウロスを討伐した実績があるのだ。

 

 だから、その一斉攻撃の光景は、早くも敗走していた騎士たちに希望を与えた。絶望が炎の光によって照らされ、希望に変わっていく瞬間。きっとその光景を目にした騎士たちはそう思っていた事だろう。私もその中の1人だったのだから、間違いない。

 

 一斉に放たれたピアーシング・フレイムは、火の粉を砂漠の真っ只中に残しながら飛翔していき、我々に向かって転がってくる車輪のうち1つの胴体に突き刺さった。いくら鋼鉄で作られている車輪でも、貫通力の高い魔術には耐えられまい!

 

 突き刺さった炎たちが膨れ上がり、大爆発を起こす。橙色の光の中でその車輪が木端微塵に砕け散る光景を想像しながら私は盾で身を守ったが―――――――――次の瞬間、希望を持っていた騎士たちのその希望が、完全に裏切られることになった。

 

「なっ…………」

 

「そ、そんな………………」

 

「馬鹿な………………」

 

 絶望を照らし出していた光が、消え去る瞬間だった。

 

 今まで数多の魔物を貫き、吹っ飛ばしてきた炎の塊の一斉攻撃が生み出した爆風の中から―――――――被弾した筈の車輪が、無傷で躍り出てきたのだから。

 

「つ、通用してない…………!?」

 

 表面がほんの少し歪んだ程度だろうか。―――――――――初歩的な魔術とはいえ、数人に魔術師による一斉攻撃で被った被害がその程度である。いったいどれだけの防御力を誇るのだろうかと思ったが、それよりも深刻なのは、敵の車輪がそれだけではないという事だ。後方には、ぞろぞろと進撃してくる無数の車輪がいる。たった1つの車輪でさえこれだけの防御力と破壊力を兼ね備えた恐ろしい兵器だというのに、下手をすれば我々の兵力を上回る数の車輪をどうやって破壊すればいいのか。

 

 仮に、更に攻撃を重ねて1つを撃破したとしよう。それでも敵の損害は1%にも満たないし、こちらは疲弊するだけだ。

 

 あまりにも理不尽な性能差と物量。我々の敗北が決まったかのような敵の人海戦術。

 

「ギャ――――――――」

 

「グエッ!?」

 

「ギッ!」

 

 車輪の筒から炎を噴き上げ、更に加速する車輪たち。それに押し潰され、砂まみれの肉塊となっていく仲間たちを見つめながら、私は絶望の中で棒立ちになっていた。

 

 これがムジャヒディンの切り札なのか。

 

 奴らは、こんなものを開発していたのか。

 

 我々は、こんな敵に戦いを挑もうとしていたのか。

 

「――――――――馬鹿馬鹿しい」

 

 勝ち目など、あるわけがない。

 

 挑めば死ぬという結果が、そこにあっただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ…………………」

 

 岩山の上から敵の様子を見てこいと言われた私は、愛用のツァスタバM93を背負いながら岩山を登り、その様子を傍観していた。小さい頃からタクヤと一緒に工場の壁を登る訓練を受けていたから、何かを登るのは私にとってはお手の物だった。

 

 だから早く登る事ができたし、その蹂躙が始まったばかりの光景を目にする事ができたんだけど………………敵は早くも壊滅状態に陥っているようだった。

 

 押し潰される敵兵。盾を構えて挑もうとした奴が、装備した盾もろとも押し潰され、轍の中で砂まみれの肉の塊になって横たわる。慌てて走って逃げようとした騎士も、スパイク付きの車輪に背中にのしかかられ、後はそのまま巻き込まれてズタズタにされていく。

 

 回転する車輪とスパイクが、肉と金属を引き裂いていく嫌な音と、押し潰される寸前の人間が発する気色悪い小さな断末魔は、私の耳に次々に流れ込んでいた。他のみんなよりも発達したこの聴覚ならタクヤの役に立てると思ってたんだけど、こういう状況では不便だと思う。仮に耳を塞いだとしても、敵が発する音を完全にシャットアウトできるわけではないのだから。

 

 本当に嫌な音。車輪に押し潰され、肉と骨が潰れて、その裂け目から内臓が溢れ出す瞬間の音は。そしてその激痛を感じながら絶命していく人間の断末魔は。

 

 狙撃なら、銃声の残響がそういう嫌な音を消し去ってくれる。だから私は狙撃を好む。

 

『ラウラ、様子は?』

 

「もう壊滅状態よ。みんな敗走してる」

 

 絶望して棒立ちになった騎士が、容赦なく押し潰され、轍の中で肉塊になったのを見て顔をしかめながら私は報告した。

 

 タクヤの声のおかげで、先ほどまでのような不快な感じはしない。あの子の声は女の子みたいに高いし、優しい感じがする。聞くだけで癒されるような声。

 

 私は、あの子が大好き。だから、あの子の命令だったら何でもする。死ねと命令されたのなら笑いながら自分の頭に銃を突きつけ、引き金を引くことだってできる。

 

「狙撃で片付ける? 射程距離内だけど………………」

 

『いや……………あえて敗走させよう』

 

「あら、1人も逃がさないんじゃなかったの?」

 

『1人も逃がさないさ。……………そして、元凶も一緒に一網打尽にする』

 

 なるほどね。

 

 タクヤの考えていることを確認した私は、にやりと笑った。

 

 あの子は、あえてここで敵を敗走させることで、逆に敵の拠点の位置を探ろうとしているみたい。敵が私たちを尾行して拠点の位置を知ったように、こちらも撤退する敵を尾行して拠点の位置を探ろうとしているのね。

 

 確かに、パンジャンドラムの進撃に怯えた敵は一目散に拠点まで逃げ帰る筈。だから追いかけていけば、敵の拠点まで案内してもらえる。

 

「お姉ちゃんが尾行する?」

 

『いや、疲れてるだろ? カメラを搭載したドローンに尾行させるから、ラウラはゆっくり休んでくれ』

 

「お姉ちゃんは大丈夫よ。タクヤの命令なら何でもするわ」

 

『ありがとう、お姉ちゃん。でも無理はしてほしくないな』

 

「うん、分かったわ。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら」

 

 タクヤったら……………。

 

 あの子の顔を想像しながら微笑んだ私は、踵を返して岩山を下り始める。

 

 もう、人間の潰れる嫌な音は全然聞こえなかった。正確に言えば、まだ岩山の向こうからパンジャンドラムに押し潰される断末魔は聞こえていたんだけど、タクヤの声を聞いたおかげで全然気にならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、36cm砲とAK-74を装備したムジャヒディンたちの出番はなかった。もう少し敵の騎士団も踏ん張ってくれると思っていたんだが、無数のパンジャンドラムが進撃してくる光景は衝撃が大き過ぎたらしい。

 

 もう既にカメラ付きのドローンは出撃させたし、パンジャンドラムも奴らに打撃を与えるために全て自爆させた。ドローンから送られてくる映像では、もう既に敵の騎士団の兵力は戦闘開始前から比べると5分の1以下まで減っており、撤退していく騎士たちも身軽になるためだったのか、盾や槍などの重い装備を殆ど放棄している。ここで攻撃を仕掛ければ壊滅させられるかもしれないけれど、拠点を潰さなければ意味はない。

 

 まあ、あわよくば敵の基地からこっちの拠点で使えそうな資材とかを手に入れる事ができれば良いんだが、今回の戦いの目的はあくまでもムジャヒディンのための戦い。死んだジナイーダの弔い合戦だ。

 

 近くの皿の上に置いてあるスコーンを口へと運ぶ。ティーカップの中のアイスティーを飲み干し、再び目の前の小さなモニターをじっと見つめる。

 

「何だそりゃ? 金属の板に映像が映ってるぞ?」

 

「ああ、ウラルか。これはモニターって言うんだ。映像を映す機械だよ」

 

「そんな機械があるのか……………。ところで、出撃はいつだ?」

 

「敵の拠点を発見してからだな。そこから敵の戦力を確認して作戦を立てる。それまでは銃の使い方の訓練を続けてもらいたい」

 

「了解だ。……………ジナイーダの仇は、絶対に取らなければ」

 

 AK-74を壁に立て掛けたウラルは、拳を握りしめながら呟いた。

 

 敗走する敵の無様な姿を目の当たりにしても、まだ仲間を殺された怒りは消えないのだ。こういう憎しみは他人に仇を取ってもらうのではなく、自分たちで取ってこそ消え去る。

 

 復讐は仲間を殺された憎しみを消すための行動であり、敵から大切なものを奪う報復である。俺の親父はかつて転生者同士での大規模な戦争となった『転生者戦争』で、そう思いながら出撃していったという。

 

 モニターを睨みつけていたウラルに、皿の上のスコーンを1つ差し出す。ナタリア特製の甘めのストロベリージャムが乗ったそれを珍しそうに見ていたウラルは、「ああ、すまん」と言ってからスコーンを受け取り、口へと運んだ。

 

「……………随分と甘いな」

 

「ナタリアが砂糖を入れ過ぎたらしいからな。女子は甘いものが大好きらしい」

 

「何言ってんだ。お前だって女――――――――――すまん、男だったな」

 

「……………うん」

 

 まあ、仲間にすら女と勘違いされるレベルだからね。

 

「ところで、ジナイーダの葬儀はいつにする?」

 

「この戦いが終わってからだ」

 

 スコーンを咀嚼しながら、ウラルは即答する。

 

「ジナイーダを嬲り殺しにした奴らを皆殺しにしなければ、復讐は終わらない」

 

「……………それもそうだな」

 

 ティーポットの中からアイスティーをカップに注ぎ、ジャムを入れてからそれを口へと運ぶ。

 

 ジナイーダの葬儀は、この反撃が終わってからだ。敵の拠点がどこにあるかは未だに不明だが、拠点にいる守備隊も壊滅させなければ、奴らはまた襲撃を仕掛けてくるだろう。それにウラルたちの復讐も終わらない。

 

 モニターを持ったまま、俺は席から立ち上がった。ウラルと共に俺の自室を後にし、地上へと向かう。

 

 階段を登っていく度に、銃声が段々と近付いているような気がした。聞き慣れたAK-74の銃声と薬莢の落ちる音。マガジンを取り外し、新しいマガジンと交換する音。聞き慣れた音と不慣れな熱風の中へと躍り出た俺は、訓練を続けるムジャヒディンの兵士たちを見渡す。

 

 銃の撃ち方と再装填(リロード)の方法は理解しているようだが、まだ不慣れな兵士が多い。中には新しいマガジンを上手く装着する事が出来ず、砂の上に落としてしまう奴もいる。

 

 もう少し拠点を発見するのには時間がかかりそうだが、それまでに上手くなってくれるだろうか。

 

 敵の騎士団は馬で移動していたようだが、パンジャンドラムの進撃と自爆で馬が驚いて逃げてしまったらしく、敗走している奴らは走って逃げている。下手をしたら拠点に到着する前に魔物に襲われて全滅する可能性もあるが、できるならば無事に拠点まで逃げ帰ってもらいたいものだ。そうでなければ彼らの復讐ができなくなる。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

 モニターを見つめていると、細くて真っ白な手に肩を叩かれた。顔を上げてみると、いつの間にか目の前に桜色の髪の少女が立っている。

 

 あの前哨基地で、真っ先にジナイーダの部屋へと走っていった、ウラルの妹のイリナ・ブリスカヴィカだ。あの時は憎しみで目つきが鋭くなっていたけれど、今はもう落ち着いたのか、あの時よりもずっと優しい目つきになっている。

 

 きっとジナイーダにも、こんな表情で接していたんだろう。

 

「あの……………ごめんなさい、あの時はあんなこと言っちゃって……………」

 

「……………ああ、気にしないでくれ。俺が悪いんだから……………」

 

 俺がもっと早く突入していれば、ジナイーダは助かったかもしれない。彼女の死は、俺のせいだ。

 

 そう思っていると、彼女は首を横に振ってからAK-74を肩に担いだ。訓練用の弾薬を使い果たしてしまったのか、マガジンは装着されていないようだ。

 

「ん? もう全部撃ったのか?」

 

「うん。なかなか当たらなかったけど」

 

「まあ、それは訓練するしかないさ。…………ところで、武器はそれでいいか? 欲しい武器があれば用意するぞ?」

 

「うーん…………あ、そういえばさっきステラっていう子に聞いたんだけど、爆発する武器もあるの?」

 

「ああ、あるぞ。グレネードランチャーとかロケットランチャーだな」

 

「ぐれねーどらんちゃー?」

 

 実際に見せた方が良いだろう。

 

 そう思った俺はメニュー画面を開き、武器の中からグレネードランチャーの項目をタッチした。瞬く間にずらりとグレネードランチャーの名前が表示される中から1つのグレネードランチャーを選択し、ポイントを消費して生産する。ちなみに使ったポイントは600ポイントだ。

 

 装備したそれをイリナに渡すと、彼女は早くもそのグレネードランチャーをまじまじと見つめ始めた。

 

 グレネードランチャーは、要するに炸裂する弾丸や砲弾を遠距離に向けてぶっ放すための武器だ。ロケットランチャーと比べると威力は劣るが、弾丸や砲弾のサイズが小さいため、武器そのものも軽量にさせやすいし、連発もさせやすいという利点がある。とはいえさすがに戦車を破壊する威力はないので、歩兵を榴弾で吹っ飛ばしたり、形成炸薬(HEAT)弾で装甲車を破壊するのが主な任務になる。

 

 ちなみに、最初期のグレネードランチャーは以外にもマスケットが主流だった時代から存在しており、フリントロック式のグレネードランチャーとして活躍していたという。第一次世界大戦や第二次世界大戦では、ライフルの先端部に装着して発射する『ライフルグレネード』として活躍したし、ベトナム戦争の頃には近代的なグレネードランチャーに発達している。

 

 一見すると、リボルバーをそのまま大きくして銃床を取り付けたようにも見える形状をしているが、グレネードランチャー用の照準器とフォアグリップのせいで、リボルバーとは違う武器なのだという事が一目で分かるようになっている。

 

 彼女に渡したのは、『RG-6』というロシア製の6連発型グレネードランチャーである。リボルバーのような形状の弾倉の中に6発の40mmグレネード弾を装填可能で、従来のグレネードランチャーと比べると連発しやすいという利点がある。しかも銃身も短いので扱いやすい。

 

「随分小さいんだね」

 

「まあ、アサルトライフルよりは小さいよ。威力は段違いだけどな。…………ところで、何で爆発する武器が良いんだ?」

 

「えっと………………僕、爆発が好きだから………………」

 

「えっ」

 

 な、なに? 爆発が好き…………?

 

 ちょっと待て、何だそれ。

 

 凍り付いていると、後ろに立っていたウラルが気まずそうな顔をしながら説明してくれた。

 

「い、イリナは…………爆発を見たり、爆音を聞くのが大好きでな…………。だから魔術も、初歩的なのを無視して爆発系ばかりマスターしてるんだ」

 

「何だそりゃ!?」

 

 爆弾魔かよ…………。

 

 でも、爆発する武器を使う兵士は必要だよな。防御力が高い敵との戦いでは重宝するし、擲弾兵は必要だろう。彼女に任せるのは不安だけど…………いや、適任か。爆発が好きならそういった攻撃方法に精通している筈だ。

 

「わ、分かった。イリナ、使い方を教えるからついてきてくれ」

 

「う、うん!」

 

 ついでにRPG-7も渡しておこうかなぁ…………。

 

 仲間を巻き込みませんようにと祈りながら、俺はイリナを連れて広い場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 




※普通のピアーシング・フレイム=ある程度の詠唱が必要。弾速の速い炎の塊を前方に撃ち出す。
 タクヤのピアーシング・フレイム=詠唱は不要。蒼いビームみたいな炎を放射する。その気になればフルオート射撃じみた連射も可能。

…………キメラはヤバい(笑)


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弔い合戦

 

 駐屯地まで撤退してきた騎士たちは、全員怯えているようだった。

 

 正門からぞろぞろと駐屯地の敷地内へと戻ってくる彼らには、ムジャヒディンを救出した奴らの攻撃を命じていた筈だ。100人以上の騎士を送り込んだのだから、彼らが戻ってきたと見張りの騎士からの報告を聞いた時は勝利して戻ってきたのだろうと思っていた。

 

 しかし、戻ってきた騎士たちは―――――――――まるで魔物を生まれて初めて目にした子供のように怯え、しかも武器を手にしていなかったのである。持っていた筈の槍と盾どころか、腰に下げていた筈のロングソードやダガーすら持っていない。戦いの中で破損し放棄したにしては、あまりにも不自然過ぎる状態である。

 

 違和感を感じた私は、副官を連れて司令塔の階段を駆け下りた。警備の騎士に敬礼されながらフェンスを開け、戻ってきた騎士たちの元へと向かう。

 

 駐屯地の正門からやってきた騎士たちは、やはり怯えているようだった。

 

 なんとみっともない。お前たちは訓練を積んだ騎士だろうが…………!

 

「貴様ら、なんだその有様は!?」

 

「あっ、アドルフ准将……………」

 

「ムジャヒディンは討ち取ったのだろうな!?」

 

 望み薄だ。戻ってきた奴らがこんな状態では、討ち取れている筈がない。

 

 案の定、問い詰められた騎士は目を逸らすように下を向くと、ぶるぶると震えながら答えた。

 

「そ、それが………………奇妙な車輪の襲撃を受け、撤退しました」

 

「奇妙な車輪だと?」

 

 何だそれは?

 

「は、はい………………火を噴く奇妙な車輪の大軍が、我が騎士団に襲い掛かってきたのです。反撃を試みましたが、魔術の集中砲火が全く通じず………………被害を抑えるため、装備を廃棄して撤退してきたのです」

 

「馬鹿馬鹿しい! 車輪ごときに怯えるとはッ! 貴様、それでも我がフランセンの騎士かッ!!」

 

「も、申し訳ありませんッ!!」

 

 なんと無様な騎士たちだ。たかが車輪に怯えて敗走するなど………………!

 

 大体、火を噴く車輪など存在するわけがないだろう。そんな魔物を聞いたこともないし、ムジャヒディンの奴らにはそんなものを作りだす技術などない筈だ。あのモリガンの傭兵たちの使っていた飛び道具を持っていた小娘たちならばその可能性はあるが、騎士たちを撤退させてしまうほどの車輪を大量に生産できるとは思えない。

 

 だからといって、ここにいる騎士たちがそんな幻を見たと決めつけることもできない。しかもよく見ると、その車輪にやられたのか、騎士たちの人数が減っているではないか。

 

 100人以上だった筈の騎士たちが、今ではもう40人足らず。しかも中には片足や片腕を失い、仲間の肩を借りながらここまで逃げてきた者もいる状態だ。

 

 なんという事だ……………。

 

「准将、いかがいたしましょう?」

 

「……………本国に連絡し、飛竜部隊を含めた増援を要請しろ。負傷者は直ちに治療し、復帰できる者は復帰させて駐屯地の警備にあたらせろ。警戒態勢だ」

 

「はっ!」

 

 本国からの増援を含めれば、先ほどの兵力の10倍になる筈だ。恐ろしい車輪が待ち構えているようだが、それだけの兵力ならばいくら騎士たちを撤退させた車輪でも粉砕できるだろう。10倍の魔術の集中砲火を喰らわせれば、跡形もなく消し飛ぶに違いない。

 

 ムジャヒディンの奇襲で度々大きな損害を出しているが、これほど大きな損害を出したことは一度もない。ムジャヒディンの名前を出せば、本国の連中も増援部隊の派遣を認めてくれる筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターに映る映像が、変わった。

 

 今まではひたすら逃げ続ける騎士たちの情けない姿と、延々と続く砂の大地が映し出されるだけだった。稀に襲い掛かってくる砂嵐が晴れる度に、もしかしたら敗走する敵を見失ってしまったのではないかとひやひやしたけれど、派遣した小型のカメラを搭載したドローンはきっちりと敵を追尾し続けてくれていたらしく、彼らの〝家”の位置を主人である俺にちゃんと教えてくれた。

 

 砂の大地の上に屹立する司令塔。その司令塔を取り囲むように兵舎や馬小屋が並び、テントの群れがずらりと並ぶ外側には有刺鉄線付きのフェンスが配置されている。そしてそこを警備しているのは、砂嵐から身を守るために制服の上に外套を纏った十数人の騎士たち。

 

 ドローンを旋回させ、ざっと駐屯地の全体を観察する。中には敗走した騎士たちが辿り着いていて、指揮官と思われる男に大声で叱責されているようだった。残念ながらこのドローンは映像のみを送信するタイプとなっているため、音声は全く聞こえないんだが、指揮官と思われる男の口の動きを見ていると、叱責しているのだという事は分かる。

 

 頬杖をつき、片手で皿の上から少なくなったスコーンを摘まみ上げる。ナタリア特製のストロベリージャムをたっぷりと塗りつけてから口へと運び、スコーンを咀嚼しながら映像を見つめる。

 

 うーん、このままじゃ俺も甘党になっちまうな……………。

 

「規模は……………現時点で200人くらいかな?」

 

 兵舎の部屋の数と、敷地内をうろつく騎士たちの人数を確認しながら頭の中で敵の数を予測し、その結果を叩き出す。外周部にあるテントはおそらく、物資や食料を一時的に保管しておくための簡易的な倉庫なのだろう。もしくは馬たちに与える餌を保管しておくためのテントなのかもしれない。すくなくとも、人間が寝泊まりする場所ではないらしい。

 

 タンプル塔から南東に30kmくらいか。

 

「クラン、聞こえるか?」

 

ドラゴン(ドラッヘ)、どうしたの?』

 

「36cm砲の射程距離はどれくらいだ?」

 

『偶然かもしれないけど、36kmよ。口径と同じ』

 

「了解」

 

 つまり、あの駐屯地は36cm砲の射程距離内という事だ。タンプル塔の36cm砲の命中精度がどれほどなのかはまだ未知数だが、少なくともビーコンを使用したり、偵察ヘリやドローンに砲撃地点を誘導してもらう事さえ出来れば百発百中になるという。

 

 砲撃で片付けるのも面白そうだが、それではウラルたちが敵討ちに行くことはできないし、いくら強力な砲撃とはいえ再装填(リロード)には手間がかかる。機能の大半は自動化されている模様だが、再装填(リロード)するには一旦砲身を天空へと向け、専用のクレーンで砲弾を側面のハッチから装填する必要がある。そのため、2発目の砲弾をぶっ放すまでに早くても3分はかかるという。

 

 まだそれほど訓練をやっているわけではないため、再装填(リロード)の時間はさらに下がる事だろう。そこは砲手の坊や(ブービ)と、装填手の木村の2人の腕に期待するしかない。

 

 下手に砲撃すれば、敵は逃げ出してしまう。そうしてしまえばウラルたちの敵討ちを邪魔してしまう事になるから、あくまで砲撃は先制攻撃ではなく、支援用と考えるべきだろう。

 

 ならば、やっぱり戦車や装甲車と歩兵で攻撃するのが最善か。

 

「……………」

 

 こっちのシナリオは出来上がりつつあるが、敵のシナリオは?

 

 作戦通りに進むとは限らない。敵は訓練を受けた騎士たちなのだから、攻撃を受ければ臨機応変に対応してくるだろう。それに敵は既に大損害を被っているため、もう少し慎重になる筈だ。

 

 増援を要請し、兵力を増強してから再び攻め込んでくる事も考えられる。

 

 また迎え撃つか?

 

「…………いや、何か対策をしているかもしれない」

 

 ならば、先ほどと似たシチュエーションでの戦いはダメだ。可能な限り異なるシチュエーションで、なおかつ相手の想定を裏切るような戦い方をしなければ。

 

 そうなればなおさらこちらから攻撃するのが望ましい。出来るならば増援がやってくる前に決着をつけたいところだが、戦いが終わった直後に増援部隊と連戦になるのも面倒だ。

 

 スコーンを口に咥えながら考えていたその時だった。

 

《リキヤ・ハヤカワよりメッセージです》

 

「ん?」

 

 いきなり目の前に勝手にメニュー画面が現れたかと思うと、蒼白い文字でそのようなメッセージが表示されたのである。

 

 この前に行われた能力のアップデートで追加された機能だ。仲間の転生者限定だが、まるでケータイやパソコンのようにメールを送る事ができるという新しい機能である。

 

 画面をタッチしてみると、親父からのメールが届いていた。更に画面をタッチし、メールを開く。

 

《フランセンと一戦交えたそうだな》

 

 何故知ってるんだ…………。

 

 まあ、モリガン・カンパニーの諜報員たちならこの状況を掴んでいてもおかしくはないか。誤魔化せるわけがないので、素直に返信する。

 

《ああ、やった》

 

 咥えていたスコーンを噛み砕くと、すぐに返信がくる。

 

《手を貸そうか?》

 

 短すぎるメールを見た瞬間、俺はすぐに返信をタッチし、「頼む」と返信したくなった。モリガン・カンパニーが助太刀してくれるのならば、小細工をせずに敵を正面から粉砕するのは容易い。仲間にいるだけで勝利が確定するようなものだ。

 

 しかし、親父たちはヴリシア侵攻のために兵力を増強し、作戦を立てている最中だ。そんな重要なタイミングで俺たちの助太刀に割ける兵力があるというのか?

 

《派遣できる兵力は?》

 

《A-10C2機》

 

 A-10かよ…………!

 

 A-10は、アメリカで開発された攻撃機である。地上の目標を攻撃する事に特化した機体で、耐久性は航空機の中でもトップクラスと呼べる程に高く、もはやちょっとした戦車と呼んでも過言ではないレベルだ。しかも火力も戦車や装甲車を容易く吹き飛ばし、敵の地上部隊を瞬く間に粉砕してしまうほどであるため、航空機の支援を受けられない状況でこの機体に地上部隊を襲撃されれば、壊滅はほぼ確実になる。

 

 その代わり、火力と防御力に特化しているため速度や旋回性能は二の次にされているが、元々戦闘機と戦う事は想定していないため、制空権を確保している限り全く問題にはならない。

 

 A-10Cは、そのA-10を近代化改修したタイプと言える。親父は短すぎるメッセージで、あっさりとA-10を2機も派遣できると通達してきたのだ。

 

 今回の敵は地上の敵ばかり。飛竜に乗った騎士がいる可能性もあるが、飛竜の旋回速度や加速はたかが知れている。航空機の中では遅い方とはいえ、A-10の敵ではない。

 

 制空権は確保されたも同然だ。念のため仲間にはスティンガーミサイルを渡しておくが、A-10にとって飛竜は脅威にはならないだろう。

 

《親父、頼めるか?》

 

《息子の頼みだ。もう少し時間をくれれば10機くらい派遣してもいい》

 

《オーバーキルだろ》

 

《とりあえず、現時点で派遣できるのは2機だ。どうする?》

 

 2機もあれば十分すぎる。ムジャヒディンとの共闘で、地上の兵力は充実しているのだ。救出してきた捕虜たちは60名だが、次の襲撃に参加できるメンバーの人数は40人前後。熟練の戦士ばかりだが、AK-74の扱いにはまだ慣れていないという状況だ。慣れ始めたのはウラルをはじめとする古参の戦士と、俺が個別に武器の扱い方を教えたイリナくらいだろう。

 

 地上戦力は十分。ただ、航空戦力が不足している。ここは素直に頼っても良いだろう。

 

《頼む》

 

《了解!》

 

 メールの画面を閉じ、カップに残っているアイスティーを全て飲み干す。

 

 よし、これでいい。次の戦いは―――――――――必ず勝てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転生者ハンターのコートを身に着け、チャックを上まで上げてからフードをかぶる。転生者ハンターのシンボルともいえる真紅の羽根が折れていないか確認してから、AK-12を背負って地上へと向かう。

 

 階段の上からは、もう熱風はやってこなかった。涼しくなった砂漠の風を浴びながら階段を上がり、タンプル塔の地上へと出る。

 

 先ほど出撃準備が完了したとナタリアからの通達があった。いよいよ、ジナイーダの弔い合戦が幕を開ける。

 

 地上へと出ると、もう既にムジャヒディンのメンバーたちや、テンプル騎士団の同志たちが装備を身に着けて整列していた。ずらりと並ぶムジャヒディンの戦士たちも、AK-74を背負って整列している。もう夜だからなのか、日光を苦手とするウラルとイリナの2人はフードをかぶっておらず、特徴的な桜色の髪を冷たい風に晒していた。

 

「同志諸君、聞いてくれ。…………いよいよ、フランセン共和国騎士団への攻撃を開始する」

 

 もちろん、ざわめく者はいない。敵は誰なのかもう理解しているし、その敵は仲間たちの仇でもあるのだから。

 

 ムジャヒディンの戦士たちだけではない。他のゲリラや武装組織のメンバーたちから見ても、フランセン共和国騎士団は憎たらしい敵。この戦いが、散っていった仲間たちの弔い合戦となる。

 

「我々は地上から敵を攻撃する。敵の方が数は上だが、我々には強力な武器がある。それに、モリガン・カンパニーの部隊も我々を支援してくれる手筈になっている。――――――――我々はここに来たばかりだが、諸君らはあの騎士団が憎たらしいのだろう。多くの仲間を殺されながら、今まで耐え続けてきたに違いない」

 

 だからもう、我慢しなくていい。

 

 クソ野郎共は、そこにいる。

 

「もう耐えるのはお終いだ。……………ジナイーダのためにも、仲間を奪われながら耐え続ける日々を今日で終わらせよう」

 

 ムジャヒディンの戦士たちの目つきが鋭くなる。きっと今まで殺されていった仲間たちの事を思い出しているのだろう。

 

 それを終わらせるんだ。

 

「――――――――――血も涙もないクソ野郎共に、カラシニコフの鉄槌を!!」

 

「「「УРааааа(ウラァァァァァ)!!」」」

 

 いよいよ――――――――弔い合戦が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガンカンパニーは、王都ラガヴァンビウスの郊外に大きな飛行場を保有している。技術分野とインフラ整備分野の社員たちの尽力によって建設されたばかりの飛行場には早くも戦闘機がずらりと並び、近日中に実行されるヴリシア侵攻作戦に備えて訓練を繰り返していた。

 

 日が沈み始めたその飛行場の滑走路へと、2機のがっちりした機体が進んでいく。モリガンの保有する兵器と同じく黒とグレーの迷彩模様に塗装されたその機体は、がっちりして目立つフォルムだというのに見事に暗闇へと溶け込んでおり、滑走路を突き進んでいても全く目立たない。

 

 先進的なフォルムのステルス戦闘機と比べると、第二次世界大戦で使用されていたような機体に幾分か似ているともいえる。しかしプロペラは見当たらず、エンジンは機体の後端にしっかりと搭載されている。大きな主翼の下部にぶら下げられているのは無数の爆弾や地上攻撃用のロケットポッド。1発で戦車を破壊できるほどの武装を、これでもかというほど搭載している。

 

 しかしやはり一番目立つのは、機首から突き出た大きなガトリング機関砲だろう。『GAU-8アヴェンジャー』と呼ばれるそのガトリング機関砲は、30mmの砲弾を凄まじい連射速度で連射する兵器である。集中砲火すれば戦車でもスクラップにできるほどの威力を誇る、最強の機関砲だ。

 

 前後に並んで滑走路に進んでいく2機のA-10Cだが、先を進む機体の兵装は、後ろについてくる機体と比べると少々変わっている。

 

 いくつかミサイルが取り外されている代わりに、短く切り詰められたマガジン付きの砲身のようなものが主翼にぶら下がっているのである。

 

 ぶら下げられているのは、アメリカ製の105mm榴弾砲。爆発範囲が広い榴弾を発射する強力な榴弾砲だが、攻撃機に搭載するような武装ではない。下手をすれば反動で機体が不安定になる可能性もあるというリスクの大きな武装だが、それを搭載するように要求したのは、その機体のパイロットであった。

 

『ミラ、本当にそのまま行くの?』

 

(何言ってるの。当たり前だよ、シン)

 

 105mm榴弾砲を搭載したA-10Cを操るのは、ノエル・ハヤカワの母であるミラ・ハヤカワ。転生者同士の大規模な戦闘となった『転生者戦争』では、『ヴェールヌイ1』というコールサインが付けられたF-22を操り、墜落してもおかしくないダメージを受けながらも奮戦し、数多のF-35を撃墜したという実績を持つエースパイロットである。

 

 その後も37mm砲を搭載したシュトゥーカを操り急降下爆撃を繰り返すという物騒な生活を送っていた彼女だが、ついにその相棒をグレードアップさせたような機体に乗りたいと言い出した時は、今まで黙認していた夫のシンヤも必死に止めたのだ。

 

(ヴェールヌイ1、オールグリーン。出撃準備良し)

 

『ヴェールヌイ2、オールグリーン。出撃準備良し。管制塔、こちらはいつでもOKです』

 

『了解、離陸を許可します。幸運を!』

 

(了解!)

 

 目的地はカルガニスタン上空。ミラとシンヤの目的は、フランセン共和国騎士団の駐屯地を空爆し、奮戦する我が子たちを支援する事。

 

 最愛の子供たちが戦う姿を思い浮かべながら、ミラとシンヤは滑走路から飛び立っていった。

 

 

 

 

 



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カラシニコフの鉄槌

 

 砂漠は、すっかり夜になっていた。うんざりするほどの熱を地上へとばら撒いていた太陽はそそくさと沈んでしまい、今は星と三日月の独壇場。本当に同じ砂漠なのかと思うほど、今のカルガニスタンの砂漠は涼しい。

 

 チーフテンの砲塔のハッチから身を乗り出し、車体や砲塔の上に乗るムジャヒディンの戦士たちにアイスティーを支給する。自分の分のアイスティーを車内から引っ張り出し、水筒にジャムを入れてからアイスティーを注ぐ。砂糖が多めに入った甘いストロベリージャムのおかげで甘くなったアイスティーを堪能しつつ、もう一度作戦を確認する。

 

 今回の襲撃に参加するのは47名のムジャヒディンや他のゲリラのメンバーと、シュタージを除いたテンプル騎士団本隊。シュタージのメンバーにはタンプル塔で待機していてもらい、いざという時のために支援砲撃をしてもらう予定だ。ノエルはまだシュタージに配属されたわけではないので、俺たちと一緒に最前線で戦ってもらう事になっている。

 

 47名の歩兵と共に進撃するのは、チーフテンとチャレンジャー2。どちらも拠点攻撃を考慮し、BM-13カチューシャを搭載した台車を牽引しながら進撃している。21年前にタイムスリップした時も親父たちが使用していた兵器で、無数のロケット弾を矢継ぎ早にぶっ放し、広範囲の敵を木端微塵に吹っ飛ばしてくれる頼もしい兵器だ。2両の戦車で2基しか牽引していないものの、それ以降は戦車砲とプロテクターRWSに搭載されたMK19オートマチック・グレネードランチャーの砲撃でカバーするしかない。

 

 作戦は、まず一番最初に台車に搭載しているカチューシャを敵の駐屯地に向かって斉射。これで可能な限り敵の数を減らしつつ、俺たちの報復が始まるという事を敵に宣言する。そして、今度は奴らの恐怖を再び抉るように、10基のパンジャンドラムを突撃させて敵を攪乱。それと並行しつつノエルが側面に回り込み、VSSによる狙撃で敵にこちらが背後や側面にもいると思わせる。

 

 そしたら後は、ウラルが率いる歩兵部隊が真正面から突っ込む。戦車の役割は、進撃していく歩兵部隊の支援だ。そのため、もう既に55口径120mm滑腔砲には『HEAT-MP』と呼ばれる砲弾が装填されている。

 

 HEAT-MPとは、対戦車用の砲弾として使用される形成炸薬(HEAT)弾の内部に超小型の鉄球などを入れた砲弾だ。炸裂すると爆風に押し出された鉄球が周囲へと飛んでいくため、攻撃範囲が広くなり、戦車だけでなく歩兵の集団にも大きなダメージを与える事ができるようになるのである。

 

 無数の鉄球を発射するキャニスター弾も考えてみたんだが、それだと下手をするとムジャヒディンまで巻き込む可能性があったので、HEAT-MPを選択した。もちろん臨機応変に砲弾の種類は変更して対応する。

 

 水筒の中のアイスティーを飲み干し、車長の座席の脇にあるモニターで周囲の状況を確認する。現時点で魔物が襲ってくる様子はないし、敵がこちらを発見した様子もない。このまま進撃すれば、確実に奇襲する事ができるだろう。

 

 顔を上げると、ハッチのすぐ近くでは擲弾兵を担当するイリナが、訓練でも使用したRG-6の砲身を撫でているところだった。爆発が大好きな彼女に訓練でグレネードランチャーを使わせてみたんだが、もうすっかりグレネード弾やロケット弾の爆発の虜になってしまったらしく、出発してからはずっと得物を眺めたり、表面を撫で続けている。

 

 他の仲間たちがAK-74を装備し、サイドアームにトカレフTT-33を装備しているというのに、イリナだけは装備が違う上に重装備である。

 

 まず、メインアームはRG-6とロケットランチャーのRPG-7V2。ロケットランチャーには早くも対人榴弾が装着されている。それと、さすがに爆発する武器だけでは自爆する危険性もあるので、SMG(サブマシンガン)も持たせている。

 

 彼女が持つSMG(サブマシンガン)は、第二次世界大戦でソ連軍が使用した『PPSh-41』だ。旧式のボルトアクションライフルの銃身を短くし、その銃身に機関銃のようなバレルジャケットを装着して、銃身の下にドラムマガジンを装着したような形状をしている旧式のSMG(サブマシンガン)である。

 

 使用する弾薬はトカレフTT-33と同じく7.62×25mmトカレフ弾を使用するんだが、弾薬を9×19mmパラベラム弾へと変更している。あとは照準を合わせやすいように、銃身の上にはドットサイトを装着している。カスタマイズした点はこれくらいだろうか。

 

 最大の特徴は、連射速度の速さと弾数の多さだろう。一般的にはSMG(サブマシンガン)のマガジンに入る平均的な弾丸の数は30発前後なのだが、このPPSh-41はドラムマガジンを装備しているため、なんと71発も立て続けに連射することが可能なのである。命中精度が悪いという欠点があるものの、AK-47と同じく頑丈だし、長所を生かせばすぐに弾幕を張ることもできるため、近距離での射撃戦においては極めて有効な武器になるに違いない。ただし現代のSMG(サブマシンガン)と比べるとサイズが大きいため、やや扱い辛い。

 

 そして、サイドアームには炸裂弾を発射するカンプピストルを装備している。PPSh-41以外は全て爆発する武器ばかりとなっており、攻撃力だけならばテンプル騎士団本隊のメンバーと比べてもトップクラスだろう。

 

 彼女が装備する近距離武器はスコップとなっているが、実はイリナが持つスコップはただのスコップではない。

 

 なんと――――――――迫撃砲を内蔵した、かなり特殊なスコップなのである。

 

 迫撃砲とは、斜め上に向けた砲身の砲口から砲弾を装填して斜め上に発射し、敵を砲撃する兵器の事だ。戦車や装甲車への硬化は低いものの、爆発する範囲が広いため歩兵を殲滅する際に真価を発揮する。さらに軽量であるため、大きな榴弾砲や戦車砲よりも運用しやすいという利点がある。

 

 彼女が持つスコップは、それを内蔵しているのだ。

 

 ソ連軍が開発したスコップで、柄から先端部と持ち手を取り外し、柄の下部に持ち手を取り付けてバイボットにし、先端部を後端に取り付けることによって迫撃砲に変形するという極めて珍しい兵器なのだ。照準器は搭載されていないため命中精度は低くなってしまうが、それを携行する兵士だけで連発する事ができるため、命中精度の低さを除けば使いやすい兵器である。

 

 面白半分でイリナにこれを紹介してみたんだが、まさかこれを使いたいと言い出すとは思ってなかったよ。でも、迫撃砲も立派な爆発する武器だし、彼女が興味を持つ可能性はあるよね。

 

 ちなみに本来なら使用するのは37mm弾なんだけど、彼女が携行するグレネード弾の口径や俺たちが持つグレネード弾のサイズを考慮し、40mm弾へと変更している。

 

「イリナ、大丈夫か?」

 

「うん、大丈夫。こいつで奴らを吹っ飛ばして、ジナイーダの仇を取ってやるんだから!」

 

 そう言いながらRG-6の砲身を撫で続けるイリナ。隣にいる兄のウラルは、心配そうに妹の後姿を見つめている。

 

 イリナ、仲間を巻き込むなよ…………?

 

『こちらドレットノート。目的地を確認』

 

「了解。…………ラウラ、停車」

 

「了解!」

 

 ナタリアとカノンとステラの3人で運用しているドレットノートに対し、チーフテン(ウォースパイト)は俺とラウラの2人だけで運用している。ラウラが操縦士を担当し、俺が砲手と車長を兼任しているのだ。自動装填装置を搭載しているため、装填手は乗っていない。

 

「全軍、止まれ」

 

 戦車の周囲を進む歩兵部隊に無線で指示を出す。キューポラから顔を出し、歩兵部隊と味方の戦車が停車していることを確認してから、砲塔の上でタンクデサントしていたウラルたちに「突撃準備だ」と指示を出し、戦車の外へと躍り出た。

 

 停車した戦車の前に立ち、双眼鏡で前方に見える駐屯地をズームアップする。やはり、十数名の騎士が周囲を警備しており、映像を確認した時と比べるとほんの少しだけ警備が厚くなっているようだが、あまり変わっていない。このまま攻撃しても問題はないだろう。

 

 合計で20000ポイントを消費し、あらかじめ生産しておいたパンジャンドラムを10基ほど目の前に展開する。何もなかった空間に、フランセン共和国騎士団を蹂躙したものと同じタイプのパンジャンドラムが何の前触れもなく出現し、無言で隊列を形成する。

 

 まずはカチューシャによる一斉砲撃だ。その後、台車を切り離して進撃を開始する。

 

 だが、攻撃開始の前にちょっとだけやっておきたい事がある。懐からチョークを取り出した俺は、戦車の後方へと回り込んだ。チーフテンが牽引する台車にはもう既にロケット弾が装填されており、いつでも車長の席の発射ボタンで発射できるようになっている。

 

 だが、撃つ前にやることがある。これはジナイーダの弔い合戦なのだ。

 

 幼少期に習ったカルガニスタン語を思い出しつつ、ロケット弾に白い文字を書き込んでいく。黒板やノートのようなものに書いているわけではないため、文字はちょっと歪んでしまったけれど、これで良い筈だ。

 

「何してるんだ?」

 

 チョークで文字を書いていると、トカレフの点検をしていたウラルが尋ねてきた。

 

「見てみろ」

 

 そう言いながら、俺はウラルや興味を持ってこちらを注目するムジャヒディンの戦士たちに、ロケット弾に書き込んだ文字を公開する。

 

 これは弔い合戦だからな。これでロケット弾の威力が上がるわけではないが、こういう事は必要だろう。

 

「『ジナイーダのために』…………?」

 

「ああ。これで合ってるよな?」

 

「合ってるぞ。…………ありがとな、タクヤ」

 

「気にすんなって。……………絶対勝つぞ、ウラル」

 

「おうっ!」

 

 カルガニスタン語で『ジナイーダのために』と書き込んだ俺は、ウラルと握手をしてから再び戦車の車体をよじ登り、砲塔の上のハッチから車内へと滑り込んだ。座り慣れた車長の席に腰を下ろし、片手をロケット弾の発射スイッチに近づけつつ、無線機を手に取る。

 

 歩兵部隊は台車から離れているため、ロケット弾の発射に巻き込まれることはないだろう。

 

 さあ、弔い合戦を始めよう……………!

 

「――――――――発射(アゴーニ)ッ!!」

 

『カチューシャ、発射(アゴーニ)ッ!!』

 

 無線機に向かって号令を発した直後、ナタリアの復唱とボタンを押し込む音が聞こえてきた。

 

 2両の戦車が牽引する台車の発射台から、『ジナイーダのために』と書き込まれた無数のロケット弾がついに解き放たれる。噴射された白煙と炎で砂を舞い上げ、涼しくなった静かな夜の砂漠に数多の轟音を生み出しながら飛翔を始めたロケットの群れは、まるで天空から地上へと落下していく隕石のように炎を煌めかせながら、段々と高度を落として落下を始める。

 

 その先にあるのは、フランセン共和国騎士団の駐屯地。第二次世界大戦で数多のドイツ兵を蹂躙したカチューシャ(スターリンのオルガン)が、フランセンの騎士たちに襲い掛かる。

 

 一番最初の煌めきが地面に激突した直後、その閃光が急激に膨れ上がった。砂と木材の破片を吹き飛ばしながら誕生した紅蓮の閃光は一瞬で黒煙に呑み込まれてしまったが、その周囲では立て続けに同じような爆発が駐屯地の建造物を蹂躙し、警備していた騎士たちを木端微塵にしているところだった。

 

 ロケット弾を目にしたことのない彼らからすれば、いきなり降り注いだ流れ星に蹂躙されているようなものだろう。魔力を使わないから察知することもできないし、高速で降り注ぐロケットを魔術で迎撃するのは不可能だ。バリスタでも撃墜することは不可能だろう。

 

 奇襲である以上、これが発射された時点で彼らに防ぐ術はない。ジナイーダや他の捕虜たちを嬲り殺しにしたように、今から俺たちがお前たちを嬲り殺しにする。これは先制攻撃であると同時に、宣戦布告でもある。

 

 ロケットが着弾した瞬間、ムジャヒディンの戦士たちが雄叫びを上げた。今までは自分たちを虐げてきた奴らが、逆に蹂躙される光景を目の当たりにして昂っているのだろう。

 

 さて、次はパンジャンドラムの出番だ。

 

「パンジャンドラム隊、出撃する。歩兵部隊はパンジャンドラムに続け!」

 

『『『了解(ダー)!!』』』

 

 手元のコンソールのボタンを押し、パンジャンドラムの起動準備を開始する。カチューシャの攻撃で混乱している敵に、今度は10基の車輪と歩兵部隊が襲いかかるのだ。しかも歩兵部隊は一部を除いてAK-74を装備しているし、1人1人がフランセンの騎士たちに対して猛烈な復讐心を持っている。容赦をする筈がない。

 

「―――――――Go ahead(行け)!!」

 

 スイッチを押した次の瞬間、今度は車輪に取り付けられているジェットエンジンが一斉に火を噴いたかと思うと、人間を容易く踏み潰してしまうほどのサイズの車輪が緩やかに進み始めた。ゆっくりと砂に轍を刻みつけ、豪快な火柱と白煙を噴き上げながら徐々に加速していく巨大な車輪。その表面には、確実に敵を殺傷できるようにスパイクがびっしりと装着されている。

 

 やがて解き放たれたパンジャンドラムたちが徐々にスピードを上げていき――――――――駐屯地へと突っ込んでいく。

 

 きっと、あのパンジャンドラムの襲撃を生き延びた騎士たちは度肝を抜いている事だろう。最も怖い悪夢を再び見ているような気分になっているに違いない。

 

 まあ、これは悪夢じゃなくて現実なんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を目にした時、駐屯地を警備していた騎士たちの中に、それが攻撃だと見抜いたものは1人もいなかった。夜の砂漠で光を放ちながら飛翔するそれは、まさに流れ星のように見えたことだろう。

 

 しかし、それはただの流れ星などではないということを、彼らはすぐに理解することになる。

 

 緩やかに高度を落とし始めた流れ星が、段々と駐屯地へと落下するような軌道に変わったのである。それが落下してくると気付いた騎士が他の騎士たちに警告をしようとした頃には、一番最初に降り注いだ流れ星(ロケット弾)がテントの群れの中へと飛び込み、偶然そこで物資の確認をしていた騎士を押し潰すと、地表にほんの少しだけ突き刺さった状態で起爆し、一番最初に犠牲となった騎士の肉体を木端微塵に焼き尽くした。

 

 続けて2本目のロケット弾と3本目のロケット弾が着弾し、駐屯地の敷地内で派手な火柱を噴き上げる。兵舎のハンモックで寝息を立てていた騎士たちや、執務室で書類にサインを繰り返していた士官たちはその爆音で攻撃を受けているという事を察知し、大慌てで駐屯地の様子を確認し始めたが、その頃にはもう既に駐屯地の敷地内は地獄絵図と化していた。

 

 いたる所で吹き上がる火柱。身体中に破片が突き刺さり、爆風に皮膚を焼かれた騎士たちが呻き声を上げながら逃げ惑う。中には火達磨になり、奇声を発しながら地面を転げまわる哀れな騎士もいた。

 

「なっ……………!?」

 

 アドルフ准将は、司令塔の手すりからその惨状を見下ろして絶句するしかなかった。敵の襲撃を想定していなかったわけではない。むしろ、撤退していった騎士たちをムジャヒディンの戦士たちが追撃してくる可能性を想定していたからこそ、警備体制を強化するように部下たちに通達しておいたのだ。だから襲撃される事自体は想定外の事態ではない。

 

 想定外だったのは、敵の攻撃方法である。

 

 アドルフ准将が想定していたのは、今までのムジャヒディンと同じく馬に乗っての突撃だった。いくらモリガンの傭兵たちが使っていた飛び道具と似た武器を使う少女たちが味方についているとはいえ、せいぜい馬に乗りながらその飛び道具を乱射する程度だろうと考えていたのである。

 

 なのに、敵の先制攻撃は、魔力を全く感じない流れ星にも似た超遠距離攻撃だったのだ。そんな攻撃ができるのは現時点では魔術だけで、しかもそのような攻撃に限って大量の魔力を消費するため、素人でもすぐに魔術で攻撃されると察する事ができるほどだ。しかし魔力を全く感じない状態では、そんな攻撃を想定できるわけがない。

 

「馬鹿な……………」

 

「しゃ、車輪だッ!」

 

「あの車輪がくるぞッ!!」

 

 今度は、剣を手にして飛び出した騎士たちが怯えだした。どうやらムジャヒディンを尾行させた偵察部隊の生き残りらしく、その車輪には見覚えがあるらしい。

 

 数多の流星が生み出した火柱の向こうから、騎士たちに猛烈な恐怖を与えた鋼鉄の車輪が姿を現す。一見すると鉄道の車輪をそのまま大きくしたように見えるが、側面には火を噴く奇妙な筒のようなものがいくつも取り付けられており、車輪の加速を補助しているようだった。

 

 まるで機関車が全速力で突っ込んでくるような速度で、その車輪が10基も姿を現したのである。中には先ほどの流れ星による爆撃を生き残ったバリスタに飛びつき、巨大な矢を装填して迎撃をする果敢な騎士もいたが、魔術の集中砲火を弾き返してしまうほどの防御力を誇る相手に、辛うじてゴーレムの外殻を貫ける程度のバリスタが通用するとは思えない。しかも相手は回転しているのだから、生半可な貫通力では弾かれてしまう。

 

 案の定、バリスタが放った矢は次々に弾かれ、くるくると回転しながら砂漠に突き刺さるだけだ。迎撃できる気配はない。

 

「なんだ、あの兵器は……………」

 

「准将、ご命令を!」

 

「げ、迎撃だ! すぐ迎撃しろッ!!」

 

「はっ!」

 

 早くも騎士たちが車輪に押し潰され、グロテスクな断末魔を上げていく姿を目にしたアドルフ准将は、目を見開きながらその惨状を見下ろす事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際に突撃する人数は47人。その中でグレネードランチャーという爆発する飛び道具を持つのは妹のイリナのみ。

 

 頭のターバンを巻きなおし、AK-74に銃剣がちゃんと装着されているか確認する。あの蒼い髪の少年が渡してくれた異世界の武器を実戦で使うのは、これが初めてだ。まだ使い慣れた武器とは言えないが、訓練ではそれなりに命中するようになったし、使い方にも少しずつ慣れていたところだ。

 

 駐屯地で吹き上がる火柱を睨みつけながら、俺は姿勢を低くした。もう既に巨大な車輪の群れは前進を始めていて、徐々に加速しつつある。

 

 これが弔い合戦だ。今まで散っていったのはジナイーダだけではない。

 

 妹を失った奴もいるし、兄を失った奴もいる。中には両親を目の前で殺されて孤児になったメンバーもいる。失ったものは様々だが、奪っていったのはあいつらだ。フランセン共和国の騎士共だ。

 

 今まで奪われたのだから、俺たちが奪っても問題はないだろう。奪われたものが戻ってこないのならば、あいつらと同じようにこっちも奪ってやるまで。

 

「いよいよだね、兄さん」

 

「ああ。イリナ、無茶するなよ?」

 

「うん。僕は大丈夫」

 

 銃は便利な武器だ。これがあれば魔力を使わずに、強力な攻撃で敵を遠距離から攻撃する事ができる。これがあれば、弾切れにならない限り無数の軍勢が相手でも怖くない。

 

 しかもこちらには、復讐心を持つ47人の戦士たちもいる。人間の奴もいるし、ハーフエルフの奴もいる。種族はバラバラだが、俺たちは常に一心同体だ。今までそうやって戦ってきたのだ。

 

 さて、そろそろ突っ込むか。

 

「――――――――突っ込むぞ! 奴らにカラシニコフの鉄槌をッ!!」

 

「「「УРааааааа!!」」」

 

 仲間たちと共に、俺たちはあの車輪の群れが残した轍の上を駆け出した。

 

 

 

 



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ウラルが突っ込むとこうなる

 

 

 殺意が、恐怖へと襲い掛かっていく。

 

 戦争の主役はあくまでも武器を手にした歩兵。上官から「敵を殺せ」と命令され、敵へと殺意を向けながら突撃していく。それが殲滅戦でも防衛戦でも、その単純な事は変わらない。殺しながら攻めるか、殺しながら守るかの違いしかない。

 

 パパは私に訓練の時にそう言っていた。パパの住んでいた世界でも、それは同じなんだって。ソビエト連邦っていう国がドイツっていう国に攻め込んだ時も、アメリカ合衆国っていう国が日本っていうパパたちの故郷に反撃を開始した時も、そのルールは同じ。戦争は殺すのが当たり前。

 

 でもそれは、「殺意」と「殺意」が拮抗しているからこそ「戦争」と言える。では、片方が殺意すら持たず、相手の殺意に怯えて逃げ惑うような状況で始まる戦いは何て言えばいいのかな?

 

 狩り? 虐殺?

 

 まあ、どっちでもいいや。こういう哲学的な事を考えるのは哲学者の仕事だもんね。私は哲学者じゃないし、今は大切な任務があるんだから。

 

 カチューシャの熾烈な砲撃とパンジャンドラムの一斉突撃によって、敵は攻撃が正面からしか来ていないと勘違いしている。お兄ちゃんの作戦は見事に成功したって事だね。私は駐屯地の側面で伏せて隠れているというのに、すぐ近くにいた騎士も私には気付かなかった。「武器庫から早く武器を取ってこい!」って部下に命令して、自分は最前線へと向かう。

 

 ちょっと呆れた。ここに女の子がいるっていうのに、エスコートもしないの?

 

「もう」

 

 背負っていたVSSをそっと取り出し、静かに構える。照準を合わせるのは、今しがた最前線の方へと向かっていった騎士の背中。

 

 トリガーを引いた瞬間、小さな音が銃口から聞こえた。専用の弾薬と高性能なサプレッサーの恩恵で、VSSの消音性能は他の銃と比べると群を抜いている。遠くにいる敵からすれば、まさに音もない状況で狙撃されたのと同じ状態だ。

 

 しかもその専用弾薬は、弾速は遅いけれども口径は7.62mmを上回る9×39mm弾。貫通力も非常に高いから、鎧や盾を装備していたとしても関係なく相手を粉砕してしまう。

 

 スコープのカーソルの向こうで、騎士の右の肩甲骨に大きな風穴が開いた。骨をあっさりと弾丸に粉砕された騎士は、右腕をだらりとさせながら血を吐き、右手に持っていた剣を落としながら崩れ落ちていく。

 

「分隊長! しっかりしてください!」

 

「くそ、死んでる! いったいどこから――――――――!?」

 

 次はあいつだ。分隊長が死んだことに驚いている奴よりも、襲撃を受けたという事に気付き始めている奴を狙うべきだ。そうやって可能な限り数を減らしつつ攪乱して、正面から突っ込むムジャヒディンやお兄ちゃんたちを支援する。

 

 カーソルを頭に合わせ、トリガーを引く。

 

 スコープの向こうで、騎士の頭が後ろへと大きく突き飛ばされる。ゆっくりとこちらに戻ってきた騎士の頭は随分と小さくなっていて、上顎から上を吹っ飛ばされた無残な頭をゆらりと揺らしながら、怯える仲間の前にその騎士の死体は崩れ落ちる。

 

「てっ、敵襲! 側面からも攻撃を受けて――――――――」

 

 うるさい、死ね。

 

 もう一度頭に照準を合わせ、弾丸をぶっ放す。

 

 その弾丸は、先ほどのヘッドショットよりも残酷な一撃となった。敵襲だと叫ぶ敵兵の口の中へと飛び込み、喉と脊髄を貫通して、大穴を開けてしまったのだから。

 

 骨の破片と鮮血をまき散らしながら崩れ落ちる騎士。今の絶叫が途切れたことで、敵はこちらの奇襲も深刻だという事に気が付く筈。後は狙撃地点を移動しながら攻撃を続け、敵に包囲されているという錯覚を生み出せばいい。

 

 私は左手を外殻で覆うと、指先から目では見えないほど細い糸を生成し、それを100m先の砂の上に幾重にも張り始めた。今のところ、こうやって糸を張れる最大の距離は半径100m以内。人間の目では見る事ができないほど細い糸だから察知することは不可能だし、切断しようと剣を振り下ろせば剣の方が両断される。キメラとなった私の糸は、あらゆるアラクネの頂点に立つキングアラクネの糸。ドラゴンの外殻ですら両断してしまうのだから、剣で斬れるわけがない。

 

 もちろん、柔らかい糸も出せるよ。私の遺伝子にはキングアラクネの遺伝子が含まれてるからね。

 

 キメラになる前は、絶対にこんな光景を目にしたら恐怖で動けなくなっていたと思う。血を見るだけで怖くて涙が出てくるし、死体を見たらきっとずっとぶるぶる震える羽目になってた。でも、訓練のおかげでもう血や死体には慣れちゃったし、殺すことにも躊躇いは生まれなくなった。

 

 だから敵を殺せる。命乞いをする敵でも、絶対に逃がさずに殺す事ができる。

 

 糸でトラップを仕掛けた私は、今までの慎重さをかなぐり捨てたかのように、これ見よがしに立ち上がる。いくらテンプル騎士団の制服は黒くて夜間の隠密行動に向いているとはいえ、いきなり砂の上で黒い服の女の子が動き出したら警戒している敵兵は気付く筈。案の定、私が立ち上がって走り始めると「いたぞ、敵だ!」とこっちを指差しながら叫ぶ騎士の声が聞こえてきた。

 

 3人の騎士を引き連れ、私の後を追い始める。うん、それが正解だね。逃げている敵を追うのだから、そのまま素直に追いかけるのは良い判断。しかもこっちは1人で、そっちは3人もいるのだから、仮に深追いになったとしても問題はないよ。

 

 うん、だから――――――――私にとっては、大正解。

 

「ギッ――――――」

 

「ゲェ――――――――」

 

「ウグッ―――――――」

 

 次の瞬間、3人が一斉に体を揺らした。

 

「うふふっ♪」

 

 蜘蛛って、罠を張るものだよね。木の間とか窓辺に巣を作って、寄ってきた獲物を食べちゃう賢い虫。私にもそういう遺伝子があるからなのか、最近は罠を張るのが大好きになっちゃったの。

 

 でもね、普通の糸じゃないよ。身体にくっついて獲物を逃げられなくする糸じゃなくて、触れるだけで身体を切り刻んでしまう鋭い糸。そんな糸が張ってある領域に、全力疾走で飛び込んだらどうなるのかな?

 

「馬鹿だね、おじさんたち」

 

 私がそう言った直後――――――――身体を揺らしていた騎士たちの身体が、何の前触れもなく、まるでお肉屋さんで売られているハムみたいにスライスされ、鮮血をぶちまけながら砂の上へと降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵の数はこっちよりも多い。おそらく倍以上だろうと思っていたが、思ったよりも迎撃してくる騎士たちの人数が少ないことに気付いた俺は、AK-74を構えて突進しながら不安に思っていた。

 

 あのカチューシャとかいう流星のような攻撃で敵の数を減らしたと言っても、ここまで減らせるのだろうか。突撃して敵を蹂躙しやすいのはありがたいが、もしかするとこれは罠なのではないか。半信半疑で突撃を続けていると、駐屯地の右側の方で血飛沫が噴き上がった。

 

 ちらりと見てみると、一体どんな攻撃を喰らったのか、人間の身体が肉屋で売られているハムのようにバラバラにされ、砂の上に転がっているではないか。そしてその向こうには、返り血すら浴びずに砂の上に佇む少女の姿が見える。

 

 確かあの少女は、前哨基地に助けに来てくれたタクヤと一緒にいた少女だ。ノエルという名前の子だったな。

 

 彼女はこちらを振り向くと、左手を大きく振った。

 

 なるほど、彼女の奇襲のおかげで敵の兵力は彼女にも対応する必要ができたというわけか。だから人数が少ないんだな?

 

 よし、納得した。これならば罠ではない。このまま突撃しても問題ない。

 

 さあ、弔い合戦だ!

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 走りながら照準を合わせ、トリガーを引き続ける。走っているせいでなかなか命中しないが、偶然敵の身体に数発命中したらしく、鎧を5.45mm弾に貫通された騎士は、砕けた鎧の隙間から血を流しながら崩れ落ちていく。

 

 他の仲間たちも発砲を開始。命中している弾丸は少ないが、銃声の轟音と俺たちの雄叫びに怯えたのか、騎士たちが後ずさりを始める。

 

 その時、俺の足元にやけに太い矢が突き刺さった。

 

「!」

 

 バリスタか! くそ、カチューシャの一斉攻撃とあの車輪の一斉突撃でもまだ残っていたか!

 

「イリナ、吹っ飛ばせ!」

 

「了解! 僕が吹っ飛ばす!」

 

 う、嬉しそうだな…………。まあ、小さい頃から爆発を見たり、その振動を感じるのが大好きな子供だったし、集落を訪れた魔術師から熱心に爆発する魔術ばかり教わっていた筋金入りの爆発マニアだからなぁ…………。

 

 腰に下げていたRG-6を取り出し、折り畳んでいた照準器を展開して照準を合わせるイリナ。タクヤに擲弾兵としての訓練を受けた彼女は、やはりみんなと同じ装備を持たせるのではなく、彼女が得意とする爆発するような得物を持たせた方が適任なのかもしれない。まだ訓練を受けて数時間だというのに、イリナはもう慣れてしまっているようだ。

 

 彼女の小さな指が、グレネードランチャーのトリガーを引いた。

 

 銃声のような重々しい音ではない変わった音を発しながら、40mmグレネード弾が発射されていく。イリナが狙ったのは、当然ながら俺たちの脅威となるバリスタだ。

 

 次の瞬間、慌ただしく大きな矢を装填しようとしていた射手もろとも、金属製のバリスタが砕け散った。赤黒い肉片と鋼鉄の破片が周囲に飛び散り、破壊されたバリスタがゆっくりと下を向いていく。

 

「ああ…………やっぱり、爆音って気持ちいいね♪」

 

「そ、そうか……………」

 

「うんっ! 爆発の振動を感じるとね、身体がぞくぞくしちゃうの♪」

 

 苦笑いしつつ、俺は再び突撃を再開する。

 

 バリスタが何の前触れもなく吹っ飛ばされたことに敵は怯えているようだが、こっちは脅威がなくなったことで前進しやすくなった。必死に矢を放ってくる騎士もいるが、俺たちの突撃を止めるには数が少なすぎる。

 

「撃ちまくれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「よくも俺たちの同胞を!!」

 

「皆殺しにしろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 突っ込みながらトリガーを引き続ける。仲間に向かって矢を放とうとしていた騎士の身体が瞬く間に穴だらけになり、鮮血を噴き上げながら後ろへと倒れていく。

 

 もう、距離は十分近くなっている。走りながら出鱈目に銃を撃っても敵に命中するほどの距離だ。つまり、そろそろ白兵戦の準備をする必要がある。不慣れな銃を距離を置いて連射するような戦いから、俺たちが最も馴染み深い戦い方へと変わっていくのだ。

 

 その時、俺の肩に敵の騎士が放った矢が突き刺さった。どん、と身体を突き飛ばされたかのような衝撃が襲い、激痛が身体の中で波紋を広げる。

 

 良かった。銀の矢ではない。俺やイリナはレリエルのような古い吸血鬼ではなく、他の吸血鬼と比べると比較的新しく生まれた吸血鬼だ。それに一般的な吸血鬼の末裔だから、銀の矢で撃たれたり、聖水を浴びれば一瞬で死んでしまう。逆に、それ以外の攻撃を喰らっても日光を浴びない限りは瞬く間に再生する事ができるのだ。夜間の戦いは、強引に戦えるという事である。

 

 ――――――――吸血鬼らしいじゃないか。

 

 ああ、これが俺たちの戦いだ!

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 左手で肩の矢を強引に引き抜き、傷口を再生させつつ矢を投げ返す。俺の血で濡れた金属製の矢はまるで弾丸のように回転しながら持ち主の元へと駆け寄ると、恩を仇で返すかのようにその射手の眉間へと齧り付き、そのまま後頭部まで食い破ってしまう。

 

 敵からすればまた1人の損失に過ぎないが、ただでさえ弾幕が薄い現状で貴重な弓矢の射手が1人減るという事は、瞬間的にとはいえ1人の騎士の損失よりも大きな損失であると言える。

 

 戦略的な意味が人命よりも重くなる瞬間だ。世界中の戦場では、そういう事が日常茶飯事なのである。

 

「白兵戦だぁっ!!」

 

 俺が言うよりも先に、イリナは既にスコップの準備をしていた。俺のAK-74にはもう銃剣が装着されているので、このまま突っ込んでも問題はないだろう。もし仮に徒手空拳になったとしても、吸血鬼の身体能力は人間を遥かに上回る。鍛え上げた熟練の格闘家が相手でも、首の骨を片手でへし折るのは容易い。

 

 雄叫びを上げながら、慌てふためきつつ剣を引き抜こうとしていた騎士の喉元に銃剣を突き立てた。そのままトリガーを引いて止めを刺し、胴体を蹴り飛ばして銃剣を強引に引き抜く。

 

 敵を殺す度に、散っていったムジャヒディンの仲間たちの顔が浮かび上がる。拷問を受けて死んでいった者たちや、仲間を逃がすために奮戦し、無数の矢に貫かれて倒れていった同志たち。

 

 今の俺たちは、散っていった仲間たちのために血まみれになって戦っている。彼らは喜んでくれるだろうか?

 

 いや、喜んでくれる筈だ。俺たちが敵を殺す度に、安堵して成仏してくれる筈だ。

 

 これは復讐なのだから!

 

「やぁっ!!」

 

「遅いッ!」

 

 突き出された剣をギリギリで回避し、回転しつつ銃床で思い切り騎士の顔面を殴りつける。そのまま左手をAK-74のハンドガードから離し、顔面を殴られてよろめいている騎士の顔面を思い切り掴みつつ、右手でAK-74を持った状態で槍を手にしている騎士を2人まとめて穴だらけにする。

 

 左手に思い切り力を入れた瞬間、握っている人間の騎士の頭の形が段々とひしゃげ始めた。ボールがへこんでいくかのように頭蓋骨がへこんだ次の瞬間、血飛沫が噴き上がり、肉片と脳漿の欠片が俺の顔に振りかかる。

 

 片手でそれを拭い去りつつ、至近距離の騎士に向けて発砲。崩れ落ちていく死体からロングソードを拝借し、それを仲間の背後から斬りかかろうとしていた騎士の背中に投擲する。

 

 再び矢が俺の胸に突き刺さったが、この程度の痛みは今までに何度も味わった。何度も拷問を受けたし、剣で首を斬られたこともある。人間だったらとっくに死んでいる重傷だ。

 

 掠めた矢が、俺の頭から血まみれのターバンを奪い去っていく。

 

 胸の矢を引き抜き、その射手に投げ返す。弓で放つよりも勢いの強い矢に貫通された射手が、胸元の大穴を両手で押さえつけようと足掻きながら、血を吐き出して倒れていく。

 

「兄さん、傷は!?」

 

「俺の心配はするな!」

 

 再生能力があるからな。銀や聖水は恐ろしいが、相手の武器が普通の武器ならば怖くはない!

 

 既にイリナも血まみれだった。相手の攻撃を喰らったから出血したのだろうかと思いきや、再生した形跡はないし、彼女の持つスコップはやけに血で濡れている。ちらりと彼女の背後を見てみると、スコップで撲殺されたと思われる騎士たちの死体がずらりと並び、猛烈な血の臭いを周囲にばら撒いていた。

 

 放たれた矢を躱し、振り下ろされた剣をスコップで弾き返すイリナ。彼女が剣をスコップで弾いた隙にAK-74の銃剣を突き出し、騎士の眉間を串刺しにする。

 

 他のムジャヒディンの戦士たちも奮戦を続けているようだった。元々俺たちが最も得意としているのはこういう白兵戦や奇襲だから、今は俺たちの独壇場と言える。

 

 剣をAK-74の胴体で受け止めた戦士が、蹴りで騎士を引き離してからフルオート射撃。騎士の胸元を穴だらけにしてから、次の騎士を始末する。

 

 その後方では敵から剣を奪い取った仲間が、騎士を斬りつけているところだった。もう動かなくなった騎士の死体に剣を突き立て、足元に落ちていたAK-74を拾い上げて雄叫びを上げ、再び突撃していく。

 

 その時、何の前触れもなく鋭い炎の矢が何本も飛来し、仲間たちを掠めた。火をつけた矢でも放ったのだろうかと思ったが、猛烈な炎属性の魔力を纏っている。というよりも、その矢が炎属性の魔力の塊ともいえる。

 

 はっとして駐屯地の奥を振り向くと、指揮官と思われる男がサーベルを振り上げ、その傍らにずらりと並んだ魔術師たちが、両手を突き出し、その先に紅蓮の魔法陣を形成して詠唱を始めているところだった。

 

「魔術師だ!」

 

 拙いな…………。

 

 フランセン共和国騎士団の戦法で一番恐ろしいのが、あの統制のとれた魔術師たちの一斉攻撃だ。1人1人の魔術の威力はそれほど高いわけではないが、一斉に魔術をぶっ放してくるため、回避が難しい上に総合的な攻撃力が高い。過去の戦いではあの一斉攻撃で、何度も仲間たちが倒れていったものだ。

 

 AK-74で撃ち抜いてやろうと思ったその時、いきなり発生した土煙と火柱が、その魔術師たちの隊列を一瞬で包み込んでしまった。

 

「なっ……………!?」

 

 爆炎がゆっくりと消えていき、その爆風に喰い千切られた哀れな騎士たちの姿があらわになる。手足が全てくっついている者は1人もいなかったし、生存者もいない。手足が欠けているのは当たり前で、中には腹から内臓が飛び出た状態で黒焦げになっている死体もある。

 

 イリナがグレネード弾で吹っ飛ばしたのかと思ったが、先ほどのイリナのグレネードランチャーの爆発はもう少し小さかった。今の爆発はなんだ……………?

 

『ウラル、無事か?』

 

「タクヤか!?」

 

『おう。今支援砲撃したんだけど、当たった?』

 

「ハハハハッ。大当たりだ! 次も頼む!!」

 

『了解。幸運を!!』

 

 頼もしいな。戦車からの支援砲撃か!

 

 これで復讐が果たせる。死んでいった仲間たちを安堵させる事ができる。

 

 イリナに向かって頷いた俺は、いきなり支援砲撃で魔術師部隊を吹っ飛ばされて慌てふためく騎士たちを血祭りにあげるため、銃剣を構えて突撃を続けた。

 

 この戦いに勝たねば、弔い合戦にはならない。

 

 

 

 



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航空支援を要請するとこうなる

 

 

 戦況は現時点では有利なようだ。

 

 いきなりカチューシャで先制攻撃され、しかも続けて突っ込んできたのは歩兵ではなく、数時間前に偵察部隊を徹底的に叩きのめしたパンジャンドラムの群れ。彼らの恐怖心をこれでもかというほど刺激するような攻め方をして、止めに屈強なムジャヒディンたちの銃剣突撃。いきなり大損害を被り、精神的にかなり狼狽している状況でそんな攻撃を受ければ、どんな猛者でもひとたまりもない。

 

 モニターを覗き込み、駐屯地の奥へと進撃していくムジャヒディンたちの後姿を見守りつつ、近くに置いておいたアイスティー入りの水筒を口へと運ぶ。

 

 飲み込みつつモニターを何度かタッチし、自動装填装置を操作してHEAT-MPを装填。そしてすぐ車長の座席に移動してキューポラから顔を出し、双眼鏡を覗いて味方の様子を確認する。

 

 現時点で苦戦している味方はいないようだ。このまま進撃しても問題はないだろう。

 

「ラウラ、前進しよう」

 

『了解(ダー)』

 

「ドレットノート、こっちは前進する。そっちはどうする?」

 

『こっちも前進するわ。ここで待ってても支援できないし』

 

「了解(ダー)。……………ウォースパイトよりウラルへ。応答せよ」

 

 無線機を片手で押さえながら、戦闘中のウラルを呼ぶ。きっと今頃、ウラルは敵陣へとなだれ込むムジャヒディンの先頭に立ち、返り血を浴びながら奮戦している事だろう。というか、照準器の向こうにAK-74の銃剣を騎士の喉元に突き立て、身体中に返り血を浴びているウラルの姿がちらりと映る。

 

 よ、予想以上に昂ってますねぇ……………。

 

「あ、やっぱり応答しなくていいや。とりあえず聞いてくれ。……………戦車も前進する。以上」

 

 ものすごく単純でアバウトな連絡だったけど、あの状況で応答しろって言われても無理だよね。銃剣を振るってる間に斬られる可能性もあるし、白兵戦の最中の口の役割は、雄叫びを上げるか敵に噛みつくかのどちらかだ。狙撃や塹壕からの集中砲火と比べると、白兵戦は大忙しなのである。

 

 敵はすぐ近くだし、油断すれば殺される。運よく昏倒しても、目を覚ました瞬間に殺されることもあるし、目を覚まさない間に殺されることもある。白兵戦で戦闘不能になるのは、どんな負傷であれ死を意味するのだ。

 

 次の瞬間、ウラルへと突撃しようとしていた5人の騎士が、まとめて爆風に呑み込まれたかと思うと、黒焦げの肉片になって宙を舞った。ドレットノートの支援砲撃かと思ったが、隣を進むチャレンジャー2ほ砲口から煙は出ておらず、砲撃した形跡はない。

 

 すると、一瞬だけグレネードランチャーにグレネード弾を凄まじい速度で再装填(リロード)するイリナの姿が一瞬だけ見えた。短時間しか訓練していない筈なのに、まるで使い慣れた得物を再装填(リロード)するかのように、滑らかにグレネード弾を再装填(リロード)していくイリナ。弾倉を元の位置に戻した彼女だが、さすがに敵との距離が近いと判断したのか、素早くRG-6を腰に下げてスコップを引き抜くと、ロングソードを振り下ろそうとしていた騎士の胸板に、斜め下から鋭くスコップを突き上げていた。

 

 騎士団の防具が段々と軽装になっているとはいえ、胸元などの部分に防具を付けることを好む騎士も数多い。彼女が串刺しにした哀れな騎士もそんな考えの持ち主だったらしいが、吸血鬼の誇る華奢と思いきや強靭な腕力と、彼女が持つ優れた瞬発力によってちょっとした砲弾と化したスコップは、まるで杭のように騎士の防具に突き刺さると、そのまま金属製の防具を突き破って騎士の胸骨を寸断し、肺と心臓を滅茶苦茶にした。

 

 一般的に、平均的な吸血鬼の腕力ならば素手でゴーレムの外殻を叩き割ることは可能だと言われている。だから彼らは丸腰の状態でも、完全武装した騎士以上の戦闘力を持つ。

 

 では、その吸血鬼が人間と同じように完全武装すればどうなるのだろうか。

 

 人間とは違い、彼らは弱点で攻撃されない限り何度でも再生を繰り返す。人間ならば即死しているような攻撃を喰らっても数秒で蘇り、何事もなかったかのように獰猛な反撃を継続する。そのような種族の軍勢が襲撃してきたからこそ、かつて一度人間たちは完敗したのだ。

 

 吸血鬼と戦った時は手を焼いた再生能力だが、味方として戦っている彼らを見ていると、ヒヤヒヤする部分はあるが安心できる。……………でも、普通なら死んでる攻撃を喰らっているのを見るのは慣れないな……………。心強いけど。

 

 支援砲撃は不要なのではないかと思ったその時、ウラルが率いるムジャヒディンたちの目の前に、またしても騎士たちの隊列が姿を現す。武装は……………杖ではないな。魔術師部隊ではないらしい。

 

 だからといって安心するわけにはいかない。彼らの持つ武装を確認した俺は、すぐに照準を合わせつつ、戦車砲の発射スイッチへと手を伸ばす。

 

「ドレットノート、ムジャヒディンの前方にクロスボウ部隊およびバリスタ!」

 

『任せなさい! こっちには百発百中の砲手が乗ってるのよ!』

 

『必ず当ててみせますわ!』

 

「俺だって当ててやるさ」

 

 もう既にHEAT-MPは装填してある。照準も合わせたから、後は発射スイッチを押すだけでカーソルの向こうの騎士たちは1人残らず黒焦げになる。

 

 当然ながら、スナイパーライフルの狙撃と戦車砲の砲撃はかなり違う。発射する物体のサイズも違うし、射程距離も段違い。更にこのような状況の場合、着弾した瞬間に生じる爆発や破片が味方を殺傷してしまう事がないか、注意しながら砲撃しなければならない。弾丸ならば炸裂弾でも使わない限りそのような心配は無用だが、戦車砲や自走砲での支援は、味方を巻き込むリスクがより高くなる。

 

 威力が上がれば上がるほど、仲間を巻き込む可能性も上がる。砲弾はそのようなリスクがあるがまだ序の口だ。砲弾の爆発は、燃料気化爆弾や核爆弾の爆発に比べればまだまだ小さいのだ。

 

 まあ、今から砲弾をぶち込むのは遮蔽物の多い駐屯地の真っ只中。それに発射する前にはちゃんと警告するし、味方が隠れたことも確認する。せっかく仲間たちの弔い合戦に来ているのだから、味方の砲撃で戦死させるわけにはいかない。

 

「ウォースパイトより歩兵部隊へ。これより砲撃を開始する。ただちに退避せよ」

 

『了解だ! おい、みんな! 戦車が攻撃するぞ! 逃げろッ!!』

 

 敵の前衛の数が減っていたのか、思ったよりもムジャヒディンたちの退避はスムーズだった。ただ単に隠れるだけでなく、先に退避を終えた数名の仲間が、退避する仲間への攻撃を防ぐためにバリスタや敵の隊列に向けて制圧射撃を叩き込んでいたのも功を奏したのだろう。

 

 頭にターバンを巻いたムジャヒディンたちが建物の陰に隠れたのを確認したウラルが、こちらに向けて銃剣付きのAK-74を大きく振り上げた。『やれ』という事なんだろうか。

 

 任せてくれ、ウラル。

 

(トゥリー)(ドゥーヴァ)(アジーン)、発射(アゴーニ)ッ!!」

 

『発射(アゴーニ)ッ!!』

 

 発射スイッチを押した直後、今までにぶっ放してきたどんな銃でも超えられないと断言できるほどの凄まじい轟音が、チーフテンの車内を満たした。こんな轟音を生み出すほどの衝撃ならば、車体がひっくり返ってしまうのではないかと思ってしまうが、チーフテンの重量は第二世代型主力戦車(MBT)の中でもトップクラスだ。いくら主流の戦車砲とされている120mm滑腔砲の猛烈な反動でもひっくり返るなんてありえない。

 

 狭い55口径120mm滑腔砲の砲身に別れを告げ、流星のように飛び出していったHEAT-MPは、照準器の上方へと飛び出そうとしているかのように上昇したが、すぐに大人しくなったかのように高度を下げると、俺が照準を合わせている中心部まで高度を下げ―――――――大人しく、そのまま敵の隊列を飛び越え、設置されていた大型のバリスタを2発のHEAT-MPが蹂躙した。

 

 鋼鉄製とはいえ、複合装甲と比べれば防御力は遥かに劣る。いや、バリスタなのだから防御力を重視しているわけがない。盾どころか防具すら身に着けない生身の人間と同じだ。あっさりとバリスタに突き刺さった砲弾が瞬く間に膨れ上がり、メタルジェットと爆風でバリスタを木端微塵にしつつ、内蔵していた無数の鉄球でその周囲にいた騎士たちを蜂の巣にしてしまう。

 

 小さな鉄球とはいえ、爆風によって弾き飛ばされているのだから、その殺傷力は弾丸と変わらない。しかもそれで死ぬのを免れても、鉄球の後方にはまだ人体を引き千切るのに十分な殺傷力を温存した爆風の壁がある。

 

 蜂の巣にされるか、引き千切られた挙句焼かれるしかないのだ。

 

 貫通力があり、更に鉄球を内蔵しているため攻撃範囲も広い。これが『多目的対戦車榴弾』とも呼ばれる、HEAT-MPの恐るべき威力である。

 

 あっという間に爆風が生み出す閃光が騎士たちを飲み込んだかと思うと、その輝きが消えた頃には、やはり穴だらけになった挙句黒焦げになった死体が、四肢をバラバラにされた状態で転がっていた。戦場では、五体満足で倒れている死体を見つける確率は思ったよりも低い。見つけたとしても、綺麗に殺してもらえている死体などないのだ。よく見たら頭の半分がなくなっていたり、上顎が消し飛んでいたりするのも当たり前。だからあの死体も当たり前だ。少なくとも戦場という場所にある以上は、あれが普通の死体だ。

 

 それにしても、この駐屯地には予想以上に多くの騎士たちが駐留していたらしい。カチューシャの先制攻撃で数を減らし、パンジャンドラムの突撃で潰し、ムジャヒディンたちの銃剣突撃が蹂躙しても、彼らの隊列はまだ残っている。

 

 ここまでやられれば、敵の指揮官も撤退を視野に入れる筈だ。なのに騎士たちは、まだ俺たちへと戦いを挑み続けている。復讐心と殺意を剥き出しにし、肉食獣を思わせる獰猛さで殺到してくるムジャヒディンたち。普通なら逃げ出している騎士が大勢いる筈だが、なぜこいつらは逃げない?

 

 士気は限界まで下げた。偵察部隊から俺たちの持つ兵器の威力は効いている筈だし、それを目の当たりにした筈だ。これだけ追い詰められれば上官の命令を無視し、我先にと逃げ出す騎士がいてもおかしくはない。

 

 またウラルたちの目の前に騎士の隊列が出現していないか確認しようと、俺は砲塔をそちらへと向けつつ照準器を覗き込む。すると、そのカーソルの奥に、信じられない行動をする騎士たちの姿が見えたのである。

 

 なんと―――――――――味方の騎士たちに、クロスボウを向けているのだ。まるで彼らの退路を断つかのように隊列を展開し、後方へと向けて逃げ出していた騎士たちをそこで塞き止めているのである。

 

 あれは何だ? 逃亡するなとでも命令しているつもりか?

 

『お兄様、あれは何を―――――――――』

 

 ドレットノートに乗るカノンが、無線で俺に尋ねようとしたその時だった。

 

 俺たちやムジャヒディンが迫っているという恐怖に耐えられなくなったのか、騎士の1人が剣を投げ捨て、クロスボウを構える騎士を押し退けて後方のゲートへと向けて走っていこうとする。明らかな命令違反だが、無理もないだろう。最前線で戦う騎士たちの士気を維持できなかった指揮官が悪い。

 

 しかし、次の瞬間、素早く後ろを振り向いたクロスボウを持つ騎士の1人が、その逃亡した騎士の背中に向かって矢を撃ち込んでいたのである。

 

 ―――――――――味方を殺した?

 

「――――――――督戦隊(とくせんたい)気取りか……………ッ!」

 

『と、とくせんたい……………?』

 

「ああ。敵を殺すのではなく、敵前逃亡をする味方の兵士を殺すのが任務のクソッタレ部隊さ…………!」

 

 そのような部隊は実際に存在していたが、やはり有名なのは第二次世界大戦中のソ連軍だろう。迫りくるドイツ軍よりも、ドイツ軍から逃げ出す友軍の兵士を射殺するためにこの督戦隊が後方で待機していたという。

 

 くそったれ。敵に容赦をしないように教育された俺たちだが、やはりあのような光景を見せられると気分が悪い。これならばまだ逃走する敵を追撃し、そのまま皆殺しにした方がずっと後味がいい。

 

 そいつらを吹っ飛ばしてやろうと思い、照準を合わせたが……………どうやら俺は手を汚さずに済むらしい。

 

『―――――――こちら航空支援部隊。そろそろ作戦地域上空に到達する』

 

「……………シンヤ叔父さん?」

 

『やあ、タクヤ君。助太刀に来たよ』

 

『パパ!?』

 

『ノエル、ママもいるわよ♪』

 

 シンヤ叔父さんとミラさんの2人が、支援に来てくれたのである。しかも親父が派遣すると約束した兵力は、最強の攻撃機と言われているA-10C。モリガンの傭兵が操る最強の攻撃機が2機も、俺たちの作戦の支援をしてくれる!

 

『これより攻撃準備に入る。標的(ターゲット)の指示を頼むよ』

 

「了解(ダー)、同志シンヤスキー」

 

『ははははっ。期待してるよ、同志タクヤチョフ。こっちのコールサインはヴェールヌイ2だ』

 

 さてと。ウラルにスモークグレネードでも投げてもらうとするか。

 

 A-10Cを派遣してもらえると知った俺は、前衛部隊として突撃するムジャヒディンのメンバーたちに着色された特殊なスモークグレネードを支給していた。それを放り投げれば、後はパイロットがそれを確認して攻撃してくれるというわけである。

 

 飛び込んでくるのはA-10Cが2機。そしてその機体がばら撒くのは、無数の爆弾や徹甲弾だ。いったいどれだけの戦車がスクラップになるのだろうか。

 

「ウラル、聞こえるか?」

 

『ああ、聞こえるぞ! 何だ!?』

 

「まもなく航空支援が始まる。スモークグレネードを頼む」

 

『了解! ……………おい、みんな! 航空支援の時間だ!』

 

 砲手の座席から移動し、キューポラのハッチを開けて身を乗り出す。隣のチャレンジャー2も今の無線を聞いていたらしく、A-10C2機の容赦の無い爆撃に巻き込まれるのを防ぐため、進撃を停止しているところだった。

 

 双眼鏡を覗き込み、先ほどの督戦隊の様子を確認する。まだ騎士たちが立ち塞がり、逃亡しようとする騎士たちを戦いに戻そうと躍起になっているようだ。後味の悪い光景だが、あのまま雪隠詰めになってくれるのならば好都合だ。味方に指示を出しやすくなるし、誤って攻撃機が味方の歩兵を爆撃する危険性も減る。

 

 双眼鏡の向こうで、ウラルがスモークグレネードの安全ピンを引き抜き、奥にあるゲートの前へと思い切り放り投げた。やがてスモークグレネードから真紅の煙が噴き上がり、夜空に向かって伸びる紅い柱のように屹立を始める。

 

 ええと、叔父さんのコールサインはヴェールヌイ2だっけ。

 

「ウォースパイトよりヴェールヌイ2へ。真紅のスモークの周囲を徹底的に爆撃してください。容赦はいりません。どうぞ」

 

『こちらヴェールヌイ2。容赦がないのはモリガンの専売特許だよ、同志』

 

 無線での連絡が終わると同時に、夜空にエンジンが発する轟音が響き渡り始める。戦車の発するような音ではなく、空を飲み込んでしまうのではないかと思ってしまうほど広範囲に響く、航空機のエンジン音だ。

 

 さあ、CAS(近接航空支援)が始まるぞ……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはまるで、大地から血飛沫が上がっているかのような禍々しい真紅の柱だった。いや、柱と呼ぶにしては上の方で拡散し過ぎているから、まるで真紅の巨木が夜空に向かって、葉のない枝を必死に伸ばしているようにも見える。

 

 禍々しい真紅の煙が呼び寄せるのは、最強の攻撃力を誇る攻撃機の空爆。あれが僕たちの目印だ。

 

 タクヤ君たちの指示では、あのスモークの周囲を徹底的に撃すればいいらしい。

 

 僕の乗るA-10Cの主翼にあるハードポイントには、ありったけのロケットポッドとクラスター爆弾が搭載されている。ロケットポッドは大量のロケット弾を装填した武器で、まるでマシンガンを連射するかのように立て続けにロケット弾を連射することが可能だ。

 

 そしてクラスター爆弾は、普通の爆弾のように投下された後に爆発するようなタイプではなく、空中で無数の小型爆弾をばら撒いて広範囲を爆撃する爆弾だ。破壊力も高い上に攻撃範囲が広いため、これを投下されれば瞬く間に投下された地点の周囲は焦土と化す。

 

 それに加え、機首の30mmガトリング機関砲もある。更にミラの機体は、機体の操縦が難しくなるのを承知の上で強引に105mm榴弾砲を2門も主翼にぶら下げている。ちょっとした戦車砲クラスの砲撃を攻撃機が繰り出すのだから、敵からすればいきなり空を飛ぶ戦車が出現したようなもの。しかし、A-10がいくら頑丈だからと言って機体に無茶をさせ過ぎだと思う。

 

 夜空の真下に広がる大地が、紅蓮の炎にこれから彩られるのだ。

 

『シン、懐かしいね』

 

「ファルリュー島のこと?」

 

『うん。……………シン、あの時空母の艦橋で私の事見てたでしょ』

 

 懐かしいな……………。

 

 あれはまだ、ノエルが生まれる前だった。ネイリンゲンを焼き払った転生者たちに復讐するために、傷だらけになった僕たちはありったけの戦力をかき集め、転生者たちを率いていた『勇者』と呼ばれる転生者の本拠地へと襲撃を仕掛けた。この異世界で最大規模の転生者同士のぶつかり合いは、今では『転生者戦争』と呼ばれている。

 

 その真っ只中に、ミラはF-22で飛び込んでいった。あの時の彼女のコールサインも、今と同じく『ヴェールヌイ1』。

 

 数多の戦闘機に取り囲まれ、ミサイルの流れ弾の爆発に運悪く巻き込まれるというアクシデントがあったものの、僕の妻は墜落してもおかしくない損傷を受けたF-22を操り、仲間たちが撃墜されていく中で奮戦を続け、機体が火を噴いて緊急脱出(ベイルアウト)する羽目になるまで空を舞い続けた。

 

 あの時の損傷は凄かった。エンジンは2基のうち1基が機能を停止して黒煙を吐き出しており、尾翼は片方だけ千切れ飛び、主翼に搭載されているフラップはひしゃげていた。キャノピーにも亀裂が入っていたし、ウェポン・ベイのハッチは外れてミサイルが搭載されている部分が剥き出しになっていたんだ。しかも胴体にもミサイルの破片がいくつも突き刺さっていて、まるで猛禽(ラプター)がゾンビになって蘇ったかのようだった。

 

 僕が乗っていた空母を救ったボロボロのF-22(ラプター)は爆炎を突き破り、その炎を纏いながら、ひたすら敵を圧倒し続けたのである。

 

 その時、僕は彼女を見て怯える敵の無線を傍受していた。その転生者はこう言っていた。―――――――『なんてこった…………! 猛禽(ラプター)が不死鳥(フェニックス)になりやがった……………!!』と。

 

 彼女は、誰にも撃墜できない。

 

 それに、誰にも撃墜させない。

 

 ミラは僕の女で、僕の妻だ。だから僕が絶対に守る。

 

「いくよ、ミラ!」

 

『了解!』

 

 ミラが僕の先を飛び、僕は彼女の後に続く。目指すのは、大地から立ち上がる真紅の煙。

 

 機体の体制を微調整しつつ、ロケット弾の発射スイッチにそっと指を近づける。照準を合わせ、このスイッチを押せば、主翼の下のハードポイントにこれでもかというほどぶら下げられたロケットポッドが矢継ぎ早に火を噴き、地上を蹂躙するだろう。

 

 ミラの場合は105mm榴弾砲を装備した関係で、僕よりもロケットポッドの数が少ない。けれども、彼女の機体には機動性をさらに悪化させる代わりに、戦車並みの火力を誇る重火器が搭載されている。何度かそれで訓練飛行してたのを見たけれど、途中でバランスを崩したり、発射した瞬間に失速して落下を始めた時はヒヤヒヤしたよ。

 

 ミラ、落ちないでよ。

 

『ヴェールヌイ1、斉射(サルヴォ)!』

 

 次の瞬間、僕よりも先を飛んでいたミラのA-10Cのロケットポッドが一斉に火を噴いた。僕よりも数が少ないとはいえ、搭載しているポッドの数は攻撃ヘリを上回る。瞬く間に主翼下部のポッドから夥しい数のロケット弾が飛び出していき、紅蓮の光と純白の煙で夜空を引き裂きながら、鮮血を思わせる煙の根元へと殺到する。

 

「ヴェールヌイ2、斉射(サルヴォ)!」

 

 僕もトリガーを押し、飛び出すのを我慢していたロケットたちを一斉に解き放つ。

 

 幼少の頃に、道端で見つけたタンポポの綿毛を吹き飛ばしてばら撒いたように、僕は1つ1つが敵を蹂躙するのに十分な破壊力を秘めたロケット弾をばら撒いていく。それらが芽吹かせるのは新たなタンポポの花ではなく、爆薬と血肉が生み出す殺戮の花弁だ。

 

 一足先に放たれたミラのロケット弾の群れが、煙の根元に喰らい付く。あそこは駐屯地のゲートなのだろうか。何人もの騎士たちが集まって怒鳴り合っているみたいだけれど、何があったのかな。

 

 まあ、いいや。そのまま僕らの戦果になってもらうよ。

 

 一番最初に放たれたロケット弾が、その騎士たちのすぐ近くに突き刺さった。砂の地面が容易く抉れ、舞い上がった砂と黒煙が騎士たちの肉体を吹き飛ばす。それらが落下して砂の中に埋まるよりも先に、立て続けに放たれた後続のロケット弾が突き刺さり、騎士たちの身体を更に細切れにしていく。

 

 ダメ押しに、僕とミラは30mmガトリング機関砲の発射スイッチを親指で押し続けていた。

 

 天空を舞うA-10Cの機首が炎を吐き出す。まるで怒り狂ったドラゴンが、地面で蠢く人間たちに向かってブレスを吐き出すかのような姿だ。けれども、こいつが秘めている火力は間違いなくドラゴン以上だ。吐き出すのは炎ではなく破壊兵器で、全身を覆うのは強靭な外殻ではなく装甲なのだ。例えドラゴンを討伐した実績を持つ騎士を連れて来ても、この世界最強の攻撃機は絶対に撃ち落とせない。

 

 照準器の向こうで、次々に人間の身体が砕け散っていく。砂煙が連鎖的に立ち上がり、次に噴き上がる場所にいた騎士の肉体が引き千切られる。そんなに簡単に木端微塵になってしまうのかと思ってしまうほど容易く、次々にバラバラになっていく。

 

 最初の攻撃で地上を蹂躙した僕とミラは、ゲートの上空を通過して旋回を始める。旋回しつつ地上を見下ろし、まだ健在なターゲットを探す。

 

『お次はクラスター爆弾かな?』

 

「うん、それがいいかも」

 

 それなら一網打尽にできるからね。

 

 旋回しながら、僕は首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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悪魔のサイレンが聞こえる

 

 

 いったい何が起きたのか、分からなかった。

 

 空からドラゴンの唸り声を思わせる轟音が聞こえてきたかと思うと、夜空にうっすらと空を飛ぶ何かの影が浮かび上がり、その影から無数の流れ星のような何かが放たれたのだ。一番最初にこの駐屯地に降り注いだ流れ星と同じなのだろうか。

 

 敵前逃亡しようとする騎士たちをゲートの前で食い止め続けていた部下たちは、その攻撃に瞬く間に飲み込まれた。地面に火を吐きながら突っ込んできたそれに激突され、呆気なく潰れる人体。そして肉片や内臓を私に晒すよりも先に紅蓮の炎に焼かれ、衝撃波でどこかへと吹っ飛ばされていく。

 

 そんな攻撃が、まるで雨のように駐屯地に飛来したのである。1発で、密集していたとはいえ騎士たちをほぼ全員吹っ飛ばしてしまう攻撃。それほどの攻撃力ならば、次の攻撃までには時間がかかるのが常識だ。なのにあの攻撃を繰り出す空を飛ぶ何かは、その常識を無視している。

 

「な、何だあれは……………!?」

 

 頭のような部位から火を噴きつつ、轟音を発して頭上を飛んでいった影を見上げながら、私は目を見開いていた。

 

 全体的なフォルムはドラゴンを思わせるが、それにしては翼が細いし、尻尾も奇妙な筒を左右に背負った奇妙な形状になっている。それだけではなく、普通のドラゴンならば旋回する際に翼を動かすものだが、今しがた頭上を通過して行った2体のドラゴンの翼はほとんど動いていない。

 

 あれはドラゴンではないのか……………?

 

 2体の影が旋回を終え、頭をこちらへと向ける。

 

 逃げようと思ったが、次にどんな攻撃が繰り出されるのか知らない筈なのに、逃げてもすぐに殺されるという事がすぐに理解できた。駐屯地から逃げ出したとしても、仮にどんな攻撃を防いでしまう魔術を私が習得しており、それを今すぐ使用したとしても防ぎ切れないだろう。一瞬で死ぬという事が理解できたのである。

 

「……………馬鹿な」

 

 たった数回の攻撃で、駐屯地はもう焼け跡になりつつある。飛竜のように空を舞う事ができる上に、あれほどの火力を誇る謎の影。ムジャヒディンに味方をしているという事は、あれも奴らの持つ兵器なのか?

 

「反則だ……………」

 

 勝てるわけがない。

 

 あんな怪物に。

 

 奴らに手を出さなければ、こんな損害を被ることにはならなかった。旋回を終えた影を凝視しながら、私は部下たちにムジャヒディンへの追撃命令を出したことを後悔していた。

 

 きっとモリガンの武器を手に入れようとした商人たちも、こうやって彼らに戦いを挑み、ことごとく返り討ちにされていったのだろう。自分たちの攻撃手段が一切通用しない絶対的な兵器を見せつけられ、自分たちの決断を後悔しながら屠られていったに違いない。

 

 私もその二の舞だ。

 

 本国に要請した増援部隊はそろそろ到着するだろうが、きっとその増援部隊も同じ目に遭う事だろう。見たこともない兵器や武器に蹂躙され、何もできずに戦死者を出し続けて壊滅するに違いない。

 

 火の粉が舞い上がる夜空で、2体のうち片方が一気に高度を上げた。もう片方はそのままの進路で再び私の方へと急接近してきたかと思うと、翼の下にぶら下げていた黒い何かを一斉にばら撒き始める。

 

「撃て!」

 

「くそ、撃ち落とせ! 詠唱急げ!」

 

 まだ生き残った魔術師部隊が魔術であの怪物を撃ち落とそうとするが、勝ち目がないのは明らかだった。基本的に空を飛ぶドラゴンとの戦いでは、弓矢や盾を装備した部隊がドラゴンを引きつけ、その隙に魔術師部隊が詠唱を済ませて攻撃するという手順になっているが、迎撃しようとしているのは手負いの魔術師ばかり。あの怪物の注意を引きつける前衛はどこにもいない。

 

 しかもあれは、ドラゴンではない。我らを脅かすドラゴンでさえも恐れてしまうほどの火力を持つ、正真正銘の怪物なのだ。

 

 怪物がばら撒いた黒い物体が、空中で何の前触れもなくバラバラになる。何が起きるのかと凝視していると、バラバラになった黒い筒の中から、まるで蜘蛛の子供のように無数の黒い何かが姿を現し、そのまま拡散しつつ地上へと降り注いだのである。

 

 次の瞬間、その怪物に反撃しようとしていた魔術師たちが、一瞬で炎に呑み込まれた。

 

 天空からばら撒かれたその無数の黒い小さな塊たちが、地表へと降り立つと同時に一気に膨れ上がり、爆発したのだ。無数の爆発が結びつき合い、駐屯地があっという間に爆炎のカーペットの下敷きになる。

 

 私の近くでも爆発が生じ、いくつかの破片が私の肩を貫いた。

 

 もう、周囲からは部下たちの怒声は聞こえてこない。血まみれになりながら周囲を見渡してみると、火だるまになったまま横たわる部下や、千切れ飛んだ人間の残骸がいくつも転がっているだけだった。もちろん、動いている者は1人もいないし、死体にも五体満足で済んでいる奴は1人もいない。

 

「き、貴様らは……………」

 

 崩れ落ちた木材に寄りかかりながら、朱色の光の中から夜空を見上げる。

 

 すると、先ほど高度を上げたもう1体の怪物が、漆黒に染まった天空から真っ直ぐに急降下してくるのが見えた。漆黒に塗装された翼を広げ、地上で炎に炙られる我々に止めを刺そうとしているのだろう。

 

 まるで悪魔のようだ。

 

 サイレンにも似た音を発しながら、真っ直ぐに急降下してくる怪物。これから我々を処刑すると宣告しているかのような鋭い悪魔のサイレンを耳にしつつ、私は息を吐いた。

 

「その力を、いったいどこで手に入れた……………?」

 

 この世界に、あんな兵器が存在するとは思えない。

 

 轟音を発し、凄まじい勢いで連射ができるクロスボウに、流星のように敵陣に飛来し、爆発する金属の筒。そして天空を舞いながら地上を蹂躙するあの怪物。

 

 あんな兵器は、この世界には存在しない。存在したのならばとっくに騎士団が採用している筈だ。

 

 あの兵器は、何なんだ……………?

 

 その疑問が答えへと行き付くことはなかった。

 

 怪物の翼に搭載されている大きな筒が火を噴いたかと思うと、もう私の意識は消し飛んでいたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐらりと機体が大きく揺れたような気がした。

 

 キャノピーの向こうが、榴弾砲の生み出した炎で一瞬だけ覆い尽くされる。その炎が機体の後方に置き去りにされたかと思いきや、今度はそれよりも遥かに大きな爆炎が砂の上に屹立する駐屯地――――――――度重なる爆撃で、もはや駐屯地「跡」とも言えるほどだ――――――――――の地面を、大きく抉った。

 

 榴弾砲は、徹甲弾のように装甲を貫通するために開発されたわけではなく、むしろ爆発範囲を広くして広範囲を攻撃し、装甲に守られていない脆弱な歩兵をまとめて吹き飛ばすために開発された砲弾。だからその爆発は他の砲弾よりも派手で、大きい。

 

 大地に炎のドームを思わせる爆炎が生じ、着弾した場所でまだ足掻こうとしていた騎士や士官をまとめて吹き飛ばす。けれども、その火力の代償で反動は非常に大きく、シンにお願いして可能な限り反動を軽減できるように改造してもらっているとはいえ、2門を同時に発射すれば急降下中の機体でも大きく揺れる。本来は地面に設置して使用するような巨大な榴弾砲を、かなり無茶な改造をして攻撃機に積み込んだのだから、かなりリスクは大きい。

 

 操縦桿を動かした覚えがないのに、機体の姿勢がおかしくなる。急降下の速度が一瞬だけ急激に落ち、その間に機首が地表を向き、真っ逆さまに落下していく。

 

 フッドペダルを思い切り踏み、機体をある程度加速させる。地面へと落下していく巨大な薬莢に別れを告げながら操縦桿を思い切り引っ張り、このまま自分自身を〝投下”する羽目にならないように足掻き続ける。

 

 この反動の乗り越え方は習得しているし、地上で私たちの愛娘がこの戦いを見ている。娘の目の前で、反動を殺し切れずに墜落するという醜態は絶対に晒したくないという私のプライドが、体勢を立て直す操縦方法を瞬時に実行していた。

 

 機体が徐々に大人しくなり、キャノピーの外の地表があるべき位置へと下がっていく。急降下と榴弾砲の同時発射という負荷に耐えきってくれたA-10Cの耐久性を無言で称賛していると、攻撃を終えたシンの機体が、心配そうに隣へとやってきた。

 

『ちょっと、大丈夫!?』

 

(うん、大丈夫だよっ!)

 

『心配したよ……………。無茶しないでよね、ミラ』

 

(えへへっ。ありがとね、シン♪)

 

 とにかく、これで敵は壊滅かな。

 

(それにしても、やっぱりこのカスタムは操縦が難しいな……………)

 

『さすがに榴弾砲は無茶でしょ。帰ったら外すよ?』

 

(だっ、ダメダメっ! 外しちゃダメぇっ!)

 

『えぇ!?』

 

 確かに扱いにくくなっちゃったけど、火力は凄く上がってるんだから! それに私、この機体の事が大好きなの! ドッグファイトもいいけれど、対地攻撃の楽しさを理解できたんだから!

 

(……………外したら、すごく怒るから)

 

『わ、分かったよ……………』

 

 ふんっ。本当に外したら怒っちゃうんだから。

 

 頬を膨らませながら燃え上がる駐屯地でも見下ろそうとしたその時だった。キャノピーの下の方を見る最中に、燃え上がる駐屯地の向こうに無数の人影のようなものが見えたような気がして、私は再び臨戦態勢に入る。

 

 退避したムジャヒディンやタクヤ君たちかと思ったけれど、よく見てみると制服が違うし、金属製の防具を付けている。それに盾も持っているし、主な武器は剣や槍みたい。

 

 騎士団の残存部隊? それにしては数が多いような気がする―――――――。

 

 まさか、増援!?

 

(ヴェールヌイ1よりウォースパイトへ)

 

『こちらウォースパイト、どうぞ』

 

(駐屯地の向こうに敵の増援を確認!)

 

『なっ!? ―――――――――か、数は!?』

 

 ちょっと待って。駐屯地の炎でぼんやり見える程度だからはっきりは見えないけど……………誤差があることは承知の上で、私は目測で素早く敵の数を計測してからタクヤ君に報告する。

 

(およそ……………800人!)

 

『くっ……………』

 

 敵は増援を呼んでいた……………!?

 

 どうしよう。まだクラスター爆弾は残っているし、榴弾砲の砲弾も残っているけど、先ほどの空爆で武装の数は減っているし、燃料も帰りの分があるかどうかという程度。踏みとどまって支援すれば、飛行場まで戻る前に燃料切れで墜落する羽目になる。

 

 ヴリシア侵攻のために兵力をあまり動かせない状態のリキヤさんに、空中給油機を派遣してもらうのは難しい話かもしれない。

 

 我が子のために墜落覚悟で踏みとどまるか、それとも彼らの奮戦を期待して大人しく撤退するか。

 

 でも、子供たちを見捨てるわけにはいかない…………!

 

『……………ミラさん、燃料の残量は?』

 

(飛行場まで帰る分しか残ってない……………ごめん)

 

『了解。では、あとは帰還してください』

 

(でも、そうしたら支援が!)

 

 航空支援がない状態で800人も相手にするのは、いくら銃や戦車があるとはいえ危険だよ!

 

 踏みとどまって航空支援を継続することを主張しようとしたけれど、無線機の向こうのタクヤ君は『いえ、大丈夫です』と返事を返した。

 

『後はこちらで何とかします。まだ手段はありますから』

 

(手段……………?)

 

『……………ずまない、タクヤ君。では僕たちは撤退する。幸運を』

 

『了解(ダー)!』

 

 本当に大丈夫なんだろうか。不安になりながら地上の味方部隊を見下ろしていると、隣を飛んでいるシンが機体の翼を軽く振った。

 

 隣を飛ぶシンの機体を見つめながら、私も首を縦に振る。出来るならばもっと支援していきたいんだけど、このまま留まれば燃料が足りなくなる。しかもリキヤさんたちは侵攻作戦の準備をしている真っ最中で、私たちを派遣できたのも運が良かっただけ。本当なら航空支援そのものがなかったはずだった。だからこれ以上支援用の機体を派遣したり、空中給油機を派遣するのは難しい筈。

 

 だから今は、大人しく撤退するしかない。

 

 私は歯を噛み締めながら、燃え盛る駐屯地を見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦況が有利だというのは、ナタリアからの連絡で把握できている。一番最初のカチューシャの一斉攻撃のすぐ後に、10基のパンジャンドラムの突撃。実戦では全く使われることのなかった兵器を使ってあんな作戦を実行するとは思えなかったから、パンジャンドラムが戦果をあげたと聞いた時はみんなで大喜びしていたものだ。

 

 戦況を聞き、スコーンとアイスティーを口にしながら、この調子では俺たちの出番はないんじゃないかと楽観視していたんだが、敵もこの戦況を何とかする手を用意していたらしい。いや、あらかじめ増援を要請していたのだろうか。

 

 そう、その増援部隊が作戦地域に到着したというのである。しかも、数は800人。

 

 頼みのA-10Cは帰りの分の燃料しか残っていないため、ありったけの武装を駐屯地に叩き込んだら撤退してしまうという。まあ、わざわざラガヴァンビウスの飛行場からここまでやって来てくれたのだから、かなりの距離だ。支援してくれる時間が短すぎると文句を言うわけにもいかない。

 

『ウォースパイトよりタンプル塔へ』

 

「どうぞ」

 

 ほらな。俺たちの出番だ。

 

『36cm砲の支援砲撃を要請する』

 

「了解(ヤヴォール)、もう既に発射準備はできている。砲弾の種類及び砲撃地点の座標を転送せよ」

 

『了解(ダー)。砲弾はMOAB。砲撃地点は……………ちょっと待ってくれ、ドローンの映像を転送する』

 

 無線機に耳を傾けつつ、俺は息を吐く。

 

 俺とクランの2人が待機しているのは、タンプル塔の地下に用意された中央作戦指令室。とはいえまだ地下の設備の規模は小さく、メンバーの寝室よりも若干広い中世の城の中のような部屋に、無造作にテーブルや無線機を置き、壁に大きな世界地図を張り付けた程度だ。

 

 シュタージには坊や(ブービ)と木村もいるんだが、あの2人にはもう既に36cm砲のうちの1門へと向かってもらっており、そちらで砲撃を担当してもらう事になっている。

 

 タンプル塔の36cm砲は、口径ならば旧日本軍の金剛級戦艦や扶桑級戦艦と同じだ。しかし発射できる砲弾はより種類が豊富で、通常の榴弾や徹甲弾に加え、無数の鉄球を地表へとまき散らすキャニスター弾や対空用の対空榴弾なども用意されている。しかし、やはり破壊力が最も高いのはタクヤからの要請があったMOABだろう。

 

 MOABは、アメリカで開発された大型の爆弾だ。核爆弾ではないが、その破壊力はちょっとした核兵器並みだという。しかし爆弾のサイズが大き過ぎるため、戦闘機や爆撃機の翼に吊るしたり、ウェポン・ベイに搭載しての運用は不可能だ。大型の格納庫を持つ輸送機に搭載し、その格納庫から地表へと投下させる必要がある。

 

 この36cm砲は、それを砲弾に改造したものを発射することが可能なのだ。最大射程は360kmとなっており、かなり遠くにいる敵にも砲弾をお見舞いする事ができるようになっているほか、今後設置する予定のレーダーサイトを活用すれば、地上の目標だけでなく航空機さえも確実に撃墜できる最強の対空砲と化す。

 

 しかし、はっきり言ってこの36cm砲はあくまでも『副砲』に過ぎない。タンプル塔の名前の由来となり、シンボルとして中央に屹立する決戦兵器こそが、テンプル騎士団の切り札だ。

 

『映像を転送する』

 

「了解。……………確認した」

 

 テーブルの上には、タクヤが映像の確認用に置いていってくれた小さなモニターとコンソールも置かれている。モニターにはもう既に暗い夜の砂漠の光景が映し出されており、空爆で燃え盛る炎で砂の大地がうっすらと照らし出されていた。

 

 その真っ只中を進軍するのは、橙色の制服に身を包み、肩や胸元などに金属製の防具を身に纏った無数の騎士たち。肩に装着している防具には、フランセン共和国のエンブレムがこれ見よがしに描かれている。

 

「砲撃体勢に入る。ただちに作戦地域より退避せよ」

 

『了解(ダー)!』

 

「ケーター、目標地点のデータを1番(アインス)へ転送」

 

「了解(ヤヴォール)。おい、2人とも。出番だぞ」

 

『了解(ヤヴォール)。MOAB、装填します』

 

 木村が装填手を担当し、坊や(ブービ)が砲手を担当する。ドローンが送ってきた映像と目標地点のデータを使えば、坊や(ブービ)が砲手じゃなくても百発百中にはなるんだが、やはり砲手を任せられる人材は彼しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木村がコンソールを操作すると、外にあるクレーンが砲台の地下にある弾薬庫からMOABを掴み上げ、真上を向いた状態で静止している36cm砲のハッチへと装填する。真上を向いている状態しか再装填(リロード)はできないため、次の砲撃を行うには砲身を再び真上へと向けてから再装填(リロード)する必要がある。

 

 そのため、次の砲弾をぶっ放すためには早くても3分間の時間が必要となる。連射はきかないため、発射するからにはその一撃で敵を仕留めなければならないのだ。優秀な装填手や、スムーズに砲弾を装填してくれる自動装填装置がある戦車とは違う。いつもは百発百中が当たり前だが、ミスは絶対に許されないというさらに大きなプレッシャーが立ちはだかっているせいなのか、発射スイッチに手を近づけ、モニターを凝視して照準を合わせる俺の額には汗が浮かんでいた。

 

 がごん、と大きな音がして、砲身に砲弾が装填されたという事を告げる。

 

「ハッチ閉鎖完了」

 

「了解(ヤヴォール)、発射角度の調整に入る」

 

 座席の右側にあるコンソールを、訓練でやった通りの順番でタッチ。タクヤのドローンが送ってくれている映像と目標地点のデータを入力し、砲身の照準を合わせる。

 

 目標までの距離は23km。砲弾が着弾するまでの時間はおよそ4分。攻撃目標は……………緩やかだが、タクヤたちに向かって移動している。4分後に目標が到達している筈の地点に照準を合わせる必要があるのだから、このままではタクヤたちまで巻き込んでしまいかねない。

 

 大丈夫だろうかと思って映像を確認していたが、ムジャヒディンたちを引き連れてタクヤたちも後退を始めている。先ほどの戦いで負傷した仲間にはエリクサーを渡して回復させ、足が遅いやつは戦車の上に乗せて後退を始めている。

 

 丁度、敵の増援との間に駐屯地を挟んでいる状態だ。駐屯地は障害物もあるから、増援部隊の進撃速度も低下する。これならば追いつかれる心配はないだろう。

 

「微調整、完了」

 

坊や(ブービ)、聞こえる?』

 

「おう、クラン」

 

『絶対外さないでね?』

 

「任せろって。MOABだぞ?」

 

『まあ、大丈夫だとは思うけど……………もし外したら、パンジャンドラムに縛り付けて坂の上から転がすわよ♪』

 

「!?」

 

『あ、あと連帯責任で木村も♪』

 

「!?」

 

 ぱ、パンジャンドラム!?

 

 ちょっと待て! 何だそれ!? 罰ゲームか!? いや、そんな罰ゲームやったら死ぬぞ!? ロケットエンジンを搭載した車輪と一緒に転がれって事だろ!?

 

 しかも、パンジャンドラムってかなりの量の爆薬を内蔵してるんだよな。……………起爆したら死ぬじゃん。いや、起爆しなくても死ぬか。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? ぶ、坊や(ブービ)、絶対外さないでくださいねっ!? 外したら一生恨みますから!!」

 

 こ、このガスマスク野郎、プレッシャーかけんじゃねえよ……………。俺だってパンジャンドラムに縛り付けられて転がされるのは嫌だぜ?

 

 というか、それってタクヤが前に言ってた罰ゲームじゃねえの?

 

『おいお前ら、俺の女(クラン)に文句言ったらV2ロケットに縛り付けて飛ばすからな?』

 

「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」」

 

 ぜ、絶対外したくない……………。あとケーターの前でクランに文句言えなくなったじゃねえか。

 

 深呼吸し、静かに瞼を閉じる。それだけ狙いを外すことが許されない状況だという事だ。いつもとあまり変わらないじゃないか。違うのは使う得物が違うだけ。こいつは120mm滑腔砲よりも扱い辛く、強烈な得物であるという事だけだ。

 

 プレッシャーは嫌いだ。俺は元々気が弱い男だからな。だから中学校くらいまでは友達がいなかったし、どうせ高校に入学しても友達ができないままなんだろうと思っていた。

 

 けれども、辛うじて高校で友達を作ることができてからは、ちょっとずつ変わる事ができた。少しずつプレッシャーにも強くなったし、虐められることも減った。ああ、俺は変わったんだ。変化は小さいかもしれないけれど、積み重ねていけば、最終的には大きな変化になる。

 

 あらゆる変化を経て、俺はここまで進歩した。まだあの時みたいにビビるわけにはいかない。

 

「……………発射準備完了。秒読みを開始する」

 

 この一撃に、同志たちが期待しているのだから。

 

「――――――10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)……………」

 

 隣に座り、モニターを凝視する木村が息を呑む。罰ゲームを恐れているのではなく、純粋にこの一撃が成功するか否かが気になるのだろう。

 

 下手をすれば、この一撃が彼らの戦いを終わらせる一撃になる。砲弾を放ち、終止符を打つのだ。その大切な役を俺が担当する。

 

(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)―――――――――」

 

『――――――――撃て(フォイア)ッ!』

 

「発射(フォイア)ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 今まで感じていた緊張を、雄叫びとして身体の外へと押し出す。発射スイッチに近づけていた俺の小さな指が赤いスイッチを押し込んだかと思うと、俺たちの頭上からとてつもなく大きな振動が生じ、俺たちの制御室の壁を揺るがした。

 

 戦車砲の口径を遥かに上回り、戦艦の装甲を貫通する事も可能な36cmの砲弾が、ついに発射されたのだ。内蔵されているのは核兵器に匹敵する破壊力を秘めたMOAB。着弾する予測地点は、駐屯地に差し掛かる敵の増援部隊の中心部。

 

 罰ゲームはごめんだが、負けるのもごめんだ。

 

 だから命中しますようにと、俺は着弾するまで祈ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急げ急げ! 吹っ飛ぶぞ!」

 

 戦車の砲塔の上に顔を出し、突撃に参加した多くのムジャヒディンの仲間を乗せながら後退する戦車から叫ぶ。足の速さに自信がある兵士や軽傷で済んでいる兵士は自力で突っ走っており、中には後退する戦車を置き去りにして撤退していくほど足の速い奴らがいる。現時点で逃げ遅れた仲間はいないらしい。

 

 敵の規模は800人。しかも俺たちをかなり警戒しているのか、進撃する速度は思ったよりも遅く、しかも密集隊形だという。戦場で慎重になるのは当たり前だが、限度もある。慎重になり過ぎればチャンスを逃してそのまま身を滅ぼすこともあるのだ。今から繰り広げられる光景が、その一例となるのは言うまでもない。

 

『弾着まで、あと30秒!』

 

「了解(ダー)!」

 

 注文したのは、ちょっとした核兵器並みの破壊力を誇るMOABを改造した砲弾だ。着弾すれば凄まじい大爆発を発生させ、敵の増援部隊をその一撃で吹き飛ばしてくれるに違いない。だが、それほどの破壊力を持っているという事は当然ながら衝撃波も規格外の破壊力であり、下手をすれば戦車も吹っ飛ばされる恐れがある。

 

 だから安全圏だからといっても油断はできない。時間が許す限り、遠くに離れなければ。

 

 突撃していったパンジャンドラムや、彼らに押し潰された騎士たちの死体がやがて見えなくなる。うっすらと炎に照らされる駐屯地には、やっと俺たちが撤退を始めているという事に気付いた増援部隊と思われる人影が見えた。

 

 双眼鏡を取り出し、これから爆風に呑み込まれる運命にある彼らを凝視する。橙色の制服の上に、フランセン共和国のエンブレムが描かれた白銀の防具。可能な限り防具は身軽なものが好まれる今の時代でも、フランセンの防具は他国と比べると重武装となっている。だから判別は容易なのだ。

 

 どうやら俺たちが撤退を始めていると気付いたらしく、武器を構えた騎士たちが突撃の用意を始める。後方ではフランセンのお家芸とも言える魔術師部隊が、早くも魔術の詠唱を始め、様々な色の魔法陣の展開を始めていた。

 

 ああ、その努力は全部無駄になる。

 

 お疲れ様。

 

「―――――――遅かったじゃないか」

 

 もっと早く突撃するべきだったな。お前たちは、慎重になり過ぎた。

 

 まあ、俺たちが圧倒的な戦闘力の差を見せつけたのが功を奏したのかもしれないが。

 

『着弾まで、あと10秒』

 

「見ておけ、イリナ」

 

「?」

 

 砲塔の後ろに乗り、ひょっこりと顔を出しながら遠ざかっていく駐屯地を見つめていた吸血鬼のイリナに、戦車のエンジンの音が響き渡る中で俺は語りかけた。

 

「最高の爆発だ」

 

 核兵器を除けば、最高の爆発が目の前で繰り広げられる。爆発が大好きな彼女は、果たしてMOABが生み出す閃光を目の当たりにしてどんな反応をするのだろうか。

 

 それに、爆発だけではない。ムジャヒディンやカルガニスタンの人々を虐げていたクソ野郎共が、目の前で消え去るのだ。これからも彼らの支配は続くかもしれないが、虐げようとするのならば銃を手にして奴らを殲滅すればいいだけの話だ。

 

 だから、この弔い合戦に終止符を打つMOABの閃光が、同時に奴らへの宣戦布告となる。

 

 虐げられている人々でも立ち向かうことはできる。これから、彼らがそれを証明するのだ。

 

(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)……………弾着、今!』

 

「くるぞッ!!」

 

 仲間たちに警告を発した次の瞬間だった。

 

 砲弾が落下してくる音が、全ての音を支配した。あの雪山での戦いでスオミの槍が着弾する時のように重厚で、まるで俺たちが勝利したと代弁してくれているかのような、豪快な唸り声。それが今からもたらすのは、やはり俺たちの勝利。

 

 これでジナイーダは安心して成仏してくれるだろうかと思ったその時、砲弾が落下する際に生じる唸り声が途切れ―――――――――純白の閃光が、駐屯地を包み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 



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死者と戦果

 

 

 大地が膨れ上がり、砕け散る。

 

 大昔に兄さんが読んでくれたおとぎ話に、そんな場面があった事を思い出す。確か自分たちの欲を優先させて他の種族から搾取を繰り返した人間たちが、エンシェントドラゴンたちの怒りに触れ、住んでいた街ごと滅ぼされる場面だ。

 

 人間たちにとっては戒めの物語で、私たちにとっては報復の物語。私と兄さんを奴隷にして毎日酷い事を繰り返す人間たちも、そんな目に遭ってしまえばいいのにと檻の中で何度思ったことか。

 

 それが、目の前で繰り広げられている。いきなり空から降り注いだ何かによって大地が抉れ、膨れ上がり、閃光を発しながら崩れていく。今まで目にしてきた爆発を遥かに上回る大爆発は、この砂漠で命を落としていった同胞たちや、彼らに奴隷にされていった住民たちの怒りが炸裂したかのようにも見える。

 

 砂を含んだ熱風が荒れ狂う中で、僕はその爆発を目にしたまま呆然としていた。

 

 破壊力にびっくりしたのも理由の1つだけれど、一番大きな理由は僕たちの報復があの一撃で終わってしまったという事だ。

 

 まだ足りないというわけではない。確かにフランセンの騎士は憎たらしいし、生き残った奴がいたらこのスコップでぶん殴ってやりたいところだけれど、そうしたら僕はもう止まらなくなってしまうと思う。

 

 小さな子供が、いつまでも遊んでいたいと駄々をこねるのと同じ。いつまでも復讐を続けていたら、きっと僕は帰れなくなってしまうと思う。

 

 だからあの爆発で、この復讐は終わり。区切りをつけるには丁度いい合図だ。

 

「ジナイーダ……………」

 

 脳裏に、死んだ親友の姿が浮かんでくる。

 

 僕たちは吸血鬼だというのに、全く怖がらずに接してくれた優しい少女。大人になって自由になったらお金を貯めて、世界中の孤児のために大きな孤児院を建てるって言っていた彼女の夢は、結局叶うことはなかった。暑くて血と膿の臭いがする汚い部屋の中で、男たちに心と身体を汚され尽されて息絶えた彼女は、きっと絶望していたに違いない。

 

 でもね、ジナイーダ。

 

 僕たちは、勝ったよ……………!

 

「終わったよ………………………」

 

 みんなで仇を取ったんだ。

 

 もう、あいつらに虐げられていた奴隷たちが苦しむことはない。もし苦しめている奴らがまだ残っているというのなら、僕たちが全員葬ってやる。

 

 だからジナイーダ。安心して。

 

 今度は、僕がジナイーダの夢を叶える。頑張ってお金を貯めて、ジナイーダが目標にしていた孤児院を建てるんだ。そして孤児たちをちゃんと育てて、平和になった世界に送り出す。

 

 誓うよ、ジナイーダ。

 

 君の夢は僕が絶対に叶える。

 

「……………………帰ろう、みんな」

 

 戦車のハッチから身を乗り出していたタクヤが、爆発を見つめながら呟く。増援部隊の中には魔術師もいたみたいだけど、あんな爆発を防ぎ切れる魔術は存在しない。仮に存在したとしても、発動するには800人程度の魔力を合わせただけでは絶対に足りない。

 

 生存している可能性は極めて低いし、生きていたとしても遮蔽物は爆発で全部吹っ飛ばされちゃったからすぐに狙撃できる筈だ。それに放置していたとしても、魔物の餌食になるだけ。

 

 黒煙がゆっくりと崩れていく。眼下の炎に照らされる中で崩れていくその黒煙は、まるで復讐を終えて去っていく僕たちの憎しみのようだった。

 

 徐々に崩れ、消えていく。

 

 復讐心を動力源にして戦いに臨んだ以上、勝利した後に口にできるのは『勝利の美酒』ではない。復讐を終えてからそれを口にしようとすれば、自分の中の復讐心は消えていく。

 

 戦車の砲塔の上に乗ったまま、僕はその黒煙が原型を留めなくなるまで、ずっと空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三者から見れば、この駐屯地の襲撃作戦はテンプル騎士団の圧倒的な勝利だろう。実際に損害もほとんどないし、僅かな負傷者も軽傷ばかり。しかも彼らはもうステラのヒールやヒーリング・エリクサーで傷を治療し、既に復帰している。

 

 俺もこの戦いは完勝だと思っている。損害は殆どないし、負傷者も全員無事に復帰してくれた。結構な量の弾薬を消費してしまったものの、12時間経過すれば弾薬が補充される上に銃も最善の状態に勝手にメンテナンスしてもらえるので、実質的な損害はゼロである。

 

 しかし、この戦いが勝利か否かを決めるのは俺たちではない。あの復讐を渇望したムジャヒディンたちにこそ、この戦いの結果はどうだったか語る権利がある。俺たちはあくまで彼らに力を貸し、共に戦っただけだ。

 

『――――――――共に戦った戦士たちよ、我らは奴らに勝利した』

 

 まるで剣を抱き締めるかのような恰好で眠るジナイーダの亡骸に、凛としたカルガニスタン語で語りかけるのはムジャヒディンのリーダーであるウラル・ブリスカヴィカ。彼の隣には妹のイリナが立ち、ブリスカヴィカ兄妹の後ろにはフランセンの騎士たちと共に戦ったムジャヒディンの戦士たちがずらりと並ぶ。

 

 彼らが語りかけているのはジナイーダだけではない。彼女が死ぬよりも前に、フランセン共和国騎士団への抵抗で命を落としていった戦士たちも数多いという。それに戦士以外にも、村に住んでいた民間人も犠牲になっている。その場で殺されたり、奴隷にされてしまったカルガニスタンの人々は無念だったことだろう。

 

 散っていった人々の恨みを晴らしたと、ウラルは死者たちに告げているのである。

 

 これで安らかに眠ってくれますようにと祈りながら。

 

『もう恨まなくていい。恨むべき者たちは、もう我らが葬った。だからもう苦しまなくていい』

 

 幼少期に習ったカルガニスタン語を頭の中でオルトバルカ語に翻訳しつつ、AK-74のグリップをぎゅっと握ったまま立つ。ウラルが語り掛け終わったら、今度は俺たちの出番だ。

 

 今はジナイーダの葬儀の真っ最中なのだ。ジナイーダだけでなく、死んでいった戦士たちに戦果を報告し、安らかに眠れと祈る役割をするべきなのは俺たちではなく、ウラルたちだ。だから俺たちは一列に並び、弔銃を放つためにここで待機している。

 

『我らは諸君のことを決して忘れない。我らが諸君の代わりに歩み、代わりに夢を実現させる。どうか……………………すべてを我らに託し、安らかに眠り給え』

 

「構え!」

 

 俺の号令で、AK-74を持つテンプル騎士団の同志たちが一斉に銃口を天空へと向ける。今から別に空から襲ってくる敵を迎撃するというわけではない。散っていったムジャヒディンの戦士たちを弔うための銃撃だ。

 

 ジナイーダの葬儀が始まる前に、仲間たちと一緒に練習しておいた。使っている銃はいつものAK-12やAN-94ではなく、ムジャヒディンたちに貸していたAK-74をちょっとばかり借りている。

 

「――――――――撃てぇ(アゴーニ)ッ!」

 

 ズドン、と一斉にセミオート射撃の銃声が空へと駆け抜けていく。

 

 リアサイトとフロントサイトの彼方を睨みつけながら、あの前哨基地で救う事ができなかった少女の顔を思い出す。あの時の彼女の顔は血まみれで、絶望的な最期だったのだろうとすぐに察する事ができるほどだった。けれど、棺の中で安らかに眠る今の彼女の顔を見てみると、とてもそんな無残な最期を遂げたとは思えない。

 

 あんなに安らかに眠っているのは、イリナたちが仇を取ってくれたからなのだろうか。それともウラルたちが全てを引き継いで歩き続けると宣言したからなのだろうか。

 

「――――――――撃てぇ(アゴーニ)ッ!」

 

 もう一度号令を発し、トリガーを引く。

 

 いつも感じている7.62mm弾の反動(リコイル)と比べれば5.45mm弾の反動はかなり小さい筈なのに、彼女を救う事ができなかったという後悔のせいなのか、全く反動が小さいという感じはしない。むしろ大きくなり、俺の右肩にのしかかってくるような重圧にすら感じてしまう。

 

 彼女は許してくれるだろうか。あんな無残な最期を認めるだろうか。

 

 彼女を弔うための銃声が、少しずつ俺の心を削っていく。心を掠め、風穴を開け、少しずつ崩していくような感覚がする。

 

 苦悩しつつ数回発砲を繰り返した俺たちは、素早くAK-74を下げると、そのまま数歩後ろへと下がって直立を続けた。

 

 今度は、松明を手にしたイリナが一歩前に出る。整列する仲間たちの前に立った彼女は仲間たちに一礼すると、松明を右手に持ったまま、親友が安らかに眠る棺の前まで進んだ。

 

 ムジャヒディンの戦士たちの葬儀は基本的に火葬だという。あの世で襲い掛かってくる悪霊を打ち払うため、護身用の剣を1本だけ棺の中に入れてから火葬にするという風習があるらしく、ムジャヒディンの1人として戦ったジナイーダの葬儀は彼らのやり方で弔う事になっている。

 

 鞘に収まった剣を抱き締めるかのような恰好で棺の中で眠るジナイーダ。友人の顔を見て思い出を思い出してしまったのか、松明の炎に照らし出されるイリナの頬を、雫が流れ落ちていく。

 

 彼女は松明を左手に持ち替えると、右手で涙を拭い去ってから彼女の顔へと手を伸ばした。身体中に付着していた血や汚れを洗い落とされ、安らかに眠る彼女の身体はもうとっくに冷たくなっている。けれどもイリナは、まるで冷たくなってしまったジナイーダの身体を温めようとしているかのように彼女に触れ、目を瞑りながら首を横に振った。

 

「もう…………………お別れなんだね、ジナイーダ」

 

 ジナイーダは返事を返さない。ただ剣を抱いたまま、棺の中で横になっているだけである。

 

 涙声に変わってしまった声で、自分の嗚咽を何とか抑え込むイリナ。別れを告げなければならないという意思と、親友の思い出の板挟みになるイリナの姿はあまりにも痛々しい。

 

 彼女を見つめていた俺は、無意識のうちに「すまない」と呟いていた。

 

 あの時ジナイーダを助けていれば、こんな辛い経験をしなくて済んだかもしれないのに、とまたしても後悔してしまう。

 

「…………………僕、吸血鬼だから…………ジナイーダの所に行くの、遅くなっちゃうかも」

 

「イリナ………………」

 

「でも、必ずジナイーダの夢を叶えるよ。孤児院を建てて、いっぱい子供たちを救って……………………ふふっ。そっちに言ったら、いっぱい土産話を聞かせてあげる。だから……………………待っててね」

 

 ああ、そうか。

 

 別れではないんだ。生きている以上は死者と会うことはできなくても、人生を終えて眠りにつけば再開することはできるのだ。

 

 その時に、彼女はジナイーダに報告するのだろう。彼女の夢を叶えたというイリナの〝戦果”を。

 

 だから報告する時まで、ちょっとだけ会えなくなるだけ。完全な別れではない。

 

 イリナは涙を拭い去ると、棺の蓋を閉じてから松明を掲げ―――――――――静かに、ジナイーダの眠る棺に着火した。

 

 彼女の眠る棺はあっという間に炎に包まれ、テンプル騎士団のメンバーやムジャヒディンの仲間たちが見守る前で火柱と化す。親友(イリナ)の放った炎が彼女の亡骸を焼き尽くし、噴き上がった炎と黒煙が、あの世へとジナイーダの魂を送り届ける。

 

 日が登り始めた空へと上がっていく煙を見上げていた俺の頬を、小さな雫が流れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムジャヒディンの協力でほんの少しだけ拡張されたタンプル塔の地下に、新しい部屋が用意されていた。部屋と言っても普通の寝室のようなスペースではなく、集会でも開けそうなほど広い部屋である。けれども床や壁は特にタイルやレンガで覆われているわけではなく、掘り返した後の土を平らに整えた程度だ。

 

 その部屋の真っ只中に、ぽつんと小さな墓石が鎮座している。『ジナイーダ』とカルガニスタン語で刻まれた墓石の周囲には花束が供えられており、その前には冷水の入った瓶が置かれている。

 

 ここは、タンプル塔の地下に用意された地下墓地だ。部屋の中には早くもジナイーダの墓石が置かれており、その下には彼女の遺灰が埋められている。

 

 本当は開放感のある外に作りたかったんだが、外には強烈な36cm砲があるから衝撃波で吹っ飛ばされてしまうかもしれないし、かといって本部から離れた場所にあるのは岩山か、魔物が徘徊する砂漠しかない。死者が安らかに眠れそうな場所はここしかないという事で、窮屈かもしれないけれど地下に墓地を作ったのである。

 

 墓石の前で胡坐をかいているのは、桜色の短い髪が特徴的ながっちりした体格の大男だった。大きな右手で、この砂漠では貴重品である冷水の入った瓶を拾い上げ、コルクの蓋を取ってから墓石に冷水を浴びせていく。

 

「ウラル」

 

「タクヤか…………………」

 

 俺も墓石の前へと行き、アイスティーの入った水筒と花束を墓石の前にそっと置いた。一歩後ろに下がってからそっと目を瞑り、黙祷してから踵を返す。

 

「なあ、タクヤ」

 

「ん?」

 

 立ち去ろうとした俺を、ウラルは振り返らずに呼び止めた。

 

「―――――――お前たちは、このまま人々を救うために戦い続けるのか?」

 

「ああ。それが………俺たちの理想だ」

 

 虐げられる人のいない世界を作るために、人々を虐げるクソ野郎共を狩り続ける。世界中に転生者ハンターを配置し、情報を共有することでその狩りをより効率化させていき、世界を守る。それがテンプル騎士団の計画だ。

 

 転生者に虐げられる人々や、自分たちに人権を与えない理不尽な世界に絶望する奴隷たちを救済するのが、テンプル騎士団の最終的な目的である。

 

「そうか………………。それなら、ジナイーダも安心してくれる」

 

「………………」

 

 胡坐をかくのを止め、ゆっくりと立ち上がるウラル。唇を噛み締めながらゆっくりとこちらを振り返ったウラルは、まだ紅い瞳の脇に残っている涙を剛腕で拭い去ると、彼から見ればずっと小柄な俺を見下ろした。

 

「――――――――ムジャヒディンとゲリラの生き残った奴らで話し合ったんだ。………………俺たちも、テンプル騎士団に入れてほしい」

 

「……………本当か?」

 

 本当なら、とてもありがたい話だ。正直に言うとムジャヒディンはぜひ仲間に引き入れたいところだったし、テンプル騎士団は人手不足で困っていたのだ。一番最初の拠点となったスオミの里とは距離も離れているし、現時点では拠点同士での支援も不可能な状態だ。それに本部となったタンプル塔も、人数不足で兵器を運用するための設備の設置や拡張すらままならない状況となっており、テンプル騎士団の本部として全く機能していなかった。

 

 しかし、フランセンの騎士たちを蹂躙する戦いを見せた勇猛な彼らが加わってくれるのならば非常に心強い。それにムジャヒディンはスオミの里に住むハイエルフたちのように、1つの種族だけではなく、吸血鬼やハーフエルフなどのあらゆる種族が参加している。もちろん種族ごとに得意分野は違うので、様々な分野に割り当てる事ができるという強みもある。

 

 あの戦いでの戦死者はゼロであるため、参加する人数は一気に47名。設備の拡張だけでなく兵力の本格的な増強も期待できる規模である。

 

「お前たちの理想は実現されるべきだ。この世界には、まだまだ苦しんでいる人々がいる。だからテンプル騎士団の理想を実現させる手助けをさせてほしい」

 

「―――――――――分かった」

 

 彼らも、目にしている筈だ。

 

 カルガニスタンだけでもどれだけの人々が虐げられ、苦しんでいるのかを。オルトバルカのように裕福な国でも、誰かが虐げられて苦しんでいるというのは変わっていないのだ。そしてその仕組みは大昔から変わっていないという。

 

 俺も前世の世界では苦しんでいた。さすがに奴隷にされたりしたことはないが、前世のクソ親父には散々虐待されたし、その暴力のストレスが原因で前世の世界の母さんも死んでしまった。虐げられていたからこそ、虐げられる人々の苦しみはよく分かる。

 

 そしてムジャヒディンも同じだ。虐げられる苦しみを、彼らも理解しているのだ。

 

 だからこそ、この理想を理解してくれた。

 

 砂漠のど真ん中で〝同類”に会う事ができた俺は、いつの間にか微笑んでいた。

 

 相手は吸血鬼。俺の親父は、その吸血鬼の王を殺している怪物の王だ。けれども、憎しみ合っている筈の種族でもこうして共に戦う事ができると、俺はこの砂漠で知る事ができた。

 

 右手を差し出し、ウラルの大きな手を握る。がっちりした彼の右手をぎゅっと握りながら、俺はウラルの顔を見上げた。

 

「―――――――――テンプル騎士団へようこそ、同志」

 

 

 

 

 

 第十章 完

 

 第十一章へ続く

 



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第11章
みんなで訓練をやるとこうなる


 

 

 舞い上がる砂と熱風。長年そこに積もっていた砂を押しやって大地を無礼に抉るのは、ほんの数秒前に着弾したグレネード弾が生み出した爆風だった。炎と破片をまき散らして気が済んだのか、その爆風が残した黒煙はやがて熱風に掻き乱され、散々形を崩されて灼熱の大地へと消えていく。

 

 そして、再び着弾。同じ現象がまたしても繰り返される。

 

 マーマイトを塗った食べかけのトーストを口の中へと放り込み、咀嚼してから飲み込む。水筒の中に入っていたアイスティーも全て飲み干しつつ、そろそろ彼女のグレネードランチャーは弾切れだなと予測した俺は、彼女に文句を言われる前に予備の40mmグレネード弾をこっそりと足元に置く。

 

 我ながら紳士的なサポートじゃないか。

 

 母さんには小さい頃から「紳士的で立派な男の子になるのだぞ」って言われながら育てられたし、これで合ってるよね。というか、身内でまともに俺の事を男だと認識してくれているのって母さんくらいなんじゃないだろうか。エリスさんが俺にコスプレをさせようとしていた時も「タクヤは男の子だ」って言って咎めてたし。

 

 うん、やっぱりママは俺の味方だね。ありがとう、お母さん。絶対親孝行する。紳士を目指すならレディー・ファーストが鉄則だから、親孝行は一番最初に母さんにしよう。その次がエリスさんで、次はガルちゃんだ。エンシェントドラゴンには寿命と性別という概念が存在しないらしく、性格に言えばガルちゃんは〝男でも女でもない”らしいんだけど、俺たちにとっては姉のような存在だからな。恩返ししないといけない。

 

 親父、あんたは最後だ。

 

 母さんには本当にお世話になった。初めて狩りに行く時も承認してくれたし、剣術の訓練はいつも母さんが担当だった。俺の得物はナイフだけど、戦い方の半分は母さんの戦い方をベースにしている。

 

 それに……………赤ん坊の頃は滅茶苦茶お世話になったからな。特にミルク。

 

 うん。……………ミルク、最高でした。転生っていいですね。

 

「ちょっとタクヤッ!」

 

「は、はいっ!?」

 

 おっと、赤ん坊の頃の事を思い出してたら怒られた。

 

 びっくりして声の聞こえてきた方を振り向くと、グレネードランチャーを肩に担いだ薄着の少女が、俺の方を睨みつけていた。

 

 砂漠で身に着けるにしては薄着と言えるかもしれないけれど、露出が多めになっているせいなのか、とても活発で健康的という印象がある少女だ。フードの下の桜色の髪も短めで、気が強そうな紅い瞳も彼女が簡単には屈しない強い少女であるという事を主張している。

 

 彼女の名は『イリナ・ブリスカヴィカ』。カルガニスタンを支配するフランセン共和国に立ち向かうために結成されたムジャヒディンの一員であり、現在は仲間たちと共にそのままテンプル騎士団の一員として訓練を続けている。

 

 ムジャヒディンには様々な種族が参加している。人間は当然ながら見かけるし、エルフやハーフエルフも共に戦っている。あまり見かけないダークエルフやオークも参加しており、しかも組織内では全然差別がなかったらしく、みんな平等だったという。人間だろうと身分が低ければ当たり前のように奴隷にされる先進国とは違い、この組織の中はとても平等だ。まさにあらゆる種族の理想郷である。

 

 イリナと彼女の兄のウラルは、かつて奴隷にされていた吸血鬼の兄妹だ。両親はレリエルに従わずに人間たちとの共存を選んだ穏健派の吸血鬼だったらしく、レリエルを殺したキメラを恨んでいるわけではないらしい。

 

 吸血鬼はあらゆる種族の中でも強力な種族で、なんと再生能力を持っているのである。弱点で攻撃されない限りは永遠に再生を続けるため、他の種族よりも死ぬ確率が低い。そのため大昔の戦争では人間の騎士団を蹂躙し続けたという。

 

 けれども日光には弱いらしく、日光を浴びると高熱が出た時みたいにだるくなるらしい。それに元々吸血鬼は夜行性らしく、昼間は眠いという。だから昼間は寡黙に見えても、夜になると別人のようにテンションが上がる吸血鬼も珍しくはない。

 

 2人の制服には、日光を防ぐためにフードがついている。特に頭と胸を日光から守れれば2人の場合は問題ないらしいので、露出が多めなイリナの制服でもその2ヵ所はしっかりとガードしている。

 

 仲間になってくれたのはかなり頼もしいんだが……………ちょっとこのブリスカヴィカ兄妹には問題がある。

 

「ねえ、早く次の弾ちょうだいっ!」

 

「え? さっき足元に置いたろ?」

 

 そう、ついさっき彼女の足元に、紳士的にグレネード弾をそっと置いておいた筈だ。訓練中の彼女の邪魔をしないようにあえてこっそり置いたんだけど、気付かなかったのかな?

 

 そう思いながら彼女の太腿をちらりと見て、足元を見下ろす。6発のグレネード弾が仲良く置かれてる筈だったんだが…………1発で歩兵を何名も吹っ飛ばすおそろしいグレネード弾の姿はない。

 

「もう撃っちゃった!」

 

「早くない!?」

 

 えぇ!? もう撃ったの!?

 

 いや、確かにイリナの使っているRG-6は6連発が可能なグレネードランチャーだけど、いくら俺が赤ん坊の頃の事を思い出してぼーっとしていたとはいえほんの数秒の筈だぞ!? その間に撃ち尽くしたって言うのか!?

 

「ねえ、早くちょうだいっ! 爆発を感じたいのっ……………!」

 

「あ、ああ……………」

 

 イリナは吸血鬼であるため、戦闘力が高い。だから非常に頼りになる戦力の1人なんだが……………爆発が大好きらしく、色んなものを爆破するのを最優先に行動してしまうという大問題を抱えたボクっ娘なのである。

 

 なので、使う武器は一部を除いて全て爆発する武器となっており、下手をすれば仲間を巻き込んだり、自分も自爆する危険性がある。いくら吸血鬼の身体能力が高いとはいえ、グレネードランチャーとロケットランチャーを装備した挙句、対戦車手榴弾やC4爆弾をこれでもかというほど携行するのは正気の沙汰とは思えないんだけど……………。

 

 おまけに魔術も爆発するようなものを優先して習得しているという。いったいどうして爆発に興味を持ってしまったんだろうか。これってただの爆弾魔だよね?

 

 とりあえず怒らせると血を吸われてしまうかもしれないので、大人しく渡しておく。とはいえこれが最後だ。

 

 グレネード弾を受け取ったイリナは、拾い上げたグレネード弾のうちの1発を見つめながらうっとりすると、それに頬ずりしてから装填を始めた。6発のグレネード弾を、まだ訓練を始めて日が浅い筈なのに素早く装填し、フォアグリップを握って射撃を開始する。

 

 もう既に残骸と化していた的が、近くに着弾したグレネード弾の破片を一気に浴びて木端微塵になる。噴き上がった爆炎が砂を舞い上げ、爆音がこちらへと押し寄せてくる。

 

「ああ……………この音、最高…………………ッ! ねえ、爆音って気持ちいいよね!?」

 

「そ、そうだな………………」

 

「えへへっ。それぇっ♪」

 

 これを撃ち尽くしたら、次は背負ってるRPG-7の訓練でも始めるつもりなんだろうな。とりあえず弾頭だけ彼女の足元に置いて、バックブラストに巻き込まれないように離れておこう。

 

 彼女には擲弾兵と工兵を兼任してもらう予定だ。あれだけ爆発物を持っているならば敵の歩兵や魔物をまとめて吹っ飛ばすだけでなく、装甲車や戦車などの高い防御力を持つターゲットも破壊することが可能である。俺たちもそう言った武器は装備するようにしているけれど、彼女のように爆発物に特化したメンバーは今のところいない。

 

 自爆の危険性もあるが、火力はトップクラスだ。

 

「イリナ、とりあえずそれ撃ち尽くしたら訓練終了な」

 

「えぇ!? 全然足りないよ!」

 

「あのな、そんなに撃ちまくったらタンプル塔の地形が変わっちまうだろ?」

 

 さすがに歩兵が携行できるような武器で地形を変えるのは難しいけれど、こんな調子で訓練を続けていたら本当に地形が変わってしまうかもしれない。

 

 勘弁してくれよ。ここにはヘリポートや飛行場を作る予定だっていうのに…………。

 

「うー……………が、我慢しなきゃダメ……………?」

 

「うっ…………」

 

 涙目になりながらこっちを見つめるイリナ。まるで大好きなおもちゃを取り上げられた小さな子供や、飼い主に置き去りにされる子犬のような目つきでじっと俺を見つめつつ、唇を噛み締めている。

 

 うーん、いつもこんな感じに頼まれちゃうんだよなぁ…………。

 

「わ、分かった。ほら、こっちにもう1つRG-6と弾薬を全部置いておくから、撃ち尽くしたら戻って来い」

 

「やったぁっ♪」

 

 ひ、卑怯だぞ、イリナ…………。

 

 彼女のために武器と弾薬を置き、額の汗を拭いながらタンプル塔の地下へと続く階段を下りていく。背後からは先ほどよりも大きな爆音とバックブラストの轟音が響いてくるし、その音にイリナの「ああ…………爆発って気持ちいい……………ッ♪」といううっとりしたような声が混じる。

 

 何でテンプル騎士団にはまともな人が少ないんだろうか。いや、テンプル騎士団どころかモリガンもまともな人が少ないような気がする。下手したらモリガン・カンパニーも変人ばっかり集まってる企業かもしれないし。

 

 身の周りの仲間は変わり者ばかりだなぁ。現時点でまともな仲間はナタリアくらいだろうか。彼女のリアクションがあるからこそ俺たちの方が変わってるんだっていう実感を感じることができるし、彼女のツッコミがあるおかげで俺がツッコミをしなくて済んでいる。

 

「お疲れ様です、同志」

 

 イリナの性格を思い出して頭を抱えながら歩いていると、部屋の中でAK-12の点検をしていた仲間がいきなり立ち上がり、俺に向かって敬礼しながらそう言った。俺も微笑みながら敬礼を返す。

 

 確か彼は、ムジャヒディン以外のゲリラ出身だった筈だ。フランセンの騎士たちによってレジスタンスが壊滅し、捕虜となっていたのをあの前哨基地で救出されたのだ。

 

「ああ、お疲れ様。調子はどう?」

 

「最高です。このAK-12という武器は素晴らしいですね。どんどん当たるんですよ」

 

「それは良かった。何か要望があったら遠慮なく言ってくれよ」

 

「はい、同志」

 

 仲間からの要望も聞かないとな。ここはもう、彼らを虐げるための牢獄ではないのだから。

 

 ちなみに、テンプル騎士団本部の歩兵部隊ではAK-12を採用している。AK-47と同様に堅牢だし、命中精度が高い上に汎用性も向上している。標準的な弾薬は5.45mmだけど、要望があれば7.62mm弾に変更するようにしている。異世界では人間だけではなく魔物も相手になるので、できるだけ銃弾は大口径の方が都合がいいのだ。

 

 現時点ではまだちゃんと編成を決めているわけではないが、いずれは偵察部隊とか砲兵隊も編成したいところだ。この周囲の状況をまだ確実に把握しているわけではないし、前進する歩兵部隊を支援するための部隊もまだ編制できていない。編成するだけではなく、その部隊に運用させるための兵器も用意しないとな。

 

 とりあえず、偵察部隊は基本的にバイクを使うようにする。武装も軽装で良いが、危険な魔物が生息していたり、盗賊団のアジトがあるという情報があるような危険地帯に派遣する場合は、完全武装の装甲車1両とその支援用の軽戦車に加え、歩兵を14名から18名程度同行させるようにしようと思う。

 

 でも、そんな部隊を次々に編成できるだけの人員はいないし、ポイントも少ない。そんな部隊が機能し始めるのはもう少し後になりそうだ。

 

「あら、タクヤ」

 

「おう、ナタリア」

 

 テンプル騎士団の黒い制服に身を包み、金髪のツインテールの上に黒い軍帽をしっかりとかぶって廊下を歩いていたのは、テンプル騎士団のメンバーの中で数少ない〝まともな人”のナタリア・ブラスベルグ。一番最初にできた仲間であり、半年だけとはいえ俺たちよりも冒険者としては先輩だ。

 

 テンプル騎士団が設立されてからは、戦車の車長や参謀として活躍してもらっている。それと変わり物ばかりの仲間たちにツッコミを入れる唯一のメンバーでもあるため、本当に助かっている。

 

 先ほどグレネードランチャーを乱射して爆発を楽しんでいたイリナとは違い、ナタリアの制服は露出度が低い。制服と言うよりはもう軍服のような感じの制服で、第二次世界大戦中のドイツ軍の指揮官を彷彿とさせるデザインになっている。

 

 ティーガーⅠのハッチから顔を出すナタリアの姿を想像した俺は、その想像したナタリアの姿に予想以上に違和感がないことに驚きながら、彼女と並んで廊下を歩きだす。

 

 ムジャヒディンに所属しているドワーフたちのおかげで、地下はかなり拡張されたうえに舗装された。石畳を敷き詰めたような廊下はきっちりと整えられ、砂埃をかぶっているのが当たり前だった石畳を見下ろせば自分の姿が映り込む。壁も同じように磨かれており、更にランタンも用意されているため全く暗いとは感じない。

 

 現在はこの下の階に新しい居住区を作っている最中らしく、耳を澄ますと足元から金槌で何かを叩く音や、スコップで土を掘る音が聞こえてくる。

 

「ドワーフさん、頑張ってるみたいね」

 

「差し入れ持って行こうかな。あっ、そういえばナタリアのジャムってかなり好評だぞ。『甘くておいしい』ってさ」

 

「ほ、本当!?」

 

「ああ。俺もあのジャム大好きなんだよね。スコーンとかアイスティーによく合うし」

 

「そ、そっか…………よしっ、今度は本格的にお菓子作ってみるわ! そしたら味見しなさいよね!」

 

「おう、楽しみにしてるぜ」

 

 ちなみに、現時点で料理を担当する事が多いのは俺やケーターだ。俺は前世でも料理をしていたし、こっちの世界に生まれ変わってからも母さんに料理を教わっていたので、料理には自信がある。最近はお菓子作りにも興味が出てきたので、いつか本格的にお菓子を作ってみようと思ってる。

 

 …………この女子力、何とかしないと。

 

「そういえばナタリアはこの後何か予定あるの?」

 

「特に無いわよ? あんたは?」

 

「俺は今から筋トレに行くところだけど」

 

「筋トレ? あんたキメラなんだし、転生者みたいなステータスもあるんだから必要ないでしょ?」

 

「いやいや、スタミナって大事だぞ? キメラでも息が上がる時はあるし、ステータスもスタミナは強化してくれないんだよ。それに身体を動かさないと気が済まないんだ」

 

「ふーん」

 

 もちろん、トレーニングする場所もちゃんと準備している。

 

 俺たちの部屋がある場所は『第一居住区』と呼ばれており、主に元々ここにあった部屋を改装して使っている。この隣にあるのが『戦術区画』で、そこでは展開した部隊や防衛部隊の指揮だけでなく、他の支部との連絡や情報交換なども行っている。その他にも戦闘に関する必要な機能がここに集中しているため、このタンプル塔の〝脳”ともいえる区画だ。

 

 いったいあのドワーフの同志たちがどこまで拡張するつもりかは定かじゃないけど、この調子だと今週中には第四居住区くらいまで拡張してしまいそうだ。ドワーフには仕事熱心な人が多いって聞いたんだけど、過労死しないか心配である。

 

 第一居住区の隣には『訓練区画』と呼ばれる区画があり、戦闘訓練は基本的にここで行う。学校の体育館くらいの広さがある部屋があり、その中には市街地やジャングルなどの全く違う環境を想定した訓練スペースが用意されているほか、射撃訓練用のレーンも用意されており、そこで銃の試し撃ちや慣熟訓練もできるというわけだ。

 

 ちらりと中を覗いてみると、早くもテンプル騎士団の制服に身を包んだ様々な種族の団員たちが、AK-12を装備して建物内への突入訓練をやっているところだった。ドアの中へとスタングレネードを投げ込み、炸裂してからすぐに突入していく団員たち。まだぎこちないけれど、訓練を続ければ彼らも慣れてくれることだろう。

 

 その近くにあるレーンでは、見覚えのある赤毛の少女がモシン・ナガンM1891/30で的を狙撃している後姿が見える。やはりスコープはつけておらず、距離は100m未満のようなので彼女にとっては命中させるのは当たり前と言える。

 

 少し寄っていこうと思った俺は、隣にいるナタリアと目を合わせてからにやりと笑い、こっそりと射撃訓練場のドアを開けた。

 

「ねえ、あの子だれ?」

 

「え?」

 

「隣にいる子たち」

 

 後ろを歩いているナタリアに言われた俺は、目を擦ってからもう一度レーンの方を見てみる。

 

 よく見てみると、ラウラは1人で訓練をしているわけではないらしい。訓練というよりは、仲間になったばかりのムジャヒディンの戦士たちに狙撃の指導をしているらしく、他のレーンには同じようにモシン・ナガンを手にした戦士たちが並び、彼女から指導を受けているようだ。

 

 でもラウラの狙撃って彼女の体質のおかげで成り立っている部分もあるし、教えられるノウハウにも限りがあるんじゃないだろうか。現時点でスコープなしでの狙撃ができるのはラウラだけだし。

 

「そうそう、落ち着いて。無理に動いてる標的を狙う必要はないの。動きを止めるまで、集中して…………いい?」

 

「はい、教官」

 

「やあ、ラウラ」

 

「ふにゃ?」

 

 ああ、大人びていた雰囲気が一瞬で幼くなっちまった…………。

 

 教え子たちもラウラのギャップに驚いたらしく、スコープを覗いていた狙撃手の卵たちが一斉にラウラの方を振り向き、ポカンとしている。さっきまで様々な標的を狙撃してきたベテランの狙撃手の雰囲気を放ち、みんなに「お姉様」と呼ばれてもおかしくないほど大人びた喋り方で指導していたのに、俺の姿を見た途端に「ふにゃ?」って言ったんだからな。

 

 すると彼女はモシン・ナガンを近くの壁に立て掛け、ミニスカートの中から赤い鱗に覆われた尻尾を伸ばすと―――――――――いつも通りに、何の前触れもなく俺に抱き付いてきた!

 

「ふにゃあああああああああっ! タクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「びぞんっ!?」

 

「タクヤっ!?」

 

 やっぱり床に押し倒され、後頭部を強打してしまう俺。起き上がろうとする俺の身体にすぐ尻尾を巻きつけたラウラは、くんくんと匂いを嗅ぎ始めながらうっとりし始める。

 

 ちょっとラウラ。教え子の前でキャラ崩壊してるよ。さっきまではプロのスナイパーだったのに、今ではただのブラコンのお姉ちゃんじゃないか。

 

「えへへっ。どうしたの? お姉ちゃんに会いたくなった? お姉ちゃんもタクヤに会いたかったの。ふふふっ…………やっぱり私たちって両想いなんだね♪」

 

「お、おう」

 

 何とか起き上がるが、まだラウラは尻尾を巻きつけながら頬ずりをしたままである。起き上がった俺を見てやっと正気に戻ったらしく、狙撃手の卵たちは一斉に姿勢を整えると、踵を素早く合わせてから敬礼してくれた。

 

「「「「「「お疲れ様です、同志!」」」」」」

 

「同志諸君、お疲れ様。休んでくれ」

 

 敬礼を止め、足を少しばかり開く狙撃手たち。ラウラの教え子は6人で、種族や年齢はバラバラだ。ハイエルフやドワーフがいるし、俺たちと同い年くらいの奴や30代くらいの男性もいる。ベテランのゲリラなんだろうか。

 

 とりあえず俺も敬礼を止めるが、俺にくっついているブラコンのお姉ちゃんは離れる気配がない。それどころか、教え子たちの目の前だというのに俺の耳に甘噛みし始めている。

 

 ちょ、ちょっとお姉ちゃん止めて。くすぐったい。気持ちいいけど滅茶苦茶くすぐったい。

 

「ええと…………そ、狙撃は……むっ、難しいけど…………ひゃあっ…………その、狙撃手は我々に必ッ…………要な存在だから……………ど、同志しょ……んっ、諸君には、き、期待してるぞ……………? ―――――――ひゃんっ!?」

 

「「「「「「……………」」」」」」

 

 へ、返事がないぃっ!!

 

 しかもラウラが甘噛み止めないし! せっかく狙撃手の卵たちを励まそうとしてたのに、台無しじゃないか! 変な声出たし、途切れ途切れだったぞ!? あんなの団長の激励じゃない!

 

「えへへへっ♪ 紹介するね、みんな! この子は私の弟のタクヤっ! 可愛いでしょ?」

 

「「「「「「は、はい……………」」」」」」

 

 こ、困ってるよ…………。ラウラ先生、生徒を困らせちゃダメでしょ。

 

 まったく。やることがいっぱいあるし、仲間は変人ばっかりだから大変だ。

 

 

 

 

 

 




※PP-19ビゾンは、ロシアのSMGです。


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ウィッチアップル

 

 

 戦術区画と呼ばれる区画には、戦闘に関するあらゆる設備が集約されている。

 

 展開している守備隊や攻撃部隊に命令を出す中央指令室や、他の支部への連絡を行う通信室などだ。現在はムジャヒディンに所属していたドワーフたちが必死にハンマーを振るい、新たな居住区や他の区画の拡張作業を連日続けている。過労死しないように定期的に休みを取らせ、ローテーションで仕事をするようにと厳命しているんだが、ドワーフたちにとっては仕事―――――――特に何かを作るような仕事だ―――――――が生き甲斐らしく、なかなか休みを取ってくれない。おかげで拡張は恐ろしい速度で進んでおり、この調子で地下都市でも作れるんじゃないかと思えるほどの勢いで穴を掘り続けている。

 

 しかも無計画に穴を掘っているのではなく、ちゃんと地盤の強度なども計算して作業しているという。彼らには本当に脱帽だ。

 

 地下で穴を掘る音が聞こえてくる部屋の中に、巨大な円卓とモニターが鎮座している。もし周囲を取り囲んでいるのが中世の城のような装飾された壁だったのならば、アーサー王伝説に登場する円卓にも見えたことだろう。しかし円卓を取り囲む壁は無機質で頑丈な壁で、装飾は一切されていない。

 

 円卓を囲む状態で座っているのは、甲冑に身を包んだ騎士とアーサー王ではなく、漆黒の制服に身を包んだテンプル騎士団の主要なメンバーたち。俺やラウラをはじめとするテンプル騎士団本隊のメンバーに加え、諜報部隊であるシュタージのメンバーもいる。それに、ムジャヒディンの代表という事でブリスカヴィカ兄妹も出席している。

 

 今から始まるのは、実質的にこのテンプル騎士団を統括しているメンバーによる会議だ。この会議の結果によって活動の方針が変わることもあるため、かなり重要な会議なのである。この会議に出席する権限を持つメンバーは、他の仲間たちからは『円卓の騎士』と呼ばれているという。

 

 というわけで、俺も円卓の騎士の1人だ。なんだかカッコいいね。

 

 最終的には他の支部の代表も招待して本格的な会議にしたいところだ。そうすれば他の支部からの意見もすぐに反映できるし、全て俺たちが決めてしまえば他の支部からも反発されてしまうだろう。だから最も反発が少なく、なおかつ合理的な民主主義の方式を採用するのだ。

 

「同志諸君、集まってくれてありがとう」

 

 椅子に腰を下ろしながら、俺は出席してくれた仲間たちに礼を言う。

 

「これで会議は3回目だが……………ひとまず、現時点で最も大きな問題がある」

 

「ふにゅ?」

 

「大きな問題……………?」

 

 ああ、かなり大きな問題だ。今までは人手不足であったため、皮肉にも表面化することがなかった大きな問題。ムジャヒディンがそのままテンプル騎士団に加わったことで、ついにその問題が表面化し始めているのである。

 

 組織を維持するうえで必ず必要になるもの。俺たちには、それが不足している。

 

「―――――――――資金だよ」

 

「あっ」

 

 そう、資金だ。今のテンプル騎士団には、資金が足りない。

 

 今まではラウラやナタリアたちとの旅に必要な資金だけで済んでいた。適度にダンジョンを調査し、みんなでレポートを書いて管理局に提出し、報酬を受け取る。それに前に参加した闘技場の賞金がまだ残っていたので、多少組織が大きくなっても問題はないだろうと高を括っていた。

 

 ところが、一気にムジャヒディンのメンバーが47人も加わったことで、その余裕が一瞬で崩壊する羽目になる。

 

 当然だが、テンプル騎士団に入団した以上は命懸けの戦いをすることになる。いくら現代兵器で完全武装する事ができると言っても、中には銃が通用しない魔物もいるし、弾丸を剣で切り裂いてしまうほどの技術を持つ強豪もいるのだ。銃があるから最強なのだというわけにはいかない。

 

 戦場に出ない団員でも、拠点の拡張や情報の分析などを行ってもらう事になるし、料理も仲間たちに振るまってもらわなければならない。ムジャヒディンに様々な種族が参加しており、更に様々な技術を習得しているメンバーばかりだったのは僥倖だが、いくらなんでも戦闘員も含めてタダで働かせるのは最悪な行為である。

 

 現時点では辛うじて俺が持っていた賞金とダンジョン調査の報酬で賄う事ができていたが、そろそろ底を突きそうだ。だから何とかして資金を手に入れなければならない。

 

 俺の左隣に座るナタリアが、あらゆる費用が記載された書類を片手に持ち、何故かメガネをかけながら席から立ち上がる。

 

 ナタリア、そのメガネは何? 

 

「とりあえず、各部署には資金不足の事を知らせてあるし、こちらで何とかするまでは可能な限り節約するようにと指示してあるわ」

 

「節約という事は、ご飯の量も減るという事ですか?」

 

「まあ、食料を自給自足できるように栽培も始めてるけど、足りない分は商人から購入して補っているのが現状なの。家畜を飼育するにしてもやっぱり商人から買わないといけないし……………。はぁ、牛や豚って思ったよりも高いのね……………」

 

「ちなみに旅をしていた頃の出費の6割はステラの食費だからな」

 

「えぇっ!?」

 

 本当だよ。アイテム代とか宿泊費にも結構使ったけど、一番辛かったのは食事の時だ。冒険者が好むようなレストランや酒場に入れば全てのメニューを平らげるのは当たり前だし、高級なレストランに行ってもそれは変わらない。

 

 しかもステラは魔力を主食とするサキュバスで、いくら食べ物を食べても魔力を他人から吸収しない限りは空腹感は消えず、更に〝普通の食べ物を食べても意味はない”という体質の種族なので、はっきり言って彼女の食費は無駄な経費でしかないのである。

 

 まあ、正直に言ったら傷つくから言わずに泣き寝入りを繰り返していたが……………さすがに組織が大きくなった以上、これは拙い。

 

「ご、ごめんなさい……………」

 

「あ、ああ、大丈夫だって。とりあえず今は一旦我慢してくれれば、またいっぱい食べていいからさ」

 

「本当ですかっ!?」

 

「お、おう」

 

 こいつ、本当に大食いなんだな…………。体質のせいなんだろうけど。

 

「とりあえず、資金のためにもテンプル騎士団のメンバーで戦闘に参加できるメンバーは極力冒険者の資格を取ること。そうすればダンジョンの調査で報酬がもらえるからな」

 

「そうだな。訓練にもなるし、未だ解き明かされていない世界を知るにはいい機会だ」

 

 腕を組みながら目を瞑り、楽しそうに微笑みながら頷いたのはムジャヒディンのリーダーのウラルだ。身長が高い上に筋肉で身体もがっちりとしており、まるで鍛錬を続けた格闘家のようにも見える。スオミ支部のアールネと同じくらいがっちりしているが、力比べしたらどっちが勝つんだろうか。

 

 ウラルが身に着けているのもテンプル騎士団の制服だ。基本的にテンプル騎士団の制服は黒で、肩か胸元にはテンプル騎士団のエンブレムと部隊章がついている。トレンチコートを思わせる上着の胸元は開いているように見えるが、その開いている部分から覗くのは真っ白なワイシャツと真紅のネクタイだ。

 

 デザインは制服を支給されるメンバーの要望に合わせて自由に変える事ができるので、同じように見えてもよく見るとデザインが違うのだ。

 

 ちなみに、前までは俺の能力で制服を支給していたんだが、今ではムジャヒディンのメンバーで裁縫が得意なハイエルフの職人に依頼して制服を作ってもらっている。フランセンに占領される前までは洋服店を営んでいたらしく、制服を作るのは素材さえあれば朝飯前だという。

 

 こういった服装は転生者の能力に頼るよりも、そのような職人に依頼した方が賢いと言える。もし俺が死んだりしたら、俺の能力で生産されたものは全て消滅してしまうのだから、武器だけでなく服まで消えてしまう。つまり俺の能力で作った制服を着ているメンバーは一瞬で下着姿になってしまうというわけだ。

 

 ナタリアやカノンの下着姿か……………。み、見てみたい。ナタリアにはパンチされそうだけど、彼女の右ストレートを顔面に喰らう価値はあると思うんだ。

 

 ラウラやクランと比べると胸はやや小さめだけど、彼女の場合はしっかりとバランスが取れているし、肌も白い。それに遺跡で彼女の身体から触手を引っ張った時に気付いたんだけど、お尻もちゃんとバランスが取れてるんだよね。

 

 オールラウンダーと言ったところか。

 

 いかん、会議中に角を伸ばすわけにはいかない。

 

 咳払いをして煩悩と別れながら、テンプル騎士団が直面している大問題を見据える。

 

 ひとまず、ムジャヒディンのメンバーたちにも冒険者の資格を取ってもらい、ダンジョンの調査をしてもらえば資金は稼げる。ダンジョンの危険度にも報酬の金額は左右されるが、魔物の減少のおかげで本格的なダンジョン調査に力を入れる事ができるようになった今の時代では冒険者こそが資金を稼ぎやすい職業だと思う。もちろん企業の社長には遠く及ばないし、危険度も段違いだから見習い時代の経験とか初心者は最初に遭遇した魔物に感じる恐怖で篩(ふる)いにかけられるのだが、元々武闘派の多いムジャヒディンの戦士たちにとって、魔物や人間の兵士と命懸けの戦いをするのは日常茶飯事。彼らの勇猛さは、どんな騎士団の団員たちよりも遥かに上なのだ。

 

 それゆえに無理はしてほしくないのだが、その勇猛さは非常に頼りになる。

 

 更に、ダンジョンを調査するついでにこの周囲に生息する魔物の種類や地形の情報を持って帰ってもらえれば、それだけでも彼らはちょっとした偵察部隊として機能する。

 

 まあ、まずは最寄りの冒険者管理局を見つけるところから始める必要があるが、それはとりあえず大きな街を探せば見つけられるだろう。カルガニスタンがフランセンの植民地にされてからしばらく経っているし、管理局もこちらまで進出している筈だ。それにカルガニスタンの地図にも空白の場所が残っており、そこが調査されていないダンジョンだということを告げている。

 

「ダンジョンかぁ……………! 兄さん、ダンジョンの大きな魔物を爆破したら気持ちいいかな!?」

 

「……………ダンジョンを崩落させんようにな、イリナ」

 

 イリナの火力は最高クラスなんだけどな……………。下手すれば味方を巻き込む可能性もあるし、爆発が大好きという性格のせいで毎日タンプル塔は戦車砲の一斉砲撃並みの爆音に包まれっぱなしだ。もちろん原因はこの爆弾魔(イリナ)なんだけどね。

 

 おかげで夜間の警備を終えて眠ろうとする団員たちから、「イリナの爆音がうるさくて眠れない」という苦情が相次いでいる。何とか対策を考えているんだが、地下でやればせっかくドワーフの皆さんが拡張してくれている地下の区画が全て崩落しかねないし、かといってトレーニングモードでやろうとすれば俺まで眠ってしまい、何もできなくなるのでこちらも現実的とは言えない。

 

 だからと言って訓練をさせなければ彼女が文句を言い出すし、放っておくと涙目になって「もう兄さんに言いつけてやるっ!」って言いながら駄々をこね始めるので、極力部屋の壁や扉を防音のものに改造してもらって対応している。それで改造にも費用が掛かるわけだから、テンプル騎士団の財政がとんでもない事になるのは言うまでもない。

 

 というか、現時点で男性陣では数少ないまともな男の1人であるウラルだけど、もしかしてこの人も変人なんじゃないだろうか? 

 

 いや、そんなわけないよね。冷静沈着で頼りになる兄貴って感じの仲間だし、こんなしっかり者が変人だったらテンプル騎士団の男性陣は終わる。うん、俺も変人だから。

 

「とりあえず、申し訳ないがしばらくは食料は節約だな…………」

 

「ああ。幸い水は困らないが……………」

 

 ラウラの能力のおかげで水には困らない。彼女ならば大気中の水分を使って自由自在に氷を操る事ができるので、それを溶かせば水はいくらでも手に入る。それにタンプル塔を取り囲む岩山の中には、ヴリシア帝国のあるウィルバー海峡へと続く巨大な川が流れているらしく、水質も問題ないらしいので、それも飲み水や生活用の水に利用できる。だから水は節約の必要はない。

 

 本当に、水がいくらでも手に入るのは救いだ。

 

 現時点では水を汲んでこっちまで運んでこなければならないので、屈強な戦士たちの仕事になっているが、最終的には王都で普及しているようなポンプを使って組み上げたいところだ。モリガン・カンパニーに注文すれば購入できるだろうし、上手く行けばこの前壊滅させた駐屯地からも部品くらいなら手に入るだろう。

 

「とりあえず、今日はこれまで。また何かあったら招集をかける。以上」

 

 最大の課題は、やはり資金だ。

 

 タンプル塔にいるのはムジャヒディンの戦士たちだが、できるならば近隣で苦しんでいる奴隷や行き場を無くした難民も受け入れていきたいところだ。

 

 ここが、傷ついた人々の居場所になる。

 

 そのためにも、資金を集めなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一居住区の隅には『食料区画』と呼ばれる区画があり、そこにはちょっとした畑がある。少しでも食料を生産できるようにと、かつては倉庫に使われていたと思われる古い部屋の中に植物を育てられそうな土を運び込んで敷き詰め、商人から購入した種を撒いて野菜や果物を栽培しているのだ。

 

 日光がなければ栽培はできないが、その問題点は天井に特別な鉱物を埋め込むことで解消している。

 

 この畑は地下にある食料区画の中にあるんだが、天井は地下だというのにやけに明るいのである。まるで天井に蒼空でも広がっているかのような光が、地下に作られた畑の畝を照らしていた。

 

 実際に、天井には蒼空が広がっていた。微かに蒼空を飾る白い雲と、その中心に鎮座する巨大な太陽。まるで地上にいるかのような光景だが――――――――実はあの空は、天井に埋め込まれたある鉱石が映し出す映像なのだ。

 

 海底神殿で俺たちが目にした『メモリークォーツ』である。魔力を注入しながら何かをイメージすると、そのイメージしたものがその功績に投影されるという鉱石だ。大昔では色んな鉱山で手に入れる事ができたらしく、当時の騎士たちは斥候にこれを持たせて敵の軍勢の映像を投影させて作戦を練っていたという。あらゆる用途に転用できる性質のためあっという間に採掘され尽して枯渇してしまったため、現在では人間が開拓していないような危険なダンジョンの中でしかお目にかかれない、極めて希少な鉱石なのである。

 

 どうやらタンプル塔の周囲の岩山の中には鉱脈があったらしく、拡張作業をしていたドワーフたちが偶然見つけてくれたのだ。しかもこの擬似的な蒼空は太陽の光までほぼそのまま再現しているらしいから、蒼空を想像するだけで植物の栽培に最適な空間が出来上がるというわけである。

 

 なので、ここの管理も仲間の1人に任せている。その1人が、畑に植えられている苗に水をあげているアルラウネの少女だ。

 

「ふう……………」

 

「あっ、団長さん。お疲れですか?」

 

「やあ、シルヴィア。いつもごくろうさま」

 

 ここを管理しているのはアルラウネのシルヴィア。人間と植物を融合させたような『アルラウネ』という種族の少女で、ムジャヒディンのメンバーの1人である。とはいえアルラウネは〝発芽”した場所から一歩も動く事ができない種族のため、魔物に食べられたり、人間に見つかって強引に引っこ抜かれ、奴隷として売られることも珍しくないという。

 

 腕から生えたツタのような触手を元の長さに戻した彼女は、微笑みながら俺に手を振ってくれた。彼女の隣まで歩き、息を吐いてから椅子に腰を下ろす。

 

「収穫にはまだまだかかりそうです」

 

「ああ、分かった。それまではこっちで何とかするさ。……………何か必要な物はあるか?」

 

「うーん……………もしできるなら、もう少し肥料が欲しいところですね」

 

「肥料かぁ……………分かった。今度商人から購入しておくよ」

 

「助かりますっ♪ ……………あ、そうだ。団長さん、これをどうぞ」

 

「ん?」

 

 彼女からの要望を聞いたのでそろそろ部屋に戻って書類にサインでもしようと思っていた俺を、シルヴィアが呼び止めた。彼女は足元にある籠の中に手を突っ込むと、その中からリンゴに似た赤い木の実を取り出して俺に差し出す。

 

 傍から見ると本当にリンゴのように見えるが、表面にはやや皺(しわ)があるし、売られているリンゴよりもやや赤いような気がする。サイズもちょっとだけ大きい。

 

 これは何だ? 図鑑で見たことがない木の実だな。

 

「これは?」

 

「ええと、カルガニスタンで取れる希少なリンゴなんです。『ウィッチアップル』って言うんですよ」

 

「ウィッチアップル?」

 

「はい。魔力の濃度が高い土地でしか実らないリンゴで、大昔は魔女たちが好んで食べていたそうなんです。……………多分、サキュバスたちの事だと思いますけど」

 

 サキュバスか……………。これをステラの所に持って行ってあげたら、彼女は懐かしがるだろうか?

 

「もう1つありますから、それは団長が召し上がってください。ステラさんにはこっちを渡しておきますので」

 

「ああ、悪いね。いただくよ」

 

 彼女に礼を言い、受け取ったウィッチアップルの表面に触れてから、そのまま思い切りかぶりつく。ちょっとだけ皺になっている皮はあっさりと破れ、予想していたよりも濃厚な果汁と果肉を口の中で咀嚼し、攪拌してから飲み込む。

 

 甘いな、このリンゴ。皺がついているからなのかドライフルーツみたいな感じの味を予想してたんだけど、全然違う。まるで慣熟した果物の甘みを更に凝縮したかのような味がする。

 

 これを使ってアップルパイを焼いたら美味しいだろうなと思ったけれど、これは希少なリンゴらしい。魔力の濃度が濃い場所にしか生えないから栽培もできないようだが、今度手に入れたらその時はアップルパイやアップルティーを作ってみたいものだ。

 

 残ったリンゴを咀嚼しながら畑を後にし、廊下を歩く。

 

 すれ違った団員たちに挨拶しながら自室へと向かっていると、一度だけ自分の鼓動がはっきり聞こえたような気がした。まるで自分の胸に耳を当て、自分の鼓動を聞いているかのように聞こえたのである。

 

 でも、聞こえたのは1回だけ。びっくりして目を見開きながら胸に手を当てたけれど、もう鼓動は聞こえなかったし、何も違和感は感じない。

 

 おかしいな。今のは何だ……………?

 

 気のせいか? まあ、最近は忙しくなっているし、早く休んだ方が良さそうだ。

 

 納得できないせいなのか、少しだけ不安になりながら、俺はお姉ちゃんの待つ自室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はいつも、眠る時はタクヤを思い切り抱き締めて眠るようにしている。

 

 抱き締めると良い匂いがするし、蒼い髪は本当に女の子みたいにさらさらしているから触り心地がいい。それにこの子を抱き締めていると、辛い事を全部忘れる事ができる。

 

 小さい時から、私はずっとそうしている。

 

 あの時、私の事を助けてくれたこの小さなヒーローに惚れてしまってからは、ずっとこうして抱き締めて眠っている。稀に悪い夢を見るのか、タクヤはうなされている時があるけど、そういう時は優しく抱きしめながら頭を撫でてあげると、この子はぐっすり眠ってくれるの。

 

 私はこの子みたいに器用じゃないから役に立てることは少ないけど、少しでもこの子に恩返しがしたいの。だから悪夢からタクヤを守れるなら、私は全力で盾になる。

 

「ん……………っ」

 

 えへへっ。頬にこっそりキスしちゃったけど、起きてないから大丈夫だよね。

 

 それにしても、何だかいつもよりタクヤの頬が小さかったような気がする。私はよく彼の頬にキスをするんだけど、キスをした感触がいつものタクヤの頬の感触じゃないの。いつもよりも小さいし、何だか柔らかい。

 

 あれ? おかしいな?

 

 違和感を感じながらも彼をぎゅっと抱きしめる。くっついていれば違和感は消えるだろうと思ったんだけど、彼にしがみつくかのように抱き締めた瞬間、むしろその違和感は一気に膨れ上がった。

 

 ―――――――――なんだか、タクヤの身体が小さいような気がする。

 

「ん?」

 

 おかしいよ。

 

 匂いはタクヤだし、寝息の特徴もタクヤだ。小さい頃からずっと一緒だったし、一晩中観察していた事は何度もあるから間違えるわけがない。

 

 なのに、身体が小さい。どういうこと?

 

 膨れ上がる違和感を抑えきれなくなった私は、ゆっくりと上半身を起こすと、タクヤと一緒にかぶっていた毛布に手をかけ―――――――――勢いよく毛布を取り払う。

 

「――――――――!」

 

 その毛布の下で寝息を立てていたそれを目にした瞬間、私は度肝を抜かれた。

 

 そこに横になり、いつものように可愛らしい寝顔で寝息を立てていたのは、確かに私の可愛い弟のタクヤだった。本当に女の子なのではないかと思える顔つきと寝顔は、いつも観察してきた彼の顔。だけど―――――――いつものタクヤじゃない。

 

 すらりとした手足は縮んでいるし、髪もなんだか短くなっているような気がする。胸の小さい女の子にも見えてしまう身体は縮んでしまったのか、パジャマの中に埋まってしまっている。

 

 ん? なんだか、このタクヤ小さいよ? いや、小さいというか幼いよ……………?

 

 まるで、3歳の頃のタクヤに戻ったみたい。

 

「え?」

 

「ん……………あれ? おねえちゃん……………?」

 

「ふにゃ……………!」

 

 声も幼い!

 

 えっ、どうしたの!? 小さくなっちゃった!?

 

 ど、どうしよう……………! タクヤが幼くなっちゃったよ!?

 

 でも……………か、可愛い……………! どうしよう? 思い切り抱きしめちゃおうかな? えへへっ。ごめんね、タクヤ。もう我慢できないよ…………………ッ!

 

 よし、抱きしめちゃおう! そして思い切り匂いを嗅いで、頬ずりして、満足するまで色んな事するのっ!

 

「ふにゃあああああああああああっ! 可愛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

「ふにゃあああああああああああっ!」

 

 我慢できなくなった私は、瞼を擦っていた幼いタクヤにのしかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ショタクヤになるとこうなる

 

 

 この異世界に転生してからは、前世の世界ではありえないようなものをたくさん目にしてきた。

 

 アニメやマンガの中でしかお目にかかれない魔術や魔物。そしてその恐ろしい魔物に挑んでいく騎士たちや、未知の世界を調査する冒険者たち。前世では絶対に経験できないことばかりで、物騒な世界だけれどもときめいてしまったのは今でもよく覚えている。

 

 身体は幼かったのに中身は17歳の水無月永人(みなづきながと)だったからなのか、早く成長して、俺も冒険者になってこの異世界を旅してみたいという猛烈な願望をずっと持ち続けていた。普通の子供が持つ〝夢”ではなく、俺のはもっと生々しくて剥き出しの〝願望”。けれどもそれが動力源になったからこそ、厳しい訓練にも耐える事ができた。

 

 そしてありえない光景を何度も目の当たりにし、常軌を逸した能力を持つ強敵を仲間たちとの連携で撃破し、何度も逆境を粉砕してきたんだが―――――――――これは粉砕できないよ、お母さん。

 

「…………なにこれ」

 

 俺の姿を見下ろす仲間たちが様々なリアクションを始める中で、テンプル騎士団のメンバーの中では数少ないまともな仲間のナタリアが、唖然としながら俺の胸中に浮かんでいた言葉を代弁してくれた。

 

 唖然とする彼女を見上げながら、俺は首を傾げる。いつもならナタリアと一緒に立てば、むしろ俺がナタリアをほんの少し見下ろせるくらいの身長差なのだが、今はまるで幼少の頃に両親を見上げていたように上を見なければ、彼女の顔を見ることはできない。

 

 何故か顔を赤くしながら頬を抑える彼女に違和感を感じながら、自分の両手をもう一度まじまじと見つめる。

 

 少女のようにすらりとしていたのに対し、容易く人間の身体を貫いてしまうほどの獰猛な腕力を誇った俺の手は、何だか小さくなってぷにぷにしている。

 

 小さくなっているのは手だけではない。全体的に手足が縮んでいるし、身長も仲間たちを見上げなければならないほど縮んでしまっているのだ。夢だろうと思いながらも近くのテーブルの上に置かれているコップを見てみると、湾曲した表面には赤毛の少女と手をつないだ状態の、蒼い髪の幼い少年の姿が映っているのが見える。

 

 その幼い少年が――――――――今の俺である。

 

 なんだよこれ。

 

 いつも通りにラウラに抱き締められながら目を覚ますんだろうと思いきや、今日はいきなりのしかかられた挙句頬ずりされ、頬に何回もキスされた。母親から遺伝したあの大きなおっぱいが猛威を振るったのは言うまでもない。

 

 いつも以上に甘え始めた彼女に困りながらも辛うじて着替えを済ませ、こうしてお姉ちゃんと一緒に食堂までやってきたんだが、やっぱりみんなのリアクションは予想通りだった。

 

 ちなみに服装なんだが、今の服装は自分の能力で出している。どうやら俺の体格の変化に合わせて自分の着る服のサイズも調整されるというかなり便利な能力らしい。

 

 いつもの転生者ハンターのコートは能力で生産したものではなく、フィオナちゃんが作って親父が着ていたものをアレンジしたものなので、サイズは変わらない。こんな状態で着ても大き過ぎる。

 

「えへへっ。可愛いでしょ♪」

 

「ま、まあ…………」

 

「お姉様、わたくしに抱っこさせてくれませんか!?」

 

「だ、だっこ!?」

 

 小さくなった俺の姿を見て顔を赤くしたカノンが、どういうわけか興奮しながらラウラに迫る。でもな、カノン。残念だけどお姉ちゃんはヤンデレなんだよ。だからそう簡単に俺を抱っこさせるわけがないじゃん。

 

 ねえ、お姉ちゃん?

 

 それにカノンに抱っこされたら、下手をしたらそのまま襲われかねない。さすがにこの身体の状態では全然抵抗できないので、それだけは本当にやめてほしい。平然とエロ本や薄い本を自室に並べているような彼女だから本当にやりかねない。

 

 お姉ちゃん、断るよね?

 

「いいよっ♪」

 

「まあ!」

 

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? か、艦長! 超弩級戦艦ラウラが轟沈しましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 

 何で許可しちゃうの!? 襲われるかもしれないんだよ!? というか、お前ヤンデレだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?

 

「で、ではさっそく…………ッ! ち、ち、小さくなったお兄様を思う存分…………ッ!」

 

「ひぃっ………………!」

 

 よ、よだれを垂らしながら寄ってくるなよバカッ! お前絶対俺の事襲うつもりだろ!? 抱っこしてからすかさずに部屋に連れ帰って○○○するつもりだろ!?

 

 ラウラにはすでに襲われてるけど、さすがにこの状態で襲われるのはまずい! くそ、なんでハヤカワ家の男は女に襲われやすいんだよ!? これじゃただの草食動物じゃねえか!

 

「そのかわり、お姉ちゃんも抱っこするっ! カノンちゃんは後ろからね♪」

 

「ええ、構いませんわ♪」

 

 は? ラウラも抱っこするの?

 

 何をするつもりなのかと混乱していると、いきなりラウラのすらりとした白い両手に、すっかり小さくなってしまった俺の身体があっけなく持ち上げられてしまった。まるで母親が小さな子供を抱っこしようとしているかのように、俺はそのままラウラに持ち上げられ、大きな胸に押し付けられるかのように抱き締められてしまう。

 

 ああ、柔らかい……………。しかも甘い匂いが………………ッ!

 

 微かに石鹸の香りを孕んだ彼女の甘い香りに包まれ、一瞬で顔が赤くなる。滅茶苦茶幸せなんだが、仲間が見ている前でこんなことをされるのはただの恥でしかない。出来るならばこういう事は2人っきりの時にしてほしいものだ。

 

 顔を真っ赤にしながら抜け出そうと足掻いていると――――――――後方からも、別の甘い香りが襲来した。

 

「こまんちっ!?」

 

「ああ、お兄様ぁ……………小さくて可愛いですわぁ………………ッ♪」

 

 か、カノンか!?

 

 なんという事だ。目の前にラウラに抱き締められている状態で、後ろからはカノンに抱き締められるなんて…………!

 

 ラウラと比べるとカノンの胸は小さいけれど、ステラよりは大きい。きっともう少し成長すればカレンさんみたいにバランスの取れたサイズになることだろう。

 

 と、とりあえず逃げないと…………!

 

「こら、ダメでしょ? お姉ちゃんと一緒にいないとダメなのっ♪」

 

「うふふっ。逃がしませんわよ、お兄様っ♪」

 

 逃げられないよこれ………………。

 

 幸せだけど、滅茶苦茶恥ずかしい……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤっ、あーん♪」

 

「あーん………………」

 

 きっと俺の目はヤンデレのラウラのように虚ろになっている事だろう。確信しながら小さな口を精一杯開け、ラウラが差し出すローストビーフを咀嚼する。

 

 このローストビーフはムジャヒディンのメンバーの1人が勉強して作ってくれたものらしいんだが、今の状況のせいなのか、はっきり言うと味が全然わからない。もしいつも通りに朝食を取ることができて、無事に訓練を終えて戻ってきたのならば、この昼食のローストビーフを存分に味わう事ができただろう。

 

 食堂の椅子はテンプル騎士団のメンバーたちの平均的な体格に合わせて作られている。当然ながらこの騎士団には3歳児なんていないし、仮に難民として受け入れていた中に小さな子供がいたとしても、戦闘員向けのこの食堂で食事を摂ることは考えられないだろう。

 

 何が言いたいかと言うと、この食堂には幼児になってしまった俺の体格に合う椅子がないという事だ。もし仮に座る事ができたとしても手が短いから、奥にある料理まで手が届かない。

 

 なので―――――――――今の俺は、女子たちの思い通りにされている。まあ、主にラウラとカノンの2人にだが。

 

「おいしい?」

 

「うん、おいしいよおねえちゃん………………」

 

 頭上からラウラの声が聞こえてくる。虚ろな目のまま見上げてみると、俺の頭の上にはラウラの大きな胸があり、その奥には満足そうに微笑む赤毛のお姉ちゃんの顔がある。

 

 今の俺は、椅子に上に座るラウラの太腿の上に座らされている状態なのだ。

 

 黒ニーソと太腿の組み合わせは確かに最高だけどさ、せめて仲間の前じゃなくて2人っきりの時にしてよ。

 

「タクヤが小さいです……………! ナタリア、今のタクヤってステラよりも小さいですよね!?」

 

「え、ええ、小さいんじゃない?」

 

「やりました!」

 

 なぜ勝ち誇る?

 

「へえ、タクヤって小さい時はこんな感じだったんだ…………。興味深いなぁ…………♪」

 

 隣へとやってきたイリナが、ニヤニヤと笑いながら俺の頬を指先で突き始める。思わず顔を赤くしてしまうんだけど、テンプル騎士団の爆弾魔と言っても過言ではない彼女の腰のホルスターにはカンプピストルが収まっており、その隣では対人用の小型榴弾が揺れている。

 

 ちょっと待て、何でここまで持ち込んでるんだよ。

 

 青ざめながら顔を上げる俺に、更にテーブルの向こうから追撃をかけるもう1人の人物がいた。

 

 他の女子たちが様々なリアクションをする中で、特にイリナが俺の頬を突き始めた辺りから急に威圧感を俺にだけ集中させている人物がいるのである。テーブルの反対側で腕を組み、人間よりも長い犬歯を噛み締めながら目つきをやけに鋭くしている大男に睨みつけられれば、ドラゴンでも怯えてしまうに違いない。

 

 そう、イリナの兄のウラルである。

 

「あ、あのショタ野郎ぉ…………………ッ!!」

 

 しょ、ショタ野郎!?

 

「ああやってイリナを油断させるつもりだな? くそ、なんてことだ……………ッ! イリナがやられる前に俺が何とかしなければぁ……………ッ!」

 

 お前、もしかしてシスコンだったの?

 

 うわ……………。テンプル騎士団の男性陣全滅じゃねえか。

 

 とりあえず兄貴、落ち着いて。歯ぎしりしながら指を鳴らさないで。こんな状態であんたにぶん殴られたら即死しちゃうから。

 

「ふふっ。小さい頃のお兄ちゃんだっ♪」

 

「お、おい、ノエル……………」

 

 にこにこと笑っていたノエルまで参戦。イリナと一緒に、小さくなった俺の頬を指先でつんつんとつつき始める。

 

 ちょ、ちょっと待って。まだ口の中にローストビーフ残ってるから。噛めないでしょ? だからつんつんつつくのをやめて!

 

「はい、タクヤっ。あーんっ♪」

 

「むぐー!?」

 

 ひ、ひでえ! まだ口の中にさっきのローストビーフ残ってるのに、強引に口の中にフォークごと突っ込んできやがった!?

 

「えへへっ。おいしいでしょ?」

 

「むぐぅ……………」

 

 お願い、いじめないで。ここにいるのはただの3歳児なの。

 

「ところで、なんでドラゴン(ドラッヘ)は小さくなっちゃったのかしら?」

 

「突然変異か?」

 

「ふにゅ……………キメラは突然変異の塊ってパパが言ってたし、たぶんそうかも……………」

 

 いや、俺には心当たりがある。昨日シルヴィアから渡された、あの皺のついたウィッチアップルだ。あれを食った後に違和感のようなものを感じたんだ。その違和感はすぐに消えてしまったが、目を覚ましたらこんな姿になっていた。ということは、あのリンゴが原因である可能性は十分高いといえる。

 

 でも、シルヴィアの言っていたことが本当なら、あのリンゴはサキュバスたちが大昔に好んで口にしていたはずだ。あのウィッチアップルにそんな効果があるなら、サキュバスは幼女だらけのロリコンが大喜びしそうな種族になっているはずである。

 

 どういうことなんだ? とりあえず、シルヴィアに相談してみるか。このままだと本格的に女子に襲われる可能性があるし……………。

 

「とりあえず、あーんっ♪」

 

「むぐぅっ!?」

 

 だからまだ噛んでる最中だろうがぁッ!?

 

「ちょ、ちょっと、ラウラ! タクヤがかわいそうでしょ!?」

 

「ふにゃっ?」

 

 ああ、やっぱりナタリアはまともだ……………。気づいてくれてありがとう、ナタリア。

 

 彼女は食べかけのサンドイッチを皿の上に置くと、ローストビーフを強引に口の中へと突っ込まれ続けていた俺のほうへとやってきて、さりげなく俺の頭を撫で始めた。

 

「まだ食べてる最中なんだから、そんなにたくさん食べさせたら可哀そうよ。もう少し待ってあげなさい」

 

「はーい……………。でも、もぐもぐしてるタクヤが可愛くて……………」

 

「そ、それは……………」

 

 ちらりと俺の顔を見下ろすナタリア。さっきまではしっかり者だという雰囲気を発していた彼女だけど、今の彼女はまるで可愛らしい小動物を目にするかのように、頬を赤くしながら目を輝かせているようにも見える。

 

 ん? もしかして、陥落寸前…………?

 

「つ、次は…………私が食べさせてもいいかしら?」

 

「うん、いいよっ♪」

 

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? ま、また巡洋艦ナタリアが轟沈したぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?

 

 どうやら無意識のうちに口の中のローストビーフを飲み込んでいたらしく、口の中にはソースの香りしか残っていなかった。それにナタリアは気づいたらしく、皿の上にあるサンドイッチを拾い上げると、やっぱり顔を赤くしながら俺の口へと近づけ始めた。

 

「あ、あーん……………」

 

「あーん」

 

 こ、拒めませんよね、これ。

 

 とりあえず口を開けて、差し出されたサンドイッチにかぶりつく。みんなに見られている前でこんなことをされているという恥ずかしさのせいなのか、やっぱり味がわからない。辛うじてレタスの風味が理解できた程度である。

 

「あっ…………た、食べてくれた…………!」

 

 俺は小動物か。

 

「あ、あのねっ、私のことも……………お、お姉ちゃんって呼んでもいいのよ……………?」

 

「ナタリアおねえちゃん?」

 

「………………っ!」

 

 さっそくそう呼んだ直後、ナタリアの顔が一瞬で赤くなる。サンドイッチを差し出していた手もぷるぷると震え始め、しっかりしているナタリアは恥ずかしいのか俺から目をそらしてしまう。

 

「わ、悪くないわね………………」

 

「うん、小さいタクヤも可愛いよねっ♪」

 

 とりあえず、早く元のサイズに戻りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何とか食事を終え、シルヴィアのいる畑へと向かう。彼女は植物のことには詳しいらしいので、きっとウィッチアップルの効果についても知っているはずだ。あの時効果のことも聞いておけばよかったと後悔しながら廊下を歩く俺の隣には、まるで幼い子供と手をつなぐ母親のように俺の手を握るラウラが、にこにこしながら歩いている。

 

 こんな風に手をつながれたのは、前世の世界でまだ小さかった頃に母さんと出かけた時以来だろうか。こっちの世界に転生してきてからも手をつないでもらったことはあったけれど、ラウラと比べると俺のほうが大人びていた―――――――中身が17歳の男子高校生だから当たり前だ―――――――からなのか、俺よりもラウラのほうが手をつないでもらう回数は多かったような気がする。

 

 幼少の頃に戻ったような気分だが、一応年齢は17歳だ。前世の年齢も含めれば34歳か…………。

 

「なあ、ラウラ」

 

「ふにゅ? どうしたの? あっ、もしかして疲れちゃった? じゃあお姉ちゃんが抱っこしてあげる♪」

 

「い、いや、俺は自分で歩け―――――――――にゃああああああああっ!?」

 

 幼児になっているせいですっかり体重が軽くなった俺は、重い重火器を軽々と扱えるほどのキメラの腕力でたやすく持ち上げられてしまう。ラウラにあっさりと抱っこされた後は、今朝と同じく彼女の頬ずりをされるだけだ。悪くはないんだけど早く元の体に戻りたい。

 

 とりあえず、下してもらえるだろうか。

 

「おねえちゃん、おろしてよ。おれはひとりでもあるけるから」

 

「うふふっ、ダメっ♪ 迷子になったら大変だもんっ♪」

 

「……………じゃあ、このままはたけにいきたいな」

 

「はーいっ♪」

 

 ラウラに抱っこされたまま、タンプル塔の地下にある廊下を進んでいく。このまま誰にも会いませんようにと祈っていたんだが、第一居住区の廊下を進んだ先にある曲がり角から、ムジャヒディンのメンバーだった団員たちと出くわす羽目になり、俺は顔を青くしてしまう。

 

 どうやら訓練が終わった後らしく、彼らの制服からは火薬の臭いがする。マガジンを抜いたAK-12を背負った彼らはラウラを見た瞬間に雑談をやめ、直立して敬礼をするが、彼女が抱っこしている俺を見て目を丸くしているようだった。

 

「お疲れさまであります、同志」

 

「うん、みんなお疲れさまっ♪」

 

「あ、あの、同志ラウラ。……………そのお子さんは、いったい……………?」

 

「ま、ま、まさか……………あなたのお子さんですか?」

 

 ご、誤解されてるっ! お姉ちゃん、誤解されてるよこれ!

 

 何とか弁明してくれ! 下手したら俺がもう腹違いの姉と子供を作ったって変な噂が組織内に広まっちまう!!

 

「えへへっ。この子はね、タクヤなんだよっ♪」

 

「えっ?」

 

「朝起きたら小さくなってたの。ねえ、タクヤ?」

 

「う、うん。……………しんじられないとおもうけど、ほんとうだ」

 

「……………つまり、同志タクヤが同志ショタクヤになったと?」

 

 ショタクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?

 

 てめえ、粛清してやろうか!? それともシベリアに送ってやろうか!? あぁ!?

 

「いいなぁ……………小さくなってお姉さんたちに優しくしてもらえるのかぁ……………」

 

「同志カノンも言ってたけど、おねショタって最高だよな…………!」

 

 カノン、お前仲間に何教えてんの!? 

 

 というか、主力メンバー以外の戦闘員たちも段々とまともじゃなくなっているような気がするんだが、このままじゃ本当に変人だらけの組織になっちゃうんじゃないだろうか。

 

「「「お疲れさまであります、同志ショタクヤ!!」」」

 

「おめえらしゅくせいされたいの?」

 

 くそ、幼児の声でこんなこと言っても全然威圧感がない!

 

 笑いながら立ち去っていく仲間を見送り、ラウラに抱っこされたままため息をつく。ああ、これがテンプル騎士団の初代団長の姿なのか…………。

 

 とりあえず、現時点でも能力は使える。硬化や炎を操るキメラとしての能力も変わらないし、得意だった一瞬での硬化も自由自在だ。さらに転生者の能力も問題なく機能しているから、戦闘力そのものは変わらないんじゃないかと思っていた。

 

 だが―――――――――そんなことはない。

 

 残念ながら、かなり弱体化しているのだ。

 

 メニューを出して今の自分のステータスを確認する。魔物を倒し続けたおかげでレベルが96に達しているというのに、なんと3つのステータスは全て50。そろそろ10000に達するはずだったステータスが、初期ステータス以下にまで下がってしまっているのである。

 

 こんな状態ではいつものような戦闘力は発揮できないし、銃をぶっ放しても反動に耐えられない。いや、それどころか銃を持ったままいつものように移動することすらままならないだろう。

 

 女子に優しくしてもらえるからこのままでいいのではないかとも思ったけれど、これではメサイアの天秤を手に入れることは不可能だし、ヴリシア侵攻作戦がいつ発令されるかわからないのだから、一刻も早く元の姿に戻らなければ。

 

 畑のある広間の扉を開けると、その向こうでは植木鉢に植えられたアルラウネのシルヴィアが、腕から生えているツタを伸ばして野菜に水をあげているところだった。

 

「お疲れさま、シルヴィアちゃんっ♪」

 

「あっ、ラウラさん。お疲れ様ですっ! …………あ、あの、その子は?」

 

「おれだよ、シルヴィア」

 

「あ、あれっ? だ、だ、だっ、団長さんっ!?」

 

 やっぱりシルヴィアも俺のことをラウラの子供だと思っていたらしい。ハヤカワ姉弟の片割れだと気づいた彼女は目を丸くすると、野菜に水をあげるのをやめながら俺に問いかける。

 

「い、いったいどうしたんですかっ!?」

 

「あさおきたらこうなってたんだ。…………たぶん、きのうたべたリンゴがげんいんだとおもう」

 

「ウィッチアップルですか? で、でもあれにそんな効果は…………。あれは魔力の濃度の高い土地で育つリンゴで、人を小さくしてしまう効果はない筈です」

 

「そうなの?」

 

「はい。…………でも、念のため調べてみます」

 

「たのむ」

 

 一刻も元の姿に戻らなければ、親父たちの足を引っ張ってしまうからな。それにこの姿のままだとラウラやカノンに襲われそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ラウラが小さくなるとこうなる

 

ラウラ(3歳)「ふにゃ?」

 

タクヤ「うお!?」

 

ナタリア「こ、今度はラウラが!?」

 

ラウラ「あっ、タクヤっ♪」

 

タクヤ(違和感がないんだが……………)

 

ラウラ「タクヤっ、いっしょにおふろはいろうよ♪」

 

タクヤ「!?」

 

ケーター「このロリコン」

 

タクヤ「はぁっ!?」

 

 完

 




※コマンチはアメリカの試作型ステルスヘリです。


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ショタクヤになった原因

 

 

「とりあえず、小さくなってしまった原因が判明しました」

 

 畑の隅で、検査の結果が記録されたファイルを手にしたシルヴィアが報告する。昼過ぎに依頼したばかりだったから検査の結果は明日以降になるんじゃないかと思っていたが、結果は予想よりも早く出てくれた。

 

 まるで幼児が母親に抱きかかえられるかのように、俺はラウラに抱き抱えられている。彼女が歩くたびに大きな胸が顔に当たり、その度に顔を真っ赤にし続けるのは結構幸せだったんだが、やはりテンプル騎士団の団長としてそんな姿をこれ以上団員たちに晒すわけにはいかない。プライドの問題もあるし、いろいろとほかの問題もある。この姿で彼女に抱き抱えられているせいなのか、俺とラウラの間に子供ができたという変な噂が早くも組織内で産声を上げているのである。

 

 とりあえず、厄介なことになる前に対処する必要がある。だからシルヴィアが早めに検査の結果を教えてくれたのはありがたい。

 

「それで、げんいんは?」

 

「はい。原因はやはり、ウィッチアップルの果肉に蓄えられた高濃度の魔力でした」

 

 説明しながら、俺にデータが記載されたファイルを見せるシルヴィア。記載されている内容を見るために身を乗り出しつつ、ファイルに書き込まれた文字と数字の羅列に目を通していく。

 

 カルガニスタン語とオルトバルカ語が入り混じった文面だったし、わからない単語もいくらか含まれていたけれど、大方の内容は把握できそうだ。

 

「こうのうどのまりょくがキメラのいでんしにえいきょうを?」

 

「はい。団長とラウラさんのようなキメラがどのような種族なのか、まだ全て分かったわけではありませんが……………どうやら何かしらの影響を受けやすい種族みたいですね」

 

 そう、どうやら高濃度の魔力が堆積している地域で育ったウィッチアップルの魔力が、キメラの遺伝子に一時的に変異を起こさせたというのである。

 

 ウィッチアップルは通常のリンゴとは異なり、高濃度の魔力が常に堆積しているような地域でしか育たない。そのような魔力は移動させることはできない上に、このリンゴが育つことができるほどの濃度を維持できる地域は大概ダンジョンのみ。それゆえに人間の手で栽培することは実質的に不可能で、冒険者たちの戦利品となったり、高値で取引される高級食材とされている。

 

 玄人向けの魔術を数回はぶっ放せるほどの濃度の魔力の中で育つのだから、果肉や果汁にもその魔力が蓄えられる。やけに甘みが強いのはその魔力が原因だというが、その高濃度の魔力がキメラに影響を与えたのだという。

 

 キメラは突然変異の塊とも言えるほど傾向がつかめない未知の種族であり、現時点では俺とラウラ以外には親父とノエルのみ。この広大な異世界でも、まだたった4人しかいない希少な種族なのである。

 

 基本的には移植した義手や義足などの元となった魔物と人類の特徴が複合した種族がキメラと呼ばれているが、中にはラウラのように元の魔物にも人類にもない筈のメロン体を頭の中に持っているケースもあるため、本当に何があるかわからない種族だ。だからこそ、何かしらの影響を受けやすいという仮説も否定はできないのである。

 

「こまったなぁ……………」

 

「でも、団長さんの体内に入り込んでいる魔力は定着する気配はありませんし、きっとこの変異は一時的なものですよ」

 

「どれくらいでもどるかな?」

 

「うーん……………入り込んだ魔力は定着する様子がないですし、明日の夜くらいには元の姿に戻れるかと」

 

「よ、よかった……………」

 

 下手したらまた3歳児からやり直す羽目になるかと思って肝を冷やしていたんだが、どうやら元の姿には戻れるらしい。

 

 ふう、助かった。もしこのまま元に戻れないならばヴリシア侵攻作戦には参加できないし、それどころかテンプル騎士団の計画も頓挫していたところだ。世界規模でのクソ野郎の駆逐と善良な転生者の保護は、転生者についての知識がある人材が先頭に立たなければ実現不可能だ。俺以外にもそれを成し遂げられる人材はいるけれど、彼女たちに負担をかけるわけにはいかない。やはり計画を一番最初に考えた俺が先頭に立たなければ。

 

「ふにゅう、明日の夜で小さいタクヤとお別れなの……………?」

 

「ざ、残念ながら」

 

「うぅ……………やだよぉ…………もっと甘えてたいのに……………!」

 

「おねえちゃん、ちいさいままだったらけっこんできないよ?」

 

「ふにゅう……………そ、そうだけど………………」

 

 もうラウラを嫁にもらうって宣言しちゃったんだし、それを反故にするわけにはいかない。それにこのまま元に戻らなければ、俺たちは計画を頓挫させた挙句14歳差を維持したまま生きていくことになる。

 

 しかも俺はこの姿のままだと、かなりヤバいことになる。特にラウラとカノンの前では、いつ襲われてもおかしくはない。

 

「ふふふっ。ラウラさん、このリンゴを食べさせればいつでも小さな弟さんを愛でることができますよ♪」

 

「ふにゃ!?」

 

「はぁっ!?」

 

 シルヴィア!? おい、何言ってんだお前!?

 

 確かにまた食わされれば小さくなる可能性はあるけど、そんなことしたら俺はまた恥を晒すことになるぞ!? テンプル騎士団の団長が3歳児の姿でお姉ちゃんに甘やかされる姿を団員たちに晒せってことか!?

 

「そ、そっか…………うん、そうだよね! いざというときはダンジョンでそのリンゴを探して来ればいいんだし! シルヴィアちゃんって天才だねっ!」

 

「あはははっ。ありがとうございますっ♪」

 

 ふ、ふざけんなよぉ!? 引っこ抜いてやろうか!?

 

「えへへっ。これでずーっと小さなタクヤを可愛がることができるよ♪」

 

「………………」

 

 これじゃ、しばらくリンゴが食べれないじゃないか……………。

 

 解決したはずなのに、解決したとは思えない状態。喜んでいるのは被害者である俺ではなく、第三者であるラウラ。虚ろな目でため息をつく俺をラウラが思い切り抱きしめ、思い切り頬ずりを開始する。

 

 やはり彼女の大きなおっぱいが猛威を振るったのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも近距離での白兵戦になれば、俺はハンドガンやナイフを多用して戦っている。テンプル騎士団のメンバーによって戦い方は違うし、支給される武器も極力個人の要望に応えるように支給しているため、まさに戦い方は十人十色というわけだ。

 

 ナイフを使うやつもいるし、サーベルを欲しがるやつもいる。マチェットやロングソードなどのオーソドックスな武器から、釘バットやただの鉄パイプなどの鈍器まで幅広く揃っている。というか、鉄パイプは武器として正式に配備するというよりも即席の鈍器というべきではないのだろうか。さっき喜々として鉄パイプを担いで偵察任務に出撃していった猛者がいたが、あいつは鉄パイプで魔物を殴り殺すつもりなのだろうか。

 

 まあ、とりあえず成果を出しつつ生還してくれるのならばどんな武器でも構わない。木材で敵を殴り殺したいという更なる猛者がいるのならば木材を渡してやるし、自分の拳で戦うという猛者がいるのならば訓練区画のジムの設備を充実させてやるさ。

 

 目の前の机の上に置かれている自分のナイフに触れつつ、刀身をそっと眺める。日光が反射しないようにと漆黒に塗装された武骨な刀身は、光沢すら放たない無機質さで虚ろな威圧感を放っている。いざというときは敵をぶん殴れるように、ナックルダスターのように大型化されたフィンガーガードを指でなぞり、その得物を拾い上げる。

 

 白兵戦ではとにかく相手よりも早く攻撃することが重要視される。相手が至近距離にいるのならば、必要になるのは射程距離や殺傷力よりもスピードだ。もたもたしている間に喉にナイフを刺されれば、それで終わりなのだから。

 

 それゆえに、通常の斬撃でも〝まだ遅い”場合がある。そういう時は切り付けるのではなく、このフィンガーガードでぶん殴ってしまえばいい。白兵戦で優先すべき要素を知っているからこそフィンガーガードを追加したのだ。

 

 分厚い刀身を持つ俺のテルミットナイフは、まるでナイフ並みの大きさに縮められたマチェットのようだった。いつものサイズの時ならば気にならないのに、さすがに3歳児の姿でこれを持つと重いし、マチェットを本当に2本持っているようにも見えてしまう。

 

 うん、これでは戦えない。

 

 あきらめてナイフをテーブルの上に置き、早く夜にならないものかと思いながらため息をついた次の瞬間だった。

 

「お兄様っ♪」

 

「にゃっ!?」

 

 先ほど意気揚々と射撃訓練場のレーンに入っていったはずのカノンが、マークスマンライフルを背負ったまま勢いよく俺に抱き着いてきたのである。俺よりも年下の少女とはいえ、今では俺のほうがはるかに年下。キメラとはいえ3歳児の筋力で、訓練を受けた14歳の少女の抱擁を受け止められるはずがない。

 

 あっさりと硬い床に押し倒され、側頭部を強打する羽目になる。衝撃が頭の中を駆け回り、これでもかというほど頭痛を残していく。両手で頭を押さえていてもお構いなしに、カノンは俺に抱き着いたまま頬ずりを始めた。

 

「お姉様から聞きましたわ。今夜には元の姿に戻ってしまうそうですわね?」

 

「う、うん」

 

「でしたら、今のうちにお兄様を堪能するのが賢いですわよね?」

 

「え?」

 

 ちょ、ちょっと待て。おい、まさか…………襲うつもりじゃないよね?

 

 目を見開き、俺はカノンを見上げた。彼女ならば襲いかねないという可能性の数字がすさまじい勢いで増加していき、あっという間に90%を超えてしまう。

 

 9割以上になればもう確定したも同然なのだろう。案の定、カノンは貴族のお嬢様とは思えないほど顔を赤くし、口元のよだれを白い手で拭い去ってから、胸元のボタンを1つだけ外した。

 

 ラウラやナタリアと比べると小さなカノンの胸。しかし、これから成長していけば母親のカレンさんのようにしっかりと膨らむだろうということは想像に難くない。これから大きくなると追う可能性を秘めた白い胸元が、黒い制服の隙間から少しだけ覗く。

 

 彼女の愛用する香水と、少量の汗と、炸薬の匂いが混ざり合った独特の香り。鼻孔へと流れ込んだその不思議な香りは、あっという間に小さくなってしまった俺の頭の中を満たしてしまう。

 

「先程のトレーニングで、少しばかり汗をかいてしまいましたの」

 

「あ、ああ」

 

「もしよろしければ、お兄様もわたくしと一緒にシャワーを――――――――」

 

 う、嘘をつくな。シャワールームに一緒に入った後、お前がどうするつもりなのかはもう予想できている。

 

 このままシャワールームまで連れていかれるのだろうかと、息を呑みながらなぜかドキドキしていたその時だった。きびきびとした靴の音がカノンの後ろから聞こえてきたかと思うと、彼女の橙色の長い髪の後ろで、美しい金髪が揺らめいたように見えたのである。

 

 カノンもさすがにその威圧感に気づいたらしく、そっと後ろを振り返る。

 

 そこに立っていたのは、黒い制服に身を包んだ金髪の少女だった。制服を着崩さずにしっかりと身に着け、テンプル騎士団のエンブレムが刻まれた軍帽をかぶった姿は昔のドイツ軍の指揮官を彷彿とさせる。これから射撃訓練に行くところなのか、腰のホルスターにはロシア製ハンドガンのPL-14を収めており、彼女の右手はそのグリップへと確かに近づけられていた。

 

 まるで早撃ちをぶちかます直前のガンマンのような手つきだが、美しい黄金の前髪の下から俺たちを見下ろす紫色の瞳は、まるでじゃれ合う幼い子供たちを見守るかのように優しい。だが…………なんでそんな表情で威圧感を剥き出しにしているのだろうか。

 

「カノンちゃん?」

 

「な、ナタリアさん………………?」

 

「どうしてそんな小さい子を押し倒してるのかな?」

 

「え、ええと………………」

 

「………………とりあえず、タクヤの上から降りてあげなさい。今回は見逃してあげるから」

 

「は、はい……………」

 

 た、助かった……………。

 

 ありがとうございます、ナタリア軍曹!

 

 しょんぼりしながら起き上がり、外したボタンを元に戻すカノン。なんだかちょっとばかり可哀そうだけど、さすがにこの姿の状態で襲われるのはまずいので仕方がない。元の姿に戻ったら甘えさせてあげよう。

 

 こちらをちらちらと見ながら去っていくカノンに、俺は微笑みながらウインクする。すると彼女の顔から一瞬で寂しそうな表情が消え去り、再びいつでも襲って来れるような笑顔を浮かべる。

 

 い、いかん。あまりこういうことをするとまた振出しに戻ってしまう。

 

「ほら、もう夜だから部屋に戻るわよ」

 

「はーい」

 

 1人で部屋に向かって歩き出そうとしていると、左手をナタリアの手にぎゅっと掴まれた。

 

「ん?」

 

「ひ、1人で戻ったら…………あ、危ないわよ? 今のあんた、3歳児なんだし。わ、私が守ってあげないと」

 

「そ、そうだな。じゃあたのむよ、ナタリアおねえちゃん」

 

「………………っ!?」

 

 そう呼ぶと、ナタリアの顔がまた一瞬で真っ赤になった。先ほどまでの恥ずかしそうだった表情が一瞬で限界に達してしまったらしく、顔が赤くなった彼女は俺と目を合わせないように床を見下ろしながら、「わ、悪くないわ………………」と呟いた。

 

 ナタリアお姉ちゃんって呼んでいいって言ったからそう呼んだんだけど、ダメなのかな?

 

 しばらく顔を赤くしたまま固まっていたナタリアだけど、さすがにいつまでも顔を赤くしているわけにはいかないという気持ちが勝利したのか、急に大袈裟に深呼吸を始めた。もう片方の手で軍帽をわざとらしくかぶりなおした彼女は、息を吐いてから俺と一緒に第一居住区を目指して歩き始める。

 

 傍から見れば、どこかの軍の女性の指揮官が小さな子供を保護しているような光景にも見えるだろう。すれ違った団員たちが目を丸くしながらまじまじとこっちを見つめているけど、ナタリアは彼らに敬礼をしてからすぐに通り過ぎていく。

 

 ちらりと彼女の顔を見上げると、目が合った瞬間にナタリアの頬がほんの少しだけ赤くなった。

 

 何か話そうかと思ったけれど、なかなか話題が思い浮かばない。組織のことじゃなくてもいい。そう、プライベートでもいい。暇な時は何をして過ごしているのかって質問してもいいし、趣味は何なのか聞いてもいいだろう。

 

 けれども、話す話題の方向性は形になっているというのに、肝心の内容が全然思いつかない。心の中で組み立てては再び突き崩すような無意味な思考を繰り返しているうちに、第一居住区の見覚えのある扉の前に立っていることに気づいた。

 

 扉のプレートには、俺とラウラの名前が書かれている。

 

「ありがとね、ナタリアおねえちゃん」

 

「え、ええ。無事で何よりだわ、全く。世話がかかるわね」

 

「わるかったな」

 

 小さくなるのってかなり不便なんだよ。

 

 悪態をつきながら部屋のドアを開けようとした瞬間、俺の両脇から回り込んできた暖かくて白い手が、甘い香りを孕みながら小さくなった俺の体を包み込んだ。かすかに揺れた金髪が首筋に触れ、甘い香りをさらに舞い上げる。

 

「ナタリア……………?」

 

 振り向かずに、俺はそっと手を後ろへと伸ばした。すっかり短くなってしまった幼児の手でも届く距離に、ナタリアの頬がある。どきりとしてしまうけれど、俺はすぐにナタリアが後ろから抱きしめているのだということを理解した。

 

「なんだか、寂しいかも」

 

「……………あのリンゴくえば、またちいさくなるらしいぞ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。シルヴィアがいってた」

 

 でも、また小さくなるのは御免だぞ? 女子に優しくしてもらえるのは最高だけど、いろいろ大変だからな。

 

「……………じゃあ、もしまた小さくなったら、いっぱい可愛がってもいいかな……………?」

 

「ああ。そのときはよろしくね、ナタリアおねえちゃん」

 

「うん」

 

 ナタリアの両手が俺をぎゅっと抱きしめ、より密着した状態で彼女の柔らかい唇が頬に押し付けられる。暖かさと柔らかい感触を頬に刻み付けた彼女は、最後にもう一度俺の体をぎゅっと抱きしめると、まだ少し名残惜しそうに手を放し、そっと立ち上がった。

 

 ラウラみたいに常に甘えてくるお姉ちゃんもいいけど、ナタリアみたいに一見するとしっかり者だけど、たまに甘えてくるようなツンデレのお姉ちゃんも悪くないかもしれない。

 

 そう思いながら、立ち去っていくナタリアに向かって俺は小さな手を振った。それに気づいた彼女は、微笑みながら白い手を振り返す。

 

「…………さて」

 

 とにかく、これでショタクヤとはおさらばだ。明日の朝には元のサイズに戻っていられるのだから、もうショタクヤって呼ばれることはないだろう。

 

 一安心しながら部屋のドアを開けた俺だったが―――――――――部屋の中に、最後の難敵が潜んでいたことをすっかり忘れていた。

 

「ふにゃあああああああああああっ! おかえりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

「べねりっ!?」

 

 ドアを開けた瞬間、すさまじい瞬発力で突っ込んでくる赤毛の美少女。もちろんその最後の伏兵を見落としていた俺に回避する術はなく、彼女の突進を食らった挙句、またしても硬い床の上に押し倒される羽目に。

 

 そして彼女にのしかかられ、大きな胸を押し付けられる。ナタリアとは違う甘い香りに包まれ、柔らかい感触に押しつぶされそうになりながら、俺は顔を赤くすることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 標的をドットサイトの向こうに重ね、トリガーを引く。大口径の弾丸だというのにその反動はかなり小さくて、片手でも撃てそうなほどだった。

 

 けれども、この体がどれだけありがたいのかを俺は痛感している。常人以上の筋力と反射速度に加え、あらゆる防具を凌ぐ防御力まで兼ね備えたキメラの肉体は、まさに戦うことに最適化されているといえる。

 

 一時的にとはいえそれを封じられたおかげで、この身体がどれだけ便利なのかを認識することができたのはある意味では貴重な体験だ。けれども、もうあんな経験は御免だね。一部の女子には襲われそうになるし、団員たちの前では何度も醜態を晒した。ああ、しばらくはリンゴを食べたくない。

 

 鬱憤を晴らすかのように、セレクターレバーをセミオートからフルオートに切り替える。マガジンの中に入っている7.62mm弾をすべて打ち尽くした俺は、空になった薬莢が転がる音を耳にしながらAK-12を下げ、息を吐いた。

 

 これで今日の射撃訓練は終わり。次は各部署の状況を確認し、要望をまとめてから再び筋トレだ。転生者やキメラにもそういった鍛錬は必要不可欠だ。サボれば、次に相対した敵に狩られる羽目になる。

 

 AK-12を背負いながら訓練場のレーンを後にすると、出口でラウラが待っていた。挨拶しようと思って片手を上げかけた俺だったが、彼女が手にしている皿の上に乗っているものを見た途端、目を見開いて固まってしまう。

 

「あっ、タクヤ! お疲れさまっ♪」

 

「ら、ラウラ、それは?」

 

「ふにゅ? ああ、差し入れのリンゴだよっ! お姉ちゃんが頑張って切ったんだよっ♪」

 

 そ、それ、普通のリンゴだよね? なんだか皮に皺があるけど、大丈夫!?

 

「い、いや、リンゴはちょっと――――――――」

 

「ほらっ、あーんっ♪」

 

「………………」

 

 ま、また幼児に戻すつもりか。

 

 ラウラが差し出してきたリンゴを見つめながら、俺は苦笑してしまうのだった。

 

 

 

 




※ベネリはイタリアの銃のメーカーです。ベネリM3やベネリM2が有名ですね。


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工房ができるとこうなる

 

 タンプル搭には様々な区画がある。戦闘員やメンバーが住む居住区や作戦の指揮を執る戦術区画のほかに、現時点では訓練を行うための訓練区画が建設され、団員たちが訓練に励んでいる。

 

 訓練区画には射撃訓練用のレーンをはじめ、室内を再現したスペースや市街地戦の訓練ができるように再現された空間もある。他にも筋トレ用の道具や格闘訓練ができるスペースを備えたジムもあるので、極めて幅広いトレーニングができるようになっている。

 

 その訓練区画の一角に、黒い制服に身をまとった団員たちの人だかりができていた。片手に財布を持って集まった彼らの向こうに見えるのは、訓練区画に用意された鍛冶屋のカウンターだ。購入してからすぐに試し斬りできるように、訓練区画の真っただ中と戦術区画の数ヵ所に鍛冶屋が店を開いている。

 

 カウンターの上や傍らには大小さまざまな看板が置かれており、白黒の写真が張り付けられている。

 

 産業革命が始まってから、この世界でもやっと写真が登場した。とはいっても前世の世界のようなカラー写真ではなく白黒写真で、カメラの値段も高いため、庶民が手にするよりは裕福な貴族が購入する代物となっている。

 

 おそらく、以前に陥落させたフランセン共和国騎士団の駐屯地の焼け跡から偵察部隊が拝借してきたんだろう。タンプル搭の周囲にある岩山の中には鉱脈が存在することが確認されており、少なくとも金属系の資源には困らないのだが、さすがに商人から購入するだけでは資源が足りなくなる。そこで、外周部へと派遣する偵察部隊には、可能な限り資源を回収する任務も与えている。

 

 MOABで木っ端微塵になった駐屯地から発見できたのはまさに奇跡だ。早速そのカメラが有効活用されていることを確認した俺は少しばかり笑いながら、店頭へと向かう。

 

 そこに張り付けられている白黒写真に写っているのは、様々な近距離用の武器だった。オーソドックスなサーベルやロングソードの写真も見受けられるが、その隣に置かれている看板にはサバイバルナイフやマチェットの写真も張られている。その隣に張られているでっかい写真に写っているのはスコップだ。

 

 冒険者向けの鍛冶屋に行けばスコップも販売されており、武器として使用することも前提に設計されているため、殴りつけたり切り付けることも可能になっているんだが、どうやらこの世界の冒険者や傭兵たちにはスコップを武器として使うという発想がないらしく、あまりメジャーな武器ではないらしい。鍛冶屋のカタログからスコップが消えていく店は後を絶たないという。

 

 まあ、スコップまではごく普通の鍛冶屋からモリガン・カンパニーの鍛冶屋でも販売されている〝ごく普通の”武器だ。最近ではサバイバルナイフの需要も上がっており、そのようなナイフは冒険者にとって必需品と言い出す者も多い。

 

 だが、それらの看板の隣にある壁に貼られている写真は、一見すると武器とは思えない代物のオンパレードになっていた。

 

 まず、釘バットの写真が写っている。その隣にはいったいどこから持ってきたのかは不明だけど、圧力計とバルブがまだ付いたままになっている鉄パイプの写真が貼られており、その写真の隣にはボルトカッターやパイプレンチをはじめとするあらゆる工具が連なっている。

 

 あそこは武器を中心に販売する鍛冶屋だって店主のドワーフは言っていたし、ポイントの節約にもなるからとナタリアに説明されて俺は店を開くことを承認したんだが、なんで工具まで売ってるんだ? 需要あるのか?

 

「おーい、釘バットくれー!」

 

「ホームガードパイクの在庫まだある!?」

 

「バールくださーい!!」

 

「俺はパイプレンチ!」

 

 需要あるのかよ……………。

 

 というか、ホームガードパイクまで売ってるの!? 初耳だぞ!?

 

 ちなみにホームガードパイクとは、第二次世界大戦中のイギリスで編成された『ホームガード』と呼ばれる防衛部隊に配備された槍である。マシンガンやライフルが段々と発達し、戦場に行けばライフルを持った歩兵や戦車が壮絶な撃ち合いをするのが当たり前となった時代に槍を装備させるのは正気の沙汰とは思えないが、当時のイギリス軍の事情を考えるとやむを得ないと言える。

 

 かつてイギリス軍は、ドイツ軍の進撃によって撤退する羽目になった。数多くのイギリス軍兵士の救出には成功したのだが、肝心な銃や戦車などの兵器を持ち帰る余裕はなかったため、やむを得ず兵器を戦場に置き去りにする羽目になった。そのため撤退後のイギリス軍は銃や兵器が大量に不足することになり、即席の武器を製作したり、同盟国から輸入して何とか装備を整えようとした。

 

 その最中にホームガードへと配備されたのが、このホームガードパイクである。

 

 要するに、ライフル用の銃剣を鉄パイプに溶接して簡単な槍にしただけの代物であり、最新式の戦車やマシンガンで武装したドイツ軍に対抗できる武器とは全く言えなかった。いくらリーチが長いとはいえ、それよりも射程距離の長い銃で接近される前に撃たれるのは明白だからである。

 

 そのホームガードパイクが、この異世界の鍛冶屋で売られているのだ。前世の世界に住んでいた俺は思わず我が目を疑ってしまう。

 

 しばらくすると、長めの鉄パイプの先に銃剣を溶接したホームガードパイクを手にした団員が、数名の友人と一緒に雑談しながら店の前から去っていった。そのあとに続く団員も同じく、嬉しそうにホームガードパイクを抱えて去っていく。

 

「ほら、ホームガードパイクは売り切れだ!」

 

「えぇ!?」

 

「マジかよ!? 鉄パイプと銃剣を溶接するだけだろ!? すぐ作ってくれよ!」

 

「やかましい! すぐ作るから他のにしな!!」

 

 しかも人気商品!?

 

 駄々をこねる団員たちを怒鳴り散らし、ドワーフの店主は客の対応を若いドワーフの男性に任せて工房の奥へと引っ込んでいく。多分、鉄パイプと銃剣を溶接する作業でもするつもりなんだろう。

 

 俺はこっそりと鍛冶屋の裏口へと回り込むと、一応ノックしてから裏口のドアを開け、工房へと入った。

 

 木製のドアを開けると、金属の溶ける猛烈な臭いが鼻孔へと雪崩れ込む。大きな窯の中では炎が燃え盛り、傍らには鍛える前のロングソードの刀身がずらりと並ぶ。それだけならばごく普通の鍛冶屋の光景なんだが、この鍛冶屋の攻防に入って一番最初に目を引かれたのは、壁際にこれでもかというほど立てかけられた鉄パイプと、木箱の中にぎっしりと詰め込まれた銃剣の群れだった。

 

 さすがに銃は俺の能力で支給しているが、銃剣やナイフなどのこの世界でも生産できる武器は、可能な限り彼らに生産してもらうことにしている。そうすればポイントの節約にもなるし、万が一俺が死亡して能力で生産した武器がすべて消滅してしまっても、そういったお手製の武器があれば戦いを続けることはできる。

 

 工房の中を見渡しながら、早くも鉄パイプと銃剣の溶接を始めている初老のドワーフへと声をかけた。

 

「お疲れさま、バーンズさん」

 

「ん? おお、お嬢ちゃん!」

 

 この人はドワーフのバーンズさん。ムジャヒディンのメンバーの1人で、拠点が壊滅するまでは戦士たちの装備する武器や防具を数人の弟子と一緒に製造していた鍛冶職人であり、彼には引き続き組織内で使用する武器や防具の生産を手掛けてもらっている。

 

 口調は粗暴で声も大きいけれど、とても几帳面で仕事熱心な鍛冶職人なのだ。ドワーフの鍛冶職人はこんな感じの職人が多いという。

 

 それにしても、この人には何度も俺は男だって説明したはずなのに、相変わらず俺の人をお嬢ちゃんと呼んでいる。訂正する気はないということなんだろうか。

 

「人気商品みたいですね、それ」

 

「ああ。あの銃とかいう武器はすげえが、やっぱり使い慣れてる武器が好まれるもんだよ」

 

「ふむ……………」

 

 確かに、騎士団や傭兵たちは産業革命以降も剣や槍を使い続けていると聞く。さすがに製造工程や素材などあらゆる要素が見直され、より合理的な物に再設計された代物ばかりとなっているため切れ味は段違いだが、やっぱりそういう武器のほうが安心して装備できるということなんだろう。

 

「親方、お客さんが鉄パイプ4本欲しいってさ!」

 

「そこの棚にあるやつ渡しとけ!」

 

「了解!」

 

「…………て、鉄パイプも人気なんですね」

 

「優秀な鈍器だからな。ガッハッハッハッハッハッ!!」

 

 て、鉄パイプかぁ……………。産業革命が起こる前はほとんど見かけることはなかったけど、最近はいろんな場所で見かけるようになったからなぁ…………。

 

 若いドワーフの男性は俺に挨拶すると、棚に立てかけられている鉄パイプを4本拾い上げ、慌てて店先へと走っていった。

 

「ところで、何か困った事とかあります?」

 

「うーん、今のところはねえな。ホームガードパイクが人気過ぎて、最近は溶接ばっかりやってるのが悩みだがな! ガッハッハッハッハッ!!」

 

「そ、そうですか…………」

 

 そう言いながら額にかけていたゴーグルをかけ、耐熱性の手袋をした大きな手で鉄パイプを足元の金具に固定した親方は、ぶつぶつと野太い声で詠唱をはじめ――――――――右手に生成した魔法陣から出現させた炎で、銃剣と鉄パイプの溶接を始めた。

 

 前世の世界ではバーナーを使っていたが、この世界では炎属性の魔術でこのように溶接するのが主流となっている。とはいえ魔力の加減で温度が変わるので、しっかりとした溶接ができるのは経験豊富なベテランの職人ばかりとなっている。

 

 とりあえず、作業の邪魔をしてはいけない。持参したアイスティー入りの水筒を邪魔にならないような場所に置き、「ここに飲み物置いときますんで、ちゃんと水分補給してくださいね」と言い残してから工房を後にする。

 

 さて、これから少し射撃訓練でもしていこうかな。そう思いながら射撃訓練場のレーンへと向かおうとしていると、工房の前に並ぶ人だかりの中に、見慣れた背の小さい銀髪の少女が並んでいることに気づいた。

 

 お尻まで届くほどがない銀髪の毛先は、桜色に変色している。特徴的な髪の色だし、さらに慎重が小さいという特長まで兼ね備えているのだから、彼女を見間違うわけがない。

 

「ステラ?」

 

「あっ、タクヤ」

 

 そこに並んでいたのは、やはりサキュバスのステラだった。俺たちのパーティーの一員で、少女とは思えないほどの怪力の持ち主である彼女は、いつもはLMG(ライトマシンガン)や重機関銃などの重火器で突撃する仲間を支援してくれる。接近戦で使う武器も強烈な物ばかりを選びたがる変わったやつなんだが、彼女も工房に武器の注文をしに来たんだろうか。

 

「お前も武器を買いに来たのか?」

 

「はい。ドワーフの作る武器は信頼性が非常に高いですから」

 

 確かに、ドワーフの職人が作り上げる武器は信頼性が非常に高い上に頑丈で、さらに価格も安いのでほとんどの冒険者は一番最初にドワーフが作った剣を手にするという。騎士団でも専属の職人を雇うほどで、奴隷にされるケースがある人間以外の種族の中でもドワーフは優遇されているといえる。

 

 ちなみにハイエルフにも武器を作る職人がおり、彼らが作った武器も鍛冶屋で売られることがあるんだが、非常に華奢で扱いが難しく、さらに価格が高いため、熟練の冒険者向けとなっている。ただしドワーフの武器と比べると非常に細かいところまできっちりと作られていることが多いので、こちらも愛用する冒険者や傭兵が多い。

 

 ステラの前に並んでいたダークエルフの男性が釘バットを受け取り、嬉しそうに店から去っていく。今度はステラの番なのだが……………注文するためのカウンターが、ステラの伸長よりも高いという問題が俺の目の前で発覚してしまう。

 

「あ」

 

「……………」

 

 必死に背伸びをしようとするステラだが、背伸びをしても指先が辛うじてカウンターに届く程度。そしてそのカウンターの向こうにいる若いドワーフの男性も背が小さいので、踏み台を有効活用しながら接客している状態だ。だからさらに背伸びをして接客するという選択肢はない。

 

 手を伸ばすのを諦め、ステラは涙目になりながらこっちを振り返る。

 

「……………届きません」

 

「ま、任せろ」

 

 もう少しカウンターの高さを低くするべきかな? それか、ステラ用の踏み台でも用意しておくか。

 

 そっと手を伸ばし、ステラの小さな身体を抱き抱える。まるで小さな子供を抱っこする父親のような気分になりながら、カウンターの向こうで困惑しているドワーフの男性に声をかける。

 

「あー、すまん。注文だ」

 

「は、はい。何にいたしましょう?」

 

「ええと……………ステラ、何にする?」

 

「ボルトカッターでお願いします」

 

 え? ぼ、ボルトカッター?

 

 ちょっと待て、それは工具だろ? 

 

「ボルトカッターですね?」

 

「はい。人間や魔物の肉も斬れるように刀身を伸ばしてください。それと刀身の裏側にはセレーションを追加して、刃を閉じた状態でも打撃武器として機能するように改造をお願いします」

 

「わ、分かりました。……………親方ぁ、注文ッス!」

 

「おう! メモして置いときな! 明日の昼頃までには作っておくぜ!」

 

「ありがとうございます。代金は?」

 

「はい、銅貨10枚です」

 

 ポケットから銅貨を取り出し、カウンターの上に置くステラ。素早くそれを数えたドワーフの男性は笑顔で「まいどあり!」と言うと、ステラの注文をメモした用紙をカウンターの奥へと置いた。

 

 それにしても、ステラはどうしてそんな武器を好むんだろうか。普通の剣は嫌なのかな?

 

 後ろにもまだ団員たちが並んでいるので、邪魔にならないようにすぐ脇へと退く。そしてステラを下ろそうとしたんだが、彼女を下ろすために俺が屈み始めると、ステラはまるでコアラのように小さな手を首の後ろへと回し、俺の胸板にしがみつき始めた。

 

「おい、ステラ?」

 

「そ、その………………もうちょっとだけ、ステラを抱っこしててほしいです」

 

 恥ずかしそうにしながら、じっと俺の目を見つめるステラ。出会ったばかりの頃は全く表情を変えない無表情の少女だったんだけど、旅を続けているうちにステラは段々と感情豊かになりつつある。

 

 以前だったら、きっとこんな風に恥ずかしがりながら要求することはなかっただろう。あの時の淡々とした喋り方をするステラのことを思い出して微笑んだ俺は、「ああ、分かったよ」と言ってから彼女をぎゅっと抱きしめた。

 

「ふふっ………………タクヤって、本当にいい匂いがします」

 

「そうか?」

 

「はい。ステラはこの匂いが大好きです」

 

 髪の匂いを嗅ぎ始めるステラを抱き抱えながら、俺は射撃訓練場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上から見ると、タンプル搭を取り囲む岩山はちょっとだけ歪んでいるが、ほぼ円形になっている。円卓を思わせる岩山の防壁にはまるで亀裂のように3つの谷があり、その谷底がそのまま中心部への陸路として利用できるようになっているのだ。

 

 かつてここを拠点として使っていた騎士団が整備したのだろうか。

 

 さすがに岩山を登るのは不可能だし、仮に登ったとしても岩山の上には迎撃用の兵器を配備する予定なので、どの道攻め込むのは簡単ではないだろう。とりあえず、現時点ではその3つの陸路を警備するために、1つの道につき2ヵ所の検問所を配置している。

 

 アサルトライフルを装備した団員を数名配備し、無線で指令室と定期的に連絡をさせている。魔物や敵が侵入してきたときはすぐに連絡するようにしてあるし、味方が帰還するときも随時報告するように指示を出してある。

 

 その検問所の1つを、先ほど偵察に派遣された部隊がバイクで通過したという報告があった。

 

 偵察部隊の人数は6名。アサルトライフルを装備した兵士4名とマークスマンライフルを装備した兵士2名によって編成されている部隊で、訓練で成績の良かったメンバーの中から選抜した団員で構成されている。

 

 タンプル搭の周囲は広大な砂漠だし、魔物と遭遇したら逃げることも視野に入れているので、偵察部隊にはバイクを用意している。

 

 偵察に使用するバイクには、日本製の『カワサキKLX250』を使用している。自衛隊でも偵察用のバイクとして採用されており、装甲車よりも小回りが利くので、テンプル騎士団の偵察部隊でもこれを使っている。

 

 ほかにもバイクが用意されている部隊はあるが、そちらは偵察部隊よりもより攻撃的な部隊だ。

 

 ゲートを通過して戻ってきたバイクの数はちゃんと6台。砂埃で汚れているけれど、特に損傷もない。警備していた団員たちに出迎えられて敷地内へと戻ってきた彼らは、順番にバイクを停車させてエンジンを切ると、バイクから降りてヘルメットを取り外し、俺の目の前にやってきて素早く敬礼する。

 

「第1偵察部隊、ただいま帰還しました」

 

「お疲れさま、同志。成果は?」

 

「はい。とりあえず鉄パイプや使えそうな木材の破片などの資源を回収してきました。それと、南東のほうにそれなりに大きな街があるみたいですね」

 

「街?」

 

「はい。50kmくらい距離がありますが………………」

 

 街か。砂漠の真っ只中じゃないか。

 

「……………分かった。後で俺が調査に行く」

 

「了解(ダー)。報告は以上です、同志」

 

「分かった。後はバイクを格納庫に下して休んでくれ」

 

 街があるということは、何かしらの情報も手に入るかもしれないな。それに上手くいけば、資金を手に入れる手段も見つかるかもしれない。

 

 とりあえず、今のうちに調査の準備をしておこう。そう思った俺は、偵察部隊と別れて地下へと降りていくのだった。

 

 

 

 



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調査に出発するとこうなる

 

 

 眠気から解放される前から、ずっと甘い香りが俺を包み込んでいた。

 

 幼少の頃から何度も嗅いだことのある、すっかり馴染んだ甘い香り。きっと夢を見ている最中も俺の鼻孔を満たしていたんだろうなと思いつつ、そっと瞼を開けながら体を起こそうとする。

 

 けれども、やっぱりいつものように身体は動かない。手足が縛りつけられているというよりは、胴体に何かが絡みついているというべきだろうか。いずれにせよ身体が拘束されていることに変わりはないんだが、朝起きた時にこんな状態になっているのはいつものことだ。そしてその元凶にも心当たりがある。

 

「ふにゃあ……………タクヤぁ……………♪」

 

 両手と両足だけでなく、キメラの尻尾でも身体をがっちりと押さえつけながら幸せそうに眠っているのは、腹違いの姉のラウラ。幼少の頃からずっとこうやって眠っているんだが、さすがに発育が進んだ今の状態でこんな眠り方をされるとかなり困る。当たり前のように押し当てられている大きな胸の弾力にドキドキしながら、溜息をついてもう一度後頭部を枕の上に押し付けた。

 

 小さい頃は大丈夫だった。まあ、こんなに胸は大きくなかったし、俺の中身も17歳の男子高校生だから、姉というよりは甘えん坊の妹みたいな感覚だった。けれど成長するにつれて大人びた容姿になり、スタイルも母親のエリスさんのようになってくると、さすがに顔を赤くせずにはいられない。

 

 こうやって甘えてくるのを躊躇ってくれるのならば問題はない。けれどもラウラは躊躇うどころか、俺が恥ずかしそうにすると逆に攻め込んでくるのである。

 

 特徴的な赤毛に結んでいたリボンを外した彼女の顔つきは、やっぱり母親のエリスさんに近い。髪の色と戦闘中の性格以外は完全に母親にそっくりである。

 

 ラウラのせいで動けない状態のまま、枕元の時計を確認する。今の時刻は午前5時くらいか…………。

 

 それにしても、なぜ1人用のベッドで18歳の男女が一緒に眠らなければならないのだろうか。別々のベッドで眠るか、せめてもう少し大きめのベッドを使わない限り密着するのは当たり前だぞ?

 

 でも……………別に嫌じゃないし、いいか。恥ずかしいけど。

 

「ふにゃ……………大好き………………」

 

「………………」

 

 小さい頃は、多分俺はごく普通の弟だった。

 

 でも、こんな甘えん坊のお姉ちゃんに長年甘えられ続けたせいで、今ではもう完全にシスコンだ。しかもラウラは色々と不器用な少女だから、一緒にいる俺がちゃんと彼女の世話をしなければならない。

 

 ラウラは料理ができない。というか、彼女が料理を作ると死者が出るので作らせてはいけない。実際に彼女が作った料理を食べたあの親父が高熱を出して死にかけたこともあるので、一般人が食べたらどうなるかは想像に難くない。

 

 あの時は親父が『せっかく娘が作ってくれたんだから』と言って、紫色の毒々しいビーフシチューを平らげたが、はっきり言うと俺にそんな度胸はない。

 

 昔のことを考えていると、寝相なのかラウラが身体を動かし始めた。俺の胴体に巻き付けていた尻尾をほどいたかと思うと、今度はそれを俺の首に巻き付け、先のほうで俺の頬をぺちん、と叩きやがった。

 

 そして、実は起きてるんじゃないかと思えるほどピンポイントで顔を俺の頬に近づけると、眠りながら頬ずりを始める。

 

 甘えん坊で不器用なお姉ちゃんだけど、彼女の弟として転生することができてよかったと思ってる。

 

 でも――――――――問題点があるんだよね。

 

「…………ふにゅ……絶対………………逃がさない………………フフフフフッ」

 

 そう。俺のお姉ちゃんは―――――――――ヤンデレなのだ。

 

 ヤンデレになっちゃったのは幼少の頃である。一緒に公園で遊んでいた幼馴染の女の子に抱き着かれていたのを目撃したのが始まりで、それ以降は俺がほかの女の子と仲良くしているのを目にする度に機嫌を悪くしたり、最悪の場合はベッドに手足を縛り付けられたり、氷漬けにされて監禁されることもあった。

 

 言っておくが、俺はクーデレ派だ。前世の友人にヤンデレが大好きな奴がいたが、そいつがラウラを目にしたらきっと大喜びで監禁されようとするだろう。

 

 さて、お姉ちゃんはいつになったら目を覚ますのかな? 寝相で身体を動かしたせいで大きな胸が余計押し付けられてるんだけど、本当にこれ何とかしてくれないかな?

 

 パーティーメンバーの中で一番でかいだろ、これ。まさに超弩級戦艦だよ。トレーニング中とか戦闘中によく見てみると揺れてるし。

 

 ラウラの母親じゃなくて俺の母親だけど、エミリアさんも結構でかい。しかも剣を使って接近戦をするのを好む人だったからなのか、戦闘中に揺れるのを気にしていたらしく、一時期は胸に防具を装着して揺れるのを防いでいたという。

 

 母さん、そんな勿体ないことしちゃダメだよ……………。大きな胸はぜひ揺らすべきだと思うよ。それとそんな巨乳の美女を2人も嫁にした親父はマジで羨ましい。

 

 そんなことを考えながら天井を見上げていたその時だった。何の前触れもなく部屋のドアが開いたかと思うと、ドアが完全に開き切るよりも先に、人影のようなものが凄まじい速さで部屋の中に突入してきたのである。

 

「!?」

 

 え、何!? 何か入ってきた!?

 

「タクヤー! 朝だよぉー!!」

 

「い、イリ―――――――――ふぁいぶせぶんっ!?」

 

 そしてその部屋の中に入り込んできたやたらと騒がしい来訪者は、まるで起動したSマインのように勢いよくジャンプしたかと思うと、俺に絡みついているラウラではなく、ピンポイントで俺のみぞおちの辺りに着地しやがった!

 

 あ、朝っぱらから…………強烈な一撃を………………ッ!

 

「ほらほらぁ、早く起きなよ。寝坊はよくないよ♪」

 

「ぐえ………………お、降りろ、バカ………………」

 

「ん? 酷いなぁ。せっかく起こしに来たのに。……………それにしても、本当にお姉ちゃんと仲良しなんだねぇ」

 

 制服姿で俺の上にのしかかりながらニヤニヤと笑うイリナ。俺の隣では、すぐ隣でみぞおちへの空爆があったというのに、相変わらずラウラが気持ちよさそうに眠っている。

 

「と、とりあえず、降りろ」

 

「えー? あ、その前にさ」

 

 上にのしかかっているイリナが、そっと自分の口元に白い指を近づける。彼女の唇から微かに覗くのは、人間よりも若干長い吸血鬼の舌と―――――――吸血鬼たちの象徴ともいえる、鋭い犬歯だ。

 

 大昔から吸血鬼たちは、あの犬歯を人々の身体に突き立てて血を吸っていたのである。

 

 その犬歯を指でなぞったイリナは、自分の口元を舌で舐めまわしてから微笑む。

 

「――――――――朝ごはんが欲しいなっ♪」

 

「あー、分かった」

 

 あ、朝ごはんか……………。

 

 現時点でテンプル騎士団のメンバーに、吸血鬼は2人いる。言うまでもないが、ウラルとイリナの2人だ。吸血鬼はサキュバスが魔力を吸収する必要があるように、血を吸う必要がある。栄養を吸収する手段はそれだけとなっており、ごく普通の食べ物を口にしても栄養を摂取することはできず、空腹感も消えないという。

 

 だから当然ながらウラルとイリナには食料として血をあげなければならない。今のところは団員たちが注射器を使って日替わりで自分の血をある程度抜き取り、それを2人に食料としてあげるようにしている。

 

 俺の分の注射器もあったはずだ。ええと、棚の中だったかな?

 

「イリナ、俺の分の注射器はそこの棚の中に――――――――」

 

「直接じゃダメ?」

 

「えっ?」

 

 ちょ、直接?

 

 注射器で血を抜かないで、そのまま血を吸うってこと?

 

 いきなりそんなことを言われて困惑していると、頬を赤くしたイリナが静かに顔を俺の首筋へと近づけ、まるで犬のように匂いを嗅ぎ始める。

 

「タクヤの肌って、白いよね。いい匂いするし……………」

 

「お、おい、イリナ!?」

 

 隣でラウラが寝てるんだぞ!? しかもヤンデレだぞ!?

 

「ふふふっ……………美味しそう」

 

「ばっ、バカ、隣にラウラが――――――――」

 

「ごめんね、もう無理……………っ!」

 

 吸血鬼の食欲は、他の種族の食欲よりもはるかに強烈だという。小さい頃にこの異世界を知るためにと読み始めた図鑑に記載されていたことを思い出した直後、首筋に2本の鋭い何かが突き刺さったような感触がして、ほんの少し遅れてから痛みが膨れ上がり始めた。

 

 首筋の肉に、吸血鬼の牙が突き立てられる痛みだ。すると今度は、じゅる、と液体を吸い上げるような音が聞こえてきて、痛みがどんどん増していく。

 

 俺の首筋に噛みついているイリナはうっとりしているようだった。俺の血の味が気に入ったのか、それともまだまだ空腹なのか、全然俺の首筋から離れる気配はない。

 

 しばらくすると、やっとイリナが首筋から離れてくれた。人間よりも長い舌で口の周りの血を舐め取ると、今度は首筋に残っている血を舐め取り、息を吐きながら微笑む。

 

「ああ……………僕、この味大好き……………♪」

 

「あー、痛かった」

 

 ステラに魔力をあげると身体から力が抜けていくけど、イリナにこうやって血をあげるのは思った以上に辛い。注射器よりもはるかに太い牙が2本も首筋に突き立てられる挙句、身体中の血を吸われるのだから、イリナがうっかり吸い過ぎてしまったら俺は死んでしまう。

 

「ねえ、これから毎日吸いに来てもいいかな?」

 

「マジで?」

 

「うん。だってタクヤの血は美味しいし、血を吸われてる時の顔がとっても可愛いんだもん♪」

 

 俺、どんな顔してたんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の地下には、戦車や装甲車などの車両を格納しておくための格納庫がある。地上には36cm砲がずらりと並んでいるため、そんな場所に格納したら砲撃の際の衝撃で損傷する可能性がある。そのため、格納庫をはじめとするあらゆる設備はタンプル搭の地下に用意されている。

 

 こういった格納庫は普通の基地ならばよく目にする光景だが、転生者の能力で自由自在に兵器を呼び出すことができるならば不要な設備といえるかもしれない。確かにこのようにいちいち格納庫に格納する必要はないかもしれないし、もし裏切者がいた場合はそのまま強奪される危険性もあるだろう。

 

 けれども、団員たちが裏切る可能性は極めて低いし、ちゃんと見張りもつけている。それにこうして格納庫に兵器を格納しておくことで、俺がいちいち戦車や装甲車を呼び出さなくても乗組員が乗り込むだけですぐに出撃できるようになるというメリットがある。

 

 仲間たちと共に戦うのだから、仲間のことを考慮するのは当然だ。

 

「タクヤ、準備できたよー!」

 

「はいよー!」

 

 さて、そろそろ出発するか。

 

 この格納庫に格納されているのは、装甲車や戦車だけではない。偵察部隊が使用するバイクなどもここに格納されているのである。

 

 昨日の午後に偵察部隊が発見したという街へと、これから俺たちは調査に向かうのだ。とはいえテンプル騎士団本隊のメンバー全員で向かうわけにはいかないため、手の空いているメンバーのみで向かうことになっている。

 

 参加するのは、俺とラウラとイリナの3人。他のメンバーには団員たちの指導を担当してもらう予定である。

 

 偵察部隊が発見した街がある位置は、ここから南東に50km。そこまでの地形はずっと砂漠が続いているだけらしいが、魔物が生息しているらしく、戻ってくる際に威嚇射撃で追い払ったという。なので魔物の襲撃も想定してある程度武装していくのがベストだが、さすがに装甲車を引っ張り出すわけにもいかない。

 

 なので、武装したバイクを使うことにした。

 

 AK-12を背負いながら、俺はこれから乗るバイクを見下ろす。

 

 目の前にあるバイクは、偵察部隊が使っていたスマートなカワサキKLX250と比べると対照的と言えるフォルムをしている。全体的にがっちりしており、車体の前方には古めかしい円形の大きなライトが装着されている。

 

 さらに車体の右側には同じくがっちりしたサイドカーがついており、そのサイドカーには7.62mm弾を使用するLMGのRPDが備え付けられている。塗装は黒と灰色の迷彩模様で、部分的に紅く塗装されている。

 

 そのバイクは、ウクライナ製バイクの『KMZドニエプル』というバイクである。

 

 ソ連では、第二次世界大戦でドイツ軍が使用していたバイクをコピーして使用していたという。このウクライナ製バイクのドニエプルは、ウクライナがソ連から独立する前から開発されている旧式の軍用バイクなのだ。

 

 旧式のバイクだが、やはり東側の兵器や車両などと同じく頑丈であるため過酷な環境の中でも信頼性は非常に高いといえる。それに個人的に好きなバイクなので、このバイクも運用することにしている。

 

 バイクの上に乗り、コートのフードをかぶる。ヘルメットをかぶりたいところだがキメラには頭に角があり、感情が高ぶると勝手に伸びてしまうという不便な体質であるため、ヘルメットをかぶると面倒なことになるのだ。下手をするとヘルメットを角が突き破ってしまうかもしれないし、角を痛める可能性もある。

 

 あの角は頭蓋骨の一部が変異したものらしく、非常に硬いのだが万が一折れてしまうと致命傷になるので、負荷をかけるような真似は避けなければならない。だからキメラたちにヘルメットは好まれないのだ。

 

 前世の日本だったら大問題だけど、ここは異世界だから問題はない。バイクどころか車すらない世界だからな。

 

 バイクの上に乗り、エンジンをかける。右隣ではイリナが「あー、これ機関銃かぁ。爆発しないんだね」と文句を言いながらサイドカーに乗り込み、目の前に備え付けてあるRPDの点検を始めている。

 

「えいっ♪」

 

「……………」

 

 そして、ラウラが乗るのは――――――――俺の後ろだ。だからやっぱり大きな胸が当たるわけである。

 

 フードの下で顔を赤くしながら、冷静になっているふりをしてバイクを走らせる。格納されているほかの車両にぶつからないように速度を落としつつ、格納庫の中央に設けられた通路を進んでいく。

 

「HQ(ヘッドクォーター)、どうぞ。こちらヘンゼル」

 

『どうぞ』

 

「これより街の調査に向かう。ゲートを開けてくれ」

 

『了解。そのまま進んでくれ』

 

 無線機から聞こえてきたのは、シュタージに所属するケーターの冷静な声だ。前世の世界ではごく普通の大学生だったらしく、ドイツ系の兵器が専門のミリオタだったという。だから彼とそういう話が始まると、ロシア系の兵器が好きな俺とはいつも独ソ戦が始まるというわけだ。

 

 とはいえ、もう仲間なので今はうまくやっている。それにケーターたちの腕は確かだし、最近は本格的な諜報活動へと移行しつつあるため、シュタージには期待している。

 

 現時点でシュタージのメンバーは4人のみだが、訓練を終えたらノエルもシュタージに配属する予定だ。彼女の能力は基本的に暗殺に向いているし、なによりも彼女はシンヤ叔父さんの元で隠密行動や暗殺の訓練をメインに受けていたという。

 

 病弱だった幼少期からは考えられないが、今の彼女はキメラの能力を持つアサシンなのだ。あのキングアラクネの糸はワイヤーとしてトラップにそのまま応用できるし、移動にも役に立つ。更にキングアラクネの外殻を生成して防御することも可能なので、真っ向からの戦闘になっても問題はない。

 

 彼女の役割次第では、ノエルはシュタージの〝矛”になる。

 

 舞台裏での諜報活動を基本とするシュタージが、標的に対して時折振り下ろす一撃。諜報活動を邪魔する敵の諜報員への一撃にもなるし、通常部隊が政治的な事情で行動を起こせない場合の一撃ともなる。どれだけ濃密な〝網”を張っても、シュタージの矛はそれに合わせてどんどん細くなっていき、網と網の間を変幻自在にすり抜け、その奥にいる標的に喰らいつく。

 

 現時点でノエルはまだまだ未熟だが、そこはクランやケーターたちに鍛え上げてもらうしかないだろう。

 

 ベッドの上で無数の人形たちに囲まれながら過ごしていた、幼少の頃のノエルの顔を思い出しながら、俺はドニエプルの速度を上げていく。

 

 長い通路は徐々に上り坂になり始め、やがて左へと90度ほど曲がったカーブが待ち受ける。戦車や装甲車だけでなく、大型のトラックでも悠々と通過できるように天井は高めになっているし、幅も広いので、そういった車両から見れば小ぢんまりとしたバイクで走っていると猛烈な違和感を感じてしまう。

 

 2回目のカーブを曲がると、解放されたゲートの向こうから砂を含んだ熱風が入り込んできた。日光が当たらないことと、ラウラの氷のおかげで涼しくなっていた地下の世界から、太陽の光の当たる本来の世界へと飛び出していくためのゲート。両脇では赤いランプが点滅し、ゲートが開くことを意味する警報が大騒ぎしている。

 

「うう…………やっぱり、太陽は苦手だなぁ」

 

「フードかぶっとけよ」

 

 右側のサイドカーに乗るイリナが、砂の大地を照らし出す日光を目にしながら息を呑んだ。

 

 どの程度になるのかは個体差ということになるが、日光は吸血鬼の弱点なのだ。少しでも浴びるだけで身体が崩壊してしまう吸血鬼もいるし、身体能力が低下する程度で済む吸血鬼もいる。かつて親父が戦ったレリエル・クロフォードは日光を浴びてもほとんど戦闘力に変化はなく、銀の弾丸や聖水をありったけ叩き込まれても平然と戦いを続け、ヴリシア帝国での戦いではモリガンのメンバー全員―――――――――当時はエリスさんが加入する前だったという――――――――――がレリエルとの戦いで死にかけるという結果になったという。

 

 あのモリガンの傭兵たちが、全員で戦いを挑んで死にかけたのだ。レリエルがどれだけの実力者だったのかは想像に難くない。

 

 そして親父は、最終的にそのレリエルを単独で討伐することに成功している。つまりあの親父を超えるということは、吸血鬼の帝王と呼ばれたレリエル・クロフォードを超えることを意味する。

 

 改めて実力差を実感している俺の隣で、イリナがそそくさと制服のフードをかぶった。今まで開けていた胸元のチャックを思い切り上げ、可能な限り日光を浴びないようにしていく。

 

 ブリスカヴィカ兄妹の場合、吸血鬼の急所と言われている胸元と頭に日光を浴びなければ身体能力が低下する程度で済むという。もしその急所に日光を浴び続ければ、普通の吸血鬼のように身体が崩壊してしまうらしいのだ。短時間ならば問題ないとはいえ、大切な仲間をそんな目に合わせるわけにはいかない。

 

 ゲートから外に出ると、猛烈な日光が俺たちを照らし出した。

 

「うわぁ……………」

 

「お、おいおい…………大丈夫か?」

 

 日光の中へとバイクが躍り出た瞬間、早くもサイドカーに乗るイリナがぐったりとし始める。先ほどまでは普通だった彼女だが、今ではまるで風邪をひいて高熱を発しているかのように、サイドカーの背もたれに華奢な背中を押し付けてぐったりとしている。

 

「き、気持ち悪い…………おえっ」

 

「は、吐くなよ!? 外に吐けよ!?」

 

「ふにゅう……ねえ、吸血鬼にとって日光を浴びる感覚ってどんな感じ?」

 

「ええと、か、風邪ひいてる感じに近いかな…………。吐き気がするし、だるいんだ。それに頭がクラクラ……………おえっ」

 

「ラウラ、アイスティー渡しとけ」

 

「はーいっ!」

 

 うーん、イリナを連れてきたのは人選ミスだったかもしれない。ゲートからちょっと飛び出した程度でこの有様なのだから、下手したら目的地に到着する前にくたばっちまうかもしれない。

 

 志願したのは彼女なのだから彼女の意思も尊重しなければと思って連れてきたんだが、大丈夫なんだろうか。

 

「だ、大丈夫か? 引き返す?」

 

「大丈夫……………おえっ。うぅ……………ぼ、僕は大丈夫……………」

 

 ほ、本当か……………?

 

 目的地まで南東に50kmだぞ? 魔物に遭遇したとしても無視して逃げることを優先するとはいえ、結構時間がかかるぞ? それまで耐えるつもりか?

 

 ラウラから渡されたアイスティー入りの水筒を傾け、必死に中に入っているアイスティーを飲み込むイリナ。一刻も早く目的地に到着しなければ、本当に彼女がくたばってしまうかもしれない。だからと言って夜に出発すれば、道中の砂漠に生息する魔物の活動が活発化する恐れがあったので、仕方なく昼間に出発することを選んだのだが、やはり夜に出発するべきだったんだろうか。

 

 ちょっと後悔しながら、2人を乗せたバイクを走らせて検問のほうへと走っていく。検問所ではAK-12を背負った警備兵がきっちりと見張りをしている。俺の顔を見た瞬間に微笑んだ警備兵は素早く敬礼すると、検問のゲートを開けて俺たちを通してくれた。

 

 この谷底の道を通過するまではしばらく日陰だ。イリナはほんの少しだけ楽ができるに違いない。

 

 可能な限り飛ばそうと思った俺いながら、俺は警備兵に敬礼しつつアクセルを踏むのだった。

 

 

 

 




※Five-seveNはベルギー製のハンドガンです。あの有名なP90と同じ弾薬を使用します。


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イリナが冒険者になるとこうなる

 

 

 一通り訓練で乗り方を覚えたとはいえ、戦車や装甲車に比べると乗った回数は少ないのだから、それほど運転に慣れているというわけではない。それでも適度に警戒しつつ、乗り慣れないウクライナ製のバイクの運転を楽しんでいれば、50kmの距離を駆け抜けるのに費やした時間はほんの数分のように感じられる。

 

 とはいえ、そのほんの数分に感じられた移動中の時間を、一刻も早く終えてくれと願っている仲間がいる事も分かっている。何度もラウラが渡したアイスティーを口に含み、嘔吐するのを必死にこらえ続けたイリナの目の前でドライブを楽しむわけにはいかないのだ。

 

 砂を孕んだ風の壁を通り抜けた先には、偵察部隊の情報通りに街が広がっていた。タンプル搭から南東に50kmの地点に存在したその街は、カルガニスタンの伝統的な建築様式の建物と、この国を占領して植民地にしているフランセン共和国の建築様式の建物が入り混じった独特な世界になっていて、入り口の門には槍を手にしたフランセンの騎士たちが数名ほど見張りをしている。

 

 その入り口から見る限りではそれなりに繁栄している街のようだった。ラクダに乗った商人が商品を売り、買い物客が露店の前に群がる。産業革命の影響をあまり受けていないせいなのか、ラガヴァンビウスやエイナ・ドルレアンのしっかりと舗装された大通りに比べると質素な感じはするけれど、貧しいという感じはしない。

 

「到着だ」

 

「ふにゃー、なかなか大きな街だね」

 

「うう…………は、早く、日陰に……………」

 

「おいおい、大丈夫かよ!?」

 

 慌ててKMZドニエプルから降り、サイドカーから今にも転がり落ちそうになっていたイリナをサイドカーから引っ張り出す。がつん、と彼女の太腿がサイドカーに備え付けられている機関銃の銃床がぶつかってしまったが、とりあえずそのままイリナを引っ張り出し、肩を貸して何とか立たせる。

 

 ここまで来る途中に何度も吐きそうになっていたイリナだったが、結局彼女がそんなことをする羽目にはならずに済んだ。俺が可能な限り飛ばしたことと、道中に珍しく魔物が出現しなかったのが功を奏したのだろう。後は彼女の忍耐力か。

 

 吸血鬼はあらゆる種族の中でも最もプライドが高い種族だという。他の種族が持たない再生能力と強靭な身体能力を持つため、強い種族の名を挙げるとすれば必ずその中に吸血鬼の名前が並ぶほどだ。それゆえに彼らは吸血鬼として生まれた自分に誇りを持ち、吸血鬼という種族に敬意を持つ。

 

 きっとそのプライドの高さも、彼女の忍耐力につながったんだろう。――――――「吐いてたまるか」という、なんだか間抜けな執念に。

 

 メニュー画面を開き、バイクを装備していた兵器の一覧の中から解除する。何の前触れもなく消滅したバイクを一瞥し、俺はイリナに肩を貸したままラウラを連れて街のほうへと歩いていく。

 

 さて、何とか街についたのはいいんだが、ここはどうやらまだフランセン共和国の支配下にある街のようだ。ムジャヒディンたちのように支配から解放されたわけではないらしい。

 

「ん? 街に入るのか?」

 

「はい、冒険者です」

 

 門の前で見張りをしていた騎士の1人に声をかけられたので、とりあえず冒険者の証である銀のバッジを提示する。このバッジは身分証明書代わりにもなるので、こういった場合に提示するとすんなりと門を通らせてくれるのだ。しかも各国共通の身分証明書となるので、いちいち国境を超える度に書き換える必要もない。

 

 ラウラも同じようにバッジを見せるが、俺の肩を借りながら何とか立っているイリナにバッジはない。彼女だけ持っていないというのも不自然だが…………何とか嘘をつこう。相手を欺くのだったら得意分野だ。

 

「で、その子は? バッジを持ってないのか?」

 

「ああ、はい。こいつも冒険者になるらしくて、今から資格を取りに行くんです。ここって管理局あります?」

 

「おう、あるぞ。通りを真っ直ぐ進んでいくと鍛冶屋の看板があるんだが、その隣だ」

 

「どうも」

 

「ところで、お前らの連れはどうしてぐったりしてるんだ?」

 

「あははははっ。馬車が苦手らしくて…………」

 

「あー、酔っちゃったのか。よくいるよな、そういうやつ」

 

 何とか誤魔化せたんだろうか。以前にはフランセン共和国の騎士団を相手に派手な戦闘をやったばかりだし、できるならばこんなところで一戦交えたくはないものである。

 

 フランセンを憎んでいる筈のイリナもこんな状態だし、面倒なことにはならないだろう。まあ、もし仮に彼女がいつも通りの状態でも、感情的になっていきなり攻撃を仕掛けるような真似はしない筈だ。いくらテンプル騎士団の誇る変人の1人とはいえ、冷静さも兼ね備えている。

 

 挨拶して入口へと入ろうとしていると、先ほどバッジを提示した騎士が「ああ、待て」と言いながら、入口へと向かって歩き出していた俺たちに向かって何かを放り投げた。

 

 小さな容器に入っていたのは――――――――錠剤のようだ。何でもヒールやエリクサーで治せてしまうこの世界では珍しい、前世の世界の薬品に近い代物である。

 

「もしまた馬車に乗るんだったら、それ飲ませてやりな」

 

「あっ、すいません」

 

 酔い止めか。でも、イリナの場合って酔うっていうよりは日光が苦手なだけなんだよなぁ。

 

 とっさに思い付いた言い訳に見事に騙されたわけだ。申し訳ない…………。

 

 頭を下げてから踵を返し、入口へと向かう。防壁の真っ只中に穴をあけてちょっとしたトンネルにしたようなデザインになっているため、一時的にとはいえそこは日陰だ。足を踏み入れると、俺の肩にのしかかりながら、まるで瀕死の負傷兵のようなとてつもない呼吸をしていた彼女がちょっとだけ息を吹き返す。

 

「あー……………暗闇って気持ち良い……………」

 

「でもあと数歩でまた日が当たるぞ」

 

「……………嘘でしょ?」

 

 嘘じゃねえよ。防壁をくり抜いたトンネルと言っても、ラガヴァンビウスみたいな分厚い防壁じゃない。せいぜい厚さは4m程度である。

 

 絶望してぶるぶると震えながら、目の前に広がる空間を見上げるイリナ。俺の肩を借りながら歩く彼女の目の前には、天空から照らし出す太陽の光にこれでもかと満たされている、灼熱の大地である。部分的に石畳で舗装されているものの、大半はまだ砂の地面のままになっているようだ。

 

 いくらフードで日光から頭を守り、チャックをしっかり占めて胸元を保護したとしても、やはり日光が苦手な吸血鬼にとって昼間に外に出るのは自殺行為のようなものなんだろう。…………やっぱり、イリナには留守番を頼んでおけばよかった。

 

「で、できるだけ日の当たらない場所を通るよ。路地裏とか」

 

「ぜ、ぜひお願いします……………」

 

「イリナちゃん、辛かったら日陰で休んでていいからね?」

 

「大丈夫だよ………ぼ、僕、我慢するのには慣れてるんだ」

 

 いや、無理したら拙いだろ。

 

「とりあえず、街の中を調査してみるか。…………あ、そうだ。イリナも冒険者の資格を取っておいたほうがいいんじゃないか?」

 

「ふにゅ、そのほうがいいかもね」

 

「ぼ、冒険者…………?」

 

「ああ」

 

 冒険者の資格を取れば、ダンジョンに入って内部を調査し、それをレポートにして最寄りの管理局へと提出すれば、調査した内容にもよるが、一般的な職業と比べると高額の報酬を受け取ることができる。

 

 生息している魔物や環境が過酷すぎるせいで全く調査できていない、世界地図の無数の空白の地域を調査しに行くのだから、やはりそれは命懸けの仕事だ。けれども報酬の金額が基本的に高いため、一攫千金を狙って冒険者となる若者たちは後を絶たない。

 

 親戚に冒険者が1人いれば、家族や親戚をそれなりに養うことができるほどと言われている。まあ、これは比較的貧しい家庭が多い国の話だから言い過ぎかもしれないけど、オルトバルカ王国でも家族の誰か1人が冒険者であれば少なくとも金がなくなる心配はないと言われている。

 

 今のテンプル騎士団には、資金がない。そのため冒険者の報酬は貴重な資金源となる。だから円卓の騎士たちの間では、戦闘員たちに極力冒険者の資格を取らせ、ダンジョンに送り込むべきだという意見がいくつも出ている。

 

 リスクは確かにあるが、高額の報酬が資金となるわけだし、それに戦闘員たちの錬度を向上させるいい訓練にもなる。もちろん彼らが頑張って手に入れた報酬を全額資金にするわけではなく、その中の何割かを組織のための資金として分けてもらい、残りは調査に向かった戦闘員たちの物にすればいい。どれだけ資金にするかはその戦闘員たちとこれから相談していく予定である。

 

「そ、そうしようかな…………おえっ」

 

「あ、日陰!」

 

「急げ急げ!」

 

 とりあえず、急いでイリナを日陰に連れて行こう。このままじゃマジでイリナが吐いちゃう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、こちらが冒険者のバッジになります」

 

「ありがとうございまーすっ!」

 

 カウンターの向こうにいるエルフの係員にバッジを渡されたイリナは、すっかり元気になっていた。受け取った銀のバッジをまじまじと見つめた彼女は、嬉しそうに笑いながらこれ見よがしにバッジを俺たちの方へと向けてはしゃいでいる。

 

 見張りの騎士が教えてくれた通りの場所に、この管理局の建物は建っていた。砂嵐に晒されたせいで屋根の上にも砂が乗っている鍛冶屋の隣にそびえ立つ管理局へと、街の入り口から〝普通に”歩いていけば10分ほどで到着していたことだろう。だが俺たちはイリナのために極力日陰を通り、更に日の当たらない路地裏を通っていくことを余儀なくされたため、結果的にここに到着するまでに費やした時間は3倍の30分。しかもいきなりぐったりした少女を連れた2人組が転がり込んできたのだから、冒険者たちや係員たちは全員唖然としていた。

 

 まあ、ちゃんとバッジも交付してもらえたみたいだし、イリナの体調も一時的に回復しているからこれで問題はないだろう。

 

 冒険者のバッジを貰うには名前と生年月日などの個人情報を記入し、自分の種族を記入してから、申込用紙の下の方にあるアンケートにも答えなければならない。窓口に行けば数秒で終わるような簡単な手続きである。

 

 ちなみにイリナの場合は種族を〝吸血鬼”と正直に答えると非常に面倒なことになるので、人間と書き込むように指示を出してある。ステラのように絶滅したと言われている種族ではないが、吸血鬼は今やレリエルの支配の影響で、あらゆる種族から敵だと見なされている種族であるため、こんなところで正直に吸血鬼だと名乗れば袋叩きにされた挙句、また奴隷に逆戻りという最悪な運命を辿ることになってしまう。

 

「よし、早速街を見て回るか」

 

「あ、待って。もう少し休みたいな………」

 

「そうだな…………よし、あそこの酒場で休もう」

 

 管理局の施設の中には、冒険者向けの酒場も用意されている。街にある普通の酒場を利用する冒険者もいるけれど、ここでレポートを書いて窓口に提出し、その報酬の一部で仲間と打ち上げをする冒険者も数多い。

 

 そういった冒険者のための酒場だからなのか、メニューは基本的に高カロリーの物ばかりだ。まあ、魔物に追い掛け回されたり、過酷な環境の中で調査してくる仕事なんだから、低カロリーの食い物ばかり食べていたらあっという間にやせ細ってしまうからな。そういう配慮なんだろう。

 

 ラウラとイリナを連れ、酒場の椅子に腰を下ろす。テーブルに置いてあるメニューを開いて2人に見せ、俺は椅子の背もたれに背中を預ける。

 

 ちょうど昼食の時間らしく、利用している冒険者たちの人数は多い。厨房の向こうからあふれる肉の焼ける香りと、ピザの生地の上で溶ける香ばしいチーズの香り。それに混じるのは冒険者たちの汗の臭いと、彼らがぶつけ合うビールのジョッキが発するアルコールの臭い。

 

 お洒落な喫茶店というよりは、豪快な男性が好みそうな店だ。

 

「こういうお店、兄さんが好きそうだね」

 

「そうなのか?」

 

「うん。兄さんはこんなワイルドな雰囲気が大好きだから」

 

 さすが兄貴。

 

「あ、このピザ美味しそう…………!」

 

「ミノタウロスのステーキだって。うわぁ…………この肉すごく大きいよ!」

 

「ああ、どれでもいいぞ。値段は気にすんなよ」

 

 ついさっき、イリナが登録している間に溜まってたレポートを出しておいたんだよね。とは言っても危険度の低い小さなダンジョンもあったし、提出期限が切れているレポートもあったけど、そこは書いた日付を誤魔化しておいた。

 

 レポートの提出期限はダンジョンの調査が終わってから1ヵ月後までと決まっているんだけど、俺が提出したのはとっくに期限の過ぎたシーヒドラと戦った海底神殿のレポートだ。提出期限は定められているが、細かくチェックする仕組みはないため、日付を誤魔化す冒険者がほとんどである。

 

 もちろん天秤のカギのことは書いてないし、シーヒドラを討伐したという情報も記入していなかったけど、最深部に黄金が保管されていたと記入したからなのか、報酬の金額は思ったよりも多かった。だから騎士団の資金にする分と使ってもいい分に分け、そのいくらかをここで使おうというわけだ。

 

「じゃあ、私はきのこのパスタかな。イリナちゃんは?」

 

「ええと、僕はミノタウロスのステーキにする! こういうお肉食べてみたかったんだよねー♪」

 

 吸血鬼は血を吸わない限り、空腹感が消えないような体質になっている。つまりステラと同じような体質というわけだ。

 

 イリナが第二の大食い(ステラ)にならないことを祈ろう…………。

 

 せっせと料理を運ぶウェイターを呼ぼうとしたその時だった。

 

「やあ、こんにちは」

 

「君たちも冒険者? 3人でパーティー組んでるの?」

 

 いつの間にか、テーブルの近くに2人の冒険者がやってきていた。片方は大剣を背負った黒髪のがっちりした男で、もう片方はレイピアとマンゴーシュを腰に下げた金髪の優男だ。

 

 どうせ俺たちだけで男はいないと思って声をかけたんだろうが、男ならここに1人いるんだって。ちゃんと息子搭載してるけど、確認します?

 

「そ、そうですけど…………?」

 

「そうなんだ。みんな可愛いね」

 

「俺も?」

 

 会話に参加すると、すかさず金髪の優男が俺を褒め始めた。

 

「ああ、もちろん。とても気が強そうだし、凛々しい感じがする。……………僕は君みたいな子が好みだな」

 

 おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?

 

 や、やめて! そういう話はマジでやめて!

 

 うわ、最悪だ! 会話に参加しなきゃよかった! くそ、トラウマだよこれ! よりにもよって男に面と向かって「君みたいな子が好みだな」って言われるなんて……………!

 

 ぞっとしていると、その金髪の男が急に俺の手を握り始めた。おい、追撃すんじゃねえよ! トラウマになったらどうすんだ!?

 

「きれいな手だね……………汚らわしい魔物の血で汚れるのがもったいない」

 

「……………」

 

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?

 

 最悪だ! くそ、余計なことしちまった!

 

 ええと、C4の起爆スイッチどこだっけ!? 今すぐ自爆したいんだけど、大丈夫だよね!? こんな男に女だと誤解されたままこんな恥ずかしいこと言われ続けるくらいなら、いっそC4爆弾で自爆したいんだけど、大丈夫!? いいよね!?

 

 ああ、もう片方の男に口説かれているラウラの目つきが段々と虚ろになっていく……………。正確には、男に口説かれるのが鬱陶しくてキレてるんじゃなくて、目の前で自分の弟が口説かれていることが気に食わないからキレているに違いない。きっとあの男の言葉は一言も聞いていないのだろう。

 

 拙いぞ、ラウラがキレたら絶対とんでもないことになる。問答無用でナイフを抜いて、このバカ共を目の前で八つ裂きにしかねない!

 

 さすがにそれは拙い。こいつらは転生者共みたいに人に危害を加えたわけではないし、第一ここは管理局の中の酒場。そんな大騒ぎになれば、資格の剥奪だけでは済まない。

 

 うわ、どうしよう!? 

 

 そろそろ俺が男だということを告げてもいいだろうかと思ったその時だった。

 

「やっほー、お兄さんたちっ♪」

 

「「え?」」

 

 酒場の入り口からやってきた金髪の少女が、俺たちを口説いていた2人の冒険者に声をかけたのである。とりあえずパーティーに女を誘えればいいと考えていたからなのか、2人の男はすぐに声をかけてきた少女の方を振り向いてしまう。

 

 まあ、なかなか首を縦に振らずに微妙な反応を返す女よりも、自分から声をかけてくれる女のほうがマシだろうな。口説こうとしていた女が自分の好きな女ならば話は別だけどさ。

 

 その男たちに声をかけた少女も冒険者らしかった。革製の防具を両足や肩に装備しているようだけど、防御力はそれほど期待していないらしい。腰に下げているのはマチェットをそのまま短くしたような短剣で、武装はそれだけのようだ。かなり身軽そうな冒険者である。

 

「ねえねえ、私1人で冒険者やってるんだけど、ダンジョンが怖くてなかなか出発できないの。お兄さんたちにエスコートしてほしいんだけど……………ダメかな?」

 

「ああ、いいよ。喜んでエスコートしよう。な?」

 

「おう。俺たちがちゃんと守ってあげるぜ!」

 

「ありがとうっ! 私、優しいお兄さんが大好きなの!」

 

 人懐っこそうな笑みを浮かべ、レイピア使いの男の胸に飛び込む金髪の少女。いきなり抱き着かれた金髪の男はすっかり顔を赤くしてしまっている。

 

 おいおい、初対面なんだろ? なんだか積極的すぎるというか、早過ぎないか? そう思いながら見守っていたんだが、美少女が自分から誘ってきたのだからいいだろうと思っているらしく、その2人組は納得してしまっているらしい。

 

 うーん、俺だったら詳しい事情を聴くけど、内容次第によっては断るな。第一、ヤンデレのお姉ちゃんの目の前で抱き着かれたら―――――――――。

 

 ―――――――ん? ちょっと待て。お姉ちゃんの前で抱き着く?

 

 なんだか幼少の頃、そんなことをしてきた女の子がいたような気がする。確かみんなで公園でサッカーをしていた時に、ラウラの目の前で堂々と俺に抱き着いてきた馴れ馴れしい女の子がいたんだ。

 

 その幼い頃の記憶の中に浮かんできた少女の顔つきと、目の前にいる金髪の少女の顔つきが―――――――重なる。

 

「あ、あれ? もしかして、レナ?」

 

「えっ? ……………君…………まさか、タクヤ君!?」

 

「え、知り合い?」

 

「うん! この子、私の幼馴染なの!」

 

 幼馴染じゃねえよ。公園で何度か一緒に遊んだ程度だろうが。

 

 というか、ラウラの前でそんなこと言わないでくれよ。彼女がまた機嫌を悪くしちまう。ため息をつきながらゆっくりとラウラの方を見てみた俺だったけど――――――――もうすでに、ラウラは機嫌を悪くしていた。

 

 虚ろな目でレナを睨みつけながら爪を噛んでいる。ナイフを抜いて襲い掛かるよりはましだけど、このままだと面倒なことになりそうだ。

 

 くそ、なんてこった。こんな砂漠の中にある街で―――――――お姉ちゃんがヤンデレになった元凶と再会するなんて……………。

 

 

 

 



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ラウラが久々にヤンデレになるとこうなる

 

 

 幼少の頃、俺たちはよく近所の公園で近くに住んでいる子供たちと一緒に遊んでいた。ドッジボールとかサッカーがメインで、誰かがボールを持っていけば多数決で何をするかをよく決めていたものだ。

 

 とはいえ相手は6歳の小さな子供ばかり。同じく身体は6歳でも中身は17歳の男子高校生である俺としては、なんだか小さい子の子守をしているような感じがしていた。まあ、俺がしっかりすれば一緒についてきてくれるエリスさんの負担も和らぐし、精神年齢的には俺が最年長なのだからということで、子供たちの遊びに参加しながらもちゃんと彼らを見守っていた。

 

 その中に、そのレナという人懐っこい少女もいた。

 

 俺たちが6歳になったある日、その日は多数決でドッジボールよりもサッカーを選んだ人数のほうが多かったので、ルール通りにその日にやるのはサッカーとなった。この異世界でも前世の世界と全く同じ球技が普及しているらしく、これ以外にも野球をやるという選択肢もあったんだけど、前に野球のボールをどこかに吹っ飛ばしてなくしてしまったことがあったらしく、それからは野球はやっていないという。

 

 まあ、サッカーだったら前世でも友達と何度かやったことがあったし、そのノウハウを生かすまでもないだろうと思いつつ子供たちの中に紛れ込んで遊んでいたんだが―――――――その日に限っては運が悪かったというべきなのか、よりにもよってボールが俺へと回ってきた。

 

 ゴールを守っていたのはキーパーのみ。6歳の子供たちのサッカーとは思えぬほど、相手の隙を突いた的確なパスだった。ボールを受け取った俺は正確に狙いを定めてシュートをぶちかまし、ボールをゴールへと放り込んでやったのである。

 

 そのあとだった。ラウラがヤンデレになる元凶となった少女が、俺の胸に勝手に飛び込んできたのは。

 

 それからは、俺にラウラ以外の女の子が近寄ってくるとラウラがすぐに不機嫌になってしまうので――――――――――それ以降、公園には遊びに行っていない。

 

「わー! タクヤ君、なんだか女の子みたいになっちゃったね。そのリボンはどうしたの?」

 

「お姉ちゃんがプレゼントしてくれたんだよ。18歳の誕生日にな」

 

「へえ。なんだか、本当に女の子みたい。うーん、なんだか悔しいなぁ……………」

 

 髪を結んでいる長めのリボンをまじまじと見つめながらため息をつくレナ。それ以上近づいたりしたら、隣に座っているラウラが本当に激昂しかねないので、それ以上近づくなと祈ってしまう。

 

 だが、いきなり初対面の男に抱き着くほど馴れ馴れしくなったレナに、そんな祈りは無意味だということを痛感する羽目になった。

 

 なんとレナは、いきなり俺の髪に触れ始めたのである。何度も表面を撫でまわし、挙句の果てには髪の匂いまで嗅ぎ始めている。

 

「わあ……………すごーい! とってもさらさらしてるし、いい匂いするよ! ねえ、どんな手入れしてるの?」

 

「あっ、ちょ、ちょっと…………」

 

 ば、バカ! そんなに触るな!

 

「しかも肌もきれいだし……………ねえ、本当に男の子なの?」

 

「えっ? お、男なの?」

 

「そうだよ? この子、女の子みたいに見えるけど男の子だからね?」

 

「おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「うわぁ!? おい、し、しっかりしろ!」

 

 あ、殺気俺を口説いてた金髪の優男が大ダメージを受けてる……………。ぎゃははははははっ、ざまあみろ! あんな女を口説くようなセリフを男に向かってぶっ放すからこうなるんだよ、バーカ!

 

 でも、勝ち誇ってる場合じゃない。俺もかなり危険な状態にあるのだから。

 

 別に、幼馴染との雑談をするだけならば問題はないだろう。けれども俺はレナを幼馴染とは思っていない。正直に言うと、彼女はラウラという核爆弾を起爆させるための起爆スイッチだと思っている。

 

「ねー、タクヤ君も冒険者やってるの?」

 

「ああ。ラウラたちも一緒に―――――――」

 

「じゃあさ、一緒に行かない?」

 

「え?」

 

「……………」

 

 ああ、拙い。お姉ちゃんの目が完全に虚ろになってるし、左手が腰のテルミットナイフのグリップに向けて伸びてる……………。

 

 もしここで首を縦に振れば、間違いなくお姉ちゃんに殺されるというバッドエンドになってしまうに違いない。それにそんなことをすれば、ラウラを裏切ることになってしまう。第一、俺たちはこの町に情報を集めに来ているんだし、今は昼食を摂ろうと思っていたのだから彼女の申し出は断るのが当たり前だ。

 

 というか、一目見れば今から飯を食うところだと分かる筈なんだが、こいつは自分のことしか考えてないんだろうか?

 

「悪いけど、今から昼食なんだ。それ終わってからもやることがあるし……………」

 

「えー!? せっかく再会したのに、また離れ離れになるのぉ?」

 

 これで引き下がってくれるかと思ったんだが。レナは俺が思っていた以上にしつこかったらしい。

 

 メニューを手に取ろうとしていた俺の手を握ると、ぎゅっと握りながら顔を見つめてきたのだ。しかもよく見ると瞳の端には涙が浮かんでいるように見えるけど、嘘泣きに違いない。

 

 まったく、女だからって泣けば男が折れてくれると思ってるんだろうか。昔は人懐っこい子だと思ってたんだが、これはただの自己中心的な女じゃないか。

 

「ねえ、1人だと寂しいの……………」

 

「そこの2人誘ったろ? こっちにも都合があるんだよ」

 

 そう言いながらさっきの冒険者の方を指差すけど、金髪のレイピア使いの方が見当たらない。

 

 ん? トイレかな?

 

「そうだぜ、レナちゃん。俺たちがついてるからさぁ」

 

「んー……………分かったぁ」

 

 辛うじて俺が男だというショックから生き残った大剣使いの冒険者にも諭され、やっと引き下がるレナ。彼女は名残惜しそうに俺の手をぎゅっと握るけど、冒険者の男に肩を優しく撫でられると、先ほどまでの寂しそうな表情を一瞬で消し、笑顔を浮かべながら男と一緒に歩き始めた。

 

「じゃあね、タクヤ君っ♪ また会おうね!」

 

「あ、ああ」

 

 ごめん、もう会いたくない。

 

 次に会ったらラウラがとんでもないことになりそうだという嫌な予感を感じながら、息を吐いて椅子の上に腰を下ろす。これでやっと一息つけると思って安どしていたんだが―――――――まだ、俺の隣にいる嵐は荒ぶっている。

 

 隣を見ると、ラウラが不機嫌そうに爪を噛みながら、去っていくレナを虚ろな目で睨みつけていた。さすがにナイフに近づけていた左手は引っ込めているようだけど、隙があればすぐにでもメスを投擲してレナを串刺しにしてしまいそうな感じがしてしまう。

 

 今の彼女は、それほどキレている。

 

 幼少の頃からずっと一緒にいた腹違いの弟として、彼女の感情は本当によく分かる。彼女と言葉を交わさなくても、小さい頃からずっと目にしているちょっとした癖や仕草で何を考えているのか、直感的にだけど分かってしまうのだ。

 

 仲間に入ってからは彼女がこんなにキレたことがなかったからなのか、向かいに座るイリナが呆然としている。

 

「……………あの女、まだ生きてたんだ」

 

「えっ? ら、ラウラ?」

 

「死んじゃえばよかったのに……………」

 

 あらら、お姉ちゃんの声にどす黒い殺意が。

 

「ねえタクヤ、ラウラってさ、こんな怖い子だっけ……………?」

 

「ヤンデレだもん」

 

 でも、俺がパーティーの仲間と仲良くしてるとこんなに機嫌を悪くすることはないんだよなぁ。特にステラには毎日のように魔力を吸い取られているし、ナタリアと会話しているとラウラは微笑みながら見守っていることの方が多い。

 

 もしかして、ヤンデレはちょっとずつ治ってきているのだろうか。そう思った俺はメニュー画面を開き、久々に仲間たちの好感度が表示されている画面をこっそりタッチする。

 

 仲間たちの名前の横にハートマークがいくつか並んでおり、それぞれ性格に合わせて別々の色になっている。例えばツンデレは黄色で、クーデレは水色になっているんだ。ちなみにヤンデレは毒々しい紫色となっており、特にそういった性格がない場合はピンク色となっている。

 

 イリナはピンク色か。さて、ラウラの方はどうなってるかな…………?

 

「……………」

 

 この画面を確認するのは久しぶりだったし、もしかしたら見間違えかもしれないなぁ。

 

 な、なんで――――――――ハートマークが真っ黒になってるのかな……………?

 

 ん? や、ヤンデレってハートマークの色が紫色じゃなかったっけ? ねえ、なんでより闇に近くなってるの? 悪化したのか?

 

 冷や汗を浮かべながら画面を確認していると、隣に座っていたラウラが無造作に俺の右手をつかんだ。いつものように柔らかい手なのに、まるで先ほどまで氷水の中に突っ込んでいたのかと思ってしまうほど体温が低くて、俺はぞっとしてしまう。

 

「ひぃっ!?」

 

「……………ここに、あの女が触ってたんだよね」

 

「ら、ラウラ、どうした?」

 

「なんでもないよ。ただ、私のとっても可愛いタクヤが汚れちゃったから……………拭いてあげないと」

 

 先ほどウェイトレスの人が置いて行ってくれたおしぼりを手にしたラウラが、ついさっきまでレナが触っていた俺の右手の甲の辺りを拭き取り始める。愛撫するような優しい拭き方だけど、時折汚れを抉ろうとするかのように力が入るアンバランスな力加減。

 

 するとラウラは、虚ろな目のままそっと手の甲へと唇を近づけると、そのままキスをする。

 

「ふふふっ……………うん、これできれいになったよ、タクヤ」

 

「あ、ありがと……………」

 

「うんっ。私はお姉ちゃんなんだから、タクヤを守るのが使命なのっ♪」

 

 使用済みのおしぼりをテーブルの上に置き、彼女は俺の手をぎゅっと握りながら微笑んだ。いつものような幼い笑い方ではなく、大人びた容姿に似合うような大人の微笑み方だ。母親というよりは、相手を優しく包み込んで守ってくれるお姉さんのような――――――――実際に彼女は俺の姉である―――――――優しい微笑。目が虚ろでなければ、きっとどんな男であろうとも彼女に惚れてしまうに違いない。

 

 問題点は、その愛情が弟である俺にしか向けられていないという点だろうか。

 

 微笑むラウラだけど、よく見ると彼女の血のように紅い瞳はまだ虚ろなままである。

 

「だから、あんな女について行っちゃダメ。タクヤが汚れちゃう」

 

「わ、分かったって」

 

「本当?」

 

「うん」

 

「ふふふっ……………じゃあ、ずっと一緒にいてね?」

 

 俺の隣へと更に寄ってきたラウラは、耳元でそう囁いてから俺を抱きしめてくれた。相変わらず瞳は虚ろで体温も低く感じてしまうけれど、彼女に抱きしめられるのは嫌いじゃない。というか、むしろ大好きだ。できるならばずっと抱きしめていてほしいと思ってしまうけれど、そう言ったらラウラは本当に一生抱きしめていてくれそうである。

 

 ん? いや、ちょっと待て。なんだか俺も立派なシスコンになってないか? うーん、幼少期からお姉ちゃんにずっと甘えられていたせいなのか? それとも、甘えていれば俺の性格がこんな性格になるって計算してこんなに甘えてたのかな? 

 

「大好きだよ、タクヤ」

 

「俺も大好きだよ、お姉ちゃん」

 

「ふふふっ。お姉ちゃんね、タクヤのためだったらどんなことでもできるの。タクヤが喜んでくれるなら――――――――――」

 

 彼女の両手に入っていた力が、ほんの少しだけ強くなった。

 

 柔らかい彼女の腕が更に冷たくなり纏う雰囲気も冷たくなる。

 

 よく知っている幼い性格のお姉ちゃんが、姿を消す。今俺に抱き着いているのは、冷たくて、狂っていて、とても愛おしい大人びた方のお姉ちゃん。

 

「自分の両手を切り落としても構わない。両足を切断しても構わない。タクヤの命令なら、大喜びで目を抉る。血が欲しいならお姉ちゃんの血を全部あげる。骨が欲しいならお姉ちゃんの骨を全部捧げる。誰かを消してほしいなら、お姉ちゃんが全部消す。……………タクヤが幸せになってくれれば、お姉ちゃんは満足なの」

 

 ……………好感度のハートマークが真っ黒になるわけだ。

 

 小声だったけれど、向かいの席に座るイリナにはちゃんと聞こえていたらしい。いつも俺に甘えているブラコンの少女とは思えない声音と言葉にすっかり驚愕しているらしく、今度こそウェイトレスを呼ぼうとしていたイリナはすっかり固まってしまっていた。

 

「だから、あの女は消すべきだと思うの」

 

「レナのこと?」

 

「うんっ。だってあいつ、自分のことしか考えてないじゃん。そうやって男を何人も振り回して遊んでるような奴なんだよ、きっと。だからあんな悪い女の話を聞いちゃダメ。あんな女に触っちゃダメ。あんな女に関わっちゃダメ。そんなことしたら、私の可愛いタクヤが汚れちゃう。だから汚れる前に消さないといけないの。だって、汚れは放っておいたらもっと汚くなっちゃうでしょ?」

 

「……………」

 

 消すのはさすがにやり過ぎだと思う。一緒に遊んだ仲という私情ではなく、テンプル騎士団や転生者ハンターの理念として。

 

 俺たちが殺すべきなのは、人々を虐げるクソ野郎どもだ。奴隷たちを苦しめるような商人は消すべきだし、力を悪用して欲望のために人々から搾取を繰り返すような転生者も消えて当然だ。けれど、レナはまだそこまでやっていない。もし仮に彼女が、ちょっと情けない話になってしまうけれど、男たちを苦しめているようなとんでもない悪女だというのであれば、俺も喜んで銃を向ける。

 

 けれど、彼女はそこまでやっていない。〝まだ”クソ野郎にはなっていない。

 

 親父に言われた筈だ。俺たちも奴らのような真似をすれば狩りの対象になると。

 

 だからラウラを何とか止めなければならない。彼女を落ち着かせるための言葉を瞬時に頭の中で厳選した俺は、ちらりと周囲を確認する。

 

 どの冒険者も自慢話やダンジョンの話をしてばかりだ。凶悪な魔物を倒したとか、危険なダンジョンでこんなものを見つけたという明らかに誇張した戦果の自慢話。聞いているといつの間にか勝手に失笑してしまいそうなレベルのくだらない話ばかり。そしてそれに釣られるのは、ダンジョンのことを知らない初心者ばかり。

 

 まあ、いちいちそんなことを気にしていたら面倒だ。それにこっちを見ていないのならば好都合である。

 

「ありがとね、お姉ちゃん。いつも俺のことを大切にしてくれて」

 

「当たり前じゃない。タクヤのお姉ちゃんなんだもん」

 

 俺も彼女を優しく抱きしめ――――――――そっと唇を奪った。

 

 向かいの席でそれを目の当たりにする羽目になったイリナが、顔を真っ赤にして目を見開きながら「じ、じっ、実の姉弟でキス……………!?」と言っているのが聞こえる。もし絶叫していたなら瞬く間に他の冒険者たちの注目の的にされるところだったけれど、そこは彼女の良心が抑え込んでくれたのだろうか。

 

 さすがにキスはちょっと軽率だったなと反省しつつ、少しだけ舌を絡ませてから静かに唇を放す。

 

 こういう風にヤンデレになっちゃったラウラには、一番効果があるのがキスだ。最初の頃は頭を撫でるだけでも幸せそうにしてくれていたんだけど、最近では頭を撫でたり抱きしめるだけでは物足りないらしい。

 

「でもね、あまりやり過ぎちゃダメだよ?」

 

「どうして?」

 

「そんなことしたら、俺の大切なお姉ちゃんが悪い女の血で汚れちゃう」

 

「お姉ちゃんは別に汚れてもいいのよ? タクヤのためだから」

 

「ありがとう。……………でも、俺のためにお姉ちゃんを汚しちゃうのは嫌だな」

 

「そ、そう……………?」

 

「うん。だから汚しちゃダメ。分かった?」

 

「ふにゅ…………うん、分かった」

 

「よしよし」

 

 手を放してから彼女の頭を撫でると、もうラウラの瞳はいつもの瞳に戻っていた。機嫌がよくなったのか、ミニスカートの下から尻尾を伸ばして左右に元気良く振っている。

 

 うん、機嫌をよくしてくれたのはいいんだけど尻尾はしまっておけよ?

 

「ラウラ、尻尾」

 

「ふにゃっ!?」

 

 びくん、としてからするするとスカートの中に戻っていくラウラの尻尾。とりあえずこれで一件落着だな。後はレナと鉢合わせにならないように気を付けながら街を見て回って、何かバイトを募集しているような店がないか確認してみよう。

 

 冒険者の報酬と比べればバイトの報酬は僅かなものだが、それでもテンプル騎士団の資金にはなるかもしれない。まあ、もし仮になかったとしても管理局の施設がここにあると分かっただけでも大きな収穫だから、後で戦闘員たちに冒険者の資格を取らせれば報酬がどんどん手に入る。それで資金の問題は解決してくれるはずだ。

 

 あ、そうだ。このことはスオミ支部にも通達しないとな。向こうも資金の問題を抱えているかもしれないし、近いうちに合同演習をやってもいいかもしれない。

 

 大昔から里を守り抜いてきた、拠点防衛が得意なスオミの里の戦士たちと、砂漠でのゲリラ戦で徹底抗戦を続けてきたムジャヒディンたち。きっとお互いに技術を得るいい機会になるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、ウェイトレスを呼ぶ。ラウラを慰めるために必死になってたせいなのか、空腹だったのをすっかり忘れてたよ。とりあえず大盛りの料理でも頼んで平らげるとしよう。

 

「はい、ご注文ですね?」

 

「ええと、きのこのパスタ1つとミノタウロスのステーキを1つ。あとは…………ミノタウロスカレーの激辛の大盛りを1つ」

 

「かしこまりましたー♪」

 

 俺、辛いもの大好きなんだよね。

 

 とりあえず、レナのことは忘れよう。あいつはもう男を連れてダンジョンに行ったみたいだし、下手をすれば明日に帰ってくることにもなりかねないから、少なくとも今日は会うことはない筈だ。

 

 

 

 

 

 



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ナタリアの気持ち

 

 

 砂漠の中で偵察部隊が見つけた街の名前は、『ガルガディーブル』という街らしい。カルガニスタンがフランセン共和国に支配され、植民地とされてから急激に発展した街だという。

 

 とはいえ、発展した原因は近くに海があるわけではなく、何かしらの貴重な資源が近くに眠っているというわけでもない。面積だけならばフランセン共和国の面積を上回るカルガニスタンだが、その大半は灼熱の砂漠である。稀に点々とオアシスが見受けられるが、それ以外はびっしりと砂が埋め尽くす広大な砂漠。このガルガディーブルはそんな砂漠のど真ん中に存在する、いわゆる「橋頭保(きょうとうほ)」というわけだ。

 

 いきなり終着点へと向かうのは不可能なほど広いのだから、どこかに中継地が必要となる。その都合のいい中継地として白羽の矢を立てられたガルガディーブルはフランセンの積極的な介入―――――――とはいえ、それがカルガニスタンのためではなく自分たちのためであるというのは明白だ――――――――によって発展したこの街は、支配者(フランセン)だけでなく、ここを訪れる冒険者たちにとっても重大な拠点となっている。

 

 とりあえず街の中を見てみたが、特にトラブルが起きているような様子はなく、奴隷が売られているような気配もなかった。国を支配しているフランセンの騎士たちとも関係が悪いのではないかと思いきや、露店でぎこちないカルガニスタン語を喋り、何とか現地の人々とコミュニケーションを取ろうとする騎士もいるほどで、思ったよりもこの街での両者の関係は悪くないという事も分かった。

 

 できるならば何かしらの資金になる情報も欲しかったんだが、ここに冒険者管理局の窓口があるという情報が分かっただけでも大きな収穫と言える。冒険者の報酬は基本的に高額だから、テンプル騎士団の戦闘員たちにダンジョンの調査をさせれば資金はすぐに集まるだろう。それに彼らの戦闘訓練にもなるから、銃を使った戦い方のノウハウを養う重要な経験になるに違いない。

 

 ということで、ひとまず街の調査は完了だ。露店で珍しい食材をいくらか購入した俺たちは、適度に日が沈んできたタイミングで街を後にし、夕日を浴びて苦しむイリナを励ましながら砂漠を全力疾走していた。

 

 ドニエプルのエンジンが響き渡り、微かに隣のサイドカーからイリナの呻き声が流れ込んでくる。深紅の夕日を浴びるドニエプルの黒いボディは赤黒く染まり、武骨な軍用バイクが砂の大地を抉り取っていく。

 

「うぅ……………ゆ、夕日……早く……沈んで……………」

 

「ふにゅっ、イリナちゃん頑張って! ほら、もう少しで夜だよ!」

 

 もう少し暗くなってから帰った方がよかったかな…………?

 

 でも、来た時と比べるとまだ具合は良さそうだ。昼間の強烈な太陽と今の夕日を比べてみると、夕日のほうがはるかに穏やかだし、砂漠の気温も下がりつつある。まだこっちの方が吸血鬼のイリナにとっては優しい環境なのかもしれないけれど、日光を弱点とする彼女らにとっては太陽が出ている限りは〝優しい環境”とは言えないだろう。吸血鬼たちの独壇場になるのは、太陽が完全に沈んだ夜なのだから。

 

 だが、地平線の向こうにはうっすらとタンプル搭を取り囲む岩山がもう既に見えている。この距離から見ればまるで城郭都市の分厚い城壁にも見えるが、あれは地殻変動で突き出た天然の城壁である。

 

 陸路でタンプル搭へと入るには、3つのルートがある。タンプル搭を取り囲む岩山は上から見ると3つの大きな亀裂を思わせる谷があり、その谷底がそのまま道になっているのだ。渓谷にはそれぞれ2ずつ武装した兵士を配置した検問所を用意しており、不審な人物や魔物が接近してきた場合は即座に駐留している兵士がHQ(ヘッドクォーター)に連絡するような仕組みになっている。兵士たちもAK-12で武装しているものの、圧倒的な数の敵が攻め込んできた場合は火力不足としか言いようがないので、少しでも火力を上げるために重機関銃の『DShK38』を設置している。

 

 DShK38は、ロシアが第二次世界大戦の前に開発していた重機関銃である。使用する弾薬は改造する前のOSV-96と同じく12.7×108mm弾であり、破壊力では通常のLMG(ライトマシンガン)やアサルトライフルを遥かに上回る。アンチマテリアルライフルに使用されるような大口径の弾丸―――――――正確に言うならば、重機関銃の弾丸を狙撃用に使うのがアンチマテリアルライフルだ―――――――をフルオートでぶっ放すのだから、その破壊力は計り知れない。こいつの掃射を防ぎきれる防御力を持つ魔物は存在しないだろう。いたとしてもエンシェントドラゴンのような化け物か、スライムのような物理的な攻撃の効果が薄い魔物程度だ。

 

 非常に使い勝手もよく、検問所や拠点に設置して掃射するのに使ったりする以外にも、対空用の照準器を装着して対空用の機関銃としても使えるし、戦車のキューポラに装着して敵の歩兵を掃射するのにも使える。まあ、それはアメリカのブローニングM2重機関銃も同じだ。ちなみにブローニングM2は、驚くべきことに大昔に開発されたにもかかわらず現代でも現役の重機関銃である。

 

 しばらくすると、その検問所が見えてきた。偵察部隊が討伐した魔物から切り取った革に砂を詰めた即席の土嚢袋に取り囲まれ、2丁のDShK38重機関銃がこちらを睨みつけている。

 

 まるでアンチマテリアルライフルや対戦車ライフルをさらにがっちりとさせ、大口径の弾丸が連なるベルトを側面に装着したような武骨な形状をしている。人体に着弾すれば、その大口径の荒ぶる弾丸は手足を容易くもぎ取り、鍛え上げた兵士の胴体でも真っ二つにしてしまうだろう。そういう凶悪な武器は、俺にではなく敵に向けてほしいものである。

 

 気が付くと、もうサイドカーからはイリナの呻き声が聞こえない。砂の混じった冷たい風の中でちらりと右を見てみると、昼間とは全く違う元気なイリナが、気持ちよさそうに背伸びをしているところだった。

 

「んーっ! やっぱり、この闇が気持ちいいっ!」

 

「やっぱり夜の方がいい?」

 

「うんっ! 吸血鬼って、基本的に夜行性だから!」

 

 まあ、夜に動き回った方がいいよな。個人差があるとはいえ日光に触れれば身体が崩壊する吸血鬼もいるんだから。

 

 そろそろバイクのエンジンの音でこっちが接近しているということに気付いたらしく、AK-12を手にした警備兵が片手を上げてこっちに合図を送ってきた。俺も右手でハンドルを握りながら左手を掲げ、大きく振りつつバイクの速度を落としていく。

 

 やがて、バイクの先端に取り付けられた円形のライトが生み出す光の中に、夜の砂漠に溶け込んでしまうほど真っ黒な制服に身を包んだ警備兵が躍り出た。左肩にはテンプル騎士団のエンブレムが刻まれており、その下には所属する部隊章がついている。深紅の星が描かれた縦の後方から、巨大な翼が左右へと広がるエンブレムである。

 

 警備部隊のエンブレムだ。

 

「お帰りなさい、同志タクヤ」

 

「警備お疲れさま。何かあった?」

 

「先ほど3番ゲートの周辺にゴーレムが出現したということで、警備部隊が迎撃しました。死体は工房のドワーフたちが解体し、外殻は武器や防具に加工して支給するそうです。肉は……………正直に言うと、あまり食べたくないですね」

 

「あー、硬いからな」

 

 でも、シュタージのケーターはゴーレムの腸を使ってソーセージを作ってたよな。雪山で助けてもらった時にソーセージ入りのアイントプフを食べさせてもらったけど、あれは絶品だった。しかもソーセージは手作りだという。

 

 確かにゴーレムの肉は硬いから食べたがる人はいないし、そんなものを売っている露店もない。稀にわざわざゴーレムを探し出して討伐し、その肉を持って帰る冒険者もいるというけれど、そういう冒険者は最終的に肉を完食できずに捨てる羽目になると決まっている。

 

 焼けばなおさら硬くなるし、油で揚げればただでさえたっぷり含まれている脂肪分が溶け出してさらにベトベトになる。だからと言って煮込めばスープは油でいっぱいになるし、肝心な肉も硬くなってしまう。だから調理に向かない食材と言われているんだ。

 

「あ、でもケーターの奴はゴーレムの腸で美味いソーセージを作るぞ?」

 

「ソーセージですか?」

 

「ああ。腸がいい具合に硬いから、中に豚肉でも入れれば歯応えのある美味しいソーセージになるぞ」

 

「それは楽しみですね! ……………あっ、すいません。よだれが出てきました」

 

「おいおい……………」

 

「あははははっ、失礼しました。では、お通りください」

 

「ありがと」

 

「お疲れさまー♪」

 

 警備兵が奥の詰め所で待機している仲間に合図を送ると、その仲間はうなずいてから壁にあるレバーを引いた。ガゴン、と鉄板の上に手のひらくらいの鉄球が落っこちるような音が聞こえた直後、渓谷の奥へと続く道をダムのようにせき止めていたゲートが、足元の砂を巻き上げながらゆっくりと開き始めた。

 

 警備兵に挨拶してから、俺はバイクを奥へと走らせていく。ここから中心部までは一本道だが、曲がりくねった道が続くため、スピードを出し過ぎればあっという間に交通事故が発生してしまう。速度は極力控えめにしつつ、正確に運転しながら中心部を目指していく。

 

 やがて、夜空へと伸びる漆黒の巨大な砲身が見えてくる。戦艦大和の主砲よりも巨大だと断言できるほど太く、巨大な1本の巨塔が天空へと向けて屹立しており、その足元では反対側のゲートから戻ってきたのか、BTR-90がゲートを通過して地下の格納庫へと降りていくところだった。

 

 もう1つのゲートが見えてくる。検問所にはやはり、漆黒の制服に身を包んだ警備兵が2人。

 

 もう既に俺たちが帰還したという報告を受けていたらしく、彼らは駆け寄って俺たちを軽くチェックすると、すぐにゲートを開けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射撃訓練を終えた私は、タクヤから貰ったAK-12の試し撃ちを終え、安全装置(セーフティ)を切り替えてからマガジンを取り外した。

 

 アサルトライフルを背負いながら自室へと向かって歩いていく。周囲に転がっている空の薬莢を手袋をつけた手で拾って片付け、まだ周囲に残る炸薬の臭いを纏いながら踵を返す。

 

 5.45mm弾から7.62mm弾に変更されたAK-12の反動は結構強烈だと思っていたけれど、タクヤから勧められたフォアグリップを装着してみたら反動があまり気にならなくなったわ。でも、まだ反動が発生する度に肩に銃床がめり込む感覚は慣れないわね。もう少し訓練しないと。

 

 私のAK-12は、汎用性を重視してフォアグリップとホロサイトが装着されている。それと中距離の狙撃も想定してブースターがついているし、銃身の側面には索敵用のライトが装着されている。更に室内戦でも取り回しが少しでも良くなるように、標準型と比べると銃身を少しだけ短縮してもらっているの。

 

 タクヤのグレネードランチャーを装着したタイプと比べると火力は低いけど、こっちはどんな状況にも対応できるオールラウンダーよ。私はどちらかというとサポートや敵を攪乱することの方が多いから、こんな風に対応力の高いカスタマイズの方が都合がいいの。

 

 さて、あとは自室に戻ってシャワーを浴びて、読書をしてから寝ちゃおうかしら。タクヤからテンプル騎士団の参謀を任されているんだし、私が寝坊しちゃったら示しがつかないわよね。うん、この組織には変わった人が多いんだから、私が何とか支えないと!

 

 頑張ったら、きっとタクヤも喜んでくれるわよね。褒められちゃったらどうしよう?

 

 うーん、あいつの前に立つとなぜかドキドキしちゃうのよね……………。怖いっていう意味じゃなくて、むしろずっと一緒にいたいっていうか…………ちょ、ちょっとだけ、イチャイチャしてみたいかな……………。

 

 毎日当たり前のようにイチャイチャしてるラウラが羨ましいなぁ…………。あの子、実の姉だっていうのに人前で弟とキスするのよ? 普通ならあり得ないけど、ああいう大胆さは本当に羨ましい。私じゃ絶対できないわ。

 

 で、でも、その分ちゃんとした雰囲気の時にすれば……………。

 

「はぁ……………」

 

 問題は、その〝ちゃんとした雰囲気”がいつ到来するかっていうことなのよね。前に無人島で2人きりになってキスするチャンスがあったけど、あれはなんだかシリアスな話の後だったから、きっとあいつは私があいつを慰めるためにキスをしたと思ってるに違いないわ。

 

 できるなら、恋人同士みたいなムードで……………。

 

 ――――――――落ち着きましょう。視線を下に向けた時に気付いたんだけど、きれいな石畳にものすごく顔を赤くしながらニヤニヤしてる金髪の女の子が映ってるわ。うん、私よ。妄想していた間にいつの間にかニヤニヤしてたみたい。

 

 私は冷静じゃないとね。それに、あんなにニヤニヤしてるところを見られてたら恥ずかしいじゃないの。

 

「よう、ナタリア!」

 

「ひゃふっ!?」

 

 あ、あれっ!? 今の声って、タクヤだよね!?

 

 いきなり親に怒鳴りつけられてびっくりした子供みたいに私もびっくりしてしまう。目を見開きながら恐る恐る声の聞こえてきた左側を振り向いてみると――――――――調査から戻ってきたのか、やっぱりそこにはフードのついた黒いコートに身を包んだ、女の子にしか見えない蒼い髪の少年が立っていた。

 

 触れなくてもさらさらしている事が分かる蒼い髪を黒と蒼の長いリボンでポニーテールにしている彼は、本当に女の子にしか見えない。しかもあのリボンって女の子用のリボンよね? それが女っぽさに拍車をかけてるんじゃないかしら?

 

 前に髪を切ることを薦めてみたんだけど、彼は拒否したの。「髪を短くしたら、せっかくお姉ちゃんがくれたリボンがつけれなくなるじゃないか」ですって。姉想いの優しい弟さんね。……………でも、なんだか悔しいな。

 

「あ、あら、もう帰ってきたの?」

 

「ああ。ところでお前、かなりびっくりしてたけど大丈夫か?」

 

「えっ? な、な、なによ、あんたが脅かしたからびっくりしただけよ」

 

「いや、脅かした覚えはないんだけど……………」

 

 脅かしたわよ! なんでよりにもよってあんたのことを考えてる時に帰ってくるのよ!

 

 で、でも、これで2人っきりになれるかな……………? そう思いながらツインテールにしてる自分の髪を弄ってみるけれど、よく見るとタクヤの後ろには当たり前のようにブラコンのお姉ちゃんがくっついていて、平然としている彼の肩に向かって幸せそうな顔をしながら頬ずりを繰り返していたわ。

 

 す、隙がない…………ッ!

 

「とっ、ところで、街はどうだった? 面白かった?」

 

「んー…………平和なところだったな。それなりに大きかったし、買い物にはもってこいだ」

 

 買い物かぁ…………。ショッピングモールみたいなところはあるのかしら? もしあったら、後で買い物に行ってみようかしら。

 

「ねえ、ショッピングモールみたいなところはあった?」

 

「いや、なかったな。でも劇場はあったぞ。小さかったけど」

 

 劇場かぁ…………。

 

 もちろん見るならラブストーリーよね。カノンちゃんから借りて読んでるマンガもそういうのだし。あの子っていつもえっちな本ばかり読んでいるように見えるけれど、中には普通の本もちゃんと混じってるのよね。

 

 一緒に見るなら…………やっぱり、こいつかな。

 

「じゃあ、ちょっと夕飯食べてくるわ」

 

「ええ」

 

「あ、それとラウラがなんだかナタリアにお願いがあるってさ。それじゃ」

 

「え?」

 

 ラウラが?

 

 あまり彼女からお願いをされたことはないんだけど、何なのかしら? 食堂の方へと向かって歩いていくタクヤの後姿を見守りつつ首をかしげていた私は、いつのまにか彼にくっついて頬ずりしていたブラコンの姉の姿が見当たらないことに気付いた。

 

 あれ? いつの間にかラウラがいなくなってる?

 

「ふにゃーっ! ナタリアちゃんっ♪」

 

「きゃあっ!?」

 

 い、いつの間に後ろに!?

 

 後ろから突然ラウラに抱き着かれた私は、びっくりして大きな声を出してしまう。いつもラウラに抱き着かれてるタクヤってこんな気分を味わってるのかしら? ……………そ、それにしても、なんでラウラの胸ってこんなに大きいのかしら? 背中に当たってる彼女の胸は明らかに私のより大きいわよ……………?

 

 うーん、タクヤって、ラウラみたいに胸が大きい子が好きなのかな……………? わ、私だってそれなりに大きいつもりなんだけど……………。

 

「ねえねえ、ナタリアちゃんってお料理は得意?」

 

「え? ええ、それなりにはできるわよ?」

 

 前にタクヤに料理を教えてもらったし、この前作ったストロベリージャムはタクヤに大好評だったもん。

 

「えへへっ。よかった」

 

「どうしたの?」

 

「ええとね、ナタリアちゃんにお料理を教えてもらおうかなって」

 

「え? ラウラが?」

 

「うん」

 

 ああ、そういえば、タクヤが「ラウラの料理はヤバい」って前に言ってたわね。信じられないけど、彼女の料理を食べた傭兵さんが高熱を出して死にかけたって言ってたし。というか、ラウラってそんな料理を作っちゃう子なの?

 

「私、お料理苦手だから……………」

 

「タクヤに教わらないの?」

 

「タクヤには秘密にしたいの。こっそり練習して上手になって、あの子のために美味しいお料理をいっぱい作ってあげたいから……………」

 

 ブラコンというより、弟想いなのね。

 

 ラウラって子供っぽいように見えてしまうけれど、本当は弟のために何でもしてあげるような優しいお姉ちゃんなんだ。きっと彼女は、いつも自分のために頑張ってくれるタクヤに恩返しがしたいんだと思う。

 

「うん、いいわよ」

 

「本当!?」

 

「ええ。ただし今日はもう夜遅いし、厨房も忙しくて借りられないと思うから、明日の午後からじゃダメかな?」

 

「うん、構わないよっ! えへへっ……………ありがと、ナタリアちゃんっ!」

 

 無邪気な笑顔を浮かべ、今度は正面から私に抱き着いてくるラウラ。タクヤと同じ甘い匂いがしたと思った瞬間、彼女の顔が私の頬に近づいてきて――――――――柔らかい唇を頬に押し付けてから、すぐに遠ざかっていった。

 

 え……………? あれ? ラウラにキスされた?

 

「それじゃ、私もご飯食べてくるっ♪」

 

「え、ええ。行ってらっしゃい」

 

 大きな胸を問答無用で揺らし、スキップしながら食堂の方へと向かっていくラウラ。私は彼女にキスされた頬にそっと手を当てながら、どういうわけかしばらくドキドキしていた。

 

 

 




次回はラウラがお料理に挑戦! アシスタントはしっかり者のナタリアさんです!
……………ナタリア大丈夫かなぁ(汗)


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ラウラが料理をするとこうなる 前編

 

 

 この世界で最も人気のある職業は、傭兵と冒険者である。

 

 十数年前までは、両者はほぼ互角の人気を誇っていた。騎士団では対応しきれない魔物の襲撃に対して即座に動き、場合によっては汚れ仕事までやり遂げるダークヒーローじみた職業の傭兵と、この世界でいまだに暴かれていない領域に飛び込み、人類がいまだに手にしていない知識を持ち帰る冒険者。多くの子供たちは、将来の夢にその両者のうちどちらかを目標にしている。

 

 しかし、魔物が街や村を襲撃する件数が激減し始めたことによって、傭兵たちの仕事は激減した。それだけではなく、騎士団も拠点や街の周囲に必要以上に騎士たちを駐留させておく必要がなくなったことで費用に余裕ができ、各国はその余った予算をダンジョンの調査に割くことができるようになったのである。

 

 ダンジョンへと飛び込んでいく一番槍となるのは、もちろん冒険者たち。各国はそんな冒険者たちを支援するために国家予算をいくらか出し合い、冒険者管理局を設立してサポートしていくことになる。

 

 そうやってダンジョン調査の準備が整っていくにつれて、人気の職業は段々と冒険者のみとなっていった。特に産業革命による工業力の飛躍的な発達は従来の技術を瞬く間に置き去りにし、魔物の外殻や鱗を易々と切り裂いてしまう剣や、魔物の剛腕から持ち主の身を守ることができる硬さの盾を生み出すことを可能にした。

 

 そしてそう言った武器を手にして、数多の冒険者たちがダンジョンへと挑んでいったのである。

 

「みんな乗ったー?」

 

「乗り遅れた奴はいないな? もしいたら砂漠をダッシュしてこいよ?」

 

「おいおい、そりゃきついって!!」

 

 楽しそうに大笑いしながら話をしているのは、以前まではムジャヒディンの戦士としてフランセンの騎士たちと死闘を繰り広げていた屈強な男たちである。とても死闘を生き延びてきた猛者たちとは思えないほどはしゃいでいる彼らが乗っているのは、分厚い装甲を持つ戦車すら破壊できる強力な対戦車ミサイルと、銃弾を跳ね返す装甲を併せ持つ、ロシア製装甲車のBTR-90である。兵員室や兵員室には、日光に弱い吸血鬼のウラルを含めた数名の戦闘員たちが乗り込み、それ以外の戦闘員たちは以前の俺のように装甲車の車体の上に乗っている。傍から見れば明らかに定員オーバーとしか言いようがないが、彼らはお構いなしだ。まあ、軍用の車両だしエンジンも強力だから、これくらいの定員オーバーは問題ないんだけどね。

 

 隣には、同じくもう1両のBTR-90が停車しているが、そちらも同じような状態に陥っている。漆黒に塗装された武骨な装甲車の上に、同じく漆黒の制服に身を包んだ屈強な歩兵たちが、AK-12を手にしながら乗っているのである。

 

 こんなに仲間を連れていくのは、これから魔物退治が始まるからではない。偵察部隊が発見したガルガディーブルの管理局に向かい、装甲車に乗る戦闘員たちの分の資格を取得するためである。

 

 冒険者の資格を取得するのは簡単だ。窓口に行って書類に名前と生年月日と自分の種族を記入し、アンケートに回答するだけでいい。手数料はかからないので手ぶらで窓口に行っても資格である銀のバッジは交付されるけれど、資格を取得できるのは17歳以上のみ。それ未満は冒険者の資格は交付されないけれど、10歳以上ならば『冒険者見習い』の資格が交付され、冒険者と同伴ならばダンジョンへと立ち入ることができるという決まりがある。

 

 まあ、ムジャヒディンのメンバーの中には17歳未満はいるけれど、さすがに10歳未満はいない。なので年齢の問題はないだろう。問題は総勢35名――――――イリナはもう登録を済ませたし、警備兵は残していく――――――の登録希望者の対応をする羽目になる職員の人の仕事が爆発的に増えるという点だろうか。

 

 昨日イリナの登録を担当した職員の人には申し訳ないなと思いつつ、運転席に腰を下ろした俺はシートベルトをつけ、エンジンをかける。

 

「よーし、出発するぞー」

 

「なあ、ラウラは来ないのか?」

 

「え?」

 

 仲間たちの返事が返ってくると思いきや、後ろの兵員室から顔を出したウラルが俺に尋ねた。

 

「いつも一緒じゃないか」

 

「ああ、ラウラはちょっと〝やりたいこと”があるらしい」

 

「やりたいこと?」

 

「ああ。ナタリアと2人で料理の練習だとよ」

 

「料理? お前の姉さんって料理が苦手なのか?」

 

 兄貴(ウラル)、あいつの料理はヤバいぞ。

 

 はっきり言うと、あれはもう料理ではない。手榴弾みたいに敵に向かって投げつければ、きっと本物の手榴弾以上に戦果をあげられるレベルで殺傷力がヤバいのだ。

 

 小さい頃にラウラが作ったシチューは、どういうわけか紫色だった。腐臭にも似た猛烈な悪臭を当たり前のように放ち、鍋を開けた瞬間にその臭いを嗅ぐことになった母さんがふらついたのである。モリガンの傭兵として親父と共に最前線で戦ったあの母さんが、自分の娘の作ったシチューの臭いだけで、「ほう、これは楽しみ――――――――うぐぅ!?」と言いながらふらついたのだ。

 

 しかもヤバかったのは臭いだけではない。具として入れられていたニンジンやジャガイモは紫色に変色し、スプーンでちょっとつつくだけでドロドロに溶けて崩れてしまったのである。しかも溶けた瞬間には有毒ガスじゃないかと思ってしまうほどの悪臭を放出し、初っ端から大ダメージを受けていた母さんに追い打ちをかけた。

 

 そして身体を張ってそれを全部1人で食った親父が―――――――――高熱を出し、死にかけたのである。しかも体調を崩す前には予防のためにヒーリング・エリクサーをこれでもかというほど飲んでいたにもかかわらずその有様だ。回復した後に親父が「エリクサー飲んでてよかった」と真顔で言っていたのを聞いた俺は、ラウラの料理の腕に絶望しつつぞっとした。

 

 最強の親父を死ぬ寸前まで追い詰めた、ラウラの恐怖のシチュー。しかもエリクサーを山ほど飲んでいなければ死んでいただろうという親父の発言。つまりラウラの料理は、最強の転生者ですら殺してしまうほどの破壊力を秘めているのである。

 

 改めてぞっとしながら、俺は装甲車を走らせた。タンプル搭に残ることになった警備兵に手を振りつつ、俺は後ろから顔を出すウラルの問いに答える。

 

「……………レリエルを討伐した俺らの親父が死にかけるレベル」

 

「うわ」

 

 同じ吸血鬼だから、レリエル・クロフォードがどれだけ強力な吸血鬼だったのか知っているのだろう。そのレリエルを単独で討伐した最強の転生者を死ぬ寸前まで追い込む味なのだから、それがいかにヤバいかはすぐに分かる。

 

「……………それ、練習で何とかなるのか?」

 

「分からん。ちなみにラウラの母親も同レベルの料理を作るぞ」

 

「呪われてるんじゃないか?」

 

 うん、その可能性はあるかも。

 

 とは言っても、料理が得意な母さんと違ってエリスさんの料理がヤバいのは、あの姉妹が過ごしてきた環境に端を発していると言えるだろう。

 

 2人とも騎士団出身なんだが、最前線に配属された母さんは兵舎で1人暮らしをしていくにつれてあらゆる家事の技術を身に着け、更に料理の腕を磨いていったという。母さんから料理を習っているときに聞いた話なんだが、転生してきたばかりの親父を兵舎に招いたときはお手製のサンドイッチやシチューを振る舞ったこともあるという。

 

 それに対してエリスさんは、騎士団の精鋭部隊としてラトーニウス王国の騎士団本部に配属されていた。貴族に対しても反論できるほどの権力を持っていたエリスさんだが、その分仕事が忙しくて自分で食事を作る余裕はなく、よく同僚と本部の食堂を利用するか、外食ばかりしていたという。だから料理の腕が疎かになっていったのだ。

 

 ラウラの場合は……………多分、遺伝だろう。

 

 とりあえず、ナタリアに託そう。しっかり者の彼女なら、きっとラウラの料理を何とかしてくれるはずだ。

 

 頼んだよ、ナタリア。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよしっ」

 

 制服の上にエプロンをつけて、鏡の前で自分の姿をチェックする。みんなと違って制服のデザインがちょっと堅苦しいからなのか、なんだかエプロンをつけてても堅苦しい感じがしてしまうけど……………大丈夫よね。

 

 チェックを終え、厨房にある机の上にずらりと並んだ食材を確認する。前に商人から購入したジャガイモはあるし、ニンジンと玉ねぎとハーピーの肉もある。牛乳もあるし、バターもちゃんとあるわね。

 

 今から作るのは夕食のシチュー。砂漠で食べるメニューじゃないかもしれないけど、カルガニスタンの砂漠は夜になると気温が一気に下がるから、暖かいメニューならきっとみんな喜んでくれると思うの。

 

 それにこの献立はラウラの要望でもあるの。小さい頃に傭兵さんに作ってあげたからなのか、思い入れがあるんだって。……………でも、タクヤが言うには傭兵さんを殺しかけるほどの殺傷力を持つ料理が出来上がるらしいんだけど、いったいどんな料理なのかしら?

 

 そういえば旅の最中も、タクヤは露骨にラウラに料理をさせないようにしていたみたいだし、かなりヤバいみたいね……………。

 

 うん、私が何とかしないと! ラウラが美味しい料理を作れるようになれば、きっとタクヤも喜んでくれるわ!

 

「ラウラ、準備できた?」

 

「うんっ♪」

 

 ラウラも私と同じく制服の上にエプロンをつけ、長いリボンを揺らしながら微笑んだ。

 

「よし、それじゃ始めましょう。ラウラは野菜を洗ってくれるかしら?」

 

「はーいっ♪」

 

 さて、それじゃあ私は今のうちにお鍋の用意をしておこうかな。

 

 そう思いながら机の上の鍋に手を伸ばしつつ、水道の水で野菜を洗おうとしているラウラを見守ろうとした私は、彼女が手にしているものを見て凍り付いた。

 

 ちょ、ちょっと待って。普通は野菜を洗うときは手で洗うわよね? しかもがっちりと洗うわけじゃない。さすがに料理が下手でも野菜を洗う程度ならば当たり前のようにこなせると思ってたけど――――――――どうやら、大間違いだったみたい。

 

 ラウラがニンジンと一緒に手にしたのは―――――――たわしだったの。

 

 えっ? た、たわし? ちょっと待ってよ、そんなので野菜を洗ったらボロボロになっちゃうでしょ!?

 

「ええと、ママは確か野菜をこうやって思い切り―――――――――」

 

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「ふにゃっ!?」

 

 鍋を机の上に置き、私は大慌てでラウラの手からたわしを取り上げた。

 

「はぁっ、はぁっ……………ら、ラウラっ、野菜は…………がっちり洗わなくてもいいのよ?」

 

「ふにゅ? でも、ママは『汚れもろとも皮を引き剥がすぐらい思い切り洗うのがコツなのよ♪』って言ってたよ?」

 

 ラウラのお母さん、お願いだから娘さんに変な調理方法を教えないで。

 

 そういえばラウラのお母さんの料理も傭兵さんを殺しかけるほどの殺傷力があるって言ってたわね。あの海底神殿で戦った凛々しい人とは思えないけど、あの人の料理ってそれほどすごいのね……………。ラウラはきっとそんなお母さんの料理を見よう見まねで覚えちゃったか、間違った調理方法を教えられちゃったに違いないわ!

 

 うん、私が何とかしないと!

 

「いい? 野菜を洗うときはたわしを使わなくていいの。水をかけながらこうやって手で洗えば大丈夫だから」

 

「ふにゅー……………たわしは使わないんだね」

 

 当たり前でしょ!?

 

 何て事なの。まさか、一番最初の野菜を洗う段階からすでにとんでもないことになるなんて。これじゃラウラに調理を任せているうちに別の作業をすることができないじゃないの!

 

 仕方がないわ。私がつきっきりでラウラに料理を教えるしかない。とは言ってもタクヤには遠く及ばないけど、少なくとも彼女の調理方法をまともな方法にすることくらいはできる筈よ。

 

「ほら、やってみて」

 

「うんっ。ええと、手で……………本当にこれで大丈夫?」

 

「大丈夫よ。不安?」

 

「うん。……………あ、そうだ! 手だけ外殻で硬化させて―――――――」

 

「それじゃたわしと同じよ!?」

 

 キメラの外殻って滅茶苦茶硬いのよね!? 下手したらたわし以上にヤバいことになるわよ!?

 

「と、とりあえず、手で洗って。それと調理中は硬化禁止!」

 

「ふにゃあああああ!?」

 

 というか、調理中に外殻で硬化する局面はないわよ。弾丸を弾く防御力をどのタイミングで使うっていうのかしら?

 

 とりあえず、ラウラは私の言うとおりに手で野菜を洗ってくれた。最初にニンジンを洗って、次はジャガイモを洗う。そして最後は玉ねぎを洗って、洗い終わったきれいな野菜をボウルの中へと放り込んでいく。

 

 何とか洗い終えたわね。次は野菜の皮を剥かないと。

 

「じゃあ、次は野菜の皮を剥きましょう」

 

「はーいっ♪」

 

 ニンジンはピーラーを使えばすぐに剥けるし、玉ねぎは手で剥けるから簡単ね。問題はジャガイモだけど、ボウルの中にあるのは大きなジャガイモばかりだし、多少中身まで切り落としちゃっても大丈夫かな。

 

「あ、その前にニンジンの茎を切らないと」

 

「任せて! 私ね、物を切るのは得意なのっ♪」

 

 いや、確かに得意かもしれないけど、ラウラの場合はそれって実戦の話でしょ? 今は調理の時間なんだから、いつも戦ってるときみたいに切っちゃダメよ?

 

 嫌な予感を感じながらもそう願っていた私だったけれど、タクヤが苦笑いしながら「ヤバい」と評価するラウラの料理のやり方は、やっぱり私の予想を超えていた。

 

 包丁を手に取ったところまでは合ってる。でもそこから先が、常識的な調理方法から逸脱していた。

 

 なんとラウラは、ニンジンが転がらないように氷属性の魔術でまな板の上に固定してしまったの。普通なら片手でニンジンを押さえ、もう片方の手に持った包丁で切るのが当たり前なのに、ラウラは包丁を持った手を大きく掲げると、まるで戦場で標的を狙うときのように目つきを鋭くして――――――――キメラの誇る驚異的な瞬発力で、ニンジンへと包丁を思い切り振り下ろす。

 

 氷で束縛されていたニンジンに、逃げる術などなかった。というか、収穫された時点で逃げ場はないんだけど。

 

 彼女の包丁は的確に茎へとめり込み――――――――ニンジンを両断して、更に真下に敷かれていたまな板にまで襲い掛かる!

 

 戦場であらゆる敵を切り刻んできた彼女の一撃を受け止める羽目になった哀れなまな板は、今しがた切断されたニンジンと同じ運命を辿る羽目になったわ。切断された茎に若干遅れて宙を舞い、回転しながら……………私の右肩を掠め、床の上へと落下した。

 

「ふう…………。ねえねえ、どうだった? 凄かったでしょ!?」

 

「……………」

 

 この子はいったいどんな調理方法を学んできたのかしら。というか、ラウラのお母さんってどうやって食材を調理してるのかしら?

 

 タクヤ、私じゃ手に負えないかもしれない。

 

 目を輝かせながらこちらを見つめるラウラに向けて、私は苦笑いすることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 職員さんをいじめちゃダメ

 

ウラル「すいません」

 

職員(女)「はい、何か御用でしょうか?」

 

ウラル「ええと、冒険者の資格が欲しいんですが」

 

職員「はい、かしこまりました。ではすぐに手続きを―――――――」

 

エルフ(ムジャヒディン)「あ、俺もお願いしますー」

 

オーク(ムジャヒディン)「こっちも頼むわ」

 

ハーフエルフ(ゲリラ)「おーい、手続きまだー?」

 

職員(え、ちょっと、何人いるの!?)

 

職員「あ、はい、少々お待ちください!」

 

ダークエルフ(ゲリラ)「早くしてくれー」

 

職員(ひえぇぇぇっ! きょ、局長ー!!)

 

タクヤ「職員さんいじめんなよ……………」

 

 完

 



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ラウラが料理をするとこうなる 後編

 

 

 犠牲になったまな板の代わりに新しいまな板を用意し、ラウラの手つきをちらちらとチェックしながらピーラーでニンジンの皮を剥く私の目は、きっと虚ろになっている事でしょうね。鏡があるわけじゃないからわからないけれど、そんな目つきになっているというのは分かるわ。

 

 だって、いきなりラウラがとんでもないことをするんですもの。

 

 野菜を洗うのにたわしを使おうとしたり、ニンジンの茎を切り落とすのにまな板が犠牲になるレベルの斬撃をお見舞いする彼女は、本当に常識外れだわ。こんな調理方法で料理を完成させたら、確かに傭兵さんが死にかけるレベルの殺傷力を誇る料理が食卓に登場する羽目になるわね。

 

 でも、殺気は野菜の皮の剥き方をちゃんと実演したからなのか、今のところはちゃんとピーラーで皮を剥いてるみたい。しかも鼻歌を歌いながら。

 

 楽しそうに料理をしている姿をしている姿は微笑ましいけれど、油断すればこのシチューで死人が出るかもしれないわ。女の子の料理が原因で戦死したら、多分戦死する羽目になった仲間は絶対に安らかに眠れないと思う。というか、料理で死人を出すべきではないと思うの。毒を盛ったなら話は別だけど。

 

「ねえねえ、ちゃんと作れたらタクヤは喜んでくれるかなぁ?」

 

「ええ、きっと大喜びするわ。だからちゃんとした調理方法で作ってね?」

 

「はーいっ! えへへっ、タクヤっ♪」

 

 ニンジンの皮を何とか剥き終えたラウラは、今度はジャガイモに手を伸ばす。

 

 ああ、ジャガイモは難易度が高いわよ? 皮を剥くだけじゃなくて、芽もちゃんと取らないといけないから。

 

「ふにゅう…………これって、芽も取るんだよね?」

 

「ええ、そうよ」

 

「うー……………包丁じゃ取り辛そう…………」

 

 だ、大丈夫かしら。急に包丁の切っ先を芽に突き刺したり、そのままぐりぐりと包丁を回し始めたけれど、そのままだと肝心なジャガイモが滅茶苦茶になっちゃうわよ? ポテトサラダでも作るつもり?

 

 そろそろ止めた方が良さそうね。あのままだと本当にシチューじゃなくてポテトサラダになっちゃいそうだし、しかもまだジャガイモの皮が剥けてないじゃないの!

 

 止めようと思ったその時……………再び、ラウラがとんでもないことを始めたわ。

 

 なかなか芽が取れなくて痺れを切らしたのか、ついに包丁をまな板の上に突き立ててしまったの。できるなら調理器具は大切に使って欲しいわね……………。しかも取り替えたばかりの新しいまな板だし、包丁はこの後も使うのよ? お肉も切らないといけないんだから、折れちゃったら大変でしょ?

 

 すると、先ほどまで包丁を持っていたラウラの指が――――――――何の前触れもなく、血のように紅い外殻に包まれ始めた。明らかに人間の皮膚ではなく、変幻自在に宙を舞うドラゴンが身に纏う堅牢な外殻を、そのまま自分の指に張り付けてしまったような彼女の指。鋭い爪の生えたその指の矛先は、先ほどからラウラを煩わせるジャガイモの芽へと向けられている。

 

「待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「ふにゃっ!?」

 

「硬化禁止! ちゃんと包丁で取りなさい!」

 

「はーい……………」

 

 第一、そんな鋭い爪で芽を取ったら穴が開いちゃうでしょ!?

 

 まったく。確かにキメラのそういう能力は便利だけど、ちゃんと調理器具を使ってよね。そうじゃないと、ちゃんとした料理ができないわ。

 

 さて、私は今のうちに玉ねぎの皮でも剥いておこうかしら。もちろんラウラがまたとんでもないことをしないようにちゃんとチェックしながらね。

 

 洗い終えた玉ねぎを手に取り、皮を剥き始めようとしたその時だった。

 

「Guten Tag|(こんにちわ)!!」

 

「あっ、クランちゃん」

 

 食堂のドアが開いたかと思うと、諜報部隊のリーダーとは思えないほどテンションの高いクランちゃんが、厨房で調理している私たちを見つめながらにこにこ笑っていた。相変わらずタンプル搭にいるときは制服姿のままだけど、私よりも大人びているせいなのか、姉のような存在に思えてしまう。

 

 いつもはケーター君と一緒にいる事が多いんだけど、今は1人なのかしら? さっきまで射撃訓練をしていたからなのか、こっちへと笑いながらやってきた彼女の制服からは香水と炸薬が混ざったような奇妙な匂いがする。

 

 クランちゃんは背負っていたXM8を近くのテーブルの上に置くと、厨房のすぐ前にあるカウンターの席に腰を下ろし、興味深そうに厨房の中を見渡し始めた。

 

「あれ? 調理中?」

 

「ええ。ラウラの料理の練習中なの」

 

「えへへっ。美味しい料理を作れるようになったら、タクヤにいっぱい食べさせてあげるのっ♪」

 

「あら、いいわね! うーん、私も料理を勉強してケーターに振る舞おうかしら…………?」

 

「クランちゃんって料理できなかったの?」

 

「ええ。だからテンプル騎士団の一員になる前はケーターに作ってもらってたのよ♪」

 

 そういえば、ケーター君もタクヤ並みに料理が上手なのよね。タクヤも前に料理を食べさせてもらったって言ってたけど、アイントプフが美味しかったって言ってたわ。

 

「じゃあ、私はシャワーを浴びてくるわ。ラウラ、頑張ってね♪」

 

「うん、ありがとっ!」

 

 で、できれば一緒にラウラを見張ってほしいんですけど…………。

 

 でも、いつまでも身体とか服から炸薬の臭いがするのは嫌よね。それにクランちゃんだって、あんなにいつも元気だけど普段は情報収集とか射撃訓練で大忙しみたいだし、最近はノエルちゃんの訓練も担当してるって言ってたから、きっと疲れが溜まってるに違いないわ。

 

 私が何とかラウラを見張らないと!

 

 食堂を後にするクランちゃんに微笑みながら手を振りつつ、私はそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度かまたしてもまな板がラウラの包丁の犠牲になるんじゃないかと思った場面もあったけれど、これで一通り食材を無事に切り終えることができた。とはいえ、私が担当した野菜と肉はそれなりにサイズがほぼ均一なんだけど、鍋の中で炒められているラウラの切った野菜や肉は大きさにばらつきがある。

 

 けれど、ここまでは〝普通に”調理させることができたわよ、タクヤ!

 

 あとはこの野菜を炒めてから煮込んで味付けをすれば完成よ! …………でも、ここからが問題なのよね。ここからは味に大きく影響する部分だから、もし私がうっかりラウラのやっている事を見逃したら、このシチューで戦死者が出てしまうかもしれないわ。

 

 私の責任は大きいというわけね。…………でも、これってシチューの調理よね? 何でこんなに緊張しちゃうのかしら?

 

「さて、そろそろ牛乳を入れようかしら」

 

「はーいっ♪」

 

 牛乳を入れておいた容器を手に取り、ラウラが食材を炒めている鍋の中へゆっくりと注いでいく。鍋の底で炒められ、徐々に変色していた食材たちは瞬く間に牛乳の渦に飲み込まれ、鍋の中へと姿を消してしまう。

 

 さて、今度は小麦粉を足しましょうか。でもあまり私がやり過ぎるとラウラの練習にならないし、ここは私が見守りつつラウラにやらせるべきよね。

 

「ラウラ、私が混ぜるから小麦粉を足してくれる?」

 

「任せてっ♪」

 

 鍋から手を放し、商人から購入した小麦粉がどっさりと入っている袋を持ち上げようとするラウラ。そのまま袋の中から小麦粉を少しだけ取り出して使えばいいのにと思った瞬間、ラウラのやろうとしていたことを察した私は、息を吐いてから言った。

 

「……………ホットケーキを作るつもり?」

 

「ふにゅ? シチューって小麦粉がたっぷり入ってるんじゃないの?」

 

「……………誰から教わったの?」

 

「ママからだよ?」

 

 ねえ、なんでラウラのお母さんは娘に変なことを教えるの? シチューにどっさり小麦粉を入れちゃったらとんでもないことになっちゃうでしょ!?

 

 というか、ラウラもシチューは食べたことあるわよね? そ、その時に疑問は持たなかったの? 明らかに小麦粉がどっさり入った食感じゃないという違和感は感じなかったの!?

 

「ラウラ、小麦粉は少しでいいのよ? さすがにどっさり入れるのはやり過ぎだわ」

 

「ふにゅー……………ママの作り方とかなり違うんだね」

 

 当たり前でしょ。

 

 それにしても、タクヤはお母さんからちゃんとしたレシピと調理方法を学んだのね。料理が上手なお母さんでよかったじゃない。そういえば傭兵さんも料理が上手らしいわね。転生する前の世界で1人暮らしをしてたらしくて、自分で料理を作っているうちに腕を上げたって聞いたけど、やっぱり1人暮らしをするといろいろと覚えるものなのかしら。

 

 そんなことを考えながらラウラに小麦粉の量を指示し、鍋の中へと入れていく。真っ白な粉末が鍋の中へと消えていった頃には、牛乳の中に溶け込んだ肉や野菜の美味しそうな匂いが厨房の中を包み込んでいた。

 

 うん、小さい頃にママが作ってくれたシチューの匂いにそっくりね。この調子でいけば殺傷力のないシチューになるんじゃないかしら。

 

「そろそろ味付けかな?」

 

 とろとろになり始めた牛乳の中に浮かぶニンジンをおたまでつつきながら言うラウラ。うん、確かにそろそろ味をつけた方がいいかもしれない。

 

「じゃあ、塩と胡椒を入れましょう。あ、入れ過ぎちゃダメよ。牛乳とか野菜の風味が殺されちゃうし、胡椒や塩は貴重品だから」

 

「はーいっ♪」

 

 本当に高いのよねぇ。食材も足りない分は購入するようにしてるんだけど、特に香辛料とか塩は値段が高すぎて購入するのを躊躇っちゃうわ。でも買わないとメンバーのみんなが困るから渋々高いのを我慢して購入し、かかった金額をタクヤに報告するようにしてるの。

 

 まったく、もう少し値下げしてくれないかしら?

 

 ラウラが胡椒と塩の瓶を拾い上げ、思い切り鍋の上でその2つを逆さまにする前に私はすかさず手を伸ばして止める。調理を始めてから何度もラウラの様子を確認していたからなのか、もうなんだか慣れちゃったみたい。

 

 どうせまたいっぱい入れようとしてたんでしょ? さっき入れ過ぎはよくないって言ったばかりなんだけど…………。

 

「ラウラ、入れ過ぎはダメ」

 

「ふにゅ? たったこれだけだよ?」

 

「……………あのね、瓶の中身を丸ごとぶち込むのは十分多いと思うわ」

 

 どうやらラウラの定義では、この瓶に入っている塩や胡椒はまだ〝少ない”と見なされてしまうみたいね。うん、本当にラウラのお母さんはどんな料理を作ってるのかしら。なんだか気になるわね……………。あっ、でも食べようとは思わないわよ? だってあの傭兵さんが死にかけたんでしょ?

 

 とりあえず、メンバー全員分のシチューを作るために大きな鍋で作っているとはいえ、大きめのマグカップが5個分くらいの大きさの容器に入っている塩と胡椒を全部ぶち込むのはやり過ぎよ、ラウラ。

 

「ふにゅー……………薄味になっちゃうんじゃない?」

 

「多分タクヤもこれくらいにしてると思うわよ?」

 

「そうかな?」

 

「味見すればいいじゃない」

 

「うん、そうだね。たっぷり入れるのは愛情の方がいいもんね♪」

 

 そういえば、なんでタクヤから料理を教わろうとしなかったのかしら? あいつの料理は美味しいし、ほぼ毎日手料理を振る舞ってくれるんだから、料理を教わるきっかけはいっぱいあったはずなのに。

 

 聞いてみようと思ったけど、あまり質問するのはよくないわよね。それに姉弟のことになっちゃうし……………。

 

 あっ、結構時間が経っちゃってるわ。もしかしたら、そろそろタクヤたちが帰ってきちゃうかもしれない!

 

 でも、焦ったらミスしちゃうかもしれないわ。落ち着かないと。

 

「ラウラ、そろそろ味見してみて」

 

「うんっ!」

 

 おたまでシチューをほんの少しだけ掬い取り、小皿へと注いで冷ましながら口元へと運んでいくラウラ。私がつきっきりで調理方法を教えたんだし、味に影響が出るようなミスはしていないからまともなシチューの筈なんだけど……………。

 

「―――――――あっ、美味しい!」

 

「本当!?」

 

「うん! ……………えへへっ、これでタクヤも喜んでくれるっ♪」

 

「私も……………。―――――――うん、美味しいわ! ちゃんと牛乳と具材の風味もあるし、味付けも大丈夫!」

 

「やったぁっ♪」

 

 うん、これなら大丈夫よ。戦死者は出ないし、むしろおかわりを希望するメンバーが何人も出るに違いないわ!

 

 待ってなさい、タクヤ! ラウラの料理は生まれ変わったのよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だろ……………?」

 

 異世界に転生してから、ありえない光景は何度も目にしてきた。前世の世界ではありえない魔術や、実在する魔物とドラゴン。街中を警備する、防具に身を包んだ騎士たち。そして巨乳の美女を2人も妻にしてしまう(俺の親父)

 

 けれども、今の俺の目の前にあるそれは―――――――――そういった今までの〝ありえない光景”をすべて一蹴してしまうほどのインパクトがある。

 

 目の前にあるのは、何の変哲もない真っ白な皿。そしてその皿の中を満たしているのは、同じく何の変哲もない―――――――――美味しそうな、1人分のシチューである。

 

 そう、何の変哲もない、美味しそうなシチュー。問題なのは、これを作った料理人である。

 

「えへへっ♪」

 

 テンプル騎士団の制服の上にエプロンをつけ、恥ずかしそうに顔を赤くしながら微笑んでいるのは、幼少の頃からいつも一緒にいた腹違いの姉のラウラ。その隣で誇らしげにしているのは、彼女に料理を教えていたナタリアである。

 

 いつもラウラに料理を作らせれば、とんでもないことになっていた。臭いだけで最強クラスの傭兵である母さんがふらつき、口にした親父が高熱を出して死にかけるほど凄まじい大量破壊兵器が皿の上に乗って食卓に姿を現すのは当たり前だったというのに……………。

 

 な、何なんだ……………このまともなシチューはッ!?

 

「……………こ、これ、ラウラが作ったんだよな?」

 

「うん。ナタリアちゃんが教えてくれたのっ♪」

 

「ほら、食べてみなさいよ。ラウラの自信作よ?」

 

 うまくいかなかったなら、あんなに誇らしげにするわけがない。うん、少なくともまともなナタリアが、無理をしてまで誇らしげにするふりをするわけがないもんな。ということは、本当に成功したんだな? ついにラウラも美味しい料理を作れるようになったんだな!?

 

 事情を知らないムジャヒディンのメンバーたちでさえ、未だにスプーンに触らずに俺の様子をじっと見つめている。向かいの席に座るウラルは目を瞑って腕を組み、微動だにしない。

 

 一番槍は俺に譲るってことなのか。……………ちょっと待て。それってもし仮に不味かった時に備えて、俺に毒見させようとしてるんじゃないだろうな!?

 

「い、いただきます」

 

「うん、召し上がれっ♪」

 

 スプーンをそっと拾い上げ、皿の中のシチューを掬い取る。とろりとしたシチューの中に浮いている野菜の大きさは不均一にもほどがあるほどバラバラで、ラウラが切ったんだということはすぐに分かった。けれど、いつもの彼女の料理ならばこの時点で俺は意識を失っている筈である。そう、彼女の料理が発するとんでもない悪臭で。

 

 香りはごく普通のシチューと同じだ。バターと牛乳の美味しそうな香り。それに包まれているのは、しっかりと煮込まれた野菜と肉。

 

 息を呑んでから――――――――俺はそのスプーンを、口の中へと放り込んだ。

 

「……………嘘だろ?」

 

 お、美味しいぞ……………? 信じられない…………!

 

 このシチュー、食べれるぞ!?

 

 具材の大きさはかなりバラバラだけど、問題点はそれだけだ。ちゃんと煮込まれているし、塩と胡椒の味の濃さも絶妙。具材の風味も殆ど殺されていない!

 

 ああ、ついにラウラもこんなに美味しいシチューを作れるようになったのか…………!

 

 親父…………ラウラが成長したよ…………!

 

「ど、どう……………?」

 

「――――――――う、美味い」

 

「ふにゃ……………や、やった! ナタリアちゃん、やったよっ!!」

 

「うん、やった!」

 

 ナタリア、よくやった! これで食事で戦死者が出なくなる!

 

 もう一度スプーンを口へと運ぼうとしていると、俺を見守っていたラウラが嬉しそうに微笑んでいた。俺も微笑み返しつつ、こんなに美味しいシチューを作ってくれたラウラの頭を優しく撫でる。

 

 よし、今度は俺がラウラに他の料理を教えてあげようかな。ラウラに教える料理を考えつつ、俺は椅子から立ち上がってラウラをぎゅっと抱きしめた。いつの間にか彼女の瞳に浮かんでいた涙を他のみんなにバレないうちにこっそりと指先で拭き取り、「ありがとう」と言ってから再び席に腰を下ろす。

 

 当然だが、その日のシチューはすぐになくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 食材が足りない

 

ラウラ「ナタリアちゃん、ホットケーキの作り方を教えてっ!」

 

ステラ「ステラも料理をしてみたいです」

 

ナタリア「いいわよ。ええと、ホットケーキの食材は…………あれ? 牛乳が足りないわ」

 

ステラ「……………ナタリア、牛乳ならステラの隣にありますよ」

 

ラウラ「ふにゃっ!?」

 

 完

 

 

 



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閑話 サドリウス海戦

閑話です。海戦の描写の練習も兼ねてます(笑)


 

 海を支配するのは、潮の香りである。

 

 この世界に海が形成されてから、ずっとそうだった。音は波の音が支配し、色彩は大海原の蒼が支配する。海の中を魚が泳ぎ回るようになり、やがて船を使って海を渡る方法を思いついた人間たちが行き交うようになってからも、それは変わらない筈だった。

 

 しかし――――――――今、その海は荒れ狂っていた。

 

 天気は快晴だ。波もやや高いが、それほど荒れているというわけでもない。よほど粗末に作られた船でもない限り、転覆することはありえないだろう。その戦いが繰り広げられている海域から目を逸らしていれば、そういういつもの海に見える筈だ。

 

 だがその海域の光景は、いつもとは違う。

 

 蒼い海面を真っ黒な重油とそれに引火した炎が蹂躙し、炎の海原と化した海面へと漆黒の巨躯が沈んでいく。従来の帆船から、産業革命で登場したフィオナ機関を搭載した新型艦たちだ。機関室で働く乗組員たちの魔力が尽きない限り従来の船とは比べ物にならないほどのパワーで海域を進む事を可能にした新型艦たちが、真っ二つになったり、船体に大穴を開けられて浸水し、次々に沈没していく。その周囲で重油を浴びながら真っ黒になりつつ必死に泳ぐのは、辛うじて乗っていた艦から海へと脱出することができた乗組員たち。何かにつかまりながら飛び込むことができたものは幸運だったが、手ぶらで海へと飛び込んだ者たちは悲惨な死を遂げていった。

 

 海面にまき散らされて引火した重油の炎に、次々に焼かれていく羽目になったのだ。必死にもがきながら火を消そうと潜った水兵はもう二度と浮かんでこなくなり、助けを求めて他の水兵に掴みかかれば、重油を浴びていたその水兵まで火だるまになって焼かれていく。

 

 溺死か焼死するしかない彼らを救おうとする他の艦はいない。

 

 見捨てたわけではなく、助けに行く余裕がないと言うべきだろう。大海原で溺れかけたり火だるまになりながら苦しむ仲間を助けに行こうとすれば、自分たちもすぐに同じ運命を辿ることになるのだから。

 

 大海原よりも幾分か淡い色にも見える蒼空を、爆発が何度も連なっているかのような轟音が叩き割り、それが吐き出す純白の煙が寸断していく。潮の匂いを燃料の燃え上がる臭いで滅茶苦茶にしながら飛翔するそれは、必死に回避を続けつつ、悪足掻きだと知りつつも対空砲火を続ける水兵たちにとってはまさに死神の一撃にも等しかった。

 

 高圧の蒸気で小型の金属製の矢を連発するスチーム・ガトリング砲の弾幕が張られるが、死神の一撃を撃ち落とすことはできなかった。接近してくる敵の攻撃の弾速が速過ぎて、照準すら合わせることを許してもらえないのである。だから通過するルートを予測して弾幕を張る戦法に変更しているのだが、全く撃墜できる様子はない。

 

 雄叫びを上げ、装填手が装着したマガジンが空になると同時に、またしても撃墜に失敗したその一撃が後方を進んでいた味方の装甲艦を食い破った。衝撃波を纏い、後方を進んでいた装甲艦『コルセール』の左舷へとめり込んだ飛行物体は、煙を吐き出していた尻までひしゃげた装甲の中へと潜り込ませようとした瞬間に起爆し、鋼鉄の装甲で覆われたコルセールの船体を大きく膨張させた。

 

 空気を入れられた風船のように膨らんだコルセールだったが、そこまで膨張することを想定されていなかった装甲艦の装甲は、次の瞬間に木っ端微塵に吹き飛んでいた。側面の装甲を貫通して機関室まで達した爆風が機関部を蹂躙し、内部で稼働していたフィオナ機関を粉砕したのである。鋼鉄の巨体を軽々と動かしてしまうほどの高圧の魔力が充填されたフィオナ機関は、頼もしい動力機関であるとともに爆弾でもある。もし一ヵ所にでも亀裂があれば、瞬く間にそこから高圧の魔力が噴出し、まともに浴びた物体全てを吹き飛ばしてしまうのだ。

 

 自分の体内で稼働していた爆弾に止めを刺される形で、コルセールの船体が真っ二つになる。艦尾は横倒しになりながら沈んでいき、辛うじて海面に浮かんでいた艦首も重油をぶちまけながら、海中へと沈んでいく。

 

「コルセール、轟沈!」

 

「フォーミダブル被弾! 沈みます!」

 

 次々に沈んでいく味方の報告を耳にしながら、フランセン共和国騎士団が開発したばかりの新型戦艦『ストラスブール』の艦長は目を見開きながら青ざめていた。

 

 今回の彼らの任務は、フランセン共和国と戦争中のジャングオ民国の軍港へと進行し、停泊中の艦隊を含めてその軍港を壊滅させることにあった。ジャングオ民国は広大な国土を持つ大きな国であるが、技術や軍事力ではフランセン共和国には及ばない。産業革命の恩恵を受けて発展したとはいえ、フランセンに比べれば軍事力はまだまだ劣る。

 

 フランセンも数週間前までは帆船が主戦力であったが、オルトバルカ王国から購入した旧式の装甲艦を参考に国産の装甲艦と戦艦を製造することに成功し、急激に海上騎士団の近代化を進めている。今回ジャングオ民国へと進軍するように命令を受けたのは、進水式を先週終えたばかりの新型艦ばかりであった。

 

 どうせ相手は古めかしい帆船ばかりだから、ただ前に進みながら主砲や副砲を撃ち続けるだけでかたが付くだろうと思っていた彼らは、ジャングオの海軍を『砲撃の練習用の的』としか考えていなかったのである。

 

 しかし、ジャングオ民国とフランセン共和国の中間に位置する『サドリウス海域』で待ち受けていたのは――――――――ジャングオ民国の国旗と、紅い星を抱えた虎のエンブレムが描かれた旗を掲げた、漆黒の艦隊だったのだ。

 

 どう見ても帆船とは思えない漆黒の船体と、やけに小さな主砲の砲塔。船体の両サイドにはまるでプレゼントが入った箱をそのまま金属製にしてしまったかのような大きな物体が搭載されている。

 

 目の前に立ちはだかった艦隊を構成する艦の大きさは全体的に小さい傾向にある。陣形の中心に鎮座する大型艦は全長が180mほどの戦艦クラスの大きさだが、それの護衛を担当する船は全長が60mに満たない駆逐艦程度の船ばかりだ。

 

 フランセン艦隊の数は駆逐艦8隻と装甲艦が6隻。そして旗艦の戦艦ストラスブールである。それに対して敵の戦力は、その戦艦クラスの大型艦1隻と護衛の駆逐艦が5隻のみだ。見たこともない形状の艦ばかりだったが、物量ではフランセン側が圧倒的に上。捻り潰すのも時間の問題と高を括りつつ海戦が幕を開けたのだが――――――――始まってから1分足らずで、惨劇が始まった。

 

 こちらの損害はもう既に旗艦以外は轟沈。それに対して、敵艦隊の損害はゼロである。もちろんかすり傷一つついている敵艦はおらず、こちらの主砲の射程外から正体不明の攻撃を放ち続けている状態だ。

 

「艦長、敵艦がまたあの物体を発射しました!」

 

「かっ、回避ぃッ! 弾幕を張れぇッ!!」

 

「取り舵いっぱい!」

 

 きっと、今まで撃沈されていった味方の艦橋でもこのような号令が飛び交っていたのだろう。敵の攻撃を回避するために取り舵や面舵を命じる艦長の怒号と、弾幕を張れと怒鳴り散らす砲術長の怒声。そしてあの敵の攻撃が船体を食い破り、乗組員たちを海の藻屑へと変える―――――――。

 

 冷や汗を流しながら接近する物体を見つめつつ、艦長はもしかしたら回避できないかもしれないと感じつつあった。

 

 あの攻撃を食らえば、おそらく1発か2発でこの戦艦も撃沈されてしまうだろう。そして最新鋭の艦ばかりで構成された艦隊を、進水式からたった1週間で海の藻屑に変えてしまった男という汚名を着せられてしまう羽目になるのは言うまでもない。

 

 自分の名誉のためにも、あの攻撃を回避して射程距離まで接近し、敵艦隊を撃滅する必要がある。しかしフランセン海上騎士団の制服に身を包んだ艦長の脳裏を、そんなことは不可能だという考えが徐々に満たしていく。

 

「くそ、ダメだ! 回避間に合いませんッ!!」

 

「衝撃に備えろ! 何かに掴まれぇッ!!」

 

 そして、艦長が考えていた通りに――――――――敵艦から放たれた飛行物体が、戦艦ストラスブールの船体を抉った。

 

 まるで船に乗せられたまま、その船ごと高い場所から落とされたかのような猛烈な衝撃が艦内を駆け抜ける。船体を包み込むあらゆる装甲板が軋み、衝撃波に乗った何かが焦げる臭いが艦橋の中まで入り込んでくる。

 

 どうやら今の一撃は、先ほど撃沈されたコルセールと同じように左舷へと飛び込んだらしい。艦橋の左側にあるウイングへと向かい、手すりをつかみながらストラスブールの船体を見下ろした艦長は、たった一撃の攻撃で変わり果ててしまった自分の艦の惨状を目の当たりにする羽目になった。

 

 左舷の分厚い装甲が今の直撃で抉られたのは言うまでもないが、敵の攻撃が飛び込んだと思われる部位の装甲は、抉られたというよりは、まるで巨人の剛腕で強引に引き剥がされたと例える方が適切に思えるほど滅茶苦茶になっていた。剣で貫かれた傷口から出血が続くように、攻撃を叩き込まれたストラスブールの左舷からは黒煙と炎が吹き上がり、逃げ惑う乗組員たちを追い立てている。中には火だるまになりながら甲板を転げ回る乗組員や、片足や片腕を失ったり、身体中に装甲の破片が突き刺さった状態で仲間に助け出される乗組員の姿も見受けられる。

 

「き、機関室、大破! 乗組員は全滅です! 航行不能!」

 

「左舷、火災止まりません! 浸水も続いています!」

 

「隔壁は!?」

 

「ダメです!」

 

 敵艦隊に傷すらつけられぬまま、どうやらこのストラスブールも海の藻屑となるらしい。

 

 頭の上に乗っていた軍帽をそっと手に取り、艦橋にいる乗組員や副長たちに退艦するよう命令を出そうとした次の瞬間だった。

 

「――――――さ、更に敵の攻撃ッ!」

 

「…………!」

 

 どうやら死神は、このストラスブールを乗組員たちの棺桶にすることを望んでいるらしい。

 

 見張り員の立っているウイングの向こうには、瀕死のストラスブールへと向かって突入してくる飛行物体の姿が見える。純白の煙を吐き出して蒼空を寸断しながら、獰猛な一撃がこれから飛び込んでくるのだ。

 

 海に飛び込む余裕すらないと判断した艦長は、こんな任務を受ける羽目になったことを呪いながら、そっと両眼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――敵艦、轟沈しました」

 

 部下からの報告を聞いたその男は、CICの中でほんの少しだけ笑った。

 

 当たり前の結果である。戦い方どころか一般的な常識すら知らない幼い子供を、完全武装した大人の兵士たちが嬲り殺しにするようなものだ。今回の戦いはまさにそのような一方的な戦いとなったのだが、それでも勝利のうちの1つとなる。

 

 近くに置いてあった烏龍茶をすべて飲み干してから、その古参の傭兵は伸びた顎鬚を弄りながら椅子から立ち上がった。

 

 普段から常に冷静沈着で、戦場の地図を広げながら机を見下ろす姿はまさに名将や軍師に例えることができるが、眉間に刻まれている大きな傷が、彼も最前線で戦う猛将なのだということを主張している。

 

 彼の名は『張李風(チャン・リーフェン)』。数多の転生者が迷い込むこの異世界では珍しい中国出身の転生者で、14年前に勇者を名乗る転生者の組織との間で勃発した『転生者戦争』では、最強の傭兵ギルドであるモリガンを率いるリキヤ・ハヤカワと共に戦い抜き、この異世界を支配しようとした勇者の計画を頓挫させた英雄の1人でもある。

 

 今では当時の生き残った転生者たちを引き連れ、『殲虎公司(ジェンフーコンスー)』という民間軍事会社(PMC)を設立。本拠を前世の世界の中国に似ているジャングオ民国に建設し、世界中に傭兵を派遣している。

 

 この艦隊の旗艦となったスラヴァ級巡洋艦『暴虎(バオフー)』のCICでモニターを見つめ、ヘッドセットを耳に当てて仕事に勤しむクルーたちも、14年前の転生者戦争を生き抜いた猛者たちである。彼らにアサルトライフルを渡せば、ミサイルをこれでもかというほど搭載した恐るべき巡洋艦のクルーから陸戦部隊に早変わりするというわけだ。

 

 李風の率いる殲虎公司(ジェンフーコンスー)の主力は陸軍であるが、空軍と海軍にも力を入れつつある。特に、最近はモリガン・カンパニーもヴリシア侵攻のために本格的な軍拡を始めており、共同での訓練を頻繁に行っているため、錬度も凄まじい勢いで上がっているのだ。

 

 この艦隊の強みは、各艦に搭載された『P-270モスキート』と呼ばれる対艦ミサイルにある。対艦ミサイルとは、その名のとおり敵艦へ叩き込むために開発されたミサイルで、命中すれば空母や巡洋艦を容易く撃沈してしまうほどの破壊力を持つ。もちろん、最強の戦艦と言われる戦艦大和も容易く仕留めることができる、現代の海上戦力の誇る矛である。

 

 しかもこの対艦ミサイルは、敵艦にある程度接近すると回避運動を取り始め、敵の迎撃を自動的に躱しながら敵艦へと激突するという特長を持つため、迎撃はかなり困難なミサイルだ。それをこれでもかというほど搭載したスラヴァ級を中心に、同じく船体の両サイドにモスキートを搭載したコルベットの『タランタル級』を5隻配置し、敵艦の射程距離外から――――――――力の差を見せつけるためにあえて双眼鏡で辛うじて見える程度まで接近した――――――――ひたすら対艦ミサイルで嬲り殺しにしたのだ。

 

 コルベットとは、駆逐艦よりも小さな艦艇の総称である。船体は非常に小さく、航続力も低い傾向にあるものが多いが、その分小回りが利くし速度も速いので、身軽に戦うことができるという利点がある。

 

「これで、同志ハヤカワにいい土産話ができた」

 

「はい、同志。きっと同志ハヤカワもお喜びになるでしょう」

 

「うむ。…………よし、母港に戻るぞ」

 

「はっ!」

 

 ヴリシア侵攻の日程は、まだ決まっていない。しかし実際に侵攻作戦が始まった暁には、モリガン・カンパニーが軍拡を始めるよりもずっと前から実戦経験を続けてきた李風や部下たちが、ついに牙を剥くことになるだろう。

 

 部下たちの復唱が連なるCICの中で踵を返した李風は、指先で顎鬚を弄りながら再び椅子に腰を下ろすのだった。

 

 




※あくまで戦艦や装甲艦などの定義は異世界での基準です。現時点でこの異世界の最新型の戦艦は前弩級戦艦クラスですので、全体的に小さめです。だから駆逐艦でも戦艦に見えるんですね(笑)


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ナタリアの夢

ラウラの活躍のせいで影は薄いですが、タクヤも優秀な狙撃手の1人だったりします(笑)


 

 

 その感覚は、幼少の頃に狩場でライフルのスコープを覗き込み、獲物の急所へと照準を合わせる感覚にも似ていた。標的はこちらに気付いておらず、目標との距離はもうライフルの射程距離内。マガジンの中にはもう既に弾薬が装填されていて、当然ながら安全装置(セーフティ)も解除済み。スコープに搭載されたレンジファインダーはいつものように勤勉に働き、標的までの距離を主人に教えてくれる。

 

 あとはトリガーを引き、弾丸が目標に命中するのを信じるだけだ。標的が鹿やウサギのような獲物であれば、信じるのはそれだけでいい。けれども標的が高い防御力を保有している場合は、更に放った弾丸が標的を無事に貫通し、一撃で仕留めてくれますようにと祈ることも重要だ。

 

 とはいえ、狙撃をする以上は運任せは厳禁だ。狙い撃つからにはどんな距離でも弾丸を命中させられるだけの腕を持ち、なおかつ標的の防御力を考慮して使用する弾薬の口径、種類、炸薬の量を変えられるだけの知識と対応力が必須となる。それらの要素が違うだけで発射された弾丸の描く軌道は大きく変わるし、殺傷力にも大きな影響が出るからだ。

 

 バイポットを展開し、主人である俺と同じように地面に寝そべりながら標的を睨みつけるOSV-96のマガジンに装填されているのは、本来の12.7mm弾ではなく、対戦車ライフルや装甲車の機関銃の弾薬にも使用されていた14.5mm弾。しかも発射に使用する炸薬の量を増大し、弾速の底上げを図った強装弾だ。口径が大きくなれば殺傷力も大きく向上するが、口径を大型化すれば飛んでいく弾丸の重量もより重くなる。ほんのわずかの重量の変化でも、弾道に与える変化は大きい。

 

 前まで装着していた中国製グレネードランチャーの87式グレネードランチャーを取り外し、火力の減少と引き換えに軽量化を図ったOSV-96を構えて照準を合わせつつ、俺は熱い砂の上で息を呑んでいた。

 

 OSV-96はセミオートマチック式。立て続けに弾丸を連発できるという強みがある代わりに、命中精度では連発に一手間かかるボルトアクション式にはどうしても劣る。だから遠距離狙撃にはボルトアクション式の方が適任と言われているが、俺はもう既にこのライフルの弾道がどの弾丸を使用した場合はどうなるのか頭に焼き付けているから、それほど大きな問題ではない。

 

 親父に続けて愛用している銃なのだから、思い入れもある。それにこうして大口径のアンチマテリアルライフルを構え、標的を狙撃するタイミングを伺っているのは俺だけではない。

 

 俺から見て10時方向にある、ほんの少しばかり地表からせり上がった砂の丘。その上には何もいないように見えるが―――――――――よく見ると、砂の表面が不自然にへこんでいるのが分かる。不規則的に熱風が吹き、砂を吹き飛ばしていく砂漠にあんなへこんだ部分がいつまでも残っている筈がない。その上に、透明な何かが乗っていない限りは考えられない。

 

 仲間の配置を知っている俺は、そこにいる〝何か”が何者なのかはもう既に知っていた。

 

 ラウラ・ハヤカワ。テンプル騎士団の誇る最強の狙撃手で、俺の大切な腹違いの姉。狙撃手でありながらライフルにスコープを装着することを「見辛い」という理由で嫌い、スコープを装着しない状態での狙撃を好む、まるでシモ・ヘイヘを彷彿とさせる狙撃手である。

 

 彼女が手にしているライフルは、セルビア製アンチマテリアルライフルの『ツァスタバM93』。ボルトアクション式の命中精度の高いライフルで、『ツルナ・ストレラ(ブラック・アロー)』の別名を持つ。彼女も同じく87式グレネードランチャーを取り外して軽量化を図り、スコープの代わりに古めかしいタンジェントサイトを装着されたツァスタバM93を装備し、標的を狙っている。

 

 ラウラのライフルは本来ならば12.7mm弾を使用するライフルなんだが、ラウラからの要望で使用する弾薬をより大口径の20mm弾に変更している。連発のできないボルトアクション式ライフルで確実に仕留めるためのカスタムなのかもしれないが、そもそも12.7mm弾の時点で人間に撃ち込むにしてはオーバーキルである。20mm弾ならば、使用する弾薬にもよるが装甲車の破壊も夢ではないだろう。

 

 標的は砂漠の真っ只中で休憩中の少年たち。服装はバラバラだけど、傍らにはM16らしきアサルトライフルが立てかけられているのが分かる。この世界では銃は存在しないことになっているので、銃を持っている時点で自分は「転生者だ」と公言しているようなものだ。

 

 転生者だから殺すというわけではない。むしろ転生者がもっと味方に付いてくれれば、仲間たちの武器を生産することになるこちらとしては非常にありがたいし、純粋に戦力の大幅な強化にもつながるからありがたい事この上ない。

 

 問題は、彼らがやらかしている事だ。

 

 簡単なテントを張り、水筒の水を飲む彼らの後方には、金属製の檻を積んだやけに大きな荷馬車が2台ほど停まっている。一見すると猛獣でも入れていそうな雰囲気の檻だが―――――――その中に納まっているのは、猛獣などではない。

 

 血の滲んだボロボロの服を着せられ、身体中が汚れた奴隷たちが、檻の中でぐったりとしているのが見える。こんなに暑い砂漠の真っ只中で檻に入れられている奴隷たちは、満足に食事すら与えてもらえていないのか、手足はすっかり細くなっている。中には成人の男性もいるようだけど、本当にあんなに細い手足が成人男性の物なのかと思ってしまうほどだ。

 

 死にかけている奴隷たちの目の前で、水を美味そうに飲む転生者たち。今すぐトリガーを引きたいところだが、まだ我慢するしかない。

 

 あの転生者たちが奴隷たちを街へと移送するという情報が、ガルガディーブルに潜入していたシュタージのメンバーたちからもたらされたのは三日前のことである。ガルガディーブルはカルガニスタンの砂漠の真っ只中にある街で、あらゆる交易の中継地点として栄えている街だ。だからあらゆる品物や人材は、ほぼ必ず一旦そこを通る。そこに潜伏していれば、街へと入ってくる品物や人材と一緒に情報も手に入るというわけだ。ケーターはそれに目をつけ、潜入の許可を俺に申請してきたのである。

 

「やっとシュタージが諜報部隊として機能したな」

 

 怒りを抑えつつ、俺はクランやケーターたちが送ってくれた情報に感謝した。

 

 あいつらは最近奴隷を商人たちに売り込んでいる転生者の集団らしい。人数は僅か4名だが、レベルはそれなりに高いらしく、周辺の村や集落を無差別に襲撃しては生き残りを奴隷として捕獲し、商人たちに売りつけているという。

 

 つまり、クソ野郎ということだ。

 

『―――――――こちらブラボーチーム。配置についた』

 

「了解(ダー)、そのまま待機。こちらの狙撃後に突入せよ」

 

『了解(ダー)』

 

 突入を担当するブラボーチームに指示を出し、俺は無線でラウラに「狙撃用意」と号令を発する。

 

 俺たちがまず狙撃で転生者の2人を仕留め、そのあとにウラルが率いるブラボーチームが突っ込む作戦になっている。俺たちが最初の一撃で仕留められれば仲間たちの負担も減るし、殺し損ねればウラルたちの負担が増えるというわけだ。ちなみに解放した奴隷たちは、後方で待機しているナタリアたちの装甲車に乗せてタンプル搭へと一旦連れていき、治療し、食事を与えてから彼らの故郷へと戻すことにしている。

 

 さて、そろそろ仕留めよう。

 

 もう一度レンジファインダーを確認し、スコープの調整が不要なことを確認してから、トリガーに指を使づけていく。14.5mm弾ならば転生者だろうと食い破れるはずだし、シュタージの情報ではおそらく敵のレベルは70前後と予測されているため、弾丸が通用しない確率は低い筈だ。

 

「―――――――Пока(あばよ)」

 

 照準を転生者の頭へと向け――――――――トリガーを引く。

 

 解き放たれた14.5mm弾の銃声が、マズルフラッシュと共にT字型のマズルブレーキから噴き出す。ちょっとした衝撃波が銃口付近の砂を舞い上げ、その舞い上がった砂の真っ只中を、かつては対戦車ライフルの弾薬にも使用されていた14.5mm弾が駆け抜けていく。

 

 熱風の中を駆け抜けた俺の14.5mm弾は、レンジファインダーが計測した1.2kmを当たり前のように駆け抜けると、カーソルの中でずれかけていた弾道を徐々に変えていき、カーソルから少しずれた位置にある転生者の頭へと重なる。

 

 次の瞬間―――――――カーソルの向こうにいた転生者の頭が、消失していた。

 

 頭が消し飛んだ瞬間は見えなかった。気が付いたらいつの間にか、スコープの向こうには頭のなくなった人間の姿が映っていて、真っ赤な断面から鮮血を噴き上げ、仲間たちに驚かれながら崩れ落ちていく。今まで何度も目にしてきた呆気のない死。殺したのは俺だ。

 

 人間を殺したというよりは、狩りで獲物を仕留めた感覚に似ている。幼少の頃から銃で狩りをしていた俺の感じる感覚はいつもそんなものだ。いや、獲物を仕留めたというような喜びは感じない。相手はクソ野郎なのだから。

 

 だから、殺しても何も感じない。

 

 それにしても、14.5mm弾ならば頭に命中しても胸元までは抉り取れるはずなんだが、それは相手が転生者だったからなのだろう。

 

 敵襲だと理解した転生者の上半身が、次の瞬間に消え去る。こちらも同じだ。一瞬で上半身が消え去り、周囲に血肉が飛び散っている。けれどもその一撃をお見舞いしたのは俺の銃でないのは明白だ。俺の銃の銃口は、そちらを向いているのではないのだから。

 

 今の一撃は、ラウラの20mm弾だった。俺の弾丸よりもさらに大口径のその一撃は容赦なく転生者の上半身を千切り取ってバラバラにすると、〝食べ残し”の下半身を砂の上に残し、無残な死体をクソ野郎どもに見せつける。

 

「排除した」

 

『了解(ダー)』

 

 さあ、暴れろウラル。

 

 スコープから目を離し、首に下げていた双眼鏡を2時の方向へと向ける。砂の上に伏せていたテンプル騎士団の兵士たちがAK-12や近接武器を手に持ち、雄叫びを上げながら起き上がっているところだった。

 

続け(ザムノイ)!』

 

『『『УРааааааааа!!』』』

 

 敵はたった2人の転生者。それに対し、これから突っ込んでいく戦闘員の人数は12名。彼らに転生者のような能力はないが、今まで受けた訓練や過酷な戦闘を経験している点で、彼らに勝っていると言える。

 

 走り出したウラルに続き、他の兵士たちも走り始める。俺たちも援護するべきだろうかと思ったその時、俺は目を離しかけていた双眼鏡を慌てて再び覗き込み、呆然としてしまった。

 

 突撃していく兵士たちの中に―――――――――あの男がいたのだ。前に偵察任務に、鉄パイプを喜々とした表情で装備して出撃していった猛者が。

 

「わお……………」

 

 その男は確かムジャヒディンではなく、他のゲリラ出身だと言っていたエルフの男性だった。足の速さには自信があるらしく、なんと先頭を突っ走るウラルを追い越し、鉄パイプを2本持ったまま突撃していったのである。

 

 いきなりそんな集団が現れ、転生者たちも驚愕してアサルトライフルの射撃を始める。5.56mm弾の殺傷力は7.62mm弾ほどではないものの、だからといって侮っていい弾丸ではない。当然ながら、ヘッドショットされれば即死なのだから。

 

 しかしその鉄パイプを持ったエルフは、すぐ近くを5.56mm弾が掠めても全く動じていないようだった。それどころか逆に奮い立っているらしく、なんと鉄パイプで5.56mm弾をことごとく弾き飛ばし、後ろを進む仲間たちを守っているではないか。

 

 おいおい、何だあいつ。

 

『タクヤ、鉄パイプってあんなに強かったっけ?』

 

「……………オリハルコン製なんじゃない?」

 

 鉄パイプにそんな貴重な素材を使う職人はいないと思うけどね。

 

 とりあえず、あの転生者たちが鉄パイプを持った男を含めた兵士たちに撲殺されるのは、時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メモ帳に仕留めた転生者の数を書き加え、テーブルの上に置いてあるアイスティーを口に含む。そして書類に目を通してから席を立ち、ベッドの傍らに置かれているOSV-96を拾い上げた。

 

 今のところ、転生者を討伐した人数は35人。ラウラとの共同で討伐した人数はそのうちの12人となる。ラウラが討伐した人数は俺よりも若干少ない30人で、同じく俺との共同討伐は12人だ。

 

 戦果は上がっている。けれども、親父にはまだまだ遠く及ばない。母さんから聞いた話だが、若い頃の親父は転生者たちから〝転生者の天敵”と呼ばれていたらしく、俺たちが生まれる前には討伐した人数が1000人を超えていたという。更に信じられない話だが、そのせいで転生者が絶滅寸前になったらしい。

 

 戦果を上げていくのは喜ばしいことだが、どうしても親父と比べてしまうと喜べない。あの男は俺たちとは格が違うのだと思って納得させようとしても、それは無意味だ。いずれはあの男も超えなければならないのだから。

 

「失礼しますわ」

 

「おう、カノン」

 

 ノックをしてから部屋の中に入ってきたのは、先ほどの奴隷救出作戦で後方に待機していたカノンだった。

 

「どうだ?」

 

「はい、お兄様。現在奴隷にされていた方々に水と食料を与え、負傷者には治療をしているところですわ」

 

 スコープを覗いていた時、確かに檻の中で傷を負った状態でぐったりしていた奴隷たちも見受けられた。彼らを収容した兵士から聞いたんだが、拷問じみた暴行でも受けたのか中には片目をなくしている奴隷もいたという。

 

 幸いヒーリング・エリクサーを服用すれば多少の傷なら一瞬で治療することができる。しかしあくまでエリクサーでできることは〝傷を塞ぐこと”であり、目を失ったり、手足を失った場合はその失った部位が再び生えてくるわけではないのだ。

 

 だから、失った手足は2度と戻ってこない。義手でも移植しない限り、一生四肢が欠けたままなのだ。

 

「それで、彼らはどうするって?」

 

「はい。故郷はもうあの転生者たちに焼かれているらしくて、帰る場所がないと…………」

 

 あの転生者共は故郷まで焼きやがったのか……………!

 

「……………現時点で、居住区はどこまで完成している?」

 

「バーンズさんの話では、現在第四居住区まで完成しているとのことです」

 

 俺たちが使っている居住区は第一居住区である。その下にはウラルたちが使っている第二居住区があり、その下には第三居住区と第四居住区がある。宿屋よりも少しだけ広い部屋になっており、キッチンやちょっとしたシャワールームも完備という、バーンズさんが率いるドワーフの皆さんがこだわった部屋になっている。

 

 今後はさらに居住区を利用する仲間が増えることを予測し、居住区の拡張を最優先で行ってもらっている。もちろん資源も彼らに最優先で回しているため、外に出る偵察部隊の任務の中にはそういった資源の回収なども含まれているのだ。

 

「分かった。彼らに確認を取ってくれ。ここに住みたいという希望者はこちらで受け入れよう。……………円卓の騎士全員に通達してくれ」

 

「分かりましたわ」

 

 故郷が焼かれたということは、彼らには帰る場所がないということになる。行くあてがあるなら話は別だが、帰るところがないのならば、彼らは魔物が徘徊する危険な砂漠に放り出される羽目になる。

 

 故郷を焼かれた挙句そんな目に合うのは、理不尽でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回復用のヒーリング・エリクサーの配布を終え、空になった木箱を通路の脇へと積み上げていく。たいぶ傷だらけになってるけど、まだ再利用はできそうね。仮に再利用はできなくなったとしても燃料には使えそうだし、場合によっては訓練用の的にも使えるかも。

 

 そんなことを考えながら木箱を片付けた私は、息を吐きながら踵を返した。すると目の前には収容された奴隷の親子が立っていて、私の方を見つめながらニコニコ笑っていたの。

 

「ど、どうも」

 

「ありがとうございます。あなた方のおかげで救われました」

 

「い、いえ、当然のことをしたまでです」

 

 虐げられている人を救うために、このテンプル騎士団を立ち上げるというタクヤの理想に協力した。火薬の臭いと血の臭いと隣り合わせの物騒な日常だけれど……………救われたと言われると、私も救われたような気がする。

 

 きっと私を助けてくれた傭兵さんも、こんな気分だったのかな?

 

 今から14年前の燃え上がるネイリンゲンで、傷だらけになりながら助けに来てくれたタクヤの父親(傭兵さん)の姿を思い出しながら、私は微笑んだ。

 

 すると、母親と手をつないでいた小さな少女が、私の顔を見上げながらニッコリと笑ってくれた。都市は多分、あの時の私と同じく3歳くらいかしら。

 

「おねえちゃん、ありがとっ!」

 

「どういたしまして」

 

 しゃがんで彼女の頭を撫でると、目の前にあの時の傭兵さんの姿が浮かんでくる。

 

 そう、私もあの人に憧れて冒険者になった。あの人のように困っている人を助けられる英雄になりたいと思って、エイナ・ドルレアンから旅立ち、冒険者になった。

 

 彼女たちを助けることができたと思うと、その夢が叶ったわけではないけれど、ちょっとだけ指先が夢に届いたような気がする。

 

「生きてね、お嬢ちゃん」

 

「うんっ! わたしね、おおきくなったらおねえさんみたいにかっこよくなるっ!」

 

「ふふふっ。じゃあ、かっこよくなったらみんなを守ってあげてね?」

 

「はーいっ!」

 

 立ち上がってからその親子に敬礼し、私は踵を返した。

 

 通路を進み、廊下の角を曲がる前にちらりと後ろを振り返る。エリクサーを配布され、ぞろぞろと部屋の中から出ていく人々の最後尾に並んだその小さな女の子が、私の方を見ながら敬礼の真似をしている姿が見えて、私はまた微笑んだ。

 

 きっと小さい頃の私も、あんな感じだったのかもしれない。

 

 私もまた敬礼し、今度こそ通路を後にした。

 

 

 

 

 

 



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みんなで銃剣突撃の訓練をするとこうなる

 

 アサルトライフルのグリップを握り、息を呑んでからその瞬間を待つ。今ではもう戦うことにはすっかり慣れてしまったつもりだけれど、それでも戦う前の緊張感はいまだに残ったままだ。というか、この緊張感がすっかり消え去ってしまったら戦えないと思う。

 

 緊張感があるからこそ、死を恐れる。死なないように戦おうと意識し、何とかして生き残る方法を必死に探す。緊張感はそれの動力源だ。緊張感に追い立てられるからこそ、動物の本能は必死に生きようとして体を動かし続ける。

 

 1mmでもいい。いや、それ以下でもいい。少なくとも緊張感の大きさが完全な〝0”でなければ、それでいい。心のどこかや脳裏のどこかにそれがあれば、それでいい。

 

 同じように緊張する仲間(同志)たちが発する空気を感じながら、俺たちはその合図を待ち続けた。

 

 AK-12には銃剣が取り付けられているが、中にはグレネードランチャーを取り付けている兵士もいるため、邪魔にならないように銃剣を銃口の右側に取り付けている奴もいる。ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974を装備している俺も、そういう風に銃剣を取り付けている1人だ。

 

 少しずつ身体の力を抜いていると、俺たちに合図を送ることになっているイリナが片手を上げた。「突撃準備」を意味する合図だと理解した俺たちは、再び息を呑みながら全力疾走の準備をする。

 

 前世の世界の戦闘において、もう既に銃剣突撃と呼ばれる戦法は時代遅れになった。大昔の世界大戦ならばまだ通用する戦法だったけれど、それは当時の銃の命中精度が低く、なおかつ連射速度が遅かったことが原因の1つだ。けれども連射ができるアサルトライフルを装備するのが当たり前となった現代において、そんなことをすればあっという間に蜂の巣にされてしまう。

 

 だが、それは〝現代兵器同士の戦闘”での話だ。ここは異世界である。

 

 未だに接近戦が主流となっているこの世界では、むしろ銃剣は重宝する。銃を背負ってナイフやサーベルを抜いて応戦するよりも、そのまま銃剣で応戦した方が素早く対応できるからだ。モリガンの傭兵たちが確立した異世界ならではの戦術は俺たちにとっては貴重な〝前例”なのである。

 

 そして――――――――ついに、突撃する兵士たちへと合図が送り届けられる。

 

『――――――ブオォォォォォォォォォォッ!!』

 

「「「!?」」」

 

 ……………ん? 今の音は何かな?

 

 あれ? ちょっと待て、合図って確かホイッスルじゃなかったっけ? い、今の音は何だ? なんだか法螺貝の音に似てたような気がするんだけど…………。

 

 緊張感を台無しにされながら、俺は合図を送ったイリナの方を見た。確かに彼女はホイッスルではなく奇妙な形状の大きな貝殻を手にしていて、予想外の合図を送られて困惑する俺たちを見て笑っている。

 

 同じように予想を裏切られた他の兵士たちはというと…………「あ、あれ? 合図と違う………」とか、「これどうすんの? 突っ込む?」と言いながらすっかり混乱しているようだった。

 

 でも、かつてはムジャヒディンと呼ばれていた戦士たちを束ねるウラルはすぐに混乱をぶち壊すかのように、怒声にも似た大きな声で指示を出す。

 

「……………と、とっ、突撃だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「「「「「う……………УРаааааааа!!」」」」」

 

「合戦じゃあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!! ――――――――ってアホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ちょっと待てよ! 何で法螺貝!? 

 

「イリナ、その法螺貝どこで手に入れた!?」

 

「これ? 商人さんが売ってくれたんだよ。面白いでしょ? 倭国っていう東の島国で使われてた笛らしいんだけど……………」

 

「あのさ、突撃の合図はホイッスルだったろ!?」

 

「これも笛だよ?」

 

「ホイッスルでやれ! みんな混乱してるじゃないか!」

 

 見渡してみると、突撃の準備をしていたほかの兵士たちはやっぱり混乱していた。こちらを見つめながら苦笑いする兵士もいるし、「あれ笛だったんだ……………」と言いながら元の位置に戻っていく兵士もいる。

 

 まったく、実戦じゃなくてよかったよ。

 

 今やってたのは銃剣突撃の訓練だ。射撃訓練も大切だけど、弾薬が尽きたら得物は近接武器や銃剣しかなくなってしまうため、テンプル騎士団では銃剣の携帯を義務付けるようにし、それに合わせて銃剣の訓練もやるようにしている。

 

 数日前の転生者の討伐で、テンプル騎士団は40人の奴隷たちを受け入れることになった。できるならば彼らを故郷へと戻してあげたかったんだけど、その故郷はもう既に転生者たちによって焼き払われていたらしく、彼らには帰る場所がないというのである。幸いこれから人口が増えることを考慮して居住区の拡張を急ピッチで進めてもらっていたため難なく収容することができたけれど、同じ世界出身の転生者たちがそんな残虐なことをしているのが本当に嘆かわしい。

 

 その受け入れた40人の中で、新たに12人が志願兵として一緒に戦うと申し出てくれた。とはいえ彼らはムジャヒディンやゲリラたちのように戦闘経験があるわけではないらしく、故郷では畑を耕したり、家畜を飼育して生活していたという。つまり戦闘経験はゼロということだ。だから戦い方を知っているムジャヒディンたちと比べると、彼らの訓練には幾分か骨が折れる。

 

「とりあえず、次はホイッスルでやってくれ」

 

「はーい…………」

 

 まったく。ついノリツッコミやっちまったじゃねえか…………。

 

 でも、あの法螺貝には使い道がありそうだな。

 

 AK-12を担ぎ、悪だくみしながら俺も元の位置に戻ろうとしていると、タンプル搭の方から黒い制服に身を包んだ金髪の少女がやってくるのが見えた。ナタリアかと思ったけれど、いつもツインテールにしている彼女と違って普通のロングヘアーだし、前髪の右側にはドイツの鉄十字を模したヘアピンをつけている。

 

 ナタリアと比べるとほんの少し大人びた雰囲気がするから、クランかな?

 

「お疲れさま、ドラゴン(ドラッヘ)

 

「おう。どうした?」

 

「スオミ支部から通信よ。ちょっと来てくれるかしら?」

 

 スオミ支部から?

 

「分かった、すぐ行く。…………ウラル、突撃の訓練が終わったら休憩させててくれ」

 

「了解だ」

 

 訓練の指揮をウラルに任せ、俺はクランの後について行く。

 

 スオミ支部はオルトバルカ王国の北部にあるシベリスブルク山脈の近くにある、テンプル騎士団の一番最初の拠点だ。もともとそこには『スオミの里』と呼ばれる里があり、そこは先天性色素欠乏症(アルビノ)のハイエルフたちで構成されている。

 

 昔はオルトバルカの領土ではなかったんだけど、大昔に勃発したオルトバルカの侵略によって強引に併合された歴史を持つ。そのため里のハイエルフたちはオルトバルカ人のことをリュッシャと呼んで敵対視しているんだが、俺たちは彼らの里の防衛に協力したことから仲間として見てもらえている。

 

 テンプル騎士団の重要な支部だけれど、元々スオミの里の人々が得意とするのは、侵略者から拠点を守る防衛戦だ。だから攻め込んでくる敵を迎え撃つことに関しては完璧なんだけど、逆にこちらから反撃を仕掛けることになると、侵攻作戦の経験不足が足枷となって巧く機能しないという弱点がある。

 

 それにしても、どうしたんだろうか? 何かあったのか?

 

 一応スオミの里とは定期的に通信をするようにしているんだが、前の通信の時は以上はないと言っていた。相変わらずニパの奴が虎の子のコマンチで危なっかしい飛び方をするってイッルが愚痴を言っていたのを思い出した俺は、まさかまたニパがコマンチをぶっ壊したんじゃないだろうなと思いつつ、地下の中央指令室へと続く階段へと向かう。

 

 おいおい、頼むからもうコマンチをぶっ壊さないでくれよ? あの機体はかなりコストが高いんだからな?

 

 雪山での戦いで支援要請をしたことを思い出しつつ、俺は天空へと伸びる巨大な36cm砲の近くで作業をしているドワーフたちに手を振った。

 

 タンプル搭を取り囲む岩山の中から採掘された鉱石を加工し、彼らにはヘリの運用に使うヘリポートを作ってもらっている。とはいえ地上にヘリを着陸したままにしておくと、36cm砲を発射した際の衝撃波で吹っ飛ぶ可能性があるので、ヘリの格納は地上ではなく地下の格納庫にすることにしている。そのためただのヘリポートではなく、空母の格納庫から甲板へと艦載機を移動させるエレベーターのように、ヘリポートにエレベーターの機能も持たせたちょっとばかり特殊なヘリポートになっているという。

 

 地下の格納庫からヘリをヘリポートを兼ねるエレベーターへと乗せ、地上まで上げてからそのまま離着陸を行うという手順だ。こうすればヘリが砲撃の衝撃波に巻き込まれることもないし、万一空襲を受けても機体が破壊されることはない。

 

 ちなみにエレベーターや地上のハッチの動力には、数日前にモリガン・カンパニーから購入した大型のフィオナ機関を使わせてもらう予定である。社長の息子ということで結構値下げしてもらえたんだけど、それでも購入にかかった金額は金貨10枚。金貨3枚で一般的な住宅をローン無しで建てられるほどの価値があるのだから、あの動力機関1つで一般的な家がローン無しで3軒も建てられるという計算になる。

 

 ライセンス生産という手段もあるけれど、残念ながらテンプル騎士団にはフィオナ機関を生産するノウハウがない。設計図を購入したからと言ってそのまま作れるわけではないのだから、ある程度の品質の低下は覚悟しなければならない。それを考えると、尋常じゃない量の金を払ってライセンス生産するよりも、必要な分だけフィオナ機関を購入した方が賢い選択と言える。

 

「補助動力は蒸気機関かな」

 

「ああ、あのエレベーターの話?」

 

「おう。さすがに補助動力も確保しないとな」

 

 フィオナ機関の影響が大きすぎるせいで影が薄くなっているけれど、蒸気機関も重要な動力機関として普及しつつある。ちなみにこちらならドワーフたちでも生産することはできるらしいんだけど、肝心な石炭が足りないらしいので常に稼働させるわけにもいかないという。

 

 とりあえず、運用するヘリはぜひともスーパーハインドにしたいところである。

 

 スーパーハインドは、旧ソ連が開発した『Mi-24ハインド』と呼ばれる機体を南アフリカが更に改良した高性能な戦闘ヘリである。強力な対戦車ミサイルやロケットポッドをこれでもかというほど搭載できるため非常に火力が高く、更にヘリの中でも頑丈な機体なので撃墜するのは困難と言われている。まあ、さすがにミサイルを叩き込まれたらあっという間に木っ端微塵だけどね。

 

 でも、この機体にはそれだけの火力を持つ上に歩兵を兵員室に乗せ、作戦地域に降下させられるというもう1つの取り柄がある。火力で敵を圧倒しつつ、地上に歩兵を展開して敵を挟み撃ちにすることも可能というわけだ。

 

 かつてモリガンは、このスーパーハインドを本格的に運用して大きな戦果を上げた。レリエルとの戦いでは撃墜されてしまったそうだけど、それでも奴をヴリシア帝国から撃退することに貢献したという。

 

 まずスーパーハインドは運用したいところだ。あの火力と歩兵の輸送能力は本当に頼りになる。他のヘリも考えておこう。

 

 中央指令室へと続く階段を降り始めると、気温が一気に下がった。天井にある通気口から漏れ出る冷気が適度に基地の中の気温を下げているのだ。

 

 戦術区画へと入り、やたらと大きな扉を開ける。扉の向こうに待ち受けていたのはちょっとした円形の広間で、中心には大きなテーブルが置かれており、その上にはずらりと書類の山が鎮座している。ここの主人は人間ではなく書類なのかと思いきや、壁面にはびっしりと大きなモニターが埋め込まれており、そのモニターの前の座席ではヘッドセットをつけたテンプル騎士団の団員たちが、ひっきりなしに無線で偵察部隊に指示を出しつつ、部隊の状況をモニターで確認している。

 

 ここが中央指令室。俺たちの組織を人間の身体に例えるのであれば、この機械と書類だらけの殺風景な部屋こそが〝脳”だ。人間の脳のように考え、人間のように神経(情報網)を経由し、人間のように身体(他の支部)へと命令を下す。

 

 鋼鉄の身体(兵器)と、それの動力源となる血《人》。鉄血宰相と呼ばれたビスマルクの演説は的中していたというわけだ。

 

「やあ、同志」

 

「お疲れ」

 

 メンバーの自室と変わらない広さの部屋の中に、無線機と世界地図が置いてあるだけの部屋から随分と変わってしまった部屋の中で、ヘッドセットを外した木村が俺に声をかけた。シュタージの一員である木村だが、相変わらずドイツ製のガスマスクを着けたままだ。気に入ってるんだろうか?

 

「あっ、お兄ちゃん!」

 

「やあ、ノエル。頑張ってるかい?」

 

 木村が俺に声をかけたことで、どうやらノエルも俺がやってきたことに気付いたらしい。ハーフエルフの―――――――今はキメラだけど、元はハーフエルフなのだ―――――――耳をぴくぴくと動かしながら立ち上がった彼女に手を振りつつ、木村の方へと向かう。

 

 ノエルはテンプル騎士団の本隊ではなく、シュタージへの配属が決まっている。理由は彼女が受けてきた隠密行動の訓練や暗殺の技術が、シュタージという舞台裏で暗躍する部隊の矛になることを期待しているからだ。いざとなったら敵の要人を暗殺するようなことがあるかもしれないからな。

 

 けれど、まだまだ未熟なので今は研修中と言ったところか。

 

「スオミ支部からです」

 

「おう。――――――――こちらタクヤ。あ…………コルッカって言った方がいいかな? どうぞ」

 

 コルッカというのは、スオミ支部でつけてもらった俺の愛称のようなものだ。古代スオミ語では『狙い撃つ者』という意味になるらしく、優秀な狩人に送られる称号なのだという。

 

 すると、ヘッドセットの向こうから元気そうな声が返ってきた。

 

『うお!? おい、イッル! マジでコルッカの声が聞こえるぞ!?』

 

「ん? ニパ?」

 

 ニパか?

 

『ええと…………久しぶりだな。元気か?』

 

「ああ。そっちこそどうだ? 問題はないか?」

 

『ああ、相変わらずみんな元気だ。この前アールネの兄貴がでっけえ熊を仕留めてさ―――――――――』

 

『おい、ニパ! そろそろ代われ!』

 

『ちょ、ちょっと兄貴!? いや、俺まだ話し中―――――――――あああああああああ!?』

 

「ニパ!?」

 

 おい、なんだかすごい音が聞こえたけど大丈夫か!? ヘッドセット落としたんじゃないか!?

 

『あー、聞こえるか?』

 

「アールネか。元気そうだな」

 

 今度は野太い声が聞こえてきた。スオミの戦士たちを束ねる、アールネ・ユーティライネンである。

 

 前世の世界の〝冬戦争”と呼ばれる戦争で活躍した軍人の中にも同盟のフィンランドの軍人がいるんだけど、どうやらその人たちと同一人物ではないらしい。

 

『おう、あれからトレーニングを続けているうちにみんなフルオート射撃に慣れ始めてさ。そろそろこっちでもアサルトライフルの本格的な投入に踏み切りたいところなんだが、ちょっと数が少なくて困ってるんだ』

 

「ああ、了解した」

 

 スオミの里に住んでいる種族は、全員ハイエルフである。

 

 ハイエルフは様々な種族の中でも非力な部類に入る種族であり、弓矢を使った狙撃や遠距離からの魔術の攻撃で真価を発揮する。彼らに剣を持たせて突撃させるのは自殺行為でしかない。

 

 そのため、アサルトライフルのフルオート射撃では「反動が強すぎる」ということで、スオミ支部には第二次世界大戦で使われていたモシン・ナガンM28やKP/-31を配備していた。どれも信頼性の高い頑丈な武器ばかりだが、さすがに旧式の武器ばかりなので、本部で全面的に採用されているAK-12などの最新型のライフルと比べるとどうしても性能面で劣ってしまう。

 

 念のため少数だけだがAK-74と、フィンランド製アサルトライフルのRk-95を残してきた。中にはアールネのように屈強な兵士もいるし、反動に慣れてきたら全面的に装備させられるようにという配慮である。

 

 ちなみに、Rk-95はAK-47をベースにしてフィンランドで開発された最新型のアサルトライフルの1つで、多くの銃が5.45mm弾や5.56mm弾などの小口径の弾薬を採用する例が多い中では珍しく、大口径の7.62mm弾を使用している。

 

 AK-47と比べると非常に命中精度が高く、ちょっとした狙撃にも使用できるという大きな利点があり、更に信頼性も相変わらず高い。汎用性ではやはり西側のライフルと比べると劣ってしまうけれど、命中精度と信頼性という大きな利点を考えれば気にならない部分だ。

 

「Rk-95でいいか?」

 

『ああ。後で受け取りに行くから準備してもらえるか?』

 

「了解した。こっちは暑いから、厚着で来たらヤバいぞ」

 

『了解。それじゃ、また今度な』

 

「ああ。…………あ、それと来る時はサルミアッキを持ってきてもらえるか? ステラの奴が食いたがっててさ」

 

『お安いご用だ』

 

 これでステラの奴も喜んでくれるだろう。

 

 アールネとの通信を終えた俺は、ニヤニヤしながら踵を返した。指令室の扉を開けて地上へと向かおうとしていると、微かに地上から『ブオォォォォォォォォォォッ!』という法螺貝の音が聞こえてきて、俺は苦笑いしながら落胆してしまう。

 

 ああ、イリナ。法螺貝が気に入ったのか……………。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ニックネーム

 

木村「ちょっといいですか?」

 

クラン「あら、どうしたの?」

 

木村「皆さんにはニックネームがついてますよね? ケーターとか、クランって感じに」

 

坊や(ブービ)「ああ、ついてるな」

 

木村「なんで私にはそういうニックネームがないんでしょうか?」

 

シュタージ一同「……………」

 

木村「……………」

 

ケーター「…………ミスター・ガスマスクとか?」

 

クラン「ガスマスク木村」

 

坊や(ブービ)「芸名!?」

 

ケーター「うーん…………待て、ガスマスクにこだわらないで、名前の方で考えてみようぜ」

 

クラン「……………というか、もう既に『木村』が愛称になってるし…………」

 

坊や(ブービ)「木村でいいか」

 

木村「……………」

 

 完

 

 

 

 

 



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アールネたちに武器を渡すとこうなる

 

 

 熱い砂と風が舞う大空から、白とグレーの迷彩模様で塗装された巨躯がゆっくりと降下してくる。がっちりした胴体と、左右へと伸びるスタブウイング。それには増槽とロケットポッドがこれでもかというほど搭載されており、攻撃力はカスタム前と比べると爆発的に向上していることが見て取れる。

 

 機体の機首の近くには、見覚えのあるエンブレムが描かれている。下の方で交差する2枚の純白の羽根と、中央に鎮座する蒼い十字架。その十字架の斜め上には小さな赤い星が描かれている。

 

 中央指令室からの指示を受けつつ、完成したばかりのヘリポートにゆっくりと降下してきたのは、スオミの里に配備されているEH-60Cだった。電子機器を増量されたタイプのヘリだが、いざというときはそのまま歩兵の支援を行えるように武装もかなり強化されており、その火力は攻撃に特化したヘリと比べても遜色ないほどである。

 

 EH-60Cがヘリポートに降り立ち、胴体の上でひっきりなしに回転していたメインローターが徐々に回転速度を緩めていく。それが合図になったかのようにヘリポートの床が鳴動したかと思うと、EH-60Cが降り立った真っ黒なヘリポートごと、機体がタンプル搭の地下へと沈んでいった。

 

 地表に配備された36cm砲は、口径だけならば旧日本海軍で運用されていた戦艦扶桑や伊勢の主砲と同等のサイズを誇る。簡単に言えば、超弩級戦艦に搭載されていた主砲を連装型ではなく単装型にし、岩山で守られた基地の地上にずらりと並べたようなものである。そんな巨大な大砲で砲撃すれば、発射の際に生じる衝撃波は戦車砲をはるかに上回ることになるだろう。地上にヘリや装甲車を残していたのならばたちまちその衝撃波で吹っ飛ばされるかは損してしまうことは想像に難くない。

 

 だからタンプル搭では、そういった兵器は必ず地下に格納することになっている。そうすれば衝撃波から虎の子の兵器を守ることもできるし、万一敵の空襲を許してしまった場合でも、地面を容易く貫通するバンカーバスターや核兵器でも使われない限り、地下の格納庫の兵器たちは無傷だ。

 

 地下へと下がっていったヘリポートのハッチが閉じたのを確認してから、俺たちは大慌てで格納庫へと続く階段を駆け下りた。黄色いランプが点滅する薄暗い格納庫へと降りてみると、ちょうど地上から降りてきたエレベーターが地下の硬い床の上に降り立ったところらしく、格納庫の中を満たしていた警報も俺たちが階段を下り終えるとほぼ同時に鳴りやんだ。

 

 EH-60Cの側面にある兵員室のドアが勢いよく開き、中から白い制服に身を包んだ大柄な男性が姿を現す。身長は180cmを超え、鍛え上げられた筋肉を内包する肉体の重量は100kgを超えているのはすぐに分かるが、その荒々しさを彼の持つ〝色”が打ち消しているようにも思える。

 

 肌が白いのだ。ハイエルフやエルフは肌が白い傾向にあるというし、彼も種族がハイエルフのだから当たり前だと思えるが、それだけでは納得できない白さだ。肌だけでなく髪も白く、幻想的な雰囲気と荒々しい雰囲気を兼ね備える瞳は血のように紅い。

 

 スオミの里のハイエルフは、全員生まれつき先天性色素欠乏症(アルビノ)なのだ。だからあの里に住んでいるハイエルフたちはみんな肌が雪と同じくらい白いし、瞳も紅い。あの雪だらけの極寒の里ではその肌の色が見事な保護色となる。

 

 ヘリから降り立ったその巨漢は、格納庫へと降りてきたばかりの俺たちを見つけると、にやりと笑いながら片手を大きく上げた。

 

「よう、コルッカ! ハユハ! 久しぶりだなぁ!!」

 

「おう、アールネ!」

 

「ふみゅっ、久しぶりっ♪」

 

 ヘリから降りてきたのは、スオミの里の戦士たちを統率する指揮官のアールネ・ユーティライネンだった。非力な者が多いと言われるハイエルフの中では珍しく屈強な肉体を持つ猛者の1人である。

 

 彼の大きな手と握手している間に、ヘリのコクピットからもさらに2人の白いハイエルフが姿を現した。

 

 片方は笑顔を絶やさない紳士的な雰囲気を放つ少年で、もう片方は対照的に荒々しく、攻撃的な雰囲気を持つハイエルフの少年である。

 

 笑っている方がアールネの実の弟で、『無傷の撃墜王』の異名を持つエイノ・イルマリ・ユーティライネン。もう片方の攻撃的な少年が、『ついてないカタヤイネン』とも呼ばれるニルス・カタヤイネンだ。どちらもスオミの里の誇る優秀なパイロットであり、現在はスオミの里に配備されているコマンチのパイロットを担当してもらっている。

 

 どうやら操縦を担当していたのはニパではなくイッルらしい。

 

「元気そうだな、コルッカ」

 

「やあ、ニパ。大丈夫だったか?」

 

「当たり前だ。あれからコマンチには傷一つつけてねえよ」

 

 それは助かる。コマンチは優秀なステルスヘリだけど、生産に必要なポイントは9000ポイントだからな。実際のコストの高さが反映されているのかもしれないけれど、何度か能力のアップデートがあったにもかかわらず我が目を疑うポイントの量である。

 

 ちなみに、同じくヘリのアパッチの生産に必要なポイントは4300ポイント。コマンチ1機を生産するためには2機分のアパッチのポイントを消費せねばならない。だから何度も壊されてしまっては、俺の持つポイントも底をついてしまう。

 

「それはよかった」

 

「ところで、その俺たちにくれるアサルトライフルってのはどれだ?」

 

「ふみゅう、これだよっ♪」

 

 格納庫にあらかじめ用意しておいた木箱の中から、ラウラが白とグレーの迷彩模様に塗装されたアサルトライフルを取り出す。スオミの里は一年中雪が残る場所なので、このような白を基調とした迷彩模様以外は何の役にも立たない。だから生産した時にスオミの里での運用がしやすいように、このように塗装しておいたのだ。

 

 ラウラがニパに渡したのは、まるでソ連のAK-47とドイツのG3を組み合わせたような雰囲気を放つアサルトライフルだった。

 

「あ、これ里の武器庫にも少しだけあったやつだな」

 

「Rk-95だよ」

 

 Rk-95は、フィンランドで開発された7.62mm弾を使用するアサルトライフルだ。ベースになっているのはソ連のAK-47で、原型となったライフルから受け継がれてきた高い信頼性と、AK-47の欠点であった命中精度の低さを完全に克服した、優秀な命中精度を誇る。

 

 さらに大口径のライフルであるため、攻撃力ならば他のアサルトライフルを上回っているのだ。その分反動は大きくなってしまうが、スオミの里の兵士たちがフルオート射撃にも耐えられるほど腕力を鍛えたらしいので、こちらを支給することにしたのである。

 

 ライフル本体だけではなく、全員分のカスタム用のパーツも一緒に準備しておいた。ホロサイトもあるし、マークスマンライフル用のスコープや近距離用のドットサイトも準備してある。他にもバイポットやフォアグリップに加え、テンプル騎士団でも運用しているポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドなども用意してある。

 

 おかげでとんでもない量のポイントが吹っ飛んじまったけどな…………。

 

 Rk-95を拾い上げ、まじまじと見つめるニパ。隣ではイッルもニパの拾い上げたライフルを覗き込み、「あ、これ僕も撃ったことあるやつだ」と小さな声で言っている。

 

「ああ、それとこれ準備しておいたぞ」

 

「ん?」

 

 アサルトライフルだけを最新型の物に更新しても、スオミの里に配備されている歩兵用の装備のほとんどが第二次世界大戦で活躍していたような旧式の物ばかりである。だからアサルトライフルだけ更新したとしても、スナイパーライフルはいまだに旧式のモシン・ナガンということになってしまうことも考えられる。

 

 使い慣れた得物もいいけれど、強力な敵に対処するためにはより強力な武器でなければ。

 

 というわけで、さすがに人数分ではないけれども、スナイパーライフルとサイドアーム用のハンドガンも用意しておいた。ハンドガンはテンプル騎士団本部でも正式採用されているロシア製のPL-14だけど、スナイパーライフルはフィンランド製の物である。

 

 木箱の中から取り出したのは―――――――『TRG-41』というフィンランド製のボルトアクション式スナイパーライフルであった。

 

 このライフルには使用する弾薬が異なるバリエーションがあるが、このTRG-41は命中精度を重視した.338ラプア・マグナム弾を使用する。スナイパーライフル用の弾薬の代名詞ともいえるこの弾薬とライフル自体の命中精度があれば、まさに百発百中になるに違いない。

 

「そっちは?」

 

「スナイパーライフルだ。ボルトアクション式だな」

 

「ああ、ボルトハンドルを引っ張るやつか」

 

 異なる部分はあるけれど、スオミの里でも運用しているモシン・ナガンM28と同じくボルトアクション式なのだからすぐに慣れてくれることだろう。可能な限り早く使い慣れてくれるようにと、狙撃をサポートするためのバイポットや標的までの距離を測定するレンジファインダーに加え、自分で書いた使い方のマニュアルも用意してある。

 

 アールネが大きな手でライフルを拾い上げ、スコープを覗き込む。レンジファインダーを確認し、バイポットを試しに展開した彼は、俺が書いたマニュアルを見て苦笑いした。

 

「…………おいおい、わざわざスオミ語で書いてくれたのか」

 

「頑張って調べた」

 

 マニュアルに記載されている文章は、多くの国で公用語とされているオルトバルカ語ではなく、スオミの里に住む人々の母語であるスオミ語で書いてある。オルトバルカ語を使わなかった理由は、スオミの里はオルトバルカを敵対視しているハイエルフたちの集まりであるため、オルトバルカ語を喋ることはできるけれどもあくまでも公用語はスオミ語ということになっている。特に若い戦士はオルトバルカ語が分からないらしいので、彼らにも分かりやすいようにと頑張ってスオミ語でマニュアルを書いたのだ。

 

 多分、かなり間違ってると思うけど。…………ちゃんと伝わるかな?

 

「……………なるほど、弾薬はモシン・ナガンM28とは違う弾薬か……………。ら、ラプア……マグナムって読むのか?」

 

「ああ、.338ラプア・マグナム弾だよ」

 

「ありがとよ。……………それにしても、コルッカって器用だなぁ」

 

「そりゃどうも」

 

「あ、そうだ。お前に言われた通りに、大量のサルミアッキを持ってきてやったぜ」

 

「わお」

 

 そう言いながらEH-60Cの兵員室の方へと向かったニパが、中からやたらと大きな袋を取り出した。ヘリとはそれなりに離れているつもりなんだが、もう既に微かにアンモニアの香りがする……………。

 

 こちらの世界では、サルミアッキはスオミの里の名物らしい。前にスオミの里を訪れた時にステラがすっかり気に入ってしまったらしく、旅立つ際には『里のサルミアッキをすべて買い占めましょう!』とよだれを垂らしながら俺に要求するほどだ。あの時よりも大量のサルミアッキを持ってきてくれたみたいだけど、彼らはステラの食欲を甘く見ているらしい。

 

 ステラの食欲はな……………む、無限なんだよ……………。

 

 サキュバスは魔力を吸収しなければ生きていけない存在だ。一応普通の食べ物も口にできるらしいんだけど、魔力を吸収しない限り空腹感が永遠に消えないというかなり特殊な体質であるため、食べ物を山ほど彼女に振る舞ったとしても「お腹が空きました」と言いかねない。

 

 だからあのサルミアッキを完食するのは時間の問題だろう。最悪の場合、今日中に食いつくしてしまう可能性がある。

 

「ありがとよ」

 

「どういたしまして」

 

 サルミアッキを凄まじい勢いで口へと放り込むステラの姿を想像しながら、俺はもう一度アールネと握手をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武器を受け取ったアールネたちを乗せたEH-60Cが、タンプル搭のヘリポートから飛び立っていく。天空へと向けられた巨大な砲身の間をすり抜けたヘリは、砂を含んだ熱風に包まれながら高度を上げ、灼熱の大地から極寒の山脈へと向けて飛び去っていく。

 

 彼らに渡した装備が助けになってくれますようにと祈る俺とラウラの後ろでは、遠ざかっていくヘリのメインローターの音を追いやるように、ボリボリと飴を噛み砕く音が響いていた。

 

 ちらりと後ろを見ると、やはり銀髪の幼い姿をしたサキュバスの少女が、アールネたちの持ってきてくれた袋の中に小さな手を突っ込み、一心不乱に中に入っているサルミアッキを掴み取って咀嚼しているところだった。大きな袋はまだ膨らんでいるけれども、あれの中身が空になるのは時間の問題だろう。

 

 ステラの食欲を舐めてはいけない。下手したらこの世界のあらゆる食べ物を食いつくし、世界中で食糧が不足することになるかもしれないレベルだ。……………ありえないと思いたいところだが、彼女の体質を考えるとありえないとは言えない。

 

「やっぱり、サルミアッキは美味しいです♪」

 

「よ、よかったな」

 

 頬を膨らませながら幸せそうにサルミアッキを噛み砕くステラ。彼女の笑顔を見ながら苦笑いした俺は、ふと懐中時計を取り出して時刻を確認する。

 

「――――――――あ、そろそろ買い物に行かないと」

 

 厨房でいつも調理している調理員から買い物を頼まれていたのだ。野菜が足りなくなってしまったらしいので、ガルガディーブルまで行って購入してこなければならない。

 

 商人がこの近くを通るのは不定期的だし、中には高値で販売する商人もいるからかかる費用がばらばらになってしまうのだ。だから食材を購入する時は、できる限り価格が安定している街の露店の方が望ましい。

 

「ふにゅ? お姉ちゃんもついて行く?」

 

「うーん……………いや、1人で大丈夫だ。それにラウラは訓練があるだろ?」

 

 ラウラには、狙撃手の育成をお願いしている。アサルトライフルを装備した歩兵が主役だが、やはり彼らを支援する狙撃手は必要な存在だ。場合によっては単独や少数で敵の拠点の近くまで潜入して偵察してもらう必要もあるし、場合によっては敵の要人の暗殺も必要になることがある。

 

 彼女の場合は特異な体質で成り立っている部分が多いけれど、だからと言ってノウハウが全く役に立たないわけではない。だからラウラには狙撃手の訓練を担当してもらっているのである。

 

 もう既に彼女の教え子は魔物の討伐でも戦果をあげつつあるという。この調子で成長していけば、ラウラに匹敵するスナイパーが何人も誕生するに違いない。

 

「ふにゅー……………心配だよぉ」

 

「大丈夫だって。俺ももう18歳だぜ?」

 

「だ、だって……………またさらわれちゃったら大変だよ」

 

 さらわれねえよ。というかそれ、小さい頃の話だろうが。

 

「すぐ帰ってくるからさ」

 

「ふにゅ……………約束だよ?」

 

「おう」

 

 心配するラウラを抱きしめ、彼女の唇を奪う。いつものように舌を絡ませてから舌を放し、彼女の頭を優しく撫でる。

 

 確かに、お姉ちゃんに心配をかけるのはよくない。早めに帰ってこよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お気に入りのKMZドニエプルで砂漠を突っ走り、ガルガディーブルへと到着した俺は、街の外でバイクを装備しているものの中から解除すると、門の入り口で警備をしている騎士に冒険者のバッジを提示してから門をくぐった。

 

 1人きりで買い物にやってくるのは何年ぶりだろうか。今まではずっとラウラと一緒だったし――――――――と思ったけれど、そういえば21年前にタイムスリップした時も1人で買い物に行った。しかも買っていったのはラウラの誕生日プレゼントだ。

 

 彼女はあれから、あの時プレゼントしたリボンを大切にしてくれている。髪を下ろしているときも常に持ち歩いているらしいし、寝るときも常に枕元に置いている。

 

 それほど大切にしてもらえると、プレゼントを贈った俺としては非常に嬉しい。

 

 ニヤニヤしながら歩く俺だったけど、腰に下げているホルスターから伸びるやたらと太いグリップに手がぶつかった瞬間、いつもの緊張感が少しだけ蘇った。

 

 さすがに丸腰で買い物をするのも危険だ。ここはもう、前世の日本のように治安のいい場所ではないのである。だから護身用に武器を持ち歩くのも珍しい事ではない。

 

 というわけで、腰には護身用に2丁のリボルバーを下げている。とはいえ〝護身用”に持ち歩くには、いささか過剰すぎる火力を持つ逸品だ。

 

 護身用に持ってきたのは、アメリカ製リボルバーの『S&WM500』と呼ばれる大口径のリボルバーである。従来のリボルバーで使用される.44マグナム弾よりもさらに獰猛な破壊力を持つ、大口径の.500S&W弾をぶっ放す破壊力を重視したリボルバーで、一部の銃を除けば『世界最強の拳銃』とも呼ばれる。

 

 俺が生産したのは、『ハンターモデル』と呼ばれる10.5インチの銃身のタイプだ。銃身が従来のリボルバーやハンドガンよりも長いためホルスターも専用の物に変更したほか、中距離狙撃にも対応できるようにモシン・ナガンに使用されるソ連製のPEスコープを装備している。あとは反動を軽減するために銃口にはコンペンセイターを装備し、銃身の下にはがっちりしたバイポットを装備している。

 

 リボルバーにバイポットを装備するのは考えられないことかもしれないが、実際にフランスの『GIGN』という特殊部隊では、スコープとバイポットを装着した『マニューリンMR73』というリボルバーを狙撃に使用している。

 

 あとは上着の内ポケットの中に、これの銃身を4インチにしたタイプを1丁だけ隠し持っている。

 

 ちなみにリボルバーの平均的な弾数は6発になっているが、このS&WM500は5発となっている。弾数が少ないので注意しなければならない。

 

 さて、野菜を早いうちに買って帰ろう。ラウラに心配をかけるわけにはいかないし。

 

「あれ? タクヤ君?」

 

「……………?」

 

 通りにある野菜を売っている露店へと向かおうとした、その時だった。

 

 後ろの方から声をかけられたかと思うと、いきなり左手を柔らかい手に掴まれたのである。聞き覚えのある声だと思いながら後ろを振り返ると―――――――――やっぱり、そこに彼女がいた。

 

「奇遇だね! お買い物?」

 

「あ、ああ」

 

 俺のお姉ちゃんをヤンデレにした元凶(レナ)と、こんなところでまた会う羽目になってしまった――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 



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買い物から戻るとこうなる

 

 

 かつて、ラウラは元気いっぱいのごく普通の女の子だった。殆ど毎日一緒にいるのが当たり前で、ご飯を食べたり、風呂に入ったり、一緒に寝るのは当たり前だった。

 

 それだけならば甘えん坊のお姉ちゃんとして育っていたに違いない。けれどもそんなラウラにヤンデレという厄介な要素を追加したのは―――――――――俺の目の前にいる、レナという1人の少女である。

 

 ラウラがヤンデレになっちゃったのは、幼少の頃に公園で遊んでいた際、いきなりレナが俺に抱き着いてきたことに端を発する。それまではラウラだけの弟だった俺が彼女に取られてしまうかもしれないという危機感が彼女を変えてしまったのだろうか。

 

 きっとラウラは、1人になるのが怖かったのだ。幼少の頃に男たちに連れ去られ、何もできない無力感と絶望を味わった彼女は、俺が一緒にいるということを支えに恐怖に耐え続けていた。あの誘拐事件は俺が道案内代わりに道にばらまいた.44マグナム弾の空の薬莢を頼りに駆けつけてくれた親父たちによってあの事件は解決したけれど、あの事件が原因で彼女は俺に依存するようになってしまっていた。

 

 そんな状態の彼女の目の前で俺がレナに抱き着かれているのを目の当たりにした彼女は、きっとかなりの危機感を感じたのだろう。このままでは、自分の大切な弟がほかの女に奪われてしまう、と。

 

 俺だって成長すれば彼女を作るかもしれない。だからラウラとはいつまでも一緒にはいられない。彼女だって、それを察していた筈だ。察していながら、彼女はそれを拒もうとしていた。

 

 彼女は追い詰められたからヤンデレになってしまったのかもしれない。

 

「へえ、まだこの街にいたんだ! あ、もしかして近くのダンジョンの調査中?」

 

「いや、ちょっと用事があってさ」

 

 近くに拠点があるという話はさすがに言えない。こいつに話したら、拠点まで勝手にやってきそうな感じがする。こちらの秘密を口外しないという条件を呑んでくれるなら問題はないんだけど、問題はそんなことをすればラウラが確実にブチギレするということだろう。下手をすれば殺してしまいかねない。

 

 とりあえず適当に誤魔化してさっさと別れよう。まだ食材すら購入できていないし、このまま一緒にいたら帰った後にラウラに問い詰められちまうかもしれない。うん、下手したら確実に部屋に監禁されるので、それを防ぐためにも早めに別れる方が得策だ。

 

「悪い、そろそろ買い物に行かないと」

 

「あっ、買い物? じゃあ一緒に行かない?」

 

 ……………すいません、それだけは止めてください。

 

 あのさ、お前は俺を殺したいの? というかお姉ちゃんに殺されろってこと? 

 

 レナが幼少の頃に俺に抱き着いてから、俺は外で遊ぶことはあまりなくなった。というか、お姉ちゃんが家の外に出してくれなかった。外に出ようとすると「行っちゃダメ」ってとても幼女とは思えないほど冷たい声で止められたし、どこかに行こうとすると必ず問い詰められた。凄まじい場合は一緒についてきたこともある。

 

 ちょっとした監禁状態だったんだ。それがエスカレートした今の状態で監禁されたらどうなると思う? 下手したら一生部屋から出してもらえないかもしれないし、そのままナイフで刺されて殺されるかも……………。

 

 くそ、俺はクーデレ派なのに……………。

 

 というか、ラウラという強力なヤンデレがいる時点でハーレム作るの無理じゃない?

 

「ごめん、急いでるんだ」

 

「えー!? いいじゃん、邪魔しないから!」

 

 いや、死にたくないので別れさせてくださいよ!

 

 どうする? 強引に逃げてしまった方がいいか? レナは身軽そうだけど、小さい頃から壁をよじ登ったり、木の上を飛び回る訓練を受けていた俺たちの方がそういった身体能力では明らかに上だ。彼女には悪いけれど、俺も死にたくないし、彼女だって死にたくない筈だ。その方がベストなのではないだろうか。

 

 困っている間に、いつの間にかレナがすぐ近くに来ていた。握っていた俺の手に力を込め、じっと俺の顔を見上げている。

 

「ねえ、お願い」

 

「うー……………」

 

 ま、マジかよ……………。

 

 というか、結構しつこいぞこいつ。下手したら断り続けていればずっとついてくるんじゃないだろうか? 今の時点でも手をぎゅっと握って離す気配がないし。

 

 うーん…………強引に振りほどいて問題にするよりも、さっさと帰った方が得策だな。ラウラには正直に言うしかないか。

 

「わ、分かった。でも急いでるから早めに済ませるぞ?」

 

「うん、ありがとっ! ふふふっ、タクヤ君って小さい時から優しいよね♪」

 

 いや、俺はお前に優しくした覚えはない。仮にそんな事実があったとしても、きっとそれは猫をかぶっていただけだろう。なぜならばその時点でも中身は幼児のふりをした17歳の男子高校生なのだから。

 

 しつこいレナを連れて通りを速足で進み、野菜を売っている露店を探す。確か足りない野菜はトウモロコシとジャガイモだったっけ。どちらもシルヴィアや一部の非戦闘員のみんなが栽培を手伝ってくれているけれど、まだタンプル搭の団員全員に行き渡るほどの量でもないんだよな。収穫できる量が人数に追いついていないから、どうしてもこうして街で購入して補うしかない。

 

「ねえねえ、何買いに来たの? お肉? 野菜?」

 

「野菜だ」

 

「へえ。今日の夕飯に使うの?」

 

「ああ」

 

 さて、露店はどこだ? いろんなものを売ってるけど、野菜はこの辺では売ってないみたいだな。場所が変わったのか?

 

 買い物客や巡回中の騎士たちにぶつからないように気を付けながらすいすい進んでいく俺だけど、レナの奴はちらちらと周囲を見ながら歩いているから通行人たちにぶつからないか心配だ。と思ったら、もう既に当たってるじゃないか…………。

 

 睨んできた通行人に頭を下げつつ、レナの手を強めに引いてさっさと進んでいく。キョロキョロしてないでさっさと歩けという意味で強く引っ張ったんだが、レナの奴は何かを勘違いしたらしく、何故か顔を赤くしている。

 

 ちょ、ちょっと、マジでやめて。こんな光景をラウラ委見られたらアンチマテリアルライフルでヘッドショットされちゃう。もしくはキメラのハンバーグにされちゃう。

 

「なんだか、タクヤ君って小さい時よりも女の子っぽくなったよね」

 

「そうか?」

 

「うん。だってそのリボン、女の子用でしょ?」

 

「ああ、誕生日にお姉ちゃんがくれた」

 

 ラウラがあのリボンを大切にしてくれているように、俺もこのリボンを大切にしている。前まではごく普通の髪留めを使っていたんだけれど今ではすっかりこっちのリボンを使うようにしているし、シャワーを浴びるときや寝る時以外は常につけるようにしている。おかげでポニーテールとこのリボンがすっかりトレードマークになってしまい、女子っぽい容姿にさらに拍車がかかってしまった。

 

 でも、これは俺にとって大切なお守りのようなものだ。偶然なのか、彼女にあげたリボンの色違いで、色以外のデザインは全く同じだ。前世の世界では姉弟がいなかったからよく分からなかったけれど、姉弟でおそろいの何かを身に着けるのも悪くない。

 

 片手でリボンに触れながらいつの間にかニヤニヤと笑っていたことに気付いた俺は、息を吐いてから露店探しを続けた。

 

「お姉ちゃんって、ラウラ?」

 

 自慢げにラウラから貰ったリボンの話をした直後、レナの声があからさまに不機嫌そうになったのに気付いた。先ほどまでは幼少の頃に一緒に遊んだ友人と楽しそうに話していた彼女だったんだけど、お姉ちゃんと言った瞬間からまるで憎たらしい敵の話をするかのように、レナの声にほんの少しだけ殺意が混ざり始める。

 

 ん? レナとラウラってこんなに仲悪かったっけ? 確かにラウラはレナのことを嫌っているけれど、レナはその敵意に気付いていない筈だぞ?

 

「そうだけど?」

 

「……………タクヤ君、真面目な話だけど………いつまでもお姉ちゃんに甘えてるのはよくないと思うよ?」

 

「え?」

 

「タクヤ君は男の子なんだし、冒険者になったんでしょ? だったらいつまでもお姉ちゃんに甘えてないで、自立するべきだと思うよ?」

 

 大きなお世話だ。

 

 第一、小さい頃から甘えん坊のお姉ちゃんの世話をしてきたシスコンの弟に「姉から自立しろ」というのはかなり無理な話である。しかもその姉がヤンデレなのだから、姉の目の前でそろそろ自立すると宣言すれば監禁されかねない。

 

 レナ、お前は俺に自爆しろと言っているのか?

 

 それにラウラはまだまだ不器用だし、俺が一緒にいないといけない。今更離れたら彼女がどうなってしまうかは想像できないけど、彼女のためにならないのは確かだ。

 

 だから俺は――――――――ラウラと一緒にいると誓った。彼女と一緒に旅をして、彼女を守ると。

 

 それゆえに否定は許されない。彼女を否定するくらいなら、今すぐ.500S&W弾で自分の頭をぶち抜いた方がマシである。

 

 ラウラのことを否定したくなかったから、俺は何も答えなかった。長い銃身のリボルバーを腰のホルスターに収めながら黙々と歩き続ける。するとレナは返事が返ってこなかったのが面白くなかったのか、更に不機嫌そうな声で話をつづけた。

 

「ねえ、聞いてる? タクヤ君もいつか彼女を作るかもしれないんだし、今のうちにお姉ちゃんから離れておいた方がタクヤ君のためになるんだよ?」

 

 うるさい、黙れ。

 

 お前に何が分かる? 確かに普通の姉弟ならそうするべきなのかもしれないけど、俺たちは違うんだ。一緒に冒険者になるって約束したし、ずっと一緒にいるって約束した。それに俺はラウラを守るって誓ったんだ。彼女から離れるということは、その約束や誓いをすべて破るということだ。

 

 そんなことはできない。だから、もうそんなことは語るな……………!

 

「大体、もう18歳になったのにまだお姉ちゃんに甘えるなんて――――――――」

 

 もしそれ以上彼女の言葉を聞いていたら、俺は激高していたことだろう。だけどここで激高してはいけないと言わんばかりに野菜を売っている露店が買い物客の群れの向こうにちらりと見えて、顔を出し始めていた怒りを強引に奥へと引っ込めてくれた。

 

 露店を見つけた俺は、勝手に説教を始めたレナの手を引きながらその露店へと一直線に向かっていた。俺に手を引かれながらレナ何かまだ言っているようだったけど、もう俺の耳には買い物客の声しか聞こえてこない。

 

 ニンジンを購入した前の客の後ろに並んだ俺は、片手で財布をポケットの中から取り出しつつ店の前へと躍り出た。

 

「いらっしゃい! お嬢ちゃん、何にする?」

 

「ええと、ジャガイモ2袋とトウモロコシを4袋ください」

 

「はいよ! ええと、銅貨8枚な!」

 

 銅貨8枚で済むのはいいな。この露店は比較的安価な野菜を売っているらしい。見たところ品質も悪いわけではなさそうだし、これからは野菜が足りなくなったらこの露店を利用させてもらおうかな。

 

 財布から銅貨を8枚取り出し、露店の店主に渡す。椅子に腰を下ろしながら笑っていたハーフエルフの店主はがっちりした手でジャガイモとトウモロコシの入った大きな袋を持ち上げると、持ちやすいように紐をつけてから俺に渡してくれた。

 

「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

 

「ええ、大丈夫です。こう見えても鍛えてるんですよ」

 

 鍛えるためのトレーニングが尋常じゃなかったけどね。親父が言うにはアメリカ軍のネイビー・シールズの訓練をアレンジしたものらしく、一緒にやってた親父たちも息が上がっていたのを覚えている。

 

 おかげでスタミナは平均的な冒険者をはるかに上回るレベルになったし、身体能力も転生者のステータスに頼らなくても十分戦えるほどになった。

 

 代金を支払い、野菜の入った大きな袋をいくつも受け取った俺は、いったんレナに手を放してもらってから袋を担ぎ、街の門を目指して歩き始めた。とりあえずこれで俺の買い物は終わりだ。とっととタンプル搭に戻ってこれを厨房の団員たちに渡し、シャワーを浴びるとしよう。

 

 来た時と同じように通行人にぶつからないように気を付けながら通りを進み、騎士たちが警備する門の前まで進んでいく。街に入ったときにバッジを提示した騎士に微笑みながら頭を下げ、門から離れていく。

 

 もう日が緩やかに沈み始めていた。薄暗くなったわけじゃないけど、急がないとラウラが不機嫌になってしまう。早く帰るって約束したからな。

 

 門から離れ、街の門の外に立つ木の陰へと差し掛かった俺は、そろそろレナと別れるために後ろを振り向いた。再会した時は微笑んでいた彼女はやはりラウラの話になった瞬間に機嫌を悪くしてしまったようで、不機嫌そうな顔をしながら俺の後をついてくる。

 

「そろそろ別れようぜ」

 

「うん、そうだね」

 

 やれやれ、これで帰れる。

 

 レナが離れたタイミングでドニエプルを出して荷物を詰め込もうと思った瞬間、顔を上げたレナが俺に向かって手を伸ばしてきた。ラウラと同じくらい白い腕が俺の首に絡みついたかと思うと、そのまま自分の身体を俺に引き寄せ―――――――小さな唇で、俺の唇を奪いやがった。

 

「―――――――!」

 

「んっ……………」

 

 おいおい、何やってんの!?

 

「……………ねえ、考え直してよ」

 

「え?」

 

「ラウラの話。……………いつまでも甘えてちゃダメだよ?」

 

「……………」

 

「―――――――じゃあね、タクヤ君っ! また会おうね!」

 

 不機嫌そうな表情を一瞬で消し、出会った時のような笑顔を浮かべて踵を返すレナ。手を振りながら去っていく彼女に手を振りつつ、俺は気づかれないように上着の袖で唇を拭った。

 

 なんだか、嫌なキスだった。本当に愛している人とのキスには何も抵抗を感じないし、ずっとそうしていたいと思えるほど愛おしいのに――――――――何なんだ、今のキスは。

 

 まるで汚らわしい汚物を唇にべっとりと塗られたように不快なキスだった。別に好きでもない赤の他人と強引にキスをすると、あんな感じがするのだろうか。あんなに汚らわしくて、不快なものになってしまうのだろうか。

 

 嫌だ。

 

 早く帰ってシャワーを浴びよう。そうすればまだ唇にへばりついているこの嫌な感覚が消えるかもしれない。

 

 吐き気を感じてしまった俺は、それに何とか耐えながらバイクを出すと、サイドカーの中に購入した野菜の袋を素早く詰め込み、タンプル搭を目指して走り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように無線で指令室へ連絡し、検問所で団員に確認を取ってもらってからゲートの奥へと進んでいく。2つ目の検問所を通り抜けて格納庫へと降り、お気に入りのKMZドニエプルを他のバイクの隣に停車させると、サイドカーから野菜の袋を下ろして厨房へと向かう。

 

 すれ違った団員たちと挨拶しつつ、厨房の奥で調理器具の準備をしていた調理師に野菜の袋を預ける。彼らに「じゃあ、後は頼むぜ」と言って調理を任せた俺は、まだ唇にへばりついている不快な感覚を感じながら自室へと急いだ。

 

 早く洗い落とさないと。

 

 汚れてしまう。

 

 この不快な感覚で、おかしくなってしまう。

 

 第一居住区にある自室のドアを念のためノックすると、ドアの向こうから誰かが立ち上がる音が聞こえてきた。ラウラが出迎えてくれるのだろうと思いながらドアを開けると、やはりドアの向こうには見慣れた赤毛の少女が微笑みながら立っていた。

 

「ふにゅう、おかえりっ♪」

 

「ああ、ただいま」

 

 部屋の中に入り、上着を壁にかけてからソファに腰を下ろす。紅いネクタイも取ろうとしていると、スキップしながら隣へとやってきたラウラが俺の隣に腰を下ろし、そのまま身体にしがみつき始めた。

 

 いつものように頬ずりを始めるラウラ。彼女の甘えている顔を見ると、唇の嫌な感覚が段々と薄れていくような気がした。

 

 ああ、俺はもう完全にシスコンになっちまった…………。

 

 その時、ラウラがぴたりと頬ずりをやめた。いつもなら自分が満足するまでずっと続けている筈なのに、今日はなんだか違う。

 

「――――――――ラウラ? …………うわっ」

 

 いきなりラウラに突き飛ばされ、そのまま俺はソファの上に押し倒されてしまう。びっくりしながら起き上がろうとしたんだけど、隣にいたラウラは俺を逃がすつもりはないらしく、そのまま上にのしかかると急に柔らかそうな唇から舌を伸ばし、慎重に俺の首筋や手を舐め始めた。

 

 段々と彼女の表情が無表情に変わっていき、鮮血のように紅い瞳が虚ろになっていく。彼女のその表情を見た瞬間、俺はどうして突き飛ばされたのかを理解した。

 

 ラウラは俺がレナと出会ったことに気付いたのだ。

 

「……………嫌な味がする」

 

「え?」

 

「こんなの、タクヤの味じゃない。……………臭いも嫌な臭いがする。生ゴミよりも酷い……………」

 

 いつものような幼い口調ではない。大人びてる上に抑揚のない、今の彼女の瞳のように虚ろな声。このままその声を聴き続けていたら身体が凍り付いてしまいそうなほど冷たい雰囲気を伴った声が、容赦なく俺をぞくりとさせる。

 

「ねえ、もしかして――――――――あの女(レナ)と会った?」

 

 嘘をつくわけにはいかない。反射的にそう思い、俺は首を縦に振る。

 

「そうなんだ……………。やっぱり、あの女は嫌な奴。私の大切なタクヤにこんな酷い臭いをつけるなんて……………」

 

 無表情のラウラの顔がゆっくりと近づいてくる。彼女は俺の匂いをすぐ近くで嗅ぎ始めると、5秒足らずで顔をしかめた。

 

 あの時のレナと同じだ。本当に嫌っている憎たらしい敵を認識したかのような敵意を剥き出しにした表情。いや、ラウラの場合はより強烈な〝殺意”というべきだろうか。

 

「やっぱり、タクヤの匂いじゃない。……………やっぱり、お姉ちゃんも一緒に行けばよかったのかな? それともタクヤがあの女に汚されないように、ずーっとこの部屋の中に閉じ込めておけばよかったのかな?」

 

 優しく頭を撫でたラウラは、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。そしてそのまま自分の唇を俺の唇へと押し付け、いつもよりも長めに舌を絡ませ合う。

 

 やっぱり、レナにキスされた時の感覚と全然違う。本当に愛している相手とキスする感覚は、もっと優しくて心地良い。ずっとこうして抱き合いながら唇を奪い合っていたいと思ってしまうほど愛おしい感覚がする。

 

 気が付くと、俺もラウラのことを思い切り抱きしめていた。甘えん坊なのはラウラの方だと思っていたけど、もしかすると俺も甘えん坊なのかもしれない。

 

 静かに唇を放した彼女は、虚ろな瞳のまま微笑んだ。

 

「ふふふふっ。……………………あの女の痕跡は、全部消さないとね」

 

 そう言いながら、自分の上着のボタンを外していく。真っ黒なテンプル騎士団の上着を脱ぎ捨て、同じようにミニスカートまで脱ぎ捨てた彼女は、更に白いワイシャツのボタンもゆっくりと外しながら囁いた。

 

「――――――――安心して。あの女の臭いは、お姉ちゃんが全部消してあげる」

 

 

 

 



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レナとラウラ

 

 

 隣で眠る可愛い弟から、あの嫌な臭いが消えた。

 

 いつもの甘い香りがする。石鹸と花の香りを足したような、小さい頃から嗅ぎ慣れている甘い匂い。不順で汚らわしいものが一切混じっていない純粋な匂いに戻せたことに満足しながら、私は隣でベッドに手足を縛られた状態で眠るタクヤの頭を優しく撫でた。

 

 寝ている間に手足を縛っておいたんだけど、起きたらびっくりするかな? 申し訳ないけど、こうしないとダメなの。大切なタクヤがこれ以上汚れないようにするためには、こうして逃げられないようにしておかないと。

 

 最初は手足を切り落としてしまおうと思ったんだけど、そうしたら出血で死んじゃうかもしれないし、私の可愛いタクヤが痛がっちゃうからね。そんなことをしたらタクヤが可哀そうだから手足を縛ることにしたんだけど、許してくれるかな?

 

「………………」

 

 タクヤの蒼い髪はとてもさらさらしている。小さい頃から私はこうやってタクヤに抱き着いて、髪の匂いを嗅ぎながら眠っていた。幼少の頃のことを思い出しながら、眠っているタクヤの頬にそっとキスをする。

 

 もうあの女(レナ)の臭いはしない。私の匂いでたくさん上書きしたから、もうあんな女の臭いはしないと思う。

 

 私はタクヤのためなら何でもする。だからあの子が何かを望むならば、私にできる事ならば全力で手伝うようにしている。けれど、もしタクヤがレナちゃんを望むようなことがあるならば、私はそれを全力で止める。

 

 だって、あんなの(あの子)はタクヤのためにならないもん。あんな女と一緒にいたら、私の大切なタクヤが一緒に腐っちゃう。あれは確実にタクヤのためにならない。タクヤの近くにいるだけで、私の可愛い弟がダメになってしまう。

 

 だから、あの女(レナ)にだけは絶対にタクヤは渡さない。あんな自分勝手でいろんな男と一緒にいるような女には、絶対に渡してたまるか。

 

「………………壊した方がいいのかな」

 

 昨日、タクヤは買い物に行ったときにレナと遭遇してしまったんだと思う。夜中にタクヤを襲いながら問い詰めてみたんだけど、タクヤから会いに行ったわけではないというのはよく分かった。タクヤは私や他の仲間をとても大事にしてくれる優しい子だし、最初にレナと会った時も嫌そうな顔をしていたから、自分から会いに行ったとは考えられないよね。

 

 ということは、偶然買い物の最中に遭遇してしまった可能性が高い。それかレナが狙ってタクヤに接近した可能性もある。

 

 あいつ、まだガルガディーブルにいるのかな? あの街にはこれからもタクヤが出かけると思うから、あの街に居座られると本当に厄介。隙を見てタクヤに近づいてくるかもしれないし、タクヤを奪うつもりなのかもしれない。

 

「――――――――渡さない」

 

 絶対に渡さない。

 

 この子は、私の大切な弟なんだから。

 

 あの女はタクヤにとって病原菌でしかない。放っておいたらタクヤが病気になっちゃう。

 

 病原菌はちゃんと〝駆除”しないとね………………。

 

 うん。もう―――――――――駆除しちゃおう。

 

 だって、タクヤの手からもあの女の嫌な臭いがしたんだよ? それに唇からはもっと嫌な臭いがしたし、タクヤに「お姉ちゃんに甘えるのはよくない」って説教したんだって。

 

 タクヤを奪うつもりなのかな? そうやって自分の臭いでタクヤを汚して、タクヤを私から切り離すつもりなのかな?

 

 本当に病原菌みたいな女。本格的に駆除しないと、タクヤが本当に汚れちゃう。

 

 消さないとね。あの女がいなければ、タクヤが汚れることはないし。

 

「ふふふっ………………タクヤっ♪」

 

 もう一度頬にキスをしてから、静かに顔を離す。

 

「待っててね。お姉ちゃんが病原菌を駆除してあげる」

 

 そうすれば、タクヤのためにもなる。

 

 ニッコリと微笑んだ私は、もう一度タクヤに抱き着きながら眠ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きた時に手足が動かない感覚には、もう慣れてしまった。というか、昨日の夜にあんなことがあった時点で、次の日の朝には手足をベッドに縛り付けられているんじゃないだろうかと推測はしてたんだけど、やっぱり的中しちゃったよ。

 

 瞼をこすることもできないまま、そっと顔を上げて両手と両足を確認する。やっぱり男子にしては華奢に見える俺の手足はロープでベッドに縛り付けられていて、俺の身体の上にはこんなことをやってくれた張本人が、下着の上にワイシャツを羽織った状態でのしかかりながらすやすやと眠っている。

 

 目が虚ろになった時の彼女は怖いけれど、こうやって眠っている姉の寝顔は小さい頃から全然変わんない。いくら成長して大人びても、寝顔というのはそんなに変わらないものなんだろうか。俺だって小さい頃から彼女とずっと一緒にいたのだから、幼少の頃の彼女の寝顔はちゃんと覚えている。

 

 それにしても、この縛られてる手足を何とかしたいものだ。俺の筋力なら強引に引き千切って逃げられるんだけど、そんなことしたらラウラに怒られるかもしれないし、下手をすれば今度こそ殺されるかもしれない。

 

 とりあえずこのまま大人しくしていよう。ラウラだって俺をずっと監禁するつもりはない筈だ。

 

「ふにゃ………………」

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

 すると、俺の上にのしかかっていたヤンデレのお姉ちゃんが目を覚ました。ゆっくりと自分の手を持ち上げて瞼をこすりつつ、あくびをしてから俺の胸板に頬ずりを始める。

 

 いつもなら微笑ましい仕草だけど―――――――――まだ彼女の紅い瞳は、虚ろだ。

 

「えへへっ、おはよう」

 

「……………ところで、いつの間に縛ったの?」

 

「ええとね、タクヤが眠ってる間に縛っちゃったの♪ ずーっとこのままでもいいよ?」

 

「いや、さすがにそれは困るんだけど」

 

 俺無防備じゃん。ずっとこのままってことは、ラウラに毎日のように搾り取られるってことですよね?

 

 発情期の衝動がきた時のラウラもヤバいけど、昨日の夜のラウラもかなりヤバかった。あんなに徹底的に搾り取られたのは人生で初めてかもしれない。まあ、あんなに徹底的だったのは俺の身体からレナの臭いを完全に消すためだと思うんだが、多分今すぐに解放されたとしても歩いたら力が入らなくてふらついてしまうかもしれない。

 

 何でハヤカワ家の男子はこんなに女に襲われやすいんでしょうね。呪われてんの?

 

 でも、親父は「子供が2人で済んだのが奇跡だと思えるレベルで搾り取られた」って言ってたし、親父が経験したのと比べればまだこれは序の口なのか。

 

 あれ? そういえば昨日襲われる前にあの薬飲んだっけ? ラウラの発情期対策に母さんから渡された妊娠を抑制するあの錠剤はまだ半分以上残ってたはずなんだけど……………。

 

 そう思いながら昨日の夜のことを思い出してみるけど―――――――――あの便利な薬を飲んだ覚えはない。

 

 ま、まさか、飲まない状態でラウラに襲われちゃった………………?

 

「………………!?」

 

「えへへへっ。タクヤの子供なら大歓迎だよっ♪」

 

 いや、旅をしながら子育てするのは無理があるでしょ。せめて子供を作るのは結婚してからにしようぜって前言わなかったっけ?

 

 とりあえず、旅の最中に子供ができないことを祈ろう。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

 

「ふにゅ?」

 

「いつまで俺は縛られてるの?」

 

「うーん………………どうしようかなぁ。またあの女の臭いが付いたら嫌だし、お姉ちゃんは一生縛ってたいところなんだけど………………そしたら旅ができないもんね」

 

「うん、かなり困る」

 

「ふにゅー………………ずっと縛られてるのは嫌?」

 

「うーん……………嫌と言うか、困る」

 

「そうだよね………………うん、だったらあと2時間くらい縛ってるねっ♪」

 

 あれ? てっきり一生縛るつもりかと思ったけど、ちゃんと俺のことを考えてくれてるんだろうか。随分と優しいヤンデレだな、ラウラは。

 

 あ、でも2時間って思ってるより長いかも。一生よりははるかにマシだけど。

 

 今はもう目つきを除けばいつもの優しいお姉ちゃんに戻りつつあるラウラだけど、昨日の夜は怖かった。俺のことを襲いつつ、あの虚ろな瞳で睨みつけながらレナのことについて問い詰めてきたんだからな。

 

 お姉ちゃんに嘘はつきたくなかったし、もし仮に誤魔化そうとしていてもすぐにバレそうだったから、正直に話した。やむを得ず手をつないだことだけではなく、「お姉ちゃんに甘えるのはよくない」と説教されたことや―――――――――キスされたことまで。

 

 特にキスをされたことを離した瞬間、ラウラの顔が険しくなった。戦闘中しかあんな顔を見たことがない。いつも俺に甘えている彼女からは想像できないほど殺意を剥き出しにした表情だった。そんな表情をしていた彼女が枕元にナイフをさりげなく置いた時は殺されるんじゃないかと思ったけど、ただそこに置いといただけだったらしい。

 

 というか、あのナイフは何のために置いといたんだろうか? 辛うじてバッドエンドは回避できたみたいだけど、もしまたこんなことがあったら今度こそ殺されるかもしれない。

 

 うん。もうレナを見つけたら一目散に逃げよう。

 

「あっ、そういえば結局夕飯食べなかったね」

 

「そうだな……………」

 

 帰ってきてからすぐに襲われたからな。おかげでシャワーも浴びてない。

 

「ごめんね、お姉ちゃんのせいで……………」

 

「い、いいんだよ。俺だってレナの臭いがするの、嫌だったし」

 

「ふにゅ………………あっ、じゃあもう少ししたらシャワー浴びてきなよ。その間にお姉ちゃんがご飯作ってあげる♪」

 

「え? 大丈夫?」

 

「大丈夫だよ。最近ナタリアちゃんからいろいろとお料理を教えてもらってるし、私のせいで夕飯が食べれなかったんだから」

 

 ナイスだナタリア!

 

 ああ、これは期待できるぞ。今のラウラはもう料理が上手くなってるから少なくとも彼女の飯を食って戦死するようなことはない!

 

 彼女が作ってくれる朝食を楽しみにしながら、俺はもう少しお姉ちゃんとイチャイチャすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空中に、巨躯が浮遊していた。

 

 それの〝原型”となった機体よりもいくらかはすらりとしているけれども、まだ武骨と言える形状をしている。左右に伸びたスタブウイングの下にはこれでもかというほど対戦車ミサイルやロケットポッドがぶら下げられており、その傍らにある兵員室のハッチからは、アサルトライフルを装備した歩兵たちがロープを使って地上へと降下する訓練を行っている。

 

 テンプル騎士団で採用することになった、南アフリカ製攻撃ヘリの『Mi-24/35Mk.Ⅲスーパーハインド』だ。原型となったのはソ連で開発された『Mi-24ハインド』で、それを南アフリカで改造したのがこのスーパーハインドになる。

 

 対戦車ミサイルや機首の大口径の機関砲による圧倒的な攻撃力を持ちつつ、さらにヘリの中でも装甲が厚いため防御力も高い。その分機動性はやや低めになっているが、それはこの機体が持つもう1つの利点でカバーすることができる。

 

 なんと、兵員室に歩兵を数名乗せて降下させることができるのだ。だから降下させた歩兵を上空から援護することもできるし、逆に歩兵に対空兵器を破壊して支援してもらうことで、より効果的な対地攻撃ができるようになるという利点がある。歩兵の展開と対地攻撃を迅速に行える優秀な兵器であるため、最初からヘリを運用することになればこれを採用しようと決めていた機体でもある。

 

 実際にスーパーハインドは、親父が率いるモリガンでも本格的に運用され、あらゆる作戦で大きな戦果をあげたという。ドワーフたちの働きによって予定よりも早くヘリポートが完成したので、早速訓練を開始したというわけだ。

 

 歩兵を降下させる訓練を行っているのは2機のスーパーハインド。タンプル搭には最終的に訓練用の2機を含め、10機のスーパーハインドを配備する予定になっている。俺たちの目の前で飛んでいるのはその訓練用の2機で、残りの8機は格納庫ですやすやと眠っている。

 

 テンプル騎士団のエンブレムが描かれ、黒と灰色の迷彩模様に塗装されたスーパーハインドから最後の歩兵が降下していき、とりあえず空中からの降下の訓練は終了だ。歩兵部隊は続けて地上の敵の殲滅戦の訓練へと移行するらしい。

 

「まだちょっとぎこちないな」

 

「でも、あの兵器をちゃんと運用できるようになれば戦力はアップするわね」

 

「まあな」

 

 隣で訓練の様子を見守っていたナタリアにそう言いながら、傍らのヘリポートへと戻ってくる2機のスーパーハインドへと手を振る。

 

 テンプル騎士団本部の戦力は、これまで地上戦力にばかり偏っていた。しかしこれからはヘリがあるし、最終的にはこの岩山の内部をくり抜いて大規模な軍港と飛行場を作り、海上戦力と航空機の本格的な運用も視野に入れている。特に海上戦力は、岩山の中を流れる大きな河がそのままヴリシア帝国へと続くウィルバー海峡まで伸びているので、軍港にすればヴリシア侵攻の際に役に立つはずである。

 

 とりあえず、スーパーハインドの運用はこれから本格化するだろう。けれどもさすがにスーパーハインドに依存しすぎるのも問題なので、汎用ヘリや輸送ヘリなどの他のヘリの運用も視野に入れなければならない。

 

 ヘリにも様々な種類がある。あのスーパーハインドのように本格的な攻撃を視野に入れて設計されているヘリは「攻撃ヘリ」に分類されるし、様々な任務に使用できるようなヘリは「汎用ヘリ」に分類される。スオミ支部に配備されているブラックホークがこれにあたる。

 

 輸送ヘリは大型の奴がいいな。他の支部への物資の輸送も任せられそうだし、兵員の輸送にも投入できそうだ。まだ仲間たちには話していないけど、現時点での候補はソ連製の『Mi-26』や『Mi-12』だろうか。どちらもかなりでかいヘリなので、輸送できる物資の量はかなり期待できる。ただし小回りが利かないので、護衛にヘリをつける必要がありそうだ。

 

「それにしても、傭兵さんの住んでた世界の兵器ってすごいわね………………あんなに大きな物体が飛ぶなんて考えられないわ」

 

「今度乗ってみるか? 俺も操縦できるぜ?」

 

「えっ? ………………わ、悪くないわね……………」

 

 顔を赤くしながら、ナタリアは下を向いてしまう。

 

 スーパーハインドが着陸するのを見守っていると、格納庫のハッチの向こうからバイクが飛び出したのが見えた。偵察部隊かと思ったけど、姿を現したのは偵察用のバイクではなく、俺がよく愛用しているウクライナ製のKMZドニエプルである。

 

 黒と灰色の迷彩模様に塗装されたバイクに乗っているのは――――――――黒いベレー帽をかぶった、赤毛の少女だった。

 

「ラウラ、どこ行くんだ?」

 

 無線機で問いかけると、彼女はバイクを走らせながら返事を返してきた。

 

『ちょっとお買い物! すぐ戻るから! ナタリアちゃん、私の代わりにタクヤのお世話をお願いね!』

 

「えっ? わ、私っ?」

 

 せ、世話って、俺はもう18歳だぞ? それに少なくともラウラよりはしっかり者だって自信もあるし………………。

 

 そう思いながらちらりと隣を見ると、顔を赤くしているナタリアと目が合ってしまう。どういうわけか俺まで恥ずかしくなってしまい、俺も彼女と同じように顔を赤くしながら下を向く羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンから戻ってから、近くの席ですぐに簡単なレポートを書いて提出し、報酬を受け取って酒場へと向かう。そこで夕食を摂りつつ男の冒険者に声をかけ、一緒に夕食を食べたり、次の日にダンジョンへと一緒に向かうのが彼女の日課だった。

 

 その日も同じように難易度が適度に低いダンジョンから戻ったレナは、レポートを手早く書いて窓口へと提出し、報酬を受け取って管理局を後にしていた。彼女の武装はダガーのみで、攻撃力は極めて貧弱と言わざるを得ないが、基本的に彼女は魔物とは戦わない。魔物に気付かれないようにダンジョンの奥へと進み、内部の様子を調査してから戻ってくるようなタイプの冒険者である。冒険者の仕事は魔物の退治ではなく、あくまでダンジョンの調査だから間違っているわけではない。

 

 実際にこのようなやり方の冒険者も多いのだから、咎められる筋合いもないのだ。

 

(それにしても、タクヤ君も成長してたなぁ……………)

 

 幼少の頃、一緒に遊んでいた少女のような容姿の少年のことを思い浮かべながら、酒場へと続く路地裏を進んでいく。無造作に置かれている樽をあっさりと躱し、ゴミ箱の近くに集まっていた野良猫たちを飛び越えながら、鼻歌を歌いつつ酒場へと向かう。

 

 予想以上に少女のような容姿になっていた事には驚いたが、知り合いに異国の街で再会できたのは嬉しい。もしあそこに彼の仲間や姉がいなかったら、ダンジョンの調査に誘っていたところである。

 

(それにしても、あのお姉さんは本当に邪魔ね。タクヤ君と一緒にいれないじゃん)

 

 あわよくばタクヤと付き合おうと少しばかり考えていた彼女にとって、ラウラはまさに邪魔者だった。あんな姉と一緒に育ったから、タクヤは彼女から離れられなくなっているに違いない。

 

 だから街で偶然出会った時、タクヤには「あまりお姉さんに甘えるのはよくない」と少しばかり説教したのだ。

 

 もう少しで路地裏を抜けられると思った彼女だったが、その出口の近くに人影が立っていることに気付き、少しだけ歩く速度を落とす。

 

 ただそこに立っているだけではない。こちらを向き、明らかにレナを先へは進ませないと言わんばかりに立ちはだかっている。路地裏にいるのはレナだけだから、他の誰かに用事があるわけでもない。

 

 誰だと問いかけようとしたレナだったが―――――――――目の前に立ちはだかる人影の後ろを通過した馬車のランタンが、その人影の姿を少しの間だけ照らし出した。

 

 大人びた容姿と特徴的な長い赤毛。ツーサイドアップになっている赤毛には、紅いラインの入った長くて黒いリボンが結ばれている。タクヤが髪に結んでいたリボンと同じデザインで、違う部分は色だけである。

 

 一瞬だけ大人の女性かと思ったが―――――――――レナを不機嫌そうな目つきで睨んでくるその女には、見覚えがあった。

 

 幼少の頃からタクヤを束縛している、彼の姉である。

 

「――――――――私に何か用?」

 

「ええ」

 

 こちらも不機嫌そうな口調で尋ねると、目の前に立ちはだかる赤毛の少女は――――――――虚ろな目で言った。

 

「――――――――話があるんだけど、いいかしら?」

 

 

 

 



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ラウラの殺意

 

 

「話って何?」

 

 狭い路地の真っ只中で目の前に立ち塞がった赤毛の少女に、行く手を遮られているレナは不機嫌そうに言った。これから酒場に行って他の冒険者に声をかけ、ダンジョンの調査の協力を頼みつつ夕食を摂ろうとしていた彼女は、立ち塞がっているラウラの後方に見える建物の時計をちらりと見て舌打ちをする。

 

 大体午後5時30分から7時までの間が、酒場に多くの冒険者が訪れる時刻とされている。その時刻になれば酒場の店員たちも大忙しで、酒場の中はダンジョン帰りの冒険者たちでぎっしりだ。そういう男だらけの空間へとレナのような少女が踏み込めば、男たちの方から声をかけてくるのは当然のことで、彼女はそれを利用して彼らに協力を頼むようにしていた。

 

 その時刻が過ぎようとしている。現時点で金に困っているわけではないが、手練れの冒険者に協力してもらえればダンジョンに生息している魔物は怖くはない。彼女のような調査重視の冒険者の場合、生存率は味方の実力に大きな影響を受けるというのは言うまでもない。他力本願とも言えるが、仲間が戦いに専念している間に内部の様子や生息している魔物の種類などを調査しているのだから、「お前も戦え」といわれる筋合いはないのだ。

 

 原則として、ダンジョンを調査した際の報酬の金額は「どれだけダンジョンの中で調査が及んでいない部分を調査したか」によって決まる。もう既に調査を終えた場所のレポートも、数件のレポートを集めて地形の変化や生息する魔物の変化などのデータ化に有効活用するために報酬は支払われるものの、未調査の部分の調査と比べればまさに雀の涙と言える量でしかない。

 

 基本的に冒険者同士で協力した場合は報酬は山分けとなるのだから、彼女のやり方はその報酬の金額を増やすような行動なのである。………………それに魔物が仲間の手に負えないと分かれば、すぐに切り捨てて逃げることもできるから、少なくとも自分の生存と報酬を第一に考えるならば合理的な方法である。

 

 今までそうやってうまくやってきた彼女だったが、結局は実力のある冒険者が手強い魔物を引き受けてくれなければ成り立たないやり方だ。素早く動くことのみを考慮して武器はダガー1本のみとし、防具もそれほど重くない最低限の物である。しかし防御力も最低限しかないため、攻撃を食らった際にそれが防具として機能するのはよほど〝当たり所がよかった”場合のみとなる。

 

 だから協力者が見つかるか否かが、彼女の次の日に得られる報酬の金額に影響してくるのだ。

 

 それを邪魔されつつある事に苛立っているが、それをさらに燃え上がらせている原因は、その邪魔をしている相手がレナが純粋に嫌う相手だからだろう。

 

 ラウラ・ハヤカワという少女が、レナは本当に嫌いだ。

 

 弟を束縛して甘やかしたせいで、今のタクヤはその姉から離れられなくなってしまっているのだから。彼にとってラウラの愛情は悪い影響しか与えない。だから何とかしてタクヤは独立するべきだ。

 

「――――――――昨日タクヤに会ったでしょ?」

 

「ええ、会ったわ。一緒に買い物したの」

 

 暗闇の中で、ラウラが発する威圧感が一気に膨れ上がった。苛立っているのだと理解した瞬間、彼女に対して向けていた苛立ちが少しばかり軽くなる。まるで天秤の上にある苛立ちという重りを、自分の皿からラウラの皿に乗せたような感覚だ。

 

 いっそのこと、その苛立ち(重り)をすべて彼女の皿に乗せてしまおう。そう思ったレナは、続けて昨日の昼間にタクヤと出会ったことをラウラに告げる。

 

「一緒に手をつないで通りで買い物をしたのよ。やっぱり、ああいう元気な男の子は束縛するべきじゃないと思ったわ。分かる? あんまり甘やかすと、弟さんには悪い影響にしかならないのよ?」

 

「………………」

 

 少しずつ、レナの心の中(皿の上)から苛立ち(重り)が消えていく。それに反比例してラウラの威圧感が膨れ上がり、レナは優越感を感じる。

 

 目の前の少女の表情は先ほどから変わらない。レナからすれば悔しい話だが、特に表情を浮かべずに佇む目の前の赤毛の少女は、同い年の少女とは思えないほど大人びていて美しい。もしあんな威圧感を出さずに佇んでいたのならば、男たちに次々に声を掛けられていたに違いない。

 

 そうしたちょっとした嫉妬も、この苛立ちの原因なのだろうか。ほんの少しだけそう思ったレナだったが、今の彼女にはそう考える余裕がなかった。

 

「それとも、肝心なお姉さんの方が弟から離れられないのかしら?」

 

 ラウラに向かって言う度に、心の中(皿の上)苛立ち(重り)が少しずつ和らいで(軽くなって)いくのがよく分かる。

 

 実際に、タクヤに悪影響を与えているのはラウラの方だ。この姉さえいなければ彼はもう少しまともな少年に育っていた筈である。何でもかんでも彼女が束縛してしまうから、タクヤが伸びない。だから少しでも2人の距離を離し、今からでもタクヤが成長するための余裕を確保することが大切なのだ。

 

 そうやって自分の発言を正当化するレナだが、結局はタクヤを自分の物にすることができない不服が根底にあるということを誤魔化しているに過ぎない。先ほどから無言で佇んでいるラウラにそうやって言い続ける彼女は、自分の欲望を棚に上げているということに気付いていない。

 

 仮に気付いたとしても、彼女は誤魔化し続けるだろう。今までダンジョンの中で何度か仲間を見捨てて生き延びたことすら、レポートには「魔物との戦いで仲間が犠牲になった」という短い文章でまとめ、ダンジョンで冒険者が命を落とすのは当たり前という常識を縦にして誤魔化してきたような人間なのだから。

 

「タクヤ君のために何かをしたいんだったら―――――――――」

 

「――――――――もういいよ」

 

 続けて言おうとしたタイミングで、先ほどからずっとレナの言葉を聞いていたラウラが口を開いた。彼女の唇から姿を現した言葉にはぞっとしてしまう冷たさと怒りが含まれていて、先ほどまでは勝ち誇っていたレナはそれ以上喋ることができなくなってしまう。

 

「やっぱり、小さい頃から〝ちょっとだけ”遊んでる程度の女の言葉なんか、全然参考にならない」

 

「なんですって?」

 

「タクヤはちゃんと成長してる。私が甘やかしているっていう部分は認めるけど、あの子はちゃんと伸びてるし、私よりも大人びてると思う。――――――――ごめんね、何も知らない奴が偉そうに長々と説教してるのを聴いてたらムカついちゃった」

 

 幼少の頃に何度か一緒に遊び、最近になって再会した程度のレナに対し、ラウラはタクヤが小さい頃から一緒にいたパートナーのようなものなのである。今ではもう彼のちょっとした仕草で何を考えているのか察することができるし、彼の好きなものや嫌いなものまで全て網羅している。

 

 そんな彼女に、久々に再会した程度で調子に乗った少女が偉そうに説教していいわけがない。

 

 幼少の頃に何度か一緒に遊び、数日前にまた出会った程度の少女が、タクヤの何を知っているというのだろうか。

 

 こんな間違った理屈で説教するような女が、タクヤを汚したことが許せない。こんな女が最愛の弟の唇を奪ったことが許せない。

 

 気が付けば、ラウラは――――――――虚ろな目で笑顔を浮かべたまま、腰の鞘の中からボウイナイフを引き抜いていた。

 

 普段の戦闘では、彼女はタクヤと同じくテルミットナイフを使用している。アルミニウムと酸化した金属の粉末を混ぜ合わせた粉末に着火した状態で噴出し、相手に超高温の粉末を浴びせて焼き尽くすという恐ろしい代物だが、こんな女にそのような代物は使わない。

 

 鞘の中から姿を現した大きなナイフが、路地の向こうから流れ込んでくるランタンの明かりで反射して橙色に煌く。彼女の冷たい言葉ですっかり固まってしまっていたレナは、その光を発した代物がナイフの刀身であるということにすぐ気づき、大慌てで腰のダガーを抜いたが―――――――――遅かった。

 

「ひっ―――――――」

 

 レナのダガーがやっと鞘の中から姿を現した頃には、もうラウラがレナの懐へと急接近していたのである。体内に魔物の中でも強力なサラマンダーの遺伝子を持つキメラだからこそ生み出せる瞬発力は、どれだけトレーニングを重ねた人間でも真似できるものではない。そんな速度でいきなり突っ込んでくるのだから、戦闘よりも調査を主眼に置いたやり方のレナでは反応できる筈がなかった。

 

 逆手に持ったラウラのボウイナイフが振り上げられ、しっかりと握られる直前のダガーをレナの手からあっさりと払い落とす。ギンッ、と刀身同士が激突する音の残響を纏いながら舞い上がっていったダガーが脇の建物の壁に突き刺さり、そのまま動かなくなる。

 

 これだけで、レナは丸腰だ。目の前にいる女がナイフを振り下ろすだけで、あっさりと殺せる状態である。

 

「い、嫌…………助けて………………!」

 

「………………」

 

「だ、誰か……………! やだ、助けて……………タクヤ君、助けて…………ッ!」

 

「タクヤ……………?」

 

 このまま命乞いするようならば、見逃してもよかった。本当なら無残に殺してやろうと思っていたラウラだったが、もしこの光景をタクヤが目の当たりにしていれば、見逃してやれとラウラを諭しただろうから。

 

 けれども――――――――もう許すわけにはいかなくなった。

 

「なんで……………」

 

 見逃してやろうという気持ちを、血のように紅い何かがじわじわと侵食する。真っ白な服が血で紅く染まっていくように、彼女の心の中が猛烈な殺意で染まっていく。

 

「なんでタクヤなの? …………………おかしいよ、なんでタクヤの名前が出てくるの?」

 

 どうして、レナはここでタクヤに助けを求めたのだろうか? こういう局面で助けを求めるほど、あの2人は仲が良くなっていたのだろうか?

 

 ならば、昨日の夜にタクヤが答えてくれたことは嘘なのか? そう思ったラウラだったが、もしあそこでタクヤが言っていたことが全て嘘だということは考えにくい。彼はラウラに嘘をつくことはあまりないし、仮についていたとしても彼の仕草ですぐに分かる。それにそれほどレナと仲が良かったならば―――――――――もっと嫌な臭いがしていた筈だ。

 

 ということは、レナが一方的にタクヤに好意を持っていたということになる。それが一番説得力があるし、可能性が高い仮説だ。

 

(……………ああ、そうだったんだ)

 

 戻ったら、タクヤを疑ってしまったことを謝らなければ。

 

 目の前で怯えているこの少女が、元凶だったのだ。タクヤを汚し、最愛の弟を疑わせたこの女が原因だったのである。

 

(私、あの子のことを疑っちゃった…………………)

 

 謝ったら、彼は許してくれるだろうか?

 

「や、やだ……………やだ、殺さないで…………………!」

 

 とりあえず――――――――病原菌は始末するべきだ。そうすれば最愛の弟が汚れることはなくなるし、きっと褒めてくれるに違いない。

 

 タクヤが喜んでいる顔を思い浮かべたラウラも、怯えるレナを見下ろしながら微笑んだ。

 

「――――――――やだ」

 

 微笑んだラウラがナイフを振り下ろした瞬間、路地の壁に鮮血が飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練を終えてシャワーを浴び、長い髪を自分の魔力で発生させた熱風で乾かしながらシャワールームから出てくると、自室に備え付けられている簡単なキッチンの向こうでは、ナタリアが鼻歌を歌いながらパスタを茹でているところだった。

 

 タンプル搭の居住区にあるすべての部屋には、わざわざ食堂に行かなくてもいいように簡単なキッチンが備え付けられている。最近はラウラがナタリアのおかげで美味しい料理を作れるようになったし、時間が空いているときは料理の練習をしている姿をよく見かける。本当に、ナタリアに感謝しなければ。

 

 そのラウラは、まだ部屋に戻ってきていない。しっかり者のナタリアに俺の世話を任せて行ったのはいいんだが、彼女はいったい何の買い物に行ったのだろうか。

 

 冷蔵庫の中にはまだ野菜や肉は残っているし、小麦粉や米もまだ残っている筈だ。そのほかの日用品もちゃんと買いそろえているから足りなくなることはまずないと思うんだが、個人的な買い物なんだろうか?

 

 早く帰ってこないかなと思いつつ、乾かしたばかりの髪をお気に入りのリボンで結んでポニーテールにする。最初はエリスさんの悪ふざけでこんな上方にされていたが、今ではもうすっかりトレードマークと化している。これが俺を少女っぽい容姿にしているのに一役買っているのは否定できないけれど、これをやめたらお姉ちゃんが悲しむので続けるつもりである。

 

 ちらりとキッチンの方を見ると、パスタを茹でるナタリアの傍らにはチーズが置かれていた。カルボナーラにするつもりなんだろうか。

 

「そういえば、最近のラウラの料理はどう?」

 

「かなり変わったよ。ナタリア先生のおかげだな」

 

 前までは彼女の料理でいつか戦死者が出るんじゃないかと思えるほどヤバい代物だったんだが、今ではごく普通に調理ができるほど大きく進歩した。しかも時間があれば料理の練習をしているので、味も徐々に美味しくなっている。

 

「それはよかったわ。私も頑張ろうかしら?」

 

「おう。…………あ、それとさ」

 

「なに?」

 

「エプロン似合ってるぜ」

 

 黒い制服の上にエプロンをつけているけど、そういう格好も似あっていると思う。いつもは制服を着崩さずに身に着けているしっかり者のナタリアだけど、こういう日常での彼女を何度も目にしているからなのか、あまり堅苦しい感じはしない。

 

「えっ? …………なっ、何言ってんのよ!?」

 

「いや、エプロン姿のナタリアも可愛いなって思って…………」

 

「ば、バカじゃないの!? ……………もうっ」

 

 す、すいません……………。

 

 片手を腰に当てながら調理をつづけるナタリアは、割と楽しそうだった。ラウラに俺の世話を任されているからなのか張り切っているようにも見える。

 

「あ、俺も何か手伝う?」

 

「ん? ああ、大丈夫よ」

 

「本当に?」

 

「ええ。私が世話してあげるから、あんたはゆっくりしてなさいっ♪」

 

 やっぱり、張り切ってるよな?

 

 とりあえずお言葉に甘えておこう。そう思いながらソファに腰を下ろし、テーブルに置いてあるラノベを手に取る。

 

 そういえば、普段のナタリアは周囲の変わった奴らにツッコミをすることが多いし、他のメンバーたちを引っ張っていくことが多いからそういうしっかりした姿ばかり目にしてしまうけれど、こうして料理している姿はいつもの彼女と一味違うように見える。

 

 いつもよりも開放的な感じだ。

 

 ラノベを手に取ったのはいいんだけど、肝心な文章や挿絵よりも調理中の彼女の方が気になってしまい、俺はついついソファの後ろの方にあるキッチンで調理する彼女の方ばかり見てしまう。

 

 すると、パスタを茹で終えたナタリアと目が合ってしまった。彼女はびっくりしながら慌てて目を逸らしたけれど、チーズを手に取るふりをしてもう一度こちらの方をちらりと見てくる。

 

 ナタリアの顔は、気のせいなのか赤くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い部屋の中で、私はナイフを振り下ろしていた。

 

 魔物にナイフを突き立てたことは何度もある。そして回数は魔物よりも少なくなるけれど、人間にナイフを突き立てたことも何度もある。

 

 でも後者の回数は、きっと私よりもタクヤの方が上なんじゃないかな? あの子は容赦がないし、仕留めた転生者をいつもバラバラにして、その血でニホン語のメッセージを書いてるし。

 

 あの子にアドバイスを貰えばよかったかな? ナイフで刺すだけなら簡単なんだけど、そのナイフで解体するのって骨が折れるなぁ…………。

 

 彼女の表情は、もう二度と変わらない。恐怖と絶望という表情だけで固定された彼女の顔は、もう笑顔を浮かべることはないし、涙を流すことも考えられない。……………というか、もう動くことはないよね。

 

 私のタクヤを汚すからこうなるんだよ? 何もしなければ、私もこんなに苦労することはなかったんだから。

 

 血まみれになって絶望する彼女の頭を両手で持ち上げ、私は微笑んだ。

 

「ふふっ。――――――――これでもう、タクヤを汚す悪い女はいなくなったよ」

 

 



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ラウラの罪

 

 

「ナタリア、パスタ美味しかったよ。ありがとな」

 

「どういたしまして。また食べたくなったらいつでも作ってあげるわよ」

 

 ラウラの料理をちゃんとした料理に変えてくれたナタリアの料理は美味しかった。今までは俺が夕食を作ることが多かったんだけど、そろそろその役割を彼女に任せてもいいんじゃないかと真剣に検討してしまうほど、ナタリアが振る舞ってくれたカルボナーラは最高だった。何度もおかわりしたのに、あの味を思い出すだけでまた腹が減ってしまいそうである。

 

 せっかくだからシャワーも浴びていくように勧めたんだが、さすがにそろそろラウラが帰ってきそうだし、迷惑をかけてしまうということで自室のシャワーを使うらしい。

 

 そういえば、ナタリアとこうして部屋で2人っきりになることはタンプル搭に来てから一度もなかったような気がする。今まで彼女と2人っきりになったことはあったけど、ダンジョンの中だったり、近くに眠っている仲間たちがいたから、こうしてリラックスして2人で話す機会はなかった。

 

 彼女の作ってくれたパスタを食べながら、いろんな話をした。幼少期に経験した話とか、仲間たちに話したことがないようなちょっとした話がメインだった。お返しにナタリアも自分の小さい時の話とか、エイナ・ドルレアンに移り住んでからの話をしてくれた。

 

 彼女もいろいろと苦労したらしい。エイナ・ドルレアンは領主であるカレンさんのおかげで寛大な街になっているけれど、田舎の街であるネイリンゲン出身のナタリアからすればまさに大都市で、母親と一緒に買い物に出かけるとよく迷子になって迷惑をかけていたという。

 

 今のしっかりしている彼女からは想像できないが、昔のナタリアは泣き虫だったらしい。……………頑張ったんだな、ナタリアは。何度も苦労したからあんなにしっかりした少女に育ったに違いない。

 

 あ、そうだ。そろそろナタリアの誕生日らしいな。彼女の誕生日は11月21日らしいから……………わお、来週だ。

 

 廊下へと向かって歩いていく彼女に手を振りつつ、ちらりと壁にかけてあるカレンダーを確認した俺は、早くも彼女にどんなプレゼントをあげるべきか考え始めた。もちろん何かプレゼントがあるというのは内緒にするつもりだ。当日にこっそり用意してたのを渡した方が喜ぶものだからな。

 

 とりあえず、近隣にある街のガルガディーブルにある大きな雑貨店は4軒。小さい店も含めれば合計で20軒くらいだろう。どういう品物が売られているかまではまだ調べてないけど、交易の中継地点として機能する街だから品揃えはいい筈だ。今度買い物に行ったときに調べておこう。

 

 あ、でもまたレナに遭遇したらどうしよう……………。その時は全力疾走で逃げるべきだろうか。

 

 そう思いながら洗面所で歯を磨こうと思っていたその時、いきなり部屋の入り口にあるブラウンのドアが開き始めた。ナタリアが忘れ物でもしたのだろうかと思いつつ後ろを振り向いたが、ドアの向こうから姿を現したのはツインテールが特徴的な金髪の美少女ではなく、幼少の頃からずっと一緒にいる愛おしい腹違いの姉だった。

 

「ああ、おかえり。遅かったじゃないか」

 

「えへへっ、ごめんね。帰りに魔物の群れと遭遇しちゃって…………」

 

「魔物の群れ?」

 

「うん。ナイフで蹴散らせたけどね」

 

 ここから街までの中間に広がるのは、ただの砂漠である。その砂漠にも多くの魔物が生息しており、砂漠を行き交う商人たちや騎士団の部隊が襲撃される事例は後を絶たない。

 

 実際に、タンプル搭の外周部にある検問所では、明らかにタンプル搭を狙っていると思われる魔物への発砲の件数が徐々に増加しており、現場からはより多くの弾薬と機関銃を欲しがる要望も届いている。

 

 街で買ってきたのか、小さな袋を手にしながら部屋の中へとやってきたラウラ。彼女の服からは確かに血の臭いがして、ナタリアが作ってくれたカルボナーラの残り香を台無しにしていた。鉄にも似たしつこい臭いには嗅ぎ慣れているつもりだけれど、いくら隣り合わせの臭いとはいえ、こういうリラックスできる空間まで一緒というのは嫌なものだ。ラウラもあまり好きな臭いじゃないのか、自分の服についた臭いを嗅いであからさまに嫌そうな顔をしながら、着替えを取ってそそくさとシャワールームへと向かう。

 

 そんな姉の姿を見守っていたんだが――――――――彼女の服からする血の臭いの中に、更に微かな香水の匂いがしたような気がした。

 

 ちなみに、俺の嗅覚は常人以上だ。その気になれば犬のように臭いを辿って敵を追跡することもできるほどで、実際にそういう訓練を幼少の頃に受けている。キメラは突然変異の塊といえるほど傾向がつかめない生物らしいけど、俺の場合は反射速度と嗅覚が特に発達しているという。ラウラや親父にはない長所だ。

 

 おかしいな。ラウラはそういう香水を使うような奴じゃない。

 

 街で購入してきたものなんだろうか。血の臭いを消すためにつけてるんだろうという仮説もあるけれど、この香水は………………他の誰かもつけていたような気がする。

 

 誰だ? ナタリアも香水をつけることはあるみたいだけど、汚れることが前提になるダンジョンの中や戦場での活動が多いから休日にしか使わないらしいし、カノンは実家から持ってきた高級品を使ってる。明らかに香りが違うからそれはすぐに分かる。ステラはそもそも香水に興味がないらしい。あいつが興味を持つのは美味そうな食い物だけだからな。

 

 クランか? それともイリナか? ノエルも香水をつけるような奴じゃない………………。知っている少女たちを頭の中に次々に挙げていくが、こんな香りの香水を使う仲間は1人もいない。偶然タンプル搭の中や街の中で嗅いだ臭いだったかと思いつつ考えるのをやめようとした俺だったが―――――――『街の中』という言葉で、ある少女の名前が浮かんできた。

 

 ――――――レナだ。

 

 そういえば、あいつにキスをされた時にこんな香りがした。いや、まさにこの香りだった。意識していなかったとはいえ俺の嗅覚に焼き付いていた香りは、この微かな香りと合致していたのである。

 

 しかし、どうしてラウラから……………?

 

 それに、いつものラウラなら俺がすでにシャワーを浴びたということを知っていたとしても、一度は一緒に入ろうと誘ってくるはずである。なのに今日は、まるで何かを誤魔化そうとする子供のようにそそくさとシャワーを浴びようとしている。

 

 ちょっと待て。血の臭い……………? 微かなレナの香水………………。

 

「………………ラウラ、ちょっと待て」

 

「?」

 

 シャワールームのドアを開けようとしていた姉を、俺は無意識のうちに呼び止めていた。

 

 偶然思いついてしまっただけのありえない仮説なのかもしれない。そう決めつけてしまうことができれば、俺は戸惑うことなくこのままベッドで眠ることができただろう。けれども、これだけは無視してはいけないような気がした。無視したら取り返しがつかないことになるという予感がしたから、俺はラウラを止めたのだ。

 

 俺の中身が転生者であるという結論へ行きついた親父も、こんな心境だったのだろうか。あの暗い地下室の中で、俺を試すためにセレクターレバーの位置を逆にした89式自動小銃を準備し、見事に俺の正体を暴いた若い頃の親父の戸惑う表情を思い出しながら、彼女の瞳を見据える。

 

 鮮血を思わせる彼女の紅い瞳に映っている俺の表情は―――――――――あの時の親父とすっかり同じだった。

 

「もしかして、レナと会ったか?」

 

「………………どうして?」

 

「お前の服からレナの香水の匂いがする」

 

 視覚や聴覚ではラウラに劣るけれど、嗅覚では俺の方が上だ。だから彼女が気付かないような臭いでも察知することはできる。

 

 ラウラはほんの少しだけ目を細めると、息を吐いてから言った。

 

「あんな女に会いに行くわけないじゃない」

 

「じゃあ何でレナの香水の匂いがするんだ? それに、いつものラウラだったら一緒にシャワーを浴びようって誘うはずなのに………………まるで何かを誤魔化そうとしているように見えるぞ」

 

「………………」

 

 それに、彼女の服からする血の臭いもおかしい。

 

 魔物の血の臭いにはちょっとした癖がある。人間の血と比べると、もっと生臭いのだ。とはいえこの臭いの違いに気付けるのは犬か俺くらいだろう。

 

 ラウラの服についている血の臭いは―――――――魔物の血にしては、少しばかり良い臭いじゃないか?

 

「まさか、その血って人の血じゃないよな? ………………お前、ひょっとしてレナを―――――――――」

 

 最悪だ。

 

 ちょっとした違和感を感じて手を伸ばしたら、とんでもない結果を掴み取ってしまった。

 

 もう一度息を吐き、虚ろな瞳で俺を見据えるラウラ。俺は唇を噛みしめてから、彼女を問い詰める。

 

「――――――――殺したのか」

 

 彼女の服からする血の臭いは、明らかに人間の血の臭い。そしてその中に微かに残る香水の匂いは、レナの香水と同じもの。そしていつもと比べると不自然なラウラの仕草。

 

 さらに、ラウラがレナを殺す理由も十分に考えられる。

 

 こんなことは信じたくない。自分で辿り着いた結果を投げ出したくなったけれど、これは俺の責任でもある。レナとの再会で不機嫌になっていたラウラがこんなことをする可能性は十分あり得た。そんな彼女を1人で買い物に行かせれば、こんなことになる可能性も考えられた。なのにどうして俺は、彼女について行かなかったのか。どうして彼女をちゃんと制御することができなかったのか。

 

「―――――――タクヤを汚したあの女が悪いのよ」

 

 やはり―――――――殺したのか。

 

「………………おい、待てよ………やり過ぎだろ」

 

「やり過ぎ? ………………だって、あの女はタクヤを汚したんだよ? 変なことを言って、唇まで奪ったんだよ? タクヤをダメにしようとしてた病原菌みたいな女だったんだよ? やり過ぎなわけないじゃん」

 

 いや、やり過ぎだ。

 

 またしても唇を噛みしめていた俺は、目の前に立っている愛おしい筈の姉を睨みつけ――――――――彼女の頬に、自分の右手を叩きつけていた。

 

 パンッ、と人間の肌を手のひらで殴る高い音が部屋の中に響く。ラウラの頭が揺れ、彼女の頭の上から真っ黒なベレー帽が落ちる。

 

 平手打ちされたラウラは、虚ろな目つきのまま目を見開いていた。弟のために尽くしたつもりなのに、どうして平手打ちされたのかが理解できていないらしい。

 

 そして彼女と同じように、俺も混乱していた。今までラウラを咎めたことは何度もあったけれど、こうして彼女を睨みつけながら平手打ちしたのは………………これが初めてだった。

 

「………………殺す必要はなかった筈だ」

 

「どうして………………? だって、あの女は………………!」

 

「――――――――お前まで汚れるだろうがッ!」

 

 レナを殺したからではない。彼女はまだ何もしていない、普通の少女だった。俺たちの敵は人々を虐げる転生者やクソ野郎たち。彼らを殺せば汚れることに変わりはないけれど、俺たちが殺すべきなのは少なくともそいつらだ。

 

 なのに、彼女が殺したのは―――――――まだクソ野郎になっていない、レナである。

 

 いきなり俺に怒鳴りつけられたラウラが、片手で頬を押さえながら凍り付いていた。彼女の瞳を見つめていると、彼女がどれだけ混乱しているのかがよく分かる。まるでラウラの心の中にあるあらゆる感情が、そのまま俺の中に流れ込んでくるかのようだ。

 

 彼女なりに俺のために尽くしてくれたというのはありがたい話だ。けれど、ここまでする必要はないだろう?

 

「俺たちが殺すべきなのはクソ野郎共だ! 殺すべき敵は選ばなきゃダメなんだよ! 親父たちが何のために俺たちに戦い方を教えてくれたのか分かるか!? 嫌いな奴を、個人的な理由でこの世から消すためじゃないんだよ!!」

 

「………………!」

 

 ラウラの瞳に、少しずつ涙が浮かぶ。

 

 俺はもしかすると、彼女を甘やかしすぎたのかもしれない。彼女を守ろうとしているうちに、〝守る”ことと〝甘やかす”ことの区別がつかなくなってしまったのかもしれない。

 

「………ご、ごめん…………なさい………………」

 

 弱々しい声で、ラウラはそう言った。

 

 まるで去っていく飼い主に「捨てないで」と言わんばかりにすがりつく子犬のように。

 

「……………………まったく」

 

 いつの間にか、俺の目にも涙が浮かんでいたらしい。頬を水滴が流れ落ちていく感覚で涙が浮かんでいたということに気付いた俺は、それを拭い去ってから―――――――――涙を流すラウラを、ぎゅっと抱きしめた。

 

 彼女はあくまで、俺のためにやってくれたのだ。けれどもこれは流石に「次は気を付けてね」という一言で終わらせるべきではない。

 

 親父に報告する必要がある。

 

 あの港町のレストランの事件の際に、親父に釘を刺されたばかりだというのに。俺ではなくラウラがやらかした事とはいえ、親父はきっと容赦しないだろう。

 

 あの男(最強の転生者)は、そういう男なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラウラがシャワーを浴びている間に、親父へと送った短いメッセージへの返信はすぐに返ってきた。

 

《今すぐにラガヴァンビウスまで来い》

 

 それ以外は何も書かれていない、シンプルなメッセージ。けれどもその短いメッセージの中から親父の怒りと失望を拾い上げるのは容易い事だった。きっと仕事を終えて自宅で休んでいた親父は、ラウラが1人の少女を個人的な理由で消したという事を知って落胆しているに違いない。

 

 俺はテンプル騎士団の団長だ。責任は………………俺が取る必要がある。

 

 親父たちが教えてくれた技術を、転生者ハンターとしての理念以外の個人的なことに使ってしまったのだ。これでは他人を虐げるクソ野郎と同じである。クソ野郎を狩る転生者ハンターがクソ野郎に堕ちてしまうのは論外だ。

 

 シャワーを浴び終えたラウラにそのメッセージを見せて説明すると、彼女は唇を噛みしめながらラガヴァンビウスへと戻る準備をしてくれた。

 

 ここからラガヴァンビウスへと戻るには、一番ヘリで移動するのが手っ取り早い。カルガニスタンの砂漠を越え、スオミの里のあるシベリスブルク山脈を突破して少し進めば、その先にあるのは世界最強の王国の王都である。

 

 増槽を搭載したヘリならば、補給なしで行ける距離だ。

 

 最低限の荷物を持ち、部屋を後にする。ナタリアに「親父から呼び出されたから王都に行ってくる」と言ってテンプル騎士団の指揮を任せた俺は、何も言わなくなってしまったラウラを連れてヘリポートへと急いだ。

 

 地下に格納されているヘリのコクピットに乗り、素早く機体をチェックする。俺たちが乗り込んだのは、ロシア製汎用ヘリの『Ka-60カサートカ』。スーパーハインドと共に運用することになったヘリのうちの1機である。

 

 本格的な攻撃を主眼に置いたスーパーハインドとは異なり、それほど本格的な戦闘を考慮されていないせいなのか、がっちりしたスーパーハインドと比べるとスリムに見える。一応武装の後付けは可能で、実際に対戦車ミサイルや機関砲を内蔵したガンポッドを搭載した機体の運用も明日から始まる予定だが、俺たちが乗っているのは何も武装を搭載していないタイプだ。まあ、親父に呼び出されたんだし、武装は搭載していない方が望ましい。

 

 警報が響き渡り、ヘリポートの四隅にあるランプが点滅を開始する。やがてカサートカの乗った正方形のヘリポートが一瞬だけ大きく揺れたかと思うと、格納庫に格納されている他のヘリを下へと置き去りにし、ゆっくりと地上へ向けて上昇を始めた。

 

 タンプル搭のヘリポートは機体を36cm砲の衝撃波から保護するため、このように格納庫に直結したエレベーターがヘリポートも兼ねているという特殊な形式になっている。出撃に手間がかかるけれど、味方の砲撃の衝撃波で大事な機体がぶっ壊れるよりはマシだ。

 

 やがてヘリポートが地上まで上昇し、動きを止めた。

 

『管制室よりアルファ1へ。離陸を許可します』

 

「了解。アルファ1、離陸する」

 

『早く帰ってきてくださいね、同志!』

 

はいよ(ダー)

 

 管制室にいる仲間にそう返事をしながら、俺は冷や汗をかいていた。

 

 もしかすると―――――――――もう帰ってくることはないかもしれない。

 

 ラウラがやらかした事の責任は、俺が取らなければならないのだから。しかも王都で待っている俺たちの父親は、おそらくこの世界で最も容赦のない男。処分しなければならない人物が自分の子供だとしても、あの男は容赦をしないだろう。

 

 ヴリシア侵攻前なんだし、自分の子供なのだからという希望を捨てた俺は、息を呑んでからカサートカを離陸させるのだった。

 

 

 

 

 



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懲罰部隊

 

 

 ラガヴァンビウスにあるモリガン・カンパニー本社は、以前に騎士団が本部として使っていた建物を改装して再利用している。以前の騎士団本部とはいえ、産業革命が始まる前から手放されていた建物を親父が購入したものらしく、建築様式はより原点に近い、かなり古いものだ。中世のヨーロッパによく見られたような城に、最新の機械や設備を搬入して本社として機能するように無理矢理改装したものというべきだろうか。

 

 本社の周囲にあるヘリポートへと、地上の作業員に誘導されながらゆっくりとカサートカを降下させる。機体がヘリポートにちゃんと降り立ったことを確認してからエンジンを切り、一緒に乗せてきたラウラを連れて機体の外へと出た。

 

 カルガニスタンを出発したのは夜なんだが、オルトバルカではもう夜明けが近いらしい。産業革命で発達した王都の高い建物の群れは、うっすらと地上を照らし始めた弱々しい日光に照らされ、建物の表面に付着した水滴に反射しているせいなのか黒光りしているように見える。

 

 時刻は午前4時43分。明け方だというのに勤勉に働く作業員に頭を下げ、俺はラウラを連れてヘリポートを後にする。

 

 本社の建物の中は、本当に中世のヨーロッパの城の中のようだった。やや粗い暗灰色のレンガで構成された広い廊下に、騎士団の大きな旗や古めかしい防具でも飾られていれば、騎士団の拠点と見間違えてしまいそうなほどである。けれども廊下を巡回するのは全身を防具で包んだ姿の騎士たちではなく、黒と灰色の迷彩服に身を包み、背中にAK-12を背負った様々な種族の〝社員”たちだ。

 

「お待ちしていました、同志タクヤ。社長が会議室でお待ちかねです」

 

「どうも」

 

 案内板を確認し、ラウラを連れて会議室へと向かう。

 

 おそらく、この〝会議”はただでは終わらないだろう。何事もなく帰路につく可能性は――――――0%だ。

 

 階段を上がり、分厚い防弾用のボディアーマーとライオットヘルメットを装備した重装備の社員とすれ違う。ライオットヘルメットの下にバラクラバ帽をかぶっていたから素顔は分からないけれど、体格から判断するとおそらくオークだろう。いくら広い通路とはいえ、Kord重機関銃をがっちりした体格のオークが肩に担いでいると狭い通路に思えてしまう。

 

 先ほどから、ラウラはずっと下を向いたままだった。ヘリの中で声をかけても、首を小さく横に振るか、縦にしか振らない。最後に彼女の声を聴いたのは、タンプル搭の部屋で親父から送られてきたメッセージを彼女に知らせた時だろうか。

 

 甘やかしてもラウラのためにならないというのは理解できている。けれども―――――――――少しでも軽い処分で済みますようにという矛盾した祈りが、一歩前へと進む度に膨れ上がり、俺の心を押し潰そうとしていた。

 

 肉親だからという理由だけではない。彼女を愛しているから、そう思ってしまうのかもしれない。

 

 階段を上がって左へと曲がると、アルファベットに似た文字で「会議室」と書かれているプレートが表示された部屋の前へと出た。入り口のドアの前では2人の警備員が立っており、俺たちの姿を見ると表情を変えないまま小さく頭を下げた。

 

「武器をお持ちでしたら、こちらでお預かりします」

 

「お願いします」

 

 S&WM500のハンターモデルを2丁と、4インチの予備のリボルバーを1丁彼らに預け、テルミットナイフもここに置いていく。俺たちは親父たちと戦いに来たのではなく、処分を受けるためにここへとやってきたのだ。

 

「ほら、ラウラ」

 

「……………」

 

 ラウラにも持っていたテルミットナイフを手放させると、警備員に「これで全部です」と報告する。

 

 念のため彼らのボディチェックを受け、やっと通っていいと許可を受けた俺とラウラは、息を呑んでから会議室のドアをノックした。

 

 彼女がやったことは許されないことだけど、それでも俺は彼女を信じる。決して見捨ててたまるか。

 

『―――――――入れ』

 

 ドアの向こうから親父の声が聞こえてきた瞬間、俺は無意識のうちにまたしても息を呑んでいた。じわりと冷や汗が浮かび、猛烈な緊張感が楽観的な要素をすべて吹き飛ばす。

 

 ブラウンの大きなドアを開け、ラウラを連れて中へと入る。会議室の中はタンプル搭の会議室よりも広く、会議室というよりはまるで議会が行われる議場のようになっていた。そんな広さの割には特に何も置かれていない会議室の奥の方には横へと伸びた大きな机があり―――――――――その机の奥に、ずらりとモリガンのメンバーたちが腰を下ろしている。

 

 てっきり親父や母さんだけ呼ばれるだろうと思っていたが、その時点で甘かったのかもしれない。まさか、最強の傭兵ギルドのメンバーが全員召集されるとは思ってもみなかった。

 

「―――――――テンプル騎士団団長タクヤ・ハヤカワ、及び副団長ラウラ・ハヤカワ、出頭しました」

 

「――――――――休め」

 

 机の向こうで腕を組む親父に低い声で言われ、俺とラウラは素早く手を後ろで組みながら足をほんの少し広げた。

 

「……………ラウラ、タクヤから聞いた。レナを殺したそうだな?」

 

「……………はい」

 

「理由は?」

 

 理由についてもメッセージに書いておいたはずだが、親父はあくまで本人から聞き出そうとしているのだろう。俺が嘘をついている可能性もあると疑っているのだ。だから決して無意味なやり取りなどではない。

 

「……………タクヤを汚そうとしたあの女が、許せなかったんです」

 

「随分と個人的な理由だな。……………まあいい、タクヤの報告通りというのは分かった」

 

 そもそも、嘘をつけるわけがない。モリガン・カンパニーの中にはテンプル騎士団のシュタージのような諜報部隊がある。しかも俺たちとは違い、多くの資金を贅沢に使った一流の訓練を受け、多くの優秀な人材によって構成される、現時点ではこの異世界で最強の諜報部隊だ。俺たちの行動まで把握されていたのだから、ラウラがやらかした事もすぐに筒抜けになる。

 

 腕を組んでいた親父は表情を変えなかった。前に出会った時よりも伸びた顎鬚のせいなのか、まだ39歳だというのに老けているように見える最強の転生者は、息を吐きながら腰のホルスターに収めていたトカレフTT-33を自分の目の前のテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がる。

 

 あのトカレフが何を意味するのか、俺は瞬時に理解した。

 

 覚悟は決めた筈だ。テンプル騎士団を束ねるのは俺で、指示を出すのも俺ということは、責任を取らなければならないのも俺という事である。副団長のラウラがレナを殺してしまったのは、俺の責任だ。俺が彼女をちゃんと制御しなかったから。そして、彼女をちゃんと見ていなかったから。

 

 ラウラにも罪はあるが、俺にも罪はある。同罪なのだ。

 

「処分を言い渡す。――――――――テンプル騎士団団長タクヤ・ハヤカワを、銃殺処分とする」

 

「!?」

 

 俺は覚悟を決めていた。もしかして、最悪の場合はこうなるんじゃないかと。そして俺はこの会議室の中で、最低最悪の〝当たり”を引いてしまった。そう、頭に7.62×25mmトカレフ弾をぶち込まれるという〝当たり”だ。

 

 他のどんな弾丸でも、実弾である以上は頭に叩き込まれれば結果は同じ。俺の死体がどれほど損傷するかの違いしかない。拳銃の弾丸なら風穴があき、脳味噌とか頭蓋骨の破片がほんの少しまき散らされる程度で済む。さすがに散弾や機関銃の弾薬は悲惨なことになりそうだけど、これならまだいい。

 

 しかし、ラウラはこうなると思っていなかったらしい。目を見開き、トカレフに弾丸が装填されているか確認を始めた親父を見つめながら、ラウラは狼狽していた。

 

「ま、待ってよパパ! 何でタクヤが死ななきゃいけないの!?」

 

「タクヤはテンプル騎士団の団長だ。タクヤの同志が問題を起こしたら、彼が責任を取らなければならない。……………それに、釘は刺したはずだ」

 

「だ、だったら、私を銃殺にしてよ! タクヤは……………関係ないよ……………!」

 

 しかし親父は、ラウラには何も言わずにマガジンをトカレフの中へと収めた。もう決まっているのだと言わんばかりに射撃の準備を進め、銃口をこっちへと向ける。

 

 トカレフTT-33は、安全装置(セーフティ)を搭載していないために射撃準備はすぐに済む。第二次世界大戦中の旧式の銃とはいえ、親父のようにレベルの高い転生者が外殻で硬化していないキメラの頭にぶち込めば、普通の人間のようにキメラを殺すのは容易い。キメラの角は12.7mm弾のフルオート射撃でも砕けないほど硬いけれど、それはあくまで角が硬いだけであり、頭蓋骨の硬さはあまり人間と変わらない。

 

「パパ、やめて……………!」

 

「同志、何か言い残すことは?」

 

 ああ、やっぱり死ぬのか。

 

 まだ18年しかこっちの世界で生きていないけど、悪くない人生だった。前世のクソッタレな人生と比べれば刺激的で、波乱万丈で、希望があった。それに今度は仲間もいたし、親にも恵まれた。あらゆる要素に恵まれた人生だけど、俺の最後はこんな死に方か。

 

 息を吸い、身体の力を抜く。

 

 結末は、これでもいい。ラウラが幸せになってくれるのならば。

 

 もしもまたこの世界に転生したように〝やり直す”機会があるのならば―――――――――こうならないように、今度は何をするべきだろうか。俺が言い残してから親父が弾丸を放つまでにどれだけの猶予があるのだろうかと考えつつ、俺は頭に浮かんできた言葉を口にする。

 

「――――――――同志、ラウラを頼みます」

 

「!」

 

「……………よろしい」

 

 きっと、あと5秒。容赦がないとはいえ、親父にも実の息子を撃ち殺すのに多少の躊躇いがある筈だ。もし仮にしれがなかったとしても、4秒くらいだろうか。

 

 ああ、そういえばこの人生でやっと童貞じゃなくなったんだっけ。もう少しで親父に撃ち殺されるというのに、どうしてこんなことを思い出してしまうのかと呆れながら、俺は息を吐いた。こんな時はせめてリラックスして死にたいものだ。もしこんな状況じゃなかったら、今頃俺は笑っていたに違いない。

 

 前世の世界では、俺に彼女はいなかった。けれどもこっちの世界で可愛い彼女ができたじゃないか。

 

 腹違いのお姉ちゃんだけど、料理も上手になったし、とても優しかった。俺のためにいろいろとやってくれる優しいお姉ちゃんだった。今回の事件はその優しさが他人に牙を剥いてしまっただけなんだろう。

 

 いい教訓だ。決して手綱からは手を離してはならないという教訓。これは絶対に忘れないようにしよう。

 

 それにしても、せめて結婚して子供を作るまでは生きていたかったなぁ……………。

 

 海底神殿でも想像したウエディングドレス姿のラウラを思い浮かべたその時、隣に立っていたラウラが直立をやめた。唇を噛みしめながら俺の前に立ち、銃を向けられている俺を庇うかのように両手を広げ、親父を睨みつけている。

 

「ラウラ、何のつもりだ?」

 

「――――――――お願い。殺すなら私にして」

 

「おい、ラウラ。やめろ」

 

「ラウラ、どけ」

 

「嫌だ」

 

「親父、やめてくれ。殺すなら俺にしろ」

 

 ラウラに立ちはだかるのをやめさせようと手を伸ばすが、割と力を込めて彼女を退かせようとしたつもりなのに、ラウラは微動だにしなかった。俺を守ろうとする彼女の決意を、自分自身で体現しているかのようだ。

 

 お姉ちゃん、やめてくれ。俺が責任を取って済むなら、それでいいんだ。もしここでラウラが死んでしまったら俺はどうすればいい? ラウラがいなくなった世界で生きていくのは……………嫌だ。

 

 そこで俺は、彼女も同じ事を考えていることに気付いた。ラウラも俺と離れ離れになるのが辛いのだ。せめて再会できる見込みがある状態で別れるのならば許容できるけれど、死別するとなればもう再会はできない。すぐに自分自身を殺してあの世に行ったとしても、天国や地獄で再会できるとは限らないのだ。

 

「ラウラ……………」

 

「親父、ラウラを撃ったらいくら親父でも許さないからな」

 

「ほう? ……………お前は俺を殺せるのかね?」

 

 無理な話だ。実力差があり過ぎる。たった1匹の小さな虫が、重戦車に戦いを挑むようなものだ。育ててもらったからという理由だけではない。単純な実力差の話である。

 

「――――――――殺すのは無理だ」

 

 そう、〝殺す”なら無理だ。

 

 けれど、殺すことを目標としないのならばまだ望みはある。

 

「でもよ、あんたの四肢のどれかを道連れにするくらいならできるかもしれないぜ、魔王様」

 

「タクヤ……………」

 

「……………」

 

 だから、撃つなら俺を撃て。ラウラを殺すのは止めてくれ。

 

 そう祈りながら親父の目を睨みつけていると、親父は一瞬だけ微笑んでから――――――――右手に持っていたトカレフをホルスターの中に戻し、椅子に腰を下ろした。

 

「……………またリハビリするのは勘弁だな」

 

「パパ……………」

 

 ん? 銃殺は取り止めか?

 

「――――――――処分を変更する。タクヤは3日間の自宅謹慎処分。その後はテンプル騎士団に復帰し、人員の育成および軍拡を進め、ヴリシア侵攻に備える事。ラウラはこちらで編成する『懲罰部隊』に転属させ、こちらの判断でテンプル騎士団への復帰を認める。悪いが、それまでお前たちは離れ離れだ。それがお前たちに課す処分である。……………すまないな、同志諸君。これでいいかね?」

 

「ええ、それが妥当でしょうね」

 

「私もだ。異論はない」

 

「少々甘い気もするけど……………問題ないわ」

 

『はい、そうしましょう』

 

 親父が問いかけると、隣に座っているモリガンのメンバーたちも頷いた。

 

 つまり俺の処分は、まず3日間の自宅謹慎処分。実質的に俺への罰はこれだけだが、ラウラにしばらく会えなくなってしまうという大きな精神的な苦痛がある。おそらくそっちの方が俺への罰として機能することだろう。

 

 ラウラはモリガン・カンパニーで編成される懲罰部隊へと入れられ、そちらでの任務を受け続けることになるらしい。どんな任務を受けさせられるのかは不明だが、おそらく危険な任務ばかりになるだろう。彼女の戦闘力なら乗り越えられると信じたい。

 

 ヴリシア侵攻を控えているから、それほど大きな罰にならなかったのかもしれない。ヴリシア帝国は今ではもう吸血鬼たちの総本山で、モリガンのメンバーだけで殴り込みに行っても勝ち目は不明だという。確実に勝利するためには、より良い装備を持った兵士たちを引き連れて攻め込むべきだという結論が出ているので、ここで下手に戦力を減らす真似はしたくないのかもしれない。

 

 特にラウラには、どんな狙撃手にも真似できない稀有な能力がある。それに彼女の狙撃の技術はすでに親父を超えているのだから。

 

 今の状況に救われたのかもしれない。親父は「またリハビリするのは勘弁だ」と言っていたけど、そういう考えだったに違いない。

 

 とにかく、予想していたよりも軽い処分で済んだけど―――――――――これからは、かなり寂しいことになりそうだ。今まで隣にいてくれた優しいお姉ちゃんが、一時的にとはいえいなくなってしまうのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室の外で、いったん俺はラウラと別れることになった。彼女にはこれから懲罰部隊へ入隊する手続きがあるという。

 

 懲罰部隊とはいえ、実質的に隊員はラウラ1人のみ。監視役に数名の社員とリディアが付くという。〝監視役”という事になっているが、おそらくリディアが率いる監視部隊は敵前逃亡しようとする兵士を撃ち殺す〝督戦隊”に近いのかもしれない。

 

「……………」

 

「ラウラ」

 

 親父に連れられて去っていくラウラを呼ぶと、彼女はゆっくりとこっちを振り返ってくれた。いつもの微笑みは浮かんでおらず、申し訳なさそうな雰囲気を放つ虚ろな表情だ。

 

「……………俺、いつまでも待ってるからさ」

 

「タクヤ……………」

 

 ラウラならきっと、贖罪を終えて帰ってきてくれる。また前のように俺の隣にいてくれると信じている。だから俺は、いつまでも彼女の帰りを待つことにする。

 

 どれくらいかかるか分からないけれど、俺は1人だけになっても、ラウラの帰りを待つつもりだ。

 

「……………ごめんね、できるだけ早く帰れるように頑張るから」

 

「おう!」

 

 微笑むと、ラウラもやっと微笑んでくれた。

 

 いつもの優しそうな、お姉ちゃんの笑顔だった。

 

「行くぞ、ラウラ」

 

「うん、パパ」

 

 親父と一緒に廊下の奥へと歩いていくラウラを見守り、こっそりとハンカチを取り出していつの間にか浮かんでいた涙を拭き取る。近くにはさっきの警備員もいないし、廊下を通っている社員の人もいないからバレない筈だ。

 

 それにしても、お姉ちゃんにしばらく会えなくなるだけでいつの間にか泣いちまうなんて……………。すっかりシスコンになっちまったな、俺も。

 

「タクヤ」

 

「はいっ!?」

 

 うわ、母さん!?

 

 やけに凛々しい声で後ろから名前を呼ばれ、俺はうっかり涙を拭いていたハンカチを落としてしまう。大慌てでそれを拾い上げつつ後ろを振り向いてみると、やはりそこには俺にそっくりな姿の女性が、真っ黒なモリガン・カンパニーの制服に身を包んで立っていた。

 

 もう39歳になる筈なのに、容姿が20代中盤くらいからあまり変わっていない。親父は容赦なくガンガン老いているというのに、何で母さんとエリスさんはいつまでもこんなに若々しいんだろうか。

 

 母さんは涙目になっている俺を見ると、ニヤリと笑ってからため息をついた。

 

「やはり、辛いか」

 

「…………ああ」

 

「そうか。……………タクヤ、これを見てみろ」

 

「ん?」

 

 そう言いながら母さんが取り出したのは――――――――真っ黒に塗装された、1丁のトカレフTT-33だった。

 

「トカレフ?」

 

「リキヤの銃だ。…………マガジンを見てみろ」

 

「?」

 

 言われた通りにグリップの下部からマガジンを取り出してみる。スムーズに姿を現したマガジンを見てみると……………その中に納まっている筈の銃弾が、1発も見当たらなかった。

 

 さっきは遠くてはっきり見えなかったけど、まさかあの時からこのトカレフには1発も弾が入っていなかったのか!?

 

「これって……………!」

 

「ふん……………愛おしい我が子を銃殺する親などいないよ」

 

 親父は、最初から俺かラウラを殺す気なんてなかったんだ。もしかするとああやって俺たちに銃殺すると宣言して銃を向けたのは、俺たちの覚悟を見るためなのか……………?

 

「それにしても、あいつも甘くなったものだ。若い頃は容赦のない男でな、たとえ自分の子供でもこんな情けをかけることはしない男だったのだが……………やはり、結婚して子供を作れば、どんな冷酷な兵士でも父親になるものなのだな」

 

「親父……………」

 

 もうラウラと親父の後姿は見えなくなっていたけど、俺は先ほど2人が歩いて行った廊下を、弾の入っていないトカレフを手にしながらずっと見つめていた。

 

 

 

 



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姉との別れ

 

 

 モリガン・カンパニーには、そもそも懲罰部隊という部隊は存在しなかった。

 

 最近は軍拡にも力を入れ始めたモリガン・カンパニーだが、その世界規模の超巨大企業を支えるのは、身分や種族での差別が当たり前なこの世界から置き去りにされた労働者たち。企業の原動力はそんな彼らの奉仕と、自分たちを捨てた世界を見返してやろうという気持ちだった。リキヤたちはあくまで、そんな彼らにチャンスを与える代わりに力を借りようと思ったに過ぎない。

 

 そんな大きなチャンスを与えてくれた〝魔王”に、泥を塗ろうとするような輩は1人もいなかったのである。もし仮にいたとしても、警備分野の社員や戦闘部隊の兵士たちの厳重な監視の下で処分されることになっている。

 

 そのような処分方法があったため、このような部隊を編成する意味はなかったのだ。しかし、そのような処分で貴重な人材を失うダメージは大きい。そのために彼らにさらなるチャンスを与えるべきという意見を反映し、懲罰部隊が発足することとなった。つまりこの懲罰部隊は、新しく創設された部隊なのである。

 

 部隊を構成するのは何かしらの罪を犯したか、命令違反などの規律を破った社員たち。与えられる装備は戦闘部隊とは変わらないが、彼らの背後には『督戦隊』と呼ばれる部隊も控えているのが通常の部隊との大きな違いだろう。

 

 督戦隊の任務は、最前線へと向かう懲罰部隊の移送や監視。もしそのまま規律を破ろうとする者がいれば即座に射殺し、装備品や情報の外部流出を防ぐという役割もある。それだけならばかつてのソ連軍の督戦隊と変わらないが、モリガン・カンパニーの督戦隊には、『必要に応じた懲罰部隊の隊員のサポート』という任務もある。敵の集中砲火で苦しめられているのならば戦闘ヘリの機関砲で敵を薙ぎ払い、生き残った兵士には補給品や弾薬を補給し、彼らの肉体的な疲労の軽減や精神面の摩耗を防ぐのだ。

 

 現時点で、その督戦隊を率いるのはリキヤたちが手塩にかけて育てた、世界初のホムンクルスであるリディア・フランケンシュタイン。銃を多用するモリガンの関係者の中では珍しく銃を使わず、日本刀のみで戦う猛者の1人である。彼女と配下の少数の兵士で、督戦隊を構成するのである。

 

 そしてリディア率いる督戦隊が監視する懲罰部隊は――――――――現時点では、ラウラ・ハヤカワただ1人。

 

「……………」

 

 スコープを取り外し、代わりに古めかしいタンジェントサイトを取り付けられたアンチマテリアルライフルを構えていた少女は、その照準器の向こうで紅い液体が飛び散ったのを確認してから息を吐き、素早い手つきでボルトハンドルを引いた。

 

 エジェクション・ポートから華奢な彼女の指よりも太い空の薬莢が飛び出し、煙と熱を纏いながら地面に転がる。キン、という小さな音が、役目を終えた薬莢の最後の音色だ。

 

 今まで何度も聞いた音だ。相手に向け、自分自身の殺意を放った音。そしてそれが命中し、標的の命を奪った音。幼少の頃から動物や魔物を相手にした際に聞いている音だから、銃声だけでなく、ボルトハンドルを引く際に生じる音や薬莢が転がる音も、すべて彼女自身の鼓膜に焼き付いている。

 

 けれども、今ばかりは全てが違う感覚のように思えた。

 

 今までならば、隣で戦果を褒めてくれる最愛の弟がいた。戦いを終えて傍らに戻れば、怪我はないか心配して駆け寄ってくれるパートナーもいた筈だ。なのに今の彼女の隣には、誰もいない。左利きの彼女の隣にあるのは、地面の上に転がった空の薬莢だけである。

 

 誰もいない。――――――――今の彼女は、1人だ。

 

(あの子がいないだけで、こんなに感覚が違うのね……………)

 

 戦果をあげても、嬉しくない。彼女の見つめる1.2km先には、胸から上を14.5mm弾に食い破られた転生者の死体が転がっているというのに。幼少の頃から今までに何度も感じた、遠距離の標的を仕留めたという達成感は全然感じない。

 

 隕石が落下したクレーターにスコップでなけなしの土を放り込んでも、その大き過ぎる穴が埋まることはない。時間をかけて土を放り込んでいけばいずれは穴は埋まるだろうが、それまでに一体どれだけの転生者が彼女の餌食になるのだろうか。

 

 もし仮に、隣に〝彼”がいれば―――――――――どんなに大きな穴でも、一瞬で埋まってしまうことだろう。

 

 その少年にはそういう力がある。最愛の少年と離れ離れにされラウラはそれを痛感していた。

 

 ひとまず仕事を終えたアンチマテリアルライフルを拾い上げ、バイポットを折り畳んでから背中に背負う。念のためもう一度物陰に隠れ、彼女の特徴でもある頭の中のメロン体から超音波を放出して周囲を索敵し、敵の伏兵がいないことを確認してから移動を開始する。

 

 エコーロケーションで索敵済みとはいえ、敵がエコーロケーションを探知して何かしらの対策をしていたり、地形の中に上手く溶け込んでいれば彼女の索敵は何の意味もない。念のために装備してきたPPK-12を構えて周囲を警戒しつつ、後方で待機している督戦隊の元へと急ぐ。

 

 彼女が先ほど使用していたアンチマテリアルライフルは、ロシア製アンチマテリアルライフルの『KSVK』と呼ばれるライフルである。命中精度に優れるボルトアクション式となっており、更に銃身が長く小回りが利かない傾向にあるアンチマテリアルライフルの欠点をブルパップ式というもう1つの特徴が緩和してくれているため、タクヤが愛用するOSV-96と比べると扱い易い。更にロシア製の武器の特徴である堅牢さも兼ね備えているため、信頼性も極めて高い。

 

 ラウラのために施されていたカスタマイズは、使用弾薬を12.7mm弾からより大口径の14.5mm弾に変更していた事と、銃身をやや伸ばして射程距離を2kmまで伸ばし、底上げを図っている事と、左利きのラウラのためにボルトハンドルをはじめとするあらゆる部品を左右逆にした事の3点だ。これによりレベルの高い転生者の防御力を上回る貫通力で撃ち抜くことが期待できるし、長い射程距離は彼女の技術を更に生かしてくれる。自分の姉のことをよく分かっているからこそできるカスタマイズである。

 

 自宅で謹慎処分となっているタクヤがラウラに届けるようにと督戦隊に預けたライフルは、しっかりとラウラの元へと送り届けられ、こうして実戦で早くも戦果をあげていた。

 

 警戒しながら廃墟となった村の外側へと進んでいくと、そこに漆黒に塗装された汎用ヘリのカサートカが鎮座していた。機種の右側には首輪を付けられ、両腕を手枷で束縛された人狼のエンブレムが描かれており、ラウラが身に纏うより軍服に近いデザインの制服の左肩にも、同じエンブレムが縫い付けられている。

 

 その束縛された人狼が、懲罰部隊のエンブレムである。

 

「お帰りなさい、同志ラウラ」

 

「ただいま。……………次のミッションは?」

 

 ヘリの傍らで機体の整備をしていた督戦隊の隊員に声をかけられた彼女は、まだ若い隊員が差し出した紅茶入りの水筒を受け取りながら問いかけた。

 

「落ち着いてください。もう今日で6つもミッションを受けているんです。しかも全員転生者が相手だったんですよ? そろそろ休むべきです」

 

「いえ、すぐに出撃よ。準備して」

 

「しかし……………無理し過ぎです」

 

「構わないわ。これが私への罰ならば、苦しまなければ意味がないもの」

 

 弟のためとはいえ、まだ何の罪もなかった少女を個人的な理由で惨殺してしまったのだ。贖罪を終えて仲間の元に戻るまでに楽をしていたら、きっと仲間たちや殺してしまったレナは許してくれないだろう。

 

 それゆえに、限界まで自分を摩耗させる。今の自分は罰を受けているのだから。

 

 鮮血を思わせる紅い瞳に見据えられた隊員が、コクピットで待機するパイロットに向けて肩をすくめた。この少女を止めるのは無理だろう、というサインらしい。

 

「……………分かりました。次のミッションも転生者の討伐です。しかも6名ほどのグループで盗賊の真似事をしているとか」

 

「そう。……………KSVK(この銃)のマガジンが丁度空になる人数ね」

 

 KSVKのマガジンは、ラウラのためのカスタマイズで14.5mm弾に変更されたために大型化してしまっているが、内部の弾数はオリジナルと同じく5発となっている。それに最初に装填されている1発を加えれば、次のミッションで彼女の標的となる転生者たちはちょうどその弾丸で始末できる。

 

 懲罰部隊へ入隊する際に短くした赤毛に触れながら、彼女はカサートカの兵員室へと乗り込んだ。タクヤから貰ったプレゼントのリボンは結んでいないが、大切なリボンはちゃんと制服のポケットの中にしまってある。

 

 兵員室の椅子に腰を下ろし、背負っていたKSVKを傍らのケースに収めていると、向かい側に座っていたリディアが髪を切ったラウラを興味深そうに見つめていた。髪を短くしたとはいえ、元々長かった赤毛をセミロングくらいの長さに切っただけである。その髪型がちょうど自分と似ていることに気付いたのか、リディアは自分の紫色の髪を触れながら微笑んでいた。

 

 おそろいだ、と言いたいのだろうか。リディアは言葉を全然発しない割には感情豊かなので、彼女がこちらに何を伝えたいのかまだラウラは分からない。

 

「そうね、おそろいだわ」

 

 今の返答で合っていたのだろうかと思いつつ、ラウラは兵員室の窓から後ろの方に広がる夜景を見つめた。

 

 その夜景の正体は―――――――タクヤが謹慎されている、サン・クヴァントの街並みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――正気か?」

 

 目の前にいる男の命令に思わずそんな返事を返してしまいながら、俺は机の向こうにいる赤毛の男がなんと言うか予測していた。どうせ「ああ、正気だ」って返してくるんだろう。幼少の頃からこの男に鍛えられたし、こんなやり取りも何度かあったから予想はつくのだ。

 

「ああ、正気だ」

 

 ほら。

 

 こうやって、何度も辛い訓練を経験してきた。屋根の上をラウラと一緒に駆け回り、親父から逃げ回る鬼ごっこや親父たちと戦う模擬戦。俺たちが成長するにつれてどんどん条件が厳しくなっていき、15歳の頃の鬼ごっこはまるで強制収容所から逃げ出した捕虜と、それを追跡して射殺しようとする警備兵のような、ちょっとばかり物騒な〝鬼ごっこ”と化した。

 

 しかもあの時の親父は、ご丁寧に第二次世界大戦中のドイツ兵のコスプレをして追いかけてきたのである。オリーブグリーンの軍服とヘルメットをかぶり、腰にスコップを下げながら、MP40を手に持って追いかけてきた親父はマジで強制収容所から逃げ出した捕虜を始末するために派遣されたドイツ兵のようだった。……………当たり前だが、当時のドイツ兵はそんな装備で屋根の上に飛び乗って駆け回ったりしない。そんな身体能力のドイツ兵が相手だったら、今頃アメリカやロシアは敗戦国という汚名を押し付けられていたことだろう。

 

 ラウラは笑いながら逃げ回っていたが、俺にとってあの光景はちょっとしたトラウマである。ドイツ兵があんなに怖いなんて思ったことは一度もない。

 

「無茶だ。シュタージにはまだ危険すぎる」

 

「安心しろ。こちらの諜報部隊も派遣する」

 

 ラウラの処分決定から3日が経過し、そろそろ支度をしてカルガニスタンへと戻ろうとしていた俺に親父が言い渡した命令は、無茶としか言いようがない任務であった。

 

 吸血鬼の総本山となっているヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントに―――――――――シュタージを潜入させ、敵の戦力を偵察させろというのである。

 

 確かにそういった作戦を想定して編成されたのが、テンプル騎士団の諜報活動を担当するシュタージだ。敵の拠点に潜入して情報を収集したり、敵に嘘の情報を流して実働部隊を支援するのがシュタージの本来の役割。俺たちと一緒に戦車に乗り、敵を蹂躙するのはあくまでも副業でしかない。

 

 だが―――――――――シュタージは、まだ本格的な諜報部隊として機能しているとは言い難い。

 

 錬度は高いが、問題は新たに配属されたノエルだ。彼女は諜報活動というよりは暗殺を重視した訓練を受けており、場合によってはシュタージにとっての〝矛”となり得る逸材だが、まだ実戦を経験した回数が少な過ぎる。

 

 それに、クランが率いるシュタージにも、そんな危険な任務を命じるのはこれが初めてだ。優秀な転生者ばかりで構成された諜報部隊とはいえ、いきなり転生者を上回る戦闘力を持つ吸血鬼の総本山に、たった5名だけで潜入しろというのは無謀すぎる。

 

 第一、現地でモリガン・カンパニー側の諜報部隊とちゃんと連携が取れるかも分からない。あまりにも錬度に差があり過ぎれば、仲間の足を引っ張る羽目になってしまうからだ。

 

「軍拡はもう十分だ。今度の作戦には、100隻以上の駆逐艦や空母が投入される。もちろん、航空部隊もな。陸海空の兵力をすべて投入した本格攻撃だ」

 

「帝都の住民は?」

 

「事前にこちらから、吸血鬼殲滅のために退去するよう通告してある。……………21年前のレリエルとの戦い以来、向こうは俺たちに信頼を寄せてくれているようでね。当時の騎士団長宛に手紙を書いたら、すぐに住民を退去させるように手配してくれたよ。とはいえいきなりすべての住民を退去させれば吸血鬼に察知されるから、退去開始は来月の下旬にしたらしい」

 

 人間は、吸血鬼たちにとって食料だ。彼らはあらゆる生物の血を吸うことで空腹感を消し去り、栄養を吸収する。しかし吸血鬼が最も好むのは、あくまでも人類の血だ。

 

 今の状態のままでそんな大規模な兵力を投入した攻撃を行えば、多くの帝都の住民が犠牲になるのは言うまでもない。しかも通告もなしにそんなことをすれば、この世界で最強の国家と言われているオルトバルカとヴリシアの戦争が始まってしまう可能性もある。

 

「同志タクヤチョフ。帝都サン・クヴァントに諜報部隊を派遣し、敵の戦力を探れ」

 

「……………了解です、同志リキノフ。シュタージにはそう命令いたします」

 

「よろしい」

 

 俺は反論せずにそう言うと、敬礼しながら「では、タンプル搭に戻ります」と言い残して会議室を後にした。分厚いブラウンの扉を閉めて、警備していた重装備の警備兵から護身用のS&WM500を受け取ってから踵を返す。

 

 3日間も自宅で謹慎処分になってしまったため、ナタリアたちは心配している事だろう。念のため彼女たちには、無線で3日間ほど王都に滞在していくことと、ラウラは王都で親父から訓練を受けることになったため、しばらくタンプル搭には戻れなくなったという事を伝えておいた。

 

 いくらなんでも、仲間に「ラウラが懲罰部隊に入隊させられた」と言うわけにはいかない。復帰した後に問題になる可能性もある。

 

 さて、これからお姉ちゃんのいない生活か。…………なんだか、慣れそうにない。自室で食事を間違って2人分作ってしまいそうである。

 

 本社の建物を後にし、ヘリポートに向かう。3日間も出しっ放しにしている間に整備員が整備してくれたのか、俺とラウラが乗ってきたカサートカは砂の汚れを落とされたピカピカの状態でヘリポートに待機していた。

 

 整備兵に敬礼し、コクピットに乗り込む。燃料計をチェックし、補給してあることを確認した俺は、エンジンを始動させて離陸許可を待つ。

 

 これから俺は、1人でタンプル搭に帰らなければならない。しばらく俺の隣には、誰もいない。1人だけだ。どれだけ戦果をあげても、褒めてくれるパートナーがいない。

 

 いつも隣にいてくれた優しいお姉ちゃんがいないと考えるだけで、心が折れそうになる。果たして今夜は、ベッドで無事に眠ることができるのだろうか。

 

『こちら管制塔。アルファ1の離陸を許可します』

 

「了解(ダー)、同志。これより離陸する」

 

『了解(ダー)。魔物の目撃情報はなし。ご安心を』

 

「Спасибо(どうも)」

 

 見送ってくれる整備員に敬礼しつつ、俺はカサートカを上昇させた。メインローターが生み出す風圧がヘリポートから広がっていき、整備用のコンテナを保護しているテントを揺らしていく。

 

 少なくとも、ラウラがヴリシア侵攻作戦までに復帰してくれることを祈りながら、タンプル搭の方角へと向かって飛んでいく。瞬く間に中世のヨーロッパの城を思わせるモリガン・カンパニー本社が小さくなっていき、産業革命で発展した王都の街並みが広がる。

 

 街中に蒸気を巻きながら走り去っていく機関車たち。舗装された道路を進む数多の馬車。歩道をぞろぞろと歩いていく住民や冒険者たちと、露店に所狭しと並べられた売り物の数々。

 

 すべて、幼少の頃から見慣れた光景だ。けれども近くに彼女がいないだけで、全く知らない街の光景に思える。

 

 さようなら、ラウラ。

 

 みんなと一緒に待ってるから、早く帰って来いよ。

 

 魔物の侵攻を防ぐための防壁の上を通過しようとしたその時―――――――――真っ白な防壁の上に、見慣れた人影が立っているのが見えた。

 

 防壁の上には見張りの騎士たちが駐留しているのが当たり前だけど、彼らは真っ赤な制服を身に纏っているからすぐに判別できる。しかしその見覚えのある人影は真っ黒な制服を身に着けていて、いくらか短くなっているけれど赤毛だったから、すぐに見分けがついた。

 

 大人びた容姿と、炎を思わせる赤毛。そして背中に背負っているのは――――――――督戦隊に預けた、ラウラ用のKSVK。

 

 ――――――――ラウラだ。

 

「ラウラ…………?」

 

 てっきり、今頃ミッションに行っているのかと思った。けれども今の彼女は任務中と言うわけではなさそうだ。

 

 すると、防壁の上にいる彼女がこっちに向かって手を振ってくれた。上空を数秒で飛び去ってしまうヘリに向かって、何かを叫びながら手を振ってくれている。

 

「あ…………ああ……………!」

 

 今すぐ高度を落とし、彼女を連れて帰りたい。

 

 操縦桿を倒してしまおうかと思ったけれど、そうしようとした衝動をすぐに抑え込んだ。彼女は今、罰を受けている。そしてこれから味わうことになる孤独感は、俺にとっての罰だ。だからここで彼女を連れ帰ればその罰が無意味になる。

 

 ラウラのためにならない。そう思うと、先ほど俺の中を支配しかけていた衝動は徐々に消えていった。

 

 俺にできることは、彼女の帰りを待ち続ける事。

 

 彼女を嫁にするって決めたのだ。彼女が贖罪を終えて帰ってくるまで、俺はずっと待ち続けるべきだ。

 

「ずっと……………待ってるからな…………………………!」

 

 年老いてしまっても、待ってる。

 

 もし仮に帰ってくる前に老衰で死んでしまっても、成仏せずにずっと待ってる。

 

 だから―――――――――絶対に帰ってこい。

 

「待ってるからな、ラウラ………………!」

 

 きっと帰ってきてくれる。

 

 そうしたら、彼女にたくさん甘えよう。またみんなで冒険する時を思い浮かべながら、俺は涙を拭い去ってタンプル搭へと飛び去って行った。

 

 

 

 

 

 




正直に言うと、リディアは結構書き辛いですwww
何しろセリフがありませんから、他のキャラと違って心理描写とか仕草だけで表現しなきゃいけないので……………。キャラを考えているときは面白そうだと思って喋らないキャラにしたんですけど、自分でハードルを上げてしまったことをちょっとだけ後悔してます(笑)


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タクヤが1人になるとこうなる

 

 

 訓練しているタクヤを見ていると、なんだか不安になります。

 

 5日前に父親に呼び出されたタクヤは、ラウラを連れて2人で王都へと一旦戻りました。どうやら今度実行される大規模な作戦の会議に出席してきたらしくて、ラウラはその作戦のための特別な訓練を受けるため、王都に残ったそうなのです。だから2日前に帰ってきたのは、タクヤだけでした。

 

 その次の日の訓練をみんなで行ったのですが――――――――その時のタクヤは、様子がおかしかったです。

 

 いつもは当たり前のようにアサルトライフルの射撃を命中させていくのに、昨日は何発も外していました。銃剣突撃の訓練の時もぼーっとしていることが多く、いつもは先陣を切っていくのに昨日はみんなに遅れて走り出していました。

 

 いったい何があったのでしょう? 何かを気にしているように見えるのですが……………。ステラはタクヤが心配です。

 

 相談に乗ってあげたいところなのですが、彼に様子を尋ねると「ああ、大丈夫だよ。心配かけてごめんな」と笑顔を浮かべるタクヤに誤魔化されてしまうのです。

 

 どうすれば、タクヤは元気になってくれるでしょうか。訓練の時だけあのような失敗をするならまだ許せますが、さすがに実弾を使った訓練や実戦であんな失敗をすれば死んでしまうかもしれません。彼のためにも何とかしてあげたいのですが、ステラにはどうすればいいのか分かりません。

 

「………………」

 

「あら、ステラさん。どうしましたの?」

 

 訓練に使ったRPK-12の整備をしていると、射撃訓練を終えたカノンが近くにやってきました。愛用のSVK-12を背負いながらやってきたカノンは、部屋の床に座りながら銃の整備をしているステラの近くに2人分の椅子を持ってくると、その椅子に座りながらスコープのレンズを磨き始めました。

 

「ステラは、タクヤのことが気になるのです」

 

「お兄様が?」

 

「はい。王都から戻ってきてから元気がないというか、様子が変なのです」

 

「確かに………………なんだか、いつものお兄様とは思えませんわね」

 

 もしかすると、元気がない原因はラウラと離れ離れになってしまったことなのでしょうか。いつもあの姉弟は一緒にいますし、基本的に片方が欠けた状態を見たことは少ないです。メウンサルバ遺跡とシベリスブルク山脈で離れ離れになったことはありますが、あれはあくまでもダンジョンの調査中に起きたアクシデントが原因。今回のように別れたことは一度もありません。

 

 タクヤはラウラがいつ帰ってくるかわからないと言っていました。下手をすれば何年もかかるんじゃないかと言いながら笑っていましたが………………あの時のタクヤは、涙目だったような気がします。

 

 やっぱり、お姉ちゃんと離れ離れになるのは辛いのでしょう。若干違いますが、ステラにも気持ちは分かります。ステラも大昔にたくさんの友達と大切な家族を全て失ってしまいましたから。

 

 しかも、ステラが失ったものは2度と返ってくる事はありません。ラウラは返ってくる望みがありますが、ステラが失ったものは返ってくることはありえないのです。

 

「カノン、お兄様をどうやって励ませばいいのでしょうか?」

 

「うーん………………下手に励まさずに、気持ちが整理できるまでそっとしてあげるのがベストなのではないでしょうか?」

 

「放っておくのですか?」

 

「それも一つの手ですわ」

 

 レンズを磨き終えたカノンは、マガジンを取り外し、銃の中に弾薬が残っていないことを確認してからマークスマンライフルの掃除を始めました。

 

 いつもえっちなことを考えているカノンとは思えないほど真面目な声音で、彼女は言いました。

 

「けれども、もしダメなようだったらそっと支えてあげるべきですわ」

 

「………………」

 

 そうですね。

 

 もう少し、様子を見てみましょう。タクヤが自力で立ち直るならばベストですが、もしダメだったらみんなでタクヤを助けてあげるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に置いてある的に空いた穴の数を目の当たりにした俺は、予想以下の結果だったという事を知ってため息をついた。こんな結果が続くのはこれで3日連続。下手をすると、銃の撃ち方に慣れ始めてきた頃の自分自身よりも酷い結果かもしれない。

 

 今しがた、俺がセミオートでぶっ放した弾丸は31発。マガジンの中の30発と、最初から薬室の中に装填されていた1発である。だからラウラの狙撃のように同じ穴に弾丸をぶち込んでいない限り、目の前の的には順調に31個の風穴があいている筈だ。

 

 しかし―――――――――目の前にある的に空いている穴の数は、どこから見ても31個に満たない。それどころか20個にすら届いていないかもしれない。15個か14個だろうかと少し多めに予測しながら穴の数を数え、やはり実際の結果が甘い予測を下回っていたことを知って落胆する。

 

 11個。31発もぶっ放しておきながら、実際に命中した弾丸は11発である。

 

「酷いな、このスコアは」

 

 いつも通りなら31発の弾丸を全て命中させている筈だ。もし仮に外していたとしても、少なくとも27発を下回ることはない。フルオート射撃でぶっ放せばさすがに命中精度も落ちてしまうが、セミオートでの射撃や3点バースト射撃でこんなに外すのは考えられないことだった。

 

 ちなみに一昨日は12発で、昨日は14発である。

 

 こんなに外してしまったのは幼少の頃以来だろうか。やっと銃に触ることを許してもらい、王都の自宅の地下にある射撃訓練場で本格的な射撃訓練を始めたばかりの頃は、これよりももう少し多く外していたような覚えがある。

 

 ため息をつきながら空になったマガジンをAK-12から外し、安全装置(セーフティ)をかけてから射撃訓練場を後にする。

 

 どうしても、射撃する瞬間にラウラのことを考えてしまう。もしかしたら懲罰部隊で過酷な任務を遂行させられ、大怪我を負っているのではないだろうか。作戦中に行方不明になったり、転生者に捕まって暴行を受けているのではないだろうか。

 

 必死に集中しようとしているんだけど、どうしてもラウラのことが脳裏に浮かぶ。結局それが原因で全く集中できず、いつの間にか照準がずれてしまって命中率がとてつもなく悪化している。

 

 このままでは――――――――みんなの足手まといになってしまうに違いない。

 

 情けない自分に舌打ちしながら、とりあえず自室へと向かう。そろそろ夕食の時間だけど、できれば今は1人で過ごしたい。それに自室には買い溜めしておいた食材もあるから、それを調理して夕食を作ることにしよう。

 

 料理も趣味の1つだし、気晴らしにはなるだろう。

 

 すれ違った仲間たちに挨拶しながら、第一居住区へとたどり着く。自室のドアの前に立った俺はいつもの癖でノックしそうになったけれど、そういえばこの部屋に住んでいるのは俺だけだという事を思い出し、ドアをノックするために持ち上げた右手をすぐに引っ込めた。

 

 無造作にドアを開け、真っ先にソファへと向かう。いつもは訓練から戻ってくるとドアを開けたばかりの俺に甘えてくるお姉ちゃんがいたけれど、今は俺だけだ。ソファに座ればしがみついてくる優しいお姉ちゃんはいない。

 

 テンプル騎士団を率いる団長が、いつまでもこんな情けない状態でいるわけにはいかない。そういう自覚はあるのに、身体が言うことを聞いてくれない。今は1人なのだと何度も確認しても、もしかしたらラウラが返ってきてくれるのではないかと期待してしまう。訓練を終え、部屋のドアを開ければいつものようにお姉ちゃんが抱きしめてくれるのではないかと思い、ついつい期待しながらドアを開けてしまう。

 

 ソファから立ち上がり、部屋にあるキッチンへと向かう。冷蔵庫の中から野菜や自作したソーセージを取り出し、鍋も準備しておく。

 

 今夜は野菜スープにしよう。昨日は肉ばっかりだったし、なんとなく今夜は野菜が食べたい。野菜スープとパンで十分だろう。パンもライ麦のパンを買い溜めしておいたし。

 

 手順を思い出しながら、てきぱきと野菜を洗い、切っていく。ニンジンとキャベツを切り終え、玉ねぎを切ろうとして包丁に力を込めた瞬間――――――――玉ねぎを押さえていた指に、ちょっとした痛みが襲い掛かった。

 

「……………」

 

 ああ、指をちょっと切っちまった。

 

 当たり前だけど、いつもはこんなミスはしない。間違えて指を切ってしまうのはいつ以来だろうか? こっちの世界に来てからは切った覚えはないから、多分前世以来だろう。18年以上もやらかすことがなかったミスをこんなところでやらかすとは思っていなかった俺は、手早く傷口を水で洗ってからヒーリング・エリクサーを少しだけ口に含み、さっさと傷口を塞いでしまう。

 

 残っていた玉ねぎを切り終え、水を入れておいた鍋の中に野菜とソーセージをぶち込む。

 

 俺が不在の間に、偵察部隊がまた砂漠を進む商人たちの元から50人も奴隷を救出したらしい。やはり帰るべき故郷は焼き払われて残っていないらしく、独断でこちらで受け入れることにしたという。

 

 俺も確認したけれど、50人の奴隷たちは種族だけでなく年齢までさまざまで、少なくとも奴隷として使い物になる年齢の人々が集められていた。最も幼い奴隷は5歳くらいで、最年長は人間を基準に考えると、50代後半くらいの成人男性まで含まれていた。

 

 その中で、テンプル騎士団の力になりたいと志願した志願兵の人数は35名。早くも3日前からナタリアが訓練させているらしく、今日も彼女に率いられてタンプル搭の岩山の内側をランニングしている彼らの姿を目にした。

 

 念のため、一緒に受け入れた彼らの家族や非戦闘員にも最低限の戦闘訓練をさせるべきだろうか。人数が少ないし、もし戦闘部隊が出払っているうちに襲撃を受ければ、まだ防衛網が完全に機能していないタンプル搭はひとたまりもない。実質的に各ルートにつき2ヵ所ずつある検問所を突破されれば〝本土決戦”の始まりなのだから。

 

 使い方が簡単で、なおかつコストがかからないものを中心に選び、訓練させるべきだろう。とりあえずこの案は今度の会議で円卓の騎士たちの判断に委ねてみようと思う。もちろん、幼い子供に銃を持たせるつもりはない。せめて10歳になっていれば訓練させるが、10歳未満は絶対に認めない。

 

 スープに味付けし、もう少し煮込んでから火を止める。おたまで皿にスープを注いでから、俺は2人分のスープを持ってリビングの方へと向かった。

 

「お姉ちゃん、ごはん―――――――――ああ、そうか。1人か」

 

 またいつもの癖だ。ラウラの分まで用意しちまった……………。

 

「……………」

 

 くるりと踵を返し、余計に用意してしまった皿の中身を鍋の中へと戻す。鍋の中へとUターンする羽目になった具材を見届けてから、新しい皿の上に買い溜めしておいたライ麦のパンをこれでもかというほど盛り付け、スプーンを用意してから1人でテーブルへと向かう。

 

 そういえば、ラウラはちゃんとしたご飯を食べさせてもらっているだろうか。残飯のようなものを食べさせられていないことを祈りながら、1人しかいない部屋の中で、黙々とパンを齧り、スープを飲み込んでいく。

 

 今夜は早めに寝よう。明日は訓練があるし、シュタージとの打ち合わせもある。

 

 再来週にはシュタージはヴリシア帝国へと向けて出発し、到着した日のうちに諜報活動を開始することになっている。大きな作戦の前に、団長が落ち込んでいる場合じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 円形の大地から屹立する巨大な砲身の外周を、金髪の少女に率いられた兵士たちが走っている。年齢や種族はバラバラで、俺やナタリアと同年代に見えるエルフの少年や少女もいるし、人間ならば50代に差し掛かっていそうな男性もいる。テンプル騎士団の黒い制服に身を包み、背中には全面的に採用されているアサルトライフルのAK-12を背負いながら、息を切らしつつランニングする兵士たち。

 

 彼らは全員、俺が不在の間に加わった志願兵たちだ。

 

 故郷を失い、帰る場所を失ってしまった哀れなカルガニスタンの住人達。人手が足りないテンプル騎士団にとって、彼らの加入は本当に心強い。

 

 先頭をナタリアが走り、最後尾ではウラルが走っている。呼吸を荒くしながら今にも脱落しそうな志願兵を励ましながら、何とか完走させようとしている姿が伺える。

 

「ほら急げ!」

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

 テンプル騎士団は基本的に人手不足だ。だから戦うことが苦手なメンバーは後方支援や工房での仕事など、戦うことにあまり関係ない部署に配属するようにしている。

 

 人手不足だし、志願してくれたのならば彼らには熱意があるという事だ。それを無駄にしないためにも、そういった措置をとるようにしている。

 

 休憩した後は銃剣突撃の訓練だ。もう既に号令を担当するイリナが腰に真っ黒に塗った法螺貝を下げているのが見えるんだが、気に入ったんだろうか? またノリツッコミするの嫌だよ?

 

 水筒の中のアイスティーを飲もうと思って蓋を開けようとしたその時、西側にある検問所のゲートが開き、その向こうから分厚い装甲と重火器に全身を覆われた金属の怪物が、がっちりしたキャタピラで地面を蹂躙しながらタンプル搭の敷地内へと入り込んできた。

 

 両サイドにキャタピラがある車体と、その上に太い砲身が伸びる砲塔が乗っていることから、一目で戦車であるという事が分かる。しかしその戦車にはチーフテンのような流線形の部分は見受けられず、全体的な形状はチャレンジャー2に近い。

 

 その戦車の正体は、アメリカ軍で正式採用されている『M1A2エイブラムス』。実戦を経験しつつ強化されてきた主力戦車(MBT)の1つであり、性能は極めて高い。搭載されている主砲は火力が高く、更に発射できる砲弾の種類が豊富な120mm滑腔砲で、装備されている装甲は最新型のあらゆる戦車で採用されている複合装甲。さらにエンジンの出力も非常に高いため、重装備の巨体でありながら機動性まで優秀という、非の打ち所がない戦車である。

 

 こんな高性能な戦車が開発された経緯は、冷戦の真っ只中まで遡る。

 

 当時のアメリカ軍では、『M60パットン』と呼ばれる戦車を採用していた。こちらも優秀な戦車だったんだが、当時のソ連の軍事力はかなり強大であり、このM60パットンではソ連軍の戦車部隊を食い止めるには役不足であるとアメリカ軍は判断し、第二次世界大戦中には優秀な戦車を開発していた西ドイツと共同でソ連の戦車を上回る高性能な戦車を生み出そうという計画を始動させる。

 

 その計画でアメリカ軍が試作型の戦車として開発したのが、『MBT-70』と呼ばれる試作型戦車である。当時のアメリカと西ドイツで採用されていた戦車を上回る性能を持つことが立証された優秀な兵器だったが、コストが大きくなり過ぎてしまったために計画は失敗してしまい、この開発されたMBT-70は実戦投入されることなく埃をかぶる羽目になった。

 

 しかしこの計画でヒントを得たアメリカは、このMBT-70をベースにして改良を進めていき、後に世界でも最強クラスの戦車と言われることになるM1エイブラムスを開発することになるのである。

 

 性能は優秀で、しかもカスタマイズがしやすい汎用性の高い戦車。まさに理想的な戦車である。

 

 もちろんテンプル騎士団仕様のエイブラムスたちにも、もう既にカスタマイズが施してある。とはいえもともと優秀な戦車なので大掛かりな改造はされていない。主砲同軸とキューポラの近くに備え付けてある重機関銃をブローニングM2からロシアのKordに変更し、砲塔の上にKordを2丁搭載したプロテクターRWSを搭載したくらいだ。後は必要に応じて装甲を追加したり、カスタマイズすればいい。

 

 格納庫へと戻っていくM1A2エイブラムスを見送っていると、休憩していた兵士たちが立ち上がり、アサルトライフルに銃剣を装着し始めた。どうやらそろそろ休憩時間は終わりらしい。

 

 そういえば、ドワーフたちが俺が王都に行っている間に飛行場の建造にも着手し始めたという。彼らはすぐに居住区を作ってしまうほどの技術を持っているから、きっと飛行場もすぐに完成するだろう。もし完成したらすぐに戦闘機を飛ばせるように、今のうちに採用する戦闘機を考えておいた方がいいかもしれない。

 

 それに岩山の中を流れる大きな河も、水深は潜水艦が潜航して航行できるほどの深さがあるし、空母が何隻も停泊できるほどのスペースがある。洞窟の中を補強してやれば、軍港に早変わりするに違いない。しかも河はそのままウィルバー海峡まで続いているので、河を下るだけで簡単に海へと艦隊を展開することができる。帰還する時は逆に河を上ってくればいい。

 

 運用する海上戦力も考えておかないと。

 

 やることはたくさんある。いつまでもラウラがいないからと落ち込んでいる場合じゃない。

 

 息を吐きながら水筒をしまった俺は、手にしていたAK-12に銃剣を装着すると、銃剣突撃の訓練のために集合し始めた仲間たちの元へと走っていった。

 

 ……………突撃の時の合図は、やっぱりイリナの法螺貝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 この人もでした

 

タクヤ「ああ、お姉ちゃん大丈夫かなぁ…………ケガしてないよな……………?」

 

エミリア「心配し過ぎだぞ。ラウラなら頑張ってるし、大丈夫だ」

 

タクヤ「で、でも、お姉ちゃんっていろいろと不器用だし……………」

 

エミリア「まったく…………。なあ、リキヤ。タクヤがずっとラウラのことを心配しているんだが、ラウラは大丈夫だよな?」

 

リキヤ「だ、大丈夫かな…………? た、体調崩したりとか、負傷してないよな…………?」

 

タクヤ&エミリア「!?」

 

リキヤ「ああ、心配だ…………あいつ不器用だし、大丈夫かな…………?」

 

エミリア「大黒柱が戸惑ってどうするんだ馬鹿者ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

リキヤ「こんからー!?」

 

タクヤ「親父ぃっ!?」

 

 完

 

 

 

 

 




※コンカラーはイギリスの重戦車、もしくは原子力潜水艦です。

……………いつかMBT-70も出したいです(血涙)


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タンプル搭に飛行場ができるとこうなる

 

 逃げ回る獲物を追い詰め、目の前に備え付けられた照準器に捉える。けれども逃げ回る獲物の悪足掻きはなかなかしぶとくて、またしてももう少しで照準が合うというところで獲物が急旋回し、逃げてしまう。

 

 照準器の中から標的の後姿が消えたことに苛立つが、その感情が俺の中に留まったのは1秒足らず。そういった感情を剥き出しにしていいのは白兵戦のような荒々しい戦いの時だけだ。戦うために作られた武器や兵器を操る時は、そういった感情は逆に自分を不利にしてしまう。だから苛立つわけにはいかない。少なくともコクピットや操縦席に座ってる状態で生き残るには、〝上品に”戦争をすることだ。

 

 幼少の頃に、親父が教えてくれた戦い方のコツの1つだ。敵を憎むことは大切だけど、死にたくないのならばそれは白兵戦以外ではあらわにしない。敵との距離が開いている状態では落ち着くことが大切だ。とにかく対処する速さが勝敗を分ける白兵戦とは違い、銃撃戦は勝利するために必要な要素が全然違う。

 

 敵の位置や使用する銃の特性を知り、敵の数や攻撃力と自分たちを比較して臨機応変に対応する。距離が数メートル空いていくだけで、戦い方というのは全く変わってしまう。

 

 苛立ちを瞬時に押し殺した俺は、もう一度敵の背後を取ることにする。

 

 いつもは銃を握っている華奢そうな手が握っているのは、ライフルのグリップではなく――――――――戦闘機の操縦桿だ。

 

 操縦桿を横へと倒し、速度を落としつつ急旋回。すると身体が押しつぶされる感覚と、何かに振り回されているような感覚が同時に襲い掛かってくる。

 

 戦闘機を操縦する際には当然ながらGが生じる。急旋回や急降下をすればそのGはパイロットと機体の両方に牙を剥くのだ。機体は耐久性を底上げすることで改善することはできるが、中に乗るパイロットは機体と比べものにならないほど脆弱で、無理に急旋回しようとすれば猛烈なGでパイロットがブラックアウトやレッドアウトで苦しむ羽目になる。だから普通はGを緩和してパイロットを保護するためのパイロットスーツを身に着けるのが当たり前なのだが、キメラとしてこの異世界に生まれた俺の身体は急旋回程度のGで音をあげるほど貧弱ではない。Gを軽減するためのパイロットスーツすら身につけない状態でもあまりGを感じないのだから、旋回しているというのにそういう操縦をしているという実感がない。

 

 むしろ、俺の身体がGで音をあげるよりも先に、機体の方が空中分解するんじゃないだろうかと不安になってしまうが、俺の乗る戦闘機もキメラと同じように極めて頑丈で、信頼性の高い機体である。

 

 俺が今操縦している機体は、旧ソ連で開発された『MiG-21bis』と呼ばれる戦闘機である。この機体はソ連のMiG-21と呼ばれる機体を強化した戦闘機で、最低限のレーダーしか搭載していなかった初期型と比べると、より高性能なレーダーを装備しているために索敵能力をはじめとするあらゆる性能が強化されているほか、より強力な武装が搭載可能となっている。

 

 現代の航空機同士の戦闘では高性能な対空ミサイルを撃ち合うのが普通だが、このMiG-21が登場したのは冷戦の序盤。プロペラを回転させて大空を舞う第二次世界大戦で活躍した戦闘機たちが時代遅れとなり、ジェットエンジンを搭載した戦闘機たちが発達を始めた時期である。その頃は戦闘機と一緒にミサイルも発達を始めた時期だったけれど、ジェット機が活躍するようになった最初の頃は、戦闘機に搭載する武装を従来の機関砲を更に大口径にしたものが主流だった。

 

 しかし、段々と誘導ミサイルが発達を始めたことによって戦闘機にもそれを運用するための装備が搭載されるようになり、ミサイルの性能もどんどん向上していったため、段々と第二次世界大戦の頃のように相手の背後に回り込んで機関銃を撃ち合うような戦い方は廃れていった。

 

 俺の乗るこのMiG-21もそのように発達していった機体の1つだ。まるでミサイルの胴体にコクピットを取り付け、更に翼を大型化して武装を取り付けたような外見の戦闘機だけれど、機動性は同時期に登場したほかの戦闘機と比べると非常に優秀で、廃れ始めたドッグファイトと呼ばれる戦い方にも対応できる。もしミサイルを使い果たしてしまっても、機関砲が残っているならばその機動性を生かして敵の背後に回り込み、機関砲で木っ端微塵にしてやることもできるのだ。

 

 さらにこの機体は頑丈で信頼性が高く、構造も極めてシンプル。こういった利点はロシア製の兵器の特徴と言っても過言ではないだろう。

 

 けれども、欠点もあるのだ。まず、機動性が高い代わりに安定性が悪い。もう操縦し始めてから気付いているんだけど、言う事を聞いてくれないことが多いのだ。機動性が高い代わりに扱い辛くなっているという事なんだろう。

 

 さらに、元々は簡単なレーダーしか積んでいなかった機体なので、この機体に搭載できるレーダーを搭載しても性能の向上には限界があるという点である。レーダーの性能は搭載できるミサイルの性能にも影響するので、こちらの欠点もかなり大きい。

 

 他にも欠点があるが、この機体に乗ってみて目立った欠点はその2つだ。

 

 空に浮かぶ真っ白な雲がいくつも真下へと吹っ飛んでいき、やがて蒼空の中を逃げ惑う戦闘機のエンジンが再び俺のMiG-21bisの目の前に転がり込んでくる。照準器の向こうを跳んでいる標的も、俺と同じくMiG-21bis。長所である機動性の高さのせいで先ほどから何度も逃げられてしまっているけど、今度はもう逃がさない。確実に蜂の巣にしてやる。

 

 俺が背後についたことに気付いたらしく、慌てふためきながら逃げようとするMiG-21bis。俺はそいつの動きを読みつつ照準を逃げる敵機の目の前へと向け――――――――獲物へと、やっと機関砲をぶっ放す。

 

 思ったよりも至近距離だったからなのか、ガンッ、と大口径の機関砲がコクピットの近くに着弾し、機体の表面を食い破る音がキャノピーの向こうから聞こえてきた。その1発で機体を大きく揺らした敵機へとそのまま機関砲を撃ち込み続け、確実に墜落すると判断してから連射をやめ、操縦桿を横に倒して回避に移る。

 

 爆発するまで撃ち続けると、爆発して木っ端微塵になった敵機の破片でこっちまで損傷する恐れがある。最悪の場合はでっかい破片が直撃し、こっちまで一緒に地面に叩き落されることになるかもしれないので、これでもかというほど機関砲を叩き込むのは敵との距離がそれなりに離れている時だ。

 

 とは言っても最近の戦闘機はミサイルで敵を吹っ飛ばすのが主流なので、このように機関砲を撃ち合うようなことはほとんどない。

 

 機関砲の砲弾に胴体や主翼まで穴だらけにされた哀れなMiG-21bisは、風穴を開けられた部位から黒い煙と炎を吹き出しながらくるくると回転を始めたかと思うと、やがてその最中に爆発を起こし、火だるまになった残骸を大空にばらまきながら大地へと落下していった。

 

 速度を落として煙を吹きながら墜落していく敵機を追い抜いた瞬間、向こうのキャノピーの中が見えた。最初の一撃を食らった際に破片で負傷したのか、向こうのパイロットは血まみれになったパイロットスーツを片手で押さえ、虚ろな顔で俺の顔をじっと見つめていた。

 

 戻ったら撃墜した事を記録したいところだが、これは実戦ではない。だからと言って味方の戦闘機との模擬戦でもない。実弾で撃墜してしまっているし――――――――まだ、タンプル搭の飛行場は完成したばかりなのだから。

 

《撃墜おめでとうごさいます。トレーニングモードを終了します》

 

 ただでさえ狭いコクピットの内側に、何の前触れもなく出現する蒼いメッセージ。それの表面をタッチするとキャノピーの向こうに広がっていた蒼空が青白い六角形の結晶にも似た物体になり、まるで無数の氷の破片が舞っているかのような空間へと変貌していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……………」

 

 トレーニングモードから目を覚ました俺は、自室のベッドの上に腰を下ろしながら悩んでいた。

 

 あのトレーニングモードは本当に便利な能力である。トレーニングモードを開始すると猛烈な眠気のせいで眠ってしまうんだが、それから見ることになる夢はごく普通の夢や悪夢などではなく、戦い方を学ぶための夢だ。夢の中で戦い方や武器の使い方を学んだり、今まで倒したことのある敵と模擬戦をすることができるのである。

 

 普通の睡眠とは違って疲労が残ってしまうため、睡眠時間にこのトレーニングをするというのは厳禁だ。小さい頃にこのトレーニングモードに夢中になってしまい、寝不足になって母さんに怒られたことを思い出した俺は、ちょっとだけ思い出し笑いをしてから決めなければならないことを思い出す。

 

 これから決めなければならないのは、テンプル騎士団で運用する戦闘機である。

 

 先日、ドワーフたちのおかげでついに飛行場が完成した。彼らのおかげでヘリだけでなく戦闘機の運用も可能になり、今度はタンプル搭の岩山の中を流れる巨大な河をそのまま軍港に変えるための工事に取り掛かっているという。

 

 転生者ハンターのコートに身を包んで自室を後にした俺は、早速完成したタンプル搭の飛行場を見に行くことにした。

 

 タンプル搭は上空から見ると円形の分厚い岩山に囲まれたような地形になっており、本部があるのはまるでバウムクーヘンのように周囲を取り囲む岩山の中心部だ。岩山の外は砂漠になっており、危険な魔物が何種類も生息するちょっとした危険地帯となっている。

 

 飛行場を作るためには広大で長い滑走路が必要不可欠となる。当たり前だが、それがなければ一部の戦闘機を除いて離着陸はできないから運用すること自体が不可能となる。しかしタンプル搭は先ほど言った通り岩山に囲まれた場所にあるから岩山の内側に滑走路を造ったとしても、滑走路の幅と長さが足りなくなってしまう。狭ければ大型の輸送機や爆撃機が運用できないし、距離が足りなければ戦闘機が離陸する前に岩山に激突してスクラップになってしまう。

 

 前々から飛行場を作りたいというリクエストをドワーフたちにしていたんだが、岩山の内側に作ったとすると距離と幅が足りなくなるというのが大きな問題だった。だからと言って岩山の外に作れば魔物に襲撃されて機体が破壊される恐れがあるし、そもそもタンプル搭は周囲の岩山によって秘匿されている拠点なのだから、大規模な飛行場を作ってしまったらテンプル騎士団の本部の場所が敵にバレてしまう。

 

 地下にある通路をずっと進んでいくと、やがて戦車や戦闘ヘリが格納されている格納庫へとたどり着く。戦車や装甲車は奥の方にある坂を上っていけば地上に出られるし、ヘリはヘリポートがそのままエレベーターとしても機能するので地下に格納していても迅速な出撃が可能だ。しかし戦闘機にはやはり滑走路が必要だし、戦闘機や爆撃機に指示を出す管制塔も必要となる。

 

 さらに奥へと進むと、やけに大きな金属製の壁が格納庫を仕切っているのが見えた。戦車砲や対戦車ミサイルの直撃にも耐えてしまいそうなほど分厚そうな壁にはごく普通のドアが埋め込まれていて、そこから反対側へと行けるようになっている。

 

 そのドアを開けて奥へと歩くと―――――――――薄暗い地下の格納庫に、先ほど俺がトレーニングモードで乗っていたMiG-21bisがずらりと並んでいた。

 

 どの機体も武装が搭載されていなかったけれど、テンプル騎士団のエンブレムや部隊ごとのエンブレムはもう既に描かれており、機体も黒とグレーの迷彩模様に塗装されていた。砂漠ではかなり目立つカラーリングだけど、目立ってくれる方がありがたい。テンプル騎士団の機体だと一目でわかるし、転生者たちへのサインにもなるのだから。

 

 地下にこれだけ戦闘機を格納していても、肝心な滑走路が地上に作れないのでは意味がない。

 

 そこで―――――――――ドワーフたちが工夫してくれた。

 

 格納庫の奥の方を見てみると、戦闘機が3機か4機くらいは通れるほどの幅の通路が2つも、ずっと奥へと続いているのが分かる。濃密なオイルと金属の匂いの中に姿を現したその広い通路の床にはいくつもラインが描かれており、前世の世界で俺が死ぬことになった飛行機事故が起こる数十分前に目にした滑走路のラインに似ている。

 

 実は、これが戦闘機や爆撃機を運用するのに使う滑走路なのである。

 

 格納庫だけでなく、滑走路まで地下に作ってあるのだ。タンプル搭の岩山の端から反対側までの距離ならば戦闘機や大型機が離陸するのに十分な距離になるという事が分かったので、その滑走路をこうして地下に作ってもらったというわけだ。

 

 居住区や戦術区画を避ける形でV字型に伸びる2本の滑走路の先は、まるでジャンプ台のように上へと曲がっている。いくら距離が足りていると言っても地下からの離陸になる。滑走路を緩やかな坂にするわけにもいかなかったので、ロシアの空母である『アドミラル・クズネツォフ級』のスキージャンプ甲板のようにしたのである。

 

 ちなみに、離陸した戦闘機が顔を出すのは岩山の外周部の付け根である。そこに隠してあるハッチがフィオナ機関によって開閉し、戦闘機を送り出したり、逆に迎え入れたりするようになっているのだ。ハッチは大きめになっているので着陸も問題ないし、秘匿もできるというわけである。

 

 傍から見れば戦闘機が地面に突っ込んでいくようにしか見えないだろう。

 

「さて……………早いうちに決めておかないとな」

 

 とりあえず、現時点ではMiG-21bisの他にも運用する戦闘機は決まっている。基本的にロシアの戦闘機や爆撃機を運用する方向で仲間たちは納得しているけれど、まだ決まっていない機体がある。

 

 それは―――――――――最新型のステルス戦闘機だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 タクヤの読んでるラノベ

 

タクヤ「……………」

 

クラン「あら、読書中?」

 

ケーター「小説読んでるのか?」

 

タクヤ「ああ。マンガもいいけど、時間がある時は小説の方がいいぞ」

 

クラン「ねえ、今読んでるのは何?」

 

タクヤ「ええと、強制収容所に入れられた彼女と懲罰部隊に入隊させられた彼氏が、もう一度再会するために必死に生き抜くラブストーリーだな」

 

クラン「悲しいけど…………なんだかロマンチックね、それ」

 

ケーター(なんだかソ連っぽいんだが…………作者は誰だ? ロシア人?)

 

クラン「面白そうね。今度買ってこようかしら? ところでタイトルは?」

 

タクヤ「ええと……………『らーげりっ!』だな」

 

クラン&ケーター「タイトル軽っ!?」

 

ケーター「それラノベじゃねえの!?」

 

タクヤ「ラノベだよ。ちなみに作者は……………『セルゲイ・H・リキノフ』っていう人だ」

 

クラン「ろ、ロシア人の転生者かしら?」

 

タクヤ「ん? リキノフ……………? ――――――――作者親父かよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

 完

 




※H=ハヤカワ
※ラーゲリは強制収容所のことです。


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ステルス戦闘機を決めようとするとこうなる

 

 

「――――――――というわけで、同志諸君。我がテンプル騎士団で運用するステルス機について議論をしたいと思う」

 

 テンプル騎士団本部であるタンプル搭の中枢部には、戦術区画と呼ばれる区画がある。作戦行動中の友軍を指揮する中央指令室などの戦闘に関わる設備が集約された区画で、その中にはテンプル騎士団の主要メンバーである『円卓の騎士』たちが会議を行う会議室も含まれている。

 

 円卓の騎士は、テンプル騎士団本隊のメンバーとシュタージのメンバーに加え、ムジャヒディン出身のウラルとイリナの2人を加えたメンバーで構成されている。この組織を国に例えるならば、この円卓の騎士たちは議会の議員という事になる。

 

 明るい声で仲間たちに告げた俺の隣の席は、空いていた。――――――――いつもならばそこには赤毛の優しいお姉ちゃんが座っている筈だが、彼女は懲罰部隊に入れられてしまっているので、ここにはいない。

 

 …………まあ、騎士団の長がいつまでも落ち込んでるわけにはいかないからな。いい加減切り替えないと。

 

「ステルス機?」

 

「ステラさん、お兄様が前にお話ししてくださった飛行機の種類ですわ」

 

「ああ、レーダーに映りにくい飛行機ですね」

 

「その通り」

 

 そう、ステルス機とはレーダーで探知することが難しい戦闘機や爆撃機のことを指すのである。

 

 例えば敵の基地や艦隊に、ごく普通の戦闘機で攻撃を仕掛けようとする場合、敵のレーダーで遠距離から発見されてしまい、こちらがミサイルで攻撃する前に対空ミサイルで叩き落されたり、迎撃用の戦闘機部隊に待ち伏せされているのが関の山だ。敵を探知できる時間が長ければ長いほど、万全の状態で敵を迎え撃つことができるのだから。

 

 しかし、ステルス機を使えば、場合によってはレーダーに探知されてしまうことがあるけれど、少なくとも万全の状態で歓迎されることはない。レーダーに映りにくいこの機体の強みは索敵の強みであるレーダーをある程度役立たずにできる点だ。

 

 レーダーは電波を使ってあらゆるものを探知する。簡単に説明すると、クジラやイルカがほかの魚を探知するのに使うエコーロケーションが超音波ではなく電波になったようなものだ。まず電波を発し、それが物体に当たった際に生じる『反射波』と呼ばれるものを探知する仕組みである。

 

 これを使えば接近してくる戦闘機やミサイルをすぐに探知できるというわけだ。しかしステルス機はそのレーダーに探知されにくいように設計されている。

 

 ステルス機は、レーダーが標的を探知するための電波を反射することがないような形状に設計されているのだ。だからステルス機は一般的な戦闘機と違って、独特の形状をしていることが多い。

 

 構造以外にもレーダーに映らないための努力をしている点は多い。例えば、ステルスヘリのコマンチやステルス戦闘機のF-22ラプター等は、搭載する武装などはできる限り機体の中に搭載するようにしている。普通の戦闘機のように翼の下に搭載することもできるんだけど、そうするとその武装がレーダーから発射された電波を反射してしまうことになるため、それを防ぐために機体の胴体にあるウェポン・ベイと呼ばれる場所にミサイルなどを収納する方式となっている。もちろん搭載できる武装の数は普通の戦闘機と比べると減ってしまうので、攻撃がメインとなる任務では探知されやすくなるのを覚悟の上で、武装を機体の翼の下に搭載して出撃することもあるけどね。

 

「稀かもしれないけれど、俺たちみたいに兵器を使う転生者たちと戦う羽目になるかもしれない。もしそうなった時にステルス機は頼りになる筈だ」

 

「そうね。普通の戦闘機ばかり運用するわけにもいかないし」

 

 もう既に、テンプル騎士団では戦闘機の運用のために訓練が始まっている。現時点で運用されている戦闘機は旧式のMiG-21bisだけど、もう既にこの会議で主に運用する戦闘機についての議論はやったし、それで運用する戦闘機や爆撃機もある程度決まっている。

 

 けれども、ステルス機の議論はまだやっていなかった。ステルス機には優秀な機体が多いし、航空戦力の切り札とも言えるので簡単には決められないという理由があったけれど、ちょっとばかり個人的な理由もあった。

 

 実はもう既に、俺はどのステルス機を運用するか決めているのである。問題はその機体を運用するという意見を――――――――シュタージのメンバーたちが認めてくれるかどうかだ。

 

「そこで――――――――俺はロシアの『PAK-FA』にしようと思う」

 

 PAK-FAはロシア製のステルス戦闘機である。

 

 ロシアはこの機体を開発することになるまで、さまざまな種類の戦闘機を開発してきた。もちろんもう既に訓練に使われているMiG-21bisもその中の1機であり、ロシア製の特徴とも言える信頼性の高さをそれ以前の機体から受け継いでいる。

 

 様々な性能の戦闘機が開発されてロシアで開発されていく中で、ついにロシアもアメリカのように本格的なステルス機を設計することになる。それで開発されたのがこのPAK-FAだ。

 

 このPAK-FAが産声を上げた時点でもう既にステルス機を開発し、しかも実戦に投入して大きな戦果を挙げていたアメリカの機体と比べるとステルス性では劣ってしまうけれど、だからと言ってアメリカの機体に完敗するというわけではない。旧式の機体から発展した高い機動性を持っているし、武装もロシアの特色である火力の高い代物がずらりとそろっている。どちらかと言えば戦闘を重視したステルス機と言える。

 

 ステルス機を選ぶのにステルス性がやや劣る方を選んでしまったら本末転倒と言えるかもしれないけれど、先ほども言ったようにこのような現代兵器を使用する転生者と交戦することは稀だし、もし仮に遭遇したとしてもこのロシア製の最新型ステルス機はステルス性と火力で大暴れしてくれるに違いない。

 

 それに攻撃力も考慮しているのだから、普通の敵との戦いに投入しても問題はない。

 

 俺が一番好きな戦闘機だという個人的な理由もあるけれど、間違っているわけではない筈だ。そう思いながらみんなの顔色を見てみると、テンプル騎士団本隊のメンバーやイリナたちは「パクファ?」と呟きながら首を傾げたり、興味深そうに俺の方をじっと見ている。

 

 それに対して、反論するんじゃないかと懸念しているシュタージのメンバーは――――――――「他の機体を運用したい」とでも言い出しかねない雰囲気を放ちながら、俺の方を見ていた。

 

「おいおい団長さん。ちょっと待ってくれ」

 

 やっぱり、シュタージのケーターが反論し始めた。

 

 まあ、個人的な好みで決めてしまった案だし、それにここは会議室だ。使う用途はこういった話し合いや討論なんだから、意見をここで交換して極力不満のない結果を出す事ができればいいじゃないか。

 

「やっぱりステルス機ならF-22だろ」

 

 F-22ラプターは、アメリカで開発された世界最高峰のステルス戦闘機である。

 

 当然ながらステルス性は非常に高く、更に高性能なエンジンを搭載しているため機動性も極めて高い。圧倒的なスピードで敵に探知されずに接近し、更に発見した敵に強力なミサイルを叩き込むことが可能なのだ。敵との距離が縮まっている頃には敵の戦闘機はもうスクラップと化して墜落しているというわけである。

 

 問題点はやはりステルス性を減少させないために武装が少なくなってしまうというステルス機の欠点だが、ステルス性の現象を覚悟の上で翼の下にもミサイルなどの武装を搭載できるので、それは任務によって使い分けることができる。

 

 しかもこちらは産声を上げたばかりのPAK-FAとは異なり、もう既に実戦を経験しているのだ。

 

「確かにF-22も捨てがたいけど…………」

 

 ちなみにF-22は、今から14年前に若き日の親父たちが経験した転生者戦争において、モリガン側の主力戦闘機としてこの異世界でも活躍している。その際にはステルス性の高さだけでなく機動性の高さまで発揮しており、熟練のパイロットも多かったために、かなりの数で攻撃を仕掛けてきた敵の戦闘機部隊を相手に奮戦したという。

 

 特に、ノエルの母親であるミラさんが操った『ヴェールヌイ1』というコールサインを与えられたF-22の活躍は有名だ。片方のエンジンが完全に機能を停止し、墜落してもおかしくない損傷を受けた状態で無数の敵の戦闘機の群れの中を飛び回り、とても片方のエンジンが機能していない状態とは思えない動きで数多の敵を翻弄したという。結局彼女の機体は力尽き、ラトーニウス海へと墜落してしまう羽目になってしまったらしいけれど、爆炎を纏いながら戦い抜いた彼女のF-22と『ヴェールヌイ1』というコールサインは、今ではモリガン・カンパニーの関係者たちにとっては伝説と言っても過言ではない。

 

 前世の世界でも戦果を挙げているし、こっちの世界でも戦果を挙げた上に伝説があるのだ。

 

「というかさ、お前他の戦闘機も殆どロシア製じゃん」

 

「え?」

 

「今運用してるMiG-21bisを最終的にはSu-27やSu-35にするって言ってたし、攻撃機もSu-34にするって言ってたよな? しかも迎撃用の戦闘機はMiG-31って前の会議で決まったけどさ、全部ロシア製じゃねえか」

 

「いや、でもさ……………どの機体も良いじゃないか」

 

「確かに良い機体ばかりだけど、さすがにステルス機くらいは西側の機体がいいんだよなぁ。お前この世界をロシア製の兵器で埋め尽くす気か?」

 

「それも悪くないな」

 

 最高じゃん、それ。やってみようかな。テンプル騎士団の支部が世界中で機能し始めた暁には、全ての装備をロシア製に統一して各地で転生者の殲滅作戦。……………ああ、同志リキノフが大喜びしそうな光景じゃないか。

 

「いや、西側の機体も良いぞ。個人的には退役した機体だけどF-14も大好きだ。……………なあ、空母の運用が始まったら艦載機はF-14にしようぜ」

 

「ちょっと待て、今はステルス機を決めようぜ」

 

 艦載機もロシア製にしてやろうと思いながら、俺はとりあえず円卓の上にあるティーカップを持ち上げて紅茶を飲み干した。

 

「とりあえず、ステルス機はF-22にするべきだ。性能だったらこっちが上だろ」

 

「確かにそうかもしれないが、PAK-FAも良い機体だぞ? 武装も強力だし」

 

「いや、ここで妥協したら航空機がロシア製で埋め尽くされちまう」

 

「落ち着けって。確かに実戦を経験したことがない機体だけどさ―――――――――」

 

「悪いな、団長。F-22は実戦を経験している。更にステルス性や機動性ではPAK-FA以上だ。武装だったらそっちの方が上かもしれんが、こっちだって主翼の下に武装を後付けすれば―――――――――」

 

 ヤバいな、これ。前までは何とか説得できてたけど、今回はケーターとの議論が長引きそうだ。あいつは元々西側の兵器が大好きなミリオタだし、シュタージのメンバーも全員ドイツ系が専門のミリオタの集まりである。配属されたばかりのノエルは特にそういったこだわりはないみたいだけど、ケーターたちの影響を受けるのも時間の問題だろう。

 

 今回ばかりは妥協するか? いや、ステルス機以外はロシア製の戦闘機で統一しているんだし、個人的にはステルス機もロシア製の機体にしたいところだ。けれども議論が長引いてヴリシア侵攻に間に合わなくなったら洒落にならないので、早いうちに決めて訓練しなければならない。

 

「意見が分かれちゃってるわね」

 

 円卓に用意された椅子に腰を下ろし、肩をすくめながら呆れているのはシュタージのリーダーのクランだ。ドイツ出身の転生者で、前髪の左側にはドイツ軍の象徴とも言える鉄十字を模したヘアピンをつけている。

 

 普段は明るい性格で仲間たちを励ます姉のような存在だけど、今の彼女は凛々しい指揮官のような雰囲気を放っている。力を入れるべき状況をしっかりと把握しているからなのだろう。普段でもやや硬いところがあるナタリアと比べると、そういう面では大人びていると言える。

 

「なあ、クランはどっちがいい?」

 

「F-22だよな!? 大学でも戦闘機の話はしたよな!?」

 

 ひ、卑怯だぞ!? 前世の世界の話をここでするなんて!

 

 さすがのクランもケーターの味方をするんだろうか? 正直に言うと、ケーターならばまだ説得する自信がある。でもクランまで説得する自信はない。むしろ俺が逆に説得される恐れがある。

 

「――――――――模擬戦をやって勝った方の案にすればいいじゃない」

 

「「えっ?」」

 

 も、模擬戦?

 

 もしかして、F-22とPAK-FAで模擬戦をやれってことなのか?

 

ドラゴン(ドラッヘ)の能力の中に、確かトレーニングモードがあるわよね?」

 

「ああ」

 

 あれば便利な能力だ。夢の中で実際に兵器を使い、操縦方法の訓練や破壊力の確認などをすることができるのだから。

 

 しかもアップデートのおかげで参加できる人数が100人までとなったので、テンプル騎士団のメンバーたちを何人も招待して模擬戦をやった。もちろん、使用する弾薬は模擬戦用の模擬弾ではなく、実弾である。

 

 あくまで夢の中での訓練のため、トレーニングモード中に死亡しても強制的にトレーニングが終了し、メニュー画面が目の前に浮かぶ空間に戻るだけなのだ。

 

「それを使って、2人で模擬戦をすればいいじゃない」

 

「――――――――ああ、そうすればすぐに決まるな」

 

「同感だ、同志ケーター」

 

 ケーターの操るF-22と、俺の操るPAK-FAの一騎討ち。現実世界ではないとはいえ、前世の世界でも実現していない一対一の決闘である。

 

 面白いじゃないか、クラン。

 

 ケーターも楽しみになってきたらしく、傍らにあるティーカップの中のアイスティーを飲み干すと、ニヤリと笑いながら拳をぎゅっと握る。

 

 異世界で、ちょっとした独ソ戦が勃発しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 格納庫にずらりと並ぶのは、テンプル騎士団でもう運用が開始されているMiG-21bisの群れ。ほとんどは訓練用だけど、一部の機体はもう既に実戦を経験したらしく、中にはドラゴンを機関砲で蜂の巣にして帰ってきた機体もいるという。

 

 キャノピーの近くに印がつけられている機体があるけど、あれは撃墜マークなんだろうか。中にはもう既に4つも撃墜マークが描かれている機体もある。あと1体ドラゴンを撃墜すれば、あの機体の持ち主はエースパイロットだな。勲章を贈る準備をしておこう。

 

 そう思いながら、俺は格納庫の中に出現した1機の戦闘機を眺めていた。

 

 周囲にずらりと並ぶ、まるでミサイルにコクピットと翼を取り付けたような形状のMiG-21bisと比べると、その戦闘機は大柄で近代的な形状をしていた。ミサイルのような胴体を持つその戦闘機の群れと比べると、その新しい戦闘機の胴体は平たくなっていて、胴体の後端から突き出ているのは2つの大きなエンジンノズルである。ミサイルにも似た形状のMiG-21bisと比べると、発達した最新の技術で設計されているというのが一目で分かるフォルムだ。

 

 これが、俺が運用するべきだと主張したロシアのPAK-FAである。

 

 塗装はテンプル騎士団の戦車やヘリにも施されているのと同じく、黒とグレーの迷彩模様。左側の主翼にはテンプル騎士団のエンブレムが描かれており、機首の左側には口にミサイルを咥えたドラゴンのエンブレムがついている。機首の方のエンブレムはついさっき自分で書いてみた自作のエンブレムだ。

 

「……………」

 

 やっぱり、PAK-FAはカッコいいよな。

 

「タクヤ?」

 

「ひゃあっ!?」

 

 PAK-FAに描かれたエンブレムを眺めてうっとりしているときにいきなり声をかけられ、俺は思わず変な声を上げながらびくりとしてしまう。びくびくしながら後ろを振り返ってみると―――――――――そこにいたのは、制服姿のナタリアだった。

 

「な、ナタリアか」

 

「何でびっくりしてんのよ?」

 

「ごめん」

 

 苦笑いしながらペンキで汚れた手袋を取り、投げ捨ててから近くの台の上に置いておいた水筒を拾い上げる。冷水を入れておいたつもりなんだけど、数十分もほんの少し熱い格納庫の中に放置していたせいなのか、すっかり温くなってしまっていた。

 

 水を飲んでいる間に、ナタリアが「へえ、これがパクファ?」と言いながら、興味深そうに格納庫のPAK-FAへと近づいていく。機首のエンブレムに気付いた彼女は俺が自分で書いたエンブレムをまじまじと見つめると、にやにやと笑いながらこっちを振り向く。

 

「タクヤって絵も上手なのね」

 

 …………な、なんだか恥ずかしい。

 

 ああ、角が伸びてしまう。とりあえず落ち着かないと。

 

「これだよ、俺がさっき言ってた機体は」

 

「これもセントウキなのよね? ドラゴンより速いの?」

 

「ああ。あっという間に置き去りだ」

 

「へえ……………なんだか信じられないわ」

 

 やっぱり、信じられないか。

 

 現代兵器を除けば、現時点でもこの世界で空を実質的に支配している航空戦力はドラゴンだ。剣や弓矢を容易く弾く分厚い外殻と、地上の敵を焼き尽くすブレスを併せ持つドラゴンたちは騎士や冒険者たちから恐れられる魔物の1体と言われており、今でも騎士団が行うドラゴンの掃討作戦では甚大な被害が出るのが当たり前だという。

 

 異世界の兵器を興味深そうに見つめているナタリア。彼女をこの機体に乗せて空を飛んだら、ナタリアは何と言うだろうか。

 

 そう思った瞬間、俺はメニュー画面を出現させてカスタマイズのメニューを開き、このPAK-FAを複座型に変更していた。

 

「乗ってみる?」

 

「えっ?」

 

「この機体にさ。今2人乗りに改造したし、いつでも飛べるぞ?」

 

「い、いいの?」

 

「おう」

 

 それに、俺のトレーニングにもなる。ちょっとだけ武装を搭載し、訓練を兼ねた偵察任務だと管制室に言えば問題はないだろう。

 

「じゃ、じゃあ……………のっ、乗せてもらえる………かしら…………?」

 

「喜んで」

 

 顔を赤くしながらそう言った彼女の分のパイロットスーツを生産し、ついでにヘルメットとHUD(ヘッドアップディスプレイ)も生産しておく。それをナタリアに渡した俺は、「じゃあこれに着替えてきてくれ」と言うと、もう少しだけこのロシア製の戦闘機を眺めていることにした。

 

 

 

 



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ステルス機で空を飛ぶとこうなる

 

 

 空と、砂漠。稀に混じるのは茶色い岩の粒ばかり。

 

 カルガニスタンの砂漠をこうして上空から眺めると、こういう光景が広がっているのかと興味を持ってしまうけれど、あまり眼下の大地をきょろきょろしていると警戒が疎かになってしまう。後ろの座席に座っている彼女ならばまだそれは許されるかもしれないけれど、少なくとも操縦桿を握り、いざとなったら敵を機関砲やミサイルで木っ端微塵にする役目を引き受ける俺にそれは許されない。レーダーに敵の反応がないか確認しつつ、レーダーに頼らず自分の目でも確認する。

 

 俺がミスをすれば、後ろに乗っているナタリアも危険に晒すことになる。1人乗りだったらまだ気が楽だけど、複座型の機体のパイロットは予想以上に責任が重いのだ。

 

 本来ならばこのPAK-FAは1人乗りである。訓練を積んだ1人のパイロットがキャノピーの中にあるコクピットに腰を下ろし、機関砲とミサイルを積んだこの機体で空へと飛びあがっていく。そして空から襲来する敵を叩き落したり、敵の拠点に接近してミサイルをお見舞いするのだ。しかし俺が乗っているこの機体は2人乗りに改造されており、後ろの座席にはパイロットスーツに身を包み、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)のついたヘルメットを装着したナタリアが、酸素マスクを装着した状態でキャノピーの外を見渡している。

 

 航空機に乗るためには、そう言った装備が必需品なのである。――――――――それに対して、俺が身に着けているのは彼女に比べると身軽だと言わざるを得ない。

 

 俺が身に着けているのは、バイザーのように改造されたHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のみで、ヘルメットや酸素マスクも装着していない。もちろん、身に着けているのはいつもの転生者ハンターのコートである。

 

 高度が上がれば上がるほど酸素は薄くなっていくから下手をすれば酸欠で苦しむ羽目になるし、Gを軽減してくれるパイロットスーツがなければ急旋回の際に大きな負荷がかかる羽目になる。けれども俺に必要なのはHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のみだ。

 

 キメラの身体は非常に頑丈で、急旋回や急上昇程度のGで音をあげるようなことはありえない。だから前のトレーニングモードでMiG-21bisと戦っていた時は、パイロットスーツや酸素マスクも身に着けていなかった。

 

 酸素マスクが不要なのは、サラマンダーの遺伝子のおかげで肺が薄い酸素や気圧の変化でもあまり影響はない。もともとサラマンダーは火山に生息するドラゴンで、酸素が薄い環境や有毒な火山ガスが充満している環境での生活が当たり前なので、肺にはそう言った有害なガスをシャットアウトするためのフィルターのような器官が備わっているのである。とはいえシャットアウトできないガスもあるので、やはりガスマスクは必需品になるけれどね。

 

 それに気圧が変わっても、それを察知した身体中の器官が自動的に適応を始めていくので、よほど急激に変化しない限りは心配する必要はないのだ。

 

 ヘルメットを装着していないのは、ただ単に角が邪魔だからという理由である。

 

「ナタリア、どうだ?」

 

『すごい…………! ドラゴンよりも高く飛んでる…………!』

 

 彼女はトレーニングモードで戦闘機に乗るために必要な訓練を受けているし、その際に戦闘機の操縦もほんの少しだけど経験している。けれどもこうして現実世界で大空を飛び回るのは、これが初めてだという。

 

 訓練を兼ねたちょっとした遊覧飛行だけど、気に入ってもらえるだろうか?

 

『あっ、あっちにタンプル搭が見える!』

 

「ははははっ」

 

 いつもしっかりしてる彼女が、まるで遊園地にやってきた子供みたいにはしゃいでいる姿は本当に珍しい。きっと他のメンバーの前では、決してこんな風にはしゃぐことはないだろう。実際にタンプル搭で訓練をしているメンバーたちからは、「ナタリアはしっかりしている模範的な兵士だ」と言われている。

 

 きっと彼らにこんなにはしゃぐ彼女を見せたら、きっと我が目を疑うだろう。

 

「ああ、そうだ。吐きそうになったらすぐ目の前に袋があるからな。ゲップも我慢すんなよ」

 

『わ、分かってるわよ!』

 

 戦闘機の運用が始まった際に、そういった説明はしてある。

 

 高度が上がれば上がるほど酸素は薄くなり、気圧も低くなっていく。そうなると身体の中にある気体が膨張してしまうので、ちゃんと身体の外に排出する必要があるのだ。

 

 先ほどから後ろの席に座る彼女の方から、小さく「けふっ」って声が聞こえてきていたけど、どうやら我慢はしていないらしい。ちゃんと訓練通りに排出できているのを確認して安心した俺は、そろそろ訓練を開始するために操縦桿を横に倒した。

 

 訓練と言っても実際に機関砲やミサイルをぶっ放すわけではない。あくまでこのPAK-FAの操縦に慣れるための訓練だ。だからこうやってタンプル搭の上空を好き勝手に飛び回り、この新しいステルス機の操縦に慣れるのである。

 

 ちなみにケーターの操るF-22との対戦は今から4日後。再来週にはシュタージのメンバーはヴリシア帝国の帝都へと潜入作戦のために現地入りすることになるし、そのための準備や打ち合わせもあるので、そういった日程を考慮して4日後という事になった。

 

 時間があまりにも短いけれど、仕方がないだろう。

 

 きっとケーターも潜入作戦の訓練や打ち合わせと並行して、空いている時間を活用して訓練をしている筈だ。

 

 操縦桿を倒して旋回を始める。キャノピーの上に広がっていた筈の空が右側へとスライドし、左側に広がる砂の大地が、まるで列車の車輪のようにぐるぐると回転を始める。Gがまるで目を覚ましたかのように俺の身体を押さえつけてくるけれど、キメラの屈強な骨格と筋肉はちょっと旋回した程度では何の影響もない。ほんの少し身体に力を入れるだけでGを押し退けつつ、今度は高度を上げていく。

 

 MiG-21bisと比べると、やはり機動性が違う。あの機体も機動性には優れていたけれど、欠点の1つである安定性の悪さのせいで〝言う事を聞いてくれない”という印象があった。でもこのPAK-FAはそれと比べると、とても素直で、ひたすら動き回ってもパイロットの言う事を聞いてくれる。

 

 高度を上げ、今度は急降下。後ろに乗るナタリアが吐いていないことを祈りつつ急降下を続け、砂の大地がキャノピーの目の前に迫ってきたタイミングで操縦桿を引き、急降下を中止。機体を水平にしてから速度を落とし、ちらりと後ろの方を振り返る。

 

「…………どうだった?」

 

『……………いきなり急降下しないでちょうだい』

 

「す、すまん」

 

 急降下するぞって言っておけばよかった……………。ごめん、ナタリア。

 

『けふっ』

 

「大丈夫?」

 

『ええ。…………でも、スリルがあったし、面白かったわ』

 

「それはどうも」

 

 さて、訓練を兼ねて上空から偵察でもしておくか。離陸する際、管制室にも「訓練を兼ねた偵察任務」って言ったんだし、飛び回るだけとはいえ機体の操縦に慣れるいい機会だろう。

 

 というわけで、後ろの座席にパイロットスーツ姿のナタリアを乗せたまま、俺は操縦桿を倒して偵察のためにPAK-FAを旋回させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の飛行場の滑走路は、地下にある。地上に建造すれば36cm砲の衝撃波で滑走路や戦闘機がダメージを受けるし、地上まで機体をエレベーターで送れば手間がかかってしまう。だからと言って砲撃の際の衝撃波が及ばない防壁の外に建造してしまえば、今度は砂漠に生息する魔物からの襲撃に晒されてしまう。それを防ぐために人員を配置すればいいだけの話かもしれないけれど、今のテンプル騎士団には飛行場を警備する警備兵まで常に駐留させられるほどの人員はおらず、それどころか他の部隊に配属するべき人員も不足している状況であるため、人員を必要とする部署の増設はできるならば避けたい。

 

 そういった理由のため、タンプル搭の飛行場は地下に用意されたのだ。上から見るとV字型に配置された2本の滑走路はそれぞれ長さと滑走路の大きさが異なっており、大きい方が爆撃機や輸送機などの大型機専用で、もう片方が戦闘機や攻撃機専用となっている。地下から地上へと戦闘機を送り出すため、滑走路の端の部分は空母のスキージャンプ甲板のようになっている。

 

 防壁の付け根部分に地下の滑走路へと続くハッチがあるため、着陸する際は滑走路に進行方向を合わせるわけではなく、そのハッチに上手く機体が突入できるように調整しなければならない。そのため着陸の難易度は普通の滑走路と比べると高いと言える。

 

 角度の微調整を繰り返しつつ、失速して墜落しない範囲で速度を落としていく。もう既にタンプル搭のハッチは開いており、薄暗い滑走路の中では戦闘機を迎え入れるための誘導灯が点滅を繰り返していた。

 

『大丈夫なの?』

 

「任せろ。何回も訓練で繰り返してる」

 

 とはいえ、まだ胸を張って朝飯前と言えるレベルではない。ミスをすればあのハッチの淵に激突し、貴重な虎の子のステルス機を喪失する羽目になる。もちろん、俺たちの命まで一緒に。

 

 息を吐いてからキャノピーの正面を見据える。もう既にハッチの向こうの闇は目の前に広がっており、スキージャンプ甲板を思わせるせり上がった特徴的な滑走路の端に、PAK-FAの機首が迫っていた。

 

 普通の滑走路とは異なり、ここでほんの少し機首を上げる必要がある。そうしないと着陸する時よりも急な角度で滑走路に突っ込み、ランディング・ギアを破損させて予想外の胴体着陸をする羽目になる。

 

 ほんの少し機首を上げたころには、もう砂の大地は見えなくなっていた。延々と奥まで続く薄暗い滑走路と、広い滑走路の四隅に設けられた誘導灯の列が奥まで続き、最深部に見える格納庫の分厚い扉を照らし出している。

 

 機体を減速させつつ、誘導灯の蒼い光が照らす地下の滑走路を通過していく。奥の方には着陸した機体を格納庫へと誘導する人員が待機していて、こちらへと手を振っているのが見えた。

 

「ナタリア」

 

『なに?』

 

「遊覧飛行はどうだった?」

 

『ふふっ。あれは遊覧飛行とは言わないわよ』

 

 まあ、急旋回とか急降下を繰り返したスリルのあるフライトだったからな。でも後半は偵察任務だったし、そっちだけならば遊覧飛行と言えるだろ?

 

『でも、楽しかったわ。空を飛ぶのってあまり経験できないし』

 

 こちらの世界では産業革命の恩恵で列車が登場し、陸路は非常に前世の世界に近くなりつつある。けれども空路はというと全く産業革命以前から発達しておらず、相変わらず貴族が大金を出して飛竜に乗っている状態だ。

 

 飛竜は人間に慣れさせるのに非常に手間がかかるため、騎士団の予算の2割を飼育するための費用にする必要があるとまで言われている。そのためそういった人間に慣れた飛竜は優先的に騎士団へと回されるが、中にはそれを買い取る貴族もいるという。

 

 要するに、この世界の空路はまだまだ未発達。唯一の手段は飛竜に乗ることで、そんなことができるのは高度な訓練を受けた騎士か金持ちの貴族だけという状態だ。だからナタリアが空を飛ぶ経験をしたのは、俺と関わって別世界の兵器を知ってからである。

 

『ねえ。また訓練する時は誘ってくれない?』

 

「ああ、いいぞ。ナタリア用の機体も用意する?」

 

 減速させ、作業員の指示に従いながら機体を格納庫の方へと向かわせる。警報が鳴り響き、重々しい残響で地下の滑走路を満たしながら、分厚い鋼鉄の扉が開いていく。

 

 すると、後ろに座っていたナタリアがヘルメットと酸素マスクを外しながら、首を横に振った。

 

「あ、あのね、できたら…………タクヤと一緒がいいの」

 

「なんだって?」

 

 扉が開く音と警報の音で聞こえなかったぞ? ナタリアは何て言ったんだ?

 

 自分の目の周りを覆っていたHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を取り外しながら聞き返すと、後ろの席にいるナタリアは恥ずかしそうに顔を赤くし、微笑んだ。

 

「何でもないわよ、バカ」

 

 ええ? 教えてくれないの?

 

 まあ、問い詰めたら蹴られそうだし。とりあえず機体を格納庫に戻しておこう。

 

 ずらりとMiG-21bisが並ぶ格納庫の中には、もう既にステルス機のためのスペースが用意されていた。4日後のケーターとの一騎討ちに勝利すれば、そこにこのPAK-FAがずらりと並ぶことになる。ロシア製のステルス機が並んでいるのを想像してニヤニヤと笑いながら、乗っていたPAK-FAをそのスペースに収めてエンジンを停止しキャノピーを開けると、俺よりも年下のエルフの少年が、オレンジ色のツナギに身を包みながらタラップをかけてくれた。

 

「ありがとよ」

 

「どうも。…………ところで、これが新型機ですか? こっちに並んでるのと大分違いますけど…………」

 

「ああ。PAK-FAって言うんだ」

 

 コクピットから降りてきたナタリアからヘルメットと酸素マスクを受け取った俺は、こっちへとやってきた整備担当の団員たちに機体のチェックを任せることにする。俺の能力で生産した機体は12時間放置していれば勝手に最善の状態にメンテナンスされるようになるんだが、だからと言って整備員が全く必要ないというわけではない。12時間の間にどんなダメージを受けるか分からないのだから、修復や整備の知識を持つ整備員はやはり必要になる。

 

「あれ? ダリル、ステルス機の整備ってやったことある?」

 

「ああ、任せろ。お前はあっちの機体の整備を頼む」

 

「はいよー。あ、ウィリアム! レンチ持ってきて!」

 

 今のところ、ステルス機の整備を経験したのはごく数人だからな。

 

 パイロットスーツ姿のナタリアを連れ、格納庫を後にする。とはいえさすがにパイロットスーツ姿のまま彼女を居住区へと連れていくわけにはいかないので、その前に更衣室に向かわせないと。

 

 格納庫の近くに更衣室がある。パイロットはここでパイロットスーツに着替え、すぐに出撃するというわけだ。

 

「じゃあ、ちょっと着替えてくるわ」

 

「おう。じゃあ、俺は先に部屋に――――――――」

 

「えっ? ああ、うん。…………ねえ」

 

「ん?」

 

「タクヤってさ、今…………ひ、1人なんだよね?」

 

「ああ、そうだよ?」

 

 ラウラと離れ離れになっちまったからな。最近はちょっとずつ立ち直ってるけど、相変わらず夢の中にお姉ちゃんが出てきて、目が覚めると目の周りが涙で濡れているのは珍しくない。他にも無意識のうちに2人分の食事を作ってしまったりすることもある。

 

「あ、あのね、私でよければ…………ま、またご飯作りに行ってあげてもいいわよ?」

 

「マジで!? じゃあ頼む!」

 

「うんっ! 楽しみにしてなさい!」

 

 ナタリアがご飯作ってくれるのかぁ…………! 今夜の夕飯は楽しみだな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に鎮座するのは、白と灰色の迷彩模様で塗装された猛禽だった。

 

 上から見ると正三角形に見える主翼と、他のスペースに並ぶ戦闘機とは違って平らな胴体。そして獰猛な猛禽類の嘴を思わせる機首。主翼の下部には破壊力のあるミサイルを格納するためのウェポン・ベイが用意されており、ステルス性は世界でトップクラスと言っても過言ではない。

 

 ステルス性だけが取り柄ではない。機動性に加えて、この機体にはあらゆる最新型の装備がぎっしりと詰め込まれている。長距離から敵を察知し、距離を詰められる前にミサイルで叩き落すことが可能なこの機体は、まさに『空の支配者』。

 

 これが、俺が採用するべきだと主張したアメリカ製ステルス戦闘機の『F-22ラプター』だ。もう既にこいつを実際に飛ばして訓練は行っているし、ちゃんと俺たちのシンボルでもある白い虎(ホワイトタイガー)のエンブレムも描いてある。

 

 主翼の右側に描かれたテンプル騎士団のエンブレムと、機首の左側に描かれた白い虎のエンブレム。もちろん白い虎のエンブレムは自作だ。ついさっきまでこれを描いてたからな。

 

「良い出来ね」

 

「だろ?」

 

 前世の世界から一緒にいるクランと一緒に愛機(ラプター)を見つめながら、俺は息を吐いた。

 

 あと4日後だ。アメリカが産んだ最強のステルス機と、ロシア製の新型ステルス機が激突するのは。

 

 勝利した方がテンプル騎士団で正式採用。敗北すれば不採用となり、空を飛ぶことはなくなる。仮に空を飛ぶことができたとしてもそれは限定的な状況だけだ。

 

 鳥籠を抜け出して空を飛ぶことが許されるのは、2羽のうち1羽だけ。この白い猛禽(ホワイト・ラプター)が飛び立つか、それとも黒い竜(ブラック・ドラゴン)が空を舞うか。

 

「勝ってね、ケーター」

 

「当たり前だ」

 

 隣に立つクランと手をつなぎ、目の前に鎮座する猛禽を見据える。

 

 今度の相手はテンプル騎士団の団長。しかも最強の転生者に育てられた、魔王の息子。

 

 上等じゃないか。必ず撃ち落として、俺はこのラプターを正式採用させて見せる。そしてクランと一緒に、この機体で異世界の空を飛ぶんだ。

 

 いつの間にか、隣にいる彼女が俺の顔を見上げていた。俺も彼女のエメラルドグリーンぼ瞳を真っ直ぐに見つめてから、クランの唇を奪う。

 

 絶対に俺が勝つ。

 

 あいつには――――――――負けない。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はいよいよF-22 VS PAK-FAです!


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ステルス機同士が戦うとこうなる 前編

 

 

 吸い込んだ瞬間に感じる空気は、現実世界の空気とあまり変わらない。特にこれといった匂いもなく、汚れている感じもしない清潔な空気。もしこれが現実ではなく夢なのならば、もう少し感覚が違うのではないだろうか。

 

 しかしこれはあくまで夢の中。本来見るべき夢ではなく、夢の中で実際に戦う際の感覚を養うための〝訓練用の夢”である。

 

 テンプル騎士団の制服に身を包み、キメラ用に改造したHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を点検しながら、俺はその蒼い空間に立つ。無数の青白い六角形の結晶にも似た物体が不規則に浮遊しつつ集合して足場を形成する蒼い世界の中には、これから始まる一騎討ちを見守るために集まってくれた仲間たちと、今回の対戦相手となるパイロットのケーターがいる。

 

 そう、これから始まるのはケーターとの一騎討ち。テンプル騎士団で採用するステルス戦闘機を賭けた、一対一の決闘なのだ。

 

「タクヤ、大丈夫?」

 

「ああ」

 

 HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をそろそろ装着しようとしていると、傍らに駆け寄ってきたナタリアがそう言って心配してくれた。

 

 彼女と一緒に複座型のPAK-FAに乗ったあの日からもう4日も経過している。その間、俺はこのトレーニングモードを有効活用し、今日の決闘を想定して難易度を限界まで上げたF-22との模擬戦を繰り返していた。もちろん俺だけ使ったらフェアではないので、この能力を対戦相手であるケーターにも使用させてたけどね。

 

 最初は操縦に慣れたつもりだったんだけど、模擬戦で開始早々にぶっ放されたミサイルに撃墜されたり、回避するために滅茶苦茶な機動を繰り返して地上に激突するのが当たり前だったんだけど、おとといからはそのミサイルを回避して反撃できるようになったし、昨日はもうF-22の動きが読めるようになり、逆にこっちが撃墜するのが当たり前となった。

 

 たった4日の猛特訓だったけれど、確実に操縦の技術は身についた。

 

「お兄様、頑張ってくださいな」

 

「ステラは応援してます!」

 

「負けたら許さないんだからねっ!」

 

 カノンとステラとイリナも、そう言ってこれから決闘を始める俺を励ましてくれる。仲間たちにそうやって励ましてもらえると少しばかり気が楽になるし、やっぱり負けられないという気持ちになる。

 

 これはあくまでも夢の中。実際に使用するのは模擬戦用の模擬弾やミサイルではなく、全て実弾だ。もちろん被弾した際の痛みや身体の傷つき方も忠実に再現されているので、もし機関砲がキャノピーに命中するようなことがあったらパイロットは一瞬でミンチである。

 

 死なないと分かっていても、そうやって再現された死が自分にもたらされるかもしれないという恐怖はある。けれども仲間たちの応援のおかげで、その恐怖は軽減された。

 

「待ってろ。ケーターの奴を落として、みんなをPAK-FAに乗せてやる!」

 

 仲間たちに向かって頷いた俺は、微笑みながら見送ってくれた仲間たちに踵を返すと、青白い空間の向こうへと歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息を吐きながら、仲間たちを見渡す。

 

 新たにシュタージに配属されたノエルを除いた3人は、前世の大学で一緒によく遊んでいた大切な仲間たち。こっちの世界にやってきた後も、必死に危険な状況を乗り越えてきたかけがえのない戦友だ。

 

 相手はタクヤの操る1機のPAK-FA。俺が乗るF-22も高性能なステルス戦闘機だが、向こうもF-22と互角の戦闘力を誇る強力な機体である。しかもそれに乗るパイロットは、あの最強の転生者と呼ばれたリキヤ・ハヤカワの息子。

 

 けれど、俺も短い間だけど訓練を続けてきた。相手がタクヤだという事を想定して、このトレーニングモードで難易度を限界まで上げたPAK-FAとの戦闘を繰り返してきたのだから。

 

「ケーター」

 

 深呼吸を終えてから振り返ると、やはり俺の傍らにはそのかけがえのない戦友たちがいた。

 

 転生したばかりの頃、いきなり出現した魔物や空を飛ぶドラゴンに戸惑い、何度も混乱して死にかけたこともあった。けれども俺たちが狼狽する中でいち早く冷静になり、パニックに陥ったまま魔物に食い殺されないように指揮を執り続けてくれたクランに、戦車に乗ってからは正確な砲撃で敵をことごとく粉砕してくれた砲手の坊や(ブービ)に、戦車を操っていつも俺たちを生還させてくれた木村。そして、新たに加わったキメラの少女のノエル。

 

 みんな、このテンプル騎士団に入ってからも一緒に訓練を続けてきた大切な仲間だ。

 

「………ああ、俺が勝つ」

 

 実際には死なない訓練とはいえ、これは俺とタクヤの一対一の決闘。正式採用となるステルス機がこの結果にかかっているだけではなく、単純に俺とタクヤの勝敗もかかっている。

 

 個人的な話になるが、あいつといつか戦ってみたいと思っていた。

 

 もちろん仲間になった以上は敵対してまで戦おうとは思わない。あくまでこういった模擬戦で戦ってみたいと思っていたという話である。

 

 空戦でもいい。海戦でもいい。銃を手にした白兵戦でもいい。どんな戦いでもいいから、あの怪物(タクヤ)と戦ってみたかった。

 

 それが、ここで叶ったのだ。だから俺は全力で奴に挑む。全身全霊であの男にミサイルと機関砲を叩き込み、あいつの機体を叩き落してやる。

 

「お前なら勝てるって」

 

「ええ、ケーターなら勝てますよ。ケーターは昔から強かったですから」

 

「ええと、どっちを応援すればいいか分からないけど………が、頑張ってくださいっ!」

 

「おう!」

 

 踵を返す前に、俺はクランの手をぎゅっと握った。

 

 前世の世界の大学で出会ったドイツ出身の少女。俺は屋上にいた彼女に一目惚れしてしまい、ここにいる坊や(ブービ)と木村に背中を押してもらってやっと彼女に告白することができた。やっぱり告白する時はドイツ語で告白するべきなんだろうかと真剣に悩み、書店でドイツ語辞典を購入したあの日の事を思い出しながら、俺はクランの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「じゃあ、行ってくるぜ」

 

「ええ」

 

 彼女を抱きしめてから、俺は踵を返す。

 

 あいつとは思い切り戦おう。幸い、このトレーニングモードでは死ぬことがないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この決闘のルールは簡単だ。相手の戦闘機を撃墜し、生き残ればいい。

 

 使っていい武装は短距離型の空対空ミサイルが4発に、中距離型の空対空ミサイルが4発。そして機体に搭載される機関砲はどちらも200発ずつとなる。

 

 制限時間は無制限。どちらかが撃墜されるか墜落するまで、絶対に決着はつかない。もし仮に武装を使いつくしてしまったならば、体当たりで撃墜する羽目になるだろう。

 

 とはいえ、使う機体はどちらもアメリカとロシアの最新鋭ステルス戦闘機。戦いは熾烈になるだろうが、そんなに長引くとは思えない。

 

 キメラ用に改造したHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着してPAK-FAのコクピットに座った俺は、機体のチェックをしながらトレーニングで戦ったF-22の事を思い出していた。F-22はあらゆる性能が高い優秀な機体だが、実際に戦ってみて一番怖かったのはやはり開始早々のミサイル攻撃である。

 

 相手はステルス機だからこちらのレーダーにも映りにくい。こちらもステルス機だからそれは同じなんだが、先に捕捉されれば開始早々にミサイルがこっちに向けてぶっ放される。総合的なステルス性では向こうの方が上なのだから、こちらがレーダーでの索敵でもたついている間に先制攻撃を許してしまうのは想像に難くない。

 

 仕方がない。先制攻撃は向こうに譲ろう。

 

 キャノピーの外に広がるのは、ただの蒼空。いくつか大小さまざまな雲が点在するだけで、遮蔽物は全くない。下の方を見下ろしてみるが―――――――その先にも、同じような光景が広がっている。どこを見ても地上と思われるような場所は見当たらない。360度すべてが蒼空になったかのような、幻想的な世界である。

 

 ここで、一対一の決闘が行われる。

 

 機器のチェックを終えると、目の前に青白い文字でメッセージが投影される。

 

≪戦闘開始まで、あと10秒≫

 

 ミサイルで決着はつくだろうか? 念のためドッグファイトの訓練もしてきたが、ミサイルで決着がつくならばそちらの方がいい。

 

 もしミサイルで決着がつけられなかったのならば――――――――ドッグファイトでけりをつけよう。

 

『――――――よう、タクヤ』

 

「ケーターか」

 

『実はな、お前とは前からずっと戦ってみたいと思ってたんだ』

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

 俺も、ケーターと戦ってみたいとは思っていた。彼も転生者の1人で、仲間たちと共に激戦から生還し続けた猛者の1人。さすがに敵対するような状況はごめんだけれど、こうやってトレーニングモードで一度でもいいから戦ってみたいと思うことはあったのだ。

 

 そういえば、これでそれが叶うじゃないか。

 

『だから、ここで――――――――』

 

「ああ――――――――」

 

≪5、4、3、2、1…………≫

 

『「――――――――決着を付けようぜ、クソッタレ!!」』

 

≪――――――――戦闘開始!≫

 

 瞬く間に、その青白い文字は微細な蒼い結晶の破片になって消滅し、俺とケーターの戦いが始まったことを告げた。次の瞬間、蒼空に包まれた幻想的な空間で静止していたPAK-FAが目を覚まし、機体の後端にあるエンジンノズルから勢いよく炎を吐き出し始める。

 

 念のためレーダーをさっそくちらりと確認するが、やはりF-22らしき反応はまだ探知できていない。このまま真っ直ぐに飛んでいくつもりだが、そうすればケーターの機体と遭遇できるとは限らない。

 

 確か、訓練ではそろそろミサイルにロックオンされているという警告がある筈だ。そう思いながらキャノピーの外を確認しようとしたその時、やはりもう既にこの機体がロックオンされているという事を告げる電子音が、狭いコクピットの中を満たし始める。

 

 舌打ちをしながら操縦桿を思い切り倒し、急旋回。あのまま真っ直ぐに巡航しつつ索敵する予定が早くも台無しになったが、まだ想定している範囲内。とりあえず次に繰り出されるミサイルを何とか回避し、貴重な相手のミサイルを浪費させてしまわなければならない。

 

 急旋回と急降下を繰り返し、ダメ押しに急上昇。機体の速度を急激に上げつつ空へと向かって舞い上がるが、まだロックオンされていることを告げる電子音は消える気配がない。

 

 すると、今度はレーダーに反応が出現した。一瞬だけ俺はついにF-22を捉えることができたのかと喜びたくなったが、アメリカの誇る最新型のステルス機がそんなに正直に姿を現すとは思えないし、真っ直ぐにこっちに向かって突っ込んでくるわけがない。第一、F-22は敵の戦闘機を追いかけ回して撃墜するドッグファイトを前提に設計されたのではなく、ステルス性を生かしてレーダーに探知されるのを防ぎつつ、敵に探知されるよりも先にミサイルを叩き込んで敵を殲滅するような戦法を前提に設計されている。

 

 つまり俺のPAK-FAに突っ込んできているこの反応は――――――――ミサイルだ。

 

 どこから発射されたのかは不明だが、おそらくF-22の反応が未だに探知できないことを考慮すると、これはおそらく中距離型の空対空ミサイルの可能性が高い。先制攻撃でこっちを叩き落すつもりか? いや、ケーターはもっと狡猾な奴だ。おそらくこれは様子を見るための一撃だろう。このミサイルに俺を追わせて、必死に回避している隙に反対側からもう1発お見舞いすることを考えているに違いない。

 

 ひとまず、このミサイルを回避しなければならない。いくら最新型のステルス機でも、ミサイルに被弾すれば木っ端微塵だ。

 

 高度を上げていた状態から、今度は失速しつつ急降下。65度くらいの角度で上昇していた状態から、今度は真下へと向けて垂直に降下していく。

 

「…………ッ!」

 

 さすがにキメラの頑丈な身体でも、急上昇していた状態からいきなり急降下をするという常識外れの動きをやっちまった代償はちょっとばかり辛い。もしキメラとして生まれていなかったならば今頃身体が弾け飛んでいるかもしれないほどのGを、キメラの外殻で覆って強引に耐える。

 

 けれどもそんなとんでもない角度で急降下したのは正解だったらしい。急降下のGに早くもキメラの肉体が慣れ始めていることにびっくりしながらキャノピーの後ろを見てみると、ケーターがぶっ放しやがった中距離空対空ミサイルは急な角度で急降下した俺の機体を追尾しきれなかったらしく、後端から吐き出す白い煙で空中に白いカーブを描きながら、空の中へと消えていく。

 

 これであいつのミサイルは中距離型と短距離型を含めて合計7発ずつ。

 

 機体の角度を元に戻そうとした時、またしてもロックオンされているという電子音が鳴り響く。

 

 操縦桿を引いて機体を元の角度に戻しつつ、レーダーをちらりと確認して接近するミサイルの方位を確認する。今の進行方向から見てミサイルが接近してくるのは4時の方向。もう移動したに違いないが、ケーターはおそらくそっちにいる。

 

 またGで身体に大きな負荷がかかるのを承知の上で、機体を急旋回させる。強引にPAK-FAを3時の方向へと向けつつ、また機体を加速させて蒼空をエンジンノズルの炎で加熱する。

 

 いい加減にしろよ、ケーター。

 

 2発目のミサイルは俺のPAK-FAに喰らいつこうとしていたみたいだけれど、やはり急旋回が功を奏したらしく、PAK-FAの背中に激突しようとしていたミサイルは一度限りの突進を失敗し、エンジンノズルが残した熱の中を突き破ると、最初の外れたミサイルと同じ運命を辿った。

 

 そして――――――――レーダーに、2時の方向へと飛行する機体を捕捉する。

 

 今度はミサイルではない。ミサイルならば俺に向かって突っ込んでくるはずだ。なのにこちらを振り切ろうと先ほどから賢い動きをするこいつは、ミサイルなどではない。ケーターが操るF-22だ。

 

 見つけたぞ…………!

 

 こっちもお返しに、俺から見て右から左へと向かって飛んでいこうとするケーターの背後につく。先ほど俺はかなり強引な急降下と急旋回でミサイルを振り切ったが、ケーターはどうするつもりだ? チャフやフレアを使って回避するのか?

 

 まあ、それらを使って回避したとしても、あいつから回避する手段を浪費させる結果になる。そのまま追い詰めてやるさ。

 

 短距離型の空対空ミサイルを準備。ロックオンを開始する。

 

 今頃向こうのコクピットの中では、ロックオンされたことを告げる電子音を聴きながら、ケーターが必死に操縦桿を倒している事だろう。

 

「お返しだ、クソッタレ」

 

 ミサイルの発射スイッチに華奢な指を近づけた俺は―――――――――ニヤリと笑いながら、お返しにミサイルをぶっ放すことにした。

 

「―――――――フォックス2」

 

 

 

 



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ステルス機同士が戦うとこうなる 中編

 

 

「すごい…………!」

 

 蒼い世界に浮かぶ、青白い結晶で形成されたモニターのようなものに投影される映像を見守りながら、私たちは驚愕することしかできなかった。

 

 結晶のモニターに移し出されているのは、蒼空の中で激突する2機の怪物。白と灰色の迷彩模様に塗装された白い猛禽と、黒と灰色の迷彩模様に塗装された黒い竜。互いにミサイルを放ち合い、自分が狙われたと悟ればドラゴンでは絶対に真似できないような動きでそれを回避し、すぐにミサイルを撃ち返す。

 

 私が生まれ育ったこの世界では、決して考えられない空中戦だった。

 

 この世界の空中戦は、ドラゴンに乗った騎士が相手のドラゴンに乗る騎士をクロスボウや弓矢で撃ち落とすか、乗っているドラゴンのブレスで相手を叩き落すしかない。しかもいくら命綱を付けて乗るのが常識とはいえ、ドラゴンに乗った状態であんな宙返りや急旋回をすれば乗っている騎士が振り落とされるのは想像に難くない。

 

 ドラゴンよりも自由に飛び回る、2機の機械で作られたドラゴン。片方がミサイルを放てば、狙われたもう片方は常軌を逸した動きでそれを回避してしまう。

 

 戦いが始まってから数分だというのに、すぐに私はこの戦いが接戦になるという事を理解した。

 

 機体の性能も極めて近く、パイロットの技量も互角。しかも今はまだどちらも序の口で、奥の手という切り札を出すタイミングを慎重に伺っている状態。こういう戦いは、終盤になればなるほど使えるカードが減っていき、最終的には切り札の応酬になる。

 

「さすがですわね、お兄様」

 

 PAK-FAが急旋回でミサイルを回避したのを目にしたカノンちゃんが、真面目な声音でそう言った。いつもふざけているせいなのか、こういう状況で真面目な話をされちゃうと、仲間になって一緒に旅をしてからそれなりに時間が経つはずなのに戸惑っちゃうのよね…………。

 

 多分、カノンちゃんは本当はすごく真面目な子なんだと思うわ。どうしてあんなエッチな子になっちゃったのかしら。

 

「カノン、ミサイルを回避する時はフレアやチャフを使うのではないのですか?」

 

「ええ、ステラさん。それも使いますわ。ミサイルには標的を追尾する機能がありますけど、それにも限界がありますの」

 

「限界?」

 

「おそらくお兄様は、フレアやチャフを温存するために急旋回で回避したのでしょう」

 

 このルールでは、搭載できるミサイルの数は合計で8発。短距離型が4発で、中距離型が4発よ。けれども現時点でケーターは2発も使ってしまっている。それに対してタクヤは未だに1発も使っていない。

 

 攻撃手段が2回分残っているタクヤの方がまだ有利という事かしら。けれども相手にはまだミサイルが6発も残っているから、ミサイルを回避するためにフレアを温存するのは正解ね。ミサイルには色んな種類があるけれど、赤外線を追尾するタイプのミサイルはフレアをばらまけば回避できるらしいの。

 

 そう思いながら見守っていると――――――――タクヤの操るPAK-FAの下部にあるウェポン・ベイから、何の前触れもなく1発のミサイルが飛び出した!

 

「ミサイルが………!」

 

 タクヤから見て、ケーターのF-22は右から左へと逃げようとしている状態。ロックオンされたことを知ったケーターのF-22は複雑な飛び方を始めるけれど、タクヤが放ったミサイル――――――多分、距離を考えると短距離型ね――――――はその複雑な飛び方を真似しているかのように激しく動き回りながら、前を飛ぶF-22へと追いついていく。

 

 ミサイルが直撃すれば、ミサイルは確実に木っ端微塵になる。

 

 だからミサイルが着弾するという事は、決着がつくという事。

 

 もう急旋回で躱せるような距離じゃない。白い煙を蒼い世界に刻み付けながら迫るミサイルの終着点がF-22のエンジンノズルとなりつつあった、その時だった。

 

 目の前で最愛の恋人の乗る戦闘機がミサイルに食い破られそうになっているというのに、やけに冷静な表情で映像を見上げていたクランちゃんが―――――――笑った。

 

 それと同時に、映像の向こうのF-22から、無数の紅い炎の球体がいくつも生み出される。白い煙を引き連れながら蒼空の中にばら撒かれたのは―――――――――無数のフレア。

 

「――――――――私の男は、そう簡単にやられないわよ」

 

「ッ!」

 

 結局、タクヤの放ったミサイルは急にふらつくと、先ほどまで正確にF-22を追尾していたというのに、まるで疲れ果てたかのように蒼空の中へと消えていった。

 

 これでタクヤもミサイルを1発使ってしまった。残りは7発。

 

「タクヤ…………」

 

 これはトレーニングだから死ぬようなことはない。

 

 けれども、彼には勝ってほしい。

 

 手をぎゅっと握りしめながら、私はタクヤの乗るPAK-FAをずっと眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそったれ…………!」

 

 危なかった。急旋回や急降下で躱すことにこだわらず、大人しくフレアを使った自分の判断が正しかったことに安心しながら、旋回しつつPAK-FAへの反撃を試みる。

 

 さすがにすべてのフレアを使い切ったわけではないが、まだ向こうのフレアは1回も使用されていない。距離に余裕があったからとはいえ、タクヤは2回もミサイルを急降下と急旋回のみで回避してしまっている。

 

 くそ、PAK-FAの機動性の高さは本当に厄介だ。ロシアの機体は昔から機動性の高い機体が多いが、やはり最新型のPAK-FAも同じか!

 

 しかも乗っているのは常人どころか訓練を受けた空軍のパイロットよりも身体が頑丈なキメラ(化け物)だ。ヘルメットや酸素マスクどころかパイロットスーツすら身に着けていないらしい。そんな装備であんな機動を軽々と連発しやがって。ふざけてんのか?

 

 回避するんだったら、そんな余裕がない近距離でぶちかますまでだ!

 

 ミサイル攻撃が失敗に終わり、旋回に入るPAK-FA。しかし俺はもう既にタクヤの背後に回り込み、短距離型の空対空ミサイルを準備している。ロックオンはもう完了しているから、今頃あいつのコクピットでは電子音が大騒ぎしている事だろう。

 

 これでミサイルは3発目。だが、今度はさっきよりも距離が近い。回避する余裕なんかないぞ?

 

「―――――――フォックス2!」

 

 ミサイルの発射スイッチを押した瞬間、展開したウェポン・ベイの中に収納されていた短距離型空対空ミサイルが切り離され――――――――白煙で蒼空を両断しながら、1発のミサイルが目の前を飛び回るPAK-FAへと向けて放たれる。

 

 今度も急旋回で躱すつもりか? もし躱したら、回避が終わってほっとしているところにもう1発プレゼントしてやるぜ。

 

 適度にPAK-FAを追尾しつつ、今度は中距離型空対空ミサイルも準備しておく。休む暇を与えるつもりはない。あいつがこのミサイルを振り切ったら、今度はこっちだ。仮にミサイルを使い果たしたとしてもまだ200発の機関砲が残っているのだから、そっちで落とせばいい。

 

 さあ、避けてみろ!

 

 相変わらず滅茶苦茶な動きをしながらミサイルを振り切ろうとするPAK-FA。やはり中に乗っているパイロットの身体が頑丈なのは本当に強みなんだなと痛感してしまうほどの急旋回で左へと回避したかと思うと、今度はぐるぐると反時計回りに機体を回転させながらの急降下。ミサイルもPAK-FAを追うけれど、早くも振り切られそうだ。

 

 ミサイルがやっとPAK-FAに追いつきかけたかと思ったその時――――――――今度はミサイルを置き去りにするかのように、タクヤのPAK-FAが急上昇。やっとのことでPAK-FAへと接近していたミサイルが、そのダメ押しのような急上昇で完全に振り切られてしまう。

 

 そのまま天空に鎮座する太陽へと向かって上昇していくタクヤ。ミサイルをあんな動きで回避されたことには驚愕してしまうが、こうなることはちゃんと想定していた。だから俺は中距離型のミサイルを準備していたのだ。

 

 再びロックオンを開始。しかしタクヤはまるで諦めたかのように真っ直ぐに飛び続け、俺にロックオンを許してしまう。

 

 てっきり動き回ってロックオンを妨害するんだろうと思っていたんだが、なんでこんなにあっさりとロックオンをさせた? まさか、そうやって急旋回でミサイルを振り切り続け、こっちのミサイルをすべて使わせようっていう作戦なのか?

 

 なめるなよ。俺はドッグファイトの訓練もやってきたんだぜ?

 

 お構いなしに、俺はもう1発中距離型のミサイルを発射した。

 

 これで短距離型と中距離型のミサイルをそれぞれ2発ずつ発射。俺に残されたミサイルは、同じく短距離型と中距離型のミサイルが2発ずつ。

 

 中距離型のミサイルは今までのようにタクヤへと向かっていく。そしてそれを無駄にするために回避を始めるタクヤ。

 

 ちょっと待て。こうやって1発ずつぶっ放していたらあいつの作戦通りになっちまう。

 

 だったら―――――――もう1発だ。回避している最中に、別の角度からもう1発お見舞いしてやる!

 

 機体を旋回させ、タクヤのPAK-FAが旋回してくる場所へと先回りする。このままの角度ならばあいつとは十数秒後に真正面からすれ違うことになるだろう。その前にロックオンして短距離型のミサイルをお見舞いし、すれ違う前にスクラップにしてやる。

 

 操縦桿を倒して微調整を繰り返し、旋回してくるタクヤのPAK-FAを狙う。あいつは未だにミサイルと追いかけっこを続けているようだ。フレアも使わずに回避する技術は評価するが、さすがに2発も回避するのは無理だろう。

 

「くたばりやがれ! フォックス2!」

 

 さあ、2発目だぜ!

 

 避けてみろ、ドラゴン(ドラッヘ)

 

 さすがに2発目を発射されたことに驚いたのか、PAK-FAの動きがさらに激しくなる。急旋回を終えたPAK-FAがこちらへと向かって突進してくるのを確認した俺は、すれ違う瞬間に機関砲で叩き落してやろうと思い、掃射の準備を始める。

 

 すると――――――――目の前から向かってきていたPAK-FAが、いきなり機首を上へと向けた。

 

 そのまま急上昇するのかと思いきや、機体の下部をこちらへと向け、機首を天空へと向けたままどんどん失速していく。

 

 あれは、『コブラ』と呼ばれる飛び方だ。機首を真上へと向けながら飛ぶ非常に困難な飛び方で、そんなことをすれば機体がかなり減速する羽目になる。もちろん少しでもミスをすればそのまま墜落する恐れもあるリスクの大きな手だ。

 

 だが、ミサイルに追われている状態でなぜそれを? 後方からは未だに健在な中距離型ミサイルがおってきているし、正面からは短距離型の空対空ミサイル。そして機関砲の準備をしている俺もいる状況だ。四面楚歌の状況でそんな飛び方をして何の意味がある?

 

 そう思いながらあいつがミサイルに挟み撃ちにされる様子を見ていた、その時だった。

 

 コブラから元の状態に戻ると思いきや―――――――――PAK-FAが、そのまま天空へと向けて急加速を始めたのである。

 

「はっ?」

 

 減速しつつ真上を向き、こっちにウェポン・ベイを向けていたPAK-FAが、なんと上へと直角に急上昇しやがったんだ!

 

 何だありゃ!? いくらなんでもあんな動きをしたら、中にいるパイロットにとんでもないGがかかるぞ!? いくらキメラでも危険だ!

 

 ミサイルたちは急上昇したPAK-FAを追い、同じく急上昇。しかし上昇を始めたタイミングと距離が悪かったのか、なんとその2発のミサイルたちは上昇してPAK-FAを追尾し始めようとした瞬間、なんと互いに激突し、そのままミサイル同士で共食いをするかのように木っ端微塵になってしまう。

 

「おいおい…………」

 

 信じられん。

 

 あんな動きができるのか…………!

 

 残ったのは中距離型ミサイルが2発と、短距離型が1発。チャンスのためにつぎ込んだ2発のミサイルがそのまま損害になってしまうとは…………!

 

 驚愕していた俺を、今度はこっちがロックオンされているという電子音が追い詰める。

 

 バカな!? あいつはさっき急上昇したばかりだろ!?

 

 そう思いながらキャノピーの上方を恐る恐る見上げると――――――――そこには、太陽の光に照らされて蒼空を舞う1機のPAK-FAが、急上昇を終えて今度はさらに急降下を始めた姿が見えた。もちろん機首が向いているのは、ミサイル攻撃に失敗した俺のF-22。

 

「くそったれ!」

 

 撃ち落とされてたまるか!

 

 操縦桿を倒し、急旋回を開始する。おそらくもう既にロックオンはされている。ミサイルを何とか回避しなければ、俺の敗北が決まってしまう!

 

 ちらりとキャノピーの後ろを見ると、ミサイルが放たれているのが見えた。―――――――しかも、蒼空の中に見えた白い煙の数は、3発。

 

 3発もミサイルを!?

 

 向こうの方がミサイルを温存しているとはいえ、ここで本格的な攻撃に移りやがった!

 

 しかも、レーダーを見てみるとその3発のミサイルは微妙に異なる角度で接近しているようだった。素直に急旋回して回避しようとすれば3発のうちのどれかに追いつかれる、絶妙な角度である。

 

 やっぱりこいつは強敵だ。くそ、あの時フレアを使わなければよかった………!

 

 まだフレアは残っている。けれどもここで使ってしまえば、あいつが温存している4発のミサイルが牙を剥くのは想像に難くない。フレアを使わずに避けるか? それとも、ここでフレアをすべて使って何とか回避するか?

 

 ―――――――いや、フレアは温存しよう。

 

 決断をした俺は、操縦桿を一気に後ろへと引いた。加速していた機体をやや減速させて少しでも早く上を向かせ、そのまま急加速。まるで宇宙へと打ち上げられるロケットのように天空へと向けて疾走していく。

 

 ちらりと後ろを見てみると、俺を追ってくる3発のミサイルも同じように上昇しているようだった。レーダーでも確認するが、ミサイルと俺の距離は段々と縮まりつつある。このままいつまでも上昇を続けていれば、あの獰猛なミサイルにやられてしまうだろう。

 

 だから、ここでちょっとばかり賭けをしてみる。あいつのミサイルの命中精度を、このラプターの機動性が上回るか否かの賭けだ。

 

 ギャンブルは嫌いだが、この状況をフレアを使わずに打破するにはそれしかない。

 

 待ってろ、クラン。必ず勝つ。約束通りに勝利して、お前の所に戻る。

 

 後方から迫るミサイルが距離を詰めてくる。キャノピーの後ろに見えるミサイルが、段々と大きくなっていく。

 

「ッ!」

 

 今だ!

 

 加速していた機体を強引に減速させつつ、操縦桿を更に引いた。モニターに投影されていた速度計の数値が凄まじい速さで減少していき、目の前に広がっていた筈の太陽と蒼空の光景が機首に隠れてしまう。そして新たに姿を現した光景は、白い雲が点在する蒼空と、その蒼空を蹂躙しながら上昇する3発のミサイル。

 

 猛烈なGが俺の身体を蹂躙する。パイロットスーツに包まれた身体が一気に重くなり、そのまま弾け飛んでしまうのではないかと思ってしまうほどの負荷が俺の身体を包み込む。

 

 必死に歯を食いしばり、その苦痛に耐え続ける。ここでこの苦痛に敗北すれば、そのままこの勝負にも敗北してしまう。だからそれだけは許されない。必ずタクヤとの決闘に勝利して、クランとの約束を果たすんだ。

 

 きっと勝利して戻れば、あいつは喜んでくれるはずだ。

 

 クランだけじゃない。前世から一緒に生き抜いてきた仲間たちだって喜んでくれるはずだ。

 

 だから―――――――――負けられないんだよ、クソッタレ!

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 先ほど上昇した角度から見れば、多分今の角度は300度くらいだろう。ちらりとキャノピーの上を見てみると、もう少しで追いつけるというタイミングで急降下した俺に追いつくことができなかった哀れなミサイルたちが、俺の飛んできた軌跡と比べるとかなり歪なラインを白い煙で描きながら空の中へと飛んでいくのが見えた。

 

 躱してやったぞ、タクヤ!

 

 そのまま急降下しつつ、雲の間を飛んでいるタクヤのPAK-FAをロックオン。今のを回避されるのは予想外だったらしく、ロックオンされたことを知ったタクヤのPAK-FAが大慌てで回避を始める。

 

 おいおい、さっきはロックオンさせてたくせに、今度は回避するのかよ?

 

 まあいい。これで終わりだ。

 

 くたばりやがれ、ドラゴン(ドラッヘ)

 

「フォックス3!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさか、あれを回避するとは。

 

 さっきのミサイル攻撃で撃墜するつもりだった俺は、ケーターの操縦技術の高さとF-22の機動性に驚愕していた。頑丈な身体を持つ俺ならば耐えられるかもしれないが、いくらパイロットスーツに身を包んでいるとはいえ、あんな動きをすればかなりの負荷がかかる筈だ。転生者でもGの負荷に耐え続けるのには限界があるというが、ケーターはその苦痛に打ち勝ったのである。

 

 おかげでミサイルを3発も失った挙句、今度はあいつに隙を見せることになった。幸いフレアは温存してあるが、ケーターは死に物狂いで反撃してくるに違いない。

 

 向こうのミサイルは残り3発。こっちは4発だ。ミサイルの残っている数で言えばこっちが優位だが、向こうにもまだフレアは残っているだろう。

 

 ドッグファイトになるか…………?

 

 真上にいるケーターが、こっちに向けて2発の中距離型ミサイルを放つ。それを回避するために急旋回しながら、俺は歯を食いしばった。

 

 

 



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ステルス機同士が戦うとこうなる 後編

 

 左から姿を現し、1秒足らずでキャノピーの右端へと消えていく蒼空たち。操縦桿を思い切り引き、PAK-FAを急旋回させながらちらりと後方を睨みつける。

 

 エンジンノズルが吐き出す炎と陽炎の向こうには、白煙を蒼空に刻み付けながら急接近してくる2発のミサイル。それをぶっ放しやがったケーターの白いF-22はもう既に発射した位置から移動しており、残った最後の矛(ミサイル)を放つタイミングを伺っている。

 

 うかつに回避を繰り返していれば、こっちが回避を終えた瞬間にミサイルをぶっ放される可能性が高い。向こうのミサイルの残りは3発で、おそらくこの2発のミサイルはほぼ同じ距離で発射されたことと、発射された距離を考えると中距離型の空対空ミサイル。あくまで推測だが、今まであいつがミサイルを発射してきた距離とタイミングを考えると、あいつのウェポン・ベイの中で眠っている最後の1発は短距離型だ。

 

 放つ瞬間に距離を詰め、こっちが回避できる余裕のないタイミングで放ってくるだろう。だからあいつが接近して来たら攻撃が始まる予兆だと思えばいい。

 

 だがそれを予測できる可能性は低いだろう。なぜならば今は、俺を追いかけてくるミサイルの遊び相手をしなければならないのだから。

 

 速度を落として高度を下げつつ、旋回を続ける。もう一度コブラからの急激な方向転換でもやってやろうかと思ったが、ミサイルとの距離が思ったよりも近すぎる。ただでさえコブラを使えば機体が急激に失速する羽目になるのだから、機首を真上へと向けている最中にミサイルの餌食だ。仮に直撃しなくてもミサイルには近接信管と呼ばれる代物が搭載されており、近距離までミサイルに接近されればそのミサイルが近接信管によって起爆し、爆風で木っ端微塵にされる羽目になる。

 

 誘導するミサイルも恐ろしいが、その近接信管も恐ろしい。

 

 けれども、俺はまだフレアを温存している。ここで使ってしまうのもいいだろう。どの道ケーターにはあの2発のミサイルを含め、3発のミサイルしか残っていないのだから。

 

 回避しきれないと判断した俺は、急旋回しつつ高度を上げ、フレアの発射スイッチを押した。

 

 ミサイルから逃れるために飛び回っていたPAK-FAから、一気に無数の炎の弾が散布される。白煙を纏いながら蒼空の中へと放り投げられた高熱のフレアたちが、蒼と白ばかりの世界の中で輝く。

 

 フレアたちに誘惑され、ミサイルの動きがおかしくなる。俺を追いかけていた2発のミサイルがぐらりと揺れたかと思うと、そのままふらついて横へと逸れていく。

 

 何とか回避できたことを知った俺は、ミサイルに追尾されているという緊張感と恐怖から解放され、安心してため息をついた。やはり一撃必殺のミサイルに追いかけられている最中は本当に緊張してしまう。その緊張感と恐怖の中で冷静に判断し、ミサイルを何とかして回避する方法を瞬時に選ばなければならない。判断を間違えれば、ミサイルとの鬼ごっこがこっちの敗北で終わるだけだ。

 

 息を吸い込もうとした次の瞬間、まだその鬼ごっこが終わっていないことを告げる電子音がコクピットの中を満たし、吸い込みかけていた俺の呼吸を一瞬だけ途切れさせる。

 

 レーダーを見た瞬間、新たなミサイルの反応が映し出されていた。その後方には最後の一撃を放ち終え、ドッグファイトへと移行する準備を整えるF-22の反応がある。

 

 くそったれ、最後の1発か!

 

 フレアを発射し、辛うじてさっきの2発を回避し終えたタイミングでやはりケーターは最後の一撃を放ってきた。しかも今度は近距離型だし、それをぶっ放すにしては近付き過ぎとも言える程の距離であいつはミサイルを発射しやがった!

 

「このッ……………!」

 

 狡猾な奴だ…………!

 

 操縦桿を右へと倒し、機体を加速させつつ右へと旋回。さらに微妙に高度も落として少しでも複雑な旋回をする。今までは減速しつつ急旋回をしていたから素早く回避できたけど、今は少しでも弾着を遅らせるためと、ミサイルを引き付けるためにあえて加速しながらの旋回を行っている。ミサイルがもう少し接近して来たら減速させ、そこからさらに急旋回して一気に躱すつもりだ。

 

 これを回避できればあいつのミサイルは弾切れ。それに対し、こっちにはまだ4発もミサイルが残っている。

 

 ドッグファイトも悪くないが、俺は賭けをしない主義だ。まあ、今まで結構無茶なことをしているけれども、賭けは嫌いなんだよね。――――――――だから俺も狡猾になる。あいつのドッグファイトには付き合わず、距離を開けた状態でミサイルで嬲り殺しにしてやる。

 

 そのために、まずこのミサイルを回避するんだ。

 

 旋回するPAK-FAの後方から迫る短距離型空対空ミサイル。そしてさらにその後方では、機関砲でこっちを撃墜するために距離を詰め始めるF-22。

 

 そろそろ減速するべきか? そう思いつつ、ちらりとレーダーを見てミサイルとの距離を確認する。

 

 ああ、そろそろ躱してやろう。

 

 この戦いに勝利すればPAK-FAが採用される。敗北すればPAK-FAではなくF-22が採用される。はっきり言うが、これは完全にミリオタの転生者同士の好みの問題だ。傍から見ればバカらしい理由で始まった決闘に過ぎないかもしれない。というか、俺もこの決闘の始まった理由はバカらしいと思っている。

 

 でも―――――――急旋回とミサイルの応酬の中で、俺は奇妙な感覚を感じていた。

 

 お互いに高性能な機体に乗り、この大空の中で一対一の戦いを繰り広げる。この状況でしか感じることのできない奇妙な感覚。緊張や恐怖もあるけれど、この感覚は〝楽しみ”にも似ている。楽しさと開放感などの感覚に加え、攻撃を食らって撃墜されるかもしれないという恐怖が適度に混ざり合った複雑な感覚だ。

 

 もう少しこれを味わってみたい。この空の中で、あの男との決闘を楽しみたい。

 

 あまり俺は一対一の戦いは好みではない。正々堂々と戦うような真似をするくらいならば、どんな汚い手を使っても必ず勝利する。少なくとも殺し合いにおいては間違った話ではないだろうし、汚い手を使っても、勝利すればいい。それを非難する相手は目の前で死体になっているのだから。

 

 だから、母さんが好む一対一の戦いも少しばかり古臭く、くだらないと思っていた。――――――――でも、今のこの感覚はきっと、そういう戦いの中でしか味わえないものなんだろう。

 

 きっと母さんに似た部分なんだろうな。この感覚を〝楽しみたい”と思ってしまうのは。

 

「ははははっ」

 

 急旋回の準備をしながら、俺は笑っていた。

 

 一撃必殺のミサイルに追われているというのに、どうして笑っているのだろうか。普通ならば回避するために必死になっている筈なのに。

 

 その疑問は消えぬまま―――――――俺が決めた急旋回のタイミングが到来する。

 

「!」

 

 機体を急激に減速させつつ、大急ぎで機首を更に上へと向ける。上と言っても俺から見れば上だけど、俺を追っているケーターから見れば真横だ。

 

 減速する中で方向を変え、エンジンノズルから炎を吐き出し始めるPAK-FA。後はこのまま無事に加速できれば、ミサイルは俺を追尾することができなくなる。旋回し終えたPAK-FAのエンジンノズルの後方を掠め、歪な白い線を描きながら空へと消えていくだけだ。

 

 案の定、ケーターの放ったミサイルはエンジンノズルの後方を通過し、まだPAK-FAに喰らいつこうと足掻くかのように旋回を続ける。しかし急旋回でもう置き去りにされてしまったそのミサイルはもう俺に喰らいつくことはできない。獲物はもう既に逃げてしまったのだから。

 

 さて、これでケーターはミサイルを使い果たした。こっちはミサイルが残っているから、これで嬲り殺しにできる。

 

 そう思いながらケーターの方へと旋回しようとした俺だったが―――――――キャノピーの外から流れ込んできた紅蓮の閃光と、まるで地面に叩きつけられたかのような激しい衝撃が、PAK-FAもろとも俺を蹂躙する。

 

「!?」

 

 激震の最中、更に機体の下の方から、ガンッ、と何かが立て続けに激突するような音が聞こえてくる。何が起きたのかと思いつつ操縦桿を握り、いつの間にか大きく揺れていた機体を立て直そうとする。

 

 ちょっと待て、今のは何だ!?

 

 何が起きたのかわからなかった。確かに俺はミサイルを回避し、ケーターに攻撃を仕掛けるために旋回していた最中だった筈だ。どうやらミサイルを喰らったわけではないみたいだし、このまま飛び続けることに支障はないみたいだが、いったい何が起きた?

 

 冷や汗を拭い去りながらレーダーを確認する。ケーターにまだミサイルが残っていたのかと思ったけれども、レーダーに映っているのはケーターのF-22のみ。

 

 そう、俺とケーターしかいない。その事に違和感を感じた瞬間、俺は先ほどの爆発が何だったのかを理解した。

 

 ――――――――近接信管だ。

 

 先ほど回避したミサイルとの距離が近過ぎたのだろう。よりにもよって回避したと思ったミサイルが、ちょうどPAK-FAの胴体の下部を通過する瞬間に近接信管によって起爆し、爆風と破片を俺にお見舞いしやがったんだ。

 

 確かにレーダーには、俺を撃墜できなかった哀れなミサイルの反応はない。さっきの爆発は、それしか考えられない。

 

 予想外の痛手になっちまったが、撃墜されなくてよかった。

 

 さて、お返しをしてやるか。

 

 ドッグファイトのために接近していたケーターが、今の一撃で撃墜できなかったことを知って慌てふためく。しかもこちらは飛行に支障が出るほどの損傷があるわけでもない。相変わらずPAK-FAの高い機動性は健在だ。

 

 急旋回を継続していた俺は、すぐにケーターの背後に回り込んだ。彼も慌てて左右へと飛び回るが、もう俺はミサイルのロックオンを始めている。悪いがこっちにはまだミサイルが残ってるんだよ。ちゃんと温存しといたからな!

 

「―――――――Пока(あばよ)」

 

 ロックオンを終え、ミサイルの発射スイッチを押したその瞬間だった。

 

 まるでひしゃげた金属の板を擦り合わせているような音が、またしても機体の下の方から聞こえてきたのである。もしそれがただの変な音で終わったのならば問題はなかったんだが、先ほどまでは聞いたことのないその音以外にも大問題が発生していた。

 

 なんと――――――――ミサイルが発射されないのである。

 

「……………!?」

 

 もう一度スイッチを押すが、やはりひしゃげた金属の板を擦り合わせるような音しか聞こえてこない。ミサイルは発射されずに、ボタンを押す度にそんな音が聞こえてくるだけである。

 

 慌ててコクピットにある小さなモニターを見下ろすと―――――――そこには赤い文字で『エラー』と表示されていた。

 

「エラー!?」

 

 どういうことだ!? さっきの爆発で故障したのか!?

 

 いや、もしかするとあの爆発の衝撃波か破片のせいでウェポン・ベイのハッチが歪み、ミサイルが発射できなくなってしまったのかもしれない。金属の板を擦り合わせたようなあの音は、歪んだウェポン・ベイのハッチが開閉できずに発していた音だった可能性がある。

 

 くそ、よりにもよってミサイルが封じられるとは!

 

 他のミサイルも試してみるが、結果は同じだった。温存しておいたミサイルは全て開かなくなったウェポン・ベイの中で死蔵せざるを得なくなったのだ。

 

 まだ機関砲は健在のようだが、これでケーターの方が有利になってしまった。少なくとも互角ではない。

 

 向こうはミサイルを全て使い果たし、身軽になっている。それに対してこっちは温存しておいたミサイルを4発もぶら下げたままの状態。重量が機体の機動性を大きく左右する空連では、これはただのハンデとしか言いようがない。

 

 しかも技量で互角の相手が乗る高性能のステルス機相手に、こんなハンデがある状態で互角に戦えるわけがない。

 

 なんてこった……………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロックオンされていた筈なのに、あいつがいつまでたってもミサイルをぶっ放してこないことに違和感を覚えた俺は、回避するために操縦桿を倒しつつ、ちらりと後ろの方を振り向いた。

 

 こちらを追ってくるPAK-FAだが、様子がおかしい。もうミサイルを撃ってきてもおかしくない距離だというのに、全くミサイルをぶっ放してくる気配がないのだ。何があったのだろうかと思いつつ敵機を見ていると、機体の下部にあるミサイルが収納されたウェポン・ベイのハッチがぶるぶると震えているのが見えた。

 

 何だ? ハッチが開かないのか?

 

「……………最高だな」

 

 どうやらさっきのミサイルは、タクヤのPAK-FAを撃墜することはできなかったみたいだが、あいつに致命的な損傷を与えてくれたらしい。

 

 爆発の衝撃波と破片のせいでウェポン・ベイのハッチが歪み、開閉できなくなってしまったようだ。あいつはまだ4発もミサイルを温存していたようだが、これで使用不能になったってわけだな。

 

 使えなくなったミサイルを4発もぶら下げたままドッグファイトするつもりか? だとしたらかなり不利だぜ、タクヤ。こっちは世界最強のステルス機なんだからな!

 

 予想外の損傷に混乱している隙に、俺はタクヤの背後に回ることにした。もう武装は機関砲しか残っていない。しかも弾数は200発。これまで撃ち尽くしてしまったら体当たりで敵を落とさなければならない。それまでこの戦いは決着がつかないのだ。

 

 俺が動いたことに気付いたタクヤも動き始めるが、タイミングが見事に遅れている。しかも4発もミサイルをぶら下げたままという状態のせいで、旋回する速度では完全にF-22に負けている。

 

 ハッチが開かないのだから、ミサイルを捨てることもできない。例えるならば重りを付けたまま優秀なランナーと共にマラソンをするようなものだ。

 

 案の定、PAK-FAは身軽になったF-22を振り切ることができなかった。まだタクヤは必死に操縦桿を倒し続けているが、こっちはもう既に機銃の照準をPAK-FAに合わせている。発射スイッチを押せば使用不能になったミサイルもろとも、目の前のPAK-FAを蜂の巣にすることができるだろう。

 

 左へと旋回を続けるPAK-FAの悪足掻きに終止符を打ってやろうとしたその時だった。またしてもPAK-FAが減速したかと思うと、機首を真上へと向け―――――――急激に減速し始めたのである。

 

「なっ!?」

 

 性懲りもなくコブラかよ!?

 

 そのままPAK-FAの背中に風穴を開けてやろうかと思ったが、いくら何でも近過ぎる。仮に風穴を開けることができたとしても、蜂の巣になったPAK-FAの残骸が俺の顔面に突っ込んでくることになる。

 

 後方に回られることを承知の上で、俺は舌打ちしつつ右へと回避した。真上を向いた状態のPAK-FAがF-22のキャノピーの左側を通過していき、わざと俺に〝置き去り”にされたのを確認してから体勢を立て直し、機首をこっちへと向ける。

 

 タクヤの奴、これを狙ってたのか!

 

 使えなくなったミサイルという重りを積んでいる以上、旋回ではF-22を振り切れない。無理に旋回を続けていれば追いつかれるし、さっきみたいな急旋回を繰り返していれば肝心な機体が限界を迎える。

 

 だから俺が機関砲を叩き込める距離まで接近してくるのを待ち、コブラの減速を利用して俺の後ろに回り込みやがったんだ!

 

 この野郎……………! 

 

 拙い、このままじゃこっちが逆に蜂の巣にされる!

 

「くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 負けてたまるか!

 

 そうだ、負けるわけにはいかない。仲間たちの元に、絶対に勝利して帰るんだ!

 

 みんなに応援してもらったんだ。だから、絶対に勝つ! 仲間たちをこのF-22に乗せてやるためにも、ここで俺があのPAK-FAを撃墜しなければ!

 

 後ろに回り込まれた。だが、まだ終わっていない。まだあいつは機銃を撃っていないし、俺はまだ撃墜されていない。

 

 まだ反撃できる筈だ。ミサイルはもう既に使い果たしたため、残った武装はまだ1発も使っていない機関砲のみ。ああ、こいつで叩き落してやる。そのためにはどうすればいい!?

 

「――――――――分かったよ」

 

 もう一度――――――――賭ける。

 

 くそったれ、ギャンブルは嫌いなのに一日に二回もかける羽目になるとは。

 

 息を吐きながら、最愛の彼女(クラン)の顔を思い浮かべる。もし俺がこの戦いに勝利し、微笑みながら彼女の元へと戻ったら、クランは笑ってくれるだろうか。

 

 頭の中に思い浮かべた彼女が微笑んだ瞬間――――――――俺は息を吐き、機体を減速させていた。

 

 ああ、微笑んでくれる筈さ。

 

 彼女のためにも、お前を落とす!

 

 F-22の速度が急激に落ちる。目の前のディスプレイに表示される速度がどんどん減少していき、キャノピーの外の蒼空が静止し始める。

 

 続けて操縦桿を思い切り手前へと引き、F-22の機首を天空へと向ける。

 

 さっきタクヤがやりやがったコブラと同じだ。距離もほぼ近い。今は無防備な状態だが、ここで撃墜するために機関砲をぶっ放せば、蜂の巣にされて炎上するF-22の残骸にタックルされる羽目になる。だから共倒れを防ぐために、タクヤは回避するだろう。

 

 Gに耐えつつ、ちらりとキャノピーの真上を見上げる。俺の後ろで機関砲の発射準備をしていたタクヤのPAK-FAが慌てふためきながら横へと回避し、さっき俺が背後を取られた時と全く同じ動きをする。

 

 どうだ? お返ししてやったぞ、ドラゴン(ドラッヘ)

 

 体勢をすぐに元に戻し、機体を適度に加速させながら照準を合わせる。加速させて距離を詰めてしまえばまたさっきみたいにコブラで回り込まれる可能性があるから、今度はコブラで回り込もうとしても背中を撃ち抜けるように、適度に距離を開けておいた。

 

 これで終わりだ、タクヤ。

 

 機銃の発射スイッチに指を近づけながら、俺は再び目の前を飛ぶPAK-FAを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカな……………!」

 

 俺は、賭けていた。

 

 賭けは嫌いだけど、それしか手段はなかった。だから賭けていた。

 

 重りを搭載した状態で旋回しても、F-22を振り切るのは不可能。だからと言ってさっきみたいな急旋回を繰り返していれば、PAK-FAに負荷をかけ続けることになる。それにもう何度も使っているから、次も使おうとすればケーターに察知されてしまうだろう。

 

 だからさっきのコブラが、最後のチャンスだった。あれで後ろに回り込み、機関砲で穴だらけにしてやるつもりだったのに――――――――ケーターは、またコブラで後ろに回り込みやがったんだ。

 

 もう一回コブラをやろうと思ったが、今度はケーターとの距離が離れている。失速した瞬間に背中を蜂の巣にされてしまうのは想像に難くない。

 

 打つ手はもう、ない。

 

 俺は賭けに負けたのだ。賭けに負けて最後のチャンスを逃し、奴に敗北する。

 

 くそ、みんなをPAK-FAに乗せるって約束したのになぁ……………。

 

 そういえば、お姉ちゃんは無事だろうか? あと数秒でケーターに蜂の巣にされるかもしれないというのに、俺は懲罰部隊に入隊し、ひたすら危険な任務を続けているラウラのことを思い出していた。

 

 ラウラが戻ってきたら何をしようか。とりあえず、どこかに買い物にでも行ってみよう。一日中イチャイチャするのもいいかもしれないけど、ラウラはどっちがいいって言うかな? ああ、そうだ。彼女が返ってきたらいなかった間に何があったのかちゃんと教えてあげないと。

 

 その時に――――――――ケーターとに一騎討ちに勝ったって言えるように、ここで勝たなければ。

 

 くそったれ。何で諦めてるんだ?

 

「まだだ……………」

 

 そう、まだだ。

 

 息を吐き、キャノピーの正面を睨みつける。今までさんざん無茶なことをしてきた。おそらくこれから仕掛ける攻撃が失敗すれば、本当に俺は敗北する。けれども成功すれば――――――――戻ってきたお姉ちゃんに、胸を張って『決闘に勝った』と報告できる。

 

 これが、この空戦で最後の無茶になる。

 

 操縦桿を握り――――――――攻撃する前に撃たれないことを祈りながら、俺はまた機体を減速させる。

 

 距離が先ほどよりも開いている状態での減速。きっとケーターも、これから俺が何をするつもりなのか読んでいる事だろう。

 

 旋回では勝てないと分かっている。だからそれ以外の方法で背後に回り込もうとする。

 

 続けて、今度は操縦桿を手前に思い切り引く。身体中を外殻で覆って必死に猛烈なGに耐えようとするけれど、それはただの1人のキメラの悪足掻きに過ぎない。重力の力はあっさりと外殻の内側へと潜り込み、蹂躙を始める。

 

 機首が真上を向く。白い雲が点在する蒼空の向こうに、太陽が鎮座している。

 

 普通のコブラならば、後は元の角度に機首を戻すだけだ。でも―――――――――俺はまだ、操縦桿から手を離さない。機種はもう既に天空へと向けられているというのに、まだ操縦桿を引いたままGに耐え続ける。

 

 キャノピーの真上に見えるケーターが、先ほどとは違う動きに動揺しているのが分かる。

 

 先ほどまでと飛んでいる方向は同じだ。しかし俺はその状態のままで機首を真上へと向け、更にそのまま機首を後方へと向けたのである。簡単に言えば、後ろ向きになった挙句逆さまになりながら前に飛んでいる状態である。

 

 このままさらに操縦桿を引き続けて体勢を元に戻せれば、「クルビット」と呼ばれる飛び方になるんだが、俺がやったのはそれの応用だった。

 

 こうすれば旋回する必要はないし、また賭けをする必要もない。

 

 目の前に、逆さまになったF-22――――――――逆さまになっているのは俺の方だ―――――――――が見える。キャノピーの向こうではヘルメットとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を身に着けたパイロットスーツ姿のケーターが、こっちをじっと見つめていた。

 

 きっと驚愕しているに違いない。自分が追いかけていた獲物が、いきなり前に飛んだまま機首を真後ろへと向け、機関砲の照準を合わせているのだから。

 

「――――――――白黒つけようぜ、同志ぃッ!!」

 

 逆さまになったF-22を睨みつけながら、俺は機関砲の照準を合わせ――――――――発射スイッチを押した。

 

 そしてこっちを睨みつけているケーターも、俺と同じく機関砲の発射スイッチを押した。

 

 ミサイルの応酬では一度も使用されることのなかった機関砲が、蒼と白が支配する世界の中で咆哮する。砲口から立て続けにマズルフラッシュを噴き上げ、獰猛な砲弾がF-22に喰らいついて行く。

 

 F-22の機首が砕ける。エア・インテークに砲弾が飛び込み、主翼が砲弾の集中砲火で抉り取られる。カーソルの向こうで世界最強の戦闘機が砲弾に食い破られ、ズタズタになっていく。

 

 しかし、こっちもF-22の機関砲が何発も被弾し、同じようにズタズタになっていた。主翼の付け根に立て続けに被弾し、特徴的な大きな主翼が大きく欠ける。被弾した尾翼が瞬く間に穴だらけになり、千切れ飛んでしまう。

 

 その時、F-22のキャノピーが砕けた。連射していた砲弾がキャノピーに直撃したらしく、砕け散ったガラスと血飛沫と肉片が宙を舞う。

 

 俺の勝ちだ、と思った次の瞬間、俺の胸元にも猛烈な衝撃が生じた。いつの間にかPAK-FAのコクピットを覆っていたキャノピーのガラスも砕け散り、ガラスを突き破ってきた数発の砲弾が俺の胸板を直撃したらしい。

 

 大口径の砲弾を、降下していない状態で防ぎきれるわけがなかった。あっという間に胸骨が砕け、肺と内臓が磨り潰され、背骨がめちゃめちゃになる。

 

 何度か経験したけど、死ぬときはこういう感じなんだろうか。自分の身体が千切れ飛んでいくのを感じながら、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼と白が支配する世界を、2つの炎の塊が落ちていく。

 

 片方は白と灰色の迷彩模様に塗装され、白い虎のエンブレムが描かれたF-22。そしてその残骸と激突を繰り返しながら落下していくのは、黒と灰色の迷彩模様に塗装され、ミサイルを口に咥えたドラゴンのエンブレムが描かれた、PAK-FA。

 

 蒼空しか存在しない世界で死闘を繰り広げた2機のステルス戦闘機は―――――――――こうして、同時に力尽きたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 キメラと重力

 

クラン「それにしてもキメラって凄いわね。パイロットスーツ無しであんな機動を繰り返しても平気なんでしょ?」

 

タクヤ「ああ」

 

ナタリア「ねえ、だったらパイロットスーツをちゃんと着ていればもっと負荷は軽減できたんじゃないの? ヘルメットは仕方がないと思うけど…………」

 

クラン「そういえばそうね。ねえ、何か理由でもあったの?」

 

タクヤ「えーと…………実は、急旋回とか急降下した時のGが好きなんだ……………」

 

クラン&ナタリア「「なにそれ!?」」

 

 完

 




※パイロットスーツなどの装備は戦闘機を操縦する際に必ず着用しましょう! 絶対にそれらを身につけないで戦闘機に乗らないでください!(というか戦闘機に乗る人って殆どいないと思いますけど)


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戦争の下準備

 

 

 まるで、ベッドの上で目を覚ました瞬間のような感覚を感じながら、俺はそっと瞼を開けた。こんな感覚を感じるのは間違いではないだろう。あのトレーニングモードは、簡単に言えば夢の中と同じ。痛覚をはじめとするあらゆる感覚が現実の感覚を忠実に再現した特別な夢の中で、あらゆる戦い方を学ぶ。あそこはそういう場所だ。

 

 F-22の機関砲で胸板をズタズタにされた瞬間の感覚を思い出した俺は、あれはあくまでトレーニングモードの中で感じた感覚だという事を知りつつも、反射的に胸板に手を当てた。やはり胸板には風穴など空いているわけがなく、いつも通りの、まるで少女のように華奢な胸板の感触があるだけだった。

 

「お疲れさま」

 

 身体に傷がないことを確かめていると、いつの間にか近くにいたナタリアが俺に水筒を差し出してくれた。もう既に外された小さな蓋の向こうからは、いつも飲んでいるアイスティーの香りと、彼女が作ったやや甘めのジャムの香りがする。

 

「ああ、ありがとう」

 

 彼女に礼を言ってから、水筒の中身を飲み始める。

 

 ナタリアがいつも作ってくれるジャムは、砂糖の量が多いせいなのか結構甘い。パンに塗っても〝甘い”と思ってしまうほどだけど、アイスティーに混ぜて飲むと適度な甘さになる。それにこの味は個人的に気に入っている。

 

 アイスティーを飲んだ瞬間、先ほどまで感じていただるさが一気に切り離されたような感じがした。急旋回の時に感じたGの感覚や、近接信管で爆発したミサイルの衝撃波。ケーターとの決闘で感じたあらゆる苦痛の残滓がすべて消え去り、いつも通りの状態に戻っていく。

 

「結局、引き分けだったわね」

 

「ああ」

 

 F-22とPAK-FAのどちらを採用するかを決めるための決闘は、結局俺とケーターの引き分けになってしまった。ケーターはミサイルを使い果たし、俺は4発も温存していたというのにアクシデントのせいで使用不能。最終的に、そのまま2人でドッグファイトをする羽目になった。

 

 けれども、ミサイルをすべて撃ち尽くして身軽になったF-22と、使用不能になったミサイルを捨てることもできず、重りと化したミサイルをぶら下げたまま戦う羽目になったPAK-FAのドッグファイトである。明らかにフェアとは言えない条件だったけれども、最終的には背後をとったケーターと、クルビットで急激に後ろを向いた俺が至近距離で互いに機関砲を撃ち込み合う事になり―――――――――どちらもスクラップになったのである。

 

「よう、タクヤ」

 

「ケーターか」

 

 あの空で、俺と同じく〝死んだ”男が、俺の部屋へとやってきた。あの最後の機関砲の撃ち合いで、キャノピーをぶち破った砲弾に身体を木っ端微塵にされた男は、やはり同じ運命を辿った俺と同じで元気そうである。

 

 彼の後ろには、シュタージの仲間たちもいる。そしてその中に紛れ込んでいるのは、カノンとステラとイリナの3人。俺を励まし来てくれたのかもしれないけれど、残念ながらここは元々俺とラウラが2人で寝泊まりしていた部屋だ。つまり2人用の部屋だから、そんな人数で押しかけられても全員入らないよ?

 

「お疲れ様ですわ、お兄様!」

 

「すごかったよ、タクヤ! あんな爆発初めて見た!」

 

 ば、爆発? ミサイルのことか? それとも最後に俺とケーターが吹っ飛んだ時の爆発か? 

 

 それにしても、爆発へのこだわりがすごいな……………。

 

「タクヤ、ステラもあの機体に乗れるでしょうか?」

 

「ああ、それは……………」

 

 そうだ、結局採用する機体はどちらになるのだろうか。

 

 あの決闘のルールは、「相手を撃墜して生き残った機体をテンプル騎士団で正式採用する」というルールである。つまり、F-22とPAK-FAの一騎討ちで勝利した方の機体が、あの珍しい地下の滑走路から飛び立ち、世界中の転生者との戦いに投入されるのである。

 

 だから個人的にPAK-FAが好きな俺は、必ずF-22を撃墜してPAK-FAを正式採用させると意気込んでいた。けれどもその結果は――――――――引き分けである。しかも至近距離で機関砲を撃ち合い、お互いに機体や肉体が木っ端微塵になる瞬間を見る羽目になるという考えられない決着のつき方だ。

 

 だからこれではどちらの機体が採用されるのかわからない。比べるべき2機が、同時に撃墜されたのだから。

 

 息を呑みつつ、腕を組んで微笑むクランを見つめる。シュタージの仲間たちにはもう既に彼女が下した決定が知らされているのか、俺のように固唾を呑んで結果を待っているような様子はない。

 

「それで、結果は?」

 

 先ほどトレーニングモードから戻ってきたばかりなのだから仕方がないけれど、俺に結果が知らされていないのは不公平だ。そう思いながらクランに問いかけると、大人びた容姿の彼女は、楽しそうに笑いながら答えた。

 

「――――――――結局、どっちも採用することにしたわ」

 

「えっ?」

 

 どっちも? F-22とPAK-FAを同時に採用するってこと?

 

「だって、どっちも同時に撃墜されたんだし、甲乙付け難いんですもの」

 

「うーん……………」

 

「安心しなさい、ドラゴン(ドラッヘ)。ちゃんと私たちもポイントを使ってあげるから」

 

 俺が心配した中にはコストの問題もあるけれど、一番の問題は、性能が近いとはいえ中身が異なるステルス機を同時に運用する際に生じる問題だ。ステルス機は非常にデリケートだし、ステルス性を維持するために整備には非常に手間がかかる。だから整備を担当する整備兵に負担がかかってしまうし、その機体が違うとなればマニュアルも別々に改めて作る必要がある。

 

 まあ、確かにコストが高いっていうのも理由の1つなんだけどね。ちなみにF-22の生産に使用するポイントは8000ポイントで、PAK-FAの生産に必要なのが7500ポイント。若干PAK-FAの方が安いけど、大量に生産することになればあまり変わらないと思う。

 

 ただでさえ拠点に配備する対空砲や対空ミサイルにもポイントを使わなければならないのだから、レベルを上げてポイントを増やさなければならない。スオミ支部を作った時にも大量のポイントを使ったし。

 

「大丈夫かな?」

 

「大丈夫よ。整備兵たちの中からステルス機専門の人員を選抜して整備に充てれば、何とかなるわ」

 

「……………それもそうだな」

 

 ああ、そうしよう。現時点でステルス機の整備を担当した人員は限られているけれど、定期的にちょっとした講習会を開いて整備方法の講習を行ったり、専門の整備兵の作業を見学させる研修も定期的に行えばステルス機の整備ができる人員も増えることだろう。

 

「では、テンプル騎士団ではF-22のPAK-FAをステルス戦闘機として運用する。……………同志諸君、構わないか?」

 

 問いかけると、部屋にやってきた仲間たちは首を縦に振ってくれた。

 

 この件は改めて会議でも発表するし、会議に出席する権限のない兵士たちにも知らせるつもりだ。この機体のパイロットは、同じく優秀なパイロットの中から選抜して決めることにしよう。ステルス機は航空戦力の切り札とも言えるし、ステルス機だけで構成された精鋭部隊も編成しなければならない。

 

 やることはいっぱいあるが、その前にシュタージがヴリシア帝国への潜入作戦に向かってしまうから、本格的に編成が進むのはそれ以降だろうな。彼らが帰ってくるのはいつになるかは分からないけど……………無事に戻ってくることを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステルス機同士の決闘から、一週間が経過した。

 

 それにしても、タクヤの親父(魔王様)は俺たちにずいぶんと無茶な命令をするもんだ。モリガン・カンパニーの本社から送られてきた、英語に似たオルトバルカ語で書かれているファイルの中身を確認しながら、俺は廊下を歩きつつため息をつく。

 

 シュタージのメンバーは、来週にヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントへと潜入することになる。目的は吸血鬼たちの戦力を調べる事。テンプル騎士団から参加するメンバーは、俺とクランと木村と坊や(ブービ)に加え、新しいキメラとなった新人のノエル・ハヤカワの5人。モリガン・カンパニー側からも諜報部隊が派遣されるらしく、現地で合流して共同で敵の偵察や情報収集を行うことになるという。

 

 侵攻する日が近づけば、魔王はヴリシア側へと住人の退避を勧告するという。何の罪もない住人たちを傷つけないための取り決めらしく、向こうもそれには合意しているらしい。だから十人が避難を始めれば、吸血鬼たちにはこっちが進撃するという合図になる。

 

 だが、元から奇襲で何とか倒せる相手ではない。ありったけの戦力を集めて真正面からぶつかり合うのが、一番手っ取り早く確実な作戦と言える。だから俺たちの役目はその〝下準備”だ。

 

 作戦の指示と一緒に、ノエルについての情報も送られていることに気付いた俺は、さっき居住区の売店で購入したホットドッグを齧りながらそれにも目を通すことにした。

 

 キメラは「突然変異の塊」と言える程、どのような生物なのかという傾向がつかめない変わった種族だという。簡単に言えば〝人類と魔物の遺伝子を併せ持つ新しい人類”のようなもので、犬や猫や狼のような動物の遺伝子を持つ「獣人」たちとは区別される。

 

 ノエルの場合は、ハーフエルフの遺伝子に加えてキングアラクネの遺伝子も含まれているらしい。実際に遭遇したことはないが、あらゆるものを切り裂いてしまう凄まじい切れ味の糸を生成し、ドラゴンの外殻すら切り裂いてしまう最強のアラクネらしい。ノエルもその糸を生成できるらしく、それを利用した暗殺や隠密行動の訓練を中心に受けてきたようだ。

 

 いざとなったら暗殺も任せてみようと思っていると、ファイルの下の方に『キメラ・アビリティについて』という項目が記載されていることに気付いた。

 

 キメラ・アビリティ? なんだそれ?

 

≪キメラ・アビリティとは、第二世代以降のキメラが持つ特殊な能力の総称。何かしらの極限状態を経験して追い詰められることで発動すると思われる≫

 

 追い詰められることで発動する特殊能力か……………。第二世代ってことは、タクヤやラウラも含まれるんだな。確かあいつらの親父が一番最初のキメラらしいから、この魔王様は〝第一世代のキメラ”ってわけだ。

 

 どうやら現時点でそのキメラ・アビリティが使えるのは……………タクヤとノエルの2人だけらしい。タクヤの能力がどんなものなのかは気になるが、残念ながらここに記載されているのはノエルの能力のみ。タクヤには後で聞いてみるか。

 

 そう思いながら読み進めていった俺は、我が目を疑う羽目になった。

 

「なんだこれ……………!」

 

 ノエルのキメラ・アビリティの能力が―――――――――予想以上に強力な能力だったのである。

 

 うまくこれを使えば、標的を暗殺することは容易いだろう。しかも凶器を使わないから痕跡すら残らない。それどころか……………〝暗殺された”という事すら疑われない。完璧に自殺や事故死に偽装することができる能力である。

 

 それだけじゃない。暗殺以外にも使えるぞ、これ。

 

 こんな能力を持つ少女が仲間なのか……………。

 

 ファイルを読み進めているうちに、いつの間にか部屋の前に到着していたことに気付いた俺は、ファイルを閉じてから部屋をノックした。確か、もうクランが先に戻ってきている筈だ。

 

『はーい!』

 

「開けていい?」

 

『どうぞー♪』

 

 お言葉に甘えて部屋のドアを開けた俺は、またしても我が目を疑った。

 

 いつもなら部屋に戻れば私服姿のクランがだらだらとくつろいでいるか、シュタージの奴らが街で買ってきたお菓子とジュースを持ち込んで、ちょっとした大騒ぎをしているのが当たり前だった。特に後者は俺も混ざって大騒ぎするけど、最終的に後片付けをする羽目になるのは俺なのでちょっとうんざりしていたところだ。

 

 けれども、ドアを開けた俺を出迎えてくれた状況は、そのどちらでもなかった。

 

「あ、あれっ?」

 

「ふふふっ。どう? 似合ってる?」

 

 部屋の中にいたのは――――――――私服の上に真っ白なエプロンを付けた、クランだった。

 

 しかも部屋の中からやけにいい匂いがする。何か料理を作ってたんだろうか? でも、確かクランって料理が苦手じゃなかったっけ? だから前世では俺が料理を作ってたんだけど、料理の練習でもしてたんだろうか?

 

「ん? お前料理が苦手なんじゃなかったっけ?」

 

「失礼ね。…………わ、私だって、ケーターのためにご飯作れるようになりたかったから、その……………な、ナタリアちゃんに教わったの」

 

「お、おお……………」

 

 ナタリアか。確か彼女は変人が多いテンプル騎士団本隊の中でも唯一まともなメンバーらしいし、きっとしっかりと料理を教えてくれたに違いない。タクヤから聞いたんだが、ナタリアにはラウラの料理をまともなものにしたという実績があるらしいし。

 

 部屋の中に入ると、いつも食事をしているテーブルの上に、2人分の夕食が置いてあった。メニューは……………ご飯と味噌汁と肉じゃがだ。

 

 全部和食じゃないか。

 

「ふふふっ。いつも洋食ばかりだし、和食が恋しいんじゃないかって思ったの」

 

「最高じゃないか」

 

 そういえば、彼女が日本に留学してきた時、頑張ってドイツ料理の作り方を調べて彼女に振る舞ってたな。これはあの時の恩返しなんだろうか?

 

「最高の彼女だな、お前は」

 

「ふふふっ。……………Danke(ありがとっ)!」

 

 隣に立つ俺よりも少し背の小さい彼女をぎゅっと抱きしめながら、前世のことを思い出した。

 

 あの時木村や坊や(ブービ)たちに背中を押してもらえなかったら、俺はこうしてクランと抱きしめ合う事は出来なかっただろう。あいつらにも感謝しないと。

 

「さあ、食べましょう♪」

 

「そうだな」

 

 彼女のことは、絶対に守り抜こう。

 

 そう思いながら、俺は椅子に腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サン・クヴァントへの潜入の際は、当たり前だが目立ってはならない。そのため現地へと向かうシュタージのメンバーはヘリや輸送機での移動ではなく、目立たないような私服姿で船に乗っての移動となる。

 

 決して表舞台には立たない。常に舞台裏で暗躍する諜報部隊の鉄則だ。

 

 その鉄則をあからさまにぶち破ろうとしているかのような恰好をしているのは、常にガスマスクを外さない木村。他のみんながこれから出稼ぎに行く労働者や商人のような目立たない格好をしているというのに、1人だけ私服を身に着けてガスマスクをつけているのはどう見ても目立ってしまう。

 

 でも、奇抜な恰好をしているのは冒険者や魔術師くらいだし、冒険者だと言い張れば目立たないかな……………。

 

「じゃあ、行ってくるわね」

 

「おう。無茶だけはすんなよ」

 

「コブラの後にクルビットをやるような奴に言われたくはないな」

 

「悪かったな」

 

 そういうお前も無茶してたじゃねえかと、あの時の空戦を思い出しながら言おうと思った。けれども俺はそう言わずに苦笑いをすると、彼らを港まで乗せていく荷馬車をちらりと見る。

 

 荷馬車の御者を担当するのも、もちろんテンプル騎士団のメンバーの1人。とりあえずシュタージのメンバーは〝ヴリシア帝国まで出稼ぎに行く若者たち”という事になっているし、現地でも労働者や商人として振る舞ってもらう予定である。

 

 もちろん、護身用の武器は持ってるけどね。かなり目立たないけど、私服のポケットの中や袖の中に武器を仕込んでいるらしい。ちょっとした暗器のオンパレードだ。

 

「ノエル、大丈夫か?」

 

「うん。そういう訓練も受けたし、大丈夫だよ」

 

 胸を張りながら笑うノエルだけど、やっぱり実戦経験の少ない彼女まで投入するのは早すぎるんじゃないかと思ってしまう。いくら特別な訓練を受けたノエルでも、吸血鬼の総本山に少数の仲間と一緒に潜入させるのは危険なのではないだろうか?

 

 でも、モリガン・カンパニー側の諜報部隊も派遣されるみたいだし、そこは彼らの技量に期待しよう。親父のことだからちゃんとノエルをサポートするように指示を出しているに違いない。

 

「よし、みんな乗って」

 

「ノエルちゃん、危なくなったらちゃんと俺たちが援護するからね!」

 

「ありがとう、ブービ君!」

 

「おい、坊や(ブービ)

 

「ん?」

 

 荷馬車の上に乗りこもうとする坊や(ブービ)の肩をつかんだ俺は、徐々に力を入れながらニッコリと微笑んだ。

 

「もしノエルに手を出したら……………最高のリゾート(シベリア)高級ホテル(強制収容所)にご招待するから楽しみにしてろよ」

 

「痛ぁっ! ちょっ、ちょっとタクヤ! 肩が砕けるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」

 

 やかましい。ノエルに手を出したら粛清してやる。

 

 とりあえず、現地入りする前に右肩が粉砕骨折したら洒落にならないので、この辺で手を放してやった俺は、ため息をつきながらケーターの方を見た。

 

「……………じゃあ、頼んだぜ」

 

「おう」

 

 シュタージの方がまともな奴らは多いし、彼らならきっと大丈夫だろう。

 

 荷馬車を運転する御者が馬をゆっくりと走らせ、シュタージのメンバーを乗せた荷馬車が内側にある検問所のゲートの向こうへを走っていく。これから敵の総本山へと向かう仲間たちを見送りながら、俺は空を見上げた。

 

「ナタリア」

 

「なに?」

 

 きっとこれは、戦争になる。

 

 14年前の転生者戦争を上回る、本格的な戦争だ。

 

「――――――――さあ、戦争の準備だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「下準備が始まりました、同志リキノフ」

 

 ヘンシェルの報告を聞いて頷いた俺は、後ろの窓の向こうに広がる星空を見上げた。

 

 報告では、すでに我が社の諜報部隊は現地入りして複数のセーフ・ハウスの準備を済ませたという。後は同じくヴリシアへと向かったテンプル騎士団の諜報部隊(シュタージ)を迎え入れ、共に情報収集を開始するだけだ。

 

 吸血鬼は、本当に侮ることのできない強敵である。弱点があるため倒せないことはないが、その身体能力の高さと驚異的な再生能力は、我々にとっても大きな脅威となる。しかも彼らの総大将は、かつてレリエル・クロフォードに使えていた眷属の1人。レリエルから血を与えられていただろうから、現時点ではおそらくそいつがレリエルに一番近い存在であることは間違いない。

 

 吸血鬼と我々の全面戦争。表向きにはそういうことになっているが、俺たちの目的は彼らが入手している天秤の鍵を手に入れる事。本当のことを知らされずに戦地へと向かう社員や兵士たちには申し訳ないが、彼らには吸血鬼の撃滅という大義名分のために戦ってもらおう。

 

「よろしい。同志ヘンシェル、他に報告は?」

 

「はい、娘さんのことなのですが」

 

「ラウラか。どうした?」

 

「督戦隊からの報告では、凄まじい戦果を挙げているそうです。私も確認しましたが……………我が目を疑いました」

 

 ハーフエルフのヘンシェルには、社内で俺の秘書を務めてもらってそろそろ半年が経過する。それよりもずっと前からこの男のことは知っているが、陽気な性格のものが多い傾向にあるハーフエルフの中では珍しく冷静沈着で、あまりこのように驚いているところを見たことはない。

 

 それほど戦果を挙げたのかと期待しつつ、彼に尋ねる。

 

「それで、ラウラの戦果は?」

 

 問いかけると、ヘンシェルは「確認戦果のみですが……………」と言ってから、ポケットの中に入っていたメモ用紙を取り出して報告を始めた。

 

「狙撃での転生者の討伐数が……………611人だそうです」

 

「なに?」

 

「他にも、SMG(サブマシンガン)での討伐数が458人。その他のトラップやナイフでの討伐数は120人だそうです」

 

「……………集計の間違いでは?」

 

「いえ、督戦隊が実際に観測した戦果だそうです。不確定なものを含めればこれの倍になるという報告もあります」

 

「……………」

 

 信じられん。

 

 確かに、彼女には戦果を挙げればテンプル騎士団への復帰を認めるという条件を与え、懲罰部隊として各地の転生者の討伐を行わせていた。彼女はタクヤにかなり依存していたし、今回の一件にかなり罪悪感を感じていたようだから必死に戦ってくれるだろうと予測していたが――――――――ラウラの活躍は、俺のすべての予測と若い頃の俺の戦果を上回っていた。

 

 しかも、若い頃の俺は半年かけて転生者の討伐数が1000人に達し、当時の転生者たちを絶滅寸前まで追い込んだ。しかしラウラは、いくら転生者の人数が増加しているとはいえ、弟の元に戻りたいという気持ちだけで……………たった1ヵ月でこれほど戦果を挙げるとは。

 

「……………よろしい。彼女にはそろそろテンプル騎士団に復帰してもらおう」

 

「ですが、まだミッションは残っているそうです」

 

「ならば、せめてヴリシア侵攻までに間に合うように日程を調整させてくれ」

 

「はい、同志リキノフ」

 

 こちらには訓練を積んだ数多の兵士たちと、タクヤやラウラをはじめとするテンプル騎士団の精鋭部隊がいる。それに今度の侵攻作戦には、李風のPMCとも協力してありったけの兵器をヴリシアへと送り込むことになっている。

 

 だが―――――――――それだけの戦力を用意しても、吸血鬼との戦いの勝率は50%を超えることはない。

 

 奴らはそれほど強敵だ。実際に彼らと本格的な戦いを繰り広げた俺たち(モリガン)は、それを理解しているつもりである。

 

 だから、いくらでも過剰に備えよう。勝率が50%を超えるまで、ひたすら備えるのだ。

 

「――――――――戦争が始まるぞ、同志諸君」

 

 後ろの窓に見える星空に向かって呟いた俺は、満月を見上げてから目を瞑った。

 

 

 

 

 

 第十一章 完

 

 第十二章へ続く

 

 

 

 




次回から第十二章です。主にテンプル騎士団の軍拡とシュタージの潜入がメインになりますので、お楽しみに!
では、読んで下さってありがとうございました!


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第12章
転生者救出作戦


 

 

 レンガで作られた建物の群れの間を、金属の防具と制服に身を包んだ男たちが走っていく。腰には産業革命の恩恵で切れ味が劇的に向上したロングソードを下げ、左手には防御用のガントレットを身に着けた男たちの右肩には、ライオンに跨った槍を持つ戦士のエンブレムが描かれている。

 

 カルガニスタンを植民地としている、フランセン共和国騎士団のエンブレムである。

 

 軍事力ではこの世界で最強の国と言われているオルトバルカ王国やヴリシア帝国にはまだ及ばないものの、最新の動力機関であるフィオナ機関の本格的な導入によって急激な技術の近代化に成功しており、少しずつ大国との差を縮めつつある国だ。

 

 路地裏を駆け抜け、昼間は露店が並んでいた筈の大通りに飛び出す騎士たち。彼らの任務は植民地の治安維持や魔物の撃滅などが主な任務であり、犯罪者や反逆者を発見した場合の取り締まりも一任されている。それゆえに、こうして夜中に逃走する犯罪者とちょっとした鬼ごっこを繰り広げるのも珍しい話ではない。

 

 しかし今回の相手は――――――――普通の犯罪者とは別格であった。

 

「隊長、あそこです!」

 

「くそ……………逃がすなッ!」

 

 部下が指差したのは、大通りの真っ只中にある鍛冶屋の屋根の上であった。大きな斧の形をした看板が特徴的な鍛冶屋で、昼間ならばがっちりした体格のドワーフの職人とオークの助手が切り盛りしている姿を見受けられる、この国の冒険者には馴染み深い鍛冶屋である。

 

 その鍛冶屋の屋根の上に――――――――その人影がいた。

 

 短いマントのついた黒いコートと、特徴的な大きなフード。そのフードにはハーピーから取れる深紅の羽根が2枚ほど飾られており、まるで暗闇の中を必死に照らそうとする炎のようにも見えた。

 

 背丈はそれほど大きくないという事は、屋根の上まで伸びた看板と比べればすぐに分かる。身長はおそらく170cmほどだろう。黒服の中から伸びる手足も、鍛え上げられた騎士や冒険者たちと比べればずいぶんと華奢だ。もしかするとあの人影の正体は少女なのではないかと遭遇した騎士たちは考えたが、少女があんなことをするとは信じたくないとすぐに思う事だろう。

 

 この街の中心にある屋敷に住む少年が、内部で切り刻まれて惨殺されていたのだから。

 

 四肢だけではなく、骨や内臓まで切断されていたのである。現場へと急行した新入りの騎士たちが嘔吐する姿を目にするのは珍しい話ではないが、今回のこの事件はベテランの隊長でさえも、夕食のローストビーフを吐き出してしまいそうなほど凄惨なものであった。

 

 内臓や骨まで取り出され、人体のあらゆる部位をバラバラにされたただの肉の残骸。そしてその残骸が転がっていた部屋の壁には、見たこともない言語でメッセージのようなものが描かれていたのである。それを目にした騎士たちは古代文字ではないかと思ったが、考古学者を呼び出して訳してもらう余裕はなかったし、それにこのようなメッセージを残して惨殺を繰り返す殺人鬼に心当たりがあった。

 

 今では世界中で話題になっている存在。人々を虐げて搾取する者たちの元に現れ、彼らを殺してメッセージを残していく正体不明の殺人鬼。

 

 自分たちが追っているのはまさにその殺人鬼なのだと、隊長は理解していた。

 

「おのれ、ついにカルガニスタンに姿を現したか…………!」

 

 標的だけを殺し、追撃してくる騎士たちには決して手を出さない。そして標的だけは徹底的に切り刻んでいくことから、その殺人鬼はこう呼ばれていた。

 

「――――――――切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ブオォォォォォォォォォォォッ!』

 

「……………」

 

 遠くから聞こえてきた法螺貝の音を聞き、俺は自室の壁にかけてある愛用のAK-12を拾い上げた。間違って暴発させたり仲間を撃ち抜くような真似はしたくないので、安全装置(セーフティ)をかけてからマガジンを取り外し、薬室に残っている1発をコッキングレバーを引いて排出。飛び出して宙を舞う7.62mm弾を素早くキャッチし、ポケットに突っ込んでから部屋から飛び出す。

 

 他の部屋からも、同じようにAK-12を手にしたメンバーたちが飛び出してきた。彼らに「おはよう、同志」と簡単な挨拶を済ませ、第一居住区から地上へと続く階段を駆け上がる。

 

 今の時刻は午前8時。夜間の警備などを担当していたメンバーは免除されるが、それ以外の団員たちは一部を除いて訓練が始まる時間である。

 

 それにしても、俺はラッパかホイッスルで合図をしろと前に言ったはずなんだが、何で法螺貝なんだろうか? 誰が吹いたのかはもう明らかだが、前に俺がノリツッコミをぶちかましたせいなのか、部屋を飛び出したメンバーのうち数名が「合戦じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と叫びながら走っていくのを見て、思わず笑ってしまう。

 

「流行ってますね、同志」

 

「何でだよ」

 

 ここは日本じゃねえよ。カルガニスタンだよ。

 

 ちょっと呆れながら階段を駆け上がると、商人から購入したという法螺貝がすっかりお気に入りの装備となったのか、問題の法螺貝を片手に持ったイリナが眠そうな顔で手を振っているのが見えた。

 

 眠そうなのも無理はない。吸血鬼には個体差があるが、イリナやウラルは日光を浴びるとかなり体調を崩してしまうので極力昼間には外に出さないように配慮している。だから彼女たちには夜間の警備やダンジョンの調査を担当してもらい、明け方になったら自室で休む前にこうして合図をするようにしてもらっている。

 

 ウラルは真面目な奴だからちゃんとラッパかホイッスルで合図してくれるが、イリナは…………あの法螺貝を手放してくれない。

 

「はーい、みんな訓練がんばれー」

 

「ちょっと待て」

 

「にゃ?」

 

 あくびをしながら踵を返そうとしたイリナの肩をつかむと、彼女は首を傾げながら俺の顔を見上げた。

 

「あのさ、なんで法螺貝なの?」

 

「燃えるでしょ?」

 

「法螺貝じゃなきゃダメ?」

 

「うんっ!」

 

 おいおい。

 

 というか、ウラルは注意しないのか? 妹だろ?

 

「というわけで、訓練がんばってね! じゃあ僕は部屋で寝――――――――」

 

「ああ、そうだ。ついてこい」

 

「にゃ?」

 

 ちょっと訓練に遅れるかもしれないけど、その前にイリナに問いただしたうえで解決しなければならないことがある。近くを通った奴に「ごめん、ちょっと遅れる」と伝えてから、俺はイリナの手を引いて地下へと逆戻りする。階段を駆け下りて廊下を突き進み、数分前にAK-12を手にして飛び出したばかりのドアの前へと到達した。

 

 そう、ここは俺の部屋である。正確に言えば俺とラウラの部屋なんだが、ラウラはレナの一件で現在は親父の元で編成された懲罰部隊で反省中。だから実質的に、この部屋は俺の1人部屋と化している。

 

 よく仲間たちが来て一緒にご飯を食べたりすることはあるんだが、基本的にはここで寝泊まりしているのは俺だけである筈だ。

 

「ねえ、どうするの? あ、まさか…………僕を部屋に連れ込んで押し倒すつもり?」

 

「アホか」

 

 確かにイリナも綺麗だけど……………そ、そんなことをするつもりはないよ? 第一、そんなことをしたらウラルに殺されそうである。あいつにはシスコン疑惑があるからな。

 

 そう思って必死に否定する俺だけど、無意識のうちに隣にいるイリナの胸を見てしまう。ナタリアよりもやや大きいけれど、ラウラと比べればやや小さめ。巡洋艦と超弩級戦艦の中間くらいだな。巡洋戦艦ってところか。

 

 ハヤカワ家の男は女に襲われやすいというちょっとした呪いのような体質があるし、どちらかというと俺は押し倒すのではなく押し倒される方だろう。実際にラウラには何度も押し倒されたし、そのまま搾り取られた回数は少なくない。

 

 とりあえず、部屋のドアを開ける。簡単なキッチンの脇を横切ってベッドの方へと向かうと、隣にいるイリナがニヤニヤしながら顔を赤くし、俺の左手にしがみついてきた。

 

「ほら、やっぱり押し倒す気なんでしょ?」

 

「違うっつーの」

 

「だってベッドの前まで連れてきちゃったじゃん」

 

「ベッドじゃなくてこっちを見ろ」

 

「にゃ?」

 

 俺が指差したのは、いつも寝るのに使っている1人用のベッドではなく、その隣に横たわっている木製の棺だった。

 

 真っ黒に塗られ、蓋にはカルガニスタン語が書かれたベッドと同じくらいのサイズの棺が、俺のベッドと平行に並んでいるのである。

 

「これ何?」

 

「棺だよ?」

 

「知ってるわ。で、誰の?」

 

「僕のだよ?」

 

 ……………なんで俺の部屋に置いてるの。しかも棺の蓋に書いてあるカルガニスタン語は、よく見てみると「イリナ」って名前が書いてあるし。

 

「ここ俺の部屋だよ?」

 

「知ってるよ?」

 

「何で置いてあるの?」

 

「1人で寂しそうだったからお邪魔したんだ♪」

 

 た、確かに1人で寂しいけどさ、何で棺持ってきたの? というかこの棺、明らかに部屋の入り口よりも幅があると思うんだけど、どうやって部屋の中に入れたんだ?

 

 呆れながら棺を見下ろしていると、イリナが楽しそうに鼻歌を口ずさみながら棺の蓋を開けた。彼女が持ち込んだ棺はごく普通の棺なんだけど、中にはちゃんとベッドのようにシーツが敷いてあるし、可愛らしいハートマークが描かれたピンク色の枕と毛布もセットになっている。脇にある小さな穴は空気を出し入れするための穴だろうか。

 

 なにこれ? 棺型ベッド? ちょっと快適そうだと思ってしまった俺は、棺の中をまじまじと見つめてしまう。

 

「これベッド?」

 

「そうだよ? 吸血鬼たちの中ではこうやって寝るのが当たり前なんだ♪」

 

「そ、そうなんだ……………」

 

 まあ、寝てる間に日光が当たらないようにする工夫の1つなんだろうな。カーテンを閉めた方が手っ取り早いと思うけど。

 

「というわけで、ラウラが戻ってくるまでは僕がいるから寂しくないよっ♪」

 

「せめて何か言ってからにしろよ!?」

 

「びっくりした?」

 

「当たり前だ! 朝起きたらいきなり右隣に棺が置いてあるんだからな! いつから俺の部屋は墓地になったんだって思ったわぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「あははははははっ! やっぱりタクヤって面白いねー♪」

 

 笑いながら背伸びして俺の頭を撫で始めるイリナ。何か言い返そうと思ったけれど、頭を撫でられているうちに言い返そうと思っていた言葉が萎んでいった。

 

 そういえば、彼女も出会ったばかりの頃と比べるとかなり変わった。フランセンの騎士たちに虐げられていた彼女は、最初のうちは俺たちに警戒心を向けていたんだけど、今ではもうこんな感じだ。俺以外のメンバーにもこうして接する元気な子なので、落ち込んでいる仲間を元気づけることも多いという。

 

「とりあえず、早めに寝ろよ。ここにいてもいいから」

 

「やった。タクヤから許可貰っちゃった♪」

 

「なんだ? 嬉しいのか?」

 

「うんっ。これでナタリアちゃんに咎められても撃退できるしね♪」

 

 おい、俺からの許可をナタリアを撃退する口実にするんじゃねえ。

 

「えへへっ、嘘だよ。……………本当はね、僕…………君のことが気になってるんだ」

 

「え?」

 

 先ほどまで笑っていたイリナが顔を赤くし始めたかと思うと、下を向いてしまう。ちらりと時折俺の顔を見上げてくる紅い瞳と目が合った瞬間、俺までドキリとしてしまった。

 

「最初は女の子みたいだって思ってたけど、優しいし、男らしいところもあるから……………」

 

 今まで散々女子に間違えられてきたけれど、男らしいところもあると言ってもらえたのはかなり嬉しい事である。仲間にまで女だと間違えられてたレベルだったし、初対面の人には女だと思われるのが当たり前だったからな。

 

 そうか、俺も男らしくなったか…………!

 

「ねえ、知ってる?」

 

「ん?」

 

 すると、下を向いていたイリナが顔を上げた。微笑みながら静かに両手を伸ばして俺の首の後ろと背中に絡みつかせると、そのまま俺を引き寄せ――――――――唇を奪う。

 

 びっくりして逃げようとしてしまったけど、思っていたよりも彼女は両腕に力を入れていたらしく、咄嗟に入れた程度の力では全然離れる気配がなかった。やがて俺の中からも逃げようとする気持ちが薄れていき、最終的には俺まで彼女の身体を抱きしめてしまう。

 

 キスをしていたのは10秒くらいだっただろうか。少ししてからイリナが唇を離し、顔を赤くしながら微笑んだ。

 

「――――――吸血鬼って、とっても独占欲が強いんだよ」

 

「そ、そうなの?」

 

「うん。気に入ったものは、何でも自分だけのものにしようとする。綺麗な宝石も、立派な屋敷も」

 

 説明しながら白い指で俺の頬を撫でつつ、そっとその指で口元に触れた。

 

「そして――――――――男も」

 

「…………っ!」

 

「ふふふっ……………。やっぱり、タクヤって可愛いねぇ。……………なんだか、僕だけのものにしたくなっちゃう……………!」

 

「―――――――す、すっ、すまん、イリナ! そろそろ訓練行かないと!」

 

「あっ……………!」

 

 いかん、下手したら本当にイリナのことをベッドに押し倒してしまいそうだ!

 

 訓練もあることを咄嗟に思い出した俺は、俺の口元を指先で撫でていた彼女から謝りながら離れると、大慌てで部屋のドアの方へと走っていった。

 

 素早く振り返ってから物足りなさそうにこっちを見つめるイリナに手を振り、踵を返して部屋から飛び出す。部屋の中から「本当に可愛いなぁ…………」とイリナがうっとりしたように言う声が聞こえてきて、俺は廊下を突っ走りながらまたしてもドキリとしてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃剣突撃の訓練と射撃訓練を終え、売店でアイスティーとスコーンを購入してから自室へと戻った俺は、いつの間にか部屋の入口の所に置いてあった最新の新聞を拾い上げ、部屋の中にあるソファへと腰を下ろした。

 

 いつもなら静かな部屋の筈なんだけど、ベッドの隣に置かれた吸血鬼用の棺の中からは、可愛らしい少女の寝息が聞こえてくる。訓練に行く前に彼女に誘惑されたことを思い出して思わず顔を赤くしてしまったけれど、慌てて頭から伸びてしまった角を片手で押さえつつ新聞を読むことにした。

 

 袋の中からスコーンを取り出して口へと運んで咀嚼する。バターの香りを楽しみながら口を動かしていると、早くも昨日の夜の事件が記事になっていることに気付いた。

 

≪切り裂きジャック、ついにカルガニスタンに出現!≫

 

「……………」

 

 昨日の夜、俺は1人の転生者を消した。

 

 いつものようにナイフで切り刻み、メッセージも残した。新聞の生地の隣には白黒の写真も掲載されており、現場の写真と壁に描かれた日本語のメッセージもちゃんと写っているのが分かる。

 

 この世界での公用語はオルトバルカ語。他国の言語も話されることはあるが、基本的にはオルトバルカ語が使用されるのが主流である。そのためなのか、この世界にやってくる転生者たちもこの世界の言語の読み書きが十分にできる状態に調整されてからこの世界に放り出されているらしい。

 

 それゆえに、この世界の言語ではない日本語は彼らへのメッセージとなる。

 

 これ以上蛮行を繰り返すならば、お前たちも狩るというメッセージ。これが転生者たちへの抑止力となることを期待して、俺はわざと日本語でメッセージを書くようにしている。

 

 それにこうやって新聞で広めてもらえれば、よりこのメッセージが知れ渡る。転生者が惨殺されたという事実に怯えて蛮行をやめてくれる奴がいるならばいいけれど、それでも続けるような奴は徹底的に狩るしかない。

 

 親父が絶滅寸前まで追い詰めたように。いや、いっそのこと俺が絶滅させてやる。

 

 アイスティーを飲もうと思っていたその時、部屋のドアがノックされた。

 

「いいぞ」

 

「失礼しますわ」

 

「カノンか」

 

 部屋の中へと入ってきたのは、実用性と華やかさを融合させたようなデザインの黒いドレスのような制服に身を包んだカノンだった。訓練を終えたまますぐここへとやってきたのか、背中にはマークスマンライフルのSVK-12を背負ったままである。

 

「どうした?」

 

「緊急事態ですわ、お兄様」

 

「緊急事態?」

 

「はい」

 

 いつもはふざけていることが多いカノンにしては珍しく真面目で冷静な口調だったので、ほんの少しびっくりしながらも聞き返す。

 

 緊急事態? 近くの村が転生者に襲われてるのか?

 

 そういう状況が多かったから、俺はてっきりそう思って壁のAK-12に手を伸ばしかけながら彼女の返事を聞くことにした。しかしカノンの返事は、俺の予想とは全然違うものだった。

 

「―――――――外部から救援要請を受信したと、中央指令室から報告ですわ」

 

「救援要請?」

 

 しかも外部から?

 

 偵察部隊からの救援要請ならばまだわかる。しかし、外部からの救援要請というのはどういう事なんだろうか。少なくともテンプル騎士団以外で救援要請ができるような装備を持っているのはモリガン・カンパニーか、李風さんが率いるPMCくらいの筈だ。だがそれ以外だった場合は、あまり考えられないが―――――――そういった装備の扱い方に精通した、転生者からの救援要請を傍受してしまったことになる。

 

「所属は?」

 

「モリガン・カンパニーではないようですわね。無線を担当することになった研修中の新兵が偶然傍受したものだそうですわ」

 

「場所は分かるか?」

 

「ここから南西に15km先ですわ。魔物に包囲されているという内容のようですわね。…………お兄様、どうなさいますの?」

 

 モリガン・カンパニーではないということは、李風さんのPMCなのだろうか? でも李風さんのPMCの拠点はここから離れたジャングオ民国だし、そのジャングオ民国も今はフランセンとの戦争で大忙しだから、こんな植民地に部隊を展開する余裕はない筈だ。現代兵器を駆使する李風さんたちのおかげで、何とか戦争を継続していられるような状態なのだから。

 

 ということは、その新兵が偶然傍受した救援要請は外部の転生者が発したものだと考えられる。

 

 基本的に転生者の強さは、その転生者のレベルとステータスの高さが大きく影響する。よほど強力な魔物が相手でない限り、魔物に包囲されて救援要請を発する羽目になるような状況には陥らない筈だ。

 

 おそらく、こっちの世界に転生したばかりでまだレベルの低い転生者なのだろう。いくら転生者でも、レベルが低いうちに魔物に取り囲まれればそのまま食い殺されることもあるという。

 

「…………カノン、俺たちの理念は?」

 

「虐げられている人々を救う、ですわね」

 

「その通りだ、同志」

 

 AK-12をつかみ、ソファの上から立ち上がる。

 

「虐げられているのが転生者ならば、その転生者も救う。それがテンプル騎士団のやり方だ」

 

「ふふっ。お兄様らしいですわ」

 

「それはどうも。…………よし、直ちに救出部隊を編成する。歩兵の選抜は任せるぞ」

 

了解ですわ(ダー)!」

 

 転生者の救出作戦か。最近は能力を悪用する転生者ばかり相手にしていたから奇妙な感じがするが、転生者がすべて悪いというわけではない。

 

 それに―――――――未知の異世界に放り出された転生者たちの保護も、テンプル騎士団の目的の1つなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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みんなで転生者を救出に行くとこうなる

 

 

 揺れるBTR-90の兵員室の中でAK-12の点検を終えてから、兵員室の中に座って正面を見据える仲間たちを見渡す。訓練を始めたころはまだぎこちない動きばかりしていた彼らだけど、今ではもう銃の扱いにも慣れたようだし、それを駆使してダンジョンの調査を行ってかなりの額の報酬を手に入れられるほどの実力を持つ猛者ばかりである。

 

 俺の隣ではAK-47にそっくりな銃を持つイリナが、同じように今回の作戦に使う得物の点検を行っている。俺も人のことは言えないかもしれないけど、彼女の装備を見るといつも「重そうだ」と思ってしまうほどの重装備だ。まず、背中にはロシア製ロケットランチャーのRPG-7V2。対戦車用の弾頭や対人用の対人榴弾なども用意されている汎用性の高いロケットランチャーだ。腰には予備の弾頭を何発か吊るしているようで、その傍らには同じくロシア製グレネードランチャーのRG-6を装備している。強力なグレネード弾を6発も連発できる代物で、砲弾の種類を変えれば装甲車にも通用する破壊力を誇る。というか、RPG-7V2があるから大丈夫なんじゃないだろうか。

 

 そして彼女が点検している代物も、とんでもない代物である。傍から見るとAK-47のようにも見えてしまうけれど、実はそれはアサルトライフルではなく、『サイガ12K』というショットガンなのだ。

 

 やはりサイガ12Kもロシア製。非常に堅牢な銃で、しかも様々なバリエーションがある。やはり汎用性では西側の銃に劣ってしまうけれど、非常に高い信頼性と破壊力でそれを補えるほどの性能を秘めているのである。しかも彼女が装備するサイガ12Kが発射するのは、普通の散弾ではない。

 

 なんと――――――――『フラグ12』と呼ばれる、ショットガン用の炸裂弾をぶっ放せるようになっているのである。

 

 さすがに本来のグレネード弾と比べると破壊力や爆発の範囲は劣るものの、連射力と運用のし易さではこちらが上。立て続けに連発すればちょっとした絨毯爆撃の真似事もできるというとんでもない代物である。

 

 そしてサイドアームには、炸裂弾を装填したドイツ製のカンプピストル。近接武器は迫撃砲を内蔵したロシア製のスコップ。そう、彼女の得物に〝爆発しない武器”は存在しないのだ。

 

 仲間を巻き込まないか心配だが、今のところ彼女の攻撃で吹っ飛ばされた味方がいるという報告は聞いたことがないし、武器についての座学では、特に爆発範囲や砲弾の種類の時は常に目を輝かせてメモを取っていたほどだから、きっと殺傷力が発揮される範囲まで熟知してるんだろう。

 

『砂嵐よ』

 

 イリナの得物を見た他のやつと一緒に冷や汗を浮かべていると、BTR-90の車長を担当するナタリアの声がスピーカーから聞こえてきた。

 

 微かに表面の装甲に激突する砂たちの叫び声が聞こえてくるし、彼女が報告するよりも前から砂嵐の中での作戦になるんじゃないかと薄々思っていたが、どうやら的中してしまったらしい。後ろにある小さな窓から外を見てみると、砂と蒼空しか存在しなかった世界はもう既に砂に埋め尽くされており、太陽の光がかなり弱まっていることが分かった。

 

「くそったれ、何も見えねえじゃねえか」

 

「ははははっ。慣れれば大丈夫ですよ、同志」

 

 悪態をつくと、ウラルと一緒に加入したムジャヒディンの1人がそう言って励ましてくれた。彼らは長年この砂漠で戦ってきたんだし、こういった砂嵐の中での奇襲も経験済みなんだという。確かに彼らなら何度も経験してきたことをまたやるようなものなのだから簡単かもしれないが、こっちは今までいろんな場所を旅してきた冒険者。〝広く浅く”ではこの砂漠の戦いに慣れるのに時間がかかりそうだ。

 

「それに、俺やイリナにとってはこの砂嵐はありがたい。忌々しい太陽に苦しめられずに済むからな」

 

 向かい側でAK-12を点検していたウラルもそう言いながら窓の外を確認し、ニヤリと笑った。

 

 個人差が大きいらしいが、吸血鬼にとって太陽は弱点の1つだ。中には日光を浴びた瞬間にたちまち体が崩壊してしまう吸血鬼もいるというが、大昔から生き続けている古い吸血鬼などは日光を浴びてもほんの少し再生能力が低下する程度だという。

 

 ウラルやイリナの場合は、身体が崩壊するほどのダメージは受けないらしいけれど、まるで風邪をひいている状態で無理矢理体を動かそうとしている時のように気分が悪くなるという。だからできるだけ昼間にはこのブリスカヴィカ兄妹は外に出さず、夜間の任務や警備を担当してもらっている。

 

 それにしても、今回の任務はかなり変わっている。今まで狩る標的だった転生者を、俺たちが救うことになるのだから。

 

 おそらく救援要請を発したのは、転生者の中でも兵器や銃にそれなりに詳しい転生者に違いない。無線機でそういった要請ができるのが証拠だ。けれども魔物に包囲されて窮地に陥るという事は、それほどレベルは高くないという事が伺える。

 

 レベルが40や50を超えた転生者は、もう魔物を相手にした場合は瞬殺するのが当たり前となる。人々が恐れるような凶悪な魔物にスピードのステータスを生かして一瞬で肉薄し、剣を振り下ろして外殻ごと切断する。そんな力押しを堂々と披露できるほどのステータスに成長するのが、大体そのあたりなのだ。

 

 ちなみに俺のレベルはおかげでもう110。ステータスも10000を超えるのが当たり前となっており、おかげで前よりも動き易くなった。

 

『まもなく目標地点に到着するわ。戦闘準備を』

 

「了解(ダー)。同志諸君、戦闘準備!」

 

「「「了解(ダー)!」」」

 

 念のため、サイドアームの方も確認しておこう。

 

 そう思った俺が大きめのホルスターから引き抜いたのは、ハンドガンやリボルバーではなかった。一見すると古めかしいフリントロック式の銃に見えるかもしれないけれど、トリガーを覆うように装着されているフィンガーガードのような部品が特徴的である。

 

 それは、『レバーアクション式』と呼ばれる銃の特徴だ。レバーアクション式とは西部開拓の時代にアメリカなどで使われていたライフルの方式で、このようにトリガーの周囲に装着された『ループ・レバー』と呼ばれる部品を上下に手動で動かすことにより、次の弾丸を装填するのである。しかし華奢な構造であり、信頼性に問題があったため、構造が単純で信頼性の高いボルトアクション式が登場してからはすっかり廃れてしまった方式だ。

 

 俺が装備に選んだサイドアームは、そのレバーアクションライフルの中でも異質な『ウィンチェスターM1895』と呼ばれるモデルの銃身を切り詰め、銃床を取り外したソードオフ型である。

 

 ウィンチェスターM1895は、アメリカで開発されたレバーアクションライフルの1つであり、他のアメリカ製レバーアクションライフルと比べるとかなり異質なモデルでもある。

 

 他のレバーアクションライフルがショットガンのような『チューブマガジン』と呼ばれる弾倉を採用していたのに対し、こちらはボルトアクションライフルを彷彿とさせる固定式の弾倉を採用しているのである。チューブマガジンの容量は長さに比例するため、このように銃身を切り詰めるとそれに比例して弾数まで少なくなってしまうという欠点がある。けれども銃の上から5発のライフル弾を装填するこちらはその影響を受けないため、ソードオフのデメリットを受けにくいという利点がある。

 

 このウィンチェスターM1895はアメリカで開発されたライフルだけど、実際に運用したのはアメリカではなくロシア軍であった。そのため使用する弾薬もアメリカ製の物ではなく、ロシア軍で使用されている7.62×54R弾を使用する構造になっているし、銃剣を装着することも可能という異質なモデルである。

 

 ソードオフ以外のカスタマイズは、照準を合わせやすいように大きめのピープサイトに変更したくらいだろう。サイズは大型のリボルバーよりも少し大きいくらいだけど、こっちが使用するのはモシン・ナガンの弾薬にも使用されたライフル弾。ハンドガン用の弾薬やリボルバーのマグナム弾とは格が違う。

 

 見慣れない銃だからなのか、俺のウィンチェスターM1895を他の仲間たちがまじまじと見つめてくる。向かいに座るウラルが珍しく興味を持ったように見つめてくるので説明しようかなと思っていたんだが、装甲車が速度を落とし始めたことを察した俺たちはすぐに臨戦態勢に入った。

 

「今回の目標は転生者の救出だ。あまり転生者にいいイメージはないかもしれないが……………彼らを保護するのも、俺たちの役目だ」

 

「もしクソ野郎だったら?」

 

「その時は射殺してよし」

 

 罠だったら打ち破ってやる。そのためにバイクではなく、重装備の装甲車に乗ってきたのだから。

 

 やがてBTR-90が完全に停車し、スピーカーから『目標地点に到着!』という声が聞こえてきた瞬間、俺たちは天井のハッチへと手を伸ばし、素早く身体を持ち上げて車外へと踊り出していた。

 

 オイルの臭いのした兵員室から顔を出した瞬間、猛烈な砂の殴打が俺たちを包み込んだ。そのまま呼吸すれば瞬く間に砂で鼻の穴が詰まってしまうのではないかと思えるほどの密度の砂が、熱風に押し出されて荒れ狂う。目に入らないように腕で顔を守りながら周囲を見渡したけれど、やっぱり普段と比べると何も見えない。これほど強烈な風なのだから、キメラの強力な嗅覚も役には立たないだろう。

 

 もしラウラがいればエコーロケーションで探知してもらえるのにと思いつつ、俺たちは正面へと進み続けた。

 

 砂嵐のせいで何も見えないが、どこに向かうべきなのかは幸いすぐに分かった。まだ持ちこたえている転生者たちのものと思われる銃声が、まだ響いているからだ。銃声の残響と魔物の断末魔が混ざり合うあの音は、何度も聞き慣れた音でもある。

 

 後ろにいる仲間たちに合図し、その音が聞こえてくる方向へと進む。黄土色の砂が舞い上がる砂漠の真っ只中を突っ走っていると、段々と銃声が大きくなっているのが分かった。やがて舞い上がる砂の壁の向こうにマズルフラッシュと思われる黄金の閃光が何度も煌き、そこに転生者がいるという事を教えてくれた。

 

 俺たちは、もう戦場のすぐ傍らにいたのである。

 

 その時、砂嵐の中を突き進む俺たちから見て10時の方向に広がっていた砂の地面が、何の前触れもなく膨れ上がった。何かが飛び出したのかと思った瞬間、ドン、と重々しい爆音が膨れ上がった砂の中から姿を現し、それに少し遅れて紅蓮の火柱が吹き上がる。

 

 砲弾がそこに着弾したのだ。爆発の範囲を見ると、おそらく砲弾の種類は爆発範囲の広い榴弾に違いない。魔物を狙った一撃なのか、それとも接近していく俺たちを敵だと誤認してぶっ放した一撃なのかは定かではないけれど、もし後者なら最悪だ。

 

 念のため姿勢を低くして前進しつつ、俺は無線機に向かって叫んだ。

 

「ヘンゼルよりマイホームへ! 救援要請を送ってきた無線の周波数は!?」

 

『待って、こっちで呼びかけるわ!』

 

「そうしてくれ! 榴弾でハンバーグにされるのはごめんだ!」

 

 幸い、こっちの服装はみんな真っ黒。いくら砂嵐で日光が遮られているとはいえ、この黒服は目立つはずである。

 

 続けて今度は俺たちの目の前の地面が立て続けに弾けた。さっきの榴弾みたいに爆発するわけではない。あくまでほんの少し吹き上がる程度である。

 

 機関銃の掃射だ。しかも、今度は俺たちを狙っているようだった!

 

 くそったれ、こっちは味方だぞ!? まだ助けたわけじゃないけど、恩人に向かって銃と榴弾砲なんか向けやがって! こっちに負傷者が出たら全員粛清してやるからな!

 

『き、聞こえるか!?』

 

「誰だ!?」

 

 姿勢を低くしながら進んでいると、無線機から聞き覚えのない少年の声が聞こえてきた。

 

『救援要請を発した張本人だ! すまん、さっきのは誤射だ! 負傷者は!?』

 

「なし! ただ次やったらぶっ殺すぞ! そっちの状況は!?」

 

『兵力は8人! そのうち3人は変な端末を持ってる日本人だ! それと、途中で保護した奴隷が10人!』

 

 8人のうち転生者は3人か。ということは、残りの5人はこっちの世界の人というわけだな。それにしても、転生者って奴隷を逆に売っているイメージがあるから、自分たち以外の転生者が〝奴隷を保護した”と言うのには凄まじい違和感を感じる。

 

 けれども、まだそうやって人を助けようとする転生者が残っていたのは喜ばしいことだ。

 

『負傷者は幸い0! でも頼みの戦車は擱座して、肝心な主砲の砲弾も残りわずかだ!』

 

「了解! とりあえずそっちに向かう! もう少し持ちこたえろ! それと黒い服を着てるのは俺たちだから、見えたら撃つなよ!」

 

『分かった、ありがとう!』

 

 救出するべき目標は合計で10名。そのうち10名は非戦闘員だ。とりあえず彼らは装甲車に乗せて、それ以外は装甲車の屋根の上に乗るしかない。

 

 無事に彼らを助け出した後のことを考えつつ、目の前で繰り広げられている状況を確認する。

 

 砂嵐の中なのではっきり見えるわけではないけれど、砲撃の際に生じる閃光で時折映し出される巨大な影は、おそらくゴーレムやそれらの変異種だろう。外殻は7.62mm弾でも貫通できる程度の厚さなのでそれほどの脅威ではないかもしれないけれど、それはあくまでも世界中に数多く生息しているごく普通のゴーレムの場合だ。亜種や変異種の中には、下手をすれば第三世代型主力戦車(MBT)並みの防御力を持つ奴もいるという。

 

 特に、背中からも多くの剛腕が生えている『ヘカトンケイル』と呼ばれるゴーレムの変異種は極めて厄介だ。それが敵の中に紛れ込んでいないことを祈りながら、AK-12の安全装置(セーフティ)を解除し、セレクターレバーを3点バーストに切り替えた。

 

「――――――――続け(ザムノイ)ッ!!」

 

 砂嵐の中で立ち上がり、俺たちは一斉に魔物に包囲されている転生者たちの元へと突っ走った。さすがに砂嵐の中でいつものように突っ走るわけにはいかなかったけれど、左腕で目を守りながら可能な限り全速力で走る。

 

 やがて、俺たちに背を向けている魔物の影が見えてきた。表皮の色は若干違うようだけど、成人男性のみぞおちの高さくらいの伸長の影は、おそらくゴブリンだろう。鋭い爪を生やしている小型の魔物で、主な攻撃は噛みつきや爪で引き裂く程度。中には棍棒を持っていたり、人間から奪い取った剣で武装する個体もいるし、稀に魔術を使ってくる賢い個体もいる。けれども、口元からよだれを垂らして金切り声を上げるゴブリンたちは、どこからどう見ても賢い生き物には見えない。

 

 最後尾にいたゴブリンの1体が、俺たちの接近を察知してこちらを振り向く。けれどもその濁った眼球に写っていたのはただ突進する俺たちではなく――――――――そのゴブリンへと向けられた、AK-12の銃口だった。

 

『ギッ―――――――』

 

「Пока(あばよ)!!」

 

 銃口からマズルフラッシュが飛び出し、3発の7.62mm弾が猛威を振るう。

 

 ゴブリンの防御力は生身の人間とそれほど変わらない。だからこいつを相手にするだけならば、小口径の5.56mm弾や5.45mm弾でも十分だ。さすがに7.62mm弾を3発も叩き込むのはオーバーキルだったと思いつつ、胸元と左肩を大きく抉られたゴブリンを蹴飛ばして突っ込む。

 

 その新しい銃声が、魔物たちへのちょっとした挨拶だった。今まで目の前で包囲されている転生者たちに殺到していた魔物たちが、後方から襲来した新しい外敵の存在に気付いて一斉にこっちを振り向くが、防御力の低いゴブリンは振り向いた瞬間に7.62mm弾に撃ち抜かれ、ゴーレムも瞬く間に集中砲火を浴びて、自慢の外殻を亀裂だらけにしながら崩れ落ちていく。

 

 しかし、やはりゴーレムの中には変異種か亜種も混じっていたらしく、7.62mm弾の集中砲火に耐えやがった個体も混じっていた。ウラルや他のメンバーたちが必死に3点バーストやセミオートでの射撃を叩き込んでいるというのに、それに耐えている奴がいる。あれを放置すれば被害が拡大するし、こっちも弾薬の無駄になる。

 

「イリナ!」

 

「ぶっ放すよ!」

 

 傍らを走っていたイリナが、その変異種にサイガ12Kを向けた。装填されているのは通常の散弾ではなく、それよりも獰猛で破壊力のあるフラグ12。グレネード弾と比べると非力な炸裂弾だが、その分連射ができるし、グレネードランチャーよりも小回りが利く。威力が足りないならばその分叩き込んでやればいいだけの話である。

 

 AK-47に似たショットガンの銃口から、獰猛な炸裂弾が立て続けに放たれた。それほど距離が離れているわけでもなかったし、肝心な射手が爆発に仲間を巻き込まずに大きな戦果を挙げるほどの実力の持ち主であるのだから、狙いを外すわけがない。しかも彼女もムジャヒディンの一員だったのだから、砂嵐の中からの奇襲は朝飯前だという。

 

 案の定、イリナと彼女に持たせたフラグ12は期待通りの戦果を挙げてくれた。黄土色の砂嵐の中で立て続けに紅蓮の閃光が煌いたかと思うと、その度にゴーレムの重々しい呻き声が轟き、やがて5mほどの巨躯が外殻の割れ目から鮮血と黒煙を漏らして崩れ落ちていく。

 

「よくやった!」

 

「ありがとうっ!」

 

 この調子で正面の敵だけ攻撃しよう。側面と後方の敵には必要最低限の応戦だけ行い、正面の敵に集中攻撃。そして包囲されている奴らと合流して包囲網から脱出し、装甲車の支援を受けつつ魔物を殲滅する。

 

 さて、そろそろ魔物との距離が近くなってきたな。

 

「白兵戦だッ!」

 

「待ってましたぁ!!」

 

 なんだか嬉しそうな声が聞こえてきたと思いつつ後ろを見てみると……………選抜して連れてきた歩兵たちが、本部の工房で購入したと思われる色んな武器を引き抜き、やたらと獰猛な笑みを浮かべて魔物たちを睨みつけていた。

 

 その得物なんだけど…………はっきり言うと、鈍器が8割を占めている。しかもその中には明らかに鈍器以外の使い方が本来の使い方なのではないかとツッコミを入れたくなる代物が紛れ込んでいた。

 

 何で戦場にパイプレンチを持ち込んでるんだろうね。しかもやけにでかいやつ。

 

 その隣には意気揚々と釘バットを振り回してるやつがいるし、その隣にいるやつはバルブとか圧力計がまだくっついたままになっている2本の鉄パイプをうっとりしながら見つめている。……………ん? 確かあいつ、偵察任務に鉄パイプを装備していったあのエルフじゃない?

 

 ちょっと待て、選抜して連れてきた覚えがないんだけど。

 

「同志、早く命令を!」

 

「いや、お前呼んだっけ?」

 

「いえ、呼ばれてないッス!」

 

「いつの間に紛れ込んだ!?」

 

「ずっと装甲車の屋根に乗ってました!」

 

 何ぃッ!?

 

 こ、この鉄パイプ野郎、選抜されてねえくせに勝手についてきたのかよ!? しかも砂嵐なのに!?

 

 まあいい。いろいろと大問題だが、こいつの接近戦での強さは今までに何度も目撃している。鉄パイプで転生者を撲殺したこともあるし、魔物相手ならばむしろ蹂躙してくれるに違いない。

 

 他の仲間たちと一緒に苦笑しながら、俺は敵を睨みつけて号令を発した。

 

「――――――――突撃だぁッ!!」

 

 

 

 

 



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転生者が包囲網を突破するとこうなる

 

 

 幼少の頃から、俺とラウラの得意分野は見事に分かれていた。俺は動体視力の高さと反応速度の速さを生かした接近戦が得意で、ラウラも同じように視力をはじめとする敏感な五感を応用した超遠距離狙撃を得意としていた。俺も狙撃を学んだけれど、やはり元から才能によって狙撃に〝最適化”されていたラウラには勝てなかったというわけだ。

 

 だから、元々それに最適化された相手に努力で追いつこうとしても限界がある。結局俺の狙撃の技術はラウラには及ばなかったというわけだ。とはいえ、全くできないわけじゃないんだけどね。2km先の標的の狙撃にも成功してるし。

 

 けれども、俺の得意分野はあくまでも狙撃ではなく――――――――白兵戦だ。

 

 右手に愛用のテルミット・ナイフを持ち、左手にはソードオフ型に改造した、レバーアクションライフルのウィンチェスターM1895を装備する。このレバーアクションライフルは装填できる弾数が5発のみで、一般的なハンドガンやリボルバーと比べるとかなり少ない。そのかわり、使用する弾丸はモシン・ナガンやドラグノフなどのライフルで使用するような大型のライフル弾なのだから、殺傷力ならばはるかにこっちが上。撃ち過ぎに注意しながら運用すれば何の問題もない。

 

 棍棒を振り上げ、奇声を発しながら突っ込んできたゴブリンの一撃を呆気なく躱し、すれ違いざまにマチェットの刀身をそのまま短くしたような分厚いテルミット・ナイフの刀身で喉を思い切り引き裂く。まるで同じことをされた人間のように傷口を押さえ、苦しそうな声を上げながら崩れ落ちるゴブリンを一瞥してから、今度は左手のレバーアクションライフルを持ち上げ、包囲していた転生者たちからこちらへと狙いを定めたゴーレムの頭へと照準を合わせた。

 

 トリガーを引いた瞬間、まるでフリントロック式のピストルを彷彿とさせるフォルムのライフルが轟音を発し、猛烈な反動が俺の華奢な左手に牙を剥いた。ソードオフに改造すると小回りが利くようになり、狭い場所での戦いにも投入できるようになる。更にこのようにホルスターに収めておけるようになるなどの利点がある半面、軽量化してしまうことによる反動の増大や、銃身の切り詰めによる命中精度の低下を招くことになる。ソードオフ型に改造すると、性能が大きく変わってしまうのである。

 

 余談だけど、軽量化すればするほど反動は増大してしまうので、一部の銃ではあえて反動を軽減させるために銃そのものを重くしているものもある。

 

 このウィンチェスターM1895も銃身を大幅に切り詰めてしまったため、命中精度は下がっている事だろう。けれども、発砲した距離は100m足らず。いくら命中精度が低下していると言っても、そのデメリットが牙を剥くにはあまりにも短すぎる距離と言えた。

 

 案の定、雄叫びを上げながら剛腕を振り上げていたゴーレムの左の眼球が木っ端微塵に吹っ飛んだのが見えた。俺たちを叩き潰そうとしていたゴーレムはその剛腕で目を覆い、情けない声を上げながらのたうち回る。

 

 もう1発お見舞いしたいところだが、レバーアクション式の得物はトリガーの周囲に装着されているループ・レバーを引かなければ次の弾丸が発射できない。セミオートマチック式やフルオートマチック式の銃のように撃ちまくれるわけではないのである。

 

 そこでループ・レバーを引きたいところだが―――――――俺の右手はテルミット・ナイフを持っているせいで、片手でレバーを引かなければならない。

 

 だから俺は、左手でループ・レバーを持ったまま―――――――ソードオフ型のウィンチェスターM1895をぐるんと縦に回転させた。

 

 これは『スピン・コック』と呼ばれる装填方法である。他の方式の銃では考えられないし、近代的なライフルでもこんなことができる方式のライフルはない―――――――というか、現代の銃ではレバーアクションは採用されていない―――――――ため、傍から見ればいきなり銃を縦に回し始めたように見えるだろう。

 

 エジェクション・ポートからライフル弾の太い薬莢が飛び出し、弾倉の中で控えていた2発目の7.62×54R弾が薬室の中へと躍り出る。この異世界に転生したばかりの親父によって、一部の魔物は5.56mm弾や5.45mm弾などの小口径の弾丸を外殻で弾いてしまうという事が明らかになっており、少なくとも魔物との戦いでは対人用の小口径の弾丸よりも、狩猟に使用されるような散弾や大口径のライフル弾が好ましいということが判明している。

 

 実際に、ゴーレムの外殻も貫通できるだけの威力があるのだ。もう1発お見舞いすればこのゴーレムは始末できる。

 

 そう思いながら銃口をゴーレムへと向けたその時――――――――真っ黒な制服に身を包み、バルブや圧力計が未だにくっついたままになっているロングソードくらいの長さの鉄パイプを2本も手にしたエルフが、姿勢を低くしたまま前傾姿勢で突っ走り、そのゴーレムへと襲い掛かっていった。

 

 ゴーレムが苦し紛れに左腕を振り回すけれど、そのエルフはあっさりとゴーレムの剛腕をジャンプして躱すと、空中でくるくると回転しながら左手の鉄パイプを逆手持ちにし―――――――それを、ゴーレムの脳天に思い切り突き立てやがった。

 

『ゴォォォォォォォォォッ!?』

 

 う、嘘だろ!? ゴーレムの外殻ってちょっとした岩盤みたいに硬いんだぞ!?

 

 それを呆気なく貫通した鉄パイプを、それを突き刺した張本人はまるでレバーを引くように思い切り手前に引いた。ごりっ、と鉄パイプと外殻が擦れ合う嫌な音が聞こえたかと思うと、今度はその突き刺した鉄パイプを強引に引き抜き、両手の鉄パイプでその傷口を中心にゴーレムの頭をひたすらぶん殴り始めた。

 

 段々と頭の亀裂が広がっていき――――――――やがて、ゴーレムの頭の外殻が木っ端微塵になる。もちろん外殻の破片と一緒に噴出したのは、人間と同じく真っ赤な鮮血。

 

 その返り血を浴びながら、問題の鉄パイプ野郎は無言で次の獲物に襲い掛かる。目の前にいるゴブリンを薙ぎ倒し、空から急降下してきたハーピーの変異種を撲殺し、地中からいきなり奇襲してきたワームを叩き潰す。

 

 冒険者向けに販売されているハンマーでも使ってるのだろうかと思えるほどの戦果を次々に挙げていく鉄パイプ野郎。突出し過ぎだとは誰も咎めない。なぜならば、背後から襲い掛かろうとする魔物もたった2本の鉄パイプで叩き潰しているため、咎める必要がないのである。

 

 気が付くとあいつが先頭に立ち、魔物たちを蹂躙しているではないか。何の変哲もない鉄パイプを振り回し、傍らの魔物の頭蓋骨を次々に粉砕していく鉄パイプ野郎。一応AK-12を持っているようだけど、使う気はないらしい。

 

「タクヤ、ここは俺たちが何とかする! お前は包囲されてる間抜け共を拾ってこい!」

 

「頼んだ! イリナ、援護を!」

 

「了解(ダー)!」

 

 確かに、今のうちに俺が突っ込んで救出してきた方がいいだろう。ここで敵を殲滅しようとして時間を使うよりも、救出するべき転生者や非戦闘員たちを保護し、それから装甲車の支援を受けつつ殲滅した方が遥かに合理的だ。

 

 飛びかかってきたゴブリンの頭を正確に7.62×54R弾で撃ち抜き、もう一度スピンコック。地中から飛び出して牙だらけの口を開けて襲い掛かってきたワームの下顎にテルミット・ナイフを突き立て、刀身をひねってからワームの身体を投げ飛ばす。

 

 さらに目の前からゴブリンが5体ほど接近してきたが――――――――次の瞬間、そいつらの足元に着弾した40mmグレネード弾の爆風によって、ゴブリンたちは瞬く間に黒焦げの肉片と化す羽目になった。

 

 両足を硬化させ、俺はその爆風の中へと走り出す。ゴブリンたちの肉が焦げる臭いを突き破って魔物の群れの中へと突入した俺は、地面から飛び出そうとしていたワームを外殻で覆われた足で踏みつぶしながら突っ走った。

 

「УРааааааааа!!」

 

 砂嵐の中からいきなり姿を現したハーピーにライフル弾をお見舞いして撃墜し、右手に持ったテルミット・ナイフのフィンガーガードでゴブリンの顔面を殴りつける。顔面の骨をあっさりと砕かれて吹っ飛んでいったゴブリンの死体を更に蹴り飛ばし、後続のゴブリンの群れと激突させてまとめて転倒させ、そこに手榴弾を放り込む。

 

 7体ほどのゴブリンが一瞬で肉片になるが、他にも魔物はまだ残っている。今まで偵察部隊が何度か魔物と交戦しているが、こんなに魔物が大量発生したことはないらしい。どうしてこんなに魔物が現れたのかは不明だが、これからは偵察部隊にももう少し強力な武器を渡した方がいいかもしれない。さすがにこんな群れに出くわしたら、アサルトライフルとマークスマンライフルだけでは荷が重いからな。

 

 ゴブリンの胸板を切り付け、ひるんだゴブリンを踏み台にしてジャンプしつつ、空中でゴーレムの眉間に照準を合わせてトリガーを引く。外殻を撃ち抜いた一撃は後頭部の外殻まで貫通すると、ひしゃげて血まみれになった状態で砂嵐の中へと消えていった。

 

 崩れ落ちたゴーレムを踏みつけ、更に突進する。スピンコックして最後の1発を装填し、すぐにハーピーに向けて発砲。狙いは若干ずれてしまったようだが、そのライフル弾はどうやらハーピーの翼を撃ち抜いたらしく、奇声を上げながら空中で回転する羽目になったハーピーは他のハーピーと激突を繰り返し、空中のハーピーたちを混乱させる羽目になった。

 

 レバーアクションライフルに再装填しておきたいところだが、そんな暇はなさそうだ。ループ・レバーを引き、上部のハッチから『クリップ』という5発の弾丸を束ねたものを使って弾丸を装填し、ループ・レバーを元の位置に戻さなければならないが、さすがにこれは両手を使わなければ不可能だ。ナイフをしまい、走りながらそんなことをするのは可能かもしれないけれど、魔物と交戦中ならば話は別だ。いくらキメラでもそんな真似はできない。

 

 レバーアクションライフルをホルスターに戻し、空いた左手でつかみかかってきたゴブリンの頭を鷲掴みにした俺は、そのまま握り潰してやろうと思ったが――――――――頭を潰す代わりに、感電させてやることにした。

 

 キメラの体内には、もう既に特定の属性に変換済みの魔力がある。そのため体内にある魔力を別の属性に変換する際に必要となる詠唱というプロセスは、よほど強烈な魔術をぶっ放そうとしない限り不要なのだ。その反面、弱点とする魔力が含まれる攻撃を受けた際に、体内の魔力が〝暴発”して自滅する恐れがあるので、攻撃を喰らう際は注意が必要になる。

 

 とはいえ、こういう場面では便利だ。〝使いたい”と思ったタイミングで、強烈な魔術がどんどん使えるのだから。それに体内に含まれている属性付きの魔力を使うことによって、その属性を変幻自在に操ることも可能なのである。

 

 俺の場合は父親譲りの炎と――――――――母親譲りの雷の、2つの属性。

 

「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 左腕を蒼い外殻で覆い、一気に体内の雷属性を高電圧に変換して流し込む。魔力から純粋な電圧に変換されたそれは、瞬く間に高電圧と化し、ゴブリンの周囲にいた他のゴブリンまで巻き込んでしまう。青白いスパークを纏う左手をそっと離すと、感電する羽目になった数体のゴブリンは白目の状態で口や鼻から真っ黒な煙を吐き出し、ゆっくりと崩れ落ちていった。

 

 本当に便利だな、この身体。発電機の代わりに使えるんじゃないだろうか。

 

 本気で放電したことはないけど、フィオナちゃんの推測だと俺が本気を出せばちょっとした落雷にも匹敵する被害が出るという。……………ちなみにこれは母さん譲りの魔力である。つまり母さんも〝人間の姿をした落雷”と言えるわけだ。

 

 とりあえず、左手にもう1本のテルミット・ナイフを持ち、感電死した魔物の死体を飛び越えて先を急ぐ。目の前のゴーレムに後方のイリナが発射したRPG-7V2の対戦車榴弾が直撃し、派手な火柱を噴き上げながら崩れ落ちていく。

 

 その死体を飛び越えつつ、空中で2羽のハーピーを一刀両断。落ちていく死体を足場にしてさらにジャンプし、素早くナイフを振るいながら、落下しつつハーピーたちをみじん切りにしていく。

 

 すると、落下地点の近くにマズルフラッシュが見えた。現時点で一番突出しているのは俺だから、ここまで仲間が来ているわけがない。ということは、あれが救出目標という事か。

 

 どうやら転生者たちは、戦車1両を中心にした部隊を形成しているようだった。その戦車は――――――どうやら旧日本軍で使用されていた戦車のようである。

 

 テンプル騎士団ではチーフテンやエイブラムスと言った戦車を採用しているが、がっちりした巨躯を持つそれらと比べると、砂漠の真っ只中で擱座しているその旧日本軍の戦車は、装甲車の上に戦車のような砲塔を乗せただけなのではないかと思えるほど小さな戦車であった。

 

 あれは……………どうやら『九七式中戦車(チハ)』のようだ。

 

 昔の戦車には、歩兵を支援する目的の『軽戦車』、それなりに厚い装甲と大型の主砲を搭載した『中戦車』、より重厚な装甲と大型の主砲を搭載する『重戦車』の3つが存在した。あそこで擱座した状態で奮戦を続けるチハは、その中戦車に分類される。

 

 装甲車と見間違えるほど小さな車体に小ぢんまりとした砲塔を乗せたチハは、ソ連軍と旧日本軍の戦闘となったノモンハン事件や、太平洋戦争に投入された戦車である。火炎瓶などの攻撃を喰らうとすぐに爆発する危険性のあったガソリンエンジンではなく、チハはディーゼルエンジンを搭載していた。しかしエンジンの出力は貧弱で、肝心な主砲の破壊力もそれほど高いわけではなく、装甲まで薄い。そのため太平洋戦争ではアメリカ軍の戦車に次々に破壊されてしまっている。

 

 少しでも貫通力を上げるために新型の砲塔を搭載したチハも開発されたけど、それでもアメリカの戦車を食い止めることはできなかったという。

 

 さすがに魔物を相手にするならば有効だけど、なぜチハを選んだ? 旧日本軍が好きなミリオタならばまだ分かるけれど、せめてエンジンや装甲は少しでも強化するべきだ。下手したらゴーレムのパンチを喰らうだけで乗組員もろとも木っ端微塵だぞ?

 

 チハの陰に隠れながら応戦する兵士は、どうやら旧日本軍の軍服を着ているようだった。なるほど、こいつらは旧日本軍が好きなミリオタというわけだ。しかも使っている銃まで日本製のボルトアクションライフルである。

 

 おそらくあれは『三八式歩兵銃』だろう。当時の他国が採用していた大口径のライフル弾に比べ、6.5mm弾を使用することによって反動の軽減に成功したうえ、優秀な命中精度を誇ったボルトアクションライフルだ。今の日本製の武器にも言えることかもしれないが、どうやら日本製の武器は攻撃力を控えめにし、命中精度に特化させる特徴があるらしい。

 

 奮戦するチハの傍らに着地すると、いきなり近くに降り立った黒服の俺にびっくりした少年が三八式歩兵銃を向けてきた。けれども『黒服には攻撃するな』という命令がちゃんと行き届いていたらしく、すぐに銃を下ろして安心したように微笑む。

 

「救援か!?」

 

「ああ、助けに来た! 状況は!? 戦車は動かせるか!?」

 

 弾切れになったウィンチェスターM1895のループ・レバーを引き、上のハッチからクリップに束ねられている7.62×54R弾を装填しながら訪ねた。

 

「無理だ、さっきゴーレムの投石でキャタピラをやられた!」

 

「なら戦車を捨てて逃げるぞ!」

 

「なに!? チハを捨てるのか!?」

 

「これを墓標にしたいなら残って構わんぞ!?」

 

「くっ……………仕方ない。総員退避! 戦車を捨てるぞ!」

 

 戦車が大破しても、ポイントを消費すればまた生産することはできる。ポイントがある限り転生者の所有する兵器はいくらでも替えが利くのだ。だからそれにこだわって命を落とすというのはあまりにもばかげている。

 

 隊長と思われる少年の号令で、魔物を相手にしていた他の転生者や歩兵たちが発砲しながらこちらへと集まってきた。どうやら転生者以外の兵士にはハーフエルフや獣人などの人間以外の種族も含まれているらしく、逆に人間の兵士は3人しかいないから、すぐに転生者なのか見分けがついた。

 

 転生者は少年が2人と少女が1人。他は人間以外の種族で構成されており、彼らが保護したという奴隷たちも同じのようだ。

 

「こちらヘンゼル。救出目標を確保した、どうぞ」

 

『こちらマイホーム。こっちの位置は分かる?』

 

「ああ、分かる」

 

『了解(ダー)。なら、こっちは支援を開始するわ。必ず全員連れて戻ってきなさい!』

 

「了解(ダー)!」

 

 合計で救出するべき人員は18人。そのうち非戦闘員は10名。

 

 これは俺が殿になるべきだろうか。最後尾で奮戦し、彼らが撤退するまで時間を稼いだ方がいいかもしれない。

 

 目の前にメニュー画面を出現させ、海底神殿の戦いでも使用したドイツ製LMGのMG42を装備する。自分たちとは違う方式で銃を装備した俺に転生者たちは驚いているようだけど、今は説明している時間がない。今すぐにこの包囲網を突破しなければ!

 

「俺が殿になる。この包囲網の向こうに仲間がいるから、お前らは奴隷たちを守りながら全力で突っ走れ。いいな?」

 

「ああ。でも、君は1人で大丈夫か? 女の子を1人だけ戦場に置いていくなんて――――――――」

 

「任せろ。こういう戦い方は慣れてる」

 

 とりあえず、女に間違われるのは慣れたからもう訂正はしない。後で正体は明かすけど。

 

 旧日本軍の格好をした転生者の肩を叩きながら、俺は微笑んだ。

 

「頼んだぞ!」

 

「おう! ―――――――よし、奴隷たちを中心に密集体系! そのまま向こうまで戦線の突破を図る!」

 

「「「「「「「了解!」」」」」」」

 

 よし、これでいい。後は俺がこいつらを守り切ることができれば、作戦は成功だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂嵐が徐々に薄まりつつあることを知って、僕と兄さんは同時に舌打ちしていた。

 

 吸血鬼にとって、日光はまさに天敵。中には浴びるだけで身体が崩壊してしまう人もいるけれど、僕と兄さんの場合は具合が悪くなる程度で済む。でも同時に再生能力も落ちるし、そんな状態で魔物と戦えるわけがない。だから太陽の下で敵と戦うのは、僕たちにとっては死を意味していた。

 

 冷や汗を拭い去りつつ、RG-6のグレネード弾を敵にお見舞いする。砂の中に潜っていたワームが肉片と化した状態で飛び出し、近くにいたゴブリンの片腕が千切れ飛ぶ。もう1発グレネード弾をお見舞いしてからサイガ12Kに装備を切り替え、今度は炸裂弾を連射。タクヤが戻ってくるまでに、少しでも魔物を減らすために奮戦する。

 

 炸裂弾を喰らったゴブリンがあっという間に粉々になり、最初の1発に耐えたゴーレムが2発目の炸裂弾で大きくよろめく。そこにあの鉄パイプを持ったエルフや釘バットを盛った仲間たちが殺到し、巨体を持つゴーレムを撲殺してしまう。

 

 左手を伸ばして腰のスコップをつかんだ僕は、ショットガンでの射撃をやめて白兵戦に入ることにした。確かに爆発を見るのは大好きだし、あの爆炎を見ていると身体がゾクゾクしてしまうけど、自分まで吹っ飛ばされるのは嫌だな。それに下手をしたら装備が破損しちゃうし。

 

 というわけで、僕も白兵戦を始めた。スコップでゴブリンの頭をぶん殴り、ジャンプしてからハーピーの頭を叩き割る。返り血と一緒に着地した僕は、すぐに砂まみれの大地に横たわる魔物の死体を踏みつけながら駆け出し、仲間たちの集中砲火を浴びていたゴーレムの頭までジャンプすると、そのまま首筋に思い切りスコップを突き立てた。

 

『ゴォォォォォォォォォッ!!』

 

「うるさいよ」

 

「まったくだ」

 

 いつの間にか、兄さんもゴーレムの足元へと接近していた。腰の鞘から引き抜いたマチェットを振り上げつつ、兄さんもゴーレムの頭までジャンプする。

 

 だから僕もスコップを引き抜き、兄さんのように振り上げてから―――――――――兄妹で同時に、ゴーレムの頭に得物を振り下ろした!

 

 がつん、と岩盤を殴るような音がしたけれど、もう既にゴーレムの頭には亀裂が入っていた。兄さんと2人で外殻の割れ目から噴き出した返り血を浴びながらジャンプして飛び降り、別の獲物の始末を始める。

 

 すると、僕が狙おうとしていたゴブリンが、側面からの狙撃で倒れた。こめかみにライフル弾をぶち込まれたらしく、風穴から頭蓋骨の破片と脳味噌の一部を吹き出しながら崩れ落ちていく。

 

 タクヤかと思ったけど、どうやら違うみたい。テンプル騎士団とは違うデザインの制服に身を包み、先端部に銃剣を取り付けた長いライフルを持った兵士たちが、奴隷と思われる人たちを引き連れて僕たちのところに来たんだ。

 

 もしかして、この人たちがタクヤが救出した人たちかな?

 

 すると、今度は彼らの後ろの方から豪快な銃声が聞こえてきた。猛烈なマズルフラッシュが何度も煌き、徐々に僕たちの方へと近づいてくる。

 

 やがてドラムマガジンを装着した機関銃を手にしたタクヤが、こっちに手を振りながら戻ってきた。

 

「これで全員!?」

 

「ああ! よし、撤退するぞ! 装甲車まで走れ!!」

 

「了解(ダー)!!」

 

 スコップを腰に下げ、カンプピストルに信号弾を装填。砂嵐の中だから見辛いかもしれないけれど、念のため撤退を意味する信号弾を真上に射出する。

 

 すると、崩れ落ちたゴーレムの死体の陰に隠れつつAK-12を連射していた仲間たちが射撃をやめ、こっちへと戻ってきた。

 

 そして遠くから装甲車のエンジンの音が聞こえてきて―――――――――僕は安心した。

 

 1人も犠牲者は出ていないし、負傷者も出ていない。

 

 かけがえのない仲間が犠牲にならなかったことに安心しつつ、僕たちは機関砲で支援してくれている装甲車へと向けて突っ走った。

 

 



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同じ理想と手段の違い

 

 

「おお、なんだここは…………?」

 

「俺たちの本拠地だ。みんなはタンプル搭って呼んでる」

 

 日光のせいですっかり熱くなってしまった装甲車の屋根の上で、天空へと向けて屹立する36cm砲を見上げる転生者たちに説明すると、彼らは興味深そうに戦艦の主砲並みのサイズを誇る砲身を見上げていた。

 

 厳密に言えばここは〝塔”ではなく、ほとんどの設備が地下に用意されている。普通では考えられないことだが、居住区どころか飛行場まで地下に設置されているというかなり変わった基地である。

 

 ここがタンプル搭と呼ばれる所以は、やはり天空へと伸びるこの巨大な砲身の群れだ。36cm砲が6門と、中心部に鎮座する巨大なもう1門の方針がそれぞれ稼働し、巨大な決戦兵器として機能するとはだれも思う筈がない。

 

 当然ながらその破壊力は圧倒的で、下手をすれば敵の大部隊を一撃で壊滅させるほどの破壊力を誇る。

 

 しかしその代償は極めて大きい。砲撃の際の衝撃波はかなり強烈で、地上に戦車やヘリを格納するための格納庫を設置すれば衝撃波で破損する可能性がある。もちろん人間の兵士がとどまっていれば衝撃波で押しつぶされるか吹っ飛ばされるのが関の山なので、砲撃の際は警報を鳴らして地下への退避を促し、しっかりと隔壁を閉鎖した状態でなければ砲撃してはならないことになっている。

 

 特に、中心に鎮座する36cm砲よりも巨大な砲身は―――――――――敵へもたらす破壊力と、こちらへもたらす破壊力が未だに計り知れないのだ。投入すれば間違いなく切り札になるだろうが、こちらへのリスクが計り知れない以上、迂闊に投入できる代物ではない。

 

「タンプル搭……………」

 

「そうだ。……………とりあえず、いろいろと話が聞きたい」

 

「ああ。こっちも助けてもらったお礼をしたいところだしな」

 

 転生者たちの指揮官と思われる少年が、微笑みながらそう言った。

 

 旧日本軍の軍服を身に着け、三八式歩兵銃さえ背負っていなければごく普通の男子高校生のようである。実際転生者はそういう者が多いし、俺が今まで仕留めてきた獲物もそういう奴らばかりだった。風穴を開けられ、動かなくなった死体の顔を見るたびに、こんな世界に迷い込まなければ普通の高校生として生活していたんだろうなという虚しさに苛まれたのも少なくはない。

 

 俺たちは幼少の頃から、そういう感情で標的を〝狩る”ことに躊躇いが生まれないように徹底的な〝教育”を受けてきた。あれはきっと、俺たちが転生者を殺し続けることによって心的外傷後ストレス障害(PTSD)になることを回避するために親父が施した〝目隠し”のようなものなのかもしれない。

 

 クソ野郎を殺すのは当然だ、という徹底的な教育。それが心的外傷後ストレス障害(PTSD)という恐怖を遮断するための目隠しとして機能しているのだろう。もしその目隠しが消えてしまったら……………きっと俺やラウラは、簡単に壊れてしまうかもしれない。

 

 そういえば、親父も心的外傷後ストレス障害(PTSD)になりかけたことがあるという。その時はエリスさんのおかげで辛うじて戦線に復帰できるほどに回復したらしいけれど、あの最強の転生者と言われた親父でも、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で壊れかけたのだ。どれだけ強敵を粉砕してきた猛者でも、精神的な大きな衝撃には打ち勝てないという事なのだろうか。

 

 そんなことを考えている間に、俺たちを屋根に乗せたBTR-90が格納庫へと続く下り坂へと差し掛かっていた。壁際に設置されたランプが点滅し、岩肌から無機質な灰色の壁へと変わった格納庫への通路を黄色い光で照らし出している。

 

 分厚いゲートが開き、装甲車がその奥へと進んでいく。何度かカーブを曲がりつつ下へと降りていくと、その奥に広がる広間にはテンプル騎士団で正式採用されているエイブラムスの群れが、薄暗い格納庫の中で眠りについていた。

 

「おお、すげえ! アメリカのエイブラムスだ!」

 

「あっちにはチーフテンもある!」

 

「隊長、俺たちの小さい戦車とは大違いですな」

 

「そ、そうだな……………」

 

 確かに、チハとエイブラムスを比べたら自転車と大型トラックのようなものだ。戦車砲を使わなくても、ただ正面から衝突するだけで破壊できるかもしれない。

 

 隣に座っていた転生者たちの隊長は、予想以上の兵力にかなりびっくりしているようだった。格納庫に並んでいるエイブラムスは予備の車両や訓練用も含めると25両。その奥にはBTR-90が10両ほど並び、その周囲には偵察用のバイクが並んでいる。その奥はヘリの格納スペースで、分厚い壁の向こうは戦闘機の格納スペースとなっている。

 

 砲撃の衝撃波から兵器を保護するために地下に大規模な格納庫を用意したんだが、ここは貫通力に優れるバンカーバスターでも撃ち込まれない限り、破壊されることはありえない。天井は分厚い岩盤で保護されているし、その下にはさらに分厚い鉄板と、ドワーフの職人たちが試しに作ったという複合装甲まで張り巡らされている。

 

 装甲車の運転を担当するステラもすっかり運転に慣れたらしく、武骨な車体を容易く同型の装甲車の隣に駐車させると、エンジンを切ってからハッチからひょっこりと顔を出した。

 

「到着しました」

 

「え、幼女!?」

 

 いきなり装甲車の中から幼女―――――――――とはいえ封印されていた間の時間を除いても37歳だ――――――――の姿をしたステラが現れた瞬間、何故か日本兵の格好をした1人が大喜びし始めた。言っておくけど、ステラはもう成人なんだからな。メンバーの中では最年長だぞ?

 

「とりあえず、ついてきてくれ。……………ウラル、悪いが奴隷たちの受け入れ準備を」

 

「了解だ」

 

 居住区は拡張してあるから、10人くらいは受け入れられるだろう。もし故郷が無事なら故郷にちゃんと送り届けるつもりだし、もう既に全滅してしまっているならば、ここで受け入れても構わない。

 

 できるならその中から志願してくれる者がいればありがたいんだが、強引に徴兵するようなことはしていない。テンプル騎士団は完全な志願制だし、志願せずにここで生活している人々にもちょっとした別の職業を用意してある。ただしここが襲撃された場合に身を守れるように、住民には武器を支給しているし、週に1回の射撃訓練は義務化している。もちろん非力な住民たちを前線に出すためではなく、ここが襲撃を受けた際に身を守れるようにするためだ。

 

 簡単に言うならば、イギリスのホームガードのようなものである。ただし、さすがに小さい子供まで戦わせるわけにはいかないので、12歳未満の子供は対象外となっている。

 

 装甲車から降りて戦術区画へ続くゲートへと向かうと、テンプル騎士団の制服の上にボディアーマーを装着し、バラクラバ帽を被ってフェイスガードとヘルメットを装着したハーフエルフの団員たちとすれ違った。確か、前に受け入れた奴隷たちの中から志願した兵士たちだ。すぐに冒険者の資格を取ったため、現在では訓練を兼ねてダンジョンの調査を行ってもらっている。

 

 彼らは俺が見慣れない格好の少年と少女を引き連れているのを見て目を細めたけど、俺が頷いたのを見ると、納得してそのまま格納庫の方へと走っていった。

 

 きょろきょろと基地の中を見渡す転生者たちを引き連れ、そのまま階段を下りて戦術区画へと向かう。戦術区画には戦闘に関するあらゆる設備がそろっており、全ての部隊を指揮するための中央指令室もある。常に警備兵が駐留しているので、もしも彼らが暴れ出したらすぐに鎮圧できるだろう。とはいえ、この日本兵の格好をした転生者たちは他の転生者たちとは違うようだから多少は安心できるけど、やはり今まであんなことをしているような奴らばかりだったから、まだ完全には信用できない。まずは話を聞く必要がある。彼らをテンプル騎士団に勧誘するか否かは、そこで話し合ってから決めようと思う。

 

 戦術区画の通路を進み、いつも会議に使っている広間へと案内する。中央には巨大な円卓が鎮座し、普段はここで会議をする円卓の騎士たちの分の椅子がずらりと並んでいる。

 

 俺に先導されてついてきた転生者たちを後ろで見張っていたナタリアとカノンとステラとイリナの4人に目配せしてから、俺は質問することにした。

 

「ところで、変な端末を持っているって言ってたけど……………あなたたちはこの世界の人間じゃないのかな?」

 

「えっ?」

 

 隊長と呼ばれていた少年が目を見開いた。どうしてこの世界の人間じゃないという事がバレているのかとびっくりしているんだろう。確かにこの世界の人々が銃を見せられても、それを持っているからと言って異世界の人間だと思うわけがない。せいぜい「轟音を発する変わった飛び道具を持っている」と思うくらいだ。

 

「その端末。……………それは、転生者にのみ与えられる装備だよ」

 

「転生者?」

 

「そう。……………あなたたちのように、この世界にやってきた別世界の人間のことさ」

 

 とはいえ、この会議室までついてきた8人のうち、転生者は3名。しかもそのうちの1人は俺たちと同い年くらいの少女である。旧日本軍の軍服を少女が身に着けているのを目にした俺は、若干違和感を感じつつ話をつづけた。

 

「それで、あなたたちはあんな砂漠の真ん中で何をしていた?」

 

「奴隷を助けたんだ。俺たちはこの8人でこの世界を旅してたんだけど、偶然あそこで商人たちに無理矢理連れて行かれそうになってる人たちを見つけたから、銃撃と砲撃で追い払って保護したんだよ」

 

「そしたらその音で魔物が集まってきちまって……………」

 

「なるほど」

 

 商人たちを〝殺した”んじゃなくて、威嚇射撃で〝追い払った”ってわけか。確かに魔物を相手にするならば始末するだろうけど、異世界に転生したばかりの高校生が人を射殺するのはまず考えられない。かつて母さんとの駆け落ちじみた逃走劇の最中に襲撃された若き日の親父のように、身を守るためにやむを得ず殺したような場合や、クソ野郎でもない限りはハードルが高過ぎる話だ。

 

 俺たちから見れば甘い判断に見えるけれど、それでもそうやって奴隷たちを救い出したのだから、彼らの判断は間違ってはいない。でも、彼らが追い払った商人たちはきっとまた〝商品”を仕入れ直して商売を続けることだろう。もし仮に奴隷の売買が違法になったとしても、それを承知の上で商売を続ける商人だっている筈だ。

 

 だから俺たちは、そういう奴らを消すようにしている。もう二度と奴隷たちを虐げることができないように。

 

「それで、こっちの5人は?」

 

「俺たちの仲間になってくれた奴らだよ」

 

 転生者の3人以外は、よく見ると種族がバラバラだ。狼のような耳と尻尾が生えた男性もいるし、エルフもいる。

 

 この世界では人間まで奴隷にされていることがあるけれど、基本的に奴隷として承認が販売することが多いのは人間以外の種族だ。特にハーフエルフが奴隷とされることが多く、そういう商人が開いている店では必ずと言っていいほどハーフエルフの奴隷を目にするほどである。

 

「俺たちも奴隷だったんだけど、こいつらが助けてくれたんだ」

 

「彼らは命の恩人だよ。だから俺たちは、こいつらに一生ついて行くって決めたんだ」

 

「ふむ……………」

 

 その時も、商人を威嚇射撃で〝追い払った”んだろうか。

 

 俺たちの掲げている理念に近いけれど、少しばかり甘いような気がする。

 

 彼らの場合は、敵を〝追い払う”。あくまでも命は奪わずに人を救うやり方である。それに対してテンプル騎士団のやり方は、敵を〝殺す”。人々を救うために、敵は徹底的に殲滅する。それが俺たちのやり方だ。

 

 強引に彼らを勧誘すれば、それで軋轢を生んでしまう可能性もある。主義の違いが産む軋轢は大抵深くなるし、それが原因で組織の崩壊につながる恐れもある。

 

 テンプル騎士団の団長として、しっかりと舵を切らなければならない。

 

 それを誤れば――――――――また、ラウラの時の二の舞になってしまいかねないから。

 

 とりあえず彼らに俺たちの話をしてみよう。そう思った俺は、そっと冷や汗を拭った。

 

「実は、俺たちも似たようなことをしている」

 

「え?」

 

「奴隷を開放し、仲間に加えて、同じように虐げられている人々を救っている。さっきすれ違った兵士たちも元々は奴隷だったし、そこにいるピンク色の髪の子は捕虜だった」

 

「やっほー♪」

 

 本当に捕虜だったのだろうかと疑ってしまうほどの明るい声でそう言いながら手を振り、微笑むイリナ。できるならば話が終わるまではこの緊張感を維持したいから、そういう態度は自重してほしい。

 

 いや、捕虜という絶望的な状況を経験してもここまで明るく振る舞える良い例かもしれない。実際に心を閉ざして無表情だったステラも、今ではすっかり感情豊かになったし。

 

「俺たちの理想は、こうやって組織を拡大し、世界規模で人々をクソ野郎から救済すること。―――――――それが、このテンプル騎士団の理想だ」

 

「テンプル騎士団…………君たちの組織の名前か?」

 

 隊長に問いかけられた俺は、首を縦に振った。

 

 ここまでならばきっと共感してくれるはずだ。彼らも同じ理想を持っているに違いないのだから。ただ、問題はそれを実現させるために取る手段。敵を殺すか、生かすかの違い。

 

 だから無理に勧誘はしない。けれども、誘ってはみる。

 

「ただ、俺たちの場合は――――――――敵を殺す。威嚇射撃で追い払うような真似はしない。人々を虐げるようなクソ野郎を見つけたら、全滅するまで殺戮する」

 

 理想までは、同じ。けれどもそのために取る手段の違いを認識したのか、俺の言葉を聞いた転生者たちや日本兵の格好をした奴隷たちの顔が強張ったのが分かった。

 

「…………な、なあ、それはやり過ぎなんじゃないか?」

 

「いや、これでいい。…………俺たちは決して、クソ野郎共を生かすような真似はしない」

 

 これは俺たちの親父たちから受け継いだやり方だ。

 

 クソ野郎は徹底的に殲滅し、根絶やしにする。そうしなければ生き残ることはできないし、虐げられている人々は救われない。だから俺たちは救済のために、敵の返り血を浴びる。血まみれになり、致命傷を負っても進み続ける。

 

 同志が倒れたのならば戦死者のために悲しみ、憤怒を原動力にして仇を討つ。そして血まみれの身体で銃を手にし、進撃を続ける。

 

 これが、モリガンの傭兵たちの戦い。そして、俺たちが彼らから継承した戦い。この禍々しい戦い方は、きっと俺たちの子孫までずっと受け継がれる。

 

「あなたたちだって見てきた筈だ。奴隷たちに鞭を叩きつけ、商人から買い取った奴隷に過酷な労働をさせるクソ野郎共を」

 

「…………」

 

「俺たちはそういう奴らを根絶やしにしているだけ。そうやって根絶やしにすることで、蛮行を続ければ消されるという恐怖を生み、それを抑止力にする。生かせばそいつらはきっと、同じことを続ける」

 

 彼らには難しい話かもしれない。平和だった前世の日本で普通の生活を送っていたのに、異世界に来てからいきなり人を殺さなければならないと言われるのは、きっと考えられないことだろう。むしろそういう平和な世界で生きていた筈なのに、人々を虐げるクソ野郎共の方が異常だ。

 

 だから、強引な勧誘はしない。共感できないというのならば、彼らのために食料や水を用意し、この周辺の情報も提供して送り出すだけだ。

 

「俺たちは人員が不足している。特に、あなたたちのような転生者はぜひとも戦力にしたいところだが…………ご存知の通り、やり方がかなり違う。だから強引に勧誘しようとは思わない。もし必要ならば、こちらで食糧と水とこの周辺の情報を用意するし、あなた方の乗っていたチハもこっちの整備員が修復する。……………やり方は甘いけど、せっかく同じ理想を持つ同志に会えたんだ。そういうサポートはさせてほしい」

 

 正直に言うと、彼らにはぜひテンプル騎士団の一員になってほしい。転生者を味方にするメリットは非常に大きいし、彼らには兵器に関する知識がある。

 

 でも、きっと難しいだろう。俺たちの一員になるという事は、俺たちと一緒に転生者との死闘を繰り広げることになるという事だ。当然敵対した奴らを殺すことになるだろうし、下手をすれば仲間から戦死者が出る可能性もある。

 

 だから彼らは断るに違いない。そう思って諦めようとしていると、隊長の転生者の目つきが変わった。

 

 今までは温厚そうな目つきだったんだけど、今の目つきはまるで覚悟を決めた兵士のような、先ほどまでと比べると鋭い目つきである。

 

「……………確かに、そうしないと変わらないかもしれない」

 

「……………」

 

「確かに、見てきたよ。そんな酷いことをする奴らを。でも俺たちが追い払えば心を入れ替えてくれるんじゃないかって、ちょっと期待してた。でも……………怖かったんだ、人を撃つのが」

 

 いや、平和な世界で生きてきたのだから、それが当然の感覚だ。こっちの世界では甘いかもしれないけど、前世の世界の常識から見れば、俺たちの方が異常なのかもしれない。

 

 だから俺は「甘い」とは言わなかった。何も言わずに、覚悟を決めた彼の言葉を聞いていた。

 

「……………やっぱり、こっちの世界では甘いのかな」

 

「少なくとも、前世の世界の常識は捨てるべきだ。この世界はもう平和じゃない」

 

 魔物が徘徊し、人々が殺し合うのが日常茶飯事。転生してきたばかりの頃は、魔術やドラゴンが存在する夢のような世界だと思っていたけど、これが現実だ。

 

 だから捨てろ。日本に住んでいた頃に覚えた常識は全て、ここで捨てろ。

 

「そうするべきかもな。……………みんなはどう思う?」

 

 後ろで話を聞いていた仲間たちを振り返り、隊長が問いかける。背中に古めかしいボルトアクションライフルを背負った転生者の仲間たちはまだ少し悩んでいる者もいるようだったけれど、すぐに覚悟を決めたのか、段々と目つきが変わっていった。

 

 仲間たちの顔を見渡し、隊長は首を縦に振る。そして俺の目を見据えながら頷いた。

 

「理想は同じだ。そっちのやり方にはなれないかもしれないけれど……………俺たちも、仲間に加えてほしい」

 

「本当にいいのか? 帰り血まみれになるのは日常茶飯事だぜ?」

 

「覚悟は決めた。……………みんなもだ」

 

「…………分かった」

 

 よく決めてくれた。

 

 クソ野郎たちに期待してしまいたくなるのは分かる気がする。もしかしたら次はもうやらないんじゃないかと思って見逃そうとしたことは、正直に言うと何度かある。

 

 けれどもそうやって期待するのは無駄だ。どれだけクソ野郎共の計画を台無しにしても、あいつらは蛮行をやめない。

 

 きっと彼らも期待することに諦めかけていたんだろう。それがこの覚悟を決めることを後押ししたに違いない。

 

 とにかく、彼らを歓迎しよう。同じ理想を目指すために、覚悟を決めてくれたのだから。

 

「――――――――テンプル騎士団へようこそ、同志諸君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ブレス

 

ステラ「そういえば、タクヤはサラマンダーの遺伝子も持ってるんですよね?」

 

タクヤ「ああ」

 

ステラ「では、ブレスも吐けるのですか?」

 

タクヤ「えっ?」

 

イリナ「あっ、確かに! ドラゴンの遺伝子があるなら、ブレスを吐ける可能性もあるよね!?」

 

ウラル「ああ、俺も興味がある。どうなんだ?」

 

タクヤ「ええと……………やろうと思ったことはあるんだけどさ」

 

イリナ「それで!?」

 

タクヤ「……………頑張り過ぎたせいで、違うもの吐いちまった」

 

一同「……………」

 

 

 おまけ2

 

 テンプル騎士団式エクササイズ

 

ナタリア「うー……………」

 

カノン「あら、どうしましたの?」

 

ナタリア「最近ちょっと体重増えちゃったかなって……………」

 

カノン「あらあら」

 

ナタリア(た、食べ過ぎかなぁ…………? で、でも、運動はしてるはずだし……………)

 

タクヤ「ナタリア、任せろ! 一瞬で痩せるいい方法を考えたぞ!」

 

ナタリア「本当に!?」

 

タクヤ「ああ!」

 

ナタリア「それで、どうするの!?」

 

タクヤ「簡単だ。追いかけてくるパンジャンドラムからひたすら逃げ続け―――――――――」

 

ナタリア「死ぬわバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

タクヤ「ぶれんがんっ!?」

 

 完

 




※ブレンガンは、第二次世界大戦で活躍したイギリス製LMGです。


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転生者たちにアサルトライフルを渡すとこうなる

 

 

 数秒前まで見ていた夢が終わり、現実世界で目を覚ます際のだるさには慣れたし、両目を開けた瞬間にびっくりするような状況が目の前に慣れているのにも慣れたつもりだった。

 

 腹違いとはいえ、実の弟にも関わらず下着姿で抱き着いて眠る腹違いの姉や、当たり前のようにベッドの隣に鎮座する禍々しい棺。しかもその中で可愛らしいピンク色の毛布に包まれて眠るのは、パジャマ姿の吸血鬼の美少女。

 

 そういう光景が目を覚ました瞬間に何度も広がっていたから、自分ではもう慣れてしまったと思っていた。

 

 けれども今、俺はやっぱり慣れていなかったということを痛感している。

 

「…………」

 

 いつも起床する朝6時まであと1時間。二度寝でもしようかと思って瞼を開けた俺の眠気を完璧に吹っ飛ばしてくれたのは―――――――ベッドの上で眠る俺の胸板の上にしがみついて眠る、幼い姿の少女だった。

 

 お尻の辺りまで届くほど長い銀髪は、毛先に行くにつれて桜色に染まっている。10歳から12歳くらいの姿に見える幼い少女は真っ白なパジャマに身を包み、どういうわけなのか俺の胸板の上で気持ちよさそうに眠っていた。

 

 なぜ、ステラが俺の上で眠っているのだろうか。

 

 念のため、居住区の部屋には鍵がついている。あまり考えられない事態だが、夜の間にこちらの警備をかいくぐって敵が侵入する可能性もあるので、そういったセキュリティも大切なのだ。だから部屋には鍵を付けることを義務化しているし、眠るときは部屋のドアに鍵をかけている。合鍵を持つのはルームメイトだけという事になっているので、俺の場合は隣の棺桶でいつも眠っているイリナが合鍵の持ち主になっている。

 

 別に入ってきてはいけないというわけではない。しかし、ステラはどうやって俺の部屋に入ってきたのだろうか。

 

 すると、寝息を立てていたステラがゆっくりと顔を上げた。小さな手で瞼を擦りながら顔を上げた彼女の蒼い瞳が、俺の瞳を見据える。

 

「ああ、おはようございます」

 

「…………ねえ、何で俺の上で寝てるの?」

 

 本当なら俺も「おはよう」って挨拶をするべきなんだろうけど、今回はちょっといつも通りに挨拶をすることができなかった。ステラは俺に時折甘えることがあったけど、今までにこんなことをした事はなかったのだ。

 

「はい。ラウラと離れ離れになったタクヤが寂しそうでしたので、少しでも励ますことができればと思って」

 

「……………」

 

 そんなに落ち込んでいるように見えただろうか?

 

 自分でも落ち込んでいたという自覚があった時期は合ったけれど、もう立ち直ったつもりだった。いつまでもそうやって落ち込んでいたら命を落としかねないし、団長なのだから常にしっかりしていなければならない。それにラウラだって頑張っている筈だから、俺も頑張ろうと思って強引に自分を奮い立たせていたのだ。

 

 でも、やっぱり他の人から見れば落ち込んでいるように見えたのかもしれない。そういえばナタリアが俺の部屋に遊びに来て夕飯を振る舞ってくれる回数も、ラウラがここにいた時と比べると多くなっているし、イリナだってこうやって部屋に遊びに来ることはあったけれど、俺の部屋に寝泊まりすることはなかった。カノンもよく街で買ってきたマンガを貸してくれるし、訓練が終わって戻ってくると部屋で俺のマンガを読んでいることもある。

 

 どうやら俺は、みんなに気遣ってもらっていたらしい。

 

「嫌でしたか?」

 

「いや、嬉しいよ。……………確かにお姉ちゃんがいなくて寂しかったからさ」

 

「それはよかったです」

 

 安心したように微笑むステラ。彼女はゆっくりと小さい手で俺の頬を撫でると、そのまま俺を抱きしめてくれた。

 

「ステラではダメかもしれませんが、甘えたかったらステラにいっぱい甘えてくださいね。全部、ステラが受け止めてあげますから」

 

「……………ごめんな、ステラ」

 

 気が付くと、俺はベッドの上で横になったまま彼女をぎゅっと抱きしめていた。

 

 幼少の頃からずっと一緒にいた大切なパートナーと離れ離れになるのは、かなり辛い。いつか再会できるということは分かっていても、いつもすぐ隣にいた姉がいないという不安は知らない間に心を孤独で侵食する。どれだけそれに打ち勝とうとしても、1人では限度があるのだ。

 

 ステラ、本当にありがとう。

 

 幼い姿の彼女を抱きしめながら、俺はそう思った。

 

 部屋に置かれている時計の針が6時になるまで、俺は彼女に甘えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、走れ!」

 

「急げ急げ!」

 

 灼熱の大地に屹立する岩山に守られたタンプル搭の敷地内。巨大な砲身が天空を見上げる拠点の中を走り回るのは、漆黒の制服に身を包み、普段の戦闘で使用する装備を身に着けた状態で全力疾走させられている少年や少女たち。彼らの周囲を走るのは、同じく漆黒の制服に身を包んだテンプル騎士団の団員たちである。

 

 巨大な砲身の並ぶ敷地内を、普段の装備を身に着けてランニングさせられるのはこのテンプル騎士団の中ではかなりポピュラーな訓練である。1周すると3kmほどの距離になるんだが、俺たちはそれを準備体操を終えた後のトレーニングやウォーミングアップとして、少なくとも30周は走る。とはいえさすがに種族によって体力の優劣があるので、キメラや吸血鬼だけでなく、ハーフエルフやオークなどの肉体が屈強な種族は50周で、それ以外は30周という決まりがあるのだ。

 

 今、あそこでタンプル搭名物のランニングの洗礼を受けているのは、昨日このテンプル騎士団の一員となってくれた3人の転生者と彼らの仲間。そして彼らが保護した奴隷たちの中から志願してくれた志願兵たちだ。総勢で14名の団員たちが旧日本軍の軍服をそのまま黒くしたようなデザインの制服に身を包み、彼らが運用していた三八式歩兵銃を背負いながらランニングをしている。

 

 教官を担当するウラルは「30周では甘い」と主張したんだが、いくら転生者とはいえスタミナまでステータスで強化されるわけではなく、あくまで自分で鍛えない限りはスタミナは上がらないため、そういった面ではごく普通の人間と変わらない彼らにそんなトレーニングをさせるのはまだ早いということで、ウラルの基準では甘口の30周ということになった。

 

 でも1周で3kmだし、30周走ればとんでもない距離になるよね。どこが甘口なんだろうか。むしろ激辛だろ、これ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……………!」

 

「も、もう、無理…………!」

 

「サボったら粛清するぞぉッ!!」

 

「「「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」」」

 

 そう言いながら背中に背負っていたAK-12を取り出し、空に向けてわざと発砲するウラル。もちろん実弾ではなく空砲だけど、よく見るとあいつのポーチの中には実弾の入ったマガジンもしっかりと収まっている。

 

 ほ、本当に粛清する気かもしれない……………。

 

 というか、今の時間帯は昼間なんだが、いくらフードで日光が弱点の頭に当たることを防いでいるとはいえウラルは平気なんだろうか。妹のイリナはバイクのサイドカーの上で何度も吐きそうになってたけど、それに対してウラルは平然と走っている。

 

 やがてランニングが終わり、ウォーミングアップで早くも体力を使い果たしてしまった志願兵たちがぞくぞくと地面の上に転がる。すかさず彼らに水分補給用の水筒を差し出す団員たちを見守っていると、タオルで額の汗を拭いていたウラルがこっちに戻ってきた。

 

「なあ、やっぱり30周は甘いだろ」

 

「いや、まだこいつらは入団したばかりなんだし、少しずつ増やしていけばいいさ」

 

「そういうものか? ムジャヒディンでは初心者にも容赦しなかったぞ?」

 

「はい、ウラルの兄貴」

 

「おう、ありがとよ」

 

 一緒に走っていた仲間から水筒を受け取ったウラルも、中に入っている冷たい水を口に含んで水分補給する。血が主食と言われている吸血鬼だけど、さすがに血だけ吸っていれば生きていられるというわけではない。やはり、水分補給は必須らしい。

 

「ところでお前は大丈夫なのか? 今は真昼だけど」

 

 すると、ウラルはニヤリと笑ってから水筒を俺に渡し……………大きな片手で、口を押えた。

 

「…………いや、結構ヤバい」

 

「無理すんなよ!?」

 

「だ、だが、教官である俺が倒れるわけには……………おえっ」

 

「いいから部屋に戻れ、バカ! おい、誰かこのバカを部屋に連れてけ!」

 

「ほら、兄貴」

 

「ふ、ふざけるなッ! 俺はまだ大丈夫――――――――おえっ」

 

 ウラルはまともな奴だと思ってたんだが、どうやらこいつには無茶をする悪い癖があるらしい。さっきまで平然としていた筈なのに……………。全然見破れなかったぞ、ウラル。

 

 とりあえず無茶はしちゃダメだよ、兄貴。

 

 一気に顔色が悪くなった吸血鬼の巨漢に肩を貸し、地下へと降りていく元ムジャヒディンの仲間たち。吐きそうになるのを我慢するウラルを見送っていると、呼吸を整えながら転生者の隊長が立ち上がった。

 

「お、おい、あんたら…………いつもこんなトレーニングやってんのか……………?」

 

「うん、日常茶飯事」

 

 しかも甘口ね。

 

 ニヤニヤ笑いながらそう言うと、彼の後ろで倒れていた他の志願兵たちは目を丸くしていた。

 

 旧日本軍の格好をした彼らを率いているのは、転生者の1人である目の前にいる少年だ。名前は『柊博樹(ひいらぎひろき)』というらしく、旧日本軍が専門のミリオタだという。前世の世界では高校3年生だったらしく、彼の曽祖父は何と日本兵の生き残りの1人だったらしい。きっと曽祖父の影響を受けたんだろうな。クランと似たようなパターンだ。

 

 その後ろで倒れているもう1人の転生者の少年は、博樹と同じ高校出身だという『河野真(こうのまこと)』。指揮を執る博樹の補佐を担当していたらしく、実戦ではLMG(ライトマシンガン)を使用して進撃する部隊を支援する役割を担当していたようだ。

 

 そして、何とか立ち上がって水分補給をしている黒髪の少女は、3人の転生者のうちの最後の1人。2人と同じ高校出身で、博樹とは幼馴染だと言っていた『青木千春(あおきちはる)』だ。博樹が率いる部隊の中では唯一の狙撃手らしく、彼女の三八式歩兵銃にはスコープがついている。しかし彼らは基本的に人間を殺さずにここまで生き延びてきたため、魔物を撃ち抜いたことはあるらしいが、人間を撃ち抜いたことはないという。

 

 彼らの中核は、この3人だ。後は彼らに救出された奴隷たちで構成される、旧日本軍の装備で武装した転生者の部隊。総勢で14名が仲間に加わったわけだが、ちょっと彼らの装備では問題がある。

 

 日本軍の武装は他国の武装に比べて強力なものが少ないが、その分優秀な命中精度を誇るものが多いし、反動が小さく使いやすい傾向にある。けれども、M1ガーランドをはじめとするセミオートマチック式のライフルを実用化したアメリカやドイツなどの列強とは異なり、日本ではそういった容易く連射できるセミオートマチック式はあくまで開発段階だった。だから日本軍の歩兵の主な装備は三八式歩兵銃や、それを大口径にした『九九式歩兵銃』が中心で、スコープを装備したスナイパーライフルやLMG(ライトマシンガン)もそれほど多くはなかった。

 

 だから主な武装はボルトアクションライフルという事になるが……………それだと、取り回しの悪さと接近戦の際の対応力が問題になるし、市街地戦では利点が殆ど殺されてしまう。

 

 まず、ボルトアクションライフルの利点は『命中精度の高さ』、『威力の高さ』、『射程距離の長さ』だ。しかし市街地のように遮蔽物が多い場所での戦いになると、遮蔽物に遮られやすい状況では射程距離の長さは意味がない。射程距離の長さという利点の意味がなくなると、それに伴う命中精度の高さも意味がなくなるわけだ。

 

 威力は辛うじて残るけど、連射力に難のあるボルトアクションライフルではSMG(サブマシンガン)のような武器には打ち勝てない。しかも銃剣を装着できるとはいえ、銃身が長いせいで接近戦になると何もできなくなってしまう。

 

 だからボルトアクションライフルと比べると銃身が低く、接近戦や中距離戦にも対応できて、なおかつ連射もできるアサルトライフルが重宝するわけだ。だから彼らにはアサルトライフルをお勧めしたいんだが、博樹たちの専門分野はあくまで〝旧日本軍”。アサルトライフルを開発したのはドイツだし、アサルトライフルがあらゆる軍隊の主力武器として活躍し始めるのは旧日本軍が解体された後だ。だからアサルトライフルという武器を知っていても、それほど詳しくは知らないらしい。

 

 そこで、今日は射撃訓練を中心に行うことにした。もちろん使う武器は、彼らに慣れてもらうためにもアサルトライフルを使用する。

 

「よし、ついてきてくれ」

 

 志願兵たちが何とか立ち上がり始めたのを確認した俺は、彼らを引き連れて地下へと向かった。地下の訓練区画と呼ばれる場所には訓練を行うための設備が整っており、学校の体育館並みの大きさの部屋にはジャングルや市街地などを想定した訓練スペースが用意されているほか、射撃訓練用のレーンも用意されている。

 

 今回使うのは、このレーンだ。ここでアサルトライフルの訓練を行う。

 

 呼吸を整えながらついてきてくれた彼らを整列させると、俺はメニュー画面を開き、生産できるアサルトライフルの中からあるライフルを選んで生産し、それをさっそく装備した。

 

 相変わらず俺がメニュー画面を出す度に「うわ、あっちの方がカッコいい」って言いながら目を丸くする志願兵たち。確かに端末を弄るよりはこっちの方がSFっぽくてカッコいいよね。

 

 何の前触れもなく俺の手に姿を現したのは、木製の銃床とグリップを持ち、普通のアサルトライフルとは違って真っ直ぐなマガジンが装着された、すらりとしたアサルトライフルだった。銃身の下にはLMGのものに似たバイポットが装着されている。

 

 俺が生産したのは、日本製のアサルトライフルである『64式小銃』だ。自衛隊で正式採用されているライフルで、弾薬は一般的なアサルトライフルよりも大口径の7.62mm弾を使用する。これはアメリカ軍で採用されていたM14と呼ばれるライフルと同じもので、非常に高い威力と殺傷力を誇る代わりに反動が大きく、近年ではアサルトライフルの弾薬としてではなく、バトルライフルやマークスマンライフルの弾薬として普及している。

 

 大口径の弾薬を使用する上に命中精度も高いという利点があるけど、やはり反動が大きいし、構造が複雑という欠点も存在する。更に各国のアサルトライフルのようにドットサイトやホロサイトなどの装備を装着するのが難しいため汎用性も低い。

 

 けれども、少なくとも汎用性は改造で補えるから問題はない。反動と構造の複雑さは慣れてもらうしかないだろう。

 

「それは?」

 

「64式小銃。異世界のニホンって国の銃だ」

 

「日本製か…………!」

 

 俺はあくまでこっちの世界の人間ということになっているので、こっちの世界の住人のふりをしておこう。

 

 日本製の銃だと気づいた博樹が、俺の持っている64式小銃を興味深そうに見つめる。今までボルトアクションライフルをメインに使っていたようだけど、さすがにこういうアサルトライフルも必要だよな。現代戦の主役だし。

 

「できるなら、こっちを使ってもらいたい。でもさすがに使い慣れた装備もあるだろうから、そこは使い分けてくれ。とりあえず、今日はこの64式小銃の射撃訓練を行う」

 

 おそらく彼らの使用する武器や兵器は、旧日本軍と自衛隊の装備の混合になるだろう。そうなると弾薬なども全く違うものになってしまうから、弾薬は場合によっては別の物に使用して統一したいところだ。そうすれば仲間同士で弾薬を分け合うことができるし、彼らに弾薬を補給する時も便利だ。

 

 人数分の64式小銃を生産し、マガジンと薬室の中の弾薬を抜いてから1人ずつ手渡していく。いきなりぶっ放すのではなく、まずはセミオート射撃やフルオート射撃を切り替えるセレクターレバーをはじめとする機能の説明から始めないとな。ボルトアクションライフルにはない機能だから。

 

 とにかく、彼らの装備の近代化を急がなければ。

 

 でも――――――――さすがに彼らを、ヴリシア侵攻に連れて行くのは無理だろう。残された時間が少なすぎるし、彼らは吸血鬼との戦闘の経験がない。というか、戦闘の経験が少なすぎる。

 

 ならば装備を近代化させ、別の場所へと送り出して支部を作ってもらうべきだろうか。さすがに本部とスオミ支部だけでは活動する範囲が狭すぎるし、こっちの方が現実的な計画かもしれない。

 

 そう思いながら、俺は彼らに支給した新しい武器の説明を始めるのだった。

 

 



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ナタリアがタクヤを励まそうとするとこうなる

 

 

 射撃訓練場のレーンに並んだ志願兵たちが、セミオートで次々に弾丸を放ち、レーンの向こうにある人間の形をした的を狙う。ほとんどの的には弾丸が命中したことを意味する風穴があいていて、中には蜂の巣になって原形を留めていない的もある。けれどもやはり風穴があいている数が少ない的もあり、早くも射撃技術の個人差が現れ始めていた。

 

 彼らに支給した64式小銃のマガジンには20発の弾丸が入っている。セミオートで的に向けてぶっ放し、マガジンの中の弾薬を使い果たしたら後ろの仲間と交代するようにしている。1つの銃につき最初から装着されている分と再装填(リロード)5回分のマガジンが支給される仕組みになっており、薬室に入っている1発を含めると1人につき121発分の射撃が可能となっている。

 

 朝の8時に外に集合し、準備体操をしてから甘口のランニング。それから少しばかり筋トレをしてからの射撃訓練であるため、ここに到着する頃には志願兵たちはもう既にへとへとだ。ちなみに筋トレも俺たちからすれば甘口なんだが、屈強な身体を持つキメラや吸血鬼にとっては慣れたトレーニングでも普通の人間には相当きつい。まず最初のランニングで体力を使い果たすやつもいるし、ここに降りてくる途中にぶっ倒れて治療魔術師(ヒーラー)に連れていかれるやつもいる。

 

 今日で彼らが志願してから3日目だ。相変わらず弱音を吐く奴が多いけど、少しずつこういったトレーニングで体力をつけてもらう必要がある。この世界は転生者から見れば夢のような世界に見えるかもしれないけれど、実際に生活してみればこの世界がどれだけ過酷なのか分かる筈だ。弱ければ魔物に食われ、街で平凡に暮らそうとしても領主や貴族の搾取で苦しめられる。

 

 人間にも、魔物にも〝敵”がいる世界なのだ。そして平然と人権が踏みにじられ、弱者が虐げられるのが当たり前な世界なのだから、身を守るためにも武装しなければならない。武器がないのならば身体を鍛えるしかないのだ。

 

 力があるものだけが勝利する。この異世界は、それほど過酷なのである。

 

 どうやら今射撃したメンバーがマガジンの中の弾丸を撃ち尽くしたらしく、後ろでそれを見学していたメンバーと交代し始める。そろそろ支給したマガジンを全て使い切る頃だろうか。

 

 彼らには64式小銃を使ってもらっているけれど、この志願兵たちにも得意な分野や苦手な分野が必ずあるので、とりあえずこうして訓練して自分の得意分野を見極めてもらう必要がある。自分1人で戦うわけではないのだから、適材適所が最も合理的だ。

 

 例えば、射撃が上手い奴は狙撃手として育成する予定だし、体力がある奴は機関銃の射手や迫撃砲の方手として訓練する。もちろんこの世界には〝魔術”という強力な攻撃手段があるのだから、魔力の扱い方に長けた奴は魔術師として訓練しつつ、場合によっては治療魔術師(ヒーラー)としての訓練を受けてもらう。

 

 治療魔術師(ヒーラー)は、簡単に言えば傷を癒す治療魔術が専門の魔術師で、前世の世界の医者や衛生兵にあたる。こちらの世界にも医術はあったらしいんだけど、あらゆる傷をすぐに塞いでしまうヒールのような魔術が大昔の魔術師たちによって実用化され、全世界に普及してからはすっかり廃れてしまったという。今では大昔の医者の子孫たちが細々と自分たちの技術を残し続けているらしい。

 

 魔術を使わなくても治療ができるヒーリング・エリクサーはタンプル搭やスオミの里でも生産できるし、そのための素材は偵察部隊が調達してきてくれるので、全ての兵士にはちゃんと行き渡る。しかしこういった回復アイテムの回復にだけ依存すると、長期戦になった場合にこちらが不利になってしまうので、アイテムの節約のためにも治療魔術師(ヒーラー)は必要な存在だ。

 

 テンプル騎士団では治療魔術師(ヒーラー)を衛生兵として最前線に送り出しているが、さすがに魔術にだけ依存させるのも危険であるため、せめてアサルトライフルの銃身を短くしたカービンか、PDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)で武装することを義務付けている。

 

 彼らの得意な分野は何なのだろうか。転生者の1人である千春は先ほどから何発も命中させているし、前から射撃は得意だったらしいから、彼女は間違いなく狙撃手になるだろう。

 

 そう思いながら射撃訓練の光景を眺めている間に、最後の班の訓練が終了したらしい。空になったマガジンを取り外し、安全装置をかけてから銃を下ろす彼らを見守りながら、俺は肩を回した。

 

 彼らが使っている64式小銃が使用する弾薬は、本来ならば西側で使用されている7.62×51mmNATO弾。マークスマンライフルやバトルライフルの弾薬として世界中で採用されている弾薬の1つで、その殺傷力は極めて高い。

 

 しかし反動が大きいという欠点もあるため、64式小銃は弾薬の中にある炸薬の量を減らして〝弱装弾”とすることで反動の軽減を図っている。弾丸の発射に使う炸薬の量を減らすわけだから、当然ながら弾速や貫通力は落ちてしまうけれど、反動が小さくなるという利点は銃を使う上でかなり大きい。

 

 けれども、反動は転生者のステータスで耐えることはできるし、この世界の魔物の中には銃弾を弾いてしまうような外殻を持つものもいるので、少しでも貫通力や破壊力を底上げする努力が必要だ。

 

 そこで志願兵に持たせた64式小銃の弾薬は、弱装弾ではなく通常の炸薬の量の弾薬にし、西側の弾薬である7.62×51mmNATO弾ではなく、AK-47などのライフルで使用される7.62×39mm弾に変更している。これはテンプル騎士団で正式採用されているAK-12と同じ弾薬を使うようにするためで、場合によっては仲間と弾薬を分け合うこともできる。また内部も同じように改造しているため、逆に炸薬の量を増やした強装弾の発射も可能である。

 

 また、汎用性が低いという欠点は俺の能力のカスタマイズで補えるので問題はない。あくまで64式小銃は銃口にグレネード弾を装着して射出する〝ライフルグレネード”が使用可能になっているけれど、あえて銃身の下にグレネードランチャーを装着して運用することも可能なのだ。特にテンプル騎士団は防衛戦闘だけでなく突撃や侵攻作戦も行うので、最初から装着されているバイポットは取り外されている銃もある。まだグレネードランチャーやドットサイトを装着している奴はいないけど、そういったカスタムをしてみたいという要望があればカスタマイズをしてみようと思う。

 

 ちなみに本来のAK-12は小口径の5.45mm弾を使用するんだが、魔物の防御力や転生者への攻撃力を考慮して、大口径の7.62mm弾を使用するように改造している。もちろん強装弾での射撃も可能となっており、転生者との戦闘では強装弾の使用を推奨している。

 

 まだ志願兵たちには通常の弾薬しか使わせていないけど、そのうち強装弾での射撃もやらせてみよう。反動が更に大きくなるから、きっとみんな戸惑うに違いない。

 

「では、今日はここまで。後は休んでもいいし、各自で訓練してもいい。ただし訓練する際は必ず他の団員に立ち会ってもらう事。それと外出の際は、ちゃんと検問所の警備兵に身分証明書を提示すること。いいな?」

 

 大きな声で問いかけると、志願兵たちの「了解!」という大きな返事が返ってきた。彼らの声を聴いて満足した俺は、ニヤリと笑ってから後ろへと下がる。

 

「よし、解散! ……………あ、門限は18時までな。オーバーしたら『パンジャンドラムの刑』にするから覚悟しろ」

 

「「「「「「「何それ!?」」」」」」」

 

 簡単に言うと、炎を噴き上げながら追いかけてくるパンジャンドラムと鬼ごっこを楽しんでもらうだけです。

 

 テンプル騎士団では様々な兵器が採用されているが、敵の拠点へ攻撃するような場合の作戦は、以前に実施したフランセン共和国騎士団への報復攻撃が原型となっている。

 

 まず、ロケットランチャーによる一斉攻撃で敵の拠点をひたすら攻撃し、歩兵の突撃の前にパンジャンドラムを一斉に起動して敵陣へと突撃させる。そして敵陣が混乱しているうちに戦車と歩兵部隊が突撃し、敵をそのまま一網打尽にするという作戦だ。だからそのためにパンジャンドラムは大量に運用されているし、中にはいろいろと改造された代物が本部の中でもう既に運用されている。

 

 以前に、地下にある畑で薬草や野菜の栽培を担当するシルヴィアに「パンジャンドラムで畑を耕したらどうかな?」ってアイデアを言ってみたんだけど、彼女にはあっさりダメだと言われた。まあ、ロケットモーターから火を噴きながら前進する車輪で畑を耕したら作物が滅茶苦茶になるよね。

 

 どうやらあれの本職はやっぱり戦闘のようだ。……………でも、他にも活用できそうなんだよな。水車の代わりに使ったりとかできそうだし。

 

 あ、そうだ。今度パンジャンドラムを模したパンを作ってみよう。名前は……………『ジャムパンドラム』だな。軸の部分にジャムを詰め込んだパンジャンドラム型のジャムパンだ。サイズも大きくなるだろうから食べ応えがありそうだ。よし、今度試しに作ってみよう。

 

 そんなことを考えながら、志願兵たちが去った後の射撃訓練場のレーンに立ち、腰のホルスターからソードオフに改造したウィンチェスターM1895を引き抜き、まだ残っていた的へと銃口を向けた。

 

 トリガーを引き、7.62mm弾を放ってから銃をくるりと回してスピンコック。そして続けて発砲し、もう一度スピンコックする。弾丸は生き残っていた的の頭を的確に食い破ると、後方の壁に命中して砕け散っていく。

 

 ハンドガンに比べると連射力は劣るけど、ライフル弾の破壊力は心強い。しばらくサイドアームはこれにしようかな。

 

 そんなことを考えながら、俺はしばらく射撃を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……………」

 

 机の上に置かれた書類にやっと目を通した私は、息を吐きながら両手を思い切り伸ばし、椅子の背もたれに寄り掛かった。

 

 最近の仕事はこうした書類の確認と、志願兵たちの訓練。そして時折転生者を発見したという情報を確認すると、タクヤたちと共に討伐に向かう。そして戻ってきてから仕事を大急ぎで片付け、タクヤの部屋に遊びに行ったり、料理を振る舞うようにしている。

 

 ラウラは特別な訓練のために王都にいるらしくて、今のタクヤは1人なのよね。いつも一緒だった大切なお姉ちゃんと離れ離れになったショックが大きいのか、たまに寂しそうにしてるのよね、あいつ。

 

 普通の姉弟だったらあんなにイチャイチャするのはありえないし、実の姉と一緒に寝るのが当たり前というのも信じられないけど、あいつが寂しそうにしているのを見るのと……………なんだか、元気づけてあげたくなっちゃうのよね。

 

「なんでなんだろう……………?」

 

 今まで何度も男子と一緒に行動したことはある。まだ1人で冒険者として活動していた頃は、ダンジョンの調査を終えて酒場に戻ってくれば絶対に男が声をかけてきたし、中には私に夕飯をおごってくれた冒険者もいたわ。でも、こんなに男の子を励ましてあげたいって思ったのは…………これが初めて。

 

 あいつが命の恩人の息子だからという理由もあるのかもしれないけど、やっぱりあいつのことが好きだからこんなに気にしちゃうのかな?

 

 もしかしたらそうかもしれない。あの時、森でトロールに襲われそうになっていた時に助けてくれたタクヤはかっこよかったし、それにあいつの後姿は、あの時私を助けてくれた傭兵さんにそっくりだった。

 

 女の子みたいなやつだし、いつもお姉ちゃんに甘えてるシスコンだけど、頼りになるのよね。

 

 だから惚れちゃったのかな。…………き、キスもしちゃったし。

 

「……………」

 

 ふと机の上に置いてある手鏡を見てみると、私の顔はやっぱり真っ赤になっていた。タクヤのことを考えるとこうして顔を赤くしてしまうのが恥ずかしくなってしまって、私の顔はさらに赤くなってしまう。

 

 深呼吸して、この赤くなった顔を少しでも隠せるかなと思いつつ真っ黒な軍帽をわざと目深にかぶる。けれどもやっぱり真っ赤になった顔はあらわになったままで、何とか落ち着こうとなおさら焦ってしまう。

 

 そうして足掻いているうちに、自室のドアノブがゆっくりと動いた。

 

「ただいま帰りましたわ」

 

「ひゃぁっ!?」

 

「?」

 

「い、いえ、なんでもないわ。………お、おかえりなさい」

 

 帰ってきたカノンちゃんに見られないように、まだ書類をチェックしているふりをして返事をする。でもカノンちゃんはこっちを見つめながらニヤニヤと笑うと、本棚にある恋愛小説を手に取ってからこっちへとやってきて、近くにある椅子に腰を下ろした。

 

 あれ? 顔を赤くしてるのがバレちゃったの?

 

「…………ナタリアさん」

 

「な、なによ?」

 

「……………もしかして、お兄様のことを考えていますの?」

 

「ひゃあぁっ!?」

 

 顔が赤いんじゃなくて、タクヤのことを考えている事の方がバレてた!?

 

 ちょっと、何でバレてるの!? 

 

「ふふふっ、やっぱり」

 

「な、なんでわかったの?」

 

「だって、ナタリアさんがそうやって顔を赤くしている時はお兄様のことを考えている時だけですもの」

 

 しかも前から気付いてたの!?

 

 は、恥ずかしい……………。軍帽をかぶり直しながらため息をついた私は、目の前の書類をチェックするふりをするのをやめて、近くに置いてあるティーカップを拾い上げた。せめてジャム入りのアイスティーでこの恥ずかしさを誤魔化せないかと思ったんだけど、どうやらこのアイスティーは誤魔化すのに協力してくれないみたい。

 

「……………なんだか、1人になったあいつを見てると寂しそうで……………」

 

「お兄様とお姉様は常に一緒でしたもの」

 

 きっとラウラが戻ってこない限り、寂しそうなあいつの表情が消えることはないと思う。いくら私が励ましても、あいつの中からその寂しさをすべて取り除くのは無理なのかもしれない。

 

 それができるのは、きっとラウラだけ。なぜならば彼女はタクヤのことを一番よく知っているし、彼にとっては最愛のお姉ちゃんなんだから。

 

 そう思うと、なんだか悲しくなっちゃう。

 

 私の気持ちは、もしかしたらあいつには届いていないのかな……………? 

 

「……………」

 

「ナタリアさん」

 

「なに?」

 

 ため息をつきながら顔を上げると、いつの間にかかぶっていた筈の黒い軍帽をカノンちゃんに奪われていた。私の軍帽を被ってニコニコと笑うカノンちゃんはそのままスキップしてベッドの上に座ると、そのまま私に言った。

 

「――――――――さあ、お兄様を喜ばせてあげましょう♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射撃訓練を終えた後、俺は偵察部隊に同行して少しばかり砂漠を偵察してきた。

 

 偵察部隊の任務は周辺の偵察や使えそうな資源を持ち帰ること。とはいえそのまま偵察範囲を広げるのも危険なので、今では偵察する範囲を広げずに定期的に範囲内を巡回してもらっている。

 

 敵がいなければただの散歩だ。けれども彼らは軽装だから、敵と遭遇すれば瞬く間に死闘が始まってしまう。だからなのか、俺が同行するといった時に彼らは「助かります、同志!」と言って喜んでくれた。

 

 結局敵とは遭遇しなかったのでただの雑談をしながらのドライブになっちゃったけど、たまにはあのようにバイクで砂漠を走るのも悪くはなかったな。お姉ちゃんが帰ってきたら一緒にドライブに行ってみようかな?

 

 居住区へと続く階段を駆け下り、自室のドアの前へと向かう。ドアを開けたらお姉ちゃんが帰ってきてるのではないかといつも期待してしまうけど、今日もこのドアの向こうにはイリナがベッドとして使っている棺桶が置いてあるだけだろう。

 

 ため息をつきながらドアノブを捻り、この後の予定を考えつつ部屋の中へと足を踏み入れる。

 

 なんだかキッチンの方から物音が聞こえる。ナタリアが来てるのかな? 彼女はよく夕飯を作りに来てくれるし、遊びに来てくれることも多い。

 

 今日は彼女が夕飯を作ってくれるんだろうなと期待しつつ部屋の中へと進み、キッチンの方を振り返った俺は――――――――立ち止まり、目を丸くしてしまった。

 

 やっぱりナタリアがキッチンにいたんだけど、そこにいた彼女はいつものナタリアではなかった。

 

 キッチンで料理をする彼女の格好は、訓練が休みになっている日以外は基本的に制服の上にエプロンを付けている。休日の日は私服の上にエプロンを付けているんだけど……………俺の目の前にいるナタリアは、正確に言うと〝いつもの格好”ではない。

 

「あっ……………」

 

「た……………ただいま」

 

 鼻歌を歌いながら野菜を切っていたナタリアは俺が帰ってきたことに気付いていなかったらしく、俺がいる事に気付いて彼女まで目を見開いていた。

 

 いつもしっかりしている彼女が身に纏っているのは、いつもの真っ黒な制服ではなく――――――――フリルがたくさんついた、メイド服だったのである。

 

 め、メイド服……………? あれ? いつものナタリアって制服姿だよね?

 

 なぜ今日はメイド服なのかは不明だけど、俺に自分の格好を見られているうちに、先ほどまでは楽しそうに鼻歌を歌っていた彼女の顔が段々と赤くなっていく。

 

 すると彼女は下を向いてから唇を噛みしめ、顔を赤くしたまま再び顔を上げた。

 

「お、おかえりなさい」

 

「ね、ねえ、何でメイド服着てるの?」

 

「……………か、カノンちゃんが、今日はメイド服にしろって……………」

 

 カノンが原因かよ!?

 

 でも、メイド服姿のナタリアも悪くない。普段はしっかり者だからなのか、メイド服姿で恥ずかしそうにしている姿には猛烈なギャップがあるし、それでもまだ残っている気が強そうな雰囲気のおかげで、普通のメイドというよりはツンデレのメイドのようにも見える。

 

 しかも彼女の特徴でもある金髪のツインテールはそのままだ。

 

「へ、変……………だよね……………?」

 

「いや、似合ってるよ?」

 

「えっ? ……………う、嘘でしょ?」

 

「いや、本当に可愛いよ?」

 

「………………………ば、バカ」

 

 照れてしまったのか、さっきよりも顔を赤くしながら下を向くナタリア。彼女に可愛いと言ってしまったせいで、俺まで恥ずかしくなってしまう。

 

 誤魔化そうと思った俺はコートの上着を脱いで壁に掛けようとするけど、チャックを下げようと思ったところで、メイド服姿のナタリアが顔を赤くしたまま微笑んだ。

 

「きょ、今日はこの格好でご飯作ってあげるんだから!」

 

「マジで!?」

 

 最高じゃないか! 

 

 あとでカノンにお礼を言わないと。おかげでメイド服姿のナタリアが見れたんだから。あ、カメラ借りてこようかな。確かカノンがカメラを持ってたはずだ。

 

「だ、だから………………」

 

「ん?」

 

 写真を撮ることを考えていると、ナタリアがこっちを見つめながら言った。

 

「――――――――何かして欲しいことがあったら何でも言ってね、ご主人様っ♪」

 

「お、おう」

 

 メイド服姿のナタリアも悪くないな………………。

 

 そう思いながら、俺は彼女が料理を終えるまでラノベを読んで待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まもなく、終点の〝サン・クヴァント”に到着いたします。改札口での切符の提示をお忘れなく――――――――』

 

 音響魔術を活用したアナウンスを聞き流しながら、先ほどまで読んでいたラノベを閉じて鞄にしまう。もう降りる時間かと思いながら窓の外を見てみると、そこにはもう既に巨大な城壁に守られた大都市が鎮座していた。

 

 あの暑いカルガニスタンの砂漠から海へと向かい、そこからヴリシア帝国へと向かう船に乗って3日間ほど船旅をした後は、列車に乗ってここまでやってきた。俺たちの役目はあの街に潜入し―――――――奴らの戦力を探ることだ。

 

 隣を見てみると、先ほどまで眠っていたクランもアナウンスで目を覚ましていた。他のメンバーたちも荷物を準備し、すぐに降りる準備をしている。

 

 あの防壁を潜った瞬間から、俺たちは帝都まで海外から出稼ぎにやってきた若者たちということになる。冒険者でもよかったんだけど、さすがに防具や剣を身に着けた状態では目立ってしまうので、少しでも地味で、なおかつ色々と動きやすいこの格好が一番だろう。

 

 もう既にモリガン・カンパニーの諜報部隊は現地入りし、セーフ・ハウスを用意して待ってくれているという。

 

 俺たちのこの諜報活動が、ヴリシア侵攻作戦を左右する。だからこそ失敗は許されない。

 

 列車が徐々に減速を始め、機関車が分厚い防壁に設けられたゲートの中へと吸い込まれていく。そして次々と客車もその中へと引きずり込まれていき、俺たちの乗っている客車も防壁の中へと飲み込まれていく。

 

 ここが〝吸血鬼の街”。俺たちは彼らにとって、ただの食料でしかない。

 

 吸血鬼たちは人間のことを、グラスの中に注がれたワインとしか思っていないんだろう。

 

 なめるなよ、吸血鬼(ヴァンパイア)。ここにいるメンバーはたたのワインじゃねえぞ。

 

 かつてレリエル・クロフォードが倒壊させたという巨大な時計塔の『ホワイト・クロック』を睨みつけながら、俺はそう思った。

 

 

 

 



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帝都サン・クヴァント

 

 

 ヴリシア帝国は、オルトバルカ王国から見て西側に位置する巨大な島国である。

 

 この産業革命という大爆発が起こり、その〝爆心地”となったオルトバルカ王国が『世界の工場』と呼ばれ、他国を一時的に大きく突き放した時も、以前からライバルだったこの国は世界の向上に追いすがろうとしたという。どうやらこの国は、大昔からプライドの高い国らしい。

 

 今ではフィオナ機関のライセンス生産も許され、自分たちがライバルだと思っていた大国から技術を輸入し、彼らの技術―――――――正確に言うなら、フィオナという技術者の技術だ――――――――で生み出された機械を製造する。今ではその技術をベースにして発展を続けているが、未だにオルトバルカ王国には差を付けられたままという状況だ。大昔にこの異世界の公用語がライバルだと思っていたオルトバルカの言葉に決まって苦汁を味わうことになったのは想像に難くないけど、あの産業革命は彼らにとって、第二の苦汁になったに違いない。もし目の前にオルトバルカ人がいたら殴りかかってしまうほどの怒りを国民の1人1人が内包していると思うと、俺はつい周囲の人々をちらちらと見てしまう。

 

 とはいえ、大勢の通行人や商人でにぎわう大通りを見る限りでは、それほどオルトバルカへの敵意を剥き出しにしているようには見えなかった。まあ、オルトバルカの国籍になっている俺たちでも入国を許されたわけだし、当たり前だな。

 

 ちなみにこの世界にはパスポートが存在しない。国によって入国のルールは様々で、中には国境警備隊の騎士に一声かけるだけで入国させてもらえる場合もあるという。ヴリシア帝国もそれほど厳しくなく、入国の目的と簡単なボディチェックだけで済んだ。

 

ヴリシア帝国はかなり歴史のある大国だが、最も有名なのはこの国が一部の人々からは〝吸血鬼の国”と言われている事だろう。

 

 かつて伝説の吸血鬼と言われたレリエル・クロフォードが世界を支配した際に本拠地にしたのが、このサン・クヴァント。そしてそのレリエルが大天使との戦いに敗れて封印されたのも、この国の中にあるダンジョンに指定されている洋館だという。帝国の中でもいまだに危険度の高い場所で、調査に向かった冒険者の多くが命を落としている場所らしく、最近では挑もうとする冒険者の数が凄まじい勢いで減っているらしい。

 

 多くのおとぎ話や絵本の題材にされているレリエル。しかし今から21年前、タクヤ(ドラッヘ)の実の父であるタクヤ・ハヤカワがモリガンの仲間を率いて、この帝都で復活したレリエルと死闘を繰り広げたという話も非常に有名である。その際にこの街のほとんどは破壊され、帝都のシンボルともいえる『ホワイト・クロック』と呼ばれる純白の巨大な時計塔も倒壊したという。しかも倒壊させたのはレリエルで、ただ両腕の腕力だけで押し倒したという記録まで残っているんだが、あんな巨大な時計塔を腕力だけで押し倒すのは無理だろう。さすがにそれは誇張だと思う。

 

 ちなみに、そのモリガンとレリエルの死闘は早くもマンガの題材にされている。この前本屋でそのマンガを見つけたから、面白半分で購入してタクヤの奴に見せてやったんだが、「親父から聞いた話と全然違う」って言いながら苦笑いしてた。まあ、表紙に描かれているモリガンの傭兵たちが持っているのは銃ではなくクロスボウになってるし、主人公とヒロインが金髪の美少年と美少女になってたからな。タクヤが言うには、実際はその時の親父は黒髪で、母の髪の色は蒼らしい。

 

 本人たちが見たらどう思うのだろうかと思っていると、隣を歩いているクランが俺の手を握り始めた。そのまま俺の近くへと寄ってくると、今度はしっかりと両手で俺の手を握り、嬉しそうに微笑み始める。

 

 普段の彼女は大人びているけれど、こういう時は無邪気だ。きっとこういう笑顔を浮かべている時が本来のクランなのかもしれないなと思いつつ、彼女の頭をそっと撫でた。

 

「羨ましいですねぇ」

 

「俺も彼女欲しいなぁ」

 

「うるせえぞガスマスクとショタ野郎」

 

「あぁ!?」

 

「ガスマスクじゃダメなんですか!? カッコいいじゃないですか! ねえ、ノエルちゃん!!」

 

「えっ? え、えっと……………うぅ」

 

 おい、木村。ノエルを困らせるな。

 

 木村に問いかけられて困ってしまうノエル。彼女は活発な性格になったとはいえ、シュタージに入隊することになってからまだ日が浅い。だからまだこっちのメンバーには馴染めていないようだ。

 

 話しかけて馴染ませようとする努力は問題ないが、もう少し優しくしてやれよ、バカ。タクヤに粛清されるぞ。

 

「あはははっ。大丈夫だよ、ノエルちゃん。こいつバカだから気にしなくていいよ」

 

「ば、バカなの……………?」

 

「ちょっと、坊や(ブービ)ぃぃぃぃぃぃぃ!? 仲間を売らないでください!!」

 

 騒がしいな、こいつら。仲の良い若者の集団に見せかけるための演技なら問題ないが、俺たちは敵の本拠地に潜入してるんだから、もう少し目立たないようにする気配りをしてほしい。俺たちは諜報部隊(シュタージ)なんだから。

 

「そういえば、今夜の宿屋はどこだったかしら?」

 

 すると、唐突に俺の手を握っていたクランが冷静な声で呟いた。きっと彼女は拠点にする場所のことを俺に聞いているんだろう。さすがに四六時中街の中を歩き回るわけにはいかないし、宿屋やホテルを拠点にすると記録が残ってしまう。

 

 幸いこの街には労働者が多く、そういった労働者向けの貸家やアパートが乱立している状態だ。もう既にモリガン・カンパニーの諜報部隊が労働者の一団を装い、その中で使用されていないような空き家を調査していたという。俺たちにもそのうちの数ヵ所が割り当てられることになっており、諜報活動の拠点はそこになる。

 

 もう既に本拠にする場所とセーフ・ハウスに利用する場所は決めてある。俺たちの今の格好は労働者なので、会話の中では〝拠点”ではなく〝宿”という隠語を使って誤魔化すのも大切だ。前世の世界では軍人の娘だったクランはちゃんと隠語を使って誤魔化している。

 

「結構安い宿だな。第一候補はここで……………ほかの候補はこんな感じ」

 

「あら、ありがと」

 

 ちらりと地図を見せて確認させ、地図をすぐに鞄の中に戻す。

 

 俺たちが拠点にするのは、帝都の北西部に広がるスラムの近くの廃墟。元々は労働者向けのアパートになる予定だったらしいが、スラムに近いために治安が悪くなることが予測されることと、もっと向上に近い地域に空き地ができたのでそちらに新しいアパートを作る計画に変更されたために、半分ほど建築されたまま放置されている廃墟だ。幸い部屋はいくつか出来上がっているらしく、少なくとも雨はしのげそうである。

 

 今しがた彼女に説明した〝第一候補”が基本的な拠点。〝その他の候補”が敵の反撃で拠点が使えなくなった際に逃げ込むセーフ・ハウスとなる。どちらにももう既にモリガン・カンパニーの諜報部隊が物資を用意してくれているそうなので、こっちが用意するものは護身用の武器とある程度の機材だけでいい。

 

 ひとまず、情報収集だ。とはいえこのように5人でまとまっていると効率が悪いので、ひとまず拠点に向かってから役割分担を決めよう。実際に外で情報収集に当たるメンバーと、拠点に残ってサポートするメンバーの分担も必要だ。それに、場合によってはこっちの潜入に感付いた奴らを消す必要がある。

 

 サプレッサー付きのハンドガンとナイフは必需品だな。持ってきてよかったと思いつつ、俺はクランと手をつなぎながら拠点へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼の国として有名なヴリシア帝国でも、平日の昼間は労働者たちが慌ただしそうに工場の中で機械を動かし、スコップで大量の石炭を窯の中に放り込んでいる姿は同じだった。俺と同い年くらいの少年も工場の中にいて、石炭や煤で薄汚れたハンチング帽を被りながら必死に石炭を運び、窯の中へと放り込んでから圧力計の値を確認している。

 

 こちらの世界では魔術が実在するため、科学よりもそちらの方が発展した。科学が発展した魔術に追いついてきたのはつい最近で、その発端となったのはモリガンカンパニーの誇る技術者のフィオナ博士だという。

 

 今では魔力を原動力とするフィオナ機関と、俺たちの世界にも存在した蒸気を原動力とする蒸気機関が併用されている場所が多い。タンプル搭のヘリポートも、ハッチの開閉には複数の蒸気機関を使っている。

 

 多くの労働者が賃金のために必死に働く工場から少し離れた場所にはスラム街がある。俺たちの拠点となるのは、その近くに途中まで建設された状態で長年放置されている、作りかけのアパートだ。

 

「随分ボロボロだな」

 

「…………寝袋を持ってきたから、私はベッド無しでも大丈夫よ?」

 

 隣でクランが強がってそう言うけど、彼女も予想以上にボロボロな場所だったことに驚いているようだった。多少ボロボロでもいいからベッドくらいはあるんじゃないかと期待してたんだけど、きっとあの部屋の中はかなり汚れてるんだろうな。スペースもそれほど広くないに違いない。

 

 確かにこれは寝袋が必需品だな。そう思いながら念のため警戒しつつ、建設途中で放置される羽目になったアパートの中へと進んだ。

 

 左手をジーンズのポケットに伸ばしつつ、俺が先頭を歩く。玄関と思われる場所から中へと入り、管理人の部屋として使われる予定だったスペースの前を横切る。壁が何か所か剝がれかけている階段を上りながら、眠っている最中にこのアパートが崩れないだろうなと心配になった。情報収集の最中に敵に反撃されてやられるのはまだ諜報員らしい最期と言えるけど、眠っている最中にボロボロのアパートが崩壊し、全員生き埋めになって戦死することになったら洒落にならない。人生の最後にそんな恥をかいてたまるか。

 

 情報では、2階の西側にまともに使えそうな部屋が残っているという。とはいえこのアパートは2階までしか完成していないので、俺たちがいるこの階が最上階だ。他にも高い建物がたくさんあるから、この廊下の窓から見える景色はまさに最悪。薄汚れた工場の壁や、ゴミが浮かんでいる汚い水路くらいしか見えない。風向きによってはこっちに工場の煙が入ってくる可能性もある。だから木村がガスマスクをつけているのはもしかしたら正解なのかもしれない。

 

 ちらりと後ろを見ると、フードのついたパーカーとジーンズに身を包んだ木村が、「俺が正しかった」と言わんばかりにこっちを見ていた。苦笑いして再び正面を向いた俺は、西側にあるドアの前へと素早く進む。

 

 周囲を警戒し、俺たち以外に人の気配がないことを確認。モリガン・カンパニーの諜報部隊が部屋の中で待っている筈だ。

 

 クランに向かって頷いてから、俺はドアをノックした。数日前に雨が降ったのか、塗装すらされていないドアの表面は湿っていて、それほど大きな音はしなかった。

 

 こんなところを訪れる際、律儀にノックをするのは仲間くらいだろう。スラムに救うならず者なら律儀にノックするようなことはない。いきなりドアを蹴破るか、鍵を開けて入り込むかのどちらかだ。けれども敵と味方を判別するためにもこういったことは必要だし、味方に蜂の巣にされて棺桶に詰め込まれ、その味方にまで誤射(フレンドリー・ファイア)という重罪を押し付けるのは好ましくない。

 

 ノックしつつ、あらかじめ決められていた合言葉を思い出す。

 

『――――――――ここはどこだ?』

 

「スターリングラードだ、同志」

 

『……………入れ』

 

 タクヤの親父もロシア系の兵器が好きなミリオタらしい。苦笑いしながらドアを開けると、予想していた通りの光景が目の前に鎮座していた。

 

 壁紙すら張られていない、「部屋」というよりは板を束ねた壁で仕切られただけの空間。家具も置かれていないし、窓には無造作に大きさもバラバラの板が釘で打ち付けられ、まるで独房の鉄格子のようになってその光景を遮っている。もちろんベッドすら置かれていないしテーブルもないから、眠るときは寝袋を使うしかないだろう。幸いその辺に木材の余ったものが散乱しているから、釘さえ見つけることができれば簡単なテーブルは自作できそうだ。

 

 そんな部屋の中で俺たちを待っていたのは、大通りを歩いていた労働者たちと似たような私服に身を包んだ数名の男たちだった。工場で蒸気機関のメンテナンスをしていたり、窯の中にスコップで石炭を放り込んでいる姿を見れば、その辺の労働者と見分けがつかないだろう。諜報部隊は目立ってな張らないという鉄則を忠実に守っている。

 

「たった5人か?」

 

 真ん中に立っていた男が、いきなりそう尋ねた。

 

「ええ、5名よ。転生者が4人とキメラが1人ね」

 

「……………全員子供じゃないか」

 

 ああ、子供だ。しかも本格的な諜報活動はこれが初めてである。だから彼らから見れば、俺たちは経験が少ないだけでなく、見た目までまさに〝新兵”というわけである。

 

 それに対して向こうは、モリガン・カンパニーが発足した頃に結成され、オルトバルカという世界の工場の舞台裏で暗躍を続けてきた諜報部隊。こちらとは正反対のベテランというわけだ。これから始まる大規模な侵攻作戦を左右しかねない重要な諜報作戦に投入された精鋭部隊が、こんな子供ばかりの部隊で失望する気持ちも分かる。

 

 けれども、あまり舐めないでもらいたい。こうやって潜入するのは初めてだが、こっちは今まで経験したあらゆる死闘で生き残ってきたんだ。

 

「今のうちに帰った方がいいぜ、ガキども。怖い吸血鬼に血を吸われたくなかったらな」

 

「よせ、ジョセフ。彼らも我らの同志だ。仕事はしてもらう」

 

 隊長と思われる男の後ろでランタンを弄っていた男にそう言った隊長は、もう一度こっちを見てからかぶっていたハンチング帽をそっと取った。

 

「諜報部隊を率いる、『ブレンダン・ウォルコット』だ。よろしく」

 

「シュタージを率いるクラウディア・ルーデンシュタインです。ちゃんと仕事はしますよ、ミスター・ウォルコット」

 

「そうしていただけるとありがたい。吸血鬼(ヴァンパイア)共の餌になるのはごめんだからな」

 

 今度の敵は吸血鬼だ。あの雪山で遭遇した経験はあるが、俺たちは直接戦ったことはない。だから吸血鬼たちの恐ろしさは、仲間たちが教えてくれた情報やこの世界の図鑑でしか知らないのだ。

 

 敵ならば容赦はしない。しかし、テンプル騎士団のメンバーの中にも吸血鬼はいる。自分たちが優れた種族なのだという思想を捨て、他の種族との共存を選んだ穏健派の末裔たちが、俺たちと共にクソ野郎共と戦っている。だからなのか、なんだか複雑な感じがしてしまう。

 

 これは早いうちに捨てておかないとな。躊躇ってる場合じゃない。

 

「早速だが仕事をしてもらうぞ」

 

 ブレンダンはそう言いながら息を吐くと、ハンチング帽をかぶり直した。

 

「俺たちが現地入りしてからすぐに手に入れた情報だ。この街の南部で、吸血鬼に血を吸われて死亡する事件が頻発している」

 

 すると、彼の後ろにいた部下の1人がファイルの中から白黒の写真を数枚取り出した。さすがに俺たちの世界のようにカラーのある写真じゃないけれど、このような写真があると非常に分かりやすい。

 

 写真に写っていたのは吸血鬼に襲われたと思われる被害者の遺体の写真だった。がっちりした体格の労働者や、娼婦と思われる女性が写っていたけれど、全員首筋や肩に牙を突き立てられたような傷跡があるのが特徴だった。

 

 昔から吸血鬼の襲撃は、この牙の痕で見分けるという。彼らが血を吸う手段は牙を突き立てる事なのだから、彼らが〝食事”をすれば必ずこのような痕が残るのだ。

 

「別の凶器を使って偽装された可能性は?」

 

「あり得んな。奴らの牙の痕を再現して偽装したにしては違和感がなさすぎる」

 

 クランが問いかけると、ブレンダンはあっさりと彼女の仮説を否定した。

 

「そこで、お前らには南部の区画に潜伏しつつ情報収集をしてもらいたい。俺たちは街中で労働者になりすましつつ情報収集を続ける」

 

「了解しました。何かあったら連絡をお願いします」

 

「了解(ダー)、同志」

 

 ということは、俺たちも労働者になりすます必要がありそうだ。幸い俺たちの格好は冒険者というよりは労働者だし、そうやって働きつつ客からいろいろと情報を聞き出せば結構な量の情報が集まるに違いない。

 

 俺たちの情報収集が、今後のヴリシア侵攻を左右する。そう、ここで俺たちが手に入れた情報をもとに仲間たちが作戦を立てて部隊を編成し、この島国の帝都まで進撃するのだ。例えるならば、俺たちは彼らを導く案内人。それゆえに誤った道を教えてはならない。

 

 仲間たちを彷徨わせないためにも、正確な情報が必要だ。だからミスは許されないし、敵に捕まってこちらの情報を漏らすわけにもいかない。

 

 息を呑んだ俺は、拳を握り締めた。

 

 

 

 



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ラウラの鎮圧

 

「社長、またです」

 

 秘書を担当するハーフエルフのヘンシェルの報告を聞きながら、静かにティーカップを持ち上げる。最愛の妻が作ってくれたジャムを少しだけ入れた甘い紅茶を口に含みつつ、くるりと後ろを振り返って屈強なハーフエルフの部下を見上げる。

 

 報告書を片手に持ちながら渋面を作る彼も、もう俺に向かってこの報告をすることにうんざりしているようだった。実際に俺もこの報告を聞くことにうんざりしている。だが、だからと言って部下を叱責するような真似はしない。ヘンシェルはよく仕事をしてくれているようだし、他の部下たちも同じだ。このモリガン・カンパニーの社員たちは皆、この国の貴族から捨てられた失業者や奴隷だった者たち。自分たちだって働くことで成果を残せるのだという事を見せてやる、という強い意志を動力源にして働いてくれている大切な同志たちである。だから俺は彼らを叱責するような真似はしたくないし、彼らの人権も尊重している。

 

 おかげでこの国の平民や労働者からはよく支持してもらっている。逆に貴族などの身分の高い輩には敵が多く、頻繁に俺の失脚を狙ってちょっかいを出してくることが多いのだ。この一件も最初はその類かと思って対処していたが、さすがに1ヵ月も続くとうんざりしてしまうものである。

 

 その問題は――――――――軍拡を進めるモリガン・カンパニーの前哨基地へと送り届けられるはずのAK-12の数が合わないという問題である。

 

 モリガン・カンパニーでは様々な兵器や銃が採用されているが、基本的にはロシアをはじめとする東側の国の装備品が多くを占めている。特に一般的な歩兵に装備させるアサルトライフルは、使用する弾薬を7.62mm弾に変更したAK-12を全面的に採用しているため、各地にそれが輸送されているのだが―――――――ある前哨基地からの報告では、あらかじめ連絡されていた数よりも、実際に送られてきた銃の数が少ないらしいのだ。

 

 調査の結果、社員に紛れ込んでいた工作員が横流ししようとしていたことが判明し、すぐにその工作員を拷問してクライアントを聞き出し、飼い犬(工作員)飼い主(クライアント)共々粛清して対処していた。しかしその後も同様のトラブルが連続で発生しているのである。

 

 幸い流出したAK-12はすべて回収し、分析しようと試みていたと思われる技術者も消したし、書類もすべて焼き払った。第一この世界の技術では複製は不可能だろうから問題は小さくて済むかもしれないが、万が一のことも考えてこういった問題にはすぐに対処するべきだろう。

 

 とはいえ、これの対処をしていた諜報部隊は殆どヴリシア帝国に潜伏している。諜報部隊が全員出払っているわけではないが、手元に残っている諜報部隊はまだ錬度が低いため、対処には時間がかかるだろう。

 

「おそらく、飼い主(クライアント)の後ろにもまだ黒幕がいるのかもしれません」

 

「うむ……………飼い主(クライアント)までは拷問していなかったな」

 

 やれやれ。いつもならば呆れながらも対処しているところだが……………大事な作戦の準備をしている最中にこんなことをされては、さすがに腹が立つ。その1丁のAK-12に、いったいどれだけの同志たちが命を預けることになるのかと考えれば、その憤りも膨れ上がる。

 

「――――――――分かった、俺が調べてみよう」

 

「社長がですか?」

 

「ダメか?」

 

「いえ、しかし……………総大将が動くこともないでしょう。督戦隊を呼び出して対処させれば――――――――」

 

「ラウラもろともかね?」

 

 督戦隊には、迂闊に俺が動けない場合の実働部隊として用意しておいたリディアがいる。もう既に数多の転生者を葬っている優秀な転生者ハンターの1人で、彼女にこの問題を任せれば明日のランチの時間には終わったという報告が届くには違いない。

 

 それに今の彼女は、懲罰部隊の監視という任務もこなしている。正確に言うならばラウラの監視とサポートだ。転生者の元に赴き、葬るという任務を繰り返している彼女たちを呼び戻すという手も確かにあるかもしれない。

 

 すでに国内の転生者は絶滅寸前。ラウラの転生者の討伐数は、確認戦果だけでももう既に全盛期の俺の戦果を追い抜いている。父親として、愛娘の実力を見てみるのも面白そうだ。

 

「同志、もう既に督戦隊からは『いつでも戻れる』という返事が返ってきております」

 

「ふん、相変わらず仕事の早い男だ」

 

「ありがとうございます、同志」

 

「――――――――いいだろう。督戦隊と懲罰部隊を呼び戻せ。工作員とクライアントを見つけ出し、全て聞き出してから粛清せよ」

 

「はい、同志」

 

 右手で敬礼をしてから、報告書を持ったヘンシェルが踵を返して去っていく。

 

 下手をしたら、この一件には数多くの貴族がかかわっているかもしれない。たった数人の兵士に持たせるだけで数多の騎士団を壊滅させることすら可能な力を持つ銃は、この世界の奴らから見れば喉から手が出るほど欲しい代物となる。

 

 モリガンのリーダーとして世界中で戦っていた頃からそうだった。商人や貴族があのネイリンゲンの屋敷に押し掛け、あの手この手で銃を購入しようとする。時には実力行使に出た愚か者もいたが、彼らは銃の威力を身をもって知ることになった。

 

 もしかしたら、この一件で多くの貴族が議会から消えることになるかもしれない。

 

 なかなか好都合な話だ。奴らが何人も消えた暁には、俺の息のかかった労働者出身の議員を推薦して議会に送り出してやろう。そうすればこの国の政治も、少しは民主主義に近くなる。

 

「きっと大漁だな」

 

 そう思いながら、俺は再び紅茶の入ったティーカップを拾い上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつては王都に残された騎士団の旧本部が根城だったモリガン・カンパニーは、今ではオルトバルカ王国という大国だけでなく、世界中に支社や基地を持つ世界規模の超巨大企業へと成長した。世界中のあらゆる先進的な製品にはレンチとハンマーが交差している上で赤い星が輝いているマークが描かれているのは当たり前で、他の企業のほとんどはモリガン・カンパニーの後塵を拝している。

 

 簡単に言うならば、モリガン・カンパニーという産業革命が産んだ巨人が独走している状態。他のどんな企業でも、瞬く間に置き去りにされてしまう。

 

 だからこそ、人々は「実質的にこの国を支配しているのは、女王ではなくリキヤ・ハヤカワだ」と言う。もし私たちの父の機嫌を悪くさせれば、瞬く間にこの世界で普及しているあらゆる技術の供給を絶たれてしまう。だから彼には逆らえない。

 

 けれどもまだ、パパにちょっかいを出すバカがいる。だからそれも〝懲罰”の一環として、そのバカを処分するようにと命令が下された。

 

 乗り慣れたカサートカの兵員室の中で、マガジンの中の弾薬を確認する。数多の転生者を蜂の巣にしてきたPPK-12のベークライト製マガジンを装着した私は、カサートカが高度を下げ始めたことを悟ると、息を吐きながら兵員室のドアの近くへと移動した。

 

 早く、仲間の所に戻りたい。あの子の所に戻って謝ってから、ぎゅっと抱きしめてあげたい。

 

 あの子はあんなことをした私のことを嫌ってないかしら? 

 

 少し心配になりながら、私は兵員室のドアを開けた。

 

 目の前に広がっているのは、オルトバルカ王国の東側に設立された前哨基地の一つだった。前哨基地とはいえ、鋼鉄の防壁でがっちりと防御され、更に城壁の上には大口径の対戦車砲がこれでもかというほど配置されているから、前哨基地と言うよりは「要塞」と呼ぶべきなのかもしれないわね。

 

 実際にここは、社員や守備隊からは要塞と呼ばれているみたい。

 

 やがてヘリが速度を落とし、地上の誘導灯と整備員の誘導を頼りにしてヘリポートへと降下し始めた。他にもいくつもヘリポートがあり、そちらの方ではモリガン・カンパニーで全面的に採用されているスーパーハインドが補給を受けているところだった。

 

 カサートカが降り立ってから、私はヘリポートの上に降りた。予め「社長の娘が視察に来る」と知らされていたのか、すぐにこの前哨基地の責任者と思われる男が私の所に挨拶に来る。

 

「アグスト要塞へようこそ、同志ラウラ」

 

「お仕事お疲れ様。……………ところで、例のAK-12の数が合わないという件で話を聞きたいのだけど、いいかしら?」

 

「はい。実は、予定では400丁届く予定だったのですが、輸送部隊のコンテナに入っていたのはたったの300丁だったのです」

 

「その輸送部隊はどこに?」

 

「はい、こちらです」

 

「ああ、その前に輸送部隊の全員の顔写真と個人情報を用意してもらえるかしら?」

 

「かしこまりました」

 

 この要塞に届いた段階で数が足りなかったのだとしたら、横流しされたと考えられるのは輸送の最中。そしてそれを実行に移したと言えるのは、輸送部隊の中の誰か。

 

 何度もこんな事例があったみたいだけど、その際の犯人は前哨基地の司令官だったみたいなのよね。その前は会計担当。まだ輸送部隊が犯人と決まったわけじゃないけど、他の人たちも疑った方がいいかもしれない。

 

 中年の指揮官の後に続き、私も前哨基地のテントの中へと進む。そして渡された紅茶を飲みながら、指揮官が部下に個人情報と顔写真が入ったファイルを準備させるのをずっと見守っていた。

 

 それにしても、タクヤが淹れてくれる紅茶の方がずっと美味しいわね。あっちの方が適度な苦みもあるし、香りも強い。これはちょっと味が薄いわ。

 

「お待たせいたしました。こちらです、同志」

 

「ありがとう」

 

 輸送任務に従事したのは3名。全員まだ入社してから3ヵ月程度しか経過していない新人ばかりで、履歴書に記載されていた個人情報によると全員以前に働いていた工場を退職しているみたい。その工場を運営していたのは……………貴族みたいね。

 

 もしかしたら、彼らはまだその貴族とつながっていた可能性もあるわ。もしくは、その貴族に命令されて退職したのを装って、こちらの武器を横流ししたのかも。

 

 さて、そろそろ彼らに実際に会って話を聞いてみようかしら。

 

 銃の数が足りないことが判明したのは3日前だけど、念のため輸送部隊を含めて銃の輸送に従事した人員はこの要塞に留まるようにパパから命令が届いている筈だわ。だから輸送部隊はまだ、この要塞にいる。

 

「では、そろそろその輸送部隊のメンバーに会いたいのだけれど……………」

 

「ええ、彼らはこちらに――――――――」

 

 指揮官が、私をその輸送部隊の隊員たちに元へと連れて行こうとした次の瞬間だった。

 

「指令、大変です!」

 

「何事だ!?」

 

 慌ただしく走ってきた若い警備兵が、指揮官たちのテントの中へと飛び込んできた。真っ黒な制服と黒いウシャンカを身に着けた若いエルフの警備兵は慌てて敬礼すると、呼吸を整えるよりも先に報告を始める。

 

 これほど慌ててやってきたのだから、きっといい報告ではない。彼の表情から瞬時にそう理解した私は、反射的に腰に下げているPPK-12の安全装置(セーフティ)を解除していた。

 

「輸送部隊の奴らが、装甲車を奪って逃走しました!」

 

「馬鹿者、なぜ逃がした!?」

 

「奪われた装甲車はどっちに?」

 

 こんな時に部下の失敗を責めている場合ではない。この企業はこの世界に存在しない兵器を扱っているのだから、そんな叱責で時間を無駄にするよりも、一刻も早く技術の漏洩を防ぐ手段を講じる必要がある。

 

 だから指揮官は実戦を経験した猛者の方が向いている。少なくとも戦場で敵兵を相手にしてきたような猛者ではなく、デスクワークで書類を相手にしてきたような指揮官には上に立ってほしくはない。

 

 私に尋ねられた若い警備兵は、西側の方にある門を指差した。

 

「西側のゲートです! 奪われたのはBTR-94!」

 

「ありがとう」

 

 BTR-94という名前を聞いた瞬間、私はすぐにそれがどのような装甲車なのか、形状を思い浮かべていた。テンプル騎士団でも採用されているBTR-90と形状は似通っているけれど、こちらの方が車体に搭載されている砲塔は大型で、そこには2門の機関砲が搭載されていた筈。私の外殻ではあの機関砲を防ぐのは自殺行為だけど、もう既に走り出しているのならば狙撃ポイントを探している場合ではない。一刻も早く追いつき、無力化して彼らを引きずり出さなければ。

 

 背中に背負っていたKSVKを取り出し、こちらも射撃準備をする。テントの支柱に長い銃身が当たらないようにしながら走り出そうとしたけれど、私が1人でその装甲車を止めようとしていることを察したのか、指揮官が慌てて私を止める。

 

「危険です! 相手は装甲車なのですよ、同志!?」

 

「大丈夫よ、私1人で」

 

 確かに攻撃を喰らえばいくらキメラでも木っ端微塵にされちゃうけど、それは攻撃を全部躱すか、築かれない位置から仕留めればいいだけの話だから。

 

 私は指揮官に向かって微笑んだ。

 

「それに、彼らを疑う手間が省けたじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アグスト要塞の守備隊は、まだ輸送部隊のメンバーが逃げ出したという事に気付いていない。それが騒ぎになっているのは指揮官のテントの中だけの話で、要塞の格納庫の中で眠る無数の戦車や装甲車は、黙って整備兵たちから整備を受けている。

 

 その目の前を堂々と横切っていった装甲車の中に銃を横流しした犯人たちさえ乗っていなければ、平穏な夜と変わらなかっただろう。

 

「ほら、急げ!」

 

「分かってるって!」

 

 いくらもう既にゲートに向かって走り出したとはいえ、ゲートの外に出たとしても城壁の上の対戦車砲に狙われれば木っ端微塵だ。いくら対戦車ミサイルや自走砲が発達して廃れた兵器とはいえ、あのように城壁の上に固定して要塞砲として運用するならば有効な兵器と言える。

 

 装甲車とはいえ、防げるのはそれなりに口径の大きい機銃まで。装甲を追加すれば話は別だが、大口径の機関砲を喰らえば致命傷になる可能性があるのだから、旧式の物とは言え戦車を破壊するために開発された大口径の対戦車砲を叩き込まれば、どのような運命を辿るのかは想像に難くない。

 

 それゆえに一刻も早くゲートを突破し、追っ手を振り切って合流ポイントへと向かい、後方の兵員室の中に満載してある異世界の兵器をクライアントに届けなければならない。

 

 ついでにこの装甲車まで持ち帰れば、報酬の上乗せも期待できる。貴族からの報酬の金額を楽しみにしつつ、キューポラから外の様子を確認しようとしたその時だった。

 

 いつの間にか――――――――キューポラのすぐ目の前に、〝足”が見えた。

 

(……………?)

 

 ただの足だ。すらりとしたそれは真っ黒なニーソに包まれており、真っ黒なブーツを履いている。

 

 キューポラのすぐ外に見えるわけだから、その足は装甲車の車体の上に乗っているという事だ。見間違えではないのかと思った車長が目を擦ってから再びキューポラから外を覗き込もうとした次の瞬間、頭上からがごん、とハッチが開く音が聞こえてきたかと思うと、微かに甘い香りを纏ったオルトバルカの冷たい風が、車内へと流れ込んできたのである。

 

 恐る恐る顔を上げると――――――――砲塔の上に、赤毛の少女が立っていた。

 

 年齢は17歳か18歳ほどだろうか。それ以上の年齢にも見える大人びた雰囲気と、この冷たい風よりもはるかに冷たそうな印象を身に纏った胸の大きな少女が、真っ黒なフードのついた漆黒の制服に身を包み、彼を見下ろしながらスコープを取り外した対物(アンチマテリアル)ライフルの銃口を向けていたのである。

 

 炎か鮮血を思わせる瞳の色とは裏腹に、氷のように冷たい少女の瞳。虚ろな目つきにも見えるそれに恐怖を覚えた次の瞬間、右肩に押し付けられたアンチマテリアルライフルの銃口が轟音を発し――――――――車長の右肩から先を、しっかりともぎ取っていた。

 

「ぎゃああああああああああああっ!?」

 

 易々と彼の肩を貫いた弾丸は後方にあったコンソールや機器を貫通し、ちょっとした電流を生じさせる。

 

 少女はそのまま右肩から先を失った車長の顔面を蹴り飛ばして気絶させ、狭い車内へと入り込むと、運転席で装甲車を走らせる操縦士と、大きな砲塔の中で慌てふためいていた砲手の2人に、ナイフを思わせる銃剣が取り付けられたCz75SP-01の銃口を向けていた。

 

「動くな」

 

「お、女の子……………?」

 

「ただちに装甲車を停止させて投降しなさい」

 

「な、何だと…………!?」

 

 自分たちよりも年下の少女にそう言われたことに腹が立ったのか、砲手が懐からハンドガンを引き抜こうとする。しかしラウラは彼が反撃しようとしたことに素早く反応すると、懐へと伸ばした砲手の手の甲へと、ハンドガンの銃剣を突き立てていた。

 

「う、うわ…………ああああああああああああああああああッ!? て、手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「私ね、友達のおかげでお料理が得意になったの」

 

「な、なに……………?」

 

 砲手の手の甲から銃剣を引き抜き、冷たい目つきのまま微笑むラウラ。

 

 クソ野郎を殺すのが、テンプル騎士団の理念。あの時はそれに背いてしまったからこそ、彼女は罰を受けることになった。

 

 それゆえに今度は、殺す相手は間違えない。ただ、まだ殺さない。何とかして生け捕りにして情報を聞き出さなければならない。

 

 だから彼女は、冷たい声で言った。生け捕りで済ませるという希望を全く与えず、本当に彼らを殺しかねないという可能性を孕むほど冷たい声で、逃走した男たちに告げる。

 

「――――――――前からハンバーグを作ってみたいと思ってたんだけど、もしよかったら協力してくれないかな?」

 

 もしこのまま彼女のいう事に背けば、本当に殺されるかもしれない。あの銃剣で身体中の肉をズタズタにされ、ハンバーグにされる前の挽肉の塊と見分けがつかないほど無残に殺されてしまうかもしれない。

 

 その恐怖が―――――――操縦士の男に、ブレーキを踏んで投降するという選択肢を選ばせていた。

 

 



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大粛清

 

 男たちを蒸し焼きにでもしようとしているかのように、足元から熱い風が吹き上がってくる。しかしそれとは裏腹に頭上へと強制的に向けられた自分たちの両腕――――――――ラウラに片腕を吹っ飛ばされた男は左腕のみだ―――――――――だけは、まるで冷凍庫の中にでも突っ込まれているかのように冷たい。

 

 男の1人が、恐る恐る足元を見下ろした。足の裏と靴底には床を踏みしめている感か悪がないため、自分たちは宙に吊り下げられているということは分かる。下を見てみると、やはり彼らの足の下には床などなかった。しかしそれ以上に恐ろしい光景が彼らの真下で待ち受けていたことを知った男は顔を青くしながら目を見開き、一瞬で顔中に冷や汗を浮かべる羽目になった。

 

 彼らの眼下で待ち受けているのは、簡単に言うならば巨大な鉄の鍋である。大きな牛どころか巨人さえもそのまま煮込んでしまえそうな巨大な鍋の中では、まるで灼熱のマグマにも似たドロドロの赤い液体が待ち構えており、時折その中から火柱を噴き上げていた。

 鉄の溶ける臭いと、熱い空気。工業が発展したこの世界でも段々と増えてきた環境の中で、男たちは目を覚ました。

 

 

 溶鉱炉だ。

 

 そして彼らの頭上には――――――――天井から彼らを吊るす、謎の紅い氷にも似た物体が、彼らの手をしっかりと包み込んでいた。鮮血を思わせるほど紅い氷が存在するなど信じられないが、彼らの手を包み込む冷たさと、眼下の溶鉱炉の熱で実際に溶け出していることから、その紅い物体が氷であるという事が分かる。

 

「やあ、諸君」

 

 なぜ自分たちがこんなところにいるのか理解できないうちに、彼らの手を包み込む紅い氷のように冷たい男の声が聞こえてきた。

 

 しかも、聞き覚えのある声である。このオルトバルカ王国に住んでいるならば、多くの国民が耳にしたことはある声。貴族たちからは煙たがられる半面、多くの平民や労働者からは爆発的な支持を受けている、産業革命が生んだ〝魔王”。

 

 声の聞こえてきた方向を見てみると、そこには立派な黒いスーツとシルクハットを身に着けた赤毛の男が、同じく赤毛の少女を引き連れてキャットウォークの上に立っていた。雰囲気が似ていることから、その2人が親子であるという事が分かる。

 

「り、リキヤ・ハヤカワ…………ッ!」

 

「こ、ここはどこだ!?」

 

「安心したまえ。ここは我が社の工場にある溶鉱炉だ」

 

 彼の声を聴きながら、片腕を吹き飛ばされた男は気を失う前のことを思い出していた。アグスト要塞へと武器を届ける任務を引き受け、その立場を利用してかなりの数の武器を貴族の元へと横流しする予定だった。しかし搬入する数を誤魔化してそのまま武器を持ち去るよりも先に計画がバレてしまい、逃走しようとしたところをあの赤毛の少女に襲撃されてしまったのである。

 

 片腕を吹き飛ばされる激痛を思い出した男だが、彼の腕の傷はいつの間にか塞がれていた。あのまま放っておけば出血で命を落としていた筈だが、わざわざヒールかエリクサーで傷を塞いで延命させたということは、あの男はこれから尋問でも始めるつもりなのだ。

 

 リキヤ・ハヤカワは労働者たちに支持されている男だ。他の貴族と違い、自分の下で働く労働者たちを「同志」と呼んで尊重してくれる上に、様々な要望を聞き入れてすぐに反映させてくれることから、彼らは労働者や平民たちの間で理想的なリーダーとまで言われている。しかし敵に対しては全く容赦をしないことでも有名で、その気になれば負傷兵でも躊躇わずに殺すという。

 

 眼下の溶鉱炉と、頭上から伸びる氷の命綱。これが溶けてしまえば、あの溶鉱炉の中へと飛び込む羽目になるのは明らかである。

 

「さて、少しばかり聞きたいことがある。正直に答えてくれたまえ。言っておくが、時間をかけるために黙るのも無しだ。そうすればその氷が溶けてしまうからね」

 

「貴様…………!」

 

 時間をかければ、溶鉱炉の熱でこの氷が溶けてしまう。だから口を割らないようにずっと黙り続けていれば、いずれ氷が溶けて溶鉱炉の中へとまっさかさまに落ちてしまうというわけだ。だから死にたくなければ本当のことを話すしかない。

 

 リキヤの容赦のなさを考えれば、裏切者を生かしておく可能性は低い。それも考えてみると、仮に本当のことを彼らに話してしまったとしても、そのまま解放されるとは思えない。

 

 だからと言って黙っていれば、あの溶鉱炉の中に突き落とされる羽目になるのは明白だ。その可能性を考慮しながらリキヤを睨みつけていたその時、装甲車を奪取した際に砲手を担当していた男が叫んだ。

 

「誰が答えるか! 貴族に牙を剥いた無礼者め!」

 

「……………やれやれ」

 

 呆れたように首を横に振り、懐からモリガン・カンパニーで正式採用となっているPL-14を引き抜くリキヤ。彼はそれの安全装置(セーフティ)を素早く解除すると、罵声を発した男の手を拘束している氷の命綱へと9mm弾を3発も叩き込んだ。

 

 いくら貫通力が低く、威力も低い傾向にあるハンドガンの弾丸とはいえ、溶鉱炉の熱で溶けかけていた氷程度は容易く粉砕するのが当たり前だ。ただでさえ細くなり始めていた命綱を容易く粉砕された砲手の男の身体が、氷の命綱から解放され――――――――重力の命令を聞き入れてしまったことによって、溶鉱炉へと落下する羽目になった。

 

「うわっ――――――――」

 

 すぐ近くで聞こえた仲間の断末魔。しかし数秒もたたないうちに叫び声が聞こえなくなり、残った紅い氷の命綱が、まるで鮮血のような紅い雫を溶鉱炉へと滴らせるだけになった。

 

 共にこの企業へと潜入し、この任務のための下準備を続けてきた仲間が溶鉱炉で焼かれる光景を目にしてしまった車長と操縦士は、顔を青くしながらリキヤを睨みつけた。仇を取ろうとする憎しみよりも、自分たちもあのような殺され方はしたくない、という恐怖の方がずっと大きかった。

 

「安心したまえ。1人減っても、まだ2人いる」

 

 先ほどと彼の口調は変わらない。その変わらない口調にもぞっとしてしまう。

 

「我が社の同志と違って、クソ野郎の命は軽いからな。……………さて、答えてくれなければ君たちも同じ運命を辿ることになる。……………それで、君たちのクライアントは誰だ?」

 

「……………………!」

 

 この男は、魔王だ。

 

 仲間たちからは慕われ、敵からは恐れられる。敵を徹底的に蹂躙していく魔王。もし仮に最強の勇者が現れたとしても、この男を止めることはできないかもしれない。

 

 リキヤが作り上げたモリガン・カンパニーという兵力を除いて考えたとしても、この男を倒せるものなど存在しないのかもしれない。あのレリエル・クロフォードを単独で討伐したほどの実力を持つ男なのだから、もはやあの男と同じ怪物ですら勝率は低い。

 

 怪物ですら勝てないからこそ―――――――魔王と呼ばれる。

 

「は、ハロルド侯爵だ…………!」

 

「おい、ニック!」

 

 魔王(リキヤ)が発する恐怖に耐えられなくなったのか、操縦士だった男が口を割ってしまった。顔を青くしたまま彼の方を睨みつけると、それを聞いていたリキヤは興味深そうに眼を開いた。

 

「ほう、ハロルド伯爵か。これはいい。あの老人には前々からよく横槍を入れられて目障りだと思っていたところだ。……………それで、他に君たちのクライアントは?」

 

「な、なに?」

 

「いるだろう? …………………ハロルドの爺さんは貴族たちの筆頭だからな。いざというときに責任を擦り付けるための〝駒”も用意している筈だ」

 

 片腕を失った男は、リキヤにまだクライアントがいることを見破られて絶句していた。

 

 仲間が口を割ってしまった以上、もはや報酬は受け取れない。それどころか仮にここから逃げ出せたとしても、今度はモリガンだけではなくハロルド侯爵の私兵にまで命を狙われる羽目になる。国外への逃亡しか平穏に暮らせる道はないが、そもそもここから出られる可能性も限りなく低い。

 

 すると、リキヤが再びハンドガンを向けた。そして正確に2人の手を包んでいる氷の命綱へと1発ずつ9mm弾を撃ち込み、2人の〝余命”を削っていく。

 

「さあ、答えろ」

 

 真下にある溶鉱炉。あの中に落とされるよりも、まだ生存できる確率が低い方に賭けるべきかもしれない。

 

 ついに口を割る事にした彼は、気が付けば仲間と同じようにクライアントの名前を次々と挙げていた。

 

 彼らはリキヤの手によって溶鉱炉に突き落とされるまで、仲間を売り続けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはすごいな」

 

 メモ用紙にずらりと並んだ貴族の名前。ほとんどの名前を、リキヤは知っている。

 

 すべての貴族が、リキヤやカノンの母であるカレンを煙たがっている連中である。彼らが新しい法案を議会に持ち出して提唱すると反論し、それをあの手この手で妨害してくる老害たち。いったい彼らの妨害でどれだけ対応が遅れ、人々が苦しむ羽目になったのだろうかと思うと、リキヤはどうしても怒りを感じてしまう。今の利益や地位が崩壊し、私腹を肥やせなくなるという理由だけで邪魔をする貴族たちが本当に目障りだ。

 

 だがこれで、彼らを議会から〝消す”口実ができた。裏でこういった妨害工作を行わせ、モリガン・カンパニーの社員たちの命を脅かしたという事実を来週の議会で公表すれば、この一件の主犯格は間違いなく失脚する。

 

「パパ、どうする? 命令すれば私が消すけど」

 

「いや、お前は手を汚さなくていい。それでは奴らがまだ〝楽”をしてしまうからね」

 

 ラウラやリディアを裏で動かして暗殺させれば手っ取り早い。しかしそれでは貴族たちの名誉は守られたままで、ただ単に〝暗殺者に殺された哀れな貴族たち”で終わってしまう。今まで散々邪魔をされたのだから、彼らの名誉をズタズタにしてからあの世に送ってやりたい。

 

 裏切者たちが燃え尽きた溶鉱炉を見下ろしながら、リキヤは貴族たちの名誉を木っ端微塵にしたうえで消すための作戦を考え始めていた。

 

 あのような貴族たちは、今までにかなりの不正やスキャンダルを溜め込んでいる。手元に残っている諜報部隊を動かせば、おそらくすぐにでもそういった情報が集まる筈だ。それを暴露してやればどれだけの貴族が議会から消えるのかは想像がつかないし、おそらく中には死刑になるようなことをしている貴族もいる筈である。

 

 しかし、いくらそういった〝矛”を持つとはいえ、彼1人では少しばかり力不足かもしれない。

 

(カレンに協力を頼むか)

 

 来週の議会までに諜報部隊に情報を集めさせ、なおかつ戦友のカレンの協力を得て貴族たちを一気に叩き落す。

 

 書き上がったシナリオを頭の中に思い浮かべたリキヤは、ニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国の議会には、100人以上の貴族が出席する。まるで劇場のようにも見える議場には豪華な装飾のついた数多の座席がずらりと並び、そこに国中の貴族とその秘書が腰を下ろす。そして「民のことを第一に考える」という割には私腹を肥やすのを促進するような法案ばかり、ここで議論するのだ。

 

 いつもこの会議に出席する女王もその状況にうんざりしているという。正直に言うと、俺もそんな状況にかなりうんざりしている。労働者が苦しんでいる状況を現場で目にしているのだから、その憤りはより一層強い。

 

 しかし、こんな腐敗した議会は今日で終わる。腐りきった貴族たちはこの議席から消え、新たに現実をよく知っている者たちが彼らの後任となるのだ。

 

 そのための一撃を、俺は用意してここへとやってきた。

 

「リキヤ」

 

 議場の中心にあるステージへと上がろうとする俺を、真っ赤なスーツに身を包んだ金髪の女性が呼び止めた。

 

 鋭い蒼い瞳は妻のエミリアを彷彿とさせるが、ややつり上がった目つきはしっかり者であるという雰囲気も放っている。実際にカレンはモリガンのメンバーの中でも、数少ないまともな性格のメンバーなのだ。だからこそこうして父親の後を継ぎ、南方のドルレアン領の領主として腐敗した貴族たちと戦っている。

 

「しっかりね」

 

「ああ、任せろ」

 

 これで彼女の敵が一気に減り、理想の実現に近くなる。

 

 カレンに向かって微笑んでから、俺はステージへと続く階段をゆっくりと上がっていった。

 

 今日は特別に、貴族ではなく平民出身の男がここにきてスピーチをすることになっているというのに、議席に座る奴らはごく一部の貴族しか俺に拍手をくれなかった。俺に味方をしてくれている数少ない貴族たちだ。それ以外の貴族は腕を組みながら、邪魔者である俺に敵意を向けている。

 

「本日はこの議会のステージに上がることを許していただき、誠にありがとうございます」

 

 まずは、簡単な挨拶だ。このステージに上がることを許してもらえたことだけは、本当にありがたいと思っている。だからこそ誠実に挨拶をする。数分後にはこの議席から消えている貴族が一体何人に上るのだろうかという事を想像しながら。

 

「早速ですが、本日は少しばかり貴族の皆様方にお尋ねしたいことがありましてここへとやって参りました。………………ええとですね、まずハロルド侯爵にお尋ねしたいのですが」

 

 いきなり名前を挙げたのは、この議会の貴族たちを率いる、貴族のトップともいえるハロルド侯爵。オルトバルカ王国で最大の権限を持つのは言うまでもなく女王だが、彼の発言力は大きく、さらに味方に付く貴族も多いため、女王でも迂闊に敵に回せないという厄介な男だ。

 

 ただの平民出身の男がいきなりそのトップに狙いを定めたのだから、貴族たちの顔が一気に強張る。もちろん名前を挙げられた侯爵も不機嫌そうな顔をしながら、俺の顔を見下ろしていた。

 

「先週、我が社の輸送部隊が離反しましてね。我が社の兵器を横流ししようとしていたので、身柄を拘束して少しばかり〝尋問”いたしました。すると彼らは、『ハロルド侯爵に雇われた」と口を割ったのですが………………これは事実なのでしょうか?」

 

「知らんな。第一、モリガン・カンパニーはこの世界の工場を支える巨大企業だ。そんな企業を敵に回すわけがあるまい?」

 

「そうだそうだ!」

 

「平民の分際で、ハロルド侯爵に楯突くつもりか!」

 

「静粛に! ………………ハヤカワ殿、続きを」

 

「どうも。………………言うまでもありませんが、我が社の兵器は我が社の社員たちが命を預けるものです。そして社員たちの技術こそ、この世界の工場の動力源。言うなれば我が社の兵器は、彼らにとっての〝命綱”でもあるのです。それを横流しすれば数が合わず、社員たちを危険に晒すことになる。そんなことは許されません。………………侯爵、本当のことを教えていただきたい」

 

 少しばかり威圧感を出しつつ、太り切った老人の顔を睨みつける。立派な紅い服を身に着けた老人が少しだけ怯えるが、すぐに自分の権力の大きさを思い出したのか、すぐに表情を元に戻すと、鼻で笑ってから話し始めた。

 

「だから知らぬと言っている。我らの富を支えてくれる労働者に、そのような仕打ちをするわけがあるまい。そのような仕打ちが許されるのは奴隷だけだ」

 

 本当はそんなことを思っていないくせに。

 

 偉そうに言うあの太った老人を今すぐ撃ち殺したくなったが、ここで耐えればそれよりもつらい運命を与えることができる。そのためにいろいろと用意してきたのだから、もう少し耐えなければ。

 

「なるほど。では、奴隷ならば何をしても許されると仰りたいわけですな?」

 

「そうだ」

 

「分かりました。――――――――では、奴隷でもない人々を奴隷にするような真似は、果たして許されるのでしょうか?」

 

「なに?」

 

「ちょっと失礼。ヘンシェル」

 

「はい、社長」

 

 ステージの下で待っていた秘書のヘンシェルを呼ぶと、彼は大きな茶色い封筒に入った書類と数枚の写真を俺に手渡してくれた。その書類を確認してから、俺は再び話し始める。

 

「昨年の7月、西方の村が謎の武装集団の襲撃で壊滅した事件はご存知ですよね?」

 

「ああ、悲惨な事件だ」

 

「その事件で少しばかり奇妙な事が発覚しましてね。………………半年前に、その村の住民と顔や名前が全く同じ奴隷が、数多く市場で販売されたのだそうです。集計をしてみましたところ、人数も住民と同じく268人。消失した戸籍を復元し、奴隷たちと面会して確認を取ったところ、記録とも一致しました」

 

 ハロルド侯爵の額に、冷や汗が浮かんだ。

 

 よし、これでいい。少しずつ奴の防壁は崩れ落ちている。後はとどめの一撃をぶちかませば、奴は終わりだ。

 

 ヘンシェルから受け取った写真を手元の魔法陣の上に乗せると、ステージの後方に拡大された写真が映し出される。その写真に写っているのは白黒の写真で、燃え上がる村の中で暴れまわる数人の男たちが写っているのだが、その防具の肩には――――――――太陽とドラゴンを組み合わせたような家紋が写っているのが分かる。

 

 貧しい村だからカメラを購入する資金もないだろうと高を括っていたのだろう。しかし、偶然知り合いの商人から古いカメラを譲り受けたという男性がこっそりとその一部始終を撮影し、焼け跡に隠していたのだという。

 

 奴隷たちとの面会でそれが明らかになってからは、諜報部隊にすぐカメラの回収をさせておいて正解だった。

 

「この家紋ですが――――――――ハロルド侯爵の家紋ですよね?」

 

「し…………知らん。その辺のごろつきが真似をしただけだろう」

 

「そう言うと思って、この襲撃に関与した男のうち1人もお呼びしていますよ」

 

「なっ!?」

 

 手招きすると、ステージの下にいたヘンシェルがやせ細った1人の男を連れてきた。写真と比べるとかなり痩せてしまっているが、まだ面影は残っている。

 

「教えてくれ。この襲撃には関与したのかな?」

 

「はい、あの写真に写っているのは私です」

 

 貴族たちがざわつき始める。それを聞きながらニヤリと笑った俺は――――――――ついに、とどめの一撃をぶっ放すためのスイッチを押した。

 

「では、クライアントは?」

 

「――――――――ハロルド侯爵です」

 

「な、なんだと!?」

 

「侯爵がそんなことを!?」

 

「静粛に! ――――――――ハロルド侯爵、これはどういうことですかな?」

 

 ハロルド侯爵を睨みつけながら、俺は問い詰めた。

 

 オルトバルカ王国の法律において、奴隷の売買そのものは違法ではない。しかし、奴隷は敗戦国からの調達か囚人からの調達しか認められておらず、普通の生活を送っているような人々を襲撃して奴隷にする行為は禁止されている。

 

 この写真に写っていた男を探し出して尋問したら、あっさりと教えてくれた。まあ、家族を人質に取っていたのも功を奏したのかもしれないが。

 

「で、でたらめを言うなッ! 私がそんなこと――――――――!」

 

「では、他にも襲撃に関与していた者を呼んでおりますので壇上で証言していただきますかな?」

 

「……………!?」

 

 もう、決着はついた。

 

 ちらりとカレンの方を見てウインクすると、彼女は口をぽかんと開けたままこっちを見ていた。予めこうやって奴らを失脚させるという事は話していたけど、どうやら予想以上の結果だったことに驚いているらしい。

 

 だが、俺の目的なあんな他愛もない老人の失脚だけではない。この場にいるすべての腐敗した貴族を排除することにある。

 

「―――――――ちなみに、このようなスキャンダルが発覚したのはハロルド侯爵だけではありませんぞ。ここにいる大半の貴族のスキャンダルの証拠を用意してきましたので、皆様には覚悟していただきましょう」

 

 さあ、大粛清の始まりだ――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 議場に残ったのは、ごくわずかな貴族だけだった。先ほどまで議席に腰を下ろしていた貴族の大半はスキャンダルをここで暴露されてことごとく失脚したし、中にはその場で女王に死刑を言い渡された貴族もいる。

 

 あとは俺の息のかかった議員たちを、あの議席に座らせてやるだけでいい。これでかなり計画を進めやすくなるだろうし、この国も民主主義に近くなる。

 

 軍事力ではモリガン・カンパニーがトップ。そして議会もこちらが手中に収める。もう実力行使でも、言論でも俺たちを邪魔できる貴族はいない。もちろん独裁政治を始めるわけではない。この国を民主主義に近づけるだけだ。

 

 貴族の大半が消えた議場を見渡していると、役目を終えた資料の入った封筒を抱えたヘンシェルが、俺の顔を見上げていた。

 

 国を支配していた貴族たちをことごとく消し、この大国を掌握しつつある魔王の存在を恐れているのだろうか?

 

「同志」

 

「なんだ?」

 

「……………あなたは、何者なのですか?」

 

 労働者たちの立場が、モリガン・カンパニーの存在で大きく変わった。ヘンシェルもそれで変わった男の1人である。

 

 俺はただ、彼らのために力を振るっただけだ。立ち塞がった敵を蹂躙し、彼らを脅かす敵を粛正して道を確保しただけだ。

 

「そうだな」

 

 だから俺は、魔王でいい。

 

 同志(お前たち)は、俺が導く。

 

 だからついてこい。

 

 そう思いながら、俺は微笑んだ。

 

「――――――――ただの魔王(スターリン)だよ」

 

 

 



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ラウラが戻ってくるとこうなる

 

 

 凍てついた鮮血と、床に転がる薬莢。先ほどまでこの建物の中を満たしていた怒声や銃声は、もう聞こえない。

 

 それらを終わらせたのは私。そしてここにいた人々を、ただ床に転がるだけの数多の死体に変えたのも、私だった。SMG(サブマシンガン)で抵抗する騎士たちを薙ぎ払い、防具もろとも氷漬けにして、横流しされたAK-12を回収。そして解析するために用意されたと思われる機材や書類をすべて処分した後は、生き残った技術者の始末を行った。建物の出入り口や窓を全て氷で覆い、彼らの逃げ場を奪ってから、逃げ回ったり必死に命乞いをする彼らの眉間に照準を合わせ、丁寧にハンドガンで撃ち抜いて行っただけ。

 

 別に罪悪感は感じなかった。だってこれはパパからの命令だし、こいつらはモリガン・カンパニーの兵士に行き渡る筈だったAK-12を奪い去ろうとしたクソ野郎たちだったから。

 

 小さい頃から何度も聞かされた。人間の命は重い。けれども人々を虐げるクソ野郎の命は軽い。だから殺しても構わない。なぜならばクソ野郎は、平和な世界を蝕む邪魔者でしかないのだから。

 

 殺さないで、と命乞いをする瘦せ細った技術者の眉間をCz75SP-01で撃ち抜き、近くに転がっていたナイフで抵抗した者は、それを受け流してから喉元に銃剣を突き立ててあげた。

 

 呻き声はもう聞こえない。念のためエコーロケーションで索敵するけど、建物の中に転がっているのは死体だけ。

 

 猛烈な血の臭いのする空気を吸い込み、ため息をつく。

 

「こちらアルファ1。目標を殲滅した」

 

『了解です、同志。こちらもヘリへの積み込みが完了しました』

 

「了解(ダー)」

 

 窓を覆っていた氷を解除して外を見てみると、そこにはいつの間にか巨大なヘリのMi-26が居座っていて、後部にあるハッチの中へと大きなコンテナを積み込み終えたところだった。

 

 あのコンテナの中身は、バカな貴族が横流しして手に入れようとした約100丁のAK-12。しかもより大口径で殺傷力の高い7.62mm弾を使用するように改造された代物。幸い解析や分解はまだ行われていなかったらしく、この世界には存在することのない異世界の武器は無傷のまま、本来届くはずだった持ち主の所へと送り届けられる。

 

 それにしても、数多くの兵士たちに行き渡るほどのライフルをあっさりと用意できるパパは本当にすごいと思う。テンプル騎士団は人数不足だからタクヤでも装備を充実させられるけど、こんな世界規模の企業に所属する1人1人を容易く武装させ、辺境の前哨基地にまで最新式の装備を送れるほどの量のポイントを持つパパを見ていると、私たちとかなり大きな差があることを実感してしまう。

 

 窓から私が見下ろしていることに気付いたのか、まだ若い兵士が私に向かって手を振っているのが見えた。モリガン・カンパニーの制服に身を包み、頭の上には真っ黒なウシャンカを被っているその兵士に手を振ると、彼は少しだけ顔を赤くしながら笑ってくれた。

 

 さて、私もそろそろ戻らないと。

 

 窓から飛び降りると、すぐ傍らに督戦隊の兵士がやってきた。右手にはお酒の瓶を持っているみたいだけど、その中に入っている液体は少しばかりどろりとしているようだし、栓の代わりに燃えやすい紙が詰め込まれていたから、私はそれが火炎瓶であることをすぐに見破った。

 

「さあ、同志。仕上げです」

 

「マッチをちょうだい」

 

「はい、同志」

 

 もらったマッチで火をつけ、それを受け取った火炎瓶に点火した私は、後ろでいまだに氷漬けになっている建物を振り返った。

 

 貴族が所有する研究施設だったこの建物であんな虐殺が起こったという証拠を消すための仕上げをしなければならない。いくら社員に行き渡る筈だったライフルを横流しされたことの報復と、奪還と機密保持のためとはいえ、こんな虐殺のような真似が公になればパパも失脚する恐れがある。

 

 だから火災に見せかけ、この一件をもみ消さなければならない。どうせパパの息のかかった議員が議会に送り込まれるからそこでももみ消すことはできる筈だけどね。

 

 こういう汚れ仕事をするのも、私への罰。

 

 表情を変えないまま、私は火炎瓶を建物へと投げつけた。窓ガラスの向こうで真っ赤な光が一気に広がったかと思うと、それが柱や壁に燃え移って徐々に広がっていき、やがて建物を覆っていた氷が溶けていく。

 

 溶けた氷が炎を抑え込もうとするけれど、たかが氷の残滓で炎の進撃を止めることはもう不可能だった。建物はもう既に火の海と化し、まだ建物の中に残っていた全く関係ない資料や、弾丸で貫かれた死体を処理していく。

 

 火の粉の中で踵を返した私は、督戦隊の兵士に「行きましょう」と言ってから、近くに着陸している督戦隊のカサートカへと向かった。

 

 兵員室のドアを開けると、中でリディアちゃんとパパが待っていた。燃え上がる建物を見つめながら満足そうな表情を浮かべるパパと、無表情のまま佇むリディアちゃん。2人に向かって頷いてから兵員室の椅子に腰を下ろした私は、ため息をついてから報告した。

 

「終わったわ」

 

「ご苦労だった、ラウラ。さすが俺たちの娘だ」

 

 今回は簡単な仕事だった。相変わらず汚れ仕事だったけど、転生者が相手じゃなかったから楽だったわ。

 

「お前には十分頑張ってもらった。そろそろテンプル騎士団に復帰してもいいだろう」

 

「……………本当?」

 

「ああ。……………おい、済まないがカルガニスタンまで飛んでもらえるか?」

 

「はい、同志。喜んで」

 

 操縦士に命令したパパは、私の顔を見つめながら微笑んでくれた。

 

 やっと、私の贖罪が終わった。これからは前までのように、またあの子の隣にいる事ができると思った瞬間、飛び立ったヘリの下でまだ燃えていた建物が崩落し始めた。

 

「汚れ仕事ばかりやらせてすまなかった」

 

「いえ、私だって……………関係ない人を殺してしまったんだから、当然よ」

 

「同じことはするなよ、ラウラ」

 

「うん、パパ」

 

 もう、同じことは繰り返さない。

 

 私たちの技術は人々を苦しめるクソ野郎を始末するためにある。だからその矛先を向けるべきなのは、人々を虐げるクソ野郎だけ。

 

 迷惑をかけてごめんね、タクヤ。

 

 きっとあの子は、タンプル搭で待っててくれている。だからまず彼の元に戻ったら迷惑をかけてしまったことを謝らないと。そして許してくれたら、思い切り抱きしめてあげよう。私もずっと1人で寂しかったし。

 

 カサートカが進路を変え、北へと飛んでいく。シベリスブルク山脈を超えればカルガニスタンの砂漠が広がっているから、まずはあの雪山を超える必要がある。

 

 スオミの里は見えるかな? そう思いながら、私は燃え上がる建物を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の下に見える光景が雪山から砂漠に変わり、機内の気温も高くなる。けれども私は氷を自由に操ることができるから、身体から少しだけ冷気を放射するだけですぐに機内は涼しくなった。

 

 あの子の顔を思い浮かべるだけでワクワクする。タクヤと離れ離れになっちゃったのは確か1ヵ月くらい前かな? 前まではあの子と一緒に寝るのが当たり前だったんだけど、懲罰部隊に入ってからは独房で1人で眠るか、移動中のヘリの中で寝るのが当たり前だったから、これからはまたあの子に甘えながら眠ることができると思うと、なおさらワクワクしてしまう。

 

 いつの間にか、ミニスカートの中から伸びていた尻尾が左右に揺れていた。タクヤが言ってたんだけど、どうやら私は満足している時やワクワクしている時は、無意識のうちにこうやってキメラの尻尾を左右に振っちゃう癖があるみたい。でも、タクヤも同じ癖があるのよね。あの子は気付いてるかしら?

 

「見えました、同志。タンプル搭です」

 

「!」

 

 やがて、砂漠の中に屹立する大きな岩山が見えてきた。傍から見ればただの岩山にしか見えないけれど、上から見れば中心に大きな穴が開き、渓谷を思わせる3本の巨大な亀裂が中心部に向かって伸びている。そしてその中心部にはテンプル騎士団の本部があり、まるで塔を彷彿とさせる巨大な要塞砲がずらりと並んでいる。

 

 その要塞砲が塔に見えるからタンプル搭って呼ばれてるから、厳密に言えばあそこは〝塔”ではない。

 

『こちらタンプル搭管制室。着陸を許可する』

 

「了解(ダー)、感謝する(スパシーバ)

 

 督戦隊のカサートカが高度を落とし始めるにつれ、タンプル搭の様子が鮮明に見えてきた。私がいなくなる前よりも発展したのか、督戦隊に入る前には見当たらなかったゲートのようなものも増設されているようだし、ヘリポートの周囲で私のことを待ってくれている人たちの人数も増えているように見える。

 

 私がいなくても、タクヤは頑張ってたんだね。

 

 ヘリポートの周囲で待ってくれている仲間たちの中を見渡してみると――――――――見覚えのあるコートに身を包んだ蒼い髪の子が、こっちに向かって手を振っているのが見えた。髪型は相変わらずポニーテールで、隣に立っている男性の兵士と比べると体つきは遥かに華奢に見える。私腹を身に着けていれば女の子にしか見えないような容姿の子を見た瞬間、私は泣きそうになった。

 

「タクヤ……………!」

 

 本当に待っててくれたんだ……………!

 

 あんなに迷惑をかけてしまったのに、お姉ちゃんのことを本当に待ってくれてた!

 

 兵員室の中にいるパパやリディアちゃんにバレないように、こっそりとハンカチで涙を拭い去る。泣いてるところを見られたら恥ずかしいし、タクヤを心配させちゃうかもしれないからね。

 

 やがて、カサートカがヘリポートへと降り立った。タンプル搭のヘリポートはエレベーターも兼ねていて、着陸した機体はすぐに地下の格納庫へと格納されることになっているんだけど、今回は私を下ろすだけだからわざわざ地下には格納しないのかな。

 

 兵員室のドアを開けると、見覚えのある仲間たちと私がいない間に加入した仲間たちが、私を出迎えてくれた。

 

「教官、おかえりなさい!」

 

「遅かったな、ラウラ!」

 

「おかえり、お嬢ちゃん!」

 

「みんな……………!」

 

「ほら、団長がお待ちかねだぜ」

 

 ムジャヒディンに所属していたハーフエルフの兵士に肩を押されながら、私は待ってくれていた仲間たちに挨拶しながら奥へと進んでいく。

 

 そして、その先に――――――――私の大切な弟がいた。

 

「あ……………」

 

 ずっと会いたかった、大切な弟。そして私が惚れてしまった子。

 

 今まで私の隣にいてくれた大切な人が――――――――本当に、私のことを待っていてくれていた。

 

「―――――おかえり、お姉ちゃん」

 

「タクヤ……………!」

 

 必死に我慢しようとしたんだけど、いつの間にか私の目の周りは涙で濡れていた。みんなの前で泣かないように我慢していたのに、耐えられなかった。

 

 でもこの涙は、悲しいから流しているわけじゃない。

 

 またこの子と一緒にいられることが嬉しいから。

 

 だから私は――――――――久しぶりに、タクヤの胸に思い切り飛び込んでいた。

 

「――――――――うん、ただいまっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラウラは懲罰部隊に配属された後、ひたすら汚れ仕事や転生者の討伐を繰り返していたのだという。言うまでもないが、いくら戦闘訓練を積んだキメラとはいえ、転生者と戦うのは非常に危険だ。魔物の遺伝子によって強化されているために身体能力は高いが、転生者はステータスによってさらに強化されている。だから非常に危険な相手だ。

 

 しかしラウラはそんな転生者の討伐を当たり前のようにこなす毎日を送っていたという。諜報部隊から転生者を発見したという報告を受ければすぐに出撃し、得意の狙撃で暗殺してから本社の独房に戻り、1人っきりでの生活を繰り返していたらしい。

 

 そのため彼女の戦果は瞬く間に若い頃の親父の戦果を上回ってしまったって督戦隊の隊員から聞いたけど、それはちょっと信じられない。なぜならば親父は「転生者の天敵」と呼ばれるほどの実力者だし、あの男はこの異世界の転生者たちを絶滅寸前にまで追い詰めたのだ。いくら転生者の人数が多いとはいえ、ラウラがその戦果をたった1ヵ月で追い抜いたというのは信じられないけど………………でも、その転生者の天敵の遺伝子を受け継いでいるんだし、考えられないことでもないな。

 

 彼女がテンプル騎士団からいなくなっている間にメンバーも増えたし、設備も増設されていた。だからラウラが戻ってきてから俺は、新しく追加された設備を案内していた。

 

 やっぱり地下に飛行場を作った事にはかなり驚いていたよ。普通は地上に滑走路を作る筈なんだけど、タンプル搭は要塞砲もあるし、防壁の外に作ったら魔物の襲撃に晒されるからな。

 

 新しいメンバーの紹介を終えて部屋の中へと戻ってくると、ラウラは息を吐きながら微笑んだ。

 

「ふにゃあ…………あまり変わってないね」

 

「まあね」

 

「ふにゅ?」

 

「ん? どうしたの?」

 

「ねえ、あの棺桶は何?」

 

「えっ?」

 

 ラウラが指差したのは、彼女がいなくなる前にはなかったイリナの棺桶だった。

 

 俺のベッドの隣に鎮座する棺桶は、イリナが眠るのに使っている棺桶である。どうやら吸血鬼たちの中ではあのような棺桶の中にシーツや枕を持ち込んで眠るのが流行っているらしく、あの蓋の中を開けてみると可愛らしいピンク色の毛布や枕が置いてあるはずだ。

 

「え、ええと、イリナの私物だ」

 

「えっ? 何で?」

 

「ええと、吸血鬼はああいう棺桶の中で寝るんだって」

 

「へえ、そうなんだ。…………………ふにゅ? ということは、タクヤはイリナちゃんと一緒に寝てたの?」

 

 あっ。

 

 や、ヤバい! 1ヵ月も離れ離れになっていたからすっかり忘れてたけど、このお姉ちゃんは普通のお姉ちゃんじゃなくてヤンデレのお姉ちゃんだった…………………!

 

 うわ、どうしよう。せっかく帰ってきたばかりなのに下手したらまた懲罰部隊に逆戻りしかねないぞ……………。も、もしナイフを持って暴れ始めたら今度こそ俺が責任を取って止めないと!

 

 そう思って彼女を止める準備をしつつ言い訳を考えていると、ラウラが微笑み始めた。

 

「ふふふっ。タクヤはちゃんとみんなと仲良くしてたんだね♪」

 

「えっ?」

 

 そう言いながら微笑んだラウラが、俺を抱きしめながら頭を優しく撫で始めた。

 

 あれ? 前までだったらここで目が虚ろになって色々と問い詰められていた筈なのに、逆に褒められちまったぞ? どういうこと?

 

 まさか、ヤンデレじゃなくなっちゃったのかな?

 

「………………ごめんね、タクヤ。お姉ちゃんなのに迷惑かけちゃって」

 

「気にするなよ。今度はあんなことにならないように、俺もちゃんとサポートするからさ」

 

「………………本当に、ごめんなさい」

 

 もう謝らなくていいんだよ、お姉ちゃん。それを償うために懲罰部隊で戦ってきたんだろ?

 

 あのレナの一件は、俺にも責任がある。いつもラウラの隣にいたのに彼女を止めることができなかったのだから。もしあの時ラウラと一緒に買い物に行っていればレナを殺すのを止められたかもしれないし、ラウラならそういうすることをする可能性があったのにもかかわらず放置していたのだから。

 

 だから今度こそは、俺がお姉ちゃんをしっかりと見守る。

 

 もう二度と、離れないように。

 

 ラウラをぎゅっと抱きしめてから、俺は彼女の唇を奪った。1ヵ月も離れ離れになっていたのだから、こうして最愛のお姉ちゃんとキスをするのは久しぶりだった。舌を絡ませながら彼女を抱きしめていると、ラウラの柔らかい尻尾が俺の身体に巻き付き始めた。

 

 この癖はどうやら変わっていないらしい。こうやってキスをしている時に、ラウラは必ず俺が逃げられないようにと尻尾を巻きつけてくるのだ。こういうことをしている最中に逃げる男はいないと思うんだが、信用されてないんだろうか。

 

「愛してるよ、お姉ちゃん」

 

「私も愛してる」

 

 それに、彼女をお嫁さんにもらうって約束しちゃったしな。

 

 とりあえず結婚するのは成人になってからだな。子供を作るのも、個人的には結婚した後の方が望ましい。

 

「ふふふっ………………こうやってキスするのって、1ヵ月ぶりだね」

 

「そうだね。久しぶりだ」

 

「寂しかった?」

 

「当たり前じゃん。可愛いお姉ちゃんと離れ離れになっちゃったんだから」

 

 ラウラがいなくなったばかりの頃は、離れ離れになったせいでかなり落ち込んだからな。おかげで射撃訓練の命中精度がかなり酷いことになったし、1人しかいないのに夕飯を2人分作ってしまったことがあった。それに、部屋のドアを開ければお姉ちゃんが待っているんじゃないかと期待してしまった回数も少なくはない。

 

 彼女は俺にとって、それほど大きな存在なんだ。だから今度は絶対に離さない。

 

 近くにあったソファに腰を下ろすと、すぐに彼女がのしかかってきた。わざとらしく制服の上着のボタンを外し、大きな胸を揺らしながら微笑む。

 

 まさに、超弩級戦艦ラウラだな。

 

 それにしても、旅に出たばかりの頃はピンクと白の縞々模様だったのに、今はもう黒い下着を身に着けてるのか。

 

「おいおい、帰ってきたばかりだろ?」

 

「いいじゃん。お姉ちゃんはね、久しぶりにタクヤにいっぱい甘えたいのっ♪」

 

 ぺろりと俺の頬を舐めてから、彼女は小さな声で言った。

 

「それに、イリナちゃんは偵察に行ったんでしょ?」

 

「あ、ああ」

 

 イリナは今、バイクに乗って仲間たちと共に偵察に行っている。彼女以外にこの部屋で寝泊まりしている仲間はいないし、イリナが戻ってくるのは多分明日の朝だろう。

 

 つまり、この部屋にいるのは俺とラウラだけということである。

 

「ふふふっ。ねえ、甘えてもいいでしょ?」

 

「まったく……………」

 

 コートのポケットの中から、前に母さんから貰った薬を取り出していくつか飲み込んでから、俺は両手を広げた。

 

「―――――――か、かっ、かかって来い………………!」

 

 そう言った直後、俺は久しぶりにお姉ちゃんに襲われる羽目になった。

 

 

 

 




今更ですが、ラウラがレナを殺した後にタクヤにビンタされるシーンは、こうなる一部でリキヤがエリスをビンタしたシーンを意識しました(笑)
エリス系列のヒロインはどうやら主人公にビンタされやすい体質みたいですね。


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海上戦力を決めるとこうなる

 

 

 テンプル騎士団の規模は、段々と大きくなりつつある。

 

 偵察部隊の活躍によって移送されている奴隷たちを次々に救出しているうちに、いつの間にかこのタンプル搭は、人々に虐げられていた奴隷たちにとっての、ちょっとした楽園のようになっている。居住区を歩いていれば奴隷だった痩せ細った人たちが俺たちの仲間に笑顔で迎えられ、ちゃんとした食事をしている姿を見ることができる。廊下では小さい子供たちが大笑いしながら走り回り、工房ではドワーフの職人に弟子入りした様々な種族の人たちが汗を流しながら仕事をしている。

 

 もちろん、その分彼らに支払う給料も増えた。でもそれは増加した志願兵たちに冒険者の資格を取らせ、訓練を兼ねてダンジョンの調査をさせることによって、何とか対処している。現時点では志願兵を含めると、タンプル搭にいる兵士の人数は483名。兵士たちの家族や非戦闘員を含めれば、人数はその倍以上となる。

 

 いくら優秀なドワーフの職人たちが、施設の拡張と並行して居住区を拡張しているとはいえ、さすがにこのままタンプル搭の設備を拡張して対応するのには限界がある。ここは地上に設備を作るわけにはいかないため、拡張するとすれば地下に新しく作らなければならないわけだけど、いたずらに穴を掘り続けていれば地盤の強度にも影響が出るし、内部の構造が複雑になってしまうという欠点がある。

 

 自分たちにとっては故郷ともいえる拠点で迷子になったら洒落にならない。だからと言って奴隷たちや虐げられている人々の受け入れをやめれば、テンプル騎士団の目的に反することになる。俺たちの目的は虐げられている人々の救済。どのような事情があっても、「見て見ぬふり」だけは絶対に許されない。

 

「はぁ……………」

 

 集計係から送られてきた書類を見つめながら、俺はため息をついていた。偵察部隊がまた移送中の奴隷を救出し、更にその取引先の貴族の元から一気に80人も奴隷を救出してきたという。先陣を切ったのは例の鉄パイプ野郎で、最終的に救出した奴隷の人数は120人。その中から兵士に志願してくれた志願兵の人数は半分以上の70人だ。

 

 またシルヴィアたちに畑の拡張をお願いしなければならないし、彼らの分の制服も用意しなければならない。そして彼らに使わせる武器も用意し、更に冒険者の資格も取らせたうえで基礎体力を上げるための訓練や射撃訓練も行わせる必要があるし、ダンジョンの中でも食料を調達できるようにサバイバルの訓練もやらせる必要がある。

 

 同志が増えてくれるのは喜ばしいことだけど、やはり彼らの育成には手間がかかるし、居住区の拡張には限度がある。

 

「どうしよう」

 

「ふにゅー……………仲間がいっぱいいるのはいいんだけどね」

 

 俺の後ろから抱き着きながら書類を見下ろすラウラの頬を撫でながら、俺は再びため息をついた。

 

「いっそのこと、タンプル搭の近くに前哨基地みたいな小規模な拠点を作ったら?」

 

 部屋に遊びに来ていたナタリアが、テーブルの上に置かれている車輪のような形をした大きめのパンを興味深そうに見つめながらそう言った。

 

 前哨基地か……………。確かに、敵がタンプル搭へと進行してきた際にいきなりここで防衛戦を展開するのではなく、周囲にある前哨基地と連携して防衛ラインを形成した方が戦術的にも優位に立てる。それにそちらにも居住区を作って兵士たちを駐留させれば、本格的な前哨基地として機能するだろう。

 

 そこにレーダーサイトを設置すれば、タンプル搭や他の拠点との連携も取りやすくなる。特にレーダーを設置することによる索敵能力の強化は、タンプル搭の要塞砲をより運用しやすくなるから魅力的だ。

 

 でも、もちろん問題もある。

 

 まず、前哨基地を作るために人材を分散させることになるという点だ。防衛のために兵士たちを展開させておいても、もし仮に大量の魔物や転生者からの襲撃を受ければひとたまりもないし、前哨基地へと送られることになった兵士や非戦闘員が、「安全なタンプル搭から放り出された」と勘違いして反発しないかどうか心配である。

 

 それに、前哨基地を建設できそうな場所も考えなければならない。あまり近過ぎれば意味はないし、遠過ぎれば連携が取りにくくなる。

 

「でも、問題は多いぞ。そこに派遣される仲間たちが反発しないか心配だし、それに前哨基地を建設できる場所はあるのか?」

 

 するとナタリアは、先ほどまで興味深そうに見つめていた車輪のような形状のパンを皿の上に置くと、こっちを見ながらニヤリと笑った。どうやら彼女は、俺がこういう質問をすることをもう想定していたらしい。

 

「安心して。偵察部隊に命令して、前哨基地が建設できそうな場所を確認してもらっているから」

 

「さすがだな」

 

 もう既に人数が増える事と、前哨基地のような小規模な拠点を作る必要性を考慮して、ナタリアはもう既に手を打っていたのだろう。

 

 彼女はテーブルの上にある地図を拾い上げると、鉛筆をポケットの中から取り出し、地図にいくつか印をつけ始めた。1つ目はタンプル搭の周囲の岩山の中へと流れている河の上流。2つ目は南方にあるオアシスだ。ここは昔はダンジョンだったらしいが、冒険者たちの活躍で指定が解除されてる場所である。3つ目は西にある洞窟が多い岩山で、4つ目は以前に壊滅させたフランセン共和国騎士団の駐屯地があった場所のようだ。

 

 4つ目の場所は、要塞砲の砲撃で木っ端微塵に吹っ飛んだはずだ。だから再利用できそうな建物は残っていないし、資源も偵察部隊がほとんど回収してしまったから何も残っていない場所である。他の場所ならば、まだ選んだ理由は分かる。河の上流にはちょっとした山岳地帯があり、砂漠の中だというのに草原があるから食物の栽培に向いている。それに河にダムでも作れば、洪水で建設予定の軍港が水没するのを防ぐことができるだろう。オアシスの中は木々がいくつも生えているため設備を隠すにはうってつけだし、岩山ならばタンプル搭の設備と似通ったものが使える筈だ。

 

「駐屯地の跡地は何で選んだんだ?」

 

「ここしかなかったのよ。東西南北に隙ができないように前哨基地を建設するには、妥協せざるを得なかったの」

 

「ふむ……………」

 

 他の場所ならば地形を利用できるけど、さすがにこの駐屯地の跡地はそうはいかない。周囲には何もない砂漠が広がっているだけだし、場合によっては魔物に襲撃される可能性もある。それにオアシスや洞窟のように設備を隠すことも期待できない。

 

 ここは防壁で周囲を囲んで、ちょっとした城郭都市みたいな感じにするべきだろうか。地形を利用できない以上、小細工はせずにがっちりとした要塞にした方が安全性が高いだろう。

 

「ふにゅう…………それで、前哨基地まではどうやって行き来するの? やっぱりヘリ?」

 

「うーん…………大量に物資を輸送する場合は陸路が望ましいな」

 

 大型のトラックとか、列車ならば物資を大量に輸送できるだろう。列車はレールを敷く手間がかかってしまうけど、もしそれの用意ができれば、重厚な装甲と強烈な武装をいくつも搭載した『装甲列車』も運用できるようになる。

 

 武装した装甲列車は強力な兵器として活躍したんだけど、近年では戦車が発達して陸上戦力の主役となったことや、列車である以上はレールがなければまともに運用できないという欠点があるため、最近ではあまり運用されていない。

 

 けれどもその火力は魔物が生息する砂漠を進軍する際には頼りになるのは確実だ。これの運用も検討しておかないとな。レールの用意はやっぱりドワーフの職人たちに頼むことになりそうだけど、それは居住区の拡張を一旦停止してもらえば何とかなる筈だ。

 

「ひとまず、前哨基地については他の仲間と話してみるよ」

 

「ええ、お願い」

 

 この件は、他の仲間にもちゃんと話しておかなければならない。タンプル搭から放り出されたと案違いされて反乱が起きたら洒落にならないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるでそこは、地底湖のような場所だった。

 

 重厚な岩盤で囲まれた空間に溜まった綺麗な水が、作業用の照明の光を反射して頭上の真っ黒な岩の天井を照らし出している。傍から見れば本当に地底湖のように見えてしまう場所だけれど、よく見ると美しい水面は常に波打っていて、水底へと伸びるポンプの配管に寸断されてから、俺から見て右側へと流れている。

 

 そう、ここには〝流れ”がある。

 

 ここは地底湖などではない。まるで巨大な湖をいくつも横に並べてそのままつなげてしまったようにも見えるこれは、カルガニスタンの砂漠を流れる河の一部に過ぎないのだ。その河がタンプル搭を取り囲む岩山の中を流れていて、しかも大型の軍艦を停泊させたり、潜水艦を潜航させたまま航行させられるほどの面積と水深があるため、俺はドワーフの職人たちに依頼してここを拡張し、軍港として利用できるように改造してもらっていた。

 

 上流へ進むのは軍艦では無理だけど、下流へとそのまま進めばヴリシア帝国へと続く『ウィルバー海峡』へと行きつく。帰還する場合は再び河を上ってここまで戻ればいい。

 

 頭上は分厚い岩盤に守られており、軍港の出入り口は巨大な洞窟のようになっているため、軍艦を隠すにはうってつけだ。しかも頭上の岩盤が敵の攻撃から虎の子の艦隊を守ってくれる。貫通力に優れるバンカーバスターや核爆弾でも落とされない限り、この軍港はびくともしないだろう。

 

 今はまだ停泊している船はなく、タンプル搭のあらゆる場所へと水を供給するポンプの配管が水の中へと伸びているだけだ。

 

 これから俺たちが進撃することになるヴリシア帝国は島国である。だからそこまで行くには航空機や船を使わなければならないわけだからここからすぐにウィルバー海峡に駆逐艦や巡洋艦を展開できるのは非常に大きな利点といえる。

 

 ただし、海上戦力を揃えるには大きな問題もある。

 

 まず、乗組員の問題だ。人数が増えてきたとはいえ、艦隊を戦力にするならば今のテンプル騎士団のメンバーを全員乗組員にしたとしても全然足りない。まあ、これは駆逐艦や空母を生産した際にあらゆる箇所を自動化して乗組員を削減すれば解消できる問題なんだが、今度はその改造に使うポイントや、駆逐艦を生産するのに使う大量のポイントが問題になる。

 

 戦闘ヘリならば4300ポイントくらいで生産できるし、戦車なら5000ポイント前後で生産できる。しかし駆逐艦や空母のような大型の兵器は10000ポイントを超えるのは当たり前で、更に自動化や近代化改修などに使うポイントも考慮すると、下手をすれば俺が今まで貯めたポイントを全て使い果たしてしまいかねないほどのポイントを使うのだ。

 

 なので、艦隊といってもおそらく規模は小さくなるだろう。駆逐艦が数隻と巡洋艦が1隻か2隻くらいの規模になりそうだ。

 

 ポイントを節約する方法は、魔物や敵からのドロップに頼る方法がある。けれどもこの方法は非常に不確定で、欲しい武器や兵器がなかなかドロップしないことがある。幸い武器を生産できる画面で、その武器がどんな敵からドロップするのかという情報は記載されているんだけど、確実にドロップするわけではないので、運がよくない限りこの方法を活用して戦力を整えるのは難しい。

 

 うーん、どうしよう。レベル上げでもしながらドロップを狙うべきだろうか。

 

 島国への侵攻作戦をするならば、やはり海上戦力は必須だ。航空機よりも火力があるし、持久力もこちらの方がはるかに上だ。それに空母を運用することができれば敵の拠点への航空攻撃を行うこともできるんだが、空母を生産するのに必要なポイントは50000を超えるのが当たり前なので、今の俺がそんな代物を作っちゃったら空母1隻以外は何も作れなくなってしまうかもしれない。

 

 ちなみにモリガン・カンパニーと李風さんが率いる殲虎公司(ジェンフーコンスー)も海上戦力を数多く保有しているんだけど、俺たちが乗組員とポイント不足で苦しんでいるのに対し、親父たちは『軍艦が多すぎるせいで、停泊させられる軍港が少ない』というのが悩みらしい。

 

 ねえ、何それ。俺たちにも駆逐艦を分けてほしいんですけど。

 

 親父たちの戦法は、その圧倒的な物量を生かした『飽和攻撃』と呼ばれる戦法である。

 

 飽和攻撃とは、無数の味方と共に、敵に向かってひたすら大量の攻撃を叩き込み続ける戦法のことだ。圧倒的な物量を持つモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍だからこそできる戦法で、それらの大量の駆逐艦から矢継ぎ早にぶっ放される無数の対艦ミサイルを全て迎撃するのは不可能と言われている。

 

 きっと今度の作戦でも、親父はその飽和攻撃をフル活用するだろう。しかも親父たちの艦隊は物量だけでなく、〝質”まで兼ね備えている。

 

 それに対して俺たちは、そんな飽和攻撃を実行できるほどの物量がない。だからこそ軍拡を急ぎつつ、経験を積んでいかなければならないのだ。

 

 とはいえ、海軍を編成したとしても肝心な経験が浅いから、ヴリシア侵攻作戦では十中八九足を引っ張ることになってしまうだろう。今のうちにトレーニングモードで駆逐艦や巡洋艦の運用方法や操艦の方法を訓練しておいた方がいいかもしれない。

 

 とりあえず、海上戦力は何にしようかな。やっぱりロシアの船にしようかな?

 

 そう思いながらメニュー画面を開き、生産のメニューの中から兵器を選択し、更に姿を現したメニューの中から『海上戦力』をタッチする。親父たちのような転生者は端末を使うけど、俺はこのように立体映像みたいに目の前に投影される方式が気に入ってるんだよね。なんだかSFみたいだ。

 

 というわけでまずは駆逐艦から決めよう。真っ先に第二次世界大戦で使われていた旧式の駆逐艦がずらりと並んだけれど、対艦ミサイルによる飽和攻撃が前提の海戦に旧式の駆逐艦で突っ込めば、攻撃どころか迎撃すらできないまま撃沈されるのが関の山なのでこれらはダメだ。せめて対艦ミサイルを搭載した駆逐艦で、できる限り最新型の物が理想的だ。

 

「うわ、こんなに使うのかよ……………」

 

 アメリカ軍で採用されている『アーレイ・バーク級』という駆逐艦に使うポイントを目にした瞬間、俺は我が目を疑った。高性能なレーダーや、『イージスシステム』と呼ばれるシステムを搭載した恩恵でほぼ確実にミサイルや戦闘機を迎撃できるほどの性能を持つ優秀な駆逐艦なんだけど、生産するのに必要なポイントは28000ポイント。他の駆逐艦ですら12000ポイントで済むのに、これは少し高すぎる。

 

 できるならば駆逐艦は最低でも3隻ほどは運用したので、可能な限りコストが低く、なおかつ性能もそれなりに高いものがベストだ。性能が高すぎる代わりにポイントまで高すぎて、数を揃えることができなければ話にならない。

 

 とりあえず、アーレイ・バーク級は俺のレベルがもう少し上がるまで我慢しよう…………。

 

 あ、そうだ。ロシアの船を探さないと。

 

「おお」

 

 画面を下へと進めていくと、ロシアの駆逐艦が何種類かずらりと並んでいた。アメリカの駆逐艦と比べるとポイントは低めで、その代わり性能も少し低くなっているけれど、そこは数を揃えて補えば問題ないだろう。

 

 というわけで、早速駆逐艦を選び始める。まず最初にタッチしたのは、ソ連で開発された『ソヴレメンヌイ級』と呼ばれる駆逐艦だ。艦橋の両脇に対艦ミサイルを装填した大型のボックス型ミサイルランチャーを搭載しているのが特徴で、更に主砲は130mm連装砲。戦車砲よりもやや大型だけれど、基本的に最近の海戦ではミサイルが主な攻撃となっており、こういった主砲はミサイルや戦闘機の迎撃に使用されることがほとんどだ。

 

 イージスシステムは搭載していないし、さすがにアーレイ・バーク級には劣ってしまうけれど、生産に使うポイントが14100ポイントとなっているので、こちらの方が数を揃えやすそうだ。

 

 ただし攻撃力は優秀だけど、水中の敵に対する攻撃力はかなり低い。なのでこのソヴレメンヌイ級だけで艦隊を編成すれば、水上の敵に対して猛烈な攻撃を叩き込めても、水中から襲い掛かってくる敵には極めて貧弱になるというわけだ。

 

 そこで、対潜攻撃に優れた駆逐艦をもう1隻用意しておくことにする。もちろんこちらもソ連製だ。

 

 俺が選んだのは、『ウダロイ級』と呼ばれるソ連の駆逐艦である。ソヴレメンヌイ級に形状が似ており、こちらも艦橋の両脇に大型のボックス型ミサイルランチャーを搭載しているけれど、ウダロイ級が主砲を艦首と艦尾に1基ずつ搭載しているのに対し、ウダロイ級は艦首側に2基搭載している。

 

 こちらはソヴレメンヌイ級とは逆で、水中の敵に対する攻撃力が高い代わりに、水上の敵に対する攻撃力が極めて貧弱という特徴を持つ。だからこのウダロイ級に対潜攻撃を任せ、水上攻撃をソヴレメンヌイ級に任せるのが理想的だろう。

 

 さて、護衛を担当する駆逐艦はこの2種類にしておこう。主役の巡洋艦も決めたいところだけど……………近代化改修してミサイルを搭載した戦艦を主力にするのも面白いかもしれない。

 

 でも問題点が多いんだよなぁ。コストも高くなっちゃうし。

 

 まあ、レベルを上げてポイントを増やしながら考えておこう。そう思いながら俺は踵を返し、建設途中の軍港を後にするのだった。

 

 



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ドワーフの発明品を使うとこうなる

 

 

 ラウラが戻ってきてくれたのは、本当に喜ばしいことだ。今まで彼女がいなかったからかなり寂しかったし、それに戦力的にも彼女の復帰のおかげで、後方支援は問題にならないと思えるほどだ。

 

 スコープを装着せずに2km先の標的を正確に撃ち抜いたり、ボルトアクション式の銃を愛用しているというのにセミオートマチック式に匹敵する連射速度で、しかも高い命中精度を維持したままの狙撃を当たり前のように披露する彼女の狙撃は、これから最前線へと向かう兵士たちを守ってくれるに違いない。

 

 それに、個人的な理由だが……………これでお姉ちゃんと一緒にいられる。

 

 こっちに戻ってきてから、お姉ちゃんは余計俺に甘えるようになった。ただ廊下を歩いている時も俺の片腕にくっついているのが当たり前だし、食事の時やシャワーを浴びる時も一緒にいるのが当たり前。眠るときは1人用のベッドの上で2人でイチャイチャしながら眠るようになっている。

 

 けれども、ちょっとだけ困っていることがある。

 

「………………」

 

 夜中の3時くらいだろうか。枕元に置いてある目覚まし時計で時刻を確認した俺は、静かにベッドから起き上がろうとした。ベッドの右隣には相変わらずイリナの棺桶――――――吸血鬼のベッドだ――――――が鎮座しており、目を覚ましたばかりの俺をぞっとさせてくれる。

 

 文化の違いなのかもしれないけど、もう少し棺とは思えないようなデザインにしてもらいたいものだ。

 

 そう思いながらベッドから脱出しようとしたその時、俺の左腕にくっついたまま眠っていたラウラが、瞼を擦りながら起き上がった。どうやら俺が動いたせいで起こしてしまったらしい。

 

「ふにゅ……………どうしたの?」

 

「ああ、ちょっとトイレ行ってくる」

 

「え……………? や、やだ……………やだよぉ……………!」

 

「えっ?」

 

 眠そうな表情をしていた彼女は一気に目を覚ましたのか、涙目になりながら俺の左手を思い切り引っ張ると、立ち上がりかけていた俺を再びベッドの上へと無理矢理引きずり戻し、尻尾を体に巻き付けながら上にのしかかってきた!

 

「ら、ラウラ?」

 

「やだぁ…………もう離れ離れになるのはやだぁ……………っ!」

 

「わ、分かった。トイレは我慢するから」

 

「ふにゅ……………えへへっ、これで一緒だね♪」

 

 彼女が懲罰部隊から戻ってきてから、俺と離れることをやたらと嫌がるようになってしまったのである。戦闘中に別れる時は仕方がないと思って我慢してくれているみたいだけど、こういう日常生活では今しがたのように俺と少しでも離れ離れになるのを怖がるようになってしまった。

 

 しかも襲われる時も、前よりも徹底的に搾り取られるようになってしまった。一応母さんから貰った薬はちゃんと飲んでるけど、それでも子供ができてしまわないか心配になるレベルである。

 

 やっぱり、彼女も1人になるのは辛かったんだろう。だからもう二度と離れることがないように、俺を必死に引き留めているに違いない。

 

 そう思ってしまうと、彼女を無理矢理引き剥がしてトイレに行くわけにもいかない。なので俺はトイレを朝まで我慢することにして、寝息を立て始めたお姉ちゃんを抱きしめた。

 

 前にもステラが俺の上でこうやって寝ていた時があったけど、幼い外見の彼女と比べるとラウラは大人びているから、なんだか違和感を感じてしまう。

 

「………………」

 

 しかもよく見ると、パジャマのボタンがいくつか外れてるんですけど。

 

 ちょっと、お姉ちゃん? 

 

「ふにゃ……………えへへっ……………。大好き………………」

 

「……………やれやれ」

 

 思い切り甘えさせてあげよう。

 

 俺は苦笑いしながら、ラウラにのしかかられたままの状態で瞼を閉じた。けれども彼女の大きい胸が乗っているせいなのか、なかなか眠れる気配がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、団長」

 

「お疲れさま、バーンズさん」

 

 テンプル騎士団の工房の中を覗いてみると、前よりも作業している職人の人数が増えていたし、工房の広さも変わっているようだった。より広くなり、工具や鍛冶に使う道具も充実した工房の中は大都市にある大きな鍛冶屋と遜色ないほどで、奥の方では中年のドワーフの男性から技術を教わる若い職人たちが、彼の作業を見学しながらメモを取っているところだった。

 

 その奥の方では鉄パイプに予備のライフル用の銃剣を溶接し、無数のホームガード・パイクを作っている職人の姿も見える。そしてそれを嬉しそうな表情で購入していく兵士たち。中にはパイプレンチや釘バットを購入していく奴らもいるんだけど、本当にそれを実戦で使うつもりなんだろうか。

 

 工房の光景を見つめながら苦笑いした俺は、出迎えてくれたバーンズさんの後について行った。もちろん俺の左手を当たり前のようにぎゅっと握っているのは、数日前にこっちに戻ってきたばかりのお姉ちゃんである。

 

 バーンズさんは棚の上に置いてあった木製の箱を取り出すと、それを作業台の上に置いた。特に装飾もついていないような何の変哲もない木製の箱で、短剣を何本か入れられそうな大きさである。

 

「開けてみてくれ」

 

「ああ」

 

 言われた通りに、木箱の蓋を開けてみる。

 

 てっきり短剣とかナイフが入っているんだろうと思っていたんだが、木箱の中で俺とラウラを待ち構えていたのは予想外の代物だった。

 

「こ、これって……………!」

 

「え………………!?」

 

「ガッハッハッハッハッ。自信作だぜ」

 

 木箱の中に入っていたのは――――――――なんと、銃だった。

 

 銃とはいえ、俺たちが使っているような最新型のハンドガンではない。大昔に発明されたフリントロック式のような旧式の拳銃を彷彿とさせる、古めかしいデザインの銃だった。まるでラッパを思わせる形状の漆黒の銃身と、その武骨な銃身を包み込む木製のグリップ。左脇には、フリントロック式の銃ならば火薬を入れておく『火皿』と呼ばれる部品らしきものも見受けられる。

 

 この世界には銃が存在せず、代わりにコンパウンドボウやクロスボウが遠距離武器の主役として活躍しているような状態だ。近年では、モリガン・カンパニーが高圧の蒸気で小型の矢を撃ち出す『スチーム・ライフル』という遠距離武器を各国に売り込んでいるらしく、先進国の騎士団では爆発的な速度で正式採用が進んでいるというが、どうやらこの得物はそのスチーム・ライフルとは異なるらしい。

 

 スチーム・ライフルは、矢を撃ち出すライフル本体に加え、射手は背中に高圧の蒸気が充填された大型のタンクを背負い、それから伸びるケーブルをライフルに接続する必要がある。だからライフルだけでは何の意味もなさず、射手は必然的に重装備になってしまうのだという。

 

 もしかするとタンクは別に用意してあるのかもしれない。そう思いながら箱の中のピストルをまじまじと見つめていると、バーンズさんが「見てみろ、お嬢ちゃん」と言いながら笑った。

 

 お言葉に甘えて拾い上げ、細部を見てみる。アイアンサイトのような照準器は見当たらないことに違和感を感じたけれど、少しばかり重いことを除けば銃とあまり変わらない。

 

「お前らが使ってる銃とかいう武器を見て思ったんだ。異世界の武器を、こっちの世界の技術で再現できないかってな」

 

「それで、これはどういう武器なんです?」

 

「ああ、ちょっと射撃訓練場までついてきてくれや」

 

 バーンズさんに言われた通りに、俺はそのピストルらしき得物を手にしたまま、彼と共に工房を後にした。

 

 近距離用の武器を購入しに来た兵士たちに品物を渡す若いドワーフに手を振りながら、射撃訓練場へと向かう。もし仮にこれが異世界の技術で再現された銃ならば、すぐに戦力にすることができるだろう。もうテストはしたのだろうか。

 

 射撃訓練場に到着すると、レーンの近くに立ったバーンズさんが小さな石ころのようなものがいくつも入った袋をポケットから取り出した。それを俺に手渡しながら説明を開始する。

 

「こいつは魔力を使って弾丸をぶっ放す代物だ」

 

「魔力を?」

 

「ああ。まず、魔力を銃口から流し込むんだ。できるだけ加圧した方が望ましい」

 

「はいよ」

 

 言われた通りに銃口の中へと片手を向け、そのまま魔力を流し込んでいく。さすがにフィオナ機関のように魔力を加圧できるわけではないんだけど、普通の人間でもある程度ならば魔力を加圧した状態で放出することが可能だ。その加圧済みの魔力を使って魔術を発動すると、暴発の可能性が大きくなる代わりに弾速が上がるという利点がある。

 

「次はこの弾薬を銃口から詰めるんだ」

 

「これは石なんですか?」

 

「いや、余った金属で作った金属製の弾丸さ。その気になれば、その辺の石とか釘も弾薬にできる」

 

「作動不良は?」

 

「ガッハッハッハッ。お嬢ちゃん、ドワーフの技術を舐めるなよ? そいつは泥まみれの小石を弾薬にして100回以上も試し撃ちをしたが、1回も作動不良はねえよ」

 

 100回以上も泥まみれの弾薬を使って、作動不良がない!?

 

 どうやら信頼性は非常に高いようだ。それに小石のような小さいものを弾薬としてぶっ放せるなら、いざという時に近くにあるものを弾薬として〝調達”できるという大きな利点がある。

 

「後は火皿の中にも魔力を注入して、撃鉄を起こせば発射準備は終わりだ」

 

 フリントロック式に似ているようだ。

 

 言われた通りの発射準備を終えた俺は、バーンズさんが離れるのを確認してからトリガーを引いた。

 

 普通の銃とは異なり、まるで鉄筋を思い切り叩いたような甲高い金属音が轟いた。マズルフラッシュは出なかったけれど、その代わりに銃口から放出された魔力の残滓が、まるで黒色火薬が生み出した白い煙のように目の前に広がる。

 

 その煙の向こうでは、装填された無数の小さい弾丸たちが、目の前に置かれた的を蹂躙しているところだった。ラッパを思わせる形状の銃口から解き放たれた弾丸たちに食い破られた的が容易くズタズタになり、首から上が千切れ飛ぶ。

 

「おお………!」

 

 すげえ………! 装填には手間がかかるけど、威力は申し分ないぞ、これ!

 

「ふにゃあ……………!」

 

「どうだ?」

 

「すごいですよ、バーンズさん! これ、すぐ量産できます!?」

 

「もちろんだ。ただ、その代わり命中精度は最悪だぜ。20m先の標的にぶっ放して命中するかどうかっていう程度だからな。やるんだったら、できるだけ弾薬をたっぷり詰めて拡散させるのが望ましいぜ」

 

「分かりました。では、これの量産をお願いします」

 

「おう!」

 

 命中精度の低さは問題かもしれないけど、この武器は非常用の武器として有効活用できる。いろんなところから弾薬を調達できるから、場所にもよるけど弾切れを起こす可能性が低いという利点があるし、何よりも信頼性が高いからな。

 

 試作型の銃をバーンズさんに返した俺は、早速その銃の量産を許可する書類を作成するため、ラウラを連れて部屋へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スコップで石炭を拾い上げ、すぐ後ろにある窯の中に放り込む。そして圧力計や温度計を確認し、温度が低くなり過ぎないようにちゃんと調節する。もちろん圧力が低くなれば機械に伝達されるパワーが低くなるから、こちらも注意しなければならない。

 

 それが俺に与えられた仕事だった。薄汚れた服に身を包み、ハンカチで汗を拭き取りながら、後ろにある窯に石炭を食わせてやる仕事を一週間ほど続けたからなのか、少しずつ慣れ始めてきた。

 

 ハンカチで汗を拭き取り、それをポケットの中に突っ込んでから再び圧力計を確認する。今のところは圧力は安定しているようだ。これで班長から怒鳴られないで済む。

 

「ケータ、サボるなよ?」

 

「おいおい、ウィル。サボるのはお前の方だろうが」

 

 圧力計から目を離しつつ、俺が窯に放り込む石炭を近くにある石炭置き場へと運んでいくエルフの同僚にそう言った。俺と同じく薄汚れた服に身を包むウィルは苦笑いしながら石炭の入ったでっかいバケツを両手で持ち、石炭置き場に向かってぶちまけてから再び戻っていく。

 

 ヴリシア侵攻の下準備のため、吸血鬼の情報収集の任務を始めてからもう一週間が経過している。吸血鬼による被害が急増した南の区画にある工場に、田舎から出稼ぎにやってきた若者を装って入り込んだ俺は、こうしてちゃんと労働者の1人としてこの工場に紛れ込んでいた。

 

 他の仲間たちも同じだ。ノエルちゃんは新聞配達のバイトをしながら情報収集をしているようだし、クランは近所の喫茶店で働いている。どうやら彼女は早くも喫茶店の看板娘になっているらしい。

 

 やっぱり、こういう場所に潜伏するのに労働者を選んだのは正解だったようだ。冒険者だと奇抜な恰好をしていても目立たないけれど、労働者の方がより目立たないし、同じ場所で働く同僚からも情報を聞き出しやすい。

 

 現時点では吸血鬼についての直接的な情報は何も得られていないが、先ほど話していた同僚のウィルから、この工場を取り仕切っている工場長の変な噂をよく教えてもらっている。

 

 どうやら工場長は、最近仕事が終わってから1人でどこかへと向かっているというのだ。そしてその次の日に、必ず吸血鬼に血を吸われて殺される犠牲者が出ているという。

 

 吸血鬼の被害が出た日付を確認し、更にウィルが教えてくれた工場長が姿を消した日を照らし合わせてみたが、どうやら工場長は本当に犠牲者が出る前日に姿を消しているようだ。

 

 何度か尾行してみようと思ったが、いきなり仕事中に職場から姿を消したら怪しまれる。だからと言って俺の休日に確実に動いてくれるわけではない。現場でこうやって見張りつつ、何とかチャンスを見つけて尾行するしかない。

 

 いっそのこと、仮病でも使ってみるかな。

 

 そんな計画を考えながら、俺は再び窯の中へと石炭を放り込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 これが騎士団なのだろうか

 

エミリア「ふむ、タクヤの奴も組織を作って大型化に勤しんでいるようだな。それにしても……………テンプル〝騎士団”か」

 

エリス「あら、懐かしいわね」

 

エミリア「ああ。今はもうやめてしまったとはいえ、昔は騎士だったからな。やはり剣と防具を身に着けた騎士たちが、騎士道精神を重んじながら鍛錬を―――――――」

 

テンプル騎士団兵士1「鉄パイプ持ってこい!」

 

テンプル騎士団兵士2「クソ野郎は粛清だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

テンプル騎士団兵士3「あぁ……………釘バットって、たまんねぇ……………!」

 

エミリア「!?」

 

 完

 



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ノエルが尾行するとこうなる

 

 

「お疲れ様でしたー」

 

「おう、お疲れー! 明日も頼むぞ!」

 

「はーい!」

 

 汗で湿ったタオルを鞄の中に放り込み、ロッカールームで作業着から私服に着替える。石炭で真っ黒になっちまった作業着を見て顔をしかめながらロッカーの扉を閉めた俺は、ため息をついてからロッカールームを後にする。

 

 一週間もこの仕事を続けつつ工場長の動きを見ているが、今のところ噂通りに姿を消したのは2回だ。しかもそういう時に限って大仕事が待っており、やたらと張り切る班長のせいで迂闊に動けない。

 

 偶然なのか、それとも労働者に感付かれないように工場長が意図的に仕組んでいるのかは不明だが、何とかして吸血鬼たちの動きを調べたい俺たちからすればかなり面倒だ。

 

 もし仮にあの工場長が吸血鬼とつながっていて、何かしらの見返りの代わりに〝餌”を提供しているのだとしたら、身柄を拘束できればそれで向こうの潜伏場所や戦力もある程度は聞き出せるだろう。問題はその工場長をどうやって拘束するかだが、そこは俺が動きを確認しつつ、潜伏している仲間の中では比較的自由に動き回れるノエルちゃんに頼むしかあるまい。

 

 ノエルちゃんは新聞配達のバイトをしているから、街中を駆け回っていても怪しまれることはない。それに悔しい事だが、シュタージのメンバーの中で一番身軽なのは彼女だ。しかももし戦闘になった場合、彼女ならば相手を確実に消すことができる能力まで持っている。

 

 とはいえ、その能力は迂闊に連発できるようなものではないけどな。

 

「それにしても……………賃金安いなぁ」

 

 ため息をつきながら、今日の分の給料が入った袋の中身を見下ろす。

 

 中に入っているのは銀貨20枚。三食をどこかの安いレストランやパブで摂った場合、僅かに残る程度である。

 

 俺が働いている工場は月給制ではなく日給制。しかもあそこを牛耳っているのは貴族だ。労働者のことを第一に考えていると公言しているらしいが、どうせ自分の利益を優先しているんだろう。

 

 まあいい。この作戦が終わったら、あんな職場とはおさらばだ。

 

 工場の排煙の悪臭が薄れ始めた通りを歩き、鍛冶屋の看板が見える建物の前を左に曲がる。そのまままっすぐ進んだ先に、いつも俺が夕食を摂るために訪れる喫茶店があるのだ。やはりその通りの先には喫茶店の看板が置かれていて、防具を身に着けた冒険者が何故か顔を赤くしながら入っていくところだった。

 

 息を吐いてから、俺もその喫茶店のドアを開けた。

 

「いらっしゃいませー♪」

 

「よう、クラン」

 

 出迎えてくれたのは――――――――ウェイトレスの制服に身を包み、美しい金髪に黒いリボンを付けた最愛の彼女だった。元々大人びている彼女にはこういう制服が似合っていると思うし、黒いリボンもよく似合っている。やっぱりクランに一番似合う色は黒なんだろうか。

 

 彼女はどうやら俺がそろそろこの店を訪れることを予測していたらしく、ドアを開けて店内に入ってきた俺を見て微笑んだ。

 

「お疲れさま、ケーターっ♪」

 

「おう。とりあえず今日もフィッシュアンドチップスと水で」

 

「たまには他のも食べたら?」

 

「気に入ってるんだよ」

 

「はーい。フィッシュアンドチップス1つお願いしまーす!」

 

 元気な声で厨房にいる人に言う彼女が去る前に、俺は誰もこっちを見ていないことを確認してから素早く袖の中に隠していたメモ用紙を取り出すと、彼女の制服のポケットの中へとそれを滑り込ませた。

 

 彼女はそれに気づいたらしく、ポケットを軽く叩いてから俺の元を離れる。

 

 できるならあのようなメモ用紙ではなく口頭で詳細を伝えたかったんだが、それだと盗み聞きされるリスクがあるし、それにクランはこの喫茶店の看板娘になっているので、あまり俺と一緒にいると面倒なことになるらしい。

 

 俺の職場でも、近所の喫茶店に綺麗な子がいるという噂になっている。

 

 言っておくがクランは俺の彼女だからな。手を出すような男がいたらレオパルト2で轢き殺してやる。

 

「はい、水」

 

「どうも」

 

 クランから受け取った水をすぐに飲み干し、窓の外を見つめる。

 

 ここからでは労働者向けの安いアパートが乱立しているせいで工場は見えないが、俺が仕事をしている工場の煙はよく見える。工場に近づくにつれて石炭が燃え上がる臭いが漂うようになっているんだが、あの工場は何もしていないのだろうか。

 

 まあ、それはもう慣れちまった。

 

 とりあえず、クランが一刻も早くあのメモ用紙を読み、要件をノエルちゃんに伝えてくれるように祈ろう。

 

 明日、俺や友人のウィルの班には大仕事がある。今まで工場長が2回も姿を消したのはその大仕事で残業になった日ばかり。もし俺の予測通りならば、工場長は明日も姿を消すに違いない。

 

 俺は残業だから動けない。そこで、ノエルちゃんに新聞配達を装って工場で張り込んでもらうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新聞でーす!」

 

「はーい。いつもありがとね」

 

 アパートの部屋の前にあるポストの中に新聞を放り込み、そのまま階段を駆け下りる。アパートの外に飛び出してから懐中時計を取り出して時刻を確認した私は、ケーターさんが潜入している工場へと向かって走り始めた。

 

 今朝、クランさんからケーターさんの工場長を見張るように命令されたの。いつも工場長が姿を消すのは午後4時から午後5時の間。どういうわけかは分からないけれど、必ず従業員が抜け出せないように彼らに大仕事を押し付けてから1人だけ姿を消してるみたい。

 

 そしてその次の日には、住民が吸血鬼に襲われる事件。まだ仮説だけど、その工場長が吸血鬼とつながっている可能性がある。だから工場長を捕らえることができれば、色々と聞き出せるかもしれない。

 

 ちょっと緊張するけれど、これは敵の情報を得るための大きなチャンス。常に舞台裏に潜んでいる吸血鬼たちの戦力や規模を暴くチャンスだ。

 

 ケーターさんの職場は、南の区画にある大きな工場。屋根の上から工場の窓を見てみると、窓の向こうでは石炭がたくさん入ったバケツを運んでいる労働者や、その石炭をスコップで窯の中に放り込んでいる労働者が何人もいた。種族は人間が多いみたいだけど、よく見るとエルフやドワーフの従業員もいるみたい。ケーターさんもあんな仕事をしてるのかな?

 

 そう思いながら灰色のハンチング帽をかぶり直し、工場の裏口と表の正門を見張り始める。従業員に仕事を押し付けてこっそりと姿を消すような男が、正門から堂々と抜け出すとは思えないから、多分裏口から出ていくのかな? そっちの方が目立たないし、その裏口も分かり辛いところにあるからこっそりと抜け出すには好都合ね。

 

 そういえば、今日配達することになった新聞にはすごい記事が載ってたなぁ。

 

 肩に下げているカバンの中から顔を出している新聞をちらりと見下ろすと、やっぱりその記事が一番大きく書かれていた。

 

≪オルトバルカ王国議会にて大粛清! 9割の貴族が議席から消える!!≫

 

 どうやらリキヤ叔父さんが、議会の議席に腰を下ろしていた貴族たちのスキャンダルをほとんど公にしたみたい。中には何の罪もない人々の村を襲撃して奴隷にし、彼らを売って利益を得ていた貴族もいたみたいで、そういう腐敗した貴族には女王陛下から直接死刑が言い渡されたみたい。

 

 前々から叔父さんは「貴族の奴らが面倒だ」って言ってたし、カレンさんと一緒に労働者のための法律を議会で提唱しても、その貴族たちに妨害されたり反対されて困ってたんだって。今まではちょっとした制裁とか、ちょっとした脅しで済ませてたみたいだけど、ついに邪魔な貴族の粛清に踏み切ったんだね、叔父さん。

 

 クランさんは「まるでスターリンみたい」って言ってたけど、スターリンって誰なんだろう?

 

 考え事をしているうちに、裏口のドアがゆっくりと開いた。普段はあまり使われていないのか、表面のペンキが剥がれ落ちた挙句錆び付いた小さなドアの向こうから姿を現したのは、やけに立派な黒いスーツに身を包み、シルクハットをかぶった小太りの男性だった。

 

 あの人が工場長かな。ケーターさんが工場から持ってきてくれたパンフレットに乗っていた工場長の写真を確認してみたけど、きっとあの人が工場長だと思う。だって他の従業員はやせ細っているのに、あの人だけ太ってるんだもん。

 

「こちらチャーリー1。目標が家を出た」

 

『こちらHQ(ヘッドクォーター)。了解、尾行して確認してくれ。隙があれば身柄の拘束を』

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 無線機の向こうから聞こえてきたのは坊や(ブービ)くんの声だった。彼と木村君の2人はスラム付近にある建設途中のアパートの中で、私たちに指示を出す事になっている。

 

 報告を終えた私は、屋根の上を走って工場長の後を追った。煙突を躱して隣の屋根の上へと飛び移り、そこからさらに別の屋根に飛び移る。タンプル搭に行く前にパパから受けた訓練でもこういう屋根の上を走る訓練や、壁をよじ登る訓練は散々やったから、もう慣れちゃった。

 

 工場長が進んでいくのは、どうやら南の方にある公園みたい。うーん、あっちの方には高い建物はないし、そろそろ下に降りた方がいいのかな? 公園の中には茂みがいっぱいあるし、その中に逃げ込めば見つからずに済むかもしれない。

 

 というわけで、私は窓の淵に掴まりながら下の道へと降りた。物音を立てないようにして着地し、とりあえず近くにあるゴミ箱の陰に隠れる。

 

 この通りには人がほとんどいないし、同じ方向に歩いていたらすぐに怪しまれちゃうからね。

 

 そこから移動し、今度は木箱の陰へ。そして工場長が角を曲がって公園の中へと入っていったのを確認した私は、新聞の入ったカバンを肩に下げたまま走った。そして公園の門の角に隠れつつ、今度は近くの茂みの中に移動する。

 

 公園の中には誰もいないようだった。いつもならここで子供が遊んでいる筈なんだけど、今日は誰もいない。

 

 工場長はちらりと後ろを見て後をつけられていないか確認すると、公園のベンチに腰を下ろして懐中時計を確認した。

 

 誰かと待ち合わせているのかな?

 

 私も見やすい位置に移動しつつ、工場長を見張る。しばらく待つことになるんじゃないかなと思いながら茂みの中で待機していると、やがて公園の別の入り口の方から、真っ黒なトレンチコートに身を包んだ男の人がやってきて、工場長の隣に腰を下ろした。

 

『時間通りだな』

 

『あ、ああ』

 

『それで、ちゃんと〝御馳走”が用意してあるんだろうな?』

 

『ああ』

 

 御馳走……………? 

 

 何の話? 

 

 すると工場長は、懐の中から一枚の写真を取り出して隣の男に見せた。すると黒いトレンチコート姿の男は楽しそうにニヤリと笑い、その写真を懐へとしまう。

 

『ほう、女か。これはいい。女の血は美味いからな』

 

 血って……………まさか、吸血鬼!?

 

 あの工場長は、まさかこうやって吸血鬼に人間を売っていたの!?

 

 何て事を……………! ケーターさんの仮説は正しかったってことなのね。従業員に残業を押し付けて姿を消し、こうやって吸血鬼と取引して利益を得ていたんだ……………!

 

 そうか、ああいう人がクソ野郎なんだ。人々を虐げて苦しめる存在。私はああいうクズを排除するために訓練を受けた。

 

 いっそのこと、ここから撃ち殺してやりたい。でも吸血鬼と繋がっていたことが明らかになった以上、殺すわけにはいかない。できるならばあの吸血鬼も一緒に拘束し、尋問して情報を聞き出す必要がある。

 

 私は気配を殺しながら、そっと懐の中からテンプル騎士団で正式採用されているハンドガンのPL-14を取り出した。使用する弾薬は9mm弾だけど、対吸血鬼用に銀の弾薬に変更されているから、銀や聖水への耐性がある強力な吸血鬼じゃない限り、これを撃ち込めば普通の人間のように殺せる。

 

 でも、殺さないように注意する必要がある。手足に弾丸を撃ち込んで動きを封じ、私の糸で拘束してから仲間に連絡して拘束する。こういう状況を想定した訓練はやったけど、実際にやるのは今回が初めてだから緊張してしまう。

 

 あっちの工場長は普通に押さえつけるだけで無力化できそうだけど、吸血鬼は身体能力が非常に高い種族だから、押さえつけたとしてもあっさりと反撃されるのが関の山だから、こっちを優先的に無力化する必要がある。

 

 息を吐き、落ち着いてから、私はハンドガンの照準を吸血鬼の足へと向けた。とりあえず両足を撃ち抜けば驚異的な脚力で逃げられることはないし、強力な吸血鬼でなければ傷口も再生しない。もしあの吸血鬼が強力な個体だった場合は――――――――あの能力を使って、強制的に排除するしかない。

 

 もう一度息を吐いてから―――――――トリガーを引いた。

 

 サプレッサーが装着されたハンドガンは、ほとんど銃声を発しなかった。少なくとも轟音とは呼べない程度の音を発しながら銀の弾丸を放ち、スライドがブローバックする。

 

 その音に吸血鬼は反応したみたいだけど、慌てて立ち上がろうとする最中にがくんと体勢が崩れた。私の放った弾丸が、立ち上がる途中だった吸血鬼の膝に命中したらしく、見事に膝の骨を粉砕しちゃったみたい。

 

 続けて、完全に倒れる前に今度は反対の足へと銀の弾丸をお見舞いする。こちらは太腿に命中し、同じく足の骨を粉砕。普通の人間ならば、もう立つことはできない。

 

「ギャアアアアアアッ!?」

 

「なっ、なんだ!?」

 

 絶叫する吸血鬼と、驚愕する工場長。私は茂みの中で左手をキングアラクネの外殻で覆うと、指先からすぐに糸を生成して一気に伸ばし、その2人の身体に絡みつかせる。

 

 キングアラクネが得意とする糸は触れたものを寸断してしまう鋭い糸なんだけど、私は間違って寸断してハムにしないように、普通の糸を生成した。これならば人体に絡みつかせてもバラバラにはならないし、いくら吸血鬼の筋力でも両足を撃ち抜かれた状態でこれから逃げるのは不可能だと思う。

 

 茂みから飛び出した私は、糸で身体を拘束された2人が動けなくなっていることを確認すると、無線機のスイッチを入れた。

 

「こちらチャーリー1。目標の身柄を拘束した」

 

『了解。これより回収に向かう』

 

「き、貴様……………! 何者だ……………!?」

 

 両足を撃ち抜かれて苦しむ吸血鬼が、私の顔を見上げながら問いかけてくる。

 

 でも、私は答えなかった。仮にここで正体を明かしたら、この吸血鬼がもし逃走してしまった後に厄介なことになってしまう。

 

 私はその吸血鬼の傷口が再生していないことを確認してから、PL-14を2人へと向け続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その展望台からは、帝都サン・クヴァントが一望できる。

 

 かつては観光客のほとんどはそこへと足を運んだものだが、21年前のレリエル・クロフォードとモリガンの激突の際に倒壊し、ホワイト・クロックと呼ばれる巨大な時計塔が復元されてからは閉鎖されたままになっている。

 

 興味本位でこっそりと忍び込む者もいたが、好奇心に誘われて展望台へと上った者たちは1人も帰ってくることはなかった。

 

 そう、そこには――――――――帝都の支配者がいるのだから。

 

 展望台に用意された椅子に腰を下ろし、ティーカップに注がれた真っ赤な液体を見下ろしていた少女にも見える金髪の女性は、真っ白なドレスにも似た服に身を包みながら不快そうに帝都を見下ろしていた。ティーカップの中に注がれた鮮血の味が気に食わないというわけではない。今日中に明日の得物の報告へとやってくる同胞の1人が、いつまで経っても帰ってこないからである。

 

「……………アレクセイはまだ帰ってこないのかしら?」

 

「申し訳ありません、アリア様。部下たちに探させていますが……………」

 

「そう」

 

 彼女の名は、『アリア・カーミラ・クロフォード』。かつてこの帝都でモリガンの傭兵たちと激戦を繰り広げたレリエル・クロフォードの眷属だった少女であり、レリエルの後継者となった吸血鬼の女性である。

 

 彼女の目的はレリエルを殺した忌々しいハヤカワ家のキメラたちを根絶やしにし、メサイアの天秤を使ってレリエル・クロフォードを復活させること。そのために鍵を1つだけ手中に収め、残る2つの鍵を手にする彼らがここへと攻め込んでくる日を待っているのだ。

 

 そしてこの帝都で、復讐を遂げる。

 

 ティーカップの中に入っていた血を飲み干していると、展望台へともう1人の同胞が入ってきたのが分かった。正確に言うならば、その入ってきた人物は同胞というよりも、〝肉親”と言うべきだろうか。

 

「―――――――母上、私が探しに行きましょう」

 

「あら、ブラド」

 

 後ろからやってきたのは、アリアにとって最愛の肉親であった。

 

 年齢はまだ18歳。他の吸血鬼たちと比べるとまだまだ若く、レリエルの後継者になるにしては経験が浅すぎると危惧されているが、母であるアリアはこの少年こそが後継者に最もふさわしいと信じている。

 

 前髪は母親と同じく金髪になっているが、それ以外は父と同じく黒髪だ。鮮血のように真っ赤な瞳は父親と同じく鋭く、彼と目を合わせていると、アリアは今は亡きレリエルのことを思い出してしまう。

 

 そして口の中から覗いているのは、吸血鬼の象徴ともいえる鋭い牙である。

 

 彼の名は『ブラド・ドラクル・クロフォード』。伝説の吸血鬼の血を受け継ぐ、若い吸血鬼だ。

 

「私にお任せを」

 

「大丈夫なの?」

 

「ええ」

 

 ブラドはニヤリと笑いながら、母に向かって言った。

 

「帝都に入り込んだネズミも、ついでに排除して見せましょう」

 

 



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吸血鬼の襲来

 

 ノエルちゃんに工場長の確保を頼んだ時は、もしかしたら失敗するかもしれないと思って俺も動く準備をしていた。実際に彼女と一緒に訓練をした事はあるし、ノエルちゃんの身のこなしも目の当たりにしている。とても訓練を受けたばかりとは思えない動きを披露されて度肝を抜かれたが、やはり彼女は実戦の経験が少なすぎる。だから万が一彼女が工場長の確保に失敗した場合は、代わりに俺が動くことにしていた。

 

 けれども彼女から目標を確保したという連絡を聴いた瞬間、俺は無意識のうちに胸をなでおろしていた。どうやら俺は、ノエルちゃんを過小評価していたらしい。

 

 しかも工場長だけでなく、吸血鬼まで一緒に拘束できたという。工場長よりも多くの情報を持っているのは想像に難くないが、口を割らせるのは骨が折れそうだ。吸血鬼はあらゆる種族の中でも特にプライドが高いと言われており、仲間を売るような無様な真似を極端に嫌う傾向がある。

 

 俺たちも相手を尋問する訓練をやってたが、俺たちでは間違えて吸血鬼を殺してしまう可能性もあるので、そういう尋問に慣れているウォルコットさんたちに任せることにした。

 

 ウォルコットさんたちが潜伏しているセーフ・ハウスの1つは、南東の工場の跡地だ。かつてはそこで騎士団向けの武器を製造していたようだが、モリガン・カンパニーの進出によって大打撃を受けて閉鎖してしまったらしい。工場の持ち主も不明で、今は誰の管理下にも置かれていない廃工場。隠れ家にはうってつけだろう。

 

 従業員たちがかつては詰所として利用していたと思われる錆だらけのドアをノックすると、奥から野太い男の声が聞こえてきた。

 

『同志、ここはどこだ?』

 

「スターリングラードだ、同志」

 

『入れ』

 

 ドアを開けると、やはりウォルコットさんと数名の部下がその中にいた。錆の臭いがする狭い詰所の中で書類や白黒の顔写真を広げ、収集した情報を仲間たちと共有していた最中らしい。

 

 合言葉を知っている俺たちがやってきたとはいえ、油断はしていないらしく、ウォルコットさんの腰にあるハンドガンのホルスターはもう既に空になっていた。本来ならばその中で眠っている筈の得物は、鍛え上げられた彼の手の中にある。

 

 がっちりした手に握られているのは、漆黒に塗装された『コルトM1911A1』と呼ばれるハンドガンだった。第一次世界大戦の頃に開発されたアメリカ製の旧式ハンドガンだが、.45ACP弾の獰猛なストッピングパワーと極めて高い信頼性がずば抜けて高く、大昔の銃だというのにその性能は現代の最新型ハンドガンと比べても遜色ないほどだ。アメリカ軍ではもう既に正式採用されておらず、ベレッタM92が採用されているというのに未だに運用され続けている、まさにハンドガンの最高峰とも言える銃だ。

 

 しかし、モリガン・カンパニーはロシアをはじめとする東側の銃を数多く採用している筈だが、なぜアメリカの銃を持ってるんだ? 

 

 おそらく、あえてアメリカ製などの西側の銃を装備することで、敵にモリガン・カンパニー所属ではないと思わせるためなのかもしれない。今やモリガン・カンパニーの戦闘部隊は世界中で脅威とみなされているし、彼らの持つ銃はその驚異の代名詞でもある。鋭い奴はその形状でモリガン・カンパニーの兵士だと気づいてしまうだろう。

 

 秘匿に秘匿を重ねているというわけか。やはり彼らは慎重だ。

 

 よく見ると、他の隊員たちの装備も西側の武器で統一されているらしい。

 

「で、確保したクソ野郎は連れてきたんだろうな?」

 

「はい。木村、奴をこっちに」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 俺の後ろからやってきた木村が、頭に袋をかぶせられ、両手を銀の鎖で拘束された2人の男を部屋の中へと突き飛ばした。呻き声を発しながら倒れた2人の男を見下ろしたウォルコットさんは、頷きながらその2人にかぶせられている袋を外す。

 

 あらわになったのは、油汗まみれになった脂肪だらけの太った男の顔と、猿轡をされたまま俺たちを睨みつける吸血鬼の顔だった。プライドの高い吸血鬼は、こんな仕打ちをされたことにかなり怒り狂っているらしい。

 

 ウォルコットさんはすぐに袋を再びかぶせると、頷きながら顔を上げた。

 

「よくやった」

 

「どうも」

 

「では、尋問は俺たちに任せて、君たちはそのまま潜伏を続けてくれ」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 この人たちなら、きっと吸血鬼から何かを聞き出してくれるに違いない。吸血鬼は口が堅いと言われている上、弱点で攻撃しない限り傷口は再生を続ける。つまり普通の剣を喉元に突き付けられても彼らは本当には恐れないというわけだ。

 

 だから吸血鬼の尋問や拷問にはコツが必要になるという。例えば聖水を少しずつ身体に垂らしたり、銀の杭を少しずつ胸に突き立ててじわじわと苦しめていくような拷問が効果的だと言われているが、少し間違えば貴重な情報源を殺してしまいかねないので、そういった拷問に精通している人物に任せるのが一番なのだ。

 

 踵を返して立ち去ろうとしていると、ウォルコットさんに呼び止められた。

 

「おい、坊主」

 

「はい?」

 

「こっちのデブはお前らが尋問しろ」

 

 え? やってくれるんじゃないんですか?

 

「俺らがですか?」

 

「ああ、尋問の練習だ。加減は間違うなよ?」

 

「頑張ります」

 

 加減か……………。温すぎても口を割らせることなんてできないし、逆に苦痛を与えすぎても情報を聞き出す前にくたばっちまうから、難しいんだよな。とにかく、このデブの嫌がることをしてみようか。肉体的な苦痛だけではなく、精神的な苦痛もある。それに〝鞭”だけではなく〝飴”だってあるんだからな。

 

 まあ、練習に付き合ってもらおうか。

 

 俺は工場長を強引に立たせると、セーフ・ハウスのドアをそっと閉めてから彼を歩かせ、工場の門の近くに止めてある馬車の中へと強引に放り込んだ。

 

 できるならバイクとかハンヴィーのような乗り物で移動したいところだが、まだ車すら登場していないこの異世界でそんな乗り物に乗っていたら目立ってしまう。転生者がここにいるぞって相手に教えるようなものだ。諜報部隊は目立ってはならないという鉄則は、必ず守らなければならない。

 

 傍から見れば数人の労働者が、安そうなボロボロの馬車を乗り回しているようにしか見えないだろう。

 

「さて、戻りますか」

 

「おう、頼む」

 

「了解(ヤー)」

 

 木村は馬車を走らせると、ガスマスクをかぶったまま口笛を吹き始めた。

 

 こいつはこのガスマスクを外す気は本当にないんだろうかと思いつつ、彼の口笛と蹄の音を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「吐け、クソッタレ」

 

 錆の臭いの中に血の臭いが溶け込んでから、もう1時間ほど経過している。

 

 忘れ去られた工場の詰所の中で繰り広げられているのは、簡単に言うならば拘束された相手を一方的に痛めつける拷問だ。もちろん鞭だけでなく飴も用意されているが、そう簡単には前に出さない。銀の鎖で手足を縛られて椅子に座っている吸血鬼を拷問しているジョセフが飴を出すのは、拷問を受けている相手が絶望し、最後の希望まで塗り潰された後だ。そこでジョセフが(希望)をちらつかせることでどんなに口が堅い相手でもすぐに食らいつき、簡単に口を割る。

 

 彼とは長い間共にこういう光景を目にしてきた他の兵士たちも、そう思っていた。ジョセフは悪態ばかりつく口の悪い男だが、こういう事をするのに向いているのは彼だけである。

 

「あ…………あぁ……………ッ」

 

「どうした?」

 

「だ、誰が……………仲間を売るか、愚か者め」

 

「ああ、そうか」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 銀のナイフを吸血鬼の指へと突き立てて骨を断ち切ると、そのまま刀身を捻って彼の人差し指を両断してしまう。普通のナイフでこんなことをしても30秒足らずで再生してしまう筈だが、ジョセフが使っているナイフの刀身には銀が使われている。よほど強力な吸血鬼ではない限り、これで指を切られれば普通の人間と同じだ。切り落とされた指は、決して生えてこない。

 

 そう、吸血鬼たちは弱点を目にすることで、敵の殺意を実感する。この男は弱点を使って我々を殺すつもりなのだ、と。彼らにとって普通の武器を手にした人間は、丸腰で襲い掛かってくる雑兵と変わらない。けれども銀や聖水で武装することにより、彼らはやっと吸血鬼に対する〝武器”を持つ。

 

 切り落とされた白い指が床に転がり、溢れ出た鮮血が埃だらけの床の上に紅い模様を描く。断面から流れる鮮血が椅子の脚を伝って落ちていき、真っ赤な水たまりを形成していく。

 

「てめえなんかな、こうやって見下してる人間に嬲り殺しにされることしかできねえカスなんだよ。いつまでもご立派な吸血鬼でいられると思うな、豚が」

 

「なんだと、貴様――――――――うぐっ………!?」

 

 ぽたり、と吸血鬼の膝の上に一滴の水が流れ落ちる。教会のエンブレムが描かれたガラスの小さな瓶から零れ落ちたその雫は、吸血鬼の男が身に着けていた服にしみこんでいくと、まるで生肉を強酸の中に放り込んだかのような音と臭いを発し、吸血鬼の男に苦痛を与えていった。

 

 その雫の正体は、教会で配布されている聖水である。

 

 教会の神父たちの手によって特別な処置が施された聖水は、大昔から魔除けに効果があると言われており、更にゾンビやスケルトンなどの魔物にも効果がある。もちろん吸血鬼にとっても弱点の1つであり、それに触れると身体が溶けてしまうのだ。

 

 普通の人間にとっては無害だが、吸血鬼たちにとってみれば濃硫酸のようなものなのである。しかもこれでダメージを受けると、やはり他の弱点と同じように傷口は再生しない。

 

「さて、足が溶けちまうまで垂らしてみようか。再生できねえから歩けなくなるぜ。どうする?」

 

「ひっ……………ま、待て、落ち着け」

 

 やはり恐ろしいのだろう。今までは足を吹き飛ばされても当たり前のように再生して立ち上がっていた吸血鬼たちだが、聖水で足を溶かされてしまったらもう二度と立ち歩くことはできない。彼らを死から遠ざけていたあの再生能力が機能しなくなってしまうのだから。

 

 やっと吸血鬼が怯える。聖水の瓶をわざとらしく揺らしながらニヤニヤと笑っていたジョセフは、そろそろこの吸血鬼も心が折れる頃だと察していた。

 

 今ならば、飴をちらつかせれば食らいつくだろう。片足を溶かされる苦痛を味わった挙句、もう二度と2本の足で立って歩けなくなるという恐怖がどれだけ大きいのかは想像に難くない。しかしジョセフのやり方は、相手が完全に壊れない程度にまで痛めつけ、絶望させてから飴を食わせるようなやり方だ。このまま情報を聞き出しても、浅い。そう、まだ嘘をつく余裕はある。

 

 敵の数や、戦力を誤魔化されても困る。もちろん彼が吐いた情報を鵜呑みにするつもりはない。

 

 だからこの足を溶かしてからでもいいだろう。そう思ったジョセフが聖水の瓶を思い切り傾けようとしたその時、詰所の錆だらけのドアがノックされる音が聞こえてきて、ジョセフはぴたりと手を止めた。

 

 今、ブレンダン・ウォルコットと数名の部下は侵攻作戦の際に歩兵部隊が上陸する地点や、パラシュートなどで降下するのに適した地点の確認へと向かっている。だからこのセーフ・ハウスの中にいるのは、尋問を担当するジョセフと、まだ若い2人の兵士だけである。

 

「カーン」

 

「了解」

 

 ボロボロのテーブルの上に並んだ資料を整理していた若い兵士の名前を呼ぶと、彼は傍らに立てかけられていたアメリカ製カービンの『XM177E2』を拾い上げ、安全装置(セーフティ)を解除した。

 

 アメリカ軍で採用されているアサルトライフルのM16をベースに銃身を切り詰められたコンパクトなライフルには、フォアグリップとライトとサプレッサーのみが取り付けられている。本格的な銃撃戦よりも奇襲や室内戦を想定しているため、銃身の長いM16よりも、バリエーションの中で特に銃身の短いと言われているXM177E2の方が都合がいいのだ。

 

 カーンはそれを構えながら、ゆっくりとドアの方へと近づいて行った。

 

 ジョセフがカーンに銃を持つように目配せした理由は、ノックする音が聞き慣れている音と微妙に違ったからである。

 

 隊長であるウォルコットとはモリガン・カンパニーに入社するよりも前からの付き合いだし、ノックの音もその時から変わっていない。それにここを訪れたケーターのノックの音ならばもう少し軽い。口が悪いと言われている彼だが、そのように音の〝癖”を聞き分けて判別するのも得意分野の1つだ。だからウォルコットはジョセフをここに残していったのである。

 

「……………」

 

 指示を仰ぐように、カーンがこちらをちらりと見てくる。合言葉を言うように促すか、それともサプレッサー付きのXM177E2で蜂の巣にするべきなのか悩んでいるのだろう。

 

 おそらく、この吸血鬼の呻き声でこの中に自分たちがいるという事はバレている筈だ。だからこのまま黙っていても誤魔化せないだろう。そう判断したジョセフは、合言葉を聞いてみろ、と目配せする。

 

「同志、ここはどこだ?」

 

『……………』

 

「―――――――やれ」

 

 ノックの音も違うし、合言葉も知らない。もし仮にノックの音を聞いたことがなかったとしても、合言葉はこの潜入作戦に参加するすべての人員に伝えられている。だから答えられないという事はありえない。それにこんな廃墟を訪れる民間人もいない。いたとしても、ここに酔っぱらって迷い込んだごろつき程度だろう。

 

 だからジョセフは発砲許可を出した。

 

 轟音とは言えない程度の音が立て続けに詰所の中で暴れまわり、錆だらけのドアを穴だらけにしていく。すっかり錆び付いている上に元々それほど厚いわけでもなかったドアは、5.56mm弾の豪雨にあっさりと敗北して蜂の巣と化し、反対側に立つ人物へと弾丸の到達を許してしまう。

 

 30発の弾丸が入ったマガジンが空になるまでフルオート射撃をお見舞いしたカーンは、空になったマガジンを取り外して再装填(リロード)し、穴だらけになったドアをそっと開けた。自分が撃ち殺したのが何者なのか確認するためだろう。

 

 とにかく、これで乱入者は排除できた。やっと拷問に専念できると思って吸血鬼の方を振り返ろうとしたジョセフの背後で――――――――カーンの驚愕する声と、銃声が聞こえてきた。

 

「!?」

 

「おい、カーン!?」

 

 後ろを慌てて振り返りつつ、腰のホルスターのコルトM1911A1へと手を伸ばす。

 

(バカな……………カーンの銃にはサプレッサーが――――――――)

 

 今の音は、サプレッサーを装着した銃の銃声ではない。明らかになにも装着していない銃の、本来の銃声である。

 

 部外者は今のフルオート射撃をやり過ごしたのだろうか。推測しながら引き抜いたばかりのコルトM1911A1(コルト・ガバメント)を構えかけた次の瞬間、傍らでXM177E2の安全装置(セーフティ)を解除していたダリルの頭が、木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 

「だっ、ダリル!?」

 

 しかも、聞こえてきたのはやはり銃声である。ダリルの銃にも同じくサプレッサーが装着されている筈だから、あんな銃声が聞こえてくるのはありえない。

 

 よく見ると、ドアの外を確認しに行っていたカーンの身体が、床の上に転がっていた。胸元には風穴があいており、大口径の銃弾でそこを撃ち抜かれたというのが分かる。

 

(て、敵も銃を持っている!? まさか、転生者か……………!?)

 

「こんばんわ、人間」

 

「ッ!!」

 

 穴だらけになったドアとカーンの死体を踏みつけながら部屋の中にやってきたのは――――――――真っ黒なマントのついた服に身を包んだ、1人の少年だった。基本的には黒髪と言えるが、前髪だけ金髪になっており、鮮血のように紅い瞳は少年とは思えないほど鋭い。

 

 今まで何度も実戦を経験したジョセフが、真っ先に〝危険”を感じてしまうほどの鋭さ。自分よりも背が小さく、華奢な少年が秘めているのは、ベテランの兵士でも震え上がってしまうほどの憎悪と殺意。

 

 その少年の口の中には――――――――鋭い牙があった。

 

(吸血鬼……………!? バカな、なぜ吸血鬼が銃を……………!?)

 

「情けないなぁ、アレクセイ。人間ごときに捕らわれるなんて」

 

「も、申し訳ありません、ブラド様……………」

 

「ブラド…………!?」

 

 目の前にいる少年の名前なのだろう。

 

 その少年は手にしていたアサルトライフルの銃口をジョセフの頭へと向けると、ニヤリと笑った。

 

 ブラドが手にしている銃は、一見するとAK-47のように見えてしまうが、銃口付近の形状がAK-47と比べるとすらりとしている。

 

 彼が持っているのは、AK-47をベースにしてイスラエルが開発した『ガリル』と呼ばれるイスラエル製のアサルトライフルである。使用する弾薬は西側のアサルトライフルに使用される一般的な5.56mm弾で、原型となったAK-47と比べると口径が小さいため威力が劣ってしまうが、非常に高い信頼性はそのまま維持されており、さらに弾薬が小口径となったことで反動も小さくなり、命中精度も高くなったという優秀なライフルである。

 

 銃身の下にはグレネードランチャーが装着が装備されているようだが、他の装備は装着されていないようだった。

 

「貴様、何者だ…………!?」

 

「さあ?」

 

 すでにカーンとダリルは射殺され、この場に残っている人間は自分のみ。しかも自分のカービンを拾い上げる余裕すらない。

 

 冷や汗を流しながら、ジョセフはハンドガンの照準をブラドの額へと向け続けた。いくら銀の弾丸でヘッドショットしたとしても、このブラドが強力な吸血鬼ならばそれだけでは死なないだろう。他の弱点をありったけ叩き込まなければ、強力な古参の吸血鬼は死なない。

 

 しかし、脱出する余裕はある筈だ。一旦この部屋の中から何とかして脱出し、手榴弾をいくつか放り込んで集めた情報を消すことができれば、敵に情報が渡ることもない。脱出と情報の抹消のためのシナリオを組み上げたジョセフがトリガーを引こうとするが――――――――目の前に現れたブラドがトリガーを引く方が、ジョセフよりも早かった。

 

 

 

 

 



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セーフ・ハウス陥落

※今回は後半がちょっとグロいかもしれません。ご注意を。


 

 

 木村が近くの川から汲み上げてきた汚い水を、顔を覆っていた袋から解放されたばかりの工場長の顔面にぶちまけた瞬間、俺たちの尋問は幕を開けた。

 

 元々は何だったのか分からないほど汚れたゴミやオイルが当たり前のように浮かび、周囲に強烈な悪臭をばらまいていた川の水は、もう殆ど汚水と化していた。いきなりこんな水をぶちまけられる気分は間違いなく最悪だろうが、クソ野郎にはこれがお似合いだろう。

 

 汚水をお見舞いされた工場長は、口の中に入ってしまった悪臭を発する汚水を必死に吐き出そうと足掻いていた。脂肪がたっぷりと張り付いた顔を必死に揺らしながら咳き込んでいた男は、やがていきなりこんなことをした男が自分が雇った労働者のうちの1人だという事に気付いたらしく、俺の顔を見上げながら目を見開いた。

 

「き、貴様は…………!」

 

「やあ、工場長。いつも安い賃金をありがとう」

 

「あの仕事、賃金安かったんですね」

 

「ああ。三食に使うと少ししか残らん程度だよ」

 

 だからこの街の労働者たちの中で、一日にちゃんと食事を3回摂ることができている者は少ない。ほとんどの物は少しでも金を貯めるために自分の食事を削り、貯金に費やしている。そうしなければいくら労働者向けの安いアパートとはいえ家賃を払えなくなるし、他にもいろいろと金は使うことになる。住む場所と一日の食事の回数のどちらが重いかを考えてみれば、当たり前の選択だ。

 

 そして現場で働く労働者たちが痩せ細っていく一方で、彼らに安い賃金を払っている資本家や工場長は大きな利益をほぼ独占している。だから立場が上に行けば行くほど、こんなデブが多い。

 

 俺はたった一週間しか働いてないが、この国の労働者がどれだけ苦労しているのかがよく分かった。前世の日本は本当に恵まれていたんだという事を痛感できたよ。そういう点ではいい経験だけど、こいつに礼を言いたいとは思わないな。

 

 こいつは、自分の利益のために人間を生贄にしていたのだから。

 

「な、何のつもりだ!? 貴様、私にこんな真似をしおって! あとでクビにしてやるからな!」

 

「できればいいですねぇ」

 

 そんなことができるのは、ここから無事に逃げ出すことができた場合のみ。逆に言えば、ここから逃げ出せない限りそんなことはできない。こいつの後釜が他の奴らの推薦で椅子に座るだけだ。

 

 それに俺からすれば、〝潜伏先”が1つ減る程度の痛手で済む。それほど本格的な入社試験が行われないこの国では、職を探すこと自体は難しい事じゃない。むしろ就職してから、労働者たちが最悪の労働環境の中で重労働を強いられていることの方が問題だ。

 

 だから俺はひるまなかった。見当違いの脅しをするこのデブの姿が滑稽だったからなのか、いつの間にか俺は笑みを浮かべていたらしい。汚水で濡れたデブの瞳に、獰猛な表情の自分の顔が映る。

 

「やり過ぎないでね、ケーター」

 

 後ろで腕を組みながら見ていたクランに言われた俺は、頷いてからポケットの中に突っ込み、護身用に所持していた『カランビットナイフ』と呼ばれるナイフを取り出した。

 

 カランビットナイフは、普通のナイフと比べると非常に小型のナイフである。一般的なサバイバルナイフの2分の1程度のサイズしかなく、刀身が普通のサーベルとは逆方向に大きく曲がっているのが特徴だ。リーチが非常に短く、相手の攻撃を受け止めるような真似はできないが、その切れ味はあらゆるナイフの中でも最高クラスと言える。

 

 俺のカランビットナイフは折り畳むことができるようになっており、グリップは漆黒に塗装されている。刃の部分のみ銀色になっているが、これは吸血鬼に有効なダメージを与えるためのカスタマイズだ。普通の刃ではいくら切れ味が鋭くても、奴らに大きなダメージを与えることはできない。

 

 とはいえこいつは人間だ。ほんの少し切っ先を皮膚に押し当てながら捻れば、簡単に皮膚は切り裂ける。

 

「お前は吸血鬼と取引していたんだな?」

 

「な、何のことだ? 私は何も知らんぞ…………!?」

 

 やっぱり口を割るつもりはないか…………。痛めつけてもいいんだが、俺はまだ実際に尋問したことがないから、下手したら加減を間違えて殺してしまいかねない。痛みを与えるよりも、恐怖で精神的に苦しめてやった方がいいかもしれない。

 

 カランビットナイフを折り畳んでポケットに戻した俺は、部屋の出入り口の辺りで待機していた坊や(ブービ)に目配せする。

 

 すると彼は一瞬だけぎょっとしたが、すぐに頷くと、一旦別の部屋の中へと消えていき、少ししてからピンク色の液体の入った試験管と生肉の切れ端を持って戻ってきた。

 

「もうこれを使うのかよ」

 

「確実だろ?」

 

 痛めつけるよりも、これを使った方が効果的だ。

 

「な、なんだそれは?」

 

「落ち着いて」

 

 坊や(ブービ)から受け取った生肉を床の上に置いた俺は、彼から受け取った試験管の栓を外した。中に封じ込められていた花の香りにも似た甘い匂いが一気にあふれ出し、先ほどこのデブにぶちまけた汚水の臭いすら駆逐してしまう。

 

 香水のようにも思えるが、この液体は決して香水などではない。

 

 その試験管をゆっくりと傾け、中に入っているピンク色の液体を一滴だけ床の上に置かれている生肉の上へと垂らす。花の匂いにも似たピンク色の液体は普通の水のように生肉の表面に付着すると、まるでしみ込んでしまったかのようにすぐに消えてしまう。

 

 そして――――――――何の前触れもなく、生肉の一部がどろりと溶け出した。

 

「……………!?」

 

 液体が付着した部分だけではない。ピンク色の雫が流れ落ちた場所を中心に、生肉の塊が溶け始めているのである。たった10秒足らずで床の上の生肉はピンク色のドロドロした液体へと変貌し、先ほどまでの甘い香りとは対照的な、腐臭にも似た悪臭を放ち始めた。

 

「な――――――――」

 

「俺たちの仲間のアルラウネが教えてくれた、強力な酸だ。たった一滴でも太った豚の半分を溶かせる」

 

 タンプル搭にある地下の畑でいつも野菜を栽培している、アルラウネのシルヴィアが教えてくれたものだ。心優しい彼女が何でこんな恐ろしい代物の調合方法を知っていたのかは不明だが、こういう得体の知れない薬品は相手に恐怖を与えるのに役立ってくれる。

 

 すっかりドロドロになってしまった生肉を見下ろしている工場長が、ぶるぶると震え始める。目を見開きながら俺の顔を見上げ、冷や汗を大量に浮かべ始めていた。

 

 ピンク色の酸が入った試験管を揺らしながら、俺はもう一度問いかける。

 

「吸血鬼と取引をしたんだな?」

 

 早くもこれが最後通告だ。まだ誤魔化そうとするならばこの液体を全部ぶちまけてやる。椅子に縛り付けられている工場長もこのままでは目の前の生肉と同じ運命を辿るという事を理解したらしく、震えたまま必死に首を縦に振った。

 

「そ、そうだ……………わっ、私は利益のために、何の罪もない人々を吸血鬼に売った!」

 

「下衆野郎ね」

 

「最悪ですね。死ぬべきです」

 

「まっ、待ってくれ! 私も必死だったんだ! 売り上げも落ち始めていたし、工場の閉鎖も時間の問題だった! 何かしらの利益が必要だったんだ!」

 

 必死に言う工場長だが、その〝何かしらの利益”のためだけに人々を吸血鬼に売ったという事実が浮き彫りになる。許しを請うつもりなのかもしれないが、むしろ俺たちはこいつが反省しているという印象を全く感じていなかった。むしろ醜悪な部分を見せつけられたような気分である。

 

 さすがにもう聞きたくなくなったのか、腕を組んだまま何故か俺のハンチング帽を目深にかぶり、俺が尋問する様子を黙って見守っていたクランが溜息をついた。腕を組むのをやめた彼女は微かな威圧感を纏いながら工場長の元へと歩いていく。

 

 そして彼女がポケットの中へと手を入れた直後、彼女の怒りを纏った漆黒のフォールディングナイフが、工場長の左の太腿へと突き立てられていた。

 

「――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「そんな豚の鳴き声みたいな言い訳は聞きたくないのよ。私たちが知りたいのは吸血鬼の情報だけ。あなたの苦しい生活の話よりも、まださっきぶちまけた汚水の方が価値があるわ」

 

 ひ、久々にこんなクランを見た……………。以前にこんなにキレたのは前世の大学だったな。いじめをやってた男子生徒の胸倉を掴んで壁に叩きつけて、ドイツ語で滅茶苦茶罵倒していたんだ。あの時は何て言ってるのか分からなかったけど、後で彼女に日本語に翻訳したものをそのまま日本語で教えてもらった時は本当にびっくりしたよ。

 

 今の彼女の表情は、あの時の表情にそっくりだ。なんだか懐かしい。

 

「ああ……………ッ! あ、足がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「正直に答えなさい。さもないとこのまま内臓を抉り出して、ゴミ箱の中に投げ捨てるわよ?」

 

「わ、分かったぁっ! い、痛いっ……………! なっ、なんっ、なんでも話すからやめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 坊や(ブービ)がセーフ・ハウスで調合してくれたあの酸よりも、クランに任せた方がよかったかもしれない。こういう尋問っていうのはじわじわと追い詰めるのが普通なんだが、デブにナイフを突き立てた程度で情報が聞き出せるんだから問題ないだろう。

 

 それよりも、俺ももう少し尋問のやり方の練習をしないと。

 

 工場長の太腿にナイフを突き立てたまま尋問を始めるクランの後姿を見つめながら、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし敵の襲撃を受けた場合に備えて、あらかじめ複数のセーフ・ハウスを用意してある。モリガン・カンパニーの諜報部隊が用意したセーフ・ハウスは合計で6ヵ所で、全て距離が離れた別々の場所に用意されている。

 

 侵攻の際に部隊が上陸する予定の場所の確認や侵攻ルートの下見を終え、集めた情報を共有するためにセーフ・ハウスの1つへと戻ろうとしたブレンダン・ウォルコット率いる兵士たちが異変に気付いたのは、彼が引き連れていた兵士の中で一番若いエルフのキースが無線でセーフ・ハウスとの連絡を取ろうとした時だった。

 

 セーフ・ハウスで待っている筈のジョセフたちから、応答がないのである。

 

 仲間が待っている筈の拠点と連絡が取れないという事が明らかになった時点で、ブレンダンはセーフ・ハウスが襲撃を受けたという可能性を認めるよりも先に、部下たちを引き連れて確認に戻ることを選択していた。

 

 乗ってきた荷馬車を走らせ、ベテランと若い兵士が入り混じった部下たちを荷台に乗せたまま、極力目立たないように工場の中のセーフ・ハウスへと急ぐ。前を走る馬車を追い越し、通行人を轢き殺さないように細心の注意を払いながら馬車を走らせるブレンダンは、セーフ・ハウスへと確認に戻ろうとしているにも関わらず、頭の中では襲撃を受けたという可能性を否定できるような可能性を必死に探し続けていた。

 

(バカな……………ジョセフの奴がやられるわけがない)

 

 セーフ・ハウスと連絡がつかないという事は、無線機が破損したか、その無線に答える仲間たちが死亡したという事を意味する。前者ならばまだ辛うじて逃げ延びてくれている可能性もあるが、もし後者だった場合は速やかにセーフ・ハウス内に残っている情報を回収し、証拠を隠滅してから別の拠点へと移動しなければならない。

 

 あそこで吸血鬼の尋問を任せていたジョセフとは、モリガン・カンパニーへと入社する前からの付き合いだった。

 

 かつてオルトバルカ王国騎士団へと入団し、立派な騎士になって世界を変えることを志していたブレンダンは、そこで命令違反を繰り返す問題児のジョセフと出会った。最初は何度も衝突していた2人であったが、魔物の討伐を繰り返すうちにいつの間にか憎たらしかった問題児は相棒になっており、向こうもブレンダンに背中を預けてくれるようになっていた。

 

 結局、任務中に味方を見捨てて離脱しようとした貴族出身の騎士を糾弾したことで濡れ衣を着せられ、強制的に除隊させられるという処分を受けた2人だったが、優秀な騎士が除隊させられたという噂を聞きつけて声をかけたのが、のちにモリガン・カンパニーという大企業を作り上げることになる若き日のリキヤ・ハヤカワだったのである。

 

 それほど長い付き合いだから、あの口の悪い男の腕は知っている。銃という異世界の武器の扱いにもすぐに慣れ、いつしか表舞台ではなく舞台裏での重要な仕事を任されるようになっていた彼らは、汚れ仕事の中で実力を磨いていった。

 

 もう既に、何人も転生者を舞台裏で葬っている。だからこそ彼を信頼し、セーフ・ハウスの守備と吸血鬼の尋問を任せたのである。

 

 そんな彼が、死んだという事をブレンダン・ウォルコットは信じようとしなかった。

 

 せめて無線機の故障で済んでいてほしいと、セーフ・ハウスに辿り着くまで祈り続けていた。あの錆臭いセーフ・ハウスの中に戻れば、相変わらず口の悪い相棒が悪態をつきながら故障した無線機を睨みつけている筈だと祈りながら、彼らがまだ生きているという可能性を信じ続けていた。

 

 やがて夕焼けに照らされた古い工場が姿を現す。今では閉鎖されてしまった工場の詰所の中に、仲間たちがいる。そして無線機が故障したせいで困っているに違いないと思いながら、彼は荷馬車を工場の外に停車させ、木箱の中に入っていたフォアグリップ付きのXM177E2を手にしながら工場の入り口のドアへと向かった。

 

 仲間たちの安否を確認したいところだが、もし彼らが襲撃を受けて全員死亡していた場合、襲撃者が何かしらのブービートラップを仕掛けている可能性もある。魔術で残したトラップや、トラバサミのような物理的なトラップに引っかかるのは愚の骨頂だ。だからこそ焦燥の中から冷静さを絞り出し、訓練で身につけたとおりに警戒しながら入らなければならない。

 

 呼吸を整え、素早く入り口のドアを開けて工場の中へと入る。放置された巨大な旧式のフィオナ機関が鎮座する工場の中には人がいる気配はなく、トラップが仕掛けられている可能性もない。銃口と視線を物陰や暗闇の中へと向けて警戒し、敵が潜んでいないことを確認してから、部下たちに合図を送って詰所へと急ぐ。

 

 折れ曲がったキャットウォークの近くにある扉へと差し掛かった瞬間、先頭を走っていたブレンダンは息を呑んだ。

 

「バカな……………」

 

 セーフ・ハウスへと急行した彼らを待っていたのは―――――――弾丸と思われる飛び道具で穴だらけにされた錆だらけのドアと、その奥から溢れ出る血の臭いだった。

 

 恐る恐るドアへと手を近づけ、穴だらけのドアを開けようとする。しかし元々老朽化していたドアは無慈悲な銃弾らしき飛び道具の追い討ちで既に力尽きていたらしく、彼がドアノブに触れた瞬間に詰所の中へと倒れていった。

 

 セーフ・ハウスの中はもう既に血の海だった。薄汚れていた床にはびっしりと血飛沫が飛び散っており、真っ赤になった床の上に見覚えのある仲間たちが倒れている。この諜報部隊の中では一番若かったカーンがドアの近くで倒れていて、その奥では上顎から上を吹っ飛ばされた男が、自分の頭だった肉片で断面を隠すかのように倒れている。

 

(ダリルか……………?)

 

 ダリルもまだ若い兵士だった。カーンよりも2年ほど先輩の隊員で、高い給料の半分以上を故郷の村に仕送りしている優しい男だった。「親孝行がしたい」と常々言っていた仲間の無残な亡骸が、それを目にしたブレンダンたちの心を砕いていく。

 

 その奥では――――――――ここにいた筈のもう1人の男が、やはり血まみれになって倒れていた。

 

 がっちりした体格とスキンヘッドが特徴的な、ブレンダンの相棒である。

 

「ジョセフ!」

 

「う……………」

 

 名前を呼ぶと、彼の手がぴくりと動いた。カーンとダリルは明らかに死亡しているが、ジョセフはもしかしたら助けることができるかもしれない。

 

 せめて彼だけでも助けようと、ヒーリング・エリクサーの瓶を取り出しつつ駆け寄ろうとするブレンダン。しかし力を振り絞りながら持ち上げられたジョセフの大きな手が、駆け寄ろうとするブレンダンに「来るな」と告げていた。

 

「ジョセフ…………?」

 

「やめ…………ておけ………」

 

 口から血を吐きながら、彼がゆっくりと上着のボタンを外す。

 

 血まみれの上着の下にあったのは、銃弾のようなものに貫かれた傷跡。しかしその傷跡よりも、ブレンダンは彼の胸板に生じた異変を注視していた。

 

 がっちりしている彼の胸板が―――――――崩れているのである。

 

 肉が崩れ落ちて胸骨があらわになっているのだ。しかも肉体の崩壊は胸板だけでなく、他の部位でも起こっているようだった。耳が零れ落ち、額の肉が皮膚ごと床に落ちていく。

 

「きゅ、吸血鬼のやつに…………や、やられた…………みたい……だ……………」

 

「待ってろ、今助ける!」

 

「ハッ……………や、やめ……ろ………バカ」

 

 やがて、彼の腕の肉も崩れ落ち始めた。身体中の骨があらわになっていくのを目にしたブレンダンは、騎士団にいた頃から何度も相手にした魔物のスケルトンを連想していた。錆だらけの防具とボロボロの剣を持ち、ふらつきながら襲い掛かってくる魔物である。

 

「あいつらの………血………を………飲まされた……………。このままじゃ、魔…………物に…………なっちまう」

 

 ジョセフの肉体は腐敗しているのではない。骨を覆う肉と皮膚を脱ぎ捨て、臓器まで全て放棄し、スケルトンに変貌しようとしているのだ。

 

 吸血鬼の血には特別な力があるという言い伝えがある。人に飲ませることで普通の人間を吸血鬼にしたり、ゾンビやスケルトンに変えてしまうという。

 

 真面目だったブレンダンは図鑑や教本で目にしたことはあるが、犠牲者を目にしたことはない。だから最高の相棒が魔物になりつつあるという事を信じることはできなかった。

 

 もしかしたら、ヒーリング・エリクサーで治療できるかもしれない。そうすれば彼をオルトバルカへと連れ帰って、彼の家にいる妻と幼い息子に再会させてやることができる。しかしそう思って近付こうとしても、ジョセフは必死に手を伸ばして「来るな」と拒み続けた。

 

 もう元の姿には戻れないと悟っているのだ。このままではスケルトンと化し、戦友たちに襲い掛かってしまう。だからその前に何とかする必要がある。

 

 元の姿に戻れないのであれば――――――――殺すしかない。

 

 手にした銃で頭を撃ち抜き、付き合いの長い戦友を眠らせてやるのだ。

 

「……………ブレ……ン……ダン………終わら………せてくれ……………」

 

 グリップを思い切り握りしめ、XM177E2の銃口をジョセフの頭へと向ける。フォアグリップを握る左手が震えているせいなのか、アイアンサイトが揺れる。そして覗き込んでいる筈のアイアンサイトが段々と歪んでいく。

 

 無表情のまま銃を構えるブレンダンだったが、彼の左手はまるで戦友の命を奪うことを拒むかのように、必死に震えていた。まるで、まだ彼を救えるかもしれないから殺すなと訴えかけるかのように、仲間を撃とうとしているブレンダンを制止している。

 

 トリガーを引けば、彼の妻と幼い息子から父親を奪うことになる。モリガン・カンパニーで働く立派な父親は戦場で勇ましく戦って散ったのではなく、魔物と化すことを拒み、仲間に撃ち殺されるのだ。

 

(お前はそれでいいのか……………?)

 

 頬の肉が、徐々に崩れていく。左目の眼球も肉と一緒に崩れ、戦友の顔が段々と忌々しい髑髏に変貌していく。

 

「早く…………撃てよ」

 

「……………」

 

「ビビり……やが…………って……………」

 

 もう骨だけになった片手をポケットの中へと突っ込んだ彼は、最後の力を振り絞り、その中から一枚の白黒の写真を取り出した。

 

 それに写っているのは、微笑む美しいエルフの女性と、彼女に抱き上げられたハーフエルフの幼い子供。王都に住んでいるジョセフの家族である。

 

 仲間に撃ち殺される前に、家族の姿を焼き付けようとしているのだろう。もう顔の半分の肉が崩壊している戦友の姿を見てそれを理解したブレンダンは、やっとアイアンサイトが歪んで見える原因が自分の涙であることを悟った。

 

「…………妻(キャサリン)と息子(カイル)に……………よろしくな……………」

 

「……………」

 

 彼の言葉を聞いた瞬間、腕が振るえるのをやめた。

 

「―――――――許せ」

 

 せめて、定年退職するまでは背中を守ってやるつもりだった。

 

 しっかりと子供を育てながら老いて、孫たちや家族たちに看取られて死ぬまで、この男を死なせるつもりはなかった。

 

 しかしその目標を守ることは、できなかった。今から自分が守ろうとした幸せな相棒の命を、自分が奪わなければならないのだから。

 

 だからブレンダンは、最後に謝った。

 

 そして、引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 



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ノエルが迎え撃つとこうなる

 

 ノックの音が聞こえた瞬間、俺は反射的にCz2075RAMIが収まっている私服の内ポケットへと手を伸ばしていた。ここの場所を知っているのが味方だけとはいえ、常に訪れるのが味方だけとは限らない。もしかすると尾行されてセーフ・ハウスの位置がバレているかもしれないし、あまり考えられないけれども仲間が裏切り、こちらの情報を敵に流したという事も考えられる。

 

 だから襲撃にも備えられるように、俺はテンプル騎士団で採用されているハンドガンを小型化したものをいつでも引き抜けるようにしつつ、近くにいるノエルちゃんに目配せしてから扉の方へと向かった。

 

「同志、ここはどこだ?」

 

 合言葉が言えなかった場合、容赦なく射殺するようにタクヤから命令されている。合言葉を知らないという事は部外者という事になるし、敵だという可能性もある。もし仮に敵じゃなかったとしても、少々残酷だがセーフ・ハウスの位置を知られた以上は生かしておくことは許されない。

 

 もし仮にアパートの一室のような、人が訪れてもおかしくない場所をセーフ・ハウスにしていたのならばそこまでする必要はなかった。しかしここはスラムの近くにある、途中で建設が中断されたアパートの一室。こんなところを訪れる人は滅多にいないし、仮に訪れたとしてもそれはスラムのごろつき共だろう。

 

 そう、このセーフ・ハウスを訪れる人物はかなり限定されるというわけだ。この場所を知っている味方か、敵か、偶然ノックしてしまった完全な部外者しかいない。

 

 内ポケットの中で安全装置(セーフティ)を解除しようとしたその時、ドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

『―――――――スターリングラードだ』

 

「…………ウォルコットさん?」

 

 扉を開けてみると、やはりその向こうにはモリガン・カンパニーから派遣されてきた数名の諜報部隊の隊員たちが立っていた。私服に身を包んでいるのは前に会った時と変わらないが、彼らは背中にXM177E2を背負って武装しているようだった。表情も前に出会った時に浮かべていたリラックスしているような表情ではなく、惨劇を目の当たりにしてしまったかのような険しい表情である。

 

「どうしたんです?」

 

「……………セーフ・ハウス2-1がやられた。吸血鬼の襲撃だ」

 

 彼の報告を聞いた瞬間、ここにいたメンバーが全員凍り付いた。

 

 潜伏場所として複数のセーフ・ハウスが用意されているんだが、2-1は確か俺たちが吸血鬼を送り届け、その吸血鬼をジョセフさんが尋問している筈の場所だった筈だ。はっとしながらメンバーを見渡してみると、確かに人数が足りない。それにあの口の悪かったスキンヘッドのジョセフさんも見当たらない。彼も一緒ならば今頃悪態をついている筈だから、すぐに分かる筈なのに。

 

 すると、ウォルコットさんが何かを握りながら右手を上げた。彼のがっちりした手が握っているのは――――――――3人分のドッグタグだった。

 

「…………カーンとダリルとジョセフのだ」

 

「そんな……………」

 

 3人も犠牲になったのか…………。

 

 もしかしてそのセーフ・ハウスの位置が敵に漏れたのは、俺たちのせいなのではないだろうか。俺たちが迂闊な行動をしていたせいで、尾行されて位置を突き止められてしまったのではないか? ふとそう思った俺を見つめていたウォルコットさんは、苦笑いしながら「君たちのせいじゃないさ」と言った。そしてドッグタグをポケットの中に戻し、ため息をつく。

 

「吸血鬼の方が一枚上手だった。……………しかも、もう1つ悪いニュースがある」

 

「悪いニュース?」

 

 話題が切り替わったのと同時に、俺はまだ内ポケットの中でハンドガンのグリップを握っていた事に気付いた。間違ってぶっ放さないように慌てて安全装置(セーフティ)をかけて手を離し、悪いニュースを聞くことにする。

 

「―――――――3人とも、銃殺された」

 

「え……………?」

 

 ちょっと待て。銃殺だって……………?

 

 確か、銃ってこの世界にはまだ存在しないんだろ? モリガン・カンパニーでは蒸気で矢を撃ち出すスチームライフルっていう銃に近い武器が実用化されたって聞いたけど、それは銃弾ではなく小型の矢を撃ち出す兵器だって聞いている。

 

 つまり銃弾を撃ち出す銃を持つことが許されているのは、転生者か転生者の仲間のみ。だから銃を使って殺されたという事は、簡単に言えば転生者か関係者に消されたことを意味する。

 

「転生者がやったんですか?」

 

「いや、ジョセフは死ぬ間際に……………『吸血鬼にやられた』と言っていた」

 

「吸血鬼が銃を……………?」

 

 吸血鬼の身体能力は、人間をはるかに上回る。レベルにもよるが転生者の身体能力すら上回ると言われており、非常に高い再生能力を持つ個体は転生者以上の脅威とされている。

 

 人間の頭蓋骨を容易く粉砕する握力や、巨大な時計塔を素手で倒壊させられるほどの腕力を持つ化け物が、更に銃で武装する。銃という異世界の武器のおかげで辛うじて生身の人間でも吸血鬼と互角に戦える状態だったというのに、吸血鬼まで銃で武装したという事は、その均衡が崩壊したことを意味していた。

 

 実際に21年前のモリガンの傭兵たちは、彼らほどの精鋭が最新式の銃と吸血鬼の弱点を用意し、更に重装備のスーパーハインドまで投入して戦いに挑んだというのに、最終的には虎の子のスーパーハインドは撃墜され、メンバー全員が吸血鬼に殺されかけるという信じ難い結果で終わっている。

 

 恐ろしい吸血鬼と辛うじて互角に戦い、撃退することができたのは銃のおかげだというのに、その強力な武器を吸血鬼も装備していれば、身体能力ではるかに劣る生身の兵士たちが蹂躙されるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「転生者が協力している可能性は?」

 

「どうだろうな。むしろ、奴隷として武器を提供させられているのか、脅されているのかも知れん」

 

「なんてこった」

 

 吸血鬼は元々、数はそれほど多くはない。サキュバスのように絶滅寸前まで追い込まれたとはいえ、まだ各地には様々な吸血鬼が生き残っている。しかしその大半は人間との共存を選んだ穏健派で、吸血鬼による世界の支配をもくろんでいる過激派は生き残りのうちの3分の1だと見積もられている。

 

 しかし恐ろしい種族であることに変わりはないため、モリガン・カンパニーは圧倒的な兵力を前線に投入することでこれに対処しようとしていた。しかし向こうまで銃を装備しているのならば、勝率が変動する可能性は高い。

 

「それで、セーフ・ハウスは?」

 

「証拠隠滅のために火を放った」

 

 質問すると、ウォルコットさんは息を吐いてから答えてくれた。

 

「……………とにかく、敵にはこちらが潜伏しているという事がバレている。今後は敵の警戒も厳しくなるだろう」

 

「気をつけます」

 

「そうしてくれ。……………念のため、本社には回収部隊の派遣を要請しておく」

 

「撤退するんですか?」

 

 近くに立っていたノエルちゃんが問いかけると、踵を返そうとしていたウォルコットさんの隣にいた若いエルフの兵士が、彼女を見据えながら言う。

 

「もう既にこちらが潜伏していることがバレている以上、留まるわけにはいかない。それに敵も銃を持っているという情報も得られた。最低限だけど、目的は果たしている」

 

「……………」

 

 諜報部隊としての初陣だったから張り切っていたんだろう。しかし結果は敵の反撃のせいで早くも大きな痛手を被り、撤退が現実味を帯び始めている。敵の戦力を探るチャンスが台無しになりかけていることが許せないのかもしれない。

 

 俺も撤退するというのは納得できない。むしろ、殺された3人の仇を取ってやりたいところだ。けれども俺たちの目的は、あくまでも敵の情報を探り、それを味方に伝える事。その情報を元に仲間たちが作戦を立てつつ戦力を調整し、最前線へと突っ込んでいく。

 

 俺たちの情報が、ヴリシア侵攻の結果を左右するのだ。もしここで仲間の仇討ちのために強大な敵に挑んで全滅すれば、仲間は情報を得られないままここへと攻め込まなければならない。

 

 だから全滅は避けなければならないのだ。

 

「ひとまず、俺たちは別のセーフ・ハウスに移る。回収部隊の到着まで、引き続き情報収集を頼む」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 もう既に最低限の情報は集まっているから無理は禁物かな。

 

 結局俺たちはあまり役に立てなかったみたいだけど、ここで無茶をして仲間に迷惑をかけるよりは、生き残ってこの情報を伝えるべきだ。

 

 やっぱりノエルちゃんは納得できてないみたいだけど、後で説得しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外はもう完全に暗くなり、セーフ・ハウスの外は暗闇と夜景の光が支配していた。

 

 スラムの近くにあるからなのか、周囲にはほとんど光がない。時折ランタンを手にした数人の男たちがふらつきながら歩いて行き、近くにあるゴミ箱の中を漁っている。まだ食べれる何かが捨てられていないか確認しているのかもしれない。

 

 この国も、私の祖国(オルトバルカ)と同じだった。貴族や身分の高い者たちだけが利益を得て「この国は発展している」と喜ぶ一方で、その利益を得るための最前線でこき使われている労働者たちは安い賃金の使い道を吟味し、空腹に耐えながら過酷な労働を続けている。職をやめれば楽になるけれど、家族を養う手段もなくなる。だから、過酷な仕事でも続けるしかない。

 

 その仕打ちに屈してしまえば、ああやって路頭に迷うことになるのだから。

 

 板でふさがれたセーフ・ハウスの窓の隙間から外を眺めていた私は、何度も隙をついて外へと出て行こうとした。けれども部屋の中に座っているクランさんが、自分のナイフに付いた血をハンカチで拭き取りながら、私が立ち上がろうとするときに限ってこっちを見てくるせいで、なかなかセーフ・ハウスを抜け出せない。

 

 正直に言うと、もう撤退するという決定には納得できない。

 

 私たちは、まだ情報を得ていない。やっとあのデブが口を割ったおかげで吸血鬼たちの情報を得ることができると思っていたのに、何も情報を手に入れる前にもう撤退するのはおかしいと思う。

 

 確かに、最低限の情報は手に入れていると思う。敵が銃を持っているという悪いニュースと、ウォルコットさんたちが担当することになっていた上陸地点や侵攻ルートの情報。その2つの情報はタンプル搭のみんなやパパたちに知らせるべき情報だけど、まだ手に入れることができる情報は残っていると思うの。

 

 だって、まだ敵の本拠地の位置すら明らかになってないのだから。

 

「……………」

 

「落ち着きなさい、ノエルちゃん」

 

 ナイフを研ぎながら、クランさんが言った。まだ私がセーフ・ハウスを抜け出すチャンスを伺っているという事を見透かしているのかもしれない。

 

「でも……………」

 

「今の情報だけで十分。今回は敵にバレるタイミングが速過ぎただけなの」

 

「……………」

 

 もう一度窓の外でも眺めようと思ったその時、ドアがノックされる音が聞こえてきた。すかさず坊や(ブービ)君がハンドガンのグリップを握りつつドアの近くに行き、合言葉で仲間かどうかの判別を始める。

 

「ここはどこだ?」

 

『スターリングラード』

 

 帰ってきたのは、ケーター君だった。

 

 情報収集に行ってたみたい。私が同行するのを許してもらえなかったのは、きっと私が命令違反して単独行動を開始することを危惧していたからなんだと思う。

 

「ん? あのデブは?」

 

「そこのドア開けてみろ」

 

 帰ってきたケーター君は、ハンチング帽を近くの壁にかけてから部屋のドアを開けた。あの太っていたおじさんを尋問するのに使っていた部屋で、ドアを開けた瞬間に腐臭にも似た猛烈な悪臭が溢れ始める。

 

 鼻をつまみながら部屋の中を見渡していたケーター君は、顔をしかめながらドアを閉めた。そして思い切り息を吐きながら苦笑いし、近くにある椅子の上に腰を下ろす。

 

「……………ピンク色のスムージーだ」

 

「飲んでいいぞ?」

 

「アホか。腹壊すっつーの」

 

 椅子に座って書類を整理していた坊や(ブービ)君は笑いながら、片手で中身の入っていない試験管をわざとらしく揺らした。彼はさっきまであのおじさんの尋問を担当していたみたいで、あの書類には叔父さんから聞き出した情報がまとめられているんだと思う。

 

 そういえば、あの試験管って調合した酸が入ってたやつだよね? 中身はどうしたんだろう?

 

「それで、何か聞き出せたか?」

 

「あまり有益な情報は得られなかったが……………どうやら過激派の吸血鬼を率いているのは、『アリア・カーミラ・クロフォード』っていう女の吸血鬼らしい」

 

「女の吸血鬼?」

 

「ああ。まさに女王だな」

 

「他には?」

 

「吸血鬼がホワイト・クロックによく出入りしているらしい」

 

「ホワイト・クロック?」

 

 ホワイト・クロックはこのサン・クヴァントの象徴。大昔からこの帝都の中心に屹立する、とても大きな時計塔。21年前にパパたちがレリエルと戦った際にレリエルが素手で倒壊させてしまったみたいなんだけど、すぐに復元されたんだって。

 

 それ以前は展望台が人気スポットだったみたいなんだけど、復元されてからは閉鎖されて誰も入っていたいみたい。新聞配達をしながら聞いた話なんだけど、もし本当に誰も入れないような場所ならば、吸血鬼が根城にするには絶好の場所だと思う。

 

 敵はまだセーフ・ハウスを探してるのかな? それとも諦めて根城に戻ったのかな?

 

 窓の外を見ながら考えていたその時、窓の外からうっすらと足音が聞こえてきた。先ほどまで外をうろついていた足音とは違う、もっと禍々しくて、殺気を隠しているような足音だ。

 

 それを聞き取ったせいなのか、私の長い耳がぴくりと揺れた。もともと私はハーフエルフだったんだけど、キメラになっても耳はそのままなの。だから高い聴覚も維持されているから、ラウラお姉ちゃんほどではないけど音を聞き取るのは得意なんだ。

 

 よくクランさんには「猫(カッツェ)みたい」って言われる癖なの。

 

「どうしたの?」

 

「……………敵かも」

 

 微かに、血の臭いもする。

 

 私はすぐにポーチの中に入っていた重い瓶を取り出すと、それの栓を外した。まるで小さな鉄球を持ちげているみたいに重いんだけど、その重さとは裏腹に中には銀色の液体がたっぷりと入っている。

 

 中身は水銀だった。この水銀も吸血鬼の弱点の1つだし、これを投げつけるだけでも吸血鬼にとっては致命傷になる。

 

 でも私はそれを投げつけるために持ってきたわけではない。栓を外した水銀入りの瓶を口に近づけると、息を呑んでから思い切りそれを傾け、口の中へと流し込んだ。重い液体を必死に飲み込んでから息を思い切り吸い込み、空になった瓶を近くのテーブルの上に置く。

 

 私の遺伝子には、キングアラクネの遺伝子も含まれている。キングアラクネの主食は肉だけど、時折鉱石や水銀のような金属も摂取する習性があるらしいの。何でも寸断してしまう恐ろしい切れ味の糸を体内で生成できるのは、摂取した金属が影響しているみたい。

 

 フィオナちゃんに検査してもらったんだけど、どうやら私にも体内に取り込んだ鉱石を糸に生成し直す特別な器官があるみたいなの。しかも鉱石に含まれる毒物の影響は、キングアラクネの遺伝子のおかげで全く受けない。

 

 それにしても、お腹が重いなぁ……………。

 

 右手を外殻で覆い、指先から糸を生成する。私の身体は早くも取り込んだ水銀を糸として生成したらしく、指先から姿を現した糸は白銀に煌いていた。

 

 水銀性の糸だ。これで斬りつければ、吸血鬼は再生できない。

 

 こういう糸のような武器の扱い方はパパから教え込まれているから、自信がある。

 

「私が迎え撃ちます。その間に移動の準備を」

 

「……………無茶はしないでね」

 

坊や(ブービ)、援護しろ」

 

「了解(ヤー)」

 

 クランさんに言ってから、私は堂々と入り口のドアを開け、セーフ・ハウスを後にした。

 

 真っ黒なフードで耳を隠しつつ壁をよじ登り、近くの建物の屋根の上へと上がる。相変わらず水銀の残っているお腹が重かったけど、生成が進んでいるおかげなのか先ほどよりも少しだけ軽かった。

 

 もし余裕があれば、襲撃してきた吸血鬼を生け捕りにして尋問してやる。

 

 そう思いながら、私は懐からジャックナイフを引き抜いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サン・クヴァントに入り込んだ諜報部隊のセーフ・ハウスを1つ潰した後、そこに囚われていたアレクセイは、ブラドと別行動をしていた。アレクセイは工場長と取引をしに行ったところをシュタージのノエルに襲撃されて両足を負傷し、そのまま彼らに拘束されてしまったのだ。だから諜報部隊のアジトがそこだけではないという事を知っていたのである。

 

 ブラドと分担してセーフ・ハウスを潰すことにした彼は、偶然シュタージのセーフ・ハウスの近くへと接近していた。

 

(さすがブラド様の血だ)

 

 ノエルに撃ち抜かれた筈の両足を見下ろしながら、アレクセイはニヤリと笑った。

 

 銀の9mm弾で撃ち抜かれ、木っ端微塵になった彼の両足の骨は、ブラドの血を少しだけ飲んだおかげで完治していた。強靭な骨のおかげで吸血鬼の身体能力を完全に発揮できるようになった彼が最初に欲したのは、やはり自分の脚を撃ち抜いた小娘(ノエル)への復讐である。

 

 吸血鬼はプライドの高い種族だ。それゆえに、自分の両足を潰して人間から尋問を受ける原因となった少女が、憎たらしくてたまらない。両足が完治したことに喜びながら、彼の頭の中では足を潰した小娘をどうやって殺すかという方法を次から次へと考えていた。

 

(四肢を千切り取るか? 内臓を取り出すのも悪くないが、とりあえず殺す前に犯してやるか……………)

 

 まだ14歳ほどの少女に両足を潰されたことは、彼にとって汚名でしかないのだから。

 

 しかし運良くシュタージの隠れ家の近くへとやってきた彼は、すぐに汚名を再び与えられることになった。

 

 ぎちん、と何の前触れもなく、左腕の肘の辺りが細い何かに締め上げられたような感じがした。違和感を感じつつ自分の左腕を見てみると、銀色の細いワイヤーのようなものが吹くと自分の左腕に食い込んでいるのが分かる。

 

 腕に力を込めても千切れないだろうと判断した彼は右手でそれを取り外そうとするが――――――――水銀で生成されたその細い糸は触れられることを拒むかのように更に収縮すると、容赦なく左腕の肉へと食い込み、そのまま骨を寸断してしまう。

 

「なっ――――――――」

 

 激痛を感じると同時に、驚愕していた。

 

 自分の血で汚れたその細い糸は――――――――吸血鬼にとっての弱点の1つである、水銀によって生成されたものだったのだから。

 

 大昔から生きている吸血鬼とは違い、アレクセイはあくまで下っ端の吸血鬼だ。それゆえに弱点である銀や聖水への耐性が全くと言っていいほどないのである。つまり、またブラドに血を与えてもらわない限り、今しがた吹っ飛んでいった左腕は生えてこない。

 

「う、腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

「うるさいよ、おじさん」

 

 いつの間にか、路地の向こうに小さな人影が立っていた。

 

 真っ黒なホットパンツと上着の上に、真っ黒なフードのついた制服のような上着を羽織った小さな人影。かぶっているフードの左側には、忌々しい転生者ハンターの象徴でもある深紅の2枚の羽根が飾られている。

 

 そう、その少女だった。アレクセイの両足を潰した張本人が、路地の向こうに立っているのだ。

 

「き、貴様ぁ……………!」

 

「おいでよ。……………今度は四肢を全部切り落としてあげるから」

 

 銀色の刀身を持つジャックナイフを構えながらそう言うノエルを、早くも左腕を失ったアレクセイは睨みつけていた。

 

 

 

 

 



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ノエルVSアレクセイ

 

 

 ノエル・ハヤカワが両親やリキヤから訓練を受けた期間は非常に短い。時間だけで言うならば、明らかに”訓練不足”と言わざるを得ないほどで、普通ならば絶対に実戦には出撃させられないほどである。

 

 しかし彼女が1ヶ月足らずの訓練を受けただけでカルガニスタンへと送られ、テンプル騎士団の戦力となることができたのは、キメラとして覚醒した彼女の持つ素質と、短期間の訓練で両親から暗殺や隠密行動のノウハウを吸収できるほどの、学習能力の早さが理由と言える。

 

 欠点を言うならば経験があまりにも少なすぎる事。しかしそれに目を瞑れば、ノエルはまさに才能の塊と言えた。

 

 もう既に吸血鬼と交戦した経験のある両親から、吸血鬼の恐ろしさについて何度も教えられている。人間を圧倒する身体能力と驚異的な再生能力を併せ持ち、古来から人々を震え上がらせてきた怪物たち。どんな剣で切り裂かれても再生し、火だるまになっても元通りになってしまう怪物たちを倒すには、彼らの弱点を活用するしかない。

 

 迎撃前に飲み込んだ水銀の重みが徐々に薄れていくのを感じながら、ノエルは走り出した。彼女が飲み込んだ水銀が吸収され、体内にある糸を生成する臓器の中で水銀性の糸へと再構築されている証拠である。

 

 水銀もれっきとした吸血鬼の弱点の中の1つ。それゆえにそんな糸で切断されれば、再生能力の高い個体でない限り、肉体を再生させることは不可能になる。

 

 もう既に相手の吸血鬼は奇襲で片腕を失っている。しかも片腕を失ったのは弱点である銀の糸による切断。だからその傷を再生させることは、レリエル・クロフォードのような強力な吸血鬼でもない限り不可能だ。

 

 相手の戦闘力は削がれた状態。しかしノエルが先に動いたのはそれをチャンスだからと思ったからではなく――――――――吸血鬼という種族の気質を考えた結果であった。

 

 基本的に彼らはプライドが高く、傷口の再生ができないほかの種族たちを見下している者が多い。つまり吸血鬼から見れば、人類だけでなくキメラまでもが”格下”なのである。そんな格下の相手に片腕を切断されたという事実は、吸血鬼を激昂させる原因になるのは明らかだ。

 

 しかもその格下の相手が、自分よりもはるかに年下の14歳の少女で、しかも彼女の種族はまだまだ歴史が浅い上に個体数も少ないキメラ。更にそのキメラは、彼らの王であるレリエル・クロフォードを葬った怨敵なのである。

 

 ノエルがキメラであるという事には気づいていないようだが、その2つの理由だけでも彼らを激昂させるには十分であった。そう、ノエルは一番最初に吸血鬼の反撃を受けることを回避するために先に動き、可能ならば攻撃される前に止めを刺そうとしたのである。

 

 だが、片腕を失ったアレクセイが右腕を突き出し、手のひらの前に紫色の魔法陣を展開し始めたことに気付いたノエルは、それを形成する速度と詠唱の早さが予想以上だったことに気付き、すぐに追撃を断念して右へと回避していた。

 

「ダークネス・ニードル!」

 

「きゃっ!?」

 

 ダークネス・ニードルは、闇属性の中でも初歩的な魔術と言われている。あらゆる魔術師が一番最初に習得する闇属性の魔術と言われており、魔法陣から数発の闇属性の棘を生成し、それを瞬時に加圧して射出する攻撃だ。極めて単純な魔術であるものの、弾速が速いため狙撃に用いられることも多い。

 

 しかしアレクセイは狙撃ではなく、その弾速の速さを生かしたカウンターとして放ったのだった。こちらが吸血鬼だという事を知っているならば、片腕を失って戦闘力が削がれている段階で決着をつけようとする筈である。そして手にしている得物がナイフであったことから、アレクセイはこちらが態勢を整える前にあの小娘(ノエル)が接近戦を仕掛けてくると判断し、弾速の速い魔術での迎撃を選択したのだ。

 

 あえて初歩的な魔術を選んだのは、発動させるまでの時間が短いことが理由である。とにかく素早く攻撃できる魔術で確実に仕留めようとしたアレクセイであったが、彼の放った闇属性の棘たちはノエルの肉体を貫くことはできなかった。彼女に躱され、工場の排煙の臭いが染みついた路地の中へと消えていく。

 

 そして――――――――いつの間にか、ノエルの姿も消えていた。

 

「!?」

 

 彼女が回避した筈の方向を確認しても、真っ黒な制服に身を包んだ黒髪の少女の姿はない。

 

 目の前にいた少女に片腕を切断されたにもかかわらず、アレクセイは一瞬だけ、あの少女は幻だったのかと思ってしまうほどだった。しかし左腕の断面から襲い掛かってくる激痛を感じる度に、その馬鹿げた仮説が崩壊していく。

 

 あんな幼い少女に、優れた種族である筈の自分が片腕を切断されたという事実が、再びアレクセイの中に憎悪を生み出した。

 

「クソガキがぁ……………!」

 

 もし逃げたのならば、体内の魔力の反応で探し出すことはできる。それに吸血鬼の発達した聴覚野嗅覚をフル活用すれば、自分の腕を切り落としたとはいえまだ幼い少女を見つけ出すことは容易い。追撃する方法はまだあるのだから、幻を見たという仮説を信じてしまうのは愚の骨頂である。

 

 左腕を失ってしまったとはいえ、まだ身体能力ではこちらの方が上だと信じているアレクセイは、闇属性の魔力で形成した漆黒のサーベルを右手に持つと、今しがたノエルが回避していった方向へと向けて走り出した。

 

 そして――――――――まんまとノエルが仕掛けた罠(トラップ)に引っかかる羽目になった。

 

 ぷちん、と細い糸のようなものを千切ったような音が、右足の脛の辺りから聞こえてきた。その音が聞こえてくる直前に感じたのは、かなり細い何かが右足の脛に軽く食い込んだ感触。それを感じた瞬間、アレクセイは肝を冷やした。冷静さを失ったせいでまたしても小娘の仕掛けた罠にかかり、今度は右足を切断されるのではないかと考えた。しかしその感触はすぐに消え去り、彼の右足は切断されずに済んだ。

 

 しかしその感触は――――――――罠が発動するという予兆でしかなかった。

 

「!?」

 

 突然、彼の左側に置かれていた樽の群れの中にさりげなく置かれていた金属製の小さな何かが膨れ上がったかと思うと、爆風と共に無数の小さな銀の球体をばら撒いたのである。それの正体は回避して走り去っていったノエルが、吸血鬼の追撃を予測して素早く設置していったクレイモア地雷であった。

 

 内包されていた小さな鉄球は、対吸血鬼用に銀製の物に変更されている。至近距離でそんな攻撃を喰らう羽目になったアレクセイは銀の球体に左腕の傷口を抉られながら、爆風で反対側にある廃墟の壁に叩きつけられる羽目になった。

 

「ガッ――――――!?」

 

 よりにもよって左腕の傷口に、まとめて数発の銀の球体が食い込んだ。激痛がさらに膨れ上がり、それに耐えられなくなったアレクセイは起き上がりながら絶叫していた。

 

「無様ね、吸血鬼(ヴァンパイア)」

 

「き、貴様ぁ……………!」

 

 そして絶叫していたアレクセイを見下ろしていたのは、彼から片腕を奪った挙句、罠で追撃した14歳の少女である。自分よりも劣っている筈の種族に見下されているというこの状況はさらにアレクセイを激昂させたが、たった2回の攻撃とはいえ致命傷を負っている彼の身体にまで、アレクセイの感じている怒りは伝播しなかった。彼を襲っている激痛と、他にも罠が仕掛けてある可能性があるという恐怖が彼の怒りを希釈しているのである。

 

 辛うじて起き上がったアレクセイだったが、銀の球体が食い込んでいたのは左腕の傷口だけではなかった。左足の脹脛や脇腹にも命中しており、立ち上がった瞬間によろめいてしまう。

 

「ところで、私たちの仲間のセーフ・ハウスを壊滅させたのはあなた?」

 

「なに…………?」

 

 ジャックナイフのグリップを握り締めながら問いかけるノエルも、アレクセイと同じように怒りを感じていた。

 

 ほとんど話すことはなかったとはいえ、自分の叔父の会社から派遣された仲間が殺されたのである。アレクセイは自分のプライドを汚された個人的な怒りだが、ノエルが感じている怒りは彼の怒りとはレベルが違う。どれだけアレクセイが激昂しても、ノエルの感じている怒りには届かない。

 

「ふん……………あの人間どもか」

 

「ああ、そう」

 

 ため息をついたノエルは、銀の刃が装着されているジャックナイフをくるりと回した。タクヤの持つナイフと比べるとかなり細身で華奢な銀色の刀身が、微かな夜景の光で煌き、夜に支配されたスラム街の一角で小さな三日月を映し出す。

 

 その瞬間、アレクセイの右足に風穴が開いた。

 

 銃声は聞こえない。弾丸が着弾した瞬間の衝撃と、その風穴が開けられたという激痛だけがアレクセイへとプレゼントされる。

 

 しかも着弾したのは、右足の膝である。強力な種族とはいえ防御力そのものは人間と変わらない吸血鬼の肉体は、突然飛来した1発のライフル弾をあっさりと受け入れ、膝の骨の粉砕を許してしまう。

 

「うぐぅっ……………!?」

 

「なら、苦しめて殺さないとね」

 

 いきなり片足を撃ち抜かれ、ノエルに拘束された時のように地面に倒れる羽目になったアレクセイを見下ろしながらノエルが告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今しがたの狙撃の正体は、交戦しているノエルの後方にある荷馬車の荷台の上に隠れ、暗視スコープを装着したマークスマンライフルを構える坊や(ブービ)の狙撃であった。

 

 シュタージのメンバーの中でも狙撃や砲撃を得意とする彼の本職は、あくまでも”選抜射手(マークスマン)”である。しかし場合によってはボルトアクション式のスナイパーライフルや対物(アンチマテリアル)ライフルを使用し、遠距離狙撃までやり遂げてしまうスペシャリストでもある。

 

 彼がこの潜入の最中に戦闘となった際に使用するメインアームとして装備していたのは、ドイツ製アサルトライフルの『XM8』をベースに、狙撃できるように改造を施された『XM8シャープシューター』と呼ばれる代物であった。

 

 命中精度ではスナイパーライフルには及ばないものの、ベースとなった銃がアサルトライフルであるため使い勝手が非常に良く、更にセミオートマチック式であるために連射し易いという利点を持つ。使用する弾薬は少しでも殺傷力を上げるため、大口径の6.8mm弾を使用している。

 

 サプレッサーが装着された銃口から放たれた一撃は、いつも彼が放つ砲弾のように正確にアレクセイの膝を撃ち抜いたのであった。

 

 暗視スコープのカーソルの向こうで、糸を自由自在に操る少女がくるりとジャックナイフを回転させる。それを確認した坊や(ブービ)はアレクセイの右腕に照準を合わせると、トリガーを引いた。

 

 ノエルがナイフを回せば、撃つ。彼女が迎撃に向かう途中に指示された合図である。もちろんいつでも彼女が狙撃を命令できるとは限らないので、そう言った場合は臨機応変に狙撃する必要がある。

 

 弾丸はアレクセイの右腕の肘に命中し、皮膚を容易く貫通して骨を砕いた。6.8mm弾はもちろん対吸血鬼用の銀製で、命中すれば強力な吸血鬼から血を分けてもらわない限り、再生することはありえない。

 

 スコープの向こうの吸血鬼が再生しないことを確認した坊や(ブービ)は、レリエル・クロフォードのような強力な吸血鬼と戦う羽目にならなかったことに安心しながら、ノエルの次の指示を待つことにした。

 

 かつてモリガンの傭兵たちは、たった2人の吸血鬼にすべてのメンバーで戦いを挑み、全員殺されかけたという。もちろん吸血鬼たちも大きなダメージを負ったというが、あのモリガンの傭兵たちを追い詰めるほどの吸血鬼が目の前に現れたら、シュタージどころかテンプル騎士団でも勝ち目はない。

 

(あいつは下っ端だな)

 

 下っ端とはいえ、油断は禁物だ。吸血鬼の身体能力は下っ端でも常人以上で、転生者に匹敵するレベルなのだから。

 

 次の瞬間、ノエルがナイフで切り裂こうとしていた吸血鬼が笑ったかと思うと、彼の肉体が一気に崩れ落ち、真っ黒な欠片となって天空へと舞い上がった。まるで花畑から飛び去っていく蝶の群れのようにも見えるそれにカーソルを合わせてズームした坊や(ブービ)は、その塊の正体を理解して息を呑んだ。

 

 舞い上がったのは、無数の蝙蝠だったのである。真っ黒な蝙蝠の群れが群がったまま、夜空へと舞い上がったのだ。

 

 あれも吸血鬼の能力の1つだという。肉体を蝙蝠の群れに変異させることで飛び去り、そのまま攻撃を仕掛けることもできるのだ。

 

 咄嗟に銃口を空へと向けた坊や(ブービ)だったが、飛び去る蝙蝠の群れはノエルを攻撃しようとしているのではなく、そのまま彼女から逃げようとしているように見えた。攻撃するならばもっと分散し、複数の方向から同時に攻撃する筈である。しかし吸血鬼の肉体を構成していた蝙蝠の群れは密集したまま、狙撃されないように遮蔽物の陰へと匠に隠れながら、向こうにある通りの方へと逃げようとしている。

 

「ノエルちゃん、追える?」

 

『任せて』

 

 彼女は蝙蝠を見上げながらそう言うと、近くにあった建物の壁を上り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く、くそ……………」

 

 右足を引きずり、肘を粉砕された右肩を路地の壁にこすりつけながら、アレクセイはホワイト・クロックのある方向へと向けて逃走していた。

 

 途中で狙撃してきた仲間の場所は分からないが、吸血鬼であるアレクセイにこれほどの傷を負わせた2人の事を考えると、彼の中がまたしても濃密な憤怒で満たされていく。だが、やはりその怒りは肉体にまでは伝播しない。もし仮にまだ無傷であったならば、彼は今すぐに引き返してノエルを追撃していたことだろう。

 

 彼女たちへの怒りを感じていたアレクセイだったが、あのまま戦いを続ければ殺されるのは明白だった。吸血鬼には強力な身体能力と再生能力があるとはいえ、昔から人間たちは吸血鬼の弱点を有効活用して善戦していた。そう、彼らは吸血鬼と戦うための”準備”をしていたのである。

 

 だからこそ、勝つには準備が必要だと考えたのだ。プライドを滅茶苦茶にされた怒りはその時にぶつければいいのだから。

 

 しかし―――――――彼女たちは、アレクセイを逃がしてはくれなかった。

 

「―――――――どこに行くつもり?」

 

 もう少しで路地から抜け出せると思ったその時、路地の出口でハンドガンを手にしながら待ち構えていた少女が姿を現した。サプレッサーが装着されたPL-14を傷だらけのアレクセイに向けている少女は、彼が憎悪を叩きつけるべき敵の1人である。しかし、今は太刀打ちできないのは明白だった。

 

 片腕を失い、片足もほとんど動かない。右腕まで使い物にならなくなってしまったのだから、身体能力も生かせない。このままでは銀の弾丸で嬲り殺しにされるのが関の山である。

 

 後ろへと引き返そうと思ったアレクセイであったが、彼の背後にはもう既に、幾重にも水銀の糸が張られていた。そのまま走って突っ込めば瞬く間に八つ裂きにされてしまうほどの数の糸が、びっしりと配置されているのである。

 

「ははははははっ……………」

 

 もう逃げられないと思った瞬間、今まで怒りの伝播を阻んでいた痛みが―――――――消えた。

 

 そしてホワイト・クロックまで撤退しようと思っていた考えも、同じように消えた。

 

 今ここで一致報いるべきだという考えが、アレクセイの中で急激に膨れ上がる。あんな小娘に無様に敗北した事を仲間に笑われるよりも、ここで最後の攻撃を仕掛けるべきだと、彼は考え始めていた。

 

 PL-14を向けていたノエルも、アレクセイがニヤリと笑ったことに違和感を感じていた。今まで本拠地まで撤退しようとしていたというのに、まるで逃げることを諦めたかのように笑ったのである。

 

 背後を弱点の銀の糸で塞がれ、しかも目の前にはキメラの少女がいる。手足の負傷のせいでまた蝙蝠になって逃げることもできないし、壁を飛び越えることもできない。

 

 四面楚歌だ。このような状況でプライドの高い吸血鬼が選ぶ選択肢は――――――――最後に、ノエルに攻撃を仕掛ける事しかありえない。

 

 彼女が身構えると同時に、アレクセイが最後の力を振り絞って突進し始めた。膝の骨を木っ端微塵に粉砕されているため、走れない筈だと思い込んでいたノエルは、”走った”というよりも、残った左足に力を込め、驚異的な脚力で”飛んだ”ようにも見えるアレクセイの高速移動に対応できなかった。

 

「ッ!」

 

 慌ててPL-14のトリガーを連続で引くが、銀の弾丸はアレクセイの肩や脇腹を掠めて皮膚を軽く抉る程度で、全く致命傷を与えることができない。

 

 頭に叩き込もうと照準を合わせたノエルだったが、彼女がトリガーを引くよりも先に――――――――アレクセイが、ノエルの首筋に牙を突き立てていた。

 

 母親であるミラと同じく、エルフだと間違えられるほど白いノエルの首筋に、吸血鬼の象徴である鋭い牙が突き刺さる。外殻で防御していれば牙を弾くことはできた筈だが、急接近してきた吸血鬼をハンドガンで狙っていたノエルに、外殻を硬化させる余裕がなかったのだ。

 

 あとはこの少女が動かなくなるまで血を吸い続ければいい。苦しめて殺すことはできなくなってしまうが、アレクセイに致命傷を与えた報復にはなる。

 

 だが――――――――彼女の血を吸おうとしたアレクセイは、ノエルの持つ強力な能力のことを知らなかった。もし彼女と戦う前にその能力の事を知っていたら、もう少し距離を取って戦っていたことだろう。しかし彼はよりにもよって最後の攻撃に接近戦を選択し、しかも彼女に噛みついてしまった。

 

 2人は同時に、ニヤリと笑っていた。

 

 アレクセイは勝利したと思い込んで笑っている。しかし本当に勝利していたのは―――――――ノエルの方だった。

 

「―――――――さようなら、吸血鬼(ヴァンパイア)」

 

「…………?」

 

 なぜ別れを告げるのかと思ったアレクセイだったが、彼はそのまま容赦なく血を吸いつくそうとした。10秒足らずで少女の血を吸いつくしてしまえば、この忌々しい敵と別れることができるのである。

 

 だが――――――――彼の身体は、動かなかった。

 

「……………!?」

 

 血を吸おうとしているのに、吸えない。

 

 彼女に突き立てていた筈の牙がゆっくりと首筋から離れていき、ついに血を一滴も吸う前に引き抜かれてしまう。アレクセイは必死に再び牙を突き立てようとするが、焦燥感の中でもがく彼が発する命令を、ボロボロになった彼の身体がことごとく拒否してしまう。

 

「な、なんだ、これは……………!?」

 

「第二世代以降のキメラにはね、特別な能力があるの」

 

「き、キメラ……………!? お前、まさか――――――――」

 

 驚愕する吸血鬼に向かって、ノエルはニヤリと笑ったまま片腕をゆっくりと硬化させた。真っ白だった彼女の皮膚を包み込んでいくのは、まるでジョウロウグモを彷彿とさせる禍々しい模様の、昆虫のような外殻だ。

 

 キングアラクネとハーフエルフの遺伝子を併せ持つ、4人目のキメラである。

 

「まあ、追い詰められないと発動しないみたいなんだけどね。それに試してみたかったし、使わせてもらったわ」

 

「こ、小娘が……………ッ!」

 

 右腕がぶるぶると震え始めたかと思うと、骨が粉砕されているにもかかわらず、痙攣しながら真っ直ぐに伸び始める。まるで目の前の少女と握手しようとしているようにも見える光景だが、ノエルは握手を返さず―――――――代わりに、銀の銃弾が装填されているPL-14を手渡した。

 

「私の能力はね……………”私の身体に触れた敵を、強制的に自殺させる”ことができるの」

 

「!?」

 

 それが、ノエルが手にした”キメラ・アビリティ”であった。

 

 彼女の身体に触れた敵を、強制的に自殺させてしまうという恐ろしい能力である。ノエルが武器を手にして標的を殺そうとしなくても、標的の身体に触れて命令するだけで、彼女に命令された標的は自分を殺してしまう。

 

 だから凶器は必要ない。そして、ノエルも手を下す必要はない。標的が自殺したように見せかけつつ、速やかに立ち去ることができるのだ。しかも相手に何かしらの耐性があった場合は、確実にその標的を殺せるような”死に方”が自動的に選択され、その自殺が実行されるようになっている。

 

 例えば吸血鬼の場合は、普通にナイフを自分に突き立てても死なない。しかし彼女に命令された場合は、自分で銀のナイフを探し出してそれを握り、心臓に突き立てて自殺してしまうのである。

 

 それゆえに、実質的にこの命令を拒むことは不可能だ。だからノエルがその気になれば、リキヤやタクヤもこの命令で自殺させてしまうことが可能なのである。

 

「私は、この能力を『自殺命令(アポトーシス)』って呼んでるの」

 

「な、なんだと……………!?」

 

 彼女からPL-14を受け取ったアレクセイの右手が、サプレッサーを彼のこめかみに向けてから制止した。傍から見れば、拳銃で自殺しようとしている男を幼い少女が見守っているようにも見えてしまう。しかしその死のうとしている男の意志は、完全に少女の発した命令によって無視されていた。

 

 やがて親指がトリガーに触れる。アレクセイは目を見開きながらノエルを見つめるが、彼女は微笑んだまま彼が銃弾で自分の頭を撃ち抜こうとしている光景を見守るだけであった。

 

「た、たす――――――――」

 

 親指がトリガーを引いた瞬間、PL-14のスライドがブローバックした。小さな薬莢がそこから吐き出され、銀の弾丸が薬室から解き放たれる。

 

 路地の地面に転がり落ちる薬莢が金属音を奏でる。その直後に聞こえてきたのは、頭を銃弾に撃ち抜かれた男が、舗装された地面の上に崩れ落ちる音だった。

 

 

 

 



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吸血鬼たちの反撃

 

 

「吸血鬼は?」

 

「消したわ」

 

 路地の外へと戻ると、マークスマンライフルを担いでいた坊や(ブービ)君と合流した。彼はどうやら吸血鬼を追撃した私を援護するために、わざわざ追いかけてきてくれたみたい。

 

 結局彼の援護は必要なかったけど、でも私のために追いかけてきてくれたのは嬉しかった。

 

「…………ごめんなさい、あの能力使っちゃった」

 

「そうか……………」

 

 フィオナちゃんの検査によって正体が明らかになった能力のデータには、シュタージのメンバーたちは目を通している筈だった。だから”あの能力”と言うだけで、彼らは私が何のことを言っているのか理解してくれたみたいだった。

 

 あのショッピングモールの事件で追い詰められた私が手にしたのは、私の身体に触れた相手を強制的に自殺させる能力。しかも絶対に拒むことができない命令だから、どんなに実力に差がある相手でも触れる事さえできれば、私は勝利できる。

 

 けれども、これには大きな弱点がある。

 

 能力を発動させてから1分間しか、自殺命令(アポトーシス)を振るうことができないという点と、その1分間が経過した後は3日間も能力が使えなくなるという点。だから発動させてから1分間相手が逃げ続けることができれば、私の能力は脅威ではなくなってしまう。

 

 私の能力を事前に知っていないか、徹底した遠距離攻撃を繰り出すような相手じゃない限り逃れることのできない自殺の命令。私はその能力を、死に物狂いで襲い掛かってきた吸血鬼に対し使ってしまった。

 

 あわよくば敵の本拠地に潜入し、これで吸血鬼たちの親玉を暗殺してやろうと思っていたんだけど、こんな下っ端に使う羽目になるなんて……………。

 

「ノエルちゃん、首の傷は?」

 

「え? ああ、さっき噛まれちゃった。でも大丈夫よ。血は吸われてないから」

 

 噛まれただけだし、血は吸われてない。あの吸血鬼は血を吸うために私に噛みついた時点で、”私の身体に触れる”という条件を満たしていたのだから。

 

「ほら、エリクサー」

 

「ありがと」

 

 彼から貰ったヒーリング・エリクサーのキャップを外し、一口だけ中の液体を飲み込む。オレンジジュースにも似た甘い味がするエリクサーを飲み込んだ直後、あの吸血鬼に噛みつかれた傷口がすぐに塞がり始めたのが分かった。

 

 今ではフィオナちゃんが改良して製作してくれたエリクサーが一般的だけど、私のパパやリキヤ叔父さんが若かった頃のエリクサーは回復力が低くて、瓶の中身を全て飲まない限り傷口の再生は始まらなかったんだって。しかも味も最悪だったみたいで、強烈な苦みと薬品の臭いがするから飲みたいとは思わない人が多かったみたい。

 

 瓶にはもちろんモリガン・カンパニーのエンブレムが刻まれている。レンチとハンマーが交差している上で、赤い星が煌いている特徴的なエンブレム。産業革命以前は小さな会社だったみたいだけど、今では世界中のありとあらゆる製品でこのマークを目にするのは当たり前になった。

 

 世界中に自社製の製品を送り出し、その利益を”この世界から追い出された”労働者たちに配布する。だからこそ多くの労働者は理不尽な待遇なのが当たり前の貴族が運営する工場を辞め、モリガン・カンパニーの元へと集まっていく。

 

 商人の元から解放された奴隷たちや、過酷な労働に耐え続けた労働者たちが社員の大半を占めるモリガン・カンパニーが、この世界に最も先進的な製品を送り出している。そして貴族たちのつまらないプライドや利益を優先して経営している会社や工場から、どんどん労働者が消えていく。

 

 だからこそリキヤ叔父さんは、”魔王”と呼ばれている。

 

『CP(コマンドポスト)よりチャーリー1-1、チャーリー1-2へ』

 

 喉元の傷が完全に塞がったことを確認していると、無線機からクランさんの声が聞こえてきた。

 

「こちらチャーリー1-1」

 

 坊や(ブービ)君が素早く返事を返しつつ、私に目配せをして移動を始める。サプレッサーを装着していた銃を使ったとはいえ、スラム街に近いここで吸血鬼と一戦交えれば目立ってしまう。しかも私はあいつに致命傷を与えるために、クレイモア地雷を1つ使ってしまった。

 

 銃声はサプレッサーで防げても、地雷の爆音は防ぐ手段がない。だから野次馬がその音で集まってきてもおかしくはなかった。

 

 迂闊に地雷を使ってしまったことを反省しながら彼の方を見ると、坊や(ブービ)君は微笑みながら私にウインクしてくれた。

 

『こちらはもう移動したわ。そっちは?』

 

「チャーリー1-2が吸血鬼をぶっ殺しちまった。これから合流する」

 

『了解(ヤヴォール)。迅速にね』

 

「了解(ヤヴォール)。……………さて、移動しよう」

 

「了解(ヤー)」

 

 次に移動するセーフ・ハウスの位置は、ちゃんと覚えている。

 

 私は警戒しながら坊や(ブービ)君と2人で路地を駆け抜けると、合流地点へと向かった。

 

 これで私の能力は3日間は使用不能になってしまったけど、正しい判断だったのかもしれない。もしまだ能力を使える状態を維持していたら、きっと私は命令を無視してホワイト・クロックに乗り込み、吸血鬼たちの女王であるアリア・カーミラ・クロフォードに戦いを挑んでいたかもしれないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、アレクセイを殺しやがった」

 

 元々数の少ない同胞が消えてしまったのは悲しい事だが、下っ端とはいえ吸血鬼を圧倒できるような奴がこの世界にいるとは思わなかった。吸血鬼と他の種族が戦えば、吸血鬼が勝利するのが当たり前。他の種族に再生能力という便利な能力はないし、身体能力でも大きな差があるのだから。母からそう教わり、吸血鬼の1人としての矜持を持って生きてきた俺は、その母から教わっていたことが覆されかけている光景に驚きつつ、少しばかり怒りを感じていた。

 

 アレクセイを殺した敵に対しての憎しみと―――――――吸血鬼という種族の名誉に泥を塗るような、無様な最期を遂げたアレクセイへの怒り。しかも相手は12歳から14歳程度の子供で、動きからまだ経験が浅い未熟な新兵だというのもすぐに分かった。

 

 暗殺か隠密行動に特化した訓練を受けてきたのだろうが、それが最も猛威を振るうのは”経験”という要素をこれでもかというほど取り込み、無駄な部分をすべて排除して合理化された後だ。暗殺や隠密行動は、なによりも”確実性”が要求される。未熟というのは不確実の塊なのだ。経験がないからこそ経験せねばならず、全てが机上の空論と言っても過言ではないのだから。

 

 そんな相手に負けるとは、本当に情けない奴だ。しかも最後は自分の頭に銃を突きつけ、自殺するとは。

 

 仲間が死んだのは確かに悲しい。しかしあんな無様な最期を見せられると、その悲しみの中に怒りも湧いてくる。

 

 俺は舌打ちすると、耳に装着していた無線機のスイッチを入れた。

 

「母上」

 

『あら、ブラド。どうしたの?』

 

 母の声を聴いた瞬間、俺は本当に母にこれを報告するべきなのか少しだけ悩んだ。同胞が無様な最期を遂げたと言ったら、小さい頃から俺を育ててくれた母は悲しむのではないだろうかと思い、少しだけ間を空けてしまった。

 

 けれども、報告しなければならない。俺1人でこのまま突っ込むよりも、吸血鬼の女王である母の指示を仰ぐべきだ。相手が不確実の塊ならば、こっちはこれでもかというほど確実性を追求せねばならない。

 

「アレクセイがやられました」

 

『―――――――そう』

 

「これから追撃するべきでしょうか?」

 

 今すぐに、あいつらを追撃して血祭りにあげてもいい。あいつらがリキヤ・ハヤカワが送り込んだ諜報部隊だという事はもう明らかだ。だから魔王が攻め込んでくる前に奴らを血祭りにあげ、攻め込んでくるならば同じ運命を辿らせてやるというメッセージを送ってやる。

 

 腰に下げたガリルのグリップを握りながら、俺は母の指示を待つ。

 

『―――――――仕方ないわね。もう、これ以上の兵力の隠匿は無意味だわ』

 

「我らの兵力を奴らに晒すのですか?」

 

『ええ。こうして堂々と諜報部隊が送り込まれたという事はこちらの戦力を探るためでしょう。でも、それはおそらくこちらの戦力が未知数であることに対して不安になっているという事よ、ブラド。我らの兵力を見せつけてやれば、奴らも驚愕するわ』

 

「なるほど、あえて戦力を晒し、抑止力とするのですね?」

 

『その通り。―――――――ブラド、もう手加減はいらないわ』

 

 ガリルのグリップを握りながら、安全装置(セーフティ)を外す。そしてそのままセレクターレバーをフルオートに切り替え、戦闘準備に入る。

 

 手加減がいらないならば、もう思い切り暴れてやろう。

 

『奴らを、絶対にこの国から生かして出してはならないわ。血祭りにあげなさい』

 

「了解、母上」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セーフ・ハウスの1つが壊滅してから、ウォルコットさんは本社に回収部隊の派遣を要請しているようだった。別のセーフ・ハウスで潜伏しているウォルコットさんたちによると、ウィルバー海峡に展開しているモリガン・カンパニー所属のキエフ級空母『バクー』から、回収用のヘリが派遣されるという。

 

 ヘリの到着まで、俺はセーフ・ハウスの中で今まで手に入った情報を整理することにした。新しいセーフ・ハウスは数年前に営業停止となったホテルの一室で、前にいたセーフ・ハウスよりも幾分か居心地がいい。とはいえ、ベッドや床は埃まみれで、シャワールームにある水道は当然ながら使えない。クランは「これなら前のセーフ・ハウスの方がいいわね」と言っていたが、俺はまだこっちの方がいい。もう硬い木の椅子に何時間も座っているのはごめんだからな。

 

 テーブルの上の誇りを軽く拭き取り、資料を広げてメモをする。まず、吸血鬼たちの本拠地がホワイト・クロックの内部であるということは分かった。広大な帝都のほぼ中心に位置する巨大な白い時計塔で、21年前のモリガンとレリエル・クロフォードの戦いで倒壊してから、内部は公開されずに立ち入り禁止となっているという。遊び半分で中に入った者が戻ってこないことと、実際に吸血鬼たちの出入りが確認されていることを考えれば、そこが本拠地か、少なくとも拠点の1つとして使用されているのは火を見るよりも明らかだ。それに、内部が公開されずに立ち入り禁止となっているのも、身を隠す者たちからすれば好都合な話である。

 

 そして、敵も銃を持っているという事が判明した。おそらくこれが一番の脅威だろう。

 

 21年前の戦いでは、モリガンのメンバーたちがまだ設立されたばかりで未熟だったという点もあるが、魔術や驚異的な身体能力を駆使して襲ってくる2人の吸血鬼に対し、7人の傭兵たちがこれでもかというほど現代兵器を投入して戦いを挑んだ結果、虎の子のスーパーハインドが撃墜され、更にメンバー全員が殺されかけるという結果となったという。幸い吸血鬼たちを撃退することには成功したらしいが、これでモリガンが大打撃を受けたのは言うまでもない。

 

 そう、現代兵器を少人数の吸血鬼に対してこれでもかというほど投入して、やっと互角の戦いだったのである。しかし吸血鬼たちも同じように銃で武装しているという事は、辛うじて彼らとの力の差が拮抗していた状態が崩壊し、全体的に劣勢となってしまったという事を意味する。

 

 原因はおそらく、吸血鬼たちに転生者の協力者がいるか、それとも奴隷にされている転生者が武器を提供しているかのどちらか。前者ならばとんでもないことをしてくれたクソ野郎だが、後者ならばなんとかして救出してやりたいところである。

 

 とはいえ、あくまで俺たちが直接目撃したわけではないのでどのような銃を使ったのかは不明だが、遺体を確認したウォルコットさんの分析では、おそらく敵が使用した銃は6.8mm以下の比較的小口径の銃弾を使用する銃だという。

 

 銃を持っているのは脅威だが、もしかしたら銃以外にも戦車や戦闘機などの兵器を使っている可能性もある。銃だけならばまだ対処する方法はあるが、さすがに戦車や戦闘ヘリまで投入されれば、いくらモリガン・カンパニーやテンプル騎士団でも苦戦を強いられる羽目になる。

 

 それに、そう言った相手と戦う際に大きな問題がある。

 

 それは―――――――モリガン・カンパニーやテンプル騎士団の兵士の多くは、”銃を手にした敵との交戦経験がない”という問題だ。

 

 俺たちの敵は転生者や魔物ばかり。しかも銃に詳しい転生者はかなり限定されるので、実質的に銃を使ってくるような敵はほぼいないから、中距離や遠距離から狙撃するだけで決着はつく。しかも敵が狙撃で反撃してくることもないので、ちょっとだけリラックスしながら一方的に攻撃できるのだ。

 

 それゆえに、銃撃や敵の狙撃に対しての対処法が分からない兵士は多い。タンプル搭の地下でそう言った状況を想定した訓練は行われているが、まだ訓練だけだ。実戦を経験したメンバーは、中でも最精鋭の少数の兵士たちのみ。

 

 そしてモリガン・カンパニーの兵士たちも、そう言った状況を経験したことがあるのは、今から14年前に勃発したこの世界初の転生者同士の戦争となった、『転生者戦争』の生き残りのみである。

 

 タクヤの親父も最前線で戦ったという転生者戦争は、ラトーニウス海にある『ファルリュー島』という島で行われた。圧倒的な兵力を持つ10000人の守備隊に対し、島に上陸した海兵隊は僅か260人。それでも他の転生者たちの航空支援を受けつつ奮戦し、多くの犠牲者を出しながらも辛うじて勝利したという。

 

 彼らならば問題はないだろう。しかし、転生者戦争以降に加入した兵士たちはそう言った経験がない。そんな状態で、銃で武装した吸血鬼たちを相手にできるのだろうか。

 

 今度はこちらには圧倒的な物量という強みがあるが、それでどこまで押せるかは未知数である。

 

 情報を整理しながら考え込んでいたその時―――――――窓際で椅子に座り、予備のガスマスクのフィルターを確認していた木村が、何の前触れもなく顔を上げた。そしてそのまま窓の外を覗き込み始める。

 

 木村だけではなく、メンバーの中では一番音に敏感なノエルちゃんも、ハーフエルフの特徴でもある長い耳をぴくりと動かしながら、窓際へと移動した。

 

「どうした?」

 

「―――――――キャタピラの音です、ケーター」

 

「キャタピラ?」

 

 木村がそう言った瞬間、いつもレオパルト2に乗っていたからなのか、俺はてっきり戦車を真っ先に連想した。強靭な装甲と強力な戦車砲を持つ戦車。中にはキャタピラを持つ装甲車もあるが、俺が真っ先に想像したのは戦車だった。

 

 聞き間違いではないのか、と聞き返そうとした瞬間、俺は先ほどの”敵も兵器を持っているかもしれない”という自分自身の懸念を思い出し、ぞくりとした。

 

 この世界には、まだ戦車どころか自動車すら存在しない。だからそういう音が聞こえてきたという事は、十中八九転生者が戦車を使っているという事を意味する。そして現時点で味方の転生者はここにいるノエルちゃん以外の全員であるから、もしかしたら味方の戦車かもしれないという可能性はすぐに排除できる。

 

「……………エンジン音も聞こえる」

 

 ノエルがそう言った瞬間、ベッドに腰を下ろしながら険しい顔をしていたクランが、素早く端末を取り出して画面をタッチし、人数分のロケットランチャーを出現させた。

 

 彼女が用意したのは、『パンツァーファウスト3』と呼ばれるドイツ製の無反動砲だった。一見するとロシアのRPG-7をそのままがっちりさせたようにも見える形状をしているのが特徴的で、同じく弾頭は先端部に装着する。どうやら装着されているのは、対戦車攻撃のために開発された対戦車榴弾のようだ。

 

 きっとクランは、このエンジンの音が敵の戦車が接近しているのだと判断したのだろう。確かに敵の戦車が俺たちに戦車砲を受けてから対処するよりも、こちらが先に対応した方が先制攻撃のチャンスも得られる。しかし彼女が対戦車兵器を用意したという事は、もしかしたら味方の戦車かもしれないという希望を断ち切るのに等しい、冷徹な判断だった。

 

 いや、これで構わない。元々ここは敵地の真っ只中なのだから、そういう期待をする方が間違っているのだ。俺は書類を大慌てでリュックサックの中に放り込むと、ベッドの上に置かれたパンツァーファウスト3を拾い上げ、チェックを始める。

 

 相手の戦車にもよるが、一撃で撃破するのは難しいだろう。対戦車戦闘の基本は、極力敵の装甲の薄い個所を狙って攻撃することだ。例えばエンジンが搭載されている車体の後方や、正面装甲と比べると比較的装甲の薄い側面などだ。

 

 息を呑みながら対戦車戦闘の基本を思い出していると―――――――窓の外を見張っていた木村が、こちらを振り向きながら言った。

 

「最悪だ。……………レオパルト2A7+です」

 

「くそったれ」

 

 レオパルト2A7+は、俺たちも乗っているレオパルト2の最新型だ。慌てて俺も窓の方へと移動して外を見てみると―――――――誰も通る人がいなくなった大通りの石畳をキャタピラで粉砕し、無人の露店を粉砕しながら、がっちりした装甲と長大な砲身を持つ戦車が姿を現したのが見えた。

 

坊や(ブービ)

 

 パンツァーファウスト3の準備をしながら、クランが冷静な声で言った。

 

「ウォルコットさんたちに緊急連絡。”敵の戦車が襲来。反撃しつつ撤退する”」

 

「や、了解(ヤヴォール)」

 

 くそったれ、敵は戦車まで持っていやがるのか……………!

 

 息を呑みながら、俺は窓の外で戦車砲をこちらへと向けるレオパルト2を睨みつけていた。

 

 

 



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シュタージが戦車と戦うとこうなる

 

 

「停止せよ」

 

『はっ』

 

 キューポラから顔を出し、廃墟が連なる帝都の一角を双眼鏡で見つめる指揮官の男は操縦士に無線で指示を出しつつ、敵の諜報部隊が潜伏していると思われる建物を確認していた。

 

 諜報部隊を追っていたアレクセイが返り討ちに遭ったという報告を受けたとはいえ、さすがに最新型の戦車まで投入するのはやり過ぎなのではないかと思った車長であったが、アレクセイがただの人間たちにやられたという話はまだ信じられなかった。

 

 人間と吸血鬼の戦闘力の差は、まさに雲泥の差である。更に再生能力も考慮すると、弱点を用意したうえで数人で挑まない限り、まず人間に勝ち目はない。それに下っ端とはいえ、アレクセイも実戦を経験したことのある吸血鬼の1人であり、簡単にやられる男ではなかった。

 

 その男がやられたのだから、たかが諜報部隊ごときに戦車部隊を差し向けるのも間違った判断ではないという結論が出る。女王であるアリアは、どうやら確実に敵を叩き潰し、吸血鬼たちの力を見せつけることを望んでいるようだ。この命令を発した女王の考えを理解した車長は、双眼鏡から目を離して戦車の周囲に展開する数名の歩兵を見渡す。

 

 こちらの戦力はこのレオパルト2A7+が1両と、10名の歩兵たち。武装はドイツ製アサルトライフルのG36Cで、中にはグレネードランチャーを装備したものを持っている兵士もいる。

 

 第二次世界大戦の際のドイツ軍の軍服とヘルメットを彷彿とさせる装備に身を包んだ歩兵たちは、この街で徴兵した失業者たちだ。貴族の理不尽な待遇によって仕事についていけなくなった者や、工場から切り捨てられた哀れな失業者達。彼らを徴兵して訓練させ、銃という異世界の武器まで与えた即席の歩兵部隊である。

 

 そして戦車を操るのも、同じく失業者だった者たち。彼らが吸血鬼の命令に従っているのは、殺されたくないからという理由と、自分たちを見捨てたこの国への復讐心が動力源となっていた。オルトバルカのようにリキヤ・ハヤカワ率いるモリガン・カンパニーの支配力がそれほど大きくはないヴリシア帝国の失業者たちがその復讐心をぶつける手段は、こうして吸血鬼に加勢することしかなかったのである。

 

 ヴリシア帝国にも、モリガン・カンパニーの支社はある。そこにも失業者たちが集まっているのだが、オルトバルカのように全員受け入れることができているわけではなかったのだ。

 

 敵の人数は不明であるが、こちらよりも数が少ない上に、”諜報部隊”という事を考えると、戦車に対抗するための対戦車兵器も限定される。転生者であるならばすぐに兵器を装備して反撃することは可能であるため油断はできないが、もし仮に転生者がここにいるわけではなく、転生者によって武器を渡された者たちがここに派遣されているだけなのだとしたら、こちらが圧倒的に有利になる。

 

 それに、もし仮に敵がロケットランチャーのような対戦車兵器を装備していたとしても、レオパルト2の装甲は極めて分厚い。更に砲塔の上には高性能なセンサーと迎撃用の散弾を搭載した『アクティブ防御システム』が搭載されており、ミサイルやロケット弾が飛来しても瞬時に迎撃することが可能なのである。

 

 圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えたこの戦車ならば、舞台裏で動き回ることが前提の諜報部隊を捻り潰すことなど容易いのだ。もし仮にロケットランチャーを装備していたとしても、ただ単に撃てばアクティブ防御システムに撃墜されるのが関の山である上に、命中したとしてもレオパルト2A7+の装甲は極めて堅牢。そう簡単に撃破できる戦車ではない。

 

(人間どもめ…………こいつ(レオパルト)で粉砕してやる)

 

 車長はキューポラのハッチを閉め、車内に戻りながらニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黴臭い廊下を突っ走り、壁に空いた大きな穴から飛び出して反対側の建物に着地する。今の足音が敵に聞こえていないかと心配になって外を見たが、たかが1人の人間が着地した音が戦車のエンジン音に勝るわけがない。案の定、こっちを見ている歩兵は1人もいなかったし、戦車の砲塔も先ほどまで俺たちが隠れていたセーフ・ハウスを睨みつけているだけだった。

 

 息を呑み、再び走る。古びた木製のドアをそっと開けて廊下を突っ切り、階段を駆け下りて広い部屋へと出る。どうやらここが廃墟になる前は洋服店だったらしく、室内やショーウィンドーと思われる場所には、堀や泥まみれになった洋服が散らばっている。

 

 猛烈な黴の臭いと泥の臭いに包まれながら、ちらりと窓の外を確認する。レオパルト2A7+は相変わらずもう無人となったセーフ・ハウスに照準を合わせながら、アサルトライフルを構える歩兵たちと共にじりじりと前進しているだけだ。あいつらはもうあの廃墟の中に敵がいないという事を知らない。

 

 戦車の位置の確認を終えた俺は、反対側に見える露店の陰に隠れている仲間にハンドサインを送った。

 

「ふう……………」

 

 人生初の、対戦車戦闘。平和な日本で大学生を続けている限りは絶対に経験することはありえない体験を、これからこの異世界で体験しようとしている。訓練したとはいえ、実際に敵の戦車に対戦車榴弾をぶち込むのは緊張してしまう。もし攻撃を外せば歩兵部隊がこっちに銃口を向けるだろうし、最悪の場合は戦車砲で肉片にされてしまうに違いない。だから確実に命中させ、せめてあの戦車は行動不能にする必要があった。

 

 戦車と戦う場合、相手の戦車にもよるが、基本的に一番装甲の厚い正面装甲に攻撃を叩き込むのは愚の骨頂である。相手と同等の戦車砲を装備しているならばまだ問題はないが、ただでさえ戦車砲よりも非力な対戦車兵器で攻撃するのだから、確実に弱点を狙う必要がある。

 

 目標はエンジンが搭載されている車体の後部や、砲塔の上部だ。せめて側面に攻撃を叩き込めれば、致命傷を与えることはできるだろう。

 

 問題は、敵の砲塔の上に搭載されているターレットの存在だ。

 

 おそらくあれはロケット弾や対戦車ミサイルを迎撃することで戦車を防御する、アクティブ防御システムの一種だろう。分厚い装甲を持つ上にそんな装備を持っている相手に、たった5人で挑むのは無謀としか言いようがないが、クランの作戦通りならばせめて行動不能にはできる筈である。

 

 クランが立てた作戦は、要するに『異なる方向から複数の対戦車榴弾を同時に発射し、戦車を破壊する』という作戦である。いくら高性能なアクティブ防御システムとはいえ、複数の全く違う方向から同時に放たれる対戦車榴弾を全て撃墜するのは不可能だ。だから5人で同時に攻撃すれば、少なくとも1発か2発くらいは命中するに違いない。

 

 できるならば破壊したいところだが、最低でも行動不能にはしてやりたいところだ。あくまで”反撃しつつ撤退する”のが俺たちの作戦であるため、予備の対戦車榴弾はない。こいつをぶっ放したらあとは一目散に逃げるしかないのだ。

 

『各員、攻撃用意』

 

 クランの声が聞こえた瞬間、反射的に息を呑んでしまった。

 

 俺はこの洋服店の廃墟から戦車の右側面を狙う。反対側の路地にある露店の陰から狙うのはクランで、俺から見て左側にあるゴミ箱の陰から照準を合わせているのは木村だ。そして木村が潜む建物の屋上にはパンツァーファウスト3を構えたノエルちゃんが戦車の斜め上の後方から照準を合わせ、戦車の斜め上の前方にあるアパートの屋上には、同じく坊や(ブービ)が照準を合わせている。

 

 頼む、命中してくれ……………。

 

10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)

 

 照準器を覗き込み、カーソルを戦車の右側面へと合わせる。灰色と黒の迷彩模様に塗装された戦車の側面には、シルクハットをかぶった吸血鬼のエンブレムが描かれているのが見えた。

 

 そのエンブレムに照準を合わせる。無線機から聞こえてくるクランのドイツ語のカウントダウンを耳にする度、それ以外の音がどんどん小さくなっていく。

 

 当たってくれ……………!

 

(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)―――――――Feuer(撃て)!!』

 

「ッ!」

 

 トリガーを押した瞬間、ランチャーの先端部に取り付けられていた対戦車榴弾が飛び出した。まるで対戦車榴弾が解き放たれたことに驚いたかのように、ランチャーの後部から従来の無反動砲と比べるとはるかに目立たないバックブラストが噴射される。

 

 他の仲間たちも同じように、クランの号令に合わせてパンツァーファウスト3をぶっ放したようだった。戦車の後方や斜め上から放たれた対戦車榴弾が白い煙を闇の中に残しながら駆け抜け、セーフ・ハウスへと進撃する戦車部隊に襲い掛かっていく。

 

 いきなり対戦車榴弾を発射されたことに慌てふためく歩兵部隊。しかしそれよりも先に目を覚ましたのは、砲塔の上部に搭載されていたアクティブ防御システムだった。飛来する対戦車榴弾を瞬時に察知したらしく、ターレットを稼働させ、まず斜め上から飛来した対戦車榴弾を睨みつける。

 

 次の瞬間、アパートの屋上から発射された坊や(ブービ)の対戦車榴弾が、戦車に到達する前に弾け飛んだ。アクティブ防御システムから放たれた散弾によって撃墜されたのだ。

 

 続けてターレットが旋回し、今度はクランが放った対戦車榴弾を睨みつける。迎撃に失敗してくれと祈ったが、戦車をミサイルから守るために開発されたアクティブ防御システムの命中精度は極めて精密だった。戦車の車体の向こうで紅い光が煌き、反対側にいた俺にクランの対戦車榴弾も攻撃に失敗したという事を告げる。

 

 そしてターレットが旋回し―――――――今度はノエルちゃんが放った対戦車榴弾が、命中するよりも先に砕け散った。

 

 残ったのは、俺と木村がぶっ放した2発のみ。できるならばこのどちらかには命中してほしいと祈る俺の目の前でターレットが旋回し、今度は木村の放った対戦車榴弾を睨みつける。だが――――――――すでに撃墜されたとはいえ、アクティブ防御システムが対戦車榴弾を3発も撃墜するのに費やした時間は、残った2発が距離を詰めるには十分な時間だった。

 

 アクティブ防御システムが木村の対戦車榴弾に照準を合わせた頃には、もう既に彼の対戦車榴弾は戦車の砲塔の陰に隠れ、迎撃できる角度にはいなかったのである。しかも俺の対戦車榴弾も距離を詰めており、迎撃が間に合わないのは火を見るよりも明らかだった。

 

 そして――――――――2つの閃光が、暗い廃墟の中を照らし出した。

 

 レオパルト2A7+の車体後部と右側面に、ついに迎撃を免れた2発の対戦車榴弾が喰らい付いたのである。最新式の堅牢な戦車にも致命傷を与えるために開発された2発の対戦車榴弾はレオパルト2A7+を守る装甲に激突すると、それを抉って突き破ろうと必死に足掻いた。

 

 膨れ上がった爆風が周囲にいた哀れな数名の歩兵を巻き込んで、彼らの肉体を木っ端微塵にしてしまう。まだ照準器を退き込んだまま、せめて戦車がどうなったのかを確認しようと思ったけれど、早くも聞こえてきたG36Cの銃声を聞いた瞬間、俺は反射的に姿勢を低くしたまま移動を始めていた。

 

 くそったれ、レオパルトはどうなった!? 撃破できたか!?

 

 ランチャーを背負ったまま突っ走り、黴臭い廊下を駆け抜ける。地面に転がっている多や木箱の破片を飛び越え、階段を駆け上がってから壁の穴から建物の外へと飛び出すと、そのまま合流予定の場所へと走り続ける。

 

『レオパルトの擱座(かくざ)を確認! 繰り返す、レオパルトの擱座を確認!』

 

 無線機から聞こえてきたのは、レオパルトから見て正面にあるアパートの屋上から、レオパルト2A7+の砲塔の上部を狙って対戦車榴弾をぶっ放した坊や(ブービ)の声だった。どうやら屋根の上を駆け回りながら逃げているらしく、ついでにレオパルトの状態も確認してくれたらしい。

 

 完全に破壊することはできなかったようだが、せめて致命傷を与えることはできたようだ。路地を走っていると、建物の間から対戦車榴弾の攻撃によって黒煙を噴き上げるレオパルトの姿が一瞬だけ見えた。俺が命中させた側面の装甲には穴が開き、吸血鬼たちのエンブレムは滅茶苦茶になっているようだったけど、やはり擱座につながったのは木村がぶっ放した対戦車榴弾だろう。車体後部を抉った一撃はエンジンにも損傷を与えたらしく、動力源を損傷したレオパルトは誰もいないセーフ・ハウスを睨みつけたまま行動不能に陥っているようだった。

 

 そして歩兵たちが対戦車榴弾の砲撃が飛来した地点に必死に銃撃しているが、もうそこには誰もいない。ブービートラップでも仕掛けてくればよかったと後悔したその時、後方から成人男性の怒声が聞こえてきた。

 

「貴様、止まれッ!」

 

「やべえっ!」

 

 ちらりと後ろを振り向くと、第二次世界大戦中のドイツ軍の兵士が身につけていたような軍服を彷彿とさせる制服に身を包んだ兵士が、ライトとフォアグリップ付きのG36Cをこっちへと向けていた。俺は慌てて路地を右へと曲がって銃撃を回避しつつ端末を取り出し、グレネードランチャー付きのXM8を装備する。

 

 とはいえ、今は逃げることを最優先にするべきだ。応戦はあくまでも二の次でいい。

 

 その直後、俺が通過したばかりの建物の壁を銃弾が食い破った。後ろを振り向きつつ6.8mm弾をばら撒いて牽制しつつ敵を確認するが、いつの間にか俺を追いかけてきていた歩兵の数は3人に増えていた。

 

 ちょっと待て、俺だけ狙われてんのか!?

 

 懐から手榴弾を取り出し、素早く安全ピンを抜く。そして路地を左に曲がったところで、後方にある壁でバウンドするような角度で、それを放り投げた。

 

 かつん、と手榴弾が壁に激突して金属音を奏で、俺が逃げてきた路地の方向へと飛び込んでいく。やがて向こうから「手榴弾だ!」と絶叫する敵の声が聞こえてきたが、すぐに手榴弾の爆音がその絶叫をかき消してしまった。

 

 今ので追っ手が木っ端微塵になってくれればいいなと思ったけれど、すぐに別の角度から5.56mm弾が飛来したせいで、俺は再びランニングを継続する羽目になった。いたるところから聞こえてくる敵兵の怒声と銃声を耳にしつつ、仲間たちは無事なのだろうかと心配しつつ走る。

 

 その時、俺の目の前にやけに大きな人影が現れた。180cm以上はあるでかい男で、私服に身を包んでいるというのに、ミスマッチとしか言いようがない軍用のガスマスクと、背中にやたらと大きなタンクのようなものを背負っているようだった。そのタンクからはホースが伸びていて、それは彼が両手に持つ筒の後端へと繋がっている。

 

 第二次世界大戦でドイツ軍が運用した、火炎放射器のM35だ。そんな代物を好んで使うバカを目にした瞬間、俺は彼の隣を通り過ぎるとともに叫んでいた。

 

「ぶちかませ、木村ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

分かってます(ヤー)!!」

 

 次の瞬間、俺の背後が紅蓮の光で真っ赤に染まった。

 

 立ち止まって後ろを振り向くと、やはり路地は火の海と化していた。こんな路地で火炎放射器を装備して待ち構えているとは思わなかった哀れな敵兵は瞬く間に火炎放射器の炎に飲み込まれ、金切り声を上げながら火だるまになってのたうち回っている。

 

 しかも炎が邪魔でまともに照準を合わせられないらしく、後続の歩兵はでたらめにアサルトライフルを乱射しているようである。そんな射撃ではこっちには当たらないし、銃声とマズルフラッシュの位置でどこにいるかがよく分かる。次々に木村の火炎放射器で火だるまにされ、他の仲間たちと同じく焼死体になっていくだけだった。

 

「ふう…………久々に使いましたね、これ」

 

「なあ、この敵って…………」

 

「どうしたんです?」

 

「再生してないぞ」

 

「え?」

 

 黒焦げになって動かなくなった死体にライフルを向けながら、俺は目を見開いた。

 

 さっきまで、てっきり俺は敵兵は全員吸血鬼だと思っていた。しかし木村の火炎放射器による攻撃では吸血鬼を殺すことはできない筈なのに、俺たちの目の前で黒焦げになっている焼死体の群れの中で起き上がろうとしている奴はいない。

 

 まさか、こいつらは人間なのか…………?

 

「そんなバカな」

 

「人間が吸血鬼の味方を…………?」

 

 考えられないことだ。人間にとって吸血鬼は天敵でしかないのに、なぜ味方をする?

 

 さらに、俺はもう1つ違和感を感じていた。

 

「なあ、随伴歩兵の人数は何人だっけ?」

 

「確か10人くらいでしたね」

 

 俺たちの目の前に転がっている焼死体の数は、明らかに10人以上。擱座したレオパルトの乗組員も参戦したとしても、明らかに多すぎる。

 

 次の瞬間、何の前触れもなく路地の向こうにあった小さな建物が倒壊した。砲弾でも着弾したのかと思ったが、着弾したにしては爆炎は見あたらない。

 

 しかし倒壊する建物の瓦礫の向こうから巨大な砲身が姿を現した瞬間、俺と木村は同時に絶句する羽目になった。

 

「お、おいおい……………!」

 

「容赦ないですねぇ……………」

 

 その倒壊した建物の中から姿を現したのは――――――――吸血鬼のエンブレムが描かれた、2両目のレオパルト2A7+だったのである。

 

 踵を返して逃げようとした直後、こちらに向けられていた戦車砲が火を噴いた。

 

 

 



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帝都の撤退戦

 

 

 キーン、という強烈な音だけが、俺を支配していた。

 

 火薬の臭いが染み込んだ風と、それを生み出した砲弾が放つ熱風の中で小さく頭を振りながら目を開ける。数秒前の出来事だったというのに、今しがた何が起こったのかすぐに思い出せないほど混乱していたけれど、俺たちの後方に転がる焼死体を見た瞬間に何をするべきか思い出し、すぐに自分の手足を確認した。

 

 両足も、両腕もまだくっついている。今の爆風で千切れ飛ぶような重傷は負っていない。

 

 俺よりも一足先に我に返った木村が、重い火炎放射器の燃料タンクを下ろしながら俺に向かって何かを叫んでいた。必死に聞き取ろうとするけれど、まだ耳の中でキーン、というやかましい音が暴れ回っている。すぐ近くで戦友が叫んでいるというのに、何と言っているのか全く聞き取れない。

 

 くそったれ、俺の鼓膜は大丈夫か?

 

「ケーター、しっかり!!」

 

「あ…………ああ、よし、聞こえる。大丈夫だ」

 

「なら、早く逃げますよ! レオパルトが――――――――」

 

 愛用の火炎放射器を木村が投げ捨てた直後、木村の背後をレオパルト2A7+が放った砲弾が突き抜けていった。猛烈な衝撃波を浴びる羽目になった俺たちはよろめいてしまったが、辛うじてどちらも負傷はしていないらしい。俺を助け起こしてくれた木村もケガをしているわけではないらしく、埃と塵まみれになったガスマスクをかぶったまま移動を始めた。

 

 路地の向こうから、戦車のキャタピラとエンジンの音が聞こえてくる。そして歩兵たちの怒号も聞こえてきたと思った次の瞬間、アサルトライフルの銃撃が近くの壁のレンガを食い破る。

 

 もう応戦している場合ではない。一目散に逃げる必要がある。

 

 潜んでいた路地の陰にクレイモア地雷を仕掛け、ワイヤーを仕掛けておく。さっきはこういったブービートラップを仕掛けなかったけど、今度は足止めのためにもこういった手段はフル活用しなければならない。戦車が砲口を向けている通路から見て左側にある細い路地へと飛び込んだ俺と木村は、応戦用のコルトM1911A1を装備しながら突っ走った。

 

 木村と2人で狭い路地を疾走しつつ、ところどころにクレイモア地雷を設置しておく。さすがに戦車には何の効果もないが、少なくとも防御力が人間と変わらない吸血鬼や、こうした爆風だけで簡単に肉体が吹っ飛ぶ人間には効果がある。戦車だけならば小回りが利かないという欠点があるから逃げ回るのは楽だが、戦車と随伴歩兵に追われている今の状態では、下手をすれば歩兵の方が厄介な存在かもしれない。

 

 空の酒瓶が転がる狭苦しい路地を、全力で突っ走る。酒瓶で転倒しないように足元に注意しつつ、目の前に敵が先回りしていないか警戒して進みつつ、俺は敵の戦力の予測を始めた。

 

 先ほど俺たちが擱座させたレオパルト2A7+に随伴していた護衛の歩兵は10人ほどだ。そして先ほどこっちに砲口を向けていた戦車の近くにいた随伴歩兵はおそらく7人前後。クランたちと合流できれば応戦できるかもしれないが、敵がこうやって戦車を2両も投入してきた以上、こっちはもう逃げるしかない。

 

 たかが諜報部隊の殲滅に最新鋭の戦車を2両も投入してきたという事は、敵もこっちの殲滅に本腰を入れつつあるという事だ。少数で潜入して情報収集をする諜報部隊は、当然ながらこういった真っ向からの戦いに非常に脆い。舞台裏での戦いになれた諜報部隊では、正面から戦うことに慣れた陸軍には絶対に勝てないのである。

 

 路地から左に曲がり、空き家の中に飛び込む。そのまま倒れていたクローゼットを飛び越えていこうとしたところで、後ろを走っていた木村にいきなり肩を掴まれた。

 

「どうした?」

 

「伏せて」

 

 咄嗟に2人同時に伏せた瞬間、すっかり割れてしまった窓の向こうから、エンジンの音が聞こえてきた。微かにキャタピラの音も聞こえてくる。

 

 くそったれ、さっきのレオパルトに追いつかれたのか…………!?

 

 そう思いながら窓の外をちらりと見てみたが―――――――窓の外にある通りにやってきたのは、レオパルトと比べると小ぢんまりとした車体の上に、同じく戦車と比べると小さな砲塔を乗せた車両だった。がっちりした車体の両サイドにキャタピラがあるという特徴は戦車と同じだけど、車体の上に乗っている砲塔から伸びる砲身は猛烈な破壊力を誇る戦車砲と比べるとかなり細く、どちらかというと機関砲であるという事が分かる。

 

 砲塔にはミサイルポッドと思われる装備が搭載されていて、砲塔の上にあるハッチから身を乗り出した車長と思われる兵士が車両の周囲を確認しているところだった。見つかる前に顔を引っ込め、息を殺しながら唇を噛みしめる。

 

 戦車じゃなかったのは幸いだが、厄介な代物が投入された事には変わりはない。

 

「くそ、ブラッドレーだ」

 

 通りへとやってきたのは、アメリカ軍で採用されている『M2ブラッドレー』と呼ばれる装甲車だった。装甲車は戦車と比べると火力も低く、防御力も貧弱だが、戦車と違って数名の歩兵を車内の兵員室に乗せることが可能だ。

 

 舌打ちしながら外を確認してみると、後部にあるハッチからG36CやG36Kで武装した歩兵がぞろぞろと降りてくるところだった。息を呑みつつ木村の顔を見つめ、端末を取り出す。

 

 このまま歩兵の索敵が続いたら見つかってしまう。だからと言ってこのまま立って走り出せば、機関砲の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 幸い装甲車の車長は砲塔の上から身を乗り出している。ちょっとした小細工をするチャンスだ。

 

「スタングレネードを投げたら、思い切り走れ」

 

「了解(ヤー)」

 

 少なくとも装甲車の周囲で索敵を始めた歩兵の足止めはできるだろうし、装甲車の外に身を乗り出している車長も影響を受ける筈だ。強烈な光ですぐに命令を下せないような状況に陥ってくれれば、数秒だけとはいえ機関砲の餌食にならずに逃げだすチャンスが作れる。

 

 端末で生産したスタングレネードの安全ピンに指をかけ、もう一度窓の外をちらりと確認する。車長は近くにいる歩兵と話をしているようだが、何と言っているのか分からない。声が聞こえないわけではなく、聞いたことがない言語で会話しているのだ。この世界で公用語となっているオルトバルカ語ではなく、語感がドイツ語に似ている言語である。

 

 クランのおかげでドイツ語は聞き慣れたけれど、やはりドイツ語とは違う言語のようだ。タクヤ(ドラッヘ)の奴なら分かるかもしれないな。

 

 息を呑みながら安全ピンを外し―――――――左手に持ったスタングレネードを、思い切り窓の外に放り込んだ!

 

 かつん、とスタングレネードが石畳の上に落下する。その音に数名の歩兵と車長が気付いたようだが、彼らが大声を上げようとした瞬間、石畳の上に落下したスタングレネードが炸裂し、猛烈な閃光で廃墟の中を染め上げた。

 

 しかも炸裂したのは、敵兵が音に気付いて振り返った直後。それがスタングレネードだと気付くことすらできなかった奴らは、可哀そうなことに炸裂したスタングレネードを直視する羽目になってしまったらしい。

 

 耳を塞ぎながら陰に隠れていた俺と木村は、閃光がすっかり消え去った瞬間に立ち上がって走り出した。窓の外では強烈な光を直視してしまった兵士たちが呻き声を上げていて、砲塔の上でも車長が両目を押さえて悶え苦しんでいる。そのため車内でスタングレネードの炸裂する音を聞かされるだけで済んだ乗組員たちは、迂闊に装甲車を動かすこともできないまま混乱しているようだ。

 

 周囲には両目を押さえながら苦しむ味方の歩兵がいるのだから、迂闊に装甲車を動かせば轢き殺してしまう可能性もある。俺は車長と歩兵部隊の目をくらませることを期待してスタングレネードを投げたんだが、これは予想外だった。

 

 反対側の窓から飛び出し、瓦礫が放置された地面の上を突っ走る。これで逃げ切れるだろうかと思った次の瞬間、先ほどまで隠れていた建物の壁が木っ端微塵に吹っ飛んだかと思うと、俺たちの頭上を機関砲の砲弾が次々に突き抜けていき、目の前にある建物を薙ぎ払い始めた。

 

 まさかもう装甲車に見つかったのかと肝を冷やしたが、どうやら使い物にならなくなった歩兵部隊と車長の代わりに足止めするために、装甲車の砲手が俺たちがいる可能性の高い地点に機関砲の砲弾を撃ち込んでいるだけらしい。

 

 つまり、当てずっぽうだ。装甲車よりもずっと小さい人間に命中することは殆どないだろう。

 

 歩兵たちもこっちに向けてアサルトライフルの射撃を開始するが、まだ閃光の影響が残っているらしく、命中精度は最悪だった。俺たちのいる方向に飛来した銃弾など1発もなく、ほとんどが全く違う方向の建物の壁を撃ち抜いている。

 

 奥にある路地に逃げ込み、クレイモア地雷を仕掛けてから突っ走る。また通りを抜けた瞬間に装甲車や戦車と出くわさないことを祈りながら走っていると―――――――またしてもエンジン音が通りの向こうから聞こえてきて、俺は歯を食いしばった。

 

 くそ、包囲されてんのか!?

 

 端末を取り出し、ロケットランチャーで一矢報いるべきだろうかと思ったが――――――――通りの出口で待っていたのは、装甲車や戦車ではなかった。

 

 がっちりした車体だが、先ほど俺たちに襲い掛かってきた装甲車や戦車と比べると小ぢんまりとしている。機関砲や対戦車ミサイルが搭載された砲塔は見当たらないが、代わりに車体の上にはブローニングM2重機関銃が1丁だけ搭載されており、戦闘用の車両であることを告げていた。

 

 アメリカ軍で採用されているハンヴィーだ。また吸血鬼の奴らに先回りされたのかと思ったけど、助手席の窓から顔を出した少女の顔を見た瞬間、俺は反射的に構えていたコルト・ガバメントを下ろした。

 

「Guten Abend|(こんばんわ)! 迷子になっちゃったのかしら?」

 

「クラン…………?」

 

 よく見ると、ハンヴィーに乗っているのはクランと坊や(ブービ)とノエルの3人だった。運転席に坊や(ブービ)が座り、助手席ではクランがXM8を構えている。ノエルは車体に装備されたブローニングM2重機関銃を構えていたけれど、路地から出てきたのが俺と木村だと分かった瞬間、息を吐きながら俺たちを狙うのを止めてくれたようだ。

 

 しかも待っていてくれたのはクランたちだけではない。彼女たちが乗るハンヴィーの後ろを見てみると、同じくもう1両のハンヴィーが停車している。

 

 そちらの方にはXM177E2などのカービンで武装したモリガン・カンパニーの諜報部隊のメンバーが乗っていて、辛うじて敵の追撃から逃げてきた俺たちに手を振っていた。助手席にはリーダーのウォルコットさんもいる。

 

「さあ、逃げるわよ! ケーターは機関銃で射撃をお願い!」

 

「強行突破するつもりか? 敵には戦車と装甲車があるんだぞ!?」

 

 いくら大口径の銃弾を連射できる重機関銃とはいえ、装甲車や戦車にはほとんど通用しない。俺たちを追撃してきた装甲車や戦車部隊に戦いを挑むのは無謀だし、強行突破も同じく論外だ。対戦車ミサイルや戦車砲の集中砲火を喰らって、全員まとめて丸焼きにされるのが関の山である。

 

 すると、後方のハンヴィーの窓から顔を出したウォルコットさんが言った。

 

「回収部隊が到着する予定の座標に最短ルートで向かう。もちろん交戦は避けるが、敵兵と遭遇する可能性は高い。俺たちが先導する」

 

「了解(ヤヴォール)!」

 

 敵の戦車に遭遇しませんようにと祈りながら、俺と木村もハンヴィーに乗り込んだ。がっちりしたドアを開けて車内へと乗り込み、ハンドガンをホルスターに戻してから車体の上に装着されているブローニングM2重機関銃の射撃準備をする。

 

 弾薬を何百発も連ねたベルトがしっかりと繋がっていることを確認してから、安全装置(セーフティ)を解除する。しばらくすると後ろにいたウォルコットさんたちのハンヴィーが一足先に走り出し、俺たちの前を疾走し始めた。

 

 そして俺たちのハンヴィーも、ウォルコットさんたちのハンヴィーの後を追い始める。

 

 サン・クヴァントとは一旦お別れだ。すぐにここにまたやってくる羽目になると思うが、その時は今日よりも多くの死体が転がっているだろう。

 

 ハンヴィーが通りを抜けようとした瞬間、遠くから爆音が聞こえてきた。先ほど仕掛けてきたクレイモア地雷のどれかに、俺たちを追撃していた歩兵部隊の間抜けな奴が引っかかったに違いない。

 

「ざまあみろ」

 

 重機関銃のグリップを握りながら、俺はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちらエコー1-1。まもなくサン・クヴァント上空に到達する』

 

『こちらチャーリー1。了解した。現在回収地点へと急いでいる』

 

『了解。しっかり回収するから遅れるなよ』

 

『了解だ。そっちこそ、急いでくれ』

 

 重機関銃のグリップを握りながら、俺はウォルコットさんと回収部隊のヘリのパイロットの会話を聞いていた。ウィルバー海峡を航行中のキエフ級軽空母『バクー』から飛び立ったヘリはもう既にヴリシア帝国の領空へと侵入し、まもなくサン・クヴァントに到着するという。

 

 回収地点はもう確認したけど、このまま敵の待ち伏せで回り道をする羽目にならずに済めば、俺たちの方が速くゴールにたどり着くことになる。そのままヘリを警戒しながら待つだけになってくれれば楽なんだが、おそらくは敵の襲撃の影響で多少は俺たちが遅れるかもしれない。

 

 俺たちが手に入れた情報は、絶対にタンプル搭とモリガン・カンパニーの本社に持ち帰る必要がある。吸血鬼共が現代兵器で武装していた挙句、装甲車や戦車まで用意して俺たちの侵攻を待ち構えていると知らせなければ、侵攻した部隊は敵も現代兵器を装備していることを予測できず、大打撃を受けることになる。この情報を持ち帰ることで、仲間たちはしっかりとした作戦を立て、犠牲を最小限にすることができるのだ。

 

 夜中だからなのか、通りを歩いている人の数は少ない。けれども通りを全力疾走していくハンヴィーをじっと見つめている住人は何人もいるし、中にはこっちを指差しながら「なんだあれ? 馬車か?」と言っている人々もいる。

 

 やはり、潜入中は馬車を使って正解だった。この世界では通りを馬車が通っているのが当たり前なのだから、車を使えばすぐに目立ってしまう。

 

「下がって! 危ないから下がれ!」

 

 全力疾走するハンヴィーをまじまじと見つめる野次馬に向かって、前を走るハンヴィーの助手席からウォルコットさんが叫ぶ。

 

 しかしウォルコットさんの野太い怒鳴り声は、何の前触れもなく通りの右側にあった古い建物が倒壊した轟音に飲み込まれ、すぐに聞こえなくなってしまった。その轟音すらかき消してしまった新しい音は、多分このハンヴィーに乗る仲間たちも、このヴリシア帝国を脱出するまでは聞くことになりませんようにと祈っていた音だっただろう。

 

 キャタピラの音とエンジン音。土埃の中から新たに聞こえてきたのは、重々しい戦車の砲塔が旋回する音だった。

 

「レオパルト!」

 

 運転席に向かって俺は叫んだ。先頭を走るウォルコットさんのハンヴィーから見て、通りの奥の方にある右側の建物から、灰色に塗装されたレオパルト2A7+が姿を現したのである。砲塔の側面にはやはりシルクハットをかぶった吸血鬼のエンブレムが描かれていて、通りを塞ぐように現れた戦車の後方からは、ぞろぞろとアサルトライフルやLMGで武装した歩兵部隊が姿を現す。

 

 戦車砲を喰らったら、間違いなくハンヴィーは木っ端微塵だ。装甲車のようながっちりした装甲もないし、もし仮に俺たちが装甲車に乗っていたとしても、装甲車の装甲でも戦車砲を弾くことはできない。

 

 せめてハンヴィーに搭載されている武装が機関銃ではなく、対戦車ミサイルのTOWだったならばまだ太刀打ちはできただろう。だが、そうしたら今度は歩兵部隊に向かって機関銃を掃射することができなくなってしまう。

 

 とりあえず、俺はアサルトライフルやLMGをぶっ放してくる歩兵部隊に向かってブローニングM2重機関銃をぶちかましてやることにした。前を走る味方のハンヴィーに当たらないように細心の注意を払いながら、トリガーを引く。

 

 第二次世界大戦中のドイツ兵を彷彿とさせる制服に身を包んだ兵士の1人が、身体に空いた大穴から血飛沫と肉片を噴き上げた。アサルトライフルに使われる5.56mm弾よりもはるかに大口径の12.7mmの破壊力は、当然ながらアサルトライフルよりもはるかに上である。

 

 G36Cから放たれた弾丸がハンヴィーに命中して跳弾する音を聞きながら、俺はトリガーを引き続けた。幸い住人達には異世界で勃発した現代兵器同士の戦いを見物する勇気がなかったらしく、叫び声を上げながら逃げ惑っている。

 

 戦車の砲塔がこちらへと向けられる。重機関銃で敵兵を攻撃しながら、俺は焦った。このまま直進していればあの戦車砲で木っ端微塵にされる。早く何とか回避しなければ、情報を持ち帰ることはできなくなってしまう!

 

『お前ら、右に曲がれ!』

 

坊や(ブービ)!」

 

「了解(ヤー)!」

 

 前を走っていたハンヴィーが右へと思い切り曲がり、辛うじて別の通りへと滑り込んだ。俺も振り落とされないようにしっかりと掴まりながら片手でスモークグレネードを取り出し、少しでも敵の攻撃の妨害になることを祈りながら通りの奥に向かって投げつける。

 

 数秒後、俺たちのハンヴィーも右側に見える別の通りへと飛び込んだ。振り落とされないようにしっかりと車体や機関銃のグリップに掴まっていたその時、純白の煙の壁の向こうで緋色の炎が輝いたかと思うと、煙の壁にあっさりと風穴を開け、1発の砲弾が飛翔していった。

 

 レオパルトが戦車砲をぶっ放したんだろう。今の砲撃で住民が巻き込まれていないことを祈りながら、俺は舌打ちした。

 

 クソッタレ。早くも回り道か…………!

 

 

 

 

 

 



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吸血鬼の追撃

 

 

 建物の上でロケットランチャーを担ぎながら、その光景をずっと見下ろしていた。

 

 たった2両のハンヴィーで、敵の諜報部隊が市街地を駆け回っている。逃げ惑う住民たちの向こうから次々に現れるのは、人間と吸血鬼の歩兵で構成された歩兵部隊や戦車部隊。銃撃や砲撃をかいくぐりながら、サン・クヴァントの複雑な通りをすいすいと走り抜けていくハンヴィーの運転手の技術を見ていると、思わず称賛してしまいたくなる。

 

 だが、残念ながら彼らを逃がすわけにはいかない。必ずここで潰せと母上に命じられている。

 

「ブラドよりブラボー2へ。目標はカルドラズ・ストリートへ移動した」

 

『了解です、ブラド様!』

 

「俺も移動する。確実に消せ!」

 

 敵の諜報部隊を消すためだけに出撃させた戦力は、明らかに20人足らずの諜報部隊を消すには多すぎると言っても過言ではない。装甲車どころか最新鋭の戦車まで投入し、更にアサルトライフルやLMGで武装させた歩兵までこれでもかというほど随伴させているのだ。それだけの兵力を投入しても未だにそれほど大きな損害を出さずに逃げられ続けているのは、敵がそれだけの技量を持っているという証拠なんだろう。

 

 だからこそ、これだけの部隊を動かした。こちらは戦車で叩き潰すこともできるし、歩兵部隊の掃射で蜂の巣にすることもできる。だが敵はあくまでも諜報部隊。レオパルト2A7+が1両擱座させられたのは予想外だったが、転生者がいるとはいえ敵の火力は限定される。あんな撤退戦の最中に次々に武器を切り替えている余裕はない。

 

 ホテルの最上階から眼下に見える建物の屋根の上へと飛び降り、そこから別の建物の屋根の上へと走る。人間ならば助走したうえで全力でジャンプしなければ飛び越えられないような場所も、吸血鬼の脚力ならば軽くジャンプする程度の感覚で楽に飛び越えられるのだ。

 

 最初は吸血鬼として生まれたことを呪いたくなったが、今はこの身体が便利だと思い始めているし、生んでくれた母上にも感謝している。

 

 愛用のガリルを腰に下げ、背中に背負っているRPG-7を準備する。そろそろカルドラズ・ストリートに差し掛かる頃だろう。昼間ならば多くの露店が並び、買い物客だらけになるカルドラズ・ストリートは、きっと今頃はレオパルトや装甲車が道を塞ぎ、そこへとやってくる哀れなハンヴィーを待ち構えている頃だ。

 

 やがて、建物の向こうで深紅の閃光が膨れ上がった。微かに熱い風と衝撃波の残滓が駆け抜けていき、黒煙がカルドラズ・ストリートの真っ只中から吹き上がる。

 

 レオパルトの砲撃だ。今の一撃で勝負がついたことを祈りながら、俺は通りへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、危なかった……………」

 

 ウォルコットさんが左に曲がるように命令してくれなかったら、きっと今頃俺たちは木っ端微塵になっていたことだろう。

 

 カルドラズ・ストリートと書かれた看板を通り過ぎたと思ったら、通りの向こうでレオパルト2A7+とM2ブラッドレーが砲口をこっちに向けて待機していたのである。先回りされているとは思わなかったが、辛うじて左にある別の路地へと逃げ込んだおかげで何とか戦車砲で木っ端微塵にされずに済んだ。

 

 だが、これで回り道へと逃げ込むのは二回目だ。あのまま戦車と装甲車に突っ込むわけにはいかなかったとはいえ、このまま回り道を何度も続けていれば回収部隊と合流するまでに時間がかかってしまう。時間がかかれば仲間たちの集中力もどんどん減少していくし、犠牲者が出る確率も大きくなっていく。

 

 突然、ハンヴィーの屋根に何かが激突した。はっとしながら顔を上げると、通りの左右にある労働者向けのアパートのベランダに敵の歩兵がいて、こっちにマークスマンライフルを向けている。

 

「くそったれ!」

 

 ブローニングM2重機関銃を右へと旋回させ、俺はトリガーを引き続けた。俺が反撃しようとしていることに気付いたのか、敵のマークスマンは咄嗟に頭を下げてベランダの陰に隠れる。反応が予想以上に素早かったことに俺は驚いたが、ベランダの陰とはいえそこにある遮蔽物は木製のちょっとした壁だ。5.56mm弾や7.62mm弾ならば辛うじて防げるかもしれないが、12.7mm弾はアサルトライフルやバトルライフルで使用される銃弾とはわけが違う。より破壊力と射程距離を追求した、大口径の銃弾を連発できるのだ。

 

 敵が隠れていてもお構いなしに、俺はその遮蔽物へと弾丸を叩き込み続けた。木製の壁の破片が一気に舞い、その中で鮮血の飛沫と肉片も舞う。千切れ飛んだ手足や首がアパートの壁に激突し、穴だらけの壁を真っ赤に染めた。

 

「ケーター、前方にLMG!」

 

「ッ!」

 

 機関銃を旋回させつつ振り向くと、ハンヴィーが進んでいる方向に数人の歩兵が伏せているのが見えた。5人くらいだろうか。そのうちの2人はドイツ製LMGの『MG3』をこちらへと向けているし、他の歩兵は近くにある木箱の中から、細長い筒の先端部に楕円形の弾頭をくっつけたような形状の何かを取り出している。

 

 ドイツ製の兵器が好きな俺は、すぐにその奇妙な形状の得物の正体を見破っていた。

 

 それは『パンツァーファウスト』と呼ばれる、ドイツ軍が第二次世界大戦中に使用した対戦車兵器だった。対戦車用の弾頭を先端部に装着してぶっ放すことで戦車に大打撃を与える代物で、第二次世界大戦ではアメリカ軍やソ連軍の戦車をことごとく破壊して奮戦したと言われている。

 

 コストも非常に安かったためなのか、端末で生産する場合はたった100ポイントで生産できる。さすがに現代の戦車には通用しないものの、この世界に転生したばかりの転生者にとっては頼りになる武器の1つだ。

 

 しかし、いくら第二次世界大戦中の兵器とはいえ、こっちは装甲車よりも貧弱なハンヴィーである。それゆえにパンツァーファウストを叩き込まれればあっさりと木っ端微塵になってしまうのは明白だ。

 

「くそ、パンツァーファウストだ!」

 

「3か!?」

 

「いや、旧式のやつだ!」

 

「あらあら」

 

 助手席の窓を開け、そこからクランがXM8を突き出して敵にフルオート射撃を叩き込む。俺も舌打ちをしてから照準を合わせ、重機関銃のトリガーを引いた。

 

 前を走るウォルコットさんたちのハンヴィーも射撃を始めている。どうやら射手を務めているのは、彼らの中では若い兵士のキースらしく、パンツァーファウストの準備をしている敵兵に向かって必死に弾丸を叩き込んでいるようだった。

 

 ハンヴィーを吹っ飛ばそうとしていたクソ野郎が12.7mm弾の集中砲火で肉片になり、その隣にいた奴も同じ運命を辿る。千切れ飛んだ肉片が石畳の上に転がり、炸薬と血の臭いが通りを支配し始める。

 

 パンツァーファウストを装備した敵兵を排除して安心した瞬間、何の前触れもなく左肩が後ろへと突き飛ばされたような感じがした。猛烈な衝撃を抑え込もうと思って力を入れると同時に猛烈な激痛を感じ、顔をしかめながら反射的にヒーリング・エリクサーを取り出す。

 

 どうやら左肩に銃弾を叩き込まれてしまったらしい。エリクサーを呑みながら左肩を見てみると、掠めた弾丸が微かに皮膚と肉を抉っていったようだった。けれどもすぐにその抉られた分の肉が断面の中から湧き上がり、その表面を皮膚が覆っていく。

 

 傷口がすぐに塞がり、痛みも消え失せたことに安心したが、すぐに恐怖を感じた。このヒーリング・エリクサーがあれば今のようにすぐに傷を塞ぐことができるが、もし被弾した場所が頭だった場合はエリクサーを飲むことすらできない。脳味噌の破片を周囲にぶちまける羽目になるのだから、回復すらできないのだ。

 

 今まで戦いになるたびに何度も恐怖は経験した。けれども、今しがた感じは恐怖は今までの恐怖とは違う。今までの恐怖は、前世の世界では存在しなかった”魔物”という怪物を見て感じた恐怖だが、被弾した瞬間に感じたのは――――――――”俺たちは、戦争の真っ只中にいる”という恐怖だった。

 

 そう、これは戦争だ。前世の世界では当たり前だった、銃を持った兵士同士の戦争である。

 

「左に敵兵!」

 

「くそ……………!」

 

 ビビっている場合じゃない!

 

 素早く重機関銃を左へと旋回させ、照準を合わせた。いつの間にか通りを抜けていたらしく、ハンヴィーの左側には列車の格納庫が広がっている。フィオナ機関を搭載した最新型の機関車が格納されている格納庫やレールの上にずらりと並ぶ数多の車両の陰に敵兵が潜んでいて、こちらへとアサルトライフルやLMGを向けている。

 

 さらに、レールの上の車両の奥には――――――――3両のM2ブラッドレーが鎮座していて、こっちに機関砲の砲身を向けていた!

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 死んでたまるか!

 

 トリガーを引きながら咆哮する。照準器の向こうで車両に穴が開き、陰に隠れていた敵兵や応戦してくる敵兵が肉片になっていく。しかし、射撃を始めてから数秒後に、俺の雄叫びをかき消していた重機関銃の轟音が何の前触れもなく途絶えてしまう。

 

 ちらりと見てみると、どうやら弾薬を撃ち尽くしてしまったらしく、機関銃の中へと伸びていた弾薬のベルトは見当たらなかった。

 

「ノエル、弾を!」

 

 車内へと手を伸ばすと、中に置いておいたMP5Kで応戦していたノエルが素早くブローニングM2重機関銃の弾薬が入った箱を渡してくれた。空になった箱を投げ捨て、代わりに新しい箱の中からベルトを引っ張る。そして新しいベルトをセットしてコッキングレバーを思い切り引き、再び敵に向けて撃ちまくった。

 

 幸い、敵のM2ブラッドレーは車両と味方の兵士が邪魔で迂闊に攻撃できないらしい。

 

『もう少しだ! この先の廃墟でヘリが待ってる!』

 

 ウォルコットさんの声が無線機から聞こえた。確か、回収地点はこの先にある廃墟だ。このまま敵の装甲車と歩兵部隊から逃げ切ることができれば、あとはヘリでこの国から脱出できる。

 

 そういえば、回収部隊のヘリには武装は搭載されているのだろうか? もし搭載されているなら支援してもらえるかもしれない。

 

『キース、警戒しろ! 格納庫の上にRP―――――――』

 

 銃声と共に聞こえてきたウォルコットさんの声が、突然途切れた。無線機の向こうからはノイズしか聞こえてこなくなり、その代わりに俺から見て右側で火柱にも似た爆炎が吹き上がる。

 

 はっとしてそちらの方を見てみると――――――――左側の後輪を吹っ飛ばされた1両のハンヴィーが、火達磨になりながら横倒しになっているところだった。先ほどまで果敢に機関銃を撃ち続けていたキースは爆風で胸の左側から上を抉り取られたらしく、爆風で黒焦げになった彼の死体には左肩と首から上が見当たらない。

 

『おい、ウォルコットさんのハンヴィーが!』

 

「くそ…………!」

 

 ウォルコットさんたちは無事か!?

 

坊や(ブービ)、停めろ!」

 

『正気か!? こんなところで停めたら敵に袋叩きにされるぞ!?』

 

「仲間を見捨てるわけにはいかねえだろ!?」

 

 もしかしたら、ウォルコットさんたちは生きているかもしれない。だから今すぐ助けに行けば、彼らを助けることができる。そう思って運転手の坊や(ブービ)に叫んだけれど、すぐに俺たちは絶対に生還しなければならないという事を思い出し、歯を食いしばった。

 

 俺たちはこの情報を絶対に持ち帰り、仲間に伝えなければならない。だから確実に生還する必要がある。普通の部隊ならばここで停車して仲間を助けるが、俺たちはそういうわけにはいかない。確実に情報を持ち帰るためにも、仲間を見捨てなければならない場合もあるのだ。

 

「……………すまん、何でもない」

 

『……………そうだ、それでいい』

 

「ウォルコットさん……………!?」

 

 歯を食いしばりながら、火達磨になっているハンヴィーを見つめていたその時、ウォルコットさんの声が無線機の向こうから聞こえてきた。けれどもやはりRPG-7に被弾したせいで重傷を負っているらしく、呻き声も聞こえてくる。

 

 やはり、生きていた。今すぐ戻れば助けられるのではないかと思ってしまったが、もう既に敵の銃撃は後方で炎上するハンヴィーに集中しているし、格納庫の向こうからはM2ブラッドレーも接近しつつある。今戻れば装甲車の機関砲で吹っ飛ばされるのが関の山だろう。

 

『未熟者だと思ってたが…………最後の最後で成長したじゃねえか、坊主』

 

 火達磨になり、横倒しになったハンヴィーの助手席の辺りでマズルフラッシュが見える。どうやらウォルコットさんが助手席から敵部隊に向かって応戦しているようだが、敵の歩兵は人数が多い上に装甲車までいる。勝ち目がないのは明白だ。

 

 やっぱり、戻るべきだろうか。ここで俺たちが加勢すれば、彼を助けられるはずだ。

 

 けれどもすぐに生還しなければならないことを思い出し、力を抜きながら息を吐く。俺たちは絶対に生還し、情報を持ち帰らなければならない。

 

『後は頼んだぜ。……………もしよかったら、俺たちの仇も取ってくれよ……………』

 

「……………了解(ヤヴォール)」

 

『……………行け、シュタージ』

 

 ウォルコットさんの声が聞こえた直後、車両の陰から姿を現した1両のM2ブラッドレーが放った対戦車ミサイルが、横倒しになった状態で炎上していたハンヴィーに突っ込んだ。戦車を撃破するために開発された獰猛な対戦車ミサイルが直撃したハンヴィーは今度こそ木っ端微塵になり、炎上する部品を周囲にばら撒きながらごろごろと転がると、近くにあった建物の壁に激突した。

 

 その光景を見ていた俺は、いつの間にか重機関銃のトリガーから指を離していた。もう、俺たちに向かって銃撃してくる敵は見当たらない。あそこでウォルコットさんが囮になってくれたから、俺たちは無事に列車の格納庫を突破して回収地点へと向かうことができたのだ。

 

 いつの間にか、俺は炎上するウォルコットさんたちのハンヴィーの残骸に向かって、敬礼をしていた。

 

 もし再びこの国へとやってきた時は、絶対にあなたの仇を取る。

 

 だから、安心してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう1両には逃げられたな」

 

 弾頭を発射し終えたRPG-7を背負ったまま、燃え上がるハンヴィーの残骸を見つめる。こいつの後輪を吹っ飛ばしてからもう1両を狙おうと思ったんだが、生き残っていた奴の銃撃がしつこかったせいで狙いをつけることができず、結局もう1両のハンヴィーを取り逃がす羽目になった。

 

 仲間を逃がすために囮になった敵の諜報員の判断は素晴らしいと思うが、敵を取り逃がしてしまった原因はそいつの銃撃だ。そう思うとすぐに怒りを感じてしまう。

 

「ブラド様、どうなさいますか?」

 

「…………飛行場に連絡し、戦闘機を出撃させろ」

 

「せ、戦闘機ですか?」

 

「ああ、そうだ。ヴリシア帝国は島国だぞ? 国外に逃げるためには、船か空を飛ぶしかないだろう?」

 

 おそらく、あいつらはヘリで逃げるつもりだろう。もしヘリで逃げるのならば戦闘機には勝ち目がない。仮に空対空ミサイルを装備していたとしても、戦闘機にはヘリとは比較にならないほどの速度と機動性という強みがある。

 

 俺はあのハンヴィーが逃げて行った道を睨みつけながら、拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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シュタージの情報

 

 

 廃墟で待っていたのは、モリガン・カンパニーの空母から派遣された1機のカサートカだった。スタブウイングには飛行可能な距離を延長するために燃料が満載された増槽を搭載しており、その隣には対地攻撃用にロケットポッドを装備している。あくまでも俺たちの回収を最優先にした装備らしく、武装は最小限になっていた。

 

 もしこのヘリに航空支援をしてもらえたのならば、ウォルコットさんたちは助かったんじゃないかと思ったけれど、あれだけの数の敵兵と装甲車の中にロケットポッドしか武装を持たない1機のヘリが戦いを挑んだところで、すぐに装甲車の機関砲で撃墜されるのは明白だ。そう思った俺は何も言わずに、兵員室の中に用意された椅子に腰を下ろし、脱出前にウォルコットさんたちから預けられていた情報を確認していた。

 

 ウォルコットさんたちから預けられた書類には、もしもサン・クヴァントに上陸する場合に最適な上陸地点や、そこからホワイト・クロックまでスムーズに進軍できるルートまで詳細に記載されていた。それだけでなく、敵の待ち伏せが想定される区画や橋頭保として確保しておくべき地点などまで記載されていて、俺たちがまだまだ未熟だったという事を痛感してしまう。

 

 ヘリのパイロットに「君たちだけなのか? 同志ウォルコットたちは?」と問いかけられたときは、無言で首を横に振ることしかできなかった。パイロットはそのしぐさを見て首を縦に振ると、それ以上ウォルコットさんたちがどのような運命を辿ったのかは聞かないでくれた。ジョセフさんたちは吸血鬼の予想外の襲撃で殺され、ウォルコットさんたちは脱出の途中に木っ端微塵にされた。ありのままを彼らに話したら、俺はもしかしたら壊れてしまうかもしれない。

 

「…………ケーター」

 

 隣に座っていたクランが、優しく俺の手を掴んだ。

 

「仕方なかったのよ……………あいつらがあんな装備を持っていたなんて、誰も予測できなかったんだから」

 

「でも、クラン……………もっと早く対応できれば……………!」

 

 確かに、あいつらが銃だけでなく戦車や装甲車まで持っていることは予想外だった。けれどもその”予想外”は、吸血鬼たちは決して銃を持たないと決めつけていたから生まれたに違いない。

 

 戦場で敵の能力を勝手に決めればどうなるのか、この戦いでよく分かった。もしかしたら敵も俺たちのように現代兵器で武装しているかもしれないと思っていれば、もう少し素早く対応できたかもしれないのだから。

 

 彼女の手をぎゅっと握り返した次の瞬間、カサートカを操縦するパイロットが叫んだ。

 

「これは……………? くそ、敵の戦闘機だ!」

 

「なっ……………!? 数は!?」

 

「2機!」

 

 舌打ちをしながら、俺は兵員室の窓の外を睨みつけた。まだはっきりと見える距離ではないけれど、敵の戦闘機がどうやら俺たちのヘリを追撃しているらしい。ウォルコットさんたちのおかげで俺たちはヘリで脱出できたというのに、このままでは戦闘機に撃墜されてしまう!

 

 もう既にヘリは海の上へと出ている。仮に撃墜されたとしたら泳ぐしかないが、この辺の海には魔物が数多く生息している。そんな海の上に投げ出されたら、いくら転生者でもあっという間に魔物に食い殺されるのが関の山だ。地面の上に墜落する場合よりも生存率は圧倒的に低い。

 

「ここから母艦までの距離は!?」

 

「まだまだ先だ! 逃げきれない! ―――――――エコー1-1よりバクーへ! 現在、敵の戦闘機による追撃を受けている!」

 

『こちらバクー。そちらの位置は?』

 

「現在、ウィルバー海峡――――――――」

 

 パイロットが空母に現在位置を知らせようとした瞬間だった。今までメインローターの音と狼狽するパイロットの声しか聞こえなかったヘリの中で、何の前触れもなく電子音が鳴り響き始めたのである。後方から敵の戦闘機にロックオンされていることを告げる電子音を聴いた瞬間、パイロットの顔が強張った。

 

 当たり前だが、戦闘機のミサイルを1発でも喰らえば海の藻屑になるのは確実だ。機動性は戦闘機よりも下なのだから、フレアを使って必死に回避するしかない。

 

 せめて空対空ミサイルが搭載されていれば応戦できるんだが、このヘリの武装はロケットポッドのみ。空を縦横無尽に飛び回る戦闘機に、空対空ミサイルのようにホーミングできないロケット弾を命中させるのは不可能だ。全く勝負にならない。

 

「くそ、ミサイルだ!」

 

「フレアを!」

 

「分かってる!」

 

 フレアのスイッチを押した瞬間、機体の周囲に炎の球体にも似た無数のフレアがばら撒かれる。後方から接近していたミサイルはふらついたかと思うと、まるでカサートカの撃墜を諦めてしまったかのように全く別の方向へと逸れていく。

 

 何とか木っ端微塵にされるのは防いだみたいだけど、敵にはまだミサイルが残っている筈だし、機関砲もある。今のはあくまで最初に放たれたミサイルを凌いだだけなのだ。空母との距離はまだあるから、空母のいる位置まで逃げ切るか、空母から発信した艦載機が到着するまで持ちこたえなければならない。

 

 やはり速度に差があり過ぎたせいなのか、俺たちを追尾していた2機の戦闘機がカサートカの左右を通過していく。後方に搭載されているでかい1基のエンジンノズルと真っ直ぐに屹立する1本の垂直尾翼を見た瞬間、俺はヘリを追撃してきたその戦闘機の種類を見破った。

 

 アメリカ軍で採用されている戦闘機の『F-16』だ。F-22やPAK-FAのようなステルス性は持たないが、非常に汎用性が高い上に機動性も優秀で、更にコストも低いという利点がある。

 

「くそ、吸血鬼共はF-16まで持ってるのか!」

 

「敵機が旋回してる! 今度は正面から来るぞ!」

 

 ヘリのパイロットが操縦桿を倒し、機体を左へと旋回させる。

 

 くそったれ、空母の艦載機はまだか!? 焦りながら窓の外を見てみたが、あのF-16以外の戦闘機がこの空域に駆けつけてくれる様子はない。機動性が劣る上に速度も遅く、しかも対地攻撃用のロケット弾しか武装を積んでいないヘリに対して、向こうは高い機動性を持つ上に対空ミサイルを何発も搭載している戦闘機だ。敵の独壇場になっているのは明らかである。

 

 再びミサイルにロックオンされているという事を告げる電子音が、操縦桿を握るパイロットを更に焦らせる。1発でもこっちに命中すれば入手した情報諸共海の藻屑だし、対空ミサイルには近接信管もある。ぎりぎり回避しようとしたとしてもミサイルが爆発し、その爆風でやられてしまうのだ。だから完全に回避しなければならない。

 

 回避してくれ、と祈りながらコクピットのパイロットを見つめる。必死に操縦桿を倒して機体を旋回させて足掻くが、電子音は全然消えない。すでに敵のF-16は旋回を終えていて、いつでもミサイルを発射できる状態だ。

 

 もう駄目だ。このままでは撃墜される。

 

 そう思った次の瞬間だった。こちらに向かって飛びながら、慌てふためいている獲物にミサイルを叩き込もうとしていたF-16の片割れが――――――――何の前触れもなく弾け飛んだかと思うと、燃え盛る機体の部品を海へとばら撒くかのように落下していったのである。

 

「なっ、なんだ…………!?」

 

「味方か!?」

 

 生き残ったもう1機のF-16が、いきなり相棒が木っ端微塵になったことを知って慌てて回避する。そのおかげでミサイル攻撃を断念したらしく、カサートカの機内に鳴り響いていたアラートは消え失せていた。

 

 いきなり高度を下げ、必死に急旋回を繰り返すF-16。俺たちを追い立てていた奴らを逆に追い立てているのは、漆黒に塗装された2機の戦闘機だった。尾翼は見当たらず、やたらと大きな主翼と、その主翼の前に搭載されているカナード翼が特徴的だ。

 

 今頃、逃げ回るF-16のコクピットの中ではロックオンされていることを告げるアラートが鳴り響き、パイロットを狼狽させている事だろう。必死に急旋回を繰り返すが、いきなり姿を現した2機の戦闘機は連携し合いながらF-16を追い詰めていく。

 

 黒い戦闘機の下部にあるウェポン・ベイが開いたかと思うと、その中から姿を現した1発の空対空ミサイルがF-16へと向かって飛んでいく。F-16はフレアを使いつつ急旋回をして回避しようとするけど、ミサイルを放たなかったもう1機の黒い戦闘機が先回りしていた。ミサイルを振り切って安心したF-16に、先回りしていたもう1機の黒い戦闘機が襲い掛かる。

 

 至近距離で機関砲が立て続けに放たれる。先回りされていたことに気付いたF-16のパイロットが操縦桿を大慌てで倒した事には、最初の1発が主翼を食い破り、後続の機関砲が立て続けにエンジンノズル付近に大きな風穴を開けていた。

 

 エンジンノズルから炎の代わりに黒煙を吐き出し始めたF-16は減速し始めると、そのままぐるぐると回転を始め、やがて海面目と消えていった。

 

「すごい連携だ……………」

 

 味方の片方がフレアを使われることを承知の上でミサイルを放ち、もう1機が先回りして確実に敵機を撃墜する。何度も実戦に出撃し、経験を積み重ねつつ、仲間の得意とする動きを完全に把握していなければあんな芸当はできない。間違いなくあの機体に乗っているパイロットはどちらもエースパイロットだろう。

 

 すると、F-16を撃墜した2機の戦闘機が高度を上げ、空戦を見守っていたカサートカの近くへとやってきた。

 

「中国の殲撃20型だ……………!」

 

 俺たちの窮地を救ってくれたのは、中国で開発されたステルス機の『殲撃20型』だった。アメリカのF-22やロシアのPAK-FAとは全く異なるフォルムが特徴的な機体である。

 

 2本の垂直尾翼には、真っ赤な星を加えている虎のエンブレムが描かれていた。

 

「殲虎公司(ジェンフーコンスー)の航空隊か! 助かったよ!」

 

『どういたしまして、同志』

 

 無線機から聞こえてきたのは、若い男性の声だった。

 

 どうやらあの殲撃20型は、モリガン・カンパニーと同盟関係にある『殲虎公司(ジェンフーコンスー)』所属の戦闘機らしい。殲虎公司(ジェンフーコンスー)は14年前の転生者戦争にも参加した数多くの転生者が所属するPMCで、世界中に傭兵を派遣しているという。今ではもう軍拡を進めるモリガン・カンパニーに規模を追い抜かれてしまったものの、主要メンバーが転生者戦争の生き残りであるため非常に練度が高いと言われている。

 

 リーダーは中国出身の転生者の『張李風(チャン・リーフェン)』。転生者戦争以前からモリガンと共同訓練を行っているほど硬い同盟関係らしく、今度のヴリシア侵攻作戦では戦力の一翼を担うことになっているという。

 

『では、君たちの空母までエスコートさせてもらうよ』

 

「感謝する、同志!」

 

「ふう……………」

 

 何とか海の藻屑にはならずに済んだらしい。

 

 窓の外を飛ぶ殲撃20型のパイロットに向けて手を振った俺は、息を吐きながら兵員室の椅子に腰を下ろした。

 

 他の仲間たちも安心しているようだが、木村の奴は「おお、中国の戦闘機が近くを飛んでますよ、坊や(ブービ)!」と楽しそうに言いながら、疲れ切った坊や(ブービ)の肩をひっきりなしに揺らしている。

 

 休ませてやれよと思いながら苦笑いした俺は、もう一度息を吐きながら窓の外を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生還したシュタージからの報告書を確認した俺は、執務室のデスクの上にある報告書を見下ろしながらため息をついた。

 

 シュタージのメンバーは負傷せずに全員生還してこの情報を持ち帰ってくれたものの、こちらから派遣した諜報部隊は全滅。ベテランだったジョセフやブレンダンも戦死し、大きな損害を被ることになってしまった。

 

 しかし、彼らが入手してくれた情報は有益なものばかりだった。海に面している帝都サン・クヴァントに上陸する際の最適な上陸ポイントや、敵の本拠地である可能性の高い地点の場所。それだけでなく、理想的な進軍ルートや橋頭保として確保するのに最適なポイントまで詳細に記録されており、それらのポイントを確保するのが難しかった場合のポイントまで記載されている。

 

 作戦は、このブレンダンが残してくれた記録を元にして立案することになるだろう。しかし、問題はシュタージの報告書に記載されている事だ。

 

 信じがたい話だが、吸血鬼が銃や戦車で武装していたというのである。逃走する途中に誰かが写真を撮影したらしく、白黒の写真まで一緒に同封されていた。走行中に撮影したためはっきりとは見えないが、まるで第二次世界大戦中のドイツ兵を彷彿とさせる軍服とヘルメットに身を包んだ兵士が、G36Cと思われるアサルトライフルやパンツァーファウストで武装し、装甲車のM2ブラッドレーと共に行動しているのである。

 

「なんてことだ」

 

 傍らで報告書を見ていたエミリアが呟いた。俺と共にヴリシアでレリエル・クロフォードと戦った経験のある彼女ならば、吸血鬼が銃を持つことがどれだけ脅威になるのかよく分かっている。

 

 驚異的な身体能力を持ち、なおかつ再生能力まである吸血鬼と辛うじて互角に戦えたのは、俺たちが銃を持っていたからだ。しかし彼らまで銃を持ったという事は、その均衡が崩壊したことを意味する。

 

 これでは、銃を持った無数の兵士たちを進撃させるだけでは勝てない。もう少し物量を増やしたうえで、しっかり作戦を考えなければ、上陸した部隊がことごとく壊滅する羽目になる。

 

「……………ヘンシェル」

 

「はい、同志」

 

「歩兵部隊の人数を、予定の人数から増やせるか?」

 

「はい、やってみましょう」

 

「頼む」

 

 おそらく、ヴリシア侵攻は予想以上に壮絶な戦いになるだろう。下手をすればあの転生者戦争よりも大規模な戦争になるかもしれない。

 

 そう、最早この戦いは紛争ではない。本格的な”戦争”なのだ。

 

「……………”第二次転生者戦争”か」

 

 吸血鬼が銃を持っている以上、転生者が彼らに協力しているか、奴隷にされているとしか思えない。もし前者ならばまたしても転生者同士の激突になるし、後者ならばなんとかして助け出す必要がある。

 

 ため息をつきながら、傍らで直立して待機しているリディアを見上げた。相変わらず男性が身につけるようなスーツに身を包み、彼女を拾った時に俺がプレゼントしたシルクハットをかぶったまま、表情を変えずに俺の顔を覗き込んでいる。

 

 彼女の顔を見つめて微笑んでから、両足を見下ろす。真っ黒なズボンの中にある彼女の両足は本来の脚ではなく、フィオナが試作した機械の義足だ。彼女が発見された時、リディアはどういうわけか両足が欠損した状態で発見されたのである。だから義足がなければ、彼女は歩くことができなかったのだ。

 

 当時から何度か改修を受けているとはいえ、彼女の義足はフィオナが作った”旧式”の義足である。今度の戦いにはリディアも参加することになっているが、さすがに旧式の義足では戦いを乗り切るのは難しいかもしれない。

 

「リディア」

 

 もう一度彼女の顔を見上げた俺は、彼女の瞳を見つめながら言った。

 

「―――――――君には、”近代化改修”を受けてもらう」

 

 



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無人兵器を準備するとこうなる

 

 

 今までは、現代兵器で武装した人間と吸血鬼は辛うじて互角に戦うことができていた。銀の弾丸や砲弾を装填して奴らに叩き込むことで、身体能力の差を埋めることはできないが、辛うじて奴らを葬ることができたからである。

 

 しかし――――――――その吸血鬼まで現代兵器で武装しているという報告をシュタージから受けた瞬間、俺は少しばかり絶望してしまった。転生者を上回るほどの力を持つ吸血鬼が、現代兵器という強力な武器で武装しているのである。実際にシュタージが撮影した写真を確認した仲間たちも、その白黒の写真の中で銃を装備している敵兵の姿を見て、絶句していた。

 

 まるで第二次世界大戦中のドイツ兵を彷彿とさせる軍服に身を包み、おそらくG36Cを思われるアサルトライフルを装備し、M2ブラッドレーと共に行動してシュタージたちを追い詰めた吸血鬼たち。しかも奴らの中には人間の兵士も混じっていて、吸血鬼たちの味方をしているという。

 

 てっきり、今回の侵攻は楽な戦いになるんじゃないかとちょっとだけ高を括っていた。吸血鬼が接近してくる前に射殺すればいいし、魔術で遠距離戦を仕掛けてきても、魔力の反応ですぐに探知し、そこに榴弾砲でも叩き込んでやれば勝負はつくのだから。従来通りの状況なのであれば、それでよかった。

 

 しかし吸血鬼まで現代兵器で武装している以上、いくらモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍の物量が圧倒的とはいえ、不利な戦いになる可能性が高い。いくら転生者戦争の生き残りが銃撃戦を経験しているとはいえ、連合軍の兵士たちの大半は転生者戦争以降に入隊した若者ばかり。銃を使った戦いの経験はあっても、銃をこちらに向けられるような戦いの経験がないのだ。

 

 それはテンプル騎士団も同じである。何名かは転生者を相手にする際に銃撃戦を経験しているが、経験したのはごく少数の精鋭部隊のみ。拠点を警備する警備隊や砲兵隊などは、そういった経験がない。

 

 しかも――――――――テンプル騎士団は、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)と比べると、規模が圧倒的に小さい。シュタージが旅立った後に何名も志願兵が入団してくれたおかげでそれなりに規模は大きくなり、前にナタリアが考案してくれた前哨基地の建設も始まっているとはいえ、まだ規模は小さいのだ。

 

 だからそれを補うために、俺たちは――――――――無人兵器を投入することにしていた。

 

 無人兵器は当然ながら人間が乗って操縦する必要がないため、仮に撃破されても戦死者や負傷者が出ることはない。だからそれを大量に配備できれば兵力不足を少しでも補えるのである。

 

 俺の能力を使えば、戦車やヘリなどを無人兵器に改造することが可能だ。しかし無人兵器に改造するにはその兵器を生産するのに必要なポイントを上回るポイントが必要になってしまうという欠点があり、そう簡単に大量に配備できないという欠点がある。

 

 例えば、スーパーハインドを1機生産するためには4800ポイントを消費する。AK-12を1丁生産するために710ポイントを使うので、ヘリや戦車を生産するためのポイントはかなり多めになっている。そしてもし仮にスーパーハインドを無人型に改造する場合、更に8800ポイントも消費しなければならない。

 

 そのため、最新型の兵器を無人化すればすぐにポイントが底をついてしまい、これ以上の軍拡ができなくなってしまう。そこで俺は、生産するために必要なポイントが非常に少ない旧式の兵器に目をつけた。

 

 俺の能力の特徴の1つなんだが、武器や兵器を生産する際、旧式の兵器か中国製の兵器であれば生産に必要なポイントが非常に少なくなっていくという特徴がある。特に第二次世界大戦や第一次世界大戦の戦闘機や戦車は、場合によっては最新型のアサルトライフル程度のポイントで生産できるほどポイントが安くなっているものもあるのだ。

 

 そこで、俺たちは旧式の戦車を無人化し、大量生産して最前線や拠点の警備に投入することにした。

 

「ず、随分と小さい戦車ですわね……………」

 

「ステラみたいに小さい戦車です」

 

 偵察部隊のバイクと共にゲートの向こうから戻ってきた戦車を目の当たりにしたステラとカノンが、そう言いながらその戦車を見つめている。

 

 確かにその戦車は、テンプル騎士団で正式採用となったエイブラムスや、俺たちが乗っているチーフテンと比べると非常に小ぢんまりとしている戦車だった。やたらと大きなキャタピラが小さな車体の両端に取り付けられており、その車体の上にはやはり小ぢんまりとした砲塔が搭載されていて、そこからは短い砲身が少しだけ突き出ている。がっちりした装甲と長い砲身を持つエイブラムスと比べるとあまりにも小さすぎるその戦車は、かつて第一次世界大戦で活躍した『軽戦車』と呼ばれる戦車である。

 

 無人化することにした戦車は、フランスの『ルノーFT-17』をロシアが改良した『ルスキー・レノ』と呼ばれる軽戦車だ。

 

 ちなみに、戦車という兵器が初めて実戦に投入されたのは第一次世界大戦の最中である。けれども当時の戦車の形状は今の戦車のような形状ではなく、巨大な菱形の車体の両サイドに巨大なキャタピラと主砲を搭載したような形状で、最近の戦車のように車体の上に砲塔を搭載したタイプの戦車は存在しなかったのだ。

 

 ルスキー・レノを無人化することに決めた理由は、まず第一次世界大戦中の戦車であるため生産に必要なポイントが非常に少ない事と、小型であるため大量生産しても格納庫にしっかりと格納できるからである。

 

 ルスキー・レノを生産するのに必要なポイントは、AK-12の生産に必要なポイントを下回る600ポイント。無人兵器に改造するのに必要なポイントはたったの1200ポイントだ。スーパーハインドの4分の1のポイントで無人兵器に改造できるのだから大量生産に向いているし、車体も小型だから格納し易い。場合によっては輸送機に乗せて輸送することも可能だろう。しかも重量も軽い。

 

 しかし、さすがに第一次世界大戦の戦車なので火力は貧弱だし、防御力もかなり低いという欠点がある。最新型のエンジンに改造することで機動力は辛うじて向上させられるけれど、他の部分まで改造すると更にポイントがかかってしまうので、防御力と火力はそのままにしている。

 

 そんな旧式の戦車で敵の最新型の戦車とは戦えないけれど、あくまでもこの無人型ルスキー・レノは、歩兵部隊と共に行動して進撃し、砲撃と機銃で歩兵部隊を支援させる予定だ。だから攻撃する相手は歩兵やトーチカになるから、それほど問題はない。

 

 防御力が貧弱とはいえ、アサルトライフルの弾丸で貫通されることはありえないので、場合によっては歩兵部隊の盾にもなるという利点がある。他にもロケットランチャーのカチューシャを搭載した荷台を牽引した遠距離支援型や、戦車砲の代わりに火炎放射器を搭載した近接戦闘型などのバリエーションも考えている。

 

 試しに無人化した試作型のルスキー・レノと共に帰還した偵察部隊の兵士の元へと駆け寄りつつ、手を振る。バイクから降りた兵士はヘルメットを外すと、微笑みながら俺に手を振り返してくれた。

 

「おかえり」

 

「どうも、同志」

 

「こいつはどうだった? ちゃんと仕事してたか?」

 

「ええ。正直言って、最初はこんなに小さいから頼りないと思ってたんですが、いきなり襲い掛かってきたゴーレムやゴブリンをことごとく戦車砲でぶっ飛ばしてくれたんで助かりましたよ」

 

 どうやら予想以上の戦果をあげたようだ。砲塔の装甲をコンコンと叩きながら兵士が報告すると、まるで褒められて照れてしまったかのように、無人型のルスキー・レノが砲塔を微かに旋回させた。

 

「ということは、問題はないな?」

 

「はい。こいつを大量生産してもらえれば、歩兵部隊の奴らも大助かりでしょう」

 

「分かった。他にも何か要望があったら教えてくれ。積極的に検討する」

 

「助かります。では」

 

 再びヘルメットをかぶり、バイクを走らせて格納庫へと戻っていく兵士を見送った俺は、メニュー画面を開いて早くも無人型ルスキー・レノの大量生産の準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちがタンプル搭を出発する前よりも、明らかにこのテンプル騎士団の本部は発展していた。地上の設備は大差ないが、地下にある設備はより拡張されており、エレベーターに表示されている区画の数も明らかに増えている。タクヤから聞いたんだが、最下層ではいまだにドワーフたちが居住区や設備の拡張を続けているらしく、来週には第8居住区が使用可能になるという。

 

 信じがたいペースだが、これでも数十人のドワーフたちが前哨基地の建設のために本部を離れているらしく、ペースは遅い方だという。

 

 せっせと工具や資材を担いで現場へと向かうドワーフたちとすれ違いながら、目の前を進む少女のような容姿の少年の後について行く。相変わらず髪型をポニーテールにしている上にリボンまでつけているからなのか、男子だという事が信じられない。

 

「ヴリシアはヤバかったらしいな」

 

 廊下を歩きながら、いきなりタクヤが話を始めた。彼にはもう既に報告したことだけれど、彼が聞きたいのは報告書に書かれていない部分なんだろう。

 

 俺は頷いてから「ああ、ヤバかった」と言うと、地下へと降りるエレベーターのスイッチを押した。やがて下からエレベーターが上がってきて、扉が開く。エレベーターに乗ってから地下の1階のボタンを押して扉を閉めると、エレベーターを固定していた歯車とワイヤーが再び仕事を始めた。

 

「ヴリシア侵攻は、多分転生者戦争並みの激戦になるぞ」

 

「転生者戦争か…………」

 

「確か、お前の親父も参戦したんだよな?」

 

「ああ」

 

 タクヤの父親であるリキヤ・ハヤカワも、転生者戦争の生き残りの1人だ。転生者たちを率いていた”勇者”と呼ばれていた転生者に反旗を翻した男の1人であり、総大将でありながら最前線で戦ったという。

 

 テンプル騎士団やモリガン・カンパニーと関わることになってから、当時の体験談や逸話を何度も聞いた。リキヤ・ハヤカワ率いるモリガンのメンバーたちは敵の負傷兵にも容赦なく攻撃を加えたらしいし、捕虜もその場で撃ち殺していたという。そのせいなのか敵の捕虜は0人で、ファルリュー島の守備隊は全員戦死したらしい。

 

 異世界で初めての、現代兵器同士の戦争。それを上回る戦闘が、ヴリシア帝国で始まろうとしている。今度は当時の生き残りだけでなく、彼らの子供たちも銃を持って最前線で戦うことになるのだ。タクヤは怖くないのだろうか?

 

「お前は怖くないのか?」

 

「なにが?」

 

「敵と殺し合う事さ」

 

「別に怖くないぞ? もう慣れちまった」

 

「……………正直言うと、俺はちょっとビビった」

 

 逃走中に肩に被弾した瞬間、俺は殺し合いをしているんだと実感した。あれは今まで経験してきた戦いよりも生々しい戦いだった。あれが戦争なのだろうか。

 

「……………ヤバいなら、後方で待機しててもいいぞ」

 

「いや、大丈夫だ。すぐ克服した。……………それに、ウォルコットさんたちの仇も取らないと」

 

「そうか」

 

 だからビビっている場合じゃない。

 

 決意すると同時にエレベーターのベルが鳴り、地下の1階へと到着したことを告げた。

 

 扉から出て広い通路を歩いていると、段々と水の音が聞こえてきた。やがてオイルの臭いが漂い始め、通路の奥からは巨大なクレーンが稼働するような音や金属音が聞こえ始める。

 

 しばらく進んでいくと――――――――巨大な地底湖を彷彿とさせる場所に辿り着いた。分厚そうな岩盤に取り囲まれた空間の中を水が満たし、それを天井に取り付けられた照明が照らしている。もしその水の上に巨大な艦が何隻も停泊していなければ、地底湖にしか見えない場所だ。

 

 そう、ここはタンプル搭の地下にある軍港だ。俺たちが出発する前はただの地底湖のような場所だったんだが、今ではドワーフたちの活躍によって新しい設備の導入や拡張が爆発的に進み、今では軍港として機能し始めているという。

 

 そこに停泊しているのは、ソ連で開発された駆逐艦たちだった。ソヴレメンヌイ級やウダロイ級が停泊しており、少し広めのタラップの上を作業員や乗組員たちが行き来している。

 

「乗組員は?」

 

「たった26人だ。ほとんどの設備は自動化してある」

 

 確か、本来ならば300人以上は乗組員が必要なはずだ。ところどころの設備を自動化したとはいえ、かなり乗組員を削減したんだな。テンプル騎士団は人数が少ないから、自動化しない限りこのような駆逐艦はまともに運用できないとはいえ、乗組員を削減し過ぎだと思う。ちゃんと戦えるのだろうか?

 

 その隣には、やけに大きな艦が停泊している。大型の艦橋や無数に搭載されているアンテナのせいで、駆逐艦というよりは戦艦を彷彿とさせる巨体を持つ艦だ。

 

「キーロフ級か?」

 

「ああ」

 

 そこに停泊していたのは、同じくソ連で開発された『キーロフ級ミサイル巡洋艦』である。無数のミサイルを搭載した圧倒的な火力を持つ巡洋艦だが、確かこの艦は原子力で動く巡洋艦じゃなかったか?

 

 転生者はあらゆる兵器をポイントを使って生産することができる。しかし、核ミサイルや原子力空母などの”原子力”を使用するあらゆる兵器は一切生産することができない。確かに核ミサイルを転生者に使わせたら、この異世界があっという間に放射能の世界に早変わりしてしまう。この端末を作った奴はそれを阻止するために、核兵器は使用できないようにしたんだろう。

 

 しかし、あくまで使用できないのは”原子力”のみ。こういった艦は、動力源を原子力から通常の機関に変更することで、性能は下がってしまう代わりに使用可能になるのである。

 

 おそらくこのキーロフ級も、原子力から通常の機関に変更したんだろう。

 

「ほら、見てみろ」

 

「これは……………?」

 

 てっきりキーロフ級がテンプル騎士団の艦隊の旗艦になると思ってたんだが――――――――楽しそうに微笑みながらタクヤが指差した先には、キーロフ級よりもはるかに巨大な艦が停泊していて、その甲板の上では作業員たちがせっせと作業を続けていた。

 

 キーロフ級よりも艦橋は若干低いが、船体は非常にがっちりしており、装甲が分厚いことを告げている。さらに前後の甲板の上には太い砲身が3本も突き出た主砲の砲塔が搭載されており、艦橋や煙突の両サイドには、おそらく対艦ミサイルが収納されると思われるミサイルポッドがこれでもかというほどずらりと並べられている。

 

 他にも、最新型の対空ミサイルやCIWSと思われるものがいくつも搭載されていた。

 

 そこに鎮座していたのは―――――――現代では廃れてしまった、『戦艦』だった。

 

「せ、戦艦……………?」

 

「ああ、ソ連の『24号計画艦』だ」

 

 第二次世界大戦中、ソ連軍は『ソビエツキー・ソユーズ級』と呼ばれる超弩級戦艦を建造する予定だったという。圧倒的な火力と防御力を持つ戦艦だったようだが、途中でその戦艦の建造は中止されてしまい、ソビエツキー・ソユーズ級は1隻も実戦投入されなかった。

 

 実はそのソビエツキー・ソユーズ級を更に改良した発展型も計画されていた。それが『24号計画艦』である。

 

 まだ名前すら決められなかった、”生れ落ちることのなかった戦艦”が、近代化改修を受けた姿で目の前に停泊している。

 

「幸い、討伐した転生者からドロップしたんだ。こいつがドロップしなかったらキーロフ級が旗艦になる予定だった」

 

「戦艦を投入するのか?」

 

「ああ、近代化改修は済んでる。対艦ミサイルや対空ミサイルもあるぞ」

 

「ふむ。……………ところで、名前は決まってるのか?」

 

「ああ」

 

 実戦でも24号計画艦と呼ぶわけにはいかない。名前すら決めてもらえなかった艦なのだから、名前を付ける必要がある。

 

 タクヤは停泊する巨躯を見つめながら、楽しそうに言った。

 

「―――――――”ジャック・ド・モレー”だ」

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 新機能?

 

タクヤ「ルスキー・レノに新機能を搭載してみたぞ」

 

ナタリア「新機能?」

 

タクヤ「ほら、これ」

 

ルスキー・レノ『おはようございまーすっ♪』

 

ナタリア「!?」

 

タクヤ「喋れるように改造してみた。ちなみにラウラにアフレコしてもらってんだ」

 

ルスキー・レノ『よーし、偵察行ってきまーすっ♪ ……………ふにゃっ!? うぅ、擱座しちゃったぁ……………』

 

兵士1「なにぃ!? おいお前ら、戦車を守れ! 絶対破壊させるな!」

 

兵士2「こんなかわいい戦車をやらせてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

兵士3「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ! ルスキー・レノは俺が守るんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

ウラル「おい、歩兵部隊の戦果が上がってるんだが」

 

タクヤ「マジかよ」

 

 完

 

 

 

 

 

 



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ヴリシア侵攻作戦

 

 

 まるで中世のヨーロッパの騎士たちが拠点としていた城を彷彿とさせる建物の中には、巨大な会議室がある。アルファベットに似た文字で”会議室”と書かれたプレートの先に待ち受けている会議室は議会が開かれる議場のような広さがあるにもかかわらず、その割にはほとんど何も置かれていない。

 

 俺がここにやってくるのは、これで2回目だ。最初にやってきたのはラウラがレナを殺した際、懲罰部隊送りにされる処分を言い渡された時だろう。思い出したくないが、まるでこの光景が強引に俺の中の記憶をこじ開けようとしているかのように、あの時の光景がフラッシュバックする。

 

 実の息子にトカレフTT-33を向ける父親。そして実の父親に銃殺されそうになっている弟を庇う姉の後姿。この広い会議室に反響したラウラの涙声が、再び聞こえてくるような気がする。

 

 その会議室を訪れたのは、俺たちだけではなかった。テンプル騎士団のメンバーの中で会議への出席を許された”円卓の騎士”と呼ばれるメンバーだけが、ここに呼ばれたのだ。テンプル騎士団本隊のメンバーに加え、ヴリシアから生還したばかりのシュタージ全員と、ムジャヒディンのメンバーだったウラルとイリナの2人である。

 

 今回は処分を受けに来たのではない。シュタージや諜報部隊の隊員たちが命懸けで入手した情報で立てた作戦の説明を受けに来たのである。もう既にどのような作戦にするのかは決まっているらしく、俺たちにそれを説明し、こっちの意見を聞いて修正するような感じになるとシンヤ叔父さんから説明されているが、おそらく俺たちの意見で修正する部分は殆どないだろう。

 

 なぜならば、この作戦を立てたのは14年前の圧倒的に不利だった転生者戦争を勝利に導いた2人の名将なのだ。

 

 2人のうち片方は、当然ながら最強の傭兵ギルドであるモリガンのシンヤ・ハヤカワ。ノエルの父親で、転生者戦争勃発の原因となったネイリンゲン襲撃の際に片腕を失う重傷を負ったけれど、すぐに復帰し空母の艦橋で上陸した海兵隊の指揮を執ったという。それ以前の戦闘でも、他のメンバーと比べると戦闘力は低かったらしいけれど、そういった作戦の立案でギルドの勝利に大きく貢献しているらしい。

 

 ちなみに現時点でも、シンヤ叔父さんはモリガンのメンバーの中ではまだ”弱い方”だという。数多の転生者をワイヤーで瞬殺している猛者が”まだ弱い方”ということは、それほどモリガンのメンバーたちが強いという事だ。

 

 そしてもう1人の名将は、もう既に会議室の中に用意されたでっかいテーブルの席に腰を下ろし、俺たちがやってくるのを待っていた。

 

 額にある古傷と顎鬚が特徴的な男性である。年齢は親父やシンヤ叔父さんに近いだろうか。身長はやや低いけれどがっちりとしていて、目つきの鋭さはモリガンのメンバーたちに負けていない。

 

「お久しぶりです、李風(リーフェン)さん」

 

「やあ、タクヤ君。随分と大きくなったね」

 

 この人も、転生者戦争を勝利に導いた名将の1人だ。

 

 現代兵器で武装した大規模なPMCの殲虎公司(ジェンフーコンスー)を率いる、転生者の『張李風(チャン・リーフェン)』さんだ。珍しい中国出身の転生者で、親父たちと共に”勇者”と呼ばれていた転生者たちに反旗を翻し、まだレベルの低かった転生者の仲間たちと共にファルリュー島の熾烈な戦いを戦い抜いた英雄の1人である。

 

 俺たちが小さい頃はよく王都の家にやってきて、親父たちと当時の話をしながら酒を飲んだり、中華料理を振る舞ってくれた人だ。まだ小さかったラウラもよく遊び相手になってもらっていたから覚えている筈である。

 

「お母さんにそっくりですね、同志」

 

「ああ。エミリアにそっくりだよ」

 

 李風さんが俺と母さんを見比べ始めると、席に座っていた母さんは恥ずかしそうに親父の方を見ながら苦笑いした。確かに母さんにそっくりだとよく言われるけど、性格は全然違いますからね。母さんは正々堂々と戦うようなタイプの人だけど、俺は汚い手を使うからな。

 

 普段ならばこのまま雑談が始まりそうだが、今回は雑談をしている場合ではない。これから始まるのは作戦会議だ。

 

「よし、席につけ」

 

「失礼します」

 

 作戦会議のために用意されたでっかいテーブルの椅子に腰を下ろすと、代わりに親父が立ち上がり、話を始めた。

 

「――――――同志諸君、今日は集まってくれて感謝する。では、作戦会議を始める」

 

 親父が挨拶をした直後、彼の背後の壁にいきなり巨大な蒼い魔法陣が生成されたかと思うと、複雑な記号や古代文字で囲まれた円の中に地図が表示される。壁に出現した魔法陣に投影された地図のほぼ中心にはオルトバルカ語で『ホワイト・クロック』と表示されている。

 

 ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントの地図だ。サン・クヴァントは海に面した大都市で、海の近くにはヴリシア帝国騎士団の本部がある。反対側は分厚い防壁に守られており、中心部には帝都の象徴とも言われているホワイト・クロックと宮殿が屹立している。

 

 ヴリシア帝国の象徴であるホワイト・クロックは、21年前の親父たちとレリエルの戦いの際に倒壊している。今では復元されているんだが、倒壊される前とは違って内部は公開されておらず、メンテナンスのために中へと入っていく作業員以外は立ち入り禁止になっているという。

 

 これからその帝都が、もう一度火の海になるのだ。

 

「先ほどヴリシア帝国のオルトバルカ大使館が、帝国に住民の避難を通告した。―――――――いよいよ、ヴリシア侵攻作戦が始まる」

 

 オルトバルカ王国を敵視している者も多いと言われているヴリシア帝国の貴族たちが、よくオルトバルカ人による侵攻作戦を承認したな。いくら目的がヴリシアの侵略ではなく、帝都内の吸血鬼の撃滅とはいえ、普通ならば承認して住民を避難させることはありえない。

 

 正確に言うならば吸血鬼の撃滅は、”奴らが持っているメサイアの天秤の鍵を強奪する”という本来の目的の”ついで”だ。奴らも天秤を手に入れようとしているならば、いずれにせよ撃滅する必要がある。

 

 それに親父たちも天秤を狙っている。この戦いが終われば、この最強の傭兵たちとの共闘は終わりだ。殺し合いにはならないとは思うが、再び倭国の時のような争奪戦になるに違いない。

 

「作戦は基本的に、ファルリュー島攻略作戦をベースとする。まず水上艦艇からの攻撃と爆撃機による大規模な空爆によって敵の地上戦力を削ぎ、上陸用舟艇及びヘリからの降下で歩兵部隊を上陸させる。……………しかし、今回はファルリューとは違う。シンヤ、説明を」

 

 ファルリュー島の時の作戦は、親父が今説明したような作戦だったという。爆撃機による空爆でこれでもかというほど爆弾を投下した後に歩兵部隊が島に上陸し、そのまま進撃していったのだ。

 

 しかし、今回の相手は吸血鬼だ。それにあの作戦はこの異世界で勃発した転生者同士の戦いの中でも最も規模の大きな現代兵器同士のぶつかり合いとなったから、吸血鬼たちも俺たちの戦法を知っているに違いない。

 

 親父の代わりに魔法陣の前に立ったシンヤ叔父さんが、目の前に投影された小さな魔法陣を何度かタッチした。すると壁の大きな魔法陣の地図がスライドしていき、代わりに今度は何の変哲もない海面が映し出される。

 

 何の説明が始まるのかと思いつつ海面を見つめていると、そこに赤いマークがいくつか投影された。

 

「諜報部隊やシュタージの報告にはなかったけれど、敵がレオパルトやF-16までシュタージの追撃に投入してきたという事は―――――――イージス艦のような海上戦力も用意されている可能性が高い」

 

「イージス艦……………」

 

 高性能なミサイルと様々なセンサーを搭載した、強力な艦である。テンプル騎士団ではポイントの多さのせいでイージス艦は採用しておらず、やや性能の劣るソヴレメンヌイ級を主力の駆逐艦にする予定だ。イージス艦を配備できなかったのは俺の持っていたポイントが少なかったことと、戦力を少しでも増やすために生産に必要なポイントが少しでも少ない艦を選ぶことにしたのが原因なんだが、もし吸血鬼たちに協力している転生者や奴隷にされている転生者たちがポイントを大量に使ってイージス艦を生産しているのだとしたら、上陸した後の作戦だけ考えて出撃すれば大損害を被ることは明らかだ。

 

 確かに、F-16やレオパルト2A7+まで配備されていたのならば、イージス艦がウィルバー海峡で俺たちを待ち受けている可能性も高い。もしかするとイージス艦どころか大型の空母まで待ち受けている可能性がある。もし空母まで配備されていたら、敵のミサイルと航空機による攻撃で壊滅する恐れがある。

 

 いくら俺たちが艦隊の配備を始めたとはいえ、現時点で投入できるのはソヴレメンヌイ級が2隻とウダロイ級が1隻とキーロフ級が1隻。そしてその小規模な艦隊の旗艦となるのは、近代化改修を受けた24号計画艦。合計でたった5隻の艦隊である。

 

 いくら破壊力の大きな対艦ミサイルと迎撃用の対空ミサイルを搭載しているとはいえ、高性能なイージス艦が何隻も配備されている海域を突破するのは不可能だ。しかもテンプル騎士団の艦隊には、艦載機を出撃させるための空母が存在しない。

 

 空母を含む艦隊と空母を含まない艦隊ならばどちらが有利なのかは明らかである。しかも俺たちは艦隊の規模が小さすぎる。

 

 魔法陣の中の海面を睨みつけながら俺が黙り込んだのを見ていた親父が、ニヤリと笑いながら言った。

 

「安心しろ。敵の艦隊が待ち構えていても粉砕できるように、海上戦力はこれでもかというほど用意しておいた」

 

『あ、ちなみにこちらが作戦に参加する艦艇です』

 

 ニヤリと笑いながら説明した親父の後ろからいきなり姿を現したのは、真っ白な白衣に身を包んだ天才技術者のフィオナちゃんだった。この異世界に魔力で動くフィオナ機関という動力機関を普及させて産業革命を起こした技術者が、12歳くらいの白髪の美少女だと知っている人はきっと少ないだろう。

 

 しかもただの少女ではなく、100年以上前からずっとこの世を彷徨っている幽霊の少女だという事を知っている人も少ない筈だ。フィオナちゃんが幽霊だと知っているのはモリガンの関係者くらいだろう。

 

 彼女が持ってきたのは、分厚い辞書を更に6冊くらい束ねたような厚さのでっかい本だった。ふわふわと宙に浮きながら俺たちの側へとやってきた彼女からその本を受け取った俺は、予想以上の重さにびっくりしながらテーブルの上に置き、ページを開く。

 

 その中に記載されていたのは、無数の艦の名前だった。

 

「これは…………モリガン・カンパニーの保有する艦艇の名前か?」

 

「さ、さすが世界規模の企業ね…………こんなに保有してるなんて」

 

「ふにゃあ…………!」

 

 モリガン・カンパニーは世界中に支社を持つ大企業だからな。海に面した国には必ず軍港があるほどだし、開拓されていないような場所にも前哨基地を建設しているという。だからこれほどの数の鑑定を保有していてもおかしくはない。

 

 そう思いながらページをめくっていると、親父と目配せをしていたフィオナちゃんが楽しそうに笑いながらとんでもないことを言った。

 

『いえ、それは今回の作戦に参加する艦艇の一覧ですよ』

 

「えっ?」

 

『ちなみに保有する艦艇の一覧になりますと、それが更に21冊分になりますね』

 

「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」

 

 お、多過ぎ! なにそれ!?

 

 辞書6冊分の厚さの本に記載されている艦艇だけでまだ氷山の一角なの!? 親父、軍拡し過ぎじゃない!? こんな大艦隊を展開したら海が駆逐艦と空母で埋め尽くされるぞ!?

 

「あ、あの、リキヤ叔父さん」

 

「ん? ノエルちゃん、どうしたのかな?」

 

「そ、そんなにいっぱい艦があるなら、全部投入すればいいじゃないですか」

 

「そうしたいんだけど…………全部投入したら指揮を執り切れないんだよね。練度も支社とか拠点ごとにばらつきがあるし」

 

 そんなに生産したのかよ……………。

 

 指揮を執り切れないくらい生産して配備してるってことなのか。レベルが違い過ぎる…………。

 

「もし敵の艦隊が待ち構えていたら、遠距離から対艦ミサイルの飽和攻撃と艦載機の攻撃によって撃滅する。いくら高性能な対空ミサイルとレーダーを搭載する駆逐艦でも粉砕できるさ」

 

「もちろん慢心はしないよ。でも艦隊が出てきたなら、こっちはミサイルをひたすら撃ち続けるだけで勝てるさ」

 

 もし仮に海戦が始まったら、テンプル騎士団の艦隊に出番はあるのだろうか。

 

 そんな心配をしながら、俺は作戦の説明を聞き続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン・カンパニーの本社があるラガヴァンビウスから、タンプル搭のあるカルガニスタンまで再びヘリで移動してから、俺はこの大規模な侵攻作戦に参加することになった団員たちに作戦を説明することになった。親父たちから渡された分厚い資料を機内で何度も読み、親父たちから聞いた情報を思い出しながら資料の端にメモしている間に、いつの間にかヘリの窓の外に見慣れた巨大な要塞砲が屹立していて、俺はぎょっとしてしまった。

 

 ヘリポートで出迎えてくれた兵士に挨拶し、この侵攻作戦に参加する兵士たちを会議室に集めるようにと指示を出してから、一足先に会議室へと向かう。いつも会議に使っているやたらと大きなテーブルを撤去しなければ、兵士たち全員に作戦の説明ができないからだ。

 

 ラウラやステラたちに手伝ってもらい、兵士たちがやってくる前にテーブルの撤去を済ませた俺は、でっかい帝都の地図を壁に貼り付け、兵士たちがやってくるのを待った。

 

 今度の作戦は、シンヤ叔父さんや李風さんの予測では、間違いなく転生者戦争を上回る大規模な戦争になるという。ファルリュー島の戦いはモリガンの猛攻のおかげで1日で終わったというが、サン・クヴァントはファルリュー島よりも大きい上に、今度の敵な吸血鬼だ。下手をすれば泥沼化する可能性もある。

 

 それに――――――――戦死者が出ることも予想される。

 

 これから会議室へとやってくる兵士たちの誰かが倒れるかもしれないし、もしかしたらラウラやナタリアたちの中からも戦死者が出るかもしれない。それに、俺だって命を落とす可能性がある。敵がぶっ放した榴弾砲でバラバラにされたり、銃弾で撃ち抜かれるかもしれないのだ。

 

 テンプル騎士団団長として、怖がっている場合ではない。

 

 深呼吸して待っていると、しっかりと整列した兵士たちが真っ黒な制服に身を包み、会議室の中へとやってきた。他の部隊に所属している兵士たちもぞろぞろと会議室の中へとやってきて、瞬く間に会議室の中に大勢の兵士が集合する。

 

 とはいえ、さすがにまだ入団してからそれほど実戦を経験していない柊たちはここにはいない。彼らはまだレベルが低い転生者だし、実戦の経験も殆どないためサン・クヴァントへと行かせるのは危険だと判断したのだ。だから彼らは不参加にさせ、代わりにこのタンプル搭の警備をお願いすることにしている。

 

「――――――諸君、いよいよヴリシア侵攻作戦が開始される」

 

 大声でそう言った直後、兵士たちが息を呑んだ。

 

「海上戦力による迎撃も予測されるが、こちらには圧倒的な数の味方の艦隊がいる。問題は上陸した後だ」

 

 海戦はおそらく、問題はない。あんな分厚い本に記録する必要があるほどの数の艦隊が参加するのだから、おそらく俺たちの出番はない筈だ。

 

「本隊と共に上陸した後、俺たちは真正面から進撃する本隊を側面から支援することになる。そのため、圧倒的な兵力を持つ本隊とは別行動だ」

 

 テンプル騎士団に与えられた役割は、敵の本拠地であるホワイト・クロック及びサン・クヴァント宮殿へと進撃するモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍の支援である。本隊を迎え撃つために配備されている敵の戦車部隊や砲兵部隊を側面から攻撃して攪乱し、本体の進撃をサポートするのだ。

 

 そして、まず最初に橋頭保(きょうとうほ)を確保する。戦死した諜報部隊のブレンダン・ウォルコット氏が残した情報によると、一番最初の橋頭保に適しているのは騎士団本部の近くにある図書館。まずここを占拠し、それから進撃する必要がある。

 

「本隊を支援しつつ進撃し、この地点にある図書館を俺たちが占拠する。この作戦にはスオミ支部の精鋭部隊も参加予定だ。図書館を占拠した後の防衛には、防衛戦闘を最も得意とするスオミ支部の精鋭部隊に任せることにする」

 

 この作戦には、アールネやイッルたちも参加することになっている。とはいえスオミ支部が得意とするのはあくまでも敵を迎え撃つ防衛戦闘で、逆に自分たちから攻撃を仕掛けるような戦い方は苦手なのだ。だから彼らには拠点の守備隊を担当してもらうことになっている。

 

「そして俺たちも本隊と合流し、宮殿を占拠する。ホワイト・クロックも敵の本拠とされているが、そちらには同志リキノフたちが突入することになっている。だから俺たちは宮殿を襲撃し、ここを占拠する。……………陸軍だけじゃない。海軍や空軍も参加する、極めて大規模な作戦だ。しかも、敵も俺たちと同じく銃や戦車を持っている」

 

 この中で銃撃戦を経験したのはごく少数だ。しかもその経験した数も、俺や親父と比べればはるかに少ない。

 

 銃で狙われた経験がほとんどない団員たちは、表情を変えていない。しかし不安に思っている仲間もいる筈だ。

 

「……………安心してくれ。俺たちも最前線で戦う。……………絶対に、仲間(同志)は見捨てない」

 

 俺も、この戦いに参加するのは不安だ。俺も戦死する可能性があるし、大切な仲間たちが死ぬ可能性もあるのだから。

 

 けれど、この戦いに勝利する必要がある。この戦いに勝利して吸血鬼たちから鍵を奪い取らなければ、俺たちの理想が実現することはない。

 

 人々が虐げられることのない世界は、絶対に実現しない。

 

 だからこそ、俺は最前線で戦う。AK-12を構えて敵を撃ち、銃剣で貫き、返り血を浴びながら血の海に向けて全力で進む。

 

「作戦開始は5日後だ。……………同志諸君、一緒に戦おう」

 

 そう言った直後、兵士たちが一斉に雄叫びを上げた。

 

 彼らの勇ましい雄叫びを聴きながら、俺も右手の拳を思い切り振り上げた。

 

 

 



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第二次転生者戦争

今回は第十二章のエピローグみたいな感じですので、ちょっと短いです。


 

 

 モリガン・カンパニー本社の地下にある巨大なホールには、真っ黒な制服とウシャンカを身につけた兵士たちが集まっていた。軍拡前は”警備分野”と呼ばれていた分野の社員たちは、もう既に銃を扱うための訓練を受け、何度も魔物との戦いを経験したベテランばかりである。中には転生者との戦いを経験した猛者もおり、仲間たちと連携を取りながら数名の転生者を討ち取った男たちもいる。

 

 よく見ると、制服を身につけている兵士たちの種族はバラバラだった。人間の兵士が大半を占めているが、中にはエルフやハーフエルフの兵士もいるし、2mくらいの伸長を持つがっちりしたオークの兵士もいる。種族ごとに分けられて整列しているのではなく、所属する部隊ごとに整列しているのだ。種族で差別をするのが当たり前となっている騎士団ではありえない事である。

 

 人間以外の種族は、残念ながら未だに世界中で奴隷にされている。この中にも奴隷だった社員たちも含まれているが、今の彼らはもう奴隷などではない。ともに銃を持って戦う、かけがえのない仲間(同志)なのだ。彼らが世界から虐げられるというのならば、俺はそんな世界を叩き壊す。なぜならば、俺は”魔王”だからだ。魔王は常に世界を蹂躙し、最終的に勇者によって討ち取られる。

 

 集まってくれた同志たちを見渡してから、俺は頷いた。整列する兵士たちの脇では灰色の魔法陣を展開した数名の魔術師たちが、これから始める予定の演説を他の拠点へと送信する準備をしている。音響魔術は音を操る魔術で、こうやって自分の聞いた音を他の場所へと転送することも可能なのだ。

 

「―――――――同志諸君、いよいよ戦争だ」

 

 銃を持つ吸血鬼との、全面戦争だ。今までの戦いとは全くレベルが違う。

 

 何も知らずに暴れまわる転生者(ガキ共)との戦い(遊び)ではない。

 

「”闘争”や”紛争”などではない。血で血を洗い、肉を肉で洗い、屍を屍で洗う正真正銘の戦争である。火の海になるのは当たり前だ。その中で数多の屍が燃え盛るのも日常茶飯事だ。我らは死者の怨念と血の海の中を進み、吸血鬼(ヴァンパイア)の息の根を止めねばならない」

 

 少数だが、テンプル騎士団にも吸血鬼の兵士が参加している。彼らはあくまでも吸血鬼による世界の支配を目論む過激派ではなく、人間との共存を選んだ穏健派の末裔だ。だから俺たちの敵は吸血鬼全体ではなく、あくまでも人類を支配しようとしている過激派の吸血鬼のみである。

 

 しかも戦う場所は、帝都サン・クヴァント。かつて俺たちがあのレリエル・クロフォードと死闘を繰り広げた戦場だ。

 

「我らが進軍する先に待っているのは、銃を盛った吸血鬼たちと地獄だ。俺たちはその地獄の中へと、AK-12と共に突撃するのだ。……………恐ろしいだろう? 地獄で待っているのは、我らと同じく銃で武装した吸血鬼なのだから」

 

 この中で、銃を持った敵との戦いを経験した兵士は数人しかいない。李風たちとの合同訓練で銃撃戦に慣れている兵士は何人もいるが、それは実戦ではないのだ。

 

 少し間を空けつつ見渡してみると、やはり緊張している兵士が何名かいた。若い兵士たちが緊張して微かに震えているのが見える。その隣に立つベテランの兵士が、しっかりしろと言わんばかりに彼の肩を肘で軽くつつくと、若いエルフの兵士は頷いてから息を吐いた。

 

 俺の子供たちよりも少しだけ年上だろうか。

 

 ファルリュー島の戦いの時も、俺たちは彼らくらいの年齢だった。王都に最愛の子供たちを残し、ラウラが書いてくれた俺たちの似顔絵をお守り代わりにして、あの地獄へと突っ込んでいったのだ。

 

 まだ若い兵士たちを引き連れ、俺たちは再び地獄へと突っ込もうとしている。

 

「―――――――恐ろしいなら、打ち破れ」

 

 兵士たちを見渡しながら言うと、若い兵士たちが震えるのをやめた。

 

「目の前に立ち塞がる恐怖が恐ろしいのならば、諸君らが持っているAK-12(カラシニコフ)で打ち破れ。私は同志諸君に、戦い方を教えた筈だ。安全装置(セーフティ)を外し、セレクターレバーをフルオートに切り替え、フロントサイトとリアサイトで照準を合わせてトリガーを引けば、例えどんな恐怖が我らの前に立ち塞がっていたとしても木っ端微塵になる。それに戦うのは、君たちだけではない。他の支社や前哨基地の同志たちも、我らと共に進撃する。敵が恐ろしいと思うならば7.62mm弾の一斉射撃で打ち崩せ。闇が恐ろしいと思うならば、AK-12のマズルフラッシュで照らし出せ。血の臭いが恐ろしいと思うならば、猛烈な炸薬の臭いで塗り潰せ」

 

 あの時、ラトーニウス海のファルリュー島という島は、血と炸薬の臭いで満たされた。浜辺やちょっとしたジャングルの中で横たわる数多の屍。”勇者”と呼ばれていた転生者に加担したことで、容赦なく殺されていった敵の転生者たち。

 

 今度はその躯が、吸血鬼の躯になる。彼らはアリア・カーミラ・クロフォードという愚かな女王に従ったために、我らの進撃によって踏みにじられるのだ。

 

「さあ、同志諸君。戦場に行こうじゃないか。数多の戦闘機が舞う下で戦車のエンジン音を響かせながら、濃密な銃撃と砲撃で敵の拠点を火の海にしよう。……………吸血鬼(ヴァンパイア)共をあいつらの大好きな血の海に放り込み、奴らに従うバカ共を肉片にしてやるのだ。相手が負傷兵だろうと容赦はするな。あの過激派の連中には――――――――大粛清が必要だ。奴らを粛正するのは我々である!」

 

 俺たちがこの国から腐敗した貴族を消したように、吸血鬼の過激派をあの国から消し去る。

 

「奮い立て、同志諸君! 我らに銃を向ける吸血鬼にカチューシャの洗礼を! 奴らに従ったクソ野郎共にT-14の制裁を! そして血も涙もないクソ野郎共に、カラシニコフの鉄槌を! 我らが進撃した後に残るのは、血痕と空の薬莢と敵の屍のみ! さあ、戦争(大粛清)だ!!」

 

 ホールにいた兵士たちが一斉に雄叫びを上げる。集まった他の兵士たちと共に雄叫びを上げる彼らは、もう恐怖を感じているようには見えなかった。どうやらこの演説は効果があったらしい。

 

 演説をした方がいいと提案したシンヤの方をちらりと見ると、あいつは俺の方を見ながらニヤニヤと笑っていた。「兄さんには演説の才能がある」と言われたが、本当にそんな才能があるのだろうか?

 

 しかし、演説をしなければ兵士たちの士気は上がらなかったはずだ。あの若い兵士も震えたまま戦場に向かうことになったに違いない。

 

「これより、『アシカ(ゼーレーヴェ)作戦』を開始する! 諸君、出撃だ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父の演説は、ノエルの音響魔術のおかげで俺たちも聞いていた。

 

 今回のヴリシア侵攻作戦の名前は、『アシカ(ゼーレーヴェ)作戦』。かつてドイツ軍がイギリスに上陸するという大規模な侵攻作戦につけていた名前だ。これから俺たちが始めようとしている作戦にはピッタリの名前である。

 

 フランセン共和国とヴリシア帝国の間にあるウィルバー海峡を進み、そこから直接帝都サン・クヴァントに上陸。そしてホワイト・クロックと宮殿へと進撃し、帝都から吸血鬼と協力者たちをすべて排除する。

 

 そして俺たちはメサイアの天秤の鍵を手に入れるのだ。

 

 息を吐きながら、俺は窓の外の光景を見渡した。大きな窓ガラスの向こうに見えるのは分厚い装甲に包まれた巨大な甲板と、その甲板から顔を出す巨大な2つの砲塔である。砲塔からは太い3本の砲身が突き出ていて、艦首の方を睨みつけていた。

 

 タンプル搭の要塞砲である36cm砲よりも更に巨大な40cm砲を3門も搭載した砲塔が前部甲板に2基も搭載されており、後部甲板には同じ主砲が1基搭載されている。艦橋や煙突の両サイドには対艦ミサイルが装填されたミサイルポッドがそれぞれ5基ずつずらりと並べられており、その周囲には対空用のミサイルや機関砲も搭載されている。

 

 ジャック・ド・モレーの主砲である。イージス艦や駆逐艦に搭載されている対艦ミサイルと比べると射程距離は劣るものの、大口径の砲弾による圧倒的な貫通力はこちらの方がはるかに上だ。敵の艦隊を撃滅した後は上陸する部隊を掩護するため、テンプル騎士団の艦隊は帝都への艦砲射撃を実施することになっている。

 

 ちなみに副砲は一旦すべて撤去されており、副砲が装備されていた場所には130mmの砲弾を立て続けに発射可能なAK-130を装備している。

 

 もちろん海上戦力を撃滅した後は、俺やラウラたちは上陸することになっているため、ジャック・ド・モレーの艦長はウラルに担当してもらうことになっている。

 

 腕を組みながら前部甲板を見つめていると、艦橋へとやってきた乗組員の1人が、俺に敬礼をしてから報告を始めた。

 

「同志、出撃準備が整いました」

 

「よし」

 

 腕を組むのをやめ、フードをかぶり直す。艦橋の中には他の乗組員たちもいて、緊張しながら俺を見つめていた。

 

 このタンプル搭から出撃するのは、旗艦のジャック・ド・モレーを含めて5隻のみ。その後はウィルバー海峡へと続く河を下って海峡へと向かい、ヴリシア帝国へと進撃する連合軍の艦隊と合流する予定になっている。

 

 軍港を見てみると、タンプル搭に残ることになった仲間たちがこっちに向かって手を振っていた。中にはかぶっていた帽子を取り、その帽子を大きく振っている仲間もいる。

 

「同志諸君へ。これよりテンプル騎士団艦隊はウィルバー海峡へと向かい、進撃している連合軍の艦隊と合流する。同志諸君の健闘を祈る」

 

 この戦いは間違いなく、親父たちが経験した転生者戦争を上回るだろう。数多の屍と血の海で満たされる帝都へと、俺たちは向かおうとしている。

 

 息を吐きながら仲間たちの顔を見渡す。艦橋の中にいる仲間たちに向かって頷いた俺は、目の前にあったマイクに向かって言った。

 

「―――――――全艦、抜錨ッ!」

 

 こうして、俺たちの子供や孫たちに『第二次転生者戦争』として語り継がれることになる戦いが、幕を開けた。

 

 

 

 第十二章 完

 

 第十三章へ続く

 

 

 




演説って考えるの難しいですね(苦笑)

では、第十三章でもよろしくお願いします!


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第13章
ウィルバー海峡海戦


 

 

 もしこの光景を空から見下ろしたら、どのような光景に見えるだろうか。

 

 いつもは波打つ大海原の一角が、真っ黒な鋼鉄の装甲に覆いつくされているように見えるのだろうか。それとも、広大な大海原の一角に浮かぶ船団にしか見えないのだろうか。そう思いながら甲板を眺めた俺は、もし空からこの大艦隊を見下ろす事ができたならば、見えたとしてもきっと後者だろうな、と思った。

 

 いくら大艦隊を世界中からかき集めて大海原に浮かべたとしても、全体的に見ればちっぽけな鋼鉄の礫の群れにしか見えないだろう。けれどもその礫たちは、瞬く間にあらゆる大陸を火の海にしてしまうほどの威力を持つ兵器を満載した、世界一獰猛な鋼鉄の礫たちだ。これらを侮って攻撃を仕掛ければ瞬く間に焼き尽くされる運命になるのは、言うまでもないだろう。

 

 目の前に広がる甲板の向こうをずらりと並んで航行しているのは、船体を漆黒に塗装され、モリガン・カンパニーや殲虎公司のエンブレムが描かれた旗を掲げた無数のソヴレメンヌイ級だ。中には対潜攻撃力に優れたウダロイ級や、まるで巡洋艦に空母の甲板を取り付けたような姿のキーロフ級軽空母も一緒に航行している。

 

 甲板の向こうに見えるだけでもかなりの数の艦隊だという事が分かるが、あくまでもそれは氷山の一角に過ぎない。左右を見てみればそれ以上の数の大艦隊が航行しているし、俺の乗る艦の後ろには、この大規模な連合艦隊の旗艦『アドミラル・クズネツォフ』が、数隻の駆逐艦に守られながら航行している。

 

 ちらりと後ろの方を見てみると、副砲や高角砲の代わりに搭載されたAK-130の砲身の向こうで、まるで艦首が天空へと折り曲げられたかのようにも見える形状の大型空母が、飛行甲板の上に大量の艦載機を乗せたまま航行していた。

 

 ロシアのアドミラル・クズネツォフ級空母の一番艦『アドミラル・クズネツォフ』だ。あの艦首はスキージャンプ甲板と呼ばれる方式で、甲板から発進する艦載機をあの上へと曲がった甲板でジャンプさせることで出撃させるようになっている。ちなみにアメリカの新型の空母などではカタパルトで艦載機を出撃させる方式になっているため、あのように艦首が上に曲がったような形状になっておらず、全体的にすらりとしているのが特徴だ。

 

 その後方を航行している同型艦は、殲虎公司(ジェンフーコンスー)艦隊旗艦の空母『上海』。アドミラル・クズネツォフと同じく真っ黒に塗装されており、艦橋の上ではエンブレムが描かれた旗が揺れている。

 

「すごい数だね」

 

「ああ。親父に頼んだら何隻かもらえるかな?」

 

「どうだろう」

 

 ラウラと2人で周囲の艦隊をジャック・ド・モレーの艦橋から見渡しつつ、俺は息を吐いた。

 

 このヴリシア侵攻作戦に参加する艦の数は、合計で約500隻。そのうちの大半を占めるのが、俺たちの周囲を航行するソヴレメンヌイ級駆逐艦である。艦橋の両サイドには対艦ミサイルが装填されたミサイルポッドを搭載しており、長距離から敵艦の撃沈が可能となっている。ただし対潜能力は低く、敵の潜水艦に対応することは難しいため、逆に対潜能力の高いウダロイ級駆逐艦に潜水艦の相手を任せる事になっている。

 

 500隻のうち、ソヴレメンヌイ級は200隻も投入されている。ウダロイ級は100隻も投入されており、この2種類の駆逐艦だけで艦隊の過半数を占めている。残りは軽空母や空母で、艦隊の最後尾には帝都サン・クヴァントへと上陸する兵士たちを乗せたフランスの『ミストラル級強襲揚陸艦』が50隻も航行しており、甲板の上では整備兵たちが、飛び立つ予定のヘリのメンテナンスに勤しんでいた。

 

 こんな規模の艦隊を投入する必要があるのか、と思ってしまう。けれども逆に考えれば、親父たちは現代兵器で武装した吸血鬼たちを、”これほどの兵力を投入しなければ勝てない相手だ”と考えたという事だ。俺たちも吸血鬼と戦った経験があるけれど、確かにあいつらは厄介な相手だった。身体能力が高い上に強力な再生能力があり、弱点で攻撃しない限り何度も再生を続けるのである。

 

 辛うじて銃のおかげで互角に戦えていたが、そんな化け物たちまで銃や戦車で武装しているのだ。

 

「あら、ここにいたの」

 

「おう、ナタリア」

 

 甲板の向こうの艦隊を眺めていると、制服姿のナタリアがタラップを駆け上がってきた。片手にはファイルを持っていて、中に挟んである紙は小さな文字や数字でびっしりと埋め尽くされている。

 

「敵との戦力差が割り出せたわ。予測だけど」

 

「ありがとう。……………1対20か」

 

 もちろん、吸血鬼側が1で、俺たちが20である。予測でしかないとはいえ、簡単に言えば俺たちの戦力は吸血鬼たちの20倍という事になる。

 

 そのファイルをラウラに手渡すと、彼女は戦力差の数値を見て目を丸くしていた。けれどもすぐにその投入された戦力が”やりすぎ”ではないという事を理解する。それだけの戦力を投入しなければ勝つことのできない怪物たち。この海峡の向こうにある島国で待っているのは、そういう怪物たちだ。

 

「知ってるか? 親父たちが転生者戦争に行ったとき、島に上陸したのはたった260人だけらしいぜ?」

 

「聞いたわ。守備隊の人数は10000人だったんでしょう?」

 

 よく260人で10000人の守備隊を壊滅させたものだ。しかもこの戦いには、その転生者戦争の生き残りも数多く参加するという。

 

 しかも敵の捕虜はゼロ。ネイリンゲンを壊滅させられ、多くの仲間や住民を殺されたことに怒り狂っていた当時の親父たちは、例え敵が武器を捨てて投稿してきてもすぐに射殺し、負傷兵たちが苦しんでいる診療所の中に平然と火炎瓶を投げ込んでいったという。この異世界で初めての現代兵器同士の戦いとなった”第一次転生者戦争”の部隊となったファルリュー島は、まさに地獄絵図となったのだ。

 

 これからヴリシア帝国の帝都も同じ道を辿ろうとしている。もう既にオルトバルカ大使館から住民を避難するようにと勧告された騎士団が住民を避難させ終えたらしく、今の帝都は無人だ。残っているのはそこを守ろうとする吸血鬼や、彼らに味方をする人間の兵士たちのみである。

 

「それにしても、何で人間が吸血鬼の味方をするのかなぁ?」

 

「脅されているか、それとも帝国が憎たらしかったんだろ。向こうは親父みたいに労働者の味方をする権力者がいないから、かなりの重労働ばっかりやらされるらしいぜ」

 

「不満を持っているからって、吸血鬼の味方をするなんて……………」

 

 けれども、理解できない事ではない。前世で虐げられていたから、俺もそういう気持ちは分かる。不満が溜まり続けていけば、何かを壊したくなるものだ。濃縮された大規模な八つ当たりとでも言うべきだろうか。

 

 ひたすら不満を動力源にして暴れまわり、きっと終わった後に我に返って後悔することになる。

 

 吸血鬼に協力して全てを破壊したところで、仮にそうやって全部ぶっ壊したとして、最終的に吸血鬼たちの餌にされるという事まで考えていないのだ。吸血鬼たちからすればちょっとばかり火をつけてやるだけですぐに燃え上がり、その復讐心を剥き出しにして暴れまわる使い勝手のいい”駒”に過ぎない。

 

 気持ちは分かるが、彼らは自分たちが暴れた結果がどうなるのか予想できていないのだ。

 

 頭をかいてから、そっと艦橋の脇にある手すりを掴んで左舷を見据える。現在俺たちの艦隊はモリガン・カンパニー艦隊旗艦アドミラル・クズネツォフのすぐ前を、他の駆逐艦の群れと同じく27ノットで航行中だ。このまま敵の襲撃がない状態で航行できれば、あと4時間ほどでヴリシア帝国が見えてくるはずである。

 

「いずれにせよ、立ち塞がるなら蜂の巣にしてやろうぜ。脅されて協力させられているなら助けるだけだ」

 

「うん、そうね」

 

「ふにゅ。それしかないよ」

 

 親父たちなら、銃を向けてくる奴らは全員射殺しそうだけどな。

 

 話を終えて艦橋の中へと戻る。潮の香りが一瞬で消え去り、洗濯された制服の匂いと緊張感が艦橋の中を支配していた。舵輪を握る乗組員に「舵の調子はどうだ?」と尋ねると、彼は微笑みながら答えてくれた。

 

「良好です。それにしても、こんなでっかい船に乗るとは思いませんでしたよ。オルトバルカの新型戦艦でも、隣を航行してる駆逐艦の半分だっていうのに」

 

 この世界では一般的に、フィオナ機関を搭載して、全長が50mを超える軍艦を”戦艦”と呼んでいる。だからこの世界の人々から見れば、このテンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』の隣を航行するソヴレメンヌイ級は”戦艦”に見えてしまうに違いない。けれどもソヴレメンヌイ級はあくまでも”駆逐艦”。主力となる艦艇の中ではまだ小型なのだ。

 

 ちなみにこのジャック・ド・モレーの全長は270mを超える。超弩級戦艦なのだから当たり前だが、この世界の人々がジャック・ド・モレーを目の当たりにしたらどんな反応をするのだろうか。

 

 オルトバルカ王国海軍の象徴と言われている戦艦『クイーン・シャルロット級』は全長50m。主砲は20.7cmスチーム・カノン砲となっており、火力はあくまでも第一次世界大戦に投入されていたような”前弩級戦艦”程度である。その王国の象徴よりもはるかに巨大で、強力な武装を満載した”駆逐艦”と共に航行する超弩級戦艦が姿を現したら、きっと腰を抜かすに違いない。

 

 けれどもこれから戦うことになるのは、そんな超弩級戦艦を数発で撃沈できるようなミサイルを搭載した敵艦隊なのだ。おそらく主な戦力は空母やイージス艦になるだろう。俺たちのように、近代化改修が施された戦艦が含まれている可能性は極めて少ない。

 

 そもそも、現代戦において戦艦は殆ど運用されることはない。最後に運用されたのは湾岸戦争と呼ばれる戦争で、その戦いに近代化改修を施されたアメリカの『アイオワ級戦艦』が参加している。

 

 第一次世界大戦や第二次世界大戦において、海戦の主役は戦艦だった。分厚い装甲と強力な主砲を搭載した戦艦同士で砲撃し合い、敵艦を撃沈するような戦いが当たり前だったのである。けれども第二次世界大戦中に航空機が発達すると、爆弾や魚雷を搭載した航空機を戦艦で迎え撃つことが難しくなり、更に強力なミサイルの登場やジェットエンジンを搭載したことによる航空機の高速化が、戦艦の実用性を一気に粉砕してしまった。

 

 だから現代では、戦艦を運用する国はない。仮に出撃させたとしても主砲の射程外からミサイルで撃沈されてしまうし、対艦ミサイルを搭載している航空機を迎撃するのは近代化改修をしない限り不可能だからだ。しかし近代化改修をしたとしても戦艦を保有するコストは大きいため、他の艦隊の足を引っ張ってしまう可能性がある。

 

 けれども俺たちがそれを承知の上でジャック・ド・モレーに近代化改修を施し、艦隊の旗艦にしたのは、偶然この艦が討伐した転生者からドロップしたからという理由と、分厚い装甲で敵の反撃に耐えつつ、艦砲射撃で上陸した部隊を支援するという任務に使えそうだという理由と、少しでもこの作戦に投入できる艦が欲しかったからという理由の3つだ。

 

 それに転生者の能力ならば、コストも殆ど気にならない。12時間放置しておくか、補給するための設備さえ用意できればコストを気にせずにどんどん投入できるのである。もちろん生産する場合はイージス艦以上のポイントを消費する羽目になるが、このように偶然ドロップしてくれるのならば非常にありがたい。

 

 とはいえさすがに戦艦はレアらしく、なかなかドロップしないみたいだ。あれから何度か転生者を討伐したけど、ドロップしたのはもう持ってる水兵二連式のソードオフ・ショットガンや、特に使い道のないロングソードばかり。戦艦どころか戦車や戦闘機がドロップすることは殆どなかった。

 

 だからいきなり24号計画艦を手に入れることができたのは、非常に幸運だった。

 

「艦長」

 

「ん? ああ、俺か」

 

 いつも”同志”って呼ばれているせいなのか、艦長と呼ばれると返事をするのが遅れてしまう。転生して”タクヤ”という新しい名前を付けてもらった時もそうだったけど、新しい呼ばれ方をすると反応が遅れてしまうものだ。

 

 振り返ってみると、ヘッドセットを外した乗組員の1人が、真剣な目つきでこっちを見ていた。

 

「どうした?」

 

「レーダーに敵航空機と思われる反応あり。数は100機以上」

 

「いよいよか…………」

 

 先制攻撃を仕掛けてきたか。もう既にヴリシア帝国の領海内に侵入しているからそろそろ攻撃を仕掛けてくると思ったが、やけに攻撃を仕掛けるのが遅かったな。

 

「敵機は分かるか?」

 

「おそらく、F/A-18かと」

 

「ホーネットか…………」

 

 アメリカ製の戦闘機だ。極めて汎用性が高く、様々な武装を搭載可能な機体だ。空対空ミサイルを搭載すれば敵戦闘機との戦いに投入できるし、対艦ミサイルを搭載すれば敵艦の撃沈も期待できる。こちらの艦隊に向かって進行しているという事は、明らかに対艦ミサイルを搭載している筈だ。

 

 こっちにも空母がいるが、今更艦載機を出撃させたとしても迎撃は間に合わないだろう。対空ミサイルや速射砲で迎撃するしかない。

 

 指示を出そうとしていると、報告した乗組員が更に報告した。

 

「さらに敵のミサイルを確認! ハープーンです!」

 

「全艦、対空戦闘用意! ウラル、ここは任せた。俺はCICに向かう」

 

「任せろ」

 

「ラウラ、ナタリア、ついてこい」

 

 いよいよ戦闘が始まる。ハープーンが命中すれば駆逐艦や戦艦は致命傷を負うことになる。少なくとも後方を航行する空母や強襲揚陸艦だけは、絶対に守らなければ…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラド様、敵艦隊への攻撃が始まったようです」

 

「敵の数は?」

 

「約500隻」

 

 部下からの報告を聞いた俺は、目の前にある巨大な柱を見上げながら、予想していたよりも敵の数が多いことに驚いていた。諜報部隊を取り逃がしてしまったせいでこちらが現代兵器を持っているという事は敵に知られてしまったが、母上はあくまでも敵にこちらにも銃や戦車があるという事を見せつけることが目的だと言っていた。

 

 だが、俺はそれが逆に敵が本腰を入れて攻め込んでくるのではないかと危惧していたのだ。母上から聞いた話だが、リキヤ・ハヤカワという転生者は、核ミサイルを見せつけられても敵に襲い掛かり、勝利しているという。あの男に”抑止力”は何の意味もないのかもしれない。本当に核ミサイルを放たれ、熱戦と放射能を叩き込まれない限り、あの男は絶対に止まらない。

 

 母の判断は失敗だったと思いつつ、俺は頷いた。

 

 敵の数は予想以上だったが、”これ”で数を減らせばいいだろう。出撃した航空部隊や艦隊では、敵艦隊を食い止めきれないのは目に見えている。

 

 せめて1隻でも多く撃沈してくれればいい。

 

「…………魔術師を集めろ。『ゲイボルグⅡ』を使う」

 

「はっ」

 

 こちらにも、敵艦隊に大打撃を与えられる兵器がある。目の前にある巨大な柱に触れつつ、俺はその表面をそっと撫でた。

 

 目の前に屹立する8本の巨大な柱は、傍から見ればやけに細いビルのようにも見える。しかしその表面はでこぼこしていて、近くで見れば明らかに普通の柱などではないという事が分かる。表面に刻み込まれた無数の魔法陣や古代文字は、ここに魔力を流し込めば機能することを意味していた。

 

 この兵器の正体は―――――――『ゲイボルグ』と呼ばれる大昔のこの世界の兵器を発展させた代物だ。このように魔法陣を刻み込んだ特殊な柱を円形に配置して魔力を注ぐことによって、中心部に圧縮された魔力の塊が形成される。後はその魔力の塊を放出したい方向の柱へ魔力を注ぐのをやめれば、その方向へと高圧の魔力の砲弾が飛び出していくのだ。

 

 かつてラトーニウス王国騎士団が、モリガンの傭兵たちとの戦いに投入したというが、それほど戦果はあげられなかったという。しかしここにあるのはその出力を向上させ、新しい機能を追加した発展型だ。ただ単に魔力の砲弾をぶっ放す旧式とはわけが違う。

 

 これで海の藻屑にしてやるぞ、魔王。

 

 父上の仇だ…………!

 

 

 

 

 



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ゲイボルグⅡ

 

 

「同志リキノフ、敵艦隊よりミサイルが飛来」

 

 モリガン・カンパニー艦隊の旗艦『アドミラル・クズネツォフ』のCICで紅茶を飲んでいた俺へと報告したのは、まだ若い乗組員だった。魔物や盗賊共に狙われることには慣れているはずだが、やはりこういった戦いで自分たちが持っている兵器を装備する敵に狙われることには全く慣れていないようだ。

 

 自分たちが散々振るってきた圧倒的な力と同等の力が、自分たちへと向けられているという不安はかなり大きい。その力を間近で見ているからこそ、その不安は大きくなる。

 

 俺も最初は不安だった。銃や戦車があればこの世界を支配することができるんじゃないかと思ったことは何度かある。もちろん実行に移すつもりなんかなかったが、あの時はそんなことが本当にできるかもしれないと期待していた。

 

 しかし、他にも転生者がいるという事を知った瞬間、俺は今後の戦いは常に格上との死闘になるのだと悟った。相手を侮れば敗北に近づく羽目になる。だから相手は全て各上なのだと思い、更に自分と同じく銃を使う敵と遭遇することも想定し、必死に訓練した。自分や仲間を脅かす敵を打ち倒し、不安を叩きのめすために。

 

 そういった経験があるからこそ、空母を数発で撃沈できる対艦ミサイルが接近していると報告されても、まだ紅茶を一口飲む余裕がある。

 

「同志、紅茶を飲んでいる場合では―――――――」

 

「ふふっ。やはり、オルトバルカの紅茶が一番美味い」

 

 ニヤリと笑いながら、隣に立ってモニターを睨みつけるエミリアの顔を見上げた。彼女は俺の顔を見下ろすと、いい加減指揮を執ったらどうだと言わんばかりに微笑む。

 

 ああ、そろそろ指揮を執るさ。さすがにミサイルが接近しているのを知っていながら何も言わずに紅茶を飲み続けるつもりはない。

 

「全艦、対空戦闘用意。…………同志、ミサイルのコースは分かるか?」

 

「はい。敵艦隊より発射されたミサイルは、高度を上げつつ我が艦隊に接近中です。数は10発。おそらく、我が艦隊の頭上まで飛行させてから急降下させて攻撃するつもりかと」

 

「高度を上げて?」

 

 報告を聞いた瞬間、違和感を覚えた。

 

 ミサイルだけでなく航空機も同じだが、高度を上げればレーダーに探知される可能性は上がる。逆に高度を落とせばレーダーに探知される可能性は減少するため、上手くいけば目標が迎撃態勢に入る前に奇襲を仕掛けることができるのだ。目標を攻撃する前に撃墜されては元も子もないため、少しでもミサイルの生存率を上げるために低空を飛行させることも多い。このような低空飛行を『シー・スキミング』と呼ぶ。

 

 はっきり言うと、高度を上げた状態で頭上から攻撃させるよりもはるかに効率的なのだ。敵はそれを知らずにハープーンをぶっ放したのか、それともその高高度を飛行するハープーンたちが囮であるという可能性がある。

 

 これほど現代兵器を配備させられるような転生者が、ハープーンの特徴を知らずに運用するとは思えない。

 

「低空に警戒しろ。対艦ミサイルが低空飛行で突っ込んでくるかもしれん」

 

「低空ですか?」

 

 レーダーを睨みつけていた乗組員が、くるりとこちらを振り向いた。

 

「同志、お言葉ですが敵のミサイルは我々の頭上へと接近しています。それらを無視し、何もいない低空を警戒しろと仰るのですか?」

 

「無視しろとは言わん。陣形の後方を航行している駆逐艦に処理させ、他の艦は全て低空を警戒だ。それとECMも忘れるな。可能な限りミサイルの誘導を妨害しろ」

 

「はっ。……………!」

 

 敬礼をしてから再びレーダーを見つめ始めた乗組員の顔が、一瞬で強張ったのが分かった。どうやら俺に反論する前に見ていた時と、レーダーに映っている反応が異なるのだろう。表情が強張ったという事はレーダーから悪いニュースを告げられたに違いない。

 

 やはり、俺の仮説は当たっていたのかもしれない。念のために改造して可能な限りレーダーを強化するべきだという意見を言ってくれたシンヤに感謝しつつ、俺はもう一口紅茶を飲んだ。

 

「てっ、低空にもハープーンです! 数は30! 距離は80km!」

 

 やはり、高度を上げた状態で飛んできたハープーンは囮だったようだ。こっちが飛来するミサイルを迎撃することに必死になっている隙に、感知されにくいように低空を飛行させたミサイルで一気に殲滅するつもりだったのだろう。

 

 どうやら敵の司令官はかなり狡猾らしい。俺の息子(あのクソガキ)とどっちが狡猾なのだろうか。

 

 自分の妻にそっくりな容姿の息子の事を思い出した俺は、そう思いながらCICのモニターの1つを見つめた。自分たちの乗るアドミラル・クズネツォフよりも前を航行する戦艦のCICでは、今頃その悪ガキが指揮を執っているに違いない。あいつもこの低空を飛んでくるハープーンの奇襲に気付いているだろうか。

 

「友軍艦隊、迎撃開始! 駆逐艦『ウラジオストク』、『メルクーリイ』、『アルマース』、対空ミサイル発射! その他の駆逐艦も迎撃を始めます!」

 

「よろしい。同志諸君、この海戦に勝たない限りヴリシアには辿り着けんぞ。なんとしてもここで敵艦隊を打ち破る!」

 

「「「УРааааа!!」」」

 

  CICのモニターには、この空母アドミラル・クズネツォフを護衛する駆逐艦たちから発射される数多のミサイルが既に映し出されていた。高い高度から接近するミサイル10発に加え、低空から奇襲してくる本命のハープーンは30発。それだけ数があるのだから、合計で40発ものミサイルでこの空母だけを狙うメリットはないだろう。おそらくその一斉攻撃で可能な限りこちらの艦隊の数を減らすつもりだ。

 

 仮にすべてのミサイルの迎撃に失敗した場合、この500隻を超える艦隊はそれほど大きな損害は受けない。しかしこの作戦に参加する多くの同志たちが犠牲になってしまう。

 

 それだけは避ける必要がある。犠牲が出ることは覚悟しているが、だからと言って何もしないまま仲間たちが焼き殺されていくのを眺めているのは論外だ。抗えるのならば、徹底的に抗う。

 

 かつて圧倒的な数の守備隊に、僅か260人の海兵隊で戦いを挑んだファルリューの死闘のように、抗うのだ。

 

 目の前のモニターで、低空を飛行する30発のハープーンと、味方の駆逐艦に搭載されている対空ミサイルの『3M47グブカ』から放たれた対空ミサイルの群れが、モニターの中と大空の中で絡み合う。

 

 センサーなどのシステムが搭載された”胴体”の左右に、対空ミサイルを左右に3発ずつ装備したグブカは、傍から見るとミサイルランチャーを3本ずつ束ねたものを両肩に担いでいる巨人の上半身にも見える。元々は歩兵に持たせるための対空ミサイルランチャーである『9K38イグラ』を改造したものなのだ。

 

 歩兵用だったとはいえ、航空機や戦闘ヘリを一撃で撃墜する威力を持っている。更にこちらの艦隊は全て近代化改修済み。1隻の性能はイージス艦には及ばないが、その差をかなり縮める事には成功している。

 

 あとは、シンヤが計算した戦力差が合っていることを祈るだけだ。

 

「トラックナンバー001から021、迎撃成功! さらに022から030、撃墜! 残り10発は撃墜ならず!」

 

「駆逐艦メルクーリイ、アルマース、速射砲で迎撃中! ――――――やった! メルクーリイが更に3発撃墜!」

 

「アルマースもやりました! 残り4発……………あっ、メルクーリイが横取りしやがった! 同志、全弾撃墜です!」

 

 メルクーリイの乗組員は優秀だな。撃ち漏らしたミサイルを素早く速射砲で迎撃してくれたおかげで、艦隊に被害は出なかったようだ。仲間たちからも味方の艦が撃沈されたり、損傷を受けたような報告はない。CICにいる乗組員たちは味方艦の状況を確認しつつ、安心した声で報告をしてくる。

 

「よし、メルクーリイの乗組員には、『生きて帰れたら給料を上げてやる。必ず生きて帰れ』と伝えろ」

 

「はい、同志!」

 

 ひとまず、最初の攻撃はしのいだ。だがまだ敵の艦載機も接近しているし、その奥には敵の艦隊も待機している。このまま前進して航空部隊を打ち破り、そのまま敵艦隊に飽和攻撃を叩き込んでやってもいいが、そうすればこっちにも損害が出てしまう可能性がある。

 

 最低でも最後尾の強襲揚陸艦を守れればいい。だが、彼らを海上から支援するのは艦隊の仕事だ。この海戦で生き残った艦隊の数が、今後の支援攻撃の密度にそのまま影響する。

 

「艦隊を分けた方がいいだろうね」

 

 モニターを睨みつけながら考えていると、一緒にモニターを見ていたシンヤがそう言った。

 

「さすが、”第一次転生者戦争”を勝利に導いた名将だな」

 

「僕は指図してただけさ」

 

 肩をすくめながら微笑むシンヤだが、彼の指図のおかげであの戦いに勝利できたのだ。10000人の守備隊と260人の海兵隊が戦えば、普通ならばどうなるかは言うまでもないだろう。

 

 こちらには500隻の艦隊がある。このまま直進して敵を押しつぶすよりも、ある程度分散させて包囲するか、少数の艦隊に奇襲させるほうが効率がいいという事なのだろう。

 

 もし分けるとしたら、練度がそれなりに高く、なおかつ連携が取れるような艦で分けた方がいい。だからと言って多くの艦をそちらの方に編成すれば肝心な強襲揚陸艦を守る戦力が手薄になってしまうので、あくまでも10隻以下の艦隊にするべきだ。

 

 練度が高く、連携が取れるという条件を満たしているのは―――――――あいつらしかいない。

 

 目の前のモニターに表示されている大型艦の反応を見つめながら、俺は息を吐いた。

 

「テンプル騎士団艦隊に、敵を側面から奇襲させろ」

 

「同志、いいのですか? 敵の航空機に狙われますよ?」

 

「問題ない」

 

 子供たちを捨て駒に使うつもりはない。むしろ、あいつらを信頼しているからこそこういった任務を任せるのだ。テンプル騎士団は俺たちから見ればまだまだ未熟な子供たちとは言え、もう既に何度も死闘を経験し、成長している。前に作戦会議に来た時に見た子供たちの面構えは、あのラガヴァンビウスの防壁の向こうへと旅立っていった日と比べると遥かに大人びていたのだから。

 

 それに、そろそろ”あいつら”が到着する頃だ。

 

「はい。では、テンプル騎士団艦隊に奇襲させます」

 

「ああ、頼む」

 

 頼むぞ、タクヤ。ラウラ。

 

 子供たちの顔を思い浮かべながら、俺は通信担当の乗組員に言った。

 

「……………『必ず生きて帰れ』と伝えてくれ」

 

了解です(ダー)、同志リキノフ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハープーン、撃墜されました!」

 

「ほう」

 

 部下からの報告を聞きながら、海の向こうを見つめた。

 

 ここからでは吸血鬼の優れた視力でも、あの向こうで戦っている筈の敵艦隊やこちらの艦隊の姿は見えない。音も聞こえないし、火薬の臭いもしない。だからなのか、”戦争中”という実感が全くない。

 

 どれだけ魔術師が魔力を放出し、鎧を身につけた騎士たちが俺の傍らで鎧の音を響かせても、全く戦争中だという実感は感じない。床に落ちる薬莢の金属音と銃声が鼓膜を満たし、炸薬の強烈な臭いに鼻孔を蹂躙されて、やっと俺は戦争をしているという実感を感じることができるのかもしれない。もしそうならば、俺がそれを実感するために何人の兵士が犠牲になることになるのだろうか。

 

 海の向こうを眺め続けたが、やはり味方の艦隊の姿は見えない。

 

 アーレイ・バーク級駆逐艦とタイコンデロガ級巡洋艦に加え、空母のキティホーク級で編成した艦隊の数は、明らかにモリガン・カンパニー艦隊よりも大きく劣っている事だろう。イージス艦も編成されている点がこちらの有利な点だが、いくら高性能なイージスシステムのおかげで数多のミサイルを叩き落すことができたとしても、敵の数はおそらくこちらの15倍以上。しかもモリガン・カンパニーは実戦を何度も経験している部隊が多いため、練度で比べればこちらが劣るのは明らかだ。

 

 もし仮に敵艦隊がそのまま直進すれば、敵の対艦ミサイルをことごとく迎撃することはできても、イージス艦はやがて海の藻屑にされてしまうに違いない。この海戦で敵の数を可能な限り減らし、少しでも敵の支援攻撃の破壊力を下げなければ、この後の市街地戦で劣勢になる。何とかして巻き返そうとしても、海上からの攻撃で潰される羽目になるのだ。

 

「ブラド様、ゲイボルグⅡの準備が整いました」

 

「よし、艦隊に射線上から退避するように伝えろ」

 

はい(ヤー)

 

 奴らがこちらを遥かに上回る物量を用意してくることは、ある程度予想できていた。だからこそ現代兵器ではなく、こういった大型の兵器を用意しておいたのだ。

 

 ゲイボルグⅡの原理は、簡単に言うならば8本の柱の中心に高圧縮した魔力を生成し、8本の柱から均等に圧力をかけることによって高圧縮を維持させつつ、攻撃したい方向にある柱からの圧力を弱めることによって非常に速い弾速の魔力を敵へと放つというものだ。しかも原型となったゲイボルグよりも弾速が速い上に、敵へと放たれる魔力のエネルギー弾もより巨大。直撃すれば空母さえも甲板の端を微かに残して消滅するほどの威力がある。

 

 ただし敵の攻撃で柱を1つでも破壊されれば簡単に無力化されるという弱点がある。しかしそれはある機能を追加したことで克服できているから、気にする必要はない。

 

「友軍、射線上より退避しました」

 

「魔力圧縮率、90%。拘束を開始します」

 

 8本の柱の中心には、いつの間にか成人男性の伸長くらいの直径の深紅の球体が浮遊していた。しかしそれを取り囲む柱の表面に刻まれた複雑な模様が紫色に輝きだしたかと思うと、まるで全方向から凄まじい力で押さえつけられているかのように、震えながら一気にサッカーボールほどの大きさまで縮んでしまう。

 

 深紅の球体は押さえつけられながらも膨張しようと足掻き続けるが、周囲の柱が発する圧力がそれを更に押さえつける。あの柱の内側では、拘束しようとする柱たちと、膨張しようとする魔力の力比べが始まっていた。膨張する度にスパークを周囲にまき散らしながら震える魔力でできた球体には、人間どころか戦艦の装甲を容易く押し潰すことができるほどの圧力がかけられているのが分かる。

 

 あとはこれを、解き放つだけだ。

 

 砲撃を担当する魔術師の目の前に魔法陣が出現したかと思うと、その魔法陣の中に敵艦隊の様子が映し出される。それを目にした数が魔術師が「うわ、凄い数だ」と呟いたのが聞こえた。

 

 やはり、あいつらの戦力はこちらを遥かに上回っている。おそらく15倍だろうと思っていたが、間違いなく15倍以上だ。20倍くらいの差があるかもしれない。

 

 この一撃で、敵の戦力をどこまで削れるのだろうか。

 

「魔力圧縮率、100%! 拘束解除、いつでも行けます!」

 

 さらばだ、モリガン。

 

 俺はこの戦いで、父の仇を取る。この世界を支配する筈だったレリエル・クロフォード(俺の父親)を奪った憎きリキヤ・ハヤカワを殺し、吸血鬼の栄光を俺たちが取り戻す。

 

「――――――撃て(フォイヤ)ぁッ!!」

 

 号令を発した瞬間―――――――荒れ狂った紅い魔力の塊が、ついに解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父からの命令を聞いた瞬間、さすがに無茶な作戦だと思った。いくら戦力ではこっちが明らかに上回っているとはいえ、たった5隻の艦隊で敵艦隊を側面から奇襲すれば袋叩きにされる。それどころか接近する前にレーダーで探知され、そのまま対艦ミサイルを叩き込まれるのは明らかだ。

 

 いくら戦艦でも、対艦ミサイルの集中砲火を叩き込まれれば容易く轟沈する。それほど威力の高い兵器である上に、当たり所が悪ければ弾薬庫の弾薬が一気に爆発し、乗組員もろとも木っ端微塵になる可能性もある。

 

 けれども、そのような危険な任務を俺たちに任せるという事は、それだけ俺たちを信頼しているという事だ。それに現時点で少数の艦隊として派遣できるうえに、練度もそれなりに高く、連携も取れるのはテンプル騎士団艦隊しかいない。殲虎公司(ジェンフーコンスー)艦隊はこの連合艦隊の一翼を担う大艦隊だし、両者の艦隊の中から駆逐艦を派遣するわけにもいかない。

 

 俺たちに攻撃が集中しないことを祈りながら、俺はちらりとラウラの顔を見てから命令を下す。

 

「これよりテンプル騎士団艦隊は、敵艦隊を側面より奇襲するため艦隊を離れる! 取り舵いっぱい!」

 

『了解(ダー)! とーりかーじいっぱーい!!』

 

「まだ敵の航空機部隊が接近している! 警戒を維持したまま―――――――」

 

「艦長、敵機の編隊が左右に分かれました!」

 

「…………なに?」

 

 左右に分かれた? 片方に俺たちを攻撃させ、残った編隊で本隊を空襲するつもりか?

 

 敵の作戦を読み、少しでも早く対応しようとした俺の頭がすぐに仮説を組み上げる。しかし目の前のモニターに表示されている敵機の編隊の反応を見た瞬間、強烈な違和感を感じた。

 

 敵機の編隊は、ほぼ半分ずつ左右に分かれているのである。

 

 たった5隻しかいない俺たちの艦隊を、圧倒的な数で襲撃するのならばまだ分かる。しかし、そうすれば肝心な本隊を叩く戦力が一気に少なくなり、そのまま対空ミサイルや対空砲で迎撃され、返り討ちにされるのが関の山だ。それならば俺たちを無視して艦隊に任せ、全機で本隊を叩いた方が理に適うのではないか?

 

 モニターの反応が、更に変わっていく。二手に分かれてこっちの艦隊を襲撃しようとしているよりは、まるで後ろからやってくる何かに道を譲るような飛び方だ。左右に編隊を散開させ、ど真ん中には何もいない。開けられた道の向こうを堂々と進むのは、連合艦隊の本隊。

 

「ねえ、タクヤ。敵機の動き……………おかしくない?」

 

 隣に立っていたナタリアが、不安そうに言う。俺も首を縦に振り、何か罠でも仕掛けている可能性があると言おうとした次の瞬間だった。

 

「かっ、艦長!」

 

「どうした!?」

 

「敵機の後方より、強烈な魔力の反応!」

 

「!?」

 

 当たり前だが、近代化改修をしたとはいえ、本来ならばこの世界に存在しない兵器に魔力を探知する機能などない。しかしこのヴリシア侵攻作戦に参加する際、作戦に投入される5隻の艦には魔力を探知するためのセンサーを新たに装備しておいたのである。これはこの作戦の最高指揮官である親父からの命令だった。

 

 全く役に立たないとは思わなかったが、現代兵器を主戦力とする敵に役に立つことはないだろうと思っていた。しかし、その活躍しない筈の装備が、ここで敵の強烈な一撃が襲来すると告げている。

 

「なんだこれ……………超高圧の魔力が一ヵ所に拘束されて―――――――」

 

 そういえば、似たような兵器を見たことがある。

 

 21年前の世界にタイムスリップした時、親父たちと若き日の母さんを救出するためにナバウレアに襲撃を仕掛けた際に、そのような兵器が俺たちに牙を剥いたのだ。

 

 複数の柱によって中心の魔力を拘束し、それを解除することで強烈な高圧の魔力を凄まじい弾速で撃ち出す、この異世界が生んだ大量破壊兵器。

 

 確か―――――――ゲイボルグという名前だったような気がする。

 

 名前を思い出した瞬間、俺は冷や汗を浮かべながら立ち上がり、叫んだ。

 

「ぜっ、全艦、機関最大! 回避しろ!!」

 

「えっ? ど、どうしたんですか?」

 

「いいから、味方の艦隊にも知らせろ! このままじゃ本隊が壊滅―――――――」

 

 驚愕してこちらを振り向いた乗組員の1人に命令しようとした、次の瞬間だった。

 

 CICに移し出されていた魔力の反応を意味する点が一気に膨れ上がったかと思うと――――――まるで瞬間移動を繰り返しているかのように、その反応が一気に艦隊へと接近してきたのだった。

 

 



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最強の砲手

 

 大海原と大空が持つ”蒼”が、人工的に作り出された禍々しい閃光にかき消される。まるで鮮血のような深紅の閃光は瞬く間に空と海を真っ赤に染め上げると、自分のすぐ下に広がる海面の水を加熱し、少しばかりそれらを蒸発させながら、身に纏う衝撃波で海面を滅茶苦茶にしつつ突き進む。

 

 大海原を深紅に染め直すほどの猛烈な輝きを放つ魔力の激流は、唐突に拘束から解放されたことで怒り狂っているかのようだった。しかしそんな仕打ちをした魔術師たちは、もう既に進行方向の真逆に置き去りにしている。突き進む魔力の塊に与えられた1つだけの進行方向には、海上を突き進む無数の艦隊しかない。その怒りを叩きつけられる相手が目の前に展開する艦隊しかないのならば、それに叩きつけるしかないのだ。

 

 掠めた波を一瞬で蒸発させ、衝撃波と水蒸気を纏いながら飛来したその魔力の激流に、標的となった艦隊の乗組員たちは辛うじて気付いていた。艦橋やCICの中では乗組員たちの怒号や命令が飛び交い、顔を青くした乗組員たちが舵輪を精いっぱい回して回避しようとする。しかし、先ほど連合艦隊に飛来した対艦ミサイルに一瞬で追いつくほどの速度を持つ魔力の塊を、いくら速度が速い駆逐艦でも回避するのはほぼ不可能であった。

 

 瞬く間に艦隊の先頭を進んでいたソヴレメンヌイ級駆逐艦『ボロジノ』へと接近した深紅の閃光は、ボロジノに命中することはなかったものの、纏っていた高熱で左舷に搭載されていたミサイルポッドを融解させた。もちろん中のミサイルもその高熱の餌食となり、融解したミサイルポッドの中で誘爆を起こしてしまう。艦橋付近に搭載されたミサイルポッドの爆発はそのままボロジノの艦橋の左半分を抉り取ると、先頭を航行する駆逐艦を深紅の閃光の傍らで沈黙させてしまう。

 

 しかし、まだボロジノは幸運だった。その一撃が掠める程度で済んだのだ。

 

 その左後方を航行していたウダロイ級駆逐艦『ナヴァリン』は、一番最初に損害を受けたボロジノを掠めた魔力の激流を真正面から浴びる形となったのである。掠めただけでミサイルポッドを融解させるほどの熱を纏うそれが直撃するよりも先に、ナヴァリンの艦首は熱で溶解を始めていた。それに気づいたのは艦橋で舵輪を必死に回していた乗組員たちだった。

 

 あっという間に光の中に吞まれたナヴァリンは一瞬で船体の装甲を融解させられ、内部も焼き尽くされていく。この世界の人々から見れば戦艦にも見えてしまうほどの巨体を持つソ連製の駆逐艦は、瞬く間に乗組員もろとも消滅する羽目になった。

 

 ナヴァリンの残骸すら残さなかった深紅の閃光が次に吞み込んだのは、ナヴァリンの後方で回避をしようとしていたソヴレメンヌイ級駆逐艦『ポベーダ』と、スラヴァ級巡洋艦『オスリャービャ』の2隻だった。まだ身軽なソヴレメンヌイ級は、襲来する閃光の外へと逃げる途中だったため消滅を免れたが、艦尾をスクリューごと捥ぎ取られて航行不能にされた挙句、艦尾に搭載されていた速射砲の砲身が熱で融解し、使用不能になってしまう。艦尾に乗り込んでいた乗組員たちは瞬く間に燃え尽き、消滅することになった艦尾と運命を共にする羽目になったが、それよりも大きな損害を被ったのはオスリャービャである。

 

 ソヴレメンヌイ級よりも船体が大きく、やや鈍重だったオスリャービャは回避が間に合わず、真横から襲来した閃光を左舷に喰らう羽目になったのである。艦橋部の左右に対艦ミサイルが装填されたミサイルポッドをこれでもかというほど搭載するスラヴァ級は、一番最初に大打撃を受けたボロジノよりも過酷な運命を辿ることになった。

 

 まず、ミサイルポッド内の対艦ミサイルが、閃光の熱ですべて誘爆してしまったのである。一撃でも駆逐艦を戦闘不能にしてしまうほどのミサイルを一気に誘爆させられてしまったオスリャービャは、ゲイボルグⅡが放った閃光が直撃するよりも先に轟沈してしまうほどの損傷を受けた。もし閃光が直撃しなかったとしても、5分足らずで傾斜し、そのまま沈没してしまっていたことだろう。

 

 しかし無慈悲な閃光は、船体が傾斜するよりも先に喰らい付くと、オスリャービャの艦首を微かに残し、船体のほとんどを消滅させ、次の獲物へと襲い掛かった。

 

 たった一撃が、500隻以上の大艦隊に恐怖を与えていた。回避に成功した艦もあったが、閃光によって消滅させられることは防ぐことができても、そのまま味方の駆逐艦や空母と激突して艦首をへこませる艦や、いきなり目の前で回避運動を始めた味方艦の艦尾に激突する艦が続出した。

 

 圧倒的な戦力でヴリシアへと攻め込むはずだった連合艦隊の巨大な輪形陣の中から黒煙が上がり、航行不能になった駆逐艦や巡洋艦が漂流する。閃光から逃れるために回避した駆逐艦が漂流する味方艦と衝突を繰り返し、大艦隊の損害が増えていく。

 

 しかも深刻なのは、損害だけでない。

 

 圧倒的な戦力を誇る連合艦隊が、たった一撃で大損害を被ったという現実が、”これだけの戦力があるから勝てる”と高を括っていた乗組員や兵士たちの心を、折り始めていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駆逐艦ボロジノ、艦橋大破! 戦列を離れます!」

 

『こちら駆逐艦ポベーダ! 我、航行不能! 救助を要請する!』

 

「空母『アバカン』、応答ありません! 同じく空母『リガ』も通信途絶!」

 

「くそったれ、なんだよ今の!? あんな兵器があるなんて聞いてないぞ!!」

 

 仲間たちが、狼狽しているのが分かる。

 

 CICに用意された指揮官用の椅子に座りながら、俺はエミリアやシンヤたちと共に、乗組員やスピーカーが発する報告や悲鳴をずっと聞いていた。味方の損害を可能な限り正確に報告しようとしている者の声も聞こえてくるし、パニックになりかけている若い乗組員の声も聞こえてくる。

 

 敵の奇襲を迎撃し、これから敵の航空隊を血祭りにあげてから艦隊を撃滅しようとしていた時に、いきなり予想外の敵の攻撃で大損害を受けたのだ。CICにいても感じたあの凄まじい魔力の塊が、この艦隊のどれだけ大きな損害を与えたのかは簡単に想像がつく。

 

 士気が下がるのを防ぐため、俺は近くにいた乗組員に声をかけた。

 

「損害は?」

 

「く、駆逐艦14隻が………しょ、消滅………。巡洋艦は5隻が消滅し、空母も2隻ほどやられたようです…………」

 

「今の一撃で21隻もか」

 

「さ、幸い強襲揚陸艦は無傷です。しかし、空母を2隻も失ったのは…………」

 

「ああ、問題だ。――――――それに、今の一撃で多くの同志たちを失ってしまった」

 

 きっとあの光に吞み込まれて消えていった同志たちの中には、まだ若い兵士もいた筈だ。タクヤやラウラのような年齢の兵士もいたに違いない。

 

 そう思った瞬間、ずきりと頭の中が痛み出した。脳味噌を少しずつ切っていくような、地味でしつこい痛み。それと同時にフラッシュバックするのは―――――――14年前に壊滅した、ネイリンゲンの惨状だった。

 

 崩れ落ちた建物の群れや、石畳が完全に吹き飛んだ大通り。いたるところに横たわっているのは、身体中に風穴を開けられた死体や焼死体たち。五体満足で横たわっている死体もあれば、上顎から上がなくなっている死体や、手足が瓦礫で押し潰されている無残な死体もある。

 

 大人の死体だけではない。――――――子供の死体も、その中に含まれていた。

 

 突然、左手を小さな子供の手に握られたような感触がした。身体が変異してサラマンダーになったあの時から、常に外殻に覆われたままになっている俺の左腕の手のひらを握った小さな子供。燃え上がるネイリンゲンの街の中で、助けることのできなかった幼い男の子の姿がフラッシュバックする。

 

 あの時から、俺は魔王になった。

 

 仲間たちを殺されたから、その復讐をするために。

 

 そして、今しがたまた仲間を何人も殺された。俺の後をついてきてくれた大切な同志たちを、吸血鬼の一撃が消し去ったのだ。

 

 全員いい奴らばかりだった。入社試験で実施した面接で彼らが喋ったことはバラバラだったけれど、彼らは全員”家族を養うため”に俺を頼って、モリガン・カンパニーへとやってきてくれたのである。

 

「…………発射地点の特定は?」

 

「す、済んでいます」

 

「よろしい」

 

 拳を握り締めながら、椅子から立ち上がる。左手を小さな子供の手が掴んでいるような感覚は、いまだに消えない。21年前に失った左足が幻肢痛(ファントムペイン)に苛まれることは何度もあるが、このような感覚は初めてだった。

 

 あの時の怒りを忘れるな、とあの時の少年が俺に告げているように思える。隣国から少女を連れ、彼女の許婚に追われながら亡命してきた俺たちを受け入れてくれた街の人々を蹂躙された怒りがあったからこそ、ファルリュー島では勝利した。だからあの時のように、仲間を殺された怒りを動力源にすればいい。

 

 そして、この戦いにも勝利する。同志たちの墓標の前で、ヴリシア侵攻作戦で勝利したのは俺たちだ、と宣言してやるのだ。そうすれば散っていった同志たちも報われるに違いない。

 

「テンプル騎士団艦隊に伝えろ。『攻撃目標は敵艦隊ではなく、今の攻撃をぶっ放しやがったクソ野郎に変更し、原形を留めなくなるまで40cm砲で砲撃せよ』とな」

 

「しかしそれでは、敵艦隊に側面から攻撃されてしまいます! 同志、そちらの方が危険です!」

 

「いや、その心配はない」

 

「なぜです? あの艦隊にいるのはあなたの子供たちでは!?」

 

「そうだ。でもな、同志」

 

 傍らへと歩いて乗組員の肩にがっちりした右手を置きながら、俺は告げた。

 

「――――――俺はもう、あいつらを子供だとは思っていない。一人前の兵士だと思っている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空中給油を終えた最後の戦闘機が、緩やかに空中給油機から離れていく。最寄りの飛行場から駆けつけてくれた空中給油機に手を振ると、窓からこちらを見守ってくれていた乗組員が、酸素マスクをかぶったまま手を振り返してくれた。

 

 これが、最後の空中給油。今から私は仲間の航空部隊を率いて、戦場へと突入する。

 

 給油を終えた最後の機体が編隊に戻ったのを確認した私は、息を吐いてから仲間たちの様子を確認した。

 

(”ヴェールヌイ1”より各機へ。これより、ウィルバー海峡へと突入し、友軍艦隊を支援する)

 

 コールサインは、14年前にファルリュー島上空で無数の戦闘機部隊と死闘を繰り広げた時と同じ。あの戦いで多くの仲間が戦死してしまったけれど、壮絶な空戦を生き延びてくれたベテランのパイロットたちも、この戦いに参加してくれている。

 

 ちなりと右を見てみると、その生き残りのエースパイロットたちが乗る漆黒の殲撃20型の編隊が飛んでいる。私が見ていることに気付いたのか、酸素マスクを着用したパイロットが私に向かって手を振ってくれた。今では殲虎公司(ジェンフーコンスー)で戦闘機部隊を率いているベテランのパイロットたちが引き連れているのは、あの戦いの後に戦闘機に乗ることになった若手のパイロットたち。私よりも年下の色んな種族のパイロットたちが、空対空ミサイルを搭載した殲撃20型を操縦している。

 

 そして左側を飛んでいるのは、やはり漆黒に塗装されたF-22の編隊。こちらはモリガン・カンパニーのフランセン支社やジャングオ支社から派遣された航空隊だった。転生者戦争に従軍したパイロットは含まれていないものの、本社や殲虎公司(ジェンフーコンスー)に所属するエースパイロットたちとの訓練を繰り返している精鋭部隊みたい。

 

 そして私が編隊を組んでいる仲間たちの機体は―――――――モリガン・カンパニーの主力ステルス戦闘機として採用された、PAK-FAだった。これもやはり漆黒に塗装されているけれど、私が乗る機体の主翼にはモリガン・カンパニーのエンブレムではなく、2枚の深紅の羽根が描かれている。モリガン・カンパニーの”原点”となった、モリガンのエンブレムだ。

 

 私が率いることになった航空部隊の数は、全てステルス機で構成されている。F-22と殲撃20型が15機ずつで、PAK-FAが5機。合計で35機のステルス機部隊だった。敵の航空隊を蹴散らすには十分な数かもしれないけれど、実はこの航空部隊ですら氷山の一角。リキヤさんが投入すると決意した航空戦力の1割に過ぎない。

 

 私たちに与えられた任務は、まず最初に”艦隊を襲撃する艦載機部隊を排除し、艦隊の進撃を支援すること”。更に”可能であれば敵艦隊に攻撃を加え、打撃を与えること”という任務も受けているけれど、後者は二の次でいい。上陸部隊を乗せた強襲揚陸艦の艦隊がやられてしまったら、この作戦は失敗してしまうのだから。

 

 やがて、キャノピーの向こうに黒煙が見え始めた。もう既に戦いが始まっているのは分かっていたけれど、黒煙が上がっているのは敵艦隊ではなく、モリガン・カンパニーの連合艦隊からみたい。まさか力也さんやエミリアさんがやられてしまったのではないかと思ってぞっとした私は、仲間たちや最愛の夫が乗るアドミラル・クズネツォフを探した。艦首が上へと曲がったような外見をしているから、他の艦とはすぐに見分けがつくかもしれないと思ったけれど、同型艦も混ざっているし、中には駆逐艦と衝突している空母や黒煙を上げている空母もある。そういった空母を目にする度に、あれがアドミラル・クズネツォフなんじゃないかと思って、私は焦ってしまう。

 

 必死に夫の乗る空母を探していると―――――――PAK-FAのレーダーが、接近する敵航空部隊を捕捉した。

 

『か、数が多い…………!』

 

 仲間のパイロットのうちの誰かが、その反応を目の当たりにして驚愕した。

 

 その反応の数は、あのファルリュー島上空での空戦を彷彿とさせた。僅かな航空部隊で圧倒的な数の敵航空部隊に戦いを挑んだ時の光景が、フラッシュバックする。

 

 火達磨になって墜落していく敵。キャノピーのすぐ近くで爆発した敵の空対空ミサイル。

 

『狼狽えるな、同志。ファルリューはもっとヤバかったんだ』

 

『でも、先輩。敵は100機以上ですよ!?』

 

『何言ってんだ、戦果をあげてエースの仲間入りをするチャンスじゃないか』

 

『そうだぜ。それに、俺たちにはヴェールヌイ1がついてる』

 

 な、なんだか恥ずかしいなぁ…………。

 

 訓練が終わった後に若いパイロットが私にサインしてほしいって言い出した時はびっくりしたけれど、14年後までそう呼ばれ続けるのは予想外だった。

 

 レーダーに表示される敵の反応が近づいてくる。そろそろミサイルでロックオンできる距離になる。

 

(――――――ヴェールヌイ1、会敵(エンゲイジ))

 

 仲間たちも次々に戦闘態勢に入る。仲間たちの様々な声を聴きながら、私はミサイルの発射スイッチへと指を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「始まった」

 

 CICのモニターに映る反応を見た俺は、仲間を意味する蒼い点の群れが、すさまじい勢いで赤い点の群れへと戦いを挑んでいくのを確認しながら呟いていた。100機以上の艦載機の群れに対し、作戦通りに空中給油を受けつつウィルバー海峡へと駆けつけたステルス機部隊の数はたった35機。性能に大きな差があるものの、いくら何でも3分の1の数では不利なのではないかと思ってしまう。

 

 けれども、あのステルス機部隊を率いているのは”第一次転生者戦争”で墜落してもおかしくないほどの損傷を受けたF-22を操り、火達磨になった状態の機体で敵機を血祭りにあげ続けたエースパイロットがいる。ジャック・ド・モレーの後方を航行するキーロフ級の『ビスマルク』に乗るノエルの母親の、『ミラ・ハヤカワ』である。

 

 フランセン共和国騎士団との戦いでも、榴弾砲を搭載したA-10Cで駆けつけてくれた人だ。エイナ・ドルレアンの家で出会った時はパイロットとは思えなかったけれど、今の彼女は昔の彼女に戻りつつある。

 

 モニターの中で、早くも赤い点が減り始めている。蒼い点にも反応が消えるものがあるけれど、それでもやはり性能の差のおかげで圧倒しているのか、敵の反応の方が凄まじい勢いで減っている。その中でも凄まじい動きをしながら敵機を撃墜している反応が1つだけある。きっとそれが、ミラさんの乗る機体なのだろう。

 

 ちなみに、キーロフ級の名前がドイツの戦艦の名前になったのは、向こうの艦長を務めるクランが「戦艦ビスマルクに乗りたかった」と言い出したかららしい。でもロシアの艦なんだから、できるならばロシアに関係のある名前を付けてほしかった。でも、俺も24号計画艦に『ジャック・ド・モレー』っていう名前を付けているから、人のことは言えない。

 

「艦長、敵艦隊の反応を確認!」

 

「数は?」

 

「アーレイ・バーク級駆逐艦15隻、タイコンデロガ級巡洋艦7隻、キティホーク級空母3隻!」

 

 合計で25隻か…………。連合艦隊と比べるとかなり規模が小さいが、だからと言ってたった5隻の艦隊で殴り込みをするべきではないのは明らかだ。向こうにはイージスシステムを搭載したイージス艦がいるのに対し、こっちにはイージスシステムを搭載した艦は1隻もない。いくら戦艦の装甲が分厚いとはいえ、対艦ミサイルを喰らえば致命傷に貼るのは火を見るよりも明らかだ。

 

 もし仮にこいつらを撃滅しろという命令を受けていたら、距離をあけて対艦ミサイルを撃ちつつ接近し、敵のミサイルを迎撃しつつ主砲で仕留めるような戦い方になっていたかもしれない。けれども距離を詰めるまでに犠牲が出るのは明らかだし、下手をすれば射程距離に入る前に撃沈される可能性もある。

 

 俺たちの目的は、あの大物たちよりもさらに大きな獲物に変更されたのだ。あいつらを仕留めるのは後回しという事である。

 

 そう、俺たちが仕留めるべきなのは、あの艦隊よりもさらに後方に居座っているクソ野郎共だ。連合艦隊にたった1発で大打撃を与えた敵がいるならば、艦隊の被害を増やさないためにも俺たちが撃滅する必要がある。

 

「カノン、聞こえるか?」

 

『はい、お兄様』

 

 無線機から聞こえてきたのは、主砲の砲塔で砲手を担当することになったカノンの声だ。戦車砲を親父に命中させるほどの腕を持つ彼女が砲手を担当してくれるならば、かなり心強い。

 

 それに、もう1人心強い人も特別に乗り込んでいる。

 

「カレンさんもいる?」

 

『いるわよ』

 

 そう、モリガンのメンバーの1人であり、当時から戦車で砲手を担当していた、カノンの母親のカレンさんである。連合艦隊と合流した際に、親父が「彼女ならばきっと戦艦の主砲も必ず当ててくれるさ」と言ってこっちに配属してくれた、最強の砲手である。

 

 シンヤ叔父さんも「イージスシステムよりすごいかも」って言うほどの腕前なのだから、かなり頼りになる。モリガンで戦っていた頃は戦車砲で2体の敵を1発で撃破したこともあるらしい。

 

 ドルレアン親子が配属されているのは、ジャック・ド・モレーの第2砲塔。第1砲塔にはステラとイリナの2人が配属されている。

 

「攻撃目標は艦隊ではなく陸上の兵器です。砲弾は徹甲弾ではなく榴弾でお願いします」

 

『分かってるわ』

 

 徹甲弾は貫通力が高い砲弾だが、あくまでも装甲が分厚い戦艦や戦車などの破壊に向いている砲弾だ。だから陸地を砲撃する際は貫通力よりも、爆発範囲の広い榴弾を使用した方が効率がいいし、効果も大きい。

 

『それにしても、さっきの魔力の反応って…………まさか、ゲイボルグ?』

 

「ええ、おそらく」

 

『へえ、懐かしいものを持ってるじゃない』

 

 21年前にタイムスリップした際に、俺たちもゲイボルグを目の当たりにしている。若き日の母さんを救出する際にラトーニウス王国のナバウレアへと進行した時、俺たちやモリガンの迎撃にために投入された兵器だ。下手をすれば戦車を消滅させる威力を誇る恐ろしい兵器だが、カレンさんが一撃で破壊してしまったのである。

 

 そう、その兵器を撃破した砲手が、今度は戦艦の砲手を担当しているのだ。

 

「頼みます」

 

『任せなさい』

 

 砲塔の中にいるカレンさんの声は、前に話した時よりも獰猛な雰囲気を纏っていた。

 

 

 

 



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航空部隊の猛攻

 

 蒼空を瞬く間に埋め尽くしたのは、数多の白い”線”だった。まるで大空を切り裂くかのように駆け抜けていくそれらは、後端部から轟音と炎を噴き出し、これでもかというほど白煙を空に刻み付けていく。

 

 彼らを放ったパイロットたちに命じられた通りに、ミサイルたちはこれから自分が突っ込むことになる哀れな獲物に狙いを定めていた。彼らに狙われている獲物たちは、両翼に対艦ミサイルを搭載し、これから大規模な艦隊に攻撃を仕掛けようとしているF/A-18ホーネットの群れ。100機以上の艦載機が飛ぶ真っ只中に、僅か35機のステルス機から放たれた空対空ミサイルが襲い掛かっていく。

 

 ミサイルが発射されたことに気付いたホーネットのパイロットたちは、それらを回避するために散開し始めた。中には確実に回避できるように、対艦戦闘を断念して対艦ミサイルを機体から投棄し、身軽になった状態で迎え撃とうとしている猛者もいる。いくら高性能な空対空ミサイルとはいえ、ロックオンした後に放てば確実に命中するわけではない。戦闘機に急旋回で振り切られてしまう事もあるし、場合やタイミングによっては命中しないこともある。

 

 機体を少しでも身軽にし、大物を撃沈できる対艦戦闘を断念した判断力の持ち主たちは完全に被害を受けなかったわけではないものの、辛うじてステルス機部隊の先制攻撃から逃れることができた。しかし対艦ミサイルの投棄を惜しみ、敵艦隊を攻撃することに取りつかれた者たちは片っ端から空対空ミサイルの餌食となった。

 

 中にはフレアを使ってまでミサイルを回避した者もいる。しかしミサイルを投棄しなかった大半のパイロットは、対艦ミサイルの重さのせいで機動性を殺され、急旋回で回避することすらできずにミサイルに追いつかれてしまう。空対空ミサイルに搭載された近接信管が作動してミサイルが自爆し、爆炎に呑み込まれるホーネット。その反対側から姿を現したのは、ミサイルの爆風で木っ端微塵にされた艦載機の残骸であった。

 

『な、なんだ!? 敵は艦載機なんて飛ばしてない筈だぞ!?』

 

 何の前触れもなくミサイルにロックオンされ、いきなり飛来したミサイルに先制攻撃を受けたのである。さすがに100機以上のホーネットを殲滅できるほどの数ではなかったものの、今の攻撃で艦載機部隊は多くの味方を失う羽目になった。

 

 レーダーには敵は映っていない筈だと思いつつ、もう一度レーダーを確認しようとしたベテランのパイロットの顔が強張る。

 

 レーダーに映ったのは、再び自分たちに飛来するミサイルの群れ。それと同時にミサイルにロックオンされていることを告げる電子音がコクピットの中を満たし、彼らに焦燥を与えていく。

 

『ミサイル接近!』

 

『ブレイク! くそ、何なんだ!?』

 

 目の前で仲間が餌食になったのを目の当たりにしたからなのか、今度はロックオンされた機体のパイロットたちは大人しくミサイルを捨て、接近してくるミサイルの回避を始める。仲間と衝突しないように位置を確認しつつ操縦桿を倒して回避する艦載機部隊のうち何機かがミサイルを振り切ることができず、大空の中で炎に包まれる。

 

 まだ艦載機部隊は半数ほどが残っており、対艦ミサイルも投棄していない。対艦戦闘を続行できそうなホーネットは5割か4割と言ったところだ。

 

『さらにミサイル!』

 

『何だよ!? 敵艦か!?』

 

『いや…………』

 

 ミサイルが飛来する場所は、明らかに敵艦隊が展開している海域ではない。全く関係のない方向から、自分たちとほぼ同じ高度にいる何かが放っているに違いない。

 

 1度目のミサイル攻撃を回避し、今しがた2回目のミサイルも躱したホーネットのパイロットは、はっとしながらもう一度自分の愛機のレーダーを確認する。飛来してくるミサイルの反応の後方に、いつの間にかそこにはいなかったはずの新しい反応が現れていることに気付いた彼は、先ほどから3回もミサイル攻撃を仕掛けてきた敵の正体を見破った。

 

 そう、ステルス機である。

 

 ステルス戦闘機だけで構成された航空部隊が、敵艦隊へと飛行する艦載機部隊から見て10時の方向から忍び寄り、レーダーに反応が映るほどの距離までひたすらミサイル攻撃を続けていたのだ。

 

 第一次世界大戦や第二次世界大戦の空戦は、レーダーを搭載していなかったことや誘導ミサイルがなかったため、基本的に搭載している機銃を至近距離で撃ち合う”ドッグファイト”と呼ばれる戦い方が主流だった。しかし最新鋭のレーダーやセンサーを備え、ロックオンした敵に突っ込んでいく”賢い兵器”を装備した戦闘機が飛び交う事が当たり前となった現代戦では、もうそのような戦い方は時代遅れである。ライフルを撃ち尽くした歩兵が白兵戦を開始するように、ミサイルを撃ち尽くしても敵機が残っているような状況でしか発生することはまずあり得ない。

 

 だから、先制攻撃はかなり重要な要素なのである。

 

 飛来した連合軍の航空部隊に先制攻撃を許してしまった艦載機部隊は、もう既に大きな損害を出していた。3回のミサイル攻撃で5分の1の機体が撃墜され、残ったホーネットのうち何機かは確実にミサイルを回避するため、ハープーンを投棄してしまっている。対空戦闘のために空対空ミサイルを搭載している機体もあるが、あくまでもそれは敵の艦載機部隊に攻撃を加えて数を減らし、確実に対艦攻撃を成功させるためのものだ。それに対してステルス機の部隊は航空部隊の撃滅を最優先にしているため、対艦ミサイルも装備しているものの、あくまで主眼は空戦である。

 

 仲間たちを散々叩き落したステルス部隊はすぐに散開すると、生き残ったホーネットを叩き落すために戦闘を開始した。

 

 操縦桿を倒し、正面から機関砲を連射しながら突っ込んできたF-22を回避するパイロット。減速しつつ急旋回して背後を取ろうとした彼は、一瞬だけだが、愛機のキャノピーのすぐ外を上昇していったPAK-FAに描かれているエンブレムと、その機体のコクピットに乗るパイロットをはっきりと目にした。

 

 2枚の深紅の羽根のエンブレムが主翼と垂直尾翼に描かれたPAK-FAの機首には、これでもかというほど撃墜マークが描かれていた。見えやすいように紅いマークで描かれているが、機首の左側がそれで真っ赤になってしまうのではないかと思えるほどの数の撃墜マークがついている機体に乗っていたのは―――――――特注品なのか、長い耳を外に出すための穴がついたヘルメットを装着した、エルフかハーフエルフと思われる女性のパイロットだったのである。

 

 深紅の羽根が2枚描かれているエンブレムは、最強の傭兵ギルドであるモリガンのエンブレムである。そして女性のパイロットが乗っていたという事を確かに目にした彼は、14年も昔に勃発したある戦いで、奴隷にした転生者から壮絶な戦いを繰り広げた1人のエースパイロットの話を聞いたことを思い出した。

 

 撃墜されてもおかしくない損傷を受けながら、たった1機で無数の新型ステルス機の部隊を返り討ちにしたエースパイロットの物語。ウェポン・ベイのハッチが外れ、2基のエンジンのうち片方が完全に機能を停止した状態で、火達磨になった戦闘機を操って奮戦した、モリガンに所属するハーフエルフのエースパイロットの物語である。

 

 そのコールサインは―――――――”ヴェールヌイ1”。

 

(まさか…………!)

 

 敵はモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)とテンプル騎士団の連合軍。中にはモリガンの傭兵たちもいるという。だからこの航空部隊の中に、その伝説のパイロットがいてもおかしくはない。

 

 その瞬間、キャノピーの中へと入り込んでいた日光が、消えた。

 

 はっとして旋回しながら左側に広がる天空を見つめた彼は、絶句する。

 

 今しがた旋回するホーネットのすぐ近くを急上昇していった撃墜マークだらけのPAK-FAが、太陽を背にしながら失速し、機首をまだ旋回している途中の彼の機体へと向けていたのだ。

 

 天空へと急上昇した状態でのクルビット。しかもそのまま失速を維持し、バランスを取りながら、重力を利用して一気に距離を詰めてくる。

 

 彼は慌てて回避しようとしたが―――――――まるで両腕に重い鉄球を落とされたかのような猛烈な衝撃を感じた次の瞬間には、機体もろとも炎に包まれていた。

 

 ヴェールヌイ1というコールサインを与えられたミラ・ハヤカワが操るPAK-FAが、ホーネットが回避するよりも先に機関砲を一瞬だけ発射し、正確にキャノピーとコクピットを吹き飛ばしていたのだ。操縦桿を倒そうとするパイロットの両腕を食い破った機関砲はホーネットのコクピットをあっという間にズタズタにすると、すさまじい運動エネルギーでパイロットの人間を吹き飛ばしてしまう。

 

 主を失ったホーネットは機首を燃え上がらせながら回転を始め、まるで大気圏へと突入する隕石のように燃え盛りながら、海面へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵艦隊よりミサイル飛来! ハープーンです!」

 

 CICに設置されているモニターを見つめながら、俺は息を吐いた。いくら近代化改修で強化されているとはいえ、あくまでもジャック・ド・モレーは第二次世界大戦で活躍する筈だった戦艦だ。後続のキーロフ級やソヴレメンヌイ級のように、ミサイルで攻撃するような現代の回線を想定して設計された艦ではないため、敵のレーダーにははっきりと映ってしまう。

 

 それゆえに隠密行動は全く期待できない。むしろ、隠れることを考慮していない。

 

 ステルス性を駆使して敵のレーダーに映らないようにしつつ敵艦の位置を探り、先にミサイルを叩き込んだ方が勝者となる現代戦では、はっきり言うと何の役にも立たないような存在だ。ステルス性が全くないからすぐに敵艦に発見され、先制攻撃を許してしまうのは当たり前。しかも動きが鈍重だし、装甲が分厚いとはいえ対艦ミサイルが立て続けに命中すればあっさりと轟沈してしまう。

 

 しかし―――――――船体が大きいおかげで、この艦にはこれでもかというほど迎撃用の兵器が搭載できた。3M47グブカに加え、機関砲と対空ミサイルを併せ持つ『コールチク』と呼ばれる装備も搭載している。下手をしたら敵艦との戦闘よりも接近してくる航空機を撃墜するような戦闘の方が得意なのではないかと思えるほどの分厚い弾幕を張ることができるのである。

 

 やはり、戦艦の利点はこれでもかというほど武装を搭載できる点だろう。ちょっとした要塞である。

 

 更に副砲の代わりに搭載した、ロシア製速射砲のAK-130も搭載されている。砲弾と対空ミサイルと無数の機関砲の弾幕を掻い潜れる航空機など存在しないと断言できるほどの装備だ。

 

「全艦、対空戦闘!」

 

「グブカ、コールチク、迎撃準備完了。AK-130も準備よし!」

 

「いいか? 目的はあくまでも敵艦隊を突破し、あの兵器を破壊することだ。最大戦速を維持しつつ敵艦隊を突破し、可能な限り早く敵の兵器を撃破する。敵艦隊にはまだ攻撃するなよ? 無駄弾の消費に貢献してやるなら構わんぞ」

 

「了解(ダー)」

 

「ついでに、敵艦隊の位置を味方艦隊に送信してやれ」

 

 俺たちが引き返してくるころには、敵艦隊は海の藻屑になっているだろうか? 

 

 テンプル騎士団艦隊の先頭を進むジャック・ド・モレーの巨体が、32ノットの速度で航行していく。近代化改修のおかげで機関部を強化されたこの戦艦は、分厚い装甲と凄まじい数の武装を持つ巨体には全く似合わない速度で海を進んでいく。

 

「艦長、アドミラル・クズネツォフより艦載機が出撃しました」

 

「Su-33か?」

 

「いえ、Su-34FNのようです」

 

Su-34(フルバック)か」

 

 Su-34は、ロシアで開発された複座型の『戦闘爆撃機』と呼ばれる機体だ。敵の機体を撃ち落とすことが目的の戦闘機と比べると小回りは効かないとはいえ、重武装の機体とは思えないほどの機動性を持つ上に、対地攻撃用のミサイルや爆弾を数多く搭載することのできる機体である。2人乗りの機体で、操縦するパイロットは前後に並んで乗るのではなく、左右に並んで操縦する。

 

 今しがた親父の乗るアドミラル・クズネツォフから飛び立ったと報告されたのは、それを海軍用に改良したSu-34FNと呼ばれる機体である。機動性よりも火力を重視した機体を出撃させたという事は、おそらく対艦ミサイルを装備させて敵艦隊の攻撃に投入するのだろう。現在、敵の艦載機部隊はいきなり襲来したステルス機部隊によって攻撃を受けており、足止めされている。

 

 しかし敵艦隊もノーガードというわけではない。当たり前だが迎撃用のミサイルや機関砲があるし、空母も艦隊を防衛するための艦載機をまだ残している筈だ。そのまま正面からミサイルを撃てば迎撃されるのが目に見えているし、艦載機に潰される可能性もある。

 

 親父はあの転生者戦争の生き残りの1人である。現代兵器同士が激突した激戦の生き残りならば、そういう事を理解している筈だ。あの男はいったい何を考えているのだろうか?

 

「…………?」

 

「ラウラ?」

 

 突然、CICのモニターを見つめていたラウラがぴくりと動いた。少しだけ目を開きながら足元を見つめ、首を傾げ始める。

 

「どうした?」

 

「何か聞こえた」

 

「え?」

 

 機関室の音じゃないのか?

 

 ラウラが最も優れているのは視覚だけど、聴覚もそれに匹敵するほど鋭い。はっきり言うと、視力と聴覚では完全に俺どころか親父や母さんまで上回っている。簡単に言うならばラウラは”センサーの塊”だ。だから遠くにいる敵の足音も察知できるし、CICからでも機関室の音を察知できる。

 

 けれど、最大戦速で航行中とはいえ、機関室の音はさっきからずっと響いている筈だ。ならば彼女が聞き取った音は別の音という事になる。

 

「スクリュー音…………?」

 

「スクリュー…………? おい、敵の―――――――」

 

 レーダーを担当する乗組員に尋ねようとした次の瞬間だった。敵の反応が映し出されるモニターを覗き込んでいた乗組員がこちらを振り向くと、嬉しそうに笑いながら報告する。

 

「敵艦に魚雷が命中! 味方の潜水艦です!」

 

「せっ、潜水艦!?」

 

 ちょっと待て、作戦説明の時は潜水艦が配備されているなんて説明されなかったぞ!? まさか、味方にまで潜水艦の存在を隠していたのか!?

 

 とはいえ、敵の潜水艦ではなく味方の潜水艦ならば心強い。

 

「ミサイル接近!」

 

「迎撃開始!」

 

「斉射(サルヴォー)!!」

 

 魚雷攻撃を受けている敵艦隊から放たれたハープーンが、次々にジャック・ド・モレーや後続の艦隊に飛来する。けれど、このジャック・ド・モレーには迎撃用の装備が山ほど装備されているし、シュタージのメンバーが乗るキーロフ級の『ビスマルク』にも、同じようにコールチクが装備されている。

 

 ハープーンが飛来するが、グブカやコールチクから放たれるミサイルに迎撃され、ジャック・ド・モレーの装甲を食い破ることができずに砕け散っていく。それを振り切って接近するミサイルもあるが、更にそれをコールチクに搭載されている機関砲と、何基も搭載されているAK-130の対空砲火が阻む。

 

 モニターに表示されるミサイルの反応が凄まじい勢いで減っていき、やがて完全に消え去る。もちろん突破を許したミサイルは1発もないし、こっちの艦隊は未だに無傷だ。

 

 先ほど連合艦隊が大打撃を受けた攻撃では、テンプル騎士団艦隊は親父から別行動をするように命令されており、艦隊から離れるように舵を切っていたため、幸い損害を受けることはなかった。

 

 しかし、あの攻撃で散っていった仲間たちのためにも、必ず攻撃を成功させる必要がある。

 

「追尾してくる敵艦は?」

 

「ありません。敵はどうやら忙しいようです」

 

 それはそうだろうな。潜水艦と対艦ミサイルを積んだ艦載機に狙われてるんだから。

 

 モニターを見ると、敵艦隊の輪形陣の側面をもう既に突破していた。このまま突き進めばあの攻撃を放った敵の正体があらわになるんじゃないだろうかと思っていると―――――――やはり、魔力の反応を感知する魔力レーダーに、強烈な反応が現れた。

 

 レーダーを使わなくても感じられるほどの強烈な魔力の反応。全方向から圧力をかけられているため、束縛されている魔力の塊が高圧縮され、それに抗うかのように膨張を続けていく。

 

 やはりあれは、ゲイボルグか。威力が全然違うという事は、改良型か発展型の可能性がある。

 

「敵の兵器を確認!」

 

『タクヤ君、聞こえる?』

 

「はい、カレンさん」

 

『やっぱりゲイボルグね。この感じ、あの時と同じですもの』

 

「ええ」

 

 21年前のナバウレアで感じたあの魔力の反応よりも強烈だけど、雰囲気は本当にそっくりだ。

 

 確かあの時は、ゲイボルグに先制攻撃されたんだ。けれどもフィオナちゃんが警告してくれたおかげで回避することができたし、砲撃してきた地点にカレンさんが正確に砲弾を叩き込んでくれたおかげで、ゲイボルグは呆気なく消滅した。

 

 あの時の砲手が、今度は超弩級戦艦の主砲を担当する。

 

 しかし、まだ主砲の射程距離ではない。対艦ミサイルの方が射程距離が長いので、まず最初に対艦ミサイルで攻撃する。もしそれで仕留められないのならば距離を詰め、また砲撃される前に艦砲射撃で止めを刺す!

 

「ゲイボルグ、対艦ミサイルの射程距離に入ります!」

 

「よし、まずは対艦ミサイルでの攻撃を行う。モスキート、発射用意」

 

「了解(ダー)、モスキート用意」

 

 ジャック・ド・モレーの艦橋の両脇には、ソ連で設計された『P-270モスキート』と呼ばれる対艦ミサイルが装填されたキャニスターが、片側に5基ずつずらりと搭載されている。キャニスターは4連装であるため、片側だけでも20発のミサイルが発射可能なのだ。

 

 つまり、両側で合計40発。敵の空母どころか戦艦大和ですら呆気なくスクラップにできるほどの火力である。

 

 しかもこのモスキートは、敵との距離が近くなるといきなり軌道を変えて回避運動を始めるミサイルだ。やや旧式の対艦ミサイルだが、破壊力は圧倒的である。

 

『こちらビスマルク。こっちも準備できたわ』

 

『外すなよ、坊や(ブービ)!』

 

『ミサイルを外すわけないだろ、バカ!』

 

「よし。…………全艦、ミサイル攻撃開始! 撃て(アゴーニ)!!」

 

「第一波、発射(アゴーニ)!」

 

 俺が命令を発した直後、後続の艦隊から立て続けにミサイルが放たれた。

 

 目の前にあるモニターに投影されたミサイルの反応が、一番奥にあるゲイボルグへと突っ込んでいくのを見守りながら、俺たちは息を呑んだ。

 

 

 

 

 



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ゲイボルグに攻撃するとこうなる

 

 

「魚雷、敵駆逐艦に命中。撃沈です」

 

 最大戦速で進撃するテンプル騎士団艦隊を食い止めるため、ハープーンを放ったアーレイ・バーク級の左舷を魚雷が食い破ったことを確認した乗組員が、大きなヘッドセットを両耳につけたまま報告した。

 

 潜望鏡の向こうでも、真っ二つにへし折られ、海面から突き出たV字の残骸と化したアーレイ・バーク級が、断面から炎と黒煙を噴き上げ、これから海中へと沈んでいくところだった。その傍らで浮かんでいるのは、一番最初に魚雷の餌食となった哀れな駆逐艦の乗組員たちである。

 

 潜望鏡から目を離したヘンシェルは、拳を握り締めながらニヤリと笑った。いつもは社長(リキヤ)の秘書をやっているせいでなかなか実戦に出ることはなかったヘンシェルは、数年ぶりに感じた実戦のスリルに歓喜しているかのような笑顔を浮かべながら、再び潜望鏡を覗き込む。

 

 普段は冷静沈着な秘書が浮かべた獰猛な表情を目の当たりにした乗組員たちも、味方であるはずの彼の一面を見てぞくりとしてしまう。

 

 いつも通りならば、ヘンシェルは今のように潜水艦を指揮して奇襲を仕掛けるのではなく、リキヤの側近としてアドミラル・クズネツォフのCICに立ち、彼と共に指揮を執る筈だった。実際に作戦の立案の段階では、このように彼に潜水艦を任せる予定などなかったのである。

 

 しかし、辛うじて生還したシュタージの報告によって敵も現代兵器を保有しているという情報がもたらされた途端、モリガンと殲虎公司の誇る2人の名将が立案した作戦をすぐに修正することになった。シンヤと李風が立案した作戦は、あくまでも吸血鬼たちが今までの戦力だった場合を想定しての作戦であったため、敵も同じように戦車や戦闘機を保有しており、迎撃にはそれをフル活用するという想定は全くされていなかったのだ。

 

 作戦が見直されると同時に、投入される戦力も大幅に増強された。潜水艦も、その作戦の修正に伴って新設された新たな戦力の1つである。

 

 潜水艦があれば敵の潜水艦を迎え撃つことにも投入できるうえに、海中を潜航しながら敵艦隊へと接近し、今のように奇襲を仕掛けて敵艦隊に大打撃を与えるか、攪乱することもできるのだ。兵器の種類が増えれば指揮を執ることが難しくなるが、その代わりに攻撃する際の選択肢が増え、柔軟な攻撃が可能になるのである。

 

 その潜水艦の指揮を任されているのが、元オルトバルカ王国騎士団ハーフエルフ部隊の指揮を執っていたヘンシェルであった。

 

 彼らが乗る潜水艦は、ロシアの『ラーダ級』と呼ばれる潜水艦である。

 

 原子炉を搭載する原子力潜水艦ではなく、通常の機関を搭載する”通常動力型”と呼ばれるタイプに分類される潜水艦である。艦首には6門の魚雷発射管が搭載されており、そこから通常の魚雷だけでなく、なんと対艦ミサイルなども発射することが可能になっている。

 

 しかもこの海戦に参加した潜水艦は、ヘンシェルたちの乗るラーダ級潜水艦『ポサードニク』だけではない。同型の通常動力型の潜水艦が合計で15隻もこの海域に先行して潜んでおり、8隻と7隻のチームに分かれ、敵艦隊から見て左右に展開しているのだ。

 

「『リゼタ』、『スミールヌイ』も魚雷攻撃を開始。魚雷2発、敵艦へと向かいます」

 

「テンプル騎士団艦隊はどうなっている?」

 

「はい。無事に敵艦隊側面を突破した模様」

 

「よし」

 

 先ほど連合艦隊が、敵の魔力による攻撃によって大打撃を受けたのは確認していた。テンプル騎士団艦隊に与えられた任務は、敵艦隊の側面を突破して敵の兵器を破壊するという非常に危険な任務であり、目的地にたどり着く前に敵艦隊の攻撃によって全滅する危険もあった。

 

 だからこそ、たった5隻の艦隊で敵艦隊の側面を突破するという無謀な作戦を成功させられるように、ここで牙を剥く必要がある。ヘンシェルたちがするべきことはここで魚雷を放ち続け、敵艦隊の数を減らして、ベテランの傭兵から信頼されているあの子供たちを送り出してやることだ。

 

 数多の計器と機器に埋め尽くされた発令所の中で乗組員たちの報告を聞きながら、ヘンシェルは潜望鏡を覗き込みつつ、先ほど彼の乗るポサードニクの近くを通過していったテンプル騎士団の戦艦『ジャック・ド・モレー』に乗る子供たちの顔を思い浮かべた。

 

(子供たちに負けてられないな、俺たちも)

 

 いくらタクヤやラウラたちに素質があるとはいえ、自分たちも元々は騎士団で訓練を積んできたのだ。彼にも過酷な戦いを生き抜いてきた1人の兵士としてのプライドがある。

 

「続けて敵空母を狙う。魚雷発射管2番、用意」

 

「魚雷発射管2番、用意よし!」

 

撃て(アゴーニ)!」

 

 艦首の発射管から魚雷が発射されていく音を聞きながら、ヘンシェルは双眼鏡を覗き込み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャック・ド・モレーにこれでもかというほど搭載されたキャニスターの数は合計で10基。艦橋の両サイドに艦首側を向いた状態でずらりと並ぶキャニスターは、それぞれ4発のP-270モスキートを装填されている。合計で40発もの対艦ミサイルで集中攻撃されれば、どれだけ分厚い装甲で守られている超弩級戦艦や要塞でもひとたまりもない。瞬く間に目の前の敵が火の海になってしまうほどの破壊力を、このジャック・ド・モレーは搭載しているのである。

 

 その40発のミサイルのうち、解き放たれたのは10発のP-270モスキート。後続のキーロフ級ミサイル巡洋艦『ビスマルク』と2隻のソヴレメンヌイ級駆逐艦『ヴィーボルク』、『クラスノイ』にも対艦ミサイルは搭載されているが、まだ敵艦隊は健在であるため、温存するためにもミサイルを搭載している数が一番多いジャック・ド・モレーのみの攻撃となった。

 

 最後尾を進むウダロイ級駆逐艦『アンドレイ』は対艦ミサイルを持たないため、攻撃は行えない。あくまでもウダロイ級が真価を発揮するのは海中を潜航する潜水艦の索敵や、そういった敵への攻撃の場合のみなのである。

 

 1発で空母のような大型艦に大打撃を与えてしまうほどの破壊力を持つ対艦ミサイルが牙を剥こうとしているのは、帝都サン・クヴァントのやや外れにある岬の上に鎮座する、巨大な8本の柱。柱1本でも超弩級戦艦の横幅に匹敵するほどの円柱状の柱が、中心部に浮遊する魔力の塊を取り囲み、均等に加圧できるように等間隔に屹立している。

 

 21年前の戦いでそれを目にしていたことで、タクヤはゲイボルグの弱点を知っていた。あくまでもゲイボルグは魔力を加圧し、その魔力に「逃げ道」を与えることで射出する兵器である。あの柱は魔力を伝達するための回路のようなものであり、魔力を拘束する”檻”としても機能するのだ。

 

 それゆえに柱を1つでも破壊されれば、鉄格子を破壊された檻が檻として機能しなくなるように、兵器として機能しなくなる。そんな状態で魔力を加圧してもただ柱が崩れた方向へと高圧の魔力を放射するだけであり、最悪の場合はそのまま高圧の魔力を暴走させて自滅する恐れもある。

 

 21年前のナバウレアでタクヤが目にしたものよりもはるかに大型化されていたゲイボルグⅡは、大型化された影響でさらに破壊力を増していた。柱の部分もさらに大型化されているため、戦車砲の一撃でたやすく倒壊させられた通常のゲイボルグよりも頑丈になっているのは明らかである。

 

 だから、確実に吹っ飛ばせるようにわざわざ対艦ミサイルを10発もつぎ込むことを選択したのだ。

 

 どこか一ヵ所でも倒壊させられれば、勝敗は決まるのだから。

 

 いくら超弩級戦艦の船体にも匹敵するほどの直径を持つ柱とはいえ、分厚い装甲に覆われている戦艦との防御力は雲泥の差である。あれだけの破壊力を発揮するためには、柱の中にびっしりと回路を張り巡らせ、更に柱の表面もより効率よく魔力を伝達するための素材で作られている。戦艦や戦車のように装甲で覆う余裕など全くない。

 

 この一撃で勝敗を決めるために放たれた10発のミサイルは、CICにいるタクヤたちの命令通りに真っ直ぐ飛んだ。ゲイボルグⅡの発射を担当する魔術師たちが慌てふためく姿を睨みつけながら飛翔するP-270モスキートの群れが回避運動をはじめ、いよいよゲイボルグⅡの柱へと飛び込んでいく。

 

 しかし―――――――ミサイルが爆発したのは、ジャック・ド・モレーのCICにいたクルーたちが想定した地点とは違った。

 

 そのまま飛翔すれば柱の表面に着弾し、表面の素材や内部の回路をズタズタに破壊して、容易く柱を倒壊させていたことだろう。しかしミサイルはその柱に着弾する前に、何の前触れもなく空中で次々に爆発してしまったのである。

 

 まるで透明な何かに遮られたかのように後続のミサイルの先端部が潰れ、瞬く間に爆風が何もない空間を抉り取る。そこで形成されるのは、やはり何かに遮られているとしか思えない不自然な形状の爆風だった。

 

 空中で形成されたのは、まるで半分だけ切り取られてしまったような半円状の爆発だったのである。必ず歪な形状になるとはいえ、少なくとも壁のようなものに激突しない限りはそのような爆発にはならない筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み、ミサイル、全弾命中せず…………!?」

 

「バカな! 故障か!?」

 

「何やってんだ! 整備不良か!?」

 

 怒号で満たされつつあるCICの中で、ミサイルの反応がすっかり消えてしまったモニターを見つめながら、俺は拳を握り締めていた。

 

 ミサイルの反応が焼失したのはゲイボルグに命中するよりも前。しかし迎撃された様子はない。まだミサイルは30発も残っているし、後続の味方艦にもそれと同等の数の対艦ミサイルが装備されている。それにジャック・ド・モレーの甲板には、戦艦の代名詞ともいえる3連装40cm砲がある。ミサイルがなくなったとしてもこの大口径の主砲があれば、まだ戦うことはできるのだ。

 

 でも、やはり命中すると思っていたミサイルが1発も命中せずに爆発してしまったという事実は、仲間たちを混乱させているようだった。何とかしなければ、敵の反撃に対応できなくなる。ゲイボルグの第二射だけは絶対に防がなければならないのだから、混乱している場合ではない。

 

「ナタリア、魔力の反応はなかったか?」

 

「待って」

 

 傍らのモニターの前へと向かったナタリアが、乗組員から座席を借りてキーボードを素早く何度もタッチする。折れ線グラフが表示されている画面に切り替えると、数秒間だけその折れ線グラフがまるで針のように急激に上がっている場所があった。魔力探知用のレーダーが、その瞬間に強烈な魔力を観測したという履歴である。

 

 しかもその反応があったのは今から約24秒前。一番最初の対艦ミサイルが、ゲイボルグに突っ込むことができずに自爆してしまった時間と同じだ。

 

「あったわ」

 

 どういうことだ? 魔力の反応があったという事は、魔術で迎撃されたのか? でも、いくら魔術でも高速で飛来するミサイルを迎撃できる命中精度の魔術はかなり限られる。しかもそんな芸当ができる魔術に限って、発動までに必要な詠唱が長く、更に魔力の消費量も多い。後者は個人差があるから魔力の量が多い魔術師ならそれほど影響はないが、前者の”詠唱が長くなる”という条件を考えると、迎撃が間に合ったとは思えない。

 

 別の何かが原因なのか、それともミサイルが飛来することを知っていなければ不可能だ。

 

 俺とラウラもナタリアの傍らに向かい、モニターに映し出される折れ線グラフが針のように盛り上がっている時間帯を凝視しながら考察する。魔力の反応が観測された以上、ミサイルの不具合で勝手に自爆したのは考えられない。

 

 だからといって魔術で迎撃された可能性も少ない。

 

 考察して、組み上がりかけている仮説を自分で次々に薙ぎ倒していく。幼少の頃から中身だけは17歳の男子高校生だったおかげで、この世界の基本的な常識を覚えた後は様々な知識を学ぶ余裕があった。そのため幼少の頃から俺が自分の頭にこれでもかというほど叩き込んだあらゆる知識が我先にと前に出て仮説の材料となり、あっさりと別の知識によって薙ぎ倒されていく。

 

 なにも思いつかない。頭を押さえながら息を吐いた瞬間、俺の肩を真っ白な小さい手がそっと掴んだ。

 

 柔らかくて暖かい小さな手。最初はステラかと思ったけれど、あいつは背が小さいから俺の肩まで手が届かない。背伸びすれば届くかもしれないけれど、こんな風に俺の肩を掴むことはできない筈だ。誰かに抱っこされているのだろうかと思いながら後ろを振り向くと―――――――ステラよりも感情豊かで、大人びた雰囲気を放つ幼い少女が、白衣に身を包みながらふわふわと浮かんでいた。

 

『落ち着いてください、艦長さん』

 

「ふぃ、フィオナちゃん!?」

 

「ふにゃっ!? フィオナちゃん、何でここに!?」

 

「えっ? ふぃ、フィオナ博士ぇっ!? あれ!? 傭兵さんの所にいたんじゃないんですか!?」

 

 後ろから俺の肩を優しく掴んでいたのは、産業革命の発端となったフィオナ機関の生みの親であるフィオナちゃんだった。もう既に死んでしまった少女の幽霊であるフィオナちゃんは、幽霊だというのに実体化することもできるし、身体に触れてみると死人とは思えないほど温かい。

 

『はい。リキヤさんから皆さんを助けるように言われたので、ここまで来ました♪』

 

「ここまで? …………ま、まさか、アドミラル・クズネツォフのCICから!?」

 

『はいっ♪』

 

 な、何だとぉ!?

 

 このマッドサイエンティストはあの海戦の真っ只中をふわふわと飛びながら、最大戦速で航行中のジャック・ド・モレーに追いついたっていうのか!?

 

 ミサイルや砲弾の荒しと言っても過言ではないほどの激戦が繰り広げられている海域を無事に突破できるのかと思ったけど、彼女は幽霊だから壁をすり抜けることは朝飯前なのだ。だから仮にミサイルと激突しても、そのミサイルをすり抜けてしまえば無傷で済むのである。

 

 もしかしたら、モリガン最強は彼女なのではないだろうか? でも、実体化を解除した状態でも親父には模擬戦で負けたことがあるらしいから、弱点はあるんだろうな。

 

『というわけで、アドバイスです。あのゲイボルグは発展型のようですので、何かしらの新しい機能が追加されているみたいですね』

 

「新しい機能?」

 

『そうですよ、ナタリアちゃん。まず、あれに必要なのは魔力ですよね?』

 

「え、ええ」

 

『第一、魔力というのは…………あっ、メモ用紙借りてもいいですか?』

 

「ど、どうぞ」

 

 ナタリアが胸のポケットから鉛筆とセットで手帳を取り出すと、手帳ごとフィオナちゃんに手渡した。すると彼女は手帳の空いているページに鉛筆で簡単な図のようなものを描き始める。

 

『魔力は、魔法陣や詠唱で様々なものに変換できるのです。これは魔術の基本ですね』

 

 魔術師の教本の一番最初に書かれている基礎的な知識だ。俺も母さんが持っていた教本を借りて読んだことがあるから、一番最初にそれが書かれていることは知っている。

 

 例えば、炎に変換したいのならばそうするための魔法陣を形成したり、詠唱すればいい。そうすれば魔法陣を通過した魔力は炎となって敵に叩きつけられる。中には詠唱や魔法陣を必要とせず、魔力がまだ体内にある段階で別の属性に変換し、そのまま放出することで詠唱を必要とせずに魔術を使う者もいる。エリスさんもそうやっているし、俺やラウラも体内に変換済みの魔力をたっぷりと持っているから詠唱はいらない。

 

『では、空母を吹っ飛ばしちゃうほどの魔力を、”攻撃”ではなく”防御”に使ったらどうなるでしょう?』

 

「とんでもない防壁になるわ。……………ま、まさか、さっきのミサイルが爆発したのって、その防壁が……………!?」

 

『仮説ですけどね。でも、この履歴を見る限りはその可能性が高いでしょう。あのミサイルを魔術で迎撃できる人なんて、多分エリスさん以外にいないと思いますし』

 

「ふにゃあ!? ママってそんなことできるの!?」

 

『ええ、エリスさんは凄い人ですよ? ”絶対零度”の異名を持つ、元ラトーニウス王国最強の騎士ですし』

 

 あ、あの人ってやっぱり凄い人だったんだな……………。部屋に男性向けのエロ本を隠してるような人だけど、そういう面を除けば凄い人なのかもしれない。圧倒的な兵力を持つ当時のオルトバルカ王国でさえ、エリスさんが前線に投入されることを恐れて迂闊に手出しできなかったと言われるくらいだし。でも、凄いって思える要素が台無しになってるんだよね。何でモリガンの関係者って変な人が多いんだろうか。

 

 そういえばあのエロ本はまだ両親の寝室に隠してるのかな?

 

「それで、防壁を何とかする方法はないんですか?」

 

『ありますよ。単純ですけど』

 

「教えて下さい、博士」

 

 すると、フィオナちゃんはにっこりと笑った。

 

『簡単です。どんなに分厚い魔力の防壁でも、あくまでもそれを維持するための魔力を供給しているのは人間なんです。つまりひたすら攻撃を続ければ――――――勝手に体内の魔力を使い果たしてくたばってくれますよ♪』

 

「なるほど」

 

 確かに、単純だ。あの防壁はゲイボルグの発射に使う魔力を防壁の展開に流用しているものであるため、それを維持するためには発射を担当する魔術師たちが魔力の供給を続ける必要がある。

 

 それを破壊するためには―――――――敵が魔力を使い果たすまで、攻撃を続ければいい。

 

 攻撃に使う魔力を防御に流用しているのならば、少なくとも防御中は攻撃できない筈だ。防戦一方になるのは目に見えている。

 

「よし、飽和攻撃だ。全艦に伝えろ!」

 

 ひたすら攻撃すればあの防壁を打ち破れる。ならば、防壁が消えるまで攻撃を続けるだけだ。

 

「艦長、主砲の射程距離内に入りました!」

 

「警報を鳴らせ! 甲板の乗組員を直ちに退避させろ! それとミサイルの第二波攻撃準備! 後続の艦も攻撃に参加せよ!」

 

「了解(ダー)!」

 

 ついに、このジャック・ド・モレーの主砲が火を噴く。目標は、モリガン・カンパニーの仲間たちを消滅させやがったクソ野郎共だ。

 

 ニヤリと笑いながら、俺は無線機のマイクを手に取った。

 

「カレンさん、頼みます」

 

『任せなさい』

 

「――――――目標、12時方向! 距離、45000m!!」

 

 頼んだぞ…………!

 

「――――――撃ちーかたー始めッ!」

 

 

 

 

 



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飽和攻撃

 

「あ、危なかった…………!」

 

 魔力の放出を続ける魔術師が、防壁で辛うじて防いだ対艦ミサイルの黒煙を見つめながら呟いた。

 

 ゲイボルグⅡには、原型となったゲイボルグⅠの弱点である”柱を1つでも破壊されれば武器として機能しなくなる”という脆弱さを克服するため、攻撃に利用する魔力を防御するための防壁として展開するための新機能が搭載されている。そのせいで柱は大型化することになったが、結果的に対艦ミサイルを防いでしまうほどの防御力を得たことで、原型となったゲイボルグⅠの弱点は克服できたといえる。

 

 しかし、そこで新しい弱点が生じてしまった。

 

 攻撃に使う魔力を防御に転用するわけだから、防御しながら魔力を加圧し反撃するという事ができないのである。しかも攻撃を防ぐ度に、その攻撃力に見合う量の魔力を消費することになるから、飽和攻撃のような攻撃をされれば防戦一方になり、そのまま防壁を破られてしまうのである。

 

 魔術師たちの様子を見てみると、何人かは汗だくになりながら息を切らし、ふらついている様子だった。魔力を消費し過ぎるとまるで疲れ果ててしまったように身体が重くなり、無理に魔力を絞り出そうとすればそのまま死に至ってしまう事もある。

 

 つまりあの魔術師たちは、今の対艦ミサイルを防いだだけでそれほどの魔力を消費したことになるのだ。こんな状態で飽和攻撃をされれば、防壁を破壊されるのは時間の問題だ。

 

 側近の吸血鬼に目配せすると、彼は何も言わずに俺に頭を下げ、「こちらです、ブラド様」と言って俺を案内してくれた。向こうに待っていた馬車に乗ると、その吸血鬼が御者台に上がる。

 

 ゲイボルグⅡは、もう駄目だ。第二射を放つことすらできずに袋叩きにされ、敵艦隊の突破を許すことになるだろう。敵艦隊に大打撃を与えてくれたことには感謝しているが、それでも敵の方が数が多いという状況は変わらない。海上戦力を丸ごと使い捨てにする羽目になるが、その間に待ち伏せの準備をするべきだ。

 

「ああ、そうだ」

 

「はい、ブラド様」

 

「”あの艦”を出撃させてくれ」

 

「あれをですか?」

 

「ああ」

 

 敵艦隊がゲイボルグⅡに接近した際に迎撃できるように、ゲイボルグⅡの近くで待機させておいた艦が1隻だけあるのだ。

 

 部下の吸血鬼は「かしこまりました」と言うと、無線機に向かってその艦を出撃させる命令を下した。少しでも敵艦隊に打撃を与えることができれば、こちらも防衛戦をやりやすくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで、戦艦の甲板が大爆発を起こしたかのように激震した。

 

 漆黒に塗装された戦艦ジャック・ド・モレーの甲板に搭載された2基の3連装40cm砲が、立て続けに火を噴いたのである。ミサイルやレーダーの発達によってこのような大口径の主砲は第二次世界大戦の終戦と共に時代遅れとなり、海軍の象徴は、超弩級戦艦から巨大空母へと移っていった。

 

 異世界で火を噴いたジャック・ド・モレーの主砲の咆哮は、まるで「まだ退役するには早すぎる」と訴えているような、力強い咆哮だった。猛烈な爆風と衝撃波で甲板を大きく揺らし、CICの中で指揮を執るタクヤたちにもその振動を感じさせた40cm砲が狙いを定めたのは、目の前の岬の上に鎮座する8本の柱。それを守る魔力の防壁を削ぎ落とすために放たれた合計6発の徹甲弾が、高熱と圧倒的な運動エネルギーを纏ったままウィルバー海峡の潮の香りを蹂躙する。

 

 現代戦において耳にすることが殆どなくなった音を発しながら緩やかに落下を始めた砲弾の群れが、発射された時と同じく、立て続けにゲイボルグⅡへと落下していく。しかし彼らが辿った運命は最初に防壁に防がれた対艦ミサイルたちと同じだった。

 

 魔術師たちが身体中の魔力を注ぎ込んで展開した防壁が、砲弾たちの前に立ち塞がる。一番最初に着弾した砲弾が火花と魔力の光を派手に散らしながら、まるで防壁を貫くことができなかったことを悔やむように甲高い音を上げながら弾かれる。後続の砲弾も次々と防壁へ突き立てられたが、やはり一番最初の砲弾と同じだった。貫通することはできず、防壁を展開する魔術師たちの魔力を大きく削り取るという爪痕を残してから、弾かれて海中へと落下していく。

 

 辛うじて6発の40cm徹甲弾を防ぎ切った魔術師たちは、ゲイボルグⅡの制御用魔法陣の傍らで魔力を放出しながら胸を撫で下ろしていた。一番最初の対艦ミサイルを防いだ時と同じ量の魔力を消費する羽目になってしまったが、辛うじて貫通を防ぐことができたのだ。うまく隙をつくことができれば、最大に加圧することはできないが、ゲイボルグⅡで反撃できるかもしれない。魔術師たちはそう考え、魔力の消費で疲弊しかけている身体に鞭を打ち、魔力の加圧を始めようとする。

 

 しかし―――――――戦艦ジャック・ド・モレーの後に続いていた艦隊からも同じように対艦ミサイルが立て続けに放たれ始めたのを目の当たりにした魔術師たちは、絶句した。

 

 後続の艦隊から放たれたミサイルの数は、合計で28発。特にすさまじい数のミサイルを放ったのはクランが指揮を執るキーロフ級ミサイル巡洋艦『ビスマルク』で、甲板に搭載されたVLSから立て続けに放たれた対艦ミサイル『P-800オーニクス』の数は、発射された28発の対艦ミサイルのうちの20発。ミサイルたちの大半を占めているのである。

 

 さらに、ここでまだ対艦ミサイルを温存していたジャック・ド・モレーも、船体の両サイドにこれでもかというほど搭載されていたキャニスターから、残っていたミサイルを全て発射し始めた。1隻だけでも合計で40発のP-270モスキートを搭載する超弩級戦艦から、温存されていた虎の子のP-270モスキートが30発も発射されたのである。ゲイボルグⅡを破壊するよりも先に、”それを守る防壁を突破するまでありったけの火力を叩き込む”という作戦に変わったため、テンプル騎士団艦隊の作戦からはもう”ミサイルを温存する”という選択肢は消えていたのである。

 

 まさに、大盤振る舞いであった。

 

 合計で58発もの対艦ミサイルが飛来する。ミサイルが天空に刻みつける白煙で、青空が覆いつくされていく。

 

「ば、バカな…………」

 

「なんだよこれ…………」

 

 ミサイルが飛来する空を見上げながら、魔術師たちは絶望していた。

 

 10発の対艦ミサイルを辛うじて防ぎ、6発の40cm徹甲弾も何とか凌いだ。しかし、この58発のミサイルを全て防げば、間違いなく体内の魔力が底をつくのは明白だった。しかもこれを防ぎ切ったとしても、その後にはジャック・ド・モレーの主砲が待ち受けている。猛烈な貫通力を誇る徹甲弾を防ぐことができる魔力は、間違いなく残されていない。

 

 次の瞬間、ゲイボルグⅡを守る防壁の表面が激震したかと思うと、ドーム状に展開されている魔力の防壁の表面が炎に包まれた。ついに58発もの対艦ミサイルの雨が、防壁の表面に着弾したのだ。

 

 1発の対艦ミサイルが命中し、爆発する度に魔術師たちの体内の魔力がごっそりと減っていく。それでも彼らは必死に魔力を放出し、防壁を維持しようと足掻き続けた。

 

 吸血鬼たちへの忠誠ではない。確かに、最初は自分たちを理不尽な貴族たちの元から救い出してくれた吸血鬼に”恩返し”をするつもりで彼らの味方をしていた魔術師たち。しかし、今ではもう恩返しのための戦いではなく、自分たちの命を守るための戦いと化していた。いつの間にか後ろで見守っていた筈の吸血鬼の少年は姿を消しており、ゲイボルグⅡの周囲に残されているのはなけなしの魔力で足掻き続ける20名の魔術師のみ。中には魔力を使い過ぎたせいで口から泡を吹き、痙攣しながら崩れ落ちる魔術師もいる。

 

 空中に展開されている防壁に亀裂が入る。ピシッ、とガラスに亀裂が入るかのように、何もない筈の空中に亀裂が浮かび上がる。

 

 辛うじて対艦ミサイルの爆風がすべて防壁の表面から消えたが―――――――もう、防壁を維持できるだけの魔力を残している魔術師たちは、1人も残っていなかった。体内の魔力を使い切ってしまったのか、倒れている魔術師の中にはぴくりとも動かない魔術師もいる。倒れている仲間を助け起こそうとする魔術師もふらついていて、これ以上魔力を放出すれば倒れてしまうのは明らかだった。

 

 そして―――――――無慈悲なテンプル騎士団の猛攻が、再開される。

 

 ドン、と海の方から爆発のような轟音が響く。テンプル騎士団艦隊の先頭を進む戦艦の甲板が黒煙に包まれており、その中から炎を纏った6発の徹甲弾が再び放たれる。

 

 先ほどのような発砲ではない。今度は斉射だ。

 

 もう既に亀裂が生じている防壁では防げないのは明白だった。しかも肝心な魔力を放出する魔術師のうち、魔力を使い果たした魔術師は8人。残った12人も、もう魔力がほとんど残っていない。

 

「は、反則だ…………」

 

 魔術師の1人がそう呟いた直後、ついに砲弾が防壁に着弾し―――――――ゲイボルグⅡを守っていた防壁が、ついに突き破られた。

 

 降り注ぐ魔力の残滓を突き破り、6発の徹甲弾がゲイボルグⅡへと降り注ぐ。崩壊する防壁を絶望しながら見上げていた魔術師の傍らにいた仲間がそのうちの1発に押し潰され、血飛沫と肉片を噴き上げる。そしてその後方に鎮座していたゲイボルグⅡの柱に着弾した徹甲弾が、複雑な回路と特殊な鉱石で作られている柱を呆気なく倒壊させ、加圧用の魔力を暴走させた。

 

 その光はすぐに膨れ上がると、魔力を使い果たして動けなくなっていた魔術師たちをすぐに飲み込んで消滅させ、更に肥大化を進めていく。それを見つめていた他の魔術師たちは、もう逃げることはできなかった。

 

 次の瞬間、加圧用の魔力が崩壊していく防壁の内側から飛び出し、岬に鎮座していたゲイボルグⅡを完全に消滅させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲイボルグ、消滅!」

 

「よし!」

 

 魔力探知用のレーダーが検出していた高圧の魔力の反応が、完全に消滅した。あの防壁を破壊するためにテンプル騎士団艦隊の艦が装填していた対艦ミサイルを全て叩き込む羽目になったのは想定外だが、これで本隊に被害が出ることはないだろう。

 

「ウラル、そっちからはどうだ? 見えるか?」

 

『ああ、すげえぞ。高圧の魔力で岬が木っ端微塵だ』

 

 ゲイボルグには魔力を加圧するための高圧の魔力も一緒に充填されており、柱を破壊されると柱の中のそれが一気に噴き出すため、柱が1本でも倒壊すれば大爆発にも似た魔力の暴走が起こるのである。

 

 実際に21年前のナバウレアでも、カレンさんが戦車砲を直撃させて柱を倒壊させただけでゲイボルグは完全に消滅していた。岬まで木っ端微塵になったのは大袈裟だと思うが、大型化されていた上に対艦ミサイルの飽和攻撃に何度か耐えるほどの防御力があるならば、大量の魔力が充填されていたはずだ。確かに、岬が吹っ飛んでもおかしくないかもしれない。

 

「本隊に連絡してくれ」

 

「了解(ダー)!」

 

 よし、これで俺たちが反転して敵艦隊を攻撃すれば、敵艦隊は袋の鼠だ。正面からは連合艦隊の本隊が攻撃を仕掛けてくるし、水中には潜水艦もいる。更に艦載機による空襲で疲弊している筈だ。対艦ミサイルを使い果たしたとはいえ、俺たちが背後から攻撃すれば完全に殲滅することができる筈だ。

 

 敵艦隊へ止めを刺すことを考えていたその時だった。

 

「――――――艦長、岬の近くからミサイル! ハープーンです!」

 

「!?」

 

 レーダーの反応を見ていた乗組員が、目を見開きながらミサイルの接近を報告してきたのである。その報告を聞いた乗組員たちは瞬く間にゲイボルグ撃破の喜びを投げ捨て、新たに襲撃してきた対艦ミサイルを迎撃することを余儀なくされた。

 

 敵艦がまだ残っていたのだろうか?

 

「迎撃! それと発射地点の特定急げ!」

 

「コールチク、ミサイル発射!」

 

 モニターを確認してみると、確かに岬の近くからミサイルが飛来しているようだった。しかも反応は4発。狙いはおそらく、全てこのジャック・ド・モレーだろう。

 

 ジャック・ド・モレーにこれでもかというほど搭載された迎撃用のミサイルや速射砲が次々に火を噴く。モニターの向こうで瞬く間に飛来するミサイルの反応が消滅していき、CICの中で響いていた電子音も消え失せた。

 

「トラックナンバー030から034、撃墜成功!」

 

「艦長、発射地点の特定を完了しました!」

 

「どこだ?」

 

「やはり、岬の近くです。敵艦が潜んでいたようですね」

 

「艦隊か?」

 

「いえ、単独です」

 

 単独? 1隻だけで隠れてたのか?

 

 アーレイ・バーク級か? それとも巡洋艦のタイコンデロガ級か? 

 

 1隻だけとはいえ、こちらはゲイボルグの防壁の突破に対艦ミサイルを使い果たしてしまった。残っているのは副砲代わりの速射砲と迎撃用のミサイルや機関砲だ。敵艦に大打撃を与えることができる兵器は、主砲しか残されていない。

 

 ミサイルを迎撃しながら肉薄し、何とか砲撃戦に持ち込むしかない。こっちの乗組員はまだ錬度が低いが、搭載している迎撃兵器の数で何とかジャック・ド・モレーは無傷の状態を維持している。当たり所が悪ければ致命傷になるが、1発で撃沈されるのはありえないだろう。

 

 味方の艦も同じ状況だった。しかも戦艦と違って強力な主砲を持たないため、突っ込んで砲撃戦をするという選択肢がない。

 

『こちら艦橋。CIC、聞こえるか?』

 

「ウラルか。どうぞ」

 

『双眼鏡で確認したが、敵もどうやら戦艦みたいだぞ』

 

「戦艦?」

 

『ああ、ちょっと待ってくれ。………ええと、どれだっけ』

 

 岬の近くに隠れていたのは戦艦だって? ハープーンをぶっ放してきたという事は、こっちと同じく近代化改修を受けた戦艦という事なんだろう。

 

 戦艦という事は、かなり防御力は高い筈だ。しかも船体が大きいから迎撃用の兵器をこれでもかというほど搭載できる。もし仮に俺たちに対艦ミサイルが残っていたとしても、上手く欺かなければ有効なダメージを与えられない。

 

 まさか、戦艦大和か………? さすがに世界最強の戦艦と砲撃戦をするのは拙い。しかも近代化改修を受けているのだとすれば、日本の戦艦の欠点である”命中精度の低さ”も補われている可能性が高い。

 

 場合によっては本隊と合流し、味方の艦隊と共に攻撃するという手も考えていたその時、ウラルが報告した。

 

『敵艦は…………”モンタナ級”だ』

 

「モンタナ!?」

 

 くそったれ…………向こうも超弩級戦艦か!

 

 モンタナ級は、アメリカで建造される予定だった戦艦だ。アメリカの戦艦の中で最強と言われているのは、湾岸戦争にも近代化改修を受けて参加した”アイオワ級”と言われている。アイオワ級は攻撃力や防御力が優秀で、更に速度も速いという戦艦の傑作と言える艦だ。しかしモンタナ級は速度を犠牲にした代わりに、アイオワよりも装甲と攻撃力が強化された戦艦である。

 

 搭載されているのは3連装40cm砲。ジャック・ド・モレーも同等の主砲を搭載しているけれど、こっちは主砲を前部甲板に2基、後部甲板に1基搭載しているのに対し、モンタナは前部甲板と後部甲板に2基ずつ搭載している。そう、ジャック・ド・モレーよりも主砲の数が1基多いのだ。

 

 砲撃戦になれば、主砲の数が少ないこっちの方が不利になる。しかも向こうはまだ対艦ミサイルを温存している。こちらが不利なのは、火を見るよりも明らかだ。

 

 この24号計画艦(ジャック・ド・モレー)と同じく、”生れ落ちることのなかった戦艦”同士の戦いか。面白いじゃないか…………!

 

「あいつは、ジャック・ド・モレーのみで相手をする」

 

「タクヤ、正気!? 5隻でかかった方がいいわ! そうすれば―――――――」

 

「いや、他の4隻にはそのまま反転し、敵の残存艦隊を背後から叩いてもらう。それに、大口径の主砲を搭載しているのはこの子(ジャック・ド・モレー)だけだからな」

 

 ここで反転して敵艦隊を狙うのもいいが、そうすれば俺たちがあのモンタナ級に背後から攻撃されることになる。それにナタリアの言うとおりに5隻で相手をしたとしても、装甲の厚い戦艦に速射砲では打撃を与えるのは難しい。ミサイルがまだ残っていれば話は別だが、虎の子のミサイルはゲイボルグ破壊のために使い果たしてしまった。

 

 仲間に犠牲を出さないためにも、ここは戦艦で相手をするべきだ。

 

「他の4隻は反転させ、敵艦隊を背後から奇襲させろ。――――――俺たちがあいつの相手をする。一騎討ちだ」

 

 どちらも建造されることなく、一度も航海を経験することがなかった戦艦だ。悪くないだろう?

 

 生れ落ちることのなかった戦艦同士の砲撃戦が、ウィルバー海峡で始まろうとしていた。

 

 

 



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砲撃戦

 

 

 戦闘が始まった時には100機以上のホーネットが舞っていた空は、時間が経つにつれてだんだんと静かになっていった。

 

 100機の艦載機部隊と、わずか35機のステルス機部隊。先制攻撃を仕掛けた連合軍側のステルス機部隊が順調に敵機の数を減らし、短距離空対空ミサイルと機関砲を駆使したドッグファイトへと突入してからは、未だにステルス機部隊には損害が出ていなかった。少数とはいえ彼らの中にファルリュー島の死闘を生き抜いたベテランのパイロットが含まれていたというのも理由の一つだが―――――――最大の理由は、大空に生れ落ちる爆風と火球の真っ只中を駆け抜け、すさまじい勢いで敵機を落としていく1機のステルス機の存在だろう。

 

 機首には埋め尽くされてしまうのではないかと思えるほどびっしりと撃墜マークが描かれており、主翼にはモリガンの象徴である深紅の2枚の羽根が描かれている。コクピットでヘルメットとHUD(ヘッドアップディスプレイ)と酸素マスクを装着し、パイロットスーツに身を包むハーフエルフの女性が、まさにその空戦を支配していた。

 

 彼女の背後へと回り込み、機関砲で仕留めようとしているホーネットへとクルビットで機首を向け、逆さまの状態で背後を飛ぶ敵機を逆に蜂の巣にする。そのまま失速してバランスを崩したかと思いきや、巧みなバランス調整と強引なエンジンの噴射によって無理矢理機体を加速させ、目の前を通過した哀れなホーネットの後を追う。旋回して振り切ろうとするホーネットの背中に機関砲で風穴を開け、火達磨になりながら落下していくのを確認しつつ操縦桿を倒し、高度を上げて味方機のサポートに入る。

 

 あの時と同じように、”ヴェールヌイ1”というコールサインを与えられたミラ・ハヤカワの撃墜数は、この戦いに参加したパイロットたちの中では抜きんでていた。もう既にミラによって撃墜されたホーネットの数は30機に達するほどで、段々と周囲を舞うホーネットを探すのが大変になっていくのを実感しながら、ミラは機関砲の残弾数を確認した。

 

 無駄弾を使うのを避けるため、発射するのはほぼ一瞬だ。しかも狙うのはキャノピーの中やエンジン部などの急所。戦闘機が”即死する”場所のみに狙いを定め、一瞬だけ機関砲を発射することによって、まだ補給しなくても戦えるほどの弾数を維持していた。

 

 短距離空対空ミサイルにもまだ余裕がある。主翼の下部に追加されたミサイルはもう既に撃ち尽くしてしまったが、ウェポン・ベイの中にはまだ4発もミサイルが残っている。フレアもまだ1回も使っておらず、彼女を狙ったミサイルは全て急旋回で回避していた。

 

 傍らを飛んでいたホーネットが、火を噴き、回転しながらバラバラになって海面へと落下していく。その後ろからやってきた殲撃20型のパイロットがミラに向かって手を振り、残っている敵機の”掃除”を始める。

 

 唐突に電子音がコクピット内に響き始め、ミラは操縦桿を咄嗟に倒して回避に入る。ロックオンされているという警告だ。しかし敵機はミサイルをもう発射したらしく、電子音が止まる気配はない。

 

 いったん高度を下げ、急激に上げる。ちらりと後ろを見てみると、ホーネット部隊が蹂躙されている空域から放たれた1発のミサイルが、脇目も振らずにミラのPAK-FAへと突っ込んでくるのだ。

 

 しかし、転生者戦争が終わってからも傭兵として各地の戦場で戦い、時には転生者の操る戦闘機とこうしたドッグファイトを繰り広げた彼女にとって、ミサイルを回避するのは朝飯前だ。屈強な身体を持つハーフエルフとして生まれた彼女は、通常の人間よりもGに強いのである。だから強引な飛び方をしても失神するようなこともない。むしろ、機体の方が空中分解してしまわないか心配になることがあるほどである。

 

 急上昇したまま、今度は機体を急激に減速させる。瞬く間に重力によって機体が落下を始め、機首が海面へと向けられる。

 

 そのタイミングで、ミラは再び機体を加速させた。猛烈なGに耐えながら機体を一気に加速させ、今度は逆に急降下を始める。彼女を追うミサイルも何とか足掻き続けるが、急激な方向転換について行くことはできず、かなり大きな輪を描きながらどこかへと消えていった。

 

 そして彼女へとミサイルを放った敵へと―――――――ミラの”プレゼント”が、叩き込まれる。

 

(――――――フォックス2)

 

 ウェポン・ベイの中から顔を出した1発のミサイルが、先ほど彼女にミサイルを放った敵機へと放たれた。狙われたホーネットは逃げようとするが、後方へと迫った味方のF-22が機関砲を連射して回避を妨害する。

 

 そしてミサイルがエンジンノズルへと激突し、大空の中に火の玉が生まれた。

 

『こちらヴェールヌイ12。敵艦載機部隊の全滅を確認』

 

(了解。各機、燃料に余裕は?)

 

『まだ大丈夫です、隊長』

 

(分かったわ。このまま友軍艦隊上空で待機)

 

 現時点で、連合艦隊が被った被害はゲイボルグによる遠距離砲撃のみ。艦載機による攻撃で損害は出ておらず、敵艦隊撃滅後に始まる上陸作戦に大きな支障は出ていない。

 

 酸素マスクをつけたまま、ミラは敵艦隊がいる方向を見つめた。先ほど対艦ミサイルをこれでもかという穂と搭載したSu-34FNの編隊が空母の群れから飛び立ち、敵艦隊へと襲い掛かっていったところである。しかも敵艦隊はリキヤがあらかじめ用意しておいた潜水艦の群れによる雷撃を受けており、少なくとも2隻のアーレイ・バーク級と1隻のタイコンデロガ級が沈没したという報告を受けている。

 

 そして―――――――ついに、連合艦隊が牙を剥いた。

 

『た、隊長! 友軍艦隊がミサイルを!』

 

『うわ、何だよこの数!?』

 

(…………!)

 

 それを目の当たりにした瞬間、ミラも絶句していた。

 

 敵艦隊が対艦ミサイルの射程距離内に入ったのだろう。ゲイボルグの砲撃で被害を受けなかった艦隊から、一斉に対艦ミサイルが発射され始めたのである。対艦ミサイルを搭載していないウダロイ級以外でも、ミサイルを発射した艦の数は300隻以上。瞬く間に海面がミサイルの残す白い煙に包まれ、その先頭を無数の対艦ミサイルが駆け抜けていく。

 

 いくら高性能なイージスシステムを搭載した敵艦隊とはいえ、これを全て迎撃できるのだろうかと思いつつ、ミラは艦隊の上空を旋回し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターの向こうで、ハープーンの反応が焼失したのを確認した艦長は、息を吐きながらモニターを睨みつけた。

 

 今しがたミサイルを迎撃した敵艦が、ゲイボルグを破壊した戦艦である。空母やイージス艦が主役になった時代に、近代化改修した戦艦を投入してくるような奴が残っていたのは想定外だったが、”自分に似た男”が無効にもいるという事なのだろう。

 

 大量のポイントを消費して生産したこのモンタナに与えられた任務は、ゲイボルグの近くで待機し、肉薄してきた敵艦隊を圧倒的な火力で撃滅すること。しかし、守るべきゲイボルグⅡは敵艦の集中砲火で消滅しているため、肝心なゲイボルグを守るという任務は失敗したことになる。

 

 しかしモンタナの艦長を務める転生者の男性は、出撃命令がゲイボルグの消滅が現実的になったタイミングで下されたことの意味を察していた。

 

 もう海上で敵艦隊の進撃を食い止めることは不可能と判断されたのだ。圧倒的な兵力の敵艦隊を艦隊と艦載機部隊で食い止めつつ、ゲイボルグⅡの超遠距離砲撃で数を減らしていくという作戦が、敵の航空部隊の猛攻や肉薄してきた敵艦隊の飽和攻撃によって台無しにされ、海戦での勝機がなくなった。勝敗を決する戦いは海戦ではなく陸での防衛戦になると判断されたのである。

 

 つまり、彼らはこの敗北が決まった海域に置き去りにされ、可能な限り的に損害を与えて防衛部隊を支援しろという事なのだ。吸血鬼たちの命令によって出撃させられた艦隊全てが、丸ごと捨て駒にされたのである。

 

 いくらハープーンミサイルとトマホークを満載し、近代化改修も受けた超弩級戦艦とはいえ、たった1隻で敵艦隊に損害を与えられないのは火を見るよりも明らかだ。ゲイボルグⅡを破壊して作戦を台無しにしたあの敵の超弩級戦艦を道連れにするのがせいぜいだろう。

 

「艦長。敵艦、前進してきます」

 

「ハープーン、第二射用意。砲撃戦も準備しておけ」

 

「はっ」

 

 吸血鬼たちに見捨てられたからと言って、彼らに反旗を翻すという選択肢はない。乗組員に命令を発した艦長は胸ポケットの中から一枚の写真を取り出すと、その白黒の写真に写っている1人の女性を見つめた。

 

 よく見るとその女性の長い髪の中からは人間とは思えない長い耳が突き出ているため、人間ではなくエルフだという事が分かる。服装は隣に立つ転生者の男性と比べるとややボロボロで、彼女の肌もやや汚れていた。

 

(待っててくれ、アリサ)

 

 彼女は今、サン・クヴァントにある収容所の中で、吸血鬼たちに身柄を拘束されながら、彼の帰りを待っている。彼女を開放するためにはこの戦いに勝利する必要があるのだが、肝心な吸血鬼たちに切り捨てられた以上、彼女と再会できる可能性は―――――――ないだろう。

 

 写真をすぐに内ポケットの中にしまった彼は、唇を噛みしめてからモニターを見つめた。

 

 モンタナから放たれた2発のハープーンが敵艦へと向かっていく。しかし早くも敵艦から放たれたミサイルに片方が撃破され、もう片方は辛うじて肉薄したものの、敵艦の機関砲によって撃墜されてしまっている。

 

「ダメです、第二射命中せず」

 

「くそ、強固だな」

 

 護衛の駆逐艦と巡洋艦を反転させた敵の超弩級戦艦に放ったミサイルは、全て迎撃されている。どうやらかなりの数の機関砲や迎撃用のミサイルが搭載されているらしい。

 

 敵の戦艦はソ連のソビエツキー・ソユーズ級かと思われたが、近代化改修を受けたとはいえ形状がやや違う。すぐにその発展型で、建造されることのなかった24号計画艦なのだと見抜いた彼はニヤリと笑った。

 

 彼の乗るモンタナ級も建造されることのなかった艦である。そして敵の24号計画艦も、同じく建造されることのなかった艦。しかも両者はソ連とアメリカが誇る超弩級戦艦だ。

 

(面白いじゃないか…………!)

 

 ミサイルでの攻撃が効果が薄い以上、このまま距離を詰めて砲撃戦を挑んだ方が確実に決着をつけられる。それに敵艦が40cm砲の砲塔を3つ装備しているのに対し、モンタナ級は4つだ。砲撃戦になれば主砲の数が多いモンタナの方が有利になる。

 

「よし、砲撃戦に切り替えるぞ。主砲発射用意」

 

「了解、主砲発射用意。目標、敵超弩級戦艦。距離、45000m!」

 

「――――――撃て(ファイア)!」

 

 もう既に、この海戦に勝ち目はない。そして収容所にいる恋人に再会できる可能性もない。

 

 最愛の恋人の顔を思い浮かべながら命令を下した艦長の目つきは、いつもよりも鋭くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵艦、発砲!」

 

 12時方向に姿を現したモンタナ級戦艦との距離は45000m。射程距離に入った瞬間に先制攻撃を仕掛けてきたのには驚いたが、まだ反撃はしない。少しでも命中率を上げるために最大戦速で突撃して距離を詰め、そこから何とか砲弾を叩き込むしかない。

 

 こっちは3連装40cm砲の砲塔が前部甲板に2基装備し、後部甲板に1基装備しているのに対し、モンタナ級は前部甲板と後部甲板に2基ずつ。だからこっちが一斉砲撃で9発の砲弾を叩き込んだとしても、向こうは3発多い12発の砲弾をこっちに叩き込めるのだ。だから砲撃戦では、向こうの方が有利となる。もし仮に同航戦を挑まれたら、こっちは合計4基の3連装40cm砲に袋叩きにされてしまう。

 

 同航戦とは、敵艦と同じ方向に並走しながら砲撃を行う戦い方の事だ。その艦が主砲を搭載している位置にもよるけれど、こうすることによって前部甲板の主砲だけでなく、後部甲板の主砲も攻撃できるようになるのだ。

 

 同航戦に持ち込まず、艦首を敵艦に向けた状態での撃ち合いならば条件は同じだ。どちらも使える主砲は2基になるから火力ではほぼ互角になるし、こっちには優秀な砲手が乗っているから命中精度ではこちらが上になる。

 

 だからこのまま艦首を敵艦に向けたまま、第一砲塔と第二砲塔のみでの砲撃戦になれば、主砲の数が少ないという不利な点で勝負しなくて済む。しかし敵は間違いなく、そういう戦いに付き合ってはくれないだろう。

 

「艦長! 敵艦、右に回頭します!」

 

「やはりか…………!」

 

 モンタナ級が、右方向へと進路を変えた。前部甲板の主砲だけでなく、後部甲板の主砲まで投入してこちらを袋叩きにするつもりだ。条件が同じになるような戦い方ではなく、少しでも優位に立つための戦い方を選んだのである。

 

 どうやら敵の艦長はかなり堅実な戦法を好むらしい。

 

『艦長さん、砲撃はまだかしら?』

 

「もう少し待ってください」

 

 まだ遠い。いくらカレンさんでも、敵艦に砲弾を叩き込むのはまだ無理だ。

 

 もう少し距離を詰めて、命中率を上げる必要がある。

 

「敵艦との距離、44000m!」

 

 乗組員が報告した次の瞬間だった。

 

 まるで船体に巨大なハンマーが激突したかのような凄まじい衝撃が、立て続けにジャック・ド・モレーに牙を剥いたのである。艦内のあらゆる備品が揺れ、CICの床が微かに傾く。まさか被弾したのかと思ったけれど、すぐに傾斜は元通りになる。

 

 超弩級戦艦の戦隊すら揺るがすほどの凄まじい衝撃だ。そんな主砲を叩き込まれれば、どんな戦艦でもたちまち致命傷になる。

 

「損傷は!?」

 

「なし! でも至近弾です!」

 

 幸い、今の砲撃は命中していない。しかしかなり近くに着弾したらしく、CICの天井の方からは甲板に海水が叩きつけられるような水の音が何度も聞こえてくる。

 

「距離、43600m!」

 

「主砲、砲撃用意! 目標、モンタナ級戦艦!」

 

『了解、砲撃用意。目標、モンタナ級戦艦』

 

 やや距離が遠いが、いきなり至近距離に砲弾を叩き込まれた以上、このまま黙って直進しているわけにはいかない。今の敵艦はこっちにすべての主砲を向け、立て続けに40cm砲をぶっ放しているのである。

 

 続けて、また激しい振動がジャック・ド・モレーの船体を揺るがす。再び天井から海水が叩きつけられる音がして、CICの床が微かに揺らぐ。

 

「警報鳴らせ! 甲板に乗組員はいないな!?」

 

「退避完了! いつでも行けます!」

 

「よし、撃ちーかたー始めッ!!」

 

『撃ちーかたー始めッ!』

 

 今度は、先ほどとは違う振動が船体を揺るがした。至近距離に砲弾が着弾した振動ではなく、上を向いた砲身が発する猛烈な衝撃波と反動で、船体が下へと押し付けられるような衝撃だ。

 

 ついに、ジャック・ド・モレーの主砲が火を噴いたのだ。

 

 巨大な船体の前部甲板に鎮座する巨大な砲塔から放たれた合計6発の40cm徹甲弾が、敵艦の砲弾が着弾したことによって吹き上がる水柱を突き破って飛翔していく。

 

 俺は命中してくれと祈りながら、モニターに映るモンタナ級を睨みつけていた。

 

 

 

 



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ジャック・ド・モレーVSモンタナ

 

 

 モンタナの巨体が、この海戦で初めて揺れた。

 

 もしかしたら被弾したのではないかと思ってしまうほどの凄まじい衝撃の中で、敵艦の反応を睨みつける。敵艦との距離は436000m。まだ主砲の命中が期待できるような距離ではない。こちらがすべての主砲を使っているのに対し、向こうは前部甲板の主砲のみ。一度の砲撃で飛来する砲弾は多くても6発だ。

 

 それに対し、敵艦へとすべての主砲を向けているこちらが一度に発射できる徹甲弾の数は12発。敵艦の放つ砲弾の倍である。主砲の口径はそれほど変わらないが、砲弾の数を考えれば、現時点ではこちらの方が上だ。もし仮に敵艦が同航戦を挑んできても、4基の主砲で敵艦を十分に粉砕できる。

 

 敵艦の狙いは、距離を詰めて命中率を上げることだろう。そしてこちらが砲弾を叩き込むよりも先に砲弾を命中させて致命傷を与え、そのまま押し切るつもりに違いない。自分たちよりも主砲の数が多い超弩級戦艦に、砲手の技術と火力の差で勝負が決まる同航戦を挑むのは愚の骨頂だ。敵の艦長はそれを知っているからこそ、こうやって真正面から最大戦速で突っ込んできているに違いない。

 

 とはいえ、敵艦はもうゲイボルグⅡの破壊のためにミサイルを使い果たしている。こちらはまだ温存してるが、敵艦が大量の迎撃用のミサイルや機関砲を搭載している以上、効果は薄いだろう。先ほどはハープーンで攻撃を試みたが、発射したハープーンは全て撃墜されてしまっている。だからこそこちらも砲撃戦で応戦することにしたのだが、奴らの思惑通りに接近を許すつもりもない。

 

 接近される前に砲弾を叩き込んで潰す。仮に接近されたのならば、同航戦に持ち込んで攻め落とすまでだ。主砲の数は、こちらの方が上なのだから。

 

「うわっ! し、至近弾です!」

 

「今の距離は?」

 

「距離、42200m!」

 

「ほう…………」

 

 まだ、砲弾の命中が期待できる距離ではないにも関わらず、艦のすぐ近くに砲弾を着弾させられる技術を持つ砲手が敵艦に乗っているという事か。

 

 このような砲撃は、ミサイルによる遠距離攻撃と比べるとあまりにも不正確すぎる。砲弾はミサイルのように”賢くない”ため、それを放つ砲手がしっかりと狙いを定めて放たなければならないのだ。しかも今の距離は主砲のほぼ最大射程距離。もう少し近づかなければ、砲弾が命中する確率は低いままである。

 

 立て続けに、モンタナの巨躯が揺れる。CICの天井から水飛沫が落下するような音が聞こえ、傾斜がすぐに元通りになっていく。

 

「敵の砲手、腕がいいですね」

 

「ああ。距離を詰められたら百発百中になりかねんぞ」

 

 いくら戦艦の装甲が厚いとはいえ、立て続けに砲弾を叩き込まれれば大損害を受ける。しかも敵艦の主砲の口径は、こちらとほぼ同じ。このモンタナよりも主砲の数が1基少ないとはいえ、侮れない攻撃力を持つ敵なのだ。被弾する前に倒してしまうのが理想的だが、こちらの砲撃は先ほどから命中する様子はない。至近距離に着弾させているようだが、すぐに修正して砲撃しても、全速力で突進してくる敵艦には命中しない。

 

 その時だった。再び、モンタナの船体が揺れたのだ。

 

 しかも今度は1度だけではない。傾斜が元通りになっていくと思いきや、再びモンタナの船体が揺れ、今度は反対側に傾斜してしまう。どうやら被弾したわけではないようだが、その大きな揺れが至近弾を意味していることに気付いた俺は、敵の命中精度が劇的に上がっていることに驚いた。

 

 このまま距離を詰められれば、本当に百発百中になる。こっちが砲撃を外して修正している間に、敵艦は徹甲弾でこちらに致命傷を与え続けて撃沈してしまう事だろう。

 

「艦長、至近弾です! ――――――うわ、まただ! 右舷に至近弾!」

 

「くっ…………最大戦速!」

 

 被弾するのを覚悟して、このまま同航戦に持ち込むべきだろうか。このまま距離を維持しようとしていれば、いずれはこっちが先に徹甲弾の直撃を喰らいかねない…………!

 

 唇を噛みしめながら敵艦の反応を睨みつけていた、その時だった。

 

 モンタナを包み込む分厚い装甲の外側から―――――――ぎぎっ、と何かが表面を掠め、表面を削ったような音が聞こえてきたのである。微かに船体が揺れ、その不吉な音が艦内で反響を繰り返す。

 

 その音を聞き、それが何を意味するのかを悟った瞬間、俺はぞくりとした。

 

「今の音は…………」

 

『こちら艦橋! 今しがた敵の砲弾が、右舷の後部甲板の縁を削っていきやがった!』

 

「なっ!?」

 

 敵の砲弾が掠めただと!?

 

 この距離で!?

 

「艦長…………!」

 

「――――――面白い」

 

 敵艦との距離は41000m。普通ならばこの距離で至近距離に着弾させたり、甲板の縁を削るような砲撃が飛来するのは殆どあり得ない。しかし敵の砲手は平然とそんな砲撃を繰り返している。このままではいずれ、敵の徹甲弾がこのモンタナに大穴を開けることになるだろう。いくら超弩級戦艦とはいえ、同じ超弩級戦艦の砲撃を立て続けに食らえば爆沈する羽目になる。

 

 これ以上距離を保とうとするのは愚策だ。敵に狙いを修正させ、命中精度を上げるチャンスを与えているようなものである。ならばこちらもあえて敵と同じように距離を詰め、至近距離で撃ち合った方がいい。どちらにしろ損害は受けることになるが、敵に損害を与えずに逃げ回り、そのまま撃沈されるという無様な最期を迎えるよりははるかにマシだ。

 

 敵の勝負に付き合うことにした俺は、「こっちも距離を詰めるぞ。取り舵一杯」と部下に命令すると、歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第二砲塔の砲撃が掠りました!」

 

「すげえ…………!」

 

 さすがにカレンさんでも命中させるのは難しいかもしれないと思っていたのだが、最大戦速で航行中の砲撃で、何とカレンさんが放った徹甲弾は41000mも先を航行する敵のモンタナ級の右舷を掠めたのである。

 

 やけに至近弾の数が増えてきたと思っていた俺は、カレンさんの技術が予想以上に高かったことに驚愕していた。21年前のナバウレア侵攻作戦では一撃でゲイボルグの柱を撃ち抜いて倒壊させ、転生者の指揮する戦車部隊との戦いでは1発の砲弾で2両の戦車を撃破する戦果をあげたカレンさんの砲撃は、かなり頼もしい。この調子ならば敵艦よりも先に、こっちが砲弾を命中させられるのではないだろうか。

 

 さすがに砲弾が掠めたことに危機感を感じ始めたらしく、モニターに映る敵艦の反応が進路を変えた。こちらへと艦首を向けたかと思うと、そのまま速度を上げてこちらへと突っ込んでくる。どうやらあのまま距離を保って砲撃を続けていれば、いずれはカレンさんの砲撃の餌食になると感じたのだろう。いくら超弩級戦艦の装甲が厚いとはいえ、自分とほぼ同じ光景の主砲から放たれる徹甲弾を喰らうわけにはいかない。

 

 主砲の数が多いというアドバンテージを、カレンさんの砲撃の技術が脅かしつつある証拠だった。

 

「敵艦、進路を変えました。こちらへと距離を詰めてきます」

 

「よし、好都合だ。このまま突進しつつ砲撃しろ。距離を詰めれば命中率も上がる」

 

 距離を詰めても撃沈できなければ、後は同航戦で撃ち合うべきだろうか。そうなればこっちの主砲は3基しかないため不利になるが、カレンさんの砲撃で致命傷を与えられれば問題はない筈だ。

 

 距離を詰めつつ砲撃し、ある程度接近したら同航戦に切り替える。主砲の数は敵の方が上なのだから、敵は絶対にこの自分たちに有利な勝負に乗ってくるに違いない。

 

『こちら第二砲塔。艦長さん、聞こえるかしら?』

 

「はい、カレンさん」

 

 遠距離から敵艦の甲板に砲撃で傷をつけた最強の砲手が、無線機の向こうから聞こえてくる。敵艦の砲撃が降り注ぐ音を聞く度に乗組員たちはヒヤヒヤしているというのに、船体のすぐ近くで水柱が上がる音をものともせず、まるでアフタヌーンティーを楽しんでいるかのように落ち着いているカレンさんの声は、他の乗組員たちと比べると異質だった。

 

 下手をすれば徹甲弾が装甲を貫き、艦内にいる自分の身体をズタズタにする可能性があるというのに、彼女の声はかなり落ち着いていた。やはり何度も実戦を経験し、死闘を生き延びればあのように余裕ができるものなのだろうか。

 

 きっと、過去に経験した死闘と比べれば、カレンさんにとってこの程度の戦いは”死闘”ですらないのだろう。

 

『ちょっとレーダー観測無しで砲撃してみてもいいかしら?』

 

「えっ?」

 

 何だって?

 

「れ、レーダーは使わないんですか?」

 

『ちょっと試しに使わないで撃ってみるだけよ。ダメかしら?』

 

「ま、待ってください。いくらなんでも、レーダーの観測結果無しで砲撃するなんて………………」

 

 先ほどまでの砲撃は、レーダーで観測した敵との距離を砲手へと伝達し、それを参考に照準を合わせて砲撃してもらっていた。しかしカレンさんはレーダーの観測結果を頼りにせず、これから自分で敵艦との距離を測定して砲撃しようとしているのである。

 

 一応、砲塔には『測距儀(そっきょぎ)』と呼ばれる距離を測定するための装備が搭載されているが、レーダーの観測と比べると精度では劣ってしまう。いくらカレンさんでも、レーダーに頼らずに自分で観測して砲撃し、敵艦に命中させるのは難しいだろう。間違いなく命中精度は劇的に落ちる。

 

「カレンさん、それは流石に無茶かと…………」

 

 俺の隣でサポートしてくれていたナタリアも、レーダーの観測結果を頼らずに砲撃しようとするカレンさんを止めようとする。確かに彼女は選抜射手(マークスマン)や砲手を担当し、モリガンのメンバーの1人として大きな戦果をあげた最強クラスの傭兵だ。カノンにあらゆる技術を叩き込んだ”教官”でもある。

 

 でも、いくら熟練の砲手とはいえ、レーダーの観測結果を頼らずに砲撃するのは無茶だ。なかなか命中させられない状況だからこそジャック・ド・モレーは最大戦速で敵艦へと急接近し、少しでも命中しやすい状況にしようとしているのだから、もう少し待ってもらいたい。それに敵艦の甲板の縁を掠めたのだから、もう少し辛抱してもらえれば今度こそは命中する筈である。

 

 俺も彼女を説得しようとしていると、今度は無線機の向こうからカノンの声が聞こえてきた。

 

『お兄様。申し訳ありませんが、少しだけお母様を信じてくださいな』

 

「カノン…………」

 

『お母様なら、きっと敵艦に砲弾を叩き込んでくれますわ』

 

 普通に考えるならば、レーダーの観測結果を頼らずに砲撃するのは無茶だ。レーダーに被弾して観測できなくなった場合のために測距儀を搭載しているが、あくまでもそれの出番は非常時のみ。常にそれを使って砲撃するのは想定していない。

 

 だが―――――――レリエル・クロフォードを撃退し、最古の竜ガルゴニスを撃破して仲間にするという考えられない戦果をあげた最強の傭兵の1人ならば、もしかしたら本当に命中させるかもしれない。合理的な作戦とは言い難いけれど、状況を変えるためにまずこっちの戦い方を変えてみるのも悪くない。

 

 ちらりと隣に立つラウラを見てみると、彼女は「カレンさんに任せよう」と言わんばかりに頷いた。ナタリアの方も見てみると、彼女は不安そうな顔をしながらこちらを見ている。

 

 あまり賭けは好きじゃないが―――――――賭けてみるか。

 

 モリガンの傭兵の誇る、熟練の技術に。

 

「――――――分かりました。カレンさん、頼みます」

 

『了解(ヤヴォール)。カノン、装填は?』

 

『ばっちりですわ、お母様!』

 

『目標との距離…………39000m。12時の方向』

 

 息を呑みながら、俺たちはドルレアン親子の声を聴いていた。2人があの巨大な砲塔の中で砲撃の準備を進める間に、敵艦から放たれた徹甲弾が次々とジャック・ド・モレーの周囲に着弾し、巨大な水柱を噴き上げている。海水の雨が甲板の上に並ぶキャニスターや迎撃用の機関砲の砲身に降り注ぎ、ずぶ濡れにしていく。

 

 至近弾も増えているらしく、艦が揺れる度にヒヤリとしてしまう。しかし未だに被弾はしていない。

 

 頼む、当ててくれ…………!

 

『砲撃準備よし!』

 

『発射(ファイア)ッ!』

 

 その直後、ステラとイリナの2人が砲撃を行っている第一砲塔の後ろに鎮座する第二砲塔が―――――――火を噴いた。

 

 3つの巨大な砲身から放たれた徹甲弾の反動と衝撃波が、ジャック・ド・モレーの巨体を揺らす。CICの中にまで入り込んでくる轟音を聴きながら息を呑み、敵艦の反応を睨みつける。

 

 アメリカとソ連が誇る2隻の超弩級戦艦は、距離を詰めるために目の前の敵艦に向かって互いに全力疾走の真っ只中だ。どちらも前部甲板の主砲で片っ端から砲撃を繰り返しているが、未だに命中した砲弾はない。こちらも敵艦に与えた損害は、カレンさんが主砲の射程距離ギリギリから放った徹甲弾で甲板の縁を軽く削った程度である。もちろん、甲板を削った程度では致命傷にはならないし、敵艦の動きを封じることもできない。

 

 ドン、とまたしても水柱が出現する大きな音が聞こえた。また至近弾だ。距離が近くなっているせいなのか、至近弾が増えつつある。どちらかの艦が被弾するのは時間の問題だ。

 

『5、4、3、2、1…………』

 

 当たるか…………?

 

 この砲撃で撃沈できるような相手ではない。仮に3発の徹甲弾が全て命中したとしても、アメリカの誇る超弩級戦艦はかなり堅牢だ。だからこの砲撃が当たったとしても、モニターに映る敵艦の反応が消えるわけではない。

 

 なのに俺は、モリガンの傭兵の中で最も砲撃が得意だったカレンさんならば、きっと命中させてくれるはずだといつの間にか期待しながらモニターを見つめていた。

 

 頼む、当たれ…………!

 

『弾着、今!』

 

 カノンの報告が聞こえた直後、俺は無線機を手に取っていた。

 

「艦橋、どうだ!? ウラル、何か見えるか!?」

 

『――――――嘘だろ…………!?』

 

「どうした!?」

 

 今のところ、敵艦の反応はまだ残っている。やはり撃沈することはできなかったようだが、少なくとも命中してくれれば敵の戦闘力を削ぐことができる筈だ。

 

 期待しながらウラルの返事を待っていると―――――――まるで興奮しているかのようなウラルの野太い声が、スピーカーから聞こえてきた。

 

『おい、凄いぞ! 敵艦から火柱が上がってる!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間に感じた衝撃は、先ほどまでモンタナの巨躯を揺らしていた至近弾の衝撃よりもはるかに大きかった。モンタナの突き進む海面が揺れたのではなく、この艦そのものが大きく揺れたのだと理解した俺は、乗組員が報告するよりも先に敵艦の徹甲弾がついに命中してしまったという事を悟っていた。

 

 今の距離は39000m。こちらにも優秀な砲手が乗っているし、どちらも至近弾が増え始めていたため、そろそろどちらかの艦が徹甲弾を叩き込まれるのではないかと思っていた。今しがた放たれた砲撃が命中するようにと祈っていたのだが、先に被弾する羽目になったのはこっちだった。

 

「被害は!?」

 

「第三砲塔に2発被弾! 浸水や火災はありませんが、第三砲塔が大破しました! 砲撃不能! 砲手たちからの応答もありません!」

 

「弾薬庫への影響は!?」

 

「ありません!」

 

 弾薬庫の中で眠る砲弾が炸裂し、それで木っ端微塵になるのは避けられたようだ。しかし――――――第三砲塔が敵の徹甲弾を2発も叩き込まれて大破し、砲撃不能になったという報告を聞いた乗組員たちの顔色が、すぐに青くなっていく。

 

 先に被弾してしまったという危機感も感じている事だろう。しかし、深刻なのは砲撃可能な砲塔が1つ減らされてしまったため、敵艦と砲撃可能な主砲の数が同じになってしまったという事だ。敵艦が3連装40cm砲の砲塔を3基装備しているのに対し、こちらは4基。だから接近してからの同航戦では、敵よりも1基多いという利点を生かして打ちのめしてやる筈だった。

 

 しかし、肝心な同航戦に突入するよりも先に、そのアドバンテージを削がれてしまったのである。

 

 きっと第三砲塔は無残な姿になっている事だろう。徹甲弾に貫通され、ひしゃげた装甲板とへし折れた砲身をあらわにする第三砲塔の姿を思い浮かべたその時、艦橋に配備されていた乗組員の1人が叫んだ。

 

『敵艦の左舷に命中! 対艦ミサイルのキャニスターを吹っ飛ばした模様!』

 

 先に敵艦の砲撃を喰らったせいで顔を青くする乗組員が続出していたCICの中で歓声が上がる。やっとこちらの砲撃も敵艦に命中し、損害を与えたのだ。

 

 だが、命中したのは対艦ミサイルのキャニスター。敵は対艦ミサイルを全てゲイボルグⅡの破壊のためにつぎ込んだため、あのキャニスターの中は空っぽになっている筈だ。せめてミサイルが残っていれば誘爆させてさらに大損害を与えられたのだが、少なくともキャニスターを貫通してある程度は損害を与えてくれたはずだ。

 

「よし、そのまま撃ち続けろ!」

 

 まだまだこれからだ…………!

 

 拳を握り締めながら、俺は接近してくる敵艦の反応を睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「左舷、4番キャニスターに被弾!」

 

「火災は!?」

 

「ありません!」

 

 レーダーの観測結果ではなく、測距儀を使ったカレンさんの砲撃が命中したことに驚いていたさなかに、敵艦もついにジャック・ド・モレーに傷をつけた。敵艦から飛来した1発の徹甲弾が、ジャック・ド・モレーの左舷にずらりと並ぶ対艦ミサイル用のキャニスターのうちの1つを抉り取ったのである。

 

 幸い、中にミサイルは残っていなかったため、対艦ミサイルの誘爆で大損害を受けることはなかった。それに再装填用のミサイルも残っていないのだから、今のキャニスターたちは無用の長物である。

 

「敵の砲手も優秀ね…………!」

 

 隣にいるラウラが、敵艦の反応を睨みつけながらそう言った。いつもの幼い口調ではなく、戦闘中の大人びた口調で話しているという事は、彼女も危機感を感じているのだろう。今までのように敵を圧倒する戦いではなく、これは間違いなく接戦になる。艦の戦闘力は同等だし、乗組員の錬度もおそらく同等だ。俺たちが戦っているあのモンタナ級はかなり手強い。

 

 さすがアメリカの戦艦だな…………!

 

 だが、先ほどのカレンさんの砲撃で敵は第三砲塔から火柱を噴き上げていたという。少なくとも、敵の砲塔の1つは使用不能になっている筈だ。

 

 これで同航戦になった場合の火力は互角だ。どちらも被弾しているが、その被弾で被った損害は間違いなく向こうの方が上である。

 

 またしても至近弾が海面に命中し、衝撃でCICが揺れる。また被弾するんじゃないかと思ったが、今度は全て外れたようだ。

 

 面白くなってきたじゃないか。

 

 ドン、という轟音がCICの外から聞こえる。海面に命中した砲弾に吹っ飛ばされた海水が、まるで絨毯爆撃のようにジャック・ド・モレーの甲板へと降り注ぐ。

 

 おそらく勝負がつくのは、ある程度接近してからの同航戦だ。そこで命中する砲弾や被弾する回数が劇的に増え、間違いなくどちらかが沈む。だからまだこの砲撃戦では、勝負はつかない。

 

 生れ落ちることのなかった戦艦同士の一騎討ちは、徐々に激化し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 イリナに砲手をさせるとこうなる

 

ステラ「砲撃準備完了」

 

イリナ「発射(アゴーニ)ッ!」

 

ドンッ!

 

イリナ「!?」

 

ステラ「…………どうしたのですか?」

 

イリナ「す、すごい…………こっ、こんな爆音、今まで感じたことないよ! ねえ、早く装填して!」

 

ステラ「は、はい」

 

乗組員「艦長、第一砲塔の連射速度が上がってます」

 

タクヤ「何で!?」

 

 完

 

 



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同航戦

 

「敵艦との距離、30000m!」

 

 そろそろ、進路を変えるべきだろうか。左に進路を変えれば、きっと敵艦もそれに合わせて右へと進路を変えて並走を始めるだろう。そうすればアメリカとソ連の超弩級戦艦同士で、同航戦が始まる。

 

 砲撃しながら突進を続ける戦艦ジャック・ド・モレーとモンタナの距離は、砲撃を開始した距離から劇的に縮まっていた。互いに砲撃を命中させてからは命中させていないが、こちらはカレンさんの砲撃のおかげで敵の主砲を1基潰すという戦果をあげている。同航戦になれば敵艦は間違いなく4基の主砲で一斉砲撃してくるため、そのうちの1基を同航戦の前に潰すことができたおかげで、少なくとも攻撃力は互角になっている。

 

 それに対し、こちらの損害は空になったミサイルのキャニスターが1基吹っ飛ばされ、甲板をほんの少し抉られたのみ。火災も起きていないし、浸水もない。航行には全く支障がないが、カレンさんが命中させた距離とほぼ同じ距離で敵も命中させてきたという事は、敵にも腕の良い砲手が乗っているという事だ。

 

 火力が同等となった以上、勝敗を決めるのは―――――――砲手の技術。

 

「よし、これより本艦は敵艦との同航戦に突入する。取り舵一杯!」

 

『了解(ダー)、とーりかーじいっぱーい!!』

 

 艦橋にいる乗組員が復唱し、舵輪を必死に左側へと回し始める。

 

 敵艦も同じように右へと方向を変えてくれれば、同航戦が始まる。もし俺たちが進路を変えたのを無視して直進してくるならば3基の主砲でひたすら集中砲火してやるまでだが、敵の艦長はきっとこの勝負に乗る筈だ。こちらに艦首を向けた状態では前部甲板の主砲しか使えないのに対し、こちらは前部甲板の2基と後部甲板の1基も使用することができるのである。

 

 ジャック・ド・モレーの進路が変わりつつあるタイミングで、敵艦の反応も進路が変わった。

 

「艦長、敵艦も進路を変えました」

 

「よし、乗ってくれたか」

 

 進路を変えつつある敵艦の反応を睨みつけながら、俺は頷いた。

 

「全砲塔、砲撃用意! 目標、3時方向! 距離、30000m! 攻撃目標はモンタナ級だ! 容赦なく撃ちまくれ!」

 

『『『УРаааааааааа!!』』』

 

 1発命中させても沈まないほど頑丈な相手だ。建造されることがなかったとはいえ、モンタナ級にとっては先輩になる他のアメリカ軍の戦艦の性能を考慮すると、速度が低くなった代わりに火力と装甲の厚さに特化したモンタナ級がどれだけ頑丈な戦艦なのかは想像に難くない。

 

 だが、頑丈なのはこっちも同じだ。徹甲弾が1発命中した程度では沈まないし、こっちには最強の砲手も乗っているのだから。

 

 瞬時に敵との距離を測定してくれるレーダーの観測を無視し、測距儀を使うという古めかしい方法で敵艦へと徹甲弾を2発も叩き込み、主砲の1基を大破させるほどの技術を持つ砲手なのだから、俺たちが負けるのはありえない。

 

 ドン、とまたしても敵の砲弾がジャック・ド・モレーの至近距離に落下する。何度も聞いた音をまた聞かされながら、俺は敵の反応を見つめ続けた。

 

 やっとモンタナ級も進路を変え、こちらと航行速度を合わせ始める。

 

『こちら艦橋! 敵艦も主砲を全部こっちへと向けてきた!』

 

「了解。さあ、そろそろ始めようか!」

 

 同航戦の始まりだ…………!

 

「――――――撃ち方始め!」

 

「了解(ダー)! 撃ちーかたー始めッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 距離を30000mまで詰めたジャック・ド・モレーとモンタナの砲塔が、一斉に火を噴いた。

 

 どちらも徹甲弾の直撃によって損害を出しているものの、被弾した影響はモンタナの方がやや深刻であった。ジャック・ド・モレーの第二砲塔で砲手を担当するカレンの砲撃によって第三砲塔を大破させられたモンタナは、使用可能な主砲を4基から3基に減らされて同航戦へと突入する羽目になったのである。

 

 それに対し、ジャック・ド・モレーが被弾したのは、もう既に役目を終えた対艦ミサイル用のキャニスター。それを貫通した砲弾によって甲板をほんの少し抉られたとはいえ、それほど大きな損害ではない。

 

 だが、その両者の損害によってジャック・ド・モレーとモンタナの同航戦の条件は互角となっていた。

 

 2隻の超弩級戦艦の周囲に、立て続けに水柱が姿を現す。敵艦の装甲を貫いて撃沈するための徹甲弾が、装甲ではなく波打つ海面に牙を突き立てていく。

 

 この1対1の同航戦は、どちらかが徹甲弾の集中砲火で撃沈され、海の藻屑になるまで終わらない。

 

 火を噴いた主砲にすぐに次の徹甲弾が装填され、立て続けに火を噴き続ける。その度に水柱が海面にいくつも姿を現し、敵艦を包み込んでいく。

 

 早くも膠着状態になると思いきや、早くも砲弾が命中する前兆は始まっていた。

 

 ジャック・ド・モレーが放つ砲弾によって生成される海水の柱とモンタナの距離が、徐々に縮まっているのである。最初はモンタナの甲板を海水で濡らすだけだった水柱が徐々に近づいていくという事は、照準の精度が徐々に上がりつつあるという事を示していた。

 

 ミサイルのように敵艦へと正確に突っ込んでくれる”賢い兵器”ではない以上、砲手を担当する乗組員の技術が重要になる。ジャック・ド・モレーの第二砲塔で砲撃を繰り返す乗組員は、あらゆる兵器で砲撃を繰り返してきた”最強の砲手”だ。

 

 そして、4射目の砲撃が火を噴いた瞬間――――――モンタナの周囲に屹立していた海水の柱が、火柱に変わった。

 

 ずらりと並ぶ砲身から放たれた徹甲弾のうちの1発が、潮の香りを容赦なく引き裂きながら落下を始め、海面ではなくモンタナの後部甲板へとついに落下したのである。モンタナの左舷を睨みつけていた第4砲塔の後方へと落下した徹甲弾は、猛烈な運動エネルギーを纏ったまま後部甲板の装甲を貫き、通路の天井を貫いて乗組員を瞬く間に肉片にしてしまう。

 

 火柱が生んだ熱風と衝撃波が、第四砲塔の表面を撫でる。激震でモンタナの巨体が揺れ、艦内の乗組員たちに被弾したことを告げた。

 

 艦内で火災を鎮火するために乗組員たちが慌ただしく走る間に、モンタナは砲撃を続けた。幸い弾薬庫への影響はなかったため、砲弾の損失はなく、直撃によって貴重な主砲の砲弾が大爆発を起こすこともなかった。

 

 同航戦に突入してから先に直撃させられたことで、砲手やCICで指揮を執る艦長たちも危機感を感じたらしく、モンタナの砲撃が激しさを増す。発砲の際に生じる猛烈な衝撃波が海面を微かに抉り取り、爆風の残滓を纏いながら砲弾が放たれていく。

 

 そして今度は――――――ジャック・ド・モレーが損害を受ける番だった。

 

 モンタナの熾烈な反撃のうちの1発が、ジャック・ド・モレーの右舷でずらりと並んでいた迎撃用のグブカに搭載されていたランチャーを抉り、甲板へと直撃したのである。甲板に穴が開いた挙句、ランチャーの中に残っていたミサイルの爆風で更に傷口を広げる羽目になったジャック・ド・モレーの船体から黒煙が上がる。

 

 艦内へと突き立てられた砲弾は通路を慌ただしく走っていた乗組員を押しつぶしながら進撃し、傷口を抉る。

 

 しかし、ジャック・ド・モレーの砲撃も止まらない。

 

 先ほどよりも距離が近いため、比較的命中率は高くなっている。更に敵艦は自分たちから見て並走している状態。そのような条件で、遠距離から敵艦の第三砲塔に砲弾を直撃させたカレンが命中させられないわけがない。

 

 カレンの乗る第二砲塔から放たれた3発の徹甲弾が、牙を剥いた。

 

 そのうちの1発はモンタナの煙突の先を掠めて軽く甲板の縁を抉り、そのまま反対側の海面へと落下する羽目になったが、残った2発の徹甲弾はモンタナの左舷へと食い込み、ずらりと並んでいた速射砲やCIWSを食い破ると、左舷を瞬く間に火の海にしてしまう。

 

 更にイリナとステラが砲手を担当する第一砲塔の砲弾が、角度の調整中だったモンタナの第一砲塔から伸びる砲身の1つへと着弾し、太い砲身を真上から叩き折る。更にそのまま砲塔の根元へと突き刺さった徹甲弾は、第一砲塔の軸に損傷を与え、モンタナの第一砲塔を無力化してしまった。砲撃ができないわけではないが、修理しない限り二度と左右に旋回させて角度を調整することができなくなってしまったのである。

 

 さらに、カレンの放った徹甲弾がまたしても火の海と化していた左舷を抉る。まだハープーンが残っていたキャニスターも誘爆し、モンタナの右舷は地獄と化した。

 

 火達磨になった乗組員が艦内で転げまわり、慌てて駆け付けた乗組員たちが消火する前に爆風で吹っ飛ばされ、バラバラになっていく。

 

 先に傾斜を始めたのは、モンタナだった。

 

 だが、装甲の厚さと火力に特化したモンタナは、簡単には沈まない。

 

 敵艦に立て続けに徹甲弾が命中している事で油断していたジャック・ド・モレーを、モンタナから放たれた徹甲弾の群れが襲う。最初の1発は艦首を掠めて海面に落下することになったが、同時に放たれた残りの2発がジャック・ド・モレーの前部甲板を貫いた。第一砲塔の左側に着弾した2発の徹甲弾によって大穴をあけられたジャック・ド・モレーが熱風に包まれ、甲板に大穴が開く。

 

 さらに、まだ健在だったモンタナの第三砲塔から放たれた徹甲弾が、ジャック・ド・モレーに深刻な損傷を与えることになる。

 

 落下してきた1発の徹甲弾が、ジャック・ド・モレーの第三砲塔の砲身をへし折り、そのまま甲板を貫通して第三砲塔の軸をへし折ったのだ。モンタナの第一砲塔と同じ状態に陥った第三砲塔に、更に2発の徹甲弾が追い討ちをかける。

 

 立て続けに2発の砲弾が第三砲塔に命中し、装甲が抉り取られる。あっという間に砲塔で作業していた砲手を木っ端微塵に引き千切った2発の砲弾は、何と装填が完了した状態の砲弾へと激突したのだ。

 

 第三砲塔で大爆発が発生し、ジャック・ド・モレーの巨躯が揺れる。後部甲板が瞬く間に火の海となり、乗組員たちが大慌てで消火へと向かう。下手をすればそのまま弾薬庫で爆発が発生する恐れがある上に、機関部が損傷すれば航行速度にも影響が出てしまう。

 

 立て続けに、モンタナの砲弾がジャック・ド・モレーの右舷に並ぶキャニスターを食い破る。浸水は発生していないものの、何度も被弾したせいで火災が発生している状態であった。特に第三砲塔が吹っ飛ばされた影響で後部の火災は深刻となっており、やむを得ず後部の弾薬庫に海水を注入する羽目になった。

 

 注水すれば艦の重量が増すため、速度が落ちてしまう。最大戦速の32ノットから28ノットまで速度を落としたジャック・ド・モレーはまだ砲撃を続けるが、速度が落ちたのを機関部に影響が出たと判断したモンタナは、そのまま押し切るために攻撃をより激化させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第三砲塔、何があった!? おい、聞こえるか!?」

 

『後部の火災が深刻です! 消火しきれません!』

 

『こちら機関室! こっちはまだ大丈夫だ!』

 

『艦首でも火災! おい、こっちにも人員を回してくれ!』

 

 先ほどから、何度もジャック・ド・モレーの船体が揺れている。その度にCICの外から爆音が聞こえてきて、乗組員たちの報告や絶叫が無線機の向こうから聞こえてくる。

 

 どうやら第三砲塔が大爆発を起こして吹っ飛んだらしい。その瞬間の衝撃は、もしかしたらジャック・ド・モレーの船体が真っ二つになって沈むのではないかと思えるほどの凄まじい衝撃だった。辛うじてまだこの戦艦は戦闘を継続しているが、このまま直撃弾を喰らい続けていれば、本当に船体が真っ二つになって轟沈する羽目になる。

 

 今のところ、敵艦は第二砲塔と第四砲塔が健在。第一砲塔はこっちの砲撃で軸と砲身をやられたらしく、実質的に使用不能となっている。それに対しこちらの被害は、第三砲塔の大爆発によって火災が発生しており、乗組員たちでは対応しきれないほど激しいという。幸い浸水は発生していないものの、この火災で弾薬庫が大爆発するのを防ぐため、後部にある弾薬庫へと海水を注入する羽目になった。そのせいで速度は落ちてしまっている。

 

 速度が落ちるという事は、敵からすれば砲撃を当てやすくなるという事だ。先ほどから敵の攻撃が激化しているが、おそらく敵はこっちがあの大爆発で機関部を損傷したと勘違いしているのだろう。

 

 歯を食いしばりながらモニターを睨みつけていると、俺の隣に立っていたラウラが踵を返した。

 

「ラウラ、どうした?」

 

「火災を鎮火してくる。私の氷なら、きっと食い止められるわ」

 

 彼女は母であるエリスさんから、膨大な量の魔力と氷を操る能力を受け継いでいる。並みの魔術師ならばこの火災は手に負えないが、ラトーニウス王国最強の騎士と言われ、”絶対零度”の異名も持っているエリスさんからその才能を受け継いだラウラならば、きっと鎮火してきてくれるに違いない。

 

 CICを去ろうとする彼女に「頼む」と言った俺は、頷いてCICを後にした彼女を見送ってから、再びモニターを睨みつけた。

 

 現時点で使用できる手法の数は、どちらも同じだ。しかしこちらは弾薬庫に注水して速度が落ちているため、どちらかと言えばこちらの方が被害が大きい。

 

 ステラやカレンさんたちは奮戦しているけれど、このままでは速度が落ちたジャック・ド・モレーが先に撃沈される可能性が大きい。何とか敵艦に砲撃を命中させられれば逆転できる筈だが、砲弾が命中したという報告はまだない。

 

 くそ、どうすればいい…………!?

 

 唇を噛みしめながら、拳を握り締めたその時だった。

 

『こちら艦橋! 第二砲塔の砲撃が、敵艦の艦橋の付け根に命中!』

 

「!!」

 

 カレンさんの一撃によって、逆転が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦橋の付け根に3発の徹甲弾が一斉に突き刺さったことで、モンタナは一気に大きな損害を受けることになった。艦橋の付け根に配備されていた速射砲の弾薬がちょっとした爆発を生み出し、傷口をさらに広げていく。

 

 モンタナの艦橋が黒煙で包み込まれる。更に第一砲塔の砲撃が、今度は艦橋の付け根ではなく、艦橋を食い破った。

 

 中で舵輪を握っていた乗組員をズタズタにした砲弾は、そのまま艦橋を火の海へと変えた。窓ガラスの内側で火柱が上がり、艦橋の後部にあるマストが倒壊していく。当然ながら、艦橋の中にいた乗組員たちは全員戦死する羽目になった。

 

 艦橋を木っ端微塵に吹っ飛ばされても砲撃を継続するモンタナ。しかし、その砲弾たちがジャック・ド・モレーの周囲に水柱を生み出している間に放たれたジャック・ド・モレーの砲弾たちが、艦橋を貫通されたモンタナに止めを刺すことになった。

 

 やや左舷に傾斜していたモンタナの第二砲塔にステラたちの放った徹甲弾が突き刺さり、カレンの放った徹甲弾が、更にステラの砲撃で開いた大穴を抉る。合計で4発の砲弾を叩き込まれたモンタナの第二砲塔は瞬く間に大爆発で吹っ飛ばされ、艦内が火の海と化していく。

 

 そしてモンタナの艦長が弾薬庫への注水を命じるよりも先に、その弾薬庫まで火の海に呑み込まれることになった。

 

 

 



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最後の攻撃

 

「弾薬庫への注水は!?」

 

「な、何とか間に合いました………」

 

 幸い、弾薬庫の中の砲弾が誘爆し、この戦艦モンタナもろとも海の藻屑になる羽目にはならなかった。敵艦の砲弾が立て続けに命中したことによる火災が弾薬庫まで及んだ時はここで海の藻屑となり、モンタナの残骸と共にウィルバー海峡に沈む運命を覚悟したが、乗組員たちが必死に注水してくれたおかげで、爆沈するという結末を回避できた。

 

 胸を撫で下ろしたいところだが、あくまでも弾薬庫の爆発を回避しただけだ。敵艦には大損害を与えたとはいえ、未だに敵の超弩級戦艦は2基の主砲で砲撃を続行している。それに対してこちらは度重なる被弾で火災が鎮火しきれず、艦もやや左舷に傾斜している。傾斜は反対側への注水で対応できるが、一番深刻なのは戦闘力である。

 

 第三砲塔は同航戦の前に潰され、第二砲塔と第一砲塔も破壊された。辛うじて砲撃を続行できるのは後部甲板の第四砲塔しかない。

 

 傷ついた乗組員を乗せたまま、満身創痍の戦艦で、まだこちらを撃沈した後に艦砲射撃ができるほどの余力を残した敵の戦艦に勝利するのは絶望的である。命中してくれれば勝機はあるが、敵がこちらに余裕を与えてくれるわけがないし、3門の主砲しか使えないモンタナと、6門も主砲を残しているジャック・ド・モレーではどちらが有利なのかは火を見るよりも明らかだった。

 

 冷や汗を浮かべながら、思わず軍帽を頭上から取ってしまう。CICの中で作業を続ける乗組員たちが固唾を呑みながら俺を見つめ、次に出す命令を待っている。

 

 真っ先に「総員退艦」という指示を下すべきだと思ってしまった俺は、自分の顔面を思い切り殴りつけたくなった。確かに何度も被弾し、主砲もほとんど使えなくなるまで損害を被り、更に浸水まで発生しているのだから艦を棄てて逃げるのも正論だ。高性能な艦を失うのは痛手だが、それを運用するノウハウを身につけた乗組員たちを殺すよりは、彼らを生かして次に乗る艦で奮戦すればいい。

 

 だが、ここで逃げ出したことが吸血鬼たちにバレれば―――――――俺たちは間違いなく粛清されるし、帝都の収容所で待つ家族や恋人たちも殺されるに違いない。そう、この艦に乗っている乗組員たちは、親しい人々をあの吸血鬼共に人質に取られているのだ。無事に助け出すためにはここで戦い、奴らを撃退しなければならない。

 

 だから「総員退艦」と言うわけにはいかない。もしそう言ってここにいる乗組員たちを海へと放り出せば、強制収容所に残してきた恋人(アリサ)がどうなるのかは想像に難くない。

 

 最後まで、戦うしかないのだ。

 

 CICの外からは、相変わらず敵の砲弾が海面に着弾する音が聞こえてくる。このモンタナに大損害を与えた敵艦の砲手はかなり優秀らしく、外から聞こえてくる音も段々と大きくなりつつある。あと数回の砲撃で、またモンタナに着弾するだろう。

 

 大切な人々を人質に取られた乗組員たちの視線と、外から聞こえてくる砲撃の音に急かされながら、頭の中に浮かんでくる選択肢を拾い上げ、次々に投げ捨てていく。一体どれが正しい決断なのか分からない。このまま乗組員たちを道連れにして敵艦に最後の攻撃を仕掛けるべきなのか、それともここで乗組員たちを退艦させ、吸血鬼たちに反旗を翻すべきなのか判断できない。

 

 前者はほぼ確実に生還することはできないだろう。浸水の影響で航行速度が落ち、攻撃力も殆ど引き剥がされた満身創痍のモンタナで、まだ余力を残している超弩級戦艦に挑むのは自殺行為だ。その特攻で敵艦を撃沈できる可能性も低い。せめて一矢報いる程度が限界だろう。

 

 後者も、無事に彼らを助け出せる可能性は低い。吸血鬼たちに知られずに強制収容所へとたどり着くのは難しいだろうし、もし仮に俺たちが反乱を起こしたことがバレれば、間違いなく人質たちは悲惨な運命を辿る。

 

 一瞬だけ、俺はあの収容所の中にいるアリサの顔を思い浮かべた。収容所で彼女と面会した後に、もう彼女と会うことはないと覚悟を決めたつもりだったのに、彼女に会いたいという気持ちが急激に肥大化し、覚悟を崩壊させていく。

 

 せめて死ぬならば、もう一度だけ彼女に会ってから死にたい。

 

 胸ポケットの中から写真を取り出し、愛おしい彼女の顔を見下ろした。もしここで俺が海の藻屑になったら、彼女は泣くだろうか?

 

「艦長…………」

 

「…………第四砲塔は、まだ砲撃を継続できるか?」

 

 問いかけると、乗組員は冷や汗を浮かべたまま首を縦に振った。

 

「――――――悔しいな」

 

 結局、吸血鬼たちに捨て駒にされて海の藻屑になるのが悔しい。もしもアリサが人質に取られていなかったならば、俺は大喜びで吸血鬼たちに反旗を翻していたことだろう。

 

 胸ポケットに写真をしまうと同時に、俺の中からもう片方の選択肢が――――――消えた。

 

 愚かでもいい。せめて、最後に胸を張れるような立派な戦果が欲しい。そうすればきっとアリサも喜んでくれるはずだ。

 

「――――――本艦は戦闘を継続する」

 

 乗組員たちの顔を見渡しながら、俺はそう言った。

 

 俺と同じように家族や恋人を人質に取られている乗組員たちは、今の俺の命令に満足してくれたようだった。

 

 反旗を翻せば、間違いなく人質たちは無残に殺される。大切な人たちの命を賭けるよりも、自分の命を賭けることを選んでくれたのだ。自分の命を賭けて敵艦に最後の攻撃を仕掛けて撃沈し、人質に取られている恋人や家族と再会する方がまだ現実的な選択肢だ。可能性はかなり低いが、こちらを選ぶしかない。

 

「ほら、早く戦闘準備だ!」

 

「第四砲塔、砲撃続行だ! そのまま撃て! 敵艦にぶちかましてやろうぜ!!」

 

「機関室、最大出力だ。とにかく全力を出せ!」

 

 ここで戦い抜き、一緒に燃え尽きることを選んでくれた乗組員たちに感謝しつつ、俺は再び軍帽をかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵艦からの砲撃は、未だに続いている。激しい同航戦での徹甲弾の応酬で傷つき、主砲が殆ど使い物にならなくなったモンタナだが、使えるのが後部甲板の1基だけになってもまだ砲撃を続けてくる敵艦の執念に、俺はCICの中で恐怖を感じていた。

 

 浸水も発生し、武装もほとんど使えなくなった状態で袋叩きにされ、ダメージコントロールで対処しきれないほどのダメージを負っていれば、戦線離脱か総員退艦を選択するのが普通だ。敵艦の中で乗組員たちが必死に応急処置を繰り返して艦を支えているならば戦闘の継続を選んだ敵艦の艦長の判断は理解できる。だが、もしダメージコントロールが追いついていないにもかかわらず戦闘の続行を選択しているのだとすれば、正気の沙汰とは思えない。

 

 こちらにはまだ帝都を艦砲射撃できるほどの余力があるし、主砲も前部甲板の2基は健在だ。立て続けに被弾して満身創痍の戦艦で攻撃を継続するのは自殺行為でしかない。

 

「敵艦、進路を変えました」

 

 乗組員に言われた俺は、モニターを見上げて敵艦の反応を凝視する。

 

 進路を大きく変えたわけではないものの、やや左に進路を変えたらしく、まだ悪足掻きを続けるモンタナがジャック・ド・モレーに接近してくる。少しでも砲弾の命中率を上げる小細工だろう。だが、距離を縮めればこちらも命中率は上がる。このまま被弾を続けていけば、先に海の藻屑になるのは向こうの方だ。

 

 返り討ちになるのが目に見えているというのに、敵はなぜ距離を詰めて喰らい付こうとするのだろうか。何か逆転できるような秘策を隠しているのか? それとも特攻のつもりか?

 

 前者ならば警戒するべきだが、後者ならば全力で迎え撃つまでだ。

 

「ラウラ、火災は?」

 

『後部はもう鎮火したよ! 今から艦首の火災の対処に行ってくる!』

 

 さすがお姉ちゃんだ。

 

 ちらりと隣を見てみると、今のラウラの報告を聞いた数名の乗組員たちは唖然としていた。彼女が火災を鎮火するためにCICを出て行ったのは10分前。ダメージコントロールのために飛び出していった乗組員が対処しきれないと言ったというのに、たった数分で彼女は艦内の火災を鎮火してしまったのである。

 

 おそらく、艦首の火災もすぐに鎮火するだろう。

 

 唖然とする乗組員たちの隣では、ナタリアが腕を組みながら苦笑いしていた。最初の頃は驚くことが多かったナタリアはもう慣れてしまったらしく、「期待以上ね」と言いながら再びモニターを見つめた。

 

「敵艦との距離、27000m!」

 

 仲間の報告を聞いた直後、またCICの外から砲弾が海面に落下する音が聞こえてきた。距離が近くなったからなのか、段々と命中精度が上がり始めている。敵が満身創痍だからと高を括っていれば、下手をすればその満身創痍の敵に撃沈されかねない。

 

 死に物狂いで攻撃を仕掛けてくるからこそ、徹底的に叩き潰さなければならない。

 

「撃ちまくれ! 速射砲も投入するんだ!」

 

 敵艦はもうAK-130の射程距離に入っている。こちらは主砲と比べると破壊力や貫通力はかなり落ちているが、その分連速度が非常に高く、命中精度も優れている。敵に致命丁を与えるのは不可能だが、敵の装甲を削り取ることはできるかもしれない。

 

 とにかく、全ての火力を投入して迎え撃つ。

 

 本来の副砲の代わりに搭載された無数のAK-130が、一斉に右舷のモンタナ級へと向けられる。戦車砲並みの口径を持つ速射砲に集中砲火されれば敵艦は瞬く間に火達磨になるだろうが、いくら戦車を吹っ飛ばすほどの威力があっても戦艦に致命傷を与えるのは不可能だ。だからあくまでも止めを刺すのは、前部甲板で敵艦に狙いを定める2基の3連装40cm砲である。

 

 モニターを見上げた直後、薄暗いCICの天井の向こうから轟音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その集中砲火は、満身創痍の戦艦を撃沈するために投入するにしては過剰すぎるようにも見えた。

 

 前部甲板で稼働する健在な2基の3連装40cm砲と、艦橋の周囲にまるで高角砲や機銃のようにずらりと装備されたAK-130が、一斉に火を噴いたのである。海面を抉るほどの衝撃波を発する主砲の砲撃に続き、船体にこれでもかというほど搭載されたAK-130が一斉に火を噴く。主砲から放たれた虎の子の徹甲弾は抵抗を続けるモンタナに命中することはなかったが、徹甲弾が生み出した水柱を次々と貫通した130mm弾の群れは正確にモンタナへと喰らい付くと、瞬く間にモンタナの巨体を炎で包み込んでしまう。

 

 搭載されていたCIWSがAK-130からの砲撃を受けて千切れ飛び、センサーが木っ端微塵に吹き飛ばされる。モンタナに搭載されている装備を滅茶滅茶にする程度だろうと思われた速射砲の集中砲火は、モンタナに予想外の大損害を与えることになった。

 

 艦橋の両脇に搭載されているミサイル発射用のキャニスターを、数発の砲弾が直撃したのである。ジャック・ド・モレーも同じ被害を被り、対艦ミサイルによる攻撃力が半減する羽目になったが、キャニスターの中にミサイルが残っていなかったことが功を奏し、対艦ミサイルの誘爆で大損害を被ることにはならなかった。

 

 しかし、ミサイルを温存していたモンタナは、キャニスターへの被弾で大きなダメージを負うことになる。

 

 よりにもよって砲弾が着弾したキャニスターの中に、ジャック・ド・モレーへと放たれるはずだったハープーンが残っていたのである。本来ならばそれも発射して砲撃戦へと移行する筈だったが、艦長がミサイルによる攻撃は効果が薄いと判断して砲撃戦に早めに移行してしまったため、発射されることなくキャニスターの中に取り残されていたのだ。

 

 一撃で駆逐艦や巡洋艦を叩き折り、空母に大損害を与えかねない対艦ミサイルの誘爆は、装甲の厚い戦艦にも痛手となった。

 

 後部甲板の残された最後の主砲が必死に火を噴き続けるが、ジャック・ド・モレーからひっきりなしに放たれる130mm弾の群れと40cm徹甲弾の水柱が、たちまちモンタナの主砲の咆哮をかき消してしまう。甲板が水飛沫と130mm弾の爆発で染まっていき、徐々に40cm徹甲弾が着弾する位置が近くなっていく。

 

 モンタナの砲撃が、容赦のない砲撃を続けるジャック・ド・モレーの前部甲板に着弾した。満身創痍の艦で戦いを続けた彼らの執念が、最後の最後に牙を剥いた。前部甲板に着弾した2発の徹甲弾はジャック・ド・モレーの第一砲塔の前に広がる甲板を貫通して大穴を開け、艦内を滅茶苦茶に食い破っていったが、モンタナがその砲弾をジャック・ド・モレーに叩き込むと同時に、ジャック・ド・モレーの放った6発の徹甲弾のうちの4発が、前部甲板と艦橋へと突き刺さっていたのである。

 

 すでに沈黙していた砲塔の脇に2発の徹甲弾が突き刺さり、残った2発がモンタナの艦橋を蹂躙する。艦橋の窓ガラスが一瞬で吹き飛び、ひしゃげた艦橋の風穴から黒煙と火柱が吹き上がる。中で双眼鏡を覗き込みながらジャック・ド・モレーを睨みつけていた乗組員や、舵輪を握っていた乗組員たちが一瞬で木っ端微塵になり、ひしゃげた艦橋と共に崩れ落ちていく。

 

 煙突からは煙の代わりに火柱が吹き上がり、至る所に浮き上がった亀裂からは小さな火柱が吹き上がる。辛うじて浸水を食い止めていた乗組員たちも今の被弾の影響で激化した浸水まで食い止めることはできなくなり、次々に叫び声をあげながら激流に押し流されていった。

 

 船体が軋む音が、ウィルバー海峡の響き渡る。鯨の鳴き声を彷彿とさせるその音は、モンタナがついに力尽きたという事を意味していた。

 

 産み落とされることなく、一度も航海を経験しないまま葬られた戦艦同士の一騎討ちは―――――――ジャック・ド・モレーの勝利で終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下半身を飲み込んだ海水を見つめながら、内ポケットの中から一枚の写真を取り出す。急激に増えつつある海水に完全に飲み込まれる前に、せめて最愛の彼女の顔を見てから逝こうと考えた俺は、写真を見下ろす前に、瓦礫と海水に支配されたCICの中を見渡した。

 

 倒壊してきたモニターと床の間から片腕だけを覗かせ、その周囲の海水を赤く染めている乗組員の死体がある。その隣にはモニターから飛び散った大きなガラスの破片で身体中を串刺しにされながら、流れ込んでくる海水に押し流されていく死体もある。確かあの死体は、最後まで俺に報告を続けてくれた乗組員だった筈だ。俺よりも少しばかり若い彼の生真面目な顔を思い出しながら、自分の両足を見下ろす。

 

 前世では水泳部に所属していたから、泳ぐことならば得意だ。だからその気になればこの地獄と化したCICから泳いで逃げ出し、そのまま岸まで泳いでいくこともできる筈だった。けれども水泳に欠かせない両足は数分前に倒壊してきた鉄骨の下敷きとなっており、膝から下がほぼ完全に潰れていた。鮮血が次々に押し流されていくせいで、潰れた足の皮膚から飛び出た自分の筋肉と骨がはっきり見える。

 

「さようなら、アリサ…………」

 

 俺がここで海の藻屑になったら、彼女は悲しむだろうか?

 

 けれども、俺たちはここで吸血鬼共の要求通りに最後まで戦ったのだから、収容所から解放される可能性もあるだろう。俺の命と引き換えにアリサが自由になるというのならば、俺はここでモンタナと共に沈んでも構わない。

 

 モンタナの船体が軋む音を聞きながら、俺はニヤリと笑った。

 

 ゲイボルグⅡへの攻撃で疲弊していたというのに、敵の戦艦はこのモンタナを撃沈したのだ。そして捨て駒にされた艦隊が壊滅したのだから、今度は帝都で待つ陸軍が同じ運命を辿る番だ。こんなに強い奴らに、お前たちも同じように蹂躙されるんだ。銀の弾丸で貫かれて消えちまえ、吸血鬼共め。

 

 俺たちにこんな戦いをさせた吸血鬼たちが苦しむ姿を想像しながら、白黒の写真をぎゅっと握りしめながら目を瞑る。もう既に海水は首の高さまで上がっていて、息を吸い込んでから止めた頃には、もう既に俺の頭を飲み込んでいた。

 

 息を止め続けることができなくなり、すぐに水を飲み込んでしまう。自分の両足からあふれる鮮血で真っ赤に染まった海水の中から天井を見上げながら、俺は両目をそっと閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総員、敬礼!」

 

 モンタナが沈黙し、沈み始めたという報告を聞いた俺たちは、すぐにCICを出て、いたるところにモンタナの砲弾が開けた大穴が開いている甲板へと上がっていた。

 

 甲板の向こうには、火達磨になったモンタナが浮かんでいた。左舷に大きく傾斜しながら、そのままゆっくりと左側へ転覆していく。ひしゃげた砲塔や艦橋が瞬く間に海水の中へと飲み込まれていき、代わりに真っ赤に塗装された部分があらわになる。

 

 やがて、砲弾が開けた穴から浸水が始まったのか、モンタナの艦首が段々と海の中へと沈み始めた。超弩級戦艦を動かしていた巨大なスクリューと舵が取り付けられた艦尾がゆっくりと天空へと向けられ始めたかと思いきや、30度ほど持ち上げられたところで、そのまま海の中へと沈んでいった。

 

 まだ砲撃できると言わんばかりに、沈んでいく後部甲板で第四砲塔がこちらを睨みつけている。やがてその第四砲塔も海面へと消えていき、巨大なヒレにも見える舵がついた艦尾が沈んでいく。

 

 モンタナが沈んでいった海域の近くには、船体の残骸や乗組員の死体がびっしりと浮かんでいた。

 

 けれども―――――――生存者は、1人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、連合艦隊の本格的な飽和攻撃と潜水艦の雷撃によって、吸血鬼たちが配備した艦隊は壊滅することになった。

 

 こうして第二次転生者戦争の最初に勃発した『ヴリシア沖海戦』は連合艦隊の勝利に終わり、市街地戦の幕が上がろうとしていた。

 

 



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帝都への爆撃

 

 帝都サン・クヴァントへの上陸地点として選ばれたのは、海からの攻撃から帝都を守るために配置されたヴリシア帝国騎士団本部の近くにある浜辺だった。サン・クヴァントは海に面した大都市で、騎士団の本部は海からの攻撃を防ぐために、まるで防壁のように海の近くに屹立している。やけに分厚い壁の中をくり抜いて、そこに兵舎や迎撃用の設備を用意したような感じの建物だ。それが海と帝都の街並みを隔てている。

 

 モンタナ級との壮絶な砲撃戦を制したジャック・ド・モレーの傷だらけの後部甲板からその騎士団本部を見つめていた俺は、前に並んでいた兵士がボートに乗ったのを確認してからタラップを駆け下りた。

 

 これからジャック・ド・モレーとは戦闘が終わるまでお別れをしなければならない。俺たちはボートに乗り込んで強襲揚陸艦に乗り換え、そこから上陸して本隊のサポートをしなければならないのだ。

 

 作戦会議で聞いた説明を思い出しつつ、任務を確認しておく。

 

 テンプル騎士団に与えられた任務は、まず最初に”敵を側面から攻撃して攪乱し、本隊の進撃を支援すること”。親父が率いる連合軍の上陸部隊がいくら圧倒的な兵力とはいえ、正面から敵へ攻撃を仕掛ければ大損害を受けることになるのは想像に難くない。そのまま物量と力に任せて強引に前進しても、満身創痍のまま補給も受けずに前進すれば、どんな大群でも進撃し続けることができなくなるのは明らかだ。だから俺たちも側面から並行して進撃し、敵の防衛ラインを側面から攻撃。敵の注意をこちらへと向けさせるか、他にも別動隊がいると錯覚させて敵を攪乱することができれば、本隊も被害を最小限に抑えたまま進撃できるというわけだ。

 

 そしてある程度進撃したら、俺たちは本隊に先行して橋頭保を確保する。橋頭保として選ばれたのは、騎士団本部の近くにある”王立サン・クヴァント図書館”。そこを占拠して拠点とすることで、友軍も動きやすくなる。

 

 その後はそのまま大通りを突破し、宮殿へと突入。内部の吸血鬼たちを駆逐して占拠し、帝都サン・クヴァントの奪還に貢献する。

 

 そして、ついでに最後の鍵も手に入れるのだ。

 

 シュタージが手に入れた情報では、吸血鬼の本拠は帝都の象徴であるホワイト・クロックか、避難勧告の発令後は無人となっている宮殿のどちらかだという。俺たちが進撃するように指示されたのは本拠である可能性のあるサン・クヴァント宮殿。運が良ければ、進撃した際に鍵も手に入るかもしれない。

 

 もし仮に親父たちが手に入れることになったら、その時は交渉する必要がありそうだ。もしくはこっそりとモリガン・カンパニーに潜入して鍵を盗む事にもなりそうだが、そういう事はこの戦いが終わってから考えよう。

 

 まだ海戦しか経験していないが、はっきり言うとこの戦いは、”戦いが終わった後の事”を考えている余裕がないほど熾烈な戦闘になるだろう。モンタナと砲撃戦を繰り広げていた時も、もしかしたら次に飛来する砲弾が装甲をぶち破ってCICを直撃するかもしれないと思って少しばかりビビっていた。

 

「ふにゅ?」

 

「ん?」

 

 ボートに乗り込んで出発を待っていると、俺の後にボートに乗り込んだラウラがにっこりと笑った。

 

「そういえば、明後日はクリスマスだね♪」

 

「…………そういえばそうだな」

 

 今日の日付は12月22日。そろそろクリスマスだ。もしかしたら俺たちは、18回目のクリスマスを戦場で過ごすことになるかもしれない。

 

 他の仲間たちもクリスマスが近いという事を思い出したのか、ボートに乗った兵士たちは笑いながら「サンタクロースは戦場まで来てくれるかな?」と言い出し始める。

 

 仲間たちの笑い声を聞いていると、いつの間にかタラップの上にウラルとカレンさんが来ていた。カレンさんはどうやらカノンを見送りにやってきたらしく、いつものように凛々しい雰囲気を纏っている。けれども最愛の娘を戦場に向かわせることはやはり心配らしく、彼女の纏う凛々しい雰囲気はいつもと比べると”切れ味”が足りないようだった。

 

「カノン」

 

「お母様…………」

 

「これを持っていきなさい」

 

 カレンさんはそう言うと、腰に下げていた2本の曲刀のうちの片方を鞘ごと取り外し、ゆっくりとタラップを降りてからボートの上のカノンにそれを手渡した。古代文字が刻まれた柄と橙色の鞘に包まれたその曲刀を受け取ったカノンは、ゆっくりと鞘の中から刀身を引き抜く。

 

 鞘の中から姿を現したのは―――――――純白の美しい刀身だった。日本刀のようにほんの少し曲がっているけれど、峰の方ではなく刃がある方向へと緩やかに曲がっている。そのためカマキリの鎌を彷彿とさせるような形状だ。

 

 変わった形状だけど、その得物が内包する高濃度の風属性の魔力は、それが普通の曲刀ではないという事を宣言しているかのようだった。大きさは普通の日本刀とそれほど変わらないサイズだけど、その内側で渦巻いているのは、解放するだけで迫りくる魔物の群れを吹き飛ばしてしまうことができるほどに圧縮された風属性の魔力である。

 

「これは…………”リゼットの曲刀”…………?」

 

「ええ。きっとご先祖様(リゼット様)が守ってくれるわ」

 

 カレンさんがカノンに渡したのは、かつて若き日のカレンさんが当主になるための試練で、あのドルレアン家の地下墓地から回収してきたというリゼットの曲刀らしい。

 

 風属性の魔力を自由自在に操ることができると言われている伝説の曲刀を手に入れたリゼットは、当時はまだ小さかったドルレアン領の民を守るためだけにその力を振るったという。しかしその力を手に入れようとして裏切った家臣たちによって殺されてしまったのだ。その後、最後まで彼女に忠誠を誓い続けた忠臣たちによって遺体と共にドルレアン家の地下墓地に封印されていたという。

 

 それを鞘に納めたカノンは、自分の腰に下げているもう1本の真っ直ぐな得物を見下ろした。

 

 こちらは、その地下墓地を彷徨っていたリゼットの中心の1人であるウィルヘルムからドロップした『ウィルヘルムの直刀』だ。漆黒の護拳がついており、日本刀のような形状の真っ直ぐな刀身には古代文字が刻み込まれている。

 

 リゼットの曲刀とは対になる、忠臣の直刀だ。

 

「それに、きっとウィルヘルムも守ってくれる」

 

「はい、お母様」

 

「…………必ず帰ってくるのよ」

 

「ええ。行ってきますわ、お母様」

 

 娘をぎゅっと先閉めたカレンさんは、リゼットの曲刀を彼女に託すと、タラップの上へと戻っていった。彼女はウラルたちと共に傷だらけのジャック・ド・モレーに残り、艦砲射撃で俺たちを支援してもらう予定である。モンタナを撃沈した凄腕の砲手が援護してくれるのだから、非常に心強い。

 

 ウラルに向かって頷くと、ウラルも頷いた。

 

「…………よし、出発!」

 

 ジャック・ド・モレーから強襲揚陸艦へと乗り換える乗組員を乗せたボートのエンジンが起動し、ゆっくりと航行するジャック・ド・モレーの船体から離れていく。後方からやっと追いついてくれた連合艦隊の間をすり抜けていくと、強襲揚陸艦へと向かう俺たちを見つけた他の艦の乗組員たちが、様々な種族や国の言葉で俺たちに声援を送ってくれた。

 

 聞き慣れたオルトバルカ語で「頑張れ」と言う声も聞こえてきたし、転生者も混じっているのか、懐かしい日本語で「死ぬなよー!」と叫ぶ声も聞こえてくる。中には習ったことのない国の言語や少しだけ聞いたことのある言葉も聞こえてきた。

 

 モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)は種族や国籍で差別をすることなく、志願兵は平等に扱っているという。だから各地で差別を受けたり、迫害されている種族たちがよく集まってくると聞いたことがある。

 

 俺たちに声援を送ってくれている乗組員たちの種族はやっぱりバラバラだった。人間やエルフだけでなく、オークやドワーフの乗組員もいる。街の奴隷販売所では檻の中にいる事が多いハーフエルフやダークエルフの乗組員たちも、俺たちに向かって帽子を振りながら声援を送ってくれていた。

 

 彼らに手を振り返しながら進撃する艦隊の間をすり抜けていくと、やがて俺たちに割り当てられた強襲揚陸艦が見えてきた。傍から見ると空母のようにも見えるけれど、アドミラル・クズネツォフ級の特徴であるスキージャンプ甲板は見当たらないし、空母のアングルド・デッキもない。

 

 その艦は空母ではなく、上陸する歩兵部隊や戦車部隊を乗せた『強襲揚陸艦』と呼ばれる艦だった。艦隊の最後尾を航行していたおかげで先ほどの艦隊戦に巻き込まれることはなく、更にゲイボルグの遠距離砲撃にも晒されることのなかった強襲揚陸艦の群れには傷一つついておらず、甲板の上ではずらりと並んでいるヘリの傍らで作業員たちが武装のチェックに勤しんでいる。

 

 俺たちが割り当てられたのは、フランスの『ミストラル級』と呼ばれる強襲揚陸艦のうちの1隻だった。

 

 この戦いに参加することになった強襲揚陸艦の数はなんと50隻。1隻でも10両以上の戦車を格納することができるため、数隻あれば海岸にある敵の拠点を制圧できるほどの地上部隊を上陸させることができる。その強襲揚陸艦が、50隻もこの戦いに参加しているのである。

 

 黒と灰色の迷彩模様で塗装されたミストラル級強襲揚陸艦『ソロムバル』に近づいていくと、甲板の上から手を振っている乗組員が見えた。

 

 この強襲揚陸艦に乗り換え、俺たちが上陸準備をしている間に、他の艦隊が一足先に帝都へと大規模なミサイル攻撃や艦砲射撃を開始することになっている。それだけでなく、作戦説明では無数の爆撃機による徹底的な空爆も実施されると聞いていたんだが、今のところ爆撃機が飛来する様子はない。

 

 予定が変更になったのだろうかと思いながら乗組員の指示に従おうとしたその時だった。

 

 強襲揚陸艦の群れの上空を、エンジンの発する轟音を響かせながら、無数の戦闘機に守られた漆黒の巨大な何かの編隊が通過していったのである。傍から見れば旅客機のようにも見えるその巨大な機影から伸びる主翼が、俺たちの頭上で角度を変えたかと思うと、その飛来した巨大な機体の群れは段々と速度を落とし始めた。

 

 あのように、翼の角度を変えることができる『可変翼』と呼ばれる方式を採用した戦闘機や爆撃機が存在する。俺たちの頭上を通過していった巨大な機体の群れは、まさにその可変翼を採用した爆撃機の群れだった。

 

「あれは…………Tu-160か?」

 

 俺たちの上を通過していったのは、ロシアで開発された『Tu-160』と呼ばれる爆撃機の群れだった。従来の爆弾だけではなく、大型のミサイルまで搭載可能な爆撃機で、その気になれば核ミサイルの搭載も可能と言われている。さらに爆撃機の中でも速度が非常に速いため、迅速に目標地点を爆撃して離脱することも可能だ。

 

 だがさすがに転生者は核兵器を作り出すことができないため、もしそのような兵器を運用するならば自分で核兵器を作る必要がある。モリガン・カンパニーなら本当に核爆弾を作り上げてしまってもおかしくないが、親父がそんな攻撃を許可するとは思えない。きっとあの爆撃機の群れが搭載しているのは通常の爆弾やミサイルなのだろう。

 

 通過していったTu-160の群れの数は数えきれない。間違いなく100機以上は飛んでいたのではないだろうか? もしかしたら空があの爆撃機の群れで覆いつくされてしまうのではないかと思えるほどの数の編隊が、帝都の上空へと殺到していく。

 

 あんな数の爆撃機に爆撃されたら、帝都は一瞬で焼け野原になってしまうだろう。

 

「魔王が本気になったらこんな規模の兵力が動くのか…………」

 

「ヴリシアのクリスマスには、サンタクロースじゃなくて魔王がやってきたってわけだ」

 

 帝都の爆撃に向かう無数のTu-160を見送りながら、俺たちはしばらくボートの上で待機することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強襲揚陸艦の甲板の上には、ヘリで帝都へと降下する部隊を乗せるためのカサートカやスーパーハインドの他にも、武装をこれでもかというほど搭載したロシア製攻撃ヘリの『Ka-50ホーカム』が出撃の準備をしていた。

 

 ホーカムはカサートカやスーパーハインドのように歩兵を乗せることはできないが、その分搭載できる武装も強力なものばかりであり、更に機体がスーパーハインドと比べると遥かに小型であるため小回りが利きやすいという長所がある。しかも操縦するのはたった1名のみであるため、人材不足が深刻な問題となっているテンプル騎士団でも運用しやすいという利点がある。

 

 テンプル騎士団のエンブレムが描かれたホーカムの隣では、テンプル騎士団スオミ支部のエンブレムが描かれたコマンチも出撃の準備をしていた。俺たちがスオミの里を訪れた時に彼らに託した、あの時のコマンチたちである。

 

 2人乗りのステルス機の傍らで、整備士と話をしているハイエルフの少年を見つけた俺は、ニヤニヤしながらそいつに声をかけることにした。

 

「よう、ニパ」

 

「あ? おお、コルッカ! 久しぶりじゃねーか!」

 

 やっぱり、ハイエルフの少年の正体はニパだった。

 

 俺はスオミの里の人々には『タクヤ』という名前ではなく、『コルッカ』と呼ばれている。どうやら古代スオミ語で”狙い撃つ者”を意味するらしく、優秀な戦士に送られる称号らしい。俺にその称号を与えてもらえるのは光栄だが、その名前で呼ばれるのには慣れていないから、時折コルッカと呼ばれても別の人の事だろうかと思ってしまう事が多々ある。

 

 ニパは整備士との話を中断すると、誇らしそうに自分のコマンチの機首に描かれている撃墜マークを指差し始めた。どうやらあれから撃墜したドラゴンをこうして記録していたらしく、もう10体以上のドラゴンを撃墜しているようだ。

 

「エースになったのか」

 

「元からエースだっつーの。それにしても、まさかこの俺たちがリュッシャ(オルトバルカ人)共と共闘する羽目になるなんてな…………」

 

「気にすんな。みんないい人さ」

 

「まあ、コルッカが言うなら信用できる」

 

「ところでアールネは?」

 

「下のウェルドッグで出撃前の最終調整中だ。橋頭保を確保したら、俺たちはお前たちが宮殿を占領するか、逃げ帰ってくるまで図書館を守り通すのが任務らしいからな」

 

 そう、彼らの任務はあくまでも橋頭保となる図書館の死守だ。

 

 いくら橋頭保を確保したとはいえ、敵が占拠された図書館をそのままにしておくとは思えない。奪還するために攻撃を仕掛けてくるだろう。もし仮に俺たちが帝都の中枢へと進行した後に橋頭保が敵の手に堕ちるようなことがあれば、瞬く間に中枢へと進行した部隊は敵に包囲されることになる。だから図書館を守る彼らに、俺たちは命を預けることになるのだ。

 

 その防衛にスオミ支部の戦士たちが選ばれた理由は、彼らが長年経験してきた戦い方にある。

 

 スオミの里は、あの極寒の山脈の麓に里ができてから、一度も”侵略”をやったことがない。長年領地を広げることもなく、祖先たちが開拓した土地を大切に守り抜いてきた種族なのである。だから防衛戦闘を最も得意としているが、逆に自分たちから攻撃を仕掛けるような戦い方は全く経験がないのである。

 

 だから彼らには、その防衛戦闘の経験をここで生かしてもらうために図書館の守備隊を任せることになったのだ。

 

 里に配備されている兵器も防衛戦に特化したものが多い。

 

「安心しろ。敵が攻めてきても、戦車とヘリで蹴散らしてやる」

 

「戦車まで持ってきたのか?」

 

「ああ。ウェルドッグでLCUに戦車を乗せてるぜ」

 

 スオミの里にも戦車を配備しておいた。とはいえ里の人数も少ないので、配備したのは合計で14両。訓練用の車両を除くと10両となる。そのうちの3両は、モリガンでも運用されていたドイツ製主力戦車(MBT)の『レオパルト2A6』だ。残りの7両は、彼らの戦い方に合う戦車である。

 

「分かった。支援よろしくな」

 

「おう。俺とイッルがいるんだから、大丈夫だ。ヤバくなったら連絡くれよ?」

 

「頼む」

 

 ニパとイッルは、スオミの里の誇るエースパイロットだ。彼らに支援してもらえるのはありがたいけど、不慣れな侵攻作戦で無茶はしてほしくない。

 

 彼との話を終えた俺は、仲間たちと一緒に出撃の準備をするため、強襲揚陸艦の下部にあるウェルドッグへと向かうことにした。

 

 甲板の向こうに見える帝都サン・クヴァントは、無数の爆撃機による徹底的な爆撃で、早くも炎に包まれつつあった。

 

 

 

 



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帝都への上陸

 

 

 強襲揚陸艦の内部には、『ウェルドッグ』と呼ばれる設備がある。ウェルドッグの中には上陸の際に使用する上陸用舟艇のLCUがずらりと並んでおり、その周囲では黒い制服姿の兵士たちが点検をしたり、LCUの上にテンプル騎士団で正式採用されているエイブラムスを乗せる作業に勤しんでいた。

 

 LCUには歩兵以外にも、戦車も乗せることができるのだ。戦車を搭載して海岸へと上陸し、戦車を上陸地点に下すことによって、最前線へと突っ込んでいく歩兵たちを強力な戦車砲で援護させることができるのである。

 

 しかし、グレーだけで塗装された殺風景で閉鎖的なウェルドックの中には、上陸用舟艇の出撃に必要なものが見当たらない。

 

 ウェルドックの中には、水がないのである。

 

 船は水の上を進むものだ。当然ながら水がなければ前に進む事はできないから、出航すらできない。傍から見れば、水のない閉鎖的な空間の中で、出航できるようには見えない小型艇に兵器や物資を乗せて出撃の準備をしているようにも見えるだろう。

 

 しかし、ウェルドックにはちゃんと収容している上陸用舟艇や小型艇を出撃させるための機能が備わっているのだ。

 

 強襲揚陸艦のウェルドックは、艦が沈まない程度にウェルドックの中に周囲の海水を注水させることができるのである。だから出撃の準備が整えば、俺たちが通路から見下ろしている一番下の床は上陸用舟艇が出撃するのに十分な量の海水で満たされるのである。

 

「これが船の中なの…………!?」

 

「ああ。これが強襲揚陸艦だよ」

 

 生まれて初めて強襲揚陸艦に乗るナタリアやイリナたちは、きっと強襲揚陸艦の中にこんな空間があることが信じられないのだろう。出撃前にこの戦いに参加する兵器の種類について簡単な説明をしたんだが、特に艦の種類の説明をした時の彼女たちはずっと驚愕していた。

 

 この世界の基準では、50mほどの全長の船体を持つ重武装の艦が”戦艦”に分類される。オルトバルカの騎士団に配備されているクイーン・シャルロット級の一番艦『クイーン・シャルロット』と二番艦『ブリストル』もそれくらいのサイズで、この世界の技術で作られた戦艦の中では最強だという。

 

 世界の工場と言われているオルトバルカの軍事力の象徴とも言われているクイーン・シャルロット級だけど、はっきり言うと、俺から見ればその最強の戦艦は駆逐艦にしか見えない。

 

 逆に、この世界の人々から見れば、俺の前世の世界で活躍していた各国の駆逐艦が、”立派な超弩級戦艦”に見えるという。実際にナタリアたちも、初めてソヴレメンヌイ級とウダロイ級を目にしたときは「へえ、これが異世界の戦艦なの?」って真顔で言っていた。その直後に「え? これ駆逐艦だよ?」って言った時のナタリアのリアクションを思い出した俺は、思わず彼女の方をちらりと見てしまう。

 

「何よ?」

 

「いや、初めて異世界の駆逐艦を見た時のナタリアの反応を思い出しちゃってさ」

 

「…………ば、バカ」

 

 普段は冷静でしっかりしているナタリアがかなりびっくりしてたんだからな。写真に撮っておけばよかった。

 

 彼女を茶化しながらタラップを降り、俺たちが乗ることになっているLCUへと急ぐ。俺たちが乗るLCUには、船首の部分に”412”と白いペンキで描かれている筈だからすぐに分かる筈だ。

 

 数隻の上陸用舟艇が収まるほどとはいえ、あくまでもこのウェルドックは強襲揚陸艦の内部。それほど時間をかけずに割り当てられたLCUを見つけた俺たちは、もう既にそのLCUの上に俺たちの乗る3両の戦車が搭載されていることに驚きながら、自分たちの乗る戦車へと向かった。

 

 そのLCUに乗せられていたのは、チーフテンMk11とチャレンジャー2。そして一番後ろには、シュタージのメンバーが運用するレオパルト2が鎮座している。

 

 俺たちもこの作戦に合わせて戦車に改良を施したけれど、一番その改良で変わったのは、間違いなくシュタージのレオパルトだろう。

 

 レオパルト2A3だった彼らのレオパルトは、一気に最新型の『レオパルト2A7+』へと改良されていた。第二次世界大戦で活躍したティーガーⅠを彷彿とさせる砲塔を搭載していた形状から一気にエイブラムスを思わせる形状の砲塔に変わっているせいなのか、全く別物になったようにも見える。

 

 しかも、どうやらこのレオパルトが搭載しているのは普通の戦車砲ではないらしい。

 

 見分けがついた理由は、砲身の太さと砲塔の大きさだ。明らかに砲身は120mm滑腔砲を搭載しているチーフテンとチャレンジャー2よりも太いし、砲塔も一緒に搭載されている戦車よりもでかい。

 

 おそらく、このレオパルトは―――――――120mm滑腔砲ではなく、試作型の”140mm滑腔砲”を搭載しているのだ。

 

 一般的な主力戦車(MBT)の主砲は120mm滑腔砲となっているが、それよりも20mmも大きい砲弾をぶっ放すことができるというわけだ。しかも砲塔の上にはさり気なく、ロケットランチャーなどの敵からの攻撃を迎撃するためのアクティブ防御システムが搭載されており、防御力も強化されている。

 

 かなり変貌してしまったレオパルトを見つめていると、砲塔のハッチからひょっこりとクランが顔を出した。どうやら車内で最終調整をしていたらしく、ハッチの中からはモニターの光が溢れている。

 

「よう、クラン」

 

「あら、ドラゴン(ドラッヘ)

 

「そいつは140mmか?」

 

「そうよ」

 

 すっかり変わってしまった戦車の砲塔の表面を優しく撫でたクランは、微笑みながら言った。

 

「大口径の方が有利でしょ?」

 

「操縦は? 訓練はしたのか?」

 

「ええ。木村はもうこの子の操縦に慣れてくれたみたいよ?」

 

 確か、改造されたのって出発する数日前だよな? タンプル搭の外で猛特訓しているシュタージたちの姿は何度か見たけれど、たった数日の訓練で操縦に慣れちまったのか? 

 

 すげえ適応力だな…………。

 

 再び砲塔の中へと引っ込んでいったクランを見てから、彼女が入っていった砲塔から伸びるやたらと大きな戦車砲を見つめる。きっとシュタージのメンバーたちがこんな大口径の滑腔砲を主砲に選んだのは、ヴリシアで実際に吸血鬼の戦力の一部と一戦交えたからなのだろう。

 

 彼らからの報告では、吸血鬼たちの戦車はレオパルト2A7+だったという。しかも、対戦車ミサイルやロケットランチャーを撃墜するためのアクティブ防御システムを搭載していたため、対戦車用の武器を装備したメンバーで一斉攻撃しても、1両を擱座させるのがやっとだったという。

 

 それに、仮にアクティブ防御システムによる迎撃を免れたとしても、レオパルトの装甲は分厚い。第二次世界大戦で数々の優れた戦車を生み出したドイツが最新の技術で生み出したのだから、その性能はまさに最高峰と言っても過言ではないだろう。

 

 だからクランたちは、その分厚い装甲を貫通して確実に撃破するために、大口径の主砲を搭載することにしたんだ。

 

 それに、彼女たちからの報告のおかげで、アクティブ防御システムを搭載した敵に効果のある武装も用意できた。

 

「おーい、コルッカー!」

 

「お?」

 

 俺の事をコルッカと呼んだという事は、スオミ支部のメンバーだろう。そして今の野太い声は、間違いなくアールネの声だ。

 

 ニヤニヤしながら振り向くと、俺たちの乗るLCUの隣で出撃準備をしているLCUの上で、やけに体格ががっちりとしている真っ白な肌のハイエルフの男性が、とても華奢なハイエルフとは思えないほどの筋肉がついたでっかい腕を振っているのが見えた。

 

 彼も俺たちと共に上陸し、橋頭保となる図書館までは一緒に進軍することになる。とはいえ侵攻作戦を経験したことのない彼らに前衛を任せるのは危険であるため、テンプル騎士団の上陸部隊の一番槍は俺たちが担当することになっている。

 

「死ぬなよ、コルッカ!」

 

「そっちもな! 防衛戦は任せたぞー!」

 

「おう! 任せろー!」

 

 手を振り返してから、俺も砲塔の中に潜り込んで出撃前の最終チェックを行う。いくら近代化改修を施したとはいえ、このチーフテンは他の戦車と比べると旧式の”第二世代型”にあたる。可能な限り装甲を複合装甲に換装して少しでも防御力を上げるための改造をしているけれど、それでも防御力はレオパルトやチャレンジャー2と比べると劣ってしまう。

 

 乗組員は俺とラウラとイリナの3人。ラウラが操縦士を担当し、イリナが砲手を担当する。装填手は自動装填装置があるので不要だ。そして俺は車長を担当する。

 

 チャレンジャー2の方には、ナタリアとカノンとステラの3人が乗る。ナタリアが車長で、カノンが砲手を担当する。そしてステラが操縦士を担当することになっている。

 

『これより、ウェルドック内の注水を行う! 作業員は直ちに退避せよ!』

 

「お、始まるか」

 

 ハッチの内側にあるモニターをタッチして調整していると、戦車の乗っているLCUが揺れ始めた。それと同時に水の音が聞こえてきて、オイルの臭いが支配していたウェルドックの中に潮の香りが混じり始める。

 

 敵艦の砲弾が着弾した時とは異なる優しい揺れを楽しみながら、俺は気を引き締めた。これから上陸するのは吸血鬼たちの総本山。あの転生者戦争に参加した古参の兵士たちは、この戦いの事を早くも”第二次転生者戦争”と呼んでいる。

 

 数多の実戦を経験してきた彼らが、あの激戦を思い出してしまうほどの死闘が帝都で繰り広げられるのだ。間違いなく、今までの戦闘とは比べ物にならないほどの激しい戦いになる。

 

『ウェルドック、後部ハッチを開放! LCU部隊、出撃用意!』

 

 そしてその死闘に真っ先に突っ込むのが、俺たちだ。

 

 砲塔のハッチから顔を出すと、いつの間にかLCUの艦首側に屹立していた巨大なハッチが展開し、ウィルバー海峡の大海原が目の前に広がっていた。一見すると何の変哲もない海原に見えるけれど、この海の底には戦艦モンタナや、撃沈された他の艦が乗組員たちの骸と共に眠っているのだ。

 

 今度は、街の中が骸と血の海で埋め尽くされる。

 

 後ろを振り向くと、LCUの操縦を担当する操縦士がこっちに手を振った。そろそろこのLCUが出撃するらしい。

 

『――――――同志諸君の健闘を祈る! 出撃せよ!』

 

「よし、出撃する!」

 

「頼む!」

 

 戦車を3両も乗せたLCUのエンジンが轟音を発し、俺たちの乗る船体を振動させる。ウェルドックの中に強引に注水され、やっと落ち着き始めていた海水たちが再び騒ぎ出し始め、LCUのスクリューによって再び引き裂かれていく。

 

 ウェルドックの中から最初に出撃した俺たちのLCUは一旦強襲揚陸艦の後方へと出ると、そのまま進路を変え、帝都サン・クヴァントを守る騎士団本部へと向かって海上を疾走し始めた。

 

「うわ…………」

 

 ウェルドックの中から見ていたせいなのか、俺はてっきり敵の反撃がない状態で出撃できるんじゃないかと思っていた。けれども進路を変えて帝都へと向かった俺たちを出迎えてくれたのは、大空で死闘を繰り広げる戦闘機の群れだった。

 

 蒼と白だけで彩られたシンプルな世界の中で、数多の戦闘機たちが舞う。急旋回を続けてミサイルを振り切り、逆に敵機の背後を取って撃墜する戦闘機もいるし、ミサイルにあっさりと叩き落され、バラバラになって海面へと降り注いでいく戦闘機もいる。瞬く間に青空が黒煙で染め上げられていき、数多の戦闘機がバラバラになって落ちてくる。

 

 そのさらに上空では、連合軍が出撃させた航空部隊の増援と、吸血鬼たちが出撃させた迎撃部隊の増援部隊が、互いにミサイルをぶっ放し始めていた。双方の編隊から無数の白い線が相手の編隊へと向かって伸びていき、青空の中で火の玉がいくつも生まれる。

 

 すると、俺たちのすぐ近くに、その空戦に敗北した戦闘機が墜落してきた。落ちてきたのは――――――吸血鬼たちが出撃させたF-16の残骸だった。

 

 幸い、俺たちを狙っている戦闘機はいない。出撃した敵の戦闘機はどいつもこいつもモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の戦闘機の相手をするので精一杯らしく、上陸する俺たちを攻撃する余裕はないらしい。

 

 俺たちが出撃した後に、今度はヘリ部隊も強襲揚陸艦の甲板から次々に舞い上がり始めた。次々に戦闘機の残骸が降り注ぐ音をかき消して、派手なローターの音を奏でながら、これでもかというほどの武装を搭載した武骨なヘリの群れが、戦闘機の残骸が降り注ぐ中を突っ切っていく。

 

 空を見上げてみると、戦闘機の数が減っていた。真っ黒に塗装された戦闘機の群れが残っていて、白と灰色の迷彩模様で塗装されている戦闘機ばかり落ちてくる。

 

「さすがミラさんだ」

 

 きっと、あの航空部隊の先陣を切っているのはミラさんだろう。第一次転生者戦争ではボロボロのF-22で数多のF-35を相手に奮戦した伝説を持つ最強のエースパイロットが、あの航空部隊を率いているに違いない。

 

 しかも航空部隊には、第一次転生者戦争を生き延びたベテランの兵士が他の部隊よりも多く配属されているらしい。中には2機で連携して1機の敵機を追い詰め、撃墜しているパイロットもいるようだ。航空部隊は特に練度が高いらしい。

 

 空戦の観戦を終えて周囲を見渡してみると、いつの間にか他の強襲揚陸艦から出撃した無数のLCUの群れが、海面を埋め尽くしつつあった。中には戦車や装甲車を積んでいるLCUもいるし、歩兵を何人も乗せているのもある。

 

 更に、平らな船体の後部に巨大なファンを3つ並べたような形状のでっかい船が、船体の上に戦車を乗せたままLCUの群れの最後尾に続く。

 

「おいおい、ポモルニク級まで投入すんのかよ」

 

 まるで小型の駆逐艦やコルベットのようなサイズを誇るその兵器は、『ポモルニク級』と呼ばれるロシア製の”エアクッション揚陸艦”である。戦車や装甲車を凄まじい航行速度で運搬できるだけでなく、数多くの武装まで搭載している強力な兵器だ。

 

 そのポモルニク級が、LCUの群れの後ろから20隻も姿を現したのである。

 

『すげえな! ちょっと投入し過ぎなんじゃないか!?』

 

「アールネ、これでもモリガン・カンパニーの”氷山の一角”らしいぜ?」

 

『マジかよ。どれだけ戦力持ってんだ?』

 

「さあな」

 

 その気になれば、この世界を征服できるんじゃないだろうか?

 

 そう思いながら戦車のハッチから顔を出しているうちに、上陸地点に到着したらしい。LCUが徐々に減速していき、騎士団本部の近くにある浜辺に船首を押し付けてからゆっくりとランプが展開していく。

 

 俺たちの後に続き、他のLCUも無事に辿り着く。次々にランプを展開していき、搭載されていた戦車たちがゆっくりと浜辺へ進んでいく。

 

「よし、俺たちも上陸だ!」

 

『了解(ダー)!』

 

 いよいよ、俺たちは死闘が繰り広げられる帝都の中へと足を踏み入れることになる。親父たちとは違って側面からの攻撃が任務になるとはいえ、現代兵器を装備した相手との本格的な”戦争”は、これが初めてだ。

 

 LCUから降りた数名の兵士たちが騎士団本部の門へと向かって走っていき、取り出したC4爆弾をいくつか設置し始めた。魔物や海賊からの攻撃から帝都を守るために建造された分厚い門の開閉を担当する騎士は、オルトバルカ大使館からの避難勧告で既に退避している。今更ご丁寧に本部へと入り、マニュアルを探して門の開閉をやっている場合ではない。

 

 C4爆弾の設置を終えた工兵が退避を終えた直後、分厚い門に設置されていたC4爆弾が深紅の爆風を生み出した。今まで数多の攻撃から帝都を守り続けてきた門はその爆風に一瞬で呑み込まれ、猛烈な衝撃波と爆風を全て叩き込まれることになった。

 

 あらゆるものを吹っ飛ばすほどの破壊力があるC4爆弾の爆風に、騎士団本部の門が抉り取られる。薄れていく黒煙の中で揺らめいた門はそのままゆっくりと後方へと倒れていくと、舗装されていた帝都の道を滅茶苦茶にしてから、先ほどの空爆で滅茶苦茶になった街を俺たちに晒した。

 

 この瓦礫と廃墟の街が、戦場になる。

 

「――――――続け(ザムノイ)!」

 

 後方の戦車部隊に命令した俺は、息を呑んでから砲塔の中へと潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 魔王の妻

 

ナタリア「傭兵さんって、2人も奥さんがいるんだ」

 

タクヤ「ああ。どっちもラトーニウスから連れ去ってきたらしい」

 

ナタリア「つ、連れ去った!?」

 

タクヤ「しかも許婚と一戦交えて無理矢理連れ去ったらしいよ」

 

ナタリア「えぇ!?」

 

リキヤ(17)『ガッハッハッハッハァッ! この女たちは俺のものだー!!』

 

ジョシュア(許婚)『く、くそ…………! 煮るなり焼くなり好きにしろ!』

 

リキヤ(17)『フッフッフッ。ならば、2人とも調理して食ってやろう…………! ガッハッハッハッハァッ!』

 

タクヤ「恐ろしい魔王だねぇ」

 

ナタリア「さ、最低…………」

 

リキヤ「タクヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

カノン(凄まじいイメージダウンですわね…………)

 

 完

 

 



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市街地戦の開幕

 

 

 帝都サン・クヴァントの写真を、小さい時に読んだ本のあるページで目にしたことがある。オルトバルカ王国と並ぶ大国の帝都はしっかりと舗装された大通りと、伝統的な建築様式によって建てられた美しい建物たちによって彩られた華やかな大都市だった。

 

 大通りに並ぶ露店は常に買い物客で埋め尽くされ、時折そこで冒険者たちもダンジョンの中で使うアイテムを購入していく。私服と防具姿の買い物客が混ざり合う、典型的なこの世界の大都市の風景である。

 

 丁度俺がいる場所は、その写真に写っていた大通りだろう。けれども今の帝都の大通りは、その写真とは全く違う風景だった。

 

 産業革命によって新しい建物がどんどん増えていく中で、伝統的な古さを頑なに守り続けるかのように建てられた古い建築様式の建物たちは、ほとんどが木っ端微塵に倒壊してしまい、大都市を瓦礫の絨毯へと変えていた。もちろんしっかりと作られた高級な絨毯ではなく、ボロボロの絨毯のようだった。至る所に穴が開いたボロボロの絨毯のように、レンガや建物の残骸の中からは鉄骨や折れた木柱の骸が顔を出し、”絨毯”の隙間から吹き上がる炎が真っ黒な大地で輝き続ける。

 

 辛うじて生き残っている建物も、殆ど倒壊しかけていた。稀に原形を留めている建物も見受けられるけれど、殆どの建物は半壊しているのが当たり前だ。壁が剥がれ落ちたせいで寝室や子供部屋があらわになっている。住人が避難したことによって誰もいなくなった家の子供部屋の中で、いつも遊び相手になってくれる子供に置き去りにされたぬいぐるみが、寂しそうに転がっていた。

 

 そしてその傍らの瓦礫の中からは、腕が伸びていた。

 

 服と皮膚は真っ黒に焦げ、指は中指と薬指が欠けている。辛うじて燃え残っている服は軍服か制服らしく、その腕の根元にはG36Cと思われるアサルトライフルが転がっていた。

 

 住民はもういない。この帝都に残っているのは吸血鬼か、奴らの味方をする人間のみ。

 

「クソ野郎共の味方なんかするからだ」

 

 俺たちのチーフテンの隣を進むエイブラムスのキューポラから身を乗り出していたテンプル騎士団のメンバーが、瓦礫の絨毯から顔を出す敵兵の死体を見ながら吐き捨てるように言った。世界中を蹂躙しつくし、最終的にこの世界を支配しようとする過激派の吸血鬼に味方をしたところで、仮に俺たちに勝利したとしても、奴らが作り上げる世界では吸血鬼たちの食料にされるのが関の山だろう。確かにこの世界に不満があるのかもしれないけれど、そのような理由で奴らの味方をした人々は、きっと先が見えていないのだ。

 

 チーフテンのキューポラから身を乗り出しつつ、周囲を警戒する。時折双眼鏡を覗き込んで敵がいないか確認するが、見受けられるのは倒壊した建物や、バラバラになった状態で瓦礫の絨毯の一部と化している人間の死体ばかりである。至る所に転がる瓦礫と見分けがつかないほどズタズタにされた死体の傍らには珍しく装甲車の残骸もあった。

 

 親父が投入した航空部隊の爆撃がどれだけ凄まじかったのかを痛感しながら、チーフテンと共に並走する小ぢんまりとした戦車の群れを見渡す。改造によって無人型に改造された軽戦車のルスキー・レノたちは瓦礫の山に紛れ込んでいる死体を目の当たりにしても心を痛めることはなく、搭載されている制御装置の命令に従いつつ、淡々と走り続けている。

 

 チーフテンの隣を並走している通常型は、砲塔に搭載された37mm砲と、主砲同軸と車体前部に7.62mm弾が装填された機銃を搭載している。歩兵ならば容易く蹴散らしてしまう火力を持っているけれど、戦車どころか装甲車の攻撃にも耐えられないほど装甲が薄く、更に戦車の装甲を貫通できる火力は持ち合わせていないため、あくまでも敵の歩兵の撃滅が役割だ。

 

 他にも通常タイプにカチューシャを搭載した台車を牽引させた火力支援型と、主砲と機銃の代わりに火炎放射器を搭載した近距離型もある。他にも種類を増やそうと思っているんだが、大半がテスト中であったため、ヴリシア侵攻への投入は間に合わなかった。

 

『同志、瓦礫の数が少なくなってきましたね』

 

 チーフテンの左斜め後ろを走るエイブラムスに乗る仲間が、無線機を使って俺にそう言った。彼らの乗るエイブラムスには『マレーヤ』というコールサインがつけられており、砲塔の左側面にカルガニスタン語でマレーヤと書かれている。名前の由来は、第一次世界大戦と第二次世界大戦で大きな戦果をあげたイギリスの『クイーン・エリザベス級戦艦』の5番艦『マレーヤ』だ。

 

 基本的に、テンプル騎士団の保有する戦車のコールサインにはイギリスの戦艦の名前が割り当てられている。俺たちの乗るチーフテンのコールサインである”ウォースパイト”の由来も同じくクイーン・エリザベス級の2番艦『ウォースパイト』だし、ナタリアたちの乗るチャレンジャー2の”ドレッドノート”の由来も、イギリスの戦艦『ドレッドノート』からである。

 

「そろそろカチューシャの出番だな。全車停止」

 

 爆撃で破壊された建物の数が段々と減りつつあるということは、ここは比較的爆撃による被害を受けなかったという事になる。それゆえに敵が生き残っている可能性も大きい。

 

 無数のTu-160で爆弾をこれでもかというほど落としていったとはいえ、その爆撃だけで敵部隊を殲滅できるわけがない。大打撃を与えられたおかげで戦いやすくなっているだろうけど、だからと言って俺たちや連合軍の本隊の出番がなくなったわけではないのだ。

 

 テンプル騎士団の任務は、本隊を側面から支援すること。あくまでも俺たちが戦うことになる敵は”氷山の一角”程度となるため、敵の本隊と真正面から激突することになる連合軍本隊と比べればまだ安全だろう。しかし、敵は吸血鬼を含む地上部隊。しかも銃や戦車で武装している。

 

 今までのように、銃という異世界の武器で蹂躙するような戦いではない。同じような武器を持った歩兵や戦車同士の”現代戦”となる。

 

 無線機に向かって命令すると、進軍していた戦車部隊が一斉に停止した。エイブラムスやチーフテンの間を必死に走っていたルスキー・レノの群れもぴたりと停止し、エンジンの音を立てながら廃墟を睨みつけている。

 

「…………011、偵察に向かえ」

 

 そう命令すると、チーフテンの近くで待機していた1両のルスキー・レノが動き出し、仲間たちに激突しないようにゆっくりと走ると、単独で目の前の辛うじて爆撃の被害を受けなかった大通りへと突き進んでいった。

 

 砲塔に”011”とペンキで描かれた無人型の軽戦車に偵察命令を出した俺は、他の戦車の砲塔から顔を出す車長たちを見渡してから頷く。間違いなく、この大通りで敵は連合軍の本隊を迎撃するために待ち伏せしている。大通りへと入り込んできた本隊に奇襲を仕掛け、そのまま一気に攻撃して殲滅してしまうつもりに違いない。

 

 とはいえ、親父たちの戦力は吸血鬼たちのおよそ20倍。すでに爆撃で大きな損害を出している敵にどれほど無事な戦力が残っているかは定かじゃないけど、エンジンとキャタピラの音を響かせながら進軍する本隊を食い止めきれるほどの戦力が残っているとは思えない。

 

 そろそろ戦闘が始まると察したのか、他の戦車の車長たちが続々とキューポラのハッチを閉め始めた。仲間たちが戦闘準備に入ったのを見守ってから、俺も同じように車内に潜り込み、ハッチを閉じる。

 

 息を吐きながらモニターを見てみると、偵察に向かわせたルスキー・レノの砲塔に搭載されたカメラからの映像が映し出されているところだった。所々に爆弾が落ちたと思われるクレーターが出来上がっているが、辛うじて道を覆う舗装は残っているし、露店や喫茶店も建物の破片が散乱している程度で、ほんの少し掃除すればすぐに営業を再開できそうである。

 

 そういう光景ばかりなのだろうかと思いながら画面を見ていると、ルスキー・レノがいきなり動きを止めた。このまま前進するのは危険だと判断したのか、ぴたりと動きを止めてから小さな砲塔を左右に振り、建物や大通りの向こうをズームしながらスキャンし始める。

 

 そして―――――――獲物を見つけてくれた。

 

「見つけたぞ」

 

「どこどこ?」

 

 水筒に入ったアイスティーを飲みながら、砲手を担当するイリナが俺の隣へとやってくる。

 

「ほら、ここ。雑貨店の隣」

 

「…………うわ、強そうな戦車だねぇ」

 

 ズームされた映像に映っていたのは、ドイツ製主力戦車(MBT)であるレオパルト2A7+だ。シュタージが潜入した際に遭遇したと報告してくれた敵の戦車と同じタイプらしい。どうやらアクティブ防御システムも搭載しているらしく、砲塔の上にはセンサーが搭載されたターレットが乗っているのが分かる。

 

 灰色と白の迷彩模様で塗装されたレオパルトは、偵察をしているルスキー・レノから見て左側に主砲を向けながら、本隊を狩るタイミングを待っているようだった。戦車以外にもロケットランチャーを装備した歩兵も見受けられるし、土嚢袋を積み上げて作ったバリケードの後方で重機関銃をチェックしている奴もいる。

 

 第二次世界大戦中のドイツ兵を彷彿とさせる制服に身を包んでいる兵士たちは、緊張しながら待ち伏せを続けているようだった。やはり敵兵は練度の低い兵士が多いらしく、敵との戦闘開始が近い状況で落ち着いている兵士は少ない。

 

 幸い、まだ発見されていない。今すぐ攻撃命令を出せば先制攻撃ができる。

 

「HQ(ヘッドクォーター)、応答せよ。こちらウォースパイト」

 

『こちらHQ(ヘッドクォーター)、どうぞ』

 

「敵の防衛部隊を確認。現在、我々は敵防衛ラインの左翼を捕捉している。攻撃許可を」

 

『――――――ウォースパイト、同志リキノフからだ。”徹底的にやれ”だそうだ。どうぞ』

 

 はははっ、許可を出してくれたってことか。

 

「了解(ダー)。親父に『子供たちに戦果を取られるなよ』って伝えておいてくれ」

 

『ははははっ、了解だ』

 

 さて、攻撃を始めようか。

 

 目の前の画面をタッチし、偵察に向かっていたルスキー・レノに移動命令を出す。こっちに呼び戻すのではなく、そのまま敵に発見されないように迂回しながら進み、敵の配置を報告してもらうのだ。その情報は俺たちの攻撃に役立つし、進行中の本隊にも役立つ。待ち伏せしている敵の位置を的確に教えてくれるのだから。

 

「ナタリア、ヘリボーンで降下する予定の部隊はどうなってる?」

 

『配置についてるみたい。敵防衛ラインの右翼ね』

 

 なるほどね。テンプル騎士団が左翼を攻撃し、防衛ラインの右翼をヘリボーンで降下した歩兵部隊が攻めるってことか。そうすれば敵部隊は前進するか後退することしかできなくなるし、歩兵部隊を降下させるヘリはしっかりと武装も搭載している。しかも真正面から突っ込んでくるのは、親父が率いる連合軍地上部隊の本隊。実質的に、敵の逃げ場は後方しかない。

 

 まだ橋頭保として確保する予定の図書館にすら到着していない。おそらく、敵はまだ後方に部隊を残しているだろう。ここにいるやつらは、あくまでも”第一防衛ライン”を死守する部隊に違いない。

 

 それでも、徹底的にやる。そういう命令が下されたのだから。

 

「同志諸君へ。ルスキー・レノ隊によるロケット弾の一斉攻撃の後、パンジャンドラムを突撃させる。俺たちが突っ込むのはその後だ」

 

 テンプル騎士団が敵に攻撃を仕掛ける場合、まず最初にカチューシャの一斉攻撃で敵の数を減らす。戦車を撃破できる可能性は低いが、歩兵を減らすことができれば敵は小回りが利かなくなるというわけだ。更にパンジャンドラムを突撃させて追い討ちをかけてから、戦車で本格的な攻撃を始めるのである。

 

 フランセン共和国騎士団との戦いで大きな戦果をあげた戦法だからなのか、この先制攻撃の方式はモリガン・カンパニーでも採用されているという。

 

 キューポラから顔を出し、片手を突き出してメニュー画面を開く。すでに生産済みの兵器の中からパンジャンドラムを選んでタッチする。普段ならばそれだけでパンジャンドラムが姿を現すのだが、いくつも生産している場合はその前に、全て装備するか、それとも1つだけ装備するか選択するための選択肢が出てくるのだ。

 

 迷いなく全て装備する方をタッチした次の瞬間、戦車部隊の隊列の前に、無数の巨大な車輪が姿を現した。

 

 戦車よりも巨大な車輪に取り付けられているのは、その巨体を前進させるためのロケットモーター。軸の部分はやけに太くなっているが、それは改造で搭載する爆薬の数を可能な限り増やしたからだ。至近距離で爆発すれば、装甲車を確実に行動不能にするほどの破壊力を持つ改造型パンジャンドラムを全て出現させた俺は、ずらりと並んだ20基のパンジャンドラムを見渡してから再びキューポラのハッチを閉め、別のモニターを睨みつける。

 

「アールネ、聞こえるか?」

 

『おう』

 

「スオミの部隊は後方から支援してくれ」

 

『おいおい、俺たちだけ仲間外れか?』

 

「何言ってんだ。この後に大活躍してもらう予定なんだぜ? 余力を残しておけってことさ」

 

『はいはい。じゃ、一番槍は頼むぜ』

 

「はいよ」

 

 それに、スオミ支部の戦車の中にはレオパルトも含まれているが、大半は防衛戦闘に向いたタイプの戦車が配備されている。占拠する予定の図書館の防衛で運用するため、この戦いに参加しているのだ。

 

 防衛戦では貴重な戦力となるため、ここで1両でも失うわけにはいかない。

 

 画面をタッチし、ここまでカチューシャを搭載した重い台車を牽引してくれていた10両のルスキー・レノに攻撃準備を指示する。基本的に無人戦車は自立行動をするようになっているけれど、このように俺が直接命令を出す事もできるのだ。とはいえ戦闘中に1両ずつ的確な命令をしている余裕はないため、こんなことができるのは攻撃前の準備か、こちらが安全圏にいる時くらいしかない。

 

 命令を受信した無人戦車の群れが、台車の上に乗っているカチューシャの角度を調整し始めた。やがて、1両目の反応の傍らに表示されている準備中を意味する黄色いマークが準備完了を意味する赤いマークに変わったかと思うと、他の車両の反応も連鎖的に赤くなっていき、全ての車両が発射準備を終えた。

 

 ロケット弾が着弾する予測範囲を把握し、どこに向かって発射すればより多くの敵を殺傷できるのか判断したのだ。

 

「――――――撃て(アゴーニ)

 

 無線機に向かってそう言った直後だった。

 

 キューポラの外で、敵へとカチューシャの発射台を向けていたルスキー・レノの台車の後端が、立て続けに火を噴き始めた。発射台からは凄まじい勢いでロケット弾が飛び出していき、瞬く間に他の車両から放たれたロケット弾と合流すると、廃墟と化したサン・クヴァント上空に白煙の軌跡を刻み付けていく。

 

 1両の台車に搭載されているロケット弾の数は20発。それが10両も一斉攻撃を開始したため、これから敵に飛来するロケット弾の数は合計で200発という事になる。何の前触れもなく頭上から無数のロケット弾が降ってくるのだから、その攻撃範囲内にいれば大損害を被ることになるのは想像に難くない。

 

 敵の戦車はアクティブ防御システムを搭載している。対戦車ミサイルやロケット弾を撃墜してくれる頼もしい防御システムだが、さすがに200発のロケット弾の雨を完全に防ぎ切ることは不可能だ。数発の撃墜に成功したとしてもそれ以外に被弾するだろうし、歩兵部隊にも確実に被害が出る。

 

 さらに、その後にはパンジャンドラムの出番もある。

 

 モニターの向こうへと飛翔していくロケット弾の終着点が爆炎に変わったのを確認した俺は、今度はパンジャンドラムに突撃命令を下すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傍から見れば、その光景は廃墟に無数の火柱が屹立したかのようだった。散発的に地面を抉る大爆発をもたらすのは、先ほど爆弾が降り注いできた空から同じように降り注ぐ、合計200発のロケット弾。大地に喰らい付いた獰猛なロケット弾たちはたちまち爆風を結び付かせ、廃墟を火の海へと変えていく。

 

 双眼鏡の向こうで繰り広げられる容赦のない攻撃を見ていた男は、双眼鏡から片目を離しながら笑った。双眼鏡だというのに片目しか使っていないのは、彼にもう片方の目が無いからだ。14年前に繰り広げられた戦いで負傷してからは、左目には真っ黒な眼帯をつけている。そのせいで”貴族の護衛”というよりは、”山賊のリーダー”のような風貌に見えると度々言われることを、彼は気にしている。

 

テンプル騎士団(ガキ共)が動いたぜ、野郎共!」

 

 続々と黒い制服を身につけた兵士たちを降下させていくヘリのローターの音をかき消してしまいそうなほどの大声で言うと、戦闘準備を終えた他の兵士たちが一斉に銃の安全装置(セーフティ)を解除する音が聞こえてくる。声を使う返事よりも戦意の伝わりやすい、好戦的な返事だった。

 

 その部隊を構成している種族は、ハーフエルフやオークなどの奴隷にされやすい種族ばかりである。

 

 王都や帝都の奴隷売り場へと足を運べば、必ずと言っていいほど檻の向こうで手枷や足枷をつけられた状態で放置されている奴隷たち。その大半を占めるのは、ハーフエルフやオークである。

 

 再生能力を持つ吸血鬼や外殻による硬化が可能なキメラを除く人類の中で最も強靭な肉体を持つのは、オークとハーフエルフと言われている。その両者が奴隷にされやすいのは、正確に言うならば”不衛生な場所に放り込んでも壊れにくい”という理由である。身体が華奢なハイエルフはあっさりと感染症の餌食になる上に、傷めつけ過ぎるとあっさりと死亡してしまう。普通の人間やエルフもハイエルフほどではないが、しっかりと管理しなければ”出荷”前に死亡してしまうため、放っておいても死なない頑丈な両者は奴隷を売る者たちから見れば、手間のかからない扱いの楽な”商品”なのだ。

 

 しかし、そこにいるオークやハーフエルフたちは、奴隷ではない。

 

 人権と高い賃金を与えられ、本格的な訓練を受けた精鋭部隊なのである。

 

 彼らの所属する部隊の名は『ハーレム・ヘルファイターズ』。屈強な肉体を持つハーフエルフとオークだけで構成された、”突撃部隊”なのだ。

 

 そしてその隊長を務めるのは、転生者同士の戦争となった第一次転生者戦争を生き延びたモリガンの傭兵の1人である、ギュンター・ドルレアン。カノンの実の父親であり、エースパイロットのミラの兄である。

 

「さて、そろそろ俺たちも突撃するぜ」

 

 銃剣を装着したショットガンを肩に担ぎながら、ギュンターは彼の背後にずらりと並ぶ隊員たちを見渡した。身長にばらつきがあるが、身長が低くても170cm後半の巨漢ばかりで構成されている部隊の隊員たちの身体には、当たり前のように傷がある。中にはギュンターのように片目のない隊員や、ハーフエルフの特徴でもある長い耳が片方だけ欠けている兵士もいる。

 

 この部隊を構成する隊員の大半は、奴隷として売られる筈だった者たちなのだ。

 

「まさか、ビビってる奴はいねえよな?」

 

「いるわけないでしょう、隊長」

 

「全員覚悟を決めてるんです。ビビってる奴なんて1人もいません」

 

「それでいい。”この程度の火の海”でビビるような○○○が小せえ腰抜けはいらねえ」

 

 ニヤリと笑いながら、ギュンターは踵を返した。

 

 テンプル騎士団によるロケット弾攻撃が終わり、爆風が薄れつつある。その爆風の残滓を引き千切りながら突撃していくのは、ロケットモーターが取り付けられた鋼鉄の車輪たちだ。

 

 ショットガンを構えながら―――――――彼は、命令を下した。

 

「――――――Charge(突撃)!!」

 

 

 

 

 



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テンプル騎士団VS戦車部隊

 

 巨大な車輪の群れが、瓦礫の上に巨大な溝を刻みつけながら疾走していく。明らかに列車の車輪や馬車の車輪よりも大きな車輪が、取り付けられたロケットモーターで加速させられながら突っ込んでくるのを目の当たりにすれば、どんな歴戦の兵士でも恐怖を覚えてしまうことだろう。

 

 しかもその車輪は1基だけではない。ずらりと横に1列に並んだ20基の車輪が高速回転しながら、軸の部分に搭載された大量の爆薬を使って自爆するために殺到してくるのである。しかも破壊力と威圧感を増すために大型化されたその車輪は、命中さえすれば装甲車を木っ端微塵に破壊し、最新型の主力戦車(MBT)ですら擱座させることができるほどの破壊力を秘めているのだ。

 

 だが、その車輪がそれほどの破壊力を秘めていると予測できた敵は、1人もいなかったに違いない。

 

 予測している暇などないのだ。目の前から人体を容易く踏みつぶしてしまえるほどのサイズの車輪が、ロケットモーターの恩恵で高速回転しながら突っ込んでくるのだから。

 

「う、うわ、何だあれ!? でっ、でっかい車輪が――――――」

 

「撃て! 敵の攻撃だ!」

 

 カチューシャの一斉攻撃が生み出した爆風を突き破って姿を現した大型パンジャンドラムの群れへと砲塔を向けたレオパルト2A7+の車長が、無線機に向かって叫びながらキューポラの中へと潜り込み、ハッチを閉じる。正面から向かってくるはずの敵部隊を待ち伏せする予定だった歩兵部隊も、建物の破片や灰をかぶったままアサルトライフルや重機関銃をパンジャンドラムの群れへと向ける。

 

 パンジャンドラムは、車輪に取り付けられたロケットモーターで回転しながら敵へと突っ込んで大爆発する兵器である。当然ながら人間は乗っておらず、自衛用の機銃やアクティブ防御システムのような装備もないため、接近を許さなければ損害を被ることはありえない。しかも戦車のような装甲を持つわけでもないため、それなりに貫通力のある弾丸で急所を狙うか、砲弾やロケットランチャーで攻撃するだけで無力化することができるのだ。しかも歩兵のように小さな目標ではなく、戦車や装甲車を踏みつぶせるほどの巨体であるため、命中させるのは容易い。

 

 キューポラから目標を睨みつけながら、そのレオパルトの車長はニヤリと笑った。一番最初に降り注いだロケット弾の攻撃には度肝を抜かれたが、その次に繰り出してきたのはロケットモーターのついた巨大な車輪による突撃というわけのわからない作戦である。

 

「当てろよ」

 

「任せてください」

 

「よし、撃て(フォイア)!」

 

「発射(フォイア)!」

 

 元々正面から進撃してくる敵の戦車部隊との交戦を想定していたため、装填されていたのは極めて獰猛な貫通力を持つAPFSDS。戦車のような分厚い装甲を持たないパンジャンドラムでは防げないのは、火を見るよりも明らかである。

 

 120mm滑腔砲から放たれた砲弾が、キューポラの向こうでまるで空中分解を起こしてしまったかのように剥離する。その中から姿を現したのは、まるで捕鯨船に乗る漁師が持つ銛にも似た、鋭利な形状の砲弾だった。

 

 脱ぎ捨てた部品を後方へと置き去りにしたAPFSDSは、砲手が狙った通りに真っ直ぐに飛翔していき、見事に中央を疾走していたパンジャンドラムの胴体へと直撃する。やはり戦車のような装甲は装備されていなかったらしく、新型の戦車の装甲すら貫通する威力を持つ砲弾に食い破られたパンジャンドラムは回転を続けながら火を噴くと、歩兵や戦車を踏みつぶすよりも先に大爆発を起こした。

 

 風穴から火柱が吹き上がり、すさまじい衝撃波が一瞬でパンジャンドラムの部品を木っ端微塵に吹き飛ばしていく。車輪の部分やロケットモーターの一部が空へと舞い上がっていくのを目の当たりにしたレオパルトの乗組員や他の歩兵たちは、そのパンジャンドラムの爆発に恐怖を覚えた。

 

 直撃すれば、いくら最新型の戦車でも大損害を被ることになるのは想像に難くない。戦車よりも装甲の薄い装甲車ならば一撃で木っ端微塵になってしまう事だろう。

 

 恐ろしいと思う原因が、高速回転しながら突っ込んでくる事ではなく、今しがた目の当たりにした大爆発へと変わる。落下してくるパンジャンドラムの部品を見つめながら、まだ残りのパンジャンドラムが何基も生き残っていることを確認した車長は、冷や汗をかきながら叫んだ。

 

「ぜっ、全車、全力で迎撃しろ! あんなのを喰らったら木っ端微塵だぞッ!!」

 

 他の車両の主砲が火を噴き始める。あんな兵器に懐に入られたら、強烈なタックルを受け止める羽目になるだけでなく、あの大爆発で木っ端微塵にされてしまう。

 

 訓練を受けた時間はそれほど長くはなかったとはいえ、砲手たちの砲撃が接近中のパンジャンドラムを血祭りにあげ始めた。左側の車輪にAPFSDSの直撃を喰らったパンジャンドラムが進路を変え、部品をいくつも脱落させながら隣を並走する味方のパンジャンドラムと激突する。そのまま2基ともコースを外れたかと思うと、半壊したアパートの廃墟に突っ込んで一緒に大爆発を引き起こした。

 

 半壊していたとはいえ、産業革命で発達した技術を生かして建築された5階建てのアパートが一瞬で消し飛んだように見えた。最初の爆撃で抉り取られたアパートの”傷口”に2基のパンジャンドラムが突っ込んだ直後、唐突に半壊したアパートの窓やドアから一斉に炎が吹き上がったかと思うと、その炎さえ吹き飛ばしてしまうほどの衝撃波が荒れ狂い、アパートを木っ端微塵にしてしまったのである。

 

 顔を青くした戦車の乗組員たちや歩兵たちが必死に応戦するが、パンジャンドラムはもう既にかなり加速しており、全て迎撃しきれないのは明らかであった。

 

 車長が味方の戦車に後退を命じようとしたその時、爆風の向こうから急迫するパンジャンドラムが、よりにもよって分隊長の乗るレオパルトに狙いを定めた。分隊長のレオパルトはすぐに後退しつつ砲撃し、主砲同軸に搭載されている機銃で必死に迎撃するが、パンジャンドラムを一撃で貫通するAPFSDSはパンジャンドラムの左側を通過したため命中せず、主砲同軸の機銃もパンジャンドラムの軌道を変えられないようだった。

 

 そして次の瞬間、車外から鉄板がひしゃげるような音が聞こえてきて、車長は目を見開きながら分隊長の車両を見た。

 

 砲撃を外したせいで接近を許してしまったパンジャンドラムが牙を剥いたのである。真正面から真っ直ぐに突っ込んで行ったパンジャンドラムは、正面装甲に傷跡をつけながら滑腔砲の砲身を叩き折ると、必死に後ろへと逃げようとするレオパルトに肉薄した状態で自爆する。

 

 巨躯の中に埋め込まれていた大量の爆薬が起爆し、生れ落ちた荒々しい爆風が一瞬で分隊長の乗るレオパルトを飲み込んでしまう。複合装甲で守られているため、運が良ければ分隊長のレオパルトはまだ動くことだろう。しかしパンジャンドラムと激突する羽目になった瞬間、戦車にとっては”矛”である戦車砲を叩き折られている。いくら分厚い装甲を持つ戦車でも、主砲同軸の機銃だけでは戦えない。

 

 やがて、爆風の中から火達磨になったレオパルトが姿を現した。今の一撃に耐えたのだろうかと期待しながら見守っていると、唐突に砲塔のキューポラが開き、中から戦車と同じく火達磨になった乗組員と分隊長たちが絶叫しながら姿を現す。

 

 火のついた服を必死に脱ぎ捨てた彼らの皮膚は、もう既に黒焦げになりつつあった。まだエリクサーを飲めば助かるだろうかと思った次の瞬間、地面に転がって火を消そうとする彼らを、後続のパンジャンドラムの車輪が押しつぶしていった。

 

 巨大な車輪が通過する音が、彼らの苦しそうな声を飲み込む。すっかり声がしなくなったという事は、彼らはもう絶命したに違いない。

 

 目の前で仲間が死ぬ瞬間を見てしまった車長は、目を見開きながら息を呑んだ。敵に撃ち殺されたならばここまでショックは受けなかっただろう。

 

 左隣で応戦していたレオパルトが、分隊長たちを轢き殺したパンジャンドラムに喰らい付かれる。ぐしゃ、と砲身のへし折れる音が聞こえてきた次の瞬間、同じようにそのレオパルトも炎に包まれ、動かなくなってしまった。

 

「車長、正面から敵の戦車部隊! 歩兵もいます!」

 

「来やがったか…………ッ!」

 

 耳を劈(つんざ)くホイッスルの音の後に聞こえてきたのは、兵士たちの雄叫びとエンジン音だった。パンジャンドラムの攻撃で擱座したレオパルトの残骸の向こうから殺到してくるのは、漆黒に塗装された戦車の群れだった。その後方には対戦車用のロケットランチャーやアサルトライフルで武装した黒服の歩兵部隊がおり、雄叫びを上げながら守備隊へと突撃してくる。

 

 一番最初のロケット弾の雨で歩兵の数を減らし、戦車を支援する歩兵の減少で小回りの利かなくなった戦車部隊にパンジャンドラムの自爆攻撃で追い討ちをかける。そしてやっと戦車部隊が攻撃を仕掛けるという濃密な先制攻撃である。

 

 戦闘を突き進んでくるのは、黒と灰色の迷彩模様に塗装されたチーフテン。砲塔の右側面にはオルトバルカ語で『ウォースパイト』と書かれており、その下にはエンブレムが描かれている。

 

「指揮権は俺が引き継ぐ! 各員、前方の戦車部隊を撃滅せよ!」

 

 戦車同士の死闘が、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想以上に効いたみたいだな」

 

 モニターに映る映像を見ながら呟きつつ、アイスティーの入った水筒を口へと運ぶ。突撃させた大型パンジャンドラムは半数ほどが迎撃されたせいで戦果をあげられなかったが、残りの半数は敵兵の群れを吹っ飛ばしたり、レオパルトに喰らい付いて擱座させるという戦果をあげた。モニターの向こうには炎上しながら擱座するレオパルト2A7+が映っており、戦車の矛である戦車砲はパンジャンドラムとの激突のせいで見事にへし折れている。

 

 歩兵を轢き殺すか、戦車にちょっとしたダメージを与える程度だろうと思っていた。そもそもあのパンジャンドラムたちの突撃は現代兵器で武装していない人間の軍隊にならば通用するが、目の前にいる敵の守備隊のように戦車やアサルトライフルでしっかりと武装した敵には効果が薄い。自爆する前に迎撃されるだろうし、命中したとしても戦車の装甲は厚いから、撃破するのは難しいだろうと思っていた。

 

 けれど、戦果は予想以上だった。戦車を何両も擱座させ、歩兵の数もそれなりに減らすことができたのだから。

 

 今度は、俺たちが突っ込む番だ。

 

 砲手を担当するイリナに砲撃する目標を知らせようとしたその時、黒煙の向こう側で何かが煌いたかと思うと、その黒煙の柱に真っ黒な穴が開き、そこから銀色の銛にも似た鋭い何かが飛来した。こっちに向かって飛んできたその物体はチーフテンの砲塔を掠めると、後ろを走行していた無人型のルスキー・レノの砲塔を易々と貫通して撃破してしまう。

 

 無人化されているとはいえ、防御力はほとんど変わらない。そのため、現代の戦車砲が直撃すれば当然ながら木っ端微塵になる。敵の攻撃に耐えるのは不可能だ。

 

 敵の戦車の砲撃だ。今のはAPFSDSか?

 

「ラウラ、回避!」

 

「了解(ダー)!」

 

「イリナ、目標は12時方向!」

 

「了解! 早く撃たせて!」

 

 イリナの返事を聞いて苦笑いしながら、冷や汗を拭い去る。

 

 このチーフテンは可能な限り装甲を複合装甲にすることで、防御力を向上させた近代化改修型である。とはいえ、ルスキー・レノを除くテンプル騎士団の戦車の中ではおそらくもっとも旧式の戦車だろう。いくら近代化改修で性能を底上げすることができても、最新型の戦車に比べると性能は劣るのだ。

 

 車体は複合装甲で覆われているが、砲塔は残念ながら複合装甲ではく従来の装甲だ。だから車体への被弾ならば戦闘を継続できるが、砲塔に直撃した場合は致命傷になる。

 

 だから砲弾は極力回避しなければならない。

 

「全車、散開!」

 

 戦車部隊に間隔を取らせつつ、前進する。密集した状態で前進すると、敵の砲弾やミサイルを回避する際に味方と衝突する危険があるため、少しでも味方の邪魔をしないようにするための作戦である。

 

 再びAPFSDSがウォースパイトの砲塔を掠める。

 

 キューポラから、今の砲撃が飛来した場所を確認した。砲弾の衝撃波に引き裂かれた黒煙の向こうに、灰色の迷彩模様で塗装されたレオパルトがいる。砲塔と砲身の角度を変え、チーフテンへと再び狙いを定めているらしい。

 

「イリナ、やれ!」

 

「発射(アゴーニ)っ!」

 

 レオパルトが砲撃するよりも先に、こっちの120mm滑腔砲が火を噴いた。装填してあるのはもちろん貫通力が高いAPFSDSである。

 

 砲身から解き放たれた砲弾が外殻を脱ぎ捨て、銀色の銛にも似た形状の砲弾があらわになる。衝撃波で黒煙を突き破ったその一撃は動きを止めていたレオパルトへと向かうと、まだ照準を合わせている途中だったレオパルトの砲塔の正面に突き刺さった。金属と金属が激突する音がチーフテンの車内にも入り込んできて、撃破できたかどうか確認しようとする俺を焦らせる。

 

 自動装填装置がAPFSDSを装填する音を聞きながら、俺は息を呑んだ。今度の標的は今まで一撃で粉砕してきたような魔物ではなく、分厚い装甲に包まれた主力戦車(MBT)である。今までの相手とは比べ物にならないほど頑丈だ。

 

 もし今の一撃で撃破できていなければ、もう1発叩き込まなければならない。

 

「――――――くそ、レオパルトは健在! イリナ!」

 

「もう一発お見舞いするよ!」

 

 何とか再装填は終わっている。後は彼女が照準を合わせて発射スイッチを押せば、あのレオパルトに止めを刺せる!

 

 しかし――――――レオパルトに止めを刺したのは、俺たちが放った砲弾ではなかった。チーフテンから見て左側を並走していた戦車から放たれた1発のAPFSDSが、先ほどの砲撃で俺たちがレオパルトの砲塔に刻み付けた穴へと飛び込み、そこから更に砲塔の傷口を抉ったのである。

 

 今度は流石に貫通したらしく、こちらを向いていたレオパルトの滑腔砲の砲身が、ゆっくりと垂れ下がっていく。砲身の根元からはゆっくりと真っ白な煙が吹き上がり、キューポラのハッチからもゆっくりと白い煙が漏れ始めていた。

 

「うわ、ナタリアたちに横取りされちゃった!」

 

「やるな、カノン…………!」

 

 こっちが命中させた場所に、走行中の砲撃を正確に叩き込める砲手は、テンプル騎士団にはカノンしかいない。ちらりと隣を並走する戦車を見てみると、やはりそこを疾走していたのは漆黒に塗装されたチャレンジャー2だった。砲塔の右側面にはオルトバルカ語で『ドレッドノート』と書かれており、その上にはテンプル騎士団のエンブレムがある。

 

『タクヤ、しっかりしなさいよね!』

 

「おいおい、獲物を横取りすんなよ! ――――――こんてんだー!?」

 

 獲物を横取りしたチャレンジャー2に乗るナタリアに言い返した直後、何の前触れもなくチーフテンの車体が大きく揺れた。砲弾が直撃したのではないかと思ってぞくりとしたけど、聞こえてきたのはレンガの建物が倒壊する音だった。

 

 その衝撃でハッチの縁に思い切り顎をぶつけてしまった俺は、赤くなってしまった顎を手で押さえながらモニターを見下ろす。どうやらラウラが間違って倒壊しかけの建物に激突させてしまったらしく、辛うじて残っていたレンガ造りの建物は、チーフテンの全速力のタックルで完全に倒壊することになった。

 

「ふにゃあ!? ごっ、ごめんなさい!」

 

「だ、大丈夫…………」

 

 顎を押さえながら、再びキューポラの外を覗く。今しがたナタリアたちが撃破したレオパルトの残骸を盾にして、数名の歩兵がテンプル騎士団の歩兵部隊にLMGを乱射しているのが見える。ルスキー・レノの部隊をすかさず差し向けつつ、敵の戦車を探す。

 

 すると、今度は雑貨店と思われる建物の陰で何かが光った。敵の戦車だろうかと思いながら凝視していた俺は、次の瞬間にまたチーフテンが揺れたせいで、今度は顔面をキューポラの縁に思い切りぶつける羽目になった。

 

「まがふっ!?」

 

 くそ、今度は何だ!?

 

 建物を倒壊させた衝撃ではない。微かに金属が溶けたような臭いもする。

 

「被弾した!」

 

「!」

 

 さっきのは砲撃した時の光だったのか! ということは、あの雑貨店の陰に戦車が隠れてるってことだな!?

 

「損害は!?」

 

「支障なし! 車体に当たったみたい!」

 

「複合装甲のおかげだな…………!」

 

 車体の装甲を複合装甲に変更しておいたおかげで、辛うじて貫通することはなかったらしい。もし複合装甲に変更せず防御を疎かにしていたら、今頃車体を貫通したAPFSDSに3人とも串刺しにされていたことだろう。

 

 ひやりとしながら息を呑み、俺は敵の戦車を捕捉する。

 

 くそったれ、鼻血が出てる…………。あの戦車のせいだ!

 

「イリナぁ! あの雑貨店の影を狙えぇッ!」

 

「えっ? た、確かに戦車が隠れてるの見えるけど、何で怒ってるの!?」

 

「鼻血の仕返しじゃぁぁぁぁぁッ!」

 

「ふにゃあっ!? タクヤが怒ってる!?」

 

 APFSDSで乗組員もろとも串刺しにしてやる!

 

 鼻血を拭い去りながらモニターを見ていると、俺の顔を見ていたイリナが急にニヤニヤと笑いだした。まるでいつも俺から血を吸うときのように一瞬だけうっとりとした彼女は、ウインクしてから照準器を覗き込む。

 

 こいつ、戦いが終わったら俺から血を吸う気だ。俺の鼻血を見て食欲が出たらしい。

 

撃て(アゴーニ)!!」

 

「発射(アゴーニ)!!」

 

 イリナが雑貨店の陰に隠れている戦車へと、APFSDSを放つ。どうやら車体を本隊の方へと向け、砲塔だけをこっちに向けて砲撃していたようだ。慌ててそのレオパルトは前進して逃げようとするけど、回避するためにレオパルトが移動したせいで、そのままならば砲塔を直撃する筈だったAPFSDSは、よりにもよって左側のキャタピラへと突き立てられた。

 

 ずごん、と鉄板が滅茶苦茶になる大きな音がして、レオパルトの左側面から煙が出る。前進して逃げようとしていた戦車の巨体がぴたりと止まり、中から乗組員たちが大慌てで姿を現す。

 

 俺はキューポラのハッチを開けると、ハッチのすぐ外に装備されているKord重機関銃のグリップを握った。アンチマテリアルライフルにも似た形状のでっかい機関銃を逃げていく敵兵へと向け、トリガーを引く。

 

 弱点以外で人間と吸血鬼を判別するのは不可能であるため、使用する銃弾は全て銀の弾丸に変えてある。これならばいちいち吸血鬼と人間を見分けつつ使い分ける必要はない。人間も、銀の弾丸を叩き込まれれば死ぬのだから。

 

 擱座した戦車を棄てた敵兵たちが、片っ端から肉片になっていく。ハンドガンで応戦してくる最後の1人を蜂の巣にしてやった俺は、「ざまあみろ、クソ野郎!」と叫んでから、鼻を片手で押さえつつ車内へと戻った。

 

 

 

 

 




※コンテンダーは、アメリカ製の単発型ハンドガンです。
※マガフは、イスラエル製の戦車です。


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本隊の突撃

 

 

 吸血鬼たちが配備した第一防衛ラインは、右翼からも歩兵部隊と戦闘ヘリ部隊による猛攻を受け、早くも瓦解しつつあった。

 

 真正面から進撃してくる敵の大部隊を迎え撃つことを想定して配備されていた部隊の右翼へと雄叫びを上げながら襲い掛かっていったのは、かつて奴隷にされていたオークやハーフエルフの兵士たち。まるで人間たちに虐げられてきた恨みを銃弾に込めるかのように、装備したライフルで容赦のない猛攻を叩き込んでいく。

 

 連合軍との戦力差はおよそ20倍。圧倒的な戦力の敵が正面から進撃してくる事ばかりを想定していたため、防衛ラインの攪乱のために彼らがこうして戦力の一部を別行動させ、左翼と右翼を攻撃することを殆ど想定していなかったことも、混乱の原因の1つとなった。

 

 兵士たちが彼らの雄叫びを聞いた頃には、もう既に銃剣を装備したアサルトライフルやショットガンを装備した兵士たちが肉薄していた。漆黒の制服やボディアーマーを身につけ、背中に大型のロケットランチャーなどの重火器を背負った重装備の兵士たちを歩兵たちが迎え撃つが、次々に7.62mm弾の暴風雨に引き裂かれ、蜂の巣と化していく。

 

 辛うじて数名の歩兵がG36Cで応戦を始めたが、彼らはアイアンサイトの向こうで被弾したハーフエルフの兵士を見て、目を見開いた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「なっ…………!?」

 

 その兵士が被弾したのは腹と左肩である。被弾した瞬間に身体を大きく揺らしながら血を噴き上げたその兵士は、普通ならばそのまま崩れ落ちて力尽きる筈だった。頭に命中したわけではないため即死ではないが、致命傷を受けている。

 

 しかし―――――――そのハーフエルフの兵士は強靭な足で踏ん張ると、自分の血を浴びて真っ赤になった顔で守備隊を睨みつけ、むしろ逆に奮い立ったかのように雄叫びを上げながら銃剣突撃を続けてきたのである。

 

 ハーフエルフやオークは、再生能力を持つ吸血鬼と外殻を持つキメラを除けば、人類の中で最も屈強な種族だと言われている。不衛生な牢獄に放り込んでも力尽きることはなく、傷めつけられても簡単には死なない。そのため男性のハーフエルフやオークの奴隷たちは過酷な重労働をさせられるか、騎士団の奴隷部隊に配属され、最前線で魔物や盗賊との死闘に投入されることも多い。

 

 実際に21年前の戦いでは、モリガンの傭兵であるギュンターがレリエルの持つ槍で串刺しにされたにも関わらず生還し、すぐに治療を受けてから戦いに復帰している。更に14年前の第一次転生者戦争でも、立て続けに被弾したにもかかわらず最後まで最前線で戦闘を継続しつつ、未熟な新兵の多かった部隊を守り続けている。

 

 それに加え、守備隊が装備するアサルトライフルの銃弾の口径が小さいことも、命中したにもかかわらず彼らの突撃を食い止めることができなかった原因となった。

 

 5.56mm弾は、アメリカ軍をはじめとする各国の軍で採用されているアサルトライフルの弾薬である。ソ連で開発されたAK-47などに使用される7.62mm弾と比べると破壊力やストッピングパワーが劣るものの、反動が小さいため非常に扱いやすく、さらに命中精度も高いという利点があるため、アサルトライフルの弾薬にするには理想的だと言える。

 

 しかし、口径が小さいため威力が低いのだ。そのため頭に当たった場合はもちろん敵兵を即死させることが可能だが、胴体や手足に命中しても敵兵をすぐに射殺できるほどの威力はない。

 

 ハーフエルフたちの屈強さが、5.56mm弾の殺傷力を上回ったのである。

 

「う、嘘だろ!? こいつら被弾してるのに―――――――!」

 

「くそ、もっと大口径の武器を! 戦車は何やってんだ!?」

 

 唐突に横から急襲されたことに気付いた戦車部隊が、砲塔を迫りくるハーフエルフとオークの兵士たちへと向ける。とはいえ、敵の戦車を迎え撃つことを想定して待機していたため、装填されていたのは対戦車用のAPFSDS。いくら獰猛な貫通力を誇るとはいえ、大勢の歩兵を相手にすることはできない。

 

 装填手が大慌てで砲身からAPFSDSを引っこ抜き、新たに対人用のキャニスター弾を装填する。その装填のやり直しにかかった時間が、突撃するギュンターたちに攻撃のチャンスを与えた。

 

(対応が遅いんだよ、阿呆)

 

 装備していた銃剣付きのスパス12から手を離し、背中に背負っていた対戦車用の得物を取り出すギュンター。応戦を続ける歩兵たちに向かって手榴弾を放り投げつつ物陰に隠れ、そのまま倒壊しかけの建物を迂回して得物を構える。

 

 彼が装備したのは、ロシアで開発された『RPG-30』と呼ばれるロケットランチャーである。

 

 太い砲身の脇に細い砲身を取り付け、グリップと照準器を搭載したような形状をしているその得物は、モリガン・カンパニーの諜報部隊とシュタージたちが命懸けで手に入れた情報を元に、今回の作戦への投入が決定された対戦車兵器である。

 

 一足先にヴリシアへと潜入した諜報部隊からの報告は、吸血鬼たちが銃を持つはずがないと確信していたモリガン・カンパニーの上層部を驚愕させた。敵も銃や戦車で武装し、更に脱出したシュタージを戦闘機で追撃してきたというのである。

 

 銃が存在しない異世界で、現代兵器同士の激突が勃発するのは14年ぶり。当時の生き残りの兵士たちにとっては、14年ぶりにまた戦争をすると宣告されたようなものであった。

 

 劇的に難易度が上がったヴリシア侵攻であるが、その難易度が上がった理由の1つは、敵の戦車に装備されているアクティブ防御システムであろう。歩兵が戦車を撃破するために必須の装備となるのは対戦車榴弾を装填したロケットランチャーだが、高性能なセンサーを持つアクティブ防御システムは、接近するロケットランチャーのロケット弾を片っ端から迎撃してしまうため、戦車にダメージを与えるのが難しくなる。ただでさえ戦車が恐ろしい相手だというのに、それに対する有効な攻撃が実質的に無力化されてしまうのだ。

 

 そこで、アクティブ防御システムを持つ恐るべき戦車を撃破するための”矛”として、この兵器に白羽の矢が立った。

 

 RPG-30には、アクティブ防御システムを掻い潜ることができる画期的な装備がある。

 

 ランチャー本体には対戦車用の対戦車榴弾が装備されており、その隣にある細い砲身には、アクティブ防御システムを欺くための囮のロケット弾が装填されているのだ。アクティブ防御システムが囮を迎撃している隙に、対戦車榴弾が間髪入れずに戦車に喰らい付くというわけである。

 

 装着された照準器を覗き込んだギュンターは、味方の歩兵部隊を砲撃しようとしているレオパルトに照準を合わせた。砲塔は銃剣突撃と銃撃で歩兵部隊を血祭りにあげている友軍の兵士たちへと向けられている。いくらオークやハーフエルフの兵士たちが屈強とはいえ、対人用のキャニスター弾の雨を浴びればあっという間に肉片になってしまうし、5.56mm弾の集中砲火を浴びればたちまち戦死してしまう。早く戦車を排除して自分も加勢しなければ、同胞たちが次々に死んでしまう。

 

「終わりだ!」

 

 仲間たちを狙うレオパルト2A7+に照準を合わせたギュンターは、トリガーを引いた。

 

 まるで囮のロケット弾に引き連れられるかのように、戦車を撃破するための対戦車榴弾が飛んでいく。戦車の砲塔の上に搭載されたアクティブ防御システムがその反応を感知し、散弾を搭載したターレットがロケット弾へと向けられる。

 

 次の瞬間、放たれた散弾が囮のロケット弾を砕いた。瞬く間に蜂の巣にされて木っ端微塵になった”案内人”の残骸を突き抜けていったロケット弾が、囮のロケット弾の撃墜に成功して安堵する戦車へと飛び込んでいく。

 

 そして―――――――レオパルトの右側面を、対戦車榴弾が直撃した。

 

 メタルジェットと爆風が装甲を抉る。さすがに今の一撃では撃破できなかったものの、ギュンターの放った一撃でレオパルトは致命傷を負ったらしく、その場にとどまるよりも後退しつつ機銃で攻撃することを選択した。損傷の影響なのか、砲塔が旋回する速度がやけにぎこちない。

 

 被弾した個所から煙を噴き上げながら、レオパルトがゆっくりと後退していく。主砲同軸に搭載された7.62mm弾を装填した機銃で歩兵たちを牽制するが、ギュンターの訓練を受けたハーレム・ヘルファイターズの隊員たちは足元に機銃の弾丸が着弾してもひるまなかった。

 

 すると、他の誰かが放ったRPG-30が今度は左側面からレオパルトを直撃した。立て続けに対戦車榴弾を喰らう羽目になったレオパルトの動きが止まり、煙の吹き上がるハッチの中から乗組員たちが悲鳴を上げながら飛び出してくる。

 

 役目を終えたロケットランチャーを投げ捨てたギュンターは、銃剣が装着されたスパス12を構えると、ポンプアクションではなくセミオートに切り替えてあるかを確認してから、瓦礫で埋め尽くされた地面の上を走り出す。

 

「うおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 すぐ目の前にある倒壊した家の瓦礫の山で、土嚢袋で作ったバリケードを有効活用しながら、銃剣突撃してくる味方たちに向かってドイツ製LMGのMG3を乱射する敵兵を見つけたギュンターは、他の兵士たちの加勢をするよりも先に、その機関銃の射手を何とかすることにした。

 

 第二次世界大戦で猛威を振るったMG42の連射速度を受け継いでいるMG3は、さすがに装甲車を破壊できる火力は持っていないものの、肉薄してくる数多の歩兵たちにどれだけの損害を与えるかは想像に難くない。おまけに、装填されているのはより大口径の7.62mm弾。5.56mm弾と違って口径が大きく、殺傷力も段違いである。

 

 銃剣付きのショットガンを構えながら瓦礫の斜面を駆け上がったギュンターは、素早くその射手へと銃口を向けた。味方が弾薬の入った箱を持ってきてくれたと思ったのか、ダークグリーンのヘルメットをかぶった中年男性が顔を上げる。しかし、その斜面を登ってきた男が味方ではなく、モリガンの傭兵であることに気付いた射手は、顔を青くしながら腰のハンドガンのホルスターへと手を伸ばした。

 

 だが、もう既に銃口を向けている相手に、腰のホルスターからハンドガンを引き抜いて反撃するのは不可能である。銃口を向けるよりも先に散弾に食い破られるのは明らかだ。

 

 案の定、次の瞬間には痩せ気味の中年男性の顔は、スパス12に装填された12ゲージの散弾に食い破られ、ズタズタに破壊されていた。顔の筋肉や頭蓋骨の一部を剥き出しにしながら崩れ落ちていった射手の死体の隣では、弾薬の連なるベルトを手で支えていたもう1人の若い兵士が、怯えながらギュンターを見上げている。

 

 年齢は18歳か19歳くらいだろうか。戦友の子供たち(タクヤやラウラ)と同い年に見える。

 

 見逃してやろうと思ったギュンターだったが、リキヤからは『皆殺しにしろ』と命令されている。それに、戦場で敵に情けをかけるわけにもいかない。ハーレム・ヘルファイターズの隊長である自分が敵を見逃すわけにはいかないのだ。

 

 一瞬だけ目を瞑ったギュンターは、トリガーを引いた。

 

 息を吐きながら周囲を見渡し、敵兵を探す。すでに他の兵士たちの猛攻を受けた歩兵たちは応戦をやめ、中央にいる味方や後方の防衛ラインで待機している味方の元へと逃走を始めている。

 

「進めぇ! このまま中央まで追い込むんだぁッ!!」

 

 後方へと逃げた敵は、次の戦闘で仕留めればいい。中央へと逃げた敵はそのまま本隊の餌食になるだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫に埋め尽くされた台地が、今度は黒い金属の塊に覆いつくされていた。

 

 かつてしっかりと舗装されていた大通りを埋め尽くしているのは、分厚い装甲と圧倒的な火力を持つ手法を搭載した戦車の群れだ。漆黒に塗装された戦車の群れの後方には装甲車の群れもおり、戦車や装甲車の周囲では漆黒の制服に身を包んだ兵士たちが、出撃の準備をしているところだった。

 

 俺も同じように、さり気なく兵士たちの中に紛れ込み、次の戦いに使うAK-12のチェックをしている。装着しているのはグレネードランチャーのGP-25で、銃口の右にはモシン・ナガンにも装着できるスパイク型銃剣を装備している。

 

 周囲で出撃の準備をしているのは、黒い制服とウシャンカを身につけたモリガン・カンパニーの兵士たち。中にはヘルメットをかぶっている兵士もおり、AK-12ではなく中国製の『95式自動歩槍』の点検をしている。彼らはモリガン・カンパニーの社員ではなく、同盟関係にある殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士たちだ。

 

「あれっ? ど、同志!? 何で前線に!?」

 

「指揮を執られるのではないのですか!?」

 

 あ、バレた。

 

 非常食の干し肉を口に咥えたままAK-12の点検をする俺に数名の兵士が気付いたらしく、慌てて俺からAK-12を取り上げようとする。その手をそっと受け流してニヤリと笑うと、口に咥えていた干し肉を咀嚼しながら「ああ、俺も突っ込む」と言った。

 

 俺はこの連合軍の総大将という事になっている。その総大将が、銃剣のついたライフルを持って先陣を切るのは考えられないことだ。言うまでもないが、一番危険なのは最前線。そこに総大将を放り込めば、指揮を執る総大将が戦死する確率は普通の兵士と同じになる。護衛してくれる兵士もいないし、敵の攻撃を凌ぐ防空壕もない。

 

 だが、そういう状況は何度も経験した。敵の銃弾や砲弾が立て続けに飛来してくる戦場を駆け抜けたこともあるし、自分より格上の相手との戦いも経験している。

 

 すると、近くで95式自動歩槍の点検をしていた兵士が、俺を後方に戻そうとする兵士の肩に手を置いた。

 

「おいおい、同志リキノフが簡単に戦死するわけないだろ?」

 

「し、しかし…………!」

 

「頼みます、同志リキノフ。ファルリューの時みたいに敵を蹴散らしちまってください」

 

「おう」

 

 そういえば、今の兵士はファルリュー島の戦いの時も一緒に戦った戦友の1人だった。10000人の守備隊に260人で挑む羽目になったあの激戦を知っているから、俺を止めようとする兵士を説得してくれたに違いない。

 

「同志、無茶はしないでくださいね」

 

「分かってるって」

 

 若い頃から無茶ばかりやってるけどね…………。

 

 苦笑いしながらAK-12にマガジンを装着し、コッキングレバーを引く。グレネードランチャーにもちゃんと砲弾が装填されているかを確認してから、照準器をチェックしておく。

 

『各員へ。テンプル騎士団およびハーレム・ヘルファイターズが攻撃を開始。早くも敵に甚大な被害が出ている模様』

 

 始まったか。

 

 どうやらタクヤとギュンターの奴はかなり奮戦しているらしい。いくら真正面から突撃する予定の俺たちを迎え撃つ準備していた奴らへの奇襲とはいえ、かなりの兵力差がある。もし敵の守備隊が本腰を入れて反撃を始めれば、テンプル騎士団とハーレム・ヘルファイターズはすぐに押し返されてしまうに違いない。

 

 だから、それを防ぐために俺たちも前に出る。

 

 装備品のチェックを終えた俺は、AK-12の安全装置(セーフティ)を外してから歩兵たちの先頭に立った。

 

 歩兵部隊の後ろには、漆黒に塗装された戦車がずらりと整列している。テンプル騎士団で採用されている戦車と比べるとやや砲塔が小さいように見えてしまうが、こちらも彼らが運用する戦車に劣らぬ火力と防御力を備えた優秀な戦車である。

 

 モリガン・カンパニーで正式採用されている戦車は、ロシアの『T-14』だ。従来の戦車は砲塔の中にも乗組員が乗り込み、砲撃や砲弾の装填を担当する必要があったのだが、この戦車は砲塔の中に人間が乗る必要がないという大きな特徴がある。

 

 主砲はエイブラムスよりも若干大きな125mm滑腔砲。更に砲弾だけではなく、この主砲から対戦車ミサイルの発射も可能であるため、火力は極めて高い。

 

 そのT-14に、乗組員たちが乗り込んでいく。やがてT-14たちが立て続けにエンジンを始動させ、瓦礫だらけになった帝都をエンジンの音で満たしていく。

 

 歩兵の隊列の前へとやってきた兵士が、首に下げていたホイッスルを口に咥えた。あのホイッスルが突撃する合図になる。

 

 どうやらその兵士も俺が歩兵の中に紛れ込んでいることに気付いたらしく、こっちを見ながらぎょっとしていた。けれども今更俺を呼び止める時間がなかったらしく、心配そうにこちらを見ながらホイッスルを片手で押さえる。

 

『――――――ピィィィィィィィィィィィィィィッ!!』

 

「「「「「「「「Ураааааааааааааааа!!」」」」」」」」

 

 歩兵たちと共に雄叫びを上げながら、俺も走り出す。

 

 まず最初に目の前の第一防衛ラインを突破し、その後方にもある防衛ラインを次々に突破して、最終的にホワイト・クロックまで一気に攻め込まなければならない。そこにメサイアの天秤の鍵が保管されている可能性があるし―――――――俺の事を待っている奴も、いる筈だ。

 

 11年前に俺が殺した主の仇を、ここで取るつもりなのだろう。かつてモリガンの傭兵や俺の親友が伝説の吸血鬼と死闘を繰り広げた、この帝都サン・クヴァントで。

 

 あの時とは違うぞ、吸血鬼(ヴァンパイア)

 

 今の俺たちには物量と力がある。だから―――――――あの時の俺たちとは違うぞ、お嬢さん(アリア)

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔王が突撃するとこうなる

 

 右翼と左翼を襲撃された敵の守備隊は、早くも混乱しているようだった。

 

 真正面から攻め込んでくる連合軍の地上部隊を迎え撃つため、彼らは爆撃を生き延びた部隊を吸収して戦力を増強し、圧倒的な物量の俺たちを食い止める準備をしていたのだ。

 

 シンヤが計算した戦力差は、吸血鬼たちの守備隊が”1”だとすると、連合軍の戦力は”20”。俺たちは奴らの20倍の戦力という事になる。いくら待ち伏せができるというアドバンテージがあるとはいえ、それだけで殲滅できるわけがない。つまりあの第一防衛ラインの守備隊は、後方にいる吸血鬼共に”捨て駒”にされたのだ。勝利することは不可能だが、あわよくばこちらの戦力を少しでも削り、勝率を底上げするための捨て駒。もし仮にこの戦いが吸血鬼たちの勝利に終わったとしても、捨て駒にされていった兵士たちが戦果をあげた兵士の中に名を連ねることはないだろう。

 

 哀れ過ぎる話だ。命懸けで戦い、四肢のどれかを失う羽目になるかもしれないのに勲章すらもらえないのだから。

 

 兵士たちの雄叫びの中を突っ走りながら、ちらりと俺は右側を走る歩兵の一団を見た。その先頭を突っ走っているのは漆黒の制服に身を包み、SMG(サブマシンガン)を腰のホルダーに下げている蒼い髪の女性。この戦闘にも参加している俺たちの息子を彷彿とさせる容姿のその女性は、俺の妻のうちの1人である。

 

 もう既に剣を戦場に持ち込む兵士が減ってしまったにもかかわらず、背中にサラマンダーの素材で作られたバスタードソードを下げているのは、タクヤの母親のエミリア・ハヤカワ。もし彼女が制服ではなく転生者ハンターのコートに身を包んでいたら、息子と見分けがつかなくなりそうである。

 

 そして左側を走る歩兵の一団を率いているのは、そのエミリアの姉だった。

 

 身の丈よりも長いハルバードを装備しながら近代的な装備の歩兵の先頭を走る光景は、まるで大昔の騎士が銃剣突撃する歩兵部隊に紛れ込んでいるようにも見える。

 

 左側を走っているのは、ラウラの母親のエリス・ハヤカワ。かつてラトーニウス王国騎士団に所属していた彼女は王国で最強の騎士と言われ、彼女1人を警戒して当時のオルトバルカ王国も本格的な侵攻を躊躇い続けていたと言われるほどの実力の持ち主だ。

 

 その時、敵陣へと突っ走る俺たちの数十メートル前方に砲弾が着弾したらしく、瓦礫と火柱が舞い上がった。おそらく今のは戦車砲ではなく、迫撃砲による遠距離砲撃だろう。

 

 続けざまに次の砲弾が別の場所へと着弾する。次々に火柱が吹き上がり、倒壊しかけの建物に止めを刺していく。銃剣付きのAK-12を構えて突っ走りつつ周囲を確認したが、他の兵士たちに今のところ被害は出ていないようだ。

 

 やがて―――――――迫撃砲が生み出す火柱の向こうから、瓦礫の山の陰に身を潜めていた戦車部隊が姿を現した。他の瓦礫と見分けがつかないように白と灰色で迷彩模様に塗装されたレオパルトの群れが、一斉に俺たちに戦車砲を向けてくる。

 

 おそらく装填されているのは、対人用のキャニスター弾だろう。大型の散弾を敵へとばら撒くキャニスター弾は戦車に対して効果は全くないが、このように歩兵部隊を相手にする際は重宝する。戦車や装甲車のような防御力を持たない敵を相手にする場合は、むしろ攻撃範囲が広い散弾や榴弾のような得物の方が効率がいいのだ。

 

 はっとした俺は、AK-12のグレネードランチャーから左手を放していた。そしてその左手に高圧の炎属性の魔力を集中させ―――――――思い切りジャンプしてから、次の瞬間には踏みつける大地を思い切り殴りつける。

 

 今の左手は、俺がキメラになるきっかけとなった義足を移植してから一緒に変異を起こしてしまっている。今は手袋をしているから目立たないが、もうこの左腕は肌色の皮膚に覆われておらず、常にキメラの外殻に覆われっ放しになっているのだ。

 

 あの時は忌々しく思っていたが、今となっては便利な”武器”である。

 

 その瞬間、俺の拳から放出された高圧の魔力が地面へ一瞬で浸透すると、すぐに瓦礫の混じった地面を真下から突き上げ、目の前に瓦礫と地面で形成された即席の分厚いバリケードを形成する。

 

 バリケードが形成を終えた次の瞬間、敵の戦車部隊が火を噴いた。

 

 やはり放たれたのは普通の砲弾ではなく、対人用のキャニスター弾。命中すれば確実に大打撃を受けることになるが、幸い砲弾のような貫通力はない。それなりに分厚い防壁さえあれば身を守ることが可能である。

 

 キャニスター弾の群れが防壁を殴りつけ、跳弾して瓦礫の中へと消えていく。後続の歩兵たちをそれで守った俺は、戦車部隊が次の砲弾を装填している隙に身体中を外殻で覆い、バリケードを乗り越えて全力疾走を始めた。

 

 肌色の皮膚が次々に赤黒い外殻に覆われていき、肌色の皮膚が姿を消していく。対戦車ライフルやロケットランチャーすら防いでしまうほどの防御力を誇る外殻だが、さすがに戦車の装甲さえ貫通してしまうAPFSDSを防ぐことは不可能だ。おそらく1発は辛うじて防げるかもしれないが、2発目は絶対に防げない。

 

 簡単に言えば、この外殻には戦車の複合装甲並みの防御力があるという事だ。俺を殺したいならば最新型の主力戦車(MBT)で集中砲火でもしなければ、俺は絶対に止まらない。

 

「撃て! あの先頭の奴を撃て!」

 

「!」

 

 戦車の傍らに伏せていたLMGの射手が、上官と思われる兵士の指示でLMGをこちらへと向けた。おそらくそのLMGはドイツ製のMG3だろう。普通の歩兵たちが持っている銃もドイツ製のG36ばかりで、他の戦車なども大半をドイツ製の兵器が占めている。奴らに武器を渡した転生者はドイツの兵器が好きなミリオタなのかもしれない。

 

 アサルトライフルを凌駕する連射速度で放たれる7.62mm弾を片っ端から弾きながら、LMGの射手に真正面から肉薄する。きっとその射手は、これだけ叩き込んでいるのに倒れない俺を見て怯えているに違いない。

 

 案の定、銃剣で攻撃できる距離に接近されたその射手が浮かべていたのは、恐怖だった。

 

 今まで数多の標的を撃ち抜いてきた銃弾では殺せない怪物を目の当たりにしたその哀れな射手は、次の瞬間、AK-12に装着されているスパイク型銃剣に首筋を貫かれ、身体を痙攣しながら崩れ落ちる羽目になった。

 

 動かなくなった射手から素早く銃剣を引き抜くと同時に、セレクターレバーを3点バーストに切り替える。外殻で覆われているから銃弾や手榴弾の爆風を浴びても問題ないが、だからといってそのまま突っ走るわけではない。素早く瓦礫の上に伏せて横に転がり、位置を変えてから素早く射撃。従来の5.45mm弾ではなく、より大口径の7.62mm弾の3点バースト射撃で、他のLMGの射手を牽制してから立ち上がる。

 

 突っ走りながら手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜いてから素早く投擲。近くで味方の歩兵部隊を攻撃していた重機関銃の射手が弾薬の箱と一緒にバラバラになりながら宙を舞い、俺の傍らに肉片と血の雨を降らせていく。

 

 ちらりと後ろを見てみると、妻たちに率いられた歩兵部隊も発砲し始めているようだった。そして彼らを率いていた妻たちも、熾烈な銃撃戦の真っ只中を突っ走り、敵陣を抉り始めていた。

 

 若い頃から騎士団に入団し、その騎士団を裏切ってモリガンの傭兵となってからも毎朝の剣の素振りを欠かさず続けてきたエミリアの剣劇は、鋭いとしか言いようがなかった。サラマンダーの硬い素材で作られている得物の重量は、はっきり言うと常人ならば両手でなければまともに扱うことができないほどの重さを誇る。しかし俺の妻の1人はまるで当たり前のようにそれを片手で振るい、味方や自分を狙う銃弾を片っ端から弾き続けると、まだ味方に向かって砲撃を続ける迫撃砲へと肉薄していく。

 

 何の前触れもなく目の前に姿を現した女性の騎士を目の当たりにした兵士たちは、銃で応戦するよりも先に上半身と下半身を切断されたり、頭をヘルメットもろとも両断されていた。得物の切れ味や性能に頼らず、あくまでも自分が積み重ねてきた剣術をベースにした彼女の一撃。銃が主役の戦場に剣で挑むのは時代遅れとしか言いようがないが、彼女たちの戦い方を見ていると全く時代遅れには思えない。

 

 そして左翼側では、彼女の姉のエリスも奮戦している。

 

 ラウラと同じく左利きのエリスは、左手に持ったハルバードを振り回して銃弾を片っ端から弾くと、アサルトライフルを連射してくる敵兵に向けてそのハルバードを思い切り投擲。まるで漁師が巨大な鯨を銛で仕留めるかのように敵兵を串刺しにした彼女は、背中に背負っていたAK-12に装備を切り替え、フルオート射撃で敵のLMGの射手たちへと発砲。その隙に味方の歩兵部隊を前進させていく。

 

 彼女の場合は積極的に攻撃するのではなく、仲間と連携しながら着実に前へと進んでいくのだ。敵を片っ端から排除して味方の進路を切り開くエミリアとは対照的である。

 

「!」

 

 その時、俺の目の前に、頑丈な複合装甲で覆われた巨体が鎮座していることに気付いた。

 

 レオパルト2A7+だ。どうやら肉薄してくる歩兵部隊を主砲同軸に搭載された機関銃で片っ端から銃撃していたらしく、今しがた重機関銃の射手をミンチにした俺を憎んでいるかのように、巨大な砲口をこっちに向けていた。

 

 さすがに至近距離での被弾は拙い。いくらキメラでも戦車砲を至近距離で喰らえば、後続の妻たちにミンチにされた夫の死体を見せることになってしまう。もし仮に妻たちが遠く離れたオルトバルカの家にいて、夫が戦死した、という知らせを聞くだけならばまだ涙を流すだけで済んだことだろう。けれど、知らせを聞くだけではなく、自分の目でミンチにされた夫の死体を見れば、どれほどのショックを受けるのだろうか。

 

 夫という言葉を思い浮かべた瞬間、頭の中にちょっとした痛みが走った。転んでどこかを擦りむいた程度の安っぽい痛みだったけど、まるでそれが何かを告げているかのような重要な痛みに思えた。

 

 とにかく、さすがに戦車砲は拙い。咄嗟に右へとジャンプした直後、瓦礫で埋め尽くされた地面をキャニスター弾の豪雨が抉り取った。

 

 瓦礫の破片を全身に浴びつつ、立ち上がって走り出す。ちらりと後ろを見てみると、今しがた俺を仕留め損ねたレオパルトが、まるで逃げ出した子ウサギを追いかける狼のように砲塔をこちらへと向け、主砲同軸に搭載された機関銃を立て続けにぶっ放しやがった。

 

 喰らわないように姿勢を低くしつつ、俺はレオパルトの後ろへと回り込む。そのままエンジンの搭載されている後部から車体の上へとよじ登っていると、キューポラのハッチが開き、中から車長と思われる兵士が顔を出す。

 

「この野郎!」

 

 くそったれ。

 

 懐からハンドガンを取り出したそいつを撃ち殺してやりたいところだが、俺の両手はレオパルトという化け物の身体をよじ登るために装甲を掴んでいる状態だ。まだ、反撃はできない。

 

 外殻でハンドガンの9mm弾から身を守りつつ、ズボンの中から尻尾を伸ばす。いきなり目の前の男から尻尾が生えたのを目の当たりにした車長がぎょっとしている隙に、腰のホルダーから白兵戦用に持ってきたスコップを取り出すと、装甲から離した右手でそれを受け取り、そのスコップで車長の頭を思い切り殴りつける。

 

 ぐちゃっ、と肉に包まれた頭蓋骨が潰れる音が聞こえ、目の前にいた男の頭がひしゃげる。ヘルメットごと頭を叩き潰したにもかかわらず、別に硬いものを殴りつけたような手応えは全く感じなかった。まるででっかいハンマーで卵を叩き潰したような感覚だ。

 

 返り血と脳漿の一部がへばりついたスコップを持ったまま、左手で手榴弾を取り出す。そして安全ピンを引き抜いてから、その手榴弾を砲塔のハッチの中へと放り込んでやった。

 

「しゅ、手榴だ――――――」

 

 悲鳴は、聞こえなかった。

 

 戦車の中は基本的に狭い。そんな空間の中で、広範囲に爆風と破片をまき散らす手榴弾が炸裂すれば乗組員がどのような状態になるかは言うまでもないだろう。

 

 沈黙したレオパルトから飛び降りたその時、今度はもう1両のレオパルトが目の前から迫ってきた。どうやら味方の砲撃に被弾したらしく、砲塔の側面にはやたらと大きな穴が開いている。まだ動いているという事は貫通することはできなかったという事なんだろうか。

 

 距離はかなり近い。あと数秒前進すれば、俺の肉体をあのキャタピラでズタズタにできるほどだ。

 

「うわ」

 

「踏みつぶせ! 前進だ!」

 

 おいおい、止めてくれ。

 

「くそったれ」

 

 発砲しようとして取り出していたAK-12を背中に背負い、スコップも大慌てでホルダーの中へとしまう。すべての武器をしまい終えた頃には、もうレオパルトの車体の正面が俺の胸に激突していた。

 

 両手でレオパルトの巨体を真正面から受け止める。さすがに重装備の戦車を凄まじい速度で走行させられるエンジンを搭載しているから、鍛え上げた兵士とは力が桁違いだ。傍から見れば戦車と真正面から相撲をしているような恰好で力比べをしながら、歯を食いしばる。

 

 若い頃だったら歯を食いしばる必要なんかなかったんだけどなぁ…………。歳を取ったってことなんだろうか。来年でもう40歳だし。

 

 いつ頃になったら引退しようかと考えながら、俺は両手に思い切り力を込めた。無意識のうちに体内の血液の比率を変えていたのか、右腕が勝手にサラマンダーの外殻に覆われていく。

 

 そして―――――――レオパルトの前進が、ぴたりと止まった。

 

 エンジンが故障したわけではない。キャタピラは巨体を前進させようと思い切り回転を続けているし、俺の頭上では機銃が火を噴き続けている。

 

 やがて、前に進めなくなったキャタピラが足元の瓦礫をまき散らし始めたかと思うと――――――レオパルトの巨体が、微かに持ち上がったように見えた。

 

「ぐっ…………!」

 

 両手に思い切り力を込める。分厚い外殻の下で腕の筋肉が膨れ上がり、両腕がほんの少しだけ太くなる。

 

 転生者は基本的にステータスが高くなれば簡単に筋力も上がるため、筋トレはする必要がない。けれども俺は若い頃からずっと筋トレを欠かしたことはないし、毎日トレーニングを続けている。それによって鍛えられた筋力と俺のステータスが合わさった結果、戦車と真正面から力比べをしても勝てるような力を手に入れた。

 

 力を込めた指先が、ほんの少し複合装甲に食い込んでいく。その指にも思い切り力を込めた直後、前進するために足掻き続けていたレオパルトのキャタピラが――――――宙に浮いた。

 

 正確に言うと、レオパルトの巨体が宙に浮いた。キャタピラは無意味な回転を続け、持ち上げられたせいで機銃の照準が狂う。きっと中で銃撃していた砲手は、いったいなぜ照準が狂ったのか分からなかったに違いない。

 

 最新型の主力戦車(MBT)の主力戦車を腕力で持ち上げたけれど、俺の両腕にもかなりの負荷がかかっていた。外殻の下では膨れ上がった筋肉のせいで毛細血管が千切れ、激痛が牙を剥き続ける。俺はそれに耐えるために雄叫びを上げながら、持ち上げた重量級の戦車を、味方への砲撃を続ける敵の戦車へと思い切り投げつけた!

 

「Ураааааааааа!!」

 

 舞い上がったレオパルトは回転しながら後方へと吹っ飛んでいく。分厚い装甲に覆われた戦車が回転しながら宙を舞う光景に味方の兵士と敵の兵士たちは目を見開き、まるで迫撃砲の砲弾のように舞い上げられた戦車が落下するまで見守っていた。

 

 そのレオパルトは落下を始めると、まず後方に設置されていた重機関銃で援護していた敵兵の一団を押し潰しながら地面に激突してバウンドし、自分自身の砲身をへし折りながら再び舞い上がる。そのままバウンドしながら後方まで転がっていくと、後退しながらT-14の群れへと砲撃を続けていた味方のレオパルトの真上に落下する羽目になった。

 

 そこに、T-14部隊の容赦のないAPFSDSの集中砲火が飛来する。俺たちに向けて車体の下部を晒していたレオパルトはあっさりとそこを貫通されて爆発し、至近距離で味方の戦車の爆風を浴びる羽目になったもう1両のレオパルトも、火達磨になりながら逃げだしたところを歩兵のロケットランチャーで擱座させられた。

 

「お、おい、今、戦車が飛んでたよな………?」

 

「信じられねえ…………!」

 

「ほら、同志諸君。さっさと攻め落とすぞ」

 

 今の光景を見て度肝を抜かれている味方の兵士にそう言いながら、俺は毛細血管が弾けたせいでまだ痛む両腕を無理矢理動かし、AK-12を構えながら前進を続けるのだった。

 

 

 

 

 



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図書館への進軍

 

 

「同志シンヤスキー、敵の第一防衛ラインが瓦解しました」

 

 連合艦隊旗艦『アドミラル・クズネツォフ』のCICに用意された上陸部隊を指揮するための指令所で、モニターに映し出される反応を確認しつつ、ヘッドセットで前線の味方と連絡を取り合っていたオペレーターの1人が、勝利したことを喜びたいのを堪えながら報告した。

 

 ウィルバー海峡での海戦にも勝利し、上陸後の戦いでも勝利を収めた。このまま敵の防衛ラインを削ぎ落としていき、ホワイト・クロックと宮殿まで肉薄できたならば、この戦争が”ごく普通の戦争”である限りは勝利の寸前と言えるだろう。

 

 けれどもこの戦争が決して普通の戦争にならない理由は、敵の総大将である。

 

 指令室の椅子に座りながら、僕はティーカップを口へと運んだ。1つも砂糖を入れていない紅茶を飲み込んでから静かに立ち上がり、腕を組みながら頷く。

 

「損害は?」

 

「歩兵に何名か負傷者が出ていますが、エリクサーを飲めば回復する程度の軽傷とのこと。無人戦車部隊には損害が出ていますが、有人型の戦車部隊には損害なしです」

 

 最前線で奮戦する兄や仲間たちの姿を思い浮かべながら、僕はまた頷いた。あのファルリュー島での戦いの時も、あの人たちが先陣を切って敵を屠り続け、後続の仲間たちの道を切り開いていた。あの時の英雄たちが最前線にいるのだから、この結果は当たり前だと言える。

 

 僕のやるべきことはここで味方と敵の動きを把握しつつ、臨機応変に作戦を組み立てていくこと。場合によっては李風さんと激論を続けてまで組み立ててきた作戦を少しばかり変更することになるかもしれない。敵が伏兵を用意している可能性もあるし、何かしらの決戦兵器を用意している可能性もあるのだから。

 

「見事な圧勝だね」

 

 とりあえず、市街戦での最初の勝利を喜ぶことにした僕がそう呟くと、報告してくれたオペレーターも「ええ、これなら明日には帝都は陥落するでしょう」と微笑みながら言う。

 

 明日には陥落か…………。確かにクリスマスの前に戦いを終わらせるのが理想的だね。僕だってクリスマスは戦場じゃなくて、エイナ・ドルレアンの自宅で過ごしたい。できるならノエルや他のみんなも呼んで、盛大にクリスマスパーティーでも開きたいところだ。

 

 けれども、明日には陥落させられるというのは流石に甘い。敵はそう簡単に陥落を許してくれる相手ではないのだから。

 

「どうかな。むしろ、僕は泥沼化しないか心配だよ」

 

「なぜです? 海戦でも圧勝しましたし、この第一防衛ラインの戦いも30分足らずで終わったのですよ?」

 

「そうだね。でも、まだまだやることがあるよ。これから第二防衛ラインや第三防衛ラインを突破してもらわなければならないし、橋頭保の確保も済んでいない。そしてその下準備が終わってから敵の本拠を攻めるんだ。この作戦が終盤に差し掛かるほど泥沼化する可能性は大きくなる」

 

 そう、橋頭保の確保が泥沼化するか否かを決める最初の関門となる。

 

 タクヤ君率いるテンプル騎士団が一旦支援から離れ、本隊とは別行動を開始する。そのまま敵の防衛ラインを奇襲して図書館を奇襲して占拠し、後続の本隊が到着するまで底を守り抜く必要がある。

 

 図書館に駐留する敵の守備隊はおそらく200人足らず。ほとんどの兵力は防衛ラインの守備隊に引き抜かれていくと思われるため、占拠自体は問題はない筈だ。ただ図書館の陥落を知った敵が奪還のためにどれだけの兵力を差し向けてくるのかが問題になる。

 

 橋頭保を手放せば、まずこれ以上帝都の中枢に進行するのが難しくなる。図書館には最前線での補給基地として機能してもらわなければならないため、それを無視して無理に進軍すれば、中枢に辿り着いたとしても攻撃を維持できなくなる。橋頭保からの補給という兵站が確保されていなければ、この帝都は決して陥落しない。

 

 幸い、彼らには防衛戦闘を得意とするスオミの里の戦士たちがついている。オルトバルカ王国の騎士団を苦戦させた彼らが現代兵器で武装しているのは心強いけれど、敵が本腰を入れて図書館の奪還を開始すれば、苦戦するのは明らかだ。

 

 それゆえに、橋頭保の確保はテンプル騎士団がどれだけ早く図書館を占拠し、なおかつ本隊がどれだけ第二防衛ラインを打ち破れるかで左右される。

 

「テンプル騎士団に連絡。”本隊を離れて第二防衛ラインを迂回し、図書館の奪還を開始せよ”」

 

「了解(ダー)!」

 

 下手をすれば、タクヤ君たちが吸血鬼たちの真っ只中に孤立することになる。

 

 頼むよ、兄さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水筒の中から漏れるジャムの甘い香りが、周囲を支配する火薬と焼けた肉の臭いから解放してくれた。とはいえそれはほんの数秒程度で、口の中に含んだジャム入りのアイスティーの味を楽しみ終えれば、再び戦場の真っ只中に戻らなければならない。

 

 擱座した敵の戦車の中から漂ってくる肉の焼けた臭いにうんざりしながら、俺は水筒を腰に下げた。味方のエイブラムスにしこたまAPFSDSを叩き込まれて沈黙するレオパルトのハッチからは、逃げ遅れた敵兵の焼死体が身を乗り出して、片手を伸ばした状態で絶命していた。まるで俺たちに助けを求めているようにも見えるその焼死体を一瞥し、息を吐いてから戦車の中へと顔を引っ込める。

 

 後方からはまだ銃声や爆音が聞こえてくる。左翼を守っていた敵は壊滅したけれど、まだ中央の守備隊と本隊の戦闘は続いているのだ。とはいえ、俺たちに左翼を壊滅させられ、ギュンターさん率いるハーレム・ヘルファイターズに右翼を捥ぎ取られた状態では、中央の守備隊が壊滅するのは時間の問題だろう。

 

 そこで俺たちは、その殲滅戦には参加せずに別の任務を先ほど言い渡された。

 

 この後方に敵の第二防衛ラインが存在するのだが、旗艦アドミラル・クズネツォフのCICから送られてきた命令は、”第二防衛ラインを迂回して突破し、防御が手薄になっている図書館を占拠せよ”という命令だった。

 

 要するに、俺たちの兵力が本隊よりも少数であるため機動力が高いことを生かして、敵の第二防衛ラインを無視して橋頭保を確保しろという命令だ。まもなく本隊はハーレム・ヘルファイターズと合流して第二防衛ラインに押し寄せるだろうし、上手くいけば本隊がそれを打ち破る頃には俺たちが親父たちを出迎える準備ができている筈だ。

 

 しかし、もし本隊が攻略に手間取った場合は最悪だ。下手をすれば敵の中枢や第二防衛ラインから派遣された部隊が橋頭保を奪還しに来る可能性があるのだから。しかもそうなってしまった場合に想定される敵の戦力は、どう考えてもこちらよりも上。吸血鬼の身体能力を考えればかなり不利なことになる。

 

 とはいえ、すぐに陥落するわけはないけどな。こっちはそれなりに練度が高いし、今回は心強い守護者たちもいるのだから。

 

 また肉の焼ける臭いや血の臭いを嗅ぐ羽目になるのを覚悟して、再びハッチから顔を出す。やはり猛烈な悪臭が入り込んできたけど、それを我慢しながら俺は戦車部隊の最後尾を進むスオミ支部の戦車たちを見た。

 

 この戦いに彼らが投入したのは10両の戦車である。そのうちの3両はモリガンでも運用されていたドイツ製主力戦車(MBT)のレオパルト2A6。120mm滑腔砲による圧倒的な攻撃力と、複合装甲による優秀な防御力を併せ持つ戦車である。

 

 そして残りの7両は、彼らが得意とする防衛戦闘に特化した戦車だ。

 

 アールネが乗る戦車は、まさにその戦車だった。がっちりした車体と主砲があるのは他の戦車と共通しているけれど、他の戦車と違って砲塔がない。がっちりした装甲に覆われた車体の正面から、そのまま太い砲身が伸びているような形状をした、独特な戦車である。

 

 スオミ支部で運用されているのは、スウェーデン製主力戦車(MBT)の『Strv.103』と呼ばれる戦車だ。

 

 砲塔がないので、普通の戦車のように砲塔を旋回させることができないため、小回りが利かない上に防御力がやや低いという欠点があるが、主砲の連射速度が速いという長所があるため、長距離から敵を凄まじい連射速度の主砲で一方的に砲撃できるという大きな利点がある。

 

 搭載されている主砲は、テンプル騎士団で採用されている戦車の主砲よりも若干口径の小さい105mmライフル砲。貫通力の高いAPFSDSが装填できるように改良を加えてある他、防御力の低さを補うためにアクティブ防御システムを搭載している。

 

 おかげでかなりコストがかかってしまったものの、スオミの里は元々人数が少ないため、少しでも高性能な兵器を配備する必要があるのだ。

 

 彼らには占拠後の図書館での防衛戦で奮戦してもらわなければならない。

 

 それに、今は燃料補給のために一旦強襲揚陸艦に戻っているけれど、ニパとイッルのコマンチからの航空支援も期待できる。敵が一斉に襲い掛かってきたとしても、そう簡単には奪還させないつもりだ。

 

 とりあえず、まずは敵の第二防衛ラインを無事に迂回して突破しなければ話にならない。うまくいけば第二防衛ラインの守備隊を本隊と挟み撃ちにできるからな。

 

「タクヤ、どうしたの?」

 

「ん?」

 

 俺がいつまでもハッチを閉じずに、車長の座席から空を見上げていることに気付いたのか、砲弾のチェックをしていたイリナが声をかけてきた。彼女は座席の近くに置いてあるスコーンの入った袋に手を伸ばすと、心配そうに俺を見つめてくる。

 

「いや、雪はいつ頃になったら振るのかなってさ」

 

「ああ、明後日だもんね。クリスマスは」

 

 明日にはこの戦いも終わってほしいものだが、もう夜になりつつある。おそらくこのまま進軍していけば、いつもならばシャワーを済ませている時間帯には図書館での戦闘が始まるに違いない。

 

 周囲にはまだ健在な建物がいくつか残っているようだった。ショッピングモールのような建物だったのか、倒壊して瓦礫の山を形成している残骸のショウウィンドウの中には、数日後のクリスマス用に用意されたと思われるサンタクロースの人形が置き去りにされたままになっていた。

 

 そういえば、図書館の中にはマンガやラノベは置いてあるのだろうか? もしあるならば暇つぶしに読んでみたいものだ。最近はラノベを殆ど読んでなかったからな。

 

「ほら、タクヤ」

 

「おう、ありがと」

 

 イリナから手渡されたスコーンを口の中へと放り込み、水筒の中のアイスティーを飲んで息を吐く。

 

 おそらく、図書館の占拠そのものはそれほど難易度は高くない筈だ。問題は占拠した後、奪還するために押し寄せてくる敵部隊をいつまで食い止められていられるか。

 

「ラウラも。はい」

 

「ふにゅ、ありがとっ♪」

 

 そういえば、ナタリアもさらに少しずつ料理が上手になってきている。このスコーンもナタリアの手作りなんだが、少しずつ俺の料理が彼女に追い抜かれつつある。

 

 俺も負けてられないな。この戦いが終わって無事に戻れたら…………俺も練習しないと。

 

 キューポラから顔を出し、周囲を警戒する。そろそろ敵の第二防衛ラインを通過する頃だ。大通りに集中的に配備されている敵部隊と鉢合わせにならないように、別の大通りを通過することを選んだ俺たちは、念のため無人型のルスキー・レノ3両で構成された囮の戦車部隊を別のルートに向かわせておいた。こうすれば敵を攪乱できるだろうし、無事に図書館に辿り着けたならば別々の方向から挟撃できるというわけだ。

 

 双眼鏡を覗きながら周囲を確認するが、敵に察知された様子はない。そういえば上陸の際は上空を飛び回っていた敵の戦闘機部隊の姿もないが、全滅してしまったのだろうか?

 

「ラウラ、図書館まであとどのくらいだ?」

 

『あと10kmだよ』

 

「そろそろだな。…………全車、戦闘準備」

 

 息を呑んでから無線機に向かってそう告げた瞬間、戦車の中の緊張感が一気に膨れ上がった。

 

 いよいよ図書館だ。そこを占拠して橋頭保にしなければ、ヴリシア侵攻が失敗する確率は爆発的に上がる。だから失敗は絶対に許されない。

 

 幸い、戦車の数は十分だ。むしろ歩兵の人数が不足している状態だから、焼け石に水かもしれないが俺たちも歩兵として参加する。もう少し進んだら停車して戦車から降り、後続のドレットノートにタンクデサントしながら進軍。そのまま戦車部隊の支援を受けつつ、歩兵部隊と共に図書館へと突入して占拠する予定だ。

 

「ラウラ、そろそろ停車してくれ」

 

「了解(ダー)」

 

 彼女がウォースパイトを停車させたのを確認してから、俺は砲塔の上から飛び降りた。続けて砲手のイリナと操縦手のラウラもハッチから外に出てきて、後ろで停車したドレットノートの砲塔に上り始める。

 

 中に誰もいなくなったのを確認してから、俺はメニュー画面を開いてチーフテンを装備から解除した。そして俺も踵を返し、ドレットノートの砲塔の上によじ登ってから、イリナとラウラの2人に装備を支給する。

 

 ラウラのメインアームは、セルビア製アンチマテリアルライフルの『ツァスタバM93』。本来ならば12.7mm弾を使用するんだが、ラウラの要望でより大口径の20mm弾を使用できるように改造されている。銃身とマズルブレーキはより太くなり、バイポットもがっちりしたものに変更されたほか、銃床はサムホールストックに変更され、そこに折り畳み式のモノポッドを装備している。サイドアームは9mm弾を使用するPPK-12と、銃剣を装備した2丁のCz75SP-01だ。

 

 イリナのメインアームは、相変わらずグレネードランチャーのRG-6。6連発が可能なロシア製のグレネードランチャーである。それと、散弾ではなくショットガン用の炸裂弾を装填したサイガ12Kを装備している。こちらにはフォアグリップとホロサイトが装着されているが、それ以外はカスタムされていない。サイドアームは炸裂弾以外にも信号弾を発射可能なカンプピストルとなっており、装備品は全て炸裂弾をぶっ放す攻撃的なものになっている。

 

 メニュー画面を開き、俺も装備を変更する。室内戦になるとはいえ、突入するまでには熾烈な銃撃戦になることだろう。アサルトライフルだけでは火力が足りない恐れがある。

 

 そこで、今回はいつもの装備に加えてLMGも装備することにした。多分、突入する歩兵の中では俺が一番重武装だと思う。

 

 まず、基本的に装備はいつも度と同じだ。メインアームはバイポットと銃床に折り畳み式モノポッドを装備したOSV-96と、ポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドを装備したAK-12。このAK-12にはチューブ型ドットサイトとブースターも装備されている。あとはソードオフ型に改造したウィンチェスターM1895を2丁装備。モシン・ナガンと同じライフル弾をぶっ放せる銃だが、レバーアクション式であるため連射力はハンドガンに劣ってしまう。そこは練習したスピンコックで補うしかなさそうだ。

 

 そしてそれに追加で装備するのが――――――ロシア製LMGの『DP28』である。

 

 第二次世界大戦以前にロシアで開発されたLMGで、バイポットが装着された銃身の上に、まるでフリスビーのような円盤状のマガジンが乗っているのが特徴的だ。これは”パンマガジン”と呼ばれるマガジンで、中にモシン・ナガン用の7.62mm弾がぎっしりと装填されている。

 

 今ではベルトやドラムマガジンが利用されることが多くなったため、廃れてしまった方式のマガジンだ。余談だけど、他にもこのパンマガジンを採用した機関銃に、第一次世界大戦で活躍したイギリスの『ルイス軽機関銃』がある。

 

 俺はこのDP28にキャリングハンドルを追加で装備したが、それ以外に改造した個所はない。それに使用する弾薬はウィンチェスターM1895と同じ弾薬なのだ、場合によっては両者の弾薬を共用できる。

 

「ふにゃ? また新しい武器を作ったの?」

 

「まあね」

 

「その上についてる円盤は何?」

 

「これがマガジンなんだよ。パンマガジンっていうんだ」

 

「ふにゃあ…………変わったマガジンだね」

 

「それ爆発する?」

 

「するわけないだろ!?」

 

 まったく…………イリナ、お前は本当に爆発が大好きなんだな。敵を爆破してくれる時は心強いけど、俺らまで巻き込まないでくれよな?

 

 苦笑いしながら空を見上げていると、無線機からナタリアの声が聞こえてきた。

 

『そろそろ図書館に到着するわ。気を引き締めて』

 

「了解(ダー)」

 

 さあ、暴れるか。

 

 ニヤリと笑いながら、俺はLMGの銃床を握り締めた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 年齢

 

リキヤ「はぁ…………俺も歳とったなぁ…………」

 

エリス「…………」

 

兵士1「同志、そんなことありませんよ!」

 

兵士2「そうですよ! 戦車を投げられる人なんて同志だけです!」

 

リキヤ「でもさぁ、投げた後息切れしちまったし…………あーあ、若い頃はもっと体力あったのに…………来年は40歳かぁ」

 

エリス「ねえダーリン」

 

リキヤ「ん?」

 

エリス「私は”もう”40歳なんですけど?」

 

リキヤ「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 完

 

 

 



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図書館への進軍

 図書館へと向かって進撃する軍勢の中を走行していた3両の無人型のルスキー・レノが速度を上げ、戦車部隊を追い抜いて行った。正確に言うならばこちらの戦車部隊が減速し、彼らを先行させたのだ。

 

 メニュー画面を開いてその画面を何度かタッチすると、ルスキー・レノに搭載されているカメラからの映像がいくつか映し出された。今しがた先行していった部隊の映像と、他のルートを進行させている無人戦車の部隊からの映像である。

 

 この無人型ルスキー・レノの任務は歩兵の支援だけではない。無人であるため撃破されても戦死者が出ることはないため、それを利用して殿に使ったり、強行偵察にも投入することができるのだ。それに車体の内部に強力な爆薬を搭載しているため、こちらから命令を下すか武装の弾薬がなくなれば、あの無人戦車部隊は最も脅威的であると見なした敵に最大速度で突っ込み、自爆するのである。その気になれば敵に突っ込ませて自爆させることも可能だけど、そうすればこいつらの生産につぎ込んだポイントが無駄になってしまうので、あくまでも自爆させるのは最後の手段でしかない。

 

 頭上をテンプル騎士団のエンブレムが描かれた3機のスーパーハインドが通過していく。強襲揚陸艦から出撃したヘリ部隊だ。敵の戦闘機が壊滅したことによって制空権が確保されたため、あのように堂々と投入することができるようになったのである。

 

 すでに歩兵部隊を降下させた彼らの役割は、図書館のちょっとした偵察だ。

 

 どうやらシンヤ叔父さんは第二防衛ラインへ可能な限り兵力を投入しなければならないらしく、こっちに偵察部隊を派遣する余裕はないという。というわけで、テンプル騎士団のヘリ部隊をちょっとした偵察部隊として投入することにしたのだ。

 

 とはいえ、敵が対空ミサイルを装備していた場合はミサイルの餌食になりかねないので、フレアをばら撒きながらすぐに退避してもらうことになるだろう。最低でも敵の規模と大まかな位置を確認してもらえれば、こっちも作戦を立てられる。

 

 それに地上にはルスキー・レノ隊もいるので、無茶するのは彼らに任せるとしよう。

 

 カメラの映像を見ているうちに、崩れかけの建物に『王立サン・クヴァント図書館』と書かれた看板を見つけた。空爆の影響で欠けた看板をズームしてから、俺はさらに無人戦車部隊に前進を命じる。

 

 無人兵器の魅力は撃破されても死傷者が出ない事だ。だからいくらでも無茶をさせられるし、兵士を危険に晒しかねない任務を彼らに任せることもできる。欠点は人間のように臨機応変に対応できないため、動きや対応力が有人型の戦車と比べるとかなり遅いという事だ。何とか改善したいところだが、おそらく完全に消えるわけではないだろう。

 

 乗り捨てられていた馬車をキャタピラで木っ端微塵に踏みつぶし、車体で店のショウウィンドウを蹂躙しながら前進する戦車部隊が、ついに攻撃を受けぬまま瓦礫の山と化した路地や大通りを通過し――――――砲塔を旋回させ、そこに辛うじて残っていた巨大な建物をズームする。

 

 ヴリシアの伝統的な建築様式の面影を残しつつも、まるで産業革命で発展したオルトバルカに対抗するかのように華やかな彫刻や花壇で飾り立てられたその建物は、”図書館”というよりは貴族の別荘のようにも見える。空爆の爆風や近隣の建物の破片のせいで花壇は滅茶苦茶になり、正面玄関の前にある広場で剣を掲げながら直立する騎士の銅像は、首から上が吹っ飛ばされ、自慢の剣もへし折られていた。けれども建物そのものはそれほど被害を受けておらず、業者に依頼して修理すれば数日で営業を再開できそうな様子である。

 

 そこが、俺たちの橋頭保となる予定の”王立サン・クヴァント図書館”だ。ここを確保して補給基地にし、それから中枢部へと侵攻する。そのためにこの図書館を確保しなければならない。

 

『こちらデルタ2-3。図書館上空に到達』

 

「どうだ?」

 

 先ほど俺たちの頭上を通過していったヘリ部隊のコールサインだ。上空からは敵の位置を確認しやすいが、あまり夢中になっているとスティンガーのような対空ミサイルの餌食になりかねない。早いうちに目標を確認してから離脱してもらいたいものだ。

 

 敵がミサイルでヘリを狙わないことを祈りながら、報告を聞き続ける。

 

 戦闘ヘリは圧倒的な火力を持つ上に、それなりに装甲も分厚い。しかし自由自在に空を飛び回る戦闘機と比べればはるかに鈍重で、集中砲火を受けやすいのだ。

 

『団長、やっぱり敵は第二防衛ラインの防衛に夢中みたいですぜ。もぬけの殻ってわけじゃないですが、守備隊はかなり小規模だ』

 

「戦力差は予測できるか?」

 

『伏兵がいる可能性を除外すりゃ、ざっとこっちの3分の1程度でしょう』

 

 3分の1か…………。

 

 すぐに突撃を命じたくなったが、スーパーハインドのパイロットの報告に含まれていた”伏兵がいる可能性”という言葉が、口から飛び出そうとしていた号令をせき止める。

 

 敵の罠である可能性もある。こうやって守備隊が小規模であるように見せかけ、こっちが油断して攻撃を仕掛けてきたら伏兵を出撃させて包囲し、そのまま殲滅するという作戦でお出迎えしてくれる可能性もあるという事だ。とはいえ、敵が本当にそんな作戦を用意しているかは分からないし、敵の規模が小規模だとは断言できない。

 

 もう少し詳しく確認できるか、と彼に問いかけようとしたその時、無線機の向こうからパイロットの舌打ちと、何度も耳にした嫌な電子音が聞こえてきた。戦闘機よりも鈍重なヘリにとっての天敵である対空ミサイルにロックオンされたことを告げる電子音。かつてPAK-FAのコクピットの中でも散々耳にしたけれど、本当に心臓に悪い音だ。ミサイルに狙われているから回避しろという機体の催促。そしてその回避に失敗すれば、パイロットは戦闘機もろとも木っ端微塵。歩兵のように”敵兵に狙われているかもしれない”という恐怖ではなく、明確に”敵に狙われている”と分かる瞬間だ。きっと俺もヘリの操縦中にこの音を聴いたら、舌打ちをするに違いない。

 

『すいません、同志。ガールフレンドが遊びに来たみたいです』

 

 ミサイルに狙われているというのにそんな冗談を言ったパイロットは、一緒に乗っているガンナーに『発射地点の確認も頼むぜ!』と言ってから通信を終えた。

 

 目の前のメニュー画面から目を離し、図書館の上空を見上げる。そこではミサイルに狙われた2機のスーパーハインドがフレアをばら撒きながら飛び回り、地上から放たれた数発のスティンガーミサイルを回避しているところだった。辛うじてロックオンされなかった1機は旋回すると、機首のターレットに搭載された機関砲を地上に向けて撃ちつつ、回避を終えた味方の離脱を掩護している。

 

「あいつ、ガールフレンドを追い返しやがった」

 

 受け入れたら木っ端微塵になるけどね。

 

『同志、こちらデルタ2-2。敵は図書館内に立てこもっている模様。中庭に戦車もいます』

 

「了解(ダー)。あとは任せてくれ」

 

『ええ。では、補給に戻ります』

 

 またガールフレンドが遊びに行ったら大変なことになりそうだからな。2発もガールフレンドがやってきたら修羅場になりかねない。

 

 離脱していくスーパーハインドたちを見送りつつ、メニュー画面に映し出されているルスキー・レノからの映像をもう一度確認する。彼らは敵の守備隊がスーパーハインドに気を取られている隙に敷地内に入り込んだらしく、周囲の建物の残骸に隠れながら、こそこそと図書館内のスキャンを始めた。

 

 狡猾な戦車だなぁ。

 

 敵兵を発見したルスキー・レノがカメラの映像をズームし、画面の中に入り込んだ敵兵を調べ始める。映像に映っている敵が持っているのはどうやらG36らしいが、どんなカスタムをしているのかまでは見えない。

 

 他のルスキー・レノたちも、立て続けに敵兵を発見し始めている。中には第二防衛ラインと送られていく敵兵を乗せたトラックを発見した奴もいるが、さすがに中庭にいるという戦車まで発見した奴はいないようだ。

 

「どう?」

 

 映像を睨みつけていると、キューポラの中から身を乗り出したナタリアがいつの間にか一緒に映像を覗き込んでいた。

 

「本当に伏兵はいないみたいだ」

 

「第二防衛ラインにかなり引き抜かれてるみたいね」

 

 確かに、真正面から進撃してくる大群を食い止めるため、ここから兵士を引き抜いて行かなければならないのだから、伏兵を用意しておく余裕があるとも思えない。それにルスキー・レノたちも伏兵らしき存在を感知できていないのだから、本当に敵の戦力はこっちの3分の1だと言えるだろう。

 

「アールネ、イッルとニパはどれくらいで到着する?」

 

『さっき母艦を飛び立ったらしい。到着まであと5分』

 

 5分か…………。さすがに5分で陥落させるのは無理だろう。おそらく、あの2人の操るコマンチにも加勢してもらわなければならないかもしれない。

 

 テンプル騎士団所属のヘリ部隊も、殆ど第二防衛ライン攻略の支援のために引き抜かれている。先ほど補給のために戻っていったスーパーハインドたちも、第二防衛ラインに歩兵を下ろし、航空支援を実行した帰りの途中だったのだ。

 

「…………よし、攻撃を開始する」

 

「ええ」

 

 まず、偵察しているルスキー・レノたちに砲撃を命令する。第二防衛ラインに守られている敵兵たちは、予想外の砲撃でまず混乱する筈だ。そこを俺たちが攻撃する。占拠した後は図書館を補給基地にするのだから、少しは手加減しないとな。

 

 目の前の画面の右下にあるメニューをタッチし、戦車部隊に砲撃命令を出す。すると画面に映し出されていた映像が次々に消えていき、いつものメニュー画面に戻っていく。

 

 ルスキー・レノたちが、攻撃命令を受諾したのだ。

 

 基本的に彼らは自立行動をするようになっているが、このように大まかな命令を出す事もできるのである。俺から発信された命令を聞き入れた利口な無人戦車たちは”敵を見る”任務を取りやめ、小さな砲塔に搭載された37mm砲をぶっ放す準備に入った。

 

 自分自身の車体に塗装された迷彩の模様に極力合致する地点を検索し、そこに小さな車体を押し込んでいく。まるで小さな子供が自分のベッドに入っていくかのように車体を壁の大きな穴や廃墟の中に押し込んだルスキー・レノたちが、短い砲身の角度を調整し始め―――――――榴弾をぶっ放した。

 

 もう既に攻撃命令は下っていたから、命令違反ではない。システムに何かしらのエラーでもない限り、彼らは決して命令違反を起こさない。人間のように感情が無いから殺す際に躊躇いを感じることはないし、人を殺したショックでPTSDに苛まれることもない。そういう点でも非常に便利な兵器である。

 

 ドン、と轟音を響かせながら、立て続けに榴弾が着弾する。あくまで敵を攪乱させるための砲撃だからそれなりに手加減しているのだろう。補給基地に使う橋頭保が、本隊が到着した頃には何の変哲もない瓦礫の山になっていたら、きっと俺は親父にぶん殴られるに違いない。

 

「全車、前進!」

 

 ナタリアの号令で戦車部隊が再び前進を始める。俺もルスキー・レノたちの戦いを見守るのをやめ、LMGの点検を始めた。銃身の上にフリスビーを彷彿とさせるパンマガジンを乗せたDP28は旧式のLMGだが、非常に頑丈な銃だ。しかも使用する弾薬はモシン・ナガンやウィンチェスターM1895と同じく7.62×54R弾であるため、破壊力とストッピングパワーならば現代の銃にも後れを取ることはない。

 

 点検しているうちに、大通りを抜けた。

 

 もう既に先行していたルスキー・レノが、図書館の窓の向こうから反撃してくる敵兵たちに機銃を掃射している。敵はまだ図書館の前に現れたチャレンジャー2に気付いていないらしく、発砲を続けている。おかげでマズルフラッシュがはっきりと見えた。

 

「耳塞げ!」

 

撃て(アゴーニ)!』

 

『発射(アゴーニ)!!』

 

 戦闘を進んでいたチャレンジャー2(ドレットノート)の砲身が火を噴き、図書館の2階にあるベランダへとキャニスター弾を放つ。砲撃する寸前に、ベランダの縁にバイボットを展開してMG3をぶっ放していた敵兵は戦車に気付いたみたいだけど、その頃には驚愕した彼らの顔面へと、砲弾の外殻を脱ぎ捨てたキャニスター弾の群れが襲い掛かっていた。

 

 吸血鬼用に銀の小さな球体をこれでもかというほど詰め込んだキャニスター弾は、あっけなく人体をズタズタに引き裂いていった。雪の降り積もった地面に石を放り投げたかのように、命中した個所があっさりと消し飛ぶ。瞬く間にズタズタにされた敵兵たちがベランダの向こうに倒れていき、図書館の壁が血と脳漿で真っ赤に染まる。

 

 後続のエイブラムスから、ぞろぞろとタンクデサントしていた歩兵たちが降り始める。隣に乗っていたイリナの肩を軽く2回くらい叩くと、彼女は頷いてから砲塔の上から飛び降りた。

 

 俺も彼女に続いて砲塔の上から飛び降りる。ラウラは砲塔の上で敵兵を狙撃してから飛び降りると、ボルトハンドルを引き、改造されたアンチマテリアルライフルから20mm弾のでっかい薬莢を排出した。下手したら装甲車を破壊できるほど口径の大きいライフルで狙撃された敵兵は、間違いなくバラバラになることだろう。原形を留めていられるわけがない。

 

「ラウラ」

 

「ありがと」

 

 念のため、彼女には対戦車用に20mm徹甲弾が入ったマガジンを1つ渡しておく。対戦車用と言っても、ライフルで戦車の装甲を貫通できたのは第二次世界大戦の中盤までだ。現代の戦車を撃破できるのはあくまでも戦車砲か、歩兵の持つロケットランチャーのみである。

 

 けれど、もし装甲車が潜んでいた場合は通用するだろう。装甲車とはいえ、砲弾の直撃には耐えることはできないのだから。

 

 ちなみに、俺のOSV-96にも14.5mm徹甲弾が入ったマガジンが用意されている。とはいえ、俺の能力でこういった特殊な弾丸を用意できる回数は再装填(リロード)1回分のみ。スキルを装備すれば増やせるみたいだけど、俺はまだそのスキルをアンロックしていないのだ。

 

 ライフル本体の左側に用意されたホルダーに、そのマガジンを取り付けてある。そっちを使う場合は通常のマガジンを取り外して、そのマガジンを装着すればいい。ちなみに徹甲弾と通常弾を識別できるように、徹甲弾のマガジンには赤い星のマークが描かれている。

 

「敵兵、3階のベランダにもいる!」

 

「3階のベランダに集中攻撃! MG3の連射力に注意!」

 

 警告した瞬間、3回の射手がこっちにMG3を連射し始めやがった。第二次世界大戦でアメリカ軍やソ連軍の歩兵部隊に猛威を振るったMG42から驚異的な連射速度を受け継いだLMGは、容赦なく7.62mm弾を吐き出し、瓦礫の上に着弾していく。

 

 俺たちは咄嗟に戦車の陰に隠れた。いくら人体を容易く食い破る銃弾の連射とはいえ、最新型の戦車の複合装甲は食い破れない。銃弾が弾かれていく音を聞きながらそっと身を乗り出して反撃しようとした瞬間、こっちにMG3を向けていた射手の頭に風穴が開いた。

 

「お?」

 

 誰かが狙撃したのだ。驚きながら隣のエイブラムスの砲塔を見てみると、まるで母親に背負われるコアラの子供のように、がっちりした装甲に守られた砲塔の後ろからSV-98を構えた少女が、照準を3階に合わせているのが見えた。

 

 確かあの子は、ラウラが狙撃を教えていた志願兵の中にいた狙撃手の1人である。素早くボルトハンドルを引いた彼女は再びスコープを覗き込むと、主のいなくなったMG3へと駆け寄る敵兵の頭を正確に撃ち抜き、こっちを見てからニヤリと笑う。

 

 なるほどね、ラウラの教え子か。

 

 狙撃手は彼女だけではない。他の戦車から飛び降りた数名の狙撃手がバイボットを展開してから地面に伏せ、窓の隙間や物陰から銃撃してくる敵兵を次々に狙撃していく。おかげで彼らの銃声が響き渡る度に、図書館から飛来する弾幕が驚くほど薄くなっていく。

 

「優秀なスナイパーだねぇ」

 

「当たり前だろ?」

 

 DP28を連射しながら答えていると、ロケットランチャーを使おうとしていた数名の敵兵の上半身がまとめて千切れ飛んだ。

 

 人体を千切り取るほどの破壊力を持つ銃弾で狙撃できる銃を持っているのは――――――ラウラしかいない。

 

「先生も優秀だからな。…………よし、突っ込むぞ! 続け(ザムノイ)!」

 

「「「「「「「「УРааааааа!!」」」」」」」」

 

 チャレンジャー2の影から飛び出すと同時に、フルオート射撃で7.62×54R弾をばら撒く。ベランダにいた数名の兵士を薙ぎ倒すことができたみたいだけど、全員始末できたわけではない。辛うじて今の掃射を生き延びた兵士たちが死んだ仲間の骸を目の当たりにし、復讐心を肥大化させながら5.56mm弾の3点バースト射撃やセミオート射撃で反撃してくる。

 

 G36には通常のアイアンサイトだけでなく、近距離用のドットサイトや中距離用のスコープが装備されている。だからカスタムをしていない状態でも、中距離までならば対応できるのだ。しかも銃そのものの命中精度も優秀である。

 

 念のため胸や腹を外殻で覆った直後、1発の5.56mm弾が俺の胸に喰らい付きやがった。でも、キメラの外殻は5.56mm弾どころか20mm弾でも貫通は不可能。この外殻をぶち破って仕留めたいのならば、最低でも105mm以上の戦車砲でAPFSDSをぶち込まなければならない。

 

 胸に被弾しても平然と突っ走りながらLMGを乱射する俺を見た敵兵は、きっとびっくりした事だろう。

 

 入口から反撃していた敵兵を蜂の巣にしてやった直後、パンマガジンの中が空になった。俺は急いで空になったフリスビーのようなパンマガジンを取り外すと、新しいパンマガジンを装着する。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「!」

 

 すると、カウンターの影からいきなり敵兵が姿を現し、スコップを手にしたまま突っ込んできやがった。

 

 俺は咄嗟に左手に持っている空のパンマガジンを握り締めると、一瞬だけ腕の力を抜き―――――――瞬発力をフル活用して、まるでフリスビーを放り投げるかのようにパンマガジンを敵兵の顔面へと思い切り放り投げる!

 

「ほぉぉぉぉぉぉぉら、ポチぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

「わんっ!?」

 

 顔面にパンマガジンを叩き込まれた敵兵の腹に7.62mm弾のフルオート射撃を叩き込んで止めを刺し、息を吐く。

 

「タクヤ、大丈夫!?」

 

「ああ、何とか。パンマガジンのおかげで助かった」

 

「え?」

 

「ほら」

 

 さっき倒した敵兵を指差すと、イリナは苦笑いしながらこっちを振り向いた。

 

 顔面にパンマガジンを投げつけられた敵兵の顔面に、その投げつけたパンマガジンが突き刺さっていたのである。咄嗟に全力で放り投げたからなのだろうか。

 

 俺も苦笑いしながら、イリナを連れて図書館の奥へと走っていった。

 



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図書館制圧

 

 

 図書館へと突っ込んで行ったドラゴン(ドラッヘ)たちを見守ってから、俺もレオパルトの砲塔の中へと滑り込んだ。改造する前と比べると砲身が太くなった上に長くなり、砲塔も大きくなった割にはハッチの広さは変わらないから、ここから出入りする時だけは改造された戦車に乗っているという実感がない。

 

 けれどもこいつが攻撃力を強化されたと実感するのは、俺の座席の近くにある弾薬庫に並ぶ、やたらと大きな砲弾の群れとにらめっこをする時だ。一般的な120mm滑腔砲よりも巨大な140mm滑腔砲はかなり強力で、直撃すれば最新型の主力戦車(MBT)を容易く撃破したり、擱座させることが可能である。けれども、当たり前だが大口径の滑腔砲ということは、砲弾もでかいという事だ。他の車両のように自動装填装置を搭載していないこのホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)の装填は、機械ではなく俺が行うのである。

 

「さて、そろそろ私たちも前に出るべきかしら?」

 

「そうかもな」

 

 先ほど聞いていた無線では、図書館の中庭に敵の戦車が潜んでいるという。歩兵部隊の中にはロケットランチャーを装備している奴らもいるが、分厚い装甲を持つ戦車はそう簡単に撃破することはできない。RPG-30を装備しているおかげでアクティブ防御システムは怖くないが、戦車を相手にすれば歩兵部隊にも被害が出るだろう。

 

 それに、この戦車が搭載している140mm滑腔砲は、歩兵を吹っ飛ばすために搭載しているのではない。分厚い装甲で守られた戦車を撃破し、味方を掩護するために搭載されているのである。その強力な主砲を歩兵にばかり使っていたらこんなでっかい主砲を搭載してきた意味がなくなってしまう。

 

 こっちを見てから頷いた木村が、俺たちの乗るレオパルトを前進させた。すると車内で待機していたノエルが装填手用のハッチから身を乗り出すと、備え付けてあるMG3を図書館のベランダへと向け、歩兵を狙っている射手たちへフルオート射撃を叩き込み始める。

 

「こちらホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)。これより前進するわ。敵と間違って撃たないでね」

 

 敵は灰色に塗装されているのに対し、こっちはこれでもかというほど真っ白に塗装されている。雪原での戦闘では役に立つかもしれないけど、こんな焦げた瓦礫だらけの市街地では何の役にも立たない。むしろ、逆に目立ってしまうかもしれない。

 

 真っ白な戦車を間違って撃つ味方がいないことを祈りながら、いつでも砲弾を装填できるように準備しておく。

 

「敵の戦車を捕捉!」

 

 MG3を撃ち続けていたノエルが車内へと引っ込むと同時に素早く報告する。ハッチを閉めてからキューポラから覗き込むと、確かに図書館の渡り廊下の向こうで蠢く鋼鉄の巨躯が、搭載されているでっかい主砲をこっちへと向けているところだった。

 

 装填されているのはAPFSDS。命中すれば装甲の厚い新型の戦車でも大損害を被るのは確実だ。しかも俺たちの主砲の口径はでっかい140mm。直撃すれば、下手をすれば新型の戦車でも一撃で沈黙してしまう事だろう。

 

 そしてそれをぶっ放すのは――――――シュタージの誇る、最強の砲手である。

 

 俺たちの周囲に敵の歩兵が放った迫撃砲が着弾し、火柱と瓦礫の破片を舞い上げる。外の景色が舞い上がる土屋瓦礫の破片に埋め尽くされているにもかかわらず、坊や(ブービ)は脇目も振らずに照準器を覗き込み続けている。きっと彼の覗き込んでいる照準器の向こうは、忌々しい迫撃砲の着弾で舞い上がる瓦礫や煙のせいで何も見えない状況になっている事だろう。辛うじて煙の向こうのシルエットが見える程度に違いない。

 

 砲手や狙撃手が攻撃を行う場合は、まさに最低な条件と言える。両者の攻撃方法は異なるものの、どちらも自分の”目”を頼りにして照準を合わせなければならない。辛うじてシルエットが見える程度の状態で正確に砲弾を叩き込むのは、不可能に近い。

 

 けれども、坊や(ブービ)は悪態をつかない。黙って照準器をじっと睨みつけ、クランが命令を下すのを待っている。

 

 シュタージの仲間たちは、この少年ならばきっと敵に砲弾を叩き込んでくれると信じているのだ。今までそうやって敵に砲弾を叩き込み、この戦車に何度も勝利をもたらしてきたのだから。

 

「――――――Feuer(撃て)!」

 

「発射(フォイア)!」

 

 ついに、俺たちのレオパルト2A7+に搭載されていた140mm滑腔砲が火を噴く。

 

 キューポラの向こうで、砲口の周囲に停滞していた空気が、飛び出してきたでっかい砲弾に追いやられたかのように吹き飛ばされた。一瞬だけ衝撃波の”形”がそこであらわになったかと思うと、その衝撃波を生み出した張本人は早くも砲弾の外殻を脱ぎ捨て、戦車の装甲すら貫通する荒々しい真の姿へと変貌していた。

 

 敵の戦車は相変わらず見えない。本当に輪郭が見えているのだろうかと思った瞬間、黒煙の向こうから凄まじい轟音が聞こえてきたかと思うと、一瞬だけ真っ赤な火柱が見えたような気がした。

 

 どうだ? 撃破したか?

 

「――――――命中!」

 

『おい、こちらマレーヤ! 俺たちの獲物を横取りしたのはどいつだ!?』

 

「文句ある?」

 

 にやにやと笑いながら無線機に向かって言い返したクランは、一撃で敵の戦車を撃破するという戦果をあげた坊や(ブービ)に向かって微笑むと、次のAPFSDSを装填するために手を伸ばしていた俺に向かってウインクし、胸を張った。

 

 やっぱり坊や(ブービ)なら命中させるか。

 

 相変わらず腕の良い砲手だと思ったけれど、仲間が戦果をあげたという喜びを、砲塔のすぐ近くを掠めていった砲弾の音が見事に粉砕していきやがった。どうやら敵にはまだ戦車が残っているらしい。しかも狙われているのは、今しがた奴らの戦車を破壊した俺たち。

 

 なるほどね、味方の仇討ちってわけか。

 

「おいおい、狙われてる!」

 

「あらあら、危ないじゃないの。…………ところで装填は?」

 

「終わりましたよ、お嬢様(フロイライン)

 

「そう。じゃ、あいつも鉄屑にしちゃいなさい♪」

 

はーい(ヤー)

 

 装填を終えた俺は、座席の近くにあるモニターを確認した。ターレットに搭載されているカメラからの映像には、確かにこっちに砲塔を向けているレオパルトが映っている。とはいえ味方にも位置がバレてしまったらしく、仲間の仇を討とうと努力するレオパルトの周囲には、立て続けにAPFSDSが着弾して地面を抉り、破片を装甲に叩きつけていた。

 

撃て(トゥータ)!』

 

『兄貴、あいつら逃げる気だ!』

 

『くそ、建物を盾にする気か! 回り込め!』

 

 ん? スオミ支部の戦車部隊か?

 

 ターレットを旋回させて隣を見てみると、いつの間にかスオミ支部のエンブレムが描かれたStrv.103が隣まで前進してきており、逃げようとするレオパルトに向かってAPFSDSをぶっ放し続けていた。防衛戦に特化した戦車なんだから、もう少し後方から狙い撃ちにしてもらいたいものである。

 

 無線機の向こうから聞こえてくるスオミ支部の兵士たちの声を聴きながら肩をすくめると、クランも苦笑いした。近くに置いてある水筒を拾い上げて中に入っているアイスコーヒーを飲んだ彼女は、息を吐いてから無線機を手に取る。

 

「私たちが対処します。あなた方は後退を」

 

『何だって? おい、敵は建物の後ろだぞ?』

 

「任せてください。こっちには140mm滑腔砲がありますので。では」

 

「…………おいおい、坊や(ブービ)に結構無茶させるじゃないか」

 

 ため息をつきながらターレットを旋回させ、先ほどまで味方の集中砲火を喰らっていたレオパルトを探す。どうやらあのまま砲撃を続けるのは危険だと判断したらしく、図書館の建物の反対側へと退避したようだ。キャタピラの後は残っているが、このまま深追いをすれば不意打ちを喰らう可能性は大きい。

 

 小回りが利かない上に防御力も低いStrv.103を向かわせなかったのは正しい判断だが、こっちだって装甲がさらに分厚くなっているとはいえ、キャタピラに喰らえば身動きが取れなくなるし、エンジンに被弾すれば擱座してしまう。

 

 けれど、クランが何をさせようとしているのかは何となく予想できた。

 

坊や(ブービ)目標1時方向」

 

はいはい(ヤー)

 

 クランが指示した場所を、俺も確認する。ターレットを向けてズームしてみると、建物に空いた壁の向こうにレオパルト2の砲塔の縁が辛うじて見える。けれども見られているという事に気付いたのか、すぐに移動して完全に建物の陰に隠れてしまった。

 

 無駄だな。

 

 建物の壁を見ながら、俺はそう思った。いくら帝都の大きな図書館とはいえ、壁はあくまでも伝統的なレンガである。建物を支えるためにそれなりに大きなレンガが使われているようだが、そんなものが何枚か重ねてあったとしても、戦車の装甲を貫くAPFSDSを止められるわけがない。

 

「撃つよ?」

 

「どうぞ?」

 

「じゃあ、発射(フォイア)」

 

 発射されたAPFSDSが、外殻を脱ぎ捨てるよりも先にレンガの壁を易々と貫通する。まるで積み木で作った壁を、巨大な鉄槌で思い切り殴りつけたかのようにも見えてしまうほどの破壊力だった。

 

 そこから先は煙のせいで見えない。辛うじてAPFSDSが脱ぎ捨てた外殻が落下していくのが見えたけど、砲弾が最終的に何に命中して戦果をあげることになるのかは、モニターに映る煙のせいで全く見えない。

 

 けれど、坊や(ブービ)なら本当に当ててしまうかもしれない。相手が建物を盾にしていたとしても関係なく、そこにいる敵を射抜いてくれるだろう。

 

 期待しながら見つめていると、やはり煙の向こうで火柱が上がった。

 

 衝撃波が煙を吹き飛ばしてくれたおかげで、煙の向こうの光景があらわになる。

 

 APFSDSが突き破った壁の向こうでは、やはり火柱が上がっていた。燃え上がっているのは灰色と白の迷彩模様に塗装された1両のレオパルト。砲弾はどうやら車体と砲塔の繋ぎ目へと飛び込んだらしく、隠れていたレオパルトはハッチや砲塔と車体の間から炎を吐き出し、動かなくなっていた。

 

「撃破!」

 

「よし、さすが!」

 

 炎上するレオパルトの残骸を見ながら、俺も歓声を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カウンターの向こうから姿を現した敵兵に7.62mm弾のフルオート射撃をお見舞いしてから、本棚がずらりと並んだ広間の中を突き進む。パンマガジンの中にはあと何発の弾丸が残っているのだろうかと思った瞬間、今度はその部屋の中から安全ピンを引っこ抜かれた手榴弾が飛んできて、俺の足元へと転がってきた。

 

 咄嗟に射撃を中断しつつ、隣でサイガ12Kをぶちかまそうとしていたイリナを思い切り突き飛ばす。同時に前進を外殻で覆って姿勢を低くした俺は、歯を食いしばって衝撃に耐えることにした。

 

 どうやら建物の中にまでたどり着いたのは、現時点で俺とイリナだけらしい。ラウラは建物の外にある狙撃ポイントを移動しつつ20mm弾で隙を見せた敵兵を狙撃してくれているので、対処しきれない敵は彼女に任せることにしていた。

 

 手榴弾の爆発が本棚を吹っ飛ばし、綺麗に並んでいた分厚い図鑑を埃まみれの床の上にぶちまける。熱風と破片が俺たちの上を通過していったのを確認してから姿勢を少しだけ高くしつつ、イリナを連れて最寄りの本棚の影へと移動する。

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 飛び出して仕返ししてやろうとしていると、武器を確認していたイリナが俺のコートの袖を引っ張り始めた。

 

「その…………何で庇ったの? 僕、吸血鬼だから…………再生できるよ? ぐちゃぐちゃにされても」

 

「…………銀が混じってたらどうする」

 

 確かにイリナは吸血鬼だから、弱点で攻撃されない限りは再生する。もしここでそのまま飛び出して5.56mm弾の餌食になったとしても、その弾丸に聖水が仕込まれていたり、弾丸そのものが銀で作られていない限りは再生することができるのである。

 

 でも、再生できると言っても痛覚まで消えるわけではない。身体中を蜂の巣にされる激痛やミンチにされる激痛をしっかりと味わう羽目になるのだ。仲間にそんなことを味わわせたくはないし、敵の中にイリナが吸血鬼だと見破った奴がいて、銀の弾丸をこの中に紛れ込ませているかもしれない。

 

 仲間は失いたくない。だから俺は、再生能力がある彼女を庇った。

 

 本棚の影から銃身を突き出し、先ほど手榴弾を放り投げてくれた敵にフルオート射撃を叩き込む。突入してから5回もマガジンを交換しているため、残っているのは今装着しているこれだけである。おそらく、残りの弾薬は20発を切っている筈だ。

 

 一旦本棚の影に引っ込みながら、隣にいるイリナの深紅の瞳を見つめる。

 

「大事な仲間だからな。傷つけさせたくないんだよ」

 

「え…………?」

 

 彼女の顔が少しばかり赤くなる。それを見てニヤリと笑った俺は、耳に装着している小型無線機のスイッチを入れた。

 

「ラウラ、今どこだ?」

 

『今2階の敵を狙撃中。そっちは3階のホール?』

 

「ご名答。悪いけど、カウンターの向こうのクソッタレを片付けてくれないか? 射撃が凄くてな―――――――うおっ!? く、くそ、読書できそうにない!」

 

『はーい。お姉ちゃんに任せて♪』

 

 もう一度本棚の影から銃身を覗かせて、弾丸をばら撒いた。照準器を除いたわけではないから狙いは定めていない。これで敵を倒せたら幸運だろう。

 

 しかし敵はこんなでたらめな攻撃を回避するために、姿勢を低くしてカウンターの陰に隠れやがった。俺が放つ7.62mm弾の豪雨は彼らの頭上にあるカウンターの縁や上に置かれている小さな棚に風穴を開け、彼らの頭上に破片を降らせるだけである。

 

 というか、俺たちが隠れてる本棚に並んでるのってラノベじゃん。しかも俺が買ってるラノベの新刊までさり気なく並んでいやがる…………! よし、この戦いが終わったらこっそり読もう。もちろん盗む気はないけど。

 

 そしてすぐにマガジンの中が空になる。たった数秒だけのフルオート射撃だったけど―――――――無意味だったわけではない。

 

 弾切れになったLMGを投げ捨て、腰のホルスターの中からソードオフ型にカスタマイズされたウィンチェスターM1895を引き抜く。頭を上げた敵にヘッドショットでもお見舞いしてやろうかと思いながら大型化されたピープサイトを睨みつけていたその時、カウンターの後ろにあったやたらと大きな窓が割れ―――――――1発の弾丸が、カウンターの中へと駆け込んでいった。

 

 ずぼっ、とカウンターに大穴が開く。その穴の向こうに見えるのは、凄まじい運動エネルギーによってミンチにされた人体の一部と、木っ端微塵になった彼らのヘルメット。何の前触れもなくミンチにされた仲間の内臓の一部や肉片をぶちまけられた若い兵士が、仲間の血肉まみれになりながらぶるぶると震えて立ち上がる。

 

 しかし、窓の外からその弾丸を放り込んだ張本人は無慈悲だった。

 

 次の瞬間、その若い兵士の上半身が消滅する。いきなりどこかに瞬間移動したのではないかと思えるほどの速さで消え失せた彼の上半身の一部は、仲間たちと同じようにズタズタにされた状態で、床の上やカウンターの上に転がっていた。

 

 装甲車の装甲を貫通できるほどの破壊力を秘めた20mm弾が、人体に牙を剥いたのである。普通の銃弾で殺されたのならばまだ人間の姿をした死体になるけれど、大口径になればなるほど死体は原形を留めなくなる。

 

 そんな代物で狙撃したのは――――――窓の向こうに見える屋根の上に、唐突に姿を現した赤毛の美少女。

 

 例の氷の粒子を身体中に纏う事で周囲の光景を反射し、まるでマジックミラーのように自分の姿を隠すことができる疑似的な光学迷彩である。生まれつきそんな能力を扱える才能を持ち合わせていた彼女に狙撃を組み合わせた戦い方は、獰猛としか言いようがない。

 

 援護してくれた彼女に手を振りつつ、俺とイリナは中を確認する。他の部屋も同じように殲滅してきたが、ここにももう敵兵は残っていないようだ。

 

 とりあえず、制圧完了だな。

 

 

 

 

 



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防衛戦準備

 

「よーし、この土嚢袋はそっちだ! あっ、迫撃砲はこの辺で頼むぜ! …………おいおい、戦車は向こうだぞ!? お前、ちゃんと配置聞いてたか!?」

 

 敵兵の”いなくなった”図書館の中へと、ぞろぞろと歩兵たちが入り込んでいく。本部とは違って真っ白な制服に身を包み、白と灰色の迷彩模様で塗装されたRk-95を手にしている兵士たちは、身につけている服や得物だけでなく、その兵士たち自身の肌や髪の色まで真っ白だった。

 

 先天性色素欠乏症(アルビノ)のハイエルフだけで構成されるスオミ支部からやってきてくれた、里の戦士たちである。

 

 ハイエルフは優秀な魔術師になる者が多いが、彼らが剣ではなく杖を選ぶのは、彼らの種族が他の人類と比べると華奢で、力比べでは圧倒的に不利になってしまうからだ。それに生まれつき人類の中ではチップクラスの量の魔力を体内に持つため、魔術師にも向いているのである。

 

 普通のハイエルフたちならば、そのような理由で魔術師を選ぶ。しかしスオミの里の戦士たちは違う。

 

 幼少の頃から農業や狩猟を経験しているため、優秀な戦士が多いのだ。確かに他の種族と比べると本当に華奢で、小口径のアサルトライフルのフルオート射撃の反動に耐えられないほどだった。けれども今は訓練を積み重ねて体を鍛えたらしく、何と大口径の7.62mmを使用するRk-95も簡単に使いこなしてしまうという。

 

 中には使い慣れたモシン・ナガンM28を担いでいる兵士もいるし、2人で迫撃砲を運搬している兵士たちもいる。ちらりと外を見てみると、図書館の外では本部の兵士たちやスオミ支部の兵士たちが協力して、スコップで塹壕を掘っているところだった。土を土嚢袋に入れてバリケード代わりにし、塹壕の縁に積み重ねていく。そして機関銃や迫撃砲がずらりと並ぶ塹壕の近くには、スオミの里から派遣されたStrv.103が待機していた。その戦車の上では、乗組員のハイエルフたちと本部の兵士たちが、雑談しながら一息ついている。

 

 どうやら仲良くしているらしい。スオミ支部はハイエルフのみで構成されているけれど、本部は彼らとは違って種族がバラバラだから防衛戦の前に変な軋轢が生まれないか心配だったんだが、問題はなさそうだな。

 

「お」

 

 俺もそろそろ一息つこうかと思ってさっきのラノベが並んでいた本棚を探していると、中庭の方からヘリのローターの音が聞こえてきた。中庭の方を見てみると、灰色に塗装された2機のヘリがゆっくりと高度を下げ、中庭へと舞い降りていく。

 

 機首に描かれているのは2枚の純白の翼と蒼い十字架。そしてその斜め上には、小さな赤い星が煌ている。

 

 テンプル騎士団スオミ支部のエンブレムだ。

 

 ステルス機を彷彿とさせる機首に、ロケットポッドや対戦車ミサイルが搭載されたスタブウイングを持つそのヘリは、間違いなくあの時スオミの里に託した虎の子のコマンチだった。ステルス機とヘリを融合させたような形状のヘリに乗っているのは、スオミの里が誇る2人のエースパイロットである。

 

 片方は”ついてないカタヤイネン”。そしてもう片方は、”無傷の撃墜王”。

 

 5分で到着するって言ってたんだが、どうやら俺たちは予定よりも早くここを制圧してしまったらしい。この2人にも獲物をとっておけばよかったかなと思いつつ、俺も彼らに挨拶するために外に出た。

 

 崩れかけの階段を駆け下りて壁の穴から外に飛び出すと、ちょうどヘリが中庭に作られた即席のヘリポートに降り立ち、中からパイロットが降りてきたところだった。

 

「よう、イッル!」

 

「ああ、コルッカ!」

 

 彼は俺を見つけると、微笑みながら駆け寄ってきた。

 

「酷いじゃないか、コルッカ。獲物を全部仕留めちゃうなんて」

 

「悪い悪い。でも、本番はちゃんと取ってあるぜ?」

 

 そう、問題はこの後の防衛戦である。

 

 先ほどHQ(ヘッドクォーター)に確認をとったが、どうやら第二防衛ラインの攻略に手間取っているようだ。第一防衛ラインとは違って第二防衛ラインの指揮官は優秀らしく、圧倒的な物量で前進してくる本隊をありったけの対戦車地雷や爆薬で待ち伏せし、勢いが止まった部隊に火力を集中させるという。そうすれば他の部隊を援護に回さなければならなくなり、他の部隊の攻撃力が落ちる。そしてそのまま消耗戦になっていくのだ。

 

 まだ橋頭保すら確保できていない親父からすれば、消耗戦はかなりの痛手になる。だからと言って部隊を一ヵ所に集めて強行突破を図れば、そこに集中砲火が襲来するため、むしろ損害が大きくなっているという。

 

 さすがのシンヤ叔父さんも手を焼いているらしい。

 

「ああ、そうだね。問題はこれからだ」

 

「期待してるぞ」

 

 彼の肩をそっと叩くと、イッルは頷いてから踵を返した。

 

 こっちの戦力はStrv.103を含む主力戦車(MBT)が19両。ルスキー・レノの生き残りは7両。とりあえず戦車の数だけならば申し分ない。歩兵の兵力は、戦車の乗組員も入れると160名。スオミの里は派遣できる歩兵を全員派遣してくれたみたいだけど、俺たちは戦いに慣れている精鋭だけを連れてきたため、それほど人数は多くないのだ。

 

 しかし、俺たちにはジャック・ド・モレーがついている。いざとなったら海上で待機している戦艦に艦砲射撃を要請すればいい。

 

 とにかく、本隊が第二防衛ラインを突破して合流してくれるまでここを死守しなければ。

 

「…………雪か」

 

 壁に開けられた大穴から中に戻ろうとしていると、空から静かに降ってきた白いものが俺の肩に舞い降りた。体温ですぐに溶けてしまったその白いものは、幼少の頃から何度も目にしている。雪国のオルトバルカで生まれた人々は必ずこれと共に育つのである。

 

 すっかり忘れていたが、明後日はクリスマスだ。もう12月の終盤に差し掛かっているのだから雪が降るのは当たり前だな。

 

「わっ、凄い! これが雪!?」

 

 久しぶりに目にした雪が降る夜空を見上げていると、壁の大きな穴からやってきたイリナが両手を広げながらはしゃぎ始めた。いつもは日光から身を守るためにかぶっているフードをかぶらずにはしゃいでいる彼女は、舞い降りてきた雪を掴み取ろうとする。降り積もった雪の塊なら掴めるけれども、振ってきたばかりの雪を掴めるわけがない。体温であっという間に溶けてしまい、彼女が手のひらを広げた頃にはただの小さな水滴になってしまっている。

 

「あれっ? 掴めないよ?」

 

「当たり前だよ。すぐに溶けて水になっちゃうからね」

 

「へぇ…………!」

 

「生まれて初めてか?」

 

「うん。カルガニスタンには雪は降らないから。…………それにしても、感激だなぁ!」

 

「じゃあ、余裕があったら雪合戦でもやるか?」

 

 戦闘中に余裕があるわけがないと思いつつ提案すると、彼女は微笑みながら首を縦に振った。

 

「ユキガッセンって、相手が動かなくなるまで雪を投げ続けるやつだよね!?」

 

 死人出てるじゃん。

 

「違うよ、もう少し優しく投げるんだ。死人は出しちゃダメ」

 

 苦笑いしながら言うと、彼女はニコニコしながらまた雪を掴み取り始めた。でもやっぱり彼女が掴み取った雪を見るために手のひらを広げる頃にはすっかり溶けていて、手のひらの上に小さな水滴が乗っているだけである。

 

「ところで、準備は?」

 

「ああ、もう済んでるよ。ベランダにこいつらが使ってた機関銃が残ってるし、弾薬の箱もたっぷりあった」

 

「じゃあしばらくは鹵獲した兵器を使うか」

 

 基本的に転生者が生産した武器を鹵獲するのは難しいと言われている。

 

 転生者が生産した武器は、端末を数回タッチして装備を解除するだけで消滅させることができるからだ。だから彼らが作った銃を鹵獲して転生者に向けても、その転生者が装備している武器の一覧からそれを解除してしまえば、一瞬で無力化されてしまうのである。

 

 だが、転生者が自分の生産した武器を”鹵獲された”ということを認識していない限り、鹵獲しても問題はない。

 

 こいつらの使ってた機関銃ってことは、ドイツのMG3か。確かに連射速度が速い優秀な機関銃だから、迫りくる敵を薙ぎ倒すのには向いている事だろう。

 

 ケーターたちの戦車が開けた大穴から中へと戻ろうとしたその時、コートの裾を後ろから引っ張られたような気がした。

 

「ん?」

 

 もう雪を掴み取るのに飽きてしまったのか、先ほどまではしゃいでいたイリナが俺の目をじっと見つめながら、コートの裾をぎゅっと掴んでいる。

 

「ねえ、悪いんだけど…………お、お腹空いちゃったの」

 

「ああ、ご飯ね」

 

 吸血鬼たちもサキュバスと同じく、主食である血を吸わない限り空腹感が消えないという特徴がある。どれだけ沢山ステーキやパンを口の中に放り込んで呑み込んでも、彼女たちの空腹感が消えることは絶対にないのだ。

 

 テンプル騎士団にはイリナと兄のウラルの2人しか吸血鬼はいない。そのブリスカヴィカ兄妹に血を提供しているのは、言うまでもないけれど、団員たちである。当番になっている数名のメンバーが注射器で自分の血を抜き、それを試験管にも似たガラスの容器に入れて2人に提供するのだ。

 

 けれども、最近のイリナはどうやら俺の血がすっかり気に入ってしまったらしく、抜かれた血よりも直接噛みついて血を吸う方が好きらしい。

 

 滅茶苦茶になった図書館の中を歩きながら、誰にも見つからないような場所を探す。どの部屋も穴だらけになっているけれど、どうやら職員用の休憩室と思われる部屋は無事だった。埃だらけになった扉を開けて中に入り、休憩用のソファに腰を下ろす。

 

「で、今日はどこから吸うの?」

 

 この前は首筋だったけど、その前は腕から吸った時もある。

 

「え、ええとね…………く、首がいいな」

 

「はいはい」

 

 コートのチャックを下ろし、その下に身につけている黒いワイシャツのネクタイを緩める。彼女が噛みつきやすいように首筋を露出させると、イリナは我慢できなくなったのか――――――呼吸を荒くしながら、俺の上にのしかかってきた。

 

「うわっ」

 

「はぁっ、はぁっ…………ふふふっ、やっぱり美味しそう…………♪」

 

 そう言いながら首筋の匂いを嗅いでいた彼女は、人間よりも少しだけ長い舌を伸ばすと、これから噛みつく場所を俺に教えるかのように、優しく首筋を舐めまわし始めた。そして吸血鬼の特徴である長い犬歯をあらわにすると―――――――静かに、首筋にその犬歯を突き立て始める。

 

 吸血鬼の牙で噛みつかれる痛みに堪えながら、上にのしかかっているイリナをぎゅっと抱きしめた。彼女はうっとりしながら血を吸いつつ、同じように両手を伸ばして抱き着いてくる。

 

 いつものように身体の力が抜けてくる。それに伴って彼女を抱きしめる両腕にも力が入らなくなり、そのままソファの上に落ちてしまう。あまり血を吸い過ぎると当たり前だが俺は死んでしまうので、彼女の身体を抱きしめている腕に力が入らなくなるのを目安にして、彼女は血を吸うのを止めるのだ。

 

 そっと牙を離し、傷口を何度か舐めてからうっとりするイリナ。彼女は俺の上に乗ったまま、しばらく俺の身体にしがみついていた。

 

「僕、やっぱりタクヤの血の味が一番好き」

 

 何とか右手に力を入れ、コートのホルダーにある試験管のようなガラス製の容器の中からブラッド・エリクサーを取り出す。栓を取って血のような紅い液体を口の中に流し込み、息を吐きながら天井を見上げる。

 

 やがて、少しずつ力が入るようになってくる。今しがた飲み込んだブラッド・エリクサーが吸収され、彼女に吸われた分の血液を補充してくれているのだ。

 

「ごめんね。痛くなかった?」

 

「慣れちゃった」

 

「ふふっ、じゃあ今度はもっといっぱい吸っていい?」

 

「死んじゃうって」

 

 微笑みながら、イリナが顔を近づけてくる。彼女が何をするつもりなのか予測した頃には、のしかかっている彼女の唇が俺の唇に押し付けられ、イリナの長い舌に自分の舌を絡み合わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリクサーを少しだけ飲んで首筋の傷口を塞ぎ、3階へと向かう。3階のホールのドアを開けて中へと入ると、敵兵の死体の片づけが終わったのか、ホールはある程度は綺麗になっていた。

 

 近くにあった埃だらけの椅子を引っ張り、埃を手で払ってから腰を下ろす。

 

 3階のベランダには、鹵獲したMG3と7.62mm弾が連なる弾薬のベルトがずらりと並んでいた。どうやら敵の転生者はまだ図書館の守備隊が使っていた武器が鹵獲されたことに気付いていないらしく、装備は解除されていない。

 

 もう既に、HQ(ヘッドクォーター)に図書館を制圧したという連絡は送った。後は第二防衛ラインをあの親父がとっとと突破してくれれば、俺たちはさらに前進できるだろう。

 

 そう思いながら近くにあるラノベが並んでいる本棚へと手を伸ばし、適当にその中から1冊だけ引っ張り出す。

 

 何だコレ? タイトルは…………『異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる』?

 

 オルトバルカでは売ってないラノベだな。しかもヴリシア語で書かれてるし。小さい時にヴリシア語も習ったけど、色々と他の言語と比べると独特だから難しいんだよね。部分的にしかわからない。

 

 どうやらこのラノベは、魔術や魔物が存在しない世界へと転生した天才魔術師の少年が、向こうの世界で魔術を駆使して人々を助ける話らしい。要するに、俺や親父とは逆ってことだな。

 

 まだ1巻らしいけど、最後の方ではなんとその魔術師の少年がエイブラムスと戦うことになったらしい。エイブラムスの主砲を魔術で防ぎながら、ファイアーボールで反撃している。

 

 おい、ちょっと待て。何でファイアーボールでエイブラムスの正面の装甲を貫通してんだよ!? アメリカ軍の誇る戦車はこんなに貧弱じゃねえぞ!? しかもそのファイアーボールで空母まで撃沈してるし!

 

 知っている兵器が魔術で蹂躙される描写が出てくる度に憤ったけど、こっちの世界の人からすれば強力な魔術が見たこともない現代兵器で打ち破られるのは納得できない光景なんだろうなと思い、息を吐く。

 

 というか、これの作者って転生者なんじゃないだろうか?

 

「くそったれ、このラノベの作者を後で粛清してやろうか」

 

「ふにゅっ、ここにいたっ♪」

 

「おお、ラウラ」

 

 ラノベを本棚に戻しながら後ろを振り向くと、ニコニコしながら走ってきた彼女が抱き着いてきた。

 

 彼女を抱きしめると、ラウラはすぐに両手と尻尾を使って俺を抱きしめてくれる。

 

「ねえ、さっきイリナちゃんと何してたのかな?」

 

「…………」

 

 …………見られてた?

 

 血を吸わせるだけなら、まだ彼女にご飯を上げていたことになるからきっと許してもらえる。けれど、その後にやったことを思い出した俺は彼女に抱きしめられながら凍り付く羽目になった。

 

 き、キスしてましたね…………。

 

 ヤバい。こ、殺されるんじゃないだろうか…………?

 

 彼女の目はもう虚ろになってるんだろうなと思いながら、恐る恐る顔を上げる。俺を抱きしめている彼女の瞳は―――――――いきなりイリナと何をしていたのか問い詰めてきた割には、いつもとあまり変わらなかった。

 

 あれ? いつもなら虚ろになってるよね?

 

「ふふふっ。今度からイチャイチャする時は、お姉ちゃんも誘ってね♪」

 

 そう言ってから頬にキスしたラウラは、彼女がいつも通りだったことに驚いている自分の弟をぎゅっと抱きしめ続けた。

 

 もしかして、もうヤンデレじゃなくなったのかな…………?

 

 元通りになってくれたことを祈りながらメニュー画面を開き、ラウラの好感度を確認する。相変わらず彼女のハートマークはヤンデレを意味する紫色に染まっているのを確認した俺は、どういうわけか安心してしまうのだった。

 

 



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図書館を防衛するとこうなる

 

 

「同志、第12戦車部隊が大損害を受け、撤退しました」

 

「そうか…………」

 

 傍らに転がっていた敵の戦車の残骸の上に腰を下ろし、AK-12の点検をしていたリキヤ・ハヤカワは、すっかり聞き慣れてしまった味方が撤退をするという報告を聞き、ため息をついていた。

 

 まだまだ兵力はある。その気になれば損害を気にせずに強行突破をすることも可能だ。敵の攻撃をものともせず、戦車部隊と歩兵部隊をひたすら突撃させれば、20分の1の兵力の一部を結集して展開した戦車と歩兵の防壁など、容易く打ち崩せる。

 

 しかし、彼がその作戦を愚策であると判断して実行に移していないのは、敵が第二防衛ラインだけではないという事である。

 

 第一防衛ラインをすぐに突破できたとはいえ、あの第二防衛ラインは例えるならば”中堅”だ。その後には本拠地を守るための分厚い最終防衛ラインが待ち構えているに違いない。もし仮にここで強引な突撃を実行すれば、突破することは確実にできるものの、その頃には大損害を被っているのは想像に難くない。満身創痍の状態で、より分厚い最後の防衛ラインに戦いを挑めば、いくら圧倒的な物量があっても全滅するのは明らかである。

 

 まだ橋頭保すら確保できていない状態では、強引に突撃することはできない。だからと言ってこのまま中途半端な攻撃を続けていれば消耗戦になる上、そのまま泥沼化することになるだろう。

 

 消耗戦と泥沼化を最も恐れていたリキヤとしては、何とかしてこの第二防衛ラインを最低限の損害で突破したいところである。

 

 近くにある弾薬の入った箱から取り出した7.62mm弾が束ねられたクリップを拾い上げ、空になったベークライト製のマガジンに装填していく。素早く装填を終えたマガジンをポーチの中へと放り込み、次の空になったマガジンを拾い上げ、同じようにクリップで装填していく。

 

「敵の指揮官は手強いですね」

 

「ああ。守り方が巧い」

 

 部下に返事をしながらマガジンをポーチに放り込み、リキヤは立ち上がった。

 

 敵の指揮官の守り方は、確かに巧い。第一防衛ラインの戦いを見ていたのか、連合軍の兵力の中で脅威になるのは無数の戦車部隊であるという事を理解していたらしく、ありったけの対戦車地雷や爆薬を仕掛けているせいで迂闊に戦車を突撃させられない。強引に突撃させれば片っ端から戦車がそれらの餌食になっていくだけなのだ。

 

 それに、同志たちを無駄死にさせることになってしまう。

 

「ああああああああっ! 俺の脚がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「しっかりしろ、もう止血してる!」

 

「おい、麻酔はまだか!? こいつの腹にまだ弾丸が残ってるんだ!」

 

「…………」

 

 負傷兵を必死に手当てするメディックたちを見つめながら、リキヤは14年前の戦いを思い出していた。

 

 この戦いを除けば、彼が経験してきた戦いの中でも最も熾烈だった死闘。ラトーニウス海のファルリュー島で、たった260人の海兵隊と共に無数の守備隊に戦いを挑んだ攻防戦。命を落とした仲間の死体を目にすると、あの時目の前で死んでいった若い兵士たちの顔がフラッシュバックする。

 

 まだ当時の自分よりも若かった転生者たちが、何人も死んでいった。そしてメディックたちの手当てで助からなかった兵士たちも、あの時のように死んでいく。

 

 近くに設置されている即席の診療所には、身体中に包帯を巻きつけられた兵士や、手足のどれかが欠けている兵士が横になっていた。中には焼夷弾のようなもので焼かれたのか、腕が真っ黒になっている兵士もいる。その傍らでは身体に突き刺さった破片をメディックに引き抜かれて絶叫する兵士もいた。

 

「リキヤ」

 

「エミリアか。右翼は?」

 

 傍らにやってきた妻に戦況を尋ねると、彼女は首を横に振った。エミリアの率いる歩兵部隊も同じように敵の集中砲火で苦戦しているらしく、前進することはできていないという。

 

 膠着状態になることを全く想定していなかったわけではない。膠着状態を打破し、敵の防衛ラインを崩壊させるための手段はしっかりと用意してきた。そろそろそれを投入するべきだという決断を下しかけたリキヤであったが、彼がそれを口にするよりも先にエミリアが提案する。

 

「………そろそろ、リディアを投入するべきだ」

 

「ああ、そうだろうな」

 

 膠着状態を打破するための手段の1つが、彼らが手塩にかけて鍛え上げたリディア・フランケンシュタインである。かつてヴィクター・フランケンシュタインによる自分の娘を生き返らせるための実験の過程で生み出された、世界初のホムンクルス。一言も喋らず、リキヤの命令通りに動くもう1人の転生者ハンター。

 

 今の彼女は、欠損していた両足の代わりに装着している義足に”近代化改修”を受けた状態で、このヴリシアへとやってきている。とはいえ攻撃が始まったころにはまだフィオナによって最終調整を受けている段階であり、テストすら終わっていない状況だ。

 

 それでも、彼女の予測では問題なく実戦に投入できるという。

 

「フィオナ、リディアは?」

 

『もう調整は済んでますよ』

 

 敵陣のある方角を見つめながら訪ねると、何の前触れもなく姿を現した幽霊の少女がニコニコと笑いながら彼の問いに答えた。戦場の真っ只中だというのに、彼女の服装はいつも通りの白衣である。胸にあるポケットの中にはカラフルな液体が封じ込められた試験管がいくつも入れられており、腰には実験用のフラスコをぶら下げている。まるで実験室からそのまま飛び出してきたかのような恰好で、砲弾や銃弾の応酬がひたすら続く戦場には場違いな服装としか言いようがない。

 

「よろしい。…………同志諸君!」

 

 戦車の上で休憩していた車長や、近くにあった遮蔽物の陰に隠れながら敵陣を見張っていた歩兵たちが、一斉にリキヤの方を振り向いた。

 

「これより、敵陣に対しもう一度攻撃を行う!」

 

 今度はリディア・フランケンシュタインも投入し、全ての部隊での攻撃を行う。言うまでもないが、次の攻撃で敵に返り討ちにされるようなことがあれば、このヴリシア侵攻作戦の継続は難しくなるだろう。大損害を出した状態で第二防衛ラインを突破しても、最終防衛ラインで食い止められてしまう。

 

 しかし、リディア・フランケンシュタインが最前線に投入される以上、先ほどまでのように敵の猛攻で突撃を中断するような局面になることはない。

 

 海底神殿での戦いで、リディアはタクヤと同等の戦闘力を発揮していたという報告を聞いているし、フィオナによって行われた近代化改修により、その戦闘力は爆発的に向上しているという。

 

「李風にも伝えろ。これより連合軍の地上部隊は、全兵力を投入し攻撃を開始する。艦隊にはミサイルによる支援攻撃の要請を」

 

「はい、同志リキノフ」

 

 AK-12に銃剣を装着した彼は、敵の防衛ラインのある方向を睨みつけた。

 

 彼の紅い瞳は、先ほどよりも獰猛な雰囲気を纏っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 偵察を担当させていた無人型ルスキー・レノたちの1両から敵部隊を発見したという知らせが届いた瞬間、先ほどまでは兵士たちの雑談が聞こえていた図書館の中は一気に静かになった。非常食を食っていた兵士たちは食べかけの缶詰を放置して自分に割り当てられた戦車へと走り、スオミ支部の兵士と雑談していた本部の兵士は大慌てで迫撃砲へと向かう。

 

 ラウラと一緒にいた俺も、3階のベランダに残された敵のMG3へと向かい、傍らに置かれた弾薬の箱の中からベルトを引っ張り出していた。

 

「くそったれ、よりにもよって最終防衛ラインからか」

 

 図書館に向かっている敵の戦力は、レオパルト2A7+が5両とM2ブラッドレーが2両。そして様々な武器を装備した歩兵部隊が200人以上。戦車の数ではこっちが上だが、敵の歩兵の人数はこちらよりも多い。

 

 幸い制空権はすでに確保されているため、上空からヘリで支援してくれるイッルとニパたちが危険に晒されることはないだろう。

 

 俺はその奪還するために派遣された部隊がやってきた方向をもう一度確認し、舌打ちをする。

 

 第二防衛ラインの守備隊が奪還のための部隊を派遣すると思っていたが、どうやら接近している敵は第二防衛ラインからの部隊ではなく、その先に用意されている最終防衛ラインと思われる場所から派遣された部隊のようだ。第二防衛ラインの後にもまだ守備隊は防衛ラインを用意しているだろうと思ったが、こっちに戦車部隊を派遣できるだけの余裕があるという事は、おそらく最終防衛ラインの戦力は今までの守備他の比ではないだろう。

 

「各員へ。何とかここで堪えるぞ。本隊が来るまで耐えるんだ!」

 

『『『『『『『了解(ダー)!』』』』』』』

 

 ルスキー・レノたちは偵察用に残しておく。敵を迎え撃つのは俺たちの仕事だ。

 

 MG3の点検をしていると、図書館の近くにある別の建物のベランダで、やたらと長い銃身を持つライフルを構えている若い兵士たちの姿が見えた。身につけている制服はスオミ支部の物ではなく本部の制服で、頭にはヘルメットではなくウシャンカをかぶっている。

 

 確か、ここを制圧する時にスナイパーライフルを持っていた奴らだ。ということは、ラウラの教え子だな。

 

 ラウラの教え子たちが持っているのは、明らかに普通のスナイパーライフルではなかった。銃身は普通のライフルどころかアンチマテリアルライフルと比べても長いし、かなり大口径の弾丸を使うのか、銃身も太い。

 

 先端部に搭載されているでっかいマズルブレーキとシンプルな銃身を見た瞬間、俺はその狙撃手たちが持っている武器を見抜いた。

 

 あれはスナイパーライフルではない。ソ連で開発された『対戦車ライフル』である。

 

 対戦車ライフルが初めて投入されたのは、第一次世界大戦の最中だ。イギリスが投入した最初期の戦車を撃破するために、ドイツはその戦車の装甲を貫通させるために対戦車ライフルを開発し、どんどん実戦に投入したのである。

 

 その狙撃手たちが持っているのは、ドイツが第一次世界大戦で投入したタイプではなく、ソ連軍が第二次世界大戦でドイツ軍の戦車に対して投入した、『デグチャレフPTRD1941』と呼ばれる対戦車ライフルだ。

 

 銃身の長さはおよそ2m。マガジンは搭載されていないため、1発ぶっ放したらすぐに次の弾丸を装填する必要がある単発型だ。そのため連射力は他のライフルに比べるとやや劣ってしまうものの、非常に構造が単純であるため信頼性が高い。

 

 本来ならば使用する弾薬は14.5mm弾だが、改造によって使用する弾薬をより大口径の20mm弾に変更している。とはいえ、いくら大口径でも最新型の戦車を撃破するのは不可能であるため、彼らの標的は戦車部隊の後方を進軍するM2ブラッドレーか歩兵になるだろう。

 

 念のため、狙撃手部隊には通常のSV-98も装備させている。もし対戦車ライフルでの戦闘が困難だと判断した場合は、すぐにそっちに装備を切り替えるように指示を出してある。

 

 俺も背負っていたOSV-96からマガジンを外し、コッキングハンドルを引いて薬室の中の弾丸を取り出すと、それを取り外したマガジンに入れ直してから、ライフル本体の左側に用意したホルダーに搭載してある徹甲弾のマガジンを装着。コッキングハンドルを引いて発射準備を終える。

 

「戦車部隊、12時方向の大通りに照準を合わせろ。敵の戦車が顔を出した瞬間に集中砲火だ。敵の戦車に命中したら、迫撃砲はその周辺に一斉砲撃。慌てて突っ込んできた奴らをミンチにしてやれ」

 

 ルスキー・レノたちが送ってくれた情報では、敵は最終防衛ライン側から図書館へと続く大通りを真っ直ぐに侵攻してくるという。第二防衛ラインからの敵襲を想定していたため、設置した対戦車地雷をそっちに設置し直す余裕はなかったが、集中砲火でも十分に対応できるだろう。

 

 遮蔽物に身を画した戦車部隊や、塹壕の中で迫撃砲の準備をしている兵士たちを見渡してから、俺は指示を続ける。

 

「歩兵部隊が射程距離に入ったら撃ちまくれ。…………以上だ」

 

『同志、敵戦車を確認!』

 

 ご到着か。よし、集中砲火でお出迎えしてやろうじゃないか。

 

 双眼鏡を覗き込みながら大通りの方を見てみると、雪が降り続ける夜の大通りの向こうから、キャタピラで瓦礫を踏みつぶす音を響かせながら、一直線にこっちへと突っ込んでくる戦車の列が見えた。ルスキー・レノたちからの報告は正確だったらしく、確かに大通りを進むレオパルトの数は5両である。そのすぐ後ろには歩兵を乗せたM2ブラッドレーが走っていて、その周囲をパンツァーファウストやG36を装備した歩兵が走っている。

 

 もうとっくに射程距離には入っている。だが、まだ撃つべきではない。もう少し引き付けてから攻撃開始だ。

 

 息を呑みつつ、無線機のスイッチを入れる。

 

 親父たちが第二防衛ラインを突破するまで、俺たちがここを死守するのだ。壊滅すればヴリシア侵攻作戦は間違いなく失敗する…………!

 

「――――――撃ち方…………始めッ!」

 

撃て(アゴーニ)!』

 

撃て(フォイア)!』

 

撃て(トゥータ)!』

 

 号令を下した途端、遮蔽物に身を隠していたStrv.103やエイブラムスが一斉に火を噴き、雪の降る夜の帝都を猛烈な閃光で照らし出した。その閃光を置き去りにして疾駆していくのは、戦車の装甲を貫通するほどの貫通力を持つ、APFSDSの群れである。

 

 何の変哲もない砲弾にも見える外殻を脱ぎ捨て、捕鯨船の船員が放つ銛にも似た本来の姿をあらわにした砲弾の群れが、先頭を突き進むレオパルトへと殺到していく。おそらく敵の車長や操縦手は砲撃されたという事に気付いていただろうが、いくら大通りとはいえレオパルトの巨体では左右にすぐ回避するわけにはいかない。仮に回避したとしても、後続の車両が餌食になっていた事だろう。そしてその大破した味方の車両が撤退する道を塞ぐことになる。

 

 お前たちは進軍するルートを間違えたのさ。

 

 双眼鏡の向こうで、一斉に放たれたAPFSDSが一斉にレオパルトに突き刺さる。分厚い装甲を持つ最新型の戦車とはいえ、同じく最新の戦車の群れから一斉にAPFSDSを叩き込まれればひとたまりもない。

 

 鉄板が砕けるような大きな音が聞こえたかと思うと、暗闇の向こうを進んでいたレオパルトがぴたりと動かなくなった。ズームして確認してみると、どうやら砲塔や車体に立て続けにAPFSDSが着弾したらしく、穴だらけになっている。更にそのうちの数発が貫通したようで、乗組員を瞬く間にミンチにされたレオパルトは120mm滑腔砲の砲身をゆっくりと下げながら、完全に機能を停止した。

 

 そして、今度は―――――――迫撃砲の砲弾が、敵部隊へと襲い掛かる。

 

 設置した迫撃砲は、第二次世界大戦でソ連軍がドイツ軍に対して使用した『BM-37』と呼ばれる迫撃砲だ。現代の迫撃砲と比べると射程距離が劣ってしまうものの、破壊力だけならば現代の迫撃砲と同等である。

 

「くそ、敵の待ち伏せだ!」

 

「戦闘の戦車がやられた! 歩兵部隊、何とか―――――――うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 予測した通りに、大破した戦車の後方から歩兵部隊が飛び出してきた。しかし、間髪入れずに降り注いでくる82mm弾の群れが、片っ端から飛び出してきた歩兵を木っ端微塵に吹っ飛ばしていく。

 

 よりにもよって大通りの真っ只中で、先頭を進んでいた戦車が大破してしまったのだ。しかもあの大通りは狭い路地くらいしか迂回するルートがない一本道。つまり先頭の戦車を撃破するだけで、後続の4両のレオパルトと2両のM2ブラッドレーは、目の前で大破した味方の戦車を完全に取り除かない限り身動きが取れなくなるのである。

 

 そうなったら小回りの利く歩兵部隊を突撃させるしかないわけだが、分厚い装甲で守ってくれる装甲車や戦車がいない歩兵部隊のみで俺たちの弾幕を突破するのは不可能であった。

 

「機関銃、撃ち方始め! 撃ちまくれ!」

 

 塹壕やベランダに設置された機関銃が一斉に火を噴き、迫撃砲の砲撃を突破してきた歩兵たちを薙ぎ倒していく。敵の装甲車を狙撃しようと思って徹甲弾を準備していたんだが、どうやら歩兵の相手だけで済みそうだな。

 

 ちなみに、この作戦を立てたのはナタリアだ。彼女はきっと優秀な参謀になるに違いない。

 

 OSV-96から手を離した俺は、近くにあったMG3のグリップを握り、敵兵へと射撃を開始するのだった。

 

 

 

 



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キマイラ

 

 

 オルトバルカ王国に並ぶ国力を誇ると言われたヴリシア帝国の帝都は、すでにただの廃墟と化しつつあった。

 

 大規模な爆撃と戦車部隊の激突。銃弾や砲弾の応酬に巻き込まれた建物が片っ端から倒壊していき、戦車のキャタピラが石畳を叩き割っていく。無残な姿になった帝都の真っ只中で殺し合うのは、漆黒の制服に身を包んだ兵士たちと、ダークグリーンの制服に身を包んだ兵士たち。

 

 ウィルバー海峡での海戦を制した連合軍は瞬く間に第一防衛ラインを圧倒的な物量で突破したものの、第二防衛ラインの突破に手こずっている状態であった。第二防衛ラインの指揮官が短時間のうちに連合軍を足止めするための作戦を立案し、わざわざ準備していた第二防衛ラインの守備隊を再編するという手間をかけ、万全の状態で戦いを挑んだためである。

 

 連合軍の戦法は、要するに圧倒的な数の戦車と歩兵をただ単に突撃させ、その隙を戦闘ヘリの航空支援が埋めるというものであった。極めて単純な戦法だが、地上部隊と支援部隊の呼吸が合っているからこそ単純でいられる作戦であり、少しでも呼吸がずれれば一気に瓦解する脆弱性も持つ、諸刃の剣ともいえる策である。

 

 第二防衛ラインの指揮官はその脆弱性を見抜き、まずはその呼吸を絶つことから始めたのだ。

 

 地上部隊を対戦車地雷やありったけの爆薬で足止めし、航空支援を空回りさせる。いくら対戦車ミサイルを満載した重武装のヘリでも、その攻撃が猛威を振るうのは、地上部隊が対空ミサイルを装備した敵を排除するという彼らの支援があってこそである。地上部隊の進軍が遅れた状態で前に出れば対空ミサイルの餌食になるだけであり、地上部隊の進軍に合わせて足を止めざるを得なくなる。

 

 守備隊が選んだのは、そのまま戦いを泥沼化させて消耗戦に持ち込み、連合軍を疲弊させることであった。20分の1の兵力しかないとはいえ、ヴリシアは彼らの領土である。歩兵と兵器をかき集めて構築した防衛ラインと兵站を維持することができる限り、持久戦になれば彼らの方が有利になるのだ。

 

 敵が戦闘の泥沼化を望んでいることは、シンヤ・ハヤカワと張李風(チャン・リーフェン)ももう既に見抜いていた。基本的に持久戦になれば不利になるのは連合軍の方である。圧倒的な物量を誇るとはいえ、それを維持するための弾薬や燃料にも限りがある上、兵士にも食料や回復用のアイテムが必要になる。泥沼化すればそれをひたすら無駄遣いする羽目になるため、何としても避ける必要があった。

 

 そこで―――――――連合軍の誇る2人の名将は、泥沼化しつつある第二防衛ラインの状況を打破するため、リディア・フランケンシュタインの投入を決意するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前方から轟いてくる、砲弾が着弾する音。榴弾の爆風によって生み出された無数の破片が飛び散り、着弾した場所の近くにいた兵士たちをズタズタに引き裂いていく。その後に聞こえてくるのは辛うじてその砲撃を生き延びた兵士たちの怒声と、爆風で手足を失った兵士の絶叫である。

 

 迫撃砲が砲弾を打ち上げ、物陰に隠れた戦車たちが砲弾を放つ。それらが着弾する度に連合軍の兵士たちが木っ端微塵になり、集中砲火を浴びたT-14が動きを止め、火達磨になった乗組員たちを瓦礫の上に解き放っていく。

 

 バイポットを瓦礫の上に立て、攻撃に失敗して敗走していく敵兵の背中を撃ち続けていたLMGの射手は、新しいベルトをMG3に装着しながらため息をついた。先ほどから連合軍の兵士たちは突撃してくるだけで、こちらの裏をかくような動きは全くない。真正面から雄叫びを上げながら突っ込んできて、仲間が撃たれて倒れていくと、すぐに踵を返して逃げていく。

 

 そのような間抜けな敵を何度も相手にしていれば、どれだけ緊張感を感じる戦闘にも”飽きて”しまう。隣でG36をセミオートに切り替えて狙い撃つ仲間たちも、先ほどの休憩中には「簡単な仕事だな」と言いながら、自分が射殺した敵兵の物真似をして仲間を笑わせていた。

 

 そろそろ休憩できるだろうかと思いながらMG3の点検を終え、あくびをしたその時だった。

 

「なあ、おかしくないか?」

 

「何が?」

 

 敵兵が射程距離の外まで逃げてしまったのか、狙撃を切り上げた味方の兵士が、G36の残弾を確認しながら言った。

 

「さっきまでの攻撃に比べると、随分と撤退が早いじゃないか」

 

「どうせ、負けるのに慣れて逃げ足が速くなっちまったんだろ」

 

 迫撃砲の砲撃を終えた味方は敵の動きをまったく気にしていなかったかのように、ニヤニヤと笑いながらそう言い返す。LMGの射手は異論を口にしようとして迫撃砲の砲手をちらりと見たが、彼は迫撃砲の砲弾の残りを数えることの方が忙しいらしく、ここで反論しても相手にしてもらえないのは明らかであった。

 

 それに、迂闊に反論すれば吸血鬼に目をつけられる。この最前線で戦う歩兵たちが最も恐れていることが、彼らに指示を出す吸血鬼に目をつけられることであった。ここで制服と銃を与えられ、最前線へと放り込まれた兵士のほとんどは労働者である。独り身の兵士ならば拷問されるか、まだ無残に殺される”程度”で済む。しかし、家族がいる労働者はそれよりも無残な最期を遂げることになるのは明らかである。

 

 労働者の家族は強制収容所に送り込まれ、牢獄の中で彼らの帰りを待っているのだ。もし吸血鬼たちの命令に背けばその強制収容所にいる家族がどのような目に合うのかは、想像に難くないだろう。

 

 先ほど敵兵の動きに気付いた味方の兵を見上げながら、LMGの射手も敵の動きを思い出し、最初の攻撃の時との動きを比較していた。

 

 最初のうちは、「この攻撃で敵陣を突破してやる」という”必死さ”があった。泥沼化すれば敵は物資や弾薬を多く消費し、最終的には戦闘を続けられなくなってしまう。だから一刻も早くこの第二防衛ラインを突破し、進軍しなければならない。それに貢献できるのは最前線の歩兵部隊なのだから、必死になるのは理解できる。

 

 しかし、先ほどの攻撃はいくら何でも撤退が早過ぎたと言わざるを得ない。確かに敗走することに慣れてしまったという可能性もあるし、敵の指揮官がこれ以上の損害を恐れたという可能性もある。しかし、後者が理由だったのならば突撃させた意味が分からない。

 

 仮説が産声を上げようとした、その時だった。

 

「――――――おい」

 

「ん?」

 

 逃げていく敵を見張っていた味方の兵士が、双眼鏡を覗き込みながら言った。早くも敵の攻撃が始まったのかと思いながらそちらを見ると、敵を双眼鏡で見張っていた兵士が目を見開きながら報告する。

 

「向こうから、刀を持った黒服の奴が来るぞ」

 

「刀ぁ?」

 

 銃という強力な飛び道具を手にした兵士たちからすれば、街を警備する騎士や傭兵たちが腰に下げていた剣や東洋の刀は、もう恐ろしいとは思えなかった。相手が鞘から得物を抜くよりも先に、こちらは照準を合わせて引き金を引くだけで相手を殺せるのだ。わざわざ鞘から得物を取り出し、ご丁寧に接近してから振り下ろさなければならない鉄屑よりもはるかに合理的で強力な得物を使っているからこそ、どれだけそれが異質なのかがはっきりとわかる。

 

 ついに武器が不足して、時代遅れの刀を支給された哀れな兵士なのだろうか。そう思いながらMG3に装着された中距離用のスコープを覗き込むと、確かに刀を腰に下げた紫色の髪の兵士が、まるで紳士のようなコートとシルクハットを身につけて、ゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見えた。

 

(女か…………?)

 

 はっきりと分かるほどではないが、胸は微かに膨らんでいるのが分かる。紫色の髪の長さは、男性にしては長めだが、女性だというのならば納得できる長さだろうか。しかし目つきが非常に鋭いせいなのか、女性だという事が分かっても女性だと思うことはできそうにない。それほど鋭く濃密な殺気を、その奇妙な恰好の兵士は身に纏っている。

 

 腰に下げているのは刀のみ。銃のホルスターや手榴弾すら見当たらないところを見ると、「兵士」と言うよりは「剣士」と言うべきだろうか。

 

 もしここが、異世界の武器である銃のない戦場であるならば違和感はない。しかし、強力な飛び道具が猛威を振るう戦場の真っ只中に刀を一本だけ装備して踏み込んでくるからこそ、猛烈な違和感が生じる。

 

 LMGの射手が、分隊長に「攻撃しますか?」と問いかけようと顔を上げたその時―――――――ついにその刀を持った時代遅れの剣士が、牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃は剣よりも強力で、合理的な武器であるという原則を知っている者から見れば、第二防衛ラインに真正面から突っ込んで行く彼女はかなり無謀なことをしているように見えるだろう。立て続けに弾丸を吐き出し、防具を易々と食い破ってしまう機関銃やアサルトライフルの群れは、照準を合わせて引き金を引くだけで敵を蜂の巣にしてしまう。しかし刀は銃のように便利な武器ではない。

 

 鞘から得物を引き抜いた状態で、相手に接近してから振り下ろさなければならないのだ。

 

 だから銃を手にした敵兵は、たった1人の突撃を止めるのは容易いだろうと高を括っていた。

 

 射程距離に入ったのを確認した砲手が、迫撃砲で砲撃を開始する。雪の降り続ける夜空へと打ち上げられた砲弾が、派手な音を纏いながら急激に角度を変え、瓦礫に埋め尽くされた大地へと降り注いでいく。突撃を続けるリディアのすぐ近くに着弾して爆風と破片をまき散らすが、リディア・フランケンシュタインはその爆風と破片を浴びても立ち止まらない。

 

 いや、彼女は―――――――爆風と破片の近くにいたにもかかわらず、全くダメージを受けていなかった。

 

 普通の人間ならばたちまち皮膚をズタズタにされるか、手足を吹っ飛ばされて戦闘不能にされていた事だろう。彼女も手足を捥ぎ取られてもおかしくないほどの爆風に晒されたにも拘らず、何事もなかったかのように突進を続ける。

 

 迫撃砲の砲手は、照準を間違えたのかと我が目を疑ったことだろう。

 

 その後に火を噴いたのは、レオパルトの120mm滑腔砲だった。最新型のあらゆる戦車に搭載されている主砲は戦車の装甲を易々と貫通するほどの破壊力を持つが、対人用の砲弾を装填すれば、歩兵の群れを造作もなく一蹴してしまう事も可能である。

 

 装填されていたのは、まさに”歩兵を一蹴するため”のキャニスター弾であった。

 

 まるで空中分解を起こしてしまったかのように砲弾の外殻が剥がれ落ち、中から無数の小さな鉄球たちが姿を現す。攻撃範囲を増したその鋼鉄の鉄球の群れは超高速で飛来し、リディアの身体をズタズタに引き裂くはずだったが―――――――またしても、その砲手は我が目を疑うことになる。

 

 立て続けに跳弾するかのような金属音が響いたと思った頃には、彼女の身体に喰らい付いたキャニスター弾の群れが、ことごとく弾き飛ばされていたのだ。

 

「ば、バカな………!?」

 

 キャニスター弾が人体に命中すれば、確実にその命中した敵兵は木っ端微塵になる筈だった。しかしリディアには傷一つついておらず、突進する速度も全く変わっていない。

 

 相手が人間ではなく戦車であるのならば、まだ納得できる現象である。戦車を覆う分厚い装甲を貫通するためには、APFSDSや形成炸薬(HEAT)弾がなければ難しいからだ。しかし目の前から突撃してくるのは、どこからどう見ても人間の女性である。

 

 跳弾した音の残響が消え去り、ついにリディアがLMGやアサルトライフルの射程距離へと飛び込んでくる。

 

「う、撃てぇ!!」

 

 キャニスター弾や迫撃砲でも傷一つ付けることができなかった兵士が、ただの人間である筈がない。迫撃砲が着弾する寸前までは、どうせ銃すら支給してもらえなかった兵士がやけくそになって突撃してきただけだろうと高を括っていた兵士たちも、本能的にリディアを接近させてはならないと感じ取っていた。

 

 セレクターレバーをいきなりフルオートに切り替え、突進してくるリディアに5.56mm弾と7.62mm弾の弾幕をお見舞いする兵士たち。たった1人の兵士につぎ込むにしてはオーバーキルとしか言いようがないほどの弾薬が、空になった薬莢とマズルフラッシュの残光を残し、リディア・フランケンシュタインに殺到していく。

 

 今度こそ、はっきりと見える間合いだ。先ほどキャニスター弾を弾いたのがトリックなのか、それとも本当にそれほどの防御力を持ったバケモノなのか。

 

 次の瞬間、その”答え”を目の当たりにした兵士たちは、1人残らず目を見開いた。

 

 急迫してくる女性の皮膚が―――――――徐々に、まるでドラゴンが身に纏う紫色の外殻に覆われ始めたのである。その外殻は瞬く間にリディアの手足だけでなく、胴体や首まで侵食すると、彼女の身体を食い千切るために飛来した無数の弾丸を造作もなく跳弾させ、彼女の身体を守り抜いてしまう。

 

 基本的に、この異世界では命中精度が高い代わりに殺傷力が劣る5.56mm弾よりも、命中精度を二の次にしてストッピング・パワーと殺傷力に特化した7.62mm弾の方が重宝すると言われている。前者は扱いやすく、対人戦でも有効である代わりに魔物には効果が薄いと言われているが、それに対し後者は対人戦でも有効であり、場合によっては魔物の外殻を貫通できる威力を持っているため、人間や魔物が相手でも対応することができるからである。

 

 それゆえに、G36から放たれる5.56mm弾は弾かれるのは納得できる。しかし、MG3の7.62mm弾まで弾かれたのを目の当たりにした兵士たちは―――――――キャニスター弾が弾かれたことに納得すると同時に、急迫するリディアを畏怖していた。

 

 全速力で疾走する戦車すら置き去りにしてしまいそうなほどのスピードを持つだけでなく、対人用の弾丸や砲弾を弾いてしまうほどの外殻まで急速に展開できるならば、どれだけ銃の射程距離が長かったとしても、その外殻を貫通できるほどの威力を持つ得物ではない限り、そのアドバンテージは無に等しくなる。

 

「う、撃て! あの剣士を寄せ付けるな!」

 

 分隊長の号令と同時に、レオパルトが今度は対戦車用のAPFSDSを放つ。先ほどは対人用の砲弾だったが、今度は複合装甲すら貫通するほどの威力を持つ対戦車用の砲弾である。対人用の砲弾を弾くことはできても、最初から戦車の装甲を貫通するために開発された砲弾を弾くのは、いくら怪物でも不可能だ。

 

 砲弾の外殻が剥がれ落ち、内部の鋭い砲弾がリディアへと向かっていくが―――――――彼女が姿勢を一瞬だけ低くしたと思った直後、彼女の頭上を通過する羽目になったAPFSDSがかすかに振動したかと思うと、あろうことか左右へと2つに分かれ、そのまま瓦礫の山の中へと消えていってしまう。

 

 リディア・フランケンシュタインは魔王であるリキヤや妻のエミリアたちによって、手塩にかけて育てられたもう1人の転生者ハンターである。数多くの技術を学びながら育ったが、リディアがその数多の武器の扱い方の中から選んだのは―――――――日本刀を用いた、居合である。

 

 海底神殿での戦いではタクヤを圧倒するほどの速度の剣術を披露した彼女からすれば、弾丸や砲弾を一刀両断するのは朝飯前なのだ。

 

 だからリディアは、敵兵たちに自分の力を見せつけるために―――――――圧倒的な貫通力を誇るAPFSDSを、得意の居合斬りで両断して見せたのである。

 

 もちろん、これは彼女の持つ刀が普通の刀ではなく、刀身に特殊な素材を使用し、更にそれをフィオナが技術を注ぎ込んで完成させた逸品であるからこそできる事であった。

 

 そしてその逸品を持ったリディアが、レオパルトへと襲い掛かる。

 

 接近してくるリディアに主砲同軸に搭載された機銃が弾丸を叩き込もうとするが、砲手が必死に照準を合わせて撃ち続けても、今度は弾丸が彼女に命中することはなかった。舗装されていた石畳の残骸を抉る弾丸たちの前を、刀を鞘に納めた紫の髪の女性が凄まじい速度で疾走していく。

 

 操縦士は慌てて戦車を後退させたが―――――――もう既に、レオパルトは彼女の間合いに入ってしまっていた。

 

 ぴくり、とリディアの右手に力が入る。柄を握るリディアの細い指が、漆黒の手袋の中で外殻に覆われていき―――――――まるで、ドラゴンと人間を融合させたような姿になる。増幅された腕力と瞬発力によって鞘から引きずり出された黒と紫色の刀身は、並の人間では決して近くすることができないほどの速度で振り払われ、レオパルトの滑腔砲へと叩き込まれていく。

 

 そして同じように彼女が刀を鞘に戻した直後、彼女へと向けられていた120mm滑腔砲の砲身が、まるで人間が木の枝をノコギリで切り落としたかのように、あっさりと零れ落ちる。

 

 重々しい音を立てて瓦礫の上に転がったそれを、キューポラから顔を出した車長は目を見開きながら眺めていたが、すぐに自分の戦車が主砲を失ったという事を理解した彼は、ホルスターから素早くハンドガンを引き抜くと、刀を鞘に戻したばかりのリディアに向けて発砲する。

 

 弾丸は彼女ではなく、彼女がかぶっていたシルクハットに命中し、彼女の紫色の髪を火薬の臭いのする帝都の中へと晒し出す。

 

 そこから”生えていた”物を見た瞬間、車長は凍り付いた。

 

 普通の人間ならば、決して生えている筈がないものが、目の前の女性から生えていたのである。

 

 鋭いダガーを彷彿とさせる漆黒の物体。切っ先に行くにつれて、まるで彼女の髪のように紫色に変色している。漆黒と紫のグラデーションが飾り立てているのは―――――――キメラの角であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前はとんでもないものを作ったな、フィオナ」

 

 第二防衛ラインの中央を蹂躙するリディアを双眼鏡で見守りながら、リキヤ・ハヤカワはフードの下で伸びている自分自身の角を撫でた。自分の意志を無視するかのように、感情が昂れば勝手に伸びてしまう角を最初は忌々しいと思っていたが、今はキメラという種族の象徴として誇りに思っている。

 

 双眼鏡の向こうで戦う女性にも、全く同じ形状の角があった。とはいえ彼女の角は紫と漆黒のグラデーションになっているのに対し、リキヤの角は赤と漆黒のグラデーションになっている。

 

「予想外だよ。――――――人工的にキメラを作り上げるなんて」

 

『ふふっ。とはいえ、まだ不完全ですけど』

 

 リディアに”近代化改修”を施した張本人は、何の前触れもなくリキヤの隣に姿を現すと、ふわふわと宙に浮かびながら胸を張った。

 

 彼女が施したのは、リディア・フランケンシュタインの両足に移植されている義足の近代化改修である。彼女の義足はリキヤのように魔物の素材を使ったものではなく、フィオナが自分で設計した機械の義足だ。しかしあくまでもその義足はリディアに最初に移植したモデルの長さを彼女の成長に合わせて調整したに過ぎなかったため、新しい義足に更新する必要があったのである。

 

 そこで、フィオナはその義足に前から研究していた新しい機能を追加することにした。

 

 その新しい機能が、『人工的にキメラの能力を再現する』という機能である。

 

 キメラという種族はまだ歴史が浅い上に、どのような生物なのかという傾向すら掴むことができていない謎だらけの種族である。しかしフィオナはリキヤやタクヤの能力をベースにし、それを再現する実験を続けていたのだ。

 

 キメラの能力を使用するために必要なのは、人間の血液とサラマンダーの血液の比率の操作である。人間の血液が多ければ人間に近い姿になり、逆にサラマンダーの血液が多ければドラゴンのような姿になっていくという原則を参考に、彼女はついに能力を一部だけ再現することに成功したのだ。

 

 リキヤやタクヤから採取した細胞を参考にして開発したナノマシンを充填したカートリッジを義足の内部に装備し、能力の発動に必要な濃度のナノマシンを血液中に投与することによって、疑似的にキメラの能力を再現させているのである。

 

 とはいえ、あくまでも再現できているのは何かしらの属性を操る能力と、キメラの外殻のみ。しかも使用できる回数にも限りがあるため、総合的にはキメラよりもはるかに劣ってしまう。

 

 それゆえに不完全な代物だが、キメラの能力を他人も使用できることによるアドバンテージは、かなり大きいと言えた。

 

「で、あれは何と呼べばいい? キメラか?」

 

『いいえ、それでは”完全な怪物(キメラ)”である皆さんに失礼ですので』

 

 無邪気な笑みを浮かべたフィオナは、完全な怪物と呼ばれて苦笑いするリキヤを見ながら言った。

 

『彼女は―――――――人工的な怪物(キマイラ)です』

 

 



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クリスマス前日の戦い

 

 

 銃声が、耳から消えない。

 

 いつまでも鼓膜へと叩き込まれるやかましい銃声を聞かされて顔をしかめるけれど、俺の周囲にいる仲間たちは誰も銃をぶっ放している様子はない。クリップを使ってマガジンに弾薬を装填したり、先ほど撃退した敵が投棄した武器を鹵獲し、それの動作を確認している。

 

 つまり今の音は、幻聴か…………。

 

 それが現実の音ではないと理解した瞬間、銃声が少しずつ消えていく。やがて人間が夢の中から現実へと戻るかのように、聴覚が現実へと連れ戻される。息を吐きながら目の前にメニュー画面を開き、次の弾薬が支給されるまでの時間を確認しておく。

 

 俺の能力で生産した武器や兵器の弾薬は、12時間が経過することで自動的に支給される。他にも燃料も補充されるし、破損している場所があれば最適な状態に勝手にメンテナンスされるようになっているため、メンテナンスをする知識がない場合は12時間ほど放っておくだけでいいのだ。おそらくこれは、銃の知識がない転生者のための機能なのだろう。

 

 メニュー画面に一緒に投影される時刻を確認すると、もうとっくに日付が変わっていた。12月23日。クリスマスの前日の午前5時。きっと世界中の家庭では、小さな子供たちがサンタクロースのプレゼントを楽しみにしているに違いない。

 

「戦場のクリスマスか…………」

 

 敵兵から砲弾や銃弾がプレゼントされないことを祈りながら、俺はそっと壁の穴から顔を出した。相変わらずヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントには雪が降り続けていて、クリスマスに相応しい景色に変わっていた。ひっきりなしに降り続ける真っ白な雪が無残に破壊された悲惨な大地を隠していく。その下に広がるのはズタズタに破壊された石畳や、弾丸に撃ち抜かれて動かなくなった敵兵の死体。

 

 通りの方を見てみると、擱座してしまったレオパルトの残骸やM2ブラッドレーの残骸が放置されている。昨日の夜中まではエンジン部が燃え上がったり、黒煙を吐き出していた残骸たちはすっかり大人しくなり、今では雪に埋もれかかっている。

 

 戦場の真っ只中で迎えた12月23日の朝は、やけに静かだった。

 

「ふにゅ…………ふにゅう…………」

 

 図書館の床に座り込み、隣でアンチマテリアルライフルを抱えたまま眠る姉の頭をそっと撫でる。昨日の防衛戦では彼女の教え子たちが奮戦してくれたし、その教え子たちに狙撃を教えたラウラは何と、20mm弾を立て続けにM2ブラッドレーの砲塔の付け根に叩き込み続け、砲塔を旋回不能にする損傷を与えるというとんでもない戦果をあげている。

 

 隣で眠るこんなに可愛い女の子が、そんな戦果をあげる兵士とは思えない。

 

 コートの上着を静かに脱ぎ、眠っている彼女にそっとかけておく。雪国であるオルトバルカで生まれ育ったとはいえ、オルトバルカ人だって風邪はひく。もちろんキメラも油断すれば風邪をひくことになるのだ。

 

 それにしても、やっぱりオルトバルカの方が寒いな。王都の近くにはシベリスブルク山脈もあるから、あっちの方が寒くなるのは当たり前だと思うけど。

 

 ラウラを起こさないようにゆっくりと立ち上がり、鹵獲した武器の点検をしている仲間の前を横切って、階段へと向かう。見張りの兵士の傍らで仮眠をとる仲間を起こさないように気をつけながら階段を下り、かつてはレオパルトが陣取っていた中庭に居座るチャレンジャー2へと向かう。

 

 気温と雪のせいですっかり冷たくなった複合装甲を掴み、いつものように素早くよじ登る。キューポラにあるハッチをノックすると、中から誰かが動く音が聞こえてきた。

 

 やがてハッチがゆっくりと開き、中から眠そうな顔をしたナタリアが顔を出した。つい先ほどまで仮眠をとっていたのか、俺の顔を見上げるよりも先にあくびをしている。しかも特徴的な金髪のツインテールは寝癖のせいで少しばかり滅茶苦茶になっており、普段はしっかりしている彼女とは思えない姿になっていた。

 

 お、起こさない方がよかったかな…………?

 

「ん………だれ…………?」

 

「俺だよ、タクヤ」

 

「えっ? た、たっ、タクヤっ!? やだ、寝癖なおさな――――――ひゃうっ!?」

 

 俺が訪ねてくるとは思わなかったのか、俺の顔を見上げた彼女はかなりびっくりしていた。目を見開きながら狼狽し始めたかと思うと、そのまま戦車の中で立ち上がろうとして――――――案の定、砲塔の天井に頭をぶつける羽目になり、両手で頭を押さえながら呻き声を上げている。

 

 す、すいません、ナタリアさん…………。

 

「だ、大丈夫?」

 

「うぅ…………バカぁ…………寝癖直す時間くらいよこしなさいよぉ…………」

 

 ごめんなさい。

 

 苦笑いしながらハッチを閉め、砲塔の後ろにもたれかかる。まだ拠点を作る前、いつもタンクデサントする羽目になっていた俺が居座っていた場所だ。今では本隊のメンバーにイリナが加わったことで戦車を2両も運用できるようになったため、誰も乗ることのなくなった砲塔の後ろ。あの時の事を思い出しながら砲塔の後ろにある装甲を撫で、腰を下ろしながら明るくなっていく空を見上げる。

 

 あれから、最終防衛ラインから差し向けられた敵部隊を2回ほど撃退している。どちらも戦車を含む部隊だったけれど、スオミの里のメンバーのおかげで撃退できているし、敵の装備品を鹵獲することでこちらの弾薬を節約できている。

 

 ちらりと図書館の渡り廊下を見てみると、そこに用意した焚き火の周りに集まっているスオミ支部の兵士と本部の兵士が、鹵獲した武器の自慢をしているようだった。

 

 それにしても、親父たちはいつになったら第二防衛ラインを突破してくれるのだろうか。HQ(ヘッドクォーター)に確認をとったが、親父たちはこれ以上の泥沼化を避けるためにリディア・フランケンシュタインを戦線に投入することを決めたらしく、今では凄まじい勢いで第二防衛ラインを蹂躙しているという。

 

 リディアとは、あの海底神殿で戦ったことがある。存在を俺たちに隠したまま親父たちが秘かに育てていたもう1人の転生者ハンターで、魔王の秘蔵っ子。銃を一切使わず、何の変哲もない刀で信じられないほどの速さの居合を繰り出す強敵だった。もしあそこでリディアを倒さなければならなかったならば、おそらく俺は手足のどれかを切断されていてもおかしくはなかっただろう。親父や母さんが手塩にかけて育てた兵士の実力は、伊達ではないという事だ。

 

 彼女が味方であるという事は心強いし、第二防衛ラインを今度こそ突破できるだろう。けれども―――――――このヴリシア侵攻作戦が終われば、実質的にテンプル騎士団は再びモリガン・カンパニーと争奪戦を続けることになる。この戦いの終戦が、新たな戦いの開戦となるのだ。

 

 それにしても、親父は天秤で何をするつもりだ? 親父のような実力者ならば、メサイアの天秤で願いを叶えなくても自分で実現させられそうだ。なのに天秤を欲するという事は、自分の力では成し遂げられないような大きな事なのかもしれない。

 

「お、お待たせ」

 

「ん? おう」

 

 考え事をしているうちに、ナタリアは寝癖を直し終えたらしい。砲塔の後ろから顔を出してキューポラの方を見てみると、いつも通りの姿のナタリアが恥ずかしそうな顔をしながらこっちを見つけていた。

 

「それで、な、何の用かしら?」

 

「ああ、装備品とか足りてるかなと思ってさ。あと食料も」

 

「それなら大丈夫よ。缶詰とか干し肉もまだ残ってるし、お菓子もあるから」

 

「ああ、スコーンか」

 

 それなら問題はなさそうだな。それに弾薬の方も自動で補充されるから、問題はなさそうだ。

 

「分かった。何かあったら―――――――」

 

 そろそろ戦車から立ち去ろうとしたその時だった。開いた覚えもないのに勝手にメニュー画面が開いたかと思うと、敵の索敵のために図書館から離れた廃墟の中や瓦礫の影に潜ませておいたルスキー・レノたちから送られてきた映像が映し出されたのである。

 

 そこに映っていたのは―――――――3機のヘリ。別の映像には地上を突き進むレオパルトの群れも映っている。

 

 先ほどまでの攻撃では戦車や装甲車だけだったが、今度はいよいよヘリまで投入してきたってわけか。確かに制空権を支配しているのは連合軍の戦闘機だが、残念なことに図書館の上空には味方の戦闘機が見当たらない。他の空域で生き残り(食べ残し)を片付けるのに躍起になっているのだろうか。

 

 映像に映っているヘリは、すらりとした胴体に角張ったキャノピーを取り付け、武装をこれでもかというほど搭載したスタブウイングを装備したような外見をしていた。機首の下部にはセンサーと共に装着された30mm機関砲が搭載されている。

 

 あれはおそらく、『ティーガー』と呼ばれる攻撃ヘリだろう。スタブウイングにはロケットポッドのほかにも、こちらに戦車がいる事を考慮したのか、対戦車ミサイルも搭載されているようだ。

 

 獰猛な攻撃力を誇るティーガーを3機も投入したという事は、2回も攻撃部隊を退けられたことで、敵の指揮官も本腰を入れて図書館の奪還に動き出したという事か。

 

「敵?」

 

「ああ。拙いぞ、今度はヘリもいる」

 

「拙いわね…………対処はお願いできるかしら?」

 

「任せろ」

 

 メニュー画面を開いたまま、スティンガーミサイルを素早く装備する。やはりヘリを撃ち落とす際に最も有効なのは、機関砲による対空砲火よりも対空ミサイルで吹っ飛ばすことだろう。フレアで逃げられない限り、ほぼ確実に命中するのだから。

 

 照準器が取り付けられたランチャーをいくつか担ぎながら、俺は戦車の上から飛び降りた。壁に空いた大きな穴から図書館の中へと飛び込むと、見張りをしていた兵士たちにスティンガーミサイルを手渡しながら告げる。

 

「敵だ。ヘリもいるぞ」

 

「了解です、同志。任せてください」

 

「おう、期待してる」

 

 まず、最も先に排除するべきなのはヘリだろう。大口径の機関砲や対戦車ミサイルをこれでもかというほど搭載しているヘリを放っておいたら上空から狙い撃ちにされる挙句、貴重な戦車が対戦車ミサイルで吹っ飛ばされかねない。

 

 用意した5つのスティンガーミサイルを仲間に渡した後、俺はそのまま反対側の穴から図書館を飛び出した。ベランダにあるMG3で蜂の巣にしてやろうと思ったけれど、ヘリの装甲を7.62mm弾で貫通するのは難しい。

 

 だからもっと大口径の得物を持つ兵器の元へと、脇目も振らずに突っ走ったのだ。

 

 揺り続ける雪の中に埋もれかけているそれの元へとたどり着いた俺は、剥がれかけている装甲を手でつかんで強引によじ登り、両手を外殻で覆った。堅牢な外殻で覆われた両手でハッチを掴み、そのまま引き剥がす。

 

 夜中の戦闘で敵が乗り捨てていったM2ブラッドレーは、まだ生きているようだった。誰もいなくなった車内はモニターの明かりで照らされており、まるで主に捨てられたことを悲しむかのように、電子音が鳴り響き続けている。

 

「すげえ、まだ動くのか…………さすがアメリカ製だ」

 

 砲塔の中に滑り込み、スイッチを押して警報を止める。砲塔が動くかどうか確認するために旋回させてみると、装甲が軋む音が聞こえたけれど、機関砲が搭載された砲塔はまだ動いてくれた。

 

 あくまでヘリを撃墜する主役は味方のスティンガー。俺はこのブラッドレーの砲撃で敵を奇襲して攪乱し、味方部隊を掩護するつもりだ。

 

 しかもこのブラッドレーはご丁寧に対戦車ミサイルまで搭載していたらしい。砲塔の両サイドに取り付けられたミサイルランチャーには、まだ1発だけ虎の子の対戦車ミサイルが残っている。うまくいけば戦車を擱座させることもできるかもしれない。

 

「ニパ、イッル。聞こえるか?」

 

『うん、聞こえるよ』

 

『コルッカ、何か用か?』

 

「敵のヘリはこっちに任せろ。お前たちは敵の後方に回り込んで、最後尾の車両を奇襲してくれ。そのまま広場に敵を押し出したらこっちで蹂躙する」

 

『『了解!』』

 

 開きっぱなしになった頭上のハッチの向こうから、コマンチのローターの音が聞こえてくる。早くもスオミ支部から派遣された2機のコマンチが飛び立とうとしているのだろう。

 

 ルスキー・レノから送られてくる映像を確認しながら砲塔を旋回させ、搭載されている機関砲を上空へと向ける。装填されている砲弾の種類は不明だけど、こいつの機関砲ならばヘリに致命傷を負わせるには十分だろう。それに、俺の役目はあくまでも敵の攪乱。動かない筈の味方の車両からの奇襲で敵を混乱させれば、あとは脱出しても問題はない。

 

 車体の方は砲弾や迫撃砲の爆風でかなり破損していたから、もうこのブラッドレーは動けない。壊れかけの固定砲台とでも言うべきだろうか。

 

 やがて、別のローターの音が聞こえてくる。発射スイッチを押す準備をしながらモニターを睨みつけていると―――――――機首に機関砲を搭載したスマートな形状のヘリが、崩れかけのアパートの向こうから顔を出した。

 

 やはり撃破された筈のM2ブラッドレーに狙われている事には気づいていないらしく、目の前にある図書館へと一直線に向かっている。

 

 真横からの砲撃か…………。あまり命中させる自信はないが、隙を作れればいいだろう。

 

 照準を左へとずらした俺は―――――――油断している3機のティーガーへと、機関砲をぶっ放すことにした。先ほど使っていたLMGよりもはるかに太い砲身から立て続けに砲弾が放たれ、モニターの向こうを飛翔するティーガーたちの横腹へと飛翔していく。

 

 しかし、どうやら発射する角度が合っていなかったらしく、機関砲はヘリに命中するよりも先に高度を下げると、ヘリの手前でそのまま地表へと落下していってしまう。

 

 くそ、外した!

 

 敵に損害を与えることはできなかったけれど、やはり撃破された筈の車両に攻撃されたせいで混乱したのか、一直線に飛んでいたティーガーたちが飛行ルートを変え始めた。どうやら自分たちに攻撃をしてきた伏兵を探しているようだが―――――――スティンガーに狙われてる状態でそんなことしてていいのかい?

 

 どうやらスティンガーにロックオンされたらしく、ヘリたちが回避を始める。フレアをばら撒いたせいで最初の1発は外れてしまったが―――――――フレアが力尽きた後に放たれたスティンガーミサイルが、逃れようとしていたティーガーの胴体を直撃。燃え盛る破片をばら撒きながら火球と化した味方機の傍らを通過したティーガーにも、更にスティンガーが襲い掛かる!

 

 残った1機は図書館へと機関砲を乱射し始めたようだけど、滅茶苦茶に飛び回りながらの砲撃だったのか、爆炎が生まれているのは図書館の隣にあるアパートや廃墟ばかりだった。

 

 そして、図書館の中で得物を構えていた赤毛の少女が、ついに獰猛なヘリに引導を渡す。

 

「お」

 

 何の前触れもなく、ティーガーのキャノピーの中が真っ赤に染まったかと思うと、先ほどまでミサイルを回避するための悪足掻きを続けていたティーガーが回避をやめ、そのまま高度を落としていった。

 

 キャノピーの中を狙撃されたに違いない。アンチマテリアルライフルが使用するような大口径の銃弾ならば、いくら防弾性のキャノピーでも貫通してしまう。そんな代物を、回避中のヘリのキャノピーを撃ち抜き、正確にパイロットをミンチにできるような狙撃手に装備させれば、ヘリは全く脅威にならない。

 

 そう、”そんな狙撃手”が目を覚ましたのだ。

 

 先ほどまで仮眠をとっていた可愛らしい狙撃手が、ヘリに向かって牙を剥いたのである。

 

 ラウラが装備しているツァスタバM93は、本来ならば12.7mm弾を使用するセルビア製のアンチマテリアルライフルである。ラウラからの要望で弾薬を20mm弾に変更したため、あのように容易くヘリのキャノピーを叩き割り、パイロットをミンチにしてしまうほどの威力を誇る恐ろしい得物と化したのだ。

 

「すげえ…………」

 

 やがて、今度は大通りの後ろの方から火柱が上がる。どうやら背後に回り込んだ2機のコマンチが敵部隊を蹂躙し始めたらしく、敵兵たちが必死に空を舞うコマンチへと射撃しているのが見える。

 

 しかし、コマンチは5.56mm弾で撃墜できる相手ではない。逆に機首の機関砲で木っ端微塵にされた兵士の肉片が、雪の上に散らばっていく。

 

 いきなり最後尾の車両を攻撃されたことで、敵部隊が身動きの取れない大通りでの戦いを避けるため、図書館の前にある広場へと押し出されてくる。俺は対戦車ミサイルの準備をしつつ、モニターを凝視していた。

 

 そして―――――――レオパルトが、ついに大通りから姿を現す。キャノピーからは車長が顔を出していて、備え付けられているブローニングM2重機関銃で必死にコマンチを攻撃している。

 

 やっぱり敵は、ここにいる俺に気付かない。

 

「バーカ」

 

 ニヤリと笑いながら、俺は対戦車ミサイルの発射スイッチを押した。

 

 砲塔の脇に装備されたランチャーから飛び出した1発の対戦車ミサイルが、コマンチへの攻撃を続けるレオパルトへと向かって飛んでいく。しかし、レオパルトに搭載されたアクティブ防御システムがそのミサイルを発見したらしく――――――素早くターレットを旋回させたかと思うと、瞬く間にミサイルを撃墜してしまう。

 

 結局、最後の対戦車ミサイルで与えられた損害は、撃墜された際の爆風で数名の歩兵をミンチにした程度だった。どうやら車長も破片を喰らってしまったらしく、右肩を押さえながら車内へと戻っていく。

 

 機関砲で追い討ちをかけてやろうかと思ったが、すぐに降りるべきだろう。欲張ればAPFSDSでキメラのミンチにされちまう。

 

「はははっ! おい、クソ野郎! 残骸(死体)に撃たれる気分はどうだ!?」

 

 そう叫びながらブラッドレーから飛び出した直後―――――――APFSDSがブラッドレーの残骸を直撃し、牙を剥いた残骸を木っ端微塵に吹っ飛ばした。

 

 

 

 



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図書館防衛戦

 

 

撃て(トゥータ)!」

 

 Strv.103の105mm砲から放たれたAPFSDSが、タクヤ(コルッカ)が放った対戦車ミサイルを撃墜したばかりのレオパルトへと向かって飛翔していく。あいつに改良してもらったこのStrv.103はAPFSDSや形成炸薬(HEAT)弾を始めとする様々な砲弾が発射できるようになった他、防御力不足を少しでも補うために装甲を増加し、更にアクティブ防御システムも搭載している。小回りが利かないのは不便なところだが、主砲の連射速度は速いし、防衛戦にはうってつけだ。こいつのおかげで今まで何度もスオミの里を脅かす魔物を蹴散らしている。

 

 まさに、スオミの里の守護者だ。

 

 その守護者が、俺たちの生まれ育った里から遠く離れた島国で、仲間の命を狙う敵へと牙を剥く。

 

 砲手が放ったAPFSDSは外殻を脱ぎ捨てると、戦車の装甲を貫通するほどの威力を誇る獰猛な姿をあらわにし、そのまま凄まじい速度でレオパルトの砲塔の側面に突っ込んだ。コルッカが奇襲に使った装甲車の残骸を砲撃し終えた瞬間に攻撃を喰らった敵の戦車はこっちに反撃しようとしているようだが、戦車砲を搭載した砲塔の回転速度がやけに遅い。

 

「ハッハッハッ、今ので砲塔がいかれたか」

 

「兄貴、追撃するか!?」

 

「いや…………欲張るな」

 

 今の被弾で砲塔が故障したと思われるレオパルトに、止めを刺すべきだと主張する砲手。しかし俺は砲撃命令を出そうとは思わなかった。

 

 確かに、今ここで追い討ちを仕掛ければ”あのレオパルトだけは”討ち取れる。ああ、戦車を1両撃破したっていうでっかい戦果をあげられる。でもな、その戦果を誇れるのは戦いから生還してからだ。戦闘中に死んだら、せっかくの戦果を誇れない。

 

 敵の戦車はあのレオパルトだけじゃねえ。後続にも何両かいる筈だ。しかも歩兵の中にはロケットランチャーを持ってる面倒な輩まで混じってやがる。いくら装甲を増加し、アクティブ防御システムで防御力を底上げしたとはいえ、弱点に命中すればこっちはやられる。もし大破しなかったとしても、擱座して動けなくなったら袋叩きにされるのは明白だ。

 

「忘れたか? 防衛戦の鉄則は集団で袋叩きにすることだぜ?」

 

「あ、ああ、そうだな。忘れてたぜ」

 

「気持ちは分かるが、あまり夢中になり過ぎるなよ。…………というわけで、2号車と3号車。あのレオパルトに止めを刺せ」

 

『はいはーい』

 

「俺たちは一旦後退。位置を変えて再び攻撃に参加する」

 

「了解!」

 

 操縦手が俺たちの乗るStrv.103を後退させ、次の砲撃地点へと移動を開始する。その間に別の場所に潜んでいた味方のStrv.103が前に出たかと思うと、砲塔が故障したレオパルトをAPFSDSで袋叩きにし始めた。側面の装甲に穴が開き、立て続けに被弾したレオパルトが動きを止める。やがて砲塔の上のハッチが開き、悲鳴を上げながら乗組員たちが這い出てくる。

 

 そこに、瓦礫の陰に隠れていたスオミの里の戦士たちが、装備しているRk-95のセミオート射撃をぶっ放し始める。敵兵が逃走する乗組員たちを掩護するために必死に弾幕を張るが、狩猟で狙撃に慣れている戦士たちはその程度の弾幕をものともせずに、正確に逃走する敵兵の背中を撃ち抜いていった。

 

 敵兵の背中に風穴が開き、鮮血で瓦礫と雪を真っ赤に染めながら敵が崩れ落ちていく。やがてその容赦のない狙撃は弾幕を張り続ける敵兵にも牙を剥き始めた。モニターの向こうに映る敵兵のヘルメットにでっかい穴が開き、脳味噌の破片と鮮血を雪の上にぶちまけながら後ろに倒れていく。

 

 スオミの戦士たちは、幼少の頃から弓矢の使い方を親から習い始める。銃とは全く使い勝手の違う武器だが、銃での射撃にも応用できるノウハウは多い。大昔にオルトバルカ人(リュッシャ)共の侵攻を迎え撃った親父たちや祖父たちから受け継いだ技術は伊達じゃねえんだよ。

 

「ついたぞ、アールネ」

 

「よーし、それじゃ俺たちもぶっ放すか。砲撃用意! 砲弾はAPFSDS!」

 

「了解!」

 

 自動装填装置が次の砲弾を装填する音が聞こえてきたかと思うと、今度は立て続けに、かつん、と装甲の表面に何かが激突するような音が何度も聞こえてくる。

 

 顔をしかめながらモニターを見てみると、倒壊したアパートを盾にしている敵兵が、LMGをこっちに向けてひたすらフルオート射撃をぶっ放しているようだった。

 

「おいおい、見つかってんじゃねえか!」

 

「大丈夫だ、戦車は気付いてない!」

 

「歩兵は気付いてるぞ!?」

 

「歩兵は眼中に無えッ!」

 

 7.62mm弾じゃ戦車の装甲は貫通できねえからな! 

 

 でも、さすがに鬱陶しいな。ハッチから身を乗り出して、備え付けてある機銃で蜂の巣にしてやろうか。そう思って敵の射手が再装填(リロード)するのを待っていると、敵兵が潜んでいたアパートの残骸を爆風と衝撃波が飲み込み、俺たちの戦車に少しでも損傷を与えようとしていた兵士たちの努力を水の泡にしてしまった。

 

 火柱が上がった廃墟の上を旋回していくのは、スオミの里の象徴である蒼い十字架と翼のエンブレムが描かれた2機のコマンチ。俺たちがテンプル騎士団に協力することになってから、外敵の侵入を一度も許すことのなかった空の守護者たちが、大地を走り回る敵兵に牙を剥いたのである。

 

 イッルやニパたちが操る獰猛なコマンチたちは旋回しながらすれ違うと、そのまま反転して敵兵の群れへと高度を落としながら接近していく。敵兵が大慌てで5.56mm弾の弾幕を叩き込むが、いくら華奢なステルス機とはいえその程度で撃墜できるわけがない。まるで凶暴な猛禽類が子ウサギに襲い掛かるかのように、敵兵の群れをコマンチの機関砲が木っ端微塵にしていく。

 

『兄さん、これで静かになったよ』

 

「ありがとよ、イッル!」

 

 片方のコマンチを操るイッルに礼を言ってから、掴んでいたハッチからそっと手を離す。俺たちの敵は歩兵ではなく、進撃してくる戦車だ。奴らを袋叩きにするためのStrv.103で、歩兵なんかを相手にするわけにはいかない。

 

 早くも3機のヘリを撃墜された敵は、最早空を舞う2機のコマンチに蹂躙されるだけだった。せめてヘリが残っていればあのコマンチの相手をしてくれたかもしれないが、そいつらはもう既にミサイルと、ラウラ(ハユハ)の正確過ぎる狙撃で叩き落されちまっている。

 

撃て(トゥータ)ぁ!!」

 

「発射(トゥータ)!!」

 

 砲手がぶっ放したAPFSDSが、歩兵を下ろす途中だった敵の装甲車を直撃する。砲弾はあっさりと装甲を撃ち抜き、ライフルを抱えて降りる途中だった敵兵を何人も串刺しにすると、凄まじい衝撃波でその肉片を引き千切り、乗組員もろとも装甲車を撃破した。

 

 装甲車の仇を取るためにレオパルトが砲撃してくるが、俺が命令するよりも先に操縦士が車体をバックさせてくれていたおかげで、敵の放ったAPFSDSは雪の積もった瓦礫だらけの大地を抉り、その破片を増加された装甲に叩きつけるだけで済んだ。

 

 生まれ育ったころから使っている弓矢などの武器と比べると、この戦車や銃などの異世界の兵器はあまり使い慣れていないと言わざるを得ない。はっきり言うとタクヤ(コルッカ)たちの足を引っ張っちまうんじゃないかと思っていたが、ここまで善戦できるとは思わなかったよ。

 

 それにしても、この異世界の兵器は凄まじい性能だな。こんな兵器を製造できるほどの科学力を持った世界と戦争になっちまったら、俺たちに勝ち目はねえぞ…………。

 

『4号車、前に出る!』

 

「了解。こっちは次の砲撃地点に移動する!」

 

 練度不足かもしれないが、こういう防衛戦闘がスオミの里のお家芸だ。大昔にオルトバルカ人(リュッシャ)共が攻めてきた時も、たった数十人の戦士たちだけで1000人以上の騎士団に大きな損害を与えて撃退したこともある。

 

 ”守る戦い方”なら得意なのさ。

 

 そう簡単に突破できると思うなよ、吸血鬼(ヴァンパイア)共…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AK-12のフルオート射撃を敵兵に叩き込みつつ、図書館の中へと転がり込む。口の中に入った砂入りの雪を吐き出しながら階段を駆け上がり、一気に3階のベランダまで全力疾走。幼少の頃から経験している訓練や屋根の上でやった鬼ごっこで鍛え上げた瞬発力と脚力をフル活用し、あっという間に3階までたどり着いた俺は、アサルトライフルを腰の右側に用意したホルダーに引っ掛けると、真っ先にベランダにあるMG3へと向かった。

 

 もう既に脅威となるヘリは排除したし、戦車もスオミの里が誇るStrv.103の集中砲火で着実に撃破されつつある。そしてロケットランチャーや迫撃砲を装備している敵を上空のコマンチたちが最優先で排除してくれるので、こっちは運悪く狙撃されない限り脅威は全くない。

 

 そう、LMGの射手たちの独壇場なのだ。しかもこっちは見通しの良い3階のベランダに設置されているから、広場に踏み込んだ敵を一方的に蜂の巣にできる。

 

「ああ、くそ! 団長に先を越されちまった!」

 

「ハハハハハハッ。このベルト撃ち終わったら後退してやるから、弾薬の箱持ってきてくれ!」

 

「了解(ダー)!」

 

 仲間にそう言いながら、MG3のフルオート射撃で広場にいる敵兵を薙ぎ払う。次々に敵兵が蜂の巣になり、雪の上を真っ赤に染めながら倒れていく。

 

 普段は敵に突撃したり、アンチマテリアルライフルで狙撃することが多いけど、こうやってLMGで撃ちまくるのも悪くないな。

 

 そう思いながら連射していると、特徴的なバレルジャケットの中で弾丸を送り出し続けていたMG3の銃身が真っ赤になり始めた。この銃は空気を使って銃身を冷却する『空冷式』と呼ばれる方式の機関銃だが、いくら空冷式でもフルオート射撃を続けていれば銃身が真っ赤になる。このまま銃撃を続けるわけにはいかないため、銃身を交換しなければならない。

 

 余談だが、昔の機関銃はこのような空冷式ではなく、銃身を水で冷やす『水冷式』と呼ばれる方式が一般的だった。でもこの方式は冷却用の水のせいで重量が増加するし、水がなければ銃身が冷却できないという問題点があったから今ではすっかり廃れてしまっている。

 

 側面にあるハッチを開き、グリップから離した右手をキメラの外殻で覆う。サラマンダーの外殻はマグマに触れても殆ど熱を通さないほど耐熱性に優れているから、真っ赤になった銃身を掴んでも問題はないのだ。

 

 そのまま銃身を引き抜き、MG3と一緒に鹵獲した耐熱シートの上に放り投げる。真冬だからすぐに銃身は冷めるだろう。

 

 予備の銃身をハッチの中へと放り込んでハッチを閉じ、射撃を再開。瞬く間に敵兵を蜂の巣にし、次の標的に狙いをつける。

 

 しかし――――――マズルフラッシュの向こうで蜂の巣にされた筈の敵兵がゆっくりと起き上がったのを目の当たりにした瞬間、俺はぎょっとして連射を止めてしまう。

 

 しまった…………。俺たちの武器は対吸血鬼用に銀の弾丸を発射できるようになっているが、鹵獲したこの銃の分まで銀の弾丸は用意していない。普通の兵士には効果的だけど、敵兵の中にもし吸血鬼が混じっていたら―――――――この鹵獲した得物では、絶対に殺せない。

 

「チッ!」

 

 舌打ちしながら腰の後ろのホルスターに手を伸ばし、ソードオフ型に改造したウィンチェスターM1895へと手を伸ばす。大型化したピープサイトで素早く照準を合わせてトリガーを引くが、先ほどの傷を再生していたその吸血鬼の兵士は、信じがたいことにその弾丸を右へとジャンプして躱すと、転生者に匹敵するほどの瞬発力で走り出し、そのまま3階のベランダまでジャンプしやがった!

 

 くそ、転生者並みの身体能力か! 厄介だな、吸血鬼は!

 

 素早くスピンコックしてトリガーを引く。ジャンプ中の吸血鬼の脇腹に、銀の7.62×54R弾がめり込んだが―――――――そいつは血を吐きながらその一撃を耐えると、右手に持っていたG36Kの銃床を俺の顔面へと振り上げてくる。

 

 今の一撃で仕留められると思っていた俺は、その一撃を硬化で防ぐことができず、アサルトライフルの銃床で顎をぶん殴られる羽目になった。

 

「あぱっち!?」

 

「ど、同志ッ!?」

 

 こ、この野郎………!

 

 今度は頭を硬化してガードしようとするが―――――――この吸血鬼はキメラには外殻があるという事を知っていたのか、今度は頭を狙うと見せかけて、俺の腹を銃床でぶん殴りやがった。

 

「こまんち!?」

 

「どっ、同志ぃッ!? 大丈夫ッスか!?」

 

「お、俺に構うなぁッ!」

 

 くそったれ、こいつを早く片付けないと………!

 

 振り払われた重傷を受け流し、こっちもウィンチェスターM1895で吸血鬼の顔面をぶん殴った。吸血鬼が体勢を崩している隙にレバーアクションライフルを手放し、腰の鞘の中からテルミットナイフを引き抜く。刃は吸血鬼用の銀に変更していないためこいつで斬りつけても殺せないけど、対吸血鬼用に灼熱の粉末ではなく聖水を噴射できるようになっているため、こいつをお見舞いすれば吸血鬼は終わりだ。

 

 立ち上がりかけている吸血鬼を蹴り飛ばし、起き上がる前にそいつの上からナイフを振り下ろす。けれどもその吸血鬼は俺の両手を掴むと、そのまま握り潰せるのではないかと思えるほどの尋常じゃない握力で、俺の両手を止めやがった。

 

 くそ、やっぱり吸血鬼は手強い………!

 

「ぐっ………!」

 

「この………キメラ風情がぁッ!」

 

 腕力で強引にナイフを振り下ろそうとするが、この吸血鬼はこのまま力比べをすればすぐに泥沼化すると判断したのか、力比べには乗ってくれなかった。がら空きになっている俺の腹に蹴りを入れ、怯んだ隙に自分のヘルメットを外し、それを握りながらまたしても俺の顔面をぶん殴ってくる。

 

「ぱぱらっち!?」

 

「ど、同志!? 本当に大丈夫ッスか!?」

 

「か、構うな! こいつは俺が始末する!」

 

 慌てて起き上がるけど、今しがたぶん殴られたせいで得物から手を放してしまったのか、いつの間にか俺が持っていた筈のテルミットナイフが消えていた。ちらりと後ろを見てみると、よりにもよって本棚の下まで吹っ飛ばされていたらしく、マチェットのようにも見える分厚い刀身がラノベの並ぶ本棚の下から覗いている。

 

 ヤバいな…………。アサルトライフルで反撃するか…………?

 

 いや、さすがにアサルトライフルでも近過ぎる。トリガーを引く前にまたぶん殴られるかもしれない。

 

 俺の息の根を止めるつもりなのか、目の前にいる吸血鬼はアサルトライフルを放り投げると、腰のホルダーの中に納まっていたスコップを引き抜いた。通常のスコップとは違って戦闘用に作られた代物なのか、まるでサバイバルナイフを思わせるセレーションがついている。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 

 くそったれ…………!

 

 歯を食いしばりながら、走ってくる吸血鬼を睨みつけ―――――――首にぶら下げていた拳銃型のネックレスを握り締める。一見すると拳銃の形をしたネックレスにしか見えないが、実はこれも非常用に準備しておいた得物の1つなのだ。

 

 引き千切ったそれを握り、まるで本当に銃を撃つかのように銃口を吸血鬼へと向ける。

 

「そんな小さい得物で、俺を殺せるわけがねえだろうがッ!」

 

「――――――そう思う?」

 

 ――――――侮るな。

 

 あまりにも小さすぎる拳銃型のネックレスの銃口を吸血鬼へと向け、トリガーを引く。

 

 その瞬間、まるで本物のハンドガンのように――――――拳銃型のネックレスが、火を噴いた。

 

 とはいえ普通のハンドガンと比べると、微かに飛び散る火花程度にしか見えない弱々しいマズルフラッシュだった。けれども銃口から飛び出したのは、その弱々しいマズルフラッシュだけではない。

 

「――――――ギャアアアアアアアアアア!?」

 

 次の瞬間、スコップを振り上げていた吸血鬼の左目に、かなり小さな穴が開いたように見えた。その穴から溢れ出した鮮血が吸血鬼の眼球を侵食し、激痛と共に彼の左目を覆っていく。

 

 本当に―――――――この拳銃型のネックレスから、弾丸が飛び出したのだ。というか、そもそもこれはネックレスなどではない。オーストリア・ハンガリー帝国で開発された『コリブリ』という、れっきとした超小型拳銃なのである。

 

 使用する弾薬は一般的な9mm弾よりもはるかに小さな2.7mm弾。もちろん貫通力や殺傷力はかなり低いため、下手をすれば人間の頭に命中させたとしても頭蓋骨を貫通させるのは難しいだろう。しかも命中精度も低いため、至近距離でなければ命中させるのは難しい。

 

 非常用の武器として前から生産し、ネックレス代わりにずっと首に下げていた得物が、ついに初めて実戦で火を噴いた。

 

「がっ、あぁぁぁぁぁッ!? そ、それっ、本当に銃――――――」

 

「銃だよ!」

 

 そのまま接近し、銃口を反対側の目に押し付けながらマガジンが空になるまで撃ちまくる。いくら超小型のハンドガンとはいえ、こんな至近距離で眼球に全弾叩き込まれればただでは済まないだろう。

 

 もちろん、使用する2.7mm弾は銀の弾丸に変えてあるから再生はできない。

 

 紛失しないように弾切れになったコリブリをポケットの中に突っ込み、床に転がっていた辞典らしき分厚い本で吸血鬼の頭をひたすらぶん殴る。そして蹴り飛ばしてから床に転がっていたレバーアクションライフルを拾い上げ―――――――両目を失った吸血鬼の頭に、銀の7.62mm弾を叩き込んだ。

 

 拳銃用の弾薬を遥かに上回る破壊力のライフル弾が、容易く吸血鬼の頭蓋骨を食い破る。がくん、と頭を揺らしながら即死した吸血鬼はベランダの縁へと寄りかかると、そのままずるりとベランダから落下していった。

 

「はぁっ、はぁっ…………コリブリのおかげで助かった…………」

 

 呼吸を整えながらエリクサーの瓶を取り出し、回復してからMG3の方をちらりと見る。先ほど弾薬を取りに行かせた兵士がいつの間にか俺のMG3を占領していたのを見て苦笑いしてから、俺はアサルトライフルをホルダーから取り出し、反撃に参加するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 橋頭保となった図書館は、12月23日の23時40分まで吸血鬼たちの波状攻撃を受け続けた。テンプル騎士団の兵士たちは敵から鹵獲した装備を有効活用し、23時51分に第二防衛ラインを打ち破った本隊と合流するまでその波状攻撃を防ぎ切り、橋頭保を死守したのである。

 

 こうして、連合軍は橋頭保を確保し――――――吸血鬼たちの本拠へと攻め込むのだった。

 

 

 

 

 

 




※アパッチはアメリカ軍などで採用されている攻撃ヘリです。
※コマンチはアメリカ製の試作型ステルスヘリです。
※パパラッチは兵器とは一切無関係です。



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14年前の敬礼

 

 

 本来の色から反転してしまったかのような、鮮血の海にも似た深紅の空。その中に浮遊する雲の色も、反転したかのように真っ黒だ。

 

 禍々しい空の下に広がるのは、まるで古代ローマの建築様式を思わせる建物の群れ。こちらは空の色とミスマッチとしか言いようがないほど真っ白な壁で構成されており、もし空の色があんなグロテスクな色でなければ幻想的な風景になっていた事だろう。

 

 ここは、前にも見たことがある。確かここを見たのは…………夢の中だった筈だ。

 

 誰もいないその街の大通りに、誰かが立っている。

 

 身につけているのは、無数の小さなベルトのような装飾がついた真っ黒なコート。その装飾のせいなのか、まるでコートを身につけているというよりは拘束具を身につけているようにも見えてしまう。そのコートには深紅の羽根がついたフードもついていて、それをかぶっているせいで顔ははっきりと見えない。

 

 体格はやけにがっちりとしていて、黒い革の手袋をつけている手も同じようにがっちりしていて、かなり鍛え上げられているという事が分かる。フードから微かに覗く真っ赤な顎鬚と赤い前髪は、空の色のように鮮血を彷彿とさせるような色ではなく、どちらかと言うと燃え盛る炎を連想させるような色だ。

 

 顔ははっきりと見えないけれど、その人物が誰なのかはすぐに分かった。

 

 俺が身につけているこのコートの、前の持ち主。かつてレリエル・クロフォードを単独で討伐し、この世界を救った英雄。

 

 そう、あそこにいるのは―――――――俺たちの父親である、リキヤ・ハヤカワ。隣国の騎士団の少女と駆け落ちじみた旅をしながらオルトバルカに流れ着いた男が、最終的に世界最強の傭兵ギルドを率いる最強の転生者となり、異世界に転生した俺の新しい父となった。

 

 けれども、その大通りにいる彼は、来年で40歳になる男にしては若く見えた。まだ20代の後半くらいに見える男は、何も言わずに突っ立ったままこっちをじっと見つめている。

 

 いつまでこの男とにらめっこをすればいいのだろうか。目を逸らさずに黙ってフードの中を見つめていると、親父が小さな声で言った。

 

『――――――あいつを止めてくれ』

 

 小さな声であったはずなのに――――――はっきりと聞こえた。

 

 あいつって誰の事なんだろうか? 

 

 親父は、誰を止めてほしいのだろうか?

 

 聞き返したいのに、声が出ない。必死に口を開け、声を出そうとしているのに。

 

 それゆえに、何もわからない。

 

 親父は―――――――誰を止めてほしいのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――それが、12月23日まで続いた図書館での激戦を終え、12月24日の午前1時2分から午前6時20分までの間に見た俺の夢だった。

 

 戦いで疲れてしまったせいで変な夢を見てしまったのだろうかと思ったけれど、これは明らかに”変な夢”などではない。まるで俺に再び眠れと催促するかのように眠気が身体中にへばりついているというのに、まだ親父が何を言いたかったのかが気になっている。

 

 二度寝したいところだけれど、背中を押し付けていた冷たい壁の感触が、ここは家のベッドの上ではなく戦場の真っ只中なのだという事を訴えかけてくる。あの夢を見る前に経験した死闘を思い出した瞬間、身体中の眠気が一気に弾け飛んでしまう。

 

 敵の攻撃を退けてから、やっと第二防衛ラインを突破した親父たちの本隊と合流することができた。眠る前に親父から聞いたんだが、どうやらリディアを投入しても敵の指揮官は総崩れになっていく戦線を維持するために様々な手を打ち、最後の最後まで抵抗を続けていたという。

 

 親父を苦戦させるほどの指揮官か…………。

 

 傍らに立てかけておいた得物を拾い上げようと思って、右手を窓際へと伸ばす。けれども俺の手はOSV-96の硬いグリップを握るよりも先に、隣で寝息を立てている赤毛の少女の綺麗な赤毛に触れてしまう。彼女を起こさないように静かに頭を撫でてあげようと思って身体を動かそうとするけど、どうやら俺の左半身にしがみついて眠っている奴がいるらしく、左肩から先が動かない。

 

 ちらりと左を見てみると、やはりもう1人の少女が俺の左半身にしがみついたまま寝息を立てている。桜色の髪と口から微かに覗く鋭利な犬歯が特徴的な彼女は、寝相なのか、時折俺の首筋にその犬歯を軽く突き立てて甘噛みすると、まるで飼い主に甘える子猫のようにゆっくりと頬ずりを始める。

 

 しばらくすると、イリナよりも先にラウラが目を覚ました。あくびをしながら瞼を擦る彼女の頭を右手で撫でると、挨拶をするよりも先に唇を奪われた。いつものように舌を絡ませながら右手で彼女をぎゅっと抱きしめると、ラウラは俺が逃げられないように尻尾を伸ばし、それを俺の身体に巻き付けてくる。

 

 すぐ隣でイリナが眠っているというのに、彼女に見られても構わないのか、彼女を起こさないように注意を払う俺を逃がしてくれる気配はない。唇を離そうとするとまだ物足りないと言わんばかりに尻尾で身体を引き寄せ、舌を絡め続ける。

 

 やっと満足したのか、彼女はうっとりしながら唇を離してくれた。もしかしたらこのまま襲われるんじゃないかと思ったけど、さすがに戦場の真っ只中でそんなことをするつもりはないらしい。でももしここがタンプル搭の自室だったら、隣でイリナが寝ていてもお構いなしに搾り取っていたに違いない。

 

「えへへっ、おはようっ♪」

 

「お、おはよう」

 

 小さい頃からずっと一緒にいた腹違いのお姉ちゃんは、そう言うとすぐにしがみつき、胸板に頬ずりを始める。左側では相変わらずイリナがしがみついたまま眠っているから、起き上がって見張りの兵士と後退するのはもう少し先になるかもしれない。

 

 彼女が起きるまでイチャイチャするのも悪くないなと思ったけど、いつの間にかすぐ近くから聞こえていた寝息が聞こえなくなっていることに気付き、はっとしながら左を振り向いた。少なくともキスをしている真っ最中までは聞こえていた筈のイリナの寝息が、いつの間にか聞こえなくなっていたのだ。寝息が聞こえたという事は、イリナが目を覚ましたってことだよね…………?

 

 恐る恐る左側を振り向いてみると…………案の定、鮮血のように真っ赤な瞳と目が合ってしまう。どうやらその瞳の持ち主は俺とラウラのキスをしっかりと見てしまったらしく、目を見開いたまま凍り付いていた。

 

「お、おはよう、イリナ」

 

「あ、あっ、あ、朝っぱらから…………きょ、姉弟でキス…………!?」

 

 イリナさん、今では日常茶飯事なんです。しかもまだこれは序の口なんですよ。場合によっては一晩中搾り取られる羽目になることもあるんです、イリナさん。キメラには発情期がありますので、交際している相手がキメラだととんでもないことになりますよ。

 

 彼女を誤魔化す方法でも考えようか。かなり大きな衝撃だったのか、イリナに挨拶しても凍り付いたままだし。でも一歩間違うと火に油を注ぐことになりそうだよね。しっかり考えないと。

 

「えへへっ。いつもキスしてるよねっ♪」

 

「いつもキスぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 お姉ちゃん、追撃しないで。巡洋戦艦イリナはかなり傾斜してるの。

 

 すると、イリナはなぜか悔しそうな顔をしてから――――――顔を近づけてきた。

 

「ず、ずるいよ…………ぼ、僕も…………」

 

「えっ?」

 

「ね、ねえ、ラウラ。いいでしょ?」

 

 え、ちょっと待って。まさかイリナまでキスするつもり?

 

 彼女とはもうキスをしているけど、キスをしたのはラウラに見られていない時だ。今のラウラは前ほど俺に手を出そうとする女に敵意を向けることがなくなったというか、かなり寛大になったみたいだけど、好感度を確認してみると未だにラウラはばっちりヤンデレのままである。もしまだ彼女がヤンデレのままだったら、そんなことをしたら殺される。というか、こんなお願いをしている時点で殺される…………。

 

 恐る恐る、俺もゆっくりとラウラの顔を見上げる。もし目が虚ろになっていたらかなりヤバい。敵の本拠地に攻め込む前に戦死者が出てしまう。

 

 息を呑みながら彼女の顔を覗き込むと―――――――ラウラは微笑んでいた。目つきはいつも通りだし、まるで自分の子供を見守る母親のように微笑んでいる。

 

「うん、いいよっ♪」

 

「えっ?」

 

 あれ? ヤンデレじゃなくなった?

 

 前までだったら絶対に虚ろな目になったり、そのまま腰の鞘からナイフを抜いていたけれど、最近のラウラはあまりそういうことをしなくなった。懲罰部隊でかなり反省したからなのだろうか?

 

 ヤンデレじゃなくなりつつある原因の仮説を立てているうちに、いつの間にか彼女の真っ白な手が俺の頬をそっと掴み、顔をイリナの方へと向けていた。しかも逃げられないようにぷにぷにしている柔らかい尻尾が身体に巻き付けられているので、逃げられそうにない。

 

 イリナは顔を真っ赤にしたまま何故か息を呑むと、瞳を閉じてから顔を近づけてきて―――――――俺の唇を奪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉様っ、昨日の戦いは凄かったですわ! ヘリを狙撃で落としてしまうなんて!」

 

「えへへっ。カノンちゃんも射撃が上手だし、きっとできるよ♪」

 

 確保した図書館の中を歩く俺の後ろでは、俺たちにとっては妹分でもあるカノンにしがみつかれながらラウラが歩いている。こういう光景は旅をしている最中に何度か目にしたことがあるけど、カノンに頬ずりされているラウラを見ていると、もしかしたらカノンにお姉ちゃんを横取りされちゃうんじゃないかと思って心配になってしまう。

 

 苦笑いしながら妹分と腹違いの姉を見守りつつ、見張りを終えてこれから休息をとりに行く仲間たちに挨拶する。

 

 砲弾が直撃したせいで空いてしまった大穴の向こうには、いつの間にかモリガン・カンパニーで正式採用されているT-14の群れが居座っていた。エイブラムスと比べるとスリムな砲塔の上では車長と思われるエルフの男性が顔を出していて、制服のポケットから取り出した写真を見つめている。家族の写真なのだろうか。

 

 そのT-14の群れの近くには、見慣れない戦車が停車している。エイブラムスを彷彿とさせる形状だけど、エイブラムスよりも砲塔が小型だし、車体の形状はどちらかと言うとソ連で運用されていた戦車の形状に近い。

 

 おそらくあれは、中国軍で採用されている『99式戦車』だろう。中国の兵器という事は殲虎公司(ジェンフーコンスー)所属の戦車なのだろうか。

 

 99式戦車が搭載している主砲は、アメリカやドイツで採用されている120mm滑腔砲ではなく、それよりも口径の大きい125mm滑腔砲。ソ連やロシアの戦車と同じく、砲弾だけではなく対戦車ミサイルまで発射可能というかなり攻撃的な武装である。中国は他国と比べると国産の戦車を生産し始めた時期が遅かったため、それまでの戦車の性能は他国と比べると大きく劣っていたけれど、この99式戦車はそれまでの中国の戦車に比べればはるかに性能が高い。

 

 ちなみに転生者の能力で生産するために必要なポイントは、様々な国の最新型の戦車の中では一番安い。エイブラムスを2両生産するポイントでこの99式戦車が3両生産できるほどで、まだレベルの低い転生者にとってもそれほどポイントを消費せず、さらに性能も高い戦車であるため、運用しやすい兵器と言える。

 

 とはいえ性能ではやはりエイブラムスやT-14に劣ってしまうため、しっかりとカスタマイズし、複数の車両で連携しながら戦うのが一番だろう。実際に中国の兵器を多用する殲虎公司(ジェンフーコンスー)では、戦車は必ず2両以上で連携して戦わせるらしいし、戦闘機も2機で連携しながら1機の敵に襲い掛かっていくという。性能の低さを数と連携で補うというわけだ。

 

 すっかり火薬の臭いに支配されてしまった図書館の通路の向こうから、美味しそうな香りが漂ってくる。ここに辿り着いた時からずっと火薬の臭いばかり嗅いでいたせいなのか、漂ってくるバターとベーコンの焼ける香ばしい香りがやけに強烈な匂いに思える。

 

 そういえば、ここを占拠してからは缶詰と干し肉しか食ってなかった。冒険者にそのような非常食は必需品だから持ち歩くようにしているとはいえ、やっぱり非常食よりも手料理の方が贅沢に感じてしまう。

 

「ふにゅ、美味しそうな匂いだね」

 

 頬ずりするカノンの頭を撫でながらラウラがそう言うと、近くの壁に寄り掛かりながらアサルトライフルの整備をしていた1人の兵士が顔を上げた。どうやらベテランの兵士らしく、装備している得物やヘルメットはかなり使い込まれているようだ。ファルリュー島の死闘から生還したベテランだろうか?

 

 傷だらけのヘルメットは黒と灰色の迷彩模様で塗装されていて、襟と右肩には殲虎公司(ジェンフーコンスー)のエンブレムが刻まれている。しかも整備をしているのは、中国製アサルトライフルの『95式自動歩槍』だ。

 

「やあ、同志。あっちで朝食を作ってるから貰うといい。腹ごしらえは大事だぞ」

 

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 朝食か。確かに、缶詰しか食ってなかったからな。こういうしっかりした料理を食えれば団員たちの士気も上がるだろう。

 

 その香りが漂ってくるのは、通路の奥にある広間からだった。出入り口の扉は戦闘中に吹っ飛ばされたのか、壁の縁ごと抉り取られている。ぶら下がっているプレートも爆風で焦げてしまったらしく、書かれていた筈の文字は完全に読めなくなっていた。

 

 かつては本棚がずらりと並んでいた筈の広間には、壁の破片や本棚から零れ落ちた無数の本が転がっている。読書をする客が利用する筈だった大きなテーブルは爆風ですっかり叩き割られており、ただの残骸になり果てている。図書館というより、やけに大量の本が散らばる廃墟と言うべきだろうか。

 

 通路にまで美味そうな香りを漂わせている元凶は、そんな広間のど真ん中にあった。廃墟とはいえ、図書館だった面影を残す広間のど真ん中に鎮座して香ばしい香りをばら撒いているのは、右手に一般的なフライパンを持ち、左手の手のひらから魔力で生成した炎を噴射させてフライパンを加熱し続ける赤毛の男。そのフライパンの上では、スライスされたベーコンと目玉焼きが仲良く大騒ぎしている。

 

 図書館の中で料理をしている男は、明らかにモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)に所属する料理人ではない。むしろ、世界規模の大企業を率いる”魔王”である。

 

 そう、モリガン・カンパニーのトップが―――――――図書館で料理をしているのだ。

 

「お、親父?」

 

「ん? ああ、お前らか。食う? まだ食材あるけど」

 

「あ、あの、何でモリガン・カンパニーのトップが料理してんの?」

 

「いや、みんな疲れてるからな。同志諸君には休んでもらってるだけさ」

 

 よく見ると、親父の隣ではまだ使えそうな椅子に腰を下ろした母さんやエリスさんが、戦場の真っ只中で親父が作り上げた手料理に舌鼓を打っているところだった。しかもどさくさに紛れて李風さんとリディアまで一緒に朝飯食ってる…………。

 

「ふふっ、なんだか久しぶりに夫の手料理を口にしたよ」

 

「私もダーリンに負けてられないわね♪」

 

 待ってくれ。エリスさんは料理作っちゃダメ。せめて作るならナタリア先生に料理を教わってからにしてください、エリスさん。ナタリア先生にはラウラがまともな料理が作れるようにしたという実績があるんですよ。

 

「美味しいですね、これ。同志ハヤカワ、隠し味はあります?」

 

「んー…………いや、特にないな」

 

「ふむ…………」

 

 李風さんの隣でベーコンエッグを口へと運んでいるリディアは、熱々のベーコンエッグを口の中に放り込む度にうっとりしているようだった。海底神殿で戦った時は全く表情を変えなかったけれど、彼女はどうやら無表情というわけではないらしい。

 

 すると、ベーコンエッグを食べていたリディアと目が合った。反射的に腰のナイフに手を伸ばしそうになるけど、すぐに手を止めて敵意を消す。海底神殿で戦った敵だけど、今は仲間なんだ。武器を向けている場合じゃない。

 

 彼女は俺が敵意を消したことに気付いたのか、にっこりと笑いながら食事を続行する。こんなに感情豊かなのに、どうして彼女は一言も喋らないのだろうか?

 

 とりあえず、俺たちも朝飯をいただくことにしよう。今日はいよいよ敵の本拠地に進撃することになるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンプル騎士団が確保した図書館の外に広がる広場は、戦車の群れに埋め尽くされていた。その戦車の群れを構成するのはロシアのT-14や中国の99式戦車ばかりだが、中にはエイブラムスやチーフテンなどの西側の戦車も含まれている。

 

 橋頭保を確保し、補給を終えた連合軍の地上部隊が、いよいよ吸血鬼たちの本拠地である宮殿とホワイト・クロックへ攻撃を仕掛けるのだ。とはいえせっかく確保した橋頭保も守る必要があるため、テンプル騎士団スオミ支部の部隊に守備隊を任せることになる。

 

 愛用のAK-12の点検を終えたリキヤ・ハヤカワは、腰に下げていた水筒に入っているアイスティーを飲み干してから自分の戦車へと向かって歩き出した。彼にとってこの戦いは自分の願いを叶えるために乗り越えなければならない戦いであり、21年前からずっと続いている吸血鬼との因縁を終わらせるための戦いでもある。それゆえに今回は、これでもかというほどの準備をしていた。

 

 吸血鬼たちを率いるのは、かつてレリエル・クロフォードの眷属であったアリア・カーミラ・クロフォード。21年前に初めてレリエルと戦った際にも、少しだけだがリキヤは当時のアリアと一戦交えている。

 

 とはいえ、今回は当時と比べ物にならないほど力をつけているのは明白である。しかも彼女にとって、リキヤは自らの主人の命を奪った怨敵。プライドの高い吸血鬼ならば部下に始末させるのは考えにくい。必ず一騎討ちをすることになるだろう。

 

「あ、あのっ!」

 

「ん?」

 

 戦車に向かう途中で少女に声を掛けられたリキヤは、愛用の仕込み杖の柄を握りながら後ろを振り向く。魔王と呼ばれる彼を呼び止めた少女が身につけていたのは、モリガン・カンパニーの制服ではなく、まるで軍服を豊富とさせるテンプル騎士団の制服であった。漆黒の制服と軍帽を身につけているからなのか、特徴的な金髪のツインテールがよく目立っている。

 

「あの、よ、傭兵さん。あの時のお礼を言いたくて…………」

 

 ”あの時”と言われるよりも先に、リキヤはその少女が何者なのかを見抜いていた。

 

 14年前の燃え上がるネイリンゲンの街中で救った金髪の少女とそっくりだったのである。母親とはぐれて泣いていた幼い少女を救い、母親と再会させたことを思い出したリキヤは、その時に助けた幼い少女がしっかりと成長していたことに驚きつつ、彼女の名前を思い浮かべ始める。

 

 会議のためにタクヤと共に本社へ呼んだ時や、ノエルを送り届けるためにタンプル搭を訪れた時から、リキヤはもしかしたらあの時に助けた少女がテンプル騎士団に参加しているのではないかと勘付いていたのである。

 

「わ、私の事、覚えてますか…………?」

 

「――――――ああ、ちゃんと覚えているさ」

 

 母親と再会させ、踵を返したリキヤに敬礼していた少女の顔を思い出したリキヤは、微笑みながら答えた。

 

「ナタリア・ブラスベルグちゃんだね? …………立派な女の子になったじゃないか」

 

「…………!」

 

 ナタリアが冒険者を目指した理由は、リキヤによって命を救われたことである。彼に憧れて傭兵を目指した彼女は結局冒険者として活動することになるが、ダンジョンの調査が主な仕事である冒険者になっても、彼女は自分の命を救ってくれた”あの時の傭兵”に追いつこうと努力を続けていたのである。

 

 自分が目標としている男に名前を憶えられていたのが嬉しかったのか、普段は真面目なナタリアは目を見開きながら微笑んだ。

 

「すまないが、これからも子供たちをよろしく頼むよ」

 

「はいっ!」

 

 かつて自分が救った少女にウインクしてから、リキヤは踵を返して自分の戦車へと向かう。

 

 魔王と呼ばれた最強の転生者は、奮い立っていた。自分を目標にして努力を続けた少女と同じ戦場で戦うならば、なおさら必ず勝たなければならない。吸血鬼の女王に屈することは絶対に許されないのだ。

 

 AK-12を背負うリキヤを見送りながら、ナタリアはあの時のように敬礼をしていた。

 

 14年前の敬礼と比べると、しっかりとした綺麗な敬礼だった。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 渡さなかった理由

 

カノン「お兄様、そのコリブリはお姉様には渡しませんでしたの?」

 

タクヤ「ああ、俺だけだ」

 

カノン「あら、どうしてですの?」

 

タクヤ「命中精度はあまり良くないし、威力も低いからな」

 

カノン(なるほど、お姉様の戦い方には合わないからですわね)

 

タクヤ「それに、こうやってネックレスみたいにしてぶら下げると――――――胸の辺りにぶら下げることになるんだ」

 

カノン「お姉様の場合は胸の間に――――――」

 

タクヤ「そうなんだ。――――――だから、もし暴発したら大変なことになるじゃないかッ! お姉ちゃんのおっぱいがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

カノン「お、お姉様の超弩級おっぱいが!!」

 

ナタリア「何言ってんのよバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

タクヤ「ふぁますっ!?」

 

カノン「ふぇりん!?」

 

 完

 

 




※FA-MASfelinは、フランス製のアサルトライフルです。


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砲撃開始

 

 

 敵の本拠地として機能しているのは、2ヵ所だ。

 

 片方はヴリシアのオルトバルカ大使館が避難勧告を発する前までは皇帝が鎮座していた、サン・クヴァント宮殿。もう片方の本拠地は、この帝都サン・クヴァントの象徴であるホワイト・クロック。かつて21年前に親父たちがレリエル・クロフォードと激戦を繰り広げた、純白の巨大な時計塔である。

 

 そこで、この先にあると思われる最終防衛ラインを突破した後は本隊を2つに分け、宮殿とホワイト・クロックを同時に攻撃する事になった。分けずに片方の拠点を集中攻撃し、占拠してから次の拠点に狙いを定めればいいのではないかと思ったけれど、改めて地図を見てからすぐに部隊を分けることにした理由を理解した。宮殿とホワイト・クロックはすぐ近くにある。まさに目と鼻の先なのだ。

 

 確かに1つの部隊のまま集中攻撃を仕掛ければ、部隊を分散させて防衛している敵の守備隊は容易く拠点を明け渡してくれるに違いない。しかし、それではもう片方の守備隊が無傷だし、吸血鬼たちのプライドが高いという性格を考えれば、自分たちよりも劣る筈の人間たちに敗北するという汚名を着せられることを何としても防ごうとする筈だ。だから下手をすれば、自分の仲間が残っていたとしても、陥落寸前の拠点もろとも砲撃で吹っ飛ばすという恐ろしい手段を選びかねない。

 

 そのため、こちらも無効と同じく部隊を2つに分けることにしたのである。

 

 とはいえ、その前に最終防衛ラインがある。未だに兵力ではこちらの方が上だが、敵もそろそろ本格的に吸血鬼の兵士たちを投入してくるはずだ。図書館で辛うじて倒した吸血鬼の事を思い出した俺は、無意識のうちに胸にぶら下げたネックレスのようにも見えるコリブリを握り締める。

 

 吸血鬼たちの身体能力は、はっきり言うと転生者の身体能力と遜色ない。つまり吸血鬼は、再生能力を持った転生者のような存在だ。

 

 今までは人間の兵士が守備隊の大半を占めていたけれど、これから先は敵にとって絶対に死守しなければならない防衛ラインである。そう簡単に突破させるわけにはいかないため、そろそろ吸血鬼のみで構成された精鋭部隊を投入してきてもおかしくはない。

 

 キューポラから顔を出し、周囲を走る戦車を見渡す。俺たちの前を進むのはモリガン・カンパニー所属のT-14で、すらりとした砲身の脇には砲弾を抱えたゴーレムのエンブレムが描かれている。無人になっている砲塔ではなく車体の方にあるハッチから顔を出しているのは、身長が2mを超えるのは当たり前と言われるオークの男性だ。あんな巨躯が戦車に納まるのだろうかと思って見つめていると、その男性はハッチの中へと強引に体を押し込み、分厚い装甲に守られた戦車の中へと消えていった。

 

 他の戦車の上には、アサルトライフルやLMGを装備した歩兵たちが乗っている。こっちに手を振ってくれる兵士もいるけれど、拠点にいた時のように雑談している様子はない。次の瞬間にはロケットランチャーや戦車砲で戦車もろとも吹っ飛ばされるかもしれないのだから、緊張しているのだ。

 

 俺も手を振り返すと、真っ黒なヘルメットをかぶっていたモリガン・カンパニーの兵士が微笑んでくれた。おそらく、俺たちと同い年くらいだろう。ヘルメットの左右から真っ白な長い耳が覗いており、彼がエルフだという事が分かる。

 

 やがて、俺たちよりも先を進む戦車の群れが速度を落とし始めた。味方の戦車と衝突するのを防ぐため、俺も無線機に向かってテンプル騎士団の戦車部隊に減速を命じつつ、雪の向こうに見えてきた真っ白な時計塔を睨みつける。

 

 あれがホワイト・クロックだ。高さは500mを超える巨大な時計塔で、信じられない話だがレリエル・クロフォードはモリガンとの戦いであれを素手で倒壊させたという。実際にあいつと戦った親父たちも「レリエルの奴は素手で時計塔を倒壊させた」と言っているけれど、なかなか信じられない。

 

『リキノフより全軍へ。これより、最終防衛ラインへの飽和攻撃を実施する。戦車部隊は停止し、砲撃部隊の攻撃終了まで待機せよ』

 

 飽和攻撃は、圧倒的な物量を誇るモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)のお家芸と言える。下手したら全盛期のソ連軍を凌駕するほどの兵力を持つ連合軍では、圧倒的な数のミサイルや砲弾を敵陣に叩き込み、数を減らしてから突撃するという戦法を使うのは日常茶飯事なのだ。

 

 もし敵が強固な防壁で身を守っているならば、普通なら”迂回して奇襲する”という戦法が選ばれる。しかし飽和攻撃ができるほどの兵力を持つモリガン・カンパニーでは、”防壁が倒壊するまで砲撃する”という単純で大規模な攻撃ができるというわけだ。

 

 しばらくすると、戦車部隊が停車した廃墟の群れの真っ只中に、列車の機関車が蒸気をまき散らしながら線路を突き進む音が聞こえてきた。少しだけ驚きながら音が聞こえてくる方向を振り向いてみると、爆撃で破壊された駅の中へと伸びる線路を、ヴリシア帝国で開発された機関車が突き進んでいるのが見える。蒸気機関車のようにも見えるけど、勢いよく煙を噴き上げるあの煙突は見当たらない。おそらくあれは蒸気機関ではなくフィオナ機関を搭載したタイプだろう。

 

 外見は蒸気機関車のD51に似ている。魔力で動くフィオナ機関を搭載した機関車が必死に牽引しているのは、貨物の輸送に使うようなシンプルな車両ばかり。後方には対空戦闘用に設置されたのか、Kord重機関銃がでっかいトライポットの上に乗せられている。

 

 さすがに倒壊した駅の中まで入っていくわけにはいかなかったらしく、駅のホームに到達するよりも先に列車が減速し、そのまま停車する。立派な車輪の隙間から蒸気を吐き出して機関車が停車すると、すかさず指揮官と思われる兵士たちが車両の大きな扉を開けた。

 

 その中にぎっしりと詰め込まれていたのは、真っ黒な制服に身を包み、銃でしっかりと武装した歩兵たちだった。中にはフェイスガードのついたヘルメットを身につけ、LMGを装備している重装備の兵士もいる。やはり種族はバラバラで、人間の兵士やエルフの兵士が混じっているのは当たり前だ。

 

 どうやら放棄されていた列車を拝借したらしく、歩兵部隊の輸送に利用したらしい。ぞろぞろと降りてきた兵士たちは素早く部隊ごとに整列すると、号令を受けてから解散し、割り当てられた戦車へと向かう。射程をよじ登って車長に挨拶すると、彼らは砲塔の両脇や後ろに腰を下ろし始めた。

 

 もちろん俺たちの戦車もタンクデサントするための戦車にされており、こちらへと走ってきた兵士たちが俺に挨拶してから、戦車の上に登り始めた。

 

「やあ、同志。戦場にようこそ」

 

「驚いたよ。女の子が車長なのかい?」

 

「俺は男だよ、同志」

 

「「「「えっ?」」」」

 

 なんだか、久しぶりに間違われたような気がする…………。

 

 目を丸くする彼らに「乗るなら早く乗りな」と言って催促してから、ため息をついた。やっぱりポニーテールが原因なんだろうか? でも、小さい頃に髪を短くしたときはボーイッシュな美少女に間違われたこともあるし、きっと髪型を変えても間違われ続ける事だろう。

 

 足掻いてもダメなのか…………。

 

 キューポラに軽く額を押し当てながらもう一度ため息をついていると、ずらりと並んだ戦車の群れの後方で、巨大な鋼鉄の塊が鳴動を始めていた。いつの間にかカチューシャの発射台がこれでもかというほど地面の上に備え付けられており、束ねられた発射台の中には、真っ白に塗装されたロケット弾がしっかりと設置されている。おそらく設置されたカチューシャの発射台の数は約80基ほどだろうか。都市の一角を焼け野原にできるほどの火力である。

 

 それほどの数のロケットランチャーが並んでいれば目を奪われてしまうだろうが、今回はそれよりも派手な兵器が、そのさらに後方で砲撃準備をしていた。

 

 一見すると、戦車よりも巨大な車体の上に、まるで戦艦の主砲を1門だけ強引に取り付けたかのような外見をしている。砲口を真正面に向けているだけでバランスを崩してしまうのではないかと心配になってしまうほどの長さの砲身は、俺たちの乗る戦車の砲身よりもはるかに長い。

 

「うわ、Oka自走迫撃砲まで投入するのか…………!」

 

 『Oka自走迫撃砲』は、冷戦の最中にソ連軍が開発した超大型の迫撃砲である。連合軍やテンプル騎士団が採用する迫撃砲の口径が82mmなんだが、あのOka自走迫撃砲はその口径を遥かに上回る”42cm”。口径だけならば旧日本海軍の戦艦長門や戦艦大和に匹敵する。

 

 しかも、この自走迫撃砲は通常の砲弾だけでなく、核弾頭を搭載した核砲弾も発射できるように設計されているのである。しかしミサイルが発達したことで、この核砲弾も発射できる巨大な自走迫撃砲の出番はなくなってしまったというわけだ。

 

 そのOka自走迫撃砲が、異世界の島国で牙を剥こうとしている。

 

 装填されているのは、もちろん対吸血鬼用に聖水を充填した聖水榴弾だろう。着弾する数秒前に炸裂し、爆発の際の衝撃波で内部の聖水を周囲にばら撒き、爆風と共に聖水で周囲の敵を切り裂くという恐ろしい砲弾である。従来の榴弾と比べれば殺傷力が落ちてしまうものの、聖水が通用する敵が相手ならば有効な砲弾だ。

 

 戦車部隊の後方に姿を現したOka自走迫撃砲の数は、なんと―――――――30両以上。これから30門以上の42cm迫撃砲が、敵陣へと降り注ぐのである。

 

 しかも、砲弾を叩き込むのはそれだけではない。

 

 砲身の角度を調整するOka自走迫撃砲を見守りつつ、俺は無線機を手に取った。

 

「こちらウォースパイト。支援砲撃を要請する」

 

『こちらジャック・ド・モレー。支援砲撃要請を受諾した。座標の送信を求む』

 

 そう、沿岸で連合軍の艦隊と共に待機しているジャック・ド・モレーの艦砲射撃も加わる。モンタナ級との砲撃戦で第三砲塔を失ったとはいえ、まだ3連装40cm砲を搭載する第一砲塔と第二砲塔は健在である。更に味方の艦隊もミサイルを温存しているため、この帝都をもう一度火の海にできるほどの火力がある。

 

 しかも親父は他の支社に艦隊の増援を要請したらしく、新たに数隻の戦艦がサン・クヴァント沖に駆けつけたという。

 

 増援として派遣されたのは、『ソビエツキー・ソユーズ級』4隻と『インペラトリッツァ・マリーヤ級』4隻。更に、来月に退役予定だった『ガングート級』6隻まで引っ張り出してきたらしく、ジャック・ド・モレーを含めると15隻の超弩級戦艦が支援砲撃の準備をしているという。

 

 全部、ロシア帝国やソビエト連邦の誇る超弩級戦艦である。

 

「イリナ、ジャック・ド・モレーのCICに座標を送ってくれ」

 

「了解(ダー)。兄さん、聞こえる? 敵陣の座標は―――――――」

 

 座標をジャック・ド・モレーのCICに報告するイリナの声を聴きながら、俺はもう一度ホワイト・クロックを睨みつけた。

 

 かつて親父たちが吸血鬼と死闘を繰り広げた帝都。21年前とは比べ物にならないほど徹底的に破壊された帝都が、更に火の海に成り果てようとしている。そしてその戦場で殺意をぶつけ合うのは、かつて吸血鬼の王との死闘に勝利した怪物の王(魔王)と、主君の復讐のために牙を剥く吸血鬼の女王(アリア)。やがてこの帝都は、兵器と歩兵が生み出す火の海と血の海によって支配されるのだ。

 

 がごん、と大きな音を立て、最後尾で砲身の角度を調整していた巨大な自走迫撃砲の群れが、砲撃準備の完了を宣言する。警報と思われるサイレンが鳴り響き、周囲で砲撃準備をしていた作業員たちがOka自走迫撃砲の周囲から退避していく。

 

 親父にとっては、この戦いはただ鍵を手に入れるためだけの戦いではない。21年前に残してしまった因縁を、今度こそ終わらせるための戦いなのだ。この戦いに勝利すれば、その因縁から完全に解放される。

 

 だからこそ親父はこれだけの兵力をつぎ込んだ。確実に勝てると言える程の、過剰な戦力だ。

 

 やがて―――――――親父の声が、無線機の向こうから聞こえてきた。

 

『迫撃砲部隊―――――――砲撃開始(アゴーニ)!』

 

 次の瞬間、数多の爆風が帝都を支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モンタナ級との戦いで刻みつけられた傷跡がまだ残るジャック・ド・モレーの後方を航行するのは、先ほど合流した14隻の超弩級戦艦たち。漆黒に塗装された戦艦の群れは一足先に戦っていたジャック・ド・モレーの後方に一列に並ぶと、搭載されている主砲の砲塔を帝都へと旋回させ始め、サン・クヴァント沖を重々しい音で支配する。

 

 右舷に90度旋回した砲塔から伸びる砲身が、別々に角度の調整を始める。最前線で戦車に乗るイリナ・ブリスカヴィカから伝達された座標へと照準を合わせ終えた砲身が動きを止め、この戦艦たちの戦闘を突き進む24号計画艦(ジャック・ド・モレー)から発せられる筈の命令を待ち続けている。

 

 ミサイルやレーダーの発達で姿を消した戦艦たちが、異世界の海で咆哮しようとしていた。

 

「全艦、砲撃準備よし」

 

 タクヤの代わりにジャック・ド・モレーの艦長を務めることになったウラル・ブリスカヴィカは、腕を組みながらその報告を聞いていた。

 

 巨大な砲身に装填されているのは、先ほどのモンタナとの死闘に使用した徹甲弾ではない。そのような貫通力の高い砲弾は戦艦との戦いで活躍するが、こうして地上を砲撃する際は無用の長物だ。地上にある目標や防御力がそれほど高くない標的を砲撃する際は、むしろ貫通力よりも攻撃範囲を重視するべきなのである。

 

 それゆえに、装填されているのは徹甲弾ではなく榴弾であった。しかも、対吸血鬼用に調整された聖水榴弾である。

 

(無事に帰ってこいよ、イリナ…………)

 

 腕を組んで目を瞑りながら、ウラルは最愛の妹の事を思い浮かべていた。幼少の頃から一緒に育ってきた妹ではなく、自分が最前線に向かうことになっていたのならば、こんなに心配することはなかっただろう。それに思想が違うとはいえ、相手になるのは自分たちの同胞。要するにこれは、吸血鬼同士の”共食い”である。

 

 そんな地獄に妹を放り出してしまったことを後悔したウラルであったが―――――――共に最前線に向かった少年の顔を思い浮かべた瞬間、その後悔は霧散する。

 

 あの少女のような容姿の少年ならば、きっと仲間たちを守り抜いてくれることだろう。かつてムジャヒディンの仲間を、砂漠の真っ只中にある収容所から助け出してくれたように。

 

「警報発令。甲板上の乗組員を退避させろ」

 

「了解(ダー)!」

 

 しばらくすると、CICの内部にも警報の音が聞こえてきた。そのまま乗組員たちの退避が完了したという報告が届くまで、ウラルは腕を組んで待ち続ける。

 

 そして―――――――無線機を耳に装着していた乗組員が、くるりとウラルの方を振り向いた。

 

「退避完了です」

 

「よし―――――――全艦、これより砲撃を開始する」

 

 この砲弾が敵に損害を与えれば、妹たちの生存率も上がることだろう。

 

 無事に妹や仲間たちが帰ってくることを祈りつつ、ウラルは両目を見開き―――――――号令を発した。

 

「――――――撃ち方始め(アゴーニ)ッ!!」

 

 



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兵士たちの死闘

 

 

 いつも目を覚ますと、窓の外には工場の排煙で曇った空が広がっている。相変わらず石炭の匂いがする薄汚れた服に身を包み、なけなしの金が入った財布や仕事に必要な道具が入ったカバンを背負い、壁にいくつも穴が開いた安いアパートから職場を往復する日々。休日はあるけれども仕事の疲れのせいで1日中寝ているのは当たり前で、目を覚ました頃にはすっかり夜になっている。

 

 そんな日常に必死に耐え続け、俺は賃金のために働き続けた。けれども工場を牛耳る貴族や資本家は俺たちに与える賃金を増やすどころかどんどん減らしていき、仕事をより過酷なものに変質させていく。そのうち過労死するんじゃないかと思ってしまうような日常を象徴するのが、あの曇ったサン・クヴァントの空。

 

 その空に、火の粉が舞っていた。

 

 雪が降るせいで真っ白になった空へと、火の粉が舞い上がっていく。灼熱の粒子とすれ違った雪たちは瞬時に溶けてしまい、地上に降り立つ前に姿を消してしまう。

 

 それどころか、地上に降り積もっている筈の雪も姿を消していた。

 

 鬱陶しいと思ってしまうほど屹立していたあらゆる建物が残骸と化し、それに降り積もっていく雪たち。先ほどまで俺が目にしていたのは、そういう景色だった筈だ。

 

 けれども、今は全く違う。そんな景色の面影などどこにもない。

 

 目の前にあるのは―――――――まるで火山のような光景と化した、俺たちの生まれ育った街だ。

 

 降り注ぐ無数のロケット弾が雪を蹴散らして残骸を吹き飛ばし、派手な音を立てながら着弾した砲弾の群れが、太陽が吐き出すフレアにも似た火柱をいくつも生み出していく。もうクリスマスだというのに、寒さは全く感じない。むしろ工場の溶鉱炉の近くで仕事をしていた時のように、熱い。

 

「おいおい、何だこの火力は…………」

 

 隣でブローニングM2の弾薬がきっしりと入った箱の蓋を開けていたフランツが、前方に着弾した砲弾が産み落とした火柱を見上げながら呟いた。このような異世界の兵器の扱い方は吸血鬼共から教わったが、あんな破壊力を持つ兵器を見たことはない。明らかに戦車砲とは比べ物にならないほど大口径で、射程距離の長い兵器なのだろう。

 

 すでに第一防衛ラインと第二防衛ラインを失った挙句、敵に橋頭保まで与える羽目になってしまったため、俺たちが配属されたこの最終防衛ラインの兵力は、2つの防衛ラインと比較するとかなり多い。つい最近”徴兵”されたばかりの訓練が不十分な奴らも含めれば、守備隊の人数はおよそ290000人。ヴリシア帝国が誇る騎士団の兵力を凌駕するほどの数だが、敵はこれまでの戦いで損害を出しているとはいえ、未だに俺たちの戦力の20倍。ここに並ぶ俺たちを容易く呑み込んでしまうほどの敵部隊が押し寄せる光景は、できるならば思い描きたくはない。

 

 割り当てられたブローニングM2重機関銃の最終チェックをしていると、俺の隣でG36Cを抱え、積み上げられた土嚢袋に背中を押し付けながら若い兵士がブルブルと震えているのが見えた。俺よりも10歳くらいは年下だろうか。

 

 確かこいつは、数週間前に俺たちの部隊に配属になった若い兵士だ。資本家が過酷な仕事をさせたせいで一度倒れてしまい、それが原因で解雇されてしまった哀れな若者。しかもそれで職を失ったことが原因で、病気の母親に薬を買ってやることもできずに、結局自分の母親を病気で失ってしまった青年だ。

 

 哀れな奴だが、そういう奴はこの国に何人も存在する。だからこそ俺たちは資本家や貴族を憎む。

 

 しかし彼の怒りは、魔王たちの軍隊が放つ圧倒的な砲撃に敗北してしまったらしい。戦う前に『オルトバルカ人共を皆殺しにしてやる』と言っていた彼とは思えないほど、今の彼は怯えていた。

 

 ああ、それでいい。戦いってのは怖いんだよ。

 

「分隊長…………あんな奴らに勝てませんよ…………」

 

「おい、ヨーゼフ…………」

 

 震えながら言う青年をフランツが咎める。俺は得物を点検しつつ、弾薬の入った箱がどこに置いてあるか確認するふりをしながら、今のこいつの弱音が吸血鬼に聞かれていないか確認した。あいつらは俺たちに力を与えてくれたが、味方の指揮を下げるような行動や敵前逃亡をする兵士には容赦がない。塹壕の中に転がる死体の半数は、奴らによって敗北主義者という汚名を着せられ、”粛清”された仲間の骸だ。中には過酷な労働に耐えながら、一緒に小さな硬いパンを齧った親友もいる。

 

 幸い、吸血鬼の奴らは塹壕の後方にいるようだった。だから彼の弱音は聞こえないし、仮にもう少し声が大きかったとしても、忌々しい魔王共の砲撃がそれをかき消してくれる。それだけは、リキヤ・ハヤカワに感謝しておこう。

 

「俺たち、ここで殺されるんです…………前線で戦ってた奴らみたいに」

 

「そうかもな」

 

 前線で戦った奴らだけじゃない。俺たちのいる塹壕に転がってる奴らみたいに、吸血鬼に消されるかもしれない。俺はむしろそっちの方が恐ろしい。

 

 ヨーゼフのヘルメットを軽く叩きながら、俺は息を吐いた。

 

「死にたくないなら、敵を殺せ。いいな?」

 

 吸血鬼に消されないなら逃げた方がいいだろう。けれども逃げ出す兵士を粛正するクソッタレが後ろにいるならば、あいつらの思惑通りに戦い抜いた方がまだ生存率は高い。

 

 ヨーゼフはまだ震えていたが、少なくとも聞く度に吸血鬼がいないか警戒する羽目になりそうな弱音を吐くのを止めてくれた。震えながら頷き、G36Cを構えながら銃口を前線へと向ける。

 

 果たして、俺たちに割り当てられた武器と弾薬だけで敵を退けることができるのだろうか? ヘルメットをいつの間にか覆っていた泥を払い落とした次の瞬間、俺たちの塹壕の近くで待機していた戦車が何の前触れもなく潰れた。

 

 まるで粘土の塊の上に、重い鉄球を落としたようだった。ぐしゃ、と堅牢な装甲で覆われた砲塔があっさりと潰れ、身を守るための装甲が中にいた乗組員たちの肉体を瞬く間に押し潰す。しかし彼らが絶叫を上げるよりも先に、分厚い装甲をひしゃげさせるほどの運動エネルギーを纏って突っ込んだ砲弾が起爆し、彼らの肉体を戦車もろとも消し去った。

 

 レオパルトが一瞬で火柱と化し、砲身の一部や千切れ飛んだキャタピラが炎を纏いながら降り注ぐ。

 

 先ほどから降り注いでいた砲撃が、”運悪く”レオパルトを直撃したのだ。塹壕から身を乗り出して叫びそうになっていたヨーゼフの口を押えながら慌てて塹壕の中に押し込んだ直後、先ほどまで降り注いでいた砲撃がぴたりと止まる。

 

「砲撃が…………」

 

 それが何の予兆なのか、すぐに分かった。

 

 どれだけ屈強な兵士たちでも、味方がこれでもかというほど砲弾を降り注がせている戦場を突っ切ろうとは思わないだろう。この異世界の兵器を使わない場合でも、魔術師や弓矢の使い手たちは前衛が突撃することを考慮し、攻撃を一時的に中断するものだ。きっと異世界の兵器で武装した場合でも、味方を巻き込まないために攻撃を中断するという鉄則は変わらない。

 

 火の海と化したサン・クヴァントの市街地の向こうから―――――――勇ましいホイッスルの音と、荒々しい兵士たちの雄叫びが聞こえてきた。やがて戦車のエンジンのような音や、ヘリのローターが空気をズタズタにする音も聞こえてくる。

 

 もう一息で俺たちを打ち破れるからなのか、敵もこの攻撃で勝負を決めるつもりなのだろう。戦車や歩兵だけでなく、戦闘ヘリまで投入して総力戦を仕掛けるつもりなのだ。

 

「敵が来るぞ! 攻撃用意!」

 

 塹壕の中に滑り込み、双眼鏡を覗き込みながら指揮を執る吸血鬼の指揮官を一瞬だけ睨みつけ、俺はすぐに照準器を覗き込む。さっきの砲撃にビビって地下壕に避難してたんじゃないんですか、と言ってやりたかったが、戦う前に拳銃で頭を撃ち抜かれるのはごめんだ。兵士たちの士気も下がってしまうからな。

 

 もう一度重機関銃をチェックしようと思ったが―――――――そのために手を伸ばすと同時に、まるで防壁のように屹立していた黒煙の向こうから、無数の戦車が姿を現した。砲塔の脇にハンマーとレンチが交差し、その上で赤い星が輝いているエンブレムが描かれた無数の戦車が、まるでコアラのように背中に数人の兵士たちを乗せ、火の海を突っ切って突っ込んでくる。

 

 戦闘の戦車が主砲をぶっ放した。しかし、その砲弾は俺たちの塹壕や戦車には命中せず、燃え盛る大地の一角に突き刺さっただけだ。損害はない。

 

「――――――撃てぇ(フォイア)!」

 

「攻撃開始(フォイア)!!」

 

 復唱しつつ、トリガーを引いた。

 

 重機関銃の銃弾では戦車を撃破することはできない。だが、少なくともあの戦車の上に乗っている兵士たちを薙ぎ倒すことはできる筈だ。塹壕に近づいてくるころには、敵の戦車の装甲は歩兵の血と内臓で彩られている事だろう。

 

 照準器の向こうで、漆黒の制服に身を包んだ兵士の肉体が弾け飛ぶ。エンブレムが飛び散った兵士の肉片で覆われ、完全に見えなくなってしまう。

 

 他の塹壕で準備していた重機関銃の射手たちも、立て続けに12.7mm弾を放ち始めた。中には対戦車ミサイルで攻撃を始めた仲間もいるらしく、味方の塹壕からいくつも真っ白な線が飛び出していく。

 

 そしてその対戦車ミサイルを放った奴らが―――――――真っ先に戦車砲の餌食になった。

 

「!」

 

 ボン、と地面が砕ける音がしたかと思うと、先ほど対戦車ミサイルを発射していた塹壕の1つから火柱が上がっていた。榴弾で反撃されたらしく、周囲には俺たちと同じ制服に身を包んだ死体の一部が、泥まみれになって転がっている。

 

「くそったれ! フリッツ、撃ちまくれ!」

 

「分かってます!」

 

 吸血鬼の指揮官に向かって叫びながら、フルオート射撃で敵兵を狙う。照準器の向こうでは戦車から飛び降りようとした敵兵や突っ走ってきた敵兵が、腕や足を吹っ飛ばされて倒れていく。

 

 そういえば、俺はどうしてこの戦いに参加したのだろうか? なぜ吸血鬼たちの下僕になる代わりに、この力を欲しがったのだろうか?

 

 確か、協力すれば今の賃金以上の報酬を与えると言われたからだ。収容所で待っている子供たちを養うための金を、全く賃金を払ってくれない資本家の代わりに吸血鬼たちが与えてくれると約束してくれたから、俺はこうして戦っているんだ。

 

 幼い子供たちの顔を思い浮かべた瞬間、隣でどさりと何かが倒れる音が聞こえてきた。順調に重機関銃が飲み込んでいく銃弾のベルトがだらんと垂れ下がったのを見た瞬間、いったい誰が倒れたのかを理解した俺は、唇を噛みしめながら隣にいた筈の戦友を一瞥する。

 

 箱の中から伸びるベルトを押さえてくれていたはずのフランツは、いつの間にか横になっていた。目を開けたまま火の粉の舞う空を見上げている戦友の額には、やけに大きな風穴が開いている。

 

 フランツ…………。

 

 もし戦闘中でなければ、泣き叫んでいたかもしれない。けれども仲の良かった戦友のために泣いている時間はない。今は目の前の敵を薙ぎ倒し、こいつの仇を取る必要がある。

 

「ヨーゼフ、弾薬をよこせ!」

 

「や、了解(ヤー)!」

 

 フランツの死体の傍らにある箱の中からベルトを取り出し、ブローニングM2重機関銃のカバーの中に引きずり込む。どうやら先ほどから敵兵を始末し続けたせいで敵に狙われているらしく、先ほどから銃弾が立て続けに土嚢袋に被弾しているのが分かる。

 

 大慌てで再装填(リロード)を済ませ、再び射撃。しかし再装填(リロード)をしている間にかなり接近されていたらしく、照準器の向こうの敵兵たちはアサルトライフルに銀の銃剣を装着して、雄叫びを上げながら塹壕へと突進を始めていた。

 

 フルオート射撃で薙ぎ払うが―――――――敵兵の人数が多すぎる。オークと思われる兵士の頭を吹き飛ばし、ハーフエルフの兵士を血祭りにあげたが、今の攻撃の餌食にならずに済んだ数名のハーフエルフの兵士が、銃剣のついたショットガンを構えながら塹壕の中に入り込みやがった。

 

「う、うわ―――――――」

 

 吸血鬼の指揮官がハンドガンを引き抜くが、銃口を向けるよりも先に、銀の銃剣が彼の心臓を貫く。この指揮官は吸血鬼とはいえ下っ端だったらしく、銃剣で刺された挙句至近距離で散弾を喰らった指揮官は、もう動かなかった。口から血を流しながら、まるで大きく抉り取られたかのような穴が開いている自分の胸元を見下ろしているかのように、やや下を向きながら崩れ落ちていく。

 

 そいつの仇を取ろうと思ったわけではない。むしろ、少しだけすっきりした。気に食わない奴だったし、仲の良い仲間を何人も粛清しやがったクズだからな。

 

 でも、塹壕に入り込んだ敵は処理する必要がある。

 

 近くに転がっていたスコップを拾い上げ、ヨーゼフに銃口を向けたハーフエルフの後頭部を思い切り殴りつける。そのままくるりと回転しながら後ろにいたエルフの兵士の顔面も殴りつけ、地面に倒れたそいつの喉元にスコップの先端部を突き立てた。

 

 びくん、と痙攣してから、そのエルフの兵士は動かなくなる。

 

 はははっ…………。舐めるなよ。いつもスコップで石炭を窯の中に放り込む仕事をしてたから、スコップの扱い方には自信があるんだよ。

 

「ヨーゼフ、無事か?」

 

「は、はい…………」

 

 良かった。どうやら彼は無傷らしい。

 

「…………よし、お前は後方の塹壕に撤退するふりをして、逃げちまえ」

 

「え? 分隊長、それでは敵前逃亡に――――――」

 

 こいつには、もう家族はいない。これ以上失うとしたら自分の命くらいだろう。俺と違って人質に取られている家族がいないのだから、簡単に逃げられるはずだ。

 

 傍らに転がっている吸血鬼の死体を一瞥してから、俺は言った。

 

「もう粛清する奴なんかいない。だからとっとと逃げて、幸せに生きろ」

 

「でも…………」

 

「いいから、早く行け。俺はもう一仕事してから行く」

 

 ヨーゼフが反論するよりも先に、俺は射撃を再開し、銃声で彼の反論を遮った。マズルフラッシュの向こうでまた敵兵の身体が砕け散り、火の海へと崩れ落ちていく。

 

 後ろを見たわけではなかったが―――――――困惑していたヨーゼフが、俺に向かって敬礼したような気がした。俺やフランツよりも軽そうな足音が徐々に小さくなっていき、本来の戦場に轟くはずの爆音が蘇る。ちらりと後ろを振り向いてみると、やはり怯えていた青年の姿は見当たらなかった。

 

「ふん」

 

 人生を憎しみで台無しにするなよ、若造。

 

 彼が無事に戦場から逃げ出してくれることを祈りながら、数秒後に戦車砲が塹壕で攻撃を続ける俺を直撃する瞬間まで、機関銃のトリガーを引き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撃て(アゴーニ)!」

 

 車長の命令を聴いてから、復唱して主砲の発射スイッチを押す。無人の砲塔から放たれた砲弾が外殻を脱ぎ捨てて、照準器の向こうに鎮座する敵の戦車を直撃すると、着弾した個所から凄まじい量の火花を吐き出した敵の戦車はそのまま沈黙してしまう。

 

 後方にある砲塔の中で自動装填装置が次の砲弾を装填する音を聞きながら、僕はモニターを凝視した。

 

 やはり、最終防衛ラインの守備隊は数が多い。今しがた撃破した敵の戦車の後方には、まだ2両も敵の戦車がいる。隣を並走する味方のT-14がAPFSDSを放つけど、隣の戦車の砲撃は左に逸れてしまったようだ。すかさず敵のレオパルトがAPFSDSを味方の戦車に向かって撃ち返したけど、敵の砲手の方が一枚上手だったのか、APFSDSは正確に仲間のT-14の砲塔に突っ込んだ。

 

 撃破されたわけではなかったみたいだけど、致命傷を負ってしまったらしい。隣の戦車が車長に向かって無線で連絡してから速度を落とし、後退していく。

 

 代わりに隣へと突出してきたのは殲虎公司(ジェンフーコンスー)の99式戦車。タンクデサントさせていた兵士が犠牲になったのか、砲塔の後方や車体には兵士たちの物と思われる返り血や肉片がこびりつき、まるで食後の肉食獣のようにも見える。

 

「撃て、フレッド!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 致命傷を負ったT-14に砲弾を叩き込みやがった戦車にAPFSDSをお見舞いする。隣の味方を砲撃するために微妙に横を向けていた砲塔の側面に命中したらしく、装甲の破片と火花をまき散らしながら、傷を負ったレオパルトが後退していく。

 

 もう1発お見舞いしてやる。APFSDSをもう1発叩き込めば、息の根を止められる筈だ。

 

 どうして、ヴリシアの人間は吸血鬼なんかに味方するのだろうか。あいつらは人間を見下しているし、大昔にはこの世界を侵略したクソ野郎だというのに、どうしてそういう奴らに力を貸す? お前たちは蹂躙されたいのか?

 

 訳が分からない。あんな奴らに力を貸したって、自分たちも殺されるかもしれないのに。

 

 バカなのか、あいつらは。

 

 こっちにロケットランチャーを向けていた敵兵を発見した僕は、すぐさま砲塔を旋回させ、主砲同軸に搭載されている14.5mmの機銃で蜂の巣にしてやった。いや、こんな大口径の銃弾で撃たれれば蜂の巣では済まない。手足や肉が千切れ飛ぶのは当たり前で、確実に原形を留めることはない。

 

 モニターの向こうでは、進撃していく味方の戦車が奮戦している。遠くの方ではテンプル騎士団を率いる”ウォースパイト”と名付けられた戦車が、凄まじい速度で前進しながら主砲を放ち、片っ端から敵の戦車を撃破しているのが見える。

 

「すげえな、テンプル騎士団のガキ共は」

 

「ガキ? 彼ら、子供なんですか?」

 

「ああ。お前と同い年だってさ、フレッド」

 

 僕と同い年か…………。ということは、あの戦車に乗っているのは18歳なのかな?

 

 彼らとは仲良くできるだろうか。

 

 モニターの向こうで奮戦するウォースパイトを見つめてから、再び照準器を覗き込む。敵の戦車はまだ残っているだろうか?

 

 今のところは僕たちが勝っているみたいだ。いたるところにある敵の塹壕には続々と味方の歩兵が雪崩れ込み、狭そうな塹壕の中ではモリガン・カンパニーの兵士が得意とする白兵戦が開幕している。スコップやその辺に堕ちていたレンガの破片を拾い上げて殴り合う兵士たちを見守ってから、僕はまた機銃で敵兵をミンチにする。

 

 次の標的に照準を合わせようとしたその時だった。何かがすぐ近くで爆発したような音が聞こえ、バギン、と金属の塊が割れたような音が車内に流れ込んでくる。

 

「どうした!?」

 

「くそ、地雷です! キャタピラがやられた!!」

 

「ッ!」

 

 操縦士が必死に戦車を動かそうとするけれど、先ほどまで敵の銃弾を弾きながら前進していたT-14は微動だにしない。今の地雷で僕たちまで吹っ飛ばずに済んだのは幸運だけど、このままでは敵の集中砲火の餌食になる…………!

 

「やむを得ん…………戦車を放棄する! 脱出だ!」

 

 戦場の真っ只中で戦車を棄てる羽目になった僕は、舌打ちをしながら車内に備え付けてある武器を手に取り、一足先に外に出ようとしていた操縦士に手渡した。AKS-74Uを手にした彼は安全装置(セーフティ)を外し、頷いてから頭上のハッチを開け、外へ飛び出していく。

 

 そして―――――――装甲が銃弾を弾く音と同時に、すぐに車内に戻ってきた。

 

 身体中に風穴が開いた、無残な姿で。

 

「アンディ…………?」

 

「くそ、集中砲火か! フレッド、まだ主砲は生きてるな!?」

 

「はい!」

 

 くそ、よくもアンディを!

 

 自分の分のAKS-74Uを投げ捨て、主砲の照準器を覗き込む。幸い砲弾の装填は終わっていたからすぐに砲撃できる状態だったけど―――――――僕が照準器を覗き込んだ頃には、塹壕の向こうにいるレオパルトがこっちに主砲を向けていた。

 

 戦場の真っ只中で擱座した戦車に止めを刺そうとしているのだと思った瞬間、反撃を続けていた3両のレオパルトの砲口が強烈な光を放って―――――――まるで銛のような形状の鋭い砲弾が、こっちに向かって飛んでくる。

 

 その瞬間、僕は故郷のエイナ・ドルレアンに住んでいる母さんの顔を思い出した。元気な母さんだけど、もし息子がヴリシア帝国で戦死したって聞いたら…………やっぱり、泣くだろうか。

 

 ごめんなさい、お母さん。

 

 できればクリスマスには家に帰りたかったよ…………。

 

 装甲が砕ける音が聞こえたと同時に車体が揺れた直後、 T-14の装甲を立て続けに直撃したAPFSDSがついに装甲を貫通し、僕の身体を木っ端微塵にしていった。

 

 

 



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吸血鬼たちの反撃

 

 

 ウォースパイトに搭載されている滑腔砲から放たれたAPFSDSが、まだ悪足掻きを続けていたM2ブラッドレーに止めを刺す。アサルトライフルの弾丸や機関砲の弾丸すら防いでしまう装甲とはいえ、戦車ほどの厚さはない。そんな装甲に、戦車の装甲すら貫通する砲弾を叩き込めば容易く風穴が開く。

 

 火花と装甲の破片をまき散らし、機関砲から砲弾を吐き出し続けていたM2ブラッドレーが沈黙する。撃破したことを確認しながら戦車の周囲を警戒しつつ、モニターで次の標的を探し始める。

 

 今のところ、最終防衛ラインでの戦闘では俺たちが優勢だ。いたるところに塹壕が用意され、しかも対戦車地雷まで散発的に埋め込まれているのは予想外だったけど、その塹壕の中に入り込んだ歩兵部隊が着実に塹壕を制圧しつつある。おかげで塹壕から対戦車ミサイルの奇襲を受けることもないから、敵の戦車や装甲車を血祭りにあげることだけに専念できる。

 

 もう既に、先ほどまでウォースパイトに乗っていたモリガン・カンパニーの兵士たちは戦車を降り、塹壕の中で始まった白兵戦に参加していた。ナイフやマチェットを装備している兵士もいるし、スコップを振り回している兵士もいる。中には鉄パイプを振り回す見覚えのあるエルフの兵士も見受けられる。

 

 というか、あの鉄パイプ野郎もここにいたのか…………。

 

 苦笑いした瞬間、傍らに砲弾が着弾し、敵の戦車が俺たちを狙っていることを告げた。

 

 舌打ちしながら砲弾の飛来した方向を確認すると、もう既に被弾していたのか、手負いのレオパルト2が車体の後部から黒煙を吐き出しながらも、砲塔をこっちへと向けている。

 

「2時方向、敵戦車!」

 

「了解(ダー)! あの手負いの奴?」

 

「ああ、それだ! ぶっ放せ(アゴーニ)!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 装填されていたAPFSDSが120mm滑腔砲から飛び出し、飛翔する最中に自分自身の外殻を置き去りにしていく。まるで脱皮するかのように砲弾の外殻を脱ぎ捨てて獰猛な姿となった砲弾は、こちらに照準を合わせていたレオパルトの砲身を掠めると、被弾したせいなのかへこんでいた正面の装甲に飛び込み、無数の火花をばら撒いた。

 

 こちらを向いていたレオパルトの砲身がゆっくりと垂れ下がったかと思うと、砲身の付け根や砲塔の付け根の部分から黒煙が漏れ始める。火花が消え去った向こうには穴の開いた装甲が鎮座していて、今しがた放たれた一撃が操縦士もろともレオパルトを貫いたという事を告げていた。

 

 敵の戦車を撃破したことを確認しながら、俺は息を吐いてモニターを凝視する。本来ならこのチーフテンの主砲は滑腔砲ではなくライフル砲なんだが、こっちの方が発射できる砲弾の種類が劇的に増えるため、汎用性が高くなる。たった今ぶっ放したAPFSDSも、特に砲身を改造せずに発射できるようになった新しい砲弾の1つである。

 

『こちらハーレム・ヘルファイターズ! 若旦那、聞こえるか!?』

 

 モニターを見ていると、無線機の向こうから聞いたことのある声が銃声や爆音と一緒に飛び込んできた。この野太い声の持ち主は、おそらく領主の護衛でありながら、まるで盗賊や山賊のリーダーのような風貌の荒々しい傭兵に違いない。

 

 ギュンターさんの声だ。モリガンの傭兵の1人であり、14年前のファルリュー島の激戦から生還した猛者の1人。この世界で最も奴隷にされているハーフエルフでありながら戦果をあげたためなのか、世界中の奴隷たちからは英雄と呼ばれているという。

 

 第一、俺の事を”若旦那”と呼ぶ人はあの人しかいない。親父の事を”旦那”って呼んでるから、その息子の俺は”若旦那”ってことか。

 

「こちらウォースパイト、どうぞ」

 

『すまん、あの敵にクリスマスプレゼントを頼む! 12時方向の塹壕の向こうに見えるだろ!?』

 

 確認してみよう。モニターをズームして前方を確認してみると…………確かに、そこに敵の重機関銃があった。一番最初に実施された理不尽な爆撃を生き延びたのか、それほど損傷している様子はない。屋根に他の建物の破片がめり込んだレンガ造りの建物の窓から重機関銃を突き出し、ギュンターさんたちの部隊に向けて乱射しているようだ。

 

 ハーフエルフやオークは、再生能力や硬化を身につけているキメラを除けば最もタフな種族だと言われている。先ほどの戦いでも5.56mm弾が立て続けに被弾したハーフエルフの兵士が、何事もなかったかのように銃剣突撃を続けていたという話を昨日の夜に聞いたし、実際にギュンターさんもかなりタフな男である。

 

 とはいえ、いくらそんなタフな種族たちでも、人間の身体を容易く引き千切る12.7mm弾のフルオート射撃で歓迎されればひとたまりもない。小口径の弾丸とはわけが違うのだ。

 

 手元にあるコンソールを操作して、自動装填装置に次に装填する砲弾を指示する。さっきまでは対戦車用のAPFSDSを装填していたけど、今度の敵はレンガつくりの建物の中に潜んでいる兵士たち。貫通力の高い砲弾で攻撃してもあまり意味はない。だから”対戦車用”ではなく、兵士やそれほど防御力が高くない標的にも効果的な砲弾を装填する必要がある。

 

 多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を装填したのを確認してから、俺はモニターをズームする。

 

 敵が機関銃を撃ちまくっている建物から突き出ているのは、アメリカ軍などが採用しているブローニングM2重機関銃。アンチマテリアルライフルにも使用される12.7mm弾をフルオートでぶっ放してくる、圧倒的な火力を誇る機関銃である。戦車や装甲車にダメージを与えることはできないが、人間の兵士が喰らえば木っ端微塵になってしまう事だろう。

 

撃て(アゴーニ)!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 彼女が発射スイッチを押した瞬間、砲口から多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が飛び出し、敵兵たちが潜む建物へと真っ直ぐに飛んでいった。俺たちの戦車が砲口を向けていることに気付いた敵兵が慌てて味方に警告するけど、ギュンターさんたちを攻撃することに夢中になっていた敵兵が砲弾の音に気付いた頃には、もう砲弾の先端部がレンガの壁をぶち破り――――――俺たちの思惑通りに、建物の中で起爆していた。

 

 その瞬間、彼らが必死に銃撃していた建物の中は爆風と破片の嵐によって蹂躙された。人間の身体が呆気なく吹っ飛び、破片でズタズタにされた死体が燃え上がる。窓から火柱がいくつも飛び出したかと思うと、やがてその火柱は黒煙へと姿を変えてしまう。

 

 ほら、クリスマスプレゼントだ。

 

『ガッハッハッハッハッ! メリークリスマスだ!!』

 

『ありがとよ、同志! これで進める!』

 

「健闘を祈ります!」

 

 これで、彼らを銃撃する重機関銃は残っていない筈だ。他の部隊も順調に進軍しているようだし、塹壕の中で繰り広げられている白兵戦でも連合軍が勝利しつつある。

 

 しかし―――――――第一防衛ラインと第二防衛ラインを打ち破られたことで、防衛に本腰を入れている筈の敵の守備隊がこの程度でやられるとは思えない。こっちの攻撃が苛烈だから敵が逃げているようにも見えるが、なんだかやけに敵があっさりと後ろに後退し過ぎているような気がする。

 

 気のせいなのか? それとも、敵は何か俺たちの攻撃を押し返せるような切り札を用意しているのか…………?

 

 敵の防御力に違和感を覚えた直後、1発の砲弾がウォースパイトの車体を掠めた。

 

「!」

 

 くそ、まだ戦車が残ってたのか!?

 

 慌ててモニターを覗き込み、今しがた砲弾が飛来した方向を確認する。撤退する味方を掩護するために戦車が殿を務めているのだろうかと思っていたが――――――ズームしたモニターに映った映像を見た瞬間、俺は絶句する羽目になった。

 

 確かにモニターに映っていたのは、でっかいキャタピラがついた車体に巨大な砲塔を乗せた戦車だ。けれどもその形状はレオパルトのような最新型の戦車と比べると、いささか古臭いように見えてしまう。分厚い装甲に覆われている車体はレオパルトよりも大きいし、その上に乗っている砲塔から伸びる砲身も、どちらかと言うと戦車の主砲というよりは駆逐艦や巡洋艦の砲台にした方が違和感がないと思えるほど巨大である。

 

 近代化改修を受けたのか、形状はやや変わっていたが―――――――俺はその戦車を知っている。

 

「マウス…………!?」

 

 そう、塹壕の向こうに鎮座して俺たちに砲身を向けていたのは、第二次世界大戦中にドイツが生み出した『マウス』と呼ばれる、怪物だった。

 

 重戦車よりも分厚い装甲と強力な装備を持つ”超重戦車”であり、主砲は75mm砲くらいの主砲が主流だった当時から見れば圧倒的に口径の大きい12.8cm砲。しかも”副砲”として、その75mm砲まで搭載しているという怪物だ。装甲もティーガーなどの戦車と比べれば分厚い。

 

 結局一度も敵と戦わずに生涯を終えた怪物だが、第二次世界大戦の頃の戦車と戦っていれば、間違いなく戦車や歩兵部隊を蹴散らしていた事だろう。――――――だが、奴が砲身を向けているのは戦後に開発された高性能な戦車の群れ。第二次世界大戦では怪物のようにも見える12.8cm砲にも、現代の戦車は追いついている。

 

 とはいえ、さすがに旧式の兵器をそのまま出撃させたわけではないというのはすぐに分かった。

 

 よく見てみると、砲塔の形状がレオパルトに近くなっている。更に砲塔の上にはアクティブ防御システムと思われる2基のターレットが乗っており、戦車を守るためにセンサーをフル稼働させているところだった。分厚い装甲に覆われているマウスの巨体は、第二次世界大戦の最中にドイツが作り上げたものよりも一回り大きくなっている。砲身の根元の脇からはやはり副砲の75mm砲が伸びているが、その隣から伸びる主砲の砲身は、エイブラムスなどの他の戦車と比べると明らかに太い。それどころか、シュタージが投入した140mm砲を搭載したレオパルトの主砲よりも太いのだ。

 

 おそらく―――――――160mm以上の滑腔砲を搭載しているに違いない。

 

「ふにゃあ!? 何あの戦車!?」

 

「お、大きい…………!」

 

 息を呑んだ直後、まるで主砲同軸に搭載されている機銃のように装備されている副砲が、まるでイージス艦の速射砲を思わせる連射速度で火を噴き始めた!

 

 瓦礫だらけの地面に着弾しながら到達した75mm砲の砲弾の群れが、何発かチーフテンを直撃する。レオパルトやエイブラムスから見れば旧式の戦車とはいえ、チーフテンは戦後に開発された高性能な戦車の1つだ。しかもカスタマイズで近代化改修を受け、少なくとも車体だけは複合装甲で覆っている。だから75mm砲でも装甲を貫通するのは不可能だ。

 

 けれども、被弾した衝撃はやはりすさまじい。装甲が割れるのではないかと思ってしまうほどの金属音と同時に、車体が激震する。車内に何度も頭をぶつける羽目になりながらも、俺は操縦士のラウラに「一旦下がるぞ!」と指示を出し、モニターを睨みつける。

 

 俺たちが後退したのを見たのか、マウスの車体に搭載されているやけに大きなキャタピラがゆっくりと回転を始める。瓦礫の山や大破したレオパルトの残骸を踏みつぶしながら前進を始めたマウスの砲口が、ゆっくりとチーフテンの方へと向けられる。

 

 次の瞬間、敵の主砲が火を噴いた。

 

 甲高い音と、砲弾が掠めていく音。砲塔の外からその音が聞こえてきた瞬間、俺はぞくりとした。チーフテンはカスタマイズで複合装甲を装備しているとはいえ、その最新式の装甲が守っているのはあくまでも車体のみ。砲塔には爆発反応装甲を搭載しているけれど、その下にあるのは複合装甲が戦車に採用される前まで主流だった従来の装甲だ。だから砲塔に被弾すれば、下手をすればそのまま撃破されてしまう可能性がある。

 

 しかしどうやら敵は狙いを外したらしい。安堵しながら息を吐いていると、キューポラの後方から真っ赤な光が入り込んできた。

 

 違和感を感じながらハッチを開け、ちらりと後方を確認すると――――――後続のエイブラムスが、火柱と化していた。

 

 今の一撃は後退を始めた俺たちを狙ったのではなく、後方から進撃してくるエイブラムスを狙っていたらしい。大口径の砲弾―――――――おそらく160mm以上のAPFSDSだろう―――――――を真正面から喰らう羽目になったエイブラムスは、その分厚い装甲を易々と貫通されてスクラップと化している。

 

「嘘だろ………? エイブラムスを一撃で―――――――」

 

 最新型の戦車の中でも最強クラスと呼ばれているアメリカのエイブラムスが、一撃でやられたのである。

 

 俺は慌てて後続の戦車に一旦下がるように命令を下そうとした。素早くハッチの中へと潜り込んで無線機を掴み取り、モニターを睨みつけながらスイッチを入れる。

 

 しかし―――――――マウスの後方から複数の巨大な影が接近しているのを目にした俺は、スイッチを入れたまま凍り付いてしまった。

 

 なんと、そのマウスの後方から、同じく近代化改修を受けたと思われるマウスの群れが接近していたのである。砲塔の上には2基のターレットを乗せ、160mm以上の滑腔砲に換装された大昔の怪物が、侵略者(俺たち)を蹂躙するために目を覚ましたのだ。

 

 ――――――悪夢だ。

 

 明らかに20両から30両くらいはいるだろう。燃え上がる廃墟の向こうから姿を現した近代化改修型マウスの群れは、横に一列に並びながら砲塔を連合軍の戦車たちに向けると、後方にまだ無事だったレオパルトやブラッドレーの群れを従えながら前進を開始する。

 

『おい、なんかでっかい戦車が来たぞ!?』

 

『撃ちまくれ! あいつらに集中攻撃だ!』

 

「よせ、一旦下がって支援砲撃を―――――――」

 

 仲間に警告するよりも先に―――――――今度は、125mm滑腔砲を向けていた味方の99式戦車が餌食になった。最新型の複合装甲で覆われた車体があっさりと抉れ、装甲の破片が天空へと舞い上がる。吹っ飛ばされた砲身の一部がぐるぐると回転しながら後方の地面に突き刺さり、金属音を奏でる。

 

「くそッ! イリナ、撃て! あの巨人に叩き込んでやれッ!」

 

 自動装填装置を操作し、APFSDSを装填しながら叫ぶ。近代化改修を受けているという事は、おそらくあのマウスも複合装甲を装備しているに違いない。しかもエイブラムスよりも巨大なのだから、最新型の戦車よりも分厚い装甲を搭載しているのは明らかだ。

 

 敵の速度がやけに遅いのは幸運だが、あいつらがあのまま砲撃しながら前進するだけで、俺たちを最終防衛ラインから追い返すのは容易いだろう。

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 イリナが装填されたAPFSDSをぶっ放し、目の前に現れた化け物たちへと砲弾を叩き込む。

 

 今までの戦闘で数多くの魔物や戦車を食い千切ってきた獰猛な砲弾が、甲高い音を発しながらマウスへと向かって突っ込んで行く。元々マウスは現代の戦車に匹敵するサイズだったし、近代化改修の影響なのか、あのマウスは従来のサイズよりも一回り大きくなっている。それに真っ直ぐ走っているだけだから、命中させるのは容易だった。

 

 けれども、俺たちはここで必要なのは砲弾の命中精度ではなく――――――桁外れとしか言いようがないほど分厚い装甲を突き破るための貫通力なのだという事を、痛感することになる。

 

 数多の戦車を葬ってきたAPFSDSは確かにマウスに命中し、凄まじい量の火花を噴き出したが―――――――その向こうに鎮座していたのは、僅かに傷がついた程度のマウスの装甲。塗装が剥がれ落ち、いくらか装甲がへこんだ程度の損害でしかない。

 

「き、効いてない…………!」

 

「おいおい…………!」

 

 いっそのこと、艦隊に支援砲撃を要請するか? それともヘリ部隊に対戦車ミサイルでもぶち込んでもらうべきだろうか?

 

 いくつか作戦を立てているうちに、さらに大きな悪夢が―――――――牙を剥く。

 

 まるで、巨大な砲弾が落下してくるような音が聞こえた直後、艦砲射撃に匹敵するサイズの爆風がチーフテンの側面を襲ったのである。爆風と衝撃波だけでひっくり返ってしまうのではないかと思ってしまうほどの衝撃で揺さぶられながら、モニターを一瞥する。

 

 今の砲撃は明らかにマウスの主砲ではない。いくら160mm砲とはいえ、榴弾を装填したとしてもこんなに大きな爆発は起こらない筈だ。

 

 ならば、味方の艦隊の艦砲射撃かと思ったけれど、最前線にいる俺たちを巻き込む可能性がある状況で砲撃許可が下りるとは思えない。案の定、立て続けに降り注いできた砲弾はマウスの群れではなく、前進してくる怪物たちから逃げ出す連合軍の戦車部隊を狙っている。

 

 まだ後方に何かがいるのか? ヒヤリとしながらマウスたちの後方を凝視すると―――――――雪の向こうに、それが見えた。

 

 それを見た瞬間、俺はそれを戦艦なのではないかと思ってしまった。どんな戦車とも比べ物にならないほどの巨体は港に停泊する戦艦の巨躯を彷彿とさせるが、戦艦に巨大なキャタピラがついているわけがない。そのまま前進するだけで戦車を容易く踏みつぶせるほどの巨体の上には、戦艦の船体の上か、要塞に搭載されていなければ違和感しか感じないほど大きな連装砲が鎮座しており、砲口から陽炎を吐き出し続けていた。

 

 進撃するマウスたちを遥かに上回る巨体を持つその怪物も―――――――ドイツが開発する予定だった、『ラーテ』と呼ばれる超重戦車である。

 

 主砲の口径は巡洋艦や戦車に匹敵する28cm砲。これはドイツ製の戦艦『シャルンホルスト』と同じ口径の物であり、当時の戦車どころか現代の戦車ですら防ぐことはできないほどの破壊力を持つ。

 

 やはりそいつも近代化改修を受けているらしく――――――車体の上には、対空用のミサイルが搭載されたキャニスターや、イージス艦などに搭載されているCIWSと思われる機関砲が搭載されているようだ。

 

 しかも、戦場に現れたラーテは1両だけではない。――――――敵の戦車部隊の後方から、更に2両のラーテが、戦車の残骸や瓦礫の山を踏み潰しながら前進してくるのである。

 

 それを見た瞬間、俺は生まれて初めて―――――――親父たち以外の敵に対して、”勝てない”と思ってしまった。

 

 

 

 

 



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マウスの猛攻

 

 

「ラーテにマウスか…………」

 

 双眼鏡の向こうに見えるのは、第二次世界大戦で活躍する”筈”だった戦車に近代化改修をして、現代の戦車を蹂躙できるほどの性能を与えられた鋼鉄の怪物たちだ。仲間の戦車部隊が必死に戦車砲を放ちながら後退しているが、奴らの主砲が煌くたびにその向こうにいる味方の戦車がAPFSDSという矛に貫かれ、悲鳴を上げながら木っ端微塵になっていく。

 

 まるで第二次世界大戦の最中に、ドイツの戦車が連合軍の戦車を蹂躙する光景を見せつけられているかのようだった。M4シャーマンやT-34がティーガーと戦って散っていったかのように、エイブラムスやT-14が改造型マウスの主砲に撃ち抜かれ、次々に火柱と化している。

 

 仲間の戦車がやられる度に俺は唇を噛みしめていた。

 

 敵の戦車の火力は、こちらの戦車の装甲を真正面から易々と撃ち抜くほどだ。そして装甲はこちらのAPFSDSの直撃に耐えるほどの厚さ。幸い戦車の速度ではこちらが勝っているが、向こうは後退する我々の戦車に照準を合わせて発射スイッチを押すだけでいいのだから、敵が有利なのは明らかである。

 

 それにしても、敵の戦車の速度はかなり遅い。最新型の戦車の速度がおよそ60km/hであるのに対し、あの改造されたマウスたちの速度はおそらく20km/h程度。最大速度で後退すれば振り切れるほど速度に差があるが、それまでにどれほどの損害が出てしまうのだろうか。

 

「なるほど、こんな兵器を温存していたのか…………魔王様、どうする?」

 

 双眼鏡で仲間が蹂躙される様子を見ていた俺を見上げながら言うのは、T-14の操縦士を担当するエミリア。砲手を担当するエリスはモニターを睨みつけたまま、敵が射程距離内に入るのをじっと待ち続けている。

 

 T-14は砲塔に人間が乗る必要がないため、砲手と車長も操縦士と同じスペースに乗るのだ。だからモニターや計器類が発する光の中で、同じ戦車に乗る仲間たちの顔はよく見える。

 

 このまま後退させれば、少なくとも被害は最小限で済む。しかしそうすれば傷を負ったまま泥沼の戦いになるのは目に見えているし、長期化すれば、橋頭保を確保したとはいえこちらがどんどん不利になっていく。

 

 だからと言って強引に進撃させれば、最前線で戦う仲間(同志)たちを玉砕させる羽目になる。もし仮に前線にいるのが、人々を虐げたクソ野郎共だけで構成された懲罰部隊ならば躊躇なくそういう命令を下しているところだが、前線で戦っているのはかけがえのない同志たちである。しかもその中には、最愛の子供たちも含まれている。

 

 どうすれば彼らを死なせずに、敵を撃ち破ることができる?

 

『こちらアドミラル・クズネツォフ。兄さん、聞こえる?』

 

「シンヤか」

 

『艦載機は必要かな? すでに対艦ミサイルを搭載した艦載機部隊の発進準備はできているんだけど』

 

 敵のマウスやラーテが出現し、味方の戦車部隊を蹂躙しているという報告はすでに連合艦隊旗艦『アドミラル・クズネツォフ』の指令室まで届いていたらしい。やはり戦車砲で撃ち破れない装甲を持つ敵には、対艦ミサイルや爆弾を満載した航空機での攻撃が有効か。

 

 先ほどの海戦でいくらか損害を出したものの、攻撃に支障が出るほどの損害は出ていない。それは幸いだが…………問題なのは、最後尾に鎮座するラーテの装備だ。

 

 そもそもラーテは、”戦艦の主砲を搭載する戦車”として開発される予定だった巨大兵器である。速度や機動性を完全に犠牲にし、装甲と火力のみに特化した兵器である以上、少なくともこちらの攻撃を”回避する”ということは全く考えていない。

 

 そのラーテに搭載されているのは、イージス艦や空母に搭載されているような最新型のCIWSや対空ミサイルのキャニスター。戦車にとっての天敵である航空機を叩き落すためなのか、対空兵器がこれでもかというほど搭載されている。

 

 今航空機を投入すれば…………間違いなくあれにやられる。ミサイルを放っても迎撃されるだろうし、最悪の場合はその対空兵器が艦載機にも牙を剥くだろう。

 

 航空機を投入するのは、せめてあの対空兵器を全て破壊するか、迎撃用の対空兵器として機能しなくなるほど数を減らすしかない。しかしラーテに直接攻撃するには、味方を蹂躙するマウスとレオパルトの群れを突破する必要がある。

 

 …………いや、前線の部隊にマウスを引きつけさせ、他の戦車部隊に側面から攻撃させればできるかもしれない。

 

 もう一度双眼鏡でマウスを確認してみる。敵のマウスたちは後退する戦車部隊を蹂躙することに夢中になっていて、相変わらず速度は鈍足としか言いようがないが、後続のラーテからどんどん離れている。両者の間にはレオパルトがいるが、彼らも逃げていく獲物に喰らい付こうとしている状態だ。

 

 ラーテを守るのは、少数のレオパルトのみ。

 

「李風(リーフェン)、聞こえるか?」

 

『はい、同志ハヤカワ』

 

「戦車部隊を率いて、ラーテを側面から攻撃せよ。目標は搭載されている対空兵器だ」

 

『ということは、とどめは航空部隊ですかな?』

 

「そういうことだ。やれるか?」

 

 この男も、あのファルリュー島の死闘から生還した猛者の1人だ。無数の転生者との戦いを経験しているのだから、きっとやり遂げてくれるに違いない。

 

『当たり前です。やらなければ、我々も木っ端微塵にされますからね』

 

「頼む」

 

『了解(ダー)』

 

 通信を終え、ため息をつく。

 

 第二防衛ラインの突破に手こずったが、このままでは最終防衛ラインの突破にも手を焼く羽目になりそうだ。本拠地を守る防衛ラインなのだから敵の戦力が集中していることは予測していたが、こんな切り札を用意しているのははっきり言うと予想外だった。

 

「エミリア、前進だ。俺たちも戦闘に参加し、前線から後退する味方を支援しつつマウス共をラーテから引き離す」

 

「了解だ」

 

「シンヤ、ミラたちはどうなってる?」

 

『最寄りの飛行場で補給中。機体も乗り換えるって』

 

 先ほどの戦いでは、ミラはPAK-FAに乗って敵の戦闘機を片っ端から撃墜していた。しかし敵の戦闘機が空を飛ぶことはなくなったことで制空権が確保されたため、はっきり言うともう戦闘機に乗る意味はあまりなくなった。

 

 だから、彼女が何に乗り換えるのかは、すぐに予想がついた。

 

「ありったけの爆弾とミサイルを装備しろって伝えといてくれ」

 

『了解(ダー)、同志リキノフ』

 

 よし、反撃開始だ。

 

 俺たちの役目は前線の戦車部隊を支援しつつマウスたちを前進させ、ラーテから引き離す。簡単に言えば囮だ。そしてレオパルトやマウスがラーテから離れたタイミングで李風が率いる戦車部隊がラーテを側面から攻撃し、対空兵器を破壊する。

 

 艦隊や後方のOka自走迫撃砲には、味方を巻き込まない程度の支援砲撃を続行してもらう。とはいえ味方の位置を常に伝えつつ、砲撃の回数も減らしてもらう必要があるため、飛来する砲弾の数は大きく減ることだろう。

 

「各員、前進!」

 

 無線機に向かって命令してから、俺はモニターの向こうを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マウスが主砲を放つ度に、一緒に進撃していたT-14や99式戦車が木っ端微塵になっていく。全速力で後退しながら砲撃を続けるが、マウスに命中したとしても信じられないほど分厚い正面の装甲によって弾かれてしまい、ダメージを与える事すらできない。

 

 無線機の向こうから聞こえてくるのは、仲間たちが必死に攻撃命令を砲手に下す声。時折爆音や断末魔が聞こえてきて、その無線機の向こうの仲間が息絶えたという事を告げる。

 

 コンソールを操作し、次のAPFSDSを装填。自動装填装置が稼働する音が車内に響くが、すぐにチーフテンの傍らに着弾した砲弾の爆音がその音をかき消してしまう。

 

「くそ…………ナタリア、無事か!?」

 

『こっちは無事よ! なんなのよ、あの戦車は!?』

 

「とにかく後退だ! 無理に突っ込むなよ!」

 

 ナタリアはたちは無事らしい。キューポラから顔を出して周囲を確認してみると、黒と灰色の迷彩模様に塗装されたチャレンジャー2が奮戦している姿が見えた。どうやらAPFSDSでマウスを仕留めるのは諦め、奴らの間から前に出てくるレオパルトだけを狙っているらしい。

 

 確かに、そっちの方が合理的かもしれない。撃破できる見込みのない敵に砲撃を続けても、砲弾が無駄になるだけだ。それよりは砲弾が通用する可能性のある敵に向かって砲撃を続け、少しでも敵の戦力を削ることに専念するべきなのかもしれない。

 

 砲手のイリナにマウスではなくレオパルトを狙えと指示を下そうとした、その時だった。

 

『こ、こちらウォーリア! 誰か聞いているか!?』

 

「どうした!?」

 

『敵の砲撃で損傷! 近くの廃墟が倒壊して生き埋めになっちまった! 救助を求む!! ――――――くそ、火災が!』

 

「現在位置は!?」

 

『労働者用のアパートだ! ゲホッ、ゲホッ…………は、早く…………!』

 

 双眼鏡を掴み取り、ウォーリアの乗組員が言っていた労働者向けのアパートを探す。倒壊してきたって言っていたからもう瓦礫の山と化しているだろうが、何か手掛かりは残っているだろうか? せめて看板のようなものさえ見えていれば………。

 

 できるならば見捨てたくはない。必死に双眼鏡を覗いていると、倒壊したと思われる建物の瓦礫の中から、機関砲の砲身と思われるやや太めの砲身のようなものが突き出ているのを見つけた。双眼鏡をズームして確認してみると、確かにそれは建物の中の鉄骨などではなく、装甲車の機関砲の砲身に見える。

 

 それに、その上に降り積もっている残骸の中に―――――――ヴリシア語で、”労働者用アパート”と書かれているひしゃげた看板が転がっている。

 

 あれか…………!

 

 味方の装甲車を救出に行くと仲間に告げようとしたその時―――――――ウォースパイトの車体が、今まで以上に揺れた。先ほど75mm砲を喰らい、辛うじて装甲で弾いた時とは比べ物にならないほどの大きな振動。その中で俺は、ついに耐えきれなくなった金属の塊がへし折れる音を聞いたような気がした。

 

 衝撃で車内へと押し戻され、座席の近くにあったモニターに頭を叩きつけてしまう。その痛みを無視して立ち上がろうとすると、今度はウォースパイトが後退しながら、左へと進路を変えたのを感じた。

 

「ラウラ、どうした!?」

 

「分からない! 進路を変えた覚えはないのに…………!」

 

 まさか、今のでキャタピラが…………!?

 

 ぞくりとしながら、再びハッチから身を乗り出す。そして車体の左側で旋回を繰り返している筈のキャタピラを見下ろしたが…………まるで金属が擦れているような異音がするし、ウォースパイトが刻み付けてきたキャタピラの跡の中に、戦車のキャタピラの一部と思われる部品がいくつも転がっている。その場所から、俺たちの乗るチーフテンは左へとぐるぐる回り始めている。

 

 どうやら敵の砲撃を喰らい、左側のキャタピラが外れてしまったらしい。金属が擦れる音がするという事は、その爆風で部品が歪んでしまっているという事だろう。このままではこの戦車は、真っ直ぐに走ることはできない。

 

 敵の集中砲火に晒されながら、ぐるぐると回るしかないのだ。

 

 くそ、どうすればいい…………!?

 

「…………ラウラ、そのまま走り続けろ。その間に俺が仲間を救出に行く」

 

「え?」

 

「いいか、救出が済んだら合図する。そうしたらこの戦車を棄てて脱出しろ」

 

 操縦席で目を見開きながらこちらを振り向くラウラ。敵の砲撃が立て続けに降り注ぐ戦場に、生身で躍り出るということがどれだけ危険な事なのかは分かっている。戦車だって被弾すれば終わりだけど、歩兵は近くに砲弾が着弾すれば衝撃波で容易く身体を引き千切られてしまうし、破片が突き刺されば動けなくなる。

 

 装甲に守られている戦車と違って、歩兵は脆いのだ。

 

 ラウラは制止しようとしたけど――――――目を閉じると、彼女は微笑んだ。

 

「――――――帰ってこなかったら、許さないから」

 

「了解(ダー)」

 

 死んでたまるか。

 

 死んだら、俺のお嫁さんになるというラウラの夢が叶わなくなる。

 

 心配そうな顔をしながら俺の顔を見上げるイリナに向かってウインクしてから、息を吐く。愛用のAK-12の安全装置(セーフティ)を解除して3点バーストに切り替え、敵の砲撃の数が減った瞬間に―――――――キューポラから飛び出す。

 

 雪に覆われた瓦礫の大地を踏みつけながら、全力で味方の元へと走る。進撃するマウスやレオパルトの群れから放たれる砲弾が味方の戦車の傍らに着弾し、派手に雪と瓦礫を舞い上げていく。

 

 念のため外殻で硬化しておこう。さすがに戦車砲を防ぐのは不可能だけど、少なくとも砲弾の破片で死ぬことはなくなる。

 

 逃げ惑う戦車を狙うよりも、戦車から飛び出した1人の兵士を狙うような敵がいないことを祈りながら走ったが―――――――75mm砲と思われる砲弾が立て続けに傍らに着弾し、数発の銃弾が脇腹に着弾する。キメラの外殻が破片と銃弾から身を守ってくれたが、凄まじい衝撃のせいで少しばかりぐらついてしまう。

 

 歯を食いしばりながら体勢を立て直し、そのまま突っ走る。まだ俺を仕留めるつもりなのか、マウスから立て続けに放たれる75mm砲の砲撃が傍らに着弾し、砲弾の破片や瓦礫の破片を俺に叩きつけてくる。

 

 破片に何とか耐え続け、倒壊したアパートの残骸の影に転がり込む。硬化を解除してから瓦礫を手で退けていくと、やがて30mm機関砲や対戦車ミサイルを搭載した装甲車の砲台があらわになる。砲塔の左脇にはハンマーとレンチを交差させ、その上に赤い星を描いたモリガン・カンパニーのエンブレムが描かれている。

 

 瓦礫の中に埋まっていたのは―――――――ロシア製装甲車の、『T-15』だった。

 

 T-14と同じように砲塔の中は無人になっているため、砲手や車長も車体の方に搭乗している。砲塔の向きから判断して車体の位置を予測した俺は、両手をキメラの外殻で覆ってから瓦礫を掘り始めた。アパートの壁の一部だったレンガや鉄骨を片っ端から退けていきつつ、まだ奮戦を続ける戦車部隊を一瞥する。左側のキャタピラをやられたウォースパイトはまだぐるぐると左回りを続けており、敵の戦車部隊から集中砲火を受けている状態だった。とはいえ被弾している様子はなく、走行する速度を調節することで辛うじて回避しているらしい。

 

 だが、あのままでは被弾するのは時間の問題だ…………。もう戦車を放棄して逃げるように指示を出すべきだろうか?

 

 やけに大きなレンガを退けると、乗組員が乗り込むためのハッチが露出した。先ほどから瓦礫の中に埋まっていたハッチを強引に開け、車内に向かって叫ぶ。

 

「おい、無事か!?」

 

「だ、誰だ…………!?」

 

「テンプル騎士団だ! 助けに来た!」

 

 火災が起きていると聞いたが、辛うじて鎮火したのだろうか? 車内からは焦げたような臭いがする。

 

 すると、装甲車の中から黒い制服を身につけた乗組員たちが姿を現した。負傷している奴はいないようだけど、おそらくこの装甲車はもう動けないだろう。瓦礫を全て退ければ少しは動くかもしれないけど、瓦礫を全て退けている余裕はない。

 

 一刻も早くこの乗組員たちを連れて離脱しなければならない。

 

「走れるか!?」

 

「大丈夫です! 感謝します、同志!」

 

「よし、ついてこい! ラウラ、イリナ! もう十分だ! 戦車を棄てて逃げろ!」

 

『了解(ダー)! イリナちゃん、早く!』

 

『うん!』

 

 集中砲火に晒されていたウォースパイトを見てみると、まだ逃げ回ってくれていたらしい。しかし、さすがに片方のキャタピラが使い物にならなくなった戦車で逃げるわけにはいかない。

 

 ハッチが開き、まず先にイリナが飛び降りた。やがて敵の砲弾が外れたタイミングでラウラも戦車から飛び降り、瓦礫の上に転がってからイリナを連れて走り始める。操縦する乗組員がいなくなったことで動かなくなった戦車は、数秒後に飛来したマウスの主砲を真正面から喰らう羽目になり―――――――雪の上で、木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 

 カルガニスタンで本格的に運用を始め、第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍したイギリスの戦艦の名を冠した第二世代型の主力戦車(MBT)は、ついにこのヴリシアの戦いで力尽きてしまったのである。

 

 救出した乗組員たちを連れて走りながら、燃え上がるチーフテンに敬礼をする。

 

ドラゴン(ドラッヘ)、今どこ!?』

 

「クランか! こっちだ!」

 

 無線機からクランの声が聞こえてくる。どうやら彼女たちも無事だったらしい。

 

 手を振ると、他の戦車よりも大きな砲塔を搭載した真っ白なレオパルト2A7+が、俺たちの前へとやってきた。装甲車から救出した乗組員たちを連れて車体によじ登ると、ハッチの中から顔を出していたクランに尋ねる。

 

「ラウラたちは!?」

 

「ナタリアちゃんのチャレンジャー2が拾ったわ! さあ、とっとと逃げるわよ! 木村!」

 

『了解(ヤヴォール)!』

 

 木村の声が聞こえた直後、俺たちを乗せたレオパルトがエンジンとキャタピラの音を響かせながら後退し始めた。

 

 



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タクヤの任務

 

 

 モリガン・カンパニーは世界中に支社や基地を持つ超巨大企業である。

 

 最初はフィオナ機関の開発をしつつ販売をする、社員が数名しかいない小さな企業であった。しかし”魔力を魔術のためだけに使うのではなく、機械の動力源として利用する”という発想のなかった世界にフィオナ機関を解き放ち、産業革命のきっかけとなったことで一気に急成長を果たしたモリガン・カンパニーは、瞬く間に規模を広げ、この世界を支える超巨大企業となった。

 

 産業革命から十数年が経過しているというのに、その成長は未だに止まらない。オルトバルカから遠く離れた植民地や小国にも前哨基地を建設し、いざという時には迅速に兵力を派遣することができるようになっている。

 

 その中の1つであるヴリシア帝国付近の空港も、有効活用されている真っ最中であった。

 

 通常の航空機用の滑走路から、これでもかというほど空対地ミサイルや爆弾を満載した航空機が飛び立っていく。最新型の航空機と比べると第二次世界大戦で活躍したような旧式の戦闘機を彷彿とさせる形状をしているが、エンジンは機体の後端にしっかりと搭載されている。機首に特徴的な大口径のガトリング機関砲まで搭載した攻撃機の群れは滑走路を次々に飛び立つと、上空で味方たちと編隊を組み、すぐにヴリシア帝国上空へと向かって飛んでいく。

 

 出撃したのは、モリガン・カンパニーのA-10Cで構成された航空部隊。漆黒に塗装された機体の主翼には、ハンマーとレンチが交差し、その上に赤い星が輝くエンブレムがしっかりと描かれている。

 

 そのA-10Cの数は合計で55機。もう既に制空権は確保しているため、護衛の戦闘機よりもこちらの方が数が多い。

 

 圧倒的な数の兵器を搭載可能なA-10だが、その群れの先頭を進む1機だけは、他の機体と武装や機体の形状がやや異なっていた。

 

 胴体の株や主翼にこれでもかというほど爆弾や空対地ミサイルが搭載されているのは変わらないが、その中に、本来ならば大型の自走砲が主砲として搭載する筈の105mm榴弾砲の砲身が2基も搭載されているのである。本来の長さから大幅に切り詰められた挙句、榴弾が3発装填されたマガジンを砲身の横に搭載され、自動装填装置まで装備されたその榴弾砲は、当たり前だがこのように航空機に搭載していい代物ではない。

 

 凄まじい反動があるため、発射の際に機体が失速するかバランスを崩すのは確実だ。さらに装備そのものも非常に重く、ただでさえ速度の遅いA-10の機動性を悪化させる原因となっている。実用性を考慮せずに、火力のみに特化させた装備と言える。

 

 更に、翼の形状もより逆ガル翼に近い形状となっている。そのため、まるで第二次世界大戦で活躍したドイツの急降下爆撃機であるシュトゥーカを彷彿とさせる形状をしている。

 

 ”A-10KV”と名付けられたを操るのは―――――――モリガンが誇るエースパイロットの、ミラ・ハヤカワ。ノエルの実の母親である。

 

 コクピットに腰を下ろすミラは、コクピットに飾ってある白黒の写真にそっと触れた。その写真に写っているのは自分とシンヤ。シンヤの隣に立つミラが腕に抱いているのは、まだ幼い頃のノエル。

 

 ヴリシア帝国の戦いに、自分の娘も参加している。しかも今は敵の強力な戦車部隊に押されているらしく、最終防衛ラインの突破に手を焼いている状態だという。

 

(待っててね、ノエル…………)

 

 娘や仲間たちを救うことができるのは、強力な兵器を満載したA-10KVを操る彼女の技術と、彼女が得意とする急降下爆撃のみ。

 

 コクピットの写真から手を離した彼女は、空の向こうを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双眼鏡を覗き込みながら、進撃してくるマウスの群れを睨みつける。レオパルトやエイブラムスの二倍ほどの大きさを誇る改造型のマウスの速度は20km/hほどだが、奴らの装甲はこちらの砲弾を防いでしまうほど分厚く、主砲はこちらの戦車を一撃で吹っ飛ばしてしまうほど強烈だ。

 

 しかも奴らを護衛するのは、優秀な戦車であるレオパルトの群れ。更にどの戦車もアクティブ防御システムを搭載しているため、普通のロケットランチャーの攻撃は無力化されてしまう。

 

 装甲の薄い部位はやはり側面や後方だ。キャタピラを破壊するという手もあるかもしれないが、それを実行するために動けば周囲のレオパルトに迎撃される。進撃してくる忌々しい戦車の群れを観察するのを止めた俺は、息を吐いてからアイスティーの入った水筒を口へと近づけた。

 

 後退する最中に味方を救出できたのは幸いだが、その対価としてウォースパイトを失う羽目になった。またポイントを使って生産すればすぐに使えるから問題はないが、だからと言ってすぐに生産したところで敵に主砲が通用しないのは変わらない。

 

 いっそのこと、こっちもラーテを作って応戦するべきかと考えたけど、それも現実的ではない。あれを動かすのにはかなりの数の乗組員が必要になるし、近代化改修すれば戦艦を何隻も生産できるほどのポイントを失う羽目になる。第一、俺たちはラーテの操縦方法を訓練したことはないため、全く使い方が分からない。

 

 アイスティーを飲み干してから、俺たちを拾ってくれたシュタージのレオパルトの砲塔に寄り掛かる。

 

 何とかマウスの主砲の射程距離外へと後退した俺たちは、後方の部隊と合流して少しばかり補給を受けていた。どうやら後方にいるラーテの対空兵器を何とかするために李風さんが率いる戦車部隊が側面から奇襲を仕掛けるらしいが、大丈夫なのだろうか?

 

「よう、同志タクヤチョフ」

 

 あのマウスの群れを撃破し、ラーテを破壊する作戦を必死に考えていると、隣に停車したT-14のハッチの中から見覚えのある赤毛の男が顔を出した。フードのついた黒い制服に身を包んだ彼はいつも通りの表情をしているが、目の前で仲間たちが散っていくを目の当たりにしたのか、雰囲気はいつもと違う。過程にいる時と傭兵として”仕事”をしている時の中間なのだろうか。

 

 苦笑いしながら顔を上げると、親父は自分の戦車から降り、こっちの戦車の側へとやってきた。家族とはいえこの作戦を指揮する総大将なのだから、テンプル騎士団の団長とはいえ戦車の上から話をするのは無礼だ。そう思いながら反射的に戦車の上から降り、まるで指揮官を出迎えるかのように敬礼する。

 

「随分とやられたな。そっちは?」

 

「エイブラムスを3両も喪失。…………戦死者は20名だ」

 

「そうか…………」

 

 この戦いに連れてきたのは、カルガニスタンでフランセンの騎士団を相手に戦っていたムジャヒディンの戦士たちばかり。元々奴隷だった志願兵もいるが、彼らはまだ訓練不足という事でタンプル搭に残してきたのである。

 

 今まで戦死者が出たことはなかったが―――――――ついに、テンプル騎士団から戦死者が出てしまった。

 

 さすがに今は無理だが、タンプル搭に戻ったらしっかりと弔ってやる必要がある。それにやられた奴らの仇も取らなければならない。

 

 拳を握り締め、出来る事ならばその拳を何かに叩きつけたかった。最終防衛ラインでの戦闘なのだから、敵が何かしらの兵器を隠している可能性はあった。なのに何の対策もせず、指示通りに前進させたから彼らは戦死する羽目になってしまったのかもしれない。

 

 もう少し俺が作戦を考えていれば、彼らは死なずに済んだ。拠点で待っている仲間たちの元に戻って、またいつものように暮らすことができたかもしれないのに…………。

 

「力を抜け、同志」

 

 拳を握り締めていたのを見たのか、親父がやけに優しい口調でそう言う。言われた通りに肩の力を抜き、息を吐きながら親父の顔を見上げる。

 

 親父もこういう経験を何度もしてきたのだろうか。

 

 目の前で仲間を何人も失って、彼らの遺体とドックタグを目にする度に、こうして苦しんできたのだろうか。

 

「…………現在、飛行場を飛び立った航空部隊がこちらに向かっている。指示を出せば、艦載機も対艦ミサイルをたっぷりと搭載してここに駆けつけるだろう。李風たちがラーテを何とかしてくれれば、俺たちは勝てる」

 

 戦車の天敵は航空部隊だ。ヘリや戦闘機にミサイルを叩き込まれれば戦車は木っ端微塵になるし、戦車の主砲も空を飛ぶヘリや戦闘機にはほとんど無力である。

 

 しかしラーテには、そのヘリや戦闘機を撃ち落とすための装備がびっしりと搭載されている。航空部隊の攻撃で損害を与えるためには、それらを全て破壊するか、対空兵器として機能しなくなるほどの損害を与えておく必要がある。

 

「だが、もう一手敵に損害を与えておきたい。ちょっとばかり無茶な作戦になるが、お前に任せていいか?」

 

「当たり前だ」

 

 親父の質問に即答しながら、俺はもう一度拳を握り締めた。

 

 目の前にいる赤毛の魔王はニヤリと笑うと、説明を始める。

 

「よろしい。では―――――――お前には敵の最終防衛ラインへ潜入し、敵の指揮官を狙撃してもらう」

 

「…………」

 

 正気の沙汰とは思えない作戦だった。あのマウスとラーテの群れを迂回して最終防衛ラインへと潜入し、戦車部隊に指示を出している最終防衛ラインの指揮官を狙撃して、暗殺しろと言うのである。

 

 確かに指揮官を排除すれば、敵は総崩れになることだろう。いくら強力な兵器を持っていると言っても、優秀な指揮官が指揮を執らなければ何の役にも立たない。指揮官を喪失するという事は、前線で戦う兵士たちや兵器の”意味”を奪う事と同じだ。

 

 だからその”意味”を奪ってこいということなのか。

 

「できるか?」

 

「やる」

 

 俺だって、あんたから戦い方を教わってるんだぜ?

 

 狙撃はラウラに遠く及ばないかもしれないが、2km先にいる敵を狙撃したこともある。敵の指揮官を狙撃するという任務になぜラウラを投入しなかったのかは疑問だが、俺はその任務を引き受けることにしていた。

 

「ちなみに、どうしてラウラじゃないんだ?」

 

「ラウラには狙撃手部隊を指揮し、敵の戦車のアクティブ防御システムを攻撃してもらう。そんな任務は彼女じゃなきゃ無理だろ?」

 

「確かに」

 

 アクティブ防御システムを狙撃して無力化する方が、下手したら俺が引き受けた任務よりも難しいかもしれない。敵はほぼ全ての戦車にアクティブ防御システムを搭載しているため、RPG-30で攻撃するか、あらかじめアクティブ防御システムを破壊してから攻撃しなければダメージを与えられない。

 

「それに、後方にはOka自走迫撃砲の部隊もいる。こっちは任せろ」

 

「了解(ダー)」

 

 Oka自走迫撃砲が搭載する42cm迫撃砲は、口径だけならば戦艦大和や戦艦長門の主砲に匹敵する。いくら大型とはいえ戦艦の主砲クラスの迫撃砲で砲撃されれば、あのマウスたちはひとたまりもないだろう。

 

 どうやら親父は、あのマウスたちをラーテから引き離したうえで集中攻撃して殲滅しつつ、ラーテを航空部隊に攻撃させて殲滅するつもりらしい。そして敵が最前線に戦車を投入している隙に俺を潜入させ、敵の指揮官を狙撃するということか。

 

 きっと敵の指揮官は、投入したマウスやラーテたちが連合軍を蹂躙していると聞いて満足しているに違いない。狙撃手が指揮官を狙撃するために潜入してくるとは思わないだろう。

 

「さすがに1人は危険だから、誰か観測手(スポッター)を連れていけ。誰を連れていくかはお前が決めていい」

 

「分かった」

 

 観測手(スポッター)とは、簡単に言えば狙撃手(スナイパー)のパートナーのようなものだ。双眼鏡を使用して敵の索敵を行い、狙撃手のサポートを行うのである。

 

 親父にもう一度敬礼してから踵を返した俺は、もう既に観測手(スポッター)を誰にするか決めていた。

 

 シュタージのホワイトタイガー(ヴァイスティーガー)を離れ、補給を受けている戦車の中からチャレンジャー2(ドレットノート)を探す。周囲に停車しているのはT-14やエイブラムスばかりだから、1両しかないドレットノートはすぐに見つけられる筈だ。

 

 重機関銃用の弾薬がたっぷりと入った箱を戦車の中に運び込んでいく兵士たちとすれ違い、破損したキャタピラの修理をする整備兵の邪魔にならないように気を払いながら、雪と瓦礫を踏みしめつつ仲間たちを探す。

 

 やがて、主砲同軸に搭載されている機銃の弾薬を補充するT-14の傍らに、見覚えのある戦車の姿が見えてきた。傍から見ればエイブラムスのようにも見えるけれど、砲塔の形状が若干違う。それに砲塔の脇にはモリガン・カンパニーのエンブレムではなく、雪まみれになったテンプル騎士団のエンブレムがしっかりと描かれている。

 

 砲塔の上では、ナタリアがKord重機関銃の弾薬を補充しているところだった。砲塔の後ろではイリナが腰を下ろし、車体に降り積もった雪を真っ白な指でかき集めては、手のひらの上で溶けていくのをじっと見つめている。

 

「あっ、タクヤ」

 

「よう」

 

 俺がやってきたことに気付いたイリナに手を振ってから、車体の上によじ登る。車体の上には雪が降り積もっていたけれど、エンジンの余熱のせいなのか少しばかり湿っていて、下手をすれば滑って転んでしまいそうだった。

 

 さすがに複合装甲に頭を叩きつけたくはないので、気をつけなければ。

 

「カノンはいるか?」

 

「いるよ? どうしたの?」

 

「親父からの任務だ。ちょっと彼女に用事がある」

 

「カノンちゃーん! お兄さんが呼んでるよー!」

 

『はーい!』

 

 やっぱりカノンは砲塔の中にいたか。予想通りだな。

 

 雪に覆われた複合装甲の上で待っていると、砲塔のハッチがすぐに開いた。モニターと中に持ち込んだランタンの明かりが漏れ出るハッチの中から姿を現したのは、まるで貴族の少女が身につけるドレスにも似た真っ黒な制服に身を包む1人の少女だった。

 

 幼いころから貴族としてのマナーの教育を受けつつ、モリガンの傭兵でもある両親から戦い方や銃の使い方を教わりながら育った彼女は、砲塔のハッチから外に出てくると、真面目な表情で彼女を待っていた俺の顔を見上げた。

 

「どうしましたの?」

 

「親父から、敵の指揮官を狙撃して排除しろという命令を受けた。これから俺は、敵の最終防衛ラインに潜入し―――――――クソ野郎の指揮官を狙撃する」

 

 引き受けることにした任務の話をした瞬間、カノンが目を見開いた。

 

「正気ですの?」

 

「正気だ。それで、観測手(スポッター)が欲しい」

 

「…………なるほど。わたくしを観測手(スポッター)に任命するという事ですわね?」

 

「そういうことだ。頼めるか?」

 

 彼女が付いて来てくれるならば心強いが、正直に言うならば断わって欲しかった。いくら敵が最前線にあれだけの数の戦車を投入しているとはいえ、最終防衛ラインの警備は未だに厳重なはずだ。敵の真っ只中に俺1人で潜入するならば危険な目に合うのは俺だけで済むが、彼女が首を縦に振れば、彼女も危険な目に合うことになる。

 

 幼少の頃から一緒に遊んできた妹分を危険な目に合わせたくはない。だけど、彼女の力は必要だ。

 

 場合によっては1人で潜入する覚悟もしながら、俺はカノンの返事を待つ。

 

「…………はぁ。お兄様ったら、おじさまと一緒ですわね。相変わらず無茶をする方ですわ」

 

「悪かったな」

 

 賭けはしない主義だが、どういうわけか気が付くと無茶をしているんだよなぁ…………。親父の悪い癖だったらしいが、その悪い癖まで俺に遺伝しちまったんだろうか?

 

 苦笑いしていると、カノンが胸を張った。

 

「いいですわ。お兄様1人では危なっかしいですし、わたくしも同行いたしますわ」

 

「助かる」

 

「お気になさらずに。もしお兄様が帰ってこなかったら、皆さんが泣いてしまいますし」

 

 そうかもしれないな。特にラウラは大泣きするかもしれない。

 

 微笑みながらそう言ったカノンは俺の近くにやってくると、微笑んだまま囁いた。

 

「――――――もちろん、わたくしもですけど♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指揮官を狙撃する前に、まず敵の警備を掻い潜って最終防衛ラインまで潜入しなければならない。そのため、持っていく武装は可能な限り最低限にし、身軽にする必要がある。

 

 そこで、俺はナイフとハンドガンとアンチマテリアルライフルのみで潜入することにした。狙撃に使用する銃は命中精度を考慮してボルトアクション式のものにしようと思ったんだが、それなりに使い慣れているとはいえ、銃にもちょっとした特徴がある。それをすべて把握していれば百発百中の狙撃ができるというわけだ。

 

 というわけで、狙撃に使うアンチマテリアルライフルは旅に出たばかりの頃からずっと使っているOSV-96を使用する。ボルトアクション式と比べると命中精度は劣ってしまうものの、射程距離は約2kmであり、更に弾薬を12.7mm弾から14.5mm弾に変更しているため、その破壊力は装甲車にもダメージを与えられるほどだ。魔術を使ったとしても防ぐのは難しいだろう。

 

 アサルトライフルは装備しないため、中距離や近距離での戦闘も考慮し、こいつに少しばかり改造をしておく。まずスコープの上に近距離用のドットサイトを装着し、近距離戦にも対応できるようにしておいた。とはいえ使用する弾薬を変更したことで銃身の長さが2mになってしまったOSV-96で接近戦をやるのは難しいので、これはあくまでも非常用だ。それと搭載しているスコープは超遠距離狙撃用の倍率が高いタイプであるため、中距離での狙撃にも対応できるように、ライフル本体の左斜め上に中距離用のPUスコープも装備しておく。これはモシン・ナガンにも使用された旧式のスコープだが、適度に倍率が低いため中距離狙撃で役立ってくれることだろう。

 

 あとは銃身の下にがっちりしたバイポットを装備し、銃床には折り畳み式のモノポッドを装備する。後は同じく銃身の下に折り畳み式の”パームレスト”と呼ばれるものを装着し、少しでも狙撃がしやすくなるようにしておく。

 

 OSV-96に施したカスタマイズはこんなところだ。潜入の際はサプレッサーとレーザーサイトを装着したPL-14とナイフを使用する予定である。

 

 俺に同行するカノンは、同じくサプレッサーとレーザーサイト付きのPL-14を装備する。メインアームはいつものSVK-12で、こちらの方にはバイポットと折り畳み式フォアグリップの他に、隠密行動を考慮してサプレッサーを装備している。それ以外の装備はカレンさんから受け取ったリゼットの曲刀と、あまり使う機会はなかったが、あの地下墓地でドロップしたヴィルヘルムの直刀だ。

 

 それと、スモークグレネードなどの手榴弾やクレイモア地雷も持っておく。これらはきっと逃走する際に役に立つはずだ。

 

「よし、行くぞ」

 

「ええ」

 

 おそらくこれは、今までの戦いの中で一番危険な作戦になるだろう。

 

 息を呑んでから、俺はカノンを連れて補給を受ける本隊から離れていった。

 

 

 

 

 



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ラウラたちの反撃

 

 

 雪に埋め尽くされた大地の向こうに、巨大な金属の塊が鎮座している。

 

 戦車と言うには余りにも大き過ぎるとしか言いようがない車体は分厚い装甲で覆われており、120mm滑腔砲から放たれるAPFSDSを容易く防いでしまうほどの防御力を誇る。極めて堅牢な分厚い複合装甲で覆われた車体の上に乗っているのは、もちろんこちらも分厚い装甲で守られた巨大な砲塔だ。巨人の上半身にも思えるそれは、ドイツ製の戦艦「シャルンホルスト」と同じ口径である28cm砲であり、当たり前だがその破壊力は戦艦に匹敵する。

 

 それだけで、少なくとも進撃する戦車部隊の脅威となる。かつて第二次世界大戦中のドイツ軍は、このような怪物を作り上げて連合軍やソ連軍に対抗しようとしていたのだ。もし仮に開発されて実戦に投入されていたら、連合軍は大打撃を受けていたに違いない。

 

 怪物の姿を遠くから見つめる李風は、そう思っていた。あれほど巨大な兵器なのだからコストは非常に高く、乗組員の人数も多くなるのは想像に難くない。それゆえに量産できる兵器ではないというのは簡単に想像できるが、航空機の爆弾をこれでもかというほど叩き込まない限りあの怪物を打ち倒すのは不可能だろう。すくなくとも戦車砲で対抗するのは――――――不可能だ。

 

 しかし、制空権を確保しているからと言って最初から航空部隊を頼るわけにもいかない。

 

 双眼鏡をズームし、砲塔の上に鎮座するセンサーとガトリング砲のような砲身を睨みつける。敵が投入した”ラーテ”の砲塔の上に鎮座するのは、2基のCIWSと1基の2連装地対空ミサイル用のキャニスター。どちらもイージス艦に搭載されている物を改良したものらしい。

 

(車体の前方にもCIWSか…………やれやれ、とんでもないものを投入しおって)

 

 戦車にとって、対戦車ミサイルを満載した攻撃ヘリや攻撃機は天敵と言える。敵は自由自在に空を飛び回って戦車砲を回避しつつ、一方的に対戦車ミサイルを撃ち込めるのだ。逆に戦車は戦車砲を命中させられない上に、主砲同軸の機銃やキューポラの上の機関銃では航空機の撃墜はあまり期待できない。しかも向こうはミサイルであるため、戦車の機動力で回避するのは不可能である。

 

 しかし―――――――もし仮に巨大な戦車にイージス艦と同じ対空兵器を搭載し、更に対空戦闘に対応できるレーダーを搭載した場合は、むしろ接近する航空機やミサイルを片っ端から撃墜する恐るべき要塞と化す。

 

 いくら機動性の高い戦闘機でも、イージス艦が搭載する高性能な対空兵器を回避するのは極めて難しい。どれだけ飛び回っても、イージス艦の対空砲火やミサイルは正確なのである。

 

 それゆえに現代戦は”欺き合い”のような戦いへと発展したのだ。

 

 李風たちの任務は、敵からその対空兵器を引き剥がすこと。最悪の場合は少なくとも対空兵器が機能しなくなるまで損傷を与える必要がある。

 

 もう既に空港からミラ・ハヤカワが率いるA-10Cの群れが飛び立ったという報告を受けている。しっかりと敵を観察することは極めて重要だが、あまり対空兵器の破壊に時間をかけすぎると、虎の子のA-10Cたちを対空砲火の中に突っ込ませることになる。

 

「さて、同志諸君。そろそろ仕掛けようか」

 

「了解(ダー)。1号車より各車両へ。1両のラーテには必ず8両以上で攻撃を仕掛ける事」

 

「主砲装填完了。照準合わせました」

 

「よろしい。撃ったらすぐに後退しろ。あんなでっかい主砲で吹っ飛ばされるのは嫌だからな」

 

 双眼鏡を首に下げた李風は、乗り慣れた99式戦車の砲塔の中へと戻ると、モニターで味方の戦車の位置を確認する。自分の乗る戦車から少しばかり離れたところに他の戦車が待機しており、主砲をラーテへと向けていた。

 

 中国が開発した99式戦車に搭載されている主砲は、アメリカのエイブラムスやドイツのレオパルトと比べるとやや口径の大きい125mm滑腔砲である。更に砲弾だけでなく対戦車ミサイルまで発射できる攻撃的な主砲だが、その火力でもあの改造型ラーテの装甲を貫通するのは不可能だろう。

 

 あくまでもあの怪物に止めを刺すのは航空部隊。李風たちの役目は、砲塔や車体の上に乗っている対空兵器を破壊することだ。

 

(あれを破壊しなければ…………逆に航空部隊がやられる)

 

 後方にはヘリ部隊もいるが、戦闘機よりも速度の遅いヘリでは瞬く間に対空兵器の餌食になってしまうのは明らかだ。

 

『第二小隊、攻撃準備よし』

 

『こちら第三小隊。こちらも準備完了です、同志』

 

「了解(ダー)。…………まず、一番距離の近い間抜けにこちらが攻撃を仕掛ける。その後、第一小隊は後退。代わりに第二小隊が攻撃し、すぐに後退せよ。その後は第三小隊の出番だ。後退した後は迅速に移動するように」

 

 殲虎公司(ジェンフーコンスー)の持ち味は、友軍との連携である。

 

 決して単独では戦わず、常に複数の兵士や戦車で正体や分隊を編成するようにしている。仲間と共に行動することで隙を埋めることができる上に、役割を分担することもできる。それに今のような状況では、1つの部隊が攻撃を仕掛けた後に別の部隊が攻撃を行うことで、敵を攪乱することもできる。

 

 李風が率いる第一小隊から見て2時方向に第二小隊の戦車部隊が展開しており、10時方向には第三小隊の戦車部隊が展開している。兵力はそれぞれの小隊に99式戦車が8両と、対戦車兵器を装備した歩兵が30名ずつ。

 

「第一小隊、これより攻撃を開始する。目標、12時方向の化け物」

 

「いつでも撃てます、同志」

 

 対空兵器さえ無力化できれば、あとは離脱するだけだ。攻撃を外して反撃されるのも恐ろしいが、撤退する際に追撃されるのもかなり恐ろしい事である。

 

 撤退ルートもしっかりと確保してあるが、敵の主砲は戦艦の主砲と同等。下手をすれば超遠距離から砲撃される羽目になる。そうなる前に航空部隊に片付けてもらいたいところだ。

 

 14年前の死闘で感じた緊張感に対面しつつ、李風は笑った。

 

「――――――撃てぇッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マガジンを通常の20mm弾から徹甲弾のマガジンに変更し、ボルトハンドルを引く。射撃準備が完了したのを確認しながら瓦礫の上を突っ走り、ボロボロになった壁をよじ登って部屋の中へと飛び込んだ私は、冷たい風の中で息を吐きながらアンチマテリアルライフルのバイポットを展開し、タンジェントサイトを調節する。

 

 私の場合は、狙撃にスコープを使わない。遠くにいる標的はスコープを使わなくてもはっきりと見えるし、スコープを覗き込むと照準を合わせにくくなってしまう。

 

 左利きの私のために、ボルトハンドルを始めとする部品が全て反対側に変更されたツァスタバM93を構えつつ、T字型のマズルブレーキが装着された銃口の向こうを睨みつける。

 

 瓦礫が砕ける音とエンジンの音を響かせながら接近してくるのは、分厚い装甲と大口径の主砲を持つマウスの群れ。私たちが乗っていたチーフテンやチャレンジャー2よりも大きなマウスを護衛するのは、白と灰色の迷彩模様で塗装されたレオパルト2A7+たち。

 

 いくら大口径の20mm弾を放てる対物(アンチマテリアル)ライフルを装備しているとはいえ、普通なら太刀打ちできる相手ではない。せめて対戦車榴弾を装填した無反動砲か、ロケットランチャーがない限りダメージを与えるのは難しい。

 

 けれども、私の任務はこれで敵を破壊することではない。あくまでもあのアクティブ防御システムを潰し、味方の攻撃の命中率を上げる事。元々戦車の機動力は低いのだから、身を守るための”盾”さえ奪ってしまえば隙だらけになる。

 

「…………」

 

 身体中の魔力を加圧してから、敵に察知されないように少しずつ周囲に展開する。やがて私の体内で加圧された魔力たちはくうきちゅうの水分を凍結させて氷の粒子へと変え、その粒子たちで私の身体を包み始めた。

 

 廃墟の中で伏せている私の身体どころか、構えているライフルまで透明になっていく。正確に言うと、これは透明になっているわけではなくて、身に纏った透明度の高い氷の粒子が周囲の光景をマジックミラーのように反射することで私の身体を隠しているだけ。あくまでも氷の粒子を利用した疑似的な光学迷彩だけど、氷を使っているから温度で私の位置を探すのは不可能。魔力も微量だから、魔力で探知するのも無理。敵が音波を使って探知しようとするならば、私も頭の中のメロン体から真逆の音波を飛ばして相殺してやればいい。

 

 いつものように息を殺し、標的を睨みつける。

 

「各員へ。マウスのアクティブ防御システムは私が狙撃するわ。みんなはレオパルトを狙ってちょうだい」

 

『『『了解』』』

 

 無線機の向こうから返事を返してくれたのは、タンプル搭で私と一緒に狙撃の訓練をしていた教え子たち。図書館を攻略する際は精密な狙撃で歩兵部隊を援護してくれた彼らも、20mm弾を装填した対戦車ライフルを装備して、私のいる建物の反対側にある廃墟や屋上で狙撃準備をしている。

 

 やがて、砲撃で粉砕された大通りへとマウスがやって来る。複合装甲で覆われた砲塔の上で旋回するアクティブ防御システムのターレットに照準を合わせ、息を吐く。

 

 マウスのアクティブ防御システムは2基。1基を攻撃したら素早くもう片方も破壊して離脱する必要がある。

 

 もし失敗すれば、もう二度とタクヤと会えなくなってしまう。キメラの外殻は銃弾に耐えることはできるけど、戦車砲を喰らえば木っ端微塵になってしまうの。しかも私はキメラの中でも硬化が苦手だから、防御力はパパやタクヤと比べると大きく劣ってしまう。

 

 絶対に生き残って、あの子のお嫁さんになるんだから…………!

 

 マウスがどんどん近づいてくる。おそらく今の距離は500mくらいだと思う。

 

 もう一度息を吸ってから吐き―――――――トリガーを引いた。

 

 20mm弾が生み出した衝撃波が、銃身に降り積もった雪を吹き飛ばす。真冬の大通りの中へと高熱を纏いながら飛び出していった大口径の徹甲弾は、装甲車の装甲を撃ち抜けるほどの運動エネルギーを迸らせながら駆け抜けていき、タンジェントサイトの向こうでターレットに襲い掛かった。

 

 戦車の装甲とは違って、ミサイルを迎撃するための高性能なセンサーを内蔵しているターレットの装甲は薄い。ゴキン、と鉄板に大穴が開くかのような音が聞こえると同時に一瞬だけ火花が散り、走行を貫通して中へと入り込んだ徹甲弾がセンサーをズタズタに破壊してしまう。

 

 すぐさま左手をグリップから離し、ボルトハンドルを引く。冷気の中へと熱気を纏った大きな薬莢が躍り出し、微かに雪が積もった床の上に転がって金属音を奏でた。

 

 再び照準を合わせ、トリガーを引いた。20mm弾の猛烈な反動を感じた頃には、私の放った20mm徹甲弾は最初の一撃と同じようにターレットへと飛び込むと、容易く装甲を貫通してセンサーを食い破る。

 

 次の瞬間、マウスの主砲同軸に搭載された75mm砲が立て続けに火を噴いた。同じ場所から2回も狙撃するのは失敗だったかもしれないと後悔したけれど、マウスの砲手は氷の粒子を纏う私を見つけられなかったのか、私が隠れている建物の手前にある工場の倉庫を砲撃している。

 

 居場所が分からないから、とにかく砲撃しているだけなのかもしれない。

 

 ならばもう1発狙撃できるかもしれないと思ったけど―――――――私はボルトハンドルを引きながら立ち上がり、光学迷彩を維持したまま走り出していた。これ以上ここで狙撃を続ければ、いくら氷の粒子で姿を消していたとしても反撃される可能性がある。

 

 部屋の中を飛び出し、建物の間にある狭い路地まで飛び降りる。高い建物を探しながら走っていたんだけど―――――――曲がり角の向こうから聞こえてきたキャタピラの音を耳にした瞬間、私はライフルを背負うと同時に近くにあった樽の影に隠れつつ、ポーチの中からC4爆弾を取り出していた。

 

 曲がり角の向こうから姿を見せたのは、白と灰色の迷彩模様で塗装されたマウス。砲塔の上にあるターレットは健在だから、さっき私が狙撃したマウスではないみたい。

 

 そいつは曲がり角を塞ぐかのように停車すると、駆逐艦や巡洋艦の主砲に見えてしまうほど大きな砲塔を旋回させ、75mm砲で砲撃を始めた。どうやら標的にしているのはさっき私が隠れていた建物の中みたい。

 

 やっぱり、移動したのは正解だった。

 

 こういう狡猾な戦い方を教えてくれたパパに感謝しながら、そのマウスに近づいていく。C4爆弾でキャタピラを吹っ飛ばしてやれば確実に擱座させられると思うけど…………砲塔の上を見上げた瞬間、それよりも面白い使い方を思いついてしまった。

 

 ジャンプして車体へとよじ登り、砲塔の後ろに回り込んでから上へとよじ登っていく。姿はまだ消しているから敵兵に見つかることはないと思うけど、違和感を感じた敵兵に警戒されれば意味はなくなってしまう。その違和感を感じる敵兵に背中を5.56mm弾で撃ち抜かれないように祈りながら、砲塔の上へとよじ登る。

 

 微かに雪が降り積もっている砲塔の上は、戦車が発する熱で微かに溶けた雪と降り積もった雪が混ざり合ったせいで滑りそうだった。転倒しないように気をつけながら左手を砲塔の上にある大きなハッチにかけ、そっとハッチを開ける。

 

 猛烈な砲撃の音と一緒に、車内で指示を出す男性の声も聞こえてきた。すぐ近くに座っていた車長はいきなり頭上のハッチが開いたことにびっくりしたみたいだけど、彼がハッチを閉めるために手を伸ばした頃には、もっとびっくりしてしまう素敵なプレゼントが車長の足の上に置かれていた。

 

 戦車を容易く吹き飛ばしてしまうほどの威力を持つ―――――――C4爆弾(クリスマスプレゼント)

 

「ば、ばくだ―――――――」

 

 車内から聞こえてくる絶叫を聴きながらニヤリと笑いつつ、ハッチを閉めてから飛び降りる。着地と同時にポーチの中から起爆スイッチを取り出すと、プレゼントを受け取った車長が大慌てで戦車の外へと投げ捨てるよりも先に起爆スイッチを押した。

 

 巨大な戦車の中で、C4爆弾が生み出した爆風が荒れ狂う。ハッチの外で爆発すれば乗組員にはそれほど被害は出なかったかもしれないけど、よりにもよって爆弾が爆発したのは、車長がそれを車外に放り出すためにハッチを開けようとしていた瞬間だったみたい。

 

 外に出ることができず、車内を蹂躙せざるを得なくなった爆風は容赦なく乗組員たちを飲み込むと、彼らの身体を木っ端微塵に吹き飛ばし、マウスの車内を焦げた人間の肉の臭いで充満させてしまう。

 

 操縦士は無事だったのか、爆弾を放り込まれたマウスがゆっくりと後退を始めた。けれども砲撃は止まっているから、少なくとも車長と砲手はミンチになったみたい。

 

「おい、戦車が爆発したぞ!?」

 

「事故か!?」

 

 敵兵の声を聴いてニヤリと笑いながら、私は再び路地の中へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 産業革命が勃発してから、フィオナ機関を搭載した機関車は凄まじい勢いで世界中へと広がっていった。先進国はモリガン・カンパニーと契約を結んでライセンス生産を始め、国中に線路を用意して列車を走らせたため、産業革命後の先進国では当たり前のように列車が走っている。

 

 ヴリシア帝国も列車を普及させた国の1つだ。けれどもこの国には、オルトバルカ王国ではまだお目にかかれない列車が走っている。

 

 それは―――――――地下鉄である。

 

 オルトバルカでは国中に線路がつながっており、大都市では凄まじい数の線路を目にすることができるが、その中で地下にまで用意された線路は1つもないのだ。理由はオルトバルカ王国がかなり広大な国土を持っており、わざわざ地下に鉄道を走らせる必要がなかったからだという。

 

 それに対し、ヴリシア帝国は島国であるため、いくら国土が広いと言っても限りがある。侵略して国土を広げることはできても、島国である本国の国土を広げることはできない。

 

 そのため、オルトバルカよりも先に地下鉄が発達したのだ。

 

 辛うじて無事だった地下鉄へと下りていく通路の中は、当たり前だが無人だった。一番最初の爆撃で天井の一部は剥がれ落ち、通路の中にまで雪が降り積もっている個所もあったけれど、こんな気味の悪いところまで警備をする生真面目な敵兵はいないらしい。

 

 ハンドガンのレーザーサイトを取り外し、ライトに変更する。ライトのスイッチを入れて暗い通路を照らし出しながら、トラップが仕掛けられていないか警戒しつつ先へと進んでいく。

 

 壁には様々な広告用のポスターが張られているけれど、剥がれ落ちた天井のせいで砂埃をぶちまけられたらしく、どのポスターも当たり前のように汚れている。中には演劇やマンガのポスターも張られていたけれど、やっぱり砂埃のせいで滅茶苦茶だ。

 

 冷たい風で満たされた通路を進んでいき、改札口を飛び越える。その先にある階段を下りていくと、その向こうには真っ暗な地下鉄のホームが広がっていた。ヴリシアの伝統的な建築様式を取り入れているのか、駅の中というよりは古めかしい博物館の中を思わせるホームには、避難勧告が発令された際に乗り捨てられたと思われる列車が放置されていて、冷たいホームの中で運転手たちの帰りをじっと待っているようだった。

 

「誰もいませんわね」

 

「こんなところを警備しようとする奴なんていないさ」

 

 ヴリシアの地下鉄は複雑だ。ここを警備するために部隊を展開させれば、地上を防衛する部隊の数が少なくなってしまう。せいぜいトラップが申し訳程度に置いてある程度だろう。

 

 最終防衛ラインがあるのはこの先にある駅の周辺だという。親父から貰った地図で現在地を確認し、再びハンドガンのライトでホームを照らしながら先へと進む。

 

 頭上からは微かに爆音が聞こえてくる。味方の砲撃なのか? それとも敵の集中砲火なのだろうか。

 

「急ぎましょう、お兄様」

 

「ああ」

 

 敵の指揮官を狙撃できれば、敵は総崩れになる。そうすれば苦戦している味方を支援できる筈だ。

 

 仲間たちを助けるために、俺とカノンは暗い地下鉄の線路の上を進み続けた。

 

 



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タクヤの潜入

 

 列車が走ることのなくなった地下鉄のトンネルを、点滅を繰り返す照明が照らしている。しかし住民が退去してからは全くメンテナンスを受けていないらしく、その照明はいつ機能を停止してもおかしくないほど弱々しい。今の時点でトンネルを照らし切れていないほどなのだから、明日にはもう機能を停止するに違いない。いや、もしかすると俺たちが狙撃に成功し、帰ってくるころには真っ暗になっている可能性もある。

 

 ハンドガンのライトでトンネルの中を照らしながら進んでいく。前方に敵が待ち伏せをしていないか注意する必要があるが、このような場所で特に気を付けるべきなのは前方よりも足元だ。クレイモア地雷から伸びたワイヤーが配置されているかもしれないし、レールを撤去する手間を考えられると可能性は低いが、落とし穴のようなトラップがあることも考えられる。

 

 足元をライトで照らしながら進んでいると、やはり賢いトラップが俺たちを待ち受けていた。足元に注意せずに進んでいたら、きっとそのワイヤーに引っかかり、爆風と無数の小さな鉄球をプレゼントされていたに違いない。

 

「クレイモアだ」

 

「あらあら、ここを通るのはお見通しですのね」

 

 ワイヤーに引っかからないように、クレイモア地雷から伸びるワイヤーを飛び越える。念のためその奥もライトで照らしたが、他の地雷が設置してある様子はない。

 

 ちょうどレールの影に隠れるように設置されていたが、ワイヤーのおかげで分かりやすかった。

 

 薄暗いトンネルを進み続けていると、やがて薄暗くて長いトンネルの向こうにホームと思われる場所が見えてきた。やたらと広告のポスターが張りつけられた看板にも照明がついているけど、やっぱりその照明もメンテナンスをしてもらっていないらしい。あと数日で力尽きてしまいそうなほど、弱々しい光である。

 

 姿勢を低くしながらホームの影に滑り込みつつ、ハンドガンのライトを素早く切る。索敵する時は便利な道具だが、敵がいる状態でこいつを使えば敵に発見されてしまう。使いどころを考えなければならない。

 

 フードをかぶったまま、ホームの方を覗き込む。広告のポスターが張られている看板が並び、空中に表示された魔法陣がやってくるはずのない列車の行き先を告げているだけだ。警備兵がいる気配はないし――――――クレイモア地雷が置いてある気配もない。

 

 ハンドガンを使って周囲を警戒しつつ、カノンに「先に上がれ」と告げる。母さんには紳士的な男に育てと言われていたからな。レディ・ファーストも大切だ。

 

 カノンがホームに上がったのを確認してから、俺もひんやりとした床に手をひっかけてホームの上へと上がる。上へと伸びる階段をライトで照らしてトラップがないのを確認してから、カノンを連れて駆け上がった。

 

 この駅の外に出れば、敵の最終防衛ラインの横へと出る筈だ。そこから先は地上を駆け回り、自分たちで狙撃ポイントを用意する必要がある。そして狙撃ポイントから無事に敵の指揮官を狙撃したら、素早く再びこの地下鉄の駅を利用して本隊に合流するのだ。

 

 きっとその時には、敵兵の群れや装甲車が俺たちを追い立ててくる事だろう。背後から5.56mm弾の弾幕を叩き込まれるのは脅威だが、その時にはきっと用意してきたクレイモア地雷が牙を剥く筈だし――――――きっと俺たちを追いかけることに夢中になり、自分たちが仕掛けた地雷を起爆させる間抜けがその中に紛れ込んでいる事だろう。

 

 とはいえ、あそこにあったのはきっと通常型のクレイモアだ。俺たちが用意してきたのは対吸血鬼用に、中に入っている超小型の鉄球を全て銀の鉄球に変更したタイプであるため、あれも利用したとしても吸血鬼は殺せないだろう。

 

 先ほどの駅とほぼ同じ形状の改札口を飛び越えると同時に、駅の中の気温が下がったような気がした。冒険者向けにアイテムを販売する売店の群れの向こうには上へと上がる階段があり、その階段の上からは微かな光と共に雪が入り込んできている。

 

 ライトを切り、あの入り口から出た瞬間に敵兵と出くわさないことを祈りながら素早く駆け上がる。後方にいるカノンがハンドガンのライトを切っている間にちょっとだけ顔を出し、入口の外を確認する。

 

「うわ」

 

「どうしましたの?」

 

「歓迎会の準備中みたいだな」

 

 入口の外には、アサルトライフルを装備した兵士たちが何人か巡回していた。俺たちを出迎えるために待機していたようではないらしく、そこにいた敵兵たちはこっちを見ているわけではないらしい。

 

 頭を駅の改札口へと続く入口の影に引っ込め、ため息をついた。

 

 倒壊した建物の影からエンジン音が聞こえてくる。まさか装甲車を呼んだのだろうか? 

 

 ぞくりとしながらもう一度外の様子を確認するが、一番最初の爆撃で倒壊した建物の影から姿を現したのは、重火器をこれでもかというほど搭載した装甲車ではなく、2両のトラックだった。モスグリーンに塗装された武骨なトラックは待機していた兵士たちの目の前で停車すると、荷台の上に乗っていた数名の兵士がそこに積み込まれていた短い砲身に照準器を取り付けたような兵器を下ろし始める。

 

 迫撃砲か。

 

 どうやら敵部隊は、ここで味方の本隊に向けて迫撃砲をぶっ放そうとしているらしい。放置すればマウスやラーテに追い立てられている味方の頭の上に迫撃砲の砲弾が叩き込まれる羽目になるが、迂闊に攻撃を仕掛けて敵に発見されれば、かなり面倒なことになるのは想像に難くない。

 

 こっちは狙撃手とマークスマンのみ。しかも武装は狙撃用の得物とハンドガンとナイフ程度だ。このような軽装で完全武装した無数の兵士や戦車の群れと戦うのは無謀としか言いようがない。どんなベテランの兵士でも不可能である。

 

 しかし―――――――放置するわけにはいかない。

 

 ちらりと後ろを向くと、カノンも同じことを考えていたらしい。SVK-12に装着されたロシア製サプレッサーをこつん、と細い指でつつきながら、蒼い瞳で俺の目をじっと見つめながら頷く。

 

 彼女の得物はサプレッサー付き。しかもカノンは、中距離ならばガンマンの早撃ちのような速度で敵を立て続けに狙撃できる上、その狙撃の命中精度はラウラに匹敵する。最近は砲手をしていることが多い彼女だが、本職はあくまでも砲手ではなく選抜射手(マークスマン)なのだ。

 

「やるか」

 

「ええ」

 

 よし、潰してやろう。

 

 マークスマンライフルの下に取り付けられている折り畳み式のフォアグリップを展開し、スコープを覗き込むカノン。俺は外にいる敵兵の様子を確認し、こっちを見ていないことを確認してから―――――――可能な限り足音を立てないように注意しつつ、迫撃砲を荷台から降ろし終えた敵のトラックの影へと走る。

 

 幸い、敵兵は地下鉄の駅から姿を現した俺たちには気づいていない。ドイツ語にそっくりな語感のヴリシア語で会話しながら、迫撃砲の角度を調節しているだけだ。

 

 迫撃砲の砲弾がぎっしりと詰め込まれたあの箱の中に手榴弾を落としたら、きっと楽しいことになるに違いない。そうしてみようと思って手榴弾に手を伸ばしかけたが、下手をすれば俺まで木っ端微塵になる可能性がある。やっぱり確実に仕留めた方がいい。

 

 手榴弾へと伸ばしていた左手をナイフへと伸ばし、静かにナイフを引き抜く。

 

 今回装備しているナイフは、いつも使っているテルミット・ナイフではない。アサルトライフルに銃剣としても取り付けることが可能な、ロシア製ナイフの『6kh4』と呼ばれる代物である。テルミット・ナイフと比べると刀身はかなり短くなってしまったけれど、アサルトライフルに取り付けて銃剣にすることもできるし、テルミット・ナイフよりも軽量だ。

 

 グリップと鞘はベークライト製にしてあるけれど、刀身は対吸血鬼用に銀にしてある。

 

 左手に逆手に持ったナイフを構えつつ、トラックの運転席のドアに寄り掛かったままくつろいでいる敵兵へと忍び寄る。敵兵はすぐ脇から息を殺しつつ接近してくる俺になかなか気づかなかったが、仕留めるために左手のナイフを振り上げた瞬間に、やっとすぐ近くまで敵兵が忍び寄っていたことに気付いた。

 

 目と口を開き、慌ててG36Cのセレクターレバーを切り替える敵兵。もしここで発砲しようとはせず、せめてその得物で殴りかかってきたならば俺の奇襲は失敗していただろう。けれどもこの敵は、最後の最後まで銃で”撃つ”ことにこだわってしまった。

 

 G36Cが火を噴くよりも先に、その兵士の顔面にナイフが突き立てられる。がつん、と切っ先が顔面の骨を正確に貫いた感触を感じながら刀身を捻り、早くもぐったりとしたその敵兵の死体を盾にしながら、サプレッサー付きのハンドガンを迫撃砲の準備をしている敵兵へと向け――――――立て続けにトリガーを引いた。

 

 砲弾を運搬していた奴の首筋に大穴が開き、崩れ落ちると同時に箱の中の砲弾を味方の足元にぶちまける敵兵。他の兵士たちはいきなり仲間が倒れたことに気付いてライフルを拾い上げてから立ち上がったが――――――そこで、後方にいるカノンのマークスマンライフルが火を噴いた。

 

 スナイパーライフルのように遠距離を狙撃するわけではないマークスマンライフルは、中距離での射撃で真価を発揮する。セミオートマチック式のライフルから立て続けに放たれる7.62mm弾の正確な狙撃が敵兵の胸や頭を撃ち抜き、仲間の仇を取ろうとしていた敵兵を絶命させていく。

 

 俺もハンドガンで敵を倒そうとしたけれど、銃口を向けた敵が片っ端からカノンの狙撃で命を落としていくせいで、俺の獲物は残っていなかった。

 

 まるでフルオート射撃をしながら狙撃をしているんじゃないかと思えるほどの早業である。

 

「…………クリア」

 

「終わりですわね」

 

 空になったマガジンを取り外し、新しいマガジンに交換しながらカノンが言う。

 

 これで味方の本隊が迫撃砲をお見舞いされることはなくなったし、敵も発砲していないから他の敵部隊に銃声は聞こえなかった筈だ。

 

『こちら第6分隊。砲撃準備が完了した。第7分隊、応答せよ――――――』

 

「ん?」

 

 今しがたナイフを引き抜いた死体が胸に取り付けていた無線機から、野太い男の声が聞こえてくる。どうやら他の分隊からの連絡らしい。

 

 野太い男の声を吐き出し続ける無線機を拾い上げた俺は、いいことを思いつきながらニヤリと笑った。幼少の頃に学んだヴリシア語の発音や単語を思い出しつつ、その無線機に向かって返事をする。

 

「――――――こちら第7分隊、どうぞ」

 

『こっちは砲撃準備完了だ。そっちはどうだ? ちゃんと荷物は届いたか?』

 

「ああ、こっちは―――――――待て、あいつは何だ?」

 

『どうした?』

 

 死体の傍らに転がっているG36Cを拝借した俺は、素早くセレクターレバーをフルオートへと切り替えた。サプレッサーは装着していないから、無線機に向かって話しながらぶっ放せば銃声はしっかりと向こうまで聞こえる筈だ。

 

 女と間違われないように、いつも以上に声をできるだけ低くして報告しながら―――――――俺はアサルトライフルを空へと向けてぶっ放し始める。

 

「くそ、撃て! 敵だ!」

 

『何だと!? 敵の奇襲を受けているのか!?』

 

「くそったれ、戦車までいる! 救援を――――――くそ、1人やられた! 俺たちだけじゃもちこたえられない!!」

 

『なんてこった! くそ、待ってろ! ――――――こちら第6分隊! 最終防衛ライン左翼に展開した第7分隊が敵の奇襲を受けている! 報告によると、敵は戦車を含む部隊の模様! 各部隊は直ちに対応に向かえ!』

 

「ああ、出来るだけ急いでくれぇッ! ――――――これでよし」

 

 小さい頃に色々と他国の言語も学んだのよね。この世界ではあらゆる国でオルトバルカ語が公用語にされているけれど、他の国の言語を知っていればこういう時にも役に立つ。

 

 よし、もし子供が生まれたら同じように他の国の言語も教えておこう。きっと役に立つはずだ。

 

「迫真の演技ですわね、お兄様」

 

「ははははっ。この冒険が終わったら劇団でもやるか?」

 

 冗談を言いながら、俺は足元に転がっている迫撃砲の砲弾をとりあえず箱の中へと放り込み始めた。それをトラックのエンジンの近くへと置き、箱の上にポーチの中から取り出したC4爆弾を置いてから、懐から取り出したアイスティー入りの水筒の蓋を外す。

 

 あとは今の嘘の救援要請を信じて駆け付けてくれた敵部隊に、これをプレゼントすればいい。C4爆弾の爆発で迫撃砲の砲弾をすべて誘爆させれば、きっと最高のプレゼントになるに違いない。

 

 今日はクリスマスだからな。派手な方がいいだろ?

 

 近くにある死体の腕を引っ張り、C4爆弾を置いた箱の上にかぶせておく。きっと死体を確認しようとした敵兵はぎょっとする筈だ。

 

「さて、行こうか」

 

「ええ」

 

 さっき無線機に向かって噓の報告をした際、敵兵は”最終防衛ライン左翼”って言ってたな。ということは、ここは敵の最終防衛ライン左翼という事か。

 

 指揮官がいる場所は中央だから、一気に近付いたという事になる。しかも敵部隊の一部は今の嘘の報告に引っかかり、こちらへと急行している。これで指揮官の周囲にいる敵の数は減った筈だ。

 

 ニヤニヤと笑いながら、俺はカノンを連れてその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちら第6分隊! 第7分隊、応答せよ! おい、無事か!?』

 

 敵から拝借した無線機からは、未だに敵兵の声が聞こえてくる。どうやら順調にさきほどプレゼントを用意してきた場所に近づいているらしい。

 

 カノンと2人で物陰に隠れ、大通りを走行していくM2ブラッドレーに発見されないようにする。発見されたら戦うしかないが、あの機関砲と対戦車ミサイルを装備している装甲車に戦いを挑むのは愚の骨頂だ。発見されないように潜入するのが一番である。

 

 装甲車が通り過ぎて行ったのを確認してから、カノンと目配せをして大通りの向こうにある大きな建物の入口へと走る。その建物も空爆でボロボロになっていたけど、辛うじて倒壊は免れたらしい。

 

 入口にある崩れかけの看板にはホテルと書かれているようだ。

 

 もう既に敵の最終防衛ラインの中心まで潜入している。そこで俺とカノンは、このホテルの部屋を敵の指揮官の狙撃に使うことにしたのだ。それなりに高い建物だから指揮官を探しやすいだろうし、逃げる際は隣の建物の屋根に飛び移ればいい。

 

 きっと貴族がよく利用するホテルだったのかもしれない。ロビーには絵画や彫刻がいくつも飾られていて、階段の手すりは埃まみれになっていたけれど、黄金の綺麗な装飾がこれでもかというほどついている。

 

「ヴリシア人の貴族は派手な飾りが好きらしいな」

 

「あら、オルトバルカ人も変わりませんわ。というか貴族はそういうものですわよ、お兄様」

 

「ちなみにカノンは好きか?」

 

「わたくしはあまり好きではありませんわね」

 

 カレンさんもこういう装飾はあまり好きじゃないらしい。

 

 敵兵がいないか警戒しつつ、2人で階段を上がっていく。できるだけ高い場所にある部屋から狙撃したいところなんだが、5階から上は爆撃の影響で崩れてしまっているらしく、5階の部屋のどれかから狙撃しなければならないらしい。

 

 親父はかなりの数の爆撃機を投入してたからな。

 

 階段を塞いでいる瓦礫を見上げて舌打ちしつつ、踵を返して近くにある部屋の中に入る。やはり部屋の中にも絵画が飾られていたし、埃まみれになった絨毯にも派手な模様がある。部屋の中にある時計も黄金の装飾だらけだし、部屋の中に鎮座するソファやベッドはやけに大きい。

 

 そろそろOSV-96の出番だな。

 

「…………」

 

 ハンドガンをホルスターへと戻し、背負っていたOSV-96を取り出す。ボルトアクション式のスナイパーライフルと比べると命中精度は劣ってしまうが、こいつは使い慣れているし、射程距離も約2km。平均的なスナイパーライフルよりもはるかに長い。

 

 バイポットとモノポッドを展開し、スコープの蓋を開けて狙撃の準備を整える俺の傍らでは、双眼鏡の準備をしていたカノンが部屋の中にある大きなベッドをじっと見つめていた。

 

 おいおい、何考えてんだよ…………。

 

「大きなベッドですわね、お兄様」

 

「今は止めとこう」

 

「では後で」

 

「おう」

 

 やけに大きな窓を開け、アンチマテリアルライフルの銃身を冷たい風が支配する外へと突き出す。雪を含んだ冷たい風が部屋の中へと流れ込んでくるが、寒さはあまり感じない。

 

 長距離用のスコープをズームしながら、敵の指揮官を探し始める。おそらくプライドの高い吸血鬼が指揮官を担当している筈だから、服装は人間の兵士よりも豪華な筈だ。吸血鬼は非常にプライドが高い種族だから、自分たちよりも劣る人間と同じ服装を身につけることを嫌う筈である。

 

 おかげでこっちは見分けやすいから助かるんだけどね。

 

 雪が降っているせいで少しばかり見辛いが―――――――最終防衛ラインの中央に鎮座するテントが見える。周囲には装甲車や戦車が何両も停車しており、その周囲をアサルトライフルを装備した兵士たちが警備している。

 

「――――――あいつでは?」

 

「どれだ?」

 

「テントの左側。ここから900mですわ」

 

 スコープをズームしたまま、テントの左側を確認する。モスグリーンのテントが張られている一帯のやや左側にはハンヴィーが停車しており、そのハンヴィーの傍らに、数名の兵士を引き連れた黒服の指揮官らしき男が双眼鏡を持ったまま立っている。真っ黒な軍服と軍帽を身につけたその男性は、無線機に向かって指示を出し始めた。

 

 もちろん俺たちが敵から拝借した無線機からも、そいつの声が聞こえてくる。

 

『こちらルドルフ准将。各砲兵隊は、前線の戦車部隊の支援を開始せよ』

 

「あいつだな」

 

「ええ」

 

 ――――――獲物を見つけた。

 

 指揮官の頭に照準を合わせながら、俺は息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 



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射程距離900m

 

 

 念のため、銀の14.5mm弾をぶっ放す前にレンジファインダーが表示してくれる距離を確認する。カノンの報告と同じく900mになっていることを確認してから息を吐き、スコープを調整していく。

 

 この得物はセミオートマチック式。ボルトアクション式と比べると連射し易いという長所があるが、やはりボルトアクション式よりも命中精度が劣ってしまうという欠点がある。それにもかかわらず命中精度を重視したボルトアクション式のスナイパーライフルではなく、命中精度が劣るこいつを狙撃する得物に選んだ理由は、”一番使い慣れている”からだ。

 

 どれだけ命中精度が高いライフルでも、使い慣れていなければ外してしまう事が多い。逆に使い慣れたライフルを使った方が、逆に命中させやすいのだ。

 

 幼少の頃に銃をぶっ放すことを両親から許されてから、俺は様々なライフルを自宅の地下や防壁の外でぶっ放してきた。中にはボルトアクション式の得物も含まれていたけれど、それらと比べると個人的に一番使いやすかったのはこのOSV-96である。

 

 けれども、いつも全く重く感じないこの対物(アンチマテリアル)ライフルは、緊張感のせいなのかやけに重く感じる。バイボットを展開し、銃床に折り畳んだ状態で装備されているモノポッドまで展開して狙いを定めているというのに、どういうわけか凄まじい重さを感じるのだ。

 

 これを外せば、俺とカノンの位置が敵の大部隊にバレる。いくら現代兵器を簡単に作り出し、短時間で一気に強くなることが許された転生者でも、最新の戦車や戦闘ヘリで武装した大部隊と真っ向から銃撃戦を繰り広げるのは自殺行為だ。自軍の大将に不意打ちをお見舞いしようとする卑怯者を、奴らは徹底的に叩きのめすに違いない。

 

 しかもその片割れが、レリエル・クロフォードを殺した憎たらしいキメラの1人だと知れば、どんな無残な殺され方をするかは明らかである。

 

 薬室の中に放り込まれた1発の14.5mm弾と、俺の照準が―――――――俺自身とカノンの命を握っている。

 

 敵の将校に照準を合わせながら、俺はこんな命令を引き受けたことを後悔しつつ、ラウラではなく俺を放り込んだ親父を少しだけ恨んだ。もし仮に俺ではなくラウラがここにいたら、きっともう撃ってあの将校を吹っ飛ばし、氷の光学迷彩を使ってもう既に離脱している事だろう。明らかに俺よりも適任である筈だ。

 

「お兄様、落ち着いて」

 

「ああ」

 

 息を呑み、もう一度距離を確認する。標的は相変わらず最前線の方角を双眼鏡で覗き込み、隣に立つ副官と何か話をしているようだ。どうやら自分の指揮するマウスやラーテの群れの自慢をしているのか、やけに楽しそうにお喋りしている。しばらくあそこから動く気配はない。

 

 射程距離は、900m。OSV-96の射程距離は約2kmだから、この距離はまだ序の口と言える。それに俺は、以前に一度だけその射程距離ギリギリである2km先にいる標的の狙撃に成功したことがある。だから900m先にいる標的の狙撃は、その時と比べれば難易度は低い筈だ。

 

 親父も若い頃には何度も2km先の標的を狙撃し、大きな戦果をあげている。900m程度でビビっている場合じゃない。

 

 呼吸を整えつつ、集中する。

 

 落ち着け。取り乱せば、命中精度は落ちる。

 

「風が強いですわね」

 

 隣で双眼鏡を覗くカノンが告げた。緊張したせいで風の事をすっかり忘れていたが、確かに雪を纏った冷たい風はいつの間にか強くなっている。俺から見て左側からやってくる風は、降り注ぐ雪たちを右側へと連れ去っていく。

 

 14.5mm弾はかつては対戦車ライフルの弾薬としても利用され、第二次世界大戦ではドイツの戦車に損害を与えてきた実績がある。それに戦後は装甲車に搭載する機関銃の弾薬にも使われたことがあるし、現在でも運用され続けている弾薬だ。今まで使っていた12.7mm弾と比べると弾薬のサイズは大きい。命中すれば人間の上半身を容易く捥ぎ取ってしまう事だろう。

 

 念のため、ほんの少し照準を左へとずらす。

 

 もう一度深呼吸して、冷たい空気を思い切り吸い込む。吐き出した息は真っ白な煙のように変化すると、瞬く間に窓から入り込んでくる風に絡め取られ、そのままどこかへと消えていってしまう。

 

 集中しろ。

 

 標的の事だけを考えろ。

 

 俺と標的以外は、今は何もいらない。この冷たい風も、標的の周囲に展開する敵兵の群れも不要だ。

 

 スコープのカーソルの右にずれた標的だけを見つめる。

 

 やがて、それ以外は何も見えなくなった。まるで自分とターゲットだけが何もない真っ白な世界に放り込まれてしまったかのように、いつの間にかそれ以外のすべてが消えてしまっている。窓の外で荒れ狂っていた冷たい風や雪も見えないし、誰もいなくなったホテルの部屋の中も見えない。

 

 極限まで集中すれば、こうなるのだろうか。

 

 ――――――証明してやる。

 

 確かにラウラも優秀な狙撃手だが―――――――俺だって、親父から狙撃の訓練を受けているのだ。テンプル騎士団にはもう1人の優秀なスナイパーがいるという事を、証明してやる。

 

 自分の呼吸の音も、聞こえなくなる。やがて鼓動も聞こえなくなり始め、全ての音が消え失せる。

 

 そして――――――ライフルの重みも、消えた。

 

 その瞬間、俺はトリガーを引いていた。14.5mm弾を送り出すためのトリガーを少女のような細い指で引いた瞬間、薬室の中でじっと待っていた弾丸が凄まじい音を轟かせながらT字型のマズルブレーキから飛び出していき、雪の中へと突っ込んで行く。

 

 猛烈な銃声を耳にした瞬間、聞こえる筈のなかった全ての音と、見えなかった筈のすべての光景が元通りになる。エジェクション・ポートが勢い良く開き、その中から煙を纏ったやけに大きな薬莢が飛び出して、床の上で金属音を奏でた。

 

 銃声の残響と、排出された空の薬莢の歌声。銃弾が発射された後に耳にする音。

 

 そしてその歌声の中で―――――――俺の放った銃弾が、微かに曲がった。

 

 あのまま直進されても、あの吸血鬼の将校が立っている位置から僅かに左にずれているから命中することはなかっただろう。けれども俺がぶっ放した14.5mm弾は、まるで俺が意図的にずらした照準を修正するかのように緩やかに右へと曲がると、ちょうど敵の准将と重なった瞬間に、標的の頭へと飛び込んだ。

 

 その瞬間、ターゲットの頭が消失したように見えた。首の上に生えている筈の人間の頭。人類である以上は首の上に必ず生えている筈の脳味噌を内蔵した頭が――――――消えたのである。

 

 超遠距離狙撃を想定して装備していた遠距離用のスコープを覗き込んでいたおかげで、俺は標的の頭が消失する過程をはっきりと見てしまった。

 

 かつては対戦車ライフルの弾薬にも使われていた大口径の弾丸が、人間とほとんど変わらない吸血鬼の皮膚を易々と貫く。おそらくこの時点では、もう既に着弾し、これから頭蓋骨と脳味噌を滅茶苦茶にしていく弾丸に食い破られつつあるというのに、標的は「何かが飛んできた」と思っている事だろう。

 

 そして弾丸は凄まじい運動エネルギーで皮膚を引き千切り、立派な銀髪で覆われた頭皮を蹂躙して――――――頭蓋骨を砕き、脳味噌を木っ端微塵にする。無数の脳味噌の破片と眼球をまき散らし、血飛沫を噴き上げながら倒れる吸血鬼の指揮官。先ほどまで彼の話し相手になっていた副官は、すぐ近くで破裂した上官の脳味噌の破片を顔面に浴びる羽目になったらしい。

 

「命中」

 

 同じ光景を目にしていたにもかかわらず、カノンが淡々と報告する。俺も今のような光景を何度も目にしてきたから、今更何も思わない。ちょっとグロテスクだったな、としか思えない。

 

 第一、戦場で実弾をぶっ放して人を殺すのだから、ぶっ放す度にいちいち心を痛めていてはすぐに兵士として使い物にならなくなる。だから俺とラウラは、幼少の頃からこの程度で心を痛めないための教育を何度も受けてきた。

 

 もし仮にその教育を受けていなかったならば、俺とラウラはとっくにPTSDで苦しんでいた筈だ。

 

 前世の日本のように平和な世界ではないのである。

 

 息を吐き、スコープの蓋を閉める。いつものようにバイボットとモノポッドを折り畳み、OSV-96の長い銃身も折り畳んでから背中に背負う。隣にいるカノンも双眼鏡を首に下げると、持っていたマークスマンライフルを背中に背負って移動する準備を始める。

 

『ルドルフ准将が狙撃された!』

 

『くそ、敵のスナイパーだ! どこにいる!?』

 

『全部隊、警戒しろ! 敵のスナイパーがいる! 生きて返すな!』

 

 敵から鹵獲した無線機が、一気に慌ただしくなる。やはり劣勢の敵がこんなところに狙撃手を送り込んでくるのは予想外だったらしく、敵はかなり狼狽しているようだ。

 

 やったぞ、親父。

 

 カノンを連れ、やけにでっかいベッドが鎮座するホテルの部屋を後にする。ここに入る前に装甲車が大通りを横切っていたことを思い出した俺は、このまま玄関から素直に出ていくのは危険だと判断したが――――――ヘリのローターの音がホテルの上の階を通過していったのを聞いた瞬間、むしろ屋根の上を逃げる方が危険だと判断し、カノンを連れてそのままホテルの入口へとダッシュする。

 

 そして入口の外に敵がいないことを確認してから―――――――メニュー画面を開く。素早く蒼い画面をタッチして生産済みの兵器の中からバイクを選び、それを装備する。

 

 目の前に出現させたバイクは、ウクライナで生産されているKMZドニエプル。テンプル騎士団の一部の偵察部隊で採用されている他、一部の特殊な”砲兵隊”でも採用している。

 

 真っ黒に塗装されたそのバイクに跨り、素早くエンジンをかける。後ろにカノンが乗ったことを確認してから、俺はバイクを走らせ始めた。

 

 バイクがどんどん加速し始めたその時、先ほど遠ざかっていったヘリのローターの音が背後から近づいてくるのを感じた。舌打ちしながら背後を一瞥すると、天空を舞っていた1機のティーガーがホテルからバイクで走り去ろうとする俺とカノンを見つけたらしく、機首にぶら下げているでっかい機関砲とセンサーをこっちへと向けながら、まるで子ウサギを爪で引き裂こうとしている鷹のように高度を落とし始める。

 

 ぞくりとしながら、俺は思い切りバイクを方向転換させた。ホテルの前の通りに取り残された露店の傍らにある路地へと飛び込んだ直後、機関砲から放たれた砲弾の群れが大通りの石畳を木っ端微塵に破壊する。

 

 得物を仕留め損ねたティーガーは空中で減速すると、素早くこっちに機首を向けてくる。幸い狭い路地へと逃げ込んだおかげで、まだこっちを発見できていないらしい。けれどもこのまま路地を走り続けるのは得策ではないという事は、路地の出口をM2ブラッドレーの車体が横切っていったのを見てしまってからすぐに理解する羽目になった。

 

 向こうは気付いていない。だから横切っていったんだ。

 

 一気にそのまま加速しつつ、メニュー画面を開いて対戦車地雷を1つ装備する。そして細い路地から勢いよく飛び出すと同時に、こっちに車体の後部を晒しているM2ブラッドレーのすぐ後ろへと対戦車地雷を放り投げつつドリフト。強引に速度を上げ、装甲車から一気に距離を取る。

 

「いたぞ、後方だ!」

 

 バイクのエンジン音に気付いたらしく、砲塔の上から顔を出していた車長がこっちを睨みつけながら怒鳴る。俺たちを追撃するためにM2ブラッドレーは一旦バックしてから方向転換しようとしたようだが―――――――後ろに置いておいたクリスマスプレゼントを受け取る羽目になった。

 

 戦車よりも軽量とはいえ、装甲車は対戦車地雷を起爆させるのに十分なほど重い。方向転換のためにバックした車体が対戦車地雷を踏みつけた瞬間、俺たちの背後で火柱が吹き上がり、クリスマスプレゼントを”目覚めさせて”しまった装甲車が擱座するのが見えた。

 

 そういえば、あの第6分隊にプレゼントする予定だったC4爆弾も爆発させないとな。

 

『第6分隊、何をしている!? こちらは准将を狙撃した敵のスナイパーを追跡中だ!』

 

『何ですって!? こっちは第7分隊の死体を確――――――くそっ、罠だ! 死体の下にC4爆弾が―――――――』

 

「あばよ、間抜け」

 

 きっと第6分隊の奴らは、迫撃砲の砲弾がぎっしりと詰め込まれている箱の上に置かれたC4爆弾を発見してしまい、顔を青くしているに違いない。C4爆弾だけでもかなりの破壊力を誇るが、その恐ろしい爆弾が、よりにもよって迫撃砲の砲弾をたっぷりと詰め込んだ箱の上に鎮座しているのである。そんな状態で起爆すれば、装甲車ですら木っ端微塵になってしまうのは間違いない。

 

 慌てて彼らが箱から離れようとする姿を思い浮かべながら、俺はC4爆弾の起爆スイッチを押した。

 

 ドン、と単純な爆音が聞こえてきたかと思うと、俺たちの進行方向でやけに大きな火柱が吹き上がった。大部隊を砲撃するために用意された迫撃砲の砲弾が、たった1つのC4爆弾で一気に起爆したことで生じた火柱である。

 

 もし後ろに乗っているのがカノンではなくイリナだったら、彼女はどういうリアクションをするのだろうか。爆発が大好きな彼女は、きっとあの火柱を見て大喜びするに違いない。

 

「イリナさんのために、写真でも撮ります?」

 

「余裕があればな」

 

 そう、写真を撮る余裕があれば撮っておきたいところだった。けれどもその爆発で仲間の命を奪われた敵のヘリが後ろからやってきているのだから、写真を撮っている余裕がないのは火を見るよりも明らかである。

 

 焦げ臭くなった空気の中で、もう一度ちらりと後ろを振り返る。やはりローターの音を響かせながら接近してきた1機のティーガーが機関砲をこっちに向けているが――――――いつの間にか、追っ手が増えていた。

 

 サイドカーに機関銃を装備したバイクの群れが、いつの間にか俺たちを追尾していたのである。

 

「あらら」

 

「増えてますわねぇ」

 

 そう言いつつホルスターからPL-14を引き抜き、カノンが後ろの敵へと発砲する。機関銃のついているサイドカーの射手も排除するべきだが、最優先で消す必要があるのは射手よりも運転手だ。火力は変わらないが、少なくとも追撃されることはなくなる。

 

 左手で俺の肩を掴みつつ、右手にハンドガンを持ったカノンが射撃を開始する。その間に俺はバイクをさらに加速させ、俺たちが潜入に使った地下鉄の駅へと向かう。

 

 やがて、何かが焦げた臭いが濃密になり始め――――――炎上するトラックが見えてきた。運転席やエンジンの辺りは爆発で完全にひしゃげており、車体には焦げた肉片と思われる物や、敵兵の手足の一部と思われる肉片がこびりついている。かつて迫撃砲の砲弾が入った箱があった一帯はちょっとしたクレーターになっていて、その内側では金属の破片や人体の一部がまだ燃えていた。

 

 一気に加速してクレーターを横切り、そのまま地下鉄の駅の入口へと飛び込む。バイクのエンジンの音が狭い空間で反響しているせいなのか、一気にエンジンの音が大きくなる。

 

「あっはっはっはっはっ! 楽しいね、これ!」

 

「お兄様、ちゃんと運転してくださいな!」

 

「はいはーい!」

 

 改札口の間を最高速度で一気にすり抜け、そのままホームへと下りていく。もちろんこんなところを通るのは人類だけで、バイクがここを通過することは全く想定していない。小さな階段を駆け下りていく振動を感じながら後ろを振り向いてみると、改札口を通過することに失敗した敵のバイクが交通事故を起こしているところだった。

 

 とはいえ、そこで全部脱落したわけではない。改札口をちゃんと潜り抜けた3台のバイクが、円形の大きなライトを光らせながらまだ俺たちを追いかけてくる。

 

 どうやらサイドカーを装備していないタイプらしい。さっき交通事故を起こしたのはサイドカーをつけていたタイプか。確かに、人間が通る狭い改札口をサイドカー付きのバイクが潜り抜けられるわけがない。

 

 おかげで機関銃に背中を撃たれる心配はなくなったが―――――――後ろにいるバイクの運転手共は、G36Kを片手でぶっ放し始めやがった。

 

「カノン、大丈夫か!?」

 

「ええ、何とか! それにしても楽しいですわね!」

 

「そうだろ!?」

 

 敵のバイクの運転手の頭をPL-14で狙撃しながら、カノンがそう言った。

 

 俺と彼女は、敵の最終防衛ラインへと潜入し、敵の指揮官を狙撃するというかなり無茶な任務をやり遂げたのだ。これで指揮官を失った敵は総崩れになり、味方の勝利に貢献することができるだろう。

 

 仲間たちが勝利してくれることを祈りながら、俺はエンジンの音が反響するトンネルの中をバイクで突き進んでいった。

 

 

 

 

 

 



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離脱

 

 

 砲弾が着弾した衝撃で、大地と共に車体が揺れる。

 

 激しく揺れながら破片を叩きつけられる音を聞きながら、李風はモニターを睨みつけつつ、今の砲撃で味方がやられていないことを祈り続けていた。先ほどから何度も彼の戦車を揺らしている砲撃の正体は、一撃で最新の戦車を消し飛ばしてしまうほどの破壊力を持っているのだ。いくら複合装甲や最新のセンサーを装備している主力戦車(MBT)とはいえ、戦艦の主砲を喰らって無事で済むわけがない。

 

「2号車下がれ! 3号車、次は俺たちが前に出る! 援護しろ!」

 

『了解(ダー)!』

 

『第二小隊、一旦後退します!』

 

『了解(ダー)、あとはこっちに任せろ! 第三小隊、前へ!』

 

 この作戦に投入した戦車部隊の中から特に練度の高い小隊を選び抜いて編成した戦車部隊は、今のところ順調にラーテの対空兵器を無力化しつつある。今しがたキューポラの向こうでラーテのCIWSが吹っ飛んだのを確認した李風は、まだ健在な対空兵器を素早く確認しつつ、主砲の砲塔がこちらに向けられているのを見て唇を噛みしめた。

 

 こちらの主砲の口径は125mm。せいぜい駆逐艦の主砲程度である。それに対しラーテが装備している主砲は”28cm”。戦艦か重巡洋艦と同程度なのだ。

 

 いくら新型の複合装甲がAPFSDSに耐えるほどの防御力を持っているとはいえ、超高速で放たれる大口径の砲弾を喰らえば木っ端微塵になるのは明らかだ。幸い敵は小回りが利かない超大型の戦車であるが、”副砲”として搭載されているのはどうやら105mmか120mm砲であるらしく、まるでイージス艦の速射砲のように凄まじい速さで徹甲弾を連射してくるのである。

 

 現時点であの主砲に吹っ飛ばされた不運な味方はいないものの、特に第二小隊ではその副砲の連射で撃破される戦車が続出しており、このままでは第二小隊は壊滅してしまう恐れがあった。

 

(拙いな…………。第二小隊はこの中で一番練度が低い…………!)

 

 14年前のファルリュー島攻略作戦を経験したベテランの兵士が大半を占める第一小隊と第三小隊とは異なり、第二小隊の兵士たちはファルリュー島攻略作戦の後に加入した若手の兵士たちが大半を占めている。訓練では優秀な成績を出し、実戦でも全く損害を出さずに生還してくる優秀な逸材ばかりであるが、どれだけ優秀な兵士たちでも”経験”を積み続けたベテランには及ばない。

 

 彼らは、ファルリュー島の時のような逆境を経験していないのだ。

 

『うわっ…………! くそ、7号車がやられた!』

 

「くっ…………! 第二小隊、第三小隊と合流せよ!」

 

『りょ、了解!』

 

 李風たちが攻撃しているラーテの対空兵器は殆ど破壊している。まだ砲塔の上に地対空ミサイルのキャニスターが居座っているが、それにはもう彼の戦車の砲手が狙いを定めている。

 

 3両のラーテのうち、1両はこれで対空兵器を失うことになる。第三小隊も奮戦しているらしく、多少の損害を出しながらも他の車両と連携しつつ、正確に対空兵器を砲撃で吹き飛ばしている。しかし第二小隊が担当していたラーテにはまだ複数のCIWSと地対空ミサイルのキャニスターが残っており、放置したまま航空部隊を投入すれば航空部隊にも被害が出てしまう。

 

「歩兵部隊、第二小隊が攻撃していたラーテを狙え! 我々はこっちを片付けたらすぐに合流する!」

 

『了解、同志! ――――――ほら、お前ら! 仕事だ!』

 

『『『УРааааааа!!』』』

 

 シンヤからの連絡では、もう既に対地攻撃用の爆弾やミサイルを搭載したA-10Cの編隊が空港を飛び立ち、ウィルバー海峡を超えてサン・クヴァントへと向かっているという。あまり時間をかけ過ぎれば、いくら攻撃機の中でもずば抜けて堅牢なA-10でもCIWSや地対空ミサイルの餌食になってしまうのは想像に難くない。

 

 あまり、余裕はなかった。

 

「撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 

 砲手に命令を下しながら、李風はモニターの向こうで巨大な砲身をこちらへと向けている怪物(ラーテ)を睨みつける。

 

 ファルリュー島でも、このような状況は経験した。10000人の守備隊が待ち受けている巨大な島にたった260人の海兵隊を率いて上陸した時は、戦闘に投入できる兵器をひたすらかき集め、まだ錬度が低い兵士たちにも大慌てで訓練をした状態だった。あの時は魔王が一緒に戦ってくれたからこそ、想定されていた損害を遥かに下回る損害で済んだのである。

 

 しかし―――――――彼らも、今まで戦闘を経験している。

 

 いつまでも”魔王”に守られるわけにはいかないのだ。あれから14年も経っているというのに未だに魔王の世話になり続けていれば、あの島の戦いで散っていった仲間たちに申し訳がない。

 

 それに、まだ転生したばかりだったころの李風を導いてくれた”彼”も、落胆してしまう事だろう。

 

(リョウさん…………)

 

 ファルリューの激戦の時のように奮い立った李風は、相変わらず砲弾が着弾する衝撃で揺れる戦車の中で、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背後から飛来し、トンネルの壁に激突して消えていく銃撃の回数がどんどん減っていく。左手で俺の男とは思えないほど華奢な肩を掴みつつ、右手に持ったハンドガンを後方に突き出している少女が引き金を引く度に、追っ手の兵士の眉間には正確に風穴が開いていき、バイクが転倒していく。

 

 PL-14のスライドがブローバックし、ライフル弾と比べるとやけに短い9mm弾の薬莢を吐き出す度に、俺の背後では人が死んでいく。装填されている弾丸は対吸血鬼用の銀の弾丸だが、標的になっているのは――――――おそらく人間だ。数日前までは過酷な仕事を終え、安い賃金でなけなしのパンを購入してアパートに戻り、家族と一緒にそのパンを齧っていた労働者たち。中にはきっと、小さな子供がいる男もいるに違いない。

 

 けれども、情けをかけるわけにはいかなかった。情けをかけて発砲を止めれば、今度は俺たちが殺される。

 

 心を痛めてしまうような優しい人間は、戦争には向いていない。

 

 けれども俺は、優しさは捨ててはいない。その代わりに”人間”を捨てた。水無月永人という少年を捨て、タクヤ・ハヤカワという怪物として生まれ変わった。

 

 だから薬莢がトンネルの中に堕ちていくたびに敵が死んでいると理解できても、全く心は痛まなかった。

 

 ハンドルから左手を離し、自分のポーチの中からPL-14のマガジンを引っ張り出す。するとカノンの細い指が素早くマガジンを掴み取り、空になったマガジンが居座っていたグリップの中にそれを押し込むと、肩を掴んでいた左手で素早くスライドを元の位置に戻す。

 

「残りは!?」

 

「1台ですわ!」

 

 ちらりと後ろを見ると、確かにこっちにライトを向けながら追いかけてくるバイクは1台に減っていた。オリーブグリーンの制服に身を包み、第二次世界大戦中のドイツ軍を彷彿とさせるヘルメットをかぶった兵士が、G36Kを片手で連射し続けている。

 

 とはいえ、バイクを運転しながら片手でぶっ放しているわけだから、命中精度はかなり低い。どちらかと言うと5.56mm弾を前方にばら撒いているような撃ち方だ。運が悪ければ当たるかもしれないが、下手したらまっすぐ走っているだけでも当たらないかもしれない。

 

 そういえば、そろそろプレゼントが置いてあるところに辿り着くんじゃないだろうか。

 

 地下鉄のトンネルの奥を睨みつけながら、俺はここを通った時に見つけたある物の事を思い出していた。とはいえトンネルの幅は一般的な車両が通行できる程度の幅しかないから、横に逃げるのは無理だ。

 

 そこで――――――この円形の天井を利用させてもらうことにした。

 

「カノン、背中にしっかりと掴まってな」

 

「はい、お兄様っ♪」

 

 嬉しそうだな…………。

 

 ハンドガンの狙撃を中断した彼女は、PL-14を素早くホルスターへと戻すと、両手で俺の胸板をしっかりと掴みながら背中にしがみついてくる。しかもどうやら頬ずりしつつ匂いまで嗅いでいるらしく、後ろからは「ふふふ…………お兄様、いい匂いですわ…………♪」という声が聞こえてくる。

 

 後ろから撃たれてるのによくうっとりできるなぁ…………。

 

 というか、俺とラウラの匂いは同じだぞ? 小さい時から同じシャンプーとか石鹸を使ってるし、常に一緒にいるからな。

 

 とりあえず、カノンが振り落とされる心配はない。それを確認してから息を呑み、呼吸を整え―――――――最高速度でトンネルの中を突っ走っていたバイクを、いきなり左側の壁へと向けた。

 

 前輪と後輪がレールを乗り越えたかと思うと、すぐにトンネルの壁面へと激突する。やがて曲がるために左側へと傾いていた車体が俺たちの身体もろとも段々と右側へと傾き始め、先ほどまで足元にあった筈の列車のレールが、俺たちから見て右側にある壁の一部と化す。

 

「お兄様、か、かっ、壁を走ってますわよ!?」

 

「すげえだろ!?」

 

 そう、今の俺は―――――――カノンを乗せたバイクで、トンネルの壁を走っていた。

 

 少しでも体重を右側へと向けたり、速度を落としてしまえば瞬く間に本来の床――――――今では右側で壁と化しているレールだ――――――へと叩きつけられてしまうだろう。カノンから見れば平然とこんなことをやっているように見えるかもしれないが、バイクを走らせている俺は体重移動と速度にかなり細心の注意を払いながらの運転である。

 

 こんなことをしたのは、トンネルの中に残っているプレゼントを敵にお返しするためだ。

 

 俺たちは気に入らなかったんでね。悪いけど、こいつは返品させてもらう。

 

 敵のバイクの運転手は俺たちが壁を走り始めたことに驚いたらしいが、すぐに落ち着いてアサルトライフルを乱射してくる。しかし、レールとレールの間から伸びるワイヤーを前輪が食い破った瞬間、ピンッ、と何かが引き抜かれる音がして―――――――トンネルの中で、爆炎が産声を上げた。

 

 真っ赤な炎がワイヤーを引き抜いてしまったバイクの車体を焼き、それから飛び出した無数の鉄球がバイクに跨っていた兵士の肉体を瞬く間に引き裂く。至近距離でそれを浴びる羽目になってしまった敵のバイクはまるで突き飛ばされたかのように右側の壁に一旦激突すると、エンジンから黒煙を上げながらレールの上に再び叩きつけられ、ズタズタにされていた主人を巻き込んで大爆発を引き起こした。

 

 今の爆発の正体は、敵がここに仕掛けておいたクレイモア地雷である。俺たちが地下鉄のトンネルを利用して進軍する可能性は低いと判断したのか、ここにはクレイモア地雷を1つだけ設置していたのだ。警戒しながら進んでいたおかげですぐに発見できたけどね。

 

 せっかくだからそれを利用させてもらったのさ。

 

「あばよ、バカ野郎」

 

 トンネルの壁に鉄球が激突する跳弾にも似た音を置き去りしながら、カノンを乗せたままゆっくりと車体をレールの上に戻す。先ほどまで右側の壁となっていた列車用のレールが徐々に足元に戻ってきて、前輪と後輪へと近づいていく。

 

 しかし――――――そのままバイクにレールを乗り越えさせる前に、俺の聴覚は別の音を探知していた。

 

 はっきりと聞こえるのは、背後でクレイモア地雷が吐き出した小型の鉄球が壁に激突する音。そしてそれを飾り立てるのは、爆発したバイクの残響。俺たちのバイクのエンジン音以外でトンネルの中に響いているのはそれだけの筈である。

 

 だが、微かに背後から別の音が聞こえる。まるで重い金属の何かがレールの上を走ってくるような音だ。

 

 列車が走って来るのか? でも、今はオルトバルカ大使館から避難勧告が発令された後だから、地下鉄が走っているわけがない。反響を繰り返す音が偶然そのような音を生み出したのか、それとも銃声や爆音の聴き過ぎで俺の耳がおかしくなったのかもしれない。

 

 もし仮にそうだったとしたら治療してほしいところだが――――――背後から強烈なライトを背中に浴びせられた瞬間、まだ耳がいかれてしまった方がマシだと思ってしまった。

 

 まだバイクが残っていたのか? 改札口で立ち往生していた兵士たちが追ってきたのだろうかと思いながら後ろを振り向いたけど―――――――ライトをこっちに向けているそれは、武装したバイクよりもはるかに凶悪な代物だった。

 

 バイクのホイールよりもはるかに巨大な車輪で支えられた車体は戦車や戦艦のような重厚な装甲で覆われているのが一目で分かる。生半可な攻撃でそれを貫通するのはおそらく不可能だろう。そんな分厚い装甲で覆われた車体の上から突き出ているのは、戦車の車体の上に乗っているようなサイズの巨大な砲塔。やや短めに切り詰められた砲身が伸びていて、こちらへと向けられている。

 

 他にもガトリングガンと思われる下記を搭載した小型のターレットや、遠距離の敵に使うと思われる迫撃砲やロケットランチャーと思われる武装も搭載されている車両が何両も連結されている。明らかに戦車よりも重そうな重火器の塊を必死に動かしているのは、やはり装甲に守られた武骨な機関車だ。

 

「そ、装甲列車ぁ!?」

 

「なんですの、あれはぁっ!?」

 

 おいおい、何でそんなものまで投入してんだよ!?

 

 背後から追ってくる装甲列車を振り向きながら、俺は唇を噛みしめた。

 

 装甲列車とは、簡単に言えば戦車のような分厚い装甲を搭載し、戦車砲や重機関砲のような凄まじい破壊力の兵器をこれでもかというほど搭載した戦闘用の列車だ。戦車や装甲車のように自由に動き回ることはできないものの、重装備の車両から一斉に放たれる砲弾やロケット弾による集中攻撃の破壊力は地上部隊を蹂躙できるほどである。

 

 とはいえ、装甲列車が猛威を振るったのは大昔の話だ。今では装甲列車を採用している国は殆どない。

 

 しかし、どうやらあの装甲車も近代化改修されているらしい。先頭を進む車両の上にはレオパルト2の砲身を短くしたような砲塔が鎮座していて、俺たちに照準を合わせている!

 

 だが、迂闊に砲撃すれば自分たちが進むレールまで破壊してしまうことになるため、迂闊に主砲をぶっ放すわけにはいかないようだ。多目的対戦車榴弾でいきなり吹っ飛ばされることがないのは幸運だが、主砲同軸に搭載されている機銃を喰らえばひとたまりもない。

 

 それに、相手は重装備とはいえ、バイク以上の速度を出している。このままいつまでも装甲車の前を走っていれば、カノンと2人で一緒に轢き殺される羽目になる。

 

 何とかして逃げ切らなければ………!

 

 くそったれ、出口のある駅はまだか!? あそこまでたどり着けば階段を上がるだけで装甲列車からは逃げられる。こいつを撃破することはできないが、ここで損害を与える必要もないだろう。

 

 いっそのことC4爆弾でも放り投げてやろうかと思ったが、そんなことをすれば俺たちまで爆風でやられてしまう。それにもし仮にそれで線路を吹っ飛ばして脱線させたとしても、あんな巨体が後ろで脱線すれば俺たちまで巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだ。向こうは主砲を撃てないが、こっちも迂闊に爆弾を放り投げられないというわけである。

 

 主砲同軸から放たれる機銃の12.7mm弾が俺たちのバイクを掠め、レールに激突して火花を輝かせる。跳弾する音と巨大な車輪がレールを踏みしめる音を聞きながら、トンネルの奥を睨みつける。

 

 もう少しだけ逃げ続けることができれば、駅までたどり着く………!

 

 全速力でバイクを走らせ続けるが、背後から追ってくる装甲列車の速度はバイク以上だ。トンネルを高速で突っ走り続けているとはいえ、徐々にバイクの後輪と戦闘の車両との差が縮まりつつある。

 

 あと8mくらいだろうか。

 

 じりじりと装甲列車が近づいてくることに焦りつつ走らせていると――――――やがて、誰もいなくなった駅のホームが見えてきた。爆撃の影響で天井の一部や壁の一部が剥がれ落ち、まるで廃墟のようにも見えてしまう駅のホーム。メンテナンスをされていない照明が弱々しい光を放ちつつ点滅し、剥がれ落ちそうな広告のポスターを照らしている。

 

 よし、逃げ切れるぞ!

 

 大急ぎで今度はバイクを右へと方向転換し、前輪と後輪に右側のレールを超えさせる。魔力を伝達するためのケーブルをホイールで踏みつぶしながら壁面へと車体をぶつけると、最高速度で走り続けていたバイクの車体が左へと傾き始めた。

 

 すかさず装甲列車の砲塔が旋回し、機銃が壁に風穴を開ける。線路ではなく壁を走り始めたから容赦する必要はないと判断したのか、今度は主砲の砲身も角度を調整し始めた。

 

 さすがに戦車砲をぶっ放されるのは拙い………!!

 

「…………ハハッ」

 

 ――――――でもな、俺たちの勝ちだ。

 

 どうして俺はバイクで壁を走り始めたと思う? 確かにバイクじゃホームの上に上がれないからこうやって壁を走ってジャンプする必要があるが、もう1つ理由があるんだよ。

 

 ここは駅のホームだ。避難勧告が発令されてから、数多くの列車がずっと線路の上に放置されている。もちろん駅のホームにもな。

 

 だから、気をつけなよ。

 

 さもないと、事故を起こしちまうぜ?

 

 どうやら装甲列車の運転手も、これから自分たちが突っ込むことになる駅に何が放置されているか気付いたらしい。先ほどまでは逃げ惑う獲物を追いかけ回すかのようにじりじりと近づいてきていた装甲列車がブレーキをかけたらしく、けたたましい金属音と共に車輪とレールの間から火花を散らせつつ、急激に減速し始める。

 

 焦って急ブレーキを始めた装甲列車の進む線路の先にあるのは―――――――放置された状態の、地下鉄の車両だった。

 

 放置されているのだから、搭載されているフィオナ機関からは魔力は抜かれている。しかし、下手をすれば暴発の危険性があるフィオナ機関が稼働していないとはいえ、重装甲の装甲列車が猛スピードで列車に突っ込めばどうなるかは言うまでもないだろう。

 

「夢中になり過ぎたんだよ、バカが」

 

 ちゃんと前を見てろ、くそったれ。

 

 壁の縁からジャンプし、そのまま瓦礫だらけのホームの上に着地する。でこぼこしたホームに勢いよく着地したせいでバイクがぐらりと大きく揺れ、カノンと一緒に転倒しそうになってしまうが、何とか強引に体勢を立て直してそのままホームから上へと上がるための階段へと突っ込む。

 

 小さい階段をバイクで駆け上がる振動を感じていると、俺たちを追っていた装甲列車がまるで断末魔の絶叫のように、汽笛を鳴らし始める。

 

 やがて減速するための悪足掻きを続けていた装甲列車が、ブレーキをかけたとは思えない凄まじい速度でホームに突っ込んできた。その後は階段を上っていたせいで分からないけど――――――金属の塊がひしゃげる音や、レールがへし折れるような凄まじい音が階段の上にある改札口まで聞こえてきた。木製の車両が木っ端微塵になる音が駅の中に響き、脱線した車両が壁面に叩きつけられる凄まじい振動が改札口まで揺らす。

 

 駅が崩れ落ちるんじゃないかと思ってしまうほどの振動を感じながら、改札口を超えたところで一旦バイクを止める。

 

 装甲列車に追い掛け回されるとは思っていなかったが、何とか逃げ切ることができた。しかもあんな速度で停車していた列車に正面衝突したのだから、確実に脱線してしまったことだろう。少なくともあの装甲列車が、進撃する仲間たちに牙を剥くことはない。

 

 息を吐きながら後ろを振り向くと、俺の背中にしがみついていたカノンと目が合った。さすがに装甲列車から逃げながら俺の匂いを嗅いだり頬ずりする余裕はなかったらしく、両手にしっかりと力を込め、まだ俺の背中にしがみついている。

 

「おい、もう大丈夫だぞ」

 

「び、びっくりしましたわ…………もう、お兄様ったら」

 

「でも楽しかったろ?」

 

「え、ええ。でも、お兄様」

 

「ん?」

 

 何の前触れもなく、カノンの小さな唇が俺の唇に押し付けられる。花の香りにも似た匂いが火薬の臭いを吹き飛ばし、彼女の柔らかい唇が先ほどまで感じていた緊張感を完全に消し去ってしまう。

 

 そっと唇を離したカノンは、微笑みながら人差し指で俺の頬をつついた。

 

「危ないことをして、お姉様を心配させてはいけませんわ」

 

「そうだったな。気を付けるよ」

 

「ええ、気を付けてくださいな」

 

 そうだな。ラウラを心配させてはいけない。

 

 カノンの頭を優しく撫でてから、俺は再びバイクを走らせた。

 

 

 

 

 おまけ

 

 娘が心配

 

ギュンター「若旦那」

 

タクヤ「はい?」

 

ギュンター「娘に手は出してないよな?」

 

タクヤ(すいません、もう何回かキスしてます)

 

タクヤ「だ、出してないッスよ…………?」

 

ギュンター「そうか…………安心したよ」

 

タクヤ(…………下手したら殺されるかも)

 

 完

 

 



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榴弾砲と悪魔のサイレン

 

 

 

 撃破されたエイブラムスの残骸の傍らを、巨大な鋼鉄の塊がゆっくりと前進していく。最新型の戦車よりも重厚でがっちりしたキャタピラが瓦礫を踏みしめる度に分厚い装甲で守られた巨躯が前進し、退却していく敵の戦車へと砲弾を叩き込んでいく。

 

 順調に進撃していくマウス部隊の指揮官は、キューポラの向こうで撃破された戦車が噴き上げた火柱を見つめながら息を吐いた。圧倒的な数で攻め込んできた敵が次々に防衛ラインを陥落させ、橋頭保まで確保したという報告を聞いた時は部下たちの士気も下がっていたが、この切り札が投入されてからは敵の戦車を撃破する度に士気は上がり、進撃してきた敵を押し返しつつある。

 

 中には敵の戦車が火柱と化す度に歓声を上げる乗組員もおり、先ほど戦車を撃破した際も砲手の歓声が聞こえてきた。

 

 他の車両には被害が出ているものの、連合軍の戦車よりもはるかに分厚い複合装甲と巨大な主砲を持つ近代化改修型マウスの群れは、まだ進撃しながら敵を蹂躙している。後方のラーテ部隊も順調に砲撃を続けており、側面から奇襲してきた少数の戦車部隊を血祭りにあげているという。

 

(いいぞ…………!)

 

 このまま前進していれば、勝てる。

 

 こちらには分厚い装甲があるから、敵のAPFSDSは怖くない。どれだけ叩き込まれても装甲が防いでくれるため、少なくとも”回避”は考慮しなくていい。そしてこちらの主砲である160mm滑腔砲は、遠距離から敵の戦車の正面装甲を貫通し、木っ端微塵に吹き飛ばすほどの破壊力がある。

 

 だから避ける必要はない。むしろ逃げる敵を正確に狙う砲手の技術さえあればいいのである。

 

 味方のマウスや護衛のレオパルトたちも次々に主砲を放ち、逃げていく敵の戦車部隊を血祭りにあげていく。稀に歩兵部隊や装甲車から対戦車ミサイルが放たれるが、それはマウスに2基も搭載されているアクティブ防御システムが片っ端から探知して迎撃してしまうため、全く問題ではない。

 

「目標、1時方向! 味方に主砲を向けている奴をやれ!」

 

「了解(ヤヴォール)!」

 

 命令を聞いた砲手が、マウスの巨大な主砲を旋回させ始める。分厚い装甲に包まれた武骨な砲塔がゆっくりと旋回し、駆逐艦や巡洋艦の主砲にも匹敵するほどの大口径の主砲を、こちらの進撃を食い止めるために砲撃を続けている敵の戦車へと向ける。

 

 敵の戦車はこちらに狙われていることに気付いたらしく、大慌てで砲撃を中断して後退を始めた。砲手が「逃げられるわけねえだろ」と言いながら照準を合わせるのを見守りつつ、車長は今までの戦果にあの戦車を撃破したという新しい戦果を早くも付け加えた。

 

 しかし―――――――傍らからやけに大きな火柱が上がった瞬間、車長はぞっとして反射的にキューポラの外を見つめた。

 

 今のは明らかに戦車砲の砲撃ではない。第一、対戦車用のAPFSDSが外れて地面に命中したところで、今のような派手な火柱が上がるわけがない。このような火柱を噴き上げるのは榴弾や形成炸薬(HEAT)弾のような砲弾である。

 

 APFSDSよりも貫通力は劣るため、警戒する必要はない砲弾である。だが―――――――今しがたマウスの傍らに着弾した1発の砲弾は、明らかに従来の戦車砲や大口径の榴弾砲を遥かに上回るサイズの爆風を生み出していた。

 

(い、今のはなんだ…………?)

 

 冷や汗を拭い去ったその時、今度は隣を走行していたマウスの方から、ごすん、と分厚い鉄板がひしゃげたような音が聞こえてきたかと思うと―――――――すぐ脇で火柱が産声を上げ、キューポラの防弾ガラスから車内へと入り込んできた深紅の光が、薄暗いマウスの車内を照らし出した。

 

「さ、3号車がやられた!?」

 

「たった1発で…………!?」

 

「…………ッ!?」

 

 今まで何度も敵の砲弾を防いだ分厚い複合装甲を持つマウスが、たった一撃で撃破されたのである。息を呑みながら隣で炎上するマウスを見つめた車長は、砲塔の真上に空いた大穴から吹き上がる炎を見つめながら息を呑んだ。

 

 真上から飛来した1発の砲弾が、凄まじい運動エネルギーを纏いながら砲塔の上の装甲を突き破り、よりにもよって車内で起爆したのである。幸い戦車そのものは原形を留めているが、直撃した砲弾によって蹂躙された内部が滅茶苦茶になっているのは火を見るよりも明らかであった。当たり前だが、乗組員は全滅している事だろう。内部にある武装や自動装填装置も爆風でズタズタにされ、予備の砲弾も爆風で誘爆してしまったに違いない。

 

 黒煙を噴き上げるハッチや砲口を見つめながら、車長は目を見開く。

 

(戦車砲ではない…………あの砲撃は一体何だ…………!?)

 

 あのように真上から降ってくる戦車砲は存在しない。今のような弾道で飛来するのは、後方にいる迫撃砲や戦艦の主砲くらいだろう。

 

 仮説を立てた瞬間、車長ははっとした。

 

 敵艦隊は未だに健在である。偵察部隊からの報告では、敵艦隊の中には大口径の主砲を搭載した超ド級の戦艦も含まれているという。更に橋頭保を確保した敵は、新たに超弩級戦艦の主砲に匹敵する大口径の自走榴弾砲を少なくとも20両以上は投入しているという報告を聞いた。

 

 そう、敵にはまだ戦艦の主砲と、超大型の自走迫撃砲がある。

 

(まさか、敵に誘い込まれた!?)

 

 敵が退却していたのは勝ち目がないと判断したのではなく、後方の部隊が正確に砲撃できる距離までマウスたちを誘い込むための罠だったのではないかという仮説が組み上がった瞬間、車長は後退する敵を追撃する命令を下した自分の愚かさに気付いた。

 

 しかも、後方にいる筈のラーテ部隊ともかなり距離が離れている。支援砲撃を要請すれば援護してもらえるかもしれないが、距離が開いていれば味方と連携するのは難しくなる。

 

 敵の作戦だったのだ。意図的に撤退することでマウスやレオパルトたちをラーテの群れから引き離して孤立させ、自走迫撃砲と艦砲射撃で袋叩きにする。後方のラーテを撃破するのは難しいが、少数の戦車部隊に奇襲させて対空兵器を破壊することで、航空部隊に対艦ミサイルや爆弾をお見舞いさせれば容易く破壊することが可能である。

 

「くそ、罠だ! 全車後退! 後方のラーテまで―――――――」

 

 無線機に向かって彼が叫んだ頃には、キューポラの真上に真っ黒な塊が迫っていた。

 

 今まで彼らが弾いてきた戦車砲の砲弾よりもはるかに巨大な金属の塊。微かに炎と高熱を纏っているその塊は、エイブラムスやT-14を凌駕する巨体を持つマウスにすら容易く大穴を開けてしまいそうなほど大きい。

 

 その砲弾が、帝都サン・クヴァント沖で砲撃を待ち続けていた敵艦隊が放った砲弾だと理解した直後、キューポラへと飛び込んできた巨大な40cm砲の砲弾が、分厚い装甲もろとも車長の肉体を押し潰していた。複合装甲に覆われているとはいえ、艦砲射撃を防ぐことを考慮していなかった装甲はあっさりと砲弾に貫通されてしまい、隣で撃破されたマウスと同じように砲塔の真上に大きな風穴が開く。飛び込んだ砲弾はマウスの砲塔の床を突き破って車体にまで飛び込むと、砲塔の軸に大きな風穴を開けた。

 

 砲弾が纏っていた衝撃波が車内で荒れ狂い、中で車長の指示通りに戦車を後退させようとしていた操縦士たちの肉体は瞬く間にバラバラになる。マウスの砲塔や車体が内部で膨れ上がった衝撃波のせいで一瞬だけ大きく揺れたかと思うと―――――――車内で生まれた爆炎を風穴やひしゃげたハッチから覗かせ、そのまま残骸と化してしまった。

 

 そのマウスを沈黙させた砲撃は、テンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』の第二砲塔で砲手を担当するカレン・ディーア・レ・ドルレアンが放った榴弾であった。

 

 立て続けに味方を撃破されたマウス部隊も、徐々に自分たちがおびき出されたのだという事を理解しつつあったが、速度が速いレオパルトと違って動きが鈍重なマウスたちがその砲弾の雨から逃げ切るのは不可能である。スピードと機動性で回避することを除外し、敵の攻撃を装甲で防ぐか、アクティブ防御システムで迎撃することを想定していたマウスたちには、それらを回避するためのスピードは与えられていなかったのである。

 

 とはいえ、最新型の戦車の主砲すら防いでしまうほどの装甲を貫通してしまうほどの攻撃は、普通ならば想定することはないだろう。

 

 レオパルトたちに続いてマウスの群れも後退を始めるが―――――――降り注いだ砲弾たちは、次々にマウスたちに喰らい付いていく。

 

 最も突出していたマウスの砲塔に真上から飛来した1発の形成炸薬(HEAT)弾が飛び込み、メタルジェットと爆風で砲塔の上を覆っていた装甲を貫く。車内へと侵入した爆風が車長の身体を吹き飛ばし、分厚い装甲に覆われた狭い空間の中の哀れな乗組員たちを焼いていった。

 

 この砲撃も戦車部隊の砲撃ではない。橋頭保となった図書館からの進撃の際、最後尾から戦車部隊の突撃を支援していた、Oka自走迫撃砲たちによる遠距離砲撃である。

 

 本来ならば、迫撃砲は貫通力よりも砲弾の爆発の範囲を重視しており、対戦車戦闘よりも敵の歩兵部隊などへの攻撃に投入されるものである。そのためいくら大口径の迫撃砲を装備した部隊でも、それを敵の戦車の攻撃のために投入することは全くない。

 

 だが、そのOka自走迫撃砲たちを配備したリキヤは、それらのための砲弾の中に、対戦車戦闘を想定して形成炸薬(HEAT)弾も配備していたのだ。こちらは分厚い装甲を持つ戦車を容易く撃破してしまうほどの破壊力と貫通力を併せ持つが、爆発による攻撃範囲の広さは通常の榴弾と比べると狭くなってしまうため、迫撃砲の長所を殺す結果になってしまう。更に、戦車は人間と違って爆風程度では壊れないため、確実に命中させる必要があるのだ。

 

 最初の砲撃でマウスを次々に血祭りにあげられている理由は―――――――マウスたちのアクティブ防御システムを破壊するという危険な任務を引き受けたテンプル騎士団の狙撃手部隊が、撤退していくマウスたちを監視し、座標を後方の自走迫撃砲部隊に常に報告しているからである。

 

 まだ実戦経験は少ない狙撃手たちではあるが、ラウラ・ハヤカワから叩き込まれたのは狙撃だけではない。

 

 隣で姿勢を低くし、双眼鏡を覗き込みながら後方の迫撃砲部隊に座標を報告する教え子を見守りながら、ラウラは火柱が吹き上がる戦場の彼方を見つめ続けていた。

 

 砲弾が炸裂する度に荒れ狂う熱風と破片たち。鉄と肉が焼ける臭いと火薬の臭いが混ざり合う戦場の彼方には、自分たちよりもはるかに危険な任務を引き受けた弟がいる筈だ。たった2人で敵の防衛ラインを迂回し、敵の指揮官を狙撃して始末するという危険な任務である。失敗すれば敵の大部隊に袋叩きにされ、無残に殺されるのは想像に難くない。

 

 しかもタクヤは、吸血鬼の過激派たちが最も憎んでいるキメラの1人。カノンよりも無残に殺されてしまうのは明らかである。

 

(タクヤ…………)

 

 一緒に厳しい訓練を受けてきた弟ならば、きっと成功する筈だと祈りながら、ラウラは敵の戦車に巨大な対物(アンチマテリアル)ライフルを向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャニスターもろともAPFSDSに撃ち抜かれた地対空ミサイルが、分厚い装甲で覆われたラーテの巨体の上にちっぽけな火柱を誕生させる。もしその火柱が生まれた場所があんな化け物の上ではなく、普通の装甲車の上や敵の基地の中だったのならば、もう少し派手な火柱に見えたかもしれない。だが、派手に火を噴き続ける巨大な主砲や副砲が搭載されている怪物の巨体の上では、何の変哲もない火柱にしか見えない。

 

 けれどもそのちっぽけな火柱は、私たちの任務が成功したという事を告げる火柱だった。

 

 たった24両の戦車と90名の歩兵で構成された奇襲部隊でラーテの群れを奇襲し、対空兵器を全て破壊するか、それらが対空兵器として機能しなくなるほどの損害を与えるという非常に危険な我らの任務は何とか成功したのである。

 

「よし、撤退だ! 急げ!」

 

 無線機に向かって叫び、まだ生き残っている味方の部隊に命令を下す。キューポラの向こうにはこちらへと副砲を向ける忌々しい巨体が鎮座しており、その巨体と私が乗る99式戦車の間には、火柱を噴き上げる金属の塊と化した99式戦車たちの残骸がある。

 

 この作戦で、我々は17両の99式戦車と42名の優秀な兵士たちを失った。戦死した兵士の中にはまだ若い兵士だけではなく、ファルリュー島の激戦を生き抜いたベテランの兵士も含まれている。

 

 無線に向かって命令を下しても、帰ってくる部下たちの返事や復唱の数が明らかに減っている。そしてその声も、聴き慣れた声が減っていた。

 

 両目を思い切り瞑りながら拳を握り締め、キューポラの向こうでこちらに砲塔を旋回させている怪物を睨みつける。この戦車に搭載されている武装では撃破することはできないため、我々だけで戦死していった仲間たちの仇を取ることはできない。

 

 だが―――――――戦死していった仲間たちの仇は、必ず取って見せる。

 

 我々が仲間を弔うために必要なのは、敵を撃破して勝利したという戦果だ。どれだけ綺麗な花を墓前に供えられ、多くの仲間たちが涙を流したとしても、銃を持って戦い続けた彼らは決して満足することはないだろう。一緒に激戦を生き抜き、厳しい訓練を続けてきたからこそ、彼らが何を与えられれば満足するのかは分かる。

 

 安心しろ。お前たちのおかげで、私たちは大きな戦果をあげられる。

 

 ――――――無駄にはしない。

 

 ラーテには対空兵器以外に損傷を与えていない。あの分厚過ぎる複合装甲の塊は健在だし、まるでイージス艦の速射砲のように連射してくる120mm砲も未だに火を噴き続けている。奴らの装備の一つを滅茶苦茶にしてやった程度の損傷しか受けていないのだ。

 

 だが―――――――それで十分だった。

 

 同志たちが散っていった意味は、あったのだ。

 

 雪と砲弾が降り注いでくる空の向こうから―――――――新しい音が聞こえてくる。

 

 逃げ惑う歩兵や戦車たちを脅かす砲弾の轟音ではない。味方の戦車が破壊された音や、歩兵たちが散っていく断末魔でもない。

 

 あの怪物たちを仕留めるための兵器を満載した救世主たちの到来を告げる、エンジンの凱歌だ。

 

「同志李風、あれは…………」

 

「ああ」

 

 やっと到着したのだ。

 

 このヴリシアの空から吸血鬼共の戦闘機を駆逐し終えたパイロットたちは、敵の戦闘機を叩き落すだけでは物足りないと感じたらしい。わざわざ最寄りの空港まで一旦戻り、そこで対空用ではなく地上攻撃用の攻撃機に乗り換え、対戦車ミサイルや強力な爆弾をこれでもかというほど搭載して、地上の敵まで喰らいつくすためにここに戻ってきたのだ。

 

 やがて、雪と雲が舞う空の向こうに―――――――漆黒の翼を持つ無数の攻撃機の群れが、姿を現す。傍から見ると第二次世界大戦で活躍した戦闘機や爆撃機を思わせる古めかしい形状であるものの、機体の後端に搭載された2基の武骨なエンジンと、主翼の下部にこれでもかというほど吊るされたミサイルや爆弾たちが、最新型の戦車ですら木っ端微塵にできる火力があると断言している。

 

 数は合計で55機。たった数機だけでも戦車部隊を壊滅させるのに十分な火力を持っているというのに、それだけの数の攻撃機を投入するのは”やり過ぎ”としか言いようがない。

 

 いや、それくらいやっていただきたい。

 

 散っていった仲間たちを、派手に弔うために。

 

 さあ、やれ。派手にぶち壊せ――――――。

 

 戦車のキューポラから無数のA-10Cの群れを見上げながら、私は久しぶりに高揚していた。

 

 これほど高揚したのは、14年前に同志ハヤカワが”勇者”を倒したという知らせを聞いた時以来だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 序盤の戦闘で大半の航空部隊が撃墜されたことにより、吸血鬼たちの本拠地にも拘らず、ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントの上空を舞うのは攻め込んだ連合軍の戦闘機ばかりという状態であった。

 

 辛うじて健在な飛行場から航空隊を出撃させても、帝都に到達した瞬間に敵のレーダーで探知され、瞬く間に撃墜されてしまう。そのような状態が続いたせいで吸血鬼側の航空隊は壊滅状態であり、空戦を想定していない鈍重な攻撃機や爆撃機が、護衛の戦闘機すら連れずに飛び回っている状態である。

 

 連合軍に占領されたヴリシアの空を、新たな漆黒の翼を持つ航空機の群れが舞う。

 

 連合軍が出撃させたのは、航空機とは思えないほどの火力と耐久力を併せ持つ、アメリカ製攻撃機のA-10Cの群れである。戦車部隊が相手でも易々と撃破してしまうほどの破壊力を持っており、対空用の機関砲が被弾した程度では撃墜できないほど堅牢なのが最大の長所で、投入された戦闘では何度も敵の戦車部隊を蹂躙している。

 

 圧倒的な火力を誇るA-10Cの数は、55機。そのうちの1機は、エースパイロットであるミラ・ハヤカワの要望通りにシンヤが直々にカスタマイズした特別な機体であり、実用性すら放棄してしまうほど火力に特化した機体となっている。

 

 先頭を進むミラの機体のみ、他の機体と形状が違うのだ。他の機体は微かに曲がった分厚い主翼の下部に無数の兵器を搭載しているが、ミラの機体のみはまるで古めかしい急降下爆撃機のような逆ガル翼となっており、その主翼に搭載されている武装には、本来ならば自走砲に搭載されているような105mm榴弾砲が左右の主翼に1門ずつ搭載されている。

 

 砲身を切り詰めた挙句、強引に3発の榴弾が装填されたマガジンと自動装填装置を組み込んだ特注の榴弾砲であるため、命中精度が劣る上に重量も増大し、機体の機動性を下げる原因となっている。この機体に乗り慣れた熟練のパイロットでも油断すれば墜落してしまうような機体だが、そんな鈍重な機体で平然とウィルバー海峡を渡ってきたミラの技術は、もう既にこの世界で最強のエースパイロットと呼べる領域に達しつつあった。

 

(ヴェールヌイ1より各機へ。攻撃はラーテにのみ集中すること)

 

『『『了解(ダー)!』』』

 

(散開!)

 

 先頭を進むミラのA-10KVが高度を上げたかと思うと、今まで彼女に従っていた他のパイロットたちは、まるで一斉に命令を無視したかのように逆に高度を下げ始めた。空港での指示通りに高度を下げていく教え子たちを見守りながら、逆ガル翼のA-10KVを操るミラは純白の空へと舞い上がっていく。

 

 雪の降り注ぐ空を舞う教官に見守られながら、彼女が手塩にかけて育てたパイロットたちはある程度高度を落とすと、焼け野原と化した帝都サン・クヴァントの真っ只中に鎮座する3つの巨大な怪物に狙いを定める。

 

 レーダーが映し出すその反応を確認しながら、パイロットたちは息を呑んだ。

 

 辛うじて、彼らが飛んでいる位置からもうっすらとその巨躯が見える。

 

 今ではすっかり姿を消してしまった戦艦の主砲を搭載した、巨大な怪物。もうとっくに地対空ミサイルの餌食になっていてもおかしくはない距離だが、ミサイルにロックオンされたことを告げる電子音が騒ぎ出さないという事は、地上の味方が対空兵器を何とかしてくれたという事なのだろう。

 

 あのような怪物を相手にしたのだから、損害を出しているに違いない。瓦礫と焼け跡が形成する残骸の絨毯の中には、未だに黒煙や炎を噴き上げながら鎮座する戦車の残骸が見受けられる。その中には敵の戦車も含まれているが、あの怪物の犠牲になったと思われる戦車の群れも炎上している。

 

 航空部隊の接近に気付いた3両のラーテが、副砲をイージス艦の速射砲のように連発しつつ、巨大な主砲が搭載されている砲塔をA-10Cの群れへと向ける。いくら機関砲の被弾にも耐えられるほど堅牢な機体とはいえ、戦艦の主砲を喰らえば容易く捥ぎ取られてしまう。それゆえに、いくら堅牢な機体でも被弾は許されない。

 

 副砲から放たれた砲弾が飛来するが、A-10Cの群れには1発も命中しない。稀に砲弾が近くを掠めていくが、攻撃する前に被弾した味方は1人もいない。

 

 巨大な砲塔を持つ怪物との距離が近くなっていく。もう既に3つの編隊に分かれていたA-10Cたちは、今まで味方を蹂躙していたその怪物を逆に蹂躙する準備を整えつつあった。

 

 やはり、敵からの対空砲火はない。情報では地対空ミサイルとイージス艦や空母に搭載されているCIWSがあると言われていたが、地上部隊がすべて破壊したのだろう。

 

 そしてついに――――――獰猛な攻撃機の群れが、牙を剥く。

 

『――――――ヴェールヌイ2、ライフル!』

 

『ヴェールヌイ3、ライフル!』

 

『ヴェールヌイ4、ライフル!』

 

 分厚い主翼の下部に搭載されていた無数の空対地ミサイルが―――――――立て続けに主翼から切り離され、白煙を後方に残しながら地上のラーテへと殺到していく。すでに雪と煙で真っ白に染まりつつあった帝都の空に、無数のミサイルが白煙を刻み付ける。

 

 ラーテたちは必死に副砲を放ち、どんな戦車でも致命傷になる強烈な空対地ミサイルを迎撃しようと足掻き続けた。今更その巨躯を動かしたとしても、元々ミサイルを回避できるような機動力を持つ兵器ではない。だからこそぎっしりと対空兵器を満載していたのだが、彼らにとって天敵である航空機から身を守るための装備を引き剥がされていたラーテたちには、もう空対地ミサイルから身を守る手段は残されていなかった。

 

 一番最初に放たれたミサイルが、ついにラーテの砲塔の横へと突き刺さる。瞬く間に白煙の終着点を爆炎で包み込み、砲塔を覆っている分厚い装甲に亀裂を生じさせる。

 

 最初の一撃に耐えたラーテであったが―――――――彼らを狙っている無数の空対地ミサイルに耐え切るのは、不可能であった。

 

 立て続けに後続のミサイルが砲塔の側面に喰らい付き、亀裂が生じた装甲を抉り取る。そしてその後続のミサイルが更に内部を抉り、ついにラーテの砲塔に大穴を開けてしまう。車内へと流れ込んだ爆風と衝撃波が乗組員たちを押し潰し、まだ発射される前だった砲弾を誘爆させ、車内を爆風で満たしていく。

 

 車体に搭載された副砲がまだ悪足掻きをしているが、ミサイル攻撃を終えたA-10Cたちが投下した爆弾に車体の装甲もろとも食い破られ、呆気なく沈黙していった。

 

 瞬く間に分厚い装甲で覆われた怪物の巨体が爆炎と衝撃波で包み込まれていく。ガトリング機関砲で砲塔の上を蜂の巣にされ、搭載していたロケットポッドで火達磨にされたラーテたちが、迫りくるA-10Cたちを追い払うために悪足掻きを続けるが―――――――彼らの抵抗に終止符を打つための矛を持つ1機の攻撃機が、天空から急降下を始めつつあった。

 

 雪の舞う天空から、まるで地表へと激突することを望んでいるのではないかと思えるほどの急降下。逆ガル翼に捥ぎ取られていく空気たちが、まるでサイレンのような絶叫を奏でていく。

 

 まるでその音は―――――――”悪魔のサイレン”のようであった。

 

 特徴的な主翼に取り付けられた2門の105mm榴弾砲の照準をラーテの砲塔の真上に合わせながら、コクピットで敵を睨みつけるミラ・ハヤカワは息を吐く。

 

 第二次世界大戦が終結した後に開発された攻撃機で、大昔に廃れてしまった急降下爆撃をやろうとしているのは馬鹿げているとしか言いようがない。実用性を全く考慮していないともいえる。

 

 しかし、彼女にとってはこれが一番”やりやすい”戦い方であった。

 

 真っ逆さまに落ちていくA-10KVのコクピットの中で、逆ガル翼と風が奏でる悪魔のサイレンに包まれながら、もう一度息を吐いて照準を合わせる。砲身を切り詰めた影響で命中精度は劣悪になっており、航空機の武装でありながら可能な限り接近しなければ真価は発揮しないという、かなり扱い辛い武器と化している。

 

 何度も訓練を続けたため、彼女はその距離を理解していた。

 

 急降下を続ける最中に、確実に砲弾を標的に叩き込み、なおかつ無事に上昇できるタイミングは一瞬しかない。そのタイミングを誤れば攻撃は命中しない上、下手をすればそのまま敵に飛び込む羽目になる。

 

 手負いのラーテの1両に狙いを合わせた彼女は、黙ってそのタイミングを待ち続けた。

 

 真上からの急降下であるため、ただでさえ対空兵器を失ったラーテは何もできない。主砲も真上に砲撃することを想定していないため、悪足掻きすら許されない。

 

 彼女の発達した聴覚から、風の音が消える。

 

 地表へと落下していく感覚も消え、標的以外のすべてが一時的に消え失せる。

 

 そして―――――――彼女は、そのタイミングを見つけた。

 

(――――――発射(フォイア))

 

 操縦桿に取り付けられたトリガーを引いた瞬間、まるで鈍重な筈の機体が吹き飛ばされるのではないかと思ってしまうほどの猛烈な反動が、A-10KVの機体を揺さぶった。主翼の下部に搭載された2門の105mm榴弾砲が砲弾と爆炎を吐き出し、主翼とキャノピーをその爆炎で覆いつくす。

 

 自走砲の榴弾砲を流用したその矛の反動に耐えながら、彼女はフットペダルを踏みつつ操縦桿を思い切り引いた。

 

 眼下へと置き去りにされていく爆炎の向こうで――――――2発の榴弾が、手負いのラーテの砲塔を食い破ったのが見えた。

 

 再び上昇を始めたミラの背後で、止めを刺されたラーテから火柱が吹き上がる。背後から漆黒の機体を照らし出すその火柱を一瞥した彼女は、一瞬だけニヤリと笑ってから次の獲物へと襲い掛かっていった。

 

 



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連合軍の攻勢

 

 

 俺たちが地下鉄の駅から外に飛び出した頃には、もう状況がすっかり変わっていた。

 

 あの危険すぎる任務を引き受ける羽目になった時は、敵の戦車にこっちの戦車が追い立てられている状況だった。至る所に砲弾が着弾して火柱を噴き上げ、運悪くそれを喰らう羽目になった戦車が次々に爆炎と装甲の破片を噴き上げながら沈黙していく。擱座した戦車から悲鳴を上げながら這い出てくる兵士たちが後続の砲弾に吹っ飛ばされ、目の前で次々にミンチにされていく光景を、俺はシュタージのレオパルトの上からなんとも見ていた。

 

 けれども、俺たちが敵の防衛ラインから生還した時、その状況はすっかり真逆になっていた。キャタピラとエンジンの音を派手に響かせながら前進していくT-14や99式戦車の群れが、次々に降り注ぐ砲弾の雨に追い立てられているレオパルトたちを追撃していく。中には鈍重としか言いようがないほどの速度で後退しようとするマウスの生き残りも見受けられたけど、戦車の砲撃でキャタピラを吹っ飛ばされて行動不能になった直後に、沖の艦隊から放たれた艦砲射撃の餌食になり、先ほどまで最新式の戦車を蹂躙していた筈の超重戦車が爆散する。

 

 そう、逆転していたのだ。

 

 こちらに全く被害がなかったわけではない。けれど、撤退した時に目の当たりにしたような地獄絵図はもう消え失せている。まるで百獣の王の群れが、自分よりも小さな草食動物の群れに追い立てられているような光景である。

 

「おお、勝ってる」

 

 地下鉄の駅の出入り口からバイクに跨って飛び出し、進撃する味方の戦車の群れの邪魔にならないように走りながら呟いた。後退しながら砲撃してくる敵の戦車を主砲で吹き飛ばしつつ進撃する戦車の群れの中には、先ほどの敵の反撃から生き残ったテンプル騎士団のエイブラムスやチャレンジャー2も混じっているらしい。

 

 反撃を開始した戦車部隊の中からチャレンジャー2(ドレットノート)を見つけた俺は、バイクで戦車の近くへと走っていく。俺の観測手(スポッター)を担当するために連れて行ったカノンの代わりにイリナが砲手を担当している筈だが―――――――百発百中が当たり前のカノンとは違って、彼女はそれほど砲撃が得意ではない。技術がカノンよりも低いからなのか、先ほどから火を噴いている120mm滑腔砲から放たれていくAPFSDSは敵の戦車に命中することはなく、砲塔を掠めて後方の廃墟を直撃している。

 

「あらあら、わたくしでなければダメですわね」

 

 俺の後ろで肩をすくめながら、カノンがそう言った。

 

 彼女の本職は砲手ではなく、あくまでもマークスマンライフルを使用した選抜射手(マークスマン)である。場合によっては迫撃砲や無反動砲で味方の支援を担当するとはいえ、彼女が一番使い慣れている得物はセミオートマチック式のライフルなのだ。

 

 でも、本職でないとはいえ彼女の砲撃は当たり前のように敵に命中する。今まであらゆる魔物や敵の戦車を葬ってきたし、最強の転生者と言われている親父にも、信管を抜いていたとはいえ粘着榴弾を直撃させるという戦果をあげたこともある。

 

 やっぱり砲手に一番向いているのは、こいつかもしれない。

 

 進撃しながらの砲撃で砲弾を外し続けている戦車に苦笑いしながら近寄っていき、バイクの速度を合わせながら装甲の表面をコンコンと叩く。雪が降り注ぐ戦場を走り回っていた戦車の装甲はひんやりとしていて、表面は溶けた雪が残した水滴が覆っている。それに舞い上がった塵が付着したせいなのか、走行を軽く叩いた左手の手袋には泥が付着してしまう。

 

 顔をしかめながら左手をハンドルに戻すと、今の音を聞いていたのか、キューポラの中から金髪の少女が顔を出してくれた。至る所で戦車や装甲車の残骸が焼ける臭いが充満する戦場の風を吸ったのか、一瞬だけナタリアは顔をしかめる。

 

 けれども俺たちの姿を見た瞬間、彼女は目を見開いた。

 

「た、タクヤ!? 2人とも無事だったのね!?」

 

「おう、敵の指揮官を消してきた! ほら、砲手は返してやるよ!」

 

 俺がそう言いながらちらりと後ろを振り向いてみると、後ろに乗っていたカノンは残念そうな顔をしながら制服の後ろをぎゅっと掴んでいた。どうやら彼女はもう少し俺と一緒にバイクに乗っていたいらしいが、そうしたら砲撃がそれほど得意ではないイリナに砲手を押し付ける羽目になる。

 

 今は戦闘中なのだ。吸血鬼の過激派を一掃し、メサイアの天秤を使って俺たちの理想を手に入れるために、奴らが持っている最後の鍵を手に入れなければならない。

 

 もう既に俺たちは、2つの鍵を持っている。あいつらが持っている鍵を手に入れれば、俺たちは天秤を手に入れることができるのだ。それゆえにこの戦いは、絶対に負けることは許されない。

 

 カノンは息を吐いてから手を離すと、そっと耳に小さな口を近づけてきた。まさかナタリアの前でキスをするつもりなのではないだろうかと思ったけれど、どうやら耳元で何かを囁くつもりらしい。

 

「お兄様、ところで…………わたくしがホテルでベッドを見た時、『また後で』と言った後に返事をしてくださいましたよね?」

 

「…………」

 

 はい、返事をしました…………。

 

 数十分前に、壁に空いた穴のせいでやけに寒かったホテルの部屋の中でアンチマテリアルライフルを構え、標的を狙撃する緊張と格闘していた時にそんな返事を返してしまったことを思い出した俺は、ヒヤリとしながら首を縦に振る。

 

 どうして断らなかったのだろうかと思ったけど―――――――カノンとは何度かキスをしているし、俺も彼女の事が好きだ。いつもはエロ本を堂々と読んでいる変態だけど、しっかりとしているところもあるし、時折幼少の頃の彼女を彷彿とさせるところも見せてくれる。

 

 俺やラウラにとっては大切な妹分だ。

 

 もしカノンとキスをした事がカレンさんやギュンターさんにバレたらどうなるだろう? カレンさんはきっと認めてくれるかもしれないけど、昔から過保護だったギュンターさんは難敵かもしれない。

 

 そういえば、もう俺はパーティーの全員とキスをしているじゃないか。しかも相手は5人である。

 

 いつの間にか、ハーレムが出来上がっていた。

 

 ニヤニヤしてしまいそうになったけれど、今は戦闘中だ。そういうことを思い出すのはタンプル搭に帰ってからでいいじゃないか。今は吸血鬼共を倒すことに集中しなければならない。

 

 カノンもそう思ったらしく、首を縦に振った俺を見て微笑みながら、隣を並走している戦車の上に飛び乗った。彼女の真っ黒な靴がチャレンジャー2の複合装甲を踏みしめ、靴と複合装甲が奏でた音が彼女が着地したことを告げる。

 

 やがて、戦車部隊が速度を落とし始めていた。砲塔の後ろや車体の上に乗っていた歩兵たちを下ろし始めたかと思うと、タンクデサントしていた歩兵たちが素早く整列し、敵の最終防衛ラインへ攻撃を仕掛けるための準備を始める。

 

 どうやらこのまま歩兵部隊と戦車部隊で突撃し、敵の最終防衛ラインに引導を渡すつもりらしい。

 

 しかも最終防衛ラインへの攻撃に参加するのは、地上部隊ではない。

 

 先ほどまで繰り広げられていた死闘を生き延びたヘリ部隊や、地上部隊をマウスやラーテの群れから救ってくれたA-10Cの群れが―――――――段々と、地上部隊の上空に集まり始める。

 

 タンクデサントしていた兵士だけではなく、戦車部隊の後方を爆走していた装甲車の兵員室からも、続々と重装備の兵士たちが姿を現す。フェイスガードのついた武骨なヘルメットやボディアーマーを身に纏う兵士がLMGを肩に担ぎながら隊列を組み、屈強な数名の兵士が迫撃砲を運搬していく。

 

 彼らを最前線に下した装甲車たちは再び戦車部隊の後方に並び、大口径の機関砲と対戦車ミサイルを装備した砲塔を、敵の最終防衛ラインがある方向へと向ける。その上空ではスタブウイングに対戦車ミサイルやロケットポッドをこれでもかというほど搭載し、機首にセンサーと機関砲が搭載されたターレットをぶら下げたスーパーハインドやホーカムが飛び交い、更に上空ではA-10Cの群れが編隊を組み直している。

 

 すべての戦力を最終防衛ラインに叩きつける、連合軍の攻勢だ。

 

 戦車たちが速度を落としている間に、俺もバイクから降りた。敵の防衛ラインから俺とカノンを無事に撤退させてくれた相棒に感謝しながら装備から解除し、メニュー画面を素早くタッチ。いつも装備している武器を装備し、攻勢に参加する準備を整える。

 

 まず、狙撃にも使ったOSV-96はそのまま背中に背負っておく。メインアームはポーランド製グレネードランチャーのwz.1974パラドを装備したAK-12で、グリップやマガジンやハンドガードなどをベークライト製の部品に変更している。チューブタイプのドットサイトとブースターを装備しており、マークスマンライフルほどではないけれど中距離狙撃にも対応可能だ。使用する弾薬は従来の5.45mm弾ではなく、より大口径の7.62mm弾。もちろん弾丸は銀の弾丸に変更してある。

 

 サイドアームはロシア軍のためにアメリカが製造したウィンチェスターM1895をソードオフ型に改造したレバーアクションライフル。それを2丁装備しておく。銃身をかなり切り詰めたため本来の命中精度はかなり落ちており、近距離での射撃でなければ真価を発揮できないほどだ。そのため照準器は従来の物ではなく、やや大きめのピープサイトを採用した。使用する弾薬はモシン・ナガンと同じく7.62×54R弾であるため、貫通力や殺傷力はハンドガンとは比べ物にならない。とはいえ5発しかライフル弾を装填できない上にレバーアクション式であるため、連射速度がハンドガンよりも遅いという欠点がある。

 

 あとはいつも愛用しているテルミット・ナイフ。黒色火薬で柄の中に内蔵しているカートリッジの中にある粉末に着火し、テルミット反応を起こした超高音の粉末を敵にぶちまけるというとんでもないナイフである。その代わり古めかしいフリントロック式であるため、粉末をぶちまけるには手間がかかるという欠点がある。しかも今回は対吸血鬼用に、カートリッジの中身は銀の粉末にしてある。

 

 それと、逃げていく敵を殲滅するために―――――――もう1つとんでもない代物を用意しておいた。

 

 メニュー画面を素早くタッチして出現させたそれは―――――――銃身の下部ではなく、上部からマガジンが突き出ているのが特徴的なLMGである。新型のLMGでは一般的なピストルグリップではなく、旧式のボルトアクションライフルを思わせる銃床になっている。長い銃身を覆っているのはバレルジャケットで、銃身の上から突き出たマガジンの脇からはキャリングハンドルが突き出ている。

 

 俺が装備したこの得物は、第一次世界大戦が勃発するよりも前に生産された『マドセン軽機関銃』と呼ばれるデンマーク製のLMGである。大昔に活躍したLMGで、構造が複雑である代わりに非常に頑丈であり、しかも様々なライフル弾をフルオートでぶっ放すことができるという特徴がある。

 

 とはいえ、装着されているマガジンに装填されている弾丸の数はアサルトライフルとあまり変わらないため、当たり前のように50発以上の弾丸をフルオートで連射できる現代のLMGと比べると劣ってしまう。

 

 使用する弾薬を7.62×54R弾に変更し、マガジンや銃床などの部分をベークライト製の部品に変更することで可能な限り軽量化したマドセン軽機関銃をチェックしながら、俺も兵士たちの隊列に紛れ込む。他の兵士たちがAK-12ばかり装備しているせいなのか、古めかしい銃を装備して紛れ込むと目立っているような気がする。

 

「ほう、マドセンか。いいものを持ってるじゃねえか」

 

「おう、親父」

 

 突撃の号令を待っていると、いきなり後ろから親父に声を掛けられた。この大軍を指揮する総大将が最前線にいるのは考えられないことだが、はっきり言うとこの男は司令部やCICで指揮を執るよりも、最前線で一般の歩兵と一緒に突っ込ませた方が似合っているような気がする。指揮を執るのに向いていないというわけではないが、こいつが突っ込んだ方が味方の生存率も上がるだろう。

 

 周囲の兵士たちは親父がいる事に気付くとざわつき始めたけど、もう慣れてしまったのか、「あまり無理はしないでくださいよ、同志」と言いながら苦笑いし、自分の得物の最終チェックを始める。

 

 よく見ると、この歩兵の群れの中には母さんやエリスさんも紛れ込んでいるようだ。親父の後ろにはこいつが手塩にかけて育てたリディアもおり、風穴の空いたシルクハットをかぶったまま静かに目を瞑っている。

 

 リディアは銃を持っていないが、銃を使うつもりはないのか? 本当に刀だけで突っ込むつもりか?

 

 じっと彼女を見つめていると、親父の近くへとやってきた母さんが静かに俺の頭をフードの上から撫でてくれた。小さい頃はよく撫でてもらっていたけれど、成長して身長が伸びたせいなのか、当たり前だけどあの頃よりも母さんが小さく見える。

 

「無理はするなよ、タクヤ」

 

「分かってるって。心配し過ぎだよ、母さん」

 

「うむ。…………だが、この男の息子だからなぁ…………」

 

 そう言いながらじろりと親父を睨みつける母さん。かつて転生者を絶滅寸前に追い込んだ魔王でも、未だにこの最強の奥さんには敵わないらしい。必死に目を逸らしながら冷や汗を拭い去り、わざとらしくAK-12のチェックを開始する。

 

 母さんにも「無理をするなよ」って言いたかったけど―――――――俺たちの両親には、そんなことは言えない。なぜならば俺たちの父と母たちは、最強の傭兵ギルドであるモリガンの傭兵たちなのだから。

 

 1人で騎士団の一個大隊並みの戦力を持つと言われたモリガンの傭兵たちを心配できるわけがない。というより、心配する必要がない。

 

「ふふふっ。それにしても、たくましくなったわねぇ…………」

 

「え、エリスさん…………」

 

 エリスさんは俺たちが旅立った時から全然変わっていない。さすがに海底神殿で戦った時は真面目だったけど、今は家にいる時と全く変わらない。

 

『ふにゃあっ!? ママ、タクヤを襲っちゃダメだよ! タクヤは私の弟なんだから!』

 

「え? ダメ?」

 

 襲うつもりだったのかよ!?

 

 エリスさん、戦闘前ですよ!? しかも周りにたくさん兵士がいますし、俺たちは親子ですからね!? 息子を襲わないでくださいよ!?

 

 というか、ラウラは俺を見張ってたのか…………。どこから見張ってるんだろう?

 

『ダメに決まってるでしょ!? ママはパパを襲いなさいっ!!』

 

「「はぁっ!?」」

 

「はーいっ♪ というわけでダーリン、いいわよね?」

 

「べ、別に構わないけど…………家に帰るまで我慢しろよ?」

 

「はーいっ♪」

 

 ハヤカワ家の男って、本当に女に襲われやすいんだなぁ…………。親父も俺たちが生まれる前は、子供が何人生まれてもおかしくないほど搾り取られていたらしい。

 

 これって呪いなのかな?

 

「はぁ…………」

 

「す、凄い両親だね…………」

 

「ああ、イリナか」

 

 隣にやってきたイリナはどうやらさっきの親父たちの話を聞いていたらしく、顔を真っ赤にしながらサイガ12Kの安全装置(セーフティ)を解除している。

 

 ラウラは後方で狙撃して俺たちの進撃を支援する予定なのか、こっちに合流する気配はない。そのため俺はイリナや他の戦車部隊と共に進撃し、最終防衛ラインの敵を蹂躙することになる。

 

 歩兵の隊列の前に、ホイッスルを手にした兵士が躍り出る。モリガン・カンパニーの制服に身を包んだその兵士はホイッスルを口に咥えると、得物を構えて突撃する準備をする歩兵たちや戦車の群れを見渡してから―――――――廃墟と化した帝都に、ホイッスルのけたたましい音を響かせた。

 

『ピィィィィィィィィィィィィッ!!』

 

「「「「「「「「「「УРааааааааааа!!」」」」」」」」」」

 

 ホイッスルの甲高い残響を、無数の兵士たちの雄叫びが突き破る。AK-12を手にしてもう突進を始めた兵士たちの頭上をヘリやA-10Cたちが通過していき、兵士から適度に間隔をとった戦車部隊もエンジンの音を響かせながら前進を開始する。

 

 沖と図書館で待機している戦力以外をすべて投入した、連合軍の猛攻撃。漆黒の制服に身を包んだ兵士たちが瓦礫の山と化した帝都を駆け抜け、最終防衛ラインへと逃走していく敵の戦車部隊を追う。

 

 無数の黒い兵器が、雪に覆われ欠けている白い大地を蹂躙する。

 

 やがて逃走していった戦車の群れが停車し―――――――再びこちらに砲身を向けた。これ以上後退するわけにはいかないと判断したのだろうかと思いつつ射撃の準備をしたが、どうやらあのレオパルトたちが停車した位置が最終防衛ラインらしい。よく見てみると、俺とカノンが狙撃に利用させてもらったホテルの建物が右側にうっすらと見えている。

 

 ここが、敵の本拠地前の最後の防衛ライン。ここを突破すれば、ついに本拠地への攻撃に移ることが許される。

 

 だが―――――――瓦礫や廃墟の中でLMGや重機関銃を構え、無反動砲を準備している敵の数はかなり多い。敵部隊やこちらは未だに1発も撃っていないが、ここでも死闘が繰り広げられることになるのはすぐに理解できた。

 

 そして、敵が先制攻撃を仕掛けようとしたその時だった。

 

 まるでサイレンのような音が響いたかと思うと―――――――凄まじい速度で急降下してきた1機のA-10が、分厚い主翼の下部に搭載されている2門の榴弾砲を同時にぶっ放し、それをレオパルトの砲塔の上部に叩き込んだのである。キューポラを正確に射抜いたその一撃は車内へと飛び込むと、瞬く間にそのレオパルトを火達磨にしてしまう。

 

 体勢を立て直しながら再び上昇していくA-10。2門も榴弾砲を搭載するというとんでもないカスタマイズをしているその機体のパイロットは、きっとミラさんに違いない。

 

 彼女の一撃が―――――――最初に放たれた一撃だった。

 

 その直後、今度はヘリ部隊が一斉に襲い掛かる。こちらに照準を合わせていた敵の戦車部隊に対戦車ミサイルを撃ち込み、無反動砲や対戦車ミサイルの準備をしていた敵兵をターレットの機関砲で始末していくホーカムたち。

 

 爆風の中で、戦車が木っ端微塵になっていく。容赦のないロケット弾や機関砲の雨が歩兵を吹き飛ばし、雪を敵兵の血肉や身体の破片で覆っていく。

 

 そして、ついに俺たちの番になる。

 

 今の攻撃の餌食にならなかった射手が、大慌てで設置されている重機関銃のグリップを握る。照準器で俺たちに照準を合わせるが、奴がトリガーを押すよりも先にその兵士の頭に風穴が開いた。

 

 がくん、と頭が大きく揺れ、後方に頭蓋骨の一部や血肉が飛び散る。

 

 そいつの命を奪ったのは、俺が持つマドセン軽機関銃から放った1発の7.62×54R弾だった。モシン・ナガンが発射する弾薬と同じ弾薬で頭を撃ち抜かれる羽目になった兵士はそのまま仰向けに崩れ落ちると、風穴から溢れ出る鮮血で雪を赤く染めはじめた。

 

「イリナぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「分かってるッ!」

 

 サイガ12Kを構えるイリナが、人間を上回る瞬発力で最前列へと飛び出す。そしてフラグ12がたっぷりと装填されたショットガンを敵の隊列へと向け――――――凄まじい勢いでぶっ放し始めた。

 

 爆発する得物を好む彼女の猛攻は、味方を誤って巻き込む可能性はあるものの、味方が巻き込まれる可能性が低い状況ではこれ以上ないほど獰猛な破壊力を発揮する。立て続けに炸裂弾を叩き込まれた敵の最終防衛ラインからは爆炎だけではなく肉片や腕の一部が舞い上がり、無数の小さな爆風が敵兵たちを蹂躙していく。

 

 敵の塹壕に肉薄した兵士たちが飛び込んでいき、至る所で白兵戦が勃発する。スコップを引き抜いた兵士が敵兵に殴りかかり、慌てふためく敵兵たちをアサルトライフルのフルオート射撃で薙ぎ倒していく。

 

 ヴリシア侵攻作戦は、もう終盤だ。ここを突破すれば、あとは敵の本拠地を攻撃するだけである。

 

 とはいえ、本拠地が一番危険だろう。そこには―――――――吸血鬼の女王である、アリア・カーミラ・クロフォードがいるのだから。

 



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最終防衛ライン制圧

 

 

 

 雄叫びを上げながら銃剣付きの得物を構え、LMGや重機関銃の銃弾が傍らを掠めてもお構いなしに突っ走っていった数多の兵士たちの戦いは、銃撃戦から白兵戦へと変貌していた。とは言っても最新のライフルで銃弾を撃ち合う真っ当な銃撃戦から、時代遅れとしか言いようがない白兵戦へと変貌させてしまったのは俺たちだ。どれだけ命中精度の良いアサルトライフルでも、ナイフや剣で斬りつけることができる距離ではほとんど役に立たない。それに、そもそもこの世界では魔術や弓矢などを扱う技術がない限り、基本的に”真っ当な戦い”は至近距離での白兵戦なのだ。

 

 この異世界で仲間にした数多の兵士たちもそっちの方がやりやすい筈だ。だから親父は、この戦法を選んだのだろう。

 

 重機関銃や迫撃砲が設置された塹壕の中に転がり込んだ兵士たちが、スコップやナイフで敵兵を斬りつけている。中には武器をアサルトライフルからハンドガンに持ち替えて応戦したり、素手で敵兵をひたすら殴りつけているオークの兵士も見受けられる。オルトバルカ語とヴリシア語の罵声が交じり合う戦場へと、今から俺たちも突っ込まなくてはならない。

 

 アサルトライフルよりもがっちりしている旧式のLMGを構え、こっちにMG3を向けていた敵兵の頭をズタズタにする。照準器の向こうで敵兵の頭が砕け散ったのを一瞥しつつ、泥の混じった上に熱を発する大きな薬莢を残して突っ走る。

 

 先陣を切っていった兵士たちがぶち破った鉄条網を突破し、元々は大きな公園だった場所に敵が掘った塹壕の中へと転がり込む。武装した兵士たちが走り回っていたせいなのか、塹壕の中に降り積もっていた筈の雪はあらかた溶けて姿を消しており、塹壕の中の土を泥へと変貌させていた。

 

 お気に入りの黒いブーツで泥を踏みつける不快な感覚を感じながら顔をしかめつつ、左手でマドセン軽機関銃のキャリングハンドルを握る。先ほど俺が機関銃の射手を片付けたことに敵兵が気付いたらしいけど、迫撃砲で砲撃していた真っ最中だったのか、そいつの得物は近くにある木箱の上に転がっていた。慌ててホルスターからハンドガンを引き抜こうとするが―――――――もちろん、俺がマドセン軽機関銃のトリガーを引く方が早い。

 

 バレルジャケットが装着された銃口でマズルフラッシュが煌き、その向こうでハンドガンを引き抜きかけていた敵兵の身体が砕け散る。アサルトライフルよりも強烈な反動を感じつつ、そのままフルオート射撃を継続。隣でG36Cを構えようとしていた敵兵もついでに射殺し、近くにあった物陰に飛び込む。

 

 泥の飛沫がコートに降りかかる。敵が放った銃弾が泥だらけの地面に着弾し、塹壕の地面を抉る。

 

 銃撃が止まった瞬間にすかさず顔を出し、マドセン軽機関銃で反撃。数秒ほどフルオート射撃をするけれど、この旧式のLMGに装着できるマガジンの中の弾薬の数は、現代のアサルトライフルとあまり変わらない。弾薬が反発も連なるベルトや、たっぷりと弾薬が入っているドラムマガジンではないのだ。

 

 素早く機関銃と自分の頭を物陰に引っ込めつつ、ベークライト製のマガジンを取り外す。銃の上部に次のマガジンを装着してコッキングハンドルを引き、キャリングハンドルから離した手を腰のポーチへと突っ込む。中から手榴弾を掴み取り、いつものように安全ピンを引き抜いてから敵へと放り投げた。

 

 今日は12月24日なんだから、せめてリボンでもつけてやればよかったと後悔した瞬間、俺が隠れていた場所の向こうでちょっとした火柱が上がり――――――無数の泥の破片と、泥まみれになった敵兵の首が、ごろりと俺の目の前に落下してきた。

 

 爆風で皮膚がすっかりと抉れてしまったそれを見て顔をしかめ、物陰から飛び出す。短時間とはいえ泥まみれの人間の首と物陰で”同居”したくなかったし、いつまでも隠れているわけにはいかないからな。

 

 さっきの手榴弾の爆発で舞い上がった泥のシャワーを浴び、泥だらけになってしまったマドセン軽機関銃を構えながら塹壕の奥へと進む。信頼性の低い銃ならば瞬く間に泥のせいで作動不良を起こしてしまいそうな塹壕の中は、ちょっとした泥沼のような場所だった。一歩進む度にブーツが足元の泥に呑み込まれ、不快な足音を立てる。前に進むために足を動かそうとすると、まとわりつく泥のせいで足が重くなってしまう。

 

 白兵戦は得意分野だが、一刻も早くこんなところから出たい。シャワーを浴びて汚れを落とし、お姉ちゃんとイチャイチャしたい。

 

 そんなことを考えながら先へと進み、塹壕の外から殺到してくる味方を撃ち殺すことに夢中になっている敵兵を、側面か背後から次々に撃ち殺していく。自分たちが配属された塹壕の中に敵兵が入り込んでいるとは思わなかったのか、俺に気付いて反撃してくる奴は殆どいない。

 

 しかし、奮戦していた重機関銃の射手を片っ端から片付けていたせいで、奥の方にいた敵兵が俺たちに気付きやがった。ヴリシア語で叫びながら銃ではなくスコップを引き抜き、泥をまき散らしながら突っ込んでくる。

 

 どうやら、あの敵兵はヴリシア語で『おい、女が攻め込んできやがった!』と叫んだようだ。幼少の頃の言語を”今の”母語に頭の中で素早く翻訳し終えた俺は、また自分の本当の性別を見抜いてもらえなかったことに失望しつつ、ため息をつきながらトリガーを引いた。

 

 狙ったのは敵兵の胴体や頭などの”まともな部位”ではなく―――――――息子である。

 

「ギャッ!?」

 

 男を女と間違えるからだ、くそったれ。

 

 多分、俺は一生このように性別を間違えられ続けながら生きていくことになるだろう。さすがに老人になれば女と見間違えられることはないと思うけど、それまでに何度も間違えられることになるのは想像に難くない。

 

 もう間違えられることには慣れてしまったけど、敵兵にまで間違えられるとなぜかムカつく。

 

 だから、ちょっとした八つ当たりをすることにした。ライフル弾のフルオート射撃を息子に叩き込まれる羽目になった敵兵は、痛々しい悲鳴を上げながら泥まみれの地面に崩れ落ちていった。

 

「ねえ、女の子に間違われるのが嫌ならポニーテール止めれば?」

 

 後ろでフラグ12を装填したサイガ12Kを連射し、後方の敵を片っ端からミンチにしているイリナが、片手をフードの中に突っ込んで俺の髪に触れながらそう言った。確かにこの髪型のせいで間違われているのかもしれないけど、基本的に俺はいつもフードをかぶったまま行動しているから、この髪が戦闘中にあらわになることは殆どない。ということは敵は体格か顔つきで俺を女だと判断しているんだろう。おそらく顔つきの方が可能性は高い。

 

 はっきり言うと、俺の顔つきは母さんと本当にそっくりだ。突撃する前に母さんと話をしていた時、どういうわけか俺は母さんと話をしていたのではなく、もう1人の自分と話をしているような変な感覚を味わう羽目になった。

 

 なので、髪型を変えた程度で男だと思ってもらうのは無理だろう。だから体格を男らしくしようとして筋トレを続けているんだけど、筋肉はそれなりについているはずなのに全然がっちりした体格になる気配はない。

 

 つまり、俺が男らしい容姿になるのは―――――――不可能である。

 

「くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「え!? キレた!?」

 

 雄叫びを上げながらトリガーを引き続け、マガジンの中の弾丸を全てぶっ放す。瞬く間にマガジンの中が空っぽになり、マドセン軽機関銃の銃口から勇ましいマズルフラッシュが消え失せてしまう。

 

 次のマガジンに交換しようと思ったけれど―――――――今の怒りを込めたフルオート射撃から生き残った敵兵が泥まみれのスコップを振り上げながら突っ込んできたことに気付いた俺は、とりあえずマガジンを取り外した状態のマドセン軽機関銃を構え、真上から振り下ろされたスコップを受け止めた。

 

 がちん、と金属製のバレルジャケットに金属製のスコップが激突する。スコップの表面から剥離した泥が俺の顔面に降りかかり、フードの中をどろりとした泥で濡らしていく。

 

 そのまま両腕をキメラの外殻で覆い、敵兵を力任せに突き放す。予想以上の力で突き飛ばされかけた敵兵は何とか踏ん張ったものの、俺がすぐに突き出した軽機関銃の銃身を受け流すのは無理だったらしい。先ほどまで弾丸を放ち続けていた熱々の銃口が顎に叩き込まれ、再びぐらりと体勢を崩してしまう。

 

 その隙にポーチの中からベークライト製のマガジンを引っこ抜く。銃の上部に素早くマガジンを差し込み、左手でキャリングハンドルを握りつつ右手でコッキングレバーを勢いよく引く。がちん、とコッキングレバーが元の位置へと戻り、薬室の中で7.62×54R弾が出番を待っていることを告げた直後、俺は躊躇せずにトリガーを引いていた。

 

 泥と火薬の臭いが支配する塹壕の中で、またマズルフラッシュが煌く。旧式のLMGが放った弾丸が目の前の敵兵の胴体をズタズタに食い破り、血まみれの蜂の巣へと変えてしまう。

 

 泥の飛沫を上げながら塹壕の地面に倒れる敵兵。瞬く間に泥水を吸った彼の軍服が真っ黒に染まってしまったせいなのか、まるで墓地で力尽きてしまったゾンビのように見える。

 

 今マドセン軽機関銃に装着しているのが、このLMG用の最後のマガジンだ、これを撃ち終わったらアサルトライフルやレバーアクションライフで敵を蹴散らしつつ、遠距離の敵を俺たちの相棒(OSV-96)で撃ち抜くしかない。

 

 泥の飛沫で汚れている背中のアンチマテリアルライフルをちらりと一瞥し、俺は微笑んだ。

 

 21年前から、親父はずっとこのOSV-96を愛用しているという。何度も普通では考えられない無茶なカスタマイズをされながら最強の転生者と共に死闘を生き抜いたロシア製のアンチマテリアルライフルは、親父の相棒とも言える。

 

 そしてこいつは、俺の相棒でもある。フィエーニュ村を後にしてから俺もこのライフルをずっと愛用しているし、敵の指揮官を狙撃するという危険な任務の時も、命中精度の高い他のスナイパーライフルよりもこのOSV-96を選んだ。使い慣れている得物だし、俺はこいつを信頼しているからだ。

 

 非常に頑丈だし、威力も高い。射程距離も長い上に連射し易い最高のライフルである。

 

 俺みたいに華奢な男子には似合わないライフルかもしれないが、俺にとっても大切な相棒なのだ。

 

「タクヤ、塹壕から出て!」

 

「!」

 

 唐突に聞こえてきたのは、フラグ12をこれでもかというほど装填したショットガンでひたすら敵兵を吹っ飛ばし続けている吸血鬼の少女が発した声ではない。イリナの声と比べると落ち着いていて、より大人びた声。冷たい声にも聞こえるけれど、幼少の頃からこの声を聴いていた俺にとっては優しい声にも聞こえる。

 

 返事をするよりも先に、咄嗟にLMGのキャリングハンドルから手を離した。そしてその左手をイリナの制服の袖へと伸ばして彼女の白い手を掴んだ俺は、いきなり手を掴まれてびっくりする彼女を塹壕の中から思い切り引っ張り出す。

 

 泥だらけの塹壕の地面を踏みしめていた彼女のブーツが泥の枷から解放され、まだブーツにこびりついていた泥の雫が雪の上に真っ黒な斑模様を刻み込む。

 

 その直後、背後から冷気を感じたかと思うと、いつの間にか塹壕の地面が氷で覆われていた。塹壕に足を踏み入れた兵士たちのブーツに絡みつき、彼らの得物を真っ黒に汚していた忌々しい泥が、まるで氷を日光に当てたかのような光沢を放ちながら塹壕の中を覆い、逃げ遅れた兵士たちの足を押さえつけているのである。

 

「な、なんだこれは!? 魔術か!?」

 

「くそ、出られない!」

 

 スコップを氷に突き立てたり、何とか手にしていたアサルトライフルで足元の氷を砕こうとする兵士たちだが―――――――彼らの行動はただの悪足掻きにしかならなかった。普通の氷ならばスコップを突き立てられたり、5.56mm弾のフルオート射撃を叩き込まれれば容易く砕けてしまう筈である。いくら硬いとはいえ、装甲車の装甲には全く及ばない硬さなのだから、こちらもそれなりに硬い得物があれば砕くのは容易だ。

 

 しかし兵士たちの足を氷漬けにしたその氷は、明らかに普通の氷とは違う。

 

 氷を砕くために振り下ろされたスコップをはじき返し、あろうことか5.56mm弾のフルオート射撃をことごとく跳弾させ、悪足掻きを続ける哀れな兵士たちを逆に殺傷していく。

 

 自分の放った銃弾に胸板や喉元を撃ち抜かれる羽目になった兵士たちは、両足を氷に押さえつけられているせいで、まるでくつろいでいるかのような不自然な体勢で崩れ落ちていった。

 

 氷属性の魔術は、あらゆる魔術の中でも習得する難易度が高い方と言われている。魔力の圧力や強さによって生成できる氷の強度が異なるため、それの調節が上手くできなければ攻撃や防御には全く使えないような脆い氷しか生成できないためだ。そのため、魔術師の大半は習得が楽な炎属性や雷属性の魔術を好む傾向がある。

 

 それゆえに氷属性の魔術を得意とする魔術師は重宝されるのだ。今しがた塹壕の中を氷漬けにした張本人も、そのうちの1人である。

 

 銃弾すら弾き返してしまうほどの強度の氷を生成できる人物は、2人しか知らない。

 

 片方は腹違いの姉のラウラ。とは言っても彼女の場合は防御には使わず、自分の姿を氷の粒子で隠したりする程度だ。

 

 そう、基本的にこんな使い方をするような人は、もう1人の方である。

 

 かつてラトーニウス王国最強の騎士と言われ、彼女がラトーニウスにいるだけでオルトバルカ王国騎士団が迂闊に攻め込めない理由を作っていた、元ラトーニウス王国騎士団の切り札。俺の母の姉であり、魔王の妻の1人。

 

 ラウラの母である、エリス・ハヤカワである。

 

 後ろを振り向いてみると、やはりそこに彼女がいた。真っ黒なモリガン・カンパニーの制服に身を包んでいるけれど、彼女のために用意された特注品なのか、他の女性社員の物と比べるとデザインが違う。大きな胸が収まっている胸元は開いていて、右肩にはモリガン・カンパニーとモリガンのエンブレムが描かれている。

 

 髪の色は俺と同じく蒼い。母さんとは違って蒼くて長い髪を左右だけお下げにしており、纏っている雰囲気は普段ならば”優しそうな女性”のような雰囲気である。堂々とエロ本を読む変態だということと料理がかなり下手だという事を除けば、結婚できた男は幸せ者だと思えるほどの美しい女性だ。

 

 娘であるラウラを彷彿とさせる目つきの彼女は俺を見つめながらにっこりと笑うと、後ろを振り向いてからウインクする。

 

「さあ、行ってらっしゃい♪」

 

 その直後、彼女の後ろから姿を現したもう1人の女性が、背中の鞘からバスタードソードを引き抜きながら氷漬けになった塹壕の中へと飛び込んでいった。

 

 動き易さを重視しているのか、その女性の制服は露出の多いエリスさんの制服と比べると露出が少なく、軍服に近いデザインになっている。彼女と同じく蒼い髪の女性は右手でバスタードソードの柄を握りつつ、腰の左側にある大きなホルダーの中からSMG(サブマシンガン)と思われる銃を引き抜くと、それを氷のせいで身動きが取れない敵に向かってぶっ放しながら、氷の上を滑って移動していく。

 

 彼女も、魔王の妻である。俺の親父と共に死闘を戦い抜いた傭兵の1人だ。

 

 そう、俺の母であるエミリア・ハヤカワである。顔つきがそっくりである上に髪型まで同じ性なのか、時折自分でも見分けがつかなくなってしまうほどだ。

 

 母さんが左手に持っている銃は―――――――アメリカ製SMG(サブマシンガン)の『クリス・ヴェクター』だろう。従来の銃とは全く違う形状が特徴的な銃だ。普通ならば真下か銃口側に傾いたマガジンが装着されているんだが、クリス・ヴェクターはグリップ側に傾いているマガジンを採用している。

 

 使用する弾薬は、アメリカ製ハンドガンの『コルトM1911』と同じく.45ACP弾。弾速がやや遅いという欠点があるものの、ストッピングパワーが他のハンドガン用の弾薬と比べると強烈であるという利点がある。

 

 クリス・ヴェクターはそんな獰猛な弾薬を、かなり反動を抑え込んだ状態で射撃することができるのである。そのため強力な弾丸を高い命中精度で連射することが可能なのだ。

 

 更に汎用性も高いという長所があり、フォアグリップやホロサイトを搭載することで更に命中精度を上げることも可能である。けれども母さんはそれほどカスタマイズしていないらしく、搭載しているのはオープンサイトのドットサイトのみ。折り畳み式の銃床も取り外してコンパクトにしているため、銃撃戦よりも近距離での牽制に使用するために最適化しているのが一目で分かる。

 

 銃で反撃してくる敵兵に向かって強烈な.45ACP弾をばら撒きつつ―――――――氷の上を優雅に滑りながら接近していった母さんが、サラマンダーの角で作られたバスタードソードを薙ぎ払う。

 

 重そうな得物を片手で振るっているというのに、まるで小さなナイフを素早く振るっているかのような素早い剣戟だ。母さんが振るう剣の軌道は”辛うじて”見えるけれど、それを自分の得物で受け止めることになったら、きっと俺はあれよりも軽いナイフを2つも使っているにもかかわらず、対応しきれなくなってしまうだろう。

 

 騎士団に入団するよりも前から、毎朝欠かさず続けていた剣の素振りの成果だ。あの素早い上に重い斬撃の餌食になった転生者の数はかなり多く、転生者の討伐数は未だに俺よりも上だという。

 

 モリガンがまだ田舎の街に設立された無名の傭兵ギルドだった頃から、常に親父の隣で共に戦ってきた凄腕の剣士の実力は、まさに魔王と共に戦う”四天王”という称号を与えられるにふさわしい。最新型のアサルトライフルを持つ敵兵に肉薄して頭から真っ二つに切断し、更に一歩踏み出す母さん。死体を体当たりで吹っ飛ばして後ろにいる敵兵の体勢を崩しつつ、振り下ろしたばかりのバスタードソードで地面を擦りながら、火花が散るほどの速度で強引に振り上げる。

 

 剣を振るった直後の彼女にスコップで殴りかかろうとする敵兵に左手のクリス・ヴェクターを突き付け、顔面を蜂の巣にする。血まみれの肉片が付着したヘルメットが地面に転がり、首から上をズタズタにされた死体が塹壕の中に崩れ落ちる。

 

 母の剣術に見惚れていると、周囲の敵兵をいつの間にか殲滅していた母さんが、こっちを振り向きながら微笑んだ。

 

 俺も負けてられないな…………。

 

 まだまだ、母さんたちには追いつけていないのだから。

 

「行くぞ、イリナ!」

 

「了解(ダー)、援護なら任せて!」

 

「テンプル騎士団の同志諸君へ! モリガンや殲虎公司(ジェンフーコンスー)の先人たちに負けてる場合じゃないぞ! 前進だ!!」

 

 もう既に、敵の最終防衛ラインは崩壊しかけている。至る所に用意された塹壕の中から悲鳴が聞こえてきたかと思うと、数秒後にはその塹壕を陥落させたモリガン・カンパニーの兵士たちがぞろぞろと這い出ていく。そして次の塹壕の中へと雪崩れ込み、敵兵をスコップでぶん殴って黙らせていくのだ。

 

 こちらにも損害は出ているが――――――撤退すれば、敵に体勢を立て直すのを許すことになる。ここは俺たちも前に出るべきだ。

 

 塹壕から出て、俺たちも進撃する。俺やイリナの後方からチャレンジャー2に率いられたエイブラムスの群れが前進してきて、塹壕の向こうで砲撃を続けるレオパルトにAPFSDSを一斉にぶっ放していく。

 

 テンプル騎士団のエイブラムスやチャレンジャー2もさすがに被弾したらしく、今まで何度も敵の攻撃を防ぎ続けていた複合装甲には砲弾が命中した後や焦げた痕が刻み込まれている。中には砲塔の上のターレットから伸びる重機関銃の銃身をへし折られた車両もおり、他の車両に敵の歩兵を掃討してもらいながら前進している。

 

『タクヤ、命令を』

 

 チャレンジャー2の砲塔の上から顔を出しながら、ナタリアが手を振っている。

 

 そうだ、俺がテンプル騎士団の団長だ。あくまでもこの連合軍の指揮を執るのは今頃最前列の部隊で敵を蹂躙しまくっている筈の親父だが、テンプル騎士団の指揮を執るのは俺なのだ。

 

 しっかりしないと。

 

 マドセン軽機関銃のキャリングハンドルを握りながら、素早く今の敵の状態を確認する。航空支援を受けながら前進する連合軍に敵の守備隊は押されているものの、すっかり脅威がなくなったというわけではない。数は減っているけれども敵のレオパルトの部隊は健在で、中には辛うじて部隊の瓦解を防ぎつつ、集中砲火でT-14を撃破している戦車部隊もいる。

 

 俺の指揮下にある戦車は、エイブラムスが6両とチャレンジャー2が1両。そして、シュタージの140mm砲搭載型のレオパルト2A7+が1両。

 

 この中では最も規模が小さいとはいえ、俺たちだって死闘から生還してきた兵士なのだ。

 

 小規模な戦力でも―――――――側面から攻撃すれば、あの戦車部隊を無力化できる筈である。

 

「目標、2時方向の戦車部隊! 側面から奇襲し、味方の進撃を支援する!」

 

『『『了解(ダー)!』』』

 

続け(ザムノイ)ッ!!」

 

 俺たちまで親父たちに続いて突撃するよりも、こうやって援護した方が現実的だ。ああいう突撃は規模のでっかい部隊に任せればいい。逆に、こういう奇襲は小回りの利く小規模な部隊の方がやりやすいのだ。

 

 瞬時にそう判断した俺の頭上から、まるでサイレンのような音を奏でながらA-10が急降下してくる。まるでドイツのシュトゥーカを彷彿とさせる形状に改造された機体の主翼から2発の榴弾が放たれたかと思うと、それが敵の戦車を直撃し、瞬く間にスクラップにしてしまう。

 

 きっとミラさんの機体だ。あんな無茶な改造をした機体を飛ばせるのは、彼女しかいない。

 

 マガジンの中に20発ほどしか弾が残っていないマドセン軽機関銃を構えながら、俺はイリナや他の団員たちと共に敵の戦車部隊に突っ込んで行く。味方の戦車部隊へと砲撃を続けるレオパルトたちは俺たちに気付いていないようだが、その傍らで対戦車榴弾を装着したパンツァーファウスト3を装備している歩兵部隊はこっちに気付いたらしい。ヴリシア語で『おい、敵の奇襲だ!』と味方の戦車に報告しながら、こっちにG36Kを向けて乱射してくる!

 

 地面に伏せて回避しようと思ったが――――――俺はキメラだ。しかも外殻の生成が得意な、オスのキメラである。

 

 咄嗟に胸板を外殻で覆って5.56mm弾を弾きつつ、マガジンの中に残った7.62×54R弾を全部ぶちまける。トリガーを引きっぱなしにしたまま弾丸をばら撒き、銀の弾丸で敵兵を次々に射抜いていく。とはいえ、こいつはあくまでも旧式のLMG。ベルトを使用する現代のLMGと比べると弾数はかなり少ない。

 

 あっという間に弾薬を全て使い切ってしまった。マズルフラッシュが消え失せ、マドセン軽機関銃が沈黙する。片手でメニュー画面を開き、マドセン軽機関銃を装備している武器の中から解除。右手からマドセン軽機関銃が消失したのを確認しつつホルスターから2丁のウィンチェスターM1895を引き抜き――――――ぶっ放した。

 

 こいつが使用する弾丸も7.62×54R弾。しかしソードオフ型に改造したせいで命中精度はかなり低下しているため、接近戦でなければ真価は発揮できない。

 

 けれども接近戦は―――――――俺が真価を発揮できる距離でもある。

 

 すると、味方の戦車にパンツァーファウストを向けていた敵兵が、こっちへとパンツァーファウストを向けてきやがった。対人用の弾頭ではないとはいえ、あれの爆風を喰らえば人体は容易く引き千切られてしまうだろう。俺やイリナならば防いだり再生できるけど、他の兵士たちにとっては脅威になる。

 

 しかし―――――――それが火を噴くよりも先に、はるか後方から飛来した1発の銃弾がその対戦車榴弾へと飛び込み、俺たちに向けてぶっ放されるよりも先にそれを炸裂させた。

 

 膨れ上がった爆風が瞬く間にそれを構えていた兵士を飲み込み、装甲を貫く筈だったメタルジェットが爆風の中で荒れ狂う。爆風と衝撃波が周囲にいた敵兵たちを蹂躙し、敵兵がバラバラになる。

 

 生き残った兵士たちは、きっと弾頭が暴発したのだと勘違いしている事だろう。けれども今のは暴発なんかじゃない。――――――俺たちの後方にいる狙撃手が、ロケットランチャーの弾頭を、スコープを装着していない対物(アンチマテリアル)ライフルで正確に狙撃したのだ。

 

 もちろん、そんなことができる狙撃手は俺のお姉ちゃんしかいない。

 

 テンプル騎士団の部隊が歩兵部隊では手に負えないと理解したのか、レオパルトたちが砲塔をこっちに向ける。けれどもこちらにはもう既に砲撃準備を終えていた戦車がおり、こっちを攻撃しようとしているレオパルトたちに照準を合わせているところだった。

 

 俺たちの戦車部隊の先陣を切るのは―――――――チャレンジャー2と、レオパルト2A7+。搭載された大口径の滑腔砲が、敵のレオパルトへと向けられている。

 

『発射(アゴーニ)!』

 

『発射(フォイア)!』

 

 2両の滑腔砲が火を噴く。発射された砲弾の外殻を置き去りにした2発のAPFSDSがレオパルトの車体へと突き刺さり、火花を散らしながら複合装甲に大きなダメージを与える。

 

 チャレンジャー2に撃たれたレオパルトはまだ行動できるようだったけど、さすがに140mm砲で撃たれたレオパルトはその一撃で擱座したようだった。風穴から煙を噴き上げながらゆっくりと沈黙し、砲塔のハッチや車体のハッチから乗組員が大慌てで逃げ出していく。

 

 姿勢を低くしながら敵に肉薄し、両手のレバーアクションライフルを向ける。トリガーを引いて敵兵に風穴を開け、素早くスピンコック。華奢な手を使ってくるりとソードオフ型のレバーアクションライフルを回転させ、ライフル弾の薬莢を排出しつつ次の弾丸で攻撃する準備を終える。

 

 瓦礫の上に薬莢が落下して奏でる金属音を聴きつつ、右手のウィンチェスターM1895を発砲。そっちをスピンコックしている間に左手のウィンチェスターM1895で発砲し、同じくスピンコックする。

 

 敵も反撃してくるが、敵が銃口をこっちに向ける頃には、もう俺は身体を捻って銃口の先から逃げ出している。躱し切れない時は外殻の硬化を有効活用して弾丸を弾き飛ばし、それ以外の射撃は極力こうやって回避する。

 

 ラウラには視力やスピードで負けるけど、このような反応速度だったら俺の方が上なのだ。その気になれば弾速の速い弾丸も回避できるかもしれない。

 

 突出した俺に、他の兵士たちも追いつく。AK-12に銃剣を取り付けながら突っ込んできた兵士たちも銃撃を開始したり、銃剣やスコップで白兵戦を開始する。

 

「くそ、撃て! 先頭にいるあの女を殺せ!」

 

「俺の事?」

 

 だから、俺は男だって…………。

 

 レバーアクションライフルをぶっ放して敵兵を射殺し、ループ・レバーを引く。こいつの弾数は5発のみ。一般的なハンドガンと比べるとかなり少ない。しかも再装填(リロード)するにはマガジンの交換ではなく、ボルトアクションライフルのようにクリップで再装填(リロード)する必要があるのだ。

 

 片方のライフルをホルダーに突っ込み、右手の得物にクリップに束ねられた弾薬を装填していく。ループ・レバーを元の位置に戻して再装填(リロード)を終え、今度は左手に持っていたレバーアクションライフルも同じように再装填(リロード)。再び5発のライフル弾が発射可能になった得物を構えつつ、敵兵へと肉薄する。

 

 もちろん、再装填(リロード)している最中はひたすら敵の銃撃を回避する羽目になったけどね。

 

「ど、同志………何で攻撃を回避しながら再装填(リロード)できるんだよ…………」

 

「カッコいい…………!」

 

「俺、後で同志に告白してみようかな…………」

 

 えっ?

 

 ちょ、ちょっと待て。俺は男だよ? 告白されても断るよ?

 

 息を吐いてからレバーアクションライフルを敵に向けて発砲。敵兵の顔面にライフル弾をプレゼントし、次の標的を狙う。

 

 親父たちが率いる本隊は、もう既に最終防衛ラインを突破しつつあるようだった。航空支援で戦車部隊は至る所で残骸と化し、歩兵部隊は戦車に蹂躙される。敵が俺たちを迎え撃つために必死に構築していた筈の最終防衛ラインは、俺たちが奇襲を開始してから10分後に壊滅することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部下から報告を受けた俺は、顔をしかめながらホワイト・クロックの屋上を双眼鏡で確認する。一番最初の空爆や艦砲射撃を喰らうことなく帝都に鎮座し続けている美しい時計塔は21年前のままに見えるが、実はあの時計塔は俺とレリエルの戦いの最中に倒壊してしまっているのだ。俺が見つめているあれは、あくまでも復元された時計塔に過ぎない。

 

 吸血鬼が本拠にしているホワイト・クロックの屋上からは、確かに発行信号が見えた。

 

 最終防衛ラインを打ち破り、後方の味方に敵部隊の残党を残らず撃滅するように命令を下した直後、ホワイト・クロックを見張っていた部下が「屋上の展望台から発行信号が見えます、同志」と報告してきたのである。

 

 あの展望台で、かつて俺は吸血鬼の王と戦った。レリエル・クロフォードとあそこで21年前に戦った時の事を思い出しつつ、俺はその発行信号を解読する。

 

 その信号を解読していくにつれて、俺は今日の日付を忘れていたことに気付いていた。今日は12月24日である。

 

 そういえば、クリスマスだな。

 

 この戦いさえなければ、今頃みんなでクリスマスパーティーでもしていたに違いない。冒険から戻ってきた最愛の子供たちと共にパーティーをしているのを想像しながら、俺は静かに笑う。

 

「リキヤ、信号の内容は?」

 

「――――――休戦だってさ」

 

「休戦だと?」

 

 顔をしかめるエミリアに「ああ、休戦だ」と言いながら、最終防衛ラインが陥落したタイミングでこんな信号を送ってきた敵の本拠地を睨みつける。俺たちとの戦いでかなりの損害を出したから、休戦の間に増援でも呼ぶつもりなのだろうか? それとも、ただ単にクリスマスを祝いたいだけなのか?

 

 まるで第一次世界大戦のようだ。

 

 とりあえず、他の支部に増援を要請しておこう。休戦の間に戦力を増強し、あいつらを確実に潰せるように。

 

「休戦の期間はたった今から12月25日の正午まで。それ以降は戦闘を再開するらしい」

 

「馬鹿馬鹿しい。そんな申し出、却下して――――――」

 

「いや、受諾しよう」

 

「正気か? 今すぐ攻め込むべきだ。敵まで休ませる羽目になるのだぞ?」

 

 時計塔を見上げながらそう言うと、休戦を却下するべきだと考えていたエミリアが目を見開いた。確かに敵の本拠地を包囲し、いつでもそのまま最後の攻撃を開始できる状況で敵と一緒に休戦するのは愚の骨頂かもしれない。

 

 しかし、敵の兵力はかなり数が減っている。それに対してこちらの戦力は、損害を出したとはいえ未だに敵の20倍以上。橋頭保も確保しているため、しばらくは物資に困ることもない。

 

「そろそろ同志たちを休ませなければな。その間にしっかりと補給して、明日の午後に敵を滅ぼしてやればいい。吸血鬼共に最後の晩餐を楽しむ時間を与えてもいいだろう?」

 

 それに、明日の正午までにはフィオナが開発した”新兵器”もオルトバルカからヴリシアに届く筈だ。そいつを投入すれば、容易くチェックメイトできるだろう。

 

 発行信号が見える塔を見上げながら、俺はニヤリと笑った。

 

 あそこに、今は吸血鬼の女王がいる。かつてはレリエル・クロフォードの眷属だった少女が、奴の後継者を名乗って吸血鬼たちを統率しているのだ。

 

 明日の午後、決着をつけよう。

 

「――――――さあ、クリスマス休戦だ」

 

 

 

 

 

 



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休戦 前編

 

 その知らせを聞いた瞬間、きっと俺はポカンとしながら仲間たちからの報告を耳にしていた事だろう。

 

 最終防衛ラインを無事に突破し、これからついに吸血鬼たちの本拠地に殴り込む直前だった。ポーチの中にあるマガジンの数を確認し、その中に納まっているAK-12用の7.62mm弾がちゃんと装填されていることも確認しつつ、他の得物も点検して準備していたその時に―――――――クリスマス休戦の知らせを聞いたのである。

 

 こんなに強烈な肩透かしは経験したことがない。数分後には始まっていた筈の宮殿とホワイト・クロックへの総攻撃が、明日の正午まで延期になってしまったのだ。俺だけではなく、この作戦に参加したすべての兵士たちが同じことを考えているのは想像に難くないだろう。

 

 近くに停車し、砲塔の上のハッチにKord重機関銃の弾薬がたっぷりと入った箱からベルトを引っ張り出して、ハッチの近くに備え付けられている機関銃にそれを装填していたテンプル騎士団の兵士が、機関銃のカバーを開けた状態で両手を止めながらポカンとしている。やっと少しずつ総攻撃が延期になったという事を理解しつつあった俺と目を合わせたそいつは、表情を全く変えずに報告してきた兵士の方へと視線を戻すと、ぱたん、とカバーを元の位置に戻してため息をついた。

 

「マジかよ」

 

「ああ、同志。本当だよ。同志リキノフはこの”クリスマス休戦”を受諾した」

 

 クリスマス休戦か…………。確かに、今日は12月24日。この世界中のあらゆる家庭ではクリスマスパーティーが始まっている時間だろう。テーブルの上にいつもよりも豪華な料理が並び、それを見て目を輝かせる子供たち。大好物ばかりが目の前に並んで大喜びする子供を微笑みながら見守る両親。子供たちはパーティーを楽しんでから、サンタクロースにプレゼントをもらう事を楽しみにしながら眠るのだ。

 

 そして次の日の朝に――――――また大喜びする。ベッドの傍らに置かれたプレゼントの箱を目の当たりにして。

 

 俺たちも、昔まではそうだった。少なくとも俺の正体を親父に見破られる前までは、幼い子供に戻ったことで戸惑っていたけれど、俺もそれなりにクリスマスパーティーを楽しんでいた。

 

 中身が転生者だと分かっても、あの親父は俺を自分の息子として扱ってくれた。その次の年のクリスマスの夜に、サンタクロースの格好をしながら家の中に堂々と入ってきた親父を見てラウラと一緒に大笑いした時の事を思い出しながら、雪が降る空を見上げる。

 

 確かあの時、トナカイの役をしていたのはガルちゃんだったな。赤毛の中から微かに伸びていた角を勝手にトナカイの角みたいに飾り付けられて、『最古の竜にこんなことをするとは無礼な奴らじゃな!』って怒っていたのはちゃんと覚えている。

 

「とにかく、攻撃は明日の正午以降まで延期です。それまで敵勢力への攻撃は一切禁止されますので、兵士たちへの通達をお願いします、同志タクヤチョフ」

 

「了解、しっかりと通達しておきます」

 

 この件は、ちゃんと仲間たちに話しておく必要がある。テンプル騎士団の大半を占めるのはかつて奴隷にされ、酷い扱いを受けてきた人々ばかり。彼らはテンプル騎士団に保護されてからはちゃんとした生活が遅れて安堵してくれているようだけど、兵士の1人として戦う事を選択した志願兵はその際の復讐心のせいなのか、親父に匹敵するんじゃないかと思えるほど容赦がない奴が多い。

 

 さらにムジャヒディンのメンバーたちも、リーダーが穏健派の吸血鬼の筆頭であるウラルとはいえ、あくまでもそれは吸血鬼の1人として他の種族と共存することを選んだから”穏健派”と呼ばれているだけだ。自分たちを脅かす敵と戦う時は、むしろムジャヒディンたちは”武闘派”と言える。

 

 目を離したら命令を無視して敵に攻撃をぶちかましそうな兵士ばかりなのだ。そうならないようにしっかりとこれを通達し、尚且つ監視しておく必要がある。下手したら命令違反で俺まで親父に粛清されちまいそうだからな。

 

 敬礼してから踵を返して去っていくモリガン・カンパニーの兵士を見送りつつ、俺はレバーアクションライフルに装填しようと思って傍らに置いておいたクリップを再びポーチの中へと突っ込んだ。とりあえず、少なくとも明日の正午まではこいつの出番はなさそうだな。

 

「あー…………強烈な肩透かしね、これ」

 

「まったくですわ」

 

 ため息をつきながら言ったのは、キューポラの上で双眼鏡を覗き込んでいたナタリアと、砲塔の中でチャレンジャー2に残っている砲弾の数を確認していたカノンだろう。カノンも隣のハッチから顔を出し、こっちを見下ろしながら肩をすくめる。

 

 苦笑いしながら頭をかき、ちらりと仲間たちを見渡す。中には早くもクリスマス休戦の噂を聞いたのか、一緒に迫撃砲を運んでいた兵士が説明をしてほしいと言わんばかりにこっちを見つめているのが見える。

 

「あー、同志諸君。テンプル騎士団団長のタクヤだ」

 

 無線機に向かってそう言うと、準備を続けていた兵士たちが一斉にぴたりと手を止めた。

 

「今から、君たちに強烈な肩透かしをぶちかますことになる。信じられないかもしれないが―――――――敵への攻撃は明日の正午まで禁止。休戦だ。先ほど吸血鬼共から休戦の打診があったらしく、我らが総大将はそれを受諾することとなった。なので各員は明日の攻撃の準備を済ませ、各自で休憩をとるように」

 

『同志、それじゃあクリスマスパーティーでもしますか?』

 

「それも悪くない。みんな、今夜の夕飯とサンタさんが楽しみだな」

 

 少しばかり笑いながらそう言うと、無線機からは仲間たちの笑い声が聞こえてきた。てっきり休戦を拒否して攻撃を続行するべきだと反論する味方がいると思っていたので、そういう仲間を諭す準備もしていたんだけど、思ったよりもこのクリスマス休戦を受け入れるメンバーは多いらしい。

 

 安心しながら無線機のスイッチを切り、メニュー画面を出現させる。装備する得物をナイフ1本とレバーアクションライフル1丁だけにして身軽になってから、傍らに停車しているチャレンジャー2に寄り掛かった。

 

「ふにゅう♪」

 

「おう、ラウラ。援護ありがと」

 

「えへへっ、タクヤのためだもんっ♪」

 

 いつものようにしがみついてきたお姉ちゃんからは、ライフルを構えている時のようなどう猛さは全く感じられない。本当に二重人格なんじゃないかと思ってしまうほど雰囲気が違う彼女の頭を撫でると、まるで飼い主に甘える猫のようにうっとりしながら、キメラの特徴でもある尻尾を横に振り始める。

 

 小さい時からずっとラウラと一緒にいるから、彼女の仕草が何を意味するのかはすぐに分かる。こうやって尻尾を横に振っている時は満足しているというサインなのだ。頭を撫でたり抱きしめると、こうやって尻尾を横に振り始めるのである。逆に満足していない時や不機嫌な時は、「こっちを見て」と言わんばかりに、びたん、と尻尾を縦に振るのだ。

 

 ちなみにこの仕草は無意識にやっているらしい。

 

 やがて左右に揺れていた彼女の柔らかい尻尾が、俺の腹の辺りに絡みつき始める。抱き着きながらこうやって尻尾を絡みつかせて俺を逃がさないようにするのは珍しい事じゃないけど、こうやって尻尾を使い始めたという事は、キスをしたがっているということだ。

 

 甘えてくる彼女はとっても可愛いんだけど、せめてキスをするのは2人きりの時にしてほしいものだ。周りに人がいるというのに堂々とキスをしたがるのは彼女の悪い癖なんだよね。

 

 ちょっと抵抗しようと思ったんだけど、思ったよりもラウラが俺に巻き付けている尻尾の力が強い。

 

「…………ふにゅ?」

 

「ん?」

 

 キスをするために顔を近づけていたラウラが、じっと俺の後ろを見つめ始めた。またナタリアに説教されるのを覚悟していた俺は、彼女の柔らかい唇に自分の唇が奪われなかったことに安心と物足りなさを同時に感じながら、尻尾に絡みつかれた状態のままくるりと後ろを振り返る。

 

 彼女が注目していたのは、数名の兵士たちに銃口を向けられながら両手を上げて進んでいく、見覚えのある制服姿の兵士たちだった。先ほどまで俺たちの進軍を阻止するためにここで立ちはだかり、必死に奮戦していたヴリシア側の兵士たちである。

 

 どうやら降伏した敵兵を移送している真っ最中らしい。武器を取り上げられたボロボロの捕虜たちは、俺たちを迎え撃つために最前線にいた兵士とは思えないほど弱々しい瞳で、足元に降り積もった雪を見下ろしながら黙って歩いていた。

 

 捕虜か…………。もしテンプル騎士団ではなくモリガン・カンパニーか殲虎公司(ジェンフーコンスー)に降伏していたら、痛々しい拷問で知っている情報を全て絞り取られた挙句”処分”されてしまうという。実際に14年前のファルリュー島攻防戦では、敗北した勇者側の兵士たちは、記録では”降伏することがなかった”という事にされているが―――――――正確に言うと、”降伏しても受け入れられず、その場で射殺された”のだという。そう、捕虜は1人もいないため、敵の守備隊がそのまま戦死者となったのだ。

 

 前世の世界では考えられないことだ。けれどもここは前世のような条約が存在しない異世界である。捕虜をどうするかはその勢力の権力者たちの命令次第で、しっかりと受け入れてもらえる場合もあれば、拒否されて射殺されることもある。

 

 親父はかなり容赦がない。彼から見れば俺たちのやり方は甘いかもしれないけれど、あくまでも俺が親父たちから受け継いだ力を振るうのはクソ野郎共だけだ。

 

 歩いていく捕虜たちの一番後ろを歩いていた1人のポケットの中から、一枚の写真が零れ落ちる。それを落としてしまった兵士は気付いていないらしく、相変わらず両手を上げたまま淡々と歩いていくだけだ。

 

「ラウラ、ちょっと放してくれる?」

 

「うん、いいよ」

 

 尻尾から解放してもらった俺は、雪の上に落ちてしまったその写真を拾い上げる。この世界では一般的な存在になりつつある白黒の写真で、これを落とした兵士と思われる男性とお腹の大きな女性が、椅子に腰を下ろした状態で一緒に写っている。

 

 なるほど、もう少しで子供が生まれるのか…………。

 

 ちゃんと持ち主に返さないと。

 

 幼少の頃に叩き込まれたヴリシア語の単語を瞬時に思い出し、それがちゃんと彼らに通じるか頭の中で確認してから、俺は歩いていく捕虜を呼び止めた。

 

『おい、ちょっと待ってくれ』

 

『?』

 

 前世の世界のドイツ語に語感が似ているヴリシア語を聞いた兵士がこちらを振り向く。どうやら俺が手に持っている写真が誰の物か気付いたらしく、銃を向けられているにもかかわらず大慌てでポケットの中に手を突っ込み始める。制服のポケットの中に大切な写真が入っていないことに気付いたその兵士は、脇目も振らずにこっちへと駆け寄ってくると、俺が差し出した写真を受け取ってから涙を浮かべ、写真に写っている女性を見つめ始める。

 

『家族か?』

 

『ああ…………妻だよ』

 

『奥さんか…………綺麗な人じゃないか』

 

『ははっ、ありがとう。…………フランセンにいるんだ。もう少しで子供が生まれるから、そのために金が必要になっちまって…………』

 

 ヴリシアに出稼ぎに来て、そこで吸血鬼たちの計画に加担してしまったというわけか。

 

 きっと彼は、後悔したに違いない。自分たちのクライアントがよりにもよって吸血鬼で、多額の金を貰える可能性がある代わりに彼らの世界征服の片棒を担ぐ羽目になったのだから。

 

『もう奴らに手を貸すなよ』

 

『ああ、ありがとう。オルトバルカ人にもいい奴っているんだな』

 

『それはどうも』

 

 写真を今度こそポケットの中にしっかりとしまい、待ってくれていた仲間たちと共に再び歩いていく捕虜。彼らを見つめていた俺は、懐から非常食用の缶詰を取り出すと、もう一度彼に声をかけてからその缶詰を放り投げていた。

 

 後ろから飛んできた缶詰をキャッチした捕虜が、びっくりしながらこっちを見つめている。一緒に歩いていた彼の仲間たちも、不安そうに俺の事を見つめているようだった。

 

 今日は12月24日だからな。

 

 ニヤリと笑いながら、もう一度ヴリシア語で言った。

 

『今日はクリスマスだぜ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志、パス!」

 

『フリッツ、あいつを止めろ!』

 

『分かってるって! …………うわ、ダメだ! 速い!』

 

 先ほどまで数多の兵士が雪崩れ込んでいた塹壕だらけの大地からは、戦場とは思えないような楽しそうな声が聞こえてくる。聞こえてくる言語はこの世界の公用語となっているオルトバルカ語と、ヴリシア人たちの母語であるヴリシア語。しかも聞こえてくるのは明らかに戦闘中によく聞く単語ではなく―――――――サッカーの試合でよく耳にするような単語ばかりだ。

 

 傍らに置いた水筒の中にある暖かいブラックコーヒーを一口だけ飲みながら、俺は戦車の上からそれを”観戦”していた。

 

 塹壕だらけの大地の上で、数時間前までは銃撃戦を繰り広げていた兵士たちが―――――――楽しそうにサッカーをしているのである。真っ黒な制服を身につけたテンプル騎士団の兵士たちが、誰かが暇つぶしのために勝手に持ち込んでいたサッカーボールをドリブルしつつゴールへと肉薄していき、ヴリシア人の兵士たちがドイツ語に語感が似ている言葉で仲間たちに指示を出して守りを固める。

 

 そしてシュートがゴールを外れ、一番若い兵士が塹壕の方へと転がっていくボールを追いかけていった。塹壕の中から泥まみれのボールを引っ張り出したその兵士は、笑顔で仲間たちへとボールを投げ返した。

 

 まるで第一次世界大戦だな。普通なら絶対に見れない光景だよ。

 

 ちなみにテンプル騎士団側のゴールは近くに停車しているエイブラムスで、ヴリシア側のゴールは近くで擱座しているレオパルト2A6だ。車体にボールが当たれば得点が手に入るというルールらしいが、ゴールが大きすぎるんじゃないだろうか? ゴールキーパーは大変だな。

 

「同志タクヤ、パス!」

 

「ありがと!」

 

「タクヤ、頑張れー!」

 

「お兄様、シュートはまだ早いですわよー!」

 

 俺たちのレオパルトの脇では、ラウラやカノンたちがサッカーを観戦しつつ応援している。自分の弟が活躍しているのを見て興奮しているのか、ラウラは容姿が大人びているにも関わらず幼い子供の用に大はしゃぎしている。

 

 ジャンプする度にさ、でかい胸が揺れてるんだよね…………。

 

「あら、ケーター? 何を見てるの?」

 

「あ? 別に―――――――」

 

 すぐ後ろからクランの声が聞こえてきたからなのか、俺はどきりとしつつそう言い返す。はっきりと「滅茶苦茶揺れてるラウラのおっぱいをちらりと見ていた」って言うわけにはいかないからな。

 

 とは言っても、クランは気付いているかもしれない。後ろを振り返ればニヤニヤと笑うクランがちょっかいをかけてくるんだろうなと思いつつ後ろを振り返った俺は―――――――戦車の中からいつの間にか姿を現していた彼女の姿を見て、度肝を抜かれる羽目になる。

 

 サッカーの試合が始まった頃にレオパルトの車体の中へと引っ込んでいったクランの服装は、その時はまだいつもの真っ黒な制服だった。ボタンもしっかりと閉めて制服を着こなす彼女はいつものように大人びていて、指揮官としての威厳も持ち合わせている女傑のようだったんだけど、再び姿を現した彼女は先ほどまでとは全く違う。いたずらが大好きで陽気な、普段のクランだ。

 

 けれども服装がいつも通りじゃない。

 

 なんと―――――――どこで用意したのか、真っ赤なサンタクロースの服に身を包んでいたのである。少し小さめの真っ赤な帽子と胸元が開いた真っ赤な服に身を包んでおり、ズボンではなくミニスカートと黒ニーソを履いている。

 

 寒くないのかと問いかけて話題を逸らそうと思ったけど、無理だった。いたずらが大好きな彼女がサンタクロースの服を用意しているとは思わなかったし、その服が予想以上に似合っているのだ。

 

 数時間前まで車長の席に鎮座し、敵の砲撃にも動じずに指示を出し続けていた女傑がこんな服装をしてくれたことにびっくりしながら、俺は微笑みながら顔を赤くしているクランを見つめてしまう。

 

 そういえば、大学にいた時もこういう格好で部屋にいたことがある。あの時は確かメイド服だったな…………。

 

「ねえ、どう? 私に釘付けになっちゃった?」

 

「クランが可愛すぎてお前しか見えなくなっちゃった」

 

「ふふふっ、Danke(ありがとっ)♪」

 

 彼女を見上げながら顔を赤くしていた俺に抱き着いてくるクラン。そのまま俺の隣に座った彼女に、彼女の分の暖かいコーヒーが入った水筒をそっと手渡す。

 

 そして彼女と一緒に、塹壕に囲まれた大地で繰り広げられるテンプル騎士団とヴリシアの兵士たちのサッカーの試合を観戦するのだった。

 

 

 

 

 

 



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休戦 後編

 

 バイクに取り付けられた大きな円形のライトが、雪と瓦礫で埋め尽くされた大地を照らし出す。雪の上にタイヤの跡を残しながら置き去りにしてきた方向からは、効き慣れたオルトバルカ語とヴリシア語の歌が聞こえてきて、まるでキャンプファイアーのように燃え上がる焚き火の周囲ではこちらの兵士たちと捕虜となった敵兵たちが、楽しそうに雑談したり、踊りながら12月24日の夜を過ごしているのが見える。

 

 最前線の夜とは思えない、平和でにぎやかな夜である。

 

 本来ならば、テンプル騎士団の団長として俺もその中にいる筈だった。けれどもこうやってバイクを走らせ、サイドカーに吸血鬼のイリナを乗せて仲間たちの元から離れているのは、やるべきことがあるからである。

 

 親父の元へと伝令に行くわけではないし、こっそりと敵前逃亡するわけでもない。

 

 仲良くなったフランセン出身の捕虜から聞いたんだが――――――吸血鬼たちにこき使われている人間の兵士たちは、大半が吸血鬼たちに家族を人質に取られている労働者だという。本当に吸血鬼たちの掲げる理想のために戦っている人間はごく一部のみらしく、”吸血鬼のための戦い”というよりは”家族のための戦い”らしいのだ。

 

 そしてその労働者たちの家族は、この最終防衛ラインの外れにある強制収容所に収容されているらしい。

 

 今からそこに行くわけだが、もちろん明日の正午まで戦闘は禁止されている。それゆえに部隊を向かわせるわけにもいかないし、俺が乗り込んで警備兵を血祭りにあげるようなことも許されない。だから俺とイリナは武器を何も身につけていなかった。

 

 しばらく愛車のKMZドニエプルを走らせていると、やがて雪に覆われつつある廃墟の向こうから明かりが見えてきた。爆撃の影響を少しは受けたらしく、壁には大きな穴が開いたり傷がついているけれど、他の建物ほど損傷はひどくないらしい。

 

 正面にはかつてゲートだったと思われるひしゃげたフェンスの残骸が転がっていて、辛うじて吹っ飛ばされずに生き残ったフェンスの柱にはランタンが括りつけられているのが分かる。その奥には収容所の入り口があり、そこには2人の兵士が立って警備をしていた。

 

 よく見ると、捕虜になった兵士たちと服装が違う。彼らはオリーブグリーンやモスグリーンの制服だったのに対し、その警備兵たちの制服は真っ黒なのだ。頭にかぶっているのもヘルメットではなく、真っ黒な略帽である。

 

「いた」

 

「よし、行くか」

 

 イリナと共にバイクを降り、サイドカーの後ろに積んでいた小さな籠を拾い上げてから収容所へと歩いていく。フェンスの残骸に吊るされたランタンが照らし出す地面はやはり真っ白に染まっているけれど、俺たちのバイク以外にタイヤの跡と思われるような跡は残されていない。

 

 つまり、少なくとも雪が積もり始めてからはここにあいつらの車両は来ていないという事だ。雪が降り続いたせいで消えてしまった可能性もあるが、どの道今は休戦中。明日の正午まで、1発でも敵に向かって発砲することは許されない。

 

 入口に近づいていくと、俺たちがやってきたことに気付いた敵兵が持っていたMP5Kをこっちに向けてきた。小さなSMG(サブマシンガン)の下部から伸びるフォアグリップをぎっちりと握りながら、殺気を俺たちに向けてくる。

 

『止まれ!』

 

 続けて聞こえてきたのは、ヴリシア語の声。俺たちを睨みつけながら銃口を向ける警備兵の口の中には――――――よく見ると、人間というよりは獣の牙を彷彿とさせる鋭い犬歯が覗いているのが分かる。

 

 そう、収容所の警備兵は吸血鬼たちなのである。

 

 とはいえ警備兵の人数はたったの6人で、そこの警備を割り当てられているのも、本拠地の防衛を任せるには力不足だと判断された”落ちこぼれの吸血鬼”だという。

 

 ヴリシアの兵士から警備兵が吸血鬼であるという情報を教えてもらったから、俺はイリナも一緒に連れてきたのだ。吸血鬼は非常にプライドが高い種族で、自分たちの誇りを汚されることを最も嫌うと言われている。ウラルたちのような穏健派の場合は話は別だが、ここにいる過激派は人間の話に耳を貸すことはないらしい。

 

 けれども、同胞であるイリナの言葉なら聞いてくれるかもしれない。そう判断したからこそ、イリナにも同行してもらったのだ。

 

『落ち着け。とりあえず、銃を下げるんだ』

 

『黙れ! 魔王なんかに従う愚か者の話なんか聞くか!』

 

 やれやれ、休戦中なのに凄い殺気だね。

 

 肩をすくめながらイリナの方を見ると、彼女は私に任せてと言わんばかりにこっちにウインクした。真っ黒な制服を身に纏った彼女は数歩前へと進むと、微笑みながらその警備兵に話しかける。

 

『落ち着いてよ。僕たちは話をしに来ただけなんだ』

 

 ちなみに、この世界の公用語は俺たちにとっての母語でもあるオルトバルカ語となっているけれど、吸血鬼たちの母語はヴリシア語ということになっている。もちろん吸血鬼であるイリナもヴリシア語は普通にしゃべることができるのだ。

 

 俺よりも正確な発音で喋るイリナの声を聴きながら、俺は敵兵の様子を窺う。吸血鬼はプライドの高い種族で、過激派の奴らは人間の言葉に耳を貸すことはない。自分たちよりも完全に劣っている種族として見下しているからだ。しかし同胞だという事が分かったからなのか、少なくとも俺が語りかけた時よりは耳を傾けてくれているらしい。

 

『今夜はクリスマス・イブなんだし、少しだけ仲良くしない? ねえ、タクヤ』

 

『ああ』

 

 そうだな。

 

 持ってきた籠の中には、ついさっき作ったばかりのスコーンと紅茶入りの水筒が入っている。吸血鬼たちにとって獲物の血以外は摂取する意味がないものの、紅茶やお菓子は嗜むという。もちろんそのような軽食を口にしない吸血鬼もいるというが、そのような吸血鬼は大概年寄りばかりらしい。

 

 逆に、若い吸血鬼はそのような軽食や紅茶が大好きだという。案の定、その警備兵たちは俺が持ってきた籠の中に入っているスコーンと紅茶を見た瞬間、隣にいる味方の顔をちらりと見た。

 

『安心しろ、休戦中だから攻撃はしない。ちょっとみんなで話がしたいだけさ。もしよければ収容所の警備兵を全員集めてくれるかな?』

 

『…………ど、どうする?』

 

『バカ、騙されるな! こいつら敵だぞ!?』

 

『だ、だって、あのスコーン美味しそう…………』

 

『お前それでも吸血鬼か!? くそ、確かに美味そうだけど………ちょっと待ってろ! 隊長呼んでくる!』

 

 早くも銃を下ろし、俺が持ってる籠の中に入っているスコーンへと手を伸ばしつつある警備兵。もう1人のしっかりしている方は警戒心を維持しつつ隊長を呼ぶために入口へと入っていったけど、彼のパートナーが俺の作ったスコーンの香りに屈するのは時間の問題だろう。

 

 確かに、数時間前までは銃撃戦をやっていた敵兵がいきなり夜遅くに尋ねてきて、「クリスマス・イブなんだから一緒にお菓子食べない?」って誘って来たら警戒する。だから慎重だった警備兵の片割れの方はしっかりしていると言える。

 

 よだれを拭いながら籠の中のスコーンに釘付けになっている兵士に向かって微笑みかけながら、わざとらしく小さく籠を揺らす。

 

『ひ、一つ食べてもいい? 最近全然お菓子食べてなくてさ…………』

 

『構わないよ? なあ、イリナ』

 

『うん。今夜はクリスマス・イブなんだし』

 

 そう言いながら籠を差し出すと―――――――その警備兵は、あっさりと陥落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマス休戦の真っ只中とはいえ、さすがにいつまでも雪の降る外で大騒ぎしているわけにはいかない。オルトバルカ王国の冬ほど過酷ではないとはいえ、いつまでも雪の降る外にいればさすがに寒いと感じてしまう。

 

 そこで、連合軍の兵士たちが白羽の矢を立てたのは、俺とカノンが敵の指揮官の狙撃に利用させてもらったあのホテルだった。

 

 爆撃や砲撃の影響で一部が崩れているとはいえ、1階にあるやけに広いホールは健在だ。床にしっかりと敷かれている真っ赤な絨毯は埃でちょっと汚れていたけれど、ほんの少し掃除するだけで、まるで貴族のパーティーのように盛大なクリスマスパーティーができそうな場所である。

 

 そこに置かれている円形のテーブルの上に乗っているのはいろんな料理や飲み物なんだが、この島国まで兵士たちと共にわざわざパーティーをしに来たわけではないため、総攻撃の直前でクリスマスパーティーをすると言われていきなり豪華な料理が用意できるわけがない。

 

 なので、テーブルの上に乗っているのは非常食用の缶詰やレーションばかり。後方にある橋頭保や強襲揚陸艦から送られてきた食糧でいくつかは料理が用意されていたけれど、そういった普通の料理はパーティーが始まってから数分で姿を消し、厨房の中から拝借した皿の上にソースの跡やケチャップの跡を残している。

 

 クリスマスパーティーと言うよりは、兵士たちの宴会のようだ。参加している兵士たちの中にはボディアーマーとヘルメットを身につけたまま酒を飲んでいる兵士もいるし、酔っぱらって床の上に横になっている兵士もいる。どさくさに紛れて降伏した捕虜たちもその中に混ざっており、モリガン・カンパニーの兵士と肩を組みながら変なダンスをしていた。

 

 連合軍の兵士がオルトバルカ語で話しているのに対し、捕虜たちが話しているのは全く違うヴリシア語。どうやってコミュニケーションを取っているんだろうか? テレパシー? それともノリだろうか?

 

「おい同志、オルトバルカのウォッカでもどうだ?」

 

『何だって? ああ、酒か』

 

 最初は彼らまでパーティーに参加させたら喧嘩でも起こるんじゃないだろうかと危惧してたんだけど、どうやらちゃんと打ち解けることができているらしい。親父も彼らを処刑しようとはせずに見守っているし、おそらく大丈夫だろう。

 

 テーブルの上にこれでもかというほど積み上げられているモリガン・カンパニー製のレーションを1つ手に取り、ワインレッドの袋を開けて中身を取り出す。オルトバルカ語の羅列が書かれている袋の中から顔を出したのは、フォークの入った小さな袋と、一般的な缶詰の3倍くらい大きな容器である。表面には赤毛の大男――――――多分モデルは我が家の親父だろう――――――に包丁でぶつ切りにされているウナギの絵が描かれており、その上には『ウナギゼリー』と書かれている。

 

 誰なんだよ、こんな怖いイラスト書いたの。売れてるのか…………?

 

 売れ残った在庫じゃないだろうなと思いつつ容器の蓋を開け、中に入っているウナギゼリーをフォークでつつく。

 

「あら、何食べてるの?」

 

「コレ」

 

 後ろから声をかけてきたナタリアに、今しがた開けたばかりの蓋のイラストを見せる。左手で鷲掴みにしたウナギをぶつ切りにしている親父にそっくりな大男のイラストを見せられたナタリアは、「え、なにこれ」と言いながら凍り付いてしまう。

 

 そういえば、親父は彼女の命の恩人だったよな。見せない方がよかったかな…………?

 

「食べる?」

 

「い、いらないわよっ! というか、こんなイラスト書いたの誰!?」

 

「さあ?」

 

 とりあえず、別のレーションないかな? 隣のテーブルの上を見てみると、先ほどまでは何も乗っていなかった筈のでっかい皿の上にフライドポテトが乗っているのが見える。

 

 辛うじてまだ使える厨房を有効活用して、料理が得意な兵士たちや沖にいる艦隊から呼び寄せた調理師たちが頑張って料理を作り続けてくれているらしい。厨房から料理を運んできてくれた若い兵士に礼を言ってから、彼が持ってきてくれたフライドポテトの皿を持ってナタリアの所へと戻る。

 

「はい」

 

「あら、ありがと」

 

「ところで、他のみんなは?」

 

「あっちよ」

 

 フライドポテトをつまみながらちらりと見てみると、ナタリアが指差した方向にはどういうわけか兵士たちが集まっていた。小さなテーブルに座っている2人を見ているようだが、何をやってるんだ?

 

 気になったので、俺はナタリアを連れてその野次馬の中へと紛れ込むことにした。酔っぱらっている兵士もいるのか、野次馬の群れの中はやけに酒臭い。顔をしかめながらついてくるナタリアとはぐれないように何気なく彼女の手を掴むと、ナタリアはびっくりしたように目を見開いて、それから徐々に顔を赤くし始めた。

 

「どうした?」

 

「な、何でもないわよ…………」

 

 顔を赤くする彼女に向かって肩をすくめつつ、背伸びをして野次馬の群れの向こうを見つめる。モリガン・カンパニーの兵士たちは大男ばかりで、中には身長が2mを超えるのは当たり前と言われているほどがっちりした巨躯を持つオークの兵士までいるから、背伸びをしたうえで野次馬たちの隙間から向こうを見る必要がある。

 

 何とか見えそうな場所を見つけて背伸びをすると―――――――野次馬たちの向こうには、毛先の方が桜色になっている長い銀髪が特徴的な、幼い容姿のサキュバスの少女がちょこんと椅子の上に座っているのが見えた。

 

 あの戦いで戦車に乗っている間、ずっとチャレンジャー2の操縦をしていた仲間のステラだ。幼い容姿をしているが、テンプル騎士団本隊のメンバーの中では最年長で、幼い姿の少女とは思えない怪力で重機関砲やガトリング機関砲を軽々と持ち上げてしまう猛者である。

 

 彼女の隣にはがっちりしたハーフエルフの兵士が座っているようだ。黒と灰色の迷彩模様のズボンと真っ黒なタンクトップを身につけた浅黒い肌の兵士の傍らには上着が置かれており、肩の部分にはオルトバルカ語で『ハーレム・ヘルファイターズ』と書かれている。その上にあるのはエンブレムだ。

 

 確か、ハーレム・ヘルファイターズってギュンターさんが率いていた部隊だよな。奴隷だった兵士だけで構成された歩兵部隊で、ここまでの防衛ラインの攻防戦で大きな戦果をあげたらしい。

 

 捕虜の奴らから聞いたんだけど、ハーレム・ヘルファイターズの兵士たちはかなり屈強で、5.56mm弾を3発ほど叩き込んでもなかなか倒れず、むしろ血を吐きながら奮い立って雄叫びを上げながら突っ込んできたという。

 

 その屈強な兵士が苦しそうな顔をしているのに対し、隣に座るステラは無表情だ。何をしているのかと思いつつ更に前の方に出て見ると――――――ハーフエルフの兵士が、顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 

「も、もう無理だ! 食えねえッ!!」

 

「はーい、そこまでー! 勝者、テンプル騎士団所属のステラ・クセルクセス!」

 

「大食い対決ぅ!?」

 

 クリスマスパーティーで大食い対決かよ!? 

 

 どうやらフィッシュアンドチップスの大食い対決をしていたらしく2人の皿の上にはフライドポテトの欠片がいくつも残されていた。油のついた皿を若い兵士が片付けていくのを見守りながら、俺は苦笑いしてしまう。

 

 あ、揚げ物で大食い対決か…………カロリーがとんでもないことになりそうだ。

 

 というか、ステラが大食い対決で負けることはないだろ。あいつの主食はあくまでも魔力で、それ以外の物を食べても永遠に満腹感を感じることはないのだから。つまり、目の前にこれでもかというほどの料理を並べられてそれを平らげてしまっても、ステラは魔力を他人から吸収しない限りお腹が空いたままなのである。

 

 クレーターを埋めるために砂粒を1つずつ放り投げるようなものだ。

 

 口の周りについた油を拭き取りながら、ステラはきょろきょろと周囲を見渡し始めた。そして俺が野次馬の中に紛れ込んでいることに気付いた彼女は、いきなり笑顔を浮かべたかと思うと、勢いよく席から立ち上がってこっちへと飛び込んできた。

 

「タクヤ、ステラは勝ちましたよ! 見てました!?」

 

「ああ、見てたよ。相変わらず凄い食いっぷりだな」

 

「ふふふっ。食べるのは大好きですから」

 

 そう言いながら自分の小さなお腹をさすり始めるステラ。彼女は魔力を吸収しない限り空腹感が消えないという体質なんだが、普通の食べ物のカロリーも消滅してしまうため、高カロリーの食べ物をいくら食べても太らないのである。

 

 おかげで旅をしていた頃は彼女の食費に苦しめられたからなぁ…………。あの頃の出費の6割は、全部彼女の食費なのである。

 

 だから管理局でダンジョンを調査した報酬を受け取る度に、達成感を感じつつ、この報酬の中からどれほどの金額がステラの食費に費やされるのだろうかと思いながら仲間の元に戻っていた。

 

「でも、やっぱりタクヤの魔力が一番美味しいですね」

 

「そういえば、魔力ってどんな味なんだ?」

 

「ええと…………何というか、濃厚で適度にスパイシーで…………ビーフカレーの味が一番近いです」

 

 どうやら僕の魔力は、どういうわけかビーフカレー味だそうです。

 

 ちなみにラウラの魔力はどんな味なんだろうな? ステラに尋ねてみようと思った瞬間、野次馬たちの後ろからやってきたサンタの服を着た金髪の少女が、ナタリアに抱き着き始めたのが見えた。

 

 誰だろうと思ったが、どうやらクランらしい。真っ赤な服とミニスカートを身につけ、黒いニーソを履いている彼女は、いつもの気の強い指揮官というよりは陽気な彼女である。

 

「きゃっ!? く、クランちゃん!?」

 

「ひっく…………あー、ナタリアちゃーん…………相変わらずいいおっぱいねぇ♪」

 

「ちょ、ちょっと、クランちゃ…………ひゃあっ!?」

 

「こ、こら、クラン! 何やってんだ! …………まったく、ビールばっかり飲みやがって…………」

 

 後ろから呆れながらやってきたケーターは、片手に空になったビールの瓶を持っているようだった。どうやらこいつもクランに少し飲まされたらしく、顔が若干赤い。とはいえクランのように完全に酔っぱらうほど飲んではいないらしく、いつもの彼と変わらない。

 

 ケーターは後ろから抱き着いてナタリアの胸を揉み始めたクランを引き離そうとするが…………すぐにナタリアの胸を揉むのを諦めたクランは、あろうことか今度はケーターに襲い掛かると、彼女を止めようとしていたケーターをそのまま押し倒してしまう。

 

 予想外だったとはいえ、鍛え上げられた少年が同い年の少女にあっさりと押し倒されたことに驚きながら、ケーターが落としてしまったビールの瓶を拾い上げてテーブルの上に片付けておく。

 

「同志、上の階にはまだ無事な部屋があるから、そういうことはそっちでやった方がいい」

 

「わ、分かった! ほら、クラン。とりあえず上から降りろって」

 

「んー? ふふっ、ケーターったら、顔が真っ赤でしゅよー?」

 

 それはビールを飲んだからだろうが。

 

 上にのしかかりながらケーターの頬をつつき始めるクラン。ケーターは何とかして酔っぱらっている彼女をお姫様抱っこすると、そそくさとホールを出て階段の方へと向かう。

 

 …………まさか、本当に部屋に行くつもりか? 確かにそうした方が酔っぱらったクランの犠牲者が出なくて済むけどさ。

 

 苦笑いしながら2人を見送っていると―――――――今度は、何の前触れもなくぷにぷにした何かが俺の首に巻き付き始めた。ぎょっとしながらそれを振り解こうとするけれど、予想以上に力が強い。表面は真っ赤な鱗を思わせる皮膚に覆われていて、まるでドラゴンの雌の尻尾を思わせる。

 

 その特徴で、俺はその尻尾が誰のものなのかを理解していた。

 

「らっ、ラウラ?」

 

「…………ひっく」

 

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? く、クランの奴、まさかラウラにもビールを飲ませたのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?

 

 恐る恐る後ろを見てみると、やっぱり真っ赤な顔のラウラがすぐ後ろにいた。うっとりしたような表情で顔を近づけてきた彼女は、周囲に他の兵士たちがいるというのに、お構いなしに俺の唇を奪い始める。

 

 やっぱり、酒の臭いがする。ラウラもクランの犠牲者か…………。

 

 彼女が満足するまで舌を絡め続けてから静かに離す。腹違いとはいえ姉弟同士のキスを目の当たりにしてしまった野次馬の兵士たちがざわつくのを耳にしながら、俺はいつもとラウラの雰囲気が違う事に気付いた。

 

 いつもは大人びた容姿をしているというのに、仕草や口調は幼い頃とあまり変わっていない。けれども今のラウラはいつものラウラと比べると、やけに大人びているように感じる。まるで燃え盛る炎を彷彿とさせる赤毛と、鮮血を思わせる瞳。唇を離した彼女の頬は赤くなっているけれど、きっとその原因はクランが飲ませたビールだけではないだろう。

 

「ふふふっ♪」

 

「ら、ラウラ?」

 

「あら、どうしたの?」

 

 な、なんかエリスさんみたいな口調になってる…………。

 

「お、お酒飲んだの?」

 

「さあ? …………ふふふっ、タクヤって本当に可愛いわねぇ…………私だけのものにしちゃいたくなっちゃう♪」

 

「…………お、落ち着けって。酔ってるんだろ?」

 

「ひっく…………そんなことないわよ」

 

 嘘つけ。

 

 なんだかふらふらし始めたお姉ちゃんが倒れないように両手で支えておく。念のため、俺の尻尾でも支えておこう。俺の尻尾は彼女の尻尾と違って硬い外殻に覆われている上に、先端部はナイフのように鋭くなっているので、あまり力は入れないでおこう。お姉ちゃんに傷をつけるわけにはいかないからな。

 

「ごめん、ナタリア。ちょっと部屋に連れて行って寝かせてくる」

 

「ええ、それが一番ね」

 

 ナタリアに頭を下げてから、俺はラウラを連れてホールを出た。

 

 たった2人でここに潜入した時に通った階段をゆっくりと上がりつつ、どこかに部屋がないか探す。客室のドアがずらりと並んでいるけれど、多分この部屋のどこかにケーターがいる筈だ。できるなら別の階の部屋にしたい。

 

 別にあの2人が嫌いというわけではない。ケーターとクランへの気遣いである。

 

「ん?」

 

 2階の一番手前にあるドアの前に、カノンがいる。そういえばホールにいなかったけど、何でパーティーに参加しなかったんだろうか? 用事でもあったのか?

 

 彼女はある客室のドアに片耳を押し当てて音を聞いているらしい。何をやっているのだろうかと思いつつ廊下を進んで彼女の元へと進んでいくと―――――――客室のドアの向こうから、ケーターとクランの声が聞こえてきた。

 

 貴族も使うホテルだから、出来るだけ室内の音が外へと漏れない構造になっているからなのか、はっきりと聞こえるわけではない。けれどもドアに耳を押し当てて集中すれば聞き取れるレベルだろう。

 

 それに聴覚が発達しているキメラなら、中で何が始まっているのかはすぐに理解できる。…………一応俺もそれなりに聴覚が発達しているので、部屋の中の声ははっきりと聞こえていた。

 

 気遣いはやっぱり必要だったなと思いつつ、まだ背後に俺がいる事に気付いていないカノンの頭に軽くチョップする。

 

「にゃんっ…………あら、お兄様」

 

「バカ、こういうのは聴いちゃダメ」

 

「でも――――――あら、お姉様?」

 

「ひっく…………カノンちゃん、一緒に部屋に行かない?」

 

「はい、是非!」

 

 おい、何でカノンまで誘うんだ。

 

 とりあえず、いつまでも2人がいる部屋の前で騒いでいるわけにはいかないので、上の階にある部屋を使わせてもらおう。クランとケーターが”使用中”の部屋の位置は覚えたから、出来るだけ離れた位置にある3階の部屋を使うことが望ましい。

 

 階段を上がると、2階と同じ構造のフロアが俺たちを待ち受けていた。やたらと豪華な壁の装飾や絵画が並ぶ廊下にはずらりと木製のドアが並び、ほんの少し埃で覆われている。避難勧告が出てから誰も掃除してくれなかったのだろう。

 

 どうせ今はここの部屋を使う客はいないのだから、いきなり開けても問題ないだろう。ノックせずに一番手前のドアを開けて中へと入り、鍵をかけてから奥へと進む。

 

 部屋の中の構造は、爆撃の衝撃波で壁の一部が剥がれ落ちていたことを除けば、カノンと一緒に潜入した一室と変わらなかった。バスルームと思われる部屋のドアややたらと大きなベッドが鎮座する部屋はワインレッドの壁紙で覆われており、高級そうな柱時計が廊下側の壁に貼り付けられている。やけに精巧な彫刻まで掘られた柱時計の針は、そろそろ深夜0時に差し掛かりつつあった。

 

 ラウラは酔ったせいなのか、いつの間にかぐったりしている。とりあえずお姉ちゃんはベッドに寝かせておこうか。

 

「ラウラ、ベッドに寝かせるよ」

 

「にゅ…………んっ、別に………このまま抱いてもいいのに…………」

 

「おいおい」

 

 そっとお姉ちゃんをやけにでかいベッドの上に寝かせ、息を吐く。

 

 そういえば、カノンは部屋に潜入した時、このでっかいベッドをじっと見つめてたな。あの時かなりの緊張感を感じていたせいで返事をしてしまったことを思い出しつつ、恐る恐る隣にいる筈のカノンの方を振り向くと…………ほんの少しだけ顔を赤くしながら、恥ずかしそうにベッドを見つめていた。

 

 てっきりニヤニヤと笑いながら襲い掛かって来るのではないかと思ってたけど、どうやらこのエッチなお嬢様は恥ずかしがっているらしい。

 

 ラウラを1人にするわけにはいかないから俺もこの部屋に残るつもりだけど、カノンはどうするつもりかな?

 

 その時、ベッドの上から柔らかい尻尾が伸びてきて―――――――俺の左手に巻き付いたかと思うと、そのままベッドまで引っ張ってしまう。先ほどホールで首に巻き付いてきた柔らかい尻尾の事を思い出しながら起き上がろうとしたけど、この尻尾を伸ばしてきた張本人は許してくれないらしい。

 

 俺が起き上がるよりも先に両手をしっかりと押さえながらのしかかったラウラは、にこにこと笑いながらじっとこっちを見つめている。

 

「お姉ちゃん?」

 

「ねえ、カノンちゃん」

 

「は、はい、お姉様」

 

「――――――タクヤの事は、好き?」

 

「…………えっ?」

 

 俺の目を見つめたまま、カノンに問いかけるラウラ。いきなりそんな質問をされたカノンは一気に顔を赤くしたまま、ラウラを見つめている。

 

「…………で、でも、お兄様はお姉様のもので…………わ、わたくしは―――――――」

 

「ねえ、お姉ちゃんに教えてくれない? カノンちゃんの好きな人を」

 

「…………は、はい、わたくしも…………お兄様の事が、大好きです」

 

「ふふふっ♪」

 

 すると今度は、俺をベッドへと引き寄せた尻尾がカノンの方へと伸びた。ラウラに見透かされて告白してしまったせいで顔を真っ赤にしていたカノンは、あっさりとラウラの尻尾に引き寄せられ―――――――でっかいベッドの上で横になっている俺のすぐ隣に、押し倒されてしまう。

 

 目を丸くしながらラウラを見上げるカノン。今度は俺にのしかかっていたラウラがそっと顔をカノンに近づけ、彼女の頬に優しくキスをした。

 

「ひゃっ…………お、お姉様…………!?」

 

「私ね、カノンちゃんの事も大好きなの」

 

「え―――――――」

 

 真っ白な指でカノンの頬を撫で、そのまま彼女の細い腕をなぞってからお互いに指を絡み合わせる。そうしながらもう片方の手でカノンの髪に触れ、静かに彼女の香りを嗅いだラウラは、にっこりと笑いながら顔を離した。

 

「ふふふっ。カノンちゃんも可愛いっ♪」

 

「お、お姉様ぁ…………」

 

「タクヤも大好きだし、カノンちゃんも大好き。お姉ちゃんは欲張りになっちゃったみたい。――――――だからさ、分け合おうよ♪」

 

「えっ?」

 

 ちらりとこっちを見たラウラは、ぺろりと自分の唇を静かに舐める。そして再び俺の上へと戻ってくると、白い手で俺の頬を撫でながら囁いた。そのまま静かにコートのチャックを下ろして上着を脱がせ、素早くネクタイまで解いてしまう。

 

 そしてそのまま黒いワイシャツのボタンを外しているうちに、隣に押し倒されていたカノンも起き上がった。

 

「あ、あの、お姉様…………分け合うって…………」

 

「うん、そういうこと♪」

 

 段々と呼吸が荒くなっていく。彼女の甘い香りが容赦なく鼻孔へと流れ込んできて、俺の身体を侵食していく。

 

「だから、いいよね?」

 

「お、お兄様…………わ、わっ、わたくしも…………っ!」

 

 2対1かよ…………。

 

 ちらりとドアの方を見て、高級そうな木製のドアに鍵がちゃんとかかっていることを確認した瞬間、拒否するという選択肢が木っ端微塵に砕け散った。もし鍵がかかっていなかったら、誰かが部屋に入ってくるかもしれないという理由を使って逃げていたかもしれない。

 

 けれども、もう逃げようとは終えなかった。

 

 まったく、本当にハヤカワ家の男って女に襲われやすいんだな。

 

 親父と同じ体質を思い出しながら苦笑いし、首を縦に振った直後―――――――俺は、多分ケーターと同じ事をされる羽目になった。

 

 

 

 

 

 



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休戦の終焉

 

 

 

 やけにでかいベッドの上で起き上がり、窓の外が明るくなりつつあることにぎょっとしてから懐中時計を取り出す。いつも愛用している蒼い懐中時計の蓋を開いて時刻を確認し、まだこのクリスマス休戦が終わりを告げる正午まで時間がたっぷりあることを確認してから、息を吐きつつ再びベッドの上に横になる。

 

 真っ黒なワイシャツのボタンが全て外れているせいなのか、やけに寒い。戦闘開始前に風邪をひくわけにはいかないので、とりあえずボタンを閉めつつ両隣で寝息を立てる2人の美少女を見つめる。

 

 起こすべきだろうか? まだ時刻は午前7時50分だけど、少し早めに起こして戦闘準備を開始するべきかもしれない。時刻が正午を1秒でも過ぎれば、再びこの帝都サン・クヴァントは地獄に逆戻り。当たり前のように銃弾や砲弾の応酬が続く戦場となり、多くの兵士たちが命を落としていくことになるのだから。

 

 どれだけ命を落とさないようにしっかり握っていても、弾丸や手榴弾は容易くそれを砕いてしまう。一兵卒の命を握っているのは彼ら自身の行動だけど、間接的にそれを握るのは指揮官であり、彼らに照準を合わせる敵兵なのだ。どれだけ最新鋭の装備を身につけていたとしても、照準を合わせられて撃たれれば死ぬ。けれども、そういう運命を辿らないようにできることはある筈なのだ。

 

 というわけで、気持ちよさそうに眠っているカノンとラウラには悪いけれど、2人を起こすことにした。2人の肩を揺さぶって名前を呼ぶと、まず先にカノンの方が瞼を擦りながら目を開け、静かに起き上がり始めた。

 

「にゅ…………んー…………? おにいちゃん…………?」

 

 寝ぼけているのだろうか。いつも俺の事を”お兄様”と呼ぶのに、幼少の頃のように”おにいちゃん”と呼んでいる。夕日を彷彿とさせる橙色の髪は見事にぼさぼさになっていて、戦いに行く前にその寝癖を何とか鎮圧する必要がありそうなのは火を見るよりも明らかだ。

 

 自分の髪形もどうなっているのかと思って頭に手を当ててみると…………案の定、俺もぼさぼさだ。昨日の夜の段階でこうなっていたのだろうか?

 

「おにいちゃん、どうしたのぉ…………?」

 

「朝だよー」

 

「あさぁ…………?」

 

「ほら、ラウラも起きろって」

 

「ふにゅ…………」

 

 彼女の肩を揺さぶっていると、ラウラも同じようにそっと瞼を開けた。両手で瞼を擦りながら起き上がり、背伸びをする彼女を見守りつつラウラのリボンを渡す。

 

 それにしても、昨日はカノンまで参戦したヤバいことになった。今まではラウラと1対1が当たり前で、そういうことをされる度にこれでもかというほど搾り取られてたんだけど、今回はカノンまで参戦したせいでいつも以上に搾り取られる羽目になった。

 

 最初のうちはカノンも恥ずかしがってたんだけどねぇ…………。後半からはもうラウラを2人も相手にしてるような感じだったよ。

 

「ふにゃあ…………あっ、おはようっ♪」

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

 あくびをするお姉ちゃんにそう言いながら、俺は部屋の中にあるバスルームのドアを開けた。貴族が宿泊することも想定しているからなのか、バスルームのドアの向こうに広がっている空間は予想以上に広い。従業員が退避したせいで掃除する人がいなくなったとはいえ、思ったよりも床や壁は綺麗で、あまり目立った汚れは見当たらない。

 

 念のため水道の蛇口を捻ってみるけど、ちゃんと水は出るようだった。最初は出てくる水は少しばかり濁っていたけれど、1分ほど出し続けていたら段々と澄んでいき、最終的には飲み水にできそうなほどきれいな水に変貌していった。

 

 昨日の夜は2人に散々搾り取られた後にそのまま眠ってしまったので、シャワーを浴びていない。どうせ今日の戦いでまた汚れる羽目になるんだろうけど、このままみんなと合流するわけにはいかない。

 

 それに、お母さんには紳士的な男になれと常々言われながら育ったんだよね。母さんの願い通りに育つかは分からないけど、紳士的な男になるには清潔じゃないと。

 

「シャワーでも浴びるか?」

 

「ええ、そうしますわ」

 

 いつもの口調に戻ったカノンの顔は、酒を飲んだわけではないというのに赤い。どうやら先ほどまで寝ぼけていたせいで、自分の口調が幼い頃の口調に戻っていたことに気付いたらしい。あのままでもよかったのになと思いつつ浴槽の中にお湯を貯めつつ、シャンプーや石鹼がしっかりと用意されているか確認する。

 

 今日の正午から戦闘が再開される。遅くても9時くらいには部隊の編成や戦闘準備を開始すれば間に合う筈だ。

 

 お湯を貯めていると、後ろからお姉ちゃんが抱き着いてきた。しかもどうやらまだ着替えの途中だったらしく、可愛らしいピンク色の下着姿である。

 

「えへへっ、昨日は可愛かったよ♪」

 

「だ、誰が?」

 

「タクヤが。なんだか本当に女の子みたいだったし」

 

 悪かったな…………。

 

 何気なく頭の上に手を乗せると、やはり不便な俺のキメラの角は勝手に伸びつつあった。この角は感情が昂ると俺の意志を無視して勝手に伸びてしまうという不便な体質であるため、できるだけ角を隠せるような服装が好ましい。おかげでフード付きのコートや帽子は必需品なのだ。

 

 でも、もう俺たちがキメラだという事は徐々に組織の中に広まりつつあるし、もう隠さないで堂々と歩いてもいいんじゃないかなぁ…………。

 

 俺の背中に抱き着いている姉の頭を撫でながら、俺は苦笑いする。どうやらお姉ちゃんは酔っぱらうと口調がエリスさんっぽくなる―――――――正確に言うとなぜか一気に大人っぽくなる―――――――らしく、昨日の夜は眠るまでずっと口調は大人びたままだった。けれども今はいつものようにやや幼い口調に戻っている。

 

 本当に二重人格ではないのだろうか?

 

「痛くなかった?」

 

「うん、大丈夫だよっ♪ えへへっ。心配してくれるなんて、優しい弟だなぁ♪」

 

「ふふふっ」

 

 まるで飼い主に甘える猫のように頬ずりしてくれるお姉ちゃんを撫でながら、俺は浴槽にお湯が溜まるまで待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捕虜にした兵士たちを乗せた装甲車が、ホテルの入り口を離れて海の方へと向かっていく。遠ざかっていく装甲車に向かって手を振ると、ハッチの中から顔を出した捕虜の1人が手を振ってくれているのが見えた。

 

 さすがに彼らを保護したまま進撃するわけにはいかないため、戦闘が始まる前に捕虜たちを沖の強襲揚陸艦まで移送することになったのだ。クリスマスパーティーを一緒に楽しんだおかげですっかり仲良くなった捕虜たちの中には、俺たちと一緒に戦うと申し出てくれた奴もいたけれど、彼らにとって俺たちと一緒に戦うという事は、かつての味方を殺すことになることを意味している。

 

 そんなことをさせれば彼らも辛いだろう。申し出てくれたのはありがたいけれど、彼らにそんなことをさせるわけにはいかないので、知っている情報を教えてもらってから沖の強襲揚陸艦に収容し、戦闘が終わるまでそこで保護するのだ。

 

 もちろん、捕虜とはいえ一緒にクリスマス・イブで大騒ぎした奴らだ。情報もすんなりと教えてくれたので、これ以上聞き出す必要はない。だから尋問や痛々しい拷問は全く行われることはなかった。

 

 この戦いが俺たちの勝利に終われば、彼らは再び家族と再会できるだろう。あの写真を落とした兵士も、きっと生まれる自分の子供を抱きしめることができるに違いない。

 

 装甲車を見送ってから後ろを振り返ると、テンプル騎士団のエイブラムスたちが並んでいた。まだエンジンをかけている車両はおらず、車内に乗り込んだ乗組員たちが砲弾や機銃の残弾を確認している状態である。

 

 それにしても、テンプル騎士団の戦車も数が少なくなってしまった。

 

 志願兵やムジャヒディンの戦士たちの中から、この危険なヴリシア上陸作戦に投入できそうな練度の兵士たちだけを連れてきたとはいえ、あの最終防衛ラインで投入されたラーテやマウスとの戦いで被った被害は大きい。

 

 歩兵は何人も散り、虎の子のエイブラムスを3両も喪失。更に俺たちが乗っていたチーフテンも失う羽目になった。まだ健在な車両もあるとはいえ、もしこの戦いが終わってタンプル搭に戻ったら戦車部隊を再編する必要がありそうだ。

 

 特に、もし今後の戦いであんな化け物が姿を現しても打ち倒せるように、より強力な武装を搭載した戦車が必要になりそうだ。機動性を二の次にしても構わないから、近代化改修型のマウスやラーテの装甲を貫通するか、せめてダメージを与えられるほどの武装を搭載した戦車があれば、あんな損害を受けることはなかった筈だ。

 

 いっそのこと、エイブラムスに140mm砲でも積むべきだろうか?

 

 とりあえず、それはタンプル搭に戻ってから考えよう。出撃の準備を整える戦車部隊を見渡しつつ、俺も得物の点検をしつつ懐中時計をちらりと見る。

 

 今の時刻は午前11時20分。敵の捕虜と一緒に酒を飲んで過ごしたクリスマス休戦が幕を下ろし――――――再び戦争が目覚めるまで、あと40分。

 

 次はいよいよ敵の本拠地へと進撃する。敵の本拠地はこの帝都サン・クヴァントのシンボルでもあるホワイト・クロックと、避難勧告通達前までは帝国の皇帝がいた宮殿の2ヵ所である。どちらかに吸血鬼の女王であるアリア・カーミラ・クロフォードがいる筈だし、俺たちが欲しているメサイアの天秤の鍵が保管されている筈だ。

 

 本拠地の襲撃は、連合軍の部隊を2つに分けて行うことになっている。親父の率いる”第一軍”がホワイト・クロックを襲撃し、俺が率いる事となった”第二軍”が宮殿を攻撃することになっている。てっきり李風さんが率いることになるんだろうと思っていたんだけど、本当に第二軍の指揮官が俺でいいのだろうか?

 

 緊張感を感じつつ、AK-12の点検を開始する。ドットサイトがしっかり装着されているかを確認しつつ、ちらりと仲間たちの様子を確認する。生き残ったエイブラムス部隊を率いるチャレンジャー2の上ではナタリアが機銃の弾薬がたっぷりと入った箱を車内に運び入れ、隣のハッチから顔を出したカノンがナタリアに何かを報告している。

 

 俺の傍らでは、ラウラとイリナが得物の点検をしているところだった。マガジンの中に装填されている虎の子のフラグ12を確認し、フロントサイトとリアサイトが戦闘で損傷していないか確認しているみたいだけど、12時間経過すれば俺の能力で生産した得物は全て最善の状態に勝手にメンテナンスされるようになっているので、それほど頻繁に点検する必要はないのだ。

 

 例えばグリップに亀裂が入っても12時間後にはピカピカになっているし、フロントサイトやアイアンサイトが欠けたり、エジェクション・ポートに何かが詰まったとしても、12時間後には完成したばかりの銃のように元通りになっている。

 

 けれども、やはり点検しておかないと気が済まないのだろう。実戦で敵を葬るための得物なのだから、自分の目で確認しておかなければならない。俺も仲間から「この得物は万全の状態だ。点検は必要ない」と言われても、ついつい最低限のチェックを自分でやってしまう。

 

 土壇場で動作不良を起こされるのはごめんだからな。

 

 メニュー画面を開き、今の自分のステータスを確認する。昨日までは常に戦闘中でこういうステータスを確認する暇がなかったけれど、今は少しだけ余裕があるから見ておいた方がいいだろう。

 

 ちなみに、この能力はレベルが上がったり、ドロップした武器やアイテムを手に入れた瞬間に目の前にそれを通知する画面が現れるんだが、さすがに銃撃戦の真っ只中に通知が現れると邪魔でしかない。それの対策なのか、確認する余裕がないような激しい戦闘中は、一切そのような通知が現れないような設定になっているのだ。だから通知がなくてもレベルが上がったりしている可能性はあるので、確認しておくのは重要なのである。

 

 強敵を何人も撃破し、更に敵の指揮官を遠距離から狙撃するという危険な任務をやり遂げたからなのか、俺のレベルは随分と上がっている。レベルは258に達し、攻撃力のステータスは22500まで上がっている。防御力は3つのステータスの中で一番低いらしく、若干低めの21000。逆にスピードは3つのステータスの中で一番高い23200となっている。どうやら俺の場合は防御力が低い代わりに、高いスピードと攻撃力のステータスを生かして一気に敵を倒すような戦い方が向いているらしい。

 

 とはいえ、あまり大きな差はないけどね。

 

「お兄ちゃん」

 

「ん? ああ、ノエルか。どうした?」

 

 武器のチェックを続けている俺に後ろから声をかけてきたのは、シュタージに所属しているノエルだった。彼女はクランが率いるシュタージの一員となり、俺たちよりも先行してこのヴリシアに潜入し、吸血鬼たちと一戦交えている。

 

 数少ない第二世代のキメラの1人である彼女は、得物であるVSSを背負いながら俺たちの所へとやって来ると、かつて体の弱かった少女とは思えないほどしっかりとした動作で敬礼をした。

 

「クランさんが、襲撃に参加しろって」

 

「襲撃? 戦車に乗るんじゃないのか?」

 

 自動装填装置を搭載しているテンプル騎士団の他の戦車とは異なり、シュタージのレオパルトは自動装填装置を搭載していないため4人の乗組員が必要になる。シュタージのメンバーはノエルも入れれば5人になるため、彼女は砲塔の上の機銃を使ったり、場合によっては戦車から離れて偵察するような役目を担っているのだ。

 

 そんな彼女を、戦車のサポートではなく拠点を襲撃する俺たちの部隊になぜ参加させたのだろうか。戦力は十分だから、むしろ戦車の護衛を担当した方が合理的である。

 

 尋ねようとすると、ノエルはもう既に俺がそう言おうとしていることを察していたのか、それよりも先に話し始めた。

 

「――――――ウォルコットさんたちの仇を、取る」

 

「…………」

 

 潜入の際に命を落とした、モリガン・カンパニーの諜報部隊のリーダーの名前だ。一緒に潜入して吸血鬼たちの戦力を暴くという大きな戦果をあげるが、本腰を入れて追撃した吸血鬼たちの猛攻で戦死してしまったという。

 

 シュタージのメンバーたちは、その諜報部隊の仇が取りたいのだろう。

 

「いいだろう。一緒に戦ってくれ」

 

「感謝します、同志」

 

 メニュー画面を開き、彼女の分のPL-14を渡す。テンプル騎士団で正式採用されているハンドガンを受け取った彼女は、それを自分のホルスターの中へと突っ込むと、敬礼をしてからラウラたちと一緒に武器の点検を始めた。

 

 俺は背負っているアンチマテリアルライフルのスコープを調整するついでに、向こうに見える宮殿をちょっと偵察することにした。折り畳んでいたOSV-96の長い銃身を展開し、同じく銃身の下に折り畳んでいたパームレストを展開して左手で構え、スコープの蓋を開けてから覗き込む。

 

 超遠距離狙撃を想定して装備したスコープは、肉眼では宮殿の周囲に兵士が群がっている程度にしか見えなかった光景を鮮明に教えてくれた。1.5kmや2km先にいる敵を狙撃することを想定しているため、ここから敵の服装や装備だけでなく、どんな顔の兵士なのかもはっきりと見える。

 

 どうやら最終防衛ラインで戦力をかなり消耗したのか、あの近代化改修型マウスやラーテのような化け物は見当たらない。宮殿やホワイト・クロックの守備隊の装備はレオパルトやM2ブラッドレーがメインで、歩兵はG36やMP5などで武装しているようだ。数は明らかにこちらよりも少ないが…………オリーブグリーンの制服に身を包んだ兵士よりも、黒服の兵士が増えているような気がする。

 

 制服の違いが何を意味するのかは、もう理解していた。

 

 オリーブグリーンの制服を身につけているのは、労働者の中から徴兵した人間の兵士たち。銃弾に命中すれば当たり前のように死ぬ、一般的な兵士だ。

 

 それに対して黒い制服に身を包んでいるのは、普通の銃弾に撃たれた程度では死なない吸血鬼の兵士だ。彼らの弱点である聖水や銀でなければ致命傷を負うことは決してない、屈強な吸血鬼の精鋭部隊に違いない。

 

 マウスやラーテのような化け物はいないが、本拠地の守備隊は精鋭部隊か…………。

 

 吸血鬼の身体能力は転生者に匹敵するほどだ。しかも弱点で攻撃しない限り再生するため、極めて厄介な相手である。転生者やキメラの兵士ならば単独でも複数の吸血鬼を相手にできるだろうが、いくら銃を持っているとはいえ、普通の人間では相手にならない。数名の兵士で1人の吸血鬼を攻撃するか、その分俺たちが奮戦するしかないだろう。

 

 ちらりと懐中時計を確認する。クリスマス休戦の終焉まで、あと10分。

 

 この懐中時計の針が12を少しでも過ぎれば―――――――再び、ここは戦場と化す。

 

 そろそろ、やるべきだろうか。

 

 吸血鬼の兵士たちではなく、人間の兵士たちをスコープで覗き込みながらニヤリと笑う。俺はよく容姿が母さんにそっくりだと言われるけれど、戦い方までそっくりというわけではない。むしろ真逆だ。騎士道精神を持ち合わせ、剣を持ちながら正々堂々と戦う母さんに対し、俺は卑怯な手をどんどん使う卑怯者である。

 

 クリスマス休戦の間、兵士たちに休息をとらせつつ休戦後の準備をしていたわけだが―――――――もちろんその”準備”の最中にも、手を打っておいた。

 

 休戦中は1発も銃弾を撃ってはならない。そしてお互いを攻撃してはならない。明言されたルールではないが、暗黙の了解である。

 

 それを利用させてもらう。

 

 敵から鹵獲した無線機をポケットから取り出し、スイッチを入れる。鹵獲したというよりは、正確に言うと捕虜から装備を没収した際に拝借した無線機だ。テンプル騎士団の無線機とはなんだか使い方が違うようだが、昨日のパーティー前に少し練習していたから使い方は分かる。

 

 まだクリスマス休戦終了まで10分ある。そう、正午を1秒でも過ぎない限り、休戦のルールは適用されるのだ。

 

 ――――――嫌がらせの時間だ。

 

 ニヤニヤと笑いながら、俺は無線機に向かって言った。

 

「――――――吸血鬼たちの味方をする、全ての兵士諸君に告ぐ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマス休戦の終わりまであと10分。ついに最終防衛ラインを打ち破り、本拠地の目と鼻の先まで進撃してきた連合軍を迎え撃つために展開していた地上部隊は、生き残った部隊をかき集めて編成を終え、休戦の終焉に備えていた。

 

 大慌てで掘られた塹壕の中で機関銃を構え、迫撃砲の角度を調整する兵士たち。その後方にはまだ戦闘を継続できそうな戦車部隊がずらりと並び、戦車砲を連合軍の大部隊へと向けている。

 

 敵が進撃してくる方向に銃口を向け、息を呑みつつ戦闘の再開を待つ兵士たち。その半数を占めるのは人間の兵士ではなく、漆黒の制服を身に纏った吸血鬼の兵士たちである。今まで大半を占めていたのは人間の兵士たちであったのだが、人間の兵士では役不足と判断したのか、それとも最終防衛ラインで撃ち破れるだろうという予測が外れて危機感を感じたのか、ついに彼らをこの戦闘に巻き込んだ張本人たちも銃を装備し、最前線へとやってきたのである。

 

 そんな吸血鬼たちを、もちろん人間たちは軽蔑していた。自分たちから家族を奪って人質にし、さんざん危険な最前線に放り込んで高を括っていた彼らが慌てる姿は滑稽でしかない。

 

 ある1人の兵士が、後ろで安全装置(セーフティ)の解除に手間取る吸血鬼の兵士を見下ろしていたその時だった。

 

『――――――吸血鬼の味方をする、全ての兵士諸君に告ぐ』

 

「なんだ?」

 

 聞こえてきたのは、やけに綺麗な発音のヴリシア語だった。そのヴリシア語を喋っていた人物の声は高く、若い女性か少女であるという事が分かる。女の吸血鬼は女王であるアリアや一部の吸血鬼くらいしかいないし、女性の兵士もこの戦いにはほとんど参戦していないため、自分たちの軍勢のうちの誰かが発した通信ではないという事はすぐに分かった。

 

『こちらはテンプル騎士団団長のタクヤ・ハヤカワである。兵士諸君、君たちの家族は、もう既に吸血鬼共から解放済みである』

 

「なに?」

 

「ちょっと待て、どういうことだ!? ………しゃ、シャーリーは無事だってのか!?」

 

「子供たちもか!?」

 

「落ち着け、貴様ら! これは敵のデマだ! 信じるな! ………くそっ、人間風情が」

 

 ざわつく兵士たちを吸血鬼の兵士たちが慌てて制止しようとするが、無線機の向こうから聞こえてきた声が発した内容は、確実に彼らの心の中に浸透しつつあった。吸血鬼たちに人質に取られていた家族が解放されているのだとしたら、もう吸血鬼たちに従う必要はない。もちろんそれがデマであるという可能性もあるが、出来るならばデマではない可能性を信じたいと思う兵士の方が多かった。

 

 そして、それがデマだという疑念が―――――――その後に聞こえてきた声によって、完全に粉砕される。

 

『解放した諸君らの家族は、我々の艦隊で保護している。…………開戦までまだ8分ある。家族と再会したいと思う兵士はただちに武装を解除し、我が軍に投降せよ。繰り返す、ただちに武装を解除し、我が軍に投降せよ』

 

 海戦からずっと連敗を続けていたために士気は低下しており、更に家族まで解放されているのならば、もう人間の兵士たちが吸血鬼のために戦う理由は完全に消滅する。彼らが今まで戦っていた理由は家族を救い出すためであり、もし逆らえば家族が殺されるというリスクが消滅したという事は、もう吸血鬼に従う必要はない。

 

 相変わらず吸血鬼たちは慌てて兵士たちを制止するために叫んでいるが、彼らにとって『家族が殺される』というリスクが消失した状態では何の意味もない。

 

 そして――――――ついに、最初の1人が銃を投げ捨て、塹壕から飛び出した。溶けた雪で泥と化した地面を駆け抜け、連合軍の軍勢が展開している方向へと向かって走っていく。

 

 それにつられて、他の兵士たちも次々にヘルメットや銃を塹壕の中に投げ捨てて走り出した。ぞろぞろと塹壕から出ていく兵士たちは、もう吸血鬼たちが必死に叫ぶ言葉に耳を貸していない。

 

「き、貴様ら、止まらないと射殺するぞっ!」

 

「バカか、今はまだ”休戦中”だぞ?」

 

「ぐっ…………!」

 

 そう、もし今が休戦中でなければ、とっくに吸血鬼たちは彼らに”敵前逃亡”というレッテルを貼り、懐の拳銃で射殺しているところである。しかし今は、開戦まで残り僅かとなったとはいえまだクリスマス休戦中。明言されたルールではないものの、1発も発砲することは許されないし、攻撃は許されない。

 

 それゆえに正午を1秒でも過ぎない限り、逃げていく兵士の粛清すらできないのである。だから吸血鬼の兵士たちは、銃を投げ捨てて逃げていく兵士たちに銃口を向けたまま、それを見守ることしかできないのだ。

 

 タクヤが用意した嫌がらせは、見事に成功したことになる。

 

 クリスマス・イブに強制収容所をイリナと共に訪れたタクヤは、そこで警備をしていた吸血鬼たちを説得して投降させることで休戦中であるというのに強制収容所を開放し、そこに収容されていた兵士たちの家族を保護。吸血鬼側に悟られないように、パーティーが開催されている最中に部下に指示し、橋頭保である図書館を経由して捕虜と共に後方の艦隊まで移送しておいたのだ。

 

 これでもう、兵士たちに”人質”はいない。しかもまだ休戦中であるため、吸血鬼たちの元から離れる兵士たちを粛正することもできない。

 

 クリスマス休戦という時間を利用した、見事な作戦であった。

 

 

 

 

 

 

 



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ヴリシアの決戦

 

 敵の本拠地に展開した守備隊を全員相手にするつもりで準備をしていたのだが、クリスマス休戦の終了間際に発動したタクヤの”作戦”を目の当たりにする羽目になった俺たちは、強烈な肩透かしを食らうと同時に度肝を抜かれる羽目になった。

 

 クリスマス休戦の終焉まであと8分。敵だった兵士たちと酒を飲み、大騒ぎしたクリスマスの夜が終わり、再び本来の敵に銃を向ける時間が迫る中で、タクヤが発した敵への短い通信が敵の兵力を削ることになるとは、後方にいる我が軍の名将たちも想像することはなかっただろう。

 

 吸血鬼に味方をする人間の兵士たちは、家族を人質に取られていたから彼らに味方をしていたという事は捕虜に色々と質問したテンプル騎士団の兵士から聞いている。逆らえば家族を殺されるため、人間の兵士たちは奴らに反旗を翻すことができなかったのだ。

 

 それゆえに、敵の兵士たちの士気は低い。家族という人質を取っ払われてしまえば、あとは簡単に離反してしまう。

 

 しかし、離反させるタイミングを誤れば彼らは吸血鬼共に虐殺される羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。吸血鬼の身体能力は転生者にも匹敵するほどで、しかも弱点で攻撃しない限り彼らは再生を続ける。身体能力で劣る上にそんな再生能力を持つ化け物を殺す手段を持たない人間の兵士では、勝負にならない。

 

 そこでタクヤの奴は、”休戦中は攻撃してはならない”という暗黙の了解を利用したのだ。敵への攻撃はもちろん禁止だが、同時に味方への粛清も厳禁となる。それゆえに敵は敵前逃亡する兵士たちを粛正することもできないというわけだ。しかも兵士たちが逃亡を始めたのは、クリスマス休戦終了の数分前。彼らを連れ戻すよりも、数分後には押し寄せてくる連合軍を食い止める準備をするべき時間であるため、誰も逃げていく兵士たちを止められない。

 

 吸血鬼たちから見れば、最終決戦前に一息入れるための暗黙の了解が見事に仇になったのである。

 

「あいつも汚い男に育ってしまったものだ…………」

 

 隣で嘆きながら頭を抱えるエミリアを見つめつつ苦笑いし、懐中時計で時刻を確認するふりをする。タクヤはエミリアと容姿は瓜二つだが、性格ははっきり言うと真逆である。エミリアは騎士道精神を持っており、基本的に敵と正々堂々と戦う事を好む。これは幼少の頃から騎士団に所属していたために根付いた性格なのだろう。

 

 しかし、タクヤは全く違う。騎士道精神は全く持っておらず、不意打ちをするのは当たり前だ。敵との約束も最終的には破るか、何かしらの約束を利用した卑怯な手を準備しているような男である。

 

 エミリアはどうやらタクヤにもそういう精神を持ったまま育って欲しかったようだが、無駄になってしまったことを嘆いているようだ。けれども俺たちの技術は確かに習得してくれているし、卑怯者だがかなりの実力者でもある。少々気に入らないところはあるが、俺は合格だと思っている。

 

 ぞろぞろと敵の塹壕を離れ、丸腰でこっちに全力疾走してくる兵士たち。最前列でT-14から身を乗り出した兵士たちがヴリシア語で話す敵兵に「このまま進んで後方の部隊と話せ」と返答しているのを聴きながら、俺は懐から水筒を取り出し、中に入っているアイスティーを口の中へと流し込んだ。

 

 空になった水筒を懐に戻し、仲間たちに「戦闘準備だ」と告げる代わりに安全装置(セーフティ)を外す。セレクターレバーを3点バーストに切り替えて射撃準備をしつつ、いつまでも頭を抱えているエミリアの頭を優しく撫でた。

 

「こういうものさ」

 

「ぐ…………なんだか悔しいものだな」

 

「ははははっ。でも強い子に育ってくれたんだ。十分だろう」

 

「うむ、そうだな…………お前と私の子供なのだからな」

 

 ああ、そうだ。俺とお前の子だ。一緒に激戦を生き抜いた戦友(お前)と俺の息子だ。もし仮にここでそう言えたなら、彼女は笑ってくれただろうか?

 

 けれども俺は、そう言い切れなかった。自分はハヤカワ家の大黒柱だというのに――――――ハヤカワ家の一員だと名乗ろうとする度に、頭の中が痛むのである。

 

 今もそうだった。「俺とお前の子だ」と言い切ろうとする直前に何かが俺の頭の中を貫き、その言葉を殺してしまう。まるで俺がリキヤ・ハヤカワだと名乗ることを、何かが許そうとしていないかのように。

 

 ”お前”が許してくれないのか? それとも、”お前”の記憶が許してくれないのか?

 

「…………」

 

「リキヤ?」

 

「ん?」

 

「考え事か?」

 

「…………いや、気にするな」

 

 この痛みも、きっとメサイアの天秤を手に入れれば終わる。

 

 俺の願いが叶えば、この痛みは消える。大きな変化はないかもしれないが―――――――家族や仲間たちは、きっと俺のこの願いで救われるに違いない。その中で俺の願いがどんな影響を与えたのか気付く奴はいないと思うけど、俺はそれで構わない。

 

 ただの個人的な願いだ。きっと、メサイアの天秤を追い求めた冒険者たちの願いと比べれば、俺の願いは遥かにちっぽけかもしれない。

 

 でも、それでいい。俺にとっては自分の命を差し出しても構わないほどの価値があるのだから。

 

 そのために、何としても吸血鬼たちをここで打ち破る。

 

 また手足を失うことになっても構わない。天秤の鍵さえ手に入ればいいのだ。

 

「同志、空をご覧ください」

 

 クリスマス休戦終了まで、あと30秒。他の兵士たちが続々と安全装置(セーフティ)を解除していくのを見守っている俺に声をかけたのは、傍らに立っていた1人の兵士だった。

 

 そういえば、そろそろフィオナが新兵器を持ってきてくれる頃だった。彼女の開発した新兵器に期待しながら空を見上げると―――――――雪と白い雲で真っ白に染まった大空に、いつの間にか巨大な物体が浮遊していた。

 

 傍から見れば巨大なソーセージを鋼鉄の外殻で覆い、胴体の下部に武骨なゴンドラがぶら下がっているような形状をしている。全長約400mの巨体を浮遊させているのは、両側に搭載されているやたらと大きなエンジンたちだ。

 

 エンジンの発する音を響かせながらサン・クヴァント上空に姿を現したのは―――――――船体にモリガン・カンパニーのエンブレムを描かれた、1隻の飛行船だった。

 

 けれども、その飛行船は俺たちの住んでいた前世の世界で飛んでいたものと違うというのはすぐに分かった。搭載されているエンジンは通常のエンジンではなく、燃料の代わりに魔力を増幅させて加圧し、それを利用して駆動するフィオナ機関になっているのである。

 

 そう、その飛行船は転生者の能力で生み出された代物ではなく、この異世界の技術で作られた”異世界初”の飛行船であった。

 

 もちろん、それを生み出したのは我が社の天才技術者(マッドサイエンティスト)である。

 

『こちらフィオナです。同志の皆さん、聞こえます?』

 

「ああ、聞こえる」

 

『では、今から攻撃を開始しますね♪ …………あれっ? もう休戦終わってましたっけ?』

 

 5秒前に終わったばかりだ。彼女は少なくとも防衛ラインを攻めている間は俺の近くにいた筈だが、いつの間に飛行船を取りに戻っていたのだろうか。もしかすると休戦が終わるタイミングで爆撃をぶちかますために、サン・クヴァントの近くに飛行船を待機させていたのかもしれない。

 

 確か、彼女にあの飛行船の設計図を見せてもらい、開発の許可をしたのは先月の話である。あれほどの飛行船を1ヵ月で完成させるのは考えられない速さだ。しかも彼女は他の発明品の開発も並行して行いつつ、あの飛行船の設計と開発だけでなく、試験飛行まで済ませてヴリシア侵攻に間に合わせたのである。

 

 サン・クヴァントまでやってきたモリガン級一番艦『モリガン』が、ゆっくりと宮殿上空へと近づいていく。俺が率いている傭兵ギルドの名を冠した怪物にはこの異世界でフィオナが開発した武装が搭載されているが、火力や射程距離では現代兵器には遠く及ばない。

 

 第一、前世の世界でも武装した飛行船が活躍したのは第一次世界大戦までの話だ。爆弾を何発も搭載し、無数の機関銃で武装した飛行船が第一次世界大戦で活躍したが、より高性能な爆撃機が次々と産声を上げていったため、武装した飛行船は完全に廃れてしまっている。

 

 ちなみにフィオナの話では、今ではモリガン級二番艦『クー・フーリン』が建造中らしい。三番艦の建造計画もあるらしいが、あいつはあんな巨大な飛行船を量産するつもりなのだろうか?

 

 まるでロンドンを爆撃するためにドイツからやってきたツェッペリンにも見える巨大な飛行船のゴンドラが、ゆっくりと開いていく。その中から姿を現したのは無数の爆弾ではなく―――――――もっと凶悪な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン級一番艦『モリガン』のゴンドラから解き放たれたのは、爆弾などではなかった。

 

 まるで車輪に複数のエンジンを取り付けたかのような形状をしている怪物たちが続々とゴンドラのハッチの中から零れ落ちたかと思うと、立て続けに搭載されているエンジンがまるで火の粉を思わせる真っ赤な粒子をばら撒きながら目を覚ます。

 

 その粒子は、魔力の残滓であった。車輪の軸の中に搭載されたタンクに注入された魔力をエンジン内部で増幅させつつ加圧し、それを噴射することで車輪を空中で回転させているのである。まるで火の粉を大空にまき散らしながら回転しているようにも見えるその車輪たちが、フィオナの開発した新兵器であった。

 

 テンプル騎士団ではなく、モリガン・カンパニーでも運用されているパンジャンドラムを、異世界の技術で再現した”異世界版パンジャンドラム”とも言える代物である。搭載されているロケットモーターを大型のフィオナ機関に変更した程度で、車輪の軸の部分に暴発する寸前まで加圧された魔力が充填されている以外は、原型となったパンジャンドラムとほぼ同じだ。

 

 空中から投下された物騒なサンタクロースのプレゼントたちは回転しながらどんどん高度を落としていく。火の粉にも似た粒子をまき散らしながら落下してくる車輪を目の当たりにした守備隊の兵士たちは慌てて迎撃しようとしたが―――――――武装解除して逃亡する人間の兵士たちを制止しようとしていたせいで、その空襲に対する対応はすっかり遅れてしまっていた。

 

 スティンガーミサイルがあれば、飛行船を直接攻撃することもできただろう。しかし兵士たちが塹壕の中に投げ捨てていった武装の中には対空用のスティンガーミサイルも含まれており、吸血鬼たちの中でそれを手にしていた者は少数であった。運よくスティンガーを装備していた吸血鬼たちは照準を飛行船へと合わせるが―――――――高圧の魔力を放出しながら落下してくるパンジャンドラムは高熱を発しており、偶然それが航空機の散布するフレアとして機能していたため、飛行船ではなくパンジャンドラムをロックオンする羽目になってしまう。

 

 しかし、どの道それも撃墜しなければ危険である。

 

 飛行船の撃墜を断念した吸血鬼たちは、落下してくるパンジャンドラムをロックオンしてスティンガーミサイルを放った。真っ白な煙を吐き出して舞い上がっていくミサイルたちは容易くパンジャンドラムへと喰らい付いたが―――――――戦闘ヘリですら容易く叩き落してしまうスティンガーミサイルは、落下してくるパンジャンドラムの表面をある程度抉る程度の損傷しか与えられなかった。

 

 表面の装甲が微かに欠けたが、回転と敵への突撃に支障があるとは思えないほど軽い損傷である。

 

 その堅牢な防御力は、異世界版パンジャンドラムを開発する際にフィオナが採用した”賢者の石”と呼ばれる特殊な鉱石によってもたらされたものである。

 

 地中へと染み渡った魔力の残滓が凝縮されることによって生成される賢者の石は、簡単に言えば高濃度の魔力を含有した鉄鉱石のようなものだ。剣や杖に取り付けることで魔術による攻撃力を底上げすることができるアイテムであり、一般的な冒険者でも購入できる価格だが、魔力を動力源とするフィオナ機関が開発されてからは、高濃度の魔力を持つ賢者の石はまさに”燃料”と言える。

 

 彼女はそれを、あえて動力源ではなく内部の機械を保護するための装甲として採用したのだ。表面に従来の装甲を取り付け、その下に薄い賢者の石の装甲を搭載し、更にその下に従来の装甲を搭載することで、防御力を飛躍的に高めたのである。

 

 賢者の石は衝撃を与えると高圧の魔力を放射するという特性もあるため、もし賢者の石の装甲に被弾したとしても、爆発反応装甲のように高圧の魔力で身を守ることができるのだ。それゆえにスティンガーミサイルを喰らう羽目になったパンジャンドラムは、表面の装甲が剥がれ落ちて賢者の石が露出した程度で済んでいる。

 

 更に、衝撃を与えれば高圧の魔力を放射する賢者の石の装甲で覆われた車輪が内蔵されている高圧の魔力を暴発させて自爆すれば―――――――気化爆弾にも匹敵する大爆発を引き起こす。

 

「け、賢者の石―――――――!」

 

 剥き出しになった賢者の石の装甲を目の当たりにした吸血鬼たちは、一斉に凍り付いた。大昔から賢者の石を武器に装着する者は多かったが、敵の攻撃や事故によって高圧の魔力の噴射による暴発を起こして命を落としていった兵士たちは後を絶たない。

 

 人間よりもはるかに寿命が長いため、吸血鬼たちもその恐ろしさを知っていた。

 

「た、退避しろ! あれには賢者の石が―――――――」

 

 警告を発した直後、その吸血鬼の傍らに停車していたレオパルトの砲塔が悲鳴を上げた。ぐしゃ、と複合装甲で覆われた砲塔がひしゃげ、装甲が歪んだ影響で砲身が上へと持ち上げられる。堅牢な装甲にクレーターを作っていたのは、やはり天空から襲来した漆黒の車輪であった。

 

 やがて、落下した衝撃で割れた表面の装甲から賢者の石の装甲が顔を出す。まるで深紅の古代文字が埋め込まれた鉄板のような賢者の石の装甲が点滅を始めたかと思うと―――――――含有する高圧の魔力を暴発させ、鮮血のような深紅の大爆発を引き起こした。

 

 さらに同じく内蔵されていた魔力も暴発を起こし、気化爆弾に匹敵する爆発がレオパルトと乗組員たちを飲み込んだ。

 

 もしこの魔力の属性が光属性以外であったのならば、吸血鬼たちは自分たちの身体を焼かれる苦痛を味わいながらも身体を再生させ、復讐心を連合軍の兵士たちへと向けていたことだろう。

 

 しかし、そのパンジャンドラムが内蔵していた魔力は、彼らの弱点の1つでもある光属性の魔力であった。

 

 大昔から光属性の魔力にはあらゆるものを浄化する効果があると言われており、闇属性の魔力を持つ魔物や種族の弱点とされていた。もちろん吸血鬼の弱点でもあり、彼らにとっては強烈な熱線と同じである。

 

 光属性の魔力を含んだ衝撃波に触れた吸血鬼たちの肉体が燃え上がり、瞬く間に火達磨になる。逃げ惑う吸血鬼たちを着地したパンジャンドラムが轢き殺し、彼らの肉片がこびりついた車輪が装甲車へと突撃していく。

 

 中には着地した衝撃で暴発を起こすパンジャンドラムもあり、生み出した光属性の爆風で吸血鬼たちの歩兵を蹂躙していた。

 

 燃え上がった肉体が容易く千切れ飛び、次々に消滅していく。スティンガーで応戦する吸血鬼の兵士もいるが、爆発反応装甲にも似た特徴を持つ賢者の石の装甲がパンジャンドラムを守り抜く。

 

 瞬く間に、宮殿とホワイト・クロックの周囲は光属性の魔力が荒れ狂う地獄と化した。

 

 吸血鬼たちの断末魔と爆音が支配する地獄を、巨大な飛行船が見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにあれ」

 

 飛行船から凄まじい数のパンジャンドラムが投下されたのを目の当たりにした俺は、目を見開いてしまった。

 

 昨日のクリスマスパーティーの最中に、親父から今日の正午辺りにフィオナちゃんの新兵器が到着するという話を聞いていたけれど、その新兵器が超弩級戦艦に匹敵する大きさの飛行船と異世界版のパンジャンドラムだと想像できるわけがない。

 

 てっきりまともな新兵器だと思っていたけど、フィオナちゃんが作る新兵器に”まともな兵器”はないらしい。さすがモリガン・カンパニーのマッドサイエンティストだ。見た目は清楚な幼女なのに、何でこんなマッドサイエンティストになってしまったんだろうか。

 

 宮殿と時計塔の周囲で暴れまわるパンジャンドラムがすべて自爆し、光属性の魔力が霧散していくのを確認しながら、俺は突撃命令を下すことにしていた。光属性の魔力はよほど高濃度でなければ人間に害はないが、俺たちの仲間の中にはイリナがいる。吸血鬼として生まれた彼女にとっては、あの光属性の魔力は熱線にも等しい。

 

 幸い、パンジャンドラムが片っ端から戦車を吹っ飛ばしてくれたおかげで、本拠地の守備隊は虫の息だ。辛うじて数両の戦車と装甲車が生きているようだけど、主砲の砲身がへし折れていたり、猛烈な爆風で砲塔が旋回できなくなった車両が殆どらしい。まともに戦える車両はほとんど残されていないし、それらの周囲に群がっていた筈の敵兵の姿は見当たらない。

 

 これならば、強引にこのまま突撃した方が手っ取り早いだろう。さすがに宮殿の内部にはまだ守備隊が残っているとは思うが、かなりこちらが有利になった。

 

 マッドサイエンティストに感謝しないと。

 

「よし、突っ込むか」

 

「そうね。…………全車、突撃用意!」

 

 無数のパンジャンドラムを投下した飛行船が、対空砲火を喰らう前に退避を開始する。搭載されたフィオナ機関から魔力の残滓を吐き出しながらゆっくりと去っていく飛行船を見送っているうちに、第一軍が展開していた方向からけたたましいホイッスルの音と、無数の兵士たちの雄叫びが聞こえてきた。

 

 どうやら親父が率いる第一軍は、もうホワイト・クロックへと突撃を開始したらしい。瓦礫の山の向こうでT-14と99式戦車が全身を開始し、その車体の上にはアサルトライフルを構えた兵士たちが何人も乗っている。その傍らを突っ走っていくのは、やはり連合軍の兵士たち。

 

 俺たちもそろそろ突っ込むべきだ。そう思いながらちらりと前を見てみると、いつの間にかあの法螺貝を手にしたイリナがニヤニヤと笑いながら、「吹いてもいい?」と言わんばかりにこちらを見ているところだった。

 

 何で法螺貝なんだよ…………好きにしろ。

 

 苦笑いしながら頷くと、イリナは思い切り空気を吸い込んでから―――――――突撃の合図を発する。

 

『ブオォォォォォォォォォォォッ!!』

 

「突撃ぃッ!!」

 

「「「「「「「「「「УРааааааааааааааа!!」」」」」」」」」」

 

 AK-12を構えながら、仲間の兵士たちと一緒に瓦礫の上を突っ走る。

 

 ヴリシア侵攻作戦の決戦が、ついに始まった。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 合戦?

 

モリガン・カンパニー兵士1『ピィィィィィィィィッ!!』

 

モリガン・カンパニー兵士一同『УРаааааааааааа!!』

 

イリナ『ブオォォォォォォォォォォォォォォッ!!』

 

テンプル騎士団一同『УРааааааааа!!』

 

リキヤ「か、合戦!?」

 

タクヤ「合戦じゃああああああああああッ!!」

 

シンヤ(”テンプル武士団”になっちゃうよ…………)

 

 完

 

 

 

 

 



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第二軍の攻勢

 

 

 

 敵の本拠地は、帝都サン・クヴァントの象徴とされているホワイト・クロックと、オルトバルカ大使館が避難勧告を発する前までは皇帝がいた筈のサン・クヴァント宮殿の二ヵ所である。

 

 距離は近いとはいえ、敵の拠点を1つずつ陥落させれば時間がかかってしまう。戦闘の泥沼化を避け、可能な限り短期間で決着をつけることを想定している連合軍にとって、片方に全ての戦力を投入して攻め落とすよりも両方の拠点を同時に襲撃する方が好ましいのだ。

 

 それに、1つの拠点を陥落させるために全ての兵力を投入すれば数多の兵士や戦車が密集することになり、逆に動きにくくなってしまう。そちらの方がむしろ身動きが取れないうちに敵に反撃されて大損害を被る可能性があるため、参謀であるシンヤ叔父さんは部隊を2つに分けたのだ。

 

 片方は、親父が率いる第一軍。そしてもう片方は、俺が率いる第二軍である。

 

 先ほどの理不尽な爆撃を生き延びた吸血鬼たちが、辛うじて爆風で吹き飛ばされなかった塹壕へと潜り込んで機関銃をこちらへと向けてくる。爆風の熱で溶けた雪と地面が混ざり合った泥で汚れたMG3の銃口がこちらへと向けられた直後、バレルジャケットに覆われた銃身の先端にある銃口をマズルフラッシュの輝きが飾り立てる。凄まじい速さでベルトが機関銃の中へと引きずり込まれていき、空になった薬莢が地面へと落下して鉄琴の音色にも似た金属音を奏でる。

 

 歩兵部隊の先頭を進んでいた俺は、咄嗟に胸板を外殻で覆った。きっと今頃俺の服の内側では肌色の皮膚が姿を消し、まるでドラゴンの外殻をそのまま人体に張り付けたかのような胸板と化しているに違いない。

 

 一般的なドラゴンの外殻を打ち破るには、最低でも6.5mm弾か6.8mm弾が必要と言われている。M16やM4で採用されている5.56mm弾は扱いやすい弾丸であるものの、貫通力や殺傷力は低いため、堅牢な外殻を持つ魔物には効果が薄いのだ。そのためこちらの世界では、むしろ少しでも口径の大きな弾丸が重宝する。

 

 7.62mm弾ならばドラゴンの外殻を当たり前のように貫通できるが―――――――俺の遺伝子に含まれているサラマンダーの外殻は極めて堅牢だ。更に炎を纏うドラゴンであるため、弾丸が外殻に着弾する前に高熱で融解してしまうという。

 

 そのサラマンダーの外殻を受け継いだ俺には、少なくとも外殻を使って降下している間だけは7.62mmは通用しない。

 

 敵の塹壕に設置されたMG3から放たれる7.62mm弾は立て続けに俺の胸板に着弾したけど、まるで分厚い装甲に銃弾が弾かれているような音を何度も奏でながら砕けていく。立て続けに被弾しているというのに倒れない俺を見て危機感を感じたのか、他の機関銃の射手たちも銃口をこっちへと向けてきた。

 

 フィオナちゃんの検査では、この外殻ならば12.7mm弾どころか20mm弾や30mm弾も弾くことができるという。さすがに戦車を撃破するための対戦車ミサイルや戦車砲の砲弾は無理だと思うが、この防御力は本当にありがたい。

 

 本当に身体が撃ち抜かれているんじゃないかという猛烈な衝撃に耐えながら前進しつつ、距離を詰める。他の兵士たちは被弾していないだろうかと思いつつ周囲を見てみると、他の兵士は瓦礫の山を盾にしたり、戦車の後方に隠れて銃弾から身を守っているようだった。中には魔術が得意なのか、土属性の魔術で足元の瓦礫をつなぎ合わせて防壁を作り、それで自分や味方を守っている兵士も見受けられる。

 

 魔術か…………。俺も久しぶりにやってみるかな。

 

 俺やラウラはもう既に属性に変換済みの魔力を体内に持っているため、少なくともその属性の魔術を使う時は詠唱を必要としない。それ以外の魔術も使うことはできるけれど、一度自分の体内の魔力をまた別の属性に変換し直す必要があるため、詠唱が長くなってしまうのだ。

 

 それに俺の魔術は―――――――変なのである。

 

 幼少の頃からこの世界に存在する魔物や魔術に興味を持っていたので、家にあった教本や図鑑をひたすら読んでいたおかげで、成長してから改めて母さんやエリスさんから魔術を教えてもらうよりも先に知識は身につけていた。とはいえ興味を持ったきっかけは、魔物や魔術が存在しない前世の世界で生まれたからなんだけどね。

 

 というわけで小さい頃に何度か練習したんだが―――――――教本通りの魔術を使う事が出来たのは数回だけだった。

 

 教本に乗っている魔術を使うことができずに落胆した幼少の頃を思い出しつつ、突っ走りながら左手を前に突き出す。無意識のうちに左手の手首から先が外殻で覆われていき、鋭い爪の生えたドラゴンの手へと変貌していく。

 

 堅牢な外殻に覆われた手のひらに蒼い炎の球体が生成されたかと思うと、その球体は微かに振動しながら火の粉をまき散らし始めた。

 

 今から使うのは、魔術の習得が容易いと言われている炎属性の魔術の中でも特に簡単な魔術と言われている、ファイアーボールである。ほとんどの魔術師が習得する簡単な魔術の1つで、初心者でもゴブリンを吹き飛ばしてしまうほどの威力がある炎の球体を飛ばすことができると言われている。熟練の魔術師はちょっとした戦車砲並みの破壊力になるらしい。

 

 普通ならば赤い炎の球体が生成される筈なんだが、俺の炎はどういうわけか全部蒼い。

 

「――――――ファイアーボール!」

 

 生成したファイアーボールを更に加圧して解き放ったが―――――――やっぱり、俺の魔術は変だった。

 

 普通ならば、火の粉をまき散らしながら赤い炎の球体が敵に向かって飛来していく筈だ。そして着弾した瞬間に弾け飛び、喰らう羽目になった運の悪い標的を火達磨にしてしまうのである。でも俺のファイアーボールは、球体ですらなかった。

 

 はっきり言うと、ただの蒼いレーザーである。

 

 加圧を繰り返された蒼い炎の塊は勢いよく放たれ過ぎたせいなのか、球体の状態ではなく、ただの蒼い閃光にしか見えないほどの速さで敵に向かって飛んで行った。まるで小さな流星が誕生したかのように輝きながら飛翔していった俺のファイアーボールは正確にLMGの射手に着弾すると、まるで榴弾のように炸裂し、瞬く間に射手の身体を包み込んだ。

 

 LMGから手を離し、火達磨になった射手が泥の上を転げ回る。絶叫しながら足元の泥で身体の火を消そうとするが、高圧の魔力で生成された俺の炎はそう簡単に消える様子はない。

 

 とはいえ、敵兵は吸血鬼のみ。この炎は弱点ではないため、吸血鬼の身体をいくら焼いても彼らは再生するだろう。

 

 けれどもその射手がLMGから手を離したおかげで、一時的に弾幕が薄くなる。

 

「タクヤ、何それ!?」

 

「ファイアーボールだよ!」

 

「なんか変だよ!?」

 

 今の変なファイアーボールを目の当たりにしたイリナが走りながら叫ぶ。

 

 仕方ないだろ? どういうわけか小さい頃からこんなファイアーボールしか使えないんだよ…………。ちなみに、本気でぶっ放すとロケットランチャーの対人榴弾並みの爆発を起こすらしい。

 

 いくつか教本通りに扱える魔術もあるけれど、どういうわけなのか俺の使える魔術のほとんどはこんな変な魔術ばかりなのだ。でも普通の魔術よりもかなり強力だし、改善する必要はないよね。

 

 ファイアーボールを放ち終えた俺の頭の近くを、おそらく12.7mm弾と思われる数発の銃弾が掠めていく。素早く弾丸の飛んできた方を確認しつつ姿勢を低くすると、泥まみれの土嚢袋の向こうにブローニングM2重機関銃が鎮座して、銃口をこちらへと向けているところだった。

 

 外殻で覆っていない状態で被弾したとしても、俺は転生者だからステータスのおかげで何とか持ちこたえられるだろう。けれども、土壇場で俺の一番低いステータスでもある防御を頼りにするのは愚の骨頂だ。それよりも最高のステータスであるスピードを頼りにするべきである。

 

 AK-12のセレクターレバーをセミオートからフルオートに変更し、その射手へと向けてぶっ放す。とはいえドットサイトを覗き込まずに適当にばら撒いたため、命中することはないだろう。とりあえず銃撃で威嚇して重機関銃の連射を一時的に止められればいい。

 

 ちらりと見てみると、やはり重機関銃の射手は咄嗟に頭を下げて今の銃撃を回避したようだった。命中はしなかったけど、ブローニングM2重機関銃の連射はぴたりと止まっている。おかげで仲間があれでミンチにされることはなくなったけど、再び弾幕を張るのは時間の問題だった。

 

 いっそのこと手榴弾でも放り込んでやろうかと思ったその時、何の前触れもなくその射手の首から上が消し飛んだ。ぐらりと揺れた身体が塹壕の中へと崩れ落ちていき、鮮血の混じった泥を生み出していく。

 

 何が起きたのか、俺はすぐに理解した。

 

 歩兵部隊の後方にある瓦礫の山の上に、赤毛の少女がいた。真っ黒な制服に身を包んだ彼女は姿勢を低くして、利き手である左手でしっかりとアンチマテリアルライフルのグリップを握りながら、古めかしいタンジェントサイトを覗き込んでいる。

 

 右手でボルトハンドルを引いた彼女は、次の標的に狙いを定めた。武骨なT字型のマズルブレーキが搭載されたでっかいライフルが敵兵へと向けられた直後、一瞬だけマズルフラッシュが煌き―――――――今度は弾薬を運んでいた吸血鬼の腹に、大人の腕が5本くらいは通過できそうなほど大きな風穴が開いた。

 

「ラウラ…………!」

 

「ほら、ラウラがついてる! 行くぞ! 進め進め!!」

 

 重機関銃の凄まじいフルオート射撃を警戒して姿勢を低くしていたイリナの肩を叩きながら叫び、再び駆け出す。

 

 狙撃しているのは、どうやらラウラだけではないらしい。よく見てみると後方にボルトアクション式のスナイパーライフルを装備し、テンプル騎士団の黒い制服の上にマントを纏った狙撃兵たちが片っ端からトリガーを引き、素早くボルトハンドルを引いているのである。

 

 ラウラの教え子たちだった。

 

 テンプル騎士団で採用しているスナイパーライフルは、ロシア製ボルトアクション式スナイパーライフルのSV-98。使用する弾薬は命中精度を考慮し、.338ラプアマグナム弾に変更してある。基本的にスコープとバイポットを装備しているけれど、中には俺と同じく折り畳み式のパームレストを装備したり、銃床の部分に折り畳み式のモノポッドを装備している奴もいる。

 

 彼らは流石にラウラと比べると狙撃を外すこともあるけれど、頼もしい狙撃手たちである。

 

 俺が仕留めようと思っていた吸血鬼の兵士の頭に風穴が開き、ズタズタになった脳の破片と肉片が後ろに吹っ飛んでいく。ラウラの使っている20mm弾だったら頭は吹っ飛んでいてもおかしくはないので、今のは彼女の教え子たちの狙撃だろう。

 

 正確に敵兵の頭を撃ち抜いた教え子たちの技術に驚愕しつつ、獲物を横取りされた悔しさも感じながら、銃口の右側に折り畳んであるスパイク型銃剣を展開した。そろそろテンプル騎士団が最も得意とする白兵戦が始まってもおかしくない頃である。

 

 泥だらけの地面を踏みつけ、瓦礫の上を駆け抜ける。機関銃の銃弾だけでなく、迫撃砲の砲弾の爆風も外殻で防ぎながらフルオート射撃をぶちかます。

 

 とはいえ、やはりドットサイトを覗き込みながらの射撃ではないため当たらない。けれども敵が物陰に隠れて銃撃を中断させた隙に―――――――1発の40mmグレネード弾が、敵の塹壕の中へと飛び込んだ。戦車や装甲車を撃破するための形成炸薬(HEAT)弾ではなく対人榴弾だったらしく、猛烈な爆風と銀の破片が吸血鬼の射手たちをズタズタにしていった。

 

「さすがイリナ!」

 

 どうやら俺が射撃している間に自分のスコップを引き抜き、内蔵していた迫撃砲で砲撃したらしい。

 

 イリナが装備している近距離武器のスコップは、迫撃砲を内蔵した特別な代物である。先端部を取り外して後端に取り付け、砲口についている蓋を外すことで40mmグレネード弾を発射できる小型の迫撃砲として機能するのだ。

 

 余談だけど、ソ連軍では37mm弾を発射可能な迫撃砲を内蔵したスコップを開発しており、実戦に投入していたという。

 

「ああ、爆発って最高…………」

 

 舞い上がる泥と火柱を見つめながら1人でうっとりしているイリナ。すぐ傍らに機関銃の銃弾が命中して我に返った彼女は、すぐに今の銃撃をぶっ放してきた敵を発見すると、まるでホルスターからリボルバーを引き抜くガンマンのような速度で腰のホルダーから40mm対人榴弾を引き抜き、片手で照準を合わせてあら、それを砲口の中へとぶち込んだ。

 

 彼女が耳を塞ぎながら迫撃砲から距離をとった直後、迫撃砲の砲口から対人榴弾が凄まじい気負いで飛び出し、雪が降る大空へと舞い上がっていく。やがてその砲弾は空中で緩やかに角度を変えると、そのまま落下を始め―――――――先ほど彼女を狙ったLMGの射手の頭に、正確に落下した。

 

 対人榴弾に直撃してヘルメットを粉砕された敵兵は、そのまま対人榴弾に木っ端微塵にされる羽目になった。ヘルメットを叩き割り、頭蓋骨と脳味噌を叩き潰された敵兵の頭が爆発で膨れ上がった直後に弾け飛び、そのまま焦げた肉片を含んだ爆風が周囲の味方を飲み込む。

 

 彼女には迫撃砲で支援してもらおう。

 

 敵の塹壕へと飛び込んだ俺は、すぐ右隣でMG3を連射していた敵兵の喉元に銀製のスパイク型銃剣を突き立てることにした。敵は慌ててハンドガンを引き抜こうとしていたみたいだが、銃剣を持った敵兵が至近距離にいるのだから間に合うわけがない。

 

 敵兵がこっちにハンドガンを向けるよりも先に、俺は銀の銃剣を喉元へとぶち込んでいた。

 

「ぎっ―――――――」

 

 喉元に鋭いスパイク型銃剣を突き立てられた敵兵が呻き声を上げながら銃剣を引き抜こうとする。けれども銀製の銃剣を喉元に突き立てられた時点で、そいつはもう助からない。普通の銃剣ならば引き抜いて反撃できるけど、吸血鬼にとって銀は弱点のうちの1つ。銀で傷をつけられれば、もう再生できない。

 

 左手をアサルトライフルから離し、そのままレバーアクションライフルのホルダーへと伸ばす。ソードオフ型に改造したウィンチェスターM1895をホルダーから引き抜いて吸血鬼の心臓へと突き付けると、口から血を吐きながらまだ足掻いていた吸血鬼が顔を青くした。

 

 装填されているのは銀製の7.62×54R弾。心臓に叩き込まれれば、もう終わりだ。

 

 チェック・メイトだよ、吸血鬼(ヴァンパイア)。

 

 容赦なくトリガーを引いた瞬間、1発のライフル弾が吸血鬼の心臓をあっさりと貫いた。大口径の弾丸に心臓をズタズタにされた吸血鬼は銃剣を掴んでいた手から力を抜くと、身体を痙攣させながら崩れ落ちていく。

 

 レバーアクションライフルをホルダーに戻しつつ、左手をグレネードランチャーのトリガーへと近づけつつ、後方にいる吸血鬼に7.62mm弾のフルオート射撃を叩き込む。エジェクション・ポートから勢いよく薬莢が吐き出されていく度に銃弾が吸血鬼の身体をズタズタにし、引き千切ってしまう。

 

 対人戦では小口径の銃弾の方が好ましいが、魔物との戦いでは7.62mm弾が役に立つ。親父からはそう教わっていたけれど、個人的にはどちらも7.62mm弾で対応できそうな感じがするな。

 

 塹壕から這い上がり、その奥にある神殿へと向かう。豪華な装飾のついたでっかい門は瓦礫の破片と泥を浴びて滅茶苦茶になっており、ヴリシア帝国の皇帝が住んでいる場所とは思えないほど荒廃している。帝都の復興の費用はモリガン・カンパニーが全額負担すると言っていたが、本当にモリガン・カンパニーだけで復興できるのだろうか。貴族の屋敷や高級ホテルがいくつも倒壊しているし、復興に必要な資金は想像できない額になるだろう。

 

 どうやら他の部隊も無事に塹壕を突破したらしく、続々と宮殿に接近しつつあった。殲虎公司(ジェンフーコンスー)から派遣された99式戦車から放たれた銀のキャニスター弾が歩兵をまとめて吹き飛ばし、戦車の後方から飛び出した歩兵たちの95式自動歩槍の一斉射撃で吸血鬼たちが倒れていく。彼らが最も重視しているのは連携らしく、テンプル騎士団やモリガン・カンパニーよりもしっかりと連携が取れている。

 

『はっはっはぁっ! 同志、一番乗りは我々がもらいますよ!』

 

「おい、ずるいぞ! ――――――くそ、遅れるな!」

 

 突出している殲虎公司(ジェンフーコンスー)の99式戦車の車長にそう言われた俺は、苦笑いしながら全力疾走を始めた。ちらりと後ろを確認するが、味方の戦車部隊は塹壕を超える途中らしい。

 

 そういえば、イリナはどこだ?

 

 後方で迫撃砲による支援を続けていた筈のイリナを探していると―――――――フラグ12が装填されたサイガ12Kを乱射し、吸血鬼たちを吹き飛ばしまくっているイリナの姿が爆炎の向こうにちらりと見えた。

 

 彼女はこちらを見てからニヤリと微笑み―――――――左手でスコップを引き抜くと、ぐるりと激しく一回転しつつ、銃剣を構えて突っ込んできた吸血鬼たちをまとめてぶん殴って昏倒させる。そしてその吸血鬼の兵士の身体を踏みつけて大きく跳躍すると、擱座していたM2ブラッドレーの砲塔に着地してからまた跳躍し、俺の隣へと戻ってきた。

 

 凄いジャンプ力だな…………。やっぱり、吸血鬼の身体能力は転生者に匹敵するらしい。

 

「スコップも悪くないよね。これで敵を殴るの大好き♪」

 

「た、頼もしいな…………」

 

 なんでテンプル騎士団には鈍器が好きな奴が多いんだろうか。剣や槍ならばまだこの世界に普及している武器だから理解できるけど、鉄パイプとかパイプレンチは明らかに武器ではない。どちらかと言うと建物の材料や工具である。

 

 銀の釘を打ち込んだ釘バットを手にしたテンプル騎士団の兵士が、吸血鬼の頭をそれでヘルメットごと叩き割っているのを見た俺は、苦笑いしながら宮殿の方を見た。

 

 すっかり荒廃した宮殿の正門の向こうでは、土嚢袋を積み上げたバリケードが待ち構えている。その後ろにはブローニングM2重機関銃やMG3が設置されており、たっぷりと弾薬の入った弾薬の箱を手にした兵士たちが俺たちを迎え撃つ準備をしている。

 

 敵の戦車部隊はもう壊滅状態。残っているのは敵の歩兵のみ。

 

 おそらくあそこを突破した後は室内戦になるだろう。宮殿の庭を制圧した後は、突入する部隊の装備を室内戦に向いた装備に変更した方がいいかもしれない。やはりショットガンやSMG(サブマシンガン)だろうか。

 

「潰すぞ」

 

「了解(ダー)♪」

 

 アサルトライフルを腰に下げ、代わりに愛用のテルミット・ナイフを2本引き抜く。今まで数多の転生者を切り刻み、クソ野郎を葬ってきた2本のナイフの刀身は刃以外は真っ黒に染まっていて、普通のナイフのような光沢は全く持ち合わせていない。暗闇に落としてしまったら探すのに時間がかかってしまいそうなほど黒い刀身を持つそれを構え、隣にいるイリナに一瞬だけ目配せしてから―――――――雷属性の魔力を全身に分散させた。

 

 まるで思い切り力を込めた後にその力を抜いてしまったかのような脱力感を感じる。高圧の魔力が一気に体内で減圧されていく感覚は、脱力感とほぼ同じなのだ。

 

 身体の外に微かに漏れた魔力が蒼いスパークとなり、俺の身体の表面を駆け回る。

 

 視力ではラウラの足元にも及ばないが、反射速度での勝負ならば俺の独壇場だ。飛来してくる銃弾すら回避できるほどの反応速度のおかげで接近戦はかなり得意なんだが、時折その反応速度に自分の身体が対応できなくなってしまう事がある。攻撃が見えているのに、身体がそれを回避できるほどのスピードを持ち合わせていないのだ。

 

 そこで、この技を編み出した。

 

 雷属性の魔力を全身に分散させ、身体中の神経への電気信号の伝達速度を極限まで上げたのだ。本来よりも速い速度で身体中の筋肉へと電気信号を伝達することで、この反射速度に身体を強引に適合させるのである。

 

 ただし、これにはタイムリミットがある。普通の電線が耐えきれないほどの超高圧電流を流しているようなものだ。そのためいつまでも発動していれば、俺の神経もズタズタに破壊されてしまう。

 

 それゆえに、発動していられるのはたった30秒だけ。それ以上発動できるかもしれないが、能力を解除した後にもまだ戦闘が続くことを考慮すると、30秒でやめておくのが一番かもしれない。

 

 スパークを纏った俺を目の当たりにした敵兵たちが、機関銃をこっちに向けながら凍り付く。銃口を向けながら怯える吸血鬼たちを一瞥しながら笑い―――――――全力疾走を開始した。

 

 12.7mm弾と7.62mm弾の入り混じった暴風雨が真正面から押し寄せる。被弾しても耐えられるかもしれないが、立て続けに被弾すれば転生者のステータスがある俺でも非常に危険だ。だから外殻で硬化して防いでいるのだが、今は外殻を使わない。

 

 左手のナイフを逆手持ちにし、姿勢を更に低くする。前傾姿勢で弾丸の暴風雨を潜り抜けてナイフを振るい、目の前に迫っていた1発の12.7mm弾を叩き落す。

 

 弾道がよく見える。猛烈な運動エネルギーを纏って飛来する弾丸がどのような弾道を描いて着弾するのかが容易に想像できる。

 

 弾丸の速度”程度”では、今の俺は捉えられない。

 

「くそ、何だこいつ!? 弾丸が当たらない!?」

 

「バカ、よく狙え! 突っ込んできてるのはたった1人なんだぞ!?」

 

 そうだ、よく狙え。弾丸を無駄使いするな。

 

 姿勢を低くしたまま右に小さくジャンプし、俺の足を貫こうとしていた7.62mm弾の群れを躱す。続けてさらに姿勢を低くして12.7mm弾の下を掻い潜り、その直後に小さくジャンプ。空中で身体を捻りつつ、7.62mm弾のフルオート射撃を回避する。

 

 全く当たらない。弾丸が貫くのは俺が置き去りにしたスパークだけだ。

 

 でも、距離が近くなるにつれて身体を掠める弾丸が多くなってくる。そろそろ被弾してしまうのではないだろうか。

 

 せめてあのブローニングM2重機関銃の射手を排除できれば――――――。そう思いながら射手を一瞥したその時、照準器を覗き込みながら俺を狙っていたその射手の首から上が、いきなり消えた。

 

 20mmの銀の弾丸が、射手の首から上を食い破ったのだ。

 

 そんな大口径の弾丸を放てる得物を使っている狙撃手は、彼女しかいない。

 

 後方を見なくても、俺は今の狙撃で援護してくれた狙撃手の正体を理解していた。幼少の頃から常に一緒に過ごしてきたハヤカワ姉弟の片割れが、俺を狙っていた機関銃の射手を排除してくれたのだ。

 

 ラウラが何を考えているかは何となく分かる。幼少の頃から一緒だったおかげで、口調や仕草ですぐに彼女が何を考えているのか察することができるのだ。逆にラウラも、俺の口調や仕草で何を考えているかが分かるという。

 

 続けて、MG3で俺を狙っていた射手の上半身が弾け飛ぶ。貫通した弾丸が後方でアサルトライフルを構えていた敵兵の胴体を貫いたらしく、バラバラになった上半身の破片が宮殿の庭にぶちまけられた。

 

 弾幕が薄くなったおかげで、俺は容易く距離を詰めることができた。

 

「タクヤ!」

 

「やれ!」

 

 後方で待機していたイリナが、俺の返事を聞いてから1発のグレネード弾を放つ。それが着弾する筈の地点は、俺がこれから突っ込もうとしているバリケードの向こう側だ。そんなところに着弾すれば俺まで巻き込んでしまうのではないかと思ってしまうが―――――――そのグレネード弾が対人榴弾のように敵兵を殺傷するための砲弾でなければ、問題はない。

 

 グレネード弾が着弾した瞬間、真っ白な煙がグレネード弾から漏れ出した。

 

 そう、あれは対人榴弾ではない。スモークグレネード弾だ。

 

 いくら身体能力が人間よりも優れているとはいえ、スモークのせいで何も見えない状態では彼らの強靭な身体能力は何の役にも立たない。逆に俺やラウラは幼少の頃から狩りを経験しながら育ってきたし、生まれつき聴覚や嗅覚が人間よりもはるかに発達しているから、視力を奪われた程度では何の支障もないのである。

 

 躊躇せずにスモークの中へと飛び込み、吸血鬼たちの制服にこびりついた火薬の臭いを頼りにナイフを振るう。振り下ろしたナイフが肉に食い込み、鎖骨と思われる骨を断った感触を感じながら思い切り押し込むと、すぐ目の前で肩をやられた吸血鬼の断末魔が聞こえてきた。

 

 そのままナイフをめり込ませつつ、くるりと回転して左手のテルミット・ナイフを他の吸血鬼のこめかみに突き立てる。このまま銀の粉末を叩き込んでやろうと思ったけど、もう既に絶命しているようだった。

 

 2人からナイフを引き抜き、絶命した吸血鬼の死体を蹴り飛ばして後ろにいる他の吸血鬼と激突させる。いきなり戦友の死体をぶつけられてよろめいた隙に姿勢を低くしながら突進し、ハンドガンを引き抜こうとしたそいつの腕をナイフで切り裂いてから、顎へとナイフを突き立てる。

 

 顎の骨と舌を貫通したナイフの切っ先が吸血鬼の脳を貫いて即死させる。すぐに引き抜いて次の獲物を狙おうと思ったけれど、もうスモークの中からは吸血鬼たちの気配は感じない。

 

 このままここで戦うことは危険だと判断したのか、吸血鬼たちは宮殿の中へと撤退を始めているようだった。火薬の臭いが遠ざかっていくのを確認しながらスモークの外へと出ると、進撃してきた第二軍を食い止められないと判断したらしく、吸血鬼の兵士たちが宮殿の中へと走っていくのが見えた。

 

 冷たい風が庭へと流れ込み、血と火薬の臭いが染み込んだスモークを吹き飛ばしていく。その中から姿を現した吸血鬼たちの亡骸を見下ろしながら、俺は息を吐いた。

 

 

 

 



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テンプル騎士団が宮殿に突入するとこうなる

 

 

「第二軍、宮殿へ突入」

 

「やるな」

 

 擱座して燃え盛る敵のレオパルトの上で焦げた装甲の臭いを吸い込みながら、黒煙が吹き上がる宮殿の方を見据えた。かつて皇帝が鎮座していた宮殿は瓦礫に取り囲まれ、豪華な装飾は泥や灰ですっかり汚れてしまっている。オルトバルカ王国に匹敵する帝国の帝都と言うよりは、陥落寸前の要塞のようにも見えてしまう。

 

 それを陥落させるのは子供たちが率いる第二軍。こちらの戦力が低下しない程度に、向こうにも練度の高い兵士たちを送っておいた。数多の実戦を経験したベテランの兵士たちは、きっと彼らを支えてくれるに違いない。

 

 子供たちが戦っている筈の戦場を見据えてから、目の前に屹立する巨大な時計塔を見上げる。21年前に、レリエル・クロフォードという伝説の吸血鬼と殺し合った場所。大天使に封印された筈の伝説の吸血鬼と初めて出会い、死闘を繰り広げた場所だ。あの時倒壊したホワイト・クロックはこのように復元されたけれど、ここで刻み付けられた血まみれの思い出は全く変わらない。どれだけ銀の弾丸を撃ち込んでも死なず、聖水をたっぷりと詰め込んだ聖水榴弾をお見舞いしても死んでくれなかった伝説の吸血鬼。彼の事を思い出しながら巨大な時計を見上げると、あの男にあの時計の針で、腹を貫かれた激痛が蘇る。

 

 無意識のうちに、もう思い出に呑み込まれた筈の痛みに反応して腹を押さえていた左手を見下ろし、俺は静かに笑った。確かにあれは痛かった。普通の人間だったら死んでいた筈だ。いくら転生者とはいえ、まだキメラになっていなかった俺はどうして生き残れたのだろうか。

 

 あの時の思い出の中を覗き込むのをやめ、時計塔の最上階にある展望台を睨みつける。

 

 そこに、あの男が残した女がいる。かつてレリエル・クロフォードの眷属の1人として俺の仲間たちと死闘を繰り広げた吸血鬼の少女が、レリエルの後継者を名乗ってそこにいる。

 

 21年前のヴリシアでの戦いのように、俺は今から吸血鬼の指導者との戦いを始めようとしている。向こうは若々しい吸血鬼の美女で、こっちは来年には40歳になるおっさんだ。若者と戦うのは大変だろうなと思いつつ、仲間が持ってきてくれた弾薬の入っている箱の中からクリップを取り出し、使い切ったAK-12のベークライト製のマガジンにそれを装填していく。

 

 もう既に、ホワイト・クロックの守備隊は壊滅状態だった。これから時計塔の中へと突入することになるが、そこでの敵の抵抗は今までの守備隊の攻撃と比べれば取るに足らないと言える程小規模なものになるだろう。

 

 しかしその分、かなり強力な吸血鬼が最上階にいる。

 

「リディア」

 

「?」

 

 クリップで弾丸を詰め込んだマガジンをポーチの中に突っ込みながら、近くで無言で立っていたリディアを呼んだ。出会った時から一言も声を発した事のない最古のホムンクルスはやはり返事を発せずにこっちを見上げ、風穴の空いたお気に入りのシルクハットを片手でかぶり直す。

 

「一気に最上階に行く。ついてこい」

 

 時計塔の展望台へと向かうための階段や通路にトラップが仕掛けてあるのは明らかだ。アリアを除けばもはや俺たちを壊滅に追い込めるほどの戦力は残っていない状態の敵が、正直に銃撃戦に付き合ってくれるとは思えない。

 

 そのような状態に陥れば、クレイモア地雷のようなトラップを有効活用し始めるようになる。味方の兵士を敵部隊の前に放り出さずに敵に損害を与えられるトラップは、このような状況でフル活用されるのだ。

 

 ならば、そのトラップを全部台無しにしてやろう。

 

「エミリア、スーパーハインドを1機呼んでくれ。俺とリディアで最上階に降下する」

 

「あの時と同じだな、リキヤ」

 

「ああ」

 

 そう、あの時と同じだ。レリエル・クロフォードと初めて戦った時も、俺は仲間たちと共に時計塔の最上階に降下した。

 

 けれども今度は、そこに降下するのは俺とリディアの2人だけ。そして今度の相手は、レリエルの眷属だった美女。

 

 21年前の戦いを彷彿とさせる状況になる度に、あの時の光景がフラッシュバックする。こちらの集中砲火を受けながらも突進してきて、転生者を上回る身体能力で猛攻を仕掛けてきたレリエル。あの時、モリガンが運用していた虎の子のスーパーハインドもあの男に撃墜された。

 

 けれどもあの時、最終的に俺たちが勝利した。たった2人の吸血鬼に現代兵器で武装した傭兵たちが全員殺されかけるという状況になってしまったけれど、辛うじてヴリシアから吸血鬼を撃退することに成功したのだ。

 

 だからこの戦いの結果も、21年前と同じにしてやる。今度は俺たちが奴らを蹂躙し、このヴリシアから追放してやるのだ。

 

 偶然近くを飛んでいたのか、エミリアが無線機に向かってスーパーハインドを呼んでから1分程度で、メインローターが奏でる轟音が近づいてきた。黒と灰色の迷彩模様に塗装された1機のスーパーハインドがゆっくりと降下してきて、中にいた兵士が兵員室の扉を開ける。

 

「リキヤ」

 

 リディアを連れて兵員室に乗り込もうとしたその時、後ろからエミリアに声を掛けられた。立ち止まってから後ろを振り向くと、すぐ近くにいた妻の顔を見つめた。

 

「勝てよ」

 

「当たり前だ」

 

 彼女の手を優しく握り、そっと抱きしめてからキスをする。唇を離してから微笑むと、エミリアは俺の頭を撫でてくれた。

 

「お前は無茶をする男だからな…………心配なのだ」

 

「すまん。悪い癖だな」

 

「ああ、まったくだ」

 

「それじゃ」

 

「うむ」

 

 彼女の手をぎゅっと握ってから、踵を返してスーパーハインドの兵員室へと向かう。

 

 この戦いが終わって天秤を手に入れられれば、きっとエミリアやエリスはもっと笑ってくれるはずだ。旅を終えて戻ってきたタクヤやラウラも、喜んでくれるに違いない。

 

 誰も俺の願いに気付かないとしても、それでいい。伝説にならなくてもいいし、勲章もいらない。ハヤカワ家を元に戻すだけでいいのだ。

 

 誰にも讃えてもらえない結果のために、俺は進み続ける。必死に戦ったというのに人々がいつも通りの日常を過ごすことになっても、俺は全く構わない。最大の友人に恩を返し、妻や子供たちを幸せにすることができればそれでいいのだ。

 

 だからこそ―――――――手段は選ばない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮殿の中には瓦礫の破片や灰が入り込んでいたものの、豪華な装飾や床に敷かれたでっかいカーペットは健在だった。もし仮に戦いが終わってから宮殿で働いているメイドたちが戻ってきて掃除をすれば、再び元通りになってしまいそうなほどである。

 

 けれども、これから継続される戦闘で更に破壊されるのは明らかだ。帝都の復興のための費用はモリガン・カンパニーが支払うと聞いているけれど、宮殿の修理費は間違いなく高額だろう。親父は支払いきれるのだろうか?

 

 修理費の心配をしつつ、室内戦のために変更した装備を軽く点検する。

 

 メインアームはAK-12とOSV-96からロシア製SMG(サブマシンガン)の『PP-19Bizon』に変更した。マガジンの中に装填できる弾薬の数も64発に増えているため、敵に大量の弾丸をお見舞いすることが可能だ。それにアサルトライフルよりも銃身が短いので、室内戦でも使いやすい。上部にはオープンタイプのドットサイトを装備している。

 

 64発も弾丸が収まっているのは、まるでアサルトライフル用のグレネードランチャーのように銃身の下に装着されている”スパイラルマガジン”と呼ばれる特徴的なマガジンだ。中に装填されているのはハンドガン用の9×19mmパラベラム弾に変更してある。

 

 サイドアームはテンプル騎士団で正式採用しているPL-14を2丁装備した。射撃がしやすいようにグリップの下部に折り畳み式のストックを搭載し、銃身の下にはライトを装備している。銃口にはコンペンセイターを装着し、ハンドガン用のドットサイトも搭載している。

 

 あとはいつものテルミット・ナイフと手榴弾。遠距離用や中距離用の装備は一切ないが、このような室内戦で射程距離の長い得物は無用の長物でしかない。

 

「ノエル、いるか?」

 

「いるよ」

 

 点検を終え、宮殿のやけに広い通路の向こうを睨みつけながら言うと、全く気配がしなかった筈の左側からノエルの声が聞こえてきて、俺は少しばかりぎょっとしてしまった。敵の気配はすぐに察知する自信があったんだが、どういうわけなのかノエルの気配は全く感じなかったのである。

 

 もし彼女が俺を狙っていたとしたら、きっと彼女が得物を俺に振り下ろすまでノエルの気配を察知できなかったに違いない。

 

 まだ経験が浅いにもかかわらず俺をびっくりさせた彼女は、ニコニコと笑いながら俺の隣へとやってきた。

 

 彼女はやはり、真正面から敵と戦う歩兵部隊ではなく、基本的に舞台裏での諜報活動がメインになるシュタージに入隊させて正解だったと思う。彼女のこの能力をフル活用できるのは間違いなくあそこだし、彼女が持っている能力も暗殺に特化している。真正面から敵の大群と戦うための能力ではない。

 

「いいか、お前の自殺命令(アポトーシス)は俺たちの切り札だ。強力な吸血鬼が出てこない限り使うなよ」

 

「うん、お兄ちゃん」

 

 彼女の”キメラ・アビリティ”についての情報が書かれた資料を目にした瞬間、テンプル騎士団の仲間たちはかなり驚いていた。

 

 第二世代以降のキメラには、自分自身が追い詰められることで身につけることができるキメラ・アビリティ”という特殊な能力がある。それを身につけるためには追い詰められる必要があるが、転生者の能力で生産できるものよりもはるかに強力な能力ばかりなのである。

 

 現時点で第二世代のキメラは俺とラウラとノエルの3人のみ。その中でこのキメラ・アビリティが使えるのは俺とノエルだけだ。

 

 俺が使える能力は『支配契約(オーバーライド)』。相手が精霊や特殊な武器と”契約”している場合、その契約を上書きして自分の物にしてしまうという能力である。実際に21年前のネイリンゲンにタイムスリップすることになった際、俺はこの能力を身につけ、ジョシュアが使っていた魔剣の契約を上書きして自分の物にしている。

 

 その際に魔剣は『星剣スターライト』という別の剣に変異してしまったが、それは俺の切り札の1つだ。

 

 そしてノエルの能力は―――――――俺よりもはるかに凶悪である。

 

 彼女の能力は『自殺命令(アポトーシス)』。彼女が触れた相手を強制的に自殺させることができるという、極めて強力な能力である。標的に触れなければならない上、一度使ってしまうと3日間はその能力が使えなくなってしまうという欠点があり、しかも能力を発動させてから1分間しか相手に自殺するように命令を下すことはできない。

 

 しかし、暗殺者の能力としては極めて強力だ。まず、凶器は必要ない。相手に触れる事さえできれば相手が勝手に死んでくれるのだから、彼女自身は手を下す必要がないのだ。標的が自殺したように見せかけて安全に現場を離れることができるのである。

 

 さらに、もし相手が吸血鬼のように何かしらの弱点でなければ死なないような体質の場合は、自動的に”確実に死ねる死に方”が選ばれ、命令を下された標的は確実にそれを実行する。

 

 例えば吸血鬼の場合、普通のナイフを自分の心臓に突き立てたり、喉をそれで切り裂いてもすぐに傷が再生してしまうため死ぬことはない。けれども吸血鬼に命令を下した場合、その吸血鬼はわざわざ死ぬために銀の刃物を探し出し、それを自分の心臓に突き立てたり、喉を切り裂いて自分の命を絶つのである。

 

 どのような相手でも関係なく自殺させる彼女の能力は、下手をすれば俺や親父も自殺させることができるため非常に危険だ。とはいえ、彼女の性格を考えると俺たちに牙を剥くとは考えにくい。

 

 俺の支配契約(オーバーライド)で手に入れた星剣スターライトも切り札になるが、やはり一番強力なのはノエルの能力である。何とかして敵に触れる事さえできれば、奴らの女王であるアリアを倒すこともできるかもしれない。

 

 切り札は、この2つだ。

 

 ノエルにもPP-19Bizonを渡し、彼女が点検を終えるまで待つ。

 

 ちらりと後ろの方を見てみると、他の仲間たちはもう得物の点検を終えているようだった。中には早くも周囲に敵が潜んでいないか警戒を始めている奴もいる。

 

 もう既に外にいる敵は壊滅状態となっているため、宮殿の外には数両の戦車のみを残し、それ以外の兵士たちは全員武装して宮殿の内部へと突入している。もちろんナタリアやステラたちもチャレンジャー2から降りて銃を手にしており、俺の後ろでPP-2000やAKS-74Uを装備している。

 

 ラウラもPP-19Bizonの点検をしているが、彼女はまだ背中に20mm弾を発射できるように改造したツァスタバM93を背負ったままだ。長距離狙撃ができる得物は、室内戦では無用の長物になってしまうのだが、彼女はどうやらあれを室内での戦いで使うつもりらしい。

 

「よし、行こう」

 

 ノエルが得物の点検を終えてフードをかぶったのを確認してから、俺は立ち上がった。PP-19Bizonを構えながらドットサイトを覗き込み、敵が宮殿の中に潜んでいないか警戒しつつ進んでいく。こういう状況では敵がトラップを仕掛けている可能性もあるが、今のところ地雷のようなものは見当たらない。

 

「ラウラ、エコーロケーション」

 

「了解(ダー)」

 

 このような状況では、ラウラのメロン体が発する超音波が役に立つ。

 

 彼女の頭の中にはイルカのようなメロン体があり、それから超音波を発することで半径2km以内の敵を察知することができるのである。そのため視界の悪い場所でも確実に敵を察知できるが、何かに擬態しているような敵はその風景の一部として彼女が認識してしまうため、敵として察知できないという弱点もあるのだ。

 

 少なくとも、こんなところで擬態するような敵はいないだろう。そう思いながら彼女の探知が終わるのを待っていると、エコーロケーションをしていたラウラが静かに目を開けた。

 

 探知が終わったらしい。

 

「この通路の奥にある部屋の中に敵兵。人数は20名前後」

 

「装備は?」

 

「多分…………G36CとMP5を中心にした装備。LMGはなし」

 

 相変わらず、彼女の索敵能力はすさまじい。狙撃の技術だけでなく、高性能なセンサーにも匹敵する索敵能力を兼ね備えている。

 

 仲間たちと共に、静かに通路を進んでいく。トラップのようなものはやはり設置されておらず、ラウラが教えてくれた部屋までは延々と薄汚れたカーペットの上を歩く羽目になった。埃や灰をかぶったカーペットを泥まみれのブーツで踏みつけながら先へと進み、オープンタイプのドットサイトを凝視する。

 

 埃まみれの通路を進み、やがて派手な装飾のでっかい扉の前へと到着する。爆撃の際に発生した灰が付着したせいで黄金の装飾の光沢は見受けられないが、今の状態でも十分派手な扉である。貴族はこういうのが好きらしいが、俺はあまり好きじゃないな。どちらかというと質素な感じがいい。

 

 だからもし俺も親父みたいに大金を手にすることになっても、こんな派手な屋敷は購入しようとは思えない。普通の家よりもちょっと大きい程度の質素な感じの家がいい。

 

「どうする?」

 

「C4で挨拶しよう。どうせ修理費は親父が出すんだ」

 

「あら、容赦ないのね」

 

「後で親孝行するさ」

 

 こんなところで親父の財産を気遣って、敵兵に蜂の巣にされるよりマシだ。

 

 目配せすると、イリナが早くもポーチの中からC4爆弾を取り出していた。素早く移動してそれを派手な扉の表面に張り付けると、起爆スイッチを手にしたまま大慌てで俺たちのいる物陰へと戻ってくる。

 

 頷いて合図すると、イリナはうずうずしたまま細い指で起爆スイッチを押し―――――――うっとりし始めた。

 

 派手な装飾のついた扉が、たった1つの小さな爆弾で木っ端微塵になる。きっとこの扉を作った職人は、自分の力作がこんな小さな兵器だけで吹っ飛ばされるとは思っていない事だろう。

 

 重厚な扉を固定していた金具が外れ、扉が爆風に突き飛ばされたかのように部屋の中へと吹っ飛んでいく。爆発の残響の向こうから聞こえてきたのは吸血鬼たちの絶叫や、ヴリシア語で『敵襲だ! 撃て!』と叫ぶ指揮官の声だ。

 

「行くぞ!」

 

 仲間たちに向かってそう叫びながら、俺は部屋の中にSMG(サブマシンガン)の銃口を向けた。

 

 

 



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怪物の魔王と吸血鬼の女王

 

 

 兵員室のハッチを開けた瞬間、一瞬だけ昔に目にした光景がフラッシュバックした。21年前にヴリシア帝国騎士団から依頼を引き受けてレリエルと戦いに来た時も、俺は仲間たちと共にホワイト・クロックの最上階へとヘリで降下し、C4爆弾を使って中へと入ったのだ。

 

 確かあの時、俺はまだキメラではなかった。転生者に与えられる端末で身体能力は強化されていたけれど、あの頃はまだ、人間だった。

 

 ちらりと自分の左手を見下ろす。義足を移植して変異を起こしてからずっと外殻に覆われたままになっている左手は、まるでドラゴンの鱗や外殻で人間の腕を作ったようにも見えてしまう。

 

 はっきり言うと、俺は一番最初のキメラだというのにかなり不完全なキメラだ。左足を移植したことが原因で変異を起こしたせいなのか、フィオナの検査によると左半身はよりサラマンダーに近いという。確かに、一番最初に角が生えてきたのは左側だ。まだ忌々しい角が1本だけだった頃の事を思い出しながら、もう二度と肌色の皮膚に覆われることがなくなった自分の左手を握り締める。

 

 兵員室の外から流れ込んでくる冷たい風とローターの轟音を聴きながら、まるで巨大なミサイルが屹立しているようにも見える白い時計塔を見下ろす。

 

 AK-12の安全装置(セーフティ)を解除しながらちらりと後ろを振り向くと、またしても昔の光景がフラッシュバックする。21年前の吸血鬼との戦いで、伝説の吸血鬼との戦いに挑もうとした傭兵たち。若き日のエミリアと、21年たったというのに用紙が全く変わらない、幽霊のフィオナ。あの時はまだエリスはいなかったのだ。彼女と出会うことになるのはレリエルとの死闘を繰り広げた後だった。

 

 フラッシュバックした21年前の光景の中で、若き日のエミリアと目が合う。彼女はこちらを見て微笑みながら口を動かしたが―――――――声は、聞こえてこなかった。

 

 彼女は何と言ったのだろうか。相変わらず無茶をして、いつもボロボロになって彼女の元へと戻っていく俺に釘を刺しているのだろうか。

 

 あの頃はボロボロになって戻るのは日常茶飯事だった。俺は今まで、何回死にかけたのだろうか。傷だらけになって戻る度にエミリアが腕を組みながら俺を説教して、苦笑いしてから抱きしめてくれる。今は廃墟と化したネイリンゲンの屋敷での生活は、それが当たり前だった。

 

『同志、そろそろ降下を』

 

「…………そうだったな」

 

 無線機から聞こえてきたパイロットの声が、若き日のエミリアの姿を打ち消す。

 

 あの時は俺とエミリアとフィオナの3人で降下した。けれども今は、俺と妻たちが手塩にかけて育てたもう1人の転生者ハンターと共に降下するのだ。

 

 ホワイト・クロックの屋根には雪が少しばかりこびりついていた。爆撃で舞い上がった灰のせいなのか、純白の時計塔を飾り立てる雪は黒ずんでいて、まるで腐食しているように見えてしまう。

 

「降下する」

 

『幸運を、同志リキノフ』

 

 外殻で全身を覆ってから、俺は同じく全身を紫色の外殻で覆ったリディアと共に兵員室から飛び降りた。

 

 瞬く間に身体を冷たい乱流が包み込み、スーパーハインドのがっちりとした巨体とローターの音が遠ざかっていく。俺とリディアを下ろし終えたスーパーハインドは旋回すると、すぐに塔の最上階から離れていった。

 

 てっきりスティンガーを装備した敵兵が歓迎会でも開いてくれると思っていたのだが、歓迎はないらしい。塔の最上階へと降下する兵士を乗せたヘリを迎撃できるほどの人員すら残っていないのか? それとも”彼女”は俺を呼んでいるのだろうか。

 

 冷たい乱流の中を降下し、赤黒い外殻で覆われた身体をホワイト・クロックの屋根の上に叩きつけながらそう思った。いくら制空権を俺たちが確保したとはいえ、せめてスティンガーミサイルを装備した兵士が配置されていてもおかしくはないのだが、誰も出迎えてくれないという事はその2つしかありえない。

 

 爆撃で舞い上がった灰を浴びた雪の中から左手を引き抜き、ポケットの中に手を突っ込む。灰の臭いがこびりついた左手で中に入っていたC4爆弾と起爆スイッチを引っ張り出し、21年前にC4爆弾を爆破させた位置を思い出しつつ、爆弾を設置する。

 

 黒ずんだ雪の中にC4爆弾を埋め、リディアに目配せして2人で爆弾から距離を取る。外殻で身を守っていれば少なくともC4爆弾の爆風でミンチにされることはないが、この高さから落下すればリディアは死んでしまうかもしれない。俺はおそらく、致命傷を負う程度だろう。

 

 リディアがお気に入りのシルクハットを片手に持って大きく振り、退避が完了したことを告げる。彼女がまだ幼かった頃に譲った俺のシルクハットは、防衛ラインでの激戦の最中に弾丸で撃ち抜かれてしまったのか風穴が開いていた。

 

 頷いてから起爆スイッチを押す。爆弾を埋め込まれた雪の中で真っ赤な閃光が輝いたかと思うと、その閃光が生み出した熱が膨れ上がりかけていた雪を瞬時に誘拐させ、屋根の破片を纏った爆風が吹き上がる。小さな火柱は瞬く間に黒煙へと変貌したが、冷たい風の乱流が黒煙をすぐに引き千切ってしまう。

 

 あの時と同じように、ホワイト・クロックの屋根には大穴が開いていた。リディアに向かって頷いてから立ち上がり、AK-12を構えつつ穴の中へと飛び込む。

 

 崩れ落ちた屋根の破片が散らばる作業用の足場へと着地すると同時に、反射的にアサルトライフルを構える。天井に空いた大穴から光が差し込んでくれるおかげなのか、ライトをつけなければならないほど暗いというわけではない。薄暗い通路はあくまでもこの巨大な時計塔のメンテナンスのためだけに用意されているため、ここで戦えるほど広くはなかった。列車の中にある通路の倍くらいの幅しかない。

 

 手すりの向こうでは、この時計塔の時計を動かすための無数の歯車がけたたましい金属音を奏で、時折どこからか蒸気を排出しながら仕事を続けていた。巨大な歯車の群れに挟まれた通路の向こうには下に降りていくための階段があり、その階段を下りた向こうにはちょっとした広間がある。

 

 ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントの街並みを見下ろすことができる、ホワイト・クロックの展望台だ。広間の壁は全て豪華な装飾のついたガラス張りになっていて、その向こうには一番最初に実施された大規模な爆撃と、艦砲射撃で焼け野原と化した帝都が広がっている。

 

 ゆっくりと展望台へ落ちるための階段を下りていくと、やがて紅茶の香りが漂い始めた。いつも飲んでいるオルトバルカ産の紅茶とは香りが違う。オルトバルカの紅茶と比べると香りが強烈だ。おそらく、ヴリシア産の紅茶なのだろう。

 

 構えていたAK-12を下ろしながら、スティンガーを装備した兵士が俺たちを歓迎しなかった理由を理解した。やはり吸血鬼たちにヘリを迎撃するための兵士を派遣する余裕があったわけではなく、最初から俺をここに呼び寄せようとしていたのだ。

 

 もし余裕がなかったのならば、死に物狂いで俺の乗るヘリを撃墜しようとしたはずだ。なのに、敵の総大将が本拠地にいる吸血鬼の女王のすぐ近くまでやってきたというのに、全く抵抗しようとはしなかったのである。

 

 吸血鬼はプライドが高い種族だ。きっとアリアは、自分の主人の命を奪った俺を自分の手で始末しようとしているのだろう。

 

 銃を下げながら階段を下りていくと―――――――紅茶の香りの香りが、どんどん強くなっていった。

 

 あの展望台のガラスの向こうでは吸血鬼と兵士たちが殺し合いをしているというのに、まるで貴族のティータイムにお邪魔したような気分になってしまう。モリガン・カンパニーの社長になってからはよく貴族のパーティーやティータイムに招待されて参加したけれど、その時と全く香りや雰囲気が同じだ。豪華な装飾のついた部屋の壁に囲まれ、貴族の自慢話を聞き流しながら紅茶とお菓子を楽しむ。将来的にはこの企業の社長を受け継ぐことになるタクヤとラウラのマナーの教育のためにと幼かった子供たちも連れて行ったこともあったが、きっとあの2人は退屈だったことだろう。

 

 こういう派手な空間と紅茶の香りの組み合わせは、屋敷の装飾のようにこれでもかというほど飾り立てられた貴族の自慢話を聞き流す苦痛を思い出す。正直言うとかなり嫌な組み合わせだ。だから紅茶を楽しむ時は静かな場所で、出来るだけ質素な空間が好ましい。

 

 ”彼女”が俺の嫌う空間を熟知していたわけではないだろう。たまたま彼女の好む空間が、俺の嫌う空間だっただけなのかもしれない。

 

 展望台の中には、真っ白な円形のテーブルが置かれていた。複雑な模様が掘られた貴族が好みそうなテーブルの上には紅茶の入ったティーポットとティーカップが置かれており、真ん中には様々な種類のクッキーが乗せられた大きな皿が置かれている。

 

 外で戦争をしているというのに、これからアフタヌーンティーでも始めるつもりなのだろうか。

 

 テーブルの周囲には2つの椅子が置かれており、そのうちの片方にはもう1人の女性が腰を下ろしている。真っ白なウエディングドレスにも似た華やかなドレスに身を包んだその女性の周囲には護衛の兵士すらいない。彼女1人だけだ。

 

 傍から見れば、真っ白なドレスに身を包んだ貴族の女性のようにも見える。すらりとした真っ白な手でティーカップを口へと運ぶ金髪の女性は静かにティーカップを口から離すと、その中に残っているヴリシア産の紅茶の中に角砂糖を1つ放り込んでから息を吐いた。

 

「久しぶりね、魔王」

 

「お前は相変わらず変わらんな、アリア」

 

 正確に言うと、あの時と比べると少しばかり成長している。今の彼女は21年前の彼女よりもはるかに大人びていて、本当に貴族の女性と思ってしまうほどだ。おそらく20代前半くらいだろうか。

 

 吸血鬼の寿命は非常に長い。さすがに1000年以上も生きるサキュバスには及ばないが、吸血鬼たちの平均寿命は800歳と言われている。人間の成人くらいまで成長した後はそこで老化が著しく停滞し、それからはずっと若い状態の容姿が維持されるのだ。そして700歳を超えると一気に肉体が老化を始め、最終的には普通の人間のような老人となって寿命を終えるのである。

 

 彼女もどうやら老化が停滞する年齢になったようだ。21代前半の美しい女性にしか見えない吸血鬼の女王を見つめていると、彼女は皿の上からクッキーを拾いながら言った。

 

「座りなさい」

 

「では、お言葉に甘えさせていただく」

 

 いつでも居合斬りで彼女の首を斬り落とせるように、刀の柄に手をかけているリディアに目配せをする。リディアはアリアが不意打ちを仕掛けてくるかもしれないと思って警戒しているようだが、プライドの高い吸血鬼は絶対に損な戦い方はしない。

 

 彼らが最も嫌うのは不名誉。自分のプライドを汚されることである。

 

 何度も吸血鬼と戦ってきたからこそ、彼らの気質は理解している。

 

 AK-12の安全装置(セーフティ)をかけ、ゆっくりと空いている椅子に腰を下ろす。AK-12を椅子に立てかけてから息を吐き、一足先に紅茶を飲んでいたアリアの顔を見据えた。

 

 やはり、あの時と比べると大人びている。レリエル・クロフォードの眷属として俺たちと戦い、カレンとギュンターを苦戦させた吸血鬼の少女は、今ではもうレリエルの後継者だ。真っ白なウエディングドレスのようなドレスと百合の花を模した髪飾りを身につけた彼女は、テーブルの向こうに座った主人の仇()を睨みつけると、冷笑してからクッキーを口へと運ぶ。

 

 ティーカップを拾い上げ、静かに口へと運ぶ。それを見ていたリディアが俺を止めようとしたが、俺は「大丈夫だ」と彼女に告げてから紅茶を口に含んだ。

 

 今の俺は『毒物完全無効化』というスキルを装備している。端末で生産したスキルで、あらゆる毒物を瞬時に除去して無効化してしまう便利なスキルだ。かつてはこれはスキルではなく能力に分類されていたが、端末のアップデートでスキルという事になった。

 

 これを装備した理由は、まだ若かったカレンを護衛するために無数の暗殺者に戦いを挑んだ時に、毒を塗られた矢を喰らう羽目になって死にかけたことがあるからである。もし仮に毒物が紅茶に入っていたとしても無効化できるし、吸血鬼はそんな汚い手は使わない。

 

 香りが強烈なヴリシア産の紅茶を飲み込むと、アリアは自分のティーポットに紅茶を注ぎ始めた。

 

「随分と老いたのね」

 

「化け物とはいえ、元々は人間だからな」

 

「ふん。…………不便よね、寿命が短いのって」

 

「そうかもな」

 

 クッキーへと手を伸ばし、俺とリディアの分を手に取ってから、片方を近くで立って待機しているリディアに渡す。彼女はチョコレートが入っている方のクッキーを手に取って口へと運ぶと、いつでもアリアを真っ二つにできるように警戒したまま、クッキーを咀嚼し始めた。

 

「それで、ヴリシアにこんな攻撃を仕掛けてきた目的は何?」

 

「分かってるだろう?」

 

「…………天秤の鍵が欲しいの?」

 

 角砂糖を2つティーカップに放り込んだアリアは、早くも紅茶を飲み干した俺を見つめながら冷笑する。たった1つの小さな鍵のためだけに美しい帝都を破壊した野蛮人を見下しているような目つきだったが、自分が忠誠を誓っていた主君を殺した俺への憎悪もしっかりとその中に含まれていた。

 

 11年前に俺は単独でレリエル・クロフォードを討伐し、この世界を救った。そして吸血鬼たちの怨敵となったのである。

 

「ああ、欲しい。譲ってくれないかね?」

 

「嫌よ」

 

「それは残念だ、お嬢さん(フロイライン)。…………ちなみに、鍵は君が持っているのかね?」

 

「いえ、私は持ってないわ」

 

「どこにある?」

 

「教えるわけないでしょう?」

 

 確かに、教えてくれるわけがないな。

 

 肩をすくめてから自分のティーカップに紅茶を注ぎつつ、クッキーへと手を伸ばす。リディアが角砂糖の乗った皿を寄せてくれたけど、俺は紅茶に砂糖は絶対に入れないんだ。

 

「それで、メサイアの天秤を探しているという事はお前も願いがあるという事か」

 

「ええ」

 

 ティーカップから手を離したアリアが微笑む。紅い唇から人間よりもはるかに鋭い犬歯が微かに覗き、目つきが更に鋭くなる。

 

「復活させるの。レリエル様をね」

 

「おいおい…………やめてくれ。またあいつを倒さなきゃならんのか」

 

「安心しなさい。死ぬのはあなたの方よ」

 

 貴族のティータイムに聞き流された際に自慢話を聞き流していたようにアリアの言葉を聞き流しながら、21年前に初めてレリエルと戦った時と、11年前に彼を討伐した時の事を思い出す。今までに数多の強敵と戦ったが、未だにレリエルよりも強いと思った敵は1人もいない。

 

 あの男は最も気高い吸血鬼だった。サキュバスが絶滅し、今度は血を吸う吸血鬼たちが迫害の対象になりつつあった大昔に、虐げられていた吸血鬼たちを守るために立ち上がったのだから。

 

 虐げられている同胞を救うために戦った彼の理念は、タクヤたちの理想に近いかもしれない。

 

 最後の一騎討ちを楽しんで散っていった彼の事を思い出した瞬間、後継者となったアリアがあいつの誇りに泥を塗っているような気がして、俺は少しばかり腹が立った。

 

 レリエルは満足してくれたのだ。たった1人の怪物と戦って、気高い吸血鬼の王として散っていった。確かに吸血鬼たちは彼の復活を望んでいるかもしれないが、レリエルは自分の復活を望んでいないに違いない。

 

 レリエル・クロフォードの人生のエピローグは、11年前に終わっている。アリアは強引にプロローグを始めようとしているのである。

 

「それで、あなたの願いは?」

 

 質問された俺は、口へと運ぼうと思っていたティーカップをぴたりと止めた。

 

「――――――”家族を取り戻す”」

 

「家族?」

 

 目を丸くしながら首を傾げるアリア。彼女を見据えながら、ティーカップを口へと運ぶ。

 

 彼女はどうやら知らないらしい。

 

「あなたの家族は元気なんでしょう?」

 

「ああ、そうだ。だから知らなくていい」

 

 誰も知らなくていい。あの11年前の戦いの結末は、俺とレリエルだけが知っていればそれでいい。そして俺の願いが実現すれば何が変わるのかも、俺とレリエルだけが知っていればいい。

 

 讃えられなくていい。これは”あの男”への個人的な恩返しなのだから。

 

「随分と小さな願いね」

 

「ああ、そうかもな」

 

 小さくていいのだ。俺は天秤に大きな願いを叶えてもらうつもりはない。

 

 この小さな願いを、ひっそりと叶えてもらう。そのために数多の返り血を浴び、肉を引き裂き、火薬の臭いと轟音に侵食されながら戦うのだ。

 

「…………さて、お茶会はここまでにしましょうか」

 

 紅茶を飲み終えたアリアはティーカップをゆっくりとテーブルの上に置き―――――――腰のホルスターから、すらりとした銃身が特徴的なハンドガンを引き抜いた。

 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍した、ドイツ製ハンドガンの『ルガーP08』だ。9×19mmパラベラム弾を使用するハンドガンで、非常に高い性能を誇っていた銃である。通常のモデルよりも銃身が長くなっており、ボルトアクションライフルのようなタンジェントサイトが装備されている。銃身の長さは8インチほどだろうか。おそらく彼女に銃を渡した奴が施したカスタマイズだろう。

 

 同じカスタマイズが施された銃をもう1丁引き抜き、片方の銃口を俺に向けてくるアリア。確かに、いつまでもお茶会をしているわけにはいかない。俺は生意気な吸血鬼の少女(クソガキ)と紅茶を飲むためにここまでやってきたわけではないのだ。

 

 俺も同じく、腰のホルスターから得物を引き抜く。彼女の得物と同じくすらりとした銃身が特徴的だが、こっちの得物にはリボルバーに搭載されているシリンダーがある。

 

 俺が引き抜いたのは、イギリスで生産された『ウェブリー・リボルバー』と呼ばれるリボルバーである。こちらも同じく第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍した中折れ(トップブレイク)式の銃だ。作動不良を起こしにくく、更に中折れ(トップブレイク)式であるため再装填(リロード)もすぐに行えるという利点がある。

 

 弾数と連射速度では向こうが上だが、火力ならばこっちが上だ。

 

 同じくリボルバーを2丁引き抜き、椅子に座ったまま片方をアリアの頭へと向ける。

 

「アフタヌーンティーは終わりよ、魔王」

 

「助かるよ。ティータイムは質素な空間で楽しむのが好きなんでね」

 

 照準器を覗き込みながらニヤリと笑い、トリガーを引いた。

 

 その瞬間、皿の割れる音と銃声が展望台に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スパイラルマガジンの中にたっぷりと装填された9×19mmパラベラム弾を部屋の中にぶちまけながら、そのまま部屋の中に転がっているテーブルの残骸の影に転がり込む。その直後に凄まじい数の銃弾がテーブルの残骸を直撃して、装飾の破片を部屋の中にまき散らした。

 

 5.56mm弾や9×19mmパラベラム弾の集中砲火が壁や床に命中する音を聞きながら舌打ちし、手榴弾の安全ピンを引き抜く。もちろんこれは通常の手榴弾ではなく、対吸血鬼用に聖水を注入した対吸血鬼手榴弾である。

 

 それを思い切りテーブルの向こうへと放り投げ、炸裂した轟音を確認してから再びテーブルの影を飛び出す。聖水を注入するために炸薬の量は減ってしまっているため、聖水が効果を発揮する吸血鬼や一部の魔物にしか効果がないが、敵兵は全て吸血鬼。これは強力な武器になる。

 

 ドットサイトの向こうに、今の手榴弾の犠牲になった吸血鬼たちが転がっていた。聖水は人間には全く害はないが、吸血鬼たちにとっては強酸性の液体に等しい。だから聖水をぶちまけられれば、吸血鬼たちの身体は溶けてしまうのである。

 

 聖水手榴弾から弾け飛んだ聖水を浴びた吸血鬼の皮膚が溶け、肉や骨があらわになっている。胸板から腹を聖水によって溶かされて絶叫している吸血鬼の額に弾丸をお見舞いしてから、反対側に転がっているピアノの残骸の影に転がり込む。

 

 ピアノの影では、シュタージの一員であるケーターとクランが奮戦しているところだった。ドイツ製|SMG(サブマシンガン)のMP5Kでピアノの残骸の影から発砲し、反対側の出入り口から殺到する吸血鬼の兵士たちを撃ち抜いていく。

 

「おいおい、敵は20人じゃなかったのか!?」

 

「増援まで探知できるわけないだろ!?」

 

 室内で予想以上の激しい銃撃戦が繰り広げられている原因は、敵の増援である。

 

 この部屋に突入する直前、ラウラのエコーロケーションによる探知で敵兵は20名だという事が分かっていた。こちらの人数も多いため、C4爆弾で入り口のドアを爆破して突入し一気に制圧しようとしたのだが…………どうやら別の場所で抵抗する準備をしていた兵士たちに増援を要請したらしく、一気に増加した敵兵と激しい銃撃戦になってしまったのである。

 

 俺もピアノの影から身を乗り出しつつPP-19Bizonを撃ったが、すぐにスパイラルマガジンが空になってしまった。舌打ちをしてからそれを取り外し、予備のスパイラルマガジンを取り付けてコッキングレバーを引く。

 

 もう1つ手榴弾を放り投げてやろうかと思ったが、腰にぶら下げている手榴弾へと手を伸ばした瞬間、隣でマガジンを交換していたケーターに手を掴まれた。

 

「おい、このままじゃ消耗戦だ。せっかくここまで攻め込んできたのに、無駄になっちまう」

 

「どうする? 撤退するか?」

 

「バカか。水の泡になるだろうが」

 

 ここで撤退するのは愚の骨頂だ。こちらの方が数も多いし、弾薬も橋頭保となった図書館に要請すれば補給してもらえる。もう戦いが泥沼化するのはありえないし、有利なのはこちらなのだ。

 

「いいか、俺たちがここであいつらの相手をする。お前はラウラを連れて突破しろ。そしてとっとと総大将をぶちのめしてこい」

 

「…………はははっ、面白い作戦じゃないか」

 

 やれやれ。何で俺はいつも無茶な作戦に投入されるんだ? 敵の指揮官を狙撃するのもかなり無茶だったが、これもなかなか無茶だ。激しい銃撃戦が繰り広げられている部屋を突破して、たった2人で敵の総大将をぶちのめさなければならないのだから。

 

 ちらりと敵兵がぞろぞろとやって来る扉を見てから、俺は首を縦に振った。

 

 確かに敵の数は多いが、武装はG36CやMP5ばかり。優秀な武器ばかりだが、キメラの外殻を貫通できる火力を持つ得物は見受けられない。だから全身を外殻で覆って強引に突っ込めば、かなり無茶だが突破することは難しくない。

 

 やれそうだ。相変わらず無茶な作戦だが。

 

「やってやる」

 

「さすが団長、頼むぜ。…………おい、ノエル! お前も行け!」

 

「了解(ダー)!」

 

 ノエルの自殺命令(アポトーシス)も頼りになる。もし敵の総大将が手に負えなかったとしても、何とか隙を作ることができれば俺たちが勝利できる。ノエルが触れて命令するだけで、敵は勝手に自殺してくれるのだから。

 

 それにこっちには、テンプル騎士団の兵士たちだけではなく連合軍の兵士たちも残ってくれる。俺たちがいなくても持ちこたえてくれるはずだし、敵を撃ち破って合流してくれるはずだ。

 

「ラウラ、聞いてたな!? 今から敵部隊を突破する!」

 

『了解(ダー)!』

 

 よし。

 

 今度こそ手榴弾を掴み取り、安全ピンを引き抜く準備をする。先ほど俺が隠れていたテーブルの残骸の影でラウラが外殻を生成し始めたのを確認してからノエルにも目配せし―――――――安全ピンを引き抜いてから、対吸血鬼手榴弾を放り投げる。

 

 かつん、と硬い床の上に手榴弾が落下した音が聞こえた直後、手榴弾を発見した敵兵の絶叫が聞こえ、やがてその対吸血鬼手榴弾が炸裂した音が、部屋の中を満たした。

 

続け(ザムノイ)ッ!」

 

タクヤ(ドラッヘ)たちを援護するわよ!」

 

 仲間たちが銃撃で援護してくれる。手榴弾を放り込まれて一時的に敵の弾幕が薄くなっているが、手榴弾が生み出した煙の向こうから飛来する銃弾の群れが立て続けに俺の胸板や肩を直撃し、本当に弾丸に撃ち抜かれてしまったのではないかと思ってしまうほどの衝撃をお見舞いしてくる。

 

 衝撃に耐えながら、こっちもトリガーを引く。再装填(リロード)したばかりのスパイラルマガジンの中の銀の弾丸が銃口から放たれ、聖水を浴びて顔の皮膚が溶けて肉がむき出しになっている吸血鬼たちに止めを刺していく。

 

 俺の隣へとやってきたラウラは、なんとPP-19Bizonではなくアンチマテリアルライフルをぶっ放していた。突っ走りながら発砲してまとめて吸血鬼たちの肉体を貫き、すぐ近くにいる吸血鬼の頭を重量で思い切りぶん殴る。まるで母であるエリスさんがハルバードを操るかのようにアンチマテリアルライフルを操り、狙撃用の得物で敵を蹂躙している。

 

 そしてノエルの周囲には、まるで肉屋で売られているハムのように切り刻まれた吸血鬼たちの肉片が転がっている。外殻を生成した彼女の指先から伸びる水銀の糸が立て続けに吸血鬼たちの肉体を寸断しているのだ。彼女の父であるシンヤ叔父さんが得意としたワイヤーでの攻撃を使いこなし、ノエルはまたしても3人の吸血鬼の肉体をバラバラにしてしまう。筋肉のせいでがっちりとした体格の吸血鬼の身体に銀の糸が食い込んだかと思うと、あっという間に肉屋のハムのように切り刻まれているのである。

 

 キングアラクネのキメラであるノエルは、鉱物を体内に取り込むことでその鉱物を含む糸を生成することができる。しかも有害物質を含んでいる場合は、体内で勝手に除去されてしまうのだ。

 

 どうやらノエルは戦いの前に水銀を飲んでいたらしい。

 

 聖水で左腕から胸板の皮膚を溶かされ、剝き出しになった肉を右手で押さえながら絶叫していた吸血鬼に膝蹴りをお見舞いし、手榴弾を取り出す。何発も被弾したが、辛うじて部屋は突破した。だから最後にクリスマスプレゼントを置いていくことにしたのだ。

 

 対吸血鬼手榴弾から安全ピンを引き抜き、それを足元へと落とす。背後から俺たちを追撃しようとした吸血鬼がその対吸血鬼手榴弾に気付いた頃には、聖水が注入された手榴弾が炸裂し、その哀れな吸血鬼の皮膚を融解させていた。

 

 頼んだぞ、ケーター…………!

 

 部屋の向こうは短い通路になっており、その奥には階段がある。宮殿の中だからなのかやけに派手な装飾がこれでもかというほどついていて、階段の床にも金色の複雑な模様が描かれている。踊り場にはドラゴンの背中に乗る騎士の絵画が飾られていて、向こうの部屋から聞こえてくる銃声を聞いていた。

 

 ラウラとノエルの2人と目配せしてから、俺が一番先に階段を上る。踊り場へと飛び出す前にちらりと階段の上を確認し、敵兵の待ち伏せやトラップがないかを確認。敵兵もトラップも見当たらないことを確認してから下にいる2人に向かって頷き、素早く階段を上る。

 

 階段のすぐ目の前は巨大な空間になっており、そこには柱なのではないかと思ってしまうほど高い本棚がいくつも並んでいた。その中に連なっているのはどうやらヴリシア語で書かれた魔術の本らしい。

 

 ここは何だ? 書庫か?

 

 埃の臭いがする空間へと足を踏み入れようとしたその時、アンチマテリアルライフルからPP-19Bizonに武器を持ち替えていたラウラが、唐突にぴたりと足を止めた。

 

「…………ラウラ?」

 

 何かを察知したのだろうか?

 

 すると、ラウラの鮮血のように紅い瞳が段々と虚ろになり始めた。最近ではほとんどこのような目つきの彼女を目にすることはなくなったから、久しぶりにそんな目つきの姉を目の当たりにした俺はぎょっとしてしまう。

 

「――――――病原菌の臭いがする」

 

「は?」

 

「お、お姉ちゃん、病原菌の臭いって―――――」

 

 病原菌の臭いなんてあるわけがない。そう思った俺はラウラに難の事なのか尋ねようとしたが―――――――書庫の中心部にある床の上に、いつの間にか人影が立っていることに気付き、反射的にPP-19Bizonをその人影に向けた。

 

 味方はみんな下の階で戦っている。こんなところに味方がいるわけがない。

 

 間違いなく吸血鬼だ。たった1人でこんなところにいるという事は、おそらく銀の弾丸をぶち込まれた程度では死なない強力な吸血鬼に違いない。

 

「――――――久しぶりだね、タクヤ君」

 

「は…………?」

 

 俺の名前をいきなり呼ばれてぎょっとした。その声が聞こえてきたのは正面からだった。俺たちが銃口を向けている人影がいる方向からその声が聞こえてきたのだ。

 

 しかも、その声は俺を散々ぞっとさせてきた声だった。ラウラをヤンデレにするきっかけになった少女の声だし、カルガニスタンで再会してからはこの声を聞く度に帰ってからラウラに殺されるんじゃないかと思って何度もぞっとした。

 

 けれど―――――――その少女は、もうこの世にいない筈だ。カルガニスタンの街で死んだはずなのである。

 

 生きているわけがない。嘘だ。

 

 死んだはずだ。

 

「お前――――――」

 

 そう、死んだ。

 

 ラウラが殺した。

 

 だから生きているわけがない。

 

 目を見開いてその人影を凝視しながら―――――――俺は、その生きている筈のない少女の名前を呼んだ。

 

「――――――レナ?」

 

 

 

 




意外性って大事ですよね(笑)


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リキヤVSアリア

 

 

 がくん、と大きく頭が後方に揺れ、叩き割られた後頭部から脳味噌の一部や頭髪が張り付いたままの皮膚の欠片が吹っ飛ばされていく。一緒に飛び散った深紅の血飛沫が美しい展望台の床を真っ赤に汚し、その汚れた床の上に、自分の流した血で一部に紅い痕が刻み付けられた白いドレスを身に纏った美しい女性が崩れ落ちる。

 

 数分前まで、一緒に紅茶を飲んでいた吸血鬼の女王。彼女の主人であるレリエル・クロフォードの復活を目論む今の吸血鬼の指導者は、俺が放った弾丸によって頭を撃ち抜かれ、展望台の床の上に転がっている。

 

 もし彼女が普通の人間だったのならば、これで終わりだった筈だ。そして彼女が普通の吸血鬼だったのならば、このまま再生することなく死体と化していた筈である。

 

 けれども俺は、まだ銃口を彼女へと向けていた。頭を撃ち抜かれ、頭蓋骨を食い破った1発の銃弾に脳をズタズタにされて、”一時的に”屍になった彼女へとウェブリー・リボルバーの銃口を向けたまま、警戒を続けていた。

 

 すると、ぴくりと彼女の白くて細い手が微かに痙攣し―――――――頭を撃ち抜かれた筈のすらりとした女性が、まるでベッドの上で目を覚まして起き上がろうとしているかのように、ゆっくりと起き上がり始めた。今しがた俺のリボルバーで撃ち抜かれた額の風穴からは未だに鮮血が溢れ出ていたが、やがて垂れ落ちてくる鮮血の量が減り、血痕だけになる。

 

 額の風穴はもう塞がりかけていた。弾丸が抉った頭蓋骨はもう既に肉の中に埋まっていて、その肉も彼女の真っ白な肌へと吞み込まれかけている。やがて再生した真っ白な皮膚同士が結び付き合うと、もう既に弾丸が貫通した筈の場所には全く傷は残されていなかった。

 

 吸血鬼の弱点である銀の弾丸で攻撃したにもかかわらず、これほど素早く再生してしまう。吸血鬼の中には弱点である筈の銀や聖水による攻撃を喰らっても再生してしまう強力な個体がいるが、こいつの主人であったレリエルや、彼から血を何度も与えられていたアリアはその”強力な個体”よりもはるかに強力な吸血鬼である。

 

 当たり前のように太陽の光を浴びながら歩き、銀の弾丸で風穴をあけられても再生してしまう。複数の弱点で同時に攻撃しない限り、この怪物は殺せない。

 

 お気に入りだったのか、真っ白なドレスの至る所に自分の血痕が刻まれたことを知ったアリアはため息をつきながら肩をすくめた。

 

「汚れちゃったわね」

 

「可哀そうに」

 

 弁償はしないぞ。

 

 もう一度この女を屍にしようと思ったが、俺がリボルバーのトリガーを引くよりも先にアリアが銃口を向けてきた。すらりとした銃身を持つルガーP08から弾丸が放たれるよりも先に身体を捻り、飛来してきた弾丸を回避する。

 

 彼女の銃に装填されているのはごく普通の9×19mmパラベラム弾。.45ACP弾と共に、最新型の様々なハンドガンの弾薬として使用されている弾丸である。

 

 外殻を使えば簡単に弾けるが、まだ”人間だった頃”の感覚が残っているせいなのか、敵の攻撃を察知すると、外殻で防ぐよりも避けようとしてしまう癖があるらしい。今のは外殻を咄嗟に生成しても間に合ったはずだと思って後悔しつつリボルバーの銃口を向け、もう1発彼女にお見舞いする。

 

 9×19mmパラベラム弾よりも大口径の弾丸が彼女の腹へと喰らい付き、今度は内臓を滅茶苦茶にする。普通の人間であればそのまま崩れ落ちる筈だが、アリアは口の端からほんの少しだけ血を流して歯を食いしばり、こちらを睨みつけながらルガーP08での発砲を続行する。

 

 吸血鬼にも痛覚はある。だから腹をリボルバーの弾丸で撃ち抜かれ、腸をズタズタにされる激痛も感じている筈だ。

 

 けれども彼女は死なない。展望台の窓の外から流れ込んでくる日光を浴び、更に銀の弾丸を喰らっても死んでくれない。

 

 吸血鬼の中には日光を浴びた瞬間に消滅してしまうような奴もいるし、体調を崩したり、身体能力が下がる程度で済む奴もいる。だがアリアの場合は、日光を浴びても身体能力がわずかに下がる程度で済むのだ。

 

 21年前から、アリアは恐ろしい再生能力を持っていた。もしかしたら俺たちが交戦するよりも前からレリエルによって血を与えられていたのかもしれない。ヴリシア帝国で珍しい吸血鬼の奴隷として売られていた彼女は復活したレリエル・クロフォードによって助け出され、あいつの眷属となった。そして奴を討伐するためにヴリシアへとやってきたモリガンの傭兵たちと死闘を繰り広げたのである。

 

 再生能力はレリエルほどではないが、現時点で最もレリエル・クロフォードに近いのは間違いなくこの女だろう。

 

 更に血で真っ赤になったドレスに身を包む彼女が放った9×19mmパラベラム弾が、俺の右肩に喰らい付く。けれどもその一撃は、まるで戦車の装甲に弾かれた銃弾のような甲高い音を奏でながら跳弾すると、展望台の窓ガラスに激突して亀裂を刻み込んだ。

 

 今度は咄嗟に外殻を生成して防いだのである。

 

 俺のステータスならば、ハンドガン用の9mm弾が直撃したとしても皮膚を貫通されることはないだろう。基本的に転生者との戦いでは、攻撃力のステータスが防御力のステータスを上回っていない限り、相手の攻撃を喰らっても致命傷を負うことはなくなるのだ。更に相手の攻撃力よりもはるかに防御力が高い場合は、例え大口径の弾丸を顔面に喰らったとしても無傷で済む場合もある。

 

 転生者が生み出した武器を転生者ではない仲間に渡した場合、その銃の攻撃力はそれを生み出した転生者のステータスによって決まる。例えば俺が端末で生産したハンドガンをエミリアたちに渡して使わせた場合、それはレベルの高い転生者に対しても絶大な殺傷力を発揮するが、まだ未熟な転生者が生産した得物をエミリアたちに使わせれば、レベルの高い転生者を殺すのはほぼ不可能になる。

 

 もし仮にあのルガーP08をアリアに渡した転生者が俺よりもレベルが高かった場合、いくら銃弾の中でも威力の低いハンドガンの弾丸でも致命傷になる場合がある。それゆえに、俺は防御力のステータスにはほとんど頼らない。

 

 外殻で防ぐか、躱すのだ。

 

 すると、アリアは片方のルガーをホルスターの中へと突っ込んだ。代わりに目の前に村彩色の魔法陣を展開すると、そのすぐ前へと自分の右手を突き出す。魔術でも使うつもりなのかと思いつつリボルバーを向けていると、彼女はその魔法陣の中から1本のバスタードソードを召喚した。

 

 刀身はまるで黒曜石で作られているかのように真っ黒で、表面には紫色の古代文字のような複雑な模様が刻み込まれている。闇属性の魔力が充填されているのか、その複雑な模様は何度も点滅を続けているようだった。

 

 あれに斬られるわけにはいかない。

 

 吸血鬼の身体の中には、かなり濃厚な闇属性の魔力がある。その闇属性の魔力を使った攻撃を喰らった場合、傷口を塞ぐためにヒールなどの治療魔術を使ったとしても、その濃厚な闇属性の魔力によって光属性の魔力による治療が阻害されてしまうため、傷口を塞ぐのは不可能になってしまう。

 

 顔をしかめながら、俺はまたリボルバーをぶっ放した。しかしそのバスタードソードを召喚したアリアはその剣でリボルバーの弾丸を弾くと、切っ先を床にこすりつけながら一気に距離を詰めてくる。

 

 すらりとした女性とは思えないほどの腕力で、彼女が強引に剣を振るう。右下から左斜め上へと振り上げられた剣を咄嗟に躱し、至近距離で彼女の脇腹に銀の弾丸を叩き込むが、一瞬だけ歯を食いしばった彼女は俺の顔を見下ろしながら笑った。

 

「効かないわよ?」

 

「その割には痛そうだな」

 

 後ろへとジャンプしつつ、シリンダーに残っている弾丸を全てぶっ放す。再装填(リロード)するべきだろうかと思いつつポーチの中のスピードローダーを掴み取ろうとするが、リボルバーよりもアサルトライフルで射撃した方が効果的だと判断した俺は、先ほど座っていた椅子に立てかけておいたAK-12を素早く拾い上げ、安全装置(セーフティ)をすぐに解除。そのままセレクターレバーをフルオートに切り替え、片手でバスタードソードを振るうアリアへと発砲する。

 

 しかしアリアはバスタードソードを振り上げたまま突っ込んできた。弾丸を何発叩き込まれても死なないからなのか、7.62mm弾が彼女の華奢な腰や腹に風穴を開け、肋骨や内臓を滅茶苦茶にしているというのに、アリアは突っ込んでくる。

 

 ぞっとして後ろへと下がった瞬間、戦いを見守っていたリディアと目が合った。参戦させてくれと言わんばかりに刀の柄を握るリディアに向かって首を振りつつ、フルオート射撃を続行する。

 

 アリアにとって、俺は主人であるレリエルの仇だ。俺をここまで呼び寄せたのは、俺と一対一で戦いたかったからに違いない。

 

 11年前も、俺はこうやってレリエルと一対一で戦った。

 

 それにあくまでも彼女が憎んでいるのはレリエルを殺した俺だ。だからその憎しみを受け止める資格は、俺にしかない。リディアには悪いが、彼女にはそこで見守ってもらうしかないのだ。

 

 フルオート射撃に耐えきったアリアが、ズタズタになった腹や腰を再生させながら剣を振るう。振り落とされたバスタードソードを右へと回避し、床にめり込んだそれが振り上げられるよりも先に空になったマガジンを取り外す。普通の人間なら7.62mm弾を数発叩き込まれるだけで確実に絶命するのだが、アリアはマガジンの中に入っている30発の銀の7.62mm弾を叩き込まれても生きていた。

 

 コッキングレバーを引き、そのままくるりと回転。体重を乗せながら思い切り重傷を彼女の顔面へと叩き込む。

 

 がつん、と銃床がアリアの顔面を直撃し、まるで額に銃弾を叩き込まれたかのようにアリアが仰け反る。その隙に彼女の喉元に銃口を押し付けてトリガーを引くが、エジェクション・ポートから10個目の空の薬莢が排出された瞬間、アリアの華奢な手がAK-12の銃身を掴んだかと思うと、それを左側へと逸らしやがった。

 

「!」

 

「さっきから痛いじゃないの」

 

 血を吐きながら笑うアリア。彼女の手を振り払おうとするが、両手に力を込めた瞬間に俺の腹に何かが突き付けられているような気がして、ぞっとしながら下を見下ろした。

 

 彼女が左手に持っていたルガーP08のすらりとした銃身が、俺の腹に押し付けられていたのである。

 

 彼女のように銃身を掴んで逸らしてやろうと思ったが、俺の両手はAK-12のハンドガードとグリップを握っている。間違いなく彼女がトリガーを引く方が早い。ならば外殻を使って銃弾を防ぐべきだろうかと思ったが――――――俺にはまだ、3本目の腕と言える尻尾がある。

 

 キメラになった時に生えてきた尻尾だ。タクヤのように先端部が鋭くなっているわけではないが、こちらもサラマンダーのように堅牢な外殻に覆われている。咄嗟にそれを伸ばしてルガーP08の銃口を逸らそうとしたが――――――銃口が俺の腹から完全に逸れるよりも先に、アリアがトリガーを引きやがった。

 

 皮膚に何かがめり込む感触がする。猛烈な衝撃を感じながら歯を食いしばり、思い切りアリアを蹴飛ばしてから距離をとった。

 

 皮膚を貫通したのか? くそ、あいつに銃を渡した転生者はレベルが高い奴か…………!

 

 傷口を確認する。皮膚は貫通されているが、辛うじて腹筋までは貫通されていないようだった。しかし9mm弾は左側の脇腹の腹筋にめり込んでおり、俺の血で真っ赤に汚れている。

 

 エリクサーを飲もうと思ったが、蹴飛ばされたアリアがルガーP08の再装填(リロード)を終えていたらしく、回復させてくれなかった。

 

 2発目の9mm弾が、AK-12で応戦しようとしていた俺の左足の太腿を直撃する。やはり皮膚を貫通して筋肉へと弾丸が食い込んだせいで身体がぐらりと揺れ、AK-12の照準が台無しになってしまう。闇属性の魔力を含んだ攻撃ではなかったのは幸いだが、このままでは彼女に殺されてしまう。

 

 接近戦に変更するべきだろうか?

 

 何とか体勢を立て直すが、彼女へと照準を合わせようとした頃には、もう既にルガーP08をホルスターに戻したアリアが、闇属性の魔力が充填されたバスタードソードの柄を両手で握りながら距離を詰めているところだった。

 

「ッ!」

 

 これで斬られるのは拙い!

 

 振り下ろされた刀身が直撃する筈の右側の肩を外殻で咄嗟に覆う。さすがにサラマンダーの外殻もろとも俺の身体を切り裂くのは不可能だったらしく、まるで石の壁に鉄骨を叩きつけたような金属音を発しながら、真っ黒なバスタードソードが弾かれてしまう。

 

 しかしアリアはそれを想定していたらしく、右手をバスタードソードから離していた。そしてその右手を思い切り握りしめると――――――辛うじてバスタードソードを防いで安堵している俺の胸板に向かって、猛烈なパンチを叩き込みやがった。

 

 先ほど銃弾に被弾したから分かるが、彼女のパンチが俺の身体に叩き込まれた瞬間の衝撃は、銃弾に被弾した時の衝撃よりもはるかに上だった。胸板を貫かれてしまったのではないかと思ってしまうほどの衝撃を感じた瞬間、胸骨に亀裂が入ったような感覚がして、猛烈な激痛が肥大化していく。

 

 華奢な女性のパンチとは思えぬほどの衝撃で吹っ飛ばされ、そのまま展望台の壁に叩きつけられてしまう。起き上がりながら呼吸を整えようとすると、口の中からはかなり濃厚な血の臭いがした。よく見るとコートの襟や胸元の部分には血が付着していて、そこには俺の顎や口から血が滴り落ちている。

 

 自分が血を吐いていたことに気付きながら、笑った。

 

 レリエルとの戦いが終わってから、俺は訓練を続けてきた。何度も実戦を経験して自分の力を磨き続けたつもりだったが――――――アリアは主人を殺された復讐心を抱いたまま、俺を倒すために自分の力を高め続けていたに違いない。

 

 主人を殺した怨敵を仕留め、主人を復活させるために。

 

 彼女の復讐心が、俺の努力を上回ったのだ。

 

「ねえ、この程度なの? あなた、本当にレリエル様を殺した男?」

 

「――――――悪かったな」

 

「え?」

 

 そうだな。こんな無様な戦い方をしてたら、レリエル・クロフォードに失礼だ。

 

 俺を”好敵手”と呼んでくれた偉大な男に、失礼だ。

 

 口元についていた血を拭い去り、血の臭いがする息を吐き出す。

 

 相手がこれほどの力を持っているのならば、もういいだろう。――――――”本気を出しても”。

 

「正直言うと、本気を出して潰さなければならない相手だというのに少しばかり高を括っていた」

 

「へえ」

 

「だから今から―――――――久しぶりに本気を出させてもらう」

 

 俺はこの世界で、最強の転生者と呼ばれている。今までに数多の転生者をこの世界から葬り、転生者以外のクソ野郎も狩り続けてきた。敵が格上ばかりだったおかげでかなり順調にレベルが上がり、ステータスもかなり強化された。

 

 そのせいで色々と不便になった。攻撃力のステータスが上がり過ぎたせいで普通のスプーンを握ったつもりでもそれをへし折ってしまい、防御力のステータスが上がり過ぎたせいで躓いて壁に激突すれば、その壁の方が木っ端微塵になってしまうほどに強化されてしまったのである。

 

 おかげで日常生活にかなり支障が出ているが―――――――アンロックされた”あるスキル”のおかげで、ステータスが5分の1に落ちてしまう代わりに、いつも通りの生活を送れるようになった。

 

 今からそれを解除する。

 

「――――――王権拘束(マグナ・カルタ)、解除」

 

 この王権拘束(マグナ・カルタ)というスキルは―――――――レベルが”9999”に達した転生者にのみアンロックされるかなり特殊なスキルである。基本的に転生者の能力は自分自身の能力を増幅させたりするものばかりなのだが、このスキルは逆に”全てのステータスを5分の1に下げる”というかなり特殊なものである。

 

 一見すると足枷にしかならないようなスキルだが、さすがに9999に達し、全てのステータスの数値がカンストして”9”の羅列で統一されるほどになると普通に日常生活を送るのは難しくなってしまう。そのため俺にとっては、このスキルは必需品なのだ。

 

 今の俺のレベルは―――――――9999。これが転生者のレベルの上限だ。

 

 攻撃力と防御力とスピードのステータスも、全て9で埋め尽くされている。これが俺の、本当のステータスである。

 

 5分の1にステータスを意図的に低下させた状態では、確かに彼女に失礼だからな。――――――だから、本気で彼女を倒す。こんなところで無様な戦いをしてしまったら、あの世にいるレリエルにも失礼だ。

 

 アリアは俺が本気を出したことを察したらしい。先ほどまでは笑う事が多かったアリアの表情が変わり、目を見開いている。

 

「いい事を教えてやる。――――――今からの俺は、”5倍”だ」

 

 吸血鬼のクソガキに、魔王の本当の力を見せてやる。

 

 



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ラウラVSレナ

 

 

 ラウラがレナを殺した数日後、彼女をモリガン・カンパニーの本社に残してカルガニスタンに戻った俺は、現地でレナの遺体を回収していたモリガン・カンパニーの部隊に呼び出され、レナの死体を確認していた。

 

 現場でAK-12とボディアーマーを装備して俺を待っていてくれたエルフの兵士に案内され、数名の警備兵たちが閉鎖した廃墟の中へと入った俺は、猛烈な血の臭いと床や壁にこびりついた血痕を目の当たりにしてぞくりとしながら奥へと進み―――――――奥の部屋に転がっていたレナの死体を目の当たりにする羽目になった。

 

 俺も転生者を狩るときは、ナイフで無残な殺し方をする。手足を切り落とすのはいつもやっているし、首を切り落とすのも当たり前だ。その廃墟の中で俺が目にしたのは、俺の”そういう技術”よりもやや未熟な技術の犠牲になった1人の少女の亡骸だったのだ。

 

 床に転がる胴体の隣に置かれているレナの頭は、もう笑顔を浮かべることもないし、涙を流すこともない。俺は床の上に転がる彼女の頭を拾い上げてから優しく抱きしめ、そっと目を瞑った。

 

 俺がラウラをしっかりと監視していれば、彼女は犠牲になることはなかったのだ。レナを殺したのはラウラの罪だが、俺の責任でもあるのだから。

 

 彼女が許してくれるとは思えない。けれども、俺もできる限り償うつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界で、俺は何度も信じられない光景を目にしてきた。前世の世界には存在しなかった筈の魔術や魔物も見たし、自由自在に兵器や能力を生産できる転生者の能力も目の当たりにした。だからそのような”ありえない光景”を目にしても、もう慣れたと思っていた。

 

 しかし―――――――目の前に、死んだはずの少女が立っているというのは信じることができない。

 

 俺はあの時、レナの遺体を目にしているのだ。カルガニスタンの街の中にある小さな廃墟の中で、ラウラがバラバラにしたレナの遺体。おそらくナイフで殺してからあそこに遺体を運び、そこで解体したのだろう。

 

 そう、確実にレナは死んだ。

 

 あの死体は影武者ではないし、作り物でもない。俺があの時抱きしめた遺体の頭は、レナの頭だったと断言できる。

 

 では、なぜレナはまだ生きている?

 

 最初から吸血鬼だったという可能性もあるが、吸血鬼は弱点以外で攻撃されても身体が”勝手に”再生してしまうという特徴がある。それゆえに普通のナイフで一般的な人間のように殺害されたとしても、傷口は勝手に塞がってしまうのだ。だからいつまでも”死んだ”状態を維持して死体のふりをし、敵が油断した隙に瞬時に再生して襲い掛かるという芸当はできないのである。

 

 そのため、レナが吸血鬼だったという可能性は考えられない。

 

 ならば、どうしてレナがここにいるのか? 幼少の頃に読んだ図鑑に載っていた吸血鬼に関する情報を次々に引っ張り出して仮説を立てていくが―――――――その中の仮説のうちの1つと、ラトーニウス王国の銛で遭遇した1人の吸血鬼の事を思い出した瞬間、俺ははっとした。

 

 吸血鬼の血には特別な力があるという言い伝えがある。人間に飲ませることでその人間を吸血鬼にしてしまったり、魔物に変貌させることができるのだ。もし仮にその人間が死んでいたとしても、死体に吸血鬼の血を垂らせば同じように魔物や吸血鬼に変貌させてしまうのである。

 

 そしてラトーニウス王国の森で襲い掛かってきた、フランシスカという名前の吸血鬼の女。彼女は確か、親父や母さんがまだ17歳だった頃に追っ手として2人を追撃し、あの森の中で返り討ちにされたハーフエルフの少女だという。21年も前に殺された騎士が吸血鬼になって襲い掛かってくるのは考えられないが、あのフランシスカも同じように吸血鬼に血を与えられて吸血鬼にされた可能性が高い。

 

 真っ黒な纏うレナが、書庫の真ん中でニヤリと笑う。死んだと思っていた自分が蘇って登場したことに驚いている俺たちを見て楽しんでいるのだろうか。

 

 彼女は俺を見つめた後にラウラの方を睨みつけた。やはり自分を殺したラウラが憎たらしいのだろうか。

 

「――――――まだ、その女と一緒にいるんだ」

 

「レナ、どうしてここにいる…………?」

 

「信じられない? ふふっ、そうだよね。…………私はね、確かにあの時ラウラに殺されたよ」

 

 PP-19Bizonを向けている俺の隣で、ラウラがレナを殺したことを知らないノエルが目を見開きながらこちらを見ている。ラウラの罪を知っているのは、テンプル騎士団の中では俺とラウラだけ。モリガン・カンパニーの社員は何名かこのことを知っているらしいが、ラウラが復帰した後の事も考えて親父がその件を口外することを固く禁じたらしく、ラウラがレナを殺したという事はあまり知られていない。

 

 だからノエルが驚くのは当たり前だった。

 

「お姉ちゃん、どういうこと…………?」

 

 テンプル騎士団が殺していいのは、人々を虐げるクソ野郎のみ。

 

 確かに俺たちは今までに何人も殺してきた。中には無残に殺したクソ野郎もいる。けれども、俺たちは無差別に人の命を奪ってきたわけではないのだ。与えられた力を悪用して人々を虐げる転生者や、貴族の権力を悪用して人々を苦しめるような輩を葬り、少しでも人々を救おうとした。それがテンプル騎士団の理念なのだから。

 

 けれどもラウラは、少なくともクソ野郎ではない彼女を殺してしまった。しかも殺した理由は個人的な理由である。

 

 親父が俺たちに武器を使う事を許し、自分たちが磨き上げてきた技術を伝授してくれたのは、無差別に人を殺させるためではない。かつて自分たちが抱いていた理想を引き継いでくれると思ってくれたからこそ、俺たちに様々な技術を教えてくれたのである。

 

 ノエルに問いかけられたラウラが息を呑む。ちゃんと話すべきなのかもしれないが―――――――今は、敵が目の前にいる。その話はタンプル搭に戻ってからでもいい筈だ。

 

「ノエル、それは後で話す」

 

「…………分かった」

 

 ノエルがラウラをこれ以上問い詰めなかったことに安堵しながら、再びレナを見つめる。

 

 やはり彼女の容姿は、カルガニスタンで会った時とあまり変わっていない。髪は少しばかり伸びているけれど、それ以外の容姿は全く変化がないのだ。まるで俺が確認した彼女の死体が幻覚だったのではないかと思ってしまうほどである。

 

「ねえ、タクヤ君。これを見てよ」

 

 そう言ってから、レナはゆっくりと身に纏っている黒いマントを脱ぎ捨てた。俺たちがここに来る途中で撃ち殺してきた吸血鬼たちと同じデザインの黒い制服を身に纏ったレナは静かに制服の袖を捲り、真っ白な腕を晒す。

 

 彼女の腕を見た瞬間、俺たちは凍り付いてしまった。

 

 あのカルガニスタンの廃墟の中でレナの遺体がどのような状態になっていたのか、はっきりと覚えている。手足や頭は動体から切り落とされてバラバラにされており、小屋の中は血の海だった。俺も転生者を無残に殺したことがあるが、俺よりもやや未熟な技術だったからなのかなおさら無残に見えてしまった。

 

 目の前に現れたレナが見せてきた腕には―――――――黒い糸のようなもので縫い合わせたような跡があった。人体の傷を縫い合わせたというよりは、まるでボロボロになってしまった人形を修繕するために縫い合わせたようにも見える。しかもその縫った痕のある位置は、彼女の腕が切り落とされていた位置と一致する。

 

 それを見せられて驚いていることに満足したのか、レナは笑い始めた。

 

「ここだけじゃないんだけどね。…………痛かったよぉ、ラウラ。ナイフでバラバラにされたせいで、お人形さんみたいになっちゃった」

 

「…………!」

 

 そう、まるでお人形さんだ。きっとあの縫い目があるのは腕だけではないだろう。あの時、ラウラが切り刻んだすべての場所に、自分を殺した少女がレナを無残に殺した証が残っている。

 

「お前は―――――――吸血鬼なのか?」

 

「うーん、吸血鬼というか………化け物かな? あっ、最初から化け物だったわけじゃないよ? とっても素敵な吸血鬼が、私を蘇らせてくれたの」

 

 やはり、俺の仮説通りだったようだ。

 

 吸血鬼の血は、人間を魔物や吸血鬼に変えてしまう不思議な力がある。死体にその血を垂らせば、同じように魔物や吸血鬼として蘇生する場合がある。

 

 レナは吸血鬼によって化け物として蘇生させられたのだ。何のために蘇生させたのかは不明だが、もし仮に彼女を生き返らせた吸血鬼が俺たちが戦っている過激派の吸血鬼だとすると、テンプル騎士団の一員であるラウラをかなり憎んでいるレナに力を与えて蘇らせれば使い勝手のいい手駒と化す。

 

 それにレナも、ラウラに復讐できるチャンスを手に入れることができる。

 

 彼女は微笑むと、片手を俺の方に伸ばしてきた。

 

「ねえタクヤ君、こっちにおいでよ。とっととこの戦いを終わらせて、私とデートしない?」

 

「断る」

 

 即答すると、微笑んでいたレナは目を見開いた。

 

 当たり前だ。確かに彼女がラウラに殺されたあの事件は俺にも責任がある。償うことができるならば、可能な限り償うつもりだ。けれども―――――――だからと言ってラウラを捨てるわけにはいかない。彼女は俺が守ると決めたのだから。

 

「…………どうして? 私より、そんな殺人鬼の方がいいの…………?」

 

「お前は知らないと思うが、俺だって何人も殺してる。…………それに俺は、お姉ちゃんの方が大好きだからな」

 

「タクヤ…………」

 

 こっちを見つめるラウラに向かってウインクすると、彼女は微笑んでくれた。

 

「だからお前とは、デートに行くつもりはない。悪いが他の男でも誘ってくれ」

 

「――――――タクヤ君、私の事…………嫌いだったんだ…………」

 

 ああ、大嫌いだ。お前のせいでお姉ちゃんがヤンデレになったんだ。もし戦闘中じゃなかったら俺は容赦なく彼女にそう言って別れていた事だろう。

 

 俺に断られて、レナは唇を噛みしめる。そして涙を浮かべながら俺たちを睨みつけて―――――――叫んだ。

 

「じゃあ―――――――みんな死んじゃえッ!!」

 

 その瞬間、彼女の長い金髪が一斉に黒ずんだかと思うと、数本の髪の毛が結び付き合い始めた。やがて美しかった金髪が完全に真っ黒になり、表面に何かの鱗のようなものが形成されたと思うと、その先端部が1つに割れて―――――――無数の蛇と化す。

 

 レナの髪が、一斉に蛇へと変貌したのだ。幻覚なのではないかと思ったが、そのような魔術には詠唱が必要だ。もし仮に詠唱を必要としないほど技術が高い魔術師だったとしても、一瞬だけ高圧の魔力の反応がするから察知できる筈である。

 

 これは幻覚ではない。――――――本当に彼女の髪が、蛇と化したのだ。まるでメデューサのように。

 

 レナが頭を大きく振ると、彼女の頭から生えている無数の蛇たちがこっちに向かって一斉に伸びてきた。口の中には長い舌と鋭い牙が生えている。

 

 躱すよりも迎撃した方がいいと瞬時に判断し、PP-19Bizonのトリガーを引く。スパイラルマガジンにかなりの数の弾丸を装填できるこのSMG(サブマシンガン)は、迎撃の最中にマガジンを交換する羽目にはならないだろう。

 

 ラウラとノエルも銃を構え、接近してくる無数の蛇たちに向かって銀の弾丸を撃ちまくった。俺たちに噛みつくよりも先に銀の弾丸の餌食になる羽目になった蛇たちは、次々に頭を破裂させたり、口の中に飛び込んだ弾丸に胴体を引き千切られ、無数の肉片と共に書庫の床へと落ちていく。

 

 向かってくる蛇の数は、9×19mmパラベラム弾のフルオート射撃のおかげで減りつつあった。やがてこれ以上蛇を伸ばしても無意味だと理解したのか、レナは蛇を伸ばすのを止めて呼吸を整える。あのまま弾丸で木っ端微塵にしてやれば戦闘力を削ぎ落とせるのではないかと期待していたんだが、頭を失った蛇たちの断面がぴくりと動いたのを目にした瞬間、その期待を捨てなければならなくなった。

 

 弾丸に砕かれた蛇たちの断面から肉が盛り上がり、その上を皮膚が包み込んでいく。やがてその盛り上がった肉の中から眼球が顔を出したかと思うと、今しがた弾丸に貫かれて砕け散った筈の蛇たちの頭が完全に再生していたのである。

 

 どうやらレナも吸血鬼と同じ再生能力を身につけているらしい。しかも銀の弾丸を撃ち込まれば容易く絶命する普通の吸血鬼のような生半可な再生能力ではなく、複数の弱点で攻撃しなければ倒せないような強力な吸血鬼が持つ再生能力だ。

 

「殺してやる…………ここで、全員…………殺してやる…………ッ!」

 

「――――――タクヤ、こいつは私に任せて」

 

「ラウラ?」

 

 レナと1人で戦うつもりか?

 

 確かにラウラは優秀な狙撃手だ。幼少の頃から何度も親父を驚かせていたし、狙撃の技術ではもう既に親父を超えている。けれど、ここは無数の本棚が乱立する書庫の中。彼女の得意な狙撃ができる環境とは思えないし、相手は強力な再生能力と無数の蛇を操るレナだ。いくらラウラでも討伐するのは難しい。

 

 彼女を1人で戦わせるわけにはいかない。俺もここに残って戦うべきだ。

 

「ダメだ、俺も戦う」

 

「いいえ、ここはお姉ちゃんに任せて。…………下でみんなが戦ってるのに、ここで足止めされてる場合じゃないでしょ?」

 

 一瞬だけ足元を見ながらラウラが言った。

 

 今頃、下の部屋の中では無数の吸血鬼たちと連合軍の兵士たちが死闘を繰り広げている筈だ。俺たちが一刻も早く奴らの総大将を片付ければ、敵はまた総崩れになる。だからケーターは無数の敵を自分たちで引き受けて、俺たちを先へと進ませてくれたのだ。

 

 ラウラに無茶をさせる羽目になるが、こんなところで足止めされている場合じゃない。

 

「それに、私もけじめをつけたいの」

 

「…………分かった」

 

 懐からスモークグレネードを取り出し、安全ピンを引き抜く準備をしながらちらりとノエルの方を見る。彼女は俺の顔を見つめながら頷くと、PP-19Bizonを背負ってここを突破する準備を始めた。

 

 敵が目の前にいるというのに、強引に突破するのは2回目だ。ついさっき下の部屋でやったばかりじゃないか。

 

 安全ピンを抜き、レナが再び攻撃に移る前にスモークグレネードを放り投げる。埃まみれの床に転がったスモークグレネードは、積もっていた埃を巻き上げながらごろごろと転がっていくと、瞬く間に舞い上がった埃よりも濃度の濃い白煙を吐き出して、書庫の中をそれで満たしていく。

 

 至近距離まで近づくか、気配を察知されない限り攻撃されることはないだろう。PP-19Bizonを腰のホルダーに下げながらまだ辛うじて隣にいるのが見えるノエルに目配せし、レナと交戦することにしたラウラだけをここに残して俺たちは全力疾走を開始する。

 

 キメラの瞬発力は、体内にある魔物の遺伝子にもよるけれど、基本的に人間を遥かに上回る。だからレナを振り切るのは容易いだろうと思ったが―――――――右側から彼女の香水の香りが”近づいている”感覚を察知した俺は、咄嗟に頭を下げた。

 

 次の瞬間、まるで狙撃手が放った弾丸のように飛んできた蛇の頭が俺の頭上を掠め、獲物に噛みつくことができなかったという事を理解してからすぐにスモークの中へと戻っていった。

 

 当てずっぽうだろうと思ったが、もし当てずっぽうで攻撃したのならば様々な方向にもっと攻撃している筈だ。今のが最初の一撃だったとしても、やけに正確過ぎる。

 

 まさか、俺の居場所を察知していた…………?

 

 ぞくりとした瞬間、俺はなぜ今の攻撃が正確に俺の頭へと飛来したのかを理解した。

 

 ――――――”ピット器官”だ。おそらくレナの頭から生えている蛇かレナの身体には、獲物の発する体温で敵の居場所を察知することが可能なピット器官があるに違いない。

 

 だから今の攻撃は、俺とノエルの体温のせいで居場所がバレてしまったのだ。もし本当にレナの身体にピット器官があるのだとしたら、このようにスモークグレネードで周囲を白煙だらけにするのは何のメリットもない。むしろこっちが敵の攻撃を喰らう確率が上がるだけだ。

 

 今のはレナの香水の香りを俺の嗅覚が察知してくれたから辛うじて回避できたが、やはり視覚もフル活用した方が回避は容易い。それに俺と一緒にいるノエルはあくまでもキングアラクネのキメラ。意図を変幻自在に操ることができる能力を持っている代わりに、視覚や嗅覚は変異する前とほとんど変わらないのだ。

 

 2回目の攻撃が来ないように祈ったが、どうやら次の攻撃はないらしい。香水の香りが近づいてくる気配はないから、おそらく俺たちの追撃を断念してラウラの相手をすることにしたのだろう。

 

 やがて、真っ白な煙の向こうに木製の分厚いドアが見えてきた。素早くドアノブを掴んで扉を開け、後ろにいたノエルを先に扉の向こうへと行かせてから俺も書庫を後にする。

 

 書庫の扉の向こうには、いくつも部屋が左右に連なる長い通路が伸びていた。やはり宮殿の中だからなのか、派手な装飾や絵画が壁にこれでもかというほど飾られていて、どれも一緒に埃まみれになっている。

 

「お兄ちゃん、本当にお姉ちゃんだけで大丈夫かな?」

 

「大丈夫さ」

 

 本当にレナがピット器官をもっていたのだとしたら、もしかすると”あの特徴”も持ち合わせている可能性が高い。もしそれを持ち合わせていなかった場合は確かにラウラが心配だが、おそらくあの特徴も一緒に身につけている可能性の方がはるかに高いだろう。

 

 もしそうなのならば、ラウラの方が圧倒的に有利だ。

 

 それに彼女は―――――――最強の転生者から一緒に訓練を受けた、俺のお姉ちゃんなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上陸した戦車部隊から支援砲撃を要請されてもすぐに対応できるように、サン・クヴァント沖には未だに無数の艦隊が待機している。もし仮に吸血鬼たちがまだ艦隊を隠し持っていたとしても、たちまちそれを粉砕してしまえるほどの数の大艦隊だ。

 

 戦艦モンタナとの砲撃戦に勝利し、最終防衛ラインの友軍の進撃を支援したテンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』のCICの中で、タクヤの代わりに艦長を務めるウラル・ブリスカヴィカはアイスティーの入った水筒を口元へと運びながら、オペレーターたちの報告に耳を傾けていた。

 

 第一軍と第二軍は敵の本拠地へと突入し、もう既に室内戦に突入しているという。しかもホワイト・クロックの最上階では総大将であるリキヤ・ハヤカワと吸血鬼たちの女王であるアリア・カーミラ・クロフォードも激突しているらしく、間違いなくこのヴリシア侵攻作戦は最終局面へと突入しつつあった。

 

 ウラルも穏健派とはいえ、吸血鬼の1人である。だからレリエル・クロフォードの後継者となったアリア・カーミラ・クロフォードの話を何度も耳にしていた。復活したばかりのレリエルが最初に眷属にした吸血鬼の生き残りで、共にモリガンの傭兵たちと死闘を繰り広げた強力な吸血鬼。更にレリエルから何度も血を与えられていたため、戦闘力もレリエルに匹敵するほどだという。

 

 簡単に言えば、”もう1人のレリエル”だ。

 

 そしてそれの相手は、かつて単独でレリエル・クロフォードを討伐した”魔王”。この世界で初めてキメラとなった男であり、タクヤとラウラの父親である。

 

「同志タクヤたちは大丈夫ですかね?」

 

「大丈夫だろ。あいつらには強力な能力がある」

 

 転生者の能力も強力だが、タクヤとノエルはそれに匹敵するほど強力な能力を身につけている。書類に記載されていた”キメラ・アビリティ”の事を思い出しながら、ウラルは息を吐いた。

 

(契約した精霊や武器を奪う能力と、触れた敵を自殺させる能力か……………………本当に恐ろしい能力だ)

 

 それを身につけたキメラたちがもし仮にそれを悪用したら、自分たちでは食い止められないだろう。キメラは吸血鬼のような再生能力を持たないものの、身体能力では吸血鬼と互角である。さらに種類によっては、外殻によって身体を硬化させることによって弾丸を容易く弾くほどの防御力を発揮することができるのである。

 

 しかし、その可能性はかなり低い。タクヤはそのようなことをする男ではないし、ノエルも訓練を受けながらしっかりと”教育”を受けているという。それにウラルは、テンプル騎士団を率いるタクヤの事を信頼している。

 

 彼ならばきっと、その能力で多くの人々を救済してくれる筈だと。

 

「キメラ・アビリティってやつですか」

 

「そうだ。現時点でそれを身につけているのはタクヤとノエルだけらしいが………………」

 

「同志ラウラは身につけていないのですか?」

 

 キメラ・アビリティの研究も行っているフィオナによると、キメラ・アビリティは第二世代以降のキメラのみが身につけることができる特殊な能力であるという。つまり、リキヤではなく、タクヤやラウラしか身につけることができないのである。

 

 しかもそれを身につけるためには、極限状態を経験して追い詰められる必要があるのだ。要するに、”死にかける”必要がある。そうしなければ強力な能力を手に入れることはできない。

 

 キメラという種族は、簡単に言えば”突然変異の塊”である。フィオナの仮説では、おそらく極限状態を経験して死にかけることで、”死”を回避するために強制的な変異を引き起こし、強引にキメラ・アビリティを習得するのではないかという事になっている。

 

 その条件を思い出したウラルは腕を組んだ。

 

「いや、実はな……………ラウラの奴は、もうとっくに発動していてもおかしくないと思うんだ」

 

「えっ?」

 

「あいつ、小さい頃にタクヤと一緒に誘拐されたらしくてな。その時にクソ野郎共から暴行を受けて死にかけたんだそうだ」

 

「ということは……………」

 

「ああ。――――――もしかしたら、タクヤよりも先に発動していたのかもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクヤが残したスモークが完全に消滅すると、やはりその向こうには頭を覆う頭髪を全て蛇に変貌させた少女が立っていた。かつてラウラが殺害した後にナイフで切断した腕や足にはまるで”お人形さん”のように縫った痛々しい痕が残されており、彼女がどれだけ無残に殺されたのかを物語っている。

 

 確かにあの時、ラウラはレナを無残に殺した。路地裏でナイフで刺した後、誰もいない廃墟の中で彼女の遺体をバラバラにしてしまったのである。

 

 いくら懲罰部隊で過酷な任務ばかりを受け、罪を償ったとはいえ―――――――レナが彼女を許すわけがない。案の定、スモークの向こうから現れたレナは未だにラウラへと憎悪を突きつけ続けている。

 

 自分を殺した女に復讐するチャンスがやってきたのだから。

 

 ラウラは自分を睨みつけてくるレナを一瞥してから、背中に背負っているツァスタバM93を取り出した。マガジンを取り外して別のマガジンへと取り換え、左手でグリップを握りながら左肩に担ぐ。本来の12.7mm弾ではなく20mm弾を発射できるように改造された彼女のアンチマテリアルライフルは、従来の物よりもさらに重量が増している上に銃身も延長されているため、室内での戦闘には全く適さない。

 

 普通ならば室内の戦闘では、SMG(サブマシンガン)やショットガンを用いる場合が多い。もしくはアサルトライフルの銃身を短くしたカービンが好ましいのだが、彼女はあくまでも使い慣れたアンチマテリアルライフルでレナと戦う事を選択したのだ。

 

「お前のせいだ…………」

 

 ゆらり、と頭から生えている蛇たちが一斉にラウラを睨みつける。彼女を睨みつけるレナの呪詛を聞き流しながら、ラウラは得物の点検を続けた。

 

「お前がタクヤ君を甘やかすから……………ッ! 私を殺したのも、私にタクヤ君を奪われるのが怖かったんでしょ……………!?」

 

「――――――うん、そうだよ」

 

「ッ!」

 

 ラウラがレナを殺した理由は、正確に言えば”タクヤをレナに汚されないため”。取られるのではなく、彼女がタクヤに接触すること自体がラウラにとっては苦痛だったのである。

 

 しかしレナを殺したのはテンプル騎士団や転生者ハンターの理念から逸脱した行動だ。だからこそ彼女は懲罰部隊へと送られ、罰を受けたのである。

 

「だからね、償うつもりだったの。……………でも、もう償う気はなくなっちゃった」

 

「なんですって……………? ふん、本当に身勝手な女なのね。タクヤ君を束縛して、彼の近くにいる他の女を消せばハッピーエンドってわけ? そんなわけないじゃないの。第一、タクヤ君はあなたの弟――――――」

 

「――――――さっき、”みんな死んじゃえ”って言ってたよね?」

 

「ッ!」

 

 T字型のマズルブレーキが搭載された長大なアンチマテリアルライフルの銃口をレナへと向けながら、ラウラは冷笑した。いつも笑顔を浮かべながら腹違いの弟に甘えている彼女が滅多に見せることのない冷笑を目の当たりにしたレナは、ぞくりとしながら目を見開いてしまう。

 

 確かにラウラは、懲罰部隊での任務を終えても償いを続けるつもり”だった”。

 

 少なくとも、レナが眠ったままだったのならば。

 

 彼女が普通の死人と同じだったのならば。

 

 しかしレナは蘇ってタクヤたちの目の前に立ちはだかり、彼らに攻撃を仕掛けてきたのである。自分を殺したラウラだけを標的にするのならば、まだラウラも彼女の憎悪を受け入れるつもりだった。タクヤは悲しむ事になるが、彼女はレナの命を奪っているのだから。

 

 だが、レナはタクヤやノエルにも攻撃をしたのである。それを目の当たりにしたラウラの中では猛烈な怒りが形成されつつあった。

 

 レナがタクヤの事を愛しているという事には、勘付いていた。もう少しレナがまともな正確だったのならば、自分の弟を彼女に託しても構わないと思っていた。

 

 しかしラウラは、もう全くそう思っていない。

 

「だからもう、君にタクヤを愛する資格なんてないわよ」

 

「なんですって…………?」

 

「だって、タクヤを殺そうとする怖い女に弟を渡したくないもの」

 

 タクヤを殺そうとするならば、敵でしかない。

 

 今まで転生者ハンターとして狩ってきた、クソ野郎と同じである。

 

(今度は間違えないよ、タクヤ)

 

 今度は個人的な理由ではないし、転生者ハンターの理念からも逸脱はしていない。今度は自分の弟を殺そうとする身勝手な彼女からタクヤを守るために、キメラと転生者の力を振るうだけ。

 

 静かに瞼を閉じながら、ラウラは息を吐く。

 

 狙撃は彼女が幼少の頃から得意としていた戦法である。初めて父であるリキヤと一緒に狩りに出かけた時は彼よりも早く獲物を発見し、タクヤとリキヤを驚かせたこともある。

 

 そして成長してからもさらにその技術を磨き続けた彼女だが―――――――スコープを使わないライフルで2km先の標的を正確に撃ち抜けるのは、彼女が習得した”ある能力”の片鱗であると言える。

 

 幼少の頃にタクヤと共に誘拐され、男たちに暴力を振るわれたことによって彼女の中で目覚めつつあった能力。それを完全に身につけるきっかけとなったのは、何の罪もないレナを殺したことによって懲罰部隊へと送られ、タクヤと離れ離れになりながら転生者と死闘を続けた体験であった。

 

 そう、彼女は―――――――幼少の頃に誘拐されたあの時から、キメラ・アビリティを発動しかけていたのだ。

 

 静かに目を開けた彼女は、ツァスタバM93のタンジェントサイトを覗き込みながら静かに告げた。

 

「――――――”精密演算(クロックワーク)”、発動」

 

 

 

 

 

 

 



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精密演算

 

 

 ラウラ・ハヤカワが人生で一番最初に死にかけたのは、まだ3歳の頃であった。

 

 母であるエリス・ハヤカワと腹違いの弟のタクヤと3人で買い物に出かけていた最中に、タクヤとラウラは数名の男たちに誘拐されてしまったのである。最終的にタクヤが道に撒いていった空の薬莢を目印にして、男たちの潜伏していた建物へとたどり着いたリキヤたちが瞬時に鎮圧したものの、彼がたどり着くまでにラウラは男たちからの暴行を受ける羽目になったのである。

 

 その時に、まだ幼かったキメラの少女のキメラ・アビリティは開花を始めていた。今から15年も前から徐々に開花を始めていた自分の中の能力にラウラが気付いたのは、つい最近の事である。

 

 息を吐きながら、ラウラはツァスタバM93の銃床を静かに左肩へと当てた。彼女の使用する得物は、左利きであるラウラのために全てのパーツを左右逆に変更した特注品。そのため、本来ならばライフル本体から見て右側に突き出ている筈のボルトハンドルは、左側から突き出ている。

 

 古めかしいタンジェントサイトを覗き込んだ彼女は、目の前にいる化け物と化した少女に照準を合わせた。もし仮に彼女が自分を殺したラウラだけを憎んでいたのならば、きっとラウラは銃口を向けることを躊躇っていた事だろう。彼女は懲罰部隊での任務を終えた後も、償いを続けるつもりだったのだから。

 

 しかし、彼女はタクヤまで攻撃した。

 

 最愛の弟を、殺そうとしたのである。

 

 だからもう、償わない。

 

 弟を殺そうとするのならば、その前に彼女を狩る。

 

 そう、”殺す”のではない。獲物として”狩る”。

 

 その表現は、幼少の頃からライフルを手にして森の中へと入り、動物や魔物を狩る経験を積んできたラウラにとっては当たり前の事だった。

 

 レナを”狩る”と決めたラウラは、もうレナを”人”とは思っていない。

 

 ただの、”獲物”だ。

 

「調子に乗らないでよ……………ッ!」

 

 人体に命中すれば、間違いなく木っ端微塵になってしまうほどの大口径のライフルを向けられているにもかかわらず、レナはラウラへと放っていた殺意を更に剥き出しにしながら走り出した。彼女から溢れ出す殺意が頭から伸びる無数の蛇たちにも伝播したのか、かつてレナの頭髪だった無数の蛇たちの目が充血して真っ赤に染まっていく。

 

 化け物と化したレナの全力疾走は、まるでメデューサを彷彿とさせるおぞましい姿とは裏腹に非常に俊敏であった。人間を遥かに超える瞬発力で瞬く間に加速した彼女は、相手が自分に向けている飛び道具を回避するために時折左右へと方向を変更しつつ、かつて自分が愛用していた短剣を腰の鞘から引き抜きながらラウラへと急迫する。

 

 いくら銃が遠距離から敵を射殺できる強力な代物とはいえ、真価を発揮できない状況も存在する。

 

 例えば室内での戦闘の場合、基本的に狭い空間での戦闘になるのは想像に難くない。このような場合に最適なのは射程距離や命中精度の高いライフルではなく、銃身が短くて扱いやすく、尚且つ連射速度が速くて弾数も多いSMG(サブマシンガン)やカービンか、散弾を発射するショットガンである。

 

 しかしラウラが装備するツァスタバM93は、命中精度と破壊力と射程距離を重視したアンチマテリアルライフル。室内戦に向いている装備とは真逆の装備と言える。

 

 いくら銃があれば異世界の敵を蹂躙できるとはいえ、本棚が乱立する書庫の中で、改造の影響で銃身の長さが約2mにも達する長大なアンチマテリアルライフルを使うのは無理がある。

 

 実際に銃を装備した敵を相手にしたことはなかったものの、レナは瞬時にその弱点を見切っていた。銃以外の武器だったとしても、このような狭い空間で長大な得物は不利になる。そのような得物が猛威を振るうのは、自由自在に振るうことができるスペースのある野外くらいだ。

 

 それゆえに、最初の一撃を躱して懐に飛び込む事さえできれば、あとは容易く殺せると判断したのだ。

 

(やっぱり馬鹿ね、あんな長い得物で挑むなんて)

 

 彼女がニヤリと笑った瞬間、ラウラが構えていた得物のマズルブレーキが煌き、T字型のマズルブレーキから1発の20mm弾が発射された。装甲車にすらダメージを与えられるほどの貫通力と殺傷力を持つ弾丸を喰らえば間違いなくレナも木っ端微塵である。轟音に一瞬だけ驚いてしまった彼女だが、すぐに右へとジャンプしてその一撃を躱すと、その近くにあった本棚を駆け上がってからジャンプした。

 

 彼女が駆け上がった本棚から埃が舞い上がり、大きな本棚が背後でぐらりと揺れる。

 

 やはり、最初の一撃を躱された後のラウラは無防備だった。今の一撃でレナの身体を消し飛んだと判断したのか、それともレナが躱したのをまだ知覚できていないのか、赤毛の狙撃手はタンジェントサイトの向こうを覗き込んだまま全く動かない。

 

(終わりよ!)

 

 右手に短剣を持ったまま、ラウラの右斜め上から襲い掛かるレナ。ここで彼女たちの前に立ちはだかる前に、自分を殺した憎たらしい赤毛の少女が人間ではないという事は耳にしていたため、キメラの持つ硬化についても既に知っている。

 

 オスのキメラとメスのキメラでは、体内に含まれている魔物の遺伝子の種類にもよるが、基本的にメスのキメラの方がオスよりも防御力が劣ると言われている。特にサラマンダーのメスは基本的に巣の中で卵や生まれたばかりの子供たちの世話に専念し、餌の確保や外敵の排除はオスに一任するという習性を持つため、子供たちの体を温める際に邪魔になる堅牢な外殻は殆ど退化している。

 

 そのメスのサラマンダーの遺伝子を持つという事は、ただでさえ防御力が低い傾向にあるメスのキメラの中でも、ラウラは特に防御力が低いという事だ。落下の勢いと強化された自分の腕力をフル活用すれば、外殻もろとも彼女の肉体を貫くことは容易いかもしれない。

 

(生きたままバラバラにしてやる……………! ふふふっ、そうしたらタクヤ君は喜んでくれるかな?)

 

 早くもラウラをバラバラにすることを考えながら、短剣をラウラに突き立てようとしたその時だった。

 

 背後で何かが跳ね返るような、金属音にも似た小さな音が一瞬だけ響いた直後、まるで全速力で走っていた馬車と激突したかのような凄まじい衝撃が彼女の背中を襲ったのである。

 

 ぐらりと彼女の身体が揺れ、ラウラの身体に真っ赤な鮮血が降りかかる。

 

(血!? だ、誰の…………ッ!?)

 

 空中で体勢を崩しながら混乱したレナであったが―――――――自分の腹の辺りから覗くピンク色の内臓と、その後方で本棚に激突して床へと転がっていった下半身を目にした瞬間、その血が誰の血だったのかを理解する羽目になった。

 

 そう、レナの血である。

 

 最初の一撃を躱された筈のラウラの攻撃が、レナの肉体をたった一撃で真っ二つにしてしまったのだ。

 

 すぐに下半身を再生させながら、レナはラウラを睨みつけた。レナの小さな肉片と鮮血まみれになった真っ黒なベレー帽をかぶるラウラは、最初の一撃を”背後から”喰らう羽目になったレナを見上げながら、冷笑していた。

 

「ば、バカなぁ…………ッ!?」

 

「ふふふっ♪」

 

(た、確かに躱した筈よ!? それにあの飛び道具、基本的に弾道は真っ直ぐ―――――――)

 

 引き裂かれた下半身を再生させながら、彼女ははっとした。

 

 確かに彼女に躱されたツァスタバM93から発射された銀の20mm弾は、そのまままっすぐに飛んで行った。しかし人体を容易く木っ端微塵にしてしまうほどの運動エネルギーを纏う弾丸ならば、壁に命中すればそれを貫通するか跳弾する筈である。

 

 今しがた後方から聞こえてきた小さな金属音を思い出したレナは、なぜ自分が下半身を引き千切られる羽目になったのか理解する。まるで剣と剣を一瞬だけこすり合わせたかのような甲高い音は、彼女が躱した弾丸が何度か跳弾を繰り返していた音だったのだ。

 

 ラウラは最初から、レナがこの一撃を回避することを予測していた。レナの実力は不明だが、得物が短剣という事は瞬発力に自信があるという事を意味する。槍や大剣どころか、一般的な鍛冶屋で販売されているロングソードよりもリーチが短いのだから、それを使いこなすには瞬発力が必要になる。

 

 しかも身体が化け物に変貌したことで、あらゆる身体能力が底上げされているのは明らかだ。だから近距離からの射撃でも回避してしまう可能性は高い。

 

 そこでラウラは、最初の一撃をあえて放つことにした。

 

 最初に命中させるためではなく、外れた弾丸の向こうにある遮蔽物や壁を利用して弾丸を何度か跳弾させ、人体を木っ端微塵にするために必要な運動エネルギーをかろうじて維持した状態で軌道を変えた弾丸を、レナに叩き込むためである。

 

 派手な装飾のついた壁や本棚に激突を繰り返した弾丸は、レナの背中へと食い込んだ頃には、弾丸というよりも”奇妙なスピンを続けながら飛翔する銀の礫(つぶて)”と化していたが、彼女の背中の皮膚と筋肉を貫き、背骨を粉砕して真っ二つにする運動エネルギーをまだ維持していた。

 

 しかも、装填していた弾丸は通常の弾丸と形状が異なる。少しでも跳弾しやすくなるように、通常の弾丸の先端部を削って丸い形状にした弾丸だ。

 

 ラウラがレナと一騎討ちを始める前にマガジンを交換したのは、通常の弾丸ではなくこちらの弾丸を使うためだったのである。

 

 素早く左手でボルトハンドルを引き、次の弾丸を発射する準備をする。排出された大型の薬莢が埃まみれの床の上に落下し、物騒な金属音を奏でた。

 

「こ、このぉっ…………ッ!」

 

「大丈夫? 血がいっぱい出てるわよ?」

 

「うるさいっ、今すぐ殺してやるぅッ!」

 

「あらあら、怖い。じゃあ隠れちゃおうかな♪」

 

 下半身の再生を終えて立ち上がろうとするレナに向かってそういったラウラは、微笑みながら後ろへと向かって小さくジャンプし―――――――姿を消した。

 

 ラウラが得意とする、氷の粒子を利用した疑似的な光学迷彩である。自分の身体の周囲に細かい氷の粒子を纏う事によって光を複雑に反射させ、まるでマジックミラーのように自分の姿を隠してしまうのだ。氷の生成には周囲の空気中の水分と微量の魔力を使用する必要があるものの、生成に必要な魔力は熟練の魔術師が本腰を入れて探さなければ察知できないほどの少量であり、仮に空気中の水分が少ない環境でも、何かしらの水分があれば代用できるのである。

 

 遠距離からの狙撃と組み合わせることにより、ラウラは今まで何度も高い戦果をあげている。

 

 いきなりラウラが姿を消したことに驚いたレナであったが、すぐに彼女は自分の頭から生えている無数の蛇たちが持つピット器官をフル活用し、この書庫の中で姿を消した怨敵を探し出そうとした。

 

 しかし―――――――ラウラが姿を消したのは数秒前だというのに、どの蛇も彼女の体温を全く探知できないのである。

 

(嘘でしょ…………どうして!?)

 

 驚愕しながら蛇たちに探知を続けさせるが、やはりラウラは見つからない。

 

 ラウラの氷を利用した疑似的な光学迷彩は、氷を利用したものだ。無数の氷の粒子を纏っているため、ピット器官のように体温を探し出そうとしても、彼女の纏う氷の粒子がラウラの体温を周囲の温度と全く同じ温度にまで冷却してしまうため、ピット器官での発見は事実上不可能なのである。

 

 そして、2発目の20mm弾が、今度はレナの右足を穿った。

 

「あああああああッ!!」

 

 千切れ飛んだ右足の断面を両腕で押さえながら再び床に崩れ落ちるレナ。ガチン、とボルトハンドルを引く音と、ライフルから排出された大きな薬莢が落下する音が書庫の中に響き渡るが、その音を活用してラウラのいる場所を特定しようとは思えなかった。

 

 音で敵の居場所を判断できるような冷静さは、とっくに激痛によって喰らいつくされていたのである。

 

 もし仮に一番最初に被弾せず、右足を捥ぎ取られるような重傷を負っていなかったのならば、今のボルトハンドルを引く音と薬莢の音を頼りにしてラウラを探し出していた事だろう。

 

 しかし、もうレナの冷静さは粉々になっていた。

 

 このまま、テンプル騎士団の誇る最強の狙撃手に嬲り殺しにされるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3発目の弾丸を放つ準備を終えてから、ラウラはタンジェントサイトを覗き込んだ。普通ならばスコープを装着する必要のある得物だが、ラウラの場合はスコープを取り付けると逆に照準を合わせにくくなってしまうため、タクヤが彼女のために取り外してくれたのだ。

 

 狙撃では百発百中が当たり前のラウラだが、スコープをつけてしまうと50m程度の距離からの狙撃で全ての弾丸を外してしまうほど命中精度が一気に落ちてしまうのである。

 

 照準器を覗き込んで得物を構え、照準を合わせようとしたその時だった。

 

 彼女の目の前に、何の前触れもなく深紅の線が浮かび上がったのである。銃口からひたすら前方へと伸びていくその深紅の線は銃口の向きに合わせて角度を変え、最終的に右足を再生させているレナに行きついている。

 

 そしてその線の”終着点”には、そこまでの距離が深紅の文字で表示されていた。

 

 これが、ラウラの発動した『精密演算(クロックワーク)』である。発動するとあらゆる武器の弾道や予測着弾地点だけでなく、距離がこのように彼女の視界にのみ表示されるのだ。自分が狙った標的との距離をレンジファインダーを必要とせずに見切り、更に自分がこれから放つ弾丸の弾道すら瞬時に理解できる能力。それがラウラの発動した能力であり、幼少期の頃から少しずつ開花しつつあった能力の”終着点”であった。

 

 彼女がスコープを使用すると「見辛い」と文句を言うのは、この能力が発動しかけていたからではない。それはあくまでもドラゴン並みの視力を持つ彼女の目が勝手に標的を視認するためにちょっとした変異を起こして”最適化”しているだけだ。それゆえにスコープを覗き込むと、すぐ目の前にある小石をわざわざ超遠距離狙撃用のスコープで覗き込んだかのように、必要以上にズームされてしまうのである。

 

 しかも更にこのような弾道や距離まで重なるのだから、彼女にスコープやレンジファインダーは不要なのだ。

 

 更に、精密演算(クロックワーク)が”表示”してくれるのは弾道だけではない。

 

「!」

 

 唐突に、銃口から伸びる弾道の予測コース以外に黄色い線が彼女の視界に表示される。それはまるで弾丸のように一直線に飛翔し、最終的にラウラの左脇腹へと行きつくと、即座にその傍らに小さな黄色い数字が表示され、そのままカウントダウンを始めた。

 

 はっとしたラウラは狙撃を注視し、即座に左へとジャンプする。

 

 次の瞬間、ラウラに置き去りにされた黄色い線の終着点に、猛烈な魔力を秘めた闇属性の矢が飛来してきて、その後方にあった大きな本棚をあっさりと貫通してしまった。もし回避していなかったならば、間違いなくあの闇属性の魔力で形成された矢に串刺しにされていた事だろう。メスのキメラの防御力は、非常に低いのである。

 

 今の黄色い線は、敵の攻撃の弾道と予測着弾地点を意味している。予測着弾地点が特定されると即座に着弾までのカウントダウンが始まり、敵の攻撃の襲来を主であるラウラに伝えてくれるのだ。

 

 彼女が発動した精密演算(クロックワーク)は、自分の攻撃の弾道だけでなく、敵の攻撃の弾道や軌道まで視界に表示してしまうのである。簡単に言うならば、”ちょっとした未来予知”だ。

 

 先ほどボルトハンドルを引いた際の音を察知されたのだと、ラウラは瞬時に察した。片足を弾丸に捥ぎ取られたレナにボルトハンドルを引く音でこちらの位置を察知する余裕はないだろうと高を括り、そこから移動せずに狙撃を続行しようとしたのがあだとなったのである。

 

 レナはもう既に、片足の再生を終えていた。右足の断面はすっかり筋肉に覆われ、真っ白な皮膚に包み込まれている。その傍らにはレナがまだ人間だった頃にラウラが切断した時の古傷が残っていた。

 

 そしてレナは―――――――回避した際のラウラの足音で、更に彼女の居場所を察知する。

 

「そこね!?」

 

 彼女が左手を突き出すと、その前方に小さな3つの紫色の魔法陣が瞬時に展開された。複雑な記号や古代文字で形成された3つの魔法陣は回転を始めると、その中心部から3本の漆黒の矢を生成し始める。

 

「串刺しにしてやるわ! ダークネスニードル!」

 

 先ほどラウラが隠れていた場所を狙撃した際に使用した闇属性の矢が、今度は3本同時に放たれる。ダークネスニードルは闇属性の魔術の中でも習得が容易な魔術であり、多用する魔術師も多いポピュラーな魔術だ。弾速が速く射程距離もそれなりに長いため、先制攻撃や牽制に使用する者は多い。

 

 弾速は銃弾よりもやや遅い程度だろう。

 

 しかしその弾道や弾着するタイミングも、精密演算(クロックワーク)を発動したラウラはもう既に見切っていた。彼女の視界に投影されている3本の黄色い線と、着弾までのカウントダウン。その予測着弾地点から遠ざかるようにさらにジャンプしたラウラは、氷の粒子を使った光学迷彩を解除して走り出した。

 

 ラウラが姿を現したことに気付いたレナが、更に3本の闇属性の矢を飛ばしてくる。そのうちの1本は落下する途中のラウラの背中を貫く弾道であったが、彼女はすぐにキメラの尻尾を伸ばすと、最寄りの本棚へと引っ掛けて自分の落下するコースを変えることで、その一撃を回避する。

 

(そろそろ勝負を決めるべきね)

 

 一刻も早くレナを倒し、タクヤたちを追わなければならない。

 

 しかし、このまま狙撃で嬲り殺しにすれば時間がかかってしまう。だから確実に仕留めるために聖水と銀の弾丸で攻撃を仕掛ける必要があるのだが、レナが身につけた凄まじい瞬発力ならば、そのどちらかを回避するのは容易いだろう。

 

 だからまず、動きを止めなければならない。

 

 そのための手段は、もう思いついていた。

 

 本棚と本棚の間を走り回りながら、ラウラは体内の魔力を加圧しつつ、そのまま体外へと放出を始めた。生まれた時から彼女の体内にはエリスから受け継いだ大量の魔力が備わっており、しかもあらかじめ氷属性に変換済みであるため、氷属性の魔術ならば詠唱せずに即座に発動することができるのだ。

 

 しかし、魔法陣を介せずに体外へと排出された魔力は、フィオナ機関を稼働させる際以外には何の役にも立たない。ラウラのように氷属性に変換済みである場合は、ただの冷気にしかならないのだ。

 

 しかも、加圧した魔力である。それゆえに魔力の反応での探知もより容易になるため、ラウラが得意とする隠密行動からの狙撃や奇襲ができなくなってしまう。自分で自分の利点を殺すような愚策としか言いようがない。

 

 だが―――――――そんな愚策を実行している張本人は、そのことをしっかりと理解していた。

 

 ちらりと巨大な扉を一瞥し、それが閉じられていることを確認してからラウラはニヤリと笑う。

 

(よし、扉は閉まってるわね)

 

 突破した際にちゃんとタクヤが扉を閉めてくれたことに感謝しつつ、彼女は本棚の間を走り続ける。

 

 もしかしたらタクヤは、あの時点でラウラがどんな作戦を使ってレナを倒すつもりなのかを察していたのかもしれない。幼少の頃から常に一緒に過ごしてきた腹違いの弟は、口調や仕草だけでラウラが何を考えているのかを察してしまう。だから彼女の考えていることを察するのは当たり前なのだ。

 

「きゃはははははっ! 何? そのまま逃げ続けて、仲間が助けに来てくれるのを待つ気!?」

 

 背後からレナが追いかけてくる。ラウラのスピードは今ではタクヤとほぼ同等であるため、レナが彼女に追いついてくるのは想定外だったが、ラウラの作戦はそれだけでは狂わない。

 

 舌打ちしながら左手を腰のホルダーへと伸ばし、メスを引き抜く。冒険者が魔物を討伐した際に、その魔物の内臓を確実に摘出するために持ち歩く一般的なメスだ。この世界では医療が治療魔術の出現で廃れているため、メスの用途は手術ではなく、魔物からの内臓や骨の摘出なのである。

 

 それゆえに、メスを持ち歩く冒険者も多い。

 

 ラウラはメスを3本引き抜くと、走ったまま背後を一瞥して照準を合わせ、追いかけてくるレナに向かってそのメスを一気に投擲する。精密演算(クロックワーク)が表示してくれた弾道では、そのうちの2本が命中することになっていたが、背後からカキン、と金属同士がぶつかり合う音を聞いた彼女は、レナが短剣でメスを弾き飛ばしたのだという事を瞬時に理解した。

 

 あくまで、今のは牽制である。

 

「いいわよ、別に。鬼ごっこだったら付き合ってあげるわ! こう見えてもスタミナには自信があるのよ!」

 

(スタミナだったら私も自信あるわよ)

 

 幼少の頃から当たり前のように近所の高い工場の倉庫へと昇り、森の中で重いライフルを背負いながら家族と狩りを楽しんで育ってきた彼女にとっては、少なくとも基礎体力のための訓練は全て”遊びの一つ”と認識していた。

 

 鍛え上げられた騎士団の騎士でも数分で音をあげてしまうほどの回数の腕立て伏せやスクワットを簡単にこなし、呼吸を整えている父に向かって笑いながら「ねえねえ、次は何して遊ぶの?」と尋ね、モリガンの傭兵たちを驚愕させた回数は少なくないのである。

 

 幼い頃からそのような訓練をひたすら続けているため、全力疾走を続けるラウラの呼吸は未だに乱れていない。

 

 背後からいくつも黄色い線が伸びてくる。彼女の身体を掠めるものは無視し、自分の身体を貫く黄色い線のみを警戒して身体を逸らす。あくまでもこれは彼女の視界にのみ投影されているため、レナには全く見えていないのだ。

 

 立て続けにレナが投げナイフを投擲してくるが、全く当たらない。彼女が置き去りにした本棚に突き刺さるか、ラウラの身体を掠めて本棚の分厚い本に突き刺さるだけである。

 

「ほら、逃げるだけ!? 私を殺すんじゃないの!?」

 

 背後から追いかけてくるレナが先ほどから何度も叫ぶが―――――――明らかに、ラウラとレナの距離は開きつつある。しかしラウラは走る速さを調節したつもりはない。このちょっとした鬼ごっこが開幕した瞬間からずっと同じペースである。

 

 正確に言うならば、レナが遅くなっているのだ。

 

(そろそろかしら)

 

 自分自身の持つスタミナも膨大だが、母親から受け継いだ魔力の量も膨大である。走りながら常に高圧の魔力を放出し続けていたラウラは、自分自身の体内に残された魔力の残量と、徐々に遅くなっていくレナのスピードからそろそろ決着がつく頃だろうと予測を始める。

 

 レナも自分自身のスピードが落ち始めていることに気付いたらしい。何とかラウラに追いつこうと足掻き続けるが、やがて全力疾走というよりはランニング中のような速度にまで低下し、最終的に立ち止まってしまう。

 

 ラウラが放出する高圧の氷属性の魔力によってすっかり冷却された書庫の中は、真冬というよりは雪原や雪山に足を踏み入れたかのように冷却されていた。よく見てみると、本棚や派手な装飾のついたカウンターの一部はうっすらと白くなっており、口や鼻から吐き出す息も真っ白になっている。

 

 走るのをやめ、ゆっくりと後ろを振り返るラウラ。未だに発動中だった精密演算(クロックワーク)が瞬時にレナの悪足掻きを見切り、ラウラの視界にダークネスニードルの弾道を表示する。

 

 まるで幼い子供が精いっぱい投げたボールを躱すかのようにあっさりと回避したラウラは、突き出した右手を元の位置に戻すどころか、指すら動かせなくなってしまった哀れな少女へとゆっくりと近づきながら、右手でわざとらしくホルスターからPL-14を引き抜いた。

 

 一流の職人によって作られた石の床を彼女のブーツが踏みしめる度、かつん、と静かな足音が書庫の中に反響する。

 

 それは一歩ずつ、罪人の首を切り落とすための恐ろしい処刑人が近づいている事を告げる足音だ。手枷と足枷をつけられた罪人は、その処刑人が自分の命を絶つまで、動くことは許されない。

 

「ねえ、レナちゃん。”変温動物”って知ってるよね?」

 

「な、なによ…………?」

 

 左肩に担いでいたツァスタバM93を近くの本棚に立てかけてから、ラウラはレナの頭から生えている蛇にそっと触れた。怨敵であるラウラに触れられた蛇は彼女の指に噛みつこうとするが、やはり動きはすっかり鈍くなっており、愛撫しながらでも容易く避けられるほどだ。

 

「密室ってわけじゃないみたいだけど、私の冷気で冷却された部屋の中にいれば、蛇って動けなくなっちゃうもんね♪」

 

「ま、まさか、お前…………ッ!?」

 

「そういうこと。正解だよ、レナちゃん」

 

 一番最初にスモークの中でタクヤが正確な攻撃を受けたことを察知したラウラは、彼が部屋の外へと脱出した時点でレナの身体にピット器官があるのではないかという仮説を立てていた。そのピット器官があるならば、同じく変温動物の特徴も持ち合わせている可能性が高いと判断したのである。

 

 もし仮にその仮説が外れていた場合は自力で聖水と銀の弾丸を同時に叩き込むつもりだったが、仮説が当たってくれたおかげで、その作戦が日の目を見ることはないだろう。

 

 だからラウラは、わざわざ氷属性の魔力を冷気にして放出しつつ走り回り、書庫の中を冷却し続けていたのである。

 

 そのまま氷属性の魔術で応戦しようとすれば、魔力の反応で察知される恐れがある上に、レナの瞬発力で回避されてしまう可能性がある。だから確実に仕留めるために、ラウラはこうやって冷却することで彼女を動けなくさせる作戦を選択したのだ。

 

 引き抜いたPL-14をレナの眉間へと突き付ける。今の彼女では、このハンドガンを払い除ける事すら不可能だ。

 

 そしてもう片方の手でポーチの中から聖水の入った瓶を取り出すと、中に入っている聖水まで凍結していないことを確認してから―――――――それを、レナの頭に垂らし始めた。

 

 冷気に包まれたレナの頭に流れ落ちた聖水は、普通の人間の皮膚に付着した水のように表面を濡らすのではなく―――――――まるで強力な酸性の液体のように、加熱されたフライパンに水の雫を垂らしたかのような音を立て始めたと思うと、そのまま彼女の頭から生えている蛇とレナの頭皮を溶かし始めた。

 

「ああ――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! や、やめっ……ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 吸血鬼や一部の魔物にとって、聖水は強酸性の液体と同じである。触れれば瞬時に肉や骨が溶けてしまうため、彼らは銀で作られた矢や剣よりもこちらの方を恐れるという。

 

 吸血鬼だけでなく一部の魔物にも効果があるという事を、ラウラは幼少の頃にタクヤから教えられていた。レナは魔物に分類するべきなのか、それとも吸血鬼に分類するべきなのかは不明だが、銀の弾丸が効果があったという事は聖水も効果があったという事だ。

 

 遠慮せずに聖水の瓶の中身を全てレナの頭にぶちまけると、彼女の頭から流れ落ちる雫が段々と紅くなり始めた。湯気にも似た煙を上げながら肉を溶かし、骨を剥き出しにしていく。

 

 胴体を溶かされた小さな蛇の頭が床へと落下し、彼女の頭から垂れた深紅の雫が、レナの頬や肩を溶かして白い煙を上げながら床へと流れ落ちていく。

 

「こ、殺してやるッ! タクヤ君を縛るメス豚めぇッ!!」

 

「酷いわねぇ。私、太らないように気を付けてるのに………。あ、それと私のことバカにしたら、あの子間違いなく激昂するわよ?」

 

「黙れぇッ! お前がタクヤ君をダメにしたんだッ! お前みたいなメス豚さえいなければ、タクヤ君はもっとまともな子に育ってたわ!!」

 

「――――――ああ、そう」

 

 微笑んだまま、ラウラは彼女の額に突き付けていたPL-14を太腿へと向け、トリガーを引いた。

 

 スライドがブローバックし、薬莢を吐き出す。その薬莢に包まれていた筈の弾丸はレナの太腿を貫き、風穴を開けていた。先ほどは傷口を再生させていたレナだが、この傷口は再生する気配がない。

 

 聖水と銀の2つで同時に攻撃されているため、再生能力が大幅に弱体化しているのだ。

 

「ぎゃあああああああああッ!!」

 

「レナちゃん。”次の機会”のために忠告しておくわ」

 

 溶けかけの彼女の頭を掴み、再び額にハンドガンを押し付けるラウラ。彼女を睨みつけるレナを見つめながら、赤毛の美少女は告げた。

 

「まず、男を振り回すようなわがままな子はダメよ。すぐ男に避けられるから」

 

「………ッ!」

 

「それと、他の女の男は無理矢理奪おうとしない事ね。今みたいな結果に行きつくからやめなさい」

 

 レナから憎悪がどんどん消えていく。再生能力が機能しなくなった状態では、額に銀の弾丸を撃ち込まれるだけで彼女は確実に絶命する。便利な能力で希釈していた”死”が、一気に解放されてしまったのだ。

 

 おそらく数秒後には命乞いを始めるだろうと予想したラウラは、用意していた最後の警告を告げる前にため息をついた。

 

 殺される直前までラウラを憎み続けていたのならば、怒りを感じることはなかっただろう。しかし再生能力を無効化されて銃を突き付けられただけで憎悪が消えたという事は、彼女の憎悪は少なくとも”死”よりもはるかに軽いという事を意味している。

 

 こんな女がタクヤを奪おうとしていたことが、許せない。

 

 こんな女がタクヤを殺そうとしたことが、許せない。

 

 だから、許すつもりはない。

 

「あと、最後の警告よ」

 

「ま、待ってよ! 私は―――――――」

 

「――――――可愛いタクヤ(私たちのダーリン)に、手を出すな」

 

 レナが命乞いを始めるよりも先にそう告げたラウラは、聖水で頭が溶けかけていたレナの眉間に押し付けていたPL-14のトリガーを容赦なく引いた。

 

 銀の9mm弾が、怪物と化した少女の眉間を容易く貫く。がくん、と溶けかけていたレナの頭が大きく揺れ、溶けた肉片や鮮血を後方にぶちまけたかと思うと、もうその風穴を塞ぐことすらできなくなった化け物の死体が後ろへと崩れ落ち、冷たい書庫の床の上を真っ赤に染めた。

 

 落下していく小さな薬莢が奏でる小さな金属音を聞いたラウラは、PL-14をホルスターに戻してから踵を返し、本棚に立てかけておいたアンチマテリアルライフルを拾い上げてから、タクヤたちを追い始めたのだった。

 

 




久々に大人びてる方のラウラを本格的に書いたような気がします(笑)


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キメラと吸血鬼の邂逅

 

 

 ホワイト・クロックと呼ばれる巨大な白い時計塔は、帝都サン・クヴァントの象徴である。ヴリシア帝国が建国されたばかりの頃に国内の一流の技術者たちが作り上げた純白の時計塔は、21年前にモリガンの傭兵とレリエル・クロフォードが激突した際に倒壊するまで、一度も破壊されたことはなかった。

 

 復元されたホワイト・クロックも、今のところは倒壊を免れている。周囲の建物が本格的な爆撃で木っ端微塵に倒壊し、降り積もった雪の下で瓦礫の大地を形成しているのに対し、純白の時計塔は灰を含んだ雪でほんの少しばかり黒ずんでいる程度だ。

 

 今のホワイト・クロックは、帝都の象徴である時計塔というよりは、このヴリシアの戦いで散っていった両軍の兵士たちのために建てられた慰霊碑のようにも見える。

 

 その巨大な時計塔の下層部は、火の海と化していた。

 

 その火の海を生み出しているのは兵士たちの放つライフル弾やグレネード弾。時折外で待機している戦車たちが滑腔砲から砲弾を放ち、敵兵たちを粉々にしていく。

 

 刀身に聖水を塗ったバスタードソードで近くにいる吸血鬼の兵士を真っ二つに両断したエミリアは、頭上から何度も響いてくる振動を感じながらちらりと天井を見上げた。この時計塔が倒壊し、復元される前までは観光客たちが長蛇の列を形成していたホワイト・クロックの1階は戦場と化しており、至る所に敵兵や味方の兵士の死体が転がっている。腹に弾丸を撃ち込まれて動けなくなった兵士が味方たちに引きずられて後退していき、こちらの放った弾丸で片腕を吹き飛ばされた吸血鬼の兵士がのたうち回る。

 

 今までに何度も見てきた、地獄だ。

 

 このような地獄の最前線で得物を振るい、仲間たちを鼓舞しながら帰り血まみれになって戦う男の姿は―――――――今はない。

 

 彼がいるのは最上階。吸血鬼の女王であるアリアと対決するために、リディアと共にヘリで最上階へと直接向かったため、ここにリキヤはいないのだ。先ほどから何度も響いてくるあの振動は、最上階で魔王と吸血鬼の女王が激突している音に違いない。

 

 左手に持ったクリス・ヴェクターのフルオート射撃で敵兵を薙ぎ倒しながら、エミリアは更に吸血鬼の兵士たちへと肉薄していく。いきなりバスタードソードを構えながら突っ込んできた女性を目の当たりにした吸血鬼の兵士たちは、いきなり時代遅れとなりつつある剣で攻撃を仕掛けてきた女性に驚いているらしく、目を見開いていた。

 

 この世界ではいまだに剣は現役で、スチームライフルへの更新が進みつつあるオルトバルカ王国騎士団でもいまだに現役の装備として用いられている。しかし、少なくとも現代兵器同士の戦闘では、ただの時代遅れの鉄の塊にすぎない。

 

 相手に接近し、思い切り振り下ろさなければ敵を殺せないのだ。それに対し銃はそもそも接近する必要がないし、照準を合わせてトリガーを引くだけでいい。弾がなくなれば一気に戦闘力は下がってしまうが、こちらの方がはるかにメリットが多いのである。

 

 それゆえに、銃を持つ相手に剣で挑むのはあまりにも非合理的で不利な戦いと言えた。

 

 銃を多用するモリガンの傭兵の1人でありながら、未だにエミリアが剣を手放さないのは、かつて騎士団の1人として戦っていた頃のこだわりである。非合理的としか言いようのない理由だが、彼女にとっては毎朝欠かさずに続けてきた剣の素振りや実戦で身につけた剣術の技術を、剣を捨てて銃を選ぶことによって捨てるわけにはいかなかったのだ。

 

 剣がやがて廃れ、飛び道具が主役になる時代がやって来ることは理解している。だからこそエミリアは、少しばかりそれに逆らってやろうとしたのかもしれない。

 

 バスタードソードを目の前の兵士に突き刺し、そのまま前進。腹を聖水を塗った剣で貫かれた吸血鬼の兵士は絶叫しながらもがくが、身体能力で劣る筈の人間であるエミリアの突進を食い止めることはできなかった。

 

 その兵士を盾にしながら前進したエミリアは、剣の柄から左手を離し、腰のホルダーからクリス・ヴェクターを引き抜く。照準を合わせずにそのまま発砲して弾丸をばら撒きつつ、盾にしていた吸血鬼の兵士を蹴り飛ばした彼女は、まだ刀身に聖水が残っていることを確認してから右へとジャンプした。

 

 まだ刀身に残っている聖水で、付着した吸血鬼の血が煙を上げながら消えていく。

 

「前進!」

 

 味方に向かって叫びつつ、先ほどの連射で空になってしまったクリス・ヴェクターのマガジンを取り外す。予備のマガジンを装着してコッキングレバーを引き、再装填(リロード)を終えた彼女の後方から、AK-12を手にした味方の兵士たちが追い付いてくる。

 

 それを確認したエミリアも、隠れていた石柱の影から飛び出した。先ほどから時代遅れの剣で何人もの吸血鬼を屠っていたため、さすがに敵も警戒し始めたのか、飛び出したばかりのエミリアを先ほどよりも濃密な弾幕が出迎える。

 

 しかしエミリアはそれをものともせずに走りつつ、懐から聖水の入った対吸血鬼手榴弾を取り出すと、被弾するのではないかと思えるほど近くを弾丸が掠めていくにも拘らず、それの安全ピンを引き抜いてから吸血鬼たちへと投げつけていた。

 

 手榴弾が炸裂し、破片や爆風と共に聖水をまき散らす。獰猛な衝撃波に押し出された聖水は水の刃と化し、周囲にいた哀れな吸血鬼たちの肉体を切り裂くと、その傷口から更に彼らの身体を溶かしていった。

 

「あああああああああッ!」

 

 爆風で片足を吹き飛ばされた吸血鬼の兵士が、絶叫しながらのたうち回る。彼を後方へと連れていく筈の味方の兵士も同じく聖水で身体を溶かされる激痛に苦しめられており、身動きが取れない状態だった。

 

 そこに、エミリアの姉であるエリスが率いる歩兵部隊が突撃していく。

 

 姉というよりは、エリスはホムンクルスであるエミリアのオリジナルである。エミリアはほんの少しばかり魔術による調整を受けているため若干容姿が異なる部分はあるが、基本的にこの2人はほぼ同一人物と言ってもいい。

 

 それゆえに、思考は似ている部分が多い。特に戦闘中に、エミリアが敵の隙を作ればエリスはすかさず突撃して、エミリアの思惑通りに大暴れしてくれる。逆にエミリアも、エリスが突撃しやすい状況を作ってくれればすかさず前に出て敵の傷口を広げ、彼女を支援するようにしている。

 

 突撃したエリスが、聖水を塗ったハルバードで次々に吸血鬼を切り裂いていく。斧の部分を思い切り床に叩きつけて一気に2人の吸血鬼を葬ったかと思いきや、そのまま先端部の槍を突き出して目の前の吸血鬼の頭を串刺しにすると、それを引き抜くと同時に、まるでハルバードを思い切り放り投げようとしているかのように回転して、何人もの吸血鬼をハルバードで両断していく。

 

 そしてエリスが攻撃を終えたのを見計らい、今度はエミリアも前進。エリスが両断した吸血鬼の死体を踏みつけながら跳躍し、天井を蹴ってから一気に急降下。まるで急降下爆撃機が爆撃で敵を撃破するかのように急降下したエミリアは、その勢いを乗せた剣戟でアサルトライフルもろとも吸血鬼を両断すると、崩れ落ちる直前の吸血鬼の死体にタックル。後ろにいた吸血鬼の体勢を崩してから、剣の切っ先を床にこすりつけつつ急迫する。

 

 床を掠めた切っ先から火花が散った。

 

「うっ…………!」

 

 吸血鬼がエミリアにG36Cを向けるが―――――――その指へと脳が発した”トリガーを引け”という命令が届くことはなかった。脳からの命令を指が受諾するよりも先に、エミリアが振り払った剣の刀身が兵士の腕にめり込み、命令を伝達する筈だった神経もろとも両断していたからである。

 

 床を掠めた状態から右斜め上へと振り上げられた一撃が吸血鬼の右腕を両断し、吸血鬼の頬に浅い切り傷を刻み付ける。その兵士は目を見開きながらも左手をホルスターに突っ込み、エミリアに一矢報いようとしたようだが、彼女と思考が似通っている”姉”がそんなことを許すわけがない。

 

 次の瞬間、エミリアの後方で吸血鬼を蹂躙していたエリスが、その吸血鬼の顔面へと思い切りハルバードを投擲した。聖水を塗られているハルバードは吸血鬼たちの返り血を消滅させる際に発生する白い煙を発しながら飛来すると、雄叫びを上げようとしていた吸血鬼の口の中へと飛び込み、そのまま上顎から上を捥ぎ取ってしまった。

 

 鮮血を噴き上げながら崩れ落ちていく吸血鬼。エミリアはエリスが投擲したハルバードを彼女に投げ返すと、礼を言ってから近くへと接近してきた吸血鬼を斬りつける。

 

「じゃあ、あとでダーリンと3人でイチャイチャしましょっ♪」

 

「はははっ、悪くないな」

 

 それは実現できそうだと思いながら、エミリアは兵士たちを率いて前へと進む。

 

 ホワイト・クロックの守備隊は最早総崩れだ。女王は現在リキヤと一騎討ちの真っ最中であるため身動きが取れない。そのため吸血鬼の兵士たちは、女王に指揮を執ってもらうことができないのだ。

 

 代わりに幹部クラスの吸血鬼が指揮を執っているのだろう。ある程度士気は下がってしまうが、少なくとも部隊が戦意を失うことはない。

 

 最早連合軍と吸血鬼たちの戦力差は比べ物にならなかった。第一軍だけでも3000人の歩兵がいるが、敵の歩兵の数は間違いなく500人を下回る。しかも中にはフィオナが意気揚々とばら撒いた異世界版パンジャンドラムの爆風で負傷したのか、身体に包帯を巻いた負傷兵の姿も見受けられる。血まみれの包帯を身体に巻き付け、銃を持つ手を痙攣させながら必死に抵抗する兵士を目にする度に情けをかけたくなってしまうが、モリガンの傭兵の1人としてそれは許されない。こちらに銃を向けている以上は、確実に葬らなければならないのだ。

 

 たとえその敵が、負傷兵であっても。

 

 頭に包帯を巻いた吸血鬼の身体をクリス・ヴェクターで撃ち抜きながら、エミリアは目を細めた。

 

 今しがた撃ち抜いた吸血鬼は随分と若い姿だった。吸血鬼の寿命は人間よりもはるかに長く、ある程度成長すれば老化も停滞するため長い間若い容姿が維持されるため、容姿で彼らの年齢を予測するのは難しい。しかし今倒した兵士の容姿は、もし人間であったのならば自分の子供たちくらいの年齢であったに違いない。

 

 歯を食いしばりながら軽く頭を振り、心の中から染み出し始めた情けを捨て去る。そのような感情は、この戦場では何の役にも立たない。

 

『て、撤退! 上の階に撤退だ!』

 

『負傷者はどうする!?』

 

『放っておけ! このまま留まっていたら全滅するぞ!』

 

(ふん、負傷者は放置か…………)

 

 この世界の公用語はオルトバルカ語という事になっているが、吸血鬼たちの母語はあくまでもヴリシア語である。そのため、エミリアはこの侵攻作戦が立案された時から少しばかりヴリシア語の勉強をしていた。

 

 敵の言葉を理解できれば、役に立つかもしれないと考えたのである。

 

 さすがに全てを聞き取ることはできなかったが、理解できた単語と敵の動きで、”負傷兵を置き去りにして撤退しようとしている”という事は理解できた。

 

 モリガン・カンパニーやテンプル騎士団では、絶対にやらない事である。どちらも敵には絶対に容赦をすることはないが、味方を置き去りにすることはない。例え敵の猛攻が続いているとしても、負傷した仲間は絶対に連れ帰る。

 

 味方を置き去りにして撤退していく敵に呆れていたその時だった。

 

 逃げ去っていく敵兵たちの向こうから、ゆっくりとこちらにやって来る人影が見えたのである。その人影も負傷兵を放置して去っていく吸血鬼たちに呆れているらしく、彼とぶつかりそうになった吸血鬼を一瞥してからため息をついていた。

 

 おそらくその人物も吸血鬼なのだろう。真っ黒なスーツと真っ赤なネクタイを身につけており、左目には片眼鏡をつけている。

 

(あいつは…………)

 

 徐々に近づいてくる吸血鬼の顔を睨みつけていたエミリアは、はっとした。

 

 撤退していく味方に呆れながらやってきた1人の吸血鬼は、以前に単独でリキヤを暗殺するために劇場へと潜入してきた吸血鬼の顔と同じだったのである。最終的にリキヤがあっさりと撃退してしまったものの、彼らの”プライドが高い”という気質を利用して激昂させようとしても怒りを抑え込んで冷静さを保ったらしく、リキヤは「あいつに心理戦を挑むのは骨が折れそうだ」と評していた吸血鬼だ。

 

 あの時とは明らかに威圧感が違う。遥かに格上の魔王を倒すために鍛錬を続けてきたのか、それともあの時は暗殺のために抑え込んでいたのか、今のあの吸血鬼は身に纏う威圧感の格が違う。本当にただの眷属なのかと思ってしまうほどである。

 

 その吸血鬼は広間までやってくると、近くで呻き声を上げていた負傷兵にエリクサーの入った瓶を静かに渡すと、後ろにある通路の入り口をちらりと見てからエミリアを睨みつけた。

 

「――――――久しぶりだな、魔王の妻」

 

 他の吸血鬼たちのようにヴリシア語で話すのではなく、流暢なオルトバルカ語だった。まだ少しだけヴリシア語特有の訛りが残っているものの、はっきりと聞き取れる発音である。

 

 どうやら向こうもエミリアの事を覚えていたらしい。

 

「ああ、久しぶりだ。傷は癒えたか?」

 

「もちろん。まあ、もし仮に癒えていなかったとしても私はここに立ったさ。――――――お前たちを止めるために」

 

 微笑みながらそう言った吸血鬼は、先ほどエリクサーを渡した部下たちがよろつきながらも後ろの通路へと逃げ始めたのを一瞥してから息を吐いた。

 

 エミリアはすぐに、この吸血鬼は他の吸血鬼と比べ物にならないほど手強い相手だという事を理解する。発する威圧感は当然ながら他の吸血鬼とは比べ物にならないが、彼の鋭すぎる眼つきが今まで何度も死闘を経験し、その経験を元に鍛錬を続け、自分の実力を磨き続けてきた男なのだという事を主張している。

 

 吸血鬼としてのプライドを持っているが、必要以上に威張らない。そのプライドを自分の失態で汚さないように、常に己を高め続ける。冷静沈着でストイックな、稀に見る尊敬できるタイプの吸血鬼である。

 

 このような戦士は人間であっても少ないだろう。そういう部分は、夫であるリキヤに似ている。

 

 目の前に立ちはだかった吸血鬼を睨みつけながら、エミリアはこの男と一騎討ちがしてみたいと思い始めた。自分も昔から鍛錬を続け、今まで死闘を何度も経験してきた傭兵である。彼らのような再生能力は持っていないが、鍛錬を続けてきた技術はどちらが上なのか、少しばかり勝負してみたい。

 

 ちらりと後ろを見てみると、エリスは苦笑いしながら肩をすくめていた。姉はエミリアが何を考えているのかもう見切ったらしく、後続の部隊に「あの吸血鬼はエミリアちゃんに任せて、私たちは上に行くわよ」と指示を出している。

 

 静かにバスタードソードの切っ先を吸血鬼へと向けると、その吸血鬼も懐からナイフを取り出した。典型的な吸血鬼であるならば必要以上に装飾のついた派手な武器を好む傾向にあるが、この男はそういう部分でもストイックなのか、彼が取り出したナイフは特に装飾がついていない実用性を重視した小型のナイフだった。

 

 バスタードソードに小さなナイフで挑むつもりなのかと、高を括るつもりはない。相手はそのような得物で生き延びているのだから、それの扱いに精通している。侮ってはならないのだ。

 

「――――――貴様の名は?」

 

「『ヴィクトル・ヨーゼフ・フォン・イシュトヴァーン』だ。お見知りおきを」

 

「分かった」

 

 ヴィクトルがニヤリと笑うと同時に、エミリアも笑った。

 

「――――――――――――エミリア・ハヤカワ、推して参る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 書庫を突破し、少数の兵士が警備していた通路を通り過ぎた先に広がっていたのは、他の部屋や通路よりも派手な装飾や真っ赤なカーペットが埋め尽くす、広大な空間だった。

 

 けれども何度も目にしてきた広い部屋とは明らかに違う。入り口の反対側には、やたらと派手な装飾のついたでっかい椅子が鎮座していて、綺麗な石の床をまるで通路のように覆っている真っ赤なカーペットは最終的にその椅子へと行きついていた。

 

 椅子の周囲には2段か3段くらいの階段のようなちょっとした段差があって、そこに座る物は周囲にいる者たちとはくらいが違うのだという事を強調している。巨大な金塊の中から削り出して作ったようにも見えるその椅子は、この帝国を治める皇帝が腰を下ろすための椅子である。

 

 オルトバルカ王国大使館からの避難勧告によって、戦闘が始まるよりも前に皇帝や貴族たちは退去してしまったため、ここにはもう吸血鬼以外は誰もいない筈だ。

 

 だから俺は、その豪華な椅子の上に腰を下ろして俺とノエルを見下ろす黒髪の少年に、容赦なくPP-19Bizonを向けていた。

 

 俺と同じく全体的にすらりとしているが、少女のような容姿をしているというわけではないし、男にしては華奢というわけでもない。むしろすらりとした身体にスマートな筋肉を上手く詰め込んだような体格をしているのが分かる。

 

 前髪の一部のみが金髪で、それ以外は黒髪という変わった色の髪が特徴的な少年は、皇帝が座る筈の椅子の上に腰を下ろし、自分がこの帝国を統べる男だと言わんばかりにこちらを見下ろしている。銃を向けられているというのに怯える様子はないし、むしろこれから自分に牙を剥こうとしている俺たちを嘲笑っているようにも見えてしまう。

 

 腹の立つ少年だが、それほど威張れるほどの実力も兼ね備えているという事は理解できた。

 

「よくここまで来たものだ。2人だけか?」

 

「お前は何者だ? 吸血鬼だよな?」

 

「ふん…………無礼だな。王子に対する礼儀作法すら習わなかったのか?」

 

 習ったっつーの。

 

 ちょっとばかりキレながら、俺は幼少の頃に何度も親父が招待された貴族のパーティーやお茶会にラウラと一緒に同行させられた時の事を思い出していた。おかげでそれなりに貴族と接する時のマナーは身につけたつもりだが、はっきり言うとあの経験は苦痛でしかない。

 

 無礼がないように注意しながら、延々と貴族の自慢話を聞かされるのである。もちろん途中でトイレに行くのは無礼なので我慢しなければならない。

 

 さすがにラウラが家に帰ってから「もう行きたくない」って親父に泣きついた時は、さすがの魔王も次からは俺たちを連れていくことはなくなったが、あの時は辛かった。

 

 だからそういうマナーを知らないわけではない。こんな傲慢な奴にちゃんとしたマナーで接する理由がないだけだ。

 

「名を名乗れ、侵入者」

 

「やかましい、撃つぞ」

 

「ふん…………」

 

 ため息をついたその少年は派手な椅子の上からゆっくりと立ち上がると――――――椅子の後ろに隠していたのか、漆黒のブルパップ式アサルトライフルを取り出した。

 

 少年が手にしているライフルは、イスラエルで開発された『TAR-21タボール』らしい。銃身が短くて軽いため扱い易いのが特徴で、使用する弾薬も命中精度が高い上に反動も小さめの5.56mm弾。魔物を相手にするならば威力不足だけど、対人戦ならば十分な殺傷力を誇る弾薬だ。アメリカのM16や日本の自衛隊が採用している89式自動小銃だけでなく、ドイツのG36などでも使用する弾薬である。

 

 扱い易い上に信頼性も高いため、タボールはブルパップ式アサルトライフルの中でも最強クラスのアサルトライフルと言える。

 

 吸血鬼の少年が手にしているタボールには、どうやら火力の底上げのためにグレネードランチャーが装着されているらしい。照準はチューブタイプのドットサイトのみで、ブースターらしきものは見受けられない。銃口の右側にはライトらしきものが装備されている。

 

「―――――――俺の名は『ブラド・ドラクル・クロフォード』。レリエル・クロフォードの息子だ」

 

「なっ…………!?」

 

 レリエル・クロフォードは伝説の吸血鬼だ。かつて一度だけこの世界を支配した吸血鬼の王であり、21年前にはこの帝都でモリガンの傭兵と死闘を繰り広げた男である。最終的に親父によって討伐されたが、討伐に成功した親父も満身創痍だったという。

 

 今でもマンガや演劇の題材にされるからよく耳にする。特に子供向けの絵本で悪役を演じるのはちょっとした定番になりつつある。

 

 そのレリエル・クロフォードに、子供がいるという話は今まで聞いたことがない。

 

 嘘だという可能性もあるが、もし仮に本当にレリエルの息子だったのならば―――――――俺やラウラのように、父親からあらゆる才能を引き継いでいたとしてもおかしくはない。

 

「…………ははははっ」

 

 面白いじゃないか。

 

 魔王(リキヤ)の息子の相手が、伝説の吸血鬼(レリエル)の息子なのだから…………!

 

 



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親友の憎悪

 

 

 漆黒の制服に身を包み、同じく漆黒のターバンを頭に巻いた兵士の1人が崩れ落ちた。腹の辺りは彼の血で真っ赤になっており、そのほぼ中心には人差し指を突っ込めそうなくらいの大きさの穴が開いている。

 

 敵の銃弾に撃たれたのだと理解した頃には、そのテンプル騎士団の兵士は石の床の上に崩れ落ちていた。敵が放つ銃弾が石の床に命中して跳弾を繰り返し、彼の身体の近くを掠めていくのをものともせず、歯を食いしばりながら手放してしまった自分のAK-12へと手を伸ばす。

 

 しかし、あんな状態で戦闘が継続できるわけがない。すかさず数名の兵士が物陰から飛び出して、味方のLMGの射手に援護してもらいながら、その被弾した兵士を物陰へと引っ張っていく。

 

 無事に倒れたピアノの影まで連れ込まれたムジャヒディンのメンバーだった兵士は、味方の治療魔術師(ヒーラー)からの治療を受けているところだった。幸い、5.56mm弾の殺傷力は7.62mm弾と比べると劣る。治療さえ終われば、すぐにあの兵士も復帰してくれるだろう。

 

 安堵しながら、俺は目の前に積み上げられている残骸のバリケードの隅からMP5Kを突き出し、フルオート射撃をぶっ放した。銀の9mm弾は敵が隠れているバリケードの一部を軽く抉った程度だったが、身を乗り出して射撃しようとしていた吸血鬼たちの出鼻を挫くことはできた筈だ。

 

 タクヤとラウラとノエルの3人が無事に敵部隊を突破してくれた後、強力な味方がいなくなってしまったせいでこちらの進撃が停滞するのではないかと危惧していたが―――――――むしろ、彼らが強引に突破してくれたことで敵が混乱し、一時的にだが隙だらけになったのである。相変わらずちょっとした消耗戦になりつつあるが、俺たちはじりじりと進みつつあった。

 

「チッ、弾切れだ!」

 

「ケーター、これ使いなさい!」

 

 戦車の中に持ち込んでいたMP5Kのために用意したマガジンを全て使い果たしてしまった俺は、腰のホルスターからハンドガンを引き抜いて応戦しようとしたが、それよりも先にクランが自分のマガジンを俺に渡してくれた。

 

 遠慮なくそれを使わせてもらいつつ、彼女に礼を言う。

 

「ありがとよ!」

 

「ふふっ。未来の夫に死なれたら困るのよ♪」

 

 俺もだよ、クラン。未来の妻に死なれたら困る。

 

 だから俺も、全力でお前を守る!

 

 コッキングレバーを引いてから、素早く腰に下げていた手榴弾を取り出す。対吸血鬼用の聖水が入った手榴弾を取り出してから安全ピンを引き抜き、それを思い切り敵のバリケードの向こうへと放り投げる。

 

 様々なサイズの弾丸が駆け回る室内の中を、その弾丸たちと比べればはるかに緩やかに回転しながら、マイペースな手榴弾が飛んで行く。やがてバリケードの縁にバウンドしたその手榴弾はまるで滑り台で遊ぶ子供のようにバリケードの向こうへと滑り落ちていくと、かつん、と石の床に落下する音で、敵兵に手榴弾の襲来を宣告する。

 

 敵兵がヴリシア語で警告を発するよりも先に――――――手榴弾が炸裂し、数名の兵士が衝撃波と聖水に身体を破壊される羽目になった。

 

 聖水を浴びて身体を溶かされている吸血鬼が、身体中から真っ白な煙を噴き上げながら、まるで火達磨になった人間のようにごろごろと床の上を転がる。すでに胸板や顔の皮膚は溶けて筋肉がむき出しになり、かなりグロテスクな姿になっていた。今まで経験した戦闘では様々な状態の死体を見てきたけど、皮膚を溶かされて筋肉を剥き出しにされた死体は見たことがない。

 

 一瞬だけ目を瞑ってから、そいつの頭に銀の9mm弾を撃ち込む。もう既に筋肉まで溶かされ、頭蓋骨の一部と思われる白い何かがむき出しになりかけていたその吸血鬼の兵士は、頭に風穴を開けられると動かなくなった。

 

「GO! GO!」

 

 今の手榴弾で敵兵が転げ回っているうちに、俺はクランを連れてバリケードを乗り越えた。後方にいる敵兵がG36をセミオートに切り替えて俺たちを狙撃してきたが、俺から見て左側に見えるバリケードの上で、円卓の騎士の1人であるステラがバイポットを展開したRPK-12のフルオート射撃をぶっ放し、すぐにその敵兵たちを黙らせてしまう。

 

 更に彼女の傍らにいるイリナがサイガ12Kを連射し、生き残った敵兵を吹き飛ばしていく。彼女のショットガンは散弾ではなく、フラグ12と呼ばれる炸裂弾を連射できるようにタクヤが改造したらしく、着弾する度に対吸血鬼用の聖水を含んだ爆風を生み出している。

 

 相変わらずイリナは爆発する武器を好んで使っているようだが、接近戦はどうするつもりなのだろうか。

 

 けれども、あの理不尽な爆発で援護してもらえるのは頼もしい。ありがたく利用させてもらうとしよう。

 

 突っ走りながらMP5Kのセレクターレバーをセミオートに切り替え、バリケードの影から頭を出した敵兵を的確に撃ち抜いていく。タンプル搭の地下にある訓練施設で何度もこのような室内戦の訓練を繰り返していたからなのか、俺は屋外での戦いよりもこのような場所での戦いの方が得意だ。

 

 さすがにタクヤみたいな反応速度で対応することはできないが、俺も反応速度には自信がある。シュタージは基本的に舞台裏で行動することが多い部隊だが、このような戦いに投入されることもあるから、射撃訓練を始めとする戦闘訓練は欠かせないのである。

 

「うおっ!?」

 

「木村ぁ!」

 

 手榴弾の爆発で混乱していた敵が段々と反撃を再開し始めたため、そろそろ物陰に隠れるべきだろうと思って近くに落下していたでっかいシャンデリアの影に滑り込んだ直後だった。

 

 俺の後ろを付いて来ていた木村の胸元に――――――1発の5.56mm弾弾が、飛び込んだのである。

 

 ぞっとした。前世の世界で生きていた頃から仲の良かった大切な友人が、もしかしたらこんなところで死ぬ羽目になるんじゃないかと思った瞬間、周囲で轟いている銃声が全てかき消されてしまったような気がした。

 

 だが―――――――前世からタフだった木村は胸を撃たれた激痛を堪えると、何事もなかったかのように俺の隣へと滑り込み、呼吸を整え始めた。いつも着用しているガスマスクの下からは脂汗と血が混じった雫が零れ落ち、フィルターから漏れ出る呼吸が彼が感じている激痛がどれだけ強烈なのかを訴えかけている。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

「だ、大丈夫…………死にませんよ、こんなところで」

 

 素早くポーチの中からエリクサーを取り出し、容器の蓋を強引に取り外してからガスマスクを一旦外して一気に中の液体を飲み干す木村。やがて吸血鬼が傷口を再生するかのように彼の胸元の風穴が塞がっていき、そこから流れ出ていた血痕だけが置き去りにされる。

 

 彼らの持つ再生能力を再現したかのような効果を持つエリクサーで傷口を塞いだ木村は、ポケットの中から端末を取り出すと、「少し待ってくださいね」と言いながら素早く画面をタッチし始めた。

 

 やがて、彼の背中に燃料タンクのようなものが3つも出現したかと思うと―――――――そのタンクから伸びるホースの先に、バイポッドが装着された銃身を持つ銃が姿を現す。

 

 木村が新たに装備した武器は、ソ連で開発された『LPO-50』と呼ばれる火炎放射器だった。第二次世界大戦後に開発されたものであるため、火炎放射器の中では新しい代物である。

 

 とはいえ、火炎放射器が猛威を振るったのは第一次世界大戦と第二次世界大戦である。現代でも使用されることはあるが、当時のように火炎放射器を装備した兵士が敵に向かって使用することは殆どない。

 

「私が炎で敵の動きを止めます。その隙に前進を」

 

「はははっ、いいぞ。丸焼きにしてやれ」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 吸血鬼は彼らの弱点で攻撃されない限り、死ぬことはない。けれども痛覚はしっかりあるらしく、弱点で攻撃されたわけではなくても激痛で苦しむ羽目になる。だから聖水と同じように火炎放射器の炎をぶちまけられれば、先ほどと同じように火達磨になりながらのたうち回る羽目になるという事だ。

 

 木村は火炎瓶もいくつか生産して腰のホルダーに吊るすと、ガスマスクをかぶったまま呼吸を整え――――――シャンデリアの影から飛び出すと同時に、火炎放射器のトリガーを押した!

 

 第二次世界大戦で活躍した火炎放射器と比べると、”銃”に近い形状のすらりとした銃身から勢い良く炎が吹き上がる。まるで太陽の表面を貫いて姿を現したフレアのような炎の奔流は、無数の火の粉と陽炎を生み出しながら敵の潜むバリケードを飲み込むと、木材ばかりを積み上げていたバリケードを瞬く間に火達磨にし、その周囲に隠れていた吸血鬼たちまで包み込む。

 

 程なく敵の銃声が絶叫に変わり、一気に敵の弾幕が薄くなる。

 

 燃え上がるバリケードの周囲では、やはり火炎放射器で火達磨にされた吸血鬼たちが絶叫しながらのたうち回っているところだった。皮膚と制服はすっかり真っ黒になっており、まるで吸血鬼と言うよりは焼死体が泣き叫びながらのたうち回っているように見える。原形を留めている部位など全く見受けられず、炎に包まれている敵兵は全員真っ黒だった。

 

 火薬の臭いが、肉の焼ける臭いに変わる。

 

 銃弾で撃たれて倒れる味方。たった1人の兵士が放つ火炎に焼かれて、火達磨にされる敵兵。

 

 俺たちが今まで経験してきた戦場と、何も変わっていない。相手が人間ではなくて吸血鬼であったとしても、そこで殺し合いが行われることに変わりはない。

 

 かつて前世の世界に存在した”平和な日本”での日常は、とっくに風化して非日常と化した。今は―――――――少なくとも、こうやって敵と殺し合いを繰り広げる方が”日常”だ。

 

 目の前に死体があって、その向こうに敵兵の生き残りがいる。彼らは味方の仇を討つために俺たちに武器を向けていて、俺たちの話す言語とは違う言語で怒声を発しながら、俺たちを殺そうとする。

 

 だから俺も、殺すことにした。

 

 死にたくないから。

 

 仲間を死なせたくないから。

 

 死ぬなら、歳をとってお爺さんになって死にたいから。

 

 できるならば、子供や孫たちに看取られて死にたい。だからそれを実現するまで、死ぬわけにはいかない。

 

「弾薬は足りてる!?」

 

「ナタリアか!」

 

 シャンデリアの影から木村を援護していると、敵が火炎放射器を持つ木村を狙っている隙をついたのか、ナタリアがシャンデリアの影に滑り込んできた。脇には弾薬がたっぷりと入った箱を抱えており、俺が近くに置いておいたMP5Kの空になったマガジンを拾い上げた彼女は、素早くクリップを使ってそれに新しい弾薬を装填し始める。

 

「すまん、助かる!」

 

「どういたしまして!」

 

 木村が火炎放射器から放つ炎はバリケードを飲み込み、壁へと燃え移りつつあった。

 

 このままじゃ宮殿が火事になるんじゃないだろうかと思いながら、俺は苦笑いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11年前、魔王と吸血鬼の王が死闘を繰り広げた。

 

 数多くの死闘を経験し、次々に強敵を倒して進化していった怪物の王と、かつて一度だけこの世界を支配し、伝説の大天使と死闘を繰り広げた吸血鬼の王。急速に成長した2人の”王”が、ついに激突したのである。

 

 けれどもその激突は、人知れずに行われ―――――――魔王(怪物の王)が勝利した。

 

 世界の運命を決めてしまうほどの重大な決戦が行われ、それに親父が勝利していたのを知ったのは、その決戦が終わってから一週間くらいしてからだった。

 

 そう、俺の親父は―――――――あのレリエル・クロフォードを単独で討伐してしまったのである。

 

 あらゆるおとぎ話や絵本の題材にされ、悪役として登場して子供たちを震え上がらせるレリエル・クロフォード。最後は大天使や伝説の勇者が現れて、彼を封印したり倒して世界を平和にするのがお約束だ。

 

 そのような物語を目にする度に、実際にレリエルと戦った親父はいつも悲しそうな顔をしていた。そしていつも小さな声で、「あいつはこんな男じゃない」と嘆いていたのを今でも覚えている。

 

 俺は実際にあったことはないが―――――――親父の話では、本当に気高い吸血鬼だったという。

 

 サキュバスがステラを残して絶滅し、人類を脅かす恐ろしい種族が吸血鬼のみになった途端、サキュバスの殲滅のために手を組んでいた人類と吸血鬼の同盟関係はすぐに破棄された。第二次世界大戦で枢軸国を打倒するために手を組んだアメリカとソ連が、戦争が終わった瞬間にすぐに敵対したように。

 

 そして、かつてサキュバスたちが煮え湯を飲まされてきたように、今度は吸血鬼たちが虐げられ始めた。世界中で濡れ衣を着せられた吸血鬼たちが人間たちに狩られ、女や子供は連れ去られて奴隷にされたのだ。

 

 虐げられていた吸血鬼たちを救うために立ち上がったのが、吸血鬼たちの中でも強力な吸血鬼の一族であったクロフォード家。当時の当主だったレリエル・クロフォードは武闘派の吸血鬼たちをまとめて人類に反旗を翻し、ついには逆に人類を虐げられるほどにまで形勢を逆転させる。

 

 最終的には人類の絶滅を防ぐために送り込まれた大天使によって封印され、吸血鬼たちは各地で狩られる羽目になったが―――――――現代でも、彼らにとってレリエル・クロフォードは英雄なのである。

 

 俺たちの目の前にいるのは、そのレリエル・クロフォードの息子だ。

 

「ッ!」

 

 咄嗟に硬化して、外殻でタボールの5.56mm弾を弾き飛ばす。外殻に命中した5.56mm弾はまるで戦車に弾かれた弾丸のようにあっさりと跳弾すると、甲高い音を奏でながらどこかへと飛んで行く。

 

 5.56mm弾どころか7.62mm弾でも、俺の外殻を貫通することは不可能だ。その気になれば30mm弾も防げるみたいだが、さすがに戦車砲から放たれるAPFSDSは防ぎ切れない。戦車の複合装甲すら貫通する砲弾が直撃すれば、いくらキメラでも一撃で木っ端微塵である。

 

 俺もPP-19Bizonを構え、スパイラルマガジンの中の9mm弾をばら撒く。照準器を覗き込んで照準を合わせてから射撃したつもりだったが、ブラドは俺は射撃するタイミングを既に読んでいたのか、ドットサイトを覗き込んでトリガーを引く頃にはもう既に銃口の前にはいなかった。吸血鬼の誇る驚異的な瞬発力と脚力をフル活用し、俺の目の前から姿を消したのだ。

 

 残りのスパイラルマガジンの数を気にしつつ、一旦射撃を中断して後ろへとジャンプする。その直後、頭上から降り注いだ5.56mm弾の雨が深紅のカーペットを穴だらけにする。

 

 一瞬でジャンプし、空中から反撃してきた…………!?

 

 メウンサルバ遺跡やシベリスブルク山脈で戦った、あのやかましい吸血鬼とは明らかに格が違う。あいつは自分の再生能力を頼りにしていたのか攻撃を全く回避しなかったが、こいつは自分の再生能力を最初からあてにしていない。

 

 相手の攻撃は回避し、攻撃している隙にカウンターで反撃する。そしてこちらが隙を見せれば徹底的に攻撃を叩き込む。圧倒的なスピードと驚異的な攻撃力を生かした、攻撃に特化した”本来の吸血鬼の戦い方”だ。

 

 親父の話では、本当に手強い吸血鬼は自分の再生能力をあてにしないという。

 

「どうした? それでも魔王の息子か?」

 

「くそったれ…………ッ!」

 

 久しぶりだな、こういう強敵と戦うのは………ッ!

 

 俺が先ほど硬化で弾丸を弾いていたのを見てキメラだと気付いたのか、彼の猛攻に圧倒されている俺をブラドが嘲笑う。

 

 タボールのマガジンが空になったらしいが、ブラドはまだ再装填(リロード)をするつもりがないらしい。イスラエル製のブルパップ式アサルトライフルを背中に背負うと、右手でナイフを引き抜きつつ、左手で腰のホルスターからコルトM1911A1を引き抜く。

 

 あのナイフは、おそらくアメリカ軍で採用されている『M9バヨネット』だろう。M4やM16に銃剣として装着することもできるすらりとしたナイフだ。

 

 俺もPP-19Bizonでブラドを射殺するのを諦め、ナイフとハンドガンで応戦することにした。得物を背中に背負ってPL-14とテルミットナイフを引き抜き、急迫してくるブラドを真正面から迎え撃つ。

 

 ナイフのサイズはこちらの方が上だ。それに、対吸血鬼用に銀の粉末を刀身の内部に仕込んでおり場合によっては黒色火薬で相手にぶちまけることが可能だ。だから殺傷力ではこちらの方が上だが、刀身が長い上に分厚いという事は、スピードで劣るという事である。

 

 それに対して、ブラドのナイフはアメリカ軍が使用するM9バヨネット。こちらよりもすらりとしている上に軽量で扱い易い代物だ。吸血鬼の誇るスピードと攻撃力をフル活用するために選んだのだろう。

 

 白兵戦でも、少しばかり不利かもしれない。

 

 ブラドは身体を少しだけ右に倒すと、右斜め下から左上へと体重を乗せつつナイフを振り上げてきた。得物が軽量だからなのかもしれないが、母さんの剣劇よりも速い気がする。

 

 上半身を後ろに倒して回避しつつ、左手に持ったPL-14をブラドへと向ける。ナイフで反撃してくるだろうと予測していたのか、ブラドはぎょっとしながら回避しようとしたが―――――――上半身を倒そうとして足掻き始めた事には、もう既にマズルフラッシュに押し出された弾丸が、ブラドの眉間を食い破っていた。

 

 がくん、と頭を後ろへ揺らしながら崩れ落ちていくブラド。すると崩れ落ちていく途中で再生を終えたのか、頭を撃ち抜かれた筈のブラドは両足を使って踏ん張り、そのまま起き上がると、至近距離でコルトM1911A1をぶっ放しやがった。

 

「!」

 

「お兄ちゃんッ!」

 

 右腕が、弾丸に突き飛ばされる。

 

 外殻が皮膚を覆うよりも先に着弾したコルト・ガバメントの.45ACP弾は猛烈な運動エネルギーを俺の右腕に叩き込むと、皮膚を食い破って筋肉へと突き刺さり、そのまま動かなくなる。

 

 レベルを上げてステータスも強化された筈だったが、皮膚を貫通するほどの威力か…………!

 

 やはり、あまり転生者のステータスはあてにしない方が良さそうだ。こいつに銃を与えた奴はかなりレベルの高い転生者らしい。

 

「…………これで1回ずつだな」

 

「ああ…………」

 

 まだ右腕に突き刺さっている.45ACP弾を引き抜いてから、辛うじてテルミットナイフを握り続けている右腕に何度か力を込める。筋肉に弾丸がめり込んでいたんだが、何とか指には力が入るし、大きな支障はなさそうだ。

 

 あいつは1回殺した。だが、あいつはそれだけでは死なない。

 

 複数の弱点で攻撃しなければ、強力な吸血鬼は死なないのだ。

 

「―――――――タクヤっ!」

 

「ラウラ!?」

 

 エリクサーで回復するべきだろうかと思いながらブラドを睨みつけていると、後方の巨大な扉の方からラウラの声が聞こえてきた。もうレナを片付けて合流したのだろうか。

 

 彼女にレナの相手を任せてから10分くらいしか経過していないというのに、もうレナを倒したのか? びっくりしながら扉の方を振り向くと、やはり黒いベレー帽をかぶった赤毛の少女が、俺の得物よりもはるかに巨大なボルトアクション式のアンチマテリアルライフルを構え、早くもブラドへと照準を合わせているところだった。

 

「ふん、スナイパーか」

 

「その通りッ!」

 

 20mm弾がT字型のマズルブレーキがついた銃口から放たれ、ブラドへと向かっていく。ラウラの狙撃はいつも正確で、百発百中が当たり前だったが―――――――ブラドは身体を捻りつつ左へとジャンプしてラウラの狙撃を回避すると、空中でコルト・ガバメントのトリガーを引いて連続射撃。ラウラに.45ACP弾を叩き込もうとする。

 

 ラウラはボルトハンドルを引きながら右へとダッシュ。そしてジャンプして弾丸を回避しながら空中で銃身の長いアンチマテリアルライフルを操り、ブラドを再び狙撃する。

 

 普通の兵士ならば、アンチマテリアルライフルはバイポットを使って狙撃するが、ジャンプしながら狙撃できるのはおそらくキメラの兵士くらいだろう。しかもそんな撃ち方で命中させられるのは、間違いなくラウラだけだ。

 

 案の定、今度の一撃はジャンプ中だったブラドの左足を太腿から捥ぎ取った。彼の太腿に大穴が開いたと思うと、その風穴が徐々に広がっていき、最終的に太腿から下が千切れ飛ぶ。

 

 ざまあみろ。

 

「ラウラ、さすがにそれじゃ不利だ。こっちを」

 

 狙撃を終えて俺の近くにやってきたラウラに、PPK-12を渡そうと思ってメニュー画面を開いたその時だった。

 

 ラウラの狙撃で左足を捥ぎ取られ、傷口を再生させていたブラドが、俺が開いた蒼いメニュー画面を直視したまま凍り付いたのである。今まで俺たちの事を嘲笑っていた吸血鬼の王子の表情が変わり――――――徐々に、どす黒い憎悪が滲みだす。

 

 そんな憎悪を剥き出しにするなら、もっと早く剥き出しにしていてもいい筈だ。俺はあいつの父親を殺した男の息子なのだから。

 

 なのに、どうして今更剥き出しにする…………?

 

「その能力…………はっはっはっはっはっ…………。そうか…………よりにもよって、お前が”実験体2号(ツヴァイ)”だったか…………!」

 

「ツヴァイ…………?」

 

 何のことだ? ツヴァイ?

 

 どういう意味だ?

 

 すると、左足の再生を終えたブラドは笑いながらゆっくりと立ち上がり――――――左手を目の前に突き出した。魔術をぶちかますつもりなのかもしれないと思って身構えると、彼の目の前に魔法陣の代わりに、深紅のメニュー画面が姿を現す。

 

 そう、色以外は俺と全く同じデザインの、あらゆる能力や武器を生産できる便利なメニュー画面。

 

 端末を持つ転生者ではなく―――――――生まれた時から、その能力を身につけている俺と同じタイプの転生者………!

 

 バカな!? こいつも転生者なのか!?

 

「知ってるだろ? 俺と同じタイプの転生者なら………!」

 

「どういうこと…………?」

 

 ラウラがそう言いながらこっちを振り向いた瞬間、俺は凍り付いた。

 

 俺が前世の世界で死亡し、この世界で生まれ変わった転生者だと知っているのは今のところ親父のみ。俺がタクヤ・ハヤカワとして生まれ変わった転生者だという事は、エリスさんや母さんどころかラウラさえも知らない。

 

 同じタイプの転生者と遭遇してしまったせいで、暴かれてしまうのだ。

 

 俺が、転生者だという事が。

 

 もっと早く言っておけばよかった。拒絶されるのは怖かったけれど、もっと早い段階で告白して認めてもらえばよかった。

 

 すまない、ラウラ。

 

 そうだよ、俺は転生者だ。今まで狩り続けてきたクソ野郎共と同じ転生者なんだよ。

 

 俺はずっと、最愛のお姉ちゃんを騙していたのだ。

 

「お前が実験体2号(ツヴァイ)って事は―――――――お前の前世は、水無月永人(ビッグセブン)だな?」

 

「!?」

 

 そのニックネームを聞いた瞬間、俺はぞっとした。

 

 ブラドが言ったニックネームは、前世の世界で死亡した水無月永人の愛称だ。しかも俺をそのニックネームで呼んでいた男は、1人しかいない。

 

 確かにそいつも、俺と一緒に死んだ。修学旅行に向かう途中に起きた飛行機事故で、クラスメイト達と一緒に死んだのだ。俺と同じ事故が原因で死亡したのだから、彼もこの世界で生まれ変わっている可能性もある。

 

 けれども、どうして俺に憎悪を向ける?

 

 俺は何もしてないぞ…………?

 

 友達だったじゃないか…………!

 

 姉を騙していた罪と―――――――前世の世界で死んだはずの、親友の憎悪。

 

 その2つを突き付けられながら―――――――俺は、俺に憎悪を向ける親友の名を呼んだ。

 

「――――――――なんでだよ、弘人(ひろと)ッ!!」

 

 

 

 



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弟の正体

 

 

 前世の世界で、俺は小さい頃から父親に虐げられていた。

 

 母さんは病気にかかってしまい、俺が高校に入学する前に他界。そのため俺は、すぐに暴力を振るうようなクソ親父と2人で済む羽目になった。

 

 夕食が遅れただけでも殴られるし、あいつが嫌いなメニューを作って食卓に並べておくとそれを皿後と放り投げられる。もちろんそれの後始末も俺の仕事で、サボれば当たり前のように殴られる。最悪の場合は何もしていなくても殴られることがあるのだ。正直言うと、俺はあの男を何度も殺してやろうと思ったし、自殺してしまおうと思ったこともある。

 

 母さんが死んでからは、必死に働いた母さんが残してくれた金と、俺がバイトで稼いだ金で何とか生計を立てている状態だった。散々暴力を振るい、母さんにこれでもかというほどストレスや傷を刻み付けたクソ親父はその金で酒を買っていつも家で飲んでばかりだった。仕事はせずに、あんな野郎が母さんと俺が稼いだ金で酒を飲んでいるのを見ているだけで、猛烈な殺意が産声を上げる。

 

 だから俺は、あの家が嫌いだった。学校に行っている時間が一番落ち着くことができる時間だったんだ。

 

 それに、学校に行けば仲のいい友達と会える。

 

 その1人が、『葉月弘人(はづきひろと)』だ。

 

 中学校の頃から同じクラスになっている親友で、俺をミリオタにした張本人。好きな武器や兵器の話になると、東側の兵器が好きな俺とはいつもちょっとした論戦が始まってしまう。弘人の奴は東側ではなく、西側の兵器が好きなのだ。特にドイツとイスラエルの兵器が大好きらしい。

 

 こいつとそういう話をしている時間が一番楽しい。家事が忙しい上にストレスのせいで、家ではゲームをしたり、アニメを見る余裕もない。けれども学校にいる時間は家にいるよりもはるかに自由だった。みんなが嫌う難しい数学の授業や、長い話がひたすら続くような他の授業でも、俺にとっては天国だった。

 

 家で俺が暴行を受けている話を真面目に聞いてくれるのも、あいつだけだった。

 

 弘人のおかげで、俺はあのクソ親父の暴行に耐えることができたのかもしれない。

 

 だからあいつはただの親友ではない。俺を助けてくれた命の恩人なのだ。

 

 なのに―――――――どうして彼に憎悪を向けられなければいけないのか。

 

 俺の話を真面目に聞いてくれた親友に、どうして銃口を向けられなければならない…………!?

 

 無意識のうちに呼吸が荒くなる。今まで全く感じなかった冷たさが両足に掴みかかり、そのままじりじりと這い上がってくるような錯覚を感じる中で、俺はなぜ彼に憎まれているのか必死に考え始めた。前世で何か失礼なことをしてしまったのか? それとも、知らず知らずのうちにこっちの世界であいつに辛い思いをさせてしまった?

 

 必死に考えたけど、殆ど思い当たる節はない。雪山であいつの同胞を殺した事や、この戦いで彼の同胞を多く葬ったことが原因なのかもしれない。

 

 ぶるぶると震えそうになりながら、何とか対話しようと足掻く。

 

 もしかしたら、彼とはこれ以上殺し合わずに済むかもしれない。そう信じながら、俺はこっちにタボールを向ける弘人(ブラド)に言った。

 

「ど、どうして…………なんで俺を憎む…………!? …………と、友達だったじゃないか………ッ!」

 

「友達? ―――――――――ああ、そうだなぁ。懐かしい思い出だ」

 

 ドットサイトを覗き込みながらニヤリと笑うブラド。けれども彼の憎悪は全く消えておらず、むしろより純粋な憎悪がより噴き出したような感じがしてしまう。

 

 どす黒い憎悪がより純粋になっていき、”殺意”に進化する。憎しみの終着点だ。憎しみの中からそれを妨げる感情を全て取り出して濾過を繰り返すことで、憎悪は殺意に早変わりするのである。

 

「…………タクヤ、転生者って…………どういうことなの?」

 

 ブラドへと銃口を向けていたラウラが、目を見開きながら問い詰めてくる。

 

 今まで俺は、この世界で生まれ変わった転生者ではなく、あくまでも”転生者の子供”という事になっていた。さすがに生まれた赤ん坊の正体が前世の世界で死んだ転生者で、この世界に転生したという事を菅さんたちに告げればとんでもないことになるだろうと判断した親父が、最愛の妻たちや愛娘にすら隠しておいてくれたのである。

 

 けれども、いつかはラウラたちに打ち明けるつもりだった。俺はタクヤという名前を両親からつけてもらったけれど、俺の本当の名前は水無月永人(みなづきながと)なのだと。

 

 この世界の人間ではないのだという事を、いつかは告げるつもりだった。

 

 でも、今まで告げることはできなかった。

 

 拒絶されるのが怖かったんだ。

 

 ゆっくりと彼女の方を見ると、ラウラは目を見開きながら俺の顔をずっと見つめていた。彼女はきっと否定してほしいと思っているに違いない。俺はあくまでも転生者ではなく、転生者の子供なのだと。

 

 この能力は親父からの遺伝なのだと言い張り、ブラドが言ったことが嘘だという事を証明してほしいと思っているのだ。

 

「ビッグセブン。お前、まさか仲間に自分が転生者だってことを教えてなかったのか?」

 

「う、嘘よ! お兄ちゃんが転生者だなんて! …………だ、だって、端末を持ってないんだよ!?」

 

 ノエルも俺が転生者だという事が信じられなかったのか、ブラドに向かって叫んだ。しかしブラドは俺への憎悪を維持したまま嘲笑いつつ、肩をすくめてからため息をついた。

 

「―――――――俺だって端末を持っていない。”第二世代型の転生者”は、端末を必要としないんだ」

 

「第二世代型…………!?」

 

 どういうことだ? 第二世代型の転生者…………?

 

 一般的に、転生者は前世の世界で死亡した際の年齢に関係なく、巨以西的に17歳まで若返った状態でこの世界へと転生してくるという。その際にポケットの中には何者かから与えられた端末が入っており、それについての簡単な使い方の説明を受けてからこの世界へと放り出されるのだ。

 

 それは俺も同じだった。説明を受けてから、実際に能力を有効活用できるようになるまでは時間がかかってしまったけれど。

 

 俺以外の転生者は全員そうだ。便利な端末を与えられて、それを様々な目的に使っている。悪用する者もいるし、それを全く使わずに真面目に生きようとしている者もいる。前者のようなクソ野郎を狩るために武装する親父や俺たちのような転生者もいるのだ。

 

 能力はある程度は共通しているが、それ以外の大半が違う。まず、俺はこの世界に転生した時の姿は赤ん坊だった。母であるエミリア・ハヤカワが産んだ子供として、俺はこの世界へと生まれ変わったのである。

 

 それに対し、通常の転生者は17歳に若返った状態で転生する。異世界に放り出される段階から全く違うのだ。

 

 もしかして、そういうタイプの転生者が”第二世代”なのか?

 

「俺たちは次世代型転生者の実験体(モルモット)。いわゆる”試作型(プロトタイプ)”さ」

 

「プロトタイプ…………?」

 

「なんだ、お前は輪廻の奴から何も聞いていないのか?」

 

 輪廻って誰だ…………?

 

 それに、俺と弘人(ブラド)が次世代型転生者の試作型だと!?

 

「何者なんだ、輪廻って」

 

 ブラドに問いかけたが、ブラドは俺の質問には答えてくれなかった。すべて説明するのが面倒になったのか、肩をすくめてからタボールのセレクターレバーを3点バーストに切り替える。

 

「なあ、ビッグセブン。いい加減仲間に教えてやれよ。お前の正体が魔王の息子じゃなくて、前世で虐待を受けてた転生者だってことをよぉ!」

 

「ッ!」

 

 信じたくない。

 

 あんなに優しくて、いつも俺を助けてくれた親友が―――――――こんなに俺を憎むなんて。

 

 悪夢としか言いようがない状況だった。そしてその悪夢が俺の中の思い出を全て喰らい付くし、更にもう1つの悪夢を生み出そうとしている。今まで経験してきた思い出を全て粉砕し、俺の心を容易く追ってしまいかねないほどの強大な悪夢を。

 

 絶望しながら、俺はもう一度ラウラの方を見た。

 

「なんで…………黙ってたの…………?」

 

「ラウラ…………お、俺は、いつかはみんなに…………」

 

 もう、壊れそうだった。

 

 いっそのこと、壊れてしまいたかった。ハンマーで砕かれた氷の塊みたいに木っ端微塵に砕けて、そのまま消えてしまいたかった。手に持っているハンドガンを頭に突き付けてトリガーを引けばそうすることができる筈なのに、俺の腕は痙攣しているだけである。

 

 まるでハンドガンを持っている左手が、まだ早まるな、と必死に叫んでいるかのようだ。

 

 苦しめと言うのか。

 

 壊れろというのか。

 

 親友に憎悪と殺意を向けられた挙句、仲間たちに拒絶されて。

 

 1人で苦しみ、そのまま死んでいくのが俺の末路だというのか。

 

「ハハハハハハッ! 情けないなぁ、ビッグセブン! ほら、今すぐ言えよ! ”俺も今まで狩ってきた奴らと同じ転生者だ。俺もクソ野郎なんだ”ってさぁ! 簡単だろ!?」

 

 確かに、俺もクソ野郎だ。今まで大切な仲間を騙し続けていたのだから。

 

 ああ、クソ野郎は俺だ。最低最悪のクソ野郎が、ラウラの隣にいるのだ。

 

 俺は絶望したまま、ラウラの目を見つめて頷いた。もしかしたら激昂したラウラが俺に銃を向け、20mm弾を撃ってくるかもしれない。外殻を使っていない状態でそんな大口径の弾丸が直撃すれば、俺の防御力のステータスでも防ぎ切れずに肉体が四散することだろう。上半身が消し飛び、肉と血がこびりついた肋骨の一部や内臓の残骸をぶちまけて、床の上に崩れ落ちる。きっとグロテスクな死に方をするに違いない。

 

 けれども俺は、それで構わなかった。ラウラが俺を殺してくれるならば、どんな無残な死に方でも構わない。

 

 どうするんだ、ラウラ。

 

 彼女の瞳をじっと見つめ続ける。徐々に彼女の目つきが戦闘中の彼女のように鋭くなっていき、猛烈な威圧感が彼女から放たれ始める。狙撃で敵を仕留める時の彼女ではなく、至近距離の敵を仕留める時の彼女だ。狙撃する時に威圧感を出してしまっては敵に気付かれてしまう。

 

 ああ、殺すのか。

 

 頼むよ。

 

 このまま壊れるのは嫌だ。他の奴に殺されるのは嫌だ。

 

 だから、殺してくれ。

 

 目を瞑りながら、少しずつ息を吐いた。

 

俺を殺すのは腹違いの姉。そして殺されるのは、転生者だという事を今までずっと黙っていた腹違いの弟(最低最悪のクソ野郎)

 

 さあ、殺してくれ。

 

「―――――――転生者だったんだね、タクヤも」

 

 ラウラが残念そうにそう言ったのが聞こえた。

 

 ああ、やっぱり拒絶された。

 

 ナイフとハンドガンを投げ捨てて、両手を広げる。数秒後には俺の胸板か頭にラウラの20mm弾が叩き込まれることだろう。

 

 ごめんな、ラウラ。

 

 騙して、ごめんなさい―――――――。

 

 次の瞬間、凄まじい銃声が宮殿の中に響き渡った。今の音はラウラが弾丸を放ったのだろうと理解する頃には、きっと俺の身体は圧倒的な運動エネルギーによってズタズタにされ、ただの肉片となるに違いない。

 

 そう思って身体の力を抜いたけれど―――――――巨大な弾丸が直撃した瞬間の衝撃を感じることはなかった。まだ意識も残っている。

 

 違和感を感じながら、自分の腹にでっかい風穴が開いていないことを祈りつつ目を少しずつ開けていったうっすらと自分の見慣れた腹が目の前に姿を現し、筋肉や内臓の収まったそれの下にはがっちりした泥まみれのブーツに覆われたる爪先が見える。

 

 俺の身体に風穴が開いている様子はない。というか、20mm弾で撃ち抜かれたら木っ端微塵になっている筈だ。上半身が消し飛んで、周囲に肉片や内臓の破片をまき散らしている筈である。

 

 なのに俺の身体は、全く傷がついていなかった。

 

「…………?」

 

 ゆっくりと顔を上げていく。もしかしてラウラがまだ俺の方に銃口を向けているんじゃないかと思ったけれど―――――――ツァスタバM93を装備しているラウラは、そもそも俺の方を見ていなかった。

 

 もちろん銃口も、俺の方を向いていない。けれどもさっきの銃声は間違いなくラウラのアンチマテリアルライフルの銃声だ。何度も彼女が発砲する際の銃声を聞いているから、聞き間違えたのはありえない。

 

 では、ラウラは誰に撃った?

 

 彼女が銃口を向けている先を見てみると―――――――そこには、ラウラに撃たれた無残な死体が転がっていた。

 

 下半身らしきものは見受けられるけれど、骨盤から上はまるで巨大な恐竜に食い千切られたかのように消失している。本来ならば腰の上へと伸びていた筈の上半身は完全に木っ端微塵になっており、肉がこびりついた骨の一部や血まみれの皮膚の一部が、綺麗な床の上で真っ赤な汚れと化している。

 

 その中に、頭があった。前髪の一部のみが金髪でそれ以外は黒髪という特徴的な頭髪は、先ほどまで俺たちの前に立っていた少年だ。前世の世界で親友だった少年が生まれ変わった存在であり、俺を憎む少年。今しがた俺の正体を暴露したブラドの残骸が、ラウラの目の前に転がっていた。

 

 けれどもその頭の右半分は皮膚が抉れており、筋肉や頭蓋骨らしき白い骨があらわになりつつある。

 

 突然、ブラドの下半身の断面から無数の真っ赤な筋肉繊維が糸のように伸び始めた。まるで船の船体に絡みつこうとする巨大なクラーケンの触手のように周囲に転がる自分の残骸を絡め取ると、その筋肉繊維の触手たちはブラドの身体の一部をかき集め、自分の身体を作り直し始める。断面から伸びた背骨に欠けた骨の一部や内臓の残骸を強引に張り付け、吸血鬼の再生能力で元通りにしていく。

 

 やがて内臓や骨格が元通りになり、それを無数の筋肉繊維と皮膚が包み込んでいく。そして首から伸びた筋肉繊維の群れと頭から伸びた筋肉繊維の群れが結び付き、その断面を白い皮膚が覆っていく。

 

 ラウラの射撃で木っ端微塵になった吸血鬼の王子は、元通りになってから肩をすくめた。

 

「おいおい、何で俺を撃つ? そこにいるクソ野郎を撃つんじゃないのか?」

 

 そうだ。俺を撃つんじゃないのか?

 

 俺ではなくブラドを撃ったラウラを見つめていると―――――――ラウラはブラドを睨みつけながら、言った。

 

「確かにびっくりしたわ。可愛い私の弟が転生者だったのだから。―――――――でも、舐めないでほしいわね、吸血鬼(ヴァンパイア)」

 

「…………なに?」

 

 左手でボルトハンドルを引き、巨大な薬莢をライフルから排出するラウラ。綺麗な石の床の上に落下した20mm弾の薬莢が金属音を奏で、その残響で広間の中を満たしていく。

 

「―――――――――その程度の事で、私がこの子の事を突き放すわけないじゃない」

 

「…………!」

 

 再生を終えたブラドに向かってそう言った彼女は、先ほどまで彼女に殺される準備をしていた俺の方を振り向くと、いつも俺に甘えてくるときのような可愛らしい笑みを浮かべた。

 

 その笑みが、俺の身体にまとわりついていた絶望を全て薙ぎ払ってくれたかのようだった。幼少の頃から一緒に生活してきた腹違いの弟が、実は別の世界で死亡し、この世界で生まれ変わった転生者だと知っても―――――――ラウラは、俺を受け入れてくれたのである。

 

 微笑んだ彼女は、そのまま俺の頭を優しく撫でてくれた。

 

「ラウ…………ラ…………?」

 

「――――――――大丈夫だよ。お姉ちゃんは、タクヤを絶対捨てたりしないから」

 

 前世の世界で、俺は捨てられた。

 

 俺を育ててくれた母さんが病死してから、俺は捨てられたのだ。

 

 すぐに暴力を振るうクソ親父の住んでいる家に、俺は捨てられた。

 

 けれども次の人生で出会った親父は、俺の正体を知っても受け入れてくれた。普通ならば自分の妻から転生者が生まれたという事を知ったらその場で殺してもおかしくないのに、あの男は俺を受け入れてくれたのである。

 

 そしてその男の娘も―――――――俺を受け入れてくれた。

 

 幼少の頃、地下室で俺の正体を暴いた男の笑顔が一瞬だけフラッシュバックする。ラウラは母親であるエリスさんにそっくりな少女だけど、雰囲気と笑い方は親父に似ている。

 

「だから、ずっとお姉ちゃんと一緒にいてね。いい?」

 

「で、でも、俺…………転生者だよ…………?」

 

「関係ないって言ったでしょ? 私はタクヤが大好きなの」

 

 そう言いながら左手を伸ばして俺を抱きしめたラウラは、頬にキスをしてから唇を離す。

 

「でも、あとで話を聞かせてね。ノエルちゃん、これでいい?」

 

「うん、私はそれでいいよ」

 

「…………じゃあ、早く戦いを終わらせようか」

 

「…………ああ」

 

 そうだな。まずはブラドを倒さないと。

 

 あいつを倒してから、俺は自分の正体をちゃんと仲間たちにも話す。もしかしたら俺を拒絶する奴がいるかもしれないけど、もし拒絶されたらちゃんと償おう。ラウラが以前にレナを殺し、懲罰部隊で償ってきたように。

 

 床に落としてしまったPL-14とテルミットナイフを拾い上げ、再びブラドを睨みつける。前世で俺の親友だった吸血鬼の少年は不機嫌そうな表情をすると、先ほどラウラにバラバラにされた際に床に落としてしまったタボールを拾い上げた。

 

「…………気に入らないな」

 

 セレクターレバーをフルオートに切り替え、ドットサイトを覗き込むブラド。

 

 俺もPL-14のドットサイトを覗き込み、親友(ブラド)に銃口を向けた。

 

 

 

 

 



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ブラドの憎悪

 

 

 ガキン、と甲高い金属音を奏でながら、3本の小さな投げナイフが綺麗な石の床へと突き刺さる。一般的なサバイバルナイフよりも一回り小さく、グリップも短い上に刀身とほぼ変わらないほど薄いその投げナイフは一見すると華奢な得物にも見えるが、分厚い石の床に突き立てられているにもかかわらず刀身には亀裂が入っている様子はない。まるで手入れを終えたばかりの名刀のように鋭利な刀身を維持したまま、まだ獲物を切り裂けると言わんばかりに黒光りを繰り返す。

 

 ナイフの刀身の硬度に驚愕したエミリアだったが、彼女はそれよりもそのナイフが自分へと投擲される際の”弾速”に驚愕していた。

 

 吸血鬼の身体能力は人間を圧倒する。どれだけ鍛え上げられた騎士や格闘家が挑もうとも、吸血鬼が生まれた頃から身につけている圧倒的な身体能力を超えることはできないのだ。

 

 ヴィクトルが放り投げる投げナイフの一撃も、その身体能力の高さを生かした恐ろしい攻撃であった。吸血鬼の誇る驚異的な瞬発力に加え、相手へと正確にナイフを叩き込むことのできる動体視力。その2つが組み合わせられたことで生まれる圧倒的な弾速の投げナイフは、最早ちょっとしたフレシェット弾による射撃にも等しい。

 

 今しがたの一撃で軽く頬を切られたエミリアは、手の甲で頬の鮮血を拭い去りながら息を吐いた。見切れない弾速ではないが、よりにもよってそれが繰り出されるのは剣を空振りした直後。しかもそれ以外のタイミングで放ってくるのはあくまでも牽制で、それを弾くか、回避すればより弾速を速めた”本気の一撃”が対処し辛いタイミングで飛来するのである。

 

(手強い男だ…………)

 

 新しい投げナイフを腰のホルダーから引き抜くヴィクトルを睨みつけながら、エミリアは呼吸を整えた。

 

 相手の得物は無数の投げナイフ。しかもある程度接近戦にも対応できるように設計された特注品らしく、辛うじて接近して一撃を叩き込もうとすれば、その小さなナイフを巧みに操って大剣を受け流してしまう。それゆえにエミリアは、未だにヴィクトルに1回も斬撃を当てていない。

 

 しかも人間とは違い、吸血鬼は再生能力がある。弱点で攻撃されれば無力化することはできるものの、もしその吸血鬼が強力な個体ならば複数の弱点で攻撃しない限り、弱点による攻撃であろうとも再生してしまうのだ。

 

 実際にレリエルと戦ったことのあるエミリアは、吸血鬼の倒し方も理解している。それゆえに銀の弾丸が装填されたクリス・ヴェクターも装備しているのだが、モリガンの傭兵の中ではあまり射撃が得意ではないエミリアとしては、銃撃戦よりも剣を使った白兵戦の方が自信があるのである。

 

 ちらりと刀身を見てから、素早く聖水の入った瓶の中身をバスタードソードの刀身にぶちまける。サラマンダーの角で作られた得物の刀身が聖水で湿り、広間の中を照らすシャンデリアの明かりで煌く。

 

 そして、またしてもエミリアは前へと踏み込んだ。

 

 両手でしっかりとバスタードソードの柄を握りながら、姿勢を低くして突進する。マグマを彷彿とさせる紅蓮の切っ先が石の床で擦れ、一瞬だけ火花を散らす。

 

 ラトーニウス王国騎士団で剣術を学び、モリガンの一員となっても決して剣を手放さなかった彼女の剣術は、間違いなくモリガンの傭兵の中でもトップクラスである。女性とは思えぬほど強靭な腕力と瞬発力は、重い得物であろうとも圧倒的な素早さで振るい、敵を瞬く間に両断してしまう。

 

 しかし彼女の得物が剣である以上は―――――――肉薄しなければ意味がない。

 

 長年努力を続けてきたエミリアでも、それは変えられない。

 

(相変わらず速い…………ッ!)

 

 敵対するヴィクトルを驚愕させるほどの速度で突撃するエミリア。小細工は全くない。自分自身の脚力と瞬発力をフル活用した単純な突撃である。

 

 フェイントではないと判断したヴィクトルは、ホルダーから引き抜いたばかりのナイフを立て続けに投擲した。この攻撃で仕留めるつもりはない。あくまでもエミリアを回避させるかガードさせることで隙を生ませ、その瞬間に放つ一撃で仕留めるための布石。

 

 弾丸と遜色ないほどの速度で急迫する2本の投げナイフを、エミリアは隙を作る羽目になるにも関わらずバスタードソードを大きく振るって叩き落す。振り払う最中に最初の1本を弾き、振り払い終えるタイミングで2本目を叩き落せる瞬間に振り払われた漆黒の剣は、エミリアの目論み通りに2本の投げナイフを弾き飛ばしたが、その代わりにヴィクトルが欲していた”隙”を作る羽目になってしまった。

 

 後ろへとジャンプしていたヴィクトルが、まるでホルスターから愛用の拳銃を引き抜くガンマンのような瞬発力で、ホルダーの中からもう1本の投げナイフを引き抜くと同時に投擲する。

 

「!」

 

 振り払ったばかりの大剣を強引に引き戻し、一瞬だけ減速しつつもう一度大剣を振るう。ガチン、と投げナイフがバスタードソードの分厚い刀身で弾き飛ばされ、くるくると回転しながら天井に吊るされているシャンデリアの中へと飛び込んでいく。

 

(くっ…………!)

 

 強引にナイフを弾き飛ばすために減速する羽目になったエミリアは、歯を食いしばりながら彼女と距離をとったヴィクトルを睨みつけた。

 

 彼は接近されれば勝ち目はないという事を理解している。それゆえに彼女と近距離で白兵戦を繰り広げるつもりなどないのだ。徹底的に投げナイフで消耗させ、隙を作ってから仕留める作戦でエミリアを追い詰めるつもりなのである。

 

 狡猾な手だが、エミリアはそれを非難するつもりなどはなかった。

 

 それが、相手を倒すための最も有効な手段なのだから。むしろエミリアの得意とする点を正確に観察し、それを打ち崩すための手段を短時間で考え付いた相手を称賛したいところである。

 

 それに、この敵には誇りがある。

 

「―――――――さすがだ。手強いな、魔王の妻よ」

 

「お前こそ、狡猾な男だ。こんなに緊張感を感じる戦いは久しぶりだよ」

 

「我らの仲間にならないか? お前のような気高い剣士が欲しい」

 

「ふん、悪いが私は魔王(あの男)のものだ。彼以外の男の物になるつもりはない」

 

「そうだろうな…………本当に残念だよ!」

 

 息を吐いたヴィクトルは、今度は一気に6本のナイフを引き抜いた。両腕を振り払いながら扇状に投擲された投げナイフの群れは、まるでショットガンから放たれる散弾のようにエミリアへと急迫する。

 

 再び大剣で防ぐ準備をしながら、エミリアは先ほどのヴィクトルの攻撃がただ単に攻撃が終わった瞬間の隙を狙った一撃でなかったことに気付いた。

 

 突進してきたエミリアにナイフを投擲し、彼女が減速しつつ大剣を振り払ったタイミングで1本のナイフを本気で投擲して仕留める。先ほどの攻撃もそれと同じ作戦なのだろうと思いながら辛うじて対処したエミリアだったが――――――それはエミリアに自分との距離を詰めさせ、投げナイフを避けにくくするためのヴィクトルの策だったのだ。

 

 ヴィクトルはエミリアと距離をとったものの、先ほどよりもヴィクトルとの距離は近い。しかし彼にエミリアの得意な剣術をお見舞いするには、もう少し踏み込まなければならない距離である。

 

 その距離で、ヴィクトルは一気にナイフを6本も扇状に投擲したのだ。

 

 散弾を放つショットガンは、至近距離での戦闘で恐るべき兵器に変貌する。ヴィクトルが放り投げたナイフも同じく、恐るべき攻撃へと変貌を遂げた。散弾のように飛来するナイフは、いくらエミリアの剣劇が素早くても、一撃では全て弾き切れない。

 

 ヴィクトルの罠だったことを理解したエミリアは目を見開いたが―――――――すぐに冷静になった彼女は姿勢を低くすると、逆にそのナイフの散弾の中へと向けて走り出す。

 

「!?」

 

 1本くらいは喰らう羽目になるが、左右に避けるだろうと思っていたヴィクトルは、自殺行為でしかない前方への突進をエミリアが選択したのを目の当たりにして驚愕した。

 

 もし仮に大剣を振るうか、左右へと回避することを選択していたのならば、ナイフを喰らう羽目にはなるものの軽傷で済んだことだろう。しかしナイフが飛来してくる前方へと突っ込めば、言うまでもないが扇状に飛来するナイフが直撃することになる。

 

 そう、自殺行為だ。

 

 いくら彼女がモリガンの傭兵だとしても、弾丸に匹敵する弾速で飛来するナイフを全て受け流すことはできない。

 

 そう決めつけつつも、ヴィクトルは少しばかり期待していた。

 

 この気高い剣士ならば、きっとこのナイフを潜り抜けてくれるだろうと。そして自分を楽しませてくれることだろうと。

 

 人類の技術が発展するにつれて戦争の方法も変わり、今では長い間人類のポピュラーな武器であった剣が廃れつつある。産業革命によって登場したスチームライフルが、新たに戦争の主役としてあらゆる戦場で猛威を振るうのだ。

 

 剣の終焉は、このような手強い強敵と一対一の決闘ができるような戦争の終焉も意味している。

 

 だからヴィクトルは、時代が変わる度に嘆いていた。もう気高い相手との決闘を楽しめる時代ではなくなってしまうのだと。

 

 それゆえに、彼はエミリアとの戦いがおそらく自分が経験することになる最後の一騎討ちになるだろうと予測していた。この戦いが終われば、もう二度と一対一の戦いができない世界になってしまうのは火を見るよりも明らかだ。そのような退屈な世界になる前に彼女と戦うことができた自分は幸せ者だと思いながら、次のナイフをホルダーから取り出しつつエミリアを見守る。

 

(さあ、掻い潜れ。俺を楽しませてくれ…………!)

 

 まだレリエルの眷属だった頃から、ずっとこのような戦いに憧れていた。レリエルと大天使が繰り広げたような一騎討ちを、いつか自分もしてみたいと幼い頃から夢見ていた。

 

 今の戦いがまさにその夢の一騎討ちだった。横槍を入れる邪魔者は誰もいない。目の前にいる1人の猛者と、互いの力を存分にぶつけ合うことができる時間。いずれ廃れてしまう古めかしい戦いをヴィクトルは謳歌していた。

 

 そして彼の目の前で―――――――ナイフの群れへと飛び込もうとしているエミリアが、剣を縦に振るう。まるで地面に杭を打ち込むかのように振り下ろされた漆黒のバスタードソードは抵抗しようとする空気を強引に引き千切って床へと落下すると、一流の職人が作り上げた石の床を氷のようにあっさりと叩き割った。乳白色の無数の欠片が粉塵と共に舞い上がり、砕け散った破片たちがまるで大地から打ち上げられた散弾のように放り出されていく。

 

 相手がナイフを扇状に放つならば―――――――剣の一撃ではなく、床の破片を利用して迎撃するつもりなのだ。

 

 もちろん、一つ一つの破片を狙って正確にナイフへと当てることはどんな剣士でも不可能である。あくまでもそのうちのどれかがナイフに当たり、軌道を変えてくれることを期待したエミリアの一手である。

 

 極めて不確実な一手であった。下手をすればその破片や粉塵で自分の視界を滅茶苦茶にし、むしろ敵に攻撃される隙を作りかけない愚策を、彼女は自分自身の判断力と毎日の素振りで鍛え上げた腕力で強引に奇策へと組み替えてしまったのである。

 

「!」

 

 やや大きめの破片が斜め下から数本のナイフを突き上げ、それの軌道を逸らしてしまう。エミリアの手足へと突き立てられる筈だった鋭いナイフの群れは軌道を変えられると、凄まじい速度で回転しながら天井や壁へと突き刺さる。

 

 6本のうち1本が辛うじてエミリアの肩を掠めたが―――――――その程度で、モリガンが誇る騎士は止まらない。

 

 自分の攻撃を防がれたヴィクトルは、すっかり高揚していた。

 

 待ち望んでいた一騎討ちの相手が、まさに待ち望んでいた相手だったのだから。

 

 本気で放り投げたナイフの群れを掻い潜り、自分と本気で戦おうとしてくれているのだから。

 

 大剣を構えて突っ込んでくる古めかしい女の騎士を見つめながら、ヴィクトルは笑っていた。ナイフを握ったまま両腕を思い切り広げ、吸血鬼の象徴である鋭い犬歯を剥き出しにしながら。

 

「待っていたぞ…………私は、お前のような猛者をッ!!」

 

 ヴィクトルとの距離を詰めながら、エミリアも笑っていた。

 

 相手が自分との戦いを楽しんでくれていることを悟った彼は、安心しながらナイフを再び投擲する。いつも持っている冷静さをかなぐり捨てて、この戦いを思い切り楽しむことにした男は―――――――今までの狡猾な戦い方を、捨てることにした。

 

「待っていたぞ、エミリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ナイフを持ったまま、ヴィクトルは真っ直ぐに突っ込んでくるエミリアを迎え撃つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛行機の事故で死亡した後、異世界に転生する羽目になると予想できるわけがない。

 

 しかもその異世界で―――――――親友と殺し合う事になるなんて想像できるわけがない。というか、想像したくない。大切な友達なのだから、もし仮にその異世界で再会したら一緒にまた大騒ぎがしたいから。

 

 前世の世界で弘人たちと過ごした時間の思い出が、先ほどから巨大なハンマーのように俺の心を打ち崩そうとする。それだけ今の彼は俺の敵なのだと思っても、前世の世界から持ち込んだ俺の記憶は突き放せない。ちょっとした亀裂から俺の心の中に浸透してきて、俺を壊そうとする。

 

 タボールから放たれる5.56mm弾を何とか躱し、PL-14のトリガーを引く。スライドがブローバックする度に9mm弾の薬莢が排出され、微かな陽炎を纏いながら床へと落ちていく。ドットサイトの向こうのブラドはやはり再生能力に頼らない戦い方を貫き通すつもりらしく、俺が銃口を向けて発砲しようとする瞬間には身体を逸らして回避を始めていた。

 

 弾丸を躱された瞬間、すぐに次の弾丸を命中させるために照準を合わせつつ、俺は安堵していた。

 

 親友を傷つける羽目にならなくてよかったと。

 

 ―――――――――ダメだ、それでは甘すぎる。

 

 前世の記憶に、侵されるな。

 

 今のあいつは敵だ。俺たちに武器を向け、俺やラウラやノエルを殺そうとしている敵なのだ。こっちを殺そうとしている敵に情けをかけてどうする? ラウラたちが血まみれになって倒れる羽目になっても、”前世の友達だから”っていう理由で許すのか?

 

 ふざけるな、くそったれ。

 

 そんなことはさせない。

 

 歯を食いしばりながらハンドガンを連射しつつ、タボールから立て続けに放たれる5.56mm弾の雨を掻い潜る。姿勢を低くしながら距離を詰めて白兵戦を挑もうとするが、ブラドは俺との白兵戦に付き合ってくれるつもりはないらしく、驚異的な瞬発力で後方に下がりながら距離を離し続けている。

 

 白兵戦ならば俺の得意分野だから勝てるかもしれないが、ブラドは白兵戦に持ち込ませてくれない。

 

 距離を詰めるのを断念しながら後ろへと下がろうとしたその時、タボールの銃身の下に搭載されているグレネードランチャーが火を噴いた。

 

「ッ!」

 

 立て続けに5.56mm弾を吐き出し続けていた銃身よりもはるかに太い40mmグレネードランチャーの砲身から、40mmグレネード弾が躍り出たのである。微かに炎を纏いながら姿を現したそれは一旦距離を離そうといた俺に向かって飛来し―――――――その途中で、微かに揺れた。

 

 やがて40mmグレネード弾がゆっくりと2つに分裂したかと思うと、まるで撃墜された戦闘機が不規則な回転をしながら空中分解していくように段々とバラバラになっていき―――――――最終的に、石の床の上で炸裂する。

 

 咄嗟に外殻を使って爆風から身を守りながら、あのグレネード弾に何が起きたのかを理解した。

 

 ―――――――――蜘蛛の巣へと飛び込んだのだ。しかも最も獰猛で、尚且つ狡猾な蜘蛛が作り出す斬撃の巣窟に。

 

 爆風の中で一瞬だけ細い銀の糸が揺れたのを目の当たりにした俺は、一瞬だけノエルの方を向いてからニヤリと笑った。

 

 今のグレネード弾の弾道を予測していたノエルが、即座に銀の糸を貼ってグレネード弾を待ち構えていたのだ。とはいえ彼女の遺伝子に含まれているのは鋭利な糸であらゆる獲物を切り刻んでしまうキングアラクネ。通常のアラクネの放つ粘性の糸ではなく、触れた物をあっさりと寸断する恐ろしい糸である。

 

 そんな糸で、銃弾よりも速度が遅いとはいえ凄まじい速さで襲来するグレネード弾を”受け止める”事ができるわけがない。それゆえに、彼女の糸は触れたグレネード弾を”丁寧に”切り刻んでしまったのだ。

 

 硬化を維持したまま、PL-14をホルスターへと戻す。そしてもう1本のテルミットナイフを鞘の中から引き抜きつつ、その爆風の中へと飛び込んでいく。猛烈な火薬と焦げた破片の臭いを全身に纏う羽目になりながらその向こうへと飛び出すと、グレネードランチャーから薬莢を排出していたブラドが目を見開きながらナイフを引き抜いた。

 

「!」

 

「うおおおおおおおおッ!」

 

 強引にテルミットナイフを振り下ろす。ブラドはM9バヨネットでその一撃を受け止めるが、こちらはちょっとしたマチェットのような分厚いナイフだ。それに瞬発力には俺も自信があるから、あいつの一撃よりもこっちの一撃の方がはるかに重い!

 

「何でだよ、弘人!? 俺が何をした!?」

 

 どうして俺を憎む?

 

 俺がお前の父親を殺した男の息子だからか? それともお前の同胞を何人も葬ってきた怨敵だからか!?

 

 問い詰めたが、ブラドは答えてくれない。相変わらず濃密な憎悪を含む視線で俺の顔を睨みつけながら、今しがたの一撃で体勢を崩しかけていたとは思えないほどの素早い斬撃で反撃してくる。

 

 身体を後ろに逸らしてその一撃を回避。振り払い終えた瞬間を狙って攻撃してやろうと思ったが、いつの間にかブラドはタボールを投げ捨て、ブルパップ式のアサルトライフルよりも近距離での戦闘で真価を発揮するコルト・ガバメントを引き抜いていたことに気付いた俺は、そのまま身体を後ろに倒しつつジャンプして距離を取る。

 

 コルト・ガバメントのスライドがブローバックし、.45ACP弾が身体を掠める。

 

「自分の事なのに、お前は何も分かってないのか!?」

 

「だから、何のことだ!?」

 

 ナイフを振り上げながら追撃してくるブラド。彼は俺に向けてM9バヨネットを振り下ろそうとしたが、途中でその一撃の軌道が変わる。俺がそれを受け止めるために構えていたナイフに刀身が当たる寸前にぴたりとブラドのナイフが止まったかと思うと、まるでナイフの切っ先で三日月を描こうとしたかのように、くるりとナイフの斬撃の軌道が変わったのである。

 

 フェイントか…………ッ!

 

 右の脇腹を外殻で覆い、その一撃をガードする。装甲車の装甲をハンマーで殴ったような金属音が広間の中に響き渡り、すぐに残響と化していく。

 

 首を狙って右手のナイフを左へと振り払ったが、ブラドは俺の反撃を見切っていたのか、ナイフが振り払われた瞬間にはもう後ろへと下がっていた。吸血鬼の瞬発力と反応速度がなければ、間違いなく今の一撃で首を切断されていた筈だ。

 

「…………お前、裕福な家の子供に転生できてよかったじゃないか」

 

「え…………?」

 

 コルト・ガバメントから空になったマガジンを取り出しながら、ブラドが小さな声で言った。当たり前だが、魔王の息子として生まれ変わることができた俺を羨ましがっているというわけではないらしい。

 

「きっと幸せな生活だったんだろうなぁ…………父親が企業の社長だからちゃんとした収入もあるし、母親たちからはしっかりした教育が受けられる。しかも生まれつき人間を凌駕する身体能力と前世の記憶があるんだから…………楽しかっただろ? 異世界の生活はさ」

 

「何が言いたい?」

 

 嘲笑するブラドに向かって言うと、彼は息を吐いた。彼だって、吸血鬼の王の息子として生まれてきたから裕福な環境だった筈だ。吸血鬼の持つ再生能力のおかげで死ぬ確率はかなり低いし、転生者の能力以外にも様々な能力がある。権力と実力を兼ね備え、将来的にも吸血鬼たちの頂点に立てる王の候補として生まれることができたのだから、彼だって”楽しい”生活を送ってきた筈だ。

 

 しかし―――――――ブラドが告げたのは、彼の憎悪の一部だった。

 

「―――――――俺はな、生まれてすぐに奴隷商人共に拉致されたんだ」

 

「「「!?」」」

 

 前世で弘人と親友だった俺だけではなく、彼の生い立ちを耳にする羽目になったノエルとラウラまで目を見開いた。

 

 普通なら考えられない。今でもまれに吸血鬼が奴隷として売られることがあるらしく、特に美しい女性の吸血鬼がオークションに”出品”されれば、最終的にその値段はちょっとした国家予算並みの金額になるという。しかしプライドが高い上に手強く、個体数も激減している吸血鬼が奴隷にされる確率はかなり低い。

 

 まだ下級の吸血鬼が人間に捕らえられたのならば納得できるが、その吸血鬼たちを統括するレリエル・クロフォードの息子があっさりと人間たちに捕らえられるのは考えられない。厳重に警備されている筈だし、母親であるアリアもすぐ近くにいる筈だ。

 

 吸血鬼の王と自分の間に生まれた愛おしい我が子を、薄汚い奴隷商人に渡すわけがない。

 

「家臣の1人が人間と通じてやがったんだ。母上は俺を生んだばかりだったから身動きが取れなかったし、父上はよりにもよって遠征中。おかげで俺はすんなりと商人共に”納品”されちまったよ。…………それからは地獄だった。赤ん坊の育て方も知らない商人共に最低限の世話をされながら、5年間も牢屋の中だったんだからなぁ」

 

「そんな…………」

 

 この世界では、そういう経験をした人々が多い。奴隷が当たり前のように取引されるせいで家族と離れ離れになった人は少なくないのだ。幼少の頃にそのような人々と同じ運命を辿りかけた俺とラウラは、息を呑んでから息を吐いた。

 

 あの時、もし俺が訓練で使った弾薬の薬莢を道に撒いた親父に助けを求めなかったら、今頃俺とラウラは離れ離れになっていたかもしれない。見知らぬ貴族に買い取られ、彼らの奴隷として過酷な労働をさせられたり、犯される羽目になっていてもおかしくはなかったのである。

 

 弘人は生まれてからすぐに、そうなる羽目になったのだ。自分を生んでくれた母親と生まれてから5年間も離れ離れになり、過酷な経験をしてきたのだろう。

 

「血も少ししか与えてもらえなかったから、すぐに俺の身体は細くなっていった。手足を伸ばすことすらできないほど狭い牢屋の中で、ずっと空腹を感じながら人間共の見世物にされ続けたんだ。どいつもこいつも、商人のクソ野郎が意気揚々と『こいつは世にも珍しい、あのレリエル・クロフォードの息子でございます! 他の奴隷とは価値が違いますよ!』って言ったのを聞いて大騒ぎしやがって…………!」

 

「お前…………」

 

「そして狭い牢屋の中に連れ戻されて、目の前で女の奴隷が服を脱がされて商人の”暇つぶし”につき合わされたり、暴行を受けて絶叫するのを眺める惨めな日々が5年も続いた。…………気が狂いそうだったよ。プライドも人権も木っ端微塵だ。死にたいと思ったけど、ナイフを刺しても死ねないからな」

 

 彼の話を聞きながら、俺はいつの間にかナイフを下ろしていた。

 

 前世の世界で生きていた俺も父親から暴行を受けながら育ったから、絶望しながら生きる辛さは理解できる。俺も幼少の頃から17年間もクソ親父の暴力に耐え続けながら生きてきたのだから。

 

「―――――――でも、そういう経験をする度に、俺は思ってたんだ。…………『永人(ビッグセブン)の奴もこんな辛い経験をしながら生きてたんだから、俺だって耐えられる筈だ』ってな。辛い体験をする度に、俺はいつもお前の事を思い出してた。父親の理不尽な暴力に屈せずに、高校を卒業して立派に働こうとしていたお前の事をさ」

 

「…………」

 

「こう見えても、俺はお前に憧れてたんだぜ? 屈強な男だって」

 

 違うよ、弘人。

 

 俺はお前のおかげで屈せずに頑張ることができたんだ。お前や他の友達と学校生活をするのが楽しいから、クソ親父から受ける理不尽な暴力にも耐えることができた。だからお前は、俺の命の恩人なんだ。俺はそんなに我慢強い男じゃない。お前のおかげで頑張ることができただけなんだ。

 

 予備のマガジンを装着し、スライドを元の位置に戻すブラド。再装填(リロード)を終えた彼は息を吐くと、一瞬だけ俺に向かって微笑んでから―――――――再び猛烈な憎悪と殺意を剥き出しにする。

 

 先ほどまでの憎悪とは格が違う。産声を上げた時のままの状態を維持していた彼の憎悪はよりどす黒く、鋭利だ。

 

 憎たらしい相手だけでなく、自分まで粉砕してしまうほどの怒りを叩きつけられる羽目になった俺は、息を呑みながら親友”だった”少年を見つめることしかできなかった。

 

「―――――――なのに、何なんだよお前は…………ッ! 一番虐げられる人の辛さを知っている筈のお前が…………へらへら笑いながら裕福な家で幸せに暮らしやがって!」

 

「違う、弘人! 俺だって虐げられている人を―――――――」

 

「黙れよクソ野郎! 俺はお前なら分かってくれると思ってたのに…………虐げられてたお前なら…………きっとその経験を忘れてないと思ったのに!」

 

 頼む、聞いてくれ。

 

 俺だって、虐げられている人々を救いたかった。この世界で生活しながらクソ野郎に虐げられていた人々を何人も目にしてきた。圧倒的な力や権力を持つ一部のクソ野郎に、人々が蹂躙されることのない世界を作るために両親から戦い方を学び、テンプル騎士団を設立して、メサイアの天秤を追い求めてるんだ。

 

 あの経験を決して忘れたわけじゃない。

 

「俺はッ! もうお前を許せない! お前なんか―――――――」

 

 ブラドは純粋な憎悪を俺へと叩きつけながら――――――コルト・ガバメントを俺へと向けた。

 

「―――――――もう、俺の友達なんかじゃないッ!!」

 

「…………っ!」

 

 もう、この親友とは決別するしかないのだろうか。

 

 せっかくこの異世界で再会することができたというのに。

 

 殺すしかないのか?

 

 大切な友人を―――――――殺すしかないのか?

 

 辛うじてナイフを握っている両手が、いつの間にかぶるぶると震えている。親友と決別する羽目になって悲しんでいるのだろうか? それとも、拒絶されたとはいえ親友を殺すのを拒否しているのだろうか?

 

「タクヤ」

 

 震える両手を見つめていると、ブラドへとアンチマテリアルライフルを向けていたラウラが俺の名前を呼んだ。飛行機事故で命を落とした哀れな水無月永人ではなく、キメラの1人として生まれたタクヤ・ハヤカワ(最低最悪のクソ野郎)の名前を呼んだ彼女の目つきは、やはりいつもよりも鋭い。

 

 いつも甘えてくる甘えん坊のお姉ちゃんとは思えないほど凛としていて、未だにブラドに対する殺意を維持し続けている。

 

「決めなさい。彼と戦うか、殺されるか」

 

 ブラドと戦う事を拒否すれば、メサイアの天秤の鍵は手に入らない。もうなったら俺たちの理想は実現できないし、この戦いで死んでいった兵士たちの犠牲が全て無駄になってしまう。

 

 だからどちらを選ぶべきかは瞬時に理解できた。

 

 虐げられている人々の救済のために、メサイアの天秤の力を使う。だからそのために俺たちは鍵を手に入れなければならない。

 

 戦いから逃げるのは許されない。そして敵に鍵を渡すのも、許されない。

 

 弘人。悪いけど―――――――メサイアの天秤を手に入れるために、お前と戦わなければならない。

 

「ごめん、弘人。――――――――お前とはもう、絶交だ」

 

 親友”だった”少年にナイフの切っ先を向けながら、俺はそう言った。

 

 

 

 



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キメラVSブラド

 

 

 ナイフを構えたまま姿勢を低くして突進し、ブラドが放つコルト・ガバメントの.45ACP弾の連続射撃を掻い潜る。猛烈なストッピングパワーを誇る弾丸たちがフードの上を掠めていき、後方にある壁の豪華な装飾を滅茶苦茶にしてしまう。

 

 弾丸を掻い潜りながら、俺はあいつが発砲した数を数えていた。ちなみに今しがた俺の弾の上を掠めていった弾丸で6発目になる。

 

 コルトM1911は極めて優秀なハンドガンの1つで、第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍しただけでなく、現代のアメリカ軍でも使用されている銃である。信頼性や汎用性の高さと、使用する.45ACP弾の誇る凄まじいストッピングパワーは最新型のハンドガンにも引けを取ることはないが、ちょっとした欠点がある。

 

 それは――――――弾数だ。

 

 コルト・ガバメントのマガジンには7発まで弾丸を装填することができる。薬室の中にも1発だけ装填できるから、合計で8発だ。最新型のハンドガンの中には10発以上も弾丸を装填できるマガジンを持つ代物もあるため、そのようなハンドガンと比べると、コルト・ガバメントの弾数は少ないのである。

 

 最後の弾丸が俺の頭の上を掠めていったのを確認しつつ、俺は一気に加速。片手に持っている飛び道具が弾切れになっているブラドへと一気に肉薄する。

 

「!」

 

 懐に飛び込んできた俺を睨みつけながら、ブラドはコルト・ガバメントを投げ捨てた。素早くナイフを引き抜いて最初の一撃を受け止め、更に振り下ろした左手のナイフを正確に受け流すが―――――――残念ながら、俺には”もう1本のナイフ”がある。

 

 コートの下に隠していたそれをあらわにすると、一瞬だけブラドの顔が凍り付いた。

 

 あらゆる剣戟や弓矢を弾き飛ばし、無力な人間を嘲笑いながらブレスで焼き尽くす恐ろしいドラゴン。その中でも、戦闘力だけならばエンシェントドラゴンに匹敵すると言われているサラマンダーの外殻に覆われた蒼い尻尾が、まるでチンクエディアの刀身を思わせるような形状の先端部を揺らめかせながら躍り出たのである。

 

 サラマンダーのオスの特徴を受け継いだ俺の尻尾は、外殻に覆われていないラウラの尻尾と違ってしっかりと外殻に覆われており、そのまま振り回すだけでもまるで鋼鉄の鞭のように敵を撲殺できるほどの硬度を持つ。しかもラウラの尻尾よりも長いので、服の下に隠す際は困ってしまうがリーチは長い。

 

 しかも先端部の切っ先にある小さな穴からは、高圧の魔力を噴射することが可能なのである。それゆえに突き刺した状態で高圧の魔力を噴射すれば、この尻尾は疑似的なワスプナイフとして機能する。

 

 サソリの尻尾よりも恐ろしいキメラの尻尾が、3本目のナイフとしてブラドに襲い掛かる。

 

「尻尾か…………ッ!」

 

 同じようにナイフで受け流そうとするブラドだが―――――――腕よりも自由に動かせる尻尾は、より複雑な軌道で攻撃することができる。それゆえに”腕と同じ”対処法では、この攻撃を防ぐことはできない。

 

 唐突に、俺の尻尾がいきなり軌道を変える。頭上から襲来してブラドの脳天を串刺しにするような軌道だったその尻尾はいきなり動きを止めたかと思うと、ぐるりと時計回りに少しばかり回転して角度を変え、ブラドの脇腹を狙う。

 

 ナイフでそれを振り払うブラド。鋭い刃が俺の尻尾を打ち払うが、戦車に匹敵する防御力を持つ外殻で覆われた尻尾には傷すらついていない。

 

 その尻尾をブラドの右の手首に絡みつかせ、俺は彼を思い切り投げ飛ばした。

 

「ぐぅっ!?」

 

 あいつが吹っ飛んでいる隙に次の攻撃を仕掛けるべきだと思ったが、仲間は2人いる。狙撃が得意なラウラと、相手に触れるだけで標的を自殺させることができるノエルである。

 

 俺が追撃するよりも先に、2人が吹っ飛ばされたブラドに追撃する。ノエルのPP-19Bizonから放たれる容赦のない9mm弾の嵐がブラドの片腕にいくつか風穴を開け、回避するために走り出したブラドの両足をラウラの正確な狙撃が吹き飛ばす。

 

 しかし、弘人(ブラド)はレリエル・クロフォードの息子。銀の弾丸で手足を捥ぎ取り、身体に風穴を開けた程度では死なない。複数の弱点で同時に攻撃する必要がある。いくら強力な再生能力を持つ個体でも、弱点で攻撃されれば再生速度は鈍る。弱点の種類が増えていく度に再生能力はどんどん鈍化していき、最終的に傷口を塞げなくなる。

 

 メニュー画面を開き、素早くソードオフ型に改造した2丁のウィンチェスターM1895を装備する。モシン・ナガンと同じく7.62×54R弾を使用するので、ハンドガンの弾丸よりもはるかに殺傷力が高いのだ。

 

 両足を再生させながら立ち上がろうとするブラド。彼が動き始めるよりも先に腰に下げている手榴弾を1つ取り出し、安全ピンを引き抜いてから投擲する。

 

 かつん、と床の上に落下したそれを目の当たりにしたブラドが目を見開く。弱点で攻撃しない限り死ぬことはない吸血鬼に、ごく普通の手榴弾ははっきり言って何の意味もない。爆風と破片で敵兵を瞬く間にミンチにしてしまう恐ろしい手榴弾でも、銀や聖水で攻撃できない限り吸血鬼をミンチにすることはできないのだから。

 

 それゆえにブラドは、その手榴弾が普通の手榴弾ではないという事を瞬時に見切った。飛び散る破片を銀に変えたか、それとも炸薬を減らし、その代わりに聖水を注入した対吸血鬼用の手榴弾だと理解したのだろう。

 

 彼が慌てて床の上を転がりつつ姿勢を低くした直後、それが炸裂した。

 

 炸薬を減らして聖水を注入した代物のため、爆発は普通の手榴弾と比べると地味だし、破片が飛ぶ距離も短くなっている。しかも聖水の量もそれほど多いわけではないため、標的と少しでも距離が開いていると飛び出した聖水が爆発の熱で蒸発してしまうという欠点があるものの、ブラドはその聖水と爆風が吸血鬼をミンチにしてしまう範囲から逃れることはできなかったらしい。

 

 部屋の向こうへと何かが飛んで行く。断面から小さな肉片をまき散らし、鮮血を噴き上げて回転しながら吹っ飛んで行ったのは―――――――ブラドの左腕だった。

 

 どうやら爆風で肘から先を捥ぎ取られたらしい。石の床の上では吹っ飛ばされた左腕の断面を押さえながら、呻き声を上げつつ立ち上がろうとするブラドが見える。

 

「ぐあぁぁぁぁ…………ッ! く、くそ、この―――――――キメラ風情がッ!」

 

「黙れよ」

 

 もう、友達じゃない。こいつは敵だ。

 

 左手に持ったウィンチェスターM1895のトリガーを引きながら、俺は弘人と一緒に学校生活を送っていた頃の思い出を捨て始めることにした。

 

 銃身を切り詰めたライフルの猛烈な反動(リコイル)を感じながらスピンコック。くるりと回転した古めかしいレバーアクションライフルからライフル弾の薬莢が飛び出し、内部で次の弾丸が装填される。

 

 その間に右手のレバーアクションライフルも発砲し、それをスピンコックしている隙に左手のライフルで発砲。ナイフを拾い上げて俺の方へと接近してくるブラドをライフル弾の集中砲火で迎え撃つ。

 

 銃身を切り詰めたせいで命中精度はかなり低下しているが、ライフル弾の持つ圧倒的な殺傷力は健在だ。命中すれば吸血鬼と転生者の能力を併せ持つブラドでも動きを止めるに違いない。

 

 とはいえ、あまり連射すればすぐに弾切れになってしまう。このレバーアクションライフルに装填できる弾丸は僅か5発。一般的なリボルバーよりも少ないのだ。しかも装填するためにはループレバーを下げ、上部からクリップで5発の弾丸を装填し、それからループレバーを元の位置に戻さなければならない。

 

 その時、レバーアクションライフルに装着しておいた大型のピープサイトの向こうで、ブラドが仰け反った。

 

 くるりと小さなライフルを回転させながら彼を注視していると、俺の放った弾丸で額を撃ち抜かれたブラドは瞬時にその風穴を塞いで木っ端微塵にされた脳味噌を修復し、突っ走りながら姿勢を低くして、床に転がっていた得物を拾い上げる。

 

 漆黒のブルパップ式のアサルトライフルだ。マガジンはまだついていて、銃身の下にはアメリカ製のグレネードランチャーが搭載されている。ここへとやってきた時にあいつが持っていた、イスラエル製アサルトライフルのTAR-21タボールである。

 

 まだ弾が残っていたのか!?

 

 ぞくりとしながら横へとジャンプした直後、タボールの銃口からマズルフラッシュが溢れ出し、5.56mm弾を凄まじい勢いで連射し始めた。石の床に着弾する音を聞きながら空中で左手のライフルをスピンコックして発砲するが、ブラドはそれをあっさりと左へ移動して回避すると、マガジンの中に残っていたなけなしの弾丸を俺に向かってぶちまけてくる。

 

 もう、あいつの正体が前世の友人”だった”男だからという理由で躊躇することはなくなった。もう、あいつとは絶交しているのだから。だが、躊躇する理由を切り離したとはいえ、相手が強敵であることに限りはない。恐ろしい再生能力と驚異的な身体能力を兼ね備え、更に転生者の能力まで持っている強敵。あいつを殺すにはセオリー通りに複数の弱点で立て続けに攻撃するか、それともキメラの能力に頼るしかない。

 

 俺のレバーアクションライフルが弾切れになったことを悟ったラウラが、得物をアンチマテリアルライフルからSMG(サブマシンガン)に持ち替えて前に出る。彼女に礼を言いながら一旦後ろへと下がって片方のライフルをホルダーに突っ込み、ポーチからクリップで束ねた5発の7.62×54R弾を掴み取ると、ループレバーを下げて上部のハッチから弾丸を装填し、弾丸を束ねていたクリップを外してからループレバーを元の位置に戻す。

 

 もう片方のライフルも同じく再装填(リロード)しながら、ちらりとノエルを一瞥した。

 

 ブラドを確実に殺せる手段を持っているのは、彼女しかいない。彼女のキメラ・アビリティである自殺命令(アポトーシス)は、触れた敵を強制的に自殺させることができるという恐るべき能力である。しかも標的が吸血鬼のように弱点でなければ殺せないような体質であっても、彼女に命令されればわざわざ確実に自殺できる方法を自分で実行するのだ。

 

 例えば吸血鬼に命令を下せば、自分で銀のナイフを探し出し、それを自分の身体に突き立てて自殺してしまうのである。

 

 もしその対象がブラドでも変わらない筈だ。ノエルの自殺命令(アポトーシス)は拒否することができないのだから、ブラドは命令されれば自分で苦手な聖水を飲み込み、日光を浴びながら銀のナイフを自分の心臓に突き立てるに違いない。

 

 セオリー通りに追い詰めるか、俺たちが囮になっている隙にノエルに接近させて自殺命令(アポトーシス)を使わせれば、この勝負には勝利できるだろう。

 

 しかし、ノエルの能力を使うのは難しいかもしれない。

 

 ラウラの放つ9mm弾の弾幕を驚異的な瞬発力と動体視力でひたすら回避し、いつの間にか2丁のコルト・ガバメントを使って反撃しているブラドを見つめながら、俺はそう思った。

 

 ノエルの動きも素早いし、気配を消す技術もシンヤ叔父さんやミラさんから叩き込まれているため、彼女は暗殺向きだ。しかしブラドに忍び寄るのは難しいだろうし、もし仮に堂々と接近しようとしても、あんな瞬発力の相手について行けるわけがない。

 

 俺たちがあいつの足を撃ち抜いて動きを止めれば可能かもしれないが、それでも10秒から20秒程度で完治してしまう。

 

「ノエル、やれるか?」

 

 再装填(リロード)しながら訪ねると、彼女は首を縦に振った。

 

「やる」

 

「分かった。俺とラウラで援護する」

 

 セオリー通りに攻撃しつつ、接近するノエルを支援する。そして彼女の自殺命令(アポトーシス)で―――――――ブラドを殺す。

 

 彼女に向かって首を縦に振り、俺もピープサイトを覗き込む。俺よりも接近戦を苦手とするはずのラウラとブラドの戦闘に参加しようと思ったその時、ラウラの張る弾幕を掻い潜ろうとしているブラドが首に下げている首飾りのようなものが一瞬だけ見えた。

 

 非常に小さい上にそれの持ち主が凄まじいスピードで動き回っているため、それが何だったのかはすぐに判別できなかったが、目の当たりにしたそれの形状と特徴は、俺たちが探し求めている物だった。

 

 傍から見ればごく普通の鍵にしか見えないが、よく見るとそれの表面には鮮血のような紅色の電子機器を思わせる複雑で細かい模様が刻み込まれており、明らかに一般的な鍵よりも異質である。

 

 それは扉を開けるための物ではない。手に入れた者の願いを叶える能力を持つ、ヴィクター・フランケンシュタインが生み出した伝説の『メサイアの天秤』を手に入れるために必要な、3つの鍵の1つ。そう、俺たちが探し求めている最後の天秤の鍵である。

 

 こいつが持っていたのか…………!

 

 確かに合理的だ。幾重にも鍵をかけて金庫に保管するよりも、圧倒的な力を持つ猛者が肌身離さず持っていた方が、それを手に入れようとする者たちにとっては色々と難しくなる。けれども今の俺たちからすれば、むしろこっちの方がありがたい。

 

 こいつを殺してから、保管されている鍵を探す手間が省けるからな。

 

 ラウラもそれに気づいたらしく、攻撃をことごとく回避するブラドを見つめながらぎょっとしているようだった。

 

 レバーアクションライフルを発砲し、スピンコックを繰り返しながら俺も前に出る。ライフル弾がブラドの肩を掠めて壁の装飾を砕き、黄金の破片を床の上にぶちまける。再装填(リロード)を終えた俺が参戦したことを知ったブラドは、片方のコルト・ガバメントをホルスターの中に戻してから手榴弾を取り出し―――――――安全ピンを抜いてから、それを俺に投げつけてくる!

 

 回避しようと思ったが―――――――俺はその作戦を却下した。

 

 回避するよりも、強引に攻めよう。

 

 身体中を蒼い外殻で覆い、手榴弾の爆風を防御する準備をする。30mm弾ですら貫通できないほどの硬度の外殻なのだから、手榴弾程度で破壊できるわけがない。さすがにC4爆弾で爆破されたら木っ端微塵になっちまうかもしれないが、たった1個の手榴弾から身を守るには十分な防御力である。

 

 これを回避させることで俺が突っ込んでくるまでの時間を稼ごうとしていたらしいが、ブラドの予測通りにはいかない。

 

 逆に突っ込んできた俺にぎょっとしたブラドはコルト・ガバメントをこっちへと向けるが、予想を裏切って突撃してきた敵に銃口を向けてていいのか? お前がさっきまで戦っていた少女は――――――幼少期の段階で親父の狙撃の技術を全て超えた天才スナイパーだぜ?

 

「がっ―――――――」

 

 呻き声が聞こえてくるよりも先に、ブラドの左足の脹脛がアキレス腱もろとも抉れていた。左足に力を入れることができなくなったブラドの身体ががくん、と揺れ、体勢が崩れていく。いくら凄まじい瞬発力を持っていると言っても、片方の足のアキレス腱が20mm弾に被弾したせいで消滅してしまっている状態ではそれを生かすことはできないだろう。

 

 かつてラウラは、ナタリアが俺たちの仲間になる事になったフィエーニュの森の中で、スコープを装備していないアンチマテリアルライフルで正確に2km先にいるトロールのアキレス腱を狙撃したことがある。あの時は標的が大きかったとはいえ、スコープ無しのライフルで2km先から正確にアキレス腱を撃ち抜くのはほぼ不可能だ。

 

 そして今度は、距離が近いとはいえ自分よりもやや身長の高い少年のアキレス腱を撃ち抜いたのである。

 

 凄いな、お姉ちゃん。

 

 ブラドの傷口が蠢く。筋肉繊維の群れが荒れ狂い、弾丸に捥ぎ取られた部位を埋めるために急速に細胞を増殖させて成長し、互いに結び付き合う。そして8割ほど修復が終わった段階で、今度は皮膚の方も再生を始める。

 

 確かに素早い再生だ。彼らはキメラの外殻を羨ましがっているかもしれないが、俺たちからすればその再生能力の方が羨ましい。痛みは感じてしまうとはいえ、仮に頭を吹っ飛ばされたとしても生きていることができるのだから。

 

 彼の再生速度は速いけど、実際に彼の左足が再びブラドの命令を聞くようになるにはまだ少しタイムラグがある。そのタイムラグを活用させてもらおう。

 

 両手にソードオフ型に改造したウィンチェスターM1895を手にしているにもかかわらず、1発も撃たずに突っ走る。ブラドがコルト・ガバメントを乱射して悪足掻きを続けるが、激痛のせいで全然狙いが定まっていないし、命中したとしても外殻を貫通することはできない。命中した弾丸は跳弾する甲高い音を奏でながら吹っ飛んでいくだけだ。

 

 片方のライフルをホルダーに戻し、そのまま突っ走る。大慌てでブラドがメニュー画面を開き、この外殻を貫通できるほどの威力を持つ武器を装備しようとするが―――――――ラウラの容赦のない一撃がメニュー画面をタッチしていた腕を吹っ飛ばしたことで、頓挫してしまう。

 

「うぐぅっ!?」

 

「ありがと」

 

 もうアキレス腱は再生しているが―――――――俺はすでに、ブラドの懐に飛び込んでいた。

 

「!」

 

「それ、鍵だろ?」

 

 そう言いながら、左手をブラドの首元へと伸ばす。彼は左手に持ったコルト・ガバメントを連射してくるが、外殻に弾かれるだけだった。弾数の少ないコルト・ガバメントはあっという間に弾切れになってしまい、悪足掻きすらできなくなってしまう。

 

 彼が首に下げていた鍵を強引に掴み取ると、ブラドは目を見開いた。

 

 やはりこいつが首に下げていたのは――――――メサイアの天秤の鍵だ。俺たちが探し求めていた最後の1つの鍵を、こいつが持っていたのである。

 

 そのまま鍵だけ引き千切ろうとするが、ハンドガンを投げ捨てたブラドが俺の左手を掴んで抵抗を続ける。人間の頭を容易く握り潰せるほどの握力で左手を握ってくるが、堅牢な外殻を握り潰せるわけがない。むしろ逆に彼の指の骨が折れてしまわないか心配である。

 

「わ、渡してたまるか………それだけは………ッ!」

 

「そうかい」

 

 そう言いながらレバーアクションライフルで頭を撃ち抜いてやろうと思ったが――――――わざわざ7.62×54R弾を消費する必要はないらしい。

 

 もう既に、暗殺者はこいつの背後に回り込んでいたのだから。

 

 俺よりも小さくて細い手が、そっとブラドの肩に触れる。真っ黒なテンプル騎士団の制服に包まれたその手を睨みつけたブラドは、俺を迎え撃っている間に背後に忍び寄っていた暗殺者の存在に気付いてぎょっとしたらしい。

 

 ノエルは、確かに”触れた”。

 

「――――――――死になさい」

 

「なんだと!? ――――――!?」

 

 がくん、とブラドの身体が揺れる。俺の左手を掴んでいたブラドの手から力が抜けていったかと思うと、まるで俺を開放する気になったかのようにその手を離し、俺が向けようとしていたレバーアクションライフルを掴み取る。

 

 俺は抵抗しない。あくまでも、彼の自殺をちょっとだけ手助けしてやるだけだ。ついでに銀の粉末が充填されたテルミットナイフも渡してから、数歩後ろに下がる。

 

「か、身体が………ッ!? なっ、なんだこれは!?」

 

 もう既にブラドの身体は、脳が発する命令を聞き入れることができない。ノエルが発した”自殺しろ”という命令を実行に移し、それをやり遂げることしかできないのだ。

 

 自分の腕が自分の頭にライフルの銃口を突き付け、再生を終えたもう片方の手が銀の刃のナイフを心臓へと突き立てようとしているのを目の当たりにしたブラドの顔が蒼くなる。いきなり言う事をきかなくなった肉体が、自分自身を殺そうとしていることを理解したらしい。

 

 必死に抵抗しようとするが、無駄だ。ノエルの命令を拒むことはできない。

 

 手に入れたばかりのメサイアの天秤の鍵を握り締めながら、俺は踵を返す。

 

 この戦いの目的は鍵を手に入れることだし、絶交したとはいえ前世で俺を救ってくれた男だ。だから、自分よりも年下の少女の命令で自殺するという無様な最期は見ない。

 

 最後に、修学旅行に行く途中で彼と話していたことを思い出してから――――――親友だった男に、別れを告げた。

 

「―――――――じゃあな、弘人」

 

 あばよ、吸血鬼(ヴァンパイア)。

 

 俺が歩き出したと同時に、背後から銃声が聞こえてきた。

 

 その銃声は、俺の後ろにいた少年が散ったことを告げる銃声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 キメラは哺乳類?

 

ナタリア「そういえばサラマンダーって確か爬虫類だったような気がするんだけど、キメラの場合ってどっちなの?」

 

タクヤ「人間と同じだよ。というか、キメラはどんな遺伝子を持っているとしても基本的に人間と同じなんだって」

 

ナタリア「へえ」

 

ラウラ「えへへっ。キメラも”ふにゅう類”なのっ♪」

 

タクヤ「…………ほ、哺乳類じゃないの?」

 

ラウラ「ふにゃー…………間違えちゃった」

 

ナタリア「ふにゅう類はラウラでしょ…………」

 

ステラ「いえ、巨乳類にも分類できるかと」

 

ラウラ「ふにゃっ!?」

 

 完

 

 



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成長し過ぎた怪物

 

 

 かつて俺たちの親父は、レリエル・クロフォードを殺した。

 

 吸血鬼の王と呼ばれていた男を、人間から化け物になった魔王が打ち破ったのである。多くの人類は歓喜して親父を”英雄”と呼んだが、そう言われる度にどういうわけか、大きな戦果をあげた親父は悲しそうな顔をしていたのを覚えている。

 

 まるで、レリエルを殺したことで人々に英雄と呼ばれることを、あの世にいるレリエルに申し訳ないと思っているかのように。

 

 11年前の一騎討ちで親父が勝利してからは、親父は俺たちに当時の戦いを語ってくれることは殆どなかった。むしろ、その戦いを忘れようとしているかのようにいつもの生活を送り続けた。

 

 きっと親父にとって、レリエルは単なる敵ではなかったんだと思う。

 

 殺し合いをしなければならない相手でありながら、その実力を称賛するような好敵手のような存在だったのではないだろうか。少なくとも親父にとっては、レリエルはかなり大きな存在だったに違いない。

 

 その親父と同じように、俺も1人の人間だった男を殺した。

 

 異世界に転生して理不尽な暴力と劣悪な環境で育ち、この世界を呪った1人の男を。

 

「なんでだよ、弘人…………」

 

 彼の握っているナイフとレバーアクションライフルを拾い上げながら、俺は石の床の上で倒れている吸血鬼の少年の傍らにしゃがみ込んだ。ノエルの発した自殺命令(アポトーシス)に強制的に従わされ、自分の心臓に銀の粉末を叩き込み、頭に銀の7.62×54R弾を撃ち込んで自殺”させられた”ブラドの顔を覗き込みながら、彼の目をゆっくりと閉じさせる。

 

 心臓から溢れ出る鮮血には銀の粉末が混じっているせいなのか、彼の鮮血はやけに煌いている。こめかみは大口径のライフル弾で撃ち抜かれており、防御力そのものは他の転生者と大差ない少年の皮膚と頭蓋骨を貫通して、脳味噌を木っ端微塵にしている。弾丸が貫通していった反対側の風穴からは流れ出る鮮血たちに押し流された脳の一部らしきグロテスクな肉片が、石の床の上にこびりついていた。

 

 もう、死んでいる。

 

 彼とはもう、話せない。

 

 前世の世界のように、好きなマンガやアニメや武器の話はできない。嫌いな教師の悪口を言い合って笑ったり、一緒に遊ぶこともできない。

 

 彼は、死者だ。

 

 正確に言うと俺も前世で死んだ段階で死者の仲間入りをしたのかもしれないけれど、少なくとも俺はまだ生きている。けれども彼は飛行機の事故で死んだ挙句、異世界で親友だった俺や仲間たちに殺された。

 

「………その死体、どうするの?」

 

「…………戦いが終わってからでいいから、ちゃんと埋葬してやりたい」

 

 ライフルを肩に担ぎながら訪ねてきたラウラに返事をすると、彼女は頷いてから静かにブラドの顔を覗き込んだ。

 

 俺たちの戦いはまだ終わったわけじゃない。宮殿はこれで制圧されたかもしれないけれど、まだホワイト・クロックを制圧するために進軍した第一軍の戦いが残っているし、下に残してきたケーターたちの援護もしなければならない。まだ抵抗する吸血鬼たちにブラドが死んだことを告げれば、彼らは投降してくれるだろうか。

 

 彼の頭を貫いた弾丸を放ったウィンチェスターM1895のループレバーを下げ、ブラドの頭を貫いた弾丸が収まっていた薬莢を排出する。弾倉の中が空っぽになっていたのを確認した俺は、彼が自殺に使ったテルミットナイフを鞘の中に戻してから、ポーチから7.62×54R弾が束ねられたクリップを掴み取る。

 

 それを弾倉の中に装填してクリップを取り外し、ループレバーを元の位置に戻してからホルダーに戻すと、ブラドに自殺しろという理不尽な命令を下したノエルと目が合った。

 

 彼女は親友だった男を失った俺を見て悲しそうな顔をすると、すぐに目を逸らしてしまう。絶交したとはいえ、俺の親友を殺してしまったのを後悔しているのだろうか?

 

「ノエル、いいんだ。彼は―――――――」

 

 目を逸らしてしまったノエルを慰めようと思ったその時だった。

 

 すっかりと消えてしまったはずの憎悪が、再び俺へと向けられているような感じがしたのだ。その憎悪を発しているのは誰なのかと考えるよりも先に、俺とラウラは反射的にブラドの死体から距離を取り、ホルダーの中に納まっている得物を彼の死体へと向ける。

 

 もしかしたら、ブラドが死んだのを見ていた吸血鬼が俺たちに向けた憎悪かもしれない。なのに俺たちは、反射的にブラドへと銃を向けていたのである。

 

 そのような憎悪を発する人物と、数十秒前まで死闘を繰り広げていたのだから。

 

 そして―――――――もう二度と動く筈のない死体の指先が、ぴくりと動く。

 

「―――――――!?」

 

 死体が痙攣したわけではない。確かに動いたその指先は立て続けに蠢き始めたかと思うと、やがて床に落としてしまった何かを探るかのように血まみれの床の上を這いまわり、やがて起き上がろうとする身体を支え始める。

 

 ベッドで眠っていた少年が目を覚ますかのように、目を閉じていた死体が深紅の瞳をあらわにする。こめかみの風穴や心臓に突き立てられたナイフの傷跡は全く再生しておらず、まるで死者がゾンビになって起き上がったかのようにも見えてしまう。

 

 ゆっくりと起き上がったブラドの”死体”の傷口が、少しずつ塞がり始めた。ナイフで貫かれた胸の傷口からいきなり鮮血が排出され始めたかと思うと、弱点である銀の粉末が混じった鮮血がほぼ体外に排出されてから、胸の傷口が塞がり始める。胸筋と皮膚がコートの下で結び付き合い、再びつながった血管の中を急激に作り出された新鮮な血液が流れだす。

 

 そしてライフル弾に貫かれたこめかみの傷も、同じく再生しつつあった。ライフル弾に蹂躙された脳が再び形成され、風穴を塞ぐために急速に頭蓋骨が風穴を埋めてしまう。そしてその表面を肉と皮膚が覆い、完全に傷があったことを隠してしまう。

 

「バカな…………」

 

 確かに自殺した筈だ。ノエルの自殺命令(アポトーシス)には、絶対に逆らえないのだから。

 

 彼女の自殺命令(アポトーシス)は、相手が確実に自殺できる方法で自殺するようになっている。相手が吸血鬼のような再生能力を持っていたとしても、その再生能力を無効化できるような方法を勝手に選んで自殺するため、それで死ねないという事はありえない。

 

 実際にブラドは、銀の弾丸で自分の頭を貫いた挙句、テルミットナイフで自分の心臓を貫き、心臓に直接銀の粉末を叩き込んで自殺したのだ。復活できるわけがない。

 

 レバーアクションライフルをブラドに向けながら、俺とラウラは数歩後ろへと下がる。

 

 やがて―――――――再生を終えたブラドが、息を吐きながら傷の塞がったこめかみを静かに撫でた。もうグロテスクな風穴が開いていないことを確認した彼は、俺たちを睨みつけながら苦笑いした。

 

「…………まさか、こいつを使うことになるとは思わなかったよ」

 

 そう言いながら深紅のメニュー画面を開き、素早く画面をタッチしてから奇妙な物体を取り出す。まるで巨大なルビーの塊の中から削りだしたような、小さな紅色の結晶。やがてそれの表面に亀裂が入ったかと思うと、美しい深紅の結晶はそのままぼろぼろと崩壊を始め、最終的に鮮血のような色の砂になって消滅していった。

 

 あれはなんだ…………?

 

「それは?」

 

「”堕天使のルビー”というアイテムさ。これを所持していると、死亡した際に一度だけ蘇生することができる。…………まあ、簡単に言えば一回限りの”蘇生アイテム”みたいなもんだ」

 

 蘇生アイテム…………!?

 

 くそったれ、そんなものがあったのか。

 

「とはいえ、こいつは俺とビッグセブン専用。要するに”次世代型転生者”にのみ適用されるアイテムだ。だからお前の仲間が死んだとしても、そいつには使えない。そしてこいつは生涯に一度しかドロップしないレアなアイテムなのさ」

 

「それは便利だな…………くそっ」

 

 ノエルの自殺命令(アポトーシス)は、発動してから1分間以内ならば他の標的にも自殺するように命令することができるため、短時間の間だけならば何人も自殺させることができるのだが、もう既に発動してから1分経過してしまっている。再び使えるようにするには、3日間待たなければならない。

 

 ちらりと彼女の方を見ると、やはりノエルは首を横に振った。

 

 確かに彼女の自殺命令(アポトーシス)は標的を自殺させることができる能力だ。しかし、もし本当にそんな蘇生アイテムが存在するというのであれば、その蘇生アイテムまで無力化することはできない。

 

 なんてこった。やっぱり、セオリー通りに殺さなければならないのか。

 

「ちなみに、お前にもドロップする筈だが…………驚いてるところを見ると、持ってないみたいだな?」

 

「宝石は持ち歩かないようにしてるんでね…………」

 

 そういうのは金庫にしまっておけ、くそったれ。

 

 弾薬は足りるか? 第一ラウンドで結構弾薬を使ってしまったぞ? 

 

 それに、先ほどの戦闘でブラドは学習した筈だ。ノエルの能力がどのような代物なのかは理解できていない筈だが、彼女を野放しにしておくと危険だという事は理解したに違いない。逆に言えば、彼女がいる事で常にブラドを警戒させ、迂闊に攻撃させないようにすることはできるが、下手をすればむしろ彼女が集中攻撃を受ける危険性もある。

 

「まあいい。…………安心しろ、今度は高を括らない」

 

 ヤバいな…………。さっきは憎悪と殺意を剥き出しにして襲い掛かってきたが、今度は冷静で堅実な戦い方に戦法を変えるに違いない。蘇生する手段がなくなった以上、”死”を避けるためにより確実な戦い方をするだろう。

 

 個人的に、そういう戦い方をする相手が一番苦手だ…………。多少無茶をしたり、攻撃ばかりしてくるような相手ならば欺きやすくて簡単に倒せるが、こっちを警戒している相手はやりにくい。

 

 ブラドはメニュー画面を開くと、素早く画面をタッチしてTAR-21タボールをもう1丁装備してセレクターレバーをフルオートに切り替えた。先ほどのように迂闊に接近戦はしかけず、あくまでも距離を置きながら攻撃するつもりなのだろう。

 

 レバーアクションライフルの残弾を確認しようとしたその時だった。

 

 ―――――――ドン、という轟音とともに、俺たちが死闘を繰り広げていたサン・クヴァント宮殿が揺れたのである。

 

 裕福な貴族の屋敷とは比べ物にならないほど広く、巨大な宮殿が揺れるほどの轟音と衝撃波。まるで爆撃か巨大な砲弾が着弾したような音にも聞こえたが、この戦闘でそういう音をこれでもかというほど聞き、その衝撃波を感じてきた俺は、瞬時にその轟音が砲撃や爆撃の音とは異なるという事を理解していた。

 

「見て、あれ!」

 

 蘇生したブラドに銃を向ける俺とラウラの後ろにいたノエルが、後ろの方に鎮座する巨大な窓の向こうを指差しながら叫んだ。目の前にあのレリエル・クロフォードの息子がいるにも関わらず、俺とラウラはちらりと後方の窓の外を一瞥して―――――――そのまま凍り付いてしまう。

 

 俺たちに敵意と憎悪を向けていたブラドも同じ状態だった。窓の外をじっと見つけたまま、微動だにしない。

 

 この広い部屋にある大きな窓からは、帝国の象徴でもあるホワイト・クロックや規則正しく立ち並ぶ屋敷や建物が形成する美しい街並みが一望できる筈だった。しかし市街地は爆撃や艦砲射撃で徹底的に破壊されており、辛うじて爆撃で倒壊することを免れた一部の屋敷やホワイト・クロックが焼け野原を見下ろしている。

 

 だが―――――――生き残ったホワイト・クロックも、ついに倒壊して残骸と化した建物たちの仲間入りをしようとしているようだった。

 

 帝都を一望できる展望台で火柱が吹き上がったと思うと、やがて薄れ始めた火柱は展望台から巨大な時計塔の内部を侵食し始めたらしく、真っ白なレンガで構成されている壁面を突き破ると、まるで絶え間なく太陽から吹き上がるフレアのように無数の火柱を生じさせ、緩やかに巨大な時計塔を崩していく。

 

 21年前にレリエル・クロフォードがホワイト・クロックを倒壊させたかのように、あの帝国の象徴は再び倒壊しようとしているのだ。

 

 確か、向こうには第一軍が向かっていた筈だ…………! 母さんや親父は無事なのか!?

 

 吸血鬼の女王であるアリアが何かしらの罠を仕掛けていたのだろうかと思いつつ、俺は無線機のスイッチを入れた。おそらく倒壊する時計塔の中から脱出しようとする味方の兵士たちの絶叫が聞こえてくるだろうと予想していたのだが―――――――聞こえてきたのは、全く違う内容だった。

 

『見ろ、時計塔が倒壊する!』

 

『全員脱出したか!? 同志リキノフは!?』

 

『同志リキノフはまだ中です! アリアと戦闘中!』

 

『とんでもない方だ………時計塔を倒壊させちまうなんて………!』

 

 お、親父が倒壊させたのか………!?

 

 確かに倒壊する寸前に、ちらりと火柱のようなものが見えた。アリアが炎属性の魔術を使った可能性もあるが、あんなに大規模な炎属性の魔術を軽々と使うことができるのは、体内にあらかじめ変換済みの魔力を持つキメラしかありえない。

 

 そして第一軍にいるキメラは―――――――親父しかいない。

 

 燃え盛りながら倒壊していく時計塔を見つめながら、俺たちは親父がアリアを圧倒していることを知って安堵したが―――――――逆に、自分の同胞が不利になっていることを知ったブラドは、目を見開きながら走り出した。

 

 俺たちに奇襲を仕掛けるつもりかと思って身構えたが、ブラドは俺たちの事が眼中に無かったのか、装備したばかりのタボールを投げ捨ててから俺とラウラの間を全力で駆け抜けていき、全力で突進する猛牛を彷彿とさせる勢いで、そのまま巨大な窓をタックルで粉砕してしまう。

 

「母上ッ!」

 

「待て、ブラドッ!」

 

 宮殿の中から窓の外へと躍り出た彼は、先ほど俺たちとの戦闘でも発揮した瞬発力をフル活用し、倒壊していくホワイト・クロックの方へと全力疾走していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、21年前にも同じことがあった。

 

 ヴリシア帝国騎士団から依頼を受けたモリガンと、レリエル・クロフォードが激突した際も、ホワイト・クロックは倒壊したのである。少しずつ力を高めつつあった転生者と数百年ぶりに復活した吸血鬼の激闘で倒壊したホワイト・クロックは、帝都の人々の手によって完璧に復元され、帝都の象徴として街並みを見下ろし続けていた。

 

 しかしその21年後に、再び倒壊することになる。

 

 その激闘に勝利した、モリガンの傭兵の手によって―――――――。

 

 降り注ぐ火の粉と燃え盛る残骸の礫の雨を浴びながら、リキヤ・ハヤカワは金属やレンガが焦げる悪臭を吸い込みながら、お気に入りのブーツでひしゃげた鉄骨の上を歩いていた。右手に持つウェブリー・リボルバーのシリンダーにスピードローダーを使って新しい弾丸を装填した彼は、先ほどまで戦っていた相手を探して瓦礫の山の上を見渡す。

 

 このような光景を目の当たりにする度に、21年前の光景がフラッシュバックする。あの時この時計塔を倒壊させたのはレリエル・クロフォードで、その直後に彼はレリエルが放り投げた巨大な時計の針を腹に突き立てられて死にかけたのだ。

 

 当時とは、逆だった。この復元させた時計塔を倒壊させたのは、アリアではなく自分なのだから。

 

「エミリア、エリス、無事か?」

 

『ああ、何とか』

 

『もう、ダーリンったら。こういうことをするなら作戦説明の時に言ってよねっ!』

 

「はははっ、すまんすまん。肝に銘じておく」

 

 無線機で妻たちの安否を確認してから、ちらりと後ろを振り向く。彼と共にホワイト・クロックの展望台に降下し、リキヤとアリアの戦いを無言で見守り続けていたリディア・フランケンシュタインは、倒壊した際に浴びた粉塵で汚れた男性用のスーツに身を包んだまま、静かにリキヤの後ろに立っていた。

 

 彼女も無事であることを確認した彼は、目の前のレンガの山を注視する。

 

 真っ黒に変色してしまったレンガの山の上に、巨大な時計を動かすための大きな歯車や時計の針の残骸がいくつか乗っていて、まるで巨人の墓標のようになっている。墓石の代わりに突き立てられた時計の針の根元を見つめたリキヤは、ニヤリと笑ってからその墓標へと向かって歩き出す。

 

 その苦痛は、かつて自分が味わった苦しみだった。巨大な時計の針を腹に突き立てられ、内臓を蹂躙されて死にかけたのだから。

 

「よう、アリア。気分はどうだ?」

 

 真っ黒になったレンガの上に横たわっていたのは、先ほどまで展望台で死闘を繰り広げていた金髪の美女だった。身に纏っていた真っ白なドレスを思わせる服は黒く汚れていて、すらりとした腹の周囲だけは真っ赤に染まっている。

 

 その原因は、彼女の腹に突き立てられている巨大な時計の針であった。

 

 騎士の持つ剣のような形状をしている時計塔の針が、彼女の腹に突き刺さっているのである。展望台から地面に叩きつけられた挙句、腹に巨大な時計の針を突き刺される羽目になったアリアは鋭い犬歯が覗く小さな口から血を吐き出すと、すらりとした両手で時計の針を掴み、自分の腹から引き抜くために足掻き始めた。

 

 気分がいいわけがない。呻き声を上げながらリキヤを睨みつけるアリアは、歯を食いしばりながら自分の腹に刺さっていた巨大な針を引き抜くと、それを放り投げてからゆっくりと立ち上がる。

 

 針は銀で作られていたわけではないため、傷口の再生には何の支障もない。彼女のすらりとした腹部からはみ出していた腸が、まるで穴に潜り込んでいく蛇のように傷口の中へと吸い込まれていくと、すぐに腹部を腹筋と皮膚が覆って傷を塞いでしまう。

 

 呼吸を整えながら、アリアは歯を食いしばった。

 

「あなた…………どうしてそんな力を………!?」

 

「お前はあの時から、復讐のために力を磨き続けていたようだな。素晴らしい努力だ。でもな―――――――」

 

「うぐっ……!?」

 

 右手にリボルバーを持ったまま直立していたリキヤが、アリアが反応できないほどの速度で左手を突き出す。がっちりした外殻に覆われた大きな手はアリアの細い首を容易く掴むと、そのまま彼女の喉を締め付けながら持ち上げてしまう。

 

 彼女はリキヤの左手を振り解こうと必死に足掻き始めたが、サラマンダーの外殻に覆われているリキヤの腕はびくともしない。常人の腕ならば容易くへし折ってしまうほどの力を込めて殴りつけても、逆に自分の皮膚が裂けてしまうだけだった。

 

「―――――――――俺も努力家なんだよ」

 

「が…………かっ…………あぁ…………っ!」

 

 レリエルとの一騎討ちが終わった後、リキヤは会社を経営しながらひたすら努力を続けていた。休日はエミリアと一緒に朝早くから剣の素振りを行い、子供の世話をしながらひたすら転生者を狩り続けていたのである。

 

 転生者を撃破すれば、レベルは簡単に上がる。それゆえにかつて転生者を絶滅寸前まで追い込んだ転生者の天敵は、ついにレベルの終着点まで達してしまったのである。日常生活に支障が出てしまうほどのステータスを持つようになった後も、王権拘束(マグナ・カルタ)というスキルで自分のステータスを5分の1に抑えたまま努力を続け、ひたすら自分の力を磨き続けていた。

 

 アリアも同じように努力を続け、レリエルの後継者を名乗ったが―――――――努力のレベルが、違い過ぎたのだ。

 

 ”成長した怪物”は、”成長し過ぎた怪物”に勝てないのである。

 

 剛腕に首を絞めつけられ、徐々に呼吸できなくなっていく中で、アリアは悟っていた。おそらくここで全ての吸血鬼を呼び戻し、ブラドの作り出す武器を装備させてこの男に最後の戦いを挑んだとしても、一矢報いることは不可能であると。

 

 高を括っていたわけではない。相手はレリエル・クロフォードを超えた男なのだから。

 

 

 



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吸血鬼たちの撤退

 

 

「母上ッ!」

 

 その光景を目の当たりにしたブラドは、目を見開いた。

 

 ホワイト・クロックが倒壊した際にタクヤの持つ無線機から聞こえてきたオルトバルカ語の連絡と、時計塔から吹き上がった火柱を目の当たりにした段階で、彼は薄々自分の母が劣勢になりつつあるという事を理解していた。しかし、魔術の使い方や戦い方を彼に教えた”教官”でもある自らの母がそう簡単にやられる筈はないと必死に信じながら宮殿を飛び出したブラドだが―――――――残骸の山の中で目にした母は、まさに風前の灯火と言える程追い詰められていたのである。

 

 単独で魔王を迎え撃つため、あえて護衛の兵士すら守備隊へと派遣して単独で待ち構えていた母は、おそらく魔王をそこで打ち倒す自信があったからこそ単独で展望台に残ったのだろう。

 

 しかし残念ながら、彼女の元へと付き添いの女性を引き連れてやってきた魔王は、彼女の想定していた強さを遥かに上回る怪物であったのである。

 

 剛腕に首を絞められているアリアの身体は、まだ微かに痙攣していた。唯一の肉親である母親が生きていることに安堵したブラドだが、傷だらけの状態で血まみれのドレスを身に纏う母の姿を目にした瞬間、同時に怒りも産声を上げつつあった。

 

 吸血鬼の数が減り、人間たちから疎まれるのが当たり前となった世界で、必死に自分を育て上げてくれた母親を殺そうとする男への殺意。先ほどまで彼が、タクヤに対して向けていた憎悪や殺意をあっさりと呑み込んでしまうほどの怒りが、今のブラドの心を掌握しつつある。

 

 腰のホルスターからコルト・ガバメントを引き抜き、母の首を絞めている赤毛の男へと向けたブラドは、側へとやってきた若造は眼中に無いと言わんばかりに母の首を絞め続ける男に向かって叫んだ。

 

「母上を離せ、無礼者ッ!」

 

「母?」

 

「ぶ、ブラ………ド…………?」

 

 ゆっくりと、アリアの首を絞めていた赤毛の男がブラドの方を振り向く。

 

 年齢は30代後半か40代前半だろう。まるで紳士のスーツと軍用のコートを融合させたようなデザインの漆黒のコートに身を包んでおり、そのがっちりとした身体は鍛え上げられた筋肉で覆われている。炎を彷彿とさせるやや短めの赤毛の群れからははっきりとダガーのような角が屹立しており、真っ黒なその角は先端部に行くにつれてマグマのような色に変色していた。

 

 その角さえなければ、いたって普通の男性と言えるだろう。しかしその頭から伸びる角と特徴的な赤毛は、ブラドやアリアだけではなく、全ての吸血鬼が殺意を向けるべき存在の象徴でもある。

 

 そう、キメラである。

 

 11年前にレリエル・クロフォードを殺し、吸血鬼たちを瓦解させた張本人。今では圧倒的な軍事力を誇るモリガン・カンパニーの頂点に立つ男であり、彼が雇う数多くの労働者からは”魔王”と呼ばれて親しまれている男だ。

 

 炎を思わせる色の瞳が銃を向けるブラドを見据えた瞬間、彼はそれだけで魔王と自分にどれだけの差があるのかを少しだけ理解する羽目になった。

 

 相手は自分が生まれるよりも前から経験を積み、あらゆる死闘を経験しているベテランの傭兵。更にレリエルを倒した後もひたすら努力を続け、自分の実力を磨き続けてきた男である。純粋な実力だけでなく、経験も濃度が全く違う。

 

 魔王は微かに目を細めると、アリアを掴んでいた左手から力を抜いた。まるでドラゴンの外殻を人間の手にそのまま張り付けたような腕から解放されたアリアは、先ほどまで締め付けられていた首を片手で押さえながら瓦礫の上へと落下し、咳き込み始める。

 

「ゲホッ、ゲホッ…………ぶ、ブラド、何をしに来たの…………? に、逃げなさい、この男は…………」

 

「………息子か。なるほど…………確かに、父親に似ているな」

 

「貴様ぁ…………よくも父上と母上を…………ッ!」

 

 コルト・ガバメントを向けられながら、リキヤは苦笑いしつつ肩をすくめた。銃を向けられているにもかかわらず、右手に持っていたウェブリー・リボルバーのシリンダーの中に弾薬が入っているかをチェックしたリキヤは、首を横に振りながら息を吐く。

 

 銃を向けられているというのに、自分はまるで挑発するようにシリンダーの中を確認するという隙を見せ、更に得物を敵に向けない。その態度はまるで、ブラドに『お前は私が戦うような相手ですらない』と嘲笑しながら告げているに等しかった。

 

 それゆえに―――――――プライドの高い種族である吸血鬼のブラドは、トリガーを引いた。

 

 銃口からマズルフラッシュが躍り出ると同時に、.45ACP弾の銃声が周囲に響き渡る。白銀のスライドがブローバックして微かに煙を纏う薬莢を排出し、再び元の位置へと戻っていく。

 

 照準を合わせていたブラドは、この一撃は命中する筈だと確信していた。

 

 魔王と呼ばれている男も転生者だという事は知っている。しかもあれは今までに数多の転生者を狩り、一時的にとはいえ転生者を絶滅寸前まで追い込んだ”転生者の天敵”でもある。今でも成長を続け、ついにこの世界で最強の転生者と呼ばれることになった怪物だ。ステータスが自分よりも高いのは、火を見るよりも明らかである。

 

 しかしその魔王との距離は10mほど。コルト・ガバメントの放つ.45ACP弾は他のハンドガン用の弾薬よりもやや弾速が遅いものの、それでもそれを躱すのは至難の業だ。ある程度距離が離れていれば転生者でも回避できるかもしれないが、標的までの距離は10mである。回避するにしては距離が近過ぎると言えた。

 

 それゆえに確実に命中すると確信していたブラドであったが―――――――銃弾が飛び込んでいった場所から聞こえてきた音を聞いた瞬間、彼はその確信が誤っていたことを悟る。

 

 聞こえてきたのは、銃弾が焦げたレンガを抉る音だったのだ。

 

(!?)

 

 キメラがドラゴンの外殻を瞬時に形成して体を覆い、防御力を飛躍的に向上させることができるのは事前に聞いている。だからブラドは、今の音は外殻に防がれた音なのだろうと一瞬だけ思っていた。

 

 しかし、先ほどまで目の前にいた筈の魔王が見当たらない。傍らに必死に呼吸を整える母がいるだけで、先ほどまでアリアの首を絞め続けていた赤毛の男の姿がないのである。

 

 今の一撃を、躱したのだ。

 

 10m足らずの距離から放たれた一撃を、躱したのである。

 

 それを理解した直後、こつん、とブラドの後頭部に硬い何かが押し付けられる。何度も発砲したせいなのか、後頭部に押し付けられているそれの銃身は火薬の臭いを纏っていたため、ブラドはそれが何なのかをすぐに察する。

 

 イギリス製リボルバーの、”ウェブリー・リボルバー”。先ほど母親を苦しめていた男が身に手に持っていた得物である。それが自分の後頭部に押し付けられている意味を知った直後、凄まじい衝撃が彼の後頭部を突き飛ばしたかと思うと、ブラドの頭は前方に大きく揺れ、脳の破片を焦げたレンガの上にぶちまける羽目になった。

 

 リキヤは今の一撃を回避しただけではなく、一瞬でブラドの背後に回り込み、後頭部にリボルバーの銃口を押し付けて発砲したのである。基本的に吸血鬼の動体視力は人間よりもはるかに優れており、熟練の吸血鬼ならば当たり前のように弾丸を躱すことも可能であるが、いくら母を殺されかけて怒り狂っていたとはいえ、ブラドにも弾丸を回避できるほどの動体視力は備わっている筈だった。

 

 その動体視力でも捉えきれないほどの速度で、後ろへと回り込まれたのである。

 

 撃ち抜かれた頭を再生させながら、ゆっくりと起き上がろうとするブラド。痙攣する身体に強引に力を入れて立ち上がろうとする彼の後ろで、赤毛の男がリボルバーを向けながらブラドを見下ろしている。

 

「おいおい…………しっかりしてくれ、息子さん。レリエルの息子ならもう少し強い筈だろ?」

 

「だ、黙れぇ…………!」

 

 辛うじてまだ右手がコルト・ガバメントのグリップを握り続けていることに気付いたブラドは、体勢を立て直すと同時に後方へと銃口を向けてトリガーを引く。

 

 しかし、またしても先ほどと似たような音が聞こえてきた。放たれた.45ACP弾が魔王ではなく、周囲に積み上げられているレンガの山の一角に命中する音。明らかに人体を食い破った音や、外殻に弾かれた音ではない。

 

 外れたことに気付いた瞬間、今度は右側のこめかみに、こつん、とリボルバーの銃口が押し付けられる。そのリボルバーのグリップを握っているのは―――――――やはり、がっちりした体格の赤毛の男から伸びる剛腕であった。

 

「―――――――この程度でレリエルの息子だと? あまり俺を失望させないでくれ、王子様(クソガキ)

 

「――――――――!」

 

 ズドン、と1発の弾丸がブラドのこめかみを撃ち抜いた。

 

 再び脳味噌の残骸をレンガの上にぶちまける羽目になったブラドは、常人では感じることのできない脳を破壊される激痛を感じながら、まだ再生が完全に終わっていないにもかかわらず、痙攣する両腕に強引に力を込める。

 

 しかし、先ほどのようにハンドガンを向けて応戦するつもりはなかった。いくら至近距離での射撃とはいえ、この男に銃を向けてトリガーを引けばどのような結果になるのかはすぐに想像がついたからである。

 

「ふん、生命力だけは立派だな。どれだけ弾丸をぶち込めば殺せるのか…………」

 

「ぐっ…………」

 

「まあいい。…………お前はこのまま嬲り殺しに―――――――」

 

 その時だった。

 

 魔王がアリアに向けて放った一撃で倒壊し、今では鉄骨やレンガの残骸が積み上げられた廃墟と化したホワイト・クロックの一角から、漆黒に塗装された何かが風を引き裂きながら飛来したかと思うと、自分よりもはるかに各下の相手であると判断したブラドへ銃口を向けていたリキヤの左側の側頭部を直撃したのである。

 

 銃であれば銃声がする筈だ。サプレッサーを装着していた可能性もあるが、ブラドは部下たちにサプレッサー付きの得物を支給した覚えはない。

 

 からん、と音を立ててレンガの上に落下したそれを拾い上げたブラドは、目を見開いた。

 

 今しがた飛来し、弾丸すら回避した魔王の左側頭部を直撃して一矢報いたその一撃の正体は―――――――漆黒に塗装された、1本の投げナイフだったのである。一般的なナイフよりも小型でグリップも薄いそのナイフを得物にしている男の顔を思い浮かべた瞬間、今度はブラドとリキヤの間に何かが落下した。

 

(スモークグレネード…………!?)

 

「ふむ」

 

 ナイフが左側頭部に直撃したとはいえ、防御力のステータスに救われたのか、リキヤはそれほど重傷を負っているようには見えなかった。左耳の少し上の頭皮がほんの少しだけ切れて血が滴り落ちている程度で、かすり傷でしかない。

 

 しかしいきなり攻撃を喰らったことには驚いているらしく、目を丸くしているようだった。やがて彼の顔がスモークグレネードによって生み出された白煙に包み込まれ、周囲の残骸の山も同じように見えなくなっていく。

 

 こんなところにスモークグレネードを放り込んだのは誰なのかと思っていたブラドの手が、急に誰かの手に掴まれた。魔王に掴まれたのかと思ったブラドだが、彼の手と比べると華奢で、やや手も白い。

 

 その手の持ち主は何者なのかと思いつつ腕の根元を見上げていくと、すらりとした胴体が見えた。その動体が身に包んでいる立派なスーツは倒壊したホワイト・クロックの砂埃や煤で汚れており、その手の持ち主がかぶっているシルクハットも所々穴が開いている。

 

 やがてブラドの手を引いている男は、先ほどまでリキヤの攻撃で殺されかけていたアリアの手も引くと、2人を連れてホワイト・クロックの残骸の外まで誘導し始めた。段々とスモークグレネードの生み出した白煙も薄れていき、徐々に魔王の前から2人を救い出してくれた男の姿があらわになり始める。

 

「ヴィクトル…………!?」

 

「お2人とも、ご無事で何よりです」

 

 魔王に蹂躙されていた2人の元にスモークグレネードを投げ込み、更にリキヤにナイフをお見舞いして一矢報いたのは―――――――ホワイト・クロックが倒壊する直前まで、内部でエミリア・ハヤカワと死闘を繰り広げていたヴィクトルであった。

 

 彼も辛うじて倒壊する直前に部下を連れて脱出することができたらしく、彼がアリアとブラドを連れ出して誘導していった先の路地には、身体中に包帯を巻いた負傷兵や、聖水をぶちまけられて顔に大やけどを負う羽目になった吸血鬼の兵士たちが呻き声を上げながら集まっていた。

 

 火薬の臭いと腐臭がする路地の中に集まった彼らは、兵士と言うよりは”敗残兵”と言えるような姿をしたものばかりである。

 

 敵の20分の1の戦力とはいえ、人間の兵士たちまで徴兵してしっかりと防衛ラインを築き上げて抵抗したにもかかわらず、最終的にはついにホワイト・クロックと宮殿まで陥落する羽目になってしまったのだ。更にブラドは自分自身が持っていた天秤の鍵までタクヤに奪われてしまっているため、この戦いは”惨敗”としか言いようがない。

 

 路地の中で呻き声を上げながら虚ろな目で自分たちを見つめてくる負傷兵たちを目にしたブラドとアリアは、その瞬間にやっと自分たちはこの戦に負けたという事を理解した。

 

 そう、負けたのだ。

 

 全てを取り戻すための戦いで、逆に全てを奪われて。

 

 全てを焼け野原にされた悔しさが、ブラドの心の中で膨れ上がる。まだ痙攣する両腕に力を込めて拳を握り締めた彼は、すぐに踵を返してホルスターからコルト・ガバメントを引き抜こうとした。

 

 あの男に自分の力が通用しないのは理解している。けれども、せめて何かしらの痛手は与えておきたい。

 

 しかし、彼の父であるレリエルに使え続けていたヴィクトルという忠臣が、若き主君がやろうとしている自殺行為を許すわけがない。すぐにボロボロの細い手を伸ばしてブラドの肩を掴んだ彼は、再び戦場に戻ろうとするブラドを止めようとする。

 

「お止めください、ブラド様。今の我々では、奴らにはもう…………」

 

「離せ、ヴィクトル! 一方的に踏みにじられたまま終われるか!」

 

 そう言い返すブラドであったが、その路地へと逃げ込んでいた兵士たちはもう既に、残った戦力を全てかき集めて魔王に総攻撃を仕掛けても、あの怪物を打ち倒すことはできないだろうと理解していた。圧倒的な戦闘力と防御力で強引に防衛ラインを突破して、ついに吸血鬼の女王まで容易く蹂躙してしまうほどの男なのである。しかも、防衛ラインを突破する段階ではまだ彼は5分の1のステータスの状態である。

 

 肩を掴んでいたヴィクトルは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「そうですね…………では、その役目は私が請け負いましょう」

 

「ヴィクトル…………?」

 

 負傷兵たちに持っていたエリクサーを配っていたアリアが、いきなりそう言い出したヴィクトルの顔を見上げた。

 

「どの道、この中にいる誰かが敵の追撃を食い止める殿をしなければ、帝都の外への撤退は難しいでしょう」

 

「だが―――――――」

 

 相手は未だに圧倒的な数の兵士や戦車を保有しており、制空権まで敵が確保している状態である。圧倒的な物量を未だに保有する敵の大群を食い止める殿を担当するという事は、生還は不可能という事を意味していた。

 

 つまり、殿を担当すれば―――――――生きて帰ることはない。

 

 圧倒的な物量の敵を命懸けで食い止める役目を、ヴィクトルが担当しようとしているのである。

 

 ブラドはすぐに首を横に振っていた。

 

 ヴィクトルは、商人たちからブラドが助け出されてからずっと彼の面倒を見てくれた教育係でもある。この世界の言語の読み書きだけでなく、吸血鬼の王になるためのマナーを教えてくれたヴィクトルは、すぐに父親が他界してしまったブラドにとってはもう1人の父親のような存在だったのである。

 

 ここで彼を見送れば、もう二度と彼は帰ってこない。

 

 だからこそブラドは、殿を務めようとするヴィクトルを止めようとした。

 

「や、やめろ、ヴィクトル………! お前が死ぬことはない………!」

 

「いえ、ブラド様。この中で軽傷で済んでいるのは私だけ。あなたとアリア様は吸血鬼たちを統率するという大切な役目がある。私以外に殿を務められるものはおりませんよ」

 

「だが………!」

 

 すると、ヴィクトルは微笑みながら首を横に振った。傷だらけのシルクハットをそっとブラドの頭の上に乗せてから、ブラドの顔についていた血を細い指で静かに拭い去る。

 

「それに、私には決着をつけなければならない相手がいるのです。どうか…………もう一度、戦場へ行かせてください」

 

 ホワイト・クロックさえ倒壊しなければ、どちらかが死ぬまでひたすら戦い続けていた筈の剣士を思い浮かべながら、ヴィクトルは懇願した。あのレリエル・クロフォードに仕えた栄えある吸血鬼の1人として、彼女と決着をつけるまでは死ねないのである。

 

「――――――――分かったわ」

 

「母上!?」

 

「…………今まで世話になったわ、ヴィクトル」

 

 そっと彼の側へとやってきたアリアは、そっと告げた。

 

 かつてアリアがレリエルの眷属だった頃に2人目の眷属としてレリエルに仕えたヴィクトルは、アリアが後継者となってからも彼女の眷属のままであり続けた。アリアにとってヴィクトルは、自分自身の右腕のような大きな存在だったのである。

 

 それを今から、手放さなければならない。

 

「アリア様、どうかお元気で。…………ブラド様も、どうか立派な吸血鬼になってください。一足先に…………レリエル様の所で、見守っていますよ」

 

 涙目になっているブラドに最後に告げたヴィクトルは、彼に勉強を教えていた頃と全く変わらない笑顔を浮かべながら静かに踵を返すと―――――――燃え盛る帝都へと、ゆっくりと歩き出す。

 

 同胞のために殿を引き受けた男の目つきは、いつの間にか鋭くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げたか…………」

 

 白煙が消え失せてから、俺は周囲を見渡しつつ呟いた。

 

 周囲に敵が潜んでいる可能性もあるから警戒しながらあのガキの相手をしていたつもりだったが、それでも察知できないとは思わなかった。あのナイフを投げてきた吸血鬼はおそらくかなりの実力者だろう。

 

 そういえば、以前に劇場で俺を暗殺しようとしていた吸血鬼がいたな。もしかして、あいつだったんだろうか?

 

『同志、ご無事ですか?』

 

「ああ。そっちの状況は?」

 

『こちらは制圧しました。第二軍の方も、そろそろ決着がつく頃かと。…………あとは逃げた敵を追撃するだけですね』

 

「そうだな…………」

 

 さっきの吸血鬼は、おそらくあのガキとアリアを連れて逃げたのだろう。レリエルの妻と息子は吸血鬼の統率に何としても必要な存在だから、是が非でも死守するつもりに違いない。

 

 見逃してやってもいいが…………後で更に力を蓄え、再び武装蜂起されても面倒だ。狩れるならばここで狩ってしまった方が合理的だろう。

 

「よし、航空部隊と爆撃機を呼び戻せ。艦隊にも艦砲射撃を要請。歩兵部隊もほぼ全て投入し、徹底的にここで殲滅するぞ」

 

『了解(ダー)!』

 

 天秤の争奪戦の最終局面で、横槍を入れられたら面倒だからな…………。

 

 火の粉が舞う空を見上げながら、俺は静かにリボルバーをホルスターへと戻した。

 

 

 

 

 



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最後の抵抗

 

 

 かつて世界を支配した伝説の吸血鬼は、人間の持つ”執念”を最も恐れていた。

 

 圧倒的な力を持つ吸血鬼にも立ち向かおうとする人間たちは、彼らから見れば無謀で滑稽な小さい存在でしかない。彼らが吸血鬼と互角に戦うには、彼らの嫌う銀や聖水をこれでもかというほど用意し、ヴァンパイアの討伐を専門にしている熟練の傭兵に依頼するか、教会に所属する騎士たちに応援を要請しなければならない。

 

 人間と吸血鬼の力の差は、それほど大きいのである。

 

 それほど力の差があるにもかかわらず、時折人間は返り討ちに遭うのを知っていながら、ナイフや短剣を手にして吸血鬼たちに襲い掛かっていった。刀身は一般的なもので、吸血鬼たちの嫌う銀ですらない。それで傷をつけたところですぐに再生されるのが関の山だ。

 

 吸血鬼たちは、そのような無駄な抵抗をする人間たちを目にしては嘲笑った。

 

 彼らは理解していなかったのである。

 

 家族や恋人を守るために、自分の命を賭けて一矢報いようとする人間の執念を。

 

 他の種族よりもか弱い存在であるために彼らが秘める、大きな執念を。

 

 しかし、レリエル・クロフォードの父はその執念に気付いていた。確かに彼らの持つ執念だけでは吸血鬼たちを殺すことはおろか、一矢報いる事すら不可能かもしれない。しかし彼らにもう少し力があれば、吸血鬼も脅かされてしまうと。

 

 それゆえに彼は人間の執念を恐れつつも、期待していた。

 

 吸血鬼にそのような執念はないからこそ、憧れていたのかもしれない。

 

 かつて自分が仕えていた主君から聞いた話を思い出しながら、ヴィクトルは腐臭と火薬の臭いが混じった風を思い切り吸い込んだ。この臭いは、この戦いで散っていった両軍の兵士たちが生み出した臭い。今から自分も、この戦場で散ることになる。

 

 投げナイフのホルダーを一瞬だけちらりと見下ろしてから、足元に転がっている泥まみれのG36Cを拾い上げた。胴体から千切れ飛んでもまだグリップを握り続けていた泥だらけの手をそっと取り外してマガジンを確認し、傍らに転がっている死体のポーチから残っているマガジンを拝借する。

 

 残骸と炎で彩られた焼け野原の向こうでは、敵の戦車が蠢いている。瓦礫の山や地面に転がる吸血鬼たちの死体をキャタピラで粉砕する大きな音を響かせながら、強力な戦車砲を搭載した鋼鉄の怪物たちが、歩兵たちをまるで眷属のように従えて進軍してくるのを見たヴィクトルは、敵の数を数えてから笑った。

 

 果たして、自分1人で味方が離脱するまで時間を稼ぐことはできるのだろうか。

 

 敗走する吸血鬼たちを追撃する連合軍の兵力は、少なくとも戦車が30両以上。歩兵はもう数えきれないほどで、しかもその歩兵たちの後方からは宮殿を襲撃していた戦車部隊も合流したらしく、凄まじい数の戦車が進撃しつつある。

 

 徐々に暗くなりつつある空は、戦闘の序盤で制空権を連合軍の航空部隊に奪われているため、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)のエンブレムが描かれた戦闘ヘリが我が物顔で帝都の空を飛び交っている。時折建物の残骸の近くをホバリングしながら残骸の中に機首のターレットが火を噴いているのが見受けられるが、そこに同胞が潜んでいたのだろうか?

 

 もう、戦争は終わりだ。結果はもちろん吸血鬼たちの惨敗。これから始まるのは戦争ではなく、ブラドとアリアに忠誠を誓った1人の吸血鬼の、個人的な抵抗である。

 

 傍らの同胞の死体から手榴弾も拝借したブラドは、その同胞の死体が一枚の白黒の写真を握り締めたまま絶命していることに気付き、静かにその死体の目を閉じさせた。

 

 写真に写っているのは戦死する羽目になった吸血鬼の兵士と美しい女性。おそらく女性も吸血鬼だろう。お腹は膨らんでおり、もう少しで子供が生まれるという事が分かる。

 

 それ以上彼にとって大切な写真が泥で汚れないように、付着した泥を拭い去ってから死体の内ポケットへと入れたヴィクトルは、後方の部隊と合流して凄まじい数になった連合軍の戦車部隊を睨みつけながら笑った。

 

(願わくば、あの騎士と最後に戦いたかったものだ…………)

 

 エミリア・ハヤカワは本当に気高い剣士だった。

 

 彼女もおそらく、ヴィクトルと同じようにいずれ廃れることになる一騎討ちを楽しもうとしていたに違いない。彼女と死闘を繰り広げていたヴィクトルは、もしかしたら彼女も自分と同類なのではないだろうかと考えていた。

 

 今では、先進国の騎士団の装備は徐々に剣から高性能なクロスボウやスチームライフルに更新されつつある。近接武器ではなく飛び道具が主役になろうとしているというのに、それに逆らうかのように剣を愛用する彼女も、ヴィクトルと同じような考えを持つ相手だったのかもしれない。

 

 せめて決着をつけたかったと思いながら、G36Cのセレクターレバーをフルオートに切り替えようとしたヴィクトルは―――――――背後に立つ数名の兵士たちの方を振り向きながら、息を吐いた。

 

「撤退しろと言ったはずだ」

 

「できませんよ、そんなこと」

 

「ヴィクトル様、我らはまだ戦えます。お願いです、最後までお供させてください」

 

 いつの間にかヴィクトルの後ろに立っていたのは、ボロボロの制服に身を包んだ数名の負傷兵たちだった。銀の弾丸で身体を貫かれ、聖水で身体を焼かれたのか、どの兵士も身体のどこかに包帯を巻きつけているのが当たり前だった。中には片腕のない兵士や仲間に肩を貸してもらいながら何とか立っている兵士もおり、無茶をしているのは一目瞭然である。

 

 明らかに、一緒に戦える状態ではなかった。

 

 更に彼らの後方には、傷だらけのレオパルト2A7+も鎮座していた。アクティブ防御システムや砲塔の上のターレットは損傷しているらしく、いたるところに被弾したと思われる傷跡があるが、辛うじて移動と砲撃はまだ可能なようである。しかし万全の状態と比べれば戦闘力はかなり落ちており、このまま戦車部隊の前に立ちはだかればあっという間に集中砲火を受けるのが関の山だった。

 

 まだ生き残っている戦車がいたことに驚きつつ、ヴィクトルは首を横に振る。

 

「ダメだ、お前らは逃げろ。逃げてアリア様をお守りしろ」

 

「こんな怪我をしてますから、もう撤退した部隊には追いつけませんよ」

 

「逃げられないのならば、せめてあの魔王に一矢報いたいのです」

 

 しかし傷だらけの兵士たちも同じように首を横に振った。

 

 戦車に乗せてもらえば合流できる筈だと思ったヴィクトルであったが、中には片腕がない兵士や、仲間に肩を貸してもらわなければ動けない兵士もいる。彼らに瓦礫の上を走る戦車の上に乗れと命じれば、すぐに全力疾走する戦車の上から転げ落ちてしまう事だろう。それにこの戦車の燃料もそれほど残っていない筈だ。味方と合流する前に燃料を使い果たし、放棄する羽目になる確率は高い。

 

 もし仮にここで加勢してもらえれば本隊の離脱までの時間はしっかりと稼げる。ヴィクトルやこの勇敢な負傷兵たちの命と引き換えに、ブラドやアリアは無事にこの島国を離れることができるのだ。

 

 逃げたとしても合流できる見込みのない兵士たちを引き連れて抵抗するか、それとも彼らを強引に追い返して1人だけで抵抗するか悩んだヴィクトルであったが―――――――負傷兵たちの目を見渡した彼は、息を吐いてから首を縦に振った。

 

「分かった。最後までアリア様とブラド様のために、尽くしてもらう」

 

「了解(ヤヴォール)!」

 

「よし、戦闘準備! 砲弾はあと何発残ってる!?」

 

「APFSDSが6発のみです! 機銃もまだ生きてますが、残弾は100発程度!」

 

「分かった、戦車は敵の戦車を狙え。歩兵は俺たちで対処する」

 

 姿勢を低くしながら、空を舞う敵の戦闘ヘリの群れを見上げたヴィクトルは、舌打ちしてから唇を噛みしめた。負傷兵たちが戦車を持ってきてくれたおかげで、辛うじて敵の戦車に対抗することはできるようになった。しかし彼らの装備はアサルトライフルやなけなしの手榴弾程度で、帝都の空を飛び交う戦闘ヘリに対抗するためのミサイルや対物ライフルはない。

 

 更に、空に響き渡った音を聞いたヴィクトルは息を呑んだ。

 

 補給するために飛行場まで帰投していた航空部隊を呼び戻したのか、あのマウスや虎の子のラーテを木っ端微塵にした忌々しいA-10Cの群れが、再び帝都の空を舞い始めたのである。戦車を容易く鉄屑にしてしまうほどの火力と、機関砲に被弾した程度では撃墜できないほどの堅牢さを併せ持つ強敵を撃墜する手段も、彼らは持っていなかった。

 

 更にA-10Cが舞う高度よりも上には、漆黒に塗装された無数の爆撃機も見受けられる。

 

 敵に攻撃を仕掛けるよりも先に、あの航空部隊の攻撃でミンチにされてしまうのではないかと思ったヴィクトルは、泥や砂埃で汚れた頭をかいてから息を吐く。

 

 もう負けるのは分かっている。今から始めるのは―――――――傷だらけの兵士たちの、最後の抵抗だ。

 

 兵力差は関係ない。こちらの動力源は、かつてレリエルの父が最も恐れた”執念”なのだから。

 

 もしあの世でレリエルや彼の父と出会う事が出来たならば、ヴィクトルたちは胸を張って告げることができるだろう。大半の吸血鬼たちが嘲笑い、一部の吸血鬼たちが恐れた執念は、確かに吸血鬼たちも持ち合わせているのだと。

 

「―――――――行くぞッ!」

 

「突撃ぃッ!!」

 

 ヴィクトルの号令で、残骸の上で姿勢を低くしていた兵士たちが一斉に立ち上がり、進撃してくる戦車部隊へと向かって思い切り走り始めた。

 

 中には足を負傷した者もいるため、早くも置き去りにされている負傷兵もいる。自分も突撃したいのに負傷のせいで仲間に追いつくことができない負傷兵の悔しそうな表情を一瞥したヴィクトルは、歯を食いしばりながら前へと進んだ。

 

 彼らの分も、戦果をあげる必要がある。

 

 雄叫びを上げながら突っ込んで行く彼らを見つけたのか、天空を舞っていた戦闘ヘリの群れが高度を落とし始めた。更にA-10Cの編隊も高度を落とし、大部隊に一矢報いようとする哀れな敗残兵たちに引導を渡すために急迫してくる。

 

 Ka-50ホーカムの群れが立て続けに放つロケット弾が、ヴィクトルの傍らを走っていた吸血鬼の兵士を吹き飛ばした。一瞬だけ生じた火柱に吹っ飛ばされた吸血鬼の負傷兵の手足があっさりと千切れ飛び、右腕以外を捥ぎ取られた兵士が、悔しそうな顔をしながら泥まみれの地面に落下していく。

 

 更にA-10Cの群れも、地上を全力疾走する負傷兵たちに機首の30mmガトリング機関砲を掃射していく。いたるところで瓦礫の破片や泥が舞い上がり、戦車をズタズタにしてしまう恐ろしい兵器に撃ち抜かれてしまった負傷兵の身体の一部が舞い上がる。

 

 対吸血鬼用に銀の砲弾に変更されているらしく、バラバラにされた吸血鬼たちが再生する様子はない。

 

 ヴィクトルも強力な再生能力を持つ吸血鬼だが、あのような強力な攻撃を喰らえばただでは済まないだろう。

 

 その時、後方でゆっくりと前進していた味方のレオパルトが火を噴いた。120mm滑腔砲から放たれたAPFSDSはヴィクトルたちの頭上を通過して外殻を脱ぎ捨てると、荒々しい銛のような砲弾をあらわにしながら飛翔し、戦車部隊の先頭を進んでいたT-14の砲塔に正確に突き刺さった。

 

 致命傷は与えられなかったようだが、そのまま走行を続けていれば危険と判断したのか、被弾したT-14が速度を落として後方へと下がっていく。その隣を走行していた中国製の99式戦車が同じくAPFSDSを放ってくるが、その一撃は後方のレオパルトの砲塔の左を掠めると、その後ろにあった建物の残骸を抉った。

 

 そして、ついに敵の戦車部隊が立て続けに火を噴き始める。滑腔砲に装填したキャニスター弾を一斉に放ち、泥まみれのライフルと手榴弾を装備して最後の抵抗を続ける負傷兵たちを、弱点である銀のキャニスター弾で薙ぎ払っていく。

 

「ぐっ…………!」

 

 全力疾走していたヴィクトルの右肩を、1発のキャニスター弾が掠めた。すでに泥で汚れていたスーツと皮膚と肉を浅く抉った程度である上にヴィクトルの再生能力も高いため、すぐに傷を塞ぐことはできる。しかしこのまま突進を続けていれば、次の砲撃で蜂の巣にされるのが関の山だ。味方が脱出するまでの時間稼ぎが最優先とはいえ、せめて死ぬ前に少しでも戦果をあげておきたい。

 

 すると、またしてもヴィクトルたちの頭上を通過した1発のAPFSDSが外殻を脱ぎ捨てたかと思うと、ヴィクトルたちに狙いを定めていた99式戦車の車体の正面へとめり込んだ。

 

 凄まじい運動エネルギーと砲弾に貫かれた99式戦車の動きがぴたりと止まり、砲塔のハッチや車体のハッチから黒煙が吹き上がる。APFSDSに貫かれた複合装甲の断末魔を周囲に響かせながら擱座した戦車の中から、生き残った乗組員たちが大慌てで飛び出していく。

 

 しかし、もう後方から砲撃が飛来することはなかった。

 

 今の砲撃で、ヴィクトルたちの後方にレオパルトが潜んでいるという事が敵に知られてしまったのである。満身創痍の状態で突っ込んでくる兵士よりも、未だに砲弾を残している戦車の方がより脅威であると判断した航空部隊はすぐに目標を戦車へと切り替えると、損傷でアクティブ防御システムが使用できない戦車に容赦なく対戦車ミサイルや機関砲を叩き込み、瞬く間にレオパルト2A7+を沈黙させてしまった。

 

 対戦車ミサイルが空けた大穴や砲塔のハッチから火柱が吹き上がる。火達磨になった乗組員が車外に飛び出して転がりまわっているのを見たヴィクトルは、目を瞑ってから再び戦車部隊へと向かって走り出す。

 

 だが―――――――もう、敵からの砲撃はなかった。

 

「…………?」

 

 こちらに砲口を向けたまま、敵の戦車たちは停車している。

 

 分厚い複合装甲に身を包んだ巨躯たちの脇から次々に姿を現したのは、漆黒の制服に身を包んだ連合軍の兵士たちであった。銃剣を装着したAK-12や95式自動歩槍を装備し、雄叫びを上げながらヴィクトルや生き残った負傷兵たちへと向かって突撃してくるのである。

 

 押し寄せてくる無数の敵兵を睨みつけながら、ヴィクトルや負傷兵たちは笑っていた。

 

 人生の最後に、これほどの大軍と真正面から戦って戦果をあげることになったのだ。プライドの高い吸血鬼たちは圧倒的な数の兵士たちを目の当たりにしても、絶望するどころか奮い立っていたのである。

 

 全力で敵に向かって走りながら、ヴィクトルはセレクターレバーをフルオートに切り替えたG36Cのトリガーを引いた。5.56mm弾が立て続けに放たれ、突撃してくる敵兵の群れへと飛び込んでいく。

 

 胸板を撃ち抜かれた敵兵が倒れ、その兵士の傍らにいた兵士が雄叫びを上げながらアサルトライフルを連射する。もちろん装填されているのは、ヴィクトルたちが嫌う銀の弾丸である。

 

 とはいえ、ヴィクトルはレリエルに仕えた経験もある古参の吸血鬼。吸血鬼の王であるレリエルから何度か血を与えられたこともあるため、昔と比べれば彼の再生能力は飛躍的に向上している。物陰に隠れながら反撃するのは愚策だと瞬時に判断した彼は、今しがたその敵からの反撃で弾き飛ばされ、瓦礫の地面の上に落下する羽目になったG36Cを拾い上げずに、そのまま投げナイフをホルダーから引き抜きながら姿勢を低くして疾走する。

 

『う、撃て! あの速い奴を撃て!』

 

『くそ、動きが速過ぎる…………ッ!』

 

 瓦礫に覆われた大地の上を駆け抜けながら、右手に持った投げナイフを思い切り投擲。漆黒のナイフは弾丸に匹敵する弾速で飛翔すると、すとん、とウシャンカをかぶっていたモリガン・カンパニーの兵士の眉間に突き刺さる。

 

 右手で次のナイフを引き抜きつつ、左手のナイフも投擲。先ほど同じく弾丸を思わせる弾速で飛来したその一撃は殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士の喉へと突き刺さると、そのナイフを叩き込まれる羽目になった哀れな兵士を瞬時に絶命させた。

 

 もう既に、ヴィクトル以外の負傷兵は全滅していた。先ほどまで必死にヴィクトルと共に突撃していた兵士や、足を負傷していたせいで後方に置き去りにしてしまった負傷兵の悔しそうな顔を思い浮かべながら、ナイフを両手に持ったヴィクトルはついに敵兵の群れの中へと飛び込んだ。

 

『『『УРаааааааааа!!』』』

 

「どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 左手のナイフで敵兵の銃剣を横へと受け流し、無防備になった兵士の腹に膝蹴りを叩き込む。そのまま腹を押さえて倒れ込んだ兵士を置き去りにして前へと進み、彼にアサルトライフルを向ける兵士の顔面にナイフを投擲して黙らせたヴィクトルは、その絶命した兵士の死体を盾の代わりにすることにした。制服の襟と胴体を鷲掴みした彼はその死体の陰に隠れながら前進し、銃弾を防ぎながら敵兵に肉薄すると、その死体を突き飛ばして敵兵と激突させ、体勢を崩した哀れな敵兵の喉をナイフで両断する。

 

 口元に付着した返り血を舐め取りながら、ヴィクトルは笑った。

 

 懐かしい感覚だった。最近ではアリアの護衛やブラドの世話ばかりしていたせいで、こうやって最前線で戦う事は若い頃と比べると殆どなくなってしまっていたのである。

 

 戦車の脇を通過し、更に敵兵の群れの中を突き進んでいく。

 

 姿勢を低くして彼の頭を狙った敵兵の狙撃を躱し、銃弾に撃ち抜かれた肩をすぐに再生させていく。複数の弱点で攻撃しない限り死ねないほど強力な再生能力を持つヴィクトルだが、彼の身体の傷が塞がっていく速度は、着実に遅くなりつつあった。

 

 吸血鬼は一般的に弱点の銀や聖水でなければ殺せないと言われており、強力な個体は複数の弱点での攻撃でなければ倒せないと言われている。しかし、強力な再生能力を持つ吸血鬼たちは、いつまでも弱点である銀や聖水で刻まれた傷でさえ塞いでしまうほどの再生能力を維持できるわけではない。

 

 段々と、弱点で攻撃された場合のみ再生の速度は落ちていき、やがて一般的な吸血鬼と変わらないほど再生能力は低下してしまうのである。そのため、複数の弱点での攻撃よりも非効率としか言いようがないが、”再生できなくなるほど銀の弾丸を撃ち込む”という作戦も有効なのだ。

 

 その再生能力が尽きる前に、ヴィクトルは敵に一矢報いる必要がある。

 

 そして―――――――できるならば、あの女の騎士と決着をつけたいところだった。

 

 オークの兵士の眉間に3本もナイフを突き立て、その巨躯へと駆け上がる。2mの巨躯を持つのは当たり前と言われるほど巨漢が多いオークの兵士の身体をジャンプ台替わりにして跳躍したヴィクトルは、兵士たちが撃ち出す銀の弾丸の弾幕で何度も身体を貫かれながらも、両手でありったけのナイフを引き抜き―――――――それらを、一斉に敵に向けて放り投げた。

 

 まるでそれは、ナイフの雨だった。

 

 無数の漆黒のナイフが降り注ぎ、ヴィクトルの眼下で銃を手にしていた敵兵たちの頭や肩を無慈悲に貫いていく。弾丸と殆ど変わらない弾速を維持したまま降り注いだナイフは兵士たちの肉体を次々に食い破り、瓦礫の地面の上を鮮血とナイフで絶命した兵士たちの死体で埋め尽くしてしまう。

 

 その死体だらけの地面の上に着地したヴィクトルは―――――――その向こうで待っている男を見つめながら、息を吐いた。

 

「…………魔王」

 

 そこにいたのは、全ての吸血鬼たちの怨敵だった。

 

 11年前にレリエル・クロフォードを単独で討伐し、吸血鬼たちを瓦解へと追い込んだモリガンの傭兵。今ではモリガン・カンパニーを統率する男として、人々から”魔王”と呼ばれている最強の転生者。

 

 日本刀を腰に下げた紫色の髪の女性を引き連れて立っていたリキヤは、ここまで進撃してきたヴィクトルの姿を見つめながら目を細める。

 

 きっと、たった1人の吸血鬼がここまで抵抗するのは予想外だったのだろう。A-10Cと戦闘ヘリの攻撃を掻い潜り、味方の戦車の支援があったとはいえ戦車部隊の砲撃からも生き延びて、歩兵部隊を蹂躙しながらたった1人で魔王の眼前までやってきたのだから。

 

 満身創痍の吸血鬼だからと高を括っている様子はない。まるでこれから格上の相手に挑もうとする挑戦者(チャレンジャー)のように、ヴィクトルを見据えながら静かにウェブリー・リボルバーをホルスターの中から引き抜く。

 

 もし仮にここでヴィクトルが彼に全力で攻撃したとしても、ヴィクトルを上回る実力者であるアリアが手も足も出なかった時点で、ヴィクトルも同じ結果になるのは目に見えている。しかしヴィクトルはいつものような冷静さを維持しつつも―――――――その愚策に、賭けた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

 ホルダーに残ったなけなしのナイフを両手に持ち、ウェブリー・リボルバーを構える魔王に真正面から突っ込んで行く。

 

 リキヤがトリガーを引くと同時に、彼の傍らに佇んでいたリディア・フランケンシュタインの足がぴくりと動いた。キメラどころか吸血鬼すら上回っているのではないかと思えるほどの驚異的な瞬発力で一気に加速した彼女は、まるで自分よりも一足先に”放たれた”弾丸を掴み取ろうとしているかのように駆け出すと、右手で刀の柄をそっと握りながらヴィクトルに急迫する。

 

 身体を右に思い切り倒し、ウェブリー・リボルバーから放たれた弾丸を回避するヴィクトル。しかし彼が体勢を立て直そうとした頃には、もう既に彼女の得意とする居合斬りの”射程距離内”に入っていたのである。

 

 ぴくり、と一瞬だけリディアの右手が動いたかと思うと―――――――何の前触れもなく、右腕の感覚がすべて消失した。右肩の辺りから感じる猛烈な激痛と、顔に降りかかる暖かい真っ赤な雫の雨。ぼとん、と足元に何かが落下する音を聞くよりも先に、ヴィクトルはその一撃で何が起きたのかを悟った。

 

 ――――――――捉えきれないほどの速度の居合斬りで、右肩から先を切断されたのだ。

 

 しかもご丁寧に弱点である聖水を刀身に塗っていたらしく、右腕の再生速度が著しく遅くなっている。

 

 自分自身の鮮血を顔に浴びながら、ヴィクトルは昔の事を思い出していた。

 

 レリエルとアリアの間に無事にブラドが誕生した時、吸血鬼たちは全員で新たな吸血鬼の王時の誕生を祝った。そして彼が連れ去られた時は全員で彼を探し出し、無事に救出した。助け出されたばかりのブラドは自分の母親にすらなかなか懐いてくれない問題児だったが、ヴィクトルが彼の教育を担当しているうちに、段々と他の吸血鬼たちとも親しくなっていった。

 

 今はまだ若いが、将来的には必ず吸血鬼を率いる”第二のレリエル”となってくれる筈である。

 

 だから―――――――ここで何としても、魔王を食い止める。ブラドが無事に立派な指導者に成長するために。

 

 激痛を堪えながら目を見開き、左手に持っていたナイフを至近距離でリディアに投擲。今しがた腕を切り落としたばかりの敵に攻撃されるとは思っていなかったらしく、そのナイフは辛うじて躱そうとしたリディアの肩を掠める。

 

 その隙に左手を伸ばしたヴィクトルは―――――――顔をしかめるリディアの顔面を鷲掴みにすると、彼女の頭を握り潰してしまうほどの握力で締め付けながら彼女の身体を持ち上げ、まるでハンマーを地面に振り下ろすかのようにリディアの頭を瓦礫だらけの大地に叩きつけた。

 

「…………ッ!」

 

 目を見開きながら起き上がろうとする前に、ヴィクトルは今度はリキヤに襲い掛かる。

 

 その時、リキヤの後ろに一瞬だけ蒼い髪の女性がこちらを見ているのが見えた。魔王には妻が2人もおり、容姿はそっくりだという話を聞いたことがあるが―――――――奮戦する彼を見守っていたのは、明らかにホワイト・クロックの中で手合わせしたあの騎士だった。

 

 ヴィクトルが決着をつけたがっていた、魔王の妻の片割れ。最後に戦いたい相手が、魔王の後ろにいる。

 

 ならば、超えるしかない。

 

 この強大な男を超えて、再び彼女と戦う。

 

 リキヤの放った弾丸が胸板にめり込む。胸骨が瞬く間に粉砕され、貫通した弾丸と胸骨の破片が内臓に牙を剥く。

 

 口から血を吐き出しながら、ヴィクトルは笑っていた。

 

「魔王ぉぉぉ…………ッ!」

 

 そして、まだ右手の再生が終わっていないにもかかわらず―――――――リディアを投げ飛ばした左腕を握り締めた彼は、その腕に思い切り力を込めると、3発目の弾丸を放とうとしていたリキヤの顔面へと思い切り突き出す。

 

 リキヤはその一撃を躱そうとしたが―――――――予想以上の速度で放たれたヴィクトルの拳は、回避する寸前のリキヤの右の頬へと正確にめり込んでいた。

 

「ぐ…………ッ!?」

 

「邪魔だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 恐ろしい魔王ですら、邪魔。

 

 ヴィクトルが望んでいる相手は、あの時計塔の中で死闘を繰り広げたエミリアのみ。彼女ともう一度戦いたいという彼の願望と、主君を葬った男への恨みを込めた一撃は、躱そうとしていたリキヤの巨体をぐらりと揺らすと、一時的に彼の動きを止めた。

 

 その隙に追撃はせず、ヴィクトルは連合軍の総大将であるリキヤを無視して、彼の後方で待つエミリアの元へと向かう。

 

『どっ、同志!』

 

『大変だ、同志リキノフが突破された!!』

 

 オルトバルカ語で話す兵士たちの叫び声を聞きながら、ヴィクトルは自分の夫を殴り飛ばすと同時に姿を現した1人の吸血鬼を見つめつつ驚愕する彼女に向かって微笑んだ。

 

 彼女と決着をつけたかったからこそ、ここまで進撃できた。周囲にいるのは無数の敵兵と戦車たち。頭上には連合軍の爆撃機の編隊と、A-10Cの群れ。四面楚歌としか言いようがない状況でありながら単独でここまで突き進んでくることができたのは、せめて彼女と決着をつけてから死にたいという少しばかり贅沢な願望だった。

 

 けれども彼女は、受け入れてくれるに違いない。

 

 彼女も同じなのだから。

 

 ヴィクトルと同類なのだから。

 

 右肩から生えていた右腕が、肘の辺りまで再生したところで再生がぴたりと止まっていることに気付いたヴィクトルは、筋肉が剝き出しの状態のままで辛うじて右肩から”生えている”自分の右腕を一瞥してから息を吐いた。

 

 もう、再生能力は使えない。先ほどリキヤから被弾した際に、彼の再生能力は限界を迎えてしまったに違いない。

 

 だから今のヴィクトルは、ただの吸血鬼だった。銀の剣で斬られれば死に、聖水をぶちまけられればたちまち溶けてしまう脆い吸血鬼(ヴァンパイア)。しかも今から挑もうとしている彼女の剣には、当たり前のように聖水が塗られている。

 

 それでいい。相手と平等に戦うのならば、再生能力(こんなもの)はもういらない。

 

 彼女と戦うという願いは叶った。これはそれの対価なのだ。

 

 彼の再生能力が機能しなくなったことに気付いたのか、エミリアが一瞬だけ目を見開く。しかしヴィクトルが覚悟を決めていることを悟ったらしく、すぐに元の真面目な表情に戻った。

 

 そして―――――――ヴィクトルが左手でナイフを引き抜くと同時に、2人は前へと駆け出す。

 

 最早、狡猾さは必要ない。ここまで突破してきた猛者(ヴィクトル)を迎え撃ち、ここで待ってくれていた相手(エミリア)に全力の一撃を叩き込む事さえできれば、それ以外は必要ない。

 

 左手に持ったナイフを全身の瞬発力をフル活用して突き出すヴィクトルと、両腕でしっかりと柄を握り、両腕の筋力をフル活用して大剣を振り下ろすエミリア。2人のスピードはほぼ互角であり、そのままであればヴィクトルのナイフがエミリアに突き立てられると同時に、エミリアの剣がヴィクトルの肩を断ち切る筈だった。

 

 しかし―――――――先に血飛沫を噴き上げることになったのは、ヴィクトルの方だった。

 

 最後の最後で、エミリアの振り下ろした大剣が更に加速したのである。

 

(ふっ…………そうか、ここまでか…………)

 

 左肩にめり込み、再生したばかりの彼の胸板を切り裂いて右斜め下へと振り払われた血まみれの大剣を見下ろしながら、ヴィクトルの身体がぐらりと揺れる。

 

 無念ではなかった。むしろ、人生の最後に理想的な好敵手と一騎討ちができたのだから、彼は幸せ者だろう。あまりにも贅沢過ぎる最期と言える。

 

 自分の血飛沫で彩られる空を見上げながら、ヴィクトルは微笑んだ。

 

 これで時間は稼げた筈だ。少なくとも、レリエルが死亡した11年前のようにまた吸血鬼たちが瓦解することにはならないだろう。

 

 背中が冷たい瓦礫の地面にぶつかる。仰向けになったまま空を見つめるヴィクトルは、最後にアリアとブラドの顔を思い浮かべてから―――――――静かに瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現代兵器が存在することのない異世界で二回目となった現代兵器同士の激突は、後に『第二次転生者戦争』と呼ばれることになる。

 

 一番最初の現代兵器同士のぶつかり合いとなった第一次転生者戦争とは異なり、第二次転生者戦争ではこれでもかというほどの戦力を投入した連合軍が勝利したものの、彼らも数多くの兵器だけでなく、第一次転生者戦争にも従軍したベテランの兵士を何名も失うことになり、大きな打撃を受けることになった。

 

 そして、この本格的な戦争に初めて参戦したテンプル騎士団も、この戦いで自分たちの錬度の低さを痛感することになる。

 

 吸血鬼と連合軍の全面戦争は幕を下ろしたが、まだ戦争は終わっていない。

 

 この戦争の最中に天秤の鍵を手に入れたテンプル騎士団と、天秤を欲するモリガン・カンパニーの戦いは、まだ終わっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 



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大切な弟

 

 

 戦争が終わったという知らせを聞いたのは、宮殿を完全に制圧してから、仲間と協力して戦死者の遺体を宮殿の外へと運び出していた時だった。頭を5.56mm弾の集中砲火で捥ぎ取られたテンプル騎士団所属のオークの兵士のでっかい身体を、ハーフエルフの兵士とエルフの兵士に手伝ってもらいながら宮殿の外に運び出していた俺たちに、第一軍から派遣された伝令の兵士が「戦争は終わりました、同志」と告げたのである。

 

 そう、この戦争は終わった。

 

 吸血鬼と人類の殺し合い。そしてその裏でひっそりと行われた、天秤を欲する者同士の鍵の争奪戦。

 

 ひとまず、戦争は終わりだ。

 

 その知らせを聞いた兵士たちは、あまり表情を変えなかった。中には歓声を上げて仲間と抱き合う兵士もいたけれど、殆どの兵士は全く表情を変えずに瓦礫の上に座り込んだり、戦死した戦友の遺体の近くで何かを呟いている。きっと、戦死した仲間に戦争が終わったことを報告しているんだろう。

 

 俺も、表情を変えずにその終戦を受け入れた男の1人だった。

 

「そうか…………分かった、ありがとう」

 

 そう言いながら右手を腰に当てて仲間の遺体を見下ろすと、俺たちにそのことを報告しに来てくれた伝令の兵士はしっかりとした敬礼をしてから、近くに停車してあったバイクに乗って走り去っていった。

 

 宮殿の外にある広大な庭だった場所には、ずらりと戦死者の遺体が並べられている。連合軍の兵士の遺体と吸血鬼の遺体はちゃんと分けられているみたいだけど、中にはどちらの遺体なのか判別がつかないほど滅茶苦茶になった者や、誰なのかははっきりとしているにもかかわらず身体の一部しか見つかっていない者もいて、この作業は少しばかり時間がかかりそうだ。

 

 テンプル騎士団を創設してから、こんなに戦死者を出した戦いは今まで一度もなかった。相手は格下が当たり前で、死者を出さないのも当たり前。だから俺たちにとっては、”戦友を失わないのが当たり前”だったのだ。

 

 けれども戦争は全く違う。戦友を失うのが当たり前で、戦死者が出るのは当たり前。本物の銃に実弾を装填し、銃剣を装着した以上は人を殺すことを覚悟しなければならない。そして相手も同じように実弾を装填した銃を持っている以上は、仲間が殺されることを覚悟しなければならない。

 

 俺たちが今まで経験した戦いは、まだまだ生温かったのである。

 

 これが、戦争だ。

 

≪レベルが上がりました≫

 

 やかましい。

 

 レベルとステータスが上がったことを告げる画面を素早くチェックしてからチェックし、目の前から消滅させる。それから踵を返して再び宮殿の中へと向かうと、数人のスナイパーライフルを背負った若い兵士たちとすれ違った。彼らは同じくスナイパーライフルを背負った遺体を3人で支えていて、宮殿の外へと戦死した戦友を運び出そうとしているらしい。

 

 彼らはラウラの教え子たちだった。

 

 涙目になっている仲間たちに運び出されていく遺体はおそらく少女なのだろう。遺体には特に傷らしきものは見受けられず、なぜ死んだのだろうかと思って眺めていたんだが―――――――3人が通路を曲がるために方向を変えた瞬間、俺は目を見開いてから俯く羽目になった。

 

 その戦死した少女の、上顎から上が見当たらなかったのである。

 

 剥き出しになった舌と下顎の歯。上顎から上が消失しているせいで、どのような顔の少女だったのかは分からない。ただ、頭を捥ぎ取られたという事は、少なくとも即死だったんだろう。

 

「タクヤ」

 

「ああ、ラウラ」

 

 運び出されていく少女の遺体を見守っていると、宮殿の奥からやってきたラウラに声を掛けられた。彼女も教え子の遺体を目にしたのか、涙目になっている。

 

「あの子…………とても優秀な子だったの」

 

「そうか…………」

 

 彼女の教え子に助けられたのは、確か図書館を攻撃した時だ。ラウラが技術を教えた教え子たちの活躍のおかげで素早く図書館を制圧することができたし、敵に狙い撃ちにされずに済んだのだ。

 

 右手を伸ばして彼女の涙を拭い去ると、ラウラは微笑みながら言った。

 

「ごめんなさい。まだ仲間が残ってるから…………ちゃんと連れて帰らないと」

 

「そうだな。俺も手伝うよ」

 

 仲間だけじゃない。敵の遺体も、ちゃんと埋葬しなければならない。

 

 遺体の回収に戻ったラウラを見送ってから、俺も宮殿の中で激戦区となった部屋の中へと向かう。最初はこの宮殿の修理費は一体いくらかかるんだろうかと考える余裕があったけど、通路を進んで曲がり角を曲がる度に新しい死体が横たわっているのを目の当たりにしているせいなのか、今はそんな余裕はない。

 

 崩落した天井や近くにあったテーブルをかき集めて作った即席のバリケードの裏には、テンプル騎士団の制服に身を包み、頭に真っ黒なターバンを巻いた兵士が横たわっていた。傍らにはヒーリング・エリクサーのものと思われる瓶が転がっており、傷口があったと思われる場所にもちゃんと包帯が巻かれているため、彼と行動を共にした仲間たちが必死に彼を看病していたことが分かる。

 

 けれども致命傷を負った元ムジャヒディンの兵士は、こうして床に腰を下ろして休んでいるかのような体勢で力尽きている。彼の傍らに転がっているAK-12を拾い上げながらしゃがみ込んだ俺は、静かにその戦死した兵士の頬についていた血を拭い去った。

 

「ありがとう…………」

 

 こんな卑怯者について来てくれて、本当にありがとう。

 

 銃を手に取らず、代わりに鍬(くわ)を手に取る道を選んでいたのならば、こんな戦争を経験することはなかったし、死ぬこともなかったというのに。

 

 本当にありがとう、同志。

 

 できるだけ彼の顔を綺麗にしてから、床に腰を下ろしている彼の身体を静かに背負う。先ほどまでバリケードの裏でひっそりと休んでいた兵士の身体は思ったよりも重くて、持ち上げた瞬間にびっくりしてしまう。

 

 力尽きた同志の遺体を背負ったまま、俺は周囲の味方に見られないようにそっとフードをかぶった。

 

 涙が流れ落ちるのを、誰にも見られないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海戦に勝利して強襲揚陸艦から出撃し、戦車で上陸した時と比べると、当たり前だが俺たちの仲間の人数は大きく減っていた。

 

 一番最初の爆撃で焼け野原と化した帝都を埋め尽くすほどの歩兵と戦車の群れがいた筈なのに、戦死した仲間の死体を連れて静かに戻ってきたテンプル騎士団の兵士たちはボロボロで、乗っている戦車も傷だらけ。戦争に負けて撤退してきた敗残兵のようにも見えてしまう。

 

 雄叫びを上げながら進撃していた時とは真逆だ。

 

 一旦割り当てられた強襲揚陸艦へと戻り、そこからボートを使って戦艦ジャック・ド・モレーへと戻る。戦死者の遺体はモリガン・カンパニーの強襲揚陸艦『アンドレイ』がしっかりとタンプル搭まで送り届けてくれるらしく、このままテンプル騎士団艦隊と共にウィルバー海峡を渡って、タンプル搭までついてくるという。そこで補給を受けてから本隊と合流し、本社の保有する軍港へと帰投する予定らしい。

 

 傷だらけの仲間たちを乗せたボートがジャック・ド・モレーに近づいていくと、甲板の上で俺たちを待ってくれていた仲間たちが歓声を上げながら帽子を振り始めた。帝都の忌々しい吸血鬼たちを打ち破って帰ってきたのだから、このように歓声を上げる仲間たちに出迎えてもらえるのは当たり前だろう。

 

 けれども、俺は彼らに手を振り返す気にはなれなかった。

 

 俺だけではない。ボートに乗って戻ってきた兵士たちは、誰も甲板の上の仲間たちに向かって手を振ることはなかった。

 

 やがて、甲板の上から響いていた歓声が小さくなっていく。ボートが近づいていく度に俺たちの表情がはっきりと見えるようになったため、きっと彼らは理解したのだろう。上陸した部隊がどれだけ壮絶な戦闘を経験し、何人の仲間を失ったのかを。

 

「おい、随分減ってるぞ…………」

 

「いったいどんな戦闘だったんだよ…………」

 

 まるで敗残兵のような姿で戻ってきた俺たちを見下ろす乗組員たちの会話を聞きながら、俺は淡々とボートをジャック・ド・モレーの巨躯へと近づけた。漆黒の船体の上から降りてきたタラップを掴んで勢いよく上へと上がり、海戦の際に自分が指揮を執っていた超弩級戦艦の広大な甲板をブーツで踏みつける。

 

 戦艦モンタナとの死闘からとっくに12時間経過しているせいなのか、敵の砲撃で吹っ飛ばされたはずの第三砲塔は完全に修復されているようだった。砲弾の直撃で開けられた大穴は見当たらないし、重厚な装甲で守られた砲塔から伸びる3本の太い砲身は、艦尾へと砲口を向けたまま鎮座している。

 

 その第三砲塔の傍らで俺たちを待ってくれていた乗組員たちに敬礼すると、彼らも敬礼を返してくれた。

 

 やがて俺の代わりに艦長を務めていたウラルや、砲手としてジャック・ド・モレーに残ってくれたカレンさんも艦内から姿を現すと、ボートから続々と艦に乗り込んでくる兵士たちに向かって敬礼を始める。

 

 生還した兵士たちの中からカノンを見つけたらしく、不安そうな表情で自分の愛娘を探していたカレンさんは少しだけ微笑んだけど、すぐに真面目な表情に戻った。

 

「お帰り、同志」

 

「ただいま。…………こっちに被害は?」

 

「ない。損傷の修復も終わったし、あとは仲間の収容が終わり次第タンプル搭へと出航する」

 

「分かった」

 

 強襲揚陸艦を離れていくボートの数を数えながら、俺は頷く。仲間を収容し終えたらすぐに出航するというのならば、あと30分足らずで収容は終わるだろう。

 

 ウラルに敬礼してから艦内へと向かって歩き始めた途端、がっちりとした大きな手に手首を掴まれた。無視して先へと進もうとしてもその手は離れる気配がない。テンプル騎士団のメンバーで俺を抑え込めるほどの力を持っていて、こんなにがっちりした手を持っているのはウラルしかいない。そう思いながら後ろを振り向くと、やはり真っ黒な制服に身を包み、夕日が発する光を浴びないようにフードをかぶったウラルが俺の華奢な手首をつかんでいた。

 

「…………一体何を見てきた?」

 

「……………………地獄だ」

 

 大勢の兵士たちが、本気で殺し合いをする地獄。

 

 雪で覆われた廃墟の上や、泥と腐臭が支配する塹壕の中。手にする武器は何でもいい。銃でもいいし、剣でもいい。スコップでもいいし、弾切れになった銃でもいい。場合によっては素手でも構わない。とにかく、相手を殺すことができる手段が手元にあり、なおかつ相手を殺す意思がある者ならば誰でも参加できる最低最悪の地獄。

 

 数時間前まで、俺たちはその真っ只中にいた。

 

 弾薬がたっぷりと入ったライフルを装備して、何人も蜂の巣にしてきた。敵の塹壕の中に転がり込んで敵をナイフで切り裂き、頭を銃弾で吹っ飛ばし、崩れ落ちたその死体を踏みつけて進軍した。

 

 俺たちもその地獄の”参加者”だったのだ。

 

 俺よりも背が高くてがっちりしているウラルの瞳をじっと見つめていると、彼は「…………そうか」と呟いてから俺の手を放してくれた。そのまま手首を押し潰すつもりなのではないかと思ってしまうほどの握力で握られていたことに気付いた俺は、無意識のうちに左手で右手の手首を押さえながら、ジャック・ド・モレーの艦内へと向かう。

 

 確かに俺たちは、この戦争に勝利した。仲間たちに歓声を送られながら勝利の美酒を味わう権利がある筈だ。なのに、俺はその勝利の美酒を味わう気にはならなかった。

 

 何人も仲間を失った上に、前世の世界で仲の良かった親友を敵に回すことになったのだから。

 

 艦内の照明を見上げながら、息を吐く。

 

 確かに全く経験したことのない本当の戦争を経験し、地獄を見た。けれどもテンプル騎士団の団長までショックを受けてどうする。こういう時こそ、ショックを受けている団員たちを鼓舞するべきなんじゃないのか。

 

 自分の頬を左手で思い切りぶん殴ってから、もう一度息を吐いた。

 

 とりあえず、艦長室に戻ろう。

 

 タラップを駆け下りつつ、通路ですれ違った兵士たちに可能な限り微笑みながら挨拶する。けれども彼らはすでに甲板に戻ってきた兵士たちがどんな表情をしていたのかを聞いていたらしく、通路で出会った俺にはどんな戦いだったのかは聞かずに、そそくさと通路の奥へと歩いて行ってしまった。

 

 肩をすくめてから、頭の中で艦長室までの道を思い出しつつ、更に下へと伸びるタラップを駆け下りる。分厚い装甲と重火器を身に纏う超弩級戦艦の中にある通路を進み、何度かタラップを駆け下りてから、俺はオルトバルカ語で”艦長室”と書かれたプレートがある部屋のドアを開けた。

 

 艦長室と言っても、それほど広いわけじゃない。タンプル搭の中にある執務室の4分の1以下くらいだろうか。ただでさえ狭い部屋の中に仕事用の机と就寝用のやや小さめのベッドを詰め込んだだけのシンプルな部屋へと入った俺は、ベッドの上に腰を下ろしてから横になる。

 

 机の上にある小さな本棚には海域や魔物に関する本が並んでいるが、どさくさに紛れてラノベもその中に並んでいる。それをじっと見つめながら、俺はブラドとの戦いで聞いたことを思い出し始めた。

 

 あいつは最初に俺の事を『実験体2号(ツヴァイ)』と呼んだ。そしてあいつも俺と同じタイプの転生者で、正体は前世の世界で俺の親友だった葉月弘人。…………飛行機の事故で死んだはずのあいつも、俺と同じようにこの世界へと転生していたのである。

 

 その後に『俺たちは次世代型転生者の実験体(モルモット)』と言っていたということは、少なくともあいつも俺と同じく実験体(モルモット)である可能性が高い。

 

「次世代型…………」

 

 17歳に若返った状態で異世界に放り込まれ、あの端末を与えられる一般的な転生者とは異なる、新しいタイプの転生者。次世代型転生者とは、俺とブラドのようなタイプの転生者の事を指しているに違いない。

 

 若返って転生するのではなく、赤ん坊としてこの世界の新しい母親から生まれる。そして端末を持たない代わりにそれよりも発展した能力を生まれつき身につけている転生者。仮説だが、おそらくこれが”次世代型転生者”の定義だろう。

 

 ならば、こんな実験を始めたのは誰だ? そもそも、いったい誰が転生者をこの世界に送り込んでいる?

 

 転生者が自分の欲望のために力を悪用し、この世界を蹂躙しているにも関わらずどうして転生者を異世界に送り込む? 

 

 それにどうしてブラドはそんなことを知っていた? まさか、転生者たちを使って何らかの実験を続けている人物と接触したことがあったのか? 

 

 俺は何も知らなかった。自分が実験体であることは全く知らなかったし、あいつがこっちの世界にいたことも。

 

 知らないことが多すぎる。

 

 何が起きてるんだ…………?

 

 ベッドの上から起き上がろうとしたその時、艦長室のドアをノックする音が聞こえてきた。ノックの音でドアをノックした人物が誰なのかを瞬時に理解した俺は、苦笑いしながら「どうぞ」と言いつつベッドから起き上がる。

 

 艦長室のドアを開けて部屋の中へと入ってきたのは、やはり一緒に育ってきた赤毛の少女だった。反射的に彼女を「お姉ちゃん」と呼びそうになったけれど、自分の正体が転生者であることを思い出した瞬間、組み上がりつつあった言葉がすぐに崩れ去る。

 

 彼女を「お姉ちゃん」と呼んでもいいのだろうか。彼女は俺が転生者だからと言って突き放すようなことはしないと言ってくれたけれど、彼女を姉だと思う事を少しばかり躊躇ってしまう。

 

 確かに俺は彼女の腹違いの弟だ。けれど、俺の中身はあくまでも水無月永人なのである。

 

「おつかれさま」

 

「ああ」

 

 彼女は微笑みながら部屋のドアを閉めると、ミニスカートの中からキメラの特徴でもあるドラゴンのような尻尾を覗かせながら、俺の隣に腰を下ろした。

 

「…………ねえ、あの話を聞かせてくれる?」

 

「ああ」

 

 俺の正体の話。

 

 タクヤ・ハヤカワの中身の話だ。

 

「俺は、確かに転生者だよ。前世の世界で死んで…………この世界で生まれ変わった」

 

 隣で話を聞いているラウラの尻尾が、まるで眠っている子供の頭を撫でるかのようにそっと背中を撫で始める。やがて俺の尻尾の表面を撫で始めると、隣にいる俺の尻尾に自分の尻尾を絡みつかせ始めた。

 

 甘えている時のような仕草だけど、ちらりと彼女の顔を見てみると、ラウラは真面目な表情で俺の瞳を見つめながら話を聞いている。どうやらふざけているわけではないらしい。

 

「エミリアさんの子供になってたの?」

 

「ああ。生まれたばかりの俺を、母さんと親父とフィオナちゃんとガルちゃんが覗き込んでたよ」

 

「そう。…………ねえ、内緒にしてたのはなぜ?」

 

「…………怖かったんだ」

 

 生まれてきた赤ん坊の中身が異世界で死んだはずの男だと知った家族に拒絶されるのが、怖かった。けれどもいつか自分の正体を告げようと思っていたんだけど、一緒に転生者を狩っているうちに転生者の大半がクソ野郎だという事を知って―――――――俺は自分の正体を、告げられなくなってしまった。

 

 転生者だという事が知られたら、力を悪用するクソ野郎というレッテルを貼られるのが怖かったから。

 

 そういう奴らと同じだと見なされるのが嫌だったから。

 

 隣で話を聞いていたラウラは、今度は静かに手を握ってくれた。柔らかくて暖かい彼女の手が包み込んでくれた瞬間、彼女に拒絶されるのではないかという恐怖が少しずつ消えていく。

 

「捨てないよ、お姉ちゃんは」

 

「…………」

 

「タクヤは私を助けてくれたし、みんなの事も助けてるじゃない。タクヤはクソ野郎なんかじゃない。とっても大切な私の(恋人)だよ」

 

「ラウラ…………」

 

 静かに寄り掛かってきた彼女は、俺の手を包み込んでいた手を一旦放してから、今度は両手を伸ばして俺を抱きしめてくれた。彼女が言ってくれた優しい言葉と幼少の頃から何度も包み込んでくれた甘い香りが、拒絶されることを恐れていた心の中にゆっくりと染み渡っていく。

 

 やがて、彼女の言葉で癒された心の中から安堵が産声を上げる。けれどもその産声をかき消してしまうほどの勢いで湧き上がり始めた感情のせいで―――――――俺は再び、涙を浮かべる羽目になった。

 

 ――――――――嬉しいんだ。彼女に”恋人”と呼んでもらえたことが。

 

 俺は、拒絶されなかった。

 

 受け入れてもらえたんだ。

 

 だから、涙が止まらない。

 

 俺も両手を伸ばして彼女を抱きしめると、ラウラは俺が泣いていることに気付いたのか、静かに頭を撫でてくれた。もう18歳になったというのに同い年の姉に頭を撫でられるのは恥ずかしいけれど、今はこうしてもらわなければ落ち着かない。

 

「よしよし。大丈夫だよ、いっぱい泣いて」

 

 ごめん、ラウラ。もう少し泣かせてくれ。

 

 彼女の言葉に甘えた俺は―――――――その時だけ、たくさん泣いた。

 

 

 

 

 

 

 



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改革

 

 

 タンプル搭の中には、大きな会議室がある。広大な円形の部屋の中に鎮座する巨大な円卓には

30人分の椅子が用意されていて、テンプル騎士団のメンバーの中でここに座ることが許された者たちが、ここで会議を行う。

 

 ここに座るのは、テンプル騎士団本隊とシュタージのメンバーに加え、兵士や非戦闘員の中からちょっとした選挙で選ばれた議員たち。この巨大な円卓で会議を行う議員の事を、俺たちは”円卓の騎士”と呼んでいる。

 

 会議の内容は様々だ。食料や生活に必要な物資について会議を行ったり、設備の拡張についての会議や、生活している非戦闘員や兵士たちからの要望を聞き、それの解決策の議論を行う。いつもはそういう会議が主に行われているけれど、場合によっては”敵”が襲撃してきた際の指揮や、テンプル騎士団の安寧を脅かす脅威への宣戦布告するか否かの採決もここで行う。

 

 民主主義や平等さを最も重視しているため、そう言った重要な議論や採決が行われる場合、基本的には円卓の騎士全員の承認がない限り許可は下りないというルールになっている。だからもし仮にテンプル騎士団が全兵力を投入して敵へと宣戦布告するという採決を行った場合に、1人でもそれを承認しなければ宣戦布告は否決されるのだ。

 

 慎重すぎるかもしれないが、強行採決を防ぐための決まりである。

 

 いつものように円卓の席に腰を下ろす円卓の騎士たち。制服の襟には巨大な円卓の中央に30個の小さな赤い星が刻まれたバッジがつけられている。円卓の騎士の証だ。

 

 きっと彼らは、自分の席にいつものように腰を下ろした瞬間びっくりした事だろう。

 

 なぜならば―――――――自分の席の目の前に、1丁の拳銃が置かれているのだから。

 

 ロシア製ハンドガンのPL-14だ。テンプル騎士団で正式採用しているハンドガンの1つで、多くの兵士た戦車兵たちがサイドアームや自衛用の武器として携行している、9mm弾を使用する新型ハンドガンである。

 

 しかしそれが置かれているのは29人の円卓の騎士だけ。俺の目の前には、何も置かれていない。

 

「…………本当なのか、タクヤ」

 

 腕を組んだまま俺の話を聞いてくれていたウラルが、低い声で言いながらこっちを見た。いつものように冷静な表情をしているが、やはりいきなりあんなことを言われてかなり困惑しているのだろう。ウラル以外の円卓の騎士のメンバーも動揺しているらしく、不安そうな顔をしながら俺の方を見ている。

 

 無言で頷くと、会議室の中が一気に静かになった。

 

 誰も、喋らない。無言で俺の顔と目の前のPL-14を見つつ、誰かが話し始めるか、その目の前の拳銃を拾い上げるのを待っている。

 

「そうか…………お前は転生者だったんだな」

 

 数十秒前、俺はついにここにいる円卓の騎士たち全員に自分の正体を明かした。

 

 俺はこの世界の人間ではなく、前世の世界で死亡した男子高校生が生まれ変わった、”次世代型転生者”なのだという事を。

 

 それを聞いた仲間たちは、やっぱり困惑している。今まで一緒に戦ってきた組織の団長が、実は転生者だったのだから。

 

「―――――――だから、どうするか決めてほしい。…………覚悟はできてる」

 

 みんなの目の前に置かれたPL-14を一瞥しながらそう言うと、仲間たちは一斉に目の前に置かれたハンドガンを見つめた。中にはしっかりとマガジンが入っていて、その中にはいつものように9mm弾が装填されている。

 

 基本的に銃は強力な武器だが、転生者が生産した武器の場合は、転生者のレベルやステータスも銃の威力にほんの少しだけ影響を与える。テンプル騎士団に所属する転生者の中では現時点で俺が一番レベルが高いため、もし仮にそれで”俺を撃つ”事になれば、外殻を展開して身を守らない限りは銃弾は俺の身体を食い破る事だろう。

 

 そう、撃たれれば死ぬ。普通の人間のように。

 

 だからこそ、俺は仲間たちの目の前にハンドガンを用意した。今まで自分の正体を隠していた事のけじめをつけるために。

 

 円卓の騎士たちのルールは、基本的に何らかの採決をする場合は1人でも拒否すればただちにそれは否決される。だから今のこの採決は――――――『今まで正体を隠していた俺を生かすか否か』。

 

 生かすのであれば全員に承認してもらう必要がある。誰か1人でもハンドガンを手にして俺へとぶっ放せば―――――――そう、否決される。俺の命と共に。

 

 息を吐いてから、静かに目を閉じた。

 

 俺の事を許せないのならば、撃って構わない。俺はそういうことをしたのだから。

 

 仲間に殺されるならば…………それでいい。

 

 さあ、誰だ。俺を撃つのは。

 

 しばらく目を瞑り、身体の力を抜いたまま起立していた。けれどもこうして仲間たちに決断を頼んでから、早くも2分くらいは経過している。未だに誰かがハンドガンを拾い上げる音は聞こえてこない。

 

 団長の命を奪うことになるから困惑しているのだろうか? そう思いながら更にじっと待ってみるが…………相変わらず、静かだ。誰もハンドガンのグリップを握る音もしない。

 

 さすがに遅すぎると思った俺は、思わず目を開けてしまった。

 

「…………えっ?」

 

 円卓の席に腰を下ろす円卓の騎士たちは、黙って俺の顔をじっと見ているだけだった。許せないのであればすぐに粛清できるように、彼らのためにハンドガンを用意しておいたというのに、誰もそれに手を伸ばそうとしていない。黙って起立していた俺の顔を見つめているだけだ。

 

「…………バカじゃないの?」

 

「えっ?」

 

 いきなりそう言ったのは、俺の左の席に腰を下ろすナタリアだ。

 

 メンバーの中でもしっかりしている彼女は腕を組みながら、ハンドガンには手を伸ばそうともせずに俺の顔を見上げている。どうしていきなり彼女に「バカじゃないの?」と言われたのか理解できずに少しばかり困惑していると、頭にかぶっていた軍帽を静かに円卓の上に置いたナタリアが微笑んだ。

 

「―――――――何であんたを撃つ必要があるの?」

 

「…………でも、俺は…………」

 

 俺は、今までずっと正体を隠してたんだ。

 

「あんたが本当に他の転生者みたいならクソ野郎だったら、テンプル騎士団なんて設立されてないわよ?」

 

「そうですわ、お兄様。力を悪用するような転生者だったら、こんなに多くの人々は救われていませんもの」

 

「それに、クソ野郎だったら”人々が虐げられない世界を作る”って天秤にお願いしない筈です」

 

 ナタリアだけではなく、カノンとステラもそう言い始める。誰か1人は俺に銃を向けていてもおかしくはないだろうと思って覚悟を決めていたんだが、困惑しながら円卓を見渡してみると―――――――誰も銃を手にしていない。

 

 みんな、微笑んでいる。

 

 まるで、俺を歓迎してくれるかのように。

 

「クソ野郎だったら、ジナイーダのためにお墓を作ってくれたりしないよ」

 

「それに、俺たちはいつもお前に助けられてるからな。そういう男がクソ野郎とは思えん」

 

 イリナとウラルも、微笑んでいる。

 

 シュタージのメンバーの方を見てみると、やっぱり彼らも笑っていた。相変わらず木村はこういう時もガスマスクをかぶっているせいでどんな表情をしているのかは分からないけど…………多分笑ってるんだろう。

 

「俺らも同意見だ。お前は誠実な男だよ」

 

「そうよ。粛清する必要なんてないわ。むしろドラゴン(ドラッヘ)はテンプル騎士団に必要よ」

 

「みんな…………」

 

 認めてくれるのか。

 

 受け入れてくれるのか。

 

 撃たれずに済んで安堵したのか、それとも仲間に受け入れてもらえたことが嬉しいのか、身体から本当に力が抜けたような気がした。いきなり後ろに引っ張られたような感じがしたと思った直後、身体から力が抜けてしまった俺は自分の席に勢いよく着席する羽目になる。

 

 まるで後ろに倒れたように見えたのか、みんなが心配してくれたけど―――――――俺は笑いながら「大丈夫、みんなありがとう」と言いつつ、息を吐いた。

 

 なんだか、やっとみんなに受け入れてもらえたような気がする。

 

 もう、隠し事はない。全てこの円卓の上にさらけ出したのだから。

 

「それよりも…………気になる事があるんだけど」

 

 みんなの笑い声が消えてから、間髪入れずにクランが真面目な声音で言う。いつもは飄々としているいたずらが大好きなシュタージの隊長だけど、こういう真面目な話や実戦では一気に凛々しい女傑になる。だから彼女の声音が変わると同時に、みんなの表情もまるで作戦介護の最中のように一気に真面目になった。

 

「”次世代型転生者”…………ということは、私たちがベースなら”第二世代”って事よね?」

 

「ああ。だが、あくまでも”試作型(プロトタイプ)”に過ぎないみたいだが」

 

「試作型(プロトタイプ)…………」

 

 それゆえに、ブラドは俺の事を実験体2号(ツヴァイ)と呼んでいた。2号という事は、おそらく実験体1号(アインス)はブラドなんだろう。

 

 けれども、他にも実験体がいる可能性はある。もしかしたらブラドは1号(アインス)ではなく3号(ドライ)かもしれないし、4号(フィーア)かもしれない。

 

 転生者は一般的に、17歳に若返った状態でこの世界へと放り込まれる。まず最初にポケットの中に入っている端末で”初期装備”を生産しつつ使い方を説明され、それが終わり次第すぐに異世界へと転生するのである。

 

 けれども、俺やブラドのような”第二世代型”の場合は違う。能力の使い方を説明された後は17歳の姿に若返っているのではなく―――――――赤ん坊になっている。もちろん、前世の自分とは別人だ。この世界で転生者を生んでしまった母親と父親の遺伝子を受け継いだ別人として生まれ変わるのである。

 

 それゆえに、”第一世代型”の転生者と比べると最初のうちは無力でしかない。初期のステータスは非常に低く、しかも武器を作って抗おうとしても身体は幼児のものでしかない。どれだけ強力な剣を作っても幼児の筋力では振るうどころか持ち上げる事すらできないし、高性能な銃を作っても反動(リコイル)に耐えられない。武器によっては重くて動けなくなる可能性もある。

 

 しかも別人として生まれ変わる以上、”才能”は完全に両親の遺伝子に依存するしかない。第一世代型の転生者と比べると非常のリスクが大きいが、俺やブラドのように強力な種族の子供として生まれることができたのならば、その戦闘力は他の転生者を圧倒する。

 

 まだ実験段階なのは、やはり第一世代型の転生者よりもリスクが大きいからなのだろう。いくら第二世代型が強力とはいえ、成長する前に魔物に食い殺されてしまっては意味がない。しかも真価を発揮するのはちゃんと成長してからである。力を振るう事ができるようになるまで、その転生者が生きている保証はない。

 

 しかも、敵にすると厄介な点がある。

 

「転生者なのか見破るのは難しいわね…………」

 

 そう、それだ。

 

 普通の転生者ならば端末を持っているからすぐに分かる。けれども端末を持たず、その端末の機能を自分自身の能力として身につけている第二世代型の転生者は、そいつの正体をすぐに見破ることができない。実際にヴリシアの戦いでは、俺はブラドと最初に出会った時はあくまでもあいつの銃は他の転生者から与えられたものだと思っていた。

 

 しかも身につけている能力という事は、端末を破壊して能力を無力化したり、端末を奪って彼らのステータスを低下させるという作戦は無意味になる。

 

 転生者は、あの端末を身につけていなければステータスが一気に下がってしまうという弱点があるのだ。21年前の魔剣との戦いの際に親父はラトーニウス王国騎士団に身柄を拘束されて尋問を受ける羽目になったが、その時は端末を身につけていなかったため、レベルの高い転生者にも拘らずただのレイピアや焼き印でかなりのダメージを受けていた。

 

 しかし第二世代型は、そもそも端末を持っていないため、端末を破壊したり奪って無力化することは不可能なのだ。

 

「ドラッヘ、見分ける方法はないの?」

 

「すまん、分からん」

 

 俺でも見分けられない。何も目印がないのだ。

 

 だから、彼らが自分の能力を使うためにメニュー画面を開く瞬間を見なければ、第二世代型の転生者だということを見破るのは不可能に等しい。

 

 現時点ではまだ実験段階というのは幸運だが、もし転生者を生み出している何者かが俺とブラドのデータを目にして成功したと判断し、第二世代型転生者の”量産”を始めたとしたら…………かなり面倒なことになる。

 

 転生者だと見抜くことができない上に、能力は第一世代型よりも強力なのだから。

 

「第二世代型が増加しても対処できるように、手を打つ必要がありそうですね。同志タクヤ」

 

「ああ。とりあえず軍拡と…………”特殊部隊”の設立を考えている」

 

「特殊部隊ですか?」

 

「そうだ」

 

 円卓の反対側にいる、頭にターバンを巻いたムジャヒディン出身のメンバーにそう言いながら、俺は会議室の天井にぶら下がっているシャンデリアへと手を伸ばし、魔力を放出し始めた。

 

 やけに歯車やボルトなどの機械の部品を意識したデザインのシャンデリアには、実は小型のフィオナ機関が搭載されているのである。魔力の放出を検知するとそれを取り込んで動力源にして、円卓の上にちょっとした立体映像を投影する仕組みになっている。

 

 シャンデリアからゆっくりと魔法陣が回転しながら降りてきたかと思うと、その魔法陣が円卓の上でゆっくりと崩壊していき、蒼い立体映像を形成し始めた。

 

 映し出されたのは、現時点でテンプル騎士団に所属する部隊である。大雑把に分類したが、今のところは通常の戦闘を行う戦闘部隊と、諜報活動を行う諜報部隊(シュタージ)の2つに分類できる。

 

「現時点でテンプル騎士団を構成する部署は、戦闘に関してはこの2つだ。俺たちが表舞台で暴れまわり、シュタージが舞台裏で敵を探るというわけだが、いつまでもこの2つだけで”仕事”をするのは難しくなってきた」

 

 シュタージはメンバーが少ない。だから情報収集だけでなく、敵の拠点への潜入や暗殺なども行う必要がある。それに場合によってはヴリシアの戦いのように、最前線で戦わなければならない。あんな激戦を経験したにもかかわらずメンバーが1人も欠けていないのは彼らの錬度が高いという証だが、いつまでも彼らに負担をかけるわけにはいかない。

 

 だから、より舞台裏での戦闘に特化した部隊を編成することにした。

 

「――――――――というわけで、特殊部隊(スペツナズ)を編成しようと思う」

 

「スペツナズか…………」

 

「ああ。それ以外にも、指揮系統の整理のために軍隊みたいな階級も検討中だ」

 

 ヴリシアのような地獄の戦いで、これ以上戦死する同志を増やさないために。

 

 必要なのは、このテンプル騎士団の改革だ。

 

 仲間たちから認めてもらえたのだから、これからもしっかりと人々を守るために戦い続けなければならない。俺にできることは銃を構えて敵陣に突っ込み、クソ野郎共を抹殺して人々を救う事だけなのだ。

 

「さあ、改革だぞ。同志諸君」

 

 だから、俺たちは戦い続ける。銃から排出した空の薬莢が大地を埋め尽くし、この漆黒の制服がクソ野郎共の返り血で真っ赤になったとしても。

 

 虐げられている人々が―――――――救われる世界を実現するために。

 

 

 

 第十三章 完

 

 第十四章へ続く

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 クランの家系は戦車だらけ?

 

ケーター「そういえば、お前のお爺さんも戦車に乗ってたんだよな? 西ドイツ軍で」

 

クラン「そうよ。レオパルト1に乗ってたんですって。…………ふふっ、曽祖父も第二次世界大戦でティーガーⅠに乗ってたの。パパは現役の車長よ♪」

 

ケーター「戦車一家だなぁ…………もしかして、第一次世界大戦でも戦車に乗ってたんじゃないよな?」

 

クラン「あ、ご先祖様は乗ってたみたい。A7Vに」

 

ケーター「マジで!?」

 

木村「子孫はレオパルト2ですねぇ…………」

 

坊や(ブービ)「ドイツの戦車と一緒に進化してきた一族なんだなぁ…………」

 

ノエル(なんで諜報部隊にいるんだろう…………?)

 

 完

 

 

 




今回で第十三章はやっと終了です。長引かせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
次回から第十四章スタートです。よろしくお願いします!

※A7Vは第一次世界大戦の最中に少しだけ生産されたドイツ初の戦車です。


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第14章
傭兵が子育てをするとこうなる


この第十四章ですが、昔の話になります。タクヤたちが幼い頃の話ですね。
リキヤたちの子育てや伏線のシーンがメインになります。


 

 

 テーブルの上に置いておいた7.62×54R弾が束ねられたクリップを掴み取り、そのままポーチの中に突っ込む。ホルスターの中にもちゃんとトカレフTT-33が入っていることを確認してから立ち上がり、壁に立てかけておいた得物を拾い上げる。

 

 下部から長いマガジンが突き出ていないせいですらりとした形状をしており、木製の部品を多用しているせいなのか古めかしい雰囲気を放っているそれは、第二次世界大戦でソ連軍が正式採用していた”モシン・ナガンM1891/30と呼ばれるボルトアクション式のライフルである。

 

 AK-47が採用され、徐々に新型のアサルトライフルやボルトアクションライフルが正式採用されるようになってからはすっかり退役してしまった旧式のライフルだが、射程距離と殺傷力だけならば近代的なライフルには引けを取らない。その上非常に堅牢で扱い易いため、お気に入りの得物の1つだ。

 

 妻たちが作ってくれたウシャンカを頭にかぶってから、家の玄関へと向かう。

 

「力也」

 

「おう、エミリア」

 

 モシン・ナガンを背負いながら外に出ようとしていると、後ろからやってきた妻に呼び止められた。かつて俺と一緒に隣国からこのオルトバルカ王国まで亡命してきた一番最初の仲間は、この家で一緒に暮らす大切な家族である。

 

 転生者ですら一瞬で両断してしまう凄腕の剣士なのだが、通路の向こうからやってくる彼女はふらついているようにも見える。ドアを開けようとしていた俺はドアノブから手を放して彼女の側へと向かうと、最愛の妻が転ばないように彼女のすらりとした手を握る。

 

「す、すまん…………」

 

「気にすんなって」

 

「ところで、仕事か?」

 

「ああ。魔物退治だってさ」

 

「なっ、なんだと!? ならば私も―――――――」

 

 慌てて自室まで自分の剣を取りに戻ろうとした彼女を優しく止めてから、エミリアのお腹を指差す。

 

 昔から騎士団で訓練を受け、今でも毎朝剣の素振りや筋トレを欠かさずに行っている彼女の身体は本当にすらりとしていて美しい。必要以上に甘いものを食べることもないから余分な脂肪は殆どないのだ。けれども今の彼女のお腹は順調に膨らんでいて、こうして歩く度にふらつくようになりつつある。

 

 お腹を指差された彼女は、少しばかり悔しそうな顔をしながら俺の顔を見上げた。

 

「ママになるんだから、安静にしてなきゃだめだよ」

 

「くっ…………だ、だが…………ッ」

 

 そう、エミリアは数ヶ月後にはママになるのである。

 

 彼女のお腹の中で生まれるのを待っているのは―――――――俺とエミリアの遺伝子を受け継いだ、可愛らしい子供なのだ。ちなみにもう1人の妻であるエリスも同じく妊娠しており、フィオナの検査では出産の時期はエミリアとほぼ同じになるらしい。

 

 一緒に仕事ができないのが悔しいのか、それとも俺を1人で戦いに行かせるのが不安なのか、エミリアは俺のコートの裾を思い切り掴んだ。

 

 彼女の頬を右手で優しく撫でてから、そっと唇を奪う。

 

「大丈夫。俺もパパになるんだから…………こんなところで死なねえよ」

 

「う、うむ…………だが、その…………心配なのだ」

 

 妻を未亡人にするつもりはないよ。だから俺も訓練は欠かさない。

 

 一旦モシン・ナガンを壁に立てかけてから、エミリアをそっと抱きしめた。

 

「それにしても、生まれてくる子供はどっちなんだろうな」

 

「うーん…………」

 

 この世界では、魔術の普及のせいで医術がかなり早い段階で衰退してしまったため、前世の世界のように”医者”は存在しない。基本的にそういった治療を担当するのは治療魔術師(ヒーラー)で、魔術で癒せないような病の場合は薬草を調合して患者に渡すようにしているという。

 

 とはいえ、魔術では生まれてくる前の子供の性別がどちらなのかは判別できないため、彼女のお腹の中の子供が男の子か女の子かは、生まれてきた子供と実際に対面しない限り分からない。

 

「多分、男の子ではないか?」

 

「何で?」

 

「だって、未来からやってきてくれたではないか」

 

 ああ、そうだったな。確かあれはジョシュアと戦った時の事だった。

 

 信じられないけれど、未来から成長した姿の子供たちが俺たちの時代にやってきて、一緒にジョシュアが復活させた魔剣と戦ったのだ。あの戦いで無数のゾンビたちを率いてオルトバルカのネイリンゲンに侵攻したジョシュアたちは敗退し、俺とエミリアの子供だと名乗ったタクヤという少年は、何と魔剣を奪って元の時代へと帰っていったのである。

 

 ”歴史通り”なら、彼女のお腹の中にいるのは男の子か。そういえば、あいつは本当にエミリアにそっくりだったなぁ。性格は真逆だったけど―――――――。

 

 未来からやってきた子供たちと出会った時の事を思い出した瞬間、まるで本当に頭を銃弾で貫かれたかのような激痛が脳を虐げ始める。歯を食いしばりながらその痛みを誤魔化そうとしたけれど、微かに彼女を抱きしめている腕が痙攣したのはエミリアに察知されたらしく、抱きしめていた彼女が心配そうに頭を撫でてくれた。

 

「だ、大丈夫か…………?」

 

「あ、ああ、大丈夫だ…………ふう」

 

 まったく…………。

 

 あの戦いの後、未来からやってきた子供たちの事を思い出す度にこうして頭が痛み始めるんだ。まるでそれを思い出してはならないと俺の警告しているようで、信じられないことに子供たちの事を忘れるとこの痛みは消えていくのである。

 

 そして、あの戦いに参加したメンバーはモリガンのメンバーだけで、子供たちはそもそもいなかった、というもう1つの記憶が、こっちの方が正しいと言わんばかりにその記憶の上書を始める。

 

 おそらくこの時代に介入することのなかった存在と接触してしまったことで、ちょっとした矛盾が生じてしまっているのだろう。この頭痛はそれが原因なのかもしれない。

 

 けれども、現時点でこんな症状を発症しているのは俺だけらしく、エミリアやエリスたちは平然と未来からやってきた子供たちの話をしたり、どんどん大きくなっていくお腹を撫でながらあの子供たちと再会するのを楽しみにしているようだ。

 

「じゃあ、そろそろ行ってくるよ」

 

「うむ、気を付けるのだぞ」

 

「おう」

 

 モシン・ナガンを拾い上げ、背中に背負ってから今度こそドアを開けようとする。けれどもエミリアのすらりとした手はまだ俺のコートの裾を掴んでいた。

 

 まだ寂しいのかなと思いながら微笑んで振り返った瞬間、顔を近づけてきたエミリアに、今度は唇を奪われる羽目になった。先ほど抱きしめたばかりだというのにまた妻を抱きしめることになった俺は、出来るだけ抱きしめている腕に力を入れないように注意しながら、お互いの舌を絡ませる。

 

 ああ、やっぱり依頼をキャンセルしようかなぁ…………。このまま1日中エミリアとイチャイチャしてたい…………。

 

 でも、依頼を終わらせればちゃんと報酬も支払ってもらえるからな。収入のためにもサボるわけにはいかない。それにエミリアも仕事をサボらせるためにキスをしてきたわけではないだろう。エリスだったら平然とそういう誘惑をしてきそうだけど。

 

 随分と長いキスが終わると、エミリアが顔を赤くしながら微笑んでいた。

 

 彼女は昔からあまり変わっていない。2人きりになるといつもの凛々しい彼女とは思えないほど俺に甘えてくるのである。

 

 本当に依頼をキャンセルするべきなんじゃないかとまたしても思ったが、収入のためにキャンセルするわけにはいかない。最近は魔物が減ったせいで傭兵の仕事も減り始めた挙句、あらゆる国がダンジョン調査に本腰を入れるために冒険者を管理する管理局を設立しようとしているという噂をカレンから聞いたからな。

 

 下手したら、モリガンも解散する羽目になるかもしれない。子供たちが大きくなる事には、傭兵ではなく冒険者が主役の時代ってことか。

 

 とりあえず、今のうちにしっかり稼いでおこう。そして美味しいものでもたくさん買ってこよう。家族のためにも。

 

 俺はパパになるんだからな!

 

「じゃ、じゃあ、行ってくるよ」

 

「うむ、行ってこい!」

 

 妻に見送られながら、俺は古めかしいボルトアクションライフルを背負って仕事へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして数ヵ月後。

 

 俺たちは傭兵として戦場に向かう度に、あらゆる強敵と戦ってきた。レベルの高い転生者や伝説の吸血鬼と死闘を繰り広げ、なんとか生還してきたのである。そして生還する度にその強敵を打ち倒すために訓練を続け、そして戦い続けた。俺たちはひたすら戦い続けて力をつけてきたのである。

 

 でも―――――――こんな強敵に出会ったことは一度もない。

 

 訓練では打ち倒せないかもしれない。けれどもハヤカワ家の大黒柱として、無様に敵前逃亡するわけにはいかない…………ッ!

 

 くそ、どうすればいい!?

 

「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ! えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」

 

「よしよし、大丈夫でしゅよー。パパが近くにいましゅよー…………?」

 

「あうぅ…………うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」

 

「…………エリスぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! ラウラが泣き止まなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!! 支援を要請しまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁすっ!!」

 

「あー、ちょっと待ってダーリン!」

 

 大泣きする愛娘を泣き止ませようとしてみたんだが、全然泣き止んでくれない…………。俺も泣きたいよ、ラウラぁ…………。

 

 エリスが大慌てで二階から降りてくるまでの間、何とかラウラを泣き止ませようとあやし続けてみる。けれども大泣きするラウラは泣き止んでくれる気配がなく、結局二階で洗濯物を畳んでいたエリスに任せることになった。

 

 何で泣いてたんだろう? 俺の顔が怖かったのかな? でも、昨日の夜は近くに行くと笑いながら手を伸ばしてくれたから顔が怖いというわけではなさそうだ。

 

「ほらほら、泣いちゃダメでちゅよー」

 

「うぅ………………えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」

 

「ダーリン、そういえば今何時?」

 

「え? えっと、そろそろお昼……………あ、お腹空いてたのか!」

 

 だから泣き止んでくれなかったのか……………。くそ、子育てしたことが無いから全然分からんッ!

 

 前世では結婚してなかったからな。もちろん彼女もいない。だから前世の世界に俺の子供はいないのである!

 

「ほーら、ラウラー。ごはんにしましょうねー♪」

 

 ラウラがお腹を空かせていたことを見抜けなかった…………。ダメなパパだな、俺…………。

 

 落胆しながら、とりあえずリビングを後にするために廊下へと向かう。エリスはこれから大泣きするラウラのためにご飯をあげなければならないからだ。

 

 この世界に粉ミルクは存在しないため、赤ちゃんのご飯は基本的に母乳という事になっている。場合によってはホットミルクを赤ちゃんに飲ませることもあるらしい。

 

 とりあえず、早めにこの部屋から退避した方が良さそうだ。ラウラの泣き声がどんどん小さくなっていくのを聞きながらそそくさとリビングを後にする。

 

「あら、ダーリン。どこ行くの?」

 

「ちょっと外で筋トレでもしてこようかなと……………」

 

 そう言うと、エリスは微笑みながら言った。

 

「……………ダーリンも飲む?」

 

「け、結構ッス」

 

「あら、妊娠する前は毎晩―――――――」

 

「ラウラの前でそんなこと言っちゃダメ」

 

 ラウラが変態になっちゃったらどうするの。

 

 ラウラが泣いてるってことは、多分タクヤも泣いてるかもなぁ…………。とりあえず外で筋トレでもして時間を潰そう。そう思いながらリビングを飛び出し、ちらりと廊下にある窓の外を見てみるが、家の外に広がるそれほど大きくはない森はすっかり雪に覆われてしまっている。

 

 外で筋トレをするのは止めておこう。地下で射撃訓練でもしてくるか。

 

 一応地下室は銃声が外に漏れないようにしっかりと防音対策がしてあるけど、念のためサプレッサー付きの得物の方がいいかな。そう思いながら端末を取り出してメニュー画面を開きつつ歩いていると、階段の上からタクヤを抱いたエミリアが降りてきた。

 

 おしゃぶりを口に咥えたまま、小さな手でエミリアの頬を撫でるタクヤ。エミリアは微笑みながら「ふふふっ、可愛いなぁ♪」と言ってタクヤの頭を撫で始めた。

 

 俺も撫でようかなと思って手を伸ばしたんだが…………俺が手を伸ばしたことに気付いたタクヤがこっちを見た瞬間、可愛らしい我が子の顔から笑顔が一気に消える。

 

「…………」

 

 ぺしん、と無言で小さな手を振り払うタクヤ。まるで俺に触られるのを嫌がっているようにも見えてしまう。

 

 な、何で俺嫌われてるの……………? あ、遊んでくれないからか!? でも一緒に遊ぼうとするとラウラは喜んでくれるんだけど、タクヤは全然喜んでくれないんだよなぁ。というか、俺を避けているように見える。

 

 あはははははっ、パパよりママの方が好きなのかぁ…………。

 

「お、落ち込むな! ほら、タクヤ。パパにも優しくしないとダメだぞ?」

 

「うぅ…………ふんっ」

 

 何でタクヤは俺が嫌いなんだろうか。

 

「と、とりあえず、もう少ししたら昼食だからな。…………落ち込むなよ、力也」

 

「だってぇ…………!」

 

 泣きたいよ、エミリア。

 

 励ましてくれたエミリアにお礼を言ってから、廊下の奥にある階段を下へと下りて地下の射撃訓練場へと向かう。とはいえそれほど広いわけではないので、あくまでもアサルトライフルやSMG(サブマシンガン)の試し撃ちや訓練に使っている。当たり前だが射程距離の長いスナイパーライフルやマークスマンライフルは”試し撃ち”しかできない。

 

 涙を拭いてから階段を下り、下にある扉を開ける。大きめのランタンが照らし出す射撃訓練場の中には猛烈な火薬の臭いが染みついており、ここが銃の試し撃ちや訓練で長い間活用されていることを訴えている。

 

 その地下室に、先客がいた。

 

「む? おお、力也か」

 

「よう、ガルちゃん」

 

 彼女はモリガンのメンバーの1人であり、この家に居候しているエンシェントドラゴンのガルゴニスである。信じられないかもしれないが、この世界で生まれた一番最初のドラゴンであり、長年生きているうちに何度も進化や変異を起こしてきた最古の竜なのだ。

 

 エンシェントドラゴンは必ず何かを司る存在と言われている。殆どが人間の言葉を話す上に極めて高い知性を持っており、大昔から人々に様々な知恵を授けてくれた存在だと言われている。一説によれば人類に言葉を教えたのもエンシェントドラゴンなのではないかという説もあるらしい。

 

 ガルゴニスはそのエンシェントドラゴンの中でも最も古い存在で、モリガンのメンバーとの戦いで深手を負ったため、今では俺の魔力を使って人間の姿となりここにいるというわけだ。最初は人間を敵視していたんだけど、今ではすっかりただの幼女である。

 

 容姿は少しばかり俺に似ているらしいが、これは俺の魔力を使った影響だという。ちなみに幼女の姿だが、そもそもエンシェントドラゴンには”性別”はないらしい。更に寿命もないため、基本的にエンシェントドラゴンは子孫を残す必要がないのだ。

 

「なんじゃ、落ち込んでおるようじゃのう?」

 

「タクヤに嫌われた」

 

「む? 喧嘩でもしたのか?」

 

「いや、何もしてない」

 

 何でだろう?

 

 とりあえず端末を操作してAK-47を装備し、ガルちゃんの隣に立って的に狙いを合わせる。セレクターレバーをセミオートに切り替えてからトリガーを引き、銃声の残響と薬莢の落ちる音を聞きながら息を吐く。

 

「人間は大変じゃのう」

 

「まあね」

 

 2発目をぶっ放し、手作りの的にもう1つ風穴を開ける。

 

 確かに大変なことはいっぱいあるけど、全部1人でやる必要はないんだ。

 

 そう、俺には仲間がいるのだから。

 

「でも、面白いぜ?」

 

 そう言ってからもう1発ぶっ放すと、隣でモシン・ナガンにクリップで弾薬を装填していたガルちゃんが微笑んだのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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傭兵と父

 

 

 可愛い子供たちが生まれてからもう1年も経過した。

 

 相変わらず俺は森に建っている家からほぼ毎日モリガンの本部に通って仕事をしているため、留守にしている間の子育てはエミリアとエリスの2人に任せている。家には居候しているガルちゃんもいるんだが、あいつはどうやらまだ幼い子供たちに気に入られてしまったらしく、いつも遊び相手にされているという。

 

 この前に俺が仕事を終えて帰宅した時は、絵本を読んで欲しかったのか、まだハイハイしているタクヤとラウラに追いかけ回されてた。最古の竜が幼い2人の子供に追いかけ回されているのを見て大笑いしたんだが、ちょっとびっくりした事がある。

 

 ガルちゃんを追いかけ回していた2人が、まるでガルちゃんを捕まえるために連携しているように見えたのだ。

 

 タクヤが積極的に追いかけ回し、ラウラが先回りするという戦法であっさりとガルちゃんは幼い姉弟に捕獲されたんだが、あの連携を取っているように見えたのは偶然だったのだろうか? まるでタクヤが前衛を務めて敵を攪乱し、ラウラが後衛を担当して強烈な一撃で標的を仕留めるかのような連携だったのである。

 

 でも、当時はまだ1歳になったばかりだったし…………まだハイハイしてる幼い子供にそんな連携ができるわけがない。

 

 多分偶然だろう。

 

「2114、2115、2116、2117…………ッ!」

 

 ネイリンゲンの外れにある小さな森の中に建てた家の周囲にはあまり高い木は生えておらず、ちょっとした広場になっている。おかげで毎朝ちゃんと日光が部屋の中へと流れ込んでくるし、子供たちが遊ぶにはちょうどいい場所になっている。

 

 もちろん、俺もこうして筋トレに使っているし、エミリアも毎朝の剣の素振りに有効活用していた。とはいえさすがに真冬になると雪国であるオルトバルカには尋常じゃないほどの量の雪が降り積もる。最南端に位置するネイリンゲンにも9月になれば雪が降るのは当たり前で、夏は非常に短いのだ。

 

 冬になれば食料を売りに来る商人の数も減るため、冬になる前に色々と準備をする必要がある。特にこの世界には電気がないので、家の中を温めるには古めかしいデザインのストーブや暖炉だ。ガスコンロもないので調理する時にも竈(かまど)や薪が必要になる。この世界は前世の世界のように便利ではないのだ。

 

 最初の頃は、商人がやって来る回数が減っても狩りで何とか補えるだろうと高を括ってたが、節約していたとしても思ったよりも早く食料が減ってしまう。それに狩りに出かけても獲物が減っているので、狩りで手に入る食料も激減してしまう。

 

 妻たちのアドバイス通りに準備しておいて本当に良かった。大切な家族を飢え死にさせるわけにはいかないからな。

 

 今の季節は春。まだ雪は周囲にどっさりと残っているけれど、そろそろ冬眠していた動物たちも外で活動を始める時期だ。でっかい鹿を仕留めて帰ると子供たちが大喜びするから、頑張ってでっかい獲物を仕留めないとな。

 

 タクヤは獲物よりも、俺が狩りに使っているリー・エンフィールドやモシン・ナガンの方に興味があるみたいだが。

 

「…………ふう」

 

 腕立て伏せを終え、肩をぐるぐると回しながら家の中へと戻る。今日は基本的に仕事は休みだが、クライアントがわざわざこの家まで仕事の依頼に来たり、信也たちには荷が重すぎるような依頼を引き受けてしまった場合は”仕事”に行かなければならない。

 

 モリガンのメンバーは”単独で騎士団の一個大隊を潰すことも可能”と言われるほど練度が高い実力者ばかりだ。とはいえ、今はカレンが本格的に領主の仕事を開始し、ギュンターも彼女の護衛のためにネイリンゲンを離れてエイナ・ドルレアンにいるため、モリガンははっきり言うと弱体化している。だから仕事をサボれば、モリガンの戦力低下に拍車をかけることになってしまう。

 

 だから仕事はサボれないし、毎日のトレーニングも欠かせない。

 

 玄関のドアを開けて家の中へと入り、近くに置いてあるタオルを手に取りながらとりあえず洗面所へと向かう。汗を拭いたタオルを桶の中に放り込んでから顔を洗い、汗を洗い流してから二階へと着替えを取りに行く。

 

 それにしても、俺の身体も結構がっちりしてきたなぁ。

 

 前世の世界では高校までラグビーをやってたからそれなりに身体はがっちりしてたんだけど、今の体格はまるでスポーツ選手というよりは軍人みたいだ。腕や足にはより筋肉がついたし、胸板や腹筋も随分厚くなっている。

 

 もしこの左腕と左足が普通の手足で、頭の角と尻尾がない状態で迷彩服を身につけていたら完全に軍人だな。俺は傭兵だけど。

 

「ん?」

 

 階段を上り終えて寝室にある着替えを取ろうとしていると、子供部屋の中から赤毛の幼い子供がハイハイして飛び出してきた。子供部屋の中で遊ぶのは飽きたのか、それとも俺が階段を上ってくる音を聞いて飛び出してきたのか、口におしゃぶりを咥えているラウラはニコニコと笑いながらこっちに向かってハイハイしてくる。

 

 ははははっ、可愛いなぁ。ほら、パパはこっちだよ。

 

 両手を広げて抱き上げようとしたその時、もう少しで俺のところまでたどり着けるというのに、いきなりラウラはぴたりとハイハイを止めてしまう。

 

 ん? どうした? 

 

 どこか怪我をしてしまったのだろうかと不安になりつつ、俺はエリスを呼ぼうとする。確か彼女は下で朝食に使った食器を洗っている筈だから、ここから呼べば気付いてくれるだろう。

 

 心配しながらラウラを抱き上げようとしたその時だった。

 

 まだ小さな両足に力を込めたかと思うと、ぷるぷると両腕を震わせながら上半身を支え始めた愛おしい愛娘が―――――――ついに、自分の力で立ち上がったのである。

 

「………ッ!?」

 

「あうー………あうっ」

 

「おっと!」

 

 とはいえまだ自力では歩けないらしい。何とか自分の力だけで立ち上がったラウラだが、すぐにぐらりと体勢を崩してしまう。彼女が転倒する前に慌てて両手を伸ばして支えると、まだおしゃぶりを咥えているラウラは自分で立ち上がったことを誇るかのように、にっこりと笑いながら俺の顔を見上げていた。

 

 凄い子だよ、お前は…………! 自分で立ち上がるなんて…………!

 

 今までハイハイしてた我が子はもう成長してたんだなぁ。

 

「あははははっ、凄いぞラウラ! 頑張ったな!」

 

「きゃはははははははっ! ぱぱっ、ぱーぱー!」

 

 そうだ、エリスやエミリアにも見てもらおう。そう思いながらくるりと後ろを振り返り、キッチンにいる筈の妻を呼ぼうとした直後、今度は子供部屋でラウラと仲よく遊んでいたタクヤが、勢い良く部屋の中から飛び出してきた。

 

 本当に数分前までハイハイしてた幼児なのかと疑ってしまうほど、軽々と歩きながら。

 

 まるでどうすればバランスを崩さずに歩けるのか最初から知っていたかのように、殆どバランスを崩さずに子供部屋の中から歩いて登場したタクヤ。彼は可愛らしい足音を廊下の中に響かせながら俺の足元までやって来ると、「その程度なのか?」と言わんばかりにニヤニヤしながら、ついさっき自力で立ち上がったラウラを見上げている。

 

 姉である自分は苦労して立ち上がったというのに、軽々と立ち上がった挙句子供部屋から俺の足元まで歩いてやってきたタクヤ。びっくりしたラウラが口を開けると同時に、咥えていたピンクのおしゃぶりが転がり落ちる。

 

「…………ふんっ」

 

「こ、こいつ…………」

 

「あうぅ…………うぅ…………!」

 

「んっ? ―――――――ああ、ラウラ! 泣くなって! だ、大丈夫! 練習すれば上手に歩けるようになるから! パパと一緒に頑張ろうなっ?」

 

「う…………うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」

 

 ああああああああ!

 

 タクヤの奴、お姉ちゃんを泣かせるなんて!

 

「エリスぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! 支援を要請しまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!!」

 

 いきなり上手に歩いたタクヤのせいで泣き出したラウラを抱き抱えつつ、俺まで涙目になりながら妻に支援要請をした俺は、すぐ傍らで泣き続ける愛娘の泣き声を聞きながら溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家の中の香りは、妻であるエミリアが作ってくれる美味しい料理の匂いと石鹸の匂い。正確に言うと後者は洗濯物の匂いだろう。俺にとってはそれが日常生活の中で鼻孔へと入り込んでくる匂いの一部である。

 

 それだけならば文明が前世よりも遅れているだけで、それ以外はあまり変わらない筈だ。仕事を終えて帰ってくる夫と、料理を作って待ってくれている妻。そして笑いながら出迎えてくれる子供たち。

 

 ここまでならば俺は普通のパパだ。けれども俺は、普通のパパじゃない。

 

 ”普通のパパ”になれない原因は、もう既に日常生活と化してしまった”仕事”が原因である。

 

「次の目標、11時方向のゴーレム。多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)用意」

 

多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)装填完了」

 

『しょ、照準、大丈夫ですっ!』

 

 狭い車長用の座席の中で猛烈な火薬の臭いを吸い込みながら、俺はキューポラの向こうから迫る巨大な人影を睨みつけていた。人影と言ってもその身長は5mほどであり、人類の中でも大柄な者が多いと言われるオークでもあそこまでは大きくはならない。

 

 まるで巨大な岩石を削って作り出したかのような武骨な”岩の人間”。強固な外殻で身を守りながら、圧倒的な重量の拳で全てを叩き潰すゴーレムは、ネイリンゲンに立ち寄る商人たちにとっての脅威の1つである。

 

 移動速度は個体差があるものの、中には他の魔物と連携して商人の馬車を襲う個体もいるため、草原に姿を現したならば積極的に討伐することが推奨されている魔物だ。

 

 もう既にゴーレムが引き連れていた仲間の大半は、黒焦げになったただの肉片と化しており、もう二度と動く気配はない。辛うじて生き残ったゴブリンや狼がまだ唸り声をあげているものの、もし仮に彼らが俺たちの懐へと飛び込んできたとしても全く脅威にはならないだろう。

 

 こちらには分厚い装甲と、大口径の戦車砲や機関砲があるのだから。

 

「発射(ファイア)」

 

『はい、発射(ファイア)!』

 

 砲手の座席に腰を下ろしながら照準器を覗き込むフィオナが発射スイッチを押した瞬間、俺たちの乗る戦車の砲塔から突き出た巨大な砲身が火を噴いた。

 

 標的どころか大地まで吹っ飛ばしてしまうそうなほどの轟音と炎を噴き上げながら飛んで行った砲弾は、未だに微かな炎を纏いながらゴーレムの胸板へと着弾すると、そこで巨大な火の玉と無数の破片を生み出し、怪物の巨躯と大地を派手に抉る。

 

 猛烈な運動エネルギーで亀裂の入ったゴーレムの外殻から炎が流れ込み、岩石のような外殻もろとも内臓をメタルジェットが容赦なく貫く。砲弾が形成した無数の破片はゴーレムに追い討ちをお見舞いしつつ周囲へと飛び散ると、まるで戦艦を守る駆逐艦のようにゴーレムに随伴していた小さな魔物たちをコパ微塵に粉砕する。

 

「まだ生き残ってる奴がいるよ、兄さん」

 

「はいはい、機関砲掃射しまーす」

 

 あくびしながらそう言うと、俺は車長の席の近くに備え付けてあるコンソールを素早くタッチする。頭上から小型の砲塔が駆動する音が聞こえてきたかと思うと、砲塔の上にあるハッチの傍らに搭載されている武骨な砲身が旋回を始めているのが見えた。

 

 20mmの機関砲である。従来の銃機関砲よりも大口径の砲弾を連射することが可能な、驚異的な武装だ。

 

 これを魔物の残党に叩き込むのはもったいないような気がするが、突進してくるバカな魔物の群れを掃射するならこっちの方がいいだろう。

 

 そう思いながら発射スイッチを押し、猛烈なマズルフラッシュで草原を照らし出しながら砲弾で魔物たちを薙ぎ払っていく。先ほどまで唸り声をあげながら突っ込んできていたゴブリンの身体に大穴が開き、紫色の内臓が弾け飛ぶ。その傍らでは頭を完全に吹っ飛ばされた狼がよろめいてから崩れ落ち、後続のゴブリンを転倒させた。

 

 瞬く間に鮮血が吹き上がり、揺らめいていた草が真っ赤に染まる。左半身を吹き飛ばされてもがき苦しんでいたゴブリンの頭を1発で吹き飛ばして楽にしてやってから、座席に背中を押し付けて息を吐く。

 

 これも日常だ。こうやって武器を持って兵器に乗り、街に近づいてくる魔物を蹂躙するのが。

 

 前世では考えられない生活が、今では日常なのである。

 

 水筒の中のアイスティーを飲んでから、俺は頭上のハッチを開けて砲塔の上から身を乗り出した。砲撃を終えた主砲と20mm機関砲の砲身が陽炎を纏いながら、春の風を浴びている。

 

 俺たちが引き受けた依頼は、いつも引き受けているような魔物退治の1つだ。ネイリンゲンの周囲には魔物があまり出現しないとはいえ、定期的に騎士団からの依頼で掃討作戦を行っているんだが、今回はそのような定期的な仕事ではなく、ネイリンゲンに侵攻する魔物の殲滅だった。

 

 それなりに数も多かったため、テストも兼ねてモリガンが運用しているレオパルト2とは違う戦車を投入してみたんだが、やはり魔物は戦車の敵じゃないな。テストを兼ねるんだったらもっと難易度の高そうな依頼にすればよかったと後悔しながら、圧倒的な火力で敵を殲滅し終えた戦車の装甲をそっと撫でる。

 

 レオパルトと比べると砲塔はやや丸く、主砲の砲身もやや短いように見える。

 

 俺たちが乗っているこの戦車は、アメリカと西ドイツが冷戦の真っ只中に共同開発を行った試作主力戦車(MBT)の『MBT-70』である。のちにアメリカが開発する『M1エイブラムス』の原型ともいえる戦車で、量産されて実戦投入されることはなかったものの、当時の戦車の中では高性能な戦車だったという。

 

 最大の特徴は主砲だろうか。様々な国の戦車が”滑腔砲”と呼ばれる戦車砲を搭載しているのに対し、この戦車は”ガンランチャー”と呼ばれる主砲を搭載しているのだ。

 

 ガンランチャーとは、簡単に言えば『主砲から強力な対戦車ミサイルも発射可能な戦車砲』だ。この戦車が産声を上げた当時はまだAPFSDSのように分厚い装甲を簡単に貫通できるような徹甲弾が開発されていなかったため、圧倒的な破壊力を持つ対戦車ミサイルで戦車を撃破することになっていたのである。

 

 とはいえ滑腔砲やライフル砲に比べると信頼性が低く、発射できる砲弾の種類も少ないという欠点があるため、アメリカ軍が採用しているM1エイブラムスは砲弾の種類が豊富で信頼性の高い滑腔砲を採用している。

 

 高性能な戦車とはいえ旧式の戦車だ。エイブラムスから見れば”お爺ちゃん”のような存在だろうか。

 

 モリガンでの運用も考えているため、色々と近代化改修を施している。車体の装甲をエイブラムスと同じ複合装甲に換装し、可能な限り防御力を高めた。砲塔には複合装甲を搭載することができなかったので、表面にびっしりと爆発反応装甲を搭載することで可能な限り防御力を向上させている。

 

 あとはセンサーや照準器を最新のものに換装しつつ、エンジンもエイブラムスと同じものに換装。これで凄まじい速度で爆走できるようになったため、操縦手を担当するミラは大喜びしている。

 

 アクティブ防御システムの搭載も検討したんだが、まだ運用するかどうかわからない車両であることと、アクティブ防御システムでなければ防御できない攻撃を仕掛けてくる敵がいないため、搭載は見送った。もし仮にこいつをモリガンで運用することになれば搭載するかもな。

 

「よし、帰るぞ」

 

(了解(ヤヴォール)!)

 

 操縦士のミラの声を聴きながら、俺は再び車内へと引っ込んだ。

 

 

 



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傭兵の戦友

 

 

 俺たちの子供たちは成長し、もう3歳になった。

 

 まだハイハイしていた頃は部屋の中でガルちゃんが遊び相手になるか、俺たちが絵本を読んであげることが多かったんだが、今では姉弟でおままごとをしたり、2人で楽しそうに笑いながら質素な家の中を走り回るのが当たり前になっている。

 

 キメラの子供として生まれた2人だが、仕草は普通の人間の子供と変わらない。

 

 エミリアが作ってくれた朝食のトーストを齧りながら、もう片方の手でフォークへと手を伸ばすラウラ。髪の色は俺の遺伝子の影響なのか炎のように真っ赤だけど、顔つきはどちらかと言うとエリスにそっくりだ。彼女を幼くして髪を赤くしたような感じだろうか。

 

 その隣でフォークを使って目玉焼きを食べているのは、彼女の弟のタクヤ。弟と言ってもラウラよりも生まれたのが数分遅かった程度であり、しかも2人の母親の遺伝子はほぼ同じであるため、実質的にラウラの”双子の弟”のような感じになっている。彼の場合は完全にエミリアに似たらしく、髪を長くしてポニーテールにし、そのまま成長させればきっとエミリアと見間違えてしまう事だろう。もしあいつが成長してからラトーニウス王国騎士団の制服を着せたら、エミリアはびっくりするだろうか。

 

「ほら、力也」

 

「ありがと」

 

 俺のトーストにバターを塗ってくれたエミリアに礼を言ってから、そのトーストを齧る。やはり必要以上に焼き過ぎないからなのか、前歯を突き立てられたトーストは、さくっ、と表面に穴が開く小さな音を奏でながら香ばしい香りを拡散させ、柔らかい感触で食い込んだ前歯を出迎える。

 

 やっぱり、妻(エミリア)の料理が一番だな。毎朝このトーストを食べてるけど、焼き加減が最高だ。稀にパンではなくご飯と味噌汁を用意してくれることがあるんだけど、どうやら毎朝パンばかりでは日本出身の俺が飽きてしまうと思ってくれているらしい。

 

 本当にありがたい。

 

 ちなみにエミリアではなくエリスの方に料理を作らせると―――――――下手したら戦死する羽目になるかもしれない。

 

 エミリアは騎士団にいた頃から1人暮らしで、基本的に家事は全て自分でやっていたという。エミリアの場合は試行錯誤を繰り返して技術を身につけることで料理の技術を上達させていったようだが、エリスの場合は殆ど騎士団に所属する騎士用の食堂を利用していたらしく、自分で料理することは全くなかったらしい。

 

 エリスは騎士団の精鋭部隊に所属しており、”絶対零度”の異名を持つ氷の魔術の使い手である。優秀な魔術師の少ないラトーニウス王国にとっては切り札のような存在であり、彼女の所属していた精鋭部隊の待遇は非常に良かったという。部屋はまるで貴族が使う寝室のように広く、食事も豪華なのが当たり前だったって前にエリスから聞いたことがあったが、その代わり仕事が忙しくてそういう生活を楽しむ余裕はなかったという。

 

 だからエリスは自分で料理をする時間がなかったし、そういう事ができない環境で過ごしてきたから仕方がないのだ。

 

 でもさすがに墓石に享年24歳って刻まれるのは嫌なので、料理はエミリアに任せるようにしている。ちなみに俺は端末で毒物を完全に無効化できる便利なスキルを生産して装備しているんだが、どうやらエリスの作るとんでもない料理は対象外らしい。

 

 この前作ってくれた魚のスープはヤバかった。スープの中でゾンビになった魚が泳いでたし…………。一体どういう調理をすれば食材がゾンビに変貌するんだろうか。

 

 妹が作った朝食を食べているもう1人の妻の顔を見ながら苦笑いしていると、トーストを食べ終わったラウラが口の周りにジャムをつけながら言った。

 

「ねえパパ」

 

「ん? どうした?」

 

 テーブルの真ん中に置いてあるでっかい皿の上から新しいトーストを取って、エミリアが作ってくれたジャムを塗り始める。さっきはバターだったから、今度はジャムでいいだろう。甘さは控えめになってるからトーストの食感と香ばしさがちゃんと残るんだよな。さすがエミリア。

 

「なんでパパとママたちって、パジャマをきないでねてるときがあるの? あついの?」

 

「…………」

 

 首を傾げながら尋ねるラウラ。彼女は気になったことを俺たちに質問しただけなんだろうけど、その質問は俺たちにとっては対艦ミサイルの一撃に匹敵するほどの致命傷でしかない。

 

 ねえ、何でそんなこと聞くの? 今朝食だよ?

 

 まだジャムを塗り終えていないトーストを手に持ったまま、恐る恐るエミリアの方を見てみる。彼女も今の質問をされるとは全く予測していなかったらしく、こっちを見ながら苦笑いしていた。イージス艦ラウラが放った強烈な対艦ミサイルは正確に原子力空母エミリアに命中したのである。

 

 ダメコンが必要な致命傷だ。もちろんメンタルの。

 

 ちらりとエリスの方を見てみると、彼女は逆に嬉しそうな顔をしながら首を傾げる愛娘を見守っていた。どうやら彼女は対艦ミサイルの奇襲で全くダメージを受けていないらしい。

 

「ラウラ、それはね―――――――むぐぅっ!?」

 

「あー、何でもないぞラウラ! はっはっはっはっはっ!!」

 

 バカかこいつはぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 

 

 まだ3歳の娘に本当のこと話すつもりだっただろ!? ラウラは絶対に変態にさせないからな! 絶対に清楚なレディに育ててやる!

 

「パパ! ママをいじめちゃダメっ!」

 

「す、すいません…………」

 

「ぷはぁっ!」

 

 ごめんなさい、ラウラ様。

 

 愛娘に謝りながらエリスの口を塞いでいた手を取ると、エリスはラウラに謝っている俺を見ながらニヤリと笑った。でもさすがに言うつもりはないらしく、ウインクしてからトーストをラウラの皿の上に置く。

 

 よ、良かった…………。

 

 エリスは毎晩俺を押し倒して搾り取る変態だけど、稀にまともになる時がある。さすがに戦闘中に押し倒されたら困るから助かるんだけど、出来るなら常にまともな状態を維持してもらえませんかね? というか、エミリアの姉さんだろ? 

 

「ほら、早く食べちゃいなさい。あっ、ダーリンは仕事よね?」

 

「ん? ああ、そうだな。早く食べないと」

 

 何とか話を逸らすことができたらしい。安心しながらトーストに嚙り付いた俺は、さっきの質問をすっかり忘れて隣のタクヤと楽しそうにお喋りしているラウラを見守りながら苦笑いするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンはオルトバルカ王国の最南端にある田舎の街である。広大な草原と丘に囲まれており、一見すると一年中暖かい場所にも思えてしまうが、ここも雪国であるオルトバルカ王国の一部である。それゆえに9月になれば雪が降り、広大な草原を一瞬で雪原に変えてしまうのだ。

 

 幸い周囲の草原に魔物が出没することはあまりないため、街が魔物に襲撃されることは少ない。そのため他の街と違って城郭都市のように防壁を建設する必要がないのだ。おかげで暖かい風が遮られることなく街の中に入り込むことができるのだが、冬になれば冷たい風も容赦なく入り込むことになる。

 

 けれども俺はこの開放的な景色が気に入っている。他の街は魔物の侵入を防ぐための分厚い防壁が建設されているため、街の中の家の窓からは防壁の向こうは絶対に見えないのだ。そんな閉鎖的な場所で生活しろと言われたらすぐに嫌気がさしてしまう。

 

「じゃあ、先に帰るわ」

 

「はーい、お疲れ様」

 

(お疲れ様です、力也さん!)

 

 今日受けた依頼の報酬の集計を終えた俺は、これから屋敷のキッチンへと夕食を作りに行く信也とミラの2人にそう言ってから、三階にある執務室を後にする。かつて俺とエミリアとエリスが寝室に使っていた部屋を改装した執務室には分厚い本や書類を入れておくための本棚が運び込まれており、改装から数日しか経過していないにもかかわらずその中には所狭しと分厚い本が並んでいる。

 

 主に並んでいるのは他の傭兵たちが出版している本や、この世界の戦術の教本などだ。他の傭兵が出版している本は傭兵として活動していくための教科書代わりにしている。この世界の戦術の教本などは一見すると現代兵器を主に使う俺たちからすれば役に立たないかもしれないが、ちゃんと役に立っているのだ。

 

 そういった戦術を学んでおけば、依頼の最中に遭遇した敵の戦術を読めるようになるかもしれないし、有効な戦術はモリガンの戦術にも組み込める。

 

 現代兵器で蹂躙できるから役に立たないと思い込まずに、何かの役に立つかもしれないと思いながら必要なものを取り入れることも重要だ。そういうことをしない限り、絶対に強敵には勝てない。

 

 階段を下りて一階へと向かうと、どっさりとフルーツが入った籠を持ったフィオナが、ふわふわと浮きながらキッチンの方へと向かうところだった。

 

「よう。そろそろ帰るわ」

 

『あ、はい。お疲れ様です!』

 

 そう言いながら籠の中からリンゴを1つ取ってプレゼントしてくれるフィオナ。真っ赤な河の表面には微かに水滴が付着していて、今しがた裏庭にある井戸で洗ったばかりだという事を告げている。

 

 彼女に礼を言ってから玄関のドアを開け、フィオナが趣味で育てている花壇の花を見渡しながらリンゴを齧る。

 

 もう既にネイリンゲンの広大な草原の向こうには真っ赤な夕日が浮かんでいて、緑色だけが支配していた草原を真っ赤に染め上げつつあった。まるで炎が草原に燃え広がっているかのような光景を見据えつつ、俺はネイリンゲンの外れにあるモリガンの本部から街の方へと向かう。

 

 家がある森はこの道の反対側だ。モリガンの本部であるフィオナの屋敷は、俺たちの家がある小さな森とネイリンゲンの街のちょうど中間地点にあるのである。

 

 懐から懐中時計を取り出し、ちらりと時刻を確認する。今の時刻は午後5時15分。いつもなら午後7時くらいに夕飯だから、結構時間が空いている。

 

 今日はちょっとだけ寄り道してから帰ることにしているのだ。

 

「あら、ハヤカワ卿。こんばんわ」

 

「こんばんわ。調子はどう?」

 

 露店で果物を売っているおばさんにそう言うと、おばさんは微笑みながら目の前に並んでいるリンゴの隊列の中からリンゴを1つだけ掴み取ると、それをこっちに投げてくれた。もう既に俺がリンゴを持っているのを知っていたのだろうか?

 

「おかげさまでネイリンゲンは平和よ。モリガンのおかげだわ」

 

「どうも。で、これのお代は?」

 

「タダでいいわよ」

 

「ありがとう、おばさん」

 

 お礼を言ってから貰ったばかりのリンゴを齧る。

 

 俺は貴族というわけではないんだが、街の人からはよく”ハヤカワ卿”と呼ばれる。どうやらあの屋敷にいるからそう呼ばれているらしい。

 

 傭兵になってからもう何年も経つが、俺たちの噂を聞いた色んなクライアントがあの屋敷まで依頼を頼みに来た。仲間を助けるためになけなしの金を持って屋敷に転がり込んできたハーフエルフの奴隷もいるし、騎士団に入団する息子に剣術を教えてほしいと依頼してくる貴族もいたが、一番びっくりしたクライアントはこの王国の国王だ。

 

 王女が通う学校が武装勢力に占拠され、王女が人質に取られる事件が起こったのだ。下手に騎士団を動かせば人質が殺される恐れがあるため、王室は少数精鋭で実力者ばかりが所属しているモリガンに依頼してきたというわけだな。

 

 それ以来、俺たちのギルドと王室にはかなり太いパイプがある。

 

 ギルドの経営は順調だが、他の傭兵ギルドの連中や俺たちに襲撃された貴族の奴らはモリガンの存在をかなり疎んでいるようだ。依頼の最中に妨害を受けることも少なくないが―――――――そういう奴らがどういう末路を辿ったかは言うまでもないだろう。

 

 すれ違った知り合いに挨拶しながらネイリンゲンの通りを進み、曲がり角を曲がる。曲がり角のすぐ近くにはお菓子を売っている露店があって、よくその店の前に小さな子供を連れた親たちが並んでいる。

 

 前世の世界ではお菓子は簡単に購入できたが、この世界では砂糖がそう簡単に手に入らないため、甘いお菓子は殆ど高級品なのである。貴族が独占している状態なので、庶民の子供たちがお菓子を口にする機会は前世の世界よりもはるかに少ないというわけだ。

 

 でもネイリンゲンの露店では、お菓子をかなり値下げして販売しているので、よく子供たちのためにお菓子を購入していく親が並んでいる光景を目にする。

 

「ほら、ナタリア。どれがいい?」

 

「ええと…………あっ、チョコレートがいい!」

 

 幼い金髪の少女が、ニコニコ笑いながらチョコレートを手に取る。母親と思われる金髪の女性が財布の中から銀貨を8枚くらい取り出して店主に渡すと、大喜びする少女と手をつなぎながら通りへと向かって歩いて行った。

 

 平和だなぁ………。

 

 その通りを真っ直ぐ進んでいると、やがて喫茶店の看板が見えてきた。

 

 ネイリンゲンは田舎の街だが、傭兵ギルドの事務所がやけに多い。そのため”傭兵の街”と言われることも多いんだが、至る所に傭兵ギルドの宣伝のポスターや看板が並ぶ通りの中に1つだけ喫茶店の看板が設置されていると、他の傭兵ギルドの看板よりも目立ってしまう。

 

 俺が寄り道することにしているのは、ここだ。

 

 仕留めた魔物の頭骨やでっかい剣の形をした看板が立てかけられた物騒な建物が連なる中に、一軒だけやけにお洒落な建物が鎮座している。橙色の木製のドアには『本日休業』と書かれているが、俺はお構いなしに入り口のドアを開けた。

 

 カラン、とベルが綺麗な音を奏でて客がやってきたことを店主に告げる。カウンターの向こうでティーカップを洗っていた金髪の青年は顔を上げると、俺の顔を見てニヤリと笑った。

 

 やけにひょろりとしていて、その辺にいる傭兵にぶん殴られたらあっさりと骨折してしまうのではないかと思ってしまうほど華奢な青年である。

 

「よう、ピエール」

 

「やあ。今日は休業って書いといた筈なんだけど?」

 

「その割にはカウンターで待ってたじゃん」

 

 ピエールは笑いながら「まあね」と言うと、拭き終わったティーカップを傍らの棚へと並べ始めた。

 

 彼はかつて、防具と剣を装備して転生者の手下として働かされていた事がある。けれども転生者の蛮行を目の当たりにしてから自分がとんでもないことに加担してしまったと知って凄まじい罪悪感を感じ、奴隷だったハーフエルフの少女と共にここまで逃げてきたのである。

 

 こいつには、剣を持った姿よりもティーカップを拭いてる姿の方が似合う。

 

「ぴ、ピエール、お、皿洗い終わった」

 

「ああ、ありがとうサラ」

 

「よう」

 

 カウンターの席に腰を下ろしながら、店の奥から顔を出したハーフエルフの女性に向かって小さく手を振る。彼女がピエールと一緒に逃げてきたハーフエルフの奴隷だったサラで、今では一緒に喫茶店を経営している。

 

 彼女の作るアップルパイはかなり好評らしく、毎日売り切れが当たり前なんだ。だからサラのアップルパイにありつきたいなら事前に連絡して取っておいてもらうか、他の奴らよりも先にここで食うしかない。

 

 ぺこりと頭を下げた彼女は、再び店の奥へと戻っていった。

 

 まだ奴隷だった頃のトラウマが消えてはいないらしく、何度も顔を合わせる人以外の人を見ると怯えてしまうらしい。だから基本的にカウンターの奥で紅茶を淹れたり、大好評のアップルパイを作るのが彼女の仕事だという。

 

「とりあえずマスター、ウォッカは置いてるかな?」

 

 ふざけながら言うと、ピエールは片手を腰に当てながら笑った。

 

「お客さん、ここは酒場じゃないですよ? 紅茶かコーヒーくらいしかございませーん。…………あ、そういえばジャングオから仕入れた烏龍茶もあったな」

 

「お、珍しいじゃん」

 

 酒を飲む前にお茶を頼んでみようかな。

 

 そう思いながら注文しようとしたその時だった。

 

「マスター、酒持ってきたぞぉ!」

 

 入り口のドアが発するベルの音色をかき消すほどの野太い声が店の中に響き渡ったかと思うと、やけに大きな足音が背後から近づいてきた。振り返ろうと思ったが、その声が聞こえるよりも先に今度は誰がこの店を訪れるのか知っていた俺は、振り返らずにニヤリと笑う。

 

 すぐ後ろまでやってきたその客はやけにがっちりした手で俺の肩を掴むと、肩を握り潰すつもりなんじゃないかと思えるほどの力で肩を握りながら隣の席に腰を下ろした。

 

「旦那ぁ! 久しぶりだなぁ!」

 

「よう、ギュンター。領主様の護衛はどうだ?」

 

 ちらりと隣を見ると、やはりスーツに身を包んだ浅黒い肌の大男が腰を下ろしていた。短い銀髪から覗く斜め上へと伸びる長い耳はハーフエルフの証だ。身体中ががっちりした筋肉で覆われており、身長も俺よりも高い。全体的に俺よりも一回りでっかいハーフエルフの大男は、俺たちの戦友である。

 

 ギュンターはニヤニヤ笑いながら「スーツを着る機会が増えて困ってる! ネクタイの締め方わかんねえんだよな! がっはっはっはっは!!」と言い、カウンターの上にでっかいウォッカの瓶を置いた。

 

 ちなみに、モリガンのクライアントである”仲間を助けるためになけなしの金を持って屋敷に転がり込んできたハーフエルフの奴隷”は、こいつの事である。

 

「というわけでピエール、飲まねえか?」

 

「お酒に弱いんだけどなぁ…………。ところで力也、君は家に帰らなくていいのかい?」

 

「安心しろ、二次会は我が家だぞピエール!」

 

「二次会ぃ!?」

 

 確か家に商人から購入したラム酒もあったな。とりあえず、ここでは飲み過ぎないようにしよう。この後は夕飯だし。ピエールとサラも家に連れていく予定だからな。

 

「ほら、とりあえず飲もうぜ! お前もう成人だろ?」

 

「た、確かに24だけど…………」

 

「じゃあ大丈夫だ。ほら!」

 

「ちょ、ちょっと待って。ギュンター、お前もう酔っぱらってる?」

 

「おう! 待ちきれなくて馬車の中で飲んできた! ひっく」

 

 大笑いしながら、本来なら紅茶を注ぐはずのティーカップに容赦なくウォッカを注いでいくギュンター。しかも全然水で割ってない。

 

 俺は大丈夫だが、ピエールは大丈夫か? こいつかなり酒に弱いぞ…………?

 

 ピエールに「無理しなくていいからな?」と言ってから、俺は久しぶりに会った戦友と一緒に酒を飲むことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のネイリンゲンは、平和だった。

 

 やっと冬が終わって雪も完全に溶け、再び草原が緑色だけで塗り潰される。そしてその草原を依頼に向かう傭兵や商人たちが行き交い、住人たちはいつものように生活する。

 

 だから俺たちも、いつものように生活できると思っていた。

 

 けれども―――――――この数日後に、事件が起きた。

 

 

 

 

 

 

 



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モリガンの疑惑

 

 

 窓の外から入り込んでくる日光が、強引に瞼の中に入り込んでくる。少しばかり痛みを感じながら瞼を擦って体を起こせば、今度は頭の中で一緒に目を覚ました激痛が暴れ出す。目を覚ましたばかりだというのにうんざりしながら再び枕に後頭部を押し付けて眠りたくなったが、そうやって眠ろうとしてもまた日光が瞼の隙間から強引に入り込んでくるのが関の山だろう。

 

 どうしてこんなに頭が痛いのだろうか?

 

 ああ、そうだ。昨日の夜、久しぶりに会ったギュンターたちと酒を飲み過ぎたのだ。

 

 昨日の夜の事を思い出しながら身体を起こし、ぼさぼさになっている赤い髪をかきながらとりあえず着替えをする。

 

 ピエールの店でギュンターと待ち合わせし、彼が持ってきたウォッカを飲んでから3人を家に連れてきたのだ。それから夜遅くまでずっと酒を飲みながら思い出話や最近の話で盛り上がってたんだ。

 

 うわ、二日酔いか…………。今日は仕事が休みだから問題ないけど、頭痛を感じながら休日を過ごすのは嫌だなぁ…………。

 

 前に王都でエミリアたちと一緒に買ってきたお気に入りの服に着替えてから、くるりとベッドの方を振り向く。俺たちはいつも3人で一緒に眠っているんだが、使っているベッドは3人で眠るには小さめなので、一緒にベッドに入ると必然的に密着することになる。そうしなければ寝相でベッドの下へと落下する恐れがあるからだ。

 

 そのベッドの上では、未だに1人の女性が寝息を立てている。今頃家の庭で剣の素振りをしているもう1人の妻と顔だちはそっくりだが、片方の妻が意志の強いしっかり者であるのに対し、こっちの妻はだらしないような感じがしてしまう。

 

「んっ…………えへへ…………ダーリン、1000人目の赤ちゃんだよぉ…………」

 

 産み過ぎッ!

 

 もし二日酔いじゃなかったらちゃんとツッコミをしていただろう。でも猛烈な頭痛のせいでツッコミをやろうとは全く思えない。むしろこのままカーテンを閉めて二度寝したい気分である。

 

 そんなことしたら、寝てる間にまたエリスに搾り取られるかもしれないけどね。

 

 まったく…………。結婚してから更にエリスはだらしなくなったような気がするけれど、こう見えても彼女はラトーニウス王国最強の騎士だったんだよね。魔術の発達が遅れたラトーニウス王国にとって、常人を遥かに上回る量の魔力を体内に持ち、更に氷属性の魔術を変幻自在に操れるほどの技術を併せ持つような人材はまさに貴重な戦力だった。実際にエリス・シンシア・ペンドルトン―――――――エリスの旧姓だ―――――――という女の騎士の存在はかなり強大な抑止力となっていたらしく、”エリスがいるからオルトバルカはラトーニウスに攻め込めない”という状態だったという。

 

 挑めばどんな屈強な騎士でも瞬く間に氷漬けにされる。大国の隣で国土の拡大を狙う王国の切り札であり、守護者。それゆえに彼女は”絶対零度”と呼ばれた。

 

 …………いつもこんなにだらしないけど。

 

「おーい、起きろー」

 

「にゃー…………」

 

「エリスー、起きろー」

 

 彼女の体を揺するけど、ベッドの毛布を抱きしめてよだれを垂らしながら眠るエリスは目を覚ます気配がない。しかもよく見るとお気に入りのパジャマのボタンはいくつか外れていて、胸元からは黒いブラジャーとエミリアよりもほんの少し大きな胸が覗いている。

 

 さ、触ってもいいかな…………? でも触ってるところをエミリアに見られたら殺されるかもしれない。やめておこう。

 

 しばらく揺すり続けていると、やっとエリスは瞼を開けた。まるで幼い子供が目を覚ましたかのように両手で瞼を擦りながら起き上がった彼女を見守りながら、ポケットに入ってたハンカチで口元のよだれを拭き取る。

 

「おはよう、エリス」

 

「ん…………ふにゅ…………?」

 

「エリス?」

 

 寝ぼけてるのかな?

 

 そう思いながら首を傾げた瞬間、瞼を擦ってたエリスが両手を伸ばして俺を引き寄せると、そのままベッドの上へと押し倒してしまう。慌てて起き上がるよりも先に愛おしい妻の両手が絡みついてきて、俺をベッドの上で束縛してしまう。

 

 思い切り暴れればあっさりと脱出できる程度の力だけど、俺は全く抵抗しない。むしろ甘えてくる1歳年上の妻を優しく抱きしめてからキスをして、しばらくエリスとイチャイチャすることにした。

 

「ふにゅう…………」

 

「まったく…………」

 

 お前が妻で本当に良かったよ、エリス。

 

 胸板に頬ずりしながら甘える彼女の頭を撫でていると、ゆっくりと寝室のドアが開いた。子供たちだったらどうしようと思いながら俺は凍り付いたけど―――――――寝室の中へとやってきたのは、先ほどまで家の外で剣の素振りを繰り返していた、もう1人のしっかりしている妻だった。

 

 汗で湿っている髪をタオルで拭きながら満足そうに部屋の中へと入ってきたエミリア。いつもならまだ眠っているエリスを起こし、素早くシャワーを浴びてから朝食を作り始めるのが日課だ。稀に俺も寝坊することがあるので、そういう時はエミリアに一緒に起こしてもらっている。

 

 きっと彼女は、今日は珍しく俺も寝坊しているのだろうと思っていた事だろう。仕方がない夫だと言わんばかりに微笑みながら素振りに使った剣を置き、俺たちを起こそうとしたエミリアは――――――朝早くからベッドの上でイチャイチャしている俺たちを見て、凍り付いた。

 

「お、おはようエミリア」

 

「…………」

 

 や、ヤバい。エミリアのドロップキックが飛来する…………!?

 

 はっきり言うと、エミリアのドロップキックは一番怖い。今までいろんな強敵と戦ってきたけれど、彼女のドロップキックは数多の強敵たちがぶっ放してきた大技を遥かに凌駕する破壊力を秘めていると言っても過言ではない。

 

 下手したらレリエルよりも怖い。直撃すると確実に痣ができるからな。転生者にも通用する破壊力だ。

 

「ず、ずるいぞ、姉さんだけ…………」

 

「えっ?」

 

 あれ? 

 

 顔を赤くしながらベッドに腰を下ろし、ゆっくりと俺の隣に横になるエミリア。恥ずかしそうに俺の身体に寄り掛かってきた彼女はじっとこっちを見つめながら言った。

 

「わ、私も甘えさせろ…………そうしたら許してやる」

 

 確かに、不公平だもんな。

 

 胸板に頬ずりしていたエリスから一旦手を放し、今度は隣に横になっているエミリアをそっと抱きしめる。彼女も両手を伸ばして俺を抱きしめようとしたみたいだけど、そこでどうやら剣の素振りを終えてからまだシャワーを浴びていないことに気付いたらしく、慌てて両手を引っ込めるエミリア。汗の臭いを気にしてるんだろうか。

 

 けれども俺はお構いなしに彼女を抱きしめた。がっちりした両手に絡みつかれたエミリアが少しばかり抵抗するけど、すぐに抵抗を止めてしまう。

 

「は、離してくれ、まだシャワーを浴びてなかった」

 

「お断りだ。逃がさん」

 

 可愛い妻を逃がしてたまるか。

 

「りっ、力也っ…………バカっ、やっぱりシャワーを浴びてから――――――」

 

「俺は今すぐがいいの」

 

「そっ、それに朝食も作らなければ――――――」

 

 ちらりと時計を確認する。今はまだ午前6時30分。まだ子供たちは子供部屋で寝息を立てている頃だろう。いつもならもう少しでエミリアが子供たちを起こしに行く時間である。

 

 けれども今日は日曜日。今日は少しくらい寝ててもいいのではないだろうか。

 

「今日くらいはみんなで寝坊しようぜ?」

 

「…………ば、バカ」

 

 そう言いながら今度こそ抱き着いてくるエミリア。もう1人の妻の唇を奪いながら、俺はしばらく妻たちとイチャイチャすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はっきり言うと、朝から調子に乗り過ぎた。

 

 ふらつきながらやっとのことでリビングの椅子に辿り着いた俺は、腰を下ろしてから息を吐き、テーブルの上の新聞を手に取る。昨日のようにラウラやタクヤたちに見られていないか心配になりながら新聞紙を広げ、記事を読んでいるふりをする。

 

 搾り取るのは夜だけにしてくれ…………。

 

 テーブルの向かいではガルちゃんが可愛らしいドラゴンのイラストが描かれたマグカップでホットミルクを飲んでいて、その隣ではタクヤが熱心に魔物の図鑑を読んでいる。

 

 タクヤは大人しい性格で、いつも子供部屋で魔術の本や魔物の図鑑を読んでいる。読めない文字や分からない専門用語があるとエミリアやエリスに質問してメモを取ることもあるらしく、子供部屋に置いてある彼の本には分かりやすいメモがいくつも挟んである。

 

 勉強熱心な子だな。将来は魔術師や学者になるつもりかな?

 

「ねえ、おとうさん」

 

「ん?」

 

 図鑑を読んでいたタクヤが、新聞を読んでいる俺に声をかけてきた。

 

「なんでつかれてるの?」

 

 み、見てたわけではないよな?

 

 心配になりながら適当に誤魔化しておくことにする。

 

「ママと訓練してたの」

 

「おかあさんと?」

 

「うん」

 

 ”ママと”一緒にいたのは合ってるだろう。その後はヤバかったけど。

 

「タクヤ、いいか? 女には迂闊に手を出すなよ?」

 

「え?」

 

「…………ただの教訓だ」

 

 多分、こいつが合法的にエロ本を買える年齢になったら分かるだろう。今朝経験したばかりの事を思い出しつつ、再び新聞の記事を読み始める。

 

 他の傭兵ギルドがあげた戦果でも見てみようと思い、いつも傭兵ギルドに関連する記事が記載されているところを見ていると―――――――とんでもない記事がそこに記載されていて、俺は我が目を疑った。

 

≪モリガンが村を襲撃!? ラングソン村が壊滅!≫

 

 ちょっと待て。どういうことだ…………? モリガンが村を襲撃しただと…………?

 

 ラングソン村はネイリンゲンよりもやや北に位置する小さな村だ。訪れたことは一度もないけど、村人たちが作り上げた粗末な木製の防壁と小規模な騎士団の部隊が駐留する村で、農業が盛んな村である。野菜を売りに来る商人もそこでよく野菜を仕入れるという。

 

 はっきり言うと、これはありえない。モリガンはあくまでも傭兵ギルドであり、クライアントがいない限りこんなことは決してしないからだ。仮にこういう依頼をされたとしても俺たちはすぐに断るようにしている。

 

 クライアントには傭兵を選ぶ権利があるが、傭兵にもクライアントを選ぶ権利はあるのである。

 

≪昨日の午後7時、近隣の騎士団の駐屯地に逃げ延びた村民が『モリガンに村を襲撃されている』と通報した。騎士団が村へと向かったが、すでに村の建物は殆どが全焼しており、村を襲撃した者たちの姿はなかったという。住民は『クロスボウのような飛び道具を装備し、深紅の羽根をつけた黒服の男たちが村を焼き払った』と証言しており、モリガンが襲撃した可能性は高い≫

 

 おい、この証言は間違ってるぞ。

 

 俺たちは確かに黒い制服を身につけるが、深紅の羽根をフードにつけているのはメンバーの中では俺だけだ。これはモリガンの証ではなく、転生者ハンターの証である。だから『深紅の羽根をつけた黒服の男たちが村を焼き払った』という証言は間違っているとしか言いようがない。

 

 それに俺たちにはアリバイがある。

 

 記事では村人からの通報があったのは午後7時という事になっている。俺は6時くらいからピエールの店でギュンターと酒を飲んでいたし、店を出て家に向かう途中にモリガンの屋敷の中で信也たちが手を振っていたのも確かに見た。

 

 見間違えか、それともモリガンの偽物の仕業だろう。

 

「おい、力也! その記事はなんだ!?」

 

 後ろで俺の見ていた記事を見ていたのか、エミリアが大きな声でそう言う。

 

「分からん。…………俺たちにはアリバイがあるぞ」

 

「た、確かに。その時間はギュンターと酒を飲んでいたのだからな…………」

 

 もし騎士団に疑われたら、その時はエミリアたちやピエールたちに証人になってもらおう。そう思いながら新聞紙をテーブルの上に置いたその時、ドアをノックする大きな音が家の中に響き渡った。その音を聞いてびっくりしたタクヤとラウラが目を見開き、近くにいたエミリアにしがみつく。

 

 明らかに信也たちのノックする音じゃないな。強引なノックだ。

 

 この記事を読んだ住民が問い詰めに来たのだろうかと思いながら玄関へと向かい、息を吐いてからそっと玄関のドアを開ける。

 

 ドアの向こうに立っていたのは、真っ赤な制服の上に銀色の防具を装着した数名の騎士たちだった。腰には剣を下げており、ドアの前にいる騎士たちの後方には弓矢を装備した騎士たちがいて、得物を俺に向けている。

 

「リキヤ・ハヤカワだな?」

 

「ああ」

 

「記事は読んだか?」

 

「読んだ。…………連行するってか?」

 

 そう言いながら肩をすくめると、その騎士は首を横に振った。てっきり身柄を拘束されると思っていたんだが、どうやら彼らは身柄を拘束するためにここまでやってきたわけではないらしい。

 

「国王陛下が、君と話したいそうだ。同行願えるか?」

 

「もちろん」

 

 王室には大きな貸しがあるし、太いパイプがある。

 

 王女を武装勢力から救い出したあの依頼を成功させてから、どうやらモリガンは王室のお気に入りの傭兵ギルドになったらしい。それ以来王室からはかなり信頼されているようだ。

 

 もしかしたら力を貸してもらえるかもしれないな。

 

 ちらりと後ろを見てみると、エミリアやエリスたちが心配そうにこっちを見ていた。きっと俺が連行されると思っているのだろう。

 

 大丈夫だ、ちょっと国王と話をしに行ってくる。

 

 妻たちに向かってウインクしてから、騎士たちの後について行く。

 

「我が国に奉仕してくれている君たちが、唐突にこんなことをするとは思えん」

 

「安心してくれ、こんなことは本当にやってない。証人もいる」

 

 どうやら騎士たちもモリガンがあんなことをしたという記事を信じたくはないらしい。俺を先導する隊長と思われる騎士にそう言いながらついて行くと、やがて森の入口の所に騎士団の紋章が刻まれた大きな馬車が2台ほど停まっているのが見えた。

 

 御者が馬車から降りて隊長に敬礼し、素早く馬車のドアを開ける。

 

「乗ってくれ。このまま王都に向かう」

 

「はいはい」

 

 馬車だと遅いんだよなぁ…………。モリガンの飛行場から戦闘機で飛び立てば数時間で到着してしまうんだが、馬車ではおそらく今日の夕方位に王都に到着することになるだろう。

 

 やれやれ、長旅になりそうだ。

 

 ため息をつきながら馬車に乗り込むと、隊長と数名の護衛の兵士が一緒に馬車へと乗り込んできた。残しの騎士たちはもう1台の馬車に乗るんだろうか。

 

 やがて、御者が馬を走らせ始める。大地を殴りつける蹄の旋律を聞きながら窓の外を眺めた俺は、今日はまだ紅茶を一口も飲んでないことを思い出して舌打ちをした。彼らに同行する前に紅茶を淹れてもらえばよかったと後悔しつつ、もう一度ため息をつく。

 

「私はリック・エリルマン。騎士団の衛兵隊に所属している」

 

 隊長の自己紹介を聞きながら、彼の襟についている紋章をちらりと見た。オルトバルカ王国の象徴でもあるドラゴンの紋章が刻まれており、その下には深紅の剣が1本だけ刻まれている。騎士団の”少佐”を意味する紋章だ。

 

 深紅の剣が2本ならば中佐で、3本ならば大佐を意味するのだ。准将からは剣の色が黄金に変わり、階級が上がるにつれて剣の数が増えていくという。

 

 エリルマン少佐の年齢は俺と同じか少し若いくらいだろうか。衛兵隊に入隊するのはかなり難易度が高いと言われているため、彼はかなり努力を続けてきた人物なのだろう。ちらりと彼の手のひらを見てみたが、やはり肉刺が潰れた後がいくつも見受けられる。エミリアと同じだ。

 

「努力家のようだな、少佐。私の妻と同じだ」

 

「それはどうも、モリガンの傭兵。諸君らの噂は聞いているよ。10人足らずのギルドにも拘らず、凄まじい戦果をあげているようだ。我が騎士団に欲しいくらいだよ」

 

「このままギルドを解散する羽目になったら検討するよ」

 

「では、そうならないことを祈ろう」

 

 その通りだ。

 

 エリルマン少佐に「ありがとう」と言ってから、再び窓の外を見つめる。

 

 俺たちにはアリバイがある。だから村を襲撃することはそもそも不可能だし、俺たちは絶対にそんなことはしない。

 

 だからこれは、住民の証言が間違っていたか、それとも襲撃した奴らがモリガンの襲撃を装う事で俺たちを悪人という事にし、潰そうとしているに違いない。

 

 前者ならば仕方がない。しかしもし後者だったら―――――――徹底的にぶっ潰す。

 

 

 

 



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「傭兵よ、面を上げよ」

 

 深紅の豪華なカーペットで覆われた広間に、男性の低い声が響き渡る。年老いた男性のその声は広間へと浸透してゆっくりと消えていき、再び支配権を静寂に明け渡す。

 

 物音が全く聞こえない広間の左右にずらりと並ぶのは、真っ赤な制服の上に白銀の防具を纏ったオルトバルカ王国の騎士たち。国王や貴族の護衛を務める衛兵隊の隊員たちだ。本当はそこに整列しているのは人間ではなく、代わりにマネキンのような人形に制服と防具を身につけさせているのではないかと思ってしまうほど微動だにしない騎士たちに守られているのは、この大国の頂点に立つたった1人の男。

 

 モリガンのクライアントの1人であり、小さな傭兵ギルド(俺たち)の最も大きな後ろ盾。王室へと通じる太いパイプの終着点が、この男だ。

 

 名前は『アレクセイ・ウラスブルグ・ド・オルトバルカ』。このオルトバルカ王国の国王である。

 

 初めて俺たちに依頼してきた時よりも年老いているが、相変わらず目つきは鋭い。国王というよりは最前線で剣を持ち、騎士たちを指揮しながら先陣を切る猛将のようだが、若き日の国王は実際にそのような人物だったという。

 

 気高く勇猛な王であったからこそ、家臣たちもついてきた。年老いてもそのカリスマ性は健在で、若い頃からそういう部分は全く変わっていないらしい。

 

 いつもはキメラの角を隠すためにフードをかぶっているのだが、国王の前でフードをかぶるわけにはいかない。初めて会った時は角が見えないように髪を伸ばしていたんだが、今回は数日前に髪を切ったばかりだ。頭から角が生えた怪物だという事がバレないか心配である。

 

 王国の国旗が描かれたでっかいカーペットの上に跪いていた俺は、静かに顔を上げる。

 

 国王は玉座に腰を下ろしたまま、こっちを見下ろしながら微笑んだ。

 

「久しぶりだな、モリガンの傭兵」

 

「お元気そうで安心しました、国王陛下」

 

「ふっふっふ…………老いているが、まだくたばらんさ。シャルロットを立派な女王に育てるまではな」

 

 もし仮に国王が病死することがあれば、自動的に彼の娘である『シャルロット・アウリヤーグ・ド・オルトバルカ』が王位につくことになる。

 

 彼女を転生者が率いる武装集団から救出する依頼を受けたのが、モリガンと王室に太いパイプが形成されるきっかけだった。あれからシャルロット王女は本格的に王になるための教育を受けているらしく、もう既に国王の死後に王位を継承するのは確定しているという。

 

 俺たちが救った少女が、今度はこの国を動かすのだ。

 

「それで…………ラングソン村の一件には全く関与していないのだな?」

 

「はい、陛下。あの記事は嘘です」

 

 確かにモリガンの傭兵たちは、クライアントから引き受けた依頼で多くの命を奪ってきた。俺たちが引き受けた依頼で殺した相手は魔物だけではない。村を襲う盗賊の殲滅で怯える盗賊団のメンバーたちを蜂の巣にしてきたし、人々を虐げて私腹を肥やす腐敗した貴族の暗殺も引き受けた。

 

 もう俺たちは、数多の亡者たちが吹き上げた鮮血で真っ赤に汚れている。今の俺は傍から見ればごく普通の父親に見えるかもしれないが、その正体は血肉で真っ赤に染まった怪物なのだ。

 

 けれども、誰を殺すべきなのかはしっかりと考える。尊い命のために、塵よりも軽いクソ野郎の命を奪い尽くす。どの命を奪うべきなのかはしっかりと判断して依頼を引き受けているのである。

 

 それがモリガンの理念なのだから。

 

 それゆえに、その理念を破るようなことは絶対にしない。俺たちに何度か依頼を頼んできたことのある国王もモリガンの傭兵たちがそういう事はしないという事を理解しているらしく、すぐに答えた俺の声を聴きながら頷いていた。

 

「そうだろうな。安心したよ」

 

「ありがとうございます」

 

「うむ。もしこの一件が、こんな記事を書いた新聞社だけの責任ならば奴らを潰して一件落着だろう。…………しかしな、近隣の駐屯地に駐留していた騎士たちは、実際に通報を聞いたというのだ」

 

 なんだと?

 

 俺たちを信頼している国王も、騎士たちに命令して色々とこの事件を調べてくれていたのだろう。わざわざ辺境の駐屯地に駐留する騎士たちまで調べ、通報を受けたという騎士たちまで調べ上げてくれたのは本当に嬉しい限りだ。

 

 しかし、彼らは実際に通報を受けていた…………?

 

「通報を受けた騎士たちによると、駐屯地までやってきたのはボロボロの馬車に乗った老婆と痩せ細った青年で、かなり必死だったという。この2人を駐屯地の敷地内で見たと言っている騎士たちは何人もいるから、この情報は間違いではあるまい」

 

 あまり考えたくはないが、その駐屯地にいる騎士たち全員が組んでいるという可能性はある。

 

 そう思いながら目を細めつつ、今朝読んでいた新聞の記事の内容を思い出す。

 

「生き残ったその2人組は、『クロスボウのような飛び道具を装備し、深紅の羽根をつけた黒服の男”たち”が村を焼き払った』と証言しているそうだ」

 

「陛下。ご存知かと思いますが、深紅の羽根を制服につけているのは私だけでございます。その証言は誤りです」

 

「分かっておる。…………おそらく黒幕は、その村を襲撃した連中だろうな」

 

 それに、モリガンに所属する男性は俺と信也とギュンターの3人のみ。実際に村を襲撃した男たちが3人以上だったら確実にそれは間違いだ。それに深紅の羽根を制服につけて戦っているのは俺だけである。

 

 モリガンに恨みを持っている貴族や他の傭兵だろうか。はっきり言うと、モリガンは多くのクライアントや街の住民たちからはかなり信頼されているが、その反面貴族にはかなり疎まれる傾向にある。中にはモリガンというギルドの名前を聞くだけで、街や国境を通過するために必要な申請の許可を渋る輩もいるほどだ。それに今まで葬ってきた貴族も多いため、モリガンに恨みを持っている奴らは数えきれない。

 

 庶民や王室を味方につけているから多少貴族は敵に回してもいいだろうと高を括っていたが、今回は裏目に出てしまったな。今度からは貴族の味方も増やそう。

 

 多分、今回の事件はモリガンに恨みを持っている連中が、俺たちがこんな虐殺をやったかのように見せかけることで評判を落とそうとしているのだろう。傭兵ギルドは所属する傭兵たちの実力も重要だが、そのギルドの評判も極めて重要だ。いくら強くてもクライアントとの契約をあっさりと破るような傭兵に依頼をするクライアントはいないからな。強さと誠実さを兼ね備えなければならない。

 

 だからこういう事をされると、実力と評判が重要な傭兵ギルドは大打撃を受ける。

 

「陛下、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「言ってみろ」

 

「―――――――その村人たちの証言についてですが…………村を襲撃した男たちが付けていた深紅の羽根は、何枚だったのでしょうか?」

 

「うむ…………確か、1枚だけだったと聞いたぞ」

 

 そうか。

 

 やはり、そいつらはモリガンの偽物だ。―――――――本物の転生者ハンターは、コートのフードに”2枚の深紅の羽根”をつけて戦っているのだから。

 

 この羽根は俺にとって、この世界で生き延びるためには圧倒的な強さが必要だという教訓の象徴なのだ。一番最初に自分以外の転生者と戦う羽目になった際、俺は敵の転生者とのレベルの差が大き過ぎたせいで苦戦する羽目になり、仲間が殺されかけたのだ。

 

 幸い仲間が命を落とすことはなかったものの、その戦いで俺は強さが必要だという事を痛感した。平和な日本に住んでいた時の事を忘れ、ひたすら実力を身につけなければ、いずれ仲間を失うことになるという大切な教訓の象徴。だから俺は、レベルを上げるために魔物の群れに挑んだ際に手に入れたこのハーピーの身体に生えていた深紅の羽根を、未だにフードにつけて戦っている。

 

 これにはそういう意味があるのだ。

 

 モリガンの偽物が深紅の羽根を1枚だけつけていたという事を聞いた瞬間、死に物狂いでレベルを上げた際に手に入れたこの戦利品と教訓を侮辱されたような気がして、少しばかり怒りを感じた。

 

 無礼かもしれないが、証拠になる。国王の前で跪きながら両手を首の後ろへと伸ばし、真っ黒なコートについているフードを国王の前でかぶる。あらわになった2枚の深紅の羽根を目にした瞬間、玉座に座っていた国王は顎鬚を触りながらニヤリと笑った。

 

「本物は2枚でございます、陛下」

 

「安心した。やはり、モリガンは誠実なギルドだな。よし、早速新聞社に処分とモリガンへの賠償金を―――――――」

 

「いえいえ、その必要はありません。その新聞社は国民に事件を知らせるという仕事を果たしたまで。悪いのは我々の評判を下げ、村人たちを虐げた挙句、新聞社にそのような記事を書かせた襲撃者共です」

 

 フードを取りながらそう言うと、国王は目を丸くしながらこっちを見下ろした。確かに新聞社に俺たちへ賠償金を支払わせて処分すれば少なくともモリガンが襲撃に関与したという情報が誤っていたという事にはなるだろう。しかし、それでは襲われた村の住人たちのためにはならないし、黒幕も粛清できない。

 

 だから引きずり出す。自分たちの欲望とつまらない復讐のために村人たちを巻き込んだクソ野郎共を、確実に粛清してやる。

 

「では、どうするのだ?」

 

「後は我々にお任せを。必ずや黒幕を引きずり出し、粛清してご覧に入れます」

 

「傭兵よ、策はあるのか?」

 

「ええ、たった今思い付いた作戦ですが」

 

 作戦を考えるのは信也の仕事だ。あいつは戦闘よりも、作戦を立案したり味方を指揮する方が向いている参謀なのだから。

 

 でも俺が数秒前に思い付いたこの作戦ならば信也も気に入ってくれる筈だし、上手くいく筈だ。そう思いながら国王の顔を見上げた俺は、ニヤリと笑った。

 

「最近、私は釣りを始めたのですが―――――――やはり魚を釣り上げるには、”餌”が必要です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国の中心に位置する王都ラガヴァンビウスからは、あらゆる方向へと道が伸びている。まず分厚い防壁から東西南北に大きな道が伸びており、やがてその道は無数の細かい道へと枝分かれを繰り返して、大きな街や小さな村へと行きつくのだ。

 

 それゆえにその道を通る商人や旅人たちは多く、そこを通れば必ず誰かとすれ違う。

 

 しかし夜になれば周囲に危険な魔物が出没するため、防壁の外へと出ていく者は殆どいない。明かりすらない不気味な道が、魔物の徘徊する草原へとただ単に伸びているだけである。

 

 いくら騎士団が定期的に掃討作戦を実施しているとはいえ、夜になれば夜行性の魔物も徘徊を始めるため、草原の危険度は一気に上がる。そのため騎士たちは夜になると防壁の門で見張りをし、防壁の外へと出て行こうとする者たちへ警告を行うのだ。

 

 練度の高い騎士団ですら緊急時以外は防壁の外へと出ることは殆どないのだが―――――――王都を取り囲む分厚い防壁に穿たれたトンネルのような門をくぐり、漆黒に染まった草原へと挑もうとしている者たちがいた。

 

 騎士団のエンブレムが描かれた2台の荷馬車の荷台には、他の駐屯地へと輸送するための食料や矢の入った木箱がこれでもかというほど積み込まれている。基本的にオルトバルカ王国騎士団の保有する拠点の中には必ずと言っていいほど工房があり、もし王都から補給できない状況になったとしてもある程度は自給自足できるようになっている。しかしそれは非常時の話であり、通常時はこうして定期的に物資や人員を荷台に乗せた荷馬車が王都を後にしていくのである。

 

 もう片方の荷馬車の荷台には、小さなランタンを腰のベルトに下げ、炎のように真っ赤な制服の上に白銀の防具を纏った騎士たちが乗り込んでいた。腰にはオルトバルカ王国騎士団で正式採用されているロングソードの収まった鞘やメイスを下げており、中には反対の手に盾を装備している騎士もいる。

 

 彼らはしっかりと荷台に腰を下ろして微動だにせず、門番たちが手を振っても挨拶すらしない。

 

 やがて門が開き、2台の荷馬車たちが草原に蹄が地面を殴りつける音を響かせながら、真夜中の草原へと躍り出ていった。

 

 通常の輸送部隊ならば、小型の荷馬車が2台程度である。しかしこの輸送部隊はそれなりに大きな拠点へと物資を輸送するためなのか、中型の荷馬車2台で構成されている。

 

 いつもよりも規模の大きな輸送部隊が王都を後にするという話は、基本的には騎士団以外には知らされることはない。物資の中には一般的な庶民が手に入れられないような食材や武器が含まれているため、襲撃されてそれらを奪われるのを防ぐためである。

 

 いつもならば物資の中身だけでなく、編成や出発の時刻すら全く漏れることはないのだが―――――――今回はいつもよりも規模が大きかったせいなのか、微かにその情報は漏れていた。

 

 魔物に襲われる可能性があるにもかかわらず夜に出発することを選んだのは、輸送作戦が漏洩したことを警戒していたためだろう。夜の草原は非常に危険であるため、練度の高い騎士団の部隊や傭兵たちでもあまり夜の草原に出て行こうとはしない。あえて夜中に出発することによって襲撃を防ぐ作戦である。

 

 だが――――――狡猾な者たちにとっては、それは関係なかったらしい。

 

 荷台に騎士たちを乗せた荷馬車の後ろを進む荷馬車の御者が、背後から近づいてくる馬の蹄の音に気付いた。手綱を握ったまま後ろを振り向いたその御者は、木箱が積み上げられた荷台の後方からランタンの光が追いかけてくることを知り、目を見開く。

 

 あとをついてくるランタンの数は1つではなかった。蹄の音を奏でながら追いかけてくる光の数は3つ。しかもそちらの馬の方がスピードが速いらしく、物資を積み込んだ荷台を引く羽目になった馬たちへとどんどん追いついてくる。

 

「そこの馬車、止まれ!」

 

 近くへとやってきた馬にまたがる男が、御者へと得物を向けながら叫んだ。どうやら漆黒のクロスボウらしく、漆黒の短い矢と照準器が装備されている。その男が身につけているのは漆黒のフードがついたコートで、フードには深紅の羽根が1枚だけついている。

 

 彼の後に続く他の男たちも全く同じ格好だった。片手で手綱を握りながら照準器付きのクロスボウを御者へと向けている。

 

「分かってるよな!? 俺たちはモリガンの傭兵だ! 今すぐ荷馬車を停めて物資をよこさないとぶっ殺すぞッ!」

 

「な、なんだと…………!? モリガンの傭兵…………!?」

 

 モリガンは、オルトバルカ王国で最も有名な傭兵ギルドと言える存在である。この世界には存在しない強力な飛び道具を使い、少人数で瞬く間に魔物の群れや盗賊団を壊滅させてしまう、少数精鋭の傭兵ギルド。国内にモリガンがいるからこそ、他国はオルトバルカに迂闊に戦いを挑むことができないと言われるほどだ。

 

 しかしモリガンは王室と太いパイプを持っており、騎士団が実施する魔物の掃討作戦には必ずと言っていいほど参加する”常連”である。国と騎士団に奉仕している傭兵たちが、ここで騎士団に牙を剥くのは考えられない。

 

 困惑する御者の顔の近くを、小さな鉄製の矢が掠める。

 

「ひぃっ!」

 

「とっとと停まりやがれ! 串刺しにされてえのか!?」

 

 クロスボウに矢を装填しながら怒鳴りつけるモリガンの傭兵。全力疾走していた荷馬車に乗る御者の顔の近くに矢を撃ちこんだのは威嚇だろう。彼らにクロスボウを向けている傭兵たちの技術はかなり高い。

 

 四面楚歌としか言いようがないにもかかわらず―――――――馬たちの手綱を握る”眼鏡をかけた気が弱そうな黒髪の青年”は、逆に笑っていた。

 

 なぜならば、獲物たちが全く気付いていないのが滑稽だったからだ。

 

 彼らはもう既に”餌”に喰らい付いていたのだから。

 

 あとは餌に喰らい付いた哀れな魚を釣り上げるだけで、彼らの勝利である。なのに自分たちが敗北している事にも気づいていない愚かな連中がまだ脅してくる姿は、滑稽としか言いようがない。

 

 次の瞬間、荷台に積み上げられていた物資の入った木箱が一気に吹っ飛んだ。荷台の上から追い出されて宙を舞う木箱の中からは保存食の入った缶詰や予備の武器が転げ落ち、真夜中の草原へと降り注いでいく。

 

 段差で揺れたわけではないのは一目瞭然である。今のは明らかに、荷台に潜んでいた”何か”に吹き飛ばされたのだ。

 

 ぎょっとしながら荷台の方を見たモリガンの傭兵たちは、先ほどまでこれでもかというほど木箱が積み上げられていた筈の荷台に姿を現していた人影と得物を目の当たりにし、一斉に目を見開く羽目になった。

 

 荷台の上に鎮座しているのは、車輪のついた台車の上に鎮座する太い金属の筒であった。鍛え上げられた巨漢の太腿に匹敵するほど太い筒の先端部には、その太さの割には小さな穴が1つだけ開いている。その後方にはシールドのような金属製の板が張り付けられており、後端にはグリップのようなものが取り付けられているのが見える。筒の右側にはまるで牙のような形状の金属の細い筒がいくつも連結されており、そのまま筒に開いている穴の中へと伸びているのが分かる。

 

 その金属製の得物を向けているのは―――――――漆黒のコートに身を包んだ、赤毛の男性だった。

 

 炎を彷彿とさせる短い髪と、同じく炎のように赤い瞳の男性の頭の左側からはまるでダガーのような机上の角が伸びており、先端部はマグマのように真っ赤に発光している。

 

 積み荷の中に隠れていた怪物(力也)はロシア製重機関銃の『PM1910』の照準器を覗き込みながら、楽しそうに笑った。

 

「―――――――お前ら、”タチャンカ”って知ってるか?」

 

 

 

 



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力也の拷問

 

 

 川の中に突っ込んだ餌に魚が喰らい付いたことに気付いた瞬間、ちょっとだけぞくりとする。後は思い切り釣り上げてやるだけなのだから。

 

 魚を釣り上げる瞬間にも似た感覚を感じながら照準器き込んでいると、その向こうでクロスボウを向けている黒服の男が目を見開いたのがはっきりと見えた。木箱しか積んでいなかった筈の荷台から、得体の知れない得物を構えた得体の知れない男が姿を現したのだから当たり前だろう。

 

 ―――――――獲物は釣り上げた。

 

 釣り上げられた哀れな魚は、あとはそのまま家に連れていかれて調理されるだけ。森に仕掛けた罠にかかってしまった哀れなウサギやキツネも同じだ。

 

 こいつらは、そいつらと同じだ。

 

 当たり前だが、この世界に重機関銃は存在しない。代わりにでっかい矢をぶっ放すバリスタは存在するが、このPM1910重機関銃はバリスタよりもはるかにコンパクトで、まだ軽い。

 

 とはいえ重量は60kgを超えるので、基本的に台車の上に設置して使用するのが鉄則だ。転生者ならば持ち運びながら連射するのも不可能ではないが、少なくとも馬車の上で発砲するのであればセオリー通りの運用が一番である。

 

「わ、罠だ! 全員反転―――――――」

 

「До свидания|(あばよ)!」

 

 偽物め。

 

 トリガーを押した瞬間、照準器の向こうが猛烈なマズルフラッシュで埋め尽くされた。右側から伸びるベルトが凄まじい勢いで機関銃に喰らいつくされていき、照準器の向こうに見えるマズルフラッシュの向こうでは慌てて逃げようとする黒服の男たちが蜂の巣にされていった。

 

 このPM1910が使用する弾薬は、モシン・ナガンやウィンチェスターM1895と同じ7.62×54R弾である。大口径のライフル弾をフルオートでぶっ放す代物なのだから、その弾幕の中に飛び込んでただで済むわけがない。

 

 男たちが乗っていた馬の頭を貫通した数発の弾丸が、ひしゃげた状態で乗っている男の頭を直撃。辛うじて成人男性の頭蓋骨を木っ端微塵にできるほどの運動エネルギーを維持していた弾丸たちが男の頭を食い破り、頭蓋骨と脳味噌を滅茶苦茶にしていく。

 

 もう1人の男へと照準を合わせ、そちらへと銃口を向ける。すでに1人の男を食い破っていた獰猛な機関銃を向けられた男は慌てて馬を左へと方向転換させつつクロスボウを放ってきたが、狙いを定める余裕はなかったのだろう。クロスボウから放たれた短い矢は俺たちの乗る馬車の上を通過して暗闇の中へと消えていく。

 

 容赦なくそいつも穴だらけにすることにした俺は、慌てて逃げていく男に弾丸をお見舞いする。

 

「がっ…………」

 

 モリガンの制服を模した黒服に覆われた背中から、鮮血と肉片が吹き上がる。

 

 瞬く間に背筋や肩甲骨を抉った弾丸の群れは、ついにそのまま背骨や脊髄まで木っ端微塵に粉砕すると、黒服どころか背骨の周囲を覆う肉の大半を引き剥がしてしまう。

 

 俺たちは依頼を引き受ける度に、当たり前のように命を奪ってきた。人間だけではなく、魔物やドラゴンの命もである。

 

 この世界では魔物と戦うのは当たり前の話だ。一番弱い魔物はゴブリンと言われており、ギルドによっては入団したばかりの新人の”見習い卒業試験”でゴブリンを討伐させるという。

 

 まだ魔物ならば、当たり前のように殺せる。けれどもこの世界で人間を殺すのは、前世の世界のように平和ではないとはいえ、魔物ほど”一般的”とは言えない。

 

 けれども俺は、もう今のように人を殺してもなんとも思わなくなった。数秒前までは武器をちらつかせて調子に乗っていた馬鹿が、今しがた放った弾丸でただの死体になるだけである。

 

 この世界を人間の身体に例えるならば、人々を虐げるようなクソ野郎は身体の中で増殖する忌々しい病原菌のようなものだ。そういう病原菌はとっとと摘出してしまった方がいい。この身体(世界)が死ぬ前に。

 

 病原菌が可哀そうだからという理由で、患者を治療しないバカな医者はどこにもいないだろう。

 

 だから俺たちはクソ野郎を殺す。

 

 奴らの命は塵よりも軽い。だから尊い命を守るために、塵よりも軽いクソ野郎の命を奪うのだ。

 

「信也!」

 

「分かってる!」

 

 機関銃の連射をいったん止め、ちらりと後ろを振り向きながら叫ぶ。手綱を握って馬を走らせている御者は頭にかぶっていた騎士団の鉄兜を脱ぎ捨てると、愛用の眼鏡をかけ直してから馬たちに前方の荷馬車の隣へと向かわせる。

 

 俺が乗る荷馬車の御者をやっていたのは、オルトバルカ王国騎士団から借りた制服と防具に身を包んだ弟の信也だ。さっきはどうやら襲撃してきた男たちに脅されて怯えている”演技”をしていたようだけど、今では楽しそうに笑っている。

 

 あいつが怯えているのを演技だと見抜くことができず、そのまま脅し続けている男たちの声を聴きながら俺も笑ってたよ。

 

 やがて荷馬車がもう1台の荷馬車の隣へと移動する。もう1台の荷台の上には剣やメイスを装備した騎士たちが何も言わずに座っており、襲撃してきた男たちと隠れていた俺が機関銃で交戦を始めたというのに微動だにしない。

 

 実は、そこに座っている騎士たちは人形の上に防具と制服を着せただけの囮なのだ。騎士団の騎士を輸送しているように見せかけるために用意した簡単な囮だが、敵には見破られなかったらしい。

 

 すると、その微動だにしない囮の騎士たちを荷台に乗せた荷馬車の御者が、隣へとやってきた馬車に気付いてこっちへと叫んだ。

 

「旦那ぁ! こいつらどうする!? 皆殺しか!?」

 

「いや、1人は生け捕りにしておく!」

 

 こいつらにこんなことをさせた”クライアント”にも、ちゃんと報復(お返し)をしてあげないとな。

 

 PM1910の残弾をちらりと確認しつつ、素早く周囲を確認する。荷馬車を襲撃してきた敵の数は3人。そのうち2人はもう既に機関銃で蜂の巣にしたから、残りは1人だな。こいつは殺さずに生け捕りにしてやろう。こいつらが自分たちで今回の事件を引き起こしたのならば、拷問して仕返しをしてから騎士団に引き渡してモリガンは何もしていなかったことを証明してもらうつもりだが、もしこいつらの裏に誰かがいればそいつの情報を聞き出し、こいつらのクライアントにもお返しをしなければならない。

 

 生き残った襲撃者は慌てて腰に下げていたランタンを消したらしい。こういう暗闇を移動する際はランタンは必須だが、こちらからすれば敵の居場所が分かるからかなりありがたかった。正しい判断だが―――――――残念ながら、蹄の音で位置は分かる。

 

 だんだん遠ざかっていくな。…………おそらく3時の方向。

 

 目を瞑りながら聞こえてくる蹄の音を頼りにし、機関銃をそちらへと旋回させ――――――トリガーを引いた。

 

 マズルフラッシュが一瞬だけ煌き、台車に取り付けられた機関銃が反動(リコイル)で震える。とはいえ台車に搭載されているのだから、ライフルを手に持ってぶっ放す時と比べると反動(リコイル)はほとんど感じない。

 

 そしてその弾丸が疾駆していった暗闇の向こうで―――――――遠ざかろうとしていた蹄の音が、途絶える。

 

 馬の鳴き声と、その馬から放り出される男の絶叫。人体が地面に叩きつけられる音をはっきりと聞いた俺は、御者を担当する信也に「回収頼む」と言ってから、身体中の皮膚を外殻で硬化させ、荷台の上から躍り出た。

 

 キメラの外殻はサラマンダーの外殻に匹敵するほど堅牢で、一般的な銃弾ならばあっさりと弾いてしまう。しかもフィオナの検査では、キメラの外殻の表面は非常に硬く、その下に柔らかい部分があり、更にその下に硬い外殻が待ち受けているため、ちょっとした複合装甲として機能するのだ。

 

 さすがに対戦車用のAPFSDSや対戦車ミサイルには耐えられないものの、装甲車の機関砲やガトリングガンの掃射には耐えられる。

 

 荷馬車から落下するダメージをこの外殻で防ぎつつ、護身用にホルスターの中に入れておいたトカレフTT-33を引き抜いてから先ほど男が落馬した音が聞こえてきた方向へと走る。先ほどの戦闘は1分足らずだったとはいえ、少々派手に撃ち過ぎた。急がなければ夜行性の魔物がやってくる可能性がある。

 

 ライトで夜の草原を照らしながら進んでいると、先ほどの射撃を喰らった馬が横たわっていた。左の脇腹と首の部分に命中したらしく、皮膚と肉が抉れて絶命している。

 

 余裕があったらこの馬も回収して馬刺しにしよう。夜食に丁度良さそうだ。

 

 そしてその近くに、落馬した男が横たわっていた。落下した際に地面に頭を打ってしまったのか、モリガンの制服を模した黒い服に身を包んだ男は、地面に仰臥(ぎょうが)したまま微動だにしない。

 

「クソ野郎め」

 

 クライアントがいるのならば、絶対に聞き出してやる。

 

 俺とこいつを回収するためにUターンしてくる荷馬車の蹄の音を聞きながら、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガンの屋敷の地下には、射撃訓練場がある。

 

 元々は騎士団が使用する弓矢用の設備だ。それを少しばかり改造して、銃の射撃訓練や試し撃ちに利用している。ただしそれほど広くはないため、マークスマンライフルやスナイパーライフルのような射程距離の長い武器の訓練をする際は、ここではなく外にある広大な草原を利用するようにしている。

 

 その射撃訓練場へと下りていく階段の扉にオルトバルカ語で『使用禁止!』と書かれた紙を貼りつけてから、射撃訓練場へと鼻歌を歌いながら向かう。

 

 数分前まで回収してきた馬を包丁で切って馬刺しを作ってたから、俺の服には血の臭いがこびりついている。家に帰る前に屋敷で洗濯してから持って帰った方が良さそうだ。子供たちにこんな臭いを嗅がせるわけにはいかない。

 

 馬刺しを楽しみにしつつ入口の扉を開け、中へと入る。目の前には見覚えのあるレーンがいくつか並び、その向こうには弾痕が刻まれた灰色の壁が広がっている。

 

 少しばかり武器の試し撃ちをしたくなったが、ここにやってきた理由はいつもの射撃訓練ではない。

 

 鼻歌を止めて右側をちらりと見てから、ため息をつく。

 

 射撃訓練場の脇には椅子が置かれており、その上には1人の男が腰を下ろしている。けれども気を失っているらしく、全く動く気配がない。

 

 その男が身に纏っているのは真っ黒なコートで、フードには一枚だけ深紅の羽根がついている。そう、昨日の夜に拘束した偽物のモリガンの1人だ。他にも2人ほど仲間がいたが、その2人は機関銃で射殺してしまっている。

 

 射撃訓練をするはずの場所に気を失った男が拘束されていて、しかも今からそこでちょっとした拷問が始まるのだ。できるだけ射撃訓練場が汚れないように気を付けるつもりだが、こいつが口をなかなか割らなかった場合はここを完璧に掃除して綺麗にする覚悟で拷問する予定である。

 

 殺すつもりはないが―――――――多分、五体満足では帰れないだろうな、こいつ。

 

 そんなことを考えながら左手を握り締め、気を失っている男の腹に思い切りボディブローをお見舞いする。左手は変異の影響なのか常に外殻で覆われている状態であり、もう二度と人間の左手に戻ることはない。そんな堅牢な左手で腹を思い切りぶん殴られた男は、いきなり目を見開きながら体内の空気をすべて吐き出すと、床に涎を巻き散らしながら呻き声を上げ始めた。

 

「おはよう。元気か?」

 

 無表情でそう言いながら、ポケットの中からカランビットナイフを取り出す。

 

 拷問に使うのはこれだけだ。

 

「ゲホッ、ゲホッ…………て、てめえ、よくも…………」

 

「よくも? …………ギルドの評判を落とす真似をして、よくそんなことが言えるな」

 

 もう一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、やめておこう。時間が長引いてしまう。

 

 カランビットナイフをくるりと回しながら男に近づきつつ、俺は低い声で問いかける。

 

「教えてくれないか? 今回の一件は、お前らの意志でやったのか? それともクライアントか?」

 

「誰が言うか!」

 

「ああ、そう」

 

 じゃあ、痛めつけないとな。

 

 わざとらしくカランビットナイフを振り上げ、その切っ先を椅子に縛り付けられている男の右手の小指のすぐ近くに突き立てる。それを目にしていた男の顔に瞬く間に脂汗が浮かび、ぶるぶると震え始めた。

 

 簡単に吐いてくれれば助かるよ。少なくとも足が両方ついてれば、自分で騎士団に出頭できるからな…………。

 

「…………で、クライアントはいるの?」

 

「…………ッ!」

 

 吐くつもりはないのか、震えながら首を横に振る男。やはり指が数本なくなるか、それとも腕が切り落とされない限り答えるつもりはないのかもしれない。

 

 じゃあ遠慮なく切り落とさせてもらおう。突き立てていたカランビットナイフを勢いよく指のある方向へと倒しつつ手前へと引っ張った瞬間、震えていた男が目を瞑りながら絶叫を始めた。

 

 一般的なナイフよりもはるかに小さいナイフの刀身が小指の皮膚にめり込み、肉を切断して骨に触れたのだ。このまま力を込めて骨を切断すれば、もう小指はあっさりと零れ落ちる。男が何か言おうとしたが、俺はお構いなしにそのまま右手に力を込め続けた。

 

 次の瞬間、男の絶叫が一気に大きくなった。みしり、と骨が金属の刃に断ち切られる感触を感じながら静かにカランビットナイフを引き抜くと、血まみれになった小指の第二関節から先がころりと椅子の上から転がり落ちてきて、床の上に小さな赤い模様を描く。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ああっ…………あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ついさっき、馬刺し作ってきたんだよね」

 

 カランビットナイフの血を指先で拭き取りながら男に言うが、きっと指を切り落とされた激痛に耐えることしかできないだろうから俺の言葉は聞こえていないのだろう。

 

 床に転がり落ちた男の小指を拾い上げ、もう一度床に落としてからブーツで思い切り踏みつぶす。小指がブーツの裏であっさりと潰れる感触を感じた瞬間、俺は少しばかり後悔した。ここはギルドの仲間たちが使う射撃訓練場だから、汚したら責任持って掃除する必要がある。

 

 つまり、ブーツの裏で潰れた小指の残骸も掃除しなければならないのである。仕事が増えるから、もちろんバラバラに切り裂いたらとんでもないことになる。

 

 潰れた小指の上からそっとブーツを退け、ぐちゃぐちゃになった小指の残骸を目の当たりにしながら息を吐く。

 

「馬刺しは好きだけど、人間で刺身は作りたくないんだ。分かるよな? そもそも俺はちゃんとした料理人じゃないから、お前をちゃんと”調理”する自信もない」

 

 男のフードを取り、その下から伸びる金髪を左手で思い切り掴みながら、俺は低い声で言った。

 

「だからさ、牛や豚の死体と一緒に捨てられたくなかったら―――――――とっとと全部話すんだ、クソッタレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 個人的に、ティータイムは質素な空間で楽しむ方が好きだ。今までに何度か貴族のお茶会やパーティーに招待されたが、過剰に装飾された部屋の中や広すぎる庭が一望できるパラソルの下では、はっきり言うとかなり落ち着かない。

 

 だからもし家を購入するならば、一般的で質素な家にしようと決めていた。貴族出身の妻たちには申し訳ないような気がしてしまうが、どうやらエリスとエミリアも気に入ってくれているらしい。

 

 今日も朝食に最愛の妻が焼いてくれた最高の焼き加減のトーストと手作りのジャムを楽しんでから、食後に新聞を読みつつ紅茶を飲む。個人的に好きなのはオルトバルカ産の紅茶だな。ヴリシア産ほど香りは強くないものの、さっぱりしていて飲みやすい。

 

「なあ、力也」

 

「ん?」

 

 キッチンの向こうで皿を洗っていたエミリアに声をかけられた俺は、記事を読むのを止めて顔を上げる。今まで一緒に戦ってきた戦友でもあるエミリアに一番似合うのは腰に剣を下げて制服を身に纏っている姿だと思っていたんだが、こうして私服の上からエプロンを身につけている姿も可愛らしい。

 

「ところで、例の一件はどうなったのだ?」

 

「ああ、記事載ってるよ」

 

 彼女を手招きしてから新聞を広げると、モリガンの偽物たちに関する記事が載っていた。

 

≪モリガンは無罪! 黒幕は偽物!?≫

 

「おお、良かったじゃないか」

 

「まあな」

 

 あの後、生け捕りにした男は全てを吐いた。

 

 男は元々盗賊団の構成員の1人だったらしく、数年前にモリガンが壊滅させた大規模な盗賊団の生き残りだったという。殺された仲間の敵討ちのためにモリガンになりすまして事件を起こし、俺たちの仕業にしてからモリガンを罪人にするつもりだったようだ。

 

 俺たちと戦っても勝ち目がないと分かっていたからこそそういう手段を選んだのだろう。

 

 賢い部分は認めるが、それ以外はすべて否定する。そもそも仲間を失う羽目になったのは仲間と一緒に略奪を繰り返していたからだ。それの復讐と言われても、こちらからすれば自業自得としか言いようがない。

 

 結局その男は自力で近隣の騎士団の駐屯地に出頭したというが、受け入れた騎士の話では”両腕の指が欠損しており、身体中に火傷の痕があった”という。

 

 男の身柄を拘束した騎士たちは、そのままその男を王都の裁判所へと移送。村を襲撃して何人も村人を殺した挙句、それをモリガンの仕業にしようとしたという事でその男には死刑が言い渡され、今日の午後3時に執行されるという。

 

 襲撃を受けた村の生き残りはエイナ・ドルレアンで受け入れることが確定しており、移送する馬車の護衛をするという依頼を既にモリガンが受けている。もちろんそれには俺も参加予定だ。男たちの仕業とはいえ、汚名を着せかけられたモリガンが誠実なギルドであるという事をアピールする機会になるしな。

 

 そしてその記事を書いた新聞社は、その男たちの仕業だったことを知らずに記事を書いたという事でお咎めなし。編集長からはモリガンに賠償金を支払うという打診があったものの、『我々は気にしておりませんので、賠償の必要はありません。今後も記事を楽しみにしてますよ』というメッセージを伝え、賠償の方は断った。

 

「これで一件落着だな」

 

「そうだな」

 

 すぐ後ろにやってきていたエミリアの頬を撫でてから、静かに唇を奪う。

 

「これで可愛い妻とイチャイチャできる」

 

「ばっ、馬鹿者…………!」

 

「な、なんだよ、いいじゃないか!」

 

 顔を赤くするエミリアにそう言いながら、俺は笑う。

 

 異世界に転生する羽目になった時は絶望していたけど―――――――こうして妻たちや子供たちと生活できるのは、とても幸せだった。

 

 

 



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ギュンターさんの日常

 

 

「というわけで、この街の税金は高すぎます。削減するべきです」

 

「し、しかし、これ以上引き下げたら…………!」

 

 一緒に連れてきた側近のプリチェットと街を治める貴族とのやり取りを見守りつつ、腕を組みながら溜息をつく。

 

 幼い頃から貧しい生活をしていたからなのか、貴族が好む派手な装飾や絵画を見ているとなぜか落ち着かない。俺はどちらかと言うとこういう過剰に装飾された派手な空間じゃなくて、もう少し貧しい感じの場所にいるほうが落ち着くのだ。

 

 それに身につけている服も、こんなにしっかりしたスーツじゃなくてもいい。私服が一番落ち着くんだと妻に何度も言ったんだが、彼女は「領主の夫なんだから、身嗜みはしっかりしないとダメでしょ?」と言って俺に無理矢理スーツを着せやがった。

 

 早く屋敷に戻って私服に着替えたい…………。

 

 そう思いながら部屋の中の時計を見て時刻を確認しつつ、この会談はいつ頃終わるのだろうかと思いながら再びプリチェットと貴族のやり取りを見守る。

 

 俺たちがここに派遣された理由は、この街の住人から税金が高すぎるという苦情が急増したからである。領主である妻(カレン)の元にもこの街の税金を上げるという通知は何件か来ており、その度に俺や側近を派遣してその上がった税金で何をするのか調査していたが、その時は特に問題が見当たらなかったためそのまま承認することになった。

 

 けれども、どうやらその貴族はその税金で何か企んでいたらしい。

 

「フィリップ卿、ではこの金貨50枚は何に使ったのです? 書類の上では防壁の増強と橋の補強という事になっていますが…………」

 

「か、確認なさらなかったのですか? 西にある橋と防壁の補強ですよ」

 

「担当した業者は?」

 

「せ、専属の業者です」

 

「では、失礼ですが責任者は?」

 

「それは…………」

 

 容赦なく問い詰めていくプリチェット。貴族の男が脂汗を浮かべながらこっちを見てくるが、俺は見て見ぬふりをしておく。というか、俺はこの太った貴族を問い詰める側だ。間違っても助け舟は出さない。

 

 ここに来る途中に補強されている筈の橋と増強されている筈の防壁を確認してきたが、数ヵ月前にやってきた時と全く変わっていなかった。相変わらず防壁には成人男性の腕が通過できるほどの穴がいくつも開いており、強度が落ちているのは火を見るよりも明らかだった。それに橋もボロボロで、積み荷をたっぷりと積んだ馬車が上を通過すれば崩壊してしまうのではないかと思ってしまうほど老朽化していたのである。通行禁止と書かれた看板が近くに立っていたが、その看板が撤去されることは、少なくともこのデブがこの街を治めている限りあり得ないだろう。

 

 目を細めたプリチェットは、メガネをかけ直してから息を吐いた。

 

「では、明日こちらの街に調査団を派遣させていただきます。よろしいですね?」

 

「ま、待ってくれ! 責任者は今思い出した! アダムスだ!」

 

「分かりました。ではそちらの方についても調査団に調査していただきましょう」

 

 貴族の男の顔がどんどん青ざめていく。もう一度俺の方を見るが、俺はもう一度見て見ぬふりをして切り捨てる。

 

「旦那様、行きましょう」

 

「おう」

 

 書類を抱えたプリチェットは俺にそう言うと、屋敷の扉を開けてくれた。最後に後ろでまだ顔を青くしている貴族の男を一瞥してから部屋を後にし、玄関へと向かう。

 

 廊下にもやはり派手な装飾があって、壁には騎士やドラゴンが描かれた絵画が飾られている。こういう空間は本当に落ち着かない。一刻も早くここを後にして休みたいものだ。カレンの屋敷に早く戻りたいところだが、カレンのお父さんの趣味なのか、あの屋敷の中にはそのまま美術館にできるのではないかと思えるほど派手な絵画や彫刻が置いてあるから、あの屋敷で休んでもはっきり言うと落ち着かない。

 

 何で貴族ってそういうのが好きなのかねぇ。俺には理解できそうにないな。

 

「旦那様、お疲れさまでした」

 

「何言ってんだ。話をしてたのはお前じゃないか」

 

 書類を抱えたまま隣を歩くプリチェットに言うと、先ほどまでやけに冷たい声で貴族を問い詰めていた彼は微笑んだ。

 

 彼は元々、ドルレアン家の私兵の衛兵だった男だ。今では衛兵を引退してカレンや俺の側近として仕事をしてくれている。机の上にどっさりと置かれている書類を半日で全て片付け、それから衛兵隊の訓練や家事までやってくれるかなり有能な男だ。カレンも頼りにしている側近である。

 

 ちなみにこの会談は、本当ならばカレンがやって来る筈だったんだが、今回は俺が代理でここにやって来ることになった。

 

 理由は―――――――彼女が妊娠しているからである。

 

 フィオナちゃんの検査では、あと2ヵ月か3ヵ月くらいで生まれるらしい。お腹が大きくなったせいであまり仕事ができなくなったので、俺がカレンの代わりに会談や王都の議会に出席することになっているのだ。

 

「楽しみだなぁ」

 

「お子さんですか?」

 

「ああ。名前も考えないとなぁ」

 

「そうですね。私も早く”お嬢様”にお仕えしたいですよ。…………では旦那様、お嬢様のお名前を考えるよりも先に、もう少し読み書きのお勉強をなさるべきですね」

 

「うっ」

 

 や、止めろよプリチェット…………。

 

 わざとらしく眼鏡をかけ直す彼を見ると、プリチェットはまるでこれからいたずらをしようとしている少年のような笑みを浮かべた。

 

 貴族の子供やそれなりに裕福な家の子供は、幼少の頃から学校に通って様々なことを学ぶという。けれども学校はあくまでも裕福な家の子供が通うための教育機関であり、授業料も非常に高い。そのため一般的な家庭の子供は両親から必要最低限の読み書きを教わってから就職するという。

 

 しかし、中には両親から読み書きすら教わることなく就職する子供もいるため、一般的なオルトバルカ語を話すことはできても、文字を読んだり書くことができない人がいるのは珍しくないのだ。

 

 ちなみに俺も読み書きができない男の1人である。

 

 ほんの少しはできるんだが、会議に使う資料を渡されてもなんて書いてあるか分からねえんだよなぁ…………。

 

「旦那様、これは何て読むと思います?」

 

「あぁ?」

 

 そう言いながら書類を取り出すプリチェット。彼が指差す単語を見てみるが、やっぱりなんて書いてあるか分からん。

 

「えーと…………リンゴ?」

 

「税金です」

 

 税金かぁ…………。まだカレンから習ってないから分からなかった。

 

 もう少し勉強しないとなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に置かれた分厚い本には、意味不明な記号の羅列が幾重にも並んでいる。複雑な魔術に使うような難しい記号なんじゃないかと思ってしまうが、これがオルトバルカ語の文字だ。両親から読み書きを習う事が出来た幸運な子供たちはこれを自由自在に使って文章を書くことができるというが、俺にはそんなことはできない。

 

 旦那は「ああ、英語にそっくりだ」って言ってすぐに読み書きを身につけちまったらしいが、”エーゴ”って何だろうな? 異世界の言語なんだろうか? 信也も「本当だ、英語にそっくりだね」って言いながら勉強して短時間で身につけてしまったってミラが言ってたな。

 

 ミラも勉強して身につけたらしい。モリガンのメンバーの中で読み書きができないのは―――――――俺だけだ。

 

「ほら、ギュンター。この単語は何て読む?」

 

 そう言いながら部屋のベッドの上で教科書を広げ、真っ赤なメガネをかけている女性が言う。眼鏡を掛けなくても常に凛としている彼女だが、メガネをかけたことでほんの少しばかり堅苦しさも加わってしまっている。勉強にはこういう堅苦しさが必要だって言ってたが、メガネをかけている妻も可愛らしい。

 

 普段ならばカレンの体格はすらりとしている筈だけど、ベッドに横になりながら教科書を広げている彼女のお腹はかなり膨らんでいて、自力で立ち上がるのは難しそうだ。だから彼女が立ち上がる時や歩くときは、俺やプリチェットが手を貸さなければならない。

 

 彼女のお腹の中には、俺たちの子供がいるのだから。

 

 子供の名前を考えながら、俺はカレンが指差す単語を探し出して、それが何を意味する単語なのかを思い出す。

 

「…………リンゴ?」

 

「正解。じゃあこれは?」

 

「えーと…………犬?」

 

「正解。じゃあ次はこれ」

 

「んー…………お母さん?」

 

「せ、正解」

 

 よし、少しずつ読めるようになってきたぞ。

 

「じゃあ、次は何か好きにオルトバルカ語で書いてみなさい。おかしな部分があったら直してあげるから」

 

「おう」

 

 よし、書いてやる。この前こういう書き方はカレンから教わったばかりだからな。

 

 書こうとしている文章に必要な単語を思い出しつつ、鉛筆で紙の上に少しずつ文字を書いていく。こっちを間見守っているカレンに向かってニヤリと笑いながら鉛筆をテーブルの上に置き、文章を書いた紙をカレンの座っているベッドの近くまで持っていくと、彼女はそれを受け取ってから眼鏡をそっと取った。

 

「ええと…………『私はカレンを愛してます』…………!?」

 

「どうだ? 合ってるか?」

 

 昨日の夜、”愛”っていう単語は辞書で調べておいたんだよね。

 

 俺が書いた文章を見ているカレンの顔がどんどん赤くなっていく。やがて彼女は紙をそっとベッドの上に置くと、顔を赤くしたまま俺の顔を見上げた。

 

「あ、合ってるわ…………完璧よ」

 

「よし!」

 

「そ、その…………わっ、私も………愛してるんだから」

 

「分かってるって」

 

 彼女の隣に腰を下ろすと、カレンが俺の肩に寄り掛かってくる。彼女の頭を撫でていると、左腕をカレンの柔らかくて白い手がぎゅっと握った。

 

 若い頃は「この変態ハーフエルフ!」って言いながらビンタしてきたカレンだけど、彼女は俺を奴隷としては扱わなかった。普通の貴族ならばハーフエルフを見るだけで薄汚い種族だと言いながら蔑むのが当たり前だというのに、ちゃんとして仲間として扱ってくれたのである。

 

 最初に出会った頃は、俺は正直に言うとカレンの事をどうせ他の貴族だと同じだろうと思っていた。ハーフエルフの事を見下し、何かあれば躊躇なく置き去りにするような典型的な貴族なんだろうと思って信用していなかったんだが―――――――全くそんなことはなかったのである。

 

 その後は一緒にモリガンで傭兵として戦いつつ、領主になるための試練のパートナーに俺を選んでくれたのだ。

 

 今では妻となってくれた彼女と初めて出会った頃の事を思い出しながら、こんなにいい女を妻にできた自分は幸せ者だなと思った俺は、自分のお腹をそっと触り始めた彼女を微笑みながら見守る。

 

「名前、決まってる?」

 

「いえ、まだよ。…………でも、多分生まれてくるのは女の子だと思うの」

 

「え?」

 

 フィオナちゃんの検査でも、お腹の中にいる子供の性別までは分からない。あくまでも生まれるのがいつ頃になるのかが分かる程度だ。

 

 どうしてカレンがそう思ってるのか尋ねようと思ったが、実際に尋ねるよりも先に彼女の唇が俺の唇を奪っていた。

 

 そのまま優しく妻を抱きしめつつ、彼女の頭を優しく撫でる。

 

 そっと唇を話すと、カレンは顔を赤くしながら微笑んだ。

 

「ふふふっ…………私ね、とても幸せよ。あなたの妻になれて」

 

「俺も幸せだよ。結婚してくれてありがとな、カレン」

 

「ええ。…………ごめんなさいね、いつも仕事を任せちゃって」

 

「何言ってんだ。俺は身体の頑丈さが持ち味のハーフエルフだぜ? その程度じゃ壊れねえって」

 

 カレンと結婚できたのは本当に幸せだ。彼女は綺麗だし、ハーフエルフである俺のことも大切に扱ってくれる心優しい女性なのだから。しかも他の貴族と違って貧民や奴隷を見下すことはなく、常に彼らを救うための手段を探し続けている。

 

 だから俺は何があっても彼女を支えるのだ。身体が頑丈なのだから、いざという時は彼女の盾にもなってやる。

 

 全身全霊で、彼女を守って見せる。カレンは俺の大切な存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段はカレンの代わりに仕事をするのが殆どだ。しかも彼女の仕事は会議だけではなく、エイナ・ドルレアンの領内にある街の住民たちから送られてくる要望に目を通して政策に反映したり、エイナ・ドルレアンの議会で審議される法案の承認も行わなければならない。

 

 カレンが直接目を通さなければならないような書類は彼女に確認してもらっているが、それ以外の書類は俺がチェックすることになっている。とはいえ読み書きができないため書類はただの意味不明な単語の羅列でしかない。

 

 そのため、申し訳ないが近くでプリチェットに大切な部分だけを朗読してもらい、それで内容を把握して判断している。

 

 プリチェットがいない時は他の読み書きができる執事やメイドに朗読してもらうし、彼らが仕事で手が離せないならばカレンから教えてもらったことをメモした手帳を持って仕事をするようにしている。もちろんそれでも分からない単語はあるし、仕事のスピードは急激に下がる。

 

 せめて書類の数が少ないのならば問題はないのだが…………目の前に積み上げられた書類の塔を見ると、本当にこれがカレンがいつもやっている仕事の一部なのだろうかと思ってしまう。

 

 何だよこれ。この書類で街の防壁をもう1つ作れるんじゃないだろうか。

 

「で、プリチェット。こっちは?」

 

「ええと、水路ですね。数日前の大雨で村の用水路が滅茶苦茶になってしまったので復旧してほしいそうです。この村は農作物を多く出荷していますから、最優先で整備した方が良さそうですね」

 

「うーん、確かにな。農作物の量が減ると大打撃だからなぁ…………よし、承認しておこう。次は?」

 

「ダンジョンの中から迷い出てくる魔物の数が増えているそうですので、駐留する騎士の数を増量してほしいそうです。こちらは騎士団からですね」

 

「分かった。足りない分は私兵で補うか…………あっ、そうだ。少し金はかかるがモリガンを頼れって伝えておいてくれるか?」

 

「了解です、旦那様」

 

 へへへっ。これで旦那たちの仕事も増えるぞ。

 

 最近は魔物の数も減り始めているから傭兵の仕事も減っている。相変わらず汚れ仕事は減らないらしいが、傭兵の仕事は魔物退治や商人の馬車の護衛が大半を占めているので、魔物の数が減ると必然的に傭兵の仕事は減ってしまうのだ。

 

 おかげで傭兵ギルドの数は減り始めている。

 

 しかも各国は魔物の数が減り始めていることを利用して、ダンジョンの調査に本腰を入れようとしているらしい。もし仮にそうなったら傭兵は一気に衰退し、逆に冒険者たちが主役になる時代がやってくるだろう。

 

 きっとその頃は俺たちはおっさんかお爺さんだな。冒険者の時代を謳歌できるのは、きっと俺たちの子供になるに違いない。

 

 もし俺とカレンの子供が冒険者になるって言い出したら、俺は全力で応援するつもりだ。とはいえドルレアン家の子供である以上はしっかり勉強して、カレンの後を継いで領主にならなければならないんだけど、冒険者という事は世界中を旅するという事だからな。きっといい経験になるだろう。

 

 カレンが反対したら説得してみよう。彼女は強敵だけど、娘のためになるっていえばわかってくれる筈だ。

 

「よし、次は?」

 

「ネイリンゲンからです」

 

「お、珍しいな。要件は?」

 

「はい、読みますね。――――――”ギュンターへ。東洋の美味い酒を購入したので、後で飲みに来い”。モリガンの皆さんからです」

 

 ん? 何かの要望じゃないのか?

 

 プリチェットが読み上げた書類の内容が予想外だったので、びっくりしながら俺は思わず顔を上げてしまった。傍らで書類を持っているプリチェットはニヤニヤしながら書類をテーブルの上に置き、部屋の中を見渡す。

 

「旦那様、少しお休みになられたほうがよろしいのでは? 丁度いい機会ですし」

 

「でもさ…………この仕事やらないと、カレンたちが大変だろ?」

 

「ご心配なく。これくらいならば私兵の隊長をやっていた頃にも経験済みです。旦那様こそ、二週間も休息をとらずに働き続けているではありませんか。少し羽を伸ばすべきですよ」

 

「うーん…………じゃあ、少し頼んでもいいか?」

 

「はい、お任せください」

 

 椅子から立ち上がると、プリチェットは俺にお辞儀をしてから席に腰を下ろした。お気に入りの眼鏡をかけ直してペンを手に取り、無数の書類の山の中から数枚の書類を手に取る。

 

 部屋を出る前に振り向いた俺は、ニヤニヤしながら彼に問いかけた。

 

「土産は旦那が仕留めた鹿の肉でいいよな?」

 

 プリチェットの奴、鹿の肉が好きらしいからな。

 

 そう提案すると、顔を上げたプリチェットが笑った。

 

「ええ。大きい奴を貰っていただけると助かります、旦那様」

 

「はいはい。できるだけでっかい奴を持って帰るから楽しみにしてろよ」

 

 仕事を引き受けてくれた側近にそう言ってから、俺はエイナ・ドルレアンの屋敷を後にするのだった。

 

 



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モリガンのメンバーの日常

 

 

 モリガンでは、2両の戦車を運用している。

 

 片方はドイツのレオパルト2A6。強力な120mm滑腔砲と重厚な複合装甲を兼ね備えている高性能な戦車である。防御力を向上させるため、砲塔の上にはアクティブ防御システムを追加しており、防御力は飛躍的に向上している。もし仮に迎撃できなかったとしても重厚な複合装甲で防御することができるからな。

 

 モリガンが一番最初に運用を始めた戦車であり、俺とエミリアがジョシュアの野郎に拘束された時は信也がこれを指揮して助けに来てくれたし、モリガンとガルゴニスの戦いの際も奮戦してくれた相棒だ。今でも大規模な魔物の群れが姿を現した際は出撃し、主砲で魔物の群れを薙ぎ払っている。

 

 そしてその隣に停車しているのは、モリガンで運用するもう1両の戦車である。

 

 もう片方は、日本製の『10式戦車』。陸上自衛隊で採用されている日本製の最新型戦車で、各国の戦車と比較するとかなり車体が小さいのが特徴的だ。更に装甲も薄くなってしまっているものの、搭載している主砲はレオパルトと同じく120mm滑腔砲であり、更に高性能な射撃管制装置を搭載しているため、主砲の命中精度は新型戦車の中でもトップクラスと言われている。

 

 乗組員は操縦手と砲手と車長の3名。戦車によっては更に砲弾を主砲に装填する”装填手”も必要になる場合があるが、この10式戦車は”自動装填装置”を搭載しているので装填手は乗らなくてもいいのである。

 

 俺たちはこの2両の戦車を運用して今まで戦ってきたのだが―――――――今度からは、3両の戦車を運用することになる。

 

 レオパルト2A6と10式戦車の隣に並んだ”新人”を見つめながら息を吐いた俺は、腰に下げていた水筒を手に取った。蓋を外して中に入っているアイスティーを少しだけ飲みつつ、近くに置いておいた白いペンキの入ったバケツを拾い上げる。

 

 がっちりとした装甲に包まれた2両の戦車の隣に鎮座するのは、レオパルト2A6と10式戦車よりも旧式で、実戦投入されることもなかった試作型の戦車である。冷戦の真っ只中に産み落とされ、後にアメリカ軍の戦車として活躍することになるエイブラムスの”原型”となった、MBT-70だ。

 

 数日前に魔物の殲滅作戦に投入した後、モリガンで運用することになったのである。

 

 とはいえ既に運用している戦車よりも旧式であるため、可能な限りの近代化改修を施した。できる限り複合装甲を搭載することで防御力を底上げし、複合装甲を搭載できない部位には爆発反応装甲を搭載して補った。それにミサイルや何かしらの強力な魔術を迎撃するために、アクティブ防御システムも搭載している。

 

 真っ黒に塗装された車体の上によじ登ってから、バケツの中に突っ込んでいた刷毛(はけ)を引っ張り出し、砲塔の右側面に白いペンキを塗っていく。

 

「…………こんなものかな」

 

 刷毛をバケツの中に戻し、車体の上から飛び降りてからそう呟いた俺は、右手に持っていたバケツを格納庫の壁際に置いてからMBT-70の砲塔の右側を眺める。

 

 漆黒に塗装された戦車に白いペンキで描かれたのは、この世界には存在しない言語である英語の単語である。

 

 それは、この戦車のコールサインだ。

 

 MBT-70の砲塔に描かれた『Black Fortress』というコールサインを眺めて満足しつつ、肩を回しながら格納庫の床に腰を下ろす。

 

 滑腔砲と比べると発射できる砲弾の種類が少なくなってしまうものの、強力な対戦車ミサイルを発射できるガンランチャーを搭載した黒い要塞(ブラック・フォートレス)の火力はきっとこれから頼りになってくれることだろう。

 

 黒い要塞(ブラック・フォートレス)というコールサインを付けられたMBT-70を眺めてから、ペンキの入ったバケツを持って格納庫を後にする。

 

 はっきり言うと、転生者はいつでも端末さえあれば自由自在に戦車や戦闘機に乗ることができるので、わざわざこのような格納庫を準備する必要はない。むしろこうやって兵器を格納しておくことで、侵入した何者かに鹵獲される可能性がある。それにこのような兵器は12時間が経過すると勝手に最善の状態にメンテナンスが実施されるため、わざわざ自分たちの手でメンテナンスをする必要もない。

 

 端末を操作して出現させる手間が省けるというメリットがあるものの、このような格納庫は基本的に無用なのだ。

 

 この格納庫を用意したのは、ミラの要望なんだけどね。彼女はどうやら戦車や戦闘機に興味を持ったらしく、それらで出撃する時は必ず操縦士に立候補するほどだ。時間が空いている時は勝手に格納庫から10式戦車を持ち出してネイリンゲンの広大な草原を爆走させたり、屋敷の近くにある簡単な飛行場の滑走路から飛行機で出撃し、勝手に空を飛び回っている。

 

 おかげで彼女の操縦技術はモリガンのメンバーの中でもトップクラスと言える程磨き上げられたが、出来るならば程々にしてほしい。彼女が夜中でもお構いなしに急降下爆撃機で急降下を繰り返していたせいで何日も眠れなかったことがあるからな。

 

 格納庫の外に出てから、ペンキの入ったバケツを裏庭の物置の中に放り込んでから裏口のドアを開けた。そのまま1階の広間を素通りして階段を上がり、3階にある執務室へと向かう。元々は俺やエミリアたちが寝室に使っていた部屋を改装した部屋で、ここで書類にサインしたり、暇な時に信也から借りたラノベを読んでいる。

 

 この世界は前世の世界と比べると娯楽が減ったからなぁ…………。前世の世界ではオンラインゲームをやったりアニメを見ることができたけど、この世界にはそもそもテレビやラジオが存在しないので、娯楽はマンガやラノベ程度だ。時折妻たちと王都まで演劇を見に行くこともあるけれど、個人的には映画を見てみたいものだ。早くこの世界の技術も進歩してほしいものだけど、多分映画が本格的に普及するのは俺たちの子供や孫たちの時代になるのではないだろうか。

 

 高校の友達とオンラインゲームをプレイしていた頃の事を思い出しながら執務室の扉を開けると、部屋の中のソファの上には信也とミラが腰を下ろしており、ラノベやマンガを読みながらリラックスしているところだった。テーブルの上にはこの前にエイナ・ドルレアンで購入してきたラノベやマンガがどっさりと積み上げられており、ちょっとした防壁みたいになっている。

 

「ああ、兄さん」

 

「ペンキ塗ってきたぜ」

 

(お疲れ様ですー)

 

 俺もラノベを読もうかな。

 

 俺たちは傭兵だからいつも訓練をしているんだが、常に訓練をしているというわけではない。当たり前だけど、デスクワークと訓練ばかりしていたら依頼に行く前に過労死してしまう。

 

 だからこうやって羽を伸ばすのも大切なのだ。

 

 ラノベとマンガの山から何冊か本を拝借し、自分の机の上まで持っていく。腰に下げていたアイスティー入りの水筒を机の上に置き、書類を少し片付けてから持ってきたラノベを開いた。

 

≪魔法少女ぼいて★ぱんつぁー≫

 

 な、なんだこのラノベ…………。

 

「し、信也、これ何?」

 

「知らないの? 最近人気のラノベだよ?」

 

 これ人気のラノベなのかよ…………。しかもこれ1巻じゃなくて4巻じゃん。適当に持ってきたのが悪かったな。読むならせめて1巻から読みたいものである。

 

「どんな内容?」

 

「戦車を召喚できる魔法を習得した女の子が、異世界で魔物を蹂躙する話だよ」

 

 なんだそれ。これの作者は転生者か? 机の上の4巻を捲ってみるが、確かに戦車に乗った美少女がゴブリンの群れに榴弾を叩き込んでいる挿絵が載っている。俺たちも同じようなことをした事があるけど、やっぱり魔物の群れに戦車を投入すればすぐに決着がついてしまう。

 

 はっきり言うと、魔物が圧倒的な規模の群れで押し寄せてこない限り、戦車を投入するのは”やり過ぎ”だ。

 

 4巻のページを捲っていると、信也がこれの1巻を探し出して机の上に置いてくれた。礼を言ってからそれを受け取り、ページを受け取り始める。

 

 戦車の召喚以外の魔法全然使ってないじゃん。実質的に現代兵器で蹂躙してるだけだぞ、これ…………。

 

「こんなのもあるよ」

 

「ん? …………『異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる』?」

 

「多分、兄さんが見たらキレると思うけど」

 

「はぁ?」

 

 俺がキレる内容? なんだか気になるな。

 

 そう思いながら受け取った1巻のページを捲り、アイスティーを口に含みつつ読み進めてみる。どうやら俺たちが住んでいた前世の世界に転生した天才魔術師が、こっちの世界で身につけた魔術を使ってヒロインや仲間たちと一緒にトラブルを解決していくというストーリーらしい。

 

 俺たちとは逆なんだな。

 

 でも―――――――F-22と思われる戦闘機が、ファイアーボールであっさり撃墜されている挿絵が載っているページを見た途端、このラノベを俺の炎で燃やしてしまいたくなってしまった。

 

 何でF-22がファイアーボールごときで撃墜されてんだよ!? 攻撃力や機動性は最高峰だぞ!? そもそもファイアーボールの射程外から先にミサイル撃たれて勝負つくだろ!? 何だこれ!?

 

 そう思いながらさらに読み進めていく。現代兵器が魔術であっさりとやられているシーンを目にする度にブチギレしそうになるが、それ以外の内容は悪くはない。魔術で現代兵器を瞬殺するシーンさえなければ面白いんじゃないだろうかと思いながら読んでたんだが…………ロシアのPAK-FAが離陸前にファイアーボールで狙撃されて大破しているシーンの挿絵を目にした瞬間、我慢できなくなった。

 

「なんだこれはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「に、兄さん!?」

 

(力也さんがキレた!?)

 

 せめて飛ばしてやれ! それから勝負しろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ! 

 

 しかも次のページでは、ロシアの戦車であるT-14の群れがファイアーボール1発で壊滅してるし! はっきり言うけどT-14はファイアーボールごときでやられるような戦車じゃないからな!? そんな軟弱な魔術でやられるのは第一次世界大戦で使われてたような旧式の戦車だぞ!?

 

 これの作者は現代兵器を馬鹿にしてるのか!?

 

「ゆ、許せんッ! おい信也、出撃だ! このクソラノベの作者を粛清しに行くぞッ!!」

 

「お、落ち着いてよ兄さん! ラノベだから!」

 

「絶対許さん! ファイアーボールなんかよりも滑腔砲の方が強いって証明してやる!」

 

(戦車使っちゃダメです! お願いだから落ち着いてくださいぃぃぃっ!!)

 

 ミラと信也に身体を抑え込まれるが、強引に引き剥がして俺は部屋のドアへと進む。けれども引き剥がした筈の信也とミラが再び俺の腕を掴んできて、なかなか前に進ませてくれない。

 

 特に信也は転生者だから身体能力がステータスによって大幅に強化されており、なかなか力が強い。最近は実戦を何度も経験してレベルを上げているらしいから、ステータスもそれなりに高くなっているのだろう。以前のようにあっさりと引き剥がせるような相手ではなくなっている。

 

「はっ、離せぇぇぇぇぇぇぇぇ! こいつだけは粛清させてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「ミラ、フィオナちゃん呼んできて! 金縛りなら兄さんを止められるから!!」

 

(わ、分かった!)

 

 一旦俺の腕から手を放し、研究室にいるフィオナを呼ぶために部屋を後にしたミラ。数分後に駆けつけることになるフィオナに金縛りで身動きできなくさせられるまで、俺と信也の死闘は続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事を終えて屋敷を後にし、そのまま森の中にある家へと向かう。仕事とは言っても依頼があったわけではないので、実質的にはいつも通りの訓練をやった後に部屋でくつろいで依頼を待ってただけだけどね。

 

 今日は以前のようにピエールの店で待ち合わせをする予定はないので、いつものように真っ直ぐ家へと戻る。

 

 そろそろ夏になるせいなのか、風がいつもよりもやけに温かい。けれども9月になればもう雪が降り始めるほどの雪国なので、この暖かさの恩恵を受けられる期間は短いのだ。急いで薪や食料をどっさりと溜め込んでおかないと、真冬の間に痛い目を見ることになる。

 

 それゆえにこの国の国民たちは、冬になると大忙しなのである。

 

 幸い、俺たちが住んでいる家は森の中だ。だから少なくとも薪には困らないけれど、食料はどうしようもない。雪が降り積もれば食料を売りに来る商人も殆どこの街に来なくなるし、森の中で獲物を仕留めようとしても数が減っているのであまり期待できないのだ。

 

 だから保存食作りもする必要がある。狩りで獲物を仕留めたら、その肉の一部は燻製やソーセージにして保存食にするのだ。

 

 そろそろ俺も保存食作りを手伝った方がいいかな?

 

 森へと続く道を歩き続け、森の中へと入る。森とはいえそれほど規模が大きいわけではないので、中には魔物は生息していない。熊や鹿は生息しているので、狩りは基本的にこの森の中で行っている。

 

 そのまま道を真っ直ぐ進んでいるうちに、段々と我が家が見えてきた。モリガンの本部となっている屋敷と比べると随分小さくて質素な木造の家だ。さすがに子供たちと一緒にあの屋敷で生活するわけにはいかないし、もし屋敷が襲撃されたら子供たちが命を落とす危険もある。だから子供たちが生まれてからは、屋敷ではなくこっちで暮らすようにしている。

 

 家の玄関の前までやってきた俺は、玄関の前に置いてあるポストの近くに真っ黒な毛並みの馬がいる事に気付いた。尻尾を振りながらポストの近くの草を食べている馬の背中には鞍があることから、野生の馬ではないという事がすぐに分かる。どこかの騎士団の奴が訪問してるのだろうかと思いながらまじまじと馬を見ていると、鞍には見覚えのある家紋が刻まれていた。

 

 ―――――――ドルレアン家の家紋である。

 

 ああ、そういえばギュンターの事を呼んでたからな。こっちに来てたのか。

 

 数日前に商人から東洋の酒を購入したんだ。東の海の向こうにある”倭国”の酒らしく、オルトバルカでは滅多に出回っていない珍しい品だという。だからかなりの値段だったんだが、興味があったので購入したんだ。

 

「ただいまー」

 

「あっ、パパ! おかえりなさいっ!」

 

 玄関のドアを開けると、真っ先にリビングから赤毛の少女が飛び出してきた。エリスにつけてもらったのか、真っ赤な髪に黒と赤のリボンを付けたラウラは嬉しそうに笑いながらこっちに走ってくると、そのまま勢いよく俺の胸に飛び込んでくる。

 

 愛娘の小さな身体を受け止めてから抱きしめて彼女の頭を優しく撫でると、ラウラはまだ短い尻尾を勢いよく左右に振り始めた。どうやら彼女の癖らしく、嬉しい時や満足している時に無意識のうちに尻尾を左右に振ってしまうらしい。

 

 まるで飼い主との遊びを楽しむ子犬みたいだ。

 

「あのね、ギュンターおじさんがあそびにきてるの!」

 

「おー、そうか」

 

 やっぱりな。どうやらエイナ・ドルレアンから馬でネイリンゲンまでやってきてくれたらしい。ラウラを抱き上げたままリビングへと向かうと、やはり聞き覚えのある野太い笑い声が聞こえてきた。

 

 どうやら我が家を訪れたハーフエルフの巨漢はもう既に飲み始めているらしく、彼の傍らには楽しみに取っておいた筈のラム酒の瓶が空になった状態で転がっている。そしてそれを飲み干したと思われる張本人は、明らかに8歳の幼女にしか見えない最古のエンシェントドラゴンと腕相撲で勝負しているところだった。

 

「がるちゃん、がんばれー!」

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!? おい、お前幼女だろ!? 何でこんなに力強いんだよ!?」

 

「ふっふっふっふ…………私はエンシェントドラゴンじゃぞ? ただの幼女と思うでないわっ!!」

 

 ギュンターのでっかい掌に包まれてすっかり見えなくなってしまうほど小さなガルちゃんの手が、信じがたいことにギュンターの剛腕をどんどん押していく。ギュンターは必死に抵抗しているようだが、あのまま負けるのが関の山だろう。

 

 案の定、どんっ、とテーブルを殴りつけたかのような音を響かせながらギュンターの手の甲がテーブルに打ち付けられ、鍛え上げられた傭兵と最古のエンシェントドラゴンを名乗る幼女の一騎討ちは幕を閉じた。

 

「お、力也! 帰ったのか!」

 

「おお、旦那ぁ! 待ってたぜ!」

 

「よく来たな。よし、今夜は飲むか!」

 

 確か、この前作ったソーセージがいくつかあった筈だ。肉は明日狩りに行って補充しておけば問題ないだろう。

 

 商人から購入した倭国の酒をキッチンまで取りに行きながら、俺は思った。

 

 多分、”次の戦い”が始まる前に仲間たちとこのような生活を送れるのは今回が最後なのではないだろうかと。

 

 未来からやってきたという成長した姿のタクヤとラウラの話では、彼らの時代ではすでにネイリンゲンは転生者たちの襲撃で壊滅し、廃墟と化しているという。その”転生者たちの襲撃”が行われると思われる日は―――――――着実に近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 長期連載

 

タクヤ「カノン、何読んでるんだ?」

 

カノン「『魔法少女ぼいて★ぱんつぁー』ですわ」

 

タクヤ「へぇ…………54巻!?」

 

カノン「ええ。ちなみにわたくし、1巻から全部持ってますわよ♪」

 

リキヤ(あれまだ続いてたのか…………)

 

 完

 



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ネイリンゲン防衛準備

 

 

 ネイリンゲンは、オルトバルカ王国の最南端にある小さな街である。周囲は広大な草原に囲まれており、他の街と違って魔物の攻撃を防ぐための防壁が存在しない。そのため他の街とは違って開放的な雰囲気を持つ、一風変わった街である。

 

 その理由は、この草原にはなかなか魔物が姿を現さないからである。そのため常に大規模な騎士たちの部隊を駐留させておく必要はないものの、もし魔物たちが襲撃を開始した際にすぐに防衛戦を開始できるように必要最低限の守備隊は駐留している。もしそれで兵力が足りなければ傭兵を雇って戦力をカバーすることになっており、この街には多くの傭兵ギルドが存在する。

 

 そのため、ネイリンゲンは”傭兵の街”と呼ばれることもあるのだ。

 

 俺とエミリアがラトーニウス王国との国境を越えてこの街に逃げ込んでからもう7年。当時の俺たちはまだ17歳の少年と少女に過ぎなかったけれど、今ではもう結婚して子育てしながら、日に日に減っていく仕事の量を気にしながら傭兵として働いている。

 

 今は平穏だ。

 

 けれども―――――――そろそろ戦いの準備をしなければならない。

 

 7年前の魔剣との戦いの際に、信じ難いが未来からやってきたと言っていた俺たちの子供たちから聞いた話では、あの忌々しいジョシュアとの戦いから7年後に、なんと―――――――転生者たちの襲撃で、ネイリンゲンが壊滅してしまうというのである。

 

 どのような襲撃でネイリンゲンが壊滅するのかは彼らは知らないようだったが、襲撃されるのであれば防衛戦の準備をするべきだ。おそらく壊滅してしまったネイリンゲンにいた俺たちは、無防備な時に奇襲を受けて壊滅したに違いない。

 

 だから戦車も1両追加したし、ネイリンゲンの郊外には急遽3基のレーダーサイトを設置した。もしネイリンゲンが爆撃で壊滅するというのならばこれで探知できるし、ミサイルによる攻撃も同じくこれで探知することが可能だ。もし魔物がレーダーサイトに攻撃を開始したとしても、周辺に設置したターレットと、無人化した軽戦車のルスキー・レノをレーダーサイトに2両ずつ駐留させているので、少なくとも魔物の襲撃で破壊されることはないだろう。

 

 だが―――――――モリガンはメンバーの数が少ないし、それに運用している航空機は設備の関係で第二次世界大戦で活躍したような旧式の航空機しか運用できないという大きな弱点がある。

 

 もしも相手が同じく旧式の機体で襲い掛かってきたのならば、少なくとも互角には戦えるはずだ。けれどもF-22のような最新の戦闘機をネイリンゲンへの攻撃に投入した場合、当たり前だが勝負にならない。ミサイルで射程距離外から一方的に攻撃され、そのまま撃墜されるのが関の山である。

 

 だからこちらもジェット戦闘機を運用したいところなのだが、端末の機能で戦闘機を作り出すことはできても、それを運用するための滑走路まで用意できるわけではないため、そういう設備は自分たちで準備しなければならないのだ。

 

 滑走路は辛うじて用意できたものの、滑走路とは言っても草原の草を刈って分厚い木の板を敷いただけだ。プロペラ機なら問題ないが、ジェット戦闘機は運用できない。幸い最新のヘリは簡単なヘリポートで運用しているので何とかなるが、だからと言って戦闘機をこれで撃墜するのは無茶である。

 

 だから航空戦力は貧弱なのだ。何とかして強化したいところだが、今から滑走路を作り直しても間に合わないだろう。それに滑走路を作るにはもっと人手が要る。

 

 そこで―――――――地上からの対空砲火で、貧弱な航空戦力をカバーすることにした。

 

 モリガンの屋敷の裏に鎮座するその兵器は、一見すると戦車のようにも見える。キャタピラのあるがっちりとした車体は戦車を連想させるが、その上に乗る砲塔から突き出ている筈の戦車砲の砲身は見当たらない。代わりに砲塔の両サイドに地対空ミサイルの発射機が片方に4基ずつと、圧倒的な破壊力と連射速度を持つ30mm機関砲が片方につき1基ずつ搭載されている。

 

 戦車ならば主砲の砲身が突き出ている筈の場所に搭載されているのは、円盤状のレーダーだ。

 

 俺たちが新たに生産したのは、ロシア製自走対空砲の”2K22ツングースカ”と呼ばれる兵器である。敵の航空機やヘリを撃墜するための機関砲や地対空ミサイルをこれでもかというほど搭載した兵器であり、対空戦闘で真価を発揮する。

 

 とはいえ戦車と比べるとかなり装甲が薄いため、敵に反撃されればあっさりと撃破されるのが関の山だ。念のためもう1両用意する予定である。

 

 これとモリガンが運用する航空機を組み合わせて敵の航空隊を撃退する予定だが、やはりモリガンでは旧式の戦闘機しか運用できないというのはかなり致命的な弱点である。高性能な自走対空砲と連携できるとはいえ、もし敵がジェット戦闘機を大量に投入してくればこちらが敗北するだろう。

 

 念のため、仲間にはスティンガーミサイルや9K38イグラも支給する予定だ。

 

 地上から攻めてくるならば撃退する自信はあるが、空から攻撃された場合は苦戦するだろう。場合によっては李風(リーフェン)に航空機の派遣を要請した方がいいかもしれない。

 

 俺たちは今、”勇者”と呼ばれるある転生者の情報を探している。多数の転生者を味方につけている男らしく、信じられない話だが、その勇者は転生者たちに”核兵器”を作らせている危険な男である。

 

 李風たちもかつてはその勇者の命令で核兵器を製造させられていたのだが、モリガンとの戦いで降伏し、今では俺たちに協力してくれている。彼らの転生者のレベルはまだ低いと言わざるを得ないが、規模ではモリガンよりもはるかに上だ。今でも同盟関係にあるため、一緒に勇者の情報を集めつつ反撃の準備を進めている。

 

 おそらく、大きくなったタクヤたちが言っていたネイリンゲンを壊滅させる転生者たちは、勇者に加担する転生者たちなのだろう。だとすると転生者の群れとの戦闘になる。

 

「…………」

 

 端末を操作し、ツングースカを装備している兵器の中から解除する。草原の上に鎮座していた自走対空砲が何の前触れもなく姿を消したのを確認してから、俺は踵を返して屋敷の中へと向かった。

 

 裏口から中に入り、3階へと向かう。今では執務室に使っている部屋の隣にはギュンターとカレンの寝室だった部屋があるんだが、今ではそこも改装して臨時の指令室として使わせてもらっている。

 

 階段を上ってその臨時の指令室の扉を開ける。数秒前まではまるで貴族の屋敷の中のような光景だったのだが、その扉の向こうの光景は、これでもかというほどモニターや無線機が設置されている上に床には何本もケーブルが転がっているせいで、まるでどこかの軍の基地の中のような光景と化している。

 

「お疲れ」

 

(ああ、力也さん)

 

 椅子に座りながら、レーダーサイトから送られてくる反応が表示されるモニターをじっと見つめていたミラにそう言うと、彼女はこちらを振り返ってからそう言った。お前の旦那さんはどこにいるのかと尋ねようと思ったんだが、彼女の足元のケーブルに紛れ込もうとしているかのように真っ黒な寝袋の中で寝息を立てる弟を見つけ、尋ねるのを止めた。

 

 どうやら仮眠をとっているらしい。

 

「交代だ。ミラも休め」

 

(すいません、お言葉に甘えさせてもらいます)

 

 よく見ると、ミラの目の下にもクマが浮かんでいる。

 

 いつミサイルや敵の航空機が飛来するか分からないため常に見張っている必要があるのだが、やはりモリガンはメンバーの人数が少ないため、負担が大きくなってしまう。

 

 ミラは両手を伸ばしながらあくびをすると、左手で瞼を擦りながら立ち上がり―――――――近くで寝息を立てている信也が入っている寝袋の中へと、強引に潜り込み始めた。

 

 お、おいミラ? それ1人用の寝袋なんだけど…………。

 

 7年前と比べると、当たり前だが信也の体格はかなりがっちりしている。あっさりと折れてしまうのではないかと思えるほど細かった手足にも筋肉がつき、今では素手で魔物を殴り倒せそうなほどがっちりしている。それにミラも7年前と比べると成長しているし、今では胸が結構大きくなっている。

 

「ん…………? ん…………」

 

(ふふふっ♪)

 

 寝袋の中で信也が動こうとするけど、ミラが強引に潜り込んだせいで身動きが取れないらしい。

 

 信也、結婚式には呼んでくれよ。

 

 1人用の寝袋の中で寝息を立て始めた2人を見守ってから、俺も見張りの仕事を始める。設置されたモニターと、レーダーサイトを警備するルスキー・レノから送られてくる映像を見つめながら、腰のホルスターに納まっていたトカレフTT-33の点検を始める。

 

 今度ルガーP08も使ってみようかな…………。

 

 そんなことを考えながら、目の下にクマが浮かび始めるまで見張りを続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさまであります、同志」

 

「久しぶりだな、同志李風」

 

 目の前へとやってきた少し背の小さな黒髪の青年に敬礼をしつつそう言うと、彼は敬礼をしたまま微笑んだ。

 

 彼の名は”張李風(チャン・リーフェン)”。この異世界では珍しい中国出身の転生者で、かつては勇者の命令で脅されながら核兵器の製造を強いられていた転生者の1人だ。今ではモリガンとの戦闘で生き残った転生者たちを束ねて傭兵ギルドを結成しつつ、俺たちと同盟を結んで勇者の情報を集めている。

 

 モリガンの屋敷の裏庭にある簡単なヘリポートへと降り立ったカサートカの兵員室の中から、ぞろぞろと兵士たちが降りてくる。彼らが手にしているアサルトライフルはブルパップ式で、やや大きめのキャリングハンドルが特徴的だ。おそらく中国製の『95式自動歩槍』だろう。

 

 95式自動歩槍は、中国で運用されている5.8mm弾を使用するブルパップ式のアサルトライフルである。室内戦にも投入し易く、命中精度も高いため扱い易いライフルだ。さすがに西側のアサルトライフルのように汎用性は高くないものの、95式自動歩槍のバリエーションは多い。

 

 使用する弾薬は5.8mm弾。アメリカの運用する5.56mm弾やロシアの5.45mm弾よりも若干口径が大きいため、小口径の弾丸の中では殺傷力は高い部類に入ると言える。けれどもこの異世界では小口径の弾丸よりも大口径の弾丸が重宝されるため、対人戦では問題はないかもしれないが魔物との戦いでは火力不足になるかもしれない。

 

 ちなみにモリガンで推奨している弾薬は7.62mm弾である。小口径の弾丸では魔物の外殻に弾かれてしまう恐れがあるためだ。部位によっては外殻を貫通してダメージを与えられるが、魔物との乱戦になった状態でははっきり言うと弱点を正確に撃ち抜いている余裕はない。とにかく”当てられる部位に当てて黙らせる”事が重要になる。

 

 それに7.62mm弾であれば、種類にもよるが飛竜やドラゴンの外殻も貫通できる。更に5.56mm弾や5.45mm弾よりも確実に人を殺せる威力があるため、こちらの方が効率よく魔物を始末できる上、対人戦や魔物との戦いにも投入できるという強みがある。

 

 ただし反動が大きいので、運用する際は工夫が必要だ。

 

「それで、航空隊は?」

 

「東の海に空母を待機させてあります。指示があればすぐに艦載機を飛ばせます」

 

 空母を作ったのか…………。

 

 転生者の端末のアップデートで戦車やイージス艦が生産できるようになったのだが、それらの兵器は能力の生産や銃の生産に比べると凄まじい量のポイントを消費する。レベルの高い転生者でも戦艦を作ろうとすれば瞬く間にポイントを使い果たしてしまうほどだ。

 

 その中でもポイントの量が抜きんでているのが、空母である。

 

 実際のコストを反映したのか、第二次世界大戦の頃の空母ですら50000ポイントを超えるのは当たり前。最新型の空母では200000ポイントを超えている。

 

 ちなみに、戦車の生産に必要なのは5000ポイントから9000ポイントだ。

 

 しかも空母やイージス艦は、それを操る乗組員も準備する必要がある。ある程度はカスタマイズで自動化することで乗組員を削減できるものの、そうすれば更にポイントを消費する羽目になる。しかも艦載機まで用意されるわけではないので、空母を生産したら今度は艦載機もポイントを消費して揃えなければならない。

 

 艦載機のない空母は何の役にも立たないからな。

 

 きっと李風はかなり無理をして空母を生産したのだろう。しかも彼は仲間たちにも武器や戦車を支給しなければならないのだから、きっと今の彼が持っているポイントは底をついている筈だ。

 

「では、我々はネイリンゲンの東西南北に検問所を設置します。不審な奴を見つけたらすぐに報告しますので」

 

「分かった。射殺許可は常に出しておくよ」

 

「了解です、同志。それと念のため、我らの戦車部隊もこちらに駐留させておくことにします」

 

「助かる。人員が少なくて困ってたんだ」

 

「ははははっ。同志も仲間を増やしたらどうです? いつまでも少数精鋭では大変でしょう?」

 

「それもそうだな。検討しておくよ」

 

 今まで仲間を増やさなかったのは、仲間割れを恐れていたからだ。

 

 もしかしたら支給した武器を悪用しようとする奴がいるかもしれないし、それを横流しして私腹を肥やそうとする奴がいるかもしれない。それを恐れていたからこそ、俺は今までギルドの規模を大きくすることには反対し続けていた。

 

 しかし、仲間への教育を徹底すれば問題はなさそうだな…………。この戦いが終わったら、俺も少しばかり”軍拡”してみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、パパ! ラウラもかりにつれていって!」

 

 出勤しようとしている俺のズボンを掴みながらそう言っているのは、俺とエリスの間に生まれたラウラだ。以前に一度だけ狩りに連れて行ったことがあったんだが、それ以来狩りに興味を持ってしまったらしく、俺が出かけようとするとこうやって狩りに行きたがるのである。

 

 きっと、グレネードランチャー付きのAK-47を背負っているから今から狩りに出かけると思ったのだろう。けれども俺が今から行くのは狩りではなくお仕事だ。

 

 俺の顔を見上げながら微笑む愛娘の頭を優しく撫でながら、俺は彼女に謝った。

 

「ごめんな、ラウラ。パパは今からお仕事に行かないといけないんだ」

 

「えぇー!? やだやだ、かりにいきたいのっ!」

 

「あはははっ。じゃあ、今度の休みに連れて行ってあげるからさ。それでいいだろ?」

 

「うー…………わかった」

 

「よし、いい子だ」

 

 約束はちゃんと守ろう。次の休日に、子供たちも連れて狩りに出かけるのだ。

 

 ラウラの頭を撫で終えてからエミリアからウシャンカを受け取り、玄関のドアを開けようとしたその時だった。

 

 窓の外から入り込んでくる光が一気に強くなったかと思うと、まるで凄まじい数のライトで照らされているような光に変貌し―――――――凄まじい轟音と共に、家中の窓が一気に弾け飛んだのである。

 

 見送りに来てくれていたラウラとエミリアを、反射的に庇う。その直後、俺の背後にあったドアが外れて家の中へと吹き飛ばされ、いつも玄関に鎮座していたそのドアが俺の背中を殴りつけてから、廊下の方へと吹っ飛んで行った。

 

 家がバラバラになるのではないかと思ってしまうほどの凄まじい衝撃を感じながら、俺は妻と娘を守るために必死に庇い続けた。確かリビングではタクヤが絵本を読んでいた筈だし、キッチンではガルちゃんとエリスが皿を洗っていた筈だ。彼女たちは無事なのだろうか?

 

 衝撃波が消え失せたのを確認してから、泣き叫ぶラウラをエミリアに任せて家の奥へと突っ走っていく。窓ガラスの破片で家族が怪我をしていないか心配だったが―――――――リビングへと飛び込んだ瞬間、俺は安心した。

 

「え、エリス…………」

 

 今の衝撃波で飛び散ったガラスの破片を、エリスが得意の氷属性の魔術でちょっとした防壁を作り、絵本を読んでいたタクヤを守ってくれていたのである。

 

「安心して、ダーリン。この子たちは私たちがちゃんと守るわ。…………でも、今のは何?」

 

「分からん。ネイリンゲンの方からだが―――――――」

 

 ちょっと待て、今のは確かにネイリンゲンの方からだったよな…………?

 

 ぞくりとした俺は、大慌てで玄関の方へと戻った。先ほど背中に激突したドアに仕返しするつもりで思い切り踏みつけてから、ドアのなくなった玄関から飛び出し―――――――外に出た妻たちと一緒に、凍り付く。

 

 俺は悪夢を見ているのだろうか? 

 

 巨木の群れの隙間から緋色の輝きが見える。あの輝きが見える方向には、確かネイリンゲンがあった筈だ。いったい何があったんだ…………!?

 

 やがて家を取り囲む巨木の影から、ネイリンゲンの街並みが広がる筈の方向からゆっくりとキノコ雲が姿を現した瞬間、俺はネイリンゲンで何が起きたのかを理解した。

 

「ネイリンゲンが―――――――」

 

 ―――――――――ネイリンゲンに、核が落ちた。

 

 

 

 

 



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ネイリンゲン壊滅

 

 

 結局、運命は変わらなかったという事か…………。

 

 未来からやってきた子供たちに警告してもらったにもかかわらず、俺たちはネイリンゲンの壊滅を防ぐことができなかった。あの空へと舞い上がるキノコ雲の根元に広がっていた筈の街が、あの大爆発で壊滅状態に陥っているのは想像に難くない。

 

 みんなは無事なのだろうか。そう思った直後、すぐに”あんな大爆発の近くにいたのだから、そんなわけはない”と思ってしまう。

 

 とにかく、すぐに助けに行かなければならない。生存者だけでも助けることはできる筈だ。

 

「エミリア、エリス。子供たちを連れてエイナ・ドルレアンに避難するんだ」

 

「待て、力也! お前はどうする!?」

 

「俺は…………みんなを助けに行ってくる。まだ生きている奴はいる筈だ」

 

 子供たちと妻たちを見つめながら言うと、タクヤを抱きしめていたエミリアは首を横に振った。

 

「ならば私も行く」

 

「ダメだ」

 

「力也…………!」

 

 おそらくこれは、俺たちが追っていた”勇者”からの先制攻撃だろう。武装蜂起しようとしていた俺たちを潰すための一撃に違いない。このような核兵器を作り出すことができる転生者の集団は、李風が率いるギルドか勇者の一味しか存在しないのだから。

 

 つまり奴らの狙いは俺たちだ。下手をすれば、何の罪もない子供たちまで対象に入っているかもしれない。もしそうならば、子供たちを守る戦力も必要になる。

 

 だから俺は、同行しようとするエミリアに向かって首を横に振り続けた。

 

「お前たちは、子供たちを守ってくれ」

 

「しかし…………お前一人では―――――――」

 

「頼む、エミリア。カレンの所に行って、生存者の受け入れの手続きをしてもらうんだ。生存者には俺がエイナ・ドルレアンに逃げるように指示を出す。…………だから、行ってくれ。子供たちを守ってくれ…………頼む」

 

「…………行くわよ、エミリア」

 

「姉さんまで…………!」

 

 いつもふざけているエリスが、珍しく冷静にそう言った。普段の優しそうな目つきではなく、まるで戦闘中のように鋭い目つきに変貌している。このような表情の妻を目にするのは、7年前にエミリアを奪還するためにやってきた時以来だろうか。

 

 当時の事を思い出していると、まだ幼いラウラを抱いたエリスは庭の隅の方にある小さな馬小屋へと向かった。騎士団にいた頃から何度も経験したから慣れてしまったのか、やけに素早く馬を小屋の柱につないでいた縄を解くと、自分とエミリアの分の馬を玄関の前まで連れてくる。

 

 馬の上に乗り、後ろにラウラを乗せたエリスは「ほら、早く」と言ってエミリアを馬に乗せた。

 

 エミリアも同じように馬に乗り、後ろにまだ幼いタクヤをそっと乗せると、街へ向かう俺を心配そうな顔で見つめてきた。

 

「ママ、どこにいくの?」

 

「カレンさんの所よ」

 

「パパは? パパはいかないの?」

 

「ごめんな、ラウラ。パパは…………やることがあるからここに残るよ」

 

 俺の分の馬が無いから気付いたのだろう。エリスの背中にしがみついていたラウラが、涙目でこっちを見つめながら言った。俺の分の馬がないという事は、俺は一緒に行かないという事を理解したらしい。

 

「やだやだ! パパもいっしょにきてよ!」

 

 できるならば、俺も一緒に行きたい。

 

 でも、そうしたらまだネイリンゲンにいる生存者を見捨てることになる。瓦礫の下で苦しむ彼らを、一刻も早く助けなければならないのだ。

 

 それにもしあれが本当に核ならば―――――――ネイリンゲンは放射能まみれになっているに違いない。もしそうならば、少なくとも俺は無事に帰ることはできないだろう。下手したら二度と家族と再会することはできなくなるかもしれない。

 

 そう思った瞬間、反射的に内ポケットに手を伸ばしていた。その中に護身用の小型のハンドガンと一緒に納まっているのは、派手な装飾が一切ない一般的な赤黒い懐中時計である。

 

 エミリアと初めてデートに行ったときに、彼女がプレゼントしてくれたものだ。それから毎日メンテナンスしているから、購入してから何年も経つというのに未だに新品のような艶を維持し続けている。これは俺にとってお守りのようなものだ。

 

 取り出したそれを目にした瞬間、エミリアはびっくりしたのか目を見開いた。

 

 懐中時計をラウラの小さな手のひらの上に置く。まだラウラの手のひらよりも大きな懐中時計を受け取ったラウラは、それを両手で持ちながらまじまじと見つめた。

 

「パパの大事な時計なんだ。パパが戻るまで預かっててくれ。いいね?」

 

「うん…………ぜったいかえってきてね」

 

「約束する。…………パパに任せろ」

 

 一歩だけ後ろに下がり、馬の手綱を握るエリスに向かって頷く。この2人の妻たちならば、もし道中で転生者に襲われたとしても確実に子供たちを守り抜いてくれる筈だ。一緒にモリガンの傭兵として強敵との死闘に勝利してきた戦友なのだから。

 

「タクヤ、ラウラとママたちを頼んだぞ。男の子だろ?」

 

「うんっ!」

 

「はははっ、頼むぞ。…………よし、行ってくれ」

 

「―――――――幸運を祈る」

 

 そう言ったエミリアに向かって頷いてから、俺とガルゴニスは一緒に踵を返した。背後で妻と子供たちを背中に乗せた馬が鳴き声を上げ、蹄の音を奏でながら遠くへと走り去っていく。段々と小さくなっていく蹄の音を聞きながら端末を取り出した俺は、いつも愛用しているグレネードランチャー付きのAK-47とトカレフを装備してから、サイドカー付きのバイクを出現させる。

 

 オリーブグリーンに塗装されたバイクに乗り、ガルゴニスがサイドカーに乗るのを待つ。予め渡しておいた銃剣付きのMG34を背負った彼女は息を吐きながらサイドカーの座席に腰を下ろすと、身長の低い彼女が持つにしてはあまりにも大きすぎるLMG(ライトマシンガン)を構え、こっちを見ながら頷いた。

 

 ああ、行こう。

 

 森の向こうに屹立する漆黒のキノコ雲を睨みつけながら、俺はガルゴニスを乗せたバイクを走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草原から、見慣れていたあの開放的な街並みが姿を消していた。

 

 噴き上がった巨大な火柱が蒼空を蹴散らし、その上には巨大なキノコ雲が、まるで巨木のように鎮座している。

 

 サイドカーに乗っているガルゴニスと共に必死にネイリンゲンに向かって走る。火柱とキノコ雲のせいで街がどうなっているのかはよく見えないが、間違いなく壊滅してしまっている筈だ。

 

 勇者に対抗するために武装蜂起を計画していたのはあくまで俺たちだけだ。核を撃ち込めば、関係のないネイリンゲンの市民まで巻き込むことになる。勇者が市民を巻き込むことについて躊躇したかは不明だが、奴は市民もろとも俺たちを葬ることを選び、こうして核を使いやがった。

 

 悪魔め…………! 何が勇者だ!

 

 全力で走っていると、街から少し離れた草原の上に、辛うじて残っているモリガンの屋敷が見えた。あの猛烈な爆風と衝撃波に耐え抜いてくれたのかと少し安心したんだけど、すぐにその安心は砕け散ることになる。

 

 見慣れたその屋敷は、半分ほど倒壊していた。信也たちの部屋やキッチンがあるあたりはすっかり崩れ落ち、壁を形成していたレンガがまるで崩れかけの砂山のように積み重なっている。猛烈な熱線のせいでそのレンガも色が変色していて、まるで返り血のように赤黒く染まっていた。

 

 確か、屋敷には信也たちだけではなく、共同訓練のために李風たちの部隊もやってきていた筈だ。彼らは無事なのか!?

 

「なんということを…………!」

 

 全速力で裏口の門へと辿り着く。遠征する際によく使っていた裏庭へと続く鉄製の門は表面が溶けていて、どんな装飾が刻まれていたのかよく見えなくなってしまっていた。爆風の熱で溶けてしまったらしく、門は全く動かなくなっていた。

 

 バイクから降り、左手の拳を握り締めてから融解して動かなくなってしまった門に向かって叩きつける。まるでハンマーで殴りつけられた氷の壁のように亀裂が入ったかと思うと、堅牢な外殻で覆われた腕で殴られた門は破片を巻き散らしながら、ゆっくりと後ろへ倒れていった。

 

 その向こうに鎮座する倒壊しかけの屋敷と、すっかり爆風で吹っ飛ばされた戦車の格納庫の姿があらわになった。ミラが俺に作ってくれとお願いしてきた戦車のガレージは核爆発の衝撃波で吹き飛ばされ、中に格納されていた戦車たちは大破してしまっている。

 

「うぅ…………」

 

「何だ?」

 

 人間の呻き声だ。生存者だろうか?

 

 ぞっとしながら、俺は裏庭へと足を踏み入れた。聞き覚えのない呻き声だったから、おそらく屋敷を訪問していた李風の部下なのかもしれない。

 

 その呻き声を発したのは、倒壊した物置の近くに立っていた迷彩服に身を包んでいる男性だった。おそらく18歳くらいだろう。真っ黒に焦げてしまった迷彩服に身を包んでうつ伏せに倒れている男性の傍らへと駆け寄った俺は、彼の肩に手を置いた。

 

「おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 

「その声…………同志………ハヤカワですか…………?」

 

「安心しろ。ヒーリング・エリクサーを持ってる」

 

「同志…………じ、自分の足を…………見かけませんでしたか? あ、足が…………足が、千切れてしまったんです。痛いんです。同志………た、助けて下さい………」

 

「何だって?」

 

 まるで泣きながら喋っているような彼の声を聞いた俺は、恐る恐る彼の足へと目を向けた。でも、彼の両足に辿り着く前に、俺の視線はこの転生者の兵士の腹の辺りで立ち止まってしまうことになる。

 

 彼の腹の辺りには、まるで剣のような大きさのガラスの破片が突き刺さっていた。明らかに貫通している。背中から突き刺さったと思われるそのガラスの破片の切っ先が、彼の胴体を貫通して地面に突き刺さっているため、この転生者は這って動くことすらできなくなってしまっている。

 

 何とかそのガラスの破片から目を離し、今度こそ彼の足を確認する。右足は膝の下からなくなっていて、左足は何とか残っていたけど、熱線のせいで皮膚が黒焦げになっているようだった。明らかに歩ける状態ではない。

 

「ま、待ってろ、すぐエリクサーを―――――」

 

 フィオナが発明したヒーリング・エリクサーならば、彼を苦痛の中から助け出してやれるかもしれない。そう思いながら試験管にも似たエリクサーの容器を取り出そうとしたその時、俺はこの助けを求めてきた俺よりも若い転生者の兵士が、助けを求めるように俺の足を掴みながら動かなくなっていることに気が付いた。

 

 虚ろな両目の周囲には、涙の跡がある。

 

 俺よりも年下なのに…………。

 

 唇を噛み締めてから左手を伸ばし、彼の虚ろな両目を静かに閉じさせてやった俺は、首を横に振ってから周囲を見渡した。

 

 他にも李風の部下たちが倒れているが、息がある奴は見当たらなかった。熱線に焼かれて黒焦げになったり、吹き飛ばされてきた破片が突き刺さって絶命している奴ばかりだ。

 

 もう一度唇を噛み締め、異世界で死ぬ羽目になった彼らに両手を合わせてから、俺は辛うじて残っていた裏口のドアに八つ当たりするように左足の蹴りを叩き込んで蹴破った。

 

「信也! ミラ! 無事か!? 返事をしろッ!!」

 

 屋敷の中に向かって怒鳴りながら、俺は階段を駆け上がっていく。

 

 階段の反対側にある廊下の奥にはキッチンがあった筈だ。俺がエミリアに野菜炒めを振る舞った場所でもあり、親友を殺して苦しんでいる俺をエリスが受け止めてくれた場所だ。仲間たちと共に食事を摂っていたあのキッチンは、崩れ落ちてきた無数のレンガに塞がれてしまっている。

 

 焦げ臭い臭いを嗅ぎながら、俺は必死に階段を駆け上がった。彼らはどこにいる? 自室か? それとも地下の射撃訓練場か!?

 

 この瓦礫の下敷きになっていないことを祈りながら2階へと辿り着くと、会議室の方から聞き慣れた声が聞こえてきた。おそらくミラの声だろう。誰かに向かって必死に叫んでいるようだ。

 

 つまり、ミラは生きている!

 

 3階への階段を上ろうとしていた俺は、すぐに会議室の方へと向かって走り出した。爆風で吹き飛んで床に転がっていた会議室のドアを踏みつけながら中へと駆け込んだ俺は、変わり果ててしまった会議室の中で、床に仰向けに倒れている信也の姿を見てぞっとした。ミラが信也に向かって必死に叫びながら、何度も何度も彼に心臓マッサージと人工呼吸を繰り返している。

 

 会議室の隅の方には、呻き声を上げる李風と部下の転生者がいた。奥の方にももう1人いるようだけど、彼は窓から入り込んできたと思われる熱線を全身に浴びてしまったらしく、焼死体と化しているようだった。

 

「お、遅かったじゃないですか…………」

 

「李風…………」

 

「部下は…………外にいた私の部下は…………?」

 

「…………」

 

 俺は俯いてから、首を横に振った。外で屋敷を警備していた李風の部下たちは、熱線と衝撃波で全滅してしまっていた。

 

 李風は「そうですか…………」と悲しそうに言うと、ちらりと焼死体になった部下を見つめてから咳き込んだ。

 

 一緒に連れてきた部下たちの死体を見つめた李風は、唇を噛みしめながら壁に開いた大穴の向こうを見据える。

 

「レーダーに何も反応はなかったんです…………これは、核ミサイルではありません…………」

 

「爆弾か…………」

 

 街の中に持ち込んで爆弾を起爆させたのだろうか? もしそうしたのならば確かにレーダーサイトでは捕捉できない。

 

 彼の傍らに、持ってきたエリクサーの瓶を置いておいた俺は、信也に心臓マッサージを繰り返しているミラの方へと向かった。7年前と比べて筋肉が増えてがっしりした体格になった信也は、両目を閉じたまま横になっている。よく見ると、信也の右腕が見当たらなかった。肩から先が少し黒くなっているだけで、そこから先は千切れてしまったらしく、無くなっている。

 

 ―――――――弟の右腕が、ない。

 

「信也…………!」

 

 腕が千切れているだけではない。レンガの破片や金属の破片が、顔や胸に何本も突き刺さっている。傷だらけになった弟の姿を見た瞬間、俺は思わず涙を流しそうになった。

 

 だが、俺はモリガンのリーダーだ。仲間たちの前で涙を流すわけにはいかない。

 

『ミラさん、治療は任せてください!』

 

(フィオナちゃん、お願い! シンを助けて…………!)

 

 信也の傍らに舞い降り、フィオナが早速彼の傷口の治療を始める。光属性の魔術が発する真っ白な光を見つめながら拳を握りしめていると、涙を拭いながら心配そうに信也を見守っていたミラが呟く。

 

(シンは…………私を庇ってくれたんです…………。爆発が起こった瞬間に、私を突き飛ばしてくれて…………でも、彼は…………!)

 

「心配するな。…………きっと助かる」

 

 助かってくれ。

 

 信也はミラにとって大切な人だ。俺にとっても大切な肉親なんだ。

 

 右腕を失ってしまった信也を見下ろしながら、俺はまたしても唇を噛み締めた。戦いで手足を失うのは俺だけだろうと思っていたんだが、ついに信也も右腕を失う羽目になってしまった。

 

「ゲホッ、ゲホッ!」

 

(シン!)

 

「しっかりするのじゃ!」

 

「み…………ミ………ラ…………。だいじょう……ぶ…………?」

 

 ヒーリング・フレイムが発する白い光に包まれながら、信也がゆっくりと目を開けた。でも、その目つきはいつもの信也の目つきではなく、先ほど裏庭で絶命した兵士のような虚ろな両目だった。作戦を考えるのが得意だったモリガンの参謀としての心強い目つきではなく、弱々しい目つきだった。

 

 でも、彼は意識を取り戻してくれた。ミラは再び両目に涙を浮かべながら、信也がかけているレンズに亀裂の入ったメガネを静かに外した。

 

(私は大丈夫だよ、シン…………!)

 

「よかった………君が…………無事…………なら…………」

 

 レンガや金属の破片が何本も刺さった顔で、信也は微笑む。ミラは信也が笑ってくれて安心したのか、涙を拭ってから彼の傍らにしゃがみ込み、弱々しい微笑を浮かべ続けている彼を思い切り抱き締めた。彼女から零れ落ちた涙が、血で赤黒く染まった信也の皮膚へと流れ落ちていく。だが、皮膚を赤黒く染めている信也の血は、ミラの涙でも消えることはなかった。

 

「醜悪じゃのう…………リキヤよ、こんなことをするのが人間なのか?」

 

 傷ついた弟を見下ろしている俺に、ガルゴニスが訪ねてくる。

 

 俺は彼女を仲間にした時、俺も人間が嫌いだと言った筈だ。俺が最も嫌いな人間は、力を好き勝手に振るって人々を虐げるような人間だ。だから転生者を狩り続け、転生者ハンターと呼ばれた。

 

「―――――――いや、奴らは人間じゃない」

 

 俺たちを消すためだけに、ネイリンゲンで核を使った。しかもネイリンゲンの市民たちまで巻き添えだ。

 

 人間ならばこんなことはしないだろう。

 

 少しずつ傷を塞がれていく信也を見守っていると、窓ガラスがすっかり吹き飛んでしまった窓の向こうから爆音が聞こえてきた。聞こえてきたのは街の方からだ。

 

 弟の右腕を奪われ、親しかった街の人々を虐殺されたことに怒りながら拳を握りしめていた俺は、静かに窓の近くへと向かう。爆風と衝撃波に抉られ、もはや他の壁に開いた大穴と見分けがつかなくなってしまった窓から外を眺めてみると、散々核爆発に叩きのめされて瓦礫の山になってしまった街の方で、小さな火柱がいくつか上がっている。

 

「銃声…………?」

 

 爆音の残響から顔を出したように聞こえてくる小さな銃声たち。ライフルやマシンガンの銃声が、街の方から聞こえてくる。

 

 李風の部下たちが何かと戦っているのか? それとも、転生者たちが攻め込んで来たのか?

 

 俺はちらりと後ろを振り向いた。右手で左肩を押さえながら何とか立ち上がった李風は、窓の外から聞こえてくる銃声を聞きながら「街に部隊を展開させた覚えはありませんよ…………」と言った。

 

 どうやら、核を使った大馬鹿野郎(勇者)の部下たちが、俺たちの止めを刺すためにネイリンゲンに攻め込んできたらしい。

 

「…………フィオナ、負傷者を連れてエイナ・ドルレアンに向かえ」

 

『え?』

 

 エイナ・ドルレアンにはカレンたちがいる筈だ。彼女ならばきっと、ネイリンゲンから逃げ延びた人々を受け入れてくれるだろう。

 

(待ってください! 力也さんはどうするんですか!?)

 

「俺は―――――――――街の生存者を助けに行く。それに、攻め込んできた奴らの相手をしなければならん」

 

 奴らは追撃してくる筈だ。だから俺が殿(しんがり)になって、攻め込んできた奴らをここで食い止めなければならない。

 

 エミリアたちが聞いたら絶対に反対するだろう。ミラやフィオナも反対する筈だ。だが、李風たちは負傷しているし、重傷を負っている信也も何とか連れて行かなければならない。誰かが食い止めなければ、あっさり追いつかれて殲滅されてしまうだろう。

 

「ならば、私も残ろう」

 

「助かる」

 

 端末を操作していつもの武器を装備する。背中にはロシア製アンチマテリアルライフルのOSV-96を折り畳んだ状態で装備し、腰の両側には.600ニトロエクスプレス弾をぶっ放す強烈なプファイファー・ツェリスカを2丁装備した俺は、仲間たちの顔を見渡してから、会議室を後にした。

 

 格納庫の中の戦車は大破してしまっている筈だが―――――――今しがた端末で確認したら、格納庫の中で眠っていた3両の戦車の中で1両だけまだ動かせる戦車が残っているらしい。

 

 そう、モリガンで新たに運用することになったMBT-70(ブラック・フォートレス)だけは、辛うじてまだ動かせるようだ。あれには自動装填装置が搭載されているから、最低でも砲手と操縦士が要れば運用はできる。

 

 いつの間にか、俺の頭の角は伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 被曝を防ぐために迷彩模様の防護服に身を包み、グレネードランチャーとホロサイトを装備したHK416を構えた隊員たちが、半壊した屋敷に向かって走っていく。

 

 核の一撃でモリガンは壊滅した筈だが、奴らはリーダーと参謀以外は転生者でないにもかかわらず、転生者を圧倒してしまうほどの実力者たちだ。もしかしたらあの核爆発でも死なずに生き残っている可能性がある。

 

 だから、止めを刺すために我々が派遣されたのだ。

 

 モリガンは転生者を狩り続ける厄介な存在。しかも国王から騎士団に誘われているというのに、何度も断っているという。権力者の勧誘を断るような奴らなのだから、勇者様が計画に加われと言ったとしても、逆に我らに銃を向けて来るに違いない。

 

 だから、狂犬を始末する。狂犬を始末するのが我々の任務だ。

 

 この世界には奴隷制がある。そして人種差別もある。そんな下らない制度で苦しんでいる人々は何人もいることだろう。だからこそ、勇者様はそのような制度が消え去った世界からやってきた転生者たちでこの世界を統率し、この異世界を救済しようとしているのだ。なのに、あのモリガンの愚か者共は何を考えているのだろうか?

 

「隊長、戦闘準備が完了しました」

 

「よろしい。さっさと駆除を済ませるぞ」

 

「はっ」

 

 部下たちに命令をしようとしていたその時だった。

 

 半壊した屋敷の裏で同じく半壊していた建物――――――半壊する前は何かの格納庫だったようだ―――――――が、何の前触れもなく弾け飛んだのである。中に備蓄していた弾薬でも爆発したのだろうと思って無視しようとしたが―――――――その中から飛来した1発の砲弾が、建物の中に突入しようとしていた兵士たちをまとめて吹っ飛ばしたのを目にした瞬間、私たちは同時に凍り付いた。

 

 熱線で変色したレンガの山の向こうから、エンジンの音を響かせながら姿を現したのは――――――砲塔の脇に『Black Fortress』と真っ白なペンキで描かれた、1両の漆黒の戦車だったのである。

 

 おそらく、モリガンの生き残りが乗り込んだのだろう。

 

 最新型の戦車かと思ったが、よく見るとその戦車はアメリカ軍のエイブラムスではなく、その原型となったMBT-70。滑腔砲ではなく、今では廃れたガンランチャーを装備する時代遅れの戦車だ。俺たちの敵ではない。

 

 俺の任務は奴らに止めを刺す事(狂犬の駆除)。降伏勧告など必要ない。

 

「――――迎え撃てぇッ!」

 

 俺は手を振り上げると、振り下ろしながら部下たちに命令した。

 

 

 

 

 



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トップアタック

 

多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)、装填!」

 

「装填完了じゃ!」

 

 倒壊していく戦車の格納庫の壁を戦車の車体で突き破りつつ、後ろの砲手の座席に腰を下ろすガルゴニスに指示を出す。彼女の傍らで自動装填装置が唸り声を上げながら砲弾を主砲の152mmガンランチャーへと装填していくのを確認しつつ、俺は倒壊した格納庫から戦車を脱出させた。

 

 やはり核の爆発で壊滅したネイリンゲンの街は、最早地獄絵図としか言いようがなかった。防壁がないおかげで開放的な雰囲気を放っていたあの田舎の街の面影はもうない。燃え上がる建物や倒壊した建物の残骸で埋め尽くされ、まるで活火山のように燃え上がっている。

 

 街に住んでいる人々の事を思い出して不安になってしまうが、今は―――――――こんなことをしたクソ野郎共を始末しなければならない。

 

 ペリスコープの向こうから銃弾が飛来する。だが、こっちは分厚い装甲で身を包んだ戦車だ。いくら人間の肉を容易く引き裂くアサルトライフルの弾丸でも、この分厚い装甲は撃ち抜けない。そもそも戦車の装甲は、第二次世界大戦の中盤から”弾丸”で貫くことはもはや不可能なほどに分厚くなっているのだ。だから対戦車ライフルは廃れてしまったのである。

 

 こいつを撃破したいんだったら、ロケットランチャーか無反動砲でも叩き込みやがれ。

 

「砲塔、左20度旋回! 仰角そのまま!」

 

「照準よし!」

 

撃て(ファイア)ッ!」

 

 ペリスコープの向こうで、MBT-70に搭載された152mmガンランチャーが火を噴いた。先ほど装填された多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が、ついにこのMBT-70の砲身から放たれたのである。

 

 微かに炎を纏いながらガンランチャーから飛び出した砲弾は、この戦車に向かってアサルトライフルを乱射してくる敵兵の群れのど真ん中に突き刺さったかと思うと、瞬時に起爆して強烈な爆風と無数の破片を周囲にばら撒いた。

 

 被曝を防ぐために迷彩模様の防護服に身を包んでいた兵士たちの肉体が、爆風と破片で一気に引き裂かれる。弾着した砲弾の近くにいたせいで一瞬でバラバラになった奴もいるし、肩どころか鎖骨から先を捥ぎ取られ、絶叫しながら瓦礫の上をのたうち回っている奴もいる。

 

 いくら転生者のステータスが高ければ弾丸の直撃にも耐えられるようになるとはいえ、戦車砲の圧倒的な破壊力を完全に無効化するためには、少なくともレベル300以上のステータスでなければならない。少なくともそれくらいまでレベルを上げれば、砲弾の破片や爆風で四肢を捥ぎ取られることはないのだ。

 

 しかし生産した武器や兵器の破壊力は、転生者の攻撃力のステータスによって向上することがある。

 

 今の俺のレベルはすでに900を超えているため、この戦車の攻撃をステータスを頼りにして防ぐことはもはや不可能なのだ。

 

「前進する!」

 

「力也、次は!?」

 

「次も同じ! 多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)!」

 

「了解なのじゃ!」

 

 戦車を前進させると、先ほどの一撃で仲間を殺された敵兵の群れが後ずさりを始めた。中には果敢に銃撃を続けたり、HK416の銃身の下に搭載されているグレネードランチャーからグレネード弾を放ってくる奴もいるが、グレネード弾が直撃した車体にはきっと焦げ目しかついていない事だろう。装甲車だったら痛手になっていたかもしれないが、こっちはそれよりもはるかに装甲の厚い戦車なのだ。

 

 それに、旧式とはいえあのエイブラムスの原型となった戦車なのである。

 

 足を吹っ飛ばされた兵士を仲間が引きずって連れて行こうとしているが、MBT-70が前進を始めたことに気付いたその兵士は――――――なんと負傷した仲間を見捨てることにしたらしく、呻き声を上げている味方の兵士から手を放したかと思うと、逃げていく味方と共に一目散に逃げ始めた。

 

 可哀そうに…………。

 

 一瞬だけそう思ったが―――――――こいつらはネイリンゲンで核を使ったクソ野郎共だ。”可哀そう”と思ってはならない。

 

 そこにいるというのならば、可能な限り無残に殺してやるまでだ。

 

「おい、待てよ! 置いて行かないでくれ!」

 

 戦車の外から、見捨てられた兵士の悲痛な声が聞こえてくる。そいつは傍らに転がっている自分のライフルを掴みながら、辛うじてまだ動く左右の腕をフル活用して這い出したが、人間が歩く速度よりもはるかに遅い。逃げていく敵を追撃する戦車から逃げられる速度ではなかった。

 

 MBT-70(ブラック・フォートレス)の進路上で足掻く敵兵。すぐ近くまでやってきた戦車の巨体とキャタピラを目の当たりにして戦慄した敵兵と、ペリスコープを覗き込みながら戦車を前進させ続ける俺の目が合う。

 

 でも俺は、ブレーキをかけるつもりはなかった。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 銃を撃ちまくれば戦車が止まると思ったのか、キャタピラに踏みつぶされそうになっている敵兵が絶叫しながらアサルトライフルを乱射し始める。しかし、5.56mm弾で戦車の装甲を貫通するのは不可能だ。どれだけ叩き込んでも、戦車の強靭な正面装甲に風穴を開けることはできないのである。

 

 銃弾が跳弾する音を聞きながら、諦めの悪い敵兵に引導を渡すために、俺は少しだけ速度を上げた。

 

 そして――――――フルオート射撃の銃声と、敵兵の絶叫が同時にぴたりと止まる。

 

「ひぎっ…………がぁ―――――――」

 

 最後に聞こえてきた”声”は、そんな声だった。

 

 その直後に聞こえてきたのは、骨が砕け、肉が潰れて皮膚から飛び出す生々しい音。そして湿った地面を思い切り踏みつけたような音が連なり、戦車の中へと入り込んでくる。

 

 それが、50tを超える重装備の巨体に人間が踏み潰される音だった。

 

 別に心は痛まない。奴らは核を使ったクソ野郎なのだから。それゆえにどんなに無残に殺しても許される筈だ。

 

 ペリスコープの向こうに、ネイリンゲンの街へと逃げていくクソ野郎共の姿が見える。どうやら彼らは対人戦を想定したらしく、ロケットランチャーや無反動砲のような対戦車兵器を殆ど装備していなかったらしい。

 

「―――――――薙ぎ払え、ガルゴニス」

 

 徹底的に潰せ。

 

 砲塔の上に搭載されている20mm機関砲のターレットが旋回し、立て続けに火を噴き始める。被弾した哀れな兵士たちの肉体が弾け飛んでいくのをペリスコープから見つめながら、燃え上がる市街地へと逃げていく敵兵たちを追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンの街は、地獄だった。

 

 通りに並んでいた傭兵ギルドの事務所の群れは全て倒壊し、瓦礫が燃え上がっている。その瓦礫の中に埋もれているのは、核爆発の際の熱線で焼かれた焼死体だ。

 

 エミリアやフィオナたちと食材や日用品を買いに来ていた露店の列はもう残っていない。辛うじて露店の一部だったと思われる木材が、街の真ん中の大通りにいくつも転がっているだけだ。

 

「なんてことだ…………」

 

 生き残っている人はいるのだろうか? 俺はそう思いながら周囲を見渡した。だが、俺の周囲に広がるのは見慣れたあの開放的な街並みではなく、蹂躙された跡ばかりだった。

 

 これは悪夢なのか…………? 

 

 思わず、これは現実ではないと思い込んで逃げ出したくなってしまう。だが、逃げ出すわけにはいかない。核爆弾が爆発した。これは現実なんだ。

 

 しっかりしろ。

 

「力也、前方!」

 

「ッ!」

 

 砲手を担当しているガルゴニスに言われて慌ててペリスコープの向こうを覗き込んだ俺は、燃え上がる建物の残骸を踏みつぶしながら前進してきた巨体を目の当たりにして、息を呑む羽目になった。

 

 目の前からやってきたその巨体の形状は、よく見るとMBT-70に似ている。けれども砲塔はもっとがっちりしていて、その砲塔から伸びる砲身も太い。試作型の戦車であるMBT-70をベースにして、最新の技術をフル活用して洗練させたような戦車だ。

 

「――――――エイブラムス…………ッ!」

 

 そう、その戦車はアメリカ軍で採用されている世界最強の戦車(エイブラムス)だったのである。

 

 搭載されている主砲は44口径120mm滑腔砲。口径だけならば152mmガンランチャーを搭載しているこっちの方が大きいものの、向こうの方が発射できる砲弾の種類が多く、更に戦車の装甲を容易く貫通するAPFSDSを使用することができる。更に装甲も向こうの方が分厚いため、こっちの武装で撃破するのは至難の業だ。少なくとも真正面からの攻撃は通用しないと考えるべきだろう。

 

 しかも1両だけではない。馬小屋の残骸を踏み潰しながら現れた戦闘の1両の後方から、さらに後続のエイブラムスが2両も姿を現したのである。

 

 相手は最新の技術で生み出された、アメリカが誇る世界最強の主力戦車(MBT)。それに対して、こっちはそれの原型となった試作型の戦車が1両のみ。

 

 隠居生活をしていた老人が、鍛え上げられた3人の若者に挑むようなものだ。

 

「力也、どうする!? 3両もいるぞ!?」

 

「逃げるわけにはいかん。ここで打ち破る」

 

 ジジイを舐めるな…………!

 

「”シレイラ”、装填!」

 

「も、もう使うのか!?」

 

「当たり前だ。敵は戦車だぞ」

 

 MGM-51シレイラは、アメリカで開発された対戦車ミサイルである。大口径のガンランチャーから発射できるミサイルであり、命中すれば最新型の戦車でも致命傷を与えられるほどの破壊力を持つ。ガンランチャーを搭載する戦車の”切り札”とも言える対戦車ミサイルだ。

 

 自動装填装置が唸り声を発し、砲身へと虎の子のシレイラを装填していく。

 

 いくら虎の子のシレイラとはいえ、エイブラムスを確実に撃破するには正面装甲以外を狙うべきだろう。できるならば車体後部のエンジンを狙いたいところだが、それは後ろに回り込んで奇襲しない限り無理だ。せめて側面か砲塔の上面に叩き込むことができれば、上手くいけば一撃で擱座させることは可能かもしれない。

 

 その時、エイブラムスの滑腔砲が火を噴いた。

 

 衝撃波が火の粉を吹き飛ばし、その向こうから外殻を脱ぎ捨てたAPFSDSが飛来してくる!

 

「ッ!」

 

 咄嗟にMBT-70(ブラック・フォートレス)を左斜め後方へとバックさせた直後、飛来したAPFSDSが、砲塔の右側面を掠めていった。何かが削れる音がしたが、おそらくその音の正体は爆発反応装甲だろう。側面を掠めた砲弾が、少しでも防御力を底上げするために装備していた爆発反応装甲を捥ぎ取っていったに違いない。

 

「力也、移動した方がいい! すぐに次の砲撃が―――――――」

 

「いや、エイブラムスに自動装填装置はない。装填時間は装填手の作業の速さに依存する。それより先に叩き込めばいい」

 

 そう、エイブラムスは4人乗りなのだ。自動装填装置を搭載していないため、操縦手、砲手、装填手、車長の4人が必要になるのである。ロシアや日本の戦車では自動装填装置を搭載しているため装填手が乗る必要はないのだが、エイブラムスを運用するのであれば4人の乗組員を用意しなければならない。

 

 上手くいけば、向こうの装填手が砲弾を装填するよりも先に、こっちが攻撃を叩き込めるだろう。

 

「シレイラは!?」

 

「装填完了じゃ!」

 

「よし。目標、先頭のエイブラムス。砲塔左に15度旋回! 仰角10度!」

 

「ぎょ、仰角!? 何をする気じゃ!?」

 

「―――――――”トップアタック”だよ」

 

 トップアタックとは、戦車や装甲車の上面に攻撃を叩き込む事である。砲塔の上面などは戦車の装甲が薄い部位の1つでもあるため、ここに対戦車ミサイルを叩き込むことができれば、最新の戦車でも撃破することはできるのだ。

 

「いいか? 1、2の3で仰角を0に戻せ」

 

「りょ、了解じゃ。砲塔、左15度。仰角10度…………よし」

 

撃て(ファイア)ッ!」

 

「発射(ファイア)!」

 

 命中してくれと祈りながら覗き込むペリスコープの向こうが、解き放たれたシレイラの纏う炎で一瞬だけ明るくなる。まるで宇宙へと打ち上げられるロケットのように火の粉の舞う空へと旅立ったシレイラは、撃破する筈のエイブラムスを無視しようとしているかのように少しずつ高度を上げていく。

 

 相手の車長は、こっちが照準を上へとずらしてしまったと勘違いしたらしく、上へと飛んで行くシレイラを無視するかのように砲塔を旋回させ、虎の子のミサイルを”上へと放ってしまった”MBT-70(ブラック・フォートレス)へと砲身を向ける。

 

「1………2の………3! 今だ!」

 

「ふんっ!」

 

 俺の合図を耳にしたガルゴニスが、一気に仰角を0にした。

 

 空へと放たれたシレイラはそのまま飛び去るかと思いきや、砲手を担当するガルゴニスが仰角を0に戻すと同時に、まるで地上を逃げ回るウサギに狙いを定めた猛禽のように、唐突に急降下を開始したのである。

 

 頭上で何の前触れもなく軌道を変え、一気に急降下してくる対戦車ミサイル。隙だらけの獲物に照準を定めていたエイブラムスの車長はそれに気づいたらしく、砲撃を中断して回避しようとしたらしいが――――――エイブラムスのキャタピラが微かに動いた頃には、もう既に虎の子のシレイラが砲塔の真上にあるハッチに突き刺さっていた。

 

 凄まじい運動エネルギーでエイブラムスの上面へと襲い掛かったシレイラは、そのまま車長用のハッチを貫通して車内で起爆すると、狭い車内をメタルジェットと獰猛な爆風で満たした。しかし、エイブラムスはかなり堅牢な戦車であり、内部で対戦車ミサイルが起爆したにもかかわらずキューポラやペリスコープなどから微かに火を噴いた程度で木っ端微塵には吹っ飛んでくれない。

 

 だが―――――――乗っていた乗組員たちや車内がどうなったかは、言うまでもない。

 

 いくら転生者でも、対戦車ミサイルの爆風に耐えられるわけがないのだ。

 

 ハッチやペリスコープから黒煙を上げるエイブラムス。もしかしたらすぐに息を吹き返して襲い掛かってくるのではないかと思ってしまうほど原形を留めているものの、中に乗っている乗組員は黒焦げだ。あの戦車はもう二度と動かない。

 

「よし、突っ込む! もう1発シレイラを!」

 

「ま、待て! 突っ込むってどういう事じゃ!?」

 

「しっかり掴まってろよッ!」

 

「お、おい、力也ぁッ!?」

 

 いきなり先頭のエイブラムスがやられて動揺しているのか、後続のエイブラムスが一旦後退を始める。まるで撃破されたエイブラムスを盾にするかのように残骸の陰に隠れながら後退していく敵の戦車の位置を確認しつつ、俺はどんどん速度を上げていった。

 

 要塞(フォートレス)と言うよりは、まるで”猛牛”だな。

 

 進路を少し変更し、右側にある倒壊しかけのレンガの建物の傍らに広がっている残骸の山へと向かう。元々そこに何かの建物があったのか、ちょっとした斜面になっていた。

 

 まるで、ジャンプ台のように。

 

 敵の戦車の砲撃がMBT-70(ブラック・フォートレス)の砲塔を掠める。立て続けにAPFSDSが飛来するが、建物の残骸やエイブラムスの残骸が邪魔でなかなか狙いを付けられないらしく、凄まじい貫通力を誇るAPFSDSがこっちに命中する気配はない。

 

 情けない砲手だな。俺たち(モリガン)の砲手ならもう当ててるぞ。

 

 どうやら敵の錬度はそれほど高くないらしい。最新の兵器に頼ってるという事か。

 

「もうちょい技術を身につけな」

 

 どれだけ高性能な兵器でも、使い手の技術が低ければ宝の持ち腐れでしかないのだ。

 

 なかなか攻撃を当てられない不甲斐ない敵の砲手を嘲笑いながら、残骸の山へと向かう。もう既にMBT-70(ブラック・フォートレス)は最高速度に達していて、このまま敵に突進して激突するだけで撃破できそうなほどの運動エネルギーを纏っていた。

 

「り、力也! 目の前に残骸の山じゃ! よ、避けるのじゃ!」

 

「いいから掴まってろ!」

 

「ぶ、ぶつかるぅ!! ”こーつーじこ”じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 安心しろ、戦車の操縦には自信がある。絶対に”交通事故”なんか起こさない。

 

 全速力で爆走するMBT-70(ブラック・フォートレス)が、ついに残骸の山へと到達する。もしいつもの速度で突っ込んでいれば、瓦礫の山に”乗り上げる”だけで済んでいた事だろう。しかし今のこの戦車は最大速度で爆走していた。しかもこの瓦礫の山は、ちょっとしたジャンプ台に使えそうなほどの斜面になっている。

 

 次の瞬間、ペリスコープの下に広がっていた地面との距離が―――――――開いた。

 

 キャタピラが残骸を踏みしめる音も聞こえない。車体の下から聞こえてくるのは、キャタピラが空回りする音だけである。

 

 そう、飛んだのだ。

 

 重量50t以上の巨体が―――――――ジャンプしたのである。

 

 きっと敵の戦車の操縦士たちも、複合装甲で覆われた戦車の中で目を丸くしている事だろう。

 

「目標、敵戦車」

 

 今なら弱点の上面が狙い放題だぜ、ガルゴニス。

 

 俺たちは、あいつらよりも高いところにいるのだから。

 

「―――――――撃て(ファイア)ッ!」

 

「発射(ファイア)ぁっ!!」

 

 ガルゴニスが叫んだ直後、宙を舞うMBT-70(ブラック・フォートレス)の砲身から、2発目のシレイラが躍り出た。

 

 

 

 



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魔王の再誕と力也の叫び

 

 

 戦車が残骸の山をジャンプ台代わりにしてジャンプすると想像した敵は、おそらく1人もいなかった事だろう。戦車はあくまでもキャタピラで大地を踏みしめながら前進し、立ち塞がる敵を戦車砲で強引に粉砕しながら突き進むような兵器だ。空を飛ぶのは、あくまでもヘリや戦闘機の仕事なのである。

 

 それゆえに、MBT-70(ブラック・フォートレス)がジャンプ台から飛翔したのは”想定外”と言わざるを得ない。

 

 やや左に砲塔を旋回させたMBT-70の砲口から、ガルゴニスが放ったシレイラが飛翔していく。ジャンプ台から最高速度で勢いよくジャンプしたとはいえ、このMBT-70の重量は元々50t以上。近代化改修のために複合装甲を増設し、複合装甲を搭載できない部位には爆発反応装甲をこれでもかというほど搭載して防御力の底上げを図ったため、重量はさらに増している。

 

 だからジャンプしたと言ってもそれほど高くはないし、当たり前だけどいつまでも飛んでいられるわけでもない。案の定、ジャンプしたばかりであるにもかかわらず、飛翔したMBT-70(ブラック・フォートレス)は早くも地表へと落下しつつある。

 

 それにもかかわらず、ガルゴニスが放ったシレイラは先ほど放った1発目のように安定して飛び続けている。やがてその一撃はこっちを見上げたまま呆然としていたエイブラムスの砲塔の上面に突き刺さると、起爆して猛烈なメタルジェットを生み出し、エイブラムスのハッチの近くに大穴を開けた。

 

 巨体を揺らしながらゆっくりと動きを止めるエイブラムス。対戦車ミサイルのメタルジェットが空けた大穴の向こうからは黒煙が吹き上がっていて、あの戦車が行動不能になったことを告げている。

 

 最後尾を走っていた1両を残し、2両のエイブラムスが沈黙する。

 

「がっはっはっはっは! 命中なのじゃあああああああ!!」

 

「さすが! よし、次だ!」

 

 残るエイブラムスは1両のみ…………。

 

 MBT-70(ブラック・フォートレス)が着地し、俺とガルゴニスの身体を着地した振動で大きく揺らす。何事もなかったかのように戦車を走らせながら、ペリスコープを覗き込んで素早く敵の戦車の位置を確認してから、一旦右へと進路を変更した。

 

 その直後、MBT-70(ブラック・フォートレス)の傍らで沈黙していた馬小屋の屋根を、1発のAPFSDSが直撃する。戦車の装甲を容易く貫通する猛烈な一撃に貫かれた馬小屋が一瞬で木っ端微塵になり、破片が火の粉の舞う空へと舞い上がっていく。

 

 いくら複合装甲を増設したとはいえ、APFSDSに直撃すればただでは済まない。下手をすれば一撃で正面の装甲を貫通されかねないほどの破壊力を持った砲弾なのである。しかもこちらは、近代化改修したとはいえ冷戦の真っ只中に開発された旧式の戦車。いくら近代化改修で性能を底上げしたとしても限界がある。

 

 それに対し、エイブラムスはアメリカが誇る最新の戦車である。近代化改修したとしても、少なくとも性能ではあの新型の戦車に完全に追いつくことは不可能だ。

 

 だからそこは、技術でカバーするしかない。

 

 舐めるなよ、クソ野郎共…………。こっちは少数精鋭のモリガンの傭兵だ!

 

 今度は左に進路変更。ジグザグに走行し、可能な限り敵の砲手の照準を攪乱しつつ徐々にエイブラムスの後方へと回り込む。

 

「シレイラ、スタンバイ!」

 

「了解なのじゃ!」

 

 後部のエンジンにぶち込めれば最高だ。いくら貫通力ではAPFSDSに劣るとはいえ、こちらはただの砲弾ではなく対戦車ミサイルなのである。間違いなく擱座させることができる筈だ。

 

 最低でも側面だ。さっきみたいに一旦上に放ってから仰角を0に戻してトップアタックを狙う手も有効だが、あれはあくまでも停車している状態だったからこそ当たったようなもの。ジグザグに走行する真っ只中で命中させるのは、いくらガルゴニスでも至難の業だ。

 

 可能な限り至近距離でぶち込む!

 

 後退しながら砲塔をこっちに向けたエイブラムスが、主砲同軸に搭載された機銃で迎撃してくる。だが、あくまでもエイブラムスの主砲同軸に搭載されている機銃は7.62mm弾を使用する。どれだけぶっ放してきても、MBT-70(ブラック・フォートレス)の装甲は貫けない。

 

 砲塔の上にもブローニングM2重機関銃があり、12.7mm弾のフルオート射撃が可能となっているものの、もし仮にそっちを使ったとしても結果は変わらないだろう。

 

 エイブラムスの主砲が火を噴き、再びAPFSDSが飛来する。

 

 MBT-70の車体が揺れる。どうやら今度はどこかに命中したらしく、砲塔の上の方で火花と金属の破片が散ったのがかすかに見えた。

 

「大丈夫か!? 損害は!?」

 

「20mm機関砲をやられた! じゃが、砲撃に支障はないぞ!」

 

「よし、そろそろぶっ放すぞ!」

 

「了解なのじゃ!」

 

 もう少し距離を詰めよう。

 

 ジグザグに走行するのをやめ、そのまま最大速度で一気に距離を詰める。砲弾を装填中のエイブラムスが必死に機銃で迎撃してくるが、MBT-70(ブラック・フォートレス)の複合装甲がその銃弾を全て弾き返してしまう。

 

 至近距離でエンジンを狙うつもりだったんだが、敵も必死に後退している。このまま無理に追い続ければ装填が完了し、逆に至近距離で砲撃を喰らう羽目になるのは想像に難くない。いくら自動装填装置を搭載していないとはいえ、強引に回り込もうとすれば敵の装填手に時間を与えてしまう羽目になる。

 

 無茶をする悪い癖があるとよくエミリアに言われるが、さすがに強引に後ろに回り込むような無茶をするつもりはない。死んだら妻たちとイチャイチャできなくなっちまう。

 

 ならば、目標は車体や砲塔の側面だ。少なくともこっちはエイブラムスの正面よりも装甲が薄いので、対戦車ミサイルならば確実に致命傷を与えられる。

 

 クソ野郎共にプレゼントだ。

 

 核爆弾に比べれば全然足りないかもしれないが―――――――黙って受け取れ、クソッタレ。

 

撃て(ファイア)ッ!」

 

「発射(ファイア)!」

 

 3発目のシレイラが、ガンランチャーから飛び出していく。ガンランチャーから放たれたシレイラに気付いた最後のエイブラムスは後退を止め、慌てて前進して回避しようとするが―――――――そこで進行方向を変更したことが、見事に仇となった。

 

 急に方向を変えることでミサイルを振り切ろうとしたのだろうが、砲撃を担当するガルゴニスはどうやらそれを読んでいたらしい。いきなり全身を始めたのをペリスコープで確認した瞬間、この虎の子のシレイラがもしかしたら躱されてしまうのではないかと肝を冷やしたが、ガンランチャーから躍り出たシレイラは逃げようとするエイブラムスをしっかりと追尾し―――――――よりにもよって車体の後部に、左斜め後方から突っ込んだ。

 

 実質的に戦車の弱点ともいえる部位である。装甲が薄い上にエンジンが収納されているため、そこの装甲を貫通されるだけで戦車は行動不能になってしまう可能性が極めて高いのである。

 

 シレイラが直撃した瞬間、猛烈な爆風がエイブラムスの巨体を震わせた。灰色に塗装されていたエイブラムスの車体を爆風が覆い、その中で誕生したメタルジェットが猛威を振るう。装甲の薄い後部を見事に貫通したメタルジェットによってエンジンまで損傷したらしく、”賭け(ギャンブル)”に負ける羽目になったエイブラムスはそのまま動きを止めてしまう。

 

 やっぱり、賭けは危険だな。リスクがある。

 

 子供たちには”賭けは止めなさい”って言っておこう。彼らには堅実な方法で生きるべきだ。

 

 でも、俺が言っても説得力はないだろうなぁ…………。エリスも多分説得力がないだろうから、エミリアに言ってもらおう。モリガンのメンバーの中ではカレンの次にまともだし。

 

 装甲が軋む音を奏でながら、エイブラムスの砲塔がゆっくりと停止していく。黒煙の吹き上がるハッチの中から防護服に身を包んだ兵士たちが這い出してきたのを見た俺はガルゴニスに機銃で射殺するように指示を出そうとしたが、今の被弾で負傷していたのか、ハッチから這い出したところで彼らも擱座した戦車と同じく動かなくなってしまう。

 

「…………撃破じゃ」

 

「…………よし、ガルゴニスはここで待て。俺は外で生存者を探してくる」

 

 操縦手の座席から立ち上がり、天井に頭をぶつけそうになりながら車長が座る筈の座席へと向かう。本当ならば車長が座っている筈の座席の近くに立てかけられている愛用のグレネードランチャー付きのAK-47を拾い上げ、座席の上に置かれているトカレフをホルスターごと拾い上げる。

 

 ホルスターを腰に下げて立ち上がろうとした直後、ごつん、とうっかり頭を戦車の天井にぶつけてしまう。砲手の座席の上で笑いそうになっているガルゴニスを一瞥してから天井の計器が破損していないか確認し、「行ってくる」と言い残してハッチを開けた。

 

 基本的に戦車の中は狭いのだ。西側の戦車はソ連製の戦車と比べるとまだ”広い”と言えるが、それでも今のようにうっかり頭をぶつけてしまう事が多々ある。モリガンで採用しているのは西側の戦車ばかりだが、それは『モリガンの男性陣が信也を除いてがっちりした男ばかりであり、ソ連製の狭い戦車を採用すると頭を負傷する恐れがある』という理由なのだ。

 

 もちろん、信也以外の男性陣とは俺とギュンターの事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃え上がる瓦礫の山と、半壊した建物の群れ。

 

 開放的な雰囲気が特徴で、かつては”傭兵の街”と呼ばれていたネイリンゲンの市街地は、まさに原形を留めないほど破壊されていた。いつも妻たちが買い物に活用していた通りの露店の群れはすっかり消滅しており、瓦礫の山の一部と化している。その瓦礫の山の中から覗く真っ黒な塊は――――――核爆弾の餌食になってしまった、哀れな住人の焼死体。

 

 AK-47を周囲へと向けて警戒しつつ、まるで瓦礫の山の中から這い出そうとしているかのような状態で力尽きている遺体を一瞥する。指が何本か欠けている真っ黒な手は、成人にしてはまだ小さい。おそらく10代中盤の少年か少女だったのだろう。

 

 その時、俺の頭上を、ローターの轟音をばら撒きながら1機のヘリが通過していった。オリーブグリーンとブラックの迷彩模様で塗装されていて、胴体の左右から伸びたスタブウイングには増槽とロケットポッドが装備されている。兵員室のハッチの傍らに搭載されているのはおそらくM134ガトリング機関銃(ミニガン)だろう。凄まじい連射速度で7.62mm弾を連射することが可能な、アメリカ製のガトリング機関銃だ。

 

 俺の頭上を通過していったのは、どうやらアメリカ軍や自衛隊が運用しているUH-60ブラックホークのようだ。俺たちが使用しているヘリはスーパーハインドだけだから、ブラックホークを生産した覚えはない。もしかしたらミラが信也に作ってもらって助けに来てくれたのかと思ったが、俺の頭上を通過していったそいつの胴体にはモリガンのエンブレムが描かれていなかった。それに、そのブラックホークは俺の頭上を通過して燃え上がる大通りの上空へと接近すると、兵員室から躍り出た兵士がドアガンを掴み、それを地上に向かって掃射し始めやがった。

 

 おそらく、生き残った民間人に向かって掃射しているんだろう。猛烈なミニガンの轟音の中から、微かに人々の断末魔が聞こえてくる。

 

「ふざけやがって………!」

 

 お前らの目的は、モリガンだろうが!

 

 素早く端末を操作して、愛用の対物(アンチマテリアル)ライフルであるOSV-96を装備する。俺のOSV-96には火力の底上げのため、バックブラストの機能を取り外し、砲身をある程度切り詰めた”RPG-7”が取り付けられている。仲間たちからは『リキヤスペシャル』と呼ばれている愛用の得物だ。

 

 OSV-96の銃身を展開し、立ったまま照準をブラックホークへと向ける。照準はもちろん、民間人を殺すようなクソ野郎が腰を下ろしているコクピットだ。

 

 距離は600m。しかも敵の戦闘ヘリは微速だが移動している。更に、核爆発の影響で風が強い。カーソルの真ん中に着弾する確率は0%だ。

 

 だから俺は、照準を少し左にずらした。これで命中するか…………?

 

「くたばりやがれッ!」

 

 罵声を発しながら、トリガーを引く。T字型のマズルブレーキから飛び出したマズルフラッシュの閃光が一瞬だけ炎が発する橙色の光をかき消し、たった1発の12.7mm弾と銃声がミニガンの掃射に側面から介入する。

 

 弾丸は風のせいで右へとどんどんずれていく。もしかしたら外れるのではないかと思いながら次の照準を合わせていたんだが、右へとずれ始めたその弾丸は、調子に乗って掃射を続けている敵の攻撃ヘリのキャノピーへとちゃんと飛び込んでくれた。キャノピーが割れて真っ白になった直後、コクピットの中で吹き上がった鮮血が、キャノピーを真っ赤に染め上げる。

 

 パイロットを撃ち抜かれたブラックホークは、そのまま頭上のローターと同じようにぐるぐると回転を始めた。まだ武装は健在だし、機体の損傷もキャノピーだけだ。武装もまだまだ残っている。だが無人兵器でもない限り、兵器は人間が使わなければ当然ながら動かない。パイロットを失ったそのブラックホークは、そのまま回転を続けながら燃え上がる瓦礫の中に飛び込み、新たな火柱を生み出した。

 

「くそったれ…………!」

 

 悪態をつきながらアンチマテリアルライフルを折り畳み、俺は街の中へと進んだ。あいつらが機関砲を掃射していたということは、まだ生存者がいるということだ。もし生存者がいるならば、エイナ・ドルレアンへと逃げるように指示を出そう。カレンたちならばきっと受け入れてくれる筈だ。

 

 街の中での戦闘になる恐れがあるため、武器はアンチマテリアルライフルではなくアサルトライフルに持ち替えておく。AK-47の銃身の横に装備した折り畳み式のスパイク型銃剣を展開し、接近戦になっても反撃できるように準備した俺は、古めかしいタンジェントサイトを覗き込みながら街の中を見渡した。

 

 生存者はいないのか? みんな死んでしまったのか?

 

 誰か生き残っていてくれと祈りながら街の中を見渡すが、瓦礫と一緒に転がっているのは焼死体や、蜂の巣にされた無残な死体ばかりだ。

 

「ママ…………ママぁ…………!」

 

「!?」

 

 傭兵ギルドがあった曲がり角を曲がろうとしたその時だった。曲がり角の向こうから、幼い少女の泣く声が聞こえてきたんだ。敵を警戒しながら上がり過度の向こうをちらりと確認してみると、3歳くらいの金髪の少女が、可愛らしいクマのぬいぐるみを抱えながら泣いている。どうやら逃げる途中に母親とはぐれてしまったらしい。

 

 その幼い少女の姿が、一瞬だけ自分の娘(ラウラ)や息子(タクヤ)の姿に見えた。もし俺が死んだら、家にいる子供たちもあのように泣いてしまうのだろうか?

 

「おい、お嬢ちゃん!」

 

 見捨てるわけにはいかない。あの少女はまだ子供だ!

 

 俺は曲がり角に積み重なっていた事務所の瓦礫の影から飛び出し、その少女に向かって全力で走った。いきなり見知らぬ男が走って来るのを見て、幼い少女が更に怯える。

 

 怖がらせてしまうのは申し訳ないが、彼女を見捨てるわけにはいかない。左手を伸ばして彼女の肩を掴むと、その子を連れて近くにあった物陰へと隠れた。

 

「お、おにいさん、だれ…………!?」

 

「俺は傭兵だ。安心して」

 

「ようへいさん…………?」

 

「ああ。…………君のママは?」

 

「わかんない…………。おおきなおとがして、ママとにげてたの。でも…………ママがどこかにいっちゃった…………」

 

 少女は小さな声でそう言うと、再び涙を浮かべて泣き始めてしまう。俺は彼女の小さな頭を優しく撫でてから、ポケットに入っていたハンカチで涙を拭った。

 

 まだ幼いこの子を、1人でエイナ・ドルレアンまで逃がすわけにはいかない。ネイリンゲンの周囲の草原は魔物があまり出没しないとはいえ、最近は魔物が大量発生することもある。それに、この子の体力ではエイナ・ドルレアンまで到着することは不可能だ。

 

 せめて彼女の母親がいれば…………。最悪の場合は、このままこの子を保護して戦車に乗せ、MBT-70でエイナ・ドルレアンに送り届けるべきだろう。戦車の中は狭いとはいえ、彼女のような小さな子供を収容できるスペースは十分だ。

 

 その時、隠れていた廃墟の壁に何かが着弾した。おそらく弾丸だろう。

 

 敵兵に見つかってしまったらしい。俺は慌てて泣き続ける少女を壁の奥へと隠れさせると、廃墟の陰から少しだけ外を覗いた。

 

「生存者だ! あの廃墟の陰に隠れてるぞ!」

 

「逃がすな! 勇者様に逆らった者たちだ! 皆殺しにしろ!」

 

 やっぱり、勇者の部下共か………!

 

 核を爆発させやがったのは、やっぱり勇者だったのか!

 

 敵兵は3名ほど。装備は屋敷を襲撃してきた奴らと同じく、HK416だ。そのうち1人はグレネードランチャーを装備している。

 

 タンジェントサイトとフロントサイトを覗き込んだ俺は、まず最初にそのグレネードランチャー付きのアサルトライフルを持っている奴を攻撃することにした。セミオート射撃に切り替え、敵兵の頭を狙う。

 

 発砲した瞬間、銃声に驚いた少女が怯えて絶叫した。出来るならば、彼女にあまり怖い思いはさせたくない。早く母親と再開させて、安全な街まで逃がしてあげなければならない。

 

 ごめんな。もう少し我慢してくれよ…………!

 

 グレネードランチャーの付いたライフルを持っていた奴の頭に7.62mm弾を叩き込み、続けてその隣でフルオート射撃をしていた奴の顔面にも同じく7.62mm弾をお見舞いする。めきっ、と防護服を貫通した7.62mm弾が彼らの頭蓋骨まで粉砕し、頭をぐちゃぐちゃにしてしまう。

 

 残っているのはあと1人だ。どうやら隠れているのが転生者だったとは思っていなかったらしく、いきなり銃撃で反撃されたことに驚いているようだった。

 

 もちろん容赦をするつもりはない。セレクターレバーをフルオート射撃に切り替え、怯えながら射撃を始めた馬鹿の胴体に3発の7.62mm弾を撃ち込んだ。呻き声が聞こえた直後、5.56mm弾の銃声が消え去る。

 

「お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ。…………さあ、ママを探そう」

 

 怯えている彼女に手を伸ばしたその時だった。廃墟の外から、先ほどの転生者たちの罵声とは違う大きな声が聞こえてきたんだ。声は高い。女性だろうか?

 

「ナタリア! ナタリアぁっ! どこなの!?」

 

「ママ…………?」

 

「あの人が?」

 

 怯えていた少女が、その女性の声を聞いた瞬間に顔を上げた。

 

 敵が残っていないかを確認してから、俺は彼女の手を引いて廃墟の外へと向かう。はぐれた娘の名を必死に呼んでいた金髪の女性は、まだ近くにいたらしい。廃墟の前にある道を必死に叫びながら走っていく。

 

「ママ! ママぁっ!!」

 

「ナタリア! よかった、無事だったのね!?」

 

 薄汚れた顔を両手で拭い、涙を流しながら無事だった娘を抱き締める母親。ナタリアは安心した顔で涙を流しながら、自分を探しに来てくれた母親に抱き付いた。

 

 良かった…………。これで彼女は助かる。

 

「うんっ! あのようへいさんがたすけてくれたの!」

 

「傭兵さん…………?」

 

 母親は顔を上げると、俺の方を見てきた。見慣れない武器を持っている俺を他の奴らと同じだと思って警戒しているのかもしれない。少しだけ俺の頭を見て驚いたようだけど、その母親はすぐに警戒するのを止めてくれた。どうやら俺が、モリガンの傭兵だと気付いてくれたらしい。

 

 そういえば、いつものように帽子やフードをかぶっていなかった。彼女が俺の頭を見て驚いたのは、きっと怒りで角が伸びていたからだろう。慌てて角を隠そうとするけど、この角はすぐには縮んでくれない。

 

「ハヤカワ卿、娘を助けていただいてありがとうございます…………!」

 

「気にしないでください。私にもナタリアちゃんのような幼い子供たちがいますから…………。それよりも、早くエイナ・ドルレアンへ逃げてください。あそこならば受け入れてくれる筈です」

 

「あ、ありがとうございます…………!!」

 

「ようへいさん、ありがとうっ!」

 

 母親と手を繋ぎながら微笑むナタリア。先ほどまで怯えていた彼女は、母親を見つける事ができてもう安心しているようだ。

 

 俺も彼女の顔を見下ろしながら微笑んだ。

 

 まだ幼いんだ。死んではいけない。

 

「生きろよ、お嬢ちゃん」

 

 そう言って彼女に敬礼し、俺はアサルトライフルを担いで踵を返した。まだ生存者を蹂躙しているクソ野郎共は残っている。そいつらを全員ぶち殺さなければならない。

 

 命乞いをしてきても許すつもりはない。猛烈な殺意を生み出しながら燃え上がる街へと向かって歩き始める。

 

 もう一度ちらりと後ろを見てみると、母親と手を繋いだナタリアが、俺の真似をして俺に敬礼をしているところだった。

 

 にやりと笑って彼女に親指を立て、俺は再び歩き出す。

 

 子供たちは、親が守らなければならない。子供たちは親の遺志を受け継いでくれる後継者たちなのだから。

 

 だから俺たちは、子供たちの剣と盾になる。

 

 アサルトライフルを担ぎながら歩いていると、目の前からキャタピラとエンジンの音が聞こえてきた。ガルゴニスがこっちまで来てくれたのだろうかと思いながら前を見据えたが、倒壊した建物を踏みつぶしながら姿を現したのは、頼もしいエンシェントドラゴンの少女が操る黒い戦車ではなかった。

 

 灰色に塗装された複合装甲で車体と砲塔を覆った、M1エイブラムスである。

 

「エイブラムスか…………」

 

 しかも1両だけではない。瓦礫を踏みつけながら出現したエイブラムスの後方から、更に2両もエイブラムスが接近してきている。

 

 戦車の周囲にアサルトライフルを装備した歩兵たちが集まってくる。

 

「――――――――ガルゴニス、聞こえるか?」

 

『何じゃ?』

 

「支援砲撃を要請する」

 

 さすがに俺1人で相手にするわけにはいかない。味方の戦車もいるのだから、またシレイラで支援砲撃をしてもらうとしよう。

 

 俺たちが蹂躙してやる。

 

 返り血まみれの顔でにやりと笑った俺は、サラマンダーの血液の比率を80%まで変更し、身体中を外殻で覆って硬化しながら戦車部隊へと向かって突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大破したエイブラムスの残骸を迂回して、通りを進んでいく。

 

 街を覆い尽くしていた炎たちも、段々と弱々しくなっているようだった。核爆弾が生み出したキノコ雲と巨大な火柱も消え始め、空も少しずつ明るくなり始めている。

 

 弱々しくなっていく炎たちの中でもまだ燃え上がっているのは、俺が先ほど撃破したエイブラムスの車体や、撃墜したブラックホークくらいだろう。生存者たちを蹂躙していたクソ野郎の死体を冷たい目で見下ろした俺は、踵を返して生存者を探すことにした。

 

 だが、街の中に転がっているのは、倒壊した建物の下敷きになっている死体や、焼かれて真っ黒になっている死体ばかりだ。中には転生者たちの銃撃で蜂の巣になっている死体もある。もっと早く来る事ができれば、彼らは助かっただろうか?

 

 傭兵ギルドの看板の下敷きになっている幼い少年の亡骸を見下ろしながらそう思った。俺たちがもっと早く駆け付ければ、この少年も死なずに済んだかもしれない。

 

 そう思いながら歩いていると、目の前に見覚えのある看板が転がっていた。

 

 猛烈な熱線のせいで表面はかなり焦げていたが―――――――看板のデザインと辛うじて見える店の名前を見た瞬間、仕事が終わった後にギュンターと待ち合わせた時や、休日によく立ち寄ったピエールの喫茶店の看板であることを思い出す。

 

 ここに転がっているという事は、この通りはあいつの店があった道ということか…………?

 

 周囲を見渡してみると、確かに見覚えのある店が半壊した状態で佇んでいた。お洒落だった店の壁は熱線ですっかり焼けており、一緒に働いているサラが毎朝磨いていた窓ガラスは一枚残らず割れている。けれども店内は辛うじて原形を留めており、数日前にギュンターたちと一緒に酒を飲んだカウンター前の席もまだ辛うじて残っていた。

 

「おい、ピエール! 無事か!?」

 

 頼む、生きていてくれ…………!

 

 親友が生きていますようにと祈りながら店内に入った直後、俺は早くも諦める羽目になりそうだった。

 

「ッ!」

 

 店のドアのすぐ近くの床に、メイド服を思わせる制服に身を包んだ女性が座り込んでいたのである。黒いニーソックスに包まれたすらりとした足をしっかりと伸ばし、両腕から力を抜いた状態で座っているその女性を目にした俺は、目を見開いてしまった。

 

 生存者を見つけたからではない。

 

 そもそも、俺はその女性を目にした瞬間、”生存者”とは思わなかった。

 

 なぜならば、その女性には上顎から上がなかったからだ。

 

 上顎から上がない人を、”生存者”と思えるわけがない。

 

 すらりとした身体にはガラスの破片がいくつも刺さっており、可愛らしい制服は鮮血で真っ赤に染まっている。息を吐きながらその死体を見下ろしていると、この惨劇が起こる数秒前まで、きっとこの店でいつものように働いていた筈のハーフエルフの少女の姿が頭の中に浮かんでくる。

 

「―――――――サラ?」

 

 お前なのか?

 

 いつも美味しいアップルパイを焼いてくれていたサラなのか?

 

 微動だにしない死体を見下ろしていた俺は、そのすぐ傍らに”長い耳のついた肉片”が転がっている事に気付き、この死体が誰の死体なのかを理解してしまう。

 

 この死体は―――――――サラだ。

 

 息を呑みながら店の中を見渡す。もしかしたら敵が潜んでいるかもしれないと思いながらAK-47の銃口も店の中へと向けたが、正直に言うと俺は…………これ以上知り合いの死体を”見つけてしまう”のが怖かった。

 

 これ以上親しい知り合いの死体を見たら、もしかしたら精神がぶっ壊れてしまうかもしれない。けれどもこのまま背を向けて逃げかえれば、きっと彼らは俺の夢の中に現れるに違いない。

 

 ライフルを構える両手がいつの間にか震えていた。

 

「…………だ、誰だ…………?」

 

「ピエールか…………?」

 

 カウンターの裏の方から、弱々しい声が聞こえてくる。AK-47の銃口を下してカウンターの裏へと回り込むと、やっぱりこの店で働いていた心優しい親友が、両手で自分の腹を押さえながらこっちを見上げていた。

 

 口の周りには血が付着している。血を吐いたのだろうか?

 

「サラは…………サラは、無事…………?」

 

「サラは―――――――」

 

 ―――――――死んだ。

 

 上顎から上を吹っ飛ばされて。

 

 力を振り絞ってカウンターの反対側を覗き込めば、きっと彼はサラの無残な死体を目にすることができるだろう。一緒に転生者が支配する町から逃げ出し、一緒に働いてきたピエールの最愛のパートナーは、このカウンターの向こうで死んでいる。

 

 まるでこのカウンターが、彼女の無残な死体を隠しているかのようにも見えてしまう。

 

 正直に言うべきだろうか。彼女は無残に死にました、と正直に言うべきなのだろうか?

 

 そう思ったが―――――――俺は、嘘をついてしまった。

 

「―――――――安心しろ。サラはモリガンが保護してる。今頃馬車でエイナ・ドルレアンに向かってるはずだ」

 

「そ、そうか…………彼女だけでも生きていてくれれば…………」

 

「ほら、お前も逃げるぞ。手を―――――――」

 

 そう言いながら彼の細い手を持ち上げたが―――――――どうやら彼も、助からないらしい。

 

 両手で押さえていたピエールの腹には、大穴が開いていたのである。その大穴の中からはガラスの破片が突き刺さったせいで千切れ飛んだ腸や、先端部が欠けた肋骨の一部が覗いていて、流れ出た鮮血が彼の制服やズボンを真っ赤に染め上げていた。

 

 最早、ヒーリング・エリクサーで治療できる傷ではない。仮にエリクサーで治療できたとしても、今度は血液が足りない。

 

「―――――――いいんだ…………僕は、ここにいるよ…………ずっと…………店番しなきゃ」

 

 そう言いながら、顔に血の付いた青年は笑った。

 

 こんな惨劇が起きたばかりなんだから、客が来るわけがないだろう………?

 

「君のおかげだよ………君のおかげで、僕は…………変わることができた…………」

 

「ピエール…………」

 

「ごめんね…………もう、美味しい紅茶…………淹れられないや…………」

 

 …………くそったれ。

 

 俺、お前の淹れる紅茶が好きだったんだぞ…………?

 

「…………サラに…………よろし………く…………」

 

 悲しみが殺意へと変貌する。いつの間にか俺の目に浮かんでいた涙が、透明な涙から血のように真っ赤な涙へと変色し、そのまま真っ黒に焦げてしまった広場のレンガへと零れ落ちた。

 

 頭の右側に痛みが走る。まるで、頭の内側からダガーを突き刺されているような痛みだ。頭を押さえてのたうち回りたくなったが、俺は黙って力尽きた彼の顔を見つめていた。

 

 もう二度と動くことのなくなった青年の目には、頭から2本の角を生やし、目から血涙を流す怪物が映っていた。これが俺の姿なのだろうか? 

 

 本当ならば、もっとサラと2人で仕事をしていたかっただろうに。そして彼女と結ばれて、幸せな家庭を作りたかっただろうに。

 

 ピエールの細い手を握ったまま、どんな銃声や爆音よりも大きな声で、俺は絶叫していた。人間の声だった俺の絶叫は、途中で少しずつまるでドラゴンのような声へと変わっていく。

 

 きっと、俺の体内にあるサラマンダーの血も怒り狂っているんだろう。彼のような善人まで殺す勇者を許せないに違いない。

 

 彼らの命を、勇者が奪った。

 

 世界を救った男が―――――世界を破壊しようとしている。

 

 何が勇者だ。

 

 何が英雄だ。

 

 こんなクソ野郎が勇者なのか。何の罪もない人々の命を奪うような奴が勇者なのか。

 

 ならば俺が、お前を殺してやる。お前のようなクソ野郎を、俺たちがこの世界から”取り除いてやる”。

 

 ――――――――――お前を殺すために、魔王になってやる。

 

 今日からは、俺が2人目の魔王だ。

 

 

 

 

 

 

 



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力也の決意とラウラのお守り

 

 

 

「ひでえ…………」

 

 ネイリンゲンの生存者のために用意した医療所は、身体中にやけどを負った人々や、破片が突き刺さって血まみれになり、包帯を巻かれている人々で満員になっていた。血の臭いや膿の臭いと薬品の臭いが混ざり合う空気の中で、傷ついた人々が呻き声を上げている。

 

 ここで治療魔術師(ヒーラー)の治療を待つ人々の中で、五体満足で済んでいるのは4割くらいだろう。残りの6割の生存者は手足を失っている。

 

 信也も右腕を失った。ミラを庇って右腕を失ったらしく、あいつをここに連れてきたミラは泣きながら「シンを助けて下さい」と何度も魔術師たちに言っていた。

 

 ミラをあいつに任せるのは何だか不安だったが、幸せになったミラを見てみたいという気持ちはあった。いつかミラがあいつと結婚すると言い出してもいいように、反対している自分も説得していた。

 

 だが、その2人の幸せを、勇者の野郎が踏みにじりやがった。

 

 信也は一命を取り留めている。だが、あいつの右腕と共に2人の幸せを奪ったのは勇者だ。片腕を失って弱っている信也と、彼にすがり付いて泣き続ける妹の姿を見た瞬間、俺の心の中に真っ先に生まれたのは勇者への復讐心だった。

 

 何とか彼は一命を取り留め、今では鍛冶屋のレベッカと義手の相談を始めているらしい。レベッカは他の街に出張に行っていたため、何とか無傷で済んだようだ。

 

 まだ安静にしておいた方が良いと思うんだが、信也が焦っているかのように義足の移植を考えているのは、すぐに旦那が勇者への報復攻撃を決行するだろうと思っているからだろう。

 

 旦那は敵には容赦しない。命乞いをしてくるような奴でも、表情を変えずに撃ち殺すような男だ。そして、仲間を傷つけるような奴は皆殺しにする。

 

 治療が終わった時、信也は勇者の居場所がファルリュー島だと言っていた。ラトーニウス王国の南側にある海に存在する小さな島だ。かつて魔王を倒した伝説の勇者は、そんな小さな島に隠れていたというのか。

 

 水を欲しがる負傷者に水の入ったコップを渡す治療魔術師(ヒーラー)の少女を見守りながら、俺は顎鬚を弄り始めた。勇者が転生者で、核兵器とかいう兵器を使おうとしているという話を聞くまでは、俺もあの勇者を英雄だと思っていた。旦那たちについて行けば、もしかしたら俺たちもあの勇者みたいな英雄に慣れると思った。

 

 だが、あの勇者は英雄なんかじゃない。ただの虐殺者だ。

 

「旦那様」

 

 屋敷の使用人に呼ばれ、俺はやっと負傷した人々を眺めるのを止めた。きっと彼が声をかけてくれなかったら、誰かに呼ばれるまでずっと傷ついた人々を見つめていたことだろう。

 

 後ろを振り返ると、メガネをかけた初老の執事が俺の後ろに立っていた。

 

「ハヤカワ卿がいらっしゃいました。外までお願いします」

 

「分かった、すぐ行く。…………それと、薬草と医療品の手配を引き続き頼む。このままじゃすぐになくなるぞ」

 

「かしこまりました」

 

 国王には娘を助けた貸しがある。モリガンの傭兵たちが薬草と医療品を欲しがっていると伝えれば、優先的にこっちに回してくれる筈だ。

 

 あと4日くらいで物資が足りなくなってしまうだろうと思っていた俺は、執事にそう伝えてから医療所を後にした。

 

 薬品と血の臭いのする医療所を出た瞬間、いつも通りの温かい風が流れ込んできた。エイナ・ドルレアンは城壁に囲まれているためネイリンゲンのように解放感はないが、ネイリンゲンよりも大きな街であるため、いろんな店がある。

 

 もうネイリンゲンのあの開放的な景色が見れないのかと思いながら外に出ると、杖を持った赤毛の紳士が、街路樹の近くに置いてある休憩用の椅子に腰を下ろしているのが見えた。赤毛は女性のように長く、後ろ髪は結んである。だが、その体格は明らかに女性の体格ではない。やけに筋肉の付いたその紳士への傍らへと歩いて行くと、彼は俺に気付いたらしく、にやりと笑ってから少し隅へと寄る。

 

 俺も椅子に腰を下ろし、目の前でいつものように営業を続けている雑貨店の入口を眺めた。

 

 旦那に何と言えばいい? 弟の片腕を奪われ、ネイリンゲンで惨劇を見てきた旦那に何と声をかければいいのか分からない。親しい仲間である筈なのに、まるで初対面の人と話すことになったかのように、俺は何と言えばいいのか椅子に座ってから考え始めた。

 

「だ、旦那…………その…………」

 

「…………ああ。受け入れてくれてありがとう、ギュンター」

 

 その声音は、いつもと同じだった。低くて優しい旦那の声音。

 

「その…………生存者は、100人くらいだったよ…………」

 

「そうか…………」

 

 ネイリンゲンは小さな街だが、20000人くらいは住んでいた。だが、旦那が助け出した生存者はたったの100人だけ。しかもほとんどの人が重傷を負っていたから、慌てて用意した薬品はもうかなり減ってしまっている。

 

「そういえば、旦那が前に言ってた放射能ってのは…………大丈夫なのか? 旦那は確か、ネイリンゲンで戦ったんだろう?」

 

「俺は大丈夫だ。毒物完全無効っていうスキルを装備してるからな。そいつが放射能も防いでくれるかは分からないが…………。それより、生存者の方は大丈夫か?」

 

「ああ。今のところ、放射能で苦しんでいる負傷者はいない。重傷で苦しんでいる奴らばかりだ…………」

 

「そうか…………」

 

 旦那は悲しそうにそう言うと、頭にかぶっていたシルクハットを取った。旦那の頭の角は髪に隠れてしまうほどの長さだから、髪の長い旦那ならば感情が昂らない限り角がバレることはないと思っていたんだが、旦那の頭の角は少々伸び始めているようだった。

 

 確か、旦那の角は1本だけだった筈だ。だが、今の旦那の長い赤毛かた少しだけ突き出ている角は、いつの間にか2本になっている。

 

 角が増えたことが気になったが、それは勇者に報復した後で聞くことにした方がよさそうだ。ちらりと旦那の頭を見た俺は、頭を掻いてから再び正面の雑貨店の入口を眺める。

 

「そういえば、姉御たちは? まだ家か?」

 

「いや、放射能で危ないからな。国王に頼んで、王都に家を用意してもらった」

 

「ということは、これからは王都で暮らすのか?」

 

「ああ。…………あの開放的な景色と、ピエールの淹れる紅茶は気に入ってたんだが」

 

「ああ、俺もだ。残念だよ…………でも、ありがとよ旦那。あいつを看取ってくれて」

 

 もうあの景色を見ることは出来ない。あの開放的な景色は、もう焼け野原になってしまっている。それにあの小さな喫茶店で一生懸命に働いていたピエールとサラにも、もう会えない。あの2人の結婚式にもし招待されたら、モリガンのみんなで盛大に祝ってやるつもりだったのに…………。

 

 死んでしまったあの2人の事を考えていると、旦那は脇に立て掛けていた杖を拾い上げて立ち上がった。

 

「信也の様子を見てくる」

 

「おう。医療所の2階にいる筈だ」

 

「はいよ」

 

 もうあいつの傷は塞がっている。今頃はレベッカと義手の移植について相談している筈だ。

 

 シルクハットをかぶって医療所の入口へと入っていく旦那を見守った俺は、まだ目の前の雑貨店の入口を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、兄さん」

 

「よう。元気か?」

 

 信也の顔からは、傷が完全に消えていた。フィオナが魔術で治療してくれたらしい。

 

 いつもと変わらない弟の顔だったが、やっぱり彼の右腕は見当たらなかった。必死に訓練を続けて徐々に筋肉で覆われていったはずの信也の右肩から先は、包帯が巻かれているだけだ。

 

「…………李風は?」

 

「李風さんは、自分のギルドの所に戻ったよ。兄さんがいつでも報復攻撃を始められるように、部隊を編成するって言ってた」

 

「そうか」

 

 できるならば、すぐに報復攻撃をしたいところだ。だが、信也は重傷を負っているし、まだ作戦も考えていない。李風からは敵の拠点が南ラトーニウス海にあるファルリュー島である可能性があると聞いているから、海兵隊を編成する事ができれば攻撃を仕掛けることは出来る。だが、編成するには時間がかかるだろうし、作戦もない。今すぐに攻撃を仕掛けるのは不可能だ。

 

 それに、敵はおそらく駆逐艦や航空機を配備しているだろう。海兵隊だけでなく、上陸を支援する部隊も用意しなければ危険だ。

 

 しかも、一番の問題は作戦に参加する人数と、その参加する兵士たちの錬度である。モリガンのメンバーならば問題はないだろうが、李風の率いるギルドの転生者たちの中には、まだレベルが100に達していない者もいるという。それに大規模な実戦を経験した者は全くいないらしく、はっきり言って寄せ集めでしかない。

 

「ところで、いつ攻撃を仕掛けるの?」

 

「え…………?」

 

 ベッドの上に横になりながら問い掛けてくる信也。彼の傍らで包帯を準備していたミラとフィオナも驚き、いきなり攻撃開始はいつなのかと聞いてきた彼の顔を見上げた。

 

 片腕を失い、全身の傷も塞がったばかりで、これから義手を移植するというのに、信也はもう彼らに攻撃を仕掛けることを考えている。信也には作戦を立案してもらい、ここで治療を受けていてもらおうと思っていた俺は、少し驚いてしまった。

 

「…………まだ、分からん」

 

「分かった。作戦を考えておくよ。リハビリも急がないとね」

 

『無理はしちゃダメですよ、信也くん』

 

(そうだよ、シン。力也さんみたいに無茶しちゃダメだよ?)

 

「おいおい…………」

 

 確かによく無茶をするから、妻や仲間たちに心配をかけている。

 

 苦笑いする俺の顔を見て笑っている弟の顔を見た俺は、少し安心して窓の外を眺めた。

 

 もっと落ち込んでいるのではないかと思って、励ます方法を考えながらここまでやってきたんだが、励ます必要はなさそうだ。それに、余計な事を言うわけにはいかない。逆に落ち込んでしまう可能性がある。

 

 だから俺は、あまり励ますようなことは言わなかった。

 

「そういえば、ガルちゃんは?」

 

『えっと、先に王都に戻っているそうです』

 

「分かった。それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」

 

「うん。またね、兄さん」

 

「おう。…………ミラ、信也を頼んだぜ」

 

(任せてください!)

 

 長い耳をぴくぴくと動かしながら微笑むミラ。信也は彼女に任せておけば問題ない筈だ。それに、治療魔術が得意なフィオナも一緒だ。

 

 俺はポケットからエイナ・ドルレアンに来る前に王都で購入してきたメガネを取り出すと、信也のベッドの傍らにあるテーブルの上に置いた。確か、こいつのメガネは割れてしまっていた筈だ。新しいメガネが必要だろう。

 

「ありがと、兄さん」

 

「気にすんな」

 

 そう言ってにやりと笑った俺は、信也の医務室を後にした。

 

 部屋を出て扉を閉め、木の床が軋む音を聞いた俺は、左手で顔を押さえながら目の前の壁を睨みつける。今すぐにこの拳であの壁をぶん殴って八つ当たりしたいところだが、この医療所にはあの惨劇で傷ついた人々がいる。この怒りは、もう少し抑えておくべきだろう。

 

 よくも俺の弟の片腕を…………!

 

 何とか目の前のぶん殴る前に怒りを抑え込んだ俺は、ため息をついてから薬品と血の臭いがする1階へと下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 国王に用意してもらったのは、少し大きめの家だった。ネイリンゲンの屋敷よりも少し小さな2階建ての家で、装飾はあまりついていない。庭もあの屋敷ほど広くはないが、子供たちが遊んだり、剣術の訓練をするには十分な広さだった。

 

 森に行くには防壁を越えて行かなければならないから、ラウラとタクヤを連れて狩りに行くには少々不便になってしまったが、魔物や肉食動物に襲われる心配はない。

 

 タクヤに絵本を読んであげているラウラを微笑みながら見守っていた俺は、近くに立て掛けておいた仕込み杖を拾い上げ、肩を回しながら裏口のドアへと向かった。少し剣術の訓練でもして来ようと思って立ち上がったんだが、俺が椅子から立ち上がる音を聞いたラウラが、いきなり本を読むのを止めて心配そうな顔で俺の顔を見上げてきた。

 

 どうやらまたどこかに行ってしまうのではないかと心配しているようだ。娘が泣きだす前に「大丈夫だよ。ちょっと裏庭で剣の練習をしてくるだけだから」と言って安心させてから、俺はリビングを後にする。

 

 前に使っていたサラマンダーの仕込み杖は、今頃2階でエリスと一緒に洗濯物を干しているガルちゃんに借りパクされてしまったため、俺が持っているこの仕込み杖は端末で生産したものだ。杖の中に細身の剣が仕込んであるのは同じなんだが、柄から刀身を引き抜くのではなく、杖が真ん中から2本に分かれる仕組みになっていて、その2本に分かれた杖の柄の中から、収納されていた細身の刀身がスライドして姿を現すという方式になっている。

 

 つまり、1本の杖が2本の剣になるということだ。もし剣を使うのであれば、やっぱり二刀流が一番使いやすい。

 

 新しい我が家の裏庭に出た俺は、柄頭にドラゴンの頭を模した装飾がついている漆黒の杖の柄を両手で握ってから捻り、杖を2本に分けてからボタンを押した。

 

 その瞬間、柄の中から火花を散らしながら漆黒の刀身が姿を現す。刀身の長さは一般的な剣よりも少し短い。刀身は両刃で、形状はスペツナズ・ナイフの形状に似ている。

 

 素振りを始める前に、俺はちらりと2階のベランダで洗濯物を干している妻の顔を見上げた。エリスは子供たちの小さな服を干しながら、俺を見下ろしてにっこりと笑っている。彼女の隣には、背伸びをしながら何とか真っ黒な靴下を干しているガルちゃんの姿が見えた。

 

 多分、あの靴下は俺のだ。

 

 苦笑いをしてから、俺は仕込み杖の素振りを始めた。この家には地下室があるが、あの屋敷のような射撃訓練場はない。勇者との戦いが終わったら、カレンに頼んでまた改装してもらおう。

 

 左手の剣を振り上げ、その間に右手の剣を左から右へと振り払う。そして左手の剣を振り下ろしながら一歩前へと踏み込み、重心を低くしながら右手の剣を突き出す。この刺突の目標は相手の喉だ。

 

 右手の剣を引き戻しながら反時計回りに回転し、左手の剣を一気に左へと振り払う。

 

 李風たちの編成はいつ終わるのだろうか? 彼らの編成が終わり、信也の作戦の立案が終われば、いよいよ勇者たちの拠点であるファルリュー島に攻撃が仕掛けられるようになる。子供たちにはまた心配をかけてしまうかもしれないが、勇者を放っておくわけにはいかない。奴らはネイリンゲンの人々を虐殺したのだから、報復しなければならない。

 

 もし作戦が始まれば、俺は妻たちは戦場に連れて行かないつもりだ。妻たちは転生者を瞬殺してしまうほどの実力を持つ猛者たちだが、もし命を落としてしまったら、子供たちが悲しんでしまう。だから2人には子供たちの世話をお願いし、俺が海兵隊としてファルリュー島に同志たちと攻め込む予定だ。

 

「力也」

 

「お、エミリア。どうした?」

 

 素振りをしていると、裏口のドアからエミリアがやってきた。蒼い髪をいつものようにポニーテールにしていて背中にはクレイモアを背負っている。服装も、子育てをしている時に着ている私服ではなく、動きやすいようにモリガンの黒い制服姿だった。大きな胸が剣を振るう度に揺れて邪魔だからと作ってもらった防具は一切身に着けていない。

 

 彼女も素振りに来たのだろうかと思いながら、妻に素振りをするスペースを空けようと隅の方に歩こうとしていると、俺の隣へとやってきたエミリアが背中から大剣を引き抜いて、その切っ先を俺へと向けてきた。

 

「―――――――――久しぶりに、相手をしてもらえるか?」

 

「ハハッ。子育てばかりやってて腕が鈍ったんじゃないか?」

 

「侮るなよ? 私は元ラトーニウスの騎士だ。…………それに、わっ、私は…………お前の妻だぞ?」

 

 それはそうだ。彼女は実際に転生者を圧倒した事がある。俺の妻たちは転生者よりも手強いのだから、侮れる相手などではない。

 

 俺はにやりと笑うと、右手の剣を伸ばしてエミリアのクレイモアの切っ先に軽く当てた。キン、と軽い金属の音が裏庭に響き渡り、俺とエミリアは少々狭い裏庭の中で睨み合う。

 

 いつもならば彼女が先に攻撃を仕掛けて来る筈なのだが、今回は攻撃を仕掛けて来ようとはせず、自分の目の前にクレイモアを構えたまま黙って俺を睨みつけていた。おそらく、俺が斬り込んだ瞬間にカウンターで反撃するつもりなんだろう。彼女の大剣よりも細身で短い剣を2本持つ俺の方が接近戦では小回りが利くが、連続攻撃に失敗すればこちらが不利になる。

 

 いつまでも睨み合っているわけにはいかないので、今回は俺から攻撃を仕掛けさせてもらうことにした。姿勢を低くしながら踏み込み、斜め下からエミリアに向かって両手の剣を突き出す。

 

 彼女はこの一撃を受け流すのか? それとも躱すのか?

 

「ふんッ!」

 

「!」

 

 すると、エミリアは思い切り大剣を横に振り払った。サラマンダーの角で作られた頑丈な彼女の大剣は俺が突き出したばかりの仕込み杖の切っ先を横から思い切り殴りつけ、エミリアに向かう筈だった切っ先を50度も左にずらしてしまう。

 

 俺は慌てて剣を引き戻そうとするが、体勢を立て直す前にエミリアのタックルを喰らい、更に体勢を崩す羽目になった。

 

 妻が大剣を再び振り下ろす前に横へとジャンプし、今度は側面から攻撃を仕掛ける。右手の剣を突き出して攻撃するが、この一撃は見切られていたらしく、エミリアはこちらを振り向かずに剣を構えてガードする。

 

 ならば、もう片方の剣で攻撃するまでだ。左手の剣を振り上げ、ガードしている最中のエミリアに向かって振り下ろす。

 

 だが、これはフェイントだ。エミリアが引っ掛かった瞬間に右手の剣を引き戻し、こっちで勝負をつけるつもりだ。

 

 エミリアはこの一撃もガードするつもりらしく、構えていた剣を少しずらして俺の左手の剣を防ごうとする。

 

 俺の作戦通りに左手の剣はエミリアにガードされる。散った火花の向こうでエミリアがにやりと笑うが、俺も彼女と同時ににやりと笑っていた。

 

「!?」

 

「引っかかったな!」

 

 すぐに右手の剣を引き戻してから、先ほどとは別の角度で突き出す。エミリアは左手の剣を大剣でガードしてしまったため、すぐにこの一撃をガードする事ができない。

 

 仕込み杖の漆黒の刀身がエミリアの脇腹に突き刺さる直前で、俺は刀身をぴたりと止めた。

 

「くっ…………負けてしまったか…………」

 

「全然鈍ってないじゃないか」

 

「当たり前だ。結婚してからも毎朝の素振りは欠かしていないぞ。さすがに妊娠中はやってないがな」

 

 大剣を背中の鞘に納めてから胸を張るエミリア。久しぶりに妻の大きな胸が揺れたのを見て、俺は少しだけ顔を赤くしてから目を逸らした。

 

 すると、いつの間にか裏口のドアが少し開いていて、その影からラウラとタクヤがこっちを見ていることに気付いた。どうやら俺とエミリアの模擬戦を見ていたらしく、こっちをじっと見ながら「おかあさん、すごーい…………!」と小声で言っている。

 

 エミリアも子供たちに見られていたことに気付いたらしく、少し恥ずかしそうに顔を赤くした。

 

 夫婦喧嘩をするつもりはないが、もし夫婦喧嘩になったら家がぶっ壊れそうだ。

 

 俺は子供たちを見てにっこりと笑うと、杖を元に戻しながら「ママはとても強いんだぞ?」と言った。

 

 この子たちのママは、転生者を瞬殺してしまうほどなんだからな。

 

 俺と同じように頭から角の生えている子供たちの頭を、俺は優しく撫でた。

 

 でも、まだ俺の心の中には、勇者に対する怒りが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンで核が爆発してから3日が経過した。相変わらずエイナ・ドルレアンの医療所では重傷を負って苦しんでいる人々がいて、彼らの手当てをする医者や治療魔術師(ヒーラー)も大忙しだ。

 

 エイナ・ドルレアンの防壁の中にある小さな草原には、無数の墓石が鎮座していた。中には墓前に花が置かれているものもあるし、その墓石の下で眠る人が大切にしていたものと思われる髪留めやペンダントが置かれているものもある。

 

 俺は目の前にある墓石の前にしゃがみ込み、そこに刻まれている2人分の名前をそっと右手でなぞった。片方はピエール。もう片方はサラ。ネイリンゲンで小さな喫茶店を経営していた青年と、ハーフエルフの女性だ。

 

 ギュンターから初めて依頼を引き受けた時に出会った優しい2人。2人がネイリンゲンにやって来てからは、ピエールにはよく喫茶店の仕事をしながら転生者の調査をしてもらっていたし、紅茶もサービスしてもらっていた。それに、サラのアップルパイは仲間たちの中で好評で、いつも取り合いになっていた。

 

 あの2人には、もう会うことは出来ない。2人の喫茶店を訪れた時のことを思い出しながら、俺は2人が眠る墓石を静かに持ってきた水筒の水で濡らした。

 

 2人一緒に埋葬した方が、彼らも喜ぶだろう。

 

 俺にできるのはそれくらいしかなかった。

 

 俺の結婚式の時も、あの2人は出席してくれた。ギュンターたちが悪ふざけでMG42をぶっ放した時は、サラは耳を押さえながらずっとピエールの傍らで震えていたし、ピエールは昔からギュンターを知っていたから、呆れながら笑っていた。

 

 すまない、2人とも…………。

 

 俺があの時、ネイリンゲンに逃げろと言わなければ…………今頃もう結婚して、子供が生まれていたかもしれない。

 

「ここにおったのか」

 

「ガルちゃん…………」

 

 2人の墓の前で手を合わせていると、俺の後ろから幼い声が聞こえてきた。そっと踵を返すと、俺の後ろにはやっぱり俺にそっくりな顔立ちの幼い少女が、俺から借りパクした仕込み杖を持って立っている。

 

 相変わらず大きめのベレー帽をかぶっている彼女は、俺の隣へとやってくると、ピエールとサラが一緒に埋葬されている墓石を見下ろした。

 

「悔やんでおるのか?」

 

「…………悔やむことばかりだ」

 

「それは仕方のない事じゃ」

 

「…………ああ」

 

 何度も後悔してきた。

 

 転生する前からだ。そして、転生した後も何度も後悔した。でも、今の後悔は今までの後悔よりも大きく、どす黒い。

 

 何億年も生きてきた彼女には、俺の中のどす黒い後悔がお見通しだったのかもしれない。ガルちゃんは墓石の前でしゃがみ込むと、俺と同じように2人の名前を小さな指でなぞった。

 

「サラ…………。お主のアップルパイ、美味しかったぞ」

 

「…………」

 

「…………いつか、恩返しがしたかったのじゃがのう…………」

 

 俺の隣にいるガルちゃんの声が、少しずつ涙声になっていった。寿命が無いエンシェントドラゴンにとって一番辛いのは、おそらく仲間を失うことだろう。基本的に死ぬことが無いから、仲間が死ねば孤独になる。ガルちゃんはきっと太古からずっとその悲しみを経験して来た筈だ。人間との戦争で多くの同胞を失った時も、きっと悲しんでいたに違いない。

 

 もう、2人に恩返しは出来ない。2人を殺したあの勇者に復讐することくらいしか思いつかない。もし俺たちが勇者を倒したら、死んでしまったこの2人は喜ぶだろうか?

 

 勇者を殺しても、彼らは生き返らない。だが、この復讐は無意味ではない筈だ。奪い返すことは出来なくても―――――同じように、奪うことは出来る。

 

 同じ痛みを。同じ苦痛を。

 

 炎で焼かれる苦しみを。友人を失う哀しみを。

 

 全て、奴らに叩き付けてやることは出来る。

 

 奪い返す事ができないのならば、同じように奪い去ってやるまでだ。

 

 泣き始めてしまったガルちゃんの頭を優しく撫でながら、俺は空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

「――――――――海兵隊の編成が終わりました」

 

 相変わらず血と薬品の臭いが混じった医療所の部屋の中で、李風はそう言った。勇者の拠点であるファルリュー島を攻撃するための海兵隊の編成が終わったということは、あとは信也の作戦があれば攻撃を開始できるということだ。

 

 これで攻撃できる。これで復讐ができる。そう思った瞬間、部屋の中から薬品の臭いだけが消え、血の臭いだけが残ったような気がした。

 

 犠牲になったのはネイリンゲンの住民だけではない。李風の仲間も何人も殺されている。李風の部下たちも復讐したがっているんだ。

 

「…………戦力は?」

 

「用意できたのは、アドミラル・クズネツォフ級空母1隻、ソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻、ウダロイ級駆逐艦1隻、ミストラル級強襲揚陸艦3隻。すべて艦橋及びCIC以外は無人にカスタマイズしてあります。ですので、乗組員はかなり少ないですよ」

 

 よくそんなに船を用意できたな。俺は驚きながら、ちらりとベッドの上で横になっている信也の顔を見下ろした。彼ならばこの戦力でどんな作戦を考えるのだろうか?

 

「…………実際に上陸する海兵隊の人数は?」

 

「…………およそ260名です。無人機による偵察の結果、敵兵の人数は10000人以上かと」

 

「10000人…………!」

 

 敵の数が多過ぎる。たった260人の海兵隊で、10000人の守備隊を殲滅しろということなのか? しかも、相手は勇者の部下たちだ。転生者のレベルは俺たちよりも格上だと考えるべきだろう。

 

 今のまま攻撃を仕掛けるのは無謀かもしれない。でも、レベルの高い彼らに勝つために海兵隊の増強を続けていたら、勇者たちが世界を支配してしまうかもしれないし、また核兵器による攻撃が始まるかもしれない。

 

 予想以上に勇者の戦力が強大だったということだ。地道に戦力の増強と部下の育成を続けてきた李風は、悔しそうに拳を握りながら床を睨みつけた。

 

「それだけではありません。…………島の中央部に建設されたミサイルサイロに、大陸間弾道ミサイル(ICBM)と思われるミサイルが準備されている模様です」

 

「核ミサイルか?」

 

「おそらく…………」

 

 何ということだ…………。

 

 奴らは、今度は核ミサイルを使うつもりだ。もう海兵隊の増強をしている場合ではない。今の戦力でファルリュー島に攻撃を仕掛け、核ミサイルの発射を阻止しなければならない。

 

 こちらも戦力の増強を行うという選択肢がなくなってしまった以上、もうこの戦力で攻撃を仕掛けるしかない。

 

「信也、どうする…………?」

 

 こいつならば、勇者たちを倒す作戦を思いついてくれるだろうか。

 

「―――――――――上陸は、LCUとヘリボーンの2種類で行いましょう」

 

 つまり、ファルリュー島への上陸は、ヘリからの降下と上陸用舟艇で行うということだろう。強襲揚陸艦が3隻もあるし、アドミラル・クズネツォフ級空母もある。オスプレイやスーパーハインドならばヘリボーンに使えるだろう。

 

 だが、いきなり上陸しようとすれば、島に用意されているミサイルや砲台で狙い撃ちにされる。上陸前の状態でやられてしまえば、上陸する海兵隊の戦力が大きく減ってしまうことになるだろう。

 

「まず最初に、航空機で敵基地の砲台を破壊します。上陸はその後です。人数は少ないから…………複数の場所からの上陸ではなく、1ヵ所から上陸するようにしましょう。李風さん、写真はあります?」

 

「ええ、こちらに」

 

 持ってきたケースの中から、無人機が撮影したと思われる写真を取り出す李風。それを左手で受け取った信也は、ベッドの近くにある小さなテーブルの上にその写真を置き、身体を起こしてから写真に写っている島の浜辺を指差した。

 

「ここに上陸しましょう。全ての海兵隊をここに上陸させ、中央部のミサイルサイロを目指します」

 

「了解です。ではこの上陸地点は”オレンジ・ビーチ”と呼称しましょう」

 

 そう言いながらオレンジ・ビーチにマークを付ける李風。何の変哲もない浜辺に付けられたマークを睨みつけた俺は、2本目の角が生えてしまった頭を右手で掻きながらため息をついた。

 

 あの浜辺に上陸し、全員で島の中央部へと向かって進撃する。そして核ミサイルの発射を阻止し、世界を支配しようとしている勇者をぶち殺す。

 

 信也が立案してくれた作戦は、そんな作戦だ。いつもの信也の作戦ならばその作戦を聞いた瞬間に安心するんだが、今回は戦力差のせいなのか全く安心はできなかった。

 

「それで、作戦開始は?」

 

 奴らは既に核ミサイルを準備している。すぐにミサイルの発射を阻止しなければならない。

 

 いつ攻撃を開始するのかと尋ねてきた信也を見つめた俺は、頷いてから言った。

 

「――――――――2日後だ」

 

 

 

 

 

 

 

 引っ越したばかりの王都の我が家のドアは、いつもよりも重く感じた。装飾があまりついていないシンプルなドアを開け、かぶっていたシルクハットを壁に掛けた俺は、そのままリビングの方へと向かう。

 

 この世界では日本のように家の中で靴を脱ぐ必要はないらしい。転生してきたばかりの頃、靴を脱ごうとしてエミリアによく笑われていたことを思い出しながらリビングのドアを開けると、キッチンの向こうでエミリアがエプロン姿で夕食を作っているところだった。リビングではエリスが洗濯物を畳み、ガルちゃんがラウラとタクヤの遊び相手をしている。

 

 いつも通りの我が家の光景だ。だが、気のせいなのか、いつもならば感じる温もりが何かに奪われてしまっている気がする。

 

「あら、ダーリン。お帰りなさい」

 

「パパ、おかえりっ!」

 

「ああ、ただいま」

 

 俺の姿を見た瞬間、ガルちゃんの尻尾を引っ張って遊んでいたラウラが俺の方へと走ってきた。微笑みながら娘の小さな体を抱き締めた俺は、エリスの近くまで歩いてからラウラを下ろし、俺と同じく頭から小さな角が生えているラウラの頭を優しく撫でた。

 

 ラウラを床に下ろしてから「よし、ガルちゃんと遊んでいなさい」と言った俺は、元気に返事をしてから再びガルちゃんの尻尾を引っ張り始めた娘を見守ると、キッチンの方で料理をしているエミリアの方へと歩き始めた。

 

「エミリア」

 

「ああ、力也。お帰り。…………どうした?」

 

「その…………勇者の件なんだが」

 

 今夜のメニューはハンバーグだったらしい。ラウラとタクヤが大好きなメニューだ。フライパンの上でハンバーグを焼いていたエミリアは、俺が勇者という単語を言った瞬間、少しだけ目を見開いてから鋭い目つきになった。

 

 いつもの優しい母親の目つきではない。傭兵だった頃に、戦場へと向かう時の目つきだ。

 

「――――――作戦開始は、2日後だ」

 

「そうか…………」

 

「ああ。だから…………俺が行ってくる。お前とエリスは、子供たちの面倒を――――――――」

 

 妻たちまで戦場に行かせるわけにはいかない。もし妻たちが死んでしまったら、子供たちが悲しんでしまう。

 

 だから、妻たちを連れて行くつもりはない。彼女たちには家に残って、子供たちの世話をしてもらおう。その代わりに俺が海兵隊の1人としてファルリュー島へと向かい、仲間たちと共に勇者を倒すのだ。

 

 俺はそう考えていたんだが、やっぱりエミリアは許してくれなかった。右手で持っていたフライパンから手を離したエミリアは、紫色の瞳で俺を真っ直ぐに見つめながら「ダメだ」と小声で言い、フライパンを握っていた右手で俺の手を掴んだ。

 

 エリスもきっと同じように許してはくれないだろう。そんなことを考えながら、俺は妻の手を握り返す。

 

 無茶をするのは俺の悪い癖だ。だが、彼女たちまでファルリュー島に行かせるわけにはいかない。こちらの海兵隊の人数は260名。敵の守備隊は10000名。戦力差が大き過ぎるのだ。しかも敵の中には、レベルの高い転生者もいる。いくら転生者を瞬殺できる彼女たちでも危険な戦いだ。

 

 それに、核ミサイルをこの世界で作ったのは転生者だ。この戦いは復讐のための戦いでもあるが、転生者の戦いでもある。彼女たちは部外者なんだ。

 

「私たちも行く。…………1人では行かせない」

 

「頼む、エミリア。この戦いは危険なんだ。もしお前やエリスが死んでしまったら、子供たちが…………」

 

「それは父親も同じだ、馬鹿者」

 

 そう言って、彼女は俺に抱き付いてきた。俺は戸惑ってしまったけど、俺も妻の背中に手を回して抱き締める。

 

「お前が死んでも、子供たちが悲しむ」

 

「だが…………放っておくわけにはいかない。それに、核兵器を使い始めたのは転生者だ。…………俺たちの戦争だ」

 

「ダメだ。私たちも連れて行け」

 

「エミリア、頼む。言うことを聞いてくれ」

 

 頼む…………。お前たちまで連れて来たくないんだ。

 

 彼女を抱き締めながら「頼む…………」ともう一度呟く。だが、エミリアは離れてはくれなかった。俺の胸に顔を押し付けながら、首を横に振るだけだ。

 

 彼女の蒼いポニーテールが、首を横に振った時に腕に当たる。昔と変わらないエミリアの甘い匂い。俺は家族が大好きだ。可愛らしい子供たちを生んでくれた妻たちが大好きだ。

 

 だから、危険な目には合わせたくない。

 

「ダーリン」

 

「エリス…………」

 

 いつの間にか洗濯物を畳み終えていたエリスが、キッチンの近くまでやってきていた。彼女の顔つきも、モリガンのメンバーたちで戦場に向かった時のように鋭くなっている。

 

「お願い。私たちも連れて行って」

 

「だが…………子供たちはどうする? 誰が面倒を見るんだよ?」

 

「ならば、私が面倒を見るのじゃ」

 

 エリスに問い掛けたつもりだったのだが、俺の問いに答えたのは、彼女の隣から顔を出したガルちゃんだった。先ほどまで元気のいいラウラに散々尻尾を引っ張られ、お気に入りのベレー帽を取られて困っていた彼女が、どうやら子供たちの面倒を見てくれるらしい。

 

 ガルちゃんならばきっと面倒を見てくれるだろう。それに、彼女は最古の竜だから、子供たちをちゃんと守ってくれるに違いない。

 

 妻たちは連れて行ってくれと言っている。俺はダメだと言っているんだが、おそらく言うことを聞いてくれることはないだろう。

 

 気の強い妻たちだ。

 

「…………分かった。ガルゴニス、頼むぞ」

 

「任せるのじゃ。立派なドラゴンに育ててやるわい」

 

「いや、頼むから人間として育ててくれ」

 

 まったく…………。俺の子供たちにはサラマンダーの尻尾が生えているし、頭から角も生えているけど、出来るならば人間として育ててほしいものだ。

 

 苦笑いしながらそう言うと、妻たちとガルちゃんが笑った。家族の笑顔を見て安心した俺も、頭を手で掻きながら笑う。

 

「…………ねえ、パパ」

 

「ん? どうした?」

 

 妻たちと笑っていると、ガルちゃんと遊んでいた筈のラウラとタクヤがキッチンの近くまでやってきていた。笑っている俺たちを、心配そうな顔で見上げている。

 

 もしかすると、今の話を聞いていたのか?

 

「パパたち、どこかにいっちゃうの…………?」

 

「あ…………」

 

 タクヤは心配そうにするだけだったが、ラウラは俺の顔を見上げながら涙を浮かべ始めた。やっぱり、今の話を聞いていたらしい。

 

 俺たちが戦いに行く事を知っているのだろうか? それとも、ただの仕事だと思っているのだろうか? 

「やだ…………いかないで…………。パパ、いかないでよ…………」

 

「ラウラ…………ごめんな。パパたちは、大事なお仕事があるんだ」

 

「やだやだ…………やだぁ…………!」

 

 頭を撫でながら優しい声で言ったんだが、ついにラウラは泣き出してしまった。涙を零しながら、しゃがみ込んでいた俺に抱き付いてくる。

 

 娘の頭を撫で続けたけど、泣き止んでくれる気配はなかった。

 

 どうすれば泣き止んでくれるだろうか? 俺はちらりと妻たちを見上げたんだけど、2人とも辛そうな顔をするだけだった。やっぱり、子供たちを家に置いていくのは辛いようだ。

 

「ラウラ、帰ってきたらまた狩りに連れて行ってあげる」

 

「ほんとう…………?」

 

「ああ。もちろん、タクヤも一緒だよ。また3人で森に行こう」

 

 でも、ネイリンゲンの近くの森は危険だ。もしかすると放射能が残っている可能性がある。だから狩りに連れて行くのは、あの時とは違う森になるだろう。

 

 いつもラウラを狩りに誘うと、タクヤと一緒にはしゃいでいた。狩りに行く約束をすればきっと泣き止んでくれるだろう。俺はラウラの小さな頭をまだ撫で続けながら、優しい声で言った。

 

「すぐに帰ってくるからさ。だから、明後日だけ我慢してくれるかな?」

 

「うう…………でも、さみしいよぉ…………」

 

「ガルちゃんとタクヤが一緒だ。…………タクヤ、おいで」

 

「うんっ」

 

 ラウラの頭を撫でていた手を離し、リビングの方で魔物の図鑑を開いたまま心配そうにこっちを見ていた息子を手招きする。エミリアにそっくりな顔つきのタクヤは、頷いてからこっちへとやってきた。

 

「必ず帰ってくる。…………だから、我慢してくれ」

 

「う、うん…………」

 

 でも、ラウラはまだ寂しそうだ。手を離したら、この子はまた泣き出してしまうかもしれない。

 

 俺はコートの内ポケットから、いつも持ち歩いている赤黒い懐中時計を取り出した。エミリアとこの王都にデートしに来た時に、彼女にプレゼントしてもらった大切な懐中時計。いつも身に着けているその懐中時計を、俺はそっとラウラの小さな手の上に置いた。

 

「これ…………パパのたいせつなとけい…………」

 

「それをもう一度、お前たちに預けておく。2人が生まれる前にママから貰った大切な時計なんだ」

 

 小さな手で時計を受け取るラウラ。そっと蓋を開け、中で動き続ける銀色の針を眺めるラウラとタクヤの頭の上に手を置いた俺は、微笑みながら言った。

 

「パパたちが帰って来るまで、預かっててくれ。いいかな?」

 

「…………うんっ」

 

 ラウラは涙を小さな手で拭い去り、俺の目を真っ直ぐに見つめる。タクヤもラウラと手を繋ぎながら、俺の顔を見つめた。

 

 さすが俺たちの子供だ。

 

 俺はにやりと笑うと、もう一度子供たちの頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都の家の前で、李風のまだ若い部下たちが装甲車で待っていた。おそらく年齢は17歳か18歳だろう。俺が転生してきた時と同じ年齢だ。

 

 迷彩服を身に纏って家から出て来た俺とエミリアとエリスの3人を敬礼で出迎えてくれた彼らに敬礼を返し、装甲車へと向かう。

 

 この装甲車に乗り、王都の防壁の外でヘリに乗り換える。そして、そのまま南ラトーニウス海へと向けて航行中の強襲揚陸艦『アンドレイ』の甲板に着陸し、その後は俺が海兵隊の指揮を執ることになっていた。

 

「…………行くぞ」

 

「ええ」

 

「ああ」

 

 妻たちと共に装甲車に乗り込もうとしたその時だった。

 

「パパ!」

 

「ラウラ…………?」

 

 玄関のドアを開け、ラウラがいきなり飛び出して来たんだ。目を覚ましたばかりらしくて髪はぼさぼさだ。パジャマ姿のまま外にやってきた彼女は、1枚の紙を持っていた。

 

 あの紙は何だ? 近くまで駆け寄ってきたラウラの前でしゃがんだ俺は、まだ少し眠そうな顔をしている彼女の頭を撫でた。

 

「パパ、これ」

 

「ん? これは何?」

 

「きのう、がんばってかいたのっ」

 

「これは…………」

 

 にっこりと笑いながら持っていた紙を広げ、俺に渡すラウラ。

 

 その紙に描かれたのは、クレヨンで描かれた似顔絵だった。蒼い髪の女性が2人と、赤毛の男性が1人。その赤毛の男性の頭には、ちゃんと角が2本生えている。

 

 俺たちの似顔絵だった。その似顔絵の下には、黒いクレヨンで『みんなだいすき』って書いてある。

 

 思わず泣きそうになってしまった。もしかしたらこの戦いで戦死して、2度と子供たちを抱き締める事ができなくなってしまうかもしれない。

 

 だが、泣くわけにはいかない。俺は唇を噛み締めてから、無言でラウラを抱き締めた。

 

「ありがとな、ラウラ」

 

「うんっ」

 

 これはお守りにしよう。時計は子供たちに預けてしまったからな。

 

 そうだ、死ぬわけにはいかない。必ず帰ってきて、子供たちを狩りに連れて行くんだ。

 

 ラウラから手を離し、そっと立ち上がる。ラウラはまだ3歳なのに、もう寂しそうな顔をしていなかった。きっと、俺たちが必ず帰ってきてくれると信じているんだ。

 

 必ず生きて帰ろう。そして、子供たちを抱き締めてあげよう。

 

 俺はラウラから貰った似顔絵をポケットにしまうと、踵を返し、妻たちと一緒に装甲車に乗り込んだ。

 

 

 



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ハヤカワ姉弟が留守番をするとこうなる

 

 

 装甲車に乗り込んで家を後にする両親の姿を見た瞬間、俺はこの世界で俺たちを育ててくれた優しい両親が、これから戦争に行くのだという事を理解した。

 

 ネイリンゲンが転生者による襲撃で壊滅し、そこから可能な限り生存者を逃がしてから生還した親父が母さんたちと話をしているのを聞いた時から、もしかしたら親父は本当に戦争に行ってしまうのではないかとは思っていたけど、装甲車に乗って家を離れていく姿を見てから、やっと実感する。

 

 この世界にも、戦争はあるのだと。

 

 騎士や魔物や魔術が存在し、前世の世界ではありえない物まで存在するこの異世界でも、やはり前世の世界と変わらない部分はあるのだ。

 

 俺たちの両親は、正確に言うと”正規の兵士”ではない。あくまでも雇い主(クライアント)から依頼を引き受け、それを遂行して凄まじい金額の報酬を受け取る”傭兵”である。だからその報酬を受け取る雇い主(クライアント)から「戦争に行って来い」と言われない限り、こうして本格的な戦争に参戦する事などないのではないかと思っていた。

 

 けれどもこれは、少なくとも”依頼”ではないらしい。

 

 おそらく―――――――報復だ。

 

 ネイリンゲンで殺された仲間たちの報復。平穏をぶち壊された報復。

 

 傭兵たちの、報復だ。

 

 遠ざかっていく装甲車に向かって小さな手を必死に振る腹違いの姉の隣で同じように小さな手を振りながら、両親から『タクヤ・ハヤカワ』という名前を付けられた水無月永人()はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガルちゃん、おままごとしよっ♪」

 

「うむ、いいぞ!」

 

 両親がいなくなった王都の家の中でおままごとを始めようとしている姉を一瞥してから、俺はそそくさと子供部屋の隅にある本棚へと向かう。本棚の中には両親たちに買ってもらった幼児向けの絵本が所狭しと並べられている。

 

 母さんは基本的に俺たちには厳しいのだが、俺にとってもう1人の母であり、ラウラにとっては自分を産んでくれた本当の母であるエリスさんははっきり言うと過保護だ。だから何か欲しいものがあるというとすぐに買ってくれる。親父はいつも厳しい母さんと過保護なエリスさんの間に立って大変な目に遭っているらしい。

 

 その過保護なエリスさんが次々に購入してくれた絵本の中から、1冊だけ異質な雰囲気を放つ分厚い本を引き抜く。ちょっと大きめの辞書みたいなそれは明らかに子供向けの絵本ではない。可愛らしいイラストは全く描かれておらず、その代わりに表紙に使い古された木製の杖を手にした初老の魔術師の姿が描かれており、子供が読むような本ではないというのは一目瞭然であった。

 

 これは、3歳の誕生日に母さんに買ってもらった魔術の教本だ。騎士団でも魔術師を目指す人材を育成する際に使うと言われているものらしく、初歩的な魔術から玄人でも習得に何年もかかるような上級の魔術まで網羅してあるという。まだ途中だけど、いつかは俺も前世の世界には存在しなかった魔術をぶっ放してみたいものだ。

 

 前世の世界には魔術は存在しなかったけど、この世界では爆発的に普及している。使えるようになれば便利だろうし、なんだか憧れてしまう。だから俺はいち早くこの世界の言語や読み書きを覚え、積極的にこのような魔術の教本や魔物の図鑑を読むようにしている。

 

 おかげでエリスさんには「きゃー! ダーリン、見て! この子天才だわ!」って言われるし、母さんも「驚いたな…………さ、3歳でもう魔術の勉強を…………!?」って言いながら驚いていた。おかげでこういう本を読んでいるだけで褒められるけど、あくまでも俺は―――――――この世界に転生した際に身につけた能力で早く現代兵器を生産し、そいつをぶっ放したい。もし使うならば現代兵器の方がメインになるだろう。

 

 とはいえ魔術にも興味があるし、全く役に立たないわけでもない筈だ。特に治療魔術は瞬時に傷を癒せるから、もし自分や仲間が負傷しても素早く手当てすることができる。

 

 その治療魔術の中で最も初歩的なものが、治療魔術で仲間を癒す治療魔術師(ヒーラー)が一番最初に習得するという『ヒール』だ。属性は光属性で、大昔から身体を浄化する作用があると言われている光属性の魔力を放射し、傷口を塞ぐという原理らしい。

 

 しかし―――――――多分俺がこの魔術を使う事はないだろう。

 

 なぜならば、人間としてではなくキメラとして生まれた俺の身体の中には、父から受け継いだ炎属性の魔力と、母から受け継いだ雷属性の魔力があらかじめ流れているからだ。

 

 普通の場合、人間の体内に存在する魔力には何の属性もない。魔法陣や詠唱でそれを別の属性に変換し、更に攻撃するための魔術や回復するための魔術に変換してから放出する。詠唱や魔法陣は、要するに無属性の魔力を魔術へと変換するための存在なのだ。

 

 俺の場合、もう既に炎属性と雷属性に変換された魔力が体内にある。そのためその2つの属性の魔術であるならば、理論上は詠唱や魔法陣を使わなくても素早く魔術をぶっ放すことは可能らしい。その代わり、それ以外の魔術を使う場合は体内の魔力を一旦無属性へと戻し、そこから更に別の属性に変換する必要がある上に、一旦無属性に戻ってしまった魔力は劣化してしまうので、最終的に発動する魔術は平均的なものよりも攻撃力や効果が著しく低下してしまう。

 

 かつては大規模な儀式を行ってわざわざ変換し直していたらしいが、最近では有名な魔術師が魔力の劣化と引き換えに儀式を省いての変方法を確立したため、今ではこちらの方が主流となっている。

 

 けれども詠唱が長くなるし、効果も低下するのであれば純粋な光属性のヒールは使えない。ならば習得の難易度は上がるが、炎属性と光属性の両方を使う治療魔術の方がまだ実用的だろう。

 

 確か先のページにそういう魔術があったな。どれだっけ…………?

 

「ちょっと、タクヤっ!」

 

「ん?」

 

 複数の属性を同時に使う難しい魔術のページを探していると、いきなり後ろから腹違いの幼い姉の甲高い声が聞こえてくる。今開いているページを小さな指だ押さえながら後ろを振り向いてみると、やはり頭から2本の角を生やした赤毛の幼い少女が、頬を膨らませながらこっちを睨みつけていた。

 

 キメラの頭には、基本的に角がある。どうやらそれは感情が昂ると勝手に伸びてしまうらしく、親父の話では激戦になると確実に伸びているという。

 

 親父の頭から生えているダガーのような鋭い角と比べると、まだまだ未発達としか言いようのない小ぢんまりとした可愛らしい角を伸ばしたラウラは、やっぱり怒っているらしい。彼女が角を伸ばしている理由はもう分かっている。

 

「もうっ、いつもそんなほんばかりよんでないで、こっちであそびなさいっ!」

 

「えー? …………じゃあ、もうすこししたら…………」

 

 幼児のふりをするのって難しいんだよなぁ…………。

 

 さすがに家族の前で「俺は異世界からこの世界に転生した転生者です」と言うわけにはいかないので、こうして3歳児のふりをして生活しているんだが、色々と大変だ。口調もちゃんと意識していないと前世の世界で生きていた頃の粗暴な口調になっちまうし。

 

 それにこの世界は前世と比べるとかなり娯楽が少ない。テレビやパソコンは無いし、もちろんゲームもない。だから一番人気のある娯楽は演劇やマンガなんだが、3歳児がマンガを読んでたら怪しまれるよな。こんな難しい教本を読んでれば褒められるけどさ。

 

 というわけで、俺は今も細心の注意を払いながら話していた。できるならば幼い姉とおままごとをするよりも魔術の勉強をしていたいんだが、お姉ちゃんは許してくれないらしい。

 

 小さな両手を腰に当てると、彼女は俺の目の前へとやってきて、強引に魔術の教本を閉じやがった。

 

「ダメ! いますぐあそばないとダメなのっ!」

 

「えぇー?」

 

 やれやれ…………。昨日は誤魔化せたんだけど、今日はダメみたいだなぁ…………。

 

「タクヤはおとうとなんだから、おねえちゃんのいうことはききなさいっ!」

 

「はっはっはっはっ。ラウラ、お姉ちゃんだからと言って弟に無理矢理言う事を聞かせてはいかんぞ?」

 

 そう言いながらラウラの近くへとやってきたのは、まるでラウラの姉のような容姿の赤毛の少女だった。8歳くらいの赤毛の少女で、わがままなラウラと比べると当たり前だけど大人びている。お尻の辺りまで伸びた長い赤毛には百合の花の形の髪飾りがついていて、その炎のような赤毛の中からは微かに短い2本の角が覗いている。

 

 彼女の名は『ガルゴニス』。一見するとラウラの姉のように見えるけれど、俺たちと血が繋がっているわけではない。それどころか、キメラではない。

 

 信じられないが、彼女はこの世界で一番最初に生み出された、”最古のエンシェントドラゴン”なのだという。確かに”進化”を司る『最古の竜ガルゴニス』は有名な存在で、一部の地域では守り神として崇められているし、今でもガルゴニスを題材にした絵本やマンガがあらゆる書店で販売されている。

 

 ちなみに、そこの本棚にもガルゴニスが登場する絵本が5冊くらいある。とはいえ絵本に描かれている姿はバラバラで、一般的な飛竜と同じような姿だったり、大陸を踏みつぶすほど巨大なドラゴンが描かれた絵本もある。

 

 そんな伝説の竜がどうして幼女の姿になり、ハヤカワ家に居候しているかと言うと―――――――こっちも信じられない話だが、かつて親父たちと激闘を繰り広げ、最終的にモリガンの仲間になったというのだ。

 

 その際に体内の魔力の大半が消滅してしまい、巨大な竜の姿を維持できなくなったため、親父から魔力を分けてもらって幼女の姿となり、この家に居候しているのだという。まるでラウラの姉のような容姿になっているのは、おそらく親父の魔力を分けてもらってあの姿になったからだろう。

 

 魔力には様々な情報が含まれているらしく、大昔には相手から魔力を吸収することで、その魔力を吸収した人間と全く同じ容姿になってしまう魔術もあったらしい。教本に乗っていたんだが、今ではその魔術は廃れてしまっており、使うことができる魔術師はもう存在しないのだという。

 

 ちなみにエンシェントドラゴンには寿命が存在しないため、人間のように年老いて死ぬことは決してない。だから殺されない限り、彼らは永遠に生き続けることができるのだ。そのため他の生物のように繁殖する必要がないので、そもそもエンシェントドラゴンに”性別”という概念すらない。

 

 だからガルちゃんはオスでもないし、メスでもないのだ。

 

 ガルちゃんはラウラの頭を撫でると、自分の娘を可愛がる母親のように微笑んだ。

 

「よいか? 相手が弟でも優しくするのじゃ。そうしないとタクヤはついて来てくれないぞ?」

 

「うー…………でも…………」

 

「わ、わかったよ、おねえちゃん。ぼくもおままごとするから。ね?」

 

「いいのっ!?」

 

 ガルちゃんの説教を台無しにすることになるけど、とりあえず彼女のおままごとには付き合っておこう。家族は大事にしないとね。それに前世では一人っ子だったから姉とか妹には憧れてたんだ。せっかく異世界でそういう願望も叶っちゃったんだから、ちゃんと付き合ってあげないと。

 

 教本を本棚に戻しながらそう言うと、不機嫌そうに短い尻尾を上下に動かしていたラウラが目を輝かせてこっちを見つめてきた。

 

「えへへっ! じゃあ、はやくこっちでやろうよっ♪」

 

「ふむ…………タクヤよ、お主は姉に甘いのう?」

 

「そ、そうかなぁ…………」

 

「ふふっ…………お主、もしかして”しすこん”なのか?」

 

 そ、そんなわけないだろ!? 確かにラウラは大きくなったら美少女になるかもしれないけど、俺はちゃんとお姉ちゃんに頼らないで1人前になるつもりだからなっ!?

 

 とりあえず…………大きくなったら何とかして彼女を作ろう。どうやらこの世界では一夫多妻制が当たり前のようだし、場合によってはハーレムを作るのもいいかもしれない。

 

「タークーヤー!」

 

「は、はーいっ!」

 

 やれやれ…………幼児のふりをしながら生活するのって、本当に大変だよ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おままごとが終わった頃には、夕日で王都の街並みが少しずつ真っ赤に染まりつつあった。

 

 とはいえ、この王都の街の規模はネイリンゲンよりもはるかに大きいものの、外から見れば巨大な要塞に見えるほど分厚く高い防壁に取り囲まれているため、真っ赤に染まっている街並みの5分の1くらいは防壁の日陰になってしまっている。きっとこの今の王都を真上から見たら、真っ赤な大地の中に漆黒の三日月が出現しているに違いない。

 

 分厚い魔物の図鑑を読む俺の隣では、疲れてしまったのか、同い年の赤毛のお姉ちゃんが肩に寄り掛かって寝息を立てている。可愛らしい彼女の頭をすっかり小さくなってしまった3歳児の手で撫でると、眠っている彼女は嬉しそうに小さな尻尾を左右に振り始めた。

 

 どうやら彼女は、機嫌がいい時は尻尾を左右に振る癖があるらしい。逆に機嫌が悪い時は尻尾を縦に振ってることが多いから、尻尾の動きで彼女の機嫌がいいのか悪いのかを知ることができそうだ。これからはラウラの尻尾を注視することにしよう。

 

 彼女の頭を撫でる俺の傍らでは、親父から留守番を任されたガルちゃんが渡された得物の点検をしているところだった。身につけているのは家にある私服なんだが、頭には親父の物なのか真っ黒な略帽を被っている。もちろん身長186cmの巨漢がかぶるような帽子だからサイズが合っているわけがない。左に傾いた略帽のせいで、もう少し傾くだけでガルちゃんの左目はすっかり隠れてしまうだろう。

 

 サイズの合っていない帽子をかぶる彼女は可愛らしいけれど、前世からミリオタだった俺は、でっかい略帽を被る幼女よりも彼女が点検する得物の方を注視していた。

 

 すらりとした銃身は木製の部品に覆われており、後端にはボルトハンドルなどの金属製の部品が露出している。アサルトライフルのようなマガジンはなく、傍らに5発の弾丸が連なるクリップが置かれていることから、それは第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍した古めかしいボルトアクション式のライフルであることが分かる。現代のボルトアクションライフルはマガジン式になっている物も多いからな。

 

 ガルちゃんが弄っているのは―――――――おそらく、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が正式採用していた『マンリッヒャーM1895』だろう。

 

 このマンリッヒャーM1895はボルトアクションライフルであり、一発放つ度にボルトハンドルを引く必要があるのだが、このライフルは”ストレートプル・ボルトアクション方式”という変わった方式を採用している。

 

 普通のボルトアクションライフルは、まずボルトハンドルを上部へと捻ってから引き、それを押し戻してから元の位置に戻す必要がある。しかしこのストレートプル・ボルトアクション方式は、ボルトハンドルを捻らずにそのまま引き、そのまま押し戻すだけでいいのである。

 

 このような構造にすればより連射速度が高まるため、強力なライフル弾で立て続けに射撃することが可能になるのだが、そうするとボルトアクションライフルの長所である”構造の単純さ”がなくなってしまうという欠点がある。

 

 異世界で本物のライフルが見れるなんて思ってなかったよ。最高だな、この家は。

 

 特にカスタマイズはされていないらしく、スコープやバイボットは取り付けられていない。そのまま射撃することを想定しているのだろうか? 

 

 それにしても親父はよく古い武器の手入れをしているんだが、多分そういう古い武器が好きなのだろう。

 

「なんじゃ? タクヤ、銃に興味があるのか?」

 

「えっ?」

 

 左隣で銃の手入れをするガルちゃんに声を掛けられた俺は、びっくりして目を見開いてしまう。できれば触らせてほしいんだけど、大丈夫かな?

 

 首を縦に振ると、ガルちゃんはニヤリと笑った。

 

「ふふふっ、お主にはまだ早いわい」

 

 だ、ダメか…………。

 

 もう少し成長して親父に頼めばいいか。それに頃合いを見て、俺も武器や能力を生産できる能力があるという事を明かそう。俺は転生者のように端末を持っていないから、きっと親父から能力が遺伝したという事になるだろう。

 

 早くもどんな武器を生産するか考えながら、俺は隣で黙々とライフルを分解し始めたガルちゃんを見つめていた。

 

 

 

 

 



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父たちの戦い

 

 

「トーチカの数は!?」

 

「分かりません! 5ヵ所ほど健在なのが残ってるみたいです!」

 

「火力をどこか1ヵ所に集中させろ! 突破してから背後に回り込めッ!!」

 

「了解! 誰か、ロケットランチャーは持ってるか!?」

 

 何名かが返事をし、背負っていたロケットランチャーや無反動砲を取り出し始める。他の奴らがトーチカの機銃を引きつけている間に何とかロケットランチャーで片付けてくれれば、すぐに突破できる筈だ。

 

 RPDのフルオート射撃で重機関銃の掃射に挑んでいる勇敢な射手の隣で、俺もアサルトライフルで銃撃を始めた。エリスとエミリアも、俺の隣まで匍匐前進でやってくると、装備しているAK-47をセミオート射撃に切り替え、トーチカで重機関銃をぶっ放している射手を狙撃し始める。

 

 すると、俺たちの後方で歩兵を下ろしていたスーパーハインドの群れの中から、1機だけ兵士を機体の下に吊るしたスーパーハインドが、編隊から離れて俺たちの頭上を通過していったんだ。もしかするとターレットとロケットランチャーで援護してくれるのかと思ったんだが、そのスーパーハインドは何も攻撃せずに、そのままトーチカの近くを旋回しながら吊るしていた兵士を投下して飛び去って行った。

 

 あの兵士を殺す気かと思ったんだが、その兵士の装備は、俺たちに重機関銃を掃射しているトーチカを黙らせられるほど頼もしい重火器だった。しかも、あの迷彩服に身を包んだ体格の良いハーフエルフの男性には見覚えがある。

 

 そのうち、俺の義理の弟になる男だ。

 

「ハッハッハッハァッ! 旦那ぁ、俺に任せてくれぇッ!!」

 

 トーチカの前に投下されたのは、巨大な弾薬タンクを背負い、2mほどの長い銃身を持つガトリング砲を抱えたギュンターだった。すぐ足元に重機関銃の銃弾が命中しているというのに、あいつはいつものように大笑いしながらそう言うと、左手でGSh‐6‐30と呼ばれる戦闘機やイージス艦に搭載されているようなガトリング機関砲のキャリングハンドルを握りながら、30mm弾を凄まじい速度で連射できる恐ろしいガトリング機関砲の発射スイッチを押した。

 

 巨大な6つの銃身が回転を始め、響き始めたモーターの音をすぐに轟音がかき消す。猛烈なマズルフラッシュが浜辺を橙色に染め上げ、ガトリング砲から排出される巨大な薬莢が、彼の足元を埋め尽くしていく。

 

 俺たちの目の前で、先ほどまで必死に12.7mm弾を掃射し続けていたトーチカの外壁が、ギュンターのガトリング砲によって放たれた無数の30mm弾の群れに食い破られていく。5.56mm弾の集中砲火でも少し剥がれ落ちる程度だったトーチカの外壁に次々に大穴が開いていき、凄まじいマズルフラッシュの向こうで重機関銃の射手の肉片が飛び散ったのが見えた。

 

 ギュンターのガトリング砲の餌食になったのは、トーチカの射手たちだけではなかった。トーチカの周囲でLMGを構え、上陸した俺たちを5.56mm弾のフルオート射撃で牽制していた奴らにも、ギュンターはガトリング砲の砲口を向けたんだ。

 

 浜辺の向こうで鮮血が吹き上がる。次々にマズルフラッシュの輝きが消えていき、オレンジ・ビーチの銃声をギュンターが支配する。

 

「よし、トーチカ沈黙ぅッ!」

 

「よくやったわ、ギュンターくん!」

 

「総員、銃剣を装着しろ! 突撃するぞ!」

 

 銃身の脇に折り畳んでいたスパイク型銃剣を展開しつつ、隊員たちに命令する。エミリアやエリスも銃剣を装着すると、俺の方を見てから頷いた。

 

 他の海兵隊員たちも、俺たちと同じタイプの銃剣を装備するか、胸の鞘の中に納まっていたナイフを銃身の下に装着し、突撃の準備をしている。

 

「LMGを持ってる奴らは残っている敵を牽制しろ! 俺たちが突撃する! ―――――――――お前ら、掛け声は覚えてるな!?」

 

「はい!」

 

 李風たちのギルドでも、全員で突撃する時はこうやって叫べと訓練している筈だ。

 

 突撃する準備をしながら、俺は伏せている兵士たちを見渡した。海兵隊の隊員たちは銃剣を装着した銃を構えながら俺の方を見て、俺と目が合う度ににやりと笑っている。

 

 もう、出撃する前の恐怖はなくなっているようだった。

 

「そろそろ行くぞ。―――――突撃ぃッ!!」

 

「「「「「「「「「「УРааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааааа(ウラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ)!!」」」」」」」」」」

 

 俺が号令を発した直後、260人の海兵隊の咆哮がオレンジビーチを支配した。ギュンターのおかげで薄くなった敵の弾幕の中で一斉に立ち上がった転生者の兵士たちが、銃剣を装着したアサルトライフルを構え、まだLMGで攻撃してくる敵兵へと向かって突撃していく。

 

 突撃する海兵隊の先頭を突っ走るのは、俺とエミリアとエリスの3人だ。俺は走りながらAK-47のセミオート射撃でLMGの射手の頭を撃ち抜き、隣でアサルトライフルを必死に連射していた奴の肩と頭にも7.62mm弾をお見舞いした。

 

「おい、敵が突っ込んで来る!」

 

「先頭の奴、頭に真紅の羽根をつけてるぞ! 転生者ハンターか!?」

 

 慌てふためく敵兵たちの声が聞こえる。どうやら迷彩服を身に纏っていても、この真紅の羽根は有名らしい。

 

 そいつらも7.62mm弾で始末しようと思ったんだが、俺がトリガーを引くよりも先に、左手で背中に背負っていた鞘から大剣を背負ったエミリアがそいつらに急接近し、片手で振り払った大剣で2人の転生者の首を同時に両断した。片手でクレイモアを振るっていたというのに、そのスピードは転生者でも見切れないほどの速さだった。

 

 そして、首を刎ねられて鮮血を吹き出す死体の脇を通り過ぎながら背中のハルバードを取り出したのは、俺のもう1人の妻のエリス。先端部がパイルバンカーになっている”パイル・ハルバード”と呼ばれる特殊な得物を突き出し、杭の先端部で転生者の腹を貫くと、そのまま右手に持っていたAK-47を片手でぶっ放し、ハルバードで貫かれた仲間の仇を取ろうとしていた敵兵の頭を撃ち抜いた。

 

 他の海兵隊員たちも次々に敵兵に接近し、まだ反撃しようとしていた奴らの腹や胸を銃剣で突き刺していく。どうやらあの健在だったトーチカたちは先ほどの爆撃で孤立してしまっていたらしく、敵の救援が来る様子はなかった。

 

 オレンジビーチの潮風は、敵兵の血の臭いで支配されつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレンジ・ビーチに転がっているのは、敵兵の死体ばかりだった。

 

 ギュンターの援護のおかげで犠牲者を出さずに海岸のトーチカを突破する事ができた俺たちは、ファルリュー島の中央へと向かってジャングルの中を進んでいた。

 

 ジャングルと言っても、殆ど木は残っていない。味方の爆撃のせいで焼き払われてしまったため、俺たちの目の前に広がっているのはジャングルの残骸と、真っ黒に焦げた敵兵の死体だけだった。中には彼らがせっかく用意した対空機関砲の砲台もあったんだけど、爆弾の衝撃波のせいで機銃の銃身はひしゃげている。

 

 これならば、このままミサイルサイロまでたどり着けるんじゃないか? 俺はそう思ったんだが、俺たちの目の前から聞こえてきた銃声と叫び声が、容赦なくその考えを木端微塵に粉砕してくれた。

 

「敵襲! 12時方向ッ!!」

 

 さっきの爆撃の生き残りだろうか? それとも、中心部からの増援か? 

 

 とにかく、こいつらを無視して行くことは出来ない。ここで殲滅してからミサイルサイロへと向かう必要がある!

 

「コンタクトッ!」

 

 セレクターレバーをフルオート射撃からグレネードランチャーへと切り替えた俺は、焼け野原と化したジャングルの向こうから現れた敵兵の群れへと40mmグレネード弾をお見舞いし、グレネードランチャーの砲口へと新しい砲弾を叩き込みつつ、セレクターレバーをフルオートへと切り替える。

 

 どうやら敵兵にはさっきの爆撃の生き残りも混じっているらしく、顔中に何かの破片が突き刺さり、火傷の痕もある兵士が何人かいるのが見えた。

 

 それがどうした。

 

 そんなに傷だらけだからって容赦するつもりはない。お前たちはネイリンゲンで何もしていない民間人をあんなに虐殺したんだ。

 

「ネイリンゲンの仇討ちだ! 皆殺しにしろッ!!」

 

 味方の銃撃が始まる。ネイリンゲンで仲間を焼き殺された恨み。あの街に住んでいた恋人を殺された悲しみ。そして今まで奴らに利用されていたという怒りが、俺たちの力を増幅しているようだった。もしかしたら銃弾に貫かれ、死んでしまうかもしれないという恐怖を、次々に噴き出てくる怒りがたちまち喰い尽してしまう。

 

 この戦いは復讐でもある。失ったものを取り戻すことは出来ないが、奴らから同じように奪い取ることは出来る。

 

 だから理不尽に。そして徹底的に。

 

 俺たちも、奴らから奪い尽してやる。

 

 フルオート射撃を敵兵の腹に叩き込み、その後ろにいた奴の顔面にも7.62mm弾のフルオート射撃をお見舞いする。原形を留めないほど頭をぐちゃぐちゃにされて崩れ落ちる敵兵の死体を蹴飛ばし、義足になっている左足のブレードを展開してから足元で呻き声を上げている敵兵の頭を踏みつける。鮮血と敵兵の肉片で迷彩服を真っ赤に染めながら雄叫びを上げ、前へと進んでいく。

 

 海兵隊員たちも容赦がなかった。銃弾を腹に撃ち込まれて倒れていた敵兵にも止めを刺し、武器を捨てて降参しようとしている兵士の頭を躊躇せずに撃ち抜いている。

 

 大切なものを奪われた怒りが、躊躇をかき消していた。

 

「力也!」

 

「!」

 

 大剣で銃剣突撃をしてきた敵兵の胴体を真っ二つにしていたエミリアが、前方を指差しながら叫んだ。また敵の増援かと思ってそちらの方を見てみると、焼け焦げた巨木が倒れている向こうに、2mほどの深さの通路のような溝が掘ってあるのが見えた。爆風で何ヵ所かは埋まっているが、その溝に隠れた敵兵たちが機関銃を構え、こっちに向かって連射を始めている。

 

 塹壕か。おそらく上陸してきた俺たちをあの塹壕で迎え撃つつもりだったんだろう。

 

 後方で敵兵を蹂躙し続けている海兵隊員たちに伏せろと指示を出そうとしたんだが、塹壕から飛び出てきた敵兵たちの攻撃が予想外だったため、俺は指示を発する事ができなくなってしまった。

 

「勇者様、バンザァァァァァァァァァァイッ!!」

 

「バンザァァァァァァァァイッ!!」

 

「は…………!?」

 

 塹壕の中から、銃剣を装着したアサルトライフルを構えながら、無数の敵兵が一斉に突っ込んできたんだ。

 

 まるで日本軍の突撃だ。あまりにも無謀過ぎる。しかも、よく見ると銃を持って突っ込んで来ている兵士たちは転生者たちばかりではないらしい。中には長い耳のあるエルフやハーフエルフも混じっていたし、背の低いドワーフの兵士もいた。

 

 こいつらも勇者に味方をしているのか? それとも、転生者たちに脅されてこんな無謀な突撃をやらされているのか?

 

「バンザイアタックだッ!!」

 

 アサルトライフルに銃剣を装着して突っ込んできたエルフの兵士の頭を撃ち抜きながら、俺は先ほど指示を出そうとした代わりにそう叫んだ。

 

 こいつらは、敵だ。躊躇している場合ではない。

 

 そうだ、容赦をするな。こいつらがネイリンゲンに核を落としたんだ。ここで躊躇すれば子供たちに会えなくなる。

 

 ―――――――殲滅しろ。蹂躙して生き延びろ。

 

「力也、なんだこれは!?」

 

「落ち着け! 撃ちまくるんだ!!」

 

 敵の数がこっちよりも多い。おそらく、この馬鹿げた突撃をやっている敵兵の数は700人前後だろう。260人の海兵隊に向かって、倍以上の兵士たちがバンザイアタックを仕掛けてきているんだ。

 

 くそ、何だこいつらは? 日本軍の亡霊か!?

 

「ぐあっ…………!!」

 

「西田ぁッ!! 軍曹、西田が撃たれた!!」

 

「メディック、急げ!」

 

「!!」

 

 突っ込んで来る敵兵を迎え撃っていると、俺の左側から若い呻き声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。空になったマガジンを取り外しながらちらりとそちらを見てみると、RPDを装備していた海兵隊員が胸を押さえながら崩れ落ちているところだった。

 

 確か、あの兵士はさっき浜辺でトーチカに向かってLMGを撃ち返していた勇敢な射手だ。バンザイアタックを仕掛けてきた敵兵を迎え撃っている間に、後方の塹壕の敵兵から狙撃されてしまったらしい。

 

 フルオート射撃で銃剣を装着したM4を持って突っ込んできたドワーフを木端微塵にしてやった俺は、その倒れた隊員の元へと全力で突っ走った。AK-47を腰に下げ、彼が持っていたLMGを拝借すると、片手でフルオート射撃をしながら彼を助け起こした。そのまま近くの倒木の陰に隠れさせ、弾切れになるまでフルオート射撃をしてから彼の身体を揺する。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

「ど、同志…………すいません、撃たれちゃいました…………」

 

「フィオナはいるか!? 急いで手当てを―――――――――」

 

 フィオナならば、彼の傷を治療できるかもしれない。そう思って彼の傷口を確認したんだが、どうやらこの射手は7.62mm弾で撃たれていたらしく、風穴は5.56mm弾よりも大きかった。胸の肉は抉れていて、迷彩服が真っ赤に染まっている。

 

「おかあ……さん…………に………よろしく…………おねがい………しま…………す………………」

 

「おい………おい、頼む…………死ぬな…………!」

 

 ここは異世界だぜ? お母さんがいるわけないじゃないか…………。

 

 どうやってお前の母親に伝えればいいんだよ……………?

 

「ちくしょう……………!」

 

 徐々に迫ってくる敵兵の雄叫び。敵のバンザイアタックと塹壕からの射撃で、次々に海兵隊の隊員たちが倒れていく。

 

 その時、ネイリンゲンで死んでいったサラとピエールの姿がフラッシュバックした。勇者が爆発させるように指示した核爆弾で倒れていった2人。今度は敵兵の銃弾が、俺よりも年下のこの転生者の命を奪った。

 

「――――――――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 雄叫びを上げながら、かぶっていた迷彩模様のフードを取った。もう既に俺の頭に生えている角はダガーのように伸びていて、先端部の方は溶鉱炉に放り込まれた金属のように真っ赤に染まっている。

 

 尻尾にアサルトライフルを持たせ、腰に下げていた仕込み杖を引き抜く。その仕込み杖を2つに分離させ、柄の中に格納されていた漆黒の細身の刀身を展開した俺は、続々と突っ込んで来る敵兵の群れの中へと向かって突っ走り始めた。

 

 角を生やし、尻尾でアサルトライフルを持っている俺の姿を見た敵兵が怯え始める。敵兵の中から聞こえてくる「か、怪物だ……………!」という声を聞きながら、アサルトライフルのフルオート射撃で怯えている敵兵を薙ぎ払い、仕込み杖の刀身を近くにいた敵兵の眼球に突き刺した。

 

「ギャアアアアアアアアッ!!」

 

「う、撃て! 何をしている!? 早くあの怪物を仕留めろ!!」

 

 強引に眼球に突き刺さっていた刀身を引き抜き、情けない声を上げながら片目を押さえる敵兵のうなじにもう一度剣を突き立てた俺は、その兵士の返り血を浴びて真っ赤になりながら敵兵の群れを睨みつけた。

 

 もう、先ほどのようにバンザイと叫びながら突っ込んで来る敵兵はいなかった。銃を俺に向けながら怯えているだけだ。

 

 相手が怯えていても容赦をするつもりはない。血まみれになった刀身を敵兵の死体から引き抜き、姿勢を低くしながら怯える敵兵の隊列の中へと斬り込んだ。

 

 慌てて引き金を引く敵兵。だが銃弾が銃口から飛び出すよりも先に義足からブレードを展開してローキックを放ち、その敵兵の足を太腿の辺りから切断して転倒させてしまう。続けて尻尾のアサルトライフルでそいつに止めを刺しつつ、左右にいた敵兵の側頭部に仕込み杖の刀身を突き立てた。刀身は引き抜かずにそのまま手を離し、叫びながらショットガンで殴りかかってきたエルフの兵士の顔面に、変異したせいで外殻に覆われている左手でストレートを叩き込む。

 

 人の顔面を殴りつけたというよりは、まるで障子に向かって思い切りパンチを叩き込んだような感覚だった。殆ど手応えを感じなかったんだが、俺の左のストレートはしっかりと敵兵の顔面を粉砕していたらしい。

 

 顔面から血を吹き出しながら後ろに倒れる敵兵。塹壕からの射撃を外殻を生成して弾き飛ばしながら敵を睨みつけ、左右に倒れている敵兵の頭からやっと仕込み杖を引き抜き、後方で応戦している仲間たちに向かって叫んだ。

 

「続けぇッ!!」

 

「おおおおおおおおおおおっ!!」

 

 仲間をやられた海兵隊員たちが雄叫びを上げながら立ち上がる。

 

 やっぱり頭に生えているこの角は目立つのか、機関銃の掃射が俺の足元に次々に命中する。何発も7.62mm弾や5.56mm弾が俺の身体を掠め、足元に転がっている倒木や木の破片に風穴を開けていく。

 

 走りながら俺はトリガーを連続で3回引いた。1発目は塹壕の中で機関銃を乱射していた敵兵の胸に命中し、2発目は塹壕の中で手榴弾を取り出していた敵兵の頭に命中。3発目の7.62mm弾は、敵兵の死体の陰に隠れていた兵士が担いでいたRPG-7の弾頭に命中した。

 

 敵兵が担いでいたロケットランチャーが爆発し、塹壕の中で火柱が吹き上がる。真っ黒に焼き払われたジャングルを一瞬だけ真っ赤に染めた火柱はすぐに黒煙に変貌し、蒼空を黒く染めた。

 

「エミリア、暴れるぞ!」

 

「ああ!」

 

 久しぶりに、夫婦で暴れ回ろうじゃないか。

 

 AK-47を腰に下げ、仕込み杖の柄を握る。そのまま柄を捻って杖を2本に分離させ、ボタンを押して漆黒の刀身を出現させた俺は、俺の後ろでクレイモアを引き抜いたエミリアをちらりと見てから――――――――2人で同時に、敵兵の群れへと襲い掛かった。

 

 いきなり突撃してきた俺たちを見て慌てふためく敵兵たち。何人かはアサルトライフルで反撃してきたが、俺とエミリアは容易くその弾丸を剣で弾き飛ばして彼らに接近すると、大剣と仕込み杖の剣で同時に敵兵の胴体へと刀身を叩き付けた。

 

 腹の辺りから真っ二つにされて崩れ落ちる敵兵。その敵兵を仕留めたエミリアは、大剣を構えながら別の敵兵へと襲い掛かっていく。

 

 俺も別の獲物を狙うことにした。ターゲットは、前進していく歩兵部隊を支援するエリスを狙おうとしている敵兵だ。

 

 両手の剣を逆手持ちにし、敵の背後から飛び掛かると、その敵兵の首筋に向かって逆手持ちにしている仕込み杖の剣を突き立てる。右手に持っていた方の剣を強引に引き抜き、敵兵のヘルメットに突き立てた俺は、後ろを振り返ると同時に左手の剣を引き抜き、背後から俺を銃剣で貫こうとしていた敵兵の額へと向かって剣を放り投げていた。

 

「がっ……………!?」

 

 額に剣を突き刺されて絶命する敵兵。俺は右手の剣を敵兵の脳天から引き抜くと、血まみれの剣で敵兵の弾丸を弾きながら左手をトカレフへと伸ばし、またしても早撃ちで敵兵を仕留めた。

 

 早撃ちを終えたソ連製ハンドガンを再びホルスターへと戻し、倒れた敵兵の頭に未だに突き刺さっていた仕込み杖を引き抜く。左手の剣を逆手持ちにしてから敵に向かって斬り込み、エミリアに向かって銃弾をぶっ放していた敵兵の背中を左右の剣で何度も斬りつけた俺は、その死体をエミリアに向かって銃剣を突き刺そうとしていた敵兵に向かって蹴飛ばし、その敵兵に仲間の死体を代わりに貫かせる。

 

 その敵兵は大慌てで銃剣を引き抜こうとするが、銃剣が仲間の死体から離れるよりも先に、エミリアの振り払ったクレイモアの強烈な剣戟が、その死体もろとも敵兵の首を刎ね飛ばしていた。

 

「昔もこうやって戦ったよなぁ!」

 

「2人で逃げてる時か!?」

 

「ああ! ほら、森の中で狼の群れと戦ったじゃないか!!」

 

 ジョシュアの元からエミリアを連れ去り、一緒に逃げていた時のことだ。オルトバルカ王国へと向かうために森の中を逃げている最中に、俺たちは無数の狼の群れと戦った事があった。

 

 あの時も、こうやって2人で無数の狼を相手に奮戦したんだ。

 

「懐かしいな! 7年前か!!」

 

「ああ!!」

 

 エミリアが腰のホルスターからPP-2000を引き抜き、フルオート射撃で俺の背後にいた敵兵たちを薙ぎ倒す。

 

 トーチカの近くにある機関銃をこっちに向けてきた敵兵に向かって両手の剣を投擲すると、腰のホルスターからトカレフを2丁引き抜き、銃剣を構えて突っ込んできた敵兵の頭に銃口を押し付けてからトリガーを引いた。

 

 顔面に風穴を開けられて崩れ落ちる敵兵。その敵兵がかぶっていたヘルメットを蹴飛ばし、背後の敵兵の顔面に叩き込んだ。いきなり血まみれのヘルメットを頭に叩き込まれた敵兵が体勢を崩している間に、今度はエミリアがSMGの銃口をその敵兵に向ける。フルオート射撃を敵兵の胴体に叩き込んで穴だらけにすると、彼女もクレイモアを背中の鞘に戻し、もう片方の手でSMGを引き抜いた。

 

 俺たちの周囲にはまだ無数の敵兵がいる。だが、敵兵たちはたった2人で奮戦している俺たちを恐れているようだった。

 

 だが、俺たちは容赦しない。トカレフの早撃ちで敵兵を次々に撃ち抜き、エミリアは両手のSMGのフルオート射撃で敵兵を薙ぎ倒す。

 

 弾切れになったトカレフのグリップから空になったマガジンを抜き取りながら、俺は尻尾と左足のブレードで応戦。エミリアの持つPP-2000のほうが弾数が多いため、彼女はまだ射撃を継続している。

 

「おい、あの2人を止めろ! 何をしている!?」

 

「だっ、ダメです! あの2人…………つ、強すぎる……………ッ!」

 

 仕込み杖を元に戻し、腰に下げていたAK-47を掴み取る。おそらくマガジンの中には、まだ20発くらいは弾丸が残っているだろう。

 

 傍らでPP-2000の再装填(リロード)を終えたエミリアをちらりと見てから、再び2人で敵の塹壕の中へと突っ込んで行く。

 

 地面に突き立てられた敵兵の装備品と思われるスコップを引き抜き、右手でAK-47を乱射しつつ左手でスコップを振るう。敵の頭に攻撃を叩いこむ度に、ヘルメットもろとも人間の頭を粉砕する感覚を感じているうちに、いつの間にか俺が身につけている迷彩服は返り血や脳味噌の破片ですっかり真っ赤になっていた。

 

 返り血で真っ赤になってしまったせいなのか、塹壕の中でブローニングM2重機関銃を連射する敵兵から、「あの赤鬼を狙え!」という叫び声が聞こえてくる。

 

 赤鬼か…………悪くない。

 

 数名の海兵隊員と共に残った彼をちらりと見た俺は、仲間たちと共に敵の塹壕へと向かって走り出した。

 

 この焼けたジャングルの中も、血の臭いで支配され始めていた。

 

 

 

 

 

 

 



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モリガンたちの復讐劇

 

 

 いつも夕食を作るのは、母さんの仕事である。

 

 基本的に料理をするのは俺の母さん。洗濯物を干したり、畳んでしまっておくのはエリスさんの仕事だ。休日になれば親父も家事をするので、そういう日は夫婦で仲良く家事をしたり、3人でイチャイチャしている姿をよく目にする。

 

 けれどもいつも家事をしている3人は、今日はいない。

 

 なぜならば、俺たちの親は戦争に行っているのだから。

 

 そのため、今日の夕飯は母さんや親父ではなく、この家に居候しているエンシェントドラゴンのガルちゃんが夕飯を作ることになっている。

 

 さっきは「私は最古の竜ガルゴニスじゃぞ? 料理くらい朝飯前じゃ!」って言いながら意気揚々と母さんがいつも使ってるエプロンを持ってキッチンに向かってたけど…………はっきり言うと、滅茶苦茶頼りない。

 

「ええと、肉はこれくらいがいいのかのう…………? む? ジャガイモはどこじゃ? ………ひぃっ!? ゆ、指を切りそうになったのじゃー!!」

 

 母さんが事前に書き残してくれた料理のレシピを見ながら、踏み台に乗って料理を作るガルちゃん。8歳くらいの容姿の少女が、自分の身体には大きすぎるエプロンを付けてキッチンで奮闘する姿はとても微笑ましいんだけど、きっと彼女が作る料理が完成する頃にはエリスさんの料理に匹敵する凄まじい代物が食卓に鎮座しているに違いない。

 

 テーブルの影からキッチンで奮闘するガルちゃんを見守りながら、俺は腹を括る。おそらく死因はガルちゃんの料理だろうなぁ…………。

 

 ちなみに俺は料理が得意だ。前世ではクソ親父が全然家事をしないどころか、バイトで稼いだ金を勝手に使って酒を買ってきたり、ちょっと不機嫌になるだけですぐ暴力を振るうクズだったからな。だから家事は俺がやることになっていたんだ。おかげでちゃんと金を稼げるのであれば一人暮らしは苦ではない。

 

 本当に最悪なクソ親父だったよ…………。もし一時的に前世の世界に戻れるなら、殺してやりたいくらい憎たらしい。母さんが病気に罹った時も、見舞いにすら行かなかったみたいだし。

 

 できるならガルちゃんの代わりに、前世の世界で培った技術を披露したいところだけど、さすがに3歳児がまともな料理をたった1人で作ったら怪しまれるよな。自重した方がいいかな…………。

 

 あっ、まだジャガイモの皮残ってるじゃん! ニンジンもまだ皮が残ってるし! …………しかも玉ねぎは丸ごとかよ!? せめて皮は向いてくれ! というか今晩の献立は何!?

 

 む、無理だ…………。この時点でもう完成する料理がエリスさん並みの料理だという事が確定している…………ッ!

 

 今すぐ飛び出して彼女の手伝いをするべきか、それとも自分の胃袋の耐久力を信じて食卓を生き抜く覚悟を決めるべきか悩んでいたその時だった。

 

「あーっ!」

 

「おねえちゃん?」

 

 階段の方から、ラウラの大きな声が聞こえてきたのである。

 

 慌ててリビングを飛び出して廊下へと出ると、階段の近くでラウラが床に落ちている赤黒い懐中時計を見下ろしながら目を見開いていた。特に装飾がついているわけでもない質素な感じの懐中時計である。確かあれは、親父が戦場に行く前にラウラに託した大切な懐中時計だったよな?

 

 若い頃に母さんとデートした際に、彼女からプレゼントされた時計らしい。どうやら親父は恋人からプレゼントを貰えたことがこれ以上ないほど嬉しかったらしく、未だにその時計を肌身離さず持ち歩き、毎晩メンテナンスしているようだ。

 

 親父から受け取った時計をずっと持っていたのはラウラだ。どうしたんだろうか?

 

「どうしたの?」

 

「うっ…………うぅ…………どうしよう…………?」

 

「え?」

 

 小さな手で懐中時計を拾い上げ、裏側を俺に見せてくるラウラ。毎晩のメンテナンスのおかげで、そのままショウケースに入れて販売できそうなほどの艶を維持している親父の懐中時計の裏側には、微かにだけど―――――――傷がついてしまっていた。

 

 微かにとはいえ、一目見れば傷だと分かってしまうくらいの傷である。親父が気付かないわけがない。

 

「か、かいだんからおとしちゃったの……………」

 

「あ…………」

 

 これはヤバいな…………。

 

 今では妻となった母さんから貰ったプレゼントを今でも大切にしている親父が、この傷を見たらどう思うかは想像に難くない。毎晩メンテナンスをして、肌身離さず持ち歩くほどだ。この懐中時計に尋常ではないほどの思い入れがあるのは一目瞭然である。

 

 そんな懐中時計に傷をつけてしまったラウラは、涙目になりながら俺の顔を見つめていた。

 

「パパ、おこるよね…………?」

 

「い、いや、ちゃんとあやまれば………」

 

「むりだよぉ…………どうしよう、ぜったいおこられるぅ…………!」

 

「でも、うそをつくわけにもいかないよ…………」

 

「そ、そうだよね…………」

 

 ラウラの涙を3歳児の小さな手で拭いながら、同い年のお姉ちゃんを慰める。

 

 いくら大切な物とはいえ、間違って傷をつけてしまった愛娘を本気でしかるような男ではない筈だ。もし思い切りしかられるようなことがあれば、可能な限り彼女を庇おう。可能性は低いだろうけど。

 

 傷のついた懐中時計を両手で持つラウラの頭を撫でると、彼女の小さな尻尾が左右に揺れた。

 

「パパたち、いつかえってくるのかなぁ…………?」

 

「さあ」

 

 無事に帰ってきてくれよ…………。

 

 今頃は戦場にいる筈の両親を心配しながら、俺は玄関のドアを見据えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファルリュー島の地下に作られていた敵基地の通路の向こう側からは、全く音が聞こえなかった。侵入者を迎撃しようと敵の兵士たちが慌てて走ってくる様子もない。今まで火薬の臭いや血の臭いから遮断されていた殺風景な通路は、この通路を照らし出すには役不足の弱々しい照明に照らされて、薄暗い状態で俺たちを待ち受けていた。

 

 無数の守備隊の迎撃をことごとく突破してついに島の基地に建設された基地に突入することに成功した俺たちは、外でまだ敵の守備隊と死闘を繰り広げるギュンターたちの部隊を残し、ミサイルサイトへと通じる筈の通路を進んでいた。

 

 この通路を先に進めば、核ミサイルがある。どこに狙いを定めているのかは分からないが、これ以上この世界で核兵器を使わせるわけにはいかない。それに、この先で待ち受けているのは核ミサイルだけではない。

 

 かつて魔王を倒し、世界を救った男。そしてネイリンゲンで核を使い、俺たちから大切な人々を奪った元凶が、この基地の最深部にいる。復讐のためには彼も殺さなければならない。

 

 ライトで照らさなければならないほどの暗さではないため、通路を進む海兵隊員たちはライトをつけていない。もちろん、俺と妻たちもライトは付けずに、銃口を正面へと向けながら進んでいる。

 

「警備兵がいない…………?」

 

 俺の隣で、エリスが呟いた。

 

 先ほど何とか敵の部隊を突破して突入してきた俺たちは、基地の中にも敵の兵士が残っていると思っていた。だが、通路の中には誰もいない。殺風景な薄暗い通路が目の前にあるだけだ。

 

 おかしい。この先に死守すべき核ミサイルがあるというのに、誰もそれを守ろうとしていない…………?

 

「敵がいないのならば好都合です。…………ところで同志、そろそろ二手に分かれましょう」

 

「なに?」

 

 俺の隣へとやってきた李風は、中国製アサルトライフルの95式自動歩槍を正面へと向けながらそう言った。

 

「我々がミサイルの制御室を制圧し、ミサイルの発射を阻止します。同志たちは勇者の始末をお願いします」

 

「なるほどな。…………分かった、任せろ」

 

 李風たちのレベルでは、おそらく勇者には敵わないだろう。この中で一番レベルの高い転生者は、7年前から転生者を狩り続けてきた俺だ。それに俺の妻たちも何度も転生者との戦いを経験しているので、戦闘力は俺と同格と言える。

 

 それに、全員で制御室へと向かった場合、勇者にミサイルの発射阻止を妨害される可能性がある。俺たちが勇者の始末を任されたのは、勇者をミサイルの制御室から引き離すためでもあるんだろう。

 

 良い判断だ。きっと李風は信也並みの策士になるに違いない。信也にライバルができたってわけだ。

 

「油断するなよ。敵がいるかもしれん」

 

「分かっています。…………よし、制御室を探すぞ」

 

「はっ!」

 

 武器を彼と同じ95式自動歩槍に切り替えた海兵隊の隊員たちを引き連れ、李風は通路の右側に鎮座している大型のエレベーターへと乗り込んだ。扉が閉まる前に俺の敬礼をした彼は、肩にかけていた中国製アサルトライフルを取り出して戦闘準備をする。

 

 俺も彼に敬礼を返そうとしたが、手を少し動かしたところで扉が閉まってしまったため、李風に敬礼をする事ができなかった。

 

 頼んだぞ、李風…………。

 

 かつて俺が殺してしまった親友(リョウ)が育てた優秀な男だ。彼ならばきっと核ミサイルの発射を阻止してくれるに違いない。

 

 スコープの向こうで、俺が放った弾丸に貫かれて鮮血を噴き上げる親友の姿がフラッシュバックする。

 

 かつて俺と李風は敵同士だった。雪山で行われた転生者による核実験を阻止するために、雪山へと潜入した俺は、そこで前世の親友だった”リョウ”と対峙することになった。俺と同じくこの異世界へと転生した彼は、まだレベルの低い転生者たちを率いてこの異世界で生き残るための手段を模索していたらしく、彼の元には何人もの転生者たちが集まっていた。

 

 その転生者たちを、勇者が利用した。

 

 核実験に協力しなければ、圧倒的な兵力でリョウたちを潰すと脅したのである。

 

 戦っても勝てない相手であることを理解したリョウは、自分のプライドを捨てて勇者の下につく決断を下し、彼らの傀儡(かいらい)として核実験の手伝いをする羽目になったのである。

 

 そこでモリガンと対峙することになったリョウは、俺と共に勇者に立ち向かうのではなく―――――――仲間たちを勇者による粛清から守るため、モリガンの前に立ちはだかった。

 

 そして―――――――俺の放った弾丸で、散った。

 

「…………俺たちも行くぞ」

 

「ああ」

 

「うんっ」

 

 今から俺は魔王として、勇者を殺す。

 

 リョウを殺してしまったのは俺だ。けれども、リョウに核実験を強いたのは勇者である。これはあの雪山で散る羽目になった親友(リョウ)の仇討ちでもある。

 

 エレベーターが下がっていったのを確認した俺は、AK-47を構えて通路を進み始める。

 

 勇者はどこにいる? この通路の先だろうか? 

 

 それにしても、なぜ警備兵が1人もいない? 

 

「…………いや、来るぞ」

 

「なに…………?」

 

 俺の隣でAK-47を構えていたエミリアは、既にライフルの照準を通路の奥へと合わせているようだった。彼女はもうすでに敵を見つけたらしい。俺はちらりとエリスの顔を見てから、落ち着いてアサルトライフルのタンジェントサイトを覗き込む。

 

 遮蔽物は何も見当たらないシンプルな通路だ。さっきのエレベーター以外に部屋はないし、通路には何も置かれていない。

 

 タンジェントサイトを覗き込んでみると、通路の奥の方で何かが動いたのが見えた。俺は咄嗟にその動いた何かに照準を合わせ、そいつに7.62mm弾を叩き込んだ!

 

「ガァッ!!」

 

「やっぱり…………!」

 

 フロントサイトの向こうで吹き上がる血飛沫と呻き声。先に攻撃された敵兵たちが姿を現し、俺たちに向かって次々にアサルトライフルの弾丸を放ってくる。

 

 どうやら端末で生産した能力で透明になり、通路の中に隠れていたらしい。警戒しながら基地内に侵入してきた俺たちを、その能力を使って奇襲するつもりだったんだろう。

 

 エミリアが気付いてくれたおかげで、逆に先制攻撃をする事ができた。俺は妻に感謝しながら、身体中をサラマンダーの外殻で覆って硬化させ、妻たちの盾になりながら前進を続ける。

 

 何度も戦闘で鍛えたおかげなのか、この外殻の防御力は段々と上がりつつある。さすがに戦車砲の砲弾を弾き飛ばすのは不可能だが、アンチマテリアルライフルやロケットランチャーならば弾き返す事が可能になった。もしかしたら、いつかは俺もガルちゃん並みの防御力を手に入れてしまうかもしれない。

 

 敵が使っているライフルは、おそらくフランス製ブルパップ式アサルトライフルのFA-MAS。かつてカレンを護衛した時も使った事がある優秀なライフルだ。

 

 フルオート射撃で放たれる5.56mm弾を外殻で弾き飛ばしながら、俺の後ろに隠れた妻たちと共に敵兵に弾丸を叩き込んでいく。強化された俺の外殻に彼らの弾丸は次々に弾かれ、火花を散らしながら天井や壁を削り取っていくだけだ。

 

「ぐ、グレネードを投げろッ!!」

 

 AK-47で反撃していると、敵兵の1人が胸に下げていた手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜いてからこっちに放り投げてきた。手榴弾の爆発ならば外殻でも防げるし、吹き飛ばされることはないんだが、背後に隠れている妻たちはこの手榴弾の餌食になってしまうに違いない。

 

 手榴弾が金属音を奏でながら床に落下した直後、俺は一旦タンジェントサイトから目を離し、俺の方に向かって転がってきた手榴弾をまるでサッカーボールのように思い切り蹴飛ばしていた。

 

 安全ピンが引き抜かれていたその手榴弾は、爆発する寸前で俺に蹴り返されたため、一度天井に叩き付けられて敵兵たちの頭上へと到達してから、まるでエアバースト・グレネード弾のように空中で弾け飛んだ。爆風と破片を空中でまき散らしたため、その手榴弾の真下にいた転生者たちは、その獰猛な爆風と破片の餌食になるしかない。破片に肉体を貫かれ、爆風に吹き飛ばされる転生者たち。爆音と彼らの断末魔が、同時に殺風景な通路に響き渡る。

 

 敵の射撃が止んだ瞬間に、俺の後ろに隠れていたエミリアとエリスが飛び出した。銃身の下に装着されているナイフ型銃剣を構えながら、まるで槍を持って突撃していく騎士のように敵兵の群れへと向かって突っ込んでいく。

 

 何とか今の手榴弾の爆風から生き残った兵士たちがFA-MASのフルオート射撃をぶっ放してくるが、エミリアとエリスは左右へと回避すると、そのまま壁に向かってジャンプし、同時にその壁を蹴り、左右からその生き残った転生者の1人の襲いかかった。

 

 ライフルに装着したナイフ形銃剣で左右から同時に切り刻まれた転生者が血飛沫を噴き上げ、灰色の通路の壁を真っ赤に染める。

 

 早速一人の転生者を切り刻んだ俺の妻たちは、更に生き残った敵兵の群れへと斬りかかる。敵兵たちは銃身の短いブルパップ式のアサルトライフルを得物にしていたが、彼らの武器には銃剣が装着されていない。

 

 つまり、銃剣を装着したアサルトライフルを装備しているエミリアとエリスの方が、接近戦では有利なのだ。

 

 敵兵が慌てて至近距離で射撃をしようとするが、トリガーを引かれる前にエミリアの銃剣に胸を切り裂かれてしまう敵兵。そのままフルオート射撃で胸を食い破られ、仰向けに崩れ落ちる。

 

 そしてエミリアの隣では、アサルトライフルを利き手の左手に持ったエリスが、敵兵の喉元にナイフ形銃剣を叩き付けているところだった。喉を切り裂かれた敵兵が、奇妙な呻き声を上げながら倒れていく。

 

 どうやら俺の援護は必要なさそうだ。狭い通路だから誤射してしまう可能性もあるし、既に敵兵の数は減っている。もう全滅寸前だ。

 

 最後の1人の敵兵がライフルを投げ捨てて逃げようとするが、何度も俺と一緒に転生者を狩り続けてきた妻たちは、俺と同じく容赦はしなかった。右手にAK-47を持ったエミリアと左手にAK-47を持ったエリスは、銃口を逃げる敵兵の背中へと向けると、同時にトリガーを引き、敵兵の背中を穴だらけにしてしまう。

 

 敵兵の断末魔を呑み込んだ銃声の残響と床に落下した薬莢の音を聞いた俺は、全身を覆っていた外殻を解除し、体内の血液の比率を50%ずつに戻してから、返り血で真っ赤に染まったナイフ形銃剣を指先で拭い去ってから、妻たちに合流した。

 

 妻たちに怪我はないか尋ねようとする直前に、いきなり俺の右隣に迷彩服に身を包んだフィオナが姿を現した。彼女も戦うつもりらしく、中に剣を仕込んでいる大きな杖と、AKS-74Uを背負っている。

 

「フィオナ…………? まさか、お前も戦うつもりなのか?」

 

『はい』

 

「負傷兵は?」

 

『みんな、アンドレイの医療室で待機していた治療魔術師(ヒーラー)の治療を受けています。―――――――今から、勇者と戦いに行くんですよね?』

 

 その通りだ。今から俺たちは、勇者を殺しに行く。

 

 間違いなく勇者は強敵だろう。強力な治療魔術師(ヒーラー)であるフィオナが一緒にいてくれるならば、致命傷を負ってもすぐに回復できるようになるから心強い。

 

『私も行きます。私も一緒に―――――勇者をやっつけます! サラちゃんの仇を取りたいんです!』

 

 フィオナは、あの核の爆発で死んだハーフエルフのサラと仲が良かった。依頼が来ない日は、よくサラの家まで遊びに行ったり、一緒に買い物に行っていたんだ。

 

 彼女も、大切な友人を勇者に奪われた。だから復讐がしたいんだろう。

 

「分かった、フィオナ。一緒に来てくれ」

 

『はいっ!』

 

「行くわよ、ダーリン」

 

「おう」

 

 俺たちは、かつてこの世界を救った男を殺そうとしている。

 

 殺さなければ、この世界が壊されてしまうのだから。

 

 結婚する前は、この世界の事は全く考えていなかった。仲間たちといつものように過ごせるのならば、壊れてしまっても構わないと思った事も何度もある。

 

 だが、子供ができてからはそう思えなくなった。

 

 なぜならば、その子供たちが今度はこの世界で生きていくのだから。だから俺たちはこの世界を守り、子供たちのためにこの世界を整えてあげなければならない。

 

 それが、親たちの任務。子供たちに託すべき物の1つ。

 

 だから俺たちは勇者を殺す。世界を壊そうとしているあの大馬鹿者に風穴を開け、この世界を守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそったれ、LMGは弾切れだぁッ!!」

 

 あんなに弾丸を用意してもらったんだが、ついにRPDの弾丸も撃ち尽くしちまった。俺は弾切れになったLMGを放り投げると、腰のホルスターの中からデザートイーグルを2丁引き抜き、分厚い防壁の陰に隠れながら敵兵に向かって反撃を続ける。

 

 俺がぶっ放した50口径の強烈な弾丸は、距離を詰めようとしていた敵兵の顔面に命中。ゴーグルをあっさりと叩き割って眼球に喰らい付き、そのまま猛烈な運動エネルギーで敵兵の頭を半分食い千切ってしまう。

 

 拙いぜ…………。こいつを撃ち尽くしちまったら、俺の武器はマチェットとナイフだけになっちまう!

 

「ギュンターの兄貴ッ!」

 

 デザートイーグルの銃声を聞きながら焦っていた俺に声をかけてきたのは、俺と同じく防壁の陰に隠れながら反撃を続ける海兵隊の隊員だった。俺があのでっかいガトリング砲を装備することになった時に、何度も俺に声をかけてきてくれた若い転生者だ。確か、年齢は17歳って言ってたな。

 

 そいつはAK-47のセミオート射撃で反撃すると、ポケットから端末を取り出して素早く親指で画面をタッチし、2つの武器を装備してから反対側で応戦を続ける俺に放り投げてくれた。

 

 片方はドイツ製汎用機関銃のMG42。旦那の結婚式でみんなでぶっ放したことがある。連射速度が滅茶苦茶速い優秀な機関銃で、あっという間に結婚式場となったネイリンゲンの教会の床が薬莢だらけになってしまった。

 

 もう片方は、なんとアンチマテリアルライフルのバレットM82A2。12.7mm弾を使用するアンチマテリアルライフルで、普通のライフルのように構えるのではなく、肩に担ぐタイプの変わったライフルだ。

 

「兄貴、大暴れしてくれッ!」

 

「ガッハッハッハッ! 任せろぉッ!!」

 

 大暴れするのは得意なんでね。

 

 俺はデザートイーグルをホルスターに戻すと、その海兵隊員が渡してくれた2つの重火器を手に取った。MG42を左手で持ち上げ、バレットM82A2を右肩に担いだ俺は、他の海兵隊員が手榴弾を放り投げた直後に壁の穴から飛び出した。

 

 放り投げられた手榴弾から逃れようとする敵兵たち。俺はその中の1人に右肩に担いでいるM82A2の照準を合わせ、トリガーを引いた。

 

 いつも使っているLMGよりも強烈な反動。旦那はいつもこんな得物を使ってるのかよ…………。さすが旦那だぜ…………!!

 

 12.7mm弾が直撃した敵兵の肉体が砕け散る。俺は他の敵兵に気付かれる前にアンチマテリアルライフルを次の標的に向け、もう一発ぶっ放す!

 

 ここで俺が敵を迎え撃たなければ、旦那たちがこいつらの餌食になっちまう! だから、このミサイルサイロへの入口は死守しなければならない!

 

「気を付けろ! あの大男はアンチマテリアルライフルを持ってるぞッ!!」

 

「あいつ、モリガンのギュンターだ! 重火器に気を付けろッ!!」

 

 何だか、俺も有名になってるみたいだな。

 

 そんなことを考えながら全力で横に走り、俺に銃口を向けてくる敵兵を左手のMG42のフルオート射撃で薙ぎ倒す。7.92mm弾で次々に穴だらけになっていく敵兵。千切れ飛んだ肉片で、地面が真っ赤に染まっていく。

 

 マズルフラッシュを輝かせ、凄まじい量の薬莢を足元にばら撒きながら射撃していると、俺のすぐ隣を敵の戦車の砲弾が掠めた。その砲弾は俺を狙っていたらしいが、俺には命中せず、そのまま俺の後ろにある防壁に弾かれてから爆発を起こした。

 

 そう言えば、戦車も残っているんだったな。

 

 こんなに重火器を装備して防壁の穴から飛び出せば、確かに敵は俺を集中攻撃してくるだろう。だが、俺の後ろには優秀で根性のある海兵隊員たちが残ってるんだぜ?

 

 すると、俺に長い砲身を向けていた敵のエイブラムスの砲塔に、白い煙を吐き出しながら飛来したロケット弾が飛び込んだ。残念ながら砲塔に搭載されていた爆発反応装甲のせいでエイブラムスを撃破することは出来なかったが、続けざまにもう1発のロケット弾が同じ個所に命中し、砲塔の装甲を貫通する。

 

「兄貴、やったぜッ!!」

 

「さすがだ! よくやった!! あとで飯を奢ってやる!!」

 

 今のロケット弾をぶっ放したのは、どうやら俺にこの武器を貸してくれたあの海兵隊員らしい。さっきから俺の事を兄貴と呼んでくれている海兵隊の隊員は、ロケット弾をぶっ放した直後のRPG-7を肩に担ぎながら俺に向かって親指を立てている。

 

 他の海兵隊員たちも、一斉にロケットランチャーによる攻撃を始めた。中には対戦車ミサイルのTOWを装備して、防壁の穴の中から戦車を狙ってくれている奴もいる。

 

 戦車の相手をしてもらえるのはありがたい。

 

 にやりと笑いながら奮戦する海兵隊員たちを見守っていると、今度は俺の肩の近くを弾丸が掠めた。

 

「危ねえッ!!」

 

 慌てて前方を振り向き、俺に向かってその弾丸をぶっ放してきた馬鹿に一瞬で照準を合わせた俺は、そいつに12.7mm弾をプレゼントしてやった。結婚してからはカレンに射撃の猛特訓をしてもらったし、モリガンの訓練にも何度か経験しているから、射撃の技術は全く鈍っていない。

 

 俺に弾丸を放ってきた奴の身体が粉々になった直後、小さな何かに腹の辺りを突き飛ばされたような感じがした。その衝撃はやがて激痛に変わり始めていく。

 

 どうやら被弾しちまったらしい…………。

 

「痛てぇ…………!」

 

 くそったれ。

 

 唇を噛み締めて堪えた俺は、もう一度MG42のフルオート射撃で敵兵どもを薙ぎ払う。だが、敵兵は俺が汎用機関銃で射撃をする前に撃破された戦車の陰に隠れていたから、今の連射で仕留められた兵士はいないだろう。

 

 撃破されているとはいえ、戦車の装甲は分厚いままだ。いくら7.92mm弾でも貫通できるわけがない。

 

「ぐぅッ!」

 

 続けざまに、今度は左肩と胸の右側に弾丸が喰らい付く。身に着けていた迷彩服が、少しずつ真っ赤に染まり始める。

 

 また被弾しちまった…………。

 

 戦車の残骸の陰からアサルトライフルで俺を狙ってくる敵兵。もう一度MG42をぶっ放すが、同じように戦車の残骸の陰に隠れられてしまう。

 

「はぁっ…………はぁっ…………!!」

 

 頑張れ。ここで倒れるな。

 

 俺の娘は明日生まれるんだ。この戦いが終われば、俺はパパになるんだぞ…………!?

 

 その時、いきなり左目が見えなくなった。もちろん、瞬きをした覚えはない。

 

 先ほど腹に被弾した時のように、今度は小さな何かに頭を突き飛ばされたような感じがした。俺は慌てて両目を開けて近くの戦車の残骸の陰に隠れようとするが、左目は真っ暗なままだ。開く気配がない。

 

 旦那と姉御が突入の際に撃破した戦車の陰に隠れた俺は、重火器から一旦手を離し、片手を左目に当てた。

 

 俺の左目の周囲は湿っていた。汗かと思ったが、汗よりもドロドロしているし、強烈な鉄の臭いもする。戦場で何度も嗅いできた臭いだ。

 

 ――――――――――どうやら今度は、左目に被弾しちまったらしい。なんてこった…………。左目が見えねえ…………。

 

「くそったれ…………」

 

 旦那、すまねえ。

 

 無茶し過ぎちまった…………。

 

 血で真っ赤になった左手を迷彩服のポケットに突っ込み、中に入っている髪留めを取り出す。出発する前に、ベッドで横になっていたカレンがお守り代わりに渡してくれた彼女の髪留めだ。

 

 いつも気が強くてしっかりしている彼女が、涙目になって「必ず帰って来てね」と言いながら渡してくれたのを思い出した俺は、その髪留めを握りしめながら微笑んだ。

 

 悪いな、カレン。左目がなくなっちまった。

 

 でもな、俺は死なねえよ。

 

 俺はお前の夫だぜ? それに、明日生まれてくる愛娘(カノン)には伝えたいことがいっぱいある。

 

 だから、絶対帰る。

 

 明日からパパになるんだからな。

 

「―――――――――待ってろよ、カレン」

 

 髪留めをポケットの中に戻し、地面に置いておいた重火器を再び拾い上げる。得物まで被弾していないか確認した俺は、血まみれになった顔でにやりと笑ってから、再び戦車の陰から飛び出した。

 

 まだ戦える。

 

 身体は動くし、弾薬もまだまだあるのだから。

 

 またしても敵兵の無数の銃弾が俺に襲い掛かって来る。俺は横に向かって突っ走りながらMG42のフルオート射撃で薙ぎ払いつつ、バレットM82から一旦手を離し、胸に下げている手榴弾を取り出した。安全ピンを引き抜いて戦車の陰に放り込み、先ほど地面に放り投げたバレットM82A2を拾い上げる。

 

 手榴弾を放り投げられたことに気が付いた敵兵たちが、慌てふためきながら戦車の陰から飛び出してくる。俺はそいつらに両手の重火器を向けながらニヤニヤ笑うと、同時にトリガーを引いた。

 

 7.92mm弾と12.7mm弾の集中砲火。無数の大口径の弾丸に喰らい付かれた敵兵たちが、弾幕の中で次々にバラバラになり、千切れ飛んでいく。

 

「ッ!?」

 

 その時、耳元で猛烈な音が聞こえたかと思うと、右肩に担いでいた筈のバレットM82A2が後ろへと吹っ飛ばされていった。フォアグリップには弾丸が命中した痕のようなものが残っていて、そこに命中した敵の弾丸によって吹き飛ばされたという事を物語っている。

 

 すぐにそいつを拾い上げようとしたが―――――――俺はアンチマテリアルライフルではなく、傍らの地面に突き立てられていた泥だらけのスコップを手に取っていた。

 

 アンチマテリアルライフルを拾いに行けば、拾い上げた瞬間に狙撃されるかもしれないと思ったからだ。敵の狙撃手がいる事に気付いたわけではない。あくまでも俺の勘である。信也のやつが考える作戦よりも信憑性は圧倒的に低いが、今はこの勘を信じるべきだろう。

 

 スコップを拾い上げつつMG42で敵兵を牽制。用意されていたベルトが全て機関銃の中に吸い込まれていったのを確認してからMG42を投げ捨て―――――――スコップを振り上げながら、敵兵の群れへと向かって突っ走る!

 

「УРаааааааааааа(ウラァァァァァァァァァァァァ)!!」

 

 肩や脇腹に、次々に弾丸が食い込む。何かに突き飛ばされたかのような衝撃を感じた直後に、その部位から凄まじい激痛が牙を剥く。

 

 もし仮に身体中に弾丸を撃ち込まれて蜂の巣になっても、俺は立ち止まるつもりはない。少なくとも目の前にいる敵兵を皆殺しにし、愛おしい愛娘を抱き上げるまでは。

 

 だから俺は―――――――止まらない!

 

「がっ―――――――」

 

 絶叫しながらアサルトライフルを乱射していた敵兵の頭に、思い切りスコップを振り下ろす。まるで粘土に向けて金槌を振り下ろしたかのようにスコップが敵兵の頭にめり込み、ぐちゃぐちゃになった脳味噌が鮮血と共に流れ出す。

 

 痙攣し始めた敵兵の身体を蹴飛ばし、脳味噌の一部がこびりついたスコップを強引に引き抜く。次の獲物を睨みつけた瞬間、また腹に弾丸が飛び込んできた。

 

 一体何発被弾したんだろうか。

 

 今の俺の姿は、どんな姿なんだろうか? 

 

 口の中から血が溢れ出る。食いしばった歯の隙間から溢れ出た鮮血が唇を濡らし、顎へと流れ落ちていく。

 

 激痛を感じているというのに、どういうわけか”倒れられない”。

 

 近くにいた敵兵に向かって突っ走る。何発も被弾したというのに未だに健在な自分の瞬発力と脚力に驚愕しながら、「うわ、化け物だぁッ!」と絶叫する若い敵兵の背中へとスコップを振り下ろす。

 

 皮膚が裂ける感触と、スコップの先端部が背骨を両断する感覚。鋭利なスコップで背中を切り裂かれた敵兵の返り血を浴び、身体中が真っ赤に染まる。鼻孔から鉄の臭いにも似た血の臭いが離れない。

 

 化け物になってしまっても構わない。

 

 こいつらを殺して生還し、娘を抱き上げることができるのであれば。

 

 成長していく愛娘を、妻と共に見守ることができるのであれば。

 

「ほら、どうした!? 止めてみろッ!」

 

 敵兵たちに向かって叫びながら、無数の5.56mm弾に被弾しつつ突進する。もう既に肩や腹は穴だらけで、左腕はもうすっかり動かなくなってしまっている。俺が身体を捻ったり揺らす度に、完全に力が入らなくなった左腕はぶらぶらと肩の先にぶら下がっているだけだ。

 

 だが、まだ右腕は動く。そしてスコップも折れてない。

 

 俺の心も、折れていない。

 

 この程度で折れてたまるか。

 

 そんな弾丸よりも―――――――カレンの制裁の方が痛いんだよッ!!

 

 爆撃で真っ黒になった大地が徐々に真っ赤に染まり始める。蹂躙されている敵兵たちの後方では、海兵隊員たちのロケットランチャーや対戦車ミサイルが直撃した敵の戦車が炎上し、火柱を噴き上げているところだった。

 

 妻を泣かせるわけにはいかないからな。必ず生きて帰ってやる。

 

 そして、平和な世界に娘を送り出すんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通路の奥にあったのは、俺たちが住んでいたあのネイリンゲンの屋敷よりも広い巨大な広間だった。円形の広間の壁面には無数の電子機器やモニターが埋め込まれ、薄暗い部屋の中を青白い光で照らし出している。

 

 その広間の真ん中に、人影が見えた。

 

 分厚いドアを開けて広間の中に突入した俺たちは、その人影に向かって一斉に銃を向ける。

 

「あいつが勇者か…………?」

 

 その人影の服装は、他の転生者たちが身に纏っていたような迷彩服ではなかった。騎士団のような真っ白な制服に身を包み、背中にはマントを纏っている。左手には白銀の盾を装備していて、腰には冒険者が使うようなバスタードソードを下げていた。

 

 どこかの騎士団に所属している騎士なのかと思ったが、よく見ると腰の後ろには拳銃のホルスターがある。それに、騎士団に所属している者が、こんな基地の最深部にいるわけがない。

 

 おそらく、あいつが勇者だ。

 

「――――――――お前が速河力也か」

 

「…………!」

 

 彼がそう言った直後、薄暗い部屋の中のモニターの画面が全て消えた。一瞬だけ広間の中が真っ暗になり、すぐに天井の照明が、広間の中の暗闇を焼き払う。

 

 騎士のような恰好をした男は、武器を抜こうともせずに、銃を向けている俺たちを見つめていた。

 

「恐ろしい姿だな。お前は人間なのか?」

 

「黙れ…………よくもネイリンゲンに核ミサイルを…………!」

 

「あの攻撃で貴様は死ぬと思ったんだがな…………。死んだのは、関係のない奴らだけだったということか」

 

「てめえ…………ッ!!」

 

「怒らないでくれよ、速河くん。君はみんなの仇を取りに来たんだろう?」

 

 俺たちを嘲笑いながら両手を広げる勇者。彼は右手をそのまま腰の鞘に伸ばし、バスタードソードの柄を掴むと、鞘の中から白銀の刀身を引き抜いた。

 

「てめえが勇者なんだな…………!?」

 

「その通り。僕の名前は天城真人(あまぎまさと)。かつて魔王を倒した勇者だ」

 

 やっぱり、こいつが勇者か…………!

 

 こいつがリョウたちを利用し、ネイリンゲンを核で焼き払った奴だ。俺たちはこいつをぶち殺し、みんなの仇を取らなければならない。

 

「―――――――――てめえが勇者なら、俺は魔王だ」

 

「へえ。今度は君が魔王になるんだね?」

 

 勇者を殺すために、俺は魔王になった。だからもう容赦はしない。敵は容赦なく蹂躙するだけだ。

 

 だから、てめえも蹂躙してやる。すべて奪い尽してやる。

 

「――――――行くぞ、勇者(天城)ッ!!」

 

「――――――かかって来い、魔王(速河)ッ!!」

 

 タンジェントサイトの向こうの天城を睨みつけ、俺たちはトリガーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファルリュー島の戦い(第一次転生者戦争)は、この15年後のヴリシアの戦い(第二次転生者戦争)が勃発するまでは、最も大規模で凄惨な転生者同士の殺し合いとなった。

 

 勇者と呼ばれていた転生者がネイリンゲンで核を使ったことに端を発するこの戦争は、勇者が率いる10000人の守備隊と、モリガンの傭兵たちがかき集めた総勢260人の海兵隊の死闘となった。濃密な復讐心を糧にした海兵隊の猛攻で守備隊の防衛ラインを突破した彼らは、数多の転生者を葬り、何人もの戦友を失いつつも、辛うじてミサイルサイロを制圧。そしてネイリンゲンを焼き払った”勇者”を異次元空間に追放することで、勇者と名乗っていた”天城真人(あまぎまさと)”の封印にも成功する。

 

 海兵隊の復讐心はかなり強力で、彼らは武装解除して投降しようとする兵士たちにも容赦なく銃弾を叩き込んで惨殺していった。命乞いをする兵士や負傷兵でもお構いなしにナイフを突き立て、彼らが呻き声を上げる診療所の中に火炎瓶や手榴弾を投げ込んでいった。

 

 規模だけならば、第二次転生者戦争の方がはるかに上である。けれども転生者たちの殺意が最も剥き出しになったのは、はるかにこちらの方だ。

 

 正直言うと、”私”はこの戦いでも勇者が勝つのではないかと思っていた。(速河力也)の前の代の魔王が勇者を名乗る転生者に敗れていったように、もしかしたら彼も同じ運命を辿る羽目になるのではないかと思っていたからこそ、この戦いの結果を知った時はこれ以上ないほどびっくりした。

 

 面白いよね、本当に。

 

 だからこそ”私”は、転生者同士の殺し合いを観測し続ける。

 

 ついに勇者を超える転生者(プレイヤー)が現れたのだから。

 

 大きな力を持つ転生者(プレイヤー)を見つけることができたのだから、その対価に勇者(お兄ちゃん)を失っても全く惜しくはない。むしろ、”その程度の対価”で割に合うのかと心配になってしまうくらい安い対価で済んだのは、幸運だった。

 

「本当に面白いよねぇ…………」

 

 目の前のモニターをタッチした私は、その”過去の記録”をタッチしてもう一度最初から閲覧を始める。速河力也という転生者(プレイヤー)が家族や仲間たちと平穏な日々を送り、復讐のために戦地へと向かうシーンまで。

 

 復讐心を剥き出しにしている力也()の表情は、本当に素晴らしい。

 

 多くの仲間を失い、地獄を目にしているからこそこのような表情で敵を殺し続けることができるのかもしれない。

 

「あ、そういえば彼は”何番目”だっけ?」

 

 そう思いながらモニターの端をタッチし、画面を切り替える。すると先ほどまで閲覧していた映像が一時停止され、その代わりに出現した画面にずらりとあの異世界でまだ生存している転生者の名前が全て表示される。

 

 強い順番に表示されている転生者たちの名簿。その一番上に君臨しているのは、やはり第一次転生者戦争が勃発するよりも前から変わらない1人の男の名前。

 

≪速河力也≫

 

「ふふふっ。うん、彼が”99番目”だね」

 

 ”98番目”は惜しかったんだけどねぇ………。勇者(お兄ちゃん)のせいで台無しになっちゃったけど。

 

 けれど、今は彼よりも素晴らしい転生者(プレイヤー)が順調に育ちつつある。まだ試作型(プロトタイプ)だけど、この2人の転生者(プレイヤー)が99番目の魔王を打ち破ってくれたのならば―――――――私の実験は成功する。

 

 あの2人(タクヤとブラド)は特別な転生者。数多の犠牲と引き換えに成長を続け、全てを喰らい尽くす怪物。

 

 さて、”100番目”になるのは―――――――どっちかな?

 

「…………ふふふっ♪」

 

 画面を切り替え、私はもう一度ファルリュー島の戦いの映像を再生する。

 

 オレンジビーチを突破する海兵隊の先頭を突っ走る男の顔を見つめながら、私はうっとりしていた。

 

 



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銃声と粛清

 

 

 潮風からは、もう血と火薬の臭いはしなくなっていた。

 

 ファルリュー島の戦いは、凄まじい激戦だった。10000名以上の守備隊に戦いを挑んだたった260名の海兵隊が、何人も犠牲になりながらも勝利したのだから。

 

 作戦に参加したメンバーは総勢で420名。負傷したのはその中で76名で、戦死者は直掩部隊や駆逐艦の乗組員を含めると189名。海兵隊の隊員たちも100人以上も犠牲になっている。

 

 エミリアに肩を貸してもらいながら、やっとのことでファルリュー島の地下から外へと出る。エリクサーを摂取して傷を塞ぎ、ちゃんとフィオナに治療してもらったはずなのに、未だに身体から激痛が消える気配はない。銃弾で撃たれた場所や剣で貫かれた傷があった筈の場所には未だに激痛が居座っていて、先ほどからずっと俺を苦しめ続けている。

 

 けれどもこれで、やっと戦いは終わりだ。

 

 李風たちの活躍でミサイルの発射は阻止され、憎たらしい勇者はフィオナが魔術で生み出した異次元空間へと吸い込まれて封印された。この世界で核を使った最低最悪の愚か者は、この世界から隔離されてしまったのである。

 

 エンシェントドラゴンですら封印を自力で破るのに数万年かかってしまうほどの魔術なのだから、転生者では一生無理だろう。ずっと何もない異次元空間を彷徨い続けるしかない。殺してやりたいところだったが、誰もいない空間を彷徨う苦痛を与えるのも悪くない。

 

「エミリア、もういい。大丈夫だ」

 

「嘘をつくな。一番ボロボロなのはお前ではないか」

 

 そう言いながら微笑むエミリア。苦笑いしながらちらりと左を見てみると、俺が持っていたAK-47を背負っているエリスが、ボロボロになった迷彩服を身に纏いながら微笑んでくれる。

 

 これで、子供たちの元へと帰れる。

 

 家のドアを開けた瞬間に駆け寄ってくる愛おしい子供たちの顔を思い浮かべるが、島の外で奮戦していた海兵隊の兵士たちの姿を見た途端、俺たちは一斉に微笑むのを止めた。

 

 正確に言うならば、微笑んでいられるような状況ではなかった。

 

 地下への入り口を死守するために奮闘していた海兵隊の兵士たちの遺体が、いたるところに転がっているのである。中には辛うじて五体満足で済んでいる遺体もあるが、中には四肢のうちのどれかが欠けていたり、そもそも人間の死体なのかと思ってしまうほど木っ端微塵になっている遺体もあって、島の中に猛烈な血の臭いを巻き散らしている。

 

 その遺体を片付けているのも、ボロボロの兵士たちだ。身体中に血まみれの包帯を巻いたり、身体に敵兵の返り血や泥が付着した兵士たち。中には片足を失い、即席の松葉杖を使っているにも拘らず、何とか片手で戦友の手足を拾い集めている兵士もいる。

 

 勝利したとはいえ、無傷で済んだわけではない。

 

 この戦いで生じた”傷”を直視する羽目になった俺たちは、激戦が繰り広げられた基地の入り口を見渡しながら先へと進んだ。

 

「旦那」

 

「ギュンター…………」

 

 ここでの戦いに参加したモリガンの戦友も、無傷で済んだわけではない。

 

 きっと彼も傷を負っているのだろうなとは思っていたが―――――――何とか笑いながらやってきたハーフエルフの巨漢が負っていた傷は、俺たちの想像を超えていた。

 

 もう治療魔術師(ヒーラー)の治療のおかげでかなりの数の傷口が塞がっているのだろうが、それでも彼の身体には治療しきれなかった傷やまだ塞がっていない傷が残っていて、彼が身に纏う迷彩服を真っ赤な服に変貌させている。被弾した個所は主に肩や腹のようだが、どうやらそのうちの1発が彼の左目を抉ったらしく、ここで時間を稼ぐと言って海兵隊の兵士たちと共に残った時には開いていた筈の左目がずっと閉じたままになっている。瞼の周囲には血痕が残っており、その左目がどうなったのかを物語っている。

 

 目を見開きながらギュンターの左目を見据えていると、彼は苦笑いしながら自分の左目を指差した。

 

「すまん、やられちまった。カレンに怒られる」

 

「そうだろうな…………」

 

 けれどもお前は生き残った。

 

 いつも以上にボロボロになっちまったが、生きてるじゃないか。

 

 死んでしまったら、もう娘は抱き上げられない。愛娘を産んだ妻にも再開できない。幽霊になって彼女たちの周囲を彷徨う羽目にならずに済んだのだから、良かったじゃないか。

 

 敵兵が放った理不尽な弾丸で頭を撃ち抜かれて死ぬよりも、まだ傷だらけになった彼の姿を見て涙を浮かべたカレンの平手打ちの方がいい。俺も、敵の弾丸で殺されるのとエミリアのドロップキックならば、エミリアのドロップキックの方がはるかにマシだ。

 

「でも、これでお前は明日からパパだ」

 

「そうだな…………じゃあ、次の目的は爺ちゃんかな」

 

「ははははっ。なら、孫が生まれるまでは死ぬなよ」

 

 というか、ギュンターはハーフエルフだから寿命長いんだよな? 下手したら孫が生まれる頃になってもまだ今の姿のままなんじゃないだろうか。

 

 年老いて杖を使いながら歩いているところに、今のままの容姿のギュンターが「旦那ー! 酒飲もうぜー!」とでっかい声で誘いにやって来る光景を想像して少しばかり笑ってから、俺はエミリアに手を放してもらい、少しばかりふらつきながら仲間たちと一緒に戦死者の遺体を回収することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者は封印し、核ミサイルも発射を阻止した。これで少なくともこの世界で核爆発が起こることはないだろう。

 

 しかし、だからと言ってこの島でやることがなくなったわけではない。まだやるべきことが残っている。

 

 ベークライト製のマガジンの中にクリップで7.62mm弾を装填し、次々にポーチの中へと押し込んでいく。勇者との戦いで使用した愛用のAK-47がまだちゃんと作動することを確認してから安全装置(セーフティ)をかけ、背中に背負う。

 

 勇者との戦闘で大活躍してくれたAK-47の表面にはいくつも傷がついており、あいつの元へとたどり着く途中の戦闘で付着した泥や血もまだ微かに残っている。けれどもソ連の生んだ頑丈なアサルトライフルは未だにしっかりと作動してくれる。俺はかなり無茶をする悪い癖があるため得物も無茶な使い方をしてしまうのだが、こういう頑丈な得物ならば壊れる心配をしなくていい。汎用性が低いのが玉に瑕だけど、この頑丈さは本当に頼りになる。

 

 もう既にファルリュー島の守備隊は壊滅していて、残党は辛うじて使えそうな塹壕やトーチカの中に立て籠もっている状態だ。数時間前前で繰り広げられていた死闘のような規模の戦闘は勃発していないものの、敗走した敵部隊を追撃した海兵隊との小競り合いや小規模な戦闘が未だに続いているらしく、島の中からは散発的に銃声が聞こえてくる。

 

 今から俺が赴くのは、その中でも比較的大規模な残党の立て籠もるトーチカや塹壕だ。もう既に勇者がいなくなって烏合の衆と化したとはいえ、死に物狂いで戦い抜いてくれた海兵隊の若い兵士たちをこれ以上危険に晒すわけにはいかない。

 

 それゆえに、俺は数名の兵士を引き連れてここへとやってきた。

 

 若い兵士が運転するハンヴィーのフロントガラスの向こうに、砲弾や爆弾の爆発で生じた様々なサイズのクレーターに支配された大地が広がっている。そのまま死体の墓穴に使えそうなほど深いクレーターの向こうには千切れかけの鉄条網に守られた埋まりかけの塹壕が残っており、その奥にはひときわ大きなトーチカが鎮座している。

 

 壁面に穿たれた長方形の穴の中から覗くのは―――――――機関銃よりも太い砲身。おそらく榴弾砲か対戦車砲だろう。ここでハンヴィーから兵士たちを下すべきだろうかと思ってぞくりとしたが、もう二度とその砲台が動けないことを理解すると、息を吐いてからハンヴィーを減速させ始める。

 

 よく見ると、その砲身の付け根には大穴が開いていた。こちらへと向けられている砲身もよく見ると裂けていて、砲撃ができる状態ではない。

 

 ハンヴィーがクレーターの群れに突っ込んでバウンドする羽目になる前に停車させ、エンジンを止めてからドアを開ける。後ろと助手席に乗っていた兵士たちも95式自動歩槍を手にしてハンヴィーから降りると、疲労でふらつきながらも銃を構え、周囲に敵がいないか警戒し始める。

 

「敵影なし」

 

「よし」

 

 クレーターの中に滑り降り、頭を上げた瞬間にヘッドショットされないことを祈りながら向こうを覗き込む。後ろで警戒を続ける新兵たちにも「クレーターに潜れ」と目配せすると、激戦を終えたばかりの兵士たちも慌ててクレーターの中へと滑り込んだ。

 

 きっと彼らはかなり疲れ果てている筈だ。ふかふかの毛布とベッドが目の前にあったのならば、脇目も振らずにベッドに飛びかかるに違いない。

 

 彼らが睡眠を欲しているのは理解できる。もちろん、”永眠”はごめんだという事も分かる。

 

 だから彼らは疲れ果てた身体に鞭を打ち、砲弾や爆弾が形成したクレーターの中に転がり込んだ。泥まみれのクレーターの中には細かい砲弾の破片や人骨の一部と思われる白い小さな欠片が転がっていて、ブーツで踏みつけるとあっさりと砕けてしまう。

 

 クレーターから顔を出し、敵がいないのを確認してから穴の中から飛び出す。そして目の前のクレーターの中へと転がり込み、後続の兵士たちが這い出すのを見守りつつ、泥で汚れたAK-47をトーチカへと向ける。

 

 無人である筈がない。必ず敵の残党が潜んでいる筈だ。

 

 もし本当に残党がいたのならば、もちろん始末する。絶対に捕虜にはしない。負傷兵であっても、命乞いをしてくる兵士でも絶対殺す。

 

 だから実弾を装填してきた。殺す気がないなら実弾なんて装填しない。

 

 そうやってクレーターからクレーターへと転がり込む”引っ越し”を繰り返しているうちに、敵が使っていた筈の塹壕へとたどり着いた。兵士たちが懸命にスコップで掘った塹壕の中には細かい石やバラバラになった人間の死体が散らばっていて、いたるところに粉々になったライフルや、空になった薬莢が転がっている。

 

 息を呑んでから、後方をついてくる兵士たちに目配せする。

 

 崩れかけの塹壕の奥へと進むにつれて、地面がちょっとした斜面になっている。そのまま先に進むと鉄製の扉のようなものが鎮座していて、あのトーチカの中へと通じているようだった。

 

 爆発物が仕掛けられている恐れがある。全く警戒せずに扉を開け、敵の思惑通りに吹っ飛ばされてあげるのは本物の愚者でしかない。せっかく戦いを生き延びたのに、残党の掃討で命を落とすわけにはいかない。

 

 新兵たちにその場で待機するように指示を出し、外殻で全身を覆いつつ扉へと素早く近づく。防御力のステータスが高いならば爆発物の爆発に巻き込まれたとしても死ぬことはないだろうが、その爆発物を設置した相手の攻撃力がこっちの防御力を上回っていれば、転生者でもこんがりと焼けたぐちゃぐちゃのミンチになる。

 

 死ぬならば老衰がいい。家族に看取ってもらえれば最高だ。

 

 だから俺は、老衰以外の死に方は認めない。

 

 AK-47を背中に背負い、腰のホルスターの中から漆黒のトカレフを引き抜く。室内戦では少しでも取り回しの良い得物の方が望ましいのだ。例えばSMG(サブマシンガン)やPDWのように銃身が見近く扱い易い得物が室内戦の王者と呼べる存在だが、今の俺が装備しているのは7.62mm弾を連射可能で、なおかつ壊れにくいAK-47と、安全装置(セーフティ)が存在しないトカレフのみ。殺傷力では大幅に落ちるものの、取り回しがいいのは後者だ。

 

 呼吸を整え、目を瞑りながら左手をドアノブへと伸ばす。

 

 いや、ご丁寧に開ける必要はない。今の俺はいつもの紳士ではなく、戦場で荒れ狂う獣なのだ。

 

 知識がない獣は礼儀正しくドアを開けることはない。荒々しい剛腕で叩き壊すか、別の出入り口から狡猾に潜り込むものだ。だから俺もそうする。

 

 左手を更に分厚い外殻で覆う。変異を起こしてキメラになってからは常に外殻に覆われている状態の左腕が肥大化したかと思うと、表面を覆っている外殻が隆起と増殖を繰り返して急激に分厚くなり、瞬く間にゴーレムみたいな腕に変貌する。

 

 キメラの外殻は、慣れればこのように分厚く生成することもできるのだ。もちろん防御力は爆発的に跳ね上がるし、攻撃力も大幅に増幅される。とはいえ瞬間的にここまで硬化するのは不可能なので、習得するのには時間がかかった。

 

 こっちを見て驚く新兵たちに向かってニヤリと笑ってから、俺は思い切りその左腕をドアへと叩きつけた。爆風や潮風の影響でかなり劣化していたドアに激突した俺の左腕はあっさりとめり込み、潮風と爆風に耐え続けていたトーチカのドアを容易く室内へと吹っ飛ばしてしまう。

 

 豪快な金属音と、その音と引き換えに漏れ出してくる猛烈な血の臭い。ハンドガンを構えながらトーチカの中を覗き込むよりも先にどのような光景が広がっているのか察してしまいつつ、素早くハンドガンをトーチカの中へと向ける。

 

 腕を硬化させた段階で、微かにトーチカの中から何人もの男性の呻き声が聞こえてきていた。呻き声と血の臭いがセットになれば、目の前に広がる筈の光景は容易く想像できるのだ。

 

 案の定、トーチカの中に広がっていた光景は―――――――未来予知でも身につけてしまったのだろうかと思ってしまうほど、予想通りだった。

 

 コンクリートや装甲で守られた壁に寄り掛かる何人もの若い兵士たち。よく見てみるとその兵士たちが身に纏う迷彩服は血が滲んでいて、腕や足が途中で千切れている。中には顔に火傷を負った兵士や身体中に包帯を巻いて苦しんでいる兵士もいて、いきなりドアをぶん殴って銃を向けている俺を見つめながら怯えていた。

 

 武装している兵士は1人もいない。殆どの兵士が負傷兵で、軽傷で済んでいる兵士や五体満足で済んだおかげで動ける兵士たちが、なけなしのエリクサーを分け合いながら何とか看護している。

 

「て、敵…………?」

 

「嘘だろ…………? おい、頼む…………見逃してくれぇ…………」

 

「殺さないで…………」

 

 殺さないで…………?

 

 数年前の俺だったら―――――――多分見逃していた事だろう。銃をホルスターに戻して踵を返し、後方で待機している新兵たちに「誰もいなかった」と噓をついて、彼らを見逃していたに違いない。

 

 きっとここにいる兵士たちも、勇者の理想のために必死に戦ったのだろう。俺たちのように、死に物狂いで。

 

 だが、それが何だ?

 

 ネイリンゲンで核を使い、何の罪もない人々を虐殺しておいて―――――――「殺さないで」だと?

 

 トカレフのグリップを握り締めている右腕に、無意識のうちに力が入る。漆黒のスライドが震えてガチガチと音を奏で、トーチカの中へと反響させていく。

 

 ネイリンゲンで死んでいった人々の姿がフラッシュバックする。上顎から上を吹っ飛ばされたサラや、カウンターの裏で血まみれになりながら、最後の最後までサラの事を心配していたピエール。倒壊した建物の下敷きになった市民や、街中に転がっていた無残な焼死体。

 

 勇者のクソ野郎のくだらない理想が、何千人もの命を奪った。

 

 何の罪もない人々の、”尊い”命を。

 

「ま、待ってくれ、話を聞いてくれないか? ここにいるのはまだ若い兵士たちばかりだ。頼む、見逃してくれたら―――――――」

 

 その話を最後まで聞いたら、きっと気が狂ってしまう。

 

 だから俺は最後まで聞かなかった。

 

 ズドン、と聞き慣れた火薬の咆哮がトーチカの中で反響する。俺の目の前に立ちはだかり、負傷兵たちを庇うために必死に喋っていた兵士の身体が、びくん、と震えたかと思うと、唇の間からゆっくりと鮮血が溢れ始めた。

 

 ゆっくりと自分の腹を見下ろす兵士。あの咆哮が轟くまでは存在しなかった筈の、腹に開いた小さな風穴を見つけた彼は、目を見開きながら俺の顔を見つめ―――――――そのまま後ろへと崩れ落ちる。

 

「しょ、少尉!?」

 

「…………ふざけんじゃねえ」

 

 トカレフから飛び出したばかりの薬莢が、コンクリートの床を転がる。

 

 床に転がった男の死体を見ていた負傷兵たちが、次々にブルブルと震え始めた。

 

 やっと理解したのだ。俺は最前線で負傷して苦しんでいる彼らを救いにやってきた”救世主”ではなく、魔の前に立ち塞がる者たちを蹂躙し、全てを焼け野原にする”魔王”だという事を。

 

 そしてその魔王が、目の前にいるのだという事を。

 

「い、いやだ…………いやだ、やめてくれ! 誰か助けて! お母さんっ…………お母さんっ!!」

 

 両足のない負傷兵が、目を見開いて怯えながらトーチカの壁へと向かって這い、機関銃が外へと向けて設置されている穴へと必死に手を伸ばす。ちゃんと両足がくっついていたのであれば届く筈の高さだが、もし仮に足がついていたとしても、機関銃の銃身が出せる程度の大きさの穴から兵士が逃げ出すのは無理だろう。

 

 それに、彼にはもう”お母さん”はいない。

 

 ここには、お前1人だ。

 

 安心しろ。お前だけだ。

 

 ゆっくりとその兵士に歩み寄り、血の滲んだ迷彩服を鷲掴みにする。涙を浮かべる兵士が腕を振り回して必死に抵抗するが、その腕に頬を打ち据えられても無視してそのまま兵士の眉間にトカレフの銃口を押し付ける。

 

 そして―――――――何も言わずに、そのままトリガーを引いた。

 

 いつものようにスライドが後ろへとブローバックして、熱を纏う空の薬莢を吐き出す。くるくると回転しながら落下した薬莢が、物騒な銃弾の一部だったとは思えないほど美しい金属音を奏でて、全ての音を黙らせる。

 

 静かになった。

 

 もう、この兵士は暴れない。周囲でこの兵士が殺されるのを目の当たりにした兵士たちも、完全に怯えて震えているだけだ。

 

 トカレフを静かにホルスターに戻し、背中のAK-47を引っ張り出す。安全装置(セーフティ)を解除してセレクターレバーを解除し、怯える負傷兵たちへと銃口を向けた俺は―――――――血まみれになった状態で、笑っていた。

 

「―――――――お前ら、全員粛清だ」

 

 

 

 

 



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傷ついた時計

 

 

 後に第一次転生者戦争と呼ばれることになる転生者同士の戦争は、こうして終わった。

 

 たった260人の海兵隊が、練度の高い10000人の守備隊を打ち破ったのである。この異世界だけでなく、俺たちが生きていた前世の世界でも絶対に考えられない奇跡的な逆転勝利だが、辛うじてファルリュー島の死闘から生還した強襲揚陸艦『アンドレイ』の甲板の上で、勝利したからと歓声を上げる乗組員は1人もいない。

 

 正確に言うならば、歓声を上げられる状態ではない。

 

 激戦で手足を失い、すぐ隣にいた戦友の死体を目の当たりにしてしまった兵士は多い。まさに地獄の戦いだった。銃弾の応酬と断末魔が支配する地獄から生還できたことは嬉しいだろう。けれども、地獄から生還したからと言って歓声を上げる気にはなれない。

 

 俺も彼らと同じだ。妻たちや仲間たちに向かって微笑みかけることはできるけれど、仲間と抱き合って甲板の上で大騒ぎしたり、大声で歌を歌う気には決してなれない。

 

 甲板の上にいるヘリの数もかなり減っている。戦闘開始前には何機ものスーパーハインドが鎮座し、整備士から燃料や弾薬の補給を受けて出撃命令を待っていたというのに、今では装甲に弾丸の命中した痕をこれでもかというほど刻みつけられたボロボロのスーパーハインドが、すっかり空いてしまった甲板の上で寂しそうに補給と応急処置を受けている。

 

 島に上陸した海兵隊は260人。そのうち犠牲になったのは半分以上。

 

「少数精鋭には限界がある…………」

 

 人影の数が減ってしまった強襲揚陸艦の甲板の上で、担架に乗せられた重症の兵士を見つめながら俺は呟いた。

 

 今回は李風たちのギルドが全面協力してくれたからこそ、こうして強襲揚陸艦や空母を戦闘に投入することができた。彼らの錬度はまだ低かったとはいえ、役立たずだったというわけではない。むしろ彼らがこっちの味方をしてくれたからこそこの戦いに勝てたのだ。

 

 モリガンの傭兵たちだけで、あの島を攻略するのは不可能だった。

 

 いくらモリガンの傭兵たちが百戦錬磨の傭兵ばかりで、各国からも1人で騎士団の一個大隊に匹敵する戦力を誇ると評されているとしても、現代兵器で武装した10000人の守備隊を突破し、勇者を撃破して、核ミサイルの発射を阻止するのは不可能である。

 

 今までは、現代兵器を外部に横流しされたり、この異世界の兵器を手に入れようとして仲間割れすることを恐れていたからこそ、必要以上に軍拡をしようとは思わなかった。あくまでも俺たちは少数精鋭の傭兵で、クライアントが俺たちの戦力を欲するならば戦闘のエキスパートを派遣して報酬を受け取る。それで十分だと思っていたのだ。

 

 しかしこの勇者との戦いで―――――――俺は考えを改めた。

 

 これからの戦争に必要なのは、”適度な練度と圧倒的な物量”だと。

 

 物量だけあればいいというわけではない。いくら伝説の英雄を葬るために10000人の男を武装させて派遣させたとしても、銃の撃ち方も知らない上に味方との連携もできないようなバカを送り込んだところで勝ち目はないからだ。

 

 だからこそ、それなりに味方との連携が取れる上に戦いにも慣れている兵士を武装させ、その兵士を大量に派遣できるほどの組織を作り上げる必要がある。

 

「物量…………もう、少数精鋭の時代も終わりだな」

 

 隣で海を眺めていたエミリアが、寂しそうにそう言いながら足元の甲板の小さな破片を拾い上げ、それを眼前のラトーニウス海へと向けて放り投げた。敵の機銃掃射で砕け散ってしまった破片はすぐに強襲揚陸艦『アンドレイ』のすぐ隣の海面に落下すると、そのまま海底へと沈んでいく。

 

 もう二度と、姿を現すことはないだろう。

 

 少数精鋭の時代が、やがて圧倒的な物量の軍勢がぶつかり合う時代に取って代わられるように。

 

 それに、もっと兵力があればネイリンゲンに厳重な防衛ラインを構築し、検問も設置して徹底的にネイリンゲンへと入る人々を調べられたはずだ。最後の最後まで少数精鋭にこだわってしまったからこそ、ネイリンゲンの警備は手薄のままだった。

 

「ダーリン、これからはどうするの? 軍拡でもする?」

 

「そうするべきだろうな…………。ただ、モリガンをそのまま大きくすれば、貴族共も反発するだろう。王室が後ろ盾になってくれるとしても、そう簡単に軍拡はできん」

 

 モリガンを頼るクライアントは世界中にいるが、モリガンを疎む者たちも同じように世界中にいる。俺たちが引き受けた依頼で親しい人を失った復讐者や、自分たちの計画を頓挫させられ、失脚した貴族の親族。俺たちが兵力を拡大させ始めれば、絶対に横槍を入れてくる事だろう。俺たちや王室でも対処しきれないほどの横槍を入れられるような事態は避けなければならない。

 

 ならば―――――――モリガンはそのまま残そう。

 

 新しい組織を作ればいいのだ。モリガンそのものではなく、新設した新しい組織を成長させればいい。

 

 しかし、大きな組織になればなるほど運営のための資金も大きくなる。下手をすれば、モリガンの資金を使い果たしてしまう恐れがある。

 

 だからその組織でも、資金を集められるようにする。同じように傭兵ギルドにするわけにはいかないから、資金を集める方法も別の方法に変える必要がある。

 

 そうなると、最も合理的な手段は―――――――”会社”を設立することだろう。

 

 モリガンとは全く違う”企業”を作り上げ、様々な事業で資金と人材を集めつつ、その企業を圧倒的な軍事力を持つ巨大な怪物へと成長させる。あくまでもモリガンとは別の組織なのだから、モリガンそのものを成長させるよりも横槍は少なくなるはずだ。

 

 それに、この世界には失業者が多い。理不尽としか言いようがない過酷な労働を押し付けられ、考えられないほど安い賃金で働かされる労働者たち。働かなければ家族を養えないし、身体を壊せば収入がなくなる。路頭に迷う彼らを救うためにも、俺たちが何とかしなければならない。

 

「決めたよ。…………圧倒的な軍事力を持つ会社を作る」

 

「会社?」

 

「そうだ。志願者には武器を支給して訓練させ、丁寧に傭兵に育て上げる。―――――――そうすれば、少なくとも今回みたいな惨劇は起らないはずだ」

 

 何の罪もない人々を守るための武力が必要だ。

 

 だからその武力を、俺たちが作る。

 

 人々を脅かすクソ野郎共を焼き払う炎を、俺たちが生み出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイナ・ドルレアンの分厚い防壁が夕日を遮っているせいで、ネイリンゲンの犠牲者たちが埋葬された墓地のある場所だけは真っ暗になっていた。壁の近くに用意された墓地だから、日光もあまり当たらない。昼間でも薄暗い、不気味な墓地だ。

 

 だが、俺たちは犠牲なった人々を絶対に忘れない。もし日の光が当たらないというのならば、俺たちが彼らを照らし出そう。俺には敵を蹂躙するための炎があるのだから。

 

 アンドレイから傷だらけのヘリでラトーニウス王国の上空を通過した俺は、そのままヘリのパイロットにエイナ・ドルレアンに寄ってくれるようにお願いしていた。真っ先に王都の家に帰り、子供たちを抱き締めてあげたいところだが、まず先に勇者の犠牲になった人々に報告するのが先だ。

 

 あなたたちの仇は取った。だから、どうか安心して眠ってくれと。

 

 無数の墓石が鎮座する墓地へと妻たちと共に足を踏み入れた俺は、ランタンで墓地を照らし出しながら、防壁の隅の方にある墓石へと向かって歩き始めた。

 

 確か、あの墓石だ。あの墓石の下に、サラとピエールが眠っている。

 

 その墓石に2人の名前が刻まれているのを確認した俺は、涙を流したくなるのを堪えながらゆっくりと膝をついた。ランタンを傍らに置き、まだ血の臭いのする右手で墓石に刻まれている2人の名前をなぞる。

 

 終わったぞ、2人とも…………。

 

 お前たちの仇は、俺たちが取った。

 

 だから、安心してくれ。もうお前たちを苦しめた奴らはいない。俺たちがお前たちの仇を取った。奴らから全て奪い去ってやった。

 

 未練はあるかもしれないが、どうか成仏してくれ…………。

 

 あんな惨劇を繰り返さないために、俺たちはもっと力を蓄える。クソ野郎共がもう二度と人々を蹂躙できないように、牙を剥く奴をすぐに焼き払えるほどの軍事力を手に入れてみせる。

 

 持参した花束を墓前にそっと置き、立ち上がってからエミリアとエリスとフィオナの3人と一緒に手を合わせる。俺たちは涙を流すのは我慢していたんだが、目を瞑りながら手を合わせていると、傍らから幼い嗚咽が聞こえてきた。

 

 おそらく、フィオナは我慢できなかったんだろう。彼女はサラと仲が良かった。仕事が無い日や休日は彼女と一緒に遊んだり、買い物に行っていたのだから。

 

 静かに目を開けた俺は、まだ目を瞑って手を合わせながら涙を流しているフィオナの小さな頭の上にそっと手を置いた。

 

 彼らはこれで成仏してくれるだろうか? 

 

「―――――――――行こう、力也」

 

「ああ…………」

 

 持参したランタンを拾い上げようと思ったが、俺は手を伸ばしかけたところですぐに引っ込めた。成仏するのならばこんな薄暗い場所から成仏するのではなく、ランタンの明かりで照らされながら成仏した方がいいだろう。

 

 このランタンは、送り火代わりに置いて行こう…………。

 

 涙をハンカチで拭い去ったフィオナが踵を返す。俺は彼女を見守っていたエリスに向かって頷くと、2人の墓石に向かって敬礼をしてから、俺も踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都の門を潜る前に血まみれの迷彩服からいつもの紳士のような格好に着替えた俺は、同じく着替えを済ませた妻たちと共に、国王がこの王都に用意してくれた家の前に立っていた。

 

 もう暗くなってしまった。ガルちゃんはちゃんと子供たちの面倒を見てくれていただろうか? 子供たちはちゃんと俺たちの事を待っていてくれるだろうか?

 

 家の門を潜る前に、俺は懐からラウラが書いてくれた似顔絵を取り出した。端の方が少しだけ血で紅くなっているけど、それ以外はあまり汚れていない。

 

 この似顔絵のおかげで、戦い抜く事ができたのかもしれない。

 

 この絵が、子供たちの所に帰らなければならないという決意を守ってくれた。そして、俺たちの命も守ってくれた。

 

 似顔絵をポケットの中にしまった俺は、シルクハットを取り、咳払いをしてから妻たちの方をちらりと見た。一緒についてきたフィオナが微笑み、エリスも彼女の頭を撫でながら微笑む。

 

 そして、あの時から一緒に戦ってくれているエミリアが俺の手を握ってくれた。俺も彼女の手をぎゅっと握り返し、彼女の顔を見つめながら微笑む。

 

「帰ってきたな」

 

「ああ」

 

「たくさん可愛がってあげないとねっ♪」

 

『なんだか、楽しみですっ』

 

 あの子たちを寂しがらせてしまったからな。

 

 エミリアと手を繋いだまま、家の門を潜って玄関のドアへと向かって歩く。

 

 俺たちは勇者に色んなものを奪われた。そして、奴らからもいろんなものを奪ってやった。

 

 これでもう、子供たちが何かを奪われるようなことはない。もうあの勇者はいないのだ。だから俺たちは、親として子供たちをこの平和な世界へと送り出してあげよう。

 

 次の物語の主人公は、子供たちなのだから。

 

 俺とエミリアは玄関のドアへと手を伸ばし、一緒にドアを開けた。

 

「―――――――――ただいま」

 

 ドアを開けた瞬間に子供たちが走ってくるだろうと思っていたんだが…………廊下の向こうからやって来る筈の子供たちを抱き上げる準備をしていた俺は、ドアの向こうに伸びる廊下に誰もいなかったことを知ると、寂しさと安堵が混じった奇妙な気分を味わう羽目になった。

 

 寂しかったのは、誰も出迎えてくれなかったから。これは単純な理由だが―――――――安堵したのは、少しだけ複雑な理由である。

 

 ―――――――あれだけ人を殺したこの両腕で、子供たちを抱き上げるべきなのだろうか。

 

 島で目にしてきた激闘がフラッシュバックする。ナイフや仕込み杖の刃で貫かれた敵の死体。火炎瓶を投げ込まれたトーチカの中から、火達磨になって飛び出してくる若い敵兵。

 

 いや、あいつらはただのクソ野郎だ。気にするな。

 

「力也?」

 

「…………ごめん、なんでもない」

 

 多分、しばらくはあの戦いの光景がフラッシュバックするだろう。悪夢も見ることになるかもしれない。

 

 けれども、これでいい。子供たちが旅立っていく世界が平和になるのであれば、俺は大喜びで返り血を頭からかぶってやる。どんな汚名を与えられても構わない。

 

「フィオナもせっかくだから、今晩は泊っていったらどうだ?」

 

『そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきますっ♪』

 

「ふふふっ。これで今夜はエミリアちゃんとダーリンと幼女を2人も…………うふふふふふっ♪」

 

 エリス、お前何考えてんの…………? あのさ、戦地から帰ってきた晩にもうそういうことする気? せめて今晩くらいはゆっくり寝かせてくれない?

 

 妻に搾り取られ過ぎて死ぬのは嫌だよ…………? 幸せかもしれないけど。

 

 フィオナも連れて家に上がり、2階にある寝室へと向かう。とりあえず寝室に向かって荷物を置いてから、こっそりと子供部屋の様子を覗きに行こう。もしかしたらもう3人とも寝ているだけなのかもしれない。

 

 そう思いながらそっと2階に上がっていくと―――――――寝室の前で、パジャマ姿のラウラが待っていた。

 

「ラウラ…………」

 

「パパ…………」

 

 目が合った瞬間、彼女は一瞬だけ微笑んだ。けれどもすぐに俺との再会を怖がっているかのような表情を浮かべると、俯きながらゆっくりとこっちにやって来る。

 

 何かあったのだろうか。

 

 俺のすぐ近くへとやってきたラウラ。背の小さな彼女と話がしやすくなるように微笑みながらしゃがみ、右手を伸ばして角の生えた小さな頭を優しく撫でる。俺の遺伝と思われる炎のような赤毛が、月明かりに照らされているせいでワインレッドに見える。

 

 すると、ラウラは小さな唇を噛みしめてから手をパジャマのポケットの中へと突っ込み、その中に入っていた物を取り出した。

 

「これ…………」

 

 彼女が取り出したのは―――――――出撃前に、子供たちに預けていったあの懐中時計だ。エミリアと初めてデートに行ったときに、彼女がプレゼントしてくれた大切な時計。毎晩しっかりとメンテナンスをしているから未だにしっかりとした艶があるし、傷もない。そのままショウケースに並べて売れそうなほどである。

 

 もちろんそんなことをするつもりはない。大切な妻からの贈り物なのだから、俺はこれを死ぬまで大切にするつもりだ。もし俺が死んだら、こいつを一緒に棺桶に入れてもらおう。その頃にはもうこの時計は動かなくなっているかもしれないけど。

 

「ありがとう。これを返すために待ってたんだな?」

 

 そう言うと、ラウラは俯きながら首を横に振った。

 

「パパ、ちがうの。…………あのね、そのとけい、まちがっておとしちゃって…………」

 

「え………?」

 

 受け取った時計をゆっくりと裏返す。表には何もなかったが、まだ裏側は見ていない。そっと裏返してから懐中時計の裏側を指でなぞると―――――――確かに、ほぼ真ん中が微かにへこんでいるのが分かる。月明かりを有効活用してよく見てみると、確かにそのへこんでいる部分の塗装が剥がれて、微かに白くなっているのが分かる。

 

 そうか、落としたのか…………。

 

「ご、ごめんなさい…………」

 

 確かにこれは大切な時計だ。まだ結婚する前に、エミリアから貰った人生初の恋人からのプレゼントだったのだから。

 

 欠かさず毎日メンテナンスをしていたし、肌身離さず持っていた大切な時計。それに傷がついたりしたら確かに悲しい。

 

 けれども、ラウラが渡してくれた傷のあるその懐中時計を見ても、俺は別に何とも思わなかった。きっとラウラは俺の大切な時計を傷つけたから怒られると思っているのかもしれないが、そんなことは全くない。

 

 正直に言ってくれたのだから。

 

 むしろ、娘が成長していることを実感できて、逆に嬉しい。

 

 だから俺は微笑みながら、彼女の頭を優しく撫でた。

 

「確かに大切な物だけど…………パパはね、これよりもお前たちの方がずっと大切なんだ」

 

「え…………? お、おこらないの?」

 

「当たり前だよ」

 

 彼女の頭を撫でながら、俺は言った。

 

「大切な時計だけど、あくまでもこれは”物”だ。ラウラとタクヤは”物”じゃない。大切な子供たちだよ」

 

「パパ…………」

 

「よしよし。正直に言ってくれてありがとな」

 

 頭を撫でていたラウラを抱き上げて、そのまま子供部屋へと連れていく。ドアを開けようとすると部屋の向こうから小さな足音が聞こえてきた。

 

 ガルちゃんにしては軽そうな音だな。タクヤか?

 

 きっと、ドアに耳を押し当ててラウラがしかられないか聞いていたんだろう。もし俺が彼女をしかったら、タクヤも飛び出してきてラウラを庇うつもりだったに違いない。いつも姉に振り回されているしっかり者の弟だと思ってたけど、もしかしたら意外とシスコンなのかもしれないな。

 

 気付かないふりをしながらドアを開けると、子供部屋にある小さなベッドの上では毛布をかぶったタクヤが寝ているふりをしていた。随分と寝ている演技が上手いが、今しがたちらりとこっちを見ようとしたらしく目が開いてたからな。間違いなくさっきの足音の正体はこいつだ。

 

 ちなみにガルちゃんは本当に寝ているらしく、ラウラのベッドに我が物顔で横になりながら寝息を立てている。けれどもさすがに3歳児用のベッドと毛布は小さいみたいで、毛布の下の方からはガルちゃんの足が伸びていた。

 

 仕方がない。ラウラはタクヤのベッドに寝かせよう。2人ともまだ身体が小さいし、一緒に寝かせても問題ないだろう。さすがに成長してからそんなことをさせたら大変なことになるけど。

 

 そんなことになりませんようにと祈りつつ、寝息を立てているふりをしているタクヤの隣にそっとラウラを寝かせ、毛布をかぶせてからもう一度彼女の頭を撫でる。

 

「おやすみ、ラウラ」

 

「うんっ。パパ、おやすみなさい」

 

 おやすみなさい。

 

 今夜は姉弟で仲良く寝ろよ。

 

 俺が部屋を出ていくのを確認するつもりだったらしく、再びちらりと目を開けてこっちを確認するタクヤ。さり気なく2人に向かってウインクしてから、子供部屋を後にする。

 

 それにしても随分と賢い弟だ。あいつは大きくなったら、きっと狡猾な男になるに違いない。

 

 愛おしい子供たちが成長した姿を想像しながら、俺は鼻歌を歌いつつ寝室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 おまけ

 

 父からの強烈な一撃?

 

タクヤ(おえっ…………親父のウインク見ちまった…………キモっ)

 

 完

 

 



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力也の覚悟と戦う意味

 

 

 シルクハットをかぶったまま、俺は廊下から下へと伸びる階段を下り始めた。壁のランタンがちゃんとついているため、ネイリンゲンの屋敷の階段のように薄暗いわけではない。これならば子供たちも転んで怪我をすることもないだろう。

 

 階段を下りて行くにつれて、段々と折れの足音よりも銃声の方が大きくなってくる。おそらく、この下で訓練をやっているのは子供たちだろう。2人とも早く銃の扱い方をマスターして狩りに行きたいらしく、毎日エリスやエミリアと一緒に訓練をやっている。

 

 地下室のドアを開けると、火薬の臭いと共に銃声が階段の方へといきなり流れ込んできた。嗅ぎ慣れた臭いと聞き慣れた音に包まれながら、俺は地下室の中へと足を踏み入れる。

 

 訓練用の的に向かって銃を向けているのは、やはり俺の子供たちだった。

 

 右側の的に向かってアメリカ製リボルバーのスタームルガー・スーパーブラックホークを向けて射撃をしているのは、俺とエミリアの息子のタクヤだ。3歳の時から姉(ラウラ)と比べるとかなり大人びていた弟(タクヤ)は、射撃中も落ち着きながら的に照準を合わせ、シングルアクション式のリボルバーで正確に的を撃ち抜いている。

 

 左側の的に向かってボルトアクション式のライフルを向けているのは、俺とエリスの娘のラウラ。6歳になって少しだけ大人びた彼女は、エリスと同じ髪型にしながら、スコープを取り外した状態のSV-98のアイアンサイトを覗き込み、40m先にある的に向かって射撃を繰り返している。なんでスコープを取り外してるんだ? 照準が付け辛くなるんじゃないのか?

 

 ちなみにラウラはエリスの遺伝のせいなのか、右利きではなく左利きである。そのため彼女のためにボルトアクションライフルを用意する場合は、構造を反転させて彼女専用に改造する必要があるのだ。だから彼女の使うSV-98のボルトハンドルは、右側ではなく左側にある。

 

「お、帰ってきたか」

 

「あれ? ガルちゃん?」

 

 訓練する2人の様子を見守っていたのは、少し大きめのベレー帽を頭にかぶった赤毛の幼女だった。俺の遺伝子を参考にした姿であるため、顔立ちは俺やラウラに似ている。もし2人が並んで立ったらきっと姉妹のように見えるだろう。

 

 幼女の姿のガルちゃんは、紳士のような恰好で帰ってきた俺を見ると、にやりと笑ってから俺の隣へとやってきた。

 

「2人の様子はどうだ?」

 

「上達しておるぞ。タクヤは早撃ちの練習をしておったし、ラウラは狙撃が得意なようじゃな」

 

「狙撃? だが、スコープを付けてないじゃないか」

 

 40m程度の距離だからアイアンサイトでも命中させられるだろうが、遠距離を狙撃する時はさすがにスコープを付けた方が良いだろう。

 

「私もスコープを付けた方が良いのではないかとアドバイスしたんじゃが、スコープをつけると逆に見辛いらしくてのう」

 

「視力がいいのか?」

 

「分からん」

 

 ガルちゃんとそんな話をしていると、リボルバーで射撃をしていたタクヤがいきなりリボルバーをホルスターの中へと戻した。もう訓練を終えるのかと思ってエミリアにそっくりな彼の後姿を見守っていると、彼はいきなりホルスターの中のリボルバーのグリップを素早くつかむと、腰の脇でリボルバーを構え、そのままトリガーを引いた。

 

 早撃ちだ。俺は教えた覚えはないんだが、おそらく前に披露した時の早撃ちを真似しているんだろう。俺よりも銃を抜く速度がかなり遅かったが、訓練すればさらに素早い早撃ちを繰り出せるようになる筈だ。

 

「あっ、お父さん。お帰りなさい」

 

「おう、ただいま」

 

 タクヤは早撃ちを見られていると思っていなかったらしく、恥ずかしそうな顔をしながらリボルバーをホルスターへと戻した。

 

 隣でライフルの射撃を続けていたラウラも俺が帰ってきたことに気付いたらしい。びっくりしながら俺の方を振り向くと、ライフルを壁に立て掛けてから俺の方へと駆け寄ってきた。

 

「パパ、お帰りなさいっ!」

 

「ただいま、ラウラ。――――――――それにしても、2人とも上達したなぁ」

 

 タクヤのほうにある的には、いくつも風穴が開いている。前まではあまり風穴が開いていなかったんだが、最近は風穴が真ん中辺りにいくつも開くようになってきている。

 

 ラウラのほうにある的には――――――――風穴が1つしか開いていない。真ん中に風穴がいているだけで、それ以外に撃ち抜かれたと思われる風穴が開いていなかった。

 

 命中したのは1発だけか? スコープを付ければ当たるようになるんだけどなぁ…………。そう思った俺は的の後ろの方にある壁をちらりと確認してみたんだが、硬い壁には弾丸がめり込んだ跡が1ヵ所しか見当たらない。

 

 ま、まさか…………外したんじゃなくて、全部真ん中に命中させたから風穴が1つしかないってこと…………?

 

 す、すげぇ…………。ラウラはきっと、大きくなったら天才狙撃手になるぞ。

 

「ラウラ、ちょっと1発撃ってみなさい」

 

「はーいっ!」

 

 小さな肩に銃床を押し当て、アイアンサイトを覗き込むラウラ。スコープを取り外されたせいで、違和感を感じてしまうようなフォルムになったロシア製ボルトアクションライフルを構える彼女の目つきが、ぞっとしてしまうほど鋭くなっていく。いつもにこにこ笑いながら遊んでいる愛娘とは思えないほど鋭い目つきになったラウラは息を吐いてから指をトリガーに当て―――――――そのまま、トリガーを引いた。

 

 7.62mm弾が銃口から飛び出し、的へと向かって真っすぐに飛んで行く。その弾丸は微かに炎を纏いながら回転しつつ直進すると、壁の近くに用意されている的に新たな風穴は穿たずに―――――――最初から開いていた風穴へと飛び込む。

 

 弾丸が壁に激突する音が射撃訓練場に響き渡ると同時に、左手をグリップから離したラウラはボルトハンドルを引く。排出されたライフル弾の薬莢が床へと落下し、荒々しい破壊力を誇る弾丸を包んでいたとは思えないほど美しい音色を奏でる。

 

 結果は、やはり風穴を通過。つまりラウラはまた同じ場所に弾丸を叩き込んだという事になる。

 

 アサルトライフルどころかハンドガンでも当てられるような距離とはいえ、まだ6歳の女の子にこんな芸当はできない。しかも狙撃の必需品と言っても過言ではないスコープすら装着していないのだから、難易度はさらに高くなるわけだ。

 

 期待できるな、ラウラには。

 

 彼女は間違いなく、かなり強力な狙撃手(スナイパー)として成長することだろう。しっかりと訓練を受けさせれば、転生者が相手でもすぐに撃破できるようになるに違いない。

 

 それにエミリアから聞いた話だが、タクヤはどうやら接近戦が得意らしい。

 

 この2人が連携を取れるようになれば―――――――死角はなくなる。

 

 タクヤが前線で敵を蹂躙し、その後方からラウラが驚異的な命中精度の狙撃で支援する。どちらか片方に攻撃が集中すれば、もう片方が即座に片割れを狙う敵を殲滅できるというわけだ。さすがに限度はあるものの、この2人だけでもかなりの戦力になるのは想像に難くない。

 

「パパ、撃ったよ?」

 

「Хорошо(最高だ)」

 

 娘の才能に驚きながら彼女の頭を撫でると、ラウラは嬉しそうに微笑んだ。

 

「えへへっ♪」

 

 この2人が成長してくれるならば安心だな。

 

 きっと俺たちが経験してきたような死闘を繰り広げることになったとしても、きっと打ち払ってしまうに違いない。それに戦うのはこの2人だけではない。俺たちも全力でサポートするし、きっとこの2人も仲間を作ることだろう。

 

「よし、もう少ししたら狩りに行こうか!」

 

「いいの!?」

 

「ねえねえ、お父さん! 今日は僕も撃っていいでしょ!?」

 

「ああ、いいぞ。いい練習になるからな」

 

 それに獲物を仕留めれば、エミリアやエリスも喜ぶに違いない。

 

 ポケットから端末を取り出した俺は、早速狩りに持っていくモシン・ナガンの点検を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な柱のような物体が、巨大なクレーンに釣り上げられていく。まるで釣り竿で釣り上げられてしまった巨大な魚のようにも見えてしまう光景だが、その柱は往生際の悪い魚と違って大人しく、微かに揺れていることを除けばじたばたと暴れることはない。

 

 魚の鱗よりも厳重に巨体を包み込んでいる外殻の内側に納まっているのは、内臓や骨格などではない。無数の高性能な機械や、燃料を伝達するための小さな配管だ。だからあれを生物に例えるのは間違っているかもしれない。

 

 その柱の先端部はまるで巨大な弾丸のような形状になっていて、逆に後端の方には巨大な黒いラッパを思わせるノズルが装着されている。

 

 柱のようにも見える巨大なミサイルがクレーンで釣り上げられていく光景を、俺は潮の香りに包まれた巨大なドッグの中で見守っていた。その巨大なミサイルを釣り上げているクレーンが移動を始めたかと思うと、指揮官の号令でゆっくりと動き出し、ドッグに停泊している巨大な漆黒の巨躯の真上へと運んでいく。

 

 釣り上げられたミサイルの真下に鎮座するのは、その釣り上げられているミサイルを更に巨大化させ、後端部のノズルをスクリューに取り換えて、背中を膨らませたような形状をしている巨大な潜水艦だ。その膨らんでいる背中にはハッチがいくつも設置されていて、その中の1つが解放され、釣り上げられているミサイルを飲み込もうとしている。

 

 やがてクレーンに釣り上げられていたミサイルがゆっくりと下ろされ、真下で開いていたハッチの中へと飲み込まれていった。

 

「同志、搭載完了しました」

 

「よろしい。では、各所の点検を頼む」

 

「了解(ダー)」

 

 報告してくれた士官に敬礼をしてから、頭にかぶっていた真っ黒なウシャンカをそっと取る。

 

 俺たちの目の前に鎮座して、今しがたクレーンから降ろされた巨大なミサイルを飲み込んでしまった巨体の正体は―――――――ソ連で建造された『デルタ級』と呼ばれる、巨大な”原子力潜水艦”である。通常の潜水艦とは異なり、原子力を動力源とする巨大な潜水艦だ。今ではソ連はとっくの昔に崩壊してしまっているものの、今でも複数のデルタ級が現役である。

 

 目の前でミサイルを飲み込んだデルタ級は、改良を受けた『Ⅳ型』と呼ばれるタイプだ。

 

 転生者の端末ではポイントと引き換えに様々な兵器が生産できるのだが、さすがに転生者に核兵器や原子力を動力源とする兵器を与えると面倒なことになるからなのか、この端末では少なくとも”核兵器”は生産できないことになっている。ミサイル本体や原子力潜水艦などの”本体”は生産できるのだが、原子力や核弾頭に関係する部位はまるで削除されたかのように何もない状態で生産されるため、そういった兵器を運用する場合は核燃料や核弾頭を自力で準備し、原子炉まで作り上げて搭載する必要がある。

 

 普通の転生者ではそんなことは無理だろう。だからこそこの端末を生み出した何者かは、それだけで安心していたに違いない。

 

 しかし、あの勇者のように核兵器を製造する技術を持つ者たちはいるのだ。

 

 今では俺たちの仲間になってくれた張李風も、その1人である。彼の率いるギルドには核燃料を製造できる技術者が所属しており、そのための設備もしっかりと稼働しているため、その気になれば資源が枯渇しない限り核兵器を量産することは可能なのだ。

 

 だからこのデルタ級にも、しっかりと核燃料や原子炉が搭載されている。

 

 そして今しがた搭載されたミサイルは―――――――勇者たちが秘かに準備していた、核ミサイルだ。

 

 ファルリュー島の戦いが終わってから接収した核ミサイルの核弾頭を取り外し、改良してから潜水艦用のミサイルに搭載したのである。

 

 あの戦いで接収した核ミサイルは全てで3発。俺たちはそれを利用して、3発の潜水艦用のミサイルを作り上げた。それを3隻のデルタ級潜水艦に1発ずつ搭載し、かつての激戦地に建造したファルリュー島のドッグ内で整備を行っている。

 

「ついにモリガンも、核兵器に手を出しましたか」

 

 隣でデルタ級を見守っていた李風が、核ミサイルを飲み込んだ怪物を見上げながら呟いた。

 

「…………必要なものだよ、これは」

 

「ええ、分かっています。少なくとも今は必要なものでしょうな、同志」

 

 本当は、俺も核兵器を運用する事には反対したい。

 

 しかし―――――――李風や勇者のように核兵器を保有する転生者がこの世界に現れてしまった以上、こちらも核兵器で武装することで抑止力を得なければならなくなってしまった。

 

 まるで冷戦の時のアメリカとソ連みたいだ。

 

「安全が確認でき次第、核兵器は全て破棄する。李風、分かってるな?」

 

「ええ。私もそれには賛成です。…………ご安心ください、同志。あの艦に乗るのは一流の乗組員ばかりですので」

 

 これからこの3隻のデルタ級を援用へと出撃させる。もし核兵器を保有する転生者が確認された場合、即座にこちらも核を保有していることを伝えて警告し、その隙に実働部隊を派遣。ミサイルを発射される前に標的を潰すという作戦で対象の転生者を撃破する作戦だ。

 

 もし部隊の派遣が間に合わなかったり、敵がこちらの警告を無視して核ミサイルを発射した場合は―――――――やむを得ず、こちらもミサイルを発射する羽目になるだろう。

 

 ただし、当たり前だが核ミサイルの発射は本当に最後の手段だ。これを使わなければならないと決断するような状況に陥る前に、それ以外の手段を必死に探し続けるしかない。

 

 これから子供たちが生きていく世界を、放射能まみれの世界にはしたくないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

「ごちそうさまっ!」

 

 夕飯のハンバーグを食べ終えた子供たちが、元気にそう言いながらテーブルの椅子から立ち上がる。テーブルの上に置いてあるデミグラスソースまみれの皿を持ち上げて先にキッチンの方へと向かったのはタクヤだ。私に顔立ちがそっくりな、まるで少女のような彼の後ろを、自分の使った食器を持つラウラが笑いながら追いかけていく。

 

 この2人を見ていると、幼少期の私と姉さんを思い出す。あの忌々しい魔剣のせいで一時的に姉さんは冷たくなってしまったが、今でも姉さんは私の姉だし、同じ夫を愛した大切な家族だ。

 

 小さい頃の私は両親からも虐められていたから、私の遊び相手は姉さんだけだったからな…………。でも、この子たちは当然ながら虐めなど受けていないし、近所の子供たちとも仲良く遊んでいる。

 

「なんだか、小さい頃の私たちみたいね」

 

「はははっ、そうだな。姉さんは小さい頃からしっかり者だったから、タクヤは姉さんに似たのかな?」

 

「何を言ってるの。今ではエミリアちゃんの方がしっかり者でしょ?」

 

「そ、そうか?」

 

「そうよ。それに、タクヤはエミリアちゃんにそっくりじゃない」

 

 近所の人にもよくタクヤが私にそっくりだと言われる。嬉しい事なのだが、初対面の人には必ずタクヤは女の子だと間違われているのだ。

 

 顔立ちは私にそっくりだし、男の子なのに髪型も私と同じポニーテールにしている。幼さ以外での違いは体格と、瞳の色が違うことくらいだろうか。

 

 前に髪を切って短髪にしていた時もあったんだが、髪を切って私服を身に着けていてもタクヤは男の子というよりは、頑張って男装した女の子にしか見えなかった。

 

 だから、もう初対面の人に「仲の良い姉妹ですね」と言われてから「いえ、姉弟です」と訂正するのには慣れてしまっている。

 

 皿の上に残っているレタスをフォークで口に運んでいると、廊下の方から子供たちが走り回る小さな足音が聞こえてきた。追いかけっこでもしているのだろうか。楽しそうに笑いながら遊ぶ2人の顔を想像していると、今度は大人の大きな足音と、力也の「こら、タクヤ! 俺のシルクハットを返せ!!」という声が聞こえてきた。

 

 ああ、またタクヤのいたずらが始まったのか。

 

 どうやら廊下で繰り広げられているのは、姉弟と父親の追いかけっこらしい。

 

「あらあら、3人とも元気ねぇ。ラウラとタクヤの元気なところはダーリンに似たのかしら?」

 

「はぁ…………」

 

 力也は最近、休日になると子供たちにも訓練をしている。先月に子供たちが誘拐されてから、ラウラが力也に訓練してくれとお願いしたから訓練をしているらしい。

 

 彼が仕事で帰りが遅い時も、子供たちは訓練の時と同じルールで鬼ごっこをやったり、私や姉さんから剣術を教わったりしている。

 

 まだ本格的な訓練を始めてから2ヵ月だというのに、子供たちの身体能力とスタミナは上がり始めているようだ。前までは家の中で追いかけっこが始まれば廊下や階段を走り回るだけだったのだが、訓練が始まってからの子供たちの追いかけっこは更に範囲が広がり、リビングの窓から外に出て屋根の上まで壁をよじ登ったり、いきなり寝室の窓を開けて家の外から家の中に入って来たりするのだ。

 

 しかも子供たちを追いかけて力也まで窓から入ってくることがある。

 

 窓が開く音を聞いて、今日も窓から子供たちが入ってくるのを想像した私は、苦笑いをしながら姉さんの方を見た。

 

「ふふっ、元気いっぱいな子供たちね♪」

 

「ああ。だが、いきなり窓から入ってくるとびっくりするぞ?」

 

「いいじゃないの」

 

「たまに力也も入ってくるのだぞ?」

 

「ふふっ、元気いっぱいなダーリンね♪」

 

 姉さん、夫だぞ? いきなりがっちりした大男が、子供たちの後を追いかけて窓から強引に飛び込んでくるのだぞ? 

 

 やっぱり、子供たちが元気なところはあいつに似たんだろうか。前に力也も「小さい頃は悪ガキだった」と言っていたし。でも、どちらかというと悪ガキに近いのはタクヤの方だな。ラウラは性格が姉さんにそっくりだ。

 

 願わくば、姉さんのように美少女を襲ったりしないようなレディに育ってほしいものだ…………。

 

「ふにゃあー…………パパに捕まっちゃった」

 

「はっはっはっ、この魔王から逃げられると思ったか」

 

「くそっ」

 

 今日はすぐに追いかけっこが終わったな。

 

 タクヤに奪われたシルクハットをかぶりながらテーブルに腰を下ろした力也は、苦笑いをしながらティーカップへと手を伸ばしている。いつもタクヤのいたずらの被害者は彼なのだ。

 

「ふふっ。あ、そろそろお風呂に入ってきなさい」

 

「はーいっ! タクヤ、一緒に入ろうよ!」

 

「えっ? ね、ねえ、ラウラ。そろそろ別々に入ろうよ…………。もう僕たち6歳だよ?」

 

「やだやだ! タクヤと一緒がいいのっ! 1人で入るのはやだっ!!」

 

「わ、分かったって…………」

 

 本当に仲の良い姉弟だなぁ…………。でも、そろそろ別々に入ってもいいんじゃないだろうか?

 

 ご飯を食べる時はいつも隣の席だし、お風呂に入る時もいつも一緒だ。しかも、小さい頃から眠るベッドまで同じベッドになっている。当然ながら、出かける時も必ずラウラはタクヤと一緒だ。

 

「うふふっ。ラウラはタクヤが大好きなのね」

 

「うんっ! ラウラね、大きくなったらタクヤの”およめさん”になるのっ!」

 

「ブッ!?」

 

 にっこりと笑いながらラウラがそう言った瞬間、いきなり紅茶を飲んでいた力也が口から紅茶を吹き出した。私は紅茶を飲む寸前だったから噴き出してはいないが、もし口に含んでいたら彼と同じように紅茶を吹き出し、目の前に座ってまだハンバーグを齧っているガルちゃんに紅茶を吹きかけていたことだろう。

 

「ゲホッ、ゲホッ!」

 

「ちょっとダーリン、大丈夫?」

 

「うー…………力也のバカに紅茶をかけられたのじゃ…………」

 

 姉さんに背中をさすられながら呼吸を整える力也。私は吹き出さないようにティーカップをそっとテーブルの上に置くと、胸を張りながら尻尾でタクヤの頭を撫でるラウラを見守りながら苦笑いする。

 

 仲の良い姉弟だが、ラウラは少々タクヤに依存し過ぎではないだろうか…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただでさえ重々しく殺風景な朝が、雨のせいで更に重々しくなっていた。設立したばかりの『モリガン・カンパニー』本社の社長室の窓から見える防壁は雨で濡れたせいなのか、黒ずんでいるように見える。薄暗い大通りでは今だに街灯が煌めき続けていて、その光が雨の中で必死に足掻いていた。

 

 紅茶を口に含んでから書類を片付け、新しい書類を机の上に置く。この書類は製薬分野から送られてきた書類らしい。エリクサーの改良のために新種の薬草を購入したいと書いてある。

 

 今の時点でもあのエリクサーは冒険者や騎士団の大きな助けになっている。一口飲むだけで一瞬で傷口を塞いでしまうほどの効果があるからな。どうやら今度はそれを応用した解毒剤や石化を解除するためのエリクサーも作成するらしい。

 

 石化かぁ…………。そんな攻撃をしてくる魔術師や魔物には出くわしたことが無いが、石化したら基本的に回復する手段はないらしい。もしその石化を解除できるようになれば、冒険者や騎士団の生存率もさらに上がることだろう。

 

 今のところ、予算にはまだ余裕がある。これは承認しておくべきだろう。

 

 承認のサインを書き込んだ俺は、再び雨が降り続ける窓の外を眺めながら、静かにスーツのポケットの中に右手を突っ込んだ。

 

「――――――――随分と久しぶりだな。10年ぶりか?」

 

 もちろん、独り言ではない。ノックをせずに入ってくるような背後の来訪者に向けて放った言葉だった。

 

「………ええ、そうね。10年ぶりだわ」

 

 聞こえてきたのは、いつもこの部屋を訪れる社員たちの低い声ではない。まだ17歳くらいの少女の声だった。清楚そうな声音だが、気の強そうな感じがする。

 

 その声を発したのは、目の前のガラスに映る金髪の少女だった。

 

 まるで学校の制服のような純白の上着とスカートに身を包み、室内だというのに日傘を持っている。上着の両肩から背中に向かって伸びているのは、あの時と変わらない純白のマントだ。

 

 どこかの貴族のお嬢様ではないかと思ってしまうような可愛らしい少女。だが、その目つきは貴族のお嬢様の目つきではない。

 

「―――――――人間というのは、やはり老いるのが速いのね」

 

「ふん」

 

 いつの間にか部屋の中に姿を現していたのは、かつて10年前にヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントで戦った、アリアという吸血鬼の少女だった。あの時俺たちは帝都で人々を襲う吸血鬼を撃破する依頼を受けて帝都まで向かい、彼女と、彼女の主人であるあのレリエル・クロフォードと戦った。

 

 レリエルと最後に会ったのは、10年前のネイリンゲンだ。魔剣を持つジョシュアを倒しに行く際に、彼は俺たちに加勢してくれたのである。

 

「用件は?」

 

「これを渡しに来たわ」

 

 後ろを振り向きながらポケットに突っ込んでいた手を伸ばし、10年も経過したというのに全く姿が変わっていない吸血鬼の少女が手にしていた物を受け取った。

 

 彼女が手にしていたのは、1枚の手紙だった。

 

 目を細めながら手紙を受け取り、書いてある文字を凝視する。

 

「10年間の間、レリエル様は各地で眷族を集め続けた。今の規模は、もうこの世界をもう一度滅ぼせるほどよ」

 

「…………」

 

「でも、あなたがいる限りこの世界は滅ぼせない。だから、レリエル様はあなたに決闘を申し込むことにしたの」

 

 なるほどね。もう一度この世界を蹂躙する前に、俺と一騎討ちがしたいってわけか。

 

 手紙に書いてある内容は、レリエルからの決闘状だった。既に眷族の規模は再び世界を滅ぼせるほどの規模になったが、この眷族を率いて再び世界を蹂躙する前に、まず俺と決闘がしたいらしい。

 

 今のところ、レリエルを止められるのは俺だけだ。

 

 決闘は今から一週間後に、魔界と呼ばれる場所で行われるという。もちろん、1人で魔界まで来いと書いてある。

 

 俺は罠かもしれないと思ったが、レリエルはプライドの高い吸血鬼だ。俺を1人だけ魔界に呼び出し、眷族たちと共に襲い掛かって来るような真似は絶対にしないだろう。正々堂々と戦うつもりなんだ。

 

 決闘か…………。悪くない。

 

「それで、魔界はどこにある?」

 

「一週間後になったら、その招待状に場所が表示されるようになっているわ。――――――――レリエル様からの招待状なんだから、必ず来なさい。いいわね?」

 

「分かった。受けて立とう」

 

「楽しみね」

 

 にやりと笑いながらそう言うと、アリアは背中から蝙蝠のように真っ黒な翼を生やし、まるで幽霊のように部屋の天井をすり抜けてどこかへと消えてしまった。

 

 彼女から受け取った手紙を凝視しながら、俺は頭を掻いた。

 

 一週間後に、レリエルとの決闘がある。それまでに決闘の準備をしつつ、子供たちにも訓練をしてあげなければならない。

 

 なるほどな。――――――――――――ラスボスはお前なのか、レリエル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界を焼き払えるほどの軍事力を手にした俺たちは、子孫たちが生きる遥か未来ではどのような存在になっているのだろうか。世界を破壊しようとしている危険な魔王だろうか。それとも、武力で世界を救おうとしている勇者たちだろうか。

 

 もし仮に俺の要望を聞いてもらえるのだとしたら、はっきり言ってどちらで呼ばれても構わない。

 

 魔王と呼ばれて恐れられても構わない。

 

 勇者と呼ばれて崇められてもいい。

 

 けれども、俺たちが血まみれになって戦い抜いた”意味”だけは、決して無駄にしてほしくはない。

 

 今まで数多の激戦を経験し、何人もの仲間を失ってきたからこそ、俺たちは理解した。志半ばで戦死していった仲間たちが最も恐れているのは、遥か未来で自分たちが汚名を着せられることではない。死者たちが最も恐れるのは、『自分たちの生きた意味が無意味になる事』だ。

 

 だから後世の人々にどのような評価をされても笑い飛ばしてやる。でも、俺たちが犠牲を出しながら戦い抜いた意味が無駄になる事だけは、確かに恐ろしい。

 

 けれども―――――――きっとその意味は、子供たちや子孫たちが受け継いで理解してくれるはずだ。記録に残っている大昔の祖先が何のために戦いを続けたのかを。どうして血まみれになっても武器を置かず、戦っていたのかを。

 

 全ては、これから旅立つ子供たちのために。

 

 そしてその子供たちが育てることになる、孫や子孫たちのために。

 

 だから俺たちは戦い続ける。いつものようにAK-47の安全装置(セーフティ)を解除し、タンジェントサイトで狙いを定め、クソ野郎共の肉片を大地にぶちまけ続ける。

 

 俺たちが血まみれになりながら戦い抜いた意味が、無駄にならないことを祈りながら―――――――。

 

 

 

 

 第十四章 完

 

 第十五章へ続く

 

 

 

 



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第15章
テンプル騎士団の軍拡


 

 

 フランセン共和国の植民地となっているカルガニスタンの国土の大半は、広大な砂漠に覆われている。フランセンの騎士たちによってある程度開拓されるまでは、砂漠の真っ只中にあるオアシスにぽつんと小さな村がある程度で、海外の人々たちに介入される前までは、先住民たちは太古からの掟に従って生活していた。

 

 今ではオアシス以外の場所にも開拓が進み、各所に海外の企業が進出して、急速に先進国へと追いつきつつある。

 

 そのような面だけを見れば、ここも”豊かな国”と言えるかもしれない。けれどもよく見てみれば、その”豊かさ”を謳歌しているのはカルガニスタンを占拠するフランセンの騎士や貴族のみ。殆どの先住民たちは奴隷として売られるか、その豊かさを謳歌できずに、昔と同じ生活をしているのが当たり前だ。

 

 しかし、きっとそれは近いうちに変わるだろう。

 

 人々を虐げるクソ野郎共は、確実に減っているのだから。

 

『――――――”アクーラ1”より”ウォースパイトⅡ”へ。目標は救出した』

 

「了解(ダー)。こっちでも確認した。直ちに離脱し、タンプル搭へ帰投せよ」

 

『了解(ダー)、同志。幸運を祈る』

 

 車長用のハッチから身を乗り出し、首に下げている双眼鏡で目標の大きな馬車を確認する。夜の砂漠の冷たい風を浴びながら双眼鏡をズームさせると、砂漠の砂を舞い上げながら漆黒のカサートカが舞い上がりつつ、乗組員がドアガンで地上へとフルオート射撃をぶちかましているところだった。

 

 ヘリは戦車や装甲車と比べると装甲は薄い。しかし、いくら装甲が薄いからとはいえ、クロスボウや古めかしい弓矢でヘリを撃墜するのは不可能だ。

 

 双眼鏡をヘリの下へと向けると、頭上のカサートカへと弓矢や旧式のクロスボウで応戦する騎士たちが見えた。一見するとフランセンの騎士たちにも見えるが、防具にフランセン共和国騎士団に所属していることを意味するエンブレムはなく、防具の規格もバラバラだ。正規の騎士団でないことは一目瞭然である。

 

 そしてその傍らで沈黙しているのは、巨大な鉄格子のついた牢獄を彷彿とさせる荷台のある荷馬車。典型的な”奴隷運搬用”の荷馬車であり、奴隷の売買をする商人たちがよく使用する。街の中でも目にすることのある忌々しい荷馬車である。

 

 しかしその鉄格子はひしゃげていて、中に奴隷が残っている形跡はない。なぜならばその鉄格子の向こうにいる筈だった”積み荷”は、もうカサートカの兵員室の中に収容されているからだ。操縦士は『ど、同志! 重量オーバーギリギリです!』と泣き言を言っていたが、彼はテンプル騎士団の誇る優秀なパイロットの1人である。多少ふらつくかもしれないが、無事に帰投してくれることだろう。

 

 あとは、俺たちが”仕上げ”をするだけだ。

 

「”ウォースパイトⅡ”より”ドレットノート”へ。スペツナズは目標を救出した」

 

 無線機に向かってそう報告しつつ、ちらりと自分の乗る戦車の左側に停車する同型の戦車を見つめる。

 

 がっちりとした装甲に覆われた車体の上に、長い砲身の突き出た砲塔が乗っているのだが、その砲塔の形状は以前からテンプル騎士団で運用しているエイブラムスやチャレンジャー2と比べると、一風変わったユニークな形状をしている。

 

 エイブラムスやチャレンジャー2と異なり、砲塔の前面のみはまるで円盤のような形状をしているのである。装甲で覆われた円盤のようにも見える砲塔の後部は形状が変わっており、がっちりした形状となっている。まるで円盤を半分に切り取り、その後端に西側の戦車を彷彿とさせる形状の砲塔の後部を取り付けたような異質な砲塔だ。

 

 この戦車は、かつてロシア軍が正式採用する筈だった『チョールヌイ・オリョール』と呼ばれる主力戦車(MBT)である。

 

 ロシアで採用されている戦車を凌駕する性能の新型戦車を開発するために設計された戦車であるが、最終的には開発は中止され、T-14に取って代わられることになる。

 

 このチョールヌイ・オリョールが、テンプル騎士団で新たに正式採用することになった戦車のうちの1つだ。

 

 先月に終結した第二次転生者戦争で、テンプル騎士団と殲虎公司(ジェンフーコンスー)とモリガン・カンパニーの連合軍が勝利したものの、吸血鬼たちの凄まじい反撃によって3つの勢力は大きな損害を被ることになった。その中でもテンプル騎士団は、その際に運用していたエイブラムスの大半を戦闘で喪失することになり、戦車部隊は壊滅的な大打撃を受けることになった。

 

 その原因は―――――――やはり、最終防衛ラインで敵が投入した改良型のマウスとラーテによる、強力な遠距離砲撃である。複合装甲ですら受け止めきれないほどの大口径のAPFSDSや形成炸薬(HEAT)弾による砲撃によりエイブラムスが何両も撃破された上に、こちらの攻撃は向こうの分厚い装甲に受け止められてしまい、損害を与えることはできなかった。

 

 そのため、エイブラムスの代わりに新たな戦車を運用することになったのである。

 

 とはいえあのような戦車を最前線に投入してくる転生者がいる可能性は低いし、あんな大口径の主砲から放たれる砲弾を受け止めるのは無理があるので、とりあえず防御面は装甲の増設やアクティブ防御システムの装備でカバーしつつ、主砲を可能な限り大型化することによる攻撃力の増強でカバーすることになった。

 

 まず、このチョールヌイ・オリョールの主砲を変更した。本来は従来のロシア製戦車と同じく125mm滑腔砲を搭載しているのだが、少しでも火力を底上げするため、主砲をロシア製の”152mm滑腔砲”に換装。重量が大幅に増え、弾薬庫に搭載できる砲弾の数も減少してしまった上に車体と砲塔のサイズも大きくなってしまったものの、場合によっては最新の戦車の正面装甲を貫通できるほどの破壊力を誇る。更にはこの戦車砲から対戦車ミサイルも発射できるため、攻撃力は最新型主力戦車(MBT)の中でもずば抜けて高いと言えるだろう。

 

 砲塔のハッチには、14.5mm弾を使用するロシア製重機関銃のKPVを装備。主砲同軸にはこれを改造したKPVTを搭載しており、歩兵だけでなく装甲車などにも多少は損傷を与えることが可能だ。

 

 防御力は爆発反応装甲や複合装甲の増設で補いつつ、ロシア製アクティブ防御システム『アリーナ』を搭載。アリーナはロケット弾を射出するアクティブ防御システムで、一緒に搭載されているレーダーで接近してくる対戦車ミサイルやロケット弾を察知し、ロケット弾の爆風で攻撃を迎撃することが可能なのである。

 

 高性能な戦車だが、さすがに生産に必要なポイントが高く、このチョールヌイ・オリョールのみで戦車部隊を編成するのは不可能であるため、よりコストの低いロシア製戦車の『T-90』や『T-72B3』も一緒に運用することにしている。

 

 俺たちが乗るチョールヌイ・オリョールには、『ウォースパイトⅡ』というコールサインがつけられている。あのヴリシアの戦いで撃破されてしまったウォースパイトの名前を受け継いでいるのだ。

 

『こちらドレットノート。これより砲撃を開始するわ』

 

「了解(ダー)、俺たちも砲撃を開始する。全部焼き払ってやれ」

 

 照準はもちろん、まだヘリに向かって攻撃を続けているバカ野郎共だ。

 

 正規の騎士団ではないという事は、おそらくどこかの貴族の私兵たちか? だが防具の規格がバラバラという事は、ただの傭兵たちかもしれない。貴族の私兵の装備は騎士団と同じ規格であることが多いからな。

 

 とりあえず、そういうことを考えるのは止めよう。数秒後には爆風と破片でバラバラにされている連中の事なのだから。

 

 双眼鏡から目を離しつつハッチを閉め、車長用の席に腰を下ろす。チョールヌイ・オリョールを運用するために必要な乗組員は、操縦手、砲手、車長の3人だけでいい。自動装填装置が装備されているから、砲弾を砲身に装填する装填手は不要なのだ。

 

 というか、152mm滑腔砲を装備しているのだから、そんなでっかい砲弾を手動で装填するのはどうしても骨が折れてしまう。だから自動装填装置の方が望ましい。

 

「イリナ、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)装填」

 

「ふふふっ。僕、あれの爆発気に入ってるんだよね♪」

 

 砲手を担当するイリナが、ニコニコと笑いながら自動装填装置に命令を下し、砲身に多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を装填。彼女の命令を受けた自動装填装置が、車内に作動音を響かせながら、正確に砲弾を砲身へと装填していく。

 

「撃ち過ぎるなよ」

 

「はいはーい♪」

 

 不安だよ、イリナ…………。

 

 テンプル騎士団にはどういうわけか変人ばかり集まるんだが、その中でもイリナはトップクラスの変人である。

 

 兄であるウラルの話では、彼女はどういうわけか”爆発が大好き”らしく、魔術では初歩的な魔術を無視して爆発するような攻撃用の魔術ばかりを習得しており、現代兵器を手にしてからも武装の大半をグレネードランチャーや炸裂弾などの爆発する武器ばかりで統一しているのである。

 

 そんな武装ばかり装備していたらいつか味方を巻き込むのではないかと思ってしまうが、現時点では1人も味方を巻き込んでおらず、しかも敵が密集している場所に的確に撃ち込んでくれるため、むしろ作戦が早く終わっている。

 

 頼もしいんだけど…………よだれを垂らしてニヤニヤ笑いながら照準器を覗き込む彼女を見ていると、その頼もしさを全く感じない。

 

「へへっ…………へへへへへっ、いた。ああ………早く吹っ飛ばしたいなぁ♪」

 

「…………しょ、照準は?」

 

「ばっちりっ♪」

 

『こちらドレットノート。こっちもばっちりですわ』

 

 普段は変態だけど、こういう時はカノンが真面目でまともな奴に見えるよ…………。

 

 珍しく凛々しい妹分からの報告を聞いた俺は、これからイリナの容赦のない砲撃で木っ端微塵になる事になる敵を見つめながら、命令を下すのだった。

 

「あ、発射(アゴーニ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちがヴリシアへ遠征に行く前と比べると、今のタンプル搭はまさに”要塞”と言えるほど発展していると言える。

 

 戦車や戦闘機を収納するための格納庫はさらに拡張され、要塞の敷地内だけでなく周囲を取り囲む分厚い岩山の中にも、対空砲や巡洋艦の主砲に匹敵するサイズの要塞砲がこれでもかというほど設置された。どれだけ強大な兵力を率いて攻めてきても、慌てて逃げ出してしまうに違いない。

 

 更に3ヵ所の入り口にある検問も警備が増強されており、以前までは無人戦車に改造したルスキー・レノ1両と警備兵が数名いる程度だったのだが、今では警備を担当する”警備班”の兵士たちが完全武装で警備をしており、場合によっては他の部隊と連携して侵入者や魔物を撃退することになっている。

 

 警備班の兵士に敬礼をしてから戦車を奥へと進ませ、2つ目のゲートを通過する。

 

 タンプル搭のシンボルともいえる巨大な要塞砲の群れを見上げながら、操縦手を担当するラウラに格納庫に進むように指示を出す。

 

 タンプル搭の地表には無数の要塞砲や対空砲が設置されているが、基本的に指令を出す設備や居住区は装甲に守られた地下にあるのである。そのため、大型の爆弾でも投下しない限り、地下にある居住区に被害が出ることはない。

 

 居住区で生活しているのは兵士だけではないからな。保護した奴隷たちや、兵士たちの家族も生活している。最早このタンプル搭は”城郭都市”や”要塞”というよりは、ちょっとした国と言える。

 

 地下の格納庫へと続く隔壁が警報と共に開いていき、壁に設置されたランプが点滅する。隔壁を開けてくれた兵士に敬礼すると、ライトを点灯させたラウラが戦闘を終えたチョールヌイ・オリョールを格納庫へと進めていく。

 

「それにしても、随分とテンプル騎士団も大きくなったよね」

 

「ああ」

 

 俺たちがいない間も、残った兵士たちは訓練と奴隷たちの救出に精を出し、ダンジョンの調査で資金を貯め続けてくれていた。おかげで志願兵や設備の拡張を行ってくれる人員も一気に増えており、軍拡は着実に進んでいる。

 

 先ほど地上では、ウラル教官と一緒に志願兵と思われる兵士たちがランニングをしているところだった。あのランニングは兵士たちの間ではちょっとした名物と化しているようで、”要塞砲ランニング”と呼ばれている。ただ単に要塞砲の外周部をひたすらランニングするだけなのだが、一周でも3kmくらいの距離があるので、それを何週も続けていれば大半の志願兵はそこで音をあげてしまう。

 

 けれども遅れれば、後ろを追いかけてくるウラル教官に蹴られるので、みんな必死に突っ走るのだ。

 

 格納庫の中には、もう既に他のチョールヌイ・オリョールたちや、整備中のT-72B3が停車していた。

 

 T-72B3も、ロシア製の主力戦車(MBT)の1つである。さすがにチョールヌイ・オリョールと比べると性能では劣ってしまうものの、コストが低く扱い易いので、チョールヌイ・オリョールと共に正式採用している。

 

 ちなみに冷戦の真っ只中に設計された旧式の戦車であるものの、T-72B3は今でもロシア軍で現役の戦車だ。

 

 武装は125mm滑腔砲。機銃は12.7mm弾を使用するKordで統一しているが、各車両の車長の要望に合わせて兵装に差異がある場合がある。もちろんアクティブ防御システムも乗組員の生存性を高めるために標準装備してあり、すでに「ゴーレムが投擲した巨大な岩を迎撃して乗組員や随伴歩兵を守ってくれた」という逸話を耳にしている。

 

「お疲れさまであります、同志団長」

 

「整備お疲れ様」

 

 砲塔のハッチから降りると、近くに停車しているT-72B3を整備していたエルフの整備した顔を上げて敬礼してくれた。オレンジ色のツナギに身を包んだ若いエルフの整備士の顔にはオイルが付着しており、基本的に肌が白い者が多いと言われるエルフの肌を彩っている。

 

 彼は敬礼の最中にそれに気づいたらしく、慌ててツナギの袖でオイルを拭い去ってから仕事に戻った。どうやらエンジンの整備と弾薬の積み込みを並行して行っていたらしく、彼の後ろでは見習いと思われるダークエルフの少年が、12.7mm弾の入った箱を重そうに持ちながら砲塔の中へと運び込んでいるのが見える。

 

「ちゃんと休憩してくれよー」

 

「了解でーす!」

 

 ずらりと戦車たちが並ぶ格納庫の中に反響する音を聞きながら、戦車から降りた仲間たちを連れて通路へと向かう。薄暗い格納庫の中は火薬とオイルの香りに常に支配されていて、毎日ここで戦車の整備をする整備兵たちの声や工具の音が響き渡っているのが当たり前だ。

 

 ちなみに、さっきのエルフの整備兵も数ヵ月前までは奴隷だった。俺たちが保護した後に「何か手伝いがしたい」と申し出てくれたので、彼の希望を聞いて戦車の整備を任せている。

 

 以前までは人員不足で満足に拠点を警備したり、部隊も編成できずに困っていたんだが、今では着々と人員も増えて様々な部隊が産声を上げつつある。そもそもこのテンプル騎士団の本部がここに建設された当初は、戦車を整備する整備兵はいなかったのだ。

 

 人員が増えてくれたのは嬉しいが、今度は新しい問題も増えつつある。

 

「あー…………資金どうしよう」

 

「ふにゅー…………やっぱりお金が足りないよねぇ…………」

 

 隣を歩くラウラと一緒に溜息をつきながら、財布の中に少ししか入っていない銀貨の数を数えてまた溜息をついてしまう。

 

 そう、今のテンプル騎士団で一番大きな問題は、「人員の増加による資金不足」である。

 

 いくら人員を集めて軍拡を薦めたとしても、このテンプル騎士団を構成するのは様々な種族の”人”である。さすがに彼らにタダ働きをさせるわけにはいかないからちゃんと給料を支払うようにしており、その資金を獲得するためにも兵士たちに冒険者の資格を取らせ、各地のダンジョンに訓練も兼ねて出撃させているんだけど、もうそれだけでは間に合わなくなりつつある。

 

 確かに冒険者は大きな収入を得られるが、ダンジョンの難易度や発見した成果によって報酬の金額が上下するため、”当たり外れ”が大きいのだ。

 

 今のところはウラルが積極的に新兵たちを簡単なダンジョンに派遣して経験を積ませたり、自分も精鋭部隊を率いて危険なダンジョンに調査に向かって資金を得てくれているけれど、やはり資金が足りなくなってしまう。

 

「何とかしないとなぁ…………。今度の会議の議題でもあげておくよ」

 

「大変だよね、団長って」

 

「そうなんだよねぇ…………戦闘が終わればデスクワークだし、訓練とか他の拠点の視察にもいかないといけないし、住民たちからの要望も聞いて色々と新しい規則を考えないといけないからさ」

 

 最近、俺の睡眠時間も激減しつつあるからなぁ…………。

 

 大変だけど、何とか頑張らないと。

 

 



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円卓の騎士たちの会議

 

 タンプル搭の地下には、巨大な円卓が設置された会議室がある。30人分の木製の椅子と一緒に会議室の中に鎮座するそれは、ここに腰を下ろす事を許された者たちのための席であり、いつもは定期的にここで会議が行われている。

 

 議題は主に、徐々に成長しつつあるテンプル騎士団という組織の今後の活動方針や、兵士や住民たちからの要望だ。例えばもう少し食料を増やしてほしいという要望があれば地下にある畑を拡張して人員を増員したり、コストがかかってしまうが商人からの食糧の購入を積極的に行ってそう言った問題点の解決を図るようにしている。

 

 ここで会議をする議員は、基本的に俺やラウラなどのテンプル騎士団本隊やシュタージのメンバーに加え、住民たちからの投票で決められた者たちだ。

 

 この円卓の席に腰を下ろす事を許された者たちは、”円卓の騎士”と呼ばれる。簡単に言えば議員のようなものだ。だから別に実力者の象徴というわけではないのだが、どういうわけか選挙で選ばれた者たちも含めて兵士の中でも極めて高い戦闘力を持つ猛者ばかりが選ばれてくるせいで、円卓の騎士は精鋭部隊のような扱いになってしまっているという。

 

 確かに、選挙で選ばれてきた奴らはどいつもこいつもがっちりした体格である。

 

「―――――――というわけで、本日の議題は資金の獲得方法だ。現時点では兵士全員に冒険者の資格を取ってもらい、訓練も兼ねてダンジョンの調査に派遣しているのは分かっていると思うが、住民や兵士の増加によってこれでは段々と賄いきれなくなりつつある」

 

 訓練を終えて部隊に配属された兵士には、その日のうちに冒険者の資格を取ってもらい、訓練も兼ねてダンジョンへと派遣している。その報酬の中から2割か3割を組織の運営資金として納めてもらい、残った分の報酬を彼らの物として受け取ってもらっている。

 

 運営資金として回収する分は少ないようにも思えるが、ダンジョンの調査は当たり前だが命懸けであり、場合によっては危険度が低いという情報があるダンジョンでも危険な魔物と遭遇することもあるので、調査に行った兵士が受け取る報酬の量は極力多めにしている。

 

 いくら運営資金が不足しつつあるとはいえ、彼らが必死に調査して得てきた報酬を取り上げるような真似はしたくない。今までダンジョンの調査をしてきたからこそ、実際に命懸けで調査する冒険者たちの苦労はよく分かる。

 

 だから報酬の中から収めてもらう額を増やすのは論外だ。これ以外の方法を模索するしかない。

 

「何かいい案はないか?」

 

「さすがに、我らの武器を売るわけにはいきませんよね………」

 

「うーん…………それは無理な話だ、同志。俺たちの武器を売れば、すぐに戦争になるぞ」

 

 もし仮に商人たちに大量の銃を売ると言えば、飛びついてくる商人たちは後を絶たなくなるだろう。なぜならばテンプル騎士団が売るといった武器は、かつてモリガンの傭兵たちと共に大きな戦果をあげた異世界の飛び道具なのだから。

 

 魔力を一切使わないために探知することは不可能。射程距離は弓矢を凌駕し、攻撃に移るまでの時間は魔術を遥かに上回る。更に防具での防御も不可能で、武器によっては魔術による防御も不可能。当たり前だが剣や槍を持った騎士たちでは相手にならない。

 

 そんな兵器が世界中の騎士団に行き渡れば、間違いなく新たな争いが産声を上げる。

 

「同志、我が騎士団には優秀なドワーフやハイエルフの職人が何人もいますし、何かを作って販売するというのはどうでしょう?」

 

「それはいい! 同志、そうしましょう!」

 

「それも悪くないが…………」

 

 武器ではなく、何かを作って売るというのは名案だ。カルガニスタンはフランセン共和国のおかげで発展しつつあるとはいえ、まだ”発展途上国”である。生活の役に立つ物を販売すれば、きっと凄まじい勢いで売れる事だろう。

 

 それにテンプル騎士団が保護した奴隷たちの中には、かつては職人として働いていた者たちも多い。実際に彼らの持つ技術で我々はかなり助けられている。

 

 しかし…………やはりこの案にも問題がある。

 

「モリガン・カンパニーには”フィオナ博士”がいるんだよなぁ…………」

 

「あぁ…………」

 

 頭を抱えてしまう円卓の騎士。彼に頭を下げつつ、俺も溜息をつく。

 

 モリガン・カンパニーには、フィオナ博士という天才技術者がいる。モリガンの傭兵の1人であり、産業革命の発端となったフィオナ機関を製造した張本人だ。しかも当たり前のように新発明を繰り返して特許を取り続けており、今までに取った特許の数はもう既に数えきれないほどだという。

 

 しかもモリガン・カンパニーにはちゃんとカルガニスタン支社があり、そういった発明品の販売も行っている。確かに奴隷だった職人たちが発明したものを販売するのはいい案かもしれないが、そうなればあの天才技術者(マッドサイエンティスト)と勝負する羽目になる。

 

「団長さんよ、あの博士には俺らじゃ勝てねえ。格が違い過ぎるぜ」

 

 席に腰を下ろすドワーフのバーンズさんも、腕を組みながら息を吐いた。居住区の拡張や設備の新設だけでなく、鍛冶職人まで請け負っているバーンズさんの技術力はテンプル騎士団の職人の中でもトップクラスと言えるが、そのバーンズさんが腕を組みながら負けを認めてしまうほどの大きな差があるのだ。

 

 やっぱりモリガンは手強い…………。

 

「同志団長、では私の案を聞いてもらえますでしょうか」

 

「どうぞ」

 

 手を上げたその円卓の騎士の1人は席から立ち上がると、この円卓の席に腰を下ろす議員たちを見渡してから咳払いする。

 

 なんだこいつ…………。

 

「この騎士団には、美しい少女たちが何人も所属していますよね?」

 

 なんだか変な案が飛び出しそうな気がする。粛清の準備をしておくべきだろうか。

 

 ちなみに、テンプル騎士団の志願兵のうちの4割は女性である。大半はラウラが訓練をしている狙撃部隊や後方の砲撃部隊に所属するか、治療魔術や治療技術に特化したメディックを担当してもらっているが、中にはショットガンを装備して先陣を切る勇敢な兵士もいるという。

 

 もちろん男女で差別は起きていないし、休日の日はよく街へと出かけていくカップルも見受けられる。

 

「それで?」

 

「はい。この少女たちに協力していただき、風ぞ―――――――」

 

 ごとん、とわざとらしく音を立てて、俺はソードオフ型に改造した愛用のウィンチェスターM1895を円卓の上に置いた。ついでに5発の7.62×54R弾をその傍らに並べる。

 

 銃床が取り外されている上に銃身もかなり短く切り詰められているため、ループレバーのついた古めかしいフリントロック式のピストルのようにも見える。でっかいピープサイトのついたそれのループレバーを引き、上部のハッチからやはりわざとらしくライフル弾を1発だけ装填すると、今しがた意見を言ったバカは顔を青くしながら息を呑んだ。

 

「こいつの弾数は5発だ、同志。変な意見が出る度に1発ずつ装填していく。…………全部入ったらどうするかは言うまでもないよな?」

 

「…………す、すいません」

 

 まったく…………。彼女たちにそんなことをさせるわけがないだろうが。

 

「ふにゅー…………お姉ちゃんはタクヤが相手だったら大丈夫だけどなぁ♪」

 

「俺以外が相手になるから問題なんだよ」

 

「ふにゃっ!?」

 

 というか、大問題である。

 

 ため息をつきながら紅茶の入ったカップを持ち上げて口へと運ぶと、ニヤニヤと笑いながら座っていたクランがいきなり手を上げて立ち上がった。

 

「はーい! じゃあメイド喫茶にしちゃいましょうっ♪」

 

「「ブッ!?」」

 

 め、めっ、メイド喫茶ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?

 

 いきなりそんなことを言われて、びっくりした俺は飲んでいた紅茶を吹き出してしまう。どうやらケーターも同じタイミングで紅茶に口をつけていたらしく、自分の彼女がいきなりそんなことを言い出して吹き出してしまったらしい。

 

「ゲホッ、ゲホッ!?」

 

「ゲホッ…………くっ、クラン!? 本気か!?」

 

「ええ。一回でいいからメイド服を着てみたかったのっ♪」

 

「いいですねぇ、きっと似合いますよ! ケーター、承認するべきです!」

 

「落ち着けガスマスク馬鹿ァ! 確かに可愛いだろうけど、他の男に『ご主人様っ♪』って言わせるのは許さんぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

「きゃあああ!? け、ケーターさん、暴れないで!」

 

「お、落ち着け! 暴れるなって!」

 

「離せ坊や(ブービ)ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! クランは俺の女じゃあああああああああああ!!」

 

「も、もう、ケーターったら…………ふふっ、”俺の女”かぁ♪」

 

 楽しそうですね、シュタージの皆さん。でも今は資金獲得の手段の話し合いをしているので、そういう話は部屋に戻ってからにしてください。部屋で話し合うならどれだけイチャイチャしても構いませんから。

 

 それにしても、メイド喫茶か…………。そういえば、前にナタリアが俺の部屋でメイド服を着てくれたことがあったな。いつもしっかりしてて強気な彼女が「ご主人様」って言ってくれた時は、多分俺の顔は真っ赤だったことだろう。

 

「はぁっ、はぁっ…………」

 

「落ち着いた?」

 

「な、何とか」

 

「ふふっ。…………安心しなさい。私の”ご主人様”はケーターだけだからっ♪」

 

「お前、最高の女だよ」

 

 もう一発装填していいかな? 話が進まないんだけど。

 

「はい、お兄様」

 

「カノンか」

 

 絶対まともな案じゃないよね。

 

 椅子から立ち上がったカノンは胸を張りながら咳払いすると、何故か俺とラウラを見てニヤリと笑う。その時点で俺の右手は反射的に7.62×54R弾を掴み、装填する準備を終えていた。

 

「簡単ですわ。”少女のような容姿の弟とヤンデレの姉の恋愛を描いた成人向けのマンガ”を書店で販売すればすぐに―――――――」

 

 はい、装填。

 

 がちん、とまたライフル弾がレバーアクションライフルに装填される音が響き渡り、誇らしげに意見を発表していたカノンがゆっくりとこっちを見てから青ざめる。

 

「なるほどね、少女のような容姿の弟とヤンデレの姉の恋愛かぁ…………。凄まじく聞き覚えのある恋愛だなぁ? しかも成人向けぇ? …………ふっふっふっふっふっ…………いやー、ユニークな意見だな、同志カノン」

 

「ひぃっ!?」

 

 もう1丁のレバーアクションライフルを左手で何度もスピンコックしながらカノンをじっと見ていると、彼女はぶるぶると震えながらゆっくりと着席した。

 

 少し脅しすぎたかな。

 

「はい! 次は僕!」

 

「どうぞ」

 

「ええと、鉱山の発破! 爆破できるじゃん!」

 

 タンプル搭の地下の鉱脈以外に鉱山は殆どないんだけど…………。しかもタンプル搭の地下の発破ももう既にお前がやってるじゃん。もちろん”爆破できるから”という乙女の願望とは思えない物騒な理由で。

 

「ごめん、まだまともだけど却下」

 

 というか、この意見がまともに思えるほど凄まじい意見を出してる奴らは何なんだろうか。ここにいるのって、主要メンバーを除けば選挙で選ばれた奴らだよね?

 

「じゃあクソ野郎の爆破!」

 

「それはいつもやってる」

 

「うーん…………難しいねぇ」

 

 難しいよねー。

 

 とりあえず、俺も何か意見を考えよう。他人に任せるのはよくないし、多分この調子だと日が暮れるまでまともな意見が出ることはないだろう。向かいの席にいるやつらはなんだかニヤニヤ笑いながら変な雑談始めてるし。どうせ変な意見の準備でもしてるんだろ。

 

 ちくしょう。もう一発装填してやる。

 

「同志、クソ野郎共から金目の物を奪うというのは? 少しは資金の足しになると思いますが」

 

「悪くないが、そういう奴らが巻き上げた金は、元は虐げられていた人々の物だ。それを盗ったら俺たちまで同じになっちまう」

 

「ダメですか…………」

 

「ああ。だが悪くはない案だ。もっとこういう案を出してくれ」

 

 さっきのメイド喫茶とか成人向けマンガよりははるかにマシだ。というか、どうしてみんなふざけるんだろうか。

 

「ねえ、私に案があるんだけどいいかしら?」

 

「「「お?」」」

 

 このまま変な案ばかり聞いてライフル弾を装填し続ける作業が始まるのだろうかと思って諦めかけていた、その時だった。

 

 俺の右隣の席に腰を下ろしていたナタリアが―――――――手を上げてくれたのである。

 

 いつも厳しい少女だけど、こういう時は本当に頼りになる。相変わらず彼女のビンタは痛いけどね。

 

「どうぞ」

 

「みんな聞いて。転生者戦争や日々の転生者の討伐を経験して、テンプル騎士団は確実に成長しているわ。―――――――そこで、そろそろテンプル騎士団も”傭兵ギルド”の真似事をしてもいいんじゃないかしら?」

 

「傭兵ギルド?」

 

「同志ナタリア、つまりそれって…………あのモリガンのように、傭兵になるという事でありますか?」

 

「そういうこと。私たちにはそれなりの物量もあるし、練度も上がっているわ。その辺の盗賊や騎士団には負けないくらいの力がある」

 

 傭兵ギルドか…………。確かに報酬は高額だし、ダンジョンが全て解き明かされれば仕事がなくなる冒険者と違って、傭兵はいろんな仕事がある。魔物の退治はもちろんあるし、盗賊団の討伐や要人の暗殺のような汚れ仕事も相変わらず多い。

 

 どの仕事も、戦闘で培った俺たちの力をフル活用できる魅力的な仕事ばかり。テンプル騎士団の兵士たちから見れば、天職としか言いようがない。

 

「いい案だ。…………だが、ナタリア。傭兵という分野には、もう既にモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)という二大勢力が鎮座している。傭兵として名乗りを上げるという事は―――――――彼らと依頼の最中に激突するという最悪のシナリオもあり得るという事だ」

 

 一番恐ろしいのは、それだ。

 

 依頼を受けた傭兵が、敵の勢力が雇った傭兵と仕事の最中に殺し合いに発展してしまうのは決して珍しい事ではない。例えば騎士団から盗賊団の討伐を依頼された傭兵が、事前にそれを察知していた盗賊団が雇った凄腕の傭兵と戦う羽目になり、拠点に辿り着く前に全滅してしまったという事例も存在する。

 

 もし仮に、依頼の最中にその二大勢力が派遣した傭兵部隊と遭遇してしまったら―――――――はっきり言うと、勝ち目はない。何度も実戦を経験した兵士ばかりだし、中には転生者戦争を2回も経験したベテランもいるという。

 

 それに対し、こっちは辛うじて第二次転生者戦争から生還した新兵や、ごく少数のベテランのみ。兵器の質では同等かもしれないが、その物量や、それを扱う兵士の錬度では大きく劣ってしまっている。

 

「そう言うと思ったわ」

 

「え?」

 

「安心しなさい。ちゃんと解決策もセットで考えてあるの」

 

 さすが参謀総長。

 

 ナタリアは誇らしげに胸を張ると、こっちを見ながらウインクする。

 

「その二大勢力と交渉するのよ。『万一仕事の最中にこちらの勢力と敵対する羽目になった場合、ただちに双方の受けている依頼を破棄して離脱する』という規定を定めるためにね」

 

 なるほど。それなら”身内”で殺し合う危険性もなくなる。

 

 引き受けた仕事を破棄する羽目になるが、そうすれば少なくとも同盟関係にある勢力と敵対することはなくなるというわけだ。とはいえいきなりそんなことをすればクライアントも反発するだろうから、依頼する際の注意事項にこの規定を書いておけばいい。

 

「もちろん報酬は全額後払いにしてもらう。それを利用して私たちを騙し討ちしようとするクライアントだったら、逆にそのクライアントを殲滅して報酬分の金品を貰っていけばいいわ。そうすればちゃんと元も取れるし」

 

「名案だ。みんなはどう思う?」

 

「悪くないですね。自分は賛成です」

 

「自分もです」

 

 よし。

 

 こういう新しいルールや法案をここで審議する場合、テンプル騎士団は円卓の騎士全員の承認がなければならないというルールがある。理不尽な強行採決を防ぐためのルールだ。

 

 だが、今のところ反発する議員は見受けられない。これならばこれはあっさりと承認されるだろう。

 

 面白いじゃないか。俺たちもただの武装組織ではなく、ちゃんとした民間軍事会社(PMC)に生まれ変わるのだから。

 

 それに実戦に出れば、兵士たちの錬度も上がる。資金も報酬で得られるから一石二鳥というわけだ。

 

 誇らしげに席に腰を下ろし、腕を組むナタリア。こっちを見ながら顔を赤くする彼女に向かって微笑んだ俺は、テーブルの上に置いていたレバーアクションライフルをホルスターへと引っ込めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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テンプル騎士団の特殊部隊

 

 建物の中に、怒号や悲鳴が響き渡る。

 

 規格がバラバラで、中には産業革命以前の旧式の防具に身を包む男たち。腰に下げている剣も錆びており、しっかりと整備されていないというのは一目瞭然だ。それなりに収入のある冒険者でも命を預ける得物はピカピカなのだから、そういう粗末な得物を平然と装備しているような者たちは、大抵は鍛冶職人たちの手によって得物を整備してもらう事の出来ない山賊や盗賊であると決まっている。

 

 案の定、その建物の中で怒声を上げながら職員たちを脅しているのは、砂漠で活動していた盗賊たちだった。

 

 数日前までは砂漠を移動する商人たちを襲って品物や金を強奪し、新聞の記事でも盗賊たちに襲撃された商人たちの事が記載されており、街に住む人々も彼らの襲撃を恐れて街を出ることができない日々が続いた。

 

 そこでカルガニスタンに駐留するフランセン共和国騎士団は、その街の近くで活動する盗賊団の討伐を実施し、数名の負傷者を出したものの、リーダーの身柄を拘束することに成功。今まで指揮を執っていたリーダーを失ったことにより、盗賊団の活動は一気に見られなくなり、人々も安心していつも通りの生活を送っていた。

 

 しかし、彼らがその報復を始めたことで、人々の安寧に亀裂が入る。

 

 警備の騎士たちが交代する隙をつき、生き残った盗賊団の残党が街を襲撃したのである。想定外の襲撃を受けて駐留部隊は街への侵入を許してしまった上に、街中に鎮座するフランセン大使館の占拠を許すという結果になってしまう。

 

 彼らが「リーダーの釈放」と「身代金」を要求して大使館に立て籠もってから、もう既に24時間も経過しようとしていた。

 

 ずっと手足を縛りつけられて部屋の中に監禁され、傍らに立つ盗賊たちに武器を向けられて脅される人質たち。大使館を占拠した盗賊たちは、彼らが悲鳴を上げたり、パニックになる度に苛立ち、得物の切っ先を向けて彼らを脅し続ける。

 

「おい、動くんじゃねえよッ!」

 

「ひぃっ!」

 

「てめえ…………そんなに死にてえのか? いいんだぜ? 人質はまだまだいる。見せしめに1人くらいミンチにしてやっても構わねえんだぜぇッ!?」

 

 彼らが苛立っている原因はフランセン側がなかなか要求を吞まない事だが、大使館の外を取り囲む騎士たちが突入のチャンスを伺っているのではないかという焦りも、その苛立ちに拍車をかけていた。いくら奇襲で大使館の占拠ができたとはいえ、盗賊たちは所詮は訓練を受けていない烏合の衆。しっかりと訓練を受け、魔物の討伐や盗賊たちの討伐を何度も経験している正規の騎士たちに太刀打ちできないのは明白である。

 

 それゆえに、もし彼らが突入して白兵戦になれば、勝機はない。こちらの有利な点は人質がいる事なのだ。

 

 舌打ちをしてから窓から離れた男は、左手で額の古傷を撫でてから息を吐いた。

 

「リーダー代理。この女、ちょっと使ってもいいッスか?」

 

「あ?」

 

 ちらりと見てみると、痩せ細った部下の1人が部屋の角で手足を縛りつけられていた金髪の女性を見下ろしながら、自分の口の周りを舌で舐め回しているところだった。おそらくフランセン本国から派遣された大使館の職員なのだろう。グレーのスーツに身を包んだ金髪の女性は、”この女を使う”という言葉が何を意味しているのかを理解したらしく、じりじりと近寄っていく男を見上げながら目を見開いている。

 

 リーダー代理は呆れながら首を縦に振った。今のところ、部屋の中にいる人質は10人以上。多少数を減らしてしまっても問題はない。それに殺さないのであれば、その程度は許されるだろう。

 

「へっへっへっへっ。ありがとよ。ほら、あっちに行こうぜ」

 

「や、やだっ…………誰か、お願いっ…………たっ、助けて…………っ!!」

 

 じたばたと暴れて抵抗するが、手足を縛られている状態で逃れられるわけがない。もし仮に手足を縛られていなかったとしても、デスクワークばかりしていた女性が盗賊たちに太刀打ちできないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 スーツの襟をつかまれ、そのまま部屋の出口へと引きずられていく女性。同僚たちは怯えながら、彼女が無事でありますようにと祈ることしかできない。

 

 だが、祈る同僚たちの中で”彼女が無事で済む”と思っている者は1人もいなかった。

 

 必死に絶叫する女性を引きずった男は、ニヤニヤと笑いながら部屋のドアを開けて廊下に出ようとしたその時だった。

 

 ことん、と金属製の筒のようなものが、扉の向こうから投げ込まれたのである。

 

「あ?」

 

 投げ込まれたそれはころころと部屋の真ん中へと転がっていくと―――――――まるで穴の開いた配管から蒸気が噴き出すかのように、勢い良く白煙を吐き出し始めたのである。その白煙を吐き出した金属の筒を投げ込んだのが、彼らを制圧するためにやってきた部隊だと気付いた頃には、もう既に部屋の中は自分の爪先すら見えないほど真っ白な煙で満たされていた。

 

 人質がいるから迂闊には突入してこないだろうと高を括っていた者ばかりだったため、それが突入部隊の仕業だと素早く気付いた者は1人もいない。

 

 リーダー代理は狼狽する部下たちを叱責しつつ、慌ててサーベルを引き抜いた。数多の魔物や騎士たちの身体を引き裂いてきたサーベルはメンテナンスされていないせいで錆び付いており、それなりに値段の高い剣だったにもかかわらず、ただの鈍(なまくら)と化している。

 

 その時、部屋の出入り口のドアがある方向から、どさり、と人間が崩れ落ちるような音が聞こえてきた。床に金属の防具が激突する音も聞こえてきたため、おそらくは先ほど女を連れて部屋を出ようとした男がやられたのだろう。

 

「くそ、どこだ!? 何も見え―――――――ギャッ!?」

 

「おい、しっかりし―――――――うっ」

 

 白煙の中で狼狽する部下たちの声が、次々に途切れていく。これほど濃密な白煙の中ではこちらの姿は見えないはずだが、どうやら敵はこちらの居場所を理解しているらしく、一方的にこちらの部下たちを始末しているらしい。

 

 白煙が薄れる気配もない。突入部隊の侵入を許し、部下が何人も始末されてしまった以上、もう人質を盾にし続ける意味はなかった。敵の目的はこちらの拘束ではなく”始末”なのだから、自分の居場所を察知されればすぐに消されるのが関の山である。

 

 リーダー代理は慌ててサーベルを鞘に戻すと、すぐ後ろに見えていた筈の窓を開けた。外には騎士団の隊列が待ち構えているが、ここは大使館の3階。周囲には建物の屋根もあるため、屋根の上を走っていけば逃げ切れるだろう。

 

 このままここで人質にこだわり続け、部下たちと同じ運命を辿るよりはマシである。

 

「ッ!」

 

 思い切り窓を開け、外へと飛び出す。そのまま屋根の上を走って逃げるつもりだった彼だが―――――――いきなり何かに頭を突き飛ばされたような感覚を覚えた瞬間、身体に力が入らなくなった。

 

 がくん、と頭が大きく後ろに揺れる。真っ赤な液体やピンク色の脳味噌の一部のようなものが舞い、壁や窓に激突して血生臭い絵画を描いていく。その鮮血と脳味噌の一部が誰のものなのかと思った瞬間、リーダー代理は遠くの建物の屋根の上にいる1人の人影を見つけた。

 

 真っ黒なコートにも似た制服に身を包み、フードをかぶっている。そのせいで素顔は全く見えないし、体格もよく分からないため男なのか女なのかもわからない。

 

 建物の屋根の上に伏せていたその人影はクロスボウにも似た奇妙な武器を持っており、その上部には望遠鏡を思わせる何かを装着していた。クロスボウにも見えるが、装填されている矢は見当たらない。それにそのような形状のクロスボウは見たこともなかった。

 

(違う、あれは…………”矢”じゃない…………)

 

 リーダー代理は力尽きる直前に、まだ若かった頃に聞いた逸話を思い出した。

 

 ネイリンゲンの近郊にある農場を襲撃した無数の魔物から、たった2人の傭兵が農場を守り抜いたという信じ難い逸話である。しかもその2人が使ったのは轟音を発するクロスボウのような飛び道具で、遠距離から一方的に魔物を蹂躙していたという。

 

 その2人の傭兵が―――――――後に、”モリガン”と呼ばれる最強の傭兵ギルドを作り上げた。

 

 もしかしたら、あの得物は彼らが使っている得物と同じものなのかもしれない。そう思いながら、屋根の上で待機していた『テンプル騎士団』の狙撃手(スナイパー)に眉間を射抜かれる羽目になった男は、鮮血と脳味噌の破片を風穴から巻き散らしながら、屋根の上に崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちらアクーラ4。逃げようとしていたおバカさんは始末した』

 

「了解(ダー)、よくやった。こっちも終わりだ」

 

 窓から逃げようとした奴の事だろう。どうやら、念のため狙撃手の位置を移動させておいたのは正解だったらしい。

 

 奴が開けた窓から入り込んでくる風のおかげで、部屋の中の白煙も薄れつつある。だから部屋の中がどうなっているのかが、段々とあらわになっていった。

 

 風穴を開けられた死体や、ナイフで切り裂かれた死体。過剰に傷つけられているわけではなく、的確に急所のみを狙って効率的に殺害されている。もちろん人質は全員無事だし、今の戦闘で誤って負傷させてしまった人質もいない。今まで怯えていた人質たちにクソ野郎共の死体の山を見せるのは少々申し訳ないが、彼らは無事だったのだから問題はないだろう。

 

 息を吐きながらAN-94の安全装置(セーフティ)をかけつつ、背中に背負ってからフェイスガードを上げる。できるならば顔を覆うバラクラバ帽も取っ払って夜の冷たい風を楽しみたいところだが、素顔を晒すわけにはいかない。

 

 まったく…………確かに吸血鬼である俺は日光が嫌いだが、夜の風は大好きなんだ。昼間の風よりも快適だ。なのにそれを楽しむことができないとは。

 

「同志ウラル、目標は殲滅しました」

 

「よし、引き上げよう。同志団長にも連絡しておいてくれ」

 

「了解(ダー)」

 

 真っ黒な制服の上にポーチやボディアーマーを身につけ、ヘルメットとガスマスクを装備した隊員が、俺に敬礼してから踵を返していく。俺は撤収の準備をするために戻っていった彼を見守りつつホルスターから信号弾を装填した拳銃を取り出すと、それを窓の外へと向けてぶっ放した。

 

 事前に、依頼主(クライアント)には「制圧したら真っ赤な光を外に向けて放出する」という事を伝えてある。光と言っても信号弾の事だが、クライアントにも分かりやすいように”光”という事にしておいた。

 

 拳銃から放たれた深紅の信号弾が、紅い光と煙を吐き出しながら燃え上がり、夜の砂漠の街の一角で煌き続ける。

 

 これで騎士団の連中も、こっちの制圧が終わったと判断して突入してくるだろう。死体の処理と人質の保護は彼らに任せて、俺たちは退散するとしよう。

 

「これで報酬はいくら手に入るんでしょうね」

 

「安心しろ、少なくともちゃんと払ってもらえるさ」

 

 少しでも報酬の額が少なかったら、きっちりと報復させてもらうからな――――――。

 

 テンプル騎士団の団長(トップ)は、そういう男だ。虐げられている人々や仲間には非常に優しく接するため信頼されているが、”敵”に対しては全く容赦をしない。

 

「とにかく、俺たち(スペツナズ)の仕事は終わりだ、同志。さっさと帰ってウォッカでも飲もう」

 

はい(ダー)、ウラル隊長」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志諸君、よくやってくれた」

 

 執務室にあるデスクの前に並ぶ隊員たちにそう言いながら、俺は微笑んだ。

 

 俺の目の前に並ぶのは、つい最近設立したばかりの特殊部隊(スペツナズ)の隊員たち。今までのテンプル騎士団では実働部隊と諜報部隊しか編成されていなかったのだが、十分に人員が集まったことで特殊部隊を設立する余裕ができた事と、要人の救出や暗殺のような任務に投入するための特殊部隊を設立する必要があったため、新たに特殊部隊を設立することになったのである。

 

 名前の由来は、もちろんロシアのスペツナズからである。

 

 現時点で隊員は20名ほど。そのうちの10名はサポートで、任務の際はヘリの操縦や後方からの支援を行う。残りの10名が実際に任務を遂行する兵士たちであり、そのうちの2名はラウラの教え子たちの中から選抜した優秀な狙撃手(スナイパー)だ。

 

 基本的に人員は、各部隊から選抜した人員で構成されている。前線で戦う兵士は通常部隊から選抜しているし、後方支援や情報収集は新たにシュタージへと入隊した隊員たちの中から選抜している。

 

 隊長は、教官を担当するウラルに兼任してもらっている。彼は吸血鬼であるため日光が苦手という弱点があるが、肌に日光が当たらなければ症状はある程度軽減できるので、任務の際は全く素肌が露出しないような恰好で出撃してもらっている。

 

 まだ設立してから日が浅いため、昨日のような救出作戦が成功するかどうか少しばかり不安だったのだが、連日訓練区画での熾烈な猛特訓のおかげで見事に成功したようだ。

 

 ちなみに、テンプル騎士団の部隊の中でも、スペツナズの訓練は抜きんでてハードであり、仲間たちの中でも結構有名になっている。訓練の時間になると訓練区画の中は隊員たちの呻き声とウラル隊長の怒声で満たされるらしく、彼らの訓練中に訓練区画で訓練しようとした兵士は「拷問でもやってるんじゃないですか…………?」と震えながら言っていた。

 

 拷問というわけじゃないんだが…………訓練がかなりハードなだけさ。俺たちが幼少期に親父から受けた訓練をウラルが更にアレンジした奴だからな。

 

 もちろん筋トレだけではない。射撃の訓練や突入訓練も行うし、座学も行う。

 

 基本的に彼らが投入される状況は、通常部隊が想定している状況とは全く違う状況ばかりなので、装備も基本的に違う。通常部隊はごく普通の大口径のアサルトライフルを使用するのだが、これは転生者や魔物との戦いも想定しているため、”可能な限り大口径の方が合理的”であるからである。

 

 それに対し、スペツナズの主な任務は「要人の暗殺や救出」であるため、魔物との戦いは想定していない。そのためこちらはサプレッサー付きの銃を多く支給しているし、使用する弾薬も対人戦のみを想定した小口径の物が多い。

 

 テンプル騎士団の通常部隊ではAK-12を正式採用しているが、スペツナズでは超高速の2点バースト射撃が可能なAN-94や、威力が高くてコンパクトなA-91を正式採用している。装備するナイフは、もちろんナイフの刀身を発射することができる”スペツナズ・ナイフ”だ。

 

「今朝、騎士団から正式に報酬が支払われたよ。フランセン騎士団とは色々あったが…………昨日の一件で、水に流してくれるそうだ。向こうの団長が”これからもよろしく”だとさ」

 

 フランセンとは、ウラルやイリナを救出した際に派手に戦っている。しかもモリガン・カンパニーに2機のA-10での航空支援要請まで行って徹底的に殲滅してしまっているので、もしかしたら報酬を支払ってもらえないんじゃないかと思ってヒヤヒヤしていたんだが、どうやら彼らはこっちのことを認めてくれるらしい。

 

 だが、かつて自分たちを奴隷にしていた奴らのために戦ったウラルやムジャヒディン出身の隊員たちは、複雑な気分かもしれない。

 

「図々しい奴らだな」

 

「まあな。だが、これからはクライアントだ。完全に水に流すのは無理かもしれんが…………」

 

「分かってるさ。今の俺たちは傭兵なんだ」

 

 そう、今の俺たちは傭兵だ。

 

 デスクの下へと手を伸ばした俺は、そこに隠しておいた大きめの酒瓶を持ち上げる。オルトバルカ語の文字が書かれたその酒瓶をデスクの上に置くと、直立してデスクの前に並んでいた隊員たちが目を丸くする。

 

「ほら、差し入れのウォッカだ。今日はこれでも飲みながら休んでくれ」

 

「「「ありがとうございます、同志!」」」

 

 スペツナズの隊員たちは酒が好きな奴が多いからな。

 

 ちなみにスペツナズの隊員たちは様々な種族で構成されているが、意外なことに、前線で戦う隊員の大半を占めているのはウラルやイリナと同じく吸血鬼である。

 

 ウラルの隣に立って微笑んでいる金髪の青年の口の中には吸血鬼特有の鋭い犬歯が生えているし、その隣にいる小柄な青年の口の中にも鋭い犬歯が生えている。

 

 彼らは、あのヴリシアの戦いで強制収容所を警備していた吸血鬼たちだ。クリスマス休戦の真っ只中に紅茶とお菓子を持って彼らの説得に行った際に、あっさりと武装解除して強制収容所を開放してくれた吸血鬼たちである。

 

 どうやら彼らはヴリシアの吸血鬼たちの中でも酷い扱いを受けていたらしい。吸血鬼たちの中には実力よりも血筋を重要視する者も多いらしく、より古来から生きている歴史の古い吸血鬼の一族ほど、能力に関係なく優遇されるという。

 

 彼らはまだ歴史の浅い一家の吸血鬼らしく、ずっと雑用をやらされていたらしい。他の吸血鬼たちにも不満を感じていたからこそ、あっさりと武装解除して投降してくれたのだ。

 

 それからは捕虜になっていたのだが、「俺たちも力になりたい」と申し出てくれたので、こうしてスペツナズの一員として頑張ってもらっている。とはいえ彼らの母語はヴリシア語だったので、まだオルトバルカ語の勉強の真っ最中だ。最近は発音が上手になってきたのでコミュニケーションはとれるようになってきたものの、まだ単語を間違う事は多い。

 

 それにしても、やっぱり吸血鬼が仲間になってくれると本当に心強い。彼らには再生能力があるし、身体能力も人間を遥かに凌駕している。だからこのような作戦に投入するにはうってつけの人材だ。

 

「では、今日はゆっくり休んでくれ」

 

はい(ダー)。―――――――解散!」

 

 一斉に敬礼してから、踵を返して執務室を出ていくスペツナズの隊員たち。

 

 デスクの後ろから彼らを見守ってから、俺は安心して息を吐いた。

 

 

 

 

 

 



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倭国支部

 

 

 俺は今、凄まじい光景を目にしている。

 

 こっちの異世界に生まれ変わってからは凄い光景を何度も見てきた。空を自由に舞うドラゴンや、街中でちょっと変わった魔術を披露する魔術師。個人的に一番びっくりしたのは、やはり”魔王”と呼ばれている最強の転生者が、妻のドロップキックで吹っ飛ばされた瞬間だろうか。もしかしたら親父より母さんの方が魔王にふさわしいのかもしれない。

 

 そういう光景を何度も目にしてきたから、こっちの世界ではそのようなことが起こるのが当たり前だと思っていた。文化が似ている部分はあるものの、常識は違う。もちろん科学よりも魔術の方が発達しているから、文明も違う。

 

 けれどもこの光景は、きっと前世の世界で生まれ育った人間や、こっちの異世界の住人が目にしたとしても確実に驚くだろう。

 

「…………」

 

 タンプル搭の地下には、食料となる野菜や薬品に使う薬草を栽培するための畑がある。当たり前だが地下には日光が届かないため、天井を”メモリークォーツ”と呼ばれる特殊な鉱石で覆い、疑似的に青空と日光を再現することで、植物の栽培に利用している。

 

 メモリークォーツは、”魔力を流し込みながら想像すると、想像した光景が鉱石に映し出される”という特徴を持つ。そのため大昔の戦争では伝令がこれを携帯し、目にした敵の陣形や配置を思い浮かべて味方に見せることで偵察を行っていたという。

 

 今ではあらゆる国家に採掘され尽くして枯渇している希少な鉱石だが、幸いなことにタンプル搭の周囲にある鉱脈にはこのメモリークォーツもごく少量ではあるものの存在するようなので、使い過ぎないようにしつつ活用しているというわけだ。

 

 疑似的に再現された青空と日光。地下とは思えないほど開放的な空間の中に並ぶ畝たち。もしここが普通の畑ならば、鍬を持って畑を耕す農民たちの姿を見ることができただろう。

 

 けれども、目の前の畑には鍬を持つ農民など1人もいない。

 

 その代わりに居座っているのは―――――――でっかい車輪だ。

 

 きっと、馬車についてる車輪よりも一回りでかいんじゃないだろうか。その車輪の縁の部分には小型のフィオナ機関がいくつか取り付けられており、後端部から魔力の残滓を放出しながら、まるで畑を耕すかのようにゆっくりと転がっている。

 

 ヴリシアの戦いでも目にしたが、モリガン・カンパニーが誇る天才技術者(マッドサイエンティスト)のフィオナちゃんは、この世界の技術でパンジャンドラムを量産することに成功している。だからモリガン・カンパニーでは魔力で動く”異世界版パンジャンドラム”がごく普通の兵器として運用されているんだが―――――――そのパンジャンドラムを、普通は農業に使おうとは思わないだろう。

 

 傍らで魔力を供給する男性と一緒に、ごろごろと転がりながら畑を耕すパンジャンドラム。進む度に農民たちが歓声を上げるが、俺は黙ってそれを見つめていた。

 

「便利ですねぇー」

 

 そう言いながら水を飲むのは、数日前までここで畑の栽培を担当していた農民のうちの1人である。元々は奴隷だったのだが、テンプル騎士団が保護してからは、ここでアルラウネのシルヴィアと一緒に農業を担当してもらっているのだ。

 

「私も歳をとりましたから大助かりですよ。団長さん、ありがとうございます」

 

「ああ、いえ…………お役に立ててよかったです。あははっ」

 

 お礼を言ってくれた農民にそう言いながら、俺は苦笑いする。

 

 兵士たちとは違って、農民たちの中には高齢者が多い。中には若者もいるが、やはり訓練を受けた兵士たちとは違って体力があるわけでもないので、やはりこのような作業はかなり大変なのだ。

 

 先週の会議でも、円卓の騎士の1人から「両親の仕事が大変そうなので、少しでも楽になるように対策をしてほしい」と言われたので、農業のための予算をいつもよりも多めにし、モリガン・カンパニーから色々と農業用の道具を購入したのだが―――――――農業用のパンジャンドラムを購入するなどと予想できるわけがない。

 

 何だこれ。設計したの誰だよ。

 

 もちろん、畑の真っ只中でごろごろと転がるあのパンジャンドラムはモリガン・カンパニー製。同志たちからは「パンジャンドラムをタンプル搭でもライセンス生産してほしい」という要望も出ているのだが、承認するべきなのだろうか…………?

 

「すごいねぇー。ああやってごろごろ転がってもらうだけで大助かりですよ。私、最近腰が痛くて…………」

 

「そ、そうですか…………や、やっぱりあれを購入したのは正解みたいですね」

 

 本当に正解なの…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しっかりと重傷を肩に当て、アサルトライフルの上に搭載されたホロサイトを覗き込む。中央にあるレティクルを向こうに見える人型の的の頭に合わせ、トリガーを引く。

 

 マズルフラッシュが一瞬だけ煌き、エジェクション・ポートが熱を纏った空の薬莢を吐き出す。カキン、と空の薬莢が床に落下する綺麗な音が銃声の荒々しい音と混ざり合い、不思議な音色となってレーンの向こうへと消えていく。

 

 もちろん今の一撃は命中。人型の的の頭は眉間から上が吹っ飛んでおり、もし仮にあれが普通の人間だったのならば確実に即死している。

 

 でも、あまり想像したくないな…………弾丸で頭を抉られた人間の死体は。一度も目にしたことはないが、きっとヴリシアに行ってきた奴らはそういう惨劇を何度も目にしてきたに違いない。

 

 そう思いながら息を吐き、今度は胴体に照準を合わせる。

 

 俺も仲間たちと共にテンプル騎士団の一員となったが、まだレベルも低い上に練度も低く、団長であるタクヤにヴリシアの戦いへと連れて行くのは危険だと判断されたため、仲間たちと共にここに残って訓練を続けていたのだ。俺たちも力になりたかったが、足手まといになれば仲間を全滅させてしまう恐れもある。

 

 だが、俺のレベルはもう90だ。ポイントも溜まったし、少なくとも仲間たちに武器を支給する事ならばできるだろう。それをやった後のポイントの量は想像したくないけど。

 

「お、弾切れか」

 

 7.62mm弾のマガジンはもう空っぽだ。

 

 64式小銃からマガジンを取り外し、傍らに置いてあるベークライト製のマガジンを装着する。通常の弾薬が入っているのはごく普通の黒いマガジンだが、炸薬の量を増やした強装弾はベークライト製のマガジンに入れるようにしている。こうした方が分かりやすいからな。

 

 7.62mm弾でも十分な破壊力があるが、転生者と戦う場合、自分の攻撃力のステータスが相手の防御力を下回っている場合、こちらの攻撃は弾かれてしまう恐れがある。そのため少しでも攻撃力を底上げするために強装弾も用意してあるのだ。これは主に”対転生者用”である。

 

 でもこれ、反動が強いんだよなぁ。タクヤたちは当たり前のように片手でぶっ放したりしてるが、俺には無理だ。

 

 というか、あんな華奢な腕で片手で撃てるのかよ…………。

 

「よう、柊」

 

「おう、タクヤ」

 

「こんにちわー♪」

 

 強装弾の入ったベークライト製のマガジンを装着し、コッキングレバーを引いていると、後ろのドアからタクヤとラウラがやってきた。射撃訓練に来たのか、2人の手にはもう既に得物がある。

 

 それにしても、この2人っていつも一緒にいるよな…………。毎日甘えん坊のお姉ちゃんに甘えられているタクヤが羨ましいんだが、この2人って腹違いとはいえ”姉弟”なんだよね? 大丈夫か?

 

 タクヤの腕に絡みつきながら堂々と頬ずりしているラウラ。タクヤが「お姉ちゃん、そろそろ離れてくれる?」と頼むけど、彼女はむしろがっちりとしがみつきながら未だに頬ずりを続けている。

 

 いいよなぁ…………。俺も美少女に頬ずりされたい。

 

「調子はどうだ?」

 

「結構当たるようになった」

 

「それはよかった。…………ねえ、お姉ちゃん? もう離れてくれる?」

 

「やだやだ! もっと甘えてたいのっ!!」

 

 容姿は大人びてるのに、なんでラウラの性格は幼いんだろうか。

 

 ちなみに彼女はテンプル騎士団の誇る最強のスナイパーだという。今まで彼女は狙撃で凄まじい戦果をあげており、転生者の討伐数だけならばもう既にタクヤを上回っているらしい。しかもヴリシアの戦いでは、敵の装甲車や戦車の砲塔の軸を狙撃して砲塔を旋回不能にしたり、飛んでいるヘリのコクピットを真横から狙撃して撃墜したという。

 

 それほどの戦果をあげる狙撃手とは思えない…………。

 

「こ、今夜はいっぱい甘えていいからさ」

 

 今夜ぁ!? お前ら何する気だ!?

 

「ふにゅー…………うん、分かったっ♪」

 

 やっとタクヤから離れるラウラ。彼女は嬉しそうに笑いながら持っていたハンドガンを構え、ニヤニヤと笑いながら適当に連射し始める。

 

 彼女が持っているハンドガンは、チェコ製の”Cz75SP-01”というハンドガンらしい。極めて高い命中精度を誇る銃らしいのだが、彼女の持つハンドガンにはどういうわけなのか銃剣が装着されている。彼女の任務は狙撃の筈だが、ある程度は白兵戦も想定しているという事なのだろうか。

 

 今夜”甘える”ことを考えているのか、やけにニヤニヤと笑いながらハンドガンを乱射する赤毛の少女。照準器すら覗かずに連射しているのでどうせ当たっていないんだろうと思いながらちらりとそっちの方を見てみるが…………信じ難いことに、ハンドガンから放たれる9mm弾はむしろ当たり前のように的に命中し、もう既に人型の的の急所全てに風穴を開けていた。

 

 な、なんだこのお姉ちゃんは…………!

 

 そしてその隣に立つシスコンの弟も―――――――ロシア製のPL-14を連射し、凄まじい勢いで連射している。数秒前まで腹違いの姉とイチャイチャしていた弟とは思えないほど真面目な表情で的に風穴を開け、あっという間に空になったマガジンを交換。俺が狙いをつけている間に5発くらいは連射しているのではないだろうか。

 

 や、やっぱり練度の差なのかなぁ…………。この2人はもう何度も実戦を経験してるみたいだし。

 

「そういえばさ。柊に話があるんだ」

 

「話?」

 

 早くも最後のマガジンを装着しながらそういうタクヤ。彼はハンドガンをいつでも撃てる状態にしてから目の前に置くと、いきなりそんなことを言われて顔を上げているこっちを見ながらニヤリと笑った。

 

「お前たちも随分と練度が上がってるみたいだからさ、そろそろ…………新しい支部を作ろうと思うんだ」

 

「新しい支部?」

 

「そう」

 

 現時点で、テンプル騎士団の支部はスオミ支部のみ。大昔から専守防衛が得意なスオミの里の戦士たちで構成されている支部で、人数は少ないものの、大昔から培われてきた経験や戦術で今でも里を守り続けているという。

 

 ヴリシアの戦いでも橋頭保となった図書館の防衛のために出撃しており、度重なる吸血鬼たちの襲撃を撃退し続けた猛者たちらしい。

 

「それで、新しい支部はどこに作るんだ?」

 

「倭国だ」

 

「倭国…………たしか、東洋にある島国だろ?」

 

「そうそう。日本みたいな国だ」

 

 カルガニスタンの砂漠をひたすら東へと進むと、ジャングオ民国という中国のような国がある。そこから船で海を渡ると、”倭国”という小さな島国がある。

 

 大昔から倭国の周囲は危険な魔物が生息するダンジョンだったらしく、そのせいで迂闊に近づくことができず、ちょっとした鎖国状態だったという。しかし今では船もより頑丈になり、強力な武装も搭載されるようになったため積極的に交易も行われており、今ではオルトバルカから様々な技術を導入して列強諸国に追いつこうと努力をしている頃らしい。

 

 日本で例えると明治時代辺りだろうか。

 

「ということは、倭国支部か?」

 

「そういうことだ。―――――――できれば、そこの支部長をお前に任せたい」

 

「はっ?」

 

 お、俺…………?

 

 ちょっと待て。俺に任せて大丈夫なのか? お前たちほど練度は高くないし、頼りないだろ?

 

 きっとタクヤは、テンプル騎士団の一員になる前まで俺が仲間たちを率いて行動していた経験があるのを知っているから、俺を支部長に選ぼうとしているのだろう。確かに第三者が見れば、小規模とはいえ仲間を引き連れて行動していた俺が適任だと判断するに違いない。

 

 だが――――――はっきり言うと、俺は向いていないかもしれない。

 

 仲間たちをちゃんと指揮する自信がない。もしかしたら間違った判断を下し、仲間を死なせてしまうかもしれない。

 

 それに、仲間を守るために敵を殺す覚悟を決めたとはいえ、正直言うとまだその覚悟を決めたまま引き金を引く自信はまだない。

 

 こんな奴で、本当に大丈夫なのか?

 

 顔を上げると、隣のレーンに立つ少女のような容姿の少年が「お前に任せたいんだ」と言わんばかりに、炎のような紅い瞳でじっとこっちを見つめていた。

 

「…………本気なのか?」

 

「ああ。俺はお前に任せたい」

 

「…………そうか」

 

 信頼してくれているのか。

 

 それほど長くはないとはいえ、彼らと一緒に訓練をしたし、ヴリシアから帰ってきた彼らと共に魔物の討伐にも出撃した。相変わらず以前から戦い続けている彼らとの練度の差を目の当たりにして自信を無くすのが当たり前だったけど―――――――それでも、信頼しているという事なのだろうか。

 

 だったら―――――――それに応えないと。

 

 そう思うと同時に、俺は反射的に首を縦に振っていた。

 

「分かった、任せてくれ」

 

「ありがとう、同志」

 

 倭国支部か…………。

 

 ちょっと自信はないが、やってやる。俺も彼らのように強くなって、虐げられている人々を救うんだ。

 

 きっと、それが転生者の力の正しい使い道に違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで支部は2つか…………」

 

 執務室の壁に貼り付けられている異世界の世界地図を見つめつつ、倭国に紅い印をつける。

 

 モリガン・カンパニーの社員から聞いた話だが、倭国で繰り広げられていたボシン戦争が終結してからは、2つ目の鍵が保管されていた九稜城(くりょうじょう)はそのまま放置されている状態らしい。もしかしたら、そこを倭国支部として再利用できるかもしれない。

 

 そう思いながらデスクの上に書類にサインしつつ、先ほどステラが持ってきてくれた差し入れのリンゴを口へと運ぶ。心地よい歯応えとやけに強い甘みに癒されつつ、書類にサインをしてから次の書類をデスクの上に置いていく。

 

 それにしても、団長の仕事は大変だ。毎日訓練をしたり、各拠点の視察も行わなければならない。志願兵の訓練の指導をするときもあるし、転生者が人々を虐げているという情報が入れば討伐に向かう必要がある。

 

 そして時間が空けば、基本的にこのようなデスクワーク。各部署から送られてくる要望に目を通したり、予算の額を確認してサインする仕事がいつまでも続くため、最近の睡眠時間は3時間か4時間程度。おかげで目の下にはクマが浮かぶようになってしまっている。

 

 けれども今日の書類は少なめ。今夜はラウラに搾り取られる羽目になりそうだが、何とかぐっすり眠れそうだ。

 

 それにしても、やけにこのリンゴは甘いな…………。

 

 まさか、ウィッチアップルじゃないよね…………?

 

 以前にそれを食べて幼児の姿になってしまったことを思い出した瞬間、俺は口へと運ぼうとしていたリンゴを静かに皿の上へと戻し、ぞっとした。もう既にいくつか食べてしまったので手遅れかもしれないが、たっぷりと食べるよりはまだマシかもしれない。

 

 それに、普通のリンゴかもしれないし。

 

 ウィッチアップルはダンジョンの中でしか育たない希少なリンゴだから、そう簡単には手に入らないだろう。きっとこれも普通のリンゴに違いない。

 

 だ、大丈夫だよね…………?

 

 とりあえず、書類を片付けよう。多分これは普通のリンゴだから、大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、いつも甘い香りがする。

 

 石鹸と花の香りを混ぜたような甘い香りの中で眠っているのは、私の可愛い腹違いの弟。いつもテンプル騎士団に所属する兵士たちや住民たちのために頑張ってる時の表情はエミリアさんみたいに凛々しいんだけど、眠っている時の寝顔はとても可愛らしい。

 

 えへへへっ。やっぱりこの子は女の子みたい。

 

 すぐ傍らで寝息を立てている最愛の弟を抱きしめると、甘い香りがより濃密になる。

 

 前まではあまりこの子の役には立てなかったけど、最近はナタリアちゃんのおかげで料理もできるようになったし、少しずつ役に立てるようになってると思う。やっぱり料理ができないお嫁さんよりも、美味しい料理が作れるお嫁さんの方が嬉しいよね。

 

 そうだ、今度は他の家事にも挑戦してみようかな。できることが増えれば、きっとこの子も喜んでくれると思うの。

 

 彼の頬にキスをしようと思って、顔を近づけようとしたその時だった。

 

 左手の肘の辺りが、柔らかいものに触れたような気がしたの。彼の肌は普通の男の子の肌と比べると確かに女の子みたいに柔らかいけど、それよりもはるかに柔らかい。

 

「…………?」

 

 違和感を感じた私は、そっとタクヤの身体に絡みつかせていた左腕を退けた。いつもならばタクヤの引き締まった胸板の上に乗っている筈の毛布はいつもよりも膨らんでいて、眠っている彼が動く度に揺れている。

 

 おかしいな。隣に寝てるのはタクヤだよね?

 

 まるで女の子の胸みたい…………。

 

 恐る恐る毛布をそっと退けてみると、毛布の下から可愛らしい弟の寝顔が顔を出す。顔つきがエミリアさんに似ている上に蒼い髪を伸ばしているせいで、やっぱり女の子にしか見えない。

 

 そしてその可愛らしい寝顔の弟の身体の方を見た私は―――――――彼が身につけているパジャマの胸の辺りが膨らんでいるのを見て、凍り付いてしまった。

 

「あ、あれ…………?」

 

 男の子って、こんなに胸は大きくならないよね…………?

 

 よく見てみるけど、やっぱりタクヤの身体だった。小さい頃から一緒にお風呂に入っているから、彼の体格はよく知っている。一見すると貧乳の女の子に見えてしまうけれど、ちゃんと筋肉もついている。胸板もちゃんと胸筋がついて引き締まっている筈なのに、どうして膨らんでるの…………?

 

「んっ…………」

 

 毛布を退けたせいで目が覚めてしまったのか、隣で眠っていたタクヤが瞼を擦りながらゆっくりと起き上がる。しかも彼が発する声もいつもよりも高くて、ちょっとだけびっくりしてしまう。

 

 なんだか、私にそっくりな声だよ…………?

 

「ああ、お姉ちゃん…………おはよう」

 

「え、えっ…………たっ、た、た、タクヤ…………?」

 

「ん?」

 

「そ、そ、そ、そっ…………その身体…………」

 

「え?」

 

 狼狽する私を見て違和感を感じたのか、自分の身体を見下ろすタクヤ。やっぱり彼も膨らんでいる大きな胸に気付いたみたいで、目を見開きながら恐る恐るその大きな胸を見下ろす。

 

 そしてその胸が自分の胸だという事を気付いた彼は―――――――目を丸くしながら、叫んだ。

 

「―――――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 信じられない。

 

 私の弟が―――――――女の子になっちゃったのだから。

 

 

 

 

 おまけ

 

 声までそっくり

 

ナタリア「そういえば、タクヤって髪を下すとやけにラウラに似てるわよね」

 

タクヤ「そりゃ姉弟だからな」

 

ラウラ「えへへっ♪」

 

タクヤ「ちなみに声も似てると思うぞ?」

 

ナタリア「何で?」

 

タクヤ「この声さ、少しでも男子だと思ってもらえるようにわざと低くなるようにして喋ってるんだよ…………」

 

ナタリア「え? …………ほ、本当の声じゃないの?」

 

タクヤ「うん」

 

ナタリア「じゃあ、本当の声は?」

 

タクヤ「…………ふにゅっ?」

 

ナタリア(ラウラ!?)

 

 

 おまけ2

 

 声までそっくり その2

 

ラウラ「ちなみに私もタクヤの声にそっくりだよっ♪」

 

ナタリア「え?」

 

ラウラ「―――――――クソ野郎は、狩るッ!」

 

ナタリア(タクヤぁ!?)

 

 完

 

 

 



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タクヤの性別が変わるとこうなる

 以前にも、仲間たちにこういう視線で見られたことがあるような気がする。円卓が鎮座する会議室に集まってくれた仲間たちにじろじろと見られながら、あの変なリンゴで幼児になった時の事を思い出しつつ、息を吐きながら下を見下ろす。

 

 身に纏っているのはいつものコート。若き日の親父が着ていた転生者ハンターのコートを、冒険者向けに改良した親父のお下がりである。

 

 俺は親父のようにがっちりした体格の巨漢ではないので、このコートは少しばかり大きい。けれども今は、胸の辺りだけはちょうどいいサイズなのかもしれない。

 

 やけに膨らんだ自分の胸を見下ろしつつ、右側を指先で軽くつつく。真っ黒なコートに覆われたそれは、ぷるん、と揺れると、指先に触れられた間隔を伝達してから、いつもはすらりとした胸板がある筈の場所に居座り続けた。

 

「け、けっこう大きいのね…………」

 

 苦笑いしながらそんなことを言うナタリア。俺も苦笑いしながら彼女の方を見てみると、確かにほんの少しナタリアよりも大きかった。でも、どういうわけか全く優越感は感じない。

 

 元々俺は男なのだから当たり前だろう。

 

 それゆえに―――――――朝起きたら女になっていると予測できるわけがない。

 

 とりあえず色々と確認したわけなんだが…………やっぱり、俺のアハトアハトも見当たりませんでした。昨日は大活躍してくれた相棒だったんですけどね。

 

「お前さ、前は幼児になってなかった?」

 

「仕方ねえだろうが。キメラって変異しやすい種族なんだよ」

 

 前回幼児になった理由は、シルヴィアから貰ったウィッチアップルという特殊なリンゴが原因だった。ウィッチアップルは魔力の濃度が高い地域でしか育たない希少なリンゴで、豊富な魔力を吸収しながら育つせいなのか、その甘みは通常のリンゴの比ではない。とはいえ今ではそのような地域はダンジョンの中にしかないので、基本的に栽培は不可能らしい。

 

 持って帰れば凄まじい金額で売れるため、冒険者は食べるのを我慢して管理局まで持ち帰るという。

 

 ちなみに名前の由来は、大昔に”魔女”と呼ばれていた種族のサキュバスたちが、豊富な魔力を含むこれを好んで食べていたからこのような名前になったという。確かに魔力しか体内に吸収できないサキュバスたちにとっては、他者から魔力を吸収せずに済む貴重な手段だった筈だ。

 

 でもステラに聞いてみたんだけど、実際はサキュバスたちにとってはおやつのような存在だったらしい。

 

 随分と高級なおやつだな…………。昔はこれが育つ土地がたくさんあったみたいだからウィッチアップルも大量に採れていたのかもしれないけど。

 

 それにしても、元に姿に戻れるんだろうな? 一生女のままは嫌だぞ?

 

「原因は?」

 

「あー…………多分、昨日食べたリンゴだと思う」

 

 昨日仕事をしながら執務室で食ってたリンゴが原因だろう。やけに甘みが強かったし、きっとウィッチアップルだったに違いない。

 

「ご、ごめんなさい…………ウィッチアップルと間違えちゃいました…………」

 

「やっぱりな」

 

 どうやらリンゴを持ってきてくれたステラがウィッチアップルと間違えてしまったらしい。これで原因は分かったが…………前回は幼児になったのに、今回は女か。あれを食べたからと言って確実に幼児になるというわけではないらしい。

 

 とりあえず、シルヴィアから検査を受けた方が良さそうだ。

 

「それにしても、今のタクヤの声ってラウラの声にそっくりだよね?」

 

「えっ?」

 

「確かに…………」

 

ドラゴン(ドラッヘ)、ちょっとラウラと一緒に喋ってみてよ♪」

 

 い、一緒に?

 

 ちらりとラウラを見ながら目配せし、一緒に言うタイミングを合わせる。

 

「「…………ふにゅっ?」」

 

 その瞬間、全く同じタイミングで、全く同じ声が重なった。まるで同じ人間が同時に喋ったかのように、完全に重なった同じ声。円卓に響いたその声を聴いた仲間たちが、目を丸くしながら呆然としている。

 

 当たり前だろうな。俺たちの母親は姉妹だけど、実質的には同じ人間なのだから。

 

 そう、ラウラの母であるエリスさんと俺の母であるエミリアは、正確に言うと姉妹ではない。俺の母さんはエリスさんの遺伝子を元に作られたホムンクルス(クローン)であるため、多少調整を受けたせいで瞳の色などはやや違うものの、遺伝子はほぼ同じなのだ。

 

 その遺伝子がほぼ同じ人間が母親で、同じ人間が父親なのだから、実質的に俺とラウラも性別と遺伝子がやや違うほぼ同じキメラという事になる。

 

 ちなみに普段は少しでも男だと思ってもらうためにわざと声を低くして喋ってるけど、意識しないで喋ると男の状態でもラウラとほぼ同じ声になるらしく、俺たちの両親でも聞き分けるのは不可能らしい。

 

 さすがに女の身体になった状態でそうしようとしても無理みたいだ。声が高い。

 

「す、すげえ…………全く同じ声だ…………!」

 

「でも胸はラウラの方が大きいですね」

 

 木村、どこ見てんだコラ。

 

 ラウラの大きな胸をまじまじと見つめている木村を睨みつけていると、いつの間にかステラが俺のすぐ近くまでやってきていた。俺たちの中で一番身長の小さな彼女は何故か敵意を俺に向けながら、椅子に座っている俺の胸をじっと見つめている。

 

「す、ステラ…………?」

 

「どうして……………………どうして元々男だったタクヤよりもステラのおっぱいは小さいのですか……………?」

 

「お、おい、どうした…………?」

 

「むぅ…………………タクヤ、そのおっぱいをステラに下さいっ!!」

 

 はぁ!?

 

 お、おい、ステラ! 落ち着け!

 

「落ち着けって!」

 

「嫌です! もう貧乳は嫌なのです!」

 

「バカ、やめ―――――――ひゃんっ!?」

 

 揉むなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!

 

「お、お兄様…………いえ、”お姉様”! わたくしにも揉ませてください!」

 

「あ、じゃあせっかくだから僕もー♪」

 

「じゃあお姉ちゃんもー♪」

 

「それじゃ私も揉んでおこうかしら♪」

 

「クラン!?」

 

 何でだよ!?

 

 一斉に席から立ち上がり、ステラに胸を揉まれている俺の所へと殺到する5人。もちろん俺も抵抗するけど、あっさりと手足を押さえつけられた上に床の上に押し倒されてしまう。

 

 は、早く元の身体に戻りたい……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、ええと……………今回は魔力がしっかりと定着しちゃってるので、前回みたいに簡単には戻らないかと……………」

 

「マジで?」

 

 大きめの植木鉢の中にぎっしりと詰め込まれた土の中に、アルラウネにとっては”根”でもある両足を突っ込んだままそう告げるシルヴィア。彼女が渡してくれた資料には聞いたこともない専門用語がこれでもかというほど並んでおり、中には難解なカルガニスタン語も含まれているため分からない部分は多いが、前回よりもどうやら深刻らしい。

 

 前回はウィッチアップルに含まれる魔力が身体の中にそれほど溜まらなかったためすぐに元の姿に戻れたが、今回はどうやら魔力がしっかりと身体に定着しているらしい。

 

 つまり、一生この姿のままという事?

 

「ということは、タクヤは一生ステラよりも大きなおっぱいを揺らしながら生きていくという事ですか?」

 

「す、ステラ、いい加減揉むのを止め―――――――んっ、バカ、もう止めろって」

 

 お前はいつまで揉む気だ。

 

 俺の正面に立ちながら必死に背伸びをして胸を揉むステラを見下ろしつつ、シルヴィアが用意してくれた資料を読み続ける。何を意味するのかはよく分からない棒グラフや折れ線グラフをちらりと見てから次のページを見てみると、遺伝子についてのグラフや数値が記載されていた。

 

「安心してください。元の姿に戻れないというわけではないみたいですよ」

 

「本当か!?」

 

「ええ。ただし、この体内の魔力は消えませんけど」

 

 定着してるみたいだからな。そう簡単には消えないか…………。

 

 でも、魔力が定着している状態だが、どうやって元に戻すんだ?

 

「ええと…………検査の結果なんですけど、どうやらタクヤさんの魔力の一部としてこの魔力は定着している状態ですので、このウィッチアップルの魔力は完全にタクヤさんの管理下にあります」

 

「つまり、タクヤはその魔力も操れるという事ですか?」

 

「そういうことです。ですので上手くコントロールできれば―――――――」

 

 なるほどね。コントロールさえできれば、元の姿に戻れるというわけか。

 

 それなら助かる。一生女の身体のままというのはごめんだからな。子供も作れなくなるし。

 

「ん? ちょっと待て、シルヴィア。コントロールできるようになったという事は―――――――もし仮に男の姿に戻ったとして、そこから更に女の姿になる事も可能という事か?」

 

「ええ、そうですね。完全にタクヤさんの魔力と融合しちゃってるので、そういう事になります」

 

 なんだそれ。

 

 なんだかウィッチアップルのせいで変な能力を身につけてしまったが、果たして使う事はあるのだろうか。元から女みたいな容姿だったし、もし仮に女装するのであれば息子があることがバレなければ何とかなりそうなんだけど。

 

 とりあえず、元に戻れるのであれば大丈夫だ。魔力が融合しているという事は、自分の魔力を加圧したりする時のように操ればなんとかなるだろう。

 

「魔力が融合したという事は…………タクヤの魔力の味も変わっているという事ですよね?」

 

「ええ、そういう事です」

 

「す、ステラ…………?」

 

 何故か俺の顔を見上げつつ、よだれを小さな手で拭い去りながら目を輝かせるステラ。いや、目を輝かせるというか、目つきが段々と獰猛になりつつある。

 

 あ、そういえばまだご飯食べてなかったな…………。

 

 ステラの主食は普通の食べ物ではなく魔力である。そのため、普通の食べ物をいくら食べさせても、彼女は満腹感を感じることはないのだ。栄養分として吸収できるのは魔力しかないのである。

 

 可愛らしい口からよだれを垂らしながら、後ずさりする俺にじりじりと寄ってくるステラ。さすがにシルヴィアの目の前で幼女とキスをするのは拙いので、せめて部屋に逃げ込んでからそこでたっぷりと魔力(ごはん)をあげようと思ったんだが―――――――ステラの食欲は、俺の予想以上に強烈だったようだ。

 

 彼女の特徴的な髪が触手のように伸びたと思いきや、俺の手足に凄まじい速さで絡みついてくる。抵抗しても離れる気配はない。

 

「す、ステラ、待てって! せめて部屋で―――――――」

 

「が、がまん…………できません…………。い、いただきます…………はむっ」

 

「むぐぅ!?」

 

「えぇ!?」

 

 いきなり目の前で幼女とキスをする羽目になった俺を、目を見開きながら見つめているシルヴィア。彼女に見られているにも拘らずステラは身動きの取れない俺の唇を奪い、舌を絡めながら、これでもかというほど魔力を吸収していく。

 

 身体に力が入らない。魔力はこの世界の人間の”生命力”の一部でもあるので、完全になくなってしまえば死に至るのである。だからさすがにステラは魔力を全部吸うつもりはないとは思うんだが、このままでは本当に全て吸われてしまうかもしれない。

 

 舌を絡ませ合う度に、身体の中から力と魔力が抜け、彼女の甘い香りに包まれる。

 

 けれども―――――――いつもならばそろそろ気を失ってしまう頃だというのに、俺は未だに意識を保っていた。魔力が座れている影響で身体に力はないらないが、どういうわけかそれ以外はいつもと変わらない。

 

「―――――――ぷはっ。ふふふっ、やっぱりタクヤの魔力は美味しいですね♪」

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」

 

「あっ、もうキスは終わりですか? もっと見てたかったのに…………」

 

 何言ってんだコラ。

 

 満足したのか、髪の毛で俺を拘束するのを止めて唇を離すステラ。口元についているよだれを拭い去った彼女は満足そうに微笑みながら、地面の上に倒れている俺を見下ろしている。

 

 しばらくこのまま地面に倒れている羽目になるんだろうなと思いつつ、ダメ元で腕を動かしてみる。すると先ほどまで力が入らなかったというのに、女の身体になったことでなおさら華奢になった真っ白な腕はあっさりと動いた。

 

 おかしいな…………? いつもなら10分くらいはぐったりしてる羽目になる筈なのに。

 

 両足にも力を入れて立ち上がると、魔力を吸い終えたステラが目を丸くした。

 

「えっ…………も、もう立てるのですか……?」

 

 おそらく、魔力の量が男の身体の時よりも増えているのかもしれない。魔力の量には個人差があり、この量だけはどれだけ訓練しても増やせることはないのだが、性別が変わったことで色々と変わってしまったのだろう。

 

 ということは、転生者のステータスにも影響が出ているという事なのだろうか?

 

 確認しようと思ったが、それよりも先に面白いことを思いついた。

 

 ニヤニヤと笑いつつ、”食事”を終えたばかりのステラにじりじりと近づいていく。今度はステラが後ずさりを始めるが、お腹いっぱいになってしまったせいなのかあっさりと俺に追いつかれてしまう。

 

「ステラちゃん、もうお腹いっぱいなのかな? おかわりあるよ?」

 

「え、ええと…………す、ステラはもう、お腹いっぱいです。これ以上食べたら太っちゃいます」

 

「大丈夫だって。魔力は太らないよ」

 

「で、ですが、その…………にゃあっ!?」

 

 はっはっはっはっ。仕返しだ。いつも散々魔力を吸われてるからなぁ。

 

 蒼い鱗で覆われた尻尾を伸ばし、今度は俺がステラを拘束する。性別が変わったせいなのか、今の俺の尻尾は硬い外殻で覆われたオスのキメラの尻尾ではなく、ぷにぷにした柔らかい鱗で覆われたラウラのような尻尾へと変貌しているので、力を入れて巻き付けても骨を折ってしまう恐れはない。

 

 そして尻尾を巻きつけたステラを近くへと引き寄せ、ニヤニヤと笑いながら―――――――今度は俺がステラの唇を奪った。

 

 いつもとは逆である。

 

「むぐっ!? んっ、ん…………っ! ぷはっ! た、タクヤ、ゆ、許してください…………! もう吸収できな――――――むぐぅっ!?」

 

 少しだけ舌を絡み合わせてから解放し、ステラの口元についているよだれを拭い去る。

 

 女の身体も悪くないな。こうやってステラに仕返しができるし、魔力の量も増えているから魔術を使う時は便利そうだ。

 

 しかも魔力を生成する速度も速くなっているらしく、先ほどステラに吸収されたり、ステラにプレゼントしてあげた”おかわり”の分も早くも補充されている。

 

 自分の口元についているよだれを拭い去っていると、ステラがふらつきながら立ち上がった。

 

「ひ、酷いです…………!」

 

「あっ、すまん…………ちょっと調子に乗―――――――」

 

 でも、ステラは許してくれないらしい。

 

 右手に凄まじい量の魔力を集中させたかと思うと、可愛らしい小さな手を思い切り握りしめ、俺を睨みつけながら―――――――幼女とは思えないほどのパワーで、猛烈なボディブローを叩き込みやがった!

 

「しゃーまん!?」

 

 しかもまだ許してくれないらしい。今度は左手に魔力を集中させ、やや斜め上から俺の右の鎖骨の辺りへと強烈な一撃をお見舞いする。

 

「ぱっとん!?」

 

 そして最後に―――――――最初に一撃をお見舞いした右手を握り締め、懐へと潜り込んでくるステラ。姿勢を低くしながら狙いを定めた彼女は、もう既に二発も強烈なパンチを叩き込まれている俺に止めを刺すらしく、最後の一撃を叩き込んでくる。

 

 回避しようと思ったが、魔力を集中させたことで速度が上がった彼女のパンチを避けることは、もう不可能だった。

 

 次の瞬間、顎に強烈なアッパーカットがめり込み―――――――メモリークォーツが埋め込まれている天井まで、吹っ飛ばされる羽目になった。

 

「えいぶらむすっ!?」

 

「まったく…………」

 

 メモリークォーツが埋め込まれた天井に激突し、そのまま地面へと落下してしまう。いつもならばそれほどダメージは受けない筈なのに、もしかしたら骨が折れてしまうのではないかと思ってしまうほどの凄まじい衝撃だった。やっぱり転生者のステータスも変わっているのだろう。ちゃんとチェックしておかないと。

 

 メニュー画面を開き、呻き声をあげながら今のステータスを確認する。

 

 今のレベルはちょうど500。ポイントもまだまだ軍拡ができるほどの量が残っているのだが―――――――その隣に表示されているステータスの数値を見た瞬間、凍り付く羽目になった。

 

 ステータスはやはり変わっていたのだが、かなり極端なステータスになっていたのである。

 

 まず、攻撃力は70000。男だった時は確か69900だったから、これは若干上がっている。そして一番自信のあったスピードは、なんと一気に98000まで上がっていた。男だった時は88000だったから、性別が変わっただけで10000も上がったという事になる。

 

 この2つは上がっていたが…………防御力の方は大問題としか言いようがない。

 

 なぜならば、今の俺の防御力は―――――――たった120しかないのである。

 

 見間違いだと思ったが、画面にはちゃんと120と表示されている。性別が変わる前は65050だったのだが、防御力だけかなり下がっていた。

 

 おいおい、初期ステータスよりもちょっと高い程度じゃねえか…………。

 

 女になった時のステータスは極端だな…………。スピードが上がってるから、どちらかと言うと”攻撃を全て躱しつつ、スピードを生かして強襲する”ような感じの戦い方にしないと危険だ。この防御力では常人と変わらないし、しかも女になってしまっているからキメラの外殻に頼るわけにはいかない。メスのキメラは外殻による効果が苦手であるため、元の身体だった時のように咄嗟に硬化するのは不可能だろう。

 

 何とか使い分けないとな…………。

 

 メニュー画面を見つめながらぐったりしていると、俺を見下ろしているステラが腕を組みながら言った。

 

「今回は許してあげますっ」

 

「す、すいませんでした…………」

 

 とりあえず、もうステラは怒らせないようにしよう。

 

 

 

 

 おまけ

 

 忘れてるよ

 

M26パーシング「…………俺は?」

 

 完

 

 

 

 




※シャーマンは第二次世界大戦中に活躍したアメリカの中戦車です。
※パットンはアメリカの主力戦車(MBT)です。
※エイブラムスもアメリカの主力戦車(MBT)です。


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タクヤが強襲するとこうなる

 

 息を吐きつつ、背中に背負っていた得物を引き抜く。

 

 指先でひんやりとしたトリガーに触れつつ息を殺し、身を隠している白いレンガの建物の向こうからこちらへと伸びている通りの向こうを睨みつける。数秒前まで散弾をハッチからチューブマガジンの中へと押し込む作業に勤しんでいた指を労い、ゆっくりと休ませてやりたいところだが、敵はどうやら俺の指に休息を与えるつもりはないらしい。

 

 微かに砂を含んだ熱風が駆け抜けていく道の向こうから、”敵”が姿を現したのだから。

 

 重々しいエンジンの音を響かせながら姿を現したのは、複数のタイヤで装甲に覆われた巨躯を走行させる怪物だった。ちょっとしたトラックよりも大きな車体の上には機関砲の武骨な砲身が生えた砲塔が設置されており、その砲塔には戦車への攻撃を想定しているらしく、対戦車ミサイルらしきものも搭載されているのが分かる。

 

 BTR-90だ。テンプル騎士団で正式採用している装甲車である。

 

 真っ黒に塗装された車体のハッチが開き、中に乗っていた黒服の兵士たちがぞろぞろと下りてくる。手にしているのはAK-12で、ホロサイトやフォアグリップを装備している。中にはグレネードランチャーを装備している兵士もいるため、もし仮に仕留めるならばグレネードランチャー付きを持っている奴から仕留めるべきだろう。

 

 こちらの得物はショットガンとハンドガンが2丁。あとはちょっとした改造を施したスペツナズ・ナイフが2本。兵士を相手にするならば十分な装備だが、あの道のど真ん中に居座る化け物を相手にするには火力不足としか言いようがない。

 

 せめてフラグ12か対戦車手榴弾でもあれば少しはダメージを与えられる筈だと思いつつ、手にしている銃剣付きのショットガンを見下ろす。

 

 俺が今装備しているのは、アメリカで開発され、第一次世界大戦と第二次世界大戦に投入された『ウィンチェスターM1897』と呼ばれるショットガンの”トレンチガン”と呼ばれるモデルである。

 

 銃身をある程度切り詰め、銃剣を装着できるように改良したトレンチガンは、第一次世界大戦の塹壕戦で活躍した銃である。ポンプアクション式のショットガンではあるが、”スラムファイア”と呼ばれる方法を使えばセミオートマチック式のショットガンに匹敵する速度で強烈な散弾を連発することが可能で、その圧倒的な破壊力は敵であるドイツ軍を震え上がらせた。

 

 その凄まじい攻撃力は、あのドイツ軍がアメリカ軍に対して抗議したほどである。

 

 現在では同じくアメリカ製の『イサカM37』や他のセミオートマチック式ショットガンに取って代わられてしまった旧式のショットガンではあるが、接近戦での破壊力ならば現代でも健在だ。

 

 銃剣がしっかりと装着されているのを確認してから、ちらりと兵士たちの様子を見る。AK-12を手にした兵士たちは8名。そのうちの2名を装甲車の護衛に残し、残りの6名で周囲の索敵をするつもりらしい。

 

 近くにある樽を飛び越え、物音を立てないように家の中へと飛び込む。ちゃんと窓は閉めるべきだろうが、今はちゃんと窓を閉めている場合ではない。

 

 室内戦ならばこっちの独壇場だ。なぜならばこちらは第一次世界大戦の塹壕戦で、数多のドイツ兵を返り討ちにした最強のショットガンなのだから。

 

 やがて、俺が隠れた建物の中にも兵士がやってきたのか、ドアが開いた音がした。この家の構造は分からないが、音が聞こえてきた方向と、オイルの香りが染みついた黒い制服の臭いのおかげで敵兵の位置はよく分かる。

 

 足音を立てないように移動しつつ音の聞こえてきた方向へと移動すると―――――――やはり、がっちりした兵士の背中が見えた。

 

 そのまま近づいて銃床で殴り倒してやろうと思ったが―――――――運が悪かったのか、それとも気配を消し切れていなかったのか、その兵士がアサルトライフルを向けたままこっちを振り向きやがった!

 

「うわっ―――――――」

 

「チッ」

 

 仕方がない。

 

 便利なサプレッサーはついていないが、ぶっ放すしかない。

 

 敵兵がこっちにアサルトライフルを向けるよりも先に銃剣付きのショットガンを向け、トリガーを引く。がっちりした銃身の中から飛び出した12ゲージの散弾が解き放たれ、すぐに拡散して敵兵の身体へと喰らい付くと、瞬く間に真っ赤な血飛沫を家の壁にぶちまけた。

 

 アサルトライフルやボルトアクションライフルよりも強烈で野太い銃声は好きだが、これだけ大きい銃声なのならば外まで聞こえているのは想像に難くない。索敵のために散開していた敵兵がこっちに寄ってくるのも時間の問題だろう。

 

 仕留めた敵兵の懐から手榴弾を2つほど拝借してから、素早く2階へと駆け上がり、窓を開けてそこから外へと飛び出す。装甲車の砲塔がこっちを向いていませんようにと祈りつつ顔を上げたが―――――――装甲車の砲手は俺の動きを見切っていたのか、それともまた運が悪かっただけなのか、BTR-90の機関砲の砲口はしっかりと、正確に着地した俺の方へと向けられていた。

 

「マジかよ」

 

 搭載されているのは大口径の機関砲。戦車を破壊できるほどの火力はないとはいえ、人間の兵士に命中すれば、瞬く間に肉屋で売られているミンチの仲間入りだ。俺はもし死ぬならば老衰で死にたい。だからそういう無残な死に方はごめんだ。

 

 反射的に右へとジャンプすると同時に、装甲車の機関砲が火を噴く。

 

 このまま走って回り込もうと思ったが―――――――周囲にいる敵兵が俺に気付いたらしく、アサルトライフルで迎撃してくる。無理に回り込もうとすれば、装甲車の攻撃に巻き込まれない位置からのフルオート射撃で仕留められるのが関の山だろう。

 

 だったら、正面突破しかない。

 

 あまり無茶な手は好きではないが、こうやって生き残ってきたのだ。

 

 右へと躱すのを止め、砲弾がすぐ傍らを通過していったのを確認してから前へと駆け出す。

 

 真正面へと突っ走る俺へと砲弾が次々に放たれてくるが――――――身体を左へと倒したり、小さく横へとジャンプしてひたすら回避する。もちろん普通の兵士にこんな動きをするのは不可能だ。というか、立ち止まった状態から砲弾を回避するのも不可能だろう。

 

 こんな芸当ができるのは、今のステータスのおかげだ。

 

 それに元々反射速度に自信がある。後はその反射速度を生かせる速度を出せれば、このような砲弾や、銃弾のフルオート射撃を掻い潜るのは容易い。

 

 このまま立ち止まって砲撃を続ければ肉薄されると判断したのか、装甲車が砲撃を継続しつつ後退を始める。距離を稼ぎつつ砲撃で仕留めようとしているのだろうが―――――――それでも、段々と距離は縮められていく。

 

 もっと早く後退するべきだったな。俺のスピードを見くびり過ぎたんだ。

 

 左手で先ほど拝借した手榴弾を取り出しつつ、そのままジャンプ。空中で安全ピンを抜きながら装甲車の上に着地し、手榴弾で自爆する羽目になる前に乗組員が乗り込むためのハッチを強引にこじ開ける。

 

 砲塔の上にあったハッチの中へと手榴弾を2つ投げ込んでから、大慌てで装甲車から飛び降りる。歩兵たちのフルオート射撃が襲い掛かってくるが、その銃弾が俺を仕留めるよりも先に―――――――甲高い電子音が、この戦いの終結を告げた。

 

≪模擬戦終了。勝者、タクヤ・ハヤカワ≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからさ、もっと早い段階で後退すればよかったんだって」

 

「いや、銃声が聞こえた段階で砲撃するべきだったろ」

 

「待てよ。まだニックが生きてたかもしれないんだぞ? それなのに砲撃なんかできるかよ」

 

 訓練区画に新しく作られた”大規模訓練場”の出口から外へと出ると、先ほど俺の相手をしてくれたテンプル騎士団の兵士たちが反省会をしているところだった。どうやら装甲車の砲撃や後退のタイミングについて話し合っているらしい。

 

 ショットガンを肩に担ぎながら近づいていくと、俺に気付いた兵士たちが一斉に敬礼してくれた。

 

「「「お疲れ様です、同志団長!」」」

 

「お疲れ様。相手してくれてありがとな」

 

「いえいえ、こちらこそ勉強になりました。それにしても、ショットガンと手榴弾だけで装甲車を撃破するなんて…………」

 

 そう、さっきのは模擬戦だ。

 

 タンプル搭の地下にある区画の中に、兵士たちが訓練に使う”訓練区画”と呼ばれる区画がある。その中には様々な射程距離を想定した射撃訓練場があり、中には室内戦を想定して建物の中を模した訓練場もあるのだが、さっきの模擬戦を行っていた大規模訓練場は室内戦どころか”市街戦”を想定して建造された、大きな訓練場なのである。

 

 そのため、先ほどのように装甲車や戦車まで訓練に参加させられるほどの広さがある。とはいえヘリが参加できるようなスペースはないので、さすがに航空支援の訓練は外でやる必要がある。

 

 この訓練場もドワーフのバーンズさんが追加してくれた設備なんだが、なんとたった3日で作り上げたらしい。ドワーフは豪快で勤勉な気質の人が多いと言われているが、本当に頼もしいな…………。

 

「いやいや、諸君の錬度も上がってたぞ? 自信を持ってくれ」

 

「は、はい」

 

 そう言いながら、いきなり室内で俺の放ったペイント弾を浴びる羽目になった兵士の肩を軽く叩いた。あの散弾はペイント弾だったのだが、それを至近距離で浴びたせいで、その被弾した兵士の制服には本物の血痕を彷彿とさせる赤い模様が浮かび上がっている。

 

「それにしても、本当に…………その、女の姿になるだけでスピードが上がるんですね」

 

「ん? ああ、そうらしい」

 

 そう言いながら胸元を見下ろしつつ、左手の指で膨らんでいる胸を軽くつつく。やはり指先で触れられた間隔を身体中に伝達してから、ぷるん、と揺れた。

 

 スピードが上がるのは大歓迎なんだが、はっきり言うとこの胸は邪魔だ。

 

 よく揺れるし、伏せた状態で攻撃しようとしても胸が地面に当たる。さすがにサイズはラウラよりも小さいけれど、彼女はよくあんな大きな胸で俺の動きについて来れるよな…………。コツでもあるのだろうか?

 

 若き日の母さんは胸が揺れないように防具をつけて戦っていたらしいが、その気持ちが分かる気がする。

 

「そ、その…………大きいですよね、胸」

 

「あ、ああ」

 

「揉んでいいッスか?」

 

「ダメだろ!?」

 

 止めろって!

 

「と、とりあえず、俺はそろそろ部屋に戻るよ」

 

「了解でーす」

 

「お疲れさまでした、同志」

 

「はーい、お疲れ様ー」

 

 兵士たちにそう言ってから、揉まれる前にその場を離れることにする。踵を返して歩きつつメニュー画面を開き、大活躍してくれたトレンチガンを装備していた銃の中から解除。背負っていたショットガンが消失したのを確認してから、部屋に向かって歩き出す。

 

 配管やケーブルが剥き出しになっている通路を進み、奥にあるエレベーターのボタンを押してエレベーターが迎えに来るのを待つ。ちょっとした鉄格子にも見える扉が左右に開いていき、上の区画から降りてきたエレベーターに乗ってから、中にあるパネルのスイッチを押して第一居住区まで降りていく。

 

 蒸気を吹き出しながら下へと降りていくエレベーターの中で、俺もちょっとした模擬戦の反省会を開いておく。多分部屋の中で敵兵役のニックに気付かれたのは、気配を感じ取られたからだろう。テンプル騎士団の兵士たちも練度は上がっているのだから、運悪く見つかったというわけではないに違いない。

 

 俺も未熟だな。

 

 けれども、性別を変えるだけで機関砲の砲弾を突っ走りながら躱せるほどのスピードが手に入ったのはありがたい事だ。一発でも喰らえば瞬く間にミンチになるのが関の山だが、あれほどのスピードで移動できるのならば、攻撃の際に役に立つだろう。

 

 居住区へと到着する前に、エレベーターの中で体内の魔力を操作。ウィッチアップルから吸収した魔力の濃度を落としていく。

 

 すると、戦闘中はひたすら揺れていた忌々しい胸が少しずつ小さくなっていき、最終的にいつもの胸板へと戻る。メニュー画面を開いて確認してみるが、やはりたった120しかなかった防御力のステータスは、ちゃんと68000まで戻っている。

 

「ふう…………」

 

 俺の性別ってどっちなんだろう…………。

 

 エレベーターから降りると、これから訓練区画へと向かうところなのか、フェイスガード付きのヘルメットやボディアーマーを身につけ、AN-94を手にしたスペツナズの隊員とすれ違った。口の中には鋭い犬歯が生えているから、ヴリシアの戦いで仲間になってくれた吸血鬼の1人だろう。

 

「お疲れ様です、同志」

 

「お疲れ様、フリッツ軍曹。今から訓練かな?」

 

 若干訛っているオルトバルカ語を話す吸血鬼の隊員にそう言いながら微笑むと、彼も微笑んでくれた。

 

 あの戦いが終わってから、テンプル騎士団でも隊員たちに”階級”を付けることになった。

 

 以前までは各部隊を指揮する”隊長”がいるだけで、それを統括するのは参謀を担当するナタリアか団長の俺というかなりシンプルな指揮系統となっていたのだが、規模が大きくなってきたため、いつまでもそのような指揮系統では混乱する恐れがあるという事で、軍隊のように階級を付けることになったのである。

 

 もちろん俺の階級は”団長”。組織のトップだ。

 

「ええ。訓練と言っても自主的な射撃訓練ですが」

 

「それはいい。そういえば、ここでの生活には慣れた?」

 

「ええ。ここは天国ですね」

 

 フリッツたちはヴリシアの過激派の吸血鬼たちだったのだが、吸血鬼たちは実力や技術よりも血筋の方を重要視していたらしく、まだ歴史の浅い家系に生まれたフリッツたちは下っ端だったという。待遇も酷かったらしく、なかなか食料を支給してもらえなかったり、雑用ばかりやらされていたらしい。

 

 けれどもテンプル騎士団ではそのようなことはしない。1人1人の要望は可能な限り聞き入れて解決策を考えるし、血筋よりも実力や技術を重要視する。

 

 さすがに彼らが「もっと血を下さい」という要望を出してきたら少しばかりは反対するけどね。

 

 ちなみに、吸血鬼たちの食料となる血は団員たちが与えることになっている。さすがに牙を突き立てて血を吸うのではなく、注射器である程度血を抜き、それを支給しているのだ。

 

 イリナもそうしているけど、彼女はよく俺の首筋に牙を突き立てて思い切り血を吸っている。俺の血の味が気に入っているらしいんだが、結構痛いんだよなぁ…………。

 

「ちゃんと仲間として扱ってもらえますし、最高です」

 

「それはよかった。何か要望があれば言ってくれよ」

 

「感謝します。では」

 

「おう」

 

 AN-94を背負いながらエレベーターに乗り、訓練区画へと上がっていくフリッツ。彼に手を振ってから踵を返し、部屋の前へと向かう。

 

 ホテルを彷彿とさせる通路の左右にはいくつも部屋があり、扉にはその部屋に住んでいる団員の名前が書かれたプレートが下げてある。やがて奥の方にある部屋の扉に自分とラウラとイリナの名前が書かれているプレートを見つけた俺は、その扉をノックしてから扉を開けた。

 

 簡単なキッチンとしっかりしたベッドが置かれた、少し大きめの部屋。ホテルの一室にキッチンを追加したような感じの部屋だ。団員たちのために食堂も用意しているが、ここで自分で料理することもできるので、よく俺はここで料理をしている。

 

 コートを壁にかけてからベッドの方へと向かうと―――――――今目を覚ましたのか、ピンクの可愛らしい下着姿のイリナが、着替えをしている最中だった。

 

「あ、タクヤ。おかえり」

 

「お、おう」

 

 てっきり叫ぶんじゃないかと思ったけど、普通に「おかえり」って言われた…………。な、なぜだ? 男だって認識されてないのか!? 

 

 もしそうならばショックだよ…………。

 

 イリナは日光を嫌う吸血鬼の1人だ。そのため、基本的に昼間はベッドの脇にあるでっかい棺桶の中で眠っており、夕方辺りに目を覚ますのだ。俺たちとは起きている時間が基本的に逆なのである。

 

 制服に着替えた彼女は、ニコニコと笑いながら俺に抱き着いてきた。

 

「タクヤっ♪」

 

「うわっ! な、なんだよ?」

 

「えへへへ…………そろそろご飯欲しいな。お腹空いちゃった♪」

 

「あー、血ね」

 

 ネクタイを取ってからボタンを2つほど外し、イリナが噛みつきやすいように首筋をあらわにする。血を吸うのならばどこでもいい筈なのだが、イリナは首筋に噛みつくのがお気に入りらしい。

 

「ふふふっ…………それじゃ、いただきまーす♪」

 

「や、優しく嚙みつけよ? それ痛いんだから―――――――痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 あ、相変わらず思い切り噛みつくなぁ………。

 

 食事中の彼女を抱きしめながら、俺は苦笑いしていた。

 

 

 

 

 



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もう1人のシスコン

 

 

 俺にとって、妹は大切な肉親だ。

 

 ムジャヒディンの一員として戦っていた時も、常に一緒にいてくれた戦友であり、家族である。だから俺はテンプル騎士団に入る前から、命懸けで彼女を守ろうとしてきた。

 

 もちろんイリナが弱いわけではない。むしろ彼女の戦闘力は、強力な吸血鬼にも匹敵するほど高いから、もしかしたら俺が守ってやる必要なんかないのかもしれない。それにイリナは優しい子だから、きっと将来はいい男と結婚して家庭を作り、立派にジナイーダの夢を叶えてくれるはずだ。だから俺は妹を見守るだけでいい。

 

 いつもそう思っているんだが…………はっきり言うと結構難しい。

 

 彼女を俺が守る必要がなくなりつつあるという事は理解している。テンプル騎士団に入ってからは強力な異世界の武器が支給されているし、ちゃんとした訓練も受けているから強くなっている筈だ。相変わらず爆発が大好きな彼女の性格は変わっていないものの、もう1人で大丈夫なのかもしれない。

 

 それは分かる。これ以上ないほど理解している。

 

 けれども―――――――気が付いたら、訓練中であるにもかかわらず双眼鏡でこっそりと訓練中のイリナを見守っていたり、他の仲間たちと雑談中の妹を通路の曲がり角から見守っているのである。

 

 スペツナズの仲間たちにも「大佐、妹さんももう立派なレディーなんですから…………」と止められているが、まだ心配なんだよ…………。

 

 そう思いながらAN-94に装着する予定のスコープを点検するふりをして、スコープを覗き込む。もちろんレティクルの向こうには桜色の髪と口の中に生えた鋭い犬歯が特徴的な可愛らしい少女が映っていて、ナタリアと一緒に弾薬の入った箱を持って歩きながら、雑談をしている姿が見える。

 

 楽しそうだなぁ…………。

 

「大佐、何見てるんスか」

 

 隣でPP-2000にオープン型のドットサイトとライトを取り付けていたスペツナズの仲間にそう言われ、息を吐きながら後ろを振り向く。

 

 ちなみに、スペツナズの隊長となった俺の階級は”大佐”らしい。

 

 呆れながら得物の点検をしていたのは、ヴリシアの戦いでこちらの捕虜になり、そのままテンプル騎士団に入団した吸血鬼の”グスタフ”だ。俺と同じくらい体格ががっちりしている巨漢で、普段はLMGを使って敵を強引に鎮圧する役目を担当している。だから彼が小さな得物を点検しているのは珍しい光景と言える。

 

 テンプル騎士団の団員はどういうわけか変人が多いのだが、こいつは男性陣の中で数少ないまともな奴の1人だ。だからスペツナズの副隊長に任命している。

 

「仕方がないだろう、少佐。妹が心配で…………もしあの持ってる弾薬の箱がいきなり爆発して吹っ飛んだらどうする?」

 

「いや、妹さんも吸血鬼だから大丈夫でしょ。同志ナタリアは危ないですけど」

 

「た、確かにそうだが…………もしあの弾薬が銀で、しかも聖水入りだったら拙いだろ!?」

 

「テンプル騎士団の規定では、対吸血鬼用の弾薬などは吸血鬼との戦闘が想定される状況にならない限り支給されません。常に保管しているわけではないみたいですよ」

 

「詳しいな」

 

「はぁ…………規定をよく確認してください」

 

 そんな規定あったっけ?

 

 ああ、確かにあったな。理由は確か、団員の中には銀や聖水を苦手とする吸血鬼のメンバーもいるから、事故を防ぐためだったような気がする。要するに俺やイリナたちのために用意された規定だ。

 

 俺たちはレリエル・クロフォードのような強力な吸血鬼じゃないから、銀の弾丸で撃たれたり、聖水をぶちまけられたらあっさりと死んでしまう。だからこういう規定はかなりありがたい。

 

「はっはっはっ。同志ウラルはシスコンですからねぇ」

 

「う、うるせえぞフリッツ!」

 

 妹が心配なんだよ!

 

 再びスコープを覗き込むと、雑談していたナタリアと別れたイリナが弾薬の入った箱を地面に置き、訓練区画に用意された射撃訓練場のレーンの方へと歩き始めた。背中に背負っていたサイガ12Kを引き抜き、安全装置(セーフティ)を解除した彼女はいつものように射撃を開始するが―――――――やはり装填してあるのは普通の散弾ではなく、より凶悪なフラグ12らしい。

 

 炸裂弾を凄まじい勢いで連射しているせいで、隣で訓練をしていた兵士たちがびっくりしてイリナの方を振り向くが、幼い頃から何故か爆発が大好きなイリナはお構いなしに炸裂弾を連射し、レーンの向こうの的を木っ端微塵に粉砕していく。

 

 かなり派手な光景だ。

 

 あの火力は頼もしいが、やはり実戦で味方を巻き込んでしまわないか不安になってしまう。しかし信じ難いことにあの爆発で仲間を巻き込んだことは今まで一度もないようなので、見境なしにぶっ放しているわけではないらしい。むしろ爆発がどれほどの範囲にいる敵を巻き込むのかを見極めているらしく、彼女の目の前に立つ敵の群れは凄まじい勢いで減っていくという。

 

 うっとりしながらぶっ放している彼女を見ると見境なしに連射しているようにしか見えないが、ちゃんと効率的に敵を排除するように考えているという事だな。

 

 さすが俺の妹だ。

 

「ああ…………可愛いなぁ…………♪」

 

 ニヤニヤしながら見守っていると、彼女の隣にいた兵士が訓練を終えたらしく、PL-14をホルスターに戻して出口の方へと歩いて行く。

 

 そしてそのイリナの隣のレーンに現れたのは―――――――真っ黒なコートに身を包み、蒼いラインの入った黒いリボンをつけた、少女のような容姿を持つ蒼い髪の少年だった。体格は本当に少女のように華奢だが、よく見てみるとちゃんと筋肉がついていることが分かる。

 

 まるで男装した美少女のようにも見えるその男は、俺たちが所属するテンプル騎士団を率いる団長のタクヤ・ハヤカワ。組織の中では最強の転生者であり、俺が最近警戒しつつある人物である。

 

 もちろん警戒しているのは、イリナについてだ。

 

 隣に立つイリナと微笑みながら雑談するタクヤの野郎の顔をスコープで覗き込み、そのまま睨みつけながら唇を噛みしめる。

 

 この世界では数人の妻がいるのは当たり前だ。庶民でそういう事をする奴は殆どいないが、貴族や企業の上層部の奴らには当たり前のように数人の妻がいる。だからもし仮に、数人の美少女たちと一緒にいる事が多いタクヤがその少女たちを全員妻にしたとしても、珍しい事ではない。それにあいつとラウラはあの大企業であるモリガン・カンパニーの社長の子供たちだ。だからどちらかが会社を継ぐことになる。

 

 俺が警戒しているのは、そのハーレムの中に俺の大事なイリナまで含まれている可能性がある事だ。

 

 どうやらイリナはあいつの部屋に自分の棺桶を持ち込んで居座っているらしく、食事の際はタクヤの野郎に噛みついて、イチャイチャしながら直接血を吸っているという。

 

 あ、あいつ、まさかタクヤの事が好きなのか…………!?

 

「た、隊長…………? あの、どうしたんです?」

 

「ま、まだイリナちゃんの事見てるんスか? ―――――――ああ、団長も一緒だ。あの2人って仲いいんですよねぇ」

 

「ああ。そういえば昨日、イリナちゃんが『着替え中にタクヤが部屋に入ってきた』って言ってたなぁ」

 

「何ィィィィィィィィィィィッ!?」

 

 き、着替え中に部屋に入ってきたァ!?

 

「フリッツぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! どういうことだァァァァァァァァァァァァァァ!?」

 

「うわぁぁぁぁぁ!? お、落ち着いてください大佐ぁ!」

 

「お兄ちゃんに全部話せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 全部吐けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「落ち着いてくださいって! イリナちゃんは別に気にしてないらしいですから!」

 

「そ、そうか…………気にしてないなら―――――――」

 

 ちょっと待て。着替えを見られても気にしてない…………?

 

 ということは、もうタクヤに着替えを見られても恥ずかしくないほどイリナは彼の事が大好きという事か…………!?

 

「う、嘘だ…………イリナ…………イリナぁ…………うっ」

 

「たっ、大佐ぁ!?」

 

「大変だ! 同志ウラルが倒れた!!」

 

 嘘だ…………イリナが…………。

 

 タクヤの隣で幸せそうに微笑む最愛の妹の姿を思い浮かべてしまった瞬間、身体に力が入らなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへへっ。ごちそうさまでしたっ♪」

 

「す、吸い過ぎだって…………」

 

 首筋に突き立てていた牙をそっと離して、口元に残った血をやや長めの舌で舐め取りながら微笑むイリナを見上げながら、ベッドの上で苦笑いする。

 

 多分首筋には、彼女が思い切り牙を突き立てた傷跡が残っている事だろう。できるならばもっと静かに噛みついてほしいんだが、イリナはなかなかいう事を聞いてくれない。早く俺の血(ごはん)吸いたい(食べたい)からなのか、それとも牙を思い切り突き立ててしまう癖があるのか、食事をするときはいつも思い切り牙を突き立ててから血を吸うのである。

 

 でも、俺が血を吸われ過ぎて死んでしまわないようにちゃんと調節してくれているのはありがたい。

 

 傍らに置いてある試験管にも似たガラスの瓶を手に取ったイリナは、それについていた蓋を外してそっと俺の口に近づけてくる。中に入っているのはどろりとしている真っ赤な液体で、まるで鮮血で作ったゼリーを溶かした禍々しい液体のように見えてしまう。

 

 モリガン・カンパニー製のブラッドエリクサーと呼ばれる、血液を補充するためのエリクサーだ。傷口を塞いだとしても出血量が多過ぎれば死に至ることもあるので、そういう時にこれを服用することで血液を急激に補充するのである。

 

「はい、あーんっ♪」

 

「あー…………」

 

 口の中にどろどろした真っ赤な液体をぶち込みながら、ニコニコと笑うイリナ。傍から見れば血を吸われて死にかけている少年の口の中に、また血を流し込んでいるような光景にも見えてしまう。

 

 瓶の中身を全て飲み干しつつ、身体から力を抜く。まだ力は入らないけど、血液が補充され始めれば動けるようにはなるだろう。噛まれた痕はそれからエリクサーを飲んで倒せばいい。

 

「ふふふっ♪ まだ力入らない?」

 

「うん、全然入らない」

 

「じゃあ、力が入るようになるまで好きにしていいよね?」

 

「えっ?」

 

 そう言いながら、ベッドの上で横になっている俺の身体の上にのしかかってくるイリナ。もちろんこっちは血を吸われたばかりだから、身体に力が入らない。それゆえに全く抵抗できない。

 

 ニヤニヤと笑いながら身体の上にのしかかったイリナは、真っ白な指で俺の頬や首筋を優しく撫でながら、ぺろりと耳を舐め始めた。人間よりもやや長い吸血鬼の真っ赤な舌が耳を舐め回す艶めかしい音をこれでもかというほど聞かされながら、俺は身体が動くようになるまで耐えるしかなかった。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「あ?」

 

「前にも言ったけどさ、吸血鬼ってとっても独占欲が強いの。気に入ったものは何でも自分だけのものにしたくなっちゃうの」

 

 確かに、前にも言っていた。

 

 吸血鬼は基本的に、独占欲がかなり強いという。宝石や豪華な屋敷だけではなく、もし仮に気に入った他の種族の異性がいたのならば、死なない程度に血を吸いつつ自分だけのものにしてしまう事もあるという。

 

 中にはそのまま人間の男性と結婚してしまった吸血鬼の女性もいるらしい。

 

「だからさ、タクヤも僕だけのものにしたいんだけど…………ダメ?」

 

「あー…………」

 

 ラウラやカノンもいるからなぁ…………。

 

 イリナみたいな美少女に「僕だけのものになって欲しい」と言われたら、大喜びで首を縦に振りたいところだ。けれども俺はラウラやカノンの事も大好きだから、ここで首を縦に振れば彼女たちを捨てることになってしまう。

 

「…………すまん、保留で頼む」

 

「ふふふっ。絶対僕だけのものにするから、覚悟してねっ♪」

 

 そう言ってから、今度は血を吸った場所の反対側にそっと鋭い犬歯を突き立てて甘噛みを始めるイリナ。甘噛みしながら彼女は真っ白な手を俺の頭の上へと伸ばし、蒼い髪の中から突き出てしまった角を撫で始める。

 

 キメラの角は、感情が昂ってしまうと勝手に伸びてしまうのだ。どうやらこの角は頭蓋骨が変異して頭皮から突き出たものらしいが、どうして感情が昂ると伸びるのだろうか?

 

「綺麗な角…………」

 

 多分、角の先端部の事だろう。

 

 俺の角の根元は黒いんだが、先端部に行くにつれてサファイアみたいな色に変色している上に透き通っている。親父はマグマみたいな色になっているし、ラウラは先端部に行くにつれてルビーみたいに真っ赤になっている。

 

「ねえ、折っていい?」

 

「やめて!?」

 

 それ頭蓋骨の一部だよ!? 折ったら致命傷だからね!?

 

「冗談だよぉ♪」

 

「まったく…………」

 

 やっと身体にも力が入るようになってきた。さっき飲まされたブラッドエリクサーが血液を補充し始めてくれたようだ。

 

 身体を起こそうとすると、上にのしかかっているイリナがまだ起き上がってはダメと言わんばかりに両腕を押さえつけてくる。もう少し甘噛みしていたいという事なんだろうか。

 

「ねえねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「明日の夜さ、一緒に出掛けない?」

 

「外出?」

 

「うんっ♪」

 

 イリナは日光を苦手とする吸血鬼の1人だ。太陽の光は吸血鬼の弱点の1つで、中には日光をちょっと浴びるだけで身体が消滅してしまう吸血鬼もいるという。とはいえ日光でどれほどダメージを受けるかは個人差があるらしく、テンプル騎士団に所属する吸血鬼たちは風邪をひいた時のように体調が悪くなる程度で済むという。

 

 だからイリナの場合は、基本的に昼間は棺桶の中で眠っている。そして夕方になった頃に目を覚まして食事をし、完全に日が沈んでから外出するのだ。

 

 それゆえに、イリナが夜中に外出したがるのは珍しい事ではない。前に昼間にイリナを冒険者管理局まで連れて行ったことがあったんだが、あの時は大変だったからな。帰る途中に吐いちゃったし…………。

 

 ちなみに曇り空や雨の日は昼間に外出しても大丈夫らしい。

 

「クラルギスっていう街に、有名なレストランがオープンしたんだって! 一回行ってみたいんだよね♪」

 

「俺は別にいいけど、夜中もやってるのか?」

 

「うん、24時間やってるみたいだよ」

 

「なら大丈夫だな。いいぞ」

 

「やったぁ♪ ふふふっ、そこのパフェが甘くて美味しいんだって♪」

 

 パフェか。俺は甘党じゃないんだよな…………。

 

 どちらかと言うと辛い料理が好きなんだが、そのレストランには辛い料理はあるんだろうか。

 

 とりあえず、明日の夜はイリナを連れて外出だな。ラウラは確か夜遅くまで狙撃手部隊の訓練をしなきゃいけないらしいから、事前に夕飯を作って置いておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志ウラル、明日の夜に外出するようです」

 

「そうか…………よくやった、同志フリッツ」

 

 タクヤの奴、イリナを連れて外出だと…………?

 

 誘ったのはどっちかは分からんが、十中八九タクヤの方だろう。一緒に出掛けて買い物や食事をして、イリナともっと仲良くなってから彼女を自分のものにするに違いない。

 

 そんなことは絶対に許さん…………! もしもイリナを連れて宿屋に入ろうとしたら絶対殺してやる…………!

 

「フッフッフッフッフッ…………さあ、スペツナズ。出撃準備だ」

 

「妹のためだけに特殊部隊を全員動かすのか…………」

 

「隊長ってシスコンだったのか………?」

 

「あの、同志ウラル。ま、マジで出撃するんスか?」

 

「当たり前だぁ…………イリナのためだからな」

 

 イリナは俺が絶対に守ってみせる…………!

 

 

 

 



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シスコンと吸血鬼 前編

 

 

 クラルギスは、タンプル搭の周囲に広がる砂漠を越えた先にある大きな街だ。

 

 元々は、オアシスの中にあった小さな村だった。その小さな村がカルガニスタンを植民地としたフランセン共和国の手によって急激に発展し、今ではフランセンの騎士たちが数多く駐留するだけでなく、数多くの観光客や冒険者も訪れる大きな街に成長している。

 

 カルガニスタンに暮らす部族たちの伝統的な文化を維持しつつ、海外の進んだ文化も取り入れて発展したクラルギスは、おそらくカルガニスタンの中でも最も先進国に近い街だろう。

 

 風通しの良さそうな白いレンガで作られた伝統的なカルガニスタンの建物と、オルトバルカやフランセンに行けばすぐに見受けられるような近代的な建物が並んでいる光景を見つめながら、俺とイリナはバイクから降り、バイクを装備している兵器の中から解除してから、街の入口へと向かう。

 

 バイクが兵器に分類されているのは奇妙な感じがするが、第二次世界大戦の頃には機関銃を搭載したサイドカー付きのバイクを各国の軍が運用していたこともあるから、きっとそれが理由で兵器に分類されているんだろう。実際にモリガン・カンパニーやテンプル騎士団では機関銃付きのサイドカーを装着したバイクを、偵察部隊や警備部隊に支給している。

 

 昼間は猛烈な光で照らされていたカルガニスタンの砂漠は、物静かな星や月に照らされており、まるで安心しているかのように沈黙している。灼熱の日光によって生み出されていた陽炎は見受けられず、今は冷たい風の中で静かに眠りについている。

 

「やっぱり月の光っていいよね!」

 

「そうか?」

 

「うんっ♪ だって日光って熱いし、僕は吸血鬼だから気持ち悪くなっちゃうんだもん」

 

 それは仕方がないよな。そういう種族なんだし。

 

 とりあえず俺はもう二度と一人ぼっちでタンクデサントする羽目になる事はないので、日光でも月明かりでもどっちでもいいんだけどね。

 

 いつもは日光から頭を守るためにかぶっているフードをかぶっていないため、歩きながら隣ではしゃぐイリナがいつもよりも活発に見えてしまう。それに身に纏っているのもいつものようなテンプル騎士団の黒い制服ではなく、白やピンクを基調とした私服で、胸元や両肩がちょっとばかり露出したようなデザインになっている。

 

 服装のせいなのか、いつもよりもイリナが活発に見えてしまう。

 

 普段の制服は彼女たちの身体を日光から守りつつ、夜間の隠密行動の際に発見されにくくするために黒くしてあるのだが、今の彼女が身に纏う私服はそれと真逆という事だ。

 

「ねえねえ、早く!」

 

「随分とはしゃいでるなぁ」

 

「当たり前だよ! あそこのパフェ、本当に美味しいんだからっ♪」

 

 本当に甘いものが好きなんだな、イリナは。

 

 ハンチング帽をかぶり直しながら彼女を見守っていると、俺よりも一足先に街の入り口にある門をくぐっていたイリナが「ほら、売り切れたら大変だよっ♪」と言いながら、ズボンのポケットに突っ込んでいた俺の手を引っ張り始めた。

 

 イリナに手を引かれる俺と、門を警備していた制服姿の騎士と目が合う。てっきり美少女とデートをしている男だと思われるのではないかと思ったが、どうやらその騎士は男が身につけるような服を着ているにも拘らず、すぐ目の前にいる俺を男だと見抜くことはできなかったらしく、「夜は危ないから気を付けてねー」と微笑みながら言って俺たちを通してくれた。

 

 きっとあいつも、俺の事を”少女のような容姿の少年”ではなく”男装した少女”だと思ってたんだろう。ということは、俺は美少女と一緒に遊びに来た男装した少女ということか。

 

 うーん…………やっぱりポニーテールのせいなのかな? でも、前に髪を短くした時も女の子と間違われたし、髪型の問題ではないのかもしれない。顔立ちとか体格のせいだろうか?

 

 とりあえず、俺は男だからな。ちゃんとアハトアハトは搭載してますからね。

 

 適度な殺気を放ちつつ強引に微笑み、通してくれた騎士にぺこりと頭を下げる。するとその騎士は顔を赤くしながら俺から目を逸らし、砂漠の向こうを見据えるふりをして警備を続けた。

 

 なんで顔を赤くしたんだよ…………。

 

「ほら、早く早くー!」

 

「落ち着けって。24時間やってるレストランなんだろ?」

 

「そうだけど、早く行きたいじゃん♪」

 

 やっぱり苦手な日光が無いから、自由に外を歩き回れるのが嬉しいんだろう。レストランにあるパフェが食べられるだけではなく、自由に歩き回れるからこそはしゃいでいるのだろうなと思いながら、俺はイリナに手を引かれながらクラルギスの街中へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちら”オリョール1-1”。目標はクラルギス中央の大通りを通過中』

 

「了解(ダー)。オリョール1-1はそのまま上空で待機。目標の位置を知らせろ」

 

『了解(ダー)、同志』

 

 夜のクラルギス上空を舞うのは、テンプル騎士団で正式採用されている汎用ヘリのカサートカ。漆黒に塗装された機体は完全に星空の中に溶け込んでおり、地上から見上げてあのヘリを発見するのは不可能だろう。微かに回転するメインローターの咆哮が聞こえてくるだけである。

 

 搭載している武装は自衛用のドアガンのみ。スタブウイングには増槽を搭載している。

 

 カルガニスタンの伝統的なレンガ造りの建物の屋根によじ登り、VSSに搭載した暗視スコープを覗き込む。通常のスコープは遠くにいる敵を見透かすことができる便利な代物だが、この暗視スコープはより便利な代物だ。魔力を一切使うことなく、暗闇の中にいる敵まで見透かすことができてしまうのだから。

 

 この世界で普及している魔術の中には、暗闇の中にいる敵を見透かすためのものも存在する。しかし魔術の発動に必要なエネルギーが魔力である以上、使えば敵に魔力の反応を教えることになってしまう。はっきり言えばそのような魔術は魔力を垂れ流しているようなものなので、隠れている敵を発見するどころか逆にこちらの位置を教える羽目になる。それゆえにそのような魔術が真価を発揮するのは相手が魔力の反応を感知できる程度の知識を持っていない場合や、魔物程度である。

 

 しかしこの異世界の兵器に搭載することができる暗視スコープは、魔力を使う必要がない。だから夜間での戦闘や暗闇での戦闘になれば、まさにこちらの独壇場なのだ。

 

 訓練通りに少しばかり調整しつつ、上空を舞うカサートカが教えてくれた大通りへと銃口を向ける。そろそろ夜の12時を過ぎる頃だというのに、クラルギスの大通りには防具を身につけた冒険者たちや私服姿の観光客たちが歩いている。ダンジョンから帰ったばかりなのか、傷だらけの仲間に肩を貸しながら歩く冒険者のパーティーもいるし、管理局で予想以上に報酬を払ってもらえたのか、上機嫌そうに酒場へと仲間たちと一緒に入っていく冒険者たちもいる。

 

「いっぱいいますねぇ」

 

「本当にいるんですか? というか、勝手にスペツナズを出動させるのはやっぱり拙いですって」

 

「黙って探せ。イリナを守るためだ」

 

 部下たちにそう言いながら、俺は大通りの人混みの中から妹とタクヤの野郎を探し続ける。いくら人数が多いとはいえ、あの2人の容姿は特徴的だ。桜色の髪の少女と、蒼い髪の少女みたいな少年を探せばいいのだから。

 

 というか、美少女と男を探すつもりではなく、2人の美少女を探すつもりで探した方が適切なのではないだろうか。タクヤを男だと思っていたら逆に見逃しそうだ。

 

 こんなことを本人に言ったら粛清されそうだな…………。

 

『こちらアクーラ4。こっちは位置につきました』

 

『こちらアクーラ8。こっちも大丈夫です』

 

「了解(ダー)。中央の大通りを重点的に見張れ」

 

『『了解(ダー)』』

 

 アクーラ4とアクーラ8は、テンプル騎士団の中でも最強の狙撃手(スナイパー)と言われているラウラが手塩にかけて育て上げた”教え子”たちの中から選抜された、優秀な狙撃手である。

 

 アクーラ4がサプレッサー付きのスナイパーライフルやマークスマンライフルで比較的中距離からの狙撃を行い、アクーラ8はさらに遠距離から、より大口径のライフルでの狙撃を行うことになっている。

 

 彼女が育て上げてくれた逸材をこんな作戦に参加させてしまったのはちょっとだけ申し訳ないと思っているが、イリナを守るために必要な作戦なのだ。

 

『こちらアクーラ4。アクーラ1、聞こえます?』

 

「聞こえる。どうした?」

 

『ええと…………あれじゃないッスかね、妹さんは』

 

「えっ?」

 

 え、もう見つけたの?

 

 さ、さっ、さすがラウラの教え子だ…………。どんな訓練を受けてきたんだろうか?

 

『え、ちょっと待てよニコライ! お前もう見つけたの!? イリナちゃんどこ!?』

 

『バカ、名前で呼ぶなよアクーラ8! ええと、ほら、あそこだ! あの変な壺を売ってる露店の近くの曲がり角! なんか冒険者の男どもに声をかけられてるみたいだぞ!』

 

 ちょっと待てよニコライ! 変な壺売ってる露店ってどこ!?

 

「ま、待てニコライ。その露店ってどこだ? まだイリナどころか露店すら見つけてないんだが―――――――」

 

『隊長まで名前で呼ばないでください! ほら、あの変な棘だらけの野菜を売ってる露店の隣です!』

 

「変な棘だらけの野菜!? もっと分かりやすく説明しろ、ニコライ4!!」

 

『コールサインみたいに俺の名前を呼ばないでくださいよッ! ええと、防具に身を包んだ金髪のお姉さんが店の前に立ってます!』

 

「金髪のお姉さんはいっぱいいるぞ…………!?」

 

『もうッ! オリョール1-1、隊長に教えてあげてください!』

 

『了解した、ニコライ4』

 

『ふざけてるんスかッ!?』

 

 可哀そうだな、あいつ…………。

 

 というか、冒険者の男共に声をかけられているだとぉ!?

 

 くそ、ニコライ4め! 分かりにくい報告をしやがって! タクヤや他の冒険者共に、俺の大切な可愛いイリナを渡してたまるかッ!

 

『こちらオリョール1-1。目標を捕捉した。3時の方向だ。距離はおよそ500m』

 

「助かった。感謝する」

 

『どういたしまして。―――――――報告は分かりやすくな、ニコライ4』

 

『分かりましたからコールサインで呼んで下さいッ!!』

 

 ニコライの声を聴きながら、オリョール1-1が教えてくれた方向へと銃口を向ける。そちらの方向にまで続く大通りには相変わらず多くの旅行者や冒険者がいたが、さっきまで俺が見ていた大通りの一角と比べるとまだ人は少なく、ここからの狙撃は難しくはなさそうだ。とはいえVSSでの狙撃では無理があるので、近くにいる隊員に代わりにやってもらうか、ニコライの奴に担当してもらった方が良さそうだ。

 

 変な棘だらけの野菜を売っている露店の前には確かに金髪のお姉さんが並んでおり、その隣には確かに変な形の壺が売られている。はっきり言うと壺というよりは、腰から上が折れた人間の銅像みたいな形状をしている。あれは本当に壺なんだろうか?

 

 そしてその隣に―――――――最愛の妹が、いた。

 

 白とピンクを基調とした可愛らしい私服に身を包んだイリナと、その可愛らしい妹を奪おうとしている憎たらしいタクヤの野郎が、確かに冒険者の男たちに囲まれて声をかけられているところだった。男たちはニヤニヤと笑っているものの、あのままではイリナが連れ去られかねない。

 

『こちらアクーラ3。狙撃可能な位置につきました』

 

「よし、あの男たちに『タクヤをあげるからイリナを返せ』と伝えろ」

 

『テンプル騎士団の運営はどうするんですか!?』

 

「ナタリアがやってくれるだろ。あいつしっかり者だし」

 

『いや、トップを渡すのは拙いですって!』

 

 あいつを渡せばイリナは無事で済むし、あいつらも後で男だって気付いて精神的にダメージを受けるだろうなと思ったが、やっぱり騎士団のトップを渡すのはダメか。

 

「じゃあ狙撃だ。やっちまえ」

 

『いや、狙撃したら俺たちがいる事がバレません?』

 

「大丈夫だ。昏倒したように見せかけろ」

 

『無茶ですって!』

 

「装填してるの麻酔弾だろ? 大丈夫だ。やれ、同志」

 

『ですから、団長にバレますって! 団長ですよあの人! バレたら粛清されますって!』

 

「やかましいッ! 粛清される前に消せばいいだろ!?」

 

『団長を!?』

 

 そうだ。イリナを奪おうとする男は全員粛清だ! ハッハッハッハッハッ!

 

 アクーラ3にそんなことを言っている間に、男のうちの1人がイリナの手を掴みやがった! 先ほどまでニヤニヤ笑っていた男たちはもう笑っておらず、まるで憎たらしい相手を睨みつけているかのような表情になっている。

 

 くそ、タクヤのバカは何をやってるんだ!? まさか丸腰で出かけやがったのか!?

 

 もし仮に丸腰でも、あいつの力なら素手であんなごろつき共を昏倒させるのは容易い筈だ。まさかイリナは吸血鬼だから大丈夫だと思ってるんじゃないだろうな?

 

 ふざけやがって…………。イリナはな、乙女なんだよ! お前みたいなアハトアハトがついてる紛い物じゃねえんだ!

 

「いいから撃て、アクーラ3! バレてもいい!」

 

『あー、分かりました! 撃ちますから見守っててください!』

 

 ちゃんと責任は取ろう。スペツナズを動かしたのは俺なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こういう時は、本当に男らしい容姿が欲しいものである。

 

 もし仮に俺が母さんではなく、親父みたいにがっちりした体格の大男だったなら、こんなごろつきっぽい冒険者共が声をかけてくるようなことはなかっただろう。あんな大男に勝てるわけがないとすぐに判断し、イリナを連れ去るのを諦めてくれたに違いない。

 

 しかし残念ながら俺の容姿は、母さんにそっくりである。だからいくら男だと主張しても、初対面の相手は絶対に信じてくれない。

 

 だからこそ、こういう時に男に声をかけられやすい。簡単に言うと見た目だけで”舐められやすい”のだ。

 

 ああ、本当に困る。

 

「いいじゃねえかよぉ。俺たちと遊ぼうぜ?」

 

「ごめんなさい、私たち急いでるの。行こう、タクヤ」

 

「ああ。それじゃ」

 

「おい、ちょっと待てって」

 

 先ほどのように俺の手を引き、男たちを無視しようとするイリナ。しかし俺の手を掴んでいた彼女の白い腕を、俺から見て左側にいた男の浅黒い手ががっしりと掴む。

 

 日頃から重い得物を振り回しているせいで腕力が強いのか、イリナが振り払おうとしてもびくともしない。さすがに本気を出せば振り払えるだろうけど、ここは俺がこいつらをぶちのめすべきだろうか?

 

 念のため、武器は携帯している。上着の内ポケットの中にマカロフとスペツナズ・ナイフを隠してあるし、首にはワイヤーにつないだコリブリをぶら下げている。傍から見れば小さな拳銃の形をした変わったネックレスにしか見えないだろう。

 

 さすがにコリブリでこいつらを殺すのは無理だが、負傷させるくらいはできる筈だ。それに殺す必要はない。昏倒させるか、ぶちのめせばいいのだから。それゆえにぶち殺すのは最終手段である。

 

 殺す相手はちゃんと選ばないと。

 

 とりあえず、こいつらはぶちのめそう。

 

「離してください」

 

「そんなに怒るなって。ちょっとそこの宿にでも―――――――」

 

 威圧感を出しつつ、イリナを見下ろしながらニヤニヤと笑う男たち。どうせこんな少女2人だけで逃げ切るのは無理だろうと思い込んでいるに違いない。自分たちはいつもダンジョンで魔物と戦っている冒険者なのだから、こんな少女たちに負けるわけがないと決めつけているのだろう。

 

 しかし―――――――後悔するぞ。

 

 お前らがケンカを売っているのは、ヴリシアで数多の吸血鬼を爆殺した攻撃的な吸血鬼と、”魔王”の息子なんだからな…………!

 

「はぁ…………」

 

 ため息をつきながらこっちを見るイリナ。どうやら彼女も、こいつらをぶちのめすことにしたらしい。

 

 その次の瞬間、イリナの腕を掴んでいた男の腕が離れたかと思うと―――――――彼女の腕をしっかりと掴んでいた冒険者の男は、口から血と歯の破片と思われる白い物体を吐き出しながら、宙を舞っていた。

 

「―――――――は?」

 

 もちろん、その男の顎を凄まじい力で殴打したのは、俺の隣で不愉快そうな表情をしている吸血鬼の美少女である。

 

 吸血鬼の身体能力は、基本的に一般的な人間を遥かに上回る。瞬発力やスピードでは勝負にならないし、人間では鍛錬を繰り返して鍛えなければ持ち上げられないような大剣でも、吸血鬼ならば利き手ではない方の腕だけで容易く振り回してしまう。

 

 そんな腕力と瞬発力でぶん殴られれば、大男だって宙を舞える。

 

 良かったね、空を飛べて。眺めはどう?

 

「えっ?」

 

「あ、あれ…………?」

 

 ごく普通の少女に仲間がぶん殴られたことが信じられないらしく、呆然としながら落下する仲間を見下ろす冒険者たち。イリナの腕をつかみ、彼女の逆鱗に触れる羽目になってしまったおバカな冒険者の男は、地面の上で気を失っているようだった。

 

 もちろん歯は何本か欠けていて、白目になってしまっている。

 

 敵意をその男たちに向けながら、「君たちも飛んでみる?」と言わんばかりに拳を握り締めるイリナ。先ほどまで手も足も出ないだろうと決めつけていた男たちが、目を見開いて怯えながら後ずさる。

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

「すみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 気を失った男を2人で抱え、大急ぎでイリナの目の前から逃げていく男たち。周囲の通行人にもたった1人の少女に負けた無様な姿を見られていたのだから、多分この街にいるのは難しいだろう。

 

 無様な姿を見た通行人たちに笑われながら退散していく男たちを睨みつけていたイリナは、息を吐きながら肩をすくめた。

 

「最初からぶん殴ればよかったね」

 

「それも悪くないな」

 

 殴り足りなかったのか、イリナはまだ不機嫌そうだ。

 

 せっかく外出を楽しみにしていたのに、変な奴らに邪魔されたからなぁ…………。

 

 彼女の手をそっと握った俺は、まだ不機嫌そうな顔をしているイリナの耳元でそっと呟いた。

 

「―――――――奢るから、今夜は好きなものを食べていいぞ」

 

「本当!?」

 

「ああ。パフェでもケーキでもいい。財布の中の金がなくなるまで付き合うからさ」

 

「やったぁ♪」

 

 はははっ。やっと機嫌が良くなった。

 

「よーし、じゃあ早く行こうよっ♪」

 

「はははっ。はいはい」

 

 スキップしながら俺の手を引っ張るイリナ。

 

 彼女と一緒に街の中を進みながら、俺も久々にスキップすることにした。

 

 

 

 

 



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シスコンと吸血鬼 後編

 

 

『俺たちの出番、なかったッスね…………』

 

『ああ、イリナちゃん可愛い…………』

 

 無線機から聞こえてくる隊員たちの声を聴きながら、俺たちもあの2人を追って屋根の上を移動する。この辺の建物の屋根は起伏が非常に少ないシンプルな形状をしていて登りやすいのだが、逆に言えば遮蔽物になるものが少ないため、隠れにくいという事だ。

 

 今の時間帯が夜であるという事と、テンプル騎士団の制服が基本的に黒い事は辛うじて救いと言えるかもしれないが、騎士団の中でもトップクラスの実力を持つあの2人が本腰を入れれば、俺たちを容易く見つけてしまうだろう。

 

 それゆえに、俺たちに注意を向けさせないことが重要だ。

 

 暗視スコープ付きのVSSを背負ったまま、屋根から目の前の屋根へと飛び移る。ボディアーマーやフェイスガード付きのヘルメットはそれなりに重いが、吸血鬼の瞬発力や脚力ならばこれくらいの装備を身につけたまま屋根の上を飛び回るのは朝飯前なのだ。

 

 メインローターの音が段々と聞こえなくなる。オリョール1-1が飛び去ってしまったのだろうかと思ったが、どうやらまだちゃんとクラルギス上空を飛んであの2人を追跡してくれているらしい。天空を舞う漆黒のヘリが微かに見える。

 

 それにしても、俺の妹はやっぱり強いなぁ。

 

 タクヤの奴は彼女の力を知っていたからこそ手を出さなかったのかもしれない。イリナは可愛い上に強いからな。あんな馬鹿野郎共にケンカを売られたとしても、3秒以内に全員昏倒させるのは当たり前だ。さっきは慌てて部下に狙撃するように命令を出してしまったが、もう少し落ち着かないとな。指揮官は俺だし。

 

「フッフッフッフッフッフッ…………ああ、イリナ…………♪」

 

『オリョール1-1より各員へ。目標はクラルギス南方ゲート付近にあるレストランへと入店。おそらくそこが目標地点と思われる』

 

「よし、よくやった。お前ら聞いてたな? 店を包囲するように展開し、全方位から店内を見張れ」

 

『『『『『了解(ダー)』』』』』

 

 南方ゲート付近か…………。俺もこの街には何度か来たが、あんな場所にレストランなんかあったっけ? 新しくできたのかな?

 

 そう思いながら南方ゲート付近の風景を思い浮かべつつ、真っ白な倉庫で作られた倉庫と思われる建物の屋根の上へと昇る。8時間前の猛烈な砂嵐の際にここに残ったのか、純白の屋根の上は砂でざらざらしていた。

 

 そのまま屋根の上に伏せて双眼鏡を取り出し、ズームして2人が入っていった店を見張る。

 

 確かに南方ゲート付近の建物の群れの中に、新しいレストランが紛れ込んでいた。フランセン語で書かれているため店の名前は読めないが、どちらかと言うと冒険者向けの酒場の様にやかましい感じの店ではなく、お洒落な内装と静かな雰囲気が特徴的な静かな店だ。

 

 俺はあまりああいう店は好きではない。どちらかと言うと仲間たちと一緒に大騒ぎしながら酒を飲んだり、でっかい肉を頬張りたいのだが、どうやらイリナはああいう店の方が好みらしい。

 

 とはいえ、吸血鬼は血を呑まなければ満腹感を感じることはできないし、獲物の鮮血以外は栄養として吸収することができないので、人間たちが食べるような料理を口にしたところで特に意味はないのだ。血を主食とする吸血鬼や魔力を主食とするサキュバスにできるのは、その料理の味を楽しむくらいだろうか。

 

「いた」

 

 南方ゲートの向こうに広がるカルガニスタンの砂漠を見渡せる席に、イリナとタクヤが腰を下ろしてメニューを見始める。どうやらメニューの方はこの世界で公用語とされているオルトバルカ語で書かれているらしく、ここから更に双眼鏡をズームすれば俺でもメニューに何と書いてあるか読めそうだ。

 

 それにしても、この双眼鏡も凄いな。騎士団の連中が使っているような双眼鏡ではここまでズームできないし、ズームするとどうしてもぼやけてしまうから遠距離まで見透かすことはできないのだ。しかしこの双眼鏡はどれだけズームしてもはっきりと見える。

 

 やはり、異世界の科学力は凄まじいな。この世界と違って魔術や魔力は存在しないらしいが、もし仮に異世界と戦争になるようなことになったらこの世界に勝ち目はあるのだろうか…………。

 

 とりあえず、今はイリナを見守ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリナが案内してくれたレストランは、冒険者たちが利用する酒場のように騒がしい店ではなく、物静かでお洒落な感じがする全く正反対の店だった。カルガニスタンではなくフランセンの伝統的な建築様式をベースにしつつ、カルガニスタンの建築様式も取り入れた真っ白なレンガで覆われた店の中は、適度なスペースを確保しているおかげなのか、店内だというのにまるで外にいるかのような解放感を感じてしまう。

 

 こういう場所に来たことがないわけではない。幼少の頃は、むしろこういう雰囲気の店や屋敷にばかり親父に連れて行かれたものだから、どういうわけか懐かしい感じがしてしまう。

 

 今も変わらないとは思うが、当時の親父は貴族たちのパーティーやお茶会によく招待されており、会社の経営をしながら適度にそういったパーティーやお茶会に出席していたのだ。場合によっては母さんたちまで一緒に招待されることもあったのだが、そうなると俺とラウラだけ家に置き去りにされてしまうので、「貴族と接する時のマナーの勉強にもなる」ということで俺とラウラまで出席することになったこともある。

 

 もちろん俺は小さなスーツ姿。ラウラは真っ赤なドレス姿だった。

 

 彼女は「ふにゃー。お姫様みたいっ♪」って言いながら楽しんでたけど、俺は相変わらず男装した少女だと勘違いされたんだよね…………。しかもその後に待ち受けているのは、貴族の長ったらしい自慢話。親父は適当に笑みを浮かべながら聞き流していたけど、俺たちにとってはただの拷問だ。

 

 やがてラウラが出席を嫌がるようになると親父は1人でパーティーに出席することになったけど、おかげで少しくらいはマナーを身につけることができたのではないだろうか。

 

「あ、これかな? 多分このパフェ―――――――ねえ、聞いてる?」

 

「んっ? ああ、大丈夫。聞いてたって」

 

「本当に?」

 

 ごめん。正直言うと昔のこと思い出してた。

 

 なんだか店の雰囲気が貴族の屋敷に似てたからさ…………。

 

「本当だって。で、そのパフェが食べたいって言ってたやつ?」

 

 話題をパフェに戻すと、再びイリナは深紅の瞳を輝かせ始めた。

 

「そう、これ! 生クリームとカスタードクリームがいっぱい乗ってて、美味しそうなフルーツもたっぷりトッピングされてるの!」

 

「あははははは…………。で、でもさ、イリナ。いきなりパフェを頼むより、まず他の料理を頼んでからでもいいんじゃない? 他にも美味しそうなのあるよ? ピザとか、パスタとか」

 

「そうだね、それも悪くないかも♪ えへへへっ、こういう時って吸血鬼の体質は便利だよね♪」

 

 吸血鬼やサキュバスは、主食となる血や魔力を体内に吸収しない限り、どれだけ料理を口にしたとしても決して満腹感を感じることはない。なぜならば吸血鬼とサキュバスが栄養として吸収できるのは、自分たちの主食だけなのだから。

 

 それゆえに、もし仮にイリナがこの店のメニューを全て大盛りで注文したとしても、彼女が「もうお腹いっぱいだよ」という事は決してない。

 

 つまり、その気になればイリナは本当に俺の財布が空っぽになるまで料理の注文を続けることが可能なのだ。

 

 一応財布の中には、砂漠の真っ只中で発見された地下墓地を調査した報酬の残りが6割くらい入っている。それなりに報酬は高額だったんだが、これは今夜ですべて姿を消すに違いない。

 

 もちろん原因は、全部イリナの食費で。

 

「じゃあ―――――――まずミノタウロスのステーキと、カイザーポテトのサラダと、ハーピーパスタかな。もちろん大盛りでお願い♪」

 

「あはははははっ、任せろ」

 

 これで2割消えるなぁ………。ハーピーパスタ以外の2つはどっちも危険なダンジョンでしか手に入らない高級食材じゃねえか…………。

 

 とりあえず俺はそれなりに安いやつにしよう。ライ麦のパンとかもあるみたいだし、あとは適当にハーピーのソテーとコーンスープでも注文しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アクーラ2より各員へ。イリナちゃんは高級食材ばかり注文して食いまくってます』

 

「珍しいな。イリナってあんなに食うのか…………」

 

 血以外では満腹感を感じることはないとはいえ、普段はあまり食べることはない筈だ。外出できたことが嬉しいのだろうか? それとも、タクヤの前だからなのか…………?

 

 危険度の高いダンジョンに生息するミノタウロスのでっかいステーキをナイフで斬ってからフォークで口へと運び、おそらく大盛り用と思われるやけにでっかい皿の中に、辛うじて上品さを維持できる程度にたっぷりと盛り付けられたポテトサラダをスプーンで削って口へと運ぶ。

 

 それに対して、彼女の向かいの席に腰を下ろすもう1人の少年が注文しているのは、まるで冒険者になったばかりで値段の安い料理しか注文できない初心者が口にするような安物ばかりだった。ライ麦のパンにコーンスープ。そして一番大きな皿の上に野菜と一緒に乗っているのは、ハーピーのソテー。

 

 吸血鬼の胃袋を甘く見るからだ。

 

 でも、その安物を口にしている少年は、目の前で高級食材ばかり食ってるイリナと楽しそうに雑談しているところだった。何の話題なのかは分からないが、イリナも同じように笑っている。

 

 すると、話題がその面白い話から食べている料理の話に変わったのか、イリナが自分の注文したステーキを少し大きめにナイフで切ると、それに自分が使っていたフォークを突き刺して―――――――なんと、それをそのままタクヤの口元へと伸ばし始めた!

 

 多分、「ほら、タクヤ。あーん♪」って言いながら!

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

『た、隊長!? どうしたんスか!?』

 

『見ろ、アクーラ3! イリナちゃんが団長に自分のフォークに刺したステーキを!』

 

『な…………ッ!?』

 

「ニコライ4、そこから見えるか!?」

 

『だからアクーラ4です! 見えてます!』

 

「あのフォークを狙撃しろッ!」

 

『無理ですって! 同志ラウラだったらできるかもしれませんけど…………』

 

 ああ、なんてことだ…………ッ! あの2人、まさか本当にもう付き合ってたのか!?

 

 俺の可愛い妹(イリナ)は―――――――もう既にタクヤの女になってしまっていたとでも言うのかッ!?

 

 み、認めてたまるか! スーツ姿のタクヤの隣に、ウエディングドレス姿のイリナが恥ずかしそうに微笑みながら並ぶなど…………ッ!

 

「くそ…………ッ! お、俺が狙撃する!」

 

『同志!? や、止めてください! あっちは食事中ですよ!? というかデート中なんじゃ―――――――』

 

「デートって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ちくしょうッ!

 

 双眼鏡を腰に下げ、背中に背負っていた暗視スコープ付きのVSSを引き抜いて安全装置(セーフティ)を解除。そのままVSSを構え、レティクルを顔を赤くしながら口を開けているタクヤのこめかみへと合わせる。

 

 だ、大丈夫だ………。いくら転生者である上にキメラの能力を持っているとはいえ、こいつの弾丸を硬化していない状態のこめかみに叩き込めば即死する筈だ…………ッ!

 

『同志、止めてください! 危ないですって! というかそれ麻酔弾では!?』

 

「じゃあ寝かせてデートを台無しにしてやるッ!」

 

『おい、誰か同志ウラルを止めろ! 作戦中止!』

 

『同志、落ち着いてください!』

 

「やかましいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! イリナをタクヤに渡すくらいなら、俺はイリナに蹴られたほうがいい!!」

 

 セレクターレバーをセミオートに切り替え、照準を合わせる。

 

 そういえばこれ、実弾じゃなくて麻酔弾だったな…………。まあ、こめかみに当たればどの道台無しになる。

 

 タクヤ、お前には―――――――イリナは渡さないッ!

 

『――――――――――――――こんばんわ、同志ウラル』

 

「…………!」

 

 トリガーを引こうとしていたその時、耳に装着した無線機の向こうから、やけに冷たい聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

 普段は大人びた容姿とは裏腹に幼い性格で、いつも腹違いの弟に甘えて彼を困らせている赤毛の少女。スペツナズに配属されている2人の狙撃手を育て上げ、テンプル騎士団の中でも最強の狙撃手と呼ばれている怪物。今しがた無線機から聞こえてきた冷たい声は、その少女の声と全く同じである。

 

『この声…………同志ラウラ…………!?』

 

『いつの間に…………!?』

 

 なぜ、俺たちの居場所が分かった…………!? 

 

 慌ててスコープから目を離して周囲を見渡すが、どこにもあの赤毛の少女は見当たらない。念のため暗視スコープを覗き込みながら見渡すが、やはりどこにもラウラはいない。

 

 あの能力を使って姿を隠しているのだろうか?

 

「…………どうしてここに?」

 

『タクヤの匂いを辿ったの。やっぱりタクヤがいないと寂しくてね』

 

 匂いを辿った………!?

 

『それよりも、同志ウラル。乙女の恋路に横槍を入れるのは良くないわね』

 

「ッ!?」

 

 バレていただと…………!?

 

 明らかにいつもの幼い彼女ではない。今のラウラは―――――――戦場でクソ野郎共を屠り続ける、本気になったラウラに違いない。

 

 口調が全く違うのだ。

 

『今すぐ武装解除してタンプル搭に戻りなさい。そうしたらこの一件は、副団長である私の権限で不問にするわ』

 

 拒否すればどうなるかは言うまでもない。

 

 もし仮にここでスペツナズ全員でラウラを返り討ちにしようとしても、そのまま全員粛清されるのが関の山だ。第一、こっちは彼女の居場所を把握できていない。それに対し、ラウラはもう既にスペツナズ全員の居場所を把握しているのだから。

 

『本当に妹の事を思っているのであれば―――――――彼女の相手に全て託して、見守るべきではないの? 私はそうしているわ』

 

 額を流れ落ちていく冷や汗を左手の甲で拭い去る。

 

 確かに、もし本当にイリナがタクヤの事を愛しているというのであれば、それを引き裂いて台無しにすることでイリナが幸せになるとは思えない。なのに、どうして俺はこんなことを…………?

 

 やはり見守るべきなのだろうか?

 

 イリナの事をタクヤに託して、俺は黙って見守るべきなのか?

 

「―――――――――アクーラ1より全員に通達する」

 

 そうだ。俺がやるべきことは、イリナがちゃんと幸せになれるように見守る事。ここで彼女の幸せを台無しにすることではない。

 

「――――――――各員、ただちに武装を解除。タンプル搭へと帰還せよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、結果は予想通りだった。

 

 ダンジョンを調査した報酬は財布の中から姿を消しており、俺の財布はただの革の入れ物にしか過ぎない。銀貨どころか銅貨すら使い果たしてしまったのだから、もう中身は空っぽ。銀貨や銅貨が放っていた金属の残り香くらいしか残っていない。

 

「うーん、美味しかったけど…………なんだか食べ足りないなぁ」

 

 高級食材を使った料理を片っ端から注文し、更に食べたがっていたパフェを10人前も頼んで全て平らげてしまったというのに、隣ですらりとしたお腹を撫でる吸血鬼の美少女はまだ食べ足りないらしい。

 

 けれども、もう財布の中は空っぽだからな。別の店には行けないぞ。

 

 どうしよう。部屋で俺が何か料理でも振る舞うべきだろうか。すぐ平らげられてしまうかもしれないけど。

 

 冷たい風が駆け抜けていく夜のクラルギスの南側にあるゲートをくぐり、あくびをしている眠そうな騎士に挨拶をしてから街の外へと歩いて行く。そろそろバイクでも装備してタンプル搭へと戻ろうと思ったその時、冷たい風で冷えかけていた左手を、やけに温かい真っ白な手が包み込んだ。

 

 もちろんその手は、イリナの手である。

 

「どうした? 何か食べるか?」

 

「うん。デザートが食べたい。とっても甘いやつ」

 

 デザートか…………。とりあえず、部屋に戻ればホットケーキくらいは作れるのではないだろうか。

 

 頭の中で部屋に置いてある食材を使った料理を思い浮かべていたせいなのか、俺は全く気付いていなかった。

 

 隣で微笑んでいるイリナが顔を近づけ、俺の唇を奪おうとしていることに。

 

「んっ―――――――」

 

 柔らかい唇の感覚とイリナが発する甘い香りが、瞬く間に頭の中に思い浮かべていたものすべてを消し去ってしまう。

 

 一体何をされているのかという事すら考えられないほどの甘い香りに包まれながら、俺は反射的にイリナを優しく抱きしめていた。

 

 ほんの少しだけ背の小さい彼女と抱き合い、舌を絡ませ合ってから静かに唇を離す。柔らかい真っ赤な唇が離れていく度に、少しずつ何をされていたのかを理解し始める。

 

「――――――ふふふっ。やっぱり、最高のデザートだね♪」

 

「あ、ああ」

 

 どうやら彼女は、キスがしたかったらしい。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「僕ね、決めた事があるの」

 

「決めた事?」

 

 冷たい風の中で、イリナの頬が微かに赤くなっていく。元々肌が真っ白で美しいからなのか、彼女の顔が赤くなっていくのはよく分かった。

 

 白い指先で自分の唇に触れてから、恥ずかしそうに下を向くイリナ。ちらりとこっちを見上げてから息を吐いた彼女は、顔を上げてから言った。

 

「――――――――ぼ、僕を、タクヤの物にしてくださいっ!」

 

「―――――――えっ?」

 

 あれ? 吸血鬼って、独占欲が強いんだよね?

 

 前々から彼女の誘惑されていた事を思いつつ、俺は少しばかり混乱してしまう。首筋に犬歯を突き立てて血を吸い、動けなくなった俺の上にのしかかりながら誘惑していた彼女は、いつも「僕だけのものにしたいなぁ♪」と言っていた筈だ。

 

 なのに今のイリナは、真逆だった。自分を俺の物にしてくれと言ってきたのだから。

 

「あ、あのね、た、タクヤを僕の物にするのは難しいから、そ、その…………っ」

 

 いつも元気でどちらかと言うと大人びているイリナが恥ずかしそうにしているのは珍しい光景だ。もしカメラを持っていたら写真を撮っていたに違いない。

 

 もう少し恥ずかしがる彼女を見つめていたかったんだが、どうやらプライドの高い吸血鬼にとっていつまでも言いたいことが言えないのは耐えられなかったらしい。すぐに覚悟を決めた彼女は、もう一度顔を上げた。

 

「す、好きなのっ! た、タクヤの事が…………だ、だっ、大好き…………だから、僕をタクヤのものにしてほしくて…………」

 

 言いたかったことを言えたからなのか、彼女が少しずつ落ち着き始める。けれども深紅の瞳はじっと俺の目を見つめていて、まだ安堵したわけではないという事を主張している。

 

 安心しろよ、イリナ。

 

 もう答えは準備してた。

 

「イリナ」

 

「は…………はいっ」

 

 な、なんだか恥ずかしいな…………。やっぱり告白するのって緊張する。

 

 多分俺も顔が赤くなっているだろうなと思いつつ、微笑んだ。

 

「――――――――――俺のものになってください」

 

「―――――――――!」

 

 次の瞬間、顔を真っ赤にしながら涙目になった彼女が胸に飛び込んできた。

 

 だから俺は、彼女を優しく抱きしめた。

 

 

 

 



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騎士団と諜報部隊

 

 

 スナイパーライフルには、ボルトアクション式とセミオートマチック式がある。

 

 ボルトアクション式は発射する度にボルトハンドルを引いてから押し戻さない限り、次の弾丸を銃口から放つことはできない。その代わり構造はライフルの種類の中でも単純になり、命中精度も高くなるという利点がある。

 

 セミオートマチック式は、ボルトアクション式の欠点である連射速度の遅さを克服したライフルだ。ボルトハンドルを操作することが殆ど不要となった代わりに、構造は複雑になり、命中精度も低下してしまっている。このセミオートマチック式のライフルが本格的な産声を上げ始めたのは第一次世界大戦の頃だったけど、当時のライフルはとても華奢ですぐに作動不良を起こす物ばかりだったという。技術の発展によってその信頼性が上がっていくのは、もう少し後の話だ。

 

 俺が好むのは、どちらかと言うと後者だろう。

 

 もちろん、任務によって前者を使う事もある。けれども元々俺は”選抜射手(マークスマン)”。ラウラやタクヤのように遠距離からの狙撃をするための本格的な訓練はそれほど受けたわけではないし、そういう状況で狙撃したこともあまりない。

 

 それに、俺の所属する諜報部隊(シュタージ)も、第二次転生者戦争後の軍拡で本格的に規模が大きくなりつつある。

 

 今まではたった5人で情報収集や潜入を行っていたのだが、今ではもうシュタージのメンバーは50人に達している。それに要人の暗殺などは設立されたばかりの特殊部隊(スペツナズ)の仕事になるから、俺たちが最前線に赴く機会は多分減るだろう。

 

 もちろん、だからと言って訓練をサボるつもりはない。いざとなれば俺たちも最前線で戦うことになるのだから、いつでも出撃できるように準備する必要がある。

 

「…………」

 

 覗き込んでいるスコープの照準を調整しつつ、もう一度トリガーを引く。ズドン、といつもよりもすさまじい銃声がレーンの中で反響を繰り返し、弾丸に置き去りにされながら奥へと駆け抜けていく。その銃声が弾丸に追いつくよりも先に、レーンの一番奥で左右に動いていた人型の的の頭にでっかい風穴が開いた。

 

 俺の持つセミオートマチック式のスナイパーライフルから放たれた.338ラプアマグナム弾が、的に命中したのである。

 

 距離は300mくらい。このライフルの持つ命中精度と、今まで磨いてきた技術ならば当たり前の結果である。

 

「ふー…………」

 

 スコープから目を離しつつ、持っていた得物を静かに傍らの台の上に置く。

 

 そのライフルは、もしスコープを取り外してもう少しマガジンが長ければ、ブルパップ式のアサルトライフルや軽機関銃(LMG)のようにも見えてしまうデザインをしている。スコープがあるからこそ狙撃に使う得物なのだという事が分かるような形状の、変わったライフルだった。

 

 俺が狙撃に使っていたのは、ドイツ製セミオートマチック式スナイパーライフルの『ワルサーWA2000』と呼ばれる代物である。

 

 セミオートマチック式であるため、ボルトアクション式のライフルよりも連射速度はこちらの方が早い。更に、命中精度の高さまで兼ね備えているのである。セミオートマチック式の弱点を克服した、連射速度と命中精度の高さを併せ持つライフルなのだ。

 

 しかし、スナイパーライフルの中では重量が重く、更にコストが非常に高いという欠点がある。

 

 端末で生産するために必要なポイントの量も他のスナイパーライフルと比べると群を抜いており、これを3丁くらい生産してしっかりとカスタマイズすれば、装甲車を生産できるほどのポイントの量になってしまうほどである。

 

 とはいえ、今ではもうレベルが2000を超えているのだから、装甲車を生産するのは簡単だ。まだレベルが低かった転生したばかりの頃にこれを作っていたら、きっと接近してくる敵にサイドアームを向けながら震える羽目になっていたかもしれない。

 

 仲間たちに説得されて別の銃を選んだ時の事を思い出しながら、俺は再びスコープを覗き込もうとした。

 

「あ、ブービ君」

 

「やあ、ノエルちゃん」

 

 後ろから可愛らしい女の子の声が聞こえてきて、俺はスナイパーライフルのスコープから目を離す。やはり隣には射撃訓練にやってきた黒髪の女の子がいて、背中に背負っていたVSSを構えてレーンの奥にある的を狙い始めたところだった。

 

 傍から見れば黒髪と真っ赤を持つ小柄な可愛い女の子にも見える。彼女の笑みは可愛らしいんだけど、どちらかと言うと元気で積極的というよりは、控えめで内気な感じの雰囲気を放つノエルちゃん。確かに彼女はクランのように陽気ではなく、初対面の人やあまり話したことのない人の前に立つと口数が少なくなったり、親しい人の後ろに隠れてしまう気の弱い子だけど、どうやら俺もその”親しい人”の中に含まれるらしく、一緒にいる時はこうして笑ってくれるし、後ろに隠れてくれる。

 

 彼女の特徴は―――――――やはり、セミロングの黒髪の両脇から覗く、人間にしては長い耳だろうか。

 

 長さは常人の3倍から4倍くらいはあるだろう。両脇に向かって伸びた長い耳は、もちろん普通の人間のものではない。遥か昔からこの異世界に住むハーフエルフやエルフたちの持つ特徴だ。

 

 そう、ノエルちゃんもハーフエルフ”だった”のである。今では彼女のお父さんが身体に移植した義手の影響で、キングアラクネという凶悪な魔物の遺伝子を持つキメラに変異してしまっているけれど、ハーフエルフだったころの特徴はまだ残っているのだ。

 

 だから小柄で内気な女の子に見えても、瞬く間に転生者を葬ってしまうシュタージの切り札なのである。

 

 俺はシュタージのメンバーの中でも小柄な方で、しかも童顔だ。だから仲間たちには”坊や(ブービ)”という愛称を付けられている。今では俺の愛称になっているけれど、これは最初の頃はちょっとした悪口だったのである。

 

 大学生になったというのに、中学生の群れに紛れ込んでも違和感がないほど幼く見えてしまう自分の身長の低さと童顔をからかわれているような気がするから、あまり好きな名前ではなかったんだ。でも今では完全に慣れてしまったし、もう悪口とは思わない。

 

 けれども、俺よりも年下の女の子に坊や(ブービ)と言われると、なんだか変な感じがしてしまう。

 

 わ、悪くはないんだけどね…………。

 

「あ、当たった」

 

「おー、ちょうど心臓の辺りかな?」

 

「えへへ」

 

 ノエルちゃんが撃ち抜いた的には、もう既に風穴が開いている。スナイパーライフルを使うにしてはまだ”近い”としか言いようがない距離ではあるけれど、彼女の持つVSSもそれほど遠距離からの狙撃を想定した銃ではない。むしろサプレッサーで銃声を消すことを最優先にしたような銃であるため、”暗殺”を好む彼女にはうってつけの代物なのだ。

 

 最低限の射程距離と、獲物を確実に仕留められるストッピングパワー。そして、その弾丸が発射された”痕跡(銃声)”をほぼ完全に消してしまうサプレッサー。キメラとして覚醒してからは、両親から戦い方や暗殺を学んだ彼女は、もう既にその得物で何人もの転生者を消している。

 

 これほどの戦闘力を持つのだから、舞台裏で諜報活動ばかりすることになるシュタージではなく特殊部隊(スペツナズ)に引き抜かれてもおかしくないような人材なんだけど、彼女の所属についてはシュタージのリーダーであるクランと、団長であるタクヤで話し合って決めたらしい。

 

 つまりノエルちゃんは、シュタージという諜報部隊をたった1人の”スパイ”に例えるのならば、彼女はそのスパイがコートの下に隠し持つ1丁の”拳銃(切り札)”。得物を持っていないと思い込んだ敵へと向ける、シュタージにとっての”牙”なのだ。

 

「えへへっ、全弾命中っ♪」

 

「はぁ!?」

 

 タクヤとクランが真剣に話し合っていた時の事を思い出しているうちに、ノエルちゃんはマガジンの中に入っていた弾丸で的を蜂の巣にしていたらしい。人間の姿をしていた筈の木製の的はレーンの向こうで蜂の巣と化しており、ひしゃげた弾丸と共に床に転がっていた。

 

 さすがに彼女はラウラとかカノンみたいな狙撃はできないけど、これくらいの距離ならば自由自在に相手の急所を狙い撃てるんだよね。いつも彼女と一緒に射撃訓練をしているんだけど、やっぱり彼女は段々と強くなっている。

 

 数年前まで家のベッドの上で生活していた身体の弱い子とは思えない。

 

「す、すげぇ…………。ねえ、俺の代わりに選抜射手(マークスマン)やらない?」

 

「えぇー? 私、まだブービ君みたいに上手じゃないよ?」

 

「そんなことないって」

 

 そう言いながら、俺はVSSの銃口を下げたノエルちゃんの頭へと手を伸ばす。身長は俺と殆ど変わらない小柄な彼女の頭を優しく撫でると、ノエルちゃんは頬を少しだけ赤くしながら俯いて、特徴的な長い耳をぴくぴくと動かし始める。

 

 それは彼女のお母さんと同じ癖らしく、嬉しくなったり楽しいことがあると、無意識のうちに動かしてしまうようだ。

 

 あぁ…………可愛いなぁ…………。

 

 彼女のこの癖を知ったのは、ノエルちゃんがシュタージに配属されてから一週間くらい経過した辺りだった。あの頃はまだ俺たちとも親しいわけではなかったので、何かある度に付き添っていたタクヤの後ろに隠れてブルブルと震えていたんだけど、どうやら自分と身長が同じである俺には何故か親近感を感じていたらしく、ケーターや木村のバカと話す時のようには怯えなかったんだ。

 

 ちなみに、木村のバカはいつもガスマスクをつけているせいなのか、未だにノエルちゃんに怯えられている。年下の女の子にガスマスクをつけた変な巨漢が迫れば怯えられるのは当たり前だろう。

 

 あまり俺は彼女に怯えられることはなかったので、”教育係”にクランに任命された俺はまず最初に彼女と一緒に射撃訓練をしたのだが―――――――その時に、発覚した。

 

 彼女が一番最初に的の頭を撃ち抜いたのを見た時に、思わず頭を撫でてしまったのである。

 

 あの時はヒヤリとしたよ。まだ親しくないのにも関わらず、赤の他人としか言いようがない男が年下の女の子の頭を勝手に撫でてしまったのだから。もしかしたら完全に突き放されちゃうんじゃないかと思ったんだけど―――――――褒められたのが嬉しかったのか、ノエルちゃんは恥ずかしそうに地面をじっと見つめて顔を真っ赤にしながら、ひたすら耳をぴくぴくと動かし続けていたのである。

 

 さて、そろそろ俺も訓練を再開しよう。このままじゃ本当にノエルちゃんに追い抜かれちゃう。

 

 そう思って彼女の頭から手を離すと、ノエルちゃんは残念そうな表情をしてから、VSSに新しいマガジンを装填するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の中も、随分と変わった。

 

 以前はちょっと変わった形状の岩山の中に要塞砲を設置し、ただ単に地下を掘り進めて最低限の設備を作り上げたに過ぎないただの地下基地だった。けれどもテンプル騎士団が奴隷たちをクソ野郎共の魔の手から救う度に志願兵や保護された非戦闘員の人数は増え、今では彼らが住むための居住区も拡張が繰り返されて、組織が成長すると同時にこの要塞も”成長”している。

 

 パイプやケーブルが剥き出しになった壁を見つめながら、俺はそう思った。住む人のための部屋が必要になるのは当たり前だし、そのために色々と拡張が必要になるのも当たり前。最初の頃は岩石が露出した炭鉱の中のような通路は、今では広大な要塞のどこかへと伸びる無数のケーブルや配管の露出した壁で覆われており、時折配管の隙間からは蒸気が漏れ出ている。

 

 射撃訓練を終えたノエルちゃんを連れて、エレベーターへと向かう。壁面から突き出たパネルの表面にあるボタンを押して戦術区画のある階を選ぶと、まるで鉄格子を思わせるゲートの向こうにある縦穴の底から、歯車同士が激突して回転するような金属音が聞こえてきて―――――――穴の底から、エレベーターが上がってくる。

 

 俺たちの目の前に到着したエレベーターへと繋がる配管から蒸気が漏れ、扉の前で待っていた俺たちの足元を真っ白に染め上げた。

 

 正確に言えば、これは本物の蒸気ではなく、フィオナ機関で加圧された魔力から圧力が失われた際に生じる”魔力の残滓”と呼ばれる物らしい。要するに、圧力が完全に抜けて再利用できなくなった魔力の”残り物”だ。

 

 完全に圧力が抜ければ小さな隙間から漏れ出してしまうため、どれだけ密度を高くしても関係ないらしい。特に有害でもないから気にしている奴はいないみたいなんだが、俺は滅茶苦茶気になってる。スチームパンクを題材にしたアニメや映画が好きな奴なら大喜びしそうだけど。

 

「ブービ君、知ってる? このエレベーターの部品って、全部フィオナちゃんが設計したんだって!」

 

「フィオナ博士が?」

 

 モリガン・カンパニーの誇る天才技術者(マッドサイエンティスト)。魔術が当たり前だったこの世界に、”科学”という新しい技術の種を撒いたたった一人の天才。名前を耳にすれば立派な女性を連想するかもしれないけれど、きっと彼女の正体が幼い女の子の幽霊だと知っている人は少ないだろう。

 

 この世界の人間ではない転生者ですら、彼女の生み出した技術の恩恵を受けているほど、彼女の技術はこの世界に浸透していると言っても過言ではない。今俺が寄りかかっているエレベーターの壁から露出しているケーブルを覆うゴムも、今まで加工が困難だった魔物の皮膚を再利用して作り出した物だという。

 

 やがてエレベーターが戦術区画まで這い上がる。ベルが鳴ってから数秒後に鉄格子を思わせる扉が開き、やはりここでも蒸気にも似た魔力の残滓を配管の隙間から吐き出して、俺たちを送り出してくれる。

 

 オルトバルカ語で書かれたプレートが連なる部屋の前を通過し、シュタージの指令室へと向かう。

 

 戦術区画には各部隊への命令を出すための指令室があるが、表舞台に出ることがあまりないシュタージの指令室は、通常部隊や特殊部隊(スペツナズ)を指揮するための”中央指令室”とは分けられている。

 

 中央指令室の反対側にあるプレートに”諜報指令室”と書かれているのを確認してから、俺とノエルちゃんは扉を開けた。

 

「ブラボー1、そのまま潜入を続行せよ」

 

「こちら本部。定時連絡を確認」

 

「フランセンに潜入中のエコー5より連絡。『狙いは定めた』」

 

 扉を開けた瞬間に鼓膜を支配するのは、ずらりと並んだデスクの上に配置されたコンソールをひたすら指で操作する、まるでパソコンのキーボードを連打しているかのような音。彼らの目の前には一般的なパソコンの画面の半分くらいの画面が設置されていて、そこに凄まじい量の文章―――――――おそらく各地に潜入させている密偵からの暗号文だろう―――――――が表示されているのが見える。

 

 そしてそれを報告するオペレーターたちの声や、書類をめくる音。それらの音が、シュタージの指令室を支配する”曲”だ。

 

 そしてその指揮者は―――――――部屋の中心にある大きなデスクに囲まれ、片手でコンソールを操作しながらもう片方の手でエージェントたちからの報告書を持ち、それに目を通しているところなのだろうか。いつも陽気な性格の俺たちのボスは、こういう時は強気でしっかりしている女傑に早変わりだ。彼女の恋人になれたケーターの野郎は本当に幸せ者だと思いつつ、俺はノエルちゃんと一緒に自分の席に着く。

 

 席を離れたのは1時間くらいだというのに、デスクの上にはどっさりと報告書が乗せられている。

 

 この諜報指令室でタイプライターやコンソールを操作し、暗号の解読や命令を出しているオペレーターの人数は20人ほど。残りの10人は休養中で、残りの20人は世界中に派遣されている。目的はもちろん情報の収集で、転生者の居場所の調査だけでなく、各地で人々を虐げているクソ野郎の情報や、テンプル騎士団に役立ちそうな情報まで集めているのだ。

 

 そして俺は、”今は”オペレーターの1人に割り当てられている。

 

 近くに置いてあるヘッドセットを耳に当て、左手を伸ばして目の前にあるモリガン・カンパニー製のコンソールを操作する。

 

『こちらチャーリー7。本部、応答せよ』

 

「こちら本部、どうぞ」

 

 チャーリー7は、確かフランセンの隣にある”ラルニラス王国”に派遣しているエージェントだ。数日前に転生者を目撃したという報告があったから、近々エージェントを増員する予定の国である。

 

『さっきウサギを見た』

 

 暗号だ。ウサギは俺たち(転生者ハンター)の獲物。すなわり転生者(クソ野郎)を意味する。

 

「どうだった?」

 

『肥え太った美味そうなウサギだった。今日のディナーが楽しみだ』

 

「分かった、すぐに調理する(部隊を派遣する)最高の酒(詳しい情報)を準備しつつ、待機せよ」

 

『了解(ダー)、同志』

 

 おそらく、もう転生者が人々を虐げる件数は激減することだろう。もう既に大規模な増員により、シュタージの情報収集が可能な地域は凄まじい勢いで増えつつある。この情報を実働部隊に送ることで向こうの司令部が討伐する目標の優先順位や派遣する部隊を決め、転生者の討伐を行うのだ。

 

 この転生者も、すぐに狩られるだろう。

 

 大変だが、これが俺たちの役割だ。

 

 俺たちはこの異世界を守る”騎士”になるのだから。

 

 

 

 

 

 



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ラジオ・タンプル

 

 

 この世界には、はっきり言うと前世の世界のように娯楽がたくさんあるわけではない。

 

 全く娯楽のないつまらない世界だと言うつもりはない。もちろん娯楽はあるけれど、俺たちが好む娯楽と言えば書店で販売されているマンガやラノベくらいだろうか。もちろんそれも面白いのだけれど、科学力がこの世界よりもはるかに発展した前世の世界でアニメやオンラインゲームを楽しみながら過ごしていれば―――――――すぐに飽きてしまう。

 

 幸い銃の試し撃ちはいつでもできるし、前世の世界には存在しなかった魔術も使えるから、そういった”異世界の常識”を体験する楽しみはある。けれどもどうしても前世の娯楽が恋しくなってしまうのだ。

 

 メニュー画面を開き、歩きながら画面をタッチしてため息をつく。このメニュー画面を使って転生者同士でオンラインゲームがプレイできたり、アニメを見れるような昨日はアップデートで追加されたりしないのだろうか? もしこの能力を作り出した調本がいるというのならばちょっとそういう機能を追加してほしいものである。

 

 そう思いつつ、自分のステータスを確認してからメニュー画面を閉じ、自室の前へと向かう。要塞の中のどこかへと通じているパイプやケーブルが剥き出しになり、いたるところにバルブや圧力計が取り付けられた廊下を包み、いつも目にしている自室の扉を開ける。

 

 シンプルなキッチンと浴室のついたまるでホテルの部屋のような自室へと足を踏み入れてから、扉を閉めて上着を脱ぐ。いつもなら上着を脱ぐ前に腹違いの姉が抱き着いてきたり甘えてくるので、このコートを脱いでネクタイを取るだけでも姉の妨害と誘惑が原因で30分くらいもかかってしまうのが当たり前だ。だから今日はやけにスムーズに上着を脱ぐことができた。

 

 でも、今日はそのお姉ちゃんがいない。ベッドの隣に置いてある棺桶の中には毛布が敷いてあるだけで、その中で寝息を立てていた筈の吸血鬼の少女も見当たらない。

 

 イリナは夜間の警備のため、警備班の兵士たちと一緒に検問所の方に行っている。ラウラも狙撃手部隊の育成のため、砂漠まで魔物の討伐で出払っているので、今夜は1人だ。

 

 なんだか寂しいなあぁ…………。いつもお姉ちゃんが甘えてくるのを楽しみにしてたのに…………。

 

 脱いだコートを壁にかけ、部屋の中に置いてあるソファに腰を下ろす。ちらりと壁にかけてある時計を見て時間を確認してから、俺は目の前の小さなテーブルに置いてある奇妙な物体へと手を伸ばす。

 

 まるで木材の中から切り出して作った木製の箱にも見えるが、その表面にはスイッチやダイヤルのようなものが埋め込まれているのが見える。その箱の側面にはしっかりとモリガン・カンパニーのロゴマークが描かれており、あの世界規模の超巨大企業で開発された製品だという事を意味していた。

 

 部屋に戻る度に甘えてくるお姉ちゃんも楽しみだけど、最近は”これ”も楽しみの1つとなった。

 

 ニヤニヤしながらそれの表面に埋め込まれているスイッチを押し、ダイヤルを少しばかり回すと―――――――ノイズのような音が部屋の中に響き始めたかと思いきや、やがてそのノイズが人間の声へと変貌していき、この世界に生まれ変わってからはすっかり聞き慣れてしまったオルトバルカ語で話す女性の声を形成する。

 

『――――――タンプル搭の住民の皆さん、明日は射撃訓練の日です。住民の皆さんには1人につき1丁の銃の所持と、一週間に一度の射撃訓練が義務付けられています。割り当てられた訓練場へ、所有する銃器を持参してお越しください』

 

 いきなりノイズと女性の声を響かせ始めたこの物体は―――――――フィオナちゃんが開発したばかりの、”異世界の技術で作られたラジオ”である。

 

 俺たちが幼い頃にカメラを開発したフィオナちゃんが、ついにラジオまで作り上げてしまったのである。

 

 動力源はもちろんフィオナ機関。とはいえ連射の機関車に搭載するのがやっとだった初期型のように大きなものではなく、虫かご程度の大きさの箱の中に収められるほど小型化された最新型だ。スイッチを押しつつ魔力をほんの少しだけ流し込むことによって、注入された魔力がフィオナ機関へと送り届けられ、内部で加圧されるわけだ。そしてその加圧された魔力を使って、放送局から発せられる音声を受信するという原理である。

 

 放送局からの音声の送信は、かつて一度廃れ、ノエルの母であるミラさんが蘇らせた音響魔術を応用した技術で送信しているのだという。フィオナちゃんが一緒に発明した送信機に向かって音響魔術とマイクを使う事により、その音声を発信することができるらしい。

 

 とはいえまだ実用化されたばかりだし、送信できる距離も前世の世界のラジオよりもはるかに短い。すぐ近くにある送信局からの音声は難なく受信できるけど、さすがにここからオルトバルカにある送信局の音声を受信するのは不可能なのである。

 

 製造するためにコストがかかってしまうため、値段は一般的な労働者の年収に匹敵するほど高い。貴族や領主なら躊躇いなく手を出せる値段だけど、さすがに庶民には辛い金額なのだという。

 

 ちなみにこのラジオは、親父たちがこの世界で初めてラジオが発明された記念に無償で送ってくれた。しかもコストがかかるにもかかわらず、タンプル搭に住んでいる住民全員分をオルトバルカからヘリで空輸してくれたのである。

 

 もちろんこれ以上必要になるのであれば購入することになるから、そこはテンプル騎士団の資金を考慮する必要がありそうだ。

 

『ではタンプル搭の皆さん、おやすみなさい』

 

 さて、そろそろ”あれ”が始まるな。

 

 タンプル搭にも急遽送信局を設立し、ラジオを使って住民たちや兵士たちに放送するための人員も決めてある。普段はテンプル騎士団の兵士たちがあげた戦果やニュースを放送しているのだが―――――――毎週日曜日の夜10時から、住民たちだけでなく兵士たちからも絶大な人気を誇る放送が始まるのである。

 

 ニュースも終わったし、そろそろだな…………。

 

 もちろん俺も楽しみにしている。ちらちらと時計を見上げながら秒針が進むのを待ち続け、息を呑む。

 

 そして、ついに楽しみにしていた放送が始まる。

 

『―――――――タンプル搭の皆さん、こんばんわ! ”ラジオ・タンプル”の時間です!』

 

「はははっ」

 

 よし、始まった!

 

 ラジオの向こうから聞こえてくるナタリアの声を聴きながら、俺はニヤニヤし始める。

 

『Guten Abend|(こんばんわ)! シュタージ所属のクランですっ♪』

 

『はい、今週も私とクランちゃんの2人でお送りいたします!』

 

 こういうのを放送したいと言い出したのは、シュタージのクランの方である。

 

 ラジオをモリガン・カンパニーからプレゼントされ、向こうの技術者に指導してもらいながら放送局を用意したのはいい。でも、放送しているのがいつもニュースばかりでワンパターンになりつつあったので、娯楽になるような放送をするべきだとクランが提案してくれたのである。

 

 どうやらナタリアも同じことを考えていたらしく、その提案は円卓の騎士たちの会議ですぐに承認された。

 

 その方が住民も喜ぶだろうし、戦場で命懸けで戦っている兵士たちにも可能な限り多くの娯楽が必要だ。戦場の真っ只中にいるだけでかなりのストレスがたまるのだから、それを和らげる必要がある。

 

 2人の意見はやはり正しかったらしく、まだ3回しか放送していないにもかかわらず、この2人が放送するラジオ・タンプルはあっという間に大人気となり、放送局には住民や兵士たちからのファンレターが殺到したという。中には戦車や装甲車だけでなく、戦闘ヘリや爆撃機の機内にラジオを持ち込んで、この放送を耳にする兵士もいるほどらしい。

 

『クランちゃん、ついさっきまで仕事だったんでしょ? 大丈夫?』

 

『大丈夫よ。私もこれを放送できるの楽しみにしてるから、すぐに書類を片付けてすっ飛んできたの♪』

 

『元気だなぁ…………クランちゃんみたいに元気になるコツってある?』

 

『んー…………私はケーターに支えられてるからかなぁ?』

 

 いつも仲良いからなぁ。

 

『さて、そろそろ進めちゃいましょう!』

 

『はい、では今週の”こんな奴は粛清だ!”のコーナーです!』

 

 ああ、このコーナー大好きなんだよね。

 

 一番最初の放送はナタリアとクランが色々とトークするだけだったんだが、二回目の放送でこのコーナーが産声を上げた。

 

 要するに、”相手を粛清したくなってしまうような体験談”を紹介するコーナーである。タイトルが物騒だけど、これ考えたの俺じゃないからね。クランの旦那(ケーター)だよ。

 

『ええと、一番最初は…………ペンネーム”鉄パイプ愛好家”さんからです。ええと、《今朝、愛用の鉄パイプを勝手に廃棄処分されてテンションが下がってます。確かに戦場で使うものですから汚れてますし、それをただ部屋の中に置いておいたのは悪いかもしれませんが、あれは数多の戦場で私の命を救ってくれた大切な相棒だったのです。酷すぎますよね!?》…………あー、可哀そうですね、これは』

 

『大事なものを捨てられたわけじゃないんだけど、ドイツ(ドイッチュラント)で生活してた頃にね、大事に取っておいたバウムクーヘンをパパに食べられちゃったことがあったの。あれはショックだったわ…………』

 

『うん、私もタクヤにクッキーを食べられちゃったことあるから分かるわ』

 

 あっ、あのクッキー…………あれナタリアのやつだったのか…………。

 

 ラジオを聴きながら冷や汗を拭い去りつつ、ちらりと鏡を見てみる。テーブルの上に置いてある小さな手鏡に映っている俺の顔は、やっぱり青くなっていた。

 

 ごめんなさい、ナタリアさん。

 

『あら、酷いわね』

 

『タクヤ、後で部屋で待ってなさい』

 

 ひぃっ!?

 

 な、なんかラジオの向こうからマガジンを装着する音が聞こえてきたんだけど、まさか銃の準備してるわけじゃないよね!?

 

 も、もしかして粛清する気か…………!?

 

『でも鉄パイプなら工房に行けば簡単に手に入りますし、落ち込まないでくださいね』

 

『では、次ですね。ええと、ペンネーム”貧乳機関銃”さんからです』

 

 ちょっと待て、なんだそのペンネーム。

 

 貧乳機関銃…………? もしかしてステラか? 機関銃を使うのはあいつだし、胸の大きさを気にしてたからなぁ…………。もしかして彼女以外で機関銃を使う女性の兵士かもしれないけど。

 

 ちなみにテンプル騎士団の兵士の中には、ちゃんと女性もいる。中にはショットガンで敵の群れの中に真っ先に突っ込んで行く猛者もいるという。

 

『《この前、私の仲間が女の子になりました》…………なんだか聞き覚えがあるわね』

 

 俺の事じゃん!

 

『《女の子になったばかりだというのに、私よりも胸が大きかったです。それどころかナタリアよりもちょっと大きかったです。あれはどういうことですか? ぜひ粛清したいです!》…………クランちゃん、私そいつ知ってる』

 

『うん、私もこいつ知ってるわ』

 

 だから俺の事じゃん! 前にウィッチアップル食って性別を変える能力を身につけちまった時の事だろ!?

 

 何だよ今回の放送は。2回も粛清されんの!?

 

『実はね、女の子になった彼を見た時、私もちょっと危機感を感じてたの。結構大きかったし』

 

『え、そうなの!?』

 

『ええ。さすがにラウラくらいのサイズじゃないけど』

 

『…………と、とりあえず、胸の話はここまでにしておきましょう』

 

『それにしてもラウラのおっぱいって大きいわよねぇ。なんだか羨ましいなぁ』

 

『クランちゃん!?』

 

 少しラジオの音量を下げてから、体内の魔力の濃度を変えていく。ウィッチアップルから吸収する羽目になった魔力の濃度が上がっていくにつれて、身長が少しばかり縮み始めたかと思うと、反比例するかのように胸がどんどん膨らみ始める。

 

 た、確かに割と大きいよな…………。重巡洋艦ナタリアよりは大きいかも。

 

 とりあえず無言で魔力の濃度を元に戻し、本来の姿に戻っておこう。

 

『次は、ペンネーム”変態★ガスマスク”さんからです』

 

 木村じゃないの?

 

『ええと、《ガスマスクは取らなきゃダメですか? 私はあのデザインが大好きなのですが…………》』

 

『正直に言うと、ガスマスクを怖がる人もいるからタンプル搭にいる時くらいは外した方が好ましいわ。で、ナタリアちゃん。次は?』

 

『え、コメントそれだけ!?』

 

『だってこれしか言いようがないもの♪』

 

『ええと…………ペンネーム”ニコライ4”さんからですね。《最近みんながコールサインで呼んでくれません。コールサインではなく本名で呼ぶ人もいるのですが、さすがに作戦中に本名で呼ばれるのは拙いですよね。どうすればいいですか?》…………これは大変ですね』

 

『そうねぇ…………本名を呼んだ人を粛正するとか?』

 

『ねえ、もっと平和な解決策にしない?』

 

 やめろよ…………本名で呼ぶたびに粛清したら大変なことになるわ。

 

『あ、いい事思い付いた! いっそのこと本名の方を変えるとか!?』

 

『それも大変だと思うんだけど…………。ええと、ニコライ4さん。落ち込まないで地道に頑張ってみてください。もしそれでも無理だと判断したら、遠慮なく上層部の方に直接相談に来てください』

 

『あ、シュタージでもいいわよ。きっと懐に拳銃を装備したエージェントが解決してくれるわ♪』

 

『弾丸で!?』

 

 笑いながらソファーに寄り掛かり、近くに置いてあったスコーンを拾い上げて口へと運ぶ。

 

 いつもならもうシャワーを浴びてる時間だけど、今夜はこれが終わるまでここで放送を聞いてよう。そう思いながら俺は、ラジオの向こうから聞こえてくる2人の少女のトークを聴き続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お先に失礼しまーす」

 

「はーい、お疲れ様ー」

 

 ふー…………。とりあえず、今週の放送は何とか終わったわね。

 

 放送局のドアを開け、外に置いておいた自分の黒い規格帽をかぶってから放送局を後にする。第5居住区の下層部にある放送局を離れてエレベーターに乗った私は、壁に寄り掛かりながら息を吐いた。

 

 ええと、確か明日は住民の射撃訓練があるからそれの指導もしないといけないし、まだ片付けなければならない書類や会議で提案された議案が残っていたからそれも何とかしないと。忙しいわねぇ…………。

 

 エレベーターで第1居住区まで上がり、そのまま通路を通って自室へと向かう。通路ですれ違った兵士たちに敬礼すると、「放送お疲れさまでした!」って声をかけられちゃった。

 

 微笑みながら「聴いてくれてありがとう♪」って返事をして、自室の前へと向かう。団員に与えられる部屋には必ず鍵がついているんだけど、部屋の中に誰かいるからなのか、いつも私とカノンちゃんとステラちゃんが生活している部屋のドアにカギはかかっていない。

 

 ため息をつきつつドアノブを捻り、部屋の中へと入る。

 

 夕食は食べたんだけど、放送で疲れたからなのか、ちょっとお腹が空いたわ…………。お菓子でも残ってないかしら?

 

 そう思いながらキッチンに向かったけれど、大食いのステラちゃんがいる時点でお菓子が生存している可能性はかなり低い。あの子、魔力を吸収しない限り満腹感を感じられない体質だから、いつまでも食べ続けちゃうのよね。

 

 冷蔵庫の中にはやっぱり何も残っていない。そろそろ街まで買い出しに行くべきかなと思いつつテーブルの上を見た私は、見慣れない小包が置いてあることに気付いた。傍らには手紙も置いてある。

 

「…………なにこれ?」

 

 小包を開けてみると―――――――美味しそうなバターの香りと共に、まだ温かさを纏うクッキーたちが顔を出した。

 

 あれ? 誰か買ってきてくれたのかな?

 

 そう思いながら、手紙の方をちらりと見る。

 

《ナタリアへ。この前は勝手にクッキーを食べちゃってごめんなさい。口に合うか分からないけど、手作りのやつで良ければ食べてください。それと放送お疲れ様。タクヤより》

 

「…………ふふっ」

 

 あのバカ…………。

 

 仕方ないわね。取っておいたやつよりも美味しそうなクッキーだし、これで許してあげようかな。それにタクヤの手作りだから多分美味しい筈だし。

 

 クッキーの入った小包を見下ろしながら微笑んだ私は、彼の事を思い浮かべながらクッキーを口へと運ぶ。

 

 やっぱり、タクヤに食べられたやつよりも美味しいわね。甘さは控えめだからジャムを付けても合うと思うし、作ったばかりなのかまだ温かい。それに歯ごたえもしっかりしてる。

 

 うん、許してあげよう。

 

 そう思いながら、私は2つ目のクッキーへと手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 



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天秤の在り処

 

 自室で腹違いの姉と夜間の警備から帰ってきたルームメイトに朝食を振る舞ってから、俺は部屋を後にした。

 

 イリナはどうやらかなり眠かったらしく、朝食を終えてから口元を拭き、歯を磨いたらすぐに愛用の棺桶の中に潜り込んでそのまま眠ってしまった。イリナの寝相は結構凄まじく、彼女と睡眠時間が嚙み合ってしまうと眠っている最中に飛び蹴りを喰らう羽目になってしまう事も多々あるので、ちゃんと彼女は寝る前に棺桶の蓋を閉めるようにしている。

 

 部屋に戻ったら部屋の中がイリナの寝相で滅茶苦茶にされていても困るので、ちゃんと蓋を閉めて眠っているのはありがたい。

 

「えへへへっ♪」

 

 相変わらず、左腕にはお姉ちゃんがしがみついている。外出する時はキメラであるという事を隠すためにベレー帽をかぶり、真っ赤な鱗に覆われた尻尾をミニスカートの中に隠しているんだが、今ではもうタンプル搭の中では俺たちがキメラであるという事は完全に知られているので、少なくとも要塞の中を出歩くのであれば細心の注意を払って隠す必要はない。

 

 歩く俺の肩に頬ずりするラウラは幸せそうな表情をしているが、彼女にそんなことをされながら歩く俺は非常に歩きにくいし、すれ違った団員たちも苦笑いしながら敬礼するか、「羨ましい…………」と呟きながら立ち去っていく。

 

 俺の威厳は、多分そんなに高くないだろう。どうすれば親父みたいな指導者になれるのだろうか。

 

 そう思いながら、すれ違っていく兵士たちとラウラがぶつからないようにさり気なく俺も尻尾を伸ばし、彼女を支えながら歩く。それをエスコートと勘違いしているのか、それとも強引にそう思い込んでいるのか、ラウラは顔を赤くしながら微笑み始めた。

 

 ヴリシアでは進撃してくるマウスに肉薄して大損害を与え、図書館防衛戦では狙撃でヘリのコクピットを狙撃して撃墜する戦果をあげた最強の狙撃手とは思えない…………。戦闘中はかなり頼りになるお姉ちゃんだが、普段は甘えん坊のお姉ちゃんだ。

 

「ねえねえ、今日デートに行かない?」

 

「んー…………ごめん、明日でいい? 今日はちょっと研究室に行かないと」

 

「うん、分かったっ♪」

 

 そう、俺は今から研究室に向かわなければならない。

 

 研究室は第三居住区の隣に新設された、”研究区画”と呼ばれる新しい区画にある。主にここでは捕獲してきた魔物の研究や新しい魔術などの実験などを行う、本格的な研究施設である。そのためこの区画を新設すると同時に優秀な技術者や錬金術師たちを選抜し、彼らを研究員に任命してここで働いてもらっているのだ。

 

 テンプル騎士団の構成員の大半は奴隷だった人々だが、彼らはここにやってくる前に様々なことを経験している。例えば騎士団の中に設立された奴隷たちの部隊の一員として死闘を繰り広げていた兵士もいるし、奴隷として錬金術師の助手をしていた者もいる。貧しい生活をしながら虐げられていた彼らだが、そこで身につけた技術は俺たちの役に立ってくれている。

 

 もちろん奴隷だったからと言ってそういう扱いをするわけではない。何か要望があればそれを実現するし、研究費を増額してほしいという要望があれば増額のための対策を考える。

 

 エレベーターのスイッチを押し、地下3階へと向かう。もちろん鉄格子に似たエレベーターの扉の向こうへと入っていく時も、お姉ちゃんは俺の左腕にしがみついて頬ずりをしたままだ。

 

 第三居住区までそのままエレベーターで降り、壁から配管やケーブルが剥き出しでなければ、まるで客室が連なるホテルの廊下を思わせる通路を進む。やがて兵士ではない非戦闘員たちの姿が見当たらなくなると同時に、目の前には様々な国の言語で『これより先、研究区画。非戦闘員立ち入り禁止』と書かれた、戦車砲でも持ってこなければ破壊できないほど分厚い扉が姿を現す。

 

 天井には機関銃とセンサーを搭載した2基のターレットが搭載されており、更にはAK-12を装備した警備班の兵士が2名待機して警備している。

 

 ここから先は、そういう区画なのだ。

 

「お疲れ様です、同志団長」

 

「お疲れ様。今から入りたいんだけど、いい?」

 

「はい。では念のため、魔力認証を」

 

「はいはーい」

 

 そう言いながら、警備兵が壁に設置されていた装置を指差す。

 

 その壁の中には特殊なパネルが埋め込まれており、そのパネルの上には青白い魔法陣が常に展開してくるくると反時計回りに回転を続けている。

 

 モリガン・カンパニーで開発され、各国の騎士団で認証装置として導入が進んでいる”魔力認証装置”だ。簡単に言えば、あれに向かってほんの少し魔力を注入することで、装置がその魔力を解析するというわけだ。網膜認証や指紋認証のようなものである。

 

 装置に手をかざして魔力を注入すると、展開している小さな魔法陣の中に凄まじい数の文字や数字が表示され始める。読み進めることができないほどの速さで増殖していく文字たちの羅列が消滅すると、今度はぴたりと魔法陣の回転が止まり、表面に『解析および認証完了』と表示される。

 

「では、先にお進みください」

 

「ありがと。ほら、ラウラも」

 

「はーいっ!」

 

 いくら副団長だからと言って、この認証を受けないわけにはいかない。

 

 魔力には様々な情報が含まれており、それを解析するだけで目の前にいるのがその人物で合っているのかどうかを確認することができる。どれだけ変装しても、魔力まで変質させることはエンシェントドラゴンでも不可能なのだ。

 

 ラウラもあっさりと解析を済ませ、再び俺の腕にしがみついてくる。苦笑いする警備兵に敬礼してから、彼女を連れて研究区画へと繋がる分厚い扉を潜った。

 

 猛烈な薬品の臭いや、様々な種類の薬草の匂い。そしてその中に微かに紛れ込んでいるのは、魔物の体液が発する生臭い臭い。ラウラよりも嗅覚が発達しているからそういう臭いも瞬時に嗅ぎ分けられるのだが、出来るならばあまりここには長居したくないな。

 

 鼻がぶっ壊れそうだ。

 

 近くにあった研究室のうちの1つを覗き込むと、案の定、部屋の中にはまるで標本のように手足や胴体をやや太い針で串刺しにされたアラクネの変異種と思われる魔物が、数名の研究者に群がられ、切り裂かれた内臓を調べられたり、薬草を磨り潰した薬品を塗りつけられながら呻き声を上げているところだった。あの生臭い臭いの発生源の1つだろうが、ここだけではない筈だ。まだまだ別の魔物の体液や内臓の臭いがするのだから。

 

 残酷かもしれないが、ここでは魔物の解剖も行っている。魔物の持つ毒を調べれば解毒剤も作り出せるようになるし、新しい弱点も掴むことができる。そういった情報があるだけで兵士たちの生存性の向上にもつながるのだから、こういう研究は必要になる。

 

 それに魔物には多数の変異種もいるので、そういった変異種も調べなければならない。今しがた解剖されていたアラクネも、おそらくは体内に毒を持つ変異種だったのだろう。

 

 でも俺たちがここにやってきたのは、魔物の解剖を見るためじゃない。そんなグロテスクなものをまじまじと見つめる趣味はない。

 

 目的は―――――――ここで研究されている、メサイアの天秤の鍵だ。

 

 奥へと進んだ所に、”古代文明研究科”と書かれたプレートがぶら下がっている。主に古代文明の研究や、古代文字の解読などを行っている部署だ。奴隷たちの中には考古学者の助手をやらされていた者たちもいるので、ここで研究をしてもらっている。

 

 もちろんここを統括するのは、その解読が必要な古代文字を母語としていたサキュバスの少女だ。

 

 ドアを開けて中へと入ると、白衣を身につけた研究者たちが資料の山を見つめていたり、古文書と思われる古びた本を解読しているところだった。

 

 その中に、やけに背の低い考古学者が紛れ込んでいる。お尻の辺りまで伸びた長い銀髪は毛先の方が綺麗な桜色に変色していて、身につけた大きな白衣を彩っていた。まるで小さな子供が学者の真似事をして遊んでいるようにも思えるが、表情は真剣で、メガネをかけて資料を目にする姿は背丈を除けば世界中で活躍する考古学者たちと変わらない。

 

「ステラ」

 

「ああ、タクヤ。お疲れ様です」

 

「ステラこそお疲れ様。調子はどう?」

 

 そう言いながら近くの椅子を引っ張り、ラウラを座らせてからもう1つの椅子に腰を下ろす。

 

「相変わらず進展は…………ごめんなさい」

 

「気にするなって。時間はあるんだからさ」

 

 ステラが呼んでいたのは、かつてメウンサルバ遺跡の地下にあったヴィクター・フランケンシュタインの実験室の中で発見した記録だ。メサイアの天秤を生み出し、世界で初めてホムンクルスを作り上げたと言われている伝説の錬金術師の記録を手に入れたからこそ、俺たちはメサイアの天秤の鍵がどこにあるのかを突き止め、すべて手に入れることができたのである。

 

 そう、今の俺たちの手元には、メサイアの天秤の鍵が3つある。

 

 1つは海底神殿でシーヒドラとの死闘に勝利し、手に入れた鍵。

 

 2つ目は倭国にある九稜城に潜入し、ボシン戦争の最終決戦の真っ只中に手に入れた鍵。

 

 3つ目はヴリシア帝国へと侵攻し、吸血鬼たちから強奪した最後の鍵。

 

 この3つの鍵があれば、天秤を手に入れることはできるだろう。しかしこれで天秤が俺たちの物になったと決まったわけではない。まだ大きな問題が残っているのである。

 

 ―――――――肝心なメサイアの天秤がどこに保管されているのか、分からないのだ。

 

 間抜けな話かもしれないが、目的である天秤の場所が分からない。記録にも鍵の在り処だけが記されていただけで、天秤そのものの在り処についての記述はなかったのである。ステラの話では一番最後のページに何かの暗号らしき記述があったというが、それが本当に天秤の在り処についての記述なのかは不明だ。

 

「ステラ、例の最後のページを見せてくれ」

 

「はい、こちらです」

 

 そう言いながら記録のページを捲るステラ。意味不明な記号や複雑な文字がずらりと並ぶページの最果てに、短い古代文字の文章と、それを現代のオルトバルカ語に訳した文章が記載されていた。

 

≪メサイアの天秤は、3つの鍵の頂点にあり≫

 

「頂点…………」

 

 果たして、頂点とは何を意味するのか。

 

 3つの鍵とは、俺たちが集めてきた鍵の事で合っているだろう。その鍵の頂点とはどういうことだ…………?

 

 複雑な古代語を母語としているステラが翻訳したものなのだから、訳が間違っているのはありえない。何かの暗号の可能性もある。

 

「ふにゅ…………これ、本当に天秤の在り処の事なのかなぁ?」

 

「うーん…………」

 

 他のページに書かれている文字と、この暗号らしき文章を書いた人物は間違いなく同一人物だろう。筆跡が全く同じだ。だからこれは、伝説の錬金術師と言われたヴィクター・フランケンシュタイン氏が書いた文字であることは間違いない。

 

 メサイアの天秤は実在しないのではないかと一瞬だけ思ってしまったがすぐに俺はそれを否定した。

 

 ステラが封印される前、サキュバスたちの運命を背負って旅立ったサキュバスの戦士たちが、『天秤は確かに実在する』と証言したのである。それに大昔から生き続けているエンシェントドラゴンのガルゴニスも、俺たちに天秤を探すのは止めろと言いながらも、天秤はあると明言していた。

 

 その話が嘘とは思えない。

 

 だから、実在する筈なのだ。手に入れた者の願いを叶える神秘の天秤は。

 

 俺たちの旅の目的はテンプル騎士団を大きくすることではない。天秤を手に入れ、人々が虐げられることのない平和な世界を作ることだ。そうすれば奴隷にされる人々もいなくなり、貴族たちに虐げられる労働者もいなくなる。この世界に住むすべての人類が解放されるのだから。

 

「ふにゅう…………鍵を全部合体させると天秤になるとか?」

 

「実は、一番最初にそれをやりました」

 

「ふにゅう!? そ、それで、どうだったの!?」

 

 興奮しながらラウラが尋ねると、ステラはまるで全く現実を知らない子供に本当の事を教える大人のように、呆れながら言った。

 

「そんなことで鍵が天秤に早変わりしたら、こうして古文書や記録を読んで考えてはいないと思うのですが?」

 

「ご、ごめんなさい…………」

 

 白衣に身を包んだ幼女に向かってぺこりと頭を下げるラウラ。一応彼女は副団長だから、権力では騎士団の中でもナンバー2の筈なんだが、やっぱりステラの威圧感には勝てないか…………。

 

 というか、そんな明らかに間違っていることを一番最初にやったのか。何やってんだステラは。

 

「と、とりあえず、引き続き頼む。何か差し入れが欲しければ何でも―――――――」

 

 そう言った俺は、慌てて言うのを止めた。

 

 ステラは魔力を吸収しなければ生きられないサキュバスの生き残り。彼女たちが満腹感を得るためには、魔力を吸収しなければならない。それ以外の食べ物を食べたとしても栄養として身体に吸収されることはないので、その気になれば延々と食べ物を食べ続けることも可能なのである。

 

 つまり彼女に差し入れする時に”何でも”と言ってしまったら、下手したらタンプル搭の食糧庫が空になってしまうほどの食べ物を要求されるという事だ。

 

 簡単に言えば、ステラに”何でも”と言うのは、飢餓状態が始まるスイッチを押すようなものなのである。

 

「では、後でウィッチアップルを使ったアップルパイと、ミノタウロスの肉を使った牛丼と、リヴァイアサンの刺身と―――――――」

 

 こ、高級食材のオンパレード…………ッ!?

 

 貴族が平然と高級レストランで注文するようなコース料理に出てくるような食材ばっかりだぞそれ!? 食糧庫どころか騎士団の資金にも大ダメージが…………!

 

「ふふっ、冗談です。あとでスオミの里からサルミアッキをいっぱいもらってきてください」

 

 た、助かったぁ…………。

 

 確か来週にはスオミ支部との合同訓練があるから、その時にアールネたちから貰ってこよう。でっかい袋でもらってもステラならその日のうちに食べ尽くしちゃうだろうから、輸送ヘリの格納庫にどっさりと詰め込んできた方が良さそうだ。

 

 ニコニコと笑うステラの頭を撫でると、彼女はまるで飼い主に撫でられる子猫のように気持ちよさそうな表情を浮かべながら、俺にしがみついてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂漠と、青空。

 

 それしか、ここには存在しない。遠くを見据えても見えるのは猛烈な陽炎と舞い上がる砂だけで、砂漠を越えようとする者たちや、オアシスすら見当たらない。

 

 俺以外には何もない、静かな砂漠。

 

 気が付いたら、そこにいた。

 

「…………え?」

 

 ちょっと待て、どういうことだ?

 

 俺はついさっきまで列車に乗っていた筈だ。駅で切符を購入してホームから列車に乗り、ベルリンにある大学の学生寮へと戻ろうとしていた時の事を思い出す。明日からまた大学に行かなければならなくなるから、準備をするために実家からベルリンへと戻る途中だったのだが、列車がいきなり急ブレーキをかけたところで俺は…………意識を失った。

 

 そして変な真っ暗な空間に連れて行かれて―――――――そこで、奇妙な端末の説明を受けた。

 

 あ、そうだ。確か俺のポケットに入ってるはずだ。

 

 そう思いながら慌ててジーンズのポケットの中に手を突っ込むと―――――――確かにそこには、真っ赤な端末が入っていた。画面に軽く触れると、まるでゲームのようなメニュー画面が現れる。

 

 全て、あの時受けた説明の通りである。

 

「…………どっ、どういうこと?」

 

 ということは、ここは…………ドイツじゃないの? 中東でもなさそうだし…………。

 

 ここ、どこだ…………?

 

 

 

 

 

 



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無人型超重戦車

 

 砂塵を噴き上げ、エンジンの音を轟かせながら、砂漠の一角にキャタピラの武骨な”足跡”を刻み付けて前進していく怪物たち。彼らに搭載された戦車砲が咆哮する度に、砂漠の向こうの魔物たちの周囲に砲弾が降り注ぎ、爆風と破片で蹴散らしていく。

 

 堅牢な外殻を持つゴーレムならば、多少の破片程度で死ぬことはない。彼らの外殻は防具の素材に使われることもあるほど堅牢であるため、破片程度で殺傷するのは不可能なのだ。撃破するには外殻の薄い頭を正確に狙撃するか、6.8mm弾以上の大口径の弾丸で攻撃するしかない。

 

 俺の前世の世界では、基本的に歩兵の装備する銃の弾丸は小口径の方が望ましいと言われていた。なぜならば小口径の方が反動が小さく、命中精度も高いので非常に扱い易いからである。それにあくまでも対人戦を想定していたから、小口径で問題はなかったのだ。

 

 しかしこの異世界では、小口径の弾丸では火力不足としか言いようがない。

 

 もちろん、対人戦では猛威を振るう。しかしこういった魔物との戦いでは、命中させても彼らの持つ外殻に弾かれてしまったり、強靭な筋肉をほんの少し傷つける程度のダメージしか与えられないため、可能であれば大口径の弾丸の方が望ましいのである。

 

 そのため、テンプル騎士団では極力7.62mm弾の使用を推奨し、それを使用する銃を数多く支給している。

 

 砲塔に搭載された37mm砲から砲弾を吐き出し、一緒に搭載された機銃からひたすら火を噴きながら前進していくのは、テンプル騎士団で運用している軽戦車のルスキー・レノたち。第一次世界大戦で活躍した旧式の戦車をベースに改造し、無人型の軽戦車にした無人兵器たちである。さすがに現代の戦車の足元にも及ばないものの、旧式の兵器であるため生産に必要なポイントが少なく、車体が小さくて小回りも聞きやすいし、無人兵器であるため撃破されても戦死者が出ないという利点があるため、歩兵部隊の支援や戦車部隊の護衛などを担当させている。

 

 戦車砲が着弾し、その破片がゴーレムの周囲に群がるゴブリンたちに牙を剥く。ゴーレムと違って堅牢な外殻を持たず、人間とそれほど変わらない皮膚と小柄な体格を持つゴーレムに破片を防ぐ術がある筈がなく、爆風と破片にあっさりと身体を引き裂かれ、血飛沫を噴き上げながら砂漠の上に倒れ伏していく。

 

 呻き声を上げながら爪の生えた腕をふり上げて突進していくゴブリンたち。もし仮に戦車砲と機銃を掻い潜って肉薄したとしても、その程度の攻撃でルスキー・レノの装甲を傷つけることはできないだろう。ゴーレムが剛腕を振り下ろせば一撃で撃破できるかもしれないが、肝心なゴーレムには戦車砲や機銃を掻い潜って肉薄するために必要な機動力がない。

 

 生息する地域によっては地中の岩石を持ち上げて放り投げてくるという攻撃も報告されているのだが、ここは砂漠だ。どこを見ても、岩石など埋まっていない。

 

 戦車砲が被弾したゴーレムが、捥ぎ取られた左腕を押さえながら咆哮を上げる。戦車砲とはいえ、現代の戦車と比べればはるかに光景が小さいため、さすがに一撃でゴーレムを吹き飛ばすことはできないのだ。

 

 しかし―――――――その砲弾に続けて飛来した1発の砲弾が、咆哮を上げていたゴーレムの上半身を捥ぎ取った。

 

 命中した瞬間に生じたメタルジェットと猛烈な爆風が、容易く外殻を穿って大穴を刻み付け、そのまま衝撃波で捥ぎ取ってしまったのである。明らかにその一撃は、ルスキー・レノたちが懸命に放ち続けていた37mm砲よりも大口径の代物であった。

 

 そしてそれを放ったのも―――――――ルスキー・レノよりも巨大な車体を持つ、怪物である。

 

「な、何あれ…………!?」

 

 俺の隣で双眼鏡を覗き込み、魔物の掃討を行っていた無人戦車部隊を見守っていたナタリアが、砂漠の熱い風の中で呟いたのが聞こえた。

 

 事前にあれを投入することを知っていた俺は驚かなかったが、初めてその怪物の存在を知った時は本当にぎょっとした。大昔にあんな巨大な怪物を作り上げ、それを戦争に投入しようとしていたのだから。

 

 ルスキー・レノたちの群れの後方から現れたのは、魔物を蹂躙する彼らよりもはるかに巨大な戦車である。

 

 傍から見れば、ルスキー・レノをそのまま巨大化させたような外見をしている。全長が10mにも達する車体の前方にそのまま大型化した砲塔を乗せ、機銃を搭載したその怪物は、フランスで開発された『シャール2C』と呼ばれる”超重戦車”である。

 

 主な武装は、ルスキー・レノの主砲よりもはるかに巨大な75mm砲。さらに車体の正面、左右、後方には機関銃が搭載されており、これで弾幕を張ることも可能である。

 

 とはいえ、あくまでもこの戦車は第二次世界大戦の頃の戦車。ルスキー・レノと同じく旧式の戦車であるため、原形のまま投入するわけにはいかない。

 

 そこで俺たちは、こいつに近代化改修を施すことにした。

 

 まず、正面の装甲を可能な限り複合装甲に変更。車体正面の機銃は廃止して主砲同軸にその機銃を搭載し、正面の装甲を可能な限り分厚くする。装甲を増加させれば当然ながら車体の重量も増加し、機動力の減少へと繋がってしまうので、それに合わせてエンジンも可能な限り最新のものへと変更する。その際に元々搭載されていたエンジンよりも換装したエンジンの方が小型であったため、空いたスペースと砲塔の上にはアクティブ防御システムを搭載している。

 

 もちろん、武装も変更している。

 

 搭載する機関銃はロシア製のKord重機関銃へと変更。主砲も75mm砲から、砲塔ごとアメリカのMBT-70が採用していた152mmガンランチャーへと変更し、強力な多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)と対戦車ミサイルのシレイラによる攻撃で敵戦車と歩兵部隊を吹っ飛ばせるようにしている。

 

 もちろんこのシャール2Cも無人型の戦車なので、人間が乗り込んで操縦する必要はない。というか、テンプル騎士団が採用している戦車の中では一番でかい戦車なので、これを人間が操縦するとしたら間違いなく10名以上の乗組員が必要になるだろう。

 

 旧式の兵器とはいえ、ここまでカスタマイズすれば消費するポイントも増大してしまうので、とりあえず生産して運用することにしたのは僅か10両のみだ。今しがた俺たちの目の前でゴーレムを吹っ飛ばしたシャール2Cには”プロヴァンス”というコールサインが与えられており、漆黒に塗装された砲塔の左側にはテンプル騎士団のエンブレムと共にコールサインが描かれているのが見える。

 

 もし仮に投入するとすれば、歩兵をタンクデサントさせたり、その巨体で敵の弾幕から歩兵たちを守りながらの強行突撃になるだろう。

 

 このような超重戦車の採用に踏み切ったのは、やはりヴリシアの戦いで吸血鬼たちが投入した近代化改修型のマウスやラーテの影響が大きい。圧倒的な防御力と攻撃力を兼ね備えた怪物を、最新の装備で更に強化した恐るべき巨大兵器の反撃で、俺たちは甚大な被害を被る羽目になったのだから。

 

「…………問題はなさそうだな」

 

 肉薄してきたゴブリンたちを巨大なキャタピラで踏みつぶしながら進撃するシャール2Cを双眼鏡で眺めながら、俺はそう呟いた。

 

 複合装甲を搭載しているため、防御力は申し分ない。複合装甲となっているのは車体の正面のみとなってしまうものの、少なくともこいつの目的は歩兵の支援と強行突撃。正面さえ分厚ければ問題はないし、大口径のガンランチャーも搭載済みだ。それに対戦車戦闘はそういう装備を身につけた歩兵や戦車の仕事なのだから、こいつには歩兵たちと一緒に最前線で暴れ回れるだけの火力と防御力があればいい。

 

 もし仮に吸血鬼たちがここに攻め込んできても、今度はあの時とは比べ物にならないほど軍拡したテンプル騎士団がお出迎えすることになるだろう。あいつらがいくら部隊を再編しても、こちらにはあの戦いで得た教訓を生かして強化された戦車部隊や歩兵部隊がいるのだから。

 

「…………プライドの高い種族だから、負けたまま大人しくしているわけがないでしょうね」

 

「だろうな」

 

 隣で近代化改修型シャール2Cの奮戦を見守りながら、ナタリアが冷静な口調でそう言う。おそらく彼女も、吸血鬼たちがここに攻め込んでくる可能性が高いという事を察しているのだろう。

 

 あの戦いで吸血鬼たちは大敗を喫し、彼らの総本山でもあるヴリシア帝国から追いやられる羽目になった。しかも主力部隊の大半を失った上に、メサイアの天秤を使ってレリエル・クロフォードの復活を目論んでいた彼らが、そのまま大人しくしているわけがない。

 

 吸血鬼はプライドが高い種族だ。それゆえに”屈辱”を最も嫌う。

 

 必ず、俺たちが天秤を手に入れる前に強奪しようとしてくるだろう。奴らの潜伏先が分からない以上、こちらは軍拡しつつ奴らを迎え撃つ準備をするしかない。

 

 もしも吸血鬼がまた攻めてきたのならば―――――――俺は今度こそ、そこで決着をつけるつもりだ。

 

 かつて友人だった、葉月弘人(ブラド)という少年と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型の無人戦車のテストを終えた俺とナタリアは、無数のルスキー・レノを引き連れたシャール2Cの車体の上にタンクデサントしながら、砂漠の向こうにあるタンプル搭を目指していた。

 

 戦車は違うが、こうしてタンクデサントするのは久しぶりだ。かつてまだテンプル騎士団を設立する前に、乗組員が1人余ってしまうという理由で1人だけでタンクデサントさせられていた苦しい日々を思い出しつつ、アイスティー入りの水筒を口へと運ぶ。

 

 雪山ではそのタンクデサントが原因で雪崩に巻き込まれたし、砂漠では熱い太陽の真下に放置だ。今ではもうそういうことをすることはなくなったと思ったが、久しぶりにこうして乗ってみるのも悪くはないかもしれない。

 

 日光で熱くなった装甲と車体の揺れが懐かしい。

 

「きゃっ!?」

 

「はっはっはっ。戦車の上って結構揺れるぞ?」

 

「わ、分かってるけど…………きゃんっ!?」

 

 ナタリアはやっぱり戦車の中にいたから慣れてないんだな。

 

 揺れるシャール2Cの上にしがみつき、また揺れても動揺しないようにしっかりと身構えるナタリア。彼女が頭にかぶる黒い規格帽は、まるで戦車の上で怯える彼女の状態を反映したかのように右側へと傾いている。

 

 こりゃタンプル搭に到着するまで何度もナタリアの可愛い悲鳴を聞く羽目になりそうだ。

 

「ゆ、揺れるのね、本当に…………アンタは平気なの?」

 

「そりゃタンクデサント歴5ヵ月ですもの」

 

 雪山でも砂漠でもずっと乗ってましたからね。差し入れはスコーンとアイスティーくらいだったし。

 

 俺が1人だけ戦車の外で雪山の寒さや砂漠の熱さに耐えていた事を思い出して申し訳なく思ったのか、ナタリアが「ご、ごめんなさい…………」と呟いた。

 

 別に気にしなくていいさ。あんな過酷な役割をみんなにやらせないように、俺が引き受けただけなのだから。

 

「気にすんなって」

 

「で、でも、こんな大変な役割――――――ひゃんっ!?」

 

 また揺れた。

 

 うーん、無人型の戦車って有人型と比べると操縦が荒いな。これは実戦で問題にならないかもう少し実験を重ねた方が良さそうだ。

 

 そう思いながら分析していると、揺れた衝撃で間違って手を離してしまったのか―――――――車体にしがみついていたナタリアが、俺の方へと吹っ飛んできた。

 

「あるたいっ!?」

 

 受け止めようと思ったんだけど、俺の両手が彼女の身体を支えるよりも先に猛烈な頭突きを左側の頬に喰らう羽目になってしまう。そのまま車体から手を離してしまった俺は、ナタリアの華奢な身体を抱えたまま砲塔の方へと吹っ飛んでいき、MBT-70の砲塔をほぼそのまま移植したでっかい砲塔の後部に、後頭部を叩きつける羽目になった。

 

「するくふっ!?」

 

 い、痛てぇ…………。

 

 いくら転生者がステータスで保護されているとはいえ、こういう痛みまで完全に消してくれるわけじゃない。

 

 後頭部を左手で押さえながら呻き声を上げ、身体を起こす。呻き声を上げながら目を開けると、俺の胸板に顔を押し付けながらナタリアも呻き声を上げているところだった。

 

「うぅ…………」

 

「だ、大丈夫?」

 

「ええ、私は大丈――――――ひゃうっ!?」

 

 また車体が揺れた。

 

 しかもちょっとした砂の丘を乗り越えて降りている最中らしくさっきよりも揺れが大きい。俺の上に乗っていたナタリアの身体がふわりと浮かないようにしっかりと押さえたけど、どうやら俺の体まで一緒にふわりと浮いていたらしい。

 

 重力がある環境で、浮いた物体がどういう運命を辿るかは言うまでもないだろう。

 

「――――――きむちっ!?」

 

 もちろん、再び砲塔に後頭部を強打。キメラじゃなかったら脳震盪でも起こしていたのではないだろうか?

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 

「だ、大丈夫…………たっ、タンクデサント歴5ヵ月ですから…………」

 

 ふっふっふっ…………。長い間一人ぼっちでタンクデサントしてたから、この程度では弱音を吐かないのだよ。

 

 そう言いながらナタリアから手を離したけど―――――――彼女はまた揺れるのが怖いのか、俺のコートの袖をぎゅっと掴んだままだった。

 

 ん? 怖いの?

 

 彼女の顔を覗き込もうとすると、彼女と目が合ってしまう。綺麗な紫色の瞳を見つめていると、どんどんナタリアの顔が真っ赤になっていった。

 

 あ、もしかしてビンタするつもり? やめてくれよ。いくらキメラだってな、美少女からビンタされるのは辛いんだぜ? ドMの男だったら大喜びかもしれないけど俺はドMじゃないし。

 

 しかし、どうやら顔を真っ赤にした理由は自分の顔を至近距離でまじまじと見つめられていたからではないらしい。彼女は何故か恥ずかしそうに顔を赤くしたまま目を逸らすと、袖を握る手に力を入れた。

 

「ま、また揺れたら危ないから…………もうちょっとこうさせなさいよ」

 

「お、おう」

 

 か、可愛いなぁ。普段はしっかり者だけど、こういう時とか2人きりの時は甘えてくるんだよね、ナタリアは。しかも予想外の事が起きると可愛らしい悲鳴を上げることもあるし。

 

 ツンデレも悪くない…………。

 

 ナタリアがまた吹っ飛ばされないようにシャール2Cの車体の上で彼女を支えているうちに、やがて前方から聞き慣れた警報の音やゲートが開く音が聞こえてくる。ほんの少しだけ体を起こして砲塔の前を見てみると、どうやらシャール2Cとルスキー・レノの群れはタンプル搭のゲートまでいつの間にか差し掛かっていたらしい。日光を遮るほど高い岩山を見上げながらナタリアから手を離すと、さすがにいつも凛々しい参謀総長が団長とイチャイチャしている姿を晒したくなかったらしく、ナタリアが慌てて起き上がる。

 

 検問の兵士に敬礼し、そのままシャール2Cたちと一緒にタンプル搭の中へと入っていく。2つ目のゲートを越えると、格納庫からエレベーターのように上がってきたヘリポートの上でスーパーハインドとカサートカがメインローターを回転させながら出撃準備に入っていたところらしく、その周囲を武装した兵士たちが慌ただしく駆け回っているところだった。

 

 魔物の掃討作戦かと思ったが、それにしてはやけに規模が大きい。

 

 シャール2Cの車体の上からナタリアと一緒に飛び降りると、ヘリへと弾薬の入った箱を運搬していた兵士の1人が俺たちに気付いた。

 

「ど、同志!」

 

「何事だ?」

 

「緊急事態です。北東に建造中だった『ブレスト要塞』に、魔物の群れが接近中との報告がありました」

 

 タンプル搭では数多くの兵士たちや住民たちを受け入れているが、さすがに居住区の拡張にも限度がある。どれだけドワーフたちが必死に居住区を拡張しても追いつかないほどの奴隷たちを受け入れており、それに伴って必要な資金も増え、設備の拡張も急がなければならなくなってしまう。

 

 そこで、前哨基地を兼ねた居住区を作り上げ、そこで守備隊と一緒に住民たちを生活させるという計画が円卓の騎士たちの会議で承認された。

 

 ブレスト要塞は、その計画が承認されたことによって建造が始まった北東部の要塞である。

 

 タンプル搭の北東部にはただの砂漠しかなく、要塞を作り上げられるような環境はない。そのためタンプル搭と同様に周囲を防壁で取り囲み、地上に要塞砲を設置しつつ、地下に居住区や指令室を設ける方式を採用して要塞を建造中だったのである。

 

 簡単に言えば、ブレスト要塞はタンプル搭の縮小版ともいえる。

 

 完成すれば多数の要塞砲とレーダー網により、ただの前哨基地ではなく立派な要塞として機能する筈だったのだが、建造中ではそれらが機能するわけがない。一応守備隊はもうすでに駐留しているものの、こうして部隊がヘリで飛び立とうとしていることは彼らでは対処しきれないほどの魔物が迫っているという事なのだろう。

 

「俺たちも行く。席は空いてるか?」

 

「同志たちも来て下さるのですか!? 助かります!」

 

「ナタリア、すぐに円卓の騎士を招集しろ。本隊のメンバーだけでいい」

 

「了解(ダー)、同志団長」

 

 俺に敬礼をしてから地下へと向かう彼女を見送ってから、俺は近くで待機していたスーパーハインドへと乗り込むのだった。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 スピンコック!

 

兵士1「ふんっ!」

 

兵士2「あ、できた。こんな感じか…………」

 

ナタリア「なんだか、レバーアクションライフルを持ってる兵士が増えたわね…………」

 

イリナ「しかもみんなスピンコックの練習してるし…………」

 

カノン「あら、知りませんの?」

 

ナタリア「?」

 

カノン「『スピンコックが上達すれば美少女にモテる』っていう噂をお兄様が…………」

 

ナタリア「何言ってんのあいつ!?」

 

イリナ(でも実際にハーレム作ってるよね、タクヤって)

 

 完

 

 



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砂漠と翼

 

 

 今まで、砂漠にやってきた経験は一度もない。

 

 幼少の頃からドイツ(ドイッチュラント)のバイエルン州で育ち、中学3年生の頃に両親の仕事の都合でオーストリアに引っ越したくらいだ。オーストリアとドイツ(ドイッチュラント)の2ヵ国からは一歩も外に出たことがないのだから、実際に砂漠を歩いた経験などあるわけがない。

 

 それにあの奇妙な端末の説明を受けた後、気が付いたらこの砂漠でぶっ倒れていたのである。だから砂漠越えのために必要な装備やたっぷりと水の入った水筒など身につけているわけがない。身につけているものと言えば、ベルリンにある学生寮へと持ち帰ろうとしていた、どっさりと分厚い教科書を押し込んだカバンのみ。中にはなけなしの金が入った新品の財布が入ってるが、これらが役に立つとは思えない。

 

 どこかで水を売っていないかと思いつつ、額の汗を拭って遠くを見据える。

 

 砂と空だけだ。それ以外をすべて排除してしまったかのような、広大であるにもかかわらずシンプル過ぎる世界。その中を歩く俺は、きっとこの世界からすれば”異物”なのかもしれない。

 

 ああ、そう言えば所持品の中に便利なものが1つだけある。

 

 ジーンズのポケットの中に入っていた真っ赤な端末を取り出し、画面をタッチする。あの真っ暗な空間で受けた説明通りに画面をタッチしていき、生産した武器の一覧の中からあるものをタッチする。

 

 すると、何の前触れもなく腰の右側がほんの少し重くなったような気がした。腰を見下ろしてみると、愛用しているジーンズにはミスマッチとしか言いようがない革製のホルスターがそこに出現していて、その中にはしっかりと”中身”が収まっていた。

 

 木製の部品が埋め込まれたグリップと、コンパクトな本体。そのグリップを軽く握って引き抜いた俺は、その中に納まっていた漆黒の得物を、砂漠を照らす太陽の下に晒す。

 

 端末についての説明を受けた際、”初期装備”として最初に持っていたポイントで生産した、ドイツ製ハンドガンのルガーP08だ。他にも最新型のハンドガンがずらりと並んでいたんだが、この銃には思い入れがあるのでこれを選んだのだ。

 

 俺の先祖は第一次世界大戦で戦闘機のパイロットをしていたらしいのだが、自分の機体に乗り込む時は必ず護身用にナイフとルガーを身につけていたという。戦争が終わってからもずっと隠し持っていたらしく、俺の実家には未だにご先祖様の形見の錆び付いたルガーが保管されている。

 

 そして俺の祖父も、第二次世界大戦でドイツ空軍のパイロットだった。他のエースパイロットには及ばなかったようだが、終戦までに75機も敵機を撃墜したエースパイロットの1人で、俺が小さい時に当時の話を聞くと、いつもこっそり隠し持っていた古びたルガーを撫でながら『イギリスのスピットファイア共をよく血祭りにあげてやった』と誇らしげに話していたものだ。祖父は俺がオーストリアに引っ越してから他界してしまったが、まだ実家にはご先祖様のルガーの隣に、祖父のルガーも一緒に飾ってある。

 

 俺が一番最初に触れた銃はこれだ。幼少の頃から、あの大空で戦った先祖と祖父の武勇伝を聴きながらこの銃に触れていた。

 

 だから一番最初にルガーを選んだのだ。

 

 さすがに先進国の軍が採用している銃に比べると性能は大きく劣ってしまうものの、まだ役には立つはずである。かつて先祖と祖父が手にした得物と同じ銃をホルスターの中に戻した俺は、汗をぬぐいながらひたすら歩き続ける。

 

 しかし、必要な装備や水すら持たずに砂漠を越えられるわけがない。もう既に口の中は熱と中に入り込んだ砂のせいで唾液が枯渇してしまうのではないかと思えるほど乾いており、服に覆われている身体中の皮膚からは汗が溢れ出している。このままでは砂漠を越えるよりも先にぶっ倒れるのが関の山だろう。

 

「…………水」

 

 水が欲しい。

 

 一滴でもいい。もし仮に金塊の山か一滴の水を選ぶことになったら、間違いなく俺は脇目も振らずに一滴の水に飛びつく筈だ。それほど喉が渇いている。

 

 列車の中で購入した水は車内で飲み干してしまったし、カバンの中には何の役にも立たない教科書となけなしの金が入った財布だけ。

 

 どうして俺は砂漠を彷徨わなければならないのか?

 

 あの時、何が起きた? 列車の中でベルリンに到着するのを待っていた時の事を思い出しながら、とにかく歩き続ける。

 

 俺が意識を失ったのは、列車が急ブレーキをかけた直後だった。周囲に座っていた他の乗客たちの悲鳴が聞こえてきたかと思うと、いきなり身体が目の前の座席に叩きつけられ、その直後に何かがひしゃげるような轟音が鳴り響いた。

 

 もしかして―――――――列車事故か?

 

「…………」

 

 いや、おかしい。もし事故なんだったら俺はとっくに死んでいる筈だ。仮に生きていたとしても、手当てを受けてから病室で目を覚ますはずである。なのに俺は怪我をしておらず、何もない真っ暗な空間で変な端末についての説明を受けてから、この砂漠に放り出された。

 

 夢か?

 

 もしかしてこれは、列車の中で眠っている俺が見ている夢なのか?

 

 そう思った瞬間、両足に力が入らなくなった。

 

「うっ―――――――」

 

 拙いな…………。

 

 起き上がろうと思って両腕に力を込めるが、砂に覆われた大地に手のひらを押し付けた両手はそこから身体を起こすという仕事を拒否したいらしく、全く動こうとしない。むしろ俺の体重を支える事すら出いなくなったらしく、再び上半身を熱い砂の上に叩きつける羽目になってしまう。

 

 俺は砂漠で死ぬのか…………。

 

 せめて、祖父や先祖のようにパイロットになりたかったなぁ…………。飛行機のコクピットからこの砂漠を見下ろしたら、きっと綺麗だったに違いない。

 

 飛行機のコクピットに腰を下ろし、操縦桿を握る瞬間を想像しながら、俺は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか、身体中を覆っていた汗と忌々しい砂の感触はすっかり消えていた。

 

 誰かが汗や砂を丁寧に拭き取ってくれたからなのだろうか? 瞼を開けるよりも一足先に鼻孔の中へと流れ込んできた空気は、あの砂漠の熱風よりもはるかに涼しくて、微かに香辛料のような香りも含んでいる。

 

 瞼をそっと開けて身体を起こしつつ、やはりあの砂漠に放り出されたのも、奇妙な端末を与えられた体験もすべて夢だったのだと考え始める。きっとここは最寄りの病院の病室だろう。身体にちゃんと力が入るという事は、少なくとも重症という事はなさそうだ。

 

 とりあえず、電話で両親に無事だという事を伝えよう。

 

 そう思いながら周囲を見渡したのだが―――――――起き上がりながら考えていた事を、周囲の光景が全て粉砕してしまった。

 

 確かに俺はベッドの上で寝かされていた。けれども寝かされていたベッドは病院にあるような清潔そうなベッドではなく、ボロボロの布を強引につなぎ合わせて作った即席の毛布のようなものが敷かれてあるだけの簡単なベッドである。

 

 そしてそのボロボロのベッドが置かれている場所も、病室とは思えない。

 

 砂で薄汚れたレンガで作り上げられたような壁と天井。床には外から入り込んできたものなのか、砂や小石が散らばっている。とても怪我人を寝かせておくような場所とは思えない。

 

 小さな窓はあるが、ガラスはない。窓というよりは壁に穿たれたただの小さな穴と言うべきだろうか。身体を更に起こして外を見てみると、あの忌々しい青空と砂の大地に支配された砂漠が外に広がっている。

 

 ここはどこだ? 中東か?

 

「夢じゃない…………?」

 

 こ、混乱してきた…………。

 

 あ、そう言えば俺の持ってた荷物はどうなった!? 一応あの中に財布入ってるぞ!?

 

 慌てて周囲を見渡すと、ベッドのすぐ近くに見慣れたカバンが置いてあった。微かに開いたチャックの隙間からは分厚い教科書が覗いていて、隙間から入り込んだ砂が付着している。

 

 財布は無事なのだろうかと思い、大慌てでカバンを拾い上げる。すぐにチャックを開けて中に入っていた財布を掴み取って中身を確認すると、ちゃんと中身は入っていた。どうやら何も盗まれてはいないらしい。

 

 よ、よかった…………。

 

 財布の中身を見下ろしながら安堵していると、随分と傷だらけの木製の扉が開く音が薄汚い部屋の中に響き渡る。もう既にここが病院の病室ではないと理解していたから、その向こうから姿を現す人物は決して看護婦ではないだろうなとは思っていた。

 

 案の定、扉の向こうから姿を現したのは看護婦ではなかった。真っ黒な軍服にも似た制服に身を包み、頭に灰色のターバンらしきものを巻いた、浅黒い肌の男性だ。制服に覆われた身体はがっちりとした筋肉で覆われており、猛烈な威圧感を放っている。

 

 はっきり言うとその威圧感に少しビビった。でも、俺はそれよりもその男性の”耳”に注目していた。

 

 ―――――――人間と比べると、やけに長いのである。

 

 形状も全く違う。髪型によっては頭髪で隠せるような形状ではなく、まるでエルフのように尖った耳が左右へと伸びているのだ。もしかしたら中東の伝統的な耳飾りでも付けているのだろうかと思ったが、どうやらそれは耳飾りなどではなく、正真正銘の耳らしい。

 

 何だあれ。

 

「気が付いたようだな」

 

「あ、あの、ここは…………?」

 

「ここはテンプル騎士団の”ブレスト要塞”だ」

 

 は? ブレスト要塞?

 

 独ソ戦の序盤で陥落したソ連軍の要塞か? でもここって中東だよな?

 

 も、もう訳が分かりません…………。これ、夢じゃないの?

 

「お前、名前は?」

 

「ええと…………『アルフォンス・オルデンハイン』です」

 

「アルフォンスか…………何であんなところでぶっ倒れてたんだ? まさか、水も持たずに砂漠越えしようとしてたんじゃないだろうな?」

 

「…………い、いや、実はあまり覚えてなくて…………。ベルリン行きの列車に乗ってた筈なんですが、気付いたら砂漠のど真ん中に…………」

 

「はっ? ベルリン? …………聞いたことねえ場所だな。どこだ?」

 

「え? ドイツの首都ですけど…………」

 

「ドイツぅ? おいおい、そんな国ねえよ。お前大丈夫か?」

 

 え…………?

 

 い、いや、ドイツはあるよ? ヨーロッパにちゃんとありますよ? あんたこそ世界地図見たことある!?

 

 もしかして、俺の祖国って中東だと知名度低いのか…………? で、でも、第一次世界大戦と第二次世界大戦で連合国を苦しめたんだよ? 

 

「…………す、すみません」

 

「あ?」

 

 頭に灰色のターバンを巻いたエルフみたいな男性は、ベッドの近くに椅子を置くと、その上に腕を組みながら腰を下ろした。

 

「こ、ここは何という国ですか…………?」

 

「カルガニスタンだ」

 

 かっ、カルガニスタン…………?

 

 アフガニスタンなら聞いたことあるけど、カルガニスタンってどこ………? 失礼かもしれないが、この人こそ頭大丈夫か?

 

 ま、拙い…………本当に混乱しそうだ…………。

 

「まあ、この世界はまだ解き明かされてない場所も多いからな…………それよりお前、腹減ってないか? ライ麦パンとジャガイモのスープがあるから持ってきてやるよ」

 

「…………Danke|(ありがとうございます)」

 

「ん? ダンケ?」

 

「え、ええと―――――――」

 

 そういえば、どうして言語が通じているのだろうか? 今はうっかりドイツ語を話してしまったからなのか通じなかったが、それ以外は全部しっかりと通じていたし、意思疎通もできていた。

 

 どういうことだ…………?

 

 首を傾げようとしたその時だった。

 

『緊急連絡! 緊急連絡! 魔物の群れが要塞に接近中! 非戦闘員は直ちに退避し、戦闘員は速やかに迎撃態勢に入れ! 繰り返す、魔物の群れが要塞に接近中―――――――』

 

「え、魔物―――――――」

 

 なんだそりゃ? 猛獣か何かの事か? 魔物なんてこの世界に存在するわけないだろ?

 

 部屋の中に設置されていたスピーカーから聞こえてきた男性の声を聴きながら、随分と気合の入った悪ふざけだなと思いつつニヤリと笑う。俺の目の前にいる男性もきっとそう思いながら苦笑いしているのだろうなと思ってちらりと見てみたが―――――――頭にターバンを巻いた男性は、笑みなど浮かべてはいなかった。

 

 目つきがすぐに鋭くなったかと思うと、「ここにいろ!」と言いながらいきなり立ち上がり、勢い良く部屋のドアを開けて廊下へと飛び出していった。明らかにあれは仲間の悪ふざけを目の当たりにした表情ではなく、敵の襲来を迎撃するために出撃していく兵士の表情である。

 

 俺の親父もドイツ連邦軍でパイロットをやっているから、兵士がどういう目つきになるのかはよく分かる。

 

 開けっ放しにされたドアの向こうで、ベークライト製のマガジンを装着したアサルトライフル―――――――おそらくロシア製のAK-12だ―――――――を手にした黒服の兵士たちが、大慌てでどこかへと走っていくのが見える。

 

「…………え?」

 

 じ、実戦なのか? 魔物って、何かの暗号?

 

 もしそうなら俺はここでじっとしていた方がいいかもしれない。本当にこれから戦争が始まるのならば、銃弾の応酬が始まる戦場に飛び出すよりも、ここにいた方が生存率は高いからだ。

 

 そう思いながら再びベッドに横になろうとしたその時、壁に穿たれた窓の向こうを、信じられないものが飛翔していた。

 

 赤黒い突起物がいくつも隆起した外殻と鱗に覆われた、巨大な怪物である。

 

 巨大な翼を広げて飛翔するその怪物は、一見するとかつて絶滅した恐竜のようにも見えるかもしれない。けれどもどちらかと言うと、今しがた窓の外を通過していったその巨大生物は、恐竜というよりは―――――――神話や御伽噺の中で、勇敢な戦士と対峙するドラゴンのような姿だった。

 

 一瞬だけだったが、俺はその姿を見ただけで度肝を抜かれた。

 

「ちゅ、中東に、ドラゴン………せ、せっ、生息してるの…………!?」

 

 そんなわけがない。

 

 ごとん、とジーンズのポケットから滑り落ちた何かが、砂だらけの床に転がり落ちる。いつの間にかジーンズのポケットの中に入っていた、あの奇妙な赤い端末だ。

 

 そうだ。俺はこいつを使って、ルガーを生産した。グリップを握った感触は、確かに実家に保管されている先祖と祖父の形見(ルガー)と変わらなかったじゃないか。

 

 これは―――――――現実だ。

 

「くそ…………わけが分からん…………ッ」

 

 確かにわけがわからない。

 

 だが―――――――俺はこの端末で、ルガー以外にももう1つ生産したじゃないか。

 

 目の前にある全ての理不尽を”切り開く”ための、翼を。

 

 かつて先祖と祖父が大空を駆けながら振るった、力を。

 

「…………行くかッ」

 

 端末を素早くタッチし、生産したルガーの入ったホルスターを腰に下げてから、俺も部屋の中を飛び出した。

 

 部屋の外にある通路では、未だにAK-12を手にした兵士たちが自分の配置につくために走り回っている。彼らとぶつからないように気を付けながら通路を進み、とりあえず外を目指す。

 

 あれは、外じゃないと使えないからな。できれば滑走路もあれば理想的なんだが―――――――。

 

 そう思いながらちらりと窓の外を見た俺は、ニヤリと笑った。

 

 窓の外には、ロシア製戦闘機のSu-27やSu-35の群れがずらりと並んでいる。どちらも機動性に優れた高性能なロシア製の機体である。

 

 その戦闘機がずらりと並んでいるという事は―――――――この要塞には飛行場があるという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タンプル搭に緊急連絡! 救援を要請しろ!」

 

「了解(ダー)!」

 

 まだ未完成の指令室の中で命令を下した司令官は、目の前の巨大なモニターに映し出されている光景を睨みつけながら、唇を噛みしめていた。

 

 偵察のために飛行場から出撃していたSu-30に搭載されていたカメラから送信されている映像に映っているのは、砂嵐と間違えてしまうほど荒々しい粉塵を噴き上げながら砂漠を進軍する、無数の魔物たちの群れであった。

 

 魔物の中でも個体数が多いゴブリンももちろん紛れ込んでいるが、他にも砂漠に適応したゴーレムの変異種や、巨大なサソリのような姿をしたデッドアンタレスまでその群れと一緒に進軍している。非常に危険度の高い魔物ではあるが、あくまでもデッドアンタレスは砂の中に潜み、そこから獲物に奇襲を仕掛けるタイプの魔物だ。いくら獰猛とはいえ、積極的に攻撃を仕掛けるような魔物ではない。

 

 それが他の魔物と一緒に進軍してくるのである。

 

 更にその群れの上空には、まるで彼らを上空から援護しようとしているかのようにドラゴンの群れが集まり、編隊を形成してブレスト要塞へと接近しつつある。

 

 指揮官は、この異常事態の原因をすでに知っていた。

 

 一週間ほど前から、カルガニスタンの砂漠でフランセン共和国騎士団による大規模な魔物の掃討作戦が行われていたのである。二個中隊に加えて精鋭部隊まで投入した大規模な掃討作戦により、近隣の魔物を殲滅する計画のようであったが、どうやら騎士たちの進撃速度が想定より遅かったらしい。

 

 結局魔物たちは騎士たちに縄張りを奪われ、砂漠を北上して逃走する羽目になったのである。

 

 このブレスト要塞が検察されているのは、その北上していく魔物の群れの進路上。つまりテンプル騎士団から見れば、フランセンの騎士たちが取り逃がした魔物の群れを押し付けられたようなものである。

 

(フランセンのバカ共が…………ッ! こっちには民間人もいるんだぞ!?)

 

 民間人も駐留しているため、彼らを守るために守備隊もしっかりと派遣されていた。だが、進軍するだけでちょっとした砂嵐を起こすほどの規模の魔物たちと戦う事は想定外としか言いようがない。

 

「少将、戦闘機を出撃させますか!?」

 

「いや、もう遅い。攻撃ヘリと地上部隊で対処する。タンプル搭から救援が来るまで持ちこたえるんだ!」

 

「―――――――少将、飛行場の1番滑走路から戦闘機が飛び立とうとしています!」

 

「なっ…………!?」

 

 命令が行き届かったのだろうかと思いつつ、少将は目を見開いた。

 

 監視カメラの映像が目の前にモニターに表示される。確かにドワーフの職人たちが用意した滑走路の上には戦闘機らしきものが居座っており、管制室どころか少将も許可を下していないにもかかわらず飛び立とうとしているようだが―――――――その機体は、テンプル騎士団が採用している機体とは形状が違った。

 

 その戦闘機はジェットエンジンではなく、機首にプロペラを搭載した旧式の『メッサーシュミットBf109』と呼ばれる戦闘機だったのである。

 

 

 




新キャラのアルフォンスのハンドガンですが、最初はハンガリーのフロンマー・ストップにする予定でした(笑)


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要塞防衛戦

 

 メッサーシュミットBf109は、俺の祖父が乗っていた機体と同じだ。かつて祖父はこのメッサーシュミットBf109の”F型”と呼ばれるタイプの機体を操り、イギリスのスピットファイアたちと死闘を繰り広げていたという。

 

 憧れの祖父がかつて操った機体と同じ戦闘機のコクピットに乗り込んでいることに感激しつつ、燃料計や操縦桿を素早くチェックする。

 

 武装は機首に搭載されている2門の7.92mm機銃と、機首のプロペラの軸に搭載されている20mm機関砲が1門。プロペラの軸が機関砲の砲身になっている、モーターカノンと呼ばれる機関砲だ。

 

 武装はそれほど搭載しておらず、飛行可能な距離も他国の戦闘機と比べると短いと言わざるを得ないものの、当時の戦闘機の中では非常に優れた加速力を持っており、一撃離脱戦法で連合国の戦闘機を苦しめたと言われている。

 

 滑走路へと躍り出た俺の機体を見つけた整備兵がこっちに向かって叫んでいるのが見えるが、もう既に回転を始めたプロペラの音のせいで何を言っているのかは聞こえない。

 

 安心しろ。さすがにこの武装で化け物共まで殲滅するのは無理だが、少なくとも空を舞うドラゴンくらいは落としてやるさ。

 

 もう既に、外では地上部隊が戦闘を始めているらしい。建造途中と思われる防壁の向こうからは、銃のマズルフラッシュらしき光が見える。

 

「…………行くか」

 

 この機体を飛ばしたことはないが、操縦方法は分かる。

 

 戦時中に祖父と一緒に戦ったという戦友が、このメッサーシュミットBf109から武装を全て取り外した物を保管していたのである。祖父がその戦友と思い出話をしている間に俺はその保管されていた機体のコクピットに潜り込み、よく”パイロットごっこ”をして遊んでいたものだ。

 

 その際に祖父の戦友が面白半分で操縦を教えてくれたのである。

 

 奇妙な端末で作り出した機体が、ゆっくりと滑走路を進み始める。やがて速度が段々と速くなっていき、滑走路の両脇で眠っているSu-27たちが置き去りにされていく。

 

 第二次世界大戦で活躍した機体が、ついに空へと舞い上がるのだ。

 

 やがて、俺の足元から地上が消え去る。

 

「うお…………」

 

 眠り続ける戦闘機の群れと滑走路を置き去りにし、速度を上げた機体がついに滑走路から飛び立つ。

 

 プロペラとエンジンの音がキャノピーの中にまで入り込んでくる。幼少の頃によく乗り込んでいた戦闘機が、本当に空を飛んでいるのだ。

 

 機体を旋回させ、地上を見下ろす。このまま砂漠を空から見渡すのも悪くはないが、今は戦闘中だ。アサルトライフルを手にした兵士たちが、まるで神話や御伽噺の中に登場するような魔物の群れと死闘を繰り広げているのである。

 

 砂が舞うキャノピーの向こうでは、やはりマズルフラッシュの光が煌いていた。砂で覆いつくされた大地の上で隊列を組み、アサルトライフルを構える黒服の兵士たちの姿がよく見える。

 

 彼らが銃を向ける敵の姿を目の当たりにした瞬間、俺はコクピットの中で息を呑んだ。

 

「あれが…………」

 

 一見すると、要塞へと近づいていく砂嵐にも見えたかもしれない。しかしそれは普通の砂嵐よりもはるかに獰猛で、さらに破壊力を秘めた恐ろしい”嵐”と言える。

 

 正確に言えば、その嵐を生み出している奴らだ。

 

 まるで巨大な岩を人の形に削って作り出したかのような岩の巨人や、砂漠に生息するサソリを戦車よりも大きくしたようなグロテスクな怪物。そいつらの足元を、まるで戦車を護衛する随伴歩兵のように駆け回るのは、おそらく成人男性の半分程度の伸長を持つ、人間に似た化け物。あれはゴブリンなのだろうか。

 

 信じられん。あんな化け物が実在するだと…………?

 

 操縦桿を倒して高度を下げつつ、あいつらの上から機銃を掃射してやろうかと思ったが―――――――操縦桿を倒しかけた瞬間、赤黒い鱗と外殻で覆われた巨大な飛行物体が、キャノピーの真上を通過していった。

 

『ゴォォォォォォォォォッ!』

 

「ッ!」

 

 エンジンとプロペラの音が聞こえる中でも、その化け物が発した野太い咆哮ははっきりと聞こえた。あんな咆哮を間近で聞く羽目になったら、ちっぽけな人間の鼓膜はあっさりと粉砕されてしまうに違いない。

 

 息を呑みながら機体の後方を見据える。今しがたメッサーシュミットBf109の真上を通過していったのは、やはり部屋の窓の外を通過していったドラゴンらしい。

 

 自分たちが舞う空を見慣れない物体が飛んでいることが許せないのか、旋回しながらこの機体を睨みつけてくるドラゴン。やがて他のドラゴンたちもそいつの周りに集まり始めたかと思うと、鋭い牙の生えた大きな口から火の粉や炎を覗かせながら、立ち去れと言わんばかりに次々に咆哮し始める。

 

 どうやら縄張りに入り込んだ”外敵”に威嚇しているつもりらしい。

 

 外敵か…………。

 

「面白い」

 

 実際に戦闘機を飛ばせて感激している俺は、キャノピーの中でニヤリと笑った。

 

 せっかく武装を積んだ戦闘機で滑走路から飛び立ったのだから、このまま遊覧飛行を楽しむよりも刺激的な空戦を経験するべきだろう。それに―――――――はっきり言うと、あのドラゴン共が気に食わない。

 

 空を統べるのはドラゴンなどではない。科学力が生み出した戦闘機であるべきなのだ。

 

 どっちが強いのか、ここで試してみるのも面白いだろう。

 

 そう思いながら俺は操縦桿を倒し、機体を減速させながら旋回を始めた。片手の指を機銃の発射スイッチに近づけながらドラゴンを睨みつけ、呼吸を整える。

 

 確実に撃墜するならばモーターカノンを使うべきだろうが、相手がどの程度の防御力を持っているのかも試してみたいし、20mm弾は弾数が少ない。ここぞという時にぶっ放すためにも、まずは最初に小口径の―――――――とはいえ歩兵のライフルから見れば十分大口径である―――――――機銃からぶっ放し、それで撃墜可能であるかどうかを調べるべきだ。

 

 威嚇で逃げるつもりはないと思ったのか、リーダーと思われるやけにがっちりした外殻を持つドラゴンが、口から炎を吐き出しながら咆哮した。多分、「これ以上接近すれば排除する」という最後通告のつもりなのだろう。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 俺だって、第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍したエースパイロットの遺伝子を受け継いでいるんだ。その程度の威嚇で逃げ出してたまるか。

 

 機銃の照準器を覗き込み、機首をそのボスと思われるドラゴンへと向ける。向こうももう威嚇は無意味だと悟ったのか、咆哮をぴたりと止め―――――――こっちに突っ込んできた!

 

 すれ違いざまに叩き込むか。

 

 きっと祖父も、こうやってスピットファイアの群れと戦ったに違いない。

 

 かつて連合国の空軍と死闘を繰り広げた祖父たちの事を考えながら、7.92mm機銃の発射スイッチを押した。

 

 機首に搭載された2門の機銃が、ついに砂漠の上空で火を噴く。黄金のマズルフラッシュがキャノピーのすぐ前で煌き、前方へと弾丸を解き放っていく。

 

 これが通用しなければモーターカノンの出番だ。こっちは弾数が少ないから、しっかりと狙って叩き込む必要がある。

 

 機銃が放たれているにも拘らず、真正面から突っ込んでくるドラゴン。ちょっとした爆撃機に匹敵する巨躯へと機銃の弾丸が次々に命中していくが、ダメージを与えられているのかは分からない。

 

 これ以上撃ち続けていたら、ドラゴンと真正面から激突する羽目になりそうだ。そろそろ回避するべきだろう。

 

「ふんっ!」

 

 操縦桿を倒し、減速しつつ右上へと回避。空気をズタズタにする凄まじい轟音と咆哮を響かせながら、巨大なドラゴンがメッサーシュミットBf109の胴体の下を通過していった。

 

 今の攻撃が通用したのか気になるが、今は旋回してもう一度攻撃を仕掛ける準備をする必要がある。メッサーシュミットBf109が真価を発揮するのはドッグファイトではなく、あくまでも一撃離脱戦法なのだ。

 

 旋回しながらキャノピーの外を見渡し、さっきのドラゴンを探す。

 

 赤黒い鱗と外殻を持つドラゴンは、すぐに発見できた。今しがたこの戦闘機にこれでもかというほど機銃をお見舞いされたドラゴンのボスは―――――――まるで被弾した戦闘機が黒煙を吐きながら高度を落としていくかのように、首や胴体から黒煙のように鮮血を噴き上げて、高度を落としているところだった。

 

 必死に高度を上げようとするが、被弾したダメージはかなり大きかったらしく、やがてそのドラゴンはぐるぐると回転しながら墜落し、地上を進軍する魔物たちが生み出した砂塵の中へと消えていった。

 

「げ―――――――撃墜…………ッ!」

 

 よし、7.92mm機銃でもいける!

 

 ボスを殺せば逃げ出すだろうと思ったのだが、ドラゴンたちはむしろ奮い立っているようだった。ボスの仇討ちだと言わんばかりに咆哮しながら翼を広げ、旋回するメッサーシュミットBf109へと突進してくる。

 

 だが、どうやらあのドラゴンたちにはメッサーシュミットBf109に追いつけるほどのスピードはないらしい。旋回速度では同等くらいだろうか。

 

 ならば、こっちは一撃離脱戦法を使ってひたすら攻撃していればいい。口から吐き出す炎と不意打ちにだけ気を付けていれば、あいつらを殲滅するのは難しくないだろう。

 

 面白い。

 

 撃墜したドラゴンはまだ1体。だが、あそこで咆哮している奴らを殲滅すれば、俺もエースパイロットになれる。

 

「…………やってやるッ」

 

 俺も、祖父みたいなエースパイロットになるんだ………ッ!

 

 そう思いながら機銃の照準器を覗き込んだ俺は、機銃の発射スイッチを押すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレスト要塞へと出撃したのは、3機のスーパーハインドと4機のカサートカ。どちらもしっかりとロケットポッドや機関砲で武装しており、兵員室の中には武装した兵士たちを乗せて、ブレスト要塞へと向かって飛行を続けている。

 

 他の兵士たちと同じように、自分の得物を点検しながらブレスト要塞の守備隊の規模を思い出す。

 

 現時点ではまだ建造途中の要塞であり、要塞砲の準備はできているものの、肝心な砲手の育成がまだ終わっていないため運用できるのはまだ先だ。守備隊の方は一般的な魔物の襲撃から要塞を守り切れるだけの規模の部隊が駐留しているものの、今回の規模は流石に想定外としか言いようがない。

 

 歩兵部隊80人とT-72B3が8両。更にT-90も6両ほど配備していた。もちろん航空戦力も配備しており、最優先で建設した飛行場にはSu-27やSu-30などの航空機が30機ほど配備されている。それほどの戦力と対転生者戦闘の訓練を受けた兵士たちならば、魔物どころか転生者の襲撃からも要塞を守り抜くことはできただろう。

 

 しかし今回の襲撃は想定外である。フランセンの騎士たちが相当する筈だった魔物たちが、あいつらの進撃速度が遅かったせいで逃げ出したのだ。しかもその魔物たちの逃走ルートには、まだ建設中のブレスト要塞があった。

 

「…………あとでフランセンに抗議しよう」

 

「そうした方がいいわね」

 

 隣で得物の点検をしながら、いつもとは口調が違うラウラがそう言った。普段は大人びた容姿とは裏腹に性格は幼く、いつも俺に抱き着いてくる甘えん坊なのだが、戦闘になると一気に性格まで大人びる。

 

 母であるエリスさんにそっくりだ。

 

 彼女が装備する得物は、ハンガリー製アンチマテリアルライフルの”ゲパードM1”。1発しか装填できない単発型の銃だが、その命中精度はアンチマテリアルライフルの中でトップクラスと言っても過言ではなく、射程距離も長い。旅を始めた頃に使っていたものを改造しており、本来ならば12.7mm弾を使用するこのライフルを、ラウラからの要望でさらに大口径の23mm弾を使用できるように改造している。

 

 もはやライフルと言うよりは”キャノン”と言うべきではないのだろうか。ちなみに23mm弾は、ソ連製の対空機関砲で使用されるような代物であり、航空機を容易く撃墜することが可能である。

 

 通常の弾薬に加え、対装甲車用に徹甲弾も彼女に支給している。さすがに戦車の破壊は不可能ではあるものの、少なくとも装甲車の破壊は可能だろう。

 

 もちろんスコープは搭載しておらず、代わりに古めかしいタンジェントサイトを装備している。

 

 サイドアームはPP-2000とPL-14で、ナイフは刀身とグリップを延長したスペツナズ・ナイフを2本装備している。

 

 もちろん俺も同じナイフを装備している。グリップの中にあるスプリングをより強力なものに換装しているため、刀身を射出した際の殺傷力もより向上しているのだ。さらに巨躯解体(ブッチャー・タイム)と併用した場合、射出した刀身の切れ味まで強化されるので、ちょっとしたフレシェット弾として機能する。

 

 俺のメインアームはいつものAK-12。グレネードランチャーとアメリカ製のホロサイトを装備し、その後方には中距離戦闘用にブースターも搭載している。サイドアームはお気に入りのウィンチェスターM1895のソードオフ・モデルが2丁。モシン・ナガンと同じ弾薬を使う強力なレバーアクションライフルだ。

 

「えへへへ…………楽しみだなぁ…………早く吹っ飛ばしたいなぁ♪」

 

「こ、怖い…………」

 

 向かいの席でニヤニヤと笑いながらグレネードランチャーを撫でているイリナを見ながら、俺たちは苦笑いしてしまう。爆発が好きだからという理由で基礎的な魔術の習得よりも先に難易度の高い爆発系の魔術を真っ先に習得し、得物も爆発する弾丸や砲弾を放つもので統一しているイリナの装備は強力なものばかりだ。

 

 彼女が撫でるグレネードランチャーも凶悪な代物の1つである。

 

 傍から見れば、銃身とチューブマガジンをそのまま太くしたショットガンのように見えるかもしれないが、こんなにでっかいショットガンは存在しない。

 

 イリナが装備しているのは、『GM-94』と呼ばれるロシア製の”ポンプアクション式グレネードランチャー”である。ショットガンにも採用されているポンプアクション式を採用している一風変わったグレネードランチャーで、次々に強力なグレネード弾をぶっ放せるという代物だ。

 

 使用するのも、一般的な40mmグレネード弾ではなく、より大口径の43mmグレネード弾。そのため破壊力は他のグレネードランチャーよりも上なのだ。

 

 砲身の上に搭載されているチューブマガジンと砲身をさらに延長したため、6発も強力なグレネード弾が連射できるようにカスタマイズされている。あとは折り畳み式の銃床をAN-94の銃床に変更した事くらいだろうか。それ以外は一切カスタマイズはしていない。

 

『まもなくブレスト要塞です』

 

 操縦士からの報告を聞き、すぐに兵員室のハッチを開けて降下する準備を始める。他のスーパーハインドやカサートカのハッチも開き、兵員室に乗り込んでいる兵士たちがこっちに向かって手を振り始めた。

 

 俺も手を振りつつ、ブレスト要塞の状況を確認する。

 

 どうやら守備隊は善戦しているらしい。魔物たちは要塞へと接近しているものの、守備隊の奮戦のせいでなかなか前に進む事ができず、砂漠の真っ只中に釘付けにされている状態だ。

 

 そして空では―――――――砂塵のせいでよく見えないが、出撃したと思われる航空部隊がドラゴンたちを血祭りにあげているところだった。

 

「早く行かないと、俺たちの出番がなくなっちまうな」

 

「それは嫌ですわね」

 

 せっかく出撃したんだから、暴れてから帰ろう。

 

 やがてヘリが要塞の防壁の内側でホバリングを始める。他のヘリへと合図を送った俺は、降下する準備を終えた兵士たちに命令を下す。

 

「降下開始!」

 

ほら急げ(ダヴァイダヴァイ)!」

 

 さて、暴れようか。

 

 戦果をあげないまま帰るのは嫌だからな。

 

 

 

 



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異世界のエースパイロット

 

 ブレスト要塞へと進撃する魔物たちは、要塞へと到達する直前で足止めされていた。

 

 彼らがどれだけ堅牢な外殻を身に纏い、人間を容易く叩きのめせるほどの強靭な筋力を持つ化け物であっても、異世界の科学力によって生み出された兵器を持つ兵士たちへと肉薄する事すらできていない。ブレスを吐き出して攻撃できる魔物であればまだ応戦はできただろうが、地上を進む魔物たちの中でそのような芸当ができる魔物はいない。

 

 ゴーレムは周囲に岩石があればそれを投擲し、デッドアンタレスは尻尾の先端部から高圧の毒液を射出することができるものの、周囲に岩石は存在しないせいでゴーレムは遠距離攻撃ができず、デッドアンタレスの毒液も射程距離が20m程度しかない。

 

 その魔物たちを迎え撃つのは、ブレスト要塞の守備隊である。

 

 魔物たちが接近しているという報告を受けた兵士たちは、すぐに防壁の外に掘られた塹壕の中へと滑り込み、そこに設置されていた機関銃や迫撃砲で必死に応戦し始めた。

 

 AK-12やRPK-12から放たれる7.62mm弾が押し寄せるゴブリンたちを粉砕し、塹壕に設置されたKord重機関銃から放たれる12.7mm弾の弾幕がデッドアンタレスやゴーレムの外殻を木っ端微塵に破壊する。剣や槍の一撃をあっさりと弾いてきた魔物たちの外殻は、獰猛な運動エネルギーを纏って飛来する大口径の銃弾には無力としか言いようがない。

 

 テンプル騎士団では、可能な限り大口径の弾丸の使用が推奨されている。

 

 現代の各国の軍では、5.56mm弾や5.45mm弾などの小口径の弾丸が使用されており、アサルトライフルだけでなくLMG(ライトマシンガン)や、一部のPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)にも使用されている。従来の大口径の弾丸よりも反動が小さい上に命中精度も高いため、様々な銃の弾丸では小口径の弾丸が選ばれることの方が多い。

 

 それは、あくまでもアサルトライフルで”対人戦”のみを想定しているからである。

 

 相手が人間の兵士であることを想定しているのならば、小口径の弾丸は確かに理想的で、合理的な弾丸と言える。しかし転生者たちが放り込まれる異世界で兵士たちの目の前に立ち塞がるのは、人間だけとは限らない。むしろ人間の兵士が敵として現れることの方が少ないのだ。

 

 そう、魔物が相手になる事の方が多いのである。

 

 人間の纏う防具よりもはるかに硬い外殻や強靭な筋肉を持つ魔物たちに対して、その小口径の弾丸では効果が薄くなってしまうのである。外殻で覆われていない部位などを正確に狙えればダメージは与えられるものの、無数の魔物の群れが押し寄せてくるような状況でのんびりと弱点を狙って狙撃している暇などない。

 

 そこで、モリガンの傭兵たちは大口径の弾丸を使用し始めた。

 

 反動が大きくなり、命中精度も落ちてしまうため小口径の弾薬よりも扱いにくくなってしまうという欠点があるものの、その破壊力は魔物たちの外殻を貫通するには十分であったのである。彼らの戦いによって、”魔物の外殻の貫通には最低でも6.8mm弾が必要”という事が立証されたのだ。

 

 そのためテンプル騎士団でも、彼らのように大口径の弾薬を使用している。それゆえに本来ならば5.45mm弾を使用するAK-12やRPK-12も弾薬を7.62mm弾に変更して運用されている。

 

 だからといって小口径の弾薬が消え失せてしまったというわけではない。そういった小口径の弾薬は、”対人戦のみ”を想定しているスペツナズや、あまり大型の武器を携行できないシュタージのエージェントたちによって愛用され続けている。

 

「撃ちまくれ!」

 

「おい、弾薬を持ってこい!」

 

「ほら、ここにある!」

 

 傍らにいる仲間にアサルトライフルで援護してもらいつつ、機関銃の射手は大急ぎで弾薬の入った箱の中から12.7mm弾が連なるベルトを引っ張り出す。上部のカバーを開けてその中へとベルトを放り込み、カバーを閉じてコッキングハンドルを思い切り引っ張る。がちん、と重々しい音を銃声の轟音の中へと解き放ったKord重機関銃のグリップを握った兵士は、再びアイアンサイトを覗き込んで弾幕を張る。

 

 マズルフラッシュの向こうで砕け散っていく魔物の群れを見つめながら、その射手は頭上にいるドラゴンに襲われないことに安心していた。

 

 ドラゴンは堅牢な外殻を身に纏う強敵である。その外殻で人間の放つ弓矢や魔術を弾き飛ばし、強靭な爪や灼熱のブレスで全てを焼き尽くしてしまう恐ろしい存在だ。そのため、産業革命で武器の威力が劇的に向上した現在でも、ドラゴン討伐に向かう場合は、たとえ相手が1体だけでも一個中隊を投入することがあるという。

 

 ドラゴンたちの襲撃で命を落として言った冒険者は数えきれない。魔物に襲撃されて命を落とした冒険者のうち4割はドラゴンによって殺された者たちだと言っても過言ではないのだ。

 

 しかしその恐ろしい怪物たちは、空に釘付けにされている。

 

(航空部隊のおかげだな)

 

 おそらく、大急ぎで飛行場から飛び立ったのだろう。頭上の様子は砂塵のせいで何も見えないが、先ほどから蜂の巣にされたドラゴンたちの死体が砂漠の中へと墜落しているのが見えている。

 

『こちら増援部隊。守備隊の同志諸君、聞こえるか?』

 

「こちら守備隊、どうぞ」

 

『これより諸君らを全力で援護する』

 

 無線機の向こうから聞こえてきた少女のような声を聴いた指揮官は、もうこの戦いが終わることを確信していた。

 

 なぜならば、増援部隊を率いているのは―――――――あの”円卓の騎士たち”なのだから。

 

 円卓の騎士は、あくまでもテンプル騎士団の上層部で会議を行う”議員”たちに過ぎず、テンプル騎士団を創設したメンバー以外の円卓の騎士は住民や兵士たちの選挙によって選ばれる。そのため、円卓の騎士であるからといって最強の兵士の1人であるということではない。

 

 しかし、最前線で戦う兵士たちから見れば、円卓の騎士はまさに騎士団の力の象徴と言っても過言ではなかった。

 

 その円卓の騎士たちが増援に来てくれたのだから、負ける筈がない。双眼鏡を覗き込みながら魔物たちの群れの状況を確認していた指揮官は、ヘリから降下していく黒服の兵士たちの姿を見て息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 操縦桿を右へと倒し、そのまま機体を旋回させつつキャノピーの外を見る。地上から舞い上がった砂で段々と視界が悪くなりつつあるものの、俺が叩き落すべき敵の姿はまだ辛うじて見えている。

 

 ちらりと一瞬だけキャノピーの下の方を見てみると、上顎から上を消し飛ばされたやや小さめのドラゴンが、ぐるぐると回転しながら砂塵の中へと消えていくところだった。もしこの風がなくなって視界が良くなったら、砂漠の上にはドラゴンの死体がいくつも鎮座しているに違いない。

 

 もう既にドラゴンは6体くらい撃墜した。地上に無事に戻れたら、エースパイロットと呼んでもらえるだろうか?

 

 祖父や先祖のようにエースパイロットになる事ができたというのに、達成感を味わう余裕はない。一刻も早く旋回し、突進しながら機銃と機関砲を掃射して敵の数を減らさなければならないのだ。武装の残弾数も気になるが、一番気になるのは燃料の方だ。

 

 メッサーシュミットBf109は速度の速い戦闘機ではあるが、飛行可能な距離は他国の戦闘機と比べると劣ってしまう。幸い燃料はまだ残っているものの、あまりドラゴンとの戦いに時間をかけ過ぎれば燃料切れで墜落してしまう。

 

 もしそうなったら、ドラゴンの空襲と地上の魔物たちに挟み撃ちにされてしまう。あの化け物の群れの襲撃をルガーだけで迎え撃つのは不可能だろう。

 

 旋回を終え、機銃の照準器を覗き込む。

 

 残ったドラゴンは3体。一番最初に撃墜してやったドラゴンのボスと比べると小柄だが、それ以外のドラゴン共と比べるとがっちりした体格だ。

 

 そのうちの1体が、さすがに何体も仲間を撃墜されていることを警戒したのか、こっちへと突進するのを途中で止めてしまう。そのまま急に降下し始めたかと思いきや、のこった2体のドラゴンへと向かう俺の斜め下から襲撃しようとしていたらしく、急上昇を始めた。

 

 真正面からは2体のドラゴン。斜め下からは1体のドラゴンの奇襲。

 

 ここで上昇するのは愚の骨頂だ。もちろん旋回して回避しようとすれば、絶対に後ろにつかれてしまう。

 

 ならば―――――――あいつから仕留める!

 

 操縦桿を思い切り倒し、機体の下部を天空へと向ける。照準器の向こうに見える2体のドラゴンの姿が逆さまになり、キャノピーの真上に砂塵の舞う大地が広がる。

 

 そのまま操縦桿を手前へと引くと―――――――照準器の向こうに、俺の斜め下から奇襲を仕掛けようとしていたドラゴンが、完全に逆さまになった状態で姿を現した。

 

 体格は上にいる2体よりもがっちりしている。口から炎を覗かせて咆哮し、突っ込んでくるドラゴンへと照準を合わせてから、機銃ではなくモーターカノンの発射スイッチを押した。

 

 ドン、とプロペラが吹っ飛んだのではないかと思ってしまうほどの轟音と衝撃が、メッサーシュミットBf109の機首で産声を上げる。プロペラの軸を砲身にしたモーターカノンから、20mm弾が真正面へと放たれたのだ。

 

 7.92mm機銃と比べると破壊力は圧倒的に上。しかし弾数は少ないため、ここぞという時にだけ使うことが望ましい。

 

 だからそれほど連射はせず、3発ほど発射されたのを確認してからすぐに発射スイッチから手を離し、逆さまになったまま操縦桿を思い切り引いた。こっちに向かってくるドラゴンの巨体が機体の機首へと隠れてしまう直前に、翼の一部と思われる物体が俺の機体を追いかけるように地上へと落下していったかと思うと、続けざまに真っ赤な飛沫が青空の中へと飛び散り、巨大な何かがメッサーシュミットBf109の胴体のすぐ近くを通過していく音が聞こえた。

 

 きっと胴体の下部は血まみれだろうなと思いつつ、操縦桿を引き続ける。大地がキャノピーを埋め尽くしたかと思うと、やがてその光景すら機体の機首の影へと隠れていき、再び青空が俺を出迎えてくれる。

 

 モーターカノンで撃ち抜かれたさっきのドラゴンが、肉片を巻き散らしながら墜落していく。どうやら3発の20mm弾で首と片方の翼を捥ぎ取られたらしく、長い首の先にある筈の恐ろしい顔と、右側の翼が見当たらなかった。

 

 仲間との挟み撃ちに失敗したドラゴンが大慌てでこっちへと旋回してくるが、こっちが機銃をぶっ放せる前に旋回が終わる様子はない。

 

 照準器を覗き込むと、まだ赤黒い外殻から伸びた棘がいくつも生えているドラゴンの武骨な背中が見える。

 

 今からその背中も、蜂の巣になるのだ。

 

「―――――――じゃあな」

 

 必死に旋回を続けるドラゴンの背中へと、容赦なく機銃とモーターカノンを叩き込んだ。2つの武装のマズルフラッシュが一瞬だけキャノピーを埋め尽くし、猛烈な轟音がプロペラの音すらかき消す。マズルフラッシュの残滓と火薬の臭いが後方へと置き去りにされた頃には、照準器の向こうのドラゴンの背中には無数の風穴や大穴が穿たれており、外殻の割れ目からは粉砕された背骨の一部や内臓のようなものが覗いていた。

 

 口から炎の代わりに血を吐き出し、墜落する戦闘機が吐き出す黒煙の代わりに鮮血を空へとまき散らしながら、ドラゴンが墜落していく。

 

 残りは1体だ。

 

 最後の生き残りは墜落していく仲間を見つめてから、こっちを睨みつけて咆哮する。

 

 やはり、空を統べるべきなのはお前らではない。科学力が生み出した戦闘機であるべきだ。

 

 だからお前らなんかは、この戦闘機の敵ではない…………!

 

 操縦桿は倒さず、機体を加速させ続ける。機首の向こうに広がる青空を突き破ろうとするかのように上昇を続けるメッサーシュミットBf109の後方から、生き残った最後のドラゴンが追撃してくる。

 

 機動性ではこの機体と同等かもしれないが―――――――速度では大きな差がある。

 

 そう、こっちの方が速度では上なのだ。それゆえに機動性が同じでも速度が全く違うならば、もう勝負にはならない。

 

 仲間を殺した俺を追いかけてくるドラゴンまで、どんどん置き去りにされていく。

 

 十分に距離が開いたところで―――――――操縦桿を手前に引いた。

 

 がくん、とメッサーシュミットBf109の機首が更に上を向き、天空を隠してしまう。

 

 このまま宙返りして、ドラゴンの背中を撃ち抜いてやる。

 

 やがて青空が完全に機首と主翼の陰に隠れてしまい、その代わりに砂塵の舞う砂漠がキャノピーの向こうに広がる。俺はこのままドラゴンの背中を撃ち抜くつもりだが、当然ながらそのドラゴンも真っ直ぐに突っ込んでくるわけではない。仲間を殺した怨敵を追いかけているわけなのだから、宙返りを試みるこっちを追撃している事だろう。

 

 案の定、ドラゴンは口から無意味に炎を吐き出しながら追いかけてきていた。完全に血走った眼でこの機体を睨みつけ、咆哮を上げながら迫ってくるドラゴン。いくら速度でこちらが有利とはいえ、宙返りの最中ではその速度は生かせない。

 

 もう少しだ。もう少し近づけ…………。

 

 キャノピーの向こうから迫ってくるドラゴンの炎と火の粉がはっきりと見えるようになった瞬間、俺はそこで機体を減速させた。

 

 機首で回転を続け、凄まじい轟音を発し続けていたプロペラが回転速度を落としていく。やがてはっきりと見えるくらいの速度まで低下したかと思うと、先ほどまで勇ましく回転していたプロペラが弱々しい音を発しながら、ぴたりと止まってしまう。

 

 そうなれば、もちろん速度も落ちる。メッサーシュミットBf109が誇る最大の長所は、プロペラの停止と共に死ぬ。

 

 しかし、それでいい。

 

 エンジンが止まれば、飛行機は地上へと落下していく鉄の塊に過ぎない。

 

 もう既にドラゴンはすぐ近くまで接近していたが―――――――全速力でこっちを追いかけてきていた上に、仲間を殺されて激昂していたのだろう。いきなりプロペラを停止させて減速し、段々と地上へ落下し始めたメッサーシュミットBf109を捉えることができず、全力の突進は見事に空振りしてしまう。

 

 悔しそうな咆哮がキャノピーの中にも聞こえてくる。

 

 それが遠ざかっていくのを聴きながら、再びエンジンを再起動。一時的に眠っていたプロペラが回転を始め、再び轟音をコクピットの中へと響かせ始める。

 

 すぐに操縦桿を引き、機首を天空へと向ける。先ほど突進を空振りしたドラゴンも宙返りを始めたようだが、突進にスタミナを使った上に、まだその突進の勢いを自分で殺し切れていないらしい。先ほどの旋回よりも、その速度は鈍い。

 

 こっちは機械だから、故障したり燃料が切れない限りは”疲れない”。でもドラゴンは生き物だから、”燃料切れ”は無くても疲れてしまう。

 

 生物と機械の違いさ。覚えておけ。

 

 照準をまだ宙返りする途中のドラゴンへと向けた俺は、ニヤリと笑いながらモーターカノンの発射スイッチを押した。

 

 機首のモーターカノンが火を噴き、巨大な弾丸を立て続けに放つ。

 

 一瞬で消えていくマズルフラッシュの輝きの向こうで、20mm弾を一気に叩き込まれたドラゴンの巨体がバラバラになっていった。

 

 

 

 



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機銃掃射

 

 目の前で生じた小さな火柱が、太い尻尾を振り回して毒液を噴射しようとしていたデッドアンタレスの外殻を容易く叩き割った。毒々しい赤と紫の迷彩模様を思わせる外殻が砕け散り、桜色の肉と体液が四散する。

 

 背中を叩き割られ、痙攣すらしなくなったデッドアンタレスの死体を盾にして銃撃を叩き込む兵士たち。俺も今しがたデッドアンタレスに止めを刺したグレネードランチャーから空の薬莢を取り出し、砲口から新しい40mmグレネード弾を装填する。

 

 ブレスト要塞へと到達する直前で拮抗していた戦いは、段々と変わりつつあった。

 

 もちろん有利になりつつあるのは、テンプル騎士団の方である。

 

 セレクターレバーを3点バーストに切り替え、デッドアンタレスの死体の影から別のデッドアンタレスを狙撃する。隣ではステラが死体の影から身を乗り出しつつ、ドラムマガジンを装備したRPK-12で弾幕を張っているところだった。

 

 巨大化したサソリの顔面に、巨大な人間の髑髏を取り付けたかのような不気味な魔物の外殻に亀裂が入る。3発の7.62mm弾が被弾したデッドアンタレスは咆哮を上げ、尻尾の先端部から伸びる太いレイピアのような針から毒液を噴射しようとしたが―――――――それが針の先端部から吐き出されるよりも先に、何の前触れもなくデッドアンタレスの胴体が消失することになった。

 

 正確に言うならば、”粉砕された”。

 

 そう、堅牢な外殻を身につけているにも拘らず、それもろとも肉体を粉砕できるほどの運動エネルギーを持つ1発の弾丸によって、粉々にされてしまったのである。

 

 ちらりと後方を見てみると、やけに太い銃身を持つライフルを装備し、バイボットとモノポッドを展開して砂の上に伏せている狙撃手が見えた。装備しているのはアンチマテリアルライフルだが、もっと近くで目にすれば明らかにそれが普通のアンチマテリアルライフルではないという事が分かるだろう。

 

 12.7mm弾ではなく、対空機関砲などが使用する23mm弾を発射できるように改良されたゲパードM1だ。その射程距離と破壊力は、既存のアンチマテリアルライフルを大きく凌ぐ。

 

 そしてそれを持つのは―――――――テンプル騎士団が誇る最強の狙撃手(ラウラ)である。

 

 グリップを左へと捻ってから引き、内部に残っている巨大な薬莢を排出するラウラ。銃身の脇に装着されたホルダーの中から予備のでっかい弾丸を引き抜き、それを装填。グリップを押し戻し、今度は右に捻ってから装填を終える。

 

 ゲパードM1は、他のアンチマテリアルライフルと違ってマガジンを持たない。そのため1発発射したらあのように再装填(リロード)が必要になるため、連射速度は他のアンチマテリアルライフルと比較すると劣ってしまう。

 

 しかし、”連射速度”が劣る代わりに命中精度は東側のアンチマテリアルライフルの中では最高峰と言っても過言ではない。

 

 12.7mm弾から23mm弾に変更した際に、命中精度に影響が出ないように銃身も延長しているため、彼女の得物の銃身は2mにまで伸びてしまっている。もちろん重量も増加しており、普通の兵士ではそれを装備して走り回るのは難しいほどの重量を持つ得物と化してしまっているが、キメラであるラウラは”その程度”の重量で音をあげることはない。

 

 ちなみに、以前までであれば銃と一緒に”再装填(リロード)3回分”の弾薬やマガジンが支給される仕組みになっていた。そのためゲパードM1のような単発型のライフルでは、最初に装填されている分も含めてたった4発しか弾丸が支給されていなかったのである。スキルで再装填(リロード)5回分まで増やすことはできたものの、そのスキルを使ったとしても発射できる弾丸はたった6発しかなかった。

 

 だが、一ヵ月前に行われたこの能力のアップデートにより、単発型のライフルでも20発の弾薬が一緒に支給されるようになった。その代わりこの弾数はスキルで増やすことはできないらしいが、弾数が増えてくれたのは非常にありがたい。

 

 彼女とは別の位置から、今回の作戦に数名だけ同行してくれた狙撃手部隊の兵士たちが狙撃を開始する。動き回るデッドアンタレスの尻尾を狙撃して毒液攻撃を封じたり、要塞へと肉薄しようとしている敵を最優先で狙撃してくれているため、そちらまで気を配りながら戦わなくて済みそうだ。

 

 優秀な教え子たちだな。

 

「タクヤ、無事!?」

 

「当たり前だ!」

 

 AK-12のフルオート射撃で応戦する俺の隣へと隠れて聞いてきたのは、同じくAK-12を手にしたナタリアだ。最近の彼女は戦車に乗っている事の方が多かったからなのか、こうして制服をしっかりと身に纏ってAK-12を手にしている彼女を久しぶりに見たような気がする。

 

 ナタリアのAK-12は、フォアグリップやホロサイトなどの扱い易い装備が搭載されている。俺のグレネードランチャー付きのAK-12やカノンのSVK-12のように狙撃に特化しているわけではないものの、中距離の敵にも対処できるし、銃身もやや短くなっているため、そのまま室内戦へと投入できそうだ。

 

 彼女が好むのはこういうオーソドックスな得物らしい。

 

「カノン、聞こえるか? 現在位置は?」

 

『お兄様から見て4時方向。ゴーレムの死体の後ろですわ』

 

 応戦しつつそちらをちらりと見てみると、死体の上でバイボットを展開してスコープを覗き込み、セミオートマチック式のマークスマンライフルとは思えないほどの速度で敵を狙撃しているカノンの姿が見える。

 

 いくら連射の利くセミオートマチック式とはいえ、当たり前だが狙いを定める必要がある。しかしカノンは全く狙いを定めずにぶっ放しているようにも思えるほどの速さで、正確に魔物たちを狙撃していた。

 

 彼女の母親であるカレンさんは、モリガンの傭兵の1人だ。若い頃から中距離からの狙撃や砲撃が得意だったらしく、あの親父に『カレンはまるで早撃ちしながら狙撃しているようだ』と言われるほど、素早さと精密さを兼ね備えた射撃で彼らを支援したという。

 

 カノンの中距離狙撃は、母親の才能を立派に受け継いでいると言えた。

 

 マズルフラッシュが消えたと思いきや、すぐに次のマズルフラッシュが産声を上げているほどの素早さである。傍から見れば本当に当たっているのか不安になってしまうかもしれないが、彼女の覗き込むスコープのレティクルの向こうでは頭や心臓を正確に撃ち抜かれたゴブリンやゴーレムが次々に崩れ落ちており、砂漠の砂が死体で覆われてしまっている。

 

 あっという間に空になったマガジンを取り外すカノン。次のマガジンを装着し、コッキングレバーを引く。

 

 彼女の後ろでは、イリナが迫撃砲の準備をしているところだった。一見すると通常の迫撃砲よりも小型の代物にも見えるが、よく見ると迫撃砲の下部にある底盤がスコップの先端部になっているのが分かる。

 

 そう、あれは元々スコップだったのだ。

 

 第二次世界大戦の勃発前に、ロシアで迫撃砲を内蔵したかなり変わったスコップが開発されており、正式採用されている。イリナが持っているのはそれを改良した代物なのだ。

 

 爆発する武器ばかりを好んで使う彼女の接近戦用の得物も、ちゃんと爆発する得物だったのである。

 

 何であの子はあんなに爆発にこだわるんだろうね? あとでウラルに聞いてみるとしよう。

 

『迫撃砲、準備完了!』

 

「よーし…………」

 

 フルオート射撃でゴブリンの群れを薙ぎ倒すナタリアの隣で、俺は双眼鏡を覗き込む。

 

 もう既に、要塞へと押し寄せた魔物の群れは総崩れとなりつつあった。中にはこのまま戦いを続ければ全滅するという事を悟ったのか、突撃していく仲間や他の魔物とは逆方向へと向かって逃げ出していくゴブリンや、背を向けた直後にラウラに狙撃され、上半身が四散するゴーレムが見える。

 

 勝負は決まったな。消耗戦になるのを恐れていたんだが、このまま続けているだけで勝てそうだ。

 

 とはいえ、魔物共を逃がすつもりはない。殲滅できるならばここで殲滅してしまった方が理想的だし、フランセンにも貸しを作れる。

 

 味方の守備隊も奮戦している。じりじりと前進を始めたT-90やT-72B3の群れが立て続けに多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を放ち、ゴーレムの上半身を捥ぎ取っていく。

 

「イリナ、逃げていく魔物共の退路を塞げ。砲撃開始(アゴーニ)」

 

『了解(ダー)、発射(アゴーニ)!』

 

 魔物共は、逃がさない。

 

 ここで殲滅する。

 

 イリナの迫撃砲で魔物たちの退路を塞ぎ、歩兵部隊と戦車部隊の攻撃で一気に決める。もし相手が人間の兵士たちだったらとっくに銃剣突撃で白兵戦を始めているところだが、接近戦になれば他の兵士たちが一気に不利になる。それゆえに、このまま銃撃で仕留めるのが理想的だ。

 

「ステラ、いい事を教えてやろうか」

 

「なんですか?」

 

 AK-12のマガジンを交換しつつ、俺はステラの頭を優しく撫でた。

 

 彼女の髪って、なんだかふわふわしてるなぁ…………。

 

「ゴブリンとかゴーレムの肉は不味いが、デッドアンタレスの肉は絶品だぞ?」

 

「…………ほっ、本当ですかっ!?」

 

「え? あれって毒あるんじゃないの?」

 

 顔をしかめながら聞いてくるナタリアに向かってニヤリと笑うと、彼女はさっさと教えなさいよと言わんばかりにそのまま首を傾げる。

 

 ふっふっふ、幼少の頃から魔物の図鑑を読んで育ったからな。魔物の習性とか生態には詳しいのさ!

 

「実はな、デッドアンタレスの毒って熱に弱いんだ」

 

「砂漠に住んでるのに?」

 

「そう。100℃以上の熱で加熱すると毒は分解されちまうんだよ。あの外殻は熱を遮断するために発達したんだ。元々は寒冷地に住んでた魔物だったんだが、別の魔物に追いやられて砂漠に住みつき、あんな姿に進化したってわけだ」

 

「へぇ…………アンタっていつもふざけてるけど、色々と知ってるのね」

 

「勉強しましたからね」

 

「つ、つ、つまり、あのサソリのお肉は焼いたら美味しい上に無害ということですかっ!?」

 

「そういうこと。だからこの戦いが終わったらお肉食べ放題だぞぉ?」

 

 射撃を続けつつ目を輝かせるステラ。調理されたデッドアンタレスの肉が目の前に並んでいる光景を想像したのか、いつも俺やラウラから魔力を吸収していく小さな可愛らしい唇から、段々とよだれが溢れ始める。

 

 あ、そういえばゴーレムの腸をソーセージの皮に使うと歯応えがあるってケーターが言ってたな。ゴーレムもいるみたいだし、せっかくだから試してみるか。

 

 ステラとナタリアにそういう話をしている間に、イリナの砲撃が逃げていく魔物たちの頭上へと降り注ぎ始めた。いきなり目の前に生じた火柱に怯える魔物たちが立ち止まり、そのまま混乱を始めてしまう。

 

「あっ、あまりサソリを吹っ飛ばさないでください! せっかくのお肉が…………!!」

 

「し、心配し過ぎだろ…………」

 

 あくまで目的はこいつらの殲滅だからな?

 

 肉が美味しいって言わなきゃよかったかも…………。

 

 セレクターレバーをセミオートに切り替え、ブースターとホロサイトを覗き込む。敵との距離も遠くなりつつあるので、3点バーストやフルオートではなく、セミオートでの狙撃の方が効率がいい。

 

 これ以上距離が遠くなるのであれば、俺たちも距離を詰めよう。

 

 そう思いながらデッドアンタレスの死体の影から身を乗り出したその時だった。

 

「…………?」

 

 そういえば、空がやけに静かだ。先ほどまでは砂塵が舞う空の向こうで航空機のエンジン音とドラゴンたちの方向が轟き、時折蜂の巣にされたドラゴンたちの無残な死体が砂漠へと落下してきたというのに、今ではもう死体が落ちてくる気配はない。

 

 どうやら空での戦いは決着がついたようだ。戦闘機の残骸が1機も落ちてこないということは、こちらの勝利か。

 

「ブレスト要塞指令室、聞こえるか?」

 

『はい、聞こえます。どうぞ』

 

「航空部隊に、余裕があったら機銃掃射でも構わんから支援を頼むと伝えてくれ」

 

『…………航空部隊? 同志、航空部隊は出撃してませんよ?』

 

「…………なに?」

 

 じゃあ、あのドラゴン共は一体誰が仕留めた…………?

 

 ラウラの狙撃かと思ったが、彼女の狙撃ならばあんなに蜂の巣にはならないだろう。ラウラの場合は”蜂の巣にする”というよりは、弱点を大口径の弾丸で正確に撃ち抜き、”木っ端微塵にする”ような戦い方をする。

 

 それに、確かブレスト要塞にはまだ対空砲は装備されておらず、レーダーサイトも稼働していない。あのようにドラゴンを蜂の巣にして殺すことは不可能だ。

 

 では、誰がやったのか。

 

 本当に誰も出撃していないのかと問い詰めようとしたその時、まるで要塞のオペレーターの代わりに答えようとしたかのように、エンジンの音が段々と地上へと近づき始めた。

 

 やはり航空機だったらしい。しかし、そのエンジン音には違和感を感じる。

 

 明らかにジェット機の豪快で甲高いエンジン音ではないのだ。まるで第二次世界大戦で活躍したような、古めかしいプロペラ機のようなエンジン音なのである。

 

 待て、ブレスト要塞に配備していたのはSu-27やSu-35じゃなかったか? プロペラ機なんて配備した覚えがないぞ?

 

「タクヤ、あれ―――――――」

 

「―――――――!」

 

 やがてドラゴンたちを殲滅し、空を支配した存在が、空を覆ってしまおうとする貪欲な砂塵を豪快に突き破って地上へと君臨する。

 

 すらりとした胴体と主翼。機体の後端にジェットエンジンらしき部位は見当たらず、その代わりに機体の先端部では、巨大なプロペラが凄まじい勢いで回転を続けている。そのプロペラの軸は銃口のように穴が開いており、軸が砲身となっている”モーターカノン”であることが分かる。

 

 ロシアの『ラヴォーチキンLaGG-3』かと思ったが、キャノピーの形状や胴体に描かれている鉄十字で、すぐにその機体の正体を見破った。

 

 あれは第二次世界大戦でドイツが使用した、『メッサーシュミットBf109』だ。凄まじい速度を誇る戦闘機で、連合国の戦闘機を苦しめたと言われている。

 

 さすがに現代の戦闘機には歯が立たないだろうが、ドラゴンが相手ならば勝負は決まっている。ドラゴンの機動性は第二次世界大戦中の戦闘機と同等で、加速力などでは大きく劣る。だからドッグファイトではなく一撃離脱戦法になった時点で、ドラゴンに勝ち目はないのである。

 

「なんでメッサーシュミットが…………?」

 

 当たり前だが、ブレスト要塞にメッサーシュミットBf109を配備した覚えはない。もしかしてクランがこっそりと配備していたのか? だが、前に視察に来た時にはメッサーシュミットは1機もなかったぞ…………?

 

 ということは、転生者が…………!?

 

 こちらに機銃掃射しに来たら叩き落すつもりだったが―――――――砂塵の舞う空から舞い降りた鋼鉄の猛禽が矛先を向けたのは、魔物を迎え撃つ兵士たちではなく、逃げようとする魔物の群れだった。

 

 高度を落としつつ減速し、機首を逃げていく魔物の群れの先頭へと向ける。そして機種に搭載された2門の7.92mm機銃とモーターカノンの掃射をプレゼントし、すぐに高度を上げて上空へと退避していった。

 

 もちろん、そんな大口径の機銃で掃射された魔物の群れがただで済むわけがない。7.92mm機銃で風穴を開けられたやつらはまだ原形を留めているものの、運悪くモーターカノンに被弾してしまった魔物は、まるで肉屋で売られているミンチのように木っ端微塵にされてしまっている。

 

「ああ、お肉が!」

 

「ステラ、あれは諦めろ…………」

 

 あんなにぐちゃぐちゃになったら食えないよ…………。

 

 減速しつつ旋回し、再び機首を魔物へと向けるメッサーシュミット。どうやらまだ機銃の弾丸は残っているらしく、弾切れになるまで機銃掃射で支援してくれるらしい。

 

 支援してくれるのはありがたいが、本当に味方なのだろうか。どさくさに紛れてこっちに牙を剥いたりしないだろうな。

 

 再び高度を落とし、魔物の群れへと機銃掃射。機銃やモーターカノンの弾丸を喰らった魔物たちが血飛沫を上げ、バラバラになっていく。

 

「ああっ…………お肉ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」

 

 俺たちから見たら勝利へと近づいている光景だが、食いしん坊のステラから見ればご馳走を奪われているにも等しい光景に違いない。

 

 終わったら、まだ調理できそうな肉を探して食べさせてあげよう…………。

 

 今のうちに調理できそうなデッドアンタレスの死体を探しながら、俺たちは魔物たちが全滅するまで、その豪快な機銃掃射を眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ご先祖様はなにをやってたの?

 

クラン「そういえば、ドラゴン(ドラッヘ)のご先祖様って何かやってたの? 私のご先祖様は第一次世界大戦で戦車に乗ってたけど」

 

タクヤ「あー、確か日露戦争の頃に―――――――」

 

クラン「日露戦争…………あー、日本海海戦のあった戦争ね!? まさか、あの海戦で活躍したとか!?」

 

タクヤ「―――――――いや、田舎で酪農やってたってさ」

 

ケーター「戦争行ってないのかよ!?」

 

タクヤ「牛舎で牛と戦争してたみたい」

 

木村「なるほど、酪農家の子孫は異世界で牛ではなくおっぱいの大きな姉の―――――――」

 

タクヤ「あぁ…………ッ!?」

 

 完

 



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再会とエース

 

 

 ドラゴンを迎え撃つために飛び立った滑走路が、どんどんキャノピーの下から上へと迫ってくる。まるでその滑走路が開放的な青空を上へと押し出そうとしているようにも見えてしまい、もっと空を飛んでいたかったという願望が頭の中を満たし始める。

 

 楽しんでいた映画のラストシーンが終わったような寂しさを感じながら高度を下げると、機体の下降がぴたりと止まった。ついに再びこの滑走路に降り立ってしまったのである。

 

 プロペラもどんどん回転速度を落としていき、やがて眼で追える程度の遅さになる。キャノピーを満たしていたプロペラとエンジンの音も小さくなっていき、周囲の光景も段々と停滞を始めた。

 

 滑走路の両脇には、先ほどの空戦で出番のなかったSu-27やSu-35たちが、まるでたった1機だけ飛び立って奮戦してきたこのメッサーシュミットBf109を羨ましがっているかのように、こちらへと機首を向けながら眠っている。そしてその戦闘機たちの群れの向こうには、真っ黒な制服に身を包んだ兵士たちが、AK-12を手にしながら、滑走路に降り立ったメッサーシュミットBf109を待ち受けているところだった。

 

 彼らがこちらへと銃を向けたのを目にした瞬間、俺はこの滑走路から飛び立った時の事を思い出す。俺は”テンプル騎士団”とかいう組織に救助され、部屋のベッドで寝かされていた。そして化け物たちが襲来したという知らせを耳にし、勝手にここから飛び立ったのである。

 

 彼らを救ったとはいえ、部外者が無断で戦った上に彼らの滑走路へと勝手に降り立ったのだから、警戒するのは当たり前だろう。下手をすればコクピットから降り立った瞬間に蜂の巣にされかねない。

 

 どうしよう…………。滑走路は広いから、Uターンしてもう1回飛び立つか?

 

 そう思いながら燃料計を見てみるが、いつまでも飛んでいられるほどの燃料が残っているわけではない。仮にUターンして飛び去ったとしても、すぐに砂漠に墜落する羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 せっかくドラゴンを6体も撃墜する戦果をあげたのだから、そんな無様な死に方はしたくない。

 

 彼らに停滞したのではなく、魔物の撃退の手伝いをしたのだから、少なくとも敵意を見せなければ撃たれることはないだろう。それにここはどこなのか、彼らから聞き出すチャンスじゃないか。Uターンして飛び去るよりも彼らと接触し、情報を手に入れる方が合理的だ。

 

 機体を停止させ、ゆっくりとキャノピーを開ける。開いたキャノピーが音を奏でると同時に兵士たちが一斉にAK-12を向け、アイアンサイトやドットサイトを覗き込みながらこちらを睨みつけてきた。

 

 AK-12を持っているという事は、ロシア軍か? 

 

 両手を上げつつコクピットから降り、一旦主翼の上に両足を下してから滑走路へと降り立つ。これで銃を下してくれれば話がしやすくなるんだが、どうやらあの兵士たちはかなり警戒しているようだ。こちらにアサルトライフルの銃口を向けたまま微動だにしない。

 

 あ、そういえば腰のホルスターにまだルガーが入ったままだった。端末で装備から解除しておけばよかったな…………。丸腰の方が敵意がないという事を伝えやすいと思ったのだが、今ここで端末をポケットの中から取り出そうとしたり、ルガーを足元に置くために取り出そうとすれば撃たれてしまうに違いない。

 

「―――――――そこで止まれッ!」

 

 頭に真っ黒なヘルメットをかぶった1人の兵士が、俺に向かってそう叫んだ。

 

 指揮官なのか、他の兵士たちと比べると真っ黒な制服に深紅の装飾が少しだけついている。しかしその立派な装飾も先ほどの戦闘のせいなのか砂塵で薄汚れており、どちらかと言うと荒々しい雰囲気を放っていた。あの指揮官の顎を無精髭が覆っているせいだろうか。

 

 そういえば、俺の祖父も若い頃の写真に写っていた時は無精髭を生やしていた。わけのわからない場所で銃を向けられているにも拘らず、古い白黒の写真の中で、隊長のメッサーシュミットBf109の前に並んで戦友たちと肩を組む若き日の祖父の姿を思い出してしまう。祖父が写っていた位置は右側から2番目。やけに体格のいい男性の隣で微笑んでいた。

 

「そのまま動くな!」

 

 動いたら撃たれるからな。こっちは動く気はないよ。

 

 数名の兵士たちと目配せをし、銃を構えたままじりじりと近づいてくる指揮官。下手したら牢屋に放り込まれるかもしれないし、尋問を受けるかもしれない。

 

 くそったれ、こっちはいきなりベルリン行きの列車から砂漠の真っ只中に放り出されたんだ。もう少し優しく扱ってくれてもいいじゃないか。いくら何でも理不尽過ぎだ。

 

 そんなことを考えながら、迫ってくる兵士たちを見つめていたその時だった。

 

「同志諸君、銃を下してくれ」

 

 殺気と警戒心を放つ兵士たちの群れの向こうから、やけに凛々しい少女の声が聞こえてきたのである。すると、迫ってくる兵士たちの後方に集まっていた黒服の兵士たちが道を誰かに譲り始め、その向こうから真っ黒なフードをかぶった人影が、姿を現した。

 

 俺よりも身長が低いし、コートのようにも見える制服の下にある身体は華奢だから、多分女だろう。いくら凛々しいとはいえ声も高かったし、真っ赤な羽が飾られているフードから覗く顔も目元から下しか見えないものの、少女のようにすらりとしている。

 

 かなり階級が高いのか、周囲の兵士たちは彼女に道を譲り始めたかと思うと、まるで将校に向かって敬礼するかのように、いきなり銃を下して彼女に向かって敬礼を始めた。

 

「ど、同志団長…………しかし、あの男は―――――――」

 

 同志団長…………? なるほどな、あの女がこいつらのボスか。

 

「同志、彼は我々に力を貸してくれた恩人だ。恩を返すべき相手に銃は向けるな」

 

「し、失礼しました………! おいお前ら、銃を下せ!」

 

 指揮官が大慌てで部下たちに命令すると、兵士たちも慌ててAK-12の安全装置(セーフティ)を作動させてから銃を下ろし、ゆっくりとこっちにやって来る少女へと敬礼をする。

 

 部下たちに敬礼を返しながら近くへとやってきた少女は、微笑みながら俺の顔を見上げた。

 

 フードの下にあるすらりとした顔が、はっきりと見える。

 

 やはりこの子は少女だった。華奢そうに見える小さな唇と、鮮血を思わせる紅い瞳。瞳の色とは裏腹に蒼くて長い髪は、まるで開放的な大空のような色をしている。微笑んでいるものの、彼女の目つきはまるで最前線で戦う兵士のように鋭く、完全に気を許させてはくれない程度の威圧感を放っている。

 

 銃を下せと命令したが、まだ味方だと判断していないのだろう。だからこんな目つきをしているに違いない。

 

 両手を上げたまま彼女の顔を見下ろしていると、蒼い髪の少女は俺の後ろで砂塵に晒されているメッサーシュミットの方をちらりと見てから、「いい戦闘機だ」と言った。

 

 そして俺の腰に下げてあるホルスターの中のルガーをまじまじと見つめてから、微笑んだまま頷く。

 

「…………いい趣味だな。話が合いそうだ」

 

「そりゃどうも」

 

「そろそろ両手を下せ。疲れるだろ?」

 

 ああ、正直言うと疲れてる。そこはお言葉に甘えさせていただくよ。

 

 息を吐きながら両手を下ろすと、少女は頷きながらにっこりと笑った。

 

 それにしても、こんな少女があの兵士たちのボスなのか? 確かに目つきの鋭さは最前線で戦う歩兵を彷彿とさせるが、こんな華奢な身体でライフルを装備し、ボディアーマーを身につけて走り回れるのだろうか? というか、明らかに未成年だよな? 

 

「…………ところで、所持品の中に奇妙な端末はないか?」

 

「これのことか」

 

 奇妙な端末ならポケットの中にある。それを引きずり出して砂塵の中へと晒すと、少女の目つきが一瞬だけ更に鋭くなったような気がした。

 

「…………お前はどうしてここに?」

 

「ベルリン行きの列車に乗っていた。いきなり列車が急ブレーキをかけて凄まじい振動を感じたと思ったら、この砂漠のど真ん中に…………」

 

「ベルリン…………そうか、お前はドイツ人だな?」

 

「あ、ああ」

 

 なんだ、ドイツ(ドイッチュラント)を知ってる奴はいるじゃないか! 

 

 安心したよ…………祖国の事を知っている奴がここにいたんだからな。

 

 それにしても、この少女はどこの軍の兵士なんだ? 明らかにロシア人ではないし、顔つきは東洋人を思わせる。だが東洋人にしては鼻は高い方だからハーフか?

 

「なあ、ここはどこだ? あんたの部下はカルガニスタンとか言ってたが…………」

 

「ああ、その件についてはちゃんと話す。…………この近くに俺たちの拠点があるんだ」

 

 唐突に、滑走路の向こうからヘリのローターの音が聞こえてくる。砂塵を吹き飛ばしてしまいそうなほどの轟音は、先ほどメッサーシュミットBf109のコクピットの中を満たしていたプロペラの音よりも重々しい。

 

 やがて、青空を覆ってしまおうとする砂塵の上から、スタブウイングにこれでもかというほど武装を搭載したヘリがゆっくりと降下してくるのが見えた。一般的なヘリと比べるとずんぐりした胴体を持つが、そのヘリの原型となった機体から見れば十分すらりとしていて、機首にはセンサーと機関砲を搭載した武骨なターレットがぶら下がっている。

 

 ロシア製のヘリである”Mi-24ハインド”を南アフリカが改良した『スーパーハインド』と呼ばれる戦闘ヘリだ。戦車を木っ端微塵に吹っ飛ばせる対戦車ミサイルや、歩兵の群れを薙ぎ払うロケットポッドを搭載しており、火力はヘリの中でも極めて高い。更に兵員室の中から歩兵を降下させることもできる優秀な戦闘ヘリだ。

 

 滑走路の脇にあるヘリポートへと降り立ったスーパーハインドが、乗れと言わんばかりに兵員室のハッチを開ける。目の前にいる蒼い髪の少女はそのヘリをちらりと見てから、再び俺の顔を見上げた。

 

「同行してもらえるかな?」

 

「…………」

 

 まさか、そのままシベリアにでも送るつもりじゃないだろうな?

 

 不安になりながら、彼女と共にそのヘリへと向かうしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂漠の真上にある太陽や、砂塵を吹き上げる熱風と無縁な地下に築かれた部屋の中は、やはり砂漠の真っ只中よりもはるかに涼しい。しかし俺の周囲を取り囲むのは、時折蒸気のような白煙―――――――あれは魔力の残滓と呼ばれる、蒸気に似た無害なものだという―――――――が噴き出す武骨な配管の群れや、剥き出しになったケーブルたち。

 

 スチームパンクを題材にしたマンガや映画が好きな奴なら大喜びしそうな光景だ。いたるところに取り付けられた圧力計やバルブの数々が目立っていたが、今はもう気にならない。

 

 なぜならば、それらが気にならなくなってしまうほどの事実を、俺の目の前で微笑む少女から告げられたからだ。

 

「―――――――それで、信じてくれるかな?」

 

「…………」

 

 ここがカルガニスタンという場所で、住民がドイツの事を知らなかった時はかなり混乱したが、今はその倍以上混乱しているに違いない。この”タンプル搭”と呼ばれている巨大要塞へとやってきた時も驚愕したが、それを遥かに上回る驚愕の奔流に蹂躙されている状態である。

 

「…………こ、ここが異世界だって…………? そんなバカな…………」

 

 そう、この少女の話では―――――――俺はベルリン行きの列車の中で事故に遭遇して死亡し、異世界へと”転生”してしまったのだという。

 

 ”リンネテンセイ”という言葉は聞いたことがあるが、まだ信じられない。もしかしたらここは中東の砂漠で、この少女がからかっているだけなのかもしれないと思いたいが、俺は実際にメッサーシュミットBf109を操縦して、ドラゴンを叩き落している。

 

 御伽噺や神話に出てくるような、実在する筈のない化け物をだ。

 

 確かに俺はドラゴンを叩き落した。あの時握っていた操縦桿や機銃の発射スイッチの感触は、まるで指先にこびりついてしまったかのようにまだ残っている。

 

 そしてその後は砂漠を突き進む魔物の群れに機銃掃射をお見舞いし、滑走路に降り立って彼らから銃を向けられたのだ。

 

 俺の知っている世界ならばあり得ない。

 

 その”前世の世界”で死んだ一部の人間は、俺のようにあの奇妙な端末を与えられてこの世界へと”転生者”として放り出されているという。この世界にいる魔物や騎士たちを圧倒する力を持っているからなのか、大半の者はその能力を悪用し、人々を虐げているという。

 

 テンプル騎士団は、その転生者たちを討伐することでこの世界を守ろうとしている巨大な民間軍事会社(PMC)らしい。

 

「ということは、俺はあの列車の中で…………」

 

「詳しくは分からんが、事故だろうな。…………俺も飛行機事故で死んだ」

 

 俺が、事故で死んだ…………?

 

 信じられない。一瞬だったんだぞ? 列車が急ブレーキをかけて―――――――凄まじい衝撃を感じたのは。

 

「なんてこった…………」

 

 父さんと母さんは、きっと今頃俺の死体を目にして泣いてるだろうな…………。俺は一人っ子だったし。

 

「元の世界に戻る方法は…………?」

 

「ないだろうな。俺もお前も、向こうの世界では”死者”だ」

 

 事故で死んで異世界へと転生した人間が元の世界に戻るという事は、死んだはずの人間が生き返ることを意味する。死んでしまった人間が生き返る方法など、存在しないのだ。

 

 きっとそれと同じなのだろう。元の世界へと変える方法がないのは。

 

「ということは、この世界で生きていくしかないということか?」

 

「そうなるだろうな…………。とりあえず、元の世界へ戻るのは諦めろ。あれは絶対無理だ」

 

「…………」

 

 なんてこった。

 

 いきなり列車事故で命を落とし、魔物や魔術が実在する異世界に転生した上に、ずっとこの世界で生きていくしかないだと? 滑走路で兵士たちに銃を向けられたのは理不尽だと思ったが、元の世界に戻れない理不尽さは銃をいきなり向けられたあの経験の比ではない。

 

 もう二度と、故郷(バイエルン)に戻ることができないなんて…………。

 

「まず、これからの事を考えるんだ。お前は他の転生者たちみたいに悪いやつじゃないみたいだし、仕事さえ見つかれば生きていけるだろう。…………そういえば、お前の名前は?」

 

「…………アルフォンス・オルデンハイン」

 

「アルフォンス、特技は?」

 

「特技か…………ラグビーと、戦闘機の操縦だな。もう少し訓練が必要になりそうだが」

 

 幼少の頃、祖父の戦友が所有していたメッサーシュミットBf109のコクピットでパイロットごっこをしていた程度だが、祖父の戦友が悪ふざけのつもりで操縦方法まで教えてくれたのだ。あの時教わった操縦方法が、この摩訶不思議な経験の真っ只中で役に立つとは。

 

 とはいえ、あくまでも幼少の頃に教わった程度だ。本格的に戦闘機のパイロットになるためには、もっとしっかりした訓練が必要になりそうだ。

 

 どうやらこの世界では”飛行機”が存在せず、空を移動する手段は人間が飼いならしたドラゴンの背中に乗るしかないらしい。もし仮に俺が旅客機を操縦して、それで商売をしたら儲かるだろうか。

 

 個人的には小回りの利く戦闘機でドッグファイトをやってみたいものだが、わがままを言うわけにはいかない。戦闘機には客人は乗せられないからな。

 

「戦闘機か…………ドラゴンを落としたのはお前なんだな?」

 

「ああ」

 

 質問すると、目の前に腰を下ろす少女(タクヤ)は息を吐きながら考え事を始めた。

 

 そういえば”タクヤ”という名前は、日本(ヤーパン)では男の名前じゃなかったか? 異世界では女の子に”タクヤ”っていう名前を付けることになってるんだろうか。確かに口調は男っぽいけど、可哀そうじゃないか。

 

「―――――――よし、アルフォンス」

 

「なんだ?」

 

「お前をぜひスカウトしたい。テンプル騎士団で、戦闘機のパイロットをやらないか?」

 

「…………なに?」

 

 ここでパイロットを…………?

 

 テンプル騎士団って、PMCだよな? ここでパイロットをやるという事は敵と戦うという事を意味するが―――――――戦闘機のパイロットにしてもらえるのか!?

 

 悪くない提案だった。俺に行くあてはなかったからここに住むことはできるし、戦闘機のパイロットもできるのだから。

 

「ドラゴンを6体も撃墜したエースパイロットなんだ。選択の自由はもちろんあるが、立派なエースパイロットを手放したくはない。我々のパイロットはまだ錬度が低くてな…………」

 

「…………給料は?」

 

「受けた依頼の報酬の7割。3割は組織の運営資金として回収させてもらうことになるが、残りは全額お前にやるし、人権も尊重する。部屋も用意するし、何か必要なものがあれば可能な範囲で用意しよう。どうだ?」

 

 最高の待遇じゃないか…………!

 

 戦闘機のパイロットをやらせてもらえるうえに、ちゃんと給料も手に入る。しかも部屋や必要な物まで与えてもらえるのだから、拒否できるわけがないだろう。砂漠越えのための装備を持たず、ルガー1丁で異世界を旅するよりははるかにマシである。

 

 それに彼らの理想も、悪くない。

 

 人々の安寧のために戦うのであれば、力になろう。

 

「―――――――分かった(ヤー)、仲間に入れてくれ」

 

「歓迎しよう、同志オルデンハイン」

 

 そう言いながら微笑み、華奢な手を伸ばしてくるタクヤ。俺も彼女の手を握ろうと思って手を伸ばしたその時だった。

 

 いきなり後ろにある真っ黒なドアが開いたかと思うと、彼と同じく黒い制服に身を包み、頭に昔のドイツ軍の指揮官を思わせる略帽をかぶった金髪の少女が、部屋の中へと入ってきたのである。

 

「あ、ここにいた。ねえねえドラゴン(ドラッヘ)、シュタージの予算の件なんだけど―――――――」

 

 聞き覚えのある声だなと思いながら顔を上げた途端、部屋に入ってきた少女と目が合った。

 

「「あっ」」

 

 あ、あれ…………? 

 

 ちょっと待て、何でお前がここにいるの…………?

 

「き、君…………もしかして、アルフォンス…………?」

 

 ああ、やっぱりな。

 

 何でここで再会する羽目になったのだろうか。額の冷や汗を指先で拭い去りながら、幼少期の頃の事を思い出す。

 

 公園で遊んでいた時、何度も俺をいじめっ子から救ってくれた女の子。それから一緒に遊ぶことが多くなり、俺がオーストリアに引っ越すまでずっと遊び相手だった幼馴染。

 

 目の前に現れた金髪の少女は、まさに公園で一緒に遊んでいた幼馴染だったのだ。

 

「く―――――――クーちゃん?」

 

 

 

 



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アーサー隊

 

 

 

 スプーンに乗せたカレーライスを口へと運びながら、目の前に不機嫌そうな表情を浮かべながら座っている友人の顔色を窺う。頬杖をつきながら水の入ったコップを口へと運んで溜息をついた彼と目が合わないよう、慌てて半分ほど食べたカレーライスを見下ろしながら、カレールウの中に沈んでいるハーピーの肉を口へと運んだ。

 

 クランの彼氏(ケーター)がこんな表情を浮かべるようになったのは、数日前に起こったブレスト要塞の一件からだろう。

 

 フランセン共和国騎士団の連中が相当する筈だった魔物を逃がしたことが原因で、逃走した魔物たちが建設中だったブレスト要塞に殺到した事件。現在は円卓の騎士を代表してタクヤとラウラとナタリアの3人が、フランセン側のこの失態を非難し、損害賠償を要求し始めている。

 

 フランセン側も賠償金の支払いに渋々同意したらしく、そろそろ賠償金の支払いが行われることだろう。それは喜ばしい事だ。

 

 そしてもう1つばかり、ケーター以外の団員たちにとっては喜ばしい事がある。

 

 そのブレスト要塞の一件を、偶然要塞に保護されていた転生者の少年が、メッサーシュミットBf109に乗ってドラゴンを片っ端から撃墜することで助けてくれたのである。しかも行くあてがなかったらしく、その日からテンプル騎士団へと入団し、そのまま航空部隊に入隊することになった。練度が低かった空軍にドラゴンを初陣で6体も撃墜した猛者が入隊するのだから、戦力の大幅な強化が期待できるのは言うまでもない。

 

 しかし、ケーターにとってはそのエースパイロットが大問題なのだ。

 

 そのドイツ出身のエースパイロットは―――――――クランの幼馴染らしいのである。しかもクランの事を「クーちゃん」と呼ぶこともあるらしい。

 

 ヤバいよね、これ。

 

 クランって誠実な女の子だから浮気をするのは考えられないから、それは心配ない。けれども彼氏の方が暴走する可能性があるため、注意する必要がある。一見すると冷静沈着で堅実な男に見えるが、このケーター(バカ)はクランの事になると、最高速度で低空飛行する戦闘機よりも危なっかしい存在へと変貌する。

 

 実際に大学生だった頃も、クランに手を出そうとした男共を水面下で何人も病院送りにしていたのだ。

 

「ケーター、いい加減落ち着いてくださいよ」

 

「そうですよ、ケーター少佐。クラン大佐が浮気するわけないじゃないですか」

 

 カレーライスを口へと運びながらガスマスクを上へとずらした木村とノエルちゃんがそう言うけど、ケーターは相変わらず不機嫌なままだ。

 

 お前はシュタージの副隊長なんだからさ、もう少し冷静になれよ…………。少佐だろ?

 

「あのな、確かにクランの事は心から信頼してる。彼女に『死んで』って言われたら大喜びで自分の頭に9mm弾を叩き込んだり、ナイフの切っ先をお見舞いしたりする覚悟はできてるさ。だがなぁ、問題はあのアルフォンスとかいうドイツ野郎だ。幼馴染とはいえ、もしクランに手を出しやがったら…………」

 

「う、うっ、疑い過ぎだって。とりあえずホルスターに手を伸ばすな」

 

「ん? ああ、すまん。無意識に伸ばしてた」

 

 無意識かよ…………。

 

 ホルスターに入っているPL-14から慌てて手を離したケーターが、苦笑いしながらやっとカレーライスを食べ始める。

 

 でも、こいつが心配する理由は分かるよ。俺には彼女はいないけど、ちょっと気になってる子はいるし…………。そう思いながらちらりと隣を見てみると、俺のすぐ隣では小柄な黒髪の少女がハーフエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながら、カレーを口へと運んでいるところだった。

 

 正直に言うと、俺はノエルちゃんの事が気になってる。ヴリシアに潜入してた辺りからだろうか。

 

 もし仮に俺とノエルちゃんが付き合っていて、そこにノエルちゃんの幼馴染の男が現れたら俺だって警戒するよ。幼馴染ってことは幼少の頃から一緒にいたってことだからな。

 

 だからと言ってハンドガンを向ける気にはならないが。

 

「それに彼は航空部隊です。配属先も違うんですから、まだケーターの方がクランと会う回数は多いですよ」

 

「そ、そうかなぁ…………?」

 

「そうですって。ほら、カレー冷めちゃいますよ」

 

 でも、これで航空部隊は強化されるだろう。

 

 入隊したあいつの情報を色々と閲覧させてもらったが、どうやらアルフォンスの家系はパイロットが多いようだ。先祖は第一次世界大戦でパイロットとして活躍し、終戦までに15機も敵機を撃ち落としたエースパイロットの1人。そしてあいつの祖父は、第二次世界大戦の西部戦線で75機も敵の戦闘機を撃ち落としたエースパイロット。そのエースパイロットたちの遺伝子を見事に受け継いでいるらしく、アルフォンスも初陣でドラゴンを6機も撃墜してエースパイロットとなった。

 

 テンプル騎士団に所属する転生者の中では、これでドイツ出身の転生者は2人目。出身はクランと同じくドイツのバイエルン州で、14歳の頃に両親と共にオーストリアのウィーンに移住。ドイツに戻ってきたのは大学に入学してかららしい。

 

 つまりクランと最後にあったのはオーストリアへ移住する直前までだ。

 

 幼少の頃はいじめられっ子で、公園で虐められる度にクランに助けられていたらしい。それからは体を鍛えるためにラグビーを始めたようだ。体格ががっちりしてるのはラグビーの恩恵か。

 

 それにしても、あんなでかいやつがいじめられっ子とはな…………。信じられん。

 

「ねえねえ、新しく航空隊に入隊した人知ってる?」

 

「あ、知ってる! アルフォンスっていうイケメンだよね!? 金髪で背の高い人っ!」

 

 近くの席にハーピーのスープとライ麦パンとサラダの乗ったトレイを下してから座った少女たちが、よりにもよってケーターの近くでアルフォンスの噂話を始めやがった…………。あのエンブレムは狙撃手部隊か? 

 

 あのさ、自重してくれない? そのアルフォンスが原因で悩んでる可哀そうな男がここにいるんだからさ。

 

「いいなぁ…………。王子様みたいだよねぇ♪」

 

「私、一目惚れしちゃった♪」

 

「でもぉ、あの人ってクラン大佐の幼馴染らしいわよ?」

 

「えぇー!? ま、まさか、アルフォンスさんとクラン大佐って…………!」

 

「…………その可能性はあるわね」

 

「やーだー! 王子様の隣にもうお姫様がぁ!?」

 

 バカ野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! だからケーターの前でそんなこと言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 息を呑み、冷や汗を拭いながら恐る恐るケーターの方を見てみると―――――――やっぱりアルフォンスのせいで臨戦態勢に突入しつつあったこの男は、猛烈な敵意を放ちながらカレーライスに入っているジャガイモを必要以上に噛み砕き、まるで八つ当たりでもするかのように、コップに入っている氷をゴリゴリと凄まじい音を響かせながら噛み砕いていた。

 

 トレイの上のフォークをひったくり、カレーライスの隣にあるサラダへと思い切り突き刺すケーター。ハムもろともレタスを何枚も串刺しにし、まるで獲物を噛み砕くサメのように口へと放り込み、過剰な力で噛み砕いていく。

 

 おいおい、ケーター…………?

 

「金髪の王子様に金髪のお姫様かぁ…………それもお似合いよね♪」

 

「でも、クラン大佐にはケーター少佐がいるわよ?」

 

「えっ? ケーター少佐って、あの黒髪の狼みたいな人?」

 

 何言ってんだこの女共は!? だからすぐ近くにその狼(ケーター)がいるって言ってんだろうが!!

 

 ヤバいよこれ…………絶対キレてるって…………。

 

 震えながらケーターの顔色を窺ってみたけど、どうやら”狼”って言われたことに満足したのか、ちょっとだけ嬉しそうな表情をしていた。

 

 おい、お前女に狼って言われたんだぞ。何で喜んでんだバカ。

 

「ああ、確かにそっちも悪くないかも。狼みたいにちょっと凶暴な王子様かぁ…………♪」

 

「そういう王子様に抱きしめられちゃうのもいいかも♪」

 

「そのまま襲われちゃうのも…………♪」

 

「いいわねぇ! 私、そういう強引な男大好きっ!」

 

 目の前に座っているケーターが、段々とニヤニヤし始める。嬉しそうにカレーライスを一気に口の中へとぶち込んで完食したケーターは、口の周りについているカレールウを拭き取ってからトレイを持って立ち上がり、トレイと食器を返却する場所へと向かって歩き出す。

 

 ふう…………。アルフォンスの話でケーターのやつがブチギレするんじゃないかと思ったけど、何とか暴走せずに済んだな。安心したよ。

 

 でもさ、今度からはもっと周囲を確認したうえで空気を読んで欲しい。ラウラ、今度から教え子には空気の読み方も教えてあげてください。

 

 俺たちも食器の乗ったトレイを返却すると、カウンターの向こうでせっせと食器を洗っていたエルフの調理員が、「ありがとうございましたー!」と言いながらトレイに乗った食器を奥へと持っていった。

 

 一足先に食器を返却していたケーターに追いつくと、通路へと向かって歩いていたケーターは鼻歌を口ずさんでやがった。そんなに女の子たちに狼って言われたのが嬉しいんだろうか。

 

「俺さ、一番好きな動物って狼なのよね」

 

「そ、そうなんだ…………」

 

「だが一番好きな女はクランだからな?」

 

「わ、分かってるって」

 

 ちょっと呆れたよ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ砂塵や雪が舞い、太陽の光が降り注ぐ大地があったとしても、空の上は常に蒼い。飛行機が発明されるまで、この大空は人間が足を踏み入れることを許されない領域の1つだったのである。

 

 人間に、翼はない。それゆえに空を飛ぶことは許されない。

 

 大昔までは、そうだった。

 

 けれども今は違う。今の人類には、科学力が生み出した翼がある。

 

 ちらりとキャノピーの後方を見てみると、その翼がはっきりと見えた。鳥の持つ翼よりも武骨で無機質な、金属の翼。もちろん飛行を可能としているのは翼だけではない。進む度に空気を蹂躙する機体を前方へと押し出しているのは、機体の後方に搭載されているエンジンなのだから。

 

 頭上に広がる大空を見上げ、思わず手を伸ばしそうになってしまう。手を伸ばせばすぐにキャノピーに阻まれてしまうというのに、どうして手を伸ばしたくなってしまうのだろうか。俺はあの大空を欲しているからなのだろうか。

 

『アーサー隊、ミサイル発射を確認。……………………命中、ドラゴン8体撃墜』

 

 無線機から、後方の座席に座るナタリアの声が聞こえてくる。ちらりと後ろを見てみると、いつもの制服ではなく真っ黒なパイロットスーツに身を包み、マスクとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を身につけたナタリアが、真面目に目の前のモニターを見つめながら報告してきた。

 

 今の俺たちの役割は、キャノピーに阻まれることを知りながら空へと手を伸ばすことではない。目の前で戦う同志たちを見守る事である。

 

 俺たちが乗っている戦闘機は、ロシア製の『Su-30』と呼ばれる複座型の機体だ。同じロシア製の『Su-27』を複座型に改造し、より高性能なセンサーやレーダーを搭載したような機体である。しかも機動性も戦闘機の中では極めて高いため、味方の指揮を執っている最中に襲撃されても返り討ちにするのは朝飯前である。

 

 今乗っているのは、そのSu-30に近代化改修を施して性能を底上げした『Su-30SM』と呼ばれる機体だ。念のため空対空ミサイルや機関砲を搭載して武装しているが、きっと俺たちが敵に向かってこれをぶっ放すことはないだろう。

 

 なぜならば―――――――今しがた敵へと攻撃を仕掛けていった”アーサー隊”は、テンプル騎士団の航空隊の中から優秀なパイロットを選抜して編成した精鋭部隊だからだ。

 

 今回の戦いは訓練ではなく、実戦である。カルガニスタンを統治するフランセンの連中から、騎士団の輸送部隊を襲撃しようとしているドラゴンの群れを撃滅するように依頼を受けたので、ついでに訓練も兼ねてアーサー隊を向かわせることにしたのである。

 

 もちろんアーサー隊の名前の由来はアーサー王だ。

 

『アーサー1より”乙女(ラ・ピュセル)”へ』

 

 このコールサインを考えた奴は誰なのだろうか。タンプル搭に帰ったら真っ先に粛清したいんだが、シュタージに頼んだら突き止めてくれるかな? 

 

 コクピットの中で怒気と殺意を放出しつつ、無線機に向かって「こちら”乙女(ラ・ピュセル)”」と返事をする。いくらコールサインが気に食わないとはいえ、最前線で戦う仲間たちからの通信を無視するのは論外だ。

 

『俺たちの戦果、ちゃんと記録しといてくれよ。これよりドッグファイトに移行する』

 

「了解(ダー)、幸運を祈る」

 

 返事をしつつ、目の前にある小さなモニターの画面をタッチして映像を切り替える。するとモニターに映っていた映像が半分ほど切り取られたかと思うと、そこに前線で戦うアーサー1のコクピットに搭載されたカメラからの映像が投影され始めた。

 

 ややノイズが混じっている映像を見つめながら、俺は息を吐く。

 

 キメラは空気の薄い場所や気圧の変化にも適応できるほど頑丈な肉体を持っているため、よほど急激に気圧が変化したり、宇宙空間に放り出されない限りは特にマスクを身につける必要がないのだ。しかも強力なGにも耐えられる身体を持つため、パイロットスーツも必要ない。だから戦闘機に乗る際、俺が身につけるのはHMD(ヘッドマウントディスプレイ)だけでいいのである。

 

 だから後部座席に座るナタリアと比べると、俺の方が軽装なのだ。

 

 アーサー1が先ほどのミサイル攻撃を生き延びたドラゴンに照準を合わせ、機関砲をぶっ放す。リボルバーカノンを背中に叩き込まれる羽目になったドラゴンはあっさりと木っ端微塵になり、美しい青空を一瞬だけ禍々しい鮮血で染め上げる。

 

 その肉片や血飛沫を突き破って飛翔していくのは―――――――主翼と垂直尾翼の先端部のみを深紅に塗装され、それ以外を漆黒に塗装された5機の『ユーロファイター・タイフーン』たち。

 

 ユーロファイター・タイフーンは、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツによって共同で開発され、正式採用されている高性能な戦闘機である。機首から伸びるカナード翼と、”デルタ翼”と呼ばれる大きな翼が特徴的な機体だ。数多くの武装を搭載できる上にスピードも速く、機動力も非常に高いため、一撃離脱戦法だけでなくドッグファイトも可能なのだ。

 

 モニターに映し出される映像では、また1体のドラゴンがあっさりとユーロファイター・タイフーンに背後を奪われ、機関砲で木っ端微塵にされていく。怒り狂った別のドラゴンが仲間を殺した機体を追いかけようとするが、加速力が違い過ぎる。2基も搭載されたエンジンによって加速していくユーロファイター・タイフーンにあっさりと置き去りにされ、その隙に別の機体に頭上から機関砲を叩き込まれてしまう。

 

 ドラゴンたちの機動性は第二次世界大戦の戦闘機程度。加速力ではその第二次世界大戦の頃の戦闘機に劣るほどである。科学力が生み出した翼に勝てるわけがない。

 

 しかもそのユーロファイター・タイフーンを操るのは、テンプル騎士団の航空隊の中から選抜した精鋭部隊。隊長を務めているのは、初陣でドラゴン6体を撃墜するという大きな戦果をあげた、ドイツ出身の転生者であるアルフォンス・オルデンハイン軍曹である。

 

 まだユーロファイター・タイフーンに乗り始めて一週間しか経過していないにもかかわらず、あいつは早くもあの機体の操縦に慣れつつある。機体の性能を熟知しているだけではない。まだ日が浅いというのに、まるであの機体に”乗り慣れた”熟練のパイロットのように、自由自在に戦闘機を操っているのである。

 

 訓練の際、アルフォンスはナタリアに『どうやって飛べばいいのか、なんとなく分かるんだ』と言っていたという。第一次世界大戦と第二次世界大戦に参加してエースパイロットとなった、彼の先祖と祖父の遺伝子を受け継いでいるからなのだろうか。

 

 あれは明らかに、まだ一週間しか操縦していないパイロットの動きではない……………!

 

 背後へと回り込んだドラゴンを振り切るため、減速を始めるアルフォンス。そのまま左へと思い切り旋回するかと思いきや、すぐさま操縦桿を右へと倒して反対側へと急旋回。背後でブレスを吐く準備をしていたドラゴンは見事にそのフェイントに引っかかり、ユーロファイター・タイフーンを焼く筈だったブレスを青空へと向けて無駄撃ちしてしまう。

 

 慌ててアルフォンスを追うが―――――――ドラゴンが外したブレスと陽炎を隠れ蓑に利用して視界から消えたアルフォンスの機体が、もう既にドラゴンの背中へと機首を向けていた。

 

 ドラゴンの反射速度ですら見切れないフェイントと、相手の攻撃を隠れ蓑に使う奇策。ミサイルを既に使い果たして身軽になっていたことも功を奏し、あいつのユーロファイター・タイフーンの機動性は、もはや天空を支配するドラゴンですらついて行けないほどの領域に達している。

 

 とはいえアルフォンスにもかなりのGがかかってしまった筈だが―――――――それを覚悟して実行するほどの度胸まで持ち合わせているのか……………。

 

 やっぱり、あいつを仲間に引き入れたのは正解だった。

 

 至近距離から獰猛なリボルバーカノンを叩き込まれたドラゴンが、血飛沫を吹き上げながら砂塵の中へと消えていく。他の隊員たちもドラゴンの始末を終えたらしく、『各機、集合せよ』と命令を発したアルフォンスの元へと集まっていく。

 

 俺も彼の近くへと向かうと、機首に撃墜マークが描かれたユーロファイター・タイフーンのキャノピーの中で、パイロットスーツ姿の少年が手を振っているのが見えた。

 

 これで撃墜数は17体。あいつの先祖の撃墜数を超えたじゃないか。

 

 垂直尾翼と主翼に、”岩に刺さったエクスカリバーと純白の翼”のエンブレムが描かれた戦闘機の群れを眺めながら、俺たちはタンプル搭へと帰還していくのだった。

 

 

 

 

 

 



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倭国へ旅立つとこうなる

 

 

 イリナ・ブリスカヴィカの日常は、他の仲間たちとは真逆である。

 

 テンプル騎士団に所属する兵士たちが朝に起床し、朝食を摂ってから訓練を受け、依頼を受けて戦場へ向かうか、冒険者管理局が公開する情報とシュタージが調べ上げた情報を元にしてダンジョンの調査に出かけ、そしてタンプル搭に戻るか戦場で床に就くのがごく普通の”一日”だ。

 

 もちろん夜になれば全員就寝するというわけではない。場合によっては任務が長引いて翌日に帰還することも珍しくない。それにタンプル搭を警備する警備班の兵士たちは、交代で常に要塞を警備している。そのため警備班の中にはイリナと同じ状態になっている者も多い。

 

 イリナの日常は、夕方から始まる。

 

 タクヤの寝室に無断で持ち込んだ棺桶の中で日が沈み始めた頃に目を覚まし、着替えを済ませてから”夕食”を摂る。吸血鬼である彼女は普通の食べ物を食べても栄養を吸収できないため、もちろん夕食の献立はいつも同じだ。タクヤの首筋などに思い切り噛みつき、彼の絶叫を聴きながら夕食()摂る(吸う)のである。

 

 そして仲間たちが就寝する頃にイリナは訓練を始め、そのまま依頼を受けて出撃するか、偵察部隊の1人としてバイクに乗り、夜の砂漠の偵察へと向かう。そして現地で”夜食”を摂りつつ任務を遂行し、太陽が昇る前にタンプル搭へと帰還して就寝するのだ。

 

 吸血鬼の弱点は太陽の光と言われているが、それがどの程度吸血鬼にダメージを与えるかには個人差がある。耐性が低い吸血鬼の場合はあっさりと肉体が消滅するが、大昔から生き続けている吸血鬼や、非常に長い歴史を持つ吸血鬼の一族などは極めて日光に対する耐性が高く、吸血鬼であるにもかかわらず太陽の光を浴びながら行動することもできるのだ。

 

 イリナの場合は、日光を浴びても体調が悪くなる程度である。

 

 とはいえ彼女の肉体に有害な存在であるため、日が昇る前に床に就くのが理想的だ。

 

 最近では、彼女はいつもよりも早く目を覚ますようにしている。タクヤやラウラたちが部屋に戻ってくるよりも先に着替えを済ませ、そのまま外出してしまう事も珍しくなりつつあった。

 

 早めに訓練を受けているわけではない。

 

 要塞の中に新たに設立された、”ある場所”に通っているためである。

 

 転生者の討伐に出かけている仲間たちが戻ってくる前に部屋を出たイリナは、鼻歌を歌いながらエレベーターのスイッチを押し、まるで鉄格子を彷彿とさせるデザインのエレベーターへと乗り込んだ。配管の隙間から噴き出す魔力の残滓を浴びながら『第六居住区』まで降り、ケーブルや配管が剥き出しになった通路を奥へと進んでいく。

 

 広大な要塞のどこかへと動力となる魔力を伝達するケーブルや配管を見つめつつ、イリナは通路の奥に鎮座する茶色い扉の前で立ち止まった。

 

 新品のドアの表面には、複数の言語で文字が書かれた大きめのプレートが掛けられている。テンプル騎士団のメンバーの大半はオルトバルカ語を話すものの、ごく少数ではあるがそれ以外の言語を母語としており、オルトバルカ語の読み書きや聞き取りができない団員や住民もいる。そのため、このようにプレートには複数の言語が書かれているのが一般的なのである。

 

 イリナも、幼少の頃に一番聞いていた言語はオルトバルカ語ではなく、ヴリシア語であった。その次に使い慣れている言語はカルガニスタン語である。イリナとウラルにとっての母語は、この2つだ。

 

 全く違う言語で『孤児院』と書かれたプレートの下に、ゴブリンと思われる魔物の落書きがあるのを見つけたイリナは、笑いながらドアを開けた。

 

「あ、イリナおねーちゃん!」

 

「やっほー。みんな元気?」

 

「うんっ!」

 

「ねえねえイリナおねーちゃん、いっしょにあそぼうよ!」

 

「えほんよんでー!」

 

「ぼうけんのおはなしきかせてー!」

 

 ドアを開けた瞬間にイリナへと群がってきたのは、様々な種族の子供たちだった。

 

 まだ幼い人間の子供だけではなく、エルフやハーフエルフの子供もいる。広い部屋の奥でドラゴンの人形を使って遊んでいたハイエルフの子供やオークの子供までイリナの周囲へと群がってくると、たちまちタンプル搭の通路にまで子供たちの楽しそうな声が響き始める。

 

 種族だけでなく、性別もバラバラだった。

 

 元気いっぱいな子供たちだが―――――――この子供たちに、”親”はいない。

 

 種族や性別だけでなく、ここへとやってきた理由もバラバラだろう。親に捨てられた子や、家族と一緒に奴隷として売られ、その最中に保護された子供が大半である。しかし、別の理由の子供たちから見れば、まだその子供たちは幸運なのかもしれない。

 

 この中には、盗賊や魔物の襲撃で家族を全員失い、二度と会うことができなくなった子供もいるのだから。

 

 だからイリナは、少しでもここへとやってきた子供たちを癒すために努力を続けてきた。積極的に依頼を受けて資金を集め、円卓の騎士のメンバーたちにも協力してもらい、何とか拡張された第六居住区に孤児院を作ることができたのである。

 

 それは、今は亡き彼女の親友の夢でもあるのだ。

 

 孤児院を作って子供たちを幸せにするという大きな夢を、イリナは仲間たちと共に叶えたのである。

 

 明るいイリナに、孤児院へとやってきた子供たちはすぐに懐いた。ある程度ならば違う言語も話すことができるため、種族や出身地が異なる子供が相手でもコミュニケーションをとることにも苦労しなかった。それゆえにこの孤児院へとやってきたばかりの子供が笑顔をすぐに浮かべるのは、日常茶飯事となっている。

 

 とはいえイリナは吸血鬼であるため、昼間は棺桶の中で眠っている。そのため昼間に子供たちの面倒を見るのは、住民の中から立候補してくれた女性たちだ。

 

 今は買い出しに出かけているのか、女性たちの姿は見当たらない。

 

「あははははっ、分かったって。ほら、静かにしてね。兵隊さんたちはまだお仕事中なんだから」

 

「「「はーいっ!!」」」

 

 笑顔を浮かべながら部屋のドアを閉めたイリナは、子供たちの手を握りながら部屋の奥へと向かう。大きな本棚にぎっしりと並べられた絵本の中から何冊か絵本を選んだ彼女は、子供たちを座らせてから絵本を開いた。

 

 絵本の表紙には凶悪な吸血鬼が描かれており、その吸血鬼にクロスボウや剣を手にした金髪の少年と少女たちが挑もうとしている。かつてモリガンの傭兵たちとレリエル・クロフォードがヴリシア帝国で繰り広げた死闘を題材にした絵本のようだが、その傭兵たちの息子であるタクヤが言うには「9割くらい間違ってる」らしい。

 

 イリナもリキヤを目にした事はある。確かに、彼は絵本の表紙に描かれているような金髪ではなく赤毛だった。体格も、絵本の主人公と比べるとよりがっちりしている。

 

「じゃあ、今日はこれにしようかな♪ みんな、モリガンの傭兵は知ってる?」

 

「しってるー!」

 

「まっくろなふくをきたつよいひとたちでしょ!?」

 

「ぼく、きりさきジャックならしってる!」

 

「き、切り裂きジャックかぁ…………」

 

 苦笑いしながら、イリナは切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)と呼ばれている少年の顔を思い出す。きっとこの世界に住む人々の中に、切り裂きジャックが蛮行を続ける転生者を狩る”狩人”の1人だということを知っている者はいないだろう。

 

 彼の戦果は決して讃えられない。ただ、人を惨殺したという結果が恐怖となって人々へと襲い掛かるだけだ。

 

「ねえ、イリナおねーちゃん」

 

「どうしたの?」

 

 そろそろ絵本を読もうと思っていると、ダークエルフの少女がイリナの制服を小さな手で引っ張り始めた。

 

「モリガンのようへいときりさきジャックって、どっちがつよいのかなぁ?」

 

「ど、どっちだろうね…………」

 

 もし比べているのが21年前のモリガンの傭兵たちならば、まだ切り裂きジャックに勝ち目があるかもしれない。21年前のモリガンの傭兵たちは、銃が通用しない魔物やレベルの高い転生者と死闘を繰り広げながら、彼らを打ち倒す戦い方を徐々に編み出していったのだ。切り裂きジャックは彼らが生み出した答えを徹底的に叩き込まれて鍛え上げられたのだから、少なくとも同い年という条件ならば負けることはないだろう。

 

 さすがに経験を積んだ今のモリガンの傭兵が相手ならば、十中八九瞬殺されて終わりになるかもしれないが。

 

 子供たちが理解できるように説明する方法を考えているうちに、子供たちの論争が幕を開けた。

 

「きりさきジャックのほうがつよいよ! ナイフでなんでもやっつけちゃうんだから!」

 

「ちがうよ、モリガンのようへいのほうがつよい! レリエルをやっつけたんだから!」

 

「こらこら。…………ふふふっ、実はどっちも強いんだよ?」

 

「そうなの?」

 

「うんっ♪ それじゃ、今日はこの絵本を読むね♪」

 

「「「はーいっ!」」」

 

 子供たちの元気な返事を聴きながら、イリナはその絵本の題材にされた傭兵の息子が「9割くらい間違ってる」と断言した絵本を読み始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大規模な軍拡が行われたのは、陸軍や空軍だけではない。

 

 タンプル搭の周囲を取り囲む岩山の中を流れる広大な河を利用した軍港も、軍拡に合わせて大幅な拡張を受けていた。より多くの艦艇が停泊して整備を受けられるように設備を広げ、ドッグの数も増やしたし、テンプル騎士団の象徴ともいえる戦艦『ジャック・ド・モレー』に匹敵するサイズの超弩級戦艦が何隻も停泊できるような設備も用意されている。

 

 本当にここは岩山の中なのかと思ってしまうほどの広大な空間。成長したのはつい数週間前であるにもかかわらず、停泊する艦艇の群れに早くも軍港が埋め尽くされてしまいそうだ。軍港に停泊する様々な色の駆逐艦や戦艦を見上げながら、俺はそう思った。

 

 漆黒に塗装されている艦もあるが、中にはダークブルーやライトブルーを基調とした”洋上迷彩”や、複雑な塗装が特徴的な”ダズル迷彩”と呼ばれる塗装が施された駆逐艦も見受けられる。

 

 ダズル迷彩は複雑な塗装を施すことにより、その塗装を施された艦の形状を非常に分かりにくくする効果がある。例えば戦艦にこのダズル迷彩を施した場合、双眼鏡でその艦を発見した敵兵からすれば、どこに主砲が搭載してあるのかが非常に判断しにくい。

 

 第一次世界大戦や第二次世界大戦では、基本的に敵艦へと照準を合わせるのは砲手の役目だったため、この艦の形状を分かりにくくするダズル迷彩は数多の軍艦の砲手たちを混乱させてきた。

 

 しかし、現代の艦隊戦では敵艦を視認しなくても、レーダーで探知してからロックオンしてミサイルを発射すればいいので、このような迷彩はあまり使われなくなってしまった。とはいえこの世界の敵は人間だけではなく、魔物も含まれる。そのため魔物にも効果があるか確かめるために、複数の艦艇の塗装は試験的にこのダズル迷彩となっている。

 

 軍港にずらりと並んで補給を受けるソヴレメンヌイ級の横にある通路を歩き、奥に停泊している強襲揚陸艦へと向かう。ソヴレメンヌイ級はアメリカ軍が運用するイージス艦と比べると旧式の駆逐艦であり、性能は劣ってしまうものの、コストが低い上に攻撃力は優秀なので、テンプル騎士団の主力駆逐艦となっている。実際にヴリシアの戦いではモリガン・カンパニーの無数のソヴレメンヌイ級たちがミサイルの飽和攻撃を実施し、イージス艦を数隻撃沈する戦果をあげているが、あれはイージス艦でも対処しきれないほどのソヴレメンヌイ級を様々な戦線から集めてきたのが原因だろう。

 

 モリガン・カンパニーの物量は圧倒的だ。今のテンプル騎士団と殲虎公司(ジェンフーコンスー)の戦力を合わせても、あの企業には敵わない。

 

 俺がこの軍港を訪れたのは、様々な塗装が施されたソヴレメンヌイ級を眺めるためじゃない。

 

 通路の向こうには、巨大な艦が停泊していた。停泊しているソヴレメンヌイ級とは異なり、船体の右側に艦橋が搭載されている。一見するとまるで空母のようにも見えてしまうが、空母に搭載されているアングルド・デッキは見受けられない。

 

 そこに洋上迷彩を施されて鎮座していたのは、テンプル騎士団で運用しているフランスのミストラル級強襲揚陸艦『パンテレイモン』である。

 

 通路から艦の中へと伸びるタラップを慌ただしく駆け上がっていくのは、この艦に乗り込む乗組員たち。テンプル騎士団海軍の制服は陸軍や空軍とは違って白と蒼の二色となっており、開放的な印象を放っている。

 

 食料が入っていると思われる革袋を抱えたオークの乗組員の後ろについて行くのは、特徴的な漆黒の制服に身を包んだ陸軍の兵士たち。もちろん種族はバラバラで、装備している武器は正式採用されているAK-12ではなく、陸上自衛隊が採用している64式小銃である。

 

 それを装備しているという事は、あの歩兵部隊の指揮官は柊か。

 

 ニヤニヤしながら周囲を見渡すと、すぐに指揮官を見つけた。タラップの近くで乗り込んでいく兵士たちを誘導している黒髪の少年へ近づいていくと、彼はこっちを振り向いてから笑った。

 

「やあ、同志団長」

 

「いよいよ出発だな」

 

「…………ああ」

 

 そう、今から彼らはタンプル搭を旅立つのである。

 

 目的地はタンプル搭のあるカルガニスタンから遥かに離れた極東の海。その真っ只中に鎮座する、倭国という極東の島国だ。

 

 かつて新政府軍と旧幕府軍が激戦を繰り広げた”ボシン戦争”はすでに終結したが、その際に最終決戦が繰り広げられたエゾの九稜城は未だに放置されたままとなっているという。そこを拠点に改装し、倭国にも”テンプル騎士団倭国支部”を作り上げるため、彼らはこれから船旅をするのだ。

 

 最終的には、世界中に支部を作る必要がある。テンプル騎士団が世界規模で活動することになれば、転生者共の蛮行も激減するだろう。人々を虐げれば殺されるということを理解すれば、もうそんなことをする転生者もいなくなるはずだ。

 

「何かあったらすぐ連絡しろ。すぐ増援に行く」

 

「大丈夫だよ。護衛の駆逐艦も派遣してくれるんだろ?」

 

「ああ。ソヴレメンヌイ級2隻とウダロイ級1隻を護衛に派遣する」

 

「ありがとう。…………………それじゃ、そろそろ行ってくる」

 

「おう!」

 

 肩をそっと叩くと、柊はニヤリと笑ってから軍帽をかぶり直した。いつの間にか笑うのを止めていた彼は真面目な軍人のように俺の目を見つめると、しっかりとした敬礼をしてから踵を返し、素早くタラップを駆け上がっていく。

 

「ついに倭国支部が……………」

 

「おう、ラウラ。訓練は?」

 

「ついさっき終わったわ。ふふっ、間に合ったかしら?」

 

 あれ? いつもの幼い性格のお姉ちゃんじゃないぞ?

 

 でも、こっちの大人びたお姉ちゃんもいいよなぁ…………。後で思い切り甘えてみようかな。

 

 いつものようにラウラの頭を撫でると、彼女は頬を少しだけ赤くしながらこっちに寄りかかり、手を握ってくれた。

 

 もしここが部屋の中だったら、とっくにキスをしているに違いない。

 

 やがて、ミストラル級が軍港から少しずつ遠ざかり始めた。空母にも見えてしまうほどの巨躯がゆっくりと動き始め、ウィルバー海峡へと続く巨大な河を下るため、軍港の出口へと舵を取り始める。

 

 見送りのために集まった俺たちは、甲板の上で手を振りながら叫ぶ仲間たちへと、手や帽子を思い切り振りながら叫ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の岩山の中から出た広大な河は、幅と水深をほぼ変えない状態のままウィルバー海峡へと流れ込んでいる。潜水艦が潜航したまま軍港へと入港したり、超弩級戦艦が並走して入港しても問題ないほどの面積を誇る河の景色を甲板の上で眺めながら、俺はちょっとばかり不安を感じていた。

 

 あそこにいた仲間たちと比べると、俺たちの錬度は遥かに劣る。中にはまだ人を殺すことを躊躇っている仲間もおり、俺と同じように不安を感じているようだ。

 

 でも、俺はもう指揮官なんだ。仲間の士気を高めてやらないと。

 

 そう思いながら仲間を励ますための言葉を考え始めるが、何も思いつかない。頭の中に浮かんでくるのは不安が具現化した言葉や単語ばかりで、指揮を上げるどころか下げてしまうかもしれない。

 

 どうすればいいんだ…………。

 

 そう思いながら、甲板の向こうを見つめていたその時だった。

 

 ウィルバー海峡へと突き進む強襲揚陸艦の前方に―――――――蒼い巨体が、鎮座していたのである。

 

 ダークブルー、ライトブルー、グレーの洋上迷彩を施された巨躯。広大な甲板には3本の太い砲身が突き出た砲塔が鎮座し、艦橋の周囲にはずらりと対艦ミサイルのキャニスターが並んでいる。更に甲板の上には副砲であるAK-130やコールチクなどの武装も搭載されており、俺たちの乗る強襲揚陸艦よりも圧倒的な攻撃力を持っているのは一目瞭然だ。

 

 ウィルバー海峡からタンプル搭の方へと河を上ってきたのは―――――――テンプル騎士団の象徴ともいえる、テンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』だった。

 

 ヴリシアの戦いでは戦艦モンタナと砲撃戦を繰り広げ、最後の攻撃では地上部隊を艦砲射撃で援護した超弩級戦艦。生れ落ちることのなかった恐ろしい戦艦に、最新の装備を加えて誕生した怪物である。

 

「ジャック・ド・モレー…………?」

 

「同志、発光信号です!」

 

 なに? 発光信号?

 

 よく見てみると、確かにジャック・ド・モレーの艦橋の辺りで光っているのが見える。一応俺たちも発光信号についても勉強を受けたので、解読することは可能だ。

 

 何て言ってるんだろうか。タンプル搭で受けた授業を思い出しつつ、俺はその発光信号の解読を開始する。

 

≪極東へと旅立つ同志諸君の幸運を祈る≫

 

「―――――――!」

 

 それは、この強襲揚陸艦『パンテレイモン』と共に倭国へと旅立つ俺たちへのメッセージだった。

 

 他の仲間たちもそのメッセージを解読することに成功したのか、目を見開きながらこっちを見たり、歓声を上げながらジャック・ド・モレーへと向かって手を振り始めている。

 

 仲間たちが、俺たちを応援してくれているんだ。

 

 そうだな。不安なんかに負けてたまるか。

 

 微笑みながら蒼い超弩級戦艦を見つめていると、砲塔の上や甲板の上に姿を現したジャック・ド・モレーの乗組員たちが、こっちに向かって叫びながら手を振り始めたのが見えた。なんと言っているのかは風の音と仲間たちの歓声で聞こえないが、きっと彼らも俺たちの事を応援してくれているのだろう。

 

 だから俺も、手を振りながら叫んだ。

 

 不安を全て消し去ってくれた、仲間たちのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 リキヤさんが絵本を書店で立ち読みするとこうなる

 

リキヤ(ん? これ、俺たちが題材になってる本か?)

 

リキヤ(…………おい、なんで俺とエミリアが金髪なんだよ…………。ギュンターはそれなりに似てるけど、唸り声しかあげてねえし…………こいつは魔物と勘違いされてんじゃねえか? 可哀そうに…………)

 

店員「いらっしゃいませー」

 

店員(おい、なんでおっさんが幼児向けの絵本立ち読みしてんだよ…………)

 

リキヤ(し、シンヤがメガネをかけてない!? しかもフィオナが老婆!?)

 

店員(しかも真剣に読んでるし…………)

 

リキヤ(あのエリスがしっかり者でカレンが変態!? 逆じゃねえか! しかもレリエルも日光で大ダメージ受けてるし…………間違い過ぎだろこれ)

 

リキヤ「……………………粛清だ」

 

店員「!?」

 

 

 

 

 おまけ2

 

 全然違うモリガンの傭兵

 

リキヤ『喰らえ、レリエル!』

 

レリエル『ふん!』

 

リキヤ『くっ…………うおぉぉぉぉぉぉ!!』

 

レリエル『なにぃっ!?』

 

リキヤ『正義のためにも負けられるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 

エミリア『リキヤ、負けないで!』

 

エリス『リキヤ、お前なら勝てる! 行けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 

ギュンター『グオォォォォォ! グオォォォォォォ!!』

 

カレン『ふふっ…………リキヤくんって、素敵…………♪』

 

シンヤ「…………」

 

リキヤ「…………この絵本、どう?」

 

シンヤ「…………兄さん、出版社に行こうか」

 

リキヤ「ほら、トカレフ」

 

リキヤ&シンヤ「「粛清だ」」

 

エミリア「お、落ち着けバカ共!!」

 

ギュンター(俺唸り声しかあげてねえじゃん…………)

 

 完

 

 

 

 



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追い求めたもの

 

 

 石鹸の香りと、花の匂いを合わせたような甘い香り。戦場の真っ只中で床に就くようなことにならない限り、目を覚ますと同時に鼻孔へと流れ込んでくるのはいつもこの香りだ。

 

 いつもなら目を覚ませば、すぐ目の前でお姉ちゃんが寝息を立てている。稀にステラやカノンが一緒にベッドに潜り込んでいることもあるけれど、どうやら今回はその稀な方らしい。

 

 目を開けつつ、ちらりと隣を見る。やっぱり左隣では赤毛の少女が普段はツーサイドアップにしている髪を下し、相変わらず俺の左腕にしがみつきながら、幸せそうに寝息を立てていた。

 

 お姉ちゃんを起こさないように細心の注意を払いつつ、そっと毛布の中を覗き込む。

 

「…………」

 

 毛布の中では、やっぱり潜り込んでいた侵入者が寝息を立てていた。

 

 お尻まで届くほどの長さの銀髪と小柄な身体。特徴的な銀髪は毛先の方が桜色に染まっていて、優しく撫でてみるとふわふわしている。身に纏っているのはウサギのイラストが描かれた真っ白なパジャマで、傍から見れば完全に幼い少女にしか見えないだろう。

 

 しかし、彼女は俺たちのメンバーの中では最年長なのである。

 

 毛布の中で俺の胸板の上に乗りながら寝息を立てていたステラは、幸せそうに可愛らしい寝言を発しながら、段々と上の方へと上がってきた。

 

 やっぱり彼女の髪はふわふわしてるなぁ。

 

「んっ…………」

 

「あっ」

 

 ヤバい。起こしちゃったか…………?

 

 小さな手で瞼を擦り、ゆっくりと瞼を開けるステラ。青空を彷彿とさせる蒼い瞳がベッドの上に横になる俺を見据えたかと思うと、まだ眠そうな彼女の顔がゆっくりと近づいてきて―――――――いつものように、俺の唇を奪う。

 

 柔らかくて小さな唇の中から伸びる小さなステラの舌が、俺の舌に絡みついてくる。傍から見ればキスをしているように見えるかもしれないけれど、これはステラにとってはキスではなく、魔力を吸収するために必要な事なのである。

 

 サキュバスたちの主食は他人の魔力。彼女たちは自分たちで魔力を生成する能力を持たないため、補充する際は他者から魔力を吸収する必要がある。

 

 吸収する方法は、生まれつき身体のどこかに刻まれている紋章を相手の身体に押し付け、そのまま魔力を吸収するだけだ。だからサキュバスによっては手の甲や手のひらに紋章がある場合がある。

 

 ちなみに、この紋章の位置は遺伝するという。

 

 ステラの場合は舌にあるので、相手から魔力を吸収するためにはこうしてキスをしつつ、舌を絡ませなければならない。

 

 というか、紋章がある部位を相手に押し付けながら吸収できるのであれば、別にキスする必要はないんじゃないだろうか。可愛い女の子とキスできるのは幸せだから問題はないけど。

 

 いや、問題はある。彼女と舌をこうやって絡ませている間は、俺の身体の中から凄まじい勢いで魔力が吸い上げられていくのだ。魔力は人間や魔物の体内に存在する強力なエネルギーなのだが、これを使い果たしてしまうと死に至ることもある。それゆえに大昔のサキュバスたちは人々から魔力を吸い上げ過ぎてしまい、何度か殺してしまったという記録も残っている。

 

 つまり、俺もステラが加減を間違えれば魔力を全部吸い上げられて殺される危険があるというわけだ。

 

 まったく、何で俺は女にばかり襲われるんだ…………。イリナには血を吸われるし、ステラにはこうして魔力を吸収される。しかもすぐ隣で眠っているラウラにはほぼ毎晩搾り取られるし…………。

 

 この体質はハヤカワ家の男子の呪いなんだろうか。

 

 やがて、うっとりしながらステラが小さな舌を俺の舌から離し、口の周りについたよだれを可愛らしい手で拭い去ってから微笑む。

 

「うふふっ、おはようございます」

 

「お、おはよう」

 

「やっぱりタクヤの魔力は美味しいです♪」

 

 あ、朝っぱらから吸収しやがって…………。

 

 女の姿になってまた魔力をたっぷりとご馳走してやろうか? 女の姿になると防御力が一気に下がる代わりに、魔力は大幅に増え、攻撃力とスピードのステータスは劇的に跳ね上がるという特徴がある。問題点はやっぱり防御力がほぼ初期ステータスと同じ程度まで下がってしまう事と、胸が邪魔な事だろうか。

 

 ラウラ程ではないけど、ナタリアよりは大きくなってしまうんだよね。おかげで内ポケットから得物を取り出しにくいし、伏せて射撃する際は胸を地面に押し付けながら射撃する羽目になる。

 

 前にステラにたっぷり魔力をご馳走したけど、あの時は幼女とは思えないパワーでボコボコにされちまったからな。

 

 それにしても、ステラは軽いなぁ。

 

「…………ところで、タクヤ」

 

「ん?」

 

 俺の胸板の上で、吸収した魔力を味わいながらうっとりしていたステラが、いきなり隣で寝息を立てているラウラの胸元を凝視し始める。ピンク色のパジャマに包まれたラウラの大きな胸は、彼女が寝返りをうとうとして動く度に大きく揺れていた。

 

 きっと恨めしいのだろう。あのパジャマの中で揺れる、大きな胸が。

 

 全く膨らんでいない自分の胸を見下ろしたステラは、ため息をついてから呟いた。

 

「どうしてラウラのおっぱいはあんなに大きいのですか…………?」

 

「…………い、遺伝だろ」

 

 母親はどっちも巨乳だし。エリスさんの方が俺の母さんより若干デカいけど。

 

 氷属性の魔術だけでなく、スタイルの良さまでちゃんと受け継いでたってことだ。

 

「……………………では、ステラの胸はもう大きくならないのですか?」

 

「い、いや、成長すれば―――――――」

 

「ステラはもう37歳です」

 

 そう、ステラはテンプル騎士団本隊のメンバーの中でも最年長なのである。サキュバスの寿命も吸血鬼と同じく非常に長く、良質な魔力を吸収できていれば、1000年以上も生き続けることができるという。だから俺たちから見ればステラはもう立派な大人なのだ。

 

 でも、明らかに幼女にしか見えないんだよねぇ……………。

 

 サキュバスの基準だとまだ子供だけど、人間の基準だったらもう立派な大人ですよ、ステラさん。

 

 羨ましそうに隣で揺れるラウラのおっぱいを凝視していたステラが、ついに俺の腕にしがみついて寝息を立てているラウラの胸へと手を伸ばし始めた。そのまま揺れている胸を小さな胸で掴んだかと思いきや、今まで俺が散々触れる羽目になったラウラの胸を揉み始める。

 

 おい、何やってんだ!?

 

「す、すごい…………っ!」

 

「バカ、止めろって!」

 

「で、でも…………やっ、柔らかいです!」

 

 ラウラが起きちゃうでしょ!?

 

 ステラを慌てて止めようとしたが―――――――いつの間にか、すぐ隣から聞こえていた筈の寝息がすっかり聞こえなくなっていたことに気付いた俺は、ぞくりとしながら隣で眠って”いた”はずの少女の方を見る。寝息が聞こえなくなったという事は、もう目を覚ましたという事なのだろうか。

 

 そう思いながら隣を見てみると、案の定、幼女に胸を散々揉まれていたお姉ちゃんはしっかりと目を覚ましていた。

 

 炎や鮮血を彷彿とさせる紅い瞳に見つめられた俺は、まるで彼女の魔術をお見舞いされる羽目になったかのように凍り付いてしまう。

 

 ああ、お姉ちゃんが目を覚ましてしまった……………。

 

 夢中で胸を揉むステラを見下ろし、何が起こっているのかを把握したラウラ。彼女はニヤリと笑いながら両手を俺の左腕から離すと―――――――ベッドの中で俺に巻き付けていた紅い尻尾を操り、胸を揉み続けていたステラをあっさりと拘束してしまった。

 

 まるで獰猛な大蛇に襲われる羽目になった小動物のように、ステラの小さな身体にラウラの尻尾が絡みつく。

 

「ひゃあ!?」

 

「ふふふっ……………ステラちゃん、何をしてるのかなぁ?」

 

「ら、ラウラ………!? いつの間に起き―――――――にゃああ!?」

 

 起き上がったラウラに小さな耳を舐められ、顔を真っ赤にしながら可愛らしい悲鳴を上げるステラ。彼女は必死に逃げようとするけれど、ラウラが本気を出せばあの尻尾でステラを拘束し続けるのは容易い。

 

 重火器を軽々と持ち上げる怪力を持つステラでも、ラウラの尻尾には敵わないのである。

 

 俺にとってもあの尻尾はかなり強敵なんだよね…………。キスしたり抱き着いてくるときは逃げられないように腰に巻き付けてくるし、搾り取ろうとする時は常にあの柔らかい尻尾で身体を押さえつけられる。それゆえに俺は逃げられない。

 

 しかも、稀にあの尻尾をとんでもないことに使う事がある。

 

「ふふっ…………ステラちゃんって可愛いわね♪」

 

「な、何言ってるんですか…………!? はっ、離してください!」

 

「ダメ♪ 散々胸を揉まれちゃったんだから、ちゃんとお返しするからね?」

 

「お、お返し………!?」

 

「そう、お返し。―――――――――ふふふふふっ♪」

 

 尻尾の先端部で頭を撫でられながら、耳や頬をラウラに舐め回されたり、真っ白な手で撫でまわされるステラ。自由自在に操れる彼女の髪でも、どうやらラウラの尻尾には打ち勝てないようだ。

 

「た、タクヤ、助けてくださ―――――――ひゃんっ!?」

 

「いい匂いするわねぇ♪」

 

「ステラ、ごめん。魔力吸われたせいで動けない」

 

 もう回復しつつあるけどね。とりあえず魔力が完全回復するまでじっとしてるよ。百合も悪くないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………予想外」

 

「えへへっ、何が?」

 

 ラウラが作ってくれた朝食のベーコンエッグを口へと運びながら、まだあまり力が入らない手で紅茶の入ったカップを掴む。

 

 朝っぱらからステラがラウラに仕返しされるのをニヤニヤしながら見物できたんだけど、ラウラのお仕置きが終わってステラが自室へと戻っていった直後、今度は「物足りないなぁ…………♪」と言いながらパジャマのボタンを外しつつベッドへと迫ってきたラウラに、そのまま襲われてしまったのである。

 

 そう、やっぱり襲われた。

 

 17歳から18歳までの間は、キメラの発情期。そのため突発的に人間の精神力では耐えられないほど強力な衝動に襲われてしまう。

 

 だから彼女が発情期の衝動に襲われる度に、隣にいる俺が襲われる羽目になるのだ。

 

「ステラを襲って終わりかと思ってたんだけど」

 

「ふにゅー♪」

 

 これから訓練なのに、幼女にキスで魔力をこれでもかというほど吸収された挙句、腹違いのお姉ちゃんに搾り取られちゃったよ………。

 

 幸いイリナが帰ってくる前に終わったので、彼女にはラウラに襲われている姿は見られていない。

 

「えへへへっ。タクヤも可愛いよ♪」

 

「お姉ちゃんも可愛いよ」

 

「ふにゅう…………もう一回襲っていい?」

 

「今夜にして」

 

「はーいっ♪」

 

 楽しそうに笑いながらライ麦パンを口へと運ぶラウラ。朝は大人びてる方のラウラだったのに、朝食を食べ始めてからはいつものお姉ちゃんに戻っている。

 

 彼女は本当に二重人格なのではないだろうか。

 

 あ、そういえば母さんから貰ったあの薬がそろそろ底をつきそうだ。フランシスカと戦った森の中で、キメラには発情期があるという事を教えてくれた母さんが、「この薬を飲めば、相手が妊娠することはないぞ。安心してラウラに食べられるがいい」と言いながら渡してくれた大量の薬が、ラウラにほぼ毎晩搾り取られているせいで底をつきそうなのである。

 

 このままでは、下手したら結婚する前に子供ができてしまうかもしれない…………。

 

 棚の上に置いてある薬の入った瓶を俺が見つめていることに気付いたのか、目の前でホットミルクを飲んでいたラウラが頬を膨らませた。

 

「ねえ、もうあの薬飲まなくていいじゃん」

 

「いや、子供を作るのは結婚してからにするって言ったでしょ?」

 

「ふにゅー…………」

 

 子育てしながら天秤を探すのは無理だぞ? キメラの子供とはいえ、成長するまで俺たちがしっかりと守ってあげなければならない。子供を守りながら強敵を撃退し、天秤を手に入れるための旅を続けるのは無理な話だ。

 

 ラウラもそう思ってくれたらしく、それ以上は反論しなかった。でもどうやらお姉ちゃんは不満らしく、頬を膨らませながら尻尾を上下に振り始める。

 

「…………あっ、そうだ」

 

「ん? どうしたの?」

 

「お姉ちゃんね、ちょっと早いかもしれないけど…………もう子供の名前考えちゃったのっ♪」

 

「ブゥッ!?」

 

 紅茶を飲んでいる最中にそんなことを言われた俺は、口の中に残っていた紅茶を床の上にぶちまける羽目になった。とりあえず口の周りについている紅茶を拭ってから、近くに置いておいた自分のハンカチで床にぶちまけた紅茶を拭き取る。

 

 も、もう子供の名前考えちゃったの…………?

 

 ちょっと待てよ。まだ結婚してないよ?

 

「ええとね、男の子だったらね、”ユウヤ”っていう名前にしようと思うの♪」

 

「ユウヤ?」

 

「うんっ。確か、ニホン語で”ユウ”って”優しい”っていう意味があるんでしょ?」

 

 ああ、”優”の事か。

 

 以前に、ラウラに前世の世界の事を聞かれたことがあった。その時に、面白半分でラウラに日本語を教えてみたのである。今ではもう完全に頭の中に馴染んでしまったオルトバルカ語ではなく、ずっと眠っていた”かつての母語”を改めて聞いてみると、やっぱり懐かしい感じがする。

 

 教えた単語や漢字の中でもラウラが一番気に入ったと言っていたのが、”優”という漢字であった。

 

 だから子供の名前に、それを取り入れたんだろう。

 

「えへへへっ。だから、優しくて紳士的な子供になるといいなぁ♪」

 

「ちなみに女の子だったら?」

 

「ええとね…………”エリカ”っ!」

 

 女の子も決まってるのかよ…………。

 

 もう既に男の子だった場合と女の子だった場合の名前をちゃんと決めていたことに呆れながら、テーブルの上にある籠の中からライ麦パンを掴み取る。

 

 オルトバルカに住んでいた頃はごく普通のパンを口にすることが多かったんだが、カルガニスタンではライ麦パンのほうが手に入りやすいらしい。フランセンではライ麦パンが主食らしく、その文化がカルガニスタンにも浸透しているからだという。

 

 手に取ったライ麦パンに嚙り付こうとした、その時だった。

 

 部屋のドアがノックされる音が、部屋の中に響き渡る。

 

『同志、よろしいですか?』

 

「ああ、ちょっと待っててくれ」

 

 どうやら何かあったらしいな。また魔物の討伐か?

 

 朝食を邪魔されたと思っているのか、ラウラが顔をしかめながらドアを睨みつける。彼女の頬にキスをしてからドアの方へと向かい、鍵を開けてからドアノブを捻る。

 

 タンプル搭の全ての部屋には、このように鍵を付けることを義務化しているのだ。

 

 ドアを開けると、その向こうにはやっぱり真っ黒な制服に身を包んだ兵士が直立して待っていた。頭には黒い規格帽をかぶり、左肩にはドラゴンが描かれたエンブレムが刻まれている。ドラゴンの足の辺りには真っ赤なリボンが描かれており、そのリボンにはカルガニスタン語で”守護者”と書かれている。

 

 このエンブレムは警備班だな。

 

 警備班の役割は、要塞内部の警備や検問所の警備である。交代で要塞の敷地内を巡回し、侵入者や不審者がいないか警備しているのだ。主な武装はSMG(サブマシンガン)やショットガンなどの室内戦に向いた武器が最優先で割り当てられており、検問所を警備する兵士には歩兵部隊と同じ装備が支給されている。

 

 報告にやってきてくれた兵士の腰のホルスターにも、オープンタイプのドットサイトとライトが取り付けられたPP-2000が収まっていた。

 

「同志団長、同志ステラが研究区画でお呼びです。至急、古代文明研究科へお願いします」

 

「分かった、ありがとう」

 

「では、私はこれで」

 

 古代文明研究科か…………。確か、メサイアの天秤の在り処を調べている部屋だな。

 

 俺を呼び出したという事は、何か分かったという事なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――天秤の在り処が判明しました」

 

 朝っぱらからラウラに襲われたというのに、そのまま研究区画へ直行して研究していたんだろうか。そんなことを考えながら目の前に立つステラを見つめつつ、テーブルの上に用意してもらった資料を手に取る。

 

 資料には世界地図が描かれていた。まだダンジョンとなっている場所は調査が進んでいないため、相変わらず空白だらけの不完全な世界地図である。

 

 その地図にはもう既に印が書き込まれていた。ラトーニウス海の海底神殿、倭国のエゾ、ヴリシア帝国の王都サン・クヴァントの3ヵ所に紅い印が書き込まれており、そこから他の鍵が見つかった場所へと真っ赤な線が伸びている。

 

 鍵が保管されていた場所を線で繋いだというわけか。

 

 ―――――――メサイアの天秤は、3つの鍵の頂点にあり。あのヴィクター・フランケンシュタイン氏が残した記録の最後のページに記載されていた、唯一の天秤へのヒントだ。

 

「お分かりですよね?」

 

「―――――――なるほどな、見事な正三角形だ」

 

 そう、天秤の鍵が保管されていた場所を線で繋ぐと―――――――見事な正三角形を形成するのである。

 

「で、問題の”頂点”は?」

 

 その頂点に、天秤は眠っているに違いない。

 

 するとステラは頷いてから、俺とラウラが覗き込んでいる資料へと鉛筆を近づけた。そのまま3つの鍵が発見された場所から内側へと、真っ直ぐに線を引いていく。

 

 そしてその3本の線が、正三角形の中心で結び付く。

 

「…………おい、ここって…………!」

 

 その場所は、良く知っている。

 

 オルトバルカ王国の最南端にあり、ラトーニウス王国との国境に最も近い田舎の街だった場所。

 

 親父と母さんがモリガンという傭兵ギルドを設立し、全てを始めた場所。

 

 モリガンの傭兵たちがジョシュアを返り討ちにした、開放的な場所。

 

 転生者たちの襲撃によって壊滅した、惨劇の場所。

 

 俺たちが知っているのはジョシュアの一件と一番最後だが、その2つよりも分かっているのは―――――――俺とラウラはそこで産声を上げ、3歳の時までその街で育ったということだ。

 

 そう、そこは速河力也という転生者の物語が幕を開けた、最初の場所(プロローグ)

 

 そして水無月永人(みなづきながと)という少年が、タクヤ・ハヤカワというキメラの少年として産声を上げた、俺の最初の場所(プロローグ)

 

「―――――――――ネイリンゲン…………!」

 

 なるほど…………天秤は最初からそこにあったのか。

 

 親父たちがモリガンを作り上げる前から、ずっとそこに眠っていたのだ。ジョシュアが率いるゾンビの群れを迎え撃った21年前の戦いの際も、あの街のどこかで眠っていたのだろう。

 

「ここにあったなんて…………!」

 

「タクヤ、ステラは準備ができています」

 

「ああ」

 

 そこにあるのならば、取りに行くだけだ。

 

 天秤の鍵は、すでに3つもあるのだから。

 

「―――――――大至急、テンプル騎士団本隊のメンバーを集めろ。ネイリンゲンに行くぞ」

 

 

 

 

 



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変わり果てたネイリンゲン

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。


 

 ネイリンゲンは、オルトバルカ王国の最南端にかつて存在していた田舎の街である。ラトーニウス王国との国境のすぐ近くにある街であったが、実際にラトーニウスからの攻撃によって被害を受けたのはたった一度のみ。しかも周囲には魔物があまり出現しないため、他の大きな街と違って物騒な防壁が建造されることはなく、街の中からでも広い草原が一望できた。

 

 多くの傭兵ギルドの事務所が存在したため、あの田舎の街は”傭兵の街”とも呼ばれていた。今では最強の傭兵ギルドと言われているモリガンも、そのネイリンゲンで産声を上げたのである。

 

 しかし、もうあの街は存在しない。

 

 俺たちが3歳の頃に、転生者たちによる襲撃で壊滅してしまったのである。

 

 当時のモリガンは、”勇者”と呼ばれていた転生者が率いる武装集団と敵対しており、李風さんが率いていた転生者たちと協力して情報収集を続けていた。自分たちの居場所を知られる前に手を打つべきだと判断したのか、勇者が派遣した転生者の部隊がネイリンゲンへを襲撃したのだ。

 

 何とか親父が転生者たちを血祭りにあげたものの、ネイリンゲンは結局壊滅してしまい、俺たちはネイリンゲンの生存者たちと共に王都ラガヴァンビウスへと移り住むことになったのである。

 

 そして、壊滅してしまったネイリンゲンの廃墟は―――――――今では、凶悪な魔物たちは生息する危険なダンジョンと化している。

 

 本来ならば、ダンジョンは”環境や生息する魔物が危険すぎるせいで調査ができていない地域”の総称だ。だから正確に言うと、ネイリンゲンはダンジョンとは言えないのかもしれない。けれども襲撃事件後のネイリンゲンは魔物のせいでほとんど調査されておらず、危険度も周辺のダンジョンよりも高いため、冒険者管理局はこのネイリンゲンだった地域をダンジョンに指定しているのだ。

 

 ラトーニウス王国との国境に一番近い街を失ってしまったことになるが、その失われた街が危険なダンジョンと化してしまったため、ここが完全に調査されて魔物も掃討されない限り、ラトーニウスからの侵略を防ぐ防衛ラインとして機能する。そのため王室や管理局もここの調査には消極的で、ここに近づこうとする冒険者は殆どいない。

 

 しかし、そこに大昔から人類が追い求めていた神秘の天秤が眠っているとしたら、ほぼすべての冒険者がネイリンゲンへと殺到するだろう。

 

 天秤を手に入れれば、願いが叶うのだから。

 

 だが、現時点でその天秤を手に入れる資格を持つのは、俺たちだけである。

 

 もし仮に天秤が保管されている場所を見つけたとしても、3つの鍵がなければ天秤が手に入ることは決してない。だから俺たちよりも先に天秤を奪われることはありえないだろう。

 

「…………」

 

 天秤の在り処が分かったのだから、今すぐにヘリでネイリンゲンへと向かいたいのだが―――――――あそこは危険なダンジョンの1つである。現代兵器を投入しても討伐が難しい魔物が徘徊する危険な場所なのだから、慎重にならなければならない。

 

 そこで俺たちは、ネイリンゲンへと向かう前に偵察機をネイリンゲン上空へと派遣することにした。

 

 出撃したのは、テンプル騎士団で戦闘機として運用しているSu-30SM2機である。機動性が高い機体なので、もし偵察中にドラゴンによる奇襲を受けたとしてもすぐに反撃したり、離脱することが可能だ。

 

 Su-30SMに搭載されたカメラから送られてくる映像が、タンプル搭の戦術区画の中枢に鎮座する中央指令室のモニターへと移し出されている。

 

 荒廃した”傭兵の街”は、俺たちが訪れた時とあまり変わっていないようだ。

 

 崩れ落ちた建物の群れと、まるで自分たちの縄張りだと言わんばかりに大地に刻み付けられた、魔物たちの巨大な足跡。フィエーニュの森で遭遇したトロールに匹敵するサイズの足跡が、空を舞う戦闘機のカメラからはっきりと見える。

 

 かつては市街地だった場所から少し離れた場所には、壊滅する前までは畑だったと思われる地域が広がっている。植えられた野菜たちの面倒を見る住民たちがいないため、かつて畝(うね)だった大地は雑草に覆いつくされたり、巨大な魔物によって踏み潰され、ちょっとしたクレーターのようになっている。

 

 そしてその畑から更に離れたところにぽつんと存在している廃墟が―――――――モリガンの本部だった、フィオナちゃんの屋敷だ。

 

『こちらジェド・マロース1-1。ネイリンゲン旧市街地にトロールの群れを発見』

 

 報告しながら、ジェド・マロース1-1に搭載されたカメラが旧市街地へと向けられる。段々とカメラがズームされていくにつれて、かつては傭兵ギルドの事務所だったと思われる建物の残骸の前を進んでいく巨人たちの姿が、巨大なモニターに投影される。

 

 モスグリーンの皮膚と大量の脂肪に覆われている巨大な人影の頭からは、巨木の枝のように太い頭髪が伸びており、脂肪に覆われた剛腕は一見すると骨と脂肪を皮に詰め込んだだけに見えるが、体重を乗せればドラゴンですら一撃で叩き潰すほどの破壊力を発揮する。

 

 トロールが1体生息するだけでダンジョンの危険度が変わると言われることもあり、討伐に向かった8000人の騎士団を壊滅させたこともあるという。

 

 天空を舞う2機のSu-30SMが発するエンジン音に気付いたのか、街の中心へと進んでいたトロールの群れの中の1体が、地上をカメラで撮影する戦闘機へと手を伸ばしながら、ニヤニヤと笑った。

 

「うっ」

 

 フィエーニュの森で襲われた時の事を思い出したのか、隣に座っているナタリアが凍り付いた。

 

 俺たちが一番最初に調査したフィエーニュの森で、ナタリアは森に生息していたトロールに襲撃され、食い殺されかけているのである。今の彼女ならばトロールの撃退は難しくはないだろうが、さすがにあんな巨大な怪物を怯えずに倒すのはまだ無理なのかもしれない。

 

「フィエーニュの森にいた奴よりもでかいな」

 

「しかも群れを作っているなんて…………」

 

 モリガンの本部で一泊した時に遭遇しなくてよかったと思いながら、映像を見つめる。

 

 どうやら他の魔物と遭遇したのか、それとも街に調査にやってきた冒険者を見つけたのか、先頭を進んでいたトロールが雄叫びを上げたかと思うと、いきなり剛腕で目の前の残骸を思い切り薙ぎ払った。

 

 15年間も放置されていたとはいえ、レンガ造りの倉庫と思われる半壊した建物が、まるで無数のC4爆弾で爆破されたかのように木っ端微塵に吹っ飛ばされる。天空へと舞い上がり、徐々に地上へと落下を始めていく破片の中に混ざっているのは、ゴブリンの変異種と思われる魔物たちの小さな肉片。

 

 魔物の縄張り争いか。

 

「…………さすがに、生身であそこに行くのは危険だね」

 

「戦車で行くか」

 

 トロールの一撃を喰らえば、いくらキメラでも木っ端微塵だろう。キメラどころか最新の戦車ですらスクラップにされかねない。

 

 基本的にトロールの防御力は、それほど高くはない。ドラゴンのような外殻を持っているわけではなく、柔らかい皮膚と脂肪で覆われているだけである。だからハンドガンの弾丸でも皮膚の貫通は容易なのだ。

 

 しかし、トロールを”殺す”のであれば、せめてアンチマテリアルライフルや重機関銃は必要だろう。一番効果的なのはロケットランチャーや大口径の無反動砲。もちろん対戦車ミサイルも有効である。

 

「お兄様、このままジェド・マロース1-1に攻撃を命じるのは? 武装は搭載しているのでしょう?」

 

「ああ、だが止めといた方が良さそうだ。爆音と血の臭いで他の魔物が集まってくるのが関の山だからな」

 

「そうですわね…………」

 

 魔物が徘徊するだけの場所に突入するよりも、魔物たちが激昂して乱闘を繰り広げる真っ只中に飛び込むほうが、当たり前だが難易度は高い。

 

 だから航空機で先制攻撃を仕掛けるのではなく、戦車で突入するべきなのだ。

 

 できるならばヘリ部隊に支援してもらうのが望ましいが―――――――今は、それは愚策としか言いようがない。

 

 確かに戦車で突入し、頭上から戦闘ヘリが機関砲やロケットランチャーの一斉射撃で敵を薙ぎ払ってくれれば、強力な魔物の巣窟もすぐに綺麗になるだろう。今の状態よりもさらに荒廃してしまうだろうが、俺たちは安全に”宝探し”ができるようになる。

 

 しかし、少なくとも”天秤の争奪戦”の真っ只中に、航空支援のための兵力を動かすわけにはいかない。

 

 なぜならば、俺たち以外にも天秤を狙っている奴らがいるからだ。

 

 もしネイリンゲンに大規模な戦車部隊と戦闘ヘリ部隊を派遣すれば、すぐに戦闘は終わるに違いない。しかし、今では特に調べる必要もない上に危険な魔物が徘徊する、何も得をすることがないダンジョンに大部隊を派遣すれば、天秤を狙う他の勢力は「テンプル騎士団は、あそこにある天秤を確保するつもりなのだ」ということを察知するだろう。

 

 そいつらが三流の冒険者や傭兵共ならば返り討ちにするのは容易い。しかし、もしそれを察知して襲い掛かってくるのがモリガンの傭兵たちや、ヴリシアの吸血鬼たちの残党だったのならば厄介なことになる。

 

 下手をすれば、鍵を奪われた挙句、天秤まで奴らに渡すことになりかねない。モリガン・カンパニーとは一応今も同盟関係にあるものの、いつその同盟を破棄して天秤を手に入れようとするか分からない。だからもう彼らは敵だと思うべきだ。

 

 それゆえに、膠着状態を維持しようとしているかのように見せかけるため、可能な限り部隊は動かさない方が望ましいのだ。

 

 だからネイリンゲンには、テンプル騎士団本隊のみで向かう。シュタージにはドローンを使ってバックアップをしてもらおう。

 

「とりあえず、ネイリンゲンには俺たちだけで向かう。シュタージはドローンで―――――――」

 

 作戦を指令室の仲間に伝えようとした、その時だった。

 

 ネイリンゲンを上空から監視している2機のSu-30SMから、ノイズの混じった通信が指令室へと送り届けられたのである。

 

『――――――こちらジェド・マロース1-2。ネイリンゲンの周囲の風速が急激に上がっています。何だこれは…………!?』

 

「どうした?」

 

 風速が上がっている?

 

『分かりません。段々と風が強く―――――――うわ、なんだありゃ!? 下を見てみろ! トロールが!』

 

 もう既にSu-30SMのカメラは下へと向けられており、その映像は指令室へと送り続けられていたからこそ、俺たちはパイロットが地上で起こっていることに気付くよりも先に、何が起きているのかを目にする羽目になった。

 

 段々と大地に砂塵が舞い始めたかと思うと、まるで激流のように北東へと砂塵が流れ始め―――――――縄張り争いをまだ続けていたトロールの群れを、あっさりと飲み込んだのだ。

 

 しかし、トロールの体重は平均で65t。アメリカのM1エイブラムスに匹敵するほどの重量なのだから、その程度の風を浴びてもびくともしないだろう。ノイズが映り始めた映像を見つめながらそう思っていたのだが、砂塵の激流と化した風の中で、踏ん張っていたトロールの巨躯がぐらついたのが見えた直後、その映像を見ていた円卓の騎士たちは一斉に凍り付くことになる。

 

 辛うじて踏ん張っていたトロールたちが―――――――猛烈な風の激流によって、後方へと吹っ飛ばされていったのだ。

 

「―――――――は?」

 

『うわ、トロールが…………!?』

 

『くそ、砂塵で何も見えない! ジェド・マロース1-1、そっちは!?』

 

『こっちも見えない。…………おい、機体が揺れてるぞ!?』

 

『くっ…………偵察を中断し、ネイリンゲン上空より退避するッ!』

 

「りょ、了解。ただちにネイリンゲン上空を離れろ」

 

 無線機に向かって離脱許可を出した俺は、映像が終わったモニターの画面を見つめながら息を吐く。

 

 あの風はなんだ…………!? 3歳までネイリンゲンに住んでたが、あの街をあんな風が襲ったことは一度もなかったぞ…………!?

 

「…………偵察機は無事か?」

 

「は、はい、同志団長。2機とも無事に空域を離脱した模様」

 

「…………ふう」

 

 無事に逃げてくれたか…………。

 

 大切な同志が無事にネイリンゲンを離れてくれたのは喜ばしい事だが、あんな風に嬲られ続けているダンジョンに突入するのは不可能かもしれない。エイブラムスに匹敵する体重のトロールが群れもろとも吹っ飛ばされるほどなのだから、いくら凄まじい重量の戦車でネイリンゲンに突入してもあのトロールたちの二の舞になってしまう。

 

 くそ、虎の子のチョールヌイ・オリョールで突入しようと思ってたんだが、トロールを吹っ飛ばすほどの気流に突っ込んだらチョールヌイ・オリョールでもあっさりと吹っ飛ばされそうだ。

 

 もちろん、猛烈な気流の真っ只中にヘリや戦闘機を飛ばすのは論外である。

 

「ふにゅう、天秤大丈夫かなぁ…………?」

 

「吹っ飛ばされてないといいけど…………」

 

「…………」

 

 あの中に突っ込むのは無理か? 風がなくなるまで待つしかないのか?

 

 頭を抱えながら、とりあえずあの気流がなくなるまで待つのが一番だろうと思ったのだが―――――――テンプル騎士団の軍拡の最中に、試験的に3両のみ生産した”ある兵器”の事を思い出し、すぐにメニュー画面を開いた。

 

 生産済みの兵器の中から戦車を選び、ずらりと並ぶロシア製の戦車の名前の中からその戦車を探し始める。

 

 チョールヌイ・オリョールでは無理だが、あのような環境に突っ込んでもほぼ問題のない化け物が、ロシアの戦車の中には1つだけ存在するのだ。

 

「…………あった!」

 

「何が?」

 

「これだよ! この戦車なら…………!」

 

 タッチした戦車の画像を仲間たちに見せながら、俺はニヤリと笑った。

 

 画面に表示されていたのは―――――――冷戦の真っ只中にソ連が生み出した、鋼鉄の怪物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なにこれ…………」

 

 ずらりと並ぶチョールヌイ・オリョールたちの隣に居座る異形の戦車を見つめながら、ナタリアはそう言った。彼女には今まで様々な現代兵器を見せてきたし、ちゃんとスペックも説明してきたけれど、多分彼女の目の前に鎮座する戦車はその中で最も変わった形状の兵器かもしれない。

 

 彼女のリアクションを見守りつつ、チョールヌイ・オリョールの隣に鎮座する戦車の正面装甲をそっと撫でる。

 

 まるで楕円形の車体の上に長い砲身の生えた砲塔を乗せたような戦車に見えるが、一番特徴的なのはその巨体の下から伸びるキャタピラだろう。普通の戦車であるならば、車体の左右にキャタピラを搭載しているのだが―――――――目の前に居座る異形の戦車の下部には、武骨なキャタピラが合計で4列も搭載されているのだ。

 

 横に並べた4列のキャタピラの上に楕円形の車体を乗せ、その上に砲塔を搭載した異形の戦車である。

 

 この戦車は、ソ連で開発されていた『オブイェークト279』と呼ばれる”重戦車”だ。

 

 こいつが産声を上げたのは、ソ連とアメリカが繰り広げていた冷戦の真っ只中。当時のソ連とアメリカは凄まじい数の核ミサイルを準備している状態である。その頃、ソ連軍では『核戦争が始まっても戦場に投入できるような重戦車』を開発していた。

 

 その化け物が、この異形の重戦車である。

 

 核ミサイルが着弾した際に生み出す爆風は、頑丈な戦車でさえあっさりと吹っ飛ばしてしまうほど凄まじく、もし仮に核戦争が勃発すればその爆風で多くの戦車が行動不能に陥る危険性があった。

 

 そこでソ連軍は、『核爆発の爆風を喰らっても吹っ飛ばない重戦車』を生み出すことにした。

 

 キャタピラを4列も搭載することで核爆発の爆風を浴びても踏ん張れるようにし、更にその爆風を受け流せるような車体にすることで、吹っ飛ばされて行動不能にならないようにしたのである。

 

 搭載している主砲は、大口径の130mm戦車砲。現代の戦車には効果が薄いかもしれないが、ネイリンゲンの周辺に生息する大型の魔物を木っ端微塵にしてやるには十分すぎる。機銃は14.5mm弾を連射可能なKPVT。こちらもロシア製装甲車の機銃として搭載されるほど強力で、ゴブリンどころかドラゴンまで叩き落せるほどの威力がある。

 

 その代わり、コストが非常に高いという欠点がある。だからなのか、こいつを生産するために消費したポイントは9000ポイント。冷戦中の兵器であるにもかかわらず、最新型のステルス機に匹敵するポイントの量である。

 

 もしかしたらダンジョンの調査で役立つかもしれないと思い、試験的に3両のみ生産していたのだ。

 

 こいつのおかげで、俺たちは天秤の元までたどり着けるってわけだ。

 

 武装は特に変更しておらず、変更したのは照準器やアクティブ防御システムの追加くらいだ。あとは自動装填装置を追加しておいたけど、搭載できる主砲の砲弾がやや少ないため、ぶっ放す際は注意が必要になるかもしれない。

 

 砲塔の上へとよじ登り、ハッチの中へと非常用の武器が入った箱を運び込む。中に入っているのはロシア製SMG(サブマシンガン)のPP-2000で、魔物を刺激しないようにサプレッサーが装着されている。

 

「それで、作戦はどうするの?」

 

 ハッチから顔を出しながら質問してくるイリナ。彼女に手榴弾を渡しながら、俺は作戦を説明する。

 

「まず、気流の影響を受けない位置までカサートカで移動。あそこは草原だから着陸は容易だ。そこで降りたら、こいつに乗り換えてネイリンゲンを目指す」

 

「了解(ダー)。で、天秤を探すときは戦車から降りるんでしょ? 大丈夫?」

 

「シュタージが東西南北に観測用のドローンを飛ばして、気流を観測してくれてる。強烈な気流が接近したら無線で知らせてくれるはずだ」

 

 操縦士を担当するのはステラで、砲手はもちろんカノン。イリナは不服そうだったが、彼女には車長を担当してもらう予定である。実際に戦車の外へと降りて調査をするのは、あの街で生まれ育った俺とラウラとナタリアの3人。すっかり荒廃しているとはいえ、あそこに住んでいたことがあるのだから迷う事はない筈である。

 

 本来なら4人乗りの戦車だが、自動装填装置を搭載してるため3人で大丈夫だ。

 

 とはいえ、気流の中にいる時は戦車の中にいる必要があるため、多分車内は大変なことになるだろう。外にいたら吹っ飛ばされちまうからな。

 

「準備完了ですわ、お兄様」

 

「よし。全員、そのままヘリポートに向かうぞ」

 

 必要なものを車内へと積み込んでから、格納庫の床の上へと飛び降り、仲間たちと共にヘリポートへと向かう。

 

 久しぶりに、みんなで”故郷”に帰るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 



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ネイリンゲン突入

 

 ヘリの兵員室にある窓の外に広がる筈の草原は、降り注いだ大量の砂塵によって黄土色に染め上げられており、まるでカルガニスタンの砂漠へ逆戻りしてしまったのではないかと思ってしまうような光景となって、久しぶりに生まれ故郷へと飛ぶ俺たちを待ち受けていた。

 

 かつては魔物もそれほど生息しておらず、しばらくは開放的な草原が広がっていた筈の大地は、気候の変化で大幅に変わり果てており、草原というよりは”荒地”のようになってしまっている。

 

 大地を覆いつくしていた緑色の草や花たちの大半は砂塵に埋まってしまったが、それでも比較的背丈の高かった花や草たちは、粉塵を突き破って花弁や葉を外へと突き出し、必死に光合成を続けている。

 

『ここまでです。降下します』

 

「了解」

 

 操縦を担当するステラの声を聴きながら、窓からヘリの進行方向を見据える。

 

 荒れていたのは、大地だけではない。大量の砂塵を巻き上げ、戦車並みの重量を誇るトロールですら呆気なく吹っ飛ばしてしまうほどの猛烈な気流は、青空すら黄土色に染め上げていた。まるでネイリンゲンへと入り込もうとする冒険者たちを拒もうとしているかのように、巨大な竜巻のような気流が大地と大空に鎮座して、砂塵を巻き上げ続けている。

 

 あの猛烈な気流を、テンプル騎士団では”大気流”と呼称することにしている。

 

 大気流がどうしてこのネイリンゲンを襲っているかは不明だが、南方のラトーニウス上空から吹いてくる気流に他の気流が合流したことで、このような猛烈な気流を形成してしまったのではないだろうか。

 

 もしくは、あそこに眠っている筈のメサイアの天秤が、3つの鍵を手に入れた者が現れたことを”察知”し、目を覚ましかけているのかもしれない。

 

 後者の仮説はあまり考えられないかもしれないが、向こうは大昔の錬金術師が神秘の力を使って生み出した伝説の天秤である。

 

「シュタージ、レーダーに反応は?」

 

『今のところは反応なし』

 

「了解(ダー)、何か発見したら、すぐに連絡をくれ」

 

『了解(ダー)』

 

 幸い、現時点ではモリガン・カンパニーと吸血鬼共に動きはないようだ。

 

 これは天秤の争奪戦。吸血鬼たちも”レリエル・クロフォードを復活させる”という願いのために天秤を欲しているし、親父も何らかの願いを叶えるために天秤を手に入れようとしている。今のところ天秤を手に入れられる確率が一番高いのは間違いなくテンプル騎士団だが、鍵を他人に奪われれば一気に優位性は消え失せる。

 

 吸血鬼はあのヴリシアの戦いで大きな損害を被っている。今すぐに鍵を奪い返すために攻勢に出るのはほぼ不可能だろう。一番警戒するべきなのは、やはりあの戦いで損害を被っても、すぐに部隊の再編成ができるほどの規模を誇るモリガン・カンパニーだ。

 

 世界中に拠点を持つ上に、数多くの実力者が所属する超巨大企業。しかも上層部にいるのはあのモリガンの傭兵たち。”物量”と”質”を兼ね備えた、とんでもない連中だ。

 

 モリガン・カンパニーとは同盟関係にあるが、あくまでも向こうは天秤を手に入れようとする”競争相手”に過ぎない。いつ同盟が破棄されるか分からないため、もう敵と判断するべきだろう。

 

 俺たちを乗せたカサートカが、ゆっくりと荒地に降り立つ。兵員室のハッチを開けると同時に、猛烈なメインローターの音が兵員室の中を満たし、砂塵を含んだ風が中へと入り込んでくる。ネイリンゲンを襲っている大気流が原因だが、砂漠の砂嵐と殆ど変わらない。

 

 ちなみに今の時刻は午後2時。吸血鬼のイリナは、普段ならば棺桶の中で変な寝言を発しながら爆睡している時間である。

 

 けれども、幸運なことに舞い上がる砂塵のおかげで太陽は隠れており、空を見上げてみても太陽はいつものようにはっきりとは見えない。全く見えないわけではないが、分厚い雲に隠れている状態に近いだろうか。

 

 これくらいなら、吸血鬼も影響は受けないだろう。

 

「イリナ、体調は?」

 

「絶好調♪ もう毎日こんな天気でいいと思うなっ♪」

 

 いや、そんなことになったら農家の皆さんが困るだろ。

 

 ニコニコしながら背伸びをする彼女を見て苦笑いしつつ、ヘリから全員降りたか確認し、着陸したカサートカを装備している兵器の中から解除する。砂塵の中でも目立つ漆黒の汎用ヘリが唐突に消失し、着陸した痕跡をすぐに暴風と砂塵が消し去ってしまう。

 

 一応ここは、まだあのトロールを吹っ飛ばしてしまう大気流の範囲外。屋敷に例えると”塀の外”だ。なのにこの風の強さは、カルガニスタンでも頻繁に遭遇する中規模の砂嵐にも匹敵する。

 

 左手を目の前に突き出し、いつもの蒼白いメニュー画面を開く。生産した兵器の中からまず戦車を選択し、あの大気流に耐えるために生産したオブイェークト279をタッチする。

 

 すると荒れ果てた草原の真っ只中に、何の前触れもなく4列のキャタピラと楕円形の車体を持つ重戦車が姿を現した。アメリカやロシアが配備する最新の戦車とは明らかに違う、古めかしい上に特異な形状の車体。テンプル騎士団で採用しているチョールヌイ・オリョールと同じように、生れ落ちることなく消えていったソ連の重戦車が、ついに異世界の大地を突き進むのだ。

 

 操縦士を担当するのはステラ。砲手を担当するのはカノンで、装填手は自動装填装置を搭載しているため不要である。車長はイリナが担当し、実際にネイリンゲンで戦車から降りて調査するのは俺、ラウラ、ナタリアの3人となる。

 

 意気揚々と戦車に乗り込み、操縦士の座席に腰を下ろすステラ。出発前にほんの少しだけ試運転をしたので、操縦方法を説明する必要はないだろう。

 

 ちなみに試運転の際、タンプル搭へと帰還したT-72B3と訓練を兼ねてレースをした。もちろんT-72B3には完敗してしまったものの、このオブイェークト279も重戦車とは思えない優秀な機動性を発揮していた。

 

 さすがに防御力は複合装甲を装備した新型戦車と比べれば劣ってしまうだろう。もちろん、APFSDSのような砲弾を叩き込まれればひとたまりもない。だが、少なくともトロールに踏みつぶされない限り、魔物の攻撃で撃破されたり擱座することはない筈だ。

 

 カノンが砲手の座席に座り、照準器のチェックを開始する。イリナが車長の席に座る前に、俺とナタリアとラウラの3人が砲塔の中へと乗り込み、最後にイリナが乗り込んでからハッチを閉める。

 

 とりあえず全員乗り込んだのだが…………こいつは装甲車ではなく”戦車”。兵士を乗せて移動する装甲車とは違い、分厚い装甲と強力な戦車砲を搭載する戦車である。そのため歩兵も乗り込むことが可能で、戦車砲のようなでっかい武装を搭載する必要のない装甲車と比べると、より攻撃力と防御力に特化した戦車が狭くなるのは当たり前だ。

 

 しかし―――――――ソ連製の戦車の中は、西側の戦車と比べると更に狭い。乗組員だけが乗り込んだ状態でも狭いというのに、そこに調査に向かう3名の兵士が乗り込めば、とんでもないことになる。

 

「せ、狭…………っ!」

 

「お、おい、ラウラ、もうちょっとそっちに行けない?」

 

「えへへへっ、タクヤと密着だねっ♪」

 

 イリナの座る座席のすぐ近くに乗り込んだんだが、やっぱり砲塔の中は狭い。俺の左肩にはナタリアの肩と髪が当たっており、右側に座るラウラは微笑みながらしがみついてくる。

 

 ねえ、お願いだからもう少しそっちに行ってくれないかな?

 

「ラウラ、そっち空いてるでしょ? くっついてていいからさ」

 

「はーい」

 

 まったく、甘えん坊だなぁ。

 

 壁の方へとラウラが移動してくれたおかげで少しはマシになった。相変わらず狭いけどね。

 

 というわけで、俺も壁の方に移動する。さっきまでぶつかっていたナタリアの肩が離れた瞬間、ナタリアはどういうわけかこっちを見ながら寂しそうな顔をした。

 

 ん? なんで寂しそうな顔してるの?

 

「ナタリア?」

 

「な、なによ」

 

「こっちに来いよ。狭いだろ?」

 

「…………い、いいの?」

 

「当たり前だろ?」

 

 寂しそうな顔をしていたナタリアはちょっとだけ微笑むと、砲塔の天井に頭をぶつけないように気を付けながら、俺のすぐ隣までやってきた。

 

 なんだか、顔が赤くなってるぞ…………?

 

「な、ナタリア?」

 

「何?」

 

「いや…………すまん、何でもない」

 

 何なんだ?

 

 困惑しながら肩をすくめると、隣にやってきたナタリアはわざとらしく頭にかぶっている規格帽をかぶり直してから―――――――まるでラウラが甘えてくるかのように、左腕にしがみついてきた!

 

「ふぁんとむっ!?」

 

「な、何よ!? 嫌なの!?」

 

「い、いえ、是非そのままでお願いします!」

 

 な、何が起きた!? いつものナタリアだったら、2人きりの時以外はあまり甘えてこないよな!?

 

「え、ええと…………出発してもいいよね?」

 

「あ、ああ、頼むわ」

 

 どうしたんだろうか…………。

 

 またしても困惑しながら砲塔の壁に背中を押し付けて息を吐くと、車体の後部からエンジンが動き出す大きな音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『HQ(ヘッドクォーター)より”ゴライアス”へ』

 

「こちらゴライアス、どうぞ」

 

 車長の席に腰を下ろし、時折ペリスコープやキューポラから外の様子を確認していたイリナが、傍らの無線機へと返事を返す。今しがた通信を送ってきたのはシュタージのメンバーだろうか。

 

 この作戦では、シュタージがネイリンゲンの東西南北に無人型のドローンを展開し、大気流の様子を常に観測している。どうやらこの大気流は常に吹き荒れているわけではなく、トロールたちを吹き飛ばすほどの勢いになったり、砂漠の小規模な砂嵐程度の風に変化しているらしい。

 

 そこで、東西南北に展開したドローンで大気流の動きを観測し、気流の勢いが弱まるタイミングで調査を担当する3人が降車。ネイリンゲンに眠っていると思われる天秤を手に入れるという作戦である。

 

『まもなく、大気流が”レベル5”に達する。風圧に注意を』

 

「了解(ダー)」

 

 大気流の強さには、1から5までレベルを付けた。

 

 レベル1が砂漠の小規模な砂嵐程度。レベル2で中規模な砂嵐となり、レベル3で大規模な砂嵐となる。レベル4は大型の竜巻と同程度となり、レベル5になると核爆発によって生じる衝撃波や、猛烈な爆風に匹敵するというわけだ。

 

 いきなりレベル5か…………。

 

『予測では、このレベル5通過後に急激に勢いが弱まり、しばらくは1から2程度の風圧が維持されると予測される』

 

「歓迎されてるねぇ」

 

「ネイリンゲン出身が3人もいるからな。…………無線機を」

 

「はいはーい」

 

 イリナから無線機のマイクを受け取り、HQ(ヘッドクォーター)へと連絡する。

 

「HQ(ヘッドクォーター)、モリガン・カンパニー側に動きは?」

 

『現時点では確認できず―――――――いや、たったいま情報が入った』

 

「なに………………?」

 

 動きがあった…………!?

 

 くそ、向こうの諜報部隊も優秀だな。こっちがネイリンゲンに向かったことを嗅ぎつけたか…………!

 

『…………くそ、ラトーニウス海に展開していたモリガンカンパニーの空母と強襲揚陸艦が動いた。空母から艦載機が飛び立つ気配はないが、いつ飛び立つか分からん。警戒せよ』

 

 空母ってことは、キエフ級かアドミラル・クズネツォフ級だな…………。テンプル騎士団でも少数だけだが運用している艦だ。しかし、モリガン・カンパニーは数えきれないほどの数の空母を運用している。あのヴリシアの戦いで海を埋め尽くした大艦隊も、あくまでも”氷山の一角”でしかないのだ。

 

 おそらく強襲揚陸艦の方は、フランス製のミストラル級に違いない。

 

 くそったれ、いつ同盟破棄を通告してくるか分からんな。

 

「了解だ。動きがあったら連絡を」

 

『了解(ダー)、幸運を祈る』

 

「…………お兄様、何かありましたの?」

 

「―――――――モリガン・カンパニーが、動いた」

 

「…………!」

 

 どうやらもう察知されてしまったらしいな。いつ同盟関係を破棄されてもおかしくはない。

 

 強襲揚陸艦があるという事は、上陸部隊を乗せている可能性が高いな。幸いオルトバルカは内陸国だから海から上陸したとしても、上陸部隊が到達するには1時間か2時間はかかる。

 

 空母から艦載機が飛び立ったのならば話は別だが、今のところ艦載機が発進した様子はないという。

 

 冷静に考えている間に、装甲の向こうから聞こえてくる風の音が一気に大きくなった気がした。楕円形の装甲の表面を掠め、次々に後方へと受け流されていく砂塵たちの勢いが一気に増し、4列のキャタピラで支えられた車体が大きく揺れる。

 

「―――――――レベル5のお出迎えね」

 

 大人びた口調になったラウラが、俺の肩にしがみつきながら呟いた。

 

 大気流の中へと、ついに突入したのだ。このレベル5の暴風はそれほど長続きはしない筈だが、それまでにネイリンゲンの市街地に辿り着けるだろうか。

 

「ステラ、今の速度は?」

 

「最大です」

 

「了解(ダー)。カノン、何か見えるか?」

 

「ええと…………あれは…………馬小屋ですわね」

 

「馬小屋…………?」

 

 狭い砲塔の中で立ち上がり、車長の席にあるペリスコープを覗き込む。

 

 一時的とはいえ、核爆発に匹敵する暴風で舞い上がった砂塵はやはり凄まじい。いや、もう砂塵というよりは、舞い上がった土や木片で構成される壁が常に目の前に立ちはだかっているようにしか見えない。稀にこの暴風に耐えられなかったゴブリンの変異種らしき魔物やトロールが、悲鳴のような咆哮を上げながら吹っ飛ばされていくのが見える。

 

 ゴン、と、吹っ飛ばされてきたゴブリンが砲塔に激突していった。砲弾を跳ね返すためにこれでもかというほど分厚くされた装甲に頭を叩き割られたらしく、後頭部から鮮血を吹き出し、割れた頭蓋骨を覗かせながら、血まみれのゴブリンが後方へと吹っ飛ばされていく。

 

 イリナに見せなくて正解だったな…………。

 

 すると、確かに馬小屋らしき建物も見えた。これほどの暴風の中でよく原形を留めていられるなと思いつつ、今どこを走っているのか確認するために周囲を見渡して―――――――懐かしい建物を発見する。

 

 今から15年前に起こった惨劇の時から、ずっとその状態で取り残された屋敷。半壊した後もこの大気流で少しずつ削られ続け、今ではすっかり残骸の一部と化しつつあるが―――――――最強の傭兵たちのかつての拠点は、ずっとそこで待っていた。

 

 かつての主人たちが、再び戻ってくる日を。

 

 誰かがこの荒れ果てた街を、訪れる日を。

 

「……………………旧モリガン本部前、通過」

 

 21年前にタイムスリップした時と比べると、当たり前だが無残な姿になっている。

 

 キッチンがあった辺りは完全に倒壊し、いたるところのレンガが剥がれ落ちている。暴風の中にさらけ出された廊下や寝室は砂塵まみれになっており、かつて親父たちが寝室に使っていた部屋も滅茶苦茶になっていた。

 

 モリガン本部があった場所はネイリンゲンの郊外。とはいえ、ここを少し進んで丘を越えれば、もうネイリンゲン市街地に到着する。

 

『風圧レベル低下中…………現在3』

 

「了解」

 

 レベル3なら降りて調査もできそうだな。

 

 今のうちに市街地を目指そう。

 

 ペリスコープから目を離し、さっきまで座ってたところに戻ろうとする。すると後ろに座っていたイリナが、顔を赤くしながらニヤニヤと笑っていた。

 

「どうした?」

 

「ふふっ、タクヤっていい匂いするよね♪」

 

「は?」

 

「さっきまで近かったから」

 

 あ、ペリスコープ覗いてた時か…………。

 

「それにね、そ、その…………僕の胸、触ったよね?」

 

「え?」

 

「肘で」

 

 ご、ごめんなさい。確かに右の肘で柔らかい何かをつついてしまった覚えはあります。てっきりイリナのお腹だと思ってたんです。ええと、わざとではないんですよイリナさん。

 

 恐る恐る後ろを見てみると、「積極的なのねぇ♪」と言いながら微笑むラウラの隣で、ナタリアがこっちを睨みつけていた…………。

 

 ヤバい、制裁される。

 

「すいませんでした」

 

「へへへっ。もっと触ってもいいのに」

 

「マジで?」

 

「部屋に戻ったらね♪」

 

「ちょ、ちょっとイリナちゃん!?」

 

 おいおい、調査前だぞぉ…………?

 

 苦笑いしながら腰を下ろし、腰のホルスターに入っているPP-2000をチェックし始める。ナタリアは俺の事を問い詰めるつもりだったらしいが、得物の点検を始めたのを見た彼女もそれを後回しにしようと思ったらしく、同じように点検を始めた。

 

 今回の武装はメインアームがPP-2000。搭載してあるのはオープンタイプのドットサイト、ライト、サプレッサーの3つ。サイドアームはPL-14で、こちらも同じくドットサイト、ライト、サプレッサーの3つだ。

 

 それと、もしトロールと鉢合わせになってしまっても対処できるように、1人につき2つずつC4爆弾と対戦車手榴弾を支給してある。

 

「よし、準備完了」

 

「こっちもよ、変態団長」

 

「ナタリア!?」

 

「ふんっ」

 

 ああ、怒っちゃった…………?

 

 ナタリアは得物をチェックするふりをしながら、ちらりと自分の胸を見下ろした。イリナとくらべるとやや小さいけれど、ナタリアの胸もなかなか大きいし…………美しいです。

 

 そしてイリナの胸をちらりと見てから顔を赤くした彼女と、ナタリアの胸を見てから顔を上げた俺の目が合ってしまう。

 

「「あっ」」

 

 ごめんなさい、ナタリアさん。数秒前まであなたの胸を見てました。

 

「…………ば、バカ」

 

「ごめんなさい」

 

「い、いいわよ別に………」

 

 許してくれたのかな?

 

「タクヤ、そろそろ市街地です」

 

「よし、そのまま市街地に突入。魔物に注意しろよ」

 

 いよいよ調査開始だな。

 

 この変わり果てた故郷のどこかに天秤が眠っている筈だ。なんとしてもその天秤は、俺たちが手に入れて願いを叶える。

 

 誰も虐げることのない、平穏な世界のために。

 

 

 




※F-4ファントムは、アメリカの戦闘機です。
※オブイェークト279のコールサイン『ゴライアス』の元ネタは、イギリス海軍が保有していた『カノーパス級戦艦』のうちの1隻『ゴライアス』より。有名なガリポリの戦いで、魚雷攻撃により撃沈されています。


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惨劇の残滓

 

 キューポラのハッチを開け、狭苦しいオブイェークト279の砲塔の中から、砂塵と暴風が支配する廃墟の中へと躍り出る。この大気流がいつ頃からここに居座っているのかは不明だが、少なくとも俺たちが冒険の途中で立ち寄った時の後からだろう。

 

 顔へと叩きつけられる砂塵を手で払い、PP-2000を腰のホルスターから引き抜きライトをつける。暗闇を照らしてくれる頼もしいライトだが、この砂嵐にも似た大気流の中ではあまり効果はなさそうだな。切っておいた方がいいかもしれない。

 

 すぐに判断し、ライトのスイッチを切る。

 

「ちょっと、何よこれ!?」

 

「気を付けろよ、これでレベル2らしい」

 

 はっきり言うと、カルガニスタンの砂漠で偵察任務中に出くわす砂嵐とほぼ変わらない。あまり偵察には出ず、要塞の中でデスクワークをすることの多いナタリアはあまりこういう砂嵐を経験したことがないのだろう。

 

 戦車から降りてきたラウラは、左手でPP-2000の安全装置(セーフティ)を解除してから、いつでも行けると言わんばかりにこっちを見つめつつ頷く。

 

 今回の作戦では、ネイリンゲンの中をうろつく魔物を極力刺激しないよう、武装にはサプレッサーを搭載している。また、魔物との真っ向からの戦いはあまり想定していないため、装備する武器も軽装だ。とはいえ場合によっては障害物の爆破や、巨大な魔物の討伐も必要になる事があるので、念のためソ連製の対戦車手榴弾とC4爆弾を1人につき2つずつ携行している。

 

 とはいえ、核爆発の衝撃波に匹敵する暴風が突発的に吹き荒れる環境なので、魔物はそれなりに数を減らしている筈だ。トロールだって吹っ飛ぶほどの風圧なのだから、ダンジョンに生息している魔物が耐えられるわけがない。

 

 もちろん、楽観視はしないけどな。

 

 もしかしたら、この大気流に耐えられるほどの体重を持つ魔物がいるかもしれないし、魔物たちがこの大気流から身を守るために”シェルター”のようなものを作っている可能性もある。

 

 実際に、強風が猛威を振るうダンジョンで、魔物たちが身を守るためにシェルターを思わせる巣穴を地底に掘り、風が吹き荒れている間はそこに隠れて身を守っていたという報告が、複数の冒険者から管理局へとレポートで報告されており、管理局もその情報を冒険者や冒険者ギルドへと公開している。

 

 俺も以前に管理局でその情報を目にした事がある。

 

 一般的に魔物の知能は低いと言われているが、中には魔術を使ったり、人間の武器を使いこなすほどの知能を持った種類の魔物もいる。咆哮を上げて大暴れするだけの生物というわけではないのだ。

 

 この大気流から生き延びるために、魔物たちが地底に”シェルター”を作っていてもおかしくはない。

 

「よし、行こう」

 

 ネイリンゲンは田舎の街だ。オルトバルカにある他の街と比べればそれほど大きくはない。元々ここは、農業と傭兵ギルドの活躍で反映していた街だ。メサイアの天秤がこの街のどこに隠してあるのかは分からないが、手当たり次第に廃墟の中を探したとしても、今日中には終わるだろう。この田舎の街は国境のすぐ近くにある街としては大きい方だが、中枢にあるラガヴァンビウスやエイナ・ドルレアンのような大都市に比べればはるかに小さいのだから。

 

「ゴライアス、俺たちが先導する。何か不審なものを見つけたらすぐ報告しろ」

 

『了解(ダー)。火力支援が必要になったらいつでも言ってね。ぶっ放すから』

 

「ありがとう」

 

 でも、火力支援が必要になるような状況に陥らないのがベストだ。銃声や砲撃の爆音で奴らを刺激したら面倒なことになる。

 

 だから得物にはサプレッサーを装着してきたのである。

 

 左手で砂塵から顔を守りつつ、近くにある廃墟へと素早く接近する。崩落した壁の穴からライトをつけたPP-2000で中を照らしてみるが、そこから見えたのは床にぶちまけられた黒いレンガ――――――おそらく元々黒いのではなく、焦げただけだろう―――――――や家具の残骸の数々のみ。当たり前だが、天秤があるわけがない。

 

 その建物は崩落がひどく、残っているのはその部屋のみだった。それ以外は瓦礫に埋まっており、毎日襲来する暴風に晒されている。

 

「ここ、どの辺かなぁ?」

 

「モリガンの本部があったってことは、多分大通りのすぐ近くよ」

 

「さすがだな、ナタリア」

 

 建物を盾にして周囲を警戒しながらそう言うと、風邪で吹っ飛ばされそうになる軍帽をポーチの中へと強引に押し込んだナタリアが、制服の上に羽織っていたフード付きのコートのフードをかぶりながら言った。

 

「ママと買い物に行く時、よくモリガンの本部は見てたの。最初は貴族の屋敷だと思ってたけど」

 

「ふにゅ、そういえばあそこってフィオナちゃんの屋敷なんだよね? 貴族だったのかなぁ?」

 

「うーん…………先祖が有名な錬金術師だったらしいけど」

 

「錬金術師かぁ」

 

 錬金術師の主な役割は、俺たちがいつも使っているこの金貨や銀貨などの通貨を錬金術で生成することだ。とはいえ全ての通貨を生成しているわけではない。あくまでも発掘された金や銀で必要な通貨が製造できない場合、やむを得ず錬金術師たちに協力してもらうのである。

 

 他にも彼らの仕事は多い。例えば魔物や魔術の研究や、ステラたちが生きていた頃に廃れてしまった魔術の復元などだ。他には貴族たちへと観賞用の黄金の像を提供することもあるらしく、彼らの給料は多いらしい。上手くいけば奴隷扱いされている種族でも貴族のような暮らしができるようになるという。

 

 しかし錬金術は非常に複雑で、最も初歩的な技術ですら上級者向けの魔術に匹敵する。そのため錬金術師として活躍できる人材は、まさに一握りなのだ。

 

 俺は魔術はそれなりに使えるが、錬金術は全く専門外である。

 

 小さい頃に教本を面白半分で読んでみたが、全くわけがわからなかった。錬金術に必要な魔法陣の記号はより複雑で、しかも魔術に使う記号よりもはるかに数が多い。下手したら記号の暗記だけで2年くらいはかかってしまいそうなほどだ。

 

 なんだかフィオナちゃんだったら、錬金術になれそうだよなぁ…………。

 

 そんなことを考えつつ、周囲に魔物がいないか確認して廃墟を後にする。どうやらナタリアの予測は合っていたらしく、今しがた部屋の中を確認した建物の向こうには、21年前にタイムスリップしてしまった際や、幼少の頃に何度も目にした場所があった。

 

 いくつもの露店や喫茶店がずらりと並び、買い物客たちで埋め尽くされるのが当たり前だった大通り。奥の方には傭兵―――――――当時は冒険者よりも傭兵の方が多かった―――――――たちが頻繁に立ち寄る鍛冶屋や傭兵ギルドの事務所が連なり、魔物の退治や商人の護衛を引き受けた屈強な傭兵たちが、毎日のように草原へと出発していく。

 

 幼少の頃にいつも目にしていた光景は、もう見ることができない。

 

「ここが…………」

 

 ここが本当に、あの大通りなのだろうか。

 

 以前に訪れた時はモリガンの本部に立ち寄った程度だったから、ネイリンゲンの市街地を全て目にしたわけではない。15年前の惨劇で変わり果てた故郷の街が、人々が立ち去り、魔物たちの棲み処と成り果ててしまった光景を、俺たちはまだ目にしていなかった。

 

 だから、改めて惨劇があったという痕跡を目にするのは、今日が初めてだった。

 

 暴風に吹き飛ばされ、巨大な魔物に踏みつぶされた露店の残骸。いたるところに転がるレンガの破片や棒切れ。そしてその中に稀に紛れ込んでいる、埋葬されることのなかった犠牲者の骨。

 

 15年前から、ずっとここは地獄だったのだ。

 

 ここで死んでいった死者たちは、まだ成仏していないのかもしれない。当時の苦しみを抱きながら、ずっとこの砂嵐の中を彷徨っているのかもしれない。

 

 PP-2000のライトをもう一度つけつつ、周囲を警戒した。大気流の風圧は”レベル2”とはいえ、カルガニスタンで遭遇する中規模な砂嵐並み。視界は最悪としか言いようがない。周囲はほとんど見えないし、目を凝らして何かを探そうとすれば小石や砂塵が眼球を直撃する。

 

「…………ラウラ、ここ覚えてる?」

 

「ここって…………」

 

 倒壊した建物の傍らに転がっている看板をライトで照らしながら尋ねると、それを目にしたラウラも倒壊した建物をライトで照らしながら見下ろした。

 

 目の前にある建物は―――――――21年前にタイムスリップした際、誕生日プレゼントとしてラウラのリボンを買い、ラウラもどういうわけか俺に女用のリボンを買ってくれた、あの雑貨店だった。看板は暴風に晒されていたせいですっかり傷み、表面に描かれていたイラストや文字も擦れていて、その看板のデザインを知っている者でなければすぐには分からないほど損傷していた。

 

 ここにいた店主も、犠牲になったのだろうか。

 

 親父の話では、ネイリンゲンの惨劇から生き延びた生存者の数は、300人以下だったという。

 

 その中の1人が、今俺たちと一緒に行動してくれているナタリアなのだ。もし親父が彼女の事を偶然見つけていなかったら、こうして一緒に旅をすることはなかったのかもしれない。

 

 ちらりと彼女の方を見ると、ナタリアもこの店を知っていたのか、悲しそうな顔をしながらこっちを見つめてきた。

 

「…………行こう」

 

「ええ」

 

 天秤を探そう。

 

 メサイアの天秤を使って願いを叶えれば、もうこんな惨劇が起こることはなくなるはずだ。虐げられる人々がいなくなれば、きっと平和な世界になる筈なのだから。

 

 曲がり角を曲がる前に、念のためライトを消して角の向こうを確認する。ラウラ程ではないとはいえ常人より発達していた俺の聴覚が、微かな足音を捉えたのである。

 

 2人に合図をしながら曲がり角の向こうを覗き込むと―――――――やはり、魔物がいた。

 

 ”太った巨人”としか言いようがないほど脂肪に覆われた身体と、頭から伸びる巨大な触手を思わせる無数の頭髪。巨体から伸びる剛腕は、その一撃だけで戦車を叩き潰せそうなほどがっちりしている。実際にそいつの一撃は、命中さえすればドラゴンを一撃で戦闘不能にすることも可能らしく、この化け物が生息しているだけでダンジョンの危険度が跳ね上がるとも言われている。

 

 数多の冒険者を食い殺してきた、怪物だ。

 

「トロールか」

 

「…………」

 

 苦笑いしながらナタリアの方を見ると、彼女はどうやら、俺たちと初めて出会ったフィエーニュの森でトロールと戦った時の事を思い出したらしく、苦笑いしながら肩をすくめた。

 

 そう、俺たちが初めて挑んだダンジョンに生息していた化け物も、このトロールなのである。

 

 ナタリアはそんな怪物と、俺たちが駆け付けるまでたった1人で戦っていたのだ。しかも当時の得物はモリガン・カンパニー製のコンパウンドボウと、どこかの鍛冶屋で購入した少し大きめのククリ刀。銃を一切使わずに奮戦していたのである。

 

「どうするの?」

 

「まだこっちには気付いてないみたいだが…………」

 

 先に攻撃を仕掛けるべきか?

 

 それとも、素通りするべきか?

 

 ちらりと得物を見下ろし、サプレッサーがしっかりと装着されていることを確認する。

 

 PP-2000に装填されているのは、一般的なハンドガン用の9mm弾。炸薬の量を増やし、殺傷力の底上げを図った強装弾ではない。ごく普通の弾薬である。

 

 もし仮にそれでトロールを殺すのであれば、少々火力不足だろう。あの化け物を討伐するには少なくともグレネードランチャーか、7.62mm弾を使用するフルオート射撃が可能な軽機関銃(LMG)を使うことが望ましい。しかし今の俺たちの装備は、サプレッサー付きのSMG(サブマシンガン)にハンドガン。明らかにそのような怪物を討伐するのに適しているとは言えない軽装だ。

 

 対戦車手榴弾とC4爆弾も持っているとはいえ、後者はあくまでも障害物の除去用に携行しており、前者は頼りになるだろうが、その爆音で他の魔物まで刺激してしまう結果になるのは想像に難くない。

 

「攻撃はするな。素通りする」

 

「「了解(ダー)」」

 

 それに、風の音もそれなりに大きい。上手くいけば随伴しているオブイェークト279(ゴライアス)のキャタピラやエンジンの音も消してくれる筈だ。

 

 目配せして合図をし、こっちをキューポラから見ている筈のイリナにも合図をする。そしてもう一度建物の影からトロールの様子を観察した。あの忌々しい化け物はこっちへと背を向けていて、ずしん、と大きな足音を響かせながら向こうへと歩いている。剛腕を伸ばして足元を走り回るゴブリンを鷲掴みにしたトロールは、空腹だったのか、そのまま必死にもがくゴブリンを口へと運ぶと、巨大で武骨な斧をずらりと並べたような歯で小柄なゴブリンの上半身を噛み砕き始める。

 

 おいおい、食事中か。

 

「うっ…………」

 

「ナタリア、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫…………」

 

 ボリボリとゴブリンの骨が噛み砕かれる音を聴きながら、顔をしかめたナタリアは息を吐いた。

 

 食事中ならこっちにも気づかないだろう。素通りするタイミングは今しかない。

 

 仲間たちにもう一度合図を送った俺は、食事中のトロールがこっちに来ないか注意しつつ、通りの反対側へと一気に走った。舗装されていた筈の道は15年前の惨劇ですっかりレンガが剥がれかけていたが、こういう足場の悪い場所を素早く移動する訓練も親から受けている。第一、戦場の足場が全て舗装された道のようになっているわけがない。場合によっては今のように荒れ果てている場合もあるし、ぬかるんでいる場合もある。

 

 そういう場所を移動する訓練も、幼少の頃に何度も受けた。だから俺やラウラにとっては、この程度の場所を移動するのは朝飯前である。

 

 反対側へとたどり着いてから、周囲の警戒をラウラに任せてトロールの様子を確認する。どうやらあのおバカさんはゴブリンを食べることに夢中らしく、後ろの通りを堂々と横断する重戦車には全く気付いていない。風の音が予想以上に大きかったおかげでエンジンとキャタピラの音は聞こえていないらしい。

 

「ラウラ、エコーロケーション」

 

「範囲は?」

 

「最大。天秤らしきものを見つけたら教えてくれ」

 

「了解(ダー)」

 

 ラウラの頭の中には、イルカやクジラのようにメロン体が存在する。そこから超音波を発することによって、彼女は潜水艦のソナーのように周囲の物体や敵を索敵することができるのだ。

 

 とはいえ擬態している敵まで見破れるわけではないので、全ての敵を探し出すことができるというわけではない。探知できる最大の距離は半径2kmまでだが、範囲を広くすればするほど索敵の精度が落ちてしまうという欠点がある。

 

 しかし、精度が落ちてしまうとはいえ、このまま魔物から逃げ回りながら街の中をひたすら探し回るよりは効率的だ。いくら精度が落ちるとはいえ、索敵範囲ギリギリにある物体を探知できないわけではないのだから。

 

 目を瞑り、メロン体から超音波を発するラウラ。やがて眼を開けた彼女は、ため息をつきながら報告する。

 

「砂塵のせいで、いつもより精度が落ちちゃうわ」

 

「最低限の精度を維持できる距離はどれくらいになる?」

 

「多分、半径1.8kmくらい」

 

 十分すぎる。

 

「十分だ。それくらいでお願いできる?」

 

「分かった」

 

「頼んだ。後でご褒美あげるから」

 

「じゃあ、あとでいっぱいイチャイチャしましょうっ♪」

 

 大人びた口調のまま楽しそうに言うラウラ。いつもこういう時は普段の子供っぽい口調で言う事が多いからなのか、なんだか珍しい気がする。

 

 でも、そのまま搾り取られそうな気がするんだよなぁ…………。できれば母さんから貰った薬があと少ししかないから、母さんから貰うまでは控えてほしいものである。結婚するまで子供を作るわけにはいかないからな。

 

 というか、モリガン・カンパニーと同盟関係を破棄したらその薬ももらえなくなるんじゃないだろうか…………? 頼むから同盟破棄の前にどっさり薬をください、お母さん。多分これからも搾り取られると思うから。

 

「ところで、天秤の反応は?」

 

「ないみたい」

 

「よし、移動だ」

 

 ここに眠っている筈なんだ…………。

 

 なんとしても、親父たちや吸血鬼たちよりも先に手に入れなければならない。

 

 メサイアの天秤を手に入れなければ、俺たちの願いは叶わないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に面白い子だよねぇ」

 

 目の前のモニターに表示される”彼”のステータスと、かつてレリエルを倒した”英雄”のステータスを見比べながら、私は微笑んだ。

 

 今から11年前―――――――そろそろ12年になる―――――――にレリエル・クロフォードを単独で討伐し、数多の転生者を血祭りにあげた”転生者の天敵”のステータス。まだ彼には及ばないけれど、その息子の成長速度は、(速河力也)の成長する速度よりも非常に速い。

 

 このまま転生者を喰らい続ければ、きっと彼は立派な怪物になるだろう。どんな法則や計算ですら叩き壊してしまう恐ろしい怪物に成り果て、全てを蹂躙するに違いない。

 

 それは喜ばしい事だった。彼とブラド以外の転生者は、現時点ではその2人がレベルを上げて強くなるための”餌”にしか過ぎないのだから。

 

 ブラドの方も順調に育っているけど――――――――タクヤの方は、ちょっと警戒が必要かも。

 

「…………強くなり過ぎちゃうかもね、彼は」

 

 想定したよりも、強くなる可能性がある。

 

 彼のステータスの隣に予測したデータを表示させ、私は爪を噛む。

 

 私が一番嫌うのは、自分の計画が狂う事。

 

 今までは順調だった。速河力也という転生者がこの異世界へと転生し、仲間たちと共に転生者たちを蹴散らして強くなり、最終的にこの世界を守ったのだ。血まみれになりながら戦った彼の英雄譚が、”私の想定の範囲内”で幕を下ろしたからこそ、彼の方は問題ない。もし彼と出会う機会があるのであれば労ってあげたい。

 

 けれどもタクヤは――――――――もしかしたら、彼の物語は私の想定の範囲を大きく逸脱して幕を下ろすかもしれない。

 

「…………」

 

 彼が率いるテンプル騎士団は大きくなりつつある。まだモリガン・カンパニーのように有名な組織ではないものの、もしそこに所属する人々が武器を手にして強くなり、転生者まで殺すほどの力を手に入れれば――――――――私の計画は、完璧に狂う。

 

 しかも彼らは、メサイアの天秤を手に入れて”人々が虐げられることのない平和な世界”を作ろうとしているらしい。

 

 馬鹿げている。そんな世界を作ったとしても、きっと何も変わらない。世界というのは、そういう風に作られているのだから。

 

 そんな願いのために天秤を無駄使いされるくらいならば、リキヤの手に渡ってもらった方が都合がいい。

 

「…………そろそろ、消えてもらうべきかもね」

 

 君を転生させたのはこの私。理不尽かもしれないけれど――――――――これ以上私の計画を狂わせるようならば、タクヤ・ハヤカワという転生者には消えてもらう必要がある。

 

 それにリキヤが”家族を取り戻す”という願いを叶えてくれた方が、私にとっても都合がいい。

 

「そうだよね、彼が取り戻そうとしている家族というのは――――――――」

 

 神秘の力を使わない限り、決して元には戻らない存在なのだから。

 

 そして彼が欲しているものは、私が欲しているものでもある。

 

 そう思いながら、私は机の上に飾ってある写真へと手を伸ばした。異世界で初めて開発された白黒写真によって撮影された、一枚の写真。写っているのは3人の子供たちと、2人の美女。そして真ん中に立っているのは、最強の転生者ハンター。

 

「ふふふっ」

 

 こっそりと手に入れた彼の写真の複製を見下ろしながら、私は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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廃墟での戦い

 

「はぁ…………」

 

 水筒の中に入っているアイスティーを飲んでから溜息をつき、狭い戦車の砲塔の中で、目の前に広げたネイリンゲンの地図を見下ろす。あの惨劇で壊滅する前の地図だが、いくら多くの建物が倒壊した上に環境が変わってしまったとはいえ、訳には立つだろうと思って購入しておいたのだ。

 

 砂塵で汚れた地図の表面に、ポーチの中から取り出した白いチョークを走らせる。こういう白いチョークは、冒険者の必需品の1つだ。構造が複雑になっている遺跡の中やダンジョンを調査する際に目印を付けられるし、仲間に情報を知らせるのにも使えるため、魔物の臓器を摘出するためのメスと同じようにこれを身につける冒険者は多い。

 

 調査を終えた地域を白い円で囲み、まだ終わっていない部分だけを残す。ラウラのエコーロケーションのおかげで効率的に調査を進め、大気流の風圧が再びレベル4や5に達する前にネイリンゲンの3分の2を調査することに成功し、暴風から身を守るための戦車の中に避難したものの、天秤と思われる物の反応はなかった。残っている3分の1の地域に天秤が存在していることを祈りたい。

 

 というか、本当にここに天秤があるのか?

 

 願いを叶えることができる神秘の存在なのだから、存在するだけで猛烈な魔力を発していてもおかしくはない筈だ。なのにこのネイリンゲンの中から感じるのは、無数の魔物たちの殺気や微かな魔力のみ。神秘の天秤が眠る場所とは思えない。

 

「ふむ…………」

 

「あと3分の1くらいね。…………ラウラ、大丈夫?」

 

「うん、大丈夫だよっ♪」

 

 そう言いながら微笑んだラウラは、自分の持っていた水筒のキャップを外し、中に入っているアイスティーを飲み始めた。

 

 エコーロケーションを使って索敵すると、かなり集中力を使うらしい。なので休憩時間も必要だとは思っていたんだが、この大気流が段々と強くなっていったタイミングは丁度良かったな。これでお姉ちゃんを休憩させられる。

 

「シュタージ」

 

『あら、どうしたの?』

 

 クランの声だな。

 

「この大気流、次にレベルが下がるのはいつ頃だ?」

 

『ええと、ちょっと待って…………。予測だけど、あと1時間くらいはかかりそうね』

 

 1時間か…………。

 

 砂塵まみれになってしまった転生者ハンターのコート―――――――親父のお下がりだ―――――――の内ポケットから懐中時計を引っ張り出し、今の時刻を確認する。

 

 今の時刻は午後3時40分。次に調査できるようになるのは4時40分頃だな。

 

「了解(ダー)、ありがとう」

 

『どういたしまして』

 

「同志諸君、次は1時間後だ。今のうちに武器の点検と腹ごしらえを済ませておこう」

 

 隣で早くもPP-2000をほんの少し分解し、砂塵が入り込んだ影響で作動不良が起こらないように点検を始めているナタリアにそう言うと、彼女は顔を上げてから頷いた。傍らに置いていた部品を拾い上げて素早く組み立て、マガジンをグリップの中へと装着する。コッキングレバーを引く前に安全装置(セーフティ)をかけてからホルスターに戻した彼女は、息を吐いてから自分のポーチの中へと手を突っ込んだ。

 

 そしてそのポーチの中から、任務に出撃する際はいつも携行している”非常食”を取り出したのだが―――――――明らかにそれは、”食品”とは思えない姿をしている。

 

 まるで、大昔の帆船に搭載されていた古めかしい大砲に装填するような丸い砲弾を、そのまま野球のボール程度の大きさまで小さくしたような、黒い物体である。

 

 傍から見れば口径の小さな大砲の砲弾にも見えてしまうが―――――――実は、これがテンプル騎士団の兵士たちが携行する非常食なのだ。

 

 大砲に装填すればそのままぶっ放せそうな外見だが、この砲弾にも似た物体は、カルガニスタンで栽培される特殊なライ麦で作られたパンなのである。一番最初に目にしたときは冗談だと思ったが、カルガニスタンでは伝統的な非常食だという。

 

 原料となるカルガニスタン産のライ麦は、水分を失った状態で加熱されると外側が段々と硬くなっていき、最終的には本当に砲弾として使えそうなほど硬くなる。逆にあの硬い部分の内側は非常にふわふわしており、甘みと微かな酸味があるのだ。栄養価も極めて高く、外側が非常に硬いおかげで200年以上も保存することができる優秀な非常食らしい。

 

 200年も保存する意味はあるのだろうかと思ってしまうが、この世界に住む種族の中には平均寿命が500年を超える種族もいるため、200年でもまだ”短い”と言える。

 

 美味しいパンなのだが、やはり外側が非常に硬いせいでこのまま食べるのは非常に骨が折れる。このまま食べる場合はでっかいハンマーで叩き割って中にあるふわふわした部分だけを食べるのだが、このパンは水やお湯に浸しておくとすぐに崩れてお粥になるので、どちらかというとそのままではなくお粥にしてから食べる人の方が多いという。

 

 確かに、いちいちハンマーで叩き割って食べるよりもお粥にした方が手っ取り早そうだからな。

 

 砲弾や鉄球ににているため、このライ麦パンは”鉄球パン”とも呼ばれている。

 

 その鉄球パンを取り出したラウラとナタリアの2人は、ポーチから取り出した小さな皿の上にそのパンを置くと、その上に水筒の中の水を垂らし、側へと置いた。どうやらこの2人はお粥にして食べるつもりらしいけど、お粥にすると甘みが消えてしまうので、俺はいつもお粥にはせずにそのまま食べている。

 

「あら? タクヤ、お粥にしないの?」

 

「俺はこのままでいいよ」

 

 そう言いながら、体内の血液の比率をちょっとずつ変えていく。

 

 すると、コートの袖の中で右腕の皮膚が段々と変異していき、蒼と黒の2色で彩られた外殻が指先まで覆っていく。今ではもう咄嗟にこの外殻を生成して防御することができるようになったが、訓練を始めた頃はなかなか外殻の生成のコツが分からなくて苦戦したんだよね。

 

 これはキメラの代表的な能力で、ノエルも同じく外殻による硬化が可能となっている。キメラは基本的に体内の魔物の遺伝子によって能力が大きく異なるんだが、外殻を持つ魔物の遺伝子を持つ場合は基本的にこの外殻を使う事ができるらしい。

 

 ちなみにサラマンダーの場合は、オスには外殻があるが、メスのサラマンダーは卵や子供たちを温める際に外殻が邪魔になってしまうため、身体を覆うのは柔らかい鱗のみ。基本的に巣でずっと生活するので、外殻が退化しているのだ。その特徴を受け継いでいるのか、ラウラは俺と比べると外殻による硬化が苦手なのだ。

 

 左手で鉄球パンを支えつつ、外殻に覆われた右腕を振り上げ―――――――瞬発力を活用しつつ、素早く振り下ろす。

 

 がちん、と、まるで本物の鉄球をハンマーで殴打したような金属音にも似た音。明らかに食品が発する音じゃない異音である。

 

 そんな音を奏でた鉄球パンの表面には、小さな亀裂が生じていた。

 

「え、そのまま食べるの?」

 

「こっちの方が甘みがあるからな」

 

 亀裂の入った部分を指先でほぐしつつ、血液の比率を更に変更。すると今度は、口の中に生えている歯が変異を始め、人間と殆ど変わらない歯から、まるでドラゴンの口の中に生えているような鋭い”牙”へと変貌する。

 

 このように、変異させたい部位の血液の比率を変えれば、自由に身体を変異させることができるのである。ちなみに全身を外殻で覆う事も可能で、その際の顔は人間というよりはドラゴンに近い形状になるのだ。

 

 俺たちは人間とサラマンダーのキメラだからな。

 

「す、凄い牙…………」

 

「ぼ、僕のより鋭いよ…………!」

 

 でも、こんな牙を生やしたままだと生活し辛いんだよね。口の中に牙が刺さっちゃうしさ。

 

 手にした鉄球パンを口へと運び、そのまま強引に噛み砕く。亀裂に牙が突き刺さったかと思うと、あっさりとそれを突き破った牙が中に詰まっている柔らかい部分へと突き刺さり、あっという間に硬いパンを齧り取ってしまう。

 

 やっぱり硬いものは、こっちの牙の方が食べやすい。

 

 そのまま口に含んだパンを咀嚼するけれど、口の中から響くのは、まるでドリルを鉄板にお見舞いしたかのような、金属音にも似た奇妙な音。中身は確かにふわふわしていて甘いんだけど、これが本当にパンなのだろうか。

 

 なんだか、本物の鉄球を食ってるみたいだ。

 

 ちょっとした酸味と甘みがする中身を硬い外側もろとも噛み砕き、アイスティー入りの水筒を手に取る。口の中のパンを飲み込んでからアイスティーを飲んでいると、パンを強引に噛み砕くのを見ていたナタリアやイリナたちが、ポカンとしながらこっちを見ていた。

 

「ん?」

 

「べ、便利な身体なのね…………」

 

「うー…………その牙、羨ましいなぁ…………。僕のももっと鋭かったら、楽に血が吸えそうなのに」

 

 いや、お前の牙がもっと鋭くなったら死んじゃうからね? それと、お前の食事は結構痛いんだからな? いつも首筋に穴が開くんだぞ?

 

 とりあえず、いちいちこの硬い部分を噛み砕くのは面倒なので、あとは柔らかい中身だけ取り出して食べよう。血液の比率を元に戻し、牙をいつもの”歯”に戻すと、こっちをじっと見つめていたイリナとナタリアが何故か残念そうな顔をする。

 

 な、なんだよ。

 

「すごい、牙が元の歯に戻った!」

 

「タクヤ、もう一度やってください! ステラも見てみたいのです!」

 

「お兄様、是非もう一度!」

 

「いや、ラウラもできるよ?」

 

「ふにゅー…………お姉ちゃんももう一回みたいなぁ♪」

 

「何で!?」

 

 お姉ちゃんもできるでしょ!?

 

 ナタリアはメンバーの中でもまともな奴だから、何とかしてくれないと思いつつ彼女の方を見たんだが…………どうやらナタリアも見てみたいらしく、水ですっかり崩れてしまった鉄球パンのお粥を携帯用のスプーンでゆっくりとかき混ぜながら、ちらちらとこっちを見ている。

 

 あ、あれ…………? ナタリア先生、助け舟は出してくれないの…………?

 

「な、ナタリアさん…………?」

 

「なっ、何よ?」

 

「もしかしてさ…………見たいの?」

 

「えっ? …………そ、そうね、さっきのはよく見てなかったら、もう一回見てあげてもいいわよ?」

 

 嘘つくなって。さっき間近で見てただろうが。

 

 よし、ちょっとからかってみるか。

 

 食べかけの鉄球パンを傍らに置き、片手で口元を隠しながら血液の比率を再び変更する。そしてお粥を口へと運びながらちらちらとこっちを見てくるナタリアの方を見つめてニヤリと笑ってから―――――――ドラゴンの牙へと変貌した自分の歯を晒した。

 

「ほら」

 

「ほ、本当にドラゴンの牙みたい…………!」

 

 さっき見てたくせに。

 

『こちらシュタージ。ドラゴン(ドラッヘ)、応答して』

 

 おっと、通信だ。

 

「こちらゴライアス。どうぞ」

 

『こっちの予測が外れたわ。大気流のレベルが急激に低下中。そろそろレベル1まで低下するわね』

 

「了解だ、では――――――――」

 

 そう言おうとしたところで、何度も耳にした大きな音が聞こえてきた。戦車に匹敵する重量の脂肪と肉と骨の塊が、脂肪だらけの太い足で大地を踏みつぶす音。それがもし遠ざかっていくのであれば、俺は通信の途中でいきなり喋るのを止めて耳を傾けることはなかっただろう。

 

 ―――――――近づいてくる。

 

 段々と音が大きくなっていき、振動も微かにオブイェークト279の車体まで伝わってくる。とはいえキメラの発達した五感でやっと察知できる程度で、常人ではまだ気づかないだろう。車内を見渡してみると、他の仲間たちはお粥の乗った皿を持ったまま、いきなり黙った俺を見て心配そうな表情を浮かべている。

 

 オイルとお粥の香りが混ざり合った狭い重戦車の中へ、微かに血の臭いと腐臭が入り込んでくる。

 

 くそ、せめて食事が終わるまではこんな臭いは嗅ぎたくなかった。食欲がなくなっちまうだろうが。

 

 自分の発達した嗅覚を恨みつつ、イリナと一旦席を代わってもらってペリスコープを覗き込んだ。シュタージの予測はやはり正確で、東西南北に展開しているドローンたちの観測通りに大気流の勢いは弱まりつつある。宙を慌ただしく舞う砂塵の濃度が薄まり、先ほどまでは砂嵐にも似た砂塵のカーテンに覆われていたネイリンゲンの街の残骸があらわになっていく。

 

 崩れ去った鍛冶屋の建物や傭兵ギルドの事務所。木造の建物は大半が吹っ飛び、辛うじて残った残骸には15年前に壊滅した際に刻まれた焦げ目がまだ残っている。

 

 その”惨劇の残滓”が連なる大通りだった道の向こうからやって来るのは――――――――戦車を一撃で叩き潰せそうな剛腕を持つ巨躯の群れ。口の中に生えている大きな牙には小さな肉片や血痕がびっしりと残っており、眼球の大きさは人間の頭よりもでかい。モスグリーンの皮膚に覆われた頭から伸びるのは、巨大な触手を思わせる無数の頭髪。

 

「トロールか…………」

 

 しかも3体。

 

 どうやら食事の最中というわけではないらしい。でっかい目でこの戦車を睨みつけながら、明らかに敵意を放ちつつ接近してきている。

 

 先ほどまでレベル4か5くらいの暴風があった筈だが、こいつらは無事だったのか?

 

 ネイリンゲンへとやってくる前に、偵察機が送ってくれていた映像でトロールが吹っ飛ばされていたのを思い出す。先ほどの暴風もそれと同規模だったのだから、こいつらも吹っ飛ばされていてもおかしくはない筈だ。

 

 やはり、どこかにあの暴風から身を守るためのシェルターがあるのだろう。しかもトロール共がこっちに接近してきた時間と風圧が低下したタイミングを考慮すると、そのシェルターはすぐ近くにあった可能性がある。

 

「逃げる?」

 

「無理だな。トロール共の動きは鈍重に見えるが、平均的な最高速度は62km/hだ。個体によってはそれ以上の速度で突っ走ってくるぞ」

 

 そう、トロールたちの突進はオブイェークト279最高速度を上回っているのである。

 

 テンプル騎士団で採用されているチョールヌイ・オリョールやT-90ならば置き去りにできる相手だが、このオブイェークト279はあくまでも冷戦の真っ只中に開発された旧式の戦車。速度でも新型の戦車には劣ってしまう。

 

 だからもし仮に追いかけっこをする羽目になったら、トロール共には追いつかれてしまう。

 

 くそ、エンジンもカスタマイズしておけば良かったな。今すぐカスタマイズできるだろうか?

 

 メニュー画面を開こうとしている俺の傍らで、砲手の座席に座るカノンが、砲塔の中に鎮座する自動装填装置をちらりと見た。もう既に130mm戦車砲の砲身には徹甲弾が装填してあるらしく、あとはカノンが照準を合わせて発砲するだけで、立ち塞がる敵は木っ端微塵になる。

 

「やってみせますわ」

 

「あー…………しょうがないな」

 

 あまり戦闘はしたくなかった。魔物共を刺激すれば、こんな廃墟の真っ只中で無数の魔物の相手をする羽目になりかねないからである。

 

 けれども、もう戦うしかなさそうだ。

 

 幸い視界はある程度良くなっているし、風圧も低下している。降車して戦っても問題はないだろう。

 

「イリナ、後は頼む」

 

「任せてっ! カノンちゃん、真ん中の奴からやるよ!」

 

「了解(ダー)!」

 

「ステラちゃん、タクヤたちが降りたら後退!」

 

「了解(ダー)!」

 

 はははっ、頼もしい車長だ。戦車(ゴライアス)は彼女に任せよう。

 

 砲塔の上にあるハッチを開け、まだ微かに砂塵が舞う廃墟の真っ只中へと踊り出す。車体の装甲を踏みつけてから、荒れ果てたネイリンゲンの大通りへと降り立つと同時に、素早く腰のホルダーに刺さっている対戦車手榴弾を引き抜いた。

 

 メインアームはPP-2000。使用する弾薬は一般的なハンドガンと同じく9mm弾であるため、あんなでっかい身体を持つトロールを倒すには火力不足である。

 

 そこで、ソ連製対戦車手榴弾の”RKG-3”をぶち込んでやるというわけだ。

 

 今では戦車の装甲が分厚くなった上に、その戦車を撃破するためのロケット弾がより強力になったため、射程距離が短い上に威力も足りない対戦車手榴弾は廃れてしまっている。

 

 しかし、俺たちがこれから戦うトロールは堅牢な外殻を持っているわけではない。身体を覆っているのは、モスグリーンの皮膚と大量の脂肪だ。ロケットランチャーと比べれば威力不足かもしれないが、それよりもサイズが小さくて携行し易い兵器だ。それに相手は戦車ほどの防御力を持っていないため、こいつでも十分なのだ。

 

「ナタリア、安全装置(セーフティ)の解除とコッキングレバーを忘れるな」

 

「えっ? あ、ありがとう」

 

 さっき分解してた時に、安全装置(セーフティ)をかけてたからな。コッキングレバーもマガジンを装着してから操作していなかったから、安全装置(セーフティ)を解除したとしても発砲はできない。

 

 忠告通りに安全装置(セーフティ)を解除し、PP-2000のコッキングレバーを引くナタリア。彼女の隣で既に戦闘準備を終えたラウラに目配せしてから、安全ピンを引き抜く準備をしつつ近くの建物の中へと駆け込む。

 

 土埃とカビの臭いがする建物の中を突っ切り、反対側へと踊り出す。完全に砂塵まみれになったゴミ箱の上を飛び越えて狭い路地を駆け抜けていくと、段々とトロールの発する足音が大きくなっていった。

 

 息を殺しながら立ち止まり、ちらりと建物の影から大通りの方を確認する。ずしん、とでっかい足音を響かせながら進軍するトロールの上半身が、ゆっくりと味方の戦車の方へと進んでいくのが見える。

 

 幼少の頃に読んだ図鑑に、『トロールの聴覚はそれほど鋭くない』と記載されていたことを思い出し、それが本当であることを祈りながら、RKG-3の安全ピンを引き抜いた。そのまま足音を立てないようにトロールへと向けて突っ走っていく。

 

 近付き過ぎると踏み潰されてしまいそうだ。少し離れた位置から放り投げてやろう。

 

 とはいえ、いくらキメラの腕力でもこいつをトロールの顔面まで放り投げるのは不可能だ。腹にぶち込んだとしても、抉れるのは脂肪だけだろう。内臓や肋骨を傷つけて致命傷を与えることはできない。ならば―――――――ナタリアにはまた怒られるかもしれないが、狙う場所はある。

 

 トロールの側面から、戦力で突っ走ってトロールのすぐ目の前に飛び出す。いきなり足元に獲物が現れたことにびっくりしたのか、戦車に向かっていた3体のうち一丸右側にいたトロールは、まるで目の前にやってきたご馳走を見つけて喜ぶかのようにニヤリと笑うと、汚らしい指を俺に向かって伸ばしてくる。

 

 こいつと力比べをしたら十中八九負けるだろうな。いくら転生者でも、こんなでっかい魔物と力比べをして勝てる奴は少ない。勝てそうなのは、親父のようにレベルの高い転生者くらいだろう。

 

 だから俺たちは、小回りの良さをフル活用する。

 

 のろまなトロールに鷲掴みにされるよりも先に後ろへとジャンプし、巨大な手を回避した俺は―――――――安全ピンを引き抜いた対戦車手榴弾を、思い切り投擲した。

 

 まるでドラム缶をかなり小さくし、それに柄を取り付けたような形状のでっかい手榴弾は、ぐるぐると回転しながらトロールへと飛来していくかと思いきや、その最中に小さなパラシュートを吐き出す。やがて小型パラシュートの影響で回転が緩やかになっていき、最終的には殆ど回転しなくなってしまう。

 

 そして、対戦車手榴弾が少しずつ高度を落としていき――――――――太い両足の付け根にある息子の辺りに直撃し、通常の手榴弾を上回る大爆発を引き起こした!

 

『グオォォォォォォォォ!?』

 

「よし、やっぱりオスだったか!」

 

 ざまあみろ、くそったれ!

 

『ちょ、ちょっとタクヤ!?』

 

「なんだよ!?」

 

『い、今の見てたわよ!? あんた、何でそんなところばかり狙うのよ!? この変態ッ!!』

 

「だから、正々堂々戦ってどうするんだよ!?」

 

 フィエーニュの森で戦った時も、ナタリアにこんなこと言われたなぁ…………。なんだか懐かしい。

 

 対戦車手榴弾はやはり通用していたらしく、強烈な一撃で吹っ飛ばされた”息子跡地”を、でっかい両手で押さえつつ涙目になっているトロールにPP-2000の銃口を向けながら、俺は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 懲罰部隊のラウラ

 

タクヤ「ねえお姉ちゃん」

 

ラウラ「どうしたの?」

 

タクヤ「気になってたんだけど、懲罰部隊にいた頃ってさ…………発情期の衝動が来た時ってどうしてたの?」

 

ラウラ「ふにゅ?」

 

タクヤ「…………ま、まさか、他の男と…………ッ!?」

 

ラウラ「そんなことしないよ! 私がそういう事をする男の人はタクヤだけなのっ!」

 

タクヤ「よ、よかったぁ…………」

 

ラウラ「ええと、衝動が来ちゃった時は…………えへへっ、タクヤの事を考えながら自分の尻尾で――――――――」

 

タクヤ「!?」

 

 完

 

 



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前任者

 

 

「も、もう、何やってるの…………タクヤのバカ」

 

 ペリスコープからその光景を見ていたイリナは、微かに顔を赤くしながら溜息をついた。

 

 彼女がタクヤやラウラたちの仲間になったのは、彼らがシベリスブルク山脈を無事に越え、カルガニスタンへとやってきた後である。そのため彼らがそれ以前にどのようなダンジョンを調査してきたのかは、彼らの土産話でしか聞いたことがない。

 

 父であるリキヤ・ハヤカワやエミリア・ハヤカワとは真逆で、息子であるタクヤはどんな汚い手でも使う男だという事は、前々からナタリアから聞かされていたイリナ。少なくとも自分の目の前でそのような戦い方をした事は数回しかなかったため、いつの間にかタクヤがそういうことをする男だという事を忘れていたのかもしれない。

 

 もう一度溜息をつきつつ、今しがたタクヤの強烈な一撃で倒れ込んだトロールの様子を確認する。モスグリーンの皮膚の表面には、まるで海や川で水浴びでもしてきた直後のようにびっしりと脂汗が浮かんでおり、呼吸もすっかり荒くなってしまっている。それほど大きなダメージを受けたという事だ。すくなくとも、すぐには動けないであろう。

 

 そうなると、狙うべきなのは中央と左側から進撃してくるトロールのうちのどちらかだ。すでに中央のトロールを狙うように指示を出していたイリナは、自分の判断が間違っていなかったことを確認すると、素早く仲間の位置を確認する。

 

 タクヤは右側のトロールに9mm弾のフルオート射撃を撃ち込みつつ、彼を追い払うために振り回される剛腕をひたすら回避している。ナタリアはラウラと一緒に行動しており、2人で左側のトロールへと攻撃を仕掛けようとしていた。

 

 誰も、主砲の砲撃で巻き込まれる位置にいない。

 

(よし…………ッ!)

 

 やはり、自分の判断は合っていたと言える。

 

「主砲、発射!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 カノンが主砲の発射スイッチを押し――――――――狭い砲塔の中に自動装填装置と共に装備された、130mm戦車砲が火を噴いた。

 

 新型の戦車が採用している滑腔砲などと比べると、この戦車砲は攻撃力で大きく劣っていると言える。複合装甲ですら貫通するAPFSDSではなく、使用できるのは古めかしい徹甲弾や榴弾などだ。そのため、もし仮に新型の戦車と戦う羽目になれば、大口径の130mm戦車砲でも歯が立たないのは想像に難くない。

 

 しかし、相手が戦車でないのならば、十分すぎる火力と言えた。

 

 爆炎を纏いながら砲身から躍り出た徹甲弾が、獲物へと襲い掛かろうとするトロールへと疾走していく。陽炎と炎の残滓で自分の”足跡”を残しながら飛翔した徹甲弾は、これから自分が襲い掛かろうとしている獲物が、分厚い装甲と恐ろしい破壊力の戦車砲を兼ね備えた怪物であるという事を理解していない、”哀れな怪物”へと牙を剥く。

 

 カノンの正確な照準によって解き放たれた徹甲弾が着弾したのは、トロールの大きな胸板であった。

 

 柔らかい皮膚と脂肪をあっさりと抉り、あらゆる魔術や攻撃から身を守ってきた分厚い胸骨を容易く叩き割った徹甲弾は、未だにたっぷりと残っている運動エネルギーをフル活用して暴れまわり、ついにトロールの心臓へと襲い掛かった。

 

 内臓に砲弾を弾き飛ばせるほどの防御力があるわけがない。巨大な身体を持つ魔物でも、あくまでも防御力があるのは外殻や骨格などだ。内臓は非常に柔らかいという事は、人間と全く変わらない。

 

 心臓に牙を剥いた徹甲弾は、容易くトロールの巨大な心臓を抉り取ると、その破片を先端部にこびり付かせたまま背骨の一部を抉り、今度は背中の皮膚を突き破って外へと飛び出す。

 

 さすがに2回も分厚い骨に激突したせいで先端部は変形し、完全にひしゃげていた。運動エネルギーも使い果たしてしまった徹甲弾は、まるで運動エネルギーを失ったボールが地面に転がり落ちるように墜落し、倒壊した建物の瓦礫の上へと落下する。

 

 胸板に大穴を開けられた挙句、心臓まで抉り取られたトロールは――――――――白目になり、今まで数多の獲物を喰らってきた大きな口から鮮血を吐き出すと、風穴を大きな手で塞ごうとして足掻きながら、そのままネイリンゲンの大地の上へと崩れ落ちた。

 

「トロール、撃破!」

 

「ステラちゃん、一旦後退!」

 

「了解(ダー)!」

 

 ゆっくりとオブイェークト279を後退させつつ、イリナはもう一度左右のトロールを確認する。最初はこの戦車を狙っていたトロールはもう完全にラウラやタクヤの相手をすることに夢中になっており、戦車が動き出したことに気付いているトロールは1体もいない。

 

 念のため、イリナはハッチから顔を出して後方も確認した。たった今の砲撃でトロールを始末したのは喜ばしい事ではあるが、その凄まじい轟音で他の魔物を刺激し、包囲される危険性もある。タクヤがあのトロールたちを攻撃することをすぐに選択できなかったのは、それを恐れていたからなのだ。

 

 幸い、今のところは他の魔物たちが集まってくる気配はない。しかし、あまり時間をかけることも許されない状況である。戦闘が長引けば魔物たちに包囲される恐れがある上に、またあの大気流が活性化し、彼女たちに牙を剥くかもしれないのだから。

 

 タクヤの先制攻撃で致命傷を負ったトロールがゆっくりと起き上がろうとしつつ、剛腕で自分の周囲を薙ぎ払う。あんな剛腕で殴り飛ばされれば、どんなに頑丈な防具を身につけていたとしても木っ端微塵にされてしまうだろう。それゆえに、今の一撃でタクヤが木っ端微塵にされていないか心配になったイリナは、息を呑みながらそちらを注視してしまう。

 

 だが、あの身軽な少女のような容姿の少年がその程度で命を落とすとも思えなかった。案の定、舞い上がる土埃の中から見慣れた黒いコート姿の少年が姿を現し、立ち上がろうとするトロールのアキレス腱を2本のスペツナズ・ナイフで斬りつけている姿を目にしたイリナは、溜息をつきながら微笑んだ。

 

(あんなでっかい魔物にナイフで挑むなんて…………)

 

 しかし、タクヤもナイフの扱い方に秀でた兵士の1人だ。立派な大剣を持つ騎士が相手だったとしても、ナイフ一本で”解体”してしまう事だろう。

 

 彼は切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)なのだから。

 

 ラウラとナタリアの2人も、順調にトロールにダメージを与えているようだった。ナタリアもタクヤと同じようにPP-2000のフルオート射撃をトロールのアキレス腱へと撃ち込み、体勢を崩そうとしているのが見える。ラウラは倒壊しかけの建物の屋根の上を変幻自在に飛び回り、トロールをひたすら攪乱し続けている。

 

(キメラの運動神経って凄いなぁ…………)

 

 ジャンプ中に造作もなく宙返りし、着地すると同時に素早く移動するラウラ。そのまま屋根の上からジャンプして瓦礫の山の上に着地したかと思うと、トロールの顔面に9mm弾をお見舞いし、ナタリアが狙われないように攪乱しながら、今度は2階建ての半壊した建物の穴から部屋の中へ飛び込む。

 

 タクヤを凌ぐスピードである。

 

 砲撃で支援するべきだろうかと思ったイリナが、自動装填装置を操作して徹甲弾を装填するカノンに指示を出そうとしたその時だった。

 

『こちらシュタージ! ゴライアス、応答せよ!』

 

「こちらゴライアス。どうしたの?」

 

 今度はクランの声ではない。

 

『緊急事態だ…………! 気を付けろ、北東部の風圧が急上昇している。車外で作業中の隊員をすぐに収容せよ!』

 

「なっ…………!?」

 

『気圧上昇まであと15秒! 急げ、全員吹っ飛ばされるぞ!!』

 

「ちょっと待ってよ、外にはまだタクヤたちが――――――――」

 

 よりにもよって、トロールとの戦闘中なのだ。しかも肝心なオブイェークト279(ゴライアス)は、砲撃支援のためにトロールから距離を取っている状態である。ゆっくりと後退したとはいえ、少しでも仲間を巻き添えにしないために取った距離が仇になってしまった。

 

「ステラちゃん、急いで前進して!」

 

「分かってます!」

 

『風圧上昇まで10秒前!』

 

「くっ…………。みんな、急いで戦闘を中断して、こっちに戻って! 早く!」

 

『くそったれ、間に合わんぞ!? ナタリア、ラウラ、そっちは!?』

 

『ごめん、こっちも間に合いそうにない…………!』

 

「そんな…………!」

 

 あまりにも急すぎる。

 

 イリナは今すぐ無線機のマイクを鷲掴みにし、いきなりこんな報告をしてきたオペレーターを怒鳴りつけてやりたかった。事前に気圧の上昇をドローンからのデータで予測し、素早く報告するのが彼らの役目である。今の報告は遅すぎるとしか言いようがなかったが、全く環境が変わってしまったダンジョンの気候を予測するのがどれだけ難しい事なのかも理解はしている。だからイリナは歯を食いしばり、仲間たちを無事に収容できるように祈り続けた。

 

 戦闘を強引に中断したラウラとナタリアたちが、屋根の上や倒壊した建物の瓦礫の上を走っているのが見える。反対側からはタクヤも戦車へと戻ってくる姿が見えたが―――――――キューポラの外を舞う砂塵の壁が一気に分厚くなったかと思った瞬間、猛烈な風圧が生んだ砂塵の濁流が、キューポラの外に広がる全ての存在を押し流していた。

 

 戦車の装甲に砂塵や小石がぶつかり、奇妙な音を奏でる。

 

 その音を聴きながら、イリナは目を見開いていた。

 

 目の前で、仲間たちの姿が見えなくなってしまったのだから。

 

「そんな…………」

 

 先ほど戦車砲で胸板を貫かれたトロールの死体が、まるで濁流に巻き込まれた流木のように押し流されていく。あれほどの体重を持つトロールですら容易く吹き飛ばされてしまうほどの猛烈な風なのだ。大気流に吹き飛ばされないような構造になっているオブイェークト279であれば心配はないが、人間がこんな風の中へと放り出されればどうなるのかは想像に難くない。

 

「―――――――嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 砂塵に覆われたキューポラの外を見つめながら、イリナは絶叫していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に、懐かしい光景が何度もフラッシュバックする。

 

 生まれたばかりの俺の顔を覗き込む親父や母さんの顔。図鑑を読み始めた幼い俺を褒めてくれた母さんやエリスさん。小さなベッドの隣で眠る、まだ幼いラウラの顔。

 

 全て、ネイリンゲンに住んでいた頃の思い出だ。

 

 もう少しこの思い出を見ていたいと思ったが―――――――身体中に感じる凄まじい激痛が、強引にそのフラッシュバックを引き裂く。

 

 そういえば、俺はさっきまで何をしていたんだっけ…………?

 

 瞼を開けながら、片手で頭を押さえる。額の表面は暖かくてぬるりとした鉄の匂いがする液体で覆われていて、そこに手で触れるとやけにしみる。傷口が開いちまったのか?

 

 手を離してみると、やはり手のひらには血が付着していた。ただ切り裂いたくらいならばエリクサーを使う必要はないだろうと高を括っていたが、出血量がやけに多い。身体を動かそうとすると頭がくらくらする。

 

 くそ、エリクサーはどこだっけ…………?

 

 エリクサーで回復するために、コートについている短いマントの内側にあるホルダーを確認しようとしたその時、自分の足が見えた。

 

 右足は、ズボンが傷だらけになっていることを除けばいつも通りだ。きっとズボンの下にある足も傷だらけだろうなと思いながら、左足の方をちらりと見る。

 

 膝の辺りがやけに真っ赤になっていて―――――――逆方向に、曲がっていた。

 

 普通の足なら、後ろへと簡単に曲がる筈だ。しかし俺の左足は微かに前へと曲がっており、力が全く入らない。というか、力を入れようとすると激痛がする。

 

「うわ、折れてるのか…………?」

 

 最悪だ。いくらキメラでも、片足の骨が折れている状態では立ち歩けない。けれども、モリガン・カンパニー製のヒーリング・エリクサーがあれば、骨折していたとしても数秒で元通りになる。さすがに失った手足を再び生やすことはできないが、瞬時に傷口を塞ぐことができる優秀なアイテムであるため、今では冒険者や傭兵だけでなく、魔物と戦う騎士団でも必需品と言われるほどである。

 

 吸血鬼並みの疑似的な再生能力を手にすることができるのだから。

 

 だが―――――――マントの内側にあるホルダーを探っていた指に触れたのは、ホルダーの中に納まっている試験管にも似た容器の感触ではなく、割れたガラスの断面に触れたような、鋭い感触だった。

 

 いつも5本程度のヒーリング・エリクサーの容器が収まっているホルダーを順番に探っていくが、どれも同じだった。つるりとしたガラスの感触ではなく、割れたガラスの断面にも似た、力を込めて指を押し付ければ皮膚が切れてしまいそうな感触である。

 

 くそったれ、吹っ飛ばされた衝撃で割れたのか…………!

 

 エリクサーは頼りになる回復アイテムだけど、この容器の耐久性だけは文句を言いたい。確かにあんな風圧で吹っ飛ばされ、どこかの廃墟の壁に叩きつけられる衝撃は想定していないのかもしれないが、もう少し耐久性を上げてほしいものだ。ガラスじゃなくてもいいから、もう少し壊れにくい容器にしてくれという意見を本社に送ったら、フィオナちゃんは対策を考えてくれるだろうか?

 

 というか、ここはどこだ…………? ラウラとナタリアは?

 

 周囲を見渡してみるが、どうやら俺は運良く建物の中へと吹っ飛ばされたらしい。あの大気流で吹っ飛ばされ、そのままどこかの建物の窓の中へと突っ込む羽目になったんだろう。土埃が舞う建物の中にはすっかり古くなった木製の樽が乱立しており、その中からはどろりとした奇妙な液体が漏れ出しているのが見える。

 

 悪臭しかしない場所だが、その液体からは微かにアルコールの匂いがする。ここはワインの倉庫だったんだろうか?

 

 ちらりと外を見てみるが、気流の勢いも弱まっているようだ。この折れた脚さえ何とかなれば、脱出は簡単だろう。

 

 エリクサーが使えないのならば、治療魔術を使うしかない。

 

 一応、このような重傷を負った場合にも応急処置くらいはできるように、俺は”ヒーリング・フレイム”という回復用の魔術を習得している。光属性の炎を使って治療する魔術で、ヒールよりも傷口を治療し易いという長所があるのだが、ちょっとばかり詠唱が必要だ。しかも俺の場合は体内の魔力の一部を光属性に変換し直さなければならないため、詠唱はさらに長引く上に効果も若干落ちてしまう。

 

 体内に変換済みの魔力があるおかげで、詠唱せずに魔術を使えるのは魅力的だ。だが、何かしらの属性にのみ特化しているせいで汎用性は極めて低く、別の属性の魔術を使う際はただの足枷に過ぎない。

 

 だが、このまま足が折れた状態で座っているよりはマシだ。

 

 手を折れた左足に手のひらを近づけ、詠唱を始めようとしたその時だった。

 

 倉庫の扉が軋むような音がしたかと思うと、背の小さな人影の群れが、倉庫の中へと入り込んできたのである。ナタリアとラウラが助けに来てくれたのかと思ったが、もし仮に助けに来てくれたのならば2人だけの筈だ。しかし倉庫に入り込んできた人影は、明らかに5人以上いる。戦車にいるイリナやカノンたちが加わったとしても、それよりも人数が多い。

 

 それに、全員やけに背が小さいし、唸り声も上げている。中にはその辺で拾ったのか、木製の棍棒を手にしている奴も紛れ込んでいて、倉庫の中に座り込んでいるこっちを睨みつけながら棍棒を振り回し始めた。

 

 頭髪は見当たらない。人間の半分くらいの伸長で、皮膚はダークグリーンの皮膚に覆われている。唸り声を発する口の中には猛獣を思わせる鋭い牙が何本も生えていて、口元はよだれで濡れていた。

 

 くそ、ゴブリン共か…………!

 

 慌ててPP-2000を引き抜こうとしたのか、さっきの暴風でどこかへと吹っ飛ばされたのか、ホルスターの中に見当たらない。舌打ちをしてから代わりにPL-14をホルスターの中から引き抜き、安全装置(セーフティ)を解除してからサプレッサーを取り外す。

 

 サプレッサーがなければでっかい銃声が轟く羽目になる。そうすれば魔物たちを刺激し、数多くの魔物がここに集まってくるリスクがあるが、運が良ければこの銃声に気付いたナタリアとラウラが助けに来てくれるかもしれない。それに、もし仮に彼女たちが俺を見捨てて逃げることを選択したとしても、魔物を刺激してここに集中させれば囮にはなれるだろう。

 

 できれば前者がいいけどね…………。

 

 ライト付きのハンドガンを構え、棍棒を振り回しているバカに9mm弾をお見舞いする。スライドが後方へとブローバックし、微かに煙を纏った小さな薬莢を排出した頃には、銃口から飛び出した1発の弾丸がゴブリンの眉間を直撃し、人間よりも小さな脳味噌を木っ端微塵にしているところだった。

 

 がくん、と頭を大きく後ろへ突き飛ばされたゴブリンが、風穴から鮮血を吹き出して崩れ落ちる。いきなり仲間を殺された事と銃声に驚愕したゴブリンたちがこっちを睨みつけて警戒し始めるが、警戒しても意味はない。

 

 こっちは狙いを定めて、トリガーを引くだけでいいのだから。

 

 続けざまに照準を合わせ、鍛冶屋の廃墟から拝借してきたと思われる錆だらけの盾と剣を持っていたゴブリンに9mm弾を叩き込む。同じように眉間に命中し、2体目のゴブリンが床へと崩れ落ちると、他のゴブリンたちはこのまま警戒していても無意味だという事を悟ったのか――――――――甲高い咆哮を発し、一斉に襲い掛かってきやがった!

 

「くそ!」

 

 立て続けにPL-14を連射してゴブリン共を血祭りにあげていくが、早くも今の銃声で刺激された他のゴブリンたちが、ぞろぞろと倉庫の入り口から入り込んできやがる!

 

 瞬く間に弾丸をうち尽くしてしまったPL-14からマガジンを取り外し、尻尾を使って新しいマガジンを装着しつつ、左手をコートの内ポケットの中へと伸ばす。その中に納まっていた”もう1つの得物”を掴み取ると、素早く安全装置(セーフティ)を解除して銃口をゴブリン共へと向けた。

 

 傍から見ると、その銃はマカロフに似ている。がっちりしたPL-14と比べると非常に小さく、威力も貧弱そうに見えてしまうものの、ハンドガンの中でも凄まじい貫通力を誇る銃なのである。

 

 内ポケットの中に持っていたその銃は、ソ連製ハンドガンの『PSM』と呼ばれる代物だ。一般的な9mm弾ではなく、銃と同様に小型化された5.45×18mm弾を使用する。

 

 テンプル騎士団でもシュタージのエージェントやスペツナズの兵士たちに護身用のハンドガンとして支給している。もちろん俺もヴリシアの戦いの後から持ち歩いていたのだが、実戦でこいつを引き抜く羽目になったのは初めてだ。

 

 もし戦闘中にメインアームとサイドアームを紛失する羽目になったとしても、最低でも敵兵を始末し、その敵兵から装備を鹵獲して戦闘を継続できるように非常用の武器も携行するようにしている。

 

 右手と尻尾を使ってPL-14を再装填(リロード)している間に、左手でPSMをぶっ放す。やはり小型の弾丸を使うため反動が小さいのだが、命中した弾丸はしっかりとゴブリンの胸骨や頭蓋骨を貫通しているのが分かる。防御力は人間と殆ど変わらないゴブリンにも効果があるのであれば、問題はない。

 

 そして右手のPL-14でも射撃を再開するが――――――――入り口からはぞろぞろとゴブリンが入り込んできて、呻き声を上げているのが見える。

 

 くそったれ、まさかダンジョンにいるすべてのゴブリンが集まってるわけじゃねえよな!?

 

 冗談じゃない。サプレッサーを外したのが仇になった…………。

 

 このまま弾切れになれば、間違いなくゴブリン共に食い殺される羽目になる。しかもこっちは片足が折れているせいで身動きができないため、ほとんど抵抗できない。

 

 ちらりとC4爆弾の収まったポーチを見ながら、いっそのこと自爆してしまおうかと思ってしまう。確かにゴブリン共に食い殺されたり、俺を女だと勘違いしたバカに犯されるよりは爆死した方がはるかにマシだ。けれども、俺が死ねば仲間たちが悲しむだろうし、俺が生産した武器や兵器もすべて消滅する羽目になる。

 

 転生者が死亡すると、端末は機能をすべて停止してしまうのだ。そのため転生者が装備していたものも消滅するため、それを装備している仲間たちは強制的に丸腰になってしまう。

 

 きっと”第二世代型”の俺でも同じだろう。

 

 つまり、死ぬことは許されない。

 

 足掻けってことか。くそったれ。

 

「死んでたまるか」

 

 呟きながら、PSMの再装填(リロード)を開始。その間に右手のPL-14でちょっとした弾幕を張り、ゴブリン共を蜂の巣にしていくが、このままではゴブリンを殲滅する前に弾が切れてしまう。

 

 一応コリブリもあるが、9mm弾や5.45mm弾と比べると殺傷力はかなり劣る。下手したら1体のゴブリンをぶち殺すために全ての弾丸を叩き込まなければならなくなるかもしれない。

 

 焦りながらPL-14とPSMを連射し、迫りくるゴブリンたちを迎え撃ち続けていると――――――――ズドン、と勇ましい銃声が轟くと同時に、倉庫の入り口で呻き声を上げていた最後尾のゴブリンの上顎から上が吹っ飛び、床に脳味噌の破片を巻き散らして絶命した。

 

「…………!?」

 

 ラウラか?

 

 でも、彼女に支給したのはPP-2000とPL-14くらいだ。あのようにゴブリンの上顎を吹っ飛ばせる威力のある武器を渡した覚えはない。

 

 いきなり最後尾の仲間が殺されるとは思っていなかったらしく、身動きの取れない獲物へと殺到していたゴブリンたちが、一斉に入口の方を振り向いて唸り声を発する。食事を邪魔するなと言わんばかりに乱入者へと敵意を向け始めたのだが――――――――それを無視するかのように、もう1発の弾丸が俺のすぐ近くにいたゴブリンのこめかみを撃ち抜いた。

 

 頭蓋骨を容易く粉砕し、脳を圧倒的な運動エネルギーで攪拌して、また反対側の頭蓋骨を造作もなく突き破って飛び出していく1発の弾丸。これほどの貫通力を持つのは、明らかに拳銃用の弾丸ではない。アサルトライフルやマークスマンライフルで使用されるような弾丸や、更に大きいスナイパーライフル用の弾丸に違いない。

 

 すると、倉庫の入り口からその弾丸を放った張本人が姿を現した。

 

 カーキ色のコートに身を包み、頭には帽子をそのまま金属製にしたような形状の、”ブロディ・ヘルメット”と呼ばれるイギリス軍やカナダ軍が昔に採用していたヘルメットをかぶった男だ。ヘルメットの下からはエルフの特徴でもある長い耳が伸びており、すらりとした手に持っているのは、イギリス軍がかつて採用していたボルトアクションライフルのリー・エンフィールドを持っている。

 

 親父が狩りに使っていたライフルの1つだ…………。俺も幼少の頃に持たせてもらったことがある。

 

 まるで大昔のイギリス軍の兵士みたいな恰好をしたエルフの男は、素早くボルトハンドルを引いて薬莢を排出すると、立て続けに密集しているゴブリンへと強烈なライフル弾を連続でたたき込み始める。リー・エンフィールドは第一次世界大戦から使われていた旧式の銃ではあるものの、素早くボルトハンドルを操作できるため連射速度が他のボルトアクションライフルよりも速いという利点があり、更に10発も弾丸を装填できるため、さすがにセミオートマチック式の銃には劣るものの、このような連続射撃には向いているのだ。

 

 しかもぶっ放すのは強烈な.303ブリティッシュ弾である。

 

 ゴブリンの後頭部を貫通した.303ブリティッシュ弾が、今度はそのゴブリンの後ろにいた別のゴブリンの胸板に牙を剥く。微かにひしゃげた弾丸がそのまま胸板へと飛び込んで胸骨を粉砕し、ゴブリンの小さな心臓を蹂躙すると、背骨を叩き折って背中から完全にひしゃげた状態で飛び出して、床の上に落下した。

 

 さすがに弾切れになったのか、ぴたりと獰猛なリー・エンフィールドの連続射撃が止まってしまう。その隙に襲い掛かろうとするゴブリンの群れだが――――――――そのイギリス兵みたいなエルフの男は、腰から白兵戦用の得物を引き抜いた。

 

 その得物は――――――――まるでどこかの工場からそのまま拝借してきたかのような、武骨な鉄パイプだった。

 

「あれは…………」

 

 ちょっと待て。まさか、あいつはあの鉄パイプ野郎か…………?

 

 歯を食いしばりながら豪快に鉄パイプを振るい、ゴブリンたちを蹂躙するエルフの男の顔つきは、確かにテンプル騎士団の一員である鉄パイプ野郎の顔だ。命令を無視して出撃したり、転生者を銃ではなく鉄パイプで撲殺する戦果をあげた兵士であり、ヴリシアへと遠征した際はいつもの鉄パイプで塹壕の中の敵兵を蹂躙していたという。

 

 兵士たちの中では有名な男だが――――――――本名を知る者は誰もいない上に、いったいどこからやってきた男なのかも不明という、ミステリアスなところもある変わった男である。

 

 でも、なんで鉄パイプ野郎がここにいる? 出撃命令を出した覚えはないし、あいつにリー・エンフィールドを支給した覚えはないぞ…………?

 

『ギエッ――――――――!』

 

「!」

 

 最後のゴブリンを鉄パイプで殴り倒したエルフが、ゆっくりとこっちにやって来る。腰のポーチの中からエリクサーを取り出した鉄パイプ野郎は、「もう大丈夫だ」と言いながらそれを俺に差し出すと、弾切れになったリー・エンフィールドのボルトハンドルを引き、クリップで.303ブリティッシュ弾を装填し始めた。

 

 ありがたくエリクサーを使わせてもらい、左足の骨折を治療する。前へと曲がっていた足がどんどん元通りになっていき、やがて激痛も消え去っていく。

 

「ありがとう、助かったよ。…………でも、どうしてここに? それに、お前にリー・エンフィールドを持たせた覚えは――――――――」

 

 鉄パイプ野郎は俺が喋っている間に、ポケットの中から何かを取り出した。

 

 彼の白い手に握られながら顔を出したのは――――――――転生者に与えられる、あの端末だった。

 

 しかもどうやら殺した転生者から奪ったものではないらしく、画面にはメニュー画面が表示されているのが見える。まだしっかり機能しているという事は生きている転生者から奪ったのか、それともこいつ自信の端末であるという事になる。

 

 でも、こいつはエルフだろ? 転生者であるわけがない…………!

 

「お、お前…………」

 

「―――――――私の名は”スティーブン”。偽名だがな。…………昔は商人だったんだが、その時に若き日の君の父親にも会ったよ」

 

「スティーブン…………?」

 

 すると、目の前にいるエルフの男は片手で自分の顔に触れた。まだ20代前半の男にも見える若々しくてすらりとした顔が、その直後にはがっちりとした中年の男性の顔へと変貌していた。変装していたわけではないだろう。幻覚かと思ったが、魔力の反応は全くなかった。

 

 端末を持っていたという事は、転生者の能力の1つなのだろう。おそらく、自分の姿を変えたり、変装することができる能力に違いない。

 

 しかもその中年の男性のような顔は――――――――よく見ると、俺とラウラの親父にそっくりだった。

 

「親父…………!?」

 

 けれども、髪は黒いままだし、ブロディ・ヘルメットを静かに外した彼の頭からは角は伸びていない。親父の髪の色は赤で、戦闘があった後にはキメラの特徴でもある角が伸びている筈だから、角が見当たらないという事はキメラではないという事になる。

 

 つまりこの親父にそっくりな男は、親父ではない。

 

 ふ、双子の兄弟か…………? でも、俺の親父より年上みたいだ。

 

「あんた、何者だ…………?」

 

「私は――――――――かつて”魔王”と呼ばれていた男だよ。君の父の”前任者”と言うべきかな」

 

 親父にそっくりな顔の男はそう言いながら微笑むと、俺の顔を見つめながら言った。

 

「―――――――私の名は、”速河力也”だ」

 

 

 

 



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世界の仕組み

 

 

「は…………?」

 

 わけが分からない。

 

 目の前に立っている親父にそっくりな男の顔を見つめながら、俺は目を見開いて困惑していた。

 

 同姓同名なのか? でも、顔つきは確かにそっくりだ。歳は親父よりもちょっと年上かもしれない。けれども、俺たちの父親だと言われても違和感を感じないほどではない。俺たちの親父は一番最初のキメラであり、赤毛の中からダガーを彷彿とさせる鋭い角が生えている化け物だからだ。けれども目の前で俺たちの親父と同じ名前を名乗った男性に角は生えておらず、髪の色も黒。ごく普通の人間にしか見えない。

 

「ま、待ってくれ…………どういうことだ? 同姓同名なのか…………?」

 

「いや……そういうわけではないのだが――――――――」

 

 クリップを使ってリー・エンフィールドに.303ブリティッシュ弾を装填し終えた”力也”は、倉庫の入口の方を睨みつけた。どうして彼がそちらを睨みつけたのかは、俺もすぐに理解できた。後続のゴブリンの群れがここに迫っているらしく、強烈なゴブリン共のよだれの臭いが外から漂ってくる。

 

「―――――――ついてきなさい。ここではゆっくり話ができん」

 

「あ、ああ」

 

 さっきこの人からエリクサーを貰ったおかげで、折れていた左足も完治している。これならば移動に支障はないだろう。

 

 さすがにサイドアームだけでは魔物と遭遇した際に乗り切れる自信がないので、メニュー画面を開いてAK-12を装備しておく。グレネードランチャーに加え、アメリカ製のホロサイトとブースターを装備したお気に入りのライフルを装備してメニュー画面を閉じると、それを見ていた”力也”が口笛を吹いた。

 

「随分とハイテクだね。SFみたいだ」

 

「そりゃどうも」

 

 はっきり言うと、俺は端末よりもこっちの方がいいと思っている。端末だと紛失する恐れがあるし、身につけていなければステータスが一気に下降してしまうという欠点があるからな。けれどもこの方式なら紛失はありえないし、デザインもこっちの方がカッコいい。

 

 セレクターレバーをフルオートに切り替え、前を進む力也(スティーブン)の後について行く。彼の持つリー・エンフィールドは、よく見るとかなり使い込まれている代物らしく、銃床には傷がいくつもついている。

 

 先ほどゴブリンの群れをこいつで一掃した時も、使い慣れていなければありえないほどの連射速度でボルトアクションライフルをぶっ放していた。いくら連射し易いライフルとはいえ、使い慣れていなければあんなセミオート射撃みたいな速度でぶっ放すのは不可能だ。

 

 銃を構えながら倉庫の壁の穴から飛び出し、狭い路地に魔物がいないか確認する。俺も”彼(スティーブン)”の死角へと銃を向けて警戒し、戦闘を進む力也(スティーブン)をサポートする。

 

 どうやら接近していた魔物どもは、今しがた倉庫の中でぶち殺したゴブリンたちの死体に夢中らしい。

 

 魔物の中には共食いをする奴らもいるが、基本的に魔物にとって”格下”の奴らは”餌”でしかないのだ。おそらく接近していた魔物の中にゴブリンよりも強い別の魔物が紛れ込んでいたのだろう。今しがた後にした倉庫の壁の向こうからは、床にぶちまけられた肉片を咀嚼するグロテスクな音が聞こえてくる。

 

「こっちだ」

 

 砂塵が舞う中でも、”力也”は素早く移動する。周囲に魔物がいないか確認してから素早く通りを横断し、壊れかけの樽の影でこっちに合図を送ってくる。念のため俺も周囲を確認してから通りを横断して彼に合流すると、力也は近くの建物の扉を開け、中へと飛び込んだ。

 

 ライフルを路地へと向けて警戒しつつ、俺も建物の中へと飛び込む。傍らに転がっていた木材を使って扉を固定してから後ろを振り向くと同時に、猛烈なカビの臭いが鼻孔へと襲い掛かってきた。

 

 どうやらここは、かつては酒場だったらしい。テーブルや椅子は大気流の影響ですっかり木っ端微塵になって床に転がっているものの、辛うじてカウンターは残っている。その後ろにある棚には酒瓶が並んでいたようだが、やはり今ではほぼ全て吹っ飛ばされ、床にぶちまけられているようだ。

 

 力也はそのカウンターの向こうへと進んでいくと、割れた酒瓶の破片が散乱している床の上を進み、カウンターの向こうにある扉を開けた。どうやら店の地下へと続いているらしく、石で作られた古めかしい階段がゆっくりと左へ曲がりながら、下へと続いている。

 

「待ってくれ、ナタリアとラウラは?」

 

「可愛らしいお嬢さんだったら、2人とももう私が保護している。この先だ」

 

 よ、よかった…………。あの2人は、どうやらもうこの人が保護してくれているらしい。

 

 俺だけここに逃げ込むわけにはいかないからな。もし仮に彼が保護してくれていなかったら、反対を押し切って助けに行くつもりだったし。

 

 階段を下りる前に、念のため下からラウラとナタリアの匂いがしないか確認しておく。俺の嗅覚はラウラよりも発達しているらしく、何も見えない状況でも正確に敵の匂いを探知したり、仲間の匂いを探知することができるのだ。

 

 ―――――――確かに、何度も嗅いだ甘い匂いがする。ラウラとナタリアの匂いだ。

 

 安心してAK-12を背中に背負い、力也の後について行く。彼もリー・エンフィールドを背中に背負い、頭にかぶっていたブロディ・ヘルメットを取ると、息を吐きながら階段を駆け下りた。

 

 そして階段の奥にあった扉を開け、地下室へと足を踏み入れる。

 

「う…………」

 

 長年放置されていた建物の1階があれほどカビの臭いで蹂躙されていたのだから、地下室はもっと凄まじいだろうとは思っていた。案の定、俺たちを待ち受けていたのは、先ほど嗅ぐ羽目になったカビの臭いよりも濃密な臭いと、宙を舞う埃の群れである。

 

 あの惨劇が起こった時からずっと放置されていた地下室の中には、おそらくワインの入っていると思われるでっかい樽や、客に出す料理に使う食材が入っている木箱が並んだ棚が埃まみれになって鎮座していた。15年間もずっと放置されていたのだから、食材の入った木箱の中からは猛烈な腐臭が漏れ出しており、カビの臭いと融合したそれは凄まじい悪臭へと変貌して俺の鼻孔を蹂躙してくる。

 

 できれば今すぐに換気し、あの腐った食材入りの木箱を外へとぶん投げたい気分だ。

 

 その地下室の中で、2人の少女が眠っていた。

 

 片方は黒い制服に身を包んだ赤毛の少女で、紅いラインの入った黒いリボンで髪をツーサイドアップにしている。お気に入りのベレー帽は吹っ飛ばされてしまったのか、頭から生えているダガーのような角があらわになっており、ルビーのような色になっている先端部が微かに煌いているのが分かる。ミニスカートの中から伸びているのはドラゴンのような鱗に覆われた尻尾だ。

 

 その隣で眠っているのは、同じく黒い制服に身を包んだ金髪の少女。俺たちの仲間になった時から髪型は殆ど変えておらず、今もツインテールのままである。やはり彼女もあの暴風でいつもかぶっていた規格帽を吹っ飛ばされていたらしく、特徴的な金髪があらわになっていた。

 

「ラウラ……ナタリア…………!」

 

「安心したまえ。助けた時は2人とも重傷だったが、手持ちのエリクサーで何とか治療できた」

 

「ありがとう…………いつか恩は絶対返します」

 

 そう言うと、俺たちを助けてくれた命の恩人は腰に吊るしていたランタンに灯りをつけながら微笑んだ。そのランタンを近くの棚の上に置き、埃まみれの床の上に腰を下ろす。

 

「ふにゅ…………」

 

「ん…………あれ、タクヤ…………?」

 

「おい、大丈夫か?」

 

 彼が腰を下ろすと同時に、気を失っていたラウラとナタリアがゆっくりと瞼を開けた。いきなり鼻孔へと流れ込んだカビ臭い空気のせいなのか、少しばかり咳き込みながら周囲を見渡すラウラとナタリア。力也がエリクサーで治療してくれたおかげで傷は全く見当たらないが、保護した時は2人とも重傷を負っていたらしい。

 

 2人は俺の顔を見て安心したようだけど――――――――すぐ近くに腰を下ろし、水筒の中に入っている飲み物を飲んで一息ついている男を目にした瞬間、やはりぎょっとしたようだ。

 

 そこに座っていたのは、俺たちの親父にそっくりな謎の男だったのだから。

 

「ふにゃあっ!? ぱ、パパ!?」

 

「よっ、傭兵さん!?」

 

「あー…………いや、あの人は違う」

 

 せ、説明した方がいいよね。俺も未だに混乱してるんだけど。

 

「…………こ、混乱するかもしれないけどさ、あの人は…………て、鉄パイプ野郎なんだ」

 

「えっ?」

 

「ふにゅ? あの鉄パイプ持ってたエルフさん?」

 

 すると、ニヤニヤと笑いながら力也が血まみれの鉄パイプを床の上に置いた。まだバルブや圧力計らしきものがついている鉄パイプの表面には、これで撲殺されたゴブリンの肉片や千切れた皮膚の一部が付着しており、随分と禍々しい得物と化している。

 

 どうしてテンプル騎士団の兵士たちは、こういう鈍器を好むのだろうか。騎士じゃないじゃん。

 

「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 やっぱりこの2人も混乱したか…………。

 

「ここなら魔物が入り込んでくる心配はない。聞きたいことがあるなら何でも聞きたまえ」

 

「ええと、あなたの正体はパパだったの!?」

 

「はっはっはっはっ。こんな可愛らしい女の子を娘にできたら幸せ者だね。あ、紅茶飲む? スコーンもあるよ?」

 

「ど、どうも…………」

 

 な、何で持ち歩いてるんだよ…………。俺も戦車の中に紅茶とスコーンを持ち込むことは多々あるけど、さすがにスコーンまで常に持ち歩いてるわけじゃないぞ?

 

 そう言いながら、力也は革の袋―――――――おそらく魔物の素材を加工したものだろう―――――――を取り出し、床を覆っている埃を少しばかり掃除してからそれを広げた。

 

 彼の持っている予備の水筒も渡されたのだが、はっきり言うと今は呑気にアフタヌーンティーを楽しむ気分にはなれない。

 

 まだこの男の正体を聞いていないのだから。

 

「ところで…………あなたは何者なんです? 親父と全く同じ名前で、顔つきも似てるということは…………ただ単に同姓同名というわけではないですよね?」

 

「そうだね…………さっきもタクヤ君には言ったけど、私の名は”速河力也”。君たちの父親と同じ名前だ」

 

「名前まで同じ…………!」

 

 この人の名前を聞いたのは俺だけだったか。

 

「ど、どういうこと!?」

 

「同一人物というわけでは…………ないですよね?」

 

「同一人物か…………」

 

 力也は自分の水筒の中に入っている紅茶を飲み、革の袋の上にどっさりと乗っているスコーンに手を伸ばした。スコーンを噛み砕いてから再び紅茶を飲んだ彼は、目を細めながら話し始める。

 

「―――――――確かに、同一人物と呼べるかもしれん」

 

「「「!?」」」

 

 …………どういうことだ?

 

 ありえないだろ? 同一人物ってことは、今頃モリガン・カンパニーの本社でデスクワークをやってるはずの親父が、大昔のイギリス軍の兵士みたいな恰好をして目の前にいるってことになるんだぞ…………?

 

 それにこの人は、親父と比べるとかなり口調が違う。親父は粗暴な口調が多いが、この人は随分と紳士的だ。

 

「混乱するかもしれないし、信じられない話かもしれないが聞いてくれ。…………正確に言うと、私は君たちの父親とは違う世界からやってきた”速河力也”なんだ」

 

「ち、違う世界…………?」

 

「そう。”パラレルワールド”だよ」

 

 パラレルワールド…………?

 

「そんなバカな…………」

 

 もう一度スコーンに手を伸ばしてから、彼は息を吐いた。

 

「…………この世界に無数の転生者が送り込まれているのは知っているだろう? 君たちが討伐している連中だ。彼らは…………死亡した人間の中から無作為に選ばれている。事故で死んだ奴や、殺人鬼に殺された可哀そうな奴らがな。もちろん病死した奴もいるだろう」

 

 事故か…………。

 

 そういえば、俺の死因も事故だったな。修学旅行に向かっていた俺たちが乗った飛行機のエンジンがいきなり火を噴いて、飛行機が傾いたかと思うと、そのまま回転しながら地上へと墜落していったんだ…………。

 

 久しぶりに自分の”死因”と向き合ったような気がする。

 

「けれども、その中でも”リキヤ”と呼ばれる転生者は特別な存在だ」

 

「特別な存在?」

 

 ナタリアが聞き返すと、親父にそっくりな顔の男は頷いた。

 

 俺たちの親父もリキヤだし、この男の名前もリキヤだ。ということは、ここにいる命の恩人と、本社でデスクワークをしているあの男は特別な転生者という事なのだろうか。

 

「この世界は、遥か昔から滅亡するほどの危機が訪れると、異世界から”勇者”と呼ばれる者を召喚する仕組みになっている。例えば…………レリエルがこの世界を支配した時や、ガルゴニスが人類に反旗を翻したあの反乱のような規模の危機だ。そういう時に、異世界から勇者が召喚される仕組みになっている」

 

 どちらも聞いたことがある物語だ。レリエルはこの世界を支配し、ガルゴニスは人類に誇り高いドラゴンが使役されることを拒み、世界中のドラゴンを率いて反乱を起こした。けれども、レリエルは神々が送り込んだと言われている大天使によって封印され、ガルゴニスも当時の勇者によって封印された。

 

 その勇者が、異世界から召喚された勇者なのか…………?

 

 俺が察したことを理解したのか、力也はこっちを見ながら頷いた。どうやら俺の仮説は当たったらしい。

 

「まさか…………その”勇者”が、”リキヤ”…………?」

 

「その通り。ガルゴニスを封印した勇者も”リキヤ”だし、レリエルを封印した大天使も、元々は異世界から召喚された”リキヤ”だ」

 

「嘘だろ…………?」

 

 そういえば、勇者や大天使の名前は一度も聞いたことがなかったような気がする。この世界でその事件を題材にした演劇やマンガにも、ただ単に”勇者”や”大天使”として登場しているだけである。

 

「そして私は、”98番目のリキヤ”。君たちの父親は私の後任だから、”99番目のリキヤ”だ」

 

 俺たちの親父が、99番目…………。

 

「私もこの世界に放り込まれ、こいつ(リー・エンフィールド)を使って戦い抜いたよ。最愛の仲間と共にね。…………結局、偽物の勇者に”魔王”と呼ばれてしまったが」

 

「魔王…………!?」

 

「その通り。今から22年前に討伐された筈の、恐ろしい魔王様さ」

 

 俺たちの親父も、”魔王”と呼ばれている。

 

 しかしそれは本当に恐れられている魔王という意味ではなく、巨大な企業を率いて人々を救っているあの男を、社員や住民たちが親しみを込めてそう呼んでいるだけだ。だから正確に言えば、あの男は魔王ではない。

 

 だが、本当の魔王は22年前に存在したという。

 

 貴族の娘を連れ去り、この世界を滅ぼそうとした恐ろしい魔王が。見たこともない異世界の武器を使って騎士たちを蹂躙し、世界中で暴れ回った恐るべき魔王。しかしその魔王は最終的に勇者によって討伐されることになる。

 

 親父がこの世界に転生し、後に妻となるエミリア・ペンドルトンと出会う半年前の話である。

 

「まさか、あなたが…………?」

 

「ああ。完全に濡れ衣だがね。勇者の野郎にやられたのさ」

 

 信じられない。こんなに紳士的な人が…………。

 

 すると先代魔王(リキヤ)は、胸に下げていたペンダントを見下ろした。

 

「…………勇者に仲間たちを殺され、最愛の恋人も殺された。今もエイナ・ドルレアンの墓地にある木の下で眠っているんだ」

 

「…………」

 

 エイナ・ドルレアンには、墓地がある。埋葬されているのはエイナ・ドルレアンの住民が大半だが、その墓地の一角にはこのネイリンゲンの惨劇で命を落とした、何人もの人々が今でも眠り続けている。

 

 親父たちと一緒に墓参りに行ったことがあるから、そこはどういう場所なのか知っている。確かにあそこには、1本だけ木が生えていた筈だ。太くてがっちりした幹が特徴的な、凛々しい木だ。

 

「君たちの父が勇者を倒してくれたと知った時、私にはもう未練はなかったんだ。彼が私たちの仇を取ってくれたから、もう私も彼女の元へ逝くべきだろうと思ってね…………。でも、彼女は…………許してくれなかった」

 

 そう言いながら、力也はホルスターの中から1丁の古びた黒いリボルバーを取り出す。

 

 確かあれは、ベルギーで開発された『ナガンM1895』と呼ばれる旧式のリボルバーだ。リボルバーであるにもかかわらずサプレッサーが装着できるという画期的な銃で、弾数も一般的なリボルバーよりも1発だけ多い。主にロシア軍やソ連軍が、第一次世界大戦と第二次世界大戦で採用していたという。

 

 それを見下ろしながら、スティーブンは語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力也が勇者を倒してくれたという知らせを聞いた瞬間、私の中の未練は完全に消えた。

 

 私の力では打ち倒せなかった憎たらしいあの勇者を、99番目のリキヤが倒してくれたのだから。

 

 私の戦いは、それで終わった。後は長い間一人ぼっちにしてしまっていた”彼女”の所へ逝くだけだと思った。もうこの世界にいても意味はないし、彼女以外の女性と出会って幸せになるつもりもない。私にとって、最愛の女性はあの木の下で眠る彼女だけなのだから。

 

 いつもホルスターに収めていた愛用のリボルバーを手にした私は、あの墓地で力也くんたちに礼を言ってから、この世を去るつもりだった。彼女が眠る木の前で、自分の得物で自分の頭を撃ち抜き、私も彼女の元へと逝こうと思っていた。

 

 確かに、死ぬのは怖かった。自分に向けてトリガーを引けば死んでしまうのだから。

 

 けれども、彼女のいない世界で老いて死ぬよりはそっちのほうがマシだと思った私は、覚悟を決めてトリガーを引いた。

 

 だが――――――――手元のリボルバーから聞こえてきたのは、かちん、という撃鉄の音だけ。聞き慣れた銃声は全く聞こえないし、弾丸が私の首筋を貫いた感覚もない。

 

『…………!?』

 

 そう、不発だったのだ。

 

 だから私はもう一度トリガーを引き、もう一度死のうとした。

 

 けれども――――――――次の弾丸も、不発。

 

 シリンダーに納まっている7発の弾丸は、全て不発だったのだ。

 

『バカな…………!』

 

 その時、私は彼女に”まだ死んではいけない”と言われているような気がした。

 

 まだ死ぬことは許されない。こんなところで自分に弾丸を撃ち込み、彼女の元へと逝くことは許されない。

 

『まだ死ぬなと言うのか…………』

 

 きっとそうに違いない。目の前の木の下で眠る彼女が、まだここは私の死に場所ではないと言っているのだ。

 

 だから私は、もう少しばかり生きることにした。もう少し足掻いて、天国にいる彼女に誇れるような戦果をあげて死のうと思った。

 

 それから私はオルトバルカを去り、世界中を旅して戦い続けた。人々を苦しめる領主や転生者を消し、虐げられていた人々を救い続けた。

 

 そしてカルガニスタンへと流れつき――――――――彼らに出会ったのだ。

 

 私たちの仇を取ってくれた男の子供たちが率いる、テンプル騎士団に。

 

 

 



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犠牲

 

 

 父親の”前任者”の物語。

 

 いきなり異世界に転生させられ、赤の他人に汚名を押し付けられても、仲間や最愛の恋人を守り抜こうと奮戦し、最終的に全てを失った悲しい物語。それが、22年前に偽物の”勇者”によって討伐されたと言われている魔王の物語の真相。

 

 自分の物語を語り終えて安心したからなのか、目の前に座っている98番目のリキヤは安堵しているようだった。

 

 恋人を殺した勇者を、俺たちの親父が今から15年前にファルリュー島で勃発した”第一次転生者戦争”で打ち倒した。そして98番目のリキヤは、自分の”後任”が仲間や恋人の仇を取ってくれたことを見届けてから、彼女の眠る墓地の木の前で死のうとしたのだ。

 

 けれども死ぬことは許されなかったらしく、自殺に使うつもりだったリボルバーの弾丸は全て不発。まるで、木の下で眠る恋人に『まだ死んではならない』と言われているのだろうと悟った彼は、彼女の元へと逝くことよりも、再びリー・エンフィールドを手にして戦う事を選び、テンプル騎士団へと合流した。

 

 だからテンプル騎士団の兵士たちは、”鉄パイプ野郎”になりすましていたこの男が一体どこからやってきた兵士なのか知らなかったのだ。壊滅したゲリラの生き残りという”噂”や、帰属に復讐を誓ったエルフの奴隷という”噂”が飛び交うだけで、どの情報も不正解だったのである。

 

「…………あ、あの、力也さん」

 

「何だね?」

 

「そ、その…………あなたに汚名を押し付けた勇者は、偽物なんですよね?」

 

「その通りだ。本来ならば、”勇者”という称号は歴代の”リキヤ”にのみ与えられる称号だった。だが奴は自分が勇者になれなかったことが気に食わなかったらしくてなぁ…………。あいつに負けてからは、端末で生産した”変装の達人”という能力を使って姿を変えていたんだ」

 

 ファルリュー島にいた”勇者”の事だろう。22年前に親父たちが打ち倒した勇者は、どうやら”リキヤ”ではないらしい。

 

 今までエルフの男だと思っていたんだが、それは端末で生産可能な”変装の達人”という能力でエルフになりすましていただけだったのか…………。

 

「力也さん、質問してもいいかしら?」

 

「どうぞ、赤毛のお嬢さん」

 

 いつの間にかスコーンへと手を伸ばしていたラウラが、いつもの幼い口調ではなく大人びた真面目な口調で、傍らに座る”前任者”に問いかける。

 

「パラレルワールドから、この世界を救う勇者として”リキヤ”が送り込まれているのよね? なら、他の転生者はどうしてこの世界に送り込まれているの? あんなに力を悪用するようなクソ野郎ばかりなら、逆にこの世界が滅ぶ可能性が大きくなるのでは?」

 

「た、確かにそうよね。世界を救うためなら、リキヤだけ送り込めばいいわけだし…………」

 

 その通りだ。

 

 リキヤがこの世界を救うための勇者ならば、それ以外の力を悪用する転生者は世界を滅ぼそうとしているに等しい。この世界を救うためだというのであれば、異世界へと転生させるのはリキヤという勇者だけで十分な筈だ。なのに、なぜ他の転生者までこの世界に送り込む?

 

 ちらりと98番目の力也を見ると、彼は口元へと近づけていた水筒を一旦離した。

 

「…………あれはな、”あいつ”の計画の1つなんだ」

 

「……………………あいつ?」

 

「ああ、そうだ。この端末を開発し、転生者たちを異世界へと次々に放り込んでいる張本人だよ」

 

「「「!?」」」

 

 転生者を異世界に送り込む張本人…………!?

 

 この世界に転生者を送り込んでいる奴がいるのだろうとは思っていたが、今まで全く情報はなかった。このような端末を生み出したり、定期的なアップデートまで行っているのだから、黒幕は間違いなく人間なんだろうという仮説は立てていたものの、その”張本人”が何者なのかという情報を得ることはできなかったのである。

 

 しかし、この男はどうやら知っているらしい。

 

 数多の転生者を異世界へと放り込み、飛行機事故で死んだはずの俺を生まれ変わらせた存在を。

 

「―――――――奴の名は『天城輪廻(あまぎりんね)』。この端末を発明した、天才科学者だ」

 

「天城…………輪廻…………」

 

 輪廻という名前を、聞いたことがある。

 

 ブラドの奴が言っていた名前だ。ヴリシアで彼と戦った時、あいつは俺たちに『なんだ、お前は輪廻の奴から何も聞いていないのか?』と言っていた事を思い出した俺は、無意識のうちにぴくりと瞼を動かしてしまう。

 

 それを見ていた98番目の力也は、その仕草で聞き覚えのある名前だったという事を悟ったらしい。こっちを見ながら頷くと、スコーンへと手を伸ばしてから話を続けた。

 

「輪廻は事故や病気などで死んだ奴の中から無作為に転生する者を選び、片っ端からこの世界へと放り込んでいる。力を悪用する可能性のある奴も含めてな」

 

「なぜ………?」

 

「転生者を殺した経験があるなら分かる筈だ。彼らを殺した方が、魔物を殺してレベルを上げるよりも効率がいい事を」

 

 魔物よりも、転生者の方がレベル上げの効率がいい。

 

 確かにそれも思い当たることだ。ダンジョンに行けばいくらでもいる魔物をひたすら狩り続けてレベルを上げるよりも、力を悪用するクソ野郎共を殺し続ける方が全く効率がいい。だからこそ転生者ハンターのレベルが上がるのは非常に速いのだ。

 

 転生者同士が激突するのは珍しい事ではない。そしてそれで転生者を殺した方が効率がいい事を知ったクソ野郎は、すぐに理解するだろう。もっと強くなるためには、魔物を殺すよりも”共食い”をしていた方が効率がいいという事を。

 

 それを理解した瞬間、俺はぎょっとしてしまった。

 

「まさか…………」

 

「そう、転生者同士に”共食い”をさせ、生き残った転生者を”リキヤ”の代わりに勇者とする。そのためにあいつは、何人も転生者をこの世界に送り込んでいるんだ」

 

 馬鹿げている。

 

 転生者同士に”共食い”をさせ、リキヤの代わりにするなんて…………!

 

「どうしてリキヤの代わりにするの? リキヤはパラレルワールドから送り込まれているんでしょう?」

 

「ああ、そうだ。そしてこの世界を守り抜いた大半のリキヤは――――――――この世界の平和と引き換えに、命を落としている」

 

「つまり…………戦死しているってことですか………?」

 

「そういう事だ。俺や君たちの父上は、簡単に言えば”死にぞこない”だな」

 

 98番目の力也はそう言いながら自嘲し、溜息をついた。

 

 確かに、いくら転生者でもこの世界を支配できるというわけではない。この異世界にもレリエルやガルゴニスのような化け物は存在するし、場合によっては自分よりもはるかに格上の転生者と戦い、敗北して殺されることもあるのだから。

 

「私の前任者も戦死し、その前の前任者も戦死…………リキヤはいくらでも”補充”できるが、このまま延々と戦死させ続けていれば、やがて世界を救うためのリキヤも”枯渇”するだろう」

 

「だから、リキヤが枯渇しないように代わりの勇者を見つけようとしているんですか?」

 

「そういうことだろうな」

 

 つまり何人も転生者が送り込まれているのは、彼らに殺し合いをさせることで最強の転生者を作り上げ、その転生者に”勇者(リキヤ)”の代わりをさせようとしているのだ。

 

 だから輪廻の計画では、本当ならタンプル搭にいるクランやケーターも、俺たちからすれば”殺すべき敵”ということになる。俺たちがあのように手を組んでいるということは、輪廻にとっては想定外でしかない。

 

「でも、人々を虐げる転生者にそんなことをさせても…………」

 

「いや、輪廻が欲しているのはあくまでも”強い転生者”だ。自我や記憶はどうでもいいのだろう。あいつなら、その生き残った転生者を洗脳して勇者にするに違いない」

 

「なんてこった」

 

 スコーンを口へと運びながらそう言うと、98番目のリキヤも「ああ、全くだ」と言ってから水筒を口へと運んだ。

 

 確かにリキヤの枯渇を防ぐためには合理的な手段なのかもしれない。生き残った転生者を洗脳し、勇者として使役することができるのであれば、そいつがどんなに残虐で人々を虐げてきたクソ野郎だろうと関係がないのだ。あくまでも輪廻が欲しているのは、この世界を守ることができるだけの力を持ち、リキヤの代役を任せられる転生者なのだから。

 

「それに、新しい計画も準備していると聞いた」

 

「新しい計画?」

 

「ああ。従来の転生者よりもさらに強力で、革新的な能力を持った”第二世代型転生者”の試作型(プロトタイプ)を生み出したという話をな」

 

「…………!」

 

 第二世代型転生者…………。

 

 そう、俺のブラドの事だ。従来の転生者のように端末を持たない、新しい転生者。他の転生者のように17歳に若返った状態から始まるのではなく、この異世界の母親から赤ん坊として生まれ落ちた状態で始まる、正真正銘の”輪廻転生”。

 

 転生者としての能力だけでなく、両親の”才能”まで引き継ぐことが可能な。より強力な転生者。本格的に戦えるようになるまでに時間がかかってしまうという欠点があるものの、転生者の能力に頼らなくてもある程度は戦える戦闘力も兼ね備えているため、総合的な戦闘力では従来の転生者を圧倒すると言っても過言ではない。

 

 その試作型(プロトタイプ)が…………俺とブラド。

 

「…………タクヤ君なんだね? 輪廻が生み出した第二世代型は」

 

「…………はい。つい最近聞いたばかりですが」

 

「そうか…………」

 

 自分の正体を始めて聞いたのは、あのヴリシアの戦いの最中だった。

 

 それまで俺は、自分の正体を全く知らなかったのである。

 

 98番目のリキヤは、きっと俺が彼の目の前でメニュー画面を出した時点で勘付いていたのだろう。端末を持たない代わりに、目の前にメニュー画面を出現させる方式だったのを目の当たりにした瞬間に、俺が従来の転生者ではないという事を見抜いていたに違いない。

 

「つ、つまり私の弟は…………計画の1つとして生み出されたという事ですか?」

 

「ああ。従来の転生者よりも強力な”第二世代型”に他の転生者たちを潰させ、リキヤの代用にするつもりだったんだろうな…………」

 

 俺たちに転生者を潰させ、リキヤの代用にする計画。

 

 もし仮に俺とブラドがその最中で倒れることがあったとしても、俺たちを撃破した転生者を洗脳し、リキヤの代用にすればいい。どの道輪廻の思惑通りになる。

 

 くそったれ、俺や他の転生者たちは輪廻の計画のためにこの世界に転生させられたってことか。

 

「…………輪廻に反旗を翻したことは?」

 

 問いかけると、98番目のリキヤは首を横に振りながら息を吐いた。うんざりしたというわけではなく、認めざるを得ない理不尽な状況を再び直視するために、覚悟を決めたような仕草だった。

 

「…………君にも分かりやすく、オンラインゲームに例えよう」

 

「…………」

 

「―――――――転生者(プレイヤー)が、端末を生み出した(ゲームを運営する)輪廻(クリエイター)に勝てると思うかね?」

 

 ―――――――無理だ。

 

 転生者の端末を生み出したという事は、輪廻にはもし反旗を翻した転生者がいてもすぐに無力化するための手段がある筈なのだ。強制的に端末の機能をすべて停止させたり、転生者そのものを消滅させることも可能なのかもしれない。

 

 そう、まさに輪廻は”クリエイター”。俺たちは奴が生み出したオンラインゲームをプレイする、ただの”プレイヤー”でしかないのである。

 

 だから反旗を翻したところで、彼女に能力(アカウント)を消されるのが関の山だ。

 

「…………じゃあ、このままあいつの計画通りに殺し合いをするしかないってことですか」

 

「いや、奴の計画を滅茶苦茶にしてやる方法はある」

 

 俺の目の前で98番目のリキヤは、まるでチェスで逆転勝利する方法を思いついたかのような笑みを浮かべていた。

 

「―――――――君だよ、タクヤ君」

 

「俺ですか?」

 

「そうだ。とはいえ仮説でしかないが…………転生者には端末があるだろう? 輪廻にはおそらくこれを無力化する手段があると思われるが、それはあくまでも転生者に与えている”外付けの能力”にすぎん。だが君のようなプロトタイプはどうだ?」

 

「―――――――あっ、そうか! 端末じゃなくて、能力そのものを身につけているから…………!」

 

 そう、端末の場合は、あくまでも転生者という存在に付け足した”外付けの能力”でしかない。だから容易に端末を無力化することができる。

 

 しかし俺やブラドの場合は、端末を”付け足した”従来の方式ではなく、あらかじめ自分の能力としてその機能が体内に内蔵されている。端末が自分から引き離されると能力が低下していく”第一世代型”とは異なり、第二世代型は端末の機能を能力として身につけている。

 

 つまりアップデートは受け付けるものの、これは最早俺やブラドが身につけている能力の一部なのだ。だからそう簡単に外部から干渉されることはない…………!

 

「ふ、ふにゅ? ええと…………お、”おんらいんげーむ”って何? というか、どういう事?」

 

 ああ、説明するの忘れてた。ナタリアとラウラはこの世界の人だから、オンラインゲームとかクリエイターという用語を知らないんだ。ちゃんと分かりやすく説明してあげないと。

 

「つ、つまり、普通の転生者なら輪廻に逆らった時点で能力を消される可能性がある。でも俺みたいなタイプの転生者は、そう簡単に能力を無力化できないかもしれないんだ」

 

「むしろ、アップデート以外は干渉できない可能性もあるぞ。試作品(プロトタイプ)ということは、数は少ない筈だ。いざとなったら他の転生者に討伐命令を出せば、それで対処できるのだからな」

 

 楽観的かもしれないが、その可能性もあるだろうな。第二世代型は俺とブラドだけなのだから、それ以外の転生者に俺たちを討伐させれば、能力を無力化しなくても対処することはできるのだから。

 

「…………ところで、どうしてあなたはそんなことを知ってるんです?」

 

 埃まみれの床に座りながら話を聞いていたナタリアが、98番目の力也を睨みつけながら問いかけた。彼女の凛とした声を聴いた瞬間、俺は少しばかり油断していた事を後悔してしまう。

 

 確かに、いくら98番目の力也とはいえ、どうしてそのようなことを知っているのだろうか。偽の情報という可能性もあるし、もし仮に本当の話だったとするならば、その輪廻と繋がっていた可能性もある。

 

 はっとしながら彼を睨みつけると、98番目の力也は溜息をつきながら首を横に振った。そんなに疑わないでくれと言わんばかりに首を振った彼は、水筒の中に入っている紅茶を全て飲み干してから真ん中に置かれているスコーンの山を見下ろす。

 

「…………俺は、輪廻に会ったことがある」

 

「…………本人から今の話を?」

 

「ああ…………。第二世代型の件は、輪廻と接触した事のある転生者を尋問して聞き出したがな」

 

 だから知ってたのか…………。

 

「……………………かつては彼女の計画に手を貸そうと思ったが、今は違う。この世界はリキヤや代役の転生者に守られるのではなく、この世界の人々に守られるべきなのだ。過保護なんだよ、あいつは」

 

 異世界から転生してくる勇者によって守られる、過保護な世界。

 

 世界を守るためには必要な事なのかもしれない。それがたった1人の勇者の犠牲で済むのであれば。

 

 けれども俺は――――――――激戦を生き延びてくれた父親や、目の前にいるこの男に、「この世界を守るために犠牲になってくれ」とは言えない。人々を平気で虐げるクソ野郎共の命だったらいくらでも犠牲にしてやって構わないが、この人たちの命は重い。

 

 何とか解放できないだろうか。

 

 殺し合うために転生させられた転生者たちや、世界を救うための犠牲にならなければならない数多のリキヤたちを。

 

 理想論かもしれないけれど、何か手段はないのだろうか。

 

 埃に覆われた床を見つめて考えていると、先ほどまで話をしていた98番目の力也が「そろそろ行くよ」と言いながら立ち上がった。砂塵と埃で汚れたカーキ色のマントを軽く叩いて埃を落とし、愛用のリー・エンフィールドを肩に担いだ彼は、スコーンの入った革の袋を置いたまま踵を返す。

 

「待ってください」

 

「なんだね?」

 

「あなたはこれから…………どこに行くんです?」

 

「…………輪廻を打ち倒すため、これからは単独で動くつもりだ」

 

 無茶だ。

 

 彼はあくまでも端末を持つ第一世代型。輪廻に逆らえば、強制的に端末の機能を停止させられかねないというのに。

 

「…………だったら、これを持って行ってください」

 

 そう言いながらメニュー画面を目の前に出現させ、生産しておいた別の銃を装備してから、それを踵を返して立ち去ろうとするイギリスイギリス軍兵士のような恰好をした男に渡した。

 

 それは彼の能力で生産したものではなく、俺の能力で生産したものだ。もし仮に端末が機能を停止させられたとしても、こいつがあれば戦うことはできるだろう。

 

 彼に渡した銃は、『L42A1』と呼ばれるイギリス製のスナイパーライフルだった。第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍したリー・エンフィールドを近代化改修したボルトアクション式のスナイパーライフルで、7.62mm弾を使用する。

 

 今では退役してしまった旧式のライフルであるものの、連射速度の速いリー・エンフィールドがベースとなっているためこちらもボルトアクション式のスナイパーライフルの中では連射がしやすいため、扱いやすいライフルだ。

 

 彼の愛用の得物はこれの原型となったリー・エンフィールドなのだから、きっとすぐに慣れてくれるだろう。だからあえてこれを選んだのだ。

 

 搭載しているのはバイポットと狙撃用のスコープ。かなりシンプルである。

 

「弾薬は、武器を持っている火との元に12時間ごとに支給されるようになっています。だから俺から弾薬の補給を受ける必要はありません」

 

「助かる。…………Thank you」

 

 渡されたばかりのスナイパーライフルをチェックした彼は、微笑んでから階段を上がっていった。埃まみれの階段をゆっくりと上がっていく足音の後に扉を開く音がして、彼の足音が徐々に小さくなっていった。

 

 彼が置いていったスコーンの山を見下ろしながら、俺は座り込みつつ息を吐く。

 

 まったく、メサイアの天秤を探しに来ただけだというのに、下手したらそれよりも重要な真実を耳にしちまった。

 

 この世界の仕組みと、リキヤの正体。転生者たちが転生してくる理由と、輪廻の計画。

 

 もしかしたら天秤を探している場合ではないのかもしれない。

 

「タクヤ…………」

 

「…………ひとまず、ゴライアスに合流しよう」

 

 心配そうに言ったラウラにそう言いながら、98番目の力也が残していったスコーンを口へと運んだ。それほど甘くはないスコーンを噛み砕くにつれて、”世界の仕組み”を知ってしまった衝撃が少しずつ静まっていくような気がした。

 

 

 

 

 

 

 おまけ①

 

 暴風注意

 

力也(98番目)「そろそろ行くよ。さらばだ」

 

タクヤ「あっ、待ってください! 外は大気流が…………」

 

力也(98番目)「んっ? ―――――――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

ナタリア「紳士が飛んで行った!?」

 

 

 

 おまけ②

 

 忘れてた!

 

ナタリア「ねえ、あの人だったら天秤の在り処を知ってたんじゃない?」

 

タクヤ&ラウラ「あっ」

 

 完

 

 

 



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揺り籠

 

 暴風で吹っ飛ばされ、重傷を負ってしまった挙句メインアームまで失ってしまったものの、無線機が無事だったのは幸運としか言いようがない。戦車ですら吹っ飛ばしてしまう大気流の風圧に耐え抜いてくれた無線機のおかげで、仲間たちに無事だという事を知らせ、なんとか合流することができたのだから。

 

 舞い上がる砂塵の向こうから、エンジンとキャタピラの音を奏でながら近づいてくる楕円形の巨体。がっちりした4列のキャタピラを持つ戦車が近づいてくるにつれて、あの忌々しい大気流で吹っ飛ばされる羽目になった俺たちは安堵していた。

 

 オブイェークト279(ゴライアス)もどうやら無事だったらしく、装甲に傷がついている様子はない。核爆発の猛烈な爆風に耐えるために設計された装甲には微かに砂塵が付着している程度である。

 

 大気流の凄まじい風圧にも耐えてしまうソ連の重戦車は、荒れ果てた廃墟の地面を埋め尽くす瓦礫をキャタピラで踏みつけながら近くへとやって来ると、数十分前まで98番目の力也と話をしていた廃墟の近くで停車した。

 

 無事に仲間たちと合流できたのは喜ばしい事だけど――――――――”前任者”から聞いた衝撃的な情報が、未だに俺の頭の中で暴れまわり、平常心を蹂躙し続けている。

 

 98番目の力也と、99番目のリキヤ。

 

 この異世界の平和と引き換えに、戦死していく”リキヤ”たち。

 

 転生者を異世界へと放り込む、天城輪廻(クリエイター)

 

 転生者同士の”共食い”。

 

 俺たちは今まで、この世界の水面下でそんなことが起きていることを知らなかった。22年前に魔王が倒され、異世界に転生してきた速河力也(親父)が母さんとエリスさんと一緒に子供を作って、俺とラウラがキメラの子供として生まれた。

 

 そしてメサイアの天秤の存在を知り、仲間たちと共に旅に出た。

 

 分かりやすい御伽噺だ。けれどもそれは、あくまでも水面下でひたすら犠牲になり続けてきた勇者(リキヤ)たちによって守り続けられてきた、”揺り籠”の中の物語でしかない。

 

 その犠牲となったリキヤたちの死体の群れの中から生還した男の話を聞いた俺たちは、ついに”揺り籠”の外側を目撃してしまったのである。

 

 最初にこの世界で多くの人々が虐げられているという事を知った時、俺はこの世界はもしかしたら地獄なんじゃないかと思った。街を出れば獰猛な魔物に襲われるし、奴隷たちには人権がない。人権があるはずの街の住民たちでさえ、貴族や領主たちの権力であっさりと人権を踏みにじられる。前世の世界では徹底的に守られてきた筈の”人権”が、この世界では考えられないほど軽い存在なのだ。

 

 だから地獄だと思った。

 

 けれども、揺り籠の外と比べてみれば――――――――ここは地獄なんかじゃない。むしろ”人権を踏みにじられる程度”で済んでいる。

 

 この世界を水面下で守り続けてきた勇者(リキヤ)たちがいる”揺り籠の外側”こそが、地獄だったんだ。

 

 いきなり平和な前世の世界で殺され、異世界へと強制的に転生させられて、その異世界を守るために強敵の前へと放り出される勇者(リキヤ)たち。そしてその大半が戦死し、墓標すら与えられぬまま眠りにつくのである。

 

「…………」

 

 息を吐きながら、98番目の力也から聞いた話をイリナやステラたちにも話すべきだろうかと悩みつつ、戦車の砲塔を見上げる。もし仮にこの話を彼女たちにもするのであれば、この複雑な話を分かりやすい話にしなければならない。

 

 一応話しておいた方がいいだろうな。俺と一緒に旅をする以上、輪廻(クリエイター)と接触する可能性も高いのだから。

 

 そう思いながら戦車に乗ろうと思い、停車した戦車の車体をよじ登ろうと手を伸ばしたその時だった。

 

 かたん、とキューポラのハッチが開いたかと思うと――――――――狭い砲塔の中から、橙色の髪の少女が、まるでイージス艦から放たれた対艦ミサイルのように飛び出してきたのである。

 

「お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「「「!?」」」

 

 涙目になりながら、まるで急降下爆撃機のように俺に向かって急降下してきたのは、戦車の砲塔の中で砲手の座席に腰を下ろしていた筈のカノンだった。どうやらかなり俺たちのことを心配してくれていたらしい。可愛らしい妹分に心配してもらえるのは嬉しいんだけど――――――――このままだと、俺に直撃するよね?

 

 落下してくる彼女を受け止めるべきだろうかと思いつつ、隣にいるラウラをちらりと見てみるけれど、いつも俺を助けてくれるお姉ちゃんは、ほら、カノンちゃんを抱きしめてあげなよと言わんばかりに微笑みながら、やけに素早く俺から距離を取る。

 

 ちょ、ちょっと待ってよお姉ちゃん。僕を見殺しにしないで。

 

 ナタリアだったら助け舟を出してくれるだろうと思いつつ、左側にいるナタリアの方を見てみるけど、どうやら彼女も対艦ミサイル(カノン)の直撃に巻き込まれるのは嫌らしく、苦笑いしながら距離を取っていた。

 

 おいおい、酷いな。

 

 くそ、躱せないじゃないか。

 

 涙目になりながら落下してくるカノンを見上げながら苦笑いしつつ、両腕を広げて抱きしめる準備をする。なんだか受け止めた瞬間に後頭部を地面に叩きつける羽目になりそうだし、念のため後頭部とか背中を外殻で保護しておこう。

 

 これで大丈夫だな。

 

 そう思いながら両腕を広げて準備をしていたんだけど、はっきり言うと両親から受けた訓練で鍛え上げられたカノンの瞬発力を侮っていた。小さい頃はよく俺やラウラに抱き着いてきたから、その経験を思い出しながら抱きしめてやればいいだろうと高を括っていたと言わざるを得ない。

 

 更に、レベルが下がったとはいえ気流の影響で少しばかり”着弾地点”がずれたらしく――――――――俺のことを心配してくれていた可愛らしい妹分は、よりにもよって胸板ではなく、みぞおちに”着弾”することになったのである。

 

「―――――――らふぁーるっ!?」

 

 す、凄い瞬発力じゃないの…………。

 

 高を括っていたせいでダメージを受ける羽目になった俺は、みぞおちに激突したカノンを辛うじて抱きしめながら、テンプル騎士団の制服姿の彼女と一緒に後ろへと吹っ飛ばされていき――――――――倒壊しかけの廃墟の壁に、背中を叩きつける羽目になった。

 

 ほ、骨折れたんじゃないか…………?

 

 呻き声を上げたくなったけど、我慢しておこう。

 

「お兄様っ、心配しましたわ! わたくしはもう二度とお兄様とお会いできないかと…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ! お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「よ、よしよし…………」

 

 とりあえずエリクサーくれない? 結構痛かったよ?

 

 胸板に顔を押し付けながら大泣きする彼女を優しく抱きしめ、彼女の頭を撫でながら、俺は苦笑いをするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘でしょ…………?」

 

 再びレベル5まで向上した大気流の中を突き進む重戦車の中で、キューポラの外を覗いていたイリナが呟いた。

 

 今までこの世界は、別の世界から強制的に転生させられたリキヤたちの犠牲によって守られ続けていた。俺たちは彼らが命懸けで守り続けてきた世界(揺り籠)の中で、彼らの死闘が一切記されていない単純な御伽噺ばかりを見せられて育ってきたようなものである。

 

 だから誰も、揺り籠の外を見たことはない。

 

 それゆえに、その揺り籠の外側が、この世界のために散っていった勇者たちの死体で埋め尽くされていることを知らないのだ。

 

「おじさまが…………勇者…………………!?」

 

「ああ。魔王なのにな」

 

 なんだか変な感じがするよな。今まで魔王と呼ばれていた男の正体が、勇者だったのだから。

 

 やっぱり、この話を聞いた仲間たちも動揺しているようだった。親父とは赤の他人であるステラとイリナはそれほど動揺しているようには見えないけれど、両親がモリガンのメンバーで、俺たちの親父の事をよく知っているカノンが一番動揺しているようだ。

 

「信じられませんわ…………この世界が、おじさま達の犠牲で守られてきたなんて…………」

 

「ふにゅう、私も信じられないけど……………………あの人、確かにパパにそっくりだったよね」

 

「ああ。というか、髪を黒く染めて角と尻尾を取っただけにも見えるくらいそっくりだったぞ。まさに瓜二つだ」

 

 同一人物としか言いようがない。

 

「それに…………あの人が言っていた、”アマギリンネ”っていう人の事も気になるわね。転生者を送り込んでいる”クリエイター”ということは…………その人を倒せば、転生者はこの世界にやって来なくなるのかしら?」

 

「その可能性はあるかもしれませんが、ステラは難しいと思います」

 

 操縦士の座席で、重戦車を操りながら黙って聞いていたステラがそう言った。自分以外の同胞たちを皆殺しにされたショックが段々和らぎ始めた彼女は、旅をしていく最中に少しずつ感情豊かになっているとはいえ、彼女の今の声音は、多分この戦車に乗っている仲間たちの中で一番冷静だったことだろう。

 

 かつて自分たちの種族を滅ぼそうとして押し寄せてきた強敵たちと戦ったサキュバスの生き残りだからこそ、これから戦う羽目になるかもしれない敵がどれだけ恐ろしいのか、少ない情報から仮説を立てて見据えようとしているのかもしれない。

 

「もし仮に、その”リンネ”という人物が転生者の端末を開発した張本人であるならば、生みの親である自分には向かえないように何らかの手段を準備しているのが当たり前です」

 

「そうかもしれないけど、でも98番目の力也さんは、もしかしたらタクヤの能力は無効化できないかもしれないって――――――――」

 

「無効化される確率も考えるべきです、ナタリア」

 

 そう、俺の能力も無効化される可能性はある。

 

 98番目の力也の仮説では、あくまでもあの端末は転生者にスキルや武器を生産する能力を”外付け”下に過ぎない。しかし、俺とブラドの場合は外付けではなく、生まれつき持っている能力であるため、いくら端末を開発した輪廻でもそう簡単に介入できない可能性がある。

 

 だが、俺の能力はすでに輪廻の手によって何度もアップデートを受けているため、同じように能力を無効化される可能性もあるというわけだ。もしかしたらアップデート以外は介入できない可能性もあるが、確実に能力を無効化されないわけではないのだ。

 

「タクヤ、ステラはまだリンネに攻撃を仕掛けるべきではないと思います」

 

「確かにその通りだ。下手したら能力を無力化されかねないし、それ以前に輪廻の居場所も分からん」

 

 それゆえに攻撃はできないのだ。

 

 とりあえず、今は輪廻に手を出さない方がいい。水面下で彼女の情報を集めつつ、メサイアの天秤の入手を最優先にしておくべきだ。

 

「…………まず、今はメサイアの天秤を手に入れようぜ。輪廻の件については、シュタージとも話し合ってみる」

 

「ふにゅ、それが一番だね」

 

「はい、ステラもそれが一番かと」

 

「よし。では、輪廻の件は保留だ。…………ところでイリナ、今はどこまで調査が終わってるんだっけ?」

 

「ええと…………残りは大体3分の1かな」

 

「3分の1か…………」

 

 まだ調査していない地域に天秤があればいいんだが、もしここに天秤がなかったならば、もう一度天秤の在り処を探し出す必要がありそうだ。念のため旧モリガン本部ももう一度調べてみるつもりだが、モリガンがメサイアの天秤を手に入れていたという話は聞いたことがない。

 

 親父たちが俺たちに黙っていた可能性もあるので、念のため調べておくつもりだけどな。

 

 戦車の中で98番目の力也から貰ったスコーンを噛み砕きながら、メニュー画面を開いて装備している武器の一覧を表示する。大気流で吹っ飛ばされた際に紛失してしまったPP-2000を装備から解除してくのを忘れてたよ。考えられないが、もしここを訪れていた冒険者に拾われたら厄介だからな。テンプル騎士団やモリガン・カンパニーのような身内以外に、現代兵器が渡るのは阻止しなければならない。

 

 こういう事にも細心の注意を払わないと、親父に粛清されかねないのだ。ハヤカワ家って怖いなぁ…………。

 

 苦笑いしつつ、吹っ飛ばされたPP-2000を装備している武器の中から解除。代わりのメインアームを生産済みの武器の一覧の中から選び始める。

 

 とりあえず、今度はアサルトライフルにしよう。室内戦での扱いやすさを考慮して、少しでも反動を小さくするために弾薬は小口径のものが望ましい。そうなると、7.62mm弾ではなく西側の5.56mm弾や東側の5.45mm弾のどちらかになる。

 

 どれにしようかな…………。

 

「お…………」

 

 よし、これにしよう。

 

 装備することにしたライフルをタッチし、装備する。すると何の前触れもなく、腰の後ろに装備されたホルダーに漆黒のアサルトライフルが出現した。

 

 外見はAK-47を思わせるが、ソ連製のAK-47やAK-74と比べると全体的にすらりとしており、どちらかと言うと東側のライフルというよりは西側のライフルに近い形状をしている。

 

 たった今装備したのは、ポーランドで開発された『wz.1996ベリル』と呼ばれるアサルトライフルだ。東側のアサルトライフルなんだけど、使用する弾薬はアメリカやフランスなどの西側のアサルトライフルやLMGで使用される5.56mm弾である。

 

 AK-47やAK-74から信頼性の高さを受け継ぎつつ、小口径の弾薬を使用したことで命中精度は高くなっている。けれども一番の特徴は、AK-47やAK-74をベースにして生み出された数多くのアサルトライフルの中でも、特に汎用性が高い事だろう。

 

 東側で生み出されたアサルトライフルの中でも、西側の銃に近い代物の1つである。

 

 カスタマイズで搭載するのはホロサイトとフォアグリップ。暗い廃墟の中の調査も考慮し、銃身の脇にはライトも装備しておく。グレネードランチャーも搭載しておくべきだろうかと思ったけど、中には倒壊しかけの建物もあるため、下手に爆発する武器をぶっ放せば生き埋めになりかねない。

 

 土の中に埋められるのは死んだ時だけにするべきだよな?

 

 というわけで、グレネードランチャーではなくフォアグリップを選んでおいた。弾薬も変更せず、このまま5.56mm弾にしておく。

 

 銃床を折り畳んだままベリルのチェックを始める俺の傍らで、ナタリアが「ちょっと外見てもいい?」と言いながらイリナの方へと近づいていくと、車長の座席の近くにあるペリスコープを覗き込んだ。

 

「ふふっ、ナタリアっていい匂いする♪」

 

「ちょっと、イリナちゃんったら」

 

 おい、ナタリアの匂いを嗅いでる場合か。

 

 というか、レベル5の風圧だぞ? 外は見えてるのか?

 

「…………あ、ここって…………ごめん、ステラちゃん。ここで止まってもらえる?」

 

「了解(ダー)」

 

「ナタリアさん、どうしましたの?」

 

 何だ? 何か見つけたのか?

 

 俺もペリスコープを覗いてみたいところなんだけど、オブイェークト279の砲塔の中はかなり狭い。本来なら4名―――――――自動装填装置があるから、このゴライアスは3名だ―――――――しか乗ることができない筈の戦車に強引に6人も乗り込んでいるのだから、更に狭くなってしまっている。

 

 砲塔の天井に頭をぶつけながらペリスコープの近くへと向かうと、車長用のペリスコープを覗き込んでいたナタリアが、そっとペリスコープから目を離した。

 

「ここ―――――――――――――――私の家だわ」

 

 

 

 




※ラファールはフランスの戦闘機です。


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秘密

 

 

「ここが?」

 

「ええ、そうよ…………まだ覚えてるもの」

 

 彼女もこの街で生まれ育った1人だ。傭兵ギルドが数多く存在し、更に”最強の傭兵ギルド”と呼ばれたモリガンの屋敷まで存在していたため、”傭兵の街”と呼ばれたこのネイリンゲンで、数多の傭兵たちの話―――――――多分大半はモリガンだろう―――――――を聴きながら、この街が壊滅するまでその家に住んでいたのだろう。

 

 とはいえ、ナタリアは俺たちと同い年。つまりネイリンゲンに住んでいたのは3歳の時までで、それ以降は生存者を全員受け入れたエイナ・ドルレアンで育ったということになる。幼少の頃に3年だけ住んでいたのだから、より大きな街であるエイナ・ドルレアンでの生活と比べれば希薄な記憶なのかもしれない。

 

 そういえば、俺たちが幼少の頃に住んでいたあの森の中の家はまだ残っているだろうか。ネイリンゲンの郊外にある小さな森の中に建てられた家の事を思い出しながら、ベリルと一緒に出現した予備のマガジンをポーチへと突っ込み、PL-14にサプレッサーを装着する。

 

 多分、あの森もこの大気流の影響を受けているだろうな…………。

 

 完全に荒れ地と化したネイリンゲンの周辺の草原だった場所を思い出しながら、俺はそう思った。緑と青しか存在しない開放的な草原が、この猛烈な大気流によって殺風景で禍々しい荒地と化してしまったのだから、あの森が影響を受けていないわけがない。

 

 きっと魔物が入り込んでいるか、大気流の影響で住めない状態になっている筈だ。木製のドアが外れ、家族と一緒に食事を摂っていたリビングが砂まみれになっている光景を想像しているうちに、ネイリンゲンを今でも蹂躙し続けている大気流によって飛ばされていく砂塵や小石が装甲に当たる音が、段々と小さくなっていくのが分かった。

 

 大気流の風圧で吹っ飛ばされた小石やレンガの破片は、ちょっとした弾丸だ。それゆえに装甲に命中すると、まるで弾丸が重厚な装甲に弾かれて跳弾するかのような音を奏でるから、命中したのは小石かレンガだという事がすぐに分かる。

 

 その2つは周囲に数えきれないほど転がっている。風の影響で地面が抉られたことによって顔を出した小石や、かつては建物の一部だったレンガの破片が、まるで傷口を塞ごうとする瘡蓋(かさぶた)のように地面を覆っている。

 

 大気流の風圧が強烈になれば、まるでその小石やレンガの破片たちがマシンガンの掃射のように飛来するのだから、それが小さくなったり、装甲に当たる回数が減っていくという事は、大気流の風圧が段々と弱まりつつあるという事を意味する。

 

『こちらシュタージ』

 

「どうぞ」

 

『大気流の風圧が急激に低下中。現在レベル2………………たった今レベル1まで低下。観測によれば、あと2時間はレベル1から2の状態が維持されると思われる』

 

「了解(ダー)、シュタージ」

 

 ほらな。

 

 とはいえ、さっきみたいにいきなり風圧のレベルが上がって吹っ飛ばされるのはごめんだ。しっかり観測してくれよ、シュタージ。

 

「さてと。同志諸君、そろそろ出かけよう」

 

「ええ」

 

 まず調べるべきなのは、すぐ近くにあるナタリアの実家だろうか。とはいえ彼女の家の中に天秤があるとは思えないが、ネイリンゲンのどこに天秤があるか分からない以上、関係のなさそうな民家の残骸もしっかりと調べておかなければならない。

 

「家庭訪問だな」

 

「ふふっ、私は15年ぶりの帰宅ね」

 

 きっと家の中は砂が入り込んで滅茶苦茶になってるだろうけどな。

 

 そう思いながら砲塔の上にあるハッチを開け、一番最初に戦車の外へと躍り出る。砂塵と小石でざらざらしている砲塔の上から滑り降り、地面に着地すると同時に背負っていたベリルを構えて周囲を警戒。建物の中に潜んでいる魔物や、穴を掘って”シェルター”代わりにしていた魔物に襲われないか、仲間が降りてくる前にしっかりと確認しておく。

 

 戦車の周囲に魔物がいないことを確認してから、ハッチから顔を出していたラウラに向かって頷く。真面目な表情になった彼女も同じように頷くと、狭いオブイェークト279の砲塔の中から躍り出て、サプレッサー付きのPP-2000を構えた。

 

 彼女のエコーロケーションなら容易く敵の索敵ができるのだが、索敵範囲を広げれば広げるほど精度は落ちるし、周囲を舞う砂塵のせいで超音波が攪乱されてしまうらしく、索敵可能な範囲はいつもよりも狭くなってしまっている。

 

 しかも彼女のエコーロケーションは、天秤を効率よく探すための手段である。できるだけ無駄使いはさせたくないものだ。

 

 戦車から降りてきたナタリアもPP-2000を構えるが、目の前に建つかつての実家を目の当たりにした瞬間、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 

「…………随分壊れてるわね」

 

「大気流の中にずっと放置されてたんだからな」

 

 核爆発に匹敵するレベル5の風圧でも、ナタリアの実家だった建物は辛うじて原形を留めていた。

 

 従来の伝統的な建築様式が薄れ始めた産業革命以降に建てられた建物ではないため、15年間もこんな暴風に晒され続けていた目の前の建物は、産業革命以前の主流だったオルトバルカの伝統的な建築様式の建物とあまり変わらない。

 

 産業革命によって生まれた耐久性の高いレンガや金属を使用しない、伝統的なレンガと木で作られた古い家の壁にはいたるところに穴が開いており、屋根にもまるで巨人が巨大な手で抉り取っていったかのような穴が開いているのが見える。入り口のドアにはレンガの破片や木片がいくつも突き刺さっており、一般的な民家の扉とは思えないほど禍々しいデザインに作り替えられていた。

 

 壁に開いた穴からは、リビングと思われる空間や、誰かの寝室―――――――――おそらくナタリアの両親が使っていた寝室だろう―――――――――が覗いており、穴から入り込んだ無数の砂塵や周囲の小さな瓦礫によって台無しにされている。

 

 俺たちの家もこんな感じになっちゃったのかな…………?

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「あんたって、嗅覚が鋭いのよね?」

 

「ああ、犬よりも多分鋭いぞ?」

 

 その気になれば、30人から40人くらいの人数までならば1人1人の体臭を嗅ぎ分けることもできるし、その中から1人がこっそり逃げ出したとしても、その体臭を嗅いで追跡する自信はある。というより、俺の嗅覚がラウラよりも発達していることを見抜いた親父によってそのような訓練を受けさせられたので、臭いを索敵に活用するのはお手の物だ。

 

 ニヤリと笑いながら答えると、ナタリアは左手をPP-2000のフォアグリップから離して、頭の上にかぶっている筈の規格帽をかぶり直そうとした。彼女はいつも規格帽か軍帽をかぶっているんだけど、さっき大気流で吹っ飛ばされたときにどこかに行ってしまったことにまだ気付いていなかったらしい。

 

 気付いていなかったことが恥ずかしかったのか、一瞬だけ恥ずかしそうな顔をするナタリア。俺から目を逸らした彼女は、息を吐いてから質問する。

 

「じゃあ、家の中から何の匂いがする?」

 

「うーん…………ナタリアの匂い?」

 

「なにそれ」

 

 正直に言うと、8割が砂埃とカビの臭いが混ざり合った凄まじい臭いだ。あまりこの臭いは嗅ぎたくないな。ダンジョンとか廃墟の中で散々嗅いだ臭いだから、はっきり言って飽きてしまった。

 

 うんざりする臭いだ。

 

「ち、ちなみに、私の匂いってどんな匂い?」

 

「そうだなぁ…………ラウラの匂いほど甘くはないかな? なんだかツンツンした感じ?」

 

「刺激臭ってこと!?」

 

「い、いや、そういう意味じゃねえって!」

 

 そんな失礼なこと言うわけねえだろ!? 

 

 というか、匂いって表現しにくいんだよ! 

 

「ええと―――――――――――あ、甘酸っぱい匂い…………?」

 

「えっ?」

 

 ああ、こんな感じだ。

 

「花の匂いみたいな甘い香りだけど、しっかりしているというか…………ナタリアらしい匂いだよ」

 

「そ、そうかしら…………?」

 

「ああ。いい匂いがする」

 

「…………変態キメラ」

 

「えぇ!?」

 

 何でだよぉ!? 

 

「えへへへっ。お姉ちゃんはタクヤが変態でも大好きだよっ♪」

 

 お姉ちゃん、部屋に戻ったら思い切り甘えさせてください。

 

 あのね、俺は嗅覚が発達してるだけだからね? 変態じゃないよ?

 

 そう言いたかったが、先ほどまで少しばかり顔を赤くしていたナタリアが真面目な表情に戻っていたのを目にしてから、俺も同じようにそういうことを考えるのは後回しにする。

 

 ここはダンジョンの中だ。環境は最悪で、魔物も凶悪。はっきり言うと人間が住む地域に適しているとは言えない。かつては人間が住んでいた場所だというのに、今ではもう人間を寄せ付けない危険な場所と化しているのだから。

 

 油断すれば死ぬ。適当に警戒していれば魔物に不意打ちされるし、油断すればダンジョンの危険な環境で命を落とす。先ほど吹っ飛ばされた時は片足の骨を折った程度で済んだが、着地した場所がもし魔物の巣のど真ん中だったら、とっくに俺は食い殺されていた筈だ。危うくゴブリン共に食い殺されるところだったけどね。

 

 ちなみに、ゴブリンのオスはよく人間やエルフの女性を襲う事があるという。特に発情期のゴブリンは男性を無視して女性を最優先で襲い、そのまま犯してしまうケースも存在する。

 

 確かゴブリンの発情期は2月から3月下旬まで。今は3月上旬だから、ゴブリンたちは発情期というわけだ。

 

 …………あ、危ないじゃん。

 

 というか、あの倉庫の中で襲い掛かってきたゴブリン共は、もしかしたら俺の事を食い殺すのではなく犯そうとしていたのではないだろうか。

 

 なんだかカノンの奴は大喜びしそうだなぁ。こんな話をしたら、こっそりと成人向けのマンガを自分で書いてしまうかもしれないから、この話は絶対にしないことにしよう。というか、身内にも絶対してたまるか。

 

「ゴライアスはここで待機。気流がヤバくなったらナタリアの家を有効活用させてもらう」

 

「はぁ!? 何それ!?」

 

『了解(ダー)。私たちもお邪魔していい?』

 

「イリナちゃん!?」

 

「冗談だって。何かあったらすぐ知らせてくれ」

 

『了解(ダー)』

 

 よし。

 

 通信を終えてから、ベリルを破片の刺さった禍々しいドアへと向ける。きっとネイリンゲンが壊滅する前は、開放的な田舎の街に佇む伝統的なデザインの民家だったのだろう。こんな廃墟と化す前の街の風景を思い浮かべながら、きっとあの事件さえなければここはまだナタリアの”家”だった筈だと思った俺は、溜息をついてからドアを睨みつけた。

 

 無駄だ、そんなことを思い浮かべようとしても。

 

 結局俺たちが21年前にタイムスリップし、親父たちにこのネイリンゲンが壊滅することを教えたにもかかわらず、この”傭兵の街”は壊滅した。最強の傭兵ギルドと言われた少数精鋭の傭兵たちですら、ネイリンゲンが壊滅し、ダンジョンと化すという悲惨な運命を変えられなかったのだ。

 

 どれだけ立派な武器で武装しても、変えられないものはあるのである。

 

 仲間たちに合図してから、俺はドアノブへと手を伸ばそうとして、その手をぴたりと止める。隣にいたナタリアが問いかけるよりも先に、隣にいるラウラはどうして俺がドアを開けなかったかを悟ったらしい。

 

 ―――――――カビと砂埃の臭いに紛れ込んだ、魔物の体臭。

 

 汗と血肉と腐臭を混ぜ合わせたグロテスクな悪臭が、微かに廃墟の中を満たす砂埃の臭いに紛れ込んで、壁の穴から一緒に漏れ出し、俺の鼻孔へと流れついたらしい。

 

 おそらくこの体臭の薄さだと、家の中にいるのは1体程度だろう。魔物の種類は不明だが、一般的な家の廃墟の中に潜んでいるという事は、少なくとも身長は常人と変わらないか、それよりも小さい。ここに生息する魔物の中でそれくらいのサイズなのは、ゴブリンだけだ。

 

 お出迎えか。

 

 さっそくベリルの5.56mm弾をプレゼントしてやろうと思ったけど、残念ながらこいつにサプレッサーを付けていなかった。さっきみたいに銃声で魔物を刺激し、包囲されるのはごめんだ。大人しくポイントを消費してサプレッサーを付けるか、あらかじめサプレッサーを付けておいた愛用のPL-14をぶっ放すか、刀身とグリップを少しばかり延長した改造型のスペツナズ・ナイフでとっとと始末するしかない。

 

 さて、どれにしようかな。

 

「タクヤ、位置は分かる?」

 

「玄関のドアのすぐ裏。多分ゴブリン」

 

「…………」

 

 すると、ナタリアがこっちを見つめながら頷いた。

 

 幼少の頃だけとはいえ、自分が生活していた実家の中に住み着いている魔物が許せないのだろう。グリップを握っている両手に力を込めてからその力を抜き、息を吐いてから再びドアを見つめるナタリア。オープンタイプのドットサイトを覗き込む彼女の目つきは、明らかにいつもよりも鋭い。

 

 では、彼女に仕留めてもらおうか。

 

 ラウラに目配せし、何とか原形を留めている金属製のドアノブに手をかけたまま、ナタリアに道を譲るようにドアの左側へと移動する。ラウラも利き手である左手でセレクターレバーをフルオートに切り替えつつ、ドアの真正面に立つナタリアをバックアップする準備をする。

 

 はっきり言うと、この3人の中で練度が一番低いのは彼女だ。銃などの現代兵器の扱い方は知っているとはいえ、実際にそれを扱った時間は俺たちに大きく劣る。

 

 経験はかなり大きな武器になるからな。

 

 けれども、彼女に「俺が代わりに突入する」と言うつもりはなかった。

 

 銃を構えるナタリアに目配せして、彼女が完全に準備を終えた瞬間に、俺は壊れかけのドアノブを捻ってから思い切り建物の内側へと押し込んだ。15年ぶりにかつてここに住んでいた少女を迎え入れることになった家のドアは、軋む音と床に転がる小さな破片や瓦礫を跳ね飛ばす音を奏でながら内側へと進んでいき、玄関で俺たちを待ち構えていた馬鹿なゴブリンの眉間を問答無用で打ち据える。

 

 ごつん、と人間の頭を板で殴りつけたような音と、不意打ちされたゴブリンの悲鳴。その後に飛び込んでいったのは、サプレッサー付きのSMG(サブマシンガン)が吐き出した9mm弾の無慈悲な弾幕だった。

 

『ギィッ――――――――――』

 

 独特な声を発しながら、ナタリアの逆鱗に触れてしまった哀れなゴブリンが崩れ落ちる音がする。微かなゴブリンの体臭と砂埃の臭いの中に鮮血の臭いが溶け込み、嗅ぎ慣れた臭いへと変貌したのを知った俺は、すぐにベリルを家の中へと向けた。

 

 やっぱり、玄関には蜂の巣にされたゴブリンが倒れていた。胸板に数発と下顎に2発分の風穴があり、眉間と脳天の間に3つほど風穴が縦に並んでいるのが分かる。

 

 胸板だけでも十分なのに、頭にもぶち込んだのか。

 

「…………………なあ、これはナタリアのお母さんじゃないよな?」

 

「当たり前よ。私のママは金髪だし、もっと身長も高いわ」

 

「あ、そういえばナタリアちゃんのお母さんってどんな人なの?」

 

 構えていたPP-2000を下したナタリアは、苦笑いしながら答えた。

 

「私はよくママに間違われるの」

 

「そんなに似てるの?」

 

「ええ」

 

 俺と同じじゃん。

 

 なるほどね、ナタリアはお母さんに似てるのか。どんな人なんだろう? いつか会ってみたいな。

 

「さあ、早く天秤を見つけて帰りましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナタリアの実家の中は、荒れ果てていることを除けばごく普通の伝統的な民家と同じだ。木とレンガで作られたオルトバルカ王国の伝統的な建物で、2階建てになっている。1階はリビングとキッチンと浴室―――――――――産業革命以前の建物であるため水道はない―――――――――とトイレがあり、2階には両親の寝室と子供部屋があるようだ。

 

 どの部屋も瓦礫や残骸の山と化しており、幼少期のナタリアが眠っていた小さなベッドは、完全に砂埃に覆われてしまっていた。

 

 かつての自分の家へと戻ってきたことを喜ぶナタリアと一緒に家の中を探し回ったのだが―――――――――1階と2階には、当たり前だが天秤らしきものは見当たらなかった。

 

 けれども、ラウラがエコーロケーションを使ってくれたことにより、俺たちはあるものを見つけることができた。

 

「―――――――家の中に、こんなものがあったなんて…………」

 

 リビングを探し回っていた俺とナタリアとラウラの3人の前に鎮座しているのは、下へと伸びる木製の階段。左右の壁にはランタンを引っかけるための錆び付いた金具があり、その階段の奥には、錆び付いたドアノブのついた金属製の扉がある。

 

 その入り口が隠れていたのは、砂塵を含んだ風が容赦なく流れ込むリビングで眠っていた、すっかり古びた本棚の裏側であった。

 

 そう、地下室である。

 

 ベリルに搭載したライトで通路を照らしつつ、下へと降りて扉のすぐ前へと向かう。ドアノブは完全に錆び付いており、捻ろうとしても微動だにしない。強引に捻ればポロリと取れてしまいそうだな。

 

 ドアには鍵がかかっている。当たり前だが、この中にこのドアの鍵を持っている者はいない。もちろん家の中にも、このドアを開けるための鍵と思われるものは存在しなかった。

 

 C4爆弾を設置して吹っ飛ばせば容易くこじ開けられそうだが、出来ればそういう事はしたくないな…………。

 

 15年も暴風に晒されていたせいで、ナタリアの家はかなりボロボロになっている。しかも地下で爆発物を使えば、瓦礫で生き埋めにされるのが関の山だ。3人で埋葬される死人の真似事はしたくない。

 

「鍵がない…………」

 

「ナタリアちゃん、鍵は持ってないよね?」

 

「持ってないわよ。―――――――あっ、ちょっと待って」

 

「どうした?」

 

 心当たりがあるのか?

 

「ええと…………小さい時の記憶だから、あまりあてにならないかもしれないけど…………ネイリンゲンからエイナ・ドルレアンに逃げた時、ママが何かの鍵を大切そうに持っていたの」

 

「まさか、その鍵がこの地下室のドアを開ける鍵か?」

 

「分からないけど…………多分そうかも。―――――――でも、ここに地下室があるなんて聞いたことがないわ。ママはどうして黙ってたのかしら…………」

 

 娘に知らせるわけにはいかない情報が、この扉の向こうにあるってことか。その情報が一体何なのかは分からないが、もし天秤に関するヒントやメサイアの天秤そのものであるのならば、何としても手に入れなければならない。

 

 爆発物は使えそうにないし、強引に突き破ろうとすれば時間がかかる。その間にまた大気流のレベルが上がったらかなり面倒なことになりそうだ。

 

「―――――――ナタリア、お前のお母さんはまだその鍵を持ってると思うか?」

 

「えっ? た、多分持ってると思うわよ? 大切な鍵みたいだし、捨てるとは思わないわ」

 

「タクヤ、どうするつもり?」

 

「…………今から、エイナ・ドルレアンまで取りに行けそうかな?」

 

 かなり無茶な事だ。一旦オブイェークト279で大気流の外まで送ってもらい、俺たちが本格的な旅を始めたばかりの頃に立ち寄ったエイナ・ドルレアンに逆戻りしなければならないのだから。

 

 もし仮にナタリアのお母さんから鍵を渡してもらえたとしても、この先に眠っているのが天秤や、天秤に関するヒントではない可能性もある。もし天秤に関係のないものが眠っているだけだったらただの時間の無駄だ。

 

「―――――――行ってみましょう」

 

「お、てっきりダメって言うと思ってたぞ」

 

「何言ってんのよ」

 

 PP-2000をホルスターに戻したナタリアは、胸を張りながらこっちを見上げた。

 

「ダンジョンを調べて、徹底的に解き明かすのが冒険者の使命でしょ?」

 

「―――――――ははははっ、確かにな」

 

 確かにそうだ。それが冒険者の存在意義なのだから。

 

「よし、一旦エイナ・ドルレアンに戻るか」

 

「ええ」

 

「ふにゅっ♪」

 

 錆び付いた扉を睨みつけながらそう言った俺は、仲間たちと共に踵を返し、今しがた降りてきた階段を上り始めた。

 

 

 

 

 

 



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鍵と母親

 

 

 カルガニスタンからネイリンゲンへと向かうためには、数多の冒険者や魔物を凍えさせた、シベリスブルク山脈を越える必要がある。猛烈な熱風が荒れ狂う砂漠を越え、恐ろしい雪山を突破してから、王都ラガヴァンビウスを経由して南方のエイナ・ドルレアンへと向かう。そしてそこから馬車に乗り換え、ネイリンゲンまで直行する。

 

 普通の冒険者ならば、そうしなければたどり着けない。いくら冒険者の収入が高いとはいえ、自由自在に空を舞う事ができる飛竜に乗ることができるのは貴族だけ。飛竜は人間を乗せる訓練をするためにかなり手間がかかるし、立派な飛竜に育てるのにも更に費用がかかる。そのため貴族以外で飛竜を保有するのは騎士団のみ。中には飛竜を移動に使う冒険者もいるが、そういう冒険者は貴族たちと太いパイプがある一部の冒険者くらいだ。

 

 産業革命以前までの移動手段は、大概は徒歩か馬である。荷馬車に乗る商人に金を支払い、目的地の近くまで乗せてもらうことは、列車が登場して馬車の数が減りつつある今の時代でも珍しい光景ではない。

 

 商人たちにとっても臨時収入になるし、その冒険者が腕の良い冒険者ならば、格安で護衛を雇っているようなものなのだ。

 

「それにしても、ナタリアの家の地下には何があるのかな?」

 

「さあ…………?」

 

 首を傾げながらペリスコープを覗き込むイリナが問いかけるが、一度もあの扉の向こうを見たことがないナタリアも、腕を組みながら首を傾げる事しかできない。

 

 あの中にもしかしたら天秤そのものか、天秤についてのヒントがある可能性もある。C4爆弾で吹っ飛ばせれば手っ取り早いんだけど、その”いつも通りの方法”を使ってしまうと、何年も大気流に晒され続けていたナタリアの家に”止め”を刺す結果になってしまい、俺たちまでその残骸で生き埋めになってしまう可能性が極めて高い。

 

 爆破についての訓練も受けたから、破壊工作についてもお手の物なんだが、さすがにあれは無理だ。いくら何でも家が脆くなり過ぎており、最も脆い場所であれば、1個のC4爆弾の爆発でも倒壊させることができるほどだ。

 

 いつも通りに爆破してドアをこじ開け、地下室に”お邪魔”できたとしても、その直後に俺たちは降り注いだ瓦礫に押し潰されて生き埋めにされ、土の下で”埋葬された死人ごっこ”をする羽目になる。

 

 それよりは、手間がかかってしまうものの、エイナ・ドルレアンにいる筈のナタリアのお母さんから鍵を借りて、安全に扉を開けた方がマシである。

 

 もし仮に徒歩でエイナ・ドルレアンに行く羽目になったら、多分到着する頃には夕日が完全に沈み、ダンジョンから帰ってきた冒険者たちで酒場やパブは埋め尽くされているに違いない。そこから鍵を借りてネイリンゲンまで引き返せば、到着するのは朝日が昇り始める頃になるだろうか。

 

 ダンジョンと化したネイリンゲンは、簡単に言えば”危険な環境と危険な魔物が牙を剥く危険地帯”である。それゆえに隣国のラトーニウスも、ここを突破してオルトバルカに攻め込むことができないのだ。迂回しようとしてもオルトバルカの国境警備隊がしっかりと警備しているし、近隣には大規模な駐屯地まである。

 

 つまりネイリンゲンは、今ではオルトバルカを守る”防壁”として機能しているのである。だからここを調査され、魔物を全滅させられたら、せっかく魔物たちに守らせていた南方の防衛戦がなくなってしまうので、王室はここの調査にはかなり消極的なのだ。

 

 だから、列車の駅があるのはネイリンゲンの近隣の村まで。そこからネイリンゲンまで向かう馬車はないので、実質的にそこから徒歩で移動しなければならない。

 

「そういえば、ナタリアさんのお父様は何をなさっているお方ですの?」

 

「…………魔術師よ。本も出版していたし、騎士団の魔術師部隊の教育を行う講師として雇われていたこともあったらしいわ」

 

 魔術師部隊の講師だって? おいおい、エリートじゃねえか。

 

 オルトバルカ王国は、他国と比べると魔術に関する技術がかなり発達しており、産業革命以前から他国よりも先に魔術師の育成に力を入れ、強力な魔物を葬れるほどの威力の魔術を生み出し、それを習得した魔術師たちを積極的に”実戦投入”していた先進国である。

 

 この魔術の発達によって他国に差をつけ、オルトバルカ以外の列強国を圧倒するほどの力を手に入れたと言っても過言ではない。

 

 周辺諸国や同盟国が、優秀な人材を育てるためにオルトバルカへと魔術師たちを留学させることも珍しくはない。

 

 その先進国の精鋭部隊ともいえる魔術師部隊の教育のために、ナタリアの父親は講師として雇われたことがあるという。

 

「では、ナタリアさんも幼い頃にお父様から魔術を教わりましたの?」

 

 砲手の席に座るカノンが尋ねると、ナタリアは息を吐いてから首を横に振った。

 

「…………死んじゃったの。私がママのお腹にいる時に、病気でね」

 

「……………………」

 

 なんとか微笑むナタリアに向かって申し訳なさそうに頭を下げたカノンは、質問するのを止めてペリスコープを覗き込んだ。

 

 そういえば、ナタリアはエイナ・ドルレアンでお母さんと2人暮らしをしているらしい。俺もてっきりナタリアのお父さんは騎士団に雇われて仕事ばかりしているから家にいないのだろうと思っていたが、他界していたのか…………。

 

「名前は『ロイ・ブラスベルグ』。魔術に関する本だけじゃなくて、錬金術の教本も出版してたみたい。家に置いてあったわ」

 

 あ、多分俺の家にもナタリアのお父さんの書いた本があったような気がする。確か、俺が小さい頃からよく読んでいた魔術の教本に記載されていた著者の名前も、ロイ・ブラスベルグだった。

 

 びっくりしたよ。小さい頃からナタリアのお父さんにお世話になったというわけか。

 

「俺の家にも魔術の本があったよ。著者はナタリアのお父さんだった」

 

「あら、そうなの?」

 

「ああ。その本で魔術を学んだ」

 

「へえ…………でも、あんたの魔術って変よね」

 

「う……」

 

 そうなんだよね。どういうわけか、俺の魔術は変なのだ。

 

 簡単な魔術の1つでもあるファイアーボールを使おうとすると、普通は紅蓮の炎の球体が魔力によって生成され、正面へと射出される。弾速には個人差があるものの、さすがに弾丸ほどの弾速ではないため回避は簡単だ。

 

 けれども俺の場合は、どういうわけか蒼いレーザーのような光が、まるで本物のレーザーのような凄まじい弾速で真正面へと放たれ、標的を”焼き切る”のである。

 

 本来のファイアーボールよりも強力だし、弾速も速いから重宝しているんだが、なんだか初歩的な魔術もできない落ちこぼれになった気分になっちゃうんだよね…………。でも、その初歩的な魔術よりも強力なんだし、このままでもいいかな?

 

「きょ、強力だからいいじゃん」

 

「そうだけど…………パパの本、読んだんでしょ?」

 

「…………多分、キメラの遺伝子のせいだ」

 

「何よそれ。ふふふっ」

 

「わ、笑うなよぉ! 俺だって努力したんだって!」

 

 ラウラは魔術が得意なんだよなぁ…………。生成できる氷が紅い点を除けば、もう既にプロの魔術師を圧倒できるほどの技術を持っているし、しっかりとエリスさんから”絶対零度”の異名の由来となった氷属性の魔術を変幻自在に操る才能と、膨大な量の魔力を受け継いでいる。

 

 氷の粒子を身に纏って姿を消すあの疑似的な光学迷彩も、膨大な魔力と、氷の粒子のサイズや量を戦闘中でも正確にコントロールできるほどの集中力がなければ扱えない。

 

 はっきり言うと、魔術ではラウラに惨敗している。

 

「ところでタクヤ、エイナ・ドルレアンまではヘリで向かうのですか?」

 

「そうしたいところだが…………モリガン・カンパニーに、エイナ・ドルレアンに向かったという事は察知されたくない。下手したらナタリアのお母さんまで争奪戦に巻き込む羽目になる」

 

「!」

 

 そう、もしそんなことになってしまったら大問題だ。

 

 ヘリを使えばすぐに到着するが、もしモリガン・カンパニーの部隊にレーダーで探知されてしまったら、俺たちがエイナ・ドルレアンに向かったという事がすぐにバレてしまう。未だにモリガン・カンパニーに動きはないらしいが、俺たちがいきなりエイナ・ドルレアンに向かえば親父たちは間違いなく追撃してくるだろう。

 

「だから、目立たないように徒歩と列車で向かうよ。帰りが遅くなりそうだけど…………。ところで、イリナたちはどうする? 一緒に来るか?」

 

「いや、僕たちはもう少しここを調査してるよ」

 

「大丈夫か? ラウラのエコーロケーションなしでの調査は骨が折れるぞ?」

 

「さすがに市街地の調査は無理だけど…………まだ、調べてない場所はあるよね?」

 

「調べてない場所? ―――――――おいおい、まさかあそこを調べる気か?」

 

 確かに、まだ調べていない場所がある。

 

 けれども、そこにメサイアの天秤がある可能性はかなり低い。

 

「…………うん、ちょっと旧モリガン本部を見てみるよ」

 

「気流には気を付けろよ」

 

「分かってる」

 

 旧モリガン本部は、まだ半壊した状態でネイリンゲンから少し離れた丘の近くに鎮座し続けている。かつてはキッチンや地下の射撃訓練場があった筈の場所は瓦礫に埋め尽くされていたし、辛うじて無事だった寝室や応接室も埃だらけだった。しかも大気流の真っ只中にずっと鎮座していたのだから、前に訪れた時よりも更に損傷しているに違いない。

 

 下手したら倒壊するのではないだろうか。

 

「あ、それと夜になったらネイリンゲンから離れろ」

 

「何で?」

 

「―――――――ネイリンゲンにはな、15年前の襲撃事件で犠牲になった住民たちの幽霊が出る」

 

「ひぃぃぃ!?」

 

 ニコニコしながらペリスコープを覗き込んだり、キューポラから外の様子を確認していたイリナが、俺がそう言った瞬間に目を見開きながらこっちを見た。嘘だよねと言わんばかりに目を見開きながらこっちを見ている彼女に「うん、嘘だ」と言ってあげたいところだけど――――――――実際に、その幽霊にあの世へと連れて行かれそうになったのだから、幽霊が出るのは本当である。

 

 というか、吸血鬼も幽霊を怖がるのか? 夜間に行動する人が多いらしいから、幽霊や怪奇現象には慣れているんだろうなと思ってたんだが、どうやら幽霊が苦手な人はいるらしい。

 

 なんだか面白いな、イリナは。

 

「夜になると、廃墟の中から犠牲になった人々の呻き声や呪詛が聞こえてくるんだ…………。『助けて』、『苦しいよ』、『子供を殺したのはお前か』って…………」

 

「うっ…………」

 

「そして死者たちが手を伸ばしてきて――――――――」

 

「ひっ…………!」

 

「ちょっと、あまり怖がらせないでよ? 気にしないでね、イリナちゃん。冗談だから」

 

「いや、実際に俺は幽霊にあの世に連れて行かれる寸前だったんだけど?」

 

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? す、ステラちゃん、もうタンプル搭に帰ろう! 僕もう帰りたい!」

 

「イリナ、落ち着いてください。多分タクヤのジョークです」

 

 うん、ジョークだよ。でも幽霊にあの世へと連れて行かれそうになったのは本当だからな。

 

 でも、あの時はちょっと不思議なことが起きたんだよな。

 

 幽霊の女の子に連れて行かれそうになった時、親父が助けてくれたんだ。あの時、親父は王都にいた筈だし、一緒にいた仲間たちやガルちゃんは親父はいなかったと言っていた。それに、助けに来てくれた親父は王都にいた筈の親父よりも、少しだけ若かったような気がする。

 

 何だったんだろう? あれは幻だったのだろうか?

 

「とりあえず、調査する時は気を付けろ。いいな?」

 

「だ、了解(ダー)…………うう…………」

 

 ビビり過ぎだよ、イリナ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オブイェークト279で大気流の範囲外まで送ってもらった俺たちは、ネイリンゲン調査のために残った3人と別れ、かつて旅を始めたばかりの頃に立ち寄ったエイナ・ドルレアンを目指していた。

 

 ヘリや戦車で移動したかったのだが、移動に兵器を使えば目立ってしまうし、モリガン・カンパニーの部隊にレーダーで発見されてしまう恐れがある。俺たちがエイナ・ドルレアンへと移動したことを悟られないためにも、従来の移動方法で南方の大都市へと向かわなければならなかった。

 

 荒地と化した草原を徒歩で移動し、列車の駅がある最寄りの村まで移動してから、そのまま切符を購入して列車に乗る。どうやら旅に出ている間に新型の機関車が普及し始めていたらしく、前世の世界の日本で開発された蒸気機関車の”D51”に似ていたフィオナ機関搭載型の機関車が、同じく日本製の”C61”を彷彿とさせる形状の機関車に変わっていた。

 

 小さな村の駅だったけれど、幸いエイナ・ドルレアンに直行する列車があったため、俺たちはそれを利用することにしたのだ。

 

 さすがに産業革命で産声を上げた異世界の列車は、従来の馬車よりもはるかに速い。機関車の上部に4本ほど設置されている煙突のような部位から魔力の残滓を吐き出して疾走する列車に、馬車に乗る商人たちや、一般的なロングソードを装備した冒険者たちがどんどん置き去りにされていく光景を見つめながら、車内で販売されていたサンドイッチとフィッシュアンドチップスを夕食代わりにする。

 

 いつもは非常食を持ち歩いているのだが、その非常食はネイリンゲンでの調査のために残った仲間たちに全て渡している。もしかしたら調査が長引くかもしれないからな。あの大気流の真っ只中で魔物を討伐し、ナイフで肉を切り裂いて食料代わりにするのは至難の業である。

 

 それに俺たちは、いざとなったら売店や露店で非常食を購入すればいい。

 

『乗客の皆様。まもなく、終点のエイナ・ドルレアンへと到着いたします』

 

「お、そろそろか」

 

 ラガヴァンビウスに行く場合は、隣にあるホームのラガヴァンビウス行きに乗り換える必要があるらしいが、俺たちの目的はエイナ・ドルレアンだ。乗り換える必要はない。

 

 やがてエイナ・ドルレアンを囲む純白の防壁が姿を現し、列車を通過させるために防壁の門を開放し始める。少しずつ減速を始めた列車がその門の向こうへと進んでいき、門が閉鎖される音を置き去りにしながら、エイナ・ドルレアン駅のホームへと向かっていく。

 

 天井が殆どガラス張りになっているエイナ・ドルレアン駅は、開放的な雰囲気と貴族が好みそうな優雅さを兼ね備えた、巨大な芸術品と言っても過言ではない。雨の日はガラス張りになったホームの天井が、雨粒が落下して生み出す小さな波紋たちを幻想的な模様へと変えるという。

 

 けれども今日は快晴で、もう夕日が沈み始めている。段々と黒くなりつつある夕日を浴びた駅の天井を眺めているうちに、列車がホームでゆっくりと停車した。

 

「おい、ナタリア。ついたぞ」

 

「んっ…………ああ、ありがと…………」

 

 寝てたのか…………。

 

 ネイリンゲンを調査してからすぐ移動したからな。疲れていたに違いない。

 

 瞼を擦りながら荷物を確認し、席から立ち上がってホームに降りる準備をするナタリア。俺もそうしたいんだけど、隣の席で未だに寝息を立てている腹違いのお姉ちゃんが左腕にしがみついているので立てません。お姉ちゃん、そろそろ起きてくれませんか。

 

「おーい、起きろー」

 

「ふにゅ…………うふふ……タクヤぁ…………。あかちゃん、いっぱいうまれたよぉ…………」

 

「ラウラ、ほら。起きろよ。降りるぞ」

 

「にゃあ…………ふにゅ? もう着いたの?」

 

「うん」

 

 お姉ちゃん、出来ればそういう寝言は部屋で寝ている時だけにしてね。たった今近くの席に座ってたエルフのお爺さんに睨まれたから。

 

 瞼を擦りながら席から立ち上がったラウラと手を繋ぎながら、ナタリアと一緒にホームへと降りる。今までカルガニスタンで生活していたからなのか、そろそろ春になるというのにエイナ・ドルレアンは随分と寒いような気がしてしまう。

 

 ちらりとホームから街を見てみると、路地や建物の影にはまだ微かに雪が残っている。雪国であるオルトバルカの春と夏は非常に短く、冬は非常に長い。4月や5月になっても雪が残っている地域もあるという。

 

 ホームから石で造られた豪華な階段を下り、改札口に描かれた魔法陣に購入した切符をかざす。すると魔法陣が描かれていた切符から認証用の魔法陣が消滅し、ただの紙切れへと変貌した。

 

 切符売り場を3人で横切り、駅の外へと出る。

 

「ナタリアの家ってどの辺にあるんだ?」

 

「リリンフスク・ストリートにあるわ。近くに工場の倉庫があるの」

 

 そう言うと、彼女は俺たちを家があるリリンフスク・ストリートへと案内してくれた。何度もこの街を訪れているとはいえ、ここにやってきた時の目的地は、大概シンヤ叔父さんたちの家かカレンさんたちの屋敷である。稀に大きな劇場に連れていってもらったことがあるが、その劇場がどこの辺にあったのかは覚えていない。

 

 以前に訪れた時と比べると、市街地の建物はかなり増えていた。廃墟は片っ端から取り壊されて労働者用の寮が建築され、工業区画の工場はどんどん大型化している。

 

 どうやらリリンフスク・ストリートはエイナ・ドルレアン駅のすぐ近くにあったらしい。工業区画と居住区の間にあるゲートの近くにはずらりと工場の倉庫が並んでおり、その傍らに様々な色のレンガで造られた民家が並んでいるのが分かる。

 

 よく見ると、その工場の倉庫の中に、モリガン・カンパニーのロゴマークが描かれた工場も紛れ込んでいた。大きな扉の向こうからは、やけにでっかい木箱を抱えたオークの従業員が、汗を流しながらその木箱を運搬している姿が見える。他の工場の倉庫で働く従業員と比べると生き生きしているし、他の種族の同僚たちと楽しそうに話をしながら働いているようだ。

 

 差別は全くされない上に、待遇も最高で、しっかりと給料を支払ってくれるモリガン・カンパニーは、まさに労働者たちにとって最高の職場と言える。

 

 ナタリアが目指しているのは、そのモリガン・カンパニーの倉庫の向かいにある民家だった。茶色いレンガで造られた2階建ての民家は、一見するとオルトバルカの伝統的な民家にも見える。ナタリアの昔の実家にそっくりなデザインの民家の前に立ったナタリアは、恥ずかしそうにちらりとこっちを見てから、玄関のドアをノックした。

 

『はーい、ちょっと待ってくださいねー』

 

 中から、優しそうな女性の声が聞こえる。少しばかりツンツンしているナタリアと比べると大人びた声音で、常に微笑んでいる女性を連想してしまうような優しい声だ。

 

 やがてドアが開き、向こうから金髪の女性が顔を出す。

 

 顔立ちはやはり、ドアをノックしたナタリアにそっくりだった。けれども目つきはナタリアよりも優しそうだし、瞳の色も翡翠色だ。彼女と同じ金髪だけど、ナタリアが金髪をツインテールにしているのに対し、家の中から顔を出した女性はロングヘアーにしている。

 

 身に纏っているのは一般的な私服だけど、私服よりも貴族が身に纏うようなドレスが似合うのではないだろうか。

 

 ちなみに胸はナタリアよりもちょっと大きい。巡洋戦艦くらいだな。

 

「あら、ナタリアじゃない! どうしたの? 冒険は?」

 

「えっと、ちょっと用事があって…………」

 

「なあ、ナタリア。お前にお姉さんっていたっけ? 一人っ子じゃなかった?」

 

「うふふふっ、初めまして♪ 私はナタリアの姉の―――――――」

 

「もうっ、ママ。嘘ついちゃダメでしょ?」

 

 嘘かよ。

 

 でも、本当にナタリアの”母”というよりは”姉”に見えてしまうほど若々しい。それに顔つきもナタリアとそっくりだ。もし髪型と服装を全く同じにしたら、瞳の色以外で見分けるのは難しいかもしれない。

 

 なんだか俺と母さんみたいだな…………。

 

「ごめんねー♪ ええと、私はナタリアのママの『エマ・ブラスベルグ』。よろしくねっ♪」

 

 ウインクしながら自己紹介したエマさんは、微笑みながらナタリアの頭を撫で始める。久しぶりに帰宅した愛娘と再会できたのが嬉しいんだろうか。

 

 明るいお母さんだなぁ…………。

 

 そう思いながら、俺とラウラはナタリアが母親に頭を撫でられているのを見守るのだった。

 

 



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地下室

 

 

「うふふっ。はい、紅茶」

 

「どうも」

 

 鼻歌を歌いながら紅茶を淹れてくれたエマさんにお礼を言ってから、ちらりとリビングの中を見渡す。

 

 雰囲気は、かつて俺たちが住んでいたネイリンゲンの森の中にあった家にそっくりだ。木材やレンガを多用しているからそういう雰囲気を感じてしまうのだろうか。産業革命で工業が一気に発達してからは、もっと殺風景な建物が一気に増えたからな。

 

 焼きたてのクッキーがこれでもかというほど盛り付けられた大きな皿をテーブルの上に置き、ナタリアの隣に腰を下ろすエマさん。雰囲気は違うけれど、やっぱりナタリアとエマさんはそっくりだ。見分け方は瞳の色だろうか。

 

 というか、この人何歳なんだろう。多分親父や母さんと同い年くらいとは思うんだが、とても親父と同い年くらいの女性とは思えない。20代前半にしか見えないぞ…………。

 

「ところで、冒険者になった気分はどう? 傭兵よりも面白いでしょ?」

 

「ま、まあね…………。それに、頼もしい仲間とも出会えたし、正解だったと思うわ」

 

「うふふっ、だから言ったでしょ?」

 

 頼もしい仲間ねぇ。

 

 ラウラは確かに頼もしいと思うけれど、俺は役に立ってるんだろうか。

 

 にっこりと笑っていたエマさんは、紅茶のカップを口へと運んでから、ゆっくりと息を吐く。

 

「…………ところで、君…………ハヤカワ卿の奥さんにそっくりだけど、親戚かしら?」

 

「えっ?」

 

 あ、自己紹介するの忘れてた…………。

 

 母さんにはちゃんと自己紹介しなさいって言われてたんだよね。というか、自己紹介しなくてもハヤカワ家の関係者だってことがバレるくらいそっくりなのか?

 

「あー、はい。ええと…………俺はタクヤ・ハヤカワ。こっちの子はラウラ・ハヤカワ。どっちも、リキヤ・ハヤカワの子供です」

 

「そう…………………」

 

 焼きたてのクッキーを口へと運んだエマさんは、少しだけ下を向いてから微笑んだ。多分親父の事を考えているのだろう。転生者の襲撃を受けていたネイリンゲンで、燃え上がる街の中ではぐれてしまった自分の娘を、命懸けで救ってくれた若い傭兵の姿を。

 

 もしあの時、親父が幼かったナタリア―――――――当時は3歳だったという―――――――を救ってくれなければ、俺たちもこの頼もしいしっかり者の少女と旅をすることができなかったのだ。

 

「あの人にはお世話になったわ、本当に。……………もし家に帰ってあの人に会う事があったら、もう一度お礼を言ってもらえないかしら?」

 

「はい、しっかり伝えておきます」

 

「ありがとう。……………そういえば、この子は冒険者じゃなくて傭兵になろうとしてたの。ハヤカワ卿に憧れちゃったらしくてね♪」

 

「ちょっと、ママ!?」

 

「あははははは……………でも今は、傭兵よりも冒険者の方がいいですよね。収入も多いですし」

 

「そうなのよねぇー」

 

 昔は、傭兵の方が収入が多かったと言われている。

 

 今よりも魔物の数が多かったし、武器や魔術もまだまだ未発達であったため、最新鋭の装備が優先的に支給される騎士団であっても、今では当たり前のように討伐されているゴーレムやドラゴンと戦うだけでも一個中隊が投入されることも珍しくなかったという。

 

 特に、強力な魔術の発達が著しく遅れたラトーニウス王国騎士団の損害は非常に大きかったらしく、出撃した騎士の5人に1人が戦死するのは当たり前だったらしい。

 

 母さんはそのラトーニウス王国騎士団の生き残りなのだ。

 

 騎士団が魔物の討伐だけでも大きな損害を被るのは珍しくない時代であったため、騎士たちは常に傭兵たちの力を借りた。

 

 国に縛られる騎士団ではなく、自由気ままに戦うことを好んだ傭兵たちは、騎士団とは違って独特の武器を使い、それを用いた独特の戦い方を好んだ。騎士団とは全く違う彼らの力が功を奏することは珍しくなく、傭兵たちは魔物の討伐や荷馬車の護衛でも大活躍することになる。

 

 親父たちのギルドも、その中の1つだった。

 

 けれども今は工業や魔術が産業革命によって急激に発達しており、魔物の討伐の難易度も下がりつつある。剣の切れ味は跳ね上がり、魔術もより効率的に使えるようになったし、未だに騎士団にしか支給されていないものの、スチームライフルという強力な飛び道具も発展しつつある。

 

 そのため、騎士団が傭兵たちの力を借りることは激減した。

 

 そして各国は、今まで積極的な調査が行われることがなかったダンジョンを、本格的に解き明かすために動き出したのである。

 

 傭兵の時代から、冒険者の時代に変わったのだ。

 

「懐かしいわねぇ。小さい頃のナタリアはね、よく訓練用の剣を近所の鍛冶屋さんから借りてきて、そこの庭で素振りしてたの。『わたしもおおきくなったら、ようへいさんみたいになるのっ!』ってよく言ってたわ」

 

「ママ、やめてよ…………恥ずかしいわよ……………!」

 

 顔を真っ赤にしながら下を向いたナタリアは、ちらりと一瞬だけこっちを見た。そろそろ別の話題に切り替えてよと言わんばかりにこっちを見てきたナタリアに向かってニヤリと笑ってから、俺もそろそろ話題を切り替える準備をする。

 

 彼女の昔の話も気になるが、俺たちはエマさんから地下室の鍵を借りに来たのだ。ネイリンゲンのナタリアの実家にあった、あの謎の地下室を解き明かすために。

 

 もちろん、あの中に天秤そのものやヒントが存在すると決まったわけではない。もしかしたら全く違うものが残されているかもしれないし、何もないかもしれない。

 

 もしそうだったら、あそこを開けるためにネイリンゲンからエイナ・ドルレアンまで戻ってきた努力は水泡に帰すだろう。

 

「―――――――ところで、エマさん」

 

「あら、何かしら?」

 

 俺が話を切り替えるよりも先に、真面目な口調になったラウラが話し始めた。

 

 隣に座るラウラは、びっくりして彼女の方を見た俺に向かってウインクすると、再び真面目な表情へと戻ってしまう。

 

「私たち、今はネイリンゲンを調査してるんです」

 

 ネイリンゲンという地名を聞いた瞬間、楽しそうに愛娘の幼かった頃の話をしていたエマさんの手がぴたりと止まった。彼女が段々と微笑むのを止めていき、まるで目の前に再び姿を現した15年前の惨劇を目にしているかのように、目を細めながら凍り付く。

 

 この人も、あの惨劇で大切な人を何人も失った筈だ。そして危うく自分の大切な愛娘も失うところだったのだ。

 

 クッキーへと伸ばしていた手を引っ込めながら、ゆっくりと隣に座っているナタリアの方を見つめるエマさん。まるで危ない事をしようとしている小さな子供を咎めようとしている母親にも見えるけれど、仮にここで咎められたとしても、俺たちは調べなければならない。

 

 あの地下室を。

 

「―――――――ナタリア、本当なの?」

 

「……………ええ」

 

 まだ街を全て調べたわけではないけれど、俺たちはあそこで起こった惨劇の跡を目にしていた。

 

 倒壊しかけの民家や、家の中に残された砂埃まみれの家具。今では魔物たちが彷徨う、惨劇の街。かつては”傭兵の街”と呼ばれていたネイリンゲンの残骸を、俺たちは調べている。

 

 オルトバルカ王国の王室から見れば、はっきり言ってネイリンゲンの調査は自分たちで国境の防壁を削っているようなものだ。あの恐ろしいダンジョンと化したネイリンゲンがラトーニウスとの国境にあるからこそ、オルトバルカ王国に反旗を翻すチャンスを狙っている隣国は迂闊に攻め込んで来れないのである。防壁として機能しているダンジョンを調査し、魔物を掃討してしまえば、隣国が攻め込むための”突破口”を作ってしまうことになる。

 

 けれどもエマさんが目を細めた理由は、そんなことではないだろう。

 

 確かに祖国を危険に晒す行為は咎めるべきである。しかし、冒険者となった愛娘が、仲間たちと共にネイリンゲンを調査していて、その後に自分の元を訪れたという事が何を意味するのかを――――――――きっと悟ったに違いない。

 

 目を細めて凍り付いたエマさんを見つめながら、ラウラが話し続ける。

 

「調査中に、ナタリアちゃんの実家を発見しました」

 

「………………そう。どうだった? 結構壊れてたでしょう?」

 

「ええ、あの暴風のせいで………………」

 

 もう、エマさんは分かっている筈だ。

 

 俺たちがあのネイリンゲンの残骸の中で、何を探し当ててしまったのかを。

 

 こっちをちらりと見たナタリアが、息を吐いてから自分の母親の顔を見つめた。先ほどまでは愛娘が家を訪れてくれたことを喜んでいたけれど、今はまるで自分の最愛の子供が、解き明かしてはならない危険な代物を探し当ててしまったのを目の当たりにしてしまったかのような、不安そうな表情をしているのが分かる。

 

 何だ? あの地下室にはいったい何が眠っている……………?

 

「ママ、教えて。あの家の……………地下室の事を」

 

 俺たちがここへとやってきたのは、エマさんが持っている筈の鍵を借りるため。

 

 もしあそこがただの地下室だったのならば、C4爆弾で爆破して強引に突破していただろう。わざわざネイリンゲンから、モリガン・カンパニーに察知されないように気を払って列車を使い、エイナ・ドルレアンにいるナタリアの母親の所へとやってきたのは、あそこが倒壊しかけの廃墟の中で、爆弾を使えば全員生き埋めになる恐れがあったからだ。

 

 俺とラウラも、真剣な表情でエマさんを見つめた。

 

「―――――――あの地下室はね、夫の研究室よ」

 

「ロイ・ブラスベルグ氏のですね」

 

 ナタリアの父親であるロイ・ブラスベルグは、オルトバルカ王国騎士団の魔術師部隊の訓練のために、講師として雇われていたことがあるほどの腕の良い魔術師だったという。しかも魔術の教本も出版しており、今でも数多くの魔術師たちが教科書にその教本を利用している。俺も幼い頃から魔術の勉強をしていたが、その家にあった魔術の教本の著者も、確かロイ・ブラスベルグだった。

 

「パパの研究室………? じゃあ何で鍵を?」

 

 ―――――――”ただの研究室”じゃないからだ、ナタリア。

 

 魔術師たちは、研究室を保有するのが当たり前である。彼らの役割はパーティーの仲間たちを強力な魔術で援護したり、負傷した仲間を治療することだが、あくまでもそれは自分たちが身につけた魔術を実戦で使っているだけ。魔術師の本来の役割は、魔術を研究して新たな魔術を生み出し続ける事だ。

 

 それゆえに、魔術師たちの研究室の中には、他人に見せるわけにはいかない”機密情報”がぎっしりと詰め込まれている。例えば未完成の新しい魔術や、従来よりも効率の良い魔力の伝達方法などである。

 

 だから魔術師たちは、必死に研究室を隠そうとする。場合によっては研究室の場所どころか、研究室を保有している事すら仲間に公表しない魔術師も多い。

 

 実際に、パーティーメンバーに”機密情報”を横取りされ、トラブルになる場合があるからだ。

 

 けれども、地下室の事を問いかけられたエマさんは、その地下室の中に眠っている夫の研究成果が解き明かされることを恐れているのではなく、明らかに何か別のものを発見されることを恐れているようだった。

 

 確かに、もしもロイ・ブラスベルグ氏が普通の研究をしていたエリートの魔術師であったのであれば、むしろその地下室を探し当てた娘に鍵を託し、父親の研究成果を引き継がせた筈だし、もしもナタリアが冒険者を続けるのであればその研究を自分が引き継ぐこともできるだろう。赤の他人には見せられないが、肉親であるならばむしろ積極的にその研究成果を公表し、後継者を探し当てる必要がある。

 

 だがエマさんは、愛娘であるナタリアに地下室の事を教えていなかった。

 

「エマさん、あの地下室の中には何が?」

 

「…………」

 

「教えて下さい。俺たちが求めているものが、あの中に眠っているかもしれないんです」

 

「…………あなたたち、何かを探しているの?」

 

 ああ、探している。

 

 最近まで実在しないのではないかと言われていた、伝説の天秤だ。

 

 3つの鍵を手に入れ、天秤の眠る場所へと到達した者だけが手にすることができる、メサイアの天秤。

 

 俺たちはもう既に、その3つの鍵を手にしている。あとは天秤そのものを探し当てて手に入れ、俺たちの願いを神秘の天秤に叶えてもらうだけなのである。

 

「―――――――”メサイアの天秤”です」

 

「ッ!」

 

 求めている物を告げた瞬間、エマさんは目を見開いた。

 

 まるで、娘にだけは絶対に触れさせないように遠ざけていた危険な代物を、娘が探し始めてしまったような危機感を感じているような表情になったエマさんは、唇を噛みしめながらナタリアの方を見る。

 

 きっとナタリアは、度々御伽噺の題材にもされている伝説の天秤を探していることを母が知れば、驚いてくれるだろうと思っていたに違いない。けれども自分たちが追い求めている物を知ったエマさんが彼女を見つめながら浮かべていたのは、まるで彼女を咎めるかのような表情だった。

 

「…………ママ?」

 

「―――――――やめなさい」

 

 唇を噛みしめながら、エマさんが告げる。

 

「ママ、待って…………知ってるの? ねえ、ママ?」

 

「あの天秤は…………ダメよ、あんな物を追い求めたら」

 

 あんな物…………?

 

 どうやらエマさんは、メサイアの天秤の事を知っているらしい。

 

 でも、どういうことだ? あの天秤は願いを叶える力を持つ、神秘の天秤ではなかったのか? 

 

 唇を噛みしめながら告げるエマさんを見つめていた俺は、かつて親父やガルちゃんにメサイアの天秤を探し求めているという事を告げた際に、止められたことを思い出す。

 

《―――――あんなもの、求めてはならん》

 

《あんなもので願いを叶えても、願いが叶わんのと同じじゃよ》

 

 ガルゴニスは最古の竜だ。寿命が存在しないエンシェントドラゴンであるため、彼女が生まれた大昔からずっと生き続けている。それゆえにメサイアの天秤の事も知っているようだったが、その最古の竜が『求めてはならない』と警告したという事は、メサイアの天秤は御伽噺に登場するような、願いを叶えてくれる伝説の天秤ではないという事なのだろうか?

 

 俺たちは、そんな危険なものを求めようとしていたのか…………?

 

「ママ、天秤の事を知ってるの!?」

 

「…………ロイが、研究していたのよ。あの地下室で」

 

「「「!!」」」

 

 やはり、あの家の地下室には天秤の手掛かりが眠っていたのか…………!

 

「教えて下さい、エマさん。お願いします…………!」

 

「…………分かったわ」

 

 エマさんは息を吐くと、ティーカップの中で冷め始めていた紅茶を全て飲み干した。

 

 彼女がティーカップを静かに置くまでに、俺とラウラとナタリアの3人は覚悟を決めなければならなかった。今まで追い求めていた伝説の天秤の正体を知る覚悟と、俺たちの旅が水泡に帰す覚悟を。

 

 ことん、とエマさんがティーカップを置いた。

 

「―――――――夫のロイの本職はね、魔術師ではなくて錬金術師だったの」

 

「錬金術師…………?」

 

 ロイ・ブラスベルグ氏は魔術師ではなかったということか。

 

「そう。彼の祖先が続けていた研究を、オルトバルカ教団に見つからないように欺きながらずっと続けていたの」

 

「教団に欺きながら…………つまり、下手をすれば”異端者”扱いされて粛清されかねないような研究ですね?」

 

「ええ、そういうことよ」

 

 魔術師や錬金術師は様々な研究を行っているが、中には行ってはならないような危険な研究も存在する。例えば、自分の失った手足の中から取り出した骨に魔法陣を刻んで武器に埋め込めば、その武器で傷つけた敵に一生消えない”痛み”を与え続けることができる『幻肢痛の呪い(ファントム・ペイン)』と呼ばれる術が存在する。

 

 傷を癒すことができても、痛みそのものは決して消えない。それゆえに多くの魔術師や錬金術師たちが、自らの四肢や奴隷の四肢を切り落として骨を取り出し、研究に使うという事件が何件も起こった。それを危険な術であると認定したオルトバルカ教団によって、その幻肢痛の呪い(ファントム・ペイン)は、術の使用や研究を全て禁じる『禁術』に認定されたのである。

 

 そのような禁術の研究をしていたことが発覚すれば、どのような身分の者であろうと教団の兵士たちが派遣され、粛清される。

 

 ナタリアの父親も、そのような研究を行っていたというのか。

 

「パパは一体何を…………?」

 

「―――――――メサイアの天秤の、完全な封印方法よ」

 

「!?」

 

 メサイアの天秤の封印…………!?

 

「どういうことですか!? 天秤を封印するなんて…………!!」

 

「パパのご先祖様が、研究していた事…………」

 

「ええ、そうよ。ロイのご先祖様が、ずっと子孫に託してきた研究なの」

 

「ママ、パパのご先祖様って誰なの?」

 

「―――――――名前は『フリッツ・ブラスベルグ』。メサイアの天秤を完成させたヴィクター・フランケンシュタインの、助手だった錬金術師よ」

 

 エマさんの隣で、ナタリアが目を見開いた。

 

 ヴィクター・フランケンシュタイン氏は伝説の錬金術師だ。現代でも生み出されているホムンクルスの製造方法を確立した男であり、俺たちが追い求めているメサイアの天秤を生み出した錬金術師として、天秤と一緒に度々御伽噺や演劇にも登場している。

 

 ナタリアの父親の先祖は、そのヴィクター・フランケンシュタイン氏の助手。伝説の錬金術師と共にメサイアの天秤を完成させた、天秤の”創造者”なのだ。

 

「ナタリア、つまりあなたは――――――――メサイアの天秤を伝説の錬金術師と共に作り上げた、もう1人の錬金術師の子孫なの」

 

 

 

 

 

 

 



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天秤の真相とリキヤの計画

 

 

「わ、私が――――――――ヴィクター・フランケンシュタインの助手の………子孫!?」

 

「ええ、ロイの家系はフリッツ・ブラスベルグの子孫なの」

 

 メサイアの天秤を作り上げたのはヴィクター・フランケンシュタイン氏と言われているが、正確に言えば、その伝説の天秤はヴィクター・フランケンシュタイン氏だけではなく、助手のフリッツ・ブラスベルグと2人で完成させたものだという。

 

 そして、俺たちが今まで一緒に旅をしてきたナタリア(しっかり者)が――――――――そのフリッツ・ブラスベルグの子孫だと聞いた瞬間、俺たちは目を見開いてエマさんの事を見つめていた。

 

「代々、ロイの家系の錬金術師たちは祖先が生み出した天秤の完全な封印方法を模索していた。けれども、ロイの祖父や父親も封印する方法を確立することができずに、一生を終えてしまったの…………」

 

「待って、どうして天秤を封印する必要があるの? あれは願いを叶える力を持っているんでしょ?」

 

 確かに、願いを叶える力がある天秤ならば、どうしてそれを使って願いを叶えようとしなかったのだろうか。普通ならば封印するのではなく、むしろ手に入れて自分の願いを叶えるために使う筈だ。なのに、ナタリアの父親や先祖たちはその天秤を完全に封印するための手段を探してきたという。

 

 ナタリアに問いかけられて息を吐くエマさんを見守りながら、俺は覚悟を決めようと思った。

 

 自分たちが手に入れようとしていた天秤が、御伽噺通りの”神秘の天秤”ではないという事を。仲間たちと共に天秤を手に入れるための冒険が、水泡に帰してしまう事を。

 

 優秀な魔術師であり、天秤を生み出した錬金術師の子孫が必死に封印しようとしている以上、もうメサイアの天秤は俺たちが欲していた”願いを叶えてくれる神秘の天秤”ではないという事は、明らかなのだから。

 

「―――――――確かに、メサイアの天秤には願いを叶える能力があるわ」

 

「では、どうして封印を?」

 

「…………願いを叶えるために、必要なものがあるからよ」

 

「必要なもの…………?」

 

 願いを叶えるには、何かの条件があるのか?

 

 願いを叶える能力があるのであれば、伝承通りだ。けれどもナタリアの父親が必死に封印するための方法を探していたという事は、間違いなくその”必要なもの”が問題なのだろう。

 

「あまりこういう例え話はしたくないのだけど…………例えば、タクヤ君にとってラウラちゃんとナタリアがどちらも同じくらい大切な人で、ラウラちゃんが何かの事故で死んでしまったとするわ」

 

「…………」

 

 確かに、そういう例え話はしてほしくはないな…………。

 

「タクヤ君は天秤を手に入れ、ラウラちゃんを生き返らせようとする。けれどもそのためには―――――――あなたがラウラちゃんと同じくらい愛している、ナタリアを生贄として天秤に捧げなければならない」

 

「―――――――は?」

 

 ―――――――ちょっと待て、どういうことだ?

 

 ぎょっとしながら、俺はエマさんを見つめていた。

 

 もし死んでしまったラウラを生き返らせるために天秤を使うためには、ナタリアを生贄にする必要がある…………?

 

「ど、どういうことです?」

 

「タクヤ君、アレはメサイアの”天秤”なのよ」

 

 そういうことか…………!

 

 メサイアの天秤は、そういう代物だったのか…………!

 

 やっとガルちゃんや親父が、メサイアの天秤を手に入れようとしている俺たちを止めようとしていた理由を理解した。確かにこれは俺たちが幼い頃に読んだ絵本や、伝承の中に登場するような神秘の天秤なんかじゃない。これは人の抱く願望を、それと同等の大きさの絶望へと変えてしまう恐ろしい代物だ。

 

 俺たちは、こんなものを求めようとしていたのか…………。

 

「え、どういうこと…………?」

 

 まだ理解できていなかったのか、隣にいるラウラが首を傾げながら尋ねてくる。

 

 あまり説明したくはないが―――――――説明するしかないだろう。

 

「つまり、天秤を使って願いを叶えるためには―――――――”その願いと同等の何かを対価にしなければならない”ってことだ…………!」

 

「「!!」」

 

 先ほどのエマさんの例え話はかなり気に食わなかったので、もっとまともで単純な例え話にしよう。

 

 かなり小さな願いになってしまうが、天秤に『金貨が100枚欲しい』という願いを叶えてもらうとしよう。天秤にその願いを叶えてもらうためには、そのための対価に金貨を100枚払わなければならないという事だ。

 

 つまり、『100枚の金貨を手に入れるために、100枚の金貨を支払う』。手に入れるものと同等のものを差し出さない限り、決して願いは叶わない―――――――。

 

 そう、メサイアの天秤で願いを叶えたとしても、プラマイゼロになってしまうのである。

 

「な、何よそれ…………そんなの、願いを叶える意味がないじゃないッ!」

 

「ああ、だから大昔のサキュバスたちは、天秤を見つけられても願いを叶えられなかったってわけだ」

 

 ステラが封印される前に、サキュバスたちは自分たちの滅亡を防ぐため、一族の中でも優秀な戦士たちをメサイアの天秤を手に入れるために旅立たせた。しかし、生還したのは4人の優秀な戦士たちの内の1人だけ。重傷を負って帰ってきたその生き残りは、絶命する前に『天秤を見つけた』と言い残したという。

 

 天秤を見つけたが、願いを叶えることはできなかった。

 

 彼女たちの願いは『サキュバスの再興』。滅びかけていたサキュバスの再興に、いったいどれだけの対価が必要になるのだろうか。当たり前だが、旅に出た4人の戦士たちが差し出せる対価ではなかったという事だ。

 

 それゆえにサキュバスたちは種族を再興することができず、封印されていたステラを覗いて絶滅することになったのか…………。

 

「なんてことなの…………。私たちは、何のために旅を…………」

 

「悪い事は言わないわ、3人とも。もう天秤を求めるのは止めなさい。…………あんなものを使っても、何も得られないのだから」

 

「…………」

 

 つまり、人々が虐げられることのない平和な世界を作ることは不可能だという事か…………。

 

 いや、それは天秤が無くても、このままテンプル騎士団の軍拡を進めて行けば実現できるかもしれない。それが実現する頃には間違いなく俺たちの子孫の時代になっているかもしれないが、俺たちの兵力なら実現はできる筈だ。

 

 そう思いながら息を吐くが、これで旅を続ける意味がなくなってしまった…………。

 

「―――――――タクヤ、そういえばパパはこのことを知ってるんだよね?」

 

「え? ああ、あいつも天秤を求めてたし、俺たちに忠告してきたってことは――――――――」

 

 親父も、天秤を欲している。

 

 天秤を手に入れようとする俺たちを止めようとしていたという事は、親父も子の天秤がどのような代物なのかを理解していたという事だ。結局天秤を使うには、願いと全く同じ”対価”が必要になるのだから、プラマイゼロにしかならない。

 

 だというのに、親父はまだ天秤を欲しているのか?

 

 なぜだ? どんな願いでも、プラマイゼロにしかならないんだぞ…………?

 

 まさか、対価を準備しているのか?

 

「待って、ハヤカワ卿も天秤を…………!?」

 

「は、はい。でもこの対価の事は知ってたみたいですけど…………」

 

「そんな…………ダメよ、止めないと! あれを使ってはいけない!」

 

 願いを叶えるためには、同等の対価が必要なのだ。

 

 自分が望んでいたものが手に入っても、同じくらい大切な物を手放す結果になってしまう。

 

 前世の父親と違って、あの親父は優しかった。自分の子供の”中身”が転生者だと知っても俺を受け入れてくれたし、俺とラウラをしっかりと育ててくれたのだから。

 

 いつかは、親孝行をしたいと思っていた。

 

 どうやら親孝行のタイミングは――――――――今らしい。

 

「やったな、2人とも。俺たちの旅は無駄にはなってないぜ」

 

「タクヤ君、何を考えているの…………?」

 

「エマさん、俺たちはこのまま天秤を手に入れるための旅を続けます」

 

「正気なの…………? あの天秤は同等の対価が必要なのよ!?」

 

「ええ、そうです」

 

 もう、俺はあの天秤で人々が虐げられない世界を作ろうとは思っていない。俺たちが天秤を使って叶えようとしていた理想は、テンプル騎士団の同志たちと共に力ずくで掴み取ればいい。

 

 時間はかかってしまうだろうが、いつかは達成できる筈だ。俺たちの理想を受け継いだ子供たちや孫たちが、きっと平和な世界を作ってくれる筈なのだから。

 

 だから俺たちは――――――――願いをプラマイゼロにするメサイアの天秤を、消す。

 

「ですから、俺はメサイアの天秤に”天秤を完全に消滅させてください”っていう願いを叶えてもらいます」

 

「え?」

 

「―――――――あなたのおかげです、エマさん。あなたが真相を教えてくれたからこそ、この願いが思いつきました。…………俺たちの願いが叶えられないならば、もう俺にとって天秤は”不要な存在”。その不要な存在そのものを対価にして不要な存在を”消すだけ”ですから、対価なんて要りません」

 

 そう、ナタリアの父親たちが探し求めていた完全な封印方法を使わなくても、天秤に天秤そのものを消滅させることを願えば、それで天秤はこの世から消え去るのだ。

 

「分かりますよね? 0から0を引いても”0”。0に0を足しても”0”です」

 

「あなた――――――!」

 

「タクヤ、あんた…………!」

 

 顔を上げたナタリアの瞳を見つめながら、ニヤリと笑う。

 

「―――――――ロイさんたちの目的は、俺たちが達成して見せましょう」

 

「タクヤ…………!」

 

 願いを叶える代わりに、対価で願いと同等の大切な物を奪っていく危険な天秤ならば、早く消し去ってしまうべきだ。これ以上天秤の情報が冒険者たちに出回り、多くの冒険者たちが天秤を手に入れるために犠牲にならないように。

 

 それに、せっかく鍵を3つも手に入れるために旅を続けてたんだ。ここで天秤を諦めてパーティーを解散したら、仲間や同志たちにボコボコにされちまうからな。

 

「ロイの目的を、引き継いでくれるのね…………!?」

 

「ええ、任せてください。メサイアの天秤は俺たちが必ず粛清します」

 

「粛清!?」

 

 ああ、粛清だ。

 

「―――――――エマさん。私たちは天秤を手に入れるための”鍵”を持っています。けれども、肝心な天秤がどこにあるのか分からないんです。手掛かりを探しているのですが…………ご存じないですか?」

 

 隣に座っていたラウラが、いつもと比べると大人びた口調で告げる。

 

 確かに、メサイアの天秤の正体を知っていたのだから、もしかするとそれがどこに保管してあるのかも知っている可能性がある。もしエマさんが天秤の場所まで知っているのであれば、ネイリンゲンで大気流を警戒しながら危険な調査を続けなくてもいいというわけだ。

 

 正しい判断だな、ラウラ。

 

「ごめんなさい、天秤の場所は分からないの…………」

 

「そうですか…………」

 

「でも…………夫の研究室の中になら、手がかりがあるかもしれないわ。ちょっと待っててね」

 

 すると、エマさんは皿の上のクッキーを一枚だけ拾い上げて口へと運ぶと、冷めてしまったクッキーを咀嚼しながらリビングを後にした。廊下に出たエマさんはどうやら階段を上がって行ったらしく、廊下の方から階段を上がっていく足音が聞こえてくる。

 

 2階にある部屋―――――――おそらく寝室だろう―――――――から、机の引き出しを開ける音が聞こえてくる。やがて探していた何かを見つけたらしく、また階段を駆け下りる足音が聞こえてきたかと思うと、小さな箱と銀色の鍵を手にしたエマさんが、再びリビングへとやってきた。

 

 おそらくあの銀色の鍵が、地下室の鍵なんだろう。かなり昔に作られた鍵らしく、よく見ると表面には傷がついており、更にいたるところが錆び付いているのが分かる。

 

「はい、これが地下室の鍵よ」

 

「ありがとうございます、エマさん」

 

「それと…………これはナタリアの分よ」

 

「え? 私?」

 

 そう言いながら、立ち上がったナタリアに小さな箱を手渡すエマさん。恐る恐る受け取ったナタリアは、開けてもいいのかなと言わんばかりにちらりとこっちを見てくる。

 

 開けてみなよ。

 

 頷くと、ナタリアも頷いてからそっと小さな箱を開けた。

 

 手のひらよりも小さな古びた木箱の中に入っていたのは――――――――どうやら、丁寧に折り畳まれた黒い手袋らしい。防寒用の分厚い手袋ではなく、結構薄い手袋だ。しかも両手の分が入っているわけではないらしく、箱の中に入っていたのは左手の分だけである。

 

 あれ? もう片方は?

 

「ま、ママ、これ何…………?」

 

「それはね、ロイが遺した研究成果の1つなの」

 

「パパが?」

 

「ええ。”もしナタリアが立派な子に育ったら、これを預けてあげてくれ”って言ってたの」

 

「パパ…………」

 

 ナタリアの父親であるロイ・ブラスベルグ氏は、ナタリアがまだエマさんのお腹の中にいた頃に他界してしまったという。当時はまだカメラが発明される前であったため、ナタリアは自分の父親の顔を知らない。

 

 けれども、自分の娘の顔を見ることができなかった父親が、これから生まれてくる愛娘の事を思って何かを遺してくれていたことが嬉しいのか、彼女はその黒い手袋をぎゅっと抱きしめた。

 

「それは『ミダス王の左手』っていう特別な手袋なの。それを身につけて、魔力を流し込みながら何かに触れると、触れられたものは全て黄金になってしまうのよ」

 

「!?」

 

 な、なんだそりゃ!?

 

「ちなみに、再生能力を持つ吸血鬼でもこれで黄金にされれば再生はできないわ」

 

「な、なにそれ…………」

 

 え、エマさん、それを受け取ったナタリアもびっくりしてるんですけど…………。

 

 というか、なんて恐ろしいものを遺してるんですか、ロイさん。確かにこんな強力な代物があれば愛娘も自力で敵を撃退できるようになりますけど、下手したら自滅する可能性もありますからね? 

 

 再生能力を持つ敵も振れるだけで黄金にしてしまうのか…………。さ、さすが錬金術師の研究成果だな。

 

 受け取った”ミダス王の左手”をまじまじと見つめながら戸惑っているナタリアを見守っていたエマさんは、とんでもない代物を託された娘の姿を見て目を丸くしていた俺とラウラの方を振り向くと、微笑みながら言った。

 

「申し訳ないけれど、ナタリアをお願いね」

 

「はい、任せてください」

 

「私の弟はとっても強いんですっ♪」

 

 胸を張りながらラウラが言うと、何故かエマさんは自分の胸を見下ろしてから苦笑いする。

 

「お姉ちゃんだって強いでしょ?」

 

「えへへっ♪」

 

 ナタリアだけじゃなく、仲間たちは絶対に俺が守る。

 

 そして――――――――メサイアの天秤を、絶対にこの世界から消し去ってやる。

 

 何も知らない冒険者たちが、要求された対価で絶望しないように。

 

 それに、もう1人助けなければならない男がいる。

 

 この世界を救うために強制的に転生させられた”勇者”の1人で、美女を2人も妻にした幸せ者。自分の息子の正体が転生者だと知っていても、しっかりと育ててくれた最高の父親。あのバカが何を求めているのかは分からないけど、このままではあいつは大切な何かを失う羽目になるだろう。

 

 その前に、天秤を消し去る。

 

 これからの旅は、俺を育ててくれた父親への親孝行でもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクヤ君たちは、どうやらネイリンゲンを調べているようですね」

 

「ああ、そのようだ」

 

 ジャムを塗ったスコーンを口へと運び、咀嚼しながら紅茶の入ったティーカップを口へと運ぶ。書類を片手に持ちながら側へとやってきたヘンシェルに「自信作だ」と言いながらスコーンの乗った皿を手渡し、目の前に投影されている魔法陣の中に映し出された世界地図を見据える。

 

 現時点で、メサイアの天秤の鍵を持っているのはテンプル騎士団のみ。あとは天秤が保管されている場所を突き止めるだけで、あいつらはメサイアの天秤を手にするだろう。

 

 テンプル騎士団とは同盟関係を結んでいるが、その気になればその同盟関係はいつでも破棄できる。そうすればあいつらと再び天秤の争奪戦が始まる。

 

 李風(リーフェン)の率いる殲虎公司(ジェンフーコンスー)はそもそも天秤を求めているわけではないため、彼らをこの争奪戦に巻き込むわけにはいかない。もう既に吸血鬼たちは壊滅的な大損害を被っているため、実質的にこの天秤の”争奪戦”を続けるのは不可能だろう。

 

 とはいえ、彼らが大攻勢の準備をしている可能性もある。レリエルの復活を目論む吸血鬼共が、ヴリシアで完敗した挙句鍵まで奪われたのである。プライドの高い吸血鬼たちが、彼らに屈辱を与えた上に鍵まで奪っていったテンプル騎士団に手を出さないわけがない。

 

「社長、本当によろしいのですね?」

 

「何がだ?」

 

「例の、同盟破棄の件です」

 

 とん、と机の上に一枚の書類を置きながら尋ねるヘンシェル。彼が目の前に置いた書類には、同名の破棄に関する事が書かれており、俺がサインをする場所だけが空欄になっている。

 

 あとはそこにサインするだけで、テンプル騎士団との同盟関係は一方的にだが破棄される。

 

「―――――――ああ、構わん。それより吸血鬼共の動きは?」

 

「はい、段々と活発化しているようです。ヴリシアから南方の『ディレントリア公国』に潜伏しているようですね。やはり、テンプル騎士団への攻勢準備でしょうか?」

 

「おそらくな。だが…………あれだけの大損害を出したのだから、行動開始はもう少し先だろう」

 

 吸血鬼共がテンプル騎士団への大攻勢を開始するのは――――――――おそらく、春だ。

 

「我々はどうします? 一応、ハーレム・ヘルファイターズは増援に出せますが…………」

 

「それはギュンターに一任する。それよりも、同盟を破棄するタイミングだ」

 

「そうですね」

 

 もし仮に攻勢前に天秤の保管されている場所を察知したとしても、吸血鬼たちが動き出したことを察知すれば、テンプル騎士団も動けないだろう。それに、ネイリンゲンを調べているという事は、あいつらはまだ天秤が隠されている場所を把握していないことを意味する。

 

 もう1つスコーンを口へと運びながら、俺はニヤリと笑った。

 

 まだ、鍵を奪取するチャンスはある。

 

 吸血鬼共の復讐心を利用させてもらうのだ。レリエルを殺した俺も奴らの標的に入っているだろうが、俺よりも天秤の鍵を3つも持っているテンプル騎士団が真っ先に狙われることになる。つまり、テンプル騎士団が吸血鬼のどちらかが倒れない限り、我々はどちらの勢力にも狙われない。

 

 タクヤやラウラには申し訳ないが――――――――あの子たちには、天秤を明け渡してもらおう。

 

 12年前に倒れた、俺の大切な親友のために。

 

「―――――――ヘンシェル。同盟破棄のタイミングは、吸血鬼の攻勢の真っ最中だ」

 

 

 

 

 



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タクヤの予感

 

 エイナ・ドルレアンを列車で出発し、再び俺たちはネイリンゲンへと向かう。できるならばネイリンゲンへと向かう前に、宿屋でぐっすりと眠ってから出発したかったんだが、イリナやステラたちは今もネイリンゲンに留まって調査を続けているのだ。仲間が危険な場所で頑張っているというのに、柔らかいベッドの上でぐっすり眠っている場合じゃない。

 

 というわけで、俺たちは寝心地の悪い列車の座席で仮眠をとりつつ、ネイリンゲンに最も近い村へと向かう。客車が揺れるせいで何度も仮眠を邪魔されながら、ネイリンゲンに近い村で降り、そこからはネイリンゲン方面へと出発する商人の荷馬車に乗せてもらって、俺たちは再びあの大気流が支配する廃墟へと向かう。

 

 仲間たちに天秤の正体を教えたら、彼女たちは絶望するだろうか。

 

 あのメサイアの天秤は、伝承通りの存在ではなく、願いを求める者からその願いと同等の対価を奪い去っていく、非常に危険な天秤だったのだから。

 

 大切な人を生き返らせるためには、その生き返らせたい人物と同じくらい愛している人を生贄に差し出さなければならない。金を手に入れたいのであれば、欲しい金額と同じ金額を支払わなければ願いは叶わない。

 

 願いと対価は同等。それゆえに、プラマイゼロになってしまう。

 

 それゆえに俺たちの願いも、きっと凄まじい大きさの対価を支払わなければ叶う事はないのだろう。人々が虐げられることのない世界を作ろうとすれば、俺たちはその結果と同等の大きさのものを失うことになるのだから。

 

 その願いは、天秤を使わずに叶えるしかない。テンプル騎士団をどんどん大きくして、人々を虐げようとするクソ野郎が絶滅するまで、彼らを殺し尽くすしかないだろう。

 

 天秤を使わずに、俺たちは自分たちの力で願いを叶える。

 

 それにしても、親父はなぜ天秤を求めているのだろうか。

 

 俺たちを止めてきたという事は、天秤がどのような代物なのか知っている筈だ。願いを叶えようとすれば、同等の対価を差し出さなければならない恐ろしい天秤だと知っているにもかかわらず、なぜ天秤を手に入れようとしている?

 

 もう既に対価を用意しているという事なのか? それとも、そのための願いが対価として何かを失ったとしても、彼にとって価値がある願いなのか?

 

 荷馬車の上で小さなランタンの頼りない光を見つめながら、俺はずっとそう思っていた。あの男は、天秤を使って一体何をするつもりなのだろうか。

 

 リキヤ・ハヤカワには大きな力がある。かつて転生者たちを絶滅寸前まで追い詰め、単独でレリエル・クロフォードの討伐に成功した英雄。そして、モリガン・カンパニーという世界規模の超巨大企業を率いる、数多の労働者たちの指導者。

 

 個人的な力と、社会的な力。あの男は2つの大きな力を持っている。

 

 その気になれば何でも手に入れられそうなほどだというのに、なぜ天秤に頼るのだろうか。何か欲しいものがあるのであれば、かなり最悪な手段になってしまうが、力ずくで奪うか、金を払って買い取ってしまえばいいのに。

 

 その手段を使わないのは、あの男のプライドが原因なのかもしれない。

 

 けれども、違和感を感じてしまう。

 

 もしかすると、あの男は大切な”誰か”を失っているのではないだろうか。もしそうならば、金や自分の力を使ったとしても手に入れることはできない。死んでしまった人間を蘇らせることは、最強の転生者でも不可能なのだから。

 

 戦友だろうか? 親父は傭兵として世界中で戦いを経験してきた男だから、何度も仲間が戦場で死んでいく光景を目にしていてもおかしくはない。さすがにモリガンのメンバーではないかもしれないが、彼が経験した戦いの中で、多くの”戦友”が命を落としていた筈だ。

 

 死んでいった戦友たちを蘇らせるつもりなのかもしれないが、いったい対価はどうやて支払うつもりなのだろうか。

 

 メサイアの天秤は、願いと同等の対価を支払わなければ決して願いを叶えてくれない存在だ。戦友を蘇らせるためには、その戦友と同じくらい大切にしている人を生贄にしなければならない。もし仮にクソ野郎共を生け捕りにし、そいつらを生贄代わりにしようとしても、親父にとって”大切な人”でないのであれば、どれだけクソ野郎を集めて生贄にしようとしても願いは叶わないし、対価にも使えない。

 

 もしかして、親父は母さんやエリスさんを対価に差し出すつもりか…………!? 

 

 でも、それは考えられない。あの男は自分よりも、妻たちの事を優先する愛妻家だ。そんなことをするくらいならば自分自身の命を対価に使うだろう。

 

「ほら、お嬢ちゃんたち。悪いがここまでだ」

 

 ランタンを見下ろしながら考え事をしているうちに、ネイリンゲンの近くの草原に到着したらしい。これ以上南へと進めばネイリンゲンに突入してしまうので、商人たちは極力ネイリンゲンを回避して移動することになっているという。

 

 真夜中の草原に俺たちを置き去りにしていくことを申し訳なく思っているのか、少しばかり太った中年の商人は、荷馬車の上から降りていく俺たちを申し訳なさそうな表情をしながら見つめていた。

 

「おじさん、ありがとう。助かったよ」

 

「気にすんなって。…………でも、いいのかい? 夜の草原は危険だぜ?」

 

「大丈夫だって。俺たちは冒険者なんだからさ」

 

「そうかい。じゃあ、気をつけてな」

 

「おじさんこそ」

 

 大丈夫だって。俺たちには現代兵器があるんだから。

 

 ここまで乗せてくれたおじさんにお礼を言うと、おじさんは大きなランタンが吊るしてある荷馬車の上で微笑み、商品を乗せた荷馬車に繋がれている2頭の黒い馬を走らせた。馬の鳴き声と蹄の音を真っ暗な草原に響かせながら去っていく荷馬車に手を振ってから、メニュー画面を表示して仲間たちに護身用の武器を支給する。

 

 俺たちが今いる場所は、ネイリンゲンから見てやや北側にある『ザウンバルク平原』という場所だ。かなり広大な平原で、ネイリンゲンの近くからオルトバルカ王国の北東部まで続いているという。空から見れば巨大な三日月形になっているようだ。

 

 かつてはこのザウンバルク平原もダンジョンに指定されていたらしいが、俺たちが生まれる前に昔の冒険者たちによって調査が完了しており、今ではダンジョンではなく普通の平原という事になっている。この平原は、レリエル・クロフォードが世界を支配していた時代に、人類の騎士団の生き残りが吸血鬼たちに最後の決戦を挑み、玉砕した古戦場であるという。

 

「暗い場所だね」

 

「灯りが無いからな。ほら、ランタン」

 

「ありがとっ♪」

 

 指先に蒼い炎を生成し、それをランタンの中に灯してからラウラに渡す。ランタンの中では小さな蒼い炎が煌いており、かつて数多くの騎士たちが散っていった平原を蒼い光で照らし始める。

 

 さて、とりあえず調査中のオブイェークト279(ゴライアス)と合流しようか。さすがにこのまま歩いて行くとネイリンゲンまで時間がかかってしまうし、魔物は基本的に夜中の方が狂暴になる。いくら銃で武装した転生者でも、真夜中の草原をたった1人で歩くのは自殺行為だ。

 

 無線機のスイッチを入れ、ゴライアスに連絡してみる。大気流の中にいるとはいえ、無線は通じる筈だ。タンプル搭からの無線もちゃんと届いていたのだから。

 

「ゴライアス、応答せよ」

 

『こちらゴライアス、どうぞ』

 

 よし、通じる。

 

「現在ザウンバルク平原にいる。そっちは?」

 

『調査を切り上げて仮眠中。収穫はなかったよ』

 

 さすがに天秤は見つけられなかったか。

 

 だが、こっちには地下室の鍵がある。あの地下室の中には、天秤の完全な封印方法を模索していたナタリアのお父さんが集めた情報が眠っているのだ。ナタリアの祖先たちが目的にしていた天秤の封印を、俺たちが成し遂げなければならない。

 

 正確に言えば封印ではなく”消滅”だけどね。

 

『そっちは?』

 

「鍵はもらった。これで地下室に行ける」

 

『了解(ダー)。ナタリアのお母さん、どんな人だった?』

 

「美人だったよ。ナタリアが可愛いわけだ」

 

「はぁっ!? ちょ、ちょっと、何言ってんのよ!?」

 

『あははははっ、確かにナタリアは可愛いよねぇ』

 

「イリナちゃんまで!?」

 

 ニヤニヤしながらナタリアの方を見ると、彼女は顔を真っ赤にしながらこっちを見ていた。

 

「とりあえず、こっちはザウンバルク平原だ。蒼い光が目印だからな」

 

『了解(ダー)、すぐ回収に向かうね』

 

 よし、ゴライアスが回収に来てくれるまで待つか。

 

 ネイリンゲンの周囲には魔物が出現しにくいと言われているが、今のネイリンゲンはダンジョンである。環境が非常に危険な上に魔物の巣窟と化しているのだから、その周辺にあるザウンバルク平原も危険地帯だ。

 

 メニュー画面をタッチして装備したベリルのライトをつけようとしたその時、こつん、と右足のがっちりした黒いブーツに、何かが当たったような気がした。小石だろうと思ったけど、小石にしてはサイズが大きい気がするし、ぶつかった時の感覚も石ではなく、どちらかと言うと金属のような感覚だった。

 

 右足にぶつかった物体の感覚に違和感を感じつつ、ライトのついたベリルの銃口を足元へと向ける。

 

 ランタンよりもはるかに明るいライトの光が、緑色の雑草で覆われた足元を照らし出す。

 

 今しがたブーツにぶつかったのは、やはり小石ではなかった。随分と錆び付いた金属の塊のようで、ひしゃげた上に表面は融解している。よく見てみると錆び付いた表面には小さな時計が埋め込まれており、すっかり錆び付いたその時計からは針が抜き取られていることが分かる。

 

 何だこれ? 懐中時計か?

 

 誰かの落とし物なのだろうか。きっとここを調査しにやってきた昔の冒険者が落としていったのだろうと思いつつ、その懐中時計を蹴飛ばそうと思ったが――――――――その懐中時計のデザインに見覚えがあることに気付いた俺は、首を傾げてどこで見たのかを思い出そうとしながら、いつの間にか錆び付いた懐中時計を拾い上げていた。

 

 確かに、どこかで見たことがあるデザインだ。とはいえ表面には融解した跡があるし、何年もここに置き去りにされていたせいですっかり錆び付いているから、俺の見間違えなのかもしれない。

 

 そう思いながら懐中時計の残骸を裏返した俺は、その懐中時計の裏に刻まれていた傷のようなものを見つけた瞬間に、その懐中時計をどこで見たのかを思い出す。

 

「これ…………」

 

 確か、親父も同じものを持っていた筈だ。赤黒い懐中時計で、それほど値段の高いものではない。街の雑貨店に行けば、ショーケースの中にそれなりの値段が書かれた値札と共に置かれているような、安物の懐中時計。けれども親父はその時計を常に身につけていた。母さんと初めてデートに行った時にプレゼントしてもらったものらしく、それ以来毎日メンテナンスをしながら持ち歩いていたのだという。

 

 錆び付いた上に表面は融解していたが、それ以外のデザインは確かに親父が持っていた懐中時計と一緒だった。

 

 そして――――――――傷がある位置も、同じだ。

 

「…………」

 

 もちろん、この傷にも見覚えがある。俺とラウラがまだ3歳だった頃、ファルリュー島で勃発した第一次転生者戦争へと向かう親父が、泣き出したラウラに預けた時計だ。

 

 ラウラはその時計を大切に持っていたんだけど、床に落として傷をつけてしまったのである。

 

 その傷がついた場所も、確か懐中時計の裏側である。

 

「ラウラ、親父の懐中時計を落とした時の事を覚えてる?」

 

「え? 覚えてるけど…………どうしたの?」

 

 ゴライアスと合流するまで警戒していたラウラに、拾い上げたその錆び付いた懐中時計を手渡す。ラウラは「なにこれ?」と言いながら受け取ったけれど、かつて自分が親父の懐中時計につけてしまった傷がある位置と同じ位置に傷があった事に気付いた瞬間、唖然としながらこっちを見てきた。

 

 キメラの記憶力は人間と変わらないけれど、あの時の事はちゃんと覚えている。それに親父の大切な時計に傷をつけてしまった張本人であるラウラも、覚えている筈だ。

 

「この傷…………ねえ、これってまさか、パパの時計…………?」

 

「分からん…………」

 

 もしかしたら偶然同じ位置に傷があっただけなのかもしれないけど、傷の形状も親父の時計にラウラが付けてしまった傷にそっくりである。

 

 これは親父の時計なのか…………?

 

 なんでザウンバルク平原に落ちている?

 

 親父はこの懐中時計を肌身離さず持っているし、毎晩必ずメンテナンスをしていたから、常に買ったばかりなのではないかと思ってしまうほどしっかりと手入れがしてある。それほど母さんからプレゼントしてもらった懐中時計を大切にする男なのだから、こんなところに置いておくわけがない。

 

 そういえば、いつからか親父が懐中時計を持っているところを見なくなったような気がする。傷がついてしまった後も、「俺たちの可愛い娘が正直に謝ってくれた証だ」って言いながら、あの傷跡をニヤニヤしながら見つめているような男だったのに、メンテナンスをしている姿も目にしなくなった。

 

 メンテナンスをしなくなったのは、俺たちが6歳頃だろうか。

 

 あの頃から変わったことが多くなったな。親父の仕事も忙しくなったし、一緒に住んでいたガルちゃんも、俺たちに何も言わずに家からいなくなってしまったのだから。

 

 彼女と最後に再会したのは、以前にネイリンゲンを訪れた時だろうか。

 

「………おかしい」

 

「何が?」

 

「ラウラ、6歳頃の事覚えてる?」

 

「ええ、覚えてるけど?」

 

「じゃあ…………親父が懐中時計のメンテナンスをしているところは見た?」

 

「えっ? …………そういえば、見てないわね」

 

 ラウラも見てないのか。

 

 おかしいぞ。毎晩欠かさずメンテナンスするほど大切にしていた男が、ぴたりと時計のメンテナンスをしなくなるなんて。もし仮にこれが親父の物で、ここを訪れた際に無くしてしまったのだとしたら、もっと悲しんでいる筈だ。

 

「じゃあ、ラウラ。―――――――ガルちゃんが家からいなくなってから、ガルちゃんと親父と話をしているところは?」

 

「ええと…………ごめんなさい、それも見てないわ。……………………どうしたの?」

 

「いや…………ちょっと、親父を問い詰めてみようかと思って」

 

 天秤の正体に、ナタリアの祖先の事まで知ってしまって何度も驚愕したが――――――――もし俺の中で形成されつつある仮説が正解だとしたら、とんでもないことになるかもしれない。

 

 もしその仮説が事実ならば、ハヤカワ家が壊れかねないのだから。

 

 

 

 

 



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真相と覚悟

 

「そんな…………天秤がそんな代物だったなんて…………」

 

 俺たちから天秤の正体を聞いた仲間たちは、やっぱり驚愕していた。

 

 彼女たちは、俺と同じく天秤を使って「人々が虐げられることのない平和な世界」を作るという目的があったからこそ、この旅に協力してくれていたのである。虐げられる人々がいなくなれば、世界中で苦しむ奴隷たちも完全に解放されるし、貴族や領主の圧政で虐げられ続けている農民たちも解放される。それにかつてサキュバスたちが経験した迫害や、人間が勝手に危険と判断した種族が絶滅させられることもなくなる。

 

 前世の世界ですら実現しなかった”完全な平和”が、天秤を求めるだけで手に入る筈だったのである。

 

 けれども天秤の正体は、願いを叶えるために同等の対価を必要とする危険な代物。金貨が100枚欲しいのであれば、その対価に金貨を100枚支払わなければ願いは決して敵わない。それゆえに、最終的には”プラマイゼロ”で終わってしまう。

 

 願いを叶えても、同等の対価を失うことになるため、結局願いが叶わなかったのと同じなのだ。

 

 天秤が伝承通りに手に入れた者の願いを叶えてくれると信じている冒険者は多いだろう。俺も、この正体を知るまではその中の1人だった。

 

「なるほど…………サキュバスの滅亡を食い止められなかった理由が、やっと分かりました」

 

 操縦士の座席に座っているステラが、溜息をついてからそう言った。

 

 かつてサキュバスたちは、滅亡寸前になっている同胞たちを救うために、一族の中で優秀な戦士たちを旅へと送り出し、その戦士たちに天秤を入手させ、天秤を使って滅亡寸前のサキュバスたちを救おうとしていた。しかし最終的に願いを叶えることはできず、重傷を負った戦士の生き残りが生還。ナギアラントに立て籠もっていたサキュバスたちは人類の総攻撃を受け、ステラ以外のサキュバスたちは皆殺しにされるという悲惨な結果になってしまう。

 

 きっと彼女にとって、戦士たちが天秤を見つけたにもかかわらず願いを叶えることができなかったのは、ずっと疑問だったのだろう。天秤を見つけて手に入れたのであれば、願いを叶えてもらうだけで一族の滅亡は回避できた筈なのだから。

 

 戦士たちが願いを叶えられなかった真相を知って納得したのか、イリナとカノンの2人と比べると、ステラは落ち着いていた。落ち着いていたというよりは、解くことができなかった難問の解き方を知って納得したような表情をしている。

 

「では、今後は天秤で願いを叶えるのではなく、危険な天秤を葬り去ることが目的になるのですわね?」

 

「そういうことだ。だから天秤を探し出すという目的は変わらない。…………最終的な結果はかなり変わるがな」

 

 人々が虐げられない世界を作るのは、間違いなく大変だろう。それを実現するためにはもっとテンプル騎士団を大きくして、世界規模で転生者やクソ野郎共の討伐を行えるようにしつつ、奴隷たちを受け入れて保護する必要がある。

 

 それに、エイナ・ドルレアンで活動するカノンの母のカレンさんたちによって、少しずつ奴隷たちを開放するべきだという意見も増えつつある。人々が虐げられることのない世界に生まれ変わるのは先になるかもしれないが、天秤に頼らなくても実現することはできる筈だ。

 

「タクヤ、到着しました。ナタリアの家です」

 

「よし、行くか」

 

 ナタリアの父親は、天秤を作り上げたヴィクター・フランケンシュタイン氏の助手である『フリッツ・ブラスベルグ』の子孫。つまり俺たちの仲間であるナタリアは、天秤を作り上げた伝説の錬金術師の助手をしていた男の子孫というわけだ。

 

 伝説の錬金術師と共に天秤を作り上げた男が、この世界に”遺してしまった”メサイアの天秤。それを完全に封印するための研究をしていた男たちの成果が、ナタリアの家の地下室に眠っている。

 

 ベリルのセレクターレバーをフルオートに切り替え、俺は素早くオブイェークト279のハッチから躍り出た。今のところ大気流はずっとレベル1のままとなっており、カルガニスタンでも時折経験する砂嵐とそれほど規模は変わらない。飛んできた砂塵が目に入らないように気を付けながら周囲を警戒して合図すると、同じく戦車のハッチの中からナタリアとラウラも顔を出した。

 

「鍵は持ってるな?」

 

「ええ」

 

 PP-2000をホルスターから引き抜いたナタリアは、そう言いながらニヤリと笑った。

 

 3人で周囲を警戒しつつ、再びかつてのナタリアの実家へとお邪魔する。瓦礫の破片がいくつも突き刺さっているボロボロのドアを開け、家の中に入り込んでいたゴブリンの死体を蹴飛ばしてから、俺たちは地下室への入り口があったリビングへと進む。

 

 家の中へと入り込んだ砂塵で埋め尽くされたリビングの中を確認し、他にもゴブリンなどの小型の魔物が入り込んでいないか確認。ライトで照らしながら、傷だらけのソファの影やテーブルの後ろに魔物が潜んでいないことを確認してから、地下室の階段を降り始めた。

 

 ずっと大気流の暴風に晒され続けていた廃墟の地下に、やけに分厚い鋼鉄製の地下室のドアがずっと鎮座している。表面は錆び付き、ドアノブは完全にひしゃげていた。幸い、鍵穴は錆び付いているだけで済んでいるらしい。

 

 もしこの鍵でも開かなかったら、C4爆弾の爆発でこの建物が倒壊せずに済むか、ちょっとしたギャンブルでも始めようと思っていたのだが、ナタリアがエマさんから借りた地下室の鍵を使うと、長い間主人の研究成果を守り続けていた鋼鉄製のドアは、すんなりと俺たちに道を譲ってくれた。

 

 軋む音を奏で、表面にへばりついていた砂埃を払い落としながらゆっくりと開いていく巨大な扉。反射的にライトのついたベリルの銃口を地下室の向こうへと向け、魔物が入り込んでいないか確認してから仲間たちに頷く。

 

 鍵がなければ入れないような地下室に、鍵を使って扉を開けるという知能すら持たない魔物たちが入り込めるわけがないのだが、もしかしたらスライムのような魔物が入り込んでいる可能性もある。魔物には鍵のついた扉を開けられないのだから大丈夫だと高を括れば、隙間から入り込んでいたスライムに食い殺されるかもしれないのだ。

 

 はっきり言うと、俺は老衰以外で死ぬのはごめんだ。結婚してしっかりと子供を育て、孫たちや子供たちに看取られながら老衰で死ぬ以外の”死”は、全て俺にとってはバッドエンドに過ぎないのだから。

 

 それゆえに、つい用心深くなってしまう。

 

 けれども、やはり魔物の気配はない。嗅覚も駆使して魔物を探知してみるが、地下室の中から漂ってくるのは猛烈なカビや埃の臭いのみ。魔物の強烈な体臭は全くしない。

 

「ここが…………パパの研究室………?」

 

 魔物がいないことを確認したナタリアが、かつての自分の実家の地下に眠っていた地下室を見渡しながら呟く。

 

 ナタリアの父親が天秤の封印方法を研究していた地下室は、簡単に言えば理科室と図書館を融合させ、それの規模を一気に小さくしたような雰囲気だった。理科室に行けば目にすることのできるビーカーやフラスコがずらりと並び、立てられている試験管の中には長い間放置されていたせいで変色した薬品のようなものが入っている。埃まみれになったそれらと一緒に机の上を埋め尽くしているのは、辞書や図鑑を思わせる分厚い本や、複雑な数式が書かれたメモ用紙の山。実験器具と分厚い本でごちゃごちゃしているのは、錬金術師や魔術師の研究室では当たり前だという。

 

 ナタリアの父親も同じだ。まるで一般的な寝室くらいの広さの理科室に図書館から借りてきた分厚い本をぶちまけ、いたるところに色々な数式が書き込まれたメモ用紙を散乱させたような研究室の中へと足を踏み入れた俺たちは、銃を構えて警戒するのを止め、ランタンで部屋の中を照らしながら調査を開始する。

 

 天秤の封印方法をここで研究していたからなのか、天秤に関する情報は、ライトのスイッチを切ったベリルの銃口を下し、暗い地下室の中をランタンで照らしながら調査を始めて1分も経たぬうちにあっさりと顔を出した。

 

 でかい机の上に、埃まみれのビーカーと一緒に置かれていたメモ用紙を拾い上げてみると、そのメモ用紙には錬金術で使う複雑な記号と共に、天秤と思われるイラストが描かれていた。けれども俺は錬金術を学んだことがない――――――――正確には家にあった教本を読んでも理解できなかった――――――――から、この記号が何を意味しているのかは分からない。錬金術師に解読してもらうしかないだろう。

 

 とりあえず、これはタンプル搭に持ち帰るとしよう。

 

 こっちはなんだ? ええと…………天秤の鍵の在り処か。それは俺たちがもう持ってるから必要なさそうだな。

 

 俺たちが必要としているのは天秤の在り処だ。最優先でそれを探し出さなければならないんだが、もしかしたらこれは時間がかかるかもしれない。

 

 埃まみれのビーカーを退け、分厚い教本を一旦床の上に置く。

 

「何か見つけた?」

 

「ふにゅー…………訳が分からない記号ばっかり書いてあるメモ用紙だけ」

 

「ごめん、こっちもまだ見つけられてないわ」

 

 もしかしたら、日が昇るまでかかるかもしれないな。

 

 真っ暗だったネイリンゲンの光景を思い出した俺は、まだ列車の中でしか眠っていないことを思い出した。任務中では一睡もしないで戦い続けることは当たり前だし、状況によっては眠っている場合じゃない事もあるから慣れているんだが、眠っていなかったことを思い出した瞬間にあくびが出てしまう。

 

 とりあえず、眠るのはタンプル搭に戻ってからにしよう。

 

 でも、稀に昼間でもラウラに搾り取られるんだよね…………。

 

「あら?」

 

「ナタリア?」

 

 机の引き出しを確認していたナタリアが何かを見つけたらしい。

 

 天秤についてのヒントであればいいなと思いながらそっちを見ると、他の図鑑みたいな分厚い本に比べればかなり薄い1冊のノートを手にしたナタリアが、興味深そうにそのノートのページを捲っていた。

 

「それは?」

 

「パパの日記みたい」

 

「日記?」

 

「正確には、研究の状況を書き残した記録みたいなものね」

 

 記録か。でも、その中にメサイアの天秤が保管されている位置のヒントはあるのだろうか。

 

 ナタリアが開いているページを見てみるが、天秤の封印方法に関する事ばかり書かれているようだ。しかも錬金術で使う記号も書き込まれているので、俺では解読できそうにない。ナタリアは解読できるのだろうか?

 

 とりあえず、あの日記はナタリアに任せよう。そう思いながら再び机の上を探してみようと思ったその時だった。

 

「タクヤ、これ!」

 

「ん?」

 

 踵を返した瞬間に、ナタリアが俺を呼び止める。

 

 何か見つけたのだろうかと思いながらもう一度日記を見下ろしてみると、ナタリアがびっしりと書き込まれている文字の羅列の一部を指差していた。

 

「ここ読んでみて」

 

「ん?」

 

《天秤の封印方法を考え続けているが、やはり天秤をこのまま”天空都市ネイリンゲン”に保管し続けることが一番安全なのかもしれない。どんな魔術を使っても、あそこへと入り込むことはできないのだから。だが、念のため私はこのまま天秤の完全な封印方法を探し続けようと思う。人生を無駄にしたくはないし、エマのお腹の中にいる愛おしいナタリアにこの研究を引き継がせ、彼女の人生を潰したくはない》

 

 ―――――――天空都市ネイリンゲン?

 

 どういうことだ? ネイリンゲンってここだよな?

 

「…………なあ、天空都市ネイリンゲンって何だ?」

 

「―――――――タクヤ、天秤の在り処のヒントは覚えてる?」

 

「ええと、『メサイアの天秤は、3つの鍵の頂点にあり』だよな?」

 

 3つの鍵が保管されていた場所を線で繋ぐと、綺麗な正三角形を形成する。そしてそれらの鍵が保管されていた場所の中心へと向かって戦を伸ばしていくと、このネイリンゲンで3つの線が結び付く。

 

 それゆえにステラは、天秤がここに眠っているのではないかと思ったようだ。確かにここは3つの鍵の頂点だし、ここに封印されている可能性もある。

 

「―――――――もしかして、”頂点”って空の事なんじゃないの?」

 

「空…………なるほど、だから”頂点”か」

 

 なるほどね。

 

 3つの鍵の頂点というのは、3つの線が結び付くネイリンゲンの事ではなく、その上空ってことか…………!

 

 くそったれ、騙された…………!

 

 おそらく、それを解読した奴らを誤解させ、あの危険な天秤を入手させないための暗号なんだろうな。

 

「でも、天空都市ネイリンゲンって聞いたことないぞ? 戦闘機もここの偵察に派遣してたけど、空中に浮遊する都市なんて発見してないみたいだし…………」

 

「…………タクヤ、その時の偵察機の高度は分かる?」

 

「確か、高度5000mだった筈だ」

 

 それくらいの高度であれば、上空に何かが浮遊していれば気付く筈である。

 

 それにこの世界には、空を飛ぶことができる魔術は存在しない。現時点で空を飛ぶための方法は、戦闘機に乗る以外の手段では飛竜に乗る事しかないのだが、飛竜が上昇できる高度は最高でも3000mから4000m程度だ。

 

 まさか、戦闘機が飛行していた高度よりもはるかに上なのか?

 

「…………念のため、もう一回調べた方がいいかも」

 

「ああ、そうだな」

 

 それに、”3つの鍵の頂点”が本当にその天空都市ネイリンゲンの事を意味しているならば、突入する方法も考えておく必要がありそうだ。それに、日記の中に書かれていたのだから、その情報が間違っているとは思えない。

 

「―――――――よし、撤退だ。タンプル搭に戻って作戦会議でもしよう」

 

 その前に、調査に参加したメンバーを休ませないと。

 

 そう思いながら、俺は仲間たちと共に地下室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝にカルガニスタンのタンプル搭へと戻り、そのままぐっすりと眠ってしまったせいなのか、そろそろ深夜0時になるというのに全く眠くない。

 

 ベッドの上に腰を下ろし、以前に書店で購入してきたマンガを本棚に戻した俺は、背伸びをしながらそのままベッドに寝転がった。イリナは夜間の偵察任務に行ってくると言って数分前に部屋から出て行ったし、ラウラは教え子たちと訓練をしてくるらしく、夕食の後に部屋から出て行った。

 

 今のところ、部屋にいるのは俺だけである。

 

 俺も訓練場に行って訓練でもするべきだろうかと思い、ベッドから起き上がったその時だった。

 

『タクヤ、いい?』

 

「どうぞ」

 

 ドアを開けて部屋の中に入ってきたのは、パジャマ姿のナタリアだった。いつも黒い制服と規格帽を身につけているせいなのか、水色の水玉模様の可愛らしいパジャマを身につけている彼女は別人なんじゃないかと思ってしまう。

 

 ナタリアって、こんな感じの可愛い服が好きなんだろうか。後でそういう服を見つけたらプレゼントしてあげようかな。

 

「どうした?」

 

「ちょっと、話がしたくて」

 

 そう言いながらこっちへとやってきた彼女は、ベッドの上に座っている俺の隣に腰を下ろした。

 

 彼女はよく料理を作りに来てくれることがあるんだけど、パジャマ姿で部屋にやってきたのはこれが初めてなんじゃないだろうか。

 

「あのね…………初めて会った頃は、アンタの事…………卑怯な事ばかりする胡散臭いやつって思ってたの」

 

「うお!?」

 

 え、悪口言いに来たの!?

 

「で、でもっ…………今は全然違うわ。頼もしいし、優しいから…………」

 

「そ、そう?」

 

「ええ。傭兵さんにそっくり」

 

 なんだか、初めてだ。母さんではなく、親父にそっくりだと言われたのは。

 

 今までは容姿のせいで散々女の子に間違われることが多かったし、母さんに似ていると何度も言われていたせいなのか、母さんではなく親父に似ていると言われて少しばかり感激してしまう。

 

 恥ずかしくなってしまうが、隣で話をしているナタリアの顔も何故か赤い。というか、彼女はそう言う話をしに来ただけなのだろうか?

 

「だ、だから…………私ね、ええと……………………アンタに、惚れちゃったかも」

 

「―――――――えっ?」

 

 ちょ、ちょっと待って。ナタリアさん、どういうことですか?

 

 いつもあんなにしっかりしてるナタリアが、俺に惚れた…………!?

 

 誰かがナタリアに変装してこんなこと言ってるわけじゃないよね? この子本物だよね!?

 

 ナタリアは、呼吸を整えてから俺の顔を見つめた。やっぱり彼女の顔は真っ赤だったけれど、目つきはいつもの真面目なナタリアの目つきである。

 

 真面目なんだ。彼女は、こういう話をするために部屋を訪れてくれたに違いない。

 

「俺もだよ、ナタリア」

 

「え?」

 

「俺も、しっかり者のお前に惚れてた。結構前から」

 

 メウンサルバ遺跡で一緒に調査した辺りからだろうか。

 

「じゃ、じゃあ………………りょ、両想いだったって事………………!?」

 

「おう」

 

「でも、アンタにはもうラウラが………………」

 

「一夫多妻制は当たり前だろ? ラウラも認めてくれてるし」

 

 ハーレムを認めてくれるヤンデレってかなり珍しいよね。

 

「ナタリアが嫌なら、もう少し相談してみるけど――――――――むぐっ!?」

 

 気が付いたら、隣に座っているナタリアに唇を奪われていた。

 

 いきなり柔らかい唇を押し付けられて狼狽している俺を、ナタリアはお構いなしに抱きしめてくれる。数秒経てば落ち着けるんじゃないだろうかと思ったが――――――――なんだか、落ち着くどころか違和感を感じてしまう。

 

 いきなり部屋にやってきて告白し、こうして唇を奪った美少女が偽物なのではないかと思ったわけではない。ここにいるナタリアは、もちろん本物だ。

 

 違和感を感じたのは、彼女がいつもしっかりしている本物のナタリアだからこそなのかもしれない。

 

 気が済んだのか、唇を離していくナタリア。やっぱりいつもと比べると、彼女の顔は赤い。

 

「……………ナタリア」

 

「な、なに? ……………も、もしかして………嫌だった?」

 

「いや、そういうわけじゃないよ。むしろ最高だった」

 

「………ばっ、バカ」

 

「……………あのさ、お前……………焦ってないか?」

 

「―――――――え?」

 

 告白して、いきなりキスをしてきた時にそういう感じがした。

 

 いつもしっかりしている冷静な彼女にしては、焦っているように見えてしまったのである。

 

「……………」

 

 彼女はベッドの上の毛布を見下ろしながら、唇を嚙み締めた。

 

「―――――――あのまま終わるの、嫌だったの」

 

「え?」

 

 どういうことだ?

 

「だって、もう鍵を3つ見つけて、天秤の在り処も分かってきてるでしょ? ……………天秤を見つけて消し去れば、私たちの旅の目的は終わりじゃない」

 

「ナタリア……………」

 

 彼女が焦っていた理由が、分かった。

 

 ナタリアは自分の気持ちを伝える前に、旅が終わってしまう事を恐れていたのだ。俺たちの目的はメサイアの天秤を手に入れ、他者が天秤の正体を知って絶望する前に消し去ること。一番最初の頃と比べると目的は真逆になってしまったけれど、天秤の入手を目指すことは変わっていない。

 

 様々なダンジョンを調査して手がかりを集め、世界中のクソ野郎共と戦う俺たちの冒険は、確かにそろそろ終わろうとしている。もう既に鍵はすべて集めたし、天秤がどこに眠っているのかも分かってきたのだ。天空都市ネイリンゲンについてはアルフォンスが率いるアーサー隊が調査中だが、調査が終わればすぐに作戦会議を開き、俺たちはその天空都市へと向かうことになる。

 

 そして、そこでの戦いが終われば――――――――俺たちの冒険は、終わりだ。

 

 冒険が終わってしまえば、俺たちは多分バラバラになってしまう。俺とラウラのどちらかはモリガン・カンパニーを親父から受け継ぐために社長になる必要があるし、カノンもエイナ・ドルレアンの領主の娘だ。旅が終われば本格的に領主としての教育を受けるため、一旦実家に戻ることになる。

 

 もし俺が会社を受け継ぐことになれば、多分ナタリアと会うのは難しくなるかもしれない。

 

 だからその前に、彼女は自分の気持ちを伝えたかったのだろう。

 

 それゆえに、焦っていたんだ。

 

「…………ナタリア」

 

 唇を噛み締めながら下を向いている彼女の頭を、優しく撫でた。

 

「安心しろって」

 

「でも……………」

 

「もし離れ離れになっちまっても、ちゃんと会いに行くからさ」

 

「タクヤ……………」

 

「気持ちを伝えてくれたいい女を、一人ぼっちにするわけにはいかないからな」

 

 ゆっくりと顔を上げたナタリアは、涙目になっていた。

 

 彼女の瞳から涙が流れる前に、今度は俺が彼女の唇を奪う。これで彼女は安心してくれるだろうかと思いながら唇を離そうとすると、ナタリアは唇を離す直前にしがみついてきた。

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 涙をパジャマの袖で拭い去りながら、彼女はやっと微笑んでくれた。

 

 こんなに素直なナタリアを目にすることはあまりできないだろうなと思いながら、俺も彼女を抱きしめる。

 

「ちゃんと会いに来てくれないと、許さないんだから」

 

「了解(ダー)。絶対会いに行く」

 

「約束よ?」

 

 ヘリを使えばすぐに会いに行けるからな。

 

 すると、いきなりナタリアが微笑みながらベッドの上に横になった。眠くなったのだろうかと思いながら見守っていると、何故か少しばかり恥ずかしそうにしながらパジャマのボタンに手を伸ばし――――――――ゆっくりと、自分のパジャマのボタンを外し始める。

 

 あ、あの、ナタリアさん……………? ピンクのブラジャーが見えてるんですけど、大丈夫ですか?

 

「……………な、ナタリアさん? 何やってるんですか?」

 

「い、いいじゃない」

 

 襲えって事…………?

 

 なんとなく片手を頭の上に伸ばすと、いつもは髪に隠れてしまうくらい短いキメラの角がしっかりと伸びていた。もし仮にこれを引き抜くことができればダガーの代わりに使えそうな長さである。

 

 部屋の中にいるのは俺とナタリアのみ。イリナは夜間の偵察任務中だから帰ってくるのは多分明け方辺りだろう。ラウラは教え子たちとの訓練中のようだが、彼女の訓練は結構時間がかかる。帰ってくるのは3時間か4時間後だろう。

 

 そして、目の前にはなぜかパジャマのボタンを外してベッドの上に横になってるナタリアさん。

 

 一応母さんから貰った薬はまだ残ってるけど……………大丈夫なの?

 

 俺、女の子に襲われたことは何度もあるけど、逆に襲ったことは一度もないよ? 

 

 息を呑んでからベッドの上の彼女を見つめると、ナタリアもまだなのかと言わんばかりにじっとこっちを見つめていた。

 

 部屋にはちゃんと鍵をかけたし、ルームメイト(ラウラとイリナ)が帰ってくるのはまだ先。それまでは、彼女と2人きり。

 

 女に襲われやすいハヤカワ家の男子の呪いを打ち破るチャンスじゃないか……………。

 

「な、ナタリア」

 

「何よ………?」

 

「…………いいのか?」

 

 やっぱり彼女も恥ずかしいらしく、問いかけると更に顔が赤くなる。

 

 けれどもナタリアは目を逸らさずにこっちを見つめながら、答えてくれた。

 

「―――――――ど、どうぞ」

 

「…………!」

 

 親父。

 

 俺、この呪い(体質)に勝ったような気がするよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は女を何人抱けば気が済むんだ?」

 

 タンプル搭の訓練区画に用意された射撃訓練場で、隣のレーンで射撃をするケーターに問いかけられた俺は苦笑いしながらPL-14のマガジンを交換していた。

 

 いつもはラウラに搾り取られてたけど、搾り取られずに済んだのは昨日が初めてなのではないだろうか。それに俺が襲ったのも昨日が初めてだ。いつもは女――――――――特にラウラだ――――――――に襲われるのが当たり前だったからな。

 

 告白してきた時のナタリアの恥ずかしそうな顔を思い出してニヤニヤしつつ、PL-14を的へと向けてぶっ放す。隣にいるケーターはちゃんと両手で構えているんだが、こっちは普通の転生者とは腕力が全く違うので、ハンドガンどころかアサルトライフルのフルオート射撃でも片手で十分なのだ。なので、基本的にハンドガンをぶっ放すときは片手なのである。

 

 ちなみに親父は、ヴリシアの戦いでレオパルトを放り投げたらしい。鍛えればキメラの腕力は戦車を放り投げられるほど強力になるのだろうか。

 

「お前だってクランを抱いたことあるんだろ?」

 

「ああ。お前と違って、俺が愛してるのはクランだけだ。…………まったく、ラウラと一緒に部屋から出てくると思えばニヤニヤしながらナタリアと一緒に出てきやがって」

 

「…………あ、そうだ。ケーター、最近手は空いてるか?」

 

「ん? ああ、今日と明日は休暇になってるが?」

 

「報酬を出すから、ちょっと調べてほしいものがある」

 

 そう言いながらPL-14に安全装置(セーフティ)をかけてホルスターへと戻し、コートの内ポケットからあるものを取り出す。ポケットの中から顔を出すと同時に、錆び付いた金属が放つ臭いを放ち始めたのは、表面に融解した跡のある懐中時計の残骸だった。

 

 ザウンバルク平原で拾った、親父の懐中時計にそっくりな時計である。

 

「―――――――この時計、まだ販売されてるやつなのか調べてくれ。雑貨店で売られてる安物らしいんだが」

 

「あ? …………お前、懐中時計のコレクターにでもなるつもりか?」

 

「残念だが、俺は銃に興味があるんでね。……………ただ、もしかしたらでっかい謎に繋がってるかもしれないんだ。頼めるか?」

 

 ケーターは俺から懐中時計の残骸を受け取ると、融解した跡のある懐中時計をまじまじと見つめた。

 

「……………別に構わんが、でっかい謎を知るのであれば覚悟を決めておくことだな。そういう謎の真相を知って後悔することの方が多いぞ」

 

「大丈夫だ」

 

 受け取った時計の残骸をポケットに突っ込みながら忠告してくれた仲間(同志)を見つめながら、俺は頷いた。

 

「―――――――覚悟は決めた」

 

 

 



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懐中時計の真相

 

「へぇ、それがドラゴン(ドラッヘ)から預かった懐中時計?」

 

「ああ。でっかい謎につながってるらしい」

 

 融解した跡が刻み込まれた懐中時計を、隣を歩くクランに渡しながら説明する。彼女はそれを受け取ると、融解した表面を指でなぞりながら首を傾げた。

 

 あの融解した跡は一体何なのだろうか? 火炎放射器のような炎で溶けたとは思えない。魔術だろうか。

 

 表面は錆び付いており、時計の針も片方は見当たらない。融解して消え去ったのではなく、この時計の前の持ち主が取り外したのではないだろうか。もし仮に時計の針が融解するほどだったのならば、もう片方の針も同じ運命を辿っている筈だ。

 

 クランに返してもらった懐中時計の残骸に、まだ片方の針が残っていることを確認してから、俺は溜息をついた。

 

 大切な戦友からの頼みだし、こういう情報収集は諜報部隊(シュタージ)にいるのだからお手の物だ。指令室でオペレーターをするだけではなく、実際に現地で情報収集することも多い。敵にバレないように変装したり、敵の組織に潜り込んで色々と調べる普段の任務と比べれば、”敵”がいない状態での情報収集は簡単な計算問題を解くようなものである。

 

 でも、本当なら今日は休暇だったんだよなぁ…………。

 

「あっ、ケーター! あそこの露店でアイスクリーム売ってる!」

 

「はいはい、何味がいい?」

 

「ええと…………チョコレート!」

 

 しょうがないなぁ。

 

 報酬も出してもらえるみたいだし、クランと一緒にいられるから、休暇を潰したあいつを恨むのは止めよう。というかこの依頼を引き受けたのは俺なんだし。

 

「おじさん、チョコレート味のやつ2つ」

 

「はいよ」

 

 露店の奥から顔を出したのは、がっちりした筋肉を身に纏う屈強なオークの男性だった。口元には真っ黒な髭が生えていて、眉間から左目の辺りまで剣で切られた傷跡が残っている。私服に身を包んでアイスクリームを売っているより、防具に身を包んで魔物と死闘を繰り広げてる方が似合いそうな男性だ。

 

 もしかすると、この人は元々傭兵ギルドか騎士団に所属していたのかもしれない。

 

 一般人にしては目つきが鋭すぎる。

 

 けれども、俺はこの人に「どこかの騎士団にいたんですか?」と問いかけるつもりはなかった。もしかしたら負傷して騎士団を退役した人なのかもしれない。

 

 オークはハーフエルフと同じく、人類の中では最も屈強な身体を持つと言われている。特にオークは男性も女性もがっちりした体格の人が多く、身長が2mを超えるのは当たり前だという。テンプル騎士団やモリガン・カンパニーにも数多くのオークが所属しており、ヴリシアの戦いでは吸血鬼たちと死闘を繰り広げた。

 

 ヴリシアの戦いで捕虜となった敵の兵士が、「オークやハーフエルフは5.56mm弾に被弾した程度では突撃を止めることができなかったし、むしろ奮い立って突っ込んできた」と言うほど頑丈な身体を持つ種族である。

 

 ちょっとした巨人だな、オークは。

 

「はいよ、チョコレート味2つ。銀貨6枚な」

 

「どうも」

 

 財布の中から取り出した銀貨をでっかいオークの男性に渡してから、受け取ったアイスクリームを隣にいるクランに渡して、俺たちは露店の前から離れる。

 

 デートに来たわけじゃなくて、タクヤから依頼を受けてるんだからなと彼女を咎めようと思ったけど、幸せそうな表情を浮かべながら買ったばかりのアイスクリームを舐めている彼女を見た俺は、肩をすくめながらそのまま歩いた。

 

 クランは任務中になると真面目で気の強い女傑になるが、こういう時は呑気な女の子だ。時折子供っぽくなることもある。出会ったばかりの頃は大人びていて綺麗な子だなと思ったんだけど、こういう子供っぽいところも可愛いと思う。

 

 やっぱり、大学で彼女に告白したのは正解だったようだ。さすがに彼女の両親が来日した時はびっくりしたけど。

 

「それにしても、ラガヴァンビウスって広いのねぇ。防壁で囲まれてるって聞いたから、もっと窮屈な場所だと思ってたんだけど」

 

「そういえば、ここに来るのは初めてだな」

 

 そう言いながら、俺たちは王都ラガヴァンビウスの街並みを見渡した。

 

 王都ラガヴァンビウスは、簡単に言えばオルトバルカ王国の首都だ。産業革命が起こってからは『世界の工場』と呼ばれるほど工業が発達した王国の中心地で、大昔のヨーロッパを思わせる建物が並ぶ他の国とは雰囲気が全く違う。労働者向けのアパートや高い建物だけでなく、でっかい工場や塔を思わせる工場の煙突が乱立しており、ガラス張りの天井が特徴的なでっかい駅からはフィオナ機関を搭載した機関車が、貨車や客車を別の駅へと運んでいく。

 

 街を警備する騎士たちも防具は殆ど身につけておらず、腰にサーベルを下げているか、マスケットを彷彿とさせるデザインのスチームライフルを装備して、不審者がいないか警備をしている。

 

 建物や工場が街を支配していると言っても過言ではない。おかげで露店が並ぶ大通りは賑やかだけど、でっかい建物たちのせいで道はかなり複雑だ。いたるところに案内板が置いてあるのを見た時は違和感を感じたけど、あの案内板がなければ何人も迷子になっていた事だろう。

 

「タクヤの親父は、この街の雑貨店でこれと同じ懐中時計を購入したらしい」

 

「へえ。壊れてなければ立派なデザインなのに、雑貨店で購入できたの?」

 

「ああ、安物だったみたいだな」

 

 とりあえず、雑貨店の店主にでも聞いてみるか。

 

 まだ販売されている時計ならショーケースに並んでいるだろうし、仮に売り切れていても店主に聞けば取り寄せてもらえるだろう。壊れていなければカッコいいデザインの懐中時計だから、ショーケースにはもう並んでなさそうだがな。

 

 まず、雑貨店を探さないと。

 

 アイスクリームを食べているクランと手を繋ぎながら、俺はきょろきょろと複雑な街並みを見渡した。周囲には冒険者ギルドの事務所や労働者向けのでっかいアパートが乱立していて、金属にも見える真っ黒なレンガで形成された建物の壁には、労働者を募集するモリガン・カンパニーのポスターが張られている。

 

 よく見てみると、近くにある鍛冶屋の看板や冒険者向けのアイテムを販売している売店の看板には、モリガン・カンパニーのロゴマークが描かれているようだ。冒険者や傭兵たちの装備の大半はモリガン・カンパニーで製造されたものなのだろうか。

 

 しかも、近くにある喫茶店の看板にまでモリガン・カンパニーのロゴマークがある。

 

 この街はタクヤの親父の会社に支配されてるんだろうか?

 

「見当たらないわね、雑貨店」

 

「ああ」

 

 案内板も見当たらないし、近くにいる見張りの騎士に聞いてみるか。

 

 そう思いながら周囲を見渡してみると、近くにある鍛冶屋の近くで、スチームライフルと蒸気の入った重そうなタンクを背負った2人の騎士が警備をしているところだった。真っ赤な制服を身につけ、頭にはロシアのウシャンカに似た帽子をかぶっている。

 

「すいません」

 

「なんだ?」

 

 声をかけてみると、スパイク型の銃剣がついたスチームライフルを抱えていた背の高い騎士が微笑みながらこっちを向いた。

 

「あのー、この辺に雑貨店ってあります?」

 

「この通りを真っ直ぐ進んで、冒険者ギルドの看板があるところを左に曲がればあるぞ」

 

「どうも」

 

 親切な騎士だな。

 

 お礼を言ってから、俺たちはそのまま通りを進み始めた。幸い大通りのように露店があるわけではないので、買い物客が殺到している大通りよりも空いている。灰色のレンガでしっかりと舗装された道は、昨日の夜の雨でまだ微かに塗れていて黒光りしていた。

 

 右側にあるパブの中から美味そうな匂いが漂ってくる。どうやら労働者たちが少し早めに昼食を摂っているらしく、カウンターの前に並んだ男性の目の前には、魚の切り身や野菜の入った美味そうなスープの皿が置かれているのが見える。その隣の男性が食べているのはウナギゼリーだろうか。

 

 隣でアイスクリームを舐めているクランが、この匂いを嗅いでパブに入ろうと言い出すかもしれないと思った俺は、残っていたアイスクリームを全部平らげ、反射的に片手を財布へと伸ばしていた。けれども彼女は、隣で「あははっ、美味しそうな匂いね♪」と言ってそのまま歩き続けている。パブに入るつもりはないようだ。

 

 でも、もう少しで12時だ。昼食はあそこのパブにしてみようか。

 

 そのまましばらく歩いていると、冒険者ギルドの事務所の看板が見えてきた。確かここを左に曲がれば雑貨店があるんだよな。

 

「あ、あのお店じゃない?」

 

 クランを連れて左に曲がろうとすると、左側へと伸びるレンガで舗装された道の向こうを眺めていたクランが、その道の向こうにある店の看板を指差した。レンガや金属で造られた建物の群れの中に、同じ素材で作られた看板を出しても殺風景になるだけだと店主が判断したのか、その雑貨店の看板は珍しく木製で、黒っぽいレンガや鉄板が埋め尽くす殺風景な景色に抗っているように見える。

 

 多分あそこだ、さっきの騎士が言っていたのは。

 

 彼女と手を繋いだまま、その雑貨店の扉を開ける。木製の大きなドアの向こうにあったのは、筆記用具や魔物を模したキーホルダーがずらりと並んだ木製の棚。その隣にはぬいぐるみが並んだ棚が置かれており、奥にあるカウンターのすぐ近くには、確かに懐中時計が並ぶショーケースが設置されている。

 

 タクヤから預かった時計はまだあるかな?

 

「いらっしゃいませ」

 

 早くもぬいぐるみの並んでいる棚の方を注目しているクランを見て苦笑いしていると、品物の整理をしていた店員に声をかけられた。左右に伸びた長い耳が特徴のエルフの男性で、年齢は20代前半くらいに見える。けれどもエルフやハーフエルフたちは500年くらい寿命があるらしいし、老いる早さも人間と比べると遥かに緩やかなので、実際には何歳なのかは分からない。こんな若い姿なのに実は90歳だというのは珍しくないのだ。

 

「ああ、すいません。この時計と同じものを探してるんですが…………」

 

「ええと…………ああ、この時計ですか。申し訳ありませんが、この時計はもう取り扱ってないんです」

 

「あっ、そうなんですか? 間違ってぶっ壊しちゃったんで、買い替えようと思ってたんですが…………」

 

「そうなんですか…………実は、これを作ってた工場が潰れちゃいまして。確か…………今から15年くらい前の話ですね。生産数もたった200個だけですので、入手は困難ですよ。オークションに出ることもありませんし」

 

「15年も前…………」

 

 ということは、少なくともこの時計はタクヤやラウラが3歳の頃に製造中止になったという事だ。しかも生産数は200個のみ。もし仮にオークションに出されれば凄まじい金額がつきそうだが、いくら何でもこれを再び入手するのは難しそうだな。

 

 タクヤには「もう販売されていない」と伝えるべきかもしれないが…………もしかしたら、別の店では売られている可能性もある。タクヤに頼まれたのは、この時計が”まだ販売されているかどうか”だ。この店では取り扱っていないが、他の雑貨店では売れ残った奴がまだショーケースに並んでいる可能性もある。

 

 とりあえず、もう少し調べてからタンプル搭に戻ろう。仲間に届ける情報は常に正確でなければならない。間違った情報が仲間たちを全滅させることになるかもしれないのだから。

 

 だからこそシュタージが仲間に提供する情報は、確実なものでなければならない。シュタージに入隊する新入りたちには、とにかく正確な情報を伝えることを叩き込んでいる。

 

 クランに目配せすると、ウサギのぬいぐるみを見るふりをして話を聞いていたクランも頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、ありがとう」

 

 調査をしてくれたケーターに礼を言いながら、財布の中に入っていた2枚の金貨を彼に渡す。この世界では、金貨が3枚あればローン無しで一般的な家を建てられるほどの金額になるので、金貨2枚はかなりの金額の報酬である。

 

 それを渡されたケーターは目を丸くしたが、すぐに「悪いな」と言いながら金貨を自分の財布に突っ込み、ニヤリと笑った。

 

「クランのデート代に使ってもいいし、2人で宿に泊まるときの代金にしてもいい。好きに使え」

 

「わざわざ宿に泊まる必要はないさ。部屋があるからな。…………それで、お前が知りたがってた情報はテンプル騎士団には関係がある事なのか?」

 

 報酬を払い終え、シュタージの諜報指令室を後にしようとした俺は、ケーターに問いかけられて立ち止まった。

 

 はっきり言うと、あの時計の件はテンプル騎士団にほとんど関係はない。関係があるのは俺とラウラくらいだろう。

 

「―――――――いや、あれは個人的な事だ。組織に影響はない」

 

「そうかい。…………覚悟は、決めたんだな?」

 

「…………ああ」

 

 もう、覚悟は決めた。

 

 大きな謎の真相を知る覚悟を。

 

 諜報指令室を後にして、俺はヘリポートに向かうことにした。ケーブルやパイプが剥き出しになった通路を進み、エレベーターのスイッチを押して中へと乗り込む。

 

 もしこの仮説が合っていたら、どうするべきだろうか。

 

 そう思いながら、ケーターに返してもらった懐中時計の残骸をポケットから取り出す。それの裏に刻まれている古い傷の形状と位置は、明らかに3歳の頃にラウラが間違ってつけてしまった傷と一致する。こんなに破損している理由は不明だが、もしかしたらこの懐中時計は親父の物なのかもしれない。

 

 親父がこの懐中時計を購入したのは、俺たちが生まれる前。まだネイリンゲンが健在だったころの話だ。母さんと初めてデートに行った時に王都の雑貨店で購入したものらしいが、いつもメンテナンスをしていたから、殆ど汚れのない立派な懐中時計だったのを覚えている。

 

 しかし親父は、それのメンテナンスを俺たちが6歳の頃から止めた。ラウラも親父が時計のメンテナンスをしているところを見たことがないという。

 

 そしてケーターの情報では、この時計は今から15年前に販売中止になっており、生産数も少なかったため入手は困難だという。つまり俺たちが3歳の頃にはもう販売されていなかったという事だ。

 

 もしかして、親父がメンテナンスしなくなった理由は――――――――時計を持っていなかったからなのではないか?

 

 あの男は愛妻家として有名な男だ。妻から送られたプレゼントはずっと大切にするような男だというのに、一番最初のデートで送られた大切な懐中時計をそう簡単に手放すわけがない。

 

 それに―――――――あの男が変わったのは、あの頃からだ。

 

 どういうわけなのか、親父は幸せな時になると、悲しそうな顔をすることが多くなったのである。

 

 ヘリが格納されている格納庫のある階でエレベーターから降り、分厚い扉を開ける。猛烈な金属とオイルの臭いがする格納庫の中には、ヘリに搭載するロケットポッドや対戦車ミサイルが並び、中央付近ではスーパーハインドやカサートカが整備士たちから整備を受けている状態だった。

 

 その中に、1機だけ地上へと上がるためのエレベーターに乗ったスーパーハインドが待機している。その傍らで待っているのは、黒い制服とミニスカートに身を包んだ、胸の大きな赤毛の美少女だった。

 

「ラウラ」

 

「ああ、タクヤ」

 

 腹違いのお姉ちゃんは、格納庫の向こうからやってきた俺を見ると微笑んでくれた。

 

「―――――――覚悟はできた?」

 

「うん」

 

 これはラウラにとっても大きな事だ。

 

 もしかしたら、彼女にとっては俺の正体が転生者だったことよりも大きな事になるかもしれないのだから。

 

 頷いてから、俺はスーパーハインドのコクピットへと乗り込んだ。テンプル騎士団のヘリに施されている黒とグレーの迷彩模様に塗装された機体にラウラも乗り込み、キャノピーを素早く閉める。

 

 あくまでも王都に向かうだけだから、武装はそれほど積んでいない。道中で魔物に遭遇した可能性も考慮して空対空ミサイルを4発と、機首のターレットのみだ。攻撃機を思わせる大きなスタブウイングには増槽を搭載し、航続距離を底上げしている。

 

 俺の本職は白兵戦なんだが、こういうヘリや戦車の操縦も訓練で学んでいるので、ここから王都までヘリを飛ばすのはお手の物である。

 

「こちらオリョール1。これより離陸する。管制室、エレベーターを上げてくれ」

 

『了解(ダー)、離陸を許可します。エレベーター作動』

 

 がごん、と大きな金属音が格納庫と機内に轟き、エレベーターの四隅に装着されたランプが黄色く点滅を始める。やがてスーパーハインドの巨体が乗っていた床が振動しながら上へと上がり始めると同時に、天井のハッチが左右にスライドしていく。

 

 タンプル搭のヘリポートは、このような変わった方式になっている。地上に作ると要塞砲で砲撃した際の衝撃波でヘリが破損する恐れがあるため、このような格納庫や飛行場は地下に作られているのだ。おかげで離陸や着陸の難易度は高くなっているので、パイロットたちには訓練をしっかりと行っている。

 

 他の拠点のパイロットたちの中には、着陸の難易度が高いせいで「タンプル搭には異動したくない」と言う者もいるという。

 

 やがてエレベーターが地上まで上昇し、ごく普通のヘリポートとなる。

 

「オリョール1、離陸する」

 

『了解(ダー)、同志団長。幸運を』

 

 俺たちは今から、親父を問い詰めに行くだけさ。

 

 呼吸を整えながら、俺はスーパーハインドを離陸させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事を早めに終わらせた俺は、家にある地下室を目指して歩いていた。

 

 今日の昼休みに、タクヤから『地下室で待っている』という短いメッセージが届いていたのである。何か伝えたいことがあるならばメッセージで伝えるか、直接本社までやって来る筈だから、わざわざ地下室に呼び出すという事は大事な話なのだろう。

 

 もしかして、天秤についての話だろうか。

 

 相変わらず、玄関で靴を脱ごうとする癖がなかなか治らない。若い頃からエミリアたちに笑われている癖なのだが、前世の世界で22年間も日本に住んでいればこの癖は定着してしまうだろう。一生治らないのではないだろうか。

 

 黒い革靴を履いたまま、いつも訓練するかのようにそのまま地下室へと向かう。

 

 古い木製の階段を駆け下り、扉を開けて中へと入る。あいつらはどうやらまだ到着いていないらしく、明かりはついていない。

 

 そう思ったのだが――――――――いつの間にか気配を消す技術が上がっていたらしい。部屋の中に入ると、確かに2人がいる気配は感じ取った。

 

 ―――――――俺の後ろから。

 

「―――――――びっくりしたよ。お前らが遅刻したかと思った」

 

「それは残念。遅かったのはあんたの方だ」

 

 確かにな。急いで家に戻ったつもりだったんだが…………。

 

 苦笑いしながら後ろを振り向くと、いつもよりも目つきが鋭いタクヤと、心配そうな表情のラウラが立っていた。タクヤはホルスターの中からライトとドットサイトのついたハンドガンを引き抜き、銃口をこっちへと向けている。

 

 ロシア製のPL-14だ。モリガン・カンパニーでも正式採用しているサイドアームである。

 

「おいおい、同志。なんで銃を向ける?」

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだ。”速河力也”」

 

 ドットサイトの向こうからこっちを睨みつけるタクヤの紅い瞳を見つめながら、俺はぞくりとしていた。

 

 あいつのこういう目つきは何度も目にしてきた。幼少の頃の訓練の時や、あまり思い出したくはないが、ラウラとタクヤが誘拐されたあの時。MP40を使って誘拐犯に復讐していた時もこういう目つきだったし、訓練の最中も、俺やエミリアをヒヤリとさせる動きをする時は、いつもこいつはこういう目つきだった。

 

 きっとそれは、タクヤが何かを見抜いた眼なのだろう。

 

 その眼でこっちを見ているという事は、こいつは俺の何かを見抜いたのだ。

 

 だから今しがた、ぞくりとしたに違いない。

 

「親父――――――――」

 

 PL-14をこっちに向けているタクヤは、呼吸を整えてから問いかけた。

 

「―――――――あんた、本当に俺たちの親父か?」

 

 

 



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父親の正体

 

 

 自分の息子に銃を向けられている親父は、微動だにしなかった。この銃が存在していた世界からこの世界に転生した男だから、銃がどれほど恐ろしい兵器なのかは知っている筈である。しかし、それを実の息子――――――――あくまでもこの世界での話である――――――――に向けられても、この男は全く驚いていない。

 

 確かに、こいつのステータスがあればハンドガンの弾丸は防げるだろう。キメラの外殻を生成し、それで弾く必要はない。けれども目の前の”魔王”と呼ばれた男が微動だにしない理由は、そのような防御力があるからという安心ではない。

 

 俺は絶対に引き金を引かないだろうという確信と、仮に引こうとしたのならば先に潰せるという余裕。鍛え上げられた猛者だからこそ、こんなに冷静なのだ。

 

 むしろ銃を向けているこっちの方が焦ってしまうほど、この男は落ち着いている。

 

「タクヤ、それはどういうことだ?」

 

「あんたは何者だって聞いてるんだ。お前は……………本当に、親父なのか?」

 

「…………」

 

 隣にいるラウラも、俺のように銃は向けていないものの、じっと親父の方を見つめている。

 

 彼女には、もうあの仮説は話してある。

 

「俺はお前たちの父親だ。何でそんな事を聞く?」

 

「じゃあ、懐中時計を見せてもらおうか」

 

 そう問いかけた瞬間、ハンドガンを向けられても冷静なままだった親父が、微かに動揺したように見えた。

 

 速河力也はかなりの愛妻家だ。いつも昼食は妻たちに作ってもらった弁当を食べているし、休日には家族を連れて買い物に行くのは当たり前だ。時折1人で家事をして、母さんやエリスさんを休ませることまである。

 

 そして夜になると、彼はいつも自分の寝室で、エミリア・ハヤカワ――――――当時の姓はペンドルトンである――――――との初めてのデートの際にプレゼントされた懐中時計を、毎晩メンテナンスしているのだ。そのせいで、もう既に購入してから何年も経っているというのに、作動不良を起こすことはないし、時計も買ったばかりなのではないかと思ってしまうほどきれいなのだ。

 

 愛娘がそれに傷をつけてしまっても、「娘が正直に言ってくれた証だ」と言いながら逆に嬉しそうにするほどの男なのである。

 

 その懐中時計を、こいつならば肌身離さず持っているに違いない。

 

 もしも持っていなかったら、こいつは速河力也ではないと言っても過言ではないほどおかしい。

 

 親父は内ポケットの中へと手を突っ込んだ。もしかしたら懐中時計を持っているかもしれないと思った俺とラウラはぞっとしたが、もし内ポケットから手を引っこ抜いた時に、しっかりとメンテナンスされた懐中時計が顔を出せばこいつは俺たちの親父だと確信できる。

 

 むしろ、懐中時計を持っていてくれと願いたかった。

 

 けれども親父の手は、ポケットの中でぴたりと止まった。

 

「―――――――おっと、会社に忘れちまったようだ。いきなり呼び出されたもんだからな」

 

 こいつは――――――――懐中時計を持っていない。

 

 それを理解した瞬間に、俺とラウラは落胆した。

 

 毎晩メンテナンスをするほど大事にしているものを、そう簡単に忘れられるわけがない。大慌てで出かける時も懐中時計を持っているかどうか確認するほどなのだから、いくらいきなり呼び出されたとしても会社に忘れてきてしまうのはおかしい。

 

「いや、違うんだ。…………あんたは、もう懐中時計を持っていない」

 

「…………なに?」

 

 右手に持ったPL-14を向けながら、内ポケットの中から例の懐中時計を取り出す。完全に錆び付き、表面の蓋には融解したような跡がある懐中時計の残骸。融解した状態で放置されていたそれからは時計の針が片方だけ取り外されており、もう片方は完全にひしゃげたまま錆び付いていた。

 

 そしてこれの裏側には――――――――かつて、幼かった頃のラウラが誤って床に落としてしまった際についてしまった傷跡が、しっかりと残っている。

 

「―――――――あんたのは、ここにあるからな」

 

「―――――――!」

 

 俺のコートの内ポケットから顔を出した残骸を目にした瞬間、ずっと冷静だったリキヤが、どうしてお前がそれを持っているんだと言わんばかりに目を見開いた。

 

 親父が大切にメンテナンスしていた懐中時計が、どうしてこんなに破損した挙句、ザウンバルク平原に放置されていたかは分からない。しかし、もし仮にこの残骸が本当に親父の懐中時計だったのであれば、今の親父は懐中時計を持っていないだろう。

 

 そう、懐中時計を”忘れた”のではなく、”持っていない”。

 

 なぜならば、ザウンバルク平原に落ちていたからだ。

 

「…………これが販売されていたのは15年前まで。俺とラウラがまだ3歳だった頃だ。生産されたのはたった200個で、これを生産していた工場は潰れた。オークションにすらなかなか出てこないほどの品なのだから、いくらあんたでも入手はできないだろう」

 

 懐中時計を集めているコレクターならば持っているかもしれないが、国土がでっかいオルトバルカ王国の中にたった200個しか存在しないのだ。それを探し出して手に入れるのは、いくら世界規模の企業の社長でもほぼ不可能である。

 

「……………この傷の形、見覚えあるよな? 偶然同じ形の傷が、同じタイプの懐中時計についているのはおかしいよな?」

 

「……………」

 

「どうして嘘をついた?」

 

 間違って壊してしまったから、それを隠すためにあんな平原のど真ん中に放置するのはありえない。速河力也は、絶対にそんなことをする男ではないからだ。そうやって懐中時計を隠すくらいならば、正直に母さんに言って謝るだろう。

 

 だから、何か理由がある筈なのだ。こんなに破損した大切な懐中時計を、ザウンバルク平原のど真ん中に放置するのは考えられない事なのだから。

 

 それに、もう1つ知りたいことがある。

 

「もう1つ聞きたいことがある。……………ガルゴニスは今どこに?」

 

「……………俺の命令で極秘任務中だ。内容は言えんよ。…………いくら子供たちでもだ」

 

「そうかい。…………確か、ガルゴニスがいきなりいなくなったのは今から12年前。俺たちが6歳の頃だよな?」

 

「ああ、そうだ」

 

「へえ。……………ガルゴニスと出会って話をした事は?」

 

「何度かある」

 

「そうか……………けどさ」

 

 言う前に、一旦息を吐く。

 

 この一言で、何かを隠している親父の”嘘”をどれだけ削ることになるのか分からない。下手したら、そのまま真実を剥き出しにしてしまうかもしれない言葉。脳裏にはすでに浮かび、声帯がいつでもそれを形成できる状態になっている。

 

 それを撃ち出す引き金は、俺の勇気だけ。

 

 真実を知るための、覚悟だけだった。

 

 怯えて引き金から離れようとした親指を――――――――勇気と覚悟が、押し返す。

 

「―――――――俺やラウラは、お前とガルゴニスが話をしているところを見たことがない。それなりに本社を訪れたことはあるから、一回くらいはガルちゃんと出会っちまってもおかしくはない筈なんだがな」

 

「…………」

 

「それとも、ガルゴニスは俺たちがいないタイミングであんたの所にやって来るのかな? 俺とラウラは嫌われ者か?」

 

 懐中時計の残骸を内ポケットに戻し、俺は親父を睨みつける。

 

 もう既に、トリガーは引いた。銃口から躍り出た弾丸が親父の嘘をどれだけ削り取ってくれるのかは分からない。

 

「―――――――もしかして、ガルゴニスは最初から一度もあんたの目の前に姿を現していないんじゃないか?」

 

「…………タクヤ、ちょっと待って。それはどういう事……………?」

 

 これはラウラに話していない仮説だった。ヘリの中でこれについても話をしておけば良かったなと後悔した俺は、隣で戸惑うお姉ちゃんを一瞬だけちらりと見る。

 

 幼い頃から、俺はよく魔物の図鑑や魔術の教本を絵本代わりに読んでいた。それを読み始めた動機は、「まだ幼いのに勉強熱心だ」と両親に褒められるのが嬉しかったことと、純粋に異世界の常識に興味があったからである。大きかった原因は、どちらかと言うと後者だろうか。

 

 前世の世界には、魔術や魔物は存在しなかったのだから。

 

 それゆえに興味を持ち、色々な知識を脳味噌の中にぶち込んだ。

 

 魔術の使い方や、詠唱の重要さ。魔物の生態や苦手な属性をしっかりと覚え、いつかは俺も冒険者の資格を取って、仲間と一緒に冒険するんだという目標を立てながら勉強をしていたのである。

 

 さすがに錬金術は難解すぎたけど――――――――その魔術の教本の1つに、エンシェントドラゴンたちが使ったと言われている興味深い魔術が記載されていたのだ。

 

 なんと、エンシェントドラゴンたちは、他者から魔力を吸収することによって、その吸収した魔力の中に含まれる情報を素早く解析し、魔力を吸収した人物の姿へと変身することができるというのである。

 

 魔力の中には様々な情報が含まれている。簡単に言えば、”第二の血液”とでも言うべきだろうか。

 

 魔力にも遺伝子に関する情報が含まれているし、しっかりと調べればその人の体質についても知ることができる。しかし、それを瞬時に解析し、その情報を駆使して人間の姿に変身することができるのは、普通のドラゴンよりも極めて高い知性を持つエンシェントドラゴンたちだけ。

 

 それゆえに、『最古の竜』と呼ばれているガルゴニスが、その魔術を使えないわけがない。

 

 廃れてしまった数多の魔術を記憶している、膨大な知性の塊のような存在なのだから。

 

「エンシェントドラゴンが使う魔術の中には、魔力を吸収し、その魔力の中にある情報を解析して、人間の姿に変身できる魔術があるのはご存知かな? 同志リキノフ」

 

「ああ、知っている」

 

「ねえ、どういうことなの?」

 

「ラウラ、ガルちゃんの本当の姿は?」

 

「最古の竜……………エンシェントドラゴンよ?」

 

「そうだよな? エンシェントドラゴンの中でも最も古い、偉大な竜だ。―――――――だからこそ、そういう魔術を使って人の姿になれたとしてもおかしくはないんだよ」

 

「!?」

 

 一番古い竜だからこそ、全てを知っている。

 

 人間たちでは使いこなすことができずに廃れていった魔術や、レリエルが世界を支配したことも。

 

 それゆえに、ガルゴニスならば知っている筈なのだ。魔力を解析して人の姿に変身する魔術を。第一、俺たちが幼い頃から目にしてきた幼女の姿のガルゴニスは、親父たちに一度倒されてから、親父の魔力の一部を吸収してあの姿になったのである。一部だけとはいえ魔力の解析で姿を変えることができたのだから、姿を完全に再現することができないわけがない。

 

「”ガルゴニス”、そうだよなぁ?」

 

 今まで全く気が付かなかったが――――――――こいつならば、できたのだ。

 

 一番古い竜ならば――――――――。

 

「―――――――フッ…………フフフフフッ」

 

 これが、俺の仮説だ。

 

 12年前に何があったのかは不明だが――――――――ガルゴニスが親父の姿を再現し、ずっと速河力也のふりをしていたのだ。ガルゴニスを極秘の任務に派遣したという理由を作っておけば、時々戻ってくるふりをするだけで十分誤魔化せる。それに極秘の任務なのだから、社長室でその任務についての打ち合わせをこっそりと行っていることにすれば怪しまれない。

 

 気付けるわけがないのだ。

 

 再現している姿は、速河力也から吸収した”本人の魔力”を使っているのだから。

 

 どうやら俺が放った弾丸は、嘘を削り取るどころか全て抉り取り、真実を剥き出しにしてしまったらしい。銃を向けられながら自分の子供たちに問い詰められた男は、暗い地下室の中で唐突に笑い始めた。

 

 いつもは落ち着いていて、まるで紳士のようにも思える赤毛の男。こんな狂気的な笑い方をする男ではない。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ……………! そういえば、”あの男”がお前の正体を暴いたのもこの地下室だったな。あの時とは立場が逆か…………フフフッ、成長したものだ……………」

 

 そう言いながらニヤリと笑った赤毛の男は、頭にかぶっていたシルクハットを鷲掴みにすると、笑いながらそれを床の上へと放り投げた。18年間もこの男と家族として生活してきたから、自分の新しい父親の表情は色々と目にしてきた。自分の子供たちが新しい知識を身につければ大喜びし、戦場で戦友が命を落とした時は酒を飲みながら落ち込んでいた、感情豊かで強い父親である。

 

 しかし、目の前で笑う親父は――――――――目を見開いて天井を見上げながら、今まで一度も耳にした事がないような笑い声を発していた。

 

 あの男は、こんな笑い方をする男ではない筈だ。

 

 絶対に、こんな笑い方はしない。

 

 もちろん、この男の姿になっている奴も。

 

 大笑いしながら、親父の姿をした男は唐突に勢いよく右手を振り払った。まるで目の前に立ち塞がる邪魔な何かを振り払おうとするかのように腕を振るった直後、まるで太陽の表面から吹き上がるフレアやプロミネンスを思わせる赤い光が、目の前の男の身体から吹き上がった。目の前にいる親父の姿をした何者かが太陽と化したかのように、その赤い光は荒れ狂いながら地下室を照らす。

 

 それを見て絶句しているラウラに「下がって、ラウラ」と言いながらPL-14を構え直すが――――――――多分、俺がトリガーを引くことはないだろう。もしこの光の向こうから姿を現す相手が、俺たちに敵意を向けていたとしても。

 

 それほどお世話になった相手なのだから。

 

 やがて赤い炎が徐々に薄れ始め、火の粉にも似た粒子を地下室の中へと拡散させた。触れれば身体が燃え上がってしまうのではないかと思ったけれど、これは炎ではない。凄まじい圧力で加圧された魔力が、元の圧力に戻る際に発生する変色だ。とはいえどんな熟練の魔術師でも、炎に見間違えてしまうほど真っ赤になるまで加圧することはできない。

 

 正確に言えば、”人類にはできない”。

 

 ”人”である以上は、できない芸当なのである。

 

 この現象が、俺にとっては答え合わせのようなものだった。仲間たちに手伝ってもらって組み立てた複雑な数式と、イコールの右側に書き足した自分自身の答え。それと正しい答えを比べた結果は、どうやら俺が出した”答え”は正解していたらしい。

 

 けれどもそれは、最も正解してほしくなかった答えだ。

 

 炎にも似た赤い残光の中から、先ほどまでそこに立っていた巨漢と比べると小さい人影が静かに姿を現す。がっちりした筋肉に覆われた身体ではなく、むしろその身体から不要な筋肉を全て取り払ってしまったかのような、すらりとした体格だ。肌も親父と比べると遥かに白く、背もかなり縮んでいるのが分かる。

 

 しかし、髪の色と瞳の色は変わっていない。どちらも燃え上がる炎を彷彿とさせる色で、セミロングくらいの長さの赤毛の中からは、まるでダガーを思わせる真っ黒な角が2本も生えていた。根元は真っ黒だけど、先端部はまるで融解寸前の金属のように真っ赤に染まっており、陽炎でも纏っているのではないかと思ってしまう。

 

 身に纏っている服は、親父が纏っていた立派な黒いスーツではなく、まるで貴族のお嬢様が好みそうなデザインのドレス。基本的には黒いけれど、所々にはまるで火種を従えているかのように、炎のように真っ赤なフリルがいくつもついている。

 

 やはり、俺の答えは合っていた……………。

 

「え……………嘘………ど、どうして……………?」

 

 ハンドガンを彼女へと向ける俺の隣で、目を見開いていたラウラが震え始めた。

 

「が……………ガル…………ちゃん……………?」

 

「―――――――良く見破ったのう、タクヤよ」

 

「はっ、出来れば見破りたくなかったんだが」

 

「フッフッフッ……………お前は昔から鋭い男じゃった。力也のような”強さ”ではなく、”鋭さ”を持っていたからのう」

 

 銃を向けられているというのに、目の前の赤毛の幼女は全く怯えない。撃たれてもいいと言わんばかりにこちらへと近づいてきたガルゴニスは、小さくて白い手を静かに伸ばしてPL-14のスライドを掴むと、俺の顔を見上げながら首を横に振り、そっと銃を下げさせた。

 

「………ま、待ってよ……………どういうこと? ねえ、パパは? ……………がっ、ガルちゃんがパパに変身してたなら、本物のパパもちゃんといるんだよね? ねえ、タクヤ……………」

 

 親父の正体がガルゴニスだったという仮説が当たってしまったという事は――――――――自動的に、更に最悪な仮説まで正解してしまうという事になる。

 

 なぜ、最古の竜であるガルゴニスが、わざわざ親父の姿と声を手に入れ、親父になりすましてあいつの代わりになっていたのか。

 

 けれども、こればかりは認めたくはない。この謎を解き明かす前に、覚悟を決めておいたはずなのに。

 

 息を呑みながら、俺たちを悲しそうな目つきで見上げるガルゴニスを見下ろす。

 

 覚悟を決めたつもりだったのに、俺はこれ以上真実を知ることを拒みたくなった。これ以上先に進んでしまったら、もしかしたら壊れてしまうかもしれない。絶対に認めたくない真実が終着点になるのは、火を見るよりも明らかなのだ。

 

 情けないけれど、それを知るのが怖くなってしまった。

 

 けれども、自分の正体を見破った俺たちにもう隠し事をするつもりはないのか、ガルゴニスも覚悟を決めたらしく――――――――息を吐いてから、真実を告げる。

 

「―――――――死んだよ、リキヤは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番最初にこの異世界で魔物を倒した直後のような静寂の中で、俺は彼女と出会った時の事を思い出していた。端末で一番最初に生産した武器で魔物を倒した俺の背後に現れた、騎士団の制服に身を包んだ彼女。あの時、俺は全く知らない異世界で少女に警戒されているというのに、何故か安心していた。

 

 どうして安心していたのだろう? 同い年くらいの異性に出会ったからなのだろうか?

 

 身体が倒れないように必死に踏ん張っているというのに、俺の頭ではそんな疑問が組み上がり始めていた。その疑問は急速に枝分かれを始めるが、疑問の答えが出る前に、俺に心臓を貫かれていたレリエルの身体が崩壊を始めた。

 

 彼の手足が、崩れていく。

 

 この異世界で最も恐ろしい伝説の吸血鬼が、封印されるのではなく、本当に死のうとしている。

 

 彼を殺したのは俺だ。

 

 俺に殺され、この男の戦いと伝説は本当に終わる。

 

 かつて世界を支配し、大天使に封印された伝説の吸血鬼の最後を、俺のようなちっぽけな怪物が見守ることが許されるのだろうか? 

 

『―――――――――さらばだ、速河力也』

 

 胴体が崩れ落ち、彼の頭も崩れ去っていく。

 

 紫色の光になって消滅する寸前に、レリエルが俺に向かってそう言ったような気がした。自分の身体が消滅し、長い人生が終わろうとしているのに、この男はまるで満足そうに笑う子供のような笑顔で、俺の顔を真っ直ぐに見つめていたんだ。

 

 そうか…………。満足したのか。

 

 もう、悔いはないのか。

 

『―――――――――ああ、さらばだ』

 

 ―――――――――さようなら、レリエル・クロフォード。

 

 紫色の光になって消滅したレリエル。彼が残した残光を見上げながら、俺はそう思った。

 

 今まで俺が敵にぶつけてきたのは、殺意と憎悪だけだった。俺たちの敵は容赦なく殺してきたから、そんなどす黒いものを抱いたまま戦っていたのかもしれない。

 

 今まで体験したことのない満足感の理由を考察していると、いきなり俺の身体が後ろに向かってぐらりと揺れた。そういえば、今の俺は片腕がないんだ。しかも右目も見えないし、心臓の近くにも大穴が開いている。さっきから血が止まらない。

 

 ヤバい。このままでは死んでしまう。

 

 瓦礫の上に崩れ落ちた俺は、痙攣する左腕を何とかスーツの内ポケットに潜り込ませ、中に入っている筈のエリクサーの瓶を探った。

 

 だが、中に入っている筈のエリクサーの瓶は、どうやら戦闘の衝撃で全て割れているようだった。それはそうだよな…………。レリエルとあんな戦いをしたんだから。

 

 家に戻ったら、フィオナに瓶のほうも頑丈に改造してくれるように伝えておこう。

 

『リキヤっ!』

 

『が、ガル・・・ちゃん・・・・・・』

 

 紅い空を見上げていると、遠くから幼い少女の声が聞こえてきた。激痛に耐えながら首をゆっくりと声の聞こえてきた方へと向けると、真っ黒なベレー帽をかぶった赤毛の幼女が、倒れている俺に向かって必死に走ってくるのが見える。

 

『やったのう! お主、あのレリエルを倒したのか!!』

 

『ゆ、揺らすな…………』

 

 頼む、揺らさないでくれ。

 

『凄いぞ! お主はドラゴンの誇りじゃ!』

 

『俺は…………ドラゴンじゃない……………』

 

『ふふっ、気にするでない! さあ、早く帰ってエミリアたちに自慢するのじゃ! 子供たちも待っておるぞ!』

 

 ああ、そうだな。家族の所に帰らないと……………。

 

 置手紙を残してきたが、エミリアにはどこに行っていたのかと問い詰められるかもしれないからな。しかもガルちゃんも同伴だったから、普通の仕事ではないとバレてしまうだろう。

 

 言い訳も考えておかないと。

 

『待っておれ、今回復してやるぞ。―――――――ヒール!』

 

 レリエルのエネルギー弾をほぼ全身に喰らったせいで、俺の身体はもうボロボロだった。背中の皮膚は裂けているし、頭から生えている片方の角も折れている。しかも片腕は消滅してしまっている。無事に王都に戻れたら、またレベッカにお願いして義手でも移植してもらおう。

 

 最古の竜に治療してもらえば、すぐに立ち上がれるようになるだろう。ガルちゃんが治療してくれなければ、俺も死んでいたかもしれない。

 

 安心しながら紅い空を見上げていると、俺に向かって両手を突き出し、真っ白な光を俺に放って傷口を治療していたガルちゃんが少しだけ目を見開いた。何があったんだろうかと思いながら彼女の顔を見上げると、ガルちゃんはまるで認めたくないかのように唇を噛み締め、更に俺に大量の魔力を流し込み始める。

 

 彼女は何をしているのだろう。なぜ、そんなに魔力を流し込むんだ?

 

 彼女に問いかけようとして左腕を動かそうとした瞬間、俺は自分の左腕が全く動いていないことに気付いた。

 

 持ち上げようとしても全く動かない。指も同じく、全く動いていない。

 

『り、リキヤ…………変なのじゃ…………』

 

 目を見開いて首を振りながら涙を浮かべるガルちゃん。ありったけの魔力を俺に向かって流し込みながら涙声で言う彼女を見上げていると、ガルちゃんは涙を拭ってから言った。

 

『――――――――傷口が、塞がらん…………………………』

 

『え………………?』

 

 傷口が塞がらない? 全然治療できないって事か……………?

 

 嘘だろ……………?

 

 何とか首を動かして大穴が開いている筈の胸元を見下ろす。レリエルに開けられた胸元の穴も、ガルちゃんの治療魔術ならば簡単に塞ぐ事ができる筈だ。しかもあれだけ魔力を流し込んでいるのだから、治療できないわけがないだろう。冗談はやめてくれよ。

 

 冗談だと思いながら胸元を見下ろした俺は、猛烈な絶望に握りつぶされる羽目になった。

 

 ガルちゃんの言葉は冗談ではなかった。

 

 ――――――――本当に、傷口は塞がっていなかった。

 

 胸元だけではない。抉られた右目も、消滅させられた右腕も、レリエルの攻撃を喰らった直後のままだ。全身の火傷の痕も残っているし、傷口からは鮮血が流れ続けている。

 

『何故じゃ……………!? 何故傷が塞がらんのじゃ!?』

 

『そうか……………』

 

 レリエルの魔力は、大天使の剣を魔剣にしてしまうほど汚染されている。その魔力が生み出したエネルギー弾を全身に叩き込まれたんだ。きっと、奴の魔力が俺の身体を汚染しているから、普通の治療魔術が効かないんだろう。

 

『…………きっと、奴の魔力に汚染されておるのじゃ……………』

 

『治せるか…………?』

 

 家族に会いたい。また子供たちを狩りに連れて行きたい。結婚記念日になったら、また妻たちを連れて買い物に行きたい。

 

 だから頼む。この傷を治してくれ。

 

『……………無理じゃ。この汚染を治す方法は…………存在しないのじゃ……………』

 

『そんな…………』

 

 この傷は、治らない。

 

 つまり、俺は助からない。このまま魔界の大地で仰向けになり、血のように紅い空を見上げながら、家族の元に帰ることなく死ぬのだ…………。

 

 もう、子供たちと一緒に狩りに行くことは出来ない。妻たちと一緒に買い物にも行けない。最愛の家族を抱き締めることも出来なくなってしまった。

 

 俺のあの置手紙が、家族への遺書になっちまった…………。

 

 なんてこった…………。

 

『嘘だ…………死にたくねえよ……………』

 

 死にたくない。

 

 妻たちに会いたい。子供たちの所に帰りたい。

 

 また、家族と一緒に生活したい。

 

 弱音は吐きたくなかったんだが、助からないという絶望が開けた大穴から漏れ出した弱音が、俺の口の中で膨れ上がり、俺はついにガルちゃんの前で弱音を吐いてしまった。

 

『嫌じゃ…………リキヤ、死ぬなぁ…………! 子供たちは………どうするのじゃ…………! 妻たちを置いていくのか…………!?』

 

 俺が吐いた弱音を聞いたせいなのか、ガルちゃんは治療を止めると、血まみれになっている俺の胸に小さな顔を押し付け、そのまま号泣し始めた。彼女は最古の竜だというのに、今の彼女はまるで父親にしがみついて大泣きする幼い子供だ。

 

 俺が死んだということを家族が知ったらどうなるだろうか?

 

 間違いなくみんなを悲しませてしまうだろう。泣き崩れる妻たちと子供たちの姿を思い浮かべた俺の左目には、段々と涙が浮かび始めた。

 

 どうすれば、家族を悲しませずに済む…………?

 

『――――――リキヤ』

 

『…………?』

 

 俺の名前を呼んだガルちゃんが、血で真っ赤に汚れた小さな顔を俺の胸から静かに離す。真っ赤になってしまった彼女の顔には、まだ涙の跡が残っている。

 

 いつものように、彼女の頭を撫でてあげられないのが悔しい。最初の頃は彼女は頭を撫でられるのを嫌がっていたんだが、一緒に生活しているうちに認めてくれたのか、頭を撫でられると喜ぶようになっていた。

 

 エンシェントドラゴンの王としてあまり泣き顔は見せたくないのか、ガルちゃんは自分の手まで俺の血で真っ赤になるのもお構いなしに涙の跡を拭おうと足掻き続ける。でも、死にかけている俺の顔を見るとまた耐えられなくなるのか、再び涙を浮かべ、その涙を真っ赤な手で拭い去る。

 

『――――――――安心せい。お前が助からぬのならば…………私が、お前になってやる』

 

 最古の竜(ガルゴニス)が、怪物()になる。

 

 どういうことなのだろうかという疑問は、組み上がる前に燃え尽きた。

 

 今のガルちゃんの姿は、俺の魔力に含まれる遺伝子情報を参考にした姿だ。だから髪の色も同じだし、顔つきも俺にそっくりになっている。

 

 ならば、俺の体内に残っているすべての魔力を彼女に託し、彼女に俺の遺伝子情報を完全に複製させれば、彼女は俺と全く同じ姿になる事ができるというわけだ。

 

 だが、エミリアやエリスたちならば見破ってしまうかもしれない。特にエミリアは、俺がこの世界に転生したばかりの頃からずっと一緒にいる古参の仲間だ。仕草や口調が少し違うだけで、彼女は見破ってしまうに違いない。

 

『なら…………記憶も………持って…………行け…………』

 

『…………!』

 

 ガルちゃんならば、俺の記憶を奪うことも出来る筈だ。確か、大昔に廃れた魔術の中にそんな恐ろしい魔術があったらしい。大昔から生き続けている最古の竜ならば、廃れてしまったその魔術も知っている筈だ。

 

 俺と全く同じ姿で、俺の記憶があれば見破られることはない。記憶を奪われる俺は文字通り抜け殻になっちまうが、どうせ助からないのならば俺の持っている記憶や技術を全て彼女に預け、家族を託したい。

 

 涙を流しながら彼女を見上げていると、ガルちゃんはもう一度涙を拭い去った。彼女も姿だけではエミリアたちに見破られてしまうと思っていたんだろう。

 

 記憶を奪えば、俺はすべて忘れてしまう。

 

 エミリアとデートに行ったことや、エリスに抱き締められて泣いた夜の事も。

 

 子供たちが生まれた時の感動も。

 

 全て、消え去ってしまう。

 

 でも、消え去ったそれらはガルゴニスが受け継いでくれる筈だ。

 

 涙を拭ったガルゴニスが、唇を噛み締めながら俺の額へと右手を近づけた。これから俺の頭の中にある記憶を、体内の魔力と一緒に奪い去っていくんだろう。

 

『――――――――お前みたいな人間に、出会えて本当に良かった』

 

『…………ああ』

 

 俺も、お前みたいなドラゴンに出会えて良かった。

 

 最後に頷いた直後、ガルゴニスの手の平が真っ赤に輝き始め――――――――身体の中の魔力が吸い上げられ始めた。死にかけている身体の中に残っている魔力が赤い光に変貌し、彼女の小さな手に吸い込まれていく。

 

 やがて、記憶も消えてしまうことだろう。俺はその前に、仲間たちや家族の顔を思い出そうと足掻くことにした。

 

 だが、もう記憶が奪われ始めているのか、仲間たちの顔が思い出せない。かつて共に傭兵として戦った仲間たちの顔を思い出す事ができない。せめて家族の顔を思い出そうとするが、家族の顔も同じだった。思い出す直前にその記憶が分断され、白い光に呑み込まれていく…………。

 

 ミラって、誰だ?

 

 信也って、誰だ?

 

 ギュンターって、誰だ?

 

 カレンって、誰だ?

 

 ガルゴニスって、誰だ?

 

 フィオナって、誰だ?

 

 ラウラって、誰だ?

 

 タクヤって、誰だ?

 

 エリスって、誰だ?

 

 エミリアって、誰だ?

 

 力也って――――――――誰だ?

 

 なにも思い出せない。

 

 何で俺は、こんな紅い空を見上げながら倒れているんだ? 

 

 地面に倒れている俺を見下ろしている、この赤毛の男性は誰だ? 何でこの男性の頭には角が生えているんだ?

 

 ここはどこなんだ?

 

 何も分からない。噴出する無数の疑問の海で頭の中が満たされていく。

 

 いつの間にか、倒れている俺を見下ろしている男の周囲に、2人の女性と2人の子供が立っていることに気が付いた。片方の女性は凛々しい雰囲気を放つ蒼いポニーテールの女性で、隣にいる顔立ちがそっくりな少年と手を繋ぎながら微笑んでいる。彼女の息子だろうか?

 

 もう1人の女性は、優しそうな雰囲気を放つ蒼い髪の女性だった。ポニーテールの女性と顔立ちが似ているが、姉妹なんだろうか? 彼女も隣の女性と同じく、微笑みながら赤毛の少女と手を繋いでいる。

 

『エミリア…………エリス…………タクヤ………ラウラ…………』

 

 忘れてしまった筈なのに、俺はいつの間にかその4人の名前を呼んでいた。

 

 俺の大切な妻たち。俺の大切な子供たち。

 

 忘れられるわけがないだろう。

 

『会いに………来て…………くれたのか…………』

 

 動かなくなった筈の左手が、動いた。

 

 左腕だけではなく、両足も動く。いつの間にか、俺の身体中にあった筈の傷も全て消えて、元通りになっている。

 

 でも、このまま家族の元に帰るわけにはいかない。行かなければならない場所がある。

 

 どういうわけかそう思った俺は、少しずつ紅い空に向かって浮かび上がり始めた。

 

 俺を見下ろしていた赤毛の男と、俺の大切な4人の家族が、空へと舞い上がっていく俺に向かって手を振っている。その5人の傍らには、最初に俺を見下ろしていた赤毛の男と全く同じ姿の男が、片腕を失い、胸に大穴を開けられた状態で横たわっているのが見えた。

 

 みんな、最後に会いに来てくれてありがとう。

 

 さようなら――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、速河力也という転生者の最期だった。

 

 レリエル・クロフォードとの死闘で相打ちになり、最終的にどちらもこの世から消える結果になってしまったのである。

 

 けれども、タクヤがいなくなれば家族が悲しむ。エリスやエミリアは、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。ハヤカワ家を壊さないためにも、速河力也という男は無事にレリエルを撃破し、生還したというシナリオにしなければならないと感じた私は、彼から魔力と記憶を受け継ぎ、彼の姿と彼の記憶を活用して、今まで速河力也が生き続けているように見せかけていたのだ。

 

 あの男は、私が彼の記憶を全て奪ったというのに、最後の最後まで自分の家族の事をしっかり覚えていた。最愛の子供たちと、最愛の妻たち。血まみれになりながら泥と屍だらけの戦場を進み、黒煙と業火を突き破りながら必死に戦った最強の男の記憶は、完全には消えていなかったのだ。

 

 彼からすべてを引き継いだ後、私は彼の亡骸をザウンバルク平原に埋葬することにした。ネイリンゲンには早くも魔物が住み着き始めていたため、奴らに彼が眠る墓を掘り返されないように、私は魔物があまりいないザウンバルク平原を選んだ。

 

 せめて、思い出がいくつも産声を上げたネイリンゲンを一望できる草原に、あの男を眠らせてやりたかったのである。

 

 墓標代わりに、彼が最後まで身につけていた懐中時計の残骸を置いた私は――――――――親友の姿のまま、彼が帰るべき場所へと帰っていった。

 

 私の中から、人間への憎悪を全て消し去ってくれた親友に、恩を返すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だ…………」

 

 そう呟いたけれど、話を終えたガルゴニスは首を横に振った。

 

 信じたくはない。けれどもこの真実を隠すために、ガルゴニスが意図的に閉ざしていた大きな扉を、俺たちは自分たちの意志で強引にこじ開けてしまったのである。

 

 その奥に眠っているのが、覚悟を決めた程度では耐えられないほどの大きな真実であるとも知らずに。

 

 この真実を解き明かさなければよかったと後悔するが、ガルゴニスが教えてくれた真実は、未だに俺たちの心へと突き刺さったままだった。

 

 そう、覚悟を決めた程度では耐えられない。

 

 俺たちを育ててくれた速河力也が――――――――12年前に、すでに死亡していたという真実には。

 

 



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ガルゴニスの願い

 

 この世界に生まれ変わるまで、父親という存在は母親や子供に暴力を振るう自分勝手な存在なんだろうとずっと思っていた。反論すれば殴ってくるし、黙って部屋の中で過ごしていても八つ当たりされる。家事は全くせず、料理もしない。いつもテレビや新聞を見るか、パチンコをしに出かけていくだけだ。

 

 だから家事は母親や俺の仕事。母さんが病死してからは、全部俺の仕事になった。

 

 はっきり言うと、もうあんな生活は嫌だった。あの男を殺せば自由になる事ができるだろうかと何度も思ったけれど、その前に飛行機事故で俺の方が先に死ぬ羽目になってしまう。

 

 けれども、この世界にタクヤ・ハヤカワという子供として生まれ変わってから、俺は”本当の父親”を目にしたような気がする。

 

 家族の事を大切にする父親や、身につけた力を仲間のために振るう父親。前世で目にしてきた父親(クズ)とは全く違う。

 

 それが、きっと”理想的な父親”なんだろう。

 

 さすがに美女を2人も妻にしていたところは気に食わなかったけれど、俺もこんな父親になってみたいと思った。

 

 しかし――――――――その”理想の父親”は、とっくに死んでいた。

 

 レリエル・クロフォードとの戦いで、相打ちになって死んだというのである。

 

 かつて世界を支配した伝説の吸血鬼と死闘を繰り広げ、レリエルを討伐して生還し、彼はいつも通りに生活を続けた。子供を育てながら妻たちを守り、奴隷だった人々や失業者を積極的に雇って、少しでも苦しむ人を減らそうとした英雄。俺たちはその男に戦い方を教えられ、冒険者として旅に出たのである。

 

 俺はずっとそう思っていた。12年間も、『リキヤ・ハヤカワはレリエルとの戦いに勝利して帰ってきた』という”幻”を、信じ続けていたのだ。

 

 だから、真相を信じたくはなかった。

 

 あんなに強かった”最強の転生者”が、レリエルと相打ちになって死んだという事が信じられないから。

 

「嘘だ…………」

 

「……本当じゃよ。あいつは…………死んだ」

 

「やめてよ、ガルちゃん…………嘘だよね…………?」

 

 震えながら、ラウラがガルゴニスの両肩を掴む。

 

 俺も、親父が死んだという事を信じたくはない。けれど、ガルゴニスがあのように親父の姿に変身して、親父から受け継いだ記憶を有効活用してあいつの仕草まで正確に再現し、親父がレリエルとの戦いに勝利して生還してきたという事にしていたのは、あの男の死を隠すためだったのだ。

 

 親父が死んだという事になれば、母さんやエリスさんもきっと壊れてしまう。もちろん、壊れるのはハヤカワ家だけではない。親父や母さんが設立したモリガンや、数多くの失業者たちを雇用しているモリガン・カンパニーも、確実に壊れる。

 

 そう、あの男が関わった全てが壊れる。

 

 エンジンが壊れた車が、走れなくなってしまうように。

 

「だって……ガルちゃんも戦ったことあるんでしょ? パパってとっても強いんだよ…………? ねえ、嘘なんでしょ? 答えてよ…………ガルちゃん、お願い! 答えてッ!!」

 

 ガルゴニスの小さな肩を両手で揺さぶりながら、彼女のすぐ近くで叫ぶラウラ。止めるべきだろうかと思って手を伸ばしかけたけれど、鮮血のように紅いラウラの瞳の周囲にいつの間にか雫が居座っていたことに気付いた俺は、そのまま手を引っ込めた。

 

 受け入れつつあるのだ。

 

 親父が死んでしまったという事を。

 

 普段は幼いけれど、本当の彼女はとっても大人びている。それゆえに、下手をすれば俺よりも何かを理解するのは遥かに速い。

 

 だからこそ、受け入れようとしている。

 

 彼女の中で言葉を生み出し、あのように両手でガルゴニスを揺らぶらせているのは、まだ彼女の心が、完全に親父が死んだという事を認めようとしていないからなのだ。

 

 俺はまだ、認めたくない。

 

 何度も訓練の相手になってもらったし、九稜城で戦ったこともあるから、あの男がどれほど格上の相手なのかは分かっている。かつて転生者を絶滅寸前まで追い詰め、第一次転生者戦争と第二次転生者戦争を生き抜き、ガルゴニスを撃破するほどの男なのだ。

 

 あんなに強い男が、死んでいいわけがない。

 

 あの男の強さを知っているからこそ、親父が死んだという事を認めたくない。

 

「嫌…………なんでパパが…………あぁぁ…………ッ!」

 

「ラウラ…………」

 

 頭を抱えながら、ラウラは俺の隣で泣き始めた。親父が死んだという事を認めれば、俺も彼女のように泣いてしまうのだろうか。未だに涙が出てこないのは、まだ俺がそれを認めていないという事なのだろうか。

 

 ちらりとガルゴニスの方を見ながら、瞼と目の周囲を静かに指先でなぞる。けれどもそこが濡れている様子はなく、相変わらず女の子のような肌の感触と、カルガニスタンで付着した細かい砂の感触しかしなかった。

 

 ラウラは、まだ俺の傍らで泣いている。真っ白な手で頭を抱えながら、鮮血のように紅い瞳から涙を流して、「やだよ………やだよぉ…………ッ!」と言いながら泣き続けている。

 

 けれども俺は、傍らで泣き叫ぶ腹違いの姉を見守る事しかできない。

 

「―――――――安心せい。メサイアの天秤を使えば、あの男は生き返る」

 

 相打ちになって死んだという事ではなく、本当に生還したという事になる。

 

 大切な家族を失った悲しみを、ガルゴニスの小さな口から躍り出た言葉が覆いつくす。傍らで泣いていたラウラもガルゴニスの言葉を聞いていたらしく、白い指で涙を拭い去りながら顔を上げた。

 

 自分を育ててくれた大切な肉親が、埋葬された地面の中から蘇る。そして生き返ることができたことに困惑しながらこの家に帰ってきてくれるのだ。いつも通りに「ただいま」と言いながら靴を脱ごうとして、母さんやエリスさんに笑われる。オルトバルカでは玄関で靴を脱ぐ必要はないと何度も言われているのに、前世の癖が全く消えていない父を見て、きっとみんな笑う。

 

 そうなれば、きっとハッピーエンドだ。

 

 ―――――――そんなわけあるか。

 

 確かに親父が生き返ってくれれば、ハッピーエンドにはなる。けれどもそのためには、メサイアの天秤に願いを叶えてもらわなければならない。

 

 メサイアの天秤で願いを叶えるためには、その願いと同等の対価が必要。どんな願いを叶えたとしても、プラマイゼロにしかならないのだ。

 

 だから親父が生き返るには、対価が必要なのである。

 

 ガルゴニスの言葉を聞いて顔を上げたラウラには、まだ思い出していないようだ。天秤が願いを叶えるためにやってきた人々に何を与え、何を奪っていくのかを。

 

 それゆえに、今までは息がぴったりと合っていた彼女が浮かべている表情とは、真逆の表情を浮かべてしまう。ラウラは、もしかしたらそれで親父が帰ってきてくれるのではないかという、希望を見つけたかのような表情。けれども俺が浮かべている表情は、きっと絶望を見つけてしまったかのような表情だろう。

 

 親父の正体がガルゴニスだったという真実の中から、実は親父は12年前に死亡していたという真実が生まれ出た。お次はその真実の中から、更に真実が産声を上げようとしている。

 

 ロシアのマトリョーシカ人形みたいだ。

 

「待てよ」

 

 目を覚ませ、ラウラ。

 

「…………メサイアの天秤を使うって言ったな」

 

「ああ。喜べ、そうすればお前たちは、本物の父親と―――――――」

 

「―――――――対価は、どうするつもりだ」

 

 対価がなければ、メサイアの天秤は願いを叶えてくれない。

 

 だから親父を蘇らせようとすれば、親父と同じくらい大切な人間を生贄にしなければならなくなってしまう。天秤がもたらすのは、プラマイゼロでしかないのだから。

 

 彼女を問い詰めると、ラウラも対価の事を思い出したらしい。ぎょっとしてガルゴニスの顔を見上げたラウラを見下ろしながら、幼女の姿をしたエンシェントドラゴンはゆっくりと小さな人差し指を自分の胸へと向けた。

 

「…………私じゃ」

 

「正気か?」

 

「ああ」

 

「そんな…………」

 

 親父の姿をしていたガルゴニスが、メサイアの天秤を欲していた理由が分かった。

 

 このエンシェントドラゴンは、メサイアの天秤を使って親父を生き返らせるつもりだったのだ。自分自身を対価にし、その代わりに親父を生き返らせれば、最終的には何も変わらない。死んでいなかったことにされていた男が、本当に死んでいなかったことになるのだから。

 

 力也が死んだという真相を知っている者がいないから、誰にも気付かれることはない。速河力也が誰にも気付かれずに生き返り、その代わりにガルゴニスが誰にも気付かれずに死ぬ。

 

 プラマイゼロでもリスクがないし、誰も真相を知らないのだ。

 

 それゆえに、絶対にリスクが生まれない。

 

「対価は最古の竜の命じゃ。リキヤだけではなく、他にも死んだ者たちを生き返らせることができるじゃろうな。…………だから、鍵を譲ってくれんかのう? お前たちも、父親に会いたいじゃろ?」

 

 隣に立っているラウラが、ちらりとこちらを見た。

 

 鍵を彼女に渡せば、もう一度本物の親父に会う事ができる。しかし、その代わりにガルゴニスとはもう二度と会うことはできなくなる。

 

 親父が死んだのは今から12年前。だから彼がこの家にいたのは、俺たちが6歳の頃までという事だ。それ以降の父親はガルゴニスで、親父から引き継いだ記憶で速河力也のふりをしていただけ。

 

 実質的に、俺たちの父親はガルゴニスだと言っても過言ではない。

 

 だからこそ、彼女も俺たちの大切な家族なのだ。その家族を生贄にして、死んだ家族を生き返らせることが許されるわけがない。

 

 それに親父も、きっと悲しむだろう。大切な仲間が自分の命と引き換えに生き返らせてくれたことを知れば。

 

「…………頼む、あの男を生き返らせてやりたいのじゃ。あいつは…………たった6年しか父親をやっていないんじゃぞ…………?」

 

 返事を返さずにガルゴニスを見つめている俺たちに、彼女はそう言った。

 

 確かに親父は6年しか父親をやっていない。それに対して、ガルゴニスが俺たちを育ててくれたのは12年。死んでしまった本当の親父よりも長く、俺たちを育ててくれた。

 

 きっとガルゴニスも辛いに違いない。

 

 親父の役割を力也から奪い、彼が手に入れる筈だった幸せを自分が手に入れてしまったのだから。

 

 それゆえに、悲しそうな顔をすることが多くなったのだ。母さんが作ってくれたでっかいバースデーケーキを見て大はしゃぎする俺やラウラを見守っていた時も、ガルゴニスは悲しそうな顔になっていた。

 

「恩返しをさせてくれ…………頼む、2人とも」

 

 それが、恩返しなのか。

 

 自分自身の命を対価に使って、死んでしまった人間を生き返らせたとしても、生き返った人間が自分と引き換えに大切な仲間が生贄になったと知れば悲しむのは想像に難くない。

 

 お前は親父に、悲しみを与えるつもりか。

 

「ダメだ、ガルゴニス。天秤の鍵は絶対に渡せない」

 

「…………」

 

 彼女の赤い瞳を睨みつけながら、俺はそう答えた。確かに死んでしまった親父にも会いたいけれど、ガルゴニスを犠牲にすることはできない。それに親父なら、自分が死んでしまったことを受け入れている筈だ。生き返ろうとは全く思っていないかもしれない。

 

 だからこそ、ガルゴニスに自分の記憶を託したに違いない。

 

 自分はもう死人なのだから、生き返ることはできないのだと覚悟を決めたのだ。

 

 だから、あの男はもう眠らせるべきなのかもしれない。ネイリンゲンの近くにある、平穏なザウンバルク平原で。

 

「…………そうか」

 

 息を吐きながら、ガルゴニスは下を向く。

 

 その間に彼女を説得するための言葉を必死に考えたけれど、おそらく彼女を止めることはできないだろう。モリガン・カンパニーとテンプル騎士団の同盟関係を破棄しても、絶対に天秤を手に入れるために襲い掛かってくるに違いない。

 

 先ほどの俺の言葉は、彼女に対する宣戦布告に等しい。

 

 ならば、俺たちが彼女を止めよう。

 

 ガルゴニスを守るために。

 

 親父を眠らせるために。

 

「あら、ガルちゃん?」

 

「リキヤは戻っていないのか?」

 

 下手をすれば、この地下室で幼女の姿をしたエンシェントドラゴンと一戦交える羽目になるかもしれなかった。だから俺はまだ、PL-14をホルスターには戻していなかった。ガルゴニスと敵対する覚悟は、彼女の願いを理解した瞬間に決めていたのだから。

 

 しかしその覚悟が、階段の方から聞こえてきた呑気そうな女性の声で台無しになる。

 

「あらあら、2人も帰ってきたの?」

 

「ふふっ、びっくりしたじゃないか。手紙には家に戻ると書いてなかったからな」

 

 地下室のドアの向こうからやってきたのは、露店で購入してきた食材がどっさりと入った袋を持っている母さんと、日用品がどっさりと入った袋を持っているエリスさんだった。2人とも仕事が終わってから露店に寄って買い物をしてきたらしい。

 

 ガルゴニスも剥き出しにする寸前だった威圧感を瞬時に引っ込めると、可愛らしい笑みを浮かべながら袋を持つ母さんに駆け寄り、中に入っている食材を確認し始める。

 

「む…………ニンジンとジャガイモ………? これは豚肉かのう?」

 

「うむ、今夜はリキヤの奴が好きなカレーにしてやろうと思ったのだが…………あいつはどこだ?」

 

「リキヤなら、さっき急に工場の視察に行きおったわ。社長というのは忙しんじゃのう」

 

「まったく、仕方のない男だ…………。では、今夜のカレーは甘口にしないとな。ガルちゃんも食べていくんだろう?」

 

「もちろんじゃ! エミリアのカレーは絶品じゃからのう♪」

 

「タクヤとラウラはどうする? 久々に家でご飯食べてく?」

 

「ええと…………」

 

 正直言うと、皿の上のカレーライスを完食する自信がない。

 

 あんなことを知ってしまって、まだ混乱しているのだから。それにこれ以上母さんたちと一緒にいると、何かあったことを悟られてしまうかもしれない。それを恐れていたから、俺は首を横に振った。

 

「悪いけど…………タンプル搭に戻らなきゃ。仕事があるんだ」

 

「うん、私も。副団長だし」

 

「あらあら、2人とも大忙しなのねぇ…………ママは寂しいわ…………」

 

 こっそりとPL-14をホルスターに戻し、ラウラに目配せをしてから地下室の階段へと向かう。母さんたちにもあの話はするべきなのかもしれなかったけれど、母さんたちに「親父が死んでいた」という話をする勇気はない。

 

 それに、母さんたちまで悲しませたくなかった。

 

 だから俺とラウラは、何も言わずに階段を上がっていった。いつの間にか明かりのついていた家の廊下まで上がってからちらりと地下室の階段を見下ろすと、地下室のドアの近くに立っている母さんが、じっと俺たちを見上げていたことに気付いた。

 

 相変わらず鋭い紫色の瞳。嘘を削り取り、真実を剥き出しにしようとしているかのように鋭い母さんの瞳をこれ以上見るのが怖くなった俺は、唇を噛み締めながら踵を返し、家の玄関へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭に戻るまで、多分俺の表情は変わっていなかっただろう。

 

 格納庫でスーパーハインドから降り、ラウラを連れて部屋へと戻る。相変わらず食欲はなかったから、夕食は食べずにそのままシャワーを浴び、眠ることにした。

 

 ラウラの後にシャワーを浴び、長い髪をタオルで拭きながらシャワールームから出ると、パジャマに着替えたラウラがベッドの上で横になっていた。いつもなら「えへへっ。ほら、お姉ちゃんと一緒に寝ようよ♪」と言いながらはしゃいでいるんだけど、やっぱり今日は静かだ。何も言わずに天井を見上げながら、毛布をかぶっている。

 

 そっと俺もベッドに入り、枕元にあるランタンの明かりを消す。

 

 タンプル搭の中の照明はフィオナ機関で増幅された光属性の魔力が利用されているが、こういう場所の照明はランタンになっているのだ。とはいえ室内に置いておくお洒落なデザインのランタンではなく、普段持ち歩いているランタンだけどね。

 

 真っ暗になった部屋の中で、俺もベッドの毛布をかぶる。元々は1人用のベッドだというのに2人で眠っているから、ベッドに入ればほぼ確実にラウラと密着することになる。

 

 毛布をかぶると、伸びてきたラウラの手が俺の頭を撫でてくれた。そのまま俺を引き寄せて、優しく抱きしめてくれる。

 

「…………お姉ちゃん、お願いがあるんだ」

 

「何?」

 

「…………できればでいいんだけどさ………俺も、抱きしめていいかな?」

 

 ヘリに乗っている時は我慢できたというのに――――――ベッドに入ってからラウラが頭を撫でたせいで、耐えられなくなった。

 

 親父が死んでいたという悲しみに。

 

 俺たちを育ててくれた父親は、とっくに他界していたのだから。

 

「心が折れそうなんだ…………」

 

「うん、いいわよ」

 

 彼女の尻尾が身体に巻き付いてくると同時に、俺も布団の中でラウラを抱きしめた。

 

 地下室ではあんなに泣き叫んでいたんだけど、今のラウラはとても落ち着いている。彼女はもう親父が死んでしまったという事を受け入れることができたのだろうか。

 

 普段の彼女は子供っぽいけど、こういう時は俺の方が子供っぽいのかもしれない。こうして姉に甘えなければ、心が折れてしまうかもしれないのだから。

 

 まるで母親に抱き着く子供のように、俺はラウラを抱きしめていた。

 

 やっと、涙が出てきた。

 

 

 

 



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無人超重戦車を改造するとこうなる

 

 ラウラにプレゼントしてもらったお気に入りのリボンで髪型をいつものポニーテールにし、部屋の洗面所にある鏡で寝癖が残っていないことを確認する。ついでにネクタイも確認してから洗面所を後にし、壁にかけてあるいつものコートの上着を身に纏う。

 

 これは、親父が身につけていたコートを冒険者向けに改造してもらったものだ。かつてはベルトのような装飾がいくつもついていたからなのか、まるでコートではなく拘束具の一種にも見えてしまうような禍々しいデザインだったというが、今ではその余分な装飾は取り除かれ、代わりに回復アイテムやメスを収納するためのホルダーや、短いマントが追加されており、実用性が高められている。

 

 フードを一旦かぶり、転生者ハンターの象徴でもある深紅の羽根が取れていないか確認しておく。この深紅の羽根は、親父が自分よりも格上の転生者を倒すためにレベル上げをした際の戦利品なのだ。それをフードにつけたまま転生者の討伐を繰り返したからなのか、やがて深紅の羽根を付けた親父は”転生者ハンター”と呼ばれるようになり、この戦利品も段々と転生者を狩る者たちの象徴となっていたのである。

 

 しっかりとそれがついていることを確認してから、近くにあるテーブルの上にあるホルスターを拾い上げ、手入れを終えたPL-14をそのホルスターに突っ込む。傍らにある2本のスペツナズ・ナイフを鞘に納めて腰のホルダーに放り込み、部屋を後にする前にベッドの方を振り向いた。

 

 ベッドの上に腰を下ろしてベレー帽をかぶっているのは、幼い頃からずっと一緒にいる腹違いの姉。容姿は大人びているのに性格は幼く、俺がいなくなると泣き出してしまう事もあるようだ。

 

 彼女はベッドの上で微笑みながら、じっとこっちを見ている。

 

 真相を知ってショックを受けたというのに、彼女はいつものままだった。涙を流して泣き叫んだのもあの地下室の中だけ。タンプル搭に帰ってきてからは、一切涙を流すことはなく、その代わりに涙を流す羽目になった俺を一晩中抱きしめてくれた。

 

 彼女は親父が死んでいたという事を受け入れたと言っていたけれど、受け入れたとはいえ未だに動揺はしているのだろう。いつもなら幼い性格に戻っている筈なのに、昨日の夜からずっと大人びた性格のままなのだから。

 

「………ごめんね、ラウラ。昨日は眠れた?」

 

「ええ。可愛い弟を抱きしめながら眠れたんですもの」

 

「そうか…………。ありがとう、おかげで何とか受け入れられそうだ」

 

 俺も、ラウラに依存している部分があるらしい。今まではラウラの方が俺よりも子供っぽいと思っていたけれど、もしかしたら彼女の方が俺よりもしっかりしているのかもしれない。

 

 そろそろ部屋を出よう。今日は朝早くから軍拡についての会議があるし、各地に潜伏しているシュタージのエージェントからの報告書を確認しなければならない。いくら親父が死んでいた事を知ってショックを受けたとはいえ、団長が会議を休むわけにはいかないからな。

 

 一晩中抱きしめてくれた彼女にお礼を言ってから踵を返そうとしたその時、ぷにぷにした柔らかい尻尾が、いつの間にか左手に伸びていた。真っ赤な柔らかい鱗に覆われたキメラの尻尾はそのまま左手の手首に絡みつくと、まるで子供と手を繋ぐ母親のように優しく俺を後ろへと引き寄せる。

 

 まだ何か話したいことがあるのだろうかと思った頃には、柔らかい唇に、俺の唇を奪われていた。

 

 石鹸の香りと花の匂いを混ぜたような甘い匂い。幼少の頃から嗅ぎ慣れている、大好きな匂いだ。その匂いに包み込まれていると、段々と真相を知って受けたショックが小さくなっていくのが分かる。完全には消えないかもしれないけれど、これくらい希釈できれば何とか受け止められそうだ。

 

 もう少し、こうしてキスをしていたい。けれどもちらりと部屋にある時計が見えた瞬間、はっとしながらラウラから唇を離す羽目になった。

 

 会議が始まるまで、あと15分くらいしかないのだ。

 

「や、ヤバい…………! そろそろ行かないと!」

 

「タクヤっ」

 

 団長が会議に遅れるわけにはいかない。だから俺は慌てて部屋から出て行こうとしたんだけど―――――――ラウラはまだ伝えたいことがあるらしく、彼女から離れようとする俺の腕を掴む。

 

「お姉ちゃん?」

 

「…………もし耐えられなかったら、いつでもお姉ちゃんに甘えてね」

 

 ―――――――やっぱり、ラウラの方が大人だ。子供っぽいのは俺か。

 

「お姉ちゃんは、いつでもタクヤの近くにいるんだから」

 

「…………ありがとう」

 

 俺も、いつでもお姉ちゃんの近くにいる。

 

 絶対に守るよ、ラウラ。

 

 とは言っても、ラウラもかなり強いんだけどね。転生者程度ならばあっさりと氷漬けにするか、大口径のライフルで木っ端微塵にしてしまうほどだ。俺が守る必要はないのかもしれないな。

 

 そう思って苦笑いし、会議室まで全力で走っていけば間に合う筈だと思った俺は、もう一度彼女とキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火力不足?」

 

「はい、ステラはそう思います」

 

 格納庫へと戻ってきた鋼鉄の巨体の前で、小柄で幼いサキュバスの少女はそう断言する。

 

 彼女の後ろに停車し、ツナギ姿の整備兵たちに整備されているのは、テンプル騎士団で採用している戦車の中では最も巨大な、無人戦車に改造されたフランスの『シャール2C』。10mにも達する巨大な車体は堅牢な装甲に覆われており、その車体の上にはMBT-70にも搭載されている152mmガンランチャーが搭載されている。

 

 エイブラムスやレオパルトの主砲は120mm滑腔砲。口径だけならばこちらのガンランチャーの方が上だし、こっちは対戦車ミサイルのシレイラも発射可能だ。いくら複合装甲を搭載した最新型の戦車でも、こいつが直撃すれば木っ端微塵である。

 

 凄まじい破壊力を誇る対戦車ミサイルが撃てる上に、車体後部には機関銃を搭載したターレットを搭載。主砲同軸、左右、後部に大口径の機銃を装備しているため、さすがに戦車には通用しないものの、こちらの攻撃力も絶大となっている。

 

 しかし、このシャール2Cはあくまでも第二次世界大戦の頃の戦車であるため、近代化改修しているとはいえ最新の戦車と比べると性能は低いと言わざるを得ない。それに絶大な破壊力の主砲を搭載しているものの、タンプル搭や他の拠点には152mm滑腔砲を搭載したチョールヌイ・オリョールが少しずつ配備されているので、対戦車戦闘になればチョールヌイ・オリョールのほうが主役になるだろう。

 

 ヴリシアの戦いで、吸血鬼たちはアクティブ防御システムを搭載し、防御力を底上げした戦車を積極的に投入してきた。歩兵が使用できる対戦車ミサイルやロケットランチャーは片っ端から迎撃されてしまうので、奴らを撃破するのには手を焼いた。

 

 もし敵がまたアクティブ防御システムを搭載した状態で攻め込んでくれば、このシャール2Cにも出番はあるだろう。こいつは歩兵たちを守りつつ、戦車を薙ぎ倒しながら進撃するために生み出された巨人なのだ。しかし、戦車を薙ぎ倒すための対戦車ミサイルをアクティブ防御システムで迎撃されたら意味はなくなってしまう。

 

 それに、多分ステラは「これだけ車体が大きいのだから、もっと威力のある武装を搭載するべきだ」と言いたいのだろう。チョールヌイ・オリョールを踏みつぶせるほどの巨体だというのに、搭載している武装はそのチョールヌイ・オリョールと口径が同じガンランチャー。十分強力な代物だが、強力な敵を薙ぎ倒しながら強行突撃させるにはもっと火力が必要だ。

 

「機動性は二の次で構いません。もっと武装を搭載できないでしょうか?」

 

「うーん…………」

 

 エンジンを最新のエンジンに換装してあるから、今の状態でもこのシャール2Cは54km/hくらいの速度を出すことができる。全長10mの怪物が、最新型の戦車に匹敵する速度で爆走できるのだ。

 

 しかし、この速度を犠牲にすれば確かにもっと武装は詰める筈だ。余裕があるならば装甲も厚くして、防御力を高めるべきかもしれない。

 

「そうだな、武装を増やそう」

 

「はい、ステラもそうするべきだと思います」

 

「ちなみにステラはどういうのを搭載するべきだと思う?」

 

 質問すると、ステラは首を傾げながら答えた。

 

「戦艦の主砲を搭載するのはどうでしょうか?」

 

 お前はシャール2Cをラーテに作り替えるつもりか。

 

 武装を強力にするのには同意するが、さすがに戦艦の主砲はやり過ぎだ。それは艦砲射撃で我慢してもらいたいものである。第一、戦艦の主砲が発射の際に生み出す衝撃波は凄まじいので、歩兵を守りながら進撃するシャール2Cにそんなものを搭載したら、周囲にいる歩兵部隊に大きな損害が出てしまう。

 

 これは歩兵を守りながら強行突撃する巨人だ。もう少し歩兵に影響の少ない武装にするべきだろう。

 

「ごめん、それは却下だ」

 

「なっ!? で、では、いっそのことラーテを採用しましょう!」

 

 あの…………あれ1両で重巡洋艦とか巡洋戦艦並みのポイントを消費することになるんですけど、そんなことしたら軍拡に使うポイントを全部戦車で使ってしまうことになりますよ?

 

 というか、ブラドの奴よくあんなにラーテを配備できたな。レベル上げを頑張ったに違いない。

 

「いや、ポイントがかかり過ぎる」

 

「ではレベル上げに行きましょう! ステラも付き合いますから!」

 

「あ、あの、この辺の魔物倒しても全然レベルは上が―――――――」

 

「魔物を倒して、食べられそうな魔物は持って帰りましょう! そうすれば今夜の夕飯にできます!!」

 

「レベル上げじゃないの!?」

 

 そんなこと考えてたからよだれ垂らしてたのか…………。確かに食べれる魔物もいるけど、中には毒を持ってる魔物もいるんだよ? 迂闊に食べたらいくらサキュバスでも危ないから、そういうことをするならしっかりと毒があるかどうかを調べておかないと。

 

 というか、俺のレベル上げじゃないのか。食料の調達に行くの?

 

 とりあえず、搭載する武装は滑腔砲にしたほうがいいだろうな。強力なAPFSDSがぶっ放せるし、様々な砲弾を発射することが可能だから汎用性が高い。口径は、いざとなったらチョールヌイ・オリョールに砲弾を補給できるように同じ口径の152mmにするか。

 

 そう思いながら、ステラの後ろでメンテナンスを受けている”プロヴァンス”と名付けられたシャール2Cを見上げた。あの砲塔を取り外し、チョールヌイ・オリョールと同じ砲塔を搭載すればいいだろうかと考えたけれど、この大きさならもっと搭載できる筈だ。

 

「―――――――ステラ、今度の魔物の掃討作戦っていつだっけ?」

 

「ええと、明日です」

 

 大丈夫そうだな。

 

「…………今夜のうちに、試運転でもやっておくか」

 

 いい事を考えた俺は、メンテナンスを受けているプロヴァンスを見上げながらニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の周囲にも魔物はよく出現する。テンプル騎士団がここに要塞を建設し、本格的に武装組織として機能するようになってからは、大半の魔物が兵士たちの”遊び相手”になってくれる。兵士たちの錬度も上がるし、タンプル搭や周辺の前哨基地への被害も減るというわけだ。なのでテンプル騎士団でも、他国の騎士団のように定期的な魔物の掃討作戦を実施している。

 

 熱風と砂塵が支配するカルガニスタンの砂漠。魔物たちが住む大地にキャタピラの跡を刻み付けながら進軍するのは、チョールヌイ・オリョールとT-90の混成部隊。チョールヌイ・オリョールは性能が高い代わりにコストも非常に高いので、こいつだけを大量に生産するとすぐにポイントが底をついてしまう恐れがある。なので、コストの高いチョールヌイ・オリョールだけでなく、コストが低いT-90やT-72B3も運用している。

 

 砂漠を進軍するT-90の数は4両。その戦車たちの前を進むのは、2両のチョールヌイ・オリョール。片方のコールサインは”ドレットノート”で、もう片方は俺やラウラの乗る”ウォースパイトⅡ”だ。

 

『タクヤ、質問があります』

 

「なんだ?」

 

『タクヤが改造したシャール2Cと、この”ちょーりゅりゅい・おりょーる”はどっちが強いのでしょうか?』

 

 ステラ、”ちょーりゅりゅい・おりょーる”って何だ。噛んだのか?

 

 とりあえず砲塔の中でニヤニヤ笑いながら、ステラの質問に答えることにする。

 

「多分、”ちょーりゅりゅい・おりょーる”じゃない?」

 

『…………タクヤのバカ』

 

 お、怒った?

 

 苦笑いしながら肩をすくめていると、砲手の座席に座っているイリナも苦笑いしていた。溜息をつきながらハッチを開け、身を乗り出して熱風を浴びることにする。

 

 隣を走行する”ドレットノート”のハッチの上では、ナタリアも同じように身を乗り出して前方を進む巨大な怪物(シャール2C)の後姿をじっと見つめていた。

 

 多分、今回の掃討作戦で俺たちの出番はないのではないだろうか。

 

 戦車部隊の先頭をゆっくりと進む2両の巨人は、そのままバックしてきたらチョールヌイ・オリョールを踏みつぶしてしまえるほど巨大だ。装甲で覆われた車体の両サイドにはがっちりしたキャタピラが搭載されているのが見える。まるでルスキー・レノをそのまま大型化させたような形状にも見えるけれど、車体の左右からは普通の戦車ではありえない物が突き出ていた。

 

 なんと車体の左右に、37mm戦車砲を搭載したルスキー・レノの砲塔が搭載されているのだ。武装も同じく37mm戦車砲で、敵の戦車には効果が薄いため、あくまでも歩兵や小型の魔物を蹴散らすために榴弾を装填している。戦艦で例えるならばあれは”副砲”と言うべきだろうか。

 

 車体の後部にも砲台があるが、元々その砲台の武装は機銃だった。しかし、ステラから『火力不足』と言われたので―――――――昨日の夜に、これでもかというほど武装を搭載しておいたのである。

 

 そこに搭載されている砲塔もやはり大型化されていた。傍から見ると戦車の砲塔のようにも見えるけれど、砲塔から伸びる砲身のすぐ脇には、主砲同軸に搭載する機銃にしてはやけに太い銃身が伸びているのが分かる。

 

 車体の後部に搭載されているのは、ロシアで開発された『BMD-4』と呼ばれる歩兵戦闘車(IFV)の砲塔だった。BMD-4は歩兵戦闘車(IFV)の中でも最も攻撃的な兵器であり、防御力は戦車と比べるとかなり劣ってしまうものの、搭載されている武装は極めて強力なものばかりである。

 

 主砲は100mm低圧砲。主砲同軸に搭載されているのは、戦車が搭載しているような12.7mm弾を発射する機銃ではなく、装甲車すら撃破可能なほど強力な30mm機関砲。強力な低圧砲と機関砲の集中砲火で、敵を殲滅することが可能なのだ。

 

 その強力な武装を搭載した砲塔を、シャール2Cの車体後部に搭載。これで後方と側面から襲撃してきた敵を返り討ちにできるだろう。

 

 けれども、一番目立つのは車体に搭載されている主砲だろうな。

 

 前までは152mmガンランチャーを搭載していたのだが、チョールヌイ・オリョールに砲弾を供給できるように、ガンランチャーではなく152mm滑腔砲を搭載することにしたのである。砲塔もチョールヌイ・オリョールの砲塔とほぼ同じ代物に換装したので、砲塔の形状だけならばチョールヌイ・オリョールのようにも見えるだろう。

 

 けれどもその砲塔は、チョールヌイ・オリョールの砲塔と比べるとやけに厚みがある。

 

 多分、その原因は砲塔を横から見ればすぐに分かるだろう。

 

 砲塔が厚くなってしまった原因は――――――――砲塔に、152mm滑腔砲を2門も搭載してしまったからだ。そのため、自動装填装置や弾薬庫まで、最初に搭載されていた砲身の上から突き出ているもう1門の分も搭載することになったので、砲塔が大型化してしまったのである。

 

 こんなに大型化してしまったため、改造前は54km/hも速度を出せたのだが、重装備になってしまったせいで最高速度は19.5km/hまで一気に低下してしまっている。その代わり正面の複合装甲はより厚くなったし、ロシア製アクティブ防御システムのアリーナを搭載しているので、防御力は極めて高いと言える。

 

 速度は遅くなってしまったが、圧倒的な防御力と凄まじい攻撃力で、敵を薙ぎ払う超重戦車となったのである。

 

 一応、夜中に砂漠で試運転と武装の試し撃ちはしたから問題はない筈だ。おかげで俺の睡眠時間が結構減っちゃったけど、戦闘中にトラブルを起こすことはないだろう。

 

『タクヤ、昨日の夜はあれを作ってたの?』

 

「カッコいいだろ?」

 

『ええ、悪くはないけど…………』

 

 隣を走るドレットノートの上で、ナタリアが苦笑いしているのが見える。

 

 今回の掃討作戦に参加するのは、”プロヴァンス”と”ブルターニュ”の2両。テンプル騎士団は合計で10両もシャール2Cを運用しているのだが、改造を施したのはあの2両のみ。この作戦で無人型超重戦車が大きな戦果をあげることができれば、全ての車両に同じ改造を施して吸血鬼共との戦いに投入する予定である。

 

『こちらオリョール1-1。魔物の群れを捕捉した』

 

 ――――――――掃討作戦が始まる。

 

 偵察機からの報告を聞いた2両の無人超重戦車が、同時に巨大な砲塔を旋回させ始めた。

 

 

 

 

 

 

 おまけ1

 

 全部知った

 

ガルゴニス「私はあいつの記憶を全て引き継いだのじゃ…………。だから、あいつの仕草を全て知っている」

 

タクヤ「そんな…………ッ!」

 

ガルゴニス「それに…………リキヤのバカが、真夜中にエミリアやエリスと何をしていたのかも全て知ってしまったッ!」

 

タクヤ&ラウラ「!?」

 

ガルゴニス「なんじゃあれは!? 毎晩エリスやエミリアと〇〇〇〇ばかりしおって! 子供がたった2人で済んだのは奇跡じゃよ! しかもあいつは胸の大きな女が―――――――」

 

力也(本物)『ぎゃあああああああああ!?』

 

 

 おまけ2

 

 折れそうだ!

 

タクヤ「ラウラ、俺も抱きしめてもいいかな…………? 心が折れそうなんだ…………」

 

ラウラ「うん、いいわよ」

 

ラウラ(タクヤもショックなのね…………。よし、思い切り抱きしめて癒してあげよう!)

 

ラウラ「えへへへ…………♪」

 

タクヤ「ら、ラウラ…………」

 

ラウラ「ふにゅ?」

 

タクヤ「ち、力入れ過ぎ…………せ、背骨が折れそうだ…………!」

 

ラウラ「ふにゃああああああ!?」

 

 完

 

 




シャール2Cが更に凶悪に…………。

※ラウラはキメラですので、腕力は常人以上です。


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軍拡と攻勢準備

 

 やっぱり、俺たちに出番はなかった。

 

 砂漠の上には、無数の魔物の死体が転がっている。あらゆるダンジョンで目にするゴブリンやゴーレムの変異種だけではなく、カルガニスタンの砂漠ではお馴染みのデッドアンタレスの死体も見受けられる。数分前までは唸り声を上げ、戦車部隊の前を進む2両のシャール2Cへと襲い掛かっていったバカな奴らである。

 

 最新型の戦車ですら木っ端微塵にできるほどの火力を、これでもかというほど搭載した無人型の巨人に、魔物が勝てるわけがないのだ。

 

 100mm低圧砲や152mm連装滑腔砲で武装した超重戦車に薙ぎ払われた魔物たちの死体は、ほぼ全て原形を留めていない。風穴が開いた程度にしか見えないゴブリンの死体も、よく見れば腹から下は爆風と破片のせいで完全に裂けていて、衝撃波にかき混ぜられた肉と肋骨と内臓がグロテスクなミンチになっているのが見える。

 

 死体の周囲には着弾した砲弾が形成した無数の穴が開いている。けれども砂の上だし、頻繁に砂嵐に晒される砂漠なのだから、1時間以内には全てが埋まってしまうだろう。砲弾が生み出した穴だけでなく、いたるところで横たわっている魔物の残骸たちも。

 

 この戦闘では、俺たちは一発も弾丸を消費していない。あくまでもこの掃討作戦は、目の前にいる2両の巨人たちが”働き者”かどうかを確かめるための戦い。簡単に言えば”テスト”なのだから。

 

 もちろん、テストの結果は最高だ。搭載されている複数の砲塔を駆使して魔物の群れを吹っ飛ばし、誤射(フレンドリーファイア)もしない働き者。魔物ではなく吸血鬼を相手にすることになっても、きっと活躍してくれるに違いない。

 

「合格だな」

 

 満足しながらそう言い、戦車の砲塔の中へと引っ込んだ。車長の座席にあるモニターをタッチしてシャール2Cたちに撤退するように命令を下すと、戦闘を終えたシャール2Cたちのキャタピラが再び動き始め、巨体をゆっくりと旋回させ始めた。

 

 現時点であのような改造を施したのは、この戦いに投入した2両のみ。テンプル騎士団が保有するシャール2Cは合計で10両だから、タンプル搭に戻ったら休憩中の8両にも同じ改造を施す必要がある。

 

「よーし、戻ろうぜ」

 

「はぁっ……はぁっ…………」

 

「い、イリナ? ………あ、あの、どうしたの?」

 

 な、なんで息切れしてるの…………? 俺たちは戦車に乗ったまま戦いを眺めてただけだから、息切れするわけがないと思うんだけど。

 

「あ、あんなに爆発する武装を…………ッ! ねえ、もっとぶっ放してもらってもいい!?」

 

「だから息切れしてたのか!」

 

 ああ、シャール2Cの砲撃を見て興奮してただけか。

 

 152mm連装滑腔砲や100mm低圧砲を搭載した超重戦車だからな。そんな化け物が砲撃を始めれば、爆発が大好きなイリナが興奮するのは当たり前だろう。

 

 一応俺の座席にあるモニターからも支持は出せるので、砲撃命令を出せば砲撃させることは可能だ。でも、あのシャール2Cたちは俺たちの切り札のうちの1つでもある。

 

「とにかく、タンプル搭に戻るぞ」

 

「ええ!? もう終わり!?」

 

「我慢しなさい」

 

「やだやだ! 僕、もっと爆発が見たい!!」

 

 何で駄々をこねるんだよ…………。

 

 とにかく、戦闘はもう終わりだ。あとは実戦に参加したプロヴァンスとブルターニュを格納庫に戻し、整備を受けさせなければならない。あいつらは大切な切り札だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エージェントからの情報よ」

 

「ありがと」

 

 シュタージの諜報指令室にいるクランから書類を受け取り、目を通し始める。シュタージに所属するエージェントたちはあらゆる国に潜伏しており、普段は各地にいる転生者の情報を送ってもらっているのだ。この情報を分析して作戦を立てたり、実働部隊を現地に派遣するのである。

 

 あらゆる国に潜伏しているからなのか、資料に書かれている文字は非常に種類が多い。この世界の公用語はオルトバルカ語という事になっているが、中にはオルトバルカ語を使用せず、自分たちの母語を使い続けている地域もあるため、オルトバルカ語が通じない場合もある。

 

 そのため、シュタージのエージェントたちは潜入先でも怪しまれないように、さまざまな言語を身につけるのだ。

 

 今しがた渡された資料は、半分以上はヴリシア語で書かれていた。ヴリシア語には前世の世界のドイツ語に語感がそっくりだという特徴がある。

 

 けれども、そのヴリシア語で書かれている報告は、ヴリシア帝国からの報告ではなく、ヴリシアの南方にある『ディレントリア公国』からの報告であるらしい。ディレントリア公国は元々ヴリシア帝国の植民地であったのだが、そこの統治を任されていたディレントリアという貴族が本国に反旗を翻し、独立を宣言。8年間も本国と激闘を繰り広げ、最終的に独立を承認されることになったという。

 

 カルガニスタンのすぐ隣にある、森に囲まれた国なのだ。

 

 元々は同じ国であったため、言語は同じなのである。

 

「…………やはり、攻勢の準備は進んでいるか」

 

「そのようね。吸血鬼共の数はあの戦いで減った筈なんだけど」

 

 そのディレントリア公国には、ヴリシアの戦いで生き残った吸血鬼たちが潜伏している。

 

 第二次転生者戦争と呼ばれたヴリシアの戦いで、連合軍と吸血鬼たちは大きな損害を出した。結果的には俺たちが勝利したのだが、吸血鬼たちの指導者であるブラドとアリアは取り逃がしてしまった。想定以上の損害を出してしまったため、すぐに追撃することはできなかったのだ。

 

 きっと攻勢の準備を進めているあいつらの目的は、テンプル騎士団かモリガン・カンパニーのどちらかだろう。

 

 俺たちは天秤の鍵を持っているし、モリガン・カンパニーは奴らにとってレリエルや数多の同胞を殺した怨敵だ。プライドの高い吸血鬼たちならば後者を狙いかねないが――――――――あいつらの目的を考慮すると、こっちを先に潰す可能性も高い。

 

 転生者が率いる武装勢力で最も規模が大きいのは、現時点ではモリガン・カンパニー、殲虎公司(ジェンフーコンスー)、テンプル騎士団の3つ。その中で最も規模が小さいのは俺たちだし、兵士の錬度も低いと言わざるを得ない。更に天秤の鍵をすべて持っているのだから、俺たちを壊滅させるための攻勢の準備をしているに違いない。

 

 だからこそ、こっちも軍拡を続けてきた。もう既に全てのシャール2Cに改造を施し、そのうちの4両をブレスト要塞などの拠点へと派遣している。旧式の戦闘機や戦車も退役させ、少しずつ新型の兵器の配備を進めているところだが、まだ旧式の兵器を使っている拠点も残っている。

 

 それに――――――――やはり兵士たちの錬度も低い。

 

 確かに、テンプル騎士団に入団する前はムジャヒディンの戦士をやっていた兵士もいるし、騎士団に所属していた経験のある奴隷もいた。けれども彼らが鳴れている戦い方は、魔術や剣術を駆使した”旧来の戦闘”。銃を使って遠距離から敵を狙い撃つ”現代戦”では、はっきり言って素人だ。

 

 ヴリシアの戦いから生還した兵士たちの錬度ですら、モリガン・カンパニーの兵士から見ればまだ中堅レベルでしかないのである。

 

 それに、銃を使った戦い方には慣れている兵士は多いが、『銃を持った敵との銃撃戦』に慣れていない兵士も多い。スオミの里の兵士たちや殲虎公司(ジェンフーコンスー)との合同演習を積極的に行っているが、彼らが銃撃戦に慣れるまでにまだまだ時間がかかる事だろう。

 

「…………攻勢はいつ頃になると思う?」

 

 問いかけると、真っ黒な略帽をかぶって椅子に座っていたクランはすぐに答えた。

 

「多分、春ね」

 

 なるほどね、”春季攻勢”か。

 

「理由は?」

 

「ディレントリア公国からカルガニスタンへと入るには、”フィルクシーの森”を超える必要があるわ。あの森は変わった森で、春以外の季節になると植物が急成長するらしいのよ。ただの雑草でも馬車やトラックの通行に影響が出るくらいの大きさになるらしいわ。しかも、人間や魔物を捕食する危険な植物も生息してるみたいだし」

 

「春ならば安全に進軍できるということか」

 

「そういうことよ、ドラゴン(ドラッヘ)

 

 カルガニスタンのすぐ隣には、春以外の季節になると植物が急成長する危険な”フィルクシーの森”がある。砂漠の南方には極寒のシベリスブルク山脈があるし、お隣には広大な森に囲まれたディレントリア公国がある。この世界の気候は本当に不思議だ。

 

 春しかこっちに進軍できないし、準備を終えるタイミングもおそらくは春辺りだろうな。こっちも迎え撃つ準備をしなければ。

 

「では、エージェントにそろそろ帰還命令を。ディレントリアの南方の国境から出国し、スオミの里を経由すれば森を通る必要もないだろう」

 

「あら、もういいの? 命令すればもう少し情報収集を継続させるわよ?」

 

「いや…………ヴリシアの時のように、被害は出したくない」

 

 ヴリシアの戦いの前にも、諜報部隊を潜入させて情報収集を行った。彼らのおかげで進軍するルートや橋頭保に適した地点の情報を得ることができたのだが、諜報活動中に潜入していたのがバレてしまい、脱出中にモリガン・カンパニー側の諜報部隊が壊滅する羽目になってしまったのである。

 

 クランもその時に参加していたから、覚えている筈だ。

 

 脱出の最中に命を落としていく、モリガン・カンパニーの兵士たちの姿を。

 

 その光景を思い出したのか、クランが目を細めながら下を向いた。

 

「…………そうね。二の舞にはさせたくないわ」

 

「すまない、すぐに帰還命令を。もう十分だ」

 

 フィルクシーの森を越えて進軍してくるのであれば、真っ先に攻撃を受けるのはブレスト要塞になるだろうな。幸いブレスト要塞はもう建造が終わっており、要塞砲やレーダーも完成している。守備隊の人員を増やしつつ、民間人を退避させればそこで迎え撃つことはできる筈だ。

 

 彼女から受け取った資料を持って、踵を返そうとしたその時だった。

 

「ああ、それとドラゴン(ドラッヘ)

 

「?」

 

「…………次は”制空権”に気を付ける事ね」

 

「ああ、そうだな」

 

 ヴリシアの戦いでは、俺たちが勝利した。

 

 恐ろしい吸血鬼たちとの死闘に勝利することができたのは、戦闘の序盤で航空部隊が戦闘に勝利し、早い段階で制空権を確保することができたからだろう。おかげで戦闘機や攻撃機による空爆は殆どなかったし、ヘリが攻撃してきても戦闘機が片っ端から始末してくれた。それにこちらは一方的に空爆できたのだから、こっちはどんどん進撃できたというわけである。

 

 敵も敗因は制空権を失ったことだと理解している筈だ。今度は強力な航空部隊を準備しているに違いない。

 

「だが、こっちにもあいつ(アルフォンス)がいる」

 

「ふふっ、そうね。とっても優秀なエースパイロットがいるわ」

 

 そう、こっちにはアーサー隊を率いるアルフォンスがいる。

 

 黒と深紅で塗装されたユーロファイター・タイフーンで構成されたアーサー隊を率いるのは、クランの幼馴染でもあるドイツ人のアルフォンス。まだレベルが30だというのに、敵の撃墜数はもう50を突破しているという。まだ彼と模擬戦をやったことはないものの、F-22やPAK-FAを模擬戦で撃墜した事もあるらしい。

 

 多分、あいつと戦闘機で模擬戦をやったら負けるんじゃないだろうか。

 

「あー、疲れたぁー」

 

 クランと話をしていると、やけに大きな袋を持ったケーターが諜報指令室に入ってきた。どうやらクランの彼氏は自分の女が俺と話をしているのを目にして不機嫌になったらしく、彼女から受け取った資料を持っている俺を睨みつけてくる。

 

 安心しろって。お前の女は取りませんから。

 

「なあ、クラン」

 

「なに?」

 

「お前の彼氏ってヤンデレ?」

 

「多分ね」

 

 こいつ病んでるの!?

 

 なんてこった。テンプル騎士団にはヤンデレが2人もいるのか。

 

「クラン、バウムクーヘン作ってきたぞ」

 

「あら、ありがとう!」

 

 ああ、あの袋の中身はバウムクーヘンか。そういえばこいつも料理が得意だったな。

 

 とりあえず、そろそろ俺は出ていくべきだろう。自分の彼女を口説いていると勘違いしたヤンデレの彼氏に、ナイフで腹を刺されるのは嫌だし。

 

「それじゃ、仕事頑張れよ」

 

「Danke(ありがとう)♪」

 

 ケーターに殺される前に、俺は諜報指令室を後にする。

 

 こっちを睨んでくるケーターの隣を通過して廊下へと出てから、とりあえず自室へと戻ることにする。今はやることがないので、とりあえず部屋で休もう。

 

 吸血鬼の攻勢さえなければ、天秤の在り処を調べることに専念できたのだが、天秤を探すのは後回しだ。まずは奴らの攻勢を何とか撃退し、今度こそ壊滅させなければならないのだから。

 

 天秤が保管されているのは”天空都市ネイリンゲン”と呼ばれる場所らしい。それが存在するのはおそらくネイリンゲン上空なのだが、大気流の影響で航空機も迂闊には近付けないし、本当にネイリンゲンの上空にそんなものがあるのかも不明だ。以前に派遣した偵察部隊も、ネイリンゲン上空に浮遊する物体は何も発見できなかったという。

 

 それよりも上空にあるのだろうか? それとも、宇宙空間にでもあるのか?

 

 もし宇宙だったらかなり大変だな。ロケットの準備をしておいた方が良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディレントリアは暖かい国だ。冬や秋になっても全く寒くないし、夏になっても気温はそれほど上がらない。常に暖かい植物たちの楽園なのである。

 

 それに、ヴリシア語も通じる。だから別の言語を習得する必要もない。

 

 けれども日が沈んでいる時間が短いため、吸血鬼にとっては少しばかり住みにくい国でもある。中には日光を浴びただけで消えてしまうほど耐性のない同胞もいるから、外出時間はしっかりと考えておく必要があるのだ。

 

 あのヴリシアの戦いで敗北した俺たちが潜伏しているのは、ディレントリア公国の森の中にある古い屋敷の中。数十年前にここに住んでいた貴族が病気で全滅してしまったらしく、そのまま放置されていたのだ。誰も近づかないので、今では俺たちが本拠地として使わせてもらっている。

 

「ブラド様」

 

 窓の外に見える星空を眺めていると、ぶっ壊れたドアの向こうから銀髪の少女が部屋の中へと入ってきた。身につけているのは真っ白なフリルのついたメイド服で、頭にも同じ色のヘッドドレスを付けている。傍から見れば同い年くらいのメイドに見えるが、長いスカートの左側には古めかしいリボルバーが収まったホルスターが下げられているのが分かる。

 

 彼女は、ただのメイドなどではない。よく見ると口の中には、吸血鬼たちの象徴である鋭い犬歯が伸びている。俺たちの同胞という事だ。

 

 彼女の名は『アリーシャ』。数ヵ月前に、このディレントリア公国で奴隷として売られていた少女である。我々に保護されているのだが、アリーシャは俺に恩を返したいらしく、今では戦闘訓練を受けて俺の専属のメイドとして働いてもらっているというわけだ。

 

 アリーシャが愛用しているリボルバーは、『コルト・ウォーカー』と呼ばれるかなり旧式のリボルバーである。あのシングルアクションアーミーから見れば大先輩ともいえる銃で、”パーカッション式”と呼ばれる方式を採用している銃だ。

 

 簡単に言えば、パーカッション式とは火薬や弾丸などをシリンダーの中に詰め込んでぶっ放す方式である。現代のリボルバーのように弾丸を装填してぶっ放すのではなく、シリンダーの中で弾薬を組み立てる必要があるため、再装填(リロード)にはかなり時間がかかるのである。

 

 どうして彼女がそんな古い得物を好むのかは不明だが、戦闘力はかなり高い。計画中の”春季攻勢”にも参加してもらう予定だ。

 

 俺たちは、あのヴリシアの戦いで大損害を被ってしまったのだから。

 

「どうした、アリーシャ」

 

「偵察部隊からの報告です。テンプル騎士団も軍拡を進めているようですね」

 

「やはり、諜報員が潜入しているか…………」

 

「始末しますか?」

 

 そう言いながら、腰のコルト・ウォーカーへと手を近づけるアリーシャ。表情は全く変わっていないが、得物へと手を近づけた瞬間に獰猛な威圧感が彼女から溢れ出す。

 

「…………いや、構わん。どの道奴らとは戦うことになるのだ」

 

「かしこまりました」

 

「それより、他の二大勢力に動きは?」

 

「どちらも動きはありません。テンプル騎士団は見捨てられたようです」

 

「そうか…………それはいいな」

 

 はっきり言うと、モリガン・カンパニーの圧倒的な兵力を相手にするのはまだ早い。奴らを潰すのは、俺たちが天秤を手に入れて父上を復活させてからだ。

 

「それで、”無制限潜水艦作戦”の方は?」

 

「はい、先ほど作戦のために5隻の潜水艦がウィルバー海峡へと出撃しました」

 

「よろしい」

 

 情報では、奴らの本拠地はカルガニスタンの真っ只中にあるという。そこからは戦艦や潜水艦も航行できるほど巨大な川が流れており、そのままウィルバー海峡へと続いているらしいのだ。おそらく奴らの海軍は、そこから出撃しているのだろう。

 

 その周辺に潜水艦を配置し、テンプル騎士団の拠点へと向かう船を無差別に撃沈することで、あいつらへと損害を与えておくのだ。

 

 ヴリシアの戦いでは、三大勢力を全て敵に回したから負けた。しかし今度は、まだ未熟な兵士たちで構成された脆弱な騎士団のみ。しかもこちらの軍拡はもう既に終わっており、攻勢前の下準備もそろそろ終わる。

 

 今度こそ、奴らを潰す。

 

 そして父上を復活させ、この世界を吸血鬼が支配するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 海軍

 

スオミ兵1「兄貴、俺たちも戦艦造ってもらおうぜ!」

 

スオミ兵2「そうだぜ! あんなでっかい主砲があれば、リュッシャ共なんか木っ端微塵だ!」

 

スオミ兵3「しかもカッコいい!」

 

スオミ兵4「頼むよアールネの兄貴ー!」

 

アールネ「…………里に海はねえぞ?」

 

スオミ兵一同「…………」

 

 完

 

 



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報復攻撃

 

 タンプル搭のすぐ近くには、広大な河が流れている。

 

 超弩級戦艦が並走できるほど広く、潜水艦が潜航したまま河を上れるほどの進度がある巨大な河は、そのままヴリシア帝国とフランセン共和国の間にあるウィルバー海峡へと続いており、艦隊を出撃させればすぐにウィルバー海峡へと展開させることが可能となっている。

 

 任務を終えた艦艇は、その河を上っていくことでタンプル搭の軍港へとたどり着くことができるというわけだ。河の流れは小型艦でも登れるほど緩やかなので、帰還する際でも全く問題はない。

 

 タンプル搭のある位置は砂漠の真っ只中であるが、その河の幅を広げ、岩山の中に軍港を作ることで、砂漠の真っ只中にある要塞からも容易く艦隊を出撃させることができる上に、分厚い岩盤で停泊中の艦艇を守ることができる堅牢な軍港となったのである。

 

 そこまでたどり着くことができれば、いきなり空襲を受けて艦が破壊されることもない。味方への物資の補給が安全に行えるうえに、補給も受けることができる”シェルター”なのだ。

 

「見えました、運河の入り口です」

 

 双眼鏡を覗き込む見張り員の報告を聞いた艦長は、頷いてから目の前にある地図を見上げた。このまま無事に運河の入口へと飛び込むことができれば、あとは敵の襲撃や魔物の襲撃を受けることはない。運河の中はテンプル騎士団のレーダーによってしっかりと警備されており、もし敵が入り込めば対艦ミサイルを搭載したコルベットがすぐに出撃して、勝手に入り込んできた敵を処理してくれるからだ。

 

「よし、タンプル搭に連絡して、受け入れの準備を進めてもらえ」

 

「はっ!」

 

 彼らは、殲虎公司(ジェンフーコンスー)から派遣された輸送艦隊である。2隻の輸送艦と、護衛を担当する2隻のソヴレメンヌイ級駆逐艦で構成されており、輸送艦の中には中国製の兵器や物資などが満載されている。

 

 殲虎公司側も、吸血鬼たちが春季攻勢の準備を進めているという情報はとっくにキャッチしていた。しかし、殲虎公司はまだヴリシアの戦いで大きな被害を被った部隊の再編成が済んでおらず、今回の戦いには加勢できないため、吸血鬼たちと戦うことになっているテンプル騎士団へとこうして物資や戦術の指導などの援助を積極的に行っているのである。

 

 第二次転生者戦争で何人も犠牲になってしまったものの、殲虎公司(ジェンフーコンスー)の社員の中には、第二次転生者戦争だけではなく第一次転生者戦争も経験したベテランが多いため、兵士の錬度は三大勢力の中ではトップクラスだ。

 

 現在のテンプル騎士団では、吸血鬼たちの春季攻勢に備えて人員の増強や軍拡を積極的に行っているのだが、兵士たちに新型の兵器がまだ完全に行き渡っておらず、辺境の拠点では旧式の戦車や銃を装備した兵士たちが警備を担当しているという。

 

 そのため、コストが安い中国製の兵器を採用している殲虎公司からテンプル騎士団へと兵器を供与することになったのだ。

 

 もう既に、艦橋の窓の向こうにはタンプル搭へと続く運河の入り口が見えている。このまま河を上っていけば、やがて分厚い岩盤に守られた堅牢な軍港へとたどり着くだろう。

 

 輸送艦の艦長が、運河の入り口を見つめて安堵していたその時だった。

 

『警告。こちら駆逐艦”老風(ラオフェン)”! 9時の方向より、魚雷が接近中!』

 

「!?」

 

 運河に辿り着く直前だったため、完全に油断していた。

 

 スピーカーから聞こえてきた護衛の駆逐艦からの報告を耳にした艦長は、大慌てで乗組員たちに「最大戦速! このまま運河に突っ込め!」と号令を発する。

 

 護衛の駆逐艦たちは、しっかりとレーダーで索敵を行っていた筈だ。敵が接近しているという報告がなかったという事は、今しがた魚雷を放ったのは敵の駆逐艦などではなく、海中に潜行している潜水艦という事なのだろう。

 

 当たり前だが、潜水艦はレーダーではなくソナーで探知しなければならない。しかしソヴレメンヌイ級は、同じくソ連製駆逐艦のウダロイ級と比べると対潜用の装備があまり搭載されていないため、潜水艦の襲撃を受けた際にあまり対処ができないという欠点がある。

 

「タンプル搭に救援要請! ウダロイ級の派遣を!」

 

「了解です!」

 

(くそ、なんてことだ…………運河への突入寸前に潜水艦の奇襲だと…………!?)

 

 回避するよりも、このまま速度を上げて運河へと飛び込んでしまうべきだろう。運河にさえ入ることができれば、敵の潜水艦が追撃してきたとしても、タンプル搭から出撃してきた対潜ヘリやウダロイ級の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 逃げ切ることができれば、こちらは勝てるのである。

 

 運河の向こうを睨みつけながら軍帽をかぶり直したその時、ドン、と何かが爆発するような轟音が、輸送艦の艦橋の中へと入り込んできた。

 

「何事だ!?」

 

「くそ、老風(ラオフェン)が魚雷を喰らいました! 速度が低下しています!」

 

 はっとした艦長は、艦橋の窓から左舷を睨みつけた。輸送艦の左側を進んでいたソヴレメンヌイ級駆逐艦”老風(ラオフェン)”の船体から火柱が上がっており、甲板の上では制服に身を包んだ乗組員たちが駆け回っているのが見える。魚雷を喰らう羽目になった老風(ラオフェン)はどんどん速度を落とし始め、やがて運河へと突入していく輸送艦にすら置き去りにされてしまう。

 

 あの状態では、次の一撃で撃沈されかねない。

 

「老風(ラオフェン)、戦線離脱します!」

 

「艦長、3時方向からも魚雷! 数は2―――――――こ、今度は4時方向からも! 複数の潜水艦に狙われています!!」

 

「…………ッ!?」

 

 輸送艦隊を狙っていたのは、最初の1隻だけではなかった。

 

 魚雷が放たれたのは3時方向と4時方向。最初から、複数の潜水艦たちがこの輸送艦隊を狙っていたのである。1隻が魚雷を放ち、艦隊がその魚雷を回避した直後に残った艦が魚雷を放って確実に仕留めるという作戦だったのだろう。

 

 タンプル搭への運河の入り口で待ち構えていたという事は、狙いはタンプル搭へと物資を運び入れるための輸送艦隊に違いない。このような作戦を実行したのは、十中八九テンプル騎士団と敵対している組織に違いない。

 

(吸血鬼共め…………ッ!)

 

 おそらく、春季攻勢の前に輸送部隊を襲撃して物資の補給を妨げることで、テンプル騎士団の戦力を削ぎ落とすことが目的なのだろう。

 

 もう既に、春季攻勢の”前哨戦”は始まっていたのだ。

 

 輸送艦の船体が激震する。先ほど駆逐艦が魚雷を喰らった時よりも大きな音が艦橋を揺るがし、船体の横で生じた火柱の熱風が、艦橋へと入り込んでくる。

 

 もう逃げ切ることはできない。敵の潜水艦が猛獣の群れならば、自分たちの乗る輸送艦は傷を負った草食動物でしかないのだから。

 

 輸送艦の艦長は、歯を食いしばりながら魚雷が襲来する海の向こうを睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ、これで5件目だな…………ッ!」

 

 味方のウダロイ級駆逐艦に護衛されながら、傾斜した状態で軍港へとたどり着いた1隻の輸送艦の姿を見つめながら、俺は唇を噛み締めていた。

 

 吸血鬼たちの春季攻勢に備えて軍拡を進めていたのだが、テンプル騎士団ではまだ最新の兵器が辺境にある前哨基地や駐屯地にまでは行き渡っていない状況だった。彼らも春に攻め込んでくる吸血鬼たちを迎え撃つための貴重な戦力なのだから、しっかりと新しい装備を支給しなければならない。

 

 だが、その新しい装備は主力部隊に最優先で支給する必要がある。そこで同盟関係にある殲虎公司(ジェンフーコンスー)に要請し、兵器を提供してもらっていたのである。

 

 おかげで辺境の拠点にも中国製の兵器が行き渡るようになり、戦力は向上しつつあったのだが、最近はその兵器を乗せた輸送艦隊が運河の入り口付近や、ウィルバー海峡に入った瞬間に潜水艦によって襲撃を受けており、殲虎公司(ジェンフーコンスー)側にも損害が出ている。

 

 今回の輸送作戦も、予定ではソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻と輸送艦2隻が入港する予定だったのだが、タンプル搭の軍港までたどり着いたのは、魚雷を喰らって傾斜した輸送艦が1隻のみ。同行していた3隻の艦は、運河に入る前に魚雷攻撃で轟沈してしまったという。

 

「申し訳ありません、同志タクヤ。やられてしまいました…………」

 

「いえ、気にしないでください、同志。これは運河の入り口で潜水艦を警戒していなかった我々の責任です」

 

 悔しそうな顔をしながら敬礼をする輸送艦の艦長に敬礼を返しながらそう言うと、彼は傾斜した状態で港に停泊している自分の艦を見つめながら唇を噛み締めた。何とかあの艦に搭載していた物資は無事だったが、全ての物資を無事に届けられなかったことが悔しいのだろう。

 

「潜水艦で襲撃してきたのは、おそらく吸血鬼共でしょう」

 

「そうでしょうね。攻勢前に、あなた方の戦力を削ぎ落とすつもりなのかもしれません」

 

 こうやって輸送艦を襲撃することで、タンプル搭へと送り届けられる物資はどんどん減っていく。今のテンプル騎士団は兵器だけでなく、食料も足りなくなりつつある。それに、戦闘になればエリクサーなどの回復アイテムももっと必要になるだろう。

 

 全ての兵士に5つずつエリクサーを支給できるほどの数はあるのだが、戦闘になれば5つだけでは絶対に足りなくなるだろう。もっと蓄えておく必要がある。

 

 そして物資を守るために、こっちからも護衛の駆逐艦などを派遣すれば、今度はその分タンプル搭にいる艦隊の数が減る。テンプル騎士団はモリガン・カンパニーのような大艦隊を持っているわけではないので、駆逐艦が1隻戦闘に参加できないだけでも痛手になるのだ。

 

 間違いなく、この攻撃は吸血鬼共の仕業だろう。タンプル搭へと近づく艦に対しての攻撃を実行することで、輸送艦隊を派遣する勢力にも損害を与えつつ、テンプル騎士団の戦力を削ぎ落とせるというわけだ。

 

 まるでドイツの無制限潜水艦作戦だな…………。

 

 第一次世界大戦の真っ只中に、ドイツも潜水艦でこのような作戦を実行したことがあるのだ。潜水艦で片っ端から輸送艦などを攻撃して撃沈していったが、イギリスの客船である”ルシタニア号”をその際に撃沈してしまう。このルシタニア号には、当時はまだドイツと敵対していなかったアメリカの人々も乗り込んでいたのである。

 

 最終的にアメリカも第一次世界大戦に参戦する事になり、ドイツは敗北してしまうのだ。

 

「同志」

 

「はい、何でしょうか」

 

「…………同志李風には、『仇は我らが取ります』とお伝えください」

 

「…………感謝します、同志タクヤ」

 

 これで5件目だ。今回の襲撃の生存者は何人かいるが、輸送艦と護衛の駆逐艦に乗り込んでいた乗組員たちの大半が犠牲になっている。

 

 犠牲になった彼らのためにも、そろそろ反撃するべきだろう。

 

 艦長に敬礼をしてから踵を返すと、すぐ近くにはアルフォンスがいた。

 

「なんだか、吸血鬼共は大昔のドイツ(ドイッチュラント)と同じ轍を踏むような気がする」

 

「無制限潜水艦作戦か」

 

 こいつも同じことを考えていたらしい。いくら俺たちの戦力を削ぎ落とすためとはいえ、テンプル騎士団以外の勢力の艦隊まで攻撃すれば、春季攻勢の際に敵が増えてしまうことになる。かつてのドイツも無制限潜水艦作戦でアメリカと言う敵を作ってしまうという失敗をしているのだ。

 

「安心しろ、同志アルフォンス」

 

「ん?」

 

「―――――――あいつらには、同じ轍を踏ませてやる」

 

 あとで、殲虎公司(ジェンフーコンスー)にも春季攻勢の防衛戦への参戦を打診してみよう。彼らも吸血鬼の連中に輸送艦を沈められ続けたまま高みの見物をするつもりはない筈である。

 

 もしかしたら殲虎公司(ジェンフーコンスー)も参戦してくれるかもしれない。あのPMCにはベテランの兵士が何人もいるから、練度不足も補えるはずだ。

 

 けれどもその前に――――――――こっちから報復攻撃を仕掛けておくべきだろうな。

 

 調子に乗るなよ、吸血鬼(ヴァンパイア)共…………!

 

 耳に装着していた小型の無線機のスイッチを入れながら、エレベーターへと向かって歩く。

 

「クラン?」

 

『あら、どうしたの?』

 

「輸送艦隊の一件は聞いてるな?」

 

『ええ』

 

「奴らへの報復攻撃を実施する。―――――――『タンプル砲』を使うぞ」

 

『…………あなた、正気? あれを使うの?』

 

「そうだ」

 

 タンプル砲とは、このタンプル搭の中心に鎮座しているこの要塞の”主砲”だ。今までには周囲の”副砲”ならば何度も使ったことがあるが、このタンプル砲を実際に発射したことは一度もない。

 

 トレーニングモードを使ったシミュレーションでは何度も発射しており、砲撃はすべて成功している。しかしこれは非常に扱いにくい代物である上に、発射の際の衝撃波が36cm要塞砲を遥かに上回るので、発射すれば要塞に確実に被害が出てしまう。そのため、これを使用する際は円卓の騎士全員の承認が必要になる。

 

「テンプル騎士団団長として――――――――タンプル砲による報復攻撃を申請する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がごん、と凄まじい金属音を奏でながら――――――要塞の中心に鎮座していた巨大な要塞砲が、鳴動する。

 

 このタンプル搭には、正確に言うと”塔”は1つも存在しない。けれども団員たちからタンプル”塔”と呼ばれているのは、分厚い岩山に囲まれた要塞の地上に、6門の巨大な36cm要塞砲と共に鎮座している1門の更に巨大な要塞砲が由来なのだ。

 

 遠くから見れば巨大な鋼鉄の塔にも見えるため、ここはタンプル搭と呼ばれているのである。

 

 その塔が、ついに動き出す。

 

 巨大な塔にも見えてしまうその砲身の長さは、なんと210mにも達する。がっちりとした巨大な台座だけでなく、複数の太いワイヤーや5つの武骨な支柱まで用意しなければ支えきれないほどの重量を誇る砲身には、複数の円柱状の部品が上下左右に取り付けられており、それが等間隔に8組も取り付けられている。

 

 台座や砲身の表面には、まるで大蛇を思わせるケーブルが何本もつなげられており、その周囲では防護服に身を包んだ砲兵たちが、最終チェックをしているところだった。

 

 タラップを駆け上がり、キャットウォークの上にあるレバーを倒してケーブルを砲身へと接続。大蛇のようなケーブルからしっかりと砲身に冷却液が送り込まれるかどうかを確認してから、大慌てでタラップを駆け下りていく。

 

「冷却液、準備よし!」

 

「逆流防止弁、作動正常!」

 

「全薬室オールグリーン!」

 

「よし、警報鳴らせ!! 全ての作業員は、直ちに地下へ退避!!」

 

 指揮官の命令で、防護服を身につけた作業員たちが地下へと続くエレベーターの中へと駆け込んでいく。一番最後にタンプル砲を離れた指揮官が分厚い隔壁を閉鎖し、部下たちと共に地下へと避難していく。

 

 地上に留まっていれば、タンプル砲が発射された際の衝撃波で、確実に木っ端微塵になってしまうのだから。

 

 無人になったタンプル搭の地上では、地下の管制室から操作されているタンプル砲が、寂しそうに旋回を始めていた。全長210mに達する超巨大要塞砲が、管制室にいるテンプル騎士団の団員たちの手によって、吸血鬼たちの本拠地であるディレントリア公国へと向けられていく。

 

 この要塞砲のベースとなっているのは、かつてドイツが第一次世界大戦で使用したパリ砲だけではない。第二次世界大戦で使用しようとしていた、もう1つの巨大兵器もベースになっている。

 

 もう1つのベースになった兵器は、同じくドイツが開発していた『V3 15センチ高圧ポンプ砲』と呼ばれる超巨大兵器である。

 

 『V3 15センチ高圧ポンプ砲』とは、従来の砲身よりも更に長大な砲身に、炸薬がぎっしりと収められた薬室をいくつも搭載した”多薬室砲”と呼ばれる兵器の1つである。砲弾がその薬室を通過する瞬間に薬室の中に詰め込まれた炸薬を爆発させることで、発射されていく砲弾をその爆発の勢いで更に押し出し、従来の兵器を遥かに上回る弾速で砲弾を超遠距離の標的へと撃ち込むことが可能なのである。

 

 タンプル砲は、簡単に言えばパリ砲とこの『V3 15センチ高圧ポンプ砲』を組み合わせ、そのまま大型化した超巨大要塞砲と言える。

 

 砲身の中にはライフリングは一切ない。しかし、砲撃の際には砲撃目標の周辺に偵察機を派遣して観測と砲弾の誘導を行わせるため、あくまでも要塞砲の方は正確に照準を合わせる必要はないのだ。

 

 びっしりと取り付けられた薬室の中には5回分の炸薬が内蔵されており、5発まで連続で発射可能となっている。砲弾の種類は非常に多く、一般的な榴弾や徹甲弾だけでなく、対吸血鬼用の聖水榴弾や、広範囲の敵を一瞬で消滅させることが可能なMOAB弾頭も用意されている。

 

 しかし、最も特徴的なのは、この砲身から”大陸間弾道ミサイル(ICBM)まで発射できるという点だろう。

 

 まるで戦車のガンランチャーのように、砲弾だけでなくミサイルまで発射可能なのだ。

 

 とはいえ、さすがにミサイルをそのまま装填すれば薬室の爆発で破損する恐れがあるため、ミサイルは砲弾を思わせる形状の保護カプセルに収められた状態で装填される。発射された後、ミサイルは一切誘導せずにそのまま一旦大気圏を離脱。そこで保護カプセルから切り離され、慣性を利用しながら宇宙空間を飛行し、地上で観測を行う偵察機に誘導されながら大気圏へと再突入。そのまま目標を攻撃するという代物だ。

 

 そのため、テンプル騎士団のメンバーがその気になれば、オルトバルカの王都ラガヴァンビウスをミサイルで直接攻撃できるという恐ろしい代物である。

 

 簡単に言えば、このタンプル砲は複数の薬室を搭載する超巨大ガンランチャーのようなものだ。

 

 大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射できるよう、要塞砲の口径は200cmとなっている。

 

大陸間弾道ミサイル(ICBM)、装填完了。保護カプセル、異常なし』

 

『偵察機からの観測データ受信を確認。ミサイルへ送信開始』

 

 管制室からの報告を聴きながら、俺は中央指令室のモニターに映し出される映像を睨みつけていた。もう既に観測データの送信とミサイルの誘導を行う偵察機は、ディレントリア公国にある吸血鬼たちの本拠地へと狙いを定めていた。

 

 あとはこちらがミサイルを発射すれば、この大陸間弾道ミサイル(ICBM)は確実に吸血鬼共を蹂躙するだろう。装着している弾頭は、もちろん聖水を詰め込んだ聖水弾頭である。

 

「同志、発射準備が整いました」

 

 敬礼をしながら報告する同志の顔を見ながら、俺も頷く。

 

 これは吸血鬼たちに対する報復攻撃だ。すでに円卓の騎士たちからは承認を得ており、円卓の騎士のメンバーたちはこの中央指令室に集まっている。

 

 このタンプル砲が真価を発揮するのは超遠距離攻撃の場合だ。敵の春季攻勢が始まって攻め込まれた状態では、むしろ味方を巻き込む恐れがあるため使用できないことが多くなる。

 

 だからこそ、決戦兵器をここで投入するのだ。

 

「―――――――よし、秒読みを開始しろ」

 

「はっ!」

 

 ついに、戦争が始まる。

 

 この春季攻勢では、間違いなくまたブラドと戦うことになるだろう。

 

 今度こそ、あの男と決着をつけてやる…………!

 

 

 

 

 



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春季攻勢の作戦

 

 

 吸血鬼が行動するのは、基本的には夜である。

 

 日光は我々の弱点の1つであり、同胞の中には日光に触れるだけで消滅してしまう者もいる。消滅を免れても体調を崩してしまったり、身体能力や再生能力が大きく低下してしまうため、いくら耐性が高くても日光は極力浴びないことが望ましい。

 

 前世の世界では普通の人間だったからなのか、この身体になってからもう18年も経つというのに、昼間に眠って夜中に目を覚ます生活には未だに違和感を覚えている。柔らかい毛布の入った棺桶の蓋を開け、上半身を起こしながら背伸びをした俺は、あくびをしながら棺桶の中から踊り出る。

 

 まるで死んだ状態から生き返っているような感覚だ。大昔から、吸血鬼たちはこうやって棺桶をベッド代わりにしているらしく、こうやって棺桶の中に柔らかい毛布を敷いて眠るのが吸血鬼たちの伝統らしい。

 

 ちらりと窓の外を見ると、星空の中に黄金の満月が鎮座していた。

 

 パジャマからいつもの黒い服に着替え、コルトM1911A1の収まったホルスターを拾い上げる。

 

 かつてこの古びた屋敷は、病で全滅してしまった貴族が済んでいた屋敷らしく、その貴族が全員病死してしまってからは長い間放置されていた場所だ。そのためヴリシアから敗走するためになった俺たちが流れ着いた時は、ただの廃墟でしかなかった。

 

 けれども、今は部下やメイドたちがしっかりと掃除や修理をしてくれたおかげで、まだ廃墟だった面影が残っているものの、辛うじて”屋敷”と呼べるような姿にまで戻っている。

 

 鏡の前で服装をチェックしていると、寝室のドアをノックする音が聞こえてきた。

 

『失礼します、ブラド様。アリーシャです』

 

「入れ」

 

 そう言うと、大きな扉がゆっくりと開き、その向こうからメイド服に身を包んだ銀髪の少女がゆっくりと部屋の中へ入ってきた。フリルのついたメイド服とヘッドドレスが良く似合っているのだが、相変わらず腰の辺りには古めかしい大きなリボルバーが納められたホルスターを下げている。

 

 そのホルスターさえなければ、可愛らしい銀髪の少女にしか見えないだろう。けれども得物の収まった物騒なホルスターが彼女の魅力を台無しにしているというわけではなく、むしろそう易々と近寄り難い雰囲気を放っている。

 

 一見すれば人間の少女にも見えるが、口の中に生えているのは、吸血鬼の象徴でもある鋭い犬歯だ。彼女も我らの同胞の1人なのである。

 

「こんばんわ、ブラド様」

 

「兵士たちの調子はどうだ?」

 

「はい、全員XM8の扱い方に慣れたようです」

 

 以前まで、俺たちはドイツ製アサルトライフルのG36を使っていたのだが、今回の春季攻勢のために全てのアサルトライフルをより汎用性の高いXM8へと更新しておいたのだ。

 

 ヴリシアの戦いで大損害を被ってしまったが、ディレントリア国内に逃げ延びていた他の残存兵力や、各地で奴隷にされていた同胞たちを救出したことで、あの時ほどではないが規模は大きくなりつつある。銃で武装した吸血鬼の兵士は、1人でも同じく銃で武装した一般的な兵士10人分に相当する戦闘力を誇るため、1人を仲間にするだけで戦力は大きく跳ね上がると言っていい。

 

 しかし、俺たちの今の規模は、三大勢力の中で最も規模が小さいテンプル騎士団にすら負けている。吸血鬼の兵士を一般的な人間の兵士10人とすれば戦力では上回るが、物量では向こうが上なのだ。

 

 だからこちらは、1人1人の兵士をしっかりと訓練で育て、最新の装備を与えて質を極限まで高めるしかないのである。

 

 基本的に、兵士たちのメインアームはXM8やMG3などだ。サイドアームはストッピング・パワーを考慮し、9mm弾ではなく.45ACP弾を使用した方が望ましいため、コルトM1911A1やドイツ製ハンドガンの『Mk23』を採用している。

 

 Mk23はドイツで開発されたハンドガンで、強力なストッピングパワーを誇る.45ACP弾を12発もマガジンに装填することが可能な代物だ。サプレッサーやライトも装着可能であり、ハンドガンの中では汎用性が高い。

 

「それはよかった。…………ところで、”突撃歩兵”の様子はどうだ?」

 

「はい、こちらも大丈夫です。実戦投入されれば、すぐに敵の塹壕や防衛戦を食い破る事でしょう」

 

 今回の春季攻勢では、”突撃歩兵”と呼ばれる特殊な兵士たちを実戦投入する。

 

 アサルトライフルを装備した通常の兵士たちよりも身軽で、敵陣への肉薄と突破を行うのだ。危険な任務となるため、隊員たちは各部隊から選抜された兵士たちで構成されている。

 

 主な武装は、ドイツ製PDWの『MP7A1』。折り畳み式フォアグリップが特徴的な小型の銃で、従来のSMG(サブマシンガン)と比べると貫通力の高い4.6mm弾を使用する。小型の銃であるため非常に扱いやすく、信頼性や汎用性も優秀である上に殺傷力も高いので、敵陣へと肉薄することを想定している突撃歩兵のメインアームにはうってつけと言える。

 

 サイドアームは、同じくドイツ製のMk23。戦車や装甲車と遭遇した場合も考慮し、一部の兵士にはパンツァーファウスト3も装備させている。

 

「よろしい。では、少し兵士たちに休息をとらせろ」

 

「かしこまりました、ブラド様」

 

 お辞儀をしてから部屋を出ていくアリーシャを見送り、もう一度鏡の向こうを睨みつける。

 

 ヴリシアの戦いで、何人も同胞たちが犠牲になった。今まで俺を鍛えてくれたヴィクトルも、あの忌々しいキメラ共によって殺されてしまった。

 

 だから今度は、俺たちがあいつらから奪う番だ…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『作業員の退避を確認。秒読み開始』

 

『10(ツェーン)、9(ノイン)、8(アハト)、7(ズィーベン)、6(ゼクス)、5(フュンフ)、4(フィーア)、3(ドライ)、2(ツヴァイ)、1(アインス)…………発射(フォイア)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷の地下に用意された会議室には、オリーブグリーンの軍服を身につけた兵士たちが何人も集まっていた。同じ色のヘルメットをかぶっている兵士たちは一見すると人間の兵士にも見えるが、やはりよく見てみると口の中には人間とは思えないほど長くて鋭い犬歯が覗いている。

 

 全員、吸血鬼の兵士だけだ。

 

 ヴリシアの時のように、人間の兵士はここにはいない。

 

 この次の戦いは、吸血鬼たちのための戦争だからだ。ヴリシアで奪われた俺たちが、奴らの本拠地へと攻め込んで、奴らからも大きなものを奪い去るための弔い合戦。この攻撃が失敗すれば我々はもう二度と攻撃を仕掛けることもできないし、部隊の再編成もできないほどの大損害を被ることになるだろう。

 

 それゆえにこの戦争が、キメラの率いるテンプル騎士団と、吸血鬼の”最終決戦”となる。

 

「同胞の諸君、作戦を説明する」

 

 そう言いながら後ろにある装置に向かって手を伸ばすと、俺の後ろにある壁に何の前触れもなく緑色の巨大な魔法陣が投影される。やがて外周部の複雑な記号の部分が時計回りに回転を始めたかと思うと、魔法陣の中心にヴリシア語で書かれた地図が表示される。

 

 カルガニスタンにあるテンプル騎士団の本拠地周辺の地図だ。潜水艦部隊が輸送艦隊を撃沈した運河の入り口も表示されている。

 

「テンプル騎士団の本拠地は、この運河の上流の方にあるこの岩山の中だ。やつらは”タンプル搭”と呼んでいる」

 

 偵察機や諜報員からの情報で、テンプル騎士団の拠点のある位置は把握することができた。しかし、この地図に書かれている拠点以外にも小規模な前哨基地や補給基地が存在する可能性は高いため、いきなり攻め込もうとすれば不意打ちをお見舞いされる可能性は高いだろう。

 

「タンプル搭の東西南北には、4つの巨大な要塞がある。その周囲を小規模な前哨基地が取り囲んでいる状態だ。奴らの規模は、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)と比べると遥かに小さいが、それでも我々よりも規模は上である。真正面から攻撃を仕掛ければ、各拠点から出撃した敵の防衛部隊に粉砕されてしまうだろう」

 

 拠点や要塞の配置には確かに隙が無い。どこかの拠点が襲撃を受ければ、即座に他の拠点から増援部隊を短時間で派遣できるような位置に前哨基地や要塞が配置されているため、強引に突破しようとすれば、短時間で駆けつけた増援部隊に袋叩きにされてしまう。

 

 狡猾だな、タクヤ(ナガト)…………!

 

 地図を睨みつけていると、説明を聞いていた兵士の1人が手を上げた。背がやけに小さくて幼い顔つきの兵士だ。俺よりも年下みたいだな。

 

「どうした?」

 

「ブラド様、敵の拠点の配置は完璧です。今の兵力で攻め込むのは無茶なのでは…………?」

 

「ああ、確かにそうかもしれん。傍から見れば自殺行為だろうな」

 

 こちらの規模は小さい。しかも向こうはこっちよりも規模が上で、本拠地の周囲は大規模な要塞や無数の前哨基地で守られている。

 

「だが、安心しろ。隙を見つけた」

 

 そう言いながら、投影されている地図の映像を拡大していく。

 

 拡大したのは――――――――タンプル搭のすぐ近くを流れる運河よりもさらに上流にある、巨大な要塞の1つだった。

 

「この運河は、タンプル搭よりも上流に行けば行くほど流れが急になっている。連中はその上流に、要塞と一緒にダムまで作り上げているようだ」

 

「ダム…………」

 

「そうだ。…………ではここを爆破してしまったら、タンプル搭はどうなると思う?」

 

 説明を聞いていた兵士たちが、一斉に息を呑む。

 

 流れが急になっている上流のダムを破壊すれば、凄まじい量の水がタンプル搭の中にある軍港へと流れ込むことになるだろう。そんなことになれば、中に停泊している艦艇がどれほどの損害を被るかは想像に難くない。

 

 小型の艦艇や駆逐艦は転覆し、巡洋艦や戦艦も滅茶苦茶になるだろう。下手をすればそれだけで、テンプル騎士団の海軍を壊滅させることができるかもしれないのだ。

 

「で、では、そこを襲撃するのですか? しかしそこは、このディレントリア公国の反対側ではありませんか」

 

「そうだ。だからこそテンプル騎士団の連中は、我々がこのまま直進して国境の近くにあるブレスト要塞を襲撃するか、このダムを破壊するのか迷っている事だろう」

 

 こちらよりも規模は小さいとはいえ、練度で劣っている上に三大兵力の中では規模も小さい。もし仮に連中がダムとブレスト要塞に同規模の守備隊を展開していたとしても、こちらが全ての兵力で総攻撃を仕掛ければこちらが勝利できるだろう。

 

 それゆえに、連中は攻撃を受けそうな拠点に守備隊を集中せざるを得なくなる。

 

「そこで、まず小規模な部隊を派遣してダムを襲撃し、ダムを破壊しようとしているふりをする。そうすればテンプル騎士団の連中は、ダムを守るために増援部隊を上流のダムへと派遣する筈だ。そうすれば――――――――他の要塞が一気に手薄になる」

 

 装置を操作し、今度はブレスト要塞を拡大する。

 

「奴らがダムに部隊を派遣しているうちに、全ての兵力で手薄になったブレスト要塞を急襲する。短時間でここを壊滅させて橋頭保とし、我らはそのままタンプル搭へと進撃する」

 

「なるほど。確かに手薄な状況なら、我らでも占拠するのは容易いですな」

 

「その通りだ。だが、手薄とはいえ一筋縄ではいかないだろう」

 

 ブレスト要塞の地図を更に拡大すると、今の作戦を聞いて安堵していた兵士たちが再び息を呑んだ。砂漠の真っ只中に作り上げられた要塞の周囲には要塞砲が取り付けられた分厚い防壁があり、その周囲には大規模な塹壕が用意されていたのである。

 

「要塞を陥落させるには、まずこの塹壕を突破する必要がある。空爆できればすぐに決着はつくだろうが、要塞からの対空砲火や航空部隊を無力化しなければ不可能だ。そこでまず最初に航空部隊を派遣し、敵のレーダーサイトや対空兵器を破壊。航空部隊を無力化してから空爆を実施し、そこで突撃歩兵を投入する。防壁は確かに分厚いが、防壁の門をC4爆弾で破壊すれば要塞内部への侵入は容易いだろう。侵入後は要塞砲を無力化し、地上部隊の突入を支援せよ。その後、戦車と歩兵部隊を突入させ、一気に要塞を制圧する」

 

 まず、このブレスト要塞を陥落させない限りタンプル搭へは攻撃できない。ここを短時間で陥落させて橋頭保代わりにする必要がある。

 

 そのためにも制空権を一番最初に確保しなければならない。

 

 ヴリシアの戦いでの敗因は、戦争の序盤で敵に制空権を確保されてしまったことだろう。そのせいで敵には一方的に空爆された挙句、こちらのヘリは戦闘機に蹂躙され、まともに歩兵を支援することができなかったのだから。

 

「それと同時に、こちらも艦隊を出撃させる。艦隊は運河を上りつつ、ブレスト要塞へと艦砲射撃を実施する予定だ。要塞陥落後はさらに上流へと向かい、タンプル搭への砲撃を実施する予定となっている」

 

 ブレスト要塞を陥落させてから、更に巨大なタンプル搭を陥落させなければならない。

 

 分厚い上に巨大な岩山に囲まれたタンプル搭は、はっきり言うとかなり攻め難い要塞だ。砲弾や対艦ミサイルの集中砲火でも崩せないほど分厚い岩山の表面には、多数の対空砲や要塞砲が設置されており、中心部には超弩級戦艦の主砲に匹敵する口径の要塞砲が設置されているという。

 

 下手をすれば、要塞への攻撃中にこの要塞砲で砲撃され、蹂躙されてしまうだろう。

 

「タンプル搭へは、航空部隊がまず攻撃を仕掛ける。対空兵器とレーダーサイトを破壊した直後に、地上部隊が突入する予定だ。こちらが要塞に辿り着くまで、艦隊は艦砲射撃を継続せよ」

 

 そして、今度こそここで俺たちはキメラ共を打ち倒す。

 

 奴らが持っている天秤の鍵を奪い、必ず父上を生き返らせるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちらオリョール2-5。観測データ送信中。ミサイル、大気圏への再突入を確認』

 

『お、見えた。タンプル搭からのICBM(プレゼント)の反応を確認。着弾まで510秒』

 

『…………すげえな。まるで流れ星みたいだ』

 

『着弾まで490秒』

 

『こちらタンプル搭管制室。第二射発射体制に入る。オリョール2-5はそのまま観測を継続せよ』

 

『了解(ダー)、同志』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよだな」

 

「はい、ブラド様。この作戦が成功すれば、アリア様もお喜びになるでしょう」

 

 アリーシャと一緒に屋敷の廊下を歩きながら、ちらりと窓の外を見る。段々と空は明るくなりつつあったが、まだ星空と綺麗な黄金の満月ははっきりと見える。

 

 春季攻勢を開始するのは、あと一週間後になるだろう。

 

 奴らから全てを奪うための大規模攻勢が、ついに実行されるのだ。

 

 もちろん俺も最前線で戦うし、アリーシャにも参加してもらう。

 

「アリーシャ、準備はいいか?」

 

「大丈夫です。お供しますよ、ブラド様」

 

 ちらりと後ろを振り向くと、後を付いて来ていたアリーシャが微笑んでいた。

 

 彼女も、かつては俺の母上と同じように奴隷として売られていた吸血鬼だった。ディレントリアへと流れついた我々が救出してからは、こうして俺のメイドとして常に近くにいてくれている頼もしい少女である。

 

 けれども、少しばかり不安だ。

 

 今回の作戦に参加するのは男性の吸血鬼ばかり。女性の吸血鬼はごく少数である。

 

 女性である彼女を最前線へと送ることになるのを心配しているのは、きっとアリーシャに失礼だろう。けれども、血まみれになりながら戦うのは俺たちだけでいいのではないだろうか。

 

 そう言いたいのだが、彼女を見ていると「後方で待っていろ」とは言えない。彼女も覚悟を決めている筈なのだから。

 

「アリーシャ…………お前は――――――――」

 

「ブラド様、あれは…………?」

 

「え?」

 

 すると、俺の顔を見ながら微笑んでいた彼女が、窓の外を指差す。何を見つけたんだろうかと思いながら窓の外を見てみると――――――――星空の真っ只中に、真っ赤な光を纏う何かが見えた。

 

 流れ星かと思ったが、その赤い光はいつまでも見えている。それにその光は、なんだかこの屋敷へと近づいているような気がする。

 

 その直後、俺はぞくりとした。

 

 あれは流れ星ではない。

 

「アリーシャ――――――――」

 

 反射的に彼女を突き飛ばし、アリーシャの身体の上へと覆いかぶさる。

 

 その直後、古びた屋敷の窓が弾け飛び、流れ込んだ猛烈な爆風と破片の群れが、俺たちを蹂躙した。

 

 

 

 



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タンプル砲

 

 車体の上にがっちりした砲塔を取り付けられた2両の装甲車が、砂の大地にすぐに消えてしまうタイヤの跡を刻み付けながら、タンプル搭のゲートへと進んでいる。

 

 兵員室の中にAK-12で武装した兵士たちを乗せているその装甲車は、ロシア軍で正式採用されているBTR-90だ。戦車と比べると装甲は薄くなってしまうものの、大口径の機関砲と対戦車ミサイルを持っているため火力は極めて高い。

 

 当然ながらそのBTR-90は、テンプル騎士団で正式採用されている兵器である。

 

 テンプル騎士団では、定期的に偵察部隊を派遣して周囲の状況を確認するようにしている。この転生者ハンターのみで構成される武装集団が設立されたばかりの頃は、偵察の目的は拠点の周囲にダンジョンや危険地帯がないか確認するためであったのだが、周囲の状況が把握できるようになってからは魔物の群れの観測などが主な仕事になっている。

 

 そのため、以前まではアサルトライフルやマークスマンライフルを背負ってバイクに跨る兵士たちの姿はよく見受けられるのだが、最近ではこのように重装備の装甲車に兵士たちが乗り込んでいく光景を目の当たりにする方が多い。

 

 その偵察任務を終えた2両の装甲車が検問所のゲートへと差し掛かった時、ゲートの警備を担当する警備兵がライトを照らしながらゆっくりと進んでくる装甲車の前に立ち、大きく手を振った。

 

 いつもならばここで装甲車の方が止められる前にゆっくりと停車し、警備兵からチェックを受けてからゲートを開けてもらい、タンプル搭へと帰還する。それゆえに装甲車の車長は、慌てて装甲車を止めようとした警備兵の姿を見つめながら、タンプル搭で何かが起こっていることを察した。

 

 ハッチを開け、砲塔の上から顔を出す。するとランタンを腰に下げ、兵士たちが当たり前のように装備しているAK-12を背中に背負った警備兵が、停車した装甲車のすぐ脇へと駆け寄ってくる。いつもならば「お疲れ様ー」と言いながら出迎えてくれる仕事仲間なのだが、今日は呑気にそう言いながらチェックをしてくれる様子はない。

 

「同志、何かあったのか?」

 

「ああ、同志。急いでゲートの正面から退避しろ」

 

「なに? どういうことだ?」

 

 少しばかり混乱しながら、車長はちらりと目の前に鎮座している検問所のゲートを睨みつけた。ゲート付近の警備兵用の詰所から飛び出した2名の警備兵が、大慌てで検問所のゲートのロックを外して開放しているのが見えるが、それは明らかに帰還した2両の装甲車を迎え入れるためではない。

 

 ”迎え入れる”というよりは、内側から何かを”追い出そう”としているかのような雰囲気である。

 

 無意識のうちに息を呑んだ車長は、慌てて詰所の中へと戻っていく警備兵たちの姿を見つめてから、装甲車の近くにやってきた警備兵の顔を見下ろした。

 

「タンプル砲だ。円卓の騎士たちが、あれの使用を承認した。さっさと退避しないと装甲車ごと吹っ飛ばされるぞ」

 

 その兵器の名を聞いた瞬間、車長はなぜ警備兵たちが大慌てでゲートを開け、帰投してきた装甲車たちを退避させようとしていたのかを理解する。

 

 テンプル騎士団の本拠地であるタンプル搭には、1つも”塔”はない。それにもかかわらずタンプル”塔”と呼ばれている理由は、地上に配備された長大な砲身を持つ6門の副砲と、それよりも更に巨大な1門の主砲が”塔”のように見えるため、団員たちにそう呼ばれている。

 

 その要塞砲はどちらも大口径で、発射の際の衝撃波は凄まじい。地上にヘリや戦車を格納していれば、発射の際の衝撃波で格納庫もろとも吹っ飛ばされてしまう恐れがあるため、タンプル搭の格納庫や指令室などは地下に作られている。

 

 副砲ならば、それで被害が出ることはない。

 

 だが――――――――中心に鎮座する主砲の衝撃波は、副砲の比ではない。

 

 副砲は超弩級戦艦並みの36cm砲。旧日本海軍が保有していた金剛級や扶桑級の主砲に匹敵する射程距離と破壊力を誇る。しかし、タンプル搭の象徴ともいえる主砲は200cm砲。金剛級や扶桑級どころか、戦艦大和を遥かに上回る。

 

 合計で32基も取り付けられている薬室の中で炸薬を爆発させ、それの衝撃波と爆風で巨大な砲弾を更に加速させることで超遠距離の敵を砲撃するのである。更に砲弾だけでなく、大陸間弾道ミサイル(ICBM)まで発射可能であり、ミサイルを使用した際の射程距離はこの世界のあらゆる場所へとミサイルを叩き込むことができるほど長くなる。

 

 しかし、32基――――――――砲身の後端にあるものも含めれば33基である――――――――の薬室で大口径の砲弾を放つため、その衝撃波はあらゆる要塞砲や戦艦の主砲の衝撃波を上回るほどすさまじい。隔壁や分厚い装甲だけでなく、地中にある岩盤まで防御に利用している堅牢なタンプル搭の設備ですら、その主砲の衝撃波に耐えられるかは不明と言われるほどだ。

 

 そのため、タンプル砲を使用する際は円卓の騎士全員の承認が必要になる。1人でも承認しなければタンプル砲の使用は否決され、使用できないというルールがある。

 

 もしも円卓の騎士が全員承認するような状況になれば、タンプル砲の発射を担当する作業員たちは作業が終了次第速やかに地下へと退避し、更に隔壁を閉鎖しなければならない。

 

 それほどその”決戦兵器”の反動と衝撃波はすさまじいのである。分厚い隔壁を幾重にも展開する必要があるほどの衝撃波なのだから、重装備とはいえ装甲車が耐えられるわけがない。あっさりと吹っ飛ばされて大破するのが関の山である。

 

「マジかよ…………おい、同志諸君。急いでゲート前から退避だ」

 

 ゲートを開放したのは、タンプル搭から押し寄せてくるタンプル砲の衝撃波を外へと逃がすことで、ゲートの破損を防ぐためだったのだと理解した車長は、慌てて後続の装甲車へと無線で連絡する。

 

 報告してくれた警備兵に敬礼をしてから、車長は大慌てで車内へと引っ込む。座席に腰を下ろしながら操縦士に退避するように指示を出した彼は、モニターに映っている眼前の岩山を見つめながら、もう一度息を呑むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その砲撃が遺した痕跡は――――――――やっぱり、戦車砲や戦艦の主砲の比ではない。

 

 モニターの向こうに投影されている巨大な要塞砲の砲口から姿を現した猛烈な黒煙と、瞬く間に消えてしまった紅蓮の火柱を見つめながら、指令室の中にいる団員たちは唖然としていた。

 

 タンプル砲は、簡単に言えば複数の薬室を持つ超大口径のガンランチャーのようなものだ。けれどもこれは、当たり前だが戦車に搭載するガンランチャーとは比べ物にならない。

 

 まるで砲口の中で核爆発でも起こったのではないかと思えるほどの火柱を吐き出したタンプル砲からは、未だに黒煙が溢れている。その黒煙はやがて大爆発が生み出すキノコ雲を彷彿とさせる形状に変化すると、入り込んできた風にゆっくりと溶かされ、そのまま砂漠の真っ只中へと消えていった。

 

「れ、冷却液、注入開始」

 

「1番から33番、各薬室に破損無し。第二射、発射体制に入ります」

 

「各薬室、第二射スタンバイ。

 

「排出ハッチ開放。放熱開始」

 

 モニターの向こうで、タンプル砲の砲身に接続されたケーブルが膨らむ。タンプル砲は複数の薬室で爆発を発生させ、その爆風と衝撃波で砲弾を超遠距離まで放つ多薬室砲だ。本来ならば1つだけ搭載されている筈の薬室を、射程距離の底上げのために合計で33基に増やしているのだから、それが次々に起爆すれば砲身に凄まじい熱が溜まるのは想像に難くない。

 

 そのため、1発発射した後には必ず砲身の中に内蔵されている配管に冷却液を注入し、砲身の熱で蒸発するそれを排熱用のハッチから放出して冷却する必要があるのだ。

 

 砲身にいくつも取り付けられたハッチが開き、猛烈な白い蒸気を吐き出す。蒸発した冷却液の蒸気がタンプル砲の砲身を飲み込んだかと思うと、10秒ほどでハッチが再び閉鎖され、黒煙の残滓と溶け合った蒸気たちが、風に吹き飛ばされていった。

 

「各薬室第2層、起爆準備完了」

 

「よし、大陸間弾道ミサイル(ICBM)装填。保護カプセルの点検はしっかり行え」

 

「了解(ダー)、同志団長」

 

 砲身の上下左右に取り付けられている薬室の中には炸薬が詰まっているのだが、その炸薬は5層になっている。1回の砲撃で1層ずつ消費していくので、合計で5回まで連続で砲撃できるというわけだ。

 

 長距離の攻撃目標に最初の一撃で有効なダメージを与えられなかった場合にすぐさま追撃できるという長所があるわけだが、1回でも使用してしまうと途中で炸薬を補充するために薬室ごと取り外し、炸薬を充填し直す必要がある。非常に時間がかかってしまうため、基本的に1発発射したら相手が壊滅状態でも5回使用するしかない。

 

「同志、次のミサイルはどうしますか?」

 

「お次はMIRV(マーヴ)”だ。ばら撒いてやれ」

 

「了解(ダー)」

 

 MIRV(マーヴ)とは、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの大型ミサイルの内部に複数の弾頭を搭載し、それを分裂させてばら撒くことで広範囲の敵を攻撃できるタイプのミサイルの事である。分かりやすく言うと、”非常に射程距離の長い多弾頭ミサイル”のようなものだ。

 

 まず、大陸間弾道ミサイル(ICBM)が攻撃目標へと飛んで行く。そしてその途中でミサイルの内部に搭載されていた複数の弾頭が切り離され、攻撃目標へと降り注ぐのだ。そのため通常のミサイルよりも攻撃範囲が非常に広くなる。

 

 最初にぶっ放したのは通常タイプのミサイルだ。今度のは攻撃範囲が広いぞ、ブラド。

 

「弾頭はいかがいたしましょう?」

 

「そうだな…………”水銀弾頭”で頼む」

 

「はい、同志」

 

 先ほどのは内部に炸薬と聖水を充填した”聖水弾頭”。低コストの聖水を使っているので使い勝手がいいが、爆発の際の熱風でその聖水が蒸発してしまうため、それほど攻撃範囲は広くはない。

 

 そこで、コストは高くなってしまうものの、より広範囲の吸血鬼を殲滅できる”水銀弾頭”を使用することにした。

 

 水銀弾頭は、聖水の代わりに炸薬と水銀を充填した強力な弾頭だ。聖水とは違って熱風程度では蒸発しない上に、強力な衝撃波に押し出されて四散する水銀の雫や斬撃はヘリや装甲車の装甲を容易く両断してしまうほどの威力を誇る。しかも吸血鬼の弱点の1つだ。

 

 それとMIRV(マーヴ)を組み合わせればどれほどのダメージを与えられるかは、想像に難くない。

 

「オリョール2-5、ミサイルはどうだ?」

 

『こちらオリョール2-5。第一射は目標に命中。…………しかし、まだ生き残りがいますね』

 

「では、極上のウォッカをもう1杯ご馳走して(ぶち込んで)やるとしよう。装填は済んだか?」

 

「はい、同志。第二射発射準備完了」

 

「砲身の冷却完了。各薬室、オールグリーン」

 

「保護カプセル、異常なし」

 

「オリョール2-5より観測データ受信中」

 

「よし、秒読み開始」

 

「――――――10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)

 

「―――――――発射(フォイア)」

 

 号令を発した直後、5つの支柱と33基の薬室を持つ怪物が、モニターの向こうで咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大昔から、吸血鬼は恐れられている種族だ。

 

 人間を遥かに超える身体能力を持ち、弱点で攻撃されない限り何度でも再生する怪物たち。どれだけ鍛え上げられた熟練の戦士が戦いを挑んでも、奴らが剣を薙ぎ払えば鎧ごと両断されるのは当たり前である。

 

 それゆえに、彼らの王であるレリエル・クロフォードは、神々から武器を与えられた伝説の大天使か、同じく化け物だった魔王(リキヤ)しか討伐できなかった。

 

 ごく普通の吸血鬼の兵士ですら、騎士たちの手には負えなかったのだが―――――――Su-30SMに乗りながらディレントリア上空を旋回する俺たちの眼下では、それが覆されていた。

 

 たった1発のミサイルが着弾し、ディレントリア公国に取り残されていた屋敷が火の海と化す。コクピットのモニターに映し出されるのは、燃え上がる屋敷の中から飛び出してきた軍服姿の吸血鬼たち。火達磨になり、奇声を発しながら飛び出してきた奴もいるし、飛散した聖水で身体の一部を溶かされて無残な姿になった吸血鬼もいる。

 

 奴らに虐げられていた人類の一撃が、逆に吸血鬼たちを虐げているのだ。

 

 今まで人間やエルフたちは、奴らに蹂躙されるのが当たり前だったというのに。

 

『吸血鬼もあんな感じに泣き叫ぶんだな』

 

 後部座席で機体に取り付けられた観測用のカメラの映像を見ながら、戦友のエドワード軍曹がそう言う。

 

「当たり前だろ」

 

『ふん、クソ野郎共め。…………ジェイコブの仇だ、クソッタレ』

 

 エドワードの弟は、あのヴリシアの戦いで戦死している。エドワードの奴は弟のジェイコブを大切にしていたから、あの過激派の吸血鬼共が憎いに違いない。

 

 俺もヴリシアで仲間を殺された。もしできるなら、このまま高度を下げてミサイルと機関砲をお見舞いし、あいつらを皆殺しにしてやりたい。けれども俺たちの任務は攻撃ではなく、敵の拠点へとミサイルを誘導することだ。

 

 代わりに、ミサイルに仇を取ってもらうとしよう。

 

『ユージーン、次のミサイルだ。大気圏へ再突入を確認。―――――――こいつはMIRV(マーヴ)か?』

 

「ん? マーヴって何だっけ?」

 

『分裂する奴だ』

 

「ありがとう」

 

 どうやらタンプル搭の同志たちは、ここで可能な限り吸血鬼共の戦力を削り取るか、奴らを潰すつもりらしい。

 

『―――――――弾頭、ミサイルより正常に分離を確認。着弾まで520秒。…………ユージーン、上見てみろ』

 

 後部座席でミサイルの誘導を担当するエドワードに言われてから、俺はキャノピーの真上を見上げる。

 

 ディレントリア公国の上を覆っている黄金の満月と星空。できるならば偵察任務ではなく、遊覧飛行の時にこういう幻想的な空間を飛びたいものだ。その美しい星空の中で、奇妙な光り方をする物体が煌き始める。

 

 それを発見した瞬間、俺は流れ星だろうかと思った。けれども、流れ星ならばこんなに長く煌いているわけがない。しかもその光は、星空の向こうへと去っていこうとしているわけではなく、むしろこっちへと接近しているようにも見える。

 

 数秒後、俺はそれの正体を理解する。

 

 異質な光り方をするそれは、星などではない。敵を破壊して蹂躙するために解き放たれた、死の流れ星たちなのだ。

 

「あれが…………MIRV(マーヴ)なのか…………?」

 

 キャノピーの真上を見上げながら、俺とエドワードは息を呑む。

 

 流れ星と言うよりは隕石と言うべきだろうか。真っ赤な炎を纏い、灼熱の軌跡で夜空を蹂躙しながら地表へと落下していく弾頭の群れは、ミサイルと言うよりは隕石である。

 

 タンプル搭にあるタンプル砲から放たれたミサイルは、大気圏を離脱してから保護カプセルから解き放たれ、そこからエンジンと慣性を利用して大気圏へと再突入。そしてミサイルに搭載している複数の弾頭を分離させ、攻撃目標へとばら撒くらしい。

 

 ミサイルの誘導の訓練をやったことはあるが、MIRV(マーヴ)を目にするのはこれが初めてだ。

 

「綺麗だ」

 

『MIRV(マーヴ)、弾着まで180秒。ユージーン、ちょっと高度上げろ』

 

「はいはい」

 

 エドワードに言われてから高度を上げ、地表で未だに苦しんでいる吸血鬼たちを見下ろす。

 

 あと2分くらいで、あの弾頭の群れは着弾するだろう。弾頭の中には吸血鬼たちが大嫌いな水銀が充填されているらしい。あれが炸裂すれば、間違いなく吸血鬼たちは大損害を被る。

 

 息を呑みながら、落下していく弾頭たちを見送る。

 

『5、4、3、2、1…………弾着』

 

 後部座席でエドワードが告げた瞬間、地表で膨れ上がった猛烈な光が、俺たちの乗る機体を照らし出す。猛烈な光だけど全く音がしない音に気付いた直後、機体のエンジンの音をかき消してしまうほどの轟音がコクピットの中で轟き、観測していた機体が激震する。

 

 空そのものが揺れているのではないかと思ってしまうほどの衝撃だ。キャノピーの左右にヘルメットを何度かぶつけてしまったが、操縦桿はしっかりと握ったままだ。これを変な方向に倒してしまったら、眼下の火の海に飛び込む羽目になる。

 

「おいおい…………」

 

 片手でヘルメットを押さえながら地表を見下ろした俺は、絶句した。

 

 着弾する寸前までは、火の海とはいえ燃えているのは屋敷と庭程度だったというのに、MIRV(マーヴ)が着弾してからは、更に火の海が広がっていたのだから。

 

 屋敷は半壊しており、瓦礫の山の上では炎が産声を上げている。その瓦礫の山から慌てて這い出していくのは、傷だらけになった吸血鬼や、猛烈な爆風と水銀榴弾で片足や片腕を千切られた吸血鬼たち。弱点である水銀への耐性が弱い吸血鬼はそのまま倒れて炎で焼かれており、火の海の中でどんどん黒焦げになっていく。

 

 辛うじて耐性のおかげで生き延びた吸血鬼も、腕や足が千切れ飛んでいたり、衝撃波に押し出された水銀や破片で腹を引き裂かれ、肋骨や腸があらわになっているのが当たり前と言えるような状態で、仲間に肩を貸してもらいながら屋敷を離れていく。

 

 炎は屋敷を囲んでいた森にも燃え広がり、どんどん大地を炎で染め上げていった。

 

『オリョール2-5、戦果は?』

 

 無残な姿の吸血鬼たちを目にしてしまったせいなのか、操縦桿を握っている腕がいつの間にか震えている。

 

 もう十分なんじゃないだろうかと思った俺は、タンプル搭のオペレーターに「十分です」と報告しようとしたが―――――――ヴリシアで吸血鬼共に仲間を殺された光景が、すぐにフラッシュバックした。

 

 吸血鬼たちの戦闘機が放ったミサイルで、木っ端微塵にされた戦友の戦闘ヘリ。粉々になったヘリに乗っていたのは、幼い妹と弟を養うために戦っていたミヒャエルの機体だった。

 

 バラバラになったヘリの残骸と一緒に、千切れ飛んだミヒャエルの首が海に降り注いでいった。小さな子供たちによく支給されたお菓子をあげていた優しい男だったのに、その瞬間に見えたあいつの顔は、恐怖で支配されていたのである。

 

 あいつらが、俺たちの戦友を殺したんだ。

 

 きっと生還していたら、いつものように子供たちの遊び相手になったり、支給されたお菓子を子供たちにあげながら微笑んでいた筈なのに。

 

 少しだけ情けをかけてやろうと思ったが、すぐに湧き出た憎悪がそれを塗り潰す。

 

 ―――――――殺す。

 

 あいつらは、全員殺すべきだ。

 

「オリョール2-5より管制室へ」

 

 燃え上がるディレントリアの森を見下ろしながら、俺は報告した。

 

「―――――――もう一発お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ1

 

 足りないもの その1

 

ブラド(…………くそ、どうすればナガトに勝てる!? 俺の実力が不足しているのか!?)

 

吸血鬼1「ブラド様、どうかいたしましたか?」

 

ブラド「おい、お前。どうして俺はタクヤに勝てないと思う?」

 

吸血鬼1「何をおっしゃるのです。あなたは十分な実力があるではありませんか」

 

ブラド「頼む、教えてくれ。何が足りないんだ?」

 

吸血鬼1「ええと…………諜報部隊の報告では、テンプル騎士団団長のタクヤ・ハヤカワは…………もう童貞ではないみたいです」

 

ブラド「…………えっ?」

 

吸血鬼2「童貞だから勝てないのでは…………?」

 

ブラド(何だよそれぇ!?)

 

 

 

 おまけ2

 

 足りないもの その2

 

ブラド「あ、ありえないだろ!?」

 

吸血鬼1「し、しかし…………失礼ですが、ブラド様って彼女はいるんですか?」

 

ブラド「関係ないだろう!? 俺はあいつに勝つ方法を聞いているんだよ!!」

 

吸血鬼2「タクヤ・ハヤカワには5人も彼女がいるみたいですが」

 

ブラド(ハーレム!?)

 

ブラド「お、おのれ…………忌々しいキメラめ…………ッ!」

 

吸血鬼3「このナタリアって子が一番可愛いと思うな。お前はどう思う?」

 

吸血鬼4「俺はラウラって子かなぁ。やっぱり巨乳が一番だろ」

 

吸血鬼5「俺は貧乳の方が好きだから、ステラちゃんが一番だな」

 

ブラド「くそ………ッ! 大体、父上は彼女なんか作ってない――――――――」

 

吸血鬼1「でも子供は作ってますよ?」

 

ブラド「…………」

 

ブラド(俺の敗因って、彼女がいない事なのかな…………)

 

アリーシャ(ブラド様…………)

 

 完

 

 

 



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被害と作戦

 

 この世界に転生したばかりの頃、俺は何度も地獄を目にしてきた。

 

 商人共に連れ去られた子供たちや、どこからか連れてこられた女の奴隷たち。人間共に逆らった奴隷たちは痛めつけられるのが当たり前で、俺が放り込まれていた牢屋の向かいにいた女の奴隷は、よく商人共が”暇つぶし”に犯していた。

 

 母上が俺を助けてくれるまで、苦しむ奴隷たちの呻き声に囲まれているのが当たり前だったのである。

 

 俺はそれが地獄だと思っていた。汚くて狭い牢屋の中で、周囲で苦しむ奴隷たちの声を聴かされながら過ごす日常。もし母上が助けに来てくれるのがもう少し遅かったら、俺は発狂していたに違いない。

 

 だが、その地獄はあくまでも”個人的な地獄”なんだろう。

 

 目の前に広がっているのが、きっと本当の地獄だ。

 

 ヴリシアでも目にした光景である。燃え上がる建物の残骸と、その周囲で呻き声を上げる仲間たち。火達磨になりながら絶叫している奴もいるし、仲間の肩を借りながら安全な場所へと連れて行かれる兵士も見受けられる。

 

「…………!」

 

 十数分前までは静かだった森の中の古い屋敷は、もう既に半壊していた。瓦礫の山には炎が燃え移り、その炎は段々と森を侵食しつつある。

 

 赤い光に照らされた地獄を目の当たりにしながら、まだ自分の身体に突き刺さったままになっているガラスの破片を強引に引き抜く。随分深く刺さっていたらしく、強引にガラスの破片を掴んで引っ張ると、皮膚の下から筋肉繊維や皮膚が裂けていく音が聞こえてくる。

 

 けれども、俺は吸血鬼だ。しかも父親は吸血鬼の王で、母親はその父から血を与え続けられていた眷属。弱点ですらないガラスの破片でつけられた傷など数秒で塞げる。皮膚と筋肉繊維が裂ける激痛を感じながら、ささっていたガラスの破片を放り投げ、俺も瓦礫の下で呻き声を上げている仲間の元へと向かった。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

「ぶ、ブラド様…………」

 

 俺の姿を見て安堵した同胞の頬には、溶けた痕があった。

 

 おそらく先ほど飛来した攻撃―――――多分ICBMだろう―――――の弾頭に、聖水や水銀を充填していたのだろう。どちらも吸血鬼にとっては弱点の1つで、それで攻撃されればこっちは致命傷を負う羽目になる。耐性には個人差があるが、中にはそれを喰らうだけで即死してしまう同胞もいるのだ。

 

 聖水や水銀は、吸血鬼にとっては硫酸のようなものだ。触れれば身体が融解してしまう。

 

 耐性が高い吸血鬼ならば、ゆっくりになってしまうがその傷も再生することが可能だ。しかし体制の低い吸血鬼の場合は、その傷を自力で塞ぐことは不可能である。

 

 この同胞は、少しは耐性があるらしい。非常にゆっくりだが、頬にある聖水で溶けた痕が塞がりつつあるのが分かる。

 

 彼を引っ張り出し、腰にあるホルダーに残っていたエリクサーの容器を1つ渡す。

 

「も、申し訳ありません」

 

「気にするな。大切な同胞なんだからな」

 

 絶滅してしまったサキュバスと忌々しいキメラ共を除けば、最も個体数が少ない種族は吸血鬼となる。父上が大天使との戦いに敗れたことを知った人間共が、一気に弱体化した吸血鬼たちを討伐し始めたことが原因であり、数多くの種族が奴隷にされている奴隷商人の元でも、吸血鬼の奴隷は滅多に見ることはできない。

 

 それほど数が少ないのである。それゆえに、吸血鬼の兵士は1人死んでしまうだけでも大損害となるのだ。

 

「ブラド様」

 

「アリーシャ…………他の同胞たちは?」

 

「はい、何人も犠牲者が出てしまいましたが…………春季攻勢に支障はないかと」

 

 早くも春季攻勢が頓挫してしまうのではないかと思っていた俺は、安心しながら夜空を見上げた。

 

 飛来した敵のミサイルの数は合計で3発。一番最初のミサイルは通常のミサイルだったが、その後の2発はおそらくMIRV(マーヴ)だろう。あんなに広範囲を攻撃できる長距離ミサイルはMIRV(マーヴ)しかない。

 

 それにしても、諜報部隊の報告ではタンプル搭には大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を運用するためのミサイルサイロなどなかった筈だ。あそこにあるのはあくまでも大口径の要塞砲ばかりだった筈だから、他の拠点から撃ち込んだのか?

 

「…………分かった。アリーシャ、損害を調べて報告してくれ。場合によっては作戦を練り直し、春季攻勢を少しばかり延期する」

 

「かしこまりました、ブラド様」

 

「それと、母上にも報告を頼む」

 

「はい、ブラド様」

 

 母上は屋敷ではなく、春季攻勢の際に旗艦となる戦艦『ビスマルク』で出撃の準備をしていた筈だ。屋敷にはいなかったから、艦隊の乗組員たちや強襲揚陸艦で運河の入り口から上陸する予定の海兵隊には被害は出ていない。

 

 とはいえ、地上部隊は大損害だ。もしかしたら、再編成のために春季攻勢を延期する羽目になるかもしれない。

 

「…………ナガトめ」

 

 やりやがったな…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『観測任務完了。オリョール2-5、帰還します』

 

「了解(ダー)、よくやった」

 

 これで吸血鬼共は大損害を被る羽目になった。上手くいけば、あいつらが企んでいた春季攻勢を延期させたり頓挫させることができたかもしれない。

 

 吸血鬼は個体数が少ない種族であるため、一般的な人間で構成された部隊とは違い、1人死亡するだけでも大損害となる。再編成のためにはどこかで奴隷にされている吸血鬼を開放して仲間にするか、吸血鬼以外の種族を強引に徴兵して補充するしかないのだが、身体能力が劣る普通の人間の兵士では、凄まじい身体能力を誇る吸血鬼たちには全くついて行けない。

 

 それに強引な徴兵で戦わされるのだから、士気も低くなる。

 

 はっきり言うと、強引に徴兵された奴隷の兵士たちは足手まといにしかならないのだ。当たり前だが、しっかりと訓練した兵士たちと一緒に訓練期間の短かった素人を戦わせるわけだから、技術だけでなく練度でも大きな差ができてしまう。

 

 だから吸血鬼たちは、ヴリシアで失敗したのだ。

 

 ヴリシアでの敗因の1つは序盤で制空権を失ったことだが、その練度の低さや実力の差も彼らの敗因の1つだろう。今度は向こうから攻め込んでくる以上、同じ轍を踏まないために敗因は徹底的に改善している筈だ。だからブラドは、奴隷を徴兵するような真似はしないだろう。

 

 損害の再編成は、同胞(吸血鬼)のみで行う筈だ。

 

「よし、薬室への炸薬の充填を頼む」

 

「了解(ダー)、同志団長」

 

「どれくらい時間がかかる?」

 

「はい、もう既に冷却は終わっていますので、充填は5時間ほどかかります」

 

 タンプル搭は超遠距離の目標へミサイルをぶち込むことができる決戦兵器だが、欠点は非常に多い。大口径の砲弾やミサイルをぶっ放すため、衝撃波から身を守るために隔壁を閉鎖したり、検問所のゲートを開放する必要がある。当たり前だが作業員は全員地下へと退避させなければ発射はできない。

 

 しかも、長大な砲身に取り付けられている薬室へ炸薬を充填するためには、砲身の後端にある1つを除いたすべての薬室をクレーンで取り外し、その中に炸薬を詰め込まなければならないのだ。5発ぶっ放せば取り外してから新しい薬室を取り付けるだけで済むのだが、途中で止めてしまった場合は外してからそれに炸薬を詰め込み、再びクレーンで取りつけなければならない。

 

 そのため、出来るのであれば5発ぶっ放してしまうのが望ましいのだが、偵察機からは『敵は被害甚大。攻撃は十分』という報告を受けたため、攻撃は3回で終了している。

 

「よし、すぐに取り掛かってくれ」

 

「了解(ダー)」

 

 これで春季攻勢も延期だろう。その間にこっちは軍拡を薦めつつ、防衛準備をしておこう。

 

 作戦も立てておかないとな。

 

 タンプル搭の周囲にある拠点の位置を思い出しながら踵を返すと、俺たちの後方でタンプル砲の発射を見守っていたイリナが、どういうわけか床の上でぶっ倒れていた。

 

「…………えっ? い、イリナ?」

 

 生きてる…………?

 

 しかも、なぜか幸せそうな顔をしてるよ…………? ど、どうしたの?

 

「お、お兄様。多分イリナさんは…………タンプル砲の発射を見て、幸せすぎて気絶してしまったのでは…………?」

 

「なんだそれぇ!?」

 

 た、確かにタンプル砲の発射は凄まじい大爆発だからな。イリナが見れば大喜びするだろうなとは思ってたんだが、どうやら大喜びでは済まなかったらしい。

 

「…………と、とりあえず部屋に連れてくわ。手の空いてる同志諸君も、攻勢前に休んでおくように」

 

「はいはーい」

 

「了解でーす」

 

 イリナを部屋に連れて行ったら、俺も充填を手伝っておこうかな。キメラの筋力は頼りになる筈だし、休んでいる場合ではないだろう。

 

 気を失っているイリナを抱き抱えると、近くで見ていたカノンが羨ましそうな顔でこっちを見てくる。

 

「ず、ずるいですわ…………」

 

「安心しろって。後でお姫様抱っこしてやるから」

 

「にゃあ!? …………や、約束ですわよ…………!?」

 

「了解」

 

 片手でカノンの頭を優しく撫でてから、中央指令室を後にする。広大な廊下に出ると、凄まじい金属音と警報が廊下の中を跳ね回っていた。タンプル砲発射の際に閉鎖されていた隔壁が解放されているのだろう。

 

 隔壁を開放したままぶっ放せば、発射の衝撃波が地下にまで入り込んでくるため、発射の前には絶対に隔壁を閉鎖しなければならない。200cm多薬室砲から巨大な砲弾を発射するだけでなく、その砲弾を更に32基の薬室で加速させるのだから、タンプル砲が生み出す衝撃波は通常の主砲の衝撃波を遥かに上回る。

 

 下手をすれば、衝撃波だけで戦闘機が木っ端微塵になるほどだろう。

 

 エレベーターの前を横切って居住区へと向かう。イリナを抱えたまま自室のドアを開けて中へと入り、すぐに彼女が眠るのに使っている棺桶の蓋を外しておく。

 

 棺桶の中に毛布を敷いて眠るのは吸血鬼たちの伝統らしく、死んだ人間を棺桶に入れて埋葬しているのを目にすると、驚く吸血鬼もいるらしい。どうやら吸血鬼たちにとって棺桶はベッドみたいな物みたいだ。

 

 彼女を棺桶の中に寝かせようと思ったその時、首筋に鋭い何かが突き刺さったような気がした。刃物の感触と言うよりは、まるで生き物の牙のような感触がする。

 

「イリナ?」

 

 ちらりと抱き抱えている彼女を見てみると、やっぱり目を覚ましたイリナが首筋に吸血鬼の鋭い犬歯を突き立て、思い切り血を吸っているところだった。お腹が空いてたんだろうか。

 

 段々と身体から力が抜けていく。堪えようと思ったんだけど、ついに足からも力が抜けてしまい、イリナを抱き抱えたまま自分のベッドの上にぶっ倒れてしまう。

 

 すると、俺に抱えられていたイリナが上に覆いかぶさり、そのまま血を吸い始めた。

 

「こ、こら、どうした? お腹空いてた?」

 

「んっ…………ふふっ、ごめんね。お腹空いてたの」

 

 イリナは思い切り噛みついてくるんだよね。彼女にご飯をあげるのは俺の仕事なんだけど、結構痛いんだよ。

 

 ちなみにテンプル騎士団にはイリナ以外にも吸血鬼がいるんだけど、彼らには注射器で少しずつ抜き取った血を提供している。吸血鬼の主食はもちろん血で、それ以外の食べ物を食べたとしても満腹感は感じない上に、栄養を吸収できないという。

 

 だからイリナみたいに直接噛みついて血を吸う団員はいない。

 

「あ、そういえば部屋の鍵かけてなかった」

 

「もうちょっとだけ吸わせてよ♪」

 

「待てって。せめて鍵を―――――――ひゃんっ!?」

 

 彼女が牙を引き抜いた隙に起き上がろうとするけど、ベッドから起き上がりかけた瞬間に尻尾を引っ張られ、再びベッドの上にぶっ倒れる羽目になる。

 

「ふふっ、タクヤの声って本当にラウラにそっくりなんだね♪」

 

 そのまま両手を押さえつけつつ、再び上に覆いかぶさってくるイリナ。自分の口元についている俺の血を舌で舐め取ってから、再び思い切り牙を突き立てる。

 

 とりあえず、今のうちにブラッドエリクサーを飲んでおこう。このままじゃイリナに血を全部吸われちゃうかもしれない。

 

 力が抜けていく手に何とか力を入れ、ホルダーの中からブラッドエリクサーの入った試験管にも似た容器を取り出した俺は、それの蓋を取り外し、中に入っている血のような液体を口の中へと流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の周囲には、無数の前哨基地と巨大な4つの要塞がある。どこかの拠点が襲撃を受ければすぐに近隣の拠点から増援部隊を派遣できるように配置されているため、迂闊に攻撃を仕掛ければ敵は予想以上の規模の部隊と戦闘を繰り広げる羽目になる。

 

 この配置を知っているのであれば、吸血鬼共は真正面から攻撃を仕掛けようとはしないだろう。

 

 隣に立って俺の肩に先ほどから頬ずりを繰り返しているラウラの頭を撫でながら、会議室の壁に掛けられている世界地図を見据える。

 

 吸血鬼たちが流れ着いたのは、カルガニスタンの隣国であるディレントリア公国。もし仮に奴らがそこから真っ直ぐに進軍してくるのであれば、真っ先に吸血鬼を迎え撃つことになるのはブレスト要塞だろう。周囲には小規模ではあるが無数の前哨基地もあるので、いざとなれば救援を要請することも可能だ。

 

 だが、それよりも攻撃を受ける可能性が高いのは―――――――その反対側にある、ダムである。

 

 タンプル搭の中には、非常に広大な河が流れている。超弩級戦艦が並走できるほど広く、潜水艦が潜航したまま軍港に戻れるほどの水深がある巨大な河の下流にはウィルバー海峡が広がっており、タンプル搭よりも上流の方へと進むと流れが険しくなっている。

 

 その上流の部分にはダムがあり、すぐ近くにある要塞の守備隊が駐留している。

 

 もしこのダムが吸血鬼の襲撃で破壊されてしまえば、軍港の中にある艦隊はほぼ確実に全滅するだろう。一応隔壁も用意してあるが、隔壁を閉鎖すれば今度は軍港から水がなくなり、海軍が出撃できなくなってしまう。

 

「敵が狙う可能性があるのは、おそらくダムだろうな」

 

「でも、タンプル搭の正反対よ? 迂回すれば前哨基地の守備隊に発見されずに済むかもしれないけど、距離が長すぎるわ」

 

「そうかもしれないが、破壊すればこっちの海軍を無力化できる。敵がダムの事を知っていれば、真っ先にここを狙う筈だ」

 

 頬ずりを止めて俺のポニーテールを指で弄りつつ、ラウラも意見を言う。

 

「じゃあ、ダムの守備隊を増やすのはどう?」

 

「いい案かもしれないな。でもさ…………ブラドは狡猾な奴だよ」

 

「前世でもそうだったの?」

 

「いや、転生してからだろうな」

 

 ヴリシアで大敗を経験しているのだから、もう慢心はしていないだろう。狡猾な作戦を用意しているに違いない。

 

 確かに、普通なら遠回りしてダムを狙うだろう。そうすればこっちの海軍を無力化できるので、こっちの艦隊に返り討ちにされることもない。敵は海にいる艦隊から一方的に攻撃できるようになるのだ。

 

 だからこそダムの守備隊を増やすべきなのかもしれないが――――――――おそらくブラドは、ダムではなくブレスト要塞の方を狙ってくるに違いない。

 

「多分、狙いはブレストの方だ」

 

「どうして?」

 

「ダムを破壊すれば海軍は全滅する。普通の指揮官なら、海軍を死守するためにダムの守備隊を増やすだろうからな。そうなれば他の拠点からも守備隊を派遣する羽目になるから、その拠点の守備隊が一気に弱体化する。その隙に攻撃して突破するつもりなのかもしれない」

 

 ちらりと隣を見ると、ポニーテールを指で弄っていたラウラが微笑みながらこっちの顔を見上げていた。

 

「頼もしいね、タクヤって」

 

「そりゃどうも」

 

「じゃあ、ブレストの守備隊を増やす?」

 

「いや、本当にダムを攻めてくる可能性もあるから、守備隊の配置はそのままだ。ブレストの方は塹壕を増やして対応しよう」

 

 奴らの攻勢は、何としても撃退しなければならない。

 

 そうしなければ、メサイアの天秤を消し去ることはできないのだから。

 

 



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吸血鬼の春季攻勢

今回はエピローグみたいな感じですので、ちょっと短いです。


 

 タンプル搭の飛行場は、地下にある。

 

 通常の飛行場であれば地上に滑走路や管制塔を用意し、そこに航空機を着陸させるのだが、タンプル搭の場合は36cm要塞砲やタンプル砲を発射した際の衝撃波でヘリポートや滑走路が破損する恐れがあるため、衝撃波の影響を受けない地下に飛行場があるのだ。

 

 要塞の周囲を囲む岩山の地下に作られた滑走路は、壁や天井の誘導灯で常に照らされており、出口付近はアドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板のような形状になっている。外から航空機が発信する瞬間を目にすれば、まるで航空機が砂の中から飛び出してくるように見える事だろう。

 

 空爆による攻撃から滑走路を守ることもできるという利点もあるが、着陸の際の難易度が非常に高いという欠点があり、他の拠点に所属するパイロットたちはよく「タンプル搭でパイロットはやりたくない」と言うらしい。

 

 その着陸が難しい地下の飛行場へと、続々と戦闘機が降り立つ。

 

 タンプル搭ではロシア製の戦闘機を運用しており、Su-35やSu-27が飛び立つ姿はよく見かけるのだが、降り立ってきたその戦闘機の群れは、タンプル搭で運用されている機体とは違う形状をしている。

 

 特徴的なのは、小柄な機体から伸びるカナード翼とデルタ翼だろう。一見するとアーサー隊で運用されているユーロファイター・タイフーンを彷彿とさせるが、機体の後ろにあるエンジンのノズルは1基のみだし、機体もユーロファイター・タイフーンと比べると小柄である。

 

 タンプル搭の飛行場へと無事に着陸したその戦闘機は、スウェーデンで開発された『ビゲン』と呼ばれる小型の戦闘機たちだ。最新の戦闘機と比べるとやや旧式と言えるが、汎用性が高い戦闘機の1つである。

 

 そのビゲンたちの群れの中に、2機だけ形状が異なる機体が紛れ込んでいる。ビゲンのようにカナード翼とデルタ翼が搭載されており、エンジンのノズルも1基のみだけど、ビゲンと比べるとすらりとしており、別の機体であることが分かる。

 

 ビゲンたちと一緒に着陸してきたすらりとしている戦闘機も、同じくスウェーデンで開発された『グリペン』と呼ばれる高性能な戦闘機である。航続距離が短いという欠点があるが、非常にバランスが良く扱いやすい戦闘機で、こちらも微減と同じく汎用性が高い。

 

 タンプル搭で運用している戦闘機は基本的に黒と紅の2色で塗装されているのだが、降り立ったビゲンやグリペンたちは、純白に塗装されていた。主翼には蒼い十字架と深紅の羽根が描かれたエンブレムがある。

 

 今しがた滑走路へと降り立ったその戦闘機たちは、タンプル搭ではなくテンプル騎士団スオミ支部に所属する航空部隊だった。スオミ支部の兵力はそれほど多くはないものの、大昔から里を守るために防衛戦を続けてきた”防衛戦のプロ”のみで構成された精鋭部隊ともいえる存在であり、大昔にオルトバルカ王国騎士団を迎え撃った際は、小規模な部隊で騎士団の大部隊を壊滅寸前まで追い込んだこともあるという。

 

 オルトバルカに敗北して併合されてしまってからも、里を守るために戦いを継続しており、現在は弓矢やクロスボウではなく現代兵器で武装している。

 

 ヴリシアの戦いでも橋頭保となった図書館の防衛戦に参加しており、圧倒的な身体能力を誇る吸血鬼の部隊を何度も返り討ちにしていた。侵攻作戦の経験が殆どないという弱点があるが、スオミの里の戦士たちが最も得意とするのは防衛戦なのだ。

 

 着陸した純白のグリペンのキャノピーが開き、中から純白のパイロットスーツ姿の男性が姿を現す。タラップを使わずにそのままコクピットから飛び降りたパイロットは、ヘルメットと酸素マスクを自分の頭から取り外すと、彼らを出迎えるために飛行場へと足を踏み入れた俺たちに向かって手を振り始めた。

 

「おーい、コルッカー!」

 

「久しぶりだな、ニパ! もう墜落してないだろうな!?」

 

「バカ野郎! こんな最高の戦闘機を台無しにしてたまるか!」

 

 あ、相変わらずニパは元気だな…………。

 

 ニパはスオミ支部に所属するエースパイロットの1人だ。テンプル騎士団に加入する前は飛竜に乗って戦っていたらしいんだが、自分の飛竜が風邪をひいてしまったせいで出撃できなくなった上に、今度はその飛竜から風邪をうつされて出撃できなくなった経験があるため、仲間たちからは『ついてないカタヤイネン』とも呼ばれている。

 

 けれども戦闘機やヘリの操縦は非常に巧く、スオミの里の防衛戦では相棒のイッルと共に、里へと攻め込んでくるドラゴンを片っ端から撃墜しているという。

 

 彼らの里を訪れてからは、俺は名前ではなく”コルッカ”という愛称で呼ばれている。どうやら古代スオミ語で”狙い撃つ者”という意味があるらしく、優秀な射手の称号らしい。

 

「やあ、コルッカ。元気だった?」

 

「ああ。イッル、そっちは?」

 

「こっちも元気だよ。最近は模擬戦ばかりで退屈だったんだ」

 

 もう1機のグリペンから、ちゃんとタラップを使って降りてきた紳士的なもう1人のパイロットは、ニパの相棒であり、スオミの里のエースパイロットでもあるエイノ・イルマリ・ユーティライネン。飛竜に乗っていた頃から一度も敵の攻撃を喰らった経験がないらしく、仲間たちからは『無傷の撃墜王』と呼ばれている。

 

 もちろんグリペンに乗ってからも一度も被弾したことがないらしく、模擬戦でも敗北した経験はないらしい。

 

「それにしても凄い滑走路だよね、ここ」

 

「悪いな。地上に作るとぶっ壊れちまうからさ。着陸は大丈夫だった?」

 

「うん。多分すぐに慣れると思う」

 

 すげえな。

 

「それで、また相手は吸血鬼らしいな?」

 

「ああ。悪いが、またみんなの力を貸してほしい」

 

 スオミの里のエースパイロットを2人も呼んだのは、もちろん吸血鬼たちが計画している春季攻勢からタンプル搭を守るためである。すでにタンプル砲の攻撃によって損害を被る羽目になった吸血鬼たちは、おそらく部隊の再編成を行っている頃だろう。さすがに攻勢を頓挫させることはできなかったが、攻勢を開始する時期を延期させることには成功した筈だ。

 

 だからその隙に、こっちは守備隊の増強や軍拡を行うことにした。とはいえタンプル搭守備隊の中にはヴリシア侵攻の際に”留守番”をしていた団員が多く、練度も未だに低い状態だ。中には防衛戦どころか実戦すら経験したことがない兵士もいる。

 

 規模ではこっちが上だろうが、はっきり言って烏合の衆としか言いようがない。ヴリシアの戦いから生還した兵士たちですら、モリガン・カンパニーの兵士たちから見れば中堅レベルでしかないのだから。

 

 そこで、防衛戦を最も得意とするスオミ支部に協力してもらうことにした。

 

 ヴリシアの戦いで吸血鬼たちが敗北した原因の1つは、序盤で制空権を奪われてしまったことだ。そのため次の春季攻勢では、制空権を確保するために空軍を増強している可能性が大きい。

 

 そのため、長老から許可をもらい、エースパイロットを2人も派遣してもらったのである。

 

 スオミの里に配備されている戦闘機は、ビゲン10機とグリペン4機。そのうち2機ずつは訓練用となっており、高性能なグリペンはこの2人のエースパイロットの専用機となっている。

 

 もちろん、この2人以外のパイロットたちも優秀なパイロットばかりだ。おそらくタンプル搭のパイロットたちよりも練度は上だろう。アーサー隊と戦ったらどっちが勝つのだろうか。

 

「よう、コルッカ!」

 

「お、アールネ。久しぶり」

 

 エースパイロット同士が戦っている姿を想像しながらグリペンを見つめていると、大型の輸送機が着陸した輸送機用の滑走路の方からでっかい声が聞こえてきた。

 

 こっちへと歩きながら手を振っている大柄なハイエルフの男性は、スオミの里の戦士たちのリーダーでもある『アールネ・ユーティライネン』。彼はパイロットではないが、華奢な者が多いと言われているハイエルフの中では、ハーフエルフやオークなのではないかと思ってしまうほど屈強な身体を持つ男だ。

 

 他の戦士たちが「アサルトライフルのフルオート射撃の反動に耐えられない」と言ってモシン・ナガンを使っていたにも関わらず、1人だけ対戦車ライフルを平然とぶっ放していたほどで、数週間前の魔物から里を守った戦いでは、素手でゴブリンを殴り殺したり、首の骨をへし折っていたという。

 

 もちろん彼にも防衛戦に協力してもらう予定である。

 

「また相手は吸血鬼だ。頼んだぞ」

 

「任せろ。絶対食い止めてやる」

 

 やっぱり頼もしいな、スオミの戦士たちは。

 

「攻勢までまだ時間がある筈だ。それまでは、申し訳ないが兵士たちに戦術の指導を頼む」

 

「おう、任せろ。全員立派な兵士にしてやる」

 

 そういえば、スオミの里の訓練ってかなり厳しいらしいんだよね。つい最近入団したばかりの新兵たちは大丈夫だろうか。

 

 願書を持って執務室まで来てくれた新兵たちが筋トレで弱音を吐く姿を想像しながら、俺は苦笑いしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忌々しいキメラ共の先制攻撃から、3週間が経過した。

 

 あの先制攻撃で春季攻勢前に損害を被る羽目になってしまったものの、幸い艦隊の方は無事だったし、今回の作戦の”切り札”ともいえる突撃歩兵に死傷者はなし。投入予定だった歩兵の2割を失う羽目になってしまったが、母上は春季攻勢は実行可能と判断した。

 

 そしてついに――――――――進軍が始まる。

 

「同胞の諸君。ついに我らは、カルガニスタンへと進軍する」

 

 半壊してしまった屋敷の前に集合した兵士たちに、俺は語りかけた。オリーブグリーンの軍服とヘルメットを身につけた兵士たちの大半は、あのヴリシアの戦いから敗走する羽目になった敗残兵。あの戦いでは負けてしまったものの、練度は非常に高いと言える。

 

「攻撃目標はテンプル騎士団本部。三大勢力の中では最も規模が小さいとはいえ、奴らの戦力は我々の5倍か6倍だと思われる。…………だが、奴らの中にベテランの兵士は殆どいない。練度では我らが上回っている」

 

 攻勢の目的は、奴らから天秤の鍵を奪って父上を復活させること。そしてテンプル騎士団を壊滅させ、ヴリシアで散っていった仲間たちを弔うこと。

 

 そのために俺たちは、今まで仲間を助けながら訓練を続けてきたのだ。

 

 今回の攻勢には、ヴリシア委投入予定だったマウスやラーテも投入するが、最前線での切り札はその超重戦車たちではなく、PDWで武装した身軽な突撃歩兵だろう。

 

「我らには突撃歩兵がいる。それに、厳しい訓練を続けてきた屈強な兵士たちがいる。我々から数多くの同胞を奪った奴らの防衛戦を、銃弾で食い破ってやろうではないか」

 

 確かに、タンプル搭の周囲には無数の前哨基地や要塞があるし、塹壕もある。守備隊の規模も多いかもしれない。

 

 だが、突撃歩兵たちがいればその防衛戦も容易く無力化できる。

 

 戦闘が泥沼化する前に橋頭保を確保し、そこから一気にタンプル搭へと進軍しなければならない。不利なのは我々だが、今度こそ我々が勝てるはずだ。

 

 片手に持っていたボロボロのシルクハットをかぶり、息を吐く。

 

 風穴が開いているこのシルクハットは、ヴリシアで戦死したヴィクトルがかぶっていたものだ。この攻勢で、あいつの仇も取らなければならない。

 

 仲間たちの仇を取り、天秤の鍵を奪い返す。そして父上を復活させ、再び我らがこの世界を支配するのだ。

 

 だからこの戦いには、絶対に勝利しなければならない。これで敗北すれば、我々は壊滅する羽目になるのだから。

 

「これより、『春季攻勢(カイザーシュラハト)』を開始する』

 

 

 

 

 

 第十五章 完

 

 第十六章『カイザーシュラハト』に続く

 

 



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第16章 カイザーシュラハト
正直な攻め方


 

 まるで剣で斬りつけられた古傷のように、砂漠の真っ只中に巨大な河が伸びている。

 

 最終的にウィルバー海峡へと流れ込む広大な河は、その中間にある巨大な岩山の地下を通って下流へと流れていく。非常にゆっくりと流れている上に広いからなのか、海へと流れ込む広大な河ではなく、削り取られた場所に海水が流れ込んでいるようにも見えるだろう。

 

 しかし、この河の上流は、下流とは全く違う。

 

 下流は超弩級戦艦が数隻並んで航行し、潜水艦が潜航したまま進めるほどの広さと水深がある。しかし中間にある岩山から上流へと近づくにつれて、河の幅はどんどん狭くなっていき、水深も徐々に浅くなっていく上に、流れも激しくなっていく。

 

 その上流に、巨大な”壁”があった。

 

 純白の城壁にも思える壁の表面には巨大な穴が穿たれていて、一時的に塞き止められていた水がその穴から溢れ出し、人工的な滝を形成している。その城壁の上には武装を搭載した装甲車や、ボディアーマーを身につけてアサルトライフルを手にした兵士たちが駐留しており、城壁の両端には連装型の巨大な要塞砲が鎮座している。

 

 まるで武装を近代化した白の城壁が、水を吐き出しているようだ。城壁にはテンプル騎士団のエンブレムが描かれており、駐留している装甲車の側面や兵士たちの黒い制服の肩にも、同じエンブレムが刻まれている。

 

 そこは、テンプル騎士団が保有する『ラルシュラム・ダム』と呼ばれるダムだ。下流にあるタンプル搭の軍港を守るために建設された巨大なダムであり、このダムの周囲にある岩山には要塞砲や、戦車がずらりと並ぶ格納庫がこれでもかというほど配備されている。

 

 周辺にはレーダーサイトや対空用のミサイルがびっしりと配備されており、もし敵が航空機でダムを空爆しようとしても、すぐに戦闘機を出撃させて迎え撃ち、対空用の兵器で迎撃できるようになっていた。

 

 ここがもし破壊されれば、それだけでタンプル搭の海軍は機能しなくなってしまう。軍港の浸水を防ぐための水門はいくつも用意されているが、最終的には軍港へと流れていく水を堰き止めることになるため、水門を閉鎖したとしても海軍は機能しなくなる。

 

 それゆえに、タンプル搭の周囲にある要塞の中でも、このラルシュラム・ダムは最も守備隊の数が多い。

 

 その守備隊に加わるのは――――――――大昔からスオミの里を侵略者たちから守り抜いてきた、里の戦士たちだ。

 

「すげえ…………スオミのハイエルフって、本当に肌が白いんだな…………」

 

「非力な奴が多いって聞いたけど、全員筋肉がすげえじゃねえか」

 

 AK-12を背負った守備隊の兵士たちが、ゲートの向こうから戦車の上にタンクデサントしながらやってきたスオミの戦士たちを見つめながら次々に呟く。彼らの故郷は極寒のシベリスブルク山脈の麓にあるからなのか、どうやら暑い砂漠には慣れていないらしく、先ほどから何度も汗を腕で拭い去っている戦士が何人もいる。

 

 テンプル騎士団の兵士たちは、様々な種族で構成されている。人間やエルフなどのあらゆる場所で目にする種族だけでなく、個体数が少なくなってしまった吸血鬼や、絶滅してしまったサキュバスまで所属している。通常の騎士団では絶対に考えられない事だが、テンプル騎士団では奴隷扱いされていることの多い他の種族と共存しているのは当たり前の光景なのだ。

 

 とはいえ、しばしばトラブルが起こることもあるが、種族の差別はテンプル騎士団では禁止されており、兵士たちも訓練の最中に徹底的な教育を受けるようになっている。

 

 しかし、スオミの里の戦士たちは大昔から里に住むハイエルフたちや、彼らの末裔で構成されている。しかも通常のハイエルフとは異なり、里のハイエルフたちは全員アルビノなのだ。それゆえに雪だらけの里ではその真っ白な頭髪や肌の色が保護色として機能する。

 

 里に配備されていたStrv.103の上に乗りながら、戦士たちのリーダーであるアールネは汗を拭い去った。夏でも関係なく雪が降る里に住んでいるのが当たり前だったため、彼らはこのような暑い場所には全く慣れていない。一般的な春の気温ですら”暑い”と感じてしまうほどである。

 

 兵士たちを上に乗せたStrv.103の群れが、ぞろぞろと戦車の格納庫へと向かっていく。格納庫の近くでは、他の兵士と比べると豪華なデザインの制服に身を包んだ司令官と思われる中年の男性が待っている事に気付いたアールネは、息を吐いてから戦車の上から飛び降りる。

 

 いきなりハイエルフの巨漢が戦車から飛び降りたことに驚いたのか、その指揮官はぎょっとしているようだった。

 

「スオミ支部所属の、アールネ・ユーティライネンです」

 

 指揮官の元へと駆け寄って敬礼をすると、ラルシュラム・ダムの指揮官も慌てて敬礼する。

 

 一般的にハイエルフは、優秀な魔術師が多いと言われている。体内にある魔力の量が多い上に、難解な魔術すら理解してしまう”才能”を持っているものが多いのだが、その反面筋力や体力などでは他の種族に大きく劣ってしまうという弱点があるとされている。

 

 この指揮官もそう思っていたのだろうとアールネは思いながら、自分よりも背の低い指揮官を見下ろした。鍛え上げられた里の戦士たちは、もう既に一般的に知られているハイエルフとは大きく異なると言っても過言ではない。

 

「司令官のマーティン准将だ。期待しているよ、スオミの諸君」

 

「ありがとうございます」

 

 結局、防衛戦を最も得意とするスオミの里の戦士たちは、吸血鬼たちが進撃してくると思われるディレントリア方面のブレスト要塞ではなく、その真逆に位置するラルシュラム・ダムへと配置されることになった。

 

 ブレスト要塞の守備隊も人数は多い。さらに、もし仮に要塞が陥落したとしてもすぐに周辺の前哨基地と連携して防衛線を展開できるようになっているため、陥落するだけで海軍が壊滅しかねないダムの方が重要だと判断されたのだ。

 

「とりあえず、指令室へ案内しよう」

 

 マーティン准将の後ろを歩きながら、じろりとダムの周辺にある要塞砲やレーダーを見渡す。確かに守備隊の数は多く、コストが高いために少数しか配備されていないチョールヌイ・オリョールもしっかりと配備されている。いたるところに警備用のカメラも設置されており、警備兵の数も多い。

 

 それだけでなく、無人型に改造されたルスキー・レノや、テンプル騎士団でもたった10両しか配備されていないシャール2Ⅽが2両も配備されているのが見える。

 

 ここに潜入するのは難しいだろう。アールネの本職は防衛戦であるため、潜入は専門外と言ってもいいのだが、この厳重な警備はどんなに優秀な暗殺者でも断念するに違いない。

 

 それゆえに、アールネは危惧していた。

 

 このマーティン准将は、「これだけ厳重に警備しているのだから、この要塞が陥落するわけがない」と慢心しているのではないかと。

 

(もしそうだとしたら、ここは陥落するだろうな)

 

 どれだけ最新の兵器と優秀な兵士が警備をしていたとしても、指揮官が油断すればたちまちその警備は機能しなくなる。

 

 どんな攻撃でも弾ける防具を身に纏っていても、その防御力を過信すればすぐに貫通されて致命傷を負う羽目になるのと同じだ。どんな戦いでも許されない事だが、特に防衛線では慢心は許されない。

 

 アールネたちも長い間里を守り続けてきたが、その最中に慢心したことなど一度もなかった。

 

 とはいえ、まだマーティン准将が慢心していると決まったわけではない。もう少し様子を見るべきだろうとアールネは判断したが、もし仮にこの男が要塞の兵力を過信して敵に追い詰められれば、すぐに自分が指揮を執るべきだろうと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が、ゆっくりと岩山の向こうへと沈んでいく。カルガニスタンの砂漠や岩山が少しずつ黒く染まっていき、最終的に黒い砂漠へと変貌してしまう。

 

 もう既に、太陽(吸血鬼の天敵)は沈んだ。

 

 日光は吸血鬼たちの弱点の1つだ。吸血鬼たちにも個人差はあるが、中には太陽の光を浴びてしまうだけで身体が消えてしまう者もいる。消えずに済む者もいるが、日光を浴びれば身体能力や再生能力は低下してしまうのだ。

 

 それゆえに吸血鬼たちは、昼間には動かない。

 

 そう思いながら、アールネはラルシュラム・ダムの応接室にある窓の向こうを眺めていた。彼の後ろではマーティン准将が立派なソファに腰を下ろし、ヴリシア帝国から取り寄せた紅茶を楽しんでいるらしく、ヴリシア産の紅茶の特徴である強烈な香りがアールネの鼻孔へと容赦なく流れ込んでいる。

 

「紅茶はいかがかな?」

 

「申し訳ありません、准将殿。今は遠慮しておきます」

 

 スオミの里では、紅茶よりもコーヒーの方が人気なのだ。

 

 しかし、アールネが断った理由はコーヒーが飲みたかったからではない。もう既に日が沈み、砂漠の砂は真っ黒に染まっている。

 

 吸血鬼たちが日光の影響を受けずに動き回れる時間帯になったからこそ、アールネは警戒しているのである。

 

 一応マーティン准将も警備を強化したと言っていたが、無人型のルスキー・レノが警備している場所に数名の歩哨を追加した程度だ。そのため、アールネは落胆しつつ独断で戦士たちに「ここを里だと思って厳重に警備せよ」と指示を出し、歩哨たちと共に警備させている。

 

(攻撃を仕掛けてくるとすれば、夜だろうな)

 

 夜ならば、吸血鬼たちを苦しめる日光がないのだから。

 

 顎鬚を指で弄ろうと思って片手を動かしたその時だった。

 

「失礼します」

 

 応接室のドアをノックする音が聞こえたかと思うと、真っ黒な制服と規格帽に身を包んだダークエルフの兵士が扉を開け、紅茶を飲んでいたマーティン准将に向かって敬礼していた。

 

「何事かね?」

 

「レーダーに航空機の反応。おそらく吸血鬼たちの航空機かと」

 

 やはり、夜に攻撃を仕掛けてきた。

 

「数は?」

 

「戦闘機と思われる反応が10機。その後方に、攻撃機と思われる反応が8機です」

 

「ふむ…………このダムを空爆するつもりか。よし、航空隊を直ちに出撃させろ。対空ミサイルの準備もさせたまえ」

 

「はい、同志准将」

 

(いや…………ただの空爆じゃないな)

 

 顎鬚を指で弄りながら、アールネはそう思っていた。

 

 彼もヴリシアで図書館を防衛した際に、吸血鬼と交戦したことがある。タクヤの話では敵はあの戦いの敗残兵が大半となっており、それ以外の兵士は新兵で構成されているという。

 

 ヴリシアで敗北した経験がある吸血鬼たちにしては、随分と”正直すぎる”攻め方だ。もっと狡猾な作戦を用意しているのではないかと思っていたアールネは、今しがたの報告に違和感を感じていた。

 

 確かにダムにミサイルや爆弾を叩き込まれれば、たちまち決壊することになるだろう。しかしこちらはタンプル搭を除けば最も兵力の多い要塞だ。ダムを破壊しようとしているとはいえ、攻め込んできた敵の数がやや少ないような気がしてしまう。

 

 数が少ない上に、正直な攻め方。

 

 春季攻勢までに兵力を集められなかった可能性もあるし、あえて正面から攻めることで不意をつく作戦なのかもしれない。しかし、これほど大量のレーダーサイトや対空兵器が配備されている要塞に、たった18機の航空機で真正面から攻撃を仕掛けるだろうか。

 

 正面から攻撃を仕掛ければ、対空ミサイルや機銃で叩き落されるのが関の山だ。ただでさえ個体数が少ない種族なのだから、貴重な同胞を捨て駒にするような真似はしないだろう。

 

「さて、私は指令室で指揮を執る。君はどうするのかね?」

 

「前線で指揮を執ります。そっちの方が性に合いますから」

 

 敬礼をしてから、アールネは応接室を後にした。

 

 ハイエルフの特徴でもある長い耳に装着していた小型無線機の電源を入れた彼は、唇を噛み締めながら廊下を歩く。

 

「お前ら、聞こえるか?」

 

『おう、兄貴か。どうした?』

 

「警備は継続だ。頭の上から戦闘機の残骸が降ってきても、そのまま警備を続けろ」

 

『了解。確かに、なんだかこの空襲は”正直すぎる”よな。もしかしたら囮かも』

 

 一緒に戦ってきた戦士たちの仮説が、自分の考察と一致していたことを知ったアールネは少しばかり安堵した。やはり、長い間里を守り抜けてきた戦士たちは、敵の攻め方をしっかりと観察している。

 

 そう、この空襲は囮である可能性がある。

 

(おそらく、こっちが航空機を相手にしている隙に要塞を地上部隊が襲撃するか、特殊部隊が潜入してダムを爆破するつもりなんだろうな)

 

 もし空襲でダムを破壊するつもりならば、接近している兵力を倍にするべきだろう。

 

「侵入してきた馬鹿がいたら、銀の7.62mm弾で出迎えてやれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどな、最初はダムか…………」

 

「はい、同志団長」

 

 タンプル搭の地下にある中央指令室のモニターに、ラルシュラム・ダムの周辺の地図が映し出される。フィオナ機関を内蔵した機械によって映し出される映像の中に、敵の戦闘機を意味する真っ赤な点がいくつか表示されたかと思うと、その点はディレントリア方面からまずウィルバー海峡方面へと進み、タンプル搭どころかカルガニスタンを迂回してダムへと向かった。

 

「おそらく、空中給油を受けながら移動したのでしょう。ダムからの報告では、数は18機のみとのことです」

 

「たった18機? …………少ないな」

 

 ダムの位置を突き止めていたという事は、そこはタンプル搭以外の拠点でも最も守備隊の規模が大きい要塞だという事も知っている筈だ。ダムを破壊するのであれば、もっと大規模な航空部隊を派遣する筈である。

 

 しかも吸血鬼たちは、タンプル砲による先制攻撃で既に大損害を出している。ただでさえ兵力の規模が小さいのだから、貴重な仲間たちに無茶な攻撃を命じて捨て駒にするわけがない。

 

「もう既に、航空部隊が出撃して戦闘状態に突入したとのことです」

 

「…………」

 

 この春季攻勢の指揮を執っているのは、十中八九ブラドだろう。

 

 あいつは非常に狡猾な男だ。こんな”正直な攻め方”をするような男ではない。

 

「同志、いかがいたしましょう。増援を派遣しますか?」

 

「いや、その必要はない。要塞のマーティン准将に、敵の地上部隊にも警戒せよと伝えてくれ」

 

「地上部隊? 敵は空から攻めてきているのですよ?」

 

 ああ、確かにそうだ。

 

 だが、航空部隊の数が少なすぎる。しかも狡猾な戦い方をするブラドにしては、攻撃の方法が随分と”正直すぎる”のだ。たった18機で警備が厳重な要塞を攻撃するわけがない。

 

 おそらくこの航空部隊は囮だろう。要塞の部隊が航空部隊を迎撃している隙に、特殊部隊が潜入してダムを爆破するつもりなのかもしれない。

 

 あのダムの周囲は岩山になっている。隠れる場所はたっぷりとあるのだから。

 

「あれは囮の可能性がある。アールネにも連絡するんだ」

 

「了解(ダー)、同志」

 

 きっと、アールネは気付いているだろうな。

 

 スオミの戦士たちは、大昔から里を守り抜いてきた精鋭部隊なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 スオミの里の指揮系統

 

アールネ「なんだかタンプル搭の指揮系統って複雑だなぁ…………」

 

タクヤ「里はどんな感じなんだ?」

 

アールネ「長老が最高司令官。それで、前線の指揮官が俺」

 

兵士一同(シンプル過ぎじゃないか…………!?)

 

 完

 

 



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狙撃手と吸血鬼の任務

 

 夜空で、深紅の光が煌く。

 

 星と三日月の明かりが支配する夜空へと乱入し、星や月の明かりを隠した上に轟音を響かせて立ち去っていく乱暴者たちの正体は、夜空で激突する鋼鉄の飛竜の群れであった。鱗の代わりに装甲で覆われた胴体と、金属で形成された大きな翼の下にミサイルをぶら下げ、ブレスの代わりに機関砲の砲弾を凄まじい連射速度で吐き出す、発達した科学力が生み出した機械の飛竜たちである。

 

 10機のユーロファイター・タイフーンに守られたA-10の群れと、ラルシュラム・ダムの飛行場から大慌てで飛び立ったSu-27やSu-35の群れの死闘。荒々しい咆哮の代わりにエンジンの音を響かせながら旋回した機体が、機首に搭載された機関砲を吐き出してユーロファイター・タイフーンのデルタ翼を粉砕する。翼の残骸を巻き散らしてバランスを崩した機体からSu-35が即座に離れていくが、仲間の仇を取るために忍び寄っていたもう1機のユーロファイター・タイフーンが吐き出したリボルバーカノンの砲弾が、Su-35のコクピットを正確に食い破った。

 

 パイロットもろともコクピットをズタズタにされたSu-35が、残骸とミンチが詰まったコクピットから微かに黒煙と破片を巻き散らしながら、岩山へと墜落していく。

 

「もう少し頑張ってくれよ…………」

 

 頭上で死闘を繰り広げる航空部隊を見守りながら、真っ黒なボディアーマーに身を包んだ兵士たちのうちの1人が呟く。彼の周囲ではサプレッサー付きのMP5Kを装備した同じ格好の兵士たちが、メインアームやサイドアームの点検をしたり、作戦開始前に深呼吸を繰り返し、もう一度自分たちの任務を再確認しているところだった。

 

 いくら優秀なパイロットばかりが乗っている戦闘機や攻撃機とはいえ、たった18機で敵の拠点のうちの1つを攻撃するのは正気の沙汰ではない。ラルシュラム・ダムはテンプル騎士団が保有する拠点の中では最も重要な拠点であり、ここが壊滅すれば彼らの海軍は機能しなくなるからだ。

 

 それゆえに、やり過ぎとしか言いようがないほど防衛用のレーダーや対空兵器を配備し、兵士を何人も駐留させている。”第二の本拠地”と言っても過言ではないほどの規模の守備隊と真っ向から戦う羽目になれば、いくら吸血鬼でもたちまち射殺されてしまうだろう。

 

 今から彼らは、その”第二の本拠地”の真っ只中へと飛び込まなければならない。

 

「よし。”リントヴルム隊”、これより敵基地へ侵入する」

 

 目の前に鎮座する岩山の表面を見上げていた隊長がそう言った瞬間、武器の確認をしていた兵士たちが、一斉にセレクターレバーをセミオートに切り替えた。

 

 ラルシュラム・ダムの周囲は、まるで城壁を思わせる巨大な岩山に囲まれている。とはいえ、タンプル搭の周囲に屹立する巨大なバウムクーヘンのような防壁ではなく、ただの岩山がいくつか連なっているだけである。

 

 ダムへと侵入するためには、この岩山を登っていくか、正面にあるゲートから侵入しなければならない。しかし、巡洋艦や駆逐艦の主砲に匹敵する口径の要塞砲が用意されているゲートから突撃すれば、いくら吸血鬼とはいえ瞬く間に要塞砲の砲撃で木っ端微塵にされるか、出撃してきた兵士たちに蜂の巣にされるのが関の山だろう。いくら航空部隊がやられる前に作戦を開始しなければならないとはいえ、真正面からの突入は愚の骨頂である。

 

 ミサイルが直撃したA-10が、ふらつきながらダムへと向かって飛翔する。しかしすぐに頭上から襲い掛かってきたSu-27にコクピットを撃ち抜かれ、そのまま墜落していった。

 

 隊長は唇を噛み締め、目の前の岩山へと手を伸ばす。突き出ている部分をしっかりと片手で掴み、表面を足で踏みつけながら岩山を登り始めた隊長は、後方で周囲を警戒している部下たちに合図を送ると、先ほどよりも速度を上げて岩山を登り始めた。

 

(急がなければ、航空部隊がやられてしまう)

 

 航空部隊のパイロットたちは、ヴリシアの戦いで生き延びた精鋭部隊である。練度ではテンプル騎士団の航空隊に勝っているとはいえ、規模では劣っているとしか言いようがない。

 

 たった18機の航空機を撃墜するために、テンプル騎士団は無数の対空ミサイルや機関砲を使っている上に、航空機を20機以上も出撃させているのだ。いくら航空部隊のパイロットたちが死闘から生還した猛者たちとはいえ、数の多い航空部隊と対空砲火を同時に相手にすれば瞬く間に壊滅してしまうだろう。

 

 その前にこの岩山を登り切り、ダムを破壊する必要がある。

 

 彼らの目的は、敵部隊が堂々と攻め込んできた航空部隊の相手をしている間にダムへと潜入し、C4爆弾を仕掛けて破壊することだ。ダムを破壊してしまえば、タンプル搭の海軍はウィルバー海峡方面へと出撃することができなくなり、吸血鬼たちの艦隊を迎え撃つことができなくなる。

 

 そうすれば彼らは一方的に艦砲射撃を行えるうえに、テンプル騎士団艦隊の空母や戦艦を相手にしなくていいのである。

 

 この任務のために派遣されたのは、たった7名の隊員たちのみ。作戦開始の三週間前にディレントリア公国を出発し、レーダーで感知されないように馬車を使ってダム側へと回り込み、装備を秘匿しつつ春季攻勢開始まで待機していたのだ。そのためテンプル騎士団側にももう既に彼らが待機しているという情報は知られていない。

 

 中には航空機による正直な襲撃を囮だと見破る者もいるだろう。しかし、その航空部隊を囮にして、7名の特殊部隊が岩山を登って攻めてくると予測する者がいるとは考えられない。

 

 普通の人間では登れないような岩山だが、吸血鬼の筋力と体力があれば、何度もマラソンに参加した経験のあるランナーが軽くランニングをする程度の存在でしかない。普通の人間では不可能なほどの速さで岩山を登り続ける彼らは2分足らずで城壁のような岩山を登り終えると、味方の航空機へと対空砲火を放ち続ける要塞を睨みつけながら、同じように素早く岩山を滑り降りていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、やっぱりいたわ…………」

 

 スナイパーライフルのスコープを覗き込みながらそう呟いたのは、純白の肌と頭髪が特徴的な、アルビノのハイエルフの男性である。スオミの里から持ってきたサルミアッキを口へと運びながら、スコープのレティクルを岩山を滑り降りていく黒服の兵士へと合わせた瞬間、まるで鮮血のように紅い目がどんどん鋭くなっていく。

 

 それが、彼らが標的を葬る時の目つきであった。

 

 彼らの持つ得物と、それを手にする射手が戦闘態勢に入った証である。

 

 口の中のサルミアッキを噛み砕き、息を吐きながら無線機のスイッチを入れる。見張り台の上でフィンランド製スナイパーライフルの『TRG-41』を標的へと向ける狙撃手の頭上では、ユーロファイター・タイフーンに回り込まれたSu-27が、リボルバーカノンで蜂の巣にされて墜落していくところだった。

 

「兄貴ー、やっぱり航空部隊(あれ)は囮だったわ。岩山の向こうから怪しい奴らが侵入」

 

『人数は?』

 

「7人。素人じゃねえな」

 

『…………なるほどな』

 

「どうする? もう潰す?」

 

『いや、いつも通りにやれ』

 

「はははっ、容赦ないねぇ」

 

 容器の中からもう1つサルミアッキをつまみ上げ、そのまま口へと運ぶ。再び強引に噛み砕いて飲み込んでから、狙撃手は息を吐いて照準を侵入者の頭に合わせる。

 

 今すぐトリガーを引けば、彼のライフルに装填されている銀の.338ラプア・マグナム弾が確実に吸血鬼の頭蓋骨を貫くだろう。身体能力が高い上に再生能力も身につけている吸血鬼は驚異的な戦闘力を誇るが、防御力そのものは普通の人間と変わらない。

 

 ナイフが刺されば皮膚には穴が開き、肉は切り裂かれるのだ。それゆえに銀の弾丸が命中すれば、常人と同じ運命を辿ることになる。

 

 しかし狙撃手は、まだトリガーを引かない。まるでダムへと向かう彼らを見張り台から見守っているかのように、スコープのレティクルを戦闘の隊長らしき兵士の頭に合わせたまま、サプレッサー付きのSMG(サブマシンガン)で周囲を警戒しながら素早く進んでいく兵士たちを睨みつける。

 

 スオミの里の防衛戦では、戦士たちは攻め込んできた敵を必ず殲滅している。

 

 迂闊に逃がせば里の守備隊がどれほどの規模なのかを知られてしまうためだ。そのため、里に攻め込んできた敵は絶対に殲滅するのが当たり前となっている。

 

 その際に、彼らは敵を逃がさないように攻撃する。

 

 攻め込んできた敵が少数であると判断できれば、即座に攻撃を仕掛けず、更に意図的に敵を防衛ラインの奥へと迎え入れる。そして敵が退路から十分に離れた瞬間に退路を塞ぎ、入り込んできた敵を包囲して殲滅するのだ。

 

 そうすることで、敵は逃げられなくなる。いたるところから飛んでくる矢や弾丸に貫かれ、スオミの里の周囲に広がるシベリスブルク平原で氷漬けになるしかない。

 

 それがスオミの戦士たちの”いつも通り”の戦い方である。

 

 見張り台の狙撃手以外にも、2名のスオミの狙撃手が照準を合わせているところだった。しかし敵の特殊部隊の侵入に気付いているのはスオミ支部の兵士たちだけで、このダムを守る筈の守備隊の兵士たちは、頭上でドッグファイトを繰り広げる戦闘機の支援に夢中になっていた。

 

 タクヤ(コルッカ)がスオミの戦士たちをここに配置したのは正解だなと思いつつ、狙撃手たちは敵兵が物陰に隠れて立ち止まるのを待ち――――――――ついに、弾丸を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何の変哲もなく、先頭を進んでいた隊長の頭がぐらりと揺れる。

 

 すぐ後ろを進んでいた部下の顔に暖かい液体が降りかかり、すぐ近くの壁から何かが跳弾するような音が聞こえてきた直後、彼らが何度も耳にしてきた轟音が鼓膜の中へと飛び込んできた。

 

 ヴリシアの戦いや、この春季攻勢が始まるまでひたすら訓練をしていた最中にも耳にした轟音。薬室に装填された弾丸が、解き放たれる際に発する絶叫。

 

「狙撃手(スナイパー)だ!」

 

 後ろにいた仲間が叫んで体勢を低くするよりも先に、ダムへと侵入した全ての兵士たちは隊長が狙撃されたことを理解していた。後続の兵士たちは崩れ落ちた隊長の死体から離れ、すぐに遮蔽物の影へと飛び込もうとするが、続けざまに飛来したもう1発の銀の弾丸が飛び込む直前の兵士のこめかみに喰らい付いたかと思うと、そのまま頭蓋骨と脳味噌を貫通し、小さなピンク色の肉片を纏ったまま反対側から飛び出していく。

 

 銀の弾丸に脳味噌をぐちゃぐちゃにされる羽目になった兵士は、遮蔽物の影から黒い服に包まれた下半身を晒したまま、動かなくなった。

 

(銀の弾丸…………ッ!)

 

 隊長と仲間が再生する様子はない。辛うじて遮蔽物の陰へと隠れた兵士たちは、その弾丸が銀でできたものであるか、弾丸に聖水を塗った代物であることを理解した。

 

 5.56mm弾が被弾した程度では死なないほど屈強な身体を持つハーフエルフや、弾丸どころか砲弾まで弾いてしまうほど堅牢な外殻を瞬時に展開できるキメラとは違い、吸血鬼の防御力は一般的な人間と殆ど変わらない。彼らが恐れられている理由は、人間を遥かに上回る身体能力と、弱点で攻撃されない限り再生できる驚異的な再生能力である。

 

 そのため、弱点で攻撃されれば普通の人間と同じ運命を辿ることになるのだ。

 

「くそ、どこから撃たれてる…………?」

 

「拙いぞ………これではダムの爆破は不可能だ」

 

 残った隊員の数は5人。サプレッサー付きのMP5Kとサイドアームだけで、タンプル搭以外の要塞では最も大規模な守備隊が駐留する要塞のダムを破壊するのは不可能である。

 

 顔に付着した隊長の鮮血と肉片を拭い去り、ちらりと遮蔽物の向こうを確認する。見張り台の上にはスナイパーライフルを構えた兵士がいるようだが、2人目の兵士がこめかみを撃ち抜かれた際は別の方向からも飛来していた事を思い出し、彼は瞬時に複数の狙撃手がいると判断する。

 

 位置を捕捉されたことを察したのか、見張り台の上の兵士は素早くスナイパーライフルを背負うと、見張り台の上から一気に飛び降りて走り出した。姿勢を低くしながら樽の陰に隠れ、そのまま格納庫の影へと逃げ込んでいく。

 

「何人いる?」

 

「分からんが、多分3人か4人はいる。気付いてるのはそいつらだけだが…………すぐに他の守備隊も気づくだろうな」

 

「どうする? 撤退するか?」

 

 普通であれば、ここで撤退するべきである。岩山を登っている最中に狙撃される危険性はあるものの、このまま要塞の中に留まって蜂の巣にされるよりも、ダムの爆破を断念して全力で岩山を再び上って要塞の外へと脱出するべきだ。

 

 しかし、彼らの引き受けた任務は、仮に失敗した場合でも仲間たちの役には立つ。

 

「―――――――いや、もう少し踏ん張ろう」

 

「了解(ヤヴォール)。本隊とブラド様に期待しようぜ」

 

 彼らの引き受けた任務が”普通の任務”であれば、この判断は愚かとしか言いようがない。

 

 だが、このダムを襲撃するという任務の目的は、ダムを破壊することで艦隊を無力化するだけではない。無数の地上部隊と虎の子の”突撃歩兵”で構成された本隊を支援するという意味もあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレスト要塞は、ディレントリア公国との国境の近くに建築されたテンプル騎士団の要塞の1つである。建築途中に魔物の襲撃を受けるという事件があったものの、今では防壁や要塞砲の準備も完了し、レーダーも稼働して接近する敵の索敵を行っている。

 

 海軍を守るためのラルシュラム・ダムのような大規模な守備隊が駐留しているわけではないが、要塞の周囲に建造された防壁の上にはずらりと要塞砲が並んでおり、防壁の中に用意された格納庫の中では、テンプル騎士団で運用されている戦闘機たちが整備兵たちの整備を受けている。

 

 当初はタンプル搭と同じく36cm要塞砲を3門配備する予定となっていたのだが、設備の破損を防ぐために飛行場まで地下に建設し、着陸の際の難易度が上がってしまったタンプル搭の二の舞とならないように、36cm要塞砲は配備せず、飛行場は円形の防壁の中に用意されている。

 

 格納庫などの設備も地上にあるが、地下にもタンプル搭と同様に中央指令室や兵舎が用意されている。地下にある設備の大半はタンプル搭と同じ構造になっており、タンプル搭に所属していた兵士がブレスト要塞に移動することになっても、内部で迷うことはないほどそっくりだという。

 

 そのブレスト要塞の周囲には、塹壕が用意されていた。

 

 吸血鬼たちの春季攻勢を退けるため、円卓の騎士たちの命令によって掘られた塹壕の中には、もう既に迫撃砲や重機関銃などが配備されており、守備隊の一部の兵士たちが交代で塹壕の中で警備をしていた。

 

「おい、聞いたか? ダムが襲撃を受けたらしいぞ」

 

 砂を含んだ冷たい風が流れ込んでくる塹壕の中で、ウシャンカをかぶった兵士の1人が重機関銃の近くで双眼鏡を覗いていた兵士に声をかける。

 

 要塞の中で休憩している兵士たちは、今頃支給される紅茶とお菓子を楽しみながらトランプをしている筈だ。ディレントリア方面から攻め込んでくる吸血鬼たちを迎撃するために塹壕の中に入っている兵士たちは、もちろんトランプを楽しんでいる暇はない。重機関銃の射手を担当する者は頼りになる機関銃を何度もチェックしながら照準器の向こうを睨みつけ、アサルトライフルを持つ兵士たちは装備の点検をしながら、冷たくなった風の中で休憩中の兵士たちと後退する時間になるのを待ち続ける。

 

 このまま敵が攻め込んでこなければいつも通りだと思った兵士が、支給された暖かい紅茶を口に含もうとした瞬間に、近くの重機関銃の射手と弾薬の入った箱を持ってきた兵士が雑談を始めた。

 

「マジかよ。あそこがぶっ壊されたら大洪水だぞ? 大丈夫なのか?」

 

「ああ、スオミ支部の奴らもいるし、あそこにはシャール2Cとかいうでっかい戦車が2両も配備されてる。ブレストは1両だけなのにさ」

 

「向こうは重要な拠点だからな。仕方ないだろ」

 

「まあな」

 

 ラルシュラム・ダムが破壊されれば、テンプル騎士団の海軍は機能しなくなる。そのためダムの守備隊は、他の拠点よりもはるかに規模が大きい上に、最新型の装備が最優先で支給されているのだ。

 

 噂話を聞いていた兵士は、溜息をつきながら塹壕の中に座り込み、制服の内ポケットに入っていた一枚の写真を取り出す。白黒の写真に写っているのは、まだ幼い少女を抱き抱えている耳の長い女性だった。テンプル騎士団の兵士たちによって解放されてから生まれた愛娘の顔を見つめ、彼はもう一度息を吐いてから写真を内ポケットに戻す。

 

 ブレスト要塞は真っ先に吸血鬼の襲撃を受けるため、居住区に住んでいる民間人はもう既に安全なタンプル搭へと避難していた。そのため、彼の妻と愛娘もタンプル搭で保護されている。

 

 真っ先に襲撃を受けたのはブレストではなくダムだったが、吸血鬼たちが潜伏しているディレントリアに最も近い以上、ブレストが狙われる可能性は高い。

 

 ずっと機関銃の傍らにいる兵士に「代わろうか?」と声をかけようとしたその兵士は、唐突に奇妙な音が聞こえ始めたことに気付き、塹壕の中で立ち止まった。

 

 兵士たちが雑談している声ではない。少なくともその音は、人類が発する”声”などではなかった。魔物やドラゴンが発する唸り声でもない。

 

 残響を引き連れたその音が鼓膜へと流れ込んでくるにつれて、彼だけでなく他の兵士たちも違和感を感じ始めた。機関銃の近くにいた兵士もその音が聞こえるようになったらしく、ちらりと仲間の顔を見てから首を傾げる。

 

 その直後、機関銃の点検をしていた兵士のすぐ目の前に――――――――どすん、と巨大な鉄塊が叩きつけられた。

 

 舞い上がった砂を顔面にぶちまけられる羽目になった兵士が、悲鳴を上げながら機関銃から離れる。どうやら負傷したわけではない。

 

「うわ、何だ!?」

 

「何だこれ…………? ほ、砲だ――――――――」

 

 その時だった。

 

 かちん、とその鉄塊が金属音を奏でたかと思うと、胴体の部分を覆っていた鋼鉄の外殻が剥がれ落ち―――――――塹壕のすぐ近くに着弾した砲弾の内部から、”黄色い煙”が噴き出したのである。

 

 

 

 



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突撃歩兵

 

 どすん、と何かが着弾したような大きな音は、塹壕の中へと響き渡っていた。近くにいる仲間と雑談したり、仮眠をとっている最中だった兵士の鼓膜にも容赦なく流れ込んだその音のせいで、塹壕の中に入っていた全ての兵士がはっとしながら武器を拾い上げる。

 

 雑談を止めて傍らのAK-12を拾い上げた兵士は、重機関銃の射手に目配せをしてから、今しがた何かが着弾したような音が聞こえてきた方向へと向かう。板が敷かれた塹壕の床の上を駆け抜け、慌てて戦闘態勢に入る仲間たちを躱しながら進んでいく。

 

 もし爆音まで聞こえていたら、仲間たちはもっと慌てふためいていただろう。戦闘態勢に入ろうとしている割には動きが遅いのは、「あの音は敵の襲撃ではないのかもしれない」と考えているからに違いない。だから全力で塹壕の中を突っ走っても、起き上がりながらAK-12を構えようとする仲間を躱すのは容易かった。

 

 確認に向かうその若い兵士も、もしかしたらこれは敵襲ではないかもしれないと期待していた。先ほどの音は寝ぼけた間抜けが、間違って重機関銃を床に落としてしまった音だったのかもしれない。階級が自分よりも下だったら、咎めるだけで終わる。

 

 だが――――――段々とその音の発生源に近づいていくにつれて、彼は間抜けな兵士が重機関銃を落としたわけではないという事を理解する羽目になる。

 

(…………ッ!?)

 

 発生源の方向から流れ込んでくる異臭と、冷たい風の向こうで膨張し、塹壕の中へと流れ込んでくる黄色い煙。そしてその煙の中から、呻き声にも似た奇妙な声を発しつつ、数名の兵士たちがふらつきながらこちらへとやって来るのが見える。

 

 慌てて銃を下ろし、「大丈夫か!?」と大声を上げながら駆け寄ろうとする。だが、塹壕の壁にぶら下げられていた小さなランタンが風で揺れ、一瞬だけその兵士たちの顔を照らし出した瞬間、彼は大慌てで立ち止まりながら目を見開いた。

 

 黄色い煙の中からふらつきながら姿を現した兵士たちは、顔の皮膚の一部が剥がれ落ちたかのようになくなっており、鮮血で湿った肉が剥き出しになっていたのだから。

 

「ひぃッ…………!?」

 

「ガ………ア……ァァ………」

 

「た、助…………け………」

 

 まるで、ゾンビのような顔だった。身体中の肉が腐り、周囲に悪臭と無数のハエを引き連れた人間にそっくりな魔物を思わせる姿に成り果てた仲間たち。よくみると、自分と同じデザインの制服の袖の中から伸びる手の皮膚も同じように剥がれ落ちており、肉が剥き出しになっているのが分かる。

 

 しかも、煙の向こうからは苦しそうな声や絶叫が聞こえてくる。若い兵士が泣き叫ぶ声や、熟練の兵士が激痛に耐えるために発する呻き声。まるで首を絞められているかのような声まで聞こえてきた瞬間、彼は煙の中から姿を現した仲間と、その仲間を再び飲み込もうとしている黄色い煙から逃げ出していた。

 

 いつの間にか額を覆っていた冷や汗を、ぶるぶると震える手で拭い去りながら引き返していく。

 

「おい、どうした!?」

 

「にっ、逃げろ!! 黄色い煙が…………!」

 

「は? 黄色い煙…………?」

 

「早くしろ! あれに触れたら、皮膚が―――――――」

 

 何が起こったのかを知らない仲間に、彼は今しがた目にしてしまった仲間の恐ろしい姿を報告しようとしたのだが―――――――どすん、とまたしても何かが落下してきたような音がすぐ近くから聞こえてきた瞬間、彼はぞっとしながら後ろを振り返った。

 

 先ほど突っ走ってきた塹壕の通路の中に、いつの間にか金属の短い筒が生えているのが分かる。筋肉だらけの巨漢の腕にも似た太さの筒を覆っていたカバーが、かちん、と金属音を奏でながら外れたかと思うと、その中に溜め込んでいた代物をゆっくりと解き放ち始める。

 

 落下してきた砲弾の中から姿を現したのは――――――――仲間を恐ろしい姿に変えてしまった、あの黄色い煙であった。

 

「―――――逃げろぉッ!! 敵の毒ガス攻撃だッ!!」

 

「ッ!?」

 

 大慌てで走りながら、ちらりと後ろを振り向く。一緒に逃げ出した兵士の顔が見えたが、そのさらに後ろでは、逃げ遅れた若い兵士が砲弾の中から生れ落ちた毒ガスに呑み込まれ、顔と喉を押さえながら絶叫しているところだった。

 

「あっ…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? ゲホッ、ゲホッ…………ガ…………タ、タス…………ケ…………ッ」

 

「くそったれ、ガスマスクは!?」

 

「第11塹壕の倉庫の中にある!」

 

「急いで兵士たちに着用させろ! 毒ガスで全員死ぬぞ!」

 

「わ、分かった!」

 

 先ほどの機関銃の射手の元へと走りながら、兵士は自分の周囲を見渡した。

 

 やはりあの毒ガスは、春季攻勢を開始した吸血鬼たちの仕業だったらしい。先ほどの砲撃がこちらの塹壕にしっかりと着弾し、数名の兵士がその毒ガス弾の餌食になったことを確認したのか、先ほどよりも多くの砲弾が塹壕の周囲へと降り注いでいる。

 

 まるで流星群が降り注いでいるかのように、塹壕の外や先ほどまで走っていた通路に砲弾が降り注ぎ、次々にそこで身に纏っていた金属のカバーを脱ぎ捨て、剥き出しになった排出口から黄色い煙を吐き出す。

 

 中には運悪くその毒ガスを内蔵した砲弾に直撃してしまう兵士もいた。ガスマスクを身につける前に毒ガスで次々に多くの兵士が死んで行っているというのに、中には頭に向かって飛んできた砲弾に首から上を引き千切られたり、上半身を抉られて横たわっている死体も見える。

 

「管制室、聞こえますか!? こちら第9番塹壕! 敵の砲弾による攻撃を受けています! ガスです!」

 

 通信兵が、目を見開いて冷や汗まみれになりながら、必死に管制室へと報告している。

 

 それを目にした彼は、息を呑みながら撤退の許可が下りることを祈った。

 

 春季攻勢を退けるためにこの塹壕が掘られ始めたのだが、上層部は敵が毒ガスで攻撃してくるのではなく、歩兵による攻撃や戦車部隊による進撃を想定していた。実際にヴリシアの戦いで行われた最終防衛ラインの攻防戦では、吸血鬼側が投入した超重戦車の群れと歩兵による攻撃で、連合軍は大きな損害を出しているため、今回の春季攻勢でもその戦術をベースにした戦い方で塹壕の突破を図るつもりなのだろうと予測していたのである。

 

 それゆえに、毒ガスで攻撃されることはそれほど想定されていない。

 

 つまりこれは、想定外の攻撃なのだ。もう既に守備隊は混乱状態に陥っており、戦死者の数も増えている。このままここで踏ん張れという命令は、実質的に守備隊の兵士たちに「死ね」と言っているに等しい。

 

 兵士を大切にするテンプル騎士団ならば、撤退命令を出すはずだ。この第9番塹壕が陥落したとしても、後方には第11番塹壕と第15番塹壕がある上に、更に後方には分厚い防壁と要塞砲を兼ね備えたブレスト要塞がある。そう簡単にこの防衛ラインが陥落するわけがない。

 

 だが、その兵士は通信兵が使っている無線機を目にした瞬間、目を見開いた。

 

 通信兵が使っている無線機には砲弾の破片と思われる金属片が何本か突き刺さっており、その”傷口”の周囲では蒼白いスパークが荒れ狂っているのである。

 

 毒ガスを内蔵した砲弾が次々に降り注いでくるのを目の当たりにしてパニックになってしまったのか、通信兵は自分の持っている通信機が動いていないことに気付いていない。無線機が作動していると思い込み、届くわけがないにもかかわらず、必死に撤退の許可を要請し続けていた。

 

「同志、しっかりしろ! その無線は―――――――」

 

「敵襲! 敵兵が突っ込んでくるッ!!」

 

 健在だった重機関銃の発射準備をしていた射手が、塹壕の向こうを睨みつけながら絶叫する。パニックになった情けない通信兵をぶん殴ってやろうと思っていた彼は、慌ててAK-12のセレクターレバーをセミオートに切り替え、その射手の近くへと駆け寄って双眼鏡を覗き込んだ。

 

 塹壕を包み込もうとしている黄色い煙と砂埃の向こうから、オリーブグリーンの軍服とヘルメットを身につけ、顔を大きなフィルターのついたガスマスクで覆った無数の人影が、立ち上がりながらこちらへと全力疾走してくるのが見える。

 

 まるでガスマスクを装備した兵士たちが、砂の中から植物のように”発芽して”いるようにも見えてしまう。芽吹いたオリーブグリーンの軍服姿の兵士たちは、先頭を進む分隊長と思われる兵士の指示に従って少しずつ方向を変えたかと思うと、早くも迎撃するためにマズルフラッシュを煌かせている機関銃ではなく、それを操るべき射手が毒ガスで死亡してもぬけの殻と化した誰もいない塹壕の方へと向かっていく。

 

 傍らにいる射手も応戦し始めたが、塹壕の守備隊を無視して突破しようとしている敵の分隊には気付いていないらしい。

 

「おい、同志! あっちを狙え! 塹壕が突破される!」

 

「無茶を言わないでくださいよ軍曹! こっちだって突破されそうなんです! 他の敵を狙ってる余裕なんてありません!!」

 

「くそったれッ!」

 

 軍曹はセレクターレバーをセミオートからフルオートへと切り替えると、誰もいない重機関銃が設置されている塹壕を凄まじい脚力で飛び越え、突破していった敵の分隊へとフルオート射撃をお見舞いする。

 

 もし仮に食い止められなくても、数名を撃ち殺すか負傷させられれば後方の塹壕でも容易く対処できるだろう。1人でも多く射殺しようとトリガーを引いたのだが、吸血鬼たちの走る速度が予想以上に早かったため、銀の7.62mm弾は1発も命中することはなく、夜空へと届くことのない流星と化す。

 

「通信兵、まだ使える無線機はあるか!?」

 

「はい、あります!」

 

「後方の第11番塹壕に緊急連絡! 敵の分隊が第9番塹壕を突破したと伝えろ! あと、友軍の兵士(サンタクロース)にガスマスクを持って来いって伝えてくれ!」

 

「了解(ダー)!」

 

 隣でKord重機関銃を放つ射手の隣で、軍曹もセレクターレバーをセミオートに再び切り替え、ホロサイトの後方にブースターを展開して狙撃を開始する。顔を上げた敵兵のガスマスクを撃ち抜いて即死させたが、すぐにその兵士の後方から別の分隊が姿を現すと、またしても弾幕が薄い場所やガスで射手が死亡したせいで誰もいない場所を探し当て、まるで眼中に無いと言わんばかりにそちらへと突進していく。

 

 先ほど突破していった分隊だけではない。後続の分隊も、同じように次々に塹壕を飛び越え、第11番塹壕や近隣の第12番塹壕へと向かっていく。

 

(どういうことだ…………!?)

 

「こちら第9番塹壕! 第11番塹壕、応答願います! …………くそ、ダメです軍曹! 第11番塹壕から応答がありません!!」

 

「バカな!? もう第11番塹壕もやられたのか!?」

 

 ぞくりとしながら、軍曹は塹壕の後方を振り向きながら双眼鏡を覗き込む。連射を続ける重機関銃のすぐ隣にいたせいで聞こえなかったのか、確かに後方の第11番塹壕の方ではマズルフラッシュと思われる光が何度も輝いており、塹壕の一角からは、弾薬庫に手榴弾でも放り込まれたのか、艦砲射撃が着弾したかのような大爆発が起こっているのが見えた。

 

 しかも、攻撃を受けているのは第11番塹壕だけではない。

 

 更に後方にある第15番塹壕の方からも、マズルフラッシュと思われる光が見えるのである。

 

「そんな…………」

 

 双眼鏡から目を離しつつ、唇を噛み締める。

 

 後方の塹壕は壊滅状態で、自分たちのいる塹壕は辛うじて応戦を続けているものの、一番最初の砲撃によって未だに混乱している。中には射手が戦死したせいで弾幕を張れない重機関銃や、ガスが充満しているせいで近寄れない場所もある。

 

 しかも敵兵はガスマスクを装備しているため、黄色い煙が充満している塹壕を平然と素通りしていくのだ。

 

 最早、彼らの塹壕は防衛ラインとして機能していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第8分隊、突撃用意」

 

 オリーブグリーンの軍服に身を包んだ軍曹が、ヘルメットをかぶり直しながら告げる。僕ももう一度MP7A1のセレクターレバーをチェックし、ちゃんとフルオートになっていることを確認してから、深呼吸しつつ突撃していく仲間たちを見守る。

 

 もう既に砲撃と毒ガスで被害を受けているというのに、敵の塹壕が放つ弾幕は凄まじい。あの火薬と銀の豪雨の中に、これから僕たちの分隊も突っ込むことになるのだ。

 

 突撃する前に、内ポケットから家族の写真を取り出そうとする。オルトバルカ製のカメラで撮影した白黒写真には、一緒にディレントリアに逃げ込んだ幼い弟たちや妹たちが写っている。これから敵の群れの中に突っ込むのだから、その前に家族の写真を見て自分を奮い立たせようとしたんだけど、隣で水筒の水を飲んでいた戦友のフランツに「やめておけ、フレディ」と言われ、僕は手を止めた。

 

「せめて戦いが終わるまで、家族の写真は見るな。そっちの方が”生きよう”って思えるだろ?」

 

「はははっ、そうかもね」

 

 確かに、そっちの方が良さそうだ。ここで家族の写真を見てしまったら、もしかしたら泣いてしまうかもしれないから。

 

 息を呑みながら、僕とフランツは分隊長の背中を見つめた。

 

『ピィィィィィィィィッ!!』

 

「―――――――第8分隊、突撃ッ!」

 

「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」」

 

 ホイッスルの絶叫と、分隊長の絶叫。それを鼓膜の中へと放り込まれた第8分隊の兵士たちが立ち上がり、冷たい砂漠の砂に別れを告げながら突っ走る。

 

 敵は先に突っ込んだ第7分隊の兵士たちを掃射するのに夢中らしく、僕たちが突っ込んでいる事には気付いていない。第7分隊は射手のいない重機関銃が多い場所から突っ込もうとしたみたいだけど、それに気づいた敵兵が重機関銃で掃射し始めたせいで袋叩きにされている。

 

 気の毒だなと思いながら走っていると、12.7mm弾で片腕を捥ぎ取られた吸血鬼(同胞)の兵士と目が合った。

 

 ガスマスクを外したその兵士は、多分僕と同い年くらいだと思う。片手で千切れた腕の断面を必死に抑え、歯を食いしばりながらこっちを見ている若い兵士。できるならば助けてあげたかったんだけど、僕たちは立ち止まるわけにはいかなかった。

 

 僕たちは、この作戦の切り札でもある”突撃歩兵”なのだから。

 

「フレディ、第7分隊に構うな! 進むんだ!!」

 

「了解(ヤー)!!」

 

 許してくれ。

 

 助けを求めようとしている若い兵士から目を逸らし、僕たちは毒ガスが充満している塹壕の一角へと飛び込んだ。黄色い煙のようにも見える毒ガスが充満した敵の塹壕の中には、まるで皮膚を全て引き剥がされ、身体中の筋肉を剥き出しにさせられたような無残な敵兵の死体が転がっていた。もちろん、まだ生きている兵士は1人もいない。

 

 そのうちの1人を間違って踏みつけてしまったフランツが、目を細めながら慌てて死体の上から飛び降り、塹壕の反対側へと昇っていく。

 

 無残な死体が転がっている塹壕の中を見てしまった僕は吐きそうになってしまったけど、何とか我慢して仲間たちと一緒に塹壕を登った。僕たちまで塹壕を突破したことに気付いた敵兵がいたみたいだけど、かなり焦っているからなのか、敵のフルオート射撃は全く当たらない。

 

 死んでたまるか。

 

 ここで勝利して鍵を手に入れれば、レリエル様が復活する。そうすれば再びこの世界を吸血鬼が支配することになるだろう。

 

 人間共に、吸血鬼が虐げられることがなくなるのだ。

 

 もう、腐った死体から血を啜ってお腹を壊さずに済む。まだ幼い弟や妹たちにも美味しい血を吸わせてあげられるし、ヴリシアで負傷して退役した父さんや母さんも裕福な暮らしができるようになるはずだ。

 

「負傷者は!?」

 

「ゼロです、軍曹!」

 

「よし、このまま次の塹壕を突破し、敵の司令部と通信設備を破壊する! 続けッ!!」

 

 僕たちに与えられたのは、敵の塹壕を突破して後方にある塹壕の司令部や通信設備を破壊するという任務だ。司令部を破壊されれば守備隊に命令を下す者はいなくなるし、通信設備を破壊すれば敵は救援の要請もできなくなる。

 

 そうすれば簡単に烏合の衆と化す。その後は後続の戦車部隊や歩兵部隊に蹂躙されるだけだ。

 

「勝とうぜ、フレディ」

 

「うん」

 

 絶対に勝たなければならない。

 

 僕たちが勝てば、家族は裕福な暮らしができるようになるのだから。

 

 

 

 

 



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吸血鬼の浸透戦術

 

『こちら第3分隊、敵の第3防衛ラインを突破。死傷者無し』

 

『こちら第5分隊、敵の通信設備を破壊。続けて司令部の破壊を行う』

 

『こちら第8分隊、今しがた敵の第2防衛ラインを突破。死傷者無し』

 

 無線機の向こうから聞こえてくる同胞たちの報告を聞いて、俺はニヤリと笑った。

 

 敵の塹壕は燃え上がり、毒ガス(マスタードガス)で覆われている。もちろんマスタードガスは吸血鬼にも有毒だが、突撃歩兵に支給した軍服は毒ガスを跳ね除ける特殊な繊維を使用している。その繊維がマスタードガスも跳ね除けるかどうかは、もう既に実験で確認してあるのだ。肌が露出することはないので、あとはマスタードガスから身を守るためのガスマスクを支給しておけば、自滅する恐れはない。

 

 本部であるタンプル搭を除けば”重要拠点”と言っても過言ではないラルシュラム・ダムと比べると、ブレスト要塞の守備隊の規模は小さい。しかし、それでも我々の全兵力よりも微かに多い規模を誇るため、真正面から戦いを挑めばこっちが全滅させられる恐れがある。

 

 最前線には複数の塹壕があり、その後方には対空火器とレーダーをこれでもかというほど配備された要塞が鎮座している。塹壕だけならば空爆で一掃できるのだが、その後方に鎮座している要塞のせいで、我々は地上部隊による攻撃を仕掛けるしかない。航空部隊を派遣すれば、彼らは塹壕を破壊しつつ要塞からの対空砲火を躱し続けるという非常に困難な任務を実行しなければならなくなってしまうのだから。

 

 そのため、ブレスト要塞の塹壕は地上戦力のみで突破することとなった。

 

 塹壕は、第一次世界大戦の頃は最大の脅威と言っても過言ではない存在だった。これでもかというほど設置された重機関銃の掃射を突破するのは至難の業で、強引に突撃すれば歩兵が壊滅しかねない。しかも当時は航空機の技術や装備が未発達であったため、塹壕に対して爆撃を実施するというのも困難であったのである。

 

 そこで当時のドイツ軍は、塹壕を突破して敵に大打撃を与えるために、”浸透戦術”と呼ばれる作戦を立案する。

 

 まず身軽な突撃歩兵を突撃させて敵の防衛線を突破させ、後方にある司令部や通信設備を破壊させて、敵を混乱させる。司令部や通信設備を失えば、最前線で戦っている兵士たちにも命令は届かなくなるし、通信設備が台無しになれば他の拠点に状況を報告したり、救援を要請することもできなくなる。敵の守備隊を最前線に孤立させることができるというわけだ。

 

 でも、いくら身軽な突撃歩兵とは言っても機関銃が配備された塹壕を突破するのは困難だ。

 

 そこで突撃歩兵を、敵の攻撃が激しい場所を強引に突破させるのではなく、敵の攻撃が少ない比較的安全な場所へと突撃させることで容易に突破させることにしたのである。

 

 敵の拠点に真正面から突っ込めば、逆にこちらが返り討ちに遭う。だが敵の攻撃が少ない比較的安全な場所であれば、少数の兵士たちでも突破することは容易い。後はそのまま後方へとどんどん進軍し、通信設備と司令部を破壊して敵を混乱させてやれば、どんな熟練の守備隊でも瞬く間に烏合の衆と化すというわけである。

 

 これが、ドイツ軍の生み出した浸透戦術だ。

 

 今回の攻勢に投入した突撃歩兵の装備は、PDWのMP7A1と複数の手榴弾。塹壕を突破する際に白兵戦になる事も考慮し、スコップやナイフも支給してある。また、戦車や装甲車と遭遇する可能性もあるため、一部の兵士にはパンツァーファウスト3や対戦車手榴弾を支給した。

 

「アリーシャ、そろそろいいだろう」

 

「かしこまりました。…………歩兵部隊、戦車部隊、前進開始。このまま一気に塹壕を突破せよ」

 

『『『了解(ヤヴォール)』』』

 

 もう既に、複数の分隊が敵の塹壕を突破して通信設備や司令部を破壊している。そろそろ歩兵部隊や戦車部隊を突撃させ、一気に制圧するべきだろう。

 

「敵の増援部隊は?」

 

「確認できません。ダムが爆破されることを警戒し、動けない模様」

 

「よし…………奇襲部隊のおかげだな」

 

 はっきり言うと、ラルシュラム・ダムは最初から目標ではない。確かにダムを破壊すれば、敵の海軍が機能を停止するというのは魅力的な話だ。こっちはただでさえ戦力が少ないのだから、可能な限り短期間で決着をつけたい。それに敵の兵力を大きく削ぎ落とせるのだから、普通ならば真っ先にそこを狙うだろう。

 

 だが、ダムの破壊そのものが囮なのだ。

 

 こっちの数が少ないからこそ、敵はこちらの狙いがダムだと思い込む。

 

 守備隊をダムに集中させれば、それ以外の拠点の防御力が低下する。後は採用した浸透戦術と戦車部隊による進撃で、防御力の落ちた拠点を一気に攻め落としてしまうのだ。そうすればこちらは橋頭保を手に入れることができるし、兵士たちの損害も少数で済む。

 

「我々も前進する。超重戦車隊、前進!」

 

「了解(ヤー)、前進!」

 

「ラーテはここで待機し、敵の要塞を砲撃せよ」

 

『了解(ヤヴォール)!』

 

 近代化改修型のマウスのエンジンが動き出し、従来の戦車よりも巨大なキャタピラが、ゆっくりと砂漠の砂の上に後を刻み付け始めた。

 

 このマウスたちは、あのヴリシアの戦いの後に新たに生産された超重戦車たちである。最終的には敵の艦砲射撃で壊滅させられてしまったが、ホワイト・クロックや宮殿の前に展開された最終防衛ラインでの戦闘で、敵の最新型主力戦車(MBT)を蹂躙し続けた巨人たちである。

 

 主砲は160mm滑腔砲。APFSDSを使用すれば、エイブラムスの正面装甲を1発か2発で貫通可能なほどの凄まじい貫通力を誇る。更に75mm速射砲を副砲として搭載しているため、装甲車や歩兵まで一掃できるのだ。しかも装甲も分厚く、正面装甲であればAPFSDSの集中砲火を喰らったとしても、ほとんど致命傷にはならないほどの防御力を誇る。

 

 しかし、さすがに速度は20km/h程度しか出せないため、機動性は劣悪と言わざるを得ない。

 

 後方に残っているラーテは、ヴリシアの戦いに投入する予定だった最後の1両だ。ホワイト・クロックと宮殿が陥落する際に投入し、連合軍に一矢報いるつもりだったのだが、魔王に破壊される可能性が大きかったため、投入を見送って敗残兵たちと共にディレントリアへと脱出したのである。

 

 俺たちの部隊が前進したのを確認したラーテの砲塔が、ゆっくりと旋回を始める。砲塔から突き出た太い砲身が緩やかに天空へと向けられた直後、戦艦の主砲に匹敵する口径の主砲が、ついにカルガニスタンの砂漠で火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第9番塹壕、陥落! 完全に敵に突破されました!」

 

「第11番塹壕、第13番塹壕、応答ありません!」

 

「第15番塹壕も応答なし! 突破された模様!」

 

 地下に用意されたブレスト要塞の中央指令室の中を満たしているのは、塹壕の陥落と敵の突破を告げるオペレーターたちの声ばかりであった。

 

 ブレスト要塞の指揮を執る『ラスカー・ラフチェンコ』少将は、拳を握り締めながら目の前の巨大な魔法陣に投影される映像を睨みつけていた。翡翠色の魔法陣に投影されている映像はブレスト要塞と周囲の塹壕の状況で、ディレントリア方面に用意されていた塹壕は、陥落したことを告げる赤い色で塗り潰されてしまっている。最前列にあった第9番塹壕は一番最初に敵の毒ガス弾による攻撃で大打撃を受けており、敵の突撃部隊の後に襲来した戦車部隊で完全に壊滅してしまっている。

 

 本来ならば塹壕の守備隊に撤退命令を出すべきなのだろうが、通信設備がことごとく破壊されてしまっており、前線の部隊との通信はほぼ不可能となっている。おかげで指示を出しても前線の部隊までそれを伝達することができず、完全に混乱してしまっていた。

 

「第17番塹壕の守備隊が合流しました」

 

「よし、彼らを守備隊に組み込んで応戦準備。戦車部隊も投入し、敵を食い止めるぞ! 兵士たちにはガスマスクと防護服を着用させろ! タンプル搭にも連絡!」

 

「了解(ダー)!」

 

「第181前哨基地より戦車部隊が出撃。同じく第194前哨基地からも、歩兵を乗せた戦車部隊が出撃した模様」

 

 第181前哨基地と第194前哨基地は、ブレスト要塞の最も近くにある前哨基地である。要塞の10分の1以下ほどの守備隊が駐留している小規模な基地で、配備されている兵器も旧式ばかりではあるが、中にはムジャヒディンのメンバーだった兵士も配属されており、テンプル騎士団の部隊の中では練度は高い方だ。

 

 とはいえ、前哨基地には新型の戦車が配備されておらず、辛うじてコストの低いT-72B3やT-90が少数だけ配備されている程度だ。大半はより旧式の戦車に改造を施した『T-55エニグマ』と呼ばれる代物で、戦闘力は最新型の戦車と比べると大きく劣っていると言わざるを得ない。

 

 しかし、敵に防衛線を突破されている状況では、増援部隊を送ってもらえるのはありがたい事である。

 

「航空部隊も直ちに出撃させろ」

 

「了解(ダー)」

 

 ブレスト要塞にも、航空部隊は配備されている。タンプル搭のように周囲に損害が出るほど口径の大きい要塞砲の配備を見送ったことで、広大な防壁に囲まれた地上に滑走路を用意することができたのだ。そのため離着陸の難易度は劇的に低下しており、パイロットたちも「配属されるならばブレストがいい」と言っている。

 

 配備されている機体は、他の拠点と同じくSu-27やSu-35が中心となっている。また、敵の地上部隊を蹂躙できるように、攻撃機であるSu-34なども配備されている。本部であるタンプル搭や重要拠点のラルシュラム・ダムと比べると新型の機体は少ないものの、魔物の掃討作戦で経験を積んだパイロットは多い。

 

 敵の地上部隊が進撃してくるのであれば、早速Su-34が猛威を振るう筈だと思った司令官は、「Su-34に対戦車ミサイルを搭載させろ」と指示を出したが――――――――数秒後に、ずん、と大きな音と共に中央指令室が激震し、目の前の巨大な魔法陣にノイズが入った。

 

「な、何事だ…………!?」

 

「敵の爆撃…………!? し、しかし、レーダーには敵機の反応はありませんよ………!?」

 

『こちら第2要塞砲! 今しがた、でっかい砲弾が滑走路に突っ込んだぞ!? 大丈夫か!?』

 

「なに…………!? 砲弾だと…………!?」

 

 ラフチェンコ少将は息を呑みながら、ちらりと近くにいるオペレーターを見ながら「滑走路の様子は映せるか?」と問いかける。

 

 問いかけられたハイエルフのオペレーターは返事をしてから手元にあるキーボードを素早く操作し、巨大な魔法陣の隣にあるモニターに、防壁の内側に設置されたカメラの映像を投影する。

 

 広大な防壁の内側には、大型機用の巨大な滑走路と、戦闘機用の小さな滑走路の2つが用意されている。その周囲には管制塔と格納庫があり、敵の戦闘機を撃墜するための対空火器がこれでもかというほど並んでいる。

 

 だが―――――――その滑走路には、2つの大穴が開いていた。

 

 敵の砲弾は防壁を飛び越えて滑走路に直行したらしい。凄まじい重量と運動エネルギーで容易く滑走路を食い破った砲弾は、滑走路と土を抉ったところで起爆したらしく、戦闘機用の小型の滑走路の真っ只中に2つのクレーターを生み出していた。

 

 もし着弾したのが滑走路の端であったのであれば、辛うじて戦闘機の離着陸はできただろう。しかし、よりにもよって砲弾が着弾したのは滑走路の真っ只中。砲弾の着弾と起爆によって生まれたクレーターによって、滑走路が真っ二つにされてしまっている。

 

「敵の艦砲射撃か…………!?」

 

 ウィルバー海峡からこのブレスト要塞を砲撃するのは不可能である。対艦ミサイルを使ったのであれば要塞への攻撃は可能だが、戦艦の主砲では射程距離外だ。

 

 だが、タンプル搭の軍港へと続く河を上って砲撃したというのであれば――――――ブレスト要塞も、戦艦の主砲の射程距離内となる。もしそうであったのならば、敵の戦艦は河へと侵入したという事になる。

 

「タンプル搭に報告し、艦隊の出撃を要請しろ! 敵が河を上った可能性がある!」

 

「了解(ダー)!」

 

「それと、シャール2Cも出撃させろ。突っ込んでくる敵を粉砕するんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちら”ヘカトンケイル”。砲撃が敵の要塞に命中』

 

『了解、そのまま飛行場への砲撃を継続せよ』

 

『了解(ヤヴォール)、ブラド様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレスト要塞の地上には、戦闘機や戦車を格納しておくための格納庫が存在する。タンプル搭のように設備に被害が出てしまうほど巨大な要塞砲が装備されていないため、ブレスト要塞はタンプル搭と比べると、地上に自由に設備を作ることが可能なのだ。

 

 その格納庫の一角に、普通の戦車の格納庫と比べるとかなり大きな格納庫が鎮座している。

 

 巨大な格納庫の中で眠っているのは、分厚い装甲と強力な武装をこれでもかというほど搭載した巨人であった。

 

 ブラックとダークブルーのスプリット迷彩で塗装されているその巨人が、整備兵たちの手によってついに目を覚ます。格納庫内の照明が点滅を始め、入り口のシャッターがフィオナ機関から伝達される高圧の魔力によって、ゆっくりと解放されていく。

 

 巨大な格納庫の中からあらわになった巨大な車体の上には、同じく巨大な砲塔が鎮座している。分厚い円盤を半分に切断し、その後方に従来の戦車の砲塔をくっつけたような形状の砲塔は、テンプル騎士団で正式採用となっているチョールヌイ・オリョールの砲塔をそのまま大型化した代物だ。主砲は152mm滑腔砲を2門も装備しており、砲塔の上下から突き出ている。

 

 更に、巨大な車体の左右には37mm戦車砲を搭載したルスキー・レノの砲塔が突き出ており、主砲同軸には5.45mm弾を使用する対人用の機銃が装備されている。装填されている砲弾も、最新の戦車や装甲車の撃破は困難であるため、歩兵の殲滅用に榴弾かキャニスター弾のみとなっていた。

 

 車体の後部には、ロシア製歩兵戦闘車(IFV)であるBMD-4の砲塔をそのまま搭載しており、100mm低圧砲や30mm機関砲が装備されている。更に低圧砲からは対戦車ミサイルまで発射可能であるため、後方に回り込んだ敵の戦車も蹂躙することが可能となっている。

 

 さすがに小回りが利かない上に最高速度もたった20km/hのみだが、車体の前面と砲塔は分厚い複合装甲で守られており、APFSDSの直撃にも耐えられるほどの防御力を誇る。更にアクティブ防御システムの『アリーナ』まで搭載しているため、対戦車ミサイルでの攻撃を防ぐことも可能となっていた。

 

 原型となったのは、フランスが第二次世界大戦の前に開発した『シャール2C』と呼ばれる超重戦車であるが、大規模な改造を受けており、旧式の戦車とは思えないほどの圧倒的な攻撃力と防御力を誇る巨人と化している。

 

 ブレスト要塞に配備されているシャール2Cには、『ピカルディー』というコールサインが与えられている。

 

 たった10両のみしか生産されなかった、テンプル騎士団の切り札の1つだ。

 

 ついにその切り札が、進撃してくる吸血鬼の戦車部隊に牙を剥く。

 

『―――――――”ピカルディー”、出撃せよ』

 

 

 

 



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超重戦車VS超重戦車

 

「ブレスト要塞より、航空支援要請です」

 

「航空支援?」

 

 オペレーターからの報告を聞いた瞬間、違和感を感じた。

 

 ブレスト要塞にはタンプル搭よりも立派で”安全な”滑走路がある。タンプル搭のように、砲撃の際の衝撃波で設備に被害が出るほどの要塞砲を配備していないため、衝撃波による損害を考慮する必要がないのだ。そのため、ブレスト要塞の飛行場は地下ではなく地上に作られている。

 

 しかも地下にも航空機の格納庫があるため、航空隊の規模であればブレスト要塞の方が大きいのだ。タンプル搭を上回る規模の航空隊があるというのに、なぜ航空支援が必要なのだろうか。

 

 誤報だろうと思っていると、同じオペレーターが報告を続けた。

 

「敵の艦砲射撃により、滑走路が破壊された模様」

 

「艦砲射撃…………? 河に艦隊が侵入したのか!?」

 

 タンプル搭やブレスト要塞に、最寄りの海であるウィルバー海峡から砲撃を叩き込むのは、射程距離外であるため不可能である。けれどもウィルバー海峡へと続く河へと侵入し、そこから砲撃すればタンプル搭やブレスト要塞が射程距離内になるため、艦砲射撃をお見舞いすることは可能なのだ。

 

 だが、それを防ぐために河の周囲にはレーダーサイトが配備されており、敵艦が侵入すればすぐに対艦ミサイルを搭載したコルベットの群れが敵を迎撃することになっている。もし仮に敵艦が侵入しているのであれば、今頃コルベットたちが迎撃を開始している筈だ。

 

 なのに、レーダーには敵艦が侵入したという反応はないし、コルベットが出撃したという報告もない。

 

「ブレストが艦隊の派遣を要請していますが」

 

 艦隊と航空支援か。確かに滑走路が破壊されているのであれば、こっちが航空機を出す必要がある。それに敵が航空機を出撃させていたとしても、まだブレストの対空火器は生きている筈だ。味方の対空砲火による支援を受けながら、こっちの航空隊は敵を蹂躙できるだろう。

 

 それに艦隊を出撃させれば、河へと敵艦隊が侵入するのを防ぐことができるし、余裕があれば地上への艦砲射撃でブレストを支援できる筈だ。

 

「よし、艦隊を直ちに派遣する。航空隊も出撃させ、ブレストを全力で支援せよ」

 

「同志団長、ジャック・ド・モレーはどうしますか?」

 

「もちろん出撃だ。クソ野郎共に、テンプル騎士団の力を見せてやれ」

 

「はっ!」

 

 ジャック・ド・モレーは、テンプル騎士団が保有する最強の超弩級戦艦である。3連装40cm砲を3基搭載している上に、対艦ミサイルを装填した4連装キャニスターを合計で10基も搭載しているため、凄まじい攻撃力を誇る。さらに無数の対空機関砲や対空ミサイルでもしっかりと守られており、装甲も分厚いので、その気になればこの戦艦1隻で敵艦隊を相手にすることもできるだろう。

 

 ヴリシアの戦いでは、敵のモンタナ級戦艦と砲撃戦を行って勝利しているし、地上への艦砲射撃で大きな戦果をあげている。まさに、テンプル騎士団の”力の象徴”というわけだ。

 

 日本海軍で例えれば、戦艦大和のような存在である。

 

「お兄様、では砲手はわたくしが」

 

「頼む」

 

 ジャック・ド・モレーの砲手に立候補してくれたカノンは、真面目な表情で敬礼をすると、踵を返して中央指令室を後にする。

 

 ヴリシアの戦いで砲撃戦に勝利できたのは、あの艦の砲手をカノンと母親のカレンさんが担当していたからだろう。あの2人は地上戦では選抜射手(マークスマン)を担当することが多いが、戦車に乗った場合や戦艦に乗る場合は砲手を担当している。

 

 あの2人の技術のおかげで、モンタナ級戦艦に勝利できたと言っても過言ではない。

 

 今回はカレンさんがいないが、娘であるカノンもしっかりと母親から技術や才能を受け継いでいる。彼女が砲手を担当するならば問題はないだろう。

 

「タクヤ、ブレストに砲撃をしたのはあの超重戦車じゃないかしら」

 

「ラーテか」

 

 ラウラにそう言われた俺は、目の前の魔法陣に投影されているタンプル搭の周囲の地図を見ながら息を吐いた。確かに、ラーテの主砲はドイツのシャルンホルスト級戦艦の主砲を改造したものだ。破壊力や射程距離は、通常の戦車とは別格である。

 

 河からの砲撃ではなく、砂漠に配備されたラーテからの超遠距離砲撃であったのならば、確かに要塞を砲撃することは可能だろう。同志ラフチェンコは、おそらくラーテの砲撃と艦砲射撃を間違えたのかもしれない。

 

 あの戦いに投入されたラーテは壊滅した筈だが、生き残った車両が投入されている可能性も高い。もし生き残ったラーテの仕業ならば、早いうちに潰した方が良さそうだ。そのまま進撃されれば、いくら虎の子のシャール2Cを配備しているテンプル騎士団でも粉砕されかねないのだから。

 

 とはいえ、もし仮にあのヴリシアで戦ったラーテと同型なのであれば――――――――イージス艦と同等の対空火器を搭載している可能性がある。最終的には航空機によるミサイル攻撃で撃破することができたのだが、それは殲虎公司(ジェンフーコンスー)の戦車部隊が犠牲を出しながら対空火器を潰してくれたから成功したのである。

 

 いきなり航空機で攻撃を仕掛ければ、返り討ちに遭うだろう。

 

 しかし、戦車部隊を派遣して対空火器を潰させる時間はない。時間がかかれば、ブレスト要塞が砲撃だけで壊滅してしまいかねない。

 

「…………偵察機を派遣し、ラーテを探させろ。発見次第36cm要塞砲をぶち込む」

 

「了解(ダー)」

 

「それと、アーサー隊も航空支援に向かわせるんだ。可能であればニパとイッルの2人も呼び出してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発反応装甲が張り付けられた砲塔が、車体から千切れ飛んだ。鉄の溶ける臭いと熱気をばら撒きながらぐるぐると回転した金属の塊は、やがて砂漠の真っ只中へと墜落すると、風によって抉られ続けていた砂漠の砂を一気に抉り、砂で形成された波を生み出す。

 

 乗組員もろとも砲塔を吹っ飛ばされたT-90の車体は、もう二度と動かなくなった。

 

「敵戦車に命中! はははっ、これで5両目!」

 

「よし、次は2時の方向にいる奴を狙え。今の奴より旧式だ」

 

 近代化改修型のマウスの車長は、敵の戦車を一撃で撃破してはしゃぐ砲手に向かって冷静な声で言った。

 

 敵の戦車の主砲は125mm滑腔砲。通常の砲弾だけではなく、対戦車ミサイルも発射可能な攻撃的な戦車である。しかし、彼らの乗る戦車は圧倒的な火力と分厚い複合装甲を併せ持つ、極めて強力な”超重戦車”である。さすがに航空機による攻撃には弱いが、相手が地上戦力なのであれば無敵と言っていいほどの戦闘力がある。

 

 まるでライオンがウサギを蹴散らすように、近代化改修を受けたマウスたちが砂漠を前進していく。

 

 巨大な砲塔の中で、大型化された自動装填装置が金属音を奏でながら砲弾を装填していく。装填されたのは、砲身と共に大型化されて破壊力を大幅に強化された、160cm砲専用のAPFSDSだ。いくら主力戦車(MBT)の複合装甲とはいえ、これが直撃すればあっさりと風穴が開いてしまう。

 

 続けて、ゆっくりと巨大な砲塔が旋回していく。車内に搭載されたモニターに表示されるのは、前進するマウスの群れを食い止めるために奮戦する、ロシア製戦車のT-72B3の群れだ。向こうも近代化改修を受けて性能が上がっているとはいえ、125mm砲のAPFSDSではマウスの後部以外の装甲は貫通できない。

 

撃て(フォイア)

 

「発射(フォイア)」

 

 砲手が発射スイッチを押した瞬間、艦砲射撃のようにも思えるほどの轟音と爆風が、巨大な砲身の中で産声を上げた。

 

 車内のモニターが爆炎で埋め尽くされる。それが砂漠の冷たい風でかき消された頃には、もう既に発射されたAPFSDSは自分が纏っていた外殻を脱ぎ捨てており、銛や槍にも見える本来の姿をあらわにしながら、標的に向かって疾走していた。

 

 そして、その獰猛な一撃が、奮戦を続けるT-72B3に牙を剥く。

 

 モニターの向こうで火花が散ったかと思うと、ぐらりとT-72B3の車体が揺れた。先ほどのT-90と同じように砲塔が千切れ飛び、ぐるぐると縦に回転しながら砂漠へと落下していく。取り残された車体は黒煙を吹き上げながら、砂漠の真っ只中で残骸と化した。

 

「6両目!」

 

「よし、前進! 敵の歩兵は75mm砲で薙ぎ払え!」

 

「了解(ヤヴォール)!!」

 

 突撃歩兵たちが既に突破してくれたおかげで、塹壕の制圧はかなり容易であった。通信設備や司令部を失ったテンプル騎士団の守備隊は烏合の衆としか言いようがないほど弱体化しており、塹壕から飛び出して逃亡しようとする敵兵も見受けられる。

 

 砲手が主砲同軸に搭載された75mm速射砲の発射スイッチを押すと、敵の塹壕の周囲に無数の火柱が生まれた。まるで機関銃の連射のように、装填された榴弾が立て続けに放たれ、必死に反撃しようとする敵兵たちを木っ端微塵にしていく。

 

 塹壕から顔を出し、必死に重機関銃でマウスに少しでも損傷を与えようと奮戦する勇敢なハーフエルフの兵士の身体が千切れ飛び、肉片の雨と化す。錯乱して塹壕の中から飛び出した若い兵士が爆風に呑み込まれ、左肩や脇腹を抉り取られてのたうち回る。

 

 ヴリシアでも、こういう光景は何度も目にした。しかし、彼らが目にしたのは敵が苦しむ姿ではなく、重傷を負った味方の兵士たちが苦しむ姿だ。

 

 敵兵たちは、あのヴリシアで命を落とした同胞たちのように苦しんでいるのである。

 

 マウスよりも機動力の高いレオパルトが、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)で塹壕の中の敵を蹂躙していく。キューポラからその光景を見ていた車長は、塹壕の中を埋め尽くす敵兵の死体を一瞥してから息を吐いた。

 

 敵の戦車を始末するために標的を探し始めたその時、今しがた塹壕に砲弾を撃ち込んでいたレオパルト2の砲塔が、塹壕の向こうから飛来した1発の砲弾によって捥ぎ取られた。

 

「…………ッ!?」

 

 直撃した砲弾によって抉り取られたレオパルトの砲塔が、金属の溶ける悪臭を放ちながら転がり落ちる。車内からはいまの直撃で腕を引き千切られた乗組員たちが絶叫しながら逃げ出そうとするが、立て続けに飛来したもう1発の砲弾―――――――おそらく多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)だろう―――――――によって肉体もろとも残った車体を木っ端微塵に吹き飛ばされた。水銀が内蔵されていたらしく、衝撃波に押し出されることによって斬撃と化した水銀に切り刻まれた乗組員の死体は、再生する様子がない。

 

(バカな………レオパルトが一撃でやられただと!?)

 

「車長、味方の戦車がやられた!」

 

「分かってる! …………くそ、どこから飛んできた!?」

 

『こちら操縦手! 12時方向にでっかい戦車がいる!!』

 

「でかい戦車だと………ッ!? テンプル騎士団の連中も、マウスを配備して――――――――」

 

 次の瞬間、今度は隣を並走していた味方のマウスが餌食となった。

 

 撃破されたT-90やT-72B3の残骸が吹き上げる黒煙を突き破って飛来した”2発の”APFSDSがほぼ同時に外殻を脱ぎ捨てたかと思うと、隣で応戦するために砲塔を旋回させていたマウスの車体と砲塔の付け根の部分に正確に突き刺さったのである。

 

 砲塔と車体の付け根から一瞬だけ凄まじい火花が散ったかと思うと、隣を並走していた友軍のマウスがぴたりと動かなくなった。

 

「おい、今度はマウスが!」

 

「くそ、何なんだ!?」

 

 砲手が悪態をついた瞬間、砂漠の向こうから駆け抜けてきた冷たい風が、戦車の残骸たちが吐き出す黒煙を吹き飛ばしていく。

 

 その向こうに――――――――怪物がいた。

 

 キャタピラが装着された巨大な車体の上に、同じく巨大な砲塔が装備されているのが分かる。通常の戦車よりもかなり大型だが、その怪物の正体は間違いなく戦車である。

 

 だが、明らかにサイズと装備が異様であった。

 

 車高はマウスとほぼ同等である。半分に切り取った円盤の後部に従来の戦車の砲塔を張り付けたような形状の巨大な砲塔からは、太い2本の砲身が縦に並んだ状態で突き出ており、砲塔には機関砲を搭載したターレットや、アクティブ防御システムと思われる装備も搭載されている。

 

 主砲の口径は、マウスの主砲に匹敵するくらいだろうか。

 

 車体の両脇からは、主砲と比べるとかなり小さな砲塔が突き出ているのが分かる。明らかに対戦車用ではなく、歩兵の殲滅用だろう。小口径の戦車砲と対人用の機銃が装備されているのが見える。

 

 そして車体の後部には、一般的な戦車砲に匹敵する口径の低圧砲と30mm機関砲を装備した砲塔が装備されており、後方へと回り込もうとする敵を迎撃する準備をしていた。

 

 巨大な車体の上に、一撃で戦車を葬ることが可能なほどの重火器をこれでもかというほど搭載した怪物が、主砲の砲身をマウスたちへと向けて鎮座していたのである。

 

 砲塔の脇には、オルトバルカ語で”ピカルディー”と書かれているのが見える。

 

「な、なんだありゃ…………ッ!?」

 

「おい、あんなでっかい戦車がテンプル騎士団に配備されてたのか!? 報告にはなかったぞ!?」

 

「くそ、撃て! 相手はたった1両だ! 袋叩きにすれば勝てる!!」

 

 他の塹壕を蹂躙しているマウスはまだ損害は出ていない。目の前に現れた怪物と出くわす羽目になった部隊にも、まだ3両のマウスと8両のレオパルトが残っている。

 

 圧倒的な火力を持つとはいえ、その戦車たちで集中攻撃をかければ倒せる相手だ。

 

 味方のレオパルト2が砲撃を開始し、APFSDSを砂漠の向こうにいる怪物(シャール2C)へと放つ。他のレオパルトたちやマウスも砲撃を開始し、鎮座しているシャール2Cへと集中砲火をお見舞いし始めた。

 

 正確な砲撃は次々にシャール2Cの車体や砲塔へと突き刺さり、巨大な怪物の車体を無数の火花で覆う。普通の戦車が喰らえばとっくに木っ端微塵になっているほどの数の、APFSDSによる集中砲火。モニターの向こうで敵の超重戦車が袋叩きにされている光景を見守っていた車長は、安堵しながらその光景を見つめていたが――――――――火花の向こうから飛来した一撃が、その安堵を木っ端微塵に粉砕する。

 

 無数の戦車砲を叩き込まれているにも拘らず放たれたその一撃が、APFSDSを装填するために一旦砲撃を中止した味方のレオパルトの車体を直撃し、装甲が厚い筈の正面装甲に大穴を開けたのである。

 

「!?」

 

「て、敵戦車の反撃です!」

 

 今の集中砲火の中には、レオパルトの120mm滑腔砲だけでなく、マウスの160mm滑腔砲による砲撃も混じっていた。レオパルトの砲撃が通用していなかったとしても、マウスの砲撃が直撃すれば致命傷にはなる筈である。

 

 しかし、無数の火花と煙の中から姿を現したのは、正面装甲がいくらかひしゃげ、いたるところが窪んだ程度の損傷で済んだ、シャール2Cであった。

 

「ば、バカな…………何なんだ、あの装甲は…………ッ!」

 

 テンプル騎士団でもたった10両しか配備されていないシャール2Cは、まさに切り札と言える存在である。

 

 当初は152mmガンランチャーを装備し、歩兵と共に進撃しながら敵の戦車を撃滅する役割を担当する予定であった。しかし、円卓の騎士の1人であるステラ・クセルクセスが「火力が足りないため、火力と装甲の大幅な強化が必要」と提案したことにより、圧倒的な暑さの装甲と火力を兼ね備えた怪物として生まれ変わったのである。

 

 歩兵の支援ではなく、圧倒的な火力を誇るマウスに対抗するための戦車と言っても過言ではない。

 

 しかし、さすがに分厚い複合装甲を全体に搭載するのは不可能であったため、正面装甲のみを徹底的に厚い複合装甲で覆うこととなった。マウスとの砲撃戦を想定しており、実際に160mm滑腔砲によるAPFSDSの直撃にも耐えられるほどの厚さとなっている。

 

 その代わりに機動性がかなり大幅に低下しており、たった20km/hのみとなった。

 

 テンプル騎士団には、このピカルディーと同じカスタマイズを施された怪物が10両も配備されているのである。

 

「つ、通用してないのか!?」

 

「正面装甲はダメだ! 側面か後ろにぶち込め!」

 

 再びシャール2Cの砲身が旋回し、回り込もうとしたマウスを狙う。車体まで旋回させて貧弱な側面の装甲を攻撃されないようにしつつ、マウスに照準を合わせる。

 

 その直後、チョールヌイ・オリョールの砲塔を大型化したような形状の砲塔に装備された連装滑腔砲が、またしても火を噴いた。

 

 艦砲射撃なのではないかと思ってしまうほどの衝撃波と爆炎を吐き出した砲身から、2発のAPFSDSが解き放たれる。爆炎を纏いながら外殻を分離したその2発の砲弾は、砲塔をシャール2Cへと向けながら回り込もうとしていたマウスの車体へと飛び込む。

 

 直撃した2発のAPFSDSは、マウスを覆っていた装甲をあっさりと貫通すると、そのまま車内を蹂躙してエンジンを直撃し、シャール2Cの側面へと回り込もうとしていたマウスを容易く擱座させてしまう。

 

 吸血鬼たちのマウスは、圧倒的な防御力と火力を誇る怪物である。しかし、あくまでも防御力は従来の120mm砲や125mm砲による攻撃を想定している程度であり、近代化改修型マウスと同等の火力を誇る超重戦車との砲撃戦は想定しないないのだ。

 

 それに対し、シャール2Cはヴリシアで超重戦車の圧倒的な戦闘力を見せつけられたテンプル騎士団が、その超重戦車を”狩る”ために計画を変更して改造した超重戦車。当たり前だが、有利なのはマウスとの戦闘を想定しているシャール2Cである。

 

「おい、またマウスがやられた!」

 

「は、反則だろ…………ッ」

 

 モニターの向こうで擱座したマウスを見つめていた車長は、いつの間にか震えていた。

 

 敵が恐れていた”怪物(マウス)”の目の前に、それよりも強力な”怪物(シャール2C)”が姿を現したのだから。

 

 

 

 



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アーサー隊が出撃するとこうなる

 

 タンプル搭の地下にある軍港で、巨大な主砲を持つ怪物がゆっくりと動き始める。

 

 ダークブルー、ライトブルー、グレーの3色で洋上迷彩に塗装された巨体の上には、巨大な3連装40cm砲だけではなく、対艦ミサイルを4発も装填可能な4連装キャニスターがずらりと並び、連装型の副砲や対空ミサイルなどの兵器がこれでもかというほど装備されている。

 

 大昔の戦艦に最新の装備を搭載し、近代化改修を施されたその怪物は、ヴリシアで勃発した第二次転生者戦争で大きな戦果をあげたテンプル騎士団の力の象徴である。

 

 停泊していた軍港からゆっくりと動き出した戦艦ジャック・ド・モレーの艦橋で、艦長を務める『イワン・ブルシーロフ』大佐は軍港で手を振る整備兵たちに手を振り、巨大な洞窟の中に作られた軍港の出口へと進んでいくジャック・ド・モレーの艦首を見つめた。

 

 新型のイージス艦や駆逐艦に搭載されているような武装がずらりと甲板の上に並んでいるが、やはり一番目立つのは、甲板の上に2基も並んでいる3連装40cm砲だろう。後部甲板にも同じ砲塔が1基搭載されている上に、合計で40発も対艦ミサイルを発射可能なキャニスターまで併せ持つこの超弩級戦艦は、テンプル騎士団が保有する戦艦の中でも最も高い攻撃力を誇る。

 

 停泊していたウダロイ級駆逐艦やソヴレメンヌイ級駆逐艦も動き出し、まるでジャック・ド・モレーを先導するかのように洞窟の出口へと進んでいく。

 

「艦長、『ソビエツキー・ソユーズ級』が出航します」

 

「よろしい。軍港を出たら、戦艦は訓練通りに単縦陣だ」

 

「了解(ダー)」

 

 タンプル搭の軍港の外に続く河は、超弩級戦艦が並走できるほどの幅がある上に、潜水艦が潜航したまま軍港に入港できるほどの水深がある。しかし、艦隊が出撃する際に超弩級戦艦が並走すれば、駆逐艦や巡洋艦などの比較的小型の艦艇の進路を塞いでしまうので、テンプル騎士団海軍では軍港の外の河を複数の超弩級戦艦で航行する場合は、友軍の進路を開けておくためにも必ず単縦陣で航行するように訓練している。

 

 複数の駆逐艦や、対艦ミサイルの入ったキャニスターをこれでもかというほど搭載しているスラヴァ級巡洋艦が航行する後を進むジャック・ド・モレーの後方を、他の艦よりも巨大な超弩級戦艦が航行する。

 

 傍から見ればジャック・ド・モレーの同型艦にも見えるが、ジャック・ド・モレーは1隻のみ。テンプル騎士団艦隊の旗艦に”同型艦(姉妹)”は存在しないのだ。

 

 ジャック・ド・モレーの後に続くのは、第二次世界大戦中にソ連軍で建造されていた『ソビエツキー・ソユーズ級』戦艦である。24号計画艦(ジャック・ド・モレー)と同じく3連装40cm砲を3基装備する超弩級戦艦であるが、1隻も完成する前に建造が中止されてしまったため、実戦投入どころか航海も経験したことのない戦艦である。

 

 テンプル騎士団では、そのソビエツキー・ソユーズ級にも近代化改修を施し、『ソビエツキー・ソユーズ』、『ソビエツカヤ・ウクライナ』、『ソビエツカヤ・ベロルーシヤ』、『ソビエツカヤ・ロシア』の4隻を運用している。魔物の掃討や海賊の討伐などを担当している戦艦なのだが、普段の任務で出撃する海域が違うためか、4隻の塗装はバラバラだ。ジャック・ド・モレーにそっくりな塗装の艦だけでなく、ダズル迷彩を施されている艦もある。

 

 こちらも対艦ミサイルを装填したキャニスターを合計で8基搭載しており、攻撃力は非常に高い。しかし対潜用の装備が少ない上に小回りが利かないため、駆逐艦の護衛が必要となる。

 

 この5隻だけでも、敵艦隊をあっという間に海の藻屑にするほどの火力があるが、出航したソビエツキー・ソユーズ級の後方に、更に複数の超弩級戦艦が続く。

 

 ソビエツキー・ソユーズ級の四番艦『ソビエツカヤ・ロシア』の後に続くのは、ロシア帝国が建造した『インペラトリッツァ・マリーヤ級』。かなり旧式の艦であるため、こちらもかなりの近代化改修を受けている。

 

 本来ならば前部甲板と後部甲板に1基ずつ3連装30cm砲を搭載し、艦橋や煙突の間にも同型の主砲を搭載していたのだが、煙突と艦橋の間に装備されていた主砲は一旦撤去されている。艦橋はソヴレメンヌイ級と同じ艦橋へと変更され、そのまま船体中央部へと寄せられており、前部甲板と後部甲板に3連装30cm砲を2基ずつ搭載するように変更されている。艦橋や煙突の脇には、対空用のコールチクや対艦ミサイルを装填したキャニスターが並んでいる。

 

 テンプル騎士団では、インペラトリッツァ・マリーヤ級は『インペラトリッツァ・マリーヤ』、『インペラトリッツァ・エカテリーナ2世』、『インペラートル・アレクサンドル3世』の3隻を運用しており、主に海賊の殲滅や地上部隊を支援するための艦砲射撃などに投入している。

 

 同じく軍港から出航し、インペラトリッツァ・マリーヤ級の3番艦『インペラートル・アレクサンドル3世』の後方に続くのは、ロシア帝国が建造した『ガングート級』戦艦たちだった。

 

 インペラトリッツァ・マリーヤ級よりも前に産声を上げた戦艦であり、テンプル騎士団が保有する戦艦の中では最も古い戦艦である。こちらもインペラトリッツァ・マリーヤ級のように艦橋と煙突の間に30cm砲を搭載していたのだが、近代化改修を受けた際に4基の主砲のうち2基は撤去されており、その代わりにヘリを搭載するための格納庫とヘリポートを後部甲板の主砲と艦橋の間に搭載されている。

 

 主砲である3連装30cm砲はたった2基に減ってしまったものの、他の戦艦とは違ってヘリを搭載しているため、汎用性は高くなっている。また、他の戦艦と同じく対艦ミサイルを装填した4連装キャニスターを艦橋の左右に2基ずつ搭載している。

 

 運用されているのは、『ガングート』、『マラート』、『ポルタワ』、『セバストーポリ』の4隻。こちらもインペラトリッツァ・マリーヤ級と同じく艦砲射撃による地上部隊の支援に投入されているが、乗組員たちの訓練にも使用されている艦でもある。

 

 合計で12隻の近代化改修を受けたロシアの戦艦たちが、駆逐艦や巡洋艦の群れと共にタンプル搭の軍港から出撃していく。テンプル騎士団が保有する戦艦を全て投入する戦いは、この吸血鬼たちの春季攻勢が初めてであった。

 

 軍港を後にした艦隊に与えられた任務は、ブレスト要塞を砲撃していると思われる超重戦車や砲兵隊の撃滅と、艦砲射撃による地上部隊の支援。もし敵艦隊がウィルバー海峡に展開しているのであれば、そのまま海峡へと出て敵艦隊を撃滅する事であった。

 

 洞窟の外には、超弩級戦艦が並走できるほど広い河が広がっており、その上には無数の星を引き連れた三日月が鎮座している。けれども砂漠の向こうからは爆音が轟いており、安堵しながら見つめることのできる光景ではない。

 

 この爆音さえなければ最高だろうと思いながら、ブルシーロフ大佐は溜息をついた。彼はヴリシアの戦いでもこのジャック・ド・モレーに乗り込んでおり、CICでオペレーターの1人としてあの激戦を経験していたのである。

 

「全艦、軍港を離れました」

 

「分かった。全艦、第二戦速。まずはブレストの支援に向かう」

 

「了解(ダー)。全艦、第二戦速」

 

 乗組員たちが復唱し、機関室で作業を続ける乗組員たちも復唱する。少しばかり経ってからジャック・ド・モレーの速度が上がり始め、艦橋の窓から流れ込んでくる風の勢いが強くなり始めた。

 

「よし、私はそろそろCICに行く。全艦、戦闘準備」

 

「了解(ダー)。全艦、戦闘準備」

 

 乗組員たちが復唱した直後、艦橋の中に警報が鳴り響く。甲板の上で作業していた乗組員たちが急に慌ただしく走り回り始めたのを艦橋から見守ってから、ブルシーロフ大佐はジャック・ド・モレーのCICへと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は地下にある飛行場に違和感しか感じなかったが、もう慣れてしまった。

 

 照明で照らされた薄暗い格納庫の中でHMD(ヘッドマウントディスプレイ)や酸素マスクを身につけ、自分の機体へと向かう。もう既に出撃命令を受けたSu-35たちが、エンジンから轟音を発しながら、作業員に誘導されて滑走路の方へとゆっくり移動を始めている。

 

 格納庫の中に鎮座しているのは、5機のユーロファイター・タイフーン。主翼と垂直尾翼の先端部のみを深紅に塗装され、それ以外の部位は真っ黒に塗装されている。禍々しい塗装を施された機体の主翼と垂直尾翼には、アーサー隊のエンブレムである”岩に刺さったエクスカリバーと純白の翼”が描かれている。

 

 キャノピーへと続くタラップを上り、コクピットの座席に腰を下ろす。キャノピーを閉じる前に素早く機器をチェックし、異常がないか確認しておく。すると女性の整備兵がタラップを上がってきて、「整備は完璧です。ただ、無茶はしないでくださいね」と言ってくれた。

 

 俺よりも年下だろうか。オイルで少しばかり汚れた金髪の中からは長い耳が伸びていて、エルフだという事が分かる。彼女はにっこりと微笑みながら搭載されている武装について説明した後に、タラップを降りようとした。

 

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「その…………関係ない話なんだが、君の名前は?」

 

「アンジェラです、同志アルフォンス。よろしくお願いしますね」

 

「アンジェラか…………Danke(ありがとう)」

 

 綺麗な子だなぁ…………。

 

 下を向きながらニヤニヤしているうちに、アンジェラはタラップを降りてしまった。機体に掛けられていたタラップが外されたのを確認してから、キャノピーを閉じて出撃準備に入る。

 

 テンプル騎士団の兵士や整備兵たちの大半は、彼らによって保護された奴隷たちだったらしい。この世界では奴隷が売買されているのは当たり前のことで、大都市の貴族たちは奴隷たちに過酷な労働をさせているという。

 

 前世の世界では考えられない事だ。

 

 とはいえ、団長(タクヤ)の父親たちの努力のおかげで、段々と奴隷を開放するべきだという意見が増えつつあるらしい。このまま勢いを増せば、いずれ奴隷たちは完全に解放されることだろう。

 

 そうすれば、苦しむ人々はいなくなる。

 

『隊長、何でニヤニヤしてたんです?』

 

 深呼吸していると、無線機から楽しそうな声が聞こえてきた。ぎょっとして隣のユーロファイター・タイフーンを見てみると、隊員の1人がこっちを見つめながらニヤニヤ笑っているのが見えた。もしかすると、さっきアンジェラと話した後にニヤニヤしていたのを見られてしまったのかもしれない。

 

 最悪だな…………。

 

「何でもない、アーサー2」

 

『アンジェラちゃんって可愛いですよね』

 

「…………そ、そうだな」

 

 あとで一緒に食事してみたいものだ。帰還したら声をかけてみようか。

 

『でも、隊長ってシュタージのクラン大佐と幼馴染なんですよね?』

 

「何言ってんだ。クーちゃんにはケーターとかいう男がいるんだぞ? 他の男から女を奪う勇気はない」

 

 それに、クーちゃんはケーターの奴に惚れてるみたいだからな。小さい頃は彼女にお世話になったし、俺は彼女を応援することにするさ。恩返ししないといけないし。

 

 幼少の頃、俺はよく虐められてたんだ。でも、いつもクーちゃんが身体のでかいクソガキ共をボコボコにして、俺を助けてくれた。ちょっと情けないかもしれないけど、俺は強い彼女に憧れてたんだ。

 

 けれどもいつまでも彼女に守られているわけにもいかないから、ラグビーで身体を鍛えることにした。おかげで身体がでかくなっちまったけどね。こんな体格になってしまったからなのか、俺が虐められていたという事を誰も信じてくれない。

 

 多分、それを知っているのはクーちゃんだけだろう。

 

『こちら管制室。アーサー隊、滑走路へ』

 

「了解(ダー)」

 

 さっきのSu-35たちが全て飛び立ったのだろう。管制室からの報告を聞いた俺は、機体の前に誘導を担当する作業員がやってきてくれたことを確認してから、機体をゆっくりと滑走路の方へと進ませる。

 

 目的はブレスト要塞を攻撃する敵部隊の撃滅。とはいえ俺たちの相手は地上の戦車ではなく、敵が出撃させたヘリや戦闘機たちだ。そのため、武装は対空用のミサイルとリボルバーカノンのみ。

 

 隔壁が開き、その向こうに伸びる広い滑走路があらわになる。壁にはやけに明るい誘導灯がいくつも埋め込まれていて、左側にある壁の上には、戦闘機の離着陸を見守る管制室の窓が見える。窓の向こうでは様々な種族のオペレーターたちが航空隊に指示を出しているらしい。

 

 滑走路の出口はアドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板のようになっており、そのまま地上へ繋がっている。着陸する時はそのまま逆方向から着艦することになるので、このタンプル搭の飛行場は着陸の難易度が非常に高いのだ。この滑走路に降り立つのが苦手なパイロットたちが、他の拠点への異動を希望することもあるという。

 

 そろそろ俺たちも離陸だな。撃墜されないように気を付けないと。

 

 目標は、第二次世界大戦でスピットファイアを血祭りにあげた祖父さんの戦果を超える事だ。機首を撃墜マークだらけにして、あの世にいる祖父さんをびっくりさせてやる。

 

 そう思いながら、誘導してくれた作業員へと手を振る。するとその作業員は顔を上げ、コクピットの中にいる俺に向かってウインクしてくれた。

 

 誘導してくれたのは、アンジェラだったのである。

 

「…………最高だな」

 

『隊長、またニヤニヤしてません?』

 

「してますよー」

 

 苦笑いしながらそう言って、滑走路の向こうを睨みつける。

 

 今までの敵は飛竜どもだったが、今度の敵は戦闘機だ。パイロットは人間よりも身体能力がはるかに高い吸血鬼たち。しかも、ヴリシアとかいう国で戦った時の生き残りらしい。練度では間違いなく俺たちよりも上だろう。

 

 面白いじゃないか。

 

 祖父さんがスピットファイアを血祭りにあげたように、俺も吸血鬼共を血祭りにあげてやる…………!

 

『アーサー隊、離陸を許可します。幸運を』

 

「了解。アーサー隊、出撃する」

 

 アンジェラが滑走路から退避したのを確認してから、俺はユーロファイター・タイフーンを加速させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵の航空部隊です!」

 

 オペレーターからの報告を聞いた瞬間、ブレスト要塞の指揮を執るラフチェンコ少将は絶句した。すでに塹壕は完全に壊滅しており、吸血鬼たちの突撃歩兵や戦車部隊が要塞へと接近しつつある。シャール2Cが奮戦してくれているおかげで敵の進撃速度は落ちているものの、敵の集中攻撃で”ピカルディー”が戦闘不能になるのも時間の問題だ。

 

 更に、遠距離からの敵の艦砲射撃と思われる砲撃も未だに続いており、滑走路と管制塔が完全に破壊されている。要塞砲の射程距離外からの砲撃であるため、ブレスト要塞の要塞砲では一切反撃できない状態だ。

 

 現時点でも劣勢だというのに、更に敵の航空部隊が接近しているのである。

 

 まさに、ダメ押しであった。

 

 辛うじて対空火器は健在だが、滑走路と管制塔が完全に破壊されて機能を停止しており、航空部隊の出撃は不可能。タンプル搭から航空隊はすでに飛び立ったようだが、まだ到着はしていないらしい。

 

 またしても指令室が激震する。天井が砕けて降り注いでくるのではないかと思ってしまうほどの振動を感じた少将は、その振動の原因が敵の砲撃であるという事を理解していた。

 

「敵戦車部隊、防衛ラインを突破! 防壁に到達します!」

 

「要塞砲の集中砲火で食い止めろ! 防壁を突破させるな!」

 

 この状態で航空部隊による空爆を受ければ、間違いなくブレスト要塞は陥落するだろう。

 

 拳を握り締めながら、防壁へと肉薄してくる敵の反応を睨みつけていたその時だった。

 

 何の前触れもなく、接近していた航空部隊の反応が消え始めたのである。

 

「…………何事だ?」

 

『―――――――こちらアーサー隊。これより、敵部隊を迎撃する』

 

 オペレーターが報告するよりも先に、指令室の中に若い男の声が響き渡る。

 

「アーサー隊です! 精鋭部隊が救援に来てくれました!」

 

 アーサー隊は、テンプル騎士団の航空部隊の中から選抜された優秀なパイロットで構成された精鋭部隊である。主翼と垂直尾翼の先端部のみを深紅に塗装された漆黒のユーロファイター・タイフーンは、まさに”空軍の象徴”と言っても過言ではない。

 

 相手は飛竜ばかりとはいえ、パイロットは全員飛竜を50体以上も撃墜しているエースパイロットばかりだ。戦闘機同士での模擬戦でも未だに無敗のままという、優秀なパイロットたちである。

 

「よし…………ッ! 航空部隊は彼らに任せろ! 我々は地上の敵を血祭りにあげるんだ!」

 

「了解(ダー)!!」

 

 これで守備隊の士気も上がるだろうと思いながら、ラフチェンコ少将は息を吐くのであった。

 

 

 

      



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ユーロファイター・タイフーンVSラファール

『こちら、スネグーラチカ3-5。ブレスト要塞上空へと接近中の敵航空部隊の機種が判明した。戦闘機40機、攻撃機18機の模様。ステルス機の存在は確認できず』

 

 一足先に出撃したSu-30SMから、早くも情報が送られてくる。それよりも先にもう既に何機か撃墜してしまっているのだが、ミサイルを使い果たせばドッグファイトをせざるを得なくなるのだ。相手の機種を知っておいた方が戦い方もすぐに思いつくだろう。

 

 ちなみに、一番最初の中距離ミサイルによる攻撃で俺は2機撃墜している。他の奴らもいくらか撃墜したようだが、まだ40機も残っているようだな。全部俺が撃墜したら、祖父さんの戦果を超えられるだろうか。

 

 ステルス機がいないから戦いやすそうだ。さすがにF-22の編隊だったら、こっちがミサイルをぶっ放すよりも先にミサイルでやられていただろう。

 

「アーサー1よりスネグーラチカ3-5へ。敵戦闘機と攻撃機の機種は?」

 

『戦闘機は”ラファールM”、攻撃機はA-10の模様。A-10はとっとと潰さんと拙いぞ。要塞が火の海になる』

 

『おいおい、敵のラファールとかいう戦闘機を無視してたらこっちがフライドチキンにされちまうぞ』

 

 ラファールは、フランスで開発された戦闘機だ。ユーロファイター・タイフーンと同じくカナード翼とデルタ翼が特徴的な戦闘機で、こちらも汎用性が高い戦闘機である。対空ミサイルを搭載すれば敵の戦闘機との戦闘にも投入できるし、その気になれば対艦ミサイルを装備して敵艦への攻撃にも投入できる。

 

 このような戦闘機は、現在では”マルチロール機”と呼ばれている。

 

「だったらフライドチキンにされる前に、ソーセージにして食ってやればいい。各機、ラファールはアーサー隊が始末する。他の編隊はA-10を血祭りにあげろ」

 

『待て、アーサー1! 相手は40機だぞ!?』

 

『そうですよ隊長! 5対40はいくらなんでも不利すぎます!』

 

「だったらとっととA-10を全滅させて加勢してくれ。それまでラファールはこっちが抑える。以上」

 

 A-10は非常に頑丈な攻撃機だ。機関砲をこれでもかというほど叩き込んでも撃墜するのは難しい。それに敵はもう要塞に接近しているのだから、真っ先にA-10を狙うべきだろう。

 

 けれども、A-10ばかり狙っていればラファールにやられる。せめて仲間がA-10を始末するまでラファール共を足止めしなければならない。

 

 敵の航空機は合計で58機。タンプル搭から出撃した航空機は、アーサー隊に所属する5機を含めて60機。若干だがこっちの方が上だな。ただ、こっちの航空隊の大半はSu-27やSu-35が占めているため、ラファールを相手にするならこっちが有利か。

 

『こちらアーサー2、敵からのレーダー照射を受けた! ロックオンされている!』

 

 早速狙われたか…………!

 

『アーサー2、ブレイク!』

 

「死ぬなよ!」

 

『隊長がアンジェラに告白するのを見るまで死ぬつもりはありません!』

 

 じゃあ、告白するのはもっと後にしてやろう。

 

 苦笑いしながら、ちらりとレーダーでラファールを探す。敵はどうやら俺たちがたった5機で40機の群れの中に突っ込もうとしているのを知って、少しばかり驚いているらしい。普通なら40機の敵戦闘機の群れに、たった5機で戦いを挑もうとはしないだろう。

 

 油断してくれれば戦いやすい。こっちは8倍も戦闘機がいるんだと高を括ってくれれば、いくらでも意表をつけるのだから。

 

 今回は対空ミサイルを13発も積んできた。そのうちの5発は中距離型で、残りの8発は近距離型となっている。もう既に一番最初の攻撃で中距離型を2発使っているから、残りは11発だ。

 

 まず、このまま真正面から突っ込んで行くふりをして、味方機の後ろに回り込もうとしている奴を狙おう。味方の背後に回り込もうとしているという事は、俺たちの事は眼中にはないという事だ。つまり、こっちは一方的に不意打ちができるという事である。

 

 いきなり予想外の場所からロックオンされたら、敵のパイロットは慌てふためくに違いない。

 

 ふふふっ、面白そうだ。

 

 というわけで、ミサイルを発射するふりをしておく。操縦桿を引きながらラファールの背後に回り込み、ロックオンを開始。自分が背後にいるユーロファイター・タイフーンにロックオンされていることを知ったラファールが急旋回を開始するけど、俺はそいつを追いかけ回すふりをしてすぐに進路を変えた。

 

 標的はお前じゃない。

 

 あのA-10の群れさえ始末すれば、60機の戦闘機が40機のラファールを食い尽くすのだから。

 

 ちらりとブレスト要塞へと向かうA-10の編隊の方を見ると、もう既に何機かのA-10が対空ミサイルを3発ほど叩き込まれて炎の塊と化して落ちていき、頭上から急降下してきたSu-35の機関砲にコクピットを食い破られ、ぐらつきながら墜落していくところだった。10機ほどのラファールが攻撃機を守るために奮戦しているが、A-10へと襲い掛かっていく戦闘機の数が予想以上らしく、対処しきれていないようだ。

 

「おっと」

 

 そのうちの1機をロックオンしてそろそろ撃墜マークを増やそうかと思ったその時、コクピットの中を忌々しい電子音が満たす。

 

 どうやら先ほどからかわれたラファールが後ろに回り込み、俺の機体をロックオンしているらしい。進路を変更して振り切るべきだろうかと思って操縦桿を倒しかけようとした直後、そのラファールが唐突に急旋回を始めた。

 

 逃げ出したラファールの後を追いかけ回すのは、垂直尾翼と主翼の先端部のみが深紅に塗装された、漆黒のユーロファイター・タイフーン。機首の脇には撃墜マークが描かれており、その傍らには”04”と紅い塗料で描かれているのが見える。

 

 アーサー4の操るユーロファイター・タイフーンは旋回中のラファールの主翼にリボルバーカノンで風穴を開けると、一気にふらつき始めたラファールのエンジン部に7発か8発ほど砲弾を叩き込み、ラファールが黒煙を吐き出しながら墜落していったのを確認してから離脱した。

 

「Danke(ありがとよ)」

 

『どういたしまして。後で食堂のカレー奢ってくださいね』

 

「はいはい」

 

 いくらでも奢ってやるから、死ぬなよ…………。

 

 別のラファールに襲い掛かっていく味方の戦闘機を見守りつつ、俺も敵機を探す。味方の戦闘機は予想以上に頑丈なA-10の撃墜に手間取っているらしい。先ほどから何発も機関砲を撃ち込んだり、ミサイルを放ってA-10を撃墜しようとしている味方機がいるが、早く落とさないとラファール共に叩き落されるぞ?

 

「ッ!」

 

 その時、1機のSu-27が火達磨になった。先ほどから機関砲を撃ち続けていた機体だ。A-10に攻撃している間にラファールに回り込まれ、ミサイルを喰らう羽目になったらしい。

 

 燃え上がる主翼の残骸が降り注いでいくのを見つめながら、唇を噛み締める。

 

 標的は、仲間を落としやがったあいつだ…………!

 

 離脱しようとするラファールに機首を向け、機体を加速させる。右に旋回し始めたラファールを追いかけるためにこっちも右に旋回しつつ、ロックオンを開始。もう少しでロックオンが終了する寸前に狙われていることを察知したらしく、ラファールの動きが一気に激しくなる。

 

 相手のパイロットは吸血鬼だ。防御力そのものは人間と変わらないとはいえ、身体能力では常人を遥かに上回る。つまり、普通のパイロットよりもさらに強いGにも耐えられるという事だ。機体も奴らの身体能力に合わせて改造されているに違いない。

 

 右に旋回し続けると思いきや、急に失速して急降下。そしてある程度降下したところで今度は再び右に旋回しつつ、徐々に高度を上げていく。

 

 滅茶苦茶な動きだが――――――――その程度で、エースパイロットの孫から逃げられると思ったか?

 

 甘すぎる。多分、現役だった頃の爺さんだったらとっくに撃墜しているだろう。

 

「――――――フォックス2」

 

 発射スイッチを押した瞬間、主翼にぶら下がっていたミサイルが外れ、エンジンノズルから炎と白煙を吐き出しながらユーロファイター・タイフーンを置き去りにしていく。ラファールは更に旋回を続けるが、発射された距離が予想以上に近かったため、あっさりとミサイルの餌食となった。

 

 ドン、と一瞬だけキャノピーの外から襲い掛かってきた衝撃波のせいで、俺の機体まで揺れる。小さな破片が主翼やキャノピーにぶつかって奇妙な音を奏で、左側の主翼とエンジンを失い、火達磨と化したラファールの残骸が、ぐるぐると回転しながら墜落していく。

 

 パイロットが脱出した気配はない。けれども、どうせ墜落してミンチになっても再生するのだろう。あいつらは弱点で攻撃しない限り死なない種族なのだから。

 

 続けて一旦減速しつつ旋回。A-10の背後に回り込んでいる友軍を探し、そいつらを狙う敵機がいないか確認する。

 

「…………またか」

 

 忌々しい電子音を聞きながら、方向転換して急旋回。俺をロックオンしている奴を探そうと思ったが、目の前に味方機を狙っている無防備なラファールがいたので、そいつにとりあえずリボルバーカノンをお見舞いしておいた。

 

 エンジンに当たったらしく、片方のエンジンから黒煙を吐き出したそのラファールは、ふらふらしながら離脱していく。追撃したいところだが、こっちは敵機に狙われている真っ最中だ。

 

 敵のラファールは40機もいるのだから、5機で相手にするのは無謀だったかな…………?

 

『隊長、ミサイル!』

 

「分かってる」

 

 ちらりと後方を見た瞬間、敵が放ったミサイルが見えた。回避は間に合わないだろうと判断し、すぐさまフレアをばら撒く。機体の後方に無数の火の玉が放出されたかと思うと、俺の機体へと向かっていたミサイルがいきなりぐらつき、そのままふらふらしながら地上へと落ちていった。

 

 さて、反撃するか。

 

 急旋回し、ミサイルをぶっ放して離脱したバカを探す。

 

 どうやら俺がミサイルから逃げている間に他のSu-27を狙うつもりらしく、辛うじてA-10を撃墜したばかりのSu-27の後方へと回り込んでいる。狙われたSu-27は大慌てで逃げようとするが、吸血鬼の乗るラファールは逃げ回るSu-27から全く離れない。

 

 加勢するべきだろうかと思いながら操縦桿を倒したその時、追われていたSu-27が唐突に機首を上へと向けて失速し始めたのである。

 

「あれは…………!」

 

 何度か目にしたことがあるし、タンプル搭の訓練でもタクヤの奴が何度もやっていた。

 

 それは、『コブラ』と呼ばれる飛び方だった。

 

 さすがに追いかけていた獲物と激突してバラバラになりたくなかったらしく、ラファールは減速して接近してきたSu-27を大慌てで躱す。左へと回避してから体勢を立て直した頃には、後ろに回り込んだSu-27の機種に搭載された機関砲が、火を噴いていた。

 

 至近距離で放たれた機関砲の砲弾たちは瞬く間にラファールの大きな主翼を食い破り、垂直尾翼までへし折る。

 

 ぐるぐると回転しながら高度を落とし始めたラファールから離脱していくSu-27が、そのまま次のラファールへと狙いを定める。

 

「はははっ…………!」

 

 感激したよ。優秀なパイロットじゃないか! しかも、コブラで敵を撃墜するなんて!

 

 操縦桿を引き、そのまま宙返りする。キャノピーの上を埋め尽くす砂の大地を見上げながら、レーダーと目を有効活用して敵機を探す。

 

『――――――こちら”カワウ1-1”。これより援護します』

 

『こちら”カワウ1-2。俺たちも参加させてくれ』

 

 カワウ?

 

 確かそのコールサインを使っているのは、スオミ支部の航空部隊だったような気がする。

 

 スオミ支部はテンプル騎士団の支部の中でも規模が小さいが、防衛線を最も得意とするハイエルフだけで構成された”防衛戦闘のプロ”たちであるという。今回の春季攻勢の迎撃にも参加しているらしく、スオミ支部からはエースパイロットが2名も派遣されている。

 

 今しがた聞こえてきたコールサインは、その2人のコールサインだった。

 

 前世の世界でも活躍したエースパイロットと同じ名前のエースたちが、駆けつけてくれたのだ。

 

 スオミ支部に所属する”無傷の撃墜王”と、”ついてないカタヤイネン”の2人が…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛来した1発のAPFSDSが、正面装甲と比べると遥かに脆い側面の装甲を食い破る。

 

 レオパルトやマウスたちが、これでもかというほど撃ち込まれたAPFSDSでも貫通できなかったシャール2Cの正面装甲は、可能な限り分厚くされた複合装甲である。テンプル騎士団がヴリシアで遭遇したマウスの160mm滑腔砲から放たれるAPFSDSで砲撃されることを想定されたその分厚過ぎる装甲のおかげで、シャール2Cは吸血鬼たちの集中砲火を浴びても反撃を続けることができた。

 

 しかし、それ以外の部位の装甲は、極めて脆いと言わざるを得ない。

 

 正面からの攻撃を防ぐことに特化し過ぎており、側面の装甲は複合装甲ではなくなっているのだ。そのため、正面装甲以外にAPFSDSを叩き込まれると、そのまま擱座してしまう可能性があるという欠点がある。

 

 今しがた直撃した一撃は、車体の側面から突き出ていた37mm戦車砲が搭載されている砲塔もろとも車体の装甲を食い破ると、内部の機器を蹂躙していく。幸い車体中央部のエンジンは損傷しなかったが、車体の側面に大穴を開けられたシャール2Cの動きが、段々と鈍くなり始める。

 

 しかし、まだ機能は停止していなかった。152mm滑腔砲を2門も搭載した巨大な砲塔を右側へと旋回させ、たった今自分の車体に大穴を開けたレオパルト2に、大口径の主砲から放たれる猛烈なAPFSDSをお見舞いする。外殻から解き放たれた銛を思わせる砲弾は、複合装甲で覆われているレオパルトの正面装甲に大穴を開けると、そのまま車内の乗組員を瞬く間にミンチにし、後部のエンジンにも大穴を開けてしまう。

 

 その直後、今度は反対側から放たれたマウスの160mm滑腔砲が、シャール2C(ピカルディー)の車体側面を直撃する。左側の37mm砲は掠った程度で済んだが、より大口径の戦車砲から放たれた一撃はレオパルトの一撃よりも大きな穴を開け、エンジンの一部を貫いてしまう。

 

 車内の配線がスパークし、青白い電撃が装甲の隙間から覗く。風穴から黒煙とオイルを吐き出しながらも、無人型のシャール2Cは必死に砲塔を旋回させ、力尽きる前にマウスに一矢報いようと足掻き続けたが――――――――そのマウスの影から顔を出したレオパルトのAPFSDSが、奮戦したピカルディーについに止めを刺した。

 

 マウスが開けた大穴に飛び込んだAPFSDSが、エンジンの後部を貫通したのである。

 

 エンジンに被弾したせいで、砲塔を旋回させていたピカルディーの動きが、ぴたりと止まった。

 

「て、敵超重戦車、機能停止! 撃破しました!」

 

「よし、そのまま前進だ! 要塞に突っ込むぞ!」

 

 黒煙を吹き上げてスパークを吐き出すシャール2Cの傍らを、マウスとレオパルトの群れが進軍していく。

 

 ピカルディーが撃破されたことを確認したテンプル騎士団の戦車たちが、負傷兵たちを乗せて要塞の方へと後退していく。ピカルディーが奮戦してくれていたおかげで戦車の進撃を食い止めることができていたのだが、虎の子のピカルディーが撃破されてしまったため、もう戦車部隊を食い止めるのは不可能だろう。

 

 味方の戦車部隊に置き去りにされた挙句、進撃していく敵の戦車たちにも置き去りにされたピカルディーは、味方を蹂躙していく敵の戦車たちを食い止められなかったことを悔しがるかのように、砂漠の真っ只中で黒煙を吐き出し続けるのだった。

 



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線路と囮

 

「あんなものを投入するとは…………」

 

 黒煙を吹き上げ、”傷口”からオイルを流したまま砂漠の中に佇む巨大な戦車を見つめながら、マウスの上で呟く。

 

 ブレスト要塞から出撃した戦車部隊を蹴散らし、塹壕の中にいる敵を多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)で木っ端微塵にしながら進軍していくマウスやレオパルトたちを、いきなり要塞の中から姿を現したたった1両の超重戦車が蹂躙したのである。

 

 マウス7両とレオパルト5両が撃破され、随伴歩兵も巻き込まれて何名も戦死している。最終的に側面へと回り込んだマウスとレオパルトの集中砲火で撃破されたが、あの近代化改修を受けた改造型のシャール2Cの防御力と攻撃力は、圧倒的としか言いようがない。

 

 装甲が分厚かったのは正面装甲だけみたいだが、信じられないことに120mm滑腔砲のAPFSDSだけでなく、160mm滑腔砲のAPFSDSの集中砲火を叩き込まれても、正面装甲の一部が窪んだ程度で済んでいたのだ。更に、普通の戦車ならばとっくに木っ端微塵になっているような集中砲火を喰らいながらも、大口径の連装砲――――――おそらくは160mm滑腔砲に匹敵するほどの代物だろう――――――でそのまま反撃し、逆にマウスたちを返り討ちにしていたのだ。

 

 もしあの戦車の側面の装甲が正面装甲よりもかなり薄いという事に気付いていなければ、下手をすればあの1両に我々の戦車部隊は壊滅させられていたに違いない。

 

「大きな戦車でしたね、ブラド様」

 

「あれはシャール2Cという戦車だ。俺のいた世界で大昔に作られた兵器だよ」

 

「大昔のものなのですか?」

 

 砲塔の上にあるハッチから顔を出しながら尋ねてくるのは、メイド服姿のアリーシャだ。他のみんながオリーブグリーンの軍服やヘルメットを身につけているというのに、その中にフリルのついたメイド服とヘッドドレスを身につけたメイドが紛れ込んでいると、かなり違和感を感じてしまう。

 

 しかもそのメイドが戦車の中から顔を出していると、違和感が更に強烈になっているような気がする。彼女にも軍服を着るように言ったのだが、どうやらアリーシャはあのメイド服がお気に入りらしい。

 

「大昔の兵器とは言っても、かなり改造されていた。…………あんな代物がまだ残っているのだとしたら、さらに大損害が出そうだな」

 

「空爆を要請しますか?」

 

「…………そうだな。空母『クレマンソー』に連絡し、空爆の準備をさせてくれ」

 

了解しました(ヤヴォール)

 

 今回の作戦には、『クレマンソー』と『フォッシュ』という2隻の空母が参加している。どちらもフランス製の空母だが、今ではもう退役してしまっている。現代の原子力空母と比べると性能は劣ってしまうため、作戦に投入する前に可能な限り近代化改修を施し、乗組員にもしっかりと訓練をさせておいた。

 

 とはいえ、吸血鬼たちは空母を運用した経験が少ない。ヴリシアの戦いでも近代化改修型のエセックス級空母を投入したが、乗組員は全員訓練を受けさせた奴隷たちばかりであったため、吸血鬼たちは実際に空母に乗り込んで運用した経験が少ないのである。

 

 練度ではこちらが勝っているが、空母の乗組員の錬度はおそらく劣っているだろう。

 

「アリーシャ、敵艦隊は出撃したか?」

 

「はい、先ほど12隻の戦艦と複数の駆逐艦や巡洋艦が、タンプル搭の軍港から次々に出撃したそうです。もう既に河を離脱したようですね」

 

 河を離脱したか…………。

 

 ヴリシアの時は1隻しか戦艦を保有していなかったらしいが、奴らは俺たちがディレントリアに逃げ込んだ間にかなり軍拡をしていたらしい。その12隻の戦艦のうちの1隻は、ヴリシアの戦いに投入された戦艦なのだろうか? それとも、もう退役したか?

 

 もしその戦艦たちが、第二次世界大戦に投入されていたような旧式の戦艦なのであれば、海戦ではこっちが圧勝するだろう。こちらの数は少ないが、アメリカ海軍が運用しているアーレイ・バーク級を10隻もある。高性能なレーダーとミサイルを搭載したアーレイ・バーク級ならば、相手が超弩級戦艦で構成された艦隊でも、瞬く間に海の藻屑にしてしまうことだろう。

 

 現代の海戦の主役は、砲弾よりもはるかに”賢い”ミサイルなのだから。

 

 砲手が照準を会わせて砲弾を放つのではなく、レーダーで敵を探し出してミサイルをロックオンし、それで敵艦を撃沈するのが今の海戦だ。駆逐艦に搭載される対艦ミサイルの破壊力は、超弩級戦艦の主砲の破壊力に匹敵する上に、射程距離も砲弾よりはるかに長く、命中精度は正確としか言いようがない。

 

 それゆえに大口径の砲弾どころか、”戦艦”が廃れたのだ。

 

 だが―――――――敵艦が近代化改修を受けているのであれば、かなりの脅威となる。

 

 超弩級戦艦に新型のレーダーや対艦ミサイルを装備した上に、敵艦からのミサイルを撃墜するための速射砲や対空ミサイルを装備すれば、大口径の砲弾による攻撃と現代戦の主役であるミサイルを兼ね備えた怪物となるのだ。

 

 もしタンプル搭を出撃した12隻の戦艦が全て近代化改修型の戦艦であったのであれば、地上部隊は対艦ミサイルと艦砲射撃で叩きのめされてしまうだろう。しかも、無数の駆逐艦や巡洋艦も出撃したという。

 

 物量では向こうが上だ。もし対艦ミサイルの一斉攻撃を実行されたら、いくら最強のイージス艦であるアーレイ・バーク級たちでも、手に負えなくなってしまうに違いない。

 

 飽和攻撃は、モリガン・カンパニーやテンプル騎士団のお家芸なのだから。

 

「ブラド様」

 

 空母に空爆の準備をさせるように指示を出し終えたのか、再びアリーシャが砲塔のハッチから顔を出す。

 

「何だ?」

 

「我々にも、戦艦はあります」

 

「…………そうだな」

 

 ヴリシアに投入された敵戦艦は、3連装40cm砲を搭載した超弩級戦艦。おそらくソビエツキー・ソユーズ級か、生れ落ちることのなかった24号計画艦だろう。

 

 それ以外の戦艦は不明だが、ヴリシアに投入された超弩級戦艦が敵艦隊の旗艦に違いない。こっちも戦艦を出撃させて敵戦艦を打ち破れば、敵の海上戦力は弱体化する筈だ。それに戦艦たちの相手をさせている間は、敵艦隊も地上への艦砲射撃を行えなくなる。

 

「よし、戦艦『ティルピッツ』に連絡し、艦隊を前進させろ。『プリンツ・オイゲン』、『アドミラル・ヒッパー』には引き続き旗艦『ビスマルク』の護衛をさせるんだ」

 

「かしこまりました。…………ビスマルクは投入しないのですか?」

 

「ああ、砲撃戦には投入しない」

 

 ビスマルクは、第二次世界大戦でドイツ軍が運用した超弩級戦艦である。連装型の38cm砲を前部甲板と後部甲板に2基ずつ搭載した強力な戦艦で、第二次世界大戦の序盤にイギリスの戦艦『フッド』を撃沈する戦果をあげている。

 

 ティルピッツはビスマルクの同型艦で、両方ともこの春季攻勢に投入している。今回の戦いのためにビスマルク級を4隻も用意したのだが、その一番艦であるビスマルクは、”ある装備”を搭載するために、前部甲板の主砲をどちらも撤去してしまっているのだ。そのため、砲撃能力は半減してしまっている上に、その搭載した装備のせいで速度まで低下してしまっている。

 

 だが、ビスマルクに搭載したその代物は、間違いなく敵艦隊を粉砕する強力な兵器となるだろう。

 

 戦闘力が半減したビスマルクを守るため、アドミラル・ヒッパーとプリンツ・オイゲンの2隻はビスマルクの護衛のために残しておこう。

 

 敵艦隊との砲撃戦に投入するビスマルク級は、『ティルピッツ』、『ルーデンドルフ』、『ファルケンハイン』の3隻。戦闘力が半減したビスマルク以外の3隻と、他の戦艦を投入して敵戦艦の相手をさせよう。敵の駆逐艦や巡洋艦は、対艦ミサイルを装備した艦載機とアーレイ・バーク級に相手をさせれば十分だ。

 

「ところで、要塞の方はどうだ?」

 

「あの超重戦車の大破で敵の戦力が劇的に弱体化しましたが、未だに要塞砲による砲撃と、強固な防壁のせいで苦戦しているようです」

 

 アリーシャから渡された双眼鏡を覗き込み、ブレスト要塞の様子を確認する。もう既に要塞の周囲の塹壕は完全に壊滅しており、いたるところに木っ端微塵になった敵兵の死体が転がっているのが見える。

 

 その後方では、一足先に突撃していた突撃歩兵たちが遮蔽物の陰に隠れ、防壁の上から狙撃してくる敵兵に向かって反撃しているようだ。周囲では戦車が防壁にある正門に向かって主砲をひたすら撃ち込んでいるようだが、かなり分厚いのか、なかなか正門に風穴が開かない。

 

 けれども、まだラーテからの砲撃は続いている。またしても防壁の遥か上から落下してきた2発の砲弾が要塞の敷地内に飛び込み、戦車砲が火を噴く瞬間よりも派手な火柱を上げ、轟音を砂漠へと響かせた。

 

 ラーテの主砲はシャルンホルスト級戦艦の主砲を改造したものであるため、破壊力は通常の戦車砲とは比べ物にならない。きっとあの要塞の司令官は、先ほどから要塞が艦砲射撃を受けていると勘違いしているに違いない。

 

 もし仮に戦車部隊や突撃歩兵があの防壁を突破できなくても、このままラーテの砲撃で要塞を嬲り殺しにできる。だが、このまま砲撃を続けていれば時間がかかってしまう。短時間で決着を付けなければならないため、何とか門を破壊して要塞へと突入し、一気に制圧してしまうのが望ましい。

 

 C4爆弾ならどうだろうかと思ったが、防壁の上に鎮座している連装型の要塞砲が、C4爆弾を使うために肉薄していく兵士たちを片っ端からミンチにしているのを見てしまった俺は、双眼鏡を覗き込みながら舌打ちをした。

 

 あの要塞砲を破壊する必要がある。あれでは歩兵部隊どころか、戦車部隊も要塞に接近できない…………!

 

『ブラド様、聞こえますか?』

 

 俺が肉薄するべきだろうかと思ってハッチから身を乗り出しかけたその時、耳に装着していた小型の無線機から、低い男性の声が聞こえてきた。

 

「どうした?」

 

『”砲撃”の準備ができました』

 

 その報告を聞いた瞬間、俺はニヤリと笑ってしまった。

 

 どうやら、やっと準備ができたらしい。

 

 あの要塞にいる敵は、まだ続いているラーテの砲撃で要塞を陥落させるつもりだと思っているかもしれないが――――――――そのラーテの砲撃は、あくまでも”囮”だ。

 

 ヴリシアの戦いでテンプル騎士団の連中を恐れさせたマウスとラーテを投入することで、その超重戦車たちの脅威を知っている敵兵たちに、その超重戦車部隊がこっちの切り札だと錯覚させる。そうすれば敵は進撃してくる超重戦車への対策しか考えられなくなり、その後方で進んでいる準備には全く気付かないというわけだ。

 

 敵に阻止されなかったからこそ、準備は予想以上に早く終わった。

 

「よし、突撃歩兵と戦車部隊を後退させろ。砲撃に巻き込まれるぞ」

 

 俺たちは弱点で攻撃されない限り、いくらでも身体を再生させて生き返ることができる。だから頭が木っ端微塵になるまで弾丸を叩き込まれたり、戦車のキャタピラで踏みつぶされたとしても、数秒後には身体が勝手に再生してしまうのである。

 

 とはいえ、強烈な爆発で完全に消滅してしまえば再生はできなくなってしまう。

 

 だから、味方を退避させる必要があるのだ。

 

 数分後に飛来する砲弾には、人間を容易く消滅させてしまうほどの威力があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルガニスタンの大地は砂で覆われている。ごく稀にオアシスが点在し、砂漠に刻まれた古傷のように河や湖も存在するが、大地の9割は砂と岩山だけだ。砂と空だけが支配する、極めてシンプルな世界。この砂漠を越えようとする者たちが、目的地に着くまでに砂と空以外の物を目にできる確率は極めて低いと言われるほど、この砂漠はシンプルな世界なのである。

 

 その砂漠の真っ只中に―――――――鋼鉄の道があった。

 

 成人男性の足と同程度の幅のレールが、シンプルな筈の世界をほんの少しだけ複雑にしようと足掻いているかのように、砂漠の真っ只中に列車の線路が2つ用意されているのである。

 

 傍から見れば、それは砂漠の真っ只中を駆け抜けていく列車のために用意された線路にも見える。そのレールの上にはもう既に機関車と連結された貨車がずらりと並んでいたが―――――――明らかにその列車は、普通の貨物列車などではなかった。

 

 2列に並んだ2つの線路の上には、同じ方向を向いた機関車と貨車が並んでいる。まるでこれからレースでもしようとしているようにも見えるが、その機関車と貨車の後方に連結されている車両の上に乗っているのは、普通の積み荷などではない。

 

 まるで、ただでさえ巨大な戦艦の主砲を更に巨大化させた代物を、列車の後方に強引に連結させてしまったようにも見える。砲身を振り下ろすだけで戦車を叩き潰せそうなほどの太さと分厚さを誇るその巨大な列車砲は、かつて第二次世界大戦中にドイツ軍が実戦投入した、巨大な列車砲であった。

 

 戦艦大和の主砲よりも巨大な、『ドーラ』と呼ばれる”80cm列車砲”である。

 

『攻撃目標、ブレスト要塞』

 

『榴弾装填完了』

 

『味方部隊、作業員の退避完了を確認。秒読み開始』

 

 巨大な列車砲の中で砲撃準備をしているのは、オリーブグリーンの軍服とヘルメットを身につけた、吸血鬼の兵士たち。若い兵士たちが大半だが、中には連合軍が実施したヴリシア侵攻作戦から生還した古参の兵士たちもいる。

 

 他の兵士たちが戦車や戦闘機に乗ってテンプル騎士団と死闘を繰り広げている間に、彼らはブラドの命令で砂漠の真っ只中に列車砲を走らせるためのレールを設置し、要塞を砲撃できる場所まで巨大な列車砲を移動させながら、砲撃命令を待っていたのだ。

 

 未だにブレスト要塞を砲撃しているラーテですら、この80cm列車砲の発射準備を隠すための”囮”でしかなかったのである。

 

 ヴリシアの戦いで猛威を振るったマウスとラーテが吸血鬼たちの切り札だと決めつけたテンプル騎士団の参謀や指揮官たちは、この列車砲が切り札であることに気づけなかった。それゆえに阻止するための部隊も派遣されることはなかったのだ。

 

 ブレスト要塞をこの砲撃で粉砕した後は、引き続きレールを伸ばして列車砲を前進させ、テンプル騎士団の本部であるタンプル搭を砲撃できる位置まで移動させる必要がある。身体能力の高い吸血鬼たちならば、レールの設置はあっという間に終わってしまうだろう。

 

『10、9、8、7、6、5、4、3、2、1―――――――』

 

『―――――――”カイザー・レリエル砲”、発射!』

 

 発射スイッチに手を近づけていた吸血鬼の兵士は、楽しそうに笑いながらスイッチを押した。

 

 その一撃が、ヴリシアで死んでいった同胞たちの仇を取ってくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防壁の上でスコープを装着したモシン・ナガンを構えていた兵士は、遮蔽物に隠れながら凄まじい速度で離脱していく吸血鬼の突撃歩兵たちを見つめながら、違和感を感じていた。

 

 先ほどまで吸血鬼の兵士たちは、戦車砲の集中砲火を要塞の正門へと叩き込むか、何とかC4爆弾を設置して正門を吹き飛ばそうとしていたのだが、防壁の上にずらりと並んだ兵士たちの機関銃に掃射されるか、要塞砲の砲撃で木っ端微塵にされていたのである。

 

 大損害を被ったため、一旦体勢を立て直すために後退したのだろうかと思ったその狙撃兵は、頭上で死闘を繰り広げていた戦闘機の群れまで、いきなり戦うのを止めて要塞の上空から逃げていくのを見た瞬間、感じていた違和感が更に強烈になった。

 

 明らかにそれは、普通の撤退などではない。

 

 第一、航空部隊がいるのならば空爆で要塞砲もろとも防壁を吹き飛ばしていた筈である。

 

「何だ…………?」

 

「中尉、敵が撤退していきます。…………我々は勝ったのでしょうか?」

 

「いや…………変だぞ、これは」

 

 もう一度スコープを覗き込むと、大慌てで全力疾走している兵士が必死に手を伸ばし、最高速度で砂漠を走っているレオパルトの上に乗っている仲間たちに手を掴んでもらい、砲塔の上に乗せてもらっている姿が見えた。

 

 その兵士は、怯えていた。

 

 ブレスト要塞の守備隊が強すぎるからではない。要塞を恐れたのではなく、まるで要塞に向けられている何かを恐れているような表情である。

 

「…………何だ、この音は」

 

「え?」

 

 違和感を感じていた中尉の耳に―――――――その音が流れ込んでいく。

 

 人間や、魔物の絶叫ではない。それは生物が発する音などではなく、鋼鉄で形成された機械が生み出す音だ。

 

 火薬によって放たれた金属の塊が刻み付ける、凶悪な咆哮。現代兵器が投入される戦場にいれば耳にすることの多い音である。

 

 段々とその音が大きくなっていることを知った中尉が、はっとしながら顔を上げた頃には、もう既にそれは要塞の真上へと迫っていた。

 

 炎と陽炎を纏った、巨大な金属の塊。

 

 それが孕んでいるのは、あらゆるものを木っ端微塵に粉砕する炸薬と信管だけではない。

 

 ヴリシアの戦いで死んでいった吸血鬼たちの―――――――猛烈な怨念であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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壊滅と吸血鬼の一撃

 

 

 2機のグリペンが、ラファールの群れたちを食い破る。

 

 主翼の下にぶら下げられていた短距離型の空対空ミサイルが切り離されたかと思うと、後部のエンジンから炎と白煙を吐き出しながら星空の中を疾駆し、急旋回を始めようとしていたラファールへと喰らい付いた。

 

 特徴的なデルタ翼の破片や垂直尾翼の残骸が、火達磨になりながら砂漠へと降り注ぐ。

 

 その爆炎を、ソニックブームを纏って突き破っていくのは、テンプル騎士団スオミ支部が誇る2名のエースパイロットたち。唐突に戦場へと姿を現した2機のグリペンによる奇襲で慌てふためくラファールたちにミサイルを突き立てたイッルとニパは、隣を飛ぶ相棒の機体をちらりと見てから、無線で全く連絡を取っていないにもかかわらず、ほぼ同時に左右へと旋回して敵に襲い掛かっていった。

 

 いくら産業革命で工業が発達し、魔力を動力源にして巨大な機械を動かすフィオナ機関が世界中に普及したとはいえ、まだ電話やテレビのようなものは生み出されていない。魔術を使えば補えるが、基本的に仲間と連携を取るためには、仲間の”癖”を徹底的に理解していなければならない。

 

 ニパとイッルの2人は、スオミ支部がテンプル騎士団に加入し、異世界の科学力によって生み出された現代兵器が支給される前まで、一般的な飛竜に乗っていた戦士たちである。飛竜に乗って飛び立てば、飛竜の翼の音や咆哮だけでなく、風の音で味方の声は全く聞こえなくなる。当たり前の話だが、飛竜には無線機はついていないため、飛竜に乗った味方と連携をするには手で合図を送るか、目配せをする必要があった。

 

 戦闘中にそんなことをする余裕がない場合は、味方の動きを見て援護しなければならなかったのである。

 

 しかもスオミの里は常に雪で覆われている。夏でも雪原が姿を消すことはなく、場合によっては真夏であるにもかかわらず吹雪になるような場所だ。そのため、聴覚だけではなく視覚も全くあてにならない。

 

 そんな環境で、長い間イッルとニパの2人は、里へと侵入してくる敵を2人で連携を取りながら葬り続けていたのだ。HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を身につけ、キャノピーで覆われた戦闘機のコクピットに腰を下ろしていたとしても、2人の連携は全く変わらない。

 

 旋回を終え、減速しながら獲物を探すふりをしていたニパのグリペンに、墜落していく戦闘機の残骸の後方から姿を現したラファールがミサイルのロックオンを開始する。コクピットの中に響き始めた電子音を耳にしたニパは、口笛を吹きながらキャノピーの後方をちらりと見る。

 

 回避しようとするニパのグリペンの後方に居座るのは、灰色に塗装されたラファール。機首には撃墜マークが7機分ほど描かれており、彼もエースパイロットであることが分かる。

 

 もう既にロックオンは完了している筈だが、急旋回を繰り返すニパの後を追うラファールのパイロットはまだミサイルを撃とうとしない。確実に命中する角度で放とうとしているのだろう。7機も敵機―――――――飛竜の可能性もある―――――――を撃墜したエースだからなのか、ミサイルをそう簡単に発射するつもりはないらしい。

 

(慎重な敵だな)

 

 電子音を聞きながら、ニパはニヤリと笑う。

 

 飛竜に乗っていた頃は、自分の飛竜が風邪をひいた挙句、その飛竜から風邪をうつされて出撃できなくなったことがある。コマンチを支給された時は戦闘中に被弾し、雪山の真っ只中に墜落する羽目になった。

 

 不運としか言いようがない事ばかりだが―――――――ニパは、それでも空が大好きだった。

 

 幼少の頃からの夢だったのだ。飛竜に乗って戦う騎士たちのように、自分も飛竜に乗って空を自由に飛び回ることが。

 

 だから、墜落しても彼はもう一度飛竜に乗り、空を飛び続けた。

 

 それが、彼の夢だったのだから。

 

 急旋回を続けていたニパは、操縦桿を元に戻して減速する。そして再び操縦桿を倒して旋回しようとしたが―――――――彼のグリペンが旋回を始めるよりも先に、コクピットの中を駆け回っていたやかましい電子音が、何の前触れもなく途切れた。

 

 キャノピーの後方から緋色の光が入り込み、何かが爆発するような音がコクピットの中へと流れ込む。ちらりとレーダーを見て後方にいた敵機が消え失せたことを知ったニパは、その敵機を撃墜した味方の戦闘機の反応を見つめた。

 

 わざと隙だらけな飛び方をしたニパに狙いを定めた敵のエースを、彼の相棒が遠慮なく叩き落したのである。

 

『ケガはない?』

 

「あるわけねえだろ」

 

 苦笑いしながら返事をして、今度は隙を全く作らないように注意しながら急旋回。反対側から旋回してきた純白のグリペンとブレスト要塞上空ですれ違い、コクピットにいるパイロットに向かってニヤリと笑ってから、相棒(イッル)の後をついてきたラファールに機首の機関砲を叩き込む。

 

 エアインテークに2発ほど砲弾が飛び込んだ直後、1発の砲弾がラファールの機種を砕いた。亀裂の入ったキャノピーの向こうでは、被弾した際に飛び散った破片を浴びる羽目になったのか、血まみれになったパイロットが操縦桿を思い切り握ったまま、操縦不能になったラファールの隣を通過していくニパのグリペンを睨みつけている。

 

 火達磨になりながらぐるぐると回転を始めたラファールとすれ違った直後、墜落していくラファールのコクピットからパイロットスーツ姿の人影が零れ落ちる。やがてそのパイロットはパラシュートを展開すると、空を睨みつけながらゆっくりと大地へ降りていった。

 

 そのまま一旦高度を下げ、今しがたタンプル搭所属のSu-35を追いかけていったラファールに狙いを定める。ミサイルを放たれる前に目の前のSu-35を撃墜しようとしているのか、そのラファールのパイロットはニパから逃れようとする気配がない。

 

 ため息をつきながら、ニパは遠慮なくミサイルを放った。

 

 やっと敵機が慌てて回避し始めたが、もう既にミサイルは近接信管によって起爆し、荒々しい衝撃波と爆炎を解き放っていた。一瞬でエンジンノズルがひしゃげ、獰猛な爆風と衝撃波がフラップを叩き折る。垂直尾翼には爆風によって押し出された破片がいくつも突き刺さり、機体のバランスを滅茶苦茶にしてしまう。

 

 ぐらり、とラファールが黒煙を吐き出しながら揺れたかと思うと、今の衝撃のせいなのか、右側の主翼に生じた亀裂が一気に広がり、そのまま捥げてしまった。片方の主翼を失ったことで完全にバランスが崩れたラファールは、まるでライフリングによって回転を与えられた弾丸のようにぐるぐると回転しつつ、要塞の上空で空中分解を起こした。

 

 先ほどのパイロットのように、コクピットで操縦していた吸血鬼が脱出(ベイルアウト)した様子はない。

 

『た、助かった…………そのエンブレムはスオミ支部か?』

 

「おう、助けにきてやったぜ。コルッカの奴に感謝しな」

 

 ラファールに追いかけ回されていたSu-35の隣へと移動すると、Su-35のコクピットで、酸素マスクとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着したパイロットがニパに向かって手を振っていた。無線機から聞こえてくるのは、ニパよりも幼い声である。

 

(俺より年下か…………新兵なのか?)

 

 テンプル騎士団に所属する兵士の錬度は、それほど高くはない。

 

 ヴリシアの戦いを経験した兵士たちの錬度は高いが、生き残った兵士の人数はそれほど多くはない上に、モリガン・カンパニーの兵士たちと比べると彼らの錬度でも”中堅レベル”でしかないのだ。

 

 テンプル騎士団に所属する兵士の大半は、彼らによって解放された奴隷たちである。奴隷にされる前は農業をしていた者たちが大半であり、戦闘経験どころか剣を振るったことのない団員も含まれている。そのため戦い慣れていない兵士はまだ実戦には投入せず、訓練区画でしっかりと訓練を受けさせてから実戦投入している。

 

 例え辺境の前哨基地に配置されている末端の団員であっても、テンプル騎士団は”同志”たちの人命を最優先にするため、必然的に1人1人の兵士が受ける訓練時間は長くなってしまうのだ。

 

 訓練が長くなれば、その分実戦を経験するチャンスが遅くなる。そのためなかなか練度も上がらない。

 

 しかし、今回の吸血鬼たちの春季攻勢を撃退するには、さすがにベテランの兵士たちだけでは兵力が足りないため、まだ実戦経験が少ない新兵も実戦に投入されていた。

 

 手を振っている兵士に「いいか、落とされるなよ」と言いながら、ニパは舌打ちする。

 

 今しがたラファールに追い回されていたSu-35のパイロットは、隙だらけだった。おそらくまだ実戦を経験したことのないパイロットなのだろう。いくら少しずつテンプル騎士団が有利になりつつあるとはいえ、実戦経験のないパイロットを経験豊富な吸血鬼のパイロットたちと戦わせるのは、ナイフを持たせた子ウサギとライオンを戦わせるのに等しい。

 

 ニパの頭上で、イッルの放った機関砲によって蜂の巣にされたラファールが、火達磨になりながら落ちていく。夜空に刻み付けた黒煙をソニックブームで断ち切りながら急降下し、まだ生き残っていた敵のA-10の頭上から機関砲を叩き込んでいくのは、未だに無傷のグリペン。未だに一度も被弾したことがない”無傷の撃墜王”が操る、純白の戦闘機であった。

 

 加勢するべきだろうと思って操縦桿を倒しかけたその時、ニパの周囲を飛んでいた敵のラファールたちが、急に味方の戦闘機を追いかけ回すのを止めたかと思うと、急旋回してブレスト要塞から離れ始めた。

 

(撤退か?)

 

 確かに吸血鬼たちは劣勢である。辛うじてタンプル搭の航空隊と互角に戦っていたというのに、イッルとニパの乱入によって拮抗していた戦力差があっさりと崩壊し、そのまま劣勢になっていったのだ。このままここで戦って全滅するよりも、退却してもう一度準備を仕掛けてから制空権を確保しようとした方が勝率は高いだろう。

 

 前回の戦いであっさりと制空権を確保された吸血鬼たちならば、今度はそういう堅実な戦法を選ぶはずだと思っていたニパは、逃げていくラファールの編隊を睨みつけながらニヤリと笑う。だが彼の隣へとやってきた無傷のグリペンに乗るイッルは、違和感を感じているようだった。

 

『妙だね、なんだか』

 

「どこが? あいつら、俺らに勝てないから撤退したんだろ?」

 

『そうかな? …………もしかしたら、劣勢だから撤退したわけじゃないのかもしれないよ、ニパ』

 

「なんだって―――――――――――」

 

 イッルに問いかけようとしたその時だった。

 

 スオミ支部から派遣された2機のグリペンの近くに浮かんでいた雲に、いきなり風穴が開いたのである。それを見ていたニパは、その雲を突き抜けていった物体をぎょっとしながら見下ろし、大慌てで自分の機体のレーダーを確認する。

 

 ミサイルや敵の戦闘機と思われる反応は、一切映っていなかった。

 

 敵機の残骸だろうかと思ったニパがもう一度真下に鎮座するブレスト要塞を見下ろしたその時、要塞のほぼ中心部で生じた紅蓮の煌きが、防壁の内側を埋め尽くした。

 

 やがてその光は成長し、爆炎となって要塞の中へと拡散していく。辛うじて残っていた飛行場の管制塔を吹き飛ばし、格納庫の中に格納されていた航空機を焼き払った炎と衝撃波は、敵からの砲撃に耐え続けていた要塞の正門を防壁の内側から呆気なく吹き飛ばして敵が侵入できる道を作ると、防壁の上で待機していた兵士たちの肉体をあっさりと粉々に砕き、要塞砲を粉砕して、要塞の中を火の海にしてしまう。

 

 ブレスト要塞が、燃える。

 

 今しがた要塞に着弾した代物が、超遠距離から放たれた敵の攻撃であったことをニパとイッルが理解した直後、まだ健在だった爆風から解き放たれた衝撃波が、巨大な火柱と共に夜空を吞み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の地下にある中央指令室を支配するのは、猛烈なノイズの音。耳障りな音に反旗を翻すのは、ヘッドセットを装着したオペレーターたちの大きな声。

 

 数分前までは、攻め込んできた吸血鬼たちを迎え撃つブレスト要塞への指示を出していたから、オペレーターたちの言葉の種類はとても多かった。航空部隊についての指示や、敵の戦車を迎撃するためにシャール2Cの投入を許可する指示が聞こえてきたというのに、この忌々しいノイズが指令室の中を満たし始めてからは、多彩だった彼らの発する言葉が段々とワンパターンになっていく。

 

 聞こえてくるのは、「ブレスト要塞、応答せよ」という言葉ばかり。

 

 オペレーターたちが必死にブレスト要塞の司令官やオペレーターに指示を出そうとしても、忌々しいノイズがその声を呑み込んでしまう。

 

「ブレスト要塞、応答せよ。…………聞こえるか? こちらタンプル搭中央指令室。ブレスト要塞、応答せよ。何があった? 応答せよ。…………ダメです、同志。ブレスト要塞からの応答がありません…………!」

 

「バカな…………要塞が陥落したのか!?」

 

「そんなわけないだろ!? さっきまで敵の艦砲射撃にも耐えてたんだ! あの要塞が簡単に陥落するか!」

 

「でも応答がないじゃないか!」

 

「―――――――落ち着け、同志諸君」

 

 奮戦していたブレスト要塞からの通信が途絶えたのは、やはり大きなショックだろう。今のブレスト要塞はもう既に完成していて、堅牢な防壁と多数の要塞砲を兼ね備えているのだ。しかも防壁の中には戦車の格納庫や飛行場まで用意されており、敵部隊に攻撃されてもすぐに地上部隊と航空部隊で挟み撃ちにできる。

 

 更に、虎の子のシャール2Cまで配備されている巨大な要塞なのである。いくら兵士たちの錬度が低いとはいえ、あっさりと陥落するわけがない。

 

「航空部隊は? 要塞の状態を確認させるんだ」

 

「りょ、了解! …………アーサー1、カワウ1-1、応答せよ。こちらタンプル搭中央指令室。航空隊、要塞の状況を確認できるか? 応答せよ…………くそったれ、航空隊もダメです!」

 

「…………バカな」

 

 航空隊も応答しない…………!?

 

 一体、要塞で何が起きた…………!?

 

 要塞と航空隊に向かって通信を続けるオペレーターの声と、耳障りなノイズの音。鼓膜へと流れ込んでくる音を聞きながら、拳を思い切り握りしめる。

 

 アルフォンスやニパたちは、生きている筈だ。ブレスト要塞で何が起きたのかは分からないが、要塞だけではなく航空部隊まで全滅した可能性は低い。おそらく向こうの通信設備が完全に破壊されたか、吸血鬼共の電波妨害だろう。

 

「同志団長、どうしますか…………!?」

 

 唇を噛み締めながら、ちらりとナタリアの方を見た。

 

 もし要塞と航空部隊が全滅したというのであれば、テンプル騎士団が不利になる。制空権は吸血鬼共が確保した挙句、重要拠点の1つを失ったことになるのだから。

 

「………………他の拠点には最低限の守備隊だけを残し、それ以外のすべての兵力をタンプル搭に終結させろ。動かせる兵器も全て投入し、タンプル搭の周辺に最終防衛ラインを構築する。もちろんシャールたちもだ」

 

「お、お待ちください、同志団長! それではラルシュラム・ダムの警備が―――――――」

 

「ああ、そうだ。ダムの警備は一気に薄くなる。……………だがな、我々の艦隊はもう既に出撃した。軍港に残っている艦は殆どない。ダムを破壊されたとしても、もう痛手ではないだろう?」

 

 もう、軍港の中はもぬけの殻だ。今更ダムを爆破されたとしても、軍港が一時的に水没するだけである。

 

 それに敵の主力部隊は、明らかにブレスト方面から侵攻してきている。一番最初にダムを襲撃した特殊部隊と航空部隊は、ディレントリア方面から侵攻してくる主力部隊を進軍させるための陽動だったのだ。ダムを襲撃するふりをすることで、俺たちに攻撃目標がダムであると思い込ませ、タンプル搭以外では最も守備隊の規模の大きなダムの兵力を動けなくさせることが目的だったのだ。

 

 敵の兵力はこちらの6分の1か7分の1。規模が小さいのだから、こっちの全ての兵力を相手にしないようにしたのだろう。

 

 やってくれるじゃないか、ブラド……………ッ!

 

「俺も前線に出る。クラン、ここで指揮を執ってくれるか?」

 

「任せなさい」

 

 最初はナタリアに任せようと思ったんだが―――――――彼女に頼もうと思っていたら、ナタリアに睨みつけられてしまった。

 

 自分も前線に出るという事なんだろうか。

 

「……………ラウラ、狙撃手部隊を指揮してブレスト要塞方面に進軍してくれ。要塞の様子を確認しつつ、最終防衛ラインの構築完了まで時間を稼ぐんだ。俺はヘリから援護する」

 

「分かったわ」

 

「ステラ、パイロットを頼む。イリナはガンナーを」

 

「はい」

 

「了解(ダー)」

 

「ナタリアはチョールヌイ・オリョールで狙撃手部隊を支援してくれ」

 

「ええ」

 

「よし、行くぞ」

 

 まず、スーパーハインドに狙撃手部隊の隊員たちを乗せてブレスト要塞付近まで移動し、そこで隊員たちを降ろす。俺とステラとイリナは上空のスーパーハインドから敵部隊を攻撃してラウラたちを支援しつつ、要塞の状況と敵部隊の規模をタンプル搭へと報告する。

 

 敵の戦車部隊が進撃してきた場合は、ナタリアがチョールヌイ・オリョールの砲撃で狙撃手部隊の撤退を支援しつつ、すぐに後退。あくまでこれは最終防衛ライン構築までの時間稼ぎと、通信が途絶えたブレスト要塞の状況を確認する偵察を兼ねた任務だ。

 

 それゆえに、無理はできない。絶対に生還する必要がある。

 

 中央指令室で指揮を執ることになったクランに「頼んだぞ」と言ってから、戦艦の砲手を担当するカノンを除く仲間たちを引き連れた俺は、中央指令室を後にするのだった。

 

 

 

 



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ラウラの教え子

 

 ブレスト要塞からの通信が途絶えたという情報は、タンプル搭を出撃した艦隊も察知していた。

 

 広大な河の真っ只中に造られた軍港を出撃した艦隊の任務は、ブレスト要塞を攻撃する敵部隊を艦砲射撃で撃滅する事と、河の中か、ウィルバー海峡に展開している敵艦隊の殲滅である。ウィルバー海峡へと突入する前にブレスト要塞の近くを通過するのだから、まず最初に艦隊との砲撃戦よりも、味方の要塞を袋叩きにしている怨敵たちの掃除から始めることになる。

 

 そのため、まず味方の要塞に艦砲射撃を開始することを通達するために、CICでヘッドセットを身につけた乗組員の1人が要塞へと連絡しようとした際に、要塞が敵の攻撃によって陥落してしまったという事を知ったのだ。

 

「ブレスト要塞、応答せよ。こちら、戦艦ジャック・ド・モレー。ブレスト要塞、聞こえてるか?」

 

「くそ、応答なしか…………」

 

 拳を思い切り握りしめながら、ブルシーロフ大佐は呟いた。

 

 ブレスト要塞はまだ完成したばかりの要塞であり、守備隊はモリガン・カンパニーの兵士たちから見れば新兵としか言いようがない練度であったが、堅牢な防壁と強力な要塞砲を併せ持つ要塞である上に、虎の子のシャール2Cまで配備されていた。いくら敵が艦砲射撃を行いながら進撃してきたとしても、簡単に陥落するわけがない。

 

 それにブレスト要塞は、数分前までは敵の艦砲射撃に耐えながら応戦を続けていたのである。もし仮に運悪く砲弾が防壁や隔壁を貫通し、ブレスト要塞の地下にある中央指令室を直撃したのであれば応答がないのは当たり前だが、ブレスト要塞が艦砲射撃によって被害を受けたのは地上の格納庫や飛行場だけだ。いきなり飛来した砲弾が運よく隔壁を貫通し、中央指令室で爆発したのはありえない。

 

 さすがに大口径の砲弾を叩き込まれれば、要塞の地下にある戦術区画や居住区を守る分厚い装甲や隔壁は呆気なく貫かれてしまうだろう。だが、そんなことができる砲弾は、ブルシーロフ大佐たちが乗る戦艦ジャック・ド・モレーの主砲よりも巨大な代物でなければならない。いくら吸血鬼たちが強力な兵器を保有していると言っても、そのような巨大な砲弾を放つことができる代物を投入する可能性はかなり低かった。

 

 敵の切り札は、短時間でブレスト要塞の塹壕を突破したあの突撃歩兵たちなのだから。

 

「要塞の周囲に敵は?」

 

「一旦要塞から離脱した航空部隊が、進路を変更して再び要塞へと接近中。友軍の航空隊も応戦を開始します」

 

「味方の航空隊は無事か…………。要塞は?」

 

「分かりません。パイロットたちに確認してもらおうと思ったのですが、電波妨害を受けているのか、ノイズしか聞こえてきませんよ」

 

 舌打ちをしようとしたブルシーロフ大佐は、乗組員からの報告の中に”味方の航空隊が奮戦している”という情報が含まれていたことに気付き、舌打ちの代わりに溜息をついた。

 

 ブレスト要塞が大打撃を受けた可能性は高いが、少なくとも航空部隊まで”壊滅”したわけではないらしい。ブレストの上空で戦っているのは、スオミ支部とタンプル搭から派遣された航空部隊。その中の3名は、練度が低い上に経験が浅い兵士が大半を占めるテンプル騎士団の中では貴重なエースパイロットである。

 

 彼らが戦死していれば、テンプル騎士団はブレスト要塞を失う損害に匹敵する大打撃を受けていた事だろう。

 

 死者は、絶対に生き返らないのだから。

 

「敵の地上部隊は分かるか?」

 

「はい、同志艦長。要塞の周囲には敵の主力戦車(MBT)や超重戦車(マウス)共が何両もいます。おそらく、歩兵の群れもいるでしょう」

 

「砲撃しますか?」

 

 別の乗組員が問いかけてくるが、ブルシーロフ大佐はすぐに砲撃命令を下すことができなかった。

 

 タンプル搭を出撃したのは、20隻のソヴレメンヌイ級駆逐艦と16隻のウダロイ級駆逐艦に護衛された艦隊である。ミサイルをこれでもかというほど搭載したスラヴァ級5隻とキーロフ級2隻もいる上に、対艦ミサイルを搭載したキャニスターだけではなく、大口径の主砲を搭載した戦艦が12隻もいるのだ。普通の司令官であれば、すぐに砲撃命令を下していた事だろう。

 

 しかし、要塞の味方に艦砲射撃を開始することを通達できないせいで、いきなり始まった艦砲射撃を敵の砲撃と誤認し、まだ生き残っている守備隊が混乱する可能性があった。

 

 要塞と通信ができるのであれば、砲撃前に要塞の中央指令室に艦砲射撃が始まることを通達し、兵士たちを退避させることもできる。しかし今は要塞だけではなく、最前線で戦っている航空部隊とも連絡が取れない状況だ。いきなり砲撃を始めれば、味方を混乱させて”止め”を刺すことになりかねない。

 

 対艦ミサイルを使えば、砲弾による攻撃よりも正確に敵を撃破することができるだろう。しかし、河の外に敵艦隊が展開している可能性もあるため、キャニスターの中の対艦ミサイルたちは温存しておく必要がある。近代化改修を受けた戦艦が12隻もいるとはいえ、現代戦の主役は砲弾ではなくミサイルなのだから。

 

 通信兵を乗せたヘリを派遣するべきだろうかと考えたその時だった。

 

「同志艦長、12時方向から敵艦のレーダー照射です!」

 

「敵艦隊は駆逐艦10隻、超弩級戦艦3隻! 駆逐艦はアーレイ・バーク級の模様!」

 

「くっ、敵艦隊に狙われたか……………! やむを得ん。ガングート級の4隻と護衛にソヴレメンヌイ級を6隻残し、それ以外の艦で敵艦隊を撃滅する! 残る艦は艦砲射撃で敵部隊を殲滅せよ!」

 

 この海戦に投入された戦艦で、ヘリの格納庫を搭載しているのはガングート級のみである。その代わりに搭載している主砲の数は他の戦艦と比べると少なくなってしまっているものの、4隻の同型艦での艦砲射撃ならば敵部隊に大打撃を与えられるだろう。

 

 目の前のモニターに投影されているガングート級の反応が少しずつ遠ざかっていくのを見つめながら、ブルシーロフ大佐は息を呑んだ。

 

 先ほどの乗組員の報告では、敵の駆逐艦はアメリカの”アーレイ・バーク級”と呼ばれるイージス艦だという。高性能なレーダーと強力なミサイルを併せ持つ世界最強の駆逐艦であり、ミサイルや速射砲による攻撃はほぼ百発百中。こちらが数多のミサイルを立て続けに放ち続けたとしても、アーレイ・バーク級ならば瞬く間にそのミサイルを次々に叩き落してしまうだろう。

 

 航空機で攻撃しようとしても、その航空機は迎撃されていくミサイルと同じ運命を辿ることになる。

 

 それに対し、テンプル騎士団は1隻もイージス艦を保有していない。駆逐艦はアーレイ・バーク級から見れば旧式のソヴレメンヌイ級やウダロイ級となっており、近代化改修を受けた戦艦たちもその駆逐艦の装備を旧式の戦艦に移植し、改良して性能を底上げした程度である。

 

 数ではこちらが上だが、敵艦は最強のイージス艦を10隻も投入している。こちらの対艦ミサイルが敵艦を直撃するよりも先に、敵から放たれた対艦ミサイルが、こちらの艦隊を海の藻屑に変えることになるのは想像に難くない。

 

「敵艦、ミサイル発射! トマホークです!」

 

「グブカ、コールチク、迎撃開始! ECMも忘れるな!」

 

 ジャック・ド・モレーは、強力な主砲と40発もの対艦ミサイルだけではなく、対空ミサイルの”3M47グブカ”に加え、対空用の機関砲と対空ミサイルを併せ持つ”コールチク”をこれでもかというほど搭載している。イージスシステムは搭載されていないものの、凄まじい弾幕を張ることが可能だ。

 

 更に副砲を全て撤去し、その副砲の代わりに連装型の”AK-130”と呼ばれる速射砲も搭載している。

 

 接近中のトマホークの群れへと、ジャック・ド・モレーに搭載されている迎撃用の対空ミサイルが発射されていく。甲板の上にずらりと並ぶAK-130の群れが旋回し、砲身を夜空へと向けて迎撃態勢を整える頃には、真っ白な煙を夜空に刻み付けて飛翔していったミサイルたちが、三日月と星空の光の中で、新たな光を生み出していた。

 

 ミサイルとミサイルが激突して産声を上げる、人工的な煌き。

 

 後方の艦隊からも発射された対空ミサイルが飛翔していき、先頭を進むジャック・ド・モレーへと襲い掛かっていくミサイルの群れを、次々に焼き払っていく。

 

 星の光と爆炎が煌く方向へと、ジャック・ド・モレーが率いるテンプル騎士団艦隊は進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スーパーハインドの兵員室に腰を下ろすのは久しぶりかもしれない。

 

 サイドアームのPL-14の点検をしながら、俺はそう思った。最近はヘリに乗ることが少なかったし、こうやって兵員室の中に座るのではなく、ターレットの機関砲とロケットポッドから放たれるロケット弾で敵を蹴散らす戦闘ヘリを、AK-12を持ちながら見上げている事の方が多かった。

 

 なんだか、実家に戻ってきたような気分だ。

 

 自室やシャワールームはない。リビングよりも狭い上にメインローターの音が轟く兵員室の中にあるのは、兵士たちを座らせるための座席と頑丈なハッチのみ。ハッチの窓から覗くのは、強力な武装をこれでもかというほどぶら下げたスーパーハインドのがっちりしたスタブウイング。

 

 ライトが装着されたPL-14をホルスターの中に戻してから、兵員室の中に乗っている兵士たちを見渡す。もしこれが普通の作戦だったのならば、テンプル騎士団の黒い制服に身を包み、AK-12を装備した兵士たちが兵員室の中に座っている事だろう。

 

 けれども、俺の周囲に腰を下ろしている兵士たちが身につけているのはテンプル騎士団の制服ではなく、カーキ色の制服だった。肩や背中は同じくカーキ色のマントに覆われており、そのマントにはフードもついている。

 

 手にしているスナイパーライフルも、従来の塗装ではなくカーキ色に塗装されていた。

 

 この兵員室にいるのは、ラウラの教え子たちだ。ヴリシアの戦いから生還したベテランの狙撃手もいるし、ラウラの訓練を受けて何度か実戦を経験した兵士たちもいる。テンプル騎士団の兵士たちの錬度は低いけれど、この部隊とスペツナズの錬度だけは高い。

 

 彼らの任務は、通信が途絶えたブレスト要塞の様子を確認する事と、進撃してくる敵部隊を足止めする事。もしブレスト要塞が壊滅していたのであれば、生存者を救出して敵部隊を攻撃し、タンプル搭の周囲で最終防衛ラインが構築されるまでの時間稼ぎをする。まだ要塞が健在であったのならばそのまま敵部隊を攻撃し、要塞の守備隊を支援しつつ後方の最終防衛ラインまで後退。守備隊と本隊を合流させ、最終防衛ラインで吸血鬼たちを迎え撃つ。

 

 ブレスト要塞を放棄する羽目になるが、大打撃を被った要塞の守備隊をそのまま戦わせるわけにはいかない。仲間を見殺しにするわけにはいかないのだから。

 

 とはいえ、敵はブレスト要塞の塹壕を瞬く間に突破し、要塞に大打撃を与えてしまうほどの強敵である。要塞の様子を偵察する必要があったとはいえ、要塞を攻撃している敵の足止めをするために派遣されたのは8名の狙撃手のみ。彼らを掩護するのは、1両のチョールヌイ・オリョールと、天空を舞う1機のスーパーハインドだけだ。

 

 力不足に見えるかもしれないが、狙撃手による足止めは非常に効果的な戦術の1つである。

 

 実際に、ベトナム戦争の際にアメリカ軍の狙撃手が、観測手と共に敵の大部隊を狙撃して足止めしたことがある。いくらアサルトライフルや機関銃で武装した大部隊でも、姿を消して射程距離外から狙撃してくる狙撃手を倒すのは至難の業というわけだ。

 

 もしかしたら狙撃される可能性があるため、迂闊に突撃できないのである。

 

 だから今回の作戦は、ラウラの教え子たちの中から選抜された8人と、彼らに狙撃を教えた教官(ラウラ)に参加してもらう。俺はこのままヘリの兵員室のハッチを開け、スーパーハインドと共に空を飛んで上空から狙撃する予定だ。

 

 ラウラは観測手(スポッター)がいなくてもエコーロケーションで索敵できるし、視覚は俺よりも発達しているから1人でも大丈夫だ。彼女以外の隊員たちは、観測手(スポッター)と狙撃手(スナイパー)で二人一組になって狙撃を行うことになっているらしい。

 

 テンプル騎士団の観測手(スポッター)には、共に行動する狙撃手(スナイパー)を護衛するという任務もあるため、こちらのメインアームは狙撃用の得物ではなくアサルトライフルとなっている。

 

 狙撃手たちが使用しているのは、ロシア製ボルトアクション式スナイパーライフルのSV-98。使用する弾薬は、命中精度が極めて高い.338ラプア・マグナム弾だ。けれども狙撃手の1人は、新型ライフルのSV-98ではなく、スコープとバイポットを装着した古めかしいモシン・ナガンを装備していた。

 

 ボルトハンドルを引き、.338ラプア・マグナム弾を装填していく狙撃手。どうやらモシン・ナガンで使用する弾薬を.338ラプア・マグナム弾に変更した代物らしい。

 

 少しばかりびっくりしたけど、ラウラの教え子の中にはSV-98よりもモシン・ナガンを好む狙撃手も多い。実戦でもスコープ付きのモシン・ナガンを使って大きな戦果をあげた狙撃手が何人もいるため、SV-98を使うように指示を出してはいなかった。

 

 でも使う弾薬が仲間と違うものだと不便なので、せめて弾薬だけは変えてもらっている。

 

 スコープの確認をし始めたその狙撃手を見守ってから、ハッチの外を見つめる。スーパーハインドは予想よりも高度を下げているらしく、いつの間にか窓の外に見えていた星空は消え失せつつあった。舞い上がった砂塵を纏いながら飛行していくスーパーハインドが徐々に速度を落とし始めたのを感じた俺は、兵員室の椅子から立ち上がり、ハッチを開ける準備をする。

 

『まもなく降下地点です。準備をお願いします』

 

 今のところ、まだ敵には発見されていないらしい。狙撃手たちを降下させる前にスティンガーをプレゼントしてもらえるんじゃないかと思ってたんだが、相変わらず兵員室の中を支配しているのはハッチの外から流れ込んでくるメインローターの音だけだ。

 

 やがて、スーパーハインドがゆっくりと空中で停止する。空中とは言っても、何も使わずに飛び降りられる程度の高さだ。兵員室のハッチを開け、砂塵が舞い上がる大地を見下ろしながら後ろを振り返る。

 

 すでに狙撃手たちは降下する準備を終えており、得物を背負ったまますぐにハッチの近くへとやって来ると、息を呑んでからあっさりと飛び降り、砂漠の上に着地した。一緒に行動する観測手(スポッター)も「援護は頼みましたよ」と俺に言ってからジャンプし、狙撃手の傍らに着地する。

 

 十分足止めしたら、必ず彼らを回収して離脱する。当たり前だが捨て駒にするつもりはない。

 

 素早くヘリから降りていく狙撃手と観測手たち。一番最後にラウラも立ち上がり、得物を持ったまま飛び降りる準備をする。

 

 いつもの黒い制服とベレー帽を身につけていないせいなのか、マントとフードのついたカーキ色の制服に身を包んでいるラウラを見る度に違和感を感じてしまう。俺に甘えてくるときの優しいラウラではなく、親父とエリスさんから受け継いだ獰猛さを纏うラウラは予想以上に大人びており、同い年だというのに年上の姉のように見える。

 

 真面目なラウラも魅力的だ。

 

 そんなことを考えているうちに、ラウラは右手でフードを掴み、それをかぶって赤毛とキメラの角を隠した。そしてちらりと俺の方を見ると、微笑みながら唇を近づけてくる。

 

 いつもみたいにイチャイチャするわけにはいかないので、キスは短めにしておこう。そう思いながらラウラの唇を奪い、舌を絡ませながら優しく抱きしめる。普段ならラウラが満足するまでずっとキスをしているんだけど、今はイチャイチャしている場合じゃないからキスは短めだ。

 

 でも、ラウラは満足してくれたらしい。

 

「――――――行ってくるわね」

 

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 

 微笑みながら頷き、ラウラは兵員室からジャンプした。

 

 仲間たちの傍らに着地し、すぐに味方に指示を出すラウラ。教え子たちは彼女に敬礼してから観測手と共にブレスト要塞へと移動を開始する。

 

 頼もしい9人の狙撃手と観測手たちが移動を始めたのを見守りつつ、俺も兵員室の壁に立てかけておいた得物の準備を始めた。兵員室のハッチを開けたまま、折り畳まれていた長大な銃身を展開し、先端部にT字型のマズルブレーキが装着されたでっかいライフルを外へと向ける。

 

 それは、かつて親父がネイリンゲンにある屋敷で傭兵をやっていた頃から愛用していた、ロシア製アンチマテリアルライフルのOSV-96だった。一時期は親父と同じようにロケットランチャーを取り付けて使っていたが、今ではロケットランチャーを取り外し、折り畳み式のバイポッドやパームレストを装着して運用している。

 

 使用する弾薬は12.7mm弾から、対戦車ライフルの弾薬としても使われていた14.5mm弾へと変更しておいた。ライフル本体の左側にはマガジンのホルダーが用意されており、そこにはすでに深紅のラインが刻まれたマガジンが用意してあるが、それに入っている弾薬は14.5mm徹甲弾だ。

 

 ライフル本体の左斜め上には、中距離での狙撃で使うためにソ連製のPEスコープを装備。ライフルの上部には長距離狙撃用のスコープを装備しており、そのスコープの上には近距離の敵を狙うためのドットサイトがある。

 

 銃床には伏せて狙撃する際に展開するモノポッドを搭載し、でかいマズルブレーキの下には白兵戦用の折り畳み式スパイク型銃剣を装備している。こいつで白兵戦をすることはないと思うが、使用するポイントの寮がかなり少なかったので、念のため装着しておいたのだ。

 

 スコープの蓋を開け、狙撃準備に入る。こいつはボルトアクション式ではなくセミオートマチック式であるため、ラウラが持って行ったゲパードM1と比べると命中精度は劣る。けれども、旅を始めた頃からずっと使っている代物だからかなり使い慣れている。

 

 よろしく頼むぜ、相棒。

 

 再びヘリが移動を始めたのを確認した俺は、左手をライフルのキャリングハンドルへと伸ばし、ハッチの向こうに見える要塞を見つめた。

 

 

 



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大盤振る舞いと飽和攻撃

 

 砂漠の上に広がる星空が、無数の白煙に八つ裂きにされていく。

 

 ウィルバー海峡に展開するアーレイ・バーク級の群れから解き放たれたトマホークたちは、すぐに高度を下げて低空飛行をしながら、タンプル搭へと続く河へと突入していった。テンプル騎士団艦隊の兵力は吸血鬼たちの艦隊よりも多いものの、テンプル騎士団は高性能なイージス艦を1隻も保有しておらず、冷戦の真っ只中に設計された旧式の駆逐艦や、戦艦に近代化改修を施して運用を続けている。

 

 そのため、ミサイルを迎撃できる確率が低いのはテンプル騎士団の方であった。可能な限りレーダーを最新のものに換装し、迎撃用の武装をこれでもかというほど搭載することによって少しでもミサイルを迎撃できる確率を上げようとしているが、吸血鬼たちが運用するイージス艦は、そのような改造を施さなくてもミサイルを撃墜することができるのだ。

 

 10隻のアーレイ・バーク級から放たれたトマホークの群れが狙っているのは、テンプル騎士団艦隊の戦闘を進む巨大な戦艦だ。かつてソ連軍が建造する筈だった超弩級戦艦に近代化改修を施し、対艦ミサイルのキャニスターや対空ミサイルを搭載することによって攻撃力を爆発的に向上させた、テンプル騎士団の力の象徴である。

 

 ヴリシアの戦いでは戦艦モンタナを撃沈し、地上部隊を支援するために艦砲射撃を最後まで続けた、テンプル騎士団が保有する最強の戦艦だ。

 

 艦隊の旗艦であるジャック・ド・モレーに搭載されたグブカやコールチクから、トマホークの群れを迎え撃つために対空ミサイルたちが解き放たれる。イージス艦を保有していないテンプル騎士団は、少しでもミサイルや戦闘機を迎撃できる確率を向上させるため、近代化改修を施した戦艦には無数の対空兵器を搭載している。

 

 放たれた無数の対空ミサイルの白煙で、ジャック・ド・モレーの甲板が包み込まれていく。後続のソビエツキー・ソユーズ級やインペラトリッツァ・マリーヤ級も同じく対空ミサイルによる迎撃を開始し、瞬く間に夜空とCICの中にあるモニターの反応が、対空ミサイルたちに埋め尽くされていった。

 

 その無数のミサイルたちが、艦隊を撃沈するために突撃してくるトマホークの群れへと立ち向かっていくのを見つめながら、CICの中でイワン・ブルシーロフ大佐は固唾を呑んだ。

 

 やがてトマホークの群れと、艦隊から放たれた対空ミサイルの反応がモニターの中でぶつかり合い―――――――お互いの反応が、一気に消え去る。

 

 レーダーから反応が消えたという事は、トマホークの群れが対空ミサイルに食い破られ、艦隊を襲う前に海の藻屑と化したことを意味する。しかし、大量のミサイルを放ったにもかかわらず、全てのトマホークを迎撃することができたわけではないらしい。

 

「トラックナンバー001から023、迎撃成功! 残り17発!」

 

「速射砲、コールチク、迎撃開始!」

 

 残ったミサイルの数は17発。このミサイルの攻撃さえ迎撃できれば、敵のイージス艦の群れへと接近できるだろう。

 

 いくら超弩級戦艦が並走できるほどの広さがあるとはいえ、河を脱出してウィルバー海峡へと出るまでは単縦陣のまま進むしかない。本来ならばただ単に迎撃するだけでなく、回避しながら迎撃をするのだが、艦隊はまだ河から脱出できていないため動き回ることができないのだ。

 

 そのため、単縦陣のまま敵艦隊へと向けて前進しつつ、接近してくるミサイルを片っ端から撃墜していくしかないのである。

 

 甲板の上に副砲の代わりに設置されたAK-130の群れが、一斉に夜空へと砲身を向ける。艦隊の先頭を進むジャック・ド・モレーへと接近してくるのは、無数の対空ミサイルを回避した生き残りたち。

 

 巨大な戦艦が空から迫りくる敵へと砲塔を向ける姿は、第二次世界大戦の最中に活躍した戦艦たちが、接近してくる敵の航空部隊を迎え撃とうとしているようにも見えた。

 

 航空機やミサイルが一気に発達したことにより、もう二度と実戦投入どころか建造されることがなくなった戦艦たちの仇を取ろうとしているかのように、”生れ落ちることのなかった戦艦”の速射砲や機関砲から、無数の砲弾が放たれ始める。

 

 乗組員たちから迎撃が始まったという報告を聞いたブルシーロフ艦長は、接近してくるトマホークの反応を睨みつける。

 

 ジャック・ド・モレーは分厚い装甲を持つ超弩級戦艦だ。駆逐艦や空母に致命傷を与えるほどの威力を誇るトマホークは、命中すれば戦艦でも致命傷になる。しかも、ジャック・ド・モレーの艦橋や煙突の左右には、4連装型のキャニスターが5基ずつずらりと並んでいる。ヴリシアの戦いではミサイルを放ち終えた後に何発も被弾する羽目になったものの、中身のないキャニスターを失い、甲板に大穴を開けられた程度で済んだ。

 

 だが、今はまだキャニスターの中にミサイルがある。一撃でイージス艦や巡洋艦を撃沈してしまうほどの火力を持つ、虎の子のソ連製対艦ミサイルである”P-270モスキート”が。

 

 そんな状態の甲板に1発でもミサイルが着弾すれば、ジャック・ド・モレーは火達磨になるだろう。直撃したトマホークに甲板を抉られた挙句、温存していた対艦ミサイルを全て誘爆させられ、甲板や艦内が火の海と化すのだから。

 

 それゆえに、対艦ミサイルを全て発射するまでは、被弾は許されない。

 

「あと3分で海峡を脱出!」

 

「よし、反撃開始だ! このミサイルを迎撃し終えたらこっちもモスキートをお見舞いする! 全艦、対艦ミサイル発射準備!」

 

「トラックナンバー029から038、撃墜!」

 

「残り2発!」

 

「撃ちまくれ!」

 

 1発も被弾が許されないのは、ジャック・ド・モレーだけではない。

 

 後続のソビエツキー・ソユーズ級たちやインペラトリッツァ・マリーヤ級たちも、艦橋の左右に対艦ミサイルの入ったキャニスターを搭載している。もしトマホークがそれを直撃して誘爆すれば、下手をすればその一撃だけで轟沈する可能性もある。辛うじて轟沈しなかったとしても、そのまま砲撃戦に突入できるとは思えない。

 

 兵力ではテンプル騎士団が上だが、駆逐艦や戦艦の性能では吸血鬼たちの方が上なのだ。1隻が撃沈されたり、戦線を離脱するだけでもどれだけの痛手になるのかは想像に難くない。

 

 コールチクやAK-130の群れが吐き出す砲弾たちが、ついに接近中のトマホークに突き刺さる。

 

 先端部を砲弾が抉った直後、2発のミサイルがジャック・ド・モレーのすぐ近くで膨れ上がり、紅蓮の爆炎が産声を上げた。荒々しい爆音に押し出された破片たちが洋上迷彩が施されたジャック・ド・モレーの装甲に激突するが、いくらミサイルの破片とはいえ、その程度ではジャック・ド・モレーの装甲を貫くことはできない。

 

 近距離で爆発したトマホークの衝撃波によって、ジャック・ド・モレーの船体が少しだけ揺れた。

 

「迎撃成功!」

 

「被害は!?」

 

「損害無し!」

 

「よし、反撃開始だ! 敵のアーレイ・バーク級を狙え!」

 

 敵艦隊はビスマルク級戦艦3隻と、アーレイ・バーク級10隻。ビスマルク級も近代化改修を受けているようだが、主砲の射程距離外ではビスマルク級よりもアーレイ・バーク級の方が厄介な存在である。

 

 強力なトマホークミサイルを遠距離から放ってくる上に、こちらが発射したミサイルをことごとく迎撃できるのだから。

 

 近代化改修を受けているビスマルク級もイージスシステムを搭載されている可能性があるが、戦艦は接近してから砲撃で対処すればいい。それにこの対艦ミサイル攻撃でアーレイ・バーク級を撃沈できなくても、敵のミサイルを迎撃しながら強引に接近すればこちらの独壇場だ。

 

 いくら強力なミサイルと高性能なレーダーを持っていたとしても、虎の子のトマホークを使い果たした上に戦艦に接近されれば、イージス艦は砲撃であっという間に海の藻屑となる。

 

 それよりも先に対艦ミサイルで撃沈するのが望ましいが、10隻のイージス艦をこのミサイル攻撃で撃沈するのは難しいだろう。ブルシーロフ大佐はそう思いながら唇を噛み締めつつ、乗組員たちの報告を待ち続けた。

 

「全艦、ミサイル発射準備完了!」

 

「攻撃目標、アーレイ・バーク級! 後方のガングート級と駆逐艦にもミサイルの発射を要請!」

 

「これより飽和攻撃を敢行する! ―――――――同志諸君、大盤振る舞いだ。全弾ぶっ放せ!!」

 

 軍帽をかぶり直しながら命令を下した直後、ジャック・ド・モレーの甲板に搭載された4連装キャニスターたちが、次々にミサイルを吐き出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「艦長、敵艦隊よりレーダー照射を確認」

 

 アーレイ・バーク級のCICの席に座る乗組員に告げられた艦長は、吸血鬼の特徴でもある鋭い犬歯を剥き出しにしながらニヤリと笑った。

 

 敵艦隊よりも規模は小さいものの、吸血鬼たちの艦隊は高性能なイージス艦たちによって守られている。さすがに改造に必要なポイントが多すぎるため、ビスマルク級にイージスシステムを搭載することはできなかったものの、世界最強のイージス艦(アーレイ・バーク級)が10隻もあれば敵がどれだけ対艦ミサイルを放ってきても、容易く迎撃できる。

 

 現代の海戦の主役でもあるミサイルを撃ち尽くせば、敵の攻撃手段はとっくの昔に廃れた大口径の主砲のみ。ロックオンした敵へと向かっていく賢い兵器(ミサイル)よりも命中精度は低く、射程距離も短い。石器や棍棒を持った原始人が、銃を持った兵士たちに突っ込んで行くようなものだ。

 

(撃つがいい。全て叩き落してやる)

 

 春季攻勢が始まる前に、吸血鬼たちは魔物の討伐に何度かイージス艦を投入していた。背中に生えている太い棘をミサイルのように飛ばしてくるリヴァイアサンの攻撃をあっさりと全て迎撃し、姿を現した怪物の頭をトマホークで吹き飛ばしたのを目の当たりにした吸血鬼たちは、ブラドから与えられたアーレイ・バーク級の性能をもう既に理解している。

 

 異世界で産み落とされた兵器は、彼らの住んでいる世界の兵器とは比べ物にならないほど高性能だ。その上魔力を一切使わないため、もし仮にブラドの世界とこの世界が戦争になれば、この世界はあっという間に壊滅してしまうだろう。

 

 敵も同じイージス艦を使ってくると予測していたが、河から姿を現したのは旧式の駆逐艦や巡洋艦の群れに護衛された、大昔に廃れた兵器(超弩級戦艦)たち。

 

 敵がミサイルを撃ち尽くせば勝負は決まるだろうと思いながら、CICの中で艦長は軍帽をかぶり直した。

 

 しかも、敵艦隊の旗艦はヴリシアでモンタナを撃沈した超弩級戦艦。忌々しいテンプル騎士団の旗艦を撃沈すれば、間違いなくテンプル騎士団の海軍は総崩れになるだろう。それに敵艦隊を仕留められなくても、後方に待機している戦艦ビスマルクには切り札が搭載してある。

 

 艦長は自分たちが有利だと思い込んでいたが――――――――いきなりこちらを振り向いた乗組員の報告を聞いた瞬間、有利だという考えを投げ捨てる羽目になった。

 

「て、敵艦隊よりミサイル飛来! かっ、か、数は―――――――――456発ッ!? 全部対艦ミサイルです!!」

 

「―――――――は?」

 

 狼狽する乗組員を見つめながら、艦長は凍り付く。

 

 冷や汗を拭い去り、乗組員の報告は間違っているのだろうと思いながらレーダーを確認する艦長。もしそこに敵のミサイルの反応が無かったら、ありえない報告をしてきた乗組員を殴りつけてやろうと思っていたのだが、そのレーダーに映っているミサイルの数を目にした瞬間、またしても彼は凍り付いた。

 

 ――――――ミサイルの反応というよりは、巨大な光の塊としか言いようがないほどの反応が、艦隊へと接近していたのである。

 

「な、なんだこの数は…………ッ!?」

 

 敵艦隊が、キャニスターに装填していたミサイルをいきなり全て放ったとしか思えない数である。敵艦に搭載されているミサイルの数は不明だが、もし仮に敵艦隊が本当に全てのミサイルを発射したというのであれば、これを全て迎撃することができれば、この海戦に勝利することができるだろう。

 

 ミサイルを使い果たしてしまえば、あとはこちらのトマホークやハープーンの餌食になるしかないのだから。

 

「迎撃しろ。この飽和攻撃を迎撃すれば我らの勝利だぞ!」

 

「了解(ヤヴォール)!!」

 

「スタンダードミサイル、発射用意!」

 

 ミサイルを使い果たせば、敵の戦艦は空になったキャニスターを乗せた旧式の戦艦と変わらない。敵艦の主砲の射程距離に入らないように後退しつつ、ハープーンやトマホークを放ち続けていれば、間違いなくこの海戦には勝利できるだろう。

 

 額に残っていた冷や汗を静かに拭き取った艦長は、レーダーに映し出されている無数の反応を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一緒に訓練してきた兵士たちが、二人一組になって散開する。他の狙撃手と観測手たちから距離を離しているけれど、連携が取れなくなったり、援護できないほど離れないようにお互いの距離を確認しながら、狙撃する場所に伏せる。

 

 冷たい砂の上に伏せてから、傍らにゲパードM1を置いて要塞の様子を確認する。他の隊員たちは双眼鏡を使っているけれど、私は狙撃の時にスコープを使わなくていいほど視力が発達しているから、こうやって遠距離の目標を確認する時も双眼鏡を使わなくていい。

 

 この視力は、変異を起こしたパパから受け継いだ遺伝子のおかげみたい。サラマンダーは猛スピードで空を飛び回りながら、仕留める獲物を狙って急降下する。その時の高度は戦闘機が飛んでいるような高度で、望遠鏡を使わなければ地表にいる獲物が見えないほどの高さだから、視力が良くなければ標的は狙えない。

 

 標的との距離によって視力が勝手に最適化されるようになっているから、スコープや双眼鏡はいらない。暗闇でもエコーロケーションを使えば索敵できるから、暗視スコープもいらない。

 

「…………」

 

『こちら”シャシュカ3”。要塞は壊滅してるみたいだ』

 

「そうみたい…………」

 

 黒煙が上がっている要塞の方を見ながら、私は返事をする。

 

 ブレスト要塞の防壁の一部は崩れていて、防壁の上にある大きな要塞砲は、防壁の外に敵の戦車がいるというのに動いている様子がない。要塞砲を動かす兵士が死んだか、要塞砲が破壊された可能性がある。

 

 倒壊した防壁から吸血鬼の兵士たちが要塞の中へと入っていく。防壁の残骸を巨大なキャタピラで踏みつけて要塞へと入っていくのは、ヴリシアで目にした巨大な戦車。大口径の戦車砲で次々に連合軍の戦車を血祭りにあげた、”マウス”っていう戦車だ。

 

 ちらりと夜空を見上げてみると、まだ上空では航空部隊が死闘を繰り広げていた。黒煙を吹き上げながら墜落していくSu-35の後方から離脱した灰色のラファールが、後方に回り込んでいた純白のグリペンに蜂の巣にされて、火達磨になりながら落ちていく。

 

 純白のグリペンの翼に描かれているのは、スオミ支部のエンブレム。

 

 あれはイッルかニパが乗ってるのかな?

 

『隊長、要塞でマズルフラッシュを確認。銃撃戦です』

 

「中の様子は?」

 

『見えません。エコーロケーションをお願いします』

 

「了解(ダー)」

 

 目を瞑りながら、頭の中のメロン体から超音波を発する。

 

 半径2kmまでならば、この超音波で探知することができる。とっても便利な能力なんだけど、これは索敵範囲を伸ばせば伸ばすほど索敵の精度が落ちていくし、何かに擬態している敵まで見破ることはできないという弱点がある。

 

 メウンサルバ遺跡ではあまり役に立てなかったの。タクヤたちに迷惑かけちゃった。

 

「―――――――こちらシャシュカ1。要塞内部で残存兵力が戦闘を継続している模様」

 

 無線で仲間たちに報告しながら、私は傍らに置いてあるゲパードM1に手を伸ばした。より大口径の弾丸を発射するために、銃身が太くなった上に長くなった巨大なアンチマテリアルライフルのマズルブレーキの下には、折り畳み式のスパイク型銃剣がある。

 

 白兵戦をするのはあまり考えられないんだけど、タクヤが念のために付けてくれたの。

 

 要塞までの距離は1.2km。もう少し距離をつめるべきだと判断したのか、他の隊員たちが要塞へと近づいていき、砂漠の真っ只中で再び伏せる。

 

 私はここからでも大丈夫かな。風が吹いてるけど、これくらいならば距離を詰める必要もないし、私には便利なキメラ・アビリティがあるのだから。

 

 大きなアンチマテリアルライフルに23mm弾が装填されていることを確認してから、タンジェントサイトを覗き込む。要塞は壊滅状態だけど、まだ生き残っている味方がいるのであれば救出しなければならない。そして彼らを連れて最終防衛ラインまで戻り、吸血鬼たちを迎え撃つ。

 

 まだ戦車が残っていたのか、APFSDSと思われる砲弾が、要塞の中へと入ろうとしていたレオパルトの正面装甲を直撃する。けれども貫通はできなかったらしく、レオパルトに反撃され、要塞の防壁の中で火柱が吹き上がった。

 

 息を吐いてから、照準をマウスへと合わせる。

 

 戦車の後部の装甲は薄いけれど、アンチマテリアルライフルでは貫通できない。支給された徹甲弾でも戦車の装甲を貫通することは不可能だと思う。

 

 だから私は、砲塔の上にあるアクティブ防御システムのターレットを狙う。アクティブ防御システムを無効化できれば、戦車は対戦車ミサイルやロケット弾を迎撃できなくなる。そうすれば、歩兵たちも戦いやすくなる筈。

 

「みんなは歩兵を狙って。私は戦車を狙う」

 

『了解(ダー)』

 

 この距離からの狙撃なら、小さい頃から何度も経験した。

 

 それゆえに、絶対外さない。

 

 大きなT字型のマズルブレーキがついた銃口をマウスのターレットに向けた私は、トリガーを引いて23mm弾を解き放った。

 

 

 

 

 



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閑話 グランバルカ号事件

閑話です。
春季攻勢が始まる直前の出来事です。


 

 フィオナ機関と呼ばれる動力機関が爆発的に普及したことで、さまざまな新しい技術が産声を上げ、従来の伝統的な技術の大半が廃れていった。

 

 先進国ではフィオナ機関を搭載した機関車や軍艦が次々に生産され、フィオナ機関によって動く巨大な貨物船に積み込まれて、同盟国や商売相手の元へと送られていく。王都の倉庫の中で、発明を好む熱心な1人の技術者によって生み出された動力機関は、瞬く間に魔術が普及していた世界の工業を大きく変え、産業革命を引き起こしたのである。

 

 そのフィオナ機関が普及した先進国の港からは、従来の帆船が姿を消し始めていた。

 

 産業革命以前の軍艦は、木造の帆船であった。火薬が存在しない世界であるため、船体に魔術を増幅する魔法陣を描き、”砲手”代わりに選抜された魔術師を乗せて敵の船へと魔術を放って撃沈するか、敵の船へと武装した騎士たちが乗り込んで白兵戦を行うのが当たり前であった。

 

 しかし、フィオナ機関によって帆を使わなくても海を突き進むことが可能となり、更に軽量で高出力の改良型フィオナ機関が開発されると、船体は木造ではなく一流の職人たちによって作られた金属の装甲に取って代わられることになる。更にフィオナによって生み出されたスチーム・ガトリングやスチーム・カノン砲も騎士団に採用され始めると、敵の船を攻撃するために乗り込んでいた魔術師も必要とされなくなり、甲板にはずらりと高圧の蒸気で矢や砲弾を撃ち出す重火器が並ぶようになっていく。

 

 今では、軍港に並ぶのはフィオナ機関を搭載した鋼鉄の軍艦ばかりである。従来の帆船たちは発展途上国や同盟国へと売却されていき、オルトバルカ王国の港は金属の装甲を持つ船によって支配されていた。

 

 フィオナ機関がさらに普及すると、民間の商船や客船にも搭載されるようになっていった。帆船と比べると速度も速く、航行できる距離が劇的に伸びたため、魔物の少ない航路をしっかりと選んでいれば安全な船旅ができるようになったのである。

 

 そこで、貴族たちが保有する造船所では何人もの労働者を雇い、モリガン・カンパニーが支払う賃金よりもはるかに安い賃金で働かせ、次々に豪華客船を建造していった。

 

 まるで装飾だらけの貴族の屋敷をそのまま巨大な―――――――とはいえ、全長50m程度の客船である――――――客船の中に詰め込んだかのような豪華客船は、数多くの貴族や資本家たちを乗せ、世界中の海へと旅立っていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板の上には、豪華なドレスやスーツを身につけた人々が集まっていた。椅子に腰を下ろして雑談する貴族の男性たちや、夫と共に海の向こうを見つめる夫婦たち。船体から突き出る巨大な煙突――――――吐き出しているのは煙ではなく、”魔力の残滓”と呼ばれる物質だ――――――を放出する煙突を見上げた子供たちが、大きな声を上げてはしゃいでいる。

 

 貴族や工場を経営する資本家たちからすれば、この客船はまさに最高の楽園と言えるだろう。一流の職人たちが用意した豪華な装飾や彫刻に囲まれ、王国から呼ばれた楽団の演奏や劇団のショーを楽しみながら船旅をするのだ。

 

 きっと乗客の中に、自分たちが甲板に立っているその船が、安い賃金で働かされている労働者が自分たちの家族を養うために苦しみながら作り上げた船であるという事を自覚している者はいないだろう。甲板の上ではしゃぐ貴族の子供たちも、もし仮にその話を聞いたとしても心を痛めないに違いない。

 

 そこは、金持ちだけの楽園でしかないのだから。

 

「パパ、みて! ドラゴンがとんでる!」

 

「はははっ。アンジェリカ、あれは騎士団の飛竜だよ」

 

「ひりゅー?」

 

「そう。普通のドラゴンと違って人間は食べないんだ。人間ととっても仲良しで、背中に乗せてくれるんだよ」

 

「すごーい! パパ、アンジェリカね、こんどひりゅーにのりたい!」

 

「よし、いつか飛竜に乗ろうな」

 

 そう言いながら、可愛らしい白いウサギのぬいぐるみを抱える愛娘の頭を撫でた父親は、大喜びする娘を見下ろしながら微笑んだ。

 

 この世界では、まだ空を飛ぶための機械は発明されていない。そのため空を移動するための手段は飛竜の背中に乗るだけであり、飼育に非常に手間のかかる飛竜に乗ることができるのは、訓練を受けた騎士たちか貴族だけなのだ。

 

 稀に一般的な労働者でも乗ることができるが、そのためには彼らの年収に匹敵する金額を支払う必要があるため、乗ることができる者は非常に少ない。

 

 しかし、愛娘の頭を撫でる父親は、いつかはきっと最愛の娘の願いを叶えてやれるだろうと思っていた。

 

 数年前まで、彼は貴族が経営する冒険者向けのアイテムを製造する工場で働いていた労働者の1人であった。もちろん賃金は非常に安く、毎日食事を摂っていれば底をついてしまうほどである。病気の妻と娘を養うためにも食事を我慢し、ただでさえ低い賃金を妻の治療費に注ぎ込まなければならなかった。

 

 ある日、仕事中に彼は工場を運営する貴族の男性によって強制的に解雇され、職を失ってしまう。

 

 就職先を見つけることもできず、路頭に迷うことを覚悟した彼であったが―――――――スクラップやゴミだらけの狭い路地を通りかかった男に声をかけられ、新しい職を手に入れた。

 

 普通ならば汚らしい路地を訪れる男などいないだろう。しかも彼に声をかけたのは、立派なスーツとシルクハットを身につけ、ドラゴンの頭を模した装飾がついた杖を手にした、1人の赤毛の紳士だったのである。

 

 その男の名は、リキヤ・ハヤカワ。今では世界規模の巨大企業へと成長したモリガン・カンパニーの社長である。

 

 彼の運営するモリガン・カンパニーでは他の工場では考えられないほど高額の賃金が支払われており、従業員の要望も聞き入れてくれる。しかも休暇までしっかりと与えてくれる上に、種族の差別を一切しない職場であった。安い賃金しか与えられず、休暇も存在しなかった以前の職場と比べれば、まさにそこは楽園としか言いようがない場所であった。

 

 高い賃金のおかげで妻の治療のために一流の治療魔術師(ヒーラー)を雇えるようになった上に、完治した妻と幼い愛娘を連れて、こうして貴族ばかり乗っているような豪華客船の『グランバルカ号』に乗って船旅ができるようになったのである。

 

 労働者向けのチケットを担当者に見せた際に嘲笑されたが、やっと自分も貴族たちに追いつき始めたという喜びが、瞬く間に嘲笑された憤りを希釈してしまう。

 

 普通ならば、工場で働くごく普通の労働者が、貴族たちの乗る豪華客船に乗って船旅をするという事はありえないのだから。

 

「パパ、あれはなに?」

 

「え?」

 

 空を飛ぶ飛竜を見ているのが飽きたのか、いつの間にか空ではなくウィルバー海峡を見つめていたアンジェリカが、小さな指を海面へと向ける。

 

 ウィルバー海峡はカルガニスタンとヴリシア帝国の間に広がる海域である。クラーケンやリヴァイアサンなどの魔物が生息する危険な海域だったのだが、ヴリシア帝国から魔物の掃討を依頼されたモリガン・カンパニーの第237哨戒艦隊によって徹底的な掃討作戦が実施され、海峡に生息する魔物たちはすでに壊滅状態に陥っていたのだ。

 

 ウダロイ級駆逐艦を56隻も投入した掃討作戦で、巨大な魔物たちは瞬く間に海の藻屑と化し、ダンジョンに指定されていた一部の海域も指定が解除されてしまった。帝国の周囲で最も安全な海域と言われるほどであり、騎士団に護衛されずに民間の商船も行き来できるような安全な海域と化している。

 

 もしかしたら魔物を見つけたのだろうかと思ってぞっとしたが、愛娘が指差している場所には何も見当たらない。蒼くて美しい海面が、グランバルカ号が生み出した波によって歪められているだけである。

 

「何もないじゃないか」

 

「ほら、あそこ。へんなのがうみのなかにいるよ」

 

「え?」

 

 愛娘が指差す場所をもう一度注視してみようと思った次の瞬間だった。

 

 まるで巨大な船同士が真正面からぶつかり合ったかのような凄まじい衝撃が、グランバルカ号の左舷から右舷を突き抜けたかと思うと、その衝撃が発生した発生源から荒々しい水柱が吹き上がる。海面の中から産声を上げた轟音が甲板上の乗客たちの耳を劈いた頃には、鋼鉄の船体が軋み、海面に大穴を開けた水柱に吸い込まれているかのように、段々と左舷へと傾斜し始めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水柱が生じた場所の近くから、今度は火柱が吹き上がる。その火柱は豪華な装飾で覆われ、絵画や彫刻がこれでもかというほど置かれた貴族の屋敷のような船体を侵食していき、猛烈な黒煙で乗組員たちを苦しめていく。

 

 フィオナ機関も浸水して機能を停止し、煙突から吹き上がる魔力の残滓が、機関室から吹き上がる黒煙に変わり始めた頃には、グランバルカ号の船体は左側へと凄まじい勢いで傾斜を始め、転覆し始めていた。

 

 甲板から降ろされた救命ボートに我先にと乗り込むのは、太った貴族の男性や女性たち。乗組員たちが誘導していた乗客を押し退けて乗り込んでいく彼らのせいで甲板の上は更に混乱し、ボートに乗ることを諦めた何人もの乗客たちが、救助されるまでに魔物の餌にならないことを祈りながら海へと飛び込んでいく。

 

 掃討作戦のおかげで海域は安全になったとはいえ、魔物たちが入り込んでくる可能性はあるのだ。

 

 やがてグランバルカ号は転覆し、ウィルバー海峡へと沈んでいく。

 

 無数の残骸を引き連れて海の中へと沈んでいく豪華客船を海中で見守っていたのは―――――――1隻の潜水艦であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――やりやがったな」

 

「ええ。犠牲者の数は1482人。そのうち、我が社の従業員や関係者は437人です」

 

 ヘンシェルが机の上に置いた報告書を睨みつけながら、拳を思い切り握りしめる。

 

 はっきり言うと、貴族はあまり好きではない。労働者たちを安い賃金で強引に働かせたり、商人たちからまだ幼い奴隷の子供たちを買い取る連中を俺は今まで何度も葬ってきた。奴らを殺せば、奴らによって虐げられていた人々が解放されるのだから。

 

 解放された人々をモリガン・カンパニーが雇えば、労働者たちは決して路頭に迷わない。

 

 この”グランバルカ号事件”で犠牲になった貴族たちの中には、俺が憎んでいる貴族の連中も含まれていた事だろう。けれども中には何の罪もない貴族の人々も含まれているし、モリガン・カンパニーの関係者も含まれている。

 

 俺たちは、”身内”を殺されたのだ。

 

 モリガン・カンパニーの関係者は、低い賃金で強引に働かされていたり、奴隷商人たちに虐げられていた人々が大半だ。奴らの襲撃さえなければ、きっと船旅で思い出をいくつも作り、この会社で土産話をしていた筈である。

 

 死亡した社員や関係者の名簿を見つめながら、ヘンシェルに見られないように涙を拭い去る。

 

 そこにずらりと並んでいる名前の中には、社員や関係者の家族も含まれていた。

 

「…………社長、貴族の連中がこの一件を『モリガン・カンパニーのハヤカワの仕業だ』と主張しています」

 

「後で記者会見を開く。…………それより、この襲撃は――――――――吸血鬼共の仕業なんだな?」

 

 問いかけると、ヘンシェルは首を縦に振った。

 

「グランバルカ号が沈んだ海域で魚雷の残骸を回収しました。それに、船体にも魚雷による攻撃と思われる大穴がありました。あの海域は、吸血鬼共が潜伏しているディレントリア公国の目と鼻の先です」

 

 ヴリシアの戦いで惨敗した吸血鬼たちは、無数の敗残兵を連れてディレントリア公国へと逃げ込んだ。奴隷にされていた同胞たちを開放して兵力を増やしつつ、軍拡を続け、テンプル騎士団へと攻撃を始める前に”無制限潜水艦作戦”を開始し、攻勢前に少しでもテンプル騎士団の戦力を削り取ろうとしていたのである。

 

 実際に、李風が派遣した輸送艦隊が何隻もウィルバー海峡で潜水艦によって撃沈されており、彼らのPMCにも損害が出ているのだ。

 

 グランバルカ号は、その海域を通過してしまったのだ。そのせいで吸血鬼共の潜水艦にテンプル騎士団へと物資を運ぶ輸送船と誤解され、撃沈されてしまったのだろう。

 

 拳を握り締めるのを止め、テーブルの上に置かれているウサギのぬいぐるみを拾い上げる。幼い女の子にプレゼントしたら喜びそうなデザインの小さなぬいぐるみは、猛烈な潮の臭いを放っており、薄汚れている。まるで海を漂流していたぬいぐるみを拾ってきたような状態だ。

 

 このぬいぐるみを持って社長室を訪れた従業員の顔を思い出しながら、もう一度拳を握り締める。

 

 この汚れたウサギのぬいぐるみは、この事件で死亡した彼の愛娘の遺留品なのだという。

 

「…………ヘンシェル、テンプル騎士団との同盟破棄は無しだ」

 

「かしこまりました」

 

「それと、今すぐに派遣できそうな部隊に出撃の準備をさせておけ」

 

 もしレリエルが率いていたのであれば、こんなことはしなかった筈だ。

 

 奴らはレリエルを蘇らせるためにこんなことをしているという。だが、こんな蛮行を続ければ続けるほど、レリエルを汚すだけだ。最も気高かったあの男を、これ以上汚してほしくはない。

 

 今度こそ、あの過激派の連中を”絶滅”させてやる必要がある。捕虜は決して受け入れない。命乞いしている兵士や負傷兵でも、絶対に皆殺しにしてやる。

 

 カルガニスタンへ攻め込もうとしている連中を、あの砂漠で皆殺しにしてやるのだ。

 

「―――――――奴らを皆殺しにするぞ、ヘンシェル」

 

「はい、魔王様(同志スターリン)

 

 

 

 



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もう1人の狙撃手

 

 瓦礫の山と死体の群れの周囲に転がるのは、無数の薬莢たち。テンプル騎士団で使用されている7.62mm弾の薬莢だけでなく、12.7mm弾や14.5mm弾で使用する大きな薬莢も含まれていて、まだ身に纏っている熱を放出し続けている。

 

 砂漠の冷たい風に冷やされ続けても、必死に熱を発し続ける薬莢たち。砂漠の気温に立ち向かう薬莢たちと同じように、それらの周囲では傷だらけの兵士たちが、要塞の中へと攻め込んできた無数の戦車や吸血鬼の兵士たちへと反撃を続けていた。

 

 倒壊した管制塔を盾にしながら、突っ込んでくる突撃歩兵をLMGで薙ぎ払うテンプル騎士団の兵士たち。砂埃や鮮血で汚れた制服を身に纏う彼らは傷だらけで、中には破片で片方の目が潰れてしまっている兵士も含まれている。

 

 エリクサーのおかげで傷のない兵士もいるが、回復アイテムで治療することができた兵士はごく僅かだ。大半は回復アイテムが行き渡らず、非常用の包帯を傷口に巻き付けるか、自分の制服を破いて包帯代わりにしている兵士が殆どである。

 

「12時方向、また突撃歩兵!」

 

「くそ、もう弾が…………ッ! おい、誰か! 弾は余ってないか!?」

 

「使え、同志!」

 

 弾薬がたっぷりと入った箱の中からマガジンを取り出したハーフエルフの兵士が、7.62mm弾を使用できるように改造されたRPK-12で弾幕を張り続けていた兵士にマガジンを渡す。

 

 吸血鬼たちによる砲撃で要塞には大穴が空き、地上に展開していた守備隊は壊滅状態に陥っていた。しかもその砲撃による衝撃波で通信設備にも動作異常が生じており、タンプル搭に増援を要請することも不可能な状態に陥っている。負傷兵の数も多く、戦車も大半が撃破されてしまっており、敵部隊を突破して要塞を放棄し、離脱することもできない状態であった。

 

 戦闘の序盤で飛行場も破壊されてしまっており、航空部隊も出撃させることはできない。要塞の上空では未だに航空部隊が奮戦しているものの、航空部隊は殆どが対空用の装備を搭載した戦闘機ばかりである。対地攻撃用の爆弾や対戦車ミサイルを装備していないため、航空支援を受けることもほぼ不可能である。

 

 敵の砲撃によって武器庫も埋まってしまっており、弾薬の数も少ない。それに対して敵は身体能力の高い吸血鬼のみで構成された精鋭部隊で、士気は非常に高い。

 

 練度で劣る上に士気まで低く、増援部隊も要請できない守備隊が壊滅するのは、時間の問題であった。

 

 それでも生き残った守備隊の兵士たちは、まだ使える武器を必死に探し出して装備し、応戦を続けていた。

 

 ここが突破されれば、タンプル搭への攻撃を許すことになる。ブレスト要塞にも民間人や兵士たちの家族が住む居住区はあったが、そこに住んでいた家族たちは安全なタンプル搭へと避難しており、要塞には残ってはいない。

 

 彼らにとっては家族を巻き込むことはないのだが、ここを突破されるという事は、今度こそ家族が吸血鬼たちによって皆殺しにされる可能性があることを意味していた。

 

 それゆえに、生き残った守備隊は必死だった。

 

 大切な家族や、恋人たちを守るために。

 

「撃ちまくれ!」

 

「くそ、ジョナサンがやられた!」

 

「エリック、射手代われッ!!」

 

 吸血鬼が放った銃弾で額を貫かれたエルフの兵士の代わりに、彼よりもまだ若いハーフエルフの兵士がRPK-12のグリップを握る。訓練通りに重傷をしっかりと肩に当て、ブースターとホロサイトを覗き込んでトリガーを引く。

 

 今しがた先輩(ジョナサン)の額を撃ち抜いた吸血鬼の兵士が、主翼を叩き折られた状態で滑走路の上に転がっているSu-35の陰に隠れるよりも先に、銀の7.62mm弾のフルオート射撃が吸血鬼の肉体をズタズタにする。大口径の弾丸たちに手足を抉られた吸血鬼の兵士は、傷口を再生することなく崩れ落ちると、ヴリシア語で仲間たちに向かって叫んでから動かなくなった。

 

 彼を撃ち殺したエリックは、その兵士は最後に何と言ったのだろうかと考え始める。仲間たちに「構うな」と言ったのだろうか。それとも、死ぬ前に仲間たちに指示を出したのだろうか。

 

 殺したのだ。数秒前に、敵がジョナサンを殺したように。

 

 自分も敵を殺した。

 

「エリック、しっかりしろ!」

 

「!」

 

 倒壊した管制塔の陰に隠れていた彼の傍らに、敵の放った5.56mm弾や6.8mm弾が着弾する。咄嗟にRPK-12から手を離して屈みつつ、懐から手榴弾を取り出す。普通の対人用の手榴弾ではなく、内部に銀の破片や水銀を充填した”対吸血鬼用手榴弾”だ。

 

 炸薬の量は通常の手榴弾と比べると減少しているものの、起爆した瞬間の衝撃波によってばら撒かれる水銀は、吸血鬼が苦手とする銀の斬撃となって周囲の物体を切り刻む。更に銀の破片まで被弾するため、相手が吸血鬼であるのであればこれ以上ないほど凶悪な武器となる。

 

 22年前にレリエル・クロフォードと交戦したモリガンの傭兵たちが編み出した、対吸血鬼用の兵器の1つだ。

 

 それから安全ピンを抜いたエリックは、息を吐いてから残骸の向こうへとそれを放り投げた。

 

 管制塔の向こうから、ドイツ語にそっくりな語感が特徴的なヴリシア語の悲鳴が聞こえてくる。その悲鳴が聞こえなくなると同時に、まるで取って代わろうとしているかのように爆音が響き渡り、管制塔の残骸に着弾した銃弾が発する跳弾の音が一時的に聞こえなくなる。

 

 すぐに立ち上がり、再びRPK-12のグリップを握る。ホロサイトを覗き込むと、そのレティクルの向こうには手足を失った吸血鬼たちや、腹から内臓が飛び出している吸血鬼たちが転がっており、呻き声を上げているところだった。

 

「エリック、よくやった!」

 

「よく…………やった………?」

 

 彼は、手榴弾を放り投げただけだ。

 

 その手榴弾が生み出した水銀の刃と銀の破片が、吸血鬼たちの手足を切り落とし、腹に大穴を開けて、人間と全く同じ形状の内臓を飛び出させただけである。

 

 彼らに苦痛を与えたのが、自分だ。

 

(お、俺が…………!?)

 

「くそったれ…………正門から戦車ッ! でかいぞ!」

 

「ッ!」

 

 異世界で生み出された”戦車”という兵器は、凄まじい攻撃力と防御力を兼ね備えた怪物である。遠距離の敵を瞬く間に蜂の巣にしてしまう銃ですら全く通用しない怪物に、自分の持っている得物が通用するわけがない。

 

 しかし、エリックは正門へとRPK-12を向けた。

 

 敵の砲弾によって木っ端微塵にされた門を、巨大なキャタピラで踏みつけながら要塞の中へと入ってくる怪物。カーキ色で塗装された分厚い装甲と、戦艦に搭載していたものをそのまま車体の上に乗せたのではないかと思えるほど巨大な砲塔。それから突き出ているのは、あらゆる装甲を撃ち抜く160mm滑腔砲の武骨な砲身と、接近する歩兵たちを瞬く間に木っ端微塵にする75mm速射砲の短い砲身。

 

 かつてドイツ軍が開発していた超重戦車に、吸血鬼側の転生者(ブラド)が近代化改修を施した超重戦車。最新型の戦車の主砲を分厚い装甲で防ぎ、巨大な砲身から放つ一撃で全ての戦車をスクラップにする巨人が、ゆっくりと要塞の中へと入り込んできたのである。

 

「ろ、ロケットランチャーは!?」

 

「ダメだ、武器庫の中にあるが、瓦礫のせいで取りに行けない!」

 

「くそったれ…………!」

 

 もし仮にロケットランチャーがあったとしても、あの怪物の装甲を形成炸薬(HEAT)弾で穿つのは不可能であったことだろう。正面装甲どころか側面の装甲に戦車がAPFSDSを放ったとしても、貫通させることができないほどの防御力を誇る存在なのだから。

 

 戦車部隊も先ほどまでは奮戦していたが、もうすでに壊滅してしまっている。周辺の前哨基地からも戦車部隊が出撃したという話を聞いていたが、その話を聞いたのはもう1時間以上前だ。要塞にやってくる前に敵の戦車部隊と遭遇してやられてしまったのだろうか。

 

 超重戦車(マウス)の巨大な砲塔が、ゆっくりと旋回を始める。それを睨みつけながら、エリックはRPK-12のトリガーを引いた。

 

 7.62mm弾が通用しないのは分かっている。けれども、もう要塞からは逃げられない。奮戦するための武器も瓦礫のせいで埋まっており、敵部隊をここで壊滅させることもできない。

 

 足掻き続けてから、敵に殺されるしかないのだ。

 

 タンプル搭へと避難した恋人の事を思い出し、雄叫びを上げながらエリックはトリガーを引き続けた。マウスの装甲に命中した弾丸たちが跳弾する音を発しながら、無数の火花を生み出して弾かれていく。

 

 風穴が開くわけがない。

 

 数秒後に、エリックはあの巨大な戦車砲に吹っ飛ばされ、木っ端微塵にされてしまうのだ。

 

 そう思いながらもトリガーを引き続けていた彼だったが―――――――戦車砲が火を噴くよりも先に、巨大な砲塔の上に居座っていたアクティブ防御システムのターレットから火花が散ったかと思うと、対戦車ミサイルを迎撃するために搭載されていたそれが黒煙を吹き上げ、機能を停止してしまう。

 

「え―――――――?」

 

 故障だろうかと思った直後、今度はキャタピラの音をかき消そうとしているかのように、ヘリのローターが発する轟音が夜空を支配し始める。

 

 要塞から吹き上がる黒煙に大穴を穿ち、ローターの轟音で要塞の上空を支配しながら姿を現したのは―――――――テンプル騎士団が正式採用している、重装備の戦闘ヘリであった。

 

 古めかしい大型の爆撃機の胴体を縮め、主翼の代わりにこれでもかというほど武装を搭載したスタブウイングを搭載して、機首にセンサーと機関砲を搭載した大型のターレットを吊るしたような外見のヘリは、高度をやや落としたかと思うと、機首のターレットから機関砲を吐き出し始める。

 

 マウスの周囲で銃撃を続けていた兵士たちが、瞬く間に砲弾の群れの中に呑み込まれた。装甲車の装甲すら貫通してしまうほどの威力を誇る砲弾は被弾した吸血鬼たちの肉体を粉々にし、彼らの内臓や肉片で要塞の滑走路を染め上げていく。

 

 超重戦車にも機関砲の砲弾は襲い掛かったが、さすがに大口径の機関砲でも、その怪物の装甲は貫通できない。

 

 しかし――――――――テンプル騎士団のエンブレムが描かれた戦闘ヘリ(スーパーハインド)は、しっかりと戦車を撃破するための”矛”も搭載していた。

 

 様々な武装が搭載されたスタブウイングから、武骨な対戦車ミサイルが切り離される。エンジンから炎を吐き出して加速し始めたその対戦車ミサイルは、機関砲の砲弾を弾き続けながら進撃していたマウスの車体の後部を直撃すると、圧倒的な破壊力でマウスのエンジンを破壊し、超重戦車を擱座させてしまう。

 

「あ、あれは…………スーパーハインド…………!?」

 

「どうしてここに…………!?」

 

 要塞のヘリポートは破壊されており、格納庫の中にある筈のカサートカやスーパーハインドは全て台無しになった筈である。だから、あのスーパーハインドはブレスト要塞の物ではない。

 

 他の拠点から救援に来てくれたのだろうかと思いながら、エリックは上空で旋回するスーパーハインドを見上げた。マウスの弱点に対戦車ミサイルを叩き込み、一撃で擱座させたスーパーハインドへと吸血鬼たちの銃弾が放たれるが、分厚い装甲を持つスーパーハインドは5.56mm弾が立て続けに被弾しても意に介さず、ターレットの機関砲とスタブウイングのガンポッドから放たれる機関砲で、逆に吸血鬼の歩兵たちを蜂の巣にしていく。

 

『―――――――こちら”ジェド・マロース”。同志諸君、応答せよ』

 

「こ、こちら守備隊。どうぞ」

 

 無線機から聞こえてきたのは、少女のような声だった。しかし、可愛らしいというよりも勇ましい兵士の声にも聞こえる、気の強そうな声である。

 

 守備隊の兵士たちは、以前にその声を聴いていた。

 

 その声は、彼らが所属するテンプル騎士団の団長の声であった。

 

『よく頑張ってくれた。だが、これ以上の奮戦は必要ない。残存兵力を集め、要塞から離脱せよ。こちらは上空から援護する』

 

「団長…………!」

 

 助けに来てくれたのは、テンプル騎士団の団長だったのである。

 

 普通の指揮官なのであれば、指令室の中で指揮を執る筈だ。だというのに、テンプル騎士団の総大将は指揮を執りながら、要塞の守備隊のためにヘリに乗り込み、援護しに来てくれたのである。

 

「おい、残存兵力を集めろ! 離脱するぞ!」

 

「りょ、了解!」

 

 RPK-12のフルオート射撃でまだ残っている敵兵に掃射をお見舞いしてから、エリックもその場を離れ、負傷兵たちが集まっている区画へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵員室の中で、長大な得物のスコープを覗き込みながら、要塞の様子を確認する。

 

 防壁の一部は倒壊して敵の突破口と化しており、正門も砲撃で破壊されている。要塞の周囲にあった筈の塹壕はすっかり壊滅していて、無数の吸血鬼や味方の死体によって埋め尽くされていた。

 

 要塞の飛行場の滑走路には大穴が開いており、管制塔も倒壊している。けれども、それよりも大きな穴が要塞のほぼ中心に開けられていることに気付いた俺は、スコープを覗き込んだまま息を呑んでしまう。

 

 ―――――――要塞が応答しなくなった原因は、これか。

 

 その大穴は、明らかに艦砲射撃や戦車の砲撃によって開けられたものではない。ジャック・ド・モレーの40cm砲や、戦艦大和の46cm砲の砲撃でもこんな大穴を開けることは困難だろう。さすがにタンプル砲の破壊力よりは下かもしれないが、これは”艦砲射撃”なのだろうか。

 

 敵のミサイルか? それども、砲撃なのか?

 

 もし砲撃なのだとしたら、かなり巨大な兵器を用意する必要がある。

 

 こんな大穴を開けられる巨大兵器の事を考えようと思ったが、偵察部隊を派遣すればすぐにこんなでっかい穴を開けた敵の正体は判明するだろう。今は守備隊を撤退させる必要がある。

 

 旋回を終えたスーパーハインドが、機関砲を掃射しつつ前進していく。兵員室の中でOSV-96を構えたまま、でっかいT字型のマズルブレーキが搭載された銃口を機体の外に晒し、こっちに機関銃を向けている敵兵へと照準を合わせた。

 

 レティクルが揺れる。地上での狙撃ならば、バイポッドを展開しながら伏せて狙撃すれば簡単に敵兵を射抜けるのだが、ヘリの中で長大なロシア製アンチマテリアルライフルのバイポッドを展開し、そのまま伏せて狙撃するわけにはいかない。より大口径の弾丸を使用するために銃身を延長したことで、旧式の対戦車ライフルに匹敵するサイズになってしまったせいで小回りが利かなくなってしまったが、こいつは何度も使った得物だ。

 

 息を吐き、レティクルを少しばかり左にずらす。相変わらず銃身が揺れるが、多分狙撃は命中するだろう。

 

『タクヤ、やれる?』

 

「当たり前だ」

 

 テンプル騎士団の中で最強の狙撃手は、間違いなくラウラだろう。才能と能力をフル活用した彼女ならば、飛んでいる弾丸を真横から狙撃して叩き落すことも可能だ。

 

 けれども、俺も親父から訓練を受けた狙撃手の1人なのである。最近はアサルトライフルを装備して突っ込んだり、ナイフやスコップを使って白兵戦をすることが多いが、あくまでも”本職”は狙撃なのだ。

 

 息を呑んで、もう一度レティクルを注視する。

 

 ヘリの”揺れ方”は把握した。

 

 相変わらず揺れるレティクルを睨みつけながら―――――――トリガーを引く。

 

 T字型のマズルブレーキから溢れ出たマズルフラッシュが、瞬く間に冷たい風にかき消されていく。けれどもそこから放たれた1発の14.5mm弾は微かに炎を纏いながら飛んで行き、ヘリを叩き落すために機関銃を撃ち続ける敵兵へと襲い掛かる。

 

 エジェクション・ポートから煙と熱を纏ったでっかい薬莢が落下し、メインローターの音の中で小さな金属音を奏でると同時に、機関銃を撃ち続けていた敵兵の胸板に大穴が空いた。

 

 胸骨もろとも心臓や肺を抉り取られた挙句、背骨の一部まで吹き飛ばされた敵兵は、弾丸が纏っていた猛烈な運動エネルギーに突き飛ばされ、後方に置いてあった要塞の土嚢袋の山に激突して動かなくなった。

 

「命中」

 

『嘘でしょ!?』

 

『イリナ、タクヤを舐め過ぎです。タクヤも優秀な狙撃手なのですよ?』

 

『そ、そうだったんだ…………』

 

 ラウラが戦果をあげすぎてるせいで、俺も狙撃手の1人であるという事を知っている団員は結構少ない。旅をしてきた本隊のメンバーですら、俺が狙撃手であるという事を知らない奴もいるほどだ。

 

 苦笑いしながら、俺は次の標的を探し始めるのだった。

 

 

 

 



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鮮血の魔女

 

 味方の80cm列車砲の強烈な一撃を叩き込まれたブレスト要塞は、まさに陥落寸前であった。飛行場はズタズタに破壊されて使用不能になり、装甲や隔壁をぶち破って地下へと突き刺さった榴弾によって中央指令室も消失してしまった。数名の守備隊の兵士たちや防壁の外で奮闘していた戦車部隊は辛うじて生き残ったものの、敵の数が多すぎる上に指令室が消失したため、烏合の衆でしかなかったのである。

 

 それゆえに、吸血鬼たちはあと少しでこの要塞が陥落するだろうと思っていた。まだ抵抗してくる敵兵を撃ち殺し、敵の戦車を木っ端微塵にしてやれば、ブレスト要塞はすぐに陥落する。後はブレスト要塞の跡地を橋頭保代わりにして体勢を整え、敵の本拠地であるタンプル搭を攻め落とすだけだ。

 

 ヴリシアでは自分たちの拠点が攻め落とされる羽目になったが、今度は自分たちが敵の拠点を攻め落としてやれるのだ。第二次転生者戦争(ヴリシアの戦い)で多くの同胞を失った彼らにとって、この春季攻勢(カイザーシュラハト)は弔い合戦なのである。

 

 しかし、もう少しで陥落する要塞へと攻め込んでいる兵士たちに、何の前触れもなく飛来した1機の戦闘ヘリが、損害を与えつつあった。

 

「撃て! さっさとあいつを撃ち落とせ!」

 

「くそ、スティンガーは!?」

 

 XM8から5.56mm弾や6.8mm弾を放ち、戦車のハッチの近くに装備されているMG3で弾幕を張る兵士たち。しかし彼らが狙っているたった1機のスーパーハインドは、立て続けに飛来する無数の銃弾を意に介さず、逆にターレットやガンポッドの機銃掃射と、兵員室に乗り込んだ1人の狙撃手の正確な狙撃で、弾幕を張る吸血鬼の兵士たちをことごとく返り討ちにしていく。

 

 1人の吸血鬼の兵士が慌ててスティンガーミサイルの準備をするが、それを一足先に察知したのか、兵員室の中でマガジンを交換していた狙撃手が再装填(リロード)を終え、兵員室の中から長大なライフルの銃身と、特徴的な大きいT字型マズルブレーキを突き出し、トリガーを引いた。

 

 マズルブレーキから噴き上がるマズルフラッシュが、一瞬だけスーパーハインドの漆黒の装甲を照らし出す。その煌きを突き破って吸血鬼へと牙を剥くのは、かつて第二次世界大戦中に対戦車ライフルの弾薬として活躍し、戦争が終わってからも装甲車に搭載する機関銃の弾薬として採用された、大口径の14.5mm弾。

 

 その一撃は、正確にスティンガーミサイルを構えていた兵士の喉元へと襲い掛かると、凄まじい運動エネルギーで容易く兵士の首から上を捥ぎ取り、鎖骨や胸骨まで抉り取ってしまう。ヘルメットをかぶったまま千切れ飛んだ兵士の首が大地に落下し、鎖骨まで抉られたせいでスティンガーミサイルを構えていた腕が落下する。

 

 胸板から上を抉られた兵士は、猛烈な運動エネルギーに突き飛ばされ、そのまま後ろへと崩れ落ちてしまう。胸板どころか頭まで吹っ飛ばされてしまったせいで、もう両足に力を込めて踏ん張る事すらできなくなってしまったのだ。

 

 弱点の銀で作られた14.5mm弾の強烈すぎる一撃は、敵兵を問答無用でミンチにしてしまったのである。

 

 テンプル騎士団がこのような大口径の弾丸の使用を好む理由は、彼らの戦い方の”原型”となったモリガンの傭兵たちの影響が大きい。

 

 異世界へと転生し、本格的に現代兵器を使った戦いを始めた速河力也は、最初は小口径の5.45mm弾を使用するAN-94を使用していた。優秀な命中精度と驚異的な連射速度を誇る2点バーストで魔物や敵兵を次々に薙ぎ倒していったのだが、強靭な外殻を持つ魔物との戦いで、小口径の弾丸が弾かれてしまうという事が判明したのである。

 

 弱点を狙えば5.45mm弾でも貫通はできたのだが、乱戦の真っ只中で正確に弱点を狙っている余裕はない。そこで彼は、異世界で銃を使うのであれば”可能な限り大口径で、魔物だけでなく対人戦にも対応できるような弾丸が望ましい”という事に気付き、積極的に大口径の弾丸を使っていくことになる。

 

 口径が大きければ、当然だが破壊力は上がる。そうすれば魔物や人間の兵士を瞬く間にミンチにできる上に、防御力に差がある転生者が相手だったとしても、強引に風穴を開けることができた。

 

 それゆえに、モリガンの傭兵たちは大口径の弾丸を使用する銃を好んで使用した。そのような破壊力の大きな得物の方が、確実に敵を”消せる”からである。

 

 彼らから戦い方を教わったタクヤやラウラが率いるテンプル騎士団が、同じように大口径の弾丸を使うのは、彼らの影響を受けているからなのだ。もし仮にモリガンの傭兵たちが最後まで小口径の弾丸を使用していたのであれば、テンプル騎士団の兵士たちも小口径の弾丸を使用する武器を使い続けていただろう。

 

「くそ、あのヘリに攻撃を集中―――――――」

 

 味方に指示を出そうとしていた吸血鬼の指揮官の後頭部が、唐突に叩き割られる。

 

 ヘリからの機銃掃射や、兵員室に居座る狙撃手からの狙撃ではない。もしヘリや兵員室の狙撃手からの攻撃であったのならば、もっと木っ端微塵になっているだろう。後頭部が割れて脳味噌の破片を周囲にばら撒く程度では済まない。

 

 ぐらりと前に崩れていく指揮官。近くにいた兵士たちがぎょっとするよりも先に、更に後方の崩れた防壁の向こうから飛び込んできた2発の.338ラプア・マグナム弾が、慌てて振り返ろうとする兵士たちのこめかみや側頭部を正確に貫く。あっさりとヘルメットを貫通された兵士たちの頭蓋骨が砕け、その破片が脳味噌を串刺しにする。

 

 吸血鬼たちには再生能力があるものの、弱点である銀や聖水によって攻撃されると、その再生能力は機能しなくなる。耐性の高い吸血鬼であれば再生することは可能だが、弱点による攻撃を叩き込まれても再生できる吸血鬼は非常に少ない。

 

 それゆえに、頭を砕かれた兵士たちは1人も起き上がることはなかった。

 

「こっ、後方にも狙撃手!?」

 

「バカな!? いつの間に…………ッ!?」

 

「か、隠れろ! 遮蔽物の陰に隠れるんだッ!!」

 

 仲間たちに指示を出しながら、1人の吸血鬼の兵士が慌てて近くの防壁の残骸へと飛び込む。そのままアサルトライフルを構えてヘリを狙撃しようとしたのだが―――――――防壁の向こうから飛来した1発の23mm徹甲弾が、薄くなっていた防壁の残骸を貫通し、その後ろに隠れていた兵士の背骨を砕くと、猛烈な運動エネルギーで内臓をミンチにしてから腹を突き破り、肉片と化した腸の残骸を目の前にばら撒きながら突き抜けていく。

 

 凄まじい衝撃を感じたその兵士は、すぐに口から血を吐いて絶命した。

 

 彼が隠れた残骸は、普通のライフル弾で貫通するのは不可能だっただろう。それゆえに、彼の判断は正しかった。普通のライフル弾で貫通できないほどの遮蔽物ならば安全なのだから。

 

 しかし―――――――敵の狙撃手の中には、1人だけ普通では考えられないほど口径の大きな対物ライフルを平然と扱う怪物が紛れ込んでいる事に、気付けるわけがない。

 

 普通の対物(アンチマテリアル)ライフルならば、12.7mm弾を使用する。しかしその狙撃手の1人である少女が装備しているライフルは、タクヤ・ハヤカワの手によって12.7mm弾ではなく、より大口径の23mm弾が使用できるように改造された代物だ。第二次世界大戦で活躍した対戦車ライフルですら、最も口径の大きなものは20mm弾を使用する代物であったのである。それ以上の口径の弾丸を放つ上に徹甲弾を使用したのだから、残骸を貫通して兵士を木っ端微塵にすることができたのだ。

 

「くそ、何だあれは!? スナイパーライフルじゃないのか!?」

 

「対物ライフルだッ!」

 

「バカか!? 対物ライフルにあんな破壊力があるわけないだろッ!? 防壁の残骸を貫通して―――――――」

 

 遮蔽物を砕く音が響いた瞬間、一緒に遮蔽物の陰に隠れていたその兵士の首から上が砕け散った。かぶっていた筈のヘルメットすら粉砕してしまった巨大な弾丸が、頭蓋骨と脳味噌を木っ端微塵にし、肉片と2つの眼球で飛行場の滑走路の上を真っ赤に染めてしまう。

 

 それを見てしまった味方の吸血鬼は、目を見開きながら震え上がった。

 

「な、なんで…………こっ、こっちは隠れてるのに、何で場所が…………ッ!?」

 

「まさか…………”鮮血の魔女”か…………!?」

 

「「「!?」」」

 

 ヴリシアの戦いで、吸血鬼たちに大打撃を与えた赤毛の狙撃手が存在した。

 

 狙撃をする筈の得物から、遠距離用のライフルには必需品ともいえるスコープを取り外し、超遠距離から大口径の弾丸で兵士たちを狙撃していった謎の狙撃手が、図書館へと進撃していたマウス部隊や歩兵部隊に大損害を与えたという話を仲間の兵士たちから何度も聞いていた兵士たちは、ぞくりとしながら反射的に隠れていた遮蔽物から背中を離す。

 

 誰もいない筈の場所から飛来した弾丸に、次々に兵士や戦車のアクティブ防御システムが射抜かれていったのだ。しかも、砲塔の軸に何度も弾丸を叩き込まれた戦車は、そのせいで砲塔が旋回不能になるという損害を被っていたのである。

 

 辛うじて生還した兵士の話では、その狙撃手は大口径の対物(アンチマテリアル)ライフルを手にした、赤毛の美しいキメラの少女であったという。

 

 吸血鬼たちはその赤毛の少女を『鮮血の魔女』と呼んでいた。

 

「狙撃している位置は分かるか!?」

 

「くそ、ダメだ…………どこにいるか分からん」

 

「顔を出すなよ。顔面に銀の弾丸をプレゼントされるぞ」

 

 そのまま隠れていても、今しがた首から上を撃ち抜かれて木っ端微塵にされた兵士と同じように、遮蔽物もろとも撃ち抜かれるかもしれない。

 

 ヴリシアで戦死した同胞たちの弔い合戦の最中に、自分たちまで戦死し、あの世で同胞たちに会うわけにはいかないのだ。

 

 いっそのこと遮蔽物から離れるべきかと階級が一番高い兵士が提案しようとした、その時だった。

 

「狙撃手かしら」

 

「あ、アリーシャ様…………?」

 

 砂と冷たい風が支配する砂漠の向こうから放たれる威圧感に耐えていた彼らに声をかけたのは、白いフリルのついたメイド服とヘッドドレスを身につけ、背中にスコープのついた大型のライフルを背負った、銀髪の少女であった。オリーブグリーンの軍服やボディアーマーに身を包み、ヘルメットをかぶっている兵士しか見当たらない戦場の真っ只中に、まるで貴族の屋敷で働くメイドがそのまま紛れ込んだような光景を目にすれば、誰だろうと違和感しか感じないだろう。

 

 彼女の名はアリーシャ。ヴリシアで吸血鬼たちが惨敗してディレントリアへと逃げ込んだ後に、ディレントリアの商人が販売しようとしていた、吸血鬼の奴隷だった少女である。ブラドが彼女を救い出した後は、ブラドの専属のメイドとして働いている。

 

 それゆえに、彼女は鮮血の魔女の恐ろしさを知らない。彼女が背負っている得物がスナイパーライフルであることに気付いた兵士たちは、魔女に挑もうとする彼女を慌てて止め始めた。

 

「お、お止め下さい! 相手は鮮血の魔女ですよ!?」

 

「アリーシャ様、危険です!」

 

「分かってるわ。でも、ブラド様のためよ」

 

 そう言いながら、彼女は背負っていたスナイパーライフルを構えた。

 

 普通のスナイパーライフルと比べると、銃身はやや太いようにも見える。ライフル本体の下部からはマガジンが装着されており、後方からはすらりとした形状の銃床が伸びている。一見するとセミオートマチック式のマークスマンライフルにもみえるが、ライフル本体の右側面からはボルトハンドルが突き出ており、ボルトアクション式のスナイパーライフルであるという事が分かる。

 

 アリーシャが装備していたのは、アメリカで開発された『チェイ・タックM200』と呼ばれるボルトアクション方式のスナイパーライフルだ。スナイパーライフルの中ではトップクラスの命中精度を誇ると言っても過言ではない代物であり、射程距離も超遠距離狙撃を想定したアンチマテリアルライフルに匹敵するほど長い。更に殺傷力も非常に高い代物だが、コストが非常に高いという欠点がある。

 

 使用する弾薬は、.408チェイ・タック弾だ。

 

 非常にコストが高いため、転生者の能力でも生産に必要なポイントはスナイパーライフルの中でも最も高くなっている。そのため兵士たちに装備や銃をしっかりと支給しなければならないブラドでも、数丁しか用意する余裕がない。

 

 アリーシャにそれが支給されたのは、彼女が狙撃の訓練を受けた吸血鬼側のスナイパーであるからだろう。

 

 しかし、いくら吸血鬼たちの中でも優秀な狙撃手でも、鮮血の魔女に挑むのは無謀としか言いようがない。向こうは魔王から訓練を受けていた上に狙撃の才能があり、何度も実戦を経験しているため練度も桁違いだ。それに対し、アリーシャは現代兵器同士が戦う戦闘はこれが初陣で、まだ錬度も高いとは言えない。

 

 ここで彼女を出撃させれば、あっさりと魔女の狙撃の餌食になるのは明白である。

 

 しかしアリーシャは、黙ってライフルにマガジンを装着した。スコープの蓋を外して息を吐き、背中から蝙蝠のような翼を生やしたかと思うと、目の前に鎮座しているブレスト要塞の防壁の上へと舞い上がっていく。

 

 魔女を放置すれば、兵士たちが大きな被害を被る。この攻勢が失敗すれば、今度こそ吸血鬼たちは壊滅するだろう。

 

 そんなことになれば、ブラドたちの願いは完全に費える。

 

「安心してください、ブラド様。魔女は必ず私が討ち取ります」

 

 そう言いながら後方へと一旦戻ったブラドの顔を思い出したアリーシャは一瞬だけ微笑んだ。沈黙した要塞砲の近くに着地すると、彼女は狙撃する位置へと移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エジェクション・ポートから大型の薬莢が躍り出す度に、スコープの向こうでは鮮血と肉片が混ざり合った紅い飛沫が飛び散る。胸板に大穴を開けられたり、上半身を弾丸に捥ぎ取られた死体が要塞の中に転がって、砂が満たしている大地を上書きしようとしているようにも見える。

 

 ガンポッドとターレットの機銃掃射や、スタブウイングのロケットポッドが吐き出すロケット弾の連射の方が、多分俺よりも敵兵を殺している事だろう。14.5mm弾よりも口径の大きな弾丸が敵兵をグチャグチャにし、ロケット弾の爆風が肉や内臓を捥ぎ取る。

 

 そういう光景は、何度も目にしてきた。

 

 魔物の死体や人間の死体が転がる大地は、何度も見たのだ。

 

 前世の日本ではありえないかもしれない。けれどもこの世界は、前世の日本のように平和ではない。当たり前のように人権が存在しない奴隷たちや、平民を見下す貴族たちが存在する異世界なのだ。生き残るためには強くならなければならない。自分の大切な物や仲間を奪われる前に、こっちに敵意を向ける敵を殺して、生き残るしかない。

 

 だから俺は、大切な仲間を守るために敵を殺す。

 

 そうしなければ、仲間たちが殺されてしまうのだから。

 

 もう俺は、日本人ではない。

 

 長距離狙撃用のスコープで狙撃するには近過ぎると判断した俺は、咄嗟にそれから目を離し、ライフル本体の左斜め上に搭載されたロシア製のPEスコープを覗き込む。確かマガジンにはあと1発だけ14.5mm弾が残っていた筈だから、それを撃ち終わったらマガジンを交換しなければ。

 

 すぐに戦車のハッチから顔を出してMG3を連射している敵兵の頭を銀の14.5mm弾で吹き飛ばしてから、空になったマガジンを取り外す。通常の14.5mm弾にするべきだろうと思ったけど、レオパルトの残骸の陰に隠れていたM2ブラッドレーが顔を出したのを確認した俺は、通常のマガジンではなく、ライフル本体の左側にあるホルダーに装着されていた徹甲弾のマガジンを取り外し、ライフルに装着する。

 

 右手でコッキングレバーを引き、再装填(リロード)を済ませる。次の標的はあのM2ブラッドレーだが、いくら徹甲弾とはいえ、14.5mm弾でブラッドレーを撃破するのは困難だ。

 

 だから、撃破するのではなく無力化する。

 

 ヘリを撃墜するつもりなのか、ブラッドレーが機関砲の砲身をこっちへと向けてくる。その機関砲の砲身へと照準を合わせ、敵がこっちを蜂の巣にする前にトリガーを引く。

 

 深紅のラインが刻まれた徹甲弾のマガジンから解き放たれた1発の弾丸が、自分が生み出した轟音とマズルブレーキを置き去りにして、標的へと向かって疾走していく。その1発の徹甲弾は、まだ砲身をこっちに向けている最中だったブラッドレーへと急接近すると、ブラッドレーの機関砲の砲身へと命中した。

 

 確かに、徹甲弾でも装甲車の装甲を貫通して撃破するのは難しいだろう。そのように戦車や装甲車を木っ端微塵にするのは、ロケットランチャーの役割なのだ。銃弾が装甲を貫通して敵の兵器を撃破するのは、第二次世界大戦で終わったのである。

 

 徹甲弾を叩き込まれた砲身が折れ曲がり、射撃不能になる。慌てて後退を始めるブラッドレーだが、どうやらガンナーを担当するイリナがブラッドレーに気付いたらしく、機首の機関砲をブラッドレーへと向けて連射し始めた。

 

 息を吐きながら次の標的を探そうと思った瞬間、ヘリの機内を電子音が支配する。

 

「どうした?」

 

『レーダー照射です。敵機にロックオンされています』

 

『フレア!』

 

 くそ、上空の戦闘機がこのヘリに気付いたか…………!?

 

 舌打ちをしながらスコープから目を離すと同時に、スーパーハインドが旋回しながらフレアを吐き出す。夜空に向かってばら撒かれたフレアの群れは、まるで新しい星のように煌きながらゆっくりと落下していった。

 

 そのフレアの群れの周囲を掠めていったのは――――――――2発の、荒々しい空対空ミサイル。

 

 ミサイルが飛来した方向にライフルを向け、スコープを覗き込む。敵の戦闘機がこっちの航空隊と交戦しているのはもっと上空だ。つまりあのミサイルを放った敵機は、増援という事なのだろうか。

 

 対空用の装備も搭載すればよかったと後悔しながらスコープを覗き込んだ俺は、レティクルの向こうから飛来してくる戦闘機の姿を目にした瞬間、歯を食いしばった。

 

 敵の戦闘機はラファールらしいが、今しがたミサイルをぶっ放してきたのはラファールではない。

 

 F-22を彷彿とさせる主翼が特徴的だ。最初はF-22がやってきたのかと思ってぞっとしたが、F-22にしては尾翼が見当たらない。まるで尾翼を更に上へと傾け、2つの垂直尾翼を取り外してしまったような形状である。

 

 あれはF-22ではない…………!

 

「くそったれ、『YF-23』だッ!!」

 

 俺たちのヘリに襲い掛かってきたのは――――――――アメリカで開発された、YF-23と呼ばれるステルス機だった。

 

 

 



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ステルス機VSスーパーハインド

 

「ふん、躱したか」

 

 今しがた放ったミサイルは、どうやらどちらも回避されてしまったらしい。

 

 舌打ちしながら操縦桿を倒し、機体を旋回させながらスーパーハインドを睨みつける。ちらりと上を見ながら味方の航空隊を掩護するべきだろうかと思ったが、未だに戦闘を続けているラファール隊は奮戦を続けている。Su-27の背後に回り込んだラファールが機関砲で敵機を蜂の巣にしたのを見た俺は、安心しながらもう一度ヘリを睨みつけた。

 

 航空部隊はまだ大丈夫だろう。ならば、俺が狙わなければならないのは敵の航空機ではなく、こっちの地上部隊を蹂躙しているあの忌々しいスーパーハインドだ。

 

 あのヘリを早く撃ち落とさなければ、要塞を占領した部隊に大きな被害が出るのは想像に難くない。ただでさえこちらの戦力はテンプル騎士団の連中よりも少ないのだから、タンプル搭襲撃の前に被害を出したくはないし、ここで損害を出せば兵士たちの士気まで下がってしまうだろう。

 

 せっかく突撃歩兵と後方の列車砲からの砲撃で要塞を陥落させ、兵士たちの士気が上がっているのだ。こんなところで大打撃を受ければ、上がったばかりの士気が台無しになってしまう。

 

 スーパーハインドは相変わらず要塞の上を旋回し、分厚い装甲で兵士たちの銃撃をことごとく弾き飛ばしながら、地上へとガンポッドとターレットが放つ砲弾をばら撒いている。

 

 そのスーパーハインドの中から長大なライフルの銃身を突き出し、地上部隊を狙撃しているのは―――――――漆黒のフードがついたコートに身を包み、そのフードに2枚の深紅の羽根を付けた”転生者ハンター”。俺の父を殺した忌々しい魔王から、あらゆる技術を受け継いだ男。

 

「ナガト…………ッ!」

 

 あの男は、何としても排除しなければならない。

 

 俺と同じ第二世代型転生者の試作型である上に、忌々しいキメラなのだ。こいつを殺さない限り、メサイアの天秤を使って父上を復活させるのは不可能だろう。まずはこいつを殺して鍵を奪い、天秤を手に入れて父上を復活させなければならない。

 

 その後に、復活した父上と共にオルトバルカへと攻め込み、忌々しい魔王共を血祭りにあげてやるのだ。

 

 旋回しているこっちに向かって、兵員室の中にいるナガトがアンチマテリアルライフルを向けてくる。古めかしい対戦車ライフルなのではないかと思えるほど長い銃身を持つ得物をこっちに向けてきたかと思うと、何発か発砲したらしく、マズルフラッシュが煌いたのが見えた。

 

 とはいえ、こっちは高速で飛んでいる戦闘機。大昔のプロペラ機だったのならば撃墜できたかもしれないが、俺の乗っているこの機体はアメリカで開発された高性能なステルス機だ。対物(アンチマテリアル)ライフルごときで撃墜できるわけがない。

 

 それに、狙撃用の得物を命中させるのはかなり困難だ。ガトリングガンのように連射速度の速い武器か、ロックオン可能な対空ミサイルを装備していない限り、歩兵が戦闘機に対抗するのは不可能に近い。

 

 そう思いながら旋回を終えようとしたその時だった。左側の主翼から、カツン、と何かが激突するような音が聞こえてきたのである。

 

「…………?」

 

 ちらりと左側の主翼を見てみると、灰色に塗装された主翼の一部に何かが激突したような傷跡が刻まれていた…………。

 

 立て続けに兵員室の中で煌くマズルフラッシュ。その光が消えたと思った頃にコクピットの中に聞こえてくるのは、カツン、という先ほど主翼の方から聞こえてきた何かが激突する音。

 

 まさか、狙撃を命中させている…………?

 

「やるじゃないか」

 

 優秀な狙撃手のようだな、ナガト。

 

 だが、こっちは高性能なステルス機だ。お前も戦闘機に乗っていたのであれば互角に戦えたかもしれないが、お前が乗っているのは戦闘機よりもはるかに鈍重な戦闘ヘリ。しかも武装は対空用ではなく、対地攻撃用の物ばかり。対空用の武装がない以上、戦闘ヘリでは戦闘機に勝つことは不可能なのだ。

 

 またしてもナガトの狙撃がYF-23に着弾する。今度はキャノピーのすぐ近くだったが、ナガトの狙撃をものともせずに突進する。速度をどんどん上げていきながら機関砲の発射スイッチを押すが、あのスーパーハインドのパイロットも優秀らしく、すぐに方向転換して機関砲の群れを回避してしまう。

 

 こっちも照準を合わせてもう一度ぶちかましてやろうと思ったんだが、照準を合わせるために機首をヘリへと向けてしまえば激突してしまいそうな距離になっていたことに気付き、舌打ちしながら攻撃を断念する羽目になる。

 

 今度は一旦距離を取り、ミサイルと機関砲の攻撃をお見舞いしてやろう。もし仮にフレアをばら撒きながらミサイルを回避したとしても、回避しているヘリに照準を合わせて機関砲を連射すれば、あの優秀なパイロットでも回避することはできないだろう。ナガトの狙撃には注意する必要があるが、あいつの得物の銃弾はおそらく12.7mm弾か14.5mm弾。航空機を叩き落すには威力不足としか言いようがない。

 

 上空の航空隊もまだ奮戦している。A-10隊は全滅してしまったようだが、生き残ったラファール隊はまだ錬度の低いテンプル騎士団の航空隊を蜂の巣にし、ミサイルを叩き込んで撃墜しているようだ。

 

 錬度ならばこっちの方が上だろう。諜報部隊が入手した情報では、テンプル騎士団の兵士の大半はヴリシアの戦いの後に入団した新兵ばかりで、中には実戦経験すらない兵士もいるという。どれだけ優秀な装備を支給されて訓練を受けた兵士でも、実戦を経験しなければ力はつかないし、練度も上がらない。

 

 それに対し、こちらの兵士たちの大半はヴリシアの戦いの敗残兵。敗残兵とはいえ、あの死闘から生還した兵士たちばかりだ。それゆえに入団したばかりの新兵たちと比べると練度が違うし、士気もこちらの方がかなり高い。

 

 だからと言って油断するわけにはいかないがな。前回は、油断して敗北したのだから。

 

 再び旋回を終え、減速しつつ機首をヘリへと向ける。減速したとはいえ、ヘリと戦闘機の速度にはかなりの差がある。この状態でもすぐにヘリを通過する羽目になるだろう。減速したと思って安心しながら攻撃していれば、すぐにヘリにタックルする羽目になる。

 

 こっちには再生能力があるから問題はないが、もちろん痛覚もある。それに貴重なステルス機がスクラップになってしまう。

 

 ミサイルのロックオンが始まる。きっとあのスーパーハインドのコクピットの中では、こっちのレーダー照射を受けている事を意味する電子音を聞きながら、パイロットが慌てふためいて回避しようとしている頃だろう。ナガトの奴もミサイルを放たれる前にこっちを撃墜しようとしているに違いない。

 

 しかし、残念ながらあいつの対物(アンチマテリアル)ライフルでミサイル発射前にこっちを迎撃するのは不可能だ。確かに、大口径の弾丸と高性能なスコープを兼ね備えた対物(アンチマテリアル)ライフルは超遠距離狙撃にはうってつけと言えるだろう。だが、”うってつけ”と言えるのはあくまでも地上で敵の歩兵や敵の装甲車を狙う場合だけだ。常に高速で大空を飛び回る戦闘機の武装の射程距離は、歩兵が装備できる武装の射程距離とは格が違うのだ。

 

 先ほどのように近距離で旋回し、機関砲を叩き込もうとしていたのであれば攻撃前に対物(アンチマテリアル)ライフルで反撃することはできるだろうが、今度はミサイルを放ってから機関砲で攻撃するために少しばかり距離を空けている。ナガトの得物の射程距離外だ。

 

「フォックス2」

 

 操縦桿にある発射スイッチを押した瞬間、がごん、と機体の胴体にあるウェポン・ベイから空対空ミサイルが空中に放り出される音が聞こえてきた。胴体の両脇に搭載されたウェポン・ベイから躍り出た2発のミサイルが、エンジンから炎を吐き出しながらスーパーハインドへと向かっていく。

 

 まだ距離には余裕があるから、もし仮にここでヘリがフレアをばら撒いてミサイルを回避したとしても、機関砲で追撃できるだろう。可能性はかなり低いが、ナガトがもし仮にミサイルを狙撃で撃墜したとしてもこちらが機関砲で追撃できるのは変わらない。

 

 旋回しながら、がっちりした形状のヘリがフレアをばら撒き始める。ヘリへと向かって飛んでいたミサイルが急に直進できなくなり、全く違う方向へと飛んで行ってから爆発してしまう。

 

 ―――――――フレアか。想定内だ。

 

 機首をヘリへと向け、機関砲の発射スイッチへと指を近づける。確かに戦闘ヘリの装甲は厚いが、戦闘機に搭載されている機関砲の口径は歩兵用のライフルとは格が違う。装甲車の主砲に匹敵するほどの破壊力があるのだ。いくら装甲が厚いヘリでも、瞬く間に木っ端微塵になるだろう。

 

 じゃあな、ナガト。

 

 俺はお前が嫌いだ。虐げられる人間の苦しさを一番知っている筈なのに、あんな生き方をしていたお前が許せない。それに、俺たちから全てを奪っていったお前たちの一族も許せない。

 

 同胞を奪い、父まで奪った。

 

 だから俺も、お前たちから全てを奪ってやる。

 

 けれども、少しばかり期待してたんだよ。…………もしかしたら、また前世で一緒に遊んでた頃みたいに、仲直りできるかもしれないって。

 

 かなり確率は低いけれど、そうなればいいなって思ってた。

 

 でも無理だ、ナガト(ビックセブン)。俺たちの一族とお前たちの一族が戦いを止めることなど、多分永遠にないだろう。俺たちがこの世を去って子孫たちの時代になったとしても、この戦いは止まらないかもしれない。

 

「―――――――じゃあな、バカ野郎」

 

 呟きながら発射スイッチを押そうとしたその時だった。

 

 兵員室の中で煌いていたマズルフラッシュが消えたかと思うと――――――――今度は、蒼い光が兵員室の中からあふれ始めたのである。スーパーハインドの巨体を覆いそうなほど拡散していたその蒼い光は、揺らめきながら再び兵員室の中に吸い込まれ始めたかと思うと、手榴弾よりも一回り大きい炎の球体を形成する。

 

 その光が溢れ出すと同時に俺が感じ取ったのは、猛烈な量の魔力だった。並みの魔術師どころかベテランの魔術師ですら、長い詠唱を終わらせなければ形成できないほどの加圧された魔力の塊。それが、たった数秒で形成されてしまったのである。

 

 蒼い光だが、属性はおそらく炎。―――――――ナガトが得意とする属性だ。

 

「あいつ…………ッ!!」

 

 魔術で狙撃するつもりか!!

 

 魔術は現代兵器と比べると、詠唱が必要になる上に攻撃力も劣る。中には現代兵器を上回るほど強力な魔術もあるが、そのような魔術を発動するには長い詠唱が必要になるため、現代兵器よりもはるかに実用性が低いと言わざるを得なかった。

 

 だが―――――――あれほど加圧した魔力を短時間で生成できるのであれば、現代兵器に匹敵する破壊力となるだろう。しかも詠唱の必要もないのだから、他の魔術よりもはるかに素早く発動することができる。

 

 はっきり言うと、魔術をかなり見下していた。治療魔術(ヒール)さえできるのであれば、それ以外の魔術は必要ないと思っていた。

 

 しかし――――――――ナガトの野郎の武器は、銃だけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 折り畳んだOSV-96を背中に背負い、右手を突き出して魔力の生成を続ける。もう既に体内には炎属性と雷属性に変換済みの魔力があるのだから、普通の魔術師とは違って、何の属性もない体内の魔力を何かしらの属性に変換するという手順は必要ない。

 

 それゆえに、俺やラウラは自分の体内にある魔力の属性と同じであるならば、詠唱をせずに魔術を放つことができるのだ。

 

 照準は、もちろんこっちに接近してくるYF-23。さすがに14.5mm弾で撃墜するのは困難だが、この超高圧の魔力ならば戦闘機に風穴を開けることはできるだろう。しかも魔術の場合は、魔力を加圧すればするほど”弾速”が速くなるという特徴がある。人間が放り投げた手榴弾とほぼ同じ弾速のファイアーボールを遥かに上回る弾速になるに違いない。

 

 悪いな。俺の魔術は、ちょっとばかり”変”なんだよ…………!

 

 普通にファイアーボールを放とうとしても、どういうわけか必要以上の魔力が加圧されちまう。だから俺のファイアーボールは、はっきり言うと蒼いレーザーみたいな攻撃になっちまうんだ。

 

 けれどもその速い弾速は、戦闘機のように高速で飛び回る獲物を捉えるにはうってつけだろう。

 

「ステラ、ちょっと遊びに行ってくる」

 

『構いませんが、無茶をしてはいけないのです。タクヤの悪い癖ですよ』

 

「気を付けるよ」

 

 悪い癖か。親父も同じ癖があったらしい。

 

 直したいんだが、なかなか直らないんだよなぁ。

 

 苦笑いしながら、接近してくるYF-23のキャノピーを睨みつける。ステルス機のキャノピーの中では、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)や酸素マスクを身につけたパイロットが、こっちを睨みつけているところだった。

 

 YF-23に搭載された機関砲が火を噴き始める。全速力で飛行するスーパーハインドの巨体を掠めていく機関砲の砲弾の群れの中で、蒼い外殻に覆われた右手を敵へと向けていた俺は、距離が十分近くなったのを確認してから、生成していた炎属性の魔力の塊を放った。

 

「―――――――ファイアーボール」

 

 普通の魔術師のファイアーボールは、真っ赤な炎の球体が1つだけ―――――――アレンジを加えれば拡散させることもできる―――――――飛んで行く。弾速は人間が放り投げた手榴弾と同じくらいで、解するのは簡単だ。

 

 しかし、俺が放ったファイアーボールは、やっぱり変だった。

 

 炎の球体ではなく――――――――燃え盛る蒼いレーザーが、1本だけ飛んで行ったのだから。

 

 加圧された魔力の塊とも言えるそれの破壊力が、下手をすれば戦闘機に風穴を開けてしまうほどだという事を感じ取ったのか、敵のパイロットが慌てて機関砲の連射を止めながら高度を下げる。しかし、対空ミサイルにも匹敵する弾速で飛来した俺の一撃は、回避しようとしていたYF-23の左側の尾翼の先端部を捥ぎ取ると、その衝撃でアメリカ製のステルス機をぐらつかせてしまう。

 

 さて、遊びに行こう。

 

 放った蒼いファイアーボールが残した火の粉が舞う兵員室の中から――――――――夜空へと踊り出す。

 

 全速力で飛び続けるスーパーハインドの兵員室から飛び出した俺の目の前に急接近してくるのは、今しがたファイアーボールの狙撃を回避し、尾翼の一部を失って未だにぐらついているYF-23。

 

 必死に体勢を立て直そうとしているパイロットと、そのステルス機の背中に着地しようとしている俺の目が合うと同時に、体内の血液の比率を変化させ、身体中を蒼い外殻で覆った。いくら転生者のステータスのおかげで防御力が上がっているとはいえ、回避を終えた直後の戦闘機の背中へと激突すれば、転生者でもただでは済まない。

 

 そして、前進が蒼い外殻で覆われると同時に、ステルス機の”背中”が俺の右肩を思い切り殴打した。

 

「―――――――せんちゅりおんっ!?」

 

 か、肩外れたんじゃないか…………? 

 

 硬化させた状態の左手をYF-23の胴体に食い込ませ、尻尾も突き刺して振り落とされないようにしながら、凄まじい風の中で右腕を動かしてみる。叩きつける羽目になった肩は少しばかり傷んだけど、いつものように動いた。どうやら外れたわけではないらしい。

 

 その右腕も機体に食い込ませ、少しずつコクピットの方へと進んでいく。ヘリを仕留め損なって旋回しているだけなのか、それとも俺が機体に着地したことを察知して振り落とそうとしているのか、YF-23は先ほどから急旋回を繰り返していた。

 

 幼少の頃から受けた訓練で鍛え上げた筋肉をフル活用し、急旋回する戦闘機から振り落とされないように堪えつつ、コクピットのすぐ近くまで移動する。

 

『…………!』

 

 再び、コクピットの中にいるパイロットと目が合った。

 

 口元は酸素マスクのせいで見えなかったが、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の向こうに見える鋭い眼を見た瞬間、そのパイロットが誰なのかを理解してしまう。

 

 そうか、お前も最前線で戦ってたのか。

 

「久しぶりだな、ブラドぉ…………ッ!!」

 

 

 

 




※センチュリオンは、イギリスの戦車です。


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撤退

 

 何度か戦闘機に乗ったことはある。

 

 戦闘機はドラゴンと全然違う。ドラゴンよりも小回りが利くし、スピードも別格だ。搭載した強力なエンジンで一気に加速すれば、どんなに獰猛なドラゴンでも一瞬で置き去りにしてしまう。俺たちの世界の科学力が生み出した兵器の性能は、この異世界で多くの騎士団たちを苦しめていた怪物(ドラゴン)の能力を凌駕しているのだ。

 

 数回だけだが、俺はその戦闘機を操って戦ったことがある。けれどもその時は”普通の乗り方”をしていた。正確に言うと、酸素マスクやパイロットスーツを身につけず、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)だけ身につけた状態で操縦してたから、それは”普通の乗り方”とは言えないけどね。パイロットにとってパイロットスーツや酸素マスクは必需品なのだから。

 

 だから、今のように戦闘機の”背中”に飛び乗るは人生初だった。もちろん転生する前の人生でもこんな経験はした事がない。転生前は平和な日本で暮らしてたからな。こんな経験をしたことがある日本人はいないのではないだろうか。

 

 キメラの外殻で両腕を覆ったまま、鋭くなった指先をYF-23の装甲に必死に食い込ませ、握力をフル活用してしがみつき続ける。このステルス機を操っているブラドはちらりとこっちを見ながら機体を急旋回させたり、急降下させて必死に俺を振り落とそうとしていた。

 

 ジェットコースターよりもヤバいな、これは。もし手が離れてしまったらそのまま地上へと落下する羽目になる。しかも、背中に張り付いている敵を振り落とすために必死に飛び回る戦闘機の上からだ。

 

 もしそうなったら、いくらキメラでも死んでしまうだろう。

 

 俺は老衰で死ぬまでは死にたくないんでね。

 

 老衰以外の死に方は、俺にとっては全部バッドエンドなのだ。

 

 一旦戦闘機に食い込ませていた左手を離し、腰のホルスターの中へと突っ込む。中に入っているPL-14が振り落とされていなかったことを確認してからすぐにそれを引き抜き、安全装置(セーフティ)を素早く外してから、銃口を戦闘機のキャノピーへと押し付けた。

 

 キャノピーの向こうで戦闘機の操縦をするブラドが、機体に張り付いている敵が自分にハンドガンの銃口を向けていることに気付いてぎょっとする。慌ててブラドが操縦桿を倒して急旋回を始めると同時に、キャノピーに押し付けていたハンドガンのトリガーを引いた。

 

 すぐ近くでエンジンが轟音を発し続けているせいなのか、聞き慣れた銃声はあまり聞こえない。銃口から光が躍り出し、スライドがブローバックして、飛び出した薬莢が瞬く間に後方へと吹っ飛ばされていく。

 

 このままキャノピーをぶっ壊してブラドを殺せれば最高なんだけど、多分無理だろう。ハンドガン用の弾薬は基本的に貫通力が低いのだから。

 

 案の定、YF-23のキャノピーは健在だった。至近距離で弾丸を叩き込まれたにも拘らず、割れる様子はない。マガジンの中の9mm弾を全て叩き込んだら割れるだろうか。

 

「ぐっ…………」

 

 急旋回がぴたりと止まったかと思うと、今度は逆方向に急旋回。怪物(キメラ)に喰らい付かれたYF-23が必死に空を飛び回り、張り付いている敵を振り落とそうとしている。YF-23を操るパイロットの脳味噌を弾丸で木っ端微塵にしてやらない限り、この急旋回は止まらないだろう。

 

 キャノピーに銃口を押し付けたまま、俺はPL-14のトリガーを何度も引いた。ロシアで生み出されたハンドガンは必死にスライドをブローバックさせ、反動(リコイル)を俺の左腕の中へと押し付けながら、立て続けに小さな空の薬莢を吐き出していく。

 

 いっそのことC4爆弾でもお見舞いしてやろうかと思ったけど、そんなことをすれば爆風で吹っ飛ばされた挙句、まるで着弾する砲弾のように地面に叩きつけられ、自分の内臓をグチャグチャにする羽目になる。それに俺の持っているC4爆弾は対吸血鬼用に聖水や水銀をぶち込んだものではないから、仮にYF-23を吹っ飛ばすことができたとしても、パイロットであるブラドは殺せないだろう。

 

 落下すればこっちは死ぬけど、向こうは弱点による攻撃ではないからすぐに再生する。彼らから見ればキメラの防御力は魅力的なのかもしれないけれど、こっちからすればあいつらの再生能力は本当に厄介だ。弱点でなければ死なないのだから、痛みにさえ慣れていれば弾丸をぶち込まれるのは怖くないし、チェーンソーで身体中を切り刻まれることにも耐えられるだろう。

 

 そろそろハンドガンが弾切れするだろうなと思ったその時、スライドがブローバックしなくなった。グリップの中に装着してあるマガジンの中身がなくなってしまったのだという事を理解した瞬間、YF-23が高度を落とし始めた。

 

 今の銃撃がキャノピーをぶち破り、ブラドの頭を貫いたというわけではない。左右に急旋回してもなかなか俺が振り落とされなかったことに気付いたブラドが、痺れを切らして急降下を始めたのだ。

 

「こ、この野郎…………ッ!」

 

 PL-14をホルスターの中へと戻し、左手を思い切り握りしめる。先ほどまでPL-14で銃弾をぶち込み続けていた部分には、確かに銃弾が命中した痕が残っている。こんな状況でメニュー画面を開き、別の武器に切り替えている余裕はない。

 

 猛烈な冷たい風を浴びながら、握り締めた左手の拳を思い切りキャノピーへと振り下ろす。蒼い外殻に覆われた拳と強靭なキャノピーがぶつかり合い、ちょっとした亀裂が産声を上げていく。

 

 さっきみたいに魔術を使い、戦闘機もろともパイロットを焼き尽くしてやろうかと思ったけれど、いくら詠唱が必要ないとはいえ魔力の加圧をしなければならない。加圧はすぐに済むけれど、その”すぐ済む”間に振り落とされてしまったら元も子もない。それに、もし仮にちゃんと加圧できたとしても、その一撃でコクピットまで消し飛ばしてしまえば、操縦不能となったYF-23と一緒に地面に叩きつけられ、棺の中にぶち込まれる羽目になる。

 

 操縦した事のない機体だけど、キャノピーを叩き割ってパイロットを外へと放り投げ、この機体を拝借するのが一番だ。とはいえこれはブラドが生み出した機体だから、彼がメニュー画面を開いて装備している兵器の中から解除すれば、背中にいる敵を振り落とすために飛び続けているステルス機はあっさりと消滅してしまう。

 

 奪ってからすぐに高度を下げる必要がありそうだ。少なくとも、地面に叩きつけられても死なないような低空まで。

 

 その時、キャノピーの亀裂が一気に大きくなった。その音がコクピットの中へと響き渡ったのか、ブラドがこちらを見上げながらぎょっとする。

 

 もう一発キャノピーを殴りつけると、コクピットを覆っている頑丈なキャノピーが揺れたような気がした。

 

 もう少しだろうか。

 

『こちらジェド・マロース。敵の戦闘機に狙われています』

 

「なっ…………!」

 

 ちらりとヘリの方を見てみると、仲間からあのヘリを始末しろとでも言われたのか、それとも仲間を蹂躙しているヘリを無視するわけにはいかなくなったのか、1機の灰色のラファールが急降下を始めたかと思うと、ガンポッドを掃射していたヘリへと急降下しながら、機関砲で攻撃を始めたのだ。

 

 幸い被弾したわけではなかったようだが、また鈍重なヘリが動きの速い戦闘機に狙われる羽目になってしまう。

 

 くそったれ、さすがに加勢できないぞ。ブラドの戦闘機に飛び乗ったのは失敗だったか…………?

 

 今度は急上昇を始める戦闘機の上で、息を吐いてからキャノピーを見下ろす。

 

『フレア』

 

『ステラちゃん、右に回り込まれてる!』

 

『了解(ダー)』

 

 何とか耐えてくれよ…………!

 

 左手を握るのを止め、魔力の加圧を開始。もちろん、属性は俺の体内にある属性の1つである炎属性だ。

 

 先ほどのファイアーボールのように手のひらに集中させるのではなく、左手の指先へと集中させていく。するとまるでショートしたかのように指先から一瞬だけ火花が散り、小さな蒼い炎が産声を上げる。指先から噴き出していた炎は徐々に小さくなっていくと、まるで小型のナイフの刀身のような形状になっていく。

 

 これは魔術というよりは、自分の体内の魔力を操っただけだ。

 

 それをキャノピーへと近づけた瞬間、ガラスの溶けていく猛烈な臭いと熱気が風の中に溶け込み始めた。ドラゴンの吐き出すブレスよりもはるかに地味な小さい炎はあっさりとキャノピーを溶かして穴を開けると、その穴をどんどん広げていく。

 

 ラウラのように氷の粒子を纏って姿を隠すことはできない―――――――似たようなことはできる―――――――けれど、その代わりに俺の持つ属性は彼女よりも攻撃的なのだ。

 

 腕が通過できるくらいの大きさになった穴の中へと、炎を噴射した状態の左手をぶち込む。ガラスの溶ける臭いが充満しているコクピットの中へと、戦闘機を包み込む冷たい風と共に入り込んだ俺の左腕は、操縦桿を握りながら機体を何度も急旋回させたり、急降下させていたブラドの左肩をあっさりと貫いた。

 

 パイロットスーツの表面を溶かし、そのままブラドの腕を焼き払う。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………ッ!!」

 

 血や肉が焼けていく臭いが、ガラスの溶ける臭いと混ざり合いながらコクピットから追い出されていく。こういう臭いは、戦場で何度も嗅いだ。

 

 あのヴリシアの戦いの時も、戦場のど真ん中ではこういう臭いがしていたのだ。

 

「久しぶりじゃないか。俺に会うためにステルス機まで持ってきてくれるとはなぁ!!」

 

「こ、この…………ッ!!」

 

 操縦桿から一旦手を離し、腰のホルスターからコルトM1911を引き抜くブラド。.45ACP弾のストッピング・パワーは確かに脅威的だけれど、キメラの外殻を貫通することは不可能だ。だから俺はブラドがトリガーを引くよりも先に血液の比率を変え、コクピットの中に突っ込んでいる左腕や頭を外殻で覆う。

 

 その直後、ブラドのコルトM1911が火を噴く。スライドがブローバックし、マズルフラッシュの中から大口径の.45ACP弾が躍り出る。

 

 左肩を焼かれているブラドが放った一撃は、彼の肩へと突き刺さっている俺の左腕を掠めると、そのまま穴の開いたキャノピーの向こうで腕を突っ込んでいる俺の額へと叩き込まれる。

 

 頭が弾丸によって大きく突き飛ばされ、猛烈な衝撃が脳へと伝達される。普通の人間だったら今の一撃で頭蓋骨を木っ端微塵にされていただろう。防御力は人間とそれほど変わらない吸血鬼も、脳に風穴を開けられていたに違いない。

 

 彼らの再生能力は便利だが、こういう時は再生能力よりも防御力を底上げする効果の方が便利なのだ。弾丸に風穴を開けられないという事は、被弾してもそのまま張り付いていられるのだから。

 

 ブラドは立て続けに.45ACP弾をプレゼントしてくれたけど、やはり俺の外殻は貫通できない。何度も聞いた跳弾する音を奏でながら、冷たい風の中へと吹っ飛ばされていく。

 

 歯を食いしばりながら操縦桿を引き、ブラドはYF-23の高度を上げていく。また急旋回で振り落とそうとするつもりなのかと思ったその時、すぐ近くを灰色のラファールたちが通過していった。

 

「!」

 

『お前たち、機銃でこの忌々しいキメラをぶっ殺せ!』

 

『し、しかし、ブラド様も危険なのでは!?』

 

『構わん! 普通の弾丸で俺が死ぬわけないだろ!』

 

『や、了解(ヤヴォール)!!』

 

 コクピットの中から、ドイツ語に語感がそっくりなヴリシア語が聞こえてきた。この世界ではオルトバルカ語が公用語という事になっているけれど、吸血鬼たちの母語はあくまでもヴリシア語なのだ。

 

 幼少の頃にヴリシア語を習っていたおかげで、ブラドがなんと言っているのかは聞き取れた。

 

 本当にやるつもりなのだろうか?

 

 戦闘機の機銃は歩兵のライフルよりもはるかに大口径だ。下手をすれば、このYF-23まで木っ端微塵になってしまう。しかも俺が張り付いているのはコクピットのすぐ近くだ。いくら再生能力があるとはいえ、自分たちの主君を木っ端微塵にすることになるんだぞ…………ッ!?

 

 正気の沙汰じゃない。くそったれ。

 

 ぎょっとしながら正面を見てみると、先ほど通過していった灰色のラファールが旋回し、こちらへと機首を向けているところだった。味方が俺を狙いやすくするためなのか、ブラドもYF-23を段々と減速させていく。

 

 今すぐブラドを貫いている手を引っこ抜き、内臓が無事で済むように祈りながら飛び降りるべきだろうか。それとも手早くブラドをぶち殺して機体を奪い、あのラファールの機銃を回避するべきだろうか。

 

 くそったれ、どっちも賭けじゃねえか!

 

 ラファールの機首にある機関砲が火を噴き始める。大口径の砲弾がすぐ近くを掠めていく音を聞きながら、俺は歯を食いしばり―――――――左手を引っこ抜いて血を拭い去りながら、YF-23の上から飛び降りた。

 

 機関砲の砲弾を外殻で防ぐことは可能だけど、被弾すればその衝撃で吹っ飛ばされる。どの道YF-23の上から放り出されていたのだから、無理にブラドを殺して機体を奪う必要もないだろう。何度も賭けをする羽目になっているけれど、俺は賭けをしない主義なのだ。

 

 排除する敵が自分で機体から飛び降りたことを確認したのか、ラファールが機関砲の掃射を止め、YF-23の機体のすぐ上を通過していく。ブラドも高度をさらに上げると、航空隊の支援をするためにSu-27たちを追いかけ回し始めた。

 

「航空隊、そろそろタンプル搭へ撤退しろ! もう十分だ!」

 

 地上へと落下しながら、無線機に向かって叫ぶ。

 

 ここで敵の航空隊をひたすら撃墜し続けたとしても、タンプル搭への攻撃は食い止められないだろう。それに航空部隊も、そろそろ帰還しなければ燃料が底をついてしまう。

 

 ちらりと地上を見てみると、生き残った地上部隊を乗せたBTR-90の車列が、機関砲で敵の歩兵の群れを薙ぎ払いながら要塞を飛び出していくのが見えた。装甲車の群れの逃走を阻止しようとするレオパルトが、その装甲車たちの向こうから飛来した1発のAPFSDSに貫かれ、火花と黒煙を吹き上げながら擱座する。

 

 撤退していく装甲車たちを支援するのは―――――――砂漠の向こうに居座る、1両の漆黒の戦車だった。

 

 通常の戦車よりも大口径の滑腔砲を搭載したその戦車の砲塔は、まるで半分に両断した円盤の後部に、通常の戦車の後部を取り付けたような変わった形状をしている。砲塔の上には大口径の14.5mm弾を使用可能な機関銃を搭載したターレットが鎮座しており、ロシア製アクティブ防御システムであるアリーナも搭載しているのが分かる。

 

 ナタリアが車長を務めるチョールヌイ・オリョールだ。砲塔には、オルトバルカ語で”ドレットノート”と書かれているのが見える。

 

 敵の戦車部隊が味方を追撃した場合を考慮して、1両だけだけど戦車を投入していたのだ。しかも搭載しているのは125mm滑腔砲ではなく、さらに大口径の152mm滑腔砲。さすがに正面装甲は無理だけど、側面ならば近代化改修型マウスの装甲も貫通できる。

 

 圧倒的な攻撃力を誇る戦車の主砲が、立て続けに火を噴いた。

 

 よし、もう大丈夫そうだな。後は敵をもう少し足止めしてから撤退すればいい。

 

 パラシュートを装備せずに落下しながら味方の状況を確認しつつ、前進をキメラの外殻で覆う。少なくとも砂の上に落下するから、石畳や建物の上に落下するよりは衝撃は弱くなってくれるに違いない。

 

 ズドン、と砂の上に自分の身体が”着弾”する。予想以上に強烈な衝撃が身体を包み込み、舞い上がる砂の中で猛烈な激痛が膨れ上がる。

 

 な、何とか内臓は無事らしい。手足も辛うじて動くし、エリクサーを飲めばすぐに治るだろう。

 

 そう思いながらエリクサーの容器へと手を伸ばしたその時だった。

 

 撤退する装甲車たちを支援するために要塞の防壁の上を飛び越えた味方のスーパーハインドが―――――――火を噴きながら、高度を落とし始めたのだ。

 

 

 



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砂嵐と狙撃手

 

 照準器の向こうで、吸血鬼の兵士の上半身が千切れ飛ぶ。

 

 普通の人間なら、上半身を捥ぎ取られれば死んでしまう。けれども再生能力を持つ吸血鬼たちは、弱点を使って攻撃しない限り、上半身を吹っ飛ばされたり、ミンチになったとしてもすぐに再生してしまう。

 

 だから今しがた私が放ったのは、銀の23mm弾だった。

 

 従来のアンチマテリアルライフルよりもはるかに大口径の銃弾が、照準器の向こうで荒れ狂う。当たり前のように人体を粉砕した弾丸が、その後ろで弾薬の入った箱を運んでいた兵士の右半身を抉り取り、更にその後ろで兵士たちに指示を出していた指揮官らしき兵士の腹に大穴を開ける。

 

 腹に開いた風穴から露出した腸を周囲にまき散らしながら、指揮官らしき兵士が崩れ落ちていく。

 

 氷の粒子を纏ったまま、私は立ち上がった。すぐに敵兵たちがMG3で弾幕を張ってくるけれど、弾丸が着弾しているのは私や他の兵士たちが狙撃していた場所とは全く違う。けれども、いつまでも同じ場所から狙撃していれば敵に発見されてしまう。

 

 それに移動しながら狙撃を続けていれば、敵に反撃される確率が下がる。

 

 走りながらゲパードM1のピストルグリップをボルトハンドルのように一旦捻り、そのまま引く。飛び出した大きな薬莢の代わりに次の23mm弾を装填し、ピストルグリップを元の状態に戻す。

 

 このアンチマテリアルライフルは私のお気に入りだった。単発型だけど命中精度が高いから、敵を狙撃し易い。それにタクヤに23mm弾を発射できるように改造してもらったから、敵がステータスの高い転生者でも一撃で葬ることができる。

 

 敵をできるだけ一撃で仕留められる火力と、極めて高い命中精度を両立したこのライフルを、私は愛用していた。

 

 腰につけている革のホルダーに残っている弾丸はあと11発。これを撃ち尽くす前に、守備隊は撤退を終えるかしら?

 

「シャシュカ2と3はもう少し後退して。シャシュカ7と8も前に出過ぎよ。反撃されちゃうわ」

 

『了解です、教官』

 

 それに、そろそろ私たちも撤退するんだから、出来るだけ後ろに下がっていた方がすぐに撤退できるわ。あまり前に出ていると反撃されるし、最悪の場合は敵に包囲される羽目になる。狙撃用の装備で敵の兵士に包囲されれば、突破できる可能性はゼロになってしまうからね。

 

 ドン、と戦車砲が火を噴く音を聞いた私は、咄嗟にそちらに銃口を向けた。砂嵐がもう少しでこの戦場を呑み込むところなのか、少しずつ砂が舞い上がりつつある。けれどもその舞い上がっていく砂の向こうで、後方のチョールヌイ・オリョールへと向けて火を噴くレオパルトの姿が見えた。

 

 いくら23mm弾とはいえ、戦車の装甲を貫通することは不可能。タクヤの住んでいた異世界では、弾丸が装甲を貫通する時代はもう終わっているのだから。

 

 けれども、全くダメージを与えられないわけじゃない。

 

 氷の粒子を纏って姿を消したまま、砂の上に伏せる。展開したままだったバイポッドを有効活用して、私はレオパルトの砲塔の上にあるアクティブ防御システムに照準を合わせる。

 

 戦車は撃破できないけれど、アクティブ防御システムを無力化できれば、味方の対戦車ミサイルやロケット弾があれに迎撃されることはなくなる。つまり、戦車を撃破するための難易度を一気に下げることができる。

 

「…………」

 

 距離は多分、300mくらい。今まで何度も1kmや2km先の標的を当たり前のように狙撃してきたのだから、この程度の距離の狙撃ならば朝飯前よ。

 

 段々と砂嵐も強くなりつつあるし、狙撃した後にすぐに逃げれば敵の多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)にミンチにされることはない筈。

 

 死ぬわけにはいかないのよ。タクヤと結婚して、子供を作るまでは。

 

 あの子を幸せにするまでは、絶対に死ねない。

 

 トリガーを引き、23mm弾を敵へと叩き込む。12.7mm弾や14.5mm弾を遥かに上回る猛烈な反動が、左肩を突き抜けていく。まるで腕の中にある骨を弾丸が貫いて行ったのではないかと思ってしまうほどの反動だった。

 

 銃口に装着された大きいT字型のマズルブレーキから弾丸が飛び出し、砂嵐の中を駆け抜けていく。銃弾が着弾するよりも先に立ち上がり、すぐに戦車から離れる。

 

 ちらりと後ろを見てみると、ちょうど弾丸がレオパルトのアクティブ防御システムを直撃した瞬間だったらしく、砂嵐の向こうに佇んでいる戦車の砲塔の上で火花が散っているのが見えた。アクティブ防御システムを搭載したターレットがどうなったのかは分からないけれど、多分ミサイルを迎撃することはできなくなったと思う。

 

「みんな、後方に後退して」

 

『『『『了解!』』』』

 

 仲間たちに指示を出しながら、私は砂嵐の中でピストルグリップを引き、薬莢を排出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『くそ、アクティブ防御システムをやられた!』

 

『対戦車ミサイルに狙われてる! 回避しろ!』

 

『む、無理だッ! 回避でき――――――――』

 

「くっ…………!」

 

 砂漠の向こうに居座るチョールヌイ・オリョールが主砲から放った対戦車ミサイルが、今しがた敵兵の狙撃でアクティブ防御システムを失ったレオパルト2を直撃した。しかもそのレオパルト2はアクティブ防御システムを狙撃した敵兵を狙うために砲塔を右側へと向けた状態であった。

 

 ミサイルが命中した部位は、正面装甲ではなくその砲塔の側面だったのである。

 

 砲塔の側面には大穴が空き、その大穴の向こうにはミンチになった乗組員たちや、破壊された機器などの残骸が転がっているのが見える。

 

 テンプル騎士団のチョールヌイ・オリョールの主砲は、従来の滑腔砲よりも大型化されている。それに伴って発射可能な対戦車ミサイルまで大型化されているため、直撃すれば超重戦車だろうと致命傷になるほど破壊力は劇的に向上していた。

 

 たった1両の敵の戦車と数名の狙撃兵たちに、吸血鬼の戦車部隊が蹂躙されているのである。

 

 舌打ちをしながら、チェイ・タックM200に搭載されたスコープの蓋を開けるアリーシャ。敵の戦車を撃破すれば一気に狙撃兵を殲滅できるのだが、彼らを殲滅するために戦車部隊が前へと出ようとすれば、後方に居座っている敵の戦車から猛烈な砲撃を叩き込まれる羽目になる。

 

 吸血鬼たちはただでさえ数が少ないため、敵の本拠地であるタンプル搭へと攻め込む前に大損害を被る事は避けなければならない。

 

 スコープを覗き込みながら敵兵を探していたアリーシャは、砂漠の真っ只中で産声を上げたマズルフラッシュを見て目を見開く。

 

 普通ならば、マズルフラッシュは銃口から生れ落ちるものだ。それゆえに、マズルフラッシュが見えた場所の周囲には銃とその銃を構えた射手がいる筈である。しかし今しがたレティクルの向こうに見えたマズルフラッシュは、明らかに何もない場所から発生していたように見えた。

 

(あれは何…………!?)

 

 今度は、その何もない場所からやけに大きな薬莢が転がり落ちる。

 

 砂嵐が近づいているとはいえ、まだ辛うじて敵兵が見える程度の砂嵐だ。だからズームすれば敵兵を確認することはできるのだが、その場所には明らかに銃を持った敵兵がいないというのに、マズルフラッシュや空の薬莢が飛び出しているのである。

 

(…………なるほどね)

 

 アリーシャはスコープを覗き込みながら、ニヤリと笑った。

 

 鮮血の魔女と呼ばれている敵の狙撃手が、ヴリシアで大きな戦果をあげられた理由が分かったのだ。

 

(魔女は、姿を消せるのね…………!?)

 

 姿が消せるという事は、狙撃してきた場所を特定することが更に困難になる事を意味している。反撃するためにスナイパーライフルを構えたとしても、敵の姿が見えないのであれば反撃することもできない。

 

 つまり鮮血の魔女は、その能力を駆使して今まで戦ってきたのだ。

 

 アリーシャが今しがた目にした光景は、そこに鮮血の魔女がいるという事を意味しているのである。しかも敵はアリーシャに狙われているという事に全く気付いておらず、またしても何もない空間から薬莢を排出している。

 

 今すぐに狙えば、忌々しい魔女を排除できるのだ。

 

 アリーシャは照準をその”何もない場所”へと合わせる。とはいえ敵兵は姿を消しているため、弾丸を放ったとしてもどこに命中するかは不明だ。

 

 マズルフラッシュや空の薬莢が排出されている方向を考慮し、そのライフルのサイズを想像する。マズルフラッシュが発生している場所が薬莢の排出されている場所から離れているため、標的が使用しているのは銃身の長いアンチマテリアルライフルだろう。

 

 普通の人間が長大なアンチマテリアルライフルを構えている姿を想像しながら、頭がある筈の場所にレティクルを合わせるアリーシャ。彼女は姿を消している”鮮血の魔女”を睨みつけながら、チェイ・タックM200のトリガーを引いた。

 

 その直後、レティクルの向こうで血飛沫が吹き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外殻を脱ぎ捨てた1発の砲弾が、BTR-90の車列へと狙いを定めていたレオパルトの砲塔を抉り取る。溶接の際に発するような猛烈な火花を一瞬だけ吐き出し、溶ける鉄の臭いを周囲にばら撒きながら黒煙を吹き上げたレオパルトを、全速力で走り続けるBTR-90たちが置き去りにしていった。

 

 通常の120mm滑腔砲や125mm滑腔砲から放たれるAPFSDSならば、今のように一撃で砲塔の装甲を抉るのは不可能だろう。しかしテンプル騎士団に少数だけ配備されているチョールヌイ・オリョールの主砲は、さらに大口径の”152mm滑腔砲”に換装されており、戦車の正面装甲に直撃させたとしても、相手が”普通の戦車”であるのならば一撃で貫通するほどの破壊力を持っている。

 

 これほど巨大な主砲を採用したのは、テンプル騎士団がヴリシアの戦いで遭遇した近代化改修型のマウスに、その際に投入していたエイブラムスたちが次々に撃破されていったことが原因だった。

 

 120mm滑腔砲に耐えられるほどの厚さの複合装甲で覆われたマウスたちにどれほどAPFSDSを撃ち込んでも、彼らを撃破することはできなかったのである。最終的に味方の航空支援や艦砲射撃のおかげでやっと撃破する事ができたものの、もしテンプル騎士団が単独で再び吸血鬼との戦いを始めることになれば、戦車部隊のみで対処すれば返り討ちに遭うのが関の山であった。

 

 規模の大きなモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)ならば、航空機にミサイルや爆弾を搭載させて空爆することができるが、まだ団員たちの錬度も低い上に規模も小さいテンプル騎士団では、空爆のために航空機を出撃させる余裕がなかったのである。

 

 そこで、航空部隊と共同で敵の超重戦車を撃破するのではなく、超重戦車の装甲を貫通可能な火力を持つ戦車を正式採用することで、進撃する敵の超重戦車を迎え撃つことになったのである。

 

 それゆえに、チョールヌイ・オリョールの主砲はより大口径の152mm滑腔砲へと換装されたのだ。

 

 つまりチョールヌイ・オリョールは、マウスとの砲撃戦を想定されているのである。最新型の主力戦車(MBT)を上回る防御力を誇る怪物を打ち倒すために正式採用されているのだから、それよりも装甲の薄いレオパルトたちを食い止められないわけがなかった。

 

 しかも車長を担当するのは、数多の激戦で指揮を執った経験のあるナタリア・ブラスベルグである。

 

「敵戦車撃破!」

 

「次もAPFSDS! 2時方向のレオパルトをやるわ!」

 

「了解(ダー)! ―――――――敵の対戦車ミサイル!」

 

「迎撃!!」

 

 撃破されたレオパルトの影から顔を出したM2ブラッドレーが、砲塔から対戦車ミサイルを放った。いくら火力と防御力を増強しているチョールヌイ・オリョールでも、対戦車ミサイルを叩き込まれれば致命傷を負う羽目になるだろう。

 

 そこで、少数のみ配備されているチョールヌイ・オリョールには、転生者の能力で生産したタクヤによって、ロシア製アクティブ防御システムの『アリーナ』が標準装備されていた。

 

 M2ブラッドレーの砲塔から飛び出したミサイルが、白煙とワイヤーを置き去りにしながらチョールヌイ・オリョールへと飛来する。しかし、そのミサイルがチョールヌイ・オリョールの装甲に突っ込むよりも先に、チョールヌイ・オリョールの砲塔に搭載された発射機から1発のロケット弾が飛び出した。

 

 簡単に言えば、このアリーナは敵の対戦車ミサイルをロケット弾で迎撃するアクティブ防御システムである。アリーナが産声を上げるよりも先に、ロシアでは『ドロースト』と呼ばれるアクティブ防御システムが開発されており、それを搭載したソ連軍の戦車がアフガニスタンの戦いに投入されている。

 

 アリーナは、ドローストの改良型なのだ。

 

 発射された1発のロケット弾が、チョールヌイ・オリョールへと飛来する対戦車ミサイル(TOW)に牙を剥く。ロケット弾が膨れ上がったかと思うと、瞬く間に木っ端微塵に砕け散り、ロケット弾の外殻を打ち破った猛烈な爆風が産声を上げる。

 

 その中へと突っ込む羽目になった対戦車ミサイルも、目の前で砕け散ったロケット弾と同じ運命を辿る羽目になった。

 

 爆風の中で戦車を吹き飛ばすはずだった爆風が産声を上げ、砂漠の真っ只中で火柱が吹き上がる。

 

「迎撃成功!」

 

「お返ししてあげなさい」

 

 ジャック・ド・モレーの砲撃を担当することになったカノンの代わりに乗り込んだ砲手の兵士が、もう既に装填してあったAPFSDSの発射スイッチを押す。通常の戦車よりも大口径の主砲から解き放たれたAPFSDSは、まるで空中分解を始めたかのように外殻を置き去りにすると、中から飛び出した銛のような砲弾が、後退しようとしていたブラッドレーの正面装甲に突き立てられた。

 

 装甲で覆われているとはいえ、ブラッドレーの防御力は戦車よりも防御力は劣っている。しかも直撃した主砲の砲弾は、従来の戦車よりも大型の滑腔砲から放たれた一撃である。

 

 猛烈な火花が吹き上がり、後退を続けていたブラッドレーの動きがぴたりと止まる。正面装甲に命中したAPFSDSは容易く装甲を食い破ると、内部で操縦していた乗組員たちの肉体や機器を蹂躙していた。あくまでも戦車を撃破するための砲弾であるため、対吸血鬼用に銀の砲弾に変更されていたわけではない。そのため吸血鬼の乗組員たちの肉体は早くも再生を始めていたが、ブラッドレーが大破した状態では、逃げていくテンプル騎士団の装甲車を追撃するのは不可能であった。

 

 これで撃破した敵の車両は4両目である。

 

 車内のモニターを見て息を吐いたナタリアは、額の汗を拭い去りながら乗組員たちの後姿を見渡した。

 

 普段ならば操縦士を担当するステラの代わりにハーフエルフの操縦士が乗り込んでおり、砲手を担当するカノンの代わりにはハイエルフの砲手が乗り込んでいる。どちらもいつもは他のチョールヌイ・オリョールの乗組員で、魔物の掃討作戦にも参加しているため、戦車の操縦には慣れているようだった。

 

(守備隊は離脱したかな…………)

 

 ちらりとキューポラから外を確認すると、先ほどまで走行しながら機関砲をばら撒き、敵の吸血鬼たちを血祭りにあげていたBTR-90たちはチョールヌイ・オリョールよりも後方へと移動しており、攻撃を止めてタンプル搭の方向へと全力で突っ走っていた。

 

 要塞を脱出することができたのは、たった3両の装甲車のみ。それ以外の守備隊や司令官たちは、吸血鬼たちの攻撃によって全滅している。

 

 つまり、あの装甲車に乗っている兵士たちだけが生き残りだった。

 

(一体何があったの…………? 守備隊の兵士たちが壊滅するなんて…………!)

 

『こちら、戦艦ガングート。これより艦砲射撃による支援を開始する。部隊を直ちに退避させよ』

 

「了解(ダー)。シャシュカ1、聞こえる? そろそろ艦砲射撃が始まるわ」

 

 タンプル搭から出航した艦隊のうちの一部が、河に留まって艦砲射撃を行うという作戦を数分前に聞いていたナタリアは、すぐに狙撃手部隊に撤退命令を出すことにした。もう既に航空隊にもタクヤが撤退命令を出しており、上空ではアーサー隊のユーロファイター・タイフーンたちや、スオミ支部から派遣されたグリペンたちが離脱を開始している。

 

 もう既に要塞に生存者はいない。要塞の中に入り込んでいるのは敵の部隊だけであるため、そこに艦砲射撃をこれでもかというほど叩き込めば、最終防衛ラインへと侵攻しようとしている敵部隊に大打撃を与えることができるだろう。

 

 しかし、狙撃手部隊を率いていたラウラを呼んでも、応答がない。

 

「…………シャシュカ1、応答して。どうしたの?」

 

 もう一度呼んでみたが―――――――無線機の向こうから、冷静な彼女の声が聞こえてくることはなかった。

 

 ぞっとしながら、ナタリアはキューポラの外を覗き込む。狙撃手部隊が展開し、吸血鬼の歩兵たちを狙撃しているのはチョールヌイ・オリョールよりも前だ。もしかしたらそこからラウラが見えるかもしれないと思ったナタリアだったが、キューポラの外はいつの間にか砂嵐によって覆われており、狙撃手部隊どころか銃のマズルフラッシュすら見えない。

 

(もしかして、ラウラが…………!?)

 

 仮説を組み立て始めたナタリアは、歯を食いしばりながら頭を抱えた。

 

 そんなわけがない。今まで一緒に旅をしてきたあの赤毛の少女は、間違いなくこの世界で最強の狙撃手だ。あらゆる敵を正確な狙撃で撃破し、タクヤと共に数多の強敵を薙ぎ倒してきた実力者なのである。

 

 だが――――――――無線機の向こうから聞こえてきた兵士の報告が、徐々に完成していく仮説を否定し続けていたナタリアの胸に、冷たい事実を突き立てることになった。

 

『こ、こちらシャシュカ4! 大変ですッ!! 同志ラウラが――――――――』

 

 

 

 



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再起動

 

「ステラ、イリナ! 聞こえるか!?」

 

『…………』

 

 猛烈な砂嵐の中を突っ走りながら、スーパーハインドに乗っていた2人の仲間の名前を何度も呼ぶ。けれども、スーパーハインドの無線機が破損してしまったのか、俺の持っている無線機の向こうからは2人の声は聞こえてこない。聞こえてくるのはノイズの音だけだ。

 

 まさか、墜落した時に死亡してしまったのだろうか…………!?

 

 けれども、ステラとイリナがそんなに簡単に死ぬわけがない。ステラは身体が頑丈なサキュバスの末裔だし、イリナは弱点で攻撃しなければ死なない吸血鬼の1人なのだから。

 

 2人が生きていてくれることを祈りながら、全力で砂漠の真っ只中を突っ走る。

 

 幸い、この猛烈な砂嵐がスーパーハインドが発していると思われるオイルの臭いを俺の鼻孔まで運んできてくれている。スーパーハインドには何度も乗っているし、俺の嗅覚はラウラや親父よりも発達しているおかげで、スーパーハインドのオイルの臭いは分かるのだ。

 

 臭いの発生源とスーパーハインドが墜落していった方向を思い出しながら、自分の現在位置を思い浮かべる。おそらく俺がいるのは、ブレスト要塞の西側だろう。スーパーハインドが墜落していったのはブレスト要塞の正門側だから、もう少しで墜落した戦闘ヘリが見えてくるはずだ。

 

 しかし、墜落したのが正門側という事は、そっちには侵攻してきた吸血鬼共が何人もいるという事になる。ブレスト要塞が陥落してしまった以上、この要塞や敵が進軍してきたルートはすでに敵の”勢力圏内”なのだから。

 

 念のため武装を変更しておく。敵の勢力圏内という事は、迂闊に銃をぶっ放せば敵部隊に気付かれ、そのまま袋叩きにされてしまうのは想像に難くない。敵の勢力圏内に墜落したヘリから、敵に気付かれないように味方を救出するためには、適度な殺傷力を持ち、高性能なサプレッサーを装着した狙撃可能な得物を装備しておくことが望ましい。

 

 というわけで、一旦OSV-96を装備している武器の中から解除。サイドアームのPL-14はそのままにしておき、メインアームをロシア製スナイパーライフルのVSS(ヴィントレス)に変更する。スナイパーライフルとは思えないほど銃身が短いこいつなら扱いやすいし、高性能なサプレッサーと銃声を小さくしやすい9×39mm弾ならば敵に気付かれることはないだろう。

 

 念のため、PL-14にもサプレッサーを装着しておく。

 

 メニュー画面を出現させ、指先で立体映像のようなメニュー画面をタッチしながら突っ走るのはお手の物だ。これは俺やブラドのような”第二世代型”の転生者だけが使うことのできる能力だという。

 

 従来の転生者のように端末を使わないため、能力を使うために必要な端末を盗まれたり、紛失する恐れが一切ないというメリットがあるし、いちいち端末を操作するためにポケットからそれを出す必要がない。こっちは片手を突き出すだけで、目の前に近未来的なメニュー画面が姿を現すのだから。

 

 装備を変更して突っ走っているうちに、段々とオイルの臭いが濃密になってくる。さすがにタンプル搭の格納庫の中のように強烈な臭いはしないけど、ヘリがこの近くに墜落したという事はよく分かる。

 

 多分、この砂嵐の中では嗅覚が発達している種族じゃなければ臭いを探知できないだろう。最初の頃は俺もラウラみたいな視力を欲しがってたんだが、今はこの嗅覚に感謝するとしよう。

 

 このまま突っ走ってヘリを探そうと思ったが――――――――砂嵐の向こうから微かにヴリシア語で話している男たちの声が聞こえてきた瞬間、咄嗟に走るのを止めて伏せた。仲間の中にもヴリシア語が話せるメンバーはいるけれど、あのヘリに乗っていた乗組員の中でヴリシア語が話せるのは、吸血鬼であるイリナだけである。

 

 敵の勢力圏内に味方が残っている筈がない。つまり、無効からヴリシア語で話す男たちの声が聞こえてくるという事は、そこにいるのは敵兵であるという事を意味しているのだ。

 

 くそったれ、早くも敵兵と鉢合わせか?

 

 VSSの安全装置(セーフティ)を解除し、射撃準備に入る。スコープを覗き込み、彼らの軍服の臭いが流れてくる方向やヴリシア語が聞こえてくる方向から敵の位置を予測し、そこにレティクルを合わせながら、幼少の頃に教わった言語の1つでもあるヴリシア語を聞き取り始めた。

 

 オルトバルカ語は英語にそっくりな言語で、ヴリシア語はドイツ語にそっくりな言語だ。どちらも五感だけでなく、文字までそっくりだという特徴がある。

 

『こちら突撃歩兵第11分隊。墜落したヘリを確認した。パイロットは2名とも生存している模様。片方の身柄は拘束した』

 

『了解、もう片方を拘束してから後方まで連れてこい。尋問する』

 

『了解』

 

『おいおい、本隊に渡しちまうのかよ? 女だぜ?』

 

『そうですよ、隊長。ちょっとくらいは良いでしょう? さっきまで最前線で戦ってたんですし』

 

 匍匐前進して距離を詰めながら、歯を食いしばる。

 

 間違いなく、あいつらはステラとイリナを敵の本隊へと連れて行って、テンプル騎士団の作戦について色々と”尋問”するつもりだ。この世界には前世の世界のような条約は存在しないため、基本的に何をやっても問題はないのだ。

 

 だから平然と毒ガスを使えるし、平然と核兵器を使うこともできるのである。

 

 そんな状態の敵が拘束された捕虜にどんな尋問をするかは想像に難くない。条約(ルール)がない尋問を経験するという事は、地獄に放り込まれるのと同じなのだ。

 

 匍匐前進で進んでいるうちに、女の声が聞こえてきた。おそらくイリナだろう。普段使っているオルトバルカ語ではなく、本来の自分たちの母語(ヴリシア語)で吸血鬼の兵士たちを罵っているらしい。

 

『触るな、このクソ野郎ッ!』

 

『おいおい、何でそんなことを言うんだ? お前だって同胞じゃないか』

 

『確かに同胞だけど…………僕はお前たちみたいなことはしないッ!』

 

『おい、ちょっとその女を黙らせてやれ』

 

 分隊長らしき男の声が聞こえた直後、人を思い切り殴るような音とともに、イリナの苦しそうな声が聞こえてくる。

 

 殴りやがったのか、イリナを…………!

 

 くそったれ、早く助けないと!

 

 スコープを覗き込むと、辛うじて分隊長らしき兵士の後頭部が見えた。墜落したスーパーハインドから剥がれ落ちたスタブウイングの上に腰を下ろし、水筒の中身―――――――多分血だろう――――――――を飲みながら、部下がイリナを殴っているのを見守っている。

 

 今すぐに9mm弾で脳味噌をグチャグチャにしてやりたいところだが、敵の数と配置が分からない。最低でも敵兵の位置と距離さえ分かれば、最低限の敵兵を排除して彼女たちを救い出し、逃げることができるのだが、他の敵兵はどこだ…………?

 

 2人目の兵士は分隊長のすぐ近くで腕を組んでいたが、墜落したスーパーハインドの近くで殴られているイリナを見ているうちに、自分も彼女を痛めつけるつもりになったらしく、彼女を殴っている兵士に『おい、そろそろ代われよ』と言いながら分隊長の元を離れていった。

 

 イリナを殴っていた兵士はニヤニヤ笑いながら彼女を殴るのを止め、近くにやってきた仲間がイリナの服を脱がせようとしているのを笑いながら見守っている。

 

 どうやら3人だけらしい。

 

 まずはあの分隊長だ。

 

「死ね、くそったれ」

 

 レティクルを後頭部に合わせ、トリガーを引く。

 

 高性能なサプレッサーから解き放たれた1発の9×39mm弾は、舞い上がる砂塵の群れの中に風穴を開けながら疾駆すると、部下たちが同じ種族の少女を犯そうとしているのを見守っていた分隊長の後頭部へと突き刺さる。

 

 頭皮と頭蓋骨を容易く貫通した一撃は、そのまま吸血鬼の脳味噌を木っ端微塵にしてしまう。もちろん使用した弾薬は奴らの再生を防ぐための銀の弾丸だから、今しがた後頭部を撃ち抜かれた分隊長が起き上がることはないだろう。

 

 後頭部に風穴を開けられた分隊長が、がくん、と頭を揺らしてから動かなくなる。もしかしたら崩れ落ちる音でバレるのではないかと思ってヒヤリとしたが、分隊長の死体はそのままスタブウイングの上に腰を下ろした状態のままだった。

 

 砂塵が付着し始めていた冷や汗を拭い去り、VSSを腰に下げる。代わりにサプレッサー付きのPL-14とスペツナズ・ナイフを引き抜き、姿勢を低くしながら突っ走った。死亡した分隊長の脇を通過して部下たちの近くへと足音を立てずに接近してから、イリナを犯そうとしているクソ野郎の頭に照準を合わせる。

 

『やめてっ………やめてよッ!』

 

『まったく、吸血鬼のくせにキメラなんかに味方しやがって』

 

『教育してやろうぜ。もう二度とキメラに味方できないようにさ――――――――ギッ』

 

『え?』

 

 PL-14のスライドがブローバックする。小さな薬莢がハンドガンから飛び出す頃には、イリナを犯そうとしていた男のうなじに9mm弾がめり込んでいた。

 

 ライフルで開けられた穴と比べると小さな風穴を片手で押さえながら、ゆっくりと崩れ落ちていく吸血鬼の兵士。もう片方の兵士が慌ててこちらを振り返るよりも先に、右手に持っていたPL-14を投げ捨てて肉薄し、右手でその兵士の口を押えながら左手のスペツナズ・ナイフを突き付ける。

 

『!?』

 

「た、タクヤ…………!?」

 

『教育してやるよ。―――――――もう二度と、俺の女を犯せないように』

 

 吸血鬼達(こいつら)の母語でそう言いながら、左手のナイフを喉元に突き刺す前に―――――――イリナを犯そうとしていたバカの息子に、思い切り突き刺してやった。

 

『――――――――ッ!!』

 

 絶叫しようとする吸血鬼だが、俺が片手で口を押えているせいで叫ぶこともできない。

 

 ちなみにこの刀身は銀に変更してあるので、ブラドのように強力な再生能力がない限り再生は不可能だ。つまりこのバカは、もう二度と子供を作ることができないというわけである。

 

 ナイフを引き抜いてから、今度はその吸血鬼の喉に思い切り突き刺す。突き刺し過ぎたせいなのか、刀身の切っ先がそのまま首の骨を貫き、うなじから少しばかり顔を出した。

 

 強引に刀身を引っこ抜き、痙攣を続ける兵士の死体を投げ捨てる。返り血を拭い去りながらナイフを鞘に戻してイリナの方を見ると、彼女は目を見開きながらこっちを見ていた。

 

 殴られた痕はもう再生しているようだけど、脱がされた服は破かれていたらしい。黒いミニスカートは健在だけど、上着はすでに脱がされており、やや大きめの胸とピンク色のブラジャーがあらわになっている。

 

 あ、危なかったな…………。

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん…………。ありがとね、タクヤ。助かったよ」

 

「気にすんなって。それより…………ほら、これ着ろ」

 

 転生者ハンターのコートの上着を脱いで彼女に渡すと、イリナは顔を赤くしながら俺の顔を見上げた。

 

「い、いいの? これタクヤの服でしょ?」

 

「いいから着ろって。ちょっとデカいかもしれないけど」

 

「あ、ありがと…………」

 

 このコートは親父のお下がりをちょっとばかり改造したものだ。だから俺よりも体格ががっちりしてる親父のサイズであるため、俺が着ても大きいのである。

 

 案の定、イリナにはこのコートは大きいらしい。袖に腕を突っ込んでも、微かに指先が袖の中から覗く程度だ。コートというよりはまるで魔術師のローブのようだ。真っ黒な帽子と杖を渡せば、魔女にも見えるかもしれない。

 

「ところで、ステラは?」

 

「こっち。コクピットの中で身動きが取れなくなってるの」

 

 墜落したスーパーハインドは、逆さまの状態になっているようだった。

 

 片方のスタブウイングは千切れ飛び、もう片方はひしゃげてしまっている。メインローターは墜落した衝撃で全て千切れ飛んでしまっており、テイルローターは見当たらない。墜落した瞬間に千切れたというよりは、そこに被弾してしまったのだろう。おそらくブラッドレーの機関砲が運悪く当たってしまったに違いない。

 

 テイルローターを失ったスーパーハインドは、ぐるぐると回転しながら砂漠の真っ只中へと墜落。その際の衝撃でひっくり返ってしまったようだ。

 

「ステラ、大丈夫?」

 

『イリナ………!? 無事なのですか!? 敵は!?』

 

「タクヤがやっつけてくれたから大丈夫だよ」

 

『タクヤ…………!?』

 

 イリナが座っていた座席からは、墜落した衝撃で装甲とキャノピーが歪んだおかげで自力で脱出できたらしい。彼女が自力で突き破ったと思われる穴が、コクピットの近くに残っているのが分かる。

 

 けれどもステラが座っていた方の座席は衝撃で歪んでおらず、逆さまになった状態で墜落しているため、キャノピーを砂と機体の重量が抑え込んでしまっている。いくらステラがガトリング砲を持ち上げられるほどの腕力を持っていても、さすがにヘリを持ち上げて脱出するのは無理だろう。

 

「ステラ、今から機体を少しだけ持ち上げるから、その隙に脱出しろ。いいな?」

 

『わ、分かりました』

 

「イリナ、手伝ってくれ」

 

「了解!」

 

 2人でスーパーハインドの機首を掴む。急いで彼女を救出しなければ、さっき仕留めた敵兵の死体が発見されてしまう。そうなれば、敵の部隊が自分たちの同胞を殺した俺たちを探し始めるだろう。下手をすれば春季攻勢のために攻め込んできた敵の侵攻部隊全てを相手にする羽目になるかもしれない。

 

 しかもここは敵の勢力圏内だ。早く離脱して、ナタリアと合流しなければ。

 

「せーのッ!」

 

 イリナとタイミングを合わせ、2人で機体を持ち上げる墜落していたスーパーハインドの機首がゆっくりと傾いていき、砂の中に埋まっていた機首のキャノピーが少しずつあらわになり始める。

 

 もう一息だ…………!

 

 両腕に力を込めているうちに、つい血液の比率を変えてしまったのか、勝手に両腕が外殻で覆われていく。まるで鉤爪のように鋭い指先がスーパーハインドの装甲に食い込み始めたかと思うと、割れたキャノピーの隙間から銀髪の幼い少女が這い出し始めた。

 

 ヘルメットとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)は機内に残してきたらしく、毛先の方が桜色になっている変わった銀髪があらわになっている。

 

 彼女がコクピットから脱出したのを確認してから、やっと両腕から力を抜く。ずしん、とスーパーハインドの巨体が再び元の状態へと戻り、少しばかり派手な砂塵を舞い上げた。

 

「ふー…………。よう、ステラ。大丈夫か?」

 

「申し訳ありません、助かりました。タクヤはステラの命の恩人なのです」

 

 そう言いながら抱き着いてくるステラ。彼女の身体についている砂を払い落としながら優しく抱きしめていると、俺の上着を着たイリナが呼吸を整えながら、ついさっき俺が投げ捨てたPL-14を拾い上げてくれた。

 

 とりあえず、早く脱出しよう。

 

 ここは要塞の反対側。簡単に言えば、吸血鬼たちが進軍してきた方向だ。何とかして要塞の反対側へとたどり着く必要があるが、要塞を陥落させた敵がブレスト要塞の周囲に展開しているのは想像に難くない。

 

 最優先にするべきなのはもちろん脱出だが、敵の戦車と遭遇した時に備えて火力も欲しいところだ。ロケットランチャーで足りるだろうか?

 

「よし、脱出しよう。ケガはないか?」

 

「うん、大丈夫」

 

「ステラも大丈夫です」

 

 どうやら怪我はしていないらしい。

 

 いつの間にか、砂嵐は収まりつつあった。荒れ狂っていた砂塵たちが大人しくなってくれたおかげで、墜落したスーパーハインドの周囲の状況が良く見える。

 

 ここで戦車部隊が奮戦してくれたのか、スーパーハインドの周囲にはレオパルト2やマウスの残骸が何両も転がっていた。ブレスト要塞は壊滅してしまったが、守備隊は敵部隊に大打撃を与えてくれたらしい。

 

 大穴を開けられたレオパルトの残骸を見ながらそう思ったが、俺はすぐに違和感を感じた。

 

 戦車部隊が奮戦したにしては、味方の戦車の残骸があまりにも少なすぎる。しかも転がっている戦車の残骸は、125mm滑腔砲を搭載したT-90やT-72B3の残骸のみ。152mm滑腔砲を搭載したチョールヌイ・オリョールでなければ、マウスの撃破は難しいだろう。

 

 要塞砲で撃破されたわけでもないらしい。

 

「タクヤ、あれ…………!」

 

「…………こいつか」

 

 ステラが指差した方向に――――――――ここで数多の戦車を食い止めた、超重戦車が鎮座していた。

 

 普通の戦車に搭載する主砲と言うよりは、駆逐艦や戦艦に搭載されているような連装砲を搭載し、160mm滑腔砲の直撃すら防いでしまうほどの分厚い複合装甲に覆われた巨体。

 

 そこに佇んでいたのは―――――――ブレスト要塞に配備されていた、シャール2Cの『ピカルディー』だったのである。

 

 元々は歩兵の進撃を支援するために採用した無人型超重戦車だけど、ステラの要望でマウスを撃破できるように武装と装甲が大幅に強化され、最終的にテンプル騎士団の切り札の1つとなった怪物だ。第二次世界大戦勃発前に開発された旧式の兵器であるにもかかわらず、近代化改修を何度も繰り返したせいでコストは駆逐艦やイージス艦に匹敵するほど高くなっており、テンプル騎士団でも10両しか運用していない。

 

 そのうちの1両が、こいつだ。

 

 車体の左側にあった筈の37mm戦車砲の小型砲塔は抉れていて、風穴が開いている。分厚い正面装甲には何度も砲弾を防いだ痕が残っているのが分かる。

 

「――――――――ん?」

 

「どうしたの?」

 

 今、砲塔がちょっとだけ動いたような気がした。

 

 違和感を感じながら、俺はシャール2Cの巨体に近づくと、何度も砲弾を防いだ跡が残っている巨体をよじ登り始めた。武骨なキャタピラの上を乗り越えて砲塔をよじ登り、戦艦の副砲なのではないだろうかと思えるほど巨大な砲身が突き出ている砲塔のハッチを開ける。

 

 機能を停止しているならば中は真っ暗になっている筈だが―――――――ハッチの中では、まだモニターが青白い輝きを放ち続けていた。

 

 こいつは無人戦車なんだけど、場合によっては兵士が乗り込んで操縦できるように、『有人操縦モード』も搭載してあるのだ。その際に必要になる乗組員は、砲塔の中で全ての砲塔の制御を担当する砲手と、この巨体を動かす操縦士と、車体の中央部にあるエンジンを操作する機関士の3名のみ。車長は砲手が兼任する。

 

 本来はオミットする予定だった機能なんだが、念のために残しておいたのだ。

 

「おい、2人とも」

 

「どうしたの?」

 

 このシャール2Cは――――――まだ戦える。

 

 凄まじい戦闘で集中砲火を浴びたにもかかわらず、まだ完全には機能を停止していなかったのだ。

 

 フランスの戦車はすげえな…………!

 

「この戦車、まだ使えるぞ」

 

 ニヤリと笑いながらそう言って、俺はシャール2Cの砲塔の中へと潜り込むのだった。

 

 



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シャール2Cが大暴れするとこうなる 前編

「よし、これで大丈夫だろう」

 

 右手の指を覆っていた外殻を元に戻しつつ、指先からバーナーのように噴射していた炎を消してから、ブレスト要塞の郊外にずっと置き去りにされていたシャール2Cの巨体を見上げる。

 

 まだ機能を完全に停止していなかったとはいえ、さすがに擱座する原因となった側面の風穴をあらわにしたまま出撃するわけにはいかないだろう。瀕死の負傷兵を強引に戦わせるようなものだ。そんなことをすれば、風穴から飛び込んだ銃弾でエンジンを破壊され、今度こそ完全に機能を停止してしまいかねない。

 

 そこで、周囲で擱座している敵の戦車や味方の戦車の残骸からエンジンの部品や装甲の一部を巨躯解体(ブッチャー・タイム)で切り取って(拝借し)、ピカルディーの修理に使わせてもらったというわけだ。レオパルト2の複合装甲を何とか切り取り、炎属性の魔術を使って溶接して風穴を塞ぎ、T-90やT-72B3のエンジンの部品を使って機関室の中に鎮座するエンジンを修理したのである。

 

 いくら刃物の切れ味を劇的に強化する能力とはいえ、圧倒的な防御力を誇る複合装甲を切り取るのにはかなり手を焼く羽目になった。雷属性の魔力まで放出してさらに切れ味を底上げしていたにもかかわらず、切断に使ったスペツナズ・ナイフの刀身が3本も刃こぼれを起こしてしまったのだ。

 

 その後に更に炎属性の魔術を使い、敵兵に魔力を察知されないように細心の注意を払いながら大急ぎで溶接した。これで被弾しても大丈夫だとは思うが、やはり側面は狙われないように気を付ける必要がありそうだな。

 

 溶接した部分の点検を素早く済ませてから、巨体をよじ登って砲塔の中へと転がり込む。敵との戦いで右側の37mm戦車砲―――――――改造を施したルスキー・レノの砲塔をそのまま移植したものだ――――――――は完全に破損していたため、修復するのは不可能だった。左側の37mm戦車砲はまだ健在だけど、敵は砲塔のない右側の攻撃を集中してくるのは想像に難くない。

 

 ちなみに、武器の弾薬や兵器の燃料などは12時間経過すれば自動的に補給され、最善の状態に勝手にメンテナンスされる仕組みになっているんだけど、数日前に実施された能力のアップデートによって兵器のメンテナンスされる時間が12時間から48時間に一気に伸びてしまったため、2日間も放置しなければ兵器は元通りにはならなくなってしまっている。

 

 輪廻の仕業なんだろうか。

 

 いくら何でも12時間で兵器が元通りになるのは強力かもしれないけれど、この春季攻勢の前にそういうアップデートをするのは止めてほしいものである。けれども銃などの武器がメンテナンスされるのは12時間のままなので、こちらは問題ないだろう。

 

 撃破されて機能を停止していなければ、転生者が生み出した兵器は48時間後に元通りになる。というわけで、このピカルディーも48時間後には元通りになるのだ。これから始まる戦闘で撃破され、完全に機能を停止しなければ。

 

 砲塔の座席には座らずに、そのまま車体の方へと降りていく。本来は無人型の戦車であり、装甲の厚い車体の中央には巨大なボールを思わせる形状の制御装置や自動装填装置などが居座っているため、でっかい戦車の中であるにもかかわらず内部は非常に狭い。車体の正面の方には操縦士の座席があり、早くもステラが座って点検をしているところだった。本来なら人間が乗り込む必要のない操縦士の座席も改造を受けており、戦車の操縦席というよりは車の運転席のようになっている。

 

 少しばかりがっちりしたハンドルがあり、足元にはアクセル、ブレーキ、クラッチの3つのフットペダルが並んでいる。ステラの足がフットペダルに届くかどうか心配だったけど、もう座席の高さを調整していたらしく、彼女の可愛らしい小さな足はちゃんとフットペダルに届いているようだった。

 

 一応覗き窓は用意してあるけれど、操縦士の座席の前には上下に2つの大きなモニターが並んでおり、そこに砲塔や車体正面に搭載されている小型カメラの映像が映し出されている。あくまでも覗き窓は、カメラが破損した際の非常用だ。

 

 このシャール2Cはイージス艦の生産に使えるほどのポイントを消費してかなりの近代化改修を受けているため、あらゆる装備が最新のものに変更されているのだ。

 

「痛っ」

 

 制御装置へと繋がる細い配管に頭をぶつけながら、そのまま奥へと進む。シャール2Cの車体の中央部は機関室になっており、そこにずらりとエンジンが並んでいるのだ。もちろんこのエンジンも近代化改修によって変更されており、T-90と同じエンジンが3基も機関室の中に並んでいる。

 

 そのため、もしエンジンが故障した場合は、T-90のエンジンの部品を流用して簡単に修理することができるのである。おかげで修理は15分程度で完了した。

 

 エンジンが小型化された代わりに、空いたスペースは152mm滑腔砲から発射する砲弾のための弾薬庫に流用されている。

 

 狭い機関室の中で、レンチを片手に持って俺のコートを羽織りながらエンジンの様子を見ているのは、シャール2Cの機関士を担当してもらうイリナだ。本来なら彼女に砲手をお願いし、俺が機関士を担当するつもりだったのだが、「タクヤみたいに砲撃しながら指示は出せないよ」と言われたため、俺が車長と砲手を兼任することになったのだ。

 

 彼女は何度か戦車の整備の手伝いをしていたらしいので、機関士をお願いしても問題はないだろう。

 

「イリナ、調子は?」

 

「うーん…………なんだか、一番後ろのエンジンが不調みたい」

 

「え? さっき修理したやつか?」

 

「うん…………」

 

 そう言いながら、イリナはもう一度機関室の一番後ろ側にあるエンジンの点検を始める。

 

 機関室の中には、T-90と同じエンジンが一列に並んで置かれている。このピカルディーは側面に被弾した際に、貫通した砲弾―――――――おそらくAPFSDSだ――――――――によって側面の装甲もろとも一番後ろのエンジンの一部を捥ぎ取られており、風穴からオイルが溢れている状態だった。

 

 擱座したT-90のエンジンの部品を使って修理したものの、まだ調子は悪いらしい。

 

 くそ、せめて整備兵がいればしっかりと修理してくれるかもしれないんだが、俺たちの本職は整備じゃなくて戦闘だからな。

 

 俺も点検を手伝おうかと思ったその時、先ほどイリナたちを襲っていた吸血鬼から奪い取った無線機から、ヴリシア語の声が聞こえてきた。

 

『くそ、死体だ…………突撃歩兵が殺されてる!』

 

『クソ野郎共…………ッ! 敵兵がこの近くにいる! 探し出すんだ!!』

 

「拙いね…………」

 

「くそったれ、死体が見つかったか」

 

 一応、イリナを殴りつけたり犯そうとしていたバカ野郎の死体は擱座した戦車の中に放り込んでおいたんだが、味方の様子を確認するためにやってきた吸血鬼の部隊にその死体を発見されてしまったらしい。

 

 拙いぞ。シャール2Cの機能は停止していないとはいえ、走行や砲撃はできない。非常用の電力のおかげでモニターを使うことはできるけれど、その電力を使って走り出すことはできないのだ。

 

 敵の戦車がやってきたら、間違いなくシャールはやられる…………!

 

「ステラ、敵兵は見えるか?」

 

「はい、見えます。10時方向に7人ほど」

 

 くそ…………!

 

『戦車の残骸に隠れてるかもしれない。この辺の残骸の中を探せ』

 

『『『了解(ヤヴォール)』』』

 

「くそッ! イリナ、まだか!?」

 

『ごめん、まだ!』

 

 なんてこった…………!

 

 もしこのままピカルディーが動いてくれなかったら、俺たちは敵に発見されて集中砲火を受ける羽目になるだろう。そうなる前にエンジンの修理を終えるか、この虎の子の超重戦車を放棄して脱出する必要がある。

 

 それとも、俺が降りて敵にあえて発見され、時間を稼ぐべきだろうか?

 

『ぐっ…………動いてよ、お願いだから…………ッ!』

 

 もう一度エンジンの点検をするイリナを一瞥してから、砲塔にある砲手の座席へと戻る。座席のすぐ近くにあるモニターを見てみると、まるで第二次世界大戦の頃のドイツ兵を思わせるデザインの軍服に身を包み、背中にXM8を背負った吸血鬼の兵士たちが、戦車の残骸の中を覗き込んで仲間たちを殺した怨敵を探しているところだった。

 

 擱座したマウスやレオパルトの中を見渡しながら、段々とこっちに近づいてくる………ッ!

 

『見当たらんな』

 

『あのでかい戦車の中はどうだ? 隠れるにはうってつけかもしれん』

 

『もし本当に隠れてたら、生け捕りにして死ぬまで血を吸ってやる』

 

 か、隠れてるんですよ…………!

 

 ゆっくりとこっちに近づいてくる吸血鬼たち。歯を食いしばりながら、メニュー画面を表示して武器の準備をする。もしあいつらに発見された後もエンジンが動かなかったら、残念だけどこの戦車を放棄して逃げるしかない。

 

 かなり危険だが、このまま奴らに発見されて集中砲火を喰らうよりはかなりマシだ。

 

 銀の5.45mm弾を使用するように改造したAKS-74Uを装備し、安全装置(セーフティ)を解除。息を呑みながら、戦車の車体をよじ登ってきた敵兵が頭上のハッチを開けようとするのを待ち続ける。

 

 死ぬわけにはいかないんだ。

 

 絶対に生きて帰って、天秤を消さなければならない。ガルゴニスの奴は、自分自身の命を対価に使って親父を生き返らせるつもりなのだから。

 

 家族にそんなことをさせるわけにはいかない。

 

 それに、生きて帰らなければお姉ちゃんと結婚できないからな。

 

 俺にとって、結婚してから子供を作って、子育てをしてから老衰で死ぬ以外の死に方は全てバッドエンドでしかないのだ。個人的にバッドエンドの物語は好きだけど、だからといって自分の人生までバッドエンドにするわけにはいかない。

 

 だから、とっとと動いてくれよ、ピカルディー…………!

 

 銃口を頭上のハッチに向けたまま、またしても息を呑んだその時だった。

 

 砲塔の後ろにある機関室の方から――――――――猛烈なエンジンの音が聞こえてきたのである。

 

「イリナ、どうだ!?」

 

『やった…………タクヤ、エンジンが動いたよ!!』

 

「よし………ッ! やっと起きやがったか、この野郎! 寝坊してる場合じゃないぞ!」

 

 笑いながら銃床でシャール2Cの砲塔の内側を軽く叩き、砲手の座席に座る。モニターを何度かタッチして機関部のエンジンの状態が表示されている画面を確認してみると、確かに3基のエンジンはしっかりと動き始め、シャール2Cの巨体へと動力の供給を始めているようだった。

 

 ロシア製の主力戦車(MBT)を動かすためのエンジンを3基も搭載しているにもかかわらず、最高速度はたったの20km/hのみ。こんなに遅くなってしまったのは、強烈な武装と分厚い装甲をこれでもかというほど搭載したことが原因だ。

 

 機動性は最悪としか言いようがないが、この火力と防御力は最高としか言いようがない。160mm滑腔砲から放たれるAPFSDSを防ぐことができるほどの正面装甲と、152mm連装滑腔砲を併せ持った怪物なのだから。

 

「ステラ、前進!」

 

『了解(ダー)』

 

 巨体に搭載されているがっちりとしたキャタピラが動き始め、シャール2Cの巨体がゆっくりと動き始める。砲塔や車体に取り付けられた小型のカメラには、撃破された筈の戦車がいきなり動き出したのを目の当たりにしてぎょっとしている兵士たちが映っており、砲塔を見上げながら目を見開いている。

 

 砲弾に貫かれ、残骸と化した筈の戦車が動き出したのだ。重傷を負った筈の負傷兵が自分の包帯を引き千切り、再び最前線にやってきたようなものだろう。

 

『お、おい、でっかい戦車が動いてるッ!!』

 

『ギャ――――――ガッ、アァァァ………ッ!』

 

『う、うわっ、アドルフが轢かれた!』

 

 どうやら誰かを轢いてしまったらしい。キャタピラは銀ではないので、この巨体に踏み潰されても再生できるだろう。でも全長10mの戦車に踏み潰されるのだから、多分死体はかなりグチャグチャになっているに違いない。

 

 可哀そうな奴だ。

 

 敵兵がいるのは車体の左側。そちらには、まだ健在な37mm戦車砲の砲塔が残っている。

 

 左側にあるコンソールをタッチし、同じく左側にある画面を確認。その画面に37mm戦車砲の照準用のレティクルが表示されていることを確認してから、近くにある発射スイッチを押す。

 

 37mm戦車砲は、はっきり言うと第一次世界大戦で使われていた旧式の戦車にしかダメージは与えられないほど貧弱な武装だ。けれども、相手が歩兵ならば、37mm砲でも凄まじいダメージを与えることができる。

 

 このシャール2Cの37mm砲は、対戦車用の代物ではなく、歩兵の排除のみを考慮しているため、使用可能な砲弾は爆発範囲の広い榴弾のみとなっている。砲塔には対人用に5.45mm対人機関銃も搭載しており、側面からロケットランチャーで攻撃しようとしている敵兵を粉砕する事が可能なのだ。

 

 水銀榴弾が地面に突き刺さり、いきなり動き出した超重戦車を見上げて狼狽する敵兵たちを粉砕する。爆風と衝撃波に押し出された水銀はちょっとした斬撃と化し、爆風から逃げようとしていた吸血鬼の背中を、右上から左下へと斬りつけて両断した。

 

 自動装填装置が37mm水銀榴弾を装填している間に、側面の砲塔に搭載されている5.45mm対人機関銃を連射しながら薙ぎ払う。生き残った兵士たちも瞬く間にミンチと化し、戦車たちが擱座している戦場を真っ赤に染めていく。

 

 この超重戦車を有人型ではなく無人型にしたのは、乗組員の削減のためだ。規模が小さくなっているとはいえ、テンプル騎士団は三大勢力の中では未だに最も規模が小さい武装集団である。そのため、人員は可能な限り歩兵や戦艦の乗組員にしておくことが望ましいため、大量の武装やエンジンの操作が必要なシャール2Cを有人型にするわけにはいかなくなった。

 

 そこで、大量のポイントと引き換えに無人化することになったのだが、念のため有人操縦モードは残しておいたのだ。

 

 しかしこの機能も、本来ならばオミットされる筈だった。理由は、砲手と車長を兼任する乗組員にかなりの負担がかかってしまうからである。

 

 このシャール2Cの武装は、砲塔に搭載された152mm連装滑腔砲と主砲同軸の14.5mm機銃だけではなく、車体の両サイドにある37mm戦車砲と5.45mm対人機関銃や、後方の砲塔にある100mm低圧砲や30mm機関砲などだ。本来ならば何人も砲手が必要な武装をたった1人で操作しなければならない上に、操縦士や機関士に指示まで出さなければならない。

 

 そんなことができる乗組員はいないため、有人操縦モードもオミットされる予定だったのである。

 

 もし吸血鬼たちの春季攻勢があと1週間か2週間くらい遅かったら、この機能は取り外されていた事だろう。

 

 俺たちは、オミットされずに済んだその機能に救われたという事だ。

 

 正面にあるキーボードをタッチし、自動装填装置を操作する。2つの主砲にAPFSDSを装填するように指示を出した俺は、カメラからの映像を見つめながら、自動装填装置が砲弾を装填していく音を聞いていることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中佐、そろそろ夜が明けます」

 

「ふん、忌々しい太陽め…………」

 

 敵の銃弾が命中した跡がいくつも残るマウスの砲塔から身を乗り出しながら、戦車部隊を率いていたマウスの車長は空を見上げた。すでに美しかった三日月と星たちが支配していた夜空は消え始めており、徐々に蒼い空へと変色しつつある。

 

 藍色に変わってしまった空の向こうから上り始める太陽を睨みつけ、息を吐いた。

 

 吸血鬼たちは太陽を苦手としているが、太陽の光が与える影響の大きさには個人差がある。耐性がないものは光を浴びた瞬間に身体が燃え上がったり、消滅してしまう者もいる。しかし耐性が高い者たちは浴びても身体が発火することはなく、具合が悪くなったり、再生能力が低下する程度で済んでしまう。

 

 とはいえ、彼らにとって太陽の光が厄介な存在であることに変わりはない。大昔から彼らを苦しめてきた天敵を睨みつけた車長は、近くにあった無線機に向かって言った。

 

「諸君、まもなく夜明けだ。耐性の低い者は直ちに車内か要塞の地下へ退避せよ」

 

 陥落したブレスト要塞の中へと入っていく戦車たちを見守りながら、車長は溜息をついた。

 

 もう既に要塞の上空から敵の戦闘機たちは撤退しており、襲撃してきた敵の戦車や狙撃手部隊も少しずつ後退しているという。すでにその狙撃手部隊を血祭りにあげるために一部の突撃歩兵たちや戦車部隊が派遣されているため、敵の超重戦車に足止めされていた彼らまで動く必要はない。

 

 そう思いながら、水筒の中に入っている奴隷の血を飲もうとした車長は、いつの間にか忌々しい日光の中に黒い影が出現していることに気付き、口へと近づけていた水筒をぴたりと止めた。

 

「ん?」

 

 先ほど太陽を睨みつけた時には、そのような影は見当たらなかった。

 

 血を飲むのを止めて双眼鏡を取り出し、覗き込もうとしたその時、その太陽の光とともに姿を現した巨大な影が―――――――火を噴いた。

 

「?」

 

 その炎の中から飛び出した何かは、飛翔しながら自分の体を覆っていた外殻らしき物体を脱ぎ捨てたかと思うと、それを置き去りにして真っ直ぐに飛翔してくる。砂漠の上に置き去りにされた外殻の中から姿を現したのは、まるで鯨を仕留めるために用意された、鋭利な銛のような形状の砲弾。

 

 飛来した砲弾が何なのかを理解した直後、自分の乗っていたマウスの目の前を掠めた2発の砲弾が、要塞へ入るために進路を変えたばかりのレオパルトの砲塔を直撃した。

 

 猛烈な火花と鉄の溶ける臭い。その向こうで、砲弾が命中した砲塔を吹っ飛ばされて車体だけになってしまったレオパルトが、ぴたりと動きを止める。黒煙を発しながら沈黙した車体の上では、今舌が直撃したAPFSDSの凄まじい運動エネルギーによって捥ぎ取られたレオパルトの砲塔が、ぐるぐると回転しながら落下し始めたところだった。

 

 その一撃は、明らかに普通の戦車の一撃などではない。

 

 続けて、更に2発の砲弾が飛来する。今度はそのレオパルトの近くを通過していたM2ブラッドレーが脇腹を貫かれ、大穴を開けられるどころか、車体の屋根と機関砲が搭載されている砲塔まで抉り取られて大破してしまう。

 

「な、なんだ!? 敵の戦艦か!?」

 

「何言ってんだ、ここは砂漠だぞ!? 戦艦がいるわけないだろ!?」

 

(まさか、あの影は…………)

 

 車長はぞくりとしながら、双眼鏡を覗き込む。

 

 その向こうに見えたのは――――――――ブラックとダークブルーのスプリット迷彩で塗装された、巨大な戦車であった。砲塔からは従来の戦車よりも太い2本の砲身が伸びており、アクティブ防御システムらしき装備も搭載されていることが分かる。分厚そうな正面装甲には砲弾を防いだ痕がいくつも刻まれていて、車体の両サイドにある巨大なキャタピラは、新型の戦車を踏みつぶしてしまえるほどの大きさがある。

 

 スプリット迷彩が特徴的な巨人を目にした車長は、双眼鏡を覗き込んだまま目を見開いた。

 

 その戦車が後方からやってくる事が、ありえない事だったからだ。

 

 なぜならば、後方から姿を現した超巨大戦車は――――――――自分たちが、集中砲火をお見舞いして何とか倒した、テンプル騎士団の超重戦車だったのだから。

 

「生き返ったとでも言うのか…………死んだ戦車が――――――――」

 

 次の瞬間、飛来した2発のAPFSDSが彼の乗るマウスの後部を貫いた。

 

 

 

 

 

 




大暴れよりも起動するシーンとシャール2Cの細かい説明がメインになってしまいました…………。
申し訳ありません。


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シャール2Cが大暴れするとこうなる 中編

 

「命中!」

 

 自動装填装置が次のAPFSDSを砲身に装填していく音を聞きながら、照準器を覗き込む。照準器の向こうでは車体後部の装甲と砲塔後部の装甲をAPFSDSに貫かれ、そのまま動かなくなってしまったマウスの後姿が見えた。いくら120mm滑腔砲の砲弾を防いでしまうほど分厚い複合装甲に覆われているとはいえ、従来の戦車のように後部の装甲は薄くなっているらしい。

 

 従来の戦車では、その後部にAPFSDSか対戦車ミサイルを叩き込まない限り、あの怪物を撃破するのは難しいだろう。あれは従来の主力戦車(MBT)を蹂躙するために生み出された怪物なのだから。

 

 それに対して、こっちはその怪物(マウス)を蹂躙するために生み出された怪物なのだ。

 

 正面以外の装甲は薄いものの、正面に搭載された分厚い複合装甲は、160mm滑腔砲から放たれるAPFSDSを防いでしまうほどの防御力を誇る。更に、搭載されている主砲は152mm連装滑腔砲。マウスの主砲よりもやや口径は小さいものの、立て続けに放たれる砲弾の破壊力は圧倒的としか言いようがない。しかも、その連装滑腔砲から更に対戦車ミサイルまで発射する事が可能なのだから、火力はあらゆる戦車の中でも間違いなくトップクラスだろう。

 

 照準器の向こうで、いきなり後方から撃破した筈の超重戦車が現れたことを知った敵の戦車部隊が慌てふためく。鈍重なマウスが巨大な砲塔を旋回させ、小回りの利くレオパルトたちがこちらへと進路を変えてくるのを見つめながら、マウスを置き去りにしてシャール2Cへと殺到してくるレオパルトの群れへと合わせる。

 

 鈍重なのはこっちも同じだ。圧倒的な攻撃力と防御力を誇る超重戦車を生み出すために、このシャール2Cの機動性はかなり低下している。最高速度はたった20km/hしかないのだ。

 

 しかも装甲が分厚いのは正面装甲のみ。それ以外の部位の装甲は従来の戦車の側面を覆う装甲よりも厚くなっているものの、複合装甲ではないため、側面へ回り込まれれば120mm滑腔砲でも貫通されてしまう。

 

 機関部が破損する事だけは何としても避けなければならない。

 

 そのため、今の状態では圧倒的な火力を持つマウスよりも、数が多い上に小回りが利くレオパルトの方が脅威となる。先にそちらを排除しなければならない。

 

「タクヤ、12時方向よりレオパルト4両。2時方向より3両接近」

 

「くそ、2時方向の奴らから潰す!」

 

 正面の奴らは後回しだ。

 

 狙っていたレオパルトから、2時方向にいる3両のレオパルトへと標的を変更。152mm連装滑腔砲を搭載したでっかい砲塔がゆっくりと旋回し、照準器の向こうに3両のレオパルトが姿を現す。

 

 装填したのはAPFSDS。しかも120mm滑腔砲ではなく、152mm連装滑腔砲から発射するために大型化したタイプだ。もちろん、貫通力も従来の砲弾と比べると格が違う。ヴリシアでこっちの戦車を蹂躙してくれたマウスを撃破する事を想定しているのだから、通常の戦車で太刀打ちできるわけがない。

 

「速度上げろ! このまま敵部隊に突っ込んで突破する!」

 

「了解(ダー)。イリナ、速度を上げます」

 

『はいはい、こっちも出力上げるよ!』

 

 速度を上げると言っても、こっちの速度はかなり遅いのだ。けれども速度が遅いという事は、弱点である側面や後部の装甲を狙うためには、敵から接近してこなければならないという事だ。逆に俺たちは、その接近してくる敵を順番に砲撃で血祭りにあげていけばいいわけだから、この機動力の遅さはむしろありがたいと言える。

 

 分厚いキャタピラの動きが速くなっていき、エンジンの音も段々と変わり始める。レティクルの向こうに見える戦車部隊が徐々に近づいてきたかと思うと、こっちが主砲をぶっ放すよりも先に、接近してくるレオパルトの120mm滑腔砲が火を噴いた。

 

 炎を纏っていた外殻を置き去りにし、鋭利な砲弾が3発も飛来する。そのうちの1発は機関室の近くを掠めて通過していったが、残りの2発は復活したばかりのシャール2Cに牙を剥いた。片方は主砲の砲塔の正面に命中し、もう片方のAPFSDSは正面装甲を直撃する。モニターに投影されているカメラの映像の向こうで火花が飛び散り、鉄が溶けるような臭いが車内に流れ込んでくる。着弾した衝撃で微かに車内が揺れたが――――――――超重戦車を”蹂躙”するために生まれ変わったシャール2Cは、びくともしない。

 

 飛び散った火花を蹴散らし、全く速度を落とさずに進撃を続けるシャール2C。砲撃を終えた敵の戦車の中で、装填手が大慌てで次の砲弾を装填しようとしているに違いない。

 

 残念でした。こいつを倒すんだったら側面を狙いな、クソッタレ。

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 手元にある発射スイッチを押した瞬間、轟音が産声を上げ、無人操縦用の制御装置や自動装填装置のせいでかなり狭くなっている砲塔の中で荒れ狂う。そしてその轟音を狭い砲塔の中へと押し付けて飛び出していった1発のAPFSDSは、巨大な外殻を脱ぎ捨てると、装填を終えて砲撃する寸前のレオパルト2に突き刺さった。

 

 正確に言うと、レオパルト2を”抉り取った”。

 

 現代の戦車はかなり堅牢だ。複合装甲という極めて高い防御力を誇る装甲だけでなく、アクティブ防御システムで守られているのだから。しかも場合によっては随伴歩兵に護衛されているため、いくらロケットランチャーや対戦車ミサイルを持っていると言っても、少なくとも歩兵では撃破することが難しい。

 

 戦車を撃破するのであれば、こちらも戦車を投入して砲撃戦を繰り広げるか、ロケットランチャーを装備して待ち伏せし、戦車部隊を奇襲することが望ましい。制空権が確保できていれば、対戦車ミサイルを搭載したヘリに攻撃してもらっても問題はない。そう言った戦術で撃破された戦車は、砲弾で風穴を開けられて沈黙したり、原形を留めた状態でハッチなどから炎を吹き上げていることが多いのだ。

 

 だから、装甲どころか砲塔を抉り取られ、まるで手榴弾の爆発でバラバラになった兵士の死体のような状態で沈黙することは殆どない。

 

 しかし、今しがたAPFSDSを叩き込まれる羽目になったレオパルトは、まるでグレネードランチャーが直撃する羽目になった歩兵のような状態だった。

 

 正面の装甲に突き刺さった巨大なAPFSDSは、堅牢な複合装甲を一瞬で貫通すると、そのまま操縦士たちを巻き込みながら後部へと突き進み、最終的に後部のエンジンを滅茶苦茶にしてしまう。巨大な砲弾が直撃した衝撃と、圧倒的な運動エネルギーを叩き込まれたせいなのか、レティクルの向こうでそいつを叩き込まれたレオパルトの車体は、まるで膨らんだかのように見えた。

 

 そのまま砲塔が膨らんだ車体に押し上げられて吹っ飛んで行き、キャタピラが千切れ飛ぶ。

 

 車体の大半と砲塔を捥ぎ取られて沈黙するレオパルト2。その後続のレオパルトたちは必死に砲撃を続けるが、その砲撃がこっちに着弾しても、自動装填装置はお構いなしにAPFSDSを空になった方の砲身に装填していく。

 

 連装滑腔砲の利点は、自動装填装置を搭載している戦車を上回る速さで連射したり、2発の砲弾を敵にほぼ同時に叩き込むことができる点だ。

 

 今しがたレオパルトを木っ端微塵にした直後に自動装填装置を作動させれば、もう片方の砲身から砲弾が発射されるよりも先に、もう片方の滑腔砲の再装填が完了する。

 

 つまり、片方の砲身で砲撃している間にもう片方の砲身に自動装填装置で装填していけば、ちょっとした速射砲になるのだ。とはいえ、連装滑腔砲にすると重量が劇的に増える上に構造が複雑になり、砲塔も大型化する羽目になるので、このような連装滑腔砲を搭載した戦車は殆どない。

 

 下の砲身から飛び出したAPFSDSが、今度は後続のレオパルトの砲塔を直撃した。砲塔の正面を覆っている装甲を貫通し、被弾した衝撃でレオパルトの主砲が転がり落ちる。そのまま砲手と装填手の肉体を木っ端微塵にしたAPFSDSは、座席に座っていた車長の下半身を捥ぎ取って砲塔を貫通する。

 

 砲塔の上部が裂け、滅茶苦茶にされた内部と乗組員たちの無残な死体を晒すレオパルト。最後尾のレオパルトは一矢報いるために側面に回り込もうとしていたようだが、もう既に次のAPFSDSの装填は終わっていたし、照準も合わせてあった。

 

「Пока(あばよ)」

 

 発射スイッチを押した直後、必死に側面に回り込もうとしながら砲撃してきたレオパルトの砲身が消し飛んだ。

 

 ”上半身”をあっさりともぎ取られたレオパルトの車体から、すぐに黒煙と火花が吹き上がる。ヴリシアでテンプル騎士団のエイブラムスたちがマウスに蹂躙されていったお返しだ。今度は、お前たちが蹂躙される番なのだ。

 

 瞬く間に3両のレオパルトを撃破し、自動装填装置の音を聞きながら砲塔を正面へと戻す。要塞の中へと退避していった戦車や装甲車たちも応戦するつもりなのか、崩壊した門の向こうからぞろぞろとM2ブラッドレーやレオパルト2の群れが姿を現し、砲塔をこっちに向けて攻撃してくる。

 

 おそらく、マウスも含めると20両くらいはいるだろう。

 

「あれが敵の全兵力なのでしょうか?」

 

「いや、氷山の一角だろうな。とにかくここを突破して、ナタリアたちと合流するぞ」

 

「了解(ダー)」

 

 もうすぐ夜が明ける。吸血鬼たちの中には日光を浴びただけで燃え上がったり、そのまま消滅してしまう者もいるという。全員日光に耐えられるわけではないらしい。

 

 それゆえに、昼間に進軍するのは流石に無理だろう。ただでさえ戦力が少ないのだから、耐性の低い兵士たちを置き去りにして耐性の高い兵士たちでタンプル搭に攻め込むわけがない。

 

「そういえば、無線機はどうです? ナタリアにはつながりますか?」

 

「ちょっと待て。…………ドレットノート、応答せよ。こちら”ピカルディー”」

 

 撃破された筈の戦車のコールサインだ。もしこれをナタリアが聞いていたら、撃破された筈の戦車が敵を突破して戻ってきたことに驚くかもしれない。

 

『―――――こちら…………ノート。タク………え…………!?』

 

 くそ、まだノイズが聞こえる…………!

 

 でもナタリアの声は何とか聞こえる。彼女たちは無事らしい。ブレスト要塞の生存者たちは、無事に要塞から脱出できたのだろうか。

 

 大口径のアンチマテリアルライフルを装備して敵部隊を足止めするラウラの事を考えた瞬間、油断するなと言わんばかりに、砲塔の中に電子音が鳴り響く。ぎょっとしながらモニターを睨みつけると、こっちへと進軍してくるマウスの傍らにいるM2ブラッドレーが、一斉に砲塔に搭載されている対戦車ミサイル(TOW)をぶっ放しやがった!

 

「TOWです」

 

「迎撃する!」

 

 モニターの近くにあるキーボードをタッチする。

 

 このシャール2Cは分厚い正面装甲を持っているが、対戦車ミサイルの防御までその複合装甲に頼るわけにはいかない。装甲が分厚いとはいえ、何度も被弾していれば破損していくからだ。

 

 そこで、更に防御力を底上げするため、シャール2Cの正面にある砲塔と後部にある砲塔には、ロシア製のアクティブ防御システムである『アリーナ』を搭載しているのだ。装甲で砲弾を防ぎ、対戦車ミサイルをこのアクティブ防御システムで迎撃することができれば、撃破される確率は一気に下がるだろう。

 

 とはいえさすがに航空機による空爆には弱いので、こいつを投入するのであれば敵の航空機やヘリをあらかじめ排除してから出撃させることが望ましい。

 

 飛来するTOWの数は3発。命中すれば新型の戦車にも致命傷を与えてしまう、獰猛な対戦車ミサイルだ。

 

 ワイヤーと白煙を置き去りにしながら飛来する3発のミサイルに向けて、砲塔に搭載されたアリーナからロケット弾が発射されていく。ロケット弾の発射を告げる電子音を聞きながら、俺は目の前のモニターを見つめた。

 

 一番最初に放たれたロケット弾が爆発し、TOWがその爆炎の中へと飛び込んでくる。その瞬間、爆風が内側で生じたもう1つの爆発によって膨れ上がったかと思うと、ちょっとした火柱を形成してしまう。

 

 そこに後続のロケット弾が、暖炉に投げ込まれる薪のように放り込まれ、火柱を更に成長させる。こっちを狙っていたTOWがまたしてもその中へと突っ込んだ瞬間、荒れ狂う破片と爆風で強引に誘爆させられ、火柱の糧と化した。

 

 3発目のTOWは少しばかり違う角度から飛来したが、そいつも先に火柱と化した2発のTOWと同じ運命を辿ることになった。ロケット弾が爆発することによって産声を上げた炎と破片の嵐の中に突っ込み、瞬く間に爆発してしまう。

 

「発射(アゴーニ)」

 

 お返しにAPFSDSを発射。まず最初にマウスの近くにいるM2ブラッドレーを狙う。マウスを狙いたいところだが、マウスの装甲も非常に分厚い。できるならば1発だけ叩き込むのではなく、斉射をお見舞いするか、APFSDSではなく対戦車ミサイルをお見舞いするのが望ましいんだが、あのマウスにもアクティブ防御システムがあるようだ。

 

 ブラッドレーの正面装甲を突き破ったAPFSDSが、装甲やエンジンどころかブラッドレーの車体そのものを貫通し、反対側にある地面に着弾して砂の柱を吹き上げる。着弾した際の衝撃があまりにも凄まじかったらしく、砲弾を叩き込まれたブラッドレーの車体が一瞬だけ宙に浮いた。

 

「すげえ」

 

 いくら戦車よりも装甲が薄いとはいえ、ブラッドレーの車体を貫通したのは予想外だった。

 

 そのままほんの少しだけ砲塔を旋回させ、逃げようとしているブラッドレーにもAPFSDSを発射。こちらから見て右側にある要塞の門へと全力疾走していたブラッドレーの車体の後部が、APFSDSの着弾と同時に唐突に消え去る。

 

 被弾した衝撃で、後部を捥ぎ取られたブラッドレーの車体がぐるりと横に回転した。

 

「よし、対戦車ミサイルを使う」

 

 次の標的はマウスだ…………!

 

 自動装填装置が、今度はAPFSDSではなくロシア製の対戦車ミサイルを巨大な主砲へと装填していく。

 

 たった今俺の傍らで動いている自動装填装置が砲身へと装填しているのは、”9M119レフレークス”と呼ばれる、ソ連製の対戦車ミサイルである。旧式のミサイルだが、命中すれば最新型の戦車に甚大なダメージを与えることが可能なほどの破壊力を持っている。とはいえ、相手がアクティブ防御システムを搭載していれば迎撃されてしまう可能性があるため、相手のアクティブ防御システムを無力化してからぶっ放すのが望ましい。

 

 簡単に言えば、ロシア製の戦車の切り札みたいなものだ。

 

 しかもこのシャール2Cの主砲は152mm連装滑腔砲。大口径の主砲であるため、これから発射する予定のミサイルも152mm滑腔砲専用に大型化されているのだ。それゆえに、破壊力もさらに向上している。

 

 こいつを叩き込まれれば、いくら超重戦車でも木っ端微塵だろう。

 

 とはいえ、マウスにはアクティブ防御システムがあるから発射しても迎撃されるのが関の山だ。だからと言って味方にアクティブ防御システムを破壊してもらうことも不可能である。ぶち込むためには、ちょっとばかり工夫しなければならないようだ。

 

「…………発射(アゴーニ)」

 

 装填を終えてからすぐに照準を合わせ、大型化した”レフレークス改”を発射。2発目の方は、1発目よりも少しばかりタイミングをずらしておいた。2発のミサイルがシャール2Cの砲身を飛び出していき、こちらへと砲撃してくるマウスへと向けて飛翔していく。

 

 その時、ゴギンッ、という音が正面装甲から聞こえてきたかと思うと、モニターに映っている映像が一瞬だけ火花で満たされてしまう。先ほど120mm滑腔砲が正面装甲を直撃したが、それよりも大きな揺れだった。

 

 おそらくマウスの砲撃が命中したんだろう。

 

「被弾しました!」

 

「損害は!?」

 

「なし! このまま走行可能です!」

 

「機関室、どうだ!?」

 

 無線機で彼女に問いかけると、エンジンたちの轟音と一緒にイリナの声が聞こえてきた。

 

『こっちも損害無し! でも、被弾し過ぎると衝撃でまたエンジンが故障するかも!』

 

 それは怖いな。戦闘中に走行不能になったらおしまいだ。

 

 損害がない事を確認し、再び照準器を覗き込む。それにしても、本当にこの戦車は頑丈だな。一番装甲が厚い部位に被弾したとはいえ、160mm滑腔砲から放たれるAPFSDSが直撃しても損害無しで済むなんて。

 

 機関室の方から響いてくるエンジンの音を聞きながら、レフレークス改を直撃させるために、照準をマウスの車体に合わせ続ける。2発のミサイルはそのまま直進していくが、猛烈な攻撃が接近してきていることを察知したのか、マウスの砲塔の上に鎮座しているアクティブ防御システムのターレットが動き出し始めたかと思うと、ターレットからいきなり飛び出した散弾の群れが、最初に発射されたミサイルを呑み込んだ。

 

 瞬く間に穴だらけになり、戦車に命中するよりも先に爆発してしまう。ただでさえ戦車に大ダメージを与えられるほどの破壊力を持つ対戦車ミサイルを大型化したレフレークス改の爆発は、ちょっとした火柱のようだ。これが直撃すれば普通の戦車ならば一撃で大破してしまうだろう。

 

 きっと敵は、戦車の中でミサイルを迎撃できたことを知って胸を撫で下ろしているに違いない。

 

「残念だったな」

 

 照準器を爆炎の向こうにいるマウスに合わせたまま――――――――俺は笑った。

 

「シャールの主砲はな…………”連装砲”なんだよ」

 

 照準青わせながらそう呟いた直後、マウスへと接近していた対戦車ミサイルの残滓である火柱に風穴が開いた。

 

 その風穴を開けたのは――――――――1発の対戦車ミサイル(レフレークス改)

 

 さっき俺は、敵のマウスに向かって2発のミサイルを発射した。もちろん、アクティブ防御システムによってミサイルが迎撃されることは想定済みである。

 

 アクティブ防御システムは接近する対戦車ミサイルを片っ端から迎撃できる最高の防御用装備と言えるが、ロシアではそれを突破するためのロケットランチャーが開発されているのだ。

 

 そのために開発されたのが、”RPG-30”と呼ばれるロケットランチャーである。ランチャー本体の脇に少しばかり細い小型のランチャーを搭載したような外見をしており、そちらの方には”囮”のロケット弾を装填している。

 

 敵のアクティブ防御システムが小型のロケット弾を迎撃している隙に、ロケット弾で敵の戦車を攻撃するという兵器だ。

 

 今の対戦車ミサイルによる攻撃は、そのRPG-30と同じだ。切り札とも言えるレフレークス改のうちの1発を囮に使うのはもったいないような気がするけれど、2発とも迎撃されたり、もう片方が誘爆するよりはマシだろう。

 

 最初に飛んで行ったミサイルが迎撃されている隙に、もう片方のミサイルを直撃させるという作戦だ。だからミサイルを斉射するのではなく、タイミングをずらして発射したのである。

 

 後部の砲塔にもアリーナが搭載されているシャール2Cとは違って、マウスには1基しかアクティブ防御システムがないみたいだからな。

 

「頭を使わなきゃ死ぬぜ、クソ野郎共」

 

 砲手の座席の上で呟いた直後、圧倒的な破壊力を持つレフレークス改がマウスの車体へと突っ込んで行き、巨体の装甲を抉った。

 

 

 

 

 

 




すいません、長引きました(汗)
次回で大暴れは終了です。


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シャール2Cが大暴れするとこうなる 後編

 

 僕たちにとって、あの日光は天敵だ。

 

 耐性には個人差があるけれど、耐性がない吸血鬼は日光を浴びるだけで発火したり、そのまま消滅してしまう。耐性がある人でも再生能力が低下してしまったり、体調が悪くなる。幸い僕は後者で耐性はそれなりに高いんだけど、はっきり言うと昼間に屋外で戦うのはごめんだ。日光を浴びると頭が痛くなるし、稀に目眩がする。だから天気がいい日はさっさと暗い部屋の中に棺桶を用意して、ちゃんと蓋を閉めてからその中で眠るのが一番だ。

 

 小さい頃から、僕は太陽が嫌いだった。あんなにやかましい輝きよりも、物静かな月明かりの方が好きなんだ。

 

 きっとブラド様やレリエル様も、日光は嫌いだったに違いない。

 

 けれども、僕たちの目の前には、下手したら忌々しい太陽よりも厄介な天敵が姿を現してしまったのかもしれない。

 

 太陽の光を呑み込むほど猛烈な火柱の真っ只中で、戦車の破片が舞い上がる。砲塔の一部だった装甲の破片や、主砲同軸に搭載されていた機銃の一部と思われる残骸。それがどこの部位だったのかを判別できる残骸たちが火柱と共に紺色の空に舞い上がり、やがて熱が生み出す陽炎と鉄の溶ける臭いを纏いながら、砂の上に落下してくる。

 

 その残骸は隕石の一部のように見えるけれど、戦車の装甲の一部だったのだ。

 

 圧倒的な破壊力の砲弾で砲塔を撃ち抜かれ、そのまま大爆発を起こした戦車の残骸の一部。上り始めた忌々しい太陽とともに姿を現した巨大な戦車に立ち向かっていった、味方の戦車の慣れの果て。

 

 戦場では、あらゆるものが壊れていく。被弾した兵器や兵士の銃だけではなく、その兵器や銃を操る兵士たちの肉体も、爆風を浴びれば容易く千切れ飛ぶ。そして敵兵を殺し、戦友が死ぬ瞬間を目の当たりにしてしまった他の兵士たちの心も、少しずつ壊れていく。

 

 僕も壊れてしまったら、あんな姿になってしまうのだろうか。原形を留めない残骸と化して、戦場に転がるのだろうか。

 

 せめて原型は留めて死にたいものだ。運が良ければ、味方に埋葬してもらえるかもしれないから。

 

「司令部、こちら突撃兵第8分隊! こちらにも対戦車兵器があります! 交戦許可を!!」

 

『許可できない』

 

「なぜです!? 味方の戦車が嬲り殺しにされてるんですよ!?」

 

 陥落した要塞の防壁の近くで、分隊長が味方の通信兵から無線機を借り、後方にあるラーテと連絡を取っている。あの超重戦車と交戦する許可を得ようとしているみたいだけど、多分交戦許可は下りないだろう。

 

 ちらりと隣を見てみると、戦友のフランツも要塞の防壁を日陰に使い、上り始めた太陽の光から隠れながら、味方の戦車が木っ端微塵にされていく様子を眺めている。

 

『諸君らは貴重な突撃歩兵だ。タンプル搭へ攻撃するまでに失うわけにはいかん』

 

 やっぱり、予想通りの理由だった。

 

 この春季攻勢(カイザーシュラハト)の勝敗を決するのは、敵の防衛線を突破する突撃歩兵たち。巨大な列車砲や超重戦車も投入されているけれど、司令部やブラド様が一番喪失を恐れているのは、戦車たちから見ればとってもちっぽけな突撃歩兵たちだろう。

 

 戦車よりもはるかに小回りが利く歩兵が敵の防衛線を突破し、敵の司令部や通信設備を滅茶苦茶にしなければ、敵がいくつも用意している塹壕を突破するのが難しいからだ。戦車部隊で強引に進軍することはできるけれど、僕たちの兵力はテンプル騎士団の6分の1でしかない。この春季攻勢(カイザーシュラハト)に勝利した後は復活したレリエル様と共に再び世界を支配するのだから、この戦いで同胞たちを失うわけにはいかない。

 

 少ない兵力に損害を出さないためにも、突撃歩兵が先陣を切って塹壕を突破し、敵の司令部を破壊して味方を突破させなければならないのだ。それゆえに、突撃歩兵をここで失うわけにはいかないのである。

 

 僕はさっき支給してもらったばかりのMP7A1のマガジンを数えながら、他の分隊の様子を確認した。

 

 どうやらこのブレスト要塞までたどり着けた他の突撃歩兵たちも、交戦許可が下りていないらしい。僕たちと同じように防壁を日陰代わりに使いながら、どんどん進撃していく敵の超重戦車を見つめていた。

 

 中には仲間を見殺しにしているという罪悪感を感じている兵士や、あんな化け物の相手をする羽目にならなくてよかったと胸を撫で下ろす兵士もいる。

 

 僕はどっちなんだろう。あの戦車に焼き払われていく味方を助けられないことを悔しがっているのだろうか。それとも、あんな化け物に小さなロケットランチャーで挑まなくてよかったと思っているのだろうか。

 

 分からないな。どっちなんだろうか。

 

「可哀そうだよなぁ、戦車部隊の連中」

 

「ヴリシアでは逆だったからね。可哀そうなのはテンプル騎士団の方だったし」

 

 ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントでの戦いでは、テンプル騎士団の戦車たちの方が哀れだった。最終防衛ラインまで次々に進撃してきたというのに、最後の最後で切り札のマウスやラーテによる反撃で蹂躙され、大損害を被る羽目になったのだから。

 

「というか、あの戦車の目的は何なんだ? 要塞の奪還じゃなさそうだよな」

 

「あっ、そうだよね」

 

 支給されたビスケットを齧りながらフランツがそう言った瞬間、僕ははっとしてしまう。

 

 あの戦車の目的がブレスト要塞の奪還ならば、脇目も振らずに要塞へと突っ込んできた筈だ。けれども単独でやってきたあの超重戦車は要塞へと突っ込むつもりはないらしく、テンプル騎士団が撤退していった方向へと進みながら、目の前にいる戦車たちを蹂躙している。

 

 多分、味方に置き去りにされてしまったんだろう。あんなに動きが遅い戦車なのだから、歩兵をあっさりと置き去りにしてしまう戦車たちに追いつけるわけがない。可哀そうな戦車だな。

 

 ゆっくりと進みながら仲間の所へ戻ろうとする戦車を見つめながら、僕も支給されたビスケットを齧ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またしても、凄まじい衝撃がシャール2Cの巨体を貫通していく。後頭部を座席に叩きつける羽目になりながら素早く被害状況を確認するが、正面装甲を分厚くしたこの超重戦車は、側面や後方から攻撃されない限りはそう簡単に擱座するわけがない。

 

 こいつの正面装甲は、160mm滑腔砲から放たれるAPFSDSに耐えられるほどの厚さなのだから。

 

 しかし、ゆっくりと進撃しているとはいえ、側面や後方に回り込もうとする敵を全て迎撃できていたわけではない。先ほど味方のレオパルト2がピカルディーの主砲の餌食になっている隙に、全速力で側面へと回り込んだM2ブラッドレーが砲塔の機関砲を連射し、進撃するピカルディーの側面の装甲に風穴を開けるために足掻き続けている。

 

 やかましい音だ。

 

 側面の装甲は複合装甲ではないとはいえ、立て続けに被弾していれば損傷する恐れがある。機関室だけは絶対に死守しなければならないから、無視するわけにはいかない。

 

 だからと言って、主砲をそっちに向ければ正面のマウスたちを一切攻撃できなくなってしまう。唇を噛み締めながら右手を正面のキーボードへと伸ばし、連続でキーボードをタッチ。左手で主砲の照準器を掴んで照準を合わせつつ、右手で後部にある砲塔を操作する。

 

 シャール2Cの後部には、30mm機関砲と100mm低圧砲を兼ね備えた砲塔がある。さすがに152mm連装滑腔砲のような圧倒的な破壊力はないものの、大口径の低圧砲と機関砲の砲撃が立て続けに放たれれば、回り込もうとした装甲車や歩兵たちはたちまち木っ端微塵になる事だろう。

 

 ちなみに、ステラはこの後部の砲塔の代わりに、T-90の砲塔を主砲と機銃ごと移植するつもりだったらしい。

 

 後部の砲塔を、左側へと回り込んだM2ブラッドレーへと向ける。きっとあのブラッドレーの乗組員たちは、真正面にいるマウスたちに反撃するために主砲を正面へと向けなければならないのだから、自分たちが狙われることはないだろうと思っていたに違いない。

 

 ブラッドレーの中で、ぎょっとしている事だろう。

 

 ブラッドレーの機関砲が着弾する音を聞きながら、座席の近くのモニターをタッチ。一旦主砲の照準器から目を離し、モニターに映し出されるレティクルをブラッドレーへと合わせる。

 

 照準器はあくまで主砲専用で、他の武装の照準はこのようにモニターに表示されるレティクルを使って行う。簡単に照準を合わせられるんだけど、合計で4つの砲塔をたった1人で操りながら、操縦士と機関士に指示を出さなければならないのだから、砲手も兼任する車長の負担は大きい。

 

「さっきからやかましいんだよ!!」

 

 発射スイッチを押し、低圧砲をお見舞いする。砲弾は機関砲を連射していたブラッドレーの車体の右側へと喰らい付いた瞬間、ちょっとした火柱がブラッドレーを呑み込んだ。今の一撃でくたばっただろうかと思いながら砲塔のカメラの映像を凝視していると、徐々に消えていく爆炎の中から、忌々しい機関砲の砲弾が再び飛来する。

 

 やがて、火達磨になりながら機関砲の連射を続けるブラッドレーが姿を現す。今の一撃では撃破できなかったらしい。

 

 舌打ちをしながら自動装填装置を作動させ、次の砲弾を装填。その間に30mm機関砲の照準を満身創痍のブラッドレーへと合わせ、お返しに機関砲を連射する。

 

 立て続けに30mm機関砲から放たれた砲弾が直撃するが、ブラッドレーは予想以上にしぶとかった。車体や砲塔に何発も被弾しているにも拘らず、火達磨になったまま機関砲の連射を止めない。

 

 ここを通してたまるかと言わんばかりに足掻き続けるブラッドレーだが、彼らといつまでも戦っているわけにはいかなかった。

 

 装填を終えたことを確認してから、もう一度発射スイッチを押す。

 

 低圧砲がまたしても砲弾を解き放つ。爆炎を突き破って直進していく砲弾は、一番最初に被弾した時点で動きが鈍くなっていたブラッドレーの車体を貫くと、そのまま車内で起爆したらしく、砲塔の付け根やハッチから炎が噴き出した。

 

 車内を焼き払われたブラッドレーがぴたりと動かなくなる。

 

 今しがたお見舞いした砲弾は、対吸血鬼用の水銀榴弾。起爆した瞬間に充填されている水銀が爆風と共に四散し、水銀の斬撃となって周囲の敵を切り刻む恐るべき榴弾である。炸薬の量が通常よりも減ってしまうため爆発の範囲は狭くなってしまうものの、水銀の斬撃は吸血鬼たちを一撃で絶命させられるほど強力だ。

 

 そんな砲弾が、よりにもよって車内で起爆したのである。乗組員たちが生きているわけがない。

 

 自動装填装置に水銀榴弾の装填を命じつつ、再び主砲の照準器を覗き込む。もう既に砲身にはAPFSDSが2発も装填されており、照準を合わせて発射スイッチを押すだけで、レオパルトやマウスを血祭りにあげることができた。

 

「発射(アゴーニ)!!」

 

 標的は、11時方向のマウス。

 

 ドンッ、と、同時に放たれた2発の砲弾の轟音が車内を駆け回る。斉射されたAPFSDSは同時に外殻を置き去りにし、鋭利な砲弾に変貌すると、砲塔を旋回させて側面を狙おうとしていたマウスの砲塔と車体の正面に喰らい付いた。

 

 まるで血飛沫のように、抉られた装甲から火花が吹き上がる。マウスの分厚い複合装甲を貫通するために大型化された152mm砲から放たれた砲弾たちは、砲塔の中にいた砲手や自動装填装置を滅茶苦茶にしながら砲塔の中をズタズタにする。車体へと着弾した砲弾もあらゆる砲弾を弾いてきたマウスの堅牢な装甲を穿つと、金属の溶ける臭いをマウスの車内へと解き放ちながら、乗組員たちの脆い肉体を貫いて行った。

 

 砲手が砲弾に巻き込まれた挙句、自動装填装置を損傷したマウスは、もう戦うことができなかった。辛うじて動くことはできたらしいが、主砲どころか75mm速射砲すら発射できないマウスには、進撃していくシャール2Cを食い止める術がない。

 

 何事もなかったかのように戦車たちを蹂躙していくフランスの超重戦車を、大破したドイツの超重戦車は悔しそうに見つめていた。

 

『こちらドレットノート! タクヤ、聞こえる!?』

 

「ナタリア…………!」

 

 シャール2Cの車内を満たしていたのは、砲弾を弾いた音と砲撃する音くらいだ。自動装填装置の音も聞こえて来るけれど、被弾するか、こっちが砲撃する音が大きすぎるせいで段々と聞こえなくなっていく。

 

 そういう荒々しい音に慣れてしまったせいなのか、ナタリアの凛とした声が無線機から聞こえてきたのはすぐに分かった。

 

「こちら”ピカルディー”、どうぞ」

 

『は? ピカルディー?』

 

「大破した無人戦車を修復したんだ。今は戦車部隊と交戦中」

 

『待って、ここから見えるわ。―――――――ちょ、ちょっとあんた! 何よそれ!?』

 

「ピカルディーだって。有人操縦モードで操縦してるんだよ」

 

 オミットする予定だったんだけどね、この機能は。

 

『…………タクヤ、今から艦砲射撃が始まるわ。こっちはもう撤退してるから、タクヤたちも早く離脱して』

 

「了解。ラウラたちも退避したんだな?」

 

『…………』

 

 ラウラの事を聞くと、ナタリアはすぐに返事をしてくれなかった。

 

 今の声が聞こえなかったわけがない。もしすぐにラウラたちも無事に撤退してくれたことを告げてくれたのならば、俺の頭の中で最悪な仮説は勝手に組み上がることはなかっただろう。

 

 まさか、ラウラに何かあったのか…………!?

 

『…………撤退してから話すわ。艦砲射撃が始まるから、すぐに退避して』

 

「りょ…………了解」

 

 真相を教えてくれなかったのは、その真相が俺に大きなダメージを与えるかもしれないと思ったからなんだろう。敵の超重戦車や高性能な主力戦車(MBT)と激戦を繰り広げている最中にそんなことを知らせてしまったら、間違いなく俺たちは全滅すると判断したから、撤退してから話すことにしたのだろう。

 

 確かに、俺が戦闘の最中にショックを受けて戦えなくなるのは論外だ。砲手と車長を兼任しているのだから、戦えなくなればこの戦車は袋叩きにされる。味方の艦砲射撃に巻き込まれる前に要塞から離脱し、仲間たちと合流しなければならないのだから。

 

 次の標的に照準を合わせ、砲撃の準備を整える。頭の中で次に装填する砲弾や次に仕留める標的を決めながら作業を続けるが、不安から生れ落ちた最悪な仮説が段々と大きくなり、集中力を蝕み始める。

 

 ラウラに何が起きたのだろうか?

 

 ナタリアが真相を教えてくれなかったのは、間違いなく俺が真相を知ればショックを受けるからだろう。ラウラに起こったことを知って俺がショックを受ける可能性があるのは、何なのだろうか。

 

 考えてはいけないと何度も命令しているのに、頭の中でその仮説は成長していく。瞬く間に肥大化し、不安を侵食して成長して、自分でイコールを作ってしまう。

 

 もしかしたら、ラウラは戦闘の最中に…………!

 

 しかし、成長した仮説がイコールの先へと流れ込むよりも先に、シャール2Cの車体が激震した。正面装甲にマウスの主砲が直撃したような振動よりも更に大きい、規格外の激震。座席の近くにあるモニターや照準器に頭をぶつけながら、敵の対戦車地雷を踏んでしまったのかと思った俺は大慌てでカメラを確認するけれど、装甲に守られたシャール2Cのでっかいキャタピラは、先ほどと同じように動いている。

 

「何だ!? 損害は!?」

 

『こ、こちら機関室! 今、敵の砲弾が機関室付近に被弾ッ!!』

 

「くそ………!」

 

 側面を確認してみると、撃破されたマウスの残骸の陰に隠れ、シャール2Cがその残骸を通過していくのを待ち構えていた1両のレオパルトが、120mm滑腔砲をこちらへと向けて佇んでいたのである。

 

 今の衝撃は、側面の装甲が貫通された衝撃なのか。

 

 シャール2Cの正面装甲はかなり分厚いが、側面の装甲は脆い。従来の戦車の側面の装甲よりも一回りは厚くなっているけれど、APFSDSを防ぎ切れるほどの防御力ではないのだ。

 

「エンジンの出力は!?」

 

『出力は…………3号の出力が60%ダウン! 2号も出力が20%ダウンしてる!』

 

「タクヤ、速度が15km/hまで低下します」

 

「くそったれぇッ!! ―――――――ぐあっ!?」

 

 またしても、シャール2Cの車体が揺れた。機関室へと繋がっている通路の向こうから金属の溶ける臭いやオイルの臭いが砲塔の中や車体へと流れ込んでくる。被害を確認するためにモニターを見下ろした俺は、後部の砲塔のカメラの映像が映らなくなっていることに気付き、歯を食いしばる。

 

 今度は後方だ。何が砲撃してきたのかは不明だが、さっきのレオパルトみたいに残骸に隠れ、俺たちが通過して脆い側面や後部の装甲を晒すのを待っていたのだろう。こっちは戦車部隊を撃滅するのではなく、こいつらを突破して味方と合流することが最優先目標なのだから、とにかく前進しなければならない。

 

 敵は、俺たちの目的が戦車部隊の撃滅ではないという事に気付いたのだ。

 

 またしても砲弾が直撃したらしく、ピカルディーが揺れた。

 

『こちら機関室…………ゴホッ、3号が機能を停止!』

 

 3号は俺が修理した一番後ろのエンジンだ。被弾してしまったせいで、ついに機能を停止してしまったらしい。

 

 通路から流れ込んでくる臭いが更に強烈になり、機関室へと繋がっている通路から、黒煙が溢れ出る。

 

 くそ、この戦車を放棄するべきか…………!?

 

 逃げ遅れた敵のマウスをAPFSDSの斉射で粉砕しながら、俺はそんなことを考えた。敵に背後や側面から攻撃され、何ヵ所かは貫通してしまっている。しかもその被弾した衝撃で1基のエンジンがついに機能を停止し、もう1基のエンジンも出力が低下しつつある。

 

 このまま走っていても、後方の敵に嬲り殺しにされるだけだ。

 

 いっそのことシャール2Cを放棄し、俺がメニュー画面でバイクをすぐに装備して、仲間を乗せてそのまま味方の所へと突っ走った方がいいかもしれない。榴弾でバイクや仲間もろとも吹っ飛ばされる危険性があるが、このまま戦車と一緒に袋叩きにされるよりはマシだろう。

 

 総員退去と叫ぼうとした、次の瞬間だった。

 

 ズドン、と、またしてもシャール2Cが揺れる。マウスの主砲を喰らったのかと思って唇を噛み締めたけれど、その衝撃が被弾した時の衝撃とは違うことにすぐ気づいた俺は、はっとしながらカメラの映像を確認する。

 

 砲塔を旋回させると、モニターには巨大な黒煙が吹き上がる砂漠と、その黒煙と一緒に舞い上がる小さな残骸の群れが見えた。

 

 噴き上がる黒煙の根元に佇んでいるのは――――――――砲塔の上面に巨大な風穴を開けられ、真っ二つにへし折られた超重戦車(マウス)だった。

 

「え…………?」

 

 立て続けに、巨大な何かが砂漠へと降り注ぐ。着弾すると同時に戦車砲とは比べ物にならないほど巨大な火柱と黒煙が産声を上げ、周囲にいた歩兵や戦車たちを衝撃波だけで木っ端微塵にしてしまう。もちろんそれは、シャール2Cの砲撃ではない。こいつの主砲も強烈だけど、あんなに簡単に戦車を木っ端微塵にすることはできないし、まだ自動装填装置に装填するように命令を出していない。

 

 後方へと回り込んだ戦車たちが、天空から落下してくる巨大な砲弾の群れによって、次々に蹂躙されていく。

 

 その猛烈な砲撃の正体は――――――――河に留まって砲撃の準備をしていた、ガングート級戦艦たちから放たれた榴弾だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 味方の艦隊の艦砲射撃に援護してもらいながら、俺たちはボロボロのピカルディーと共に無事にタンプル搭へと生還することができた。

 

 もし要塞の近くでピカルディーが擱座していなかったら、俺たちはあの戦車部隊の砲撃で木っ端微塵にされ、とっくに戦死していたに違いない。無事に帰還することができたのは、この超重戦車の圧倒的な頑丈さと火力のおかげだ。

 

 けれども―――――――帰還した直後に、俺は格納庫で待っていた1人の兵士から、最悪な仮説の答えを聞かされる羽目になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砲塔のハッチを開け、被弾した跡がいくつも残っている砲塔から格納庫の床へと飛び降りる。超重戦車を格納するために増設された専用の大型格納庫の床には、『01』から『10』までのナンバーが描かれた格納スペースがあり、その中には無傷のシャール2Cたちが眠っている。

 

 最終防衛ラインでの戦闘に投入するため、全ての重要拠点から引き抜いてきたピカルディーの”兄弟”たちだ。ピカルディーも格納スペースに停車しており、早くも整備兵たちが激戦を繰り広げながら帰還したピカルディーの修理を始めている。

 

 あれほど攻撃を喰らっても動き続けていたのだから、きっと最終防衛ラインの戦いでも敵の戦車部隊を蹂躙してくれるに違いない。最後の戦闘前に2両ほど増産しておいた方がいいだろうか。

 

「同志団長」

 

 傷だらけのピカルディーを見上げていると、側へとやってきた兵士に声をかけられた。作業着ではなく黒い制服を身に纏っており、肩には砲弾を抱えたゴーレムのエンブレムが描かれている。

 

 どうやら陸軍の兵士らしい。砲弾を抱えたゴーレムは、テンプル騎士団陸軍のエンブレムなのだ。

 

「どうした?」

 

「同志ラウラなのですが…………」

 

「…………教えてくれ」

 

 彼女は無事なのだろうか。

 

 イコールの先を蝕もうとする仮説を否定し続けていたけれど、俺にラウラのことを告げようとした兵士は、報告する事を躊躇っているらしく、俺と目を合わせていない。AK-12を背中に背負ったまま、本当に俺に彼女に起こったことを報告するべきなのかと悩んでいた。

 

 しかし、彼は報告することに決めたらしく、やっと俺と目を合わせてくれる。

 

「団長…………同志ラウラが…………」

 

 息を呑みながら、戦闘中に集中力を蝕んでいた仮説の答えが外れていますようにと祈り、その兵士の眼をじっと見つめた。

 

 ラウラは、今まで俺と一緒に旅をしてきた実力者の1人だ。確かに吸血鬼たちは手強い相手だけど、彼女がやられるわけがない。エリスさんと親父(魔王)の遺伝子を受け継いでいる最強のお姉ちゃんなのだから。

 

 それゆえに、仮説は外れているに違いない。

 

 そう思いながら、俺は彼の報告を聞いた。

 

「―――――――戦死しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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被弾

 

 上り始めた太陽によって紺色に染められた夜空へと、アーレイ・バーク級の艦首が向けられる。まるで、完全に夜空が消えてしまうよりも先に、徐々に消えていく星空へと逃れようとしているようにも見えた。

 

 船体を真っ二つにされたアーレイ・バーク級の断面から火柱が生れ落ち、黒煙と共に暴れまわりながら、灰色の船体と共にゆっくりとウィルバー海峡の中へと消えていく。大慌てでハッチから踊り出し、海へと飛び込んでいくアーレイ・バーク級の乗組員たちの頭上では、流星群にも似た炎を吐き出しながら飛翔していく対艦ミサイルの群れが、他のアーレイ・バーク級へと襲い掛かっていった。

 

 辛うじて速射砲とCIWSでミサイルを迎撃したアーレイ・バーク級の艦橋に、1発の対艦ミサイルがめり込む。何発もミサイルを迎撃していたアーレイ・バーク級へと命中したその一撃は、船体が凄まじい衝撃で揺れるよりも先に起爆すると、艦橋の内部を猛烈な爆風で蹂躙し、艦橋の中にいた乗組員たちを瞬く間に焼き尽くしていった。

 

 船体で亀裂が産声を上げ、激震したアーレイ・バーク級の船体が、炎と黒煙を吐き出しながらゆっくりと折れていく。

 

 テンプル騎士団の駆逐艦や戦艦が放ったミサイルは、合計で456発。アーレイ・バーク級たちからのミサイルを迎撃し終えた彼らは、最初のミサイル攻撃でキャニスターに装填しているミサイルを全て発射し、それで可能な限り吸血鬼たちの戦力を削り取ろうとしたのである。

 

 この攻撃で撃沈することができたアーレイ・バーク級は、10隻のうち3隻のみ。キャニスターの中のミサイルを全て発射したにもかかわらず、敵艦隊を全て沈めることはできなかったのだ。

 

 しかし、世界最強のイージス艦を、イージスシステムを搭載していない旧式の駆逐艦や近代化改修型の戦艦たちが3隻も撃沈したのは、大きな戦果と言えた。

 

 イージス艦は、現代の海戦の主役と言っても過言ではない。高性能なレーダーやミサイルを装備しており、弾速の速いミサイルや機動性の高い航空機でもあっさりと撃墜してしまう事ができるのだ。第二次世界大戦までは、逆に爆弾や魚雷を搭載した航空機の方が戦艦大和のような超弩級戦艦をあっさりと”撃沈”することができたのだが、レーダーとミサイルの性能が劇的に向上したため、今では逆にあっさりと撃墜されてしまうことが当たり前になったのである。

 

 それゆえに、対艦ミサイルを温存しようと考えながら少しずつ撃てば、ミサイルを無駄使いすることになる。ミサイルを容易く迎撃してしまうイージス艦に対して少しずつミサイルを発射しても、そのミサイルはほぼ確実に全て迎撃されてしまうからだ。

 

 そのため、テンプル騎士団艦隊を指揮するイワン・ブルシーロフ大佐は、一番最初のミサイル攻撃で全てのミサイルを発射し、それで可能な限り吸血鬼たちの戦力を削りつつ、残った艦を砲撃で仕留めるという戦法を選んだ。ミサイルをまだ温存しているイージス艦や近代化改修型のビスマルク級からのミサイル攻撃を迎撃しつつ、最大戦速で接近し、甲板に搭載されている巨大な主砲で残った敵艦を撃滅するのである。

 

 現代戦の主役を使い果たせば遠距離からのミサイル攻撃ができなくなってしまう上に、敵のイージス艦からは猛烈な対艦ミサイルの一斉攻撃をお見舞いされる羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。しかし、テンプル騎士団艦隊の戦艦は全て近代化改修を受けており、接近してくるミサイルを迎撃するための対空ミサイルや機関砲をこれでもかというほど搭載している。命中精度ではイージス艦に劣ってしまうものの、無数の対空ミサイルや機関砲の弾幕ならば、アーレイ・バーク級から放たれるミサイルを迎撃しながら突き進むことができるだろう。

 

 それに、その怪物たちは分厚い装甲を持つ”戦艦”である。もし仮に対艦ミサイルの迎撃に失敗して喰らう羽目になっても、耐えることができるだろう。さすがに何発も叩き込まれれば超弩級戦艦でも瞬く間に轟沈してしまうが、無数の速射砲と分厚い装甲を兼ね備えた戦艦たちならば、最強のイージス艦に接近することもできる筈だ。

 

 しかし、3隻もイージス艦を撃沈することができたとはいえ、残っているのは7隻のアーレイ・バーク級と3隻の近代化改修型のビスマルク級。未だに艦の数ではテンプル騎士団側が勝っているものの、イージスシステムを搭載している艦がいない以上、性能は大きく劣っているとしか言いようがなかった。

 

「敵艦隊よりレーダー照射! 反撃来ます!」

 

「迎撃準備! 同志諸君、何としても敵のミサイルを全て迎撃せよ!」

 

 テンプル騎士団艦隊の先頭を進む戦艦ジャック・ド・モレーの艦長を務めるイワン・ブルシーロフ大佐は、目の前のモニターに表示されているアーレイ・バーク級とビスマルク級の反応を睨みつけながら命令を下した。

 

 こちらはもう既に対艦ミサイルを使い果たしており、敵の艦隊へと対艦ミサイルを放つことは不可能となってしまった。キーロフ級は辛うじてミサイルを温存しているものの、7隻のイージス艦にダメージを与えるためには、たった数隻のキーロフ級のミサイルだけでは役不足である。

 

 ジャック・ド・モレーが率いる艦隊はすでに河を脱出しており、再びミサイル攻撃を開始した敵艦隊へと猛スピードで直進していた。このまま敵艦のミサイルを迎撃しながら肉薄し、砲撃を始めることができればテンプル騎士団艦隊が勝利できるだろう。テンプル騎士団側の戦艦の数は、ブレスト要塞を支援するために河に留まったガングート級4隻を含めれば12隻。それに対し、吸血鬼側の戦艦は近代化改修を受けたビスマルク級が3隻のみ。河を脱出した8隻の戦艦と砲撃戦を始めれば、どちらが勝利するかは明白だ。

 

 しかし、砲撃できる距離まで接近される前に、敵の対艦ミサイルで撃沈されれば意味はない。いくら戦艦の防御力が高いとはいえ、対艦ミサイルが被弾すれば大きなダメージを受ける羽目になるのだから。

 

「ハープーン17発、接近中!」

 

「グブカ、コールチク、迎撃開始!」

 

 甲板や艦橋の近くにこれでもかというほど搭載されたグブカやコールチクから、立て続けにミサイルが発射され始める。後続の戦艦たちからも同じようにミサイルが発射されたかと思うと、艦隊へと凄まじい速度で接近してくるハープーンへと押し寄せていく。

 

 現時点ではまだ艦隊に損害は出ていないものの、このミサイルの迎撃が失敗し、駆逐艦や戦艦が撃沈されてしまう恐れがある。

 

 CICの中で乗組員たちが凝視していたレーダーからミサイルの反応が一気に消えると同時に、紺色から段々と青空に変色を始めた空の中で、人工的な光がいくつも煌いた。

 

 敵艦を撃沈しようとする敵の殺意を、迎撃用のミサイルが阻んだ証の輝きだ。

 

 しかし、敵の”殺意(ミサイル)”を全て阻むことができたわけではなかった。テンプル騎士団艦隊から放たれたミサイルの餌食にならずに済んだ5発のハープーンが、犠牲になったハープーンたちが産み落とした爆炎を突き破り、艦隊へと飛翔し続けていたのである。

 

 レーダーの中にまだ5つも反応が残っていることを知った乗組員は、CICの中で凍り付いた。

 

「とっ、トラックナンバー058から063、健在! 迎撃失敗!」

 

「速射砲とコールチクの機関砲で迎撃しろ! 絶対に落とせ!」

 

撃て(アゴーニ)!!」

 

 装甲の厚い超弩級戦艦ならば、仮に直撃したとしても耐えることはできるだろう。ソ連軍が建造する筈だった24号計画艦(ジャック・ド・モレー)とソビエツキー・ソユーズ級たちならば、ハープーンを喰らったとしても辛うじて砲撃戦を挑めるに違いない。

 

 しかし、それよりも旧式のインペラトリッツァ・マリーヤ級に命中すれば、下手をすればそのまま轟沈してしまう恐れがあった。いくら装甲の厚い戦艦とはいえ、インペラトリッツァ・マリーヤ級は旧式の戦艦だったのだ。近代化改修を受けているものの、あくまでも旧式の戦艦にソヴレメンヌイ級やウダロイ級などの装備を移植し、可能な限り最新の装備を搭載しただけだ。変更されたのは”中身”であるため、装甲の厚さは全く変わっていないのだ。

 

 コールチクに搭載された機関砲と、全て撤去された副砲の代わりに搭載されたAK-130が火を噴き始める。紺色から青へと変色しつつある空へと向けて放たれていく砲弾の嵐たちがハープーンを射抜かなければ、艦隊に被害が出てしまう。

 

「トラックナンバー059、撃墜!」

 

「トラックナンバー062も迎撃! 残り2発!」

 

 あと2発で、敵が放ったハープーンは全滅だ。まだ敵はすさまじい威力の対艦ミサイルを温存しているだろうが、その2発さえ迎撃できれば艦隊に被害が出ることはない。いくら規模が上回っているとはいえ、艦隊の駆逐艦の性能はイージス艦に大きく劣っているため、1隻でも戦線を離脱すればテンプル騎士団艦隊は大きな損害を受ける羽目になるのだ。

 

 レーダーの向こうで、そのうちの片方の反応が消える。乗組員が「トラックナンバー063、撃墜!」と報告するが、もう片方のミサイルの反応はなかなか消えない。艦隊の先頭を航行するジャック・ド・モレーへと接近してくる度に、乗組員たちが凍り付いていく。

 

 だが―――――――そのミサイルが狙っていたのは、ジャック・ド・モレーではなかった。

 

「え―――――? み、ミサイルが頭上を通過…………?」

 

 アーレイ・バーク級たちから放たれた1発のハープーンは、先頭を進んでいる超弩級戦艦へと牙を剥かずに、やや低めの艦橋の上空に白煙を刻み付けながら通過していくと、立て続けに放たれる対空砲火の間を突き抜けていく。

 

 乗組員たちは安堵していたが、ジャック・ド・モレーが狙われなかったという事は、その代わりに他の艦が狙われていることを意味する。それを察した乗組員の顔が凍り付いた次の瞬間、レーダーに映っていたミサイルの反応が、後続の戦艦『ソビエツカヤ・ウクライナ』の反応と全く同じ場所で消失した。

 

「こ、後続のソビエツカヤ・ウクライナに被弾!」

 

「ソビエツカヤ・ウクライナ、応答せよ! 損害は!?」

 

『こ、こちらソビエツカヤ・ウクライナ…………。煙突の右側に強烈なのを喰らったが、戦闘に支障なし。ついて行きますよ、同志』

 

 今の一撃で早くも虎の子の超弩級戦艦を1隻失うことになるのではないかと思っていたイワン・ブルシーロフ大佐は、息を吐きながら頭をかいた。

 

 もしこの戦いに投入されたのが駆逐艦や巡洋艦ばかりであったのならば、今の一撃で味方の艦を1隻失うことになっていただろう。

 

 戦艦『ソビエツキー・ソユーズ』の後方を航行していたソビエツカヤ・ウクライナは、ハープーンを喰らう羽目になったものの、このまま艦隊と共に航行して戦闘に参加できるらしい。とはいえ、またハープーンをお見舞いされれば致命傷を負うことになるのは火を見るよりも明らかであった。

 

 ミサイルは命中精度の低い砲弾よりも”賢い”、現代戦の主役なのだから。

 

 何とかソビエツカヤ・ウクライナが耐えてくれたことに安心したブルシーロフ大佐は、目の前にあるCICの巨大なモニターに映し出されている敵艦隊が動き出したことに気付き、モニターを睨みつけた。

 

 先ほどから、敵の艦隊の中心部に3隻のビスマルク級が居座り、その周囲にいるアーレイ・バーク級が戦艦を守っているような状態であった。戦艦たちを世界最強のイージス艦たちが守っているため、先ほどの対艦ミサイルの飽和攻撃をお見舞いしたにもかかわらず、中心部のビスマルク級たちは無傷のままである。

 

 そのビスマルク級たちが――――――――唐突に、アーレイ・バーク級たちから離脱し始めたのだ。

 

「なに…………?」

 

 艦隊の中心部から直進し、単縦陣になりながらアーレイ・バーク級たちから離れた3隻のビスマルク級。いきなり置き去りにされたイージス艦たちは後方へと下がりつつ、味方艦との距離を開け始めている。アーレイ・バーク級たちが距離を開け始めた理由は不明だが、直進してくるビスマルク級たちの目的を、ヴリシアの戦いの際にジャック・ド・モレーに乗り込んでいたブルシーロフ大佐はすぐに見抜いた。

 

(砲撃戦を始めるつもりか!?)

 

 ビスマルク級たちは、たった3隻で無数の駆逐艦と巡洋艦に護衛された8隻の艦隊に挑もうとしているのである。後方のアーレイ・バーク級たちが対艦ミサイルで援護しつつ、肉薄したビスマルク級たちが砲撃で追撃するつもりなのだろう。

 

 確かに、敵戦艦と砲撃戦を繰り広げながらミサイルを迎撃するのは至難の業だ。乗組員たちが混乱する可能性がある上に、敵艦への砲撃と迎撃を指揮する艦長たちにも大きな負荷がかかってしまう。敵艦隊の司令官は、こちらの乗組員たちに負荷をかけるつもりなのだ。

 

(狡猾だな…………)

 

 しかし、相手から砲撃戦を挑んでくるのであれば、これ以上距離を詰めなくてもいい。元々テンプル騎士団艦隊は敵艦を砲撃で撃滅するために距離を詰めていたのだから、敵の方から接近してくるのであればこれ以上前進する必要はない。

 

 迅速に3隻のビスマルク級を撃沈し、その後に後方のイージス艦たちを血祭りにあげればいいのだから。

 

「敵戦艦、こちらに接近中!」

 

「よし、砲撃戦だ。まず最初にあの3隻を血祭りにあげる」

 

 先ほどの攻撃でソビエツカヤ・ウクライナがダメージを受けたとはいえ、戦闘に支障はないという。このまま8隻の戦艦で集中砲火をお見舞いすれば、瞬く間にビスマルク級たちは海の藻屑と化すだろう。

 

 砲撃戦を挑もうとしているビスマルク級はたったの3隻。搭載している主砲は強力な38cm砲だが、ジャック・ド・モレーやソビエツキー・ソユーズ級に搭載されている主砲はそれよりも強力な40cm砲である。主砲の口径が上回っている上に、その主砲を搭載した艦の数でも勝っているテンプル騎士団艦隊の方が、たった3隻で砲撃戦を挑もうとしている吸血鬼たちよりも有利と言えた。

 

 しかし、それゆえにブルシーロフ大佐は違和感を感じていた。ヴリシアで大敗を喫し、プライドを木っ端微塵にされた吸血鬼たちは、帝都サン・クヴァントで戦った時と比べると隙が非常に少ない。再生能力を持たない種族など一蹴できると高を括らずに、前回の戦いで敗北した原因をしっかりと調べ、同じ轍を踏まないように準備をしてから攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 プライドの高い吸血鬼たちが、貴重な戦艦3隻を突っ込ませて”無駄使い”するとは思えない。

 

 何か作戦があるのだろうかと思いながらモニターを見たその時、3隻のビスマルク級の先頭を進んでいたビスマルク級2番艦『ティルピッツ』が、いきなり進路を変更し始めたのである。

 

 傍から見れば反航戦を始めようとしている状態から、いきなり左へと進路を変更し、3隻のビスマルク級が直進していくテンプル騎士団艦隊の真正面へと躍り出たのだ。

 

「こ、これは…………」

 

 単縦陣のまま、敵艦隊へと直進していくジャック・ド・モレーの目の前に躍り出たのは、戦艦『ティルピッツ』、『ルーデンドルフ』、『ファルケンハイン』の3隻だ。その3隻のビスマルク級戦艦は速度を少しばかり落とすと、前部甲板と後部甲板に居座る38cm砲の全ての砲塔を、艦隊の先頭を航行する戦艦ジャック・ド・モレーへと向けた。

 

 その戦法は、『丁字戦法』と呼ばれる戦法であった。

 

 

 

 



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残光と切り札

 

 丁字戦法は、簡単に言えば搭載されているほぼ全ての主砲を、単縦陣で突撃してくる敵艦隊の先頭を進む艦へと、味方艦と共に集中砲火をお見舞いする戦術である。

 

 そうすれば、攻撃される敵の艦隊は先頭の艦が邪魔になるせいで後続の艦が反撃することができなくなる上に、攻撃を受ける先頭の艦も前部甲板の主砲しか使用できなくなってしまうため、仮に丁字戦法で攻撃してくる艦隊よりも数が上であったとしても、集中砲火で容易く撃沈されてしまう。

 

 テンプル騎士団艦隊は最大戦速で河を脱出したばかりであったため、単縦陣の状態のままであった。そのままジャック・ド・モレーが先頭を航行し、敵のミサイルを片っ端から迎撃しながら肉薄して、先ほどのミサイル攻撃を迎撃した吸血鬼たちの艦隊を砲撃で撃滅する予定だったのだ。

 

 しかし、吸血鬼たちはテンプル騎士団の超弩級戦艦が肉薄してくるよりも先に、たった3隻のビスマルク級戦艦を投入し、丁字戦法でテンプル騎士団艦隊を迎撃したのである。

 

 近代化改修を受けたビスマルク級戦艦『ティルピッツ』の艦長は、後方のアーレイ・バーク級たちを撃滅するために単縦陣の状態のまま直進するテンプル騎士団艦隊の反応を睨みつけながら、唇を噛み締めた。

 

 このまま敵艦隊の目の前に躍り出た『ティルピッツ』、『ルーデンドルフ』、『ファルケンハイン』の3隻で敵艦隊の先頭を進む超弩級戦艦―――――――おそらく、テンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』だろう―――――――を集中攻撃で撃沈し、後続の艦隊にも損害を与える予定だが、敵艦隊は対艦ミサイルを使い果たしているとはいえ、8隻も戦艦がいる。しかもそのうちの5隻は40cm砲を搭載した超弩級戦艦であり、敵艦隊の旗艦はヴリシアで戦艦『モンタナ』を撃沈する戦果をあげている。

 

 テンプル騎士団の戦艦ジャック・ド・モレーは、この世界に存在する戦艦の中では最強と言っても過言ではないだろう。逆に、そのジャック・ド・モレーをこの丁字戦法で撃沈することができれば、敵艦隊は最も練度の高井法亢員たちの乗る切り札を失い、かなり弱体化するのは明らかだ。

 

 しかし、いくら集中砲火ができるとはいえ、たった3隻の戦艦で複数の駆逐艦や巡洋艦を引き連れた8隻の戦艦を食い止めるのは困難である。しかも、吸血鬼たちの海軍は未だに練度が低い乗組員が多く、海軍の錬度だけならば、同じく練度の低い新兵が大半を占めているテンプル騎士団と同レベルであったのだ。

 

 ヴリシアの戦いでも吸血鬼たちは艦隊を出撃させたものの、その際に出撃したイージス艦や空母の乗組員たちは吸血鬼ではなく、”徴兵”した人間の労働者や奴隷たちだけだ。しかしその乗組員たちの錬度は、連合軍がヴリシアへと侵攻するよりも前から本格的な訓練や魔物の掃討作戦を行っていたため、今の吸血鬼たちの海軍よりも高かったのである。

 

 更に、今回の春季攻勢(カイザーシュラハト)で最も重要視されたのは、吸血鬼の極めて高い身体能力をフル活用し、圧倒的な機動力で瞬く間に塹壕や防衛戦を突破して、敵の司令部や通信設備を破壊する突撃歩兵たちだった。

 

 ヴリシアでの敗戦の原因は序盤で制空権を確保されてしまったことであるため、空軍も同じく重要視されていた。1人でも多く優秀なパイロットを生み出すためにコストの高い高性能な戦闘機が配備されたため、海軍は次々に”後回し”にされる羽目になったのである。

 

 しかも、テンプル騎士団の本拠地は陸地である。河を上っていけば彼らの軍港まで一気に進軍できるとはいえ、狭い河の中では逆に対艦ミサイルを搭載した敵のコルベットの奇襲や、陸地に展開した大型の自走砲による砲撃で袋叩きにされる恐れがあったため、あくまでも空軍と陸軍が徹底的に艇の地上部隊や航空隊を叩き潰した後に、艦隊が河を上りつつ艦砲射撃で味方を支援することになった。

 

 海軍の役目は、出撃してくるテンプル騎士団艦隊を撃滅する事なのだ。

 

 もしこの丁字戦法で敵艦隊を食い止めることができなかったとしても、後方にはハープーンやトマホークを温存したアーレイ・バーク級たちがいる。場合によっては彼らに支援攻撃を要請する事が可能だ。

 

 更に、アーレイ・バーク級たちの後方には――――――――”切り札”を搭載した、戦艦『ビスマルク』が鎮座している。搭載した切り札のせいで速度が落ちた挙句、攻撃力が半減してしまっているものの、その切り札が投入されれば敵艦隊はほぼ確実に壊滅するだろう。

 

 まず最初に、この丁字戦法で敵艦隊にダメージを与える必要がある。

 

「よし、全艦砲撃用意。目標は先頭の敵戦艦だ」

 

「了解(ヤヴォール)。全艦、砲撃用意!」

 

 単縦陣の状態で直進するテンプル騎士団艦隊の目の前に躍り出た3隻のビスマルク級戦艦に搭載された38cm砲が、一斉に先頭の戦艦ジャック・ド・モレーへと向けられた。

 

 ジャック・ド・モレーやソビエツキー・ソユーズ級に搭載された主砲と比べると攻撃力は劣っているが、一番最初に標的にしたジャック・ド・モレーの前部甲板に鎮座する合計で6門の40cmと、ジャック・ド・モレーの目の前に踊り出し、前部甲板と後部甲板に搭載された全ての砲塔を向けている3隻のビスマルク級戦艦ならば、彼らの方が火力では勝っていると言える。

 

 しかし、艦長が砲撃命令を下すよりも先に、艦橋にいる乗組員が無線で報告してきた。

 

『敵艦が発砲!』

 

「先頭の艦は分かるか!?」

 

『お待ちください。…………おそらく、戦艦ジャック・ド・モレーです! キャニスターの数が他の艦よりも多い!』

 

 CICの内部にあるスピーカーから”ジャック・ド・モレー”という名前が聞こえてきた瞬間、そのジャック・ド・モレーからの砲撃がティルピッツの近くに着弾して水柱を吹き上げた衝撃がティルピッツを呑み込んでいるにも関わらず、CICの乗組員たちがざわついた。

 

 ヴリシアで戦艦モンタナを撃沈し、ボロボロになった状態で艦砲射撃を続けたテンプル騎士団の力の象徴が、一番最初の標的になったのだから。

 

 ジャック・ド・モレーの乗組員たちの錬度は、間違いなくテンプル騎士団海軍の中でも最も高いと言えるだろう。下手をすればたった1隻でこちらの丁字戦法を突破してしまうのではないかと思ってしまった艦長は、敵艦隊の先頭を進む艦の反応を睨みつけながら命令を下す。

 

「砲撃開始だ。あの化け物を海の藻屑にしてやれッ!」

 

「全艦、砲撃開始! 目標、敵艦隊旗艦”ジャック・ド・モレー”!!」

 

 38cm砲の集中砲火でジャック・ド・モレーを撃沈する事さえできれば、敵艦隊は弱体化する。

 

 しかも敵艦隊は対艦ミサイルをもう既に使い果たしている状態であり、主砲の射程距離外に逃げることができれば、対艦ミサイルで追撃される恐れもない。それに対し、ビスマルク級たちはミサイルを使い果たしてしまったものの、アーレイ・バーク級たちはまだ強力なハープーンやトマホークを温存しているのだ。

 

 有利なのは、吸血鬼たちの方である。

 

撃て(フォイア)!!」

 

 甲板に搭載された主砲が、立て続けに火を噴いた。

 

 連装型の38cm砲は、ビスマルク級1隻で8門も搭載している。それを全てジャック・ド・モレーへと向けていた吸血鬼たちが放ったのは、合計で24発もの強烈な砲撃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦橋にいる乗組員が敵艦が砲撃を開始したことを報告した数秒後に、ジャック・ド・モレーの船体が激震する。何かが落下し、分厚い装甲へと叩きつけられる音。砲弾を弾くことができるほど硬い装甲に風穴を開けられる轟音が、CICの中にも流れ込んでくる。

 

 ヴリシアの海戦の際にもその音を聞いていたブルシーロフ大佐は、唇を噛み締めた。

 

 敵の放った砲弾のうちの1発が、いきなりジャック・ド・モレーに着弾したのだ。まだどの部位に命中したのかは不明だが、轟音が聞こえてきた方向は艦首側である。

 

 幸いビスマルク級の主砲は、ヴリシアで一騎討ちをしたモンタナ級と比べれば小型だ。さすがに集中砲火を叩き込まれればひとたまりもないものの、1発被弾した程度でジャック・ド・モレーが行動不能になるのはありえない。

 

「どこに喰らった!?」

 

『第一砲塔の近くです! 戦闘と航行に支障はありません!』

 

『火災も確認できず!』

 

「よし、このまま反撃する! 同志カノン、期待しているぞ!」

 

『お任せください、同志ブルシーロフ』

 

 スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、他の乗組員たちと比べると幼い声だった。しかし喋り方はまるで落ち着いた貴族の女性のようで、先に敵の砲弾を喰らう羽目になったというのに、全く狼狽していないことが分かる。

 

 ジャック・ド・モレーの第二砲塔に乗り込んでいるのは、かつてモリガンの傭兵の一員として死闘を繰り広げた、カレン・ディーア・レ・ドルレアンの娘であるカノン・セラス・レ・ドルレアン。普段は中距離用のマークスマンライフルを使用することが多いものの、砲撃も得意としており、彼女の砲撃はほぼ百発百中と言われている。

 

 ヴリシアの戦いでは母であるカレンと共にジャック・ド・モレーの第二砲塔に乗り込み、極めて正確な砲撃で立て続けにモンタナに40cm砲をお見舞いしている。

 

 今回は母親のカレンは乗っていないものの、彼女の砲撃の技術はテンプル騎士団の中で最高と言っても過言ではない。最強の砲手が乗っているのだから、ジャック・ド・モレーが敵艦隊に敗北するわけがなかった。

 

 装填を終えた第一砲塔と第二砲塔が、立て続けに40cm砲を放つ。CICの中にも轟く爆音を聞きながら、この一撃で敵戦艦のどれかの反応が消えないだろうかと思いながらモニターを見つめていたブルシーロフ艦長は、乗組員から「砲撃命中せず」と報告された瞬間、息を吐きながら頭をかいた。

 

 やはり、対艦ミサイルを温存するべきだったのかもしれない。

 

 一応キーロフ級巡洋艦は対艦ミサイルを温存しているものの、砲撃戦の真っ只中にミサイル攻撃を始めれば、味方艦が混乱する恐れがある。それに、こちらにミサイルがまだ残っているという事はまだ隠しておくべきだ。敵艦隊の司令官は、九分九厘こちらの艦隊がミサイルを使い果たしたと思い込んでいる筈なのだから。

 

 その時、またしてもジャック・ド・モレーが揺れる。主砲を発射した時の衝撃というよりは、何かがジャック・ド・モレーの船体に激突した振動だ。またしても被弾したのかと思った彼が目を見開くと同時に、乗組員たちが報告を始める。

 

「3番キャニスターに被弾! 戦闘に支障なし!」

 

「艦首に被弾しました! でも航行に支障はありません!」

 

「くそ、第七副砲も被弾! 火災が発生しています!」

 

「消火を急げ!」

 

 対艦ミサイルを発射し終えたキャニスターと副砲に命中したらしい。キャニスターの方は吹き飛ばされた程度で済んだものの、破壊された副砲(AK-130)の周囲では火災が発生してしまっているという。

 

 それほど大きな損害ではないが、これ以上被弾するよりも先に敵艦隊を撃滅できなければ、袋叩きにされた挙句海の藻屑となってしまうのは想像に難くない。

 

 何とか応戦を続けるジャック・ド・モレーだったが――――――――命中したという報告は聞こえてこない。それどころか、凄まじい衝撃と共に装甲が砕ける轟音が鳴り響き、乗組員たちが被弾した個所の状況を報告してくる声しか聞こえなくなる。

 

「くそ、左舷のグブカがやられました! 装填してあったミサイルも誘爆し、火災が発生した模様!」

 

「後方の敵艦隊がハープーンを発射! 数は8!」

 

「全力で迎撃しろ! 後続の艦隊も左右に散開させ、目の前の3隻を集中攻撃! 急げ!!」

 

 単縦陣のままでは、立て続けに被弾するジャック・ド・モレーが邪魔になるせいで後続の戦艦が敵戦艦を攻撃できない。それよりは単縦陣をやめて艦隊を散開させ、目の前の敵戦艦を集中攻撃して撃沈しつつ、ミサイルを迎撃した方がマシである。

 

 ジャック・ド・モレーの後方を航行していた戦艦『ソビエツキー・ソユーズ』や『ソビエツカヤ・ウクライナ』たちが、まるで被弾し続けているジャック・ド・モレーを追い越そうとするかのように左右へと進路を変更していく。戦艦たちを護衛するソヴレメンヌイ級やキーロフ級たちも同じように進路を変え、ゆっくりと散開していく。

 

 丁字戦法は敵の先頭の艦を集中攻撃できるという利点があるが、敵はたった3隻の戦艦。それに対し、散開して攻撃態勢に入ったのは8隻の戦艦と無数の駆逐艦たち。あの3隻のビスマルク級は、すぐに無数の砲弾に貫かれ、海の藻屑と化すだろう。

 

 そう思った次の瞬間、スピーカーの向こうから、散開を終えて砲撃を始めようとしていた味方の戦艦の乗組員が、旗艦であるジャック・ド・モレーに報告してきた。

 

『こ、こちらソビエツカヤ・ベロルーシヤ! ジャック・ド・モレー、聞こえるか!?』

 

「どうした?」

 

『て、敵艦隊のさらに後方から…………れっ、レーダー照射を受けています!!』

 

「なに? …………アーレイ・バーク級たちよりも後方からか?」

 

『は、はい。距離は――――――――きゅ、958000m先からです!』

 

「なっ…………!?」

 

 ブルシーロフ艦長はぞっとした。

 

 今しがたハープーンを発射した後方の艦隊よりもさらに後方に敵の艦隊が居座っていたのである。しかも、距離は958000m先。ハープーンの射程距離よりもはるかに長い。

 

 敵はそんな距離から、味方の艦をロックオンしていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁字戦法と対艦ミサイルで応戦する味方艦隊の戦いを、その後方で巨大な戦艦が見守っていた。2隻の空母と2隻の重巡洋艦を引き連れたその超弩級戦艦は、丁字戦法で敵艦隊に打撃を与えつつある”ティルピッツ”、”ルーデンドルフ”、”ファルケンハイン”の同型艦だ。

 

 しかし、同型艦であるにもかかわらず、前部甲板に搭載された兵器のせいなのか、他の3隻とは全く雰囲気が異なっていた。

 

 これでもかというほど速射砲やCIWSを搭載しているにもかかわらず、すらりとしている他のビスマルク級たちと比べると、そこに居座っている戦艦『ビスマルク』は、少しばかりがっちりし過ぎていた。

 

 前部甲板に搭載されている筈の連装砲は全て撤去されており、攻撃力は大きく低下している。この状態で味方艦隊の元へと向かい、一緒に砲撃戦を始めたとしても、足手まといにしかならないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 だからこそ、ビスマルクは後方で前部甲板の”切り札”を使うのである。

 

 第一砲塔と第二砲塔を撤去した代わりに搭載されているのは――――――――まるで列車砲に搭載されているような長大な砲身を、改造して強引に前部甲板に搭載したような巨大な砲身であった。ビスマルクの艦橋よりもやや低いほどの高さを誇る白銀の砲身は、よく見ると砲身の左右の部分が取り外されており、砲身の内部が露出しているのが分かる。

 

 そのせいなのか、脇から見れば巨大な連装砲のようにも見えた。

 

「敵戦艦、ロックオンしました」

 

 CICの座席に座っている乗組員が、巨大なモニターの前で敵艦隊の反応を睨みつけているアリアに報告する。深紅の派手なドレスを身に纏った彼女は、報告してきた乗組員に向かって頷くと、ロックオンされた哀れな敵艦を見つめて微笑んだ。

 

 本来ならば進路を変えたジャック・ド・モレーを一番最初に狙撃する予定だったのだが、敵艦隊が散開したまま直進を始めたため、前方に展開している艦隊から”はみ出した”敵艦を狙撃することになったのである。

 

「”リントヴルム”、充電開始。現在、充電率10%」

 

「警報を鳴らしなさい。甲板の乗組員を退避させて」

 

「はっ! 甲板の乗組員は、直ちに艦内に退避せよ!!」

 

 警報が甲板の上に鳴り響き、乗組員たちが大慌てで船体のハッチへと飛び込んでいくと同時に、主砲を2基も撤去した代わりに搭載された巨大な砲身が、青白い電撃を纏い始める。徐々に朝日に照らされ始めた海の中で、まるで追いやられた三日月の残光のように煌き始めた。

 

 電撃を纏う巨大な砲身の正体は――――――――ブラドの手によって搭載された、巨大な『50cmレールガン』であった。

 

 従来の主砲どころか、一般的な対艦ミサイルを凌駕する射程距離を誇る上に、ミサイルや砲弾ですら置き去りにしてしまうほどの凄まじい弾速を誇る兵器である。直撃すれば超弩級戦艦の装甲を容易く貫き、そのまま衝撃波で風穴を抉って轟沈してしまうほどの破壊力がある。

 

 その代わりに、サイズが非常に大きいため、搭載する場合は装備を取り外さなければならない上に、速度まで大きく低下してしまうという欠点があった。

 

 そのレールガン(リントヴルム)を搭載したビスマルク級で、味方の艦隊と応戦している敵艦隊を後方から狙撃し、そのまま撃滅するのが吸血鬼たちの作戦であった。最新型のアーレイ・バーク級や近代化改修型のビスマルク級は陽動だったのである。

 

「リントヴルム、充電率70%」

 

「目標、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦」

 

「充電率100%。―――――――発射準備よし」

 

 充電を終えたリントヴルムの砲身が、青白い電撃に包まれる。そのレールガンにロックオンされているのは、今しがた左右へと散開し、敵艦隊たちから”はみ出して”しまった、哀れな戦艦ソビエツカヤ・ベロルーシヤであった。

 

「―――――――発射(フォイア)」

 

 アリアが命令を下した直後、ドラゴンの名を冠した超大型レールガンが火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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怪物たちの艦隊

 

 蒼い光に包まれた1発の徹甲弾が、まるで流星のような光を放ちながら海面を抉っていく。凄まじい弾速を誇るミサイルや砲弾すら置き去りにしてしまうほどの弾速で海の上を突き抜けていく徹甲弾は、身に纏う衝撃波で海面を蹂躙しながら、それを発射した戦艦『ビスマルク』から指示された目標へと向かって突進していく。

 

 3隻のビスマルク級に置き去りにされたアーレイ・バーク級たちの側面を通過し、抉った海面に生じた波で彼らの船体を微かに揺らしながら、今度は丁字戦法で敵艦隊の旗艦『ジャック・ド・モレー』に集中攻撃をしている戦艦『ファルケンハイン』の艦尾の近くを瞬く間に通過する。まるで海底が真っ二つに裂け、そこへと水が吸い込まれているようにも見えるほどの海水の溝を刻み付けて飛翔していく砲弾をファルケンハインの見張り員が目にしたころには、その光を纏う砲弾は、標的の戦艦『ソビエツカヤ・ベロルーシヤ』を直撃していた。

 

 ジャック・ド・モレーと比べると防御力は若干劣ってしまうものの、ソビエツキー・ソユーズ級も砲弾が直撃した程度ではそれほど損害を受けないほどの堅牢さを誇る。同型艦であるソビエツカヤ・ウクライナも対艦ミサイルを喰らう羽目になったものの、未だに戦闘を継続している。

 

 だが――――――――さすがに、遠距離から放たれたレールガンの砲弾に耐えることは、不可能であった。

 

 ビスマルクに装備されたレールガン(リントヴルム)は、50cmの徹甲弾か榴弾を発射する事が可能な大型レールガンである。戦艦大和の主砲よりも大型の砲弾を、従来の対艦ミサイルを遥かに上回る遠距離から凄まじい弾速で発射することができるのだから、その破壊力は対艦ミサイルとは別格としか言いようがない。

 

 立て続けに被弾する戦艦ジャック・ド・モレーを支援するために左右へと散開したソビエツカヤ・ベロルーシヤの艦首の斜め右側へと直撃した徹甲弾が、堅牢なソビエツキー・ソユーズ級の装甲を呆気なく食い破る。その風穴を、砲弾に置き去りにされつつあった衝撃波が更に抉った頃には、砲弾は艦内の設備や機関部を蹂躙し、乗組員たちを衝撃波で木っ端微塵にしながら、艦尾の斜め左側にある装甲にも風穴を開け、反対側へと躍り出る。

 

 未だに艦内を蹂躙していた衝撃波が、最大戦速で散開したばかりのソビエツカヤ・ベロルーシヤを後方へと押し戻した頃には、滅茶苦茶にされた機関室が大爆発を引き起こし、レールガンの徹甲弾が食い破っていった風穴から巨大な火柱を吐き出す。弾薬庫もその火柱に呑み込まれてしまったらしく、巨大な主砲と対艦ミサイルのキャニスターがこれでもかというほど搭載された巨体が、瞬く間に火達磨となった。

 

 レールガンの餌食になったのはソビエツカヤ・ベロルーシヤではなかった。超弩級戦艦の装甲を貫通し、反対側から突き抜けていったにもかかわらず、まだ敵艦を蹂躙できる運動エネルギーを維持し続けていた徹甲弾は、そのソビエツカヤ・ベロルーシヤを護衛するために後方を進んでいたソヴレメンヌイ級駆逐艦『ディミトリ』の艦首を貫く。

 

 目の前で火達磨となったソビエツカヤ・ベロルーシヤのように、艦首を徹甲弾に食い破られる羽目になったディミトリの船体が、徹甲弾の衝撃波で抉られていく。装甲の表面にも亀裂が生まれた頃には艦尾に大穴が空き、爆発するディミトリを置き去りにして飛翔した徹甲弾が、今度はその後方を航行していたキーロフ級巡洋艦『ジノヴィ』へと突き刺さった。

 

 まだ進路を変更する途中だったジノヴィは、その徹甲弾を右舷に叩き込まれる羽目になった。もし進路を変更するのがもう少し遅れていたら、ジノヴィは超高速で飛来した徹甲弾に艦首を捥ぎ取られる程度で済んだだろう。しかし、まだ温存していた対艦ミサイルを叩き込むために慌てて進路を変更したせいで、轟沈する羽目になってしまう。

 

 よりにもよって、直撃した徹甲弾が、まだ温存していた対艦ミサイル『P-700グラニート』の群れを直撃したのだ。ミサイルの群れを運動エネルギーと衝撃波で叩き折り、そのミサイルたちが爆発するよりも先に反対側から飛び出していった徹甲弾は、ミサイルが一斉に爆発したことによって真っ二つになってしまったジノヴィを置き去りにし、傍らを航行していたソヴレメンヌイ級のキャニスターを捥ぎ取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さっさと砲身を冷却しろ!』

 

『電力は!? 機関室、大丈夫か!?』

 

『こちら機関室! 今の一撃で艦内の電力を90%喪失! 充電完了まであと30分!』

 

 レールガンの発射で艦内の電力を90%も失う羽目になったビスマルクのCICの中で、アリアは目の前のモニターに表示されている敵艦隊の反応を見つめながらニヤリと笑った。

 

 発射すれば艦内の電力を90%も喪失する上に、砲身の放熱や再装填を行うために、30分経過するまでレールガンの発射は不可能になってしまうとはいえ、たった1発で3隻の敵艦を轟沈することができたのは予想外であった。

 

 とはいえ、あと30分経過するまでは残った10%の電力しかないため、ビスマルクはなけなしの電力で次の充電完了まで耐えなければならない。もし今の状態で敵に奇襲されれば、傍らを航行する重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』と『プリンツ・オイゲン』の2隻に迎撃してもらうしかないのである。

 

 近代化改修を受けたとはいえ、その2隻の重巡洋艦にはイージスシステムは搭載されていないため、もし猛烈な飽和攻撃を受ければ、ミサイルを喰らう羽目になってしまうだろう。

 

 しかし、敵艦隊は河の出口のすぐ近くで丁字戦法と対艦ミサイルによる攻撃を受けており、迂闊に目の前の艦隊の側面へと回り込もうとすれば、後方のビスマルクにレールガンで狙い撃ちにされてしまう。レールガンを防ぐためには単縦陣を維持する必要があるのだが、そうすれば今度は先頭のジャック・ド・モレーが3隻のビスマルク級たちに袋叩きにされてしまう。

 

 完璧な作戦だった。

 

 このまま敵艦隊がレールガンから身を守るために単縦陣を維持すれば味方の艦隊に袋叩きにされる。もし目の前の艦隊を突破するために左右へと散開したのであれば、ビスマルクのレールガンで狙い撃ちにすればいいのだから。

 

 敵艦隊を壊滅させた後は、そのまま河を上ってタンプル搭へと接近し、敵の本拠地を艦砲射撃で蹂躙することができるのである。

 

 アリアは微笑みながら、レールガンによって撃沈された敵艦が表示されていたモニターに触れた。

 

 撃沈したのは、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦の『ソビエツカヤ・ベロルーシヤ』、ソヴレメンヌイ級駆逐艦の『ディミトリ』、キーロフ級巡洋艦の『ジノヴィ』の3隻。圧倒的な攻撃力を誇る超弩級戦艦だけでなく、まだ対艦ミサイルを温存していた―――――――アリアはミサイルを温存していた事を知らないのだ―――――――キーロフ級を撃沈することができたのは、大きな戦果と言える。

 

 これで残った敵の戦艦は7隻。その中でビスマルク級を上回る主砲を搭載しているのは4隻。戦艦たちの戦いではまだ不利と言えるが、このまま丁字戦法を続けることができれば、こちらが勝利することができる筈だ。

 

 敵艦隊はこちらの艦隊を突破することもできない上に、側面に回り込むこともできないのだから。

 

 そう思いながら、なけなしの電力で未だに動き続けているモニターの反応を見つめた。敵艦隊がそのまま後方へと下がれば、またしても狭い河の中へと逆戻りだ。そうすれば前方の艦隊を退去させ、狭い河に逃げ込んだ敵をレールガンで追撃できる。充電中は再び他の艦で河を塞ぎ、温存していたミサイルや砲弾をこれでもかというほど叩き込んでやればいい。

 

 いくらジャック・ド・モレーがこの世界で最強の戦艦とはいえ、たった1隻で3隻のビスマルク級を突破することはできないのだ。もし仮に突破しても、後方のアーレイ・バーク級が温存している対艦ミサイルの餌食になるだろう。

 

 海戦では、吸血鬼たちの方が有利であった。

 

「勝てますね、アリア様」

 

 丁字戦法とレールガンによる攻撃で敵艦隊が大損害を出したのを見て、自分たちが勝てるだろうと油断したのか、乗組員の1人がニヤリと笑いながらそう言った。

 

 あのまま撤退すれば河の中でレールガンに狙い撃ちにされるうえに、ミサイルと砲弾で集中砲火をお見舞いされる。だからと言って強引に突破すれば、温存していた対艦ミサイルで袋叩きにされてしまう。しかも敵艦隊はもう対艦ミサイルを使い果たしてしまっているのだから、ミサイルで反撃することはできない。

 

 傍から見れば、確かにテンプル騎士団艦隊は風前の灯火である。しかし、アリアはまだ自分たちが勝利できるとは思っていなかった。

 

「どうかしら?」

 

「えっ?」

 

「レリエル様が仰っていたの。『人間は執念を持つ怪物だ』って」

 

「執念を持つ…………怪物…………?」

 

「そう。だから油断してはダメよ」

 

 その”執念を持つ怪物”たちに、吸血鬼たちは何度も打ちのめされてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦艦ソビエツカヤ・ベロルーシヤ、轟沈!」

 

「駆逐艦ディミトリ、巡洋艦ジノヴィもやられました!」

 

「バカな…………何なんだ、今の攻撃は…………!?」

 

「乗組員の生き残りはいるか!? 救助用のボートを降ろしてやれ!」

 

 散開していた味方の艦が、たった一撃で3隻も轟沈したのを目の当たりにしたブルシーロフ艦長は、モニターを睨みつけながら拳を握り締めた。

 

 ソビエツキー・ソユーズ級戦艦は、テンプル騎士団が運用している超弩級戦艦である。対艦ミサイルや砲弾に耐えることができるほどの防御力を誇るのだから、たった一撃で轟沈したのは信じられなかった。しかし、モニターに表示されていた筈のソビエツカヤ・ベロルーシヤの反応は消滅しており、その後方を航行していた駆逐艦ディミトリと巡洋艦ジノヴィの反応も消失しており、たった一撃で轟沈してしまったという事を告げている。

 

「か、艦長…………」

 

「…………展開した艦隊を後方に戻せ。あの攻撃で狙い撃ちにされる」

 

「だ、了解(ダー)」

 

 今しがた攻撃を受けたソビエツカヤ・ベロルーシヤは、後方の敵のイージス艦たちが展開している範囲から”はみ出して”しまったから、そのさらに後方にいる敵の超弩級戦艦に狙い撃ちにされたのだ。ならば、敵のイージス艦たちを盾にすれば、少なくとも狙い撃ちにされることはないだろう。

 

「さっきの攻撃は、レーダーに反応はあったか?」

 

「ありません」

 

「魔力センサーは?」

 

「魔力反応は一切なし」

 

 ジャック・ド・モレーには、魔力を探知するための魔力センサーという装備が搭載されている。ヴリシアの戦いではこれで敵のゲイボルグに攻撃が命中した瞬間に、敵が魔力を使って攻撃を防いでいたことを見抜いている。

 

 それに反応がないという事は、あの攻撃は魔力を使っていないという事だ。

 

(ということは、ヴリシアに配備されていたゲイボルグの発展型ということではないのか…………)

 

 敵のイージス艦を盾にすれば、狙い撃ちにはされない。しかしこのまま単縦陣を維持すれば、目の前の3隻のビスマルク級の集中砲火を喰らい続ける上に、後方のイージス艦から対艦ミサイルで袋叩きにされるという事を意味している。

 

 退却するべきかと思ったが、後方に下がれば河の中に逆戻りしてしまう。超弩級戦艦が並走できるほどの広さがあるとはいえ、狭い河の中であの攻撃を回避するのは不可能だろう。

 

 それゆえに、退却は許されなかった。

 

『また艦首に被弾!』

 

『煙突付近に被弾! 火災発生中!』

 

『さっさと消火しろ!!』

 

『くそ、こちら第11副砲! 近くに被弾した! こっちも火災だ!』

 

「トラックナンバー088、撃墜!」

 

「第二砲塔の砲撃が、敵艦に命中!」

 

 強引に前進するべきかと思っていたブルシーロフ大佐は、その報告を聞いてモニターを凝視した。

 

 カノン・セラス・レ・ドルレアンが乗り込んでいる第二砲塔の砲撃が、ついに敵の戦艦『ルーデンドルフ』へと命中したのだ。

 

 立て続けに被弾するジャック・ド・モレーから放たれた徹甲弾は、戦艦ティルピッツの後方を進んでいたルーデンドルフの前部甲板を直撃。第二砲塔の装甲を突き破って爆発し、ジャック・ド・モレーを袋叩きにしていた戦艦にダメージを与えたのである。

 

 この攻撃で第二砲塔が使用不能になったルーデンドルフであったが、さすがに撃沈することはできなかったらしく、モニターからはまだ反応は消えていない。

 

「…………待て」

 

 敵艦隊の更に後方から飛来した一撃を思い出したブルシーロフ艦長は、ヴリシアで目にしたゲイボルグの事を思い出した。

 

 超高圧の魔力を前方へと放つゲイボルグは、発射する際に膨大な量の魔力を注入する必要がある。しかもそれを加圧しなければ発射はできないため、一発発射した後は魔力の充填と加圧をする必要がある。

 

 つまり、マシンガンのように立て続けには発射できないのだ。

 

 先ほどソビエツカヤ・ベロルーシヤを轟沈した敵の一撃も、超弩級戦艦だけでなく駆逐艦と巡洋艦まで轟沈するほどの威力と、対艦ミサイルを遥かに上回るほどの射程距離を誇っていた。魔力の反応がないという事は、タクヤたちの世界の兵器である可能性が高いが、おそらくゲイボルグと同じく立て続けに連射できる兵器である可能性は低いと言える。

 

 モニターには、味方艦隊の反応も映っている。ジャック・ド・モレーの右側へと散開した艦の中にはまだ後方へと移動し終えていない駆逐艦や巡洋艦もいるのだが、連射できる兵器なのであれば、次にその味方を狙い撃ちにしている筈である。

 

 なのに、攻撃はない。

 

(…………なるほど、連射はできないという事か)

 

 第一、連射できる兵器なのであれば、このように丁字戦法や対艦ミサイルによる攻撃でこちらの艦隊を削り取るような真似はしない筈である。

 

「すまない、また味方の艦を左右に散開させてくれないかね?」

 

「かっ、艦長! 散開すればまた狙い撃ちにされますよ?」

 

 他の乗組員たちが反論するが、ブルシーロフ艦長はニヤリと笑ったまま言った。

 

「いや、あれほど強烈な攻撃を連射できるわけがない。第一、連射できるのであればあの戦艦やイージス艦を投入せず、最初からあの装備を搭載した艦のみでこちらを片っ端から狙撃していた筈だ。なのに、こうやって他の艦も投入し、我々を封じ込めようとしているのは何を意味していると思う?」

 

「…………なるほど、次の攻撃まで時間がかかるということですね?」

 

「そういうことだ。…………その前に距離を詰めるぞ。全艦、散開した後は最大戦速。また狙い撃ちにされる前に後方の敵艦を撃沈する! 後方の空母にも艦載機の出撃を要請するんだ!」

 

 上流のダムを破壊されても艦隊が損害を受けないように、軍港内部の艦は全て出撃している。テンプル騎士団が保有するアドミラル・クズネツォフ級の『ノヴゴロド』も出撃しており、河の中で待機している状態だ。

 

 距離を詰める前にまた狙撃されても、左右に旋回していれば貫通した砲弾が後方の艦を直撃することはない筈だ。もしジャック・ド・モレーがあの攻撃を喰らって轟沈する羽目になっても、他の艦が必ず敵艦を討ち取ってくれる筈である。

 

 そう思いながら、左右に散開していく味方の艦の反応を見つめた艦長は、拳を握り締めるのだった。

 

 

 

 

 



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ラウラの血涙

 

 重々しい防壁の向こうに広がるのは、青空と草原だけが支配する開放的な世界。魔物の襲撃を防ぐための防壁に囲まれた王都は十分広いんだけど、産業革命の影響で次々に姿を現す高い建物やでっかい工場のせいで、段々と閉鎖的になりつつある。

 

 でも、この王都が閉鎖的な都市に見えてしまうのは、多分あの防壁のせいだ。ネイリンゲンが壊滅して王都に住む羽目になった時から、この街はずっと閉鎖的だったのだ。きっとフィオナちゃんが産業革命を引き起こさなかったとしても、この街の雰囲気は変わらなかっただろう。

 

 だから俺は、防壁の外で草原を眺めているのが好きだった。転生者の能力で生産した本物の銃をぶっ放すのも好きだったけど、訓練で疲れた時や魔物討伐の帰りには防壁の外で草原を眺めることも多かった。

 

 親父たちに認められて冒険者の資格さえ取れれば、俺たちも冒険者の仲間入りができる。そうしたらすぐに旅に出て、ラウラと一緒に色んなダンジョンを冒険するんだ。

 

「楽しみだね」

 

 隣で草原を眺めていた少女が、微笑みながらそう言った。

 

 同じ父親と、遺伝子的にはほぼ同じ母親から生まれた俺の大切な腹違いの姉。顔つきは俺にそっくりなんだけど、髪の色は真逆だ。深紅の羽が飾ってあるベレー帽の中から伸びる炎にもにた赤毛は、多分親父から遺伝したのだろう。

 

 普段の性格は子供っぽいんだけど、成人の女性のように大人びた容姿のラウラを見つめながら、俺も微笑んだ。

 

 彼女と一緒に旅をするのが楽しみだ。危険な魔物が徘徊するダンジョンを調査して戦果をあげれば、きっと俺たちも親父たちのように有名になれるかもしれない。

 

「ああ、楽しみだよ」

 

 暖かい風の中で、静かに彼女の柔らかい手を握る。

 

 小さい頃は甘えん坊のお姉ちゃんだと思っていた。今でも相変わらず甘えてくる困ったお姉ちゃんだけど、優しいし、頼もしい大切な俺の家族だ。だから旅に出たら、絶対に俺が守る。

 

 彼女とずっと一緒に旅をしながら、俺が彼女を守るのだ。

 

「タクヤ」

 

「どうしたの?」

 

「えへへへっ…………タクヤも立派な男の子になったよね」

 

「そうか? 相変わらず女に間違われるんだけど…………」

 

「ふにゅー…………ふふっ、女装したらもっと可愛くなるかもね♪」

 

「やめろよ!?」

 

 あのね、俺は男なんだよ!? ちゃんと〇〇〇も搭載済みなんですけど、知ってますよね!? 小さい頃から一緒にお風呂に入ってるから知ってますよね、ラウラさん!?

 

 やっぱり顔つきのせいなのかな…………? 髪を切ってもボーイッシュな美少女に勘違いされるから、もう諦めてポニーテールにしてる。小さい頃によくエリスさんにいたずらされてこの髪型にされたんだけど、この髪型だとお姉ちゃんが喜ぶからな。

 

 顔つきと髪型が原因だな、多分。

 

 家でエリスさんやラウラに女の子用の服を着せられそうになったことを思い出して苦笑いしていると、ラウラが笑いながら肩に寄り掛かってくる。暖かい風の中に彼女の甘い香りが混ざって、それ以外の全ての香りをかき消してしまった。

 

 寄り掛かっている彼女の頭を撫でながら、俺よりも少しばかり背の小さい彼女の瞳を見つめる。髪の色は正反対なんだけど、瞳の色は全く同じだ。

 

「大好きだよ、タクヤ」

 

「俺も大好きだよ、ラウラ」

 

 彼女とずっと一緒にいられれば幸せだろうな。優しい女の子だし、料理も上手だから。

 

 ラウラと一緒に旅をすることを想像し始めると、急に青空が灰色の雲に覆われ始めた。瞬く間に青空を侵食した雨雲たちは開放的だった景色を数分で台無しにすると、無数の雫を大地へと向けて解き放ち、大地を覆っていた草原を濡らし始める。

 

 最悪だ。

 

 もう少し晴れていてくれれば彼女ともっとイチャイチャできたというのに。

 

 ため息をつき、彼女から手を離しながら肩をすくめる。

 

「ラウラ、帰ろう」

 

 家に帰れば、またイチャイチャできる。今日は親父や母さんたちは仕事で、ガルちゃんも親父から引き受けた任務で出かけているから、家にいるのは俺とラウラだけだ。だから家に戻れば2人きりになれる。

 

 そう思いながら彼女の手を引こうとしたけれど、雨が降り始めたラウラは微動だにしなかった。まるでこのままこの草原に留まって、ずぶ濡れになる事を望んでいるかのように、灰色の雨雲に覆われた大空を見上げたまま動かない。

 

「ラウラ…………?」

 

「ごめんね、タクヤ…………」

 

 先ほどまでは楽しそうな声だったというのに、早くもずぶ濡れになりながらそう言ったラウラの声は、まるで大切な物を全て失って絶望したような、悲しそうな声音に変質していた。

 

 降り注ぐ雨粒の中で、彼女の深紅の瞳から涙が零れ落ちていく。空を見上げたまま突っ立っていた彼女は、雨水と涙で濡れたまま、ゆっくりとこっちを見つめる。悲しそうな声だったというのに、彼女はまだ微笑み続けていた。けれども先ほどのように幸せそうな笑みではなく、押し寄せてくる絶望に蹂躙されても、決して屈しない彼女の強靭な精神力が、無意識のうちに浮かべさせていた痛々しい微笑だった。

 

「ど、どうしたんだよ…………?」

 

「ごめんね…………。お姉ちゃん、タクヤと離れ離れになっちゃうみたい」

 

「え――――――――」

 

 離れ離れ…………?

 

 な、何を言ってるんだよ、ラウラ。どうして俺たちが離れ離れにならないといけないんだ?

 

 もう一度彼女の手を掴もうとして右手を伸ばすと同時に、何の前触れもなく、彼女の左手がぼろりと崩壊した。真っ白だった彼女の手が、まるで腐敗した死体の腕のように変色し、手首からどんどん崩れ落ちていく。

 

 ぎょっとして手を引っ込めると、ラウラは笑みを浮かべたまま目を閉じ、まだ残っている右手の白い指で涙を拭い去る。驚愕している俺を安心させようとしているのだろうか。

 

「ラウラ…………」

 

「ごめんね…………タクヤのお嫁さんになれなくなっちゃった」

 

 雨が強くなり、雷鳴が雨雲の中で産声を上げる。猛烈な光を発しながら大地へと突き刺さった雷の光が消えると同時に響き渡った轟音が、まるで空中分解を起こしてしまったかのように無数の小さな音へと枝分かれし、この世界に居座り続ける。

 

 その音は、雷鳴ではなかった。

 

 何度も聞いてきた音だ。魔物やクソ野郎を撃ち殺すときに何度も響かせた炸薬の絶叫。エジェクション・ポートから火薬の臭いを纏った空の薬莢が飛び出す度に、鼓膜を蹂躙していた銃声たち。

 

 雷鳴がいつの間にか銃声に変わっていることに気付いた途端、ラウラの瞳から流れている涙が真っ赤に変色する。鮮血のような色の瞳から零れ落ちた血涙をもう一度指先で拭い去り、白い指を真っ赤に染めながら、彼女は微笑み続ける。

 

「どうしたんだよ、ラウラ…………?」

 

「ごめんなさい…………私…………」

 

 ぼろり、と今度は彼女の左足が崩れ落ちる。片方の足を失ってしまったというのに、鮮血の涙を流し続ける彼女はそのままもう片方の足で立ち続けていた。

 

「―――――――死んじゃったの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼が開くと同時に、湿った枕と毛布の感触が全身を包み込んでいることに気付いた。まるで、やっと現実に合流できたかのように、少しずつ色んなことに気付いていく。

 

 汗の臭いで台無しになったベッドの感触や、部屋に置かれている家具の群れ。本棚の中には見覚えのあるマンガがずらりと並んでいて、その隣にある本棚には様々な言語で書かれた魔術の教本が居座っている。任務を終えて部屋で休んでいる時によくあの本棚は乱れてるんだけど、ナタリアがこの部屋を訪れる度に、「あんたは団長なんだからしっかりしなさい」と言いながら、よくあの本棚を整理してくれるのだ。

 

 しっかり者の彼女が本棚を片付けている光景を思い浮かべた瞬間、俺はここが自分の部屋だという事に気付いた。タンプル搭の地下に用意された居住区にある、他の団員たちと全く変わらない部屋。団長なのだから部屋に豪華な装飾をするべきだと団員に言われたこともあったけれど、あまり貴族が好むような派手な装飾は必要ない。俺は貴族じゃないし、立場は団員たちと同じなのだから。

 

 ベッドの隣を見てみると、やっぱりイリナが持ち込んだ棺桶が置いてあった。吸血鬼たちは棺桶の中に毛布を敷いて眠るらしい。

 

 そう言えば、どうして俺は部屋で眠っていたのだろうか? 今は吸血鬼たちの攻撃を迎え撃っている最中ではなかったのだろうか?

 

「あ、タクヤ」

 

「ナタリア…………?」

 

 ベッドで眠っていた原因を思い出そうとして足掻いていると、キッチンの方から顔を出したナタリアがこっちへとやってきた。どうやら俺が眠っている間に料理を作ろうとしていたらしく、テンプル騎士団の黒い制服の上にベージュ色のエプロンを身につけている。

 

 以前に街で買ってきた物らしく、よく料理をする時に身に纏っている。普段は制服の上にそれを身に纏っているんだけど、休日だと稀に私服の上にエプロンを身につけて料理することがあるのだ。

 

「吸血鬼たちは?」

 

「ブレスト要塞は放棄したわ。艦隊は奮戦中…………。辛うじて制空権は死守したけど、劣勢ね」

 

「そうか…………」

 

 確か、吸血鬼たちの攻撃を受けたブレスト要塞を放棄したのだ。俺やラウラたちは生き残っている兵士たちを救出しつつ、タンプル搭へと進軍しようとしている敵部隊を足止めするために出撃し、敵にある程度の損害を与えて戻ってきた。

 

 撃墜されたヘリからイリナとステラを救い出し、近くで行動不能になっていたシャール2Cを修理して、敵の戦車部隊を蹂躙しながらタンプル搭へと帰還することができたのだ。もしあの時ガングート級の艦砲射撃で支援してもらえなかったら、俺たちは戦死していたに違いない。

 

 あの時支援してくれた艦長には、しっかりとお礼を言っておかないと。

 

 あ、そうだ。そう言えばラウラはどこに行ったのだろうか?

 

「ナタリア、ラウラは――――――――」

 

 そう言った瞬間、脳味噌の中で激痛が産声を上げた。それと同時にあの夢の中で見たラウラの姿がフラッシュバックする。片手と片足が崩れ落ちて、血涙を流しながら微笑むラウラ。楽しそうに微笑んでいたというのに、彼女はどうしていきなり涙を流し始めてしまったのだろうか。

 

《私―――――――死んじゃったの》

 

「ッ!」

 

 夢の中でラウラが言った、考えたくない言葉。

 

 鯨の巨体に突き刺さる獰猛な銛のように、その言葉が脳のど真ん中に突き刺さる。

 

 確か、タンプル搭へと戻った時に、1人の兵士から教えてもらったのだ。ブレスト要塞の敵部隊を狙撃していたラウラがどうなったのかを。

 

「…………ラウラは…………死んだ……?」

 

 嘘だ。

 

 ラウラが死ぬわけがないじゃないか。彼女は狙撃の技術で親父を超えた最強の狙撃手だし、彼女に戦い方を教えたのは最強の転生者(速河力也)だ。しかも人間よりもはるかに強靭な肉体を持つキメラなんだから、簡単に死ぬわけがない。

 

 目を見開きながらナタリアの顔を見上げると、彼女は溜息をついた。

 

「ごめんなさい、心配しなくていいわ。情報が混乱してたから…………」

 

「え?」

 

「―――――――ラウラが戦死したという情報は、誤報よ」

 

「誤報…………」

 

 ということは、ラウラは無事なのか? 戦死したわけではないのか?

 

「安心して、ラウラは生きてるわ」

 

「よかった…………」

 

「まったく…………あんた、兵士から聞いた誤報を聞いて倒れたらしいわよ?」

 

「マジかよ…………」

 

 だから寝てたのか。

 

 いつもならナタリアは笑いながらそういう筈なんだけど、今は笑っていなかった。笑おうとしたように見えたけれども、彼女は相変わらず真面目な表情のままベッドの近くへと椅子を持ってくると、その上に腰を下ろし、近くに置いてあるポットを使って紅茶を淹れてくれる。

 

 普段の紅茶よりも香りが強烈だな。ヴリシア産の紅茶なのだろうか。

 

「じゃあ、ラウラも無事に帰還できたんだな?」

 

「…………いえ」

 

 問いかけると、ティーカップを傍らに置こうとしていたナタリアの手が一瞬だけ止まった。

 

「…………負傷してるのか?」

 

「ええ…………吸血鬼の兵士にやられたみたい。味方の狙撃兵が救出して連れ戻してくれたんだけど…………。多分、医務室にいるわ」

 

 ラウラが、やられた…………?

 

 紅茶を飲んでいる場合ではない。俺は大慌てでベッドから飛び出すと、紅茶を淹れてくれたナタリアに「ありがとう。ちょっと医務室に行ってくる」と言ってから、手の甲で額に残っている汗を拭い去りながら医務室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界には、便利な魔術が普及している。

 

 例えば魔物に爪で切り裂かれたり、弓矢が突き刺さっても、治療魔術を使えばあっという間に傷口を塞ぐことができる。それに産業革命の際により高性能な回復アイテムの”ヒーリング・エリクサー”が発明された―――――――正確には、産業革命以前からモリガンの傭兵たちが愛用していたものを販売し始めた―――――――ため、冒険者や騎士団の生存率は飛躍的に向上した。

 

 しかし、どんな傷口でも塞いでしまうとはいえ、あくまでもそう言った魔術や回復アイテムは傷口を”塞ぐ”だけであり、片腕や片足を失った場合は、その失った手足を再び”生やす”のは不可能なのである。

 

 魔術は便利だが、対応できない傷もあるため、テンプル騎士団では念のために医務室を設置している。とはいえ、今までにそこへと送られる羽目になったのは、ヴリシアの戦いで手足を失った兵士たちだけだ。それ以外の兵士たちは治療魔術師(ヒーラー)に治療してもらうか、回復アイテムを使って自力で治療することができるのである。

 

 つまり、ラウラがそこに送られているという事は、少なくとも回復アイテムや治療魔術師(ヒーラー)では対処できない重傷を負ってしまったという事だ。

 

 大急ぎでエレベーターに乗り、ボタンを押しながら夢の中で泣いていたラウラの姿を思い出す。

 

 利き手である左腕と、左足が崩れ落ちてしまったラウラ。まさかあの夢の中に出てきたラウラは、吸血鬼にやられて重傷を負ってしまったラウラなのではないだろうか。

 

 戦死したという誤報は、重傷を負っていた彼女を死体だと勘違いした兵士が原因なのかもしれない。

 

 地下4階に辿り着いた瞬間に、エレベーターから飛び出す。回復アイテムが行き渡らなかったのか、頭や胸板に包帯を巻いた負傷兵たちが通路の壁の近くに座って呻き声を上げていた。彼らの傍らでは白衣に身を包んだ女性の団員が大急ぎで調合したエリクサーを支給したり、水を欲しがっている兵士たちに水を配っている。

 

 彼女たちの邪魔をしないように気を付けながら、医務室の前に立つ。ドアをノックしようとすると、白衣に身を包んだ男性の治療魔術師(ヒーラー)に声をかけられた。

 

「同志団長、お疲れ様です」

 

「お疲れ様。…………ラウラは?」

 

「はい、同志ラウラは部屋の中にいらっしゃいます」

 

「容体はどうなんですか?」

 

 問いかけると、彼はかけていたメガネを外してから答えた。

 

「命に別状はありませんが…………彼女を復帰させるのは、不可能かと」

 

「…………入っても大丈夫ですか? 彼女に会いたいんです」

 

「ええ…………どうぞ」

 

 復帰させるのは不可能だと…………?

 

 やっぱりあの夢の中に出てきたラウラは、重傷を負ったラウラだったのか…………!

 

 深呼吸してから、俺は医務室のドアを開けた。

 

 ドアを開けた瞬間、エリクサーの調合に使うための薬草の香りが鼻孔を支配する。医務室の中は前世の世界の病院にそっくりで、真っ白なベッドが純白のカーテンたちに囲まれていた。戦闘で手足を失った兵士たちが既に数名運び込まれているらしく、カーテンの向こうからは兵士たちの呻き声が聞こえてくる。

 

 猛烈な薬草の香りの中に、彼女の匂いは紛れ込んでいないだろうか。石鹸と花の香りを混ぜ合わせたような甘い彼女の香りはちゃんと覚えている。だから少しでもその匂いがすれば、彼女がどのベッドで眠っているのか分かる筈だ。

 

 彼女よりも発達した嗅覚をフル稼働させながら、俺はラウラの匂いを探した。やがて、血の臭いが混じっていたけれど、彼女の甘い香りが鼻孔へと流れ込んでくる。

 

 こっちだ。彼女は奥のベッドにいる。

 

 俺の後についてきた男性の治療魔術師(ヒーラー)は、俺が彼女のベッドの位置を突き止めたことに驚いているようだった。自分が案内するつもりだったのだろうか。

 

「ラウラ?」

 

『た、タクヤ…………?』

 

 やっぱり、このベッドだ。

 

 息を呑んでから、そっとカーテンを手で掴む。

 

 夢の中に出てきた状態のラウラではありませんようにと祈りながら、ゆっくりとカーテンを開ける。

 

 けれども――――――――カーテンの向こうで、ベッドに横になりながら目を見開いてこっちを見ていたのは、夢の中に出てきた状態のラウラだった。

 

 

 



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退役とヒント

 

 真っ白なカーテンを開けた瞬間、猛烈な薬草の臭いが鼻孔の中へと流れ込んできた。彼女の甘い香りをかき消してしまうほど濃密な臭いを嗅ぐ羽目になってしまったけれど、顔をしかめずに、その向こうにいるラウラの身体を凝視する。

 

 いつもの黒い服ではなく、負傷した兵士のために用意された白い服に身を包んだラウラは、純白のベッドの上に横になっていた。

 

 毛布が支給されている筈なんだけれど、彼女はその毛布を使っていなかった。支給するために毛布を持ってきてくれた衛生兵が、ベッドの上に置いた時のままの状態になっている。

 

 それゆえに、彼女の負った傷がはっきりと分かってしまった。

 

 いつも俺の頭を撫でてくれた右腕はいつも通りだ。けれどもその反対側にある左腕がある筈の袖には”中身”が入っておらず、まるでマフラーのような状態になっている。中身のない袖は肘よりもやや上の辺りから膨らんでいて、そのまま真っ白な包帯が覗く彼女の肩へと続いていた。

 

 彼女の足も、同じ状態なのだろうか。ぞくりとしながら少しずつ足の方を見ようとしたけれど、まるで目が見たくないと言わんばかりに硬直しているような気がしてしまう。

 

 けれども俺は、強引に彼女の左足を凝視した。

 

 純白のズボンの中身も、同じ状態だった。左足の太腿の辺りまではしっかりと膨らんでいるのに、そこから下の中身が唐突に消失してしまっていて、左腕と同じく真っ白なマフラーと化している。

 

 ―――――――ラウラの左腕と左足が、ない。

 

 もし気を失っている間に、ラウラが血涙を流しているあの夢を見ていなければ、きっと俺はここでも気を失ってぶっ倒れていた事だろう。最愛の姉の利き手と左足がなくなってしまったのだから。

 

「…………」

 

 中身がなくなってしまった袖へと手を伸ばし、持ち上げる。当たり前だけれど、中身が入っていないせいで袖は軽い。幼かった頃、よく母さんやエリスさんが畳み終えた洗濯物を自分たちの部屋のタンスへとラウラと競争しながら運んだことがあった。まるでその時に手にしていた洗濯物のように、あまりにも軽すぎる。

 

 そのまま彼女の顔を見ると、ラウラは微笑んでいた。

 

「ごめんね…………怪我しちゃった」

 

「怪我…………」

 

「でも大丈夫だよ。ちょっと時間はかかっちゃうけれど、すぐに義手と義足を付けて復帰するから」

 

 ショックじゃないのか、お前は。

 

 自分の利き手と足が、なくなってしまったというのに。

 

 もう一度彼女のなくなってしまった左足を見た途端、同じように左足を失った親父の姿がフラッシュバックした。ジョシュアに身体を乗っ取られるよりも先に、その左足を俺に切断させた親父も足を切られた瞬間に絶叫していた。

 

 もし俺もヘリからの狙撃ではなく、彼女と一緒にヘリから降下して狙撃していたのならば、ラウラはこんな目に遭わずに済んだのではないだろうか。

 

「…………同志」

 

「はい、団長」

 

 すぐ近くにいた男性の治療魔術師(ヒーラー)に声をかけながら、彼の顔を見つめる。

 

「…………俺の腕と足を、ラウラに移植できないだろうか」

 

「…………何を言ってるのですか、団長。そんなことをしたら、今度はあなたが戦えなくなりますよ」

 

「構わない。俺とラウラの父親は同じ男だし、母親も遺伝子的にはほぼ同じ人間だ。移植なら問題はない筈だ」

 

 父親はリキヤ・ハヤカワ。ラウラの母親はエリスさんで、俺の母親はエリスさんの遺伝子をベースにして生み出されたホムンクルス(クローン)なのだ。魔剣を埋め込むために多少調整されているとは言え、遺伝子的にはほぼ同じなのである。

 

 だから移植はできる筈だ。

 

 俺は立てなくなっても構わない。彼女が再び歩けるようになるのであれば。

 

「”部品”ならここにある。ちょっと長いかもしれないが…………」

 

「団長、落ち着いてください。…………この戦いが終わってからならば、手配すれば義手と義足は用意できます。あなたが手足を失う必要はないんですよ」

 

 治療魔術師(ヒーラー)と話をしていると、俺の左手を真っ白な手が掴んだ。びっくりして腕を掴んでいる手を見てみると、ベッドに横になっていたラウラが身体を起こして、俺の腕を右腕でぎゅっと握っていた。

 

「タクヤは”部品”なんかじゃないよ」

 

「でも…………」

 

「それに、腕と足がなくなるのってとっても痛いんだよ? …………お姉ちゃんは大丈夫だから」

 

 微笑みながらラウラはそう言ったけれど、よく見ると彼女の頬は少しばかり濡れていた。

 

 手足を失った人間を苦しめるのは、激痛だけではないのだ。

 

「…………分かった。ラウラ、俺は指令室に戻るよ」

 

「うん、頑張ってね」

 

 ベッドの上の彼女とキスをしてから、治療魔術師(ヒーラー)に「彼女を頼む」と言い残し、俺は踵を返す。重症を負った他の兵士――――――――ブレスト要塞の生き残りだろう――――――――の呻き声を聞きながら、医務室を後にする。

 

 彼女の手足を奪ったのは、誰なのだろうか。

 

 兵士たちの呻き声と共にラウラの甘い香りが医務室のドアのせいで遮られた瞬間、彼女が重傷を負う羽目になった元凶への憎悪が産声を上げる。

 

 最愛の姉が利き手と足を失った悲しみを瞬く間に喰らい尽くして成長した憎悪が、頭と心の中を侵食し始める。

 

 もし生きているなら――――――――惨殺してやりたい。

 

「――――――よう、同志」

 

 エレベーターのボタンを押そうとしていると、通路の向こうからケーターがやってきた。通常の部隊やスペツナズとはデザインが違うシュタージの制服に身を包んだ彼は、手に数枚の書類を持っている。これから指令室に報告に行くところなのだろうか。

 

 ゆっくりと上から降りてきたエレベーターに一緒に乗り、ボタンを押して指令室を目指す。扉が閉まってエレベーターが動き出すと同時に、壁に寄り掛かっていたケーターは手にしていた書類の中から2枚の紙を俺へと差し出した。

 

「ブレスト要塞に、スペツナズから借りた吸血鬼の兵士を潜伏させておいた」

 

「承認した覚えがないな」

 

「ああ、お前が気絶している間にやらせてもらった」

 

「…………申し訳ない」

 

 情けないな…………。

 

 そう思いながら、彼から渡された紙を見下ろす。どうやらこの紙にはオルトバルカ語ではなくヴリシア語で書かれているらしい。シュタージが用意したものではないようだ。

 

《鮮血の魔女、ついに戦死! 我らの優秀な狙撃手によってついに討伐される!》

 

「…………鮮血の魔女?」

 

「ラウラの事だ。あいつらはラウラの事をかなり恐れていたようだな」

 

 まだ死んでいないという事を知ったら、彼らは再び震え上がってくれるだろうか。

 

 そう思いながら、ドイツ語にそっくりなヴリシア語で書かれたそのポスターのようなものを読み進めていく。ラウラの手足を奪った狙撃手の名前が書かれていたのであれば、探し出して惨殺してやろうと思っていたんだが、その狙撃手と思われる兵士の名前は一切書かれていない。ラウラが戦死したのだからテンプル騎士団は弱体化したと書かれており、兵士たちの士気を上げるために用意されたポスターだという事が分かる。

 

「兵士たちには知られてないな?」

 

「ああ。知られたらこっちの兵士の士気が下がっちまう」

 

「…………よし、兵士たちにはラウラがまだ生きている事を伝えろ」

 

「それで、ラウラはどうする?」

 

「え?」

 

「利き手と片足がないんだ。…………義手と義足を手配しても、リハビリには時間がかかる。彼女のためにも退役させるべきでは?」

 

「退役…………」

 

 エレベーターが指令室のある階へと到着し、チャイムを奏でる。扉が開く音も聞こえてきたけれど、すぐに降りようとは思えなかった。

 

 ラウラを…………退役させる…………?

 

 確かに、利き手と片足を失った状態で義手と義足を移植すれば、リハビリさえ終われば復帰はできるだろう。しかし、この世界の技術で失う以前の状態の手足と全く感覚が同じ義手と義足を生み出すことは不可能だ。絶対に差異が生まれるし、その感覚の違いが足枷になる事もある。

 

 下手をすれば、その感覚の違いが原因で再び危険な目に遭ってしまうかもしれないのだ。

 

 それを防ぐためにも、ラウラを退役させるべきなのかもしれない。

 

 彼女を失えばテンプル騎士団は大打撃を被るし、士気も今度こそ一気に下がるだろう。

 

「…………考えておく」

 

「分かった」

 

「それで、敵はどうなってる?」

 

「陥落させたブレスト要塞を橋頭保にし、タンプル搭攻撃の準備を整えつつある。だが、あいつらも予想以上の損害を被っているらしいからな。タンプル搭への攻撃は、おそらく三日後の夜になる」

 

 少なくとも、昼間に進軍するのはありえないだろう。吸血鬼たちの弱点の1つは日光なのだが、その弱点に対する耐性には個人差があるのだ。少しでも日光を浴びれば消滅してしまう吸血鬼もいるし、日光を浴びても身体能力が下がったり、再生速度が遅くなる程度で済む吸血鬼もいる。

 

 昼間に進撃するという事は、その耐性のない吸血鬼たちを切り捨てることを意味している。ただでさえ兵力がこちらの兵力を下回っているのだから、1人でも多くの兵士を作戦に参加させるために夜に進撃するのは想像に難くない。

 

 その間にこっちも最終防衛ラインを準備することができるだろう。すでに各地にある前哨基地から部隊が合流しつつあり、各拠点に配備していた虎の子のシャール2Cたちもタンプル搭へと集合している。激戦から生還したピカルディーも修理が完了しつつあるため、今度の戦闘では増産予定の2両も投入する予定だ。

 

 合計で12両のシャール2Cが佇んでいれば、吸血鬼共も震え上がるだろう。

 

 だが、その前に手を打たなければならないこともある。

 

 まず、ブレスト要塞を一撃で陥落寸前まで追い詰めた敵の攻撃だ。相変わらずその攻撃の正体は不明だが、次の攻撃でその兵器がタンプル搭の攻略に投入されるのは想像に難くない。ブレスト要塞の二の舞にならないためにも、奴らが体勢を整えている間に、少なくともそれを潰しておく必要がある。

 

 それに、その攻撃の前にラウラの復讐もしておかなければ。

 

 できるならばラウラの手足を奪った狙撃手の情報収集をシュタージに依頼したいところだが、彼らも敵の戦力の情報収集で手一杯だ。そういう個人的な依頼をするのは慎まなければならない。

 

「投入予定の増産したシャール2Cは?」

 

「11号車『ジャンヌ・ダルク』はいつでも投入できる。12号車『ジル・ド・レ』はまだ調整中だ。半日くらいすれば投入できるだろう」

 

「防衛線には間に合いそうだな」

 

「ああ。…………あんなのが12両も待ち構えてたら、絶対吸血鬼共は震え上がるぞ」

 

 おかげで持ってたポイントが結構減っちまったけどな。

 

 メニュー画面を開いて残ったポイントの量を確認した俺は、苦笑いしながら指令室の扉を開けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラウラ」

 

「あっ、タクヤ。お疲れ様」

 

 手足を失っているというのに、彼女はカーテンを開けた俺を微笑みながら見つめてくれた。俺も微笑みながら傍らの椅子に座り、彼女のために用意された食事の乗ったトレイを小さなテーブルの上に置く。

 

 今日の夕食は、ライ麦パンとサラダとアイントプフ。デザートのヨーグルトもある。

 

 ライ麦パンを小さく千切ってからトレイの上に置くと、ラウラは「ありがとね」とお礼を言ってから、ライ麦パンを口へと運んだ。

 

「ラウラ、その…………」

 

「どうしたの?」

 

「…………俺さ………ラウラを退役させるべきなんじゃないかって思ってるんだ」

 

「え…………」

 

 美味しそうにライ麦パンを食べていたラウラが、ぴたりと止まる。

 

 退役するという事は、もう二度と俺と一緒に戦えないという事だ。つまりこの戦いでテンプル騎士団が勝利した後に、一緒にメサイアの天秤を消しに行くこともできなくなるという事を意味している。

 

 冒険者になる前に、一緒に旅をしようと誓ったというのに、もう旅ができなくなってしまうのだ。

 

「………ラウラを失いたくないんだよ」

 

「…………」

 

「嫌なんだ、1人になるのは…………。だから、もうラウラを危険な目に遭わせたくない」

 

 個人的な理由だ。テンプル騎士団の戦力が下がってしまうと言っていれば、もう少し合理的な理由になっていただろうか。

 

「…………そんなの嫌だよ」

 

 唇を噛み締めていると、食べようとしていたパンをトレイの上に置いた彼女は首を横に振った。

 

「約束したでしょ。一緒に旅をしようって」

 

「…………」

 

「義手と義足さえあればお姉ちゃんは大丈夫だから…………………置いて行かないでよ」

 

 どうすればいいのだろうか。

 

 彼女のために義手と義足を手配し、リハビリを終えた彼女を再び前線へと送るべきなのか。そうすればラウラは納得してくれるかもしれないけれど、再び彼女を危険な目に遭わせてしまう。もしかしたら、今度こそ彼女は戦死してしまうかもしれない。

 

 強引に退役させれば、彼女を死なせることはない。けれども彼女は間違いなく猛反発するだろう。

 

 どちらを選べばいい?

 

 俺はどうすればいいのだろうか。

 

 拳を握り締めていると、ラウラが俺の手を右手で思い切り掴んだ。

 

「お願い、置いて行かないで…………1人になるのは嫌なの…………お願い、タクヤ…………!」

 

「ラウラ…………」

 

「1人にしないで…………ッ! お願い…………!!」

 

 そのまま抱き着いてきた彼女を、優しく抱きしめる。彼女が顔を押し付けている制服の胸板の部分に、暖かい彼女の涙が染み込んでいくのが分かる。

 

 どうすればいいのか、分からない。

 

 気が付いたら、俺も涙を流していた。

 

 すぐに涙を拭い去り、彼女が泣き止むまで抱きしめ続ける。

 

 俺だってラウラを1人にはしたくない。けれども、ラウラを死なせたくもない。

 

 もし手足を失う羽目になったのが俺だったのならば、退役しろと言われたら納得していただろう。そのまま車いすに座って生活する羽目になっていたかもしれない。

 

「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 

 尻尾を使って自分のリボンを取りながら、まだ泣き続けている彼女に囁いた。

 

「俺はいつでもお姉ちゃんと一緒にいるからね」

 

「タクヤ…………」

 

 彼女が死なないように、全力で守ればいい。

 

 俺の手足が千切れてもいい。その代わりに、ラウラは絶対に守る。

 

「義手と義足は手配しておくよ。リハビリにもちゃんと付き合うから」

 

「うん…………ありがと」

 

 絶対に退役はさせないし、死なせない。

 

 彼女を抱きしめながら、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの上で眠るラウラの枕元に、自分のリボンを置く。21年前のネイリンゲンで18歳になった俺のために、ラウラがプレゼントしてくれた大切なリボン。俺の髪の色に合わせてくれたらしく、真っ黒なリボンには蒼いラインが入っている。

 

 俺にとっては、お守りだ。

 

 それを彼女の枕元に置き、近くの椅子の上に置いてあるラウラのカーキ色の服をそっと拾い上げる。

 

 彼女が身につけていた、テンプル騎士団の制服だ。ブレスト要塞で敵兵を狙撃する際に身につけていたカーキ色の軍服を拾い上げた俺は、その匂いを嗅ぎ始めた。

 

 ラウラの手足を奪った敵の匂いが、もしかしたら残っているかもしれない。とはいえ彼女の手足を奪ったのは狙撃手だ。接近戦でも繰り広げていない限り、匂いがつくことはないだろう。

 

 けれども、ヒントが必要だった。彼女の復讐をするためには。

 

 残っているのはラウラの甘い匂いと彼女の汗の匂い。それ以外の臭いは猛烈な火薬の臭いだが、彼女よりも発達した俺の嗅覚が、その匂いたちよりもはるかに薄い別の匂いをすぐに捉えた。

 

 この匂いは…………?

 

「紅茶…………?」

 

 ヴリシア産の紅茶だ。匂いが強烈であるため、中にはこれを香水代わりにする貴族もいるという。狙撃手部隊の中には出撃の直前にヴリシア産の紅茶を飲んでいた者はいなかったため、明らかにこれは彼女の手足を奪った敵の臭いだろう。だが、あいつらはヴリシア産の紅茶をよく飲んでいるという。

 

 別の匂いはないか…………?

 

 襟の部分の匂いを嗅いだ瞬間、別の匂いが鼻孔の中へと流れ込んできた。

 

 相変わらずヴリシア産の紅茶の匂いがしたけれど、その紅茶の匂いと共に彼女の手足を奪った敵兵の体臭もまだ残っている。

 

「…………見つけたぞ」

 

 ラウラの手足を奪った敵兵の匂いは、ちゃんと刻み付けた。

 

 あとはこの匂いを辿るだけでいい。

 

 彼女の服を再び畳み、椅子の上に置く。

 

「待っててね、お姉ちゃん」

 

 手足を奪った敵を、惨殺してくるから。

 

 眠っている彼女の額にそっとキスをしてから、踵を返して医務室を後にする。

 

 おそらく、彼女の手足を奪った敵兵はブレスト要塞にいるだろう。要塞を警備している敵兵の規模は不明だが、単独で潜入してその敵兵を暗殺するのはかなり困難だろう。

 

 敵をおびき出す必要がある。

 

 討伐した筈の”鮮血の魔女”が再び戦線に復帰したという事を教えてやれば、必ずその狙撃手が派遣される筈だ。

 

「…………殺してやる」

 

 絶対に殺してやる。

 

 どんなに濃いモザイクでも修正しきれないくらい、無残に殺してやる…………!

 

 

 

 



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タクヤの報復

 

 次の獲物を狙おうとして照準を合わせたその時、私はぞくりとした。

 

 誰かに狙われているという事を理解してその場から離れようと思った頃には、ゲパードM1のグリップを握っていた左腕をいきなり突き飛ばされたような感触がして、顔や肩に暖かいものがぶちまけられていた。

 

『…………!?』

 

 私はメスのキメラだから、硬化する速度ではオスのキメラであるタクヤに大きく劣ってしまう。

 

 キメラの能力は、体内にある魔物の遺伝子によって大きく左右される。私の場合は体内にメスのサラマンダーの遺伝子があるから、その能力や習性が反映されている。

 

 メスのサラマンダーは、卵や子供たちを巣の中でひたすら温め続ける必要があるから、耐熱性が極めて高くて堅牢な外殻は邪魔になってしまう。だから、メスのサラマンダーの身体は熱を伝えやすくて柔らかい鱗に覆われている。子供たちの世話をすることに特化した身体になってるの。

 

 だからメスや子供たちを外敵から守るのは、強靭な身体を持つオスのサラマンダー。

 

 それゆえに、私は外殻を降下させる速度がタクヤよりも遅いし、防御力も劣っている。もし仮に今の攻撃をもっと早く察知できたとしても、防御するのは不可能だったかもしれない。

 

 右手をエリクサーの瓶があるホルダーへと伸ばしながら、私は傷口を確認しようとした。銃弾で撃ち抜かれた程度ならすぐに治療できるから、エリクサーを飲んでから素早く復帰できる。けれども重傷を負っていたのであれば、一旦後ろに下がるべきなのかもしれない。

 

 伏せたまま後方に下がりつつ、エリクサーを飲む前に右手で傷口を抑えるために左腕に触れようとした瞬間、私は違和感を感じた。

 

 本当なら左腕がある筈の場所へと右手を伸ばしている筈なのに、自分の左腕らしきものが見当たらないのだから。

 

『え?』

 

 ぞっとしながら、左腕を見下ろす。

 

 左腕が動かない原因は激痛だと思ったんだけど、別の原因だった。

 

 真っ赤に染まった左腕の袖と、その血まみれになった袖の中から覗く肉と骨。断面からは鮮血が流れ落ちていて、灰色の砂を真っ赤に染めている。

 

 あれ? 私の左腕は?

 

『あ――――――――』

 

 ちらりと後方を見てみると、私のゲパードM1が転がっていた。

 

 タクヤにお願いして、23mm弾を発射できるように改造してもらった愛用のアンチマテリアルライフルのグリップにしがみついているのは、カーキ色の迷彩服の袖を纏った、”誰か”の真っ白な左腕。

 

 多分、仲間の中で左腕を見失ったのは自分だけだと思う。それに、あんなに口径の大きなライフルを使っているのも自分だけだ。つまりその左腕は――――――――いきなりなくなった、私の左腕という事を意味している。

 

 後ろに転がっているのが自分の左腕だという事を理解した瞬間、私は絶叫したくなった。

 

 敵の攻撃で、自分の片腕が捥ぎ取られてしまったのだから。

 

 タクヤを両手で抱きしめてあげることができなくなった。あの子は抱きしめられると喜んでくれたのに。

 

 どうしよう…………。

 

『ッ!』

 

 左腕の断面を右手で押さえながら、後方へと下がる。無線で味方に負傷したことを告げるべきだろうかと思っていたその時、ブレスト要塞の防壁の上から、誰かが飛び降りたのが見えた。

 

 吸血鬼なのかもしれないけれど、身に纏っているのはオリーブグリーンの軍服ではなく、白いフリルがたくさんついたメイド服。それを身に纏っているのは私たちと同い年くらいの銀髪の女の子で、両手にはスコープのついたスナイパーライフルを持っているのが分かる。

 

 あのメイド服を着てる子も、敵なのかな?

 

 そう思いながら右手を傷口から離し、ホルスターの中に納まっているCz75SP-01を引き抜く。

 

 次の瞬間、こっちに向かって走ってくるその子が放ったスナイパーライフルの銃弾が、すぐ近くの砂を直撃した。彼女がボルトハンドルを引いている隙にトリガーを何度か引き、接近してくるメイド服を着た吸血鬼を牽制する。

 

 けれども彼女は飛来する9mm弾の群れを躱しながら、私に向かって接近してきた。

 

 立て続けにトリガーを引くけれど、その吸血鬼の少女には全く命中しない。立ち上がって逃げようと思ったけれど、立った瞬間に敵の戦車の機銃で蜂の巣にされてしまう恐れがある。

 

 しかも左腕を失った激痛のせいなのか、氷属性の魔力の調整が上手くできない。氷の粒子を使って姿を消すには正確に魔力の量や圧力を調整しなければならないから、調整が上手くできないという事は、姿が消せないという事を意味していた。

 

 Cz75SP-01のスライドが動かなくなる。排出された最後の薬莢が砂の上に落下するよりも先に再装填しようと思った私は、左手を予備のマガジンへと伸ばそうとしたけれど、数十秒前に左腕は捥ぎ取られてしまっている。舌打ちをしながら尻尾を伸ばして予備のマガジンを掴み取ったけれど、それをハンドガンに装着しようと思った頃には、目の前にやってきていた吸血鬼の少女に右手の指もろともCz75SP-01を蹴り上げられていた。

 

『きゃあっ―――――――!』

 

『あらあら、片腕に当たったのね』

 

 ヴリシア語ではなくオルトバルカ語でそう言った少女は、片腕を失った状態で応戦しようとしていた私を見下ろしながら、ニヤニヤと笑っていた。

 

『無様じゃないの、”魔女”』

 

『ま…………魔女…………?』

 

『ふん…………』

 

 スナイパーライフルを持ち上げ、銃口を私へと向ける吸血鬼。呻き声を上げている私を見下ろしていた彼女は、私に向けていた銃口を唐突に足へと向けたかと思うと――――――――ぎょっとした私の顔を見て楽しそうに笑い、トリガーを引いた。

 

 銃声が轟くと同時に、鮮血と肉片が飛び散る。ぶつん、と左足の太腿が千切れ飛ぶ音が聞こえてきたかと思うと、その音が聞こえてきた位置が何かに押し潰されたような感覚がして、またしても激痛が産声を上げた。

 

 肉片と鮮血を吹き出しながら飛び散っていくのは、カーキ色のズボンの一部を纏った左足。

 

『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

 

『あはははははははははっ! これでもう立てないわよねぇ!?』

 

『あっ………あぁ…………やだ………やだ…………あぁぁ…………ッ!』

 

 どうしよう…………!?

 

 冒険が終わったら、タクヤは私の事をお嫁さんにしてくれるって言ってたのに。

 

 片手と片足が無かったら、タクヤに嫌われちゃうかもしれない………!

 

 あの子の傍にいられなくなってしまう………!

 

 右手を左足の断面へと伸ばして傷口を押さえようと思ったけれど、その吸血鬼の少女はそれを許してくれないらしく、手を伸ばそうとした私のお腹を思い切り蹴りつけた。呻き声を上げてお腹を押さえている私の胸倉を思い切り掴んだ吸血鬼の少女が、苦しんでいる私に向かって囁く。

 

『本当に無様ね、鮮血の魔女。…………そういえば、貴女には弟がいるんでしょう?』

 

『…………!』

 

『安心しなさい。ちゃんと彼も殺すから』

 

『や、やめ………て…………! あ、あの………子…………だけは…………!』

 

 タクヤだけは、殺さないで。

 

 そう思いながら彼女を睨みつけたけれど、キメラを憎んでいる吸血鬼の少女がタクヤを殺さないわけがない。ニヤニヤと笑っている彼女は私の胸倉から手を離して砂の上に叩きつけると、もう一度お腹を蹴りつけてから、スナイパーライフルのボルトハンドルを轢いて薬莢を排出した。

 

 ごめんなさい、タクヤ。

 

 タクヤのお嫁さんになりたかったなぁ…………。

 

 私に向けられたスナイパーライフルの銃口を見つめながら、最愛の弟の事を思い出した次の瞬間、その吸血鬼の少女の顔のすぐ近くを、1発の弾丸が掠めた。

 

 片腕と片足を失い、凄まじい脚力で蹴りつけられて肋骨が折れているというのに、今しがた彼女のすぐ近くを掠めた弾丸が何から放たれた代物なのかはすぐに分かった。

 

 テンプル騎士団の狙撃兵たちが愛用している、ロシア製ボルトアクション式スナイパーライフルのSV-98から放たれた、.338ラプア・マグナム弾。中には旧式のモシン・ナガンの弾薬を.338ラプア・マグナム弾に変更して使い続けている兵士もいるけれど、多分この弾丸を放ったのはSV-98だと思う。

 

 凄まじい出血と激痛のせいで身体が動かなくなりつつあるというのに、何で視力だけは変わらないのかな…………。

 

『くそ、外した!』

 

『何やってんだ! くそ、教官が…………!!』

 

『同志ラウラを守れ! 撃ちまくるんだ!!』

 

 他の狙撃兵たちが、私を助けに来てくれたみたい。

 

 助かったけれど、片腕と片足がなくなっちゃった…………。タクヤが見たら、ショックを受けちゃうかな…………?

 

『アリーシャ様、後退してください!』

 

『…………了解(ヤヴォール)。鮮血の魔女は仕留めたわ』

 

『魔女を…………!? さすがです、アリーシャ様。ブラド様も喜ぶでしょう』

 

 スナイパーライフルを肩に担ぎ、砂の上に倒れている私を見下ろしてから去っていく吸血鬼の少女を睨みつけているうちに、狙撃兵たちの足音が聞こえてきた。

 

 ごめんね、タクヤ。

 

 腕と足がなくなっちゃった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ベッドの上で目を覚ました私は、息を吐きながら身体を起こした。

 

 腕と足を失った時の夢を見てたみたい。

 

 近くに置いてあるタオルを右手で掴み、額の汗を拭い去る。ブレスト要塞の生存者たちが運び込まれた医務室の中は静かになっていて、周囲のカーテンの中からは負傷兵たちの寝息が聞こえてくる。治療魔術師(ヒーラー)たちがちゃんと治療してくれたみたいで、もう呻き声は聞こえてこない。

 

 安心しながら再び横になると、枕元に黒と蒼のリボンが置かれていることに気付いた。

 

「あれ…………?」

 

 これ、タクヤのリボン…………?

 

 近くにある小さなテーブルの上のランタンに灯りを付けてよく見てみる。真っ黒なリボンの真ん中に蒼いラインが入っているのが特徴的なリボンで、石鹸と花の香りを混ぜたような甘い香りがする。

 

 やっぱり、タクヤのリボンだ。

 

 21年前のネイリンゲンに行った時に、18歳の誕生日に買ってあげたリボンだと思う。彼の髪の色に合わせるために蒼いラインの入ったリボンをプレゼントしてからは、あの子はずっとそのリボンを髪に結んでポニーテールにしていた。

 

 どうしてこれが置いてあるのかな?

 

「タクヤ…………」

 

 枕元に置かれていたそのリボンを握り締めながら、最愛の弟の事を考え始める。

 

 あの子は、まだ戦っているんだろうか。

 

 もし私が腕と足を失っていなければ、あの子と一緒に戦うことができたのに。

 

「…………」

 

 力になれなくて、ごめんなさい。

 

 彼のリボンにキスをしてから、私はもう一度眠ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武器庫の中にあった長大なライフルを拾い上げ、それに装填する弾丸が入ったマガジンを次々に腰のホルダーの中へと放り込んでいく。スコープやバイポットを素早く点検してからそれを背中に背負い、別の武器を選び始める。

 

 今しがた背中に背負ったのは、フランス製ボルトアクション式アンチマテリアルライフルの『ヘカートⅡ』だ。セミオートマチック式の銃と比べると連射速度が劣ってしまうものの、高い命中精度と圧倒的な破壊力を兼ね備えた優秀なライフルである。

 

 使用する弾薬は、アメリカの『バレットM82A3』などに使用されている12.7×99mmNATO弾。極めて高い破壊力を持つ、獰猛な弾丸だ。

 

 狙撃にはこのヘカートⅡを使おう。優秀なアンチマテリアルライフルだけど、さすがにこれとサイドアームのハンドガンだけで出撃するわけにはいかないので、メインアームをもう1つ用意しなければならない。幸いキメラの筋力は強靭だし、俺は転生者のステータスによって身体能力が更に強化されているのだから、重装備でも素早く動くのは朝飯前だ。

 

 というわけで、2つ目のメインアームも選ぶことにした。武器庫の中にはずらりと東側の武器が並んでいるけれど、中には西側の武器も含まれている。

 

 壁に掛けられているアサルトライフルの中からある代物を拾い上げた俺は、メニュー画面を開いてそれを少しばかりカスタムすることにした。

 

 今しがたメインアームに選んだのは、ヘカートⅡと同じくフランス製の『FA-MAS』だ。でっかいキャリングハンドルが特徴的なブルパップ式のアサルトライフルで、M16やM4と同じく口径の小さい5.56mm弾を使用する。連射速度の速さと命中精度の高さが特徴的な銃である。

 

 ちなみに、転生してから初めて転生者を始末した時は、このFA-MASの改良型である『FA-MASfelin』と呼ばれるモデルにお世話になっている。

 

 ブレスト要塞の生存者たちが敵から鹵獲した武器を調べてもらったんだが、この春季攻勢に参加している敵の歩兵の大半がXM8を装備しているようだった。しかも使用弾薬は、屈強なオークやハーフエルフの兵士を確実に倒すためなのか、口径の大きな6.8mm弾を使用しているという。

 

 これから単独でラウラの手足を奪った敵兵に復讐しに行くのだから、場合によっては敵兵から弾薬を奪うことになるだろう。そのため、敵の弾薬を使えるようにここで少しばかり改造していくつもりだ。  

 

 まず、使用する弾薬を6.8mm弾に変更。マガジンもXM8と同じものに変更し、敵兵から奪ったマガジンを使用できるようにしておく。とはいえ敵兵の弾丸は銀の弾丸ではないため、吸血鬼に撃ち込んでも殺すことはできない。

 

 けれども吸血鬼たちにも痛覚がある。苦痛を与える際に役に立ってくれる筈だ。

 

 キャリングハンドルの上にはオープンタイプのドットサイトを装着し、キャリングハンドルの脇にはレーザーサイトも装備。銃身の下には、ロシア製グレネードランチャーの『GP-25』を装備しておく。

 

 サイドアームはサプレッサーとライト付きのPL-14だ。近距離用の得物は、以前に使っていた『テルミット・ナイフ』を2本ほど装備することにした。

 

 服装はいつもの転生者ハンターのコートである。

 

 カスタマイズしたFA-MASを腰の後ろに下げ、武器庫を後にする。ここで装備を身につけた兵士たちがすぐに出撃できるように、武器庫は地下にある格納庫のすぐ近くに設置されているのだ。そのためバイクで出撃する偵察部隊や装甲車に乗り込む歩兵部隊は、装備を整えてから迅速に出撃することができるというわけである。

 

 格納庫へと続くドアを開け、ずらりと並んでいるバイクの列へと向かう。ウクライナ製バイクの『KMZドニエプル』の上に腰を下ろし、エンジンをかけようとしたその時だった。

 

「夜中にドライブに行くつもりか?」

 

「ケーターか」

 

 手を止めながら後ろを振り向くと、シュタージの制服に身を包んだケーターが装甲車の近くに立っていた。俺を止めに来たのだろうか。

 

「ラウラの仇を取りに行くつもりなんだろ?」

 

「止めるつもりか?」

 

「そうしようと思ったんだが…………多分、俺じゃ止められない。だから少しばかりサポートしてやる」

 

「なに?」

 

 サポート?

 

 バイクに乗ったまま目を細めると、装甲車に寄り掛かっていたケーターはポケットの中から何かを取り出し、こっちに放り投げてきた。

 

「小型無線機…………?」

 

「ブレスト要塞から逃げてきた兵士が敵兵から鹵獲したらしい。それを使えば、敵の作戦が分かる筈だ」

 

「ありがとよ」

 

 ヴリシア語は幼い頃に勉強したから、この敵の無線機から聞こえてくる言葉は理解できるだろう。それに、場合によっては俺がこれを使って敵に嘘の情報を流すこともできるかもしれない。

 

 敵兵をおびき出すのには最適だな。

 

「…………支援してほしかったら連絡しろ。1機くらいはヘリを派遣してやる」

 

「いいのかよ?」

 

「クランに怒られると思うがな」

 

 肩をすくめながらケーターはそう言うと、近くにあるスイッチを押し、格納庫のシャッターを開けてくれた。真っ黒に塗装されたシャッターがゆっくりと上に上がっていき、段々と暗くなっていく砂漠を駆け抜けてきた冷たい風を格納庫の中に迎え入れ始める。

 

「――――――行け、同志」

 

「ありがとう、同志」

 

 俺はケーターに礼を言ってから、バイクのエンジンをかけた。

                              

 

 

 

 

 

 



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報復のために

 

 もう既に最終防衛ラインで敵を迎撃する準備は始まっているため、タンプル搭は予想以上に静かだった。巨大な要塞砲の足元を走り回っていた戦車や装甲車たちも見当たらない。いつも通りに仕事をしているのは、タンプル搭の外に出るための検問所にいる警備兵たちだけだろう。

 

 バイクで警備兵に近づき、顔を見せてから冒険者のバッジを提示して、ゲートを開けるように頼むと、俺と同い年くらいのエルフ――――――――同い年くらいとはいえ、多分年上だろう――――――――の兵士はすぐにゲートを開けてくれた。

 

 2つ目の検問所も同じようにして通過し、愛車であるKMZドニエプルで冷たい風が支配する砂漠へと躍り出ていく。灰色の砂で埋め尽くされた大地をライトで照らし、敵が終結しているブレスト要塞の方向へと全速力で進んでいく。

 

 バイクを走らせながら、左手を突き出してメニュー画面を出現させる。装備している兵器の中からKMZドニエプルを選択し、出現した項目の中にある”カスタマイズ”をタッチすると、様々な装備が画面に表示され始めた。

 

 装甲を搭載することもできるみたいだが、装甲は装備しなくてもいいだろう。画面を下へと進めていき、サイドカーをタッチして装備。続けて別の装備も搭載することにする。

 

 テンプル騎士団の偵察部隊はバイクを使っているのだが、中にはこのKMZドニエプルのサイドカーにとんでもない代物を搭載したものを使っている兵士たちもいる。

 

 カスタマイズを終えてメニュー画面を閉じてから隣を見てみると、いつの間にかバイクの隣に漆黒のサイドカーが搭載されていた。けれども俺は、そのサイドカーに仲間を乗せるためにサイドカーを用意したわけではない。敵を攻撃するための装備を搭載するために、このサイドカーをカスタマイズで用意したのだ。

 

 がっちりしたサイドカーの上には、仲間を乗せるための座席ではなく、まるで戦車砲を砲塔から取り外してそのまま小型化したような、がっちりとした砲身が鎮座していた。一般的なロケットランチャーを少しばかり太くして砲身を伸ばしたような重火器にはちゃんと照準器も搭載されており、サイドカーの座席があった場所やサイドカー本体の側面には、それに装填するための予備の砲弾が入ったホルダーが搭載されている。

 

 サイドカーに搭載されたのは、『SPG-9』と呼ばれるソ連製の無反動砲だった。73mmの砲弾を発射可能な兵器であり、凄まじい破壊力を誇る代物である。

 

 テンプル騎士団に所属する偵察部隊の中には、バイクのサイドカーに機銃ではなくこれを搭載したものを使っている隊員もおり、偵察の最中に巨大な魔物と遭遇した際にはこれの支援砲撃で味方を援護し、遭遇した魔物を片っ端から撃破したという。

 

 バイクのサイドカーに搭載したまま砲撃ができるが、使うにはバイクを停車させてから降り、サイドカーに搭載されているこの無反動砲を運転手が操作する必要がある。

 

 余談だけど、スクーターに無反動砲を搭載した『ベスパ150TAP』と呼ばれる兵器をフランス軍が採用していたことがある。

 

 無反動砲を搭載したサイドカーを追加したせいで速度は落ちてしまったけれど、このままでも問題はないだろう。

 

 バイクでブレスト要塞に向かえば、常に最高速度で突っ走っていたのであれば4時間くらいかかる。けれども俺の目的はたった1人でブレスト要塞を攻撃する事ではないし、このままサイドカーに無反動砲を搭載したKMZドニエプルで要塞に突っ込むつもりはない。

 

 いくら転生者でも、現代兵器で武装した吸血鬼の兵士たちを何人も相手にすれば、瞬く間に殺されるのが関の山なのだから。

 

 俺の標的は、あくまでもラウラの手足を奪った狙撃手。あいつを抹殺する必要がある。

 

 大切な姉の手足を奪った狙撃手を許すわけにはいかないし、ラウラに弾丸を命中させられるほどの技術を持っているという事は、間違いなく優秀な狙撃手という事になる。最終防衛ラインでの防衛戦にそいつを参加させれば、地上部隊が大損害を被る羽目になるのは想像に難くない。

 

 だから、今のうちに排除しておく必要があった。

 

 けれども、その狙撃手がいるのは十中八九ブレスト要塞の中。俺が突っ込めば確実に姿を現すだろうが、そいつの狙撃を回避しながら吸血鬼の兵士たちと戦うわけにはいかない。

 

 ケーターから渡された吸血鬼たちの小型無線機を取り出し、右側の耳に装着する。スイッチを入れてから深呼吸し、敵に発見されないようにライトを消してから、タンプル搭で考えた作戦を確認する。

 

 一番望ましいのは、その狙撃手だけをおびき出すことだ。しかし要塞に攻撃を仕掛ければ、敵の歩兵部隊まで一緒におびき出すことになってしまう。

 

「…………」

 

 一旦ブレーキをかけ、ポーチの中に入っている地図を確認する。偵察部隊の兵士たちが作ってくれた地図には、オアシスや魔物の出現しやすい地点がしっかりと書かれていた。ブレスト要塞とタンプル搭の間には特にオアシスや岩山は存在しないのだが、少しばかり南西へと進むと、大昔に壊滅した廃村があるのだ。

 

 周囲には魔物もいないし、その廃村には風車や家の廃墟がまだ残っているという。それなりに広いらしいので、罠を仕掛けて待ち伏せするには最高の場所と言える。

 

 そこで待ち伏せする予定だが、その前に狙撃手をおびき出さなければならない。

 

『こちらチャーリー2。周辺に敵部隊がいる様子はない』

 

『了解(ヤヴォール)、そのまま偵察を続けろ』

 

『了解(ヤヴォール)』

 

「…………」

 

 いきなり、敵の無線機からヴリシア語で話す吸血鬼の兵士たちの声が聞こえてきた。吸血鬼たちは攻勢の準備が整うまで要塞の中で待機するつもりらしいが、その間に襲撃を受けないように偵察部隊を派遣しているようだ。

 

 もし移動中に敵と遭遇しなかったら、この無反動砲を要塞にぶち込んで強引におびき出そうと思ってたんだが、砲弾を使わずに済みそうだ。

 

 首に下げていた双眼鏡を覗き込み、砂漠の向こうに敵がいないかを確認する。先ほど通信していた偵察部隊は予想以上に俺の近くにいるらしく、砂漠の向こうからはエンジンの音が聞こえてくる。おそらく、双眼鏡でも確認できる筈だ。

 

 エンジンの音が聞こえてくる方向へと双眼鏡を向けてみると―――――――ライトが見えた。

 

「見つけたぞ」

 

 装甲車と歩兵を派遣しているのではないかと思ったが、どうやら敵はアメリカ製のハンヴィーを偵察に派遣していたらしい。灰色に塗装された車体の上にはブローニングM2重機関銃が搭載されていて、ハッチから身を乗り出した兵士が機関銃の点検をしているのが見える。

 

 走っているのはハンヴィーが1両のみ。車内に歩兵が乗っているが、少人数だろう。奇襲をかければ敵に連絡される前に殲滅できるかもしれない。

 

「…………」

 

 バイクのエンジンを止め、降りてからすぐにサイドカーへと向かう。搭載されているSPG-9を旋回させつつ、砲身の後部を開けて水銀榴弾を装填。後部を閉じたのを確認してから照準器を覗き込み、照準を走行中のハンヴィーへと向ける。

 

 距離はおそらく300mほどだ。スナイパーライフルどころかマークスマンライフルでも狙撃できる距離である。幼少の頃から何度も魔物を狙撃してきたのだから、命中させられる筈だ。

 

 念のため、テンプル騎士団で運用している無反動砲の砲身の上には照準用のスポット・ライフルが搭載されているが、それを使う必要はないだろう。

 

「―――――――Пока(あばよ)」

 

 トリガーを引いた瞬間、装填されていた対吸血鬼用の水銀榴弾が、猛烈な炎と衝撃波を纏いながら砲身の中から躍り出た。

 

 少しばかり炸薬の量を減らして水銀を内蔵しているため、爆発の破壊力は従来の砲弾と比べると劣っているものの、爆発の衝撃波によって押し出された水銀は凄まじい殺傷力の斬撃と化して周囲の敵兵を両断してしまう上に吸血鬼の弱点であるため、吸血鬼たちを始末するには非常に有効なのである。

 

 炎を纏いながら飛んで行く砲弾と無反動砲のバックブラストに気付いたのか、ハンヴィーの速度が上がり、ハッチから身を乗り出していた兵士がブローニングM2をこちらへと向けたのが見える。けれどもその銃身から12.7mm弾が飛び出すよりも先に、灰色の砂で覆われた大地の上で、1つの爆発と轟音が産声を上げることになった。

 

 増速したハンヴィーの左側にある後輪の近くに着弾した水銀榴弾は、強烈な運動エネルギーを纏ったまま貫通して地面に突き刺さったかと思うと、そこで起爆し、人間の兵士を容易くバラバラにしてしまう衝撃波と水銀たちをハンヴィーの下部へと叩きつけることになった。がっちりしたハンヴィーの車体が爆風と水銀の猛攻で浮いたかと思うと、猛スピードで離脱しようとしていたハンヴィーは後部から火を噴きながらゆっくりと速度を落とし、砂漠の真っ只中で動かなくなってしまう。

 

 おそらく、後部座席とハッチから身を乗り出していた兵士は、水銀の斬撃と爆風で木っ端微塵になっている事だろう。運転席と助手席にいた兵士は辛うじて生きているかもしれないが、致命傷を負う羽目になったのは明らかだ。

 

 念のためもう1発無反動砲に水銀榴弾を装填し、後部を閉じてから再びバイクに乗る。エンジンをかけて燃え上がるハンヴィーの側へと向かい、バイクから降りると同時にホルスターからPL-14を引き抜く。

 

 ハンドガンの下部に装着しているライトをつけて車内を照らしてみると、やはり後部座席に乗っていた兵士は死亡していた。燃え上がるハンヴィーの中で火炙りにされていたのは、水銀の斬撃で首から上を捥ぎ取られた死体だ。その隣に座っている兵士の死体は斬撃で腹を引き裂かれたらしく、腸も一緒に火炙りにされ、段々と真っ黒になりつつある。

 

 運転席の兵士も斬撃で頭を抉られたらしく、鼻から上が見当たらなかった。取り残された中途半端な頭蓋骨や脳味噌をあらわにしながら、ハンドルを握ったまま動かない。

 

 全員死んだか…………?

 

 助手席のドアを強引に開けてみると、助手席に座っていた兵士も死亡していたのが見えた。ドアに寄り掛かっていた兵士の上半身がハンヴィーの外へと転がり落ちたかと思うと、取り残された死体の下半身もぐらりとゆれ、燃え上がるハンヴィーの外へと躍り出る。

 

 俺と同い年くらいの兵士だった。吸血鬼は人間よりもはるかに寿命が長いから、もしかしたら俺よりも年上だったのかもしれない。

 

「…………」

 

 耳に装着していた無線機のスイッチを入れる。あいつらが偵察に派遣していた兵士たちはさっきの一撃で全滅したが、敵の狙撃手をおびき出すためには小細工をしなければならない。

 

 体内の魔力の圧力を調整しつつ、音響魔術を発動させる準備をする。

 

 音響魔術はあらゆる”音”を操る魔術だ。ノエルの母親であるミラさんが得意としている魔術であり、喉を潰されたせいで声が出なくなった彼女は、この魔術で喉が潰れる前の自分の肉声を再現して話しているという。

 

 だからミラさんが話している時は、彼女の口は動いていない。

 

 一時的に廃れそうになった魔術だが、ミラさんが普及させたことにより、世界中で重宝されている。

 

 あらゆる音を操ることができるので、その気になれば他人の声を再現することも可能だ。

 

 魔術を使うには体内の魔力を別の属性に変換する必要がある。この音響魔術も使用する前には別の属性に変換させる必要があるのだ。まず魔力を属性に変換し、その属性を更に音声に変換してから使用するという仕組みになっている。

 

 使用することができる音声は、属性によって変わる。例えば雷属性ならば高い女性の声になり、土属性ならば低い男性の声になる。魔力を加圧すれば音が高くなり、逆に減圧すれば低くなるという特徴があるため、微調整は魔力の圧力を調整して行うのだ。

 

 俺の体内にあるのは炎属性と雷属性。今回は炎属性を使うとしよう。

 

「あー…………これくらいかな?」

 

 先ほど通信していた敵兵の声は覚えている。多分、助手席に乗っていたこの兵士だろう。

 

 炎属性の魔力で音響魔術を使用すると”それなりに高い男性の声”になる。ほんの少し減圧して話せば、この兵士の声を再現できる筈だ。

 

「…………CP(コマンドポスト)、応答せよ。こちらチャーリー2」

 

『どうした?』

 

「たった今、赤毛の狙撃手と遭遇した」

 

『赤毛の狙撃手だと…………!? まさか、鮮血の魔女か!?』

 

「分からん。アリーシャ様が仕留めた筈だが…………生きていたのかもしれん」

 

『バカな…………』

 

「辛うじて撃退したが、2名戦死した…………。魔女らしき狙撃手は南西の廃村へと向けて逃走中」

 

『了解(ヤヴォール)、こちらも装甲車と随伴歩兵を派遣する。廃村の近くで彼らと合流し、魔女を討伐せよ』

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 くそったれ、装甲車か。ラウラの手足を奪った狙撃手はまだ派遣してくれないらしい。

 

 でも、その廃村でそいつらを殲滅すれば、敵は仕留めた筈の”鮮血の魔女”が最前線に戻ったと勘違いするだろう。そうすれば、魔女を討伐するためにその狙撃手を派遣するに違いない。

 

 吸血鬼たちは攻勢のための準備中だ。最終防衛ラインではなく、南西の廃村に逃げ込んだ鮮血の魔女を討伐するために大規模な部隊を派遣する余裕はないだろう。だからこの装甲車と随伴歩兵たちでも討伐できなければ、ラウラを討伐した狙撃手を派遣せざるを得なくなる。

 

「…………いいだろう」

 

 狙撃手の前に、敵兵たちを地獄に落としてやろうじゃないか…………!

 

 足元に転がっている若い吸血鬼が身につけていた水筒を拾い上げ、蓋を開けて中身を確認する。紅茶でも入っているのだろうかと思ったが、中に入っていたのは紅茶ではなく、彼らの主食()だった。

 

 静かにフードを外し、自分の蒼い髪を見つめる。リボンをラウラの枕元に置いてきたから、今の俺の髪型はポニーテールではない。

 

 ラウラは赤毛だから、このまま狙撃すれば偽物だと思われちまうな。敵兵を皆殺しにする前に赤く染めないと。

 

 ため息をついてから、俺は血の入った水筒の中身を自分の髪に塗り始めた。

 

 

 

 



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三日月の下の殺意

 

 星空と灰色の砂に覆われた大地の真っ只中に、古い建物の群れが佇んでいた。遠くから見れば小さな村のようにも見えるが、砂漠越えをしようとしている冒険者や旅人たちがそこで休むために近づいて行けば、きっと距離が近くなるにつれて失望することになるだろう。

 

 その村は人々が済んでいる村ではなく、大昔に壊滅した廃村なのだから。

 

 カルガニスタンはフランセン共和国の植民地にされており、各地に騎士団の駐屯地が建設されているが、カルガニスタンの砂漠が広すぎるせいで各地にある村を守り切ることは難しいため、実質的に騎士団が守っているのは彼らにとって重要な街だけとなっており、それ以外の村や小さな町は切り捨てられている状態だ。

 

 魔物が襲撃していても、騎士団は小さな村を助けるために騎士たちを派遣してくれなかったのである。

 

 その廃村のすぐ近くに停車した装甲車の兵員室から降りた吸血鬼の兵士たちは、周辺に魔物がいないか確認してから、目の前に佇んでいる廃村を見渡した。

 

 あまり大きくはない村だったらしく、家畜のために建てられた牛舎や住民たちが済んでいた小さな家が何軒かあり、村の中心にはちょっとした塔のような建物が鎮座しているのが分かる。上部には魔物が攻め込んできた時に鳴らす警鐘が設置されており、錆び付いた状態で廃村を見下ろし続けていた。

 

「チャーリー2はどこだ?」

 

 傍らに停車している『M1126ストライカーICV』のハッチから顔を出した車長が、傍らでXM8を構えて警戒している兵士に尋ねた。

 

 この廃村に派遣されたのは、アメリカ製装甲車の『M1126ストライカーICV』1両と『M1128ストライカーMGS』1両。その2両の装甲車を護衛するのは、合計で8名の随伴歩兵たちである。

 

 『M1126ストライカーICV』は、M2ブラッドレーなどの他の装甲車と比べると武装が少ないものの、あくまでも武装した歩兵たちを乗せて移動する事が目的である。搭載されている武装は12.7mm弾を発射するブローニングM2重機関銃で、車体の上部に搭載された『M151プロテクター』と呼ばれるターレットに搭載されている。

 

 その前に鎮座しているのは、まるでM1126ストライカーICV』からターレットを取り外し、その代わりに大型の戦車砲を車体の上に搭載したような形状の車両であった。

 

 歩兵たちを降ろしたばかりのM1126ストライカーICVの前に居座っているのは、同じくアメリカ軍が採用している『M1128ストライカーMGS』と呼ばれる車両である。こちらには随伴歩兵たちを乗せることはできないものの、搭載されているのは圧倒的な破壊力を誇る105mm戦車砲であり、歩兵たちを乗せることが可能なM1126ストライカーICVよりも攻撃力が遥かに向上している。

 

 彼らが派遣された理由は、鮮血の魔女と思われる狙撃手がこの廃村へと逃げ込んだためであった。

 

 吸血鬼たちに”鮮血の魔女”と呼ばれている赤毛の狙撃手は、ヴリシアの戦いで大きな戦果をあげた狙撃手である。テンプル騎士団に所属する狙撃手であり、ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントで行われた第二次転生者戦争では、大口径の対物(アンチマテリアル)ライフルで何人もの兵士を葬った挙句、単独でマウスを撃破している。

 

 しかし、ブレスト要塞を襲撃した際に、吸血鬼たちの狙撃手であるアリーシャが鮮血の魔女の討伐しており、占拠したばかりのブレスト要塞に襲撃を仕掛けてきたテンプル騎士団を撃退することに成功しているのだ。

 

(どういうことなんだ? 見間違えか?)

 

 もし鮮血の魔女が生きていたのであれば、タンプル搭への攻撃の際に部隊が大損害を被るのは想像に難くない。それゆえに、随伴歩兵と2両の装甲車が魔女の討伐のためにこの廃村へと送り込まれたのである。

 

 その魔女を目撃した偵察部隊と合流することになっていたのだが、廃村の周囲に偵察部隊がいる様子はない。車内へと戻りながら、M1126ストライカーICVの車長は顔をしかめた。

 

「チャーリー2、応答せよ。こちらゴルフ1-2」

 

『…………』

 

(まさか、もう魔女にやられたのか…………)

 

 彼らが到着するよりも先に、廃村へと逃げ込んだ魔女によって反撃された可能性は高い。規模は小さいとはいえ、それなりに遮蔽物のあるこの廃村は、狙撃用の得物を愛用する鮮血の魔女にとってはまさに”狩り場”とも言える場所だ。

 

 しかも偵察部隊は、交戦した際に5名のうち2名も戦死してしまっている。たった3人だけならば、遮蔽物に隠れながら狙撃するだけで容易く殲滅できるだろう。

 

 先頭にいるM1128ストライカーMGSに前進するように指示を出そうとしたその時だった。

 

『こっ、こちらチャーリー2! 聞こえるか!?』

 

「こちらゴルフ1-2。どうした?」

 

『まっ、魔女だ! 廃村の中の魔女に狙われ――――――』

 

『くそっ! こちらチャーリー3! 分隊長が戦死した!』

 

「くそったれ、もう戦闘が始まってんのかよ!」

 

 車外からは、確かに銃声が聞こえてくる。アサルトライフルと思われる銃のフルオート射撃の銃声が、住人や家畜たちが済んでいた白いレンガの建物や牛舎の向こうから轟いてくるのを確認した車長は、歯を食いしばってから命令を下した。

 

「ゴルフ1-3、前進だ! チャーリー隊を救出し、魔女を討ち取るぞッ!」

 

『了解(ヤヴォール)! おい、キャニスター弾の準備をしておけ!』

 

『了解(ヤヴォール)!!』

 

 目の前に居座っていたM1128ストライカーMGSがゆっくりと動き出し、車体の上に乗せている砲塔が旋回し始めると同時に、周囲にいる随伴歩兵たちも走り始めた。

 

 建物の向こうでマズルフラッシュが産声を上げ、立て続けに銃声が響き渡る。遮蔽物の影にいる魔女に向かってフルオート射撃をお見舞いしているのだろうか。

 

 すると、そのフルオート射撃の銃声よりもはるかに大きな銃声が、必死に戦い続けていた兵士たちの銃声を呑み込んだ。その銃声が残響へと変わり始める頃には応戦し続けていたフルオート射撃の銃声が減っており、マズルフラッシュの数も見えなくなってしまう。

 

 今しがた轟いた大きな銃声と、消えていく味方の銃声。

 

 応戦していた味方が、無慈悲で残虐な魔女の狙撃によって散ったのは想像に難くない。

 

 味方が全滅する前に攻撃を始めようとしたのか、目の前を走るM1128ストライカーMGSが急に増速する。家畜の小屋を囲んでいた木製の策を強引に薙ぎ倒し、置き去りにされていた鍬やスコップを重厚なタイヤで踏みつぶしながら、廃村の中にある広場へと進んでいく。

 

 車長も機銃で攻撃できるように、近くのモニターへと手を伸ばす。車体の上に乗っているターレットを旋回させるためにモニターをタッチすると、先ほどの銃声や大きな銃声とは比べ物にならないほどの轟音が、すぐ目の前で産声を上げた。

 

 ぎょっとしながらモニターを睨みつけると、レティクルが表示されていた筈のモニターの向こうを進んでいた筈のM1128ストライカーMGSが火達磨になっていた。炎に包まれた車体のハッチからは、車体と同じように火達磨になった乗組員たちが、絶叫しながら外へと飛び出してくる。

 

「何だ!? 味方がやられたぞ!?」

 

「砲撃か!?」

 

『いえ、砲撃ではありません! …………くそ、地雷です! 地面に大穴が…………!』

 

 いつの間にか、火達磨になったM1128ストライカーMGSの”足元”に大穴が開いていた。

 

 そこに対戦車用の地雷が設置してあったのだ。それを踏みつけてしまったせいで地雷が起爆し、M1128ストライカーMGSの車体の底を猛烈な爆風と衝撃波が突き破ったのである。しかも地雷を3枚ほど重ねて設置していたらしく、車体の底を突き破った爆風によって車体の天井にも風穴が開いているのが見えた。

 

 装甲車どころか、戦車でも耐えられないだろう。

 

 車内の砲弾や燃料に引火し、残骸と化したM1128ストライカーMGSの装甲が更に爆発で抉られていく。

 

「地雷…………ッ!」

 

 迂闊に村に入ろうとすれば、今しがた撃破されたM1128ストライカーMGSの乗組員たちと同じ運命を辿ることになるのが関の山である。だからと言ってこのまま停車していれば、村へと突撃していく歩兵たちを機銃で支援することができなくなってしまう。

 

 唇を噛み締めながら、地雷を踏みつけないように祈りつつ突撃するべきだろうかと車長が考えていると、火達磨になった味方の吸血鬼の腕を掴んで後方へと引きずっていた兵士の上半身が、何の前触れもなく飛び散った。

 

『は?』

 

『ぼ、ボリスがやられたッ! 敵の狙撃手だ!』

 

『くそったれ、散開しろ! 遮蔽物の影――――――――』

 

『軍曹ッ! くそ、軍曹も撃たれた!』

 

 遮蔽物の影へと飛び込んだ兵士たちが、XM8を乱射し始める。生き残ったM1126ストライカーICVの車長もターレットを旋回させて狙撃手を探そうとしたが、モニターの向こうに狙撃手は見当たらない。崩れかけのレンガの壁や、錆び付いた警鐘が鎮座する中央の塔へと12.7mm弾を撃ち込んだが、無意味だと言わんばかりに全く別の角度から飛来した1発の銃弾が、また1人の随伴歩兵の脇腹を食い千切った。

 

 血まみれの肋骨とぐちゃぐちゃになった内臓を地面の上にばら撒きながら、若い歩兵が血を吐きながら崩れ落ちていく。

 

 通常の弾丸であるならば再生はできるが、もし銀の弾丸を喰らう羽目になれば、耐性のある吸血鬼でない限り再生することはできない。再生能力という便利な能力で希釈していた”死”が、吸血鬼たちに牙を剥くことになるのである。

 

『くそ、どこにいる!?』

 

『敵の居場所が分からん…………ッ! ゴルフ1-2、分かったか!?』

 

「いや、何も見えん…………ッ!」

 

『くそ――――――――うわっ』

 

『アンドレイッ!!』

 

 敵の狙撃手が使っているライフルのマズルフラッシュすら見えない。

 

 このままでは、敵の狙撃手を発見する前に随伴歩兵が全員やられてしまうことになるのは火を見るよりも明らかであった。装甲車や戦車は歩兵のように小回りが利かないため、随伴歩兵たちに護衛してもらう必要がある。

 

 もしこのまま随伴歩兵が狙撃で殲滅されてしまえば、敵が対戦車用のロケットランチャーやC4爆弾を持っていれば容易く撃破されてしまう。

 

 村の入り口に対戦車地雷があったという事は、この廃村にいる鮮血の魔女はまだ爆発物を持っている可能性が高い。しかもその鮮血の魔女は、吸血鬼に匹敵するほどの高い身体能力を持つ”キメラ”である。彼らの瞬発力ならば、その気になればブローニングM2重機関銃のフルオート射撃を回避しながら強引に肉薄し、C4爆弾で装甲車を容易く吹っ飛ばしてしまうだろう。

 

 まだ随伴歩兵は残っているが、これ以上魔女を探そうとすれば随伴歩兵に被害が出てしまう。

 

 その時、モニターに映っている村の中心の塔に、人影が見えた。

 

(なんだ…………?)

 

 魔物たちが襲撃してきた際に鳴らす警鐘のすぐ近くで、長大な対物ライフルを左手に持ったまま佇む人影の頭からは、まるで鮮血を思わせる赤い頭髪が伸びていた。短いマントのついた漆黒のコートを身に纏っているが、胸元が膨らんでいるため女性であることが分かる。

 

 彼女の腰の後ろからは鱗に覆われた尻尾が伸びており、赤毛の中からは、まるでダガーの刀身のような形状の角が2本も伸びている。

 

 三日月へと向かって伸びている塔の上部に佇んでいるその女性は、必死にXM8を乱射する兵士たちを見下ろしながら、嗤っていた。

 

「あ、あいつが…………せっ、鮮血の………魔女…………ッ!」

 

 すぐにターレットを塔の上の魔女へと向けたが、それよりも先に左手のライフル――――――――フランス製のヘカートⅡだ――――――――を構えた”魔女”がトリガーを引き、彼女が塔の上にいる事に気付いた随伴歩兵の頭を正確に砕いた。

 

 残った随伴歩兵は、3名のみである。

 

 応戦したとしても、魔女はすぐに別の遮蔽物に隠れてしまうだろう。もしM1128ストライカーMGSが無事だったのならば砲撃で建物を破壊し、強引に攻撃することができたのだが、生き残った兵士たちやM1126ストライカーICVには建物を破壊できる武装は搭載されていない。

 

 当たり前だが、魔女が遮蔽物に隠れて狙撃を再開すれば、また彼女を探さなければならなくなる。その最中に随伴歩兵が魔女に狙撃されて死んでいく羽目になるのは、想像に難くない。

 

「少尉、どうします!?」

 

「…………撤退だ。勝ち目がない」

 

「りょ、了解です…………ッ! 各員、すぐに乗れ! 離脱するぞ!!」

 

 生き残った随伴歩兵の1人が腰からスモーク・グレネードを取り出し、安全ピンを引き抜いてから投擲する。それから溢れ出した白煙が風に吹き飛ばされる前に遮蔽物の影から飛び出し、M1126ストライカーICVの兵員室へと飛び込んでいく。

 

 兵員室のハッチが閉じたのを確認してから、車長は「よし、後退!」と操縦士に命令を下し、モニターを睨みつけた。

 

 冷たい風が村を包み込み、スモーク・グレネードが生み出した白煙を吹き飛ばしていく。

 

 その向こうに鎮座する塔の上には、まだ”鮮血の魔女”が佇んでいた。

 

 後退していく吸血鬼たちを見下ろし、嗤いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します、ブラド様」

 

「よく来たな」

 

 ブレスト要塞の防壁の内側に用意された大きなテントの中で待っていたのは、オリーブグリーンの軍服に身を包んだブラドだった。

 

 戦闘機で出撃し、航空隊を支援するために一旦後方で待機している空母『クレマンソー』へと戻っていたブラドは、制圧が終わったブレスト要塞のテントの中でタンプル搭の周囲の地図を眺めながら、彼のメイドでもあるアリーシャを待っていた。

 

「鮮血の魔女を討ち取ったのか」

 

「ええ、大したことはありませんでした」

 

「そうか…………」

 

 アリーシャは無表情のままブラドに報告したが、無意識のうちに胸を張っていた。

 

 吸血鬼の兵士たちが恐れていた鮮血の魔女を、彼女1人で討伐することに成功したのである。これでテンプル騎士団の戦力を一気に削ることができただけでなく、敵兵の士気を下げることもできた事だろう。

 

 しかし、吸血鬼たちにとっては怨敵ともいえるキメラを討ち取ったにもかかわらず、ブラドは全く喜んでいない。

 

「…………先ほど、タンプル搭の南西にある廃村へ派遣した部隊が、お前が討ち取った筈の魔女にやられたそうだ」

 

「……………………あり得ません、ブラド様」

 

 ブレスト要塞の外で、アリーシャはラウラの片腕と片足を捥ぎ取ったのである。いくら傷口を塞ぐことができるエリクサーがあるとはいえ、片腕と片足を失った狙撃手が最前線に戻って来れるわけがない。大急ぎで義手と義足を移植したとしても、リハビリには1ヶ月もかかる。

 

「あの忌々しいキメラは確かに私が討ち取りました。生きているわけがありません」

 

「…………アリーシャ、その魔女の死体は?」

 

「そ、それは…………………!」

 

 死体は、確認していない。

 

 片腕と片足を捥ぎ取り、彼女の腹を蹴りつけて肋骨を折った直後に他の狙撃手に襲撃され、撤退する羽目になったのである。死体を確認できる余裕は全くなかった。

 

 しかし、鮮血の魔女には片腕と片足が無い筈だ。復帰できるわけがない。

 

 アリーシャは反論しようとしたが、ブラドに睨みつけられていることに気付き、息を呑みながら反論するのを止めた。

 

「…………撤退してきた部下は、『廃村の塔に赤毛の女の狙撃手がいた』と言っている。得物は大口径の対物ライフルで、尻尾と角が生えていたそうだ」

 

 ダガーを思わせる角とドラゴンのような尻尾は、キメラの特徴である。

 

 キメラは人間と魔物の遺伝子を併せ持つ新しい種族であり、数が減りつつある吸血鬼よりもはるかに個体数が少ない。外見は人間と殆ど変わらないが、頭には角や触覚のようなものがあり、腰の後ろからは尻尾が生えているという特徴があるのだ。

 

 大口径の対物(アンチマテリアル)ライフルを使う赤毛の狙撃手は、鮮血の魔女しかいない。

 

「―――――――アリーシャ、魔女はタンプル搭を攻撃する前に何としても排除する必要がある。だが、我々の兵力は奴らの兵力よりも少ない。戦車や戦闘ヘリを派遣する余裕はないのだ」

 

 地図をテーブルの上に置いたブラドが、アリーシャを睨みつけながら椅子から立ち上がる。

 

「今度こそ、魔女を確実に討ち取れ。失敗は絶対に許さん」

 

「…………はい、ブラド様」

 

 鮮血の魔女を排除しなければ、タンプル搭へと進撃した部隊は帝都で撃破された戦車部隊と同じ運命を辿るだろう。正確な狙撃でアクティブ防御システムを破壊され、他の歩兵や装甲車の対戦車ミサイルで袋叩きにされるのが関の山だ。しかも今回は前回よりも戦車の数が少ないため、少しでも敵の戦力を削ぎ落とさなければならない。

 

 主人(ブラド)に睨みつけられたアリーシャは、首を縦に振りながら拳を握り締めた。

 

 片腕と片足を失った筈の魔女が前線に姿を現したのはありえないが、もし本当に仕留め損なったのであれば、今度こそ仕留めるしかない。

 

 ブラドに敬礼をしてから踵を返したアリーシャは、拳を握り締めたままテントを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左手と左足が、痛む。

 

 失ったわけではないというのに、肉と骨の中で激痛が産声を上げているのが分かる。

 

 多分、これは俺の痛みではない。あの忌々しい狙撃手に左腕と左足を捥ぎ取られる羽目になった、ラウラの痛みだ。

 

 俺たちの父親は同じ男で、母親は遺伝子的にはほぼ同じ女性である。つまり俺とラウラは、能力や性別は違うけれど、遺伝子的にはほぼ同じキメラと言える存在なのだ。

 

 この激痛は、ラウラが感じた痛み。

 

 左手を思い切り握りしめながら、夜空の真っ只中に居座る三日月を見上げる。

 

 あの狙撃手は、必ず殺してやる。すぐに再生して苦しめることができるように、通常の弾丸で何度も腹を抉り、ナイフで手足や指を切り落としてバラバラにしてやる。

 

「…………」

 

 あの時、敵の装甲車の車長や随伴歩兵たちは俺の姿を見た筈だ。ウィッチアップルのおかげで身につけた性別を変更する能力で女になった状態だから、間違いなく俺を女だと思っていた事だろう。しかも敵兵の血で髪を真っ赤に染めたから、ラウラが前線に戻ってきたと勘違いしているに違いない。

 

 敵の兵力は俺たちよりも少ない。それゆえに、前線へと戻ってきた”鮮血の魔女”を討伐するために戦車や戦闘ヘリを派遣する余裕はない筈だ。

 

 だからこそ、ラウラを討ち取った狙撃手を投入する。

 

 夜空に居座る三日月を見上げながら俺は笑った。

 

 もう少しで、俺の女(ラウラ)の手足を奪ったクソ野郎を惨殺できるのだから。

 

 

 

 



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狩り場

今回の話からちょっとグロくなります。ご注意ください。



 

 真っ白なレンガで作られているカルガニスタンの建物の真っ只中に、黒焦げになった車両が鎮座していた。足元にはちょっとしたクレーターのような窪みがあり、そこから突き上げた何かが車両の底を貫通して、砲塔の後部を突き破った跡もしっかりと残っていた。

 

 炎上したM1128ストライカーMGSの内部で砲弾が誘爆を繰り返したらしく、その風穴から覗いている車内の装置は滅茶苦茶になっていた。砲手や車長の座席は黒焦げになっており、操縦士の座席は周囲の装甲もろとも抉られて消失してしまっている。

 

 もう一度車両の足元に残っている小さなクレーターを見つめてから、アリーシャは深呼吸する。

 

 あの味方のM1128ストライカーMGSは、対戦車地雷でやられたのだ。

 

 しかも爆風と衝撃波が底を突き破った挙句、天井の装甲まで突き破るという事は、その車両が運悪く踏みつけてしまった地雷は1個ではないだろう。複数の地雷を重ねた代物を踏みつけ、車内の砲弾まで誘爆させて炎上する羽目になったのは想像に難くない。

 

 黒焦げになった車両の周囲には、その随伴歩兵や脱出した乗組員たちの残骸が転がっていた。

 

 大口径のライフル弾で撃ち抜かれたらしく、その死体の大半は胸板もろとも首から上が捥ぎ取られていた。中には頃焦げになった軍服を身につけた状態で上半身や手足が見当たらない死体も転がっている。黒焦げになっているのは、乗組員たちの死体なのだろう。

 

(鮮血の魔女…………)

 

 彼女に撃ち殺された若い随伴歩兵の死体が、まるで廃村へとやってきたアリーシャに手を伸ばそうとしているかのような体勢で倒れている。左側の肋骨もろとも左肩から先を千切り取られたその若い兵士は、おそらく主人(ブラド)と同い年くらいだろう。

 

 歯を食いしばりながら、村の奥へと向かった。

 

 ブレスト要塞で魔女と戦った時は味方の戦車部隊や歩兵部隊も戦っていたため、それほど緊張はしなかった。しかし彼女は、たった1人でこの廃村に潜んでいる魔女に再び挑まなければならない。ブレスト要塞での戦いの際は魔女が他の味方を狙っていたおかげで自分は彼女の片腕と片足を捥ぎ取ることに成功したものの、今度はあのような乱戦ではなく一騎討ちである。

 

 チェイ・タックM200のグリップを思い切り握り、もう一度深呼吸する。

 

(再び魔女を討ち取ればいいだけよ………。今度は首を持ち帰らないと)

 

 死体を確認していないからこそ、魔女が実は生きていたという話を聞いた瞬間、少しばかりあり得るかもしれないと思ってしまった。もしブレスト要塞の周囲の砂漠で、瀕死の魔女の頭を撃ち抜いて確実に殺していたのであれば、魔女が生きていたと言われてもすぐに否定することができただろう。

 

 止めを刺さなかったことを後悔した瞬間、彼女の頭の中で違和感が産声を上げた。

 

 ―――――――鮮血の魔女(ラウラ・ハヤカワ)は、左腕と左足を失っている筈なのである。

 

 しかし、討伐に向かった兵士たちの前に現れた鮮血の魔女は、生存者の報告では五体満足だったという。とはいえ廃村の中心に屹立する古い塔の上に立っていた彼女を撤退しながら見ただけであるため、見間違いである可能性も大きい。

 

 だが、もし仮に見間違えで片腕と片足が無い状態だったとしても、団員の命を大切にするテンプル騎士団がそのような状態の負傷兵を最前線に派遣するわけがない。しかも、情報では鮮血の魔女の利き手は左手で、ライフルも彼女のために構造を左右逆に変更された特注品だという。

 

 利き手がどれほど重要な存在かは言うまでもないだろう。

 

 ライフルの照準を正確に合わせ、トリガーを引くための利き手を失った狙撃手が、利き手ではない方の手を使って最前線に戻って来れるわけがない。大急ぎで義手を移植していたとしても、リハビリに必要な期間は平均で一ヵ月。いくらキメラが”突然変異の塊”と言われるほど変異しやすい謎の種族とはいえ、たった1日で完全に義手のリハビリを終えられるわけがない。

 

(おかしいわね…………)

 

 違和感がどんどん肥大化していくが、派遣された部隊が赤毛の狙撃手によって狙撃され、M1128ストライカーMGS1両と数名の随伴歩兵を失う大損害を被っている以上、仮に魔女の偽物であったとしても仕留めておく必要がある。

 

 一旦愛用のチェイ・タックM200を背中に背負い、腰のホルスターからコルト・ウォーカーを引き抜く。現代のリボルバーよりもはるかに巨大なリボルバーを構えて廃墟の中へと向け、中に魔女が潜んでいないかを確認してから建物の中へと入り込む。

 

 狙撃するのであれば、村の中心に鎮座している古い塔から狙撃をするのが望ましいだろう。しかし、その塔に向かう途中に魔女に発見されて狙撃される可能性もある。そのため、アリーシャは塔へと向かう前に、近くにある可能な限り高い建物の中から村の道や魔女の居場所を確認しておくことにしたのだ。

 

 穴と砂塵だらけの古びた木製の階段を、出来るだけ軋む音が出ないようにゆっくりと上がっていく。キメラは吸血鬼のように聴覚が発達している可能性があるため、少しでも音を立てれば発見される可能性があるのである。

 

 再生能力は持っていないものの、吸血鬼に匹敵する身体能力や外殻を使った防御などの能力などを身につけているため、かなり厄介な存在なのである。現時点では個体数がかなり少ないものの、もし仮にキメラたちが”繁殖”すれば、吸血鬼たちが敗北するのは想像に難くない。

 

 息を呑みながら階段を上がり終えたアリーシャは、息を吐こうとした瞬間、右側の爪先がワイヤーらしきものを蹴りつけようとしていることに気付き、ぎょっとしながらゆっくりと足を引っ込めた。

 

「これは…………」

 

 蹴りつける寸前だったワイヤーは、彼女から見て左側にある壁の下まで伸びていた。そのワイヤーの終着点には小さな金属の塊が鎮座しており、少しばかり瓦礫に埋まった状態で、獲物を待ち続けていた。

 

「クレイモア地雷…………ッ」

 

 アメリカが開発した地雷の1つである。内部には超小型の鉄球がこれでもかというほど詰め込まれており、起爆した瞬間に爆風と共に敵兵へと襲い掛かる獰猛な代物だ。このような狭い通路で起爆すれば、十中八九アリーシャはその爆風を浴びる羽目になるだろう。しかも分厚い真っ白なレンガで作られた壁に激突した鉄球たちが跳弾し、彼女の全身に風穴を開けることになるのは想像に難くない。

 

 冷や汗を拭い去り、そっとそのワイヤーの向こう側へと足を延ばす。

 

 他にもその地雷が仕掛けられていないか確認しようとした次の瞬間だった。

 

 何の前触れもなく、自分の立っていた場所の左側にあるレンガの壁が真っ赤に染まった。壁が火達磨になったのだろうかと思った頃には、凄まじい爆風と共に飛来した無数の小さな鉄球たちが彼女の肌に喰らい付き、その鉄球たちを押し出した衝撃波がアリーシャの身体を反対側の壁へと思い切り叩きつける。

 

「!?」

 

 レンガの壁に激突する羽目になったアリーシャは、目を見開きながらすぐに立ち上がった。

 

 幸い、内蔵されていた鉄球たちは対吸血鬼用の銀ではなかったらしく、身体中に穿たれた弾痕にも似た傷口は早くも塞がりつつあった。とはいえ爆風と鉄球を浴びる羽目になった左半身には無数の傷があるため、少しばかり再生には時間がかかるかもしれない。

 

 鉄球の群れに肉を抉られた挙句、爆風で黒焦げになった自分の身体を見てぎょっとしながら、アリーシャは狼狽していた。

 

(な、なぜ…………ッ!? ワイヤーは確かに避けた筈なのに!?)

 

 ぎょっとしながら先ほど躱した筈の地雷を確認するが、確かにそのクレイモア地雷は姿を消しており、設置されていた場所の近くにある壁には爆風が牙を剥いた跡が残っているのが見える。

 

 あのワイヤーを避ければ、地雷は起爆しない筈なのだ。しかし彼女が突破した筈のクレイモア地雷は、通路の奥へと進もうとしていた彼女に牙を剥いたのである。

 

 次の瞬間、階段のすぐ近くにあった窓の向こうから飛び込んできた金属の物体が、真っ白なレンガの壁に激突した。

 

「ッ!」

 

 ブラドに救出されてからは銃を扱うための訓練を何度も繰り返してきたため、アリーシャはその飛び込んできた物体が銃弾であるという事にすぐに気づいた。しかも通常のスナイパーライフルが使用する7.62mm弾や.338ラプア・マグナム弾ではなく、それよりも大口径の弾丸である。おそらく、ブローニングM2重機関銃が使用する12.7mm弾だろう。

 

 被弾すれば肉体が木っ端微塵になるのは想像に難くない。戦車や装甲車に搭載されることもあるほどの大口径の代物なのだから、人体に命中すれば木っ端微塵になる。

 

 先ほど上がった階段を駆け下り、下へと向かう。彼女の居場所が探知された理由は不明だが、先に狙撃されてしまった以上は何とか隠れて魔女の居場所を探さなければならない。鮮血の魔女は間違いなくこの世界でトップクラスの実力を持つ最強の狙撃手なのだから、反撃しようとすればあっさりと身体をバラバラにされてしまう。

 

 階段を駆け下り、スモーク・グレネードを放り投げる準備をしながら建物の外へと躍り出る。先ほど弾丸が撃ち込まれてきた場所は分からなかったが、銃弾が飛来した方向は村の中心部。しかもやや上から窓へと飛び込んできた。

 

 つまり、鮮血の魔女は中心部の塔からアリーシャを狙撃してきたという事である。

 

 おそらく、ブレスト要塞の方向にある村の入り口を塔の上からずっと警戒していたのだろう。いきなりアリーシャが中心部の塔を目指さず、近くの建物から敵の居場所を確認しようとしていたのも想定内どころか”シナリオ通り”であったに違いない。

 

「くっ…………!」

 

 建物の間を走りながら、目の前の狭い通路に飛び出したその時だった。

 

 ばちん、と鉄板同士がぶつかり合うような音が右足から聞こえてくると同時に、地面を踏みつけた筈の右足が、地面から離れなくなってしまったのである。

 

 違和感を感じたアリーシャが足元を見下ろすよりも先に、激痛が彼女の右足を押し潰す。

 

「あ…………ァァ………!」

 

 通路を駆け抜けようとしていた彼女の右足に、まるでサメの牙を思わせる金属製のスパイクが喰らい付いていた。アリーシャの右足の脛を突き破った金属製のスパイクはそのまま彼女の足の骨にも風穴を開け、その罠に引っかかってしまったアリーシャの片足を食い千切ろうとしている。

 

 彼女が踏みつけてしまったのは、通路に設置されていたスパイク付きのトラバサミであった。

 

 トラバサミは騎士団でも使用されており、地雷の代わりに拠点の周囲などに設置されている。対人用のトラバサミは騎士団にしか販売されていないが、危険な魔物との戦闘を繰り広げる傭兵や冒険者向けに対魔物用のトラバサミが販売されており、冒険者管理局の売店などで購入することができるのだ。

 

 アリーシャが踏みつけてしまったのは、その対魔物用のトラバサミである。しかもゴーレムや小型のドラゴンなどの外殻に覆われている魔物を足止めする事を想定した代物であるため、外殻を貫通できるほど鋭いスパイクがこれでもかというほど取り付けられているのが分かる。

 

 穴だらけどころか切断される寸前までスパイクに肉を抉られたアリーシャは、いっそのこと足をここで千切り、再生させながら逃げようとした。幸いスパイクは銀ではないため、5秒ほどあれば骨の再生は終了するだろう。

 

 吸血鬼には再生能力があるのだから、ここで足掻き続けて大口径の弾丸の餌食になるよりははるかにマシである。

 

「くっ…………あ………あぁ…………ぁぁぁ…………っ!」

 

 強引に足を引っ張るにつれて、ぶちっ、と少しずつ右足の肉や残っていた皮膚が千切れていく。置き去りにするなと言わんばかりに激痛が産声を上げるが、アリーシャは歯を食いしばったまま右足を引っ張り続けた。

 

 肉が千切れていくにつれて、スパイクに穿たれた足の骨があらわになっていく。千切れた肉や血管から鮮血が流れ落ち、彼女に喰らい付いた対魔物用のトラバサミが深紅に染まっていく。

 

 やがて、ぶちん、と肉の千切れる音がアリーシャの鼓膜へと飛び込んだ。トラバサミに束縛されていたアリーシャは勢いよく砂で覆われた道の上に倒れたが、まだ傷口の再生は終わっていない。早くも彼女の右足の断面の肉が伸び始め、その表面を真っ白な美しい皮膚が覆い始めていたが、出血は止まっていなかった。

 

「―――――――アァァァァァァァッ!!」

 

 絶叫すれば魔女に察知される可能性があるというのに、アリーシャは叫んでしまった。

 

 奴隷にされていた頃には様々な苦痛を味わったが、商人たちに殴られた挙句、鞭でひたすら痛めつけられた程度である。今のように四肢のうちの1つを千切られたことは一度も経験したことがなかった。

 

 リボルバーから手を離し、涙目になりながら必死に両手で傷口を抑える。すでに爪先まで再生が終わり、履いていた靴も一緒に再生され始める。

 

「はぁっ、はぁっ…………魔女ぉ……………………!!」

 

 歯を食いしばりながらリボルバーを拾い上げ、ホルスターへと戻してからスナイパーライフルを構える。

 

 間違いなく、魔女はこの廃村の中にトラップをいくつも仕掛けているだろう。アリーシャをそのトラップで苦しめつつ、狙撃で仕留めるつもりに違いない。

 

 左手を腰のポーチの中にあるスモーク・グレネードへと伸ばし、安全ピンを引き抜いてから投擲する。砂塵の中に埋まりかけていた白いレンガの道の上に転がったスモーク・グレネードから白煙が飛び出し、アリーシャの周囲を純白の煙で満たしていく。

 

 その直後、彼女の頭の上を1発の弾丸が通過していった。またしても12.7mm弾らしく、後方の壁に命中して跳弾する音を奏でた。

 

 やはり、先ほどの悲鳴で居場所を察知されてしまったらしい。白煙が消えないうちに近くの建物の中へと飛び込んだアリーシャは、かつては鍛冶屋だった建物の中にあるカウンターの陰に隠れ、呼吸を整える。

 

 魔女がいる筈の場所は塔の上だったというのに、さっきの弾丸が飛来したのは全く違う方向からだった。いくらキメラの身体能力でも、塔の上から素早く狙撃する位置を変更することは不可能である。

 

(まさか、複数の狙撃手がいるの……………!?)

 

 呼吸を整えながら、アリーシャはチェイ・タックM200のグリップを思い切り握りしめる。もし仮に複数の狙撃手が待ち伏せしていたというのであれば、アリーシャは鮮血の魔女たちによっておびき出されたという事になる。

 

 つまり、彼女の主人であるブラドまでテンプル騎士団に騙されたという事になるのだ。

 

(薄汚いキメラ共…………ッ!)

 

 ブラドまで欺かれたことに怒りを感じたアリーシャはカウンターを飛び出そうとしたが、立ち上がった瞬間、カウンターの裏にある棚の中に奇妙な物体が置かれている事に気付いた。

 

「―――――――!」

 

 ぎょっとしたアリーシャは、大慌てで店の出口へと向かって走り始める。

 

 ブラドと一緒に訓練していた際に、その奇妙な物体を何度も使ったことがあったため、それの正体を知っていたのだ。

 

 放棄された村の鍛冶屋の中にある棚に、まるで商品のようにさり気なく置かれていた奇妙な物体は――――――――戦車や装甲車を木っ端微塵にしてしまうほどの破壊力を持つ、C4爆弾だったのである。

 

 C4爆弾に気付いて店の外へと飛び出した直後、産声を上げた猛烈な爆風が、アリーシャの身体を呑み込んだ。

 

 

 

 




ちなみに、私はリョナはあまり好きではありません(実話)


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タクヤVSアリーシャ

ちなみに、女になった時のタクヤの大きさはDくらry(粛清)


 

「はぁっ、はぁっ…………」

 

 背中に突き刺さったレンガの破片を強引に引き抜く度に、彼女の肉が裂けていく。

 

 自分の背中の肉が裂けていく音を聞きながら歯を食いしばり、真っ赤に染まったレンガの破片をどこかへと放り投げた彼女は、呼吸を整えるよりも先に走り出した。

 

 鮮血の魔女は、アリーシャがあの鍛冶屋の中へと逃げ込むことを予測していたのだ。だからカウンターの中にC4爆弾を仕掛けておき、彼女がそれに気づいた瞬間に起爆させたのである。魔女の想定通りどころかシナリオ通りになっていることを理解した彼女の心の中で、魔女に対する怒りが産声を上げようとしたが、その怒りをすぐに困惑が飲み込む。

 

 トラップがいくつも仕掛けられているようだが、今しがた起爆したC4爆弾は起爆装置を使わなければ爆発させることはできない。つまり、魔女はあの狭いカウンターの裏にアリーシャが逃げ込んだことを知っていたのだ。

 

(見られていた…………!? それとも魔力…………!?)

 

 ライフルのスコープで見られていたとしても、店内までは見れない筈だ。それゆえに、アリーシャがC4爆弾の仕掛けられているカウンターの裏へと逃げ込んだことを知っているわけがない。

 

 魔力で探知しているのであれば、その標的がどこにいるのかもすぐに探知できるが、廃村に入る前からアリーシャは魔力を探知されないように細心の注意を払い続けている。魔力は全く漏れていないのだから、熟練の魔術師でも探知することは不可能だ。

 

 あの鮮血の魔女は、一体何でアリーシャの居場所を探知しているのだろうか。

 

「仕方ないわね…………」

 

 魔力を放出する羽目になるが、このまま罠に引っかかって醜態を晒すよりははるかにマシである。

 

 一旦遮蔽物の陰に隠れたアリーシャは、左手をチェイ・タックM200からそっと離すと、体内にある闇属性の魔力を加圧しながら左手へと集中させ始めた。やがて彼女の手のひらにブラックホールを思わせる小さな渦が形成されたかと思うと、その渦の中から漆黒の蝙蝠の翼が伸び始めた。

 

 彼女の手のひらから姿を現したのは、1羽の蝙蝠だった。

 

 アリーシャの使い魔である。使い魔の中にはドラゴンに匹敵する戦闘力を誇る者も存在するが、そのような強力な使い魔は召喚に時間がかかる上に、償還に使用する魔力の量が膨大であるため、最悪の場合は召喚と同時に魔力を使い果たして死亡する恐れもあるのだ。

 

 使い魔を召喚するために死んでしまっては元も子もない。それに、今のような状況では戦闘力の高い使い魔よりも、消費する魔力が最低限で済み、索敵に特化した小型の使い魔の方が望ましい。

 

 アリーシャが今しがた召喚した蝙蝠は、戦うことができない代わりに敵の魔力を探知し、居場所を召喚したアリーシャに教えてくれる索敵に特化した使い魔である。もし仮に魔力で探知ができなくても、空から魔女を探すことができるため、身を隠すために飛び込んだ建物の中でトラップに引っかかるリスクは一気に低下するだろう。

 

「魔女を探しなさい」

 

『ピィッ!』

 

 アリーシャに命令された使い魔が、彼女の手のひらから飛び立っていく。

 

 召喚の際に闇属性の魔力を放出してしまったため、今の魔力で探知される可能性もある。そのため、アリーシャはライフルを抱えて踵を返し、すぐに移動しようとした。

 

 だが――――――――廃村のどこかで銃声が轟いたと思った直後、ぼとん、とアリーシャの背後から何かが落下する音が聞こえてきて、彼女はぎょっとしてしまう。

 

 まるで小さな肉の塊を、それなりに高い場所から地面へと放り投げたような音だったからだ。自分の身体が討たれたわけではなかったため、その落ちてきたものが何だったのか、すぐに理解する。

 

 素早く振り向いた彼女の目の前に転がっていたのは――――――――小さな肉片たちと、蝙蝠の翼の残骸だった。

 

「…………ッ!?」

 

 間違いなく、彼女の背後に落下してきた肉片たちは、十数秒前にアリーシャが召喚した使い魔の肉片である。魔女の索敵を命じて飛び立ったばかりの使い魔が、超遠距離から大口径の弾丸を叩き込まれて四散してしまったのだ。

 

 しかし、彼女が使い魔を召喚したのを見ていたのであれば、使い魔を射殺して自分が狙っているという事を標的に知らせるよりも、隙を晒している標的を撃ち抜いて始末した方がはるかに合理的である。

 

 敢えてアリーシャではなく使い魔を狙撃し、彼女に自分が狙っているという事を知らせたという事は、魔女はアリーシャとの戦いを楽しんでいるという事を意味している。

 

 鍛え上げた騎士が、優秀な剣士との一騎討ちをするような正々堂々とした”楽しみ”ではなく、それとは真逆としか言いようがないほど悪趣味で、どす黒い”楽しみ”。

 

 魔女は、アリーシャが罠に引っかかって嬲り殺しにされていくのを見て楽しんでいるに違いない。

 

 ぞっとしながらアリーシャはチェイ・タックM200を構え、スコープを覗き込む。すぐに建物の影や建物の中に飛び込もうとしたが、飛び込めば先ほどのように罠に引っかかる羽目になるのが関の山だ。あの魔女は、アリーシャがこの廃村にやってくる前に無数の罠を仕掛け、この村を彼女の”狩り場”へと変貌させてしまったのだから。

 

「!」

 

 先に撃たれてしまうかもしれないと思いながら索敵を続けていたアリーシャのスコープの向こうに、人影が見えた。

 

 ライフルに搭載したレンジファインダーで距離を確認すると、その人影は約500m先にいるようだった。古びた白いレンガの建物―――――――おそらくアイテムの売店だったのだろう――――――――の屋根の上に立ち、ライフルを肩に担いだまま、レティクルを合わせようとするアリーシャを真っ赤な瞳で見つめている。

 

 身に纏っているのは漆黒のコート。フードもついているらしいがそのフードはかぶっておらず、鮮血を思わせる長い赤毛があらわになっている。”鮮血の魔女”と呼ばれるようになったのは、あの赤毛が由来なのではないだろうか。

 

 その赤毛の中から伸びているのは、ダガーを思わせる鋭い角。根元は漆黒に染まっているが、先端部へと向かうにつれてまるでサファイアのように蒼く変色している。

 

 コートの胸の部分は膨らんでおり、その人影が女性であることが分かる。手足もすらりとしているようだが、幼少の頃から本格的な訓練を受けて鍛えていたのか、しっかりと筋肉もついているようだった。

 

 腰の後ろから伸びているのは、鱗に覆われたドラゴンのような尻尾。彼女の腰についているホルダーの中からマガジンを引き抜いたその尻尾が、アンチマテリアルライフルにその新しいマガジンを装着してから、再び元の位置へと戻っていく。

 

 その建物の上に立っていたのは、間違いなくキメラの女性であった。

 

 手にしているのは大口径の対物(アンチマテリアル)ライフル。腰の後ろにはブルパップ式のアサルトライフル―――――――フランス製アサルトライフルのFA-MASだ――――――――を下げているのが分かる。

 

 ブレスト要塞で戦った時はカーキ色の服を身に纏っていたが、今は夜戦を想定して漆黒のコートを身に纏っているのだろう。

 

「鮮血の…………魔女…………ッ!」

 

 屋根の上に佇んでいたその女性は、アリーシャの標的であった。ブラドに今度こそ始末するように命令された、鮮血の魔女である。

 

 だが――――――――ブレスト要塞での戦闘で失った筈の、左腕と左足がある。大口径の弾丸で撃ち抜いて捥ぎ取ってやったにもかかわらず、失った筈の左腕でヘカートⅡを担ぎ、失った筈の左足を使って屋根の上に立っているのだ。

 

 魔物の義手と義足を移植したのではないかと思ったが、コートの袖の中から覗く左手の白い指は、間違いなく人間の指である。ズボンと黒いブーツのせいでよく見えないが、おそらく左足も同じく人間の足なのだろう。

 

 彼女の手足は木っ端微塵になった筈なのだから、再生できる筈がない。誰かの手足を移植したのだろうか。

 

「ッ!」

 

 姿を現したのならば、姿を消す前に撃つべきだ。

 

 そう思ったアリーシャはすぐにトリガーを引いた。チェイ・タックM200はボルトアクション式スナイパーライフルの中でもトップクラスの命中精度を誇る代物であり、射程距離は大口径のアンチマテリアルライフルにも匹敵する。500m先にいる敵兵を狙い撃つのは朝飯前である。

 

 レティクルの向こうにいる鮮血の魔女へと、.408チェイ・タック弾が飛んで行く。

 

 .408チェイ・タック弾は、通常のスナイパーライフル用の弾丸よりも口径が大きい。いくらキメラの外殻でも、これが命中すれば大ダメージを負う羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 だが――――――――何の前触れもなく、レティクルの向こうから魔女の頭が消えていた。

 

 弾丸が彼女の頭を叩き割ったわけではない。もし仮に鮮血の魔女の頭を弾丸が叩き割っていたのであれば、今頃あの建物の屋根の上は彼女の鮮血や脳味噌の破片で覆われている筈である。なのに、レティクルの向こうに見えるのは真っ白な屋根と、そこに刻まれた弾痕だけである。

 

 ぎょっとしながらスコープから目を離すと、赤毛の女性が屋根の上からジャンプしているのが見えた。

 

 隣にある建物の屋根の上に飛び移るつもりなのだろう。追撃するためにボルトハンドルを引き、空の薬莢を排出して狙おうとしたが、それよりも先にジャンプ中の赤毛の女性がヘカートⅡをアリーシャへと向け、トリガーを引いた。

 

「いっ………!」

 

 ジャンプ中に放たれた狙撃だというのに、大型のマズルブレーキから飛び出した12.7mm弾は回転しながら直進すると、スコープを覗き込んでいたアリーシャの左側の頬を抉り、彼女の後方にある瓦礫の山を直撃する。

 

「あああああああああッ!!」

 

 鮮血が吹き上がる頬を押さえながら、アリーシャは片手でトリガーを引いた。

 

 吸血鬼の腕力ならば、スナイパーライフルを片手で撃つことも可能である。しかし、当たり前だが命中精度は一気に下がってしまう。

 

 案の定、絶叫しながら放ったアリーシャの一撃は鮮血の魔女に命中することはなく、そのまま星空の中へと飛んで行ってしまった。

 

 弾丸が掠めたせいで抉れてしまった皮膚が再生を終え、あらわになっていた血まみれの奥歯をすぐに書くしてしまう。激痛も感じなくなったが、再生を終えたアリーシャはまたしても違和感を感じた。

 

 銀の弾丸で傷を負わされたにしては、再生が早く済んでしまったのである。

 

 銀の弾丸で撃たれた場合、普通の吸血鬼ならば弾丸で撃たれた人間のように呆気なく死んでしまう。弱点に耐性がある吸血鬼でも、通常の傷を負った場合よりも再生速度が低下してしまうのだ。アリーシャは定期的にブラドから血を与えられていたため、弱点の銀や聖水には耐性がある。それゆえに銀の弾丸を撃ち込まれれば、それなりに再生に時間がかかる筈であった。

 

 しかし、今の再生はやけに早かった。抉れた頬の肉が反対側の肉と結びつき合い、その表面を皮膚が覆い終えたのはたった2秒である。

 

(まさか………銀の弾丸ではない………?)

 

 銀の弾丸でなければ、傷口は素早く再生させることができる。

 

 おそらくあの魔女がライフルに装填しているのは、銀の弾丸ではなく通常の弾丸なのだろう。吸血鬼に向けて放ったとしてもすぐに傷口が再生してしまうため、それで討伐するのはかなり困難だ。

 

 だが―――――――吸血鬼にも痛覚はある。傷口を瞬時に再生させることができるため、大昔から恐れられているが、吸血鬼たちも剣で斬りつけられる度に激痛を感じていたのだ。

 

(私を苦しめるために………………敢えて通常の弾丸をッ!?)

 

 先ほど彼女ではなく使い魔を真っ先に狙撃したのも、彼女を苦しめるためなのだろう。

 

 歯を食いしばりながら、アリーシャは拳を握り締めた。

 

「悪趣味な女………ッ! いいわ。私も今度こそ貴女を苦しめて殺してあげる………ッ!」

 

 屋根の上を睨みつけながら、アリーシャはチェイ・タックM200を背負い、魔女を追い始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多分、さっきのジャンプ中の狙撃は、ラウラだったら命中させていたに違いない。

 

 ヘカートⅡのボルトハンドルを右手で引き、12.7mm弾のでっかい薬莢を排出しつつ、一旦フランス製のアンチマテリアルライフルを背中に背負ったまま近くの建物の中へと飛び込む。壁に印がつけてあることを確認してから階段を駆け上がり、2階にあるベッドの上を目指す。

 

 あの憎たらしいメイドがこの廃村へとおびき出される前に、色々と罠や物資を用意しておいたのだ。できるならばタンプル搭が攻撃を受ける前にあのクソ野郎を始末して戻りたいところだけど、その気になればこの廃村の中で持久戦を始めることもできるのだ。

 

 ベッドの上に置いてある12.7mm弾が連なるでっかいクリップを掴み取り、ポーチの中にある空のマガジンの中へと一気にぶち込む。マガジンを再びポーチの中へと放り込んでから部屋を後にし、窓からジャンプして隣の建物の壁をよじ登る。

 

 本来の姿の時でも身軽に動けるのだが、やっぱり性別を変更することで爆発的に向上したスピードのステータスのおかげなのか、男の姿の時よりもはるかに身軽になっているような感じがする。とはいえ走ったりする度に揺れ続けるこのでかい胸ははっきり言うと邪魔だ。しかもブラジャーは身につけてません。

 

 ラウラの胸はこの胸よりも一回りでかいのである。

 

 手首から先を外殻で覆い、鋭くなった指先をレンガの壁に食い込ませながらよじ登る。もう少しで屋根の上までたどり着くと思った次の瞬間、バチンッ、と頬のすぐ脇にライフル弾が着弾する。

 

 くそったれ、.408チェイ・タック弾だ。通常のライフル弾よりも大口径だから、命中すれば木っ端微塵になっちまう。しかも女の状態では、攻撃力とスピードが劇的に向上する代わりに、防御力が初期ステータス以下になっちまう。

 

 しかもメスのキメラ―――――――正確に言うとメスのサラマンダーのキメラだ――――――――は外殻を使って硬化するのが苦手である。外殻を瞬時に生成できることができない上に、防御力もオスのキメラと比べると大きく劣っているため、下手をすれば.408チェイ・タック弾が貫通する恐れがあるのだ。

 

 あ、危ねぇっ!

 

 大慌てで屋根の上へと昇り、外殻で体を覆いつつ反対側から飛び降りる。地面に着地するよりも先に腰の後ろからグレネードランチャー付きのFA-MASを取り出し、安全装置(セーフティ)を解除してから着地する。

 

 背後から着弾したということは、あのメイドは俺の後ろから狙撃していたという事だ。あのメイドの匂いも後方からする。

 

 ラウラの服の胸倉についていた匂いと、同じ匂いなのだ。

 

 あいつがラウラの手足を奪ったに違いない…………ッ!

 

「見つけたぁ…………………ッ!!」

 

 やっと見つけた。

 

 お前に会いたかったんだよ、クソ野郎。

 

 FA-MASを抱えたままUターンし、今度は逆方向へと向けて突っ走る。あのメイドは俺が屋根の上から狙撃してくると思っているのか、さっき俺が昇っていた建物に向かって狙撃を続けているようだった。銃声とボルトハンドルを引く音が聞こえてくる。

 

 吸血鬼は聴覚が発達しているが、あんなにライフルをぶっ放し続けていればこっちが走る足音も察知できないだろう。銃声の残響や薬莢がレンガに当たる音に阻害されている筈だ。

 

 というわけで、俺は全力で突っ走る。男の時よりも速度が上がっているおかげで、あっという間にその銃声が聞こえてくる建物の裏口までたどり着くことができた。

 

 手榴弾を投げ込んでやろうかと思ったが、そんなことをすれば建物の外に逃げられてしまう恐れがある。

 

 こっそりと裏口のドアを開け、建物の中へと入っていく。確かここにはトラップは仕掛けていなかった筈だ。ほぼ全ての建物にはクレイモア地雷やC4爆弾をこれでもかというほど設置しておいたから、あのメイドの匂いで居場所を確認しながら起爆スイッチを押すだけでいいのである。

 

 ちなみに、クレイモア地雷のワイヤーを躱されても起爆できるように、そのクレイモア地雷の後ろには強制的に起爆させるためのC4爆弾を張り付けておいたのだ。一番最初にあのメイドが喰らう羽目になった理由は、俺がそのクレイモア地雷を強制的に起爆したからである。

 

 そっと建物の中を進んでいくと、やっぱりメイド服に身を包んだ銀髪の美少女が、チェイ・タックM200を使って狙撃しているところだった。

 

 FA-MASのフルオート射撃をお見舞いする前に、挨拶をしておくべきかもしれない。母さんには「紳士的な男になれ」と言われて育ったからな。今は女だけど。

 

 そっとそのメイドの肩を手でたたき、俺はニヤリと笑いながら挨拶する。

 

「やあ、メイドさん」

 

 



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鮮血の廃村

今回は後半が結構グロくなってますのでご注意ください。


 

 マズルフラッシュの向こうで、メイド服に身を包んだ少女の肉体に風穴が開いていく。銃口から立て続けに放たれる6.8mm弾が彼女の身体に突き刺さる度に、皮膚や肉が引き千切られ、運動エネルギーの激流の中で彼女の身体が揺れる。

 

 弾丸が命中するにつれてボロボロになっていく彼女の身体を、俺は無表情のまま右手のFA-MASのトリガーを引きながら眺めていた。

 

 敵が普通の人間の兵士なら、小口径の弾丸でも5発くらい撃ち込めば十分だろう。もちろん頭に銃弾を叩き込むのであれば1発で十分だ。アサルトライフル用の弾丸どころか、ハンドガン用の小さな弾丸ですら頭に1発叩き込まれるだけで、人間は呆気なく死んでしまうのだから。

 

 けれども目の前にいるのは、人間と全く変わらない姿をした少女だが、人間ではない。

 

 弱点で攻撃されない限り再生し続ける吸血鬼だ。銀の弾丸や聖水をお見舞いしない限り、身体をグチャグチャにしても十数秒で元の姿に戻ってしまう。しかも人間を遥かに上回る身体能力を持った強敵だから、大昔から人間の天敵だと言われていた。

 

 ちなみに俺が使っているFA-MASあ、本来ならばM16などと同じく5.56mm弾を使うアサルトライフルなんだけど、敵が使っているのが6.8mm弾を発射できるように改造されたXM8であるため、場合によってはマガジンごと弾薬を”拝借”できるようにマガジンなどを改造し、6.8mm弾を使用できる上にXM8のマガジンを装着できるように改造してある。

 

 だから俺の腰にあるホルダーの中には、最初に廃村へとやってきた随伴歩兵たちから頂戴したXM8のマガジンも突っ込んであった。もちろん弾薬は通常の6.8mm弾であるため、対吸血鬼用の銀の弾丸などではない。

 

 銀の弾丸をこんなにぶち込んだら――――――――死んじまうからな。このクソ野郎が。

 

「ガッ………アァッ……ギッ…………ガァァッ…………!!」

 

 至近距離で6.8mm弾のフルオート射撃を叩き込まれながら鮮血と肉片を吹き上げるメイド。猛烈な銃声の中から、彼女の呻き声が聞こえてくる。

 

 やがて、マズルフラッシュが消え失せた。エジェクション・ポートから立て続けに飛び出していた薬莢たちも飛び出さなくなり、銃声の残響と火薬の臭いだけが建物の中を支配する。窓から入り込んできた風が火薬の臭いをあっという間に吹き飛ばしたかと思うと、目の前で風穴だらけの肉片と化したメイドが発する血の臭いが、鼻孔の中へと流れ込んできた。

 

 人間だったら死んでいるんだけど、吸血鬼は死なない。

 

 ぴくりと彼女の身体が震えた直後、今しがた6.8mm弾たちが穿った風穴がいきなり塞がり始めた。瞬く間に風穴を肉と皮膚が埋め尽くし、弾丸に砕かれた骨がその肉の中で伸びていく。凄まじい速度で傷が塞がっていくメイドを見つめながら空になったマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着してからコッキングレバーを引き終えた頃には、傷口の再生を終えたメイドが、歯を食いしばりながら俺を見上げていた。

 

「貴女………ッ!」

 

「やあ」

 

 手にしていたチェイ・タックM200から素早く手を離し、腰のホルスターの中に納まっているでっかい銃―――――――多分コルト・ウォーカーだろう――――――――を引き抜くメイド。彼女がトリガーを引くよりも先に身体を右側へと倒しつつ、尻尾を伸ばして彼女の右手へと絡みつかせる。

 

 普段の俺の尻尾は堅牢な外殻に覆われており、先端部はダガーのように鋭くなっているのだ。しかもその先端部からは超高圧の魔力が噴射できるようになっているので、相手に突き刺した後に魔力を噴射すればちょっとしたワスプナイフとして機能する。

 

 けれども今は女になっている状態なので、メスのキメラと同じ状態になっている。つまり、尻尾は外殻ではなく柔らかい鱗で覆われているため、尻尾を武器として使うことはできないのだ。

 

 けれども外殻に覆われていないおかげで、自由自在に動かすことができる。

 

「きゃっ!?」

 

 あっさりと尻尾がメイドの右手へと絡みつくと同時に、尻尾に力を入れて彼女の手にしているコルト・ウォーカーの銃口を強引に逸らさせる。コルト・ウォーカーは黒色火薬を使う旧式のリボルバーだが、旧式のリボルバーの中では圧倒的な火力を誇っているため、転生者でも被弾すれば大ダメージを負う羽目になる。しかも今の俺は防御力のステータスが一気に下がっている上に外殻による防御力も低下しているので、外殻に頼るわけにはいかないのだ。

 

 絡みついた尻尾がアリーシャの持つリボルバーを逸らした直後、銃口から猛烈な煙とマズルフラッシュが躍り出た。その煙を置き去りにして飛び出した大口径の弾丸がレンガの壁に跳弾し、建物の中に置き去りにされていた樽を直撃する。

 

 コルト・ウォーカーはシングルアクション式のリボルバーであるため、発射したらもう一度撃鉄(ハンマー)を元の位置へと戻す必要がある。最新型のリボルバーやハンドガンのように、立て続けに連射することはできないのだ。

 

 外れたことを知ったメイドは大慌てで撃鉄(ハンマー)を元の位置に戻そうとするが、俺の尻尾が腕に絡みついている上に、彼女の細い腕を締め付け始めているせいで、指を動かすことができないらしい。

 

「くっ…………!」

 

 鱗に覆われた尻尾が、少しずつメイドの腕へめり込んでいく。柔らかい皮膚の内側で血管が潰れ、腕の骨が少しずつ曲がっていく感触が、尻尾を覆っている鱗を通過してくる。

 

 そろそろ腕が折れる頃だろうなと思っていると、メイドが足掻き始めた。

 

「この化け物ッ!」

 

 左手の袖の中から、小型の折り畳み式のナイフが顔を出したのである。瞬時に刀身を展開して木製のグリップを握ったメイドは、右腕の骨をへし折ろうとしている尻尾へとそのナイフを振り下ろすが―――――――彼女のナイフが尻尾の鱗を突き破るのよりも、FA-MASを持っていた俺の右手が、その細い左手へと向けてトリガーを引く方が早かった。

 

 ズドン、と一度だけ銃声が響き渡る。マズルフラッシュが一瞬だけ建物の中を照らし出したと思うと、その光が消えるよりも先に血飛沫が壁にぶちまけられ、銃声の残響と共に少女の絶叫が鼓膜へと飛び込んできた。

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「残念でした」

 

 1発だけ放たれた弾丸は、正確にメイドの左腕の肘を直撃していた。もちろん抉ったのは肉だけでなく、その肉の中にある骨も正確に抉っている。

 

 けれども、肉もろとも骨にまで風穴を開けられたとしても、吸血鬼ならばすぐに再生できるのだ。とはいえ全く痛いわけではないらしい。腕が千切れればちゃんと腕が千切れる激痛を感じる羽目になるし、心臓を潰されれば心臓を潰される激痛を感じることになる。

 

 だから俺は、銀の弾丸を1発も用意していない。

 

 このメイドに、苦痛を与えるために。

 

 けれども、彼女は他の吸血鬼たちと一緒にブラドから戦闘訓練を受けた”兵士”の1人である。しかもプライドの高い吸血鬼の1人だ。片腕を締め付けられた挙句、もう片方の腕を通常の弾丸で抉られた程度で、戦意は消えていない。

 

「ッ!」

 

「おお」

 

 左腕を再生しているうちに、今度は右足を振り上げる。茶色いお洒落な靴を履いた足で俺を蹴りつけ、この尻尾を引き離すつもりなんだろう。

 

 防御力が大きく低下している状態では、銃弾や魔術どころかただの蹴りでも致命傷になる恐れがある。攻撃はとにかく全て回避することが望ましい。

 

 だから俺は、素直に回避することにした。

 

 俺の脇腹を粉砕するつもりで振り上げた蹴りに合わせて、俺も右へと動く。そして移動しながら左手の拳を握りつつ突き出し――――――たった今風穴を開けたばかりの、彼女の左手の肘へと拳をぶち込む。

 

 移動する勢いと、性別を変えたことによって向上した攻撃力のおかげで大幅に強化された左手の拳は、もはやちょっとした鈍器だった。再生している途中の風穴を更に抉るかのように拳が直撃した瞬間、反対側の肉と結びつく筈だった筋肉繊維が、ぶちん、と容易く千切れる感触がした。

 

「ぎぃっ…………!?」

 

 もちろん俺の拳は銀じゃない。だからこれもすぐに再生するだろう。

 

 そのまま殴りつけたメイドの左手を思い切り掴み、一旦右手に持っているFA-MASを手放してメイドの胸倉を掴む。ごとん、と手放したFA-MASが床に落下する音を奏でると同時に、彼女に背負い投げをお見舞いした。

 

 蹴りを躱された挙句、傷口にパンチをお見舞いされて体勢を崩していたメイドが抗えるわけがない。あっさりと彼女の両足が床から浮いたかと思うと、まるで宙返りに失敗したかのように、思い切り木製の床に背中を叩きつけられる羽目になった。

 

 しかも、俺の尻尾は未だに彼女の右腕を握り締めたままである。そんな状態で背負い投げをされたせいなのか、メイドが床の上に叩きつけられる頃には肘から先が曲がり、折れた骨が白い皮膚から顔を覗かせていた。

 

「あああっ…………う、腕がぁ………ッ! ―――――――ぎぃっ!?」

 

「すぐ再生するだろ? 問題ない」

 

 笑顔でそう言いながら、まだ再生している途中の彼女の左の肘をブーツで思い切り踏みつける。冒険者向けに用意されたがっちりした黒いブーツの下で、再生していた途中の肉が潰れ、またしても骨が砕けていく感触がする。

 

 右腕をへし折った尻尾を、今度はメイドの首へと巻き付けてそのまま持ち上げる。呼吸を整えながらこっちを睨みつけてくるメイドを見つめながら、俺は笑うのを止めて問いかけた。

 

「…………ところで、質問してもいいかな?」

 

 尻尾で首を絞めつけつつ、さっき手放したFA-MASを拾い上げる。

 

「”俺”のお姉ちゃんの左腕と左足を奪ったのって、お前?」

 

「俺…………!? あなた、魔女じゃないの………ッ!?」

 

「気付かなかった?」

 

 もうラウラのふりはしなくてもいいだろう。容姿が似ている上に本来の声までほぼ同じだから、髪を染めて性別を変え、本来の声で喋るだけで、俺は”もう1人のラウラ”と化すというわけだ。

 

 けれども、もうラウラのふりをする必要はない。ここから先はラウラではなく、”タクヤ”に戻らなければならないのだ。そうしなければラウラを汚すことになってしまうのだから。

 

 汚れるのは俺だけでいい。彼女を守るためならば、俺は全身真っ赤に汚れても構わない。

 

 というわけで、いつも喋っている時のように声を意図的に低くする。少しでも俺を男だと思ってもらうためにこうやって声を低くして喋ってるんだが、ほとんど意味はなかったようだ。

 

 髪は敵兵が持ってた水筒の中の血で染めたけれど、尻尾と角は染めていない。もしかしたら偽物のラウラだと気付かれるんじゃないかと思ってたんだが、このメイドは気付かなかったな。

 

「ところでさ、ラウラの左腕と左足を奪ったのはお前だよな?」

 

 問いかけると、メイドは笑った。

 

「そうよ…………………私が奪ってやったのよ、あの魔女からッ!」

 

「そうか」

 

 こいつか。

 

 もしこいつじゃなかったら、彼女の腕と足を奪った敵の情報を吐かせるつもりだったんだが、もう吐かせる必要はなさそうだ。このまま痛めつけるだけでいいのだから。

 

「ふふふふっ…………彼女の復讐のつもり?」

 

 無視しながら、FA-MASを腰の後ろに下げておく。その代わりに引き抜いたのは――――――――お気に入りの得物(テルミット・ナイフ)

 

 ボウイナイフのようにがっちりした刀身と、ナックルダスターを思わせる武骨なフィンガーガードが特徴的な大型のナイフだ。刀身の付け根の部分には、まるで古めかしいフリントロック式のライフルを彷彿とさせる撃鉄(ハンマー)と火皿が搭載されている。

 

 木製のグリップ―――――――外側を木製の部品が覆っていて、内部には金属製の部品がある―――――――の後端にあるハッチから、アルミニウムの粉末と酸化した金属の粉末を混ぜ合わせたものが入ったカートリッジを装填し、トリガーを引くことで火皿の黒色火薬がカートリッジの”中身”に着火させてテルミット反応を引き起こし、カートリッジ後端の少量の黒色火薬がその超高温の粉末を刀身の先端部にある噴射口から射出することで、標的を焼却するという恐るべきナイフである。

 

 圧倒的な殺傷力を誇るナイフだが、どういうわけかフリントロック式であるため、再び超高温の粉末をぶちまけるのには手間がかかってしまう。

 

 久しぶりに木製のグリップを握り、刀身を見下ろす。漆黒に塗装された分厚い刀身を見つめてから、もう一度メイドの方を見る。

 

「残念ね。ここで私を殺しても無駄よ。あなたたちは、ブラド様によって皆殺しにされるのだから」

 

 強がるなよ、吸血鬼(ヴァンパイア)。

 

 超高温の粉末をぶちまけてやろうかと思ったが、それよりも先に、尻尾に拘束されていたメイドが再び足を振り上げ、俺の脇腹へと蹴りを叩き込みやがった。

 

「ッ!」

 

 はっきり言うと、これは予想外だった。

 

 脇腹に彼女の右足がめり込み、左側の肋骨が2本くらい折れる音が聞こえる。性別を男に戻しておけばよかったと思った頃には、俺は尻尾を彼女から離してしまった挙句、壁に叩きつけられていた。

 

 くそったれ、こっちの防御力は初期ステータス以下なんだぞ…………?

 

 すぐに起き上がりつつ、性別を元へと戻す。ラウラよりも一回り小さかった胸が引っ込んでいったかと思うと、身長が少しばかり伸び、大きめのコートの中で身体が少しばかり大きくなる。けれども身に纏っているこの転生者ハンターのコートは親父のサイズに合わせてある代物なので、どちらかと言うと華奢な俺にとっては十分デカいのだ。

 

 とりあえず、エリクサーで回復するべきだ。肋骨が折れているのだから。

 

 短いマントの内側にあるエリクサーの収まったホルダーへと手を伸ばそうとしたが、さっきメイドが床に落とした筈のライフルが消えていることに気付いた俺は、すぐに左手をもう1本のテルミット・ナイフに伸ばすと同時に、胸板と腹の辺りに蒼い外殻を生成する。

 

 皮膚が外殻に変異して身体を覆い終えると同時に、ズドン、と銃声が響き渡り、1発の.408チェイ・タック弾が胸板へと直撃した。

 

「ッ!!」

 

 肋骨は折れたままだったが、やっぱり外殻を生成したのは正しかったようだ。もし回復しようとしていたら、この大口径のライフル弾でやられていたに違いない。

 

 幸い、男に戻った時の俺の外殻は、12.7mm弾どころか14.5mm弾や23mm弾でも貫通不可能なほど硬い。さすがに40mm機関砲は防げないかもしれないが、この外殻は発達すれば一撃だけならば120mm砲を防ぐこともできるほどの硬さになるという。

 

 俺から離れ、瞬時にチェイ・タックM200を拾い上げたメイドの一撃は命中したが、まるで戦車の装甲が銃弾を弾き飛ばすかのような甲高い音を奏でながら、大口径の.408チェイ・タック弾が弾かれ、部屋の天井へと突き刺さった。

 

 弾丸が飛んできた方向を睨みつけると、スナイパーライフルを構えたメイドが目を見開きながらこっちを見ていた。今の一撃で止めを刺すつもりだったらしいが、俺は戦闘に特化したオスのサラマンダーの遺伝子を持つキメラである。メスよりもはるかに早く分厚い外殻を生成できるため、防御力は別格なのだ。

 

「う、嘘…………弾丸を弾い――――――――」

 

 逃がさん。

 

 姿勢を低くし、スナイパーライフルを構えているメイドに向かって全力疾走する。姿勢を低くしながら突っ走る度に激痛を感じるが、その激痛を無視してそのままメイドに肉薄する。

 

 メイドは大慌てでボルトハンドルを引き、でっかい薬莢を排出したが、次の一撃が放たれるよりも先に肉薄できるのは火を見るよりも明らかだった。もし相手の得物が連射のし易いセミオートマチック式の得物だったのならば弾幕を張って後退することができたのかもしれないが、ボルトアクション式は命中精度が高い代わりに連射が効かないという欠点がある。

 

 それゆえに、スナイパーは接近戦に弱い。

 

 おそらくこのメイドはその欠点を格闘術と古めかしいリボルバーで補っていたつもりなのだろう。もう一度強烈なライフル弾を放とうとするのではなく、その弱点を補うための武器で反撃すれば逃げることはできたかもしれない。

 

 しかし、あの外殻の防御力を目にしてしまったからなのか、メイドは大口径のライフル弾にこだわってしまったようだった。

 

 それゆえに、あっさりと肉薄できた。

 

「―――――――!」

 

「やあ」

 

 腰の後ろから伸びた尻尾の外殻が、俺へと向けられていたチェイ・タックM200の銃身を殴りつける。今度は柔らかい鱗ではなく分厚い外殻で覆われている状態だから、このように外殻でぶん殴ったり、先端部の鋭い部分で突き刺すこともできるのだ。

 

 ライフルをこっちに向けられないように尻尾を巻きつけておきながら、更に肉薄する。メイドは大慌てで折り畳み式のナイフを取り出して刀身を展開するが、彼女のナイフが刀身を展開し終えた頃には、懐に飛び込んだ左手のテルミット・ナイフの切っ先が、彼女の首へと駆け上がっていた。

 

 ボウイナイフのように大きな刀身の峰には、セレーションまでついている。

 

 切っ先が肉の塊に突き刺さる感触がすると同時に、傷口から噴き出した暖かい鮮血がナイフを握っている左手に降りかかる。漆黒の刀身とフィンガーガードを鉄の臭いがする鮮血が濡らし、銃声の残響を吸血鬼の少女の呻き声がかき消していく。

 

 火皿の中の黒色火薬が鮮血で台無しになっていないことを祈りながら、俺はフィンガーガードの内側にあるトリガーを引いた。

 

 銃声にも似た爆音と、火薬の臭いを孕んだ凄まじい白煙が左手を包み込んだ。火皿の中に注入しておいた黒色火薬は健在だったらしく、点火されたその黒色火薬は内部のカートリッジに着火する役目をしっかりと果してくれたのである。

 

 火皿の火薬がカートリッジの中に納まっていた粉末に着火すると同時に、後端に充填されていた少量の黒色火薬も点火させ、爆発した火薬の爆風が粉末を炎上させながら、ナイフの切っ先にある噴射口から灼熱の粉末を噴射させる。

 

 噴射口から入り込んだ鮮血すらあっという間に蒸発された灼熱の奔流は、鮮血を吹き上げ続けていたメイドの傷口へと飛び込むと、約4000℃の粉末は容赦なく少女の血液を蒸発させ、肉や皮膚を焼き尽くした。

 

 しかも噴射口のある切っ先が斜め上を向いていたため、その灼熱の粉末は喉元だけでなく、口の中や鼻孔まで蹂躙した。金切り声を上げる少女の口の中は火の海と化しており、頃焦げになった舌が火達磨になっていた。

 

 顔や首の皮膚がどんどん黒くなっていく彼女から強引にナイフを引き抜くと同時に、黒焦げになった肉が付着した黒い刀身が白い煙を吐き出しながら姿を現し、肉の焦げる臭いが部屋の中を支配する。華奢な腹をがっちりした冒険者用のブーツで思い切り蹴り飛ばすと、メイドは黒焦げになってしまった口から呻き声を上げながら、窓の外へと吹っ飛ばされていく。

 

 熱で声帯まで燃え尽きてしまったのだろう。4000℃の粉末を首や頭へと直接流し込まれた吸血鬼の少女が、凄まじい苦痛を味わったのは想像に難くない。

 

 引き抜いたナイフから黒焦げになった肉片を引き剥がそうとしたその時、バチンッ、と窓の外から金属音が聞こえてきた。

 

 そういえば、さっきメイドが吹っ飛んで行った窓の外にはトラバサミをいくつか仕掛けておいたような気がする。もちろん堅牢な外殻を容赦なく貫通できるように、鋭いスパイクがこれでもかというほど設置された対魔物用のトラバサミである。

 

「うわっ…………」

 

 吹っ飛ばされて叩きつけられた場所に、ちょうどトラバサミが仕掛けてあったらしい。腰が地面に当たった瞬間にトラバサミが始動したのか、これでもかというほど鋭いスパイクが取り付けられた対魔物用のトラバサミが喰らい付いたのは、少女の華奢な両足ではなく、すらりとした腰だった。

 

 まるで巨大な怪物に下半身を食い千切られそうになっているようにも見える。自分が仕掛けた罠だというのに、今しがた吹っ飛んで行った少女を確認して顔をしかめた。

 

「可哀そうだなぁ」

 

「あっ、ああ…………い、痛いよぉ……………………ッ!」

 

 窓の外へと出て、顔を再生させている最中の吸血鬼の少女を見下ろす。

 

 トラバサミに食いつかれた腰の傷口から流れ出た鮮血が、砂に覆われた道の中で一時的に鮮血の水溜まりを作る。その水溜まりの中には、苦しむ吸血鬼の少女を見下ろしながら笑っている自分が映っていて、俺はぎょっとしてしまった。

 

 いつの間に笑っていたのだろうか。

 

「…………」

 

「き、キメラめ…………ッ! か、必ず私たちが………せっ、絶滅させてやるぅ…………ッ!」

 

 もう再生は終わったらしい。

 

 トラバサミに喰らい付かれたメイドは、もう丸腰だった。腰の周りをスパイクで貫かれている状態だから、もう抵抗はできないだろう。

 

 十分痛めつけたし、そろそろ殺そうかな。

 

 そう思いながらヘカートⅡを取り出し、銀の弾丸をメニュー画面で生産しようとする。けれども、「生産」と書かれたメニューをタッチしようとした瞬間、利き腕と左足を失ってベッドに横になっているラウラの姿がフラッシュバックして、反射的に指を止めてしまう。

 

 ―――――――もっと痛めつけろ。

 

 俺の女(ラウラ)から腕と足を奪ったんだ。簡単に殺していいのか? 

 

 もっとこのクソ野郎が苦しんでいる姿を見るべきじゃないのか?

 

「…………」

 

 まだ、足りない。

 

 右手のテルミット・ナイフを逆手持ちにした俺は、躊躇せずにそれをメイドの腹へと突き立てた。

 

「ギィッ!!」

 

 吸血鬼の身体が再生する場合は、心臓に近い部位が”本体”となる。例えば剣士の強烈な剣戟で上半身と下半身を真っ二つにされた場合は、心臓のある上半身から下半身が生え、切断された下半身はそのまま動かなくなるというわけだ。再生の”スタート地点”は心臓なのである。

 

 トラバサミに喰らい付かれている彼女を引っ張り出すことができるし、ついでに痛めつけることもできるから、ここで上半身と下半身を両断しておこう。

 

 こいつには、もっと苦しんでもらわないといけないから。

 

「ギッ………ア…………ッ! ギィッ…………グエェッ………カァ…………ッ!」

 

 内臓もろとも肉を切り裂き、硬い背骨を巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動させて強引に両断する。彼女のメイド服を血や内臓の一部がこびりついた刀身が突き破ると同時に上半身を引っ張ると、ぶちん、と再生しかけていた肉が千切れる音を奏でながら、トラバサミに滅茶苦茶にされた下半身が”置き去り”にされる。

 

「………」

 

 気を失ってしまったのか、たった1本のナイフで上半身と下半身を切断されてしまった銀髪の少女は、白目になった状態で涙を流し、口を開けたまま気を失ってしまっていた。

 

 俺は動かなくなったメイドの襟をつかみ、傷口の再生をしている彼女の上半身をそのまま引きずっていく。

 

 まだ俺は笑っているんだろうか。

 

 そう思いながら、俺は血の臭いがする廃村の中を歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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憤怒のキメラ

 

 冷たい空気と猛烈なカビの臭いがする空間の中で、銀髪の少女は目を覚ました。

 

 棒で突けば一斉に埃や砂塵が降り注ぎ始めそうなほど汚れた天井にぶら下げられているのは小さなランタンだ。傷だらけであるから使い込まれていることが分かるが、天井の板のように古びているわけではないため、元々この部屋の照明用にぶら下げられていたものではないのだろう。

 

 天井にぶら下がっているのは、産業革命以降にあらゆる売店で販売されるようになったモリガン・カンパニー製のランタンだ。冒険者向けに開発されたコンパクトな代物で、それなりに光も強いため、野宿や暗いダンジョンを調査する際に重宝するという。

 

 冒険者だけでなく商人や傭兵たちにも愛用されている代物だが、さすがに暗い部屋の中をそれ1つだけで照らすのは想定外なのだろう。ランタンの中に居座る炎が照らしているのは天井の板と真下にある床の一部だけで、それ以外は除け者にされてしまったかのように暗闇に支配されている。

 

(ここは…………?)

 

 少女が周囲を見渡そうとした瞬間、赤毛の女性の姿がフラッシュバックする。

 

 鮮血を思わせる長い赤毛と、同じく赤い瞳。フードのついた漆黒のコートを身に纏い、複数の銃と変わった形状のナイフで武装していた、キメラの女性。

 

 そのフラッシュバックが、”起爆スイッチ”となった。

 

 気を失う前に彼女が経験する羽目になった激痛と恐怖が、一斉にアリーシャの脳の中で再び目を覚まし始めたのである。普通の人間ならばすぐに死んでしまうほどの猛烈な激痛と、凄まじい憎悪を纏った敵の殺意。赤毛のキメラに嬲り殺しにされていた事を思い出したアリーシャは、ランタンの明かりを睨みつけながら歯を食いしばる。

 

 吸血鬼たちの中には、自分たちが最も優れている種族であるという思想を捨て、他の種族たちとの共存を試みている同胞たちもいる。しかしアリーシャは幼少の頃に奴隷にされた経験があるため、人間たちと共存する気にはなれなかった。

 

 それゆえに、彼女は人間を憎む。

 

 この春季攻勢に勝利し、忌々しいテンプル騎士団から天秤の鍵を全て奪還すれば、この世界を支配した伝説の吸血鬼であるレリエル・クロフォードを復活させることができる。彼が復活すれば再び容易くこの世界を支配することができるのだ。

 

 吸血鬼たちが世界を支配すれば、もう二度と人間たちに奴隷にされることはなくなる。吸血鬼の男性たちが強制的に労働させられ、女性たちが犯されることはなくなるのだ。

 

 しかもテンプル騎士団の団長は、そのレリエル・クロフォードを殺した魔王の息子であるという。魔王を始末する前に彼の息子を消すことができれば、忌々しい魔王(キメラの王)に苦痛を与えることができるだろう。

 

 彼女の中で産声を上げた憤怒が、フラッシュバックで再び目を覚ました恐怖を食い千切る。吸血鬼のプライドを滅茶苦茶にしていた恐怖を咀嚼した憤怒が徐々に肥大化していったが、何故か激痛は全く消える気配がなかった。

 

「え…………?」

 

 両手の手のひらと両足の太腿を、激痛が押し潰す。

 

 目を見開きながら利き手である右手の手のひらの方を見た彼女は、手のひらに奇妙な金属の物体が突き刺さっていることに気付いた。刀身と思われる部分が彼女の手のひらを貫通して背後のレンガの壁に突き立てられており、彼女に苦痛を与えつつ拘束しているのである。刀身のような部分の後方には木製のグリップらしき部分があるため、手のひらに突き刺さって彼女に苦痛を与えている元凶がナイフであることが分かる。

 

 何の変哲もないナイフだ。対吸血鬼用に刀身を銀に変えている様子はない。吸血鬼が嫌う聖水を刀身に塗っているわけでもないらしく、アリーシャの肉は再生するために足掻き、何度もナイフの刀身に両断され続けている。

 

 左側の手のひらにも、鍛冶屋に行けば賃金の低い労働者でも購入できそうなごく普通のナイフが突き刺さっていた。

 

 その普通のナイフが彼女の手のひらを貫通した挙句、背後に鎮座するレンガの壁に突き刺さっていることに違和感を感じつつ、そのまま両足を見下ろす。

 

 激痛を感じているのは、両手の手のひらだけではないのだ。両足の太腿にも何かが突き刺さっているような感触がするのである。

 

 ぞくりとしながらゆっくりと自分の足元を見下ろしたアリーシャは、自分の太腿に”喰らい付いている”代物を目にした瞬間、赤毛のキメラに嬲り殺しにされていた際に感じる羽目になった激痛を思い出した。

 

「ひぃ…………ッ!」

 

 魔物の硬い外殻すら容易く突き破ってしまう無数のスパイクは、まるで巨大なサメの口を彷彿とさせる。魔物を想定した代物であるため、それを対人用に使用すれば、それに喰らい付かれた標的の肉や骨は呆気なく噛み砕かれ、血の海を作り出す羽目になるのは想像に難くない。

 

 自分の血で真っ赤に染まった無数のスパイクは、容赦なく彼女の太腿の肉に喰らい付いていた。本来ならば小型のドラゴンやゴーレムのように硬い外殻を持つ魔物に苦痛を与えつつ足止めするためのトラップなのだが、彼女の足元に用意されたその対魔物用トラバサミは、”罠”ではなく拷問用の”道具”として機能していた。

 

 もちろん人間に使えば大量に出血する羽目になるため、あっという間に死亡してしまう。再生能力を持つ吸血鬼だからこそ、拷問用の道具として機能するというわけだ。

 

「こんばんわ、メイドさん」

 

「ッ!」

 

 部屋の反対側から、少女のような声が聞こえた。

 

 ぎょっとしたアリーシャが再び目の前の床の一部を照らしているランタンを睨みつけると同時に、部屋の反対側からやってきた人影が天井のランタンを手に取り、ゆっくりとアリーシャのすぐ近くまでやって来る。

 

 暗い部屋の中に姿を現したのは、蒼い髪の少女だった。蒼空を彷彿とさせる長い髪が肩の短いマントの一部や後ろのフードを覆っている。黒いコートやズボンに包まれている手足はすらりとしているが、幼少の頃から鍛え上げていたのか、すらりとした手足にしっかりとした筋肉がついていることが分かる。

 

 見覚えのない容姿の少女であったが、目を覚ました直後に苦しむ羽目になった彼女が耳にしたその少女の声は、あの廃村でアリーシャを散々痛めつけた忌々しい赤毛のキメラと同じ声であった。

 

 よく見ると、その少女の頭からはダガーのような形状の角が生えているのが見える。根元の方は黒いが、先端部に行くにつれて蒼くなっており、先端部はまるでサファイアのように透き通っている。腰の後ろからも荒々しいオスのドラゴンの身体を覆う堅牢な外殻に覆われた蒼い尻尾が伸びており、ダガーのように鋭い先端部が、すぐに串刺しにしてやると言わんばかりにアリーシャへと向けられていた。

 

 髪の色は真逆だが、アリーシャを睨みつけている瞳の色は、彼女を嬲り殺しにした赤毛のキメラと全く同じ色である。

 

「誰…………!?」

 

「さっきまで戦ってただろ?」

 

「お前…………ッ!」

 

 確かに、髪の色と胸の大きさを除けばあの赤毛のキメラに瓜二つである。

 

「鮮血の魔女じゃないのね…………?」

 

「ああ、そうだ。俺はテンプル騎士団団長『タクヤ・ハヤカワ』。お前が討ち取った”筈”の鮮血の魔女(ラウラ・ハヤカワ)の腹違いの弟だよ」

 

「弟…………?」

 

「その通り。同い年だけどな」

 

 ナイフで両手を串刺しにされた挙句、両足をトラバサミに貫かれているアリーシャを見下ろしながら、タクヤは嗤った。

 

 姉であるラウラ・ハヤカワを討ち取った憎たらしい狙撃手を容易くおびき出してから、散々痛めつけることができて満足しているのだろう。そう思った瞬間、アリーシャの中の恐怖を喰らい尽くした憎悪がさらに膨らんでいく。

 

 忌々しいキメラに痛めつけられたという”恥”が、まるで油のように業火(憤怒)の中へと流れ落ちていった。

 

「お前が魔女のふりをしていたという事は、彼女は戦死したのかしら? 可哀そうに」

 

「残念ながら生きてるよ。ベッドの上で治療を受けながらな」

 

 標的を仕留め損ねた狙撃手を嘲笑いながらそう言ったタクヤは、肩をすくめてから右手を腰へと伸ばした。廃村でアリーシャに風穴を開けた銃は1丁も装備していないようだったが、腰にはやけに大きなナイフの鞘が2本ほど下げられており、革製の鞘からはナックルダスターを彷彿とさせる漆黒のフィンガーガードと、木製のグリップが突き出ていた。

 

 その木製のグリップを握ったタクヤはゆっくりとナイフを引き抜くと、漆黒の刀身を見つめてから、大量の鮮血を流しつつタクヤを睨みつけている吸血鬼の少女に向かって、漆黒のナイフを突き出す。

 

 ボウイナイフの刀身を彷彿とさせるがっちりとした刀身が、メイド服に身を包んだ少女の腹を貫いた。

 

「ああああああああああああッ!!」

 

「―――――――はははっ」

 

 笑いながら、強引にナイフの刀身をアリーシャの腹から引き抜く。がっちりした刀身が刻み付けた傷口から鮮血と共に彼女の腸が流れ落ち、真っ白なフリルのついたメイド服を台無しにしていった。

 

 しかし、タクヤの持つテルミット・ナイフの刀身は銀ではない。そのためアリーシャの腹に刻まれた傷口はすぐに塞がり始めた。鮮血と一緒に流れ落ちた筈の血まみれの腸が唐突に傷口へと吸い込まれていったかと思うと、その傷口を筋肉繊維が塞ぎ、再生したばかりの筋肉繊維の表面を真っ白な皮膚が覆っていく。

 

 常人ならばそのまま死んでいただろう。しかし、吸血鬼は弱点である銀や聖水を使われない限り、すぐに傷口を再生させることができるのである。

 

 だが、人間と同じように痛覚もあるため、傷を負う度に苦痛を感じる羽目になるのだ。

 

「薄汚いキメラめ…………ッ!」

 

「悪いが、お前はどんなに濃いモザイクでも修正しきれないくらい無残に殺す予定なんだ」

 

 突き刺したナイフの刀身に指を当ててから鞘に戻したタクヤは、血まみれになってしまった右手をそのままコートの内ポケットへと突っ込んだ。内ポケットに収まっていた代物を取り出した彼は、ニヤリと笑いながら左手を伸ばし、まるで首を絞めようとしているかのように、アリーシャの首を押さえつけた。

 

 内ポケットから顔を出したのは、何の変哲もない注射器であった。小さな円柱状のガラスの管の中にはもう既に橙色の液体のようなものが入っているのが見える。

 

 魔術が普及したことによって”医術”がほぼ完全に廃れてしまったため、現代のこの世界では滅多に目にすることができない代物である。傷口を塞ぐのであればヒールを使うかヒーリング・エリクサーを服用すれば瞬く間に傷が塞がるため、注射する必要はない。病気を治療する際も違う種類のエリクサーを服用していればいいのだ。

 

 姿を消した”医者”たちが使っていたメスは魔物から内臓を摘出する道具として今でも使われているが、注射器は医術と共に廃れてしまった道具なのである。

 

 廃れてしまった医術のための道具が、”中身”と共にアリーシャに牙を剥こうとしている。これからさらに痛めつけられるという恐怖と、滅多に目にすることができない未知の道具がこれから牙を剥くという違う種類の”恐怖”が混ざり合い、彼女の心を侵食する。

 

「そ、それは…………?」

 

「さっき討伐したスライムの身体の一部だよ」

 

「す、スライム………!?」

 

 強酸性の粘液で構成された獰猛な魔物の一種である。獲物を発見するとすぐに襲い掛かり、強酸性の粘液で得物の身体を溶かして吸収してしまうという恐ろしい魔物だ。しかも剣の斬撃や弓矢の強烈な一撃は全く効果がないため、魔術で殲滅するしかない。

 

 もちろん弾丸を撃ち込んでも無意味だ。

 

 遺跡の中や地下に生息している魔物であるため、そのようなダンジョンを調査する際は魔術師を連れて行くか、魔術を身につけていることが望ましい。

 

 アリーシャが気を失っている間に、タクヤはスライムを討伐し、その身体の一部を注射器の中に入れておいたのだ。しかも彼が持っている注射器は、タンプル搭の工房で働くハイエルフの団員が作り上げた特別性であり、スライムをその中に入れても溶けることはないという。

 

 本来ならばスライムを捕獲して調査するために作り上げられた特別製の注射器である。

 

「スライムを身体に注射したらどうなると思う?」

 

「………ッ!」

 

 スライムの身体は、強酸性の粘液である。

 

 人間の肉どころか防具や剣まであっさりと溶かしてしまうほど強力だ。それを身体に注射されれば、血管の中に流れ込んだスライムが血液や血管を溶かすだけでなく、肉や内臓を蹂躙することになるのは想像に難くない。

 

 身体の中を溶かされる激痛を味わう羽目になるのだ。

 

 しかも注射されるのはごく少量のスライム。常人ならばあっさりと死亡するだろうが、再生能力のある吸血鬼ならば身体の中を溶かされる激痛を感じながら、身体を再生させ続けることになるため、そのスライムを取り除かない限り永遠に身体の中を溶かされる苦痛を感じ続けることになるのである。

 

 ナイフで身体を切り刻まれたり、トラバサミに喰らい付かれる痛みとは別格である。

 

「や…………やめて………!」

 

「…………」

 

 そっと注射器を近づけたタクヤは、先端部の針を静かにアリーシャの首筋に当てた。

 

「や、やだ…………!」

 

「……………………」

 

「許して…………お願い……っ! やめてよぉ…………っ!!」

 

 抵抗しようとするアリーシャだが、タクヤが思い切り手のひらに突き刺したナイフは微動だにしない。両足に喰らい付いているトラバサミのスパイクも、彼女の太腿から離れる気配はなかった。

 

 このまま指を押せば、注射器の針がアリーシャの白い首に突き刺さる。

 

 アリーシャは涙を流しながら絶叫した。

 

「やだやだぁ! もう痛いのやだぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 もしタクヤが銀の弾丸や銀の刀身に変更したナイフを装備して彼女を痛めつけていれば、アリーシャはこの廃村の中にある地下室へと連れて来られる前に絶命していただろう。いくら銀や聖水に耐えられる吸血鬼とはいえ、立て続けに何度も弱点で攻撃されれば絶命してしまうのである。

 

 だからこそタクヤは、銀や聖水は一切使わなかった。ラウラから利き手と左足を奪った怨敵を、苦しめられるように。

 

「やだっ…………! お願い、助けてっ!! ブラド様ぁぁぁぁぁっ!!」

 

「―――――――ふざけんなよ、クソ野郎」

 

 あまりにも冷た過ぎる声が、地下室の中の”音”を支配する。

 

 タクヤ・ハヤカワは今までに何人も転生者を狩り続けてきた”二代目転生者ハンター”である。人々を虐げていた”クソ野郎”を容赦なく惨殺する時の彼の声も、十分に冷たかった。

 

 しかし、今の彼の声の冷たさは、今までの冷たい声を凌駕していた。

 

 左手の指の部分だけをキメラの外殻で覆った状態で、タクヤはアリーシャの首を絞め始める。まるで鉤爪のように鋭くなったキメラの爪がアリーシャの首筋にめり込み、皮膚を引き裂いていく。

 

「お前が手足を奪ったラウラも苦痛を味わったんだ。しかもキメラには再生能力はない。手足を失ったら、義足を移植しない限り二度と立てないんだよ。…………分かるか? お前がこれから感じるちっぽけな激痛よりもはるかに痛いんだよ」

 

「ギッ…………ウ……アァ………グエッ………!」

 

「だからお前は無残に殺す。こいつを注射したら、苦痛を感じてるお前の身体をナイフでバラバラにしてやる。言っておくが対吸血鬼用の装備はまだ装備してないから、お前はしばらく”死ねない”からな」

 

「ギィ…………ッ!」

 

 そう言ってから、タクヤは注射器の針をアリーシャの首に突き刺し――――――――中に詰まっていた恐ろしい魔物の一部を、解き放った。

 

 注射針の穴から躍り出た橙色の粘液は瞬く間に血管の中へと入り込むと、触れた血管を溶かしながらアリーシャの血管を抉り始めた。穴の開いた血管から飛び出して筋肉や骨へと襲い掛かり、吸血鬼の少女の身体を思う存分消化し、吸収していく。

 

 もし本来のサイズであったのならば、注射器には入らない上に、アリーシャが再生するよりも先に全身を完全に溶かして殺してしまっていた事だろう。

 

 だが、タクヤがプレゼントしたスライムは注射器に入る程度のサイズであるため、そう簡単に全身を溶かすことはできない。しかも吸血鬼には再生能力があるため、解き放たれた小さなスライムは永遠に食料に喰らい付くことができるというわけだ。

 

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! あぁぁぁぁ………うぐっ! 痛いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 先ほどタクヤがナイフを突き刺した傷口の近くから、鮮血を吸収している最中の小さな橙色の粘液が、皮膚を溶かしながら顔を出す。間違って外に出てしまったという事に気付いたのか、小さなスライムは流れ出ようとしている鮮血を片っ端から吸収しながら、大慌てで体内へと戻っていった(食事を再開した)

 

 苦しむ少女を見つめながら、転生者ハンター(切り裂きジャック)は静かにテルミット・ナイフを振り上げる。

 

 白いレンガと古びた板に囲まれた小さな地下室は、少女の絶叫と少年のどす黒い憤怒によって支配されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱の粉末をぶちまけられた橙色の粘液が、蒼い炎の中で消えていく。

 

 このクソ野郎の肉を食べるのが飽きたのか、首筋の筋肉と皮膚を食い破って飛び出してきたスライムを始末してから、血の海と化した地下室の中を見渡す。埃と砂塵だらけだった地下室の床の板は目の前のクソ野郎が流した鮮血や抉り出された内臓の一部のせいで完全に真っ赤に染まっていた。

 

 親父が身につけていたコートを改良した俺のコートも血まみれになっていて、袖や胸板の部分には、ナイフで内臓や肋骨を切り取った際に千切れ飛んだ筋肉繊維の一部がこびりついている。真っ赤に染まった手袋でその筋肉繊維の一部を摘み取ってから放り投げ、血の臭いが支配する地下室の中で溜息をつく。

 

 多分、前世の俺だったら吐いていたに違いない。というか、こんなことは絶対にしないだろう。左腕と左足を失ったラウラのために義足を手配し、リハビリをする彼女の世話をしていた筈だ。

 

 もし仮にラウラの手足を奪ったこいつに復讐することになっても、こんなに痛めつけなかっただろう。弱点の銀であっさりと殺していたのは想像に難くない。

 

 けれども今の俺は、前世の世界に住んでいた頃よりもはるかに冷酷になった。泣き叫ぶ吸血鬼の少女の身体にスライムを注射して、身体の中を溶かされている少女の身体をナイフで容赦なく切り刻み、内臓や骨を1時間ほど抉り続けていたのだから。

 

 そんな残酷なことをしていたにもかかわらず、俺は吐かなかった。

 

「…………」

 

 顔についている鮮血や肉片をコートの袖で拭い去ろうとしたけれど、もう既に袖は鮮血と血でかなり汚れていたせいで、余計顔が汚れてしまう。

 

 血まみれになったナイフを鞘に戻してから、まだナイフとトラバサミで拘束されている少女を見つめる。

 

 ひたすら体の中を溶かされ続けた挙句、ナイフで何度も切り刻まれた吸血鬼の少女の目つきは虚ろになっていた。虚ろになった瞳から血涙が流れ落ち、足元を埋め尽くしている自分自身の内臓の山へと零れ落ちている。

 

 試しにもう一度ナイフを振り上げてみたが、このメイドはもう怯えなかった。

 

「…………」

 

 血涙を流し続けるメイドの虚ろな瞳を見つめつつ、メニュー画面を開く。生産済みの武器の中から愛用しているPL-14を選択し、カスタマイズの項目を開いて弾丸を銀の弾丸に変更する。

 

 ホルスターと共に装備されたそれのマガジンを一旦外し、銀の弾丸が装填されていることを確認した俺は、装備したばかりのPL-14を、心が壊れた吸血鬼の少女へと向けた。

 

 銃口を向けられているというのに、この少女はもう怯えない。自分の血涙を、拷問の最中に抉り出された自分の内臓の山へと垂らしているだけだ。

 

 吸血鬼は”銀や聖水などの弱点を使わない限り死なない”と言われているが、正確に言うと、弱点を一切使わなくても殺す方法は存在するという。

 

 例えば魔術で完全に消滅させれば再生できないし、でっかいスライムの中に放り込んでやれば再生する前に溶けて消滅してしまう。更に、銀や聖水を使っていない武器でも、”ひたすら斬りつけていれば、吸血鬼を殺すことが可能”らしい。

 

 人間を遥かに上回る身体能力を持つ吸血鬼を何度も殺すのがあまりにも難しすぎるため、”弱点でなければ殺せない”と言われ始めたという説があるのである。できるならばこのクソ野郎を使って実証してみたかったんだが、いつまでもこいつを痛めつけているわけにはいかない。

 

 仲間たちの元に戻り、吸血鬼共を迎え撃たなければならないのだ。

 

 だからもう終わりにする。

 

 心が壊れた吸血鬼の少女の首にある傷口は、かなりゆっくりと再生していた。弱点である銀ではなく、先ほど飛び出して俺に襲い掛かってきた馬鹿なスライムが刻み付けた傷跡である。

 

 最初の頃よりも、再生の速度が落ちていた。

 

 つまり、吸血鬼は普通の武器でもひたすら攻撃し続けていれば、再生能力が弱っていって殺せるようになるという事なのだろうか。再生しなくなるまで銀の弾丸を撃ち込むつもりだったんだが、もしかしたら1発で終わるかもしれない。

 

「………До свидания(さらばだ)」

 

 そう言ってから、俺はPL-14のトリガーを引いた。

 

 

 

 

 




春季攻勢が長引きそうですので、次の章まで続くかもしれません。
長引かせてしまって申し訳ありません。


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残骸

 

 全力疾走するM1126ストライカーICVの兵員室の中で、XM8の点検をしながら深呼吸する。腰のポーチにしっかりと予備のマガジンが入っていることを確認してから、俺は懐に入っている漆黒の懐中時計を取り出す。

 

 仕留め損ねた”鮮血の魔女”を討伐するために、アリーシャが出撃してからもう半日も経過している。彼女は俺の仲間の中でも優秀な狙撃手であり、ブレスト要塞を攻め落とした際も活躍していたが、鮮血の魔女はヴリシアの戦いで大きな戦果をあげた最強の狙撃手であり、単独でマウスを撃破してしまったという。

 

 魔女と一対一で戦わせたのは無茶かもしれない。

 

 陥落したブレスト要塞に用意した本部から何度かアリーシャと連絡を取ろうとしたのだが、彼女は一度も応答しなかった。ヘッドセットを身につけたオペレーターが何度も彼女のコールサインを呼び続け、こっちを見ながら首を横に振っていたのを思い出し、俺は頭を抱える。

 

 彼女が討伐した筈の魔女によって損害が出たのだから、アリーシャが責任を持って仕留め損ねた魔女を殺すべきだと思っていた。それに俺たちはタンプル搭への攻撃の準備をしている最中だったのだから、魔女を討伐するために大部隊を派遣する余裕もなかったのである。

 

 なぜ、アリーシャを1人で討伐に行かせてしまったのだろうか。

 

 はっきり言うと、アリーシャが仕留めた筈の魔女が偵察部隊を皆殺しにした挙句、M1128ストライカーMGSを木っ端微塵にしたという報告を聞いた瞬間、俺は腹が立った。心の中で産声を上げた怒りが瞬く間に”仲間が魔女を討伐した”という喜びを喰らい尽くし、肥大化していったのである。

 

 もし仮に腹を立てていなかったら、彼女を単独で魔女の討伐に向かわせなかったに違いない。テンプル騎士団もこっちを迎え撃つ準備をしているというのに、わざわざ重大な戦力(鮮血の魔女)をあんな廃村に派遣し、こっちが派遣した戦力を迎え撃たせるような真似はしない筈だ。

 

 もし魔女の討伐のために、無茶をして大部隊を派遣すればタンプル搭への攻撃に投入する戦力が減少し、敵は防衛が楽になる。大部隊の代わりに優秀な狙撃手を派遣すれば、その狙撃手を消してテンプル騎士団の損害を減らすことができるのだ。つまりその廃村に現れた”死んだはずの魔女”を殺すために、戦力を派遣した時点でテンプル騎士団の思う壺だったのである。

 

 戦力を派遣せずに準備を続け、タンプル搭攻撃の際にテンプル騎士団もろとも葬ってやればよかったのだ…………!

 

「くそ…………」

 

「ブラド様…………きっとアリーシャ様は無事ですよ」

 

「…………ああ」

 

 アリーシャは優秀な狙撃手だが、才能を持っている上に、幼少の頃から訓練を受けつつ実戦を経験してきた”鮮血の魔女”と比べると、彼女は新兵のようなものだ。

 

 しかもアリーシャからの連絡はない。隣でXM8の点検をしていた仲間は俺を励ましてくれたが、彼女が魔女の討伐に失敗している可能性の方が高いのは火を見るよりも明らかであった。

 

 通信が途絶えた上に、半日も戻ってこないのだから。

 

『見えました、ブラド様。例の廃村です』

 

 ブローニングM2重機関銃が搭載されたターレットを操作している車長の声がスピーカーから聞こえてきた瞬間、武器の点検をしていた兵士たちが一斉に臨戦態勢に入った。安全装置(セーフティ)を解除する音が兵員室の中で生れ落ち、それを発した得物を持つ兵士たちの目つきが鋭くなっていく。

 

 鮮血の魔女は優秀なスナイパーだ。一番最初に廃村に向かった部隊は対戦車地雷でやられたらしいが、ヴリシアの戦いでは「何もない場所から大口径の対物ライフルで狙撃された」という報告が何件もあった。

 

 何も無い筈の場所に居座り、こちらよりも先に敵の居場所を察知して、射程距離外から強烈な狙撃を繰り返す最強の狙撃手ならば、砂漠の真っ只中を全力疾走するこのM1126ストライカーICVの接近に気付いている可能性はかなり高い。いくら対物ライフルでもこの装甲車の装甲を貫けるとは思えないが、最初に派遣された部隊の二の舞になる可能性はある。

 

 対戦車地雷は、最新型の戦車ですら木っ端微塵にしてしまうのだから。

 

 冷や汗を拭い去りつつ、廃村の中に到着するのを待つ。対戦車地雷が仕掛けられていませんようにと祈りながら天井を睨みつけているうちに、M1126ストライカーICVが段々と速度を落とし始めた。

 

『よし、降りてくれ!』

 

「Go! Go!」

 

 兵員室のハッチを開けた兵士が、XM8を構えながら素早く装甲車の外へと躍り出ていく。ハッチの向こうから流れ込んできた風はやっぱり冷たかったが、もしかしたら飛び出た瞬間に魔女に狙撃されてしまうのではないかという恐怖のせいなのか、予想以上に冷たかった。

 

 降りていく兵士たちの後に、俺も装甲車の外へと躍り出る。兵員室の中の兵士たちを降ろしたM1126ストライカーICVの車体の上では、人間の歩兵をあっさりと木っ端微塵にしてしまうほどの威力を持つブローニングM2重機関銃が搭載されたターレットがひっきりなしに旋回し、魔女が潜んでいないか警戒しているところだった。

 

 ターレットのように、俺たちもホロサイトを覗き込みつつ素早く周囲を確認する。

 

 何もない場所から狙撃されたという事は、魔術を使って姿を消している可能性もある。それゆえに視覚や聴覚による索敵だけではなく、魔力の反応がないかも確認しなければならない。

 

「―――――――ブラド様」

 

 俺の近くで周囲を警戒していた若い吸血鬼の兵士が、こっちを見ながら首を縦に振る。

 

 彼が警戒していた方向から、魔力が漏れているような反応がある。魔術を使うために魔力を放出しているのではなく、まるで自分はここにいるぞと言わんばかりにただ単に漏らしているかのように、加圧していない魔力を排出しているようだ。

 

 狙撃するために姿を消そうとする狙撃手が、そんなことをするわけがない。しかも相手はこの世界で最強の狙撃手とは言っても過言ではない女である。ヴリシアで大きな戦果をあげた狙撃手がそんな真似をするわけがない。

 

 十中八九罠だ。

 

 息を呑んでから、その若い兵士に「やめておけ」と言ったが、彼は首を横に振った。

 

「闇属性の魔力です。もしかしたら、アリーシャ様が…………」

 

 吸血鬼の体内にあるのは、他の種族とは比べ物にならないほど純度の高い闇属性の魔力である。他の属性に変換するためには通常よりも手間がかかってしまうという欠点があるものの、闇属性の魔術を使うのであれば、一部の魔術を除いて詠唱せずに使うこともできるのだ。

 

 兵員室から降りた兵士たちが感じ取っているのは、同胞たちが持つ純度の高い魔力である。

 

 もしかすると、瀕死のアリーシャが魔力を放出して自分の居場所を知らせ、助けを求めているのではないだろうか。

 

「………行くぞ」

 

 魔力の反応がする方向を睨みつけつつ、XM8を構えて走り出す。他の兵士たちも別の方向を警戒しながら走り出し、俺と共に狭い路地へと飛び込んでいく。

 

 M1126ストライカーICVはその場に待機させておくことにした。もしかしたら廃村の中にまだ対戦車地雷が残っているかもしれない。それを踏みつければ、あの装甲車もここで木っ端微塵にされたM1128ストライカーMGSの二の舞になる。

 

 もし魔女を発見した場合は、あの重機関銃が搭載されたターレットで支援してもらわなければならない。

 

 古びた木箱の山を蹴り倒し、横倒しになっていた砂まみれの樽を飛び越えていく。吸血鬼の瞬発力や脚力は、当たり前だが普通の人間の比ではない。まるでバイクに乗っているかのような速度で突っ走りつつ、路地の中にトラップが仕掛けられていないか確認しながら突き進んでいく。

 

 魔力の反応が段々と濃密になっていくにつれて、俺たちは速度を落とし始めた。

 

 砂漠で産声を上げる砂嵐のせいで砂の中に埋まりかけている木製の柵の向こうに、他の建物よりもやや大きな白いレンガの建物が見える。柵があるという事は家畜小屋だったのだろうか。開いたままになっている大きな扉の向こうには、入り込んだ砂で覆われた木製の床が見えたが、その床の一部には鮮血がこびりついていた。

 

 後続の兵士たちに合図を送ってから、姿勢を低くしつつ家畜後への近くまでダッシュする。あの魔力の反応がアリーシャならば、あの鮮血はアリーシャの血という事なのだろうか。

 

 家畜小屋へと近づいた俺たちを狙い撃つための罠かも知れなかったが、俺は問題ない。仮に銀の弾丸で頭を吹っ飛ばされても、俺はあのレリエル・クロフォードの遺伝子を受け継いだ吸血鬼である。複数の弱点で攻撃されない限り、銀の弾丸で風穴を開けられたとしてもすぐに再生してしまうのだ。

 

 それに、俺を狙ったのであれば後続の仲間たちに狙撃手の位置を教えることもできる。俺自身が餌というわけだ。

 

 だが、結局”鮮血の魔女”に狙撃されることはなかった。姿勢を低くしたまま家畜小屋の陰に隠れ、さっき俺が飛び出した路地で警戒している兵士たちに合図を送る。

 

 彼らが警戒を続けていることを確認してから、息を吐く。

 

 この中にアリーシャがいる筈だ。きっと重傷を負った状態で、助けを求めるために魔力を漏らし続けていたに違いない。

 

 家畜小屋の中で血まみれになりながら倒れているアリーシャを想像しながら、歯を食いしばって家畜小屋の中を覗き込んだ。

 

 古びた家畜小屋の中にあるのは、天井から剥がれ落ちたボロボロの板や家畜たちを捕えておくための木製の柵の残骸。もちろん、この中にかつて村人たちが飼育していた家畜が残っているわけがない。柵の残骸の向こうには動物の骨が転がっているのが見えたが、家畜小屋のど真ん中に、その骨を確認する余裕を全て消し去ってしまうほど衝撃的な”物体”が居座っていた。

 

 その物体が、床にこびり付いた血痕の原因に違いない。

 

 家畜小屋のど真ん中に居座っていたのは、天井から伸びた金具にぶら下げられた肉の塊だった。前世の世界やこの世界の肉屋の店の中で、ぶら下げられた状態で売られている豚肉の塊を想像してしまう。豚や牛の肉だろうかと思ったけれど、すらりとした胴体らしき部分から伸びている四肢は豚や牛の四肢と形状が違うし、先端の方には指のようなものが伸びている。人間の肉なのだろうか。

 

 表面の皮膚は頭皮もろとも消失していた。うなじに金具を突き刺されているせいで、まるでその肉の塊は、皮膚を全てはがされてしまった人間が首を吊っているようにも見えてしまう。

 

 けれども、そこにぶら下がっている死体は異様だった。

 

 皮膚が剝がされてしまっているというのに――――――――その死体が”死ぬ”前に身につけていたものと思われる衣服だけは、ちゃんと着せられていたのだから。

 

 真っ白なフリルのついたメイド服と、すらりとした黒い靴。かつては頭髪が覆っていた筈の頭部に乗せられているのは、服と同じく真っ白なフリルがついたヘッドドレス。衣服は身につけているというのに皮膚がない、変わった死体。

 

 その死体が身につけている衣服が、死体の正体を俺に告げていた。

 

「あ………アリー……シャ…………なのか…………?」

 

 構えていたライフルを降ろしながら、ゆっくりとその死体に近づいていく。

 

 皮膚と一緒に唇まで引き剥がされたせいで、死体に生えている歯がはっきりと見える。人間のような歯が並んでいるんだが、犬歯だけは鋭くなっていた。普通の人間よりも犬歯が発達しているのは、吸血鬼の特徴なのである。

 

 身体がいつの間にか震えていた事に気付くと同時に、死体の近くにある壁に、少し大きめのバケツと、アリーシャが装備していたチェイ・タックM200が落ちていることに気付いた。

 

 魔女が、こんな無残な殺し方をしたのか…………?

 

 アリーシャのライフルを拾い上げつつ、バケツの中を覗き込む。

 

「っ!!」

 

 その中に入っていた”中身”は――――――――ぶら下がっている死体を収めていたものだった。

 

 血痕が付着した肌色の布にも似た物体と、腹の中からくり抜かれたと思われる内臓の群れが、猛烈な悪臭を放ちながらバケツの中にぎっしりと詰め込まれていたのである。

 

 バケツの中の”肌色の布”の一部からは、銀色の頭髪が伸びていた。

 

 さっき感知した魔力も、このバケツの中から感じる。

 

 魔力を生成する臓器は心臓だと言われている。そのため、心臓を病気や毒に侵食されてしまうと魔力の放出ができなくなってしまう事が多い。

 

 内臓が取り出されているという事は、この中にアリーシャの心臓もあるという事なのだろうか。

 

 そう思った直後、俺は歯を食いしばりながらアリーシャの死体を見つめた。

 

 まるで、肉屋の中にぶら下がっている肉みたいだ。メイド服を着せられているせいで見えないけど、きっと彼女の腹は切り裂かれていて、中にある筈の内臓を全部取り出されているに違いない。

 

 しかもここは、かつて家畜が飼育されていた家畜小屋だ。無残な殺し方をした上に、その死体を家畜小屋にぶら下げたのは、俺たちを侮辱しているようにしか思えない。

 

「肉だというのか…………魔女ッ!!」

 

 歯を食いしばりながらXM8のグリップを握り締めたその時、ぶら下がっているアリーシャの死体の足元に、彼女の鮮血で文字が書かれていることに気付いた。

 

 オルトバルカ語だろうかと思ったが、文字の形状が全く違う。ドイツ語にそっくりなヴリシア語でもない。

 

「…………日本語か?」

 

 この世界の公用語はオルトバルカ語という事になっている。とはいえこの世界に住んでいるすべての人類がオルトバルカ語を話しているわけではない。吸血鬼たちの公用語はヴリシア語だし、発展途上国は自分たちの母語を使っている。

 

 それに、この世界には”日本”という国は存在しない。そのため、転生者がこの異世界でかつての母語を使わない限りは、その言語が存在するわけがなかった。

 

 日本語が書かれているという事は、それを書いた張本人は転生者であるという事を意味する。

 

《吸血鬼の諸君に贈り物だ。これ以上テンプル騎士団の同志を傷つけるために進軍するのであれば、諸君らも彼女と同じ運命を辿ることになるだろう。切り裂きジャックより》

 

「切り裂きジャック…………」

 

 各地で貴族や転生者を惨殺し続けている、この世界で最も有名な殺人鬼だ。

 

 貴族の私兵まで皆殺しにし、標的をナイフで必ずバラバラにしてから、壁に奇妙な言語(日本語)で鮮血を使ってメッセージを書き残して立ち去っていくという。新聞に切り裂きジャックの餌食になった者の記事が載るのは日常茶飯事である。

 

 切り裂きジャックは日本人だったのか…………?

 

 しかもナイフの扱い方が巧い…………?

 

 転生者であることと、ナイフの扱い方が巧いという特徴を組み合わせた瞬間、俺は切り裂きジャックの正体が誰なのかを理解した。

 

「ナガト…………」

 

 タクヤ(ナガト)が、アリーシャを殺したのだ。

 

 ブレスト要塞の戦闘で、自分の姉である鮮血の魔女を殺されたから、復讐するためにアリーシャをおびき出して惨殺したに違いない。しかもあいつの容姿はその鮮血の魔女にそっくりだ。髪を真っ赤に染めて大口径のライフルで部隊を襲撃すれば、兵士たちは鮮血の魔女の襲撃だと勘違いしてしまうだろう。

 

 彼女のふりをすれば、俺がアリーシャを派遣するという事を予測していたのだ。こっちはタンプル搭を攻撃する直前であるため、大部隊を派遣する余裕がないのだから。

 

 ライフルを構えつつ、家畜小屋の中を見渡す。もしかしたらアリーシャを殺したクソ野郎が隠れているかもしれないと思ったが、彼女を惨殺した切り裂きジャック(タクヤ・ハヤカワ)はもう既に立ち去ったらしい。

 

「―――――――ナガトぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 前世の世界では親友だった男への憎悪を肥大化させながら、俺は絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メインローターの音を聞きながら、兵員室の窓の向こうを見つめる。そろそろ夜が明けるらしく、星空は段々と紺色に染まりつつあった。

 

 あのメイドの死体は家畜小屋に”飾って”おいたし、メッセージも残したから、彼女を救出するためにやってきた吸血鬼共は惨殺されたメイドの死体とメッセージを目にしている事だろう。あいつらの士気を下げるためにメッセージを用意したんだが、多分吸血鬼共はこの春季攻勢を続けるだろうな。

 

 撤退するわけにはいかないのだから。

 

『なあ、復讐はどうだった?』

 

 俺を迎えに来てくれた漆黒のカサートカを操縦しているのは、少しだけ手を貸してくれたシュタージのケーターである。どうやら支援できるようにスーパーハインドやホーカムで出撃するつもりだったという。だが、ホーカムは1人乗りだぞ? 俺を回収できないだろうが。

 

 水筒の中に入っているアイスティーを飲んでから、あの吸血鬼の女に止めを刺したPL-14をホルスターから取り出した。漆黒のスライドに触れてからホルスターに戻し、兵員室の座席に寄り掛かる。

 

「すっきりしたよ。でも…………恋人を抱いた方が、600倍気分がいいと思う」

 

『はははっ、変態キメラめ。ならリハビリを終えたラウラを抱いてやりな』

 

「ああ」

 

 搾り取られそうだけどね。

 

 多分、タンプル搭に戻ったらナタリアに怒られるだろうな。勝手に出撃したのだから。

 

 でも――――――――大切な仲間たちが傷つくよりも、ナタリアに怒られたほうがマシだ。

 

 そう思いながら、俺は兵員室の中で溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 



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列車砲襲撃作戦

 

 平手打ちの音が指令室の中へと響き渡る。その音が鼓膜へと流れ込んでくると同時に、左側の頬で痛みが産声を上げ、自分の頭が微かに揺れた。

 

 吸血鬼共の狙撃手を排除し、戦力を削ると同時に敵兵たちの士気も下げることができたのだが、俺はその狙撃手を討伐するために勝手に出撃してしまったのだ。しかも、敵の攻撃を迎え撃つために最終防衛ラインを構築している真っ最中に。

 

 当たり前だけど、決戦の直前に組織の指導者が勝手にいなくなるのは大問題だ。だからタンプル搭に戻ったら、ナタリアやウラルに殴られるだろうなとは思っていた。圧倒的なパワーを持つウラルの拳で殴られるのではなく、ナタリアの平手打ちで済んだのは幸運なのだろうか。

 

「…………今は戦闘の準備中なのよ、タクヤ」

 

「………悪かった」

 

 戦果はしっかりとあげて戻ってきたが、勝手に出撃した理由は、ラウラの手足を奪った狙撃手への復讐だ。戦果をあげれば敵に損害を与えることはできたが、逆に失敗すれば組織が崩壊しかねないほどの大損害を被る羽目になる恐れがあったのである。

 

 個人的な理由でそんなことをするのは、大問題だ。

 

 腕を組みながら睨みつけてくるナタリアに頭を下げ、謝罪する。もしウラルだったら、もう一発くらいぶん殴られていたかもしれない。

 

「…………でも、ちゃんと復讐は果たしたんでしょ?」

 

「ああ、ちゃんとやった」

 

「そう。なら大丈夫よ。頭上げなさい」

 

 ゆっくりと顔を上げると、目の前で腕を組んでいたナタリアは溜息をついてから微笑んだ。

 

「しっかりしなさいよね。この騎士団の団長はアンタなんだから」

 

「分かってる。…………心配かけて本当にすまなかった」

 

「気を付けなさいよね」

 

 ナタリアにもう一度だけ頭を下げて謝罪し、そっと顔を上げる。

 

 顔を上げてからナタリアと共にモニターを眺めていると、俺は指令室の中にケーターがいないことに気付いた。クランと一緒に諜報指令室の方に行っているんだろうか。それとも、俺の復讐に手を貸していたことがバレて説教されているのだろうか。

 

「ところで敵の状況はどうだ? 情報は?」

 

「アンタが狙撃手を始末してくれたおかげで、敵部隊の士気は下がってるみたいね」

 

 そう言いながら、ナタリアは目の前にいるオペレーターから報告書のようなものを受け取り、俺に手渡した。どうやらシュタージが潜入させていたスペツナズの工作員からの報告書らしく、敵の状況についてのレポートや、戦術に関しての情報がぎっしりと書き込まれているのが分かる。

 

 スペツナズの隊員には、ヴリシアで降伏してテンプル騎士団に入団してくれた吸血鬼の兵士が何名か所属しているのだ。そのため、敵兵の軍服さえ調達できれば、敵と全く同じ種族であるためバレることはほぼ無いのである。

 

 様々な種族で構成されているテンプル騎士団の”強み”と言えるだろう。

 

 このように、シュタージはスペツナズや他の部隊から潜入させるための工作員を”借りる”事があるのである。

 

 報告書には、「敵は”アリーシャ”を失った」と書かれている。おそらく俺が惨殺したあの銀髪のメイドだろう。吸血鬼たちの中では極めて優秀な狙撃手だったらしく、タンプル搭への攻撃にも参加し、地上部隊を支援する予定だったという。

 

 攻撃の準備中に予想外の大損害を被ることになった吸血鬼たちは、部隊の再編成のために攻撃を更に延期し、4日後にタンプル搭への攻撃を始めるつもりらしい。生き残った戦車部隊や航空部隊を全て投入して総攻撃を実行するつもりらしく、それまでにこっちの艦隊を殲滅して河に侵入し、タンプル搭を艦砲射撃するつもりのようだ。

 

 空爆や艦砲射撃を叩き込まれた状態で地上部隊からの総攻撃を受ければ、タンプル搭もブレスト要塞のように陥落してしまうだろう。幸いテンプル騎士団の主力艦隊はまだ奮戦を続けてくれているようだが、場合によっては他の支部に艦隊を派遣してもらうべきなのかもしれない。

 

「…………それより、ブレスト要塞が陥落した原因が分かったわ」

 

「なんだと?」

 

 軍帽をかぶり直したナタリアが、報告書を読む俺を見つめながら言った。

 

 ブレスト要塞は堅牢な防壁に囲まれた要塞であり、重要拠点の1つである。簡単に言えば大型の要塞砲を配備していないもう1つのタンプル搭のような要塞であり、防壁の中には飛行場まで用意されている。もし仮に通信設備を破壊されてタンプル搭と連絡が取れなくなっても、こっちの偵察機が要塞の状況を確認してから増援部隊を派遣するまでは、ブレスト要塞の兵力だけでも持ちこたえられるようになっている筈だった。

 

 しかし、敵はあっという間にブレスト要塞を陥落させてしまったのである。いくら吸血鬼の兵士たちの身体能力が高い上に、浸透戦術を使って塹壕を突破していたとしても、あの要塞がすぐに陥落するのはありえない。

 

「生存者の報告だと、”巨大な砲弾”が降ってくるのが見えたらしいの」

 

「巨大な砲弾?」

 

「ええ。その一撃で地上が壊滅して、砲弾が地下へと貫通していったみたいなの。しかも起爆したのはブレスト要塞の中央指令室のすぐ近くだったみたい」

 

 ブレスト要塞は、タンプル搭のような要塞砲を装備していなかった。それゆえに砲撃時の衝撃波で施設が破損することを考慮する必要がなかったため、多くの設備が地上に造られていたのである。

 

 とはいえ、地下に全く設備を用意していなかったというわけではない。もしも敵機やミサイルが対空砲火を突破すれば、地上の設備が木っ端微塵になってしまう。そのためブレスト要塞も、タンプル搭と同じように中央指令室などの重要な設備を地下に用意していたのだ。

 

 だが、分厚い岩盤と分厚い装甲を用意し、仮に砲弾や大型の爆弾が降り注いできてもそう簡単には損害を受けないようになっていたにもかかわらず、たった一撃でその岩盤と装甲を貫通された挙句、中央指令室まで破壊されてしまったのだ。

 

 明らかにその砲弾は、通常の砲兵隊が運用している自走砲の砲弾ではないだろう。ブレスト要塞の中央指令室を守っていた装甲は、戦艦の装甲を流用した代物なのだから。

 

 中央指令室が一発目の砲弾で破壊されたという事は、その砲弾は戦艦の装甲を一撃で貫通できるような代物であるという事を意味している。つまり、戦艦大和が搭載している46cm砲を上回る代物だという事だ。

 

 しかし、敵艦隊はまだウィルバー海峡でこっちの艦隊と交戦中である。河に侵入した敵艦隊が砲撃するのはありえないし、報告では敵艦隊の戦艦はビスマルク級。強力な38cm砲を搭載しているが、戦艦大和の艦砲射撃を想定した装甲で守られているブレスト要塞の中央指令室を一撃で貫通できるわけがない。

 

「ただ、どんな兵器で砲撃されたのかは分からないわ………」

 

「…………分かったぞ」

 

「え?」

 

 戦艦大和の主砲を遥かに上回る口径の代物ならば、第二次世界大戦でドイツ軍が既に実戦投入しているではないか。

 

 命中すれば戦艦大和も容易く撃沈できるほどの破壊力を誇る、”80cm列車砲”を。

 

「―――――――”ドーラ”だ」

 

「ドーラ…………? 何それ?」

 

 メニュー画面を開いて生産のメニューをタッチし、兵器の中から”列車砲”を選択。画面を下に移動させつつ、項目の中に姿を現した”80cm列車砲”をタッチし、表示された兵器の画像を首を傾げているナタリアに見せる。

 

 画面の中に鎮座する巨大な砲身を目にしたナタリアが、凍り付いた。

 

「な、何よこれ…………?」

 

「あら、私の祖国(ドイッチュラント)が生み出した列車砲じゃないの♪」

 

「きゃあっ!? く、クランちゃん!?」

 

 俺が説明しようと思ってたんだが、説明を始めるよりも先にナタリアの背後からクランが顔を出す。彼女の背後にはケーターも立っているのが見えたんだが、彼の頬には平手打ちされた痕があった。どうやらケーターも自分の彼女(クラン)に説教された挙句、平手打ちされていたらしい。

 

「この列車砲はね、世界最大の”80cm列車砲”なの」

 

「は、80cm…………!?」

 

 タンプル搭にある要塞砲は36cm砲である。タンプル搭の名を冠したタンプル砲は要塞砲どころかドーラを遥かに上回っているが、あれは火力を劇的に向上させるためではなく、強力な大陸間弾道ミサイル(ICBM)と砲弾を発射するための”超巨大ガンランチャー”にするために大型化せざるを得なかっただけだ。

 

 確かに、80cm列車砲の砲撃ならば岩盤と装甲をあっさりと貫通し、中央指令室を破壊するのは造作もないだろう。しかしこれは”列車砲”であるため、運用するためには牽引する機関車や線路も準備しなければならない。

 

 いつの間に準備しているのだろうかと考えていると、ナタリアの頭を撫でながら説明していたクランが息を吐いた。

 

「多分、浸透戦術で防衛戦を突破している隙に用意してたのかも」

 

「なるほど…………」

 

 身軽な突撃歩兵たちが、次々に塹壕を突破してくれば、どんなに優秀な指揮官でも接近してくる突撃歩兵を迎撃することを最優先にしてしまうだろう。その後方で準備されている恐ろしい兵器が牙を剥こうとしていることに気付けるわけがない。

 

ドラゴン(ドラッヘ)、こいつは今のうちに潰すべきよ。もし砲撃がタンプル搭に被弾すればブレストの二の舞になるわ」

 

「分かってる。…………だが、戦車部隊を派遣するわけにはいかない。敵に迎撃されちまうのが関の山だ。航空部隊も最終決戦のために温存しなければ――――――――」

 

「何言ってるのよ。こっちにも大きな要塞砲があるじゃない」

 

「…………まさか、タンプル砲を使うつもりか?」

 

「Ja(ええ)」

 

 首を縦に振ってから、クランは笑う。

 

「あれは圧倒的な射程距離を誇る”超大型多薬室ガンランチャー”でしょう? 敵の列車砲はとっくに射程距離内に入ってるわ。問題は居場所が分からない事だけど」

 

 そう言ってから溜息をついたクランは、頭にかぶっていた略帽を取ってから近くの椅子に腰を下ろした。

 

 確かにタンプル砲を使えば、敵の列車砲どころかブレスト要塞を直接砲撃する事が可能だ。その気になれば通常の砲弾で敵艦隊を砲撃することも可能かもしれない。しかも飛来するのは200cm砲の砲弾なのだから、戦艦に命中すれば一撃で真っ二つである。

 

 しかし、タンプル搭の問題点は非常に多い。

 

 タンプル砲には、合計で33基の薬室が搭載されている。それの爆発を利用して砲弾を一気に遠距離まで発射するのだから、砲弾と一緒に方向から飛び出す爆発はちょっとした核爆発に匹敵するほどだ。実際に、吸血鬼たちにミサイルをぶっ放した際は砲口からキノコ雲が飛び出ていたという。

 

 それゆえに砲撃する度に、その衝撃波で被害が出てしまう。

 

 更に、砲撃する際は攻撃目標の周辺まで観測用の装備を搭載した偵察機を派遣し、砲弾が命中するまで観測させなければならない。

 

 つまり、タンプル砲で敵の列車砲を砲撃するのであれば、その列車砲の上空まで観測用の装備を搭載した偵察機を派遣し、敵の対空砲火を回避しながら観測させなければならないのだ。

 

 要塞を陥落させるための列車砲が、敵の切り札であるのは火を見るよりも明らかである。その切り札を守るために敵が対空兵器をこれでもかというほど準備しているのは想像に難くない。偵察機を派遣しても、すぐに地対空ミサイルで叩き落されるのが関の山だろう。

 

 エースパイロットを出撃させろという事なのだろうか。

 

 だが、最終決戦前に虎の子のエースパイロットたちを危険に晒すわけにはいかない。イッルやニパたちを失えば、テンプル騎士団は確実に制空権を奪われてしまう。

 

「同志団長」

 

 エースパイロットを出撃させるべきなのだろうかと思っていると、後ろからやってきた2人の兵士に声をかけられた。敬礼している2人の兵士はテンプル騎士団の制服に身を包んでおり、金髪の中からは白くて長い耳が覗いている。

 

 ハイエルフなのだろう。制服の肩にはミサイルを噛み砕いているサラマンダーのエンブレムが描かれており、その2人が空軍に所属していることが分かる。

 

 ちなみに陸軍のエンブレムは『砲弾を抱えたゴーレム』で、海軍が『魚雷に絡みつくリヴァイアサン』となっている。

 

「どうした、同志ユージーン」

 

 少し背が高い方はユージーン。隣に立っている短髪のハイエルフの男性はエドワード。この2人はタンプル砲が初めて実戦投入された際に、ディレントリア上空からミサイルの観測をしていたパイロットたちである。

 

 俺が彼の名前を憶えていたことに驚いたのか、ユージーンは目を見開いた。

 

 ちゃんと覚えてるよ、大切な同志たちの名前は。

 

「タンプル砲を投入するのでしたら、是非我々を出撃させてください」

 

「絶対に列車砲を発見し、仲間の仇を取って見せます」

 

「…………危険だぞ。敵は間違いなく対空砲をこれでもかというほど準備している。接近すれば航空部隊も迎撃してくるはずだ」

 

 地対空ミサイルや対空砲だけでなく、敵の航空隊にも攻撃される危険性がある。列車砲に近づけば、十中八九対空砲火と航空隊からの猛攻を受ける羽目になるのだ。

 

 その猛攻を回避しつつ反撃し、ミサイルを命中させるために観測をするのは至難の業としか言いようがない。

 

「いえ、やらせてください。ヴリシアで戦死した仲間の仇を取りたいんです」

 

「俺たちにとってはジェイコブや仲間たちの弔い合戦なのです。お願いします、同志」

 

 エドワードの弟は、ヴリシアの戦いで戦死してしまっている。

 

 俺も数時間前は憎たらしい敵を痛めつけていた。身体の中にスライムを注射して、ひたすらナイフで切りつけていたのである。けれども俺にとって大切な姉は、まだ生きている。復帰するのはもう少し先になるかもしれないけれど、ラウラは戦死していない。

 

 けれども、エドワードの弟は死んでしまった。ヴリシアの最終防衛ラインで、敵のマウスの砲撃で吹っ飛ばされたのだ。遺体が納められた棺の傍らで涙を流していたエドワードの事を思い出した俺は、一瞬だけ歯を食いしばってから首を縦に振ってしまう。

 

 大切な人が殺されかけたのだから、彼の憎しみは理解できる。

 

 だから俺は、肯定した。この2人の復讐心を。

 

「分かった。ただし、絶対に生還しろ」

 

「「ありがとうございます、同志団長」」

 

「それと、俺も出撃する。たった1機の戦闘機で列車砲を探すのは困難だからな」

 

 後ろを振り向き、ナタリアの瞳を見つめる。彼女は苦笑いしながら首を縦に振ると、「アンタこそ生きて帰りなさいよね」と言ってから微笑んでくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラ・ピュセル1、滑走路へ』

 

「了解(ダー)」

 

 機体のチェックを終えると同時に、管制室から報告が聞こえてきた。機体の目の前にやってきてくれた兵士に誘導してもらいながら機体を前進させ、タンプル搭の地下にある滑走路へと向かう。

 

 俺が乗っている機体は、ロシア製ステルス戦闘機のPAK-FA。テンプル騎士団が正式採用しているステルス戦闘機のうちの1機であり、かつてケーターが乗るアメリカのF-22と一対一で戦ったこともある。

 

 武装を搭載しているが、今回の目的は敵の列車砲を発見して観測し、タンプル砲の砲弾で叩き潰すことだ。そのため胴体の真下には、ステルス機の機首を小型化してセンサーを搭載したような形状のポッドが搭載されており、そのポッドを制御して観測を担当するもう1人のパイロットを乗せるために複座型に改造されている。

 

 ちらりと後ろを見てみると、大きなヘルメットとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を身につけ、ポッドのチェックをしている幼い少女が後ろの座席に乗っていた。大きなヘルメットからは毛先が桜色になっている特徴的な銀髪が伸びているのが分かる。

 

 後ろに乗っているのは、円卓の騎士の1人でもあるステラだ。

 

 やがて、まるでアドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板を思わせる特徴的な滑走路があらわになる。壁にはやけに明るい誘導灯がいくつも埋め込まれており、左上の壁の上にはパイロットに指示を出すための管制室の窓がある。

 

『ポッドに異常はありません』

 

「了解。観測頼んだぞ」

 

『了解(ダー)』

 

 今回の任務にステルス機を使うのは、可能な限り敵のレーダーに発見されないようにするためだ。発見されたとしても、観測を進めてデータをタンプル搭へと送る時間稼ぎにはなる筈である。

 

 誘導してくれた兵士が滑走路から退避したのを確認してから、深呼吸する。キメラは身体が頑丈であるためヘルメットや酸素マスクは必要ない。そのため、今回も俺が身につけているのはいつもの転生者ハンターのコートと、少しばかり改造されたHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のみだ。

 

『ラ・ピュセル1、離陸を許可します。幸運を』

 

「了解。ラ・ピュセル1、出撃する」

 

 上へと曲がっている滑走路の先端部を睨みつけながら、俺はPAK-FAを加速させるのだった。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 追撃

 

ナタリア「…………でも、ちゃんと復讐は果たしたんでしょ?」

 

タクヤ「ああ、ちゃんとやった」

 

ナタリア「そう。なら大丈夫よ。頭上げなさい」

 

タクヤ(ん? 説教は終わりかな?)

 

ナタリア「えいっ!」

 

タクヤ「痛ぁぁぁぁ!?」

 

兵士一同(も、もう一発…………!?)

 

 完

 

 

 

 

 



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ドーラ

 

 タンプル搭の飛行場から飛び立つ度に、着陸する時の事を考えてしまう。

 

 要塞砲の衝撃波から飛行場や戦闘機を保護するために、タンプル搭の飛行場や格納庫は地下に建設されている。滑走路の先端部はロシアのアドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板のように上へと曲がっているため、出撃する際はそのまままっすぐに進むだけでいい。

 

 けれども、着陸の難易度は極めて高い。今度はその”上に曲がった滑走路”に降り立たなければならないのだから。

 

 俺の能力の中にあるトレーニングモードでパイロットたちが何度も訓練をするが、10人のうち3人はトレーニングモードでの着陸に失敗している。着陸の難易度が高いため、航空部隊のパイロットの中には別の拠点への異動を希望する者も多いらしい。

 

 逆に、ブレスト要塞は砲撃の際に衝撃波を発する要塞砲(面倒な代物)が配備されていないので、地上にちゃんとした飛行場が建設されているのだ。

 

 出撃して大きな戦果をあげても、タンプル搭への着陸に失敗して戦死する可能性があるというわけである。そのため現在はドワーフやハイエルフの職人たちと飛行場の構造を改善するための会議を続けていた。

 

 大切な同志たちを滑走路で失うわけにはいかないからな。

 

『ラ・ピュセル2よりラ・ピュセル1へ』

 

「こちらラ・ピュセル1」

 

 隣を飛んでいるもう1機のPAK-FAに乗っているユージーンの声が聞こえてきた。彼らの乗っている機体にもタンプル搭へと観測データを送信するためのポッドが取り付けられているのが見える。まるでF-22の胴体を切り離して機首だけの状態にし、先端部の下部には眼球を思わせるセンサーが取り付けられている。あれで目標を捕捉することで敵の位置や距離などの全てのデータが自動的に観測され、後方にあるタンプル搭へと送信される仕組みになっている。

 

 180度までならばあの眼球のようなセンサーが自動的に旋回して敵を捕捉し続けてくれるが、旋回できる範囲を超えてしまうと観測が一時停止されてしまうという欠点があるため、敵の観測をする際は可能な限り機体の下部を地上の敵に向けつつ飛行することが望ましい。

 

 敵の航空機と戦う可能性もあるため、中距離用と短距離用の空対空ミサイルを4発ずつ搭載している。機首には30mm機関砲も搭載しているので、場合によってはドッグファイトも可能だ。

 

『二手に分かれて索敵しましょう。その方が素早く敵を発見できるかもしれません』

 

「悪くないな」

 

 素早く列車砲を探し出し、タンプル砲で破壊する必要があるからな。ドーラがタンプル搭への攻撃に投入されれば、タンプル搭もブレスト要塞の二の舞になるのは想像に難くない。

 

 それに、タンプル搭の地下には数多くの住民たちが避難しているのだ。元々タンプル搭で保護していた住民たちや兵士の家族たちだけではなく、ブレスト要塞から避難してきた住民たちも地下で保護している。

 

 もしドーラの砲撃を叩き込まれれば、今度は住民もろとも生き埋めにされてしまうだろう。他の拠点へと避難させるべきかもしれないが、最終防衛ラインを構築するために守備隊からも戦力を引き抜かれている状態の他の拠点では、兵士たちよりも人数の多い非戦闘員を守り切れない。

 

 つまり、何としても最終防衛ラインで敵を退けなければならなかった。

 

「ただ、別行動すると観測と戦闘を同時に行うことになる。大丈夫か?」

 

『問題ありません。こっちはそういう訓練を何度も受けてるんですよ、同志』

 

「分かった。列車砲を見つけたらすぐ連絡しろ。援護に向かう」

 

『了解(ダー)』

 

 コクピットの中にいるユージーンが、こっちに敬礼をしてからPAK-FAを旋回させた。機体の胴体に搭載されたポッドをこっちへと向けたかと思うと、真っ直ぐに飛行する俺たちの機体からどんどん離れていく。

 

 今の時刻は午前5時50分。離陸した時の空は紺色だったけれど、もう既に太陽が昇り始めており、段々と紺色だった空が蒼く染まりつつあった。

 

 ミサイルも搭載しているとはいえ、機体に搭載しているポッドは重いため、いくら高性能な戦闘機でもこれをぶら下げたまま戦うのは極めて難しい。重りを背負った状態でマラソンに参加するようなものである。

 

 だからといって切り離すわけにもいかないため、敵機と遭遇したらすぐに仲間を呼んで応戦するべきだ。

 

『タクヤ』

 

「どうした?」

 

『列車砲というのは、列車に搭載されている巨大な兵器なのですよね?』

 

「ああ、そうだ。だからでっかい線路が見えたら教えてくれ。それを辿る」

 

 列車砲は極めて強力な兵器だが、非常に使い勝手が悪いため現代では廃れてしまった兵器である。破壊力は戦艦の主砲に匹敵するんだが、それを運用するためには線路を準備しなければならない。

 

 しかも、戦闘機で上空から列車砲を探すのであれば、まず線路を探せばいい。列車砲という事は線路の外を走ることはできないのだから、ただ単に線路を辿るだけで列車砲を見つけることはできるのだ。

 

 ちらりとレーダーを確認する。現時点では辛うじて制空権を死守することに成功したが、ヴリシアの戦いの序盤で制空権を失った吸血鬼たちは、タンプル搭攻撃の前に死に物狂いで制空権を確保しようとするだろう。その直前に航空機で列車砲の索敵をするのだから、これは結構無茶な作戦と言える。

 

 けれども、無茶をするのにはもう慣れてしまった。若き日の親父も当たり前のように無茶をして、ボロボロになりながら帰ってくるような男だったという。母さんはきっと大変だっただろう。

 

 レーダーに敵機の反応がない事を確認してから、ちらりと地上を見下ろしてみる。灰色の砂漠の上にはまだ線路らしきものは見当たらない。不規則に膨らんだちょっとした丘がいくつも連なり、温度の上がり始めた風に表面をひたすら削られ続けているだけだ。

 

 索敵する範囲はタンプル搭とブレスト要塞の中間部と、ブレスト要塞の周辺の2ヵ所だ。前者を”エリアA(アルファ)”と呼び、後者を”エリアB(ブラボー)”と呼ぶことにしている。

 

 タンプル搭の砲撃に投入するのだから、その2つのエリアにいる筈なのだ。ブレスト要塞を陥落させたという事は、その付近にこっちの部隊が進軍しない限りは線路の準備を妨害されることはない。仮に作業が遅れていたり、近代化改修で射程距離を底上げしていたのだとしても、列車砲はブレスト要塞の近くで砲撃命令を待っている筈なのだから。

 

 もう一度キャノピーから砂漠を見下ろしてみると、かなり遠くに戦車の残骸が見えてきた。周囲には砲弾が着弾した跡なのか、砂が抉れている場所や、黒焦げになった金属が転がっている場所も見える。砂塵の中に放置されている戦車の残骸はT-90やT-72B3などだ。ブレスト要塞に攻め込んできた吸血鬼たちを迎え撃つために出撃した戦車たちである。

 

 待っていてくれ、仇は絶対にとる。

 

 数秒だけ目を瞑り、散っていった同志たちに誓う。

 

 砂塵の中にある残骸は、テンプル騎士団の戦車ばかりではない。吸血鬼たちが出撃させたレオパルト2や近代化改修型のマウスも黒焦げになって鎮座しているのが分かる。

 

 ブレスト要塞は陥落する羽目になったが、あっさり陥落したというわけではないようだ。吸血鬼たちの猛攻を受けたが、何とか反撃して大損害を与えてくれたらしい。

 

 ―――――――よくやってくれた、同志諸君。

 

『まもなくブレスト要塞です。対空砲火と航空機に注意を』

 

「了解だ。…………ちょっと高度を落とす」

 

『了解(ダー)』

 

 操縦桿を倒して、機体の高度を下げ始める。

 

 ブレスト要塞は吸血鬼共の橋頭保だ。このまま真っ直ぐに飛行していれば敵に気付かれてしまうだろう。

 

 対空ミサイルや対空砲を回避しながら観測する自信はあるが、さすがに列車砲を発見する前に攻撃されたら難易度が上がってしまう。せめて子供を作るまでは死にたくないので、俺は難易度を可能な限り下げることにした。

 

 確か俺たちがシャール2Cに乗り込んだのはこの辺だった気がする。そう思いながら戦車の残骸たちを見下ろしつつ線路を探していると、コクピットの中に電子音が響き始めた。

 

 舌打ちしながらレーダーを確認する。どうやら敵機に発見された挙句、ミサイルをロックオンするためにレーダー照射を受けているらしい。さすがにブレスト要塞に近付き過ぎたかと思っているうちに、レーダーの中に2発のミサイルの反応が姿を現す。

 

 発見されてしまったという事は、もう高度を下げていても意味はない。むしろ戦車の残骸に激突する危険性があるだけだ。発見されないというメリットがレーダー照射のせいで消え去ってしまった以上、リスクのある低空飛行を続ける意味はない。

 

 操縦桿を引いて高度を上げつつ、ミサイルの飛来する方向を確認。こっちから見て11時方向。中距離用の空対空ミサイルだ。

 

「ラ・ピュセル1、エンゲージ」

 

 回避してそのまま索敵を続ければ、背後に回り込まれて止めを刺される羽目になるのは想像に難くない。敵機の数が少ないならば、ここで撃墜しておいた方がいいかもしれない。

 

 高度を上げている最中に、2発のミサイルが接近してくる。反応が近くなりつつあることを確認してから機体を減速させつつ操縦桿を右へと思い切り倒し、胴体のポッドを青空へと向ける。キャノピーの向こうに灰色の砂漠が広がったのを一瞬だけ見てから、機首を今度は地表に向けて強引に加速。空の中で地上を見つめながら停滞していたPAK-FAのエンジンノズルが一気に炎を吐き出し、機体が急激に加速を始める。

 

 その直後、キャノピーの上―――――――地上から見ればキャノピーの下である――――――――を、2発の中距離型空対空ミサイルが通過していったのが見えた。こっちが減速した隙に撃墜するつもりだったらしく、いきなり地表に向けて急加速したPAK-FAを追うことができなくなってしまったのだ。

 

 攻撃目標を通過してしまったミサイルが飛来してきた方向を睨みつけつつ、機体を元に戻す。

 

『敵機確認。数は1機』

 

「機種は分かるか?」

 

『…………反応がかなり見辛いです。ステルス機かと』

 

「ステルス機…………」

 

 もしかして、ブラドか?

 

 そう思いながらレーダーを確認しようと思った瞬間、操縦桿を倒して高度を上げたPAK-FAの頭上を1機のステルス機が通過していった。

 

 F-22かと思ったが、機体が一回り小さいような気がする。それに機体の後端に取り付けられているエンジンノズルは2基ではなく1基になっている。F-22ならばエンジンノズルは2基の筈だ。

 

「F-35か」

 

 F-35はアメリカが開発したステルス機のうちの1機である。極めて高いステルス性と汎用性を誇る機体であり、機動性も優れている。更に高性能なレーダーまで搭載されているため、遠距離にいる敵機を素早くロックオンしてミサイルを発射する事が可能なのだ。

 

 今のところはあの1機だけらしい。

 

 旋回を終えたF-35が背後に回り込んでくる。旋回して引き離してやろうと思ったが、こっちは観測データを送信するために必要なポッドを積んでいるため、機動性が落ちているのだ。旋回してもすぐに追いつかれてしまうに違いない。

 

 そのまま真っ直ぐに飛び、敵機を誘う。こっちのパイロットは素人だろうと判断したのか、後ろに回り込んだF-35が距離を詰めてくる。

 

 よし。

 

「ステラ、我慢しろよ」

 

『サキュバスの身体は頑丈ですので問題ありません』

 

 ニヤリと笑いながら機体をいきなり減速させつつ、操縦桿を手前に思い切り引いて機首を真上へと向ける。たちまちPAK-FAの速度が一気に落ちたかと思うと、後ろに回り込んでいたF-35が大慌てで機体を旋回させ、まるで背後にいる敵に体当たりしようとしたかのように減速したこっちの機体を回避する。

 

 猛烈なGの奔流に耐えながら、操縦桿を元に戻して機体を増速。今しがたPAK-FAを回避してしまったF-35の背後に回り込み、照準を合わせる。

 

 悪いな、コブラは得意なんだよ。

 

 テンプル騎士団のパイロットたちの4割は、コブラを使うことができるらしい。どうやら俺とケーターがステルス機で一騎討ちした際に使った飛び方を真似し始めたパイロットがいたらしく、段々とコブラを使うことができるパイロットが増えていったという。

 

 あの時戦いを見ていたのはラウラやクランたちだけだった筈なんだが、誰かから聞いたのだろうか。

 

 春季攻勢前の模擬戦でいきなりコブラを使って背後に回り込まれた時はヒヤリとしたよ。その時はこっちもコブラを使って逆に回り込んで撃墜してやったが。

 

 あの時の事を思い出しながら、機関砲の発射スイッチを押す。搭載された30mm機関砲が火を噴いたかと思うと、瞬く間に目の前を飛んでいたF-35の装甲や尾翼が弾け飛び、特徴的なエンジンノズルが黒煙を吐き出し始めた。やがてフラップが千切れ飛んで主翼に亀裂が入り、そのままぐるぐると回転しながら砂漠へと落下していく。

 

 キャノピーが外れ、中から飛び出たパイロットがパラシュートを開く。脱出には成功したようだ。

 

「ブラドじゃないな」

 

 ブラドのやつなら、もっと操縦が上手い筈だ。

 

 砂漠に墜落したF-35の残骸が砂の爆風を生み出したのを確認してから、俺は息を吐いた。

 

 敵機に発見されてしまったという事は、迎撃するために航空部隊が出撃してくるという事だ。おそらくブレスト要塞の飛行場も滑走路を修復し、航空機が飛び立てるようにしているに違いない。

 

 さすがにF-35の群れが襲い掛かってきたら勝ち目がないかもしれない。早く列車砲を見つけて観測した方が良さそうだ。

 

『タクヤ』

 

「どうした?」

 

『線路です』

 

 なに?

 

 ぎょっとしながら、ステラが教えてくれた方向を見つめつつ機体をゆっくりと旋回させる。

 

 灰色の砂漠の真っ只中に、まるで剣で斬りつけられた古傷のように、漆黒の線が伸びていた。産業革命が勃発してからは世界中で普及している列車の線路よりも複雑なその線路は、明らかに普通の列車のために用意された代物ではない。従来の列車よりもはるかに巨大で重い兵器を移動させるためのレールだ。

 

 ということは、この近くにドーラがいるのか…………!?

 

 線路を辿るように進路を変更し、それなりに高度を下げながら進んでいく。もしかしたらもう既にここを通過した後なのではないかと思ったが、蜃気楼の果てに漆黒の塔にも似た巨大な物体が見えた瞬間、俺は息を呑んだ。

 

 あれだろうか。ブレスト要塞を一撃で陥落させた、吸血鬼共の切り札は。

 

 電子音がコクピットの中に響き渡る。けれども俺はあまり進路は変えずに、そのまま直進を続けた。

 

 線路の向こうに鎮座していたのは――――――――やはり、巨大な列車砲だった。

 

 戦車をそのまま巨大化させたようにも見える重厚な車体の上に居座っているのは、あらゆる超弩級戦艦の主砲を凌駕する巨大な砲身。その巨大な砲身から放たれる砲弾がどれほどの破壊力を持っているのかは言うまでもないだろう。

 

 車体の上には地対空ミサイルを搭載したランチャーや、接近する戦闘機を迎撃するための速射砲なども搭載されており、近代化改修を受けていることが分かる。

 

「こいつか…………!」

 

 やっと見つけたぞ。

 

 ドイツが第二次世界大戦で実戦投入した、世界最大の列車砲(ドーラ)を…………!

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 パイロットとコブラ

 

ナタリア「困ったわねぇ…………」

 

タクヤ「どうした?」

 

ナタリア「最近、訓練でコブラをやろうとして失敗するパイロットが増えてるのよ…………。おかげでSu-27が何機も大破しちゃって…………」

 

タクヤ「そ、そうか」

 

ナタリア「みんなタクヤの真似をしてるみたいなんだけど」

 

タクヤ「…………ごめんなさい」

 

 完

 

 

 

 



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ドーラとラーテ

 

『こちらラ・ピュセル1。敵の列車砲を発見』

 

『了解(ダー)。…………先を越されちまったな、ユージーン』

 

 後部座席でポッドのセンサーを操作し、地上に列車砲がいないか確認していたエドワードがそう言った。

 

 団長であるタクヤ・ハヤカワと、円卓の騎士の1人であるステラ・クセルクセスが乗る味方のPAK-FAが、彼らよりも先に攻撃目標を発見してしまったのである。数分前に敵の戦闘機と交戦していたため、発見するのはまだ先だろうと高を括っていたユージーンは、苦笑いしながら操縦桿を横へと倒して機体を旋回させる。

 

 目的は、敵の列車砲を捕捉して観測し、タンプル搭へと観測データを送信する事だ。そうすればタンプル搭でタンプル砲を発射する砲手たちの元へと観測データが届き、命中精度はほぼ百発百中となる。

 

 だが、観測している最中はポッドが搭載されている胴体下部を地表へと向けていなければならないため、かなり無防備になってしまう。敵の攻撃を回避するために宙返りや旋回を行えば、一時的にだがデータの送信が中断されてしまうのだ。

 

 そのため、片方が列車砲を発見した場合はもう片方がサポートしなければならない。

 

 タクヤたちのサポートを行うため、戦闘準備をしつつ機体を旋回させ始めると、後部座席でセンサーを操作していたエドワードが目を見開いた。

 

『待て、ユージーン』

 

「どうした?」

 

『…………4時方向にでかい戦車がいる』

 

「でかい戦車? マウスじゃないのか?」

 

『いや、マウスよりもでかい。確認させてくれ』

 

「分かった」

 

 ユージーンとエドワードは、ヴリシアでの戦いにも参加していた。当時はスーパーハインドのパイロットをしていたのだが、戦いが終わってからは戦闘機のパイロットになるための訓練を受けていたのである。

 

 ヴリシアの戦いにも参加していたため、彼らは猛威を振るう近代化改修型マウスの群れを見ていたのだ。この春季攻勢にもかなりの数のマウスが実戦投入されており、もう既にブレスト要塞の守備隊へと牙を剥いている。

 

 今回の戦いでは装甲が厚い上に火力も極めて高いマウスを撃破するため、より大口径の152mm砲を搭載したチョールヌイ・オリョールや、152mm連装滑腔砲を搭載したシャール2Cが投入されている。そのためヴリシアの戦いのように敵の超重戦車に蹂躙されずに済んでいるものの、もしマウスよりも大型の超重戦車が進撃しているというのであれば、そちらも潰しておく必要があった。

 

 後部座席のすぐ前に設置されたモニターを睨みつけながら、エドワードは深呼吸する。

 

 モニターに映っているその超重戦車は、明らかにマウスよりも巨大であった。通常の戦車を踏みつぶせるほど巨大なキャタピラが搭載された車体の上には、接近してくる航空機を叩き落すための地対空ミサイルのキャニスターや、大型のガトリング機関砲であるCIWSが搭載されているのが分かる。

 

 分厚い装甲で覆われた車体の上に鎮座しているのは、まるで戦艦の砲塔を取り外し、巨大な車体の上に搭載したような巨大な砲塔であった。正面からは太い砲身が2本も伸びており、砲塔の上にも対空用のCIWSが搭載されているのが見える。

 

『あれは…………くそ、ラーテだ』

 

「ラーテ…………!? あの化け物か!」

 

 砂漠の真っ只中を進んでいるのは、マウスよりも更に巨大な超重戦車であった。

 

 シャルンホルスト級戦艦の主砲を改造したものを搭載した、圧倒的な火力を誇る兵器である。第二次世界大戦で実戦投入されることのなかったその兵器を、吸血鬼たちはヴリシアの戦いで何両も投入し、モリガン・カンパニーやテンプル騎士団の部隊に大損害を与えている。

 

 その時の生き残りなのか、吸血鬼たちのエンブレムが描かれた1両のラーテが、数両のレオパルト2たちに護衛されながら砂漠の真っ只中を進軍しているのである。

 

「潰すか?」

 

『ああ、出来るなら撃破したいところだが…………対戦車ミサイルは積んでないよな?』

 

「くそったれ…………!」

 

 すでに、ラ・ピュセル1がドーラを捕捉して観測を始めている。普通ならば自分たちもそこへと向かい、観測するラ・ピュセル1を護衛しなければならない。

 

 しかし、ラ・ピュセル2の眼下では、ヴリシアの戦いで戦車部隊に大損害を与えた超重戦車の生き残りが進軍しているのである。タンプル搭を砲撃する準備のために移動しているのであれば、砲撃される前に撃破してしまうのが望ましい。

 

『タンプル砲を使うか?』

 

「だが、タンプル砲は列車砲を――――――――」

 

『落ち着け。タンプル砲は、5発までなら連続で砲撃できる。俺たちが正確に観測して一撃で仕留められれば問題ないだろう?』

 

「…………やれるのか?」

 

『任せろ』

 

 モニターを睨みつけたまま、エドワードは首を縦に振った。

 

 ヴリシアの戦いでは、戦艦『ジャック・ド・モレー』の艦砲射撃で複数のラーテの撃破に成功している。戦車の主砲で貫通することは不可能だったが、さすがに戦艦の主砲に耐えることはできないのだろう。

 

 ジャック・ド・モレーの主砲は3連装40cm砲である。テンプル騎士団の切り札であるタンプル砲の口径は、ジャック・ド・モレーの主砲の5倍である”200cm”。保護カプセルに搭載した大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射するために大型化したのだが、通常の砲弾の破壊力は超弩級戦艦を一撃で轟沈させられるほどだ。

 

 ラーテを一撃で木っ端微塵にできるのは、火を見るよりも明らかであった。

 

 しかし、まず最初に砲撃を叩き込まなければならないのは列車砲(ドーラ)だろう。ブレスト要塞を一撃で壊滅させた巨大な列車砲がタンプル搭へと砲撃すれば、タンプル搭が要塞の二の舞になるのは想像に難くない。

 

 つまりラーテに砲撃を叩き込むために観測を続けても、ラーテへの砲撃は”後回し”にされてしまうのである。いくら連続で砲撃できるとはいえ、タンプル砲は砲撃する度に32基の薬室の中にある炸薬を爆発させるため、砲身を冷却してから砲撃しなければならない。タンプル砲が列車砲を仕留め、砲身の冷却を終えて次の砲撃を実施するまで、2人はラーテの対空砲火をひたすら躱しながら観測を続けなければならないのだ。

 

「ラ・ピュセル2よりラ・ピュセル1へ」

 

『どうした?』

 

「ラーテです」

 

『くそ…………ヴリシアの生き残りか…………!』

 

 おそらく、ラーテもブレスト要塞への砲撃に投入されたのだろう。列車砲のように投入前にレールを準備する必要がないため、列車砲と比べるとラーテのような超重戦車の方が使い勝手は良いのだ。

 

 一番最初に砲撃を行い、ブレスト要塞の滑走路を破壊して航空隊を無力化したのはあのラーテに違いない。戦艦の主砲を改造したものを搭載しているのだから、要塞の司令官たちはラーテによる砲撃ではなく、河に侵入した戦艦からの艦砲射撃と勘違いしたのだろう。

 

 タンプル搭の飛行場は地下にあるが、だからと言ってラーテによる砲撃を許すのは論外だ。タンプル搭には兵士たちの家族も避難しているのだから。

 

「同志、ラーテは我々が潰します。後回しで構いませんからタンプル砲の使用許可を」

 

『…………了解した。死ぬなよ』

 

「任せてください」

 

 タンプル砲はテンプル騎士団が保有する決戦兵器である。

 

 使用するには円卓の騎士が全員承認しなければならず、1人でも使用を拒否すればあっという間に否決されてしまう仕組みになっている。とはいえもう既に円卓の騎士は全員タンプル砲の使用を承認しているため、その攻撃目標を決めるのはテンプル騎士団の団長であるタクヤの役目となっているのだ。

 

「エドワード、観測開始だ」

 

『分かった。…………くそ、ラーテよりレーダー照射。地対空ミサイルが来るぞ!』

 

「回避する!」

 

 コクピット内に響き渡る電子音の中でそう言ったユージーンは、操縦桿を倒してPAK-FAを急旋回させるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターの向こうで、天空へと向けられていた巨大な砲身がゆっくりと動き出す。折り畳まれていた薬室たちが砲身へと接続されていく度に、映像の脇に表示されている薬室のマークが白から緑に変わっていく。

 

 タンプル砲の映像を睨みつけながら、ナタリアは唇を噛み締めていた。

 

 観測のためにタクヤが指令室を離れている上に、副団長であるラウラが負傷のせいで医務室にいるため、タンプル砲による砲撃を指揮を執るのは参謀総長を担当するナタリアの役目となっている。

 

 予定通りであれば、ドーラを観測するタクヤをユージーンたちが護衛し、受信した観測データを元にして照準を合わせて砲撃することになっていた。いくら巨大な列車砲とはいえ、200cm多薬室ガンランチャーともいえるタンプル砲から放たれる砲弾が直撃すれば、一撃で木っ端微塵になるのは明らかである。

 

 しかし、砲撃しなければならない標的がもう1つ増えてしまった。

 

(ヴリシアの生き残りの超重戦車が投入されているなんて…………)

 

 最終防衛ラインでの戦闘で、ナタリアもその超重戦車を見た。

 

 戦艦の主砲を搭載し、必死に応戦する戦車たちを主砲どころか副砲で薙ぎ払いながら前進して、主砲で数両の戦車をまとめて吹き飛ばす怪物を。

 

 そのヴリシアの戦いで投入された超重戦車(ラーテ)の生き残りが、タンプル搭を砲撃するために前進していたというのである。

 

 ヴリシアの戦いに投入されたラーテはジャック・ド・モレーの艦砲射撃で辛うじて撃破することができたものの、ジャック・ド・モレーは敵艦隊と死闘を繰り広げている真っ最中であり、艦砲射撃のために河まで戻すわけにはいかない。しかもラーテには複数の対空用の武装が搭載されているため、迂闊に攻撃機を派遣するわけにもいかなかった。

 

 隣に立っているクランが「落ち着きなさい、ナタリアちゃん」と言いながら、彼女の肩を優しく叩いた。

 

 普段のクランは明るい少女だが、戦闘中は冷静な指揮官となるのである。

 

「まず最初にドーラを潰すべきよ」

 

「そうね…………ありがとう、クランちゃん」

 

 規格帽をかぶり直しながら深呼吸し、オペレーターたちに指示を出す。

 

「タンプル砲、砲撃用意。第一射はドーラ。敵の列車砲を撃破してから超重戦車を砲撃するわ。弾頭はMOAB弾頭!」

 

「了解(ダー)!」

 

「タンプル砲、砲撃用意! 目標、敵巨大列車砲!」

 

「MOAB弾頭、装填!」

 

「冷却準備よし。各薬室、異常なし!」

 

「逆流防止弁も正常!」

 

「データ受信準備完了しました、同志ナタリア。あとは観測データを受信すれば砲撃可能です」

 

 あとは、列車砲とラーテの上空を飛行しているタクヤとユージーンたちが観測データを送信してくれれば、照準を合わせて砲撃することができるのだ。

 

「警報を鳴らして。検問所のゲートを開放して、各所の隔壁を閉鎖。住民たちを第3居住区から下の階層に避難させて」

 

「はっ!」

 

 圧倒的な射程距離と破壊力を誇る切り札の問題点は、下手をすれば要塞の設備にもダメージを与えてしまいかねないほど強力な衝撃波を砲撃する度に発する事だろう。

 

 衝撃波で検問所のゲートが吹っ飛んでしまう可能性があるため、戦車部隊が出入りする検問所のゲートは開放しておく必要があるのだ。戦車の出入り口が、衝撃波の奔流の”逃げ道”となるのである。

 

 命令を受けた兵士が警報を鳴らし、住民たちに避難するように指示を出し始めたのを確認したナタリアは、モニターの向こうで鳴動するタンプル砲を見つめながら、無事に仲間が帰ってきますようにと祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急旋回するPAK-FAを掠めた地対空ミサイルが逸れていき、青空の中で砕け散る。真っ白な煙の終着点で膨らんだ爆風を置き去りにしながら加速し、更に方向転換してミサイルを回避する。

 

 ちらりとキャノピーの脇に見える巨大な列車砲の車体を見下ろしながら、舌打ちをする。

 

 巨大な砲身が伸びている車体には、これでもかというほどイージス艦の速射砲やCIWSが搭載されていた。しかも地対空ミサイルのキャニスターまで搭載されているため、先ほどからひっきりなしにレーダー照射を受け、短距離型の対空ミサイルで攻撃され続けていた。

 

 まるで敵のイージス艦の頭上をひたすら飛び回っているような状態である。

 

 電子音が消えたかと思えば、すぐに次の電子音が産声を上げる。その度に急旋回をしたりフレアをばら撒いて回避しなければならないので、全くポッドのセンサーを列車砲へと向けられない。

 

 ポッドのセンサー部は180度旋回させることは可能だが、対象がその旋回可能な範囲外になってしまうとデータの送信を一時的に停止してしまう。そのため、観測の際には胴体の下部を対象へと向け続けなければならない。

 

「ステラ、データは!?」

 

『現在11%』

 

「くそっ…………!」

 

 全くデータの送信が進んでいない。

 

 中途半端なデータを送信すれば、虎の子のタンプル砲が標的に命中することはなくなるだろう。まず最初にこの列車砲を砲撃で撃破する必要があるため、外せばユージーンたちはドーラを撃破するまで攻撃を回避し続けなければならない。

 

 歯を食いしばりながら操縦桿を倒して急降下。またしてもミサイルを回避しつつ、列車砲を睨みつける。超弩級戦艦の主砲を遥かに上回る大きさの砲身には、ヴリシア語で『カイザー・レリエル砲』と描かれているのが見えた。

 

 どうやら虎の子のドーラを後退させるつもりらしく、列車砲を牽引していた機関車たちが後退を始めていた。

 

 逃がしてたまるか。

 

 高度を下げつつ急旋回。PAK-FAが纏っていた衝撃波が灰色の砂を直撃し、火柱にも似た砂の柱を砂漠に出現させる。

 

 列車砲を移動させるためには機関車が必要だ。つまり機関車を破壊されれば、列車砲を移動させることは不可能になる。可能ならばデータを送信しつつ機関車を破壊したいところだ。とはいえ対空用のミサイルしか搭載していないので、破壊するには機関砲を叩き込むしかない。

 

『データ送信再開』

 

 ちらりとデータの送信状況を確認。今はまだ12%か。

 

 速射砲から立て続けに放たれる炸裂弾が、砂漠の表面や青空で炸裂する。破片が機体に突き刺さる音が聞こえてきたが、機体は殆ど損傷していないようだ。

 

 ドーラを動かしている機関車に照準を合わせる。機関車の後方には対空用の機関砲を搭載した車両も連結されているらしく、搭載されているガトリング機関砲がゆっくりとこちらへと旋回する。

 

 下手したら蜂の巣だな。

 

 進路をそのままにしつつ、こっちも機関車に照準を合わせる。

 

 悪いが、子供を作ってからちゃんと育てて、孫たちに看取られるまで死ぬつもりはないんだよ…………!

 

 機体を一気に加速させながら、機関砲の発射スイッチを押した。機首に搭載された30mm機関砲が火を噴いたかと思うと、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の向こうを走行していた漆黒の機関車の表面が瞬く間に食い破られていき、敵のガトリング機関砲が火を噴くよりも先に、機関車の方が火達磨になった。

 

 そのまま機首を少しばかり右にずらし、ついでにそのガトリング機関砲を搭載している車両も滅茶苦茶にしておく。

 

 少しばかり機首を上げて高度を上げ、減速しつつ今度は反対側の機関車を狙う。反対側にいる”相方”がやられたせいで速度は一気に落ちていたから、今度は狙いやすい筈だ。

 

「あばよ」

 

 トリガーを引いた直後、反対側で必死にドーラを逃がそうとしていた機関車も、相方と同じ運命を辿ることになった。30mmの砲弾にあっという間に表面を食い破られて木っ端微塵になっていき、火達磨と化す。巨大な列車砲を動かしていた機関車がどちらも火達磨になったせいで、逃げようとしていた列車砲(カイザー・レリエル砲)のスピードが段々と遅くなっていった。

 

 終わりだな。

 

 このまま対空兵器も潰すべきだろうかと思いつつ高度を上げると、電子音がコクピットの中に響き渡った。

 

 また地対空ミサイルにロックオンされたのかと思ったが、どうやらレーダー照射を受けているのは後方の列車砲からではなく、真正面かららしい。

 

 ぎょっとしながら旋回し、レーダーを確認する。敵機の反応はなかったが、ステルス機が接近していたのだろうか。

 

 フレアをばら撒きつつ旋回して、2発の中距離型空対空ミサイルを回避。高度をさらに上げつつ操縦桿を倒し、ミサイルが飛来した方向へと機首を向ける。

 

 またF-35か?

 

 ミサイルが飛来した方向に航空機の反応が見えた。遠距離で捕捉できなかったという事は、どうやら敵機もステルス機のようだ。こっちが空対空ミサイルの発射準備をすると、編隊を組みながら飛行していた5機の戦闘機たちは唐突に散開し、青空の中に衝撃波を巻き散らしていく。

 

 どうやら敵機はF-35Aらしいが、中央を飛んでいた隊長の機体は形状が違う。

 

 形状はF-22のようだが、尾翼が見当たらない。その代わりに垂直尾翼がやや斜めに搭載されており、炎を噴き出しているエンジンノズルが2基も搭載されているのが見える。

 

「あれは…………!」

 

 ブレスト要塞上空でも戦った機体だ。

 

 ミサイルの発射準備をしながら、俺はコクピットの中で笑った。

 

 俺と決着をつけるためにステルス機に乗ってきてくれたのか。

 

「―――――――決着をつけようぜ、ブラド」

 

 F-35Aと一緒に襲撃してきた灰色のYF-23を睨みつけながら、俺はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 



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5機目の獲物

 

「”ブリッツ1”より各機へ。必ずあのPAK-FAを撃墜せよ」

 

 無線機に向かってそう言ってから、機首を漆黒のPAK-FAへと向ける。加速しつつミサイルのロックオンを開始するが、胴体に奇妙なポッドのようなものをぶら下げた漆黒のPAK-FAは、唐突に急旋回して方向転換。右に旋回しつつぐるぐると機体を回転させて急降下し、こっちが追い始めた瞬間に今度は急上昇する。

 

 くそったれ、相変わらずロシアの戦闘機は素早い…………!

 

 操縦桿を引いてこっちも高度を上げ、PAK-FAの背後について行く。俺が後ろについていることにすでに気付いていたのか、敵のPAK-FAのパイロットは宙返りする最中にいきなり失速したかと思うと、機首を垂直に地表へと向けた。

 

 宙返りの最中に失速…………!?

 

 まるで宙返りの最中にコブラを始めたような状態でPAK-FAが一瞬だけ制止する。その隙に味方のF-35Aが空対空ミサイルを放ったのが見えたが、空中で静止していたPAK-FAは機首を地表へと向けたまま、なんといきなり機体を加速させ、地表へと垂直に飛行し始めたのである。

 

 砂漠に突っ込むつもりなのかと思いながら後を追ったが、さすがにそのまま墜落するつもりはなかったらしく、減速しつつ機首を上げて再び高度を上げた。

 

 何なんだ、あの機体のパイロットは。あんな飛び方をしたら、転生者でも耐えられないほどの強烈なGがかかるというのに。

 

 転生者の防御力は、防御力のステータスが高ければ高いほど上昇していく。最終的には戦車砲にも耐えられるほどの防御力になるというが、あんな凄まじい飛び方をすれば、戦車砲に耐えられるほどの防御力が無ければ耐えられないだろう。

 

 急上昇して追いかけてきたミサイルを回避したPAK-FAだが、そのミサイルを放ったブリッツ3のF-35Aが、PAK-FAの背後につく。

 

 いくらあんな飛び方ができる頑丈な身体のパイロットでも、何度も急上昇や急旋回はできないだろう。ミサイルを躱すために無茶をし過ぎたようだな。

 

 やっちまえ、ブリッツ3!

 

 背後に回り込んだブリッツ3のウェポン・ベイが開く。ミサイルのロックオンを終えたのだろう。もしそのミサイルを躱したとしても、俺が機銃かミサイルで止めを刺せばいい。

 

 そう思いながら後を追っていたのだが――――――――がくん、と再びPAK-FAの速度が落ちた瞬間、俺はぎょっとした。

 

 またあんな飛び方をするつもりなのか、あの化け物は。

 

 再びPAK-FAの機首が天空へと向けられる。コブラで後方へと回り込むつもりかと思ったんだが、天空へと向けられた状態で止まる筈の機首はそのまま後方へと傾いていき、信じられないことに前方へと飛行した状態で、逆さまになった機首が後方の戦闘機を睨みつけていた。

 

「あれは――――――――!」

 

 ”クルビット”…………!?

 

「ブリッツ3、逃げ―――――――」

 

 後ろに回り込んだ筈の敵機が、いきなり機首をこちらへと向けて来るなんて予測できるわけがない。慌てて味方に「逃げろ」と命令しようとしたが、すでにウェポン・ベイを開いていたブリッツ3が大慌てで操縦桿を倒すよりも、敵機の機関砲が火を噴く方が早かった。

 

 発射された砲弾が、立て続けにF-35Aの背中に喰らい付く。F-22よりも小さな機体の表面が凄まじい勢いで抉れていき、後端部に搭載されたエンジンノズルから炎と共に黒煙が吹き上がる。連続で発射される砲弾が垂直尾翼を叩き折り、尾翼を引き千切っていく。

 

『うわっ、ブリッツ3、操縦不能! やられた!』

 

「脱出しろ!」

 

『ベイルアウトします!』

 

 垂直尾翼と尾翼を破壊された挙句、エンジンが機能を停止した機体のキャノピーが開き、吸血鬼のパイロットが大空の真っ只中へと放り出される。訓練通りに彼がパラシュートを開いて降下していったのを確認してから、俺は呼吸を整えた。

 

 化け物だ、あのパイロットは。

 

 宙返りの真っ只中に失速して方向転換し、そのまま強引に急加速した直後でもあんな飛び方ができるのだから。

 

 ミサイルをフレアで躱すのではなく、あのような飛び方で躱すのが”当たり前”とでもいうのか。

 

 列車砲(カイザー・レリエル砲)に搭載された地対空ミサイルが発射され、速射砲が火を噴く。しかし、今しがたブリッツ3をクルビットを使って葬り去った敵のPAK-FAは、ほんの少しだけフレアをばら撒きながら急旋回し、ミサイルの群れと砲弾の群れを立て続けに回避してしまう。

 

『テンプル騎士団の空軍は練度が低いんじゃないのかよ…………!?』

 

『なんだよありゃ…………!』

 

「狼狽えるな!」

 

 一緒に飛んでいるパイロットたちに向かってそう言うが、向こうも高性能なステルス機になっているとはいえ、敵のパイロットの錬度は桁外れとしか言いようがなかった。

 

 確かにテンプル騎士団の空軍は、三大勢力の中では最も練度が低い。いくら春季攻勢(カイザーシュラハト)の前に他の勢力から指導してもらったとしても、練度をすぐに高めることは不可能なのだ。

 

 しかし、練度の低い空軍だからと言って、所属しているパイロットが全て新兵というわけではない。

 

 俺たちは相手の空軍は新兵ばかりだと高を括っていたからこそ、驚愕しているのだ。

 

「ブリッツ2と4は反対側に回り込め。俺と5で奴を追う」

 

『『『了解(ヤヴォール)!!』』』

 

 敵機の目的はおそらく偵察だろう。要塞を壊滅させた兵器の正体を突き止め、こっちの攻撃前に潰すつもりに違いない。

 

 あのPAK-FAが敵に情報を送信する前に、なんとしなくても撃墜しなくては…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし仮に、後部座席に乗っているのがカノンやナタリアだったら、俺はこんな飛び方をすることはなかっただろう。ステラは頑丈な身体を持つサキュバスだし、ラウラも俺と同じく頑丈な身体を持つキメラである。パイロットスーツ無しで急旋回を繰り返したとしても耐えることはできるだろう。

 

 しかし、カノンやナタリアはあくまでも人間なのだ。パイロットスーツを着用させるとは言え、滅茶苦茶な飛び方をすると後部座席にいる仲間が死亡してしまう恐れもある。

 

 こんな飛び方を連発する羽目になるのを予測していたから、ステラが立候補してくれたのかもしれない。もしナタリアたちだったら、急旋回する度に躊躇っていた事だろう。

 

 ぐるぐると回転しながら火達磨になった部品を周囲にまき散らし、墜落していくF-35Aからパイロットが脱出したのを確認してから、再びポッドのセンサーを列車砲へと向ける。

 

『観測再開。現在、14%』

 

 このまま観測を続けられればすぐにタンプル砲の照準を合わせることができるんだが、あの列車砲にはこれでもかというほど対空兵器が搭載されている。攻撃のために接近してくる航空機やミサイルを迎撃するためなんだろう。

 

 ステラが『現在15%』と告げた直後、またしてもコクピットの中を電子音が支配する。

 

 くそったれ、観測データの送信が全然進まない!

 

 飛来するミサイルの数は5発。急旋回と急加速で避けられるだろうかと思ったが、同時に速射砲も火を噴き始めたのを確認してから、舌打ちをしつつ大人しくフレアをばら撒く。ミサイルだけならば急旋回してから強引に急加速すれば避けられるのだが、速射砲で弾幕を張られた状態ではさすがに躱せないだろう。ミサイルを回避した直後に速射砲をぶち込まれてしまう。

 

 まだフレアが残っていることを確認しつつ、可能な限りポッドのセンサーを列車砲へと向けながら回避。少しでも観測データの送信が進んでくれることを祈りながら、ミサイルが刻み付けた白煙に風穴を開けて飛び回る。

 

 あの列車砲はもう既に機関車を全て失っている。別の機関車がやって来ない限り、線路の上に鎮座するでっかい要塞砲だ。さすがにこの対空砲火は激しいが、俺の役割はあくまでもあの列車砲の観測データを送信し、タンプル砲に攻撃目標の位置を教える事だ。もし仮に爆弾や対艦ミサイルであの列車砲を直接攻撃する任務だったら、覚悟を決めてあの対空砲火を突破しなければならなかった。

 

『現在20%』

 

 やっと5分の1…………!

 

『ラ・ピュセル1、そっちはどうです?』

 

「すまん、まだ20%だ」

 

『了解。もう少し耐えてみます』

 

 向こうも対空砲火を躱し続けているのだろうか。

 

 ちらりとレーダーを確認してみると、敵機のうちの2機がさっきのYF-23から離れて飛び始めていた。別の角度から編隊を組みつつミサイルをぶっ放すつもりなんだろうか。

 

 2つの編隊と対空砲火で挟撃するつもりだ。

 

 再び電子音が響き渡る。操縦桿を左に倒し、機体を左に傾けつつ急降下。地上にいる標的に機銃掃射をお見舞いしようとしているかのように高度を落とし、操縦桿を引く。がくん、とPAK-FAの機首が天空へと向けられると同時に、キャノピーの向こうに太陽が昇ったばかりの青空が広がった。

 

 そのまま急加速し、今度は一気に高度を上げる。

 

 追いかけてくるのは2発の中距離型空対空ミサイル。その後方から、列車砲のキャニスターから発射された6発の地対空ミサイルが駆け抜けてくる。

 

「はぁ…………」

 

 操縦桿から片手を離し、頭を搔いた。

 

 ミサイルの数が多すぎる。急旋回で躱しても、後続の6発の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 そういえば、敵機の数は全部で5機だったな。もう既に2機ほど撃墜しているから、あと3機撃墜すれば俺もエースパイロットというわけか。

 

 電子音が響き渡るコクピットの中で、ニヤリと笑う。

 

 エースパイロットになったら、きっとお姉ちゃんは喜んでくれる筈だ。

 

 逆に機体を失速させつつ、両手で操縦桿を握る。まるで大気圏から逃げ出そうとしているかのように天空へと進んでいたPAK-FAに、ミサイルよりも先に重力が喰らい付く。圧倒的なエンジンの出力で誤魔化していた重力が怒り狂い、PAK-FAをどんどん失速させていく。

 

 機体の中にまで入り込んできたGが、座席に座る俺とステラの身体に喰らい付き始めた。

 

 がくん、とPAK-FAの機首が地上へと向けられる。HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の向こうに灰色の砂漠が広がったかと思うと、その砂漠の真っ只中から、合計で8発のミサイルがこっちへと突っ込んでくるのが見える。

 

 やかましいGに耐え抜いた機体が、ゆっくりと砂漠へ落ちていく。コクピットの中で機銃の発射スイッチに指を近づけつつ、機銃の照準を接近してくるミサイルに合わせる。

 

『現在32%』

 

 息を吐いてから、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の向こうを睨みつける。レティクルの向こうから突っ込んでくるのは、獰猛な対空ミサイルの群れだ。もし機銃を外してしまったら、俺とステラは間違いなく戦死するだろう。

 

 子供を作るまでは死ぬつもりはないんだよ。

 

 ミサイルを睨みつけながら発射スイッチを押す。レティクルの向こうから接近してくるミサイルと激突した1発の砲弾が、青空の中でミサイルを爆発させる。その中に突っ込んだ後続のミサイルも誘爆し、爆風を更に肥大化させる。

 

 その中に飛び込み、禍々しい爆炎と黒煙を穿つ。PAK-FAの纏う衝撃波に抉られた爆炎を置き去りにしつつさらに急降下し、6発のミサイルにも機銃を発射。何発かは外れてしまったが、数発の砲弾が2発のミサイルの先端部を穿って爆発させ、2つの爆炎が空の中で産声を上げた。

 

 機体を加速させつつ更に連射。4発のミサイルのうちの1発に命中したらしく、被弾したミサイルが木っ端微塵になる。その爆風に突っ込む羽目になった後続の3発のミサイルが、爆風の中から飛び出した破片の群れや衝撃波に呑み込まれ、同じ運命を辿る。

 

 キャノピーの向こうが真っ赤に染まった。爆炎にまたしても大穴を開けながら加速し、灰色の砂漠へと急降下を続ける。

 

 超高速で急降下するPAK-FAと衝撃波が、爆炎を切り裂いた。大穴を開けられて消えていく爆炎を置き去りにしたPAK-FAの機首の向こうには、空になったウェポン・ベイを開いたままこっちに機首を向けている2機のF-35Aが見えた。

 

「―――――――フォックス2」

 

 ウェポン・ベイが開き、搭載されていた短距離型の空対空ミサイルが躍り出す。慌ててウェポン・ベイを閉じて逃げようとしたF-35Aの腹に2発のミサイルが突き刺さり、先ほどのミサイルの爆発よりも巨大な爆炎が青空を切り裂く。

 

 その爆風のすぐ近くを通過しつつ、旋回しようとしているF-35Aに機関砲を叩き込む。ウェポン・ベイを突き破った砲弾が炸裂したかと思うと、直撃した砲弾がまだ温存していた対空ミサイルを起爆させてしまったらしく、F-35Aの胴体が弾け飛んだ。

 

 すぐに減速しながら操縦桿を引いて方向転換。再び高度を上げ始めたPAK-FAのすぐ後方に、爆炎の中から落下してきたF-35Aの残骸が落下してくる。さすがに脱出する時間はなかっただろう。パイロットたちはあのコクピットの中で焼死体と化しているに違いない。

 

 ―――――――あと1機撃墜すれば、俺はエースだ。

 

『現在、41%』

 

 観測が終わる前に、お前を撃墜したい。

 

 高度を上げつつ、反対側からミサイルで攻撃しようとしていたステルス機にロックオンする。おそらくあのYF-23に乗っているのはブラドだろう。

 

「首を貰う」

 

 機関砲はあと157発。ミサイルは合計で6発。

 

『現在、50%』

 

 5機目の獲物は、お前だ。

 

 ウェポン・ベイが開く。搭載されていた4発の中距離型空対空ミサイルがあらわになると同時に、ブラドが乗っている筈のYF-23へとロックオンを開始する。

 

 もう1機のF-35Aがいるが、あいつは最後に落としてやろう。

 

 レーダー照射を受けたブラドが慌てて旋回を始める。一緒に飛んでいたF-35Aから離れて急旋回し、高度を落としながらこっちを振り切ろうとする。だが、こっちは機動性の高い戦闘機を何機も開発してきたロシアの最新型ステルス戦闘機。そう簡単に逃げ切れるわけがないだろ?

 

 ロックオンを継続したまま、ブラドのYF-23を追撃する。彼を掩護するためにもう1機のF-35Aがこっちの背後に回り込んでくるが、まだレーダー照射は受けていない。だが、電子音がコクピットの中を支配するのは時間の問題だろう。

 

 多分、こっちが先だ。

 

 ロックオンが完了した直後、やはり電子音が鳴り響いた。後方に回り込んだF-35Aがこっちをロックオンしたに違いない。

 

『データ送信、一時中断。現在62%。…………タクヤ、60%を超えていれば十分です。もう砲撃を要請しますか?』

 

「ああ。だが、念のためそのまま観測を続けてくれ」

 

『了解(ダー)』

 

 最低でも50%以上のデータを送信できていれば、タンプル砲は照準を合わせて砲撃する事が可能だ。ただし100%に近くなければ、命中精度は低下してしまう。

 

 だが、完全な観測データを送信するまで飛び続けているわけにはいかない。時間をかけ過ぎるとユージーンたちが敵の対空砲火の餌食になる。

 

『ラ・ピュセル1よりタンプル搭へ。タンプル砲の砲撃を要請します』

 

『こちらタンプル搭指令室。砲撃要請を受諾しました。これより砲撃を開始します』

 

『―――――――観測再開。現在64%』

 

 ブラドのYF-23が高度を上げた瞬間、俺は減速しながらウェポン・ベイの中の中距離型空対空ミサイルを、全て解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作業員、退避完了」

 

「秒読みを開始します」

 

 警報が、広い指令室の中を支配していた。モニターに投影されているのは天空へと向けられた巨大な砲身で、もう既に砲身に取り付けられた薬室は展開している。砲身の根元からは冷却液を注入するためのケーブルが何本も伸びており、地面の中に設置されたタンクへと伸びていた。

 

 ついに、再びタンプル砲が火を噴くのである。

 

 今回はミサイルではなく砲弾だが――――――――弾頭は、通常の砲弾よりも圧倒的な攻撃力を誇る、MOAB弾頭。200cm砲から解き放たれたそれが炸裂すれば、最新型の戦車も消滅してしまうことだろう。対吸血鬼用の装備ではないものの、凄まじい爆炎で吸血鬼の肉体を完全に消滅させることができるため、水銀や聖水を充填する必要はない。

 

10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)

 

「―――――――撃て(フォイア)ッ!!」

 

「発射(フォイア)!!」

 

 オペレーターが復唱した直後だった。

 

 タンプル砲に取り付けられた複数の薬室の内部で、立て続けに爆炎と衝撃波が産声を上げる。薬室の中で生まれた爆風が、発射されたMOAB弾頭を押し出していく。

 

 ”塔”にも見える巨大な砲身から炎を纏ったMOAB弾頭が躍り出ると同時に、巨大なキノコ雲が砲口から飛び出した。あっという間に大空へと飛んで行った砲弾を追いかけようとするかのように噴き上がった黒煙が、岩山の向こうからやってきた砂漠の熱風を浴びて溶けていく。

 

「冷却液、注入開始」

 

「各薬室に破損無し。第二射発射体制に入ります」

 

「排出ハッチ開放。放熱開始」

 

 砲身に搭載されたハッチが一斉に開き、猛烈な蒸気が巨大な砲身を瞬く間に飲み込んだ。しかし、その蒸気たちもキノコ雲を形成していた黒煙のように熱風を浴びると、あっという間に溶けてしまう。

 

 排出ハッチがゆっくりと閉じていったのを確認したナタリアは、唇を噛み締めながらモニターを睨みつけた。

 

 この砲撃が命中すれば、出撃したタクヤたちが帰ってきてくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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フレアと熱風の果てに

 

 灰色のYF-23が、足掻く。

 

 唐突に機体を急旋回させつつ、逆に高度を落としていく。そのまま墜落するつもりなのかと思ってしまうほど無茶な急降下をした後に、接近してくる4発の中距離型空対空ミサイルを振り切るために、今度は再び急上昇。大地を覆っている灰色の砂を衝撃波で抉りながら舞い上がったYF-23が、エンジンノズルから炎を吐き出しながら天空へと舞い上がっていく。

 

 しかし、まだミサイルはYF-23を追いかけ回していた。4発のミサイルも青空を白煙で切り裂きながら、急上昇していく。

 

 すると、追われていたYF-23が急に減速し始めた。

 

「…………?」

 

 がくん、と機首が砂漠の方を向き、今度は逆に灰色の砂漠に向かって急降下していく。いきなり方向転換したYF-23へと、真正面から容赦のない4発のミサイルが突っ込んで行く。

 

 傍から見れば、ミサイルの回避を諦めて自分からミサイルに突っ込もうとしているように見える。だが、先ほど同じような方法を使って回避した俺は、いきなりミサイルに向かって飛行し始めたブラドの戦闘機を目にした瞬間、コクピットの中で舌打ちをした。

 

 迎撃するつもりなのだ。

 

 高速で接近してくるミサイルへと機首を向けた直後、灰色のYF-23の機首に搭載された機関砲が火を噴いた。解き放たれた砲弾たちが接近してくるミサイルへと牙を剥いたかと思うと、白煙を青空に刻み付けていたミサイルのうちの1発が何の前触れもなく弾け飛び、爆炎を生み出す。

 

 その爆風を突破してくる後続のミサイルを更に1発撃墜し、機関砲の連射を止めて回避を始めるブラド。操縦桿を引いたらしく、急降下していたYF-23が残った2発のミサイルを無視するかのように高度を上げつつ加速していく。

 

 そのうちの片方はブラドのYF-23に喰らい付くことができず、エンジンノズルが吐き出す炎の残滓を突き破って大空へと舞い上がった直後に爆発した。だが、残った1発のミサイルを振り切ることはできなかったらしい。

 

 そのまま飛んでいればYF-23のエンジンノズルを掠め、先ほど爆発したミサイルの二の舞になっていた事だろう。しかしその最後のミサイルは他のミサイルよりもブラドの機体に接近していた。

 

 躱される直前に、搭載されていた近接信管がミサイルを強制的に自爆させる。

 

 爆風と破片の群れが、立て続けにYF-23に牙を剥いた。ミサイルの破片がいたるところに突き刺さり、猛烈な衝撃波がフラップを歪ませる。胴体の下部に搭載されていたウェポン・ベイのハッチの一部がぼろりと機体から落下し、灰色の砂漠へと落ちていった。

 

 キャノピーにも破片がいくつか刺さったらしく、機体のキャノピーには白い亀裂が生まれている。しかしまだパイロットと機体は無事らしく、俺たちを撃墜するために機首をこっちに向けてくる。

 

 残っているのは短距離型のミサイルが2発。それを使い果たしたら機関砲だけだ。

 

『タンプル砲、着弾まで120秒』

 

「了解!」

 

 120秒以内に決着をつけ、ここから離脱しなくては。

 

 ここへと向けて発射されるのは、タンプル砲が使用可能な砲弾の中では最も破壊力のある代物なのだから。もし仮に砲弾があの列車砲に着弾しなかったとしても、間違いなくあの列車砲は木っ端微塵になる事だろう。原形を留めていたとしても、脱線して使用不能になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 早く離脱しないと、こっちも爆風に巻き込まれてしまう。

 

『観測データ、現在81%』

 

「十分だな」

 

 操縦桿を倒して機首をブラドの機体に向けながら、歯を食いしばる。

 

「あいつを落としたら離脱する」

 

『了解(ダー)。…………着弾まで90秒』

 

 ウェポン・ベイを開き、敵機をロックオンし始める。

 

 ロックオンを始めた直後、コクピットの中に電子音が響き渡る。舌打ちをしながら一瞬だけレーダーを確認し、敵の生き残ったF-35Aが背後に回り込んでこっちをロックオンしたことを確認する。

 

 5機目の獲物はブラドにするつもりだ。お前をすぐに落とすつもりはない。

 

 そう思ったが、このまま直進していればミサイルを発射するよりも先に後方の敵にミサイルを発射されるだろう。回避を始めれば、ブラドに逃げられてしまう。

 

『着弾まで60秒』

 

 カーソルを睨みつけ、ロックオンを続ける。真正面から突っ込んでくるブラドの機体もこっちをロックオンしたらしく、コクピットの中の音を電子音が支配してしまう。

 

 真正面と真後ろからロックオンか。

 

 まだフレアは残っている。発射された直後にフレアをばら撒けば、ミサイルを回避することは容易いだろう。しかしブラドのやつもフレアを温存している筈だ。全く同じ手段を使って回避しようとするのは想像に難くない。

 

 多分、このミサイルで決着はつかない。

 

 決着をつける得物は―――――――九分九厘30mm機関砲だ。

 

 使い慣れた武器じゃないか。時代遅れだが、俺はミサイルを撃ち合う戦いよりもドッグファイトの方が好きなんだ。

 

『着弾まで50秒』

 

「―――――――フォックス2」

 

 発射スイッチを押し、ミサイルを解き放つ。

 

 後方を飛んでいる敵のF-35Aも、同じようにウェポン・ベイの中のミサイルを発射しやがった。しかもミサイルをかなり温存していたらしく、レーダーには一気に4発も発射されたミサイルの反応が映っている。大盤振る舞いという事なんだろうか。

 

 悪いね、こっちは2発しか残ってないんだ。

 

 ブラドに向けてミサイルを発射した直後、ブラドのYF-23も同じようにミサイルを発射。しかもこっちのミサイルを回避するために、機体から大量のフレアを放出し始める。

 

 こっちも、残ったフレアを全て射出。飛翔するPAK-FAから放出された深紅のフレアたちが、青空の中で立て続けに白煙を纏いながら煌き始める。早くも後方から接近してきたミサイルたちがふらついたかと思うと、そのまま煌くフレアへと突っ込んで行った。

 

 キャノピーの向こうで、俺が発射したミサイルも同じ運命を辿る。ぐらりと揺れたミサイルが高度を落とし、ロックオンした筈のブラドの機体ではなく、その機体から零れ落ちたフレアへと向かってしまう。ブラドのミサイルもキャノピーの向こうで高度をいきなり下げたかと思うと、ふらふらしながら俺の放出したフレアに突っ込み、そのまま砂漠へと落下していった。

 

 こっちのミサイルはもうゼロ。向こうはまだミサイルを温存しているだろうが、これほど接近すれば機銃を使うだろう。

 

 後方のF-35Aが、俺たちよりも先に機関砲を発射する。炎を纏った砲弾たちがPAK-FAの垂直尾翼やキャノピーの上を掠めていく。

 

 悪いが、後ろにいる奴は眼中に無い。

 

 俺が撃墜したいのはお前なんだよ、ブラド!

 

 後方から飛来した砲弾が右の主翼を貫く。ボギン、と風穴を開けられた主翼が金属音を発し、PAK-FAが右側にぐらりと揺れてしまう。すぐに操縦桿を握って体勢を立て直そうとしたが、ブラドはこっちが体勢を崩している隙に蜂の巣にするつもりらしく、正面から突っ込みながら機関砲を連射してくる!

 

「くそ…………!」

 

『着弾まで30秒。タクヤ、時間がありません』

 

 諦めて離脱するか?

 

 離脱すれば、上手くいけばブラドともう1機の敵機を爆風に巻き込んで撃墜することはできるだろう。タンプル搭から放たれたMOAB弾頭は、それほど強力な代物なのだから。操縦桿を横に倒して離脱しようと思ったが――――――――離脱したら1勝1敗になっちまう。

 

 それに、ラウラの手足を奪ったメイドのご主人はこいつなんだ。あのメイドの所に送ってやるべきだろう。

 

 操縦桿を右に倒しながら一気に減速。こっちに突っ込みながら機関砲を乱射するブラドに向かって、中身がなくなったウェポン・ベイを晒そうとしているかのように立ちはだかる。

 

 傍から見ればこれでもかというほど機関砲をお見舞いするチャンスに見えるが、叩き込んで撃墜した後には離脱しなければならない。当たり前だが、離脱しなければ撃墜した敵機の残骸にハグされて、そのままあの世まで一緒に行く羽目になってしまうからだ。

 

 ブラドの目の前に立ちはだかったのは、機関砲をぶち込んでも離脱が間に合わない距離だからである。あいつもトレーニングモードで戦闘機の飛ばし方や空戦の訓練を繰り返している筈だ。どれくらい距離が開いていなければ危険なのかは熟知している筈である。

 

 案の定、ブラドは機関砲の連射を止め、大人しく減速したPAK-FAの下をくぐって回避していく。キャノピーの右側を灰色の機体が通過していったのを確認しながらニヤリと笑い、そのまま操縦桿を思い切り引きながら急加速。右側へと傾きつつ、正面から突っ込んできた敵機にウェポン・ベイを晒していたPAK-FAがいきなり急旋回を始めたかと思うと、凄まじいGを纏いながら一気に後方へと機首を向けた。

 

 今のはクルビットの応用だ。機体を傾けたままクルビットを行い、その途中で急加速して機体を強引に急旋回させたのである。

 

 飛行訓練している最中に、実戦では使えないだろうなと思いながら練習しておいた飛び方である。

 

 役に立ったよ、実戦で。

 

 急加速したPAK-FAのすぐ目の前を、こっちを回避した直後のYF-23が飛んでいる。今しがた自分に向けてウェポン・ベイを晒していた筈のステルス機が急旋回し、背後に回り込んでいるとは思っていないだろう。

 

 案の定、キャノピーの中でこっちを振り向いたブラドが、ぎょっとしているのが見えた。

 

「До свидания(さらばだ)」

 

 後方を飛んでいるPAK-FAを見つめながら目を見開いているブラドに向かって、左手の中指を立てながら機関砲の発射スイッチを押した。

 

 30mm弾の群れが垂直尾翼をへし折り、主翼の後部に取り付けられているフラップを滅茶苦茶にする。1発の砲弾がエンジンノズルの中へと飛び込んだと思った直後、エンジンノズルから通常の炎ではなく火柱と黒煙が吹き上がる。その黒煙を突き破って接近した砲弾たちが立て続けにめり込み、YF-23の背中の装甲がどんどん剥がれていく。

 

 いたるところから煙を吐き出しているYF-23のキャノピーが開き、パイロットスーツに身を包んだアイロットが飛び出していく。パラシュートを開いてゆっくりと降りていくブラドに向かってニヤニヤと笑いながら手を振ってから、再び機体を急旋回させる。このまま飛んでいたらタンプル砲の砲撃に巻き込まれてしまう。

 

 これで俺もエースパイロットだな。今度から撃墜マークでも書いてみようか。

 

『着弾まで10秒』

 

 PAK-FAを加速させながら、青空を見上げた。

 

 大空に、小さな漆黒の風穴が開く。超弩級戦艦ですら命中すれば真っ二つにしてしまえるほどの破壊力を持つ巨大な砲弾が、高熱と獰猛な運動エネルギーを纏いながら大地へと落下してくる。

 

 タンプル砲から発射されたMOAB弾頭だ。

 

 後端部にある薬室から解き放たれ、他の32基の薬室の中で生れ落ちた爆風たちに押し出されることで射程距離が劇的に伸びた200cmガンランチャーの砲弾が、ついに大空を飛行するのを止めて落下を始め、大地へと牙を剥こうとしているのである。

 

 最終的に送信できた観測データは81%。敵を観測してデータを送信し、砲弾を誘導するという任務は大成功と言えるだろう。

 

 砲弾が落下していくのは、もちろん機関車を失って動くことができなくなってしまった、吸血鬼たちの80cm列車砲。機関車を破壊されたせいで動けなくなった列車砲から砲兵たちが退避していくのが見えるが、間違いなく生存者はゼロになるだろう。

 

 数秒後に、彼らは猛烈な爆風で完全に消滅する羽目になるのだから。

 

『5、4、3、2、1………弾着、今』

 

 ステラがそう告げた瞬間、青空が見えなくなった。

 

 遮られたというよりは、空が青くなくなってしまったというべきだろうか。後方で産声を上げた火柱の光が強烈すぎて、まだ朝だというのに空が真っ黒に染まる。雲たちが瞬く間に衝撃波によって引き千切られて消滅していき、吹き飛ばされた砂塵の奔流が大地を両断する。

 

 間違えて核弾頭を発射したんじゃないかと思ってしまうほど凄まじい大爆発が、カルガニスタンの砂漠を穿つ。

 

 列車砲の砲身をへし折って中心部に着弾し、そこでMOAB弾頭が起爆したせいで、列車砲は木っ端微塵になっていた。列車砲の内部で産声を上げた爆風が逃げ遅れた砲兵たちの身体を完全に消滅させ、内部に残っていた砲弾をことごとく誘爆させていく。列車砲本体どころか線路や機関車の残骸すら完全に焼き尽くした爆風が、まるで古傷のように砂漠に用意された漆黒の線路をどんどん抉りながら拡散していき、逃げていた作業員たちを焼き尽くした。

 

 そしてその衝撃波は、天空にすら牙を剥く。

 

 撃墜されたブラドの戦闘機とすれ違ってから、自分たちのリーダーを撃墜した俺たちを殺そうといていたF-35Aの尾翼が何の前触れもなく千切れ飛んだかと思うと、空にまで解き放たれた衝撃波が瞬く間にF-35Aを呑み込んだ。フラップが剥がれ落ち、主翼が瞬く間にひしゃげてしまったステルス機が高度を下げたかと思うと、地上で噴き上がった火柱が操縦不能になったステルス機を呑み込み、パイロットもろとも完全に消滅させてしまう。

 

 俺たちの機体も揺れたが、今しがた消滅したF-35Aのように爆風に呑み込まれる前に離脱することができたらしい。相変わらず主翼に風穴を開けられたせいでふらついてしまうが、今の衝撃波で損傷した様子はなかった。

 

『イリナが見たら大喜びしそうですね』

 

「今頃気絶してるんじゃないか?」

 

 始めてタンプル砲を実戦投入した時の事を思い出しながら、俺は苦笑いする。

 

 タンプル砲が発射された際の大爆発をモニターで見ていたイリナが、幸せすぎて気絶してしまったのである。その後彼女を部屋に連れて行ってからご飯(俺の血)をあげたのだ。多分、またタンプル搭の中で気絶しているに違いない。

 

『こちらタンプル搭管制室。ラ・ピュセル1、列車砲は?』

 

「こちらラ・ピュセル1。砲撃は列車砲に命中。目標は完全消滅した」

 

『さすがです、同志団長』

 

「続けてラーテを狙え。次の準備はできてるな?」

 

『はい、すぐに撃てます』

 

「分かった」

 

 念のため、俺たちも救援に向かおう。既にミサイルを全て使い果たしてしまった挙句、主翼に被弾したせいでふらついてしまうものの、ユージーンたちの負担を減らすことはできる筈だ。場合によってはラーテの対空砲を破壊して支援することもできるし、航空隊を撃墜することもできる。

 

 よし、撃墜マークを増やしてやろう。

 

 後方で火柱を吹き上げる列車砲の残骸をちらりと見てから、俺はPAK-FAを旋回させるのだった。

 

 

 

 

 

 



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灰色の大地と大きな戦果

 

『観測データ、現在50%…………ッ!』

 

「くそったれッ!」

 

 急旋回で地対空ミサイルを必死に回避しながら、ユージーンは悪態をつく。急旋回をするために胴体の下部に搭載されたポッドを砲撃目標であるラーテへと向けられなくなるため、回避する度に観測データの送信を一時的に中断せざるを得なくなる。だからと言って回避しないまま飛んでいればミサイルに吹っ飛ばされる羽目になるため、必死に回避するしかない。

 

 自分たちが撃墜されてしまったら、敵の頭上で観測データを送信するという危険な仕事を、一緒に出撃したタクヤたちに押し付ける羽目になってしまうのだから。

 

 それに、ヴリシアで戦友や肉親を失ったユージーンとエドワードにとっては、この戦闘は弔い合戦でもあった。吸血鬼の兵士たちに殺されていった仲間たちを弔うために、眼下の砂漠を進撃するラーテを絶対に撃破しなければならない。

 

 そのために、是が非でもこの観測データを送信する必要があった。

 

 圧倒的な射程距離を誇るタンプル砲の命中精度は、送信されてくる観測データに左右される。この異世界に人工衛星が存在しない上に、人工衛星を運用するための技術を持つ人員も存在しないため、誘導砲弾などのミサイルを使用する際には観測データ送信用の特殊なポッドを搭載した偵察機が目標を観測しつつ誘導する必要があるのだ。

 

 つまり、特殊なポッドを搭載した航空機が人工衛星の代わりを務めている状態なのである。

 

 80cm列車砲(カイザー・レリエル砲)の破壊に使用されたMOAB弾頭や、スオミ支部の切り札である”スオミの槍”の砲弾も、命中精度を少しでも高めるために誘導砲弾を採用している。

 

『データ送信再開――――――――くそ、またミサイルだ! 6時の方向から中距離空対空ミサイルが3発!』

 

「くそ、また敵機か!!」

 

 観測を続けるためにポッドをラーテへと向けた瞬間に、また別の敵からミサイルで狙われてしまうため、なかなか観測データの送信が進まない。平常心を蝕もうとする焦燥を引き剥がしつつ、操縦桿を横に倒して再び急旋回。フレアを放出しつつ旋回し、ミサイルを必死に回避する。

 

 操縦桿を元に戻した直後、ユージーンとエドワードを仕留め損ねた2機の灰色のラファールたちが、機体を加速させながらすぐ近くを通過していった。

 

 もし仮にラーテからの対空砲火だけだったのであれば、とっくに観測データは最低限の60%に達していた筈である。しかし、CIWSや地対空ミサイルの弾幕だけではなく、ブレスト要塞から飛び立った合計で6機のラファールたちによるミサイル攻撃は、列車砲の観測へと向かったタクヤたちが味わった猛烈な弾幕に匹敵するほど濃密な障壁と言っても過言ではない。

 

 観測データの送信を続けるために、胴体下部のポッドに搭載された目玉にも似た球体状のセンサーをラーテへと向けながら飛ぶ。センサーがまるでラーテを見つめるかのように自動的に旋回したかと思うと、そのラーテの位置などの情報を凄まじい勢いでタンプル搭へと送信し始める。

 

『観測データ送信再開…………ッ! 頼むぞ、ユージーン!』

 

「分かってる!」

 

『こちらタンプル搭管制室。徹甲弾装填完了』

 

『了解! …………現在、63%! 頼んだぞ!』

 

『―――――――了解(ダー)、砲撃要請を受諾した。これより秒読みに入る。引き続き観測データの送信を頼む』

 

「分かった!」

 

 列車砲への砲撃に使用されたのは圧倒的な破壊力を持つMOAB弾頭だが、今度の砲撃に使用されるのは200cm徹甲弾。命中すれば分厚い装甲や防壁を容易く突き破り、地下にある敵の設備を木っ端微塵に粉砕してしまうほどの貫通力と破壊力を兼ね備えた恐るべき砲弾である。

 

 もちろん、分厚い超弩級戦艦も一撃で轟沈できるほどの破壊力があるが、MOAB弾頭のような大爆発を起こす砲弾ではない。そのため、不十分な観測データや誘導では命中しない。

 

 戦車砲を防ぐことが可能なほど分厚いラーテに徹甲弾をお見舞いするためには、あの対空砲火を躱しながら更に観測と誘導を続けなければならないのである。

 

10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)――――――発射(フォイア)』

 

『砲身の冷却を開始。冷却液、注入』

 

『各薬室第三層炸薬、起爆位置へ』

 

『次弾装填急げ』

 

『各所の被害報告を急げ!』

 

 無線機の向こうから、管制室の中にいるオペレーターたちの声が聞こえてくる。無事にタンプル砲から200cm徹甲弾が発射され、砲身の冷却が始まったらしい。

 

 タンプル砲の薬室の中には、5発分の炸薬が内蔵されている。1発発射する度に炸薬を1層ずつ消費していくというわけだ。つまり、5発までならば薬室内部の炸薬を起爆位置へと移動させ、砲身を冷却しつつ砲弾を装填するだけで連続砲撃が可能なのである。

 

 逆に言えば、5発砲撃してしまえば32基の薬室を全て取り外し、炸薬が内蔵された予備の薬室をクレーンで取り付ける必要があるため、実質的に5発発射してしまえば弾切れに等しいのだ。

 

 まだ3発も砲撃が可能だが、次の砲弾の装填が完了し、2人が命懸けで送信し続けた観測データをもとに照準を合わせた砲手たちが次の砲弾を解き放つまで、回避を続けるのは至難の業と言えた。ただ単に回避するだけならば容易いが、可能な限り機体の下に搭載されたポッドをラーテに向けるようにしながら、超重戦車に搭載された地対空ミサイルと、ラーテを護衛する6機のラファールから逃げ回らなければならないのである。

 

 重りを身につけたまま、7人の鬼と鬼ごっこをするようなものであった。

 

『観測データ、70%を突破!』

 

「よし、このまま続けるぞ…………ッ!」

 

『…………またレーダー照射! 今度は7時方向と2時方向!』

 

「くっ…………!」

 

 先ほどラ・ピュセル2を仕留め損ねた2機のラファールと、その反対側から回り込んだ4機のラファールたちによる挟撃であった。ミサイルは高速で飛び回る戦闘機に喰らい付くことができるほどの機動性と加速力を誇る現代戦の主役である。1つの方向からのミサイル攻撃ならば急旋回で躱せるかもしれないが、複数の方向からのミサイルを急旋回や急加速のみで回避するのは困難だ。

 

 躊躇わずにフレアをばら撒きつつ、ユージーンは急旋回を開始する。左へと操縦桿を倒しつつ高度を落とし、灰色の大地へと向かって突進する。置き去りにされたフレアの群れへと向かってミサイルが飛んで行ったのを確認したユージーンは、息を吐きながら操縦桿を元の位置に戻そうとした。

 

 キャノピーの左側で、灰色の大地を進んでいたラーテの巨大な砲塔がゆっくりと旋回を始める。突き出た2本の巨大な砲身が段々と上を向き始めたのを目にしたユージーンは、我が目を疑いながらラーテの巨大な砲塔を見下ろす。

 

 対空砲火や地対空ミサイルでなかなかPAK-FAを撃墜できないため、あのラーテを指揮する車長が痺れを切らしたのかもしれない。ラーテに搭載された28cm連装砲を発射するつもりだという事を理解したユージーンは、操縦桿を倒しながら肩をすくめた。

 

 戦闘機を落とすための武装はミサイルや機関砲などだ。もちろん砲弾が無用の長物というわけではないが、戦闘機を撃墜できるような代物は、イージス艦や駆逐艦の主砲に採用されているような速射砲である。

 

 ラーテが搭載している主砲は敵の戦車や要塞を砲撃する際には重宝するだろうが、戦闘機に対しては無用の長物としか言いようがない。しかも、彼らが狙おうとしているのはロシアで開発された最新型のステルス戦闘機。圧倒的な機動力を誇る最新の戦闘機を、要塞や戦車を砲撃するための鈍重な主砲で撃墜できるわけがない。

 

 無視していいだろうと思ったユージーンは、そのまま高度を上げつつセンサーをラーテへと向け、観測データの送信を続けようとした。

 

『嘘だろ? 戦闘機にあんなでっかい主砲を?』

 

「当たるわけがないだろ。あいつら、バカなんじゃないか?」

 

 ニヤリと笑いながら旋回しようとした直後、ラーテの主砲が火を噴いた。

 

 テンプル騎士団で採用されている戦車砲を遥かに上回る猛烈な爆風と衝撃波が、砲口の真下にある砂たちを舞い上げる。シャルンホルスト級戦艦の主砲を改造したラーテの主砲の破壊力は圧倒的と言えるが、戦闘機を撃墜するのであれば、搭載されているミサイルやCIWSで弾幕を張った方がまだ撃墜できる可能性は高かっただろう。その”高い可能性”をかなぐり捨ててまで、対空兵器としては無用の長物と言える主砲での砲撃を行った理由を全く理解できなかったユージーンは、炎を纏いながら飛翔するラーテの砲弾を目にした瞬間、目を見開く羽目になる。

 

 確かに、巨大な主砲の砲弾は対空兵器としては無用の長物だ。圧倒的な機動性で飛び回る航空機に砲弾を直撃させるのは不可能と言える。

 

 しかし、旧日本軍が開発した砲弾の中に――――――――航空機を撃墜するための特殊な砲弾があった。

 

 ユージーンとエドワードは、その砲弾を知らなかった。

 

 旧日本軍が開発した、『三式弾』と呼ばれる砲弾を。

 

 PAK-FAへと放たれた砲弾が、PAK-FAに命中するよりも先に爆発する。近接信管によって起爆した砲弾の爆炎と衝撃波がすぐ近くで膨れ上がったが、すぐ近くとはいえ、その爆風と衝撃波で撃墜されるような距離ではなかった。灼熱の爆炎が装甲を照らし、凄まじい衝撃波の残滓が装甲の表面を駆け抜けていくだけである。

 

(炸裂弾…………!?)

 

 被害はなかったとはいえ、すぐ近くで爆発した砲弾の残滓を見つめながらヒヤリとするユージーン。しかし、もう既に生れ落ちた無数の矛の群れが、爆炎を突き破り、PAK-FAに牙を剥こうとしていた。

 

 ガツン、と何かが装甲の表面に突き刺さったような音がしたことに2人が気付いた頃には、無数の金属音がコクピットの外を包み込み、解き放たれた無数の小さな炎を纏った金属の塊たちが、PAK-FAの装甲に風穴を穿っていた。尾翼に風穴が開き、右側の垂直尾翼の先端部が削り取られる。左側のエンジンノズルが小型の弾丸に殴打されたことによってひしゃげ、弾丸が掠めたせいで主翼のフラップが歪む。

 

 反射的に操縦桿を倒して回避しようとしたユージーンの鼓膜に、凄まじい金属音の中で、ビキッ、とガラスに亀裂が入るような音と、後部座席に座っている相棒(エドワード)の呻き声が流れ込んだ気がした。

 

「エドワードッ!」

 

 操縦桿を握ったまま、後ろを振り向く。

 

 キャノピーの向こうに、ボロボロになった主翼が見えた。錆び付いてしまった薄い鉄板のように穴だらけになってしまった主翼と、手で引っ張るだけでぽろりと外れてしまいそうなズタズタのフラップ。上半分が抉り取られた垂直尾翼の手前に、小さな風穴と亀裂が刻み込まれたキャノピーが見える。

 

 そしてそのキャノピーの反対側が、真っ赤な飛沫で染め上げられていた。

 

「おい、エドワード!」

 

『…………わ、悪い………相棒、先に…………ジェイ……コブ………の………ところに………逝く…………よ…………』

 

「エドワード…………?」

 

 無線機から聞こえてくるのは、いつも後部座席でサポートしてくれる相棒の弱々しい声。冷静に目標を観測しつつアドバイスしてくれるエドワードとは思えない。

 

『観測………デー……タ………100……%…………。頼んだ…………相………棒…………』

 

「―――――――バカ野郎」

 

 操縦桿を握り締めながら、唇を思い切り噛み締める。

 

 目の周囲を占領する涙を拭い去るよりも先に、機体の状況を素早く確認。先ほどの三式弾に被弾してしまったせいでフラップや垂直尾翼が台無しになり、主翼も蜂の巣と化してしまっている。しかし、三式弾から飛び出した無数の弾丸たちは思ったよりも命中していなかったらしく、PAK-FAは未だにドッグファイトができるだけの機動性を維持していたのである。

 

 たった1人のパイロットが乗るコクピットの中に、電子音が鳴り響く。

 

 レーダー照射を受けている事を意味する電子音だったが、小さな風穴から凄まじい勢いで入り込んでくる空気の音のせいで、まるで今しがた後部座席で命を落としたエドワードの呻き声のようにも聞こえた。

 

「団長に…………死ぬなって言われただろうがぁッ!!」

 

 操縦桿を右へと倒しつつ減速し、残っていたフレアを全て発射。血涙にも似た赤いフレアたちが、大空の中で輝き続ける。

 

 ミサイルがそのフレアの方へと飛んで行ったのを確認しつつ、そのミサイルを放ったラファールをロックオン。ミサイルを発射するために発射スイッチへと手を伸ばすが、目の前のモニターに『エラー』と表示されていることに気付いた彼は、舌打ちをしながら機関砲の発射スイッチを押した。

 

 先ほどの被弾でウェポン・ベイが歪み、ミサイルが発射できなくなってしまったのである。

 

「―――――――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 立て続けにコクピットに30mm弾が牙を剥く。大口径の砲弾がキャノピーを叩き割り、中に座っていたパイロットの肉体を瞬く間に木っ端微塵にすると、そのままエアインテークの後部に大穴を穿つ。その大穴から小さな火柱が吹き上がったと思った頃には、右側の主翼を捥がれたラファールがぐるぐると回転を始め、大地へと向かって落ちていった。

 

『こちらタンプル搭管制室。着弾まであと70秒』

 

『こちらラ・ピュセル1。無事か?』

 

「ああ、同志…………大丈夫ですよ、こっちは」

 

 減速しつつ、操縦桿を思い切り手前に引いて機首を天空へと向ける。背後に回り込んでいたラファールが大慌てで回避し、PAK-FAの目の前に躍り出て”しまった”タイミングで機首を下げる。すぐさま機体を加速させつつ、回避しようとするラファールのエンジンノズルにレティクルを合わせ、機関砲の発射スイッチを押す。

 

 30mm弾が2基のエンジン音を吹き飛ばし、大きな主翼に風穴を開ける。ユージーンは火達磨になったラファールを回避して次の標的へと機首を向けながら、一瞬だけ唇を噛み締めた。

 

「―――――――”俺たち”が終わらせます」

 

『了解した。こっちも急いで向かう』

 

 返事をするよりも先に、またしても電子音が響き渡る。

 

 地上に鎮座するラーテが、巨大な砲身をPAK-FAへと向けたまま、地対空ミサイルを一気に6発も発射したのだ。車体に搭載されたミサイルのキャニスターから、純白の矛が立て続けに躍り出る。あれでラーテは対空ミサイルを使い果たしただろうが、それよりも先にユージーンはフレアを使い果たしている。6発も発射されたミサイルを、全て回避しなければならない。

 

(エドワード…………悪い、俺もすぐにそっちに逝きそうだ)

 

 加速しつつ高度を上げ、操縦桿を左側へと倒す。ぐるりと回転した機体をそのまま旋回させ、ミサイルを回避するために飛び回る。

 

 ひしゃげたエンジンノズルが炎を吐き出し、満身創痍のPAK-FAが飛翔する。ボロボロの主翼から歪んだフラップが零れ落ち、ウェポン・ベイのカバーが剥がれ落ちる。墜落してしまうほどの損傷だったが、大空の中で足掻き続ける機体の下部にぶら下がったポッドのセンサーは、じっと眼下のラーテを見下ろしていた。

 

『着弾まで30秒』

 

 数発のミサイルがボロボロのPAK-FAを掠める。近接信管によって起爆したミサイルの爆風と破片が、満身創痍のステルス機に容赦なく突き刺さっていく。

 

 抉られた垂直尾翼が更に歪み、ミサイルの破片がキャノピーを貫く。キャノピーを貫通したその小さな破片は、満身創痍の機体を操っていたユージーンの胸板を貫いた。

 

 パイロットスーツが真っ赤に染まっていき、酸素マスクの隙間から吐き出した鮮血が流れ落ちる。左上から右斜め下へと貫通した破片をちらりと見つめてから、ユージーンは空を見上げた。

 

 ヴリシアで戦死した戦友たちの元へと、そろそろ行かなければならない。

 

 天空からゆっくりと落ちてくる黒い塊に気付いたユージーンは、息を吐きながら微笑んだ。

 

 ―――――――仲間たちの所へ逝く前に、立派な戦果をあげられるのだから。

 

『着弾まで10秒』

 

 天空から落下してくる漆黒の砲弾が、ついに忌々しいラーテの装甲を貫くのだ。

 

『5、4、3、2、1…………弾着、今!』

 

 無線機の向こうでオペレーターが告げると同時に――――――――シャルンホルスト級の主砲を改造したラーテの砲塔に、巨大な穴が開いた。

 

 落下してきた200cm徹甲弾を受け止める羽目になった分厚い装甲が、運動エネルギーと貫通力に耐えきれずにへこむ。そのままへこんだ部分が風穴と化した瞬間には、キャノピーに穿たれた小さな風穴の向こうから、分厚い装甲がひしゃげる轟音が聞こえてきた。

 

 砲塔の内部にあった自動装填装置をあっという間に乗組員もろとも押し潰した徹甲弾が、そのまま車体の内部を貫通していく。ついにラーテの巨大な車体の”床”に大穴を開けた徹甲弾は、先端部が大地に触れると同時に起爆し、今しがた自分が開けた巨大な風穴を火柱で蹂躙する。

 

 流れ込んできた火柱が吸血鬼の乗組員たちを包み込み、すぐに焼き尽くしてしまう。自動装填装置の周囲に置かれていた砲弾や、もう既に砲身に装填されていた砲弾も立て続けに誘爆を起こしたかと思うと、砲身の根元で誘爆した砲弾が、ラーテの巨大な砲身を叩き折った。

 

 金属音を奏でながら、2本の砲身が崩壊していく。

 

「やっ……た…………」

 

『こちらタンプル搭管制室。ラ・ピュセル2、砲弾は? ラーテは撃破したのか?』

 

 操縦桿から手を離したユージーンは、そっと両手を大空へと向けた。

 

「みん……な…………………勝った………ぞ………………」

 

 戦死していった仲間たちも、喜んでくれるに違いない。

 

 ボロボロになった1機のPAK-FAが、ゆっくりと落ちていく。

 

 タンプル砲の砲撃で撃破されたラーテの敵討ちと言わんばかりにラファールたちが機関砲を放ったが、1発も命中はしなかった。

 

 2人の力尽きたパイロットを乗せたPAK-FAは、そのまま砂塵の舞う灰色の大地へと落ちていった。

 

 

 



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逆鱗

 

 もしこの任務が無事に終わっていれば――――――――この滑走路には2機のステルス機が降り立つはずだった。

 

 アドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板を思わせるタンプル搭の地下の滑走路へ降り立ったPAK-FAのキャノピーから、誘導灯の明かりで照らされた長大な滑走路の向こうを見つめる。2機のステルス機が降り立っていれば、今頃指令室の中では歓声が上がっていただろう。無線機の向こうからその歓声が聞こえてきてもおかしくはない筈だ。

 

 けれども、無線機の向こうから聞こえてきたのは、管制室で出迎えてくれる団員たちの淡々とした声だった。もちろん、全く歓声は聞こえない。

 

『ラ・ピュセル1、お疲れさまでした』

 

「ああ…………」

 

 返事をしつつ、格納庫へと誘導してくれるエルフの兵士の後をゆっくりとついて行く。轟音を響かせながら開いた分厚い扉の向こうは格納庫になっていて、タンプル搭の航空隊のために用意された戦闘機や攻撃機が、これでもかというほど並んでいた。大半はSu-27やSu-35が占めているが、中にはPAK-FAや、一緒に採用されることになったアメリカのF-22も並んでいる。

 

 PAK-FAを格納庫の中へと進ませ、元の場所に戻してからキャノピーを開ける。エンジンの轟音が一気に強くなったかと思うと、コクピットの中よりも少しばかり冷たい空気が流れ込んできた。整備兵がやってくるよりも先にコクピットから飛び降り、身につけていたHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を外して、敵機に風穴を開けられた主翼を見つめる。

 

 もしあと数発の砲弾が主翼を直撃していたら、風穴が開くどころか、片方の主翼が捥ぎ取られていた事だろう。今度からは被弾しないような飛び方をしなければならないだろうなと思っていると、たんっ、と後ろの方で小柄な少女がコクピットから飛び降りた音が聞こえてきた。

 

「タクヤ」

 

「おう、ステラ」

 

「お疲れさまでした」

 

「ああ…………ステラこそ、お疲れ様」

 

 無茶な飛び方をしている最中もひたすらセンサーで観測を続けてくれたのは、ステラだ。5機のステルス機を撃墜してエースになった俺よりも、”大物”の観測を続けて列車砲の撃破に貢献したステラの方が、立派な戦果だと思う。

 

 おかげで敵の”切り札”の1つを台無しにすることができたのだから。

 

 ヘルメットと酸素マスクを外した小柄な少女の頭の上に手を置いてから優しく撫でると、彼女は嬉しそうな顔をしながらこっちの顔を見上げてきた。

 

 お前のおかげだよ、ステラ。

 

 それに、彼らも大きな戦果をあげた。

 

 タンプル搭の攻撃に投入される筈だった敵の超重戦車を発見し、観測して撃破に貢献したのだ。もしユージーンとエドワードが生還してくれたのならば、勲章を贈りたいところである。

 

 けれども、格納庫の中に彼らが乗っていた機体はない。

 

「…………」

 

 砲撃目標を観測する任務から戻ってきたのは、俺たちのPAK-FAだけだった。ラーテからの攻撃を回避しつつ観測を続けていたユージーンたちは、タンプル砲の徹甲弾をラーテに叩き込むことができるほどの観測データを送信し、更に砲弾を誘導してラーテを撃破してくれたが――――――――あの超重戦車と相打ちになった。

 

 彼らを掩護するためにラーテの周囲へと向かった頃には、もう既に徹甲弾が直撃したラーテからは火柱が吹き上がり、内部の砲弾の誘爆が続いている状態だった。護衛していた戦闘機たちも見当たらなかったため機関砲を敵にぶち込む必要はなかったが――――――――仕留めた獲物を大空から見下ろしている筈の味方のステルス機が、灰色の大地の上で残骸と化していたのである。

 

 何度も「ラ・ピュセル2、応答せよ」と言い続けたが、彼らの返事は全く聞こえなかった。

 

 すでに、2人の遺体を回収するためにヘリが派遣されている。ラーテが撃破されていた場所はブレスト要塞からやや離れた位置にあるため、敵の戦闘機に襲われる心配はないだろう。

 

 出撃する前には彼らの乗っていたPAK-FAが鎮座していた場所を見つめながら、唇を噛み締める。

 

 ―――――――立派だよ、お前たちは。

 

 敵の対空砲火をひたすら回避し続け、タンプル砲を叩き込むために観測を続けてくれたのだから。

 

 ユージーンとエドワードは、ヴリシアの戦いにも参加したベテランのパイロットだった。あの時は戦闘ヘリのパイロットだったけど、タンプル搭で本格的に戦闘機の運用が始まってからは戦闘機のパイロットとなり、あらゆる任務で複座型の機体に乗り込み、偵察や味方の航空隊の指揮を執っていた優秀なパイロットたちだった。

 

 彼らにとって、この春季攻勢は吸血鬼に殺された肉親や家族の仇を討つチャンスだったのだ。

 

 あの2人と別行動をせずに、一緒に観測を行っていたらあの2人は戦死せずに済んだかもしれない。索敵する範囲を広げるためとはいえ、たった1機でこれでもかというほど対空兵器が搭載された敵の超重戦車の上空で観測させるのではなく、一旦俺と合流させていれば、あの2人は無事に生還できたに違いない。

 

「…………タクヤ」

 

 唇を噛み締めたままあの2人が乗っていた機体が鎮座していた場所を見つめていると、ステラが小さな手で俺の手を優しく握ってくれた。

 

「絶対に勝ちましょう。彼らや戦死した仲間たちを弔うために」

 

「ステラ…………」

 

 背伸びをしながら、もう片方の小さな手を俺の顔へと伸ばすステラ。小さな手でいつの間にか零れ落ちていた涙を拭い去ってくれた彼女は、微笑みながら言った。

 

「ですから、泣くのは墓標の前にしましょう」

 

「…………そうだな」

 

 そういえばステラは俺たちのパーティーの中で最年長だったな。一番幼い姿をしているけれど、彼女の年齢は37歳なのだ。サキュバスたちの寿命は非常に長いため、サキュバスの基準ならばステラはまだ”子供”だけど、性格が最も大人びているのは彼女だ。

 

 確かに、泣くのは墓標の前にしよう。

 

 この戦いに勝利してから花束とちょっとしたお供え物を持って行って、墓前にそれを置いてから泣けばいい。俺はテンプル騎士団の団長なのだから、戦いの最中に泣くわけにはいかない。

 

「ありがとう、ステラ」

 

「どういたしまして」

 

 もう一度彼女の頭を撫でてから、ステラと一緒に踵を返す。

 

 早くもポッドを取り外すために作業を始めたドワーフの整備兵に「すまん、頼んだ」と言ってから、俺たちは格納庫を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水筒の中に入っていた血を全て飲み干し、青空を睨みつける。

 

 ”カイザー・レリエル砲”を一撃で消滅させたあの猛烈な爆風から辛うじて生還することができたものの、俺たちはよりにもよってタンプル搭攻撃の直前に、大きな損害を被る羽目になってしまった。

 

 シャルンホルスト級戦艦の主砲を改造した代物を搭載するラーテと、タンプル搭攻撃の切り札と言っても過言ではない80cm列車砲の2つを、敵の本拠地攻撃の前に失ってしまったのである。しかもそれを操作していた乗組員たちも、攻撃を受けた列車砲やラーテと同じ運命を辿る羽目になってしまった。

 

 辛うじて橋頭保となったブレスト要塞や虎の子の突撃歩兵に損害はないものの、6機のステルス機と2機のラファールを撃墜された挙句、切り札を失ってしまったのである。敵の防衛線を突撃歩兵が突破している隙に列車砲やラーテでタンプル搭を砲撃する作戦だったのだが、切り札がなくなってしまった以上は残った戦力でタンプル搭を攻撃するしかない。

 

 辛うじて母上が率いる艦隊は敵艦隊に大損害を与え続けているらしく、もう既に敵の超弩級戦艦を1隻轟沈させたという。そのまま敵艦隊を殲滅して河を上ってくれれば、味方の艦隊に失った列車砲やラーテたちの”代役”をさせるかもしれない。

 

 しかし、未だに制空権を確保できていないため、地上部隊や艦隊に敵の航空部隊が襲い掛かる可能性は高いだろう。予定通りならばもう既に制空権を確保し、空爆で敵の地上部隊を次々に血祭りにあげる予定だったのだが、制空権を確保するどころか航空部隊に大きな損害を出し続けている状態だった。

 

 ブレスト要塞を攻撃する際にもA-10を何機も撃墜された。更に、ナガトが操縦するたった1機のPAK-FAに5機も虎の子のステルス機が撃墜されているのである。

 

 ブレスト要塞の滑走路を修復できたおかげで、航空部隊をすぐにタンプル搭の周辺へと派遣することができるようになったものの、今までのように航空隊を出撃させれば損害を出し続ける羽目になるだろう。だからと言って制空権の確保を諦めれば、また我々は同じ轍を踏むことになる。

 

「少尉、我々と敵の戦力差は?」

 

「はい、ブラド様…………敵の戦力は、我々の7倍かと思われます」

 

「7倍か…………」

 

 ヴリシアの時の連合軍の戦力は、我々の20倍だったのだ。あの時と比べればまだ敵の規模は小さいものの、練度の差はあの時よりも明らかに縮められている。

 

 とはいえ、虎の子の突撃歩兵にはほとんど損害が出ていない。ブレスト要塞の防衛線を突破した時のように浸透戦術を駆使して攻め込めば、タンプル搭の防衛線も突破できる筈だ。

 

 テンプル騎士団の残存戦力はすでに各地の前哨基地や重要拠点から兵力をかき集め、タンプル搭の付近で最終防衛ラインを構築しているという。しかも偵察部隊の報告では、こちらの戦車部隊を蹂躙した敵の超重戦車も全て投入するつもりらしく、タンプル搭の付近に構築された最終防衛ラインに巨大な戦車の群れが終結しているらしい。

 

 さすがに突撃歩兵にも甚大な被害が出るだろう。今度は俺も突撃歩兵たちと共に最前線で戦う必要がありそうだ。

 

 戦力差は7体1だが、浸透戦術が成功すれば敵の防衛線は突破できる。そのまま敵の要塞に侵入して司令部を殲滅すれば、練度が上がっているとはいえまだ錬度の低いテンプル騎士団の兵士たちも降伏するだろう。仮に降伏しなかったとしても、司令部や団長のナガトを失えば烏合の衆だ。それに転生者であるナガトが死ねば、彼の能力で生産された武器や兵器はすべて消失する。あっという間に敵部隊は弱体化するというわけだ。

 

 切り札を失ったせいで難易度が上がってしまったが、ナガトさえ倒すことができれば我々の勝利である。

 

「…………ブラド様、緊急事態です」

 

「なんだ?」

 

 空になった水筒を腰に下げてから、コルトM1911A1の点検を始めるためにホルスターから得物を引き抜くと同時に、近くにいた吸血鬼の兵士が顔をしかめながら報告する。

 

「―――――――その………たった今、モリガン・カンパニーが我々に宣戦布告した模様です」

 

「…………は?」

 

 なんだと…………?

 

 自分の息子を救うために、あの魔王はモリガン・カンパニーを動かすつもりだとでも言うのか? 

 

 ヴリシアで惨敗した時の事を思い出した瞬間、俺は凍り付いてしまう。モリガン・カンパニーは世界規模の超巨大企業だ。転生者が率いている三大勢力の中では最も規模が大きな組織であり、世界中に支社や拠点を保有している。モリガン・カンパニーが保有している戦力の規模は全盛期のソ連軍を上回るほどらしく、全ての兵力を投入されれば、我々は手も足も出ない。

 

 ヴリシアの時の戦力差は20体1だったが、あの時は20体1で”済んだ”のだ。あの時の戦力差は大き過ぎたが、ヴリシアの戦いの際の彼らの戦力は氷山の一角なのである。

 

 しかもあの戦いの後に、三大勢力は更に軍拡を進めている。モリガン・カンパニーや殲虎公司が攻め込んで来たら、今度は20体1では済まないのは火を見るよりも明らかだった。下手をすれば100対1や200対1になるかもしれない。

 

「バカな…………! モリガン・カンパニーに春季攻勢の情報が漏れたのか!?」

 

「い、いえ、宣戦布告の理由が…………我々が無関係なオルトバルカ王国の国民を乗せた豪華客船を撃沈したからだそうです」

 

「豪華客船…………!? ちょっと待て。俺は敵の輸送船だけを攻撃しろと命令した筈だ。まさか、豪華客船まで撃沈したのか!?」

 

「分かりませんが、潜水艦部隊が豪華客船を輸送船と誤認した可能性はあります」

 

「…………なんてことだ」

 

 この春季攻勢(カイザーシュラハト)は、三大勢力の中でまだ最も規模の小さいテンプル騎士団に狙いを絞ったからこそ、まだ勝ち目のある戦いだったのだ。まだ錬度が低いテンプル騎士団を一気に襲撃して短期間で撃滅しなければならなかったというのに、潜水艦部隊の連中が豪華客船を輸送船と”誤認して”撃沈したせいで、俺たちはこの異世界で最も強大な怪物の逆鱗に触れてしまったのである。

 

 モリガン・カンパニーが宣戦布告するという事は、第一次転生者戦争の勃発前から彼らと同盟関係にある殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連中も参戦する事だろう。彼らの戦力はモリガン・カンパニーほどではないものの、兵士の錬度は三大勢力の中では最も高い上に、核兵器を運用できる技術者がいるため、普通の転生者では決して運用できない原子力空母や核弾頭を自由に投入できるという強みがある勢力だ。

 

 しかもモリガン・カンパニーと同盟関係にあるのだから、モリガン・カンパニーにもその核兵器を提供している可能性がある。

 

 全盛期のソ連軍を上回る規模の武装勢力が核兵器を保有すれば、どんなにレベルの高い転生者でも決して歯向かえない。

 

「…………殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連中は?」

 

「はい、モリガン・カンパニーと共に宣戦布告をしました。すでに彼らの軍港からは、無数の駆逐艦や空母が出撃したとのことです」

 

「…………戦力差はどうなると思う?」

 

「分かりませんが、我らの戦力では絶対に勝てないのは明らかです」

 

 絶対に勝てない相手の、逆鱗に触れてしまった。

 

 今すぐ撤退するべきかもしれない。モリガン・カンパニーの兵士たちは全く容赦がないため、降伏している兵士たちや負傷兵たちでも躊躇なく射殺するという。テンプル騎士団では何名も捕虜を受け入れているらしいが、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)は全く捕虜を受け入れない。敵兵を皆殺しにするのが当たり前なのだ。

 

 それゆえに、第一次転生者戦争で彼らと戦う羽目になった転生者たちは、1人も捕虜がいなかった。守備隊の人数と戦死者の人数が同じだったのである。

 

「…………ディレントリアに残った部隊を動かせるか?」

 

「ブラド様、まだ戦うおつもりなのですか…………!?」

 

 報告してくれた吸血鬼の兵士が、目を見開きながらそう言う。確かに絶対に勝ち目がない敵が宣戦布告し、こちらに大規模な艦隊を派遣しているというのにまだテンプル騎士団に攻撃を仕掛けようとするのは正気の沙汰ではないだろう。

 

 下手をすれば敵部隊に包囲される羽目になる。しかも、捕虜を決して受け入れない冷酷な敵兵の群れに。

 

 今すぐに撤退すれば、辛うじて包囲される前にディレントリアまで逃げることができる筈だ。

 

 だが――――――――すぐ近くに、天秤の鍵があるのだ。

 

 父上を復活させられるチャンスなのである。鍵を奪うことさえできれば父であるレリエル・クロフォードが復活し、再び人類を蹂躙することができるようになる。

 

 ここで撤退してしまったら、テンプル騎士団の連中に先を越されてしまうだろう。それゆえに、撤退することはできない。このまま進軍してタンプル搭を陥落させ、何としても天秤の鍵を手に入れなければならないのだ。

 

「ディレントリアに残った戦力も今日中にかき集めろ。明日の夜に、タンプル搭を襲撃する」

 

「…………かしこまりました、ブラド様」

 

 下手をすれば、モリガン・カンパニーの連中に包囲されて皆殺しにされるだろう。

 

 冷や汗を拭い去った吸血鬼の兵士は俺に敬礼をしてから、ディレントリアの部隊に命令をするために、仮設の司令部から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルトバルカ王国にあるドルレアン領は、大国であるオルトバルカ王国の南方にあるドルレアン家の領土である。他の領主が治める領地とは違って奴隷制度の廃止を目指しており、エイナ・ドルレアンの内部では奴隷の売買は全て違法という事になっている。

 

 そのため、エイナ・ドルレアンはオルトバルカ王国の中で唯一の『奴隷のいない街』となっていた。

 

 領主であるカレン・ディーア・レ・ドルレアンと、彼女を支援するモリガン・カンパニーのリキヤ・ハヤカワの手によって、奴隷制度の廃止が進められている。更に失業者をリキヤが積極的に雇用しているため、失業者の数も非常に少ない裕福な街である。

 

 そのエイナ・ドルレアンの周囲に建造された巨大な防壁の外に、フェンスに囲まれた巨大な飛行場が鎮座していた。産業革命が勃発したことで工業が発展したとはいえ、まだ産業革命が起こったばかりのイギリスを思わせる街のすぐ外に、航空機が飛び立つための飛行場が居座っているのはミスマッチとしか言いようがないだろう。

 

 その空港を建設したのは、モリガン・カンパニーである。

 

 広大な滑走路には巨大な輸送機がずらりと何機も並んでおり、戦車を積み込めそうなほど巨大な格納庫へと迷彩服を身に纏った兵士たちがせっせと物資を積み込んでいく。ホワイトとグレーの迷彩模様の軍服に身を包んだ兵士たちの頭からは長い耳が伸びており、筋肉のついた強靭な身体はやや浅黒い。

 

 重機関銃用の弾薬がぎっしりと入った箱をたった1人で運んでいく兵士たちは、ハーフエルフの兵士たちであった。あらゆる種族の中で最も奴隷にされることの多いハーフエルフやオークたちは、キメラや吸血鬼を除いた人類の中では最も強靭な肉体を持つ種族であるため、重い荷物を1人で持つのは朝飯前なのだ。しかもヴリシアでの戦いでは、5.56mm弾が被弾したにもかかわらず、そのままスコップを構えて敵の塹壕へと突っ込んで行ったという。

 

 彼らの軍服の肩に描かれているのは、燃え上がる拳が鎖を粉砕するエンブレムだった。

 

 奴隷だったハーフエルフやオークのみで構成された、モリガン・カンパニーの『ハーレム・ヘルファイターズ』のエンブレムである。

 

「よーし、その箱は中でいい。戦車も積んでいくんだから脇に置いとけよー」

 

「へーい」

 

 ファイルを確認しながら兵士たちに指示を出しているのは、左目に眼帯を装着した傷だらけのハーフエルフの男性であった。迷彩服に身を包んでいるものの、兵士というよりは盗賊団の団長やギャングのボスのような姿の大男である。

 

 彼の名は”ギュンター・ドルレアン”。テンプル騎士団に所属するカノンの父親であり、このドルレアン領を治めるカレンの夫である。

 

 モリガンの傭兵の1人でもあり、ヴリシアの戦いではハーレム・ヘルファイターズの隊長として敵の塹壕をいくつも壊滅させる戦果をあげた兵士だ。

 

 元々奴隷であったため、幼少の頃に教育を受けることができなかったせいで、数年前までは読み書きや計算が全くできなかった。しかし、カレンやモリガンのメンバーたちに勉強を教えてもらったおかげで、今ならば読み書きや簡単な計算ならばできるようになっている。

 

 とはいえ読めない単語もまだあるらしく、時折妻であるカレンにこっそりと「何て読むんだ?」と尋ねることがあるという。

 

 ちなみに、彼のように読み書きができないまま成人になる人は多い。この世界では義務教育がないため、基本的に子供たちは両親から勉強を教わるのだ。そのため奴隷だった子供や貧しい子供たちは教育を受けることができないまま成人になってしまう。

 

「ええと、戦車の数は40両で…………あ、ダメだ。これ読めねえ…………。おーい、カレン! これ何て読むんだ!?」

 

 ファイルを持ったまま手を振りながら、輸送機の傍らで兵士と話をしていた妻を呼ぶギュンター。彼の大きな声が滑走路に響き渡った瞬間、積み込んだ弾薬や予備の武器を数えていたカレンは、頭を抱えながら溜息をついた。

 

「それこの前教えたでしょー!? ”注意事項”って読むのー!!」

 

「あ、思い出した! ありがとー!!」

 

 それなりに大きな字で書かれていた文字を、鍛え上げた視力であっさりと読んでしまうカレン。大きな声で礼を言う夫が作業を再開したのを確認したカレンは、もう一度溜息をついた。

 

 これからハーレム・ヘルファイターズとドルレアン家の私兵たちを率いてカルガニスタンへと向かうというのに、夫は普段と全く変わっていない。苦笑いしていた傍らの兵士に「ごめんなさいね」と謝ってから、カレンはFA-MASが治められた箱の蓋を閉じ、輸送機の中へと詰め込んだ。

 

 カルガニスタンへと派遣されるのは、モリガン・カンパニーに所属するハーレム・ヘルファイターズと、モリガン・カンパニーの兵士たちから訓練を受けたドルレアン家の私兵たちである。

 

 オルトバルカ人たちを乗せたグランバルカ号を撃沈した吸血鬼たちに報復するために、モリガン・カンパニーの兵士たちや殲虎公司の兵士たちと共に、カルガニスタンへと向かうのだ。その大部隊を指揮するのは、この世界で最強の転生者と言われている”魔王(リキヤ)”である。しかもモリガンの傭兵たちが全員戦闘に参加するため、兵士たちの指揮は第一次転生者戦争や第二次転生者戦争とは比べ物にならないほど高くなっていた。

 

(それにしても、実戦は久しぶりね)

 

 汗を拭い去ったカレンは、紺色の空を見上げた。カルガニスタンではもう既に夜が明けているが、オルトバルカ王国のドルレアン領では、まだ朝の4時である。

 

 彼女が実戦に参加するのは、半年前の魔物の掃討作戦依頼であった。

 

 吸血鬼たちと戦っている愛娘の事を考えながら、カレンは拳を握り締めた。

 

 カノンはカレンやギュンターから才能を受け継いだ子供である。タクヤやラウラたちと一緒に旅をしたおかげで、成長しているに違いない。

 

 最前線で戦っている愛娘と再会するのを楽しみにしながら、彼女は足元にある弾薬の箱を拾い上げ、傍らの兵士へと渡すのだった。

 

 

 

 

 



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巨大勢力の進軍

 

 モリガン・カンパニーの戦力は、全盛期のソ連軍を上回ると言われている。

 

 世界中に前哨基地や支社を持つ超巨大企業であり、様々な戦闘に兵士たちを派遣しているため、兵士たちの錬度は三大勢力の中でもトップクラスであるという。さすがに2回も勃発した転生者戦争の両方に参加した兵士が何人も所属している殲虎公司(ジェンフーコンスー)よりも兵士たちの錬度は低いものの、彼らと何度も合同演習を繰り返しているため、すでに異世界で最強の勢力であるにもかかわらず、未だに成長を続けている。

 

 そのモリガン・カンパニーの拠点から出撃した大艦隊が、大海原を埋め尽くしていた。

 

 巨大な空母の群れを護衛するために取り囲んでいるのは、漆黒に塗装されたソ連のソヴレメンヌイ級駆逐艦や、ウダロイ級駆逐艦の群れだ。艦橋の両脇に巨大なキャニスターを搭載したソヴレメンヌイ級とウダロイ級は、全ての三大勢力の海軍が採用しているソ連製の駆逐艦だが、さすがにイージスシステムを搭載したアメリカのアーレイ・バーク級には太刀打ちできないため、モリガン・カンパニーでは新しい駆逐艦を採用しながら少しずつ退役させていくことになっている。

 

 つまりこの戦いが、モリガン・カンパニーに所属する駆逐艦たちにとっては”最後の戦い”になるのだ。

 

 彼らと共に航行するのは、船体の両脇にずらりとキャニスターを搭載したスラヴァ級駆逐艦や、無数のミサイルを搭載したキーロフ級巡洋艦である。キーロフ級は本来ならば原子炉を搭載しているのだが、転生者の能力では原子炉や核兵器を生産することができないため、性能が低下する代わりに通常の機関部に変更して運用するのが当たり前であった。

 

 しかし、モリガン・カンパニーで運用されているキーロフ級たちに搭載されているのは、通常の機関部ではなく、殲虎公司(ジェンフーコンスー)が開発した原子炉である。

 

 殲虎公司(ジェンフーコンスー)の規模はモリガン・カンパニーよりもかなり小さいものの、彼らのメンバーの中には核兵器や原子炉を開発できる技術者たちが数多く所属しているため、そういった原子炉の開発はお手の物なのだ。もちろん同盟関係にあるモリガン・カンパニーにも殲虎公司(ジェンフーコンスー)製の原子炉や核弾頭が輸出されており、モリガン・カンパニー艦隊のキーロフ級や原子力潜水艦に搭載されている。

 

 通常の機関部ではなく、原子炉を搭載した”本来の”キーロフ級の数は30隻。彼らを護衛するソヴレメンヌイ級の数は、なんと2000隻を超えている。彼らが搭載したミサイルを一斉に解き放てば、いくらイージス艦でも迎撃しきれないほどの飽和攻撃が始まるだろう。

 

 しかし、あくまでもその大艦隊の主役は――――――――陣形の中心部を航行する、合計で30隻の大型空母たちであった。

 

 30隻のうちの20隻は、三大勢力でも艦隊の旗艦として運用されているアドミラル・クズネツォフ級空母である。

 

 しかし、残りの10隻は――――――――アドミラル・クズネツォフ級よりも更に巨大であり、より多くの艦載機を搭載する事が可能な、ソ連が建造した『ウリヤノフスク級』と呼ばれる”原子力空母”であった。

 

 スキージャンプ甲板とスチーム・カタパルトを併せ持つ空母だが、完成する前に建造が中止されてしまったため、一度も航海を経験したことがない。そのためテンプル騎士団艦隊旗艦の24号計画艦(ジャック・ド・モレー)と同じく、”生れ落ちることのなかった艦”と言える。

 

 モリガン・カンパニーではそのウリヤノフスク級原子力空母を10隻も運用しており、すでに転生者の討伐のために何度か実戦投入をしている。

 

 無数の駆逐艦と空母を運用しているものの、現時点では戦艦は1隻も運用していないため、三大勢力の中で超弩級戦艦を運用し続けているのはテンプル騎士団のみという事になっている。モリガン・カンパニーの物量ならば、圧倒的な数の航空隊で強引に制空権を確保し、そのまま自由に空爆できるため、艦砲射撃が無用の長物となったためである。ヴリシアの戦いに参加した超弩級戦艦たちと、このウリヤノフスク級たちがバトンタッチしたのだ。

 

 2000隻以上の大艦隊の中心を航行するのは、モリガン・カンパニー艦隊旗艦『ウリヤノフスク』である。ウリヤノフスク級の一番艦であり、建造されてからすぐに改修を受けている。艦首側の左右にスポンソンを増設し、それの上にコールチクを1基ずつと、連装型の速射砲であるAK-130を2基ずつ搭載しているため、航空機やミサイルが接近してきても単独で迎撃する事が可能となっていた。

 

 他の同型艦にも、同じ装備が追加されている。

 

 甲板の上を埋め尽くしている艦載機を見下ろしながら、リキヤは乗組員から渡されたティーカップを口元へと運んだ。

 

 ウィルバー海峡に到着したら、対艦ミサイルをこれでもかというほど搭載された航空隊が全ての空母から一斉に発艦することになっている。あと3時間後には殲虎公司(ジェンフーコンスー)の主力艦隊と合流することになるため、凄まじい数の艦載機が敵艦隊に襲い掛かることになるだろう。

 

 2000隻を超える艦隊からの対艦ミサイル攻撃と、出撃した無数の艦載機による対艦ミサイルの群れが、敵艦隊に牙を剥くのである。過激派の吸血鬼たちの艦隊は超弩級戦艦4隻、イージス艦10隻、重巡洋艦2隻、空母2隻のみであるという。いくらイージス艦がいるとはいえ、この大艦隊の飽和攻撃を防ぎ切れるわけがなかった。

 

 吸血鬼たちは、モリガン・カンパニーにこれほどの大艦隊を出撃させてしまうほど、彼らを激怒させた。

 

 何の罪もないオルトバルカ人たちが乗っていた豪華客船『グランバルカ号』を、輸送船と誤認して撃沈してしまったのだから。

 

 犠牲者の大半は貴族であったものの、一部の犠牲者の中にはモリガン・カンパニーの社員や家族も含まれていた。この戦いに参加した兵士たちの中にも、その事件で愛娘や妻を失った兵士たちが何人もいるのである。

 

 事件が勃発した直後に、リキヤを疎ましく思っている貴族たちが「グランバルカ号を撃沈したのはあの”魔王”である」と言い出したが、実際に撃沈していない上に、王室と太いパイプを持っていたリキヤがその嘘の情報で処分を受けるわけがなかった。

 

 あっさりとその貴族たちを黙らせてから、犠牲者たちの弔い合戦のために、この大艦隊を出撃させたのである。

 

(ヴリシアであいつらを殲滅しなかったのが間違いかもしれないな…………)

 

 そう思いながら、彼は溜息をついた。ヴリシアの戦いで吸血鬼たちに大打撃を与えることに成功したものの、完全に”殲滅”することはできなかったのである。そのため生き残った吸血鬼たちの憎悪は更に肥大化し、この攻撃を誘発してしまったのだ。

 

「同志、ハーレム・ヘルファイターズがエイナ・ドルレアンから出撃しました」

 

 艦橋に上がってきた乗組員の報告を聞いたリキヤは、頷きながらティーカップを近くの小さなテーブルの上に置いた。

 

 ギュンターが率いるハーレム・ヘルファイターズと、ドルレアン家の私兵たちもこの戦闘に参加する予定となっている。大半の地上部隊は艦隊の後方を航行する強襲揚陸艦に乗っているが、彼らは強襲揚陸艦ではなく大型の輸送機で現地へと向かうことになっているため、到着するのは主力艦隊よりも早くなる予定であった。

 

 ヴリシアの戦いで、ハーレム・ヘルファイターズは極めて大きな戦果をあげている。元は奴隷だった屈強なハーフエルフやオークのみで構成された歩兵部隊であり、ヴリシアで勃発した第二次転生者戦争では敵の塹壕をいくつも陥落させていた。

 

 しかも、5.56mm弾が被弾したにもかかわらず、屈強なオークやハーフエルフの兵士たちはそのまま雄叫びを上げながら突っ込んで行ったという。アサルトライフルを装備した兵士たちが弾幕を張っても、彼らを止めることはできなかったのである。

 

「彼らが突っ込んでくるのを見たら、吸血鬼たちは震え上がるだろうな」

 

「全くです」

 

 もちろん、リキヤや妻のエミリアたちも最前線で戦う予定である。

 

 彼らの到着前に吸血鬼たちがタンプル搭へと総攻撃を始める可能性があったが、タクヤたちがその総攻撃を防いでくれれば、テンプル騎士団と合流して吸血鬼たちを根絶やしにすることができるだろう。

 

(持ちこたえてくれよ…………。お前たちを本当の父親に会わせてやるのが、”私”の役割なのだからな)

 

 リキヤ(ガルゴニス)の目的は、メサイアの天秤を使って本物のリキヤ・ハヤカワを蘇生させる事。たった6年間しか子供たちと過ごせなかった哀れな男を家族と再会させるために、天秤を欲している。

 

 彼に会わせるための家族が戦死したら、あの世にいるリキヤが悲しむ羽目になるだろう。

 

 艦橋の中で祈りながら、彼は海を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、タクヤ」

 

「よう。差し入れ持ってきたよ」

 

 医務室のベッドの上で、ラウラは前に俺が持って行ったラノベを読んでいるようだった。右手だけで読んでいたラノベを一旦枕元に置いた彼女は、ニコニコと笑いながら俺を出迎えてくれる。

 

 手作りのクッキーが入った籠を彼女の枕元にある小さなテーブルの上に置き、近くの椅子を引っ張ってから腰を下ろす。

 

 もしかしたら落ち込んでるんじゃないだろうかと思ったから、励ます練習をしてきたんだけど、多分練習したことが日の目を見ることはないだろう。最愛のお姉ちゃんは予想以上に元気だったのだから。

 

 とはいえ、さすがに利き手ではない方の腕だけで生活しなければならないのは大変だろう。ラノベを読むためにページを捲るのにも苦労しているに違いない。もう既に義手と義足の手配はしたから、移植とリハビリはこの戦いが終わってからになる筈だ。

 

 籠の中からクッキーを1枚手に取り、彼女の口元へと運ぶ。さっき部屋で作ってきたばかりだから、まだクッキーは熱を纏っていた。

 

「いただきまーすっ♪」

 

 美味しそうにクッキーを食べるラウラの頭を撫でながら、俺は安心した。

 

 少なくとも義手と義足のリハビリが終わるまで、彼女を最前線に派遣せずに済む。おそらく今日の夜には、吸血鬼たちは最後の総攻撃を始めるだろう。ブレスト要塞を陥落させた切り札を失ったとはいえ、要塞への攻撃よりも更に激しい攻撃になるのは想像に難くない。

 

 昨日の夜に、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)が吸血鬼たちに宣戦布告をしたのだ。

 

 おそらく吸血鬼たちは、三大勢力の中で最も規模が小さく、兵士たちの錬度も低いテンプル騎士団に狙いを絞ったのだろう。そうすればヴリシアの敗残兵で構成された彼らでも勝ち目があるし、勝利すれば天秤の鍵を3つとも奪うことができるのだから。

 

 しかし、動く筈のなかった二大勢力が一斉に宣戦布告をしたため、吸血鬼たちは不利になってしまった。

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の大部隊がカルガニスタンに到着する前に、テンプル騎士団を壊滅させて鍵を奪わなければならなくなったからだ。次の攻撃では、吸血鬼たちは死に物狂いで総攻撃を仕掛けてくるに違いない。

 

 なんとしても、最終防衛ラインで吸血鬼たちを迎え撃たなければならない。

 

 タンプル搭には負傷兵や兵士たちの家族もいるのだから。

 

「えへへっ、やっぱりタクヤはお料理が上手だね♪」

 

「ラウラだって上手じゃないか。俺はラウラの料理が一番大好きかな」

 

 そう言いながら頭を撫でると、ラウラの顔が少しだけ赤くなった。いつもなら微笑みながら喜んでくれる筈なんだけど、ラウラが照れるのは珍しいんじゃないだろうか。

 

「…………じゃ、じゃあ、リハビリが終わったらいっぱい作ってあげるね」

 

「うん、楽しみにしてる。…………それじゃ、俺は指令室に戻るよ」

 

 そろそろ指令室に戻って、作戦会議をしなければならない。

 

 吸血鬼が総攻撃を仕掛けるのは間違いなく今夜だからだ。日光という弱点が存在しないのは夜だけだから、彼らが日光に邪魔されずに自由に進軍できる時間なのである。しかもモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の大部隊が接近しているため、彼らが到着する前に攻撃できるタイミングは今夜だけなのだ。

 

 明日になれば、大部隊が砂漠を埋め尽くすことになるのだから。

 

 ラウラを抱きしめてから、静かに頬にキスをする。そっと手を離して椅子から立ち上がろうとすると、黒いコートの袖に、ラウラの柔らかい尻尾が絡みついてきた。

 

「ラウラ?」

 

「…………死なないでね、タクヤ」

 

 俺は彼女が戦死してしまうのが心配だったからこそ、彼女を”退役”させようと思っていた。

 

 けれども――――――――ラウラも、俺を心配してくれていたのだ。

 

 いつも隣にいた腹違いの姉弟が、いなくなるのが怖かったんだろうか。

 

「…………」

 

 俺には、無茶をしてしまう悪癖がある。親父も同じ悪癖を持っていたらしく、いつも母さんを心配させてしまっていたという。

 

 父親と同じように、姉を心配させてしまっていたのだ。

 

「ああ」

 

 踵を返し、ベッドの近くでしゃがむ。ベッドの上に横になっていたラウラの顔を見上げながら微笑み、彼女の右手をぎゅっと握る。

 

 彼女の手足を奪った忌々しいメイドには復讐をした。あとはあの吸血鬼共を返り討ちにして彼女のリハビリに付き合えば、俺たちはまたいつも通りの生活ができるようになるだろう。仲間と一緒に天秤を見つけて、それを消し去ってからこの世界を守り続けるのだ。

 

 二十歳になったら結婚して、子育てもしなければならない。老衰で死ぬまでは彼女の隣にいるつもりだ。

 

 ラウラの事を、愛しているのだから。

 

 そっと左手を伸ばして、彼女の目に浮かんでいた涙を拭い去る。涙目になっていたラウラの瞳を見つめてから立ち上がり、もう一度彼女の頭を撫でた。

 

「俺が死んだら、可愛いラウラと結婚できなくなっちまうからな」

 

「ふふっ…………私もタクヤと結婚できないのは嫌だよ」

 

「大丈夫だよ、ちゃんと生きて帰る。約束しよう」

 

「うんっ」

 

 大丈夫だよ、ラウラ。俺は絶対に生きて帰る。

 

 彼女の頭を撫でてから手を離し、今度こそ踵を返す。彼女の甘い香りとクッキーのバターの香りが段々と薄れていくにつれて、火薬と血の臭いが強烈になっていく。

 

 何度も戦闘を経験したから、俺は理解していた。この血と火薬の臭いが混ざり合った強烈な臭いが、”戦場の臭い”なのだと。

 

 治療魔術師(ヒーラー)に「お姉ちゃんをよろしくお願いします」と言ってから、医務室を後にした。

 

 医務室のドアを閉めた瞬間、その”戦場の臭い”が身体を包み込む。太いパイプが剥き出しになった通路の中を、ボディアーマーを身につけてAK-12を装備した兵士たちが走っていく。おそらく彼らもこれから最終防衛ラインへと向かうのだろう。

 

 吸血鬼たちが死に物狂いで攻撃してくるのであれば、こっちは死に物狂いで食い止めるしかないのだ。

 

 父親と思われる人間の兵士が、娘と妻に別れを告げてからエレベーターへと走っていく。その別の部屋の入り口では恋人と思われるエルフの女性に自分のペンダントを託し、踵を返して戦場へと向かうエルフの兵士もいた。

 

 俺もついさっき、誓ったのだ。絶対に生きて帰ってくると。

 

 同じように、何人もの兵士たちが家族や恋人に誓っている。

 

 ならば俺も、彼らを死なせないように戦うしかない。

 

 すれ違っていく兵士たちに敬礼しながら、指令室へと向かう。エレベーターに乗って別の階へと移動し、警備をしている警備班の兵士たちに敬礼をしてから指令室の扉を開けると、巨大なモニターの前にシュタージのメンバーやナタリアたちが集まっていた。

 

「すまん、遅くなった」

 

「大丈夫よ」

 

 ナタリアに謝ってから、俺もモニターの前に立つ。大きなモニターには構築が終わった最終防衛ラインの様子が映し出されていて、12両のシャール2Cや虎の子のチョールヌイ・オリョールたちがずらりと整列しているところだった。

 

 他の前哨基地から合流した戦車部隊も並んでおり、砲口を吸血鬼たちの橋頭保と化したブレスト要塞方面へと向けている。

 

「戦力差は7対1よ」

 

「もちろん、こっちが7なんだろうな?」

 

「当たり前よ」

 

 敵はこのタンプル搭を攻撃するための切り札を2つも失っているが、だからと言って簡単に勝てる相手と化したわけではない。むしろ逆に、彼らの執念が剥き出しになったため、恐ろしい敵と化しているに違いない。

 

 それに、吸血鬼たちの切り札である”突撃歩兵”にはほとんど損害が出ていないのだ。このタンプル搭攻撃でも、突撃歩兵を投入して浸透戦術を使ってくる可能性が高いだろう。

 

 生存者の話では、ブレスト要塞への攻撃ではマスタードガスも投入されていたという。そのため全ての兵士には防護服とガスマスクを支給している。戦闘が始まれば居住区へと繋がる通路の隔壁はすべて閉鎖する予定であるため、もしタンプル搭に毒ガスが流れ込んでも、居住区にマスタードガスが達することはないだろう。

 

 まずは、突撃歩兵を撃破しなければならない。

 

「…………ナタリア、悪いが以前に選抜した兵士たちを集めてもらえるか?」

 

「あの兵士たちを投入するの?」

 

「ああ」

 

 以前に、テンプル騎士団に所属する陸軍の兵士たちの中から、屈強な身体を持つ兵士たちを50名ほど選抜しておいたのだ。その50名のうちの1人はもちろん俺である。

 

 この異世界には、前世の世界に住んでいる人間よりもはるかに強靭な身体を持つ種族が住んでいる。特にハーフエルフやオークの身体は強靭であり、予備の弾薬やボディアーマーを装備した状態で、重機関銃を抱えたままアサルトライフルを手にした兵士のように動き回ることができるほどだという。

 

 そこで、重装備でも身軽な動きを維持できる兵士たちを選抜し、敵に大打撃を与えるための精鋭部隊を編成することにしたのだ。

 

 まだ数回しか訓練していないが、トレーニングモードで実施した訓練では、たった50名の兵士たちだけで進撃してきた戦車部隊を食い止めるどころか、逆に敵陣まで押し返すことに成功している。更に塹壕の突破を想定して実施した訓練では、塹壕を突破するどころかその後方にある敵の拠点まで進撃し、敵部隊を壊滅させてしまっていた。

 

 実戦経験はないものの、この戦いでも猛威を振るうのは想像に難くない。

 

「―――――――”強襲殲滅兵”を、この戦いに投入する」

 

 

 

 第十六章 完

 

 第十七章『ブラスベルグ攻勢』へ続く

 

 




このまま反撃開始まで書いたらとんでもなく長くなってしまうので、今回の春季攻勢は2つの章に分けることにしました。
次の章からは本格的な反撃が始まりますので、お楽しみに!


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第17章 ブラスベルグ攻勢
強襲殲滅兵


 

 砂漠に、鋼鉄の装甲で覆われた巨躯がいくつも鎮座している。分厚い装甲が搭載された車体の上には巨大な砲身が伸びた砲塔が居座っていて、その砲塔の上には重機関銃を搭載した武骨なターレットが装備されている。まるで円盤を半分に切り取り、後部に普通の砲塔の後部を搭載したような形状の砲塔だ。

 

 車体に取り付けられているのは無数の爆発反応装甲である。灰色の砂で覆われた砂漠の上に鎮座するその怪物たちは黒と灰色のスプリット迷彩やダズル迷彩で塗装されているが、中には灰色のみの塗装や、白と黒のダズル迷彩で塗装されている戦車も見受けられる。車体に書かれている番号も全く異なるため、その戦車たちが同じ拠点の戦車ではなく、別の前哨基地や重要拠点に配備されていた車両であることが分かる。

 

 寄せ集めの部隊ではあるものの、その規模は”寄せ集め”という言葉が似合わないほどの威容を誇っていると言ってもいいだろう。

 

 様々な塗装が施されたチョールヌイ・オリョールたちと一緒に並んでいるのは、テンプル騎士団で運用されているT-90やT-72B3たち。兵士たちの生存率を底上げするため、ほぼ全ての車両にロシア製アクティブ防御システムの『アリーナ』が搭載されており、敵からの対戦車ミサイルを迎撃する事が可能になっている。

 

 その戦車部隊と一緒に並んでいるのは、その戦車たちと比べると幾分か旧式の戦車だ。円盤状の砲塔ではなく、球体を半分に切り取って少しばかり潰したような形状の砲塔となっている。砲塔の前部や車体に更に装甲を装備しているせいなのか、砲塔の形状はチョールヌイ・オリョールにそっくりだ。敵が見たら、152mm滑腔砲を搭載したテンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールと誤認してしまうに違いない。

 

 その戦車は、ソ連が開発した『T-55』と呼ばれる戦車を、イラクが改造した『T-55エニグマ』と呼ばれる戦車である。本来なら主砲はソ連製の100mmライフル砲なんだが、いくら戦車が搭載する主砲とは言っても吸血鬼たちが運用している戦車に効果が薄いため、T-90と同じく125mm滑腔砲へと換装して攻撃力を底上げしている。主砲の大型化と共に砲塔もやや大型化してしまったものの、火力が上がった上に様々な砲弾が発射できるようになったため、汎用性も向上していると言える。

 

 もちろん、アクティブ防御システムも標準装備している。大切な同志たちを失うわけにはいかないからな。

 

 この戦車の砲塔や車体に搭載されている装甲は、『スペースドアーマー』と呼ばれる装甲だ。普通の装甲とは違って中にちょっとした空間がある変わった装甲である。そんな空間を開けると逆に装甲が薄くなり、防御力が下がってしまうのではないかと思ってしまうけれど、これはあくまでも形成炸薬(HEAT)弾などの砲弾から身を守るための装甲なのである。

 

 形成炸薬(HEAT)弾は、基本的に砲弾が爆発した瞬間に産声を上げる”メタルジェット”によって装甲に風穴を開ける仕組みになっている。スペースドアーマーは、まず一番表面の装甲で敵の砲弾を爆発させてしまうことで、その装甲の後にある空間でその恐ろしいメタルジェットを”空振り”させてしまうのだ。

 

 そのスペースドアーマーを装備しているせいでチョールヌイ・オリョールにそっくりな形状になっている。上手くいけば、敵がこの戦車をテンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールだと誤認して攻撃を躊躇ってくれる可能性があるため、意図的に塗装も同じにしている。

 

 T-55エニグマはT-90やT-72B3が行き渡っていない小規模な前哨基地に配備している戦車だ。魔物との戦闘では魔物の群れを一蹴するほどの火力を誇るものの、最新型の戦車には性能が大きく劣っているため、可能な限り素早く退役させてT-90を配備する予定だ。

 

 そして、その戦車の群れの先頭にずらりと並んでいるのは――――――――虎の子の、12両の超重戦車部隊。

 

 各地の重要拠点に配備されている、全長10m以上の巨体を持つフランスのシャール2Cである。圧倒的な破壊力を誇る152mm連装滑腔砲を搭載した巨大な砲塔には、アクティブ防御システムを搭載している上に分厚い装甲まで装備されているため、対戦車ミサイルが命中した”程度”では戦闘不能になる事はない。さすがに側面の装甲は薄くなってしまっているため、120mm滑腔砲から放たれる砲弾に貫通されてしまう恐れがあるものの、正面装甲の防御力は凄まじいとしか言いようがない。

 

 なんと、160mm滑腔砲から放たれたAPFSDSが立て続けに被弾したにもかかわらず、装甲の表面がへこむ程度で済んでいたのだから。

 

 ヴリシアで吸血鬼たちが投入した近代化改修型マウスの砲撃を想定した防御力であるため、対戦車ミサイルどころか戦車砲ですらこの正面装甲を貫通するのは困難なのである。

 

 しかも車体の側面には37mm砲と5.45mm対人機関銃を搭載したルスキー・レノの砲塔が装備されているため、側面に回り込んだ歩兵を即座にミンチにすることが可能になっている。さらに、車体の後部には100mm低圧砲と30mm機関砲を搭載している挙句、アクティブ防御システムまで装備した砲塔が装備されているため、後方に回り込んだとしてもその圧倒的な火力で敵をすぐに”駆除”することができるようになっているのだ。

 

 欠点は正面装甲以外の装甲が薄い事と、最高速度がたった20km/hしかないことだろう。

 

 ブレスト要塞から生還した『ピカルディー』も、すでにタンプル搭で修理を受けて復帰していた。『プロヴァンス』の隣に鎮座しているピカルディーの装甲は元通りになっており、大破したルスキー・レノの砲塔もしっかりと搭載されているのが分かる。

 

 シャール2Cは第二次世界大戦前の戦車であるため、生産する際は思ったよりも少ないポイントで生産する事が可能だ。しかしそのまま実戦に投入してもあっという間に対戦車ミサイルを喰らって擱座するのが関の山なので、近代化改修を施した挙句、性能をこれでもかというほど底上げしてから実戦投入することにしている。そのため、生産よりもカスタマイズに使うポイントの量が膨大になってしまうので、最終的にイージス艦1隻分に匹敵するとんでもないコストになってしまうのだ。

 

 なので、テンプル騎士団ではたった10両しか運用していない。だが――――――――ブレスト要塞で撃破された筈のピカルディーがまだ動くほど頑丈だったことと、進撃していく敵の戦車部隊を蹂躙できるほどの火力を持っていたため、最終防衛ラインで戦闘が始まる前に2両ほど増産することに決まった。

 

 その増産された11号車『ジャンヌ・ダルク』と、12号車『ジル・ド・レ』も先に生産されていた”先輩たち”と一緒に並んでいる。

 

 この2両は先に運用されていた10両の欠点をある程度補った”後期型”といえる存在だ。

 

 まず、車体を10mから14mに延長し、エンジンを3基ではなく5基搭載することで機動力を底上げすることに成功した。おかげで車体が大きくなってしまったものの、最高速度は20km/hから30km/hまで向上している。

 

 更に、車体側面にも複合装甲を搭載することによって、側面の防御力の底上げにも成功した。

 

 元々は歩兵部隊の支援を想定した戦車だったんだが、たった1両でも戦車部隊を蹂躙できることが立証されたため、このシャール2Cたちの任務は対戦車戦闘に絞ることになった。そのため装甲の薄い場所には爆発反応装甲を搭載し、少しでも防御力を底上げするようにしている。

 

 そしてこの2両の”後期型”は、他の先輩たちとはちょっとだけ装備が違った。

 

 まず、11号車『ジャンヌ・ダルク』の車体後部にある砲塔が撤去されており、その代わりにT-90の砲塔を125mm滑腔砲やアクティブ防御システムごと移植している。そのため、背後に回り込んだ敵の戦車の迎撃も可能となっている。ジャンヌ・ダルクは火力に特化したタイプと言えるだろう。

 

 そして12号車『ジル・ド・レ』も、同じく後部にある砲塔が撤去され、代わりにロシアの自走対空砲である『2K22ツングースカ』の砲塔を、機関砲やレーダーごと移植した。もちろん地対空ミサイルも搭載しているため、超重戦車であるというのに対空戦闘も可能となっている。こいつを撃破するために接近してきた航空機に反撃することができるのだ。

 

 テストが終わったばかりだが、この2両も最終防衛ラインに配備することになっていた。

 

 もちろん、全ての車両は無人型に改造済みで、後期型は有人操縦モードは完全にオミットされてしまっている。

 

 ずらりと並ぶ戦車たちを見つめながら、俺は水筒を口元へと運んだ。ナタリア特製のちょっと甘めのジャムが入ったアイスティーを飲んでから、息を吐いて傍らに置いてあるロシア製のヘルメットとガスマスクへと手を伸ばす。

 

 キメラの兵士―――――――とは言っても俺や親父たちしかいない―――――――は、ヘルメットを装備することは全くない。遺伝子にもよるが、基本的に頭には角や触覚が生えているため、ヘルメットをかぶると逆に邪魔になってしまうためだ。だからどちらかと言うと帽子やフードを好むんだが、今回は最前線に突っ込むことになるため、少しでも防御力を上げるためにヘルメットをかぶることにした。

 

 もちろん、角が伸びても邪魔にならないように角のための穴を開けてある。

 

 ガスマスクは敵がマスタードガスを使ってきた時のための装備だ。身につけている服は、いつもの転生者ハンターのコートではなく防護服に変更してある。黒と紅の迷彩模様が施された禍々しい防護服の上に同じ色のボディアーマーや、予備のマガジンが入ったポーチを装備してから、もう一度守備隊の様子を確認した。

 

 兵士たちはマスタードガスから身を守るため、ガスマスクと防護服を装備している。スオミ支部からやってきた兵士たちやアールネも同じく防護服を装備しており、戦車のハッチの上から身を乗り出しながら砂漠の向こうを見つめていた。

 

 敵の戦力は、こっちの戦力の7分の1。こっちが有利だが、絶対に勝てない相手(モリガン・カンパニー)が明日に参戦する事が決まっているため、今夜のうちに決着をつけるために死に物狂いで攻撃してくるのは想像に難くない。

 

 おそらく、この戦いはテンプル騎士団が単独で戦った戦闘の中では最も激しい戦いになるだろう。

 

 ガスマスクをかぶる前に、俺は後ろを振り返った。

 

 後ろに整列しているのは、真っ黒な防護服に身を包んだ兵士たちとは異なり、俺と同じく黒と紅の迷彩模様の防護服に身を包んだ兵士たちだ。すでにロシア製のがっちりしたヘルメットとガスマスクを装備しているため顔は全く分からないが、背丈は明らかに常人よりも大きいため、屈強なハーフエルフやオークの兵士たちであることが分かる。

 

 無線機のスイッチを入れる前に、ちょっとだけ深呼吸をする。整列している兵士たちを見つめてからスイッチを入れ、俺は演説を始めた。

 

「―――――――同志諸君、ついに吸血鬼共との最終決戦が始まる」

 

 俺の目の前に並んでいるのは、ナタリアに頼んで招集した兵士たちである。地上部隊の中でも屈強な身体を持つ兵士たちを選んで編成した、”強襲殲滅兵”たちだ。

 

 強襲殲滅兵の任務は、味方の砲撃の直後にすぐさま突撃し、敵の防衛線をズタズタにすることである。敵の突撃歩兵とは異なり、砲撃の直後に敵陣の中心部を装備した重火器で真正面から粉砕することで敵の傷口を更に抉り、強引に突破するのが目的である。

 

 簡単に言えば、”重装備の突撃歩兵”のようなものだ。

 

 単独でも敵の戦車を撃破できるように対戦車用のロケットランチャーや対戦車手榴弾を支給しているし、メインアームもアサルトライフルだけではなく、重機関銃やLMGを支給している。普通の兵士ならばこんな重装備で敵陣に突撃するのは不可能だが、屈強な身体を持つハーフエルフやオークならば可能なのだ。

 

 ”強襲殲滅兵”は、圧倒的な火力で敵を叩き潰す”殲滅部隊”なのである。間違いなく、この異世界で最も攻撃的な部隊だろう。部隊の名前やエンブレムはまだ決めてないが、名前とエンブレムは後で考えておこう。できればロシア語がいいな。

 

「ブレスト要塞では、何人もの同志たちが散っていった。…………我々は、あの吸血鬼共に何度も殴り続けられている状態である」

 

 ラウラも左腕と左足を失った。戦死したわけではないものの、彼女の手足を奪った吸血鬼共にはしっかりと報復しなければならない。

 

 あのメイドと同じく、あの世に送ってやるのだ。

 

「何度も殴られ続けたせいで、我々はもう傷だらけだ。―――――――しかし、もう既に反撃の準備はできた」

 

 こっちの戦力は敵の7倍。しかも最終防衛ラインに終結したのは、虎の子の超重戦車や強襲殲滅兵たち。攻め込んできた敵兵は震え上がるに違いない。

 

「―――――――殴り返そうじゃないか、同志諸君」

 

 思い切り殴り返そう。散っていった仲間のために。

 

「銀の7.62mm弾を、これでもかというほど叩き込んでやれ。逃げようとする敵兵は銀の銃剣で串刺しにしろ。―――――――俺たちには、AK-12(カラシニコフ)がある!」

 

『『『『『『『『『『Ураааааааааа!!』』』』』』』』』』

 

 兵士たちが一斉に装備したAK-12を振り上げる。中には銃剣を装備したAK-12や、グレネードランチャーを装備したAK-12を掲げた兵士もいた。

 

 テンプル騎士団の兵士たちの士気は、かなり高い。

 

 ここを突破されてしまえば、間違いなくタンプル搭が蹂躙されてしまうからだ。タンプル搭には兵士たちの家族だけでなく、事前に避難してきたブレスト要塞の住民たちも避難してきている。

 

 自分の家族や恋人を吸血鬼たちから守るために、ここで食い止めなければならないのである。

 

「―――――――迫り来る吸血鬼共を、125mm滑腔砲と7.62mm弾の弾幕で出迎えろ! 敵兵を全てこの砂漠で粉砕するんだ!」

 

 そう言った瞬間、AK-12を装備していた兵士たちが一斉に安全装置を解除した。ガチン、という音が最終防衛ラインの中で膨れ上がり、灰色の大地を蹂躙する。

 

 俺もガスマスクをかぶり、自分のAK-12を肩に担いだ。

 

「―――――――血も涙もないクソ野郎共に、カラシニコフの鉄槌を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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先制攻撃

 

『航空隊、離陸を許可する』

 

『了解。ブリッツ1、離陸する』

 

 崩れかけの防壁に囲まれた飛行場の滑走路から、次々にF-35Aの群れが飛び立っていく。仮設の管制塔を見上げてから飛び去っていくF-35AやF-22の群れを見つめてから、空になっているXM8のマガジンにクリップを使って6.8mm弾を装填した俺は、仲間から受け取った水筒の中の血を飲み干した。

 

 我々の橋頭保と化したブレスト要塞の飛行場は有効活用している。ラーテの砲撃で滑走路に開いた大穴を塞ぎ、倒壊した管制塔を撤去して仮設の管制塔を設置したことで、ブレスト要塞のボロボロの飛行場は再利用できるようになっていた。

 

 我々には2隻の空母があるものの、航空機を全て空母に任せるわけにはいかない。現代兵器である以上燃料を使って動くわけだから、戦場と空母が離れているほど戦闘機が戦闘できる時間が減少していくのだ。いくら燃料を搭載できると言っても、いつまでも飛んでいられるわけではないのだから。

 

 空になっていた全てのマガジンにクリップで弾丸を装填してから、ポーチに入れてテントを後にする。ブレスト要塞の上空ではすでに後方の空母から飛び立ったラファールたちとF-35Aたちが合流しており、編隊を組みながらタンプル搭へと向けて飛び去っていく。

 

 整列していた兵士たちと共に近くのレオパルト2の砲塔の上に乗り、装備の点検を始める。

 

 ラーテとドーラが撃破されてしまったため、タンプル搭を陥落させるための切り札は突撃歩兵だけになってしまった。艦隊が敵艦隊を突破してくれればドーラとラーテの代役をさせられるのだが、現時点ではまだ敵艦隊と交戦中らしく、タンプル搭を砲撃できる状態ではないらしい。

 

 突撃歩兵が敵の最終防衛ラインを突破してくれれば、主力部隊も防衛戦を突破できるようになるだろう。最終防衛ラインを突破したらタンプル搭へと突入し、要塞内部の残存部隊を撃滅するだけでいいのだから。

 

 とはいえ、敵の戦力はこっちの戦力の7倍だ。しかもこのブレスト要塞の生存者がタンプル搭へと脱出したという事は、俺たちがマスタードガスを攻撃に使ったことを知っている筈だ。あのマスタードガスは敵がガスによる攻撃を想定していなかったからこそ効果があったのである。それゆえに、最終防衛ラインにいる敵がマスタードガスの攻撃を想定して対策をしているのは火を見るよりも明らかだ。

 

 次の攻撃でも砲兵隊が毒ガスの入った砲弾を敵にお見舞いする予定だが、ブレスト要塞の時のように戦果はあげられないだろう。

 

 乗っていたレオパルト2がゆっくりと動き出し、崩れ落ちた防壁へと向かって進んでいく。がっちりしたキャタピラが防壁の破片を粉砕していく音を聞きながら、俺は夜空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天空へと向けられた”塔”にも似た巨大な砲身が、全長210mの長大な砲身から伸びる5つの支柱と共に旋回を始めた。

 

 ”塔”が1つもないにもかかわらず、テンプル騎士団の本部がタンプル”塔”と呼ばれている理由は、ここに搭載されている巨大な200cm多薬室ガンランチャーである『タンプル砲』と、副砲である36cm要塞砲の砲身が空へと向けられている姿が塔に見えるためである。

 

 タンプル砲に取り付けられている32基の薬室の中には、5回分の炸薬が内蔵されている。5発砲撃した後はその薬室を取り外し、クレーンを使って交換しなければならないのだが、逆に言えば5発までならば立て続けに砲撃できるのだ。

 

 ラーテと列車砲を始末するためにすでに2発も砲弾を放っていたが、まだ3発分の炸薬が残っていたのである。死に物狂いで攻撃してくる吸血鬼たちに大損害を与えるために、これから3発の砲弾で彼らに大打撃を与えるのだ。

 

 もう既に、砲弾は装填されている。

 

「冷却液、準備よし!」

 

「逆流防止弁、作動正常!」

 

「全薬室オールグリーン!」

 

「よし、警報鳴らせ!! 全ての作業員は直ちに地下へ退避!!」

 

 中央指令室の中で、モニターを確認しながらオペレーターたちが砲兵たちに指示を出す。

 

「作業員の避難完了!」

 

「隔壁閉鎖開始!」

 

 タンプル砲の衝撃波は、36cm要塞砲どころか戦艦大和の46cm砲の比ではない。下手をすればその衝撃波だけで地下の設備にも被害が出るほどであるため、砲撃する際は必ず隔壁を閉鎖し、各所の検問所にあるゲートを開放する必要があるのだ。ゲートを開放しなければ、衝撃波でゲートが吹っ飛んでしまうのだから。

 

 中央指令室の中に設置された巨大なモニターを睨みつけていたクランは、腕を組みながら息を吐いた。

 

 タンプル砲はすでに何度か実戦投入しており、装填された砲弾が解き放たれる度に大きな戦果をあげている。大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射にも成功しており、圧倒的な射程距離と火力で吸血鬼たちを何度も苦しめている。

 

 しかし、装填されている次の砲弾が牙を剥く相手は、地上にある拠点や巨大な超重戦車ではない。

 

「攻撃目標を確認。―――――――ロックオン完了」

 

 正面のモニターに、何機もの航空機の反応が表示される。タンプル搭の周囲や前哨基地に設置されたレーダーサイトが捉えた、吸血鬼たちの航空部隊であった。

 

 大半の機体がステルス機で構成されているためなのか、敵機が接近してくる度に段々と反応が増え、レーダーに映っていなかった機体の反応があらわになっていく。

 

 タンプル砲で誘導砲弾を発射する際は、特殊なポッドを装備した偵察機が攻撃目標を観測して観測データを送信し、発射された誘導砲弾を誘導しなければならない。そのため観測と誘導を行う偵察機は攻撃が着弾するまで敵の対空砲火をひたすら回避し続けなければならない。

 

 だが――――――――敵機がタンプル搭や他の拠点のレーダーサイトで捕捉可能な範囲に入ってくれたのであれば、偵察機は不要である。

 

 敵の観測と誘導は、レーダーサイトでも代用できるのだから。

 

 あくまでも偵察機が必要になるのは、そのレーダーサイトの索敵範囲外を攻撃する場合のみである。ブレスト要塞や周辺の前哨基地も本来ならばその範囲内であるため、ラーテや列車砲を砲撃する際は偵察機を派遣する必要はなかったのだが、敵の攻撃でブレスト要塞の周囲のレーダーサイトが機能を停止していたため、観測と誘導をしなければならなかったのだ。

 

 モニターに映った敵機が少しばかり散開する。ミサイル攻撃を警戒しているようだが、これから飛来するのはどんな地対空ミサイルよりも凶悪で、圧倒的な破壊力を誇る代物である。

 

「同志クラン、砲撃準備が完了しました」

 

「分かったわ。…………秒読み開始」

 

「はい、秒読みを開始します」

 

「―――――――10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)

 

「―――――――発射(フォイア)」

 

 クランの目の前にいるオペレーターが席にある赤いスイッチを押した瞬間、5つの支柱と33基の薬室を持つ怪物が、モニターの向こうで咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちら”レーゲン2”。ミサイル攻撃は確認できない』

 

『了解。…………くそ、それじゃあさっきのはなんだったんだ?』

 

 編隊を元に戻しながら、吸血鬼たちのパイロットは悪態をつき始めた。

 

 いきなり地上からレーダー照射を受けたため、地対空ミサイルを警戒して回避を始めたのだが、結局ミサイルのようなものはなにも飛来してこなかったのである。敵の本拠地からの熾烈な対空砲火を警戒していたパイロットたちは、全員悪態をつきながら操縦桿を倒し、再び元の編隊へと戻っていく。

 

 未だにコクピットの中ではレーダー照射を受けている事を意味する電子音が鳴り響いている。しかし、もうこの電子音が大騒ぎを始めてから15分以上も経過しているというのに、彼らをロックオンしたミサイルが飛んでくる気配がない。

 

 もちろん、レーダーにもミサイルの反応はなかった。

 

 編隊の先頭を進むF-22のパイロットは、溜息をつきながらもう一度レーダーを確認する。もしミサイルが接近しているのであれば素早く回避しなければならないのだが、やはりレーダーにミサイルの反応はない。機体が故障したのだろうかと思いながら舌打ちをし、空を見上げた彼は――――――――紅い光を纏った流星にも似た何かが地上へと落下してきていることに気付いた。

 

 ミサイルかと思ったが、その紅い光を纏った流星は白煙ではなく炎の残滓と陽炎を置き去りにしながら、編隊の上空へと落下してくる。

 

『レーゲン1より各機へ。上空に流星みたいなのが――――――――』

 

 報告しつつ、先ほどレーダー照射を受けていた原因はあの流星なのだろうかと思った瞬間、航空部隊の頭上へと落下していたその流星にも似た1発の砲弾が、何の前触れもなく弾け飛んだ。

 

 起爆した砲弾が爆炎の塊と化し、搭載されていた無数の小型炸裂弾たちが、一斉に爆炎を纏いながら躍り出る。

 

 200cm砲の砲弾から生れ落ちたのは、これでもかというほど搭載された無数の炸裂弾であった。従来の戦艦の主砲の口径を遥かに上回る大きさの砲弾から解き放たれた無数の炸裂弾の群れは、まるで噴火した火山の下降から躍り出るマグマの飛沫のようにステルス機の編隊へと降り注ぐと――――――――その炸裂弾の一発一発が立て続けに起爆し、星空を爆炎の壁で覆い尽くした。

 

 無数の炸裂弾の内部にも、小型の近接信管が内蔵されていたのである。

 

 立て続けに起爆した炸裂弾の爆炎に呑み込まれた航空部隊は、瞬く間に粉砕されていった。小型の炸裂弾とはいえ、命中すれば戦闘機の主翼やフラップを粉々にするほどの破壊力を秘めていた炸裂弾の爆風と破片が主翼に風穴を開け、キャノピーを貫通して吸血鬼のパイロットたちの肉体を両断してしまう。

 

 片方の主翼を捥ぎ取られて回転を始めたF-22が、そのF-22の編隊の下を飛んでいたF-35Aに激突して木っ端微塵になる。操縦不能になったラファールからパイロットが大慌てで脱出するが、飛来した炸裂弾の爆発に巻き込まれてミンチと化し、戦闘機の残骸と一緒に砂漠へと落下していった。

 

 近接信管によって起爆した数発の炸裂弾がF-35Aの機首をパイロットもろとも捥ぎ取る。辛うじて炸裂弾と爆炎の嵐の中から離脱することができた戦闘機もいたが、主翼のフラップやエンジンノズルを炸裂弾で既に吹き飛ばされ、操縦不能となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「”地対空キャニスター弾”、着弾を確認。敵航空部隊の30%を撃墜!」

 

 オペレーターが報告した瞬間、モニターを見つめていた他のオペレーターたちが歓声を上げた。

 

 仲間たちの歓声を聞きながら、腕を組んでモニターを見つめていたクランも微笑みながら息を吐く。

 

 先ほどタンプル砲の砲口から躍り出ていった砲弾は、タンプル搭へと接近してくる敵の航空隊を迎撃するために開発された”地対空キャニスター弾”である。巨大な200cm砲の砲弾の中にこれでもかというほど小型の炸裂弾を搭載し、敵航空部隊の上空でその砲弾を起爆させ、近接信管を搭載した無数の小型炸裂弾を航空部隊の頭上にばら撒くという恐ろしい砲弾である。

 

 しかもその炸裂弾は1発で主翼に風穴を容易く開けてしまうほどの破壊力があるため、その炸裂弾の雨の中に飛び込めば、航空機が瞬く間に鉄屑と化すのは想像に難くない。

 

 旧日本軍が開発した三式弾を発展させた砲弾である。

 

 さらに、タンプル搭周辺のレーダーサイトさえ無事であれば偵察機を派遣して観測させる必要もないため、超遠距離砲撃の際とは違って偵察機を敵の対空砲火で失う恐れもない。

 

 一度も実戦投入したことがない上に、高速で飛翔するステルス機に効果があるのかは不明であったが、むしろ敵に大損害を与えられたことを知ったクランは、腕を組むのをやめてかぶっていた略帽を取り、敵機の反応が一気に減ったモニターを見つめながらニヤリと笑った。

 

 吸血鬼たちは制空権を確保するために、高性能なステルス機を投入していた。観測のために出撃していたタクヤとステラの報告では、ブレスト要塞に接近した2人を迎撃するために出撃したのは、アメリカ製ステルス戦闘機のF-35AやYF-23であったという。

 

 今しがた地対空キャニスター弾で先制攻撃される羽目になった編隊の中にも、その虎の子のステルス機は含まれていた事だろう。ただでさえ戦力がテンプル騎士団に劣っている吸血鬼たちにとって、虎の子のステルス戦闘機を失うのはかなりの大打撃になる。

 

 しかもその戦闘機の群れを木っ端微塵にしてしまったのは、高性能な地対空ミサイルではなく、時代遅れとしか言いようのない超大型の多薬室砲の”砲弾”だ。

 

「第二射、間に合いそう?」

 

「同志クラン、それは少し難しいですね。向こうは戦闘機ですので、装填中に接近されてしまいます」

 

 タンプル砲は超遠距離の標的を砲撃できるほど長い射程距離を誇る決戦兵器である。発射する砲弾も従来の砲弾を遥かに上回る大きさの砲弾であるため、破壊力も圧倒的としか言いようがない。しかしその砲弾を発射する際に設備が損傷してしまうほどの衝撃波を発するという大きな欠点がある兵器である。

 

 更に、”距離が近過ぎる標的には攻撃できない”という欠点もあるのだ。砲弾の破壊力が大きすぎるため、標的がタンプル搭に接近し過ぎていればその爆風が要塞に牙を剥いてしまうのである。

 

 そのため、接近してきた敵の航空機には他の対空砲やミサイルで応戦するか、航空隊を出撃させて迎撃するしかないのだ。

 

 現時点では敵の航空部隊との距離は離れているものの、次の発射準備を終えて発射した砲弾が着弾する頃には、もう航空隊はタンプル搭に接近している事だろう。航空隊はすでに出撃準備に入っているため、今すぐに出撃させれば接近してくる敵の航空機を迎撃する事が可能だ。

 

「分かったわ。では、タンプル砲にはMOAB弾頭を装填。他の要塞砲にもMOAB弾頭を装填し、敵の地上部隊を砲撃するわ。航空隊と一緒に出撃する偵察機には観測をお願いして」

 

「了解(ダー)!」

 

「第二射、MOAB弾頭! 他の要塞砲にも同じくMOAB弾頭を装填! 装填後は観測データ受信まで待機せよ!」

 

 オペレーターたちの命令を聞きながら、クランは自分の略帽を握り締めた。

 

 先制攻撃は成功した。地対空キャニスター弾で敵の航空機を30%も撃墜できたのだから、こちらの航空隊が有利になるのは想像に難くない。しかも、地上にある最終防衛ラインで待機しているのは士気の高い兵士たちと、虎の子のシャール2Cたちである。

 

 さらに、タクヤが指揮を執る”強襲殲滅兵”たちも最終防衛ラインで待機している。要塞砲や砲兵隊の砲撃が終わり、パンジャンドラムたちが一斉に突撃すれば、強靭な強襲殲滅兵たちも同じように突撃するだろう。

 

 強襲殲滅兵たちの役割は、装備した重火器で敵部隊を蹂躙する事だ。通常の兵士が身につける装備よりもはるかに思い装備を身に纏い、重火器をこれでもかというほど装備した兵士たちが敵部隊へと突撃し、砲撃とパンジャンドラムの突撃で大打撃を受けたばかりの敵を襲撃するのだ。

 

 簡単に言えば、重装備の突撃歩兵のような存在である。

 

 地上部隊と航空部隊は、現時点では有利だ。軍港から出撃した艦隊は敵艦隊の攻撃で損害を受けているものの、まだ奮戦し続けているという。このままモリガン・カンパニーと殲虎公司が参戦するまで持ちこたえてくれれば、敵艦隊を味方の艦隊と共に包囲することができるだろう。

 

「クラン」

 

「どうしたの?」

 

 モリガン・カンパニー艦隊が到着するまでどれくらいかかるか考えていたクランの後ろから声をかけたのは、彼女と同じくシュタージの制服に身を包み、真っ黒な略帽をかぶったケーターだった。前世の世界に住んでいた頃から彼女の恋人だった男であり、異世界に転生した後も彼女と共にデートに行くことも多い。

 

 そういう時の彼の目つきは前世の世界の頃のケーターと変わらないのだが、やはり戦闘中になると目つきが急激に鋭くなっている。

 

「さっき連絡があった。倭国支部からも艦隊を派遣するらしい」

 

「規模はどのくらいなのかしら?」

 

「超弩級戦艦1隻、イージス艦1隻、強襲揚陸艦1隻だけらしい。…………断わっておくか?」

 

 もう少し艦隊の規模が大きければ、クランはすぐに首を縦に振っていた。しかし、いくらモリガン・カンパニーと殲虎公司が参戦する事で海軍も有利になるとはいえ、たった3隻の艦隊を派遣してもすぐに返り討ちにされてしまうだろう。しかも倭国支部はまだ設立されたばかりの支部であり、練度はただでさえ練度の低いテンプル騎士団の中でも最低クラスである。

 

 戦艦やイージス艦を生産するためのコストが高い上に、乗組員たちも必要になるため、転生者が生産できる兵器の中で一番運用し辛いのが艦艇だ。逆に言えば、やっと倭国支部も艦艇を運用できる規模になったことを意味するのだが、練度が低ければすぐに全滅してしまうのは火を見るよりも明らかであった。

 

 だが、このままモリガン・カンパニー艦隊が海域に到着するのを待ち続けていれば、合流前に戦艦ジャック・ド・モレーが撃沈されてしまう恐れがある。艦隊の旗艦が撃沈されてしまえば、テンプル騎士団が大損害を被る羽目になるのは想像に難くない。

 

 しかし、倭国支部艦隊ならばモリガン・カンパニー艦隊よりも先にウィルバー海峡に到着できるだろう。練度が低いとはいえ、敵艦隊の後方から対艦ミサイルで攻撃すれば、敵艦隊を攪乱することはできるかもしれない。それに敵艦隊はテンプル騎士団艦隊の飽和攻撃を迎撃するために無数のミサイルを発射しているため、そろそろ”弾切れ”している筈だ。

 

 それに、河の中にはまだ空母『ノヴゴロド』も待機しており、艦載機を出撃させているという。対艦ミサイルを搭載した艦載機を使って攻撃すれば、ミサイルを使い果たした敵を蹂躙することができるだろう。

 

「―――――――艦隊の派遣を要請して」

 

「了解(ヤヴォール)」

 

 ケーターに指示を出したクランは、握り締めていた自分の軍帽をもう一度かぶると、溜息をついてからもう一度モニターを見つめるのだった。

 

 

 

 

 



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爆炎と星空

 

『アーサー隊、滑走路へ』

 

「了解(ヤー)」

 

 ユーロファイター・タイフーンを地下にある滑走路へと進ませながら、俺はこの機体を誘導してくれる整備兵の姿を凝視していた。ツナギに身を包んでアーサー隊を滑走とまで誘導してくれる整備兵は、多分アンジェラだろう。金髪はオイルで少しばかり汚れているけれど、相変わらず美しい。

 

 滑走路へと向かう隔壁を越えたところで、アンジェラは自分が誘導している戦闘機のパイロットが俺だという事に気付いてくれたらしい。薄暗い滑走路の中でウインクした彼女は、俺を滑走路まで誘導してから素早く格納庫の方へと走って行ってしまう。

 

 ―――――――はっきり言うと、俺は彼女に惚れてしまった。

 

 アンジェラは俺がテンプル騎士団に入団する前から整備兵を続けていたらしく、航空機の整備と出撃する戦闘機の誘導を担当しているという。だから何度かツナギに身を包んで忙しそうに整備をする彼女の姿を見たことはあったんだけど、実際に声をかけることができたのは前回の出撃の時だけだった。

 

 今回は声をかける時間がなかったけれど、ウインクしてもらえたからな。吸血鬼共の春季攻勢(カイザーシュラハト)を退けたら、彼女を食事に誘ってみよう。

 

 誘導灯で照らされた長い滑走路の先端部は、ロシアのアドミラル・クズネツォフ級のスキージャンプ甲板のように上へと曲がっている。そのため、格納庫の隔壁のすぐ脇から滑走路の向こう側を見てみると、白い線が描かれた滑走路の先端部が見えてしまうのだ。

 

 タンプル搭の飛行場は、着陸する際の難易度が非常に高い。そのため航空部隊のパイロットの中には他の拠点への異動を申請する団員もいるらしく、団長は守備隊の戦力を考慮しつつ可能な限り積極的にそれを承認しているらしい。

 

 さすがに着陸の失敗で大切なパイロットを失うわけにはいかないのだろう。

 

 だが、俺たちは何度もあのスキージャンプ甲板みたいな滑走路に降り立っているから慣れてしまった。それにあの滑走路のせいで異動するパイロットが何人もいるのだから、俺たちまで異動を申請してしまったらタンプル搭の航空隊が貧弱になってしまう。

 

 少なくともこのタンプル搭の航空機や滑走路が敵の空爆で吹っ飛ばされることはないのだから、あの滑走路にさえ慣れてくれればパイロットと航空機にとっては楽園のような場所なのだ。

 

「各機へ。敵の航空部隊はタンプル砲の砲撃で大損害を被っているとはいえ、油断するな。練度では向こうの方が上だ」

 

 中央指令室でクーちゃんから聞いた作戦を思い出しつつ、無線で仲間たちにそう言う。

 

 作戦とは言っても、タンプル搭周辺の制空権を敵に奪われないように迎え撃つだけだ。敵機は吸血鬼たちが温存していたステルス機たちらしく、80cm列車砲の観測へと向かったタクヤに牙を剥いたという。

 

 それにしても、とっくの昔に廃れた兵器を運用しているとはな。だが、もし列車砲がタンプル搭への攻撃に投入されていたらこの要塞もブレスト要塞の二の舞となっていただろう。

 

 ちらりと格納庫の方を見てみると、虎の子のPAK-FAやF-22も出撃準備に入っているようだった。敵がステルス機を大量に投入してきたため、こちらもステルス機を投入して迎撃するのだろう。俺たちもステルス機に乗り換えるように言われたが、アーサー隊の隊員たちが最も乗り慣れている機体はこもユーロファイター・タイフーンだ。練度に差があるのだから、乗り慣れている機体で出撃した方がいいだろう。

 

『アーサー隊、離陸を許可します』

 

「了解、出撃する」

 

 機体を加速させる前にもう一度ちらりと隔壁の方を確認してみるが、やっぱりもう既に退避してしまったらしく、ツナギに身を包んだアンジェラは見当たらなかった。

 

 少しばかり残念だったけど、今回はウインクしてもらえた。キャノピーの向こうでウインクする彼女を思い出してニヤリと笑ってしまった俺は、アーサー2に「ニヤニヤしてるでしょ?」と言われる前に、さっさと飛び立つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空の真っ只中で、無数の爆炎が煌いた。真っ白な煙を夜空に刻み付けながら飛翔したミサイルが生み出した爆炎の中から降ってくるのは、そのミサイルの破片たち。運よく獲物を仕留めることができたミサイルの爆炎から落下してくるのは、その”仕留められた獲物”の残骸。

 

 機首や主翼の一部が炎を纏いながら落下してきて、灰色の砂で覆われた大地に突き立てられていく。

 

 航空機同士のぶつかり合いだ。第二次世界大戦の頃までは空戦の主役は機銃や機関砲だったんだけど、今では空戦の主役までミサイルになってしまっている。敵機をロックオンして発射すれば、フレアで邪魔されない限りは高確率で命中する。パイロットがわざわざ照準を合わせて発射しなければならない機関砲の砲弾よりもずっと”賢い”兵器なのだ。

 

 それゆえに、現代の戦いの主役はミサイルという事になっている。

 

 夜空の中で死闘を繰り広げる航空隊の中には、きっとアーサー隊もいる筈だ。そう思いながら善戦するユーロファイター・タイフーンの編隊を探そうと思ったけれど、岩に刺さったエクスカリバーのエンブレムが描かれた漆黒のユーロファイター・タイフーンを見つけるよりも先に、タンプル搭指令室からの報告が届く。

 

『タンプル砲、要塞砲、砲撃開始。着弾までおよそ180秒』

 

「了解(ダー)。…………よし。パンジャンドラム隊、突撃用意」

 

 傍らで待機している無数の鋼鉄の車輪たちの方を振り向きながら命令を発する。

 

 まず砲撃で敵の地上部隊に損害を与えてから、このパンジャンドラムの群れを突撃させるのだ。爆薬をこれでもかというほど搭載しているため、戦車に命中すればほぼ確実に擱座させられるほどの破壊力がある。装甲車に命中したのならば間違いなく木っ端微塵だろう。さすがに砲撃されればその場で爆発してしまうが、突進してくるパンジャンドラムたちを全て食い止めることはできない筈だ。

 

 その後に、ついに強襲殲滅兵(俺たち)が牙を剥く。

 

 砲撃とパンジャンドラムの猛攻で損害を被った敵が体勢を立て直すよりも先に肉薄して、敵部隊に大損害を与えるのだ。

 

 強襲殲滅兵は、基本的に重装備だ。”原型”はドイツが第一次世界大戦で投入した突撃歩兵だけど、テンプル騎士団の強襲殲滅兵は対戦車戦闘も想定しているため、中にはロケットランチャーであるRPG-7を背負っている兵士たちもいる。俺も今回はいつものOSV-96ではなく、RPG-7を背中に背負っているし、腰のホルダーには対戦車手榴弾を5つほどぶら下げている。

 

 本当はイリナも強襲殲滅兵に配属させようと思ったんだけど、今回は止めておくことにした。

 

 今回の突入前には、タンプル砲の砲弾が着弾するからである。

 

 どうやらタンプル砲を発射する際の爆発は全く経験したことがなかったらしく、始めてタンプル砲を実戦投入した際には、中央指令室の中で”幸せすぎて”気絶していたのだ。

 

 はっきり言うと、発射時の爆発よりも砲弾が着弾した時の爆発の方が凄まじい。しかも今回の砲弾は爆発がより強力なMOAB弾頭である。そんな代物が着弾して起爆したら、イリナがまた幸せすぎて気を失ってしまうのは想像に難くない。

 

 さすがに突撃前に気絶されるとかなり困るので、彼女はナタリアと一緒にチョールヌイ・オリョールに乗ってもらうことにした。けれども戦車の中にあるモニターでもその爆発は見えるかもしれないから、もしかしたら戦車の座席の上で気を失ってしまうかもしれない。

 

 タンプル砲の問題点は、設備が損傷するほど衝撃波が強烈ということと、イリナがほぼ確実に気絶する事だな…………。

 

「タクヤ、パンジャンドラムの準備は完了です」

 

「ああ、分かった」

 

 隣へとやってきたステラが、Kord重機関銃を肩に担ぎながら報告する。

 

 彼女が身につけているのは強襲殲滅兵用の防護服で、がっちりしたヘルメットをかぶっている。もちろん彼女に角はないので俺のヘルメットとは違って角を出しておくための穴は開いていない。マスタードガスから身を守るために、彼女もガスマスクを身につけている。

 

 ステラも強襲殲滅兵の一員だ。12歳くらいの幼女が戦車のハッチなどに搭載されている筈のKord重機関銃を担いでいるせいなのか、強襲殲滅兵の中でも特に目立っていた。中には彼女を凝視したまま「え、あんな小さい子も参加するの!?」と言いながら驚いている団員もいる。

 

 確かにステラは小さいけれど、俺たちのパーティーの中では最年長なのだ。12歳くらいの女の子にしか見えないけれど、もう37歳らしい。ただ、サキュバスの基準ではまだ小さい子供だという。

 

 つまり、ステラはサキュバスの基準でも幼女というわけか。

 

 ちなみにステラのメインアームは、使用する弾薬を12.7mm弾から14.5mm弾に変更したKord重機関銃だ。14.5mmは、かつてはソ連製の対戦車ライフルの弾薬に使用されていた大口径の弾丸であり、そいつの戦車部隊に大損害を与える戦果をあげている。彼女の重機関銃は、それを連射できるというわけだ。

 

 サイドアームはテンプル騎士団で正式採用しているPL-14。強襲殲滅兵たちのサイドアームでもあるんだけど、強襲殲滅兵用のPL-14はちょっとばかりカスタマイズされている。

 

 まず、フルオート射撃ができるように改造されている。こうすれば接近戦での攻撃力を更に底上げすることができるというわけだ。マガジンも26発入りのロングマガジンに換装し、フルオート射撃する時のためにストックも用意してある。

 

 ストックはベークライト製で、グリップの下部に装着する。しかもそのストックはホルスターとしても使うことができるのだ。

 

 余談だけど、ソ連で開発された『スチェッキン』というマシンピストルも、同じようにホルスターを装着してストックにすることができた。

 

『着弾まで30秒』

 

「衝撃に備えろ! MOAB弾頭が着弾するぞ!」

 

 双眼鏡を覗き込み、進撃してくる敵の戦車部隊を確認する。

 

 灰色の砂漠にキャタピラの跡を刻み付けながら進撃してくるのは、ブレスト要塞の戦車部隊を蹂躙した近代化改修型のマウス部隊。アクティブ防御システムを装備しているため、ロケットランチャーや対戦車ミサイルで撃破するのは至難の業だろう。もし仮に命中したとしても、あの分厚い装甲を貫通するのは難しい。

 

 そのマウスたちを護衛するのは無数のレオパルト2たち。砲塔の上に吸血鬼の歩兵を乗せた戦車たちの後方を、M2ブラッドレーやM1128ストライカーMGSの群れが進撃してくる。

 

 タンプル搭を総攻撃するために、全ての戦力を投入したのだろう。

 

 このまま砲撃戦が始まれば、こっちも損害を被るかもしれない。

 

 だが――――――――”このまま”戦いが始まるのは、ありえない。

 

『10、9、8、7、6、5、4、3、2、1―――――――』

 

 ――――――――こっちには、あと2回分の切り札が残っているのだから。

 

『弾着、今!』

 

 オペレーターがそう告げた次の瞬間、灰色の砂漠が真っ赤に染まった。

 

 ドン、と砲弾が爆発する音が聞こえたかと思うと、産声を上げた爆炎が敵の戦車部隊をあっさりと飲み込んだ。砲塔の上に乗っていた吸血鬼の歩兵の身体が瞬く間に燃え上がったかと思うと、身体が再生するよりも先に完全に焼き尽くされて消滅し、乗っていた戦車もろとも消え去っていく。

 

 灼熱の衝撃波が主砲の砲身をへし折り、吹っ飛んだ太い砲身が後続の装甲車に突き刺さる。M2ブラッドレーの車体が後方に傾いたかと思うと、車体の前方が浮き、そのままぐるぐると縦に回転しながら後方へと吹っ飛ばされていく。

 

 反射的に双眼鏡から目を離し、左手で頭を守りながら爆炎を見つめる。あんな大爆発が起こっているのだから轟音が聞こえてくるはずなのに、砲弾が起爆した轟音は全く聞こえない。全ての音が消失した空間で敵が焼き尽くされていく光景を目の当たりにしているかのように、爆発する音や焼かれていく敵兵の断末魔は全く聞こえなかった。

 

 200cm砲のMOAB弾頭の破壊力は、圧倒的としか言いようがなかった。着弾した位置からかなり離れているにもかかわらず、こっちまで吹っ飛ばされてしまうのではないかと思ってしまうほど強烈な衝撃波の残滓。その衝撃波の残滓が消え失せるよりも先に、追撃が着弾する。

 

 今度は、立て続けに6つの爆発が産声を上げた。真っ先に着弾したタンプル砲のMOAB弾頭と比べると爆発はかなり小さかったが、着弾した場所の近くを走行していたM1128ストライカーMGSの車体の右側を捥ぎ取った挙句、半分だけになってしまった車体を軽々と吹っ飛ばしてしまうほどの衝撃波が、またしても敵部隊に牙を剥く。

 

 あれはタンプル搭の36cm要塞砲の砲撃だろう。口径ならば日本海軍の金剛級や扶桑級の主砲と同等だが、あれはあくまでも主砲ではなく”副砲”だ。

 

 キーン、という音が聞こえてきたかと思うと、段々と聞き慣れた音が鼓膜へと流れ込んでくる。轟音と衝撃波の残滓を浴びる羽目になった兵士たちの呻き声が聞こえてくるようになった頃には、敵の戦車部隊を覆っていた爆炎も消え始めていた。

 

 もう一度双眼鏡を覗き込み、敵部隊が被った損害を確認する。

 

 MOAB弾頭の砲撃をお見舞いされる羽目になった戦車たちは、衝撃波で抉られた大地の上で黒焦げになっていた。分厚い装甲は強引に引き剥がされており、巨大な主砲の砲身はあっさりとへし折られてしまっている。中には猛烈な衝撃波でひっくり返された車両もあるらしく、キャタピラやタイヤを天空へと向けたまま全く動かない。

 

 あの爆炎で再生するよりも先に完全に焼き尽くされてしまったらしく、歩兵の姿は見当たらなかった。

 

 吸血鬼たちの地上部隊は大損害としか言いようがないほどの損害を被る羽目になったものの、壊滅したわけではなかった。まだ健在な車両は残っているものの、あの爆風を浴びる羽目になった装甲が黒焦げになっているのは当たり前で、中には主砲の砲身がひしゃげたり曲がっている戦車も見受けられる。

 

 運が良ければ、あの砲撃でアクティブ防御システムが故障しているかもしれない。

 

「同志、パンジャンドラムの射程距離内です」

 

「よし――――――――パンジャンドラム、出撃!」

 

 防護服の中からスイッチを取り出し、兵士たちがパンジャンドラムから離れたのを確認してからスイッチを押す。

 

 巨大な鋼鉄の車輪に搭載されたロケットモーターが起動し、一斉に火を噴き始める。やがてロケットモーターの推力が巨躯を動かし始めたかと思うと、鋼鉄の車輪の群れがどんどん加速し始め、少しばかりぐらつきながら吸血鬼たちへと向かって全力疾走を始めた。

 

 敵部隊は損害を被ってからまだ体勢を立て直せていないらしい。指揮官が戦死したのだろうか。

 

 やがて、健在だったレオパルト2が砲塔を旋回させ、パンジャンドラムを迎撃し始めた。主砲同軸の機銃が立て続けに火を噴くが、いくら兵士を瞬く間にミンチにしてしまう7.62mm弾のフルオート射撃でも、鋼鉄の塊であるパンジャンドラムはそう簡単に止まらない。

 

 そのレオパルトが主砲を放ち、パンジャンドラムを1つ破壊する。戦車の装甲を貫通できるほど強力なAPFSDSが直撃する羽目になったパンジャンドラムの巨躯が一瞬だけ着弾の衝撃で浮いたかと思うと、そのまま左へと逸れ、隣を激走していたパンジャンドラムに激突して一緒に爆発する羽目になったが、それ以外のパンジャンドラムはその爆炎を置き去りにし、すでに戦車部隊に牙を剥いていた。

 

 生き残っていた歩兵たちを踏みつぶして砂まみれのミンチにし、ひっくり返っていたM2ブラッドレーを押し潰す。横になってしまったパンジャンドラムが起爆して、内部に搭載されている水銀と一緒に爆炎をぶちまけて兵士たちをバラバラにしてしまう。

 

 マウスの残骸の隣を掠めてレオパルトに肉薄したパンジャンドラムが爆炎と化し、レオパルトをあっという間に飲み込んだ。黒煙の中から炎が産声を上げたかと思うと、砲塔の上から火達磨になった車長と思われる吸血鬼が躍り出て、絶叫を発しながら砂の上を転がり始める。

 

 何基かは狙いが外れて砂漠の向こうへと転がっていってしまったものの、体勢を立て直せていなかった敵は更に損害を被る羽目になった。

 

 もう既に安全装置(セーフティ)が解除されているAK-12を構え、整列している強襲殲滅兵たちを見渡す。彼らももう既に安全装置(セーフティ)を解除しているらしく、マスタードガスから身を守るためのガスマスクを装備して突撃の準備をしていた。

 

 そういえば、敵の砲撃の前に突撃が始まっちまうな。防護服とガスマスクは要らなかったかもしれない。

 

 そう思いながら溜息をついた俺は、念のためにマスクをかぶったまま命令を下すのだった。

 

「―――――――強襲殲滅兵、突撃ぃッ!!」

 

 

 

 

 



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殲滅部隊

 

「嘘だろ…………?」

 

 先行していた戦車部隊の残骸を見つめながら、仲間たちが驚愕する。

 

 ラーテと列車砲を失ったとはいえ、まだ160cm滑腔砲を搭載したマウス部隊が残っている。120mm滑腔砲を搭載した通常の戦車では撃破するのが難しいほどの分厚い装甲で覆われた怪物たちだ。ヴリシアの戦いでは敗北してしまったものの、連合軍の戦車部隊を何両も撃破して大損害を与えた超重戦車だ。

 

 後方の砲兵隊が毒ガス弾で砲撃をするまではマウス部隊が先頭を進んで後方の突撃歩兵を守る事になっていた。砲撃が始まったら突撃歩兵たちが鈍重な超重戦車を追い越して先陣を切り、敵の最終防衛ラインを突破する予定だったのだ。

 

 ブレスト要塞で毒ガス弾による攻撃を受けたことは、敵の守備隊も知っているだろう。今度は毒ガス攻撃を想定しているから、ブレスト要塞の時のように毒ガスで損害を被ることはないかもしれない。だから、多分あの時よりも激しい戦いになるだろうなと思いながら得物の点検をしようとしていた時に、その爆発が産声を上げた。

 

 あっという間に先行していたマウス部隊や戦車部隊を呑み込んだ爆風が、超重戦車たちを黒焦げにし、周囲の戦車を吹き飛ばしてしまったのである。戦車の上に乗っていた他の突撃歩兵たちも、その爆発の餌食になる羽目になった。

 

 吸血鬼には再生能力があるけれど、弱点である銀や聖水による攻撃で再生することはできない。中にはその弱点による攻撃を受けても再生できる吸血鬼もいるけれど、大半の吸血鬼は再生できずに死んでしまう。

 

 けれども、その弱点を使わずに吸血鬼を殺す方法はある。

 

 まず、ごく普通の武器で吸血鬼の再生能力が機能しなくなるまでひたすら攻撃する事。通常の金属で作られた剣でひたすら斬り続ければ、個人差はあるけれど、やがて再生能力は衰えて再生できなくなり、最終的には普通の人間のように死亡してしまう。だけどこの方法で吸血鬼を殺すのには余りにも時間がかかり過ぎるため、現代では”弱点でなければ死なない”ということにされてしまっている。

 

 そして、強烈な爆炎などで完全に消滅させることだ。吸血鬼の再生能力は、最低でも身体の一部さえ残っていればそこから再生することができるけれど、完全に肉体が焼き尽くされて消滅してしまえば、再生できるわけがない。再生する際に使う肉体の一部すら消え去ってしまうのだから。

 

 戦車の上に乗っていた同胞たちが死んだ原因は、間違いなく後者だ。

 

 その爆炎の残滓の中から飛び出してきたのは――――――――ロケットモーターを取り付けられた、巨大な金属の車輪たちだった。

 

「な、なんだあれは!? 車輪…………!?」

 

「敵の攻撃だ! 迎撃しろ!!」

 

 狼狽している場合かと言わんばかりに、分隊長が命令を下しながらパンツァーファウスト3を構えた。突撃歩兵の装備は通常の歩兵よりも軽いため、敵陣を突破する際には非常に動きやすいんだけど、一部の兵士は遭遇した敵の装甲車や戦車を撃破できるようにパンツァーファウスト3を支給されているのだ。

 

 多分弾かれるだろうなと思いつつ、僕もMP7A1のフルオート射撃をぶっ放す。どうやらあの車輪の部分は、運悪く轢いてしまった吸血鬼をしっかりと”殺せる”ように銀で作られているらしい。あんなでっかい車輪に踏み潰される痛みは猛烈だろうけれど、普通の車輪だったら何とか再生できるだろう。けれどもあの車輪の部分だけは、吸血鬼の弱点の銀。あの車輪に踏みつけられれば、内臓や肉をグチャグチャにされて死んでしまうのだ。

 

 けれどもあの車輪はふらつきながら突進してくるから、運が良ければPDWの弾丸でも少しは軌道を変えられるに違いない。

 

 あの車輪が僕の方に突っ込んできませんようにと祈りながら、オープンタイプのドットサイトを覗き込んで車輪に数発の弾丸をお見舞いする。

 

 でも、僕がひたすら弾丸をお見舞いしていたその車輪は予想以上に頑丈らしく、ふらつきながら前進して数名の突撃歩兵を踏みつぶしたかと思うと、その後方で回避しようとしていたレオパルト2の正面装甲に激突した。

 

 堅牢な複合装甲で覆われたレオパルトの正面装甲があっさりとひしゃげて、120mm滑腔砲の砲身が容易くへし折られてしまう。正面装甲に激突した際に操縦士が押し潰されてしまったのか、そのレオパルトは全く動かずに主砲同軸の機銃を連射して車輪を引き離そうとしたけれど――――――――7.62mm弾の掃射で引き剥がされるよりも先に、車輪が起爆する。

 

 どうやら爆薬をこれでもかというほど搭載していたらしい。爆炎がレオパルト2を呑み込んだかと思うと、黒焦げになった砲身や装甲の一部が車体の周囲に落下し、炎上した戦車のハッチの中から火達磨になった乗組員たちが絶叫しながら飛び出してくる。

 

 でも、幸い敵の攻撃は銀や聖水を使った攻撃ではないから、あの火を消すことができれば再生できるだろう。そう思いながら戦闘を続けようと思った瞬間、その戦車の残骸のすぐ近くをパンジャンドラムが通過していくと同時に、火達磨になっていた乗組員たちの絶叫が消えた。

 

「…………!」

 

「気を付けろ、敵の歩兵が突っ込んでくるぞ!!」

 

 僕の傍らで双眼鏡を覗き込んでいたフランツが、あの車輪たちが突っ込んできた方向を睨みつけながら叫んだ。

 

 本当ならば僕たちの砲兵隊が敵を蹂躙した後に、こっちの突撃歩兵が突っ込む予定だったのだ。けれども砲兵隊が砲撃を始めるよりも先に飛来した敵の砲撃――――――――おそらく要塞砲だろう――――――――で、僕たちの作戦は完全に台無しにされてしまった。

 

 迎撃された車輪や、撃破された戦車が吹き上げる爆炎の向こうから、兵士たちの雄叫びが聞こえてくる。

 

『『『『『『『『『『Урааааааааааа!!』』』』』』』』』』

 

「!!」

 

 やがて、その爆炎の向こうから数十名の兵士たちが躍り出た。

 

 まるで黒煙の中で煌く爆炎のような、深紅と漆黒の迷彩模様の防護服に身を包み、がっちりしたヘルメットとガスマスクを装備した兵士たちが、普通の歩兵が装備するとは思えない重火器をこれでもかというほど装備して、まだ体勢を立て直していないこちらに向かって突撃してきたのである。

 

「てっ、敵の突撃歩兵だ!!」

 

「撃て! 迎撃しろっ!!」

 

 多分、あれは突撃歩兵ではない。

 

 人類の中には屈強な身体を持つ種族がいる。吸血鬼やキメラを除けば、屈強な肉体を持つ種族はハーフエルフかオークという事になるだろう。その屈強な種族たちならばあんな重装備で全力疾走するのは容易いけれど、突撃歩兵の目的は敵の防衛線を突破して、後方にある敵の司令部や通信設備を破壊する事だ。いくら肉体が屈強でも、あんな重装備で防衛戦を素早く突破できるとは思えない。

 

 あの部隊は―――――――”殲滅部隊”なのだ。

 

 敵を1人残らず抹殺するための、テンプル騎士団の殲滅部隊に違いない。

 

 アサルトライフルよりもはるかに巨大な重機関銃を装備したオークの兵士が、雄叫びを上げながら12.7mm弾のフルオート射撃で、戦車の陰に隠れながら応戦していた別の分隊の兵士たちを薙ぎ払う。12.7mm弾に頭や手足を食い破られた兵士たちから血飛沫が吹き上がり、グチャグチャになった頭の一部がぶちまけられる。

 

 僕は反射的に近くの装甲車の陰に隠れて、そのオークの兵士を狙ってトリガーを引いた。3発くらい胴体に命中した筈だけど、そのオークの兵士は被弾したことに気付いていないかのように、雄叫びを上げたまま別の分隊へと突っ込んで行った。

 

 右側の脇腹から出血しているのは見えたんだけど、オークの兵士はたった3発の弾丸が被弾した程度では死なないというのか…………!

 

 ヴリシアの戦いでも、モリガン・カンパニーに所属するハーフエルフやオークで構成された『ハーレム・ヘルファイターズ』と呼ばれる部隊が活躍したという。そのハーレム・ヘルファイターズのハーフエルフの兵士は、5.56mm弾が胸板に命中したにもかかわらず、雄叫びを上げてスコップを振り上げながら突っ込んできたらしい。

 

 小口径の弾丸では、ハーフエルフやオークの兵士たちは食い止められない。

 

 だからこそブラド様は歩兵のアサルトライフルの弾丸を、より破壊力の大きい6.8mm弾に変更させたのだ。しかし、その6.8mm弾を発射できるXM8を装備した歩兵部隊は後方にいる。敵の殲滅部隊による攻撃を受けているのは、防衛線を素早く突破するために火力を二の次にした突撃歩兵である。

 

「く、くそ…………フレディ、こいつら被弾してるのに倒れないぞ!?」

 

「じゃあ頭を狙え!」

 

 マガジンを交換しながら弱音を吐くフランツに向かって怒鳴りながら、僕はセレクターレバーをフルオートからセミオートに切り替える。

 

 胴体に何発お見舞いしても倒れないというのなら、頭を狙って即死させるまでだ。

 

「こちら第8分隊! 主力部隊、応答願います! 敵の殲滅部隊の攻撃を受―――――――」

 

 ぐしゃ、とヘルメットもろとも頭蓋骨が砕け散る音が近くで聞こえた。

 

 すぐ近くで、後方の味方に救援を要請するために無線機を使っていた通信兵がいた筈だ。そいつのいる場所からその音が聞こえてきたことに気付いた僕は、慌ててセレクターレバーを元の位置に戻しつつ、左側を振り向く。

 

「ッ!」

 

 一緒に装甲車の残骸を盾にしながら応戦していた通信兵が、うつ伏せに倒れていたのが見えた。後頭部が抉れて頭蓋骨の断面と穴の開いた脳味噌が覗いており、無線機を握っていた手が痙攣しているのが分かる。まるで後頭部を砕かれた苦痛を感じながらもがいているように見えたけれど、その傷口は再生していなかった。

 

 その通信兵の傍らに立っていたのは――――――――銀の棘がいくつも取り付けられた棍棒を持った、敵のオークの兵士だった。でっかいヘルメットをかぶり、ガスマスクを装備した2mくらいの巨漢が、肉片のこびり付いたでっかい棍棒を持ったまま僕を見下ろしていた。

 

「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫しながらトリガーを引く。マガジンの中の弾丸を全部ぶち込んでもこの兵士が死ななかったら、九分九厘僕もあの通信兵と同じ運命を辿るだろう。あのでっかい棍棒で頭を叩き割られて、脳味噌と頭蓋骨の一部を覗かせながら殺されるに違いない。

 

 だから、僕はマガジンの弾がなくなるよりも先にこの兵士が倒れますようにと祈った。さっきフランツに「頭を狙え」と言ったというのに、すぐ近くにいる棍棒を持った兵士の頭を狙う余裕はなかった。とにかく弾丸をぶち込んで、一刻も早く殺さなければならないのだから。

 

 立て続けに4.6mm弾を喰らう羽目になったオークの兵士の巨体がぐらりと揺れる。マガジンの中が空になってしまったMP7A1を投げ捨てた僕は、左手をホルスターの中に突っ込んでコルトM1911A1を引き抜き、ガスマスクで覆われているその兵士の顔面に.45ACP弾を叩き込んだ。

 

 がくん、とでっかい頭が揺れる。仲間を叩き潰したオークの兵士はでっかい棍棒から手を離すと、そのまま後ろへと崩れ落ちていく。

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

「フレディ、無事か!?」

 

「な、何とか…………」

 

 投げ捨てたMP7A1を拾い上げ、空になったマガジンを引き抜く。ポーチの中から新しいマガジンを引き抜いてグリップの下に装着し、コッキングレバーを引きながら、僕は周囲を見渡した。

 

 敵の殲滅部隊と銃撃戦を始める羽目になった突撃歩兵たちは必死に応戦していたけれど、やっぱり屈強な身体の兵士たちを小口径の弾丸で食い止めるのは難しいようだった。胴体に被弾しているにもかかわらず肉薄したハーフエルフの兵士がマチェットを振り下ろして突撃歩兵を両断し、重機関銃を装備したオークの兵士がフルオート射撃で突撃歩兵をミンチにしていく。

 

 俺たちの分隊を指揮する分隊長も何とか生きていたらしく、コルトM1911A1のマガジンを交換しながら状況を確認しているようだった。

 

「―――――――第8分隊、後退する!」

 

 冷静な指揮官でよかった。

 

 多分、後方にいる指揮官だったら「ここで奴らを食い止める!」と言っていたに違いない。けれども、ここで敵の殲滅部隊を相手にするのは愚の骨頂だ。こっちは防衛戦を突破することに特化した部隊だけど、向こうは重装備の殲滅部隊である。銃撃戦ならどっちが有利なのかは火を見るよりも明らかだろう。

 

 それに、こっちはただでさえ数が少ないのだ。一旦後方に下がって主力部隊と合流し、あの殲滅部隊を迎え撃った方が損害は出ないだろう。

 

「運がいいな、俺たち」

 

「分隊長殿に感謝しよう」

 

 ニヤリと笑ってから、僕はフルオート射撃を殲滅部隊の兵士にお見舞いする。ある程度ぶっ放した後に今度はフランツが残骸の影から顔を出し、死んだ敵兵から奪ったと思われるアサルトライフル―――――――どうやら大口径の弾丸を使っているらしく、胴体に叩き込めばオークの兵士を数発で仕留められるらしい――――――――のフルオート射撃で敵兵を牽制する。

 

 僕はその隙に装甲車の残骸の影から躍り出ると、援護射撃をしてくれたフランツに礼を言ってから、仲間たちと共に後退を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Урааааааа!」

 

 雄叫びを上げながら、スパイク型銃剣を展開したAK-12を構えて突進する。MP7A1を装備した敵兵が必死にフルオート射撃で反撃してくるが、ボディアーマーを装備している上にキメラの外殻まで展開しているため、仮にアンチマテリアルライフルや重機関銃の12.7mm弾が被弾したとしても、俺には傷一つつかないだろう。

 

 そのまま敵兵に肉薄し、銀のスパイク型銃剣を胸板に突き立てる。右手で銃身を掴んで引き抜こうと足掻いている敵兵の胸板を7.62mm弾で粉砕して止めを刺し、腹を蹴飛ばして強引に銃剣を引き抜く。血で真っ赤に染まった銃剣を展開したままセレクターレバーをフルオートに切り替え、マウスの残骸の陰に隠れている敵兵へとフルオート射撃をお見舞いする。

 

 3人の敵兵のうち1人は倒したけれど、残った2人は戦死した強襲殲滅兵から奪ったAK-12を持っているらしい。大口径の弾丸を外殻で防ぎつつ、一旦銃剣を折り畳んで腰の後ろに下げ、鞘の中からお気に入りのテルミット・ナイフを引き抜く。

 

 姿勢を低くしながらマウスの残骸へと突っ走る。敵兵が鹵獲したAK-12で応戦してきたが、弾丸が大きいおかげで”反応しやすい”から、躱すのは朝飯前だ。

 

 身体を右へと傾けながら弾丸を回避し、加速して肉薄する。

 

『う、嘘だろ!? こいつ弾丸を避け―――――――』

 

 車体の上を駆け上がり、ひしゃげた砲身をジャンプ台にして一気にジャンプ。銃口を上へと向けた敵兵のAK-12を落下しながら蹴飛ばしつつ、その敵兵の喉元にテルミット・ナイフを突き立てる。

 

 強引にナイフを引き抜きつつ、その引き抜いたナイフを振り払う。ボウイナイフにも似たがっちりした刀身が何かを切り裂いた感触がした直後、すぐ近くで噴き上がった血飛沫がガスマスクにぶちまけられた。

 

 手でその鮮血を拭い去りつつ、マウスの残骸の後方にいた突撃歩兵の分隊へと襲い掛かる。MP7A1のフルオート射撃をナイフや外殻で弾き飛ばしながら肉薄し、姿勢を低くしたまま逆手持ちにしている左手のナイフを振り払う。脛を両断された兵士ががくんと体勢を崩した瞬間に反時計回りに回転しつつ、右足のブーツを敵兵へと向ける。

 

 その瞬間、俺の脹脛に装着されていたカバーのような部品から―――――――テルミット・ナイフと全く同じデザインの刀身が躍り出た。

 

 ラウラも同じように、両足にナイフを装備している。けれども彼女の両足のナイフはモリガン・カンパニーの工房が製造した特注品だ。俺が装備しているこのナイフは、俺の能力で生産した代物である。

 

 テルミット・ナイフと全く同じデザインとは言え、さすがにテルミット反応を起こした粉末を噴射する機能は搭載されていない。けれども切れ味はテルミット・ナイフと変わらないし、巨躯解体(ブッチャー・タイム)で切れ味を底上げすることも可能だ。

 

 がっちりしたナイフが吸血鬼の兵士の脇腹に突き刺さり、肋骨や腸を両断する。強引に引き抜き、刀身を展開したままその足を振り払って隣の兵士の喉元に突き立てる。そのナイフを引き抜くと同時に右手のテルミット・ナイフを投擲し、銃口をこっちに向けていた吸血鬼の眉間にナイフの刀身をプレゼントする。

 

 ナイフを収納しつつ姿勢を低くし、先ほど投擲したテルミット・ナイフをすぐさま回収。そのままナイフを鞘に戻してAK-12を再び装備し、撤退していく敵兵をセミオート射撃で狙撃する。

 

 アメリカ製のホロサイトとブースターを覗き込みながら、敵兵の背中や後頭部に風穴を開けていく。

 

 このまま応戦するつもりなのであれば簡単に殲滅できたのだが、どうやらこの突撃歩兵たちは一旦撤退し、後方の主力部隊と共に反撃するつもりらしい。

 

 優秀な指揮官だな…………。

 

「ステラ」

 

『はい』

 

「このまま追撃する」

 

『深追いするのですか?』

 

「ああ」

 

 この突撃歩兵たちに大損害を与えてやろうじゃないか。

 

「後方の部隊にも突撃するように指示を出してくれ」

 

『了解(ダー)』

 

 ステラの返事を聞いてから、俺は敵兵へと7.62mm弾をお見舞いするのだった。

 

 

 

 



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歩兵たちの死闘

 

 先制攻撃で大損害を被った突撃歩兵たちは、敵の防衛線を突破する前に撤退する羽目になった。

 

 本来の作戦ならば、味方の砲兵隊が毒ガス弾を発射して敵を混乱させている隙に、突撃歩兵が突撃して最終防衛ラインを突破し、テンプル騎士団の司令部や通信設備を破壊することになっていた。とはいえ、テンプル騎士団もブレスト要塞でマスタードガスが使用されたことを察知しているため、毒ガスによる攻撃の効果はブレスト要塞の時よりも劇的に低下するのは火を見るよりも明らかであった。

 

 そのため、マスタードガスを内蔵した砲弾が着弾した直後、突撃歩兵たちと共に進撃していた戦車部隊が攻撃を開始し、テンプル騎士団の守備隊に損害を与える予定になっていたのである。

 

 だが――――――――砲兵隊の砲撃よりも先に着弾した7発の砲弾が、吸血鬼たちの作戦を完全に狂わせた。

 

 MOAB弾頭を搭載した合計で7発の砲弾による先制攻撃で、突撃歩兵と戦車部隊が大損害を被ってしまったのである。

 

 撤退していく敵の突撃歩兵を追撃していく強襲殲滅兵たちを双眼鏡で眺めながら、スオミ支部のアールネは溜息をついた。先制攻撃で大損害を被った挙句、体勢を立て直していない敵に突撃したとはいえ、双眼鏡の向こうで奮戦するたった50名の強襲殲滅兵たちは倍以上の突撃歩兵たちを蹂躙していた。

 

 突撃歩兵たちは防衛戦を突破するために、通常の歩兵よりも軽装である。メインアームもPDWであるため、軽機関銃や重機関銃を当たり前のように装備して連射する強襲殲滅兵に勝てるわけがない。

 

(何だよ、もう逆転しちまったのか?)

 

 戦車のハッチの上で双眼鏡から目を離してから肩をすくめる。スオミ支部に所属するハイエルフの兵士たちは、防衛戦を最も得意としている。大昔にオルトバルカ王国騎士団が里へと侵攻してきた際は、少数の戦士たちで無数の騎士団と死闘を繰り広げ、侵攻してきた騎士たちに大損害を与えていたのである。

 

 防衛戦ならば、スオミ支部の兵士たちの独壇場なのだ。

 

 しかし、先制攻撃で大損害を被った敵を追撃することになったため、早くも”防衛戦”ではなく”侵攻”に変貌しつつある。

 

 このまま進撃すれば、突撃歩兵の後方にいる敵の主力部隊と戦うことになるだろう。その主力部隊を打ち破ることができれば、敵部隊は橋頭保にしたブレスト要塞まで撤退せざるを得なくなる。

 

 それに、明日になればモリガン・カンパニーと殲虎公司の大部隊が合流することになっているため、最低でもタンプル搭が明日までに陥落しなければ、テンプル騎士団はこの戦いに勝利することができるのだ。

 

「兄貴、俺たちまで侵攻するのか?」

 

「ああ」

 

「マジかよ。俺ら防衛戦しかやったことねえんだぞ?」

 

「経験を積むチャンスだ。いつまでも防衛戦ばっかりやってるわけにもいかねえだろ」

 

 スオミ支部で運用しているStrv.103の上に一緒に乗っている兵士にそう言いながら、アールネはRk-95の点検を始めた。

 

「それに、侵略してきたのは向こうの方だ。…………取り戻そうぜ、仲間たちの土地を」

 

「ああ、そうだな」

 

 腰に下げている水筒へと手を伸ばしながら、アールネは星空を見上げる。

 

 純白の線が夜空を切り裂き、その終着点で深紅の爆炎が産声を上げる。瞬く間に消え失せてしまう爆炎の中から落ちてくるのは、現代戦の主役(ミサイル)に喰らい付かれて木っ端微塵にされてしまった、哀れな戦闘機たちの残骸。

 

 ミサイルで敵のラファールを木っ端微塵にしたのは、敵の機関砲や空対空ミサイルをあっさりと躱しながら飛翔する純白のグリペン。主翼にスオミ支部のエンブレムが描かれたそのグリペンが、味方のビゲンの背後に回り込もうとしていたF-35Aの胴体を穴だらけにして撃墜し、ソニックブームを纏いながら次の標的へと狙いを定めていく。

 

 そのグリペンには、未だに傷は1つも付いていなかった。

 

(頑張れよ、イッル)

 

 弟が操る純白の戦闘機を見上げてから、アールネは拳を握り締める。

 

 最終防衛ライン上空で繰り広げられている空戦でも、テンプル騎士団の航空隊が有利であった。吸血鬼たちの航空部隊もタンプル砲から放たれた地対空キャニスター弾で大損害を受けた状態であり、たった1発の砲弾で虎の子のステルス機を何機も撃墜されていたのである。

 

 いくらテンプル騎士団のパイロットよりも練度が高いパイロットが多いとはいえ、戦力を減らされた状態で3人もエースパイロットがいる航空隊に襲撃されれば勝ち目はない。上空の空戦でテンプル騎士団が勝利するのも時間の問題と言えた。

 

 しかし、現時点で一番不利なのは海軍だろう。

 

 艦の数では勝っているものの、吸血鬼側は高性能なイージス艦を何隻も投入している。それに対し、テンプル騎士団海軍が運用している艦の中にイージスシステムを搭載している艦は1隻もないため、飽和攻撃を実施しても大打撃を与えることができないのである。しかも後方に待機していたビスマルク級からの超遠距離攻撃によって既に超弩級戦艦を轟沈させられていたのだ。

 

 倭国支部からの援軍が到着すれば、彼らが攪乱している隙に反撃することはできるだろう。しかし、持ちこたえられなければ敵艦隊が河へと突入し、有利になりつつある陸軍と空軍にミサイル攻撃と艦砲射撃をお見舞いすることになるのは想像に難くない。

 

 艦隊を支援するため、タンプル搭や河で待機しているアドミラル・クズネツォフ級空母『ノヴゴロド』から対艦ミサイルを搭載した航空機が出撃しているため、最初の一斉攻撃よりも数は少なくなるものの、もう一度飽和攻撃を実施することはできるだろう。

 

 海軍が負ければ、空軍と陸軍が窮地に陥る羽目になるのだ。

 

 進撃していく戦車の上で、アールネは唇を噛み締めながらもう一度双眼鏡を覗き込んだ。

 

 戦車部隊の先頭を進むのは、全ての重要拠点から出撃してきた虎の子の超重戦車(シャール2C)部隊。増産された2両の”後期型”を含めた12両の怪物たちが、逃げていく敵の突撃歩兵たちを全速力で追撃している。

 

 この超重戦車の主砲が火を噴く前に突撃歩兵が全滅するのではないかと思いながら、アールネはシャール2Cの巨体を見つめた。

 

「…………なあ、エンシオ」

 

「何だ?」

 

「団長(コルッカ)に頼んだら、スオミ支部にもあのでっかい戦車を配備してくれるかな?」

 

「兄貴、里には滅茶苦茶雪が降るんだぜ? 雪に埋まるのが関の山だ」

 

「そうだよなぁ…………」

 

 スオミ支部に配備されている戦車は、彼らが乗っているStrv.103とレオパルト2である。どちらも高性能な戦車であるため、里に攻め込んできた盗賊や魔物の群れを瞬殺するのは当たり前なのだが、スオミ支部にはパリ砲を改造した”スオミの槍”以外の決戦兵器が配備されていない。

 

 スオミの槍を使用する際には、長老の承認が必要になる。そのため、タンプル砲のように設備に損害を出すほどの衝撃波は出さないものの、使い勝手が悪かったのだ。

 

 シャール2Cならば”使い勝手のいい切り札”になるかもしれないと思ったが、アールネは里の周囲を常に覆っている雪を思い出して苦笑いした。あんな重装備の巨大な戦車を雪原に放り込めば、すぐに埋まってしまうのが関の山である。

 

 戦車の中から、車長を担当するエンシオの笑い声が聞こえてくる。キャノピーの中で笑っていたエンシオを見下ろしながら肩をすくめたアールネは、水筒の蓋を開けて少しばかり水を飲んでから、もう一度星空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対戦車榴弾が直撃したM1128ストライカーMGSから、火柱が吹き上がった。装甲に開けられた大穴の向こうで燃え盛る炎が、吸血鬼の乗組員たちを容赦なく焼き殺していく。けれども、あの炎さえ消えれば吸血鬼の身体は再生するだろう。彼らの身体を焼いている炎は、彼らの弱点ではないのだから。

 

 今しがた発射した対戦車榴弾が穿った大穴の向こうからは、焼き殺されている吸血鬼たちの絶叫が聞こえてくる。溜息をついてから水銀の入った対吸血鬼用手榴弾を取り出した俺は、安全ピンを引き抜いてから、それを装甲に開いた穴の中へと放り込み、大慌てでM1128ストライカーMGSの近くから離れる。

 

 砲弾が誘爆し、木っ端微塵になるのは時間の問題だろう。けれども、木っ端微塵になって使い物にならなくなってしまうのは兵器だけだ。弱点を使うか、再生能力が機能しなくなるほど攻撃を続けない限り、吸血鬼の兵士たちは木っ端微塵になっても”使い物にはなる”のだから。

 

 放り込んだ手榴弾が炸裂し、炎が暴れ回っている車内に破片と水銀の雫をばら撒く。衝撃波で押し出された水銀の斬撃が火達磨になっていた乗組員たちに止めを刺したらしく、乗組員たちの絶叫は全く聞こえなくなった。

 

 突っ走りながら予備の対戦車榴弾をRPG-7に装填し、背中に背負う。まだ敵の戦車や装甲車が残っているものの、強襲殲滅兵たちに肉薄され、砲塔のハッチからこれでもかというほど手榴弾を投げ込まれて破壊されたり、対戦車榴弾の集中砲火で次々に火柱と化しているようだった。

 

 火柱と化したM2ブラッドレーから飛び出してきた乗組員たちに照準を合わせ、AK-12のセミオート射撃で止めを刺していく。黒焦げになった頭を粉砕された吸血鬼の兵士が、身体を痙攣させながら灰色の砂漠の上に崩れ落ちる。

 

 ベークライト製のマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着。コッキングレバーを引いて次の標的を探そうと思ったその時、俺は反射的にその火達磨になったM2ブラッドレーの残骸の陰に隠れた。

 

 その直後、砂漠の向こうから飛来した無数の銃弾の雨が、装甲に弾かれる音を奏で始める。数多の弾丸が装甲に命中して跳弾していく音を聞きながら、そっと残骸の向こうから銃弾をぶっ放してくるクソ野郎の様子を確認する。

 

「MG3…………ッ!」

 

 バイポッドを装備した吸血鬼の射手が、ドイツ製LMGのMG3で俺を狙っているらしい。MG3はLMGの中でもトップクラスの連射力を誇る上に、使用する弾薬も大口径の7.62mm弾となっている。圧倒的な連射速度と破壊力を兼ね備えた代物と言うわけだ。

 

 キメラの外殻なら防げるものの、さすがに外殻を使って硬化していない時に被弾してしまったら蜂の巣にされていたかもしれない。

 

 外殻を使って強行突破するべきだろうかと考えていると、後方から飛来した弾丸の群れが、MG3の射手を支援していた突撃歩兵の頭をヘルメットもろとも食い破った。脳味噌の破片や頭蓋骨の残骸が弾け飛び、傍らで射撃を続けていた射手のヘルメットにぶちまけられる。

 

 いきなり傍らにいた味方の頭が木っ端微塵になってぎょっとしたらしく、一瞬だけMG3の連射が止まった。狼狽した敵の射手がトリガーから指を離してしまった隙に残骸から飛び出し、3点バーストに切り替えたAK-12で反撃する。

 

「がぁっ…………!」

 

 頬と鼻と眉間に7.62mm弾を叩き込まれた兵士が、血飛沫を吹き上げて機関銃のグリップから手を離す。弱点の銀の弾丸を叩き込まれたため、耐性がない限りは再生することはないだろう。

 

 弱点で攻撃されれば、基本的に吸血鬼は普通の人間のように死ぬのだ。便利な再生能力で誤魔化していた筈の”死”が、瞬く間に彼らの命を奪うのである。

 

 ちらりと後ろを見てみると、がっちりしたバイポッドを展開したKord重機関銃の射手が見えた。でっかいマズルブレーキが装着された重機関銃はアサルトライフルを上回るほどでっかいというのに、それを構えている射手の身体はかなり小柄だ。

 

「ありがとよ、ステラ」

 

「タクヤを死なせるわけにはいきませんから」

 

 重機関銃を肩に担ぎながらやってきたのは、サキュバスの最期の生き残りであるステラ。幼女としか言いようがないほど幼い姿をしているにもかかわらず、重機関銃どころか空母や戦闘機に搭載するためのガトリング機関砲まで軽々とぶっ放してしまう力を持っている幼女だ。

 

 彼女が装備しているKord重機関銃は、12.7mm弾ではなく14.5mm弾が発射できるように改造されているため、下手をすればアクティブ防御システムのターレットを破壊することもできるのだ。

 

 彼女と一緒に突っ走り、先ほど仕留めた射手の所へと向かう。ちゃんと射手が死んでいることを確認してから先へと進もうと思ったが、彼が使っていたMG3を見下ろした瞬間、俺はニヤリと笑った。

 

 AK-12のマガジンを節約できるかもしれない。

 

 左手を前に突き出してメニュー画面を表示し、生産のメニューをタッチ。銀の7.62mm弾だけを生産して装備しつつ、射手たちの血が付着したMG3を拾い上げる。装着されているベルトを取り外してから上部にあるカバーを開き、今しがた生産した銀の弾丸が入ったドラムマガジンを装着。ベルトをカバーの中に突っ込んでからカバーを閉じ、射手が持っていた予備の銃身も拝借しておく。

 

 銀の弾丸に変更したから、これで吸血鬼共にも通用するだろう。とはいえMG3そのものはおそらくブラドが生産した代物だから、あいつが武器を鹵獲されていることに気付けば装備をすぐに解除するだろう。そうすれば、ドラムマガジンと弾薬以外は消滅してしまう。

 

 とはいえ、気付けるとは思わないけどね。

 

「タクヤ、前方」

 

「はいよッ!」

 

 応戦してくる突撃歩兵たちの生き残りが、俺たちに4.6mm弾のフルオート射撃をぶっ放してくる。周囲にある遮蔽物はレオパルト2の残骸程度だけど、隠れるよりもこのまま進撃した方が早いのは火を見るよりも明らかだった。

 

 ステラを庇いつつ外殻で全身を硬化させ、左手でキャリングハンドルを握る。そのままトリガーを引いた瞬間、でっかい銃口から猛烈なマズルブレーキが躍り出た。

 

 他のLMGを遥かに上回る速度で、弾丸と空の薬莢が飛び出していく。熱とマズルフラッシュの残滓を纏った銀の7.62mm弾たちが冷たい風の中を駆け抜けていき、こっちにフルオート射撃を続けていた突撃歩兵のうちの1人に喰らい付く。胸板を砕かれて鮮血を吹き上げた兵士が、悲鳴を上げながら近くの遮蔽物の影へと転がっていった。

 

 多分、あいつはまだ生きてるだろう。接近したら止めを刺さなければならない。

 

『くそ、フランツがやられた!』

 

『しっかりしろ、フランツ!』

 

『くそ…………反撃しろ、フレディ!』

 

 彼らが隠れていた戦車の残骸の影から、顔を出した若い吸血鬼の兵士がMP7A1で反撃してくる。予想以上に正確な射撃だったけれど、俺に命中した弾丸は外殻を貫通することはできなかったらしく、全て跳弾する音を奏でながら砂漠の向こうへと飛んで行ってしまった。

 

 こっちもMG3で反撃するが、もうドラムマガジンの中には弾が残っていないに違いない。

 

 トリガーを引いたけれど、案の定、マズルフラッシュがすぐに消えてしまった。

 

「くそったれ」

 

 ドラムマガジンを取り外し、新しいドラムマガジンを装着する。銀の弾丸が連なったベルトをカバーの中に入れてコッキングレバーを引き、再びフルオート射撃を始めた。

 

 もう一度あの若い吸血鬼の兵士が顔を出して反撃してきたが、外殻で覆われている俺にダメージを与えることはできない。

 

 そのまま連射を続けつつ前進していく。俺の後ろにいるステラも、14.5mm弾でフルオート射撃を始めたらしく、やけにでっかい火花が戦車の残骸の葉面で煌き始めた。対戦車ライフルの弾丸にも使われていた大口径の弾丸なのだから、命中すれば確実に死ぬだろう。

 

 機関銃を装備した2人の兵士がフルオート射撃を始めたせいで、あの狙いが正確な若い兵士も反撃することができなくなったらしい。ステラも一緒に射撃を始めてからは、一発も弾丸が飛んでこなくなってしまう。

 

 そろそろ弾がなくなるだろうと思った俺は、MG3を投げ捨ててAK-12を構えた。まだあの兵士たちは戦車の陰に隠れているに違いない。まだ戦うつもりならば、死に物狂いで攻撃してくるだろう。

 

 ちらりと後ろを振り向いてステラに「援護を頼む」と言ってから――――――――俺はその戦車の影へと突っ走った。もちろん外殻は展開したままなので、仮に被弾したとしてもさっきのように弾くことができるだろう。さすがに大口径の砲弾を叩き込まれれば弾くことはできないが、軽装の突撃歩兵たちがでっかい機関砲を装備しているわけがない。

 

 スパイク型銃剣を展開したAK-12を構え、敵兵が隠れている筈の戦車の影へと躍り出る。

 

 戦車の影には、やっぱりオリーブグリーンの軍服に身を包んだ兵士たちが隠れていた。けれども隠れていた兵士たちは、先ほど反撃するのに使っていたMP7A1を投げ捨てて両手を上げており、反撃してくる様子はなかった。

 

 両手を上げていないのは先ほど負傷したフランツという兵士と、その兵士の手当てをしている若い兵士だけだ。

 

『…………降伏する』

 

『降伏?』

 

 幼い頃に習ったヴリシア語で聞き返すと、分隊長と思われる中年の吸血鬼が首を縦に振った。

 

 吸血鬼たちはプライドの高い種族だから、てっきり最後まで抵抗を続けるのだろうと思っていたけれど、彼らは勝ち目がないと判断したらしい。

 

『…………分かった。受け入れるから安心しろ』

 

 悔しそうな顔をしている若い兵士たちの顔を見つめながら、ヴリシア語でそう告げた。

 

 

 

 

 



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本当の初陣

 

 フランセン共和国や植民地のカルガニスタンのすぐ近くに広がるウィルバー海峡の向こうには、吸血鬼たちが拠点にしていたヴリシア帝国がある。巨大な島国であり、強力な騎士団を持つ列強国の1つだが、産業革命によって”工業”という新しい力を身につけたオルトバルカ王国にあっさりと引き離されてしまっているため、もし仮にオルトバルカ王国と戦争になれば敗北するだろうと言われている。

 

 そのヴリシア帝国とフランセン共和国の間に広がるウィルバー海峡をひたすら東へと進んでいくと――――――――小さな島国がある。

 

 かつては周辺の海域に凶悪な魔物が生息するダンジョンがあったため、各国の船が近づくことができなかった島国である。しかし、産業革命によって従来の帆船が続々と退役し、その代わりに鋼鉄の装甲で守られた装甲艦や戦艦が騎士団の運用する軍艦として航海をするようになってからは、装甲艦に搭載されたスチーム・カノン砲によって容易く魔物を討伐することができるようになったため、多くの列強国の軍艦が、が魔物たちによって強制的に”鎖国”させられていた島国へとたどり着くようになった。

 

 今では旧幕府軍との戦いに勝利した新政府軍が政府を作り上げ、オルトバルカ王国の技術を積極的に取り入れて国を成長させている。

 

 その島国(倭国)の北にある”エゾ”から、3隻の巨大な艦が旅立っていった。

 

 現時点で、各国の騎士団が運用している戦艦の中で”最強の戦艦”と言われているのは、オルトバルカ王国のクイーン・シャルロット級一番艦『クイーン・シャルロット』と言われている。連装型の20cmスチーム・カノン砲を前部甲板と後部甲板に1基ずつ搭載した戦艦であり、分厚い装甲と強力なフィオナ機関を搭載しているため、機動力と防御力も異世界の戦艦の中では最高クラスである。

 

 オルトバルカ王国では、もう既にクイーン・シャルロット級二番艦『ブリストル』を運用しており、各地で魔物の掃討や上陸した騎士たちの支援を行っている。「投入するだけで絶対に勝利できる」と言われるほど強力な戦艦であるものの、最強のクイーン・シャルロット級ですら全長はたった56mだ。

 

 エゾから旅立った3隻の艦の大きさはバラバラだったが、その3隻の大きさはクイーン・シャルロット級を遥かに上回っていた。

 

 単縦陣の最後尾を航行するのは、一見すると空母のように見える艦である。3隻の中では最も船体が大きく、その船体の右側に巨大な艦橋が鎮座しており、甲板の上にはずらりとヘリが並んでいるのが見える。しかし戦闘機は甲板の上には1機も並んでおらず、艦尾にはウェルドックのハッチもあるため、空母ではなく”強襲揚陸艦”であることが分かる。

 

 その強襲揚陸艦は、『ワスプ級』と呼ばれるアメリカの艦であった。

 

 テンプル騎士団ではフランスのミストラル級を運用しているが、倭国支部ではアメリカのワスプ級を運用しているのである。甲板の上には対戦車ミサイルを搭載した『AH-1Wスーパーコブラ』の群れがずらりと並んでおり、整備兵やパイロットたちが点検を続けていた。

 

 ワスプ級の前を航行するのは、巨大な船体の上に巨大な砲塔を搭載した戦艦であった。前部甲板と後部甲板に巨大な36cm連装砲を2基ずつ搭載しており、その連装砲の間にはがっちりした艦橋と煙突が鎮座している。一見すると第二次世界大戦の際に活躍した戦艦のようにも見えるが、搭載されていた筈の副砲は撤去されており、第二砲塔と第三砲塔の両脇には、イージス艦に搭載されている速射砲が1基ずつ装備されている。艦橋の両脇にはずらりと対艦ミサイルが装填されたキャニスターが並んでおり、対空用のミサイルが搭載されたキャニスターやCIWSも煙突の脇に並んでいた。

 

 単縦陣で航行する3隻の真ん中を航行しているのは、太平洋戦争で日本海軍が運用していた戦艦『金剛』であった。日本軍が運用した超弩級戦艦の中では最も火力が低いものの、戦艦の中では最高クラスの速度を誇っており、太平洋戦争では他の3隻の同型艦と共に大きな戦果をあげている。

 

 優秀な戦艦のうちの1隻であるものの、これからその3隻の艦隊が戦うことになる敵艦隊はイージス艦や近代化改修を受けた超弩級戦艦の群れである。いくら優秀な速度を誇る金剛でも遠距離から対艦ミサイルを叩き込まれればあっという間に撃沈されてしまうため、テンプル騎士団倭国支部が保有する金剛は近代化改修を受けていた。

 

 少なくとも、遠距離から発射されたミサイルであっさりと撃沈されることはないだろう。

 

 そして単縦陣の先頭を進むのは――――――――テンプル騎士団が保有する、”唯一のイージス艦”であった。

 

 前部甲板にはミサイルを発射するためのVLSと速射砲を搭載しており、艦橋には接近してくるミサイルや敵の航空機を迎撃するためのCIWSが装備されている。がっちりした艦橋の後方にある後部甲板にも、ミサイルを発射するためのVLSが搭載されている。

 

 艦隊の先頭を航行するのは、日本の海上自衛隊で運用されているイージス艦の『こんごう』であった。

 

 アメリカ軍に配備されているアーレイ・バーク級をベースにした日本のイージス艦であり、接近してくるミサイルを凄まじい命中精度のミサイルや砲撃で迎撃できるだけでなく、高性能なソナーと対潜装備も兼ね備えているため、海中から襲い掛かってくる潜水艦もすぐに攻撃する事が可能なのだ。

 

 艦隊の中央を航行する戦艦『金剛』から名前を受け継いだ『こんごう』が、現時点では倭国支部艦隊の旗艦ということになっていた。

 

「倭国領海を離脱。ウィルバー海峡まで4時間」

 

「了解した」

 

 艦橋にいる乗組員の報告を聞いた柊は、首に下げていた双眼鏡を覗きこんで海の向こうを眺めた。敵を発見したというわけではなく、ただ単に双眼鏡を覗き込んだだけである。第一、イージス艦には高性能なレーダーが搭載されているため、双眼鏡で敵を確認するよりもはるかに早く敵を察知する事が可能なのである。

 

 テンプル騎士団倭国支部の支部長となった柊は、双眼鏡から目を離してから目を瞑った。

 

 三大勢力の中で最も規模が小さい上に練度も低いとはいえ、本部の兵士たちの錬度は倭国支部の兵士と比べると遥かに高い。倭国支部の兵士たちが盗賊団の討伐や魔物の掃討しか経験していないのに対し、テンプル騎士団本部の兵士たちは”第二次転生者戦争”を経験しており、少しずつ成長しているのである。

 

 間違いなく今回の吸血鬼たちの春季攻勢(カイザーシュラハト)も、転生者戦争に匹敵するほどの激戦となるだろう。倭国支部が設立されたばかりの頃と比べると、艦隊―――――――とはいえたった3隻だけである―――――――を運用できるほどの規模に成長したとはいえ、倭国支部の錬度はまだ低い。下手をすれば奮戦している本部の部隊の足手まといになってしまう可能性もあるのではないかと思った柊は、攻撃を受けている本部に部隊を派遣する手続きをしながら、本部に断られてしまうのではないかと考えていた。

 

 しかし、襲撃を受けている本部は柊の申し出を断らなかった。

 

(これが初陣だ…………!)

 

 魔物との戦いならば何度も経験しているが、現代兵器で武装した転生者との戦闘は未だに経験したことがない。この作戦に参加する倭国支部の兵士たちにとっては、この戦いこそが本当の”初陣”となる。

 

 艦橋の中で息を呑みながら、本部との通信で確認した状況を思い出す。

 

 今のところ、一番不利なのは海軍だという。飽和攻撃を実施して数隻のアーレイ・バーク級の撃沈に成功するものの、未だに7隻のアーレイ・バーク級が残っており、丁字戦法で旗艦ジャック・ド・モレーへの集中砲火を始めた3隻のビスマルク級戦艦と共に、テンプル騎士団艦隊へと猛攻を続けているという。

 

 しかもその後方には、圧倒的な射程距離と、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦を一撃で轟沈させるほどの破壊力を秘めた謎の兵器を搭載したビスマルク級や空母も待ち構えているため、このままではテンプル騎士団艦隊は敵艦隊の丁字戦法で戦力を削り取られ、後方のビスマルク級の攻撃で狙い撃ちにされてしまう。

 

 テンプル騎士団艦隊を圧倒している吸血鬼たちの艦隊の陣形は隙が無いが、柊は敵艦隊の陣形の弱点を既に発見していた。

 

 ―――――――戦艦やイージス艦を始めとする艦を、前方に配置し過ぎているのである。

 

 敵艦隊の切り札は、間違いなく後方に鎮座するビスマルク級に搭載された”謎の兵器”であることは火を見るよりも明らかだ。イージス艦を丁字戦法を敢行している3隻の戦艦の後方に配置することでテンプル騎士団艦隊のミサイル攻撃を封じているため、後方にいるビスマルク級や空母は堂々とテンプル騎士団艦隊を攻撃することができるというわけだ。

 

 つまりテンプル騎士団艦隊が敵艦隊に勝利するためには、まず目の前にいる3隻のビスマルク級を撃破し、7隻のイージス艦を突破してから、後方の艦隊の攻撃を回避しつつ射程距離まで接近しなければならないのである。

 

 敵艦隊の旗艦へと攻撃を仕掛ける頃には、ミサイルを使い果たしている上にテンプル騎士団艦隊が満身創痍になっているのは想像に難くない。

 

 だが―――――――敵艦隊の陣形は、”正面から攻撃してくる敵艦隊を攻撃することに特化”した陣形であるため、側面や後方から攻撃を受けることを全く想定していないのである。旗艦を護衛するためなのか、2隻の近代化改修型の重巡洋艦もいるものの、たった2隻の巡洋艦では後方から飽和攻撃をお見舞いされた際に旗艦を守り切ることは難しいだろう。

 

 そこで、柊は地上部隊を乗せたワスプ級を本部の部隊の支援に向かわせ、こんごうと金剛の2隻で敵艦隊の後方に鎮座する艦隊の旗艦と空母へと奇襲を実施することにした。

 

 たった2隻で5隻の敵艦隊に攻撃を仕掛けるのは正気の沙汰とは思えない作戦だが、上手くいけば敵艦隊の旗艦を”謎の兵器”もろとも撃沈することができるだろう。撃沈する事が出来なくても、その”謎の兵器”を破壊すれば味方艦隊の損害を防ぐことができる。仮にどちらも失敗したとしても、後方からいきなり攻撃を受けた敵艦隊は慌てふためく筈だ。

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司の二大勢力が参戦するのだから、上手くいけば敵艦隊は奇襲を敢行するこんごうと金剛の攻撃を、モリガン・カンパニー艦隊の攻撃と勘違いして混乱してくれるだろう。

 

 海戦に勝利することができれば、河へと戻って敵の地上部隊へ艦砲射撃をお見舞いできる筈だ。敵の航空部隊が攻撃してきても、テンプル騎士団が保有する唯一のイージス艦であるこんごうならば、容易く撃墜することができるのである。

 

「よし、俺はCICに行ってくる」

 

「了解です、支部長」

 

 艦橋にいた乗組員に告げてから、彼は艦橋を後にする。

 

 テンプル騎士団本部の団員たちは様々な種族で構成されているのが特徴である。人間やエルフだけでなく、数が少ない吸血鬼や、サキュバスの唯一の生き残りの団員まで所属しているのだ。

 

 しかし、倭国支部は人間の団員たちばかりで構成されている。他の種族の団員たちも数人だけ所属しているものの、彼ら以外の兵士たちは全員人間なのだ。ちなみに先ほど艦橋にいた乗組員たちは、ボシン戦争で敗北した旧幕府軍の敗残兵たちである。倭国を支配した新政府軍に抵抗を続けるために攻撃の準備をしようとしていたところを柊が説得し、テンプル騎士団へと引き入れたのだ。

 

 通路の中で息を吐きながら帽子をかぶり直した彼は、CICへと向かって歩いて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撃て(アゴーニ)ッ!」

 

「発射(アゴーニ)!」

 

 砲手の座席に座るイリナが復唱した直後、チョールヌイ・オリョールに搭載された152mm滑腔砲が火を噴いた。彼女が覗き込んでいる照準器の向こうへと炎を纏った砲弾が飛翔していき、外殻を脱ぎ捨ててから近代化改修型のマウスの側面へと突き刺さる。

 

 ヴリシアの戦いまでは、テンプル騎士団の運用する主力戦車(MBT)はアメリカ製のエイブラムスやイギリスのチャレンジャー2であった。どちらも最高クラスの性能を誇る極めて優秀な戦車であったが、その優秀な戦車たちを一蹴できるほどの火力を防御力を併せ持った超重戦車(マウス)を配備していた吸血鬼たちによって、テンプル騎士団の戦車部隊は大損害を被る羽目になった。

 

 そこでテンプル騎士団は、恐るべき近代化改修型の超重戦車を撃破するために、主砲を大口径の152mm滑腔砲に換装したチョールヌイ・オリョールを運用することにしたのである。さすがに近代化改修型マウスの砲撃を防ぐことは不可能だが、マウスと比べると小回りが利く上に、主砲は側面の装甲であれば貫通することができたため、航空部隊による攻撃や艦砲射撃を要請しなくても戦車部隊のみでマウスを撃破できるようになったのだ。

 

 とはいえ、団員たちの生存率を底上げするために全ての車両にアクティブ防御システムを標準装備している上に、チョールヌイ・オリョールはコストの高い戦車であるため、チョールヌイ・オリョールは一部の部隊にしか配備されていない。

 

 ナタリアが指揮を執る”ドレッドノート”から放たれたAPFSDSが、タンプル砲と36cm要塞砲の砲撃から生き延びた幸運なマウスの砲塔の側面に容赦なく突き刺さる。マウスを撃破する事を想定した152mm滑腔砲の砲弾は分厚い装甲を易々と貫通すると、装甲もろとも砲手の肉体を食い破って自動装填装置を直撃し、砲身へと装填される予定だった多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を撃ち抜く。

 

 160mm滑腔砲から解き放たれる筈だった多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が爆発し、砲塔の中を爆炎で食い破る。車内のモニターで様子を確認していた車長の肉体をあっという間に焼き尽くした爆炎は砲塔のハッチを突き破ると、巨大な砲塔の上にちょっとした火柱を生み出した。

 

「命中!」

 

「さすがイリナちゃん! もう1発お見舞いしてちょうだい!」

 

「はーいっ!」

 

 指示を出しながら、ナタリアはタンプル砲の砲弾が着弾したのを目の当たりにしたイリナが、幸せすぎて気を失っていた事を思い出してしまう。

 

 どういうわけか爆発を好む彼女は、自分の使う銃を全て爆発する砲弾や炸裂弾を発射できる武装のみで統一している。しかも魔術まで爆発する魔術だけ習得しており、初歩的なファイアーボールは使えないという。

 

 MOAB弾頭を搭載した砲弾の爆発を目の当たりにしたイリナは、その爆炎を照準器で覗き込んでから、「にゃー…………♪」と言いながら気絶してしまったのである。

 

 自動装填装置が巨大なAPFSDSを砲身へと装填していくが、砲撃準備が整うよりも先に、後方から飛来した数発の対戦車ミサイルが手負いのマウスの正面装甲に立て続けに喰らい付き、そのままマウスを擱座させてしまう。先ほどイリナの砲撃が食い破った風穴や主砲の砲身の付け根から黒煙が吹き上がり、ハッチから火達磨になった乗組員たちが躍り出る。

 

 後続のT-90やチョールヌイ・オリョールたちが、一斉に対戦車ミサイルを放ったのだ。いくら分厚い装甲を装備しているとはいえ、対戦車ミサイルをこれでもかというほど叩き込まれれば防ぎ切るのは不可能である。

 

 しかもタンプル砲や”副砲”による砲撃の爆風でアクティブ防御システムが機能していなかったらしく、ミサイルは全て正面装甲へと命中していた。

 

「あ、獲物を横取りされちゃった…………!」

 

「落ち着いてください、同志イリナ。獲物はまだまだいますよ」

 

「ふふふっ…………じゃあ、僕が全部吹っ飛ばしてやる♪」

 

 強襲殲滅兵の1人として最前線で戦っているステラの代わりに操縦士を担当しているのは、ハイエルフの少女の『ターニャ』という少女だった。年齢はナタリアと同い年であり、ヴリシアの戦いの前にテンプル騎士団によって保護された奴隷のうちの1人である。

 

 訓練を受けてテンプル騎士団の一員となったターニャは戦車の操縦士としてヴリシアの戦いにも参加し、仲間と共に傷だらけのエイブラムスを操縦してヴリシアの戦いから生還した数少ないベテランなのだ。

 

 長い金髪の中から突き出た自分の白い耳を指で撫でた彼女は、モニターを覗き込みつつ重装備の戦車を前進させていく。先ほど撃破されたマウスの脇を通過した瞬間、戦車部隊の先頭を進んでいたシャール2Cの1号車『プロヴァンス』の放った2発のAPFSDSが、後退しながら砲撃し続けていたレオパルトの砲塔を抉り取った。

 

 複合装甲やターレットもろとも砲塔を捥ぎ取られたレオパルトの車体は、黒煙と火花を吹き上げながら停止してしまう。

 

 マウスを撃破する事を想定した武装であるため、通常の戦車とは威力が桁違いなのだ。しかもチョールヌイ・オリョールと搭載している主砲は同じだが、向こうは”連装砲”である。

 

 巨大なシャール2Cの周囲を走りながら逃げていく歩兵たちを37mm戦車砲で吹き飛ばしているのは、同じく無人戦車であるルスキー・レノの群れだった。装甲が薄い上に武装の火力も低いが、あくまでも歩兵の集団を攻撃するための兵器である。敵の戦車と戦う場合は後退させ、代わりにテンプル騎士団の戦車部隊が前進することになっているのだ。

 

 撤退していく突撃歩兵たちをモニターで見つめていたナタリアは、その突撃歩兵たちの向こうに巨大な戦車の群れが鎮座していることに気付いた。

 

 通常の戦車よりも巨大なキャタピラが搭載された車体の上に鎮座しているのは、従来の戦車をあっさりと吹っ飛ばしてしまうことができるほどの破壊力を誇る戦車砲が搭載された砲塔である。

 

「マウス…………!」

 

「あははっ、獲物だねぇ♪」

 

「同志ナタリア、敵の本隊です」

 

「ええ…………!」

 

 突撃歩兵による攻撃が失敗したため、彼らが防衛戦を突破した後に突撃する予定だった本隊が前進してきたのだろう。

 

 戦力はテンプル騎士団の7分の1だが、練度はテンプル騎士団よりも上だろう。

 

「強襲殲滅兵を一旦後退させて」

 

「了解(ダー)」

 

 いくら屈強な強襲殲滅兵でも、敵の戦車砲で砲撃されればあっという間に壊滅してしまうのは想像に難くない。

 

 モニターの向こうに姿を現したマウスの隊列を睨みつけながら、ナタリアは唇を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 おまけ 

 

 料理が上手いのは誰?

 

タクヤ「そういえば、この中で料理が上手い人って誰? 母さんかな?」

 

ラウラ「ふにゅー………私はあまり自信ないなぁ…………」

 

エミリア「いや、私よりもフィオナの方が上手いぞ?」

 

フィオナ『ありがとうございますっ♪ …………でも、モリガンの関係者の中で一番上手いのは李風(リーフェン)さんだと思いますよ?』

 

タクヤ&ラウラ「え?」

 

リキヤ「1人ですぐに満漢全席作れるんだぞ、あいつ。殲虎公司の本部に行く度に作ってくれるんだよな」

 

タクヤ(まっ、ま、満漢全席ぃ!?)

 

 完

 

 

 



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超重戦車たちの進軍

 灰色の砂漠の向こうから前進してくる軍勢の先頭を進むのは、分厚い装甲に覆われた巨躯の隊列だった。歩兵どころか装甲車や戦車まで踏み潰すことができるのではないかと思ってしまうほど巨大なキャタピラが搭載された車体の上には、従来の戦車よりも巨大な砲塔が鎮座しており、その正面からは太い砲身が伸びているのが分かる。

 

 巨大な砲塔の上に乗っているのは、対戦車ミサイルを迎撃するために搭載されたアクティブ防御システムのターレット。分厚い装甲を搭載しているというのに、ミサイルを迎撃できる装備まで搭載しているため、対戦車ミサイルの攻撃だけで撃破するのは至難の業だろう。

 

 反撃で大損害を何度も被り、テンプル騎士団の兵力の7分の1まで減ってしまったとはいえ、敵の本隊には未だに30両ほどの近代化改修型マウスと、40両のレオパルト2が残っていたようだ。

 

 砂漠にキャタピラの跡をこれでもかというほど刻みつけながら進軍してくる戦車たちを双眼鏡で眺めながら舌打ちをし、後続の強襲殲滅兵に合図を送って進撃を止めさせる。

 

 いくら対戦車兵器を装備しているとはいえ、味方の砲撃とパンジャンドラムの突撃で攪乱された状態の敵へと突っ込んだからこそ、強襲殲滅兵はたった50名で敵部隊に大打撃を与え、浸透戦術を頓挫させることができたのだ。しかし砂漠の向こうからやってくる敵の本隊は、防衛戦の突破に失敗した挙句、虎の子の突撃歩兵を何名も失ってしまったことを知って警戒している。テンプル騎士団の守備隊よりも数は少ないものの、たった50名の強襲殲滅兵で突撃してもキャニスター弾や多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)で殲滅されるのが関の山だ。

 

『同志団長、聞こえますか? ターニャです』

 

「ああ、聞こえる。こっちは進撃を中止した」

 

 無線機の向こうから聞こえてきた声は、ナタリアとイリナが乗っているチョールヌイ・オリョールの操縦士を担当しているハイエルフの少女だ。ヴリシアの戦いにも参加して生還してきたベテランの操縦士である。

 

 ちなみに彼女が乗っていたエイブラムスは今でも訓練用に使用されており、よく要塞砲の間を爆走している。

 

『了解です。同志ナタリアも進撃を中止するべきだと言っておりましたので』

 

「安心しろ。俺らは戦車砲に向かって突っ込むバカじゃないさ」

 

『では、安心させていただきますね』

 

「はいよ」

 

 苦笑いしながら、双眼鏡でもう一度マウスの群れを確認する。

 

 相手は30両のマウスと40両のレオパルト2の群れだ。しかも強襲殲滅兵から逃げ切った突撃歩兵たちも合流しているらしく、ボロボロの突撃歩兵たちも戦車の砲塔に乗って一緒に進撃してくる。

 

 それに対し、こっちは合計で43名の強襲殲滅兵のみ。後方から進撃してくる守備隊と合流することができればこっちも突撃できるんだが、さすがに合流せずに突撃すれば全滅してしまうだろうな。

 

「ステラ」

 

「了解(ダー)」

 

 あくまでも、俺たちの目的は最終防衛ラインを守る事だ。朝になればモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍が合流するため、確実に勝利することができるだろう。けれどもその連合軍が合流する前に、最終防衛ラインの突破を許してしまったら俺たちの敗北だ。タンプル搭の守備隊まで出撃させて最終防衛ラインを構築したため、タンプル搭には少数の警備隊しか残っていないのである。

 

 戦車にはほとんど効果がないが、ここで少しばかり足止めするとしよう。

 

 がっちりしたバイポッドを展開してから伏せたステラが、進撃してくる敵の戦車の群れへとKord重機関銃のでっかいマズルブレーキを向けながら、対空照準器を向ける。俺もAK-12を腰の後ろにあるホルダーに突っ込んで左手を突き出し、生産済みの銃の中から愛用のOSV-96を選択する。背中にあるRPG-7を近くにいた兵士に手渡してから画面をタッチした直後、ロケットランチャーがなくなったおかげで軽くなったばかりの背中が再び重くなる。

 

 背中へと手を伸ばしてグリップを掴み、折り畳まれていた長大な銃身を展開。安全装置(セーフティ)を解除してからバイポッドを展開し、スコープの蓋を開ける。念のためT字型マズルブレーキの下に折り畳まれているスパイク型銃剣も準備しておくことにしよう。

 

 銃床の下部に折り畳まれているモノポッドも展開してから、スコープを覗き込んで射撃準備に入る。レンジファインダーで距離を確認した俺は、舌打ちをしながらかぶっていたガスマスクを取り外した。

 

 敵との距離は約5km。使用する弾薬を12.7mm弾から14.5mm弾に変更し、銃身を伸ばして射程距離を底上げしたとはいえ、この改造したOSV-96の有効射程は2.2kmだ。標的に攻撃をお見舞いするのは難しいだろう。

 

 ため息をついてから、マガジンを取り外す。コッキングレバーを引いて既に装填されていた1発もエジェクション・ポートから取り出してから、ポーチの中にあるOSV-96の別のマガジンを取り出す。

 

 中に入っているのは、銀で作られた14.5mm強装弾。通常の弾薬よりも炸薬の量を増やしているため、少しくらいは射程距離が延びるだろう。とはいえ、さすがに5km先にいる標的を撃ち抜くことは不可能だろう。当たり前だが、戦車の装甲に命中しても確実に弾かれてしまう。

 

 あくまでも狙撃するのはタンクデサントしている敵兵や、戦車の砲塔に搭載されているアクティブ防御システムのターレットだ。

 

 対戦車ライフルの弾丸が戦車の装甲を貫通できる時代は、とっくに終わっているのである。

 

「弾薬が足りなくなったら行ってください。ステラがたっぷり持ってます」

 

「助かるよ」

 

 彼女のKord重機関銃と俺のOSV-96が使用する弾薬は同じなので、いざとなったら分け合う事ができるのである。背中に背負っていたでっかい箱を傍らに置いたステラは、その箱の蓋を開け、中にこれでもかというほど詰まっていた14.5mm弾のベルトを小さな手で叩いた。

 

 改造されたステラの得物は、第二次世界大戦中に対戦車ライフルの弾薬として運用されていた弾薬を連射できるのだ。さすがに現代の戦車や装甲車には効果がないものの、ヘリや装甲すら纏っていない歩兵たちには確実に猛威を振るう。歩兵よりもはるかに堅牢な装甲を撃ち抜くことを想定した大型の弾薬なのだから、歩兵の肉体に命中すれば木っ端微塵になってしまう。

 

 進撃を止めた強襲殲滅兵たちは、砂の上に伏せて敵部隊を迎撃する準備を始めていた。腰に下げていた迫撃砲を内蔵したスコップを引き抜き、傍らに予備の砲弾を置いて砲撃準備を始める兵士もいるし、ステラと同じように重機関銃のバイポッドを展開して砂の上に伏せる兵士もいる。

 

 彼らの奥にいるハーフエルフの兵士は、背負っていたでっかいトライポッドの上にオークの兵士が担いでいたソ連製無反動砲のSPG-9を搭載し、照準器のチェックをしているようだった。

 

 敵の砲撃が命中しませんようにと祈った直後、俺たちの頭の上をマウスが放った多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が掠めていった。どうやら俺たちが足止めする準備をしていたことはバレていたらしい。

 

 立て続けに戦闘のマウスたちが砲撃を始めたが、砲弾は次々に俺たちの頭の上を掠めていくと、後方に屹立している砂の山へとめり込んで立て続けに爆炎を生み出し始めた。

 

「ははははっ。外れてるぞ、吸血鬼(ヴァンパイア)共」

 

 多分、強襲殲滅兵に支給したこの深紅と漆黒の迷彩模様の防護服のおかげだろう。

 

 強襲殲滅兵が身に纏っている防護服は、深紅と漆黒の二色の迷彩模様である。非常に目立つ模様であるため、そのまま敵部隊に向かって突撃すれば集中攻撃を受けて大損害を被るのが関の山だが―――――――味方の砲撃によって爆炎が支配する戦場の真っ只中では、この迷彩模様は保護色となる。

 

 いたるところが燃え上がり、業火と焦げた残骸で彩られる焼け野原と、この迷彩服の模様がそっくりなのである。しかも黒煙を吹き上げながら燃え上がる業火の色にも似ているため、味方の砲撃の直後や焼け野原での戦闘では、逆に全く目立たないのだ。

 

 つまりこの禍々しい模様の防護服は、最前線で死闘を繰り広げることを想定した強襲殲滅兵にうってつけなのである。

 

 俺たちの後方には、未だに黒煙を吹き上げながら燃え上がる戦車の残骸がこれでもかというほど転がっている。しかもタンプル砲や36cm要塞砲が放ったMOAB弾頭が着弾したおかげで、俺たちの後方の砂漠は火種と黒焦げの残骸に彩られた焼け野原と化していた。

 

 そのおかげで、敵の戦車部隊は俺たちに正確な砲撃をお見舞いできないというわけである。

 

「同志、砲撃準備ができました!」

 

「よし、一発ぶっ放したらすぐ逃げろ!」

 

「了解(ダー)!」

 

撃て(アゴーニ)!」

 

「発射(アゴーニ)!!」

 

 猛烈なバックブラストが躍り出たかと思うと、爆炎を纏った1発の水銀榴弾が砲口から飛び出した。敵のマウスが放った遥かに巨大な多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)とすれ違ったその一撃は、マウスの砲弾が空に刻み付けた陽炎と軌跡を貫きながら飛翔し、超重戦車の巨大な砲塔の上を飛び越えたと思うと、その後方を走行していたレオパルト2の砲塔へと着弾した。

 

 直撃したレオパルト2は全く損傷していなかったが、その水銀榴弾の中から産声を上げた爆風と水銀の斬撃たちは、戦車ではなくその砲塔の上に乗っていた吸血鬼の歩兵たちを蹂躙する。

 

 圧倒的な衝撃波に押し出されて斬撃と化した水銀が兵士たちの手足を容易く両断し、身体を引き裂いてしまう。砲弾の破片と共に飛翔した水銀の雫によって胸板を貫かれ、胸骨もろとも心臓を撃ち抜かれた兵士が、鮮血を噴き出しながら戦車の上から転がり落ちていった。

 

 砲弾の命中を確認したハーフエルフの砲手は歓声を上げずにニヤリと笑いつつ、素早く無反動砲をトライポッドから取り外す。装填手を担当したオークの兵士もニヤニヤと笑いながら弾薬の入った箱とトライポッドを担ぎ、姿勢を低くしながら別の場所へと移動していった。

 

 彼らが砲撃した場所に敵の戦車が放った多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が立て続けに命中したが、すでにタンクデサントしていた兵士たちの命を奪った砲手と装填手は別の場所へと移動していたため、強襲殲滅兵の兵士たちがミンチになる事はなかった。

 

「やるなぁ…………!」

 

 砲撃が命中した…………!

 

 戦車にダメージは与えられなかったが、タンクデサントしていた吸血鬼共は今の砲撃で木っ端微塵だ。

 

 別の場所で再び砲撃の準備を始めた兵士たちを見つめてから、もう一度レンジファインダーで標的との距離を確認する。”焼け野原”の前で待ち伏せをしている俺たちをとっとと始末するために増速したらしく、敵の本隊との距離はすでに2.4kmとなっていた。

 

 そろそろカスタマイズしたOSV-96の有効射程に入る。強装弾ならば発射しても大丈夫だろうか。

 

 呼吸を整えながら、ちらりと周囲の強襲殲滅兵たちの様子を確認する。兵士たちはすでに攻撃の準備を終えており、敵の本隊が自分たちの装備している武器の有効射程に入るのを待っている状態のようだった。

 

 左手を銃床から離し、そっと上へと伸ばす。

 

 兵士たちが素早く照準器を覗き込み、トリガーへと指を近づけていく。

 

 レンジファインダーをもう一度確認し、距離が2.3kmになっていることを確認した俺は――――――――上へと伸ばした左手を、思い切り前方へと振り下ろしていた。

 

 その瞬間、構えていた兵士たちの重機関銃が立て続けに火を噴いた。砂の上に伏せて照準器を覗き込んでいた兵士の重機関銃が12.7mm弾や14.5mm弾を凄まじい勢いで連射し、戦車の周囲を走っていた歩兵やタンクデサントしていた兵士たちを薙ぎ払っていく。

 

 戦車の装甲の表面で何度も火花が産声を上げ、跳弾した弾丸が戦車の周囲にいる随伴歩兵に牙を剥いた。

 

 スコープを覗き込み、先頭を進むマウスに照準を合わせる。もちろん14.5mm弾の強装弾とはいえ、戦車の装甲を貫通することはできない。なので、こいつであの戦車を撃破するわけではない。

 

 標的は、砲塔の上に居座っている、対戦車ミサイルを片っ端から迎撃してしまう忌々しいアクティブ防御システムだ。

 

 傍らでステラがKord重機関銃を連射する音を聞きながら、トリガーを引いた。

 

 エジェクション・ポートが凄まじい速さで開き、火薬の臭いと煙を纏った大きな薬莢が躍り出る。T字型の大きなマズルブレーキから躍り出た14.5mm強装弾は、炎を纏いながら冷たい風と砂塵を切り裂いて飛翔し、巨大な戦車の砲塔へと直進していく。

 

 レティクルの向こうにあるアクティブ防御システムのターレットが、唐突に火花を吐き出した。ターレットの隙間から黒煙がうっすらと姿を現し、ターレットが動かなくなってしまう。

 

 今の一撃で破壊することができたらしい。

 

 ニヤリと笑いながら次の戦車のターレットへと狙いを定めるけれど、強装弾のマガジンはこれだけだ。後は徹甲弾のマガジンが1つと、通常の銀の弾丸が入ったマガジンが6つある。あとは最初にエジェクション・ポートから排出した1発の弾丸だろう。

 

 次の標的を狙おうとしたその時、後方の焼け野原の方から爆音が轟いた。敵の砲撃が着弾したのかと思った俺はぎょっとしてスコープから目を離してしまったが――――――――その爆音は、敵の恐るべき超重戦車を蹂躙するために生み出された、虎の子の超重戦車たちの咆哮であった。

 

 夜空と灰色の砂漠の間に2本の白煙を刻み付けながら、2発の巨大な対戦車ミサイルが飛翔していく。俺は「あの戦車を狙え」と指示を出した覚えは全くなかったんだが、その戦車は今しがたアクティブ防御システムを潰されたマウスへと直進すると、巨大な主砲の砲身の付け根へと喰らい付いた。

 

 砲塔に巨大な対戦車ミサイルがめり込んだ瞬間、爆炎と衝撃波がマウスの巨体を包み込んだ。複合装甲で覆われた戦車も容易く撃破してしまう破壊力を誇る主砲の砲身がへし折れたかと思うと、砲塔の上に装備されていたハッチやアクティブ防御システムのターレットが爆炎に押し上げられ、鋼鉄の残骸の混じった火柱が砂漠の戦場を彩る。

 

 苦笑いしながら、俺はゆっくりと後ろを振り向いた。

 

「すげえ破壊力だな…………」

 

「火力を増強したのは正解でしたね、タクヤ」

 

 ステラはもう既に今の対戦車ミサイルを放った味方の正体を察していたらしく、誇らしげにそう言いながらKordで敵を掃射しながらそう言った。

 

 やがて、俺たちの後方から装甲に覆われた巨大な怪物が姿を現す。

 

 装甲に覆われた巨大な車体に搭載されているのは、通常の戦車を容易く踏みつぶしてしまうほどがっちりとしたキャタピラと、側面から突き出た37mm戦車砲の砲塔。車体の上には巨大な2本の砲身が突き出た大型の砲塔が居座っており、敵の戦車へと狙いを定めている。

 

 車体の後部には100mm低圧砲と30mm機関砲を搭載した砲塔まで装備しており、後方に回り込まれたとしても圧倒的な火力で敵を即座に叩き潰すことが可能であった。

 

 砂漠の向こうから次々に姿を現したのは――――――――テンプル騎士団が運用している、虎の子のシャール2Cたちであった。

 

 本来ならば様々な重要拠点に配備されている”切り札”であるため、車体に施されている塗装は異なる。中には蒼と黒のスプリット迷彩や、白と黒のダズル迷彩が施された車両も見受けられる。

 

 塗装は全く違うものの、吸血鬼たちが運用している超重戦車を叩き潰し、敵の戦車部隊を”蹂躙”するために生み出された12両の兄弟たちであった。

 

 先陣を切ったのは、満身創痍の状態で敵の戦車部隊を蹂躙し、ブレスト要塞から生還した2号車『ピカルディー』。その斜め後ろを、主砲同軸に搭載された14.5mm機関銃を連射しながら前進しているのは、1号車『プロヴァンス』だった。

 

 マウスから飛来したAPFSDSが、先陣を切っていたピカルディーの正面装甲に牙を剥く。砂漠にキャタピラの跡を刻み付けながら前進していた巨体に、巨大なAPFSDSが3発ほど立て続けに命中したが――――――――分厚い正面装甲を搭載しているピカルディーは、複合装甲を貫通するほどの威力を誇る砲弾が命中したにもかかわらず前進を続けていた。

 

 他の車両にもAPFSDSが命中するが、シャール2Cに搭載された分厚い正面装甲が少しばかりへこむ程度である。

 

 そしてシャール2Cの152mm連装滑腔砲が火を噴く度に、マウスやレオパルトたちが爆炎を吹き上げて動かなくなっていく。

 

『タクヤ、お待たせ!』

 

「もう突っ込んでもいいだろ!?」

 

『ええ、大暴れしなさい!』

 

「了解(ダー)! ―――――――よし、突っ込むぞ!」

 

 バイボットとモノポッドを再び折り畳み、アンチマテリアルライフルのキャリングハンドルを左手で掴む。他の強襲殲滅兵たちも射撃を止めて突撃の準備を済ませたのを確認した俺は、仲間たちと共に敵の本隊へと向けて突っ走り始めた。

 

 虎の子のシャール2Cたちと共に、吸血鬼共を蹂躙してやる………!

 

 



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超重戦車の反撃

 

 吸血鬼たちが投入した戦車は、レオパルト2と近代化改修型のマウスの2種類だった。

 

 ヴリシアの戦いで生き残った残存兵力が中心とはいえ、投入されている戦車はどちらも優秀な戦車である。特に近代化改修を受けたマウスはレオパルト2のようにバランスの良い代物ではなかったが、通常の戦車砲や対戦車ミサイルでは破壊できないほど堅牢な装甲を搭載している上に、分厚い複合装甲を真っ向から貫通できるほどの威力を秘めた160mm滑腔砲を兼ね備えた超重戦車であり、ヴリシアの戦いではテンプル騎士団のエイブラムスやモリガン・カンパニーのT-14たちをことごとく粉砕した”怪物”であったのである。

 

 この春季攻勢でも新たに生産されたマウスたちと、ヴリシアから辛うじて撤退して生き残ったマウスたちが投入されており、ブレスト要塞から出撃してきたテンプル騎士団の戦車たちを次々に撃破していったが――――――――そのマウスよりも恐ろしい”怪物”が姿を現した瞬間、吸血鬼たちは絶望することになった。

 

 あらゆる戦車を撃破してきた160mm滑腔砲のAPFSDSを防いでしまうほど分厚い正面装甲と、逆にマウスを一撃で擱座させてしまうほどの破壊力を持つ主砲を2門も搭載した”怪物”を、テンプル騎士団も実戦に投入したのである。

 

 たった1両の”怪物”が、虎の子のマウスやレオパルト2たちを蹂躙し、行動不能になるほどの損傷を受けていたにもかかわらず、あろうことか再び動き出し、ブレスト要塞を占拠した戦車部隊の後方から再び攻撃を仕掛けてきたのである。しかもその時は損傷を与えたものの、”怪物”は黒煙を発しながら強行突破を敢行し、テンプル騎士団の本拠地であるタンプル搭へと帰還していったのだ。

 

 圧倒的な火力と防御力を誇るフランス製のシャール2Cに吸血鬼たちの戦車部隊は蹂躙される羽目になったものの、マウスを上回る防御力と火力を超重戦車に搭載した上に近代化改修を施すためには、下手をすればコストの高い空母やイージス艦に匹敵するポイントが必要になるため、性能ではマウスを遥かに上回っていたものの、吸血鬼たちのように超重戦車を大量に配備できるわけではないという事は火を見るよりも明らかであった。

 

 実際に、テンプル騎士団が運用しているシャール2Cは、ブレスト要塞での戦闘に投入された段階では全ての拠点に配備されている同型の戦車は10両のみとなっており、30両以上も実戦投入していた吸血鬼たちのマウスよりもはるかに数は少なかった。ブレスト要塞で交戦した際に戦車部隊を蹂躙したのを目の当たりにしたタクヤ・ハヤカワによって、改良を加えた”後期型”が2両ほど増産されたが、その2両を実戦投入したとしてもマウスの数を遥かに下回っていたため、総攻撃を仕掛ければ脅威になる事はない。

 

 それに、いくら分厚い装甲と火力を兼ね備えているとはいえ、”戦車”である以上は航空機や対戦車ミサイルを搭載したヘリが彼らの”天敵”である。相手の戦車を粉砕できる火力を持っているとしても、戦車は敵の戦車や歩兵と戦うことを想定した兵器であるため、はっきり言うと航空機との戦闘は”専門外”なのだ。

 

 アクティブ防御システムを搭載しているとはいえ、迎撃するための弾薬を使い切るまで集中攻撃を続ければ容易く無力化できるのである。

 

 それゆえに、吸血鬼たちは圧倒的な性能を誇るテンプル騎士団の超重戦車たちを侮っていた。たった10両程度の鈍重な超重戦車が防衛ラインで攻撃してきたとしても、側面に回り込んだり航空機で集中攻撃を続ければ容易く鉄屑にできるのだと高を括っていたのである。

 

 しかし――――――――最終防衛ラインで吸血鬼たちを迎え撃ったのは、テンプル騎士団が運用している全てのシャール2Cだったのである。

 

 更に、タンプル砲によって放たれた地対空キャニスター弾によって航空部隊が大損害を被った挙句、テンプル騎士団の航空隊による攻撃を受けており、対戦車ミサイルで超重戦車を攻撃する余裕がない状態であった。

 

 強襲殲滅兵による猛攻によって浸透戦術を頓挫させられてしまった吸血鬼たちは、12両の超重戦車たちによって蹂躙される羽目になってしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)によって擱座したM2ブラッドレーを押し退けて前進する巨躯から、猛烈なAPFSDSが放たれる。外殻を脱ぎ捨てた鋭い砲弾が堅牢な複合装甲へと喰らい付いた瞬間、その獰猛な砲弾は容赦なく装甲を抉って風穴を開け、砲塔の中にいた砲手と車長の肉体を串刺しにしていた。

 

 マウスの砲身の付け根に2つの風穴を穿ったAPFSDSは自動装填装置を滅茶苦茶にし、圧倒的な攻撃力を誇る超重戦車から戦車砲()を奪う。エイブラムスの正面装甲にすら風穴を開けるほどの破壊力を誇る滑腔砲を失ったマウスは後退を始めるが、そのマウスから”矛”を奪った4号車『ブルターニュ』が送信した情報を受け取った7号車『ノルマンディー』が砲塔を旋回させ、手負いのマウスに止めを刺す。

 

 被弾した衝撃でアクティブ防御システムが機能を停止していたマウスに向かって放たれたのは、152mm連装滑腔砲から躍り出た2発の『レフレークス改』と呼ばれる対戦車ミサイルであった。ロシア製の戦車や中国製の戦車が搭載している対戦車ミサイルをそのまま大型化させた代物であり、命中すればほぼ確実に主力戦車(MBT)を撃破する事が可能なほどの破壊力を秘めたミサイルであった。

 

 手負いのマウスに激突した2発のレフレークス改は複合装甲をあっさりと食い破り、分厚い正面装甲に大穴を開ける。ミサイルが内蔵していた対吸血鬼用の水銀が車内で荒れ狂い、乗組員たちの肉体に風穴を開けていく。衝撃波によって押し出された水銀の弾丸や猛烈な爆風はマウスの車内をズタズタにすると、従来の戦車を踏みつぶせるほどの巨体を持つ超重戦車を火達磨にしてしまった。

 

「くそ、またマウスがやられました!」

 

「くっ………! あの超重戦車に集中砲火!」

 

 最終防衛ラインへと進撃する虎の子のマウスやレオパルト2の群れが、突撃歩兵を打ち破ってから待ち伏せをしていた強襲殲滅兵ではなく、灰色の砂漠の向こうから躍り出た様々な塗装の超重戦車の隊列へと砲身を向ける。

 

 別々の重要拠点に配備されていたからなのか、横に並びながらじりじりと進撃してくるシャール2Cたちの塗装はバラバラであった。蒼と黒のスプリット迷彩を施された戦車や、ただ単に灰色に塗装された戦車も見受けられるが、中には白と黒のダズル迷彩を施された車両も見受けられる。

 

撃て(フォイア)ッ!」

 

 マウスの車長が号令を下した直後、超重戦車の群れへと砲口を向けていた戦車たちの滑腔砲が一斉に火を噴いた。

 

 もちろん、装填されていたのは複合装甲すら貫通してしまうAPFSDSである。

 

 160mm滑腔砲と120mm滑腔砲から解き放たれたAPFSDSたちが次々に外殻を脱ぎ捨て、まるで巨大な鯨へと突き立てられる銛のような姿と化し、砂漠の向こうから進撃してくる怪物たちへと飛翔していく。120mm滑腔砲のAPFSDSですら主力戦車(MBT)の装甲を貫通するほどの威力があるのだから、それよりも大口径の主砲を搭載したマウスの砲撃が直撃すれば、装甲が分厚い超重戦車の正面装甲にはあっという間に大穴が空いてしまう筈であった。

 

 何発かは外れて灰色の砂で覆われた大地を直撃してしまったものの、12両のシャール2Cのうちの2両へと放たれた砲弾の大半はその巨体の正面装甲へと喰らい付いており、冷たい風と砂塵が支配する砂漠に、分厚い複合装甲の破片や猛烈な火花をばら撒いた。

 

 ブレスト要塞での戦闘では、最終的に側面からの砲撃でエンジンを破壊されて行動不能になったものの、シャール2Cの正面装甲は戦車部隊が集中砲火を実施しても貫通することはできなかったという。

 

 しかし、あの時よりもこの攻撃に投入された戦車たちの数は多い。いくら圧倒的な防御力を誇るシャール2Cでも、30両の近代化改修型マウスと40両のレオパルト2の群れが一斉に砲撃すれば瞬く間に撃破することができるだろう。

 

 マウスの車長はモニターを見つめながら息を呑んだ。さすがに合計で70両の戦車たちから放たれたAPFSDSを35発ずつ叩き込まれれば、160mm滑腔砲の砲弾を防ぐほどの正面装甲でも貫通する筈だと思いながら、彼は呼吸を整える。

 

 相手はたった12両だけである。今の砲撃で撃破できていたのならば、同じように2両に狙いを絞って一斉に砲撃し、各個撃破していけばいいのだ。圧倒的な防御力と火力は脅威としか言いようがないが、怪物を確実に撃破できる数の砲弾を叩き込めば撃破することができるのである。

 

(どうだ………!)

 

 モニターを見下ろしながら冷や汗を拭い去った車長は、その火花の向こうに鎮座する巨躯を睨みつけた。

 

 これほどの砲弾を一斉に叩き込まなければ撃破できない怪物を保有しているテンプル騎士団ですら、転生者が率いる”三大勢力”の中では最も規模の小さい組織である。このテンプル騎士団よりも圧倒的に多い兵力や強力な兵器を保有している上に、強力な転生者が所属している殲虎公司(ジェンフーコンスー)とモリガン・カンパニーがどれほど強大な組織なのかは想像に難くない。

 

 しかし、この怪物たちさえ打ち破ることができれば、吸血鬼たちは天秤の鍵を得ることができるのだ。そしてその天秤を使ってレリエル・クロフォードを復活させ、再び人類を支配するのである。

 

 恐るべき魔女(サキュバス)たちとの戦いでは共闘したにもかかわらず、サキュバスたちが絶滅した直後に今度は吸血鬼たちを危険な種族だと決めつけて迫害を始めた愚かな人類に、必ず鉄槌を下す必要がある。レリエル・クロフォードを復活させて世界を支配しない限り、吸血鬼たちは虐げられるだけなのだから。

 

 火花の群れが消え去り、複合装甲の破片が灰色の砂の中へと落ちていく。その向こうに鎮座しているのは、黒と白のダズル迷彩を施された5号車『トゥーレーヌ』と、灰色に塗装された9号車『シャンパーニュ』であった。

 

 さすがに分厚い正面装甲でも今の集中砲火は効果があったらしく、味方の砲撃を当たり前のように防いでいた正面装甲の表面はひしゃげていた。

 

 貫通した砲弾はあったのだろうかと思った車長は、息を呑みながらそのひしゃげた正面装甲を凝視する。しかし砲弾が穿った風穴を見つけるよりも先に、吸血鬼たちの集中砲火をお見舞いされる羽目になった2両の超重戦車が、他の戦車に乗っている乗組員たちの心の中で産声を上げつつあった希望を木っ端微塵に粉砕する。

 

 砲撃を喰らって停止していた巨体が――――――――何事もなかったかのように、再び動き始めたのである。

 

「ば、バカな…………ッ!?」

 

 ―――――――シャール2Cが、APFSDSの集中砲火に耐え抜いた。

 

 160mm滑腔砲と120mm滑腔砲から放たれた70発のAPFSDSが35発ずつ命中していたにもかかわらず、砲撃を喰らう羽目になったトゥーレーヌとシャンパーニュが再び前進を始めたのである。

 

「嘘だろ…………いっ、今の砲撃に耐えやがっただと!?」

 

「化け物どもめ………!」

 

「車長、味方のヘリです!」

 

 もう一度一斉砲撃を命じようとしていた車長よりも先に、乗組員の1人がそう言った。

 

 別の位置に搭載されているモニターに映っていたのは、今の砲撃に耐えた超重戦車たちへと向かっていく2機の『AH-64Dアパッチ・ロングボウ』であった。アメリカで開発された攻撃ヘリであり、非常に性能の高い”ロングボウ・レーダー”と呼ばれるレーダーと強力な武装を兼ね備えた機体である。

 

 敵の超重戦車にはアクティブ防御システムが搭載されているが、戦車である以上はヘリが彼らの天敵なのだ。別々の方向から立て続けにミサイルを放てば、アクティブ防御システムでも対処できないかもしれない。

 

 それに、運が良ければ先ほどの砲撃でアクティブ防御システムが破損している可能性がある。

 

 そう思いながらニヤリと笑った車長だが―――――――ヘリの接近を探知した12号車『ジル・ド・レ』の後部に搭載された砲塔が旋回したのを目の当たりにした瞬間、マウスの車長は凍り付いた。

 

 全長14mの怪物の車体に乗っていたのは――――――――ヘリや航空機の天敵だったのだ。

 

 11号車『ジャンヌ・ダルク』と12号車『ジル・ド・レ』よりも先に実戦投入されていた10両のシャール2Cたちの車体の後部には、100mm低圧砲と30mm機関砲が搭載された砲塔が鎮座している。しかし、車体が大型化した”後期型”であるジャンヌ・ダルクとジル・ド・レの車体の後部には、より強力な武装が搭載されていた。

 

 ジャンヌ・ダルクの後部に搭載されているのは、125mm滑腔砲を搭載したT-90の砲塔である。主砲どころか自動装填装置ごと巨大な超重戦車の車体へと移植されているため、後方に回り込んだ戦車や側面の戦車にも強烈な砲撃が可能になっている。シャール2Cたちの中でも、ジャンヌ・ダルクは圧倒的な火力を誇る車両と言えるだろう。

 

 そしてジル・ド・レの車体の後部に搭載されているのは―――――――対空ミサイルと30mm機関砲を搭載した、『2K22ツングースカ』と呼ばれるロシアの自走対空砲の砲塔だったのである。敵の航空機を迎撃するための対空ミサイルと機関砲を搭載した車両の砲塔をレーダーごと車体の後部に移植されているため、ジル・ド・レは超重戦車でありながら航空機を迎撃する事が可能となっていたのだ。

 

 鈍重な超重戦車にミサイルを叩き込むだけだと高を括っていたパイロットたちが、レーダーごと移植されていた自走対空砲の砲塔が旋回したのを目の当たりにして慌てふためく。早くもロックオンされたらしく、慌ててフレアをばら撒いて退避していくが、旋回を終えた2機のアパッチ・ロングボウに強力な30mm機関砲が牙を剥く。

 

 ほんの少しばかり進路を変えたジル・ド・レの車体の後部に搭載されたツングースカの砲塔が火を噴いたかと思うと、退避している最中だったアパッチ・ロングボウのテールローターが何の前触れもなく砕け散った。たちまちふらついたアパッチ・ロングボウの胴体が容赦のない機関砲の掃射であっという間に蜂の巣になったかと思うと、そのまま火を噴きながらぐるぐると回転し、砂漠の上へと墜落してしまう。

 

 もう1機のアパッチ・ロングボウは辛うじて退避することができたらしく、進撃していく戦車部隊の頭上を通過して後方へと下がっていった。

 

「なんてこった…………」

 

 戦車でありながら、航空機を叩き落すための装備まで搭載していたのである。

 

 あの装備を搭載した超重戦車がいる以上、航空機で攻撃するのは極めて危険であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆炎と轟音が支配する戦場から離れた位置を、1両の金属の塊が疾走していた。

 

 戦車のようにキャタピラを装備しているものの、テンプル騎士団が運用している戦車と比べると砲塔がやや小さく、その砲塔から伸びている砲身も戦車の搭載している125mm滑腔砲の砲身よりもやや細い。

 

 砂漠の真っ只中を爆走していたのは、ロシアで開発された『BMP-3』と呼ばれる歩兵戦闘車(IFV)であった。強力な100mm低圧砲と30mm機関砲を併せ持っている上に数名の歩兵まで乗せることができる兵器である。さすがに戦車のように高い防御力は持っていないが、陸だけでなく海や川の上も航行することができる。

 

 黒とグレーのスプリット迷彩が施された砲塔のハッチから顔を出したウラルは、漆黒のフードをかぶったまま双眼鏡で砂漠の向こうを見渡した。

 

「俺たちが有利みたいだな」

 

 超重戦車はヘリに手も足も出ないと高を括っていた哀れな攻撃ヘリがジル・ド・レの強力な対空砲火で撃墜されたのを眺めながら、ウラルはニヤリと笑う。

 

 吸血鬼たちの浸透戦術を強襲殲滅兵の猛攻で頓挫させたことによって、敵の切り札である突撃歩兵に大損害を与える事には成功した。これで敵はタンプル搭を攻撃するために浸透戦術を使えなくなったに違いない。

 

 だが――――――――敵の本隊の後方には、まだ砲兵隊が残っている。

 

 しかもその砲兵隊が放とうとしている砲弾は、ブレスト要塞の守備隊たちを嬲り殺しにしたマスタードガスを内蔵した恐ろしい砲弾である。防護服とガスマスクを支給したことによって兵士たちがガスで皆殺しにされることはなくなったとはいえ、もしも最終防衛ラインを突破されてからタンプル搭にその毒ガスの入った砲弾を発射されれば、何の罪もない住民たちがマスタードガスで皆殺しにされてしまう。

 

 そこで、ウラルが率いるスペツナズが戦闘中に敵部隊の後方へと回り込み、毒ガスを内蔵した砲弾の準備をしている砲兵隊へと奇襲を敢行し、可能であれば砲兵隊を殲滅することになった。

 

 もし殲滅する事が出来なくても、奇襲を受けた砲兵隊は移動せざるを得なくなるだろう。それに損害を与えられれば、敵の砲兵隊も弱体化する。

 

 スペツナズは通常の部隊よりも隠密行動や対人戦に秀でたテンプル騎士団の特殊部隊である。未だに規模は小さいものの、今回の任務のような敵部隊への奇襲はお手の物であった。

 

 それに、今回の任務ではシュタージから”借りた”隠密行動のスペシャリストもいる。

 

 砲塔のハッチを閉じて座席へと戻ったウラルは、双眼鏡を近くにいるスペツナズの隊員へと渡してから、ホルスターから取り出したサプレッサー付きのPL-14の点検を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 



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シュタージの切り札

 

 シュタージのメンバーの役割は、基本的に諜報活動である。世界中の街にエージェントを派遣して人々を虐げている転生者の情報を入手し、それをタンプル搭にある諜報指令室へと送るのが彼らの仕事であった。そのため戦闘力よりも情報収集や変装などの技術が重要視されている部署であり、武器を使って敵部隊と戦闘を行うのは専門外だ。

 

 もちろん、エージェントたちは潜入する際は常に小型の折り畳み式ナイフや小型ハンドガンをポケットの中や袖の中に仕込んでいるため、いざとなればそれを使って身を守ることもある。しかし目的はあくまでも情報収集であるため、LMGやアサルトライフルのような”目立つ”武器を携行することは少ない。

 

 軍拡前までは私服姿で現地に派遣されることが多かったため、シュタージの制服は用意されていなかったのだが、シュタージの規模が大きくなってからは彼らのための制服もしっかりと支給されており、諜報指令室でエージェントたちに指示を出すオペレーターたちがそれを身につけている。

 

 戦闘を二の次にしている部署だが、1人だけ暗殺に特化したメンバーがシュタージに所属している。

 

 諜報活動を行う諜報部隊に所属しているその暗殺者は、シュタージの”切り札”と言っても過言ではない。変装して情報収集を行う事が多いとはいえ、もし転生者に正体を見破られてしまったら戦闘を二の次にしているシュタージのメンバーは手も足も出ない。

 

 そこで、危険度の高い標的を狙う際は通常のエージェントではなくその”切り札”を派遣し、情報収集しつつそのまま暗殺するのだ。

 

 テンプル騎士団の特殊部隊であるスペツナズが彼女をシュタージから引き抜こうとしたことがあったのだが、シュタージの隊長であるクランは何度もそれを断ったことがあるという。確かに情報収集を行う事が多いシュタージよりも、隠密行動や暗殺を行うスペツナズの方が彼女にとっては適任なのかもしれないが、十中八九クランは”彼女”を他の部署に渡すことはないだろう。

 

 暗殺や隠密行動を得意とするその少女は、シュタージの唯一の暗殺者なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が身に纏っている制服のデザインは、他のシュタージのメンバーの制服と少しだけ違う。

 

 シュタージの制服も他の部署の制服と同じように黒い。シンプルな制服だが、少女の制服には短めのマントやフードがついていて、暗闇で身を隠しやすいようになっている。しかもマントの内側や胸の辺りには小型の投げナイフやエリクサーの容器を入れておくためのホルダーがついているため、シンプルなシュタージの制服とは違って戦闘を想定している制服だという事が分かる。

 

 制服を身に纏うのはオペレーターやクランくらいであり、潜入するエージェントたちは私服か現地の民族衣装に身を包む。だからエージェントたちが制服に身を包むのは式典の時くらいであった。

 

 兵員室の中に置かれた小さな箱の中から取り出した9×39mm弾のクリップを、傍らに置いたマガジンの中に装填していく。装填が終わったマガジンを素早くポーチの中へと突っ込んで別のマガジンを膝の上に置き、片手を箱の中へと伸ばしてまたクリップを拾い上げる。

 

 彼女と一緒にBMP-3の兵員室に乗り込んでいたスペツナズの兵士たちは、自分たちよりも年下の少女が素早くマガジンに弾丸を装填していくのを見守りながら、自分たちの得物の点検をしていた。

 

 スペツナズがシュタージから”借りた”ノエルのメインアームは、ロシア製消音狙撃銃の『VSS(ヴィントレス)』。非常に短い銃身に、通常のサプレッサーよりも大型のサプレッサーを装着した変わった狙撃銃である。従来のスナイパーライフルよりも射程距離が短いという欠点があるが、弾丸を発射する際の銃声を消しやすくなっているため、隠密行動する際にはうってつけの狙撃銃なのである。

 

 サイドアームはテンプル騎士団で正式採用されているPL-14であり、ライトとサプレッサーを装着している。

 

 今回の任務の目的は、敵の本隊の後方に展開している砲兵隊に奇襲を仕掛ける事である。強襲殲滅兵の猛攻で吸血鬼たちの浸透戦術が頓挫したとはいえ、後方に展開した敵の砲兵隊がいつでも支援砲撃を開始できるのは火を見るよりも明らかであった。それに敵部隊はマスタードガスを内蔵した砲弾を使用する可能性があるため、発射する前に損害を与えるか殲滅しなければならなかった。

 

 弾薬の装填を終えたノエルは、最後のマガジンをポーチへと放り込み、箱の中に入っていたC4爆弾を手に取る。身体が変異してキメラとなってからは、父であるシンヤから訓練を受けていたため、C4爆弾を敵に仕掛けて木っ端微塵にするのはお手の物である。

 

 敵の砲兵隊は、おそらく自走榴弾砲を運用している事だろう。自走榴弾砲は非常に射程距離が長いが、戦車のように分厚い装甲を搭載しているわけではないため、C4爆弾を仕掛けることができればあっという間に鉄屑と化すに違いない。

 

 BMP-3の武装でも撃破できるかもしれないが、砲兵隊を奇襲するために派遣されたスペツナズの兵士たちは乗組員も含めるとたったの9名のみであり、車両は1両のBMP-3だけである。いくら自走榴弾砲の群れに奇襲を仕掛けるとはいえ、接近する前に探知されてしまえば元も子もない。場合によっては奇襲を受けている砲兵隊を掩護するために、テンプル騎士団の守備隊と交戦中の本隊の一部が救援にやってくる可能性もある。

 

 いくらBMP-3が強力な武装を搭載した車両とはいえ、更に強力な主砲と堅牢な複合装甲を兼ね備えた戦車には太刀打ちできないのは火を見るよりも明らかである。

 

 そのため、隠密行動を得意とする歩兵がサプレッサー付きの銃を装備して砲兵隊に接近し、警備の兵士を静かに排除しつつ自走榴弾砲にC4爆弾を仕掛けて爆破することになっていた。

 

 ノエルが得意としているのは暗殺だが、このような破壊工作も得意なのである。

 

 訓練の最中に襲い掛かってきた哀れなゴーレムを、たった1つのC4爆弾で爆殺した時の事を思い出しながらそれをポーチの中へと詰め込んだノエルは、セミロングの黒い髪の中から突き出ている自分の耳を片手で撫でながら、もう片方の手を制服のホルダーに収まっている試験管へと伸ばした。

 

 一般的な回復アイテムであるエリクサーは、試験管のような容器に入れられて販売されている。しかし彼女が手に取った試験管の中に納まっているのは、傷を瞬く間に塞いでしまうヒーリング・エリクサーではなく、銀色の液体であった。

 

 蓋を外し、中に入っている銀の液体を呑み込む前に息を呑む。

 

(これ飲むとお腹が重くなるんだよなぁ…………)

 

 彼女が飲もうとしていたのは、水銀であった。

 

 ノエルは元々はハーフエルフだったのだが、父親であるシンヤがキングアラクネの義手を移植した後にミラから生まれた子供であるため、彼女の体内にもキングアラクネの遺伝子が含まれているのである。キングアラクネはこの世界で最強のアラクネと言われており、まるで巨大な蜘蛛と甲冑を身に纏った騎士を融合させたような姿をした大型の魔物だ。普通のアラクネは体内で獲物を捕らえるための糸を生成するのだが、キングアラクネは他のアラクネのように糸を使って獲物を捕らえるのではなく、鋭い糸で獲物をバラバラにしてから捕食するという習性がある。

 

 しかも体内に取り込んだ鉱物の成分を含んだ様々な種類の糸を生成する事が可能であるため、キングアラクネの糸の鋭さは生息している地域によって異なるという。更に鉱物の毒素は体内ですぐに除去されるため、取り込んだ鉱物の毒素で死ぬのはありえない。

 

 ため息をついてから水銀を一気に呑み込んだノエルは、空になった容器を足元にある箱の中に放り込んでから、重くなったお腹を小さな手でさすり始めた。

 

 普通の糸では吸血鬼を殺すことはできない――――――――再生能力が機能しなくなるまで攻撃を続ければ殺すことは可能である――――――――のだが、水銀の成分を使った水銀の糸ならば、吸血鬼を瞬く間に八つ裂きにすることが可能なのである。

 

 しかしノエルは、胃の中に居座る重い水銀の感触が大嫌いだった。

 

『よし、降りてくれ』

 

 スピーカーから隊長のウラルの声が聞こえてきた途端、水銀を飲んでお腹をさすっていたノエルを興味深そうに見つめていたスペツナズの隊員たちが、車両が完全に停止するよりも先に立ち上がり始めた。兵員室のハッチを開け、サプレッサー付きのAN-94(アバカン)やSV-98を装備した兵士たちが、次々に兵員室の外へと躍り出ていく。

 

 水銀が段々と取り込まれ始めたらしく、胃の中に居座っている重い感触が段々と消えていく。お腹をさするのを止めた彼女は、傍らに置いてあった自分のVSS(ヴィントレス)を拾い上げてから、他の兵士たちと同じようにBMP-3の車外へと飛び出した。

 

 灰色の冷たい砂塵の大地へと降り立つと同時に、VSS(ヴィントレス)の安全装置(セーフティ)を解除する。AN-94を装備した兵士たちもセレクターレバーを2点バースト射撃に切り替え、周囲を警戒していた。

 

 テンプル騎士団の一般的な兵士たちが使用しているのは、同じくロシアで開発されたAK-12である。本来ならば小口径の5.45mm弾を使用する代物なのだが、屈強な外殻や肉体を持つ魔物を相手にすることも多いため、大口径の7.62mm弾を発射できるように改造されている。

 

 しかし、スペツナズの標的はあくまで”人のみ”である。魔物の掃討はテンプル騎士団陸軍や海兵隊の仕事なのだ。

 

 転生者の暗殺や、人質と共に立て籠もっているクソ野郎の抹殺が彼らの仕事である。それゆえに反動の大きな大口径の弾丸ではなく、反動が小さい上に扱いやすく、人間を十分に射殺できる殺傷力を持つ小口径の弾丸の方が望ましい。

 

 そのため、彼らの使用する銃の弾薬は、一部を除いて小口径の弾薬ということになっている。

 

「お手並み拝見だ、お嬢ちゃん」

 

 そう言いながらニヤリと笑った兵士の口の中から伸びていたのは、人間よりも長い犬歯であった。

 

 スペツナズの兵士たちの中には、ヴリシアの戦いで降伏し、そのままテンプル騎士団の一員となった吸血鬼の兵士たちがいる。ノエルに話しかけながら笑った狙撃手も吸血鬼の兵士の1人らしい。

 

「はい。こちらこそ勉強させていただきます、”ニコライ4”」

 

「できればコールサインで呼んでくれ、お嬢ちゃん」

 

『無駄話はするな、ニコライ4』

 

「た、隊長…………」

 

 苦笑いする狙撃手(ニコライ)を見て笑いながら、ノエルは左手を首の後ろへと伸ばして漆黒のフードをかぶった。

 

『いいか? 敵の見張りの兵士を排除しつつ、支給されたC4爆弾を敵の自走榴弾砲に設置しろ。もしも敵に発見されたら即座に起爆して離脱するんだ。撤退する際は俺たちが支援する』

 

「了解(ダー)」

 

「よし、行こう。ニコライ4とアクーラ8は散開して、敵の砲兵隊の様子を報告してくれ」

 

「「了解(ダー)」」

 

 サプレッサー付きのSV-98を装備したニコライ(アクーラ)4と共に砂漠を全力疾走し始めたのは、彼と一緒にテンプル騎士団の一員となった吸血鬼の兵士である。

 

 ニコライよりもがっちりした体格の吸血鬼の巨漢が背中に背負っているのは、まるでブルパップ式のアサルトライフルに遠距離用のスコープを搭載し、巨大なサプレッサーを装着したような代物であった。サプレッサーとスコープさえなければブルパップ式のアサルトライフルに見えるかもしれないが、ライフル本体の右側からボルトハンドルが突き出ているため、ボルトアクション式のライフルであることが分かる。

 

 アクーラ8が装備しているのは、ロシアで開発された『VKS(ヴァイクロップ)』と呼ばれる”大口径消音狙撃銃”であった。ノエルのメインアームであるVSSと同じく高性能なサプレッサーを装備しており、銃声を消すことに特化した代物だが、使用する弾薬が遥かに大型化しているため、破壊力はアンチマテリアルライフルに匹敵する。

 

 なんと、使用する弾薬は大口径の12.7mm弾なのである。

 

 アクーラ4の狙撃で仕留められないような獲物へと強烈な弾丸をお見舞いするために、アクーラ8はアクーラ4よりも強烈な弾丸を放つことができる銃を支給されていたのだ。

 

 2人の吸血鬼の狙撃手は姿勢を低くしながら疾駆すると、10秒ほどで灰色の砂で構成された丘の反対側へと消えていった。

 

 AN-94を装備した兵士たちと共に姿勢を低くしながら、ノエルも移動を始めた。左側に屹立する灰色の砂の丘の向こうでは爆炎がいくつも煌いており、その爆炎が残光と化す頃に爆音が轟く。兵士たちの雄叫びや断末魔は全く聞こえなかったが、ノエルは最終防衛ラインの守備隊が繰り広げている死闘がどれだけ激しいのかを理解する。

 

(お兄ちゃん…………)

 

 ラウラが利き手と左足を失ったという報告を聞いた瞬間、ノエルもタクヤのように彼女の仇を取りに出撃しようとした。彼女にとってラウラは小さい頃から遊び相手になってくれた姉のような存在なのである。幸い義手と義足を移植すれば復帰できるが、リハビリが終わるまではラウラはベッドの上で生活することになるだろう。

 

 身体が弱かったせいでベッドの上で生活していたノエルは、狭いベッドの上に横になりながら窓の外を見つめていた時の事を思い出した。ベッドから出て歩いてもすぐに息切れしてしまうせいで走ることができない上に、すぐに体調を崩してしまったため、ベッドからこっそりと逃げ出すこともできなかったのである。

 

 今までに何人も転生者を殺してきたラウラが重傷を負ってしまうほどの激戦が繰り広げられているのだから、もしかしたら大切な(タクヤ)も同じように重傷を負ってしまうかもしれない。それゆえにノエルは、爆炎が煌く度に心配になった。

 

『―――――――こちらアクーラ8。攻撃目標を確認』

 

『こちらアクーラ4、こっちも目標を確認。結構多いぞ』

 

 支給されたC4爆弾で仕留め切れるだろうか、と考え始めたノエルは、目の前に鎮座する灰色の砂の丘の向こうに、塔にも似た巨大な金属の砲身が何本も突き出ていることに気付いた。まるで星空の中で煌いている星たちを撃ち落とそうとしているかのように天空へと向けられた砲身が牙を剥くのは、星空ではなくテンプル騎士団の守備隊だろう。

 

 丘の上に伏せた兵士から双眼鏡を渡されたノエルは、同じように砂の上に伏せながら双眼鏡を覗き込む。

 

 丘の向こうに居座っていたのは、戦車に搭載されている砲身よりも長大な砲身を持つ自走榴弾砲の群れだった。ずらりと並んだ自走榴弾の群れは微動だにせずに砲口を星空へと向けて待機しており、巨大な自走榴弾砲の周囲はXM8を装備した歩兵たちが巡回しているのが見える。

 

 吸血鬼たちの砲兵隊が運用しているのは、『PzH2000』と呼ばれるドイツ製の自走榴弾砲であった。強力な155mm榴弾砲を搭載した車両であり、射程距離は非常に長い。しかも極めて短時間で砲撃を始めることができる高性能な兵器である。

 

 丘の向こうに並んでいたのは、合計で23両のPzH2000の群れであった。1人の兵士に支給されているC4爆弾は3つずつであるため、仮に1個ずつC4爆弾を敵の自走榴弾砲に仕掛けたとすれば、辛うじて全てのPzH2000を爆破できるだろう。

 

 双眼鏡をアクーラ1に返したノエルは、VSSのスコープを覗き込む。

 

 スペツナズが奇襲を仕掛けたことを察知したら、敵の砲兵隊は逃げてしまうだろう。可能ならば気付かれずにこの砲兵隊を排除しなければならない。

 

「よし、アクーラ4とアクーラ8は狙撃で見張りの兵士を仕留めろ。こっちは敵の自走榴弾砲に接近して見張りを排除しつつ、C4爆弾を設置する」

 

『『了解(ダー)』』

 

 無線機に向かって指示を出したアクーラ1が合図したのを確認したノエルは、一旦スコープから目を離すと、頷いてから静かに移動を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼い髪の少年は、最前線でナイフを振るう

 

 タクヤやラウラの両親が得意としていた戦い方と、ノエルの両親が得意としていた戦い方は全く違う。リキヤやエミリアは圧倒的な身体能力や剣術で敵を殲滅するような戦い方を得意としており、第一次転生者戦争や第二次転生者戦争で大きな戦果をあげている。それに対して、ノエルの両親であるシンヤやミラが得意としていたのは、リキヤやエミリアのように敵を叩き潰すような戦い方ではなく、暗殺や隠密行動であった。

 

 それゆえに、娘であるノエルの戦い方は両親たちの戦い方がベースになっている。

 

 身体が頑丈な種族であるハーフエルフの遺伝子だけではなく、強靭な外殻を自在に展開し、あらゆる物質を切り裂く鋭い糸を生成できるキングアラクネの遺伝子まで兼ね備えているノエルならば、敵の真正面から突っ込んで行ったとしても銃を持った敵部隊を殲滅できるだろう。しかし、彼女が得意なのは敵に発見されないように拠点へと潜入し、敵の指揮官を暗殺するような任務であった。

 

 姿勢を低くしながら灰色の砂の上を移動し、敵兵に可能な限り接近する。VSSに搭載されたスコープのレティクルはすでに敵兵の後頭部と重なっているものの、ノエルはまだトリガーを引かなかった。ただ単に敵兵を殺すのであればもうトリガーを引いてもいいのだが、迂闊に敵を排除すればその敵兵の死体が他の敵兵に発見され、こちらの奇襲を教える羽目になる。

 

 真正面から敵部隊と戦うのであれば、死体が敵に見つかったとしても全く支障はない。しかし隠密行動や暗殺の際は、殺した敵兵の死体や他の敵兵の事も考えなければならないため、迂闊に敵兵を殺すわけにはいかないのだ。

 

 照準を合わせたまま、数秒だけスコープから目を離しつつ周囲を確認する。せめて樽や補給物資が入っている大きな木箱があれば敵兵の死体をその中に放り込むことができるのだが、砲兵隊の周囲には死体を隠せそうな木箱や樽は見当たらない。

 

 砂の中に埋めるべきだろうかとノエルは考えたが、穴を掘って死体を放り込み、その死体に砂をかけて隠す間に敵兵に発見される恐れがある。それに、カルガニスタンの砂漠はそれなりに強い風が吹くため、穴が浅ければあっという間に表面の砂を吹っ飛ばされ、隠した筈の死体が砂の中から露出することになってしまう。

 

 遮蔽物は、天空へと長大な砲身を向けているPzH2000の車体くらいである。

 

 舌打ちをしながら銃を降ろし、ノエルは左手を外殻で覆いながら目の前へと突き出す。

 

 瞬く間に彼女の皮膚がキメラの外殻に覆われていく。ジョロウグモの模様にも似た黒と黄色を基調とした奇妙な模様が外殻の表面に浮かび上がったかと思うと、蜘蛛の外殻をいくつも繋ぎ合わせたような奇妙な右腕と化す。

 

 鉤爪を思わせる鋭い指先から、細い糸が伸びていった。兵員室の中でノエルが飲み込んだ水銀の成分を含んだ”水銀の糸”は、まるで獲物に襲い掛かろうとする獰猛な蛇のように敵兵の首へと向かっていく。

 

 水銀の糸が首に絡みついているにもかかわらず、XM8を抱えて砂漠の向こうを見つめている吸血鬼の兵士は、肉や骨を容易く切断できるほどの切れ味を誇る糸が自分の首に絡みついていることに全く気付いていない。背後にいるキメラの少女がその糸を締め上げれば、あっという間に皮膚へと食い込み、そのまま肉と首の骨を一瞬で両断してしまうことだろう。しかも吸血鬼の弱点であるため、再生することはできない。

 

 左手の人差し指を曲げるだけで、あの敵兵の首は切断される。

 

「こちら”ビェールクト1”。周囲に敵兵は?」

 

『こちらアクーラ3。その敵兵の近くにいるPzH2000の影に敵兵が一名。俺が始末する』

 

「了解(ダー)。じゃあ、こいつも殺すね」

 

『はいはい』

 

 味方に連絡したノエルは、躊躇せずに左手の人差し指を少しだけ曲げた。まるで銃のトリガーを引いているかのように指先が動いた直後、水銀の糸が絡みついていた吸血鬼の兵士の首に、深紅の線が刻み付けられる。

 

 そこに水銀の糸が絡みついていたのだ。

 

 首に何かが絡みついているという事は感じ取ったようだが、それに気づいた頃にはすでにノエルの糸は皮膚を突き破って肉を寸断し、首の骨を蹂躙していた。

 

 痛みに気付いた敵兵が左手をライフルのハンドガードから離し、自分の首へと伸ばすよりも先に、ぽろり、とヘルメットをかぶった兵士の首が砂の上へと落下する。切断された首が地面に落下すると同時に、今しがた首を切り落とした水銀の糸が、今度は鮮血を吹き上げながら崩れ落ちようとしている敵兵の背中へと突き刺さった。皮膚や背筋に小さな風穴を開けながら背骨へと絡みついた水銀の糸は、背骨を切断してしまわない程度の強さで敵兵の肉体を背後へと引っ張り、首を切断された吸血鬼の兵士の死体をPzH2000の車体の影へと隠してしまう。

 

 ノエルが死体を隠し終えると同時に、かつん、と車体の反対側から小さな音が聞こえてきた。車体の周囲を警備している敵兵がいないか確認しつつ、ノエルはPzH2000へと向けて素早く走る。ポーチの中からC4爆弾を取り出し、夜空へと砲身を向けている自走榴弾砲の車体の後部へと設置してから、VSSを構えつつPzH2000の影から周囲を確認する。

 

 車体の反対側には、アクーラ3が仕留めた敵兵の死体があった。AN-94の2点バースト射撃によって正確に頭を撃ち抜かれたらしく、ヘルメットには2つの風穴が開いているのが見えた。ヘルメットの隙間から鮮血と脳味噌の破片を覗かせながら倒れている兵士の上を飛び越えたノエルは、他の味方がPzH2000の車体にC4爆弾を設置し終えていることを確認してから、次の群れへと向かう。

 

『アクーラ2、車体の影に敵だ。2人いる』

 

『了解(ダー)、片方は頼んだぜ』

 

『はいよ』

 

 無線機の向こうからアクーラ4(ニコライ4)とアクーラ2の声が聞こえてきたかと思うと、ノエルがこれから接近して爆弾を設置しようとしていた車両を警備していた兵士が、ほぼ同時に崩れ落ちたのである。

 

 片方の兵士の頭を穿ったのは、後方でバイポッドを展開して狙撃したニコライ4が放った.338ラプア・マグナム弾であった。

 

(すごい…………)

 

 テンプル騎士団のスペツナズは、転生者の暗殺や、人質と一緒に建物に立て籠もる犯罪者の抹殺を何度も経験してきた精鋭部隊である。今回のような現代兵器を装備した敵勢力との戦闘は殆ど経験していないとはいえ、警備をしている兵士を次々に始末し、敵の自走榴弾砲に爆弾を設置している。

 

 もし敵に発見されれば、後方で待機しているBMP-3が彼らを支援する予定になっている。合流した後は即座に設置した分のC4爆弾を起爆し、可能な限り敵の砲兵隊に損害を与えることになっているのだが、この調子であれば全ての車両に爆弾を仕掛けるのは難しくないかもしれない。

 

 1個ずつならば辛うじて全ての車両に設置できる分の爆弾があるのだから。

 

 問題は、いくら強力な爆弾とはいえ、1個のC4爆弾でこの自走榴弾砲を仕留め切れない可能性がある点だろう。とはいえ後方には100mm低圧砲と30mm機関砲を兼ね備えたBMP-3も待機している。起爆した時点でこちらの攻撃は察知されてしまうのだから、仕留め切れなかったのならばBMP-3も突撃して強引に殲滅すればいい。

 

 別の車両に向かって走っていたノエルは、はっとしながら走るのを止めると同時に伏せた。右手に持っていたVSSを構えてスコープを覗き込み、別の車両を確認する。

 

『おい、向こうの車両の警備兵が見当たらないぞ?』

 

『ちょっと様子を見てくる』

 

(…………)

 

 どうやら、爆弾を仕掛け終えた車両の近くにいる筈の警備兵が見当たらないことに気付いてしまったらしい。ヴリシア語の会話が聞こえてきた直後、ノエルがこれから爆弾を仕掛けようとしていたPzH2000の影から敵兵が姿を現し、ノエルの方へと向かってくる。

 

 テンプル騎士団の制服は真っ黒である。夜間での戦闘の際には目立つことはないとはいえ、足元を埋め尽くしているのは灰色の砂である。ずっと伏せていれば敵兵に発見されてしまうのは想像に難くない。

 

 発見される前に――――――――始末する必要がある。

 

 先ほどのように糸を伸ばしている余裕はないと判断したノエルは、スコープのレティクルを敵兵に合わせた。

 

 後方の車両へと向かおうとしていた敵兵が、その車両の手前で伏せているノエルの方を見つめながら首を傾げるのが見えた。車両を警備している筈の味方がどうなっているのかを確認するよりも先に、砂漠の上に伏せている黒服の少女を調べるつもりらしく、アサルトライフルの安全装置(セーフティ)を解除して銃口をノエルへと向けながら、ゆっくりと近づいてくる。

 

 トリガーを引く前に一瞬だけその兵士の後ろにいる敵兵を確認する。味方の兵士の確認を相方に任せたらしく、こちらを振り向く様子はない。目の前にいる兵士の顔面に9mm弾をプレゼントした後にその兵士を始末しても問題はないだろう。

 

 敵兵が地面に伏せているノエルに気付くよりも先に、彼女の細い指がVSSのトリガーを引いた。

 

 従来のサプレッサーよりも長大なサプレッサーの中から、1発の9mm弾が躍り出る。通常のアサルトライフルならばマズルブレーキと共に銃声も躍り出る筈だったが、サプレッサーの銃口から飛び出たのは、たった1発の銃弾だけだった。

 

 ロシア製の消音狙撃銃から静かに飛び出した9mm弾が、照準を合わせられた敵兵の顔面へと向かっていく。弾丸が接近しているというのに、その敵兵は相変わらず砂漠の上に伏せている黒服の少女を見つめながら首を傾げるだけである。

 

 その時、首を傾げていた敵兵の頭が後ろへと大きく揺れた。まるで突き飛ばされたかのように左目のすぐ上が後方へと揺れたかと思うと、血まみれの皮膚の一部や脳味噌の一部が後方へとまき散らされる。9mm弾を頭に叩き込まれる羽目になった敵兵はぐるりと後ろに向かって反時計回りに半回転すると、自分が巻き散らした脳味噌の一部を隠そうとするかのようにうつ伏せに倒れた。

 

 息を吐きつつ、次の標的へと照準を合わせる。

 

 トリガーを引こうとしたその時、レティクルの向こうで敵兵の頭が揺れた。ヘルメットを貫通した一発の銃弾が敵兵の頭蓋骨を突き破り、脳味噌を蹂躙する。右側の側道部を撃ち抜かれた敵兵はヘルメットの隙間から鮮血を流しながら崩れ落ち、砂の上を真っ赤に染めた。

 

 今の一撃は、ノエルの弾丸ではない。

 

 ぎょっとしたノエルは周囲を見渡したが、他の兵士たちは二人一組で見張りの兵士を排除しつつ爆弾を設置している。手が空いている兵士は狙撃で援護することになっているニコライ4とアクーラ8だけだ。

 

『―――――――大丈夫か、お嬢ちゃん』

 

「ええ。ありがとね、ニコライ4」

 

 獲物を横取りしたスペツナズの狙撃手にそう言いながら、ノエルは死体の向こうに鎮座しているPzH2000へと突っ走るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オークの兵士が振り回した棍棒が、吸血鬼の兵士の頭をヘルメットもろとも叩き割った。鮮血や肉片がこびりついたヘルメットの破片が飛び散り、首から上が粉砕された吸血鬼の死体が崩れ落ちていく。

 

 その死体を踏みつけながら前進し、アサルトライフルを連射している敵兵の喉元に思い切りスパイク型銃剣を突き立てる。吸血鬼の兵士が目を見開きながらスパイク型銃剣を掴んで引き抜こうとするが、こいつを殺すまでは銃剣を引き抜くつもりはない。一時的に銃剣は敵兵の喉から離れ始めたが、全体重を乗せてもう一度突き入れると、再び銃剣が喉へと突き刺さり始めた。

 

 切っ先が首の骨を貫く感触を感じてから、銃剣を引き抜いて敵兵の死体を思い切り蹴飛ばす。セレクターレバーをフルオートに切り替えて7.62mmを連射し、数名の敵兵をズタズタにしてから、空になったマガジンを取り外した。

 

 敵の超重戦車(マウス)は味方のシャール2Cたちのおかげで次々に撃破されている。中には飛来する大型の対戦車ミサイルをアクティブ防御システムで迎撃しつつ、必死に抵抗し続けている車両もいるが、数秒後に飛来した2発のAPFSDSにあっさりと複合装甲を貫通され、黒煙を吹き上げながら擱座していく。

 

「がぁっ…………!」

 

「ダニエルッ!」

 

「!!」

 

 その時、戦車の残骸の向こうから飛来した数発の銃弾が、RPK-12を連射していた強襲殲滅兵の胸板を貫いた。しかも小口径の5.56mm弾ではなく、よりにもよって7.62mm弾だったらしい。

 

 鮮血を吹き上げながら崩れ落ちたハーフエルフのダニエルを、他の強襲殲滅兵たちがすぐに後方へと引きずっていく。すぐにエリクサーを飲ませれば助かる筈だが、飲ませる前にまた被弾すれば屈強なハーフエルフでも死んでしまう。

 

 仲間を撃ったのは誰だ…………!?

 

 再装填(リロード)を終えたAK-12を腰の後ろにあるホルダーに下げ、背中に背負っていたOSV-96を構える。銃身を展開しつつ、T字型の大型マズルブレーキの下部に折り畳まれていたスパイク型銃剣を展開してから、左手で長大なアンチマテリアルライフルから突き出たキャリングハンドルを握った。

 

 装着されているマガジンは、通常の弾薬ではなく徹甲弾である。

 

 スコップで味方のオークの兵士を殴りつけようとしていた敵兵をミンチにしてから、敵兵たちの後方を睨みつける。

 

 突撃してくる強襲殲滅兵たちを迎撃している敵兵たちの後方に居座っているのは――――――――1両のレオパルト2だった。すでに砲撃が命中していたのか、砲塔の装甲の一部は黒焦げになっており、その装甲の表面にはタンクデサントしていた兵士たちの肉片や内臓がこびりついている。

 

 そのレオパルト2の主砲が火を噴いた。

 

 咄嗟に外殻を使って硬化し、着弾した砲弾の爆風と破片を外殻で弾き飛ばす。普通の兵士ならば爆風と破片でミンチになっている筈だったけれど、ボディアーマーを身につけている上にキメラの外殻で硬化できる俺の身体には、未だに全く傷はついていなかった。

 

 主砲同軸に搭載された機関銃が火を噴くと同時に、そのレオパルト2に向かって突っ走る。

 

 さっきは味方が合流していない状態だったから戦車に向かって突撃するような真似はしなかったが、今は強襲殲滅兵と敵の歩兵が白兵戦を繰り広げている状態だ。そのため、敵の戦車部隊は迂闊に砲撃すれば味方の兵士まで巻き込む羽目になる。

 

 弱点で攻撃しなければ即死することはないとはいえ、一時的に戦死してしまうのだから、こっちの突撃を迎え撃つ兵士が減ってしまう。

 

 仲間の兵士を巻き込まないために、レオパルトは突っ込んでくる俺を主砲同軸の機銃で迎え撃つしかなかった。

 

「Урааааааааа!!」

 

『グエッ…………』

 

 スコップを振り上げようとしていた敵兵の顔面にスパイク型銃剣を突き立て、引き抜きつつ時計回りに身体を回転させる。その兵士の後方でライフルを構えていた敵兵の顎をOSV-96のでっかい銃床で思い切りぶん殴り、崩れ落ちた敵兵の身体を踏みつけて更に前へと進む。

 

 突っ走りながらトリガーを引き、敵の戦車のアクティブ防御システムを狙う。けれどもスコープを覗き込んでいない上に、突っ走りながら射撃しているのだから、この射撃が命中するわけがない。

 

 敵の砲塔には命中したようだが、命中したのは装甲が厚い部分だったらしい。14.5mm徹甲弾があっさりと装甲に弾かれ、血まみれの装甲を火花で一瞬だけ照らす。

 

 射撃している隙に接近してきた敵兵の銃剣を尻尾で受け流し、咄嗟に左手を腰の鞘へと伸ばしてテルミット・ナイフを思い切り左へと薙ぎ払った。刀身が敵兵の喉元を切り裂き、噴き出した返り血が防護服とOSV-96に降りかかる。

 

 生々しい迷彩模様と化した防護服を纏ったまま敵の戦車へと向かっていく。レオパルトは大慌てで後退しようとしたが、後方のシャール2Cがその車両を狙っていたらしく、152mm連装滑腔砲から放たれた多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)がキャタピラへと着弾した。

 

 車体の右脇から火柱が吹き上がり、逃げようとしていた敵の戦車がぴたりと止まる。

 

 逃がすわけがないだろ…………!?

 

 立て続けに放たれる機銃を左手に持っているナイフで切り裂きつつ、尻尾を腰のホルダーに入っている対戦車手榴弾へと伸ばす。安全ピンが抜ける音を聞きながらジャンプし、砲塔の上に降り立った俺は、応戦するためにハッチから飛び出してきた敵の車長を14.5mm徹甲弾でミンチにしてから、ハッチの中にその対戦車手榴弾を放り込んだ。

 

 砲塔から飛び降りた直後、レオパルトのハッチから火柱が吹き上がる。

 

 機銃の連射が止まったのを確認してから、俺は再び走り出した。

 

 絶対に、負けるわけにはいかない。

 

 ブレスト要塞で戦死した同志たちや、手足を失ったラウラの仇を取るまでは。

 

 

 

 



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灰色の戦場へ

 

撃て(トゥータ)!」

 

『発射(トゥータ)っ!!』

 

 アールネや他のスオミの兵士たちが真っ白な耳を塞いだ直後、数分前まで乗っていたStrv.103の主砲が火を噴いた。スオミ支部のエンブレムが描かれた戦車から放たれた多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)は後退を始めていたM2ブラッドレーの車体に突き刺さり、瞬く間に強靭なM2ブラッドレーを火達磨にしてしまう。

 

 絶叫しながら飛び降りてきた兵士たちにRk-95のセミオート射撃をお見舞いして止めを刺したアールネは、顔をしかめながらマガジンの交換を始めた。

 

 本当ならば、攻撃してきた吸血鬼たちの部隊を最終防衛ラインで”迎え撃つ”筈であった。大損害を被っていたとはいえ、吸血鬼の兵士たちの身体能力は圧倒的である。しかも虎の子のステルス機や超重戦車も温存しているのだから、圧倒的な身体能力の兵士たちと共に全て投入してくるのは火を見るよりも明らかであった。

 

 そのため、アールネは最終防衛ラインでの戦闘は今まで経験してきた里の防衛線のような戦いになるのではないかと予測していたのだ。敵が攻撃してくる方向を予測して防衛ラインを構築し、殺到してくる敵の大部隊を片っ端から迎え撃つ防衛戦ならば、彼らは大昔から何度も経験している。中にはオルトバルカ王国騎士団が進行してきた際の防衛線にも参加していたベテランもいるため、そのような防衛戦はスオミの里のお家芸と言えた。

 

 だが――――――――彼の予測は、味方が放った猛烈な砲撃によって木っ端微塵にされてしまう。

 

 テンプル騎士団の切り札であるタンプル砲と36cm要塞砲の砲撃によって、敵は最終防衛ラインへの攻撃を開始する前に大損害を被る羽目になったのだ。しかも砲撃を受けた直後に肉薄してきた強襲殲滅兵たちによって虎の子の突撃兵の大半を失う羽目になり、ブレスト要塞を瞬く間に陥落させた浸透戦術が頓挫してしまったのである。

 

 ブレスト要塞で吸血鬼たちが実行した戦術を知っていたとはいえ、もし仮に最終防衛ラインでも浸透戦術が実施されていたのならば、今頃最終防衛ラインは混乱していたに違いない。強靭な脚力と常人を遥かに上回るスタミナを兼ね備えた吸血鬼の突撃歩兵たちは、防衛線で敵を迎え撃つ守備隊の天敵なのだ。

 

 吸血鬼たちは、その突撃歩兵たちに防衛戦を突破させたからこそ、ブレスト要塞を陥落させることができたと言っても過言ではない。ブレスト要塞の守備隊の規模は前哨基地よりもはるかに大きい上に、もし襲撃を受ければ他の拠点から増援部隊がすぐに派遣できるようになっている。もし仮に吸血鬼たちが浸透戦術によって短時間で要塞を陥落させるのではなく、ただ単に超重戦車や戦車を突撃させて要塞を攻撃していたのならば、周辺の拠点や本部から派遣された増援部隊に包囲されていた筈である。

 

 それゆえに、浸透戦術が頓挫すれば吸血鬼たちが劣勢になるのは火を見るよりも明らかであった。

 

 マガジンの交換を終えたアールネは、コッキングレバーを引いて戦車の影にいる敵兵を狙い撃ちつつ、他の味方の様子を確認する。

 

 最初は敵部隊も前進していたため、このまま前進を続ければ兵士たちは白兵戦をする羽目になるだろうと思っていたのだが、最前列で奮闘する超重戦車の群れが戦車を片っ端から鉄屑にしている上に、一番最初に突撃していった強襲殲滅兵が最前線で敵兵を血祭りにあげているせいなのか、段々と後退を始める敵の戦車や装甲車が増え始めていた。

 

 スオミの里の兵士たちが得意とするのはあくまでも防衛戦である。そのため彼らは防衛戦のプロと言える程の実力を持っているが、侵攻は専門外なのだ。

 

『こちら”シッシ1-1”、目標を砲撃する! 耳を塞げ!』

 

「お前ら、耳を塞げ!」

 

 目の前を走るStrv.103を盾にしながら応戦していたアールネが他の兵士たちに叫んだ頃には、他の戦車たちの後方を進んでいたStrv.103が速度を落としながらぐるりとやや左方向へと車体を向け、歩兵たちを乗せて後退を始めていたM1128ストライカーMGSに多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を叩き込む。砲弾は砲塔の近くに乗っていた兵士の片足を食い千切ると、そのまま装甲を直撃して起爆し、獰猛な爆風とメタルジェットで装甲を抉り取る。

 

 対吸血鬼用の銀の破片が、車体の上に乗っていた吸血鬼の兵士たちの肉体を蜂の巣にする。千切れ飛んだ肉片が爆炎に呑み込まれて真っ黒になり、火達磨になったM1128ストライカーMGSの装甲の上に転がった。

 

 M1128ストライカーMGSがゆっくりと止まったかと思うと、砲塔の周囲の装甲が何の前触れもなく弾け飛び、巨大な火柱が産声を上げた。車内で乗組員たちを焼いていた爆炎が弾薬庫の中の砲弾を誘爆させてしまったらしく、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)の爆発よりも更に巨大な爆発が、装甲の破片や真っ黒になった死体の一部を夜空へと吹っ飛ばす。

 

「よし、撃破! よくやった!!」

 

「さすがだな!!」

 

「兄貴、俺たちもこのまま突っ込みましょう!」

 

「…………いや、俺たちはこのまま味方の後方で支援を行う」

 

「…………いいのか? 味方に戦果を全部取られちまうぜ?」

 

 アールネよりも若い兵士が、目の前を進むStrv.103を盾にしつつ前進しながら尋ねた。

 

「いいか? 俺たちは戦果をあげるためにここに来たんじゃねえ。テンプル騎士団の仲間たちを皆殺しにしようとするクソ野郎共を迎え撃つために、こんな砂漠までやってきたんだ。…………欲を張るなよ」

 

「分かった」

 

 スオミの兵士たちは、侵攻作戦を経験したことが殆どない。当たり前だが、拠点を守るための防衛戦と敵の拠点を陥落させるための侵攻作戦は全く違うのだ。いくら防衛戦では何度も拠点を守り抜いたベテランの兵士でも、経験がないのであれば新兵と変わらないのだから。

 

 だからこそアールネは慎重になっていた。何度も魔物を撃退してきた戦士たちならば、確かに最前線で戦っても戦果をあげることだろう。しかしあの第二次転生者戦争(ヴリシアの戦い)を経験したベテランの兵士が何名も本部に所属しているのに対し、スオミ支部の兵士の中であの戦いを経験したのはごく一部の兵士のみだ。しかも橋頭保となった図書館の防衛に参加した程度であったため、実質的には殆ど侵攻作戦を経験していない。

 

 それゆえに、スオミの里の兵士たちの中でもベテランの兵士であるアールネですら、”引き際”が分からないのである。

 

 攻め過ぎれば敵の集中砲火をお見舞いされる羽目になる。だからと言って後方から慎重に攻撃していれば、敵にほとんど損害を与えられない。防衛戦であれば攻め込んでくる敵の位置を確認し、拠点を攻撃しようとする敵を叩き潰せばいいのだが、侵攻作戦は予想以上に複雑なのだ。

 

 それに、スオミの里の兵士は本部の兵士よりも人数が少ない。1人の兵士が戦死するだけで大打撃になってしまう。

 

(本部の奴らにお手本でも見せてもらうとするか)

 

 そう思いながら、最前列のシャール2Cたちやチョールヌイ・オリョールたちを凝視する。

 

 敵の砲撃を喰らって火達磨になりながら戦線を離脱したT-90の代わりに最前列に躍り出たのは、砲塔にオルトバルカ語で”ドレットノート”と描かれた1両のチョールヌイ・オリョールであった。あの近代化改修型マウスを撃破するために152mm滑腔砲を搭載した虎の子の新型主力戦車(MBT)が火を噴いたかと思うと、巨大なAPFSDSを喰らったレオパルトの砲塔が抉れ、破片を巻き散らしながら吹っ飛んでいた。

 

 後方へとやってきた味方のチョールヌイ・オリョールに最前列を譲ったかと思うと、ナタリアが指揮を執るドレットノートが急に右側へと進路を変えた。砲塔を左へと向けながらまたしても砲撃し、数名の敵兵をミンチにしてしまう。

 

 彼女の戦車が向かったのは、敵の集中攻撃を叩き込まれていた味方のT-55エニグマのすぐ近くであった。無線で援護を要請されたのか、集中砲火を受けて砲塔の後部が炎上していた味方の戦車の側へと駆けつけたナタリアの戦車が、アクティブ防御システムでT-55エニグマをスクラップにする筈だった対戦車ミサイルを叩き落し、逆にM2ブラッドレーの砲塔をAPFSDSで消し飛ばした。

 

(ただ単に前進するだけじゃなくて、味方の支援までやってるのか…………!?)

 

 敵部隊へと攻撃すれば、当たり前だが敵の反撃で味方が損害を被ってしまう。そのため、ナタリアたちの戦車は敵の反撃から味方を守りつつ、敵部隊へと攻撃しているのだ。

 

 しかもナタリアは戦車部隊を指揮している指揮官である。進撃していく戦車たちに指示を出し、敵へと攻撃するだけでなく、手負いの味方を必死に援護しているのであった。

 

 辛うじて動き出したT-55エニグマへと飛来する対戦車ミサイルをアクティブ防御システムで叩き落し、装甲車の機関砲を分厚い複合装甲で弾き飛ばしながら、巨大な152mm滑腔砲で無人戦車に負けてたまるかと言わんばかりに敵の戦車を吹き飛ばしていく。

 

「兄貴、敵部隊が本格的に後退し始めた!」

 

「よし…………ッ! 本部の部隊を支援するぞ! こっちも前進するぞ!!」

 

 浸透戦術が頓挫してしまった吸血鬼の本隊が、段々と後方へと下がり始めた。

 

 近代化改修型マウスの群れが、その近代化改修型マウスを撃破する事を想定して改造されたシャール2Cの群れに蹂躙され過ぎたせいで、後退せざるを得なくなってしまったのである。

 

 後退を始めた敵の戦車や歩兵たちを、最前線にいる強襲殲滅兵やシャール2Cたちが血祭りにあげていく。

 

 ヴリシアの戦いから生還して成長した戦友たちを見守りながら、アールネはセミオート射撃で援護を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灰色の砂で埋め尽くされた大地の上を、3機の巨大な怪物が飛行していく。従来の輸送機よりも巨大な胴体と、エンジンを6基も搭載した巨大な翼を併せ持つその怪物は、傍から見れば”巨大な翼の生えたクジラ”のようにも見えるに違いない。

 

 カルガニスタンの上空を飛行しているその怪物たちは、かつてソビエト連邦が開発した『An-225ムリーヤ』と呼ばれる超大型の輸送機であった。

 

 機体の胴体や巨大な主翼には、これ見よがしにモリガン・カンパニーのエンブレムが描かれているのが見える。そのエンブレムの隣に描かれているのは、純白の花弁と剣が描かれたドルレアン家の家紋だ。

 

 エイナ・ドルレアンの郊外に用意されたモリガン・カンパニーの飛行場から飛び立った3機の超大型輸送機たちが運んでいるのは、モリガン・カンパニーが派遣することになったハーレム・ヘルファイターズの屈強な兵士たちや、現代兵器で武装したドルレアン家の私兵たちである。

 

 巨大な機内の格納庫に積み込まれた小さめのコンテナの上に腰を下ろしたギュンターは、小さめの水筒の中に入っていたウォッカを飲み干し、支給された自分の武器をもう一度チェックしていた。ハーレム・ヘルファイターズやドルレアン家の私兵たちに支給されたのは、フランス製アサルトライフルのFA-MASである。白と灰色の迷彩模様に塗装された彼の得物にはすでにフォアグリップとホロサイトとブースターが装備されており、ライフルグレネードの砲弾も支給されている。

 

 左手でブースターを掴み、ホロサイトの後方に展開してからブースターを覗き込む。しっかりとレティクルが映っていることを確認してから元の位置に戻し、安全装置(セーフティ)がかかっていることを確認してから、ギュンターは溜息をついた。

 

 これからハーレム・ヘルファイターズの兵士たちとドルレアン家の私兵たちは、吸血鬼たちによる攻撃を受けているテンプル騎士団を支援するために、カルガニスタンで繰り広げられている死闘の真っ只中にこれから”投下”されることになるのだ。しかもモリガン・カンパニーが派遣する部隊の中では最も早く出発したため、ほぼ確実に本隊よりも先に戦場へと到着するだろう。

 

「大丈夫かなぁ…………」

 

「何がです?」

 

 コンテナに座りながら呟いた彼に声をかけたのは、白と灰色の迷彩服に身を包んだドルレアン家の私兵の1人だった。

 

 権力の大きい貴族は、基本的に私兵を保有していることが多い。私兵たちに支給されるのは騎士団が使用している装備とほぼ同じであり、場合によっては騎士団と合同演習をすることもある。ドルレアン家もオルトバルカ王国の南方に広がるドルレアン領を治める立派な貴族であるため、合計で200名ほどの私兵を保有していた。

 

 産業革命前までは従来の騎士団と同じ装備を使用していたのだが、カレンの要望によってリキヤから私兵たちに現代兵器が支給されており、モリガン・カンパニーの部隊と毎日のように合同演習を行っているため、この世界の貴族たちが保有する私兵たちの中でも最も強い私兵たちと言っても過言ではないだろう。

 

「娘が心配なんだよ…………」

 

「旦那様、お嬢様はきっと奮戦していますよ」

 

「そうよ、ギュンター」

 

 もう一度溜息をつこうとしていたギュンターの所に、他の兵士たちと同じく白と灰色の迷彩服に身を包んだカレンがやってきた。普段は赤いドレスを身に纏っていることが多いせいなのか、迷彩服を身に纏っているのを見ると違和感を感じてしまう。

 

「私たちの娘なのよ?」

 

「…………そうだな」

 

 幼少の頃からマナーや勉強だけではなく、様々な戦い方を教えた。10歳になってからは現代兵器の使い方もカノンに教えたのだが、彼女が得意としたのはギュンターのようにLMGで弾幕を張るような戦い方ではなく、母であるカレンのようにマークスマンライフルを使用し、中距離にいる標的を次々に撃ち抜いていく中距離狙撃であった。

 

 リキヤが「中距離狙撃をしながら早撃ちをしているようだ」と言うほどの技術を持っている愛娘ならば、きっと仲間たちと共に吸血鬼たちを撃退するだろう。そう思ったギュンターは頭を振ってからコンテナの上から降り、カレンと共に格納庫に整列している兵士たちの元へと向かう。

 

 彼の妻であるカレンが背中に背負っているのは他の兵士たちが装備しているFA-MASではなく、木製の部品で覆われた古めかしい外見のライフルであった。

 

 カレンが装備しているのは、『MAS49』と呼ばれるフランス製のセミオートマチック式ライフルである。第二次世界大戦が終結してからフランス軍が採用した代物であり、旧式のライフルであるものの、極めて高い信頼性と命中精度を兼ね備えた銃である。さすがにアサルトライフルと比べると連射速度では大きく劣っているが、大口径の弾薬を使用する銃であるため、威力と命中精度ならばこちらの方が上なのだ。

 

 中距離狙撃を得意とするカレンは、そのMAS49に中距離用のスコープとバイポッドを装着していた。更に強烈な攻撃を敵にお見舞いするためなのか、ライフルグレネード用のアダプターも銃口に装着しているため、場合によってはライフルグレネードによる支援砲撃が可能となっている。

 

 整列している兵士たちの前にやってきたカレンが、兵士たちに作戦の説明を始めた。

 

「これから私たちは、カルガニスタンの砂漠の真っ只中に降下するわ。攻撃目標はテンプル騎士団を攻撃している吸血鬼の主力部隊よ。すでにテンプル騎士団の猛攻で後退を始めているとはいえ、敵はまだ160mm滑腔砲を搭載した超重戦車で応戦しているわ。油断できないわよ」

 

 彼女が160mm滑腔砲と言った途端、私兵の一部がざわついた。すでにヴリシアで近代化改修型のマウスを目の当たりにしていた兵士たちは、黙って彼女の説明を聞いている。

 

 ドルレアン家の私兵たちは、モリガン・カンパニーの兵士たちと合同訓練を何度も行っているとはいえ、現代兵器を装備して実戦を経験したことはあまりないのだ。つまり彼らの錬度は、あらゆる激戦を経験してきたハーレム・ヘルファイターズとは比べ物にならないほど低いのである。

 

「まず後退していく敵部隊の側面に降下して、反撃を続けるテンプル騎士団の部隊を支援するわよ」

 

「カレン様、包囲はしないのですか?」

 

 今しがた質問した私兵は、後退していく吸血鬼たちの後方に降下すれば敵を包囲する事ができると考えたのだろう。確かに、撤退していく敵部隊の目の前に立ちはだかれば、後続のテンプル騎士団の部隊と共に包囲する事ができるに違いない。

 

「―――――――たった400人の歩兵と5両の戦車で、こっちよりも規模の大きな部隊の目の前に立ちはだかったらどうなると思う?」

 

「あ…………」

 

 テンプル騎士団の猛攻で弱体化しているとはいえ、吸血鬼たちの兵力はドルレアン家の私兵とハーレム・ヘルファイターズの規模を上回っている。しかも、敵の戦車部隊の中には近代化改修型のマウスも含まれているため、立ちはだかろうとすれば160mm滑腔砲の餌食になるのが関の山だ。

 

 だからこそカレンは敵を包囲せずに、側面から攻撃して敵の戦力を削り取ることを選んだのである。そのまま撤退していく敵に損害を与えてブレスト要塞に封じ込めてしまえば、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍が到着するまで時間を稼ぐことができる。

 

「降下したら敵の側面から攻撃を仕掛けて、敵部隊の戦力を削り取るわ。いいわね?」

 

「「「「「了解!!」」」」」

 

「では、降下準備!」

 

 迷彩服に身を包んだ兵士たちが、ライフルを抱えながらパラシュートで降下する準備を始める。カレンは格納庫の中にいるロードマスターに「よろしくね」と言ってから、パラシュートの準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ターニャの運転

 

ステラ「ターニャは戦車の運転が上手ですよね」

 

ターニャ「ありがとうございます、同志ステラ」

 

ステラ「ということは…………ドリフトもできるのでしょうか?」

 

ターニャ「では今度披露しましょう」

 

ナタリア「お願いだから普通に運転してちょうだい」

 

 完

 

 



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家族と兵士

 

 蜂の巣にされた灰色のラファールが、主翼やエンジンから煙を吐き出して落下していく。夜空に刻み付けられた黒煙の柱に身に纏う衝撃波で風穴を開けた純白のグリペンが、後方から発射されたミサイルを急旋回であっさりと回避し、逆にそのミサイルを放ったラファールの背後へと回り込んでいく。

 

 純白のグリペンの主翼に描かれているのは、スオミ支部のエンブレムであった。

 

 敵の航空隊の数が減っているとはいえ、その純白の機体には、未だに1つも傷がついていない。灰色の砂でほんの少しばかり汚れているが、まるで一流の整備兵たちによってメンテナンスを受けた直後のように、弾丸を叩き込まれた痕どころか、撃破した機体の破片がぶつかったような痕すらないのである。

 

 その機体を操っているのは――――――――スオミ支部が誇る、”無傷の撃墜王”であった。

 

 純白のグリペンに回り込まれたラファールが、慌てふためきつつ急旋回する。しかし背後に回り込んだグリペンを操るイッルは同じように容易く急旋回しつつレティクルを覗き込むと、機関砲の発射スイッチを押した。

 

 機首から放たれた砲弾が、機体の後部に並んでいるラファールのエンジンノズルの間を直撃する。エンジンノズルがひしゃげた瞬間、急旋回して何とか”無傷の撃墜王”を引き離そうとしていたラファールががくんと高度を落とし、先ほど撃墜された機体のようにそのまま墜落していく。

 

 コクピットからパイロットが飛び出し、灰色のパラシュートを開いて降下していくのを一瞥したイッルは、すぐに別の標的を探し始めた。

 

 タンプル砲による地対空キャニスター弾の先制攻撃によって敵の航空隊はすでに大損害を被っていたとはいえ、吸血鬼たちの最期の攻撃は熾烈としか言いようがなかった。この攻撃が失敗して後退する羽目になれば、この砂漠へと向かっている大部隊に包囲されて殲滅されてしまうのが関の山である。すでに大損害を被っている上に包囲されて退路まで失えば、吸血鬼たちはこの世界最強のモリガン・カンパニーの大部隊に嬲り殺しにされるしかないのだ。

 

 そうなれば、もちろんレリエル・クロフォードを復活させることもできない。

 

 だからこそ、吸血鬼の兵士たちは必死だった。この戦いで何としてもテンプル騎士団だけは打ち破らなければならないのだから。

 

 敵の航空隊の中には、タンプル砲の地対空キャニスター弾から生れ落ちた無数の炸裂弾のうちの数発が被弾し、戦線を離脱しなければならないほど損傷している状態のステルス機も見受けられる。垂直尾翼の一部が欠け、フラップやエンジンノズルが歪んだ状態で戦場へと突入した戦闘機のパイロットたちが、せめてミサイルだけでも発射してテンプル騎士団に損害を与えようとしているのだ。

 

 逆に発射された空対空ミサイルを、損傷していたせいで回避できずに喰らってしまうF-22を見下ろしながら、イッルは息を呑んだ。

 

(吸血鬼たちの執念か…………)

 

 この最後の攻撃に参加している吸血鬼たちは、まさに死に物狂いであった。

 

 モリガン・カンパニーの本隊が合流する前にこの最終防衛ラインを突破し、タンプル搭を占拠しなければ勝機はないのだから。

 

 もし仮にこの戦いに敗北すれば、彼らはもう二度と部隊を再編制して攻撃することができなくなってしまうだろう。吸血鬼は人類の中でも極めて強力な種族であり、弱点で攻撃されない限り再生することができるのだが、大昔の戦争で大半の吸血鬼たちが命を落としているため、極めて数が少ないのである。

 

 つまり吸血鬼たちにとっては、同胞が1人死ぬだけでも大損害という事だ。

 

 キャノピーの上で、深紅の爆炎が煌く。黒煙へと変貌した爆炎の中から落下してきたのは、胴体を捥ぎ取られたPAK-FAの機首だった。亀裂の入ったキャノピーの向こうにいる血まみれのパイロットを見つめると同時に、イッルは反射的に機体を減速させつつ機首を天空へと向ける。

 

 瞬く間に灰色の大地がキャノピーから消え失せ、レティクルやキャノピーの向こうが星空で埋め尽くされる。変貌した景色の向こうから真っ直ぐに突っ込んでくるのは、今しがた墜落していったPAK-FAを撃墜した1機のF-22であった。

 

 ミサイルのロックオンが間に合わないと判断したのか、急接近してくるF-22から無数の砲弾が飛来する。

 

 しかし、イッルはまだ機関砲を発射せずに、そのまま直進することにした。

 

(多分当たらないな)

 

 今すぐ発射したとしても、当たらない。

 

 もう少し距離を詰めれば、数発の機関砲で敵機を撃墜できるのだ。

 

 機関砲の群れの中を直進しつつ、レティクルの向こうに灰色に塗装されたステルス機の機首が見えたのを確認したイッルは、息を吐いてから機関砲の発射スイッチを押した。

 

 真正面から突っ込んでくるF-22のコクピットに、イッルの放った機関砲のうちの一発が飛び込む。キャノピーがあっという間に割れ、ガラスの破片とパイロットの肉片を巻き散らしたかと思うと、灰色のF-22がぐらりと揺れ、そのままゆっくりと右へ旋回してイッルのグリペンを躱そうとしているかのように落ちていく。

 

 キャノピーに被弾したF-22とすれ違ったイッルのすぐ近くを、味方の純白のビゲンが通過していった。スオミ支部のエンブレムが描かれたそのビゲンはテンプル騎士団のSu-35の背後に回り込んだラファールに向けてミサイルを放つが、ロックオンされたラファールはすぐに攻撃を中止してフレアをばら撒きつつ急旋回。フレアの雨の中で軌道が曲がったミサイルを置き去りにしたラファールが、そのビゲンを仕留めるために急旋回を始める。

 

 敵のパイロットが味方のビゲンに狙いを定めたおかげで、そのラファールは隙だらけだった。

 

 狙われている味方のビゲンも、イッルが背後に回りやすいようにわざと隙だらけとしか言いようがない飛び方をしているらしく、背後に回り込んでみろと言わんばかりに真っ直ぐ飛んでいる。ラファールはお構いなしにビゲンの背後へと回り込み、ロックオンを始めたが―――――――主翼にぶら下げれられたミサイルが解き放たれるよりも先に、後方から放たれた数発の砲弾がラファールの背中に突き刺さっていた。

 

 黒煙が噴き出した直後、ラファールが火達磨になりながらぐるぐると回転を始める。

 

『助かったよ、イッル』

 

 ラファールの囮になってくれたビゲンのパイロットが、機体を減速させてイッルの隣までやって来る。一緒に里を飛竜の群れから守ってきたパイロットに向かって手を振ったイッルは、操縦桿を倒して別の標的を探し始める。

 

 その時、ラファールに回り込まれていたタンプル搭のSu-27が、急に機首を天空へと向けながら減速を始めた。いきなり目の前にいた標的が減速し始めたせいでぎょっとしたのか、後方で機関砲を叩き込む準備をしていたラファールが大慌てで回避するが、そのラファールが体勢を立て直して離脱しようとした頃には、今しがた減速して背後へと回り込んだSu-27が放った機関砲の餌食となっていた。

 

(コブラ…………)

 

 タンプル搭に所属する航空隊の中には、コブラを使うことができるパイロットが多いという。空対空ミサイルで敵機を撃墜する事が当たり前となっているにもかかわらず、テンプル騎士団のパイロットたちが得意としているのはドッグファイトなのである。

 

 その時、今しがた囮になってくれた味方のビゲンを狙おうとしていたF-35Aのエンジンノズルに、後方から飛来した1発のミサイルが飛び込んだ。エンジンノズルから吐き出すにしてはあまりにも大きすぎる炎の塊を吐き出したF-35Aが、まるでその炎の塊に侵食されているかのように段々と炎に包まれていき、ぐるぐると回転を始める。

 

 やがて歪んだ尾翼や垂直尾翼が零れ落ち、無数の破片を巻き散らしながら墜落していった。

 

 ミサイルが残した白煙と、墜落した敵機の黒煙の間を突き抜けていくのは、もう1機のグリペンである。この戦いに投入されている虎の子のグリペンは2機のみであり、もう1機のグリペンはスオミ支部が誇るもう1人のエースパイロットに与えられている。

 

「ニパも無事みたいだね」

 

 たった今敵のステルス機を撃墜した戦友が、テンプル騎士団に入団する前に自分の乗っていた飛竜に風邪をうつされた時の事を思い出したイッルは、飛び去っていくニパのグリペンを見つめながら笑っていた。

 

 飛び方はイッルよりもはるかに荒いものの、彼ならばきっと敵の航空隊を圧倒してくれるだろう。

 

 いつも一緒に戦っていた幼馴染を見守ったイッルは、「頑張れよ、ニパ」と言ってから機体を旋回させるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この異世界で、現代兵器で武装した転生者が率いる組織同士が初めて激突したのは、今から15年前にファルリュー島で勃発した”第一次転生者戦争”であるという。

 

 ネイリンゲンを壊滅させた勇者を討伐するために、親父が李風さんたちと共に勇者たちの本拠地に攻撃を仕掛けたのだ。10000人の守備隊に戦いを挑んだのは、まだ錬度が低いとしか言いようがなかった300人の海兵たちで、親父が率いていた連合軍が不利なのは火を見るよりも明らかであった。

 

 しかし、ネイリンゲンで多くの仲間を失った彼らの指揮は非常に高く、信じられないことに守備隊が構築した防衛ラインを次々に突破し、ついに勇者の討伐に成功してしまったという。

 

 そして俺たちが経験した第二次転生者戦争は、その戦争を超えた。

 

 戦場と化した大国の帝都で、俺たちは地獄を目にしてきたのだ。

 

 雄叫びを上げながら塹壕の中で殴り合う兵士たち。足を撃たれて動けなくなった兵士を、容赦なくキャタピラで踏みつぶしていく戦車の群れ。その地獄の上空では、戦闘機のミサイルで木っ端微塵になった機体の残骸と共に、黒焦げになったパイロットの肉片が大空にばら撒かれていく。

 

 あの時の光景がフラッシュバックする。この春季攻勢(カイザーシュラハト)は第二次転生者戦争と比べると規模は小さいものの、繰り広げられている死闘は地獄としか言いようがなかった。

 

 俺たちは、再び地獄の中へと飛び込む羽目になったのだ。

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!』

 

「!」

 

 AK-12のフルオート射撃で吸血鬼の兵士を蜂の巣にした俺に向かって、スコップを振り上げた兵士が雄叫びを上げながら突っ込んでくる。味方の戦車の砲撃で片腕を捥ぎ取られてしまったのか、左腕は肩から先がない。腕どころか左側の脇腹まで抉られたらしく、先端の折れた肋骨や内臓らしきピンク色の肉があらわになっていた。

 

 雄叫びを上げていることを除けば、ゾンビを彷彿とさせる姿である。

 

 痛覚が麻痺しているのか、その吸血鬼の兵士は他の強襲殲滅兵が放った弾丸で胸板を貫かれているにもかかわらず、口から血を吐き出しながら突っ込んできやがった。

 

 反射的にAK-12を前に突き出し、振り下ろされたスコップを受け止める。そのまま吸血鬼がスコップを強引に押し込んでくるが、鍔迫り合いに付き合うつもりはない。第一、鍔迫り合いは近接武器でやるものだ。AK-12は弾丸を放つための武器なのだから、こんな戦い方は全く想定していない。

 

 ホロサイトが割れたらどうするんだ!

 

 尻尾をその兵士のアキレス腱に突き刺し、体勢を崩す。痛覚が麻痺しているとはいえ、アキレス腱を切断されればそのままスコップを押し込むことは不可能だろう。突き刺した尻尾を引き抜く頃には雄叫びを上げていた吸血鬼の身体ががくんとよろめき、スコップからも力が抜けていた。

 

 その隙にAK-12を押し返して兵士を突き飛ばし、起き上がる前にフルオート射撃をお見舞いする。脇腹から覗いていた内臓に飛び込んだ弾丸がその敵兵に止めを刺したらしく、スコップを握っていた兵士は最後に内ポケットに入っている何かを取り出そうとしながら動かなくなる。

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

 マガジンを交換しながら、俺はその仕留めた敵兵の軍服の内ポケットの中身を見てみることにした。焦げた破片と血がこれでもかというほど付着した軍服の内ポケットの中に入っている物を掴み取り、付着している血を拭き取りながら見下ろす。

 

 今しがた仕留めた兵士の軍服の中に入っていたのは、一枚の写真だった。

 

 この世界ではまだカメラが発明されたばかりであり、白黒の写真しか存在しない。前世の世界のようなカラー写真は未だに発明されていないのである。

 

 その白黒の写真に写っていたのは―――――――スーツ姿の男性と、お腹の大きな女性だった。

 

「…………」

 

 お腹の大きな女性は、奥さんなのだろうか。

 

 この兵士は、この女性のお腹にいる子供の父親だったのだろうか。

 

 微笑んでいる女性の隣に立っているスーツ姿の男性の顔を見てから、もう動かなくなった敵兵の顔を見下ろす。飛び散った自分の肉片と鮮血のせいで真っ赤に汚れていたけれど、この写真に写っているスーツ姿の男性と同じ顔だった。妻のお腹の中にいる子供に会うことができずにあの世へと逝かなければならなくなったことが悔しいのか、歯を食いしばったまま、目を見開いて倒れている。

 

 写真を自分の防護服で拭き取り、静かにその兵士のポケットの中へと戻した。見開いたままになっている眼を静かに閉じさせてから、”敵兵(父親)”の亡骸の傍らから走り出す。

 

 ―――――――同じじゃないか。

 

 銃剣を展開したアサルトライフルを構え、LMGをひたすらぶっぱなし続けている敵兵の群れに突撃しながら絶叫する。

 

 ―――――――敵兵たちも、同じじゃないか。

 

 俺たちから見ればこいつらはクソ野郎だ。毒ガスを使って仲間を何人も殺した怨敵でしかない。

 

 けれども彼らから見れば、俺たちがクソ野郎なのだ。

 

 自分たちの種族を救うために、彼らも戦っているのである。

 

 外殻でMG3から凄まじい勢いで放たれる7.62mm弾をことごとく弾き飛ばしながら肉薄し、スパイク型の銃剣でLMGの射手の喉元を貫く。銃剣を引き抜こうとしてもがく敵兵に至近距離で7.62mm弾のセミオート射撃をお見舞いして止めを刺しつつ、グレネードランチャーのグリップから離した左手をハンドガンのホルスターの中へと伸ばし、PL-14を引き抜く。

 

 セレクターレバーをフルオートに切り替えながら、今しがた串刺しにした敵兵の傍らで7.62mm弾のベルトを握っていた敵兵を蜂の巣にする。大慌てでコルトM1911A1を引き抜こうとした敵兵の肉体があっという間に無数の9mm弾に引き裂かれ、ズタズタになっていく。

 

 どちらも若い兵士だった。

 

 この2人にも、家族がいたのだろうか。

 

 PL-14のマガジンを取り外し、敵兵の死体から銃剣付きのAK-12を引き抜くよりも先にPL-14のマガジンを交換する。フルオート射撃ができるように改造したPL-14をホルスターの中に戻してからアサルトライフルを引っこ抜き、俺は歯を食いしばった。

 

「何なんだよ、ちくしょう…………ッ!!」

 

 セレクターレバーを3点バーストに切り替え、敵兵へと向けてぶっ放す。

 

 その時、後退していく1両のレオパルトがこちらへと砲塔を旋回させた。ぎょっとしながら横へとジャンプした直後、120mm滑腔砲の砲口から飛び出た1発の多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)がすぐ近くに着弾し、爆風と破片が襲い掛かってきた。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「ど、同志!」

 

「くそ、団長が…………! おい、あの戦車を仕留めろッ!!」

 

 硬化するよりも先に、破片が身体に突き刺さったらしい。

 

 胸板や右足の太腿から激痛がする。激痛を発している場所を睨みつけると、小さな黒い破片が身体に突き刺さっているのが見えた。それほど大きな破片が突き刺さっているわけではないらしい。

 

 歯を食いしばりながら強引に破片を引き抜く。肉と皮膚もほんの少しばかり抉れたけれど、エリクサーを飲めばすぐに治療できるだろう。

 

 落としてしまったAK-12を拾い上げ、腰の後ろに下げてから、俺は今しがた砲撃をプレゼントしてくれたレオパルトに向けて突っ走る。

 

 左手でテルミット・ナイフを引き抜くと同時に、主砲同軸に搭載された機関銃が火を噴いた。灰色の砂漠を照らし出すマズルフラッシュの中から飛来するのは、魔物の堅牢な外殻を貫通するほどの貫通力を誇る、大口径の7.62mm弾たち。

 

 外殻で弾丸を弾き飛ばし、左手のナイフで可能な限り7.62mm弾を両断しながら、後退しているレオパルトに肉薄する。複合装甲で覆われた正面装甲をよじ登ってから、装備している刃物の切れ味を劇的に強化する巨躯解体(ブッチャー・タイム)を発動。一気に切れ味が強化されたてテルミット・ナイフの刀身を、砲口から煙を吐き出している120mm滑腔砲の砲身へと振り下ろす。

 

 刀身が砲身に触れた途端、まるで金属が削れるような音が一瞬だけ聞こえた。鼓膜へと流れ込んだその音が残響と化すと同時に火花が散り、鉄の溶ける悪臭が鼻孔へと流れ込んでくる。

 

 ナイフを振り下ろしていた左腕が下がったかと思うと、ごとん、と正面装甲に金属の塊がぶつかるような音が聞こえてきた。

 

 後退していくレオパルトの車体から、切断された120mm滑腔砲の砲身が零れ落ちる。

 

『く、くそ、この化け物めぇッ!!』

 

 砲撃が不可能になったレオパルトの砲塔から、車長と思われる吸血鬼の兵士が躍り出た。懐からコルトM1911A1を引き抜きながら発砲してくるが、サラマンダーを上回る防御力を誇るキメラの外殻を撃ち抜けるわけがない。

 

 弾丸が着弾する衝撃を感じながら、俺は手榴弾の安全ピンを抜き、その車長へと投げつけた。身を乗り出している車長とハッチの隙間から車内へと転がり込んだ手榴弾が、ことん、と小さな音を奏でたのを聞いた瞬間、ぎょっとしながらこっちを睨みつけている車長を一瞥してから、レオパルトの車体から飛び降りる。

 

 ズドン、とレオパルトの車内から爆音が聞こえてくると同時に、後退していた戦車が動かなくなった。

 

「…………」

 

 吸血鬼たちから見れば、俺たちは彼らを虐げるクソ野郎かもしれない。

 

 けれども俺たちは、この世界で虐げられている奴隷たちを守らなければならないのだ。ここで彼らを迎え撃たなければ、保護した奴隷たちや兵士たちの家族が彼らに虐げられることになるのだから。

 

「あれは…………?」

 

 後退していく敵部隊を睨みつけたその時、俺はいつの間にか巨大な怪物が空に居座っていたことに気付いた。

 

 一見すると前世の世界で何度も目にした旅客機に見えるかもしれない。けれどもその怪物の胴体は明らかに空港にいる旅客機よりもがっちりとしていて、巨大な主翼の下にはかなり巨大なエンジンが6基もエンジンが居座っていた。

 

 兵士たちが死闘を繰り広げている戦場の上空に姿を現したのは――――――――ソ連が開発した、『An-225ムリーヤ』と呼ばれる超大型輸送機の編隊であった。

 

 

 

 

 



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灰色の援軍

 

 星空の中を舞う巨大な鯨のような超大型輸送機の後部のハッチが開いたかと思うと、格納庫の中から立て続けに灰色の迷彩服に身を包んだ兵士たちが躍り出る。やがて夜空の中で無数の灰色のパラシュートが膨れ上がり、兵士たちをゆっくりと地上へ送り届け始めた。

 

 2機のAn-225が兵士たちを降下させている間に、1機のAn-225が急激に高度を落とし始めた。そのまま砂漠に着陸するつもりなのではないかと思ってしまうほど高度を下げた超大型輸送機は、兵士たちを夜空へと解き放つ同型機たちのように後部のハッチを開くと、武装した兵士たちよりもはるかに巨大で獰猛な怪物を解き放つ準備を始める。

 

 ちなみに、An-225のハッチは機首のハッチしか存在しないのだが、モリガン・カンパニーやテンプル騎士団で運用されているAn-225は改造を施されており、後部のハッチも追加されていた。そのため歩兵たちをこのようにパラシュートで降下させる任務にも投入できるのである。

 

 高度を落としたAn-225の後部のハッチの中から、何の前触れもなく歩兵用にしては大きなパラシュートが飛び出す。あっという間に猛烈な空気抵抗に晒された巨大なパラシュートが、格納庫の中で眠っている怪物を冷たい風が支配する砂漠へと引きずり出そうとする。

 

 やがて、格納庫に積み込まれていた怪物が、パレットと共に躍り出た。

 

 車体にはキャタピラが装着されており、大口径の主砲が搭載された砲塔が車体の上に搭載されている。しかし車体の形状は装甲車のようなデザインになっており、砲塔から突き出ている主砲の砲身もやけに短いため、歩兵戦闘車(IFV)のようにも見えてしまう。

 

 An-225の中から躍り出たのは、ベトナム戦争でアメリカが運用していた『M551シェリダン』と呼ばれるアメリカ製の空挺戦車であった。主砲は対戦車ミサイルの”シレイラ”も発射可能な大口径の152mmガンランチャーとなっており、極めて高い攻撃力を誇っている。機動性も高い上に水上を進む事もできるため、広大な河を突破することも可能である。

 

 だが、戦車の中では装甲がかなり薄いという欠点があるため、対戦車用のロケットランチャーに被弾すればあっさりと撃破されてしまう恐れがある。そのため、ハーレム・ヘルファイターズに配備されたシェリダンには少しでも生存率を上げるためにアクティブ防御システムと爆発反応装甲が搭載されており、防御力が向上していた。

 

 爆発反応装甲とアクティブ防御システムを搭載したシェリダンが、3両ほどAn-225の格納庫から飛び出していく。戦車が格納庫から躍り出るよりも先に飛び出した巨大なパラシュートが猛烈な空気抵抗に晒され、格納庫の中の戦車を引きずり出していく。

 

 An-225の中から3両のシェリダンが飛び出し、地上へと降り立って行った。

 

 戦車の中では極めて軽いシェリダンの後に躍り出ようとしているのは、彼らよりもはるかに重いフランス製の主力戦車(MBT)であった。

 

 がっちりちした複合装甲に覆われた車体の上には、同じく分厚い装甲に覆われた砲塔が搭載されており、その正面からは長大な滑腔砲の砲身が伸びているのが分かる。その砲身の隣には、滑腔砲の砲身よりもはるかに小さな12.7mm機関銃の銃身が伸びており、砲塔の上にも同じく機関銃が鎮座している。

 

 輸送機の中に搭載されていたその戦車は、『ルクレール』と呼ばれるフランスの戦車であった。分厚い装甲と圧倒的な攻撃力を兼ね備えている上に機動性も高く、強力な主砲の命中精度も優れている高性能な戦車である。

 

 シェリダンのように強力な対戦車ミサイルを発射できるわけではないものの、様々な種類の砲弾を発射することができるようになっている。

 

 コストが非常に高いという欠点があるが、端末でこの戦車を生産したリキヤはお構いなしに何両も生産しており、ハーレム・ヘルファイターズやエイナ・ドルレアンに配備されているドルレアン家の私兵たちに支給している。防御力も優秀な戦車だが、少しでも防御力を底上げするためにアクティブ防御システムまで搭載されており、接近してくる対戦車ミサイルを片っ端から迎撃することができるようになっていた。

 

 空気抵抗に晒された巨大なパラシュートに引きずり出されるかのように、今度は灰色に塗装されたルクレールの巨体が輸送機の外へと躍り出た。パレットと共に灰色の砂漠へと怪物たちが降り立ったことを確認したAn-225は、まるで滑走路から離陸した直後の輸送機のようにゆっくりと高度を上げ、歩兵たちを降下させていた味方の編隊と合流すると、そのままカルガニスタンの砂漠から飛び去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦死したオークの兵士から拝借した棍棒が敵兵のヘルメットを打ち据えた直後、ぐしゃ、とヘルメットもろとも吸血鬼の頭が潰れる音がした。ちょっとした重機関銃よりも重い棍棒には釘バットのようなスパイクがこれでもかというほどついている上に、そのスパイクは全て吸血鬼が苦手とする銀でできているため、今しがたこれで頭を叩き割られた敵兵が再生することはないだろう。

 

 血と脳味噌の破片がこびりついた棍棒を薙ぎ払い、銃剣を装着したXM8で突っ込んできた敵兵の頭を砕く。左から右へと思い切り振り払った棍棒で頭を粉砕された敵兵が頭蓋骨や脳味噌の一部を巻き散らしながら吹っ飛んで行き、灰色の砂の上で痙攣を始めた。

 

 左手のPL-14を突き出し、セミオート射撃で敵兵の胴体に風穴を開ける。敵兵が崩れ落ちるのを確認しつつ棍棒を投げ捨て、ハンドガンをホルスターに戻してからAK-12を再び構えた。

 

 かなりマガジンを使ってしまった。今装着されているマガジンが、間違いなく最後のマガジンだろう。これを使い果たしてしまったら味方から弾薬を分けてもらうか、別の武器を使って敵兵を退けるしかない。

 

 敵部隊の隊列の中へと突入し、早くも白兵戦を繰り広げている強襲殲滅兵も損害を出しつつあった。いくら敵が全体的に後退を始めたとはいえ、死に物狂いで最終防衛ラインへと攻撃を仕掛けてきた敵部隊の指揮は未だに高い。アサルトライフルを投げ捨てて逃げ出す兵士も見受けられるが、中には逃げてたまるかと言わんばかりに味方の投げ捨てたライフルを拾い上げ、応戦してくる屈強な兵士たちもいた。

 

 撃たれた味方の兵士を、ヒールを使うことのできるハーフエルフの兵士たちが必死に残骸の影で治療しているのが見える。いくら敵兵が使っている弾薬が5.56mm弾や6.8mm弾とはいえ、立て続けに被弾すればいくら身体が頑丈な種族でも危険なのだ。

 

 胸板に何発も弾丸を叩き込まれた兵士を励ましながら治療していた兵士が、唐突に落下してきた迫撃砲の砲弾が生み出した爆風に包まれる。血まみれになった味方を励ましていた兵士の声が爆音に呑み込まれたかと思うと、俺の耳へと流れ込んでくるはずだった戦場の音が聞こえなくなった。キーン、という音だけが俺の耳の中で暴れまわり、全ての音をかき消してしまう。

 

 ぼとん、と砂と血まみれの腕が、すぐ近くに落下してきた。

 

「…………!」

 

 先ほどまで味方を治療していた兵士が、見当たらない。砲弾が落下してきた場所の近くには、砂まみれになった大きめの肉片がいくつか転がっていて、その肉片の傍らには血まみれのAK-12が転がっていた。

 

 敵の迫撃砲か…………!

 

 呼吸を整えながら耳に装着している小型無線機のマイクを左手で掴む。

 

「ステラ、聞こえるか?」

 

『はい、聞こえます』

 

「敵の迫撃砲は見えるか?」

 

はい(ダー)。タクヤから見て11時の方向にあるマウスの残骸の近くです。距離はそれほど離れていません』

 

「よし、制圧射撃を頼む」

 

『お任せください』

 

 もう一度呼吸を整え、先ほど迫撃砲の砲撃で肉片になった味方の死体の群れへと向かって突っ走った。敵兵に見つかってしまったのか、やけに大きな弾丸の群れ―――――――多分MG3かブローニングM2重機関銃だろう――――――――がこっちに容赦なく飛んでくる。数発が肩や太腿に命中して凄まじい衝撃をプレゼントしてくれたが、防護服の下で外殻を使って硬化していたおかげで、俺まで肉片にならずに済んだ。

 

 擱座したレオパルトの残骸の影へと滑り込み、肉片と化してしまった味方の兵士の死体が身につけていたホルダーやポーチの中から、まだ弾薬の入っているAK-12用のベークライト製のマガジンを拝借する。戦死した味方の死体に向かって「許せ」と呟いてから、そのマガジンを自分のポーチに突っ込み、擱座したレオパルトの影からこっちに弾丸を放ち続けている機関銃の射手の近くに、グレネードランチャーの水銀榴弾をお見舞いする。

 

 ポンッ、とグレネード弾が飛び出していき、黒焦げになったM2ブラッドレーの砲塔を盾にしながらMG3を連射していた兵士のすぐ近くに着弾した。爆風と共に内蔵されていた水銀が飛び出し、衝撃波に押し出されたことによってちょっとした斬撃となった水銀が敵兵の肉体を切り刻む。

 

 恐ろしいMG3のフルオート射撃が止まったのを確認しつつ、俺は前進した。

 

 M2ブラッドレーの残骸を盾にしながら呼吸を整えながら、味方の強襲殲滅兵の様子を確認する。

 

 一番最初に突撃した時は50人もいた筈だった。5.56mm弾や6.8mm弾が被弾しても意に介さずに前進を続け、装備した重機関銃をひたすらぶっ放し続ける強靭な兵士たちは、まさに敵兵たちの脅威だったに違いない。

 

 しかし――――――――その屈強な兵士たちの数が、予想以上に減っていた。

 

 焼け野原の一部や爆炎の一部にも見える深紅と黒の迷彩模様の防護服に身を包んだ兵士たちの数が、減っているのだ。突撃した時は50人もいたというのに、撤退していく敵部隊を追撃している兵士たちの数は30人を下回っているのが分かる。しかもその兵士たちの大半が、物陰で衛生兵にヒールで治療してもらっている状態であった。

 

 隠れている俺の頭上を、14.5mm弾の群れが駆け抜けていく。大破したM2ブラッドレーの砲塔の上を通過していった大口径の弾丸の群れは、その向こうにいた敵兵の肉体を瞬く間にミンチにし、灰色の砂を巻き上げる。

 

 ステラの制圧射撃だ。

 

 ありがとよ、ステラ。

 

 残骸の影から飛び出し、顔を出した敵兵をAK-12のセミオート射撃で仕留める。そのまま突っ走ろうとしたが――――――――敵の迫撃砲の砲手たちが潜んでいるマウスの残骸の向こうから、装甲と強力な武装を装備した怪物が姿を現す。

 

 白と灰色の迷彩模様に塗装された、攻撃ヘリのアパッチ・ロングボウだった。

 

「くそったれ…………!」

 

 機首の下部に搭載された機関砲のターレットが、ゆっくりとこっちに向けられる。咄嗟にグレネードランチャーでもお見舞いしてやろうかと思ったが、グレネード弾を装填するために左手をポーチに伸ばすよりも先に、何の前触れもなくアパッチ・ロングボウのキャノピーに亀裂が生まれる。

 

 アパッチ・ロングボウがお構いなしに機関砲を連射し始めるが―――――――砲弾が地面に着弾して巻き上げた砂塵の向こうで、アパッチ・ロングボウのキャノピーの向こうが真っ赤に染まった。

 

 ぴたりと機関砲の連射が止まり、パイロットをミンチにされた攻撃ヘリがぐるぐると回転しながら墜落していく。砂で覆われた大地に叩きつけられたアパッチ・ロングボウが奏でるメインローターがへし折られる金属音を聞きながら後ろを振り返ると、後方のレオパルトの残骸の影で、アンチマテリアルライフルよりも長大なでっかいライフルを構えた強襲殲滅兵の1人が、手を振っているのが見えた。

 

 彼が手にしているのはおそらくソ連製対戦車ライフルの”デグチャレフPTRD1941”だろう。14.5mm弾を発射する事が可能なライフルで、第二次世界大戦でドイツの戦車に猛威を振るった単発型の銃である。

 

 非常にコストが安いライフルであったため、いくらか生産しておいたのだ。テンプル騎士団の歩兵部隊にもいくらか配備しており、7.62mm弾でも貫通できない外殻を持つ魔物への攻撃や、敵のアクティブ防御システムへの攻撃に使用している。

 

 おそらく今しがたぶっ放したのは14.5mm徹甲弾だろう。デグチャレフPTRD1941は単発型の銃であり、連射速度はセミオートマチック式の銃と比べると劣るため、少しでもダメージを与えられるように、あの対戦車ライフルを使用する兵士には徹甲弾を支給しているのだ。

 

 こっちも手を振って対戦車ライフルの射手に礼を言ってから、再び突撃を再開する。

 

 マウスの車体の影から飛び出した敵兵を3点バースト射撃で蜂の巣にし、車体の後方へと飛び出すよりも先に手榴弾の安全ピンを抜く。車体のすぐ後ろから敵兵の軍服の匂いがするから、間違いなくこの車体のすぐ後ろにさっきの迫撃砲の砲手たちが潜んでいる筈だ。

 

 安全ピンを抜いた手榴弾を握り締め、息を吐いてからその手榴弾を車体の後ろへと放り込む。すると、ヴリシア語で『手榴弾だぁッ!!』と絶叫する兵士たちの声が聞こえてきた。

 

 咄嗟に車体から離れつつ砂の上に伏せて、身体中を外殻で覆う。

 

 その直後、戦車砲の砲弾が直撃したのではないかと思ってしまうほどの爆炎が、装甲をAPFSDSで撃ち抜かれて沈黙していたマウスの車体を一瞬だけ揺らした。

 

 放り投げた手榴弾が、迫撃砲の予備の砲弾を誘爆させてしまったらしい。

 

 背中やヘルメットに降りかかった砂を軽く払い落とし、口の中に入り込んだ砂を吐き出しながら立ち上がる。灰色の砂まみれになったAK-12を拾い上げ、迫撃砲の砲手たちがどういう運命を辿ったのかを想像しながら、マウスの車体の後ろを覗き込んだ。

 

 案の定、黒焦げの肉片と迫撃砲のひしゃげた砲身しか見当たらなかった。当たり前だけど、超重戦車の車体が揺れるほどの爆発なのだから、原形を留めている死体が残っているわけがない。

 

 もし生きている敵兵がいたら止めを刺すつもりだったが、止めを刺すために弾丸を使う羽目にはないらしい。

 

 その時、負傷した吸血鬼の兵士たちを砲塔の上に乗せながら離脱していた傷だらけのレオパルトの砲塔の側面に、高速で飛来した一発の砲弾が飛び込んだのが見えた。レオパルトに牙を剥く数秒前に外殻らしきものを脱ぎ捨てていたのが見えたから、多分あれはAPFSDSだろう。正面装甲よりも装甲が薄い砲塔の側面に直撃したのだから、あのレオパルトが無事で済むわけがない。

 

 被弾した衝撃で、負傷兵たちが砂漠の上へとぶちまけられる。”傷口”から黒煙を吹き上げ始めたレオパルトがゆっくりと動きを止めたかと思うと、中から血まみれの乗組員たちが絶叫しながら飛び出してきた。

 

 呼吸を整えながら敵の戦車が撃破される様子を見守っていた俺は、違和感を感じた。

 

 味方の戦車はまだ強襲殲滅兵の後方で応戦を続ける敵の戦車部隊と交戦中の筈だ。側面から回り込んだ部隊でもいたのだろうか?

 

 やがて、今しがた撤退するレオパルトに容赦のない砲撃をお見舞いした戦車が、砂で覆われた大地の向こうから姿を現す。分厚い複合装甲で覆われた車体と長大な砲身が突き出た砲塔があらわになったかと思うと、その戦車は仕留めたレオパルトの近くで負傷兵たちを助けようとしていた歩兵たちへと、躊躇せずに機関銃をぶち込み始めた。

 

「あの戦車は…………!」

 

 テンプル騎士団に所属する戦車かと思ったけれど、明らかに砲塔の形状が違う。テンプル騎士団の戦車の大半はロシアの戦車で、円盤のような形状の砲塔が車体に装着されている戦車が多い。けれどもその戦車の砲塔は円盤のような形状ではなく、前まで運用していたチャレンジャー2やエイブラムスに近い形状だった。

 

 多分あの戦車は、さっき戦場の上空を飛行していたAn-225ムリーヤの群れから投下された戦車なのだろう。

 

 車体の側面に、これ見よがしにモリガン・カンパニーのエンブレムが描かれているのを見た俺は、苦笑いしながらその戦車を眺めた。

 

 砂漠の向こうからやってきたのは――――――――モリガン・カンパニーが派遣した、ルクレールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 強靭過ぎる

 

兵士1「うーん…………」

 

兵士2「どうした?」

 

兵士1「強襲殲滅兵に志願してみようと思うんだけど、悩んでて…………」

 

兵士2「マジかよ…………無理だって」

 

兵士1「何でだよ」

 

兵士2「これ見てみろって」

 

条件《5.56mm弾が被弾してもそのまま戦闘を継続できる強靭な肉体を持っている事》

 

兵士1「…………諦めよう」

 

 完

 

 



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テンプル騎士団の攻勢

 

 

「側面にも敵の戦車が!」

 

「っ!?」

 

 ぎょっとしながら、俺は双眼鏡を覗き込んだ。

 

 タンプル搭の近くに最終防衛ラインを構築していた敵の部隊は真正面にしかいない筈だ。確かに敵の兵力は大損害を出して弱体化している俺たちの7倍だが、側面に回り込むよりも、このまま真正面から総攻撃をかけて俺たちを退けた方が手っ取り早いだろう。

 

 このまま前進するだけでこちらの部隊をブレスト要塞まで後退させることができるというのに、わざわざ一部の部隊を側面へと回り込ませるような回りくどい作戦を実行するわけがない。

 

 こっちの状態と敵の陣形を思い浮かべながら、APFSDSが飛来した方向を双眼鏡で覗き込む。よりにもよって砲塔の側面にAPFSDSを突き立てられる羽目になったレオパルトの残骸の向こうに見えたのは、灰色の砂の丘を乗り越えながら砲塔を旋回させ、後退を続けるM1128ストライカーMGSに狙いを定めたフランスの戦車だった。

 

「ルクレール…………!?」

 

 バカな。

 

 テンプル騎士団の戦車の大半はロシア製の筈だ。殲虎公司(ジェンフーコンスー)から購入したのか、中国製の戦車も見受けられたが、テンプル騎士団がフランス製の戦車を採用しているのは考えられない。

 

 当たり前だが、フランスの戦車とロシアの戦車は全く違う。砲弾どころか搭載している主砲も全く違うから砲弾を味方に分けることもできないし、エンジンなども全く違う代物であるため、整備を担当する整備兵たちに負担をかけてしまう。

 

 この春季攻勢(カイザーシュラハト)を察知してかき集めた代物なのだろうかと思ったが、車体の側面にこれ見よがしに描かれているエンブレムを見た途端、俺は凍り付いてしまった。

 

 交差しているハンマーとレンチの上に深紅の星が描かれた、モリガン・カンパニーのエンブレムだった。

 

「あれは…………モリガン・カンパニーの戦車だ!!」

 

「バカな、もう到着したというのか!?」

 

 ただでさえテンプル騎士団よりも兵力が少なくなっているというのに、テンプル騎士団よりも練度が高い上に、圧倒的な兵力を誇る最大の勢力がもう兵力を戦場に派遣してくるとは…………ッ!

 

 すでに浸透戦術は頓挫している。近代化改修型のマウスを前進させて強引に最終防衛ラインを突破しようとしたが、敵が投入した超重戦車―――――――おそらく近代化改修型のシャール2Cだろう―――――――に蹂躙されており、突破するどころか逆に損害を出し続けている。しかも戦車部隊の先陣を切るテンプル騎士団の超重戦車は、未だに1両も戦闘不能になっていないのだ。

 

 正面装甲には被弾した跡がいくつも刻まれているというのに、APFSDSが直撃しても、装甲の破片や火花を巻き散らしながら巨大な連装滑腔砲で反撃してくるのである。

 

 対戦車ミサイルを搭載したヘリが攻撃しようとしても、アクティブ防御システムにミサイルが迎撃してしまうためダメージすら与えられない。それどころか、敵陣の一番左側を進んでいる超重戦車の車体に搭載された対空機関砲と地対空ミサイルで逆に反撃されて損害を出してしまっている。

 

 航空機に攻撃を要請したいところだが、虎の子の航空隊は俺たちの頭上で敵の航空隊に蹂躙されていた。

 

 ―――――――チェック・メイトなのか。

 

 このまま強引に突撃しても、タンプル搭の要塞砲の餌食になるだけだろう。浸透戦術が成功していれば容易く最終防衛ラインを突破できたはずだが、浸透戦術があっさりと頓挫してしまった以上、この最終防衛ラインを突破するのは不可能なのかもしれない。

 

「ブラド様、ご命令を! このまま攻撃を続行しますか!?」

 

「くっ…………!」

 

 このまま攻撃を続行すれば、こちらは損害を出し続けるだろう。しかも側面からも攻撃を受けているため、下手をすれば側面に展開している部隊が壊滅してしまう恐れがある。正面にいる敵の守備隊を突破するのが不可能になってしまったのだから、大人しくブレスト要塞に撤退して応戦するべきかもしれない。

 

 しかし、ここで撤退してブレスト要塞に戻っても敵に包囲されるのが関の山だ。圧倒的な数の爆撃機や戦闘機で空爆され、蹂躙されるのは想像に難くない。

 

 いっそのこと、このまま強引に攻撃を続行するべきなのではないだろうか?

 

 そう思いながら双眼鏡をもう一度覗き込み、マウスたちを蹂躙している超重戦車の群れを睨みつける。立て続けに放たれた対戦車ミサイルがマウスの正面装甲を食い破り、またしても虎の子のマウスを火達磨に変えてしまう。

 

 先ほどヘリを撃墜した一番左側のシャール2Cは、あろうことか車体後部の砲塔を天空へと向け、上空で空戦を続けているテンプル騎士団の航空隊の支援を始めていた。地対空ミサイルを喰らう羽目になったラファールが木っ端微塵になり、黒焦げになった残骸を砂漠にまき散らす。

 

 F-35やF-22はフレアをばら撒きつつ圧倒的な機動力で逃げ回っているが、ミサイルを回避した直後にテンプル騎士団のPAK-FAやF-22に攻撃されて撃墜されてしまっている。

 

 このまま強引に攻撃しても、全滅するのは火を見るよりも明らかだった。

 

 双眼鏡から目を離し、こっちを見上げている吸血鬼の兵士たちを見下ろす。

 

 吸血鬼は非常に人数の少ない種族だ。多分、この戦いで更に吸血鬼の数が減ってしまったことだろう。

 

 大切な同胞たちに無茶な命令を下し、戦死させるわけにはいかない。

 

「―――――――ブレスト要塞まで後退する。全ての部隊に、ブレスト要塞まで後退するように伝えてくれ」

 

「りょ、了解しました」

 

 モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連中は捕虜を一切受け入れないらしく、ヴリシアでは武装解除した兵士たちや負傷兵まで撃ち殺していたらしいが、テンプル騎士団は降伏すればちゃんと捕虜を受け入れてくれるという。

 

 俺は殺されてしまうかもしれないが、場合によってはテンプル騎士団に降伏するべきなのかもしれない。

 

 拳を握り締めながら、俺は戦闘機たちが死闘を繰り広げる星空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砲弾やマズルフラッシュと一緒にルクレールの方向から飛び出した火薬の臭いの中で、俺たちはそっと耳から手を離した。

 

 ルクレールの砲手がぶっ放した砲弾はレオパルトの砲塔の側面を貫通し、被弾する羽目になったレオパルトを行動不能にしてしまったらしい。負傷兵たちを乗せて撤退する途中だった戦車の中から乗組員たちが悲鳴を上げながら飛び出し、戦車の上から吹っ飛ばされた負傷兵たちと共に逃げ出していく。

 

 砲塔の中から聞こえてきた自動装填装置の音が、重機関銃の銃声にかき消される。主砲同軸に搭載されたブローニングM2重機関銃が火を噴き、逃げていく負傷兵や戦車から追い出された乗組員たちを12.7mm弾でミンチに変えていった。

 

 容赦のない砲手だと思ったが、あの吸血鬼共はグランバルカ号を撃沈し、民間人の命を奪ったクソ野郎共だ。容赦する必要はない。

 

「15年前と同じだな」

 

 第一次転生者戦争の時も、俺たちは容赦がなかった。あの戦いで戦死した敵兵の人数は、守備隊の人数と全く同じだったのだ。もちろん捕虜は1人もいない。

 

 FA-MASを構える前に、俺はそっと左手を伸ばし、自分の眼帯に触れた。この左目はあの戦いの最中に失ってしまったのだ。おかげで常に眼帯を付ける羽目になり、私服姿ではギャングや盗賊団のボスだと勘違いされる羽目になっちまった。

 

 眼帯に触れながら苦笑いしていると、隣にいるカレンが心配そうにこっちを見てきた。

 

 第一次転生者戦争が勃発した時はカレンのお腹にカノンがいたため、彼女はファルリュー島で繰り広げられた死闘に参加していない。

 

 あの戦いで片目を失って帰還した俺を見たカレンが大泣きしてしまった事を思い出した俺は、心配そうにこっちを見ているカレンを見つめながら頷く。モリガンのメンバーの中で一番無茶をしてたのは旦那だが、俺も無茶をするから彼女にいつも心配をかけてしまっている。

 

 けれども、今回は心配をかけるわけにはいかない。

 

「安心しろって。最愛の妻を未亡人にするつもりはねえよ」

 

「ギュンター…………」

 

 そっと彼女の頭を撫でてから、抱えていたFA-MASのセレクターレバーをセミオートに切り替える。

 

 俺たちの目的は後方に展開して敵を包囲する事ではなく、このまま側面から敵の本隊に攻撃を行い、撤退していく敵部隊の戦力を削り取って、そのまま後方のブレスト要塞まで押し返すことだ。ここに派遣された兵士たちの半数は百戦錬磨のハーレム・ヘルファイターズの兵士たちだが、一緒に派遣されたドルレアン家の私兵たちはまだ錬度が低い。それに、敵部隊よりもはるかにこっちの人数が少ないから、迂闊に後方から挟み撃ちにしようとすれば死に物狂いで攻撃してくる敵にあっさりと粉砕されるのが関の山だ。

 

 テンプル騎士団と戦っている吸血鬼たちは風前の灯火だが、危険な相手に違いない。

 

 戦場を見つめながら、15年前にファルリュー島で経験した戦いを思い出す。あの時の俺たちはたった300人の海兵隊で、10000人の守備隊を打ち破って勝利した。けれどもあの時は敵の守備隊が、たった300人の海兵隊なのだから真正面から戦ってもすぐに決着がつくだろうと高を括っていたおかげで勝利することができたのだ。

 

 そう、あの時の敵は高を括っていた。それゆえに圧倒的な兵力があったにもかかわらず、防衛ラインの兵士たちがぶっ放してきた弾幕は不十分としか言いようがなかったんだ。

 

 だが、俺たちがこれから戦うことになる吸血鬼たちは、高を括っていた敵とは全く違う。

 

 窮地に陥っているせいで、死に物狂いになっている一番恐ろしい敵だ。間違いなくファルリュー島での戦いの経験は全く役に立たない。

 

「―――――――よし。全部隊、撤退する敵部隊を追撃するわよ!」

 

「分かってるな!? 無理に突撃せずに距離を空け続けろ! 敵の戦力を削り取れッ!!」

 

『『『『『うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!』』』』』

 

 突撃するなと命令した瞬間、出撃前に鍛冶屋に立ち寄って購入してきたのか、マチェットやスコップを準備していた数名の兵士たちが残念そうな顔をしやがった。

 

 多分、それの出番はないと思うぞ? このままブレスト要塞まで後退させたら、あとは連合軍の王兵隊がひたすらブレスト要塞に砲撃をぶち込むだけになるからな。

 

 突撃させろよと言わんばかりにこっちを見つめてくる兵士たちに向かって苦笑いしているうちに、後方にいたシェリダンたちも合流したらしい。キャタピラとエンジンの音を響かせながら砂の丘から降りていくと、俺たちが側面から攻撃を仕掛けていることに気付いた敵兵が放つ銃弾をことごとく弾き飛ばしながら前進し、対吸血鬼用に水銀を詰め込んだ多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)で歩兵の群れをミンチに変えちまった。

 

 シェリダンが搭載している主砲はガンランチャーっていう兵器らしい。ルクレールの主砲よりも旧式らしいが、口径ならシェリダンの方が上だって旦那が言ってたな。今ではガンランチャーを搭載している戦車は殆どないらしいけど。

 

「よし、行くぞぉッ!」

 

「攻撃開始ぃッ!!」

 

 ハーフエルフの分隊長が号令を下した直後、方向を変えたシェリダンの車体を盾にした数名のハーフエルフの兵士たちが、ゆっくりと進むシェリダンの影から身を乗り出してFA-MASで射撃を開始する。

 

 よし、俺も参戦するとしよう。シンヤみたいに作戦を考えるのは苦手だし、俺の妻(カレン)みたいに敵を正確に狙撃するのは無理だ。俺の役割は最前線で弾幕を張って、味方を支援する事なのだから。

 

「じゃあ、支援は頼んだぜ」

 

「分かってるわ。―――――――無茶したら許さないからね、ギュンター」

 

はいよ(ヤー)

 

 マークスマンライフルを抱えているカレンにそう言ってから、踵を返して味方のルクレールと合流する。早くも敵兵や敵の装甲車の機関銃がこっちに向けてぶっ放してきたが、妻の目の前でミンチにされるわけにはいかない。

 

 ハーフエルフの身体は頑丈だから5.56mm弾に被弾した程度では致命傷にならないけど、さすがに7.62mm弾や12.7mm弾を喰らうわけにはいかないのだ。大慌てで突っ走ってルクレールの陰に隠れた途端、敵と平行に移動し始めていたルクレールの装甲にこれでもかというほど銃弾が激突し、跳弾する音を奏でた。

 

 くそったれ、早くも集中砲火か!

 

 セレクターレバーをフルオートに切り替え、陰に隠れている歩兵たちに合わせてゆっくりと移動しているルクレールの車体の影から撃ちまくる。ぶっ放しているとはいえ、照準器を覗き込んでちゃんと狙っているわけではないから命中することはないだろう。こっちに向かって撃ちまくっている敵兵を牽制できればいい。

 

 そう思いながら銀の5.56mm弾をぶちまけてたんだが、後方から立て続けに銃声が聞こえてくる度に、ルクレールの装甲に銃弾が激突する音がどんどん小さくなっていった。

 

「カレン…………」

 

 灰色の砂の丘の上に伏せながらスコープを覗き込んでいる金髪の女性を見た瞬間、俺はニヤリと笑ってしまった。

 

 モリガンの傭兵の1人として、世界中で様々な強敵と死闘を繰り広げていた頃に鍛え上げた彼女の狙撃の技術はまだ健在だった。セミオートマチック式のマークスマンライフルは、狙撃を想定しているボルトアクションライフルと比べると命中精度が低くなってしまうとはいえ、連射速度ではセミオートマチック式の方が圧倒的に上だ。その強みをフル活用したカレンの連続中距離狙撃は、まるで早撃ちをしているのではないかと思ってしまうほどの連射速度で、正確に敵兵の頭に風穴を開けていた。

 

 立ち上がりつつバイポッドを折り畳み、カレンがすぐに移動する。俺たちの後方にある砂の丘の影を突っ走りながら姿勢を低くし、マガジンを交換するカレン。コッキングレバーを引く音を奏でた彼女は銃撃が止まった隙に銃身を丘の影から突き出し、またしてもトリガーを引く。

 

 3点バースト射撃を思わせる速度で数発の弾丸が彼女のMAS49の銃口から飛び出し、装甲車を盾にしていた敵兵のヘルメットを貫通する。吸血鬼の防御力自体は人間とそれほど変わらないため、キメラのように外殻で弾丸から身を守ることはできないのだ。

 

 砕けたヘルメットの中から真っ赤な鮮血とピンク色の肉片が吹き上がり、敵兵が絶命したことを告げる。さっきの一斉射撃で選抜射手(マークスマン)を仕留め切れていなかったことに気付いた敵兵が即座にMG3のフルオート射撃を始めるが、その弾丸が砂の大地を穿つ頃には、カレンは既に移動を始めていた。

 

 さすがにカレンの武装じゃ装甲車を撃破するのは無理だな。

 

『砲撃する。耳を塞げ!』

 

 無線で砲撃を要請しようと思ったんだが、どうやらルクレールの砲手と車長も次の標的をあの装甲車にしたらしい。

 

 分厚い装甲で覆われたルクレールの砲塔が旋回し、後方に撤退しながら機関銃を乱射している装甲車へと照準を定める。敵兵に向けて発砲していた味方の兵士に「耳を塞げ! ぶっ放すぞッ!!」と告げてから、俺も耳を塞いだ。

 

 砲手が発射スイッチを押した瞬間、砲身の中に装填されていた砲弾の炸薬が荒れ狂い、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を砲身の外へと一気に押し出す。猛烈な轟音や衝撃波を纏って躍り出た獰猛な砲弾は、カルガニスタンの砂漠を覆っていた冷たい風に風穴を開けながら飛翔し、機関銃を乱射していた装甲車に激突した。

 

 メタルジェットがあっさりと装甲を貫き、爆風と対吸血鬼用の水銀が乗組員たちを蹂躙していく。

 

 装甲車の車体が爆発で一瞬だけ浮き、瞬く間に火達磨になった。もし敵兵が絶叫しながら飛び出してきたら風穴を開けてやろうと思ったんだが、炎上している装甲車の中から出てきたのは水銀に身体を貫かれた挙句、黒焦げになりつつある瀕死の吸血鬼だけだった。

 

 その吸血鬼はよろめきながら内ポケットから写真のようなものを取り出すと、それを握り締めてから崩れ落ちた。

 

 ホロサイトから目を離し、息を吐きながら戦車の陰に隠れる。さっきのフルオート射撃で空になっちまったマガジンを取り外し、新しいマガジンを装着する。コッキングレバーを引きながら唇を噛み締め、戦車の装甲で身を守りながら進撃していく。

 

 あんな奴らに情けをかけてたまるか。

 

 確かに、敵兵だって吸血鬼を守るために戦っている筈だ。けれどもあの吸血鬼共は、よりにもよって何の罪もない民間人が乗った豪華客船を撃沈しやがったんだ。情けをかけて生かしてやるわけにはいかない。

 

 産声を上げようとしていた甘い考えをすぐに捻り潰した俺は、再び戦車を盾にしながら銃撃を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンプル騎士団の反撃とハーレム・ヘルファイターズの猛攻によって、吸血鬼たちは最終防衛ラインの突破に失敗し、後方のブレスト要塞まで逆戻りすることになった。

 

 もし仮に最終防衛ラインへの攻撃を行わずに、モリガン・カンパニーの宣戦布告が行われた時点で撤退する事を選んでいれば、吸血鬼たちがこのような甚大な損害を被ることはなかっただろう。

 

 タンプル搭へと到達することができなかった挙句、逆に大損害を被る羽目になった吸血鬼たちが再びタンプル搭へと攻撃を仕掛けることが不可能なのは、火を見るよりも明らかであった。

 

 吸血鬼たちを退けることに成功したテンプル騎士団は、襲撃してきた吸血鬼たちとの戦いに勝利したと言っても過言ではなかった。しかし、テンプル騎士団参謀総長であるナタリア・ブラスベルグは、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵力と合流し、即座にブレスト要塞の吸血鬼たちに総攻撃を仕掛ける作戦を立案する。

 

 吸血鬼たちとの戦いに勝利したものの、まだブレスト要塞というテンプル騎士団の”領土”は、敵に占領されたままだからである。

 

 攻勢を仕掛けてきた敵軍に対し、逆に攻勢を仕掛けるのだ。

 

 後に、この戦いから生還した兵士たちやテンプル騎士団の関係者たちから『ブラスベルグ攻勢』と呼ばれることになる、テンプル騎士団史上最大の攻勢が、幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ 

 

 ロシア式コイントス

 

ケーター「コイントスしようぜ」

 

タクヤ「おう」

 

ケーター「…………よし、どっちだ?」

 

タクヤ「―――――――フッ」

 

ケーター「?」

 

タクヤ「Ураааааааааа!!(ウラァァァァァァァァァ!!)」

 

ケーター(く、くだらねぇ…………)

 

 完

 

 



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2隻の奇襲

 

 テンプル騎士団艦隊旗艦の巨体が、激震する。

 

 CICの中に居座る機材が更に大きな電子音を発し、船体に敵の攻撃が命中したということを告げる。その表示を目にした乗組員たちが目を見開き、指揮を執るブルシーロフ艦長に報告する。

 

 テンプル騎士団艦隊の先頭を進むジャック・ド・モレーは、先ほどから敵艦隊の集中攻撃によって損傷を繰り返していた。丁字戦法を敢行している敵のビスマルク級戦艦3隻による38cm砲の集中砲火を浴び、後方のアーレイ・バーク級から飛来するトマホークやハープーンの強烈な攻撃で船体に大穴を開けられ、火達磨になっても、テンプル騎士団艦隊の旗艦はまだ戦いを続けていた。

 

 すでに甲板の上にずらりと並んでいた対艦ミサイルのキャニスターはほぼ全てが被弾した際に破壊されてしまっており、ミサイルを迎撃するために用意されたグブカやコールチクたちも何基か破壊されてしまっており、防御力は大きく低下してしまっている。更に浸水も発生しており、テンプル騎士団の保有する戦艦の中では最も巨大なジャック・ド・モレーの船体が、やや右舷へと傾斜しているのが分かる。

 

「右舷にハープーン着弾! 更に浸水発生! …………くそ、現在傾斜23度!」

 

「排水急げ! 間に合わんなら左舷に注水する! 火災はどうなっている!?」

 

「はい、同志艦長! 火災の方は鎮火しつつある模様!」

 

 第一砲塔の付近に被弾した38cm砲の砲弾によって発生した火災が鎮火しつつあるという報告を聞いたブルシーロフ艦長は、息を吐きながら帽子をかぶり直した。

 

 テンプル騎士団の目の前に立ち塞がっている3隻のビスマルク級が敢行している丁字戦法は、テンプル騎士団艦隊の反撃によって段々と機能しなくなりつつあった。敵艦隊へと単縦陣で突き進むのではなく、左右へと散開しつつ突き進むことによって真正面へと主砲で砲撃できる戦艦が増えたことにより、丁字戦法を敢行しているビスマルク級へと降り注ぐ砲弾の数が一気に増えたのである。

 

 すでに目の前のビスマルク級たちからは爆炎が吹き上がっていたが、まだ搭載されている主砲は火を噴き続けていた。ここは絶対に通さないと言わんばかりに、立て続けに被弾しても砲撃を続けているのである。

 

 だが―――――――第二砲塔から放たれた徹甲弾たちが、必死に反撃を続けていたビスマルク級のうちの1隻に止めを刺すことになった。

 

 40cm3連装砲から解き放たれた徹甲弾たちが、爆炎で傷だらけの前部甲板を照らし出しながら夜空へと飛翔していく。微かに炎と陽炎を纏いながら疾駆していく砲弾たちは徐々に高度を落としていくと、テンプル騎士団艦隊の目の前に立ち塞がっているビスマルク級のうちの一隻―――――――ビスマルク級三番艦『ルーデンドルフ』だ――――――――の第二砲塔と艦橋へと突き刺さったのだ。

 

 分厚い装甲を突き破った砲弾が艦内で起爆し、吸血鬼の乗組員たちを瞬く間に消し飛ばしていく。その爆炎は艦内の隔壁を立て続けに吹き飛ばしながら蹂躙し、主砲の砲身に当店される寸前だった砲弾を誘爆させてしまう。

 

 砲弾が開けた風穴から火柱が吹き上がり、ビスマルクに装備された主砲の砲身から、砲弾ではなく炎の塊が迸る。誘爆した砲弾の爆炎が砲塔の根元を吹き飛ばしたかと思うと、砲塔の下部で発生した爆発が巨大な主砲を一瞬だけ押し上げた。

 

 砲弾に貫かれた艦橋も、大損害を被っていた。強烈な40cm砲が直撃した艦橋の中にいた乗組員たちが瞬く間にミンチと化し、砲弾が纏っていた衝撃波で艦橋がひしゃげる。

 

 艦橋の窓が真っ赤に染まったと思った直後、内側で荒れ狂っていた爆炎が窓や壁を突き破った。艦橋の根元から火柱が姿を現すと同時に、灰色に塗装されていた戦艦『ルーデンドルフ』の艦橋が崩壊していく。

 

 火達磨となったルーデンドルフの船体が、ゆっくりと真っ二つになっていく。装甲の表面に生まれた亀裂に入り込んだ火柱が小さな破片を押し出し、船体を両断していく。やがて炎上する船体の断面から海水が容赦なく入り込み、ルーデンドルフが沈み始めた。

 

「敵艦、撃沈! 第二砲塔の砲撃です!」

 

 CICの中にいる乗組員たちが歓声を上げる。ブルシーロフ艦長も静かに拳を握り締めたが、歓声は上げなかった。

 

 まだ、敵のうちの1隻を撃沈しただけなのだから。

 

 艦隊の規模では勝っているとはいえ、艦の性能ではイージス艦を合計で10隻―――――――すでに3隻も撃沈することに成功している―――――――も投入している敵が上回っている。しかも敵艦隊の後方には、装甲が分厚い超弩級戦艦を一撃で葬り去ることが可能なレールガンを搭載したビスマルク級が居座っているのである。

 

 幸い素早く連続で発射できる武装ではないらしいが、次の砲撃まで時間がないのは火を見るよりも明らかである。一刻も早く後方のビスマルク級と距離を詰めるか、河で待機しているテンプル騎士団のアドミラル・クズネツォフ級空母『ノヴゴロド』の艦載機にレールガンを破壊してもらわなければ、艦隊はまたしても大損害を被るだろう。

 

 もちろん、ジャック・ド・モレーでもレールガンに耐えることは不可能である。

 

 右に傾斜していた床が、ゆっくりと戻っていく。艦内に入り込んだ海水の排水が始まったのだろう。

 

「敵のイージス艦がハープーンを発射! 数は8!!」

 

「狙いは全てジャック・ド・モレーです!!」

 

「くっ…………進路は変えるな! 残っている速射砲とミサイルで迎撃せよ!!」

 

 すでにジャック・ド・モレーは中破している状態である。3隻のビスマルク級による集中砲撃でズタズタにされた挙句、迎撃に失敗したトマホークやハープーンをもう既に合計で6発も叩き込まれ、浸水と火災が発生している状態なのだ。

 

 乗組員たちのダメージコントロールのおかげで辛うじてテンプル騎士団艦隊と共に戦闘を継続しているものの、このまま被弾すれば、テンプル騎士団の力の象徴であるジャック・ド・モレーはウィルバー海峡で轟沈する羽目になるだろう。

 

 テンプル騎士団最強の戦艦が沈めば、艦隊の士気が下がるのは想像に難くない。だからこそ敵艦隊はジャック・ド・モレーに集中攻撃を行い、撃沈しようとしているのだ。

 

 辛うじて使用可能なグブカやコールチクから、最後の対空ミサイルたちが放たれていく。

 

 夜のウィルバー海峡を疾駆するミサイルに対空ミサイルが喰らい付き、漆黒の海の上で緋色の爆発を生み出す。しかしそのミサイルの餌食にならずに済んだ5発のミサイルが、白煙を夜のウィルバー海峡に刻み付けながら、ジャック・ド・モレーへと突進していく。

 

 すぐに速射砲と使用可能なCIWSたちが弾幕を張り始める。砲弾が命中したミサイルが爆炎と化し、後続のミサイルを巻き込んで更に肥大化したが、その爆炎のすぐ近くを掠めたミサイルが、艦隊の先頭を進むジャック・ド・モレーに牙を剥いた。

 

 右舷の装甲と前部甲板にミサイルが突き刺さり、甲板の上を爆炎が支配する。甲板の上に残っていた対艦ミサイル用のキャニスターや速射砲の砲塔が爆風で抉られ、火達磨になりながら海へと降り注いでいく。

 

 対艦ミサイルで船体を抉られたジャック・ド・モレーが、再び揺れる。艦内の通路を火柱が蹂躙し、ダメージコントロールを続けていた乗組員たちを次々に焼き殺していった。

 

 大穴から再び海水が入り込み、装甲の破片や突き破られた隔壁を押し流していく。

 

「右舷及び前部甲板に被弾! くそ、また右舷に傾斜していきます!!」

 

「ダメージコントロールを急がせろ…………!」

 

『こちらインペラトリッツァ・エカテリーナ2世! 敵艦隊後方よりレーダー照射を受けている! おそらくさっきの攻撃だ!!』

 

 ソビエツカヤ・ベロルーシヤを一撃で轟沈させた、後方に鎮座するビスマルク級の攻撃だろう。レーダー照射を受けている戦艦インペラトリッツァ・エカテリーナ2世の位置は、艦隊の右端だ。目の前に立ち塞がっているビスマルク級や、その後方に鎮座するアーレイ・バーク級たちからは明らかに”はみ出して”しまっている。

 

 敵のビスマルク級から見れば、味方を巻き込まずに排除できる標的と言うわけだ。

 

「ただちに敵艦隊の陰に隠れろ!!」

 

 ブルシーロフ艦長は大慌てで命令を下しつつ、危機感を感じていた。

 

 もう既に、敵艦隊の後方のビスマルク級は、強力なレールガンの発射体制を整えていたという事になる。冷や汗を拭い去りつつ懐中時計をちらりと見た艦長は、息を呑みながら懐中時計を握り締めた。

 

 ソビエツカヤ・ベロルーシヤが轟沈する羽目になったのが40分前だ。インペラトリッツァ・エカテリーナ2世が陣形の右端へと移動したのは、ブルシーロフ艦長が敵艦の超遠距離砲撃が連射できる代物ではないという事を見抜いた直後である。

 

 つまり敵の超遠距離砲撃は、一度発射した後は40分も待たなければならない代物なのだ。

 

 後方の敵艦にロックオンされたインペラトリッツァ・エカテリーナ2世が進路を変え始める。モニターに表示されている反応が敵艦隊の陰に隠れるために足掻き始めるが――――――――もう少しで隠れられると思った直後、インペラトリッツァ・エカテリーナ2世の反応が消失した。

 

「―――――――!」

 

「艦長、インペラトリッツァ・エカテリーナ2世が………!」

 

「くっ…………!」

 

 インペラトリッツァ・エカテリーナ2世は、敵艦の超遠距離砲撃から逃れる寸前で敵の砲撃を喰らい、轟沈してしまったのだ。

 

 近代化改修を受けていたとはいえ、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦よりも装甲が薄い上に旧式だったインペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦が、ソビエツキー・ソユーズ級を一撃で轟沈させるほどの威力を持つ敵の砲撃に耐えられるわけがない。

 

 ブルシーロフ艦長は、歯を食いしばりながらモニターの反応を睨みつけていた。

 

 せめてあの最後尾のビスマルク級戦艦の超遠距離攻撃を封じることができれば、敵艦隊と戦いやすくなる筈である。敵艦隊後方からの超遠距離砲撃を回避するために、動く必要がなくなるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『艦内の電力、残り10%!』

 

『充電完了まであと30分!』

 

『リントヴルム、冷却開始!』

 

 一番最初の砲撃で超弩級戦艦だけではなく、巡洋艦と駆逐艦を1隻ずつ仕留めるという大きな戦果をあげたというのに、2発目の砲撃で仕留めることができたのは、テンプル騎士団の戦艦の中でも旧式の艦のみであった。

 

 CICでモニターを見つめていたアリアは、傍らに置いてあるティーカップを白い指で拾い上げた。

 

「仕留めたのは旧式の艦1隻だけのようですな」

 

「当たり前よ、敵は警戒しているのだから」

 

 傍らでニヤニヤと笑っている乗組員にそう言いながら、アリアはティーカップを口元へと運ぶ。

 

 戦果は思ったよりも小さかったとはいえ、敵艦隊はビスマルク級の丁字戦法や対艦ミサイルの攻撃でじわじわと損害を出している。このまま敵艦隊の戦力を削りつつレールガンで遠距離砲撃を繰り返していれば、敵艦隊は壊滅するだろう。

 

 しかし、アリアは危機感を感じていた。

 

 春季攻勢(カイザーシュラハト)の前に実施した無制限潜水艦作戦によって、テンプル騎士団の本部へと運び込まれる筈だった物資を乗せた輸送船を何隻も撃沈することに成功している。しかし、その際に潜水艦が誤って無関係な豪華客船を魚雷で撃沈してしまっており、民間人を何人も溺死させてしまっているのだ。

 

 その事件のせいで、吸血鬼たちは世界最強の勢力(モリガン・カンパニー)の逆鱗に触れてしまったのである。

 

 宣戦布告したモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)が部隊を派遣すれば、吸血鬼たちの勝ち目はない。彼らの部隊や艦隊がカルガニスタンに到着する前に決着をつけて鍵を奪わなければ、吸血鬼たちはすぐに殲滅されてしまうだろう。

 

 しかし、ブラドが率いる地上部隊も窮地に陥っているという。浸透戦術が成功すれば最終防衛ラインも突破できるが、頓挫してしまったら全ての拠点から兵力をかき集めたテンプル騎士団に粉砕されるのが関の山だ。

 

 懐中時計をちらりと見たアリアは、歯を食いしばった。

 

 このままじわじわと攻撃していれば敵艦隊を撃滅することはできるだろう。しかし、敵艦隊が全滅するよりも先に、モリガン・カンパニーが派遣した艦隊がこの海域に到着するのは火を見るよりも明らかである。

 

「次のリントヴルムの砲撃は早められないかしら? 充電率は80%でも構わないわ」

 

 当然ながら、充電率が不完全な状態で砲撃すれば破壊力は急激に落ちてしまう。しかし80%でも、超弩級戦艦を行動不能にしてしまうほどの破壊力はあるのだ。

 

 アリアが焦っていることを察しながら、傍らで指示を出していた乗組員は答えた。

 

「かしこまりました、アリア様。80%ならば20分で砲撃可能になるでしょう」

 

「では、そうしてちょうだい」

 

はい(ヤー)

 

 リントヴルムの射程距離は、戦艦の主砲や対艦ミサイルよりもはるかに長い。

 

 艦橋の後部から伸びたケーブルの先に浮かんでいる無人型の”観測気球”に搭載された超遠距離用のレーダーによって、対艦ミサイルの射程距離よりも遠くから敵艦をロックオンする事が可能なのである。前方にいる超遠距離の敵をロックオンする事だけに特化したレーダーであるため、側面や後方にいる敵をロックオンすることは一切できないものの、この無人観測気球さえあればレールガンで超遠距離から正確に敵艦を砲撃する事ができるのだ。

 

 リントヴルムを発射した際に電力が一気になくなってしまうため、観測気球も機能を停止してしまうという欠点があるものの、充電が済めば再び使用可能になる。

 

 次の砲撃は充電率80%での砲撃となるが、充電率が落ちれば威力だけでなく、射程距離も低下してしまうだろう。しかし敵艦隊もビスマルクと距離を詰めるために接近しているため、射程距離は問題ないだろう。

 

 アーレイ・バーク級たちを突破した瞬間に、強烈な徹甲弾を撃ち込んでやればいいのだから。

 

 彼女がティーカップを置いたその時、乗組員の1人が叫んだ。

 

「あ、アリア様!」

 

「どうしたの?」

 

「こ…………後方から、レーダー照射を受けています…………!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビスマルク級、ロックオンしました!」

 

 倭国支部から出撃したテンプル騎士団倭国支部艦隊旗艦『こんごう』のCICで、乗組員の1人が叫んだ。

 

 カルガニスタンの砂漠へと上陸する部隊を乗せた強襲揚陸艦『ワスプ』とはすでに別行動を取っていたため、吸血鬼たちの艦隊の後方に現れたのは、イージス艦『こんごう』と超弩級戦艦『金剛』の2隻のみである。

 

 それに対して、吸血鬼たちの艦隊の最後尾に鎮座しているのは、フランスのクレマンソー級空母2隻、ドイツのアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦2隻、同じくドイツの超弩級戦艦であるビスマルク級が1隻である。いくら高性能なイージス艦と近代化改修型の超弩級戦艦とはいえ、たった2隻で攻撃を仕掛ければ返り討ちに遭ってしまいそうである。

 

 だが、イージスシステムを搭載しているのはこんごうのみである。しかも超弩級戦艦であるビスマルクは、レールガンを搭載するために第一砲塔と第二砲塔を撤去した挙句、速度まで低下してしまっているため、本来よりも性能が低くなっている。しかも隙だらけのビスマルクを護衛するアドミラル・ヒッパーとプリンツ・オイゲンもイージスシステムを搭載していないため、対艦ミサイルを迎撃できる確率はそれほど高くはない。

 

「ハープーン用意。目標、敵陣中央のビスマルク級! ミサイル発射後、本艦は金剛の後方を航行して敵艦からのミサイル攻撃を迎撃する!」

 

「了解!」

 

 敵艦隊もレーダー照射を受けていることに気付いたようだが、こんごうに搭載されているハープーンが牙を剥く前に対応するのは不可能だろう。

 

 CICのモニターに映っている敵艦隊の反応を睨みつけながら、柊は命令を下した。

 

「―――――――撃てぇッ!!」

 

 

 

 

 

 



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ミサイルの壁

 

 後方からレーダー照射を受ける羽目になった吸血鬼たちは、狼狽していた。

 

 広大な河から出撃してきたテンプル騎士団艦隊の戦力を、対艦ミサイルによる攻撃と、3隻のビスマルク級による丁字戦法で削り取りつつ、最後尾に鎮座する戦艦ビスマルクに搭載されたレールガンで大打撃を与えるという彼らの作戦は、後方からの攻撃さえなければ完璧であっただろう。

 

 真正面から挑まなければならないテンプル騎士団艦隊は、まず目の前で旗艦ジャック・ド・モレーに集中砲火を行っている艦隊を突破し、高性能なイージス艦たちの群れを突破しなければならないのである。しかも後方のビスマルクの超遠距離砲撃に警戒しつつ戦わなければならない。

 

 敵が警戒し始めれば時間はかかってしまうものの、そのままじわじわと戦力を削っていれば、テンプル騎士団艦隊は壊滅する筈だった。

 

 しかし、アリアが立案したその完璧な作戦は――――――――唐突に後方に現れたイージス艦と戦艦のせいで、頓挫することになる。

 

「こっ、後方からレーダー照射! 敵艦隊です!」

 

「バカなっ! 敵艦隊に回り込まれたのか!?」

 

「いや、モリガン・カンパニーの艦隊かもしれません!!」

 

 確かに、敵艦隊が後方に回り込んでいたという可能性は低いだろう。敵艦隊がタンプル搭から出撃できるのはあの河の下流からだけである。上流は非常に流れが険しい上に海へと繋がっているわけではないため、テンプル騎士団本部の艦隊が海へと出ることができるのはあの河の出口しかないのだ。

 

 吸血鬼たちはその河から姿を現したテンプル騎士団艦隊を待ち受けていたのだから、後方に回り込まれるのはありえない。

 

「後方よりミサイル飛来! 数は4!」

 

「ハープーンと思われます! 目標は全て本艦の模様ッ!」

 

「迎撃開始! なんとしてもレールガンを守れ!!」

 

 ビスマルクに飛来するミサイルの数を聞いたアリアは、溜息をつきながらモニターを見上げた。

 

 もし仮にモリガン・カンパニーの艦隊であったのならば、圧倒的としか言いようがないほどの数のミサイルをいきなり発射してくる筈である。あの巨大企業が保有する兵力は、あまりにも規模が大きすぎるせいで、全ての戦力を投入すれば指揮官が”指揮を執り切れない”ほどの数になってしまうのだから。

 

 それゆえに、たった4発のミサイルしか発射されなかったというのはありえない。

 

(出撃していた敵の艦隊が戻ってきたのかしら?)

 

 春季攻勢(カイザーシュラハト)が始まる前に別の海域へと派遣していたテンプル騎士団艦隊が、タンプル搭へと戻ってきた可能性が高い。もし仮に後方に現れた艦隊が任務から戻ってきたばかりの艦隊なのであれば、基本的に規模は大きくないだろう。

 

 更に、任務の際に弾薬を消費している可能性もある。攻撃できる回数が減少しているのだから、後方の艦隊の攻撃力はそれほど高くないに違いない。

 

「シースパローで迎撃しなさい」

 

「了解(ヤヴォール)、シースパロー発射!」

 

 吸血鬼たちの艦隊の最後尾に鎮座しているビスマルクや、レールガンを搭載しているビスマルクの護衛を担当するアドミラル・ヒッパーとプリンツ・オイゲンには、イージスシステムは搭載されていない。

 

 可能な限りレーダーやセンサーを最新のものに換装し、迎撃用のミサイルやCIWSをこれでもかというほど搭載して防御力を底上げしている程度なのである。それゆえにミサイルを迎撃できる確率は、イージス艦たちと比べると非常に低いと言わざるを得ない。

 

 ビスマルクや2隻の重巡洋艦の艦橋の脇に搭載されたキャニスターから、シースパローたちが飛び出していく。夜空に白煙を刻み付けて飛翔していったミサイルたちは、艦隊旗艦であるビスマルクへと接近してくる4発のハープーンへと突撃していった。

 

 星空の中で、ミサイルたちがぶつかり合った。

 

 飛来してきたハープーンに、重巡洋艦プリンツ・オイゲンから発射されたシースパローが喰らい付く。ビスマルクの装甲を食い破る筈だった獰猛な対艦ミサイルが砕け散り、緋色の爆炎と化す。

 

 後続のハープーンにもビスマルクが放ったシースパローが喰らい付き、夜空の中に爆風を刻み付けた。

 

 シースパローたちの攻撃を躱した2発のハープーンに、今度は高角砲の代わりに搭載された速射砲やCIWSたちが牙を剥く。立て続けに放たれる砲弾たちや凄まじい連射速度で放たれるCIWSの砲弾たちが瞬く間に1発のハープーンを蜂の巣にし、ビスマルクに命中する前に木っ端微塵にしてしまったが―――――――その弾幕を突破した1発のミサイルが、ビスマルクに大損害を与えることになった。

 

 後部甲板や艦橋の両脇に搭載された速射砲たちの弾幕を突破したハープーンは、艦橋の脇を通過したところで高度を落とし、よりにもよって前部甲板に落下したのである。

 

 前部甲板に搭載されている筈の砲塔を撤去して装備したレールガンの砲身を掠めたミサイルが、艦首へと伸びている巨大なレールガンの砲身のすぐ近くへと喰らい付いたのだ。近くに搭載されていた速射砲の砲塔をあっさりと吹き飛ばし、前部甲板の装甲を抉った猛烈な爆風と衝撃波が、まだ放熱中だったビスマルクのレールガンに襲い掛かる。

 

 レールガンの砲身へと繋がっていたケーブルが千切れ飛び、砲身へと注入されていた冷却液が甲板にぶちまけられる。巨大な砲身がスパークに包まれたかと思うと、いたるところで漏電が発生し、ビスマルクの前部甲板が青白い無数の閃光で彩られ始めた。

 

『れ、レールガンの砲身が損傷! 漏電が発生しています!』

 

『電力の供給を停止しろ!』

 

『くそ、充電不可能! レールガンが討てません!!』

 

「なっ………!」

 

 ビスマルクに搭載されているレールガン(リントヴルム)は、対艦ミサイルや戦艦の主砲を遥かに上回る圧倒的な射程距離と、超弩級戦艦ですら一撃で葬り去ることが可能な破壊力を兼ね備えた吸血鬼たちの切り札である。

 

 味方の艦隊の攻撃でテンプル騎士団艦隊の戦力を削り取りつつ、圧倒的な射程距離と破壊力を誇るレールガンで装甲の厚い超弩級戦艦や旗艦ジャック・ド・モレーを撃沈する作戦だったのだ。

 

 しかし――――――――後方から現れたテンプル騎士団艦隊の攻撃によって、その切り札が使用不能になってしまったのだ。

 

 圧倒的な破壊力を誇るレールガンでテンプル騎士団艦隊を砲撃して数を減らすことができるからこそ、タンプル搭の敵艦隊よりも規模の小さい吸血鬼たちの艦隊が有利だったのである。更に、いくら高性能なイージス艦が7隻も残っているとはいえ、一番最初の飽和攻撃や敵艦隊の対艦ミサイルを迎撃するためにかなりの数のスタンダードミサイルやシースパローを消費しているため、すぐに速射砲やCIWSだけで敵のミサイルを迎撃する羽目になるのは火を見るよりも明らかであった。

 

「あ、アリア様………!」

 

「―――――――損害は?」

 

「は、はい…………辛うじて観測気球は健在ですが、リントヴルムは漏電のせいで使用不能です…………。復旧するには、あと12時間経過するか、ドッグで修復しなければ…………」

 

 転生者の能力によって生み出された戦車や戦闘機などの兵器は、48時間経過すれば自動的に弾薬や燃料が補充され、最善の状態にメンテナンスされるようになっている。以前までは銃などと同じく12時間ごとに弾薬の補充やメンテナンスが行われることになっていたのだが、端末を生み出した者が実施した能力の”アップデート”によって12時間から48時間まで延長されてしまったのである。

 

 そのため、兵器の応急処置や弾薬の補給をするための設備も重要になった。

 

 銃や戦車などの現代兵器を使わない転生者たちには全く影響はないが、現代兵器を使用する転生者たちにとっては、ただでさえ大量の乗組員を用意しなければならない戦艦などの兵器が扱いにくくなったと言えるだろう。

 

 当たり前だが、モリガン・カンパニーの大艦隊がウィルバー海峡へと迫っているというのに、レールガンが使用可能になるまで12時間も待機している余裕はない。だからと言ってドッグのあるディレントリアまで戻れば、地上で奮戦している地上部隊を見殺しにすることになる。

 

「応急処置はできないの?」

 

「すでに実施しておりますが…………使用可能になる確率は低―――――――」

 

「―――――――さらに後方より敵のミサイルです!!」

 

「数は?」

 

 今の攻撃でビスマルクの切り札を奪い去った敵艦隊が、調子に乗って追い討ちを始めたのだろうかと思ったアリアは、溜息をついた。

 

 レールガンを搭載するために主砲を撤去した挙句、機動性まで犠牲にしてしまったとはいえ、このビスマルクは第二次世界大戦中にドイツが生み出した強力な超弩級戦艦である。近代化改修によって対艦ミサイルのキャニスターも搭載しているため、ビスマルクを護衛する艦さえいれば敵のイージス艦やフリゲートと戦うこともできるのだ。

 

 前方のテンプル騎士団艦隊をイージス艦と他の戦艦が攻撃しているうちに、後方の敵艦隊をビスマルクで撃滅するべきだろうと思ったアリアだったが――――――――乗組員の報告が、彼女の作戦を台無しにすることになった。

 

「―――――――ご、500発以上です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その反応を見た途端、倭国支部艦隊旗艦『こんごう』のCICの中にいた乗組員たちは全員ぎょっとしていた。

 

 辛うじて1発のハープーンが敵の旗艦の前部甲板を直撃し、本部の艦隊を苦しめていた謎の兵器を使用不能にする大きな戦果をあげたものの、もし敵のイージス艦の一部が俺たちに襲い掛かってきたのならば倭国支部艦隊たちは間違いなく全滅していただろう。

 

 最後にハープーンを全弾発射して、この海域から離れた方がいいのではないかと柊が考えていた時に、その無数の反応がCICのモニターやレーダーを埋め尽くしたのである。

 

 倭国支部艦隊のさらに後方から飛来したのは、星空を白煙で埋め尽くしてしまうほどの数の、対艦ミサイルである『P-270モスキート』の群れであった。

 

 敵艦隊へと向けて航行するこんごうと金剛の左右を通過した無数のP-270モスキートたちは、倭国支部から出撃した艦隊を置き去りにし、吸血鬼たちの艦隊の最後尾に鎮座するビスマルクや空母たちへと牙を剥く。

 

 数発のミサイルがシースパローや速射砲の弾幕の餌食となり、緋色の爆炎と化して消滅する羽目になったが―――――――それ以外の対艦ミサイルが、吸血鬼たちの艦隊へと襲い掛かった。

 

 巡洋艦たちの左右を航行していたクレマンソー級空母『クレマンソー』の甲板に、一気に5発も対艦ミサイルが喰らい付く。甲板に大穴を穿ったミサイルたちは格納庫の中の弾薬や燃料へと襲い掛かると、クレマンソーの格納庫の中をあっという間に焼き尽くしてしまった。

 

 猛烈な爆炎がハッチを突き破り、クレマンソーの船体のいたるところから躍り出る。瞬く間に火達磨となったクレマンソーは航行不能になってしまったが、更に飛来した2発の対艦ミサイルが甲板の大穴へと飛び込んでから炸裂し、クレマンソーの巨体を真っ二つに叩き折ってしまう。

 

 同型艦の『フォッシュ』も必死に弾幕を張って抵抗したが、弾幕を躱して飛来した1発のミサイルが艦橋を直撃して粉砕してしまう。立て続けにモスキートたちが船体を直撃し、フォッシュの巨体を火達磨にしてしまった。

 

 甲板の上で出撃準備をしていたラファールたちが立て続けに火達磨になり、搭載されていた対艦ミサイルが誘爆する。甲板の上が火の海と化したフォッシュにも後続のミサイルが何発も命中し、瞬く間に2隻の空母が轟沈することになった。

 

 あっという間に2隻の空母を轟沈させたミサイルたちですら、氷山の一角でしかない。

 

 必死に抵抗するビスマルクやプリンツ・オイゲンたちを置き去りにした300発のミサイルの群れは――――――――テンプル騎士団艦隊へとハープーンを発射し続けていたアーレイ・バーク級の群れにも牙を剥いたのだ。

 

「こっ、後方より300発のミサイルが接近中! モスキートです!!」

 

「―――――――はっ?」

 

 乗組員からの報告を聞いた瞬間、アーレイ・バーク級のCICにいた吸血鬼の艦長は目を見開いた。

 

 旗艦ビスマスクの後方に敵の艦隊が姿を現したという報告を数分前に聞いていたのだが、その艦隊が放ったミサイルはたったの4発だったという。そのためそのアーレイ・バーク級の艦長も、後方からやってきたのは春季攻勢(カイザーシュラハト)の前に出撃していた艦隊だろうと決めつけていたのである。

 

 それゆえに、300発のミサイルが接近していると聞いた瞬間、彼は狼狽した。

 

 300発もミサイルを発射できる艦隊がいるのであれば、春季攻勢(カイザーシュラハト)の前に出撃させるのではなく、目の前にいる敵艦隊と共に吸血鬼の艦隊を迎撃させるべきだからだ。仮に後方から奇襲させるために敢えて出撃させていたのだとしても、もっと早く攻撃を始めていればテンプル騎士団の艦隊が損害を被ることはなかった筈である。

 

「げ、迎撃しろ!」

 

「艦長、スタンダードミサイルは残っていません!」

 

「シースパローは!?」

 

「ぜ、全艦…………弾切れです…………!!」

 

「…………ッ!」

 

 テンプル騎士団艦隊が敢行した対艦ミサイルによる飽和攻撃を迎撃するために、貴重なミサイルを使い果たしてしまったのである。

 

 速射砲やCIWSで迎撃することもできるが、艦隊の後方から飛来する300発のミサイルをそれで全て迎撃するのは、いくら高性能なイージス艦でも困難であった。

 

 進路を変えて前部甲板の速射砲を右へと旋回させたアーレイ・バーク級たちが、後方から飛来してきた無数の対艦ミサイルの群れを迎撃し始める。速射砲やCIWSの砲弾たちは正確にミサイルを撃ち抜いて撃墜し、無数の緋色の爆炎を夜空に刻み付けていった。

 

 しかし――――――――そのさらに後方から、無数の対艦ミサイルが接近していた。

 

「敵のミサイル攻撃の第二波です!」

 

「数は!?」

 

「は――――――――800発! さっ、さっきよりも多い!!」

 

「バカな!?」

 

 ぎょっとした艦長は、艦隊の後方から現れた敵の正体を理解した。

 

 いくら軍拡を進めているとはいえ、テンプル騎士団がこれほどのミサイルを発射できる艦隊を保有しているわけがない。

 

 これほどの圧倒的な数のミサイルを発射し、当たり前のように何度も飽和攻撃を実施できる艦隊を保有しているのは――――――――あの”魔王”が率いるモリガン・カンパニーの艦隊しか考えられない。

 

 イージス艦は容易く戦闘機やミサイルを撃墜する事ができるほどの性能を誇る。もし仮にミサイルを使い果たしてしまったとしても、速射砲とCIWSでミサイルや航空機を迎撃することはできるのだ。

 

 しかし、いくらイージス艦でも、たった7隻のイージス艦へと襲い掛かってくる800発の対艦ミサイルを全て迎撃できる筈がなかった。

 

 撃墜された対艦ミサイルの爆炎に風穴を穿って突進してくるのは、夜空を白煙で覆ってしまうほどの数の対艦ミサイルの嵐である。アーレイ・バーク級たちは必死に速射砲を放ってミサイルたちを迎撃していったが――――――――撃墜されたミサイルの爆炎を置き去りにして突撃してきたミサイルたちを全て撃墜するのは、不可能だった。

 

 ”ミサイルの壁”としか言いようがないほどの数のミサイルが降り注ぎ、イージス艦たちを蹂躙し始めた。

 

 

 

 

 

 



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吸血鬼たちの覚悟

 

 その猛攻は、暴風雨としか言いようがなかった。

 

 星空を埋め尽くしてしまうほどの白煙を夜空に刻み付けて飛来した無数のミサイルが、砲弾や弾幕で撃墜されたミサイルの爆風を突き破り、必死に抵抗するイージス艦たちに牙を剥く。アメリカが生み出した世界最強のイージス艦の船体や艦橋の側面をミサイルたちが突き破り、灰色に塗装された船体を容赦なくへし折っていった。

 

 火達磨になったイージス艦の破片が海へと降り注ぎ、へし折られた船体が漆黒の海へと沈んでいく。

 

 仲間たちが次々にミサイルの集中砲火を叩き込まれて轟沈しているにも関わらず、数隻のアーレイ・バーク級たちは無数のミサイルを次々に迎撃し、奮戦していた。

 

 ミサイルを少しでも回避するために動き回りながら、CIWSや速射砲で必死に弾幕を張り、夜空の真っ只中から飛来するモスキートの群れを撃墜していく。白煙で埋め尽くされた夜空の一部で緋色の爆炎が産声を上げたが、すぐに後続のミサイルが生み出す白煙がそれを覆ってしまう。

 

 やがて、抵抗を続けていたアーレイ・バーク級の艦橋を、CIWSの弾幕を躱した3発のモスキートが蹂躙した。爆炎が艦橋を抉り、艦内の隔壁を容赦なく吹き飛ばして乗組員たちを火達磨にしていく。火柱が吹き上がったかと思うと、アーレイ・バーク級の船体が真っ二つに折れ、そのまま沈み始めた。

 

 ミサイルを使い果たしていたとはいえ、航空機や対艦ミサイルを容易く撃ち落としてしまうことが可能なイージス艦たちを圧倒的な数のミサイルで撃滅してしまったのは――――――――テンプル騎士団艦隊へと総攻撃をしている最中だった吸血鬼たちの艦隊の後方から現れた、大艦隊であった。

 

 ハープーンによる奇襲でビスマルクのレールガンに損傷を与え、使用不能にする戦果をあげた倭国支部艦隊の後方に現れた大艦隊の大半は、艦橋の両脇にミサイルが装填された巨大なキャニスターを搭載した、ソヴレメンヌイ級駆逐艦やウダロイ級駆逐艦であった。数隻の駆逐艦の隊列の中心には、同じくミサイルのキャニスターをこれでもかというほど搭載されたスラヴァ級巡洋艦が鎮座している。

 

 その駆逐艦と巡洋艦で構成された隊列に護衛されているのは、これでもかというほど強力なミサイルを搭載したキーロフ級巡洋艦である。本来ならば転生者の能力では原子炉や核燃料を生産することはできないため、原子力が必要となる兵器を運用する場合は通常の動力に変更しなければならないのだが、原子炉や核燃料の製造ができる技術を持つ殲虎公司(ジェンフーコンスー)のおかげで、キーロフ級に搭載されているのは”本来の動力機関”となっていた。

 

 圧倒的な数のミサイルを搭載している艦隊の中央に鎮座しているのは、巨大な2種類の空母の群れである。

 

 片方はテンプル騎士団や殲虎公司でも運用されている、ロシアのアドミラル・クズネツォフ級空母であった。甲板の上では対戦車ミサイルや地上を攻撃するための武装を搭載した艦載機たちが出撃の準備をしているのが分かる。合計で20隻のアドミラル・クズネツォフ級空母から一斉に艦載機が飛び立てば、瞬く間に地上部隊を壊滅させてしまうほどの容赦のない空爆が始まるのは想像に難くない。

 

 その艦載機の中に、”対艦ミサイル”を搭載している機体は1機もいなかった。

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合艦隊によるミサイルの飽和攻撃により風前の灯火としか言いようがないほど弱体化した吸血鬼たちの艦隊は、もはや眼中に無いのだ。

 

 300隻以上のソヴレメンヌイ級駆逐艦やウダロイ級駆逐艦に護衛された50隻のスラヴァ級とキーロフ級を引き連れた大艦隊は、イージス艦たちを瞬く間に殲滅してしまったミサイルの飽和攻撃を何度も繰り返せるほどの数のミサイルを、まだ温存しているのだから。

 

 そしてその大艦隊の中心に鎮座しているのは―――――――アドミラル・クズネツォフ級空母よりも更に巨大な、『ウリヤノフスク級原子力空母』であった。

 

 実戦どころか航海すら経験したことのない、ロシア製の巨大な原子力空母である。無数の駆逐艦や巡洋艦に護衛された5隻のウリヤノフスク級の甲板の上でも、対戦車ミサイルやロケットポッドを搭載した艦載機たちが出撃の準備をしていた。

 

 艦隊の後方には、合計で160隻のミストラル級強襲揚陸艦が航行しており、艦内では上陸して吸血鬼たちを殲滅する海兵隊の兵士たちが出撃の準備をしている。

 

 もし仮に、この大艦隊の規模が3分の1であったとしても、吸血鬼たちを殲滅するには十分な規模であったことだろう。

 

 だが―――――――吸血鬼たちは、彼ら(覇者)の逆鱗に触れてしまったのだ。

 

 いくら輸送艦と誤認してしまったとはいえ、彼らの家族や友人たちが乗っていたグランバルカ号を撃沈し、何の罪もない人々を海の藻屑に変えてしまったのだから。

 

 吸血鬼たちがグランバルカ号を撃沈しなければ、この大艦隊がウィルバー海峡へと派遣されることはなかったのである。

 

「アーレイ・バーク級、全滅を確認」

 

 連合艦隊旗艦『ウリヤノフスク』のCICの中で、乗組員が報告する。

 

 CICの中にある巨大なモニターを見つめていたシンヤは、頷いてから眼鏡をかけ直した。

 

 本来ならば、この巨大な原子力空母のCICには、圧倒的な兵力を誇るモリガン・カンパニーの総大将(魔王)が居座って指揮を執る筈である。しかし彼の兄は後方から指揮を執るよりも、総大将であるにもかかわらず銃を装備し、最前線で兵士たちと共に戦うことを好む男である。

 

 それゆえに、その男(リキヤ)はもう既に後方の強襲揚陸艦へと妻たちと共に移動し、上陸する準備をしているところであった。

 

「よし、”前衛突撃艦隊”を前進させて、敵のビスマルク級とアドミラル・ヒッパー級にもう一度ミサイル攻撃をさせてくれ」

 

「はっ」

 

 全ての艦でもう一度飽和攻撃を実施するのではなく、大艦隊の先頭を航行する10隻の駆逐艦と2隻のスラヴァ級巡洋艦で構成された前衛突撃艦隊にミサイル攻撃を命じたのは、対艦ミサイルを温存するためである。

 

 切り札であるレールガンを失った挙句、2隻の空母と虎の子の7隻のアーレイ・バーク級を失った吸血鬼たちの艦隊は急激に弱体化していた。残っているのはテンプル騎士団艦隊と交戦中の2隻のビスマルク級と、レールガンが使用不能になったビスマルクと、そのビスマルクを護衛するアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の2隻のみである。

 

 前者は既に手負いであるため、複数の超弩級戦艦を運用しているテンプル騎士団艦隊に蹂躙されるのは時間の問題だろう。

 

 たった3隻の艦隊を撃沈するのに、100発以上の対艦ミサイルの攻撃など不要であった。イージス艦なのであれば大規模な飽和攻撃を敢行し、これでもかというほどミサイルをお見舞いして轟沈するのだが、損傷したビスマルク級もろとも2隻の重巡洋艦を海の藻屑にするのであれば、12隻の艦によるミサイル攻撃で十分である。

 

 しかもその前衛突撃艦隊の旗艦を務めるのは、第二次転生者戦争から生還したソヴレメンヌイ級駆逐艦の156番艦『メルクーリイ』であった。

 

 モリガン・カンパニーがソヴレメンヌイ級駆逐艦の運用を始めた頃から活躍している古参の駆逐艦である。味方の戦果を頻繁に横取りしていくため、味方の艦からは『戦果泥棒』と呼ばれているらしい。

 

 本来は第122哨戒艦隊に所属していたのだが、吸血鬼の撃滅のために前衛突撃艦隊の旗艦を担当することになったのである。

 

 前衛突撃艦隊が動き始めたのを確認したシンヤは、近くに置いてあったティーカップを拾い上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前進を始めた前衛突撃艦隊の駆逐艦や巡洋艦に搭載されたキャニスターから、またしてもモスキートの群れが躍り出る。

 

 キャニスターから解き放たれた24発のモスキートたちは、先ほどの飽和攻撃と比べると規模はかなり小さかったものの、イージスシステムを搭載していないアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦とビスマルクを仕留めるには十分な数であった。

 

 下手をすれば、数発命中するだけで超弩級戦艦ですら轟沈する代物である。

 

 飛翔するモスキートの群れを迎撃するために、アドミラル・ヒッパー級とビスマルク級からシースパローの群れが解き放たれる。

 

 シースパローの群れはモスキートの群れと真正面から突進していった。

 

 夜空の真っ只中でミサイル同士がぶつかり合い、緋色の爆炎がいくつも産声を上げる。その爆炎に巻き込まれたミサイルたちが更に誘爆し、爆炎がどんどん肥大化していく。

 

 爆炎を突破したモスキートたちへと放たれたのは、高角砲の代わりに搭載された速射砲やCIWSたちの弾幕であった。イージス艦と比べると命中精度は劣るものの、搭載している数はアーレイ・バーク級よりもはるかに多い。そのため弾幕の規模はこちらの方が上である。

 

 CIWSの砲弾に先端部を撃ち抜かれた対艦ミサイルが爆発し、後続のミサイルを巻き込む。必死に迎撃する3隻の弾幕は飛来するモスキートたちに猛威を振るったが――――――――全てのミサイルを撃墜することはできなかった。

 

 唐突に爆炎に風穴が開いたかと思うと、その爆炎に風穴を穿った1発のモスキートが、迎撃を続けていた重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』の後部甲板に鎮座する主砲を食い破った。装填されていた砲弾が誘爆して、後部甲板に火柱が生まれる。アドミラル・ヒッパーの船体がぐらりと揺れ、速度が急激に落ちていく。

 

 そこに2発目のミサイルが直撃し、もう1つの火柱が生まれた。

 

 アドミラル・ヒッパーの艦橋を直撃したミサイルによって艦橋が木っ端微塵に吹き飛んでしまったのである。

 

 その火柱の傍らを通過したミサイルの群れが牙を剥いたのは、レールガンを使用不能にされたビスマルクであった。搭載された速射砲たちが必死に弾幕を張るが、いくら複数の速射砲を搭載して防御力を底上げしたとはいえ、イージスシステムを搭載していないため、迎撃できる確率はイージス艦と比べると低いと言わざるを得ない。

 

 辛うじて2発のモスキートを撃墜することに成功したものの、その弾幕を躱した1発のモスキートが、ビスマルクの後部甲板に容赦なく襲い掛かった。

 

 第三砲塔のすぐ脇を貫いた爆炎が、艦内を蹂躙する。超弩級戦艦ですら数発で轟沈させてしまうほどの破壊力を持つ対艦ミサイルの爆風が隔壁を突き破り、乗組員たちを次々に焼き殺していく。幸いアドミラル・ヒッパーのように装填されていた砲弾が誘爆することはなかったものの、砲塔の付け根に大穴を開けられたせいで第三砲塔が使い物にならなくなってしまった。

 

 速度が落ちたビスマルクに3発のミサイルが襲い掛かるが、そのうちの2発は必死に迎撃を続けるプリンツ・オイゲンが撃墜した。

 

 しかし、残りの1発を迎撃することはできなかったため、ビスマルクは強烈な対艦ミサイルをまたしても叩き込まれる羽目になってしまう。

 

 プリンツ・オイゲンが迎撃に失敗したモスキートは、よりにもよって艦橋の左側に搭載されているトマホークのキャニスターを直撃した。搭載されていたトマホークが誘爆し、周囲に搭載されていたCIWSや速射砲の砲塔もろともビスマルクの装甲を抉り取る。

 

 左舷に開いた大穴から黒煙と火柱を吹き上げながら、ドイツが生み出した超弩級戦艦は、少しずつ左舷へと傾斜していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第三砲塔、使用不能!」

 

「左舷、火災と浸水はどうなってる!?」

 

「くそ、右舷に注水しろ! このままじゃ転覆するぞ!!」

 

 乗組員たちの報告を聞きながら、アリアは唇を噛み締めていた。

 

 もう、この戦いに勝利することはできないだろう。後方から、世界最強の勢力が派遣した大艦隊が襲い掛かってきたのだから。

 

 切り札であるレールガン(リントヴルム)も使用不能となり、圧倒的な数のミサイルによって7隻のイージス艦たちも海の藻屑となってしまった。もし仮にイージス艦たちがミサイルを温存していたとしても、あの凄まじい飽和攻撃を全て迎撃することはできなかったかもしれない。

 

「アリア様、アドミラル・ヒッパーが沈みます」

 

「…………乗組員の救助はプリンツ・オイゲンに任せなさい」

 

「ビスマルクは救助しないのですか?」

 

「…………」

 

 乗組員に尋ねられたアリアは、息を吐きながら目の前のモニターを睨みつけた。

 

 テンプル騎士団艦隊の正面に立ち塞がり、テンプル騎士団艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』に丁字戦法で集中砲火を叩き込んでいた3隻のビスマルク級戦艦も、すでに戦艦『ティルピッツ』のみになっていた。どうやらあの飽和攻撃の最中に4番艦『ファルケンハイン』も撃沈されてしまったらしく、奮戦している戦艦の反応は2番艦ティルピッツしか見当たらない。

 

 いくら優秀な戦艦とはいえ、たった1隻でテンプル騎士団艦隊を食い止めることは不可能だろう。奮戦しているティルピッツも、轟沈したルーデンドルフとファルケンハインと同じ運命を辿ることになるのは想像に難くない。

 

 しかし―――――――3隻の戦艦の集中砲火を浴びた挙句、対艦ミサイルを叩き込まれたジャック・ド・モレーも傾斜している状態である。

 

 テンプル騎士団艦隊の旗艦だけでも道連れにできるかもしれない。

 

「…………リントヴルムは発射できるかしら?」

 

「アリア様、正気ですか!?」

 

「出力は50%以下でも構わないわ」

 

「アリア様…………」

 

「―――――――幸い、観測気球は無事です。射程距離は大幅に低下しますが…………40%ならば、1発だけ発射できます」

 

 報告してくれた乗組員に向かって微笑んだアリアは、目を瞑った。

 

 すでにビスマルクは2発―――――――レールガンを使用不能にした一撃を含めれば3発だ―――――――も対艦ミサイルを叩き込まれており、航行可能な速度は急激に低下している。しかし、乗組員たちが応急処置をしてくれていたらしく、敵の対艦ミサイルで使用不能になったリントヴルムは、40%ならばあと一発だけ発射可能であった。

 

 電力が減っているため、射程距離はジャック・ド・モレーの主砲と同等の距離になってしまうが――――――――手負いの超弩級戦艦に止めを刺すには、十分な威力である。

 

 敵艦の主砲の射程距離内まで接近するということは、敵艦の主砲で撃沈される恐れがあるという事だ。つまり、ビスマルクはほぼ確実にこのウィルバー海峡で沈むことになるだろう。

 

 確実に沈む戦艦が、味方を救助するわけにはいかない。

 

「プリンツ・オイゲンはアドミラル・ヒッパーの乗組員を救助し、ディレントリア方面まで撤退させなさい。…………ビスマルクの乗組員も、希望するならばプリンツ・オイゲンまで泳いで」

 

「アリア様、まさか…………!」

 

 プリンツ・オイゲンはまだ被弾していない。近代化改修によって向上した速度ならば、ディレントリアまで逃げ切ることは可能だろう。

 

 それに、後方からモリガン・カンパニーの艦隊が襲い掛かってきたとはいえ、まだ完全に包囲されているわけではない。すぐにディレントリア方面に進路を変更して最大戦速で逃げれば、撃沈される前にディレントリアに辿り着くことができるに違いない。

 

「―――――――諸君、一緒に戦ってくれてありがとう」

 

 そう言いながら、アリアはCICの中にいる同胞たちに頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 



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道連れ

 

「艦長、敵艦が移動を開始しました」

 

 前衛突撃艦隊の旗艦を務める駆逐艦『メルクーリイ』のCICにいる乗組員が、指揮を執っている艦長に報告する。

 

 先ほどの対艦ミサイルによる攻撃で、ビスマルク級戦艦に損傷を与えた上に、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の撃沈に成功している。テンプル騎士団艦隊も奮戦してビスマルク級を撃沈しているため、残っている吸血鬼たちの艦隊は、ビスマルク級2隻とプリンツ・オイゲンのみであった。

 

 下手をすれば敵艦隊に止めを刺すのは自分たちかもしれないと考えていたメルクーリイの艦長は、乗組員の報告を聞いてから頭を掻きつつ、CICに居座っているモニターに投影されている敵艦の反応を見上げた。

 

 手負いのビスマルク級は、真正面にいるテンプル騎士団艦隊へと向けて前進を始めている。損傷のせいで速度は低下していたものの、船体に搭載されている速射砲やCIWSはまだ健在であるため、こちらの対艦ミサイルを迎撃しながらテンプル騎士団艦隊へと接近することはできるだろう。

 

 しかし、その隣にいた筈のプリンツ・オイゲンは――――――――まるでビスマルクを見捨ててしまったかのように、右へと進路を変更していた。

 

「敵の巡洋艦は旗艦を見捨てたのでしょうか?」

 

「いや、おそらく撃沈された巡洋艦の乗組員を救助し、戦線を離脱するつもりなんだろう」

 

 損傷して速度が低下した戦艦が戦線を離脱しようとしても、速度が低下している上に損傷している状態では、ミサイルの集中砲火を叩き込まれて呆気なく撃沈されてしまうのが関の山だ。

 

 それゆえに敵艦隊の指揮官は、未だに無傷だった巡洋艦プリンツ・オイゲンに離脱を命じたのだろう。

 

 モニターでプリンツ・オイゲンの進路を予測した艦長は、目を細めた。

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の大艦隊がこのウィルバー海峡を埋め尽くしているとはいえ、敵艦隊を包囲しているというわけではない。あくまでも敵艦隊の後方に居座り、損傷している敵艦たちに容赦なくミサイルの飽和攻撃をお見舞いしただけである。

 

 それゆえに、敵艦隊の左右に進路を変更して最大戦速で航行しつつ、立て続けに発射される対艦ミサイルを迎撃することができればこの大艦隊から逃げ切ることは可能であった。

 

「艦長、どちらを攻撃しますか?」

 

 戦線を離脱しようとしている巡洋艦に乗っているのは、間違いなくあの撃沈された巡洋艦の乗組員たちだろう。負傷兵や戦意を失った乗組員たちがあの艦で離脱しようとしているに違いない。

 

 もう既に吸血鬼たちの海軍や地上部隊は大損害を被っているため、仮に巡洋艦を取り逃がしてしまっても、吸血鬼たちが部隊や艦隊の再編成を行うのは不可能だろう。テンプル騎士団を撃滅するために投入した彼らの切り札はテンプル騎士団の反撃によって破壊されてしまっている上に、2回も惨敗する羽目になってしまうのだから、生き残った吸血鬼の兵士たちの士気も劇的に低下する筈である。

 

 それゆえに、その巡洋艦は逃がしてしまっても問題はないだろう。

 

「…………あのビスマルク級を狙えるか?」

 

「はい、同志。ミサイルもまだ残っています」

 

「よろしい」

 

 たった1隻で敵艦隊に突撃していくという事は、乗組員の士気は高いという事を意味している。敵の指揮官が乗組員たちに強要している可能性もあるが、基本的に吸血鬼はプライドの高い種族である。あの戦艦の指揮を執る艦長が強要している可能性は、人間よりも低いと言える。

 

 前進を始めたビスマルク級の先では、丁字戦法を敢行したビスマルク級の生き残りであるティルピッツとテンプル騎士団の戦艦たちが砲撃戦を繰り広げている。しかもティルピッツに向けて砲撃しているのは、40cm砲を搭載している複数の超弩級戦艦たちである。ティルピッツが40cm徹甲弾に貫かれ、海の藻屑となるのは時間の問題だろう。

 

 テンプル騎士団へと突撃を開始したビスマルクの目的は、手負いのティルピッツを掩護する事ではなく、手負いのテンプル騎士団艦隊旗艦ジャック・ド・モレーを道連れにすることであるのは想像に難くない。

 

 ジャック・ド・モレーは、吸血鬼たちが最初に丁字戦法を始めた際に立て続けに38cm徹甲弾が被弾しており、アーレイ・バーク級たちが放ったハープーンを何発も叩き込まれている。戦闘を続けられる状態ではあるものの、艦内で火災が発生している上に、船体が右へと傾斜している状態であった。

 

 仮にビスマルクがジャック・ド・モレーを道連れにしたとしても、テンプル騎士団はこの戦いに間違いなく勝利する事だろう。しかし、テンプル騎士団が保有する最強の戦艦が轟沈すれば、テンプル騎士団海軍が大打撃を被るのは火を見るよりも明らかである。

 

「全艦、モスキート用意。標的はあのビスマルクだ」

 

「了解(ダー)!」

 

 道連れにされてもこちらが勝利できるとはいえ、”味方”を犠牲にするわけにはいかない。

 

 モニターに映っているビスマルクの反応を睨みつけながら、メルクーリイの艦長は息を呑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビスマルクの前部甲板に居座る巨大なレールガンの砲身は、傷だらけだった。冷却液を注入するための配管や電力を伝達するためのケーブルはズタズタにされており、主砲の砲塔よりもはるかに巨大な砲身の表面には、ハープーンの破片がいくつも突き刺さっている。

 

 倭国支部艦隊旗艦『こんごう』が放ったハープーンによって損傷し、漏電が発生したせいで発射できなくなってしまったものの、乗組員たちの応急処置のおかげで、1発だけ発射できるようになっていた。

 

 とはいえ、電力を充電できるのは40%までである。100%で発射することができれば今すぐに超遠距離用のレーダーを搭載した観測気球で敵艦隊旗艦『ジャック・ド・モレー』をロックオンし、超弩級戦艦を一撃で轟沈させられるほどの破壊力を誇るレールガン(リントヴルム)をお見舞いする事ができるのだが、40%までしか充電できないため、射程距離と破壊力は急激に低下してしまっている。

 

 敵にレールガンを叩き込むためには、ジャック・ド・モレーの主砲の射程距離内まで近づかなければならない。しかも充電できる電力が減少した影響で砲弾の破壊力も低下してしまっており、下手をすれば超弩級戦艦の装甲に弾かれてしまう恐れもあった。

 

 だが――――――――ジャック・ド・モレーも砲弾の集中砲火を受けた挙句、アーレイ・バーク級たちが放ったハープーンが数発命中しており、右舷へと傾斜した状態で応戦している。レールガンが弱体化してしまったとはいえ、命中させることができれば道連れにすることは可能だろう。

 

「リントヴルム、充電開始!」

 

「速度をもっと上げろ!」

 

「後方の敵艦隊がミサイルを発射! 数は24!!」

 

「レールガンを何としても守れ! 迎撃開始!」

 

 無数の破片が突き刺さっているレールガンの砲身が、少しずつ蒼い電撃に包まれていく。損傷した砲身から溢れ出した電撃たちが荒れ狂い、甲板に開いた大穴を蒼い光で照らし出した。

 

 まだ健在だったキャニスターからシースパローが飛び出し、煙突の両脇に搭載された速射砲の群れが立て続けに火を噴く。猛烈な閃光を置き去りにして飛翔するシースパローの群れがモスキートたちと激突して夜空に緋色の爆炎を刻み付けた直後、その爆炎を通過したモスキートたちに、速射砲の砲弾たちが襲い掛かった。

 

 先端部を砲弾に穿たれたモスキートが爆発し、その爆炎に突っ込む羽目になった後続のモスキートが誘爆していく。肥大化した爆炎に風穴を穿ったミサイルたちに、ビスマルクに搭載されたCIWSが牙を剥く。

 

 砲身の先端部が凄まじい閃光に覆われ、その閃光を突き破った無数の砲弾たちがモスキートたちを蜂の巣にしていく。胴体に被弾したミサイルが強制的に減速させられ、ふらつきながら海面に突っ込んで大爆発を起こし、巨大な水柱を生み出した。

 

 しかし、イージスシステムを搭載していない上にすでに損傷していたビスマルクが、全てのミサイルを迎撃するのは不可能だった。

 

 爆炎を突き抜けて疾走してきた2発のミサイルが、ビスマルクの後部甲板へと激突する。甲板をあっさりと貫通したミサイルが、爆炎でビスマルクの船体を抉った。ジャック・ド・モレーを道連れにするために進んでいたビスマルクの船体がぐらりと揺れ、後部甲板が火の海になる。

 

 更に今度は、煙突のすぐ近くに1発のモスキートが着弾した。

 

 煙突の側面が爆発で抉られ、近くで迎撃を続けていた速射砲やCIWSの砲塔が吹き飛ばされてしまう。砲塔を失ったせいで弾幕が一気に薄くなり、ビスマルクへと牙を剥こうとしていたミサイルたちの生存率が上がる羽目になってしまった。

 

 薄くなった弾幕を躱しながら接近してきたモスキートが後部環境の主砲の砲塔を直撃し、砲塔の天井に大穴を開けた。砲身の付け根や砲口から火柱が飛び出し、装填される筈だった砲弾が誘爆する。砲塔を覆っていた装甲が弾け飛び、へし折られた主砲の砲身が海面へと吹き飛ばされていく。

 

 艦内で必死にダメージコントロールを続けていた吸血鬼の乗組員たちは、何度も爆炎に呑み込まれて火達磨になる羽目になった。しかし、その対艦ミサイルには吸血鬼たちの弱点である水銀や聖水は一切内蔵されていなかったため、火達磨になってもすぐに身体を再生させ、ダメージコントロールを継続した。

 

 ダメージコントロールを止めてしまえば、敵の旗艦を道連れにする前にビスマルクが撃沈されてしまうのだから。

 

 ビスマルクに残った乗組員たちは、間違いなく生還することは不可能だろう。圧倒的な数の敵艦隊の集中砲火を受け、乗っているビスマルクもろとも海の藻屑になるのが関の山である。

 

「ジャック・ド・モレーが、まもなく射程距離に入ります!」

 

「充電率40%! アリア様、これが限界です!!」

 

「ジャック・ド・モレー、ロックオン完了!」

 

 乗組員たちからの報告を聞いた直後、ビスマルクがまたしても揺れた。

 

 対艦ミサイルが直撃したのであれば、もっと揺れていた事だろう。ミサイルが船体に着弾した時と揺れ方が違うことに気付いたアリアは、モニターに映っているジャック・ド・モレーを睨みつける。

 

 ビスマルクが接近してくることに気付いたジャック・ド・モレーが、主砲で砲撃を開始したのだ。立て続けに砲弾を叩き込まれた挙句、数発の対艦ミサイルを喰らう羽目になったとはいえ、ジャック・ド・モレーの主砲は未だに全て使用できる状態である。射程距離に入れば、前部甲板に搭載された6門の40cm砲が敵艦へと牙を剥くのだ。

 

 40cm徹甲弾が、ビスマルクの周囲に立て続けに着弾する。

 

 既にロックオンは終えているため、敵艦はレーダー照射を受けていることを察知している筈だ。しかし真正面で砲撃を継続する戦艦ジャック・ド・モレーは、回避するつもりはないらしい。まるで前進するビスマルクとそのまま激突するかのように、真正面から突撃しつつ砲撃してくるのである。

 

 その時、CICの中が激震した。

 

 対艦ミサイルが着弾した際の衝撃にそっくりであることに気付いた直後、CICの壁がいきなり吹き飛び、爆炎がCICの中へと飛び込んできた。

 

 敵艦の砲撃がビスマルクに命中し、CICのすぐ近くで起爆したのだ。無数のモニターが設置されたCICの中が焦げた金属や血の臭いに蹂躙され、その爆発に巻き込まれる羽目になった乗組員たちの絶叫がCICを支配する。

 

 亀裂の入ったモニターには、未だにジャック・ド・モレーやテンプル騎士団の戦艦たちの反応が表示されていた。複数の超弩級戦艦と死闘を繰り広げていたティルピッツの反応は既に表示されていないことに気付いたアリアは、唇を噛み締めながらジャック・ド・モレーの反応を睨みつけた。

 

「―――――――撃て(フォイア)ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャック・ド・モレーとソビエツキー・ソユーズの主砲を叩き込まれたティルピッツの船体の右舷から、巨大な火達磨が姿を現した。合計で5発の40cm徹甲弾を艦橋のすぐ近くに叩き込まれる羽目になったティルピッツの船体に亀裂が入ったかと思うと、その亀裂の間から小さな火柱や爆炎が飛び出していく。

 

 たった一隻で奮戦していたティルピッツが、そのまま転覆していく。

 

 すでに、丁字戦法を敢行していた敵のビスマルク級の一隻である『ファルケンハイン』は、後続の戦艦『ソビエツカヤ・ロシア』と『インペラトリッツァ・マリーヤ』が主砲の集中砲火で撃沈している。

 

 残っているのは、真正面から突っ込んでくる吸血鬼たちの艦隊の旗艦と、戦線を離脱しようとしている巡洋艦『プリンツ・オイゲン』のみであった。

 

「艦長、敵艦隊の旗艦からレーダー照射を受けています!」

 

「っ!」

 

 ブルシーロフ艦長は、CICのモニターに映っている敵艦隊旗艦『ビスマルク』の反応を睨みつけながらヒヤリとしていた。

 

 ソビエツカヤ・ベロルーシヤとインペラトリッツァ・エカテリーナ2世を一撃で葬った敵艦の謎の兵器が、ジャック・ド・モレーに牙を剥こうとしているのである。先ほどまではジャック・ド・モレーの前に立ち塞がっていた3隻のビスマルク級や7隻のアーレイ・バーク級たちのおかげで超遠距離砲撃から身を守ることができていたのだが、味方の”頼もしい飽和攻撃”のおかげで盾にしていた敵艦隊が全滅してしまっているため、敵の攻撃を回避するしかないのである。

 

 しかし、ジャック・ド・モレーはティルピッツとの砲撃戦でまたしても右舷に3発の砲弾を叩き込まれており、火災と浸水が始まっている。ダメージコントロールは始まっているものの、船体は右に傾斜したままである。

 

 つまり、敵の砲撃を回避することはもう不可能であった。

 

「砲撃用意! 目標、前方の敵戦艦!」

 

「了解(ダー)! ―――――――砲撃用意! 目標、前方の敵戦艦!」

 

 ティルピッツを撃沈した第一砲塔と第二砲塔がゆっくりと旋回を始め、砲弾の装填を終えてから砲口を前方のビスマルクへと向ける。

 

撃て(アゴーニ)ッ!」

 

 命令を下した直後、ジャック・ド・モレーのCICの中に轟音が入り込んできた。

 

 前部甲板に搭載された主砲の砲口から爆炎が躍り出る。敵の砲撃でズタズタになった甲板を照らし出した爆炎の残滓を纏って、6発の40cm徹甲弾たちが疾駆していく。

 

 第一砲塔から放たれた砲弾たちは、ビスマルクの船体の周囲に着弾した。巨大な水柱たちが立て続けに産声を上げ、ジャック・ド・モレーへと突撃してくるビスマルクの巨体が激震する。

 

 その直後、ビスマルクの艦橋のすぐ近くに、第二砲塔から発射された1発の徹甲弾が激突した。

 

 甲板に開けられた大穴から火柱が飛び出す。火柱と一緒に噴き上がった無数の破片たちがビスマルクの艦橋へと突き刺さり、艦橋の乗組員たちに襲い掛かっていく。

 

「第二砲塔の砲撃が命中!」

 

「さすが同志カノンだ…………!」

 

 モリガンの傭兵であった母親から砲撃の技術も受け継いだカノンの砲撃は、百発百中と言っても過言ではない。ヴリシアの戦いでモンタナを撃沈する事が出来たのは、第二砲塔に乗り込んでいたカノンと母親のカレンの2人のおかげなのだから。

 

 しかし、その一撃でビスマルクを撃沈することはできなかった。

 

 艦橋のすぐ近くに大穴を開けられたビスマルクの前部甲板に搭載されたレールガンの周囲で、青白い電撃の群れが荒れ狂う。ソビエツカヤ・ベロルーシヤとインペラトリッツァ・エカテリーナ2世を轟沈させた際よりも輝きは弱かったが、その破壊力はビスマルク級の主砲どころか、ジャック・ド・モレーの主砲の破壊力を遥かに上回っているのである。

 

 ジャック・ド・モレーが砲弾の装填を行っているうちに、ビスマルクのレールガンが火を噴いた。

 

 荒れ狂う電撃を纏った砲身の内部で爆発が発生し、健在だったケーブルが何本も千切れ飛ぶ。機能を停止してしまったレールガンの砲身を置き去りにした砲弾が、青白い電撃を纏ったままジャック・ド・モレーへと飛翔していく。

 

 そして、その最後の一撃が、ジャック・ド・モレーに牙を剥いた。

 

 

 

 



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執念と蒼い光

 

 蒼い光を纏った砲弾が、衝撃波とスパークを引き連れながら星空の中を疾駆する。対艦ミサイルや戦艦の主砲の砲弾すら置き去りにしてしまうほどの凄まじい弾速で飛翔するその一撃が、立て続けに砲弾や対艦ミサイルを叩き込まれて傾斜しているジャック・ド・モレーへと向かっていく。

 

 損傷しているせいで速度が低下している超弩級戦艦が、砲弾やミサイルを凌駕する一撃を回避できるわけがなかった。

 

 ジャック・ド・モレーの艦長を務めるブルシーロフ大佐が命令を下すよりも先に、吸血鬼たちの解き放った最後の一撃が、傾斜していたジャック・ド・モレーの艦首を直撃した。

 

 分厚い装甲で覆われたジャック・ド・モレーの艦首があっさりとひしゃげたかと思うと、潰れかけていた艦首が、レールガンの砲弾が纏っていた猛烈な衝撃波によって抉れていく。リントヴルムから放たれた猛烈な一撃は、たった40%の電力で発射されたとはいえ、傾斜した状態で辛うじて11ノットで航行していたジャック・ド・モレーの巨体を止めるどころか、一時的に後方へと押し戻してしまう。

 

 艦首の装甲を食い破った砲弾は、隔壁や乗組員たちを蹂躙しながらジャック・ド・モレーの艦内を抉り、第一砲塔の近くで起爆した。前部甲板の装甲に亀裂が入ったかと思うと、艦内で起爆した砲弾の爆炎が亀裂の隙間から踊り出し、ジャック・ド・モレーの前部甲板を火の海にしてしまった。

 

 第一砲塔は辛うじて吹き飛ばされずに済んだものの、第一砲塔のすぐ近くでリントヴルムの砲弾が直撃したせいで、砲撃どころか砲塔を旋回させることができなくなってしまう。

 

 レールガンの圧倒的な運動エネルギーで押し戻された挙句、艦首や艦内が火の海となってしまったが――――――――ジャック・ド・モレーは、沈んでいなかった。

 

 艦首や前部甲板が壊滅状態となってしまったものの、生き残った乗組員をすぐに救助し、艦首の浸水を防ぐために素早く隔壁を閉鎖したことが功を奏したのである。右舷に傾斜した上に艦首側にも傾斜する羽目になったものの、テンプル騎士団艦隊の旗艦は、吸血鬼たちが放った最後の一撃に耐えたのである。

 

 もし仮にビスマルクのレールガンが50%以上の電力で放たれていたのであれば、その強烈な一撃で轟沈していったソビエツカヤ・ベロルーシヤとインペラトリッツァ・エカテリーナ2世と同じ運命を辿ることになっていただろう。

 

 ジャック・ド・モレーを道連れにするために放ったビスマルクのレールガンは、機能を停止していた。応急処置をしてから強引に発射したため、レールガンへと電力を供給していたケーブルや冷却液の配管がズタズタになっており、砲身も融解し始めていた。

 

 超弩級戦艦を一撃で轟沈するほどの破壊力と、戦艦の主砲や対艦ミサイルを凌駕する射程距離を兼ね備えたレールガンを搭載するために前部甲板の砲塔を撤去しているため、レールガンが使用不能になれば、ビスマルクは後部甲板の主砲や威力の小さい副砲で応戦するしかないのである。

 

 しかし、対艦ミサイルの攻撃で損傷している上にレールガンが使用不能になったビスマルクが”応戦”できないのは、火を見るよりも明らかであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵艦、撃沈ならず…………」

 

 乗組員の1人が報告した瞬間、アリアの隣に立っていた部下がすぐ近くに鎮座していたモニターを思い切り殴りつけた。悔しさを纏った拳で殴られたモニターがノイズで埋め尽くされ、画面に亀裂が入る。

 

 もしあの一撃でジャック・ド・モレーを轟沈させられたのならば、彼はモニターを殴りつけなかった筈だ。敵の旗艦を轟沈した程度では満足しないが、悔しがりながら死ぬことにはならなかったかもしれない。

 

 息を吐いてから、アリアは悔しがっている乗組員の肩を静かに掴んだ。

 

「―――――――もう十分よ」

 

「アリア様…………!」

 

 ヴリシアで惨敗し、敗残兵たちと共にディレントリアへと逃げ込む羽目になってから、吸血鬼たちは怨敵であるテンプル騎士団を壊滅させるために、この春季攻勢(カイザーシュラハト)の準備を進めてきた。

 

 猛威を振るった近代化改修型のマウスや、圧倒的な性能を誇るイージス艦を何隻も用意して戦いを始めたにもかかわらず、テンプル騎士団に勝利することはできなかった。

 

 第二次転生者戦争(ヴリシアの戦い)で大打撃を被った敗残兵でテンプル騎士団に戦いを挑むのは、無理があったのである。いくら救助した他の吸血鬼たちに訓練で武器の使い方を教えて兵士にしても、軍拡で組織の規模が飛躍的に大きくなっていたテンプル騎士団の兵力を上回ることは不可能であった。だからこそテンプル騎士団だけに戦いを挑み、浸透戦術を駆使して大打撃を与えるしかなかったのである。

 

 それゆえに、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)が宣戦布告した時点で、ディレントリアまで撤退するべきだったのだ。

 

 陸軍を指揮している息子(ブラド)に撤退するべきだと言っておけばよかったと後悔しながら、アリアは乗組員たちを見渡した。

 

 彼らを無茶な戦いに付き合わせてしまった責任を取らなくてはならない。

 

 巨大な勢力の逆鱗に触れてしまった時点で撤退するべきだったというのに、戦いを続けてしまったのだから。

 

「…………みんな、無茶な戦いに付き合わせてしまってごめんなさい」

 

 優しい声でそう言うと、CICの中にいる数名の乗組員たちが、拳を思い切り握りしめながら涙を拭い去り始めた。

 

 最後の一撃で敵艦を道連れにできなかったという悔しさと、敵の集中砲火を叩き込まれ、海の藻屑になってしまう恐怖が混ざり合った涙を拭う若い乗組員たちを見つめながら、アリアは微笑む。

 

「でも、最後まで勇敢に戦ってくれてありがとう。…………もう、こんな愚かな女王に付き合う必要はないわ」

 

 前方にはテンプル騎士団艦隊が鎮座しており、後方にはモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合艦隊が展開している。損傷したせいで鈍重になってしまった挙句、迎撃用のシースパローや速射砲を破壊されてしまったビスマルクが敵の大艦隊から逃れることは不可能だろう。

 

 このままでは、ビスマルクは敵艦隊の集中砲火を浴びて轟沈することになるのは想像に難くない。

 

「―――――――総員、退艦しなさい。…………モリガン・カンパニーの連中は捕虜を受け入れないけど、テンプル騎士団ならば捕虜をちゃんと受け入れていると聞いているわ。屈辱かもしれないけれど…………テンプル騎士団艦隊まで泳いで、受け入れてもらってちょうだい」

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)は、捕虜を絶対に受け入れない組織である。敵が白旗を振っていても容赦なく攻撃を続け、負傷兵も容赦なく皆殺しにしてしまうという。

 

 15年前の第一次転生者戦争では、ファルリュー島の10000名の守備隊が全員戦死しているのだ。”勇者”と呼ばれていた転生者を葬った後は、その戦いで生き残っていた敵の守備隊たちを全滅させるまで島から出なかったのである。

 

 それゆえに、この2つの勢力に”降伏”するわけにはいかなかった。

 

 レリエル・クロフォードが大天使によって封印されてから、吸血鬼たちの人数は爆発的に減少している。少しでも同胞たちを生き残らせるためにも、容赦のない大勢力に皆殺しにさせるわけにはいかない。

 

「マリウス、同胞たちをお願いね」

 

「…………了解です(ヤヴォール)、アリア様」

 

 傍らで涙を拭っていた乗組員にそう言ってから、アリアはCICを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志カノン、第二砲塔は使えるか?」

 

『ええ、第二砲塔は使えますわ。ただ、第一砲塔は使用不能です』

 

「分かった。…………砲撃準備。目標、ビスマルク級戦艦」

 

「了解(ダー)」

 

 ビスマルクのレールガンによって、前部甲板は壊滅状態だった。

 

 辛うじて迅速に隔壁を閉鎖したことで浸水を防ぐことはできたものの、第一砲塔が使用不能になってしまったため、砲撃できる砲塔は前部甲板の第二砲塔と、後部甲板に居座る第三砲塔のみである。

 

 しかし、もう敵艦との砲撃戦が始まることはないだろう。

 

 最後の一撃でジャック・ド・モレーを仕留めることができなかったビスマルクは、これから海の藻屑になるのだから。対艦ミサイルを叩き込まれた挙句、前部甲板の主砲を撤去して搭載した切り札が使用不能になってしまったビスマルクは、もう抵抗することはできないのだ。

 

『こちら艦橋。聞こえますか?』

 

「どうした?」

 

『敵艦から乗組員たちが退艦し、こっちに向かって泳いでいます』

 

 もしモリガン・カンパニーの艦隊だったのならば、容赦なく対艦ミサイルで敵艦に止めを刺しているだろう。そう思いながら、ブルシーロフ艦長は帽子をかぶり直した。

 

 抵抗することができなくなったビスマルクの艦長が、乗組員たちに退艦するように命令を下したに違いない。いくら超弩級戦艦とはいえ、後部甲板に搭載された主砲だけで抵抗を続けられるわけがない。それゆえに、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)のように捕虜を受け入れない組織ではなく、捕虜を受け入れるテンプル騎士団に投降するように指示を出したのだろう。

 

「艦長、いかがいたしましょうか?」

 

「同志艦長、モリガン・カンパニー艦隊旗艦『ウリヤノフスク』より、敵の捕虜は皆殺しにするように指示が出ています」

 

「―――――――同志、本艦は先ほどの砲撃戦で通信設備が損傷している。そんな指示は一切受信できていない」

 

 通信を担当している若い乗組員の顔を見下ろしながら、ブルシーロフ艦長はニヤリと笑った。

 

 先ほどの戦いで袋叩きにされたとはいえ、ジャック・ド・モレーの通信設備は健在である。それゆえに、味方の艦隊からの指示を受信できなかったわけがない。

 

 損傷していない設備を”損傷した”と言った艦長の顔を見上げた若い乗組員は、ぎょっとしながらがっちりした艦長を見上げた。

 

 捕虜を皆殺しにするのは、あくまでもモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)のやり方だ。あの二大勢力が味方になっているとはいえ、テンプル騎士団の”上”というわけではない。

 

 それゆえに、二大勢力のやり方通りにする必要は全くないのだ。

 

「ど、同志艦長、モリガン・カンパニーの命令に背くのですか!?」

 

「同志団長の命令なら皆殺しにするが、あいつらは我々の指揮官じゃないからな。…………同志、念のため武装した警備兵を甲板に向かわせろ。プライドの高い吸血鬼共が抵抗する可能性は低いが、念のためボディチェックもしっかり実施するように」

 

「はい、同志艦長」

 

 吸血鬼たちは、非常にプライドの高い種族である。

 

 それゆえに、投降した直後に自爆する可能性は非常に低い。

 

「同志カノン、砲撃は敵艦の乗組員を収容し終えるまで待ってくれ」

 

『了解ですわ』

 

 乗組員を皆殺しにしろという命令が届いていないことを察知すれば、モリガン・カンパニー艦隊は対艦ミサイルでビスマルクに止めを刺すだろう。

 

 もしミサイルが発射されたら迎撃し、敵の乗組員を守るべきなのだろうかと考えながら、ブルシーロフ艦長はモニターを見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦長室にある机の上に、一枚の白黒の写真が置かれていた。

 

 そこに写っているのは殆ど容姿の変わっていないアリアと、まだ幼い息子のブラドである。その2人の間に立っているのは漆黒のコートに身を包んだ黒髪の男性だ。微笑んでいる唇の間からは鋭い犬歯が覗いており、その男性も吸血鬼の1人という事が分かる。

 

 その写真の真ん中に写っている人物が、伝説の吸血鬼と言われている”レリエル・クロフォード”であった。300年以上前に大天使によって封印され、復活してからあのリキヤ・ハヤカワと死闘を繰り広げた男である。

 

 艦長室の椅子に腰を下ろしたアリアは、その写真をずっと眺めていた。

 

 もう既に、艦内から乗組員たちの声や足音は全く聞こえてこない。全員退艦したのだろうかと思いながら、彼女は溜息をつく。

 

 吸血鬼の兵士たちをこんな無茶な戦いに付き合わせてしまったのだから、レリエル・クロフォードの後継者として責任を取らなければならない。それゆえに、アリアはビスマルクから退艦せずに、この超弩級戦艦と共に海の藻屑になるつもりであった。

 

 机の引き出しを開け、中から2つの瓶を取り出す。そっと机の上に瓶を置いてから、彼女は白い指で瓶の栓を開け、その瓶を口元へと運んだ。

 

 2つの瓶の片方に入っているのは、吸血鬼たちの弱点である水銀である。水銀も彼らの苦手とする”銀”であるため、水銀を使って攻撃されれば彼らの肉体は再生することはない。テンプル騎士団が対吸血鬼用に使用した水銀榴弾の内部にも水銀が充填されており、爆発した直後に衝撃波に押し出された水銀の斬撃が、敵兵の肉体を切り刻むようになっている。

 

 吸血鬼にとっては猛毒の塊としか言いようがない水銀を呑み込んだアリアは、空になった瓶を机の上に置いてから、もう片方の瓶に手を伸ばした。

 

 もう片方の瓶に入っているのも、吸血鬼の弱点の1つである聖水であった。聖水は吸血鬼たちにとっては硫酸のようなものである。触れるだけで身体が溶けてしまう上に、耐性がない吸血鬼はその傷口を再生させることができない。

 

 それを全て吞み込んだアリアは、呻き声を上げながら天井を見上げた。

 

 吸血鬼が苦手とする”2つの弱点”が、彼女の胃袋を溶かし始める。レリエル・クロフォードから何度も血を与えられていた彼女の肉体は耐性が非常に高いため、すぐに再生を始めるが、胃の中の聖水と水銀が容赦なく再び彼女の胃や内臓を溶かし始める。

 

 身体の中を溶かされる激痛を感じながら、彼女は大切な写真を握り締めた。

 

 彼女が本格的に人間たちに牙を剥いたのは、レリエルによって商人たちから救い出されてからだった。ヴリシアの商人の店に囚われていたアリアは、店を訪れた1人の男によって助け出され、その男の眷属となったのである。

 

 血を与えられなかったせいで痩せ細っていた吸血鬼の少女を、忌々しい牢屋から救い出してくれた吸血鬼の王の顔を思い浮かべた瞬間、ビスマルクの巨体が激震した。

 

 退艦した乗組員たちの収容を終えたジャック・ド・モレーが、ビスマルクへと砲撃を始めたに違いない。

 

 あと数分で、この超弩級戦艦は海の藻屑になるだろう。

 

 自決用に用意しておいた聖水と水銀で内臓を溶かされながら、アリアも海の藻屑になるのだ。

 

「レリエル様…………」

 

 白黒の写真に写っているレリエルの顔を見つめながら微笑んだ直後、またしてもビスマルクの船体が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビスマルクの前部甲板で、爆炎が産声を上げた。

 

 へし折られたレールガンの砲身が海へと落下し、爆炎と衝撃波がケーブルや細い配管を引き千切っていく。40cm徹甲弾を叩き込まれた船体から次々に火柱が吹き上がったかと思うと、ビスマルクの艦首が段々と海の中へと沈み始めた。前部甲板で荒れ狂っていた火柱たちが浸水してきた海水に呑み込まれていき、姿を消していく。

 

 損傷したレールガンが海水に呑み込まれ、艦橋や煙突も沈んでいく。真っ赤に塗装された部分や巨大なスクリューがあらわになった頃には、ビスマルクの艦橋は見えなくなっていた。

 

「総員、敬礼!」

 

 ビスマルクの乗組員たちを救助するために甲板にいたジャック・ド・モレーの乗組員たちが、沈んでいくビスマルクに敬礼する。後部甲板には健在な砲塔が残っていたが、天空へと向けられたビスマルクの後部甲板と共に、漆黒の海の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 



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最高の一撃

 

 タンプル搭の象徴でもある巨大な要塞砲たちの周囲には、分厚い岩山が城壁のように広がっている。この要塞が建設されたばかりの頃はただの巨大な岩山だったんだけど、今では岩山の中に無数の通路を用意し、巨大な迫撃砲や臼砲をこれでもかというほど設置している。

 

 俺が立っている見張り台からは、その設置された臼砲たちが見えた。

 

 臼砲とは、砲口から覗き込めば装填されている砲弾が見えてしまうほど砲身が切り詰められている兵器であり、巨大な砲弾を発射することができる。大昔から様々な戦いに投入されて猛威をふるっていた恐るべき兵器だが、今では廃れてしまっている。

 

 余談だけど、第二次世界大戦でドイツ軍が実戦投入した『カール自走臼砲』もこの臼砲の一種だ。

 

 見張り台に用意されたKord重機関銃の傍らにある鉄柵に寄り掛かりながら、腰の水筒を拾い上げて口へと運ぶ。ナタリアが作ってくれたジャムの入ったアイスティーを飲んでから、俺はタンプル搭の周囲を埋め尽くしている無数の戦車や装甲車の群れを見下ろした。

 

 このタンプル搭の岩山に接近してきた敵を迎撃するために配備された臼砲たちの群れの向こうには、いつもならば灰色の砂漠が広がっている筈だった。けれどもその砂漠には黒と灰色の迷彩模様が施された戦車たちが居座っていて、大きなエンジンの音を響かせている。

 

 タンプル搭の周囲を埋め尽くしているのは、T-14の群れだった。T-72B3やT-90と比べるとすらりとした砲塔の脇にはハンマーとレンチが交差しているエンブレムが描かれており、そのエンブレムの上には深紅の星が描かれているのが見える。

 

 岩山の周囲に居座っているのは、モリガン・カンパニーの戦車たちだった。

 

 凄まじい数の上陸用舟艇から砂漠へと上陸した戦車の数は、間違いなくヴリシアの時よりも多い。吸血鬼たちの総本山であるヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントへと侵攻した際にもモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)は圧倒的としか言いようがないほどの規模の戦力を投入したが、この春季攻勢を迎え撃つために彼らが投入した戦力は、あの時の戦力を上回っている。

 

 過激派の吸血鬼たちは、”覇者”たちの逆鱗に触れてしまったのだ。

 

 彼らは春季攻勢を始める前に、ウィルバー海峡を通過する輸送船を何隻も潜水艦で撃沈している。しかし吸血鬼たちの潜水艦は、テンプル騎士団の駆逐艦や殲虎公司(ジェンフーコンスー)の輸送艦ではなく、誤って何の罪もない人々が乗っている豪華客船『グランバルカ号』を、輸送船と誤認して魚雷で撃沈してしまったのである。

 

 その犠牲者の中に、モリガン・カンパニーの社員たちや、社員の家族たちも含まれていた。

 

 大切な”同志”たちを奪われた世界最大の勢力が、同志の命を奪った敵に報復をしないわけがない。

 

「…………」

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍が投入した戦車の数は1000両以上だという。俺たちのように分厚い装甲と強力な主砲を兼ね備えた超重戦車を保有しているわけではないものの、この戦いに投入する戦車の数はテンプル騎士団の戦車の数を遥かに上回っている。

 

 もう既に吸血鬼たちは最終防衛ラインの突破に失敗し、橋頭保にしたブレスト要塞まで後退している。しかも虎の子の列車砲や超重戦車も失う羽目になった挙句、航空隊にも大きな損害を出しているため、制空権を確保するのは不可能だろう。

 

 風前の灯火としか言いようがない吸血鬼たちに大規模な部隊を投入するのは、やり過ぎなのではないだろうか。

 

 シュタージからの報告では、ブレスト要塞へと撤退した吸血鬼たちの人数は合計で8000人ほどだという。それに対し、これからブレスト要塞奪還のためにブレスト要塞へと進撃する連合軍の兵士の人数は、合計で43500000人。吸血鬼の兵士と人間の兵士の身体能力に大きな差があるとはいえ、大昔から人間たちに恐れられていた筈の吸血鬼たちが、現代兵器で武装した兵士たちに瞬殺される羽目になるのは火を見るよりも明らかである。

 

 しかも吸血鬼たちの艦隊は壊滅してしまったため、ブレスト要塞へと殺到することになる地上部隊を艦砲射撃で食い止めることもできない。しかもウィルバー海峡に居座るウリヤノフスク級原子力空母や、アドミラル・クズネツォフ級空母から無数の航空機が飛び立つ予定になっている上に、タンプル搭からも生き残った航空隊が全て出撃することになっている。

 

 航空機同士の戦いでも、吸血鬼たちに勝ち目はない。制空権の確保が不可能になった上に艦砲射撃で支援してもらうこともできないのだから、彼らは猛烈な空爆と艦砲射撃をお見舞いされながら、圧倒的な数の地上部隊をなけなしの武装で食い止めるしかないのである。

 

 捕虜になった吸血鬼たちは幸運だな、と思いながら、俺は踵を返した。

 

 最終防衛ラインで吸血鬼たちを撃退することに成功したが、まだ俺たちは”領土”を奪還していない。

 

 ブレスト要塞を奪還しなければ、俺たちは勝利できないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンプル騎士団が作戦会議をする際は、広大な『戦術会議室』を使うようにしている。一見すると円卓の騎士たちと共にテンプル騎士団のルールや予算についての会議を行う会議室に似ているが、こちらの戦術会議室に足を踏み入れることが許されているのはテンプル騎士団の”兵士”のみだ。そのため、議会に出席する権利を持つ”円卓の騎士”でも、兵士でなければこの戦術会議室に入ることは許されない。

 

 広大な部屋の中にはテンプル騎士団のエンブレムが描かれた巨大な黒い円卓が鎮座しており、その周囲に小さな椅子がいくつも並んでいる。中央に鎮座している漆黒の円卓の中にはフィオナ機関が内蔵されており、参謀総長の席に座った者が魔力を流し込めば、机の上に巨大な立体映像を投影できるようになっている。

 

 その巨大な漆黒の円卓から浮かび上がった青白い立体映像の光が、椅子に座っているメンバーたちの顔を照らし出した。

 

 普段ならば様々な部署の上層部のメンバーだけが席に座っているため、空席があるのは当たり前である。しかし今回はテンプル騎士団のメンバーだけで戦うわけではないため、戦術会議室の席は満席だった。

 

 青白い立体映像を見つめている赤毛の大男の顔をちらりと見てから、俺もナタリアが自分の魔力で投影している立体映像を凝視する。

 

 空席になっている筈の椅子に座っているのは、モリガン・カンパニーの上層部のメンバーや、殲虎公司(ジェンフーコンスー)の上層部のメンバーたちだった。もちろん、世界最強の勢力であるモリガン・カンパニーを率いる俺の親父(リキヤ・ハヤカワ)も参加している。

 

 自分たちの同志を殺された怒りをまだ感じているらしく、母さんやエリスさんの隣に座っている親父は、戦場の真っ只中で敵兵を蹂躙している時のような目つきのまま、腕を組んで立体映像を睨みつけている。

 

 息を吐きながら、自分の隣の席を見つめる。

 

 この戦術会議室を使うようになってからは必ず隣にはラウラが座ることになっていたんだが――――――――――――利き手と左足を失う重傷を負ってしまった彼女は、当然ながら欠席している。だから俺の隣の席は空席だ。

 

 親父たちは同志を殺されて怒っているだけでなく、大切な愛娘を傷つけられて怒り狂っているのだろう。

 

 はっきり言うと、俺もまだ吸血鬼たちを許すことができない。彼女の手足を奪ったメイドを惨殺して復讐することはできたが、復讐心は完全に消えていない。

 

 親父があの目つきになったのは、俺からラウラの事を聞いてからだ。

 

 自分の命の恩人が早くも戦場で戦っている時のような顔つきになっていてびっくりしたのか、ナタリアが一瞬だけこちらをちらりと見た。けれども彼女は息を吐きながら魔力の量を調節して立体映像を調整すると、真面目な声で作戦の説明を開始する。

 

「ブレスト要塞を占拠している吸血鬼の兵力は、約8000名と思われます。敵は未だに近代化改修型のマウスを温存している上に、ブレスト要塞の滑走路を修復して航空機の離陸に使用しているようですが、航空隊や戦車部隊の規模は我々の戦力よりもはるかに少ないでしょう」

 

 多分、そのまま進撃すれば勝てるのではないだろうか。

 

 最終防衛ラインの戦闘でこちらも損害を受けたとはいえ、大打撃を受けたわけではない。ブレスト要塞への侵攻に投入できるテンプル騎士団の戦力は、負傷兵を除けば55000人もいるのだから、シャール2Cたちと一緒に進撃すればテンプル騎士団だけでも勝利できる筈だ。

 

 そう思ったけれど、俺は頭を抱えながら”正面から進撃する”という作戦を頭の中から消し去る。

 

 確かにこっちの方が数は多いのだから、正面から進撃するだけで勝てるかもしれない。しかし吸血鬼たちは死に物狂いで攻撃してくるだろう。

 

 間違いなく、吸血鬼たちの士気は高い。

 

 それに要塞の周囲に敵が地雷や爆薬を設置している可能性もある。迂闊に戦車で進撃すれば地雷で破壊されたり擱座するのが関の山だ。敵が要塞に大型の要塞砲を用意していれば、間違いなく地雷で混乱した戦車部隊が砲撃の餌食になる。

 

 だからこそ作戦を立てなければならないのだ。

 

 仲間を死なせるわけにはいかないのだから。

 

「しかし、要塞の周囲に対戦車地雷が設置されている可能性があります。迂闊に戦車部隊が進撃すれば、地雷で撃破されてしまう恐れがあります」

 

 ナタリアも対戦車地雷を警戒していたようだ。やっぱり、彼女は冷静な指揮官だな。

 

「要塞の周囲に地雷を? 同志ナタリア、周囲に地雷を設置したら敵は要塞から出られなくなるのでは?」

 

 李風(リーフェン)さんの隣に座っていた殲虎公司(ジェンフーコンスー)のメンバーの1人が質問する。殲虎公司(ジェンフーコンスー)はモリガン・カンパニーよりも規模が小さい勢力だが、第一次転生者戦争と第二次転生者戦争を経験したベテランが数多く所属している組織であり、練度ではモリガン・カンパニーの兵士を上回っている。

 

 今しがた質問したメンバーも、ベテランの兵士だった。

 

 確かに、要塞の周囲に地雷を設置すれば吸血鬼たちは要塞から出られなくなる。戦車を使わなければ脱出することはできるが、航空機やヘリで脱出しようとすれば制空権を確保している戦闘機にあっという間に撃墜されるのが関の山だし、最悪の場合はスティンガーミサイルを携行した歩兵に撃墜されてしまうだろう。

 

 もちろん、兵士たちが走って要塞から逃げようとしても、戦闘ヘリや装甲車の餌食になるだけだ。

 

 そう、敵兵は要塞から逃げられない。

 

 きっと、要塞から”逃げる気がない”のだ。

 

 吸血鬼たちが要塞から逃げる気がないことに気付いていた李風さんが、腕を組んだまま答えた。

 

「”背水の陣”だよ、同志」

 

「背水の陣…………」

 

 敵は要塞から逃げられない。つまり、全滅するまで俺たちと戦うつもりなのだ。

 

 やはり吸血鬼たちの士気は非常に高い。いくら連合軍の兵士たちが何度も激戦を経験したベテランとはいえ、士気が高い上に死に物狂いで攻撃してくる吸血鬼たちとの戦いで損害を被るのは想像に難くない。

 

 最悪の場合は、特攻してくる可能性もあるだろう。

 

「クラン、タンプル砲はあと1発だけ使えるよな?」

 

「ええ。でも、砲撃の衝撃で第一格納庫と第八区画の天井が崩落しそうなの。第十一区画の隔壁も歪んで動かなくなってるから、最後の1発を使うのは非常に危険よ」

 

 ブレスト要塞はタンプル砲や36cm要塞砲の射程距離内にある。ブレスト要塞の位置も分かっているため、偵察機に特殊なポッドを搭載して観測データを送信させる必要はない。しかし、さすがに合計で33基の薬室の炸薬を起爆させて砲弾をぶっ放すタンプル砲の衝撃波は非常に凄まじいため、タンプル砲で砲撃すればタンプル搭にも損害が出てしまう。

 

 第十一区画の隔壁が動かないという事は、戦車を吹っ飛ばすほどの衝撃波が要塞内部に流れ込む恐れがあるという事だ。凄まじい重さの戦車を吹っ飛ばすほどの衝撃なのだから、人間の兵士がその衝撃波を喰らえば間違いなく木っ端微塵になってしまうだろう。

 

 くそ、タンプル砲は使えないってことか…………。隔壁が動かないってことは、副砲で砲撃するのも危険だな…………。

 

 要塞砲でブレスト要塞の周囲を砲撃し、設置されている地雷を可能な限り砲撃で除去するという作戦を考えてたんだが、第十一区画の隔壁が修理できない限り無理だろう。

 

「そこで、少数の部隊で要塞に奇襲をかけることにしました」

 

「奇襲ですって?」

 

「…………同志ナタリア、いったいどこから奇襲を仕掛けるのです? 要塞の周囲には全く遮蔽物はないのですよ?」

 

 奇襲を仕掛けるという作戦が予想外だったらしく、親父の隣に座っているエリスさんたちが目を見開いたのが見えた。モリガンの策士でもあるシンヤ叔父さんはメガネをかけ直しながら、興味深そうに立体映像を凝視している。

 

 彼女が立体映像を調整するよりも先に、俺は彼女がどうやって奇襲するつもりなのかを理解していた。

 

 確かにブレスト要塞の周囲に広がっているのは砂漠だけだ。多分要塞の周囲にはまだ敵の戦車の残骸が転がっている筈だが、それに隠れながら要塞に近づいて奇襲を仕掛けるのは不可能だろう。

 

 しかし、”あのルート”から奇襲を仕掛けるのであれば、作戦は確実に成功する。

 

 彼女の作戦を見抜いてニヤリと笑うと、こっちを見たナタリアもニヤリと笑った。作戦を理解してもらえたのが嬉しいらしい。

 

 やがて、円卓の上に投影されていたブレスト要塞の映像が無数の青白い光になって消失する。防壁が倒壊した状態のブレスト要塞を再現していた光たちは再び集合すると、今度は先ほどよりも小さめのブレスト要塞とタンプル搭を青白い立体映像で再現する。

 

 2つのテンプル騎士団の拠点が再現されたかと思うと、その拠点の間に広がる砂漠の下で、1本の線が伸び始めた。

 

「その下にある線は?」

 

「―――――――緊急用の列車の線路です、同志リキノフ」

 

 タンプル搭の東西南北には、合計で4つの重要拠点がある。その拠点に移動する際は航空機や装甲車を使うようになっているんだが、以前は拠点の間に線路を用意し、強力な武装と分厚い装甲を搭載した”装甲列車”で移動できるようにするという計画があった。

 

 けれども、地上に線路を用意すれば作業中の団員が魔物に襲われる恐れがあるし、完成したとしても線路が魔物に破壊される恐れがある。いくら強力な武装と装甲を兼ね備えた装甲列車でも、線路が無ければ全く役に立たないのである。

 

 それゆえにこの計画は中止されてしまったのだが、もし他の拠点が敵の襲撃で壊滅状態になった際に迅速にタンプル搭まで脱出できるように、極秘裏にトンネルを掘って線路を準備するように一部のドワーフたちに指示していたのである。

 

 地下に線路を作れば、魔物が分厚い壁で守られたトンネルを突き破って内部に侵入しない限りは線路が破壊される恐れがないし、拠点が敵に包囲されてもこの列車を使って脱出させたり、逆に増援部隊を派遣することもできる。

 

 しかし、吸血鬼たちの春季攻勢が始まってしまったため、トンネルは未だに完成していない。だからブレスト要塞の兵士たちをタンプル搭までこのトンネルで退避させることができなかったのだ。

 

 トンネルが完成していたら、もっと生存者の数は多かったに違いない。

 

「線路だと…………?」

 

「ええ。どのトンネルも未完成ですが、幸いブレスト要塞行きの線路は91%ほど完成しています。もう少し掘り進めれば、ブレスト要塞の真下です」

 

「親父…………そこでタンプル砲のMOAB弾頭を起爆させたらどうなると思う?」

 

「お前たち…………ッ!」

 

 トンネルには、要塞を放棄した後に敵がそのトンネルを辿って追撃できないように、分厚い隔壁がいくつも用意されている。タンプル砲専用のMOAB弾頭の破壊力は他の砲弾の比ではない―――――――下手したら核兵器に匹敵する―――――――が、シャール2Cの4倍の分厚さを誇る隔壁を何枚も突き破ることはできない筈だ。

 

 ぎょっとしている親父―――――――正確に言うと、親父の姿になっているガルゴニスだ―――――――を見つめながら、俺は笑った。

 

 間違いなく、最高の一撃になる筈だ。

 

 真正面から攻めてくるはずの敵が、いきなり足元に大穴を開けて攻めてくるのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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氷と爆炎

 

「ラウラ」

 

「あっ、ママ」

 

 アイスティーとスコーンの乗ったトレイを持ったエリスは、部屋のドアを閉めてからトレイをベッドの近くのテーブルに置き、椅子の上に腰を下ろした。

 

 左腕と左足を失ってしまったラウラの傷口は、狙撃兵たちが彼女に投与したヒーリング・エリクサーのおかげでとっくに塞がっている。そのため、彼女の手足がアリーシャによって吹っ飛ばされた際に出血した血を、ブラッドエリクサーで補充するだけでよかったのである。

 

 衛生兵や治療魔術師(ヒーラー)たちは他の負傷兵たちの手当てもしなければならなかったため、片腕と片足を失ったことを除けば”軽傷”であったラウラは、医務室からタクヤやイリナと一緒に生活している自室へと移されていた。

 

 ラウラがトレイの上のスコーンを手に取るよりも先にエリスがスコーンを手に取り、負傷した愛娘の口へと運ぶ。

 

「えへへっ、ありがとね。でも、私にはまだ片腕があるから大丈夫だよ?」

 

「無理をしちゃダメよ、ラウラ」

 

 ベッドの上でスコーンを咀嚼する愛娘の頭を撫でながら、エリスは微笑んでいた。

 

 傍から見れば、自分の大切な愛娘を可愛がっているように見えるだろう。しかしラウラの頭を撫でながら微笑むエリスの心の中では、娘が手足を失ってしまった悲しみと、娘の手足を奪った敵への憎悪が混ざり合いつつあった。

 

 普段は微笑んでいるエリスが怒り狂うのは、おそらく22年前の魔剣との戦いの時以来だろう。

 

 あの戦いで、エリスは自分の遺伝子を元にして生み出されたエミリアを、自分の大切な妹だと認めた。

 

 そしてそのエミリアを、魔剣を復活させるための苗床にしていたジョシュアを憎んだ。

 

 その戦いが終結してからは、エリスは怒り狂うことはなかった。夫や妹と共に戦場へと向かい、いつも微笑みながら敵兵や転生者たちをことごとく氷漬けにしていったのである。

 

 久しぶりに再会した憤怒を心の中で加圧しつつ、エリスは愛娘の頭を撫で続ける。

 

 彼女が感じている怒りは完全に遮断されていた。幼少の頃から訓練を受けていた上に何度も実戦を経験して実力を上げたラウラですら、自分の母が心の中で生み出している猛烈な憤怒を感じ取ることができない。

 

 もし仮にすぐに戦場に出ることになれば、エリスは憤怒を遮断するのをすぐにやめてしまうだろう。

 

 雄叫びを上げながらハルバードを振るい、吸血鬼の兵士たちを全員氷漬けにしてしまうに違いない。

 

 既にタクヤがラウラのために義手と義足を手配しているとはいえ、彼女はもう二度と自分の本来の足で歩くことができなくなる上に、本来の自分の腕で最愛の弟を抱きしめることができなくなってしまうのだ。

 

 それに義手と義足を移植するとはいえ、当然ながらリハビリもしなければならない。

 

 仲間たちに手伝ってもらいながらリハビリをするラウラの姿を思い浮かべた瞬間、あの魔剣との戦いで片足を失った夫(リキヤ)の姿がフラッシュバックする。

 

 彼女が味わった苦痛は、父親の苦痛を上回っていた。リキヤのように片足を失った挙句、大切な利き手まで失ってしまったのだから。

 

 ラウラが身に纏っている服の左側の袖とズボンの左側の裾には、その中にある筈の手足がない。義足を移植しない限りもう二度と走れないというのに、母親に頭を撫でられながら微笑む愛娘の姿を見る度に、エリスの中でどす黒い憤怒がどんどん肥大化していった。

 

 娘を傷つけられた悲しみがどす黒い憤怒に呑み込まれ、どんどん怒りへと変異を起こしていく。

 

 かつて自分の夫がサラマンダーの義足を移植し、人間から怪物へと変異を起こしていったように。

 

「多分、義手と義足が届くのはこの戦いが終わってからになるから、作戦が終わるまでゆっくり休んでね」

 

「ふにゅー…………私も戦いたいなぁ」

 

 片足と片腕しかない彼女を、戦場に出すわけにはいかない。

 

 エリスは首を横に振ったが、片腕と片足しかないにもかかわらずラウラが戦おうとする理由を理解した彼女は、そのまま愛娘の顔を見下ろした。

 

 ラウラが戦おうとする理由は、自分の戦おうとする理由とそっくりだったのである。

 

 モリガンの一員となったエリスは、大切な仲間たちや、自分と妹(エミリア)を繋ぎとめるために片足を失った恋人(リキヤ)のために戦った。

 

 自分と恋人(リキヤ)の間に生まれた愛娘も、大切な人(タクヤ)のために戦おうとしているのである。

 

(そっくりね…………ふふっ)

 

 心の中で肥大化していた憤怒が少しばかり小さくなったのを感じたエリスは、息を吐きながらトレイの上のティーカップを拾い上げた。

 

 どうやら、戦おうとする理由まで娘に”遺伝”してしまったらしい。

 

 少しだけ希釈された怒りを心の中に封じ込めながらティーカップを口元へと運び、アイスティーを飲んでからトレイの上へと戻す。

 

 利き手と左足を失って戦線を離脱するためになったラウラは落ち込んでいるに違いないと思って彼女の部屋へとやってきたエリスだったが、ラウラは思ったよりも落ち着いていた。自分の手足が唐突に捥ぎ取られる恐怖を味わったというのに、もう既に義手と義足を移植し、復帰した後の事を考えているのだろう。

 

 予想以上に元気だった愛娘の姿を見た母(エリス)は、安心した。

 

 ラウラはタクヤと一緒ならば大丈夫なのだ。

 

 あの2人は、自分たちの遺伝子と技術を受け継いだ子供たちなのだから。

 

「じゃあ、ママはそろそろみんなの所に戻るわね」

 

「うん。気を付けてね、ママ」

 

「ええ」

 

 微笑んでいるラウラを優しく抱きしめてから、エリスは踵を返してラウラの部屋を後にした。

 

 ラウラは、もう落ち込んでいない。この戦いが終わってから義手と義足を移植し、再び仲間たちと冒険をすることを考えているのだ。

 

(強い子になったのね、あの子は…………)

 

 きっと、自分だったら心が折れていた事だろう。もし仮に若き日の自分が戦闘中に手足を失って戦線を離脱する羽目になったら、義手と義足を移植して復帰しようとは思わないに違いない。絶対零度と呼ばれる原因になった氷属性の魔術には自信があるものの、エリスの心はそれほど強くはないのである。

 

 それゆえに、エリスは安心した。

 

 愛娘(ラウラ)は、自分よりも強い女だったのだから。

 

 娘よりも心が弱いということを実感して溜息をついていると、パイプやケーブルに埋め尽くされている通路の向こうから、見覚えのある漆黒のコートに身を包んだ細身の少女が歩いてくるのが見えた。

 

 彼女――――――正確には”彼”だ―――――――が身に纏っているコートは、若き日の夫が身に纏っていた転生者ハンターのコートを冒険者向けに改造したコートである。改造される前は拘束具を彷彿とさせるベルトのような装飾がこれでもかというほど付いていた不気味なコートだったが、その装飾の数は大きく減っており、代わりに短めのマントとアイテムを収めるためのホルダーが装備されているのが見える。

 

 蒼い髪とキメラの角を隠すために有効活用しているフードには、転生者ハンターの象徴でもある深紅の羽根が2枚飾られている。その羽根はそのコートを一番最初に身に纏った夫(リキヤ)が、一番最初に戦った転生者を倒すためにレベル上げをした際に、仕留めたハーピーの羽根を戦利品としてフードに飾ったものであり、22年前からずっと漆黒のフードを彩り続けている。

 

 けれども、そのフードを纏っているのは夫ではない。彼と比べると少女なのではないかと思ってしまうほど華奢な体格で、フードの下からは蒼い前髪が覗いている。

 

 エリスの近くへとやってきた転生者ハンターは、そっとフードを取った。

 

 フードの中から姿を現したのは、彼女の妹―――――――エリスの遺伝子を元にしたホムンクルスだ―――――――のエミリアに瓜二つとしか言いようがないほどそっくりな、蒼い髪の少年だった。しかもエミリアと同じく蒼い髪をポニーテールにしているため、瞳の色と体格をしっかりと見なければ見分けるのは難しいだろう。

 

「あら、タクヤ君」

 

「お疲れ様です、エリスさん。ラウラは元気でした?」

 

「ええ、とっても元気よ。早くあの子の所に行ってあげなさい」

 

 そう言ってから、エリスはタクヤに向かって微笑みつつ、彼の隣を通り過ぎようとする。しかしタクヤはラウラがいる部屋に行こうとはせず、廊下を後にしようとしているエリスを深紅の瞳でじっと見つめながら言った。

 

「エリスさん、あなたは氷なんだ」

 

「え?」

 

 オルトバルカの騎士たちにつけられた異名の事だろうかと思いながら、エリスはタクヤの顔を見つめる。まるで若き日のエミリアがリキヤのコートを身に纏ったのではないかと思ってしまうほどそっくりな少年は、常に凛としている母親とそっくりな表情だった。

 

「―――――――熱くなっちゃいけませんよ」

 

 そう言ってから、タクヤは微笑む。

 

 熱くなれば、溶けてしまう。

 

 その意味を理解したエリスは、苦笑いしながら、今度こそタクヤの隣を通り過ぎた。

 

(”怒り狂いながら戦うな”ってことなのね)

 

 彼は、エリスの心がそれほど強くないことを見抜いていたらしい。確かにエリスの心は、妹であるエミリアと比べると脆い。もし大切な人がいなくなってしまったら、絶対零度という異名を持つ元ラトーニウス最強の騎士は呆気なく壊れてしまう。

 

 それに、彼女がいなくなってしまったらリキヤやエミリアが悲しんでしまうのは想像に難くない。

 

 だからこそ怒り狂うのではなく、慎重に戦うように彼はエリスに促したのである。

 

 タクヤも成長した事を知りながら、エリスは微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカ製のホロサイトの向こうに見える標的に向けて、トリガーを引く。人間のような形状の的の頭部が木っ端微塵になり、無数の木片を床へとぶちまけたのを見届けてから、ホロサイトから目を離した。

 

 前世の世界で運用されているアサルトライフルの大半は、5.56mm弾や5.45mm弾のように口径の小さな弾薬を使用する物が主流だった。中には大口径の7.62mm弾をぶっ放せる代物もあるし、改造するだけで全く違う弾丸をぶっ放せる銃もある。けれどもアサルトライフルに使用する弾薬は、小口径の弾薬が多い。

 

 小口径の弾薬は殺傷力がやや低いものの、命中精度が高い上に反動も小さいから、場合によってはフルオート射撃でマガジンの中の弾丸をプレゼントすることになるアサルトライフルにはうってつけなのだ。7.62mm弾は強力だけど、反動が大きいのである。

 

 けれども異世界では、はっきり言うと5.56mm弾よりも7.62mm弾の方が役に立つ。

 

 対人戦では小口径の弾丸の方が有効なのは同じだ。人間は魔物のような外殻で守られているわけではないから、頭に1発弾丸をプレゼントするか、胴体にこれでもかというほどぶち込んでミンチにしてやればいいのだから。

 

 けれども魔物は、強靭な外殻や筋肉繊維で守られているため、口径の小さい弾丸ではダメージが小さいのである。

 

 現代兵器を本格的に異世界で運用したモリガンの傭兵たちが、それを立証したのだ。5.45mm弾では魔物の外殻に弾かれてしまうため、少しでも口径の大きな弾丸を使う方が魔物との戦いでは効率的だ。それに小口径の弾丸よりも扱いにくくなってしまうが、対人戦でも役に立つので、モリガンの傭兵たちは大口径の7.62mm弾を好んだという。

 

 冒険者たちの天敵である飛竜やドラゴンの外殻を貫通するには、相手の種類にもよるが、最低でも6.8mm弾を使わなければならないらしい。

 

 そのため、テンプル騎士団では大口径の7.62mm弾を使用する銃を支給しており、可能な限り7.62mm弾を使用することを推奨している。

 

 その7.62mm弾で的の頭を木っ端微塵にした俺は、息を吐きながら安全装置(セーフティ)をかけ、マガジンをライフルの下部から引っこ抜いた。コッキングレバーを引いて薬室の中から1発の7.62mm弾を取り出し、それをマガジンに装填してからポーチの中へと突っ込む。

 

 春季攻勢で数多くの吸血鬼たちを葬ったからなのか、俺のレベルはかなり上がっていたし、様々な武器がアンロックされていた。

 

 そのアンロックされた新しい武器のうちの1つを、これから始まる作戦でメインアームとして装備する予定だ。

 

 新しく生産したアサルトライフルは―――――――――ロシア製の最新型アサルトライフルの1つである、『AK-15』と呼ばれる銃である。

 

 AK-12は小口径の5.45mm弾を使用するアサルトライフル―――――――テンプル騎士団仕様のAK-12は7.62mm弾を使用している―――――――となっているんだが、このAK-15は大口径の7.62mm弾を使用しようするライフルであるため、他のアサルトライフルと比べると高い攻撃力を誇る。

 

 さらに原型となっているAK-47よりもはるかに汎用性が高くなっており、命中精度が低いという弱点も克服している。更に極めて頑丈なアサルトライフルなので、戦場だけでなくダンジョンに持ち込んでも全く問題ない。

 

 俺にとっては理想のアサルトライフルと言っても過言ではないだろう。

 

 AK-12を7.62mm弾を使用できるように改造すればAK-15を使う必要はないんだが、転生者の能力で強引に改造すれば武器の性能や信頼性を低下させてしまう恐れがあるし、使用する弾薬を変更する分のポイントを消費せずに済むので、これからは兵士たちにこちらを支給する予定である。

 

 さっそくグレネードランチャーとホロサイトとブースターを装備したAK-15を背中に背負ってから、俺はメニュー画面を開き、AK-15をアンロックするための条件を確認する。

 

《7.62×39mm弾を使用する武器を使い、敵兵を5000人倒す》

 

 そう、俺は7.62mm弾を使用する武器で5000人以上殺しているのである。

 

 クソ野郎なら何億人殺しても全く心は痛まない。ニヤニヤ笑いながら、どんなに濃いモザイクでも修正しきれないくらい無残に殺すことができるだろう。けれどもこの弾丸で殺してきた敵が全員クソ野郎と言うわけではないのは、火を見るよりも明らかだ。

 

 殺してきた敵の中には、家族や一族のために戦場へとやってきた兵士もいるのだから。

 

 家族の写真を持っていた吸血鬼の兵士たちの事を思い出しながら、唇を噛み締める。

 

 でも、躊躇っている場合じゃない。躊躇ったら大切な仲間(同志)たちが殺されてしまう。今回の敵が全員クソ野郎と言うわけではないが、敵が攻撃をしてきたからこそテンプル騎士団の団員たちが犠牲になったんだ。

 

 それに俺は団長なのだから、戦わなければならない。

 

「やっほー♪」

 

「おう、イリナ」

 

 溜息をつきながら訓練場を後にしようとしていると、訓練場の出入り口の方からテンプル騎士団の制服に身を包んだイリナがやってきた。彼女も訓練をするつもりなのだろうかと思いながらちらりと彼女の手を見てみると、イリナはAK-12にそっくりな銃を持っていた。

 

 彼女が炸裂弾ではなく通常の弾薬を使用する銃を使うのは珍しいと思ったんだが―――――――――よく見たら、その銃はやはりショットガンだった。

 

 イリナが装備していたのは、つい先ほど彼女に支給したばかりの『AK-12/76』と呼ばれるロシア製のショットガンだった。簡単に言えば、AK-12を改造して散弾を発射できるようにしたモデルであり、この銃も極めて信頼性が高い。

 

 彼女に支給したショットガンには、もう既にイリナ用のカスタマイズが施されている。

 

 ホロサイトとブースターが搭載されており、銃身の下にはグレネードランチャーが搭載されている。更に、使用する弾薬を散弾ではなく炸裂弾であるフラグ12に変更しているため、ショットガンどころかグレネードランチャーすら上回る圧倒的な破壊力を持っているのだ。

 

 しかも、その気になれば中距離までフラグ12で”爆撃”できるというとんでもない銃である。

 

 い、イリナが普通の銃を使うわけがないよね…………。

 

「うふふふっ! 早く敵を吹っ飛ばしたいなぁ♪」

 

「次の戦いは近距離戦が多くなると思うから、巻き込むなよ?」

 

「はーいっ! えへへへへっ…………♪」

 

 ブレスト要塞の地下に建設中のトンネルを要塞の真下まで掘り、そこでタンプル砲に装填する筈だったMOAB弾頭を爆破させ、敵に大打撃を与えてから俺たちが地下のトンネルから突入するという作戦になる。そのため射程距離が長い得物よりも、近距離戦や中距離戦で真価を発揮する武器を装備した方が好ましい。

 

 つまり、アサルトライフルとショットガンの独壇場になるのだ。

 

 この作戦が決行されるのは、明後日の午前7時。太陽が昇ってからの攻撃になるため、吸血鬼たちは迂闊に外に出ることができない。そのため耐性が低い吸血鬼たちは要塞の中に立て籠もって応戦する事だろう。

 

 外に出て応戦してきた奴らをアサルトライフルで始末し、要塞の中から攻撃してくる奴らは、内部に突入してショットガンで始末してやればいい。

 

 というわけで、俺も今度はショットガンを装備しようと思う。

 

「俺もショットガンを選んでおかないとな…………」

 

「え、タクヤもショットガン使うの!?」

 

「ああ。室内戦になるだろうし、散弾の破壊力は頼りに―――――――――」

 

「だっ、ダメだよそんなの! 僕の個性を取らないでよぉっ!!」

 

 こ、個性だと!? 

 

「イリナ、お前の銃はもうショットガンじゃねえよ! そいつはただのグレネードランチャーだろうが!?」

 

 フラグ12を発射する上に、銃身の下にグレネードランチャーまで装備してるからなぁ…………。巻き込まないでくれよ、イリナ。室内でそんなものをぶっ放したら全員ミンチになっちまう。

 

 ショットガンを装備しようとしている俺を、顔を真っ赤にしながら止めようとするイリナ。彼女は自分の個性を取られるのが嫌らしいんだが、炸裂弾じゃなくて普通の散弾をぶっ放すやつを装備するから彼女の個性は無事なんじゃないだろうか。

 

 そんなことを考えているうちに、俺とイリナはいつの間にか笑っていた。

 

 彼女のおかげで、俺は安心する事が出来たのだ。

 

 

 

 



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ラウラの夢とタクヤの決意

 

 敵陣の真下に穴を掘って爆破するという作戦は、第一次世界大戦にも行われている。

 

 メシヌ高地と呼ばれる場所に拠点を用意していたドイツ軍を撃破するために、イギリス軍がその拠点の下まで穴を掘り、そこにこれでもかというほどの爆薬を設置して起爆させ、ドイツ軍に大打撃を与えていたのである。

 

 さすがに現代の戦闘ではこういう戦い方をすることは殆どない。

 

 ナタリアがブレスト要塞の地下でタンプル砲専用のMOAB弾頭を起爆させるという作戦を発表した瞬間、俺はイギリス軍のその作戦を思い出した。春季攻勢が始まる前に、参謀総長であるナタリアに「異世界の戦術を教えてほしい」と言われた時に、俺はこの地下で爆薬を爆破して敵陣に大打撃を与えた話をしたのだ。

 

 もちろん一般的な現代戦の戦術も教えたけれど、彼女はどうやら第一次世界大戦でイギリス軍がドイツ軍に大打撃を与えたこの作戦に興味を持っていたらしい。

 

 けれども、これは合理的な作戦かもしれない。撤退していく吸血鬼たちに紛れ込んでブレスト要塞に潜入しているニコライ4―――――――彼を紛れ込ませたのはウラルの独断である―――――――からの報告では、吸血鬼たちはやっぱり要塞の周囲にこれでもかというほど対戦車地雷を設置している上に、要塞の防壁に28cm要塞砲を4基ほど設置して迎撃する準備をしているという。

 

 数は少ないものの、要塞内部にある飛行場では生き残ったF-22たちが出撃の準備をしているらしい。敵は風前の灯火だと高を括れば、大損害を被る羽目になるのは火を見るよりも明らかである。

 

 そこで、ナタリアが立案したこの作戦で、あいつらに強烈な一撃をお見舞いすることにした。

 

 まず最初に航空隊が攻撃を開始し、制空権を確保する。ニコライ4からの報告では生還したF-22はたった19機だけだ。それに対しこちらは合計で200機のステルス機と無数の艦載機たちを出撃させる予定であるため、制空権が確保できるのは時間の問題だろう。

 

 ちなみに出撃するステルス機たちは、ロシアのPAK-FAが80機、アメリカのF-22が50機、中国の殲撃20型が70機である。

 

 敵の航空隊を撃破した後に、今度は攻撃機たちの空爆と砲兵隊による遠距離砲撃を実施する。その間に俺たちは地下のトンネルにMOAB弾頭を設置し、要塞の真下で起爆させることになっている。

 

 起爆させた後はトンネルを脱出してそのまま要塞の防壁の内側へと攻め込み、敵を攪乱しつつ敵の指揮官であるブラドを討ち取るのである。ブラドがいなくなれば敵の士気は一気に下がるし、彼が自分の能力で生産した武器はすべて消滅する。歩兵たちが手にしているXM8や戦車部隊に配備されている頼もしいレオパルトたちが消えてしまうのだ。

 

 転生者はポイントを消費して強力な武器や能力を生産できるのだが、その転生者が死亡すれば、転生者の能力によって生産された武器や兵器はすべて消失するという仕組みになっている。もちろん転生者が与えられる端末も機能を停止するので、それを鹵獲して使うことは絶対にできない。

 

 おそらく、俺たちの世界の武器がこの異世界の人々に鹵獲されないようにするための機能なんだろう。つまり転生者の集団を相手にする場合は、積極的に転生者を狙った方が敵の武装勢力を無力化しやすいのだ。

 

 とはいえ、あくまでも端末が機能を停止することが分かっているのは、転生した際に端末を与えられる”第一世代型転生者”の話だ。けれども今回の標的であるブラドは――――――――俺と同じく、端末を持たない”第二世代型転生者”である。武器の鹵獲を防ぐために同じ仕組みにされている可能性は高いものの、第一世代型と異なっている可能性もあるのだ。

 

 場合によっては、敵の残党を叩き潰す必要もあるのである。

 

 溜息をつきながらちらりと部屋の時計を見上げて時刻を確認する。今の時刻は深夜0時。総攻撃が始まるまであと7時間だ。

 

『最終防衛ラインの突破に失敗した吸血鬼たちは、ブレスト要塞へと撤退しています。モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍と共同で実施される総攻撃に耐えることは不可能でしょう。ですが、念のため戦闘が終了するまでは、住民の皆さんは外出をしないようにしてください。部屋の中で、勇敢な同志たちが勝利する事を祈りましょう』

 

 部屋に置いてあるラジオから聞こえてくるのは、シュタージのメンバーたちによる放送だった。いつもならナタリアとクランの”ラジオ・タンプル”の放送が終わる時間なんだが、春季攻勢の最中はシュタージの隊員たちによる放送が延々と続けられている。

 

 けれども、この作戦が終われば殺風景な放送は終わるだろう。来週の夜からは再びラジオ・タンプルが再開されるに違いない。

 

 お盆の上にボルシチの入った皿を乗せて、俺はベッドの方へと向かった。普段はラウラと一緒に眠っている少し大きめのベッドの上にはパジャマ姿のラウラが横になっていて、シュタージの放送を聞きながら壁に掛けてあるランタンをじっと見つめていた。

 

「ラウラ、出来たよ」

 

「あっ、ありがと。…………えへへっ、美味しそうだね♪」

 

「はははっ、自信作だよ。…………あーん」

 

「あーんっ♪」

 

 スプーンで、ボルシチの中に入っていた野菜とハーピーの肉をラウラの口へと運ぶ。本当なら牛肉を使おうと思ってたんだが、牛肉はこの総攻撃に参加する兵士たちに支給されてしまっているので、代わりにハーピーの肉を使っている。

 

 いくらテンプル騎士団が圧倒的に有利とはいえ、1人も死者を出さずに勝利できるわけがない。それに牛肉を支給すれば作戦に参加する兵士たちの士気も上がるだろう。

 

 柔らかいハーピーの肉や野菜を咀嚼するラウラは、微笑んでいた。

 

「えへへっ、やっぱりタクヤの料理が一番美味しいよっ♪」

 

「ありがとね、ラウラ。でもまだ母さんには敵わないよ」

 

 ハヤカワ家の中で一番料理が上手いのは間違いなく母さんだろうな。母さんも作戦に参加する親父のために、手料理を振る舞っているのだろうか。

 

 すでに戦闘で使用する新しい武器の試し撃ちも済んでいるし、しっかりと眠ったから大丈夫だろう。

 

 スプーンの上に乗っている野菜を美味しそうに食べる姉の頭を撫でながら、もう一度時計の時刻を確認する。先ほど時計を見た時から時間はあまり経っていないというのに、作戦が始まる時間が気になってしまう。

 

 その時間が、一時的に彼女(ラウラ)と”お別れ”をする時間になってしまうから。

 

 しかも再会できるという保証はない。下手をすれば爆破を終えてトンネルから出た直後に、俺たちの奇襲に気付いた戦車の戦車砲にミンチにされるかもしれないし、敵の狙撃兵に頭を撃ち抜かれ、脳味噌の破片をばら撒きながら死ぬ羽目になるかもしれない。

 

 ブレスト要塞にいる敵の士気は非常に高いという。俺たちが襲い掛かれば、彼らは死に物狂いで襲い掛かってくるのは想像に難くない。

 

 戦死するかもしれないと思った俺は、”お別れ”する時間になる前に、出来るだけラウラと一緒にいようと思った。死ぬつもりはないけれど、”死”はどんな敵よりも容赦がない存在だ。ボディアーマーで身を守っていたり、戦車の陰に隠れていたとしても、死はあらゆる兵士を問答無用で殺してしまう。

 

 だから、戦場に向かう前にラウラと一緒に過ごそうと思ったのだ。戦争に行く羽目になった兵士たちも、こういう感覚を味わっているのだろうか。

 

 頭を撫でているうちに、毛布から伸びたラウラの柔らかい尻尾が、俺の頭を撫でてくれていた。柔らかい真っ赤な鱗で覆われた彼女の尻尾は俺の頭を撫でながら、先端部を伸ばして頬も一緒に撫でてくれる。

 

 大丈夫だよと言わんばかりに撫で始めた彼女の尻尾に触れると、ラウラが俺の顔を見上げていた。

 

 不安になっていたのを見抜いたのだろうか。

 

 彼女とは生まれた時からほぼずっと一緒にいる。おかげでちょっとした仕草でも彼女が何を考えているか分かるようになってしまったし、戦闘中もいちいち指示を出さなくても連携を取ることができるようになっている。もちろん彼女も俺の考えていることを把握できるらしく、何も言わなくてもかなり正確にサポートしてくれるのだ。

 

「タクヤ、無理をしちゃダメだからね」

 

「…………ああ」

 

 無茶をしてしまうのは、親父から遺伝しちまった悪い癖だ。若き日の親父は何度も無茶をしてボロボロになり、母さんを心配させていたという。

 

 仲間たちに何度も無茶はしないと誓ったんだが、それを守れたことは今のところ一度もない。どうせ今回も守れないんだろうなと思いつつ返事をすると、彼女は右手を伸ばして俺の顔を引き寄せ、そのまま唇を奪った。

 

 舌を絡み合わせてから、ラウラが静かに唇を離す。けれども彼女の尻尾はまだ俺から離れるつもりはないらしく、相変わらず頭と頬を同時に撫で続けていた。

 

「お姉ちゃんはタクヤ以外の男と結婚する気なんてないんだからね?」

 

「分かってるって」

 

 小さい頃から何回も『タクヤのおよめさんになる!』って言ってたからな。

 

 俺が死んだら、彼女の夢を叶えることができなくなってしまう。だから死ぬわけにはいかない。

 

「ラウラの夢は絶対に叶えてみせるよ」

 

「うんっ♪」

 

 いつの間にか不安が完全に消滅していたことに気付いた俺は、ベッドの上で微笑んでいるラウラを優しく抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極秘に建設された駅のホームは、タンプル搭の最下層に存在する。極秘に建設されていたため、当然ながらタンプル搭の内部にあるエレベーターで向かうことはできない。最下層という事になっている第11戦術区画の西側にある隠し階段から下に降りて行けば、そのホームに辿り着くことができるのだ。

 

 そのホームに、装甲で覆われた巨大な列車が居座っていた。

 

 ただ単にモリガン・カンパニー製の機関車と車両に装甲を搭載し、自衛用のKord重機関銃を車両に搭載しただけの装甲列車である。あくまでもこの列車は緊急脱出用の列車であるため、機関砲や戦車砲を搭載する必要はなかったのだ。拠点から脱出する時にしか走らないのだから、これでもかというほど武装を搭載する必要はないのである。

 

 機関車はフィオナ機関を搭載したD51にそっくりな機関車だ。オルトバルカ王国では旧式になってしまったものの、同盟国ではまだ現役の高性能な機関車である。非常に頑丈で値段も安いので、モリガン・カンパニーから何両か購入しておいたのだ。

 

 装甲で覆われた機関車の前には、1両だけ貨車が連結されているのが見える。要塞に奇襲を仕掛ける兵士たちが乗り込む車両よりも大きな車両のハッチから覗いているのは、戦艦の主砲よりもはるかに巨大な砲弾だった。本来ならばテンプル騎士団の切り札であるタンプル砲から発射される筈だった200cm多薬室ガンランチャー専用のMOAB弾頭である。

 

 列車でその車両を起爆させる位置まで押していき、そこで貨車を切り離してから時限式の起爆装置を起動させ、車両もろとも爆発させるのだ。爆発する前に装甲列車は安全な位置まで下がりつつ、本来ならば敵の侵入を防ぐための分厚い隔壁を何枚も閉鎖して爆風から身を守ることになっている。

 

 俺たちまで生き埋めにならないことを祈りながら、テンプル騎士団仕様のAK-12を装備した他の兵士たちと共に装甲列車の前に整列する。この奇襲に参加するのは、最終防衛ラインの戦闘で死闘を繰り広げた強襲殲滅兵たちの生き残りとスペツナズの兵士たちである。あとは、俺とナタリアとステラとイリナの4人だ。

 

 爆破した後は、爆風が穿った大穴から要塞へと侵入して奇襲を敢行することになっている。いくら敵の戦力が大きく減っているとはいえ、敵兵の人数は合計で8000人だという。たった100人足らずの兵士で奇襲を仕掛けるのはかなり危険だろう。

 

 けれども俺たちの役割は、可能な限り的に損害を与えつつ攪乱する事だ。

 

 この戦いでは室内戦が想定されるため、俺は装備を変更していた。

 

 サイドアームはお気に入りのPL-14である。メインアームは生産したばかりのAK-15で、ホロサイト、ブースター、グレネードランチャーをすでに装着している。

 

 もう1つのメインアームは、アメリカで開発された『AA-12』と呼ばれるショットガンだった。まるでアメリカのM16の銃身をかなり短くしてキャリングハンドルを取り外したような外見をした銃である。

 

 大半のショットガンはポンプアクション式かセミオートマチック式なのだが、このAA-12は強力な散弾をフルオート射撃で敵に叩き込むことができる獰猛な代物なのである。無数の散弾が立て続けに連射されるため、近距離にいる敵は瞬く間に蜂の巣になってしまうだろう。

 

 ちなみに、こいつをアンロックする条件は『白兵戦で1500人の敵兵を倒す』という条件だ。俺は白兵戦が得意なのでとっくにアンロックされていたのだが、まだ生産していなかったのだ。

 

 生産したAA-12にはフォアグリップとオープンタイプのドットサイトを取り付け、マガジンを32発入りのドラムマガジンに変更している。使用する弾薬は近距離にいる敵兵をミンチにできるように通常の散弾にした。

 

 おそらく、そろそろ飛行場から航空隊が飛び立つ頃だろう。まだ未完成のホームの天井を見上げながらそう思った俺は、整列している兵士たちの前に出てから、無線機のスイッチを入れた。

 

「―――――――同志諸君、いよいよ我々は敵が占拠しているブレスト要塞へ総攻撃をかける。敵は大損害を被ったとはいえ、未だに士気は高いという。死に物狂いで反撃してくる事だろう」

 

 親父に演説をしてもらおうと思ったんだが、親父に「お前の方が上手そうだから任せる」と言われたので、俺が担当することになった。テンプル騎士団の兵士たちの士気は上がるかもしれないが、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士の士気を上げることはできるのだろうか?

 

「だが、我々はブレスト要塞を何としても奪還し、我々の領土を奪い返さなければならない。戦死した同志たちや、犠牲になったグランバルカ号の乗客たちを弔うためにも、あの吸血鬼たちには鉄槌を下す必要がある」

 

 ブレスト要塞では何人もテンプル騎士団の兵士たちが犠牲になっているし、グランバルカ号に乗っていた何の罪もない乗客たちも犠牲になっているのだ。彼らの仇を取らなければならない。

 

 それに、この戦いでブラドと決着をつける必要つもりだ。報告では艦隊を率いていた女王のアリアは既に海の藻屑になったという。ブラドが死ねば、過激派の吸血鬼たちを束ねるリーダーがいなくなるのだ。そうすれば、過激派の吸血鬼たちはもう二度と人々を虐げることができなくなるに違いない。

 

 前世で一緒に遊んだ親友の事を思い出した俺は、溜息をついた。

 

 あいつとはもう絶交したんだ。あいつはもう俺たちの敵なのだから、消さなければならない。

 

「この戦いが歴史に残ることはないだろう。俺たちがどれだけ戦果をあげても、それをたたえてくれるのは関係者だけだ。…………だから、歴史に残らない戦いで死ぬのは絶対に許さない」

 

 転生者戦争は歴史に残るが、この春季攻勢は転生者の関係者たちだけの戦いだ。それゆえに、絶対に歴史には残らない。

 

「…………一緒に戦果をあげて、みんなで英雄になろうじゃないか。こんな歴史に残らないちっぽけな戦いで死ぬのは面白くないだろう?」

 

 目の前に並んでいる兵士たちの顔を見渡す。整列している兵士たちの種族はバラバラだったけれど、大半の兵士はハーフエルフかオークだった。どちらも屈強な種族であるため、5.56mm弾や6.8mm弾に被弾した程度ではすぐに死なない。

 

 けれども、最終防衛ラインの戦闘では強襲殲滅兵たちが何人も犠牲になっている。あの戦闘に参加した強襲殲滅兵は50名だったんだが、最終的に生き残ったのは俺を含めてたった23名だけだ。

 

 屈強な兵士でもあっさりと死んでしまうほど過酷な戦いになるだろう。

 

 でも、俺は死ぬつもりはない。

 

 ラウラの夢を叶えなければならないのだから。

 

「―――――――戦いを終わらせよう、同志諸君」

 

 

 

 

 

 



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メシヌの再演

 

 HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の向こうに広がる藍色の空を睨みつけながら、コクピットの中で息を吐いた。

 

 この作戦が始まるまでには時間があった。ナタリア・ブラスベルグが立案した作戦を理解し、アーサー隊の隊員たちに俺たちの役割を伝えてから、タクヤの能力の中にある”トレーニングモード”を有効活用して何度か空戦の訓練をしても、その時間を使い切ることはできなかった。

 

 けれどもその余った時間の最中に、アンジェラを食事に誘うことはできなかった。すでに出撃する準備は終えていたし、格納庫で整備を受けている自分のユーロファイター・タイフーンの状態も整備兵から聞いてあった。つまり俺が勇気を出せば彼女と一緒に食事をすることができたというのに、声をかけることができなかったのである。

 

 情けないなと思いつつ、操縦桿をぎゅっと握る。

 

 タクヤはラウラと一緒に食事をしてから出撃したという。あいつは以前から彼女――――――しかも腹違いの姉らしい―――――――と仲が良かったとはいえ、出撃する前に一緒に過ごすことができたのだ。けれども俺は声をかけることができなかったから、結局愛機のコクピットの中で自分でメンテナンスをして時間を潰す羽目になった。

 

 彼女と一緒に食事をすることができていたのならば、コクピットの中で何度も溜息をつく羽目にはならなかった事だろう。声をかけなかったことを後悔しながら、ちらりとキャノピーの外を見つめる。

 

 ブレスト要塞の上空へと向かって飛んでいるのは、たった5機のユーロファイター・タイフーンだけではない。アーサー隊の右側には、7機のPAK-FAで編成されているテンプル騎士団空軍の『ランスロット隊』が飛行しているし、左側には5機のF-22で編成されているテンプル騎士団空軍の『パーシヴァル隊』が飛行している。

 

 もちろん、テンプル騎士団空軍の先陣を切るのはアーサー隊だ。

 

 タンプル搭から飛び立った航空隊よりも上を飛んでいるのは―――――――テンプル騎士団空軍の航空隊よりもはるかに大規模な、航空機の編隊たちだった。朝日に照らされ始めている藍色の空に幾重にもV字型の編隊を刻み付けながら飛行しているのは、アメリカ製のF-22、ロシアのPAK-FA、中国の殲撃20型たちで編成された、あまりにも贅沢なステルス機の編隊だった。

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)が派遣した、連合軍の航空部隊たちである。しかもステルス機たちだけで編成された贅沢な航空隊の周囲には、隊長機と思われるSu-30に率いられた無数のSu-35やSu-27が飛行しており、藍色の空をエンジンの轟音と衝撃波で蹂躙している。

 

 その大規模な航空機の群れに、先ほどモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)の空母から飛び立った『Su-33』や、モリガン・カンパニーが保有する飛行場から飛び立ち、空中給油を受けながらやってきた『Su-34』たちも合流しており、航空隊の規模は肥大化しつつある。

 

 更に別の飛行場から飛び立ったA-10の群れもこっちに向かっているという。

 

 スペツナズが要塞にどさくさに紛れて潜入させた隊員の報告では、ブレスト要塞から出撃する予定の航空機はたった19機のF-22のみだという。F-22は圧倒的な性能を誇るステルス戦闘機だが、いくらF-22でもたった19機で500機以上の航空隊を食い止められるわけがない。

 

 あっという間にフレアを使い果たし、ミサイルの群れに食い破られるのが関の山である。

 

『同志諸君、応答せよ。こちら”マーリン1”』

 

「こちらアーサー1。どうした?」

 

 無線機に向かってそう言いながら、ちらりとキャノピーの後方を振り向く。

 

 漆黒と深紅で彩られた垂直尾翼の向こうに、他の戦闘機たちと比べると遥かに巨大な航空機が見えた。がっちりとした胴体から左右へと伸びている主翼はやや下へと下がっており、その主翼には合計で4基のエンジンがぶら下がっているのが分かる。一見するとごく普通の航空機のようにも見えるが、その胴体の上には円盤状の部品が伸びていた。

 

 アーサー隊の後方を飛行しているでっかい航空機は、ロシア製の『A-50』と呼ばれる”早期警戒管制機(AWACS)という航空機だった。

 

 戦闘機に搭載されているものよりも高性能なレーダーや機器を搭載しているため、索敵能力は戦闘機よりも上だ。更に味方の航空隊の指揮を執ることもできる。

 

 この作戦ではかなりの数の航空機が投入されるため、いくら各部隊の隊長でも指揮を執るのが非常に難しい。タンプル搭にある中央指令室で圧倒的な数の航空機の指揮を執るのも難しいため、連合軍は複数の早期警戒管制機(AWACS)を投入することにしたのである。

 

 後方を飛行するマーリン1から聞こえてきたのは、俺の幼馴染の声だった。

 

 早期警戒管制機(AWACS)での指揮は、シュタージのオペレーターたちが担当することになっている。

 

『ニコライ4より連絡が入ったわ。ブレスト要塞より19機のF-22が飛び立った模様』

 

「そうか…………」

 

 吸血鬼たちは、非常にプライドの高い種族だという。だから生き残った航空部隊を派遣し、こちらの航空隊を迎え撃とうとするだろうと思っていた。

 

 けれども、500機以上も航空機がいる上に高性能なレーダーを搭載した複数の早期警戒管制機(AWACS)が指揮を執っている航空隊に、たった19機の戦闘機で戦いを挑むのは自殺行為だ。

 

「…………アーサー隊、たった19機の戦闘機が相手でも高を括るな。あいつらは死に物狂いで攻撃してくるぞ」

 

 もしかしたら特攻してくるのではないかと思った俺は、ぞっとしながらキャノピーの向こうを見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滑走路から飛び立っていったF-22たちを見つめながら、拳を思い切り握りしめた。

 

 19機のF-22たちは間違いなく全滅するだろう。敵は他の拠点から空中給油を受けつつやってきた航空隊や艦載機の群れと合流して肥大化している。いくら高性能なF-22を出撃させたとしても、無数のミサイルで瞬く間に撃墜され、制空権を確保されてしまうのが関の山だ。

 

 けれどもパイロットたちは1人も逃げなかった。

 

「…………」

 

 要塞の守備隊は、たった8000人。しかもそのうち2500人が先ほどの最終防衛ラインの戦いで負傷した負傷兵たちである。彼らになけなしのエリクサーを支給して治療したものの、負傷兵たちを全員治療できるわけがない。

 

 俺の周囲では、モスグリーンの軍服に身を包んだ兵士たちが砲弾や弾薬の入った箱を運んでいる。薄汚れた軍服を身に纏っている兵士たちの中には包帯を巻いている者もいるし、片腕が見当たらない兵士もいる。

 

 仲間に肩を貸してもらいながら防壁の方へと歩いて行く兵士には、左足がなかった。その片足が無い兵士に肩を貸している兵士はヘルメットをかぶっておらず、頭と右目を覆っている包帯があらわになっている。

 

 3分の1の兵士が、負傷兵だった。

 

 しかも日光を浴びれば身体が消滅してしまうほど耐性が低い吸血鬼を昼間に戦わせるわけにはいかないため、耐性の低い兵士たちは日光が当たらない場所に待機させなければならない。迎撃できる兵士の人数が減る羽目になるため、敵は間違いなく昼間に攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

 踵を返し、要塞の地下へと繋がっている階段を下りていく。要塞砲に装填するための砲弾を抱えた2人の兵士たちに敬礼をしてから階段を下りていくと、小さなランタンで照らされている要塞の通路から兵士たちの呻き声が聞こえてきた。

 

 壁や天井の破片が散らばっている通路の中にいるのは、無数の負傷兵たちだった。普通の攻撃ならば再生することができるんだが、耐性が低い兵士は水銀や聖水で攻撃されると再生することができなくなってしまう。再生能力で希釈していた”死”が牙を剥くのである。

 

 俺も手当てを手伝おうとしたその時、ランタンの真下に横になっている若い兵士が、こっちを見つめながら微笑んだのが見えた。

 

 俺よりも年下の兵士らしい。傍から見れば通路に座っているように見えるけれど、彼の太腿の辺りには包帯が巻かれており、太腿から先には何もない。それ以外に傷を負っている様子はないものの、彼が戦うことができないのは火を見るよりも明らかだった。

 

「ブラド様、敵はまだ来ないのですか?」

 

「…………ああ」

 

 戦わせてくれと言わんばかりに、その若い兵士は自分のホルスターへと手を伸ばし、コルトM1911A1をホルスターの中から引っこ抜く。けれども銃を引き抜いた瞬間に自分が両足を失う羽目になった瞬間がフラッシュバックしたのか、ハンドガンのグリップを握っていた兵士の手が震え始める。

 

 まるで銃口を向けている敵兵に怯えているかのように、俺よりも年下の兵士が震える。彼の手をそっと掴んでコルトM1911A1を取り、彼のホルスターの中へと戻すと、若い兵士はまだ震えながらこっちを見上げた。

 

 モリガン・カンパニーの連中が攻め込んで来たら、間違いなくこの通路で呻き声を上げている負傷兵たちも皆殺しにされることだろう。モリガン・カンパニーを率いる忌々しい魔王は、敵に全く容赦をしない男だという。手足のない負傷兵や若い兵士でも、躊躇することなく殺してしまうに違いない。

 

 だが、テンプル騎士団は捕虜を受け入れてくれるという。

 

 もしテンプル騎士団が降伏勧告をしてきたら、ここにいる負傷兵や戦意のない兵士たちを要塞から脱出させた方がいいかもしれない。

 

 当たり前だが、俺は最後まで戦うつもりだ。この戦いを始めてしまったのは俺なのだから、責任を取らなければならない。

 

「ブラド様…………」

 

「どうした?」

 

「僕たちは、もう帰れないのでしょうか」

 

 若い兵士が尋ねた途端、彼の周囲に横になっていた負傷兵たちが一斉にこっちを振り向いた。

 

 はっきり言うと、ここにいる兵士たちが生きてディレントリアへと帰ることができる確率はかなり低いだろう。要塞へと攻め込んでくる敵がモリガン・カンパニーの連中だったら間違いなく皆殺しにされてしまう。

 

 だからといって首を縦に振れば、兵士たちの士気が下がってしまう。こっちを見ている兵士たちを見渡してから、俺は首を横に振った。

 

「…………安心しろ。テンプル騎士団なら捕虜を受け入れてくれる」

 

 ヴリシアから逃げ遅れた兵士たちはモリガン・カンパニーの連中に片っ端から”粛清”されていったらしいが、テンプル騎士団は捕虜を受け入れていたという。もし要塞へとテンプル騎士団が攻め込んで来たら、ここにいる負傷兵たちは見逃してくれる筈だ。

 

 自分の腰にあるホルダーに手を伸ばし、非常用のエリクサーを若い負傷兵に手渡す。テンプル騎士団が捕虜を受け入れることを知って安心してくれたのか、彼の手はもう震えていなかった。

 

 負傷兵の手当てをしていた衛生兵に「彼らを頼む」と言ってから、俺は踵を返す。

 

 俺も戦わなければならない。この戦いを始めてしまったのは俺なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がちん、という金属音が、トンネルの中で一瞬だけ荒れ狂う。

 

 機関車の目の前に居座っていたやたらと大きな貨車が切り離された音がトンネルに響き渡った直後、証明すら設置されていない真っ暗なトンネルをライトで照らしながら、装甲列車がゆっくりと後退し始める。テンプル騎士団の制服に身を包んだ運転手が支給したライトで後方を確認しながら機関車をバックさせていくのを見つめてから、俺とイリナはその置き去りにされた貨車へと向かった。

 

 この貨車の真上に、ブレスト要塞の中央指令室や戦術区画があるらしい。ここで起爆すれば間違いなく要塞の地下にあった区画をほぼ全て吹き飛ばし、地上にいる敵を荒々しい爆炎で吹っ飛ばしてくれるに違いない。

 

 両腕を蒼と黒の二色で彩られた外殻で覆い、貨車のハッチを掴みながら思い切り力を込める。華奢な腕の中で筋肉が一気に硬くなったかと思うと、コートの袖の中にいる両腕が微かに膨らんだ。

 

 金属音を奏でながら、大型の貨車のハッチが開いていく。装甲車を何両か積み込めそうなほど大きな貨車のハッチの向こうに居座っていたのは、本当ならばタンプル砲の砲身から発射される筈だった巨大なMOAB弾頭であった。

 

 砲弾のカバーは取り外されており、内部から伸びているケーブルに時限式の起爆装置が接続されているのが見える。ハッチから手を離して降下するのを止めた俺は、腰にぶら下げていた小型のランタンに蒼い炎をつけてから車内を照らし出す。

 

 隣ではイリナが地図を見下ろし、要塞の位置とトンネルの位置を確認しているところだった。

 

 彼女は爆発が大好きらしく、初歩的な魔術をすべて無視して最初から爆発する強力な魔術ばかり習得している。今まで爆発する魔術ばかり使っていたからなのか、イリナはどこに爆発する攻撃をお見舞いすれば効率よく敵を吹っ飛ばせるのか熟知しているらしく、その武器や魔術の爆発を見れば効果的な使い方が分かってしまうという。

 

 ブレスト要塞の真下で起爆させれば要塞の内部に大穴を開けることができるのは、イリナの計算で確認してある。

 

 ポケットから取り出した手帳に数式を書き込んで、計算を始めるイリナ。真面目な顔でその計算を終えた彼女はこっちを見つめると、微笑みながら頷いた。

 

「ここで大丈夫。隔壁に封じ込められた爆炎と衝撃波が大穴を開けてくれるよ」

 

「分かった。…………よし、起爆準備に入る」

 

 起爆装置の表面にあるキーボードをタッチし、装置に時間を入力する。そして人差し指をスイッチへと近づけ、もう一度イリナの顔を見つめてから、俺はそのスイッチを押した。

 

 その直後、起爆装置に入力した数字が凄まじい勢いで減少し始める。しっかりと起爆装置が作動し始めたことを確認してから、俺とイリナはでっかい貨車のハッチから飛び出し、後退していく装甲列車を追いかけ始めた。

 

 俺たちが合流したのを確認してから、仲間の兵士たちが壁面に設置されている真っ黒なレバーを降ろし始める。先ほど貨車を切り離した時よりも重々しい轟音がトンネルの中へと響き渡ったかと思うと、機関車の真正面を照らしていたライトが分厚い金属の壁に遮られ始める。

 

 あのレバーは隔壁を降ろすためのスイッチなのだ。いくら地下にあるトンネルで迅速に離脱できるとはいえ、敵がこのトンネルを発見すればすぐにこのトンネルを辿って追撃してくる事だろう。下手をすればそのままタンプル搭の地下を襲撃されてしまうかもしれない。

 

 敵の追撃を防ぐために、トンネルの中にはこれでもかというほど分厚い隔壁が用意されている。隔壁の厚さは近代化改修型シャール2Cの正面装甲の4倍であるため、いくら200cm砲のMOAB弾頭でもこの隔壁を吹っ飛ばすのは不可能に違いない。

 

 しかも複数の隔壁を閉鎖するため、俺たちまで吹っ飛ばされることはないのだ。

 

 どんどん隔壁が降りてくるのを見守りながら、ちらりと懐中時計を確認する。

 

「―――――――爆発まで50秒!」

 

 起爆装置に入力した時間は5分だ。もう既に6枚目の隔壁が降りているので俺たちまで爆風で吹っ飛ばされることはないと思うのだが、可能な限り離れておいた方がいいだろう。

 

 こっちまで吹っ飛ばされたら、お姉ちゃんを悲しませる羽目になるのだから。

 

 

 



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殲滅の産声

 

 無数のミサイルの群れが、青空を穿つ。

 

 後端部から白煙を吐き出して空を切り裂きながら飛翔していくミサイルたちに狙われたF-22たちが、必死にフレアをばら撒いて青空に真っ赤な光をばら撒きながら急旋回を始める。殆どのF-22が連合軍の航空部隊が解き放ったミサイルの猛攻撃を回避することに成功したものの、2機のF-22がミサイルを回避することができず、まだ主翼やウェポン・ベイの中に空対空ミサイルをぶら下げたまま木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

 500機以上の航空隊とたった19機の航空隊が真っ向から戦えばどうなるのかは、火を見るよりも明らかであった。もし仮に連合軍のパイロットたちが新兵ばかりで、吸血鬼たちが百戦錬磨のパイロットたちだけで構成された部隊だったとしても、たった19機のステルス機で500機以上の航空隊に勝利するのは難しいだろう。下手をすればミサイルどころか機銃まで弾切れになってしまう恐れがある。

 

 しかも、連合軍のパイロットたちはベテランのパイロットばかりであった。テンプル騎士団のパイロットの中には新兵も含まれていたものの、連合軍のステルス機のコクピットに乗っているパイロットたちは、ヴリシアの戦いを経験した実力者ばかりである。しかも中には第一次転生者戦争と第二次転生者戦争を両方経験したベテランのパイロットも参加していたため、吸血鬼のパイロットたちとは練度が桁違いであった。

 

 更に、無数の敵機を相手にするために、ウェポン・ベイだけでなく主翼の下にもミサイルを搭載した事が仇になった。通常の戦闘機のように主翼に武装を搭載すると敵に発見される可能性が上がってしまうため、ステルス機はウェポン・ベイと呼ばれる場所にミサイルなどを収納するのである。

 

 吸血鬼たちが投入したF-22も高性能なステルス機であり、ウェポン・ベイの中にミサイルを搭載する事が出来たのだが、ブレスト要塞へと殺到する航空隊を攻撃するために、吸血鬼たちは可能な限りミサイルを搭載して出撃したのである。

 

 そのため、高性能なレーダーを搭載している早期警戒管制機(AWACS)によって発見され、ミサイルの先制攻撃を許す羽目になってしまったのだ。

 

『くそ、ブリッツ19とブリッツ11がやられた!』

 

『反撃するぞ! 1機でも多く―――――――――』

 

『くそ、またレーダー照射か…………ッ!』

 

 航空隊の隊長は、電子音が鳴り響くコクピットの中で舌打ちをしながら、「ブリッツ1、ブレイク!」と告げつつ操縦桿を倒す。

 

 敵の攻撃が無ければ、敵の航空隊に向かってロックオンを済ませ、ミサイルの一斉攻撃を始めていた事だろう。いくら圧倒的な兵力を誇る連合軍でも全ての戦闘機がステルス機というわけではないらしく、中にはSu-35や旧式のSu-27も含まれている。いきなりステルス機をロックオンするのは困難だったが、少なくともステルス機ではない戦闘機たちを道連れにすることはできる筈だった。

 

 しかし、ロックオンを始めるよりも先に敵機たちによってロックオンされ、無数のミサイルたちで攻撃されることになってしまったのである。

 

 続けて放たれたミサイルは合計で200発。明らかに吸血鬼たちの航空隊の一部に狙いを絞ったのではなく、その一斉攻撃で残った機体を全て叩き落すつもりなのは火を見るよりも明らかであった。おかげで回避しなければならないミサイルの数はそれほど多くはなかったものの、全ての機体が回避を始めなければならなくなったため、ロックオンするチャンスが台無しにされてしまう。

 

 F-22たちがエンジンの音を響かせながら飛び、夜が明けたばかりの空をフレアの煌きで彩る。

 

 F-22を追尾できなくなったミサイルたちを一瞥しながら、吸血鬼のパイロットたちはぞっとしていた。

 

 敵は圧倒的な数の航空隊である。その気になれば、何度でも今のような飽和攻撃を繰り返すことができるだろう。しかも一部の航空部隊が吸血鬼を足止めしている間に、ミサイルを使い果たした部隊をタンプル搭へと帰還させてミサイルを再び装備させることもできるのだ。

 

 それに対し、吸血鬼の航空隊には敵を足止めしておく部隊を残す余裕はなかった。だからと言って撤退すれば、その隙に制空権を確保されてしまう。いくら制空権が確保されてしまうのが時間の問題とはいえ、すぐに撤退して制空権を敵に確保させるわけにはいかない。

 

 フレアとミサイルが尽きれば、残った機関砲で500機以上の航空隊の真っ只中へと突っ込まなければならない。だが、敵部隊は補給を受けに行く部隊だけを戦線から離脱させたとしても、それ以外の部隊だけで吸血鬼たちを一蹴できるほどの規模である。

 

 連合軍の攻撃力は、決して衰えないのだ。

 

 またしてもレーダー照射を受けていることを意味する電子音を聞いたブリッツ1は、舌打ちをしながらミサイルの飛来する方向を睨みつけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灰色の砂漠に居座る無数の怪物たちが、戦艦の主砲にも見えてしまうほど長大な砲身を天空へと向け始めた。一見するとテンプル騎士団が春季攻勢(カイザーシュラハト)を迎え撃つために投入した超重戦車(シャール2C)たちのようにも見えるが、彼らと比べると車両の数が多い上に、搭載されている主砲の砲身が長大すぎる。

 

 まるで巨大な戦車の車体の上に、戦艦から取り外した主砲の砲身をそのまま搭載してしまったかのような外見の車両たちが、ブレスト要塞の北東に集結していた。

 

 砂漠の真っ只中で隊列を組み、指揮官の命令をじっと待っている怪物たちは、かつて冷戦の真っ只中にソ連軍が開発した『Oka自走迫撃砲』と呼ばれる、圧倒的な射程距離と破壊力を併せ持つ兵器であった。搭載されている主砲以外に武装は全く搭載していない上に、装甲もそれほど厚くはないものの、搭載されているのは口径だけならば戦艦大和の主砲に匹敵する”420mm迫撃砲”である。

 

 しかもこのOka自走迫撃砲は、通常の砲弾だけでなく”核砲弾”まで発射可能な恐ろしい兵器なのだ。

 

 とはいえ、核砲弾を使用すれば放射能が牙を剥くことになるため、原子炉や核弾頭を生産できる技術を持つ殲虎公司(ジェンフーコンスー)ではこのOka自走迫撃砲で使用可能な核砲弾は一切生産していない。そのため核砲弾が使われる可能性は無いが、通常の砲弾でも艦砲射撃に匹敵する破壊力がある。

 

 この作戦に投入されたOka自走迫撃砲の数は合計で86両。1両のOka自走迫撃砲に搭載されている主砲は1門であるため、合計で86門の420mm迫撃砲たちが”敵”へと向けられているのだ。

 

 彼らが狙っている”敵”は、もちろんブレスト要塞を占拠している吸血鬼たちである。装填されているのは対吸血鬼用の水銀榴弾であるため、着弾して起爆すれば爆炎と共に水銀の雫たちが吸血鬼に牙を剥くのである。

 

 テンプル騎士団は水銀榴弾ではなく”聖水榴弾”も運用していた。砲弾の中に炸薬と聖水を内蔵した対吸血鬼用の砲弾だが、起爆した際の爆炎で肝心な聖水が蒸発してしまうという欠点があったため、現在は蒸発する事がない水銀榴弾が使用されている。

 

 水銀榴弾は炸裂した瞬間に爆風や衝撃波によって内蔵されていた水銀が押し出され、銀の弾丸や斬撃となって周囲の吸血鬼たちに襲い掛かるようになっている。しかも吸血鬼以外の敵にも圧倒的な殺傷力を誇るため、場合によっては対人戦や魔物の掃討作戦にも投入されている。

 

 とはいえ水銀を内蔵するために炸薬を減らしてしまうので、爆発の破壊力が低下してしまうという欠点があるのだ。

 

 レンチとハンマーが交差している上に深紅の星が描かれたモリガン・カンパニーのエンブレムをこれ見よがしに描かれた怪物たちが砲身を向けている青空では、無数のSu-34やロシア製戦闘爆撃機の『Su-24』の群れが要塞へと向かって飛んで行くのが見える。要塞へと殺到していく攻撃機たちを食い止める筈の航空隊は既に全滅しているため、強力な対戦車ミサイルや爆弾を搭載した戦闘爆撃機を食い止められるのは要塞に設置されている対空機関砲や地対空ミサイルくらいだろう。

 

「―――――――”ヴェールヌイ隊”が見当たらんな」

 

 頭上を通過していく戦闘爆撃機や戦闘機の群れを見上げながら、砲兵隊の司令官は呟いた。

 

「同志、すでにヴェールヌイ隊は空中給油を終えてこちらに向かっているそうです」

 

「そうか。彼らが参加したら、我々の得物が横取りされてしまうな」

 

 ヴェールヌイ隊は、モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)が誇る最強の航空隊である。初めて投入されたのはファルリュー島で繰り広げられた第一次転生者戦争であり、無数のF-35やF-22たちを何機も撃墜する戦果をあげている。

 

 隊長を務めているのは、ノエルの母親であるミラ・ハヤカワである。彼女は乗っていたF-22が大破している状態にもかかわらずドッグファイトを継続し、立て続けに敵機を撃墜していったという。

 

 彼女が率いるヴェールヌイ隊は第二次転生者戦争(ヴリシアの戦い)にも投入されており、A-10Cで敵の地上部隊に大打撃を与えている。隊員のうちの3分の1が第一次転生者戦争と第二次転生者戦争から生還したベテランであるため、練度も非常に高い。

 

 連合軍の航空部隊の中では最も練度の高い精鋭部隊が、この戦いにも投入されることになっているという。

 

「同志」

 

「なんだ?」

 

 双眼鏡で要塞の様子を確認しようしていた指揮官の傍らにいた若い兵士が、ニヤニヤと笑いながら蒼空を指差す。首を傾げながら空を見上げた司令官は、すぐに彼が笑っていた理由を理解した。

 

 青空の真っ只中に居座る白い雲を穿ちながら、7機ずつの編隊を組んだ合計で21機のA-10Cの群れが、3つのV字型の編隊を大空に刻み付けながら、先ほど堂々と要塞へ向かって言った戦闘爆撃機たちの後を追っていったのである。

 

 主翼にはこれ見よがしにモリガン・カンパニーのエンブレムが描かれているのが見えたが、真ん中の編隊の先頭を進むA-10だけは、他の機体と比べると形状が違った。

 

 武骨な胴体から左右へと伸びた主翼が逆ガル翼になっており、その主翼の下に105mm榴弾砲を2門もぶら下げていたのである。戦車砲に匹敵する口径の榴弾砲を搭載しているだけではなく、主翼の下にはこれでもかというほど対戦車ミサイルやロケットポッドを搭載していた異様なA-10は、それを操縦するパイロットのためにカスタマイズを施された『A-10KV』と呼ばれるミラ専用機であった。

 

 砲兵隊を置き去りにしたヴェールヌイ隊が要塞へと近づいていく。すると、先頭を進んでいたミラ・ハヤカワが操るA-10KVが唐突に高度を上げたかと思うと、そのまま編隊を離れて天空へと舞い上がっていく。

 

 高度を上げていくA-10KVを双眼鏡で見守りながら、砲兵隊の指揮官はゾクゾクしていた。

 

 ヴェールヌイ1が、カルガニスタンで奏でるのだ。

 

 サイレンの音にも似た、恐ろしい彼女の音色を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可能な限り機体の高度を上げてから、彼女は操縦桿を倒して急降下を始める。

 

 既に要塞のある場所では、緋色の爆炎がいくつも生れ落ちていた。対空機関砲や地対空ミサイルを掻い潜って要塞へとたどり着いた味方の戦闘爆撃機たちがついに空爆を始めたらしく、灰色の大地に居座る殺風景な要塞が、禍々しい緋色の爆炎で彩られていく。

 

 呼吸を整えながら、ミラはお構いなしに機体の速度をどんどん上げていく。

 

 彼女が操るA-10KVは火力に特化しており、自走砲に搭載されているような105mm榴弾砲が左右の主翼に1門ずつ搭載されている。

 

 砲身を切り詰めた挙句、強引に3発の榴弾が装填されたマガジンと自動装填装置を組み込んだ特注の榴弾砲であるため、命中精度が劣る上に重量も増大し、機体の機動性を下げる原因となっている。この機体に乗り慣れた熟練のパイロットでも油断すれば墜落してしまうような機体だが、そんな鈍重な機体で平然とここまでやってきたミラの技術は、もう既にこの世界で最強のエースパイロットと呼べる領域に達していると言っても過言ではないだろう。

 

 コクピットの中にまで入り込んでくるサイレンにも似た音が、それ以外の全ての音を消し去ってしまう。コクピットに響く筈だった電子音すらかき消してしまったサイレンにも似た音を聞きながら、ミラは搭載されている105mm榴弾砲の照準を、防壁に設置されている28cm要塞砲へと向けた。

 

 ブレスト要塞の防壁の上には、吸血鬼のリーダーであるブラドが用意した28cm要塞砲が東西南北に1基ずつ搭載されているため、戦車部隊が迂闊に近寄れば巨大な徹甲弾の餌食になってしまうだろう。要塞には対空機関砲や地対空ミサイルも設置されているが、航空機に牙を剥く敵の兵器は味方の戦闘爆撃機たちが片っ端から爆撃しているため、要塞の真上から一直線に標的へと向かっていくミラの機体は未だに発見されていない。

 

 105mm榴弾砲に搭載されているのは、対吸血鬼用の水銀榴弾である。

 

 北東へと砲撃可能な2基の要塞砲を破壊すれば、味方の砲兵隊や戦車部隊が要塞砲の砲弾の餌食にならなくて済む事だろう。いくら堅牢な複合装甲に身を包んだ現代の戦車でも、シャルンホルスト級戦艦の主砲が命中すればあっという間にスクラップにされてしまう。

 

 真っ逆さまに落ちていくA-10KVのコクピットの中で、逆ガル翼と風が奏でる悪魔のサイレンに包まれながら、もう一度息を吐いて照準を合わせる。砲身を切り詰めた影響で命中精度は劣悪になっており、航空機の武装でありながら可能な限り接近しなければ真価は発揮しないという、かなり扱い辛い武器と化している。

 

 何度も訓練を続けたため、彼女はその距離を理解していた。

 

 急降下を続ける最中に、確実に砲弾を標的に叩き込み、なおかつ無事に上昇できるタイミングは一瞬しかない。しかも敵が弾幕を張り始めたら、そのタイミングで上昇できずに墜落する羽目になるかもしれない。

 

(――――――発射(フォイア))

 

 操縦桿に取り付けられたトリガーを引いた瞬間、まるで鈍重な筈の機体が吹き飛ばされるのではないかと思ってしまうほどの猛烈な反動が、A-10KVの機体を揺さぶった。主翼の下部に搭載された2門の105mm榴弾砲が砲弾と爆炎を吐き出し、主翼とキャノピーをその爆炎で覆いつくす。

 

 自走砲の榴弾砲を流用したその矛の反動に耐えながら、彼女はフットペダルを踏みつつ操縦桿を思い切り引いた。自分が放った強烈な砲撃の反動で”減速”することができたおかげであっさりと上昇する事が出来たミラは、安心しながら操縦桿を引き続ける。

 

 キャノピーの後方では、砲撃準備を始めていた要塞砲に激突した2発の水銀榴弾が装甲を貫通し、要塞砲の内部で爆発を起こしているところだった。自動装填装置もろとも装填されていた砲弾を消し飛ばした爆炎が、内蔵されていた水銀たちを強引に押し出していく。押し出されて弾丸や斬撃と化した水銀たちが吸血鬼たちの身体をあっさりと切り裂いた。

 

 へし折れた要塞砲の砲身が、黒煙と爆炎の残滓を纏いながら防壁の下へと落下していく。次は東側の要塞砲を狙おう、と考えながらミラが再び高度を上げ始めた最中に―――――――――ブレスト要塞の地下で、今しがた彼女の放った砲弾が生み出した爆炎よりもはるかに巨大な火柱が、産声を上げた。

 

 

 

 




※ミラ専用機のA-10KVの”KV"は、「カノーネンフォーゲル」の略です。


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キメラと奇襲

 

 ボディアーマーやテンプル騎士団の黒い制服に身を包み、AK-12を手にした兵士たちが、分厚い隔壁を睨みつけながら息を呑んでいる。

 

 目の前に居座ってトンネルを遮断している隔壁は、160cm滑腔砲から発射されたAPFSDSすら防いでしまうことが可能な近代化改修型シャール2Cの正面装甲の4倍の防御力を誇る隔壁だ。トンネルを辿って追撃されることを防ぐために、このトンネルにはこれでもかというほど分厚い隔壁を何枚も設置しているのである。

 

 作戦前にイリナが計算していたんだが、タンプル砲専用のMOAB弾頭の爆発ならばこの隔壁を8枚ほど吹き飛ばしてしまうという。けれども、隔壁よりも先にトンネルの天井を突き破って火柱と爆炎で地上を焼き尽くすことになるという。

 

 俺たちの目の前に居座っているのは20枚目の隔壁だ。さすがに10枚以上の隔壁を爆風で突き破るのは不可能だろう。そう思いながら俺も隔壁を睨みつけつつ、懐中時計で起爆までの時間を確認しながら息を呑んでいた。

 

 タンプル砲の破壊力と射程距離は圧倒的だ。口径はあらゆる戦艦の主砲を上回る200cmであり、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を使用した際はこの異世界を自由にミサイルで攻撃できるほどの射程距離を誇る。

 

 テンプル騎士団の決戦兵器なのだ。

 

 タンプル砲から発射するわけではないため、今回は射程距離は全く関係ないが、200cm砲のMOAB弾頭の破壊力はちょっとした核弾頭だ。起爆すればあらゆる砲弾の爆風を上回る爆風が周囲にいるすべての敵を瞬時に焼き尽くし、圧倒的な衝撃波が敵を木っ端微塵にしてしまう。

 

 核兵器に匹敵する砲弾が、この隔壁たちの向こうで起爆しようとしているのだ。分厚い隔壁たちで身を守ることはできる筈だけど、この隔壁がその爆風で突き破られて、俺たちまでMOAB弾頭の餌食になるんじゃないかと思ってしまう。

 

 けれども、ここまで爆風や衝撃波が届くことがないという事は既にイリナが計算してくれている。

 

「起爆まで15秒…………秒読み開始」

 

 息を吐いてから、隔壁を睨みつけつつ秒読みを開始する。テンプル騎士団の規定では、秒読みをする際はこの世界の公用語であるオルトバルカ語ではなくドイツ語でカウントダウンをすることになっているのだ。

 

 俺はロシア語のカウントダウンにしようと思ったんだが、クランとケーターに猛反対されてしまっている。

 

「「――――――10(ツェーン)(ノイン)(アハト)(ズィーベン)(ゼクス)(フュンフ)(フィーア)(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)

 

 カウントダウンを終えた直後、分厚い隔壁で遮断されたトンネルの向こうで、置き去りにされたMOAB弾頭が咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隔壁と未完成のトンネルに遮られた場所で産声を上げたMOAB弾頭の爆炎は、手始めに自分をここまで運んできた大型の貨車を呆気なく消滅させた。大型とはいえ、通常の貨車をそのまま大型化させて装甲を搭載しただけの車両は、内側で産声を上げた爆炎によってあっという間に融解すると、その爆炎を本来ならばブレスト要塞のホームになる筈だった場所へと解き放ってしまう。

 

 膨れ上がった爆炎と衝撃波が、真下にある線路や周囲の壁に牙を剥く。後方にあった分厚い隔壁にも衝撃波たちは襲い掛かっていき、シャール2Cの正面装甲よりもはるかに堅牢な隔壁を呆気なく突き破ってしまう。

 

 複合装甲の塊とも言える分厚い隔壁があっという間にひしゃげたかと思うと、表面が融解を始め、猛烈な衝撃波が隔壁に風穴を開けていく。あっさりと突き破られた隔壁の向こうに居座る隔壁も目の前にいた仲間と同じ運命を辿る羽目になり、同じように風穴を開けられてしまう。

 

 しかし、隔壁たちを蹂躙しているMOAB弾頭の爆発は、”氷山の一角”でしかない。

 

 大半の爆炎と衝撃波は――――――――分厚い隔壁よりも先に融解する羽目になった天井へと、牙を剥いていたのだ。

 

 火柱と化した爆炎に貫かれた天井に大穴が空き、炎と衝撃波たちの奔流が大地を侵食していく。大穴を開けた火柱はブレスト要塞の地下にある戦術区画へと達すると、ブレスト要塞と同じようにパイプやケーブルが剥き出しになっている殺風景な通路を火の海にし、戦術区画の中にある全てのものを焼き尽くした。

 

 吸血鬼たちの侵攻を防ぐために、司令官が閉鎖させた隔壁をあっさりと突き破り、ブレスト要塞の戦術区画を焼き尽くしていく。通路の中にある隔壁もC4爆弾を使わない限り穴を開けられないほど堅牢だったが、MOAB弾頭の爆発にとっては”薄い金属の遮蔽物”でしかない。

 

 薄い木の壁を猛スピードの車が突き破っていくかのように、あらゆる隔壁が吹っ飛んで行く。やがて炎と衝撃波たちは吸血鬼たちが投入した80cm列車砲(ドーラ)の砲撃によって壊滅した中央指令室へと達すると、その中に残っていたモニターを全て吹き飛ばし、ドーラの砲撃が刻み付けた巨大な縦穴を”逆流”し始める。

 

 そして、ついにその爆炎が地上へと達した。

 

 ドーラの砲撃で空いた大穴を覆っていた分厚い鉄板が、戦車ですら吹き飛ばしてしまうほどの衝撃波を受け止める羽目になって膨らんだかと思うと、金属がひしゃげる轟音を地上へと解き放った。要塞を包囲し始めている連合軍やテンプル騎士団の地上部隊を監視していた兵士たちが、火柱が地下にある区画を蹂躙する音と分厚い鉄板がひしゃげる音を聞いて後ろを振り向いた頃には、突き破られた鉄板の下から躍り出たフレアのような火柱が、吹き飛ばされた隔壁の破片を大空へと吹き飛ばしながら、ブレスト要塞を照らし出していたのである。

 

 その火柱に呑み込まれた近代化改修型マウスの群れがあっという間に融解し、中に乗っていた乗組員と共に消滅していった。

 

 火柱が噴き出た大穴の周囲に亀裂が入り、火柱の近くにいた戦車やブラドが生産した大型の臼砲たちが、乗組員や砲兵もろとも火の海と化した地下へと落ちていく。

 

 吸血鬼たちは圧倒的な再生能力を誇るが、肉体が完全に消滅してしまえば再生することは不可能である。それゆえにその爆炎の中へと落ちる羽目になった吸血鬼たちは、MOAB弾頭が生み出した超高温の爆炎に焼き尽くされる羽目になった。

 

 やがて穴の周囲に生まれた亀裂がどんどん広がっていき、ブレスト要塞の飛行場の滑走路が崩落を始める。管制塔が倒壊して滑走路の一部と共に穴へと落ちていき、逃げ遅れた兵士たちも滑走路と共に業火の中へと転落していく。

 

 火柱と共に飛び出した衝撃波が地上で拡散し、防壁へと牙を剥く。最初に攻撃された際に何度も砲弾を叩き込まれていた防壁にも亀裂が生まれたかと思うと、東側に鎮座していた防壁の一角が倒壊し、要塞を包囲している連合軍―――――――しかもよりにもよって最も規模の大きなモリガン・カンパニーがいる方向である―――――――に突破口を与えることになった。

 

 一瞬で2000人以上の吸血鬼たちを焼き尽くした爆炎が、衝撃波と共に天空で拡散していく。

 

 地下からブレスト要塞を貫いた業火の柱は青空にどす黒い黒煙を刻み付けると、冷たい風の中で崩壊していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発の音は何度も聞いたことがある。自分の放り投げた手榴弾が起爆して敵兵の手足を捥ぎ取る音や、味方の戦車が放った砲弾が戦車の装甲を貫き、敵の乗組員をミンチにする音はいつも耳にしている。

 

 けれども、こんなに大きな爆音を聞いたことは殆どなかった。

 

 壁に設置されているレバーを押し上げて、目の前の隔壁を開けていく。幸い目の前に居座っていた隔壁は全く変形していなかったけれど、この奥にある隔壁は何枚目からひしゃげているのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、俺は淡々と次の隔壁のレバーを押し上げる。甲高い音をトンネルの中にぶちまけながら上へと上がっていく隔壁の向こうには無傷の隔壁が鎮座していた。今しがた上へと上がっていった隔壁と待ったく変わらない。

 

「す、凄い爆音だったよぉ…………ッ!」

 

 顔を赤くしながら、隣でまだイリナが震えている。タンプル砲を発射した際の爆発と爆音を感じた彼女は中央指令室の中で”幸せすぎて気絶した”らしいが、今回は気絶していない。

 

 もし仮に彼女が幸せすぎて気絶してたら、彼女を後方の機関車の運転手の所まで運んでから進撃する予定だったんだが、機関車まで走って戻らなくて済んだようだ。

 

「最高だよね、爆発って。この世界で一番気持ちがいいんじゃないかな?」

 

 どうなんだろうな、と思いながら、俺はまたしても隔壁のレバーを押し上げた。

 

 爆発を目の当たりにしても、はっきり言うと俺は何も感じない。その爆発の近くにあった敵や魔物が木っ端微塵になったんだろうなと思うだけだ。だから俺は、ベッドの上でゆっくり眠るか、女を抱いた方が気持ちいいと思う。いつも俺が襲われる羽目になるんだけどね。

 

 そんなことを考えながら、開き始めた隔壁の向こうをライトで照らしているナタリアの方を見つめた。最近の戦闘では戦車に乗って指揮を執るか、中央指令室の中で全ての部隊に指示を出していることが多いため、ナタリアは他のメンバーと比べるとあまり戦闘は得意ではない。

 

 だから今回の作戦は中央指令部で指揮を執るべきだ、と彼女に言ったんだけど、彼女は武器を装備して俺たちと一緒に最前線で戦うことを選んだ。

 

 彼女のメインアームは、テンプル騎士団仕様のAK-12だ。銃身の下にはフォアグリップを装備し、ライフルの上部にはアメリカ製ホロサイトと、中距離射撃を想定してブースターも装備している。銃身の側面にはライトとレーザーサイトを装備しているようだ。

 

 グレネードランチャーを装備している俺のAK-15と比べると、極めてバランスの良いカスタマイズである。

 

 サイドアームはテンプル騎士団の兵士たちが使用しているPL-14。レーザーサイトとドットサイトを装着しているのが分かる。

 

 それ以外の武装はソ連製の対戦車手榴弾と、対人用の一般的な手榴弾だ。戦車を吹っ飛ばすことも想定しているらしく、彼女のポーチの中にはC4爆弾がいくつか収められている。

 

 更に、ナタリアは腰に小型のナイフのホルダーをいくつも身につけていた。その中に納まっているのはスペツナズ・ナイフの刀身を小型化し、グリップをかなり細くしたようなデザインの小型ナイフたちである。

 

 テンプル騎士団の兵士たちは近接武器も装備している。一般的な装備はナイフなんだが、この世界では未だに剣や棍棒が現役であるため、テンプル騎士団の兵士の中には銃よりも剣などの近接武器を好む兵士も多い。だから銃を装備している兵士が腰に古めかしいロングソードを下げているのも珍しくはないのだが、あんなにナイフを装備する必要はないのではないだろうかと思ってしまう。

 

 ナタリアが装備している小型ナイフは、タンプル搭で鍛冶職人をしているバーンズさんが作ってくれた投げナイフだ。俺たちと出会う前からナタリアはメスや投げナイフの投擲も得意としていたらしく、投げナイフを使った訓練では的に全ての投げナイフを命中させていた。

 

 とはいえ、銃という強力な異世界の武器を使ったり、指揮を執ることが多かったから、今まで正確な投擲で敵を仕留めたことは一度しかない。

 

 ステラが仲間になったナギアラントでの戦いを思い出しながら、もう一度彼女の投げナイフを見下ろした。

 

「な、何よ?」

 

「何でもないよ」

 

 それに、彼女は今は亡き父親から託された強力な武器を持っている。

 

 彼女のズボンのポケットに入っている黒い手袋を見つめながら、俺はニヤリと笑った。

 

 ナタリアのポケットに入っているのは、彼女の父親だったロイ・ブラスベルグ氏がナタリアのために遺した『ミダス王の左手』という特殊な手袋だ。魔力を流し込みながら触れた物をあっという間に黄金に変えてしまうという代物であり、再生能力を持っている敵でも関係なく黄金にしてしまうという。

 

 自滅する可能性もあるが、かなり強力な武器だ。今は亡きナタリアの父親が遺した最高傑作と言っても過言ではないだろう。

 

 それに、ナタリアも何度も死闘を経験しているのだから問題は無い筈だ。

 

 隔壁の向こうをライトで照らしながら後続の兵士たちに合図をしているナタリアを見守りながら、俺は次の隔壁のレバーを押し上げた。

 

 分厚い隔壁の向こうに現れた次の隔壁が――――――――ひしゃげているのが見える。

 

「…………すげえ破壊力だな」

 

 この隔壁の厚さは、近代化改修型シャール2Cの4倍だ。しかも複合装甲であるため、120mm滑腔砲や160mm滑腔砲のAPFSDSが直撃した程度では表面が少しだけ抉られるだけで済む筈なんだが、圧倒的な防御力を誇る分厚い隔壁が、へし折られる直前の板のようにひしゃげているのだ。

 

 動かないだろうなと思いながらレバーを押し上げると、隔壁の上半分が軋む音を響かせながら上へと上がっていった。下半分も一緒に上がり始めたけれど、下にある線路から隔壁が離れた途端、隔壁の下半分が剥がれ落ちて線路の上に落下し、大きな金属音をトンネルの中へとぶちまける。

 

 その向こうに見えたのは、大穴の開いた隔壁たちだった。

 

「タクヤ、もうレバーは操作しなくて良さそうですね」

 

「そうだな」

 

 穴が開いているし、レバーを動かしても隔壁は多分上がらないだろう。これほど分厚い隔壁が融解するほどの高熱だったのだから、隔壁の上の部分はきっと天井と”溶接”されてしまっているに違いない。

 

 銃を一旦背中に背負い、大穴の開いている隔壁に触れる。それほど熱くないことを確認してからよじ登り、一足先に奥へと進む。

 

 風穴を開けられた隔壁たちの向こうにあったのは、地上へと続く大穴だった。瓦礫だらけなんじゃないだろうかと思っていたんだが、どうやら200cm砲のMOAB弾頭の爆発が予想以上に凄まじかったらしく、崩落してきた瓦礫まで消滅させてしまったらしい。

 

 要塞に奇襲をかけるにはこの縦穴を上らなければならないようだ。溜息をつきながら穴の壁面に触れて、金属が埋まっていないか確認する。

 

 崩落した際に落下してきたのか、壁面や大穴の開いた足元には戦車の残骸の一部や、銃の残骸が転がっていた。壁面にはブレスト要塞の地下にある区画に設置されていた金属製のパイプの一部も見受けられるから、ここをよじ登るのは簡単だろう。

 

 そういえば、メウンサルバ遺跡で落とし穴に落ちた後はナタリアと一緒に縦穴を上ったな。

 

 ナタリアもあの時の事を思い出しているらしく、顔を赤くしながらこっちを見ていた。

 

 穴の上の方からはヴリシア語の怒声が聞こえてくる。航空隊の空爆は既に始まっているらしく、まだ健在な対空機関砲やミサイルで応戦しているようだ。

 

 この大爆発があいつらに大打撃を与えたのは想像に難くないが、その”傷跡”から更に追撃をお見舞いされるとは思っていないだろう。

 

「―――――――先に行って攪乱してくる」

 

 壁面に触れて金属があることを確認してから、両足をキメラの外殻で覆う。がっちりした黒いブーツの中で膝から下が蒼と黒の外殻に覆われ、まるでドラゴンのような足に変貌していく。その足で目の前にある縦穴の壁面を踏みつけると、足の裏が壁面にくっついてしまった。

 

 ゆっくりと反対の足も持ち上げて、壁を踏みつける。試しに片足をそのまま上げてみるけれど、地面の上で片足で立っているような感覚だ。

 

 よし、これならすぐに穴を上がれるだろう。

 

「え? か、壁に立ってる…………!?」

 

「便利よね、キメラって…………」

 

 本当に便利だよ、この身体は。女に間違われるのは不便だけど。

 

 仲間たちが壁をよじ登り始めたのを確認してから、背負っていたAA-12を装備する。安全装置(セーフティ)を解除して銃口を縦穴の向こうに居座る天空へと向けつつ、そのまま壁面を猛ダッシュする。

 

 まるで巨大な金属製の配管の中を突っ走っているような感じがするな。

 

 母さんから受け継いだ雷属性の魔術のおかげで、電撃だけでなく磁力も操ることができるのだ。しかも俺の魔力はもう既に炎属性と雷属性に変換済みだから、わざわざ詠唱しなくてもいいのである。

 

 壁の中に金属さえあれば、壁を走るだけでなく天井を走ることもできるのだ。けれどもこうやって壁を歩いている間は少しずつ魔力を消費する羽目になるので、いつまでもはしゃいでいたら魔力が枯渇し、再び置き去りにしてきた床と再会することになってしまうから、とっとと上ってしまうのが望ましい。

 

 敵に魔力を察知されないように放出する量を抑えつつ、壁を猛ダッシュする。仲間たちは壁をよじ登っている最中だから、間違いなく先陣を切ることになるのは俺だろう。

 

 その時、弾薬の入った箱を抱えながら走っていた若い兵士が穴の中を覗き込んだのが見えた。黒いコートを身に纏っていたおかげなのか、その兵士はまだ俺が穴を上っていることに気付いていないらしい。けれども魔力の反応は感知されてしまったらしく、その兵士は箱を足元に置いてMP5Kを穴の中へと向けた。

 

 発見されるのは時間の問題だろう。このまま留まっても放出している魔力でバレてしまうのだから、排除するべきだ。

 

 そう思った俺は、躊躇なく銃口をその若い兵士へと向け、AA-12のトリガーを引いた。

 

 銃口から12ゲージの散弾が躍り出る。もちろん、対吸血鬼用に散弾は銀の散弾に変更してある。吸血鬼たちを殺すために改造された銀の散弾たちはその若い兵士の胸板に喰らい付くと、瞬く間にオリーブぐーんの軍服もろともその兵士の身体をズタズタにしてしまう。

 

 散弾で胸を撃たれた兵士がぐらりと揺れ、そのまま火柱が抉った大穴の底へと落ちていった。

 

 エジェクション・ポートから躍り出た空の薬莢を一瞥し、俺は穴を上ることにした。

 

 

 

 

 

 



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ラウラの対価

 

「同志リキノフ、ブレスト要塞での爆発を観測しました」

 

「よろしい」

 

 双眼鏡を覗き込み、ブレスト要塞のど真ん中で産声を上げた爆炎を確認する。まるで太陽から生れ落ちたフレアを思わせる巨大な火柱が青空へと噴き上がり、黒煙を刻み付けていく。

 

 しかもその爆発とともに外へと飛び出た衝撃波が、防壁の一部を倒壊させたらしい。吸血鬼たちが進行してきた際の砲撃で脆くなっていた防壁の一部が、その衝撃波に耐えられなかったようだ。

 

 テンプル騎士団が作ってくれた突破口を双眼鏡で見つめながら、俺は要塞の様子を確認する。

 

 東側の防壁の上に搭載されていた要塞砲は破壊されているため、このまま戦車部隊が進撃しても要塞砲に砲撃されることはないだろう。しかし、要塞の周囲にはこれでもかというほどの対戦車地雷が埋められているため、高を括ってそのまま前進すれば、無数のT-14たちが瞬く間に鉄屑と化してしまう。

 

「同志、砲兵隊の攻撃目標を変更できるか?」

 

「はい、できますが…………同志、何を狙うのです?」

 

「要塞の周囲だ。砲撃で対戦車地雷を潰せ」

 

「ほ、砲撃で…………!?」

 

「ああ。あの爆発が起こったという事は、もう既にテンプル騎士団の突入部隊が攻撃を始めたという事だ。このまま要塞内部を砲撃すれば彼らを巻き込んでしまう」

 

「りょ、了解しました。―――――――砲兵隊、砲撃目標を変更。要塞の周囲を徹底的に砲撃せよ」

 

 後方で砲撃の準備をしているOka自走迫撃砲が搭載しているのは、口径だけならば戦艦大和の主砲に匹敵する420mm迫撃砲だ。しかも装填されているのは、攻撃範囲が極めて広い420mm水銀榴弾である。獰猛な爆発だけでなく水銀の斬撃まで周囲の敵兵に襲い掛かる代物であるため、味方を巻き込んでしまう恐れがある。

 

 だから要塞の内部を砲撃するよりも、その攻撃範囲の広さを生かして地雷を片っ端から破壊させた方が合理的だ。もし仮にすべての地雷を破壊できなかったとしても、あの防壁の突破口に突入できるルートを確保できればいい。

 

「リキヤ、捕虜はどうする?」

 

「いつも通りだ」

 

 問いかけてきた妻(エミリア)にそう言いながら、拳を握り締める。

 

 モリガン・カンパニーは絶対に捕虜を受け入れない。相手が負傷兵や少年兵だったとしても、クソ野郎である以上は絶対に皆殺しにする。

 

 俺たちがこんな戦い方を始めたのは、あのファルリュー島での戦いからだろう。

 

 タクヤたちは敵の捕虜も受け入れているらしい。シンヤの報告では、テンプル騎士団艦隊の旗艦ジャック・ド・モレーは旗艦『ウリヤノフスク』からの命令を無視し、撃沈した敵艦の生存者を救助したという。確かにテンプル騎士団はモリガン・カンパニーの”下”ではないため、その命令に従う義務はない。だから命令違反をしたからと言って咎めるのはお門違いだ。

 

 しかし、彼らのやり方ははっきり言うと甘すぎる。

 

「負傷兵だろうと殺せ。皆殺しにするぞ」

 

 そう言いながら、俺はホルスターの中に入っているでっかいリボルバーを引き抜いた。ソードオフショットガンに匹敵するサイズの大型リボルバーの銃身の下には、スナイパーライフルやLMGなどに装着されているがっちりしたバイポッドが取り付けられており、巨大なシリンダーの中には強力な”.600ニトロエクスプレス弾”と呼ばれるライフル弾が5発も装填されている。

 

 ホルスターの中に入っていたのは、『プファイファー・ツェリスカ』というオーストリア製の巨大なシングルアクション式リボルバーであった。

 

 若い頃に―――――――正確に言うと俺(ガルゴニス)ではなくリキヤが使っていた―――――――愛用していたリボルバーであり、この強力なライフル弾で転生者の頭を何度も木っ端微塵にしている。非常に重い上に巨大であるため扱い辛い代物だが、キメラの身体能力と転生者のステータスをフル活用し、若い頃はこの銃でよくファニングショットをやっていた。

 

 久しぶりに巨大なリボルバーのグリップを握り、シリンダーを見つめる。

 

 銃身は通常の銃身ではなくオクタゴンバレルに換装されており、アイアンサイトは通常のものではなくピープサイトに変更されている。バイポッドがついているおかげで依託射撃ができるようになっているが、基本的には早撃ちやファニングショットばかりぶっ放すことになるだろう。

 

 それと、この銃はソリッドフレーム式のリボルバーであるため、再装填(リロード)にはかなり時間がかかってしまうという欠点がある。だが若い頃のリキヤは当たり前のように相手の攻撃を躱したり、左足にある義足のブレードで攻撃を受け流しながら再装填(リロード)をしていたという。あの男から全てを受け継いでいるのだから、俺も問題なく使える筈だ。

 

 親友(リキヤ)の得物を握り締め、要塞を睨みつける。

 

 これが命中すれば間違いなく吸血鬼共は木っ端微塵になるだろう。仮に生存したとしても、装填されている.600ニトロエクスプレス弾は対吸血鬼用の銀の弾丸だから絶対に助からない。

 

 あの男がこのような大口径の銃を好んだのは、きっと”相手を確実に殺せる銃”だからなのだろう。

 

「砲兵隊、砲撃開始します」

 

「同志諸君、突撃準備」

 

 がちん、と撃鉄を親指で起こし、突撃する準備をする。

 

 最愛の娘の手足を奪った敵は、絶対に皆殺しにしなければならない。それにあの吸血鬼共は何の罪もない民間人を殺しているのだ。社員たちの家族を弔うためにも、負傷兵だろうと殺す必要がある。

 

 俺たちは、絶対に容赦をしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AA-12を背中に背負い、AK-15を構えながらセミオート射撃で敵兵の頭を撃ち抜いていく。強力な7.62mm弾にヘルメットもろとも頭を撃ち抜かれる羽目になった敵兵が頭を大きく揺らして、鮮血や脳味噌の残骸を吹き上げながら崩れ落ちていく。

 

 ブレスト要塞の内部での室内戦ならばAA-12は真価を発揮するが、防壁の中での戦闘ならばAK-15の独壇場だ。それにグレネードランチャーもあるから、敵をまとめて肉片にすることもできる。

 

 セミオート射撃で敵兵の頭を粉砕しながら、俺はできるだけ穴から離れるようにした。敵兵を片っ端から撃ち抜きながら前進し、空になったマガジンを交換する際は右手と尻尾で再装填(リロード)しつつ、左手でファイアーボールを放って敵兵を焼き尽くす。

 

 あのまま穴の周囲で戦闘を続ければ、まだ穴を上っている味方が敵に発見されてしまう恐れがある。もし敵に発見されれば無防備な仲間たちが敵兵に撃ち抜かれる羽目になるため、出来るだけ俺が派手に戦いつつ敵を攪乱して囮になる必要があった。

 

 さっきの爆発の衝撃波で倒壊した管制塔の陰に飛び込み、敵の弾幕から身を守る。こっそりと物陰から弾幕が飛来する方向を睨みつけると、がっちりしたバレルジャケットで覆われた銃身が特徴的なドイツ製のMG3がこっちにフルオート射撃をぶちまけているのが見えた。大口径の7.62mm弾を凄まじい速度で連射する事が可能な高性能なLMGであり、原型となったMG42は第二次世界大戦で連合軍に猛威を振るっている。

 

 このまま隠れて再装填(リロード)している隙に反撃するべきだろうなと思ったが――――――――今の俺の役割は、味方が無事に穴を上り終えるまで”目立つ”ことだ。だから派手に戦わなければならない。

 

「やれやれ」

 

 外殻を使うか。

 

 体内の血液の比率を変更し、身体をキメラの外殻で覆っていく。サラマンダーの外殻が腕や足を覆い始めたかと思うと、フードの中で角が隆起を始める。

 

 この外殻はサラマンダーの外殻をより強靭にしたものなんだが、どういうわけなのか俺の外殻の色は原形となったサラマンダーとは全く異なる。サラマンダーの外殻は赤と黒の二色なんだけど、俺の外殻は蒼と黒の二色なのだ。

 

 しかも、ウィッチアップルを食わされたせいでまた変な能力を獲得してしまったらしい。

 

 腕を覆った外殻の模様が段々と変わっていく。いつもの模様ではなく、まるで第一次世界大戦や第二次世界大戦で戦艦に施されていたダズル迷彩のように、外殻の表面の模様が蒼と黒のダズル迷彩に変色していったのだ。

 

 コートから露出している外殻は少ないものの、これで敵の弾丸に被弾する確率は下がるだろう。

 

 この模様を変える能力はサラマンダーの血を40%以上にしたときから使えるようになる能力で、現時点では通常の模様、ダズル迷彩、スプリット迷彩の3種類の模様に変更できるようだ。訓練すればもっと種類が増えるのだろうか。

 

 外殻の生成が終わったことを確認した俺は、息を吐いてからセレクターレバーをフルオートに切り替え、管制塔の陰から飛び出した。

 

 遮蔽物の陰から躍り出た途端、ヴリシア語の雄叫びが響き渡り、先ほどまで倒壊した管制塔を打ち据えていた7.62mm弾の群れがこっちに襲い掛かってくる。鍛え上げた脚力と瞬発力をフル活用して突っ走ったけど、肩に数発命中したらしく、猛烈な衝撃と跳弾する音が俺に襲い掛かってきた。

 

 右手に持ったAK-15を連射しつつ牽制し、その隙に距離を詰める。左手を腰の手榴弾へと伸ばして安全ピンをすぐに抜き、土嚢袋の陰から攻撃してくる敵兵の群れに思い切り投げつける。

 

 もちろん放り投げたのは、対吸血鬼用の水銀が入った手榴弾だ。

 

『しゅ、手榴弾―――――――――』

 

 土嚢袋の向こうに落下した手榴弾が炎を生み出した直後、猛烈な爆炎と水銀の斬撃が、MG3の射手や傍らにいた数名の兵士を呑み込んだ。

 

 爆炎が兵士たちの手足を容赦なく吹き飛ばし、爆発の衝撃波によって押し出された水銀の斬撃が敵兵の胴体を真っ二つに両断してしまう。これで敵の射手たちは全滅しただろうなと思いながら別の敵を狙おうとしたその時、土嚢袋の向こうから伸びた血まみれの手がMG3のグリップを握った。

 

 ぎょっとしながら再び沈黙した筈のLMGを振り向くと同時に、MG3の銃口からマズルフラッシュが躍り出る。

 

 胸板に無数の7.62mm弾を叩き込まれる羽目になった俺は、歯を食いしばりながら敵兵を睨みつけた。

 

 なんと、そのLMGを再びぶっ放し始めたのは、さっきの手榴弾で吹っ飛ばされたはずの吸血鬼の兵士だった。水銀の斬撃で左足と腹を切り裂かれ、腹の傷口から腸や内臓が出ているというのに、その兵士は血まみれになりながらフルオート射撃を続けている。

 

 口から吐き出した鮮血が高温の銃身に降りかかり、戦場で何度も嗅いだ血や肉が焦げる臭いを生み出す。

 

『死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 

「くっ…………!」

 

 何発も喰らっているが、外殻が貫通される様子はない。

 

 歯を食いしばりながらAK-15を構え、ホロサイトの照準を敵兵の頭に合わせる。

 

 トリガーを引いた瞬間、ボロボロだった敵兵の頭が大きく揺れた。MG3の銃声とヴリシア語の罵声が聞こえなくなると同時に、敵兵の上顎から上が砕け散り、脳味噌やヘルメットの破片が周囲の地面に落下する。頭の断面から鮮血が吹き上がり、敵兵の身体が後ろへと倒れる。

 

 敵兵たちの士気は、予想以上に高いらしい。

 

 今の兵士は片足を失った挙句、腹から内臓が出ていたというのに、血を吐きながらLMGを連射してきたのだ。

 

 歯を食いしばりながらセレクターレバーを3点バーストに切り替え、今度こそ別の敵を狙う。

 

『あそこだ! 敵は1人だけだぞ!!』

 

『あの穴を上ってきたのか!?』

 

『化け物め…………ッ!!』

 

 XM8を装備した敵兵に銃口を向け、立て続けに3点バーストを放つ。数発は敵兵に当たったらしいが、負傷させられたのはたった1人らしい。残った2人の兵士がその崩れ落ちた兵士を助け起こそうとしている隙に左手をグレネードランチャーのグリップに伸ばした俺は、照準器をその兵士たちに合わせ、トリガーを引く。

 

 太い砲身から40mm水銀榴弾が飛び出し、味方に引きずられていた兵士の腹にめり込んだ。肩を7.62mm弾に抉られて絶叫していた兵士の声が爆音に呑み込まれたかと思うと、水銀の斬撃を引き連れた爆風がその兵士たちを容赦なく吹き飛ばしてしまう。

 

 焦げた肉片が地面の上に飛び散る。

 

『くそ、あのキメラを撃て!!』

 

 防壁にあるハッチから飛び出してきた守備隊の兵士たちが、こっちに向けて6.8mm弾をフルオートでぶっ放してくる。

 

 その兵士たちに照準を合わせて7.62mm弾で撃ち抜きながら、俺は突っ走り続けた。

 

 こっちに銃弾をぶっ放してくる兵士の大半は、負傷兵だった。手足や顔に包帯を巻いている兵士の中には片腕や片足のない兵士も紛れ込んでいて、片手でアサルトライフルやPDWを撃ってくるのである。

 

 なぜ降伏しないのだろうか。

 

 降伏勧告をすれば、彼らは降伏するだろうか。

 

 ボロボロの敵兵を7.62mm弾で粉砕しながら、歯を食いしばる。

 

 数名の敵兵を手榴弾で吹き飛ばし、要塞の内部に入るためのハッチへと突っ走る。後方からスコップで殴りかかってきた負傷兵を尻尾で串刺しにし、動きが止まっている隙にPL-14を放って胸板に風穴を開けてから、ハッチを開けて要塞の内部へと突入する。

 

 武器をAA-12に持ち替えてから、近くにいた敵兵を散弾でズタズタにする。その敵兵の返り血を拭い去り、再び突っ走る。

 

 こいつらに容赦をする必要はない。降伏してきた兵士は受け入れるが、応戦してくるのであれば殺すしかないのだ。

 

 こいつらは同志たちを虐げたクソ野郎なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラウラさん』

 

「フィオナちゃん…………?」

 

 自室のドアをすり抜けて中へと入ってきたのは、真っ白な白衣に身を包んだ可愛らしい幽霊の女の子だった。彼女は私がベッドの上で休んでいるのを見て微笑んでいたけれど、左腕がなくなっていることに気付いてから、微笑むのを止めてしまう。

 

 フィオナちゃんも、オルトバルカから来てくれたのかな。

 

 彼女は私の近くへとやって来ると、小さな手で右手をぎゅっと握りしめてくれた。

 

「久しぶりだね、フィオナちゃん」

 

『はい、お久しぶりです』

 

 ベッドの近くに持っていたカバンを降ろしてから、フィオナちゃんは私の頭を撫でてくれる。小さい子に頭を撫でられているような気がするんだけど、フィオナちゃんは100年以上前からこの世を彷徨っている幽霊だから、私たちよりもかなり年上なの。

 

『――――――ラウラさん、戦いたいですか?』

 

「え?」

 

 どういうこと?

 

 確かに戦いたいけれど、今の私は左腕と左足がないんだよ? 銃を撃つことはできるかもしれないけれど、杖を使わない限り歩くことはできない。

 

 戦場に行けば、あっという間に撃ち殺されてしまうかもしれない。

 

「戦いたいけれど…………今の私じゃ役に立てないよ」

 

『大丈夫です。ラウラさんの身体を治せる回復アイテムを作ってきました』

 

「…………?」

 

 そう言いながら、彼女は持ってきたカバンを開けた。中から紫色の液体が入った注射器を取り出したフィオナちゃんは、その注射器を枕元のトレイの上に置く。

 

 どういうことなのかな? 私の身体を治すという事は、手足を生やすことができるという事なのかな?

 

「それは?」

 

『私が調合した特殊な薬品の試作品です。これを使えば、ラウラさんはすぐに戦えるようになりますよ』

 

「本当に…………!?」

 

 それを使えば、タクヤのために戦えるの…………!?

 

『はい。タクヤ君を守ってあげることができますよ』

 

 フィオナちゃんはそう言いながら微笑んだけれど、注射器を拾い上げた瞬間、微笑むのを止めた。

 

 もしかして、あの薬品は危険な薬品なのかな?

 

 でも、タクヤのために戦えるんだったら、危険な薬品でも構わない。対価が必要になるのであれば、タクヤのために何でも差し出してみせる。

 

 フィオナちゃんの眼を見つめながらそう思っていると、彼女は躊躇っているのか、拾い上げた注射器をもう一度トレイの上に戻してから言った。

 

『でも、この薬品を使うには――――――――対価が必要です』

 

 

 



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鮮血の戦場

 

 灰色の砂漠の中に鎮座していた巨大な要塞が、炎に包まれている。春季攻勢が始まる前まではテンプル騎士団の”重要拠点”の1つであったブレスト要塞の周囲に屹立しているのは、ブレスト要塞を守るために建設された防壁よりもはるかに高い、爆炎の壁たち。

 

 モリガン・カンパニーの砲兵隊による榴弾の砲撃で、要塞の周囲に埋められている対戦車地雷の群れを”駆除”しているのだろう。地雷の群れを排除するために420mm迫撃砲の水銀榴弾をこれでもかというほど叩き込むのはやり過ぎとしか言いようがないが、あの巨大勢力はそれほど怒り狂っているのだ。

 

 爆炎の壁の残滓をメインローターで切り刻み、要塞へと接近していく。

 

 地雷の処理が終わったのか、地上から兵士たちの雄叫びが聞こえてきた。それなりに低空を飛んでいるとはいえ、Ka-50ホーカムのコクピットの中にまで兵士たちの雄叫びが微かに聞こえてくるとは思っていなかった俺は、ぞくりとして大地を見下ろしてしまう。

 

 指揮官のホイッスルを聞いた兵士たちや戦車たちが、対戦車地雷が撤去された場所から一斉に進撃を開始する。灰色の砂漠がモリガン・カンパニーの漆黒の軍服を身につけた兵士たちに埋め尽くされており、まるで日の光が当たっていないかのように真っ黒になっている。

 

 進撃していく場所は、もちろん団長たちの奇襲で倒壊した東側の防壁だ。戦車ならば並走できるほどの穴が開いているが、吸血鬼共はやっぱりそこから侵入させるつもりはないらしく、早くもその穴の開いたヵ所に土嚢袋や周囲に転がっていた瓦礫を積み重ねてバリケードを作り、その上に機関銃や戦車を配置して抵抗しているらしい。

 

 バリケードに居座るレオパルトから放たれた多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)が、漆黒の軍服を身に纏った兵士たちの隊列を穿つ。爆炎と破片が兵士たちの身体をあっさりと引き千切り、鮮血と肉片の混じった爆炎が周囲に飛び散っていく。

 

 立て続けに周囲に設置されたMG3たちが火を噴き、兵士たちを次々に撃ち抜いていく。しかし、無数の兵士たちは仲間が蜂の巣にされているというのに、全く突進を止めなかった。

 

 彼らは怒り狂っているのだ。

 

 グランバルカ号に乗っていた家族たちの仇を取るために、彼らはこの戦場へとやってきたのである。

 

 地上で繰り広げられているのは、死に物狂いの守備隊と、怒り狂った兵士たちの”狂った戦争”だった。

 

 俺の任務は、その狂った戦争に参加している兵士たちを機関砲とロケット弾の掃射で支援してやることである。

 

「ハンター4-2、攻撃に移る」

 

『了解(ダー)、幸運を』

 

 味方のヘリたちも散開し、地上部隊の支援や他のヘリを狙っている対空機関砲へと攻撃を始めている。

 

 一緒に高度を更に少しばかり落とした味方のホーカムが、対戦車ミサイルの準備をする。機関銃を排除すれば歩兵たちの被害は激減するだろうが、戦車が健在ならば突撃していく兵士たちは片っ端から肉片にされてしまうのは想像に難くない。異世界の科学力が生み出した戦車という兵器は、分厚い装甲で守られている上に、歩兵たちを薙ぎ払う機関銃と強力な戦車砲を兼ね備えた怪物なのだから。

 

 俺もロケットポッドと機関砲の準備をしつつ、仲間のホーカムと一緒に高度を下げた。

 

 メインローターの音で気付いたのか、レオパルトのハッチから顔を出した乗組員が、ハッチの近くに搭載されているMG3をこっちに向けて連射してきやがった。7.62mm弾はこのヘリには通用しないし、ヘリは戦車の天敵だ。砲塔がまだ味方の歩兵部隊の方へと向けられているのを確認した俺は、MG3の弾丸が何発か被弾しているにもかかわらずそのまま突進する。

 

『くたばりやがれ!』

 

 無線機から味方の罵声が聞こえてきたかと思うと、隣を飛行していたホーカムのスタブウイングに吊るされていた対戦車ミサイルが切り離され、炎と白煙を吐き出しながらバリケードで奮戦する戦車へと向かって飛んで行った。

 

 ミサイルの発射を終えたホーカムが進路を変え、退避を始める。俺も退避したいところだったけれど、こっちの任務は歩兵を掃射で排除する事だ。敵兵たちをミンチにするためにロケットポッドと機関砲をこれでもかというほど搭載してきたのだから、ここで退避するわけにはいかない。

 

 その時、味方のホーカムが放ったミサイルが、敵の戦車に直撃するよりも先に砕け散ったのを見た俺は、ぎょっとしながらその戦車を睨みつけた。

 

 ―――――――おそらく、アクティブ防御システムだ。

 

 くそったれ、ミサイルが迎撃されたのか!

 

 舌打ちをしながら速度を落としつつ、バリケードにいる敵兵の群れの真っ只中に照準を合わせる。対戦車ミサイルは通常のミサイルと変わらないが、機関砲の砲弾やロケットポッドに収まっているロケット弾たちは対吸血鬼用に水銀や聖水が詰め込んである。

 

 ミサイルをぶっ放したのが俺だと勘違いしたのか、戦車の砲塔の上の機銃が再び火を噴く。キャノピーや機首に弾丸が命中する音がする度にぞっとしてしまうが、向こうの弾丸は7.62mm弾だ。対人戦では猛威を振るう大口径の弾丸だが、ヘリの装甲を貫通するほどの貫通力はない。

 

「―――――――くたばれぇッ!!」

 

 発射スイッチを押した瞬間、スタブウイングの下に居座るロケットポッドたちが、搭載されていた無数のロケット弾を連射し始めた。筒状のロケットポッドから飛び出したロケット弾たちが白煙を刻み付けながら、レティクルの向こうにいる敵兵の群れに牙を剥く。

 

 そのロケットたちがバリケードの周囲に喰らい付いた瞬間、モリガン・カンパニーの兵士たちへと向けて放たれていた機関銃の掃射がぴたりと止まった。

 

 さすがに対戦車ミサイルのような圧倒的な攻撃力はないものの、ロケット弾は一発で歩兵を粉々にするほどの威力を誇る。それをこれでもかというほどバリケードの周囲にぶちまけたのだから、あの射手たちが無事で済むわけがない。

 

 案の定、バリケードの周囲は真っ赤に染まっていた。千切れ飛んだ肉片や内臓の一部が灰色の土嚢袋をピンク色や真っ赤に染め、その周囲にバラバラになった死体が転がっている。

 

 続けて機関砲をお見舞いしてやろうと思ったんだが――――――――コクピットの中に電子音が響き渡ったのを聞いた瞬間、舌打ちしながら操縦桿を倒した。

 

 ロックオンされているらしい。おそらく、敵兵に支給されていたスティンガーだろう。

 

 攻撃のチャンスを台無しにしやがって。

 

 キャノピーの外を見下ろしながらミサイルを確認する。発射された地点は、今しがたロケットポッドで吹っ飛ばした場所のやや後方だ。仲間の仇を討つために、敵兵がスティンガーを持ってきたに違いない。

 

 回避が終わったら機関砲で吹っ飛ばしてやる、と思いながら、フレアをばら撒きつつ回避する。こっちを追尾してきた獰猛なスティンガーミサイルが逸れていったのを確認してから機体を旋回させたその時だった。

 

 地上で、敵兵がパンツァーファウスト3をこっちに向けているのが見えたのだ。

 

 パンツァーファウスト3は対戦車用のロケットランチャーである。スティンガーミサイルのようにロックオンできるわけではないため、いくら戦闘機よりも動きが鈍いとはいえ、空を飛び回るヘリを攻撃する兵器ではない。

 

 だから当たるわけがないだろう、と高を括ったが、俺はぞっとしていた。

 

 ―――――――もしかしたら喰らうかもしれない。

 

 こっちは高度を落としている上に、旋回するために速度まで落としているのだ。相手が射撃の技術が高い兵士だったら速度の落ちている隙だらけのヘリに命中させるのは容易いだろう。

 

 白煙を吐き出しながらロケット弾が接近してくる。操縦桿を倒して回避しようとしたが、機体が旋回を始めた頃には、Ka-50ホーカムが激震していた。

 

 多分、今の攻撃が命中したんだろう。どこに命中したんだろうか。

 

 必死に操縦桿を引くが、機体がもう動かない。ぐるぐると回転しながら高度を落としていることを知った俺は、キャノピーの向こうを見つめながら息を吐いた。

 

「―――――――ごめんな、アリシア…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾薬が入った箱を抱えながら仲間の所へと戻った俺は、目を見開きながら仲間たちのズタズタにされた死体を見下ろしていた。

 

 仮設の弾薬庫―――――――以前は食糧庫に使われていたらしい―――――――の中にある7.62mm弾の箱を取りに行っている間に、仲間たちが敵のヘリの攻撃でバラバラにされていたのである。

 

 先ほどまでMG3で敵の歩兵部隊を攻撃していたルドルフはヘリの攻撃で上半身を吹っ飛ばされてしまったらしく、土嚢袋の後ろには腸や骨盤の一部が露出したルドルフの下半身が転がっている。その周囲に転がっているのは、ルドルフの上半身の一部だろうか。

 

「あ…………あぁ…………!」

 

 怒声を発しながらモリガン・カンパニーの兵士たちに攻撃を続けていた仲間たちは、全員死んでいた。

 

 雄叫びを上げながら突っ込んでくる敵兵の弾丸が、土嚢袋に牙を剥く。反射的に抱えていた箱をルドルフの死体の近くに置き、中から7.62mm弾が連なっているベルトを引っ張り出してから、MG3のカバーを開けてその中にベルトをぶち込む。辛うじて射撃はできそうだ。

 

 コッキングレバーを引いて射撃準備を終えてからグリップへと手を伸ばしたその時、俺は”先客”がまだグリップに残っていたことに気付いた。

 

「ルドルフ………」

 

 敵のヘリに殺された射手(ルドルフ)の腕が、この銃は俺のものだと言わんばかりに、まだMG3のグリップをしっかりと握っていたのである。

 

 血まみれの彼の手をグリップからそっと外し、後ろに転がっている彼の下半身の近くに置く。

 

 絶対、仇を取ってやるからな…………。

 

 照準器の向こうから突っ込んでくるのは、モリガン・カンパニーの兵士たちだ。中にはT-14にタンクデサントしながらこれでもかというほど7.62mm弾をこっちに向かってぶちまけている兵士もいる。対戦車地雷の排除に手間取るだろうと思っていたんだが、どうやら敵は必要最低限の範囲の地雷だけを撤去し、そこから進撃してきたらしい。

 

 バリケードの近くにいたレオパルトが主砲同軸の機関銃を放ち、兵士たちの群れやタンクデサントしている兵士たちを木っ端微塵にする。たちまちT-14の砲塔や車体が敵兵の内臓と鮮血で真っ赤に染まり、禍々しい塗装に早変わりしてしまう。

 

『『『『『Ураааааааааааа!!』』』』』

 

 血まみれになったグリップを握り、照準をモリガン・カンパニーの兵士たちに合わせる。そして呼吸を整えてから、俺はトリガーを引いた。

 

 マズルフラッシュと共に銃口から躍り出た弾丸が、照準器の向こうにいる敵兵たちを蜂の巣にしていく。瞬く間に突っ込んでくる敵兵の隊列から血飛沫が上がり、7.62mm弾に貫かれた兵士たちが倒れていったが、何度も機関銃で掃射しているというのに敵が全く減っているように見えない。

 

 戦車の上でタンクデサントしていた兵士が胸を撃ち抜かれ、砲塔の上から転落していく。反撃するために顔を出した兵士の頭を撃ちぬいた瞬間、叩き割られた頭蓋骨から脳味噌の破片が飛び散り、T-14の砲塔をピンク色の脳味噌の破片で彩った。

 

 多分、こっちの弾がなくなる方が先だろうな…………。

 

 幸い敵は吸血鬼じゃないから、殺した敵兵の装備を鹵獲すれば戦い続けることはできるだろう。けれどもこのMG3の弾薬がなくなってしまえば、俺の装備はコルトM1911A1とナイフのみ。俺の任務はルドルフと一緒にLMGで敵を薙ぎ倒す事だったから、手榴弾は支給されていない。

 

 その時、敵の戦車の砲口から飛び出した物体が俺の頭上を掠めた。ぎょっとした次の瞬間、後方で主砲同軸の機関銃を放ち続けていたレオパルトの銃声がぴたりと止まったかと思うと、装甲を砲弾が貫通する音と、金属が溶けたような強烈な臭いがバリケードの周囲を一時的に支配する。

 

「!」

 

 今しがた頭上を掠めたのは、敵の戦車の放ったAPFSDSだった。どうやらそのAPFSDSが後方のレオパルトの砲塔に直撃したらしく、俺と一緒に敵の歩兵を薙ぎ倒してくれていた戦車は黒煙を吐き出しながら動かなくなっていた。

 

 砲塔に大穴を開けられた戦車を一瞥してから、再びトリガーを引く。

 

 味方の戦車の砲撃ならあの敵の戦車たちを撃破できたはずなんだが、LMGだけでは敵の戦車部隊と無数の歩兵たちを食い止められるわけがない。

 

 でも、撤退するわけにはいかない。ここを突破されれば敵の大部隊が要塞の中に入り込んでくるのだから、ここで敵部隊を食い止めなければならない。

 

 歯を食いしばりながらトリガーを引き続けていたその時、敵の戦車の砲塔が火を噴いた。

 

 方向はこっちを向いていたから、狙っているのが俺だという事はすぐに理解できた。戦車は撃破された挙句、他の兵士たちも全滅してしまっているのだから、せめて砲弾じゃなくて銃弾で殺してくれと思った次の瞬間、その砲弾が土嚢袋のすぐ近くで炸裂し、爆風と水銀の斬撃を周囲にばら撒く。

 

 鞭で胸板を思い切り叩かれたような感覚がした直後、鮮血が自分の胸板から飛び出す。

 

 くそったれ、水銀榴弾をぶち込みやがって…………。

 

 もう一度LMGで反撃してやろうと思ったが、もう腕は動かない。足に力を入れて踏ん張ろうとしたんだが、足も全く動かなかった。

 

 そのまま仰向けに倒れる羽目になった俺は、太陽が昇り始めた空を見上げながら歯を食いしばった。

 

 青空よりも、星空の方が好きなんだよね…………。

 

 だから死ぬ前に、青空よりも星空を見たかった。

 

 春季攻勢(カイザーシュラハト)に参加する前に、ディレントリアで妻と一緒に見たような、綺麗な星空を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

『ゲェ―――――――』

 

 左から右へと思い切り振り払った棍棒が、吸血鬼の頭を思い切り叩き割った。ヘルメットの破片や肉片を浴びながらその死体を蹴り倒し、左手のPL-14を敵兵に叩き込む。

 

 MOAB弾頭の爆発で空いた穴を仲間が昇り終えたのを確認してから、俺は吸血鬼の群れへと雄叫びを上げながら突っ込んで行った。

 

 先行した同志団長は既に要塞の内部へと突入して室内戦を始めているらしく、要塞の内部からショットガンの銃声と敵兵の断末魔が聞こえてくる。団長が敵を攪乱しつつ囮になってくれたおかげで、強襲殲滅兵やスペツナズの兵士たちが昇っている最中に襲撃されることはなかったのだ。

 

 戻ったら団長にお礼を言わないとな。

 

 あの人は全く差別をしない人だった。オークやハーフエルフは差別される挙句、奴隷にされて過酷な労働をさせられるのが当たり前だと思っていたんだが、あの人は俺たちを商人たちから助けてくれた上に、仲間にしてくれたんだ。しかも騎士団の連中みたいに酷使せずに、大切に扱ってくれる。

 

 だからこそ、あの人のために尽くしたい。

 

 他の奴隷だった兵士たちも同じことを考えているだろう。

 

 俺たちを救ってくれたからこそ、あの人に恩を返したいのだ。

 

 吸血鬼の兵士が放った弾丸が俺の胸板を貫く。けれども身体が頑丈なおかげなのか、激痛に耐える事さえできればまだ走り回ることはできそうだ。人間の兵士だったら倒れていたに違いない。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

『く、くそ、あのオークの突撃歩兵を止めろ!!』

 

『ダメです、何発叩き込んでも止まりません! 頑丈すぎます!!』

 

 またしても敵の弾丸が胸板や肩に喰らい付いたが、俺はそのまま突進した。必死にフルオート射撃を続ける敵兵に肉薄して棍棒を振り上げ、顔面を砕く。そのままくるりと反時計回りに回りつつ左足の蹴りで他の敵兵の体勢を崩し、転倒した敵兵の頭に銀の9mm弾をお見舞いする。

 

 同志が支給している銃という兵器は確かに強力な武器だ。けれども、奴隷だった頃から使ってきた得物だからなのか、俺は銃よりも棍棒の方が扱いやすい。

 

 弾切れになったPL-14をホルスターの中へと戻し、血まみれになった棍棒の柄を両手で握る。雄叫びを上げながらそれを思い切り薙ぎ払った瞬間、小柄な―――――――オークの男性の平均的な身長は2mなので、他の種族は全員小柄に見える―――――――吸血鬼の兵士が3人ほど吹っ飛んで行った。

 

「どうしたぁ!? 弱すぎるぞ、吸血鬼共ッ!!」

 

 背中に背負っていたPPK-12を左手で持ち、フルオート射撃で敵兵の群れを薙ぎ払う。

 

 他の強襲殲滅兵たちも奮戦していた。支給された武器だけでなく、奴隷だった頃から使っていた銀のロングソードやトマホークで敵兵と白兵戦を繰り広げている兵士たちもいる。中には5.56mm弾が立て続けに命中しているにもかかわらず、敵兵に突っ込んでハルバードを振り回している同胞(オーク)もいた。

 

 銃剣を装着したXM8を構えながら突っ込んできた敵兵を棍棒で叩き潰し、その死体を踏みつけながら先へと進む。

 

 その時、やけにでかい弾丸が胸板に突っ込んできた。

 

「ぐっ…………!?」

 

 7.62mm弾よりもでかいかもしれない。

 

 鮮血を噴き出した胸板を片手で押さえつつ前方を睨みつけると、他の兵士たちのライフルよりもやけに大きなライフルを構えた吸血鬼の兵士が見えた。

 

 大型のスコープとマズルブレーキが装着されたライフルで、長い銃身の下にはバイポッドが装着されているのが分かる。スナイパーライフルにも見えるが、一般出来なスナイパーライフルよりも明らかに大型だ。

 

 多分、バレットM82A3だろう。

 

 5.56mm弾や6.8mm弾なら耐えられるけれど、さすがに12.7mm弾には耐えられない。

 

「ははははっ…………」

 

 遮蔽物へと隠れようとしたが、足を踏み出した瞬間に、その足が12.7mm弾の狙撃で千切れ飛んだ。

 

 そのまま倒れる羽目になった俺は、片手で胸板を押さえながら呼吸を整える。紅と黒の迷彩模様の制服に身を包んだハーフエルフの兵士がこっちを見て走って来ようとしているのが見えるが、俺は首を横に振る。

 

 助けに来たら、あいつまで狙撃されるからな…………。

 

 その兵士が悔しそうな顔をしながら雄叫びを上げ、マチェットで敵兵の首を両断したのを見守ってから、俺は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 



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爆炎と室内戦

 

 

 室内戦で最も猛威を振るう武器は、間違いなくショットガンだろう。至近距離で散弾をぶち込まれれば、敵兵はほぼ確実に蜂の巣になるのだから。

 

 ショットガンを持ってきてよかったと思いつつ、12ゲージの散弾をこれでもかというほど連射する。AA-12の銃口からマズルフラッシュが躍り出る度に、銃口の向こうに立っていた敵兵や要塞の通路に散弾が直撃し、破片や肉片を周囲にまき散らす。

 

 太いパイプやケーブルが剥き出しになった通路の向こうで、吸血鬼たちがバリケードを用意しているのが見えた。その辺の天井から剥がれ落ちたパイプの一部やひしゃげて使い物にならなくなったコンテナをこれでもかというほど積み上げてちょっとした隔壁を作り、その形状がバラバラな部品で作られた隔壁の隙間から銃身を突き出し、こっちにフルオート射撃をお見舞いしてくる。

 

 幸い敵兵がぶっ放しているのは小口径の5.56mm弾らしい。小口径の弾丸ならば外殻でも防げるし、相手に武器を提供している転生者―――――――十中八九ブラドだろう―――――――のレベルが俺よりも低く、攻撃力のステータスが俺の防御力のステータスを下回っていれば、銃弾の殺傷力はさらに低下する。

 

 ブラドよりもこっちのレベルが上回っていれば強行突破しても問題ないんだが、吸血鬼たちはこの春季攻勢のためにディレントリア公国に隠れながら準備をしていたのだ。ブラドが自分のレベル上げを怠っていたとは思えない。

 

 というわけで、いつも通りの戦い方をするしかないのだ。

 

 近くにある通路へと飛び込んで、通路に積み上げられたバリケードの隙間から放たれる弾幕を回避する。凄まじい数の5.56mm弾が通路の壁に喰らい付く甲高い音を聞きながら、手榴弾が入っている腰のポーチへと手を伸ばす。

 

 その手榴弾の安全ピンに指を伸ばした直後、5.56mm弾の群れの真っ只中を、通路の反対側から飛来した1発の40mmグレネード弾が飛翔していった。

 

 無数の5.56mm弾とすれ違いながら突っ込んで行ったグレネード弾が、敵兵たちが死守しようとしていたバリケードを直撃する。かつては天井から突き出ている配管の一部だった部品を直撃したグレネード弾はすぐに起爆すると、人間の肉体を容易く千切り取ってしまう獰猛な爆風と水銀の斬撃をばら撒き、バリケードの近くで射撃を続けていた数名の兵士たちをズタズタにしてしまう。

 

 あれは水銀榴弾か…………!?

 

 もしかしたら吸血鬼たちが鹵獲したものを使ったのかと思ったが、もし吸血鬼たちならばバリケードを盾にしながら必死に応戦している味方を吹っ飛ばすわけがない。

 

 爆風で左半身を抉られた敵兵が、絶叫しながらバリケードの陰から飛び出してくる。咄嗟に左手をPL-14のホルスターに伸ばしてハンドガンを引き抜き、その苦しんでいる敵兵の頭に銀の弾丸をぶち込んだ。ぴたりと絶叫が止まり、水銀の斬撃と爆発で左半身をズタズタにされた吸血鬼の兵士が破片だらけの床に崩れ落ちる。

 

 今のをぶっ放したのは誰だ?

 

 後続の味方が追いついたのだろうかと思いながら後ろを振り向いてみると、散弾で頭や心臓を吹っ飛ばされた吸血鬼の死体が転がっている通路の向こうから、いつも目にしている真っ黒な制服や黒と紅の迷彩模様で彩られた制服を身に纏った兵士たちが走ってくるのが見えた。

 

 漆黒の軍帽をかぶったナタリアの隣を突っ走りながら、AK-12にそっくりなショットガンの銃身の下にぶら下げられているグレネードランチャーにグレネード弾を装填している少女を見た瞬間、俺はさっきの援護射撃をぶっ放したのが誰なのかを理解する。

 

 炸裂弾を好むのは、イリナしかいない。

 

 しかもグレネードランチャーが通過していったのは、5.56mm弾の弾幕を回避するために通路に隠れた数秒後である。そろそろ手榴弾を放り投げて強行突破しようかなと思ったタイミングで、イリナの正確な援護射撃が敵のバリケードを直撃したのだ。

 

 炸裂弾やグレネード弾ばかり装備しているため、味方を巻き込んでしまうのではないかと思ってしまうけれど、イリナは今まで一度も味方を爆発に巻き込んだことはないという。それどころか爆発の範囲や威力を熟知しており、敵の群れのどこに爆発する魔術や炸裂弾を放り込めば効率的に敵を撃破できるかすぐに理解してしまうらしい。

 

 一見するとかなり無茶な装備のように見えるけれど、彼女の豪快な援護射撃はかなり頼もしい。

 

「助かったよ。Спасибо(ありがとな)」

 

「どういたしまして。…………それにしても、突撃し過ぎだよ。僕たちを置いて行くつもり?」

 

 みんなが敵に殺されないように事前に”掃除”してただけだよ、イリナ。

 

 けれども、イリナやナタリアたちと一緒に要塞の内部に辿り着いた仲間たちを見た俺は、唇を噛み締めながらAA-12のグリップを思い切り握りしめた。

 

 強襲殲滅兵の人数が、さらに減っているのである。

 

 要塞に突入する前にかなりの数の敵兵を血祭りにあげた筈なんだが、体勢を立て直した敵に反撃されてしまったのだろうか。やけに血まみれの銀のスパイクがついた棍棒を持っているオークの兵士の身体にも穴が開いており、敵の5.56mm弾が何発も被弾していることが分かる。

 

「同志、戦えそうか?」

 

「…………ええ、同志団長」

 

 傷だらけのオークの兵士に声をかけると、がっちりした体格のオークの男性はニヤリと笑いながらヒーリング・エリクサーの容器を取り出した。試験管にも似た容器の栓を外して口へと運び、ピンク色の液体を口の中へと流し込む。

 

 すると、5.56mm弾に抉られた傷口が急に塞がり始めた。傷口の反対側の肉が伸び始めたかと思うと、その肉が反対側の肉と絡みついて穴を塞ぎ、その肉を再生し始めた皮膚が覆っていく。

 

 まるで吸血鬼の再生能力のようだ。フィオナちゃんが生み出したエリクサーは、弱点で攻撃されない限り”死”を希釈できる彼らの能力を疑似的に再現しているのである。吸血鬼と違って再生できない傷は一部を除いて存在しないものの、彼らのように何度も再生できるわけではない。一口飲めば傷が塞がるが、容器の中身が空になれば疑似的な再生能力を使うことができなくなるのだ。

 

「お供しますよ」

 

「…………無理はしないでくれよ、同志」

 

「団長こそ」

 

 オークやハーフエルフの兵士は勇敢な兵士が多い。相手が複数の機関銃で弾幕を張っても、全く怯えずに雄叫びを上げながら突っ込んで行くほど勇猛な兵士ばかりであるため、騎士団では奴隷のオークやハーフエルフだけで編成した部隊を激戦区に突っ込ませることも少なくないという。

 

 今しがた回復したオークの兵士に俺の持っていたエリクサーを1本渡してから、通路の向こうへとAA-12の銃口を向ける。

 

「行くぞ。ブラドを排除すれば俺たちの勝ちだ」

 

 もう少しでチェックメイトだ。ブラドに俺が勝つことができれば、吸血鬼たちの装備は消滅して丸腰になり、戦闘を続けることはできなくなる。現代兵器があるからこそ圧倒的なモリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)に抵抗を続けることができていたというのに、何の前触れもなく丸腰になってしまうのである。

 

 自分が習得した魔術で応戦しようとする吸血鬼もいるかもしれないが、種類によっては詠唱が必要である上に、銃よりも射程距離が劣る魔術では戦車部隊や地上部隊を食い止められないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 投降したとしても、連合軍は彼らへの攻撃を続けるだろう。

 

 モリガン・カンパニーの原型となったモリガンは、そういう組織だ。

 

 負傷兵や降伏した敵にも攻撃を続け、必ず皆殺しにする。それゆえに第一次転生者戦争では、敵の守備隊の捕虜は0名で、戦死した人数は守備隊の人数と同じだったという。

 

 ブラドを排除してから降伏勧告をすれば、彼らは降伏してくれるだろうか。親父―――――――正確には親父の姿をしているガルゴニスだ―――――――には猛反発された挙句、受け入れた捕虜を全員殺すように要求されるかもしれないが、俺たちはモリガン・カンパニーの”下”じゃない。

 

『くそ、敵は第7隔壁を突破!』

 

『撃てぇ!! ここから先に行かせるなッ!!』

 

 要塞の内部に俺たちが侵入したことを察知したらしく、通路の向こうから10人以上の吸血鬼の兵士たちがこっちに突っ走ってくる。先ほどイリナがグレネード弾で大穴を開けたバリケードを盾にしながら銃撃を始めた敵兵を睨みつけつつ、味方を連れて咄嗟に通路の陰へと再び隠れた俺は、舌打ちしながら手榴弾の安全ピンへと手を伸ばす。

 

 くそったれ、ラウラがいてくれればエコーロケーションで瞬時に索敵できるんだけどな………。

 

 ラウラの能力に甘えてる場合じゃないか。

 

 手榴弾を取り出して安全ピンを引っこ抜こうと思ったその時、後ろにいたイリナがニヤニヤしながらこっちを見上げていることに気付いた。

 

「―――――――僕の出番だよね?」

 

 そう言いながら、彼女は自分のAK-12/76をトントン、と軽く叩く。

 

 AK-12/76はAK-12を改造して散弾が発射できるようにしたモデルであり、非常に信頼性が高い高性能なショットガンである。けれども彼女が持っているショットガンは散弾を発射するのではなく、炸裂弾であるフラグ12を発射するように改造されている上に、銃身の下には40mmグレネード弾を発射可能なロシア製のグレネードランチャーが搭載されている。

 

 つまり、敵を木っ端微塵にすることに特化した銃だという事だ。

 

 しかもその気になれば中距離の敵をフラグ12で”爆撃”できる、圧倒的な火力を誇る得物である。

 

「イリナ、俺が援護する」

 

 通路の反対側にあるでかい配管の陰に隠れていたウラルがこっちにそう言いながら合図した直後、スペツナズに支給されているAN-94のセレクターレバーをフルオートに切り替えた。テンプル騎士団では大口径の弾薬を使用する事を推奨しているんだが、基本的に相手が人間の兵士ばかりになるスペツナズの兵士たちには、小回りが利く小口径の5.45mm弾を支給しているのだ。

 

 そのため堅牢な外殻を持つ魔物との戦いは苦手だが、少なくとも相手も”人類”なのであれば、凄まじい殺傷力を誇る小口径の弾丸たちは猛威を振るう。容易く皮膚と肉に風穴を穿ち、内臓をグチャグチャにしてくれるに違いない。

 

「ステラ、弾幕を!」

 

了解です(ダー)

 

 通路の陰からRPK-12の銃身を突き出したステラが7.62mm弾のフルオート射撃をぶちかますと同時に、反対側に隠れていたウラルもAN-94のフルオート射撃を開始する。まるで敵が発する銃声を押し返そうとするかのように鳴り響く銃声の真っ只中を、小口径と大口径の弾丸たちが疾駆していった。

 

 バリケードに弾幕を叩き込み始めたのを確認してから、今度はイリナが飛び出す。

 

 フラグ12がこれでもかというほど装填されたマガジンが装着されている獰猛なショットガンを構えた彼女は、無数の5.56mm弾の群れの中でニヤリと笑ってから―――――――マガジンの中の炸裂弾たちを、解き放った。

 

 チョークの代わりにマズルブレーキを装着された銃口から、散弾の代わりに強力な炸裂弾たちが立て続けに放たれる。

 

 普通の銃弾は敵に命中したら風穴を開けるだけだけど、こいつは炸裂して敵を抉るため、破壊力は別格だ。

 

 バリケードの一部に命中したフラグ12―――――――対吸血鬼用に水銀が充填されているようだ―――――――が、爆発と水銀の斬撃でバリケードを抉っていく。積み上げられた太い配管やひしゃげたコンテナが、フラグ12が着弾する度に凄まじい勢いで欠けていったかと思うと、それを盾にしていた吸血鬼の兵士たちの絶叫が聞こえてきた。

 

 爆炎と水銀の斬撃を喰らったらしく、バリケードの向こうから銃撃していた敵兵たちの肉体がどんどん木っ端微塵になっていく。

 

 顔面にフラグ12を叩き込まれた敵兵の頭がヘルメットもろとも砕け散り、鮮血と脳味噌の破片を周囲にまき散らしながら崩れ落ちていった。そのすぐ近くに倒れていた敵兵の足元に着弾したフラグ12から水銀の斬撃が飛び出し、爆風に押し出された斬撃が吸血鬼の兵士の右足の太腿を両断してしまう。ぐらり、と体勢を崩してしまったその兵士が絶叫をしたが、立て続けにすぐ近くにフラグ12が着弾した瞬間にその絶叫が聞こえなくなってしまった。

 

 マズルフラッシュで彩られていた灰色のバリケードが、今度は爆炎と血飛沫で彩られていく。

 

 まるで戦闘ヘリの機関砲の掃射を彷彿とさせる、豪快な攻撃だった。やがてマガジンの中の炸裂弾を撃ち切ったらしく、熱を纏った薬莢を吐き出し続けていたエジェクション・ポートがぴたりと止まる。最後の1つの薬莢が破片と血飛沫まみれの床に落下すると同時に、イリナは今度は銃身の下に取り付けられているグレネードランチャーをぶっ放しやがった。

 

 炸裂弾の連射もかなり凶悪だけど、40mmグレネード弾も凄まじい破壊力を誇る。人間の兵士がこいつをお見舞いされればあっという間に爆風と破片にズタズタにされて黒焦げのミンチになっちまうし、強靭な外殻を持つ魔物も外殻を粉砕される羽目になるだろう。

 

 対吸血鬼用に水銀を内蔵した砲弾が床に着弾した直後、緋色の炎がバリケードの向こうで煌き、飛び散った水銀の斬撃がまだ応戦していた吸血鬼の兵士の肉体をあっさりと両断してしまったのが見えた。

 

 爆発の衝撃波で押し出された水銀は、ちょっとした斬撃だ。あくまでも対吸血鬼用の砲弾だけど、対人戦でも有効かもしれない。とはいえ水銀を内蔵するために炸薬の量が減ってしまうし、水銀のせいで砲弾の重量が増してしまうという欠点があるので、本格的に運用する前にテストした方がいいだろう。

 

「よし、前進!」

 

ほら急げ(ダヴァイダヴァイ)!!」

 

 圧倒的な火力だな、イリナは。

 

 マガジンを交換している彼女の肩を軽く叩いて「よくやった」と言ってから、AK-15を装備した俺は要塞の奥へと進んでいった。

 

 要塞の奥にいるブラドと決着をつけなければならない。

 

 あいつを消せば敵の兵器が全て消失する筈だ。それに、あいつと決着もつける必要がある。

 

 親父とレリエル・クロフォードが遺した怨嗟を、ここで終わらせるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板に大穴を開けられたり、傾斜した戦艦たちがタンプル搭へと向かって上っていく。駆逐艦や戦艦は様々な塗装が施されており、中には通常の塗装ではなくダズル迷彩を施された戦艦も見受けられる。

 

 もっとも損傷しているのは、その艦隊の先頭を進む巨大な戦艦だろう。黒と灰色と蒼の三色で彩られた巨体にはいたるところに大穴が空いており、巨体が右舷へと傾斜しているのが分かる。艦橋の両脇にずらりと並んでいた対艦ミサイル用のキャニスターはほぼ全て破壊されており、ひしゃげた金属の塊と化した残骸たちが戦艦の甲板を覆っていた。

 

 その先頭を進む艦の艦首はかなり抉られており、前部甲板は金属の破片と海水で埋め尽くされていた。前部甲板の第二砲塔は艦首へと向けられているものの、第一砲塔は被弾した際の衝撃でやや右側を向いたまま止まっており、使用不能になっていた。

 

 吸血鬼たちの艦隊を打ち破ったテンプル騎士団艦隊旗艦ジャック・ド・モレーは、いつ沈んでもおかしくないほどの損害を被っていたのである。

 

 右舷に20度以上傾斜している上に、損傷のせいでたった6ノットでしか航行できない状態である。しかし乗組員たちのダメージコントロールが功を奏し、まだ艦砲射撃で地上部隊を掩護することは可能であった。

 

「各員、戦闘配置!」

 

「第二砲塔、第三砲塔、砲撃用意! 第一砲塔の砲手は第二、第三砲塔の砲手の補助に当たれ!」

 

「第二砲塔、第三砲塔、MOAB弾頭を装填! 目標、ブレスト要塞中央部!」

 

 ジャック・ド・モレーやソビエツキー・ソユーズ級に搭載されているMOAB弾頭は、スオミ支部の決戦兵器である”スオミの槍”や、本部の決戦兵器である”タンプル砲”に装填されるMOAB弾頭をそのまま小型化した強力な砲弾である。

 

 決戦兵器のような圧倒的な火力ではないものの、地上部隊に大打撃を与えることができる獰猛な代物であった。

 

 他の艦に助けられずに、自力でジャック・ド・モレーは河を上っていく。

 

 彼らには、まだ任務が残っているのだ。

 

 テンプル騎士団の領土を奪った敵から、ブレスト要塞を奪還するという重大な任務が。

 

 

 

 

 

 

 

 



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蹂躙と強行突破

 

 サラマンダーの角で作られた大剣が、吸血鬼の頭をヘルメットもろとも両断する。先端部に行くにつれて、溶鉱炉の中に放り込まれた金属のように真っ赤になっている刀身を強引に引き抜いたエミリアは、吸血鬼たちの返り血を浴びながら更に突撃していった。

 

 モリガンやモリガン・カンパニーでは、リキヤの能力によって生産された銃が採用されており、大半の兵士たちが銃を使っている。そのため、実質的に組織内では”剣”は一部を除いてほぼ全て退役してしまっており、出番は式典の時か、騎兵隊に支給されている軽量化されたロングソードくらいである。

 

 それゆえに、銃が主役になりつつある戦場で未だに剣を振るっているのは、魔王の妻であるエミリアくらいであった。

 

 彼女も銃を使用するが、騎士団にいた頃から剣を愛用しているからなのか、未だに22年前に作られたサラマンダーの大剣を愛用しているのである。

 

 エミリアが振るっている剣は、サラマンダーの角を加工して作られた逸品だ。サラマンダーは基本的に火山に生息している炎属性のドラゴンの一種であり、戦闘力だけならばエンシェントドラゴンに匹敵すると言われる強敵である。そのためサラマンダーの討伐に成功した傭兵や冒険者はごく少数で、討伐に成功すれば最強クラスの傭兵たちの仲間入りをするというわけだ。

 

 サラマンダーの外殻は基本的に堅牢であり、戦車砲を使わない限り貫通することは困難であると言われている。その堅牢な外殻の中でも一番硬い部位が頭から生えている大剣のような角の部分であり、仮に討伐に成功して角を持ち帰ったとしても、それを加工するのは極めて困難と言われている。

 

 エミリアの剣は、そのサラマンダーの角を加工して作られているため、敵兵の頭をヘルメットごと切り裂いた程度では全く刃こぼれを起こさない。しかも耐熱性にも非常に優れているため、炎や雷を纏わせながら振るっても切れ味に全く悪影響がないのだ。

 

 最強クラスの大剣と言っても過言ではないが、あくまでもサラマンダーの素材を使った大剣であるため、吸血鬼を仕留めるためには刀身に水銀や聖水を塗る必要がある。

 

 仕留めた吸血鬼の鮮血を手で拭い去り、懐から取り出した瓶の蓋を開け、真っ赤な刀身に聖水をぶちまける。吸血鬼たちが大昔から忌み嫌う聖水で濡れた刀身を振るったエミリアは、左手を腰のホルスターに伸ばし、その中に納まっているPP-2000を引き抜いた。

 

「突撃ぃッ!!」

 

『『『『『Урааааааааа!!』』』』』

 

 銃剣を展開したアサルトライフルを構えた兵士たちと共に、防壁が倒壊している部分から要塞の内部へと突入していくエミリア。数名の兵士たちがXM8のフルオート射撃で必死に抵抗してくるが、彼らの銃がマズルフラッシュを発する頃にはすでにエミリアはジャンプしていた。

 

 空中で敵兵に狙いを定め、PP-2000のフルオート射撃でズタズタにする。銀の9mm弾で蜂の巣にされた敵兵を一瞥しつつ、落下しながら右手の剣を思い切り振り下ろす。

 

 大剣の刀身が敵兵の鎖骨を両断する感覚を感じながら、目の前で大剣に肩を切り裂かれている敵兵から強引に刀身を引き抜く。左手のPP-2000の銃口を血まみれの敵兵に向けてトリガーを引き、止めを刺した彼女は、姿勢を低くしたまま要塞の中へと突っ走った。

 

 エミリアの戦闘力は、レベルが極めて高い転生者に匹敵するほどである。ラウラやタクヤが生まれるよりも前から、夫(リキヤ)と共に転生者を狩り続けていた猛者であるため、レベル500未満の転生者であれば瞬殺するのが当たり前なのだ。

 

 テンプル騎士団が敢行した奇襲とMOAB弾頭の爆破で、要塞の内部はまるで廃城のようになっていた。巨大な防壁には巨大な亀裂がいくつも入っており、砲弾を叩き込まれただけでそのまま倒壊してしまいそうなほどボロボロになっている。要塞の内部に用意された広大な飛行場の滑走路は爆風で抉られており、吸血鬼たちが用意した仮設の管制塔も倒壊してしまっていた。

 

 この要塞を再建するのは大変だろうな、とテンプル騎士団に所属するドワーフたちの事を考えた直後、飛来した数発の12.7mm弾たちが、エミリアのすぐ近くに着弾した。

 

 爆発でズタズタにされた飛行場に転がっている瓦礫を使って作られたバリケードの向こうでブローニングM2重機関銃を構えている敵兵に狙いを定めたエミリアは、その敵兵を始末することにした。モリガン・カンパニーの兵士の中には身体が頑丈なハーフエルフやオークの兵士たちも含まれているが、いくら5.56mm弾が被弾しても耐えられるほど頑丈な兵士たちでも、対物(アンチマテリアル)ライフルの弾薬にも使われている大口径の弾丸には耐えられない。

 

 味方が薙ぎ倒される前に、あの重機関銃を排除する必要があった。

 

 左手に持っていたPP-2000の弾丸をばら撒きつつ突っ走る。照準器を除きながら放ったわけではないため、弾丸は全く命中しない。敵を排除するどころか、その射手にエミリアが迫っていることを知らせた程度であったが、重機関銃の攻撃がエミリアへと集中すれば他の兵士たちが狙われることはない。

 

 そしてエミリアが重機関銃の射手の排除に成功すれば、エミリアも狙われることはなくなるのだ。

 

『くそ、撃て! あの剣士を狙うんだ!』

 

『あの女、魔王の妻じゃないのか!?』

 

『蒼い髪の剣士を討ち取れ! 魔王の妻だッ!』

 

 マガジンが空になるまでフルオート射撃を続けた彼女は、PP-2000を素早くホルスターの中へと突っ込み、両手で大剣の柄を握った。

 

 切っ先を地面に擦りつけ、大地が切り刻まれる音を響かせながら肉薄していくエミリア。吸血鬼の射手たちが必死に彼女を狙うが、彼女が振り上げた強烈な剣戟で12.7mm弾の群れがあっさりと両断されてしまう。

 

「…………生温い攻撃だな」

 

 若い頃に、エミリアは何度も死闘を経験していた。

 

 レリエル・クロフォードとの戦いや最古の竜ガルゴニスの戦いで、何度も死にかけたのだ。それゆえに、エミリアからすれば12.7mm弾の弾幕は生温い攻撃でしかない。

 

 立て続けに飛来した大口径の弾丸が、大剣に弾かれて火花を生む。弾丸を弾かれていることに気付いた射手たちがぎょっとした頃には、肉薄したエミリアが左から右へと薙ぎ払った強烈な一撃が、彼らの首へと食い込んでいた。

 

『ぎっ――――――――』

 

 ぶちっ、と肉が裂ける音を奏でながら、骨をあっさりと切断された兵士の首が鮮血を巻き散らして転がり落ちる。首から上を切断されて痙攣しながら崩れ落ちる兵士の身体を蹴飛ばしたエミリアは、一旦愛用の大剣を地面に思い切り突き立てて固定すると、その兵士が使っていたブローニングM2重機関銃のグリップを握って180度旋回させた。

 

 装填されている弾薬は対吸血鬼用の銀の弾丸ではないため、これを撃ち込んでも吸血鬼たちは平然と再生をするだけだが、再生している間は足止めになる筈である。ちらりと味方の様子を確認し、進撃を支援することはできるだろうと判断したエミリアは、味方の重機関銃を向けられてぎょっとしている敵兵の群れへと12.7mm弾を放った。

 

 大口径の弾丸たちに貫かれた吸血鬼の兵士たちの肉体が、次々に弾け飛んでいく。12.7mm弾が纏っていた運動エネルギーでズタズタにされた肉片から筋肉繊維や骨が伸び始めたかと思うと、段々と弾け飛ぶ前の兵士たちの身体に逆戻りしていく。

 

 しかし、その兵士たちが再生を終えて立ち上がるよりも先に、肉薄したモリガン・カンパニーの兵士たちが銀色のスパイク型銃剣を突き立て、吸血鬼たちに止めを刺していた。

 

 モリガン・カンパニーで正式採用されているAK-12は7.62mm弾を発射できるように改造されており、ほぼ全てのライフルに折り畳み式のスパイク型銃剣が標準装備されているのだ。圧倒的な数の歩兵部隊での銃剣突撃や白兵戦を想定しているのだが、それを取り外している兵士も少なくはない。

 

 銃床で殴りつけられた吸血鬼の頭に銃口を押し付けた兵士が、「よくも妻と子供を!」と叫びながら、7.62mm弾で敵兵の頭をグチャグチャにしていく。そのすぐ近くでは、倒れている吸血鬼の兵士の上に乗った人間の兵士が、罵声を発しながら吸血鬼の兵士を何度も殴りつけている。

 

 あの兵士たちは、グランバルカ号の事件で家族を失った兵士たちなのだ。

 

 この戦いには無関係だったにもかかわらず、吸血鬼たちの理不尽な攻撃で最愛の家族を失ったのである。

 

 彼らの怨嗟に呑み込まれた吸血鬼たちは、蹂躙されるしかなかった。中にはアサルトライフルの銃床で殴りつけて反撃し、負傷した味方に肩を貸して逃げようとする兵士もいるが、モリガン・カンパニーの兵士や殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士たちは全く容赦がない。

 

 逃げようとする兵士の足を撃って転倒させると、そのまま撃てば止めを刺せるにもかかわらず、身動きが取れなくなった兵士たちを傍らの瓦礫やかぶっていたヘルメットで痛めつけ始めたのである。

 

 殴りつけられている仲間を助けるために振り払われたスコップが、モリガン・カンパニーの兵士の頭を粉砕する。脳味噌の残骸がこびりついたスコップを手にした吸血鬼が他の兵士にも襲い掛かるが、すぐに殲虎公司(ジェンフーコンスー)の選抜射手(マークスマン)に頭を撃ち抜かれ、崩れ落ちる羽目になった。

 

 ブローニングM2重機関銃から手を離したエミリアも、その白兵戦の中へと突っ込んでいく。

 

 家族や仲間を失った味方の怨嗟には呑み込まれずに剣を振るい、吸血鬼たちを屠っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今しがた放り込んだ手榴弾の爆音を聞いてから、ショットガンを構えつつ遮蔽物から飛び出す。手榴弾の中に詰め込まれていた爆薬と対吸血鬼用の水銀がぶちまけられたバリケードの向こうには、手足を失った兵士たちや内臓があらわになっている吸血鬼の兵士たちが転がっていて、俺たちがバリケードを越えてきたにもかかわらず、呻き声や絶叫を発していた。

 

 手足を失っている兵士の大半は若い兵士だ。同い年なんだろうか、と思ってしまうけれど、吸血鬼の寿命は人間よりもはるかに長い。吸血鬼の女性と結婚すれば、自分がお爺さんになっても、結婚した相手はずっと出会った時の容姿のままだという。

 

 だからこの若い兵士たちも、もしかしたら100年以上生きている吸血鬼なのかもしれない。人間だったら100年経つ前に死んでしまう人が多いけれど、イリナが言うには、吸血鬼からすれば100歳の吸血鬼は人間で言うと19歳か20歳の若者らしい。

 

 両足を失った挙句、腹に手榴弾の破片が突き刺さっていた吸血鬼の兵士が、口から血を吐きながらハンドガンを引き抜く。咄嗟にAA-12をその兵士に向けてトリガーを引き、止めを刺す。

 

 薬莢がエジェクション・ポートから排出され、瓦礫だらけの床に落下する音を聞きながら、要塞内部に突入する前に戦ったLMGの射手を思い出した。傷口から内臓が出ているというのに、その兵士は口から血を吐きながらMG3をぶっ放してきたのである。

 

 吸血鬼たちの士気は、予想以上に高い。

 

 それゆえに、容赦をしてはならない。

 

 降伏する兵士は受け入れるべきだけど、傷ついた兵士を助けようとすれば、下手をすれば手榴弾で自爆されて道連れにされてしまう恐れもあるのだ。

 

 AA-12からドラムマガジンを取り外し、最後のドラムマガジンを装填する。コッキングレバーを引いて再装填(リロード)を終えたのを確認してから、通路の向こうを睨みつけつつ武器をAK-15に持ち替えた。

 

「…………この奥だ。ブラドの臭いがする」

 

「す、凄い嗅覚ね…………血と火薬の臭いしかしないわよ?」

 

「ああ。おかげでちょっとしか臭いがしないけどな」

 

 ラウラのように聴覚と視覚が発達してるわけではないが、嗅覚ならば俺の方がはるかに上なのだ。おかげでラウラの手足を奪ったクソ野郎を追跡する時に、この嗅覚がかなり役立った。

 

 ブラドの野郎はこの通路の奥にいるに違いない。80cm列車砲(ドーラ)の砲撃でブレスト要塞の中央指令室は壊滅しているため、仮設の指令室を用意している筈だ。吸血鬼の兵士たちもその近くに立て籠もっているに違いない。

 

 呻き声を上げている敵兵にAK-15で止めを刺し、仲間たちに「続け(ザムノイ)」と言ってから、太い配管やケーブルが剥き出しになった薄暗い通路の中を突っ走る。

 

「確か、こっちには諜報指令室があった筈よ」

 

「そっちは健在らしいな」

 

 隣を走っているナタリアにそう言われた俺は、ブラドたちが立て籠もっている場所を予測した。諜報指令室は諜報部隊(シュタージ)が潜入しているエージェントたちの指揮を執るための指令室である。タンプル搭の指令室よりも規模が小さいため、ブレスト要塞で勤務しているシュタージのメンバーの人数は、オペレーターだけならばたった3人だけだ。

 

 タンプル搭まで逃げてきた生存者の中には、その3人もいた。彼らの報告で諜報指令室が無事であることは確認してある。地上に展開している守備隊はもう指揮を執れる状況ではないだろうが、味方に指示を出す際の都合がいいのは十中八九そこだろう。

 

 以前に視察にやってきた時の事を思い出しつつ、ブラドの臭いがする方向が諜報指令室の方向と合っていることを確認した直後、通路の向こうから飛来した1発の弾丸が、近くを走っていたハーフエルフの兵士の頭を貫いた。

 

「は、ハンス!」

 

「…………!」

 

 強襲殲滅兵の制服を身に纏ったハーフエルフの兵士が、脳味噌の破片を床にばら撒きながら崩れ落ちていく。

 

 やがて、通路の向こうから無数の5.56mm弾や6.8mm弾の弾幕が襲い掛かってきた。大慌てで近くにある遮蔽物の陰に隠れて攻撃を回避したけれど、逃げ遅れたオークの兵士が無数の弾丸をこれでもかというほどぶち込まれる羽目になった。

 

 筋肉だらけの身体に凄まじい勢いで風穴が開いていき、巨大なオークの兵士が崩れ落ちていく。

 

「くそ…………!」

 

 太い配管の陰からAK-15を突き出し、セミオートで敵兵を狙撃する。しかしこっちに狙われていることを察知したのか、吸血鬼の兵士が咄嗟にバリケードの陰に隠れてしまったせいで、7.62mm弾は彼の後方にあったケーブルを何本か千切っただけだった。

 

 諜報指令室の周囲に構築されたバリケードには、20名ほどの負傷兵たちが集まっていた。頭や腕に包帯を巻いた兵士がMG3をこっちに向け、ひたすらフルオート射撃をぶっ放し続けている。その傍らにいる兵士もバイポッド付きのXM8で5.56mm弾をばら撒き、銃声と跳弾する音を通路の中に響かせる。

 

「タクヤ」

 

「どうした?」

 

 配管の陰に隠れながらホロサイトを覗いていると、傍らでRPK-12で反撃していたステラが言った。

 

「ここはステラたちに任せてください。援護しますので、強行突破をお願いします」

 

「ヴリシアの時みたいに突っ込めってことか」

 

 確か、宮殿で戦った時も強行突破をする羽目になったような気がする。あの時のメンバーは俺とラウラとノエルの3人だったな。

 

 イリナがフラグ12をぶちまけるが、今までのバリケードよりも分厚いのか、バリケードの材料にされている配管の一部が吹っ飛んだだけだ。あのままフラグ12をぶち込み続けても、あのバリケードはそう簡単に陥落することはないだろう。

 

「ナタリアとノエルちゃんもお願いします」

 

「ちょっと待ってよ。じゃあ誰が指揮を執るの!?」

 

 確かに、ナタリアまで連れて行くのは反対だ。彼女がいれば突入した部隊をしっかりと指揮してくれるが、いくら『ミダス王の左手』を持っているとはいえ、彼女まで連れて行けばこっちの戦力が一気に弱体化してしまう。

 

「いや、指揮なら俺が執る」

 

「ウラル…………」

 

 AN-94のマガジンを交換しながら、スペツナズの隊長であるウラルがこっちを見て笑った。

 

 ウラルはテンプル騎士団に入団する前はムジャヒディンを指揮していた男だ。仮にナタリアを連れて行ったとしても、彼ならば味方をちゃんと指揮してくれるに違いない。

 

「イリナ、お前も行くんだ」

 

「ぼ、僕も!?」

 

「ああ、そうだ。ちゃんと”彼氏”を守ってやれ!」

 

 か、彼氏ぃっ!?

 

 ちょっと待て! 何で今そういう事言うんだよ!?

 

「かっ、か、彼氏っ!? た、確かに…………た、タクヤの事は好きだけど…………!」

 

 ちらりと彼女の方を見ると、イリナは顔を真っ赤にしながらすぐに目を逸らしてしまった。

 

「よ、よし、メンバーは俺、ナタリア、ノエル、イリナの4人だ。これより強行突破する」

 

「お前ら、同志団長たちを掩護するぞ! セレクターレバーをとっとと切り替えろ!」

 

「「「了解(ダー)!!」」」

 

 俺もセレクターレバーをフルオートに切り替え、突撃する準備をする。呼吸を整えながら仲間たちを見渡していると、同じようにセレクターレバーを切り替えていたナタリアがこっちを見ていたことに気付いた。

 

 イリナが俺の事を「好き」って言ったことが気になるのだろうか。

 

 彼女の頭を優しく撫でると、ナタリアの顔がちょっとだけ赤くなった。

 

「…………ちゃんと私も見なさいよね、バカ」

 

「分かってるって。―――――――よし、突っ込むぞ!」

 

撃て(アゴーニ)!!」

 

 突入する4人が姿勢を低くして走り始めた直後、遮蔽物の陰に隠れていたスペツナズや強襲殲滅兵たちが一斉に銃を突き出し、敵のバリケードに向けてひたすら撃ちまくり始める。あらゆる銃の銃口からマズルフラッシュと弾丸が躍り出し、バリケードに激突する音を奏でる。

 

 その弾丸の真っ只中を、俺たちは突っ走った。敵が放った弾丸を外殻で弾き飛ばしながら突き進み、パイプや巨大な配管を積み上げて作られたバリケードをよじ登る。こっちにライフルを向けてきた敵を撃ち殺そうとしたけど、俺が銃を向けるよりも先に、後方から飛来した1本の投げナイフがその敵兵の眉間に突き刺さっていた。

 

 ナタリアの投げナイフだろう。ちらりとそっちを見てみると、投げナイフを手にしたナタリアがもう一度ナイフを投擲し、MG3の射手の眉間に銀のナイフを命中させているのが見えた。

 

 その隙にバリケードを上り、右足に装備したナイフの刀身を展開。バイポッド付きのアサルトライフルで応戦していた敵兵の首にそれを思い切り突き立てて始末しつつ、AK-15のマガジンに入っている7.62mm弾を周囲にいる敵兵たちにお見舞いする。

 

 このままバリケードの内側にいる敵兵を始末できるんじゃないかと思ったが、こっちはたった4人だ。しかも敵兵は予想していたよりも多かったらしく、バリケードの内側では20人どころか30人ほどの兵士たちが応戦を続けていた。

 

 ここで戦うよりも、大人しく突破した方がいいらしい。

 

 左手でLP-14を引き抜き、ノエルやナタリアたちを掩護する。彼女たちに銃口を向けた敵兵の頭に銀の9mm弾をお見舞いして始末し、その近くにいた敵兵にも弾丸をプレゼントする。

 

「いいわよ!」

 

「よし!」

 

 ナタリアとノエルが応戦している隙に、吸血鬼たちのバリケードに囲まれていた金属製の扉を睨みつける。様々な言語で書かれたプレートは敵兵たちの血で汚れていたが、”諜報指令室”と書かれているのは見えた。

 

 確かに、この中からブラドの臭いがする。

 

 思い切り扉に蹴りを叩き込むと、金属製の扉は予想以上にあっさりと指令室の中へと吹っ飛んで行った。そのドアを蹴破った音でバリケードの中の兵士たちが気付いたらしく、一斉にこっちに銃口を向けてきたが、敵兵の銃口がマズルフラッシュを発するよりも先に、俺たちは諜報指令室の中へと飛び込んでいた。

 

 床には天井から外れたケーブルや配管が転がっており、オペレーターたちの座席には置き去りにされた書類やモニターの画面の破片が散らばっている。

 

 タンプル搭の諜報指令室よりも一回り小さな諜報指令室に設置された巨大なモニターには、外での戦闘の様子が映し出されていた。モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士たちに蹂躙されていく吸血鬼の兵士たち。音声はないが、もし仮にあったとしたら、彼らの断末魔や罵声で支配されていた事だろう。

 

 その映像を見上げていた吸血鬼の少年が、ゆっくりとこっちを振り返る。

 

 彼と戦うことになるのは、ヴリシア以来だ。

 

 前世の友人だった男を睨みつけながら、俺はPL-14を構えた。

 

「―――――――遊びに来たぜ、ブラド」

 

 

 

 



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キメラと吸血鬼の因縁

 

 必死に砲撃するレオパルトたちが、無数のT-14たちが放つAPFSDSの集中砲火を叩き込まれて瞬く間に撃破されていく。分厚い複合装甲を纏った近代化改修型のマウスが大口径の160mm滑腔砲で歩兵もろとも戦車部隊を薙ぎ払うが、滑腔砲が砲弾を放った直後に複数のT-14から放たれた対戦車ミサイルを叩き込まれ、すぐに擱座してしまう。

 

 ヴリシアの戦いで近代化改修型のマウスは猛威を振るったが、無数のT-14や中国の99式戦車の前に立ちはだかる羽目になったマウスたちは、ヴリシアの時よりもはるかに数が少なかった。しかも彼らを支援して猛威を振るった近代化改修型のラーテも既に全滅しているため、たった10両足らずのマウスで無数の戦車と戦わなければならなかったのである。

 

 しかし、だからと言って吸血鬼たちが降伏する気配は全くなかった。

 

 連合軍が銀を使わなければ吸血鬼たちを殺せないのに対して、吸血鬼たちはどんな方法でも連合軍の兵士たちを殺せるのだ。それゆえに殺した兵士から鹵獲した武装でも、ちゃんと連合軍の兵士は殺せるのである。

 

 鹵獲したRPG-7をT-14の車体後部へと叩き込み、その隙に忍び寄った吸血鬼が虎の子のC4爆弾でT-14に止めを刺す。強力な爆薬で爆破される羽目になったT-14が火達磨になり、ハッチの中からズタズタにされた兵士たちが悲鳴を上げながら飛び出していく。

 

 連合軍が勝利するのは確実だったが、すでに連合軍は予想以上の損害を被っていた。

 

 吸血鬼たちの指揮は、連合軍の予想以上に高かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖水で濡れたハルバードが、スコップで白兵戦をしようとしていた吸血鬼の肉体を貫いた。

 

 ハルバードの餌食になった吸血鬼はそれを必死に引き抜こうとするが、ハルバードに塗られた聖水はもう既に彼の肉を溶かし始めており、傷口からは血の臭いと共に真っ白な煙が覗いていた。

 

 左手を強引に引っ張り、ハルバードを引き抜くエリス。右手に持ったPL-14でその吸血鬼に止めを刺した彼女は、白兵戦が始まった戦場を見据えながら息を呑んだ。

 

 防壁の外側に残っている部隊は、残った要塞や防壁の上で重機関銃を構えている敵兵との熾烈な銃撃戦を繰り広げているというのに、防壁の内側では銃弾よりも、兵士たちに支給されたナイフや、彼らの身を守るヘルメットの方が活躍していた。新型の武器を装備しているというのに、その兵士たちは雄叫びを上げながら白兵戦を繰り広げていたのである。

 

 PL-14をホルスターに戻してから、エリスも防壁の内側へと向かう。もし味方が白兵戦を始めずに銃撃戦をしていたのであれば、敵の集団をまとめて氷漬けにすることができたのだが、白兵戦が繰り広げられている状態では味方まで氷漬けにしてしまう恐れがあるため、迂闊に得意な氷属性の魔術を使用するわけにはいかない。

 

 防壁の中へと突入したエリスに、早くも5.56mm弾の弾幕が牙を剥く。咄嗟にハルバードを薙ぎ払って弾丸を弾き飛ばした彼女は、弾丸が飛んできた方向を睨みつけて敵の人数を素早く確認した。

 

 今しがた彼女に弾丸を放ったのは、XM8を装備した3人の兵士だった。立て続けに放たれる5.56mm弾を回避しながら右手をPL-14のホルスターへと伸ばし、9mm弾を連射して牽制しつつ距離を詰めていく。

 

 倒壊した管制塔の残骸を飛び越えつつ、空中で敵兵に狙いを定める。アサルトライフルを手にしていた吸血鬼たちがすぐにセレクターレバーをフルオートへと切り替えて弾幕を張るが、5.56mm弾の群れはエリスが片手で回転させたハルバードの刃や柄でことごとく弾き飛ばされてしまう。

 

 その隙に、エリスは一度だけトリガーを引いた。

 

 右手に持ったPL-14のスライドがブローバックし、ライフル弾よりも小さな薬莢を吐き出す。マズルフラッシュと共に躍り出たその弾丸は、回転するハルバードの間をすり抜けると、必死に弾丸を放っていた若い吸血鬼の兵士の眉間へと喰らい付き、そのまま風穴を穿ってしまう。

 

 がくん、と敵兵の頭が大きく揺れる。鮮血が吹き上がり、脳味噌にも風穴を開けられる羽目になった吸血鬼の兵士が後ろへと崩れ落ちた。

 

 その兵士が崩れ落ちると同時にハルバードの回転をぴたりと止めたエリスが、まるで槍を放り投げようとしているかのようにハルバードを逆手に持つ。落下してくるエリスを回避しようとしている敵兵に狙いを定めながら、彼女はそのまま敵兵に襲い掛かった。

 

 ハルバードの先端部が、逃げようとしていた敵兵の背中に突き刺さる。落下した勢いによって押し出されたハルバードはあっさりと吸血鬼の兵士を串刺しにすると、塗られていた聖水で早くも彼の骨や内臓を溶かし始める。

 

『ギャアアアアアアアアア!!』

 

『こ、このッ!』

 

 もう1人の兵士が背後からエリスに向かって銃剣を突き出そうとするが、XM8に取り付けられた銃剣を突き出されるよりも先にハルバードの柄から手を離していたエリスは、くるりと回転しながらあっさりとその一撃を回避してしまう。

 

 思い切り突き出した銃剣を空振りする羽目になった兵士が、ぎょっとしながら回避したばかりのエリスを睨みつけた。今の攻撃を回避したのかと言わんばかりに彼女を見つめていた兵士を見つめながら、エリスは容赦なくその兵士の肩に銀のサバイバルナイフを突き立てた。

 

 ナイフの切っ先が右側の鎖骨を貫き、鮮血が噴き出す。痙攣し始めた敵兵からナイフを引き抜いたエリスは、後ろでハルバードに串刺しにされていた敵兵から得物を引き抜き、血まみれの得物を持ったまま突っ走る。

 

 ちらりと防壁の中の様子を確認したエリスは、瓦礫をキャタピラで踏みつぶしながら前進してきたレオパルト2に狙いを定めた。

 

 いくら乱戦になっているとはいえ、吸血鬼たちは銀の弾丸や砲弾で攻撃されない限りは再生する。それゆえに、もし仮に通常の砲弾で敵兵もろとも吹き飛ばしたとしても、味方の兵士だけは再生して再び戦うことが可能なのである。

 

(味方ごと砲撃するつもりかしら)

 

 あの戦車が、榴弾で味方ごと吹き飛ばす可能性は高い。

 

 右手を手榴弾へと伸ばし、レオパルトに肉薄してハッチからそれを投げ込んでやろうと考えていたエリスは、愛用のハルバードを背中に背負ってレオパルトへと走り出す。

 

 瓦礫を踏みつぶしながら前進するレオパルトの機銃が火を噴き、数名のモリガン・カンパニーの兵士たちの身体をズタズタにする。漆黒の制服を身につけていた男たちがミンチと化し、瓦礫の山を真っ赤な肉片で彩っていく。

 

 手榴弾を引っ張り出して安全ピンを引き抜こうとした瞬間、主砲同軸の機銃から放たれた数発の弾丸のうちの1発が、エリスと同じように肉薄して仕留めようとしていた若い兵士の足を貫いた。

 

「!」

 

「ぐあっ…………! だ、誰か! あっ、あ、足を撃たれた…………!」

 

 若い兵士は助けを求めるが、彼の仲間たちはそれどころではなかった。身体能力が人間よりもはるかに勝る吸血鬼たちと白兵戦を繰り広げていたため、彼を助けに行くことができなかったのである。

 

 無理に助けに行こうとすれば、その隙に背後から吸血鬼のスコップで叩き潰されるのが関の山だ。それゆえに、モリガン・カンパニーの兵士たちや殲虎公司(ジェンフーコンスー)の兵士たちは敵の隙を伺いつつ、その兵士が自力で逃げることを祈るしかなかったのである。

 

 だが、7.62mm弾によって右足の膝を正確に撃ち抜かれていたその兵士は、動くことができなかった。

 

 彼に止めを刺すつもりなのか、レオパルト2が砲塔を兵士たちの群れへと向けたままその兵士へと進路を変えたのを見たエリスは、ぎょっとしながらそちらへと突っ走った。機銃で薙ぎ払って止めを刺せるにもかかわらず、その戦車の操縦士は若い兵士をキャタピラで踏みつぶそうとしているのだ。

 

 分厚い装甲と巨大な戦車砲を搭載した戦車に踏み潰されれば、兵士はあっという間にミンチになってしまうだろう。

 

「だ、誰か…………た、たっ、た、助けて………ッ! 誰かぁッ!!」

 

 戦車が踏み潰そうとしていることを悟った若い兵士が、必死に絶叫した。

 

 年齢は17歳か18歳ほどだろうか。エルフのように耳は長くないため、彼が人間の兵士であることが分かる。

 

 その兵士は、彼女の子供たちと同い年くらいの少年であった。

 

「くっ!」

 

 安全ピンを引き抜こうとしていた手榴弾をポーチに戻し、全力でその兵士に向かって突っ走る。こっちにも敵がいるぞと言わんばかりにPL-14を戦車の砲塔へと向けて連射したが、アサルトライフルの弾丸よりも威力の低いハンドガンの弾薬で、戦車にダメージを与えられるわけがない。

 

 装甲に弾かれる音を聴きながら、その戦車が若い兵士を踏み潰すことを断念するように祈るエリス。しかしレオパルト2は9mm弾の群れを意に介さずに、エリスすら狙わず、ひたすら主砲同軸の機銃を放ち続けている。

 

 マガジンの中身が空になってしまったPL-14を投げ捨て、その兵士の制服を思い切り掴む。涙を流しながら絶叫して混乱していた兵士がぴたりと叫ぶのを止め、助けに来てくれたエリスの顔を見上げた。まだ彼女が助けに来てくれたという事すら理解できていないのか、涙目になったまま彼女の顔を見つめている。

 

 すぐ近くから響いてくるエンジンの音を聴きながら、エリスは少年の身体を思い切り引っ張る。そのまま接近してくる戦車の真正面から引っ張り出すことに成功した彼女は、安心しながら踵を返して離脱する。

 

 だが―――――――踵を返して片足を前に出した瞬間、右足を何かに突き飛ばされたような感じがした。

 

「…………!?」

 

 足の中で何かが砕ける感覚を感じると同時に、駆け出そうとしていた足に力が入らなくなる。がくん、とそのまま体勢を崩して転倒する羽目になったエリスは、自分の右足を見てぞっとした。

 

 ―――――――右足の脛の部分に、風穴が開いていたのである。

 

 敵に足を撃たれた事を理解したエリスはすぐにエリクサーへと手を伸ばし、即座に治療して離脱しようとしたが――――――――踏み潰すはずだった獲物を逃がされたことに怒り狂ったレオパルトが、今度は倒れているエリスへと進路を変更していたのである。

 

 両腕と左足を使って必死に前へと進んだが、強力なエンジンを搭載した戦車から逃げ切れるわけがない。

 

「―――――――ああああああああああああああああああッ!!」

 

 ブレスト要塞の防壁の中に、エリスの悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ナガト(ビッグセブン)。久しぶりだな」

 

 俺もそのニックネームを久しぶりに聞いた。

 

 前世の世界で生きていた時の名前は”水無月永人(みなづきながと)”。漢字は違うんだが、よく”永人”ではなく”長門”と勘違いされていたせいで、ビッグセブンというニックネームがついたのだ。

 

 この世界でそのニックネームを知っているのは――――――――同じくあの世界から転生してきた、ブラドしかいない。

 

 かつては親友だった男にハンドガンの銃口を向けながら、ドットサイトの向こうでゆっくりとこっちを振り返るブラドを睨みつける。仲間たちが連合軍の兵士たちに蹂躙されていく映像が映し出されているモニターを見上げていたブラドは、片手をハンドガンのホルスターへと伸ばしながらゆっくりとこっちを振り向くと、ホルスターの中から引き抜いたコルトM1911A1をこっちに向けた。

 

「こいつが…………ブラド…………!」

 

 そういえば、ナタリアとイリナはブラドに会ったことがなかったな。あの戦いでブラドと戦ったのは、俺とノエルとラウラの3人だけだった。

 

 ”中身”は前世の親友だけど、容姿は全くの別人だから、性格や仕草以外に面影は全くない。俺も同じく容姿は全く別人だから最初は永人()だと気付いてもらうことはできなかった。

 

 ブラドは一瞬だけイリナの方を見てから、再びハンドガンのフロントサイトとリアサイトを覗き込む。俺たちと一緒に彼に銃を向けているイリナが自分の同胞だという事を見抜いたのだろうか。

 

「…………なぜ同胞に銃を向ける?」

 

「―――――――自分たちの種族のためだけに、弱い人々を傷つけるような奴らを同胞とは思いたくないだけだよ」

 

 やっぱりイリナが吸血鬼だという事を見抜いていたようだ。

 

「その”弱い奴ら”が、かつて我々を滅亡寸前まで追い詰めたのだぞ?」

 

「でも、僕たちは他の種族と共存してる。いつまでも自分たちが一番優れた種族だとは思ってないよ」

 

 テンプル騎士団には様々な種族の兵士たちが所属している。人間やエルフだけじゃなく、イリナたちのように吸血鬼の兵士たちも一緒に戦っているのだ。しかも今のところは種族に関する差別は全くない。

 

 この世界では種族の差別は当たり前になってしまっているが、ちゃんと共存できるという事を俺たちは実証しているのである。

 

 するとブラドは、左手をイリナへと伸ばした。

 

「考え直せ。お前の隣にいるそいつらも、我らを利用しようとしている連中だ。お前は我々と一緒に戦うべきだ」

 

「はぁ…………。一緒にデートしてキスをした彼氏が、そんなことすると思ってるの?」

 

 お前、何でそんなこと言うんだよ…………。

 

 多分、今の俺の顔は赤いと思う。そういう話をするならタンプル搭に帰ってからにしてほしいものである。どうしてテンプル騎士団の女性はそういう話を敵の目の前でするんだろうか。

 

 ブラドも一瞬だけ顔をしかめてから、再びこっちを睨みつけてきた。

 

「悪いが、イリナは俺たちの大切な仲間だ。裏切るつもりはない」

 

「それは残念だ…………。ならば、ここで因縁を終わらせるしかないな」

 

 そうだな。親父とレリエルが遺してしまった因縁を、ここで終わらせるしかない。

 

 ここでブラドを倒し、因縁に終止符を打つのだ。

 

 この男を説得するのは無理だろう。ブラドの憎悪はかなり強力だ。

 

 いいのか、と思いながら、ちらりとイリナの方を見る。彼女もこっちを見てから首を縦に振り、再びAK-12/76のホロサイトを覗き込んだ。どうやら彼女は同胞を木っ端微塵にする覚悟を決めてしまったらしい。

 

 分かったよ、イリナ。

 

 戦闘開始だ。

 

 ブラドに向けていたPL-14のトリガーを引いた瞬間、漆黒のスライドがブローバックする。小さな薬莢がそこから飛び出して落下していき、割れたモニターの破片で埋め尽くされている床に激突して小さな金属音を奏でる。

 

 自分の生み出したマズルフラッシュすら置き去りにして飛翔した弾丸が、こっちへとコルトM1911A1を向けていたブラドの眉間へと喰らい付いた。がくん、とブラドの頭が後方へと大きく揺れたが、撃ち抜かれる数秒前にブラドはこっちの攻撃を察知していたらしく、9mm弾が眉間に風穴を開ける直前に向こうもトリガーを引いていた。

 

 .45ACP弾が俺の肩に喰らい付く。コートの下で降下していたダズル迷彩のような模様の外殻に激突し、まるで装甲車が銃弾を弾くような音を奏でながら、俺たちの後方にあった世界地図に激突して風穴を開ける。

 

 普通の兵士が相手だったらこれで戦いは終わっていた事だろう。こっちは外殻で弾丸を防ぐことに成功し、向こうは9mm弾で脳味噌を木っ端微塵にされたのだから。

 

 けれども―――――――相手は、吸血鬼の王(レリエル)の遺伝子を受け継いだ男である。太陽の光を浴びても多少身体能力と再生能力が低下する程度で済んでいたほどの吸血鬼の息子なのだから、たった1発の銀の弾丸で死ぬわけがない。

 

 咄嗟に手榴弾を取り出し、安全ピンを引っこ抜く。そのまま放り投げた直後、先ほどモニターの破片と書類で埋め尽くされた床に倒れたブラドが起き上がり、ハンドガンを連射してきやがった。

 

 しかし、自分の足元に落下した対吸血鬼用手榴弾に気付いたらしく、.45ACP弾を連射してこっちを牽制しながらすぐに突っ走り始める。あいつの動きを止めるためにマガジンの中身がなくなるまで連射したが、ブラドは数発被弾してもそのまま走り続け、手榴弾の爆風と水銀が猛威を振るう範囲の外へと逃げてしまう。

 

 そのまま物陰へと隠れたブラドはメニュー画面を開くと、素早く画面をタッチしてメインアームを装備した。

 

 あいつが装備したのは――――――――他の吸血鬼たちと同じく、XM8だった。グレネードランチャーとホロサイトを装備しているらしい。さすがにグレネードランチャーを撃ち込まれたら致命傷を負う羽目になるだろうなと思ったその時、あいつの放った弾丸が胸板の外殻へと牙を剥いた。

 

 あっさりとそれを弾くことに成功したが、5.56mm弾にしては衝撃が強い。

 

 おそらくより大口径の6.8mm弾に弾薬を変更したんだろう。対人戦では小口径の弾丸が有効だし、反動も少ないからかなり扱いやすいんだが、魔物や屈強な外殻を持つ種族との戦いでは大口径の弾丸の方がダメージを与えやすいため、可能な限り大口径の弾丸のほうが好ましいのだ。

 

 咄嗟に姿勢を低くして机の下に隠れ、こっちもAA-12に武器を持ち替える。

 

 キメラの外殻は便利だが、これに頼っていたらおそらくブラドを倒すことはできないだろう。ヴリシアで戦った時も、ブラドは吸血鬼の際能力に全く頼っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼き星明り

 

 吸血鬼は、弱点で攻撃されない限り死なない。

 

 

 

 冒険者の教本や騎士団の教本にはそう書かれていることが多いけれど、吸血鬼は彼らの弱点である銀や聖水以外で攻撃しても殺すことはできるのだ。例えば強力な爆弾で身体を完全に消滅させてしまえば再生することはできなくなってしまうし、彼らの持つ再生能力が機能しなくなるまで通常の武器で攻撃を続ければ、彼らの再生能力はどんどん機能を低下していき、最終的には再生できなくなる。

 

 

 

 けれども前者は周辺にいる味方まで被害を被る可能性がある上に、たった1人の吸血鬼を消すためにそれほどの火力を投入しても割に合わない。確かに一瞬で敵を消すことができるけれど、リスクがあるのであればまだ10人ほど兵士を集めてこれでもかというほど銀の弾丸をぶち込んであげた方が効率的だ。後者の方は、吸血鬼たちの弱点が用意できなかったのであれば話は別だけど、弱点を用意できる状態ならばただ単に時間の無駄にしかならない。

 

 

 

 それゆえに、あらゆる教本や図鑑では”吸血鬼は弱点を使わなければ殺せない”と表記されているのだ。

 

 

 

 彼らを手っ取り早く殺すには、弱点を使うのが一番効率的と言うことである。

 

 

 

 姿勢を低くして諜報指令室の机の陰に隠れつつ、弾丸が飛んでくる方向に向かってAA-12の散弾を乱射する。照準器を覗き込んでいるわけではないので命中する可能性はかなり低いんだが、命中してくれればブラドの射撃を止めることはできるだろう。仮に命中しなくても牽制することはできる筈だ。

 

 

 

 8発ほどぶっ放したのを確認してから撃つのを止め、別の遮蔽物へと移動する。冒険者用のがっちりした黒いブーツで床を覆っている書類やモニターの破片を踏みつけながら移動しているうちに、今度は後方から味方の銃声が聞こえてきた。

 

 

 

 ナタリアの援護射撃だろう。イリナだったら爆音も聞こえてくるはずだし、ノエルはサプレッサー付きの得物を好むから、彼女の場合は銃声は聞こえてこないのだ。

 

 

 

 ドラムマガジンの中身はあと半分ほどだ。これを使い果たしたら、12時間経過するか、メニュー画面で別の武器をまた生産するしかない。

 

 

 

 弾薬の補充されるまでの時間を短縮してくれるスキルがあれば便利なんだが、ポイントさえあれば同じ武器を生産し直してぶっ放せるからなのか、そういうスキルは用意されていないらしい。確かにそうすれば弾切れするのはありえないんだが、俺の場合は仲間の分の装備まで用意しなければならないため、これでもかというほどポイントを持っている親父と違って極力ポイントは節約しなければならないのだ。

 

 

 

 遮蔽物の陰から顔を上げ、散弾をぶっ放す。どうやらナタリアのセミオート射撃は数発ほどブラドを直撃していたらしく、顔を上げた俺の散弾の餌食になる羽目になったブラドは、すでに眉間と胸板に風穴が開いている状態だった。

 

 

 

 弱点で攻撃されているとは思えないほどの速度で傷口を再生させていたブラドが、いきなり遮蔽物の陰から獰猛なAA-12を構えて顔を出したこっちを見てぎょっとする。

 

 

 

 もちろん、こいつに装填されている散弾は吸血鬼の弱点である銀の散弾だ。ブラドならば再生してしまうかもしれないが、間違いなく大きなダメージを与えられるだろう。

 

 

 

 咄嗟にブラドは左手をグレネードランチャーから外し、素早くホルスターからコルトM1911A1を引き抜いてこっちへと向けてくる。.45ACP弾のストッピングパワーはかなり獰猛だが、キメラの外殻をそれで貫通するのは不可能である。すでに胸板や両腕は外殻で覆われていたから、借りにそこに被弾したとしても跳弾する音が部屋の中に響くだけだ。

 

 

 

 さすがに眉間にぶち込まれるのはヤバいけどな。

 

 

 

 でも、あのハンドガンが火を噴くことはないだろう。

 

 

 

 仲間の匂いを察知していた俺は、ブラドの左腕がトリガーを引くことはないという事を理解していた。

 

 

 

 すでにその腕には、シュタージが誇る最強の暗殺者の”糸”が絡みついていたのだから。

 

 

 

 何の前触れもなく、かなり細い糸がブラドの左腕の肘の辺りに食い込む。ぎょっとしたブラドが腕を振り払ってそれを引き離そうとするが、”引き離される”羽目になったのはノエルが放った水銀の糸ではなく、ハンドガンを手にしていた彼の腕だった。

 

 

 

 食い込んだ水銀の糸があっさりと皮膚を切り裂き、肉を両断しながら骨も容易く切断してしまう。ぶちん、と左腕の肘から先を切断される羽目になったブラドは歯を食いしばりながら一旦後退し、グレネードランチャー付きのXM8を乱射して俺たちを牽制してくる。

 

 

 

 ノエルの生成する糸は、体内に鉱石や金属を取り込むことで性質を変えることができるという特徴がある。

 

 

 

 例えば鉄鉱石を食べれば従来よりもはるかに硬い糸が生成されるようになるため、切れ味が劇的に上がるのだ。しかも体内に取り込んだ際に毒物はキメラの内臓によって除去されてしまうため、毒物によって死亡することもない。

 

 

 

 そのため、吸血鬼との戦いでは、ノエルは彼らの弱点で攻撃するために水銀を飲んで水銀の糸を生成しているのである。

 

 

 

 鉱石を取り込んで糸の性質を変えるという特徴は、彼女の持っているキングアラクネの遺伝子のおかげだろう。キングアラクネは肉食性の魔物だが、自分の糸を強化するために鉱石も積極的に摂取しているため、鉱石が豊富な地域に生息しているキングアラクネは自分よりも格上のドラゴンをあっさりと両断してしまうほど強力だという。

 

 

 

 生息する地域によって危険度が変わる魔物は珍しくはない。

 

 

 

 ノエルが身につけた能力は、糸を生成する能力と鉱石を取り込む能力だ。もちろん外殻を生成することもできるけれど、キングアラクネの外殻はサラマンダーの外殻ほど硬くはないので防御力は俺たちよりも劣っているのである。

 

 

 

 腕の再生を終えたブラドが、こっちに向けてグレネードランチャーを放った。咄嗟に全身をダズル迷彩のような模様の外殻で覆いつつ、両腕で頭を守る。

 

 

 

 ドン、と両腕に何かがぶつかる。グレネード弾だろうな、と思った頃には、ブラドが放った40mmグレネード弾がすぐ近くで炸裂し、生れ落ちた爆炎が俺を呑み込んでいた。

 

 

 

「た、タクヤッ!」

 

 

 

 大丈夫だよ、ナタリア。

 

 

 

 サラマンダーのキメラはかなり頑丈なんだ。

 

 

 

 普通の人間だったらとっくに木っ端微塵だけど、俺が感じたのは爆発した衝撃だけだ。

 

 

 

 サラマンダーの外殻はかなり分厚い。しかも表面の外殻は非常に硬くなっており、その下にはやや柔らかい外殻の層がある。その柔らかい外殻の層の下にはまた硬い外殻の層があるため、サラマンダーの外殻はちょっとした複合装甲のようになっている。

 

 

 

 しかも、もし仮に粘着榴弾を叩き込まれて外殻が剥離する羽目になっても、外殻の内側にある強靭な筋肉繊維がその剥離した外殻を受け止めてしまうため、実質的に粘着榴弾もほとんど効果がないのだ。

 

 

 

 簡単に言えば、外殻を生成することによる硬化が得意なサラマンダーのオスのキメラは、”身体能力の高い人間サイズの戦車”なのである。

 

 

 

 だから40mmグレネード弾でも、この外殻を打ち破るのは難しい。

 

 

 

 爆炎を纏ったまま姿勢を低くし、そのまま前方に突っ走る。今の一撃でダメージを与えられていない事を察していたのか、既にブラドはグレネード弾の装填をしつつ後方に下がり、攻撃する準備をしていた。

 

 

 

 そのまま接近戦で散弾を全部ぶち込んでやるつもりだったんだが、接近は難しそうだ。

 

 

 

 すると、今度はブラドの両足に何かが食い込んだ。

 

 

 

「…………!」

 

 

 

 さっきブラドの左腕が切断された時と同じだ。細い何かが食い込んで、彼の両足の膝から下を切断しようとしているらしい。

 

 

 

 再びノエルの糸が、後退しようとしていたブラドに牙を剥いた。

 

 

 

「無様ね、吸血鬼ヴァンパイア」

 

 

 

 かつては病弱だった従妹が冷たい声で告げた途端、諜報指令室の床が真っ赤に染まる。

 

 

 

 食い込んだ水銀の糸によって膝から下を切断される羽目になったブラドが、歯を食いしばりながら床に叩きつけられた。けれども、吸血鬼の弱点である”銀”で攻撃されているというのに、ブラドの両足の断面からは早くも肉と骨が生え始めていた。

 

 

 

 断面から筋肉繊維が伸び、その内側で骨が凄まじい速さで生成されていく。骨と筋肉が段々と元通りになっていったかと思うと、同じように再生を始めた皮膚があっという間に筋肉を呑み込んでしまう。

 

 

 

 けれども、足首から先の再生が終わるよりも先に、圧倒的な破壊力を持つ代物が、ころん、とブラドのすぐ目の前に落下した。

 

 

 

「!」

 

 

 

 彼の顔の近くに落下したのは、2つの手榴弾だった。

 

 

 

 片方はナタリアが放り投げた聖水手榴弾だ。

 

 

 

 テンプル騎士団が運用している対吸血鬼手榴弾の1つで、爆風と共に彼らの苦手な聖水をぶちまけるという代物だ。必要なポイントも少ない上に、水銀を充填したタイプと比べると軽いという利点があるんだが、肝心な聖水が爆炎である程度蒸発してしまう上に、聖水を充填するために炸薬の量も減らしているため、吸血鬼以外の敵が相手になると殺傷力が不足してしまうという欠点がある。

 

 

 

 その隣にイリナが投擲した少し大きな手榴弾は、水銀を充填した対吸血鬼手榴弾だった。

 

 

 

 こちらは少しポイントが高い上に、水銀を充填しているせいで重いという欠点がある。しかも聖水をぶちまけるタイプと同じく炸薬の量を減らされているんだが、炸裂した際に衝撃波と爆発によって押し出された水銀が斬撃となって周囲の物体を切り刻むため、吸血鬼以外の敵にも極めて高い殺傷力を誇る。

 

 

 

 吸血鬼が苦手とする2つの手榴弾が、目を見開いたブラドの顔の近くで炸裂する。水銀の斬撃と聖水を纏った衝撃波がブラドに牙を剥き、諜報指令室の中に並んでいるオペレーター用の机やモニターを木っ端微塵に破壊してしまう。

 

 

 

 2つの弱点を同時に叩き込まれたのだから、ブラドも今の攻撃でかなりダメージを負った筈だ。

 

 

 

 吸血鬼の中には弱点である銀や聖水で攻撃されても再生することができる連中がいる。大昔から生きている吸血鬼や、その大昔から生きている吸血鬼から血を与えられた吸血鬼は驚異的な再生能力を誇る上に、戦闘力は一般的な吸血鬼を上回るのだ。

 

 

 

 ひたすら弱点で攻撃を続けていれば再生能力が機能しなくなるらしいが、複数の弱点で攻撃する方が効果的だという。例えば今しがたナタリアとイリナがお見舞いしたように、水銀と聖水で同時に攻撃すれば、その吸血鬼にもよるが、強力な吸血鬼の再生能力もあっという間に機能しなくなるという。

 

 

 

 とはいえ、相手はあのレリエル・クロフォードの血を受け継いでいる男だ。吸血鬼の王の遺伝子を受け継いだ男が、そう簡単に倒せるわけがない。

 

 

 

 AA-12を構えながら爆炎の中を睨みつけていた俺は、急に膨れ上がった濃密な闇属性の魔力を察知して顔をしかめた。

 

 

 

 やっぱり、ブラドはまだ生きている。

 

 

 

 日光を浴びた状態で今のような攻撃を繰り返せばすぐに殺せると思うんだが、残念ながらここはブレスト要塞の地下にある戦術区画だ。部隊を指揮するための司令部や機密情報を扱う諜報部隊の指令室がある極めて重要な区画だから、敵の砲弾や爆弾が貫通してこないように分厚い装甲をこれでもかというほど設置されている。歩兵用の武器でその装甲を打ち破れるわけがない。

 

 

 

 舌打ちをしながら、爆炎の中に散弾を連射する。あくまでもブラドの闇属性の魔力を目印にして撃ちまくっているだけだから命中率はかなり低いだろうが、銀の散弾の攻撃で少しでも再生を阻害できれば問題はない。顔面に銀の弾丸を撃ち込まれた程度で死ぬ敵ではないのだから。

 

 

 

 爆炎の中から、焦げた肉の臭いと共に鮮血の臭いが流れてくる。銀の散弾は命中しているのだろうか。

 

 

 

「――――――――――力を貸せ、”ブラック・ファング”よ」

 

 

 

「―――――――!」

 

 

 

 反射的に、俺は後ろへとジャンプしていた。

 

 

 

 ドラムマガジンの中にはまだ散弾が残っているし、標的のブラドはまだあの爆炎の中で散弾を喰らいながら傷口を再生させている最中に違いない。だから手榴弾で身体を抉られた挙句、散弾を喰らい続けているブラドが反撃できるわけがない。

 

 

 

 けれども、すぐに後ろにジャンプしなければ危険だと思った。

 

 

 

 次の瞬間、何かが足元の床を抉って飛び出した。床を埋め尽くしていた書類やモニターの残骸に風穴を開けて飛び出したその物体は、幸い後ろへとジャンプしている最中の俺の目の前を掠めて天井へと伸びていったが、両手で持っていたAA-12がその先端部に串刺しにされる羽目になった。がつん、とエジェクション・ポートのすぐ近くを貫かれたAA-12が弾き飛ばされ、机の向こうへと飛んで行ってしまう。

 

 

 

「ぐ…………ッ!?」

 

 

 

「タクヤっ!」

 

 

 

 何だ、今の攻撃は…………!?

 

 

 

 念のため身体を外殻で覆ったまま後ろへと後退し、テルミットナイフとPL-14を引き抜く。

 

 

 

 ついさっき、ブラドの魔力が急激に膨れ上がっていた。おそらくその魔力を使って魔術を使ったか、何かを召喚したに違いない。

 

 

 

 唇を噛み締めながら目の前の床から突き出ていた物体を凝視した俺は、目を見開く羽目になった。

 

 

 

「―――――――槍?」

 

 

 

 いきなり床を突き破ってAA-12を吹っ飛ばし、我賭けの照明が連なっている天井を串刺しにしようとしているかのように伸びているその物体は――――――――漆黒の槍だった。

 

 

 

 古代文字が刻まされた漆黒の柄の先に、サバイバルナイフを彷彿とさせる形状の刀身が取り付けられた槍だ。傍から見れば単なる黒い槍にしか見えないかもしれないが――――――――槍にしては、柄が異様に長いのだ。

 

 

 

 床から突き出ている柄の部分だけでも5mはあるのではないだろうか。しかも床の中に埋まっている部分も含めれば、間違いなくそれ以上の長さになるだろう。

 

 

 

 人間が突き出す槍にしては長すぎるが、だからと言って巨漢やオークの兵士に持たせるにしては柄が細すぎる。まるで何本もの槍の柄の部分だけをこれでもかというほど繋げたかのように、この槍は長い。

 

 

 

 すると、その異様な槍が急に縮み始めた。複雑な模様が刻まれた柄の部分が凄まじい速さで縮んだかと思うと、そのまま床の穴へと槍の先端部が吸い込まれていく。

 

 

 

「タクヤ、あれは…………!?」

 

 

 

 槍が吸い込まれていった穴にPL-14を向けながら警戒していると、AK-12を構えていたナタリアがブラドのいる方向を指差しながら叫んだ。異様な槍を凝視している間にブラドを覆っていた爆炎や黒煙は消え失せてしまっていたらしく、先ほど2つの手榴弾が炸裂した場所には、漆黒のコートを身に纏ったブラドが佇んでいる。

 

 

 

 前世の世界で友人だった少年は、いつの間にか漆黒の柄と刀身を持つ槍を手にしていた。柄には古代文字がこれでもかというほど刻まれており、サバイバルナイフを彷彿とさせる刀身にはセレーションがある。この異世界の伝統的な武器と、俺たちの世界のナイフを組み合わせたような異質な槍だ。

 

 

 

 ブラドの足元にある穴を目にした瞬間、俺はぎょっとした。

 

 

 

 先ほど槍が飛び出してきた穴と大きさはほぼ同じなのではないだろうか。

 

 

 

 というか、あの槍は先ほど俺のAA-12を吹っ飛ばしやがった槍じゃないのか!?

 

 

 

「なっ…………!?」

 

 

 

 確かに外見は同じだが――――――――長さが全然違う。

 

 

 

 さっき攻撃された時は5m以上の長さがあったのに、無表情のまま傷口を再生させているブラドが右手に持っている槍は、明らかに1.2m程度しか長さがない。さっきの槍と比べると柄が明らかに短すぎるのだ。

 

 

 

 柄を切り離したのかと思ったが、あいつの足元にはあの槍の柄らしき部品は転がっていない。焦げた書類の山や粉砕されたモニターの破片が転がり、ちょっとしたクレーターを彩っているだけである。

 

 

 

「―――――――こいつは我が父から受け継いだ伝説の槍だ」

 

 

 

「伝説の槍…………!?」

 

 

 

 レリエル・クロフォードから受け継いだだと…………!?

 

 

 

 ブラドがそう言いながら槍を構えた瞬間、俺は無意識のうちに高を括っていた事に気付いた。ブラドはヴリシアの時よりも手強くなっていることは予測していたが、せいぜいレベルを上げてステータスを強化し、アンロックした強力な武器を用意している程度だろうと決めつけていたのである。

 

 

 

 しかし、ブラドはあのレリエル・クロフォードの息子だ。お互いの父親が相討ちになってこの世を去っているとはいえ、その前に父親から武器や技術を受け継いでいてもおかしくはないじゃないか。

 

 

 

 俺やラウラだって、転生者の狩り方やキメラの能力を受け継いでいるのだから。

 

 

 

 くそったれ、あいつは伝説の武器を受け継いでいたのか…………!

 

 

 

 ブラドがその槍を突き出した瞬間、漆黒の槍の先端部が4つに割れた。

 

 

 

「!?」

 

 

 

 違う、割れたんじゃなくて”枝分かれした”んだ…………!

 

 

 

 上下左右に枝分かれした槍の先端部たちは、直角に曲がりながら諜報指令室の中を這い回ったかと思うと、何の前触れもなく向きを変え、まるで標的をロックオンしたミサイルのように俺たちに襲い掛かってきやがった!

 

 

 

「避けろッ!!」

 

 

 

 咄嗟に右へとジャンプしつつ、俺に向かって飛んできた槍の先端部へと立て続けにPL-14の9mm弾をお見舞いする。幸いその槍の先端部は俺を狙っているだけらしく、そのまま突っ込んできてくれたおかげで弾丸を命中させるのは簡単だ。

 

 

 

 けれども先端部にある刃の切れ味が予想以上に凄まじいらしく、命中した9mm弾が、なんと火花を散らしながら両断されてしまう。すぐに迎撃は無意味だと判断しつつハンドガンの射撃を止め、まるで戦闘機を追尾する空対空ミサイルのように突進してきた槍の先端部を左にジャンプして回避する。

 

 

 

 外殻で防御するという手もあったけど、相手の槍の切れ味が未知数だから回避することにした。もし相手の槍の切れ味が外殻すら両断してしまうほどだったら、防御する意味はない。それに俺は賭け事をしない主義だから、可能な限りリスクの低い選択肢を選ぶようにしている。

 

 

 

 回避を選んだのは正解だったらしく、俺の胸板を貫くことができなかったブラドの槍は近くのモニターに突き刺さると、外で蹂躙されていた吸血鬼たちの映像を撃ち仕出していたモニターを粉砕して動きを止めた。

 

 

 

 ナタリアとイリナとノエルの3人も辛うじて回避に成功したらしい。多弾頭ミサイルのような槍の攻撃を仲間たちが躱したのを確認して安心した俺は、PL-14をブラドに向ける。

 

 

 

 あの伝説の槍が、ブラドの切り札なのだろうか。

 

 

 

 おそらくあの槍は、自由自在に先端部を分裂させたり、柄の長さを変えることができるのだろう。分裂させられる上限や柄を伸ばすことができる上限は不明だが、少なくともこのタンプル搭の諜報指令室よりも一回り小さいブレスト要塞の諜報指令室の中にいる以上は、あの槍の射程距離内だと考えるべきだ。

 

 

 

 銃を駆使すれば対抗できるかもしれないが、相手が切り札を出したのならばこっちも切り札で応戦した方がいいかもしれない。

 

 

 

 そう思いながら魔力の加圧を開始するが、この”切り札”は魔力の消耗があまりにも激しすぎる。もしブラドを倒せなければ、体内の魔力が枯渇して身動きが取れなくなってしまうのは想像に難くない。

 

 

 

 ならばこのまま4人でブラドを攻撃して持久戦を始めるべきだろう。それに、ノエルには触れた対象を強制的に自殺させる”自殺命令アポトーシス”がある。俺たちが囮になりながらノエルを接近させられれば、それで勝負はつく筈だ。

 

 

 

 ―――――――いや、この中で最年少のノエルにそんな危険なことをさせるわけにはいかない。

 

 

 

 リスクと苦痛は、俺が背負わなければならない。

 

 

 

 俺はテンプル騎士団の団長なのだから。

 

 

 

 右手のテルミットナイフを鞘の中に戻し、ダズル迷彩のような模様の外殻に覆われた右手を目の前に突き出す。身体の中に蓄積されている魔力を更に加圧し、その魔力を右腕に集中させていく。

 

 

 

 外殻の表面に青白い電撃と蒼い火の粉が姿を現し、右腕の表面を舞い始める。やがて右腕だけでなく身体の周囲にも電撃と蒼い火の粉が舞い始め、薄暗い諜報指令室の中をどんどん蒼い光で満たしていった。

 

 

 

 体内の魔力が急激に加圧され始めたせいなのか、頭から突き出ているキメラの角が伸びていく。転生者ハンターのコートにあるフードに開けてある穴から突き出た角の先端部も蒼い光を発し始める。

 

 

 

「やらせるかッ! ―――――――くっ!?」

 

 

 

 切り札を使おうとしていることを理解したブラドが再び槍を突き出そうとするが、彼が腕を突き出すよりも先に、ブラドの足元に再び安全ピンが引き抜かれた手榴弾が落下する。ぎょっとしたブラドは同じ轍を踏む前に左へと飛んで回避するが、回避したばかりのブラドへとノエルとナタリアがライフルのフルオート射撃をお見舞いして牽制し、あの槍の攻撃を阻止してくれていた。

 

 

 

 早く始めなさいよと言わんばかりにこっちをちらりと見るナタリア。空になったマガジンを交換するナタリアの顔を見て微笑んでから、右手に力を込めた。

 

 

 

 やがて、足元で蒼い光が産声を上げる。蒼い火の粉の塊にも見えるその猛烈な光がぐるぐると回転を始めたかと思うと、その蒼い光の塊の中から、剣の柄が引き抜けと言わんばかりにゆっくりと伸びてきた。

 

 

 

「久しぶりだな――――――――」

 

 

 

 ”22年前のネイリンゲン”で出会ったその得物の柄を外殻で覆われた怪物の右手で思い切り握りながら、蒼い光の中でニヤリと笑う。柄を握っている右腕に蓄積されていた高圧の魔力が急激にその剣へと吸収されたのを感知した身体が、高圧の魔力の生成を始める。

 

 

 

 まるでステラにキスされている時のように魔力が吸われていく感覚を感じながら、俺はその柄を蒼い光の中から思い切り引っ張った。

 

 

 

 パキンッ、とガラスが粉砕されたかのような音が諜報指令室に響き渡ると同時に、光の中から姿を現した蒼い剣の刀身があらわになる。

 

 

 

 蒼い光の中から現れた剣は、大昔のスコットランドの戦士たちが愛用したクレイモアのようにすらりとしていた。華奢な刀身の根元は紺色になっているけれど、先端部に行くにつれて、まるでサファイアのように透き通った明るい蒼へと変色している。綺麗な蒼のグラデーションで彩られたクレイモアをくるりと回してから、母さんから剣術を教わった時の事を思い出しつつ、切っ先をブラドへと向けた。

 

 

 

 この剣は、22年前のネイリンゲンへと攻め込んできた母さんの許婚ジョシュアから奪い取った『星剣スターライト』という伝説の剣だ。かつては闇属性の魔力によって汚染された禍々しい魔剣だったんだが、ジョシュアから奪い取った際にこの剣が突然変異を起こし、禍々しい剣から幻想的な蒼い剣に生まれ変わったのである。

 

 

 

「蒼い剣………!?」

 

 

 

「ジョシュアに感謝しないとな」

 

 

 

 あいつは母さんを魔剣の復活に利用していたクソ野郎だけど、こんなに素晴らしい剣をくれたのだから。

 

 

 

 ありがとね、ジョシュア君。

 

 

 

「―――――――続けるぞ、ブラド」

 

 

 

「ふん…………この槍で串刺しにして無残に殺してやる」

 

 

 

 面白そうじゃないか。

 

 

 

 俺もお前を無残に殺したかったんだ。俺たちの同志を何人も殺した挙句、ラウラの手足を奪ったメイドの主人なんだからな。

 

 

 

 責任は取ってもらうぞ、ブラド…………!

 

 

 

「―――――――ならば俺は、どんなに濃いモザイクでも修正しきれないくらい無残に殺してやろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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瀉血

 

 もしその情報が誤報だったのならば、こんなに怒り狂うことはなかった筈だ。

 

 

 

 若い頃から一緒に戦っていたし、彼女とは22年前にネイリンゲンで一戦交えたこともある。それに様々な激戦を一緒に経験したのだから、俺の妻の実力は熟知している。

 

 

 

 それゆえに、信じられなかった。

 

 

 

 氷属性の魔術を自由自在に操り、目の前の敵をことごとく氷漬けにしてきたエリス・ハヤカワが――――――――敵の戦車に片足を潰されて戦線を離脱したという情報は、誤報だと信じたかった。

 

 

 

 テントの中からは敵の弾丸に胸板を貫かれたり、敵の迫撃砲で手足を吹っ飛ばされた負傷兵たちの呻き声が響いていた。絶叫している兵士もいるし、傍らで治療している衛生兵の制服を必死につかみながら「殺してくれ」と連呼している兵士もいる。

 

 

 

 死亡してしまった兵士を担架で運んでいる衛生兵たちとすれ違い、テントの奥へと進んだ。

 

 

 

 傷だらけの兵士たちに包帯を巻いたり、ヒーリング・エリクサーを投与している衛生兵たちにぶつからないように気をつけながら奥へと進んでいくと、奥に用意されたベッドの周囲に数名の白い腕章をつけた衛生兵や治療魔術師ヒーラーが集まっているのが見えた。

 

 

 

 あそこにエリスがいませんように、と祈りながら、衛生兵たちに「通してくれ」と言いつつ前に進み、ベッドの上に横になっている負傷兵の顔を見下ろす。

 

 

 

 けれども、戦場の後方に用意されたテントの中でこのベッドに横になっている人物の顔を見た途端、俺はその情報が誤報ではないという事を理解する羽目になる。

 

 

 

 妻ではありませんようにという祈りも、それを理解すると同時に無駄になった。

 

 

 

 美しい空を彷彿とさせる蒼い髪には灰色の砂や血飛沫が付着していたけれど、汚れているというのにその髪の美しさは全く変わっていない。だが、その綺麗な蒼い前髪の下で俺を見つめてくる彼女の翡翠色の瞳は、一歳年下の夫に甘えようとするいつもの妻の瞳とは全然雰囲気が違う。

 

 

 

 見ないで、と言わんばかりにこっちを見上げるエリス。恐る恐る彼女の足を見た俺は、22年前に片足を失う羽目になった時に彼女たちが味わう羽目になった悲しみを理解する。

 

 

 

 きっとエミリアとエリスは、俺が自分で片足を切断した瞬間にこの悲しみを経験していたのだろう。

 

 

 

 エリスの右足の膝の辺りには、真っ白な包帯がこれでもかというほど巻き付けられていた。本来ならばその先にある筈の脛や爪先の部分は見当たらない。

 

 

 

 なくなってしまったのだ。

 

 

 

「足が…………」

 

 

 

 目を見開きながら、もう一度エリスの顔を見つめた。片足を失ってしまったことを知られたくなかったのか、彼女は悲しそうな表情を浮かべると、すぐに涙を指で拭い去ってから目を背けてしまう。

 

 

 

「新兵を庇って、敵の戦車に轢かれたそうです…………」

 

 

 

「…………そうか」

 

 

 

 新兵を庇ったのか、エリス。

 

 

 

 目を背け続けている彼女の顔に手を伸ばし、涙を指で拭い去る。いつも幸せそうに笑いながら甘えてくる彼女が涙を流すのは何年ぶりなのだろうか。

 

 

 

「幸いエリクサーのおかげで傷は塞がっています。すでに義足の手配は済んでありますので、この戦闘の後にすぐに移植できますよ」

 

 

 

「分かった…………。同志、妻を頼む」

 

 

 

 現時点では俺たちが優勢だ。ブレスト要塞に追い詰められている敵兵たちが包囲している部隊を打ち破り、逆に進撃してくる可能性は極めて低いだろう。しかし、だからと言ってずっとここに負傷兵を居させるわけにはいかない。もし敵の迫撃砲や要塞砲の流れ弾がテントに落下すれば、ここにいる負傷兵や貴重な衛生兵が全滅してしまう。

 

 

 

 敵兵を1人残らず殺せば流れ弾が飛んでくる可能性は無くなるが、いくらキメラでもすぐに敵を皆殺しにするのは不可能だ。

 

 

 

 それゆえに、復帰できる可能性の低い負傷兵は迅速に後方にあるタンプル搭の医務室へと移送されることになっていた。

 

 

 

 片足を失う羽目になったエリスも、移送される対象である。

 

 

 

 このまま彼女を見つめていたら俺まで泣いてしまいそうだった。大切な妻の片足が無くなってしまったのだから。

 

 

 

 普通の夫ならば悲しみながら、妻のために義足の用意をするだろう。戦場とは無縁なごく普通の夫婦ならばそれで終わりだ。けれども俺たちは傭兵である。戦場は傭兵たちの”職場”であり、慣れ親しんだ”隣人”のような存在なのだ。

 

 

 

 だから妻が片足を失ったことを悲しみながら終わらせてはならない。彼女の右足を奪った敵への復讐をする必要がある。

 

 

 

 俺はただの夫ではなく、世界最強の傭兵ギルドと言われたモリガンのリーダーなのだから。

 

 

 

「…………待って、リキヤくん」

 

 

 

 ダーリンではなく、リキヤくんと呼ばれるのはいつぶりだろうか。

 

 

 

 久しぶりに彼女に名前で呼ばれたことにびっくりしつつ、俺はベッドの上でこっちを見つめているエリスの方を振り返る。

 

 

 

「…………絶対帰ってきて」

 

 

 

 心配なのだろうか。

 

 

 

 エリスは俺までこの戦いで手足を失ったり、命を落としてしまうかもしれないと思って心配してくれているのだろうか。

 

 

 

 できるならこのまま再び踵を返し、ベッドの上で心配してくれている大切な妻を抱きしめてあげたかった。もし仮にここが戦場の真っ只中ではなく、医務室の中で2人きりだったのならば、彼女を抱きしめて安心させ、キスをしてから戦場へと向かっていた事だろう。

 

 

 

 けれども、今はそうするわけにはいかなかった。

 

 

 

 ブレスト要塞を攻撃している同志たちが、敵の猛攻で次々に負傷しているのだ。すでに最前線では南側の地雷原を突破したハーレム・ヘルファイターズと西側の地雷原を突破したテンプル騎士団の兵士たちが戦闘を開始しており、吸血鬼たちの殲滅を始めている。

 

 

 

 とはいえ、敵兵は死に物狂いで攻撃を続行している。俺も最前線に戻って敵を殲滅し、一刻も早く吸血鬼たちを撃滅する必要がある。

 

 

 

 それに、もう火はついてしまった。

 

 

 

 心の中で、妻の足を奪われた悲しみが燃え上がり、炎の中で憤怒へと変質していく。それがまるで蛹の中から飛び出し、羽化しようとする虫の成虫のように、悲しみが満たしていた心を内側から押し始める。

 

 

 

 だから、ベッドの傍らには戻らなかった。そのまま首を縦に振って微笑み、テントを後にする。

 

 

 

 古びた端末をポケットの中から取り出し、生産済みの装備の中からロシア製重機関銃のKord重機関銃を取り出す。12.7mmの連なるベルトをカバーの中にぶち込んでコッキングレバーを引き、射撃準備を終えたのを確認してから、今度は端末をタッチしてRPG-7を装備。予備の弾頭を腰のホルダーに下げてから、爆音や爆炎が産声を上げている戦場を睨みつける。

 

 

 

 メインアームはKord重機関銃とRPG-7。重機関銃は銀の12.7mm弾を使用する対吸血鬼型となっているし、RPG-7の弾頭も水銀を充填した水銀榴弾となっている。そのため戦車や装甲車への攻撃力は大きく低下しているが、その代わりに攻撃範囲が広くなっているため、歩兵の群れを一撃で殲滅することも可能だろう。それに装甲車の撃破は難しいものの、アクティブ防御システムやセンサーにダメージを与えることはできる筈だ。

 

 

 

 サイドアームにはオーストリア製大型リボルバーのプファイファー・ツェリスカを2丁装備しておく。

 

 

 

 どの装備も非常に重いが、身体を鍛えていただけではなく、転生者のステータスのおかげで重量は全く感じない。まるで小型のハンドガンを持ってるかのような軽さである。

 

 

 

「―――――――クソ野郎共は、俺が絶滅させる」

 

 

 

 あのクソ野郎共に存在価値はない。

 

 

 

 自分たちの種族を優先し、他の種族を虐げるようなクソ野郎を逃がすわけにはいかない。

 

 

 

 降伏してきても容赦なく殺してやる。包帯を身体中に巻いた負傷兵や若い兵士だろうと、全員惨殺してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼い斬撃が、迫り来る槍の先端部たちを薙ぎ払う。

 

 

 

 左から右へと薙ぎ払った剣を、前方へと踏み込みながら今度は左上へと振り上げる。俺から見て左上から急降下してきた槍の先端部が蒼い刀身によってあっさりと両断され、一瞬だけ火花を散らしながら床へと落下していく。

 

 

 

 迎撃するために放った銃弾すら両断したブラドの分裂した槍を易々と両断してしまう星剣スターライトの切れ味は凄まじいとしか言いようがないが――――――――この召喚した剣を装備している間は、凄まじい量の魔力を常に吸収されてしまうのだ。身体の中で生成された魔力をすぐさま加圧し、星剣スターライトの”燃料”にしているものの、いくらキメラとはいえ生成できる魔力の量には限界がある。

 

 

 

 魔力が減っていくと、疲労にも似た感覚が身体を襲うのだ。そのため魔力が減っていく度に汗をかく羽目になるし、息もどんどん上がっていく。しかもそのまま魔力を放出し続ければ死に至ってしまうため、このままスターライトを振るい続けていれば、身体中の魔力をこいつに吸収されて俺は死んでしまうだろう。

 

 

 

 だからこそ、急いでブラドをこいつで両断しなければならなかった。

 

 

 

 姿勢を低くして突っ走り、目の前にある机を踏み台にしてジャンプする。切断された槍の一部が再生して再び分裂し、またしても多弾頭ミサイルのようにジャンプ中の俺に向かって伸びてくる。

 

 

 

 あのブラドの槍は自由自在に伸ばせるだけでなく、あのように槍を分裂させて敵を集中攻撃する事が可能なのだ。しかも標的を追尾することもできるため、回避するのが非常に難しい。

 

 

 

 さらに切れ味まですさまじいため、銃弾で迎撃してもその銃弾が両断されてしまう。大口径の弾丸を刃ではなく柄の部分に命中させて軌道を変えようとしても、すぐにあの槍は軌道を修正して襲い掛かってくるだろう。

 

 

 

 厄介な装備を遺したな、レリエルさん。

 

 

 

 思い切りスターライトを振り下ろしつつ、柄を握っている右腕から流し込む魔力の量を一時的に増やす。燃料が増えて喜んでいるかのように刀身が蒼く輝き始めたかと思うと、振り下ろした刀身から蒼い光が剥離し――――――――蒼い光の斬撃へと変貌して、真正面へと飛翔していった。

 

 

 

 正面から襲い掛かってきた槍の一部を消滅させ、掠めた他の槍の先端部を融解させてしまう。けれども俺がこれをぶっ放したのは、襲い掛かってくる槍たちを消し去るためだけではない。

 

 

 

 その槍を操っている使い手を消さない限り、あの槍は俺たちに襲い掛かってくるのだから。

 

 

 

「!」

 

 

 

 ぎょっとしたブラドが、左手のコルトM1911A1を連射して牽制しつつ後退する。こっちに向かってぶっ放された.45ACP弾はことごとく斬撃の光に呑み込まれ、あっさりと融解していった。

 

 

 

 後ろへと思い切りジャンプしたブラドの右足の爪先を、蒼い斬撃の端が掠める。ブーツが微かに斬撃で切れたと思った次の瞬間、まるで油に火のついたマッチを放り込んだかのように、そのブーツの断面で蒼い炎が産声を上げ、ブラドの右足を包み込んだのである。

 

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

 

 燃え上がった炎がどんどん彼の肉を焼き、膝の上にも燃え移っていく。炎を消すよりも足を千切った方が早いと判断したらしく、着地したブラドは躊躇せずに自分の槍の先端部を太腿に押し当てると、歯を食いしばりながら自分の足を槍で串刺しにした。

 

 

 

 先端部が足の骨を両断する鈍い音が微かに聞こえたかと思うと、汗まみれになりながら槍を握っていたブラドが手を思い切り捻り、鮮血が吹き上がり始めた傷口をどんどん広げていく。断面の肉が再び再生するよりも先に足を切断することに成功した彼は、槍を杖代わりにして立ちながらこっちを睨みつけ、呼吸を整える。

 

 

 

「小癪な…………”浄化属性”の炎だと…………ッ!?」

 

 

 

 この星剣スターライトの炎は、普通の炎とは異なる。こいつの炎も俺の炎と同じく蒼いんだが、これは俺の魔力を吸収することでこの剣まで蒼い炎を使えるようになったというわけではない。この蒼い炎は、魔剣が変異を起こした星剣スターライトが操ることができる特殊な炎なのだ。

 

 

 

 正確に言うと、この炎は”炎属性”と”光属性”の2つの属性の魔力が混ざり合い、加圧されることによって生じる”浄化属性”と呼ばれる特殊な属性なのだ。ようするに2つの属性を持つ炎であり、大昔から悪霊や悪魔が最も恐れる属性であったと言われている。

 

 

 

 要するに、光属性が苦手な吸血鬼にとっては光属性以上に強力な属性ってことだ。

 

 

 

 元々は大天使がレリエルを討伐するために装備した伝説の剣だったのだから、光属性の魔力が残っていてもおかしくはないだろう。

 

 

 

 ブラドの足が再生を始めるが、再生速度は今までよりも明らかに遅くなっているのが分かる。弱点の銀の弾丸を撃ち込まれても本当に弱点なのかと思ってしまうほど素早く傷が再生していたというのに、浄化属性の炎で侵食されたせいなのか、自分で切断した足の再生は非常に遅くなっていた。

 

 

 

 ゆっくりと伸びていく筋肉繊維の束が本来の形に戻っていく前に、後方にいるナタリアとノエルがAK-12とVSSのフルオート射撃で追撃する。片方の足を再生させているせいで機動力が一気に落ちているブラドが、その容赦のない弾幕を回避できるわけがなかった。

 

 

 

 レリエルから受け継いだ槍を一気に分裂させ、迫り来る弾丸の群れを迎撃しようとするブラド。信じられないことに、分裂した槍たちはまるでイージス艦から放たれた対空ミサイルのように正確に弾丸を両断し、弾き飛ばして迎撃していく。

 

 

 

 しかし、いくら伝説の槍でも2丁の現代兵器から放たれる弾丸の群れを全て迎撃することはできなかったらしい。

 

 

 

 槍を突き出しながら魔力を放出していたブラドの身体が、9mm弾に貫かれて揺れる。鮮血が吹き上がったブラドの身体に容赦なく7.62mm弾の群れが突き刺さり、胸板をズタズタにしていった。槍を操って弾丸の迎撃を継続するブラドだったが、無数の弾丸を切り裂くために飛び交う槍たちの間をすり抜けてきたやけにでっかい弾丸が、ブラドに肉薄する。

 

 

 

 いや、あれは弾丸じゃない。

 

 

 

 ―――――――砲弾グレネード弾だ。

 

 

 

「―――――――!」

 

 

 

 イリナのAK-12/76にぶら下げられたグレネードランチャーから解き放たれた、水銀榴弾である。

 

 

 

 ナタリアとノエルはあの弾幕で追撃するつもりだったらしいが、イリナはどうやらことごとく弾丸を弾いていくあの槍の群れの軌道を予測し、迎撃が間に合わないタイミングでグレネードランチャーをぶっ放したようだ。

 

 

 

 恐るべき弾速の弾丸を弾き飛ばす槍の群れの隙間を堂々と通過したグレネード弾が、ブラドの腹にめり込んだ。7.62mm弾や9mm弾に貫かれた傷口を瞬時に再生させていたブラドでも、その弾丸たちよりもでかい砲弾に耐えられるわけがない。

 

 

 

 彼のみぞおちにめり込んだグレネード弾が炸裂し、ブラドの内臓や肋骨を一気に吹っ飛ばす。炸薬の爆発で押し出された水銀たちが斬撃と化し、心臓や胸骨をズタズタに切り裂いた直後、ブラドの上半身が爆炎と水銀の奔流で木っ端微塵にされた。

 

 

 

「命中!」

 

 

 

「う、嘘でしょ…………ッ!?」

 

 

 

「狙いが正確過ぎですよ、イリナ大尉…………!」

 

 

 

「ふふふふっ。グレネードランチャーを愛していれば百発百中なのさっ♪」

 

 

 

 グレネードランチャーの再装填リロードを終えたイリナが胸を張りながら微笑む。その際に揺れた大きな胸を羨ましそうに見つめていたノエルは、すぐに自分の小さな胸を見下ろしてから悔しそうな表情をすると、歯を食いしばりながらイリナの胸を睨みつけた。

 

 

 

 安心しろって。ミラさんも大人になる前は貧乳だったらしいから。

 

 

 

 ノエルにそう言いたかったけど、爆炎の中で闇属性の魔力が再び膨れ上がったのを感じた瞬間、俺は咄嗟に爆炎の中へとPL-14を向けてトリガーを引いた。

 

 

 

 ブローバックするスライドから小さな薬莢が飛び出し、銃口から銀の9mm弾が躍り出る。

 

 

 

 命中しただろうかと思った次の瞬間、爆炎に風穴が開いた。

 

 

 

 ぎょっとして回避しようとしたけれど、身体が傾き始めたと思った直後、ドスッ、と胸板に何かが突き刺さった音がした。衝撃を感じた直後に激痛が胸板の中で産声を上げ、傷口から噴き上がった鮮血が手に持っていた蒼い星剣を赤く染める。

 

 

 

「―――――――え?」

 

 

 

「た…………タクヤッ!?」

 

 

 

 ―――――――爆炎の中から伸びていたのは、複雑な古代文字が刻み込まれた漆黒の槍だった。

 

 

 

 ブラドの槍である。

 

 

 

「ガハッ………!」

 

 

 

「油断したな、クソキメラめ」

 

 

 

 くそったれ…………!

 

 

 

 ブラドの弾丸を弾くために胸板や腹の辺りは外殻で覆っていた筈だ。どうやらあの槍は、本当にキメラの外殻すら貫通してしまう喉の切れ味を誇るらしい。

 

 

 

 こっちの外殻は30mm弾や40mm弾にも耐えられる上に、粘着榴弾でもそれほどダメージを与えられないほどの防御力があるんだぞ………ッ!?

 

 

 

 ゆっくりと槍を引き抜いたブラドが、自分の頭を再生させながら嗤う。しっかりと皮膚で覆われているのは下顎から下だけで、上顎から上はまだ筋肉繊維や眼球が剥き出しの状態だった。けれどもすぐに再生した皮膚が筋肉繊維を包み込み、元の状態に戻してしまう。

 

 

 

 でも、外殻のおかげで肺まで貫かれたわけではないらしい。外殻はこのまま硬化を維持していた方が良さそうだ。

 

 

 

 そう思いながら大慌てでエリクサーを飲み込み、PL-14を構える。

 

 

 

 しかし、アイアンサイトの向こうのブラドを睨みつけながら、俺は違和感を感じていた。

 

 

 

 ―――――――胸板を襲っている激痛が、消えないのである。

 

 

 

「………!?」

 

 

 

 ちらりと胸板を見下ろしてみる。エリクサーを一口飲めばどんな傷でも数秒で塞がってしまう筈だ。さすがに切断された手足を生やすことはできないが、断面を塞いで出血を数秒で止めることができる便利なアイテムであるため、冒険者や騎士たちに重宝されている。

 

 

 

 彼らの生存率を爆発的に向上させた画期的なアイテムなのだが、どうやら俺の傷は未だに塞がっていないらしい。

 

 

 

 そう、傷が塞がっていないのだ。

 

 

 

 普段ならばとっくに傷が塞がっていてもおかしくはないのに、全く傷が塞がらない。

 

 

 

「なっ………!?」

 

 

 

 なぜ傷口が塞がらないのだろうかと思ったが、大昔に図鑑で読んだ吸血鬼に関する情報のおかげで、すぐに仮説を立てることができた。

 

 

 

 吸血鬼の体内には高濃度の闇属性の魔力がある。個人差はあるものの、強力な吸血鬼であるほど闇属性の濃度は濃くなっており、それを纏った攻撃を受ければ、傷口に入り込んだ闇属性の魔力による汚染の影響でヒールや回復アイテムによる治療が阻害されることがあるという。

 

 

 

 おそらく、原因はその闇属性の魔力だろう。レリエルから受け継いだ伝説の槍という事は、長い間伝説の吸血鬼の魔力を吸い続けて完全に汚染されていてもおかしくはない。それを突き刺されれば、回復アイテムによる治療の”阻害”どころか、回復アイテムや治療を”無効化”してしまうに違いない。

 

 

 

 つまり、俺の体内にはブラドの汚染された魔力が残っているってことか…………!

 

 

 

 出血が全く止まらない。くそ、このままでは出血のせいで死んでしまうかもしれない。

 

 

 

 いっそのこと傷口を炎で焼いて強引に塞ごうかと思ったが――――――――その考えをすぐに却下した俺は、息を吐きながらブラドを見つめた。

 

 

 

 回復できないことに気付いて絶望するのを見守るつもりだったのか、ブラドもこっちを見つめている。

 

 

 

 確かに恐ろしい能力だが、その原因が体内の高濃度の闇属性の魔力ならば、それを除去すればいい。下手したら死亡する恐れもあるが、そうしなければ傷口は塞がらない。

 

 

 

 星剣スターライトを床に突き立てた俺は、ブラドを睨みつけながら――――――――思い切り魔力を放出し始めた。

 

 

 

「!?」

 

 

 

 加圧されていた魔力が体外へと飛び出していく。蒼い火の粉と化した炎属性の魔力やスパークにも似た雷属性の魔力が、まるで傷口から噴き出す鮮血のように噴き上がる。

 

 

 

 体内に汚染された魔力が残っているのならば、勿体ないが、自分の魔力ごとそれを放出してしまえばいいのだ。

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……………………!」

 

 

 

 もう一口エリクサーを飲み、傷口が塞がり始めたことを確認する。汚染された魔力を放出する事には成功したらしい。

 

 

 

 これ以上放出を続ければ剣に供給する魔力燃料を使い果たしてしまうので、俺はすぐに放出を止めた。猛烈な疲労を感じながら呼吸を整え、残っている魔力の加圧を継続しつつ、床から引き抜いた星剣スターライトの切っ先をブラドへと向けた。

 

 

 

「―――――――瀉血しゃけつって知ってるか?」

 

 

 

「ほう、体内の魔力を放出したのか」

 

 

 

 魔力を一気に失うことになるが、こうすれば汚染された魔力を除去できるからな。

 

 

 

 こうすれば回復は可能になるが、その度に魔力を放出する羽目になる。できるならばあの槍の攻撃は回避するべきだろう。

 

 

 

 魔力が尽きる前に決着をつけようと思った俺は、幼少の頃に母さんから教わったラトーニウス式の剣術を思い出しながら、槍を構えたブラドに向かって突っ走っていった。

 

 

 

 



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ブラドの執念

 

 右肩のすぐ近くを、漆黒の槍たちが駆け抜けていく。ほんの少しばかり肩の肉を刃で切り裂かれたのか、刃が掠めた直後にちょっとした痛みが右肩の表面で産声を上げた。

 

 切り裂かれた傷口から噴き出す鮮血を置き去りにしながら、ブラドに向けて突っ走る。サファイアを思わせる蒼い刀身が、蒼い軌跡を薄暗い諜報指令室の中に刻み付けながら振るわれる度に、まるで多弾頭ミサイルのように迫り来る槍の先端部が両断され、紫色の光に変貌して消えていく。

 

 あの槍を分裂させられる数に上限はないのだろうか。

 

 星剣スターライトを思い切り右上へと振り上げ、接近してきた槍を3本ほど両断しながらそう思った。

 

 この剣を使っている間は常に魔力を吸収されてしまう以上、最も弱いのは持久戦である。もし仮にあの槍が分裂できる数に上限が無いのであれば、このまま後ろに逃げ回りながらこちらの魔力が尽きるのを待っていればブラドが勝利するだろう。あいつがこの剣に魔力を吸収され続けるという事を見抜いていれば間違いなく持久戦を始める筈だ。まだ見抜かれているとは思えないが、もし持久戦が始まれば確実に勝ち目はなくなる。

 

 というか、あの槍を使うのに魔力を消費しないのだろうか?

 

 後ろへとジャンプしつつ槍を突き出し、早くもあの黒い槍を分裂させるブラドにPL-14の9mm弾を放ち、牽制しつつ槍を睨みつける。

 

 もしあの槍がクロフォード系に伝わる単なる槍であったのならば、使い手に必要なのはその槍を使いこなす技術だけで済むはずである。けれどもあの槍は、自由自在に伸ばすことができる上に、先端部を分裂させて相手を追尾させ、様々な方向から串刺しにできるというかなり特異な槍だ。あのような特異な武器を使いこなすには、技術だけでなく魔力も必要になる。

 

 持久戦を避けるべきなのは、俺だけではないのだ。

 

 俺よりも魔力の量が勝っているか、魔力を消費する量がこのスターライトよりも少ないのであれば持久戦も有効だが、少なくともブラドはそれをまだ見抜いていないに違いない。

 

 思い切り踏み込みつつ体重を前方へと移動させ、右腕でスターライトを目の前へと振り下ろす。蒼い軌跡を刻み付けながら落下した蒼い刀身が接近してきた槍の群れに襲い掛かり、あっという間に両断してしまう。そのまま剣を置き去りにするかのように一歩前に前進しつつ、身体をぐるりと反時計回りに回転させる。諜報指令室の床に食い込んだ蒼い刀身が回転する身体と共に動き、床に巨大な傷を描きながら左へと薙ぎ払われた。

 

 刀身から微かに剥離した蒼い浄化属性の光が、両断されて崩壊していく槍たちの向こうから現れた第二波を呑み込む。振り払われた刀身から生まれた蒼い斬撃に突っ込む羽目になった槍たちが一瞬で消滅し、蒼い炎に包まれながら崩れていく。

 

 振り払ったばかりの右腕の下からPL-14を手にした左手を突き出し、連続でトリガーを引く。強力な斬撃の後に銃撃されるのは予想外だったらしく、3発放った弾丸のうちの2発がブラドの胸板を食い破った。

 

 そろそろPL-14のマガジンも空になるだろうと思いつつ、自分の魔力の残量を確認する。魔力がまだ生成されているおかげで思ったよりも魔力は減っていないが、この生成の速度が落ちて行けば、最終的に体内の魔力は枯渇するだろう。

 

 魔力がなくなれば星剣も消滅するし、ブラドに勝利することもできなくなる。それどころか、ステラに思い切り魔力を吸われた後のように一歩も動けなくなってしまうに違いない。

 

 歯を食いしばりつつ、ちらりと仲間たちの方を確認する。俺を巻き込まないように援護射撃を中断している仲間たちが移動しつつ、銃口をブラドの方へと向けているのが見える。さすがにイリナの得物をぶっ放せば俺まで巻き込むことになるからなのか、イリナが発砲する様子はない。

 

 そういえば、ノエルはどこに行った?

 

 可愛らしい妹分がいつの間にかいなくなっていることに気付いた俺は、ぎょっとしていることをブラドに悟られないように細心の注意を払いつつ、ブラドの槍の動きを見るふりをして諜報指令室の中を可能な限り見渡す。諜報指令室の中は薄暗いため、常人が相手ならば遮蔽物に隠れつつ容易に接近できるだろう。

 

 敵が人間ならばこの暗闇を有効活用できるが、相手は人間よりも五感が鋭い吸血鬼だ。足音や気配を消しても察知してしまうだろうし、暗さも暗視スコープが必要にならない程度の暗さでしかない。幸い周囲にはオペレーター用の大きな机やモニターが並んでいるため、その陰に隠れることはできるだろう。しかしその遮蔽物だけで吸血鬼の五感を掻い潜るのは不可能に違いない。

 

 そう思いながらブラドの槍を弾いていたのだが――――――――きらりと天井で銀色に光った何かを目にした瞬間、俺はノエルの作戦を理解した。

 

 彼女もキメラの1人だ。それに、彼女に暗殺を教えたのは最強の傭兵ギルドが誇る暗殺者(ミラさん)だ。

 

 ノエルに頼るつもりはなかったのだが、彼女の手を借りなければブラドを撃破するのは難しい。素直に彼女の手を借りるべきだろう。

 

 それに、ノエルのキメラ・アビリティは3人の”第二世代のキメラ”の中では間違いなく最も強力だろう。触れた相手に”死ね”と命令するだけで、彼女に命令された相手は自分が確実に死ねる方法を使って自殺してしまうのだから。

 

 実際に、ヴリシアではブラドがそれで一度死亡する羽目になっており、第二世代型の転生者にはたった一度しかドロップすることのない貴重な”蘇生アイテム”を使ってしまっているのである。それゆえに、もしここでまたノエルに身体を触られながら命令されれば、この諜報指令室でブラドは今度こそ自殺する羽目になるだろう。

 

 けれどもブラドはノエルを警戒している筈だ。自分を一度殺した相手なのだから。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 一気に攻めて俺が囮になるしかない。

 

 ノエルの得意とするのはあくまでも暗殺だ。敵の大軍の真っ只中に潜入して標的を暗殺することに特化した訓練を受けているため、真っ向からの戦いはそれほど得意ではないのである。

 

 だから、俺が一気に攻めて囮にならなければならない。魔力を温存しようと思っていたが、そんなことをしていたらノエルが返り討ちに遭ってしまうかもしれない。それにブラドたちも連合軍に包囲されている状況なのだから、持久戦よりも短期決戦を望んでいる筈だ。

 

 息を吐きながら身体の力を抜きつつ、左手のPL-14をホルスターの中へと戻す。そして空いた左手で星剣スターライトの柄をそっと握り――――――――体内の雷属性の魔力を、暴発寸前まで加圧する。

 

 皮膚を突き破ろうとしているのではないかと思ってしまうほど、加圧された雷属性の魔力が体内で荒れ狂う。内臓や筋肉繊維に荒々しく激突しながら暴れ回ってから、一部を除いて星剣へと吸収されていった。

 

 吸収を免れた一部の魔力を身体中の神経へと分散させてから、そっと目を開いてブラドを睨みつける。

 

 俺の本職は狙撃だが、白兵戦も得意分野の1つだ。スピードではラウラの方が上だけれど、外殻の防御力と反射速度の速さをフル活用すれば遠距離戦だけでなく近距離戦でも真価を発揮することはできるのである。

 

 しかし、反射速度が速過ぎるせいで、”身体を動かしているつもりなのに身体が遅れて動く”ことがよくあるのである。身体の動きよりも反射速度の方が勝っているため、タイムラグが発生しているのだ。

 

 そこで、雷属性の魔力を活用してこのタイムラグを一時的に消すことにした。

 

 身体中の神経へと伝達される電気信号の速度を雷属性の魔力で底上げすることで、身体の動く速さを反射速度に追いつかせるのだ。そうすれば予測通りの速さで身体も動いてくれるため、接近戦で猛威を振るうことができる。

 

 けれどもこれはケーブルに想定以上の電流を流すような荒業だ。長時間この技を使うと体内の神経が魔力によって破壊されてしまう恐れがあるため、2分程度しか使うことができない。

 

 でも、短時間でいい。

 

 その間に決着をつけてやる…………!

 

 身体の表面にスパークが生じる。バチッ、と音を立てながら煌くスパークたちが諜報司令部の中を照らし出した。

 

 ゆっくりと切っ先を床へと下げ、前傾姿勢になりつつ腰を落とす。左足を前に出しながら右足のかかとを上げて前に突進する準備をしつつ、これから斬りかかる標的(ブラド)に狙いを定める。

 

「ラトーニウス式の……………剣術だと…………!?」

 

 そう、この構え方はラトーニウス式の剣術の構え方だ。

 

 幼少の頃に母さんから教わった、ラトーニウス式の剣術である。

 

 ラトーニウス王国はオルトバルカ王国よりも国土が小さい上に魔術でも遅れており、騎士団にはほとんど魔術師がいない状態だ。そのため大半は弓矢や剣を使って戦う騎士で構成されているため、魔物の討伐では大きな被害が出ていたという。

 

 エリスさんのように優秀な魔術師はいたものの、そのような人材はかなり貴重な存在であるため、すぐに王都の方へと引き抜かれて抑止力やプロパガンダに使われていたため、騎士たちがどれだけ魔術の素質がある逸材をスカウトしてきても全く意味はなかったらしい。

 

 そこで前線で戦う騎士たちは、剣術を駆使した白兵戦で攻撃力を底上げしようと考えた。支援は弓矢を装備した支援部隊に依存し、敵に肉薄して切り刻む事だけに特化した突撃部隊で猛攻を仕掛け、敵を殲滅しようとしたのである。

 

 それゆえに、ラトーニウス王国は魔術では発展途上国だったが、剣術ならばオルトバルカ王国よりも先進国となったのだ。

 

 俺が母から教わったのは、そのラトーニウス式の攻撃的な剣術である。

 

 フル活用するのは、スピードと瞬発力。加速する事さえできれば腕力は要らない。腕はあくまでも、剣の軌道を調節するための装置に過ぎないのだから。

 

 剣よりもナイフの方が得意なんだが、母から剣術を習っていてよかったと思いつつ、俺は瞬発力をフル活用して駆け出す。

 

 床に触れている切っ先が傷を刻み付けつつ、火花を散らし始める。まるで鉄板の表面を削っているかのような甲高い音を奏でながら、俺の右隣の床に蒼い線が刻まれていく。

 

「そんな時代遅れの剣術でッ!!」

 

 叫びながら、ブラドが槍の柄の後端を床に突き立て、先端部を部屋の天井へと向けながら魔力を放出する。濁った闇属性の魔力の濃度が一瞬だけ上がったかと思うと、まるで巨大な幹から無数の木の枝が伸びていくかのように、天空へと向けられたブラドの槍が伸びながら無数の()を生み出した。

 

 直角に曲がりながら部屋の中を這い回っていた50本以上の枝のような槍たちが、一斉にこっちへと降り注いでくる。

 

 さすがに弾速は銃よりもはるかに遅いが、あの一つ一つの槍が標的を追尾するようになっている。あの中に飛び込めば、瞬く間に串刺しにされてしまうだろう。

 

 それでも、そのまま突っ走り続ける。

 

 走りながら剣を左上へと振り上げて槍を両断し、そのままスターライトをやや下げてから右へと思い切り薙ぎ払う。まとめて弾き飛ばされた槍たちを一瞥しながらそのまま突撃し、床に剣の切っ先を擦りつけながら刀身を振り上げる。

 

 身体の速度が反応速度に追いついてくれたおかげで、何とかこの猛攻を見切ることはできていた。殺到してくる槍の群れたちの軌道を予測しつつ剣を振るう度に槍の数は減っているものの、俺の体内の魔力もどんどん減っている。

 

 電気信号の伝達速度を底上げするために魔力を使っているのだから、消費するも増加しているのだ。

 

 確かに、銃を使うことができるのに、いくら伝説の剣とはいえその剣を使って戦うのは時代遅れとしか言いようがないかもしれない。俺たちの世界では剣はほぼ完全に廃れてしまっており、戦争の主役は銃弾を連射できるアサルトライフルなのだから。

 

 けれども―――――――時代遅れとレッテルを貼っているから、前回の戦いで惨敗するんだ。

 

 時代遅れの戦い方かもしれないが、その技術はいつまでも現役なのだから。

 

 切っ先を床に擦りつけるのを止め、小さくジャンプしつつ空中で時計回りに縦に回転。ぐるりと一回転しつつ思い切り剣を床に叩きつけ、衝撃波と蒼い光の爆発で迫り来る槍たちを一気に消滅させる。蒼い光に押し出された床の破片を一瞬だけ踏みつけてさらにジャンプし、空中で切っ先をブラドへと向け、そのまま急降下爆撃機のように急降下していく。

 

 悪魔のサイレンは用意できないが、こいつで串刺しにしてやる。

 

 しかし、俺が空中へと逃げた事を知った槍たちが即座に対空砲火のようにこっちへと進路を変え、まるで電子機器の中に入っている細かい配線を思わせる模様を空中に描きながら、俺へと襲い掛かってきた。

 

 外殻を貫通するほどの切れ味の槍だから、防ぐわけにはいかない。けれども空中でこの槍たちを弾き返すには限界がある。

 

 ブラドは勝ったと思っているのか、槍に魔力を注入したままこっちを見上げていた。

 

 ―――――――よし、”射線上”には入ってるな。

 

 罠にかかったことを知った俺は、急降下しながら嗤う。

 

 伝達速度の強化を解除しつつ、星剣スターライトに魔力を注入したまま降下していく。後は強烈な一撃をプレゼントしてあげるだけでいいのだから、無駄な魔力を使う必要はないだろう。

 

 ブラドへと向けられている蒼い刀身の切っ先に、蒼い魔法陣が出現する。高速回転しながらその魔法陣が刀身を包み込んだかと思うと、次々に同じサイズの魔法陣が姿を現し、まるで土星の輪のように刀身の周囲をぐるぐると回り始めた。

 

 魔法陣の回転速度が上がっていくにつれて、サファイアのように蒼い刀身がどんどん蒼い輝きを放ち始める。

 

 この一撃をぶっ放せば星剣の役割は終わりなのだから、これでもかというほど魔力をプレゼントしてあげよう。とはいえその後に立てなくなったらとんでもないことになるので、すぐに動けるように魔力は残しておくつもりだが。

 

 暴発寸前まで加圧された魔力が流れ込んだことによって、更に光が強烈になっていく。このままでは超高圧の魔力が刀身を突き破ってしまうのではないかと思ってしまうほどの光を浴びながら――――――――貯めた魔力を、ブラドへと向けて解き放った。

 

「―――――――蒼星奔流(スターバースト)ぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 まるで膨れ上がった魔力に突き破られたかのように、刀身の周囲で高速回転していた魔法陣たちが立て続けに割れる。

 

 最後の魔法陣が崩壊した直後、刀身の中に封じ込められていた超高圧の魔力たちが解き放たれ、蒼い奔流を形成した。濃密な蒼い閃光がクレイモアにも似た蒼い剣の刀身から迸ったかと思うと、俺に向かって接近していた槍たちがその閃光に触れるよりも先に蒼い炎を発して燃え上がり、あっという間に消失してその閃光に道を譲ってしまう。

 

 スパークと火の粉を引き連れながらあっさりと槍たちを退けた閃光の”終着点”は、その槍たちではない。その槍たちを操っていたブラドである。

 

「ッ!」

 

 大慌てでブラドは床から槍を引っこ抜き、ジャンプして閃光を回避しようとする。

 

 そのままならブラドは閃光を飛び越えることに成功していた事だろう。掠めた際に少しばかり身体が燃えることになったかもしれないが、掠めた程度ならばまだ再生能力は機能するのだから。

 

 しかし、真横から飛来した1発の7.62mm弾が、ブラドの動きを狂わせた。

 

「がっ――――――――」

 

 ナタリアのセミオート射撃が、ジャンプしたばかりのブラドの腰へと命中したのである。

 

 骨盤を圧倒的なストッピングパワーと殺傷力で粉砕した7.62mm弾が、ブラドにダメージを与えつつジャンプした軌道を変えてしまう。閃光の射線上にブラドを叩き落すことはできなかったが―――――――完全に可否することは、不可能であった。

 

 蒼い閃光がブラドの片足を包み込む。あっという間に彼の左足の肉が溶けて消え去り、骨も猛烈な光の奔流の中で崩壊し、消滅していく。断面から蒼い炎が産声を上げたかと思うと、まるでブラドの身体を侵食しようとしているかのように彼の太腿へと燃え移っていった。

 

 閃光はそのまま床へと突き刺さって大穴を開けてしまったが、それを避けることができなかったブラドはまたしても左足を失う羽目になったのである。

 

 くそったれ、あの一撃をぶっ放すために魔力を90%も使っちまった……………!

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………! く、くそ、足がぁッ…………!ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「はぁっ、はぁっ……………ラウラの仇だ、クソ野郎……………」

 

 床の上に着地して呼吸を整えながら、ニヤリと笑う。

 

「こ、この野郎………ッ!」

 

 槍を杖代わりにしながら立っていたブラドが、左手に持っていたコルトM1911A1をこっちへと向ける。

 

 魔力を放出したせいで光が消えつつある星剣を杖代わりにしたまま、俺もホルスターからPL-14を引き抜いてブラドへと向ける。確かまだマガジンの中には弾丸が残っていた筈だと思いながら、アメリカで生まれたハンドガンの最高傑作を構えるブラドへと、ロシアの最新型のハンドガンの銃口を向けた。

 

 けれども、俺がトリガーを引く必要はないだろう。

 

 ―――――――”囮”になる事はできたのだから。

 

「―――――――こんばんわ、吸血鬼(ヴァンパイア)」

 

「!?」

 

 そう、モリガンの傭兵たちに鍛え上げられた暗殺者が、ブラドに忍び寄っていたのだ。

 

 ジョロウグモを彷彿とさせる複雑でグロテスクな模様の外殻を纏ったノエルの手が、ブラドの肩を掴む。

 

 さっきの大技は、あの一撃でブラドと決着をつけるつもりだと思い込ませるための囮だったのだ。わざとらしく剣の切っ先を床に擦りつけて火花を散らしながら、珍しいラトーニウス式の剣術の構え方のまま突撃したのは、自殺命令(アポトーシス)を使ってブラドの暗殺を実行しようとしているノエルから注意を逸らすためだったのである。

 

 俺は紳士的な男になれって言われながら育ったけどさ、親父みたいに正々堂々と戦うつもりはないんだ。

 

 前世の頃に一緒に学校生活を経験してるから分かるだろ、ブラド。

 

 ―――――――俺が狡猾な卑怯者だって事を。

 

 顔を上げながら、嗤う。

 

 しかし、ブラドはノエルが命令するよりも先に、彼女の手を掴んで強引に引き剥がしていた。

 

「!」

 

「しまった…………!」

 

 ノエルの自殺命令(アポトーシス)は、相手に触れていなければ意味がない。

 

 だから相手が触れている場合でも問題はないのだが、ノエルはブラドが即座にノエルの腕を掴んできたことにびっくりしてしまったらしく、チャンスを逃してしまったのだ。

 

「またお前か、蜘蛛野郎ッ!」

 

「ぐっ…………!」

 

 すぐにノエルの手を振り払ったブラドが、ノエルの眉間にコルトM1911A1の銃口を向ける。自殺命令(アポトーシス)を使うのは無理だと判断したノエルが暗殺を断念し、そのまま後ろへと下がろうとする。

 

 ノエルの外殻も堅牢だが、サラマンダーの外殻ほど分厚くはない。そのため、徹甲弾や炸薬の量を増やしてある強装弾ならば、彼女の外殻は貫通されてしまう恐れがあるのである。

 

 さすがに.45ACP弾での貫通は難しいかもしれないが、被弾すれば俺よりもダメージを受けることになるだろう。

 

 けれども俺は、助けようとしなかった。

 

 魔力が減ったせいで動けなかったわけではない。

 

 これも作戦通りだったのだから。

 

「―――――――槍、掴んだわよ」

 

「なっ…………!」

 

 ブラドがノエルに発砲しようとしている間に忍び寄った少女が、凛とした声でブラドに告げる。漆黒の制服に身を包んだその少女は、先ほどブラドの骨盤を銀の弾丸で粉砕した張本人であった。

 

 紫色の瞳でブラドを睨みつけているのは、右手にAK-12を持ったナタリアだった。特殊な黒い手袋をはめた左手でブラドの持つ漆黒の槍を掴んでいる彼女は、その手袋へと魔力を注入し始める。

 

 一見するとやや薄めの手袋にしか見えないが、ナタリアの父親が愛娘のために遺した特別製の手袋が、ついに真価を発揮する。

 

 ぱきっ、と奇妙な音が奏でられたと同時に、薄暗い諜報指令室の中で、唐突に黄金の光が産声を上げたのである。すぐ近くでその光を浴びる羽目になったブラドは違和感を感じたらしく、その光を発しているナタリアの左手を睨みつけた。

 

「―――――――!?」

 

 ブラドが持っていた槍は、漆黒の槍だった筈だ。複雑な模様が描かれた長い柄と刃も真っ黒であり、それ以外の色で彩られている部位などどこにも無い筈だった。

 

 しかし、ナタリアの手に掴まれている場所の周囲の部位が――――――――黄金で彩られていたのである。

 

 変色した槍の柄がどんどん黒い部分を侵食していき、刃や槍を握っているブラドの右手まで黄金に変えていく。

 

 ナタリアが左手にはめている手袋は、優秀な錬金術師であり、メサイアの天秤を作り上げたヴィクター・フランケンシュタイン氏の助手の子孫であるロイ・ブラスベルグ氏が愛娘のために錬金術を駆使して作り上げた、『ミダス王の左手』と呼ばれる特別な手袋であった。

 

 対象に触れた状態で魔力を流し込むと、その対象を黄金の塊に変えてしまうことができるという代物である。下手をすれば自滅する危険性もあるものの、再生能力を持つ敵も黄金に変えてしまえば殺してしまうことができるため、ノエルと同じく相手に触れる事さえできれば再生能力を無視して相手を消すことができるのだ。

 

 簡単に言えば、”ゴージャスな石化”のようなものである。

 

「黄金になりなさい。そっちの方がお似合いよ」

 

「こ、この…………ッ!」

 

 二段構えだと思ったか? 

 

 残念だけど、三段構えだったんだよ、ブラド。

 

 そのままブラドが黄金に変わっていくのを眺めようと思ったんだが――――――――ブラドの執念は、予想以上だった。

 

 左手に持っているコルトM1911A1を黄金に変わっていく自分の右手の手首に向けたかと思うと、躊躇わずにそのまま何度も引き金を引き始めたのである。スライドが立て続けにブローバックし、マガジンに残っていた.45ACP弾が彼の手首に風穴を穿つ。

 

 手首の骨と肉が弾丸に引き裂かれたのを確認したブラドは、肉が再生するよりも先に思い切り右手を引っ張り始めた。ぶちっ、と肉が千切れる音が響き、切断された血管から噴き出た鮮血が、すぐ近くにいたナタリアの顔を赤く染める。

 

「自分の手を…………ッ!?」

 

 くそ、黄金になるのを防ぐために腕を千切りやがった!

 

 再生能力があるとはいえ、自分で自分の手を躊躇せずに捥ぎ取れるわけがない。黄金になるよりはマシだが、あんなにすぐ覚悟を決められるとは思っていなかった。

 

 慌ててPL-14をブラドへと向ける。三段構えで十分だと思ってたから、さすがに四段構えはない。

 

 ナタリアのおかげであの面倒な槍を黄金に変えることができたが、まだブラドは生きているのだから。

 

「逃げろナタリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 叫びながら、PL-14で狙いを定める。

 

 だが――――――――そのスライドがブローバックするよりも先に、俺の頭のすぐ隣を1発のでっかい弾丸が掠めた。

 

 イリナの炸裂弾かと思ったが、よく見たらイリナはナタリアの後ろでショットガンを構えている。ノエルもブラドから距離を取ってVSSを構えているから、今の弾丸は彼女の得物の弾ではない。

 

 外で戦っていた仲間が駆けつけてくれたのだろうかと思ったが――――――――鼻孔へと流れ込んできた大好きな香りが、その予測を否定してくれた。

 

 石鹸と花の香りが混ざり合ったような匂い。この香りは大好きだけど、この香りをいつも纏っている少女は――――――――今頃自室のベッドの上にいる筈である。

 

 戦闘で利き手と左足を失ってしまったのだから。

 

 だから、戦場にいるわけがない。

 

 今しがた隣を掠めた弾丸―――――――おそらく大口径の20mm弾だ――――――――がブラドの胴体を直撃し、胸骨や肺を容易くミンチにする。肉片や血まみれの骨の一部が飛び散り、上半身を千切り取られたブラドの下半身がモニターの破片だらけの床に倒れたのを見つめてから、ゆっくりと後ろの入口の方を振り向いた。

 

 あの香りを発する少女がいる筈がない。

 

 そう思いながら入口の方を振り向いた。

 

 後ろの方にある指令室の入り口に立っているのは――――――――テンプル騎士団の制服に身を包み、やけに銃身の長いハンガリー製のアンチマテリアルライフルを構えた、赤毛の少女だった。まるで炎を彷彿とさせる赤毛の中からは2本の角が伸びており、ダガーのような形状の角の先端部はルビーのように紅くなっているのが分かる。

 

 鮮血を思わせる紅い瞳は鋭かったけれど、こっちを彼女が見た瞬間、ブラドを容赦なく20mmで射抜いた赤毛の狙撃手は、楽しそうににっこりと笑った。

 

 そこにいたのは、絶対に最前線へと戻ってくる事ができなかった筈の、赤毛の少女だったのである。

 

「―――――――お待たせ、タクヤ♪」

 

「ら…………ラウラ…………!?」

 

 ブラド、ごめんな。

 

 俺も予想外だよ、四段構えは。

 

 

 

 

 

 

 



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復帰

 

 爆風に吹き飛ばされた灰色の砂を頭から浴びながら、ギュンターはホロサイトの向こうの敵へと銀の5.56mm弾を叩き込んだ。身体中に包帯を巻いていた負傷兵の身体に風穴が開き、内臓の一部や鮮血で灰色の砂を赤やピンク色に染めながら崩れ落ちていく。

 

 

 

 彼が装備しているFA-MASの銃声は、全く聞こえていなかった。今しがた彼のすぐ近くに着弾した砲弾の爆音が、キーン、という音で彼の耳を塞いでしまっているかのように、すぐ近くで銃声が轟いているにもかかわらず、5.56mm弾の銃声を聞くことができない。

 

 

 

 もしかしたら鼓膜が破れているのかもしれない、と思いつつ、グリップの後方にあるマガジンを取り外す。空になったマガジンをポーチの中へと突っ込みながら突っ走り、撃破されてしまった味方のシェリダンの残骸の陰へと飛び込む。

 

 

 

 この戦いに投入されているハーレム・ヘルファイターズの戦車は5両のみだ。3両のシェリダンと2両のルクレールで編成されている小規模な戦車部隊は被弾しつつ戦闘を継続しているものの、装甲の薄いシェリダンはルクレールのように堅牢な装甲を装備していない。

 

 

 

 アクティブ防御システムで対戦車ミサイルやロケット弾を撃墜する事ができるようになっているとはいえ、戦車から放たれるAPFSDSを迎撃することは不可能だ。堅牢な複合装甲を持つルクレールならば被弾しても耐えられるが、防御力の低いシェリダンが被弾すればあっさりと撃破されてしまうだろう。

 

 

 

 新しいマガジンを装着し、コッキングレバーを引く。ガチン、とコッキングレバーが音を奏でた瞬間、撃破されて炎上しているシェリダンの装甲の表面に6.8mm弾が喰らい付き、弾丸が跳弾する音を響かせた。

 

 

 

 舌打ちをしながら銃身を残骸の陰から突き出し、照準器を覗き込まずにそのまま何度もトリガーを引く。敵が他の兵士を狙うまで待つべきだという作戦を瞬時に切り捨てたギュンターは、ちゃんと銃声が聞こえ始めたことに安堵しながら反撃を継続する。

 

 

 

 しかし、何発弾丸をセミオートで放っても、シェリダンの装甲に激突する銃弾の音は全く減らなかった。襲い掛かってくるのが銃弾だけならばこのまま応戦し、囮になって味方を掩護することもできるが、もし敵が健在な迫撃砲まで投入してくればギュンターも傍らのシェリダンと同じ運命を辿ることになるだろう。

 

 

 

(くそ…………拙いかもな)

 

 

 

 無駄撃ちになると判断したギュンターは、FA-MASで応戦するのを止めながら戦車の残骸をちらりと見た。肉が焦げる臭いと炎をハッチや装甲の風穴から覗かせつつ沈黙している味方のシェリダンは、敵のレオパルトが放った砲弾であっさりと撃破されてしまったらしい。砲塔は健在だが、車体の正面には大穴が空いており、その風穴から炎で真っ黒にされていく仲間の死体が見えている。

 

 

 

 まだ原形を留めていた砲塔を見上げたギュンターは、開きかけのハッチのすぐ近くに搭載されている機関銃を見上げた。

 

 

 

 砲塔のハッチに搭載されている重機関銃は健在であることを確認したギュンターは、FA-MASを背中に背負いつつ、ポーチの中からスモークグレネードを取り出す。室内ではない上に風が吹いているため、スモークグレネードを隠れ蓑にできる時間は室内で使用した場合よりも一気に少なくなってしまうだろう。

 

 

 

 しかし、何もせずに砲塔の上までよじ登るよりはマシである。

 

 

 

 息を吐きながら、弾丸が当たりませんようにと祈り、砲塔の形状と重機関銃の位置を記憶してからスモークグレネードの安全ピンを引き抜く。

 

 

 

 スモークグレネードをシェリダンの正面装甲のすぐ近くに落とした直後、灰色の砂の上に落下したスモークグレネードの中から白煙が生れ落ち、瞬く間に撃破されたシェリダンの車体と砲塔を包み込んだ。

 

 

 

 敵兵と戦車の残骸の間に放り投げれば敵の攻撃の命中精度は一気に下がる。しかし、敵と戦車の間に投げれば味方の攻撃の邪魔をしてしまう恐れがある上に、前方の敵の視界しか遮ることができない。そのためギュンターはスモークグレネードを戦車の残骸のすぐ近くに落とし、自分自身と戦車をスモークで包み込んでしまうことで、味方の攻撃の邪魔をせずに敵の射撃から身を守ろうとしたのである。

 

 

 

 砂が付着しているせいでざらざらしているシェリダンの車体をよじ登る。加熱された装甲に触れながら砲塔の上に上がった彼は、敵兵が適当に放った弾丸が砲塔を直撃する度にびくりとしながら、白煙の中で重機関銃へと手を伸ばした。

 

 

 

 金具を素早く外してベルトの入った箱と一緒に重機関銃を取り外す。バレルジャケットを搭載した重機関銃の本隊からキャリングハンドルが伸びていることに気付いたギュンターは、ニヤリと笑いながらがっちりとした左手でそのキャリングハンドルを掴む。

 

 

 

 シェリダンの砲塔の上に搭載されていたのは、『ブローニングM1919』と呼ばれるアメリカ製の重機関銃であった。.30-06スプリングフィールド弾を使用する機関銃であり、第二次世界大戦で日本軍やドイツ軍に猛威を振るった強力な代物だ。

 

 

 

 長方形の金属の箱からバレルジャケットを搭載した銃身を伸ばし、後端部に小さなグリップを搭載したような外見をしている。ライフルのような銃床は搭載されていない上に非常に重いという欠点があるものの、水が無ければ使用できなくなってしまう”水冷式”とは異なり、空気を使って銃身を冷却する事が可能な空冷式であるため、水を使う必要は全くない。

 

 

 

 場合によってはここから取り外し、乗組員たちが使用する事を想定していたのだろう。撃破されたシェリダンの乗組員たちが使用する事のなかった重機関銃を構えたギュンターは、自分の立っている砲塔の下で黒焦げになっている戦友たちに、借りるぞ、と告げてから、薄れ始めたスモークの外へと躍り出た。

 

 

 

 灰色の迷彩服に身を包んだギュンターが飛び出すと同時に、防壁の内側へと侵入しているハーレム・ヘルファイターズへと機関銃を向けていた兵士の頭が唐突に揺れた。後頭部から鮮血を噴き出しながら仰向けに崩れ落ちた敵兵を一瞥したギュンターは、戦車の残骸から拝借した重機関銃を構えつつ、今の一撃が誰の狙撃なのかを理解する。

 

 

 

 後方でMAS49のスコープを覗き込んでいる、カレンの狙撃だ。

 

 

 

 モリガンのメンバーの1人である彼女が得意とするのは、セミオートマチック式のマークスマンライフルでの中距離狙撃や砲撃戦である。正確としか言いようがないほどの命中精度と、早撃ちを彷彿とさせるほどの連射速度を両立させた彼女の狙撃は、中距離にいる敵をあっという間に射抜いてしまうのである。

 

 

 

 カノンを出産してからはあまり最前線で戦うことがなくなったため、若き日の技術が鈍っているのではないかと思っていたギュンターだったが、カレンの正確で素早い狙撃を見た彼は、安心しながら重機関銃を構えた。

 

 

 

 ギュンターは狙撃が得意ではない。モリガンのメンバーは優秀な傭兵ばかりで構成されていたが、そのメンバーの中で最も射撃の命中精度が低いのはギュンターであった。

 

 

 

 重火器を両手に装備し、照準器を覗き込まずに弾丸をばら撒く戦い方を得意とするため、狙撃には全く向いていないのだ。しかし屈強な身体をフル活用した彼が放つ弾幕はかなり強烈であり、乱戦ではたった1人で敵の大軍を押し返してしまうほどの破壊力を誇る。

 

 

 

 それゆえに、彼は正反対の戦い方をするカレンと組むことを好んだ。

 

 

 

 正確な狙撃を得意とするカレンに支援されつつ彼女を守り、接近してくる敵を機関銃の弾幕で粉砕するのである。

 

 

 

 ドルレアン夫妻の戦い方は、22年前から全然変わっていない。

 

 

 

「―――――――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 

 左手でキャリングハンドルを握りながら、雄叫びを上げてトリガーを引く。バレルジャケットを搭載した銃身の中を、高い殺傷力を誇る.30-06スプリングフィールド弾が駆け抜けていき、マズルフラッシュと共に銃口から踊り出す。

 

 

 

 大口径の弾丸の群れが吸血鬼の歩兵の頭を食い破り、上顎から上を粉砕する。脳味噌の破片や眼球をばら撒きながら崩れ落ちた死体の傍らにいた兵士も、弾丸の群れに片足を捥ぎ取られてしまう。起き上がりつつハンドガンへと手を伸ばすが、反撃しようとしていた彼の眉間にカレンの無慈悲な弾丸が風穴を開け、負傷兵に止めを刺した。

 

 

 

 5.56mm弾や6.8mm弾が立て続けにギュンターの大きな肩を掠め、胸板に喰らい付く。数発の弾丸を叩き込まれる羽目になった彼の迷彩服が赤く染まり始めたが、ギュンターは激痛を感じながら前進を続けた。

 

 

 

 マズルフラッシュが迸る銃口を向けられた敵兵の身体が次々に弾け飛んで行く。かつて日本軍やドイツ軍の兵士たちを蹂躙した強力な重機関銃が、異世界の吸血鬼の兵士たちに猛威を振るっていた。

 

 

 

 またしても5.56mm弾がギュンターの右肩を直撃する。筋肉を抉った弾丸に右肩を突き飛ばされるが、屈強なハーフエルフはその程度の負傷では倒れない。ハーフエルフやオークは勇敢な男性が多いため、大半の男性は負傷すれば逆に奮い立ち、隙を見て応急処置をしてから戦闘を続けるという。

 

 

 

 弾丸を撃ち込まれた程度で使い物にならなくなる人間よりも、彼らは遥かに頑丈なのだ。

 

 

 

 6.8mm弾に太腿の肉を抉られてもお構いなしにブローニングM1919重機関銃を撃ち続けつつ、ひたすら敵兵へと突進していく。ベルトが次々に機関銃へと吸い込まれていき、排出された薬莢が熱を纏いながら灰色の砂へと落下していく。

 

 

 

 他のハーフエルフの兵士たちも死闘を繰り広げていた。立て続けに被弾した兵士が雄叫びを上げながら聖水を塗ったマチェットを振り上げ、吸血鬼の兵士の頭を両断する。その兵士の傍らでは吸血鬼の兵士とハーフエルフの兵士がヘルメットで殴り合いを始めており、硬いヘルメットで相手を殴りつける度に血飛沫を吹き上げていた。

 

 

 

「くそ…………」

 

 

 

 マズルフラッシュが消え去り、バレルジャケットを搭載した銃身が陽炎を生み出す。箱の中のベルトがなくなっていることを確認してから舌打ちをしたギュンターは、重い重機関銃を投げ捨ててFA-MASを取り出し、銃剣を装着してから敵兵の群れへと突撃していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間の手足は、どんな魔術を使っても生やすことはできない。

 

 

 

 どんなに強力な治療魔術を使っても、切断された手足を断面から生やすのではなく、その断面を”塞ぐ”のが精一杯なのだ。それゆえに大昔から戦争で手足を失った人々は、自分たちの本来の手足を再び生やすのではなく、魔物の素材を使って義手と義足を作り、それを移植することで失った手足の代用品にしてきたのである。

 

 

 

 前世の世界では機械の義手や義足が使われていたが、こちらの世界では魔物の筋肉繊維や骨を使った義手や義足が主流なのだ。

 

 

 

 だからラウラの手足も、二度と生えるわけがないと思っていた。

 

 

 

「ラウラ…………その手足は一体…………?」

 

 

 

 目を見開きながら、あのメイドに奪われてしまった筈の左腕と左足を凝視する。

 

 

 

 本当ならば義手と義足を移植する予定だった彼女の左腕と左足は、しっかりと生えていた。しかも魔物の素材で作られた代物を移植したのではないらしく、彼女の黒い制服の袖やミニスカートからは母親譲りの白い肌が覗いている。

 

 

 

 それを確認した俺は、混乱しそうになった。

 

 

 

 医務室のベッドの上にいたラウラは確かに手足がなかった。魔術で塞がれた断面の周囲にはちゃんと包帯が巻かれていたし、狙撃兵たちが回収した彼女の千切れた手足も確認している。大口径のライフル弾に射抜かれたせいでズタズタにされていたのだから、ただ単にその腕を”くっつけた”わけではないだろう。

 

 

 

 仮にあれが彼女の手足を再現した義手と義足だったとしても、移植した後にはリハビリをしなければならない。だからラウラはこの戦いには参加できない筈だ。

 

 

 

 なぜ、彼女はここにいるのだろうか…………?

 

 

 

 彼女に質問しようと思ったけれど、どうして左腕と左足があるのか聞いている余裕はないらしい。

 

 

 

 ラウラの容赦のない狙撃―――――――しかもぶっ放したのは大口径の23mm弾だ―――――――で上半身を捥ぎ取られたブラドが、すでに再生を終えてラウラを睨みつけていたことに気付いた俺は、咄嗟に腰の後ろに戻していたAK-15に手を伸ばし、セレクターレバーをフルオートに切り替える。弾丸を全部お見舞いしてやろうと思ったんだが、俺が引き金を引くよりも先に、ブラドが床に転がっていた自分のXM8を拾い上げ、銃口をラウラへと向けやがった。

 

 

 

「っ!」

 

 

 

 慌ててホロサイトから目を離し、ラウラを庇うために横へと思い切り飛ぶ。キメラの種類にもよるが、基本的に外殻による防御を得意とするのはオスのキメラの方だ。しかも俺は転生者だから、防御力のステータスで相手の攻撃を防ぐことができる場合もあるので、仮に外殻で覆っていない場所に弾丸が命中してもそれほど重傷は負わない。

 

 

 

 どうやって手足を元通りにしたのかは分からないが、復帰してくれたお姉ちゃんを死なせるわけにはいかない…………!

 

 

 

 しかし、その弾丸は俺を相手にしてくれなかった。

 

 

 

「―――――――!」

 

 

 

 3発の6.8mm弾が、回転しながら俺の隣を通過していく。

 

 

 

 そして、俺が諜報指令室の床に落下すると同時に、後方から人間が倒れる音と、その人物が手にしていた銃が床に落下する音が聞こえてきた。

 

 

 

「え―――――――」

 

 

 

 ―――――――ラウラが倒れたのか?

 

 

 

 目を見開きながら、ゆっくりと後ろを振り向く。外殻で防いでいたのであれば、エリクサーを飲ませるだけで傷を塞ぐことができる筈だ。けれども外殻を覆うのが間に合わなかったのであれば、防御力の低いラウラは弾丸の直撃には耐えられない。

 

 

 

 立ち上がってから、俺は床に倒れているラウラを見下ろした。

 

 

 

 すぐに起き上がってくれるだろうと思いながら見下ろしていたんだけど、弾丸で撃ち抜かれる羽目になったラウラは、動いてくれなかった。

 

 

 

 ―――――――すらりとしたお腹と胸と眉間の三ヵ所に、風穴が開いていたのである。

 

 

 

 その風穴を開けたのは、先ほど彼女に喰らい付いた弾丸たちだろう。

 

 

 

「ら…………ラウ………ラ…………?」

 

 

 

「嘘…………!」

 

 

 

「お姉ちゃんッ!!」

 

 

 

 ちょっと待ってよ…………。

 

 

 

 AK-15を床の上に置き、倒れている彼女に静かに手を伸ばす。母親譲りの白い肌は風穴から流れている鮮血で真っ赤に染まっていている。左手で彼女の後頭部を支えて体を揺すろうとしたその時、父親譲りの赤毛で覆われた後頭部から、ピンク色の脳の一部や彼女の頭の中にあるメロン体の一部が飛び出していることに気付いた。

 

 

 

 ラウラの血で手が真っ赤になってしまったけれど、俺はそのまま彼女の亡骸を抱き抱えた。猛烈な鮮血の臭いが鼻孔を支配したけれど、まだ彼女の甘い香りは消えていない。

 

 

 

 せっかく助けに来てくれたのに…………。

 

 

 

「やめてくれよ…………」

 

 

 

 やっぱり、ラウラを退役させるべきだった。

 

 

 

 一緒に冒険ができなくなったとしても、俺は彼女を愛し続けるつもりだった。

 

 

 

 血まみれのラウラの亡骸を思い切り抱きしめながら、涙を拭い去った。

 

 

 

「…………ふん、魔女め…………やっと死にやがったか」

 

 

 

 …………黙れよ、クソ野郎。

 

 

 

「どうした? 大好きなお姉ちゃんが殺されて悲しいのか? ふん、甘えん坊が」

 

 

 

「……………………黙れ」

 

 

 

 彼女の亡骸をそっと床の上に寝かせてから、ラウラの血で真っ赤になった手を伸ばし、床の上のAK-15のグリップを掴み取る。左手を銃身の下のグレネードランチャーへと伸ばしながら立ち上がり、即座に銃口をブラドへと向けた。

 

 

 

 この男が、憎たらしい。

 

 

 

 最愛の姉を殺したこの男を、惨殺したい。

 

 

 

 思い切り歯を食いしばりながらホロサイトを覗き込む。猛烈な憤怒のせいで体内の血液の比率が暴走しているのか、口の中に生えている歯の形状がドラゴンの牙のような形状に勝手に変わっていく。

 

 

 

 サラマンダーの血液の比率を80%以上にすると、サラマンダーのキメラは”ヤークト・サラマンドル”と呼ばれる人間とサラマンダーが融合したような姿の怪物に変貌し、理性を失ってしまうという。だからそれ以上の比率にはするなと幼少の頃に親父に何度も言われたのだが、多分この怒りに耐えるのは無理だろう。

 

 

 

 もう、怪物になってしまっても構わない。もし怪物になってしまったら誰かに殺してもらおう。

 

 

 

 そうすれば、あの世でまたラウラに会えるのだから。

 

 

 

「お前は、絶対に―――――――」

 

 

 

 最愛の彼女ラウラを殺された憎しみをぶちまけようとした、その時だった。

 

 

 

 すぐ近くから伸びてきた真っ直ぐな手が、思い切りグリップを握っていた筈の俺の両腕から、ブラドを惨殺する準備をすべて終えていたAK-15をあっさりと奪い取ったのである。左手でトリガーを引くか、右手でトリガーを引けば、ラウラの命を奪った憎たらしい男の肉体は木っ端微塵になるか、蜂の巣になる筈だった。

 

 

 

 けれども目の前の少年にその殺意を代わりにぶつけてくれたのは、俺ではない。

 

 

 

 ポンッ、と音を響かせたグレネード弾が、こっちを見ながらぎょっとしているブラドの腹に飛び込んだ。水銀榴弾が即座に起爆して、ブラドの腹を爆炎と水銀の斬撃で滅茶苦茶にしてしまう。肋骨が内側から抉られて黒焦げになり、焼けた肉がこびりついた状態のまま床の上に落下していく。

 

 

 

 再び上半身を消し飛ばされる羽目になったブラドが、モニターの破片だらけの床の上に崩れ落ちる。

 

 

 

「ふふふっ、お姉ちゃんは大丈夫だよ♪」

 

 

 

「え―――――――」

 

 

 

 俺を支配していた混乱が、産声を上げた驚愕に食い尽くされた。

 

 

 

 すぐ隣から、彼女の声が聞こえてきたのである。

 

 

 

 数秒前に腹と胸と眉間を弾丸に射抜かれて、後頭部から脳味噌とメロン体の残骸をあらわにしながら死んでしまった腹違いの姉の声が。

 

 

 

 ブラドがぎょっとしていた理由を理解しつつ、俺も左隣にいる人影を振り向く。

 

 

 

「ラウラ…………?」

 

 

 

 隣にいたのは、真っ黒なテンプル騎士団の制服とミニスカートに身を包んだ、最愛の姉だった。数秒前に弾丸に貫かれて戦死したばかりだというのに、どういうわけなのか俺が使っていたAK-15を拝借して、グレネードランチャーでブラドを吹き飛ばしたのである。

 

 

 

 ど、どういうことだ? 戦死しちゃったんじゃないのか…………?

 

 

 

 またしても混乱が支配し始めるが、炎を思わせる赤毛に覆われた後頭部と、弾丸に撃ち抜かれた筈の眉間を目にした瞬間、先ほどのように混乱しないうちに答えを手に入れることができた。

 

 

 

 弾丸に穿たれた風穴が、段々と塞がっているのである。

 

 

 

 風穴の中で頭蓋骨や肉が結び付き合い、その表面を白い皮膚が飲み込んでいく。後頭部から飛び出した脳味噌やメロン体の残骸も、彼女の頭の中へと吸い込まれていったかと思うと、ラウラの後頭部を覆っていた鮮血も段々と消え始める。

 

 

 

「そ、それは…………」

 

 

 

 キメラに、そんな能力はない。

 

 

 

 吸血鬼のように傷口を塞いで、”死”を希釈することはできないのだ。

 

 

 

「吸血鬼の…………再生能力……………!?」

 

 

 

 その仮説が産声を上げた瞬間、彼女の手足が元通りになった理由も理解した。

 

 

 

 ―――――――手足を失った吸血鬼のように、再生させたのだ。

 

 

 

 吸血鬼は弱点で攻撃されなければ、すぐに傷口を塞いでしまうことができる。そのため他の種族は手足を失えば義手や義足を移植しなければならないが、吸血鬼は弱点で攻撃されていなければ、それを移植する必要はないのである。

 

 

 

 でも、どうして再生能力が使えるんだ…………!?

 

 

 

 塞がっていく彼女の傷口を見つめながら目を見開いている俺を見つめながら微笑んだラウラは、右手を伸ばして俺の顔を引き寄せて容赦なく唇を奪った。すぐに唇を離した彼女は、まだ混乱している俺にAK-15を持たせると、ニコニコしながら告げた。

 

 

 

「大丈夫だよ。―――――――お姉ちゃんは、タクヤの子供を産むまでは死ぬつもりはないから」

 

 

 

 

 

 



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赤い線とカウントダウン

 

 

「その身体は…………一体………!?」

 

 身体に穿たれていた筈の風穴を包み込んでしまった真っ白な皮膚を見つめながら、俺はぎょっとしていた。

 

 キメラには、吸血鬼のような再生能力はない。その代りに砲弾すら弾いてしまうほど強靭な外殻で身を守ることはできるけれど、その外殻もろとも貫通されたり、外殻で覆っていない部位を攻撃されれば普通の人間のように死んでしまうのだ。

 

 吸血鬼のように、”死”を希釈するような能力は一切ないのである。

 

 普通の弾丸に貫かれても死んでしまうし、銀の弾丸に貫かれても死んでしまうのだ。

 

 あのメイドに千切られる羽目になった手足は、その再生能力で”生やした”のだろう。しかし、その再生能力は一体いつ身につけたというのだろうか。手足を失ったことで彼女の体内で突然変異が発生し、再生能力を習得してしまったとでも言うのか?

 

 キメラは”突然変異の塊”ともいえる種族だ。天才技術者であるフィオナちゃんですら「どのような種族なのか傾向が全くつかめない」と言ってしまうほど不安定な種族であるため、変異を起こしてしまいやすいのである。実際に、俺もウィッチアップルを食わされたせいで性別を切り替える変な能力を習得しているし、外殻の模様を変える能力も習得している。

 

 もし仮にラウラが再生能力を身につけた原因が手足を失ったことなのだとしたら、俺まで手足を失っても再生能力を習得できるのだろうか。

 

 後方にいたお姉ちゃんに合うことができて嬉しいんだけど、彼女の姿を見るたびに心の中へと流れ込んでくる喜びを、心の前に立ちはだかる違和感が塞き止めようとする。

 

 けれども、ラウラにどうして再生能力を身につけたのか問い詰めている場合じゃない。目の前には再生している最中のブラドがいるのだから。

 

「…………ラウラ、援護は頼む」

 

 問い詰めるのは後回しにするという事を理解したラウラも、首を縦に振る。後ろの床に落ちていた彼女のゲパードM1を拾い上げた彼女は、長大な銃身の下部から伸びているグリップを捻ってから後方へと引っ張り、でっかい23mm弾の薬莢を排出する。腰に右手を伸ばし、ホルダーの中に納まっている銀の23mm弾をライフルに装填した彼女は、グリップを押し込んでから再び捻り、銃口のマズルブレーキの下に搭載されているスパイク型銃剣を展開してから後方へとジャンプした。

 

 ラウラのためにカスタマイズしたゲパードM1の23mm弾は、装甲車に搭載されている大口径の機関砲に匹敵する破壊力を誇る。弾丸の種類にもよるけれど、その気になれば装甲の厚いヘリを撃墜することも可能なのである。更にスパイク型銃剣も搭載されているため、接近してきた敵を返り討ちにすることもできるのである。

 

 母親であるエリスさんからハルバードや槍の扱い方を学んでいたため、ラウラもそのような得物での戦いを得意としているのだ。

 

 とはいえタンプル搭の諜報指令室よりも一回り狭い部屋の中での戦いになるため、あの得物では戦い辛いのではないだろうか。一般的な学校の教室の3倍の広さがあるとはいえ、SMG(サブマシンガン)やショットガンが猛威を振るう距離である。

 

 しかもオペレーター用のテーブルや天井から落下してきたデカいモニターの残骸も転がっているから、狙撃には全く適していない場所だ。彼女は銃剣付きのCz75SP-01やPPK-12も装備しているのだからそっちを使って接近戦をした方がいいのではないだろうか。

 

 いや、ラウラは俺たちを支援するつもりなんだ。

 

 元々彼女が得意としているのは後方からの超遠距離狙撃だ。狙撃で敵を確実に仕留めつつ、敵の動きを確認して前線で戦っている仲間に伝えてくれるのである。

 

「―――――――バカな、傷が再生しただと………!?」

 

 傷口の再生を終えたブラドも驚愕しているようだった。数秒前まで肉が剥き出しになっていたブラドの顔を睨みつけながら、俺はニヤリと笑う。

 

 俺にはとっても強いお姉ちゃんがいるんだよ、ブラド。

 

「なぜだ…………!? アリーシャが手足を奪ったんじゃなかったのか!?」

 

「随分と無能なメイドだったんだな、お前の部下は」

 

「黙れ…………ッ!」

 

 床に転がっていた自分のXM8を拾い上げ、その銃口をこっちへと向けてくるブラド。ホロサイトの向こうに映っている激昂したブラドの顔を冷たい目で見つめながら、セレクターレバーを3点バーストに切り替えた。

 

 彼女が再生能力を身につけて復帰してくれたとはいえ、彼女の手足を奪って絶望させたメイドと、そのメイドに命令を下したブラドを許すつもりはない。医務室のベッドで横になっていた手足のないラウラを目にした瞬間に感じた憤怒よりは少しばかり弱々しいけれど、怒りはまだ健在だった。

 

 目の前に立っているブラドがトリガーを引くと同時に、俺もトリガーを引いた。ブラドはいきなりフルオート射撃をぶちかますことを選んでいたらしく、あいつの人差し指がトリガーを引き始めた頃にはマズルフラッシュが銃口から飛び出していた。

 

 けれども、そのフルオート射撃の銃声を、一瞬だけより重厚な銃声がかき消す。

 

 ブラドのXM8に装填されているのは6.8mm弾である。5.56mm弾よりも口径が上だけど、テンプル騎士団が推奨している7.62mm弾と比べると、破壊力では7.62mm弾のほうが上なのだ。

 

 その7.62mm弾が、目の前から突き進んでくる6.8mm弾の群れに立ち向かおうとするかのように解き放たれる。たった3発の弾丸は瞬く間に6.8mm弾の群れとすれ違うと、その向こうでライフルを構えていた吸血鬼の少年の右腕に喰らい付き、肩の肉を食い千切った。

 

 鮮血が吹き上がり、立て続けに弾丸を放っていたXM8の銃口が揺れる。天井のモニターに6.8mm弾が班夏も喰らい付き、画面を叩き割る音を奏でる。

 

 キンッ、と外殻が弾丸を弾く音を耳にしながら姿勢を低くし、ブラドが体勢を立て直すよりも先にテーブルの陰へと飛び込む。散々弾丸に貫かれたり、水銀榴弾で腹を抉られたのだからそろそろ再生能力が衰え始めるんじゃないだろうかと思ったんだけど、ブラドが受け継いだレリエルの再生能力は予想以上に強力だった。並の吸血鬼どころかそれなりに強力な再生能力を持っている吸血鬼ならばとっくに再生能力が衰えていてもおかしくない筈なのに、あいつの肩の傷は当たり前のように再生しているのである。

 

 日光の下で、水銀と聖水をぶちかましてやるのが理想的なんだが、残念ながらここは地下だ。大口径の砲弾をぶち込まない限り貫通できないほど分厚い装甲と岩盤で守られた鉄壁の要塞を、歩兵が装備できる程度の武装や爆薬でぶち破れるわけがない。

 

 怒り狂いながら反撃してきたブラドを睨みつけつつ、残っているマガジンを確認して舌打ちする。

 

 ポーチの中に残っているマガジンはあと1つ。銃身の下のグレネードランチャーの砲弾も、さっき再生したばかりのラウラがぶちかましてくれたおかげであと1発しかない。室内戦を想定して持ってきたAA-12はブラドの攻撃で破壊されてしまったので、こいつを撃ち尽くしてしまったら隙を見てメインアームを装備するか、諦めてナイフとハンドガンで突っ込むしかない。

 

 手榴弾でも放り投げようと思ったその時、7.62mm弾の群れが再びブラドの身体を食い破った。

 

「ナタリア!」

 

「これ使いなさい!」

 

 再生能力が衰えていないのを見ていたのか、あの再生能力を削ぐためではなく、ブラドの動きを封じるためにナタリアはブラドの手足を狙ったらしい。銃を持っていた右腕と両足の太腿を撃ち抜かれたブラドが倒れている隙に、彼女は腰のポーチからベークライト製のマガジンを1つだけ放り投げてくれた。

 

 7.62mm弾を使用できるように改造された、テンプル騎士団仕様のAK-12のマガジンである。

 

 当たり前だけど、同じ弾丸を使用するAK-15でもそのマガジンを使うことはできるのだ。

 

「Спасибо(ありがとよ)!」

 

 ナタリアから受け取ったマガジンをポーチの中に突っ込み、再生を続けているブラドに容赦なく弾丸をお見舞いしているナタリアを3点バースト射撃で援護する。大口径の7.62mm弾が命中する度に肉のこびり付いた皮膚や内臓の一部が弾け飛び、床が真っ赤に染まる。

 

 多分、前世の俺だったら親友にこれでもかというほど弾丸をぶち込む羽目になるという事を予想できなかった筈だ。

 

 けれども、もう俺たちは親友じゃない。

 

 あいつは俺たちの仲間を傷つけたクソ野郎なのだ。

 

 フルオート射撃をしていたナタリアのAK-12から飛び出していたマズルフラッシュが消失する。エジェクション・ポートから立て続けに飛び出していた空の薬莢たちも姿を現さなくなったのを確認してから、瞬時に彼女のマガジンが空になったことを悟った俺は、ブラドの反撃を阻むためにセレクターレバーをフルオートに切り替え、フルオート射撃を敢行することにする。

 

 けれども、3点バースト射撃とフルオート射撃の同時攻撃よりも攻撃の数が減ってしまうのは火を見るよりも明らかだった。案の定、弾丸が抉った傷がすぐに塞がったかと思うと、先ほどまで肉片と鮮血を巻き散らしながらよろめいていたブラドが、筋肉繊維や内臓が剥き出しになった姿のまま後ろへとジャンプしつつ、空中で深紅のメニュー画面を開く。

 

 床の上に着地しつつ素早く画面をタッチし、新しい武器を装備するブラド。忌々しい吸血鬼の少年が選んだ得物は――――――――他の吸血鬼たちも使用している、MG3だった。

 

 MG3は大口径の7.62mm弾を凄まじい連射速度でぶっ放すことが可能な、極めて強力なLMGである。この銃の原型となったMG34とMG42も第二次世界大戦で連合軍の兵士たちに猛威を振るっていたという。

 

 キメラの外殻ならばその弾丸を弾きながら強引に突っ込むのは容易い。けれども、再生能力を持っているイリナやキメラであるノエルとは違い、俺よりも前に出ているナタリアにはそのような”身を守る能力”が1つもない。

 

 ブラドがその機関銃をナタリアに向けるよりも先に、俺は全力で突っ走っていた。身体中の皮膚をダズル迷彩を思わせる模様の外殻で覆いながらナタリアを机の陰へと突き飛ばし、俺もその机の陰に転がり込む。

 

 その直後、オペレーター用の机を7.62mm弾の群れが直撃し、猛烈な銃声が諜報指令室の中を満たした。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「あ、ありがと…………」

 

「まったく…………俺の無茶する癖を真似したのか?」

 

「そっ、そんなわけないでしょ!? このバカ!」

 

「はははははっ。じゃあ、さっきのマガジンのお礼だと思ってくれ」

 

 そう言いながら手榴弾の安全ピンを引き抜き、未だに機関銃を連射してくるブラドに向けて放り投げる。銃声の聞こえてくる方向へと適当に放り投げただけだからこれがブラドに牙を剥くかどうかは分からんが、上手くいけば破片や水銀があいつの身体を貫いてくれるだろう。

 

 LMGの銃撃が途切れてくれますように、と祈った直後、先ほど放り投げた手榴弾が爆発を起こした。

 

「イリナぁ!」

 

「分かってるよ!」

 

 机に弾丸が命中する音が聞こえなくなったのを確認し、ナタリアの手を引っ張りながら遮蔽物の陰から飛び出す。けれども、銃撃が途切れたのはさっきの手榴弾がブラドを直撃したからではなく、水銀の斬撃の一部が彼の胸板を切り裂いたのが理由らしい。

 

 血まみれの胸板を見下ろしてからこっちを睨みつけたブラドが、MG3を構えてヴリシア語の罵声を発する。爆音の残響のせいで何と言っているのか全く聞き取れなかったけど、多分罵声だろう。

 

 そういう罵声は相手を痛めつけながら言え、バカ。

 

 後方で援護するタイミングを探していたイリナが、嬉しそうな顔をしながらRPG-7を構える。先端部に装着されているのは、まるで大昔の戦争で航空機に搭載されていた爆弾をそのまま小さくしたような形状の、対吸血鬼用の水銀榴弾だった。

 

「伏せろぉ!」

 

「きゃっ!?」

 

 手を引いていたナタリアと共に、何かの報告書と思われる書類が散らばっている床の上に伏せる。火薬とインクの臭いが混ざり合った変な臭いがする床の上に伏せた直後、ロケットランチャーを肩に担いでいたイリナが、ついにそのロケット弾を解き放った。

 

 バックブラストと水銀榴弾の発する炎が書類だらけの床を照らす。その光でイリナが発射したことを悟った俺とナタリアは、あの爆弾を思わせる水銀榴弾の中にこれでもかというほど詰め込まれた水銀に俺たちまで切り裂かれないことを祈りながら、床の上に伏せ続ける。

 

 運が良ければ周囲の机や倒壊したモニターの残骸が守ってくれるだろう。運が悪ければそのまま俺たちまで両断される羽目になるが。

 

 どっちだろうな、と思った次の瞬間、背後で猛烈な爆炎が産声を上げた。

 

 ブラドの立っていたすぐ近くの床に命中した水銀榴弾が、爆炎と水銀の斬撃を至近距離でブラドにぶちまけたのだ。従来の対人榴弾よりも炸薬の量が減っているものの、爆風で押し出されて斬撃と化す水銀の切れ味はかなり凄まじい。

 

 MG3の銃身がその斬撃で両断され、使い物にならなくなってしまう。頑丈な機関銃の銃身すら両断する斬撃に八つ裂きにされたブラドの身体が、爆炎に呑み込まれていく。

 

「た、倒したの…………?」

 

「いや、あいつは絶対生きている」

 

 しぶといんだよ、あいつは。

 

 メサイアの天秤の鍵を俺たちから強奪し、父親を天秤で復活させるという計画が頓挫してしまったとはいえ、あいつの士気は高いままだ。吸血鬼たちの指導者として最後まで戦わなければならないという使命と、俺への憎悪があいつの士気を維持させているのだろう。

 

「―――――――ナガトぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「やっぱりな」

 

「しぶとい男ね…………!」

 

 爆炎の中から姿を現したのは、左腕と頭の左半分を失った焼死体だった。白かった皮膚は真逆の色になっており、いたるところで小さな炎が揺らめいている。服の燃え残りか、まだ焦げてない部分の肉が燃えているのだろうか。頭の左側は左耳から頭まで爆風で抉り取られているらしく、断面には黒焦げになった脳味噌と頭蓋骨があらわになっている。腹の左側も肉や内臓が抉り取られていて、先端部の欠けた肋骨が黒焦げになった皮膚から突き出ていた。

 

 再生が始まっているものの、焼死体にしか見えないグロテスクな姿である上に、ふらふらしながら爆炎の中から出てきたせいで、まるでゾンビのように見えてしまう。

 

 俺を殺すために蘇ったのか、ブラド。

 

 呻き声を上げながら、焼死体のような姿になったブラドがメニュー画面を開く。今度はPDWのMP7A1を装備したブラドが、黒焦げになった身体を再生させながら銃口をこっちへと向け、ニヤリと笑った。

 

 外殻で体を覆ったまま、ナタリアを庇う。

 

 PDWの弾丸なら弾けるだろうと思ったその時だった。

 

 銃口から弾丸が飛びだすよりも先に、奇妙な赤い光の線が目の前に表示されたのである。ブラドのレーザーサイトかと思ったんだが、俺の胸板から伸びているその線はMP7A1の銃口の中へと伸びている。普通のレーザーサイトは銃口から出るものではないから、これはあいつが装備したレーザーサイトではないだろう。

 

 ならば、これはなんだ? あいつの魔術か?

 

「ねえ、この線は何………?」

 

「ナタリアにも見えているのか?」

 

「ええ」

 

 何だこれは?

 

 その奇妙な線を見つめていた俺は、いつの間にか俺の胸板へと突き刺さっている赤い線の近くに、数字が浮かんでいることに気付いた。その数字に気付いた時は”5”と表示されていたんだが、すぐに”4”へと代わり、更に”3”へと変貌してしまう。

 

 ―――――――カウントダウンか?

 

 ブラドの銃口から伸びているという事は、これはあいつが銃弾を発射するタイミングを意味しているというのか? ということは、この赤い線はブラドの銃弾の弾道なのか………?

 

 歯を食いしばりながら再びナタリアの手を引き、その線の真正面から逃げる。

 

 その直後、MP7A1から放たれた弾丸たちが、まるであの赤い線以外の場所を通過してはならないというルールがあったかのように、先ほどまで俺の胸に刺さっていた紅い線と全く同じ弾道で壁へと向かって飛んで行ったのである。

 

「これって…………!」

 

 敵の弾道と攻撃までの予測時間を表示することで、”ちょっとした未来予知”が可能になる能力。

 

 こんな強力な能力を使えるのは、後方にいる彼女しかいない。

 

 けれどもその弾道やカウントダウンは、彼女しか見ることができなかった筈だ。仲間にも同じようにちょっとした未来予知をさせる能力ではない。

 

 そう思いながら、俺は攻撃を読まれていたことに驚愕するブラドを一瞥し、後ろの方にいるラウラを見つめた。

 

 ゲパードM1を持ったまま目を瞑っていた彼女が、そっと深紅の瞳を開けて告げた。

 

「―――――――”演算共有(データリンク)”、発動」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傷だらけの戦艦ジャック・ド・モレーが率いる戦艦たちの群れが、一斉に砲塔をブレスト要塞へと向ける。倭国支部艦隊旗艦『こんごう』と別行動を取ることになった戦艦『金剛』も、吸血鬼たちに撃沈されずに済んだ戦艦『ソビエツカヤ・ロシア』の後方を航行しつつ、搭載された36cm砲をブレスト要塞へと向けていた。

 

 装填されているのは、圧倒的な攻撃力を誇るMOAB弾頭。さすがにタンプル砲のMOAB弾頭と比べると破壊力は劣ってしまうものの、敵の地上部隊を瞬時に消滅させてしまうほどの圧倒的な破壊力を誇っている。とはいえ砲弾を生産するために必要なポイントの量が多いため、タクヤからは「できるだけ使うな」と言われている。

 

 河で待機していた4隻のガングート級たちと合流したテンプル騎士団艦隊の全ての戦艦が、そのMOAB弾頭を主砲に搭載し、ブレスト要塞へと狙いを定めていたのだ。

 

「同志諸君、これで終わらせるぞ」

 

「全艦、砲撃準備完了」

 

「ブレスト要塞を攻撃している地上部隊に退避命令を。味方の退避が済み次第、我が艦隊は艦砲射撃を敢行する」

 

 生き残った戦艦たちが一斉にMOAB弾頭を放てば、間違いなくブレスト要塞は吸血鬼もろとも消え去ることになるだろう。

 

 味方部隊を艦砲射撃で”援護”する予定だったのだが、地上部隊の攻撃が予想以上に凄まじかったため、テンプル騎士団艦隊の任務は味方を”援護”することではなく、虎の子のMOAB弾頭で敵に”止めを刺す”ことに変貌していたのである。

 

 ジャック・ド・モレーのCICで指揮を執っていたブルシーロフ大佐は、目の前のモニターを睨みつけながら溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 



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演算共有

 

 

「何だ、この赤い線は…………?」

 

 テンプル騎士団倭国支部から派遣された”倭国支部海兵隊”の指揮を執る河野中佐は、何の前触れもなく戦場に姿を現した赤い線たちや、その赤い線の周囲に表示されているカウントダウンを見上げながらぎょっとしていた。

 

 そのカウントダウンが0になると同時に、まるでその赤い線が敵や味方の弾道を予知してくれているかのように、その赤い線と全く同じ軌道で砲弾や銃弾が被弾し、灰色の砂漠の一角を抉っていく。それを目にした河野中佐は、その赤い線が敵や味方の弾道を予測してくれているものだという事を理解した。

 

 しかも、着弾するまでのカウントダウン付きであるため、どのタイミングで回避すればいいのかも分かってしまうのである。

 

「同志、これは一体…………?」

 

「分からん。だが、敵の魔術ではないだろう」

 

 もし敵の魔術なのであれば、自分たちにしか弾道やカウントダウンは表示させない筈だ。敵にまで表示してしまえば、お互いに未来予知の応酬になってしまうのだから。

 

 味方の兵士が放った5.56mm弾たちが、その赤い線と全く同じ軌道を飛翔していき、倒壊した管制塔を盾にしながら反撃していた吸血鬼の兵士に直撃する。銀の弾丸に頭を正確に射抜かれた兵士は、がくん、と頭を大きく後ろに揺らしてから動かなくなってしまった。

 

「す、すごい…………!」

 

 こちらの弾道が分かるという事は、ほぼ百発百中ということだ。発射する前に弾道をあの赤い線が射手や味方に教えてくれるため、スコープを覗き込んで正確に狙撃する必要もない。あの赤い線を敵に命中させたい部位へと合わせてトリガーを引くだけで、弾丸がその赤い線に沿って飛んで行くのだ。

 

 しかも敵の攻撃まで教えてくれるため、カウントダウンを参考にしながら容易く回避できる。更にその敵の弾道を確認すれば、攻撃を放った敵の位置までわかってしまうのである。

 

 その時、河野の傍らで粘着榴弾を放ち、敵の歩兵の群れを一気に吹き飛ばしていた倭国支部の『74式戦車』に、その赤い線が喰らい付いた。敵部隊の後方でまだ奮戦していた満身創痍のレオパルトの砲口から飛び出した赤い線が、”9”という数字と共に74式戦車の砲塔へと突き刺さり、9秒後に砲弾が直撃するという事を彼らに教えている。

 

「ゴーレム2、8秒後に砲塔に”被弾予定”! 回避せよ!」

 

『了解、回避!』

 

 河野からの警告を聞いた74式戦車がゆっくりと後退し、その赤い線から離れていく。

 

 砲身がその線から離れた直後、赤い線の周囲に浮かんでいたカウントダウンが”0”になると同時に、その赤い線と全く同じ軌道で1発のAPFSDSが飛来した。74式戦車の砲塔の装甲を穿つはずだった強烈な一撃はそのまま真っ直ぐに飛翔し、後方のマウスの残骸の後部を直撃し、周囲に火花をばら撒く。

 

 味方の戦車が回避することに成功したことを確認して安堵した河野は、左手で冷や汗を拭い去った。

 

 74式戦車は日本製の戦車であり、自衛隊で正式採用されている。がっちりした装甲で覆われた車体の上に丸い砲塔を乗せたような外見をしており、その砲塔には西側の戦車が搭載している120mm滑腔砲と比べると攻撃力は劣ってしまうものの、105mmライフル砲を搭載している。本来ならば主砲同軸には7.62mm弾を発射する機関銃が搭載されているが、倭国支部仕様の74式戦車の主砲同軸には12.7mm弾を発射するブローニングM2重機関銃が搭載されており、攻撃力が向上している。

 

 装甲は新型の戦車のように複合装甲が搭載されているわけではないため、他の戦車と比べると防御力も低めとなっている。防御力を補うために、倭国支部仕様の74式戦車には爆発反応装甲が搭載されており、更に砲塔にロシア製アクティブ防御システムである”アリーナ”を搭載することで、防御力の底上げを図っていた。

 

 しかし、APFSDSが直撃すれば致命傷を負う羽目になるのは想像に難くない。できるのであれば被弾しないことが望ましい。

 

 先ほどから出現しているこの赤い線の正体は不明だが、敵に見えていない上にこちらの弾道や敵の弾道が表示されるおかげで、未だに倭国支部は戦死者どころか負傷者を1名も出していない。

 

 河野は倭国支部で正式採用されている”89式小銃”のマガジンを交換すると、コッキングレバーを引き、敵兵に照準を合わせてトリガーを引いた。

 

 89式小銃も、日本製のアサルトライフルである。自衛隊が正式採用している銃であり、アメリカ軍のM16やM4と同じく小口径の5.56mm弾を使用するため、破壊力ではAK-47やテンプル騎士団仕様のAK-12等には劣ってしまうものの、命中精度では89式小銃の方が優れているのだ。更に弾丸が小さいため反動も少なくて使いやすく、バイポッドまで装備されているため、それを使用すれば更に弾丸が命中させやすくなる。

 

 しかし他の銃と比べるとカスタマイズがし辛い銃であるため、アメリカのM4のように自由自在にライトやホロサイトを取り付けるのが難しいという欠点がある。

 

 倭国支部で使用されている装備は、大半が自衛隊の装備であった。

 

 フロントサイトとリアサイトを覗き込み、他の仲間に銀の弾丸を撃ち込まれた吸血鬼を助けようとする兵士の胸板を撃ち抜く。弾丸は赤い線に沿って敵兵の胸板に激突すると、風穴を開けて敵兵の胸板を抉った。

 

 続けて他の標的を撃ち抜こうとしたその時、河野の伏せていた場所のすぐ近くに複数の赤い線が突き刺さる。全ての線のカウントダウンはバラバラだったが、カウントダウンはどの線も5秒未満となっており、すぐに動かなければ蜂の巣にされてしまうのは火を見るよりも明らかである。

 

 ぎょっとしながら、河野はそのままごろりと右へと転がってその場から離れつつ、線が伸びてきた方向を睨みつけた。先ほどから狙撃していた河野を排除するべきだと判断したのか、負傷兵たちが土嚢袋の後方に用意されていたMG3を旋回させて河野を狙っていたらしい。

 

 次の瞬間、彼が置き去りにしてきた5.56mm弾の薬莢が、7.62mm弾の雨に食い破られて瞬く間にズタズタにされていった。

 

(あ、危なかった…………)

 

 あの赤い線とカウントダウンが無ければ、間違いなく大口径の弾丸の群れに食い破られていただろう。

 

 味方が発動させたと思われる魔術に感謝しながら、河野は即座にそのMG3の射手を狙撃するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私には、もう既に精密演算(クロックワーク)というキメラ・アビリティがある。

 

 キメラ・アビリティとは、第二世代以降のキメラのみが習得することができる突別な能力。転生者の能力すら凌駕してしまうほどの強力な能力を、死にかけることで習得することができる。

 

 極限状態を経験して死にかけることで、”死”を回避するために強制的な突然変異を引き起こして発動する能力を、私はもう既に身につけている。

 

 自分自身の能力なのだから、その能力がどういう代物なのかはもう理解していた。というか、キメラ・アビリティは習得した瞬間にどのような能力なのかを理解することができるようになっているから、試行錯誤して自分の能力を確かめる必要は全くない。

 

 だから私は、この新しい能力も理解していた。

 

 もしかすると、ヴリシアで初めて使った精密演算(クロックワーク)ですら、この新しい能力の”片鱗”ですらなかったのかもしれない。

 

 きっとこれが、私の能力の終着点。

 

 身体の周囲に、複雑な記号で構成された深紅のリングが出現する。私の身体を包み込むように展開したリングたちの外周部から、まるで細い木の枝のように深紅の線が伸びていて、腕を思い切り伸ばしたくらいの距離から透けて消滅してしまっていた。

 

 その線とリングが伝達するのは、私が精密演算(クロックワーク)で収集した情報。自分の放つ弾道や、敵の弾道と着弾するまでのカウントダウンを、半径10km以内にいる全ての味方にのみ伝達することができる能力だった。

 

 つまり、私にしか見ることができなかった弾道やカウントダウンを、半径10km以内にいる全ての味方が見ることができるようになる。その範囲内であれば、歩兵だけでなく戦車に乗っている兵士も見ることができるし、範囲内に入れば戦闘機のパイロットや戦闘ヘリのパイロットもそれを見て敵の攻撃を”予知”して回避する事ができるようになる。

 

 けれども、これを発動している最中は全く動くことができないという弱点がある。

 

 あくまでも演算共有(データリンク)は、私が精密演算(クロックワーク)で受信した情報を、私の脳と周囲に浮かんでいるリングを介して味方に送信する能力。これを発動できるようになったおかげで、感知できる距離が半径2kmから半径10kmまで一気に伸びたんだけど、その分情報の収集と伝達に脳をフル稼働させなければならなくなってしまうから、”身体を動かす余裕”がなくなってしまう。

 

 発動中はちゃんと目の前が見えるし、敵が攻撃してくるという事を理解できるんだけど、”避けよう”と考えることができなくなるほど脳を酷使することになっちゃうから、脳が身体に命令を出すことができなくなってしまう。

 

 だから私はこれを発動している最中にタクヤを掩護してあげることはできないし、ブラドの攻撃を避けることもできない。変なリングを纏ったまま棒立ちで戦いを見つめる事しかできないの。

 

 けれどもこの能力は、ブラドと戦っているタクヤたちだけではなく、死闘を繰り広げている仲間たちも救うことができる筈だと思うの。

 

 これは再生能力を習得した際に、身体が更に変異を起こしたことで習得してしまった能力。だから再生能力の代わりに払った対価と比べると、対価はちょっと安かったかもしれない。

 

 私にとっては十分に大きな対価だったけれど、タクヤのために尽くすことができるのであれば、私は満足できる。

 

 この命は、タクヤに尽くすために使うと決めたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テルミットナイフを両手に装備した状態で、迫り来る7.62mm弾の弾幕の中を突っ走る。右肩へと喰らい付いた赤い線を一瞥しつつ身体を左に倒して弾丸を回避し、続けて顔面に喰らい付いた線を右に小さくジャンプして回避する。外殻で弾けそうな弾丸は無視してそのまま跳弾させ、カウントダウンが1.5秒を切っている線を優先して回避していく。

 

 電気信号の伝達速度を魔術で底上げした上に、この線―――――――おそらくラウラの新しい能力だ―――――――のおかげで、恐ろしい連射速度を誇るMG3の弾丸を回避しつつ、ナイフや外殻で弾き飛ばしながら全力疾走する事ができるのである。しかも、ラウラのこの線はナイフや外殻で弾かれた弾丸が跳弾した後の軌道まで表示してくれるので、さすがに今はやるつもりはないが、弾いた弾丸を敵に跳ね返して殺傷することもできるかもしれない。

 

 外殻で覆われた尻尾を強引に薙ぎ払い、7.62mm弾の群れを叩き落す。一気に赤い線が消滅したのを確認してから姿勢を低くし、天井から床に落下していたでっかいモニターの残骸を駆け上がって一気にジャンプ。ブラドも俺を撃ち抜くためにMG3を天井へと向けてぶっ放し始めるが、外殻やナイフに弾かれているせいで全くダメージは与えられていない。

 

 尻尾を伸ばして天井のモニターのケーブルに巻き付け、弾丸を回避しつつ一気にブラドの真上に移動する。真上にも銃撃してきたが、もうブラドは俺の接近を食い止めることができないと判断したのか、なんとMG3を右手だけで銃撃しながら左手でサバイバルナイフを抜き、白兵戦の準備をしていた。

 

 尻尾をケーブルから離し、弾丸を外殻で弾き飛ばしながら一気に急降下。落下しつつテルミットナイフを思い切り振り下ろしつつ、切れ味を劇的に向上させる”巨躯解体(ブッチャー・タイム)”を発動させる。高周波で発生させた振動を纏わせることにより、切れ味を一気に強化するのだ。

 

 その気になれば戦車の砲身や敵のライフルまで両断できるし、刃こぼれをほぼ確実に起こしてしまうからあまりやりたくないが、複合装甲すら切り刻む事か可能になる。

 

 ”ピカルディー”を修理した時に刃こぼれを起こしたことを思い出しながら、そのナイフを思い切り振り下ろした。

 

 ブラドはサバイバルナイフでその一撃を受け止めようとしていたが、戦車の砲身や複合装甲まで両断してしまう斬撃を、何の変哲もないサバイバルナイフで受け止められる筈がなかった。がちん、と一ちゅんだけ刀身同士がぶつかり合う音が聞こえてきたが、その直後に一瞬だけ火花が見えたと思った頃には、漆黒の刀身をあっさりと両断したマチェットみたいな刀身が、ブラドの頭に食い込んでいた。

 

「グッ…………!」

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 そのまま左斜め下へと薙ぎ払いつつ、くるりと反時計回りに回転。その勢いを乗せて左手の逆手に持っていたテルミットナイフを突き立て、グリップのトリガーを引いた。

 

 古めかしいフリントロック式の銃を思わせる火皿の中から猛烈な白煙が漏れ出したかと思うと、内蔵されていたカートリッジが黒色火薬によって点火され、切っ先の近くに用意された噴射口から白煙と共に深紅の粉末が噴き出す。テルミット反応を起こした灼熱の粉末たちは瞬く間にブラドが噴き出していた鮮血を沸騰させたかと思うと、そのまま肉や内臓を黒焦げにしながら体内へと入り込み、吸血鬼の少年の身体を焼き尽くした。

 

 黒焦げになった肉から分厚い刀身を引き抜き、更に回転しながら右手のナイフを右から左へと薙ぎ払う。切っ先が正確にブラドの喉元を切り裂いた瞬間、焦げた肉の臭いを纏っていたブラドが喉から鮮血を噴き出し、そのまま痙攣しながら後ずさりを始める。

 

 親友だった男の返り血を浴びながらさらに前進し、今度は左手のナイフを思い切り振り払った。黒焦げになった皮膚を切り裂いた刀身を引き戻しつつ、今度は右のナイフを突き出す。ブラドが折れたナイフを投げ捨て、絶叫しながら俺の右手を思い切り掴んできたが、お構いなしにそのまま右手のナイフのトリガーを引いた。

 

 再び火皿が純白の煙を吐き出し、灼熱の粉末を解き放つ。まるでマグマの飛沫のようにも見える超高温の粉末がまたしても彼の胸板を焼き尽くし、肉の焼ける臭いを周囲にばら撒いた。

 

 左足に装着しているナイフの刀身を伸ばし、そのまま左足を俺の右手を掴んでいるブラドの腕へと振り上げる。対吸血鬼用に刀身の刃の部分を銀に変更されていたそのナイフはあっさりと肉を切り裂くと、ぶつん、と肘の部分の骨を正確に切り裂いてしまう。

 

 右手を掴んでいた腕を振り払い、最後の手榴弾の安全ピンを引き抜きつつ後ろへとジャンプ。ブラドがMG3を拾い上げて応戦しようとするが、その機関銃が火を噴くよりも先に、彼の目の前へと投擲されたグレネードが爆炎と水銀の斬撃を解き放った。

 

 これで勝負はついただろうか。もし仮にまだ生きていたとしても、再生能力が衰えてくれていれば勝利することはできるだろう。

 

 しかし、その爆炎の中から赤い線が何本も伸びてきたのを見た瞬間、俺は溜息をつきながらその可能性を投げ捨てる羽目になった。

 

 まだブラドは生きているのだ。しかもあれだけ攻撃を喰らって痛めつけられているにもかかわらず、未だに俺たちへの殺意を維持し続けている。

 

 俺たちの親父以上の執念なのではないだろうかと思いながら姿勢を低くした直後、頭上を数発の7.62mm弾が駆け抜けていった。

 

「なぜだ…………なぜ攻撃が避けられる…………ッ!? 見えているのか、ナガト!?」

 

 そういうことですよ、ブラドさん。

 

 そう思いながら武器をAK-15に持ち帰る。グレネード弾は1発のみだが、マガジンはあと2個ある。ただ、この武装でブラドの再生能力を削ることはできるのだろうか。あれだけ弱点で攻撃したにもかかわらず未だに再生しているのを見ると、この男は何度も再生を繰り返してしまうのではないかと思ってしまう。

 

 しかし―――――――そろそろこの戦いを終わらせることができそうだ。

 

 爆炎の中からブラドが躍り出しつつ、ドラムマガジンを交換する。ついでに側面のカバーを開いて真っ赤になった銃身を取り出し、持っていた予備の銃身をその中へと突っ込んだ。

 

 手榴弾の爆炎の中から出てきたブラドの傷口の再生が――――――――さっきよりもやけに遅い。

 

 手足が千切れても数秒で再生していたというのに、黒焦げになった身体の再生が予想以上に遅れているのだ。真っ黒になった皮膚がゆっくりと肌色に戻っていくものの、あのままでは全身の再生が終わるのに5分以上はかかるのではないだろうか。

 

 もう少しで、あいつとの戦いを終わらせることができるかもしれない。

 

 一緒に戦っている仲間たちに「一気に攻めるぞ」と告げようとした、その時だった。

 

『―――――――ブレスト要塞周辺で戦闘中の同志諸君に告ぐ。こちら、テンプル騎士団艦隊旗艦ジャック・ド・モレー』

 

 ジャック・ド・モレー………!?

 

 海戦が終わってから、そのままこっちへとやってきたのか!?

 

『これより我が艦隊は、ブレスト要塞へのMOAB弾頭による艦砲射撃を敢行する。戦闘中の同志諸君は、ただちに要塞の周囲より退避せよ。繰り返す、これよりMOAB弾頭による艦砲射撃を敢行する。ただちに要塞の周囲より退避せよ――――――――』

 

 艦砲射撃はありがたいが、よりにもよってMOAB弾頭だと…………ッ!?

 

 あんたも無茶をする艦長だな、ブルシーロフ大佐。

 

 テンプル騎士団艦隊の戦艦には、圧倒的な火力を誇るMOAB弾頭が搭載されている。スオミの槍やタンプル砲のMOAB弾頭をそのまま小型化して戦艦の主砲から発射できるようになった代物であり、破壊力は決戦兵器の砲弾と比べると劣ってしまうものの、圧倒的な破壊力を維持している。そんな砲弾を立て続けにぶち込まれれば、間違いなくこのブレスト要塞は消え去ることになるだろう。

 

「タクヤ………」

 

 隣にいるナタリアが、心配そうにこっちを見てくる。彼女はもしかすると、俺がこのままこの要塞に残ってブラドと決着をつけようとしていると思っているに違いない。

 

 正直に言うと、その通りだ。

 

 確かに、仲間やラウラを傷つけたブラドは絶対に許せない。けれども、だからと言ってこのまま撤退して仲間の砲撃に任せるわけにはいかない。ヴリシアからも生還した男なのだから、ここで俺が確実に殺さなければまた生き延びて攻撃を仕掛けてくる可能性がある。

 

 それに、前世の世界では友人だったのだ。だから、俺の手で葬りたい………。

 

 そうすればこの男も納得してくれる筈だから。

 

 決意を決めた俺は、こっちを見ているナタリアに告げた。

 

「―――――――ナタリア、お前たちは先に行け。ここは任せろ」

 

 

 

 



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キメラと吸血鬼の決戦

 

「待ってよ…………タクヤを置いて行けっていうの!?」

 

 今まで俺は何度も無茶な戦い方をしてきたが、多分これが人生最大の無茶になるかもしれない。

 

 数分後に圧倒的な破壊力を誇るMOAB弾頭による砲撃が始まる。一発で敵の地上部隊に大打撃を与えてしまうMOAB弾頭が、これでもかというほどこの要塞に撃ち込まれるのだ。いくら堅牢な岩盤と装甲で守られているとはいえ、立て続けにそんな砲弾を叩き込まれればこの要塞は間違いなくカルガニスタンの砂漠から消え去るだろう。

 

 その要塞の中で、宿敵と最後まで一騎討ちをさせてくれと頼んだのである。

 

 はっきり言うと、正気の沙汰ではない。下手をすれば騎士団の団長がここで敵の総大将と共倒れになる可能性もあるし、俺が敗北してブラドを取り逃がし、弱体化した騎士団を危険に晒してしまうという可能性もある。

 

 けれども――――――――この男との決着は、自分でつけたかった。

 

 前世では友人だったこの男は、自分の手で葬りたい。

 

「頼む、ナタリア」

 

「何言ってんのよ…………あんた、バカじゃないの!? 騎士団の団長を置いて行くわけにはいかないわ!」

 

「ナタリア…………………俺に決着をつけさせてくれ」

 

 彼女の紫色の瞳を見つめて告げてから、俺は彼女に頭を下げた。

 

 多分、イリナやノエルたちも許してくれないだろう。ラウラも俺を連れ帰ろうとするかもしれない。けれどもブラドとの決着は、俺が付けなければならないのだ。あいつの憎悪を断ち切るには、ここでブラドを倒さなければならない。

 

 もしここで俺まで退避してしまえば、ブラドも退避するだろう。周囲が連合軍とテンプル騎士団の大部隊に包囲されているとはいえ、この男ならばその包囲網を強引に脱出することはできるかもしれない。

 

 脱出してからまた吸血鬼の兵士を集め、攻撃を仕掛けてくる可能性は高いだろう。吸血鬼の寿命は長いから、いくらでも時間をかけて準備をすることができるのだから。もしかすると俺がお爺さんになった頃に攻め込んでくるかもしれないし、俺たちの子孫にブラドが牙を剥くかもしれない。

 

 だからここで終わらせる必要があった。

 

 ブラドの憎悪と、ハヤカワ家とクロフォード家の因縁を。

 

 多分、その資格があるのは俺だけだろう。今までやってきた無茶な戦いの比ではないほど無茶な考えかもしれないが、俺に戦わせてほしい。

 

「…………」

 

 頭を下げ続けていると、こつん、と硬い何かに頭を軽く叩かれた。

 

 顔を上げてみると、ナタリアがポーチの中に入っていたテンプル騎士団仕様のAK-12のマガジンを、使えと言わんばかりに差し出してくれていた。

 

「……………無茶するなって約束、また破ったわね」

 

「ごめん……………」

 

「はぁ……………でも、あんたなら生きて帰ってくると思うし、大丈夫かもしれないわね」

 

「…………ありがとう」

 

 無茶をするな、という約束を破るのは何回目だろうか。そう思いながら差し出されたマガジンをありがたく受け取り、ポーチの中に突っ込む。すでにAK-15に装着しているマガジンも含めるとこれで残りのマガジンは3つ。グレネード弾は1発のみで、手榴弾はもうゼロだ。再生能力が低下しているブラドに止めを刺すには十分な数かもしれない。

 

 一応サイドアームの弾薬は残っているし、隙を見て新しい武器を装備すれば弾薬は問題ないだろう。とはいえ、ブラドとの死闘の最中にメニュー画面を開くのは至難の業だ。戦闘中に武器を変えるのは現実的ではない。

 

 AK-12を背中に背負ったナタリアは、サイドアームのPL-14を取り出した。マガジンの中の弾丸をチェックしてから素早くマガジンを装着し、こっちにウインクしてから踵を返す。

 

「――――――絶対に戻ってきなさいよ」

 

「分かってる。絶対に生きて帰る」

 

 親父も、何度も母さんやエリスさんとの約束を破ったのだろうか。

 

 俺は親父に似てしまったのかな…………。

 

 苦笑いしながら後ろを振り向くと、ナタリアに「撤退するわよ」と言われている仲間たちも苦笑いしていた。どうやらノエルやイリナたちは、俺がここに残ってブラドと決着をつけようと思っていることを予測していたらしい。

 

 本当に悪い癖だな、無茶をしようとしてしまうのは。

 

 何度もこの癖を直そうとは思ってるんだけど、多分一生直らないかもしれない。というか親父もレリエルと相討ちになるまで直らなかったのだから、親父に似てしまった俺も直すのは無理だろう。下手したらこの悪い癖は子孫まで遺伝するかもしれない。

 

 拙いな、それは。

 

 後方で演算共有(データリンク)を使っていたラウラは、あの能力を使っている最中は一切動くことができないらしく、イリナに背負ってもらって諜報指令室を後にするところだった。彼女も俺がまた無茶をしようとしていることを予測しているらしく、微笑みながらこっちを見つめてくれている。

 

 息を吐いてから俺も微笑み、ラウラに手を振った。

 

 安心しなよ、お姉ちゃん。絶対に生きて帰るからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、勝ち目はない。

 

 地上部隊は壊滅し、地下へと退避した部隊も辛うじて応戦を続けている。だが、少数の負傷兵たちであの大規模な部隊を返り討ちにすることは不可能だ。中には殺した敵兵から鹵獲したAK-12で応戦している兵士もいるらしいが、彼らが殺されるのは時間の問題だろう。

 

 これ以上は戦わなくていい。

 

 この戦いは、俺たちの負けだ。

 

「…………ブラドより、全ての同胞諸君に告ぐ」

 

 モリガン・カンパニーと殲虎公司(ジェンフーコンスー)の連合軍は東側と北側から攻め込んできており、テンプル騎士団の部隊は要塞の西側から攻撃をしかけているらしい。

 

 連合軍は捕虜を受け入れることはない。投降しようとする兵士や負傷兵に容赦なく弾丸をプレゼントする血も涙もない連中だ。負傷兵たちが投降しても容赦なく殺すに違いない。

 

「この戦いは我々の敗北だ。…………総員ただちに戦闘を中止し、テンプル騎士団に投降せよ。北側及び東側で戦闘中の部隊は、自力で西側まで異動して武装解除し、テンプル騎士団に投降せよ。…………みんな、こんな戦いに付き合わせて済まなかった。ついて来てくれてありがとう。以上だ」

 

 テンプル騎士団ならば、捕虜を受け入れてくれるだろう。すでに投降した部隊も受け入れているらしいし、撃沈された艦隊の乗組員を、モリガン・カンパニーからの命令を無視して全員救助したという。彼らならば同胞たちを救ってくれるに違いない。

 

 もうこの無線機を使うことはないだろうと思った俺は、耳に装着していた小型無線機を取り外すと、床に落としてから思い切り踏みつけた。パキッ、と無線機が粉砕された音を聴きながら顔を上げ、メニュー画面を開く。

 

 もう1つXM8を生産して装備し、安全装置(セーフティ)を解除する。搭載しているのはグレネードランチャーとホロサイトのみで、弾薬は5.56mm弾よりも強力なストッピングパワーを誇る6.8mm弾だ。マガジンの中の弾数が減ってしまうという欠点があるものの、外殻を展開していない部位に命中させれば致命傷を負わせられるだろう。

 

 サイドアームはコルトM1911A1。近距離用の武器はお気に入りのサバイバルナイフのみだ。

 

 どうやらナガトもここで俺と決着をつけるつもりらしく、仲間たちを逃がして武器を準備しているようだった。向こうの得物はAK-15とPL-14で、近距離用の得物はあの灼熱の粉末―――――――多分テルミット反応を起こしている状態の粉末だろう――――――――を噴射するとんでもないナイフだ。

 

 得物はほぼ全部ロシア製か。前世の頃からナガトの奴は東側の装備が好きだったからな。

 

「…………ありがとな、付き合ってくれて」

 

 息を呑みながらXM8を向けていると、セレクターレバーをフルオートに切り替えたナガトがそう言った。

 

「気にするな。…………”友達”じゃないか」

 

「ああ…………久しぶりだ、友達って言われるのは」

 

 今から、俺はその”友達”と決着をつけるのだ。

 

 こちらの再生能力はどんどん低下しつつある。それに対し、向こうは弾丸や砲弾を弾いてしまうほどの堅牢な外殻を瞬時に展開できるという面倒な能力がある。吸血鬼の再生能力は便利だが、俺はあのような防御力を底上げする外殻の方が羨ましいと思う。

 

 向こうの方が装備している武器の弾薬は少ないだろうが、有利なのはナガトの方だ。

 

「じゃあ、決着つけようぜ」

 

「ああ」

 

 ホロサイトを覗き込み、ナガトの頭に照準を合わせる。

 

 ナガトも同じようにアメリカ製のホロサイトを覗き込むと、こっちに照準を合わせてきた。

 

「「―――――――ぶっ殺してやる、クソ野郎!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリガーを押した瞬間、猛烈なマズルフラッシュが銃口から迸った。

 

 立て続けにエジェクション・ポートから空の薬莢たちが飛び出していき、書類やモニターの破片で埋め尽くされた床に激突して金属音を奏でる。けれどもその旋律が俺の耳に飛び込む頃には、優しい金属音よりもはるかに荒々しい銃声がその旋律を呑み込み、消滅させてしまっていた。

 

 大口径の7.62mm弾がオペレーターたちの机やモニターを直撃して火花を生みだす。ブラドは姿勢を低くしながら机やモニターの間を走り抜けたかと思うと、XM8を左手だけで持ちながらこっちにフルオート射撃をぶちかましてきやがった。

 

 外殻を瞬時に展開して6.8mm弾を防ぎつつ、セレクターレバーを3点バーストに切り替える。できるならば最初の攻撃で一気に再生能力を削ぎ落とす予定だったんだが、こっちにはマガジンが3つしか残っていない。出し惜しみするわけではないけれど、チャンスを見つけた瞬間にフルオート射撃をお見舞いできないのは論外だ。

 

 6.8mm弾が跳弾する音を聴きながら前進し、3点バースト射撃でブラドを狙う。3発のうちの1発の弾丸がブラドの脇腹を掠めてほんの少しばかり肉を抉ったけれど、致命傷ではない。

 

 再生能力が機能しなくなり始めたせいなのか、ブラドの戦い方が変わった。

 

 先ほどまでは激昂しながら機関銃を乱射し、攻撃を喰らったらひたすら再生させるだけだったんだが、今のブラドはひたすら動き回って銃撃を回避しようとしている。そう、再生能力に全く頼っていないのである。

 

 機能しなくなりつつある再生能力に頼るのは愚の骨頂だ。

 

 舌打ちしながらマガジンを取り外し、新しいマガジンと交換する。コッキングレバーを思い切り引こうとしたその時、物陰に隠れていたブラドが飛び出してきたかと思うと、そのまま横へとジャンプしつつ、左手で銃身の下のグレネードランチャーのトリガーを押しやがった。

 

 ポンッ、という音を聴いてぎょっとしつつ、俺も思い切り右へとジャンプする。冒険者向けのがっちりした黒いブーツがモニターの破片まみれの床から離れた瞬間、思ったよりも高くジャンプしていることに気付いた俺はぎょっとする。

 

 けれども、すぐに予想以上に高くジャンプする事が出来たのではなく、グレネード弾の爆風で押し上げられたのだという事に気付いた。爆炎と衝撃波が前進を包み込み、キーン、という猛烈な音以外の音が全て聞こえなくなる。

 

「がはっ…………!」

 

 書類の散らばった床の上に叩きつけられる羽目になったが、俺はそのまま横へと転がって司令官の机の下へと転がり込んだ。エリクサーで回復するのが望ましいかもしれないが、そんなことをすれば容器の中の液体を飲むよりも先に、あいつの放った6.8mm弾で撃ち抜かれてしまうのは想像に難くない。

 

 キメラの外殻ならば6.8mm弾どころか12.7mm弾すら弾くことが可能だが、さすがに外殻で覆っていない部位に被弾すれば致命傷を負う羽目になる。しかも俺とブラドのレベルは近いのだから、あいつの攻撃力のステータスが俺の防御力のステータスを下回っているとは考えにくい。

 

 床に弾丸が命中する音を聴きながら、左手をホルダーへと伸ばした。いつもならばそこには試験管にも似た容器が何本かは言っている筈なんだが、ホルダーの中には何もないようだ。その代わりにホルダーは湿っていて、銃撃戦が繰り広げられている部屋の中には場違いとしか言いようがないストロベリーにも似た甘い香りをばら撒いている。

 

 くそ、容器が割れたのか…………!?

 

 回復しようと思ってポーチやホルダーに手を伸ばした時に、戦闘のせいで容器が割れているのは珍しい事ではない。できるならばもう少し容器の耐久度を向上させてほしいところだ。

 

 あとでモリガン・カンパニーにクレームでも入れるか、と思ったその時だった。

 

『こちらジャック・ド・モレー。これより艦砲射撃を開始する。秒読み開始』

 

「マジかよ…………!」

 

 ナタリアたちは無事に脱出したのだろうか。

 

 仲間が巻き込まれませんようにと祈りながら、司令官の机から顔を出してAK-15を連射する。銃声が響く度にエジェクション・ポートが3発分の薬莢を吐き出して、金属音を奏で始める。

 

 唐突に反撃されるのは予想外だったのか、最初の3発はブラドの胸板を直撃した。彼の身体が大きく揺れ、獰猛なストッピングパワーを誇る大口径の弾丸たちがブラドの胸板を抉る。胸筋の一部が弾け飛び、筋肉繊維や胸骨が砕け散った。

 

 小口径の弾丸と比べると反動が大きくなってしまうため、扱いにくくなるという欠点があるが、ストッピングパワーや破壊力ならばこちらの方がはるかに上なのだ。だから魔物だけでなく、人間の兵士にも有効な装備なのである。

 

 可能な限り大口径の弾丸を使用することを推奨していた親父の言う事を聞いておいてよかった、と思いながら銃撃するが、胸板を抉られたブラドはまだ倒れていなかった。血飛沫を巻き散らしながら横へとジャンプし、傷口を再生させながら6.8mm弾を連射する。

 

「とっとと死ねよ、くそったれ!」

 

「お前こそ死ね! そうすれば戦いが終わるんだ!!」

 

 コンティニューし過ぎだぞ、バカ。

 

『秒読み開始』

 

「くそ!」

 

 拙いな…………。艦砲射撃が始まる前に決着はつかないぞ…………。

 

 セレクターレバーをフルオートに切り替え、前進を外殻で覆う。遮蔽物の陰から飛び出して強引に前進しつつ、7.62mm弾をぶっ放す。

 

 ブラドの6.8mm弾を片っ端から弾きながら強引に前進しつつ、左手をテルミットナイフの鞘へと伸ばした。フィンガーガード付きのグリップを引き抜くと同時に姿勢を低くし、そのまま一気に接近する。

 

「!!」

 

 AK-15を振り上げてXM8の銃身の下を殴りつける。いきなり接近されると思っていなかったブラドはその一撃でライフルを床に落とす羽目になったが、すぐに血まみれのブラドが突き出してきた右のストレートを顔面に喰らう羽目になった俺も、メインアームのAK-15を床に落とす羽目になってしまった。

 

 左手のナイフを振り回すが、ブラドが素早く引き抜いたサバイバルナイフで斬撃が弾かれてしまう。

 

 もう一度振り下ろそうと思ったが、それよりも先にブラドの野郎がタックルしてきやがった。全く痛みは感じなかったが、ナイフを振り下ろすために左手を上に突き上げていた状態だったから、その一撃で体勢を崩して床に転倒してしまう。

 

 俺の上に乗ったブラドが、左手で俺の首を絞めながら右手のナイフを逆手持ちにし、ニヤリと笑った。

 

 外殻で覆えば弾けるが―――――――眼球まで外殻で防御できるわけじゃない。

 

 ―――――――拙い。

 

 上に乗っているブラドを振り下ろそうとしたその時だった。

 

『―――――――(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)…………全艦、撃ち方始め』

 

 ブルシーロフ艦長の声が、艦砲射撃の開始を告げた。

 

 

 



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憎悪の終着点

「い、急げ! 艦砲射撃に巻き込まれるぞ!」

 

 大慌てで要塞の外へと脱出していく兵士たちと合流する事ができたナタリアたちは、後退していくシャール2Cの11号車『ジャンヌ・ダルク』の車体の上に乗りながら、もう少しで降り注ぐ砲弾の雨によって消し去られることになった要塞を見つめていた。

 

 後退していくジャンヌ・ダルクの周囲を走る戦車の上には、何とか逃げる事ができたテンプル騎士団陸軍の兵士や強襲殲滅兵の生き残りがタンクデサントしており、上空から歩兵の支援を続けていたスーパーハインドたちも、逃げてきた味方の兵士や投降した吸血鬼の兵士たちを乗せて退避を始めている。

 

 もう既に、テンプル騎士団が攻め込んだ要塞の西側での戦闘は終わっていた。どうやらブラドからテンプル騎士団に投降するように指示されたらしく、抵抗していた兵士たちが唐突に戦闘を止めて武装解除を始め、銃を向けていたテンプル騎士団の部隊に白旗を振り始めたのである。

 

 中にはモリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)と交戦していた部隊も自力で西側へと脱出し、彼らと同じように白旗を振った部隊も見受けられた。

 

 味方の兵士と共に要塞から退避していく吸血鬼の負傷兵たちを見つめながら、ナタリアは溜息をついた。テンプル騎士団はモリガン・カンパニーのように捕虜や負傷兵まで皆殺しにするような戦い方はしないため、投降する敵兵は積極的に捕虜として受け入れるようにしている。そのため周囲の戦車の上にはテンプル騎士団の兵士だけでなく吸血鬼の兵士たちまで乗っていた。

 

 もし無事にタンプル搭まで戻ったら、間違いなくモリガン・カンパニーの幹部たちに捕虜たちを1人残らず殺すように強要されるだろう。テンプル騎士団はあくまでもモリガン・カンパニーと同盟関係を結んでいるだけであるため、彼らの命令に従う義務は全くないのだが、この命令を拒否すれば二大勢力から間違いなく圧力をかけられるだろう。

 

「タクヤ…………」

 

 演算共有(データリンク)を解除したラウラが、要塞の方を見つめながら自分の弟の名を呼んだ。

 

 おそらく、あの2人の戦いは艦砲射撃が始まる前に決着がつくことはないだろう。あらゆる攻撃を弾いてしまう外殻を使う事ができるキメラと、衰え始めたとはいえ再生能力を使う事ができる吸血鬼の一騎討ちなのだから、すぐに決着がつかないのは火を見るよりも明らかである。

 

 きっと彼らは、戦艦の主砲から放たれた砲弾が降り注いでいたとしても、あの要塞で戦い続けるに違いない。

 

『5、4、3、2、1…………弾着、今!』

 

 ジャック・ド・モレーのCICにいる乗組員がそう告げた直後だった。

 

 兵士たちの退避が完了した要塞の防壁が緋色の爆炎に呑み込まれたかと思うと、防壁の内側で立て続けに火柱が産声を上げ、猛烈な爆風と衝撃波たちが戦車の残骸を吹き飛ばした。吸血鬼たちの攻撃を弾き続けていた要塞の防壁に巨大な亀裂が生まれたかと思うと、ブレスト要塞を取り囲んでいた防壁が次々に倒壊していき防壁の内側で噴き上がった爆炎に呑み込まれていった。

 

 ジャック・ド・モレーやソビエツキー・ソユーズ級たちの主砲から放たれた40cm砲のMOAB弾頭が、ついに要塞に着弾したのである。

 

 従来の榴弾を遥かに上回る破壊力を誇るMOAB弾頭が生み出した火柱は、まるで太陽の表面で荒れ狂う無数のフレアたちのように噴き上がると、青空に大量の火の粉をばら撒き、倒壊した管制塔や滑走路を呑み込んでしまう。

 

 ブラドとタクヤが死闘を繰り広げているのは、分厚い岩盤と装甲に守られた地下の戦術区画である。列車砲の砲撃や地下で炸裂させたMOAB弾頭の爆発で穿たれた穴からあの爆炎が流れ込む可能性はあるが、すくなくともあの戦車すら吹き飛ばしてしまう爆風に呑み込まれて消滅する羽目にはならないだろう。

 

 あの男ならば帰ってきてくれる筈だ。

 

 最強の転生者から、あらゆる技術を受け継いだ男なのだから。

 

「タクヤ…………」

 

 今の衝撃で耐えられなくなったのか、残っていた防壁や地上の滑走路が炎の中へと崩落していく。火の粉を纏った黒煙を噴き上げる要塞を見つめながら、ナタリアはタクヤが無事に帰ってきますようにと祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”床の上に立っている”という感覚が消えたと思った直後、俺とブラドは壁や床に思い切り叩きつけられる羽目になった。どこかの骨が折れてるんじゃないだろうかと思いながら起き上がり、手足の骨が折れていないか確認する。身体中で激痛が産声を上げているものの、幸運なことに手足はちゃんと俺の言う事を聞いてくれるらしい。机の角やオペレーター用の椅子に叩きつける羽目になった胴体や胸板も無事で、キメラの強靭な肋骨と胸骨はその衝撃に耐えきってくれていた。

 

 身体が頑丈な種族として生まれたことを感謝しつつ、ゆっくりと起き上がる。骨が折れていないとはいえ、身体中を鈍器でぶん殴られたような痛みで包まれている。

 

 前世の世界で虐待を受けた直後に感じた痛みも、こんな鈍痛だった。前世で虐待に耐え続けていたおかげなのか、こういう痛みに耐えるのは慣れている。さすがに刃物で切られたり、銃弾で撃たれる痛みには慣れていないけれど、こういう痛みなら何度も経験した。

 

 床に落下したでっかいモニターの近くに倒れていたブラドも、肩に刺さっていたモニターの画面の破片を引っこ抜きながら起き上がる。やはり彼の再生能力は衰えているらしく、弱点による攻撃ではないというのに、モニターの破片が刺さっていた傷口の再生はかなり遅かった。裂けた肉が再び結び付き合い、その上を白い皮膚が覆っていく。自分の血が付着した画面の破片を床に投げ捨てたブラドは、先ほど俺の眼球に突き立てようとしていたナイフを吹っ飛ばされた際に失ったことに気付いたらしく、舌打ちをしてから拳を握り締めた。

 

 多分、先の爆発は艦砲射撃の砲弾が着弾したのが原因なのだろう。

 

 しかも艦隊が放ったのは通常の榴弾ではなく、容易く戦車を吹き飛ばしてしまうほどの威力を誇るMOAB弾頭だ。吸血鬼たちの艦隊との海戦から生還したすべての戦艦から一斉に発射されたMOAB弾頭が要塞に直撃したのだから、きっとブレスト要塞の地上は火の海と化しているに違いない。

 

 仲間は無事に逃げられたのだろうかと思ったその時、背後で赤い光が煌いていることに気付いた俺は、背後から諜報指令室の中へと入り込んでくる火の粉を見ながら後ろを振り向いた。

 

 どうやら地下で炸裂させたMOAB弾頭が穿った穴から艦砲射撃で生じた爆炎が要塞の内部へと流れ込んできたらしい。俺の背後にあった諜報指令室の扉が爆発の衝撃波で吹っ飛ばされており、火の海と化した地下通路が覗いている。

 

 艦砲射撃は間違いなく要塞が完全に崩壊するまで続くだろう。つまり、ブラドをとっとと倒して脱出しなければ、ここで焼き殺された挙句黒焦げになった瓦礫に押し潰される羽目になるという事だ。

 

 火の粉が容赦なく入り込んでくる諜報指令室の中で、ブラドを睨みつける。

 

 俺もさっき吹っ飛ばされた際に武器まで吹っ飛ばされたのか、腰に装着していたホルスターや鞘の中に、頼りになるPL-14やナイフは入っていない。お気に入りのAK-15も吹っ飛ばされたらしく、腰の後ろにあるアサルトライフル用のホルダーにも漆黒のライフルは入っていなかった。

 

 俺とブラドは、丸腰だった。

 

 つまり、この最終決戦は殴り合いになる。

 

 ナイフや銃を一切使わずに、相手を殴り殺すしかない。

 

「…………丸腰か、お前も」

 

「ああ」

 

 けれども、殴り合うのも悪くないかもしれない。

 

 そう思いながら、左足を少しばかり前に出して構えた。拳を握りつつ両肩の力を抜き、いつでも突っ込んであのクソ野郎を思い切りぶん殴る準備をする。幼少の頃に親父から教わった構え方だ。剣術だけじゃなく格闘術まで我流だった親父の戦い方は滅茶苦茶だったらしいが、今までに経験した死闘の中でどんどん洗練されていき、最終的には実用的な格闘術になったという。

 

 俺が受け継いだのは、その我流の格闘術だ。

 

 ブラドも同じように構え、俺が前に踏み出すと同時に向こうも突進してきた。

 

 右手を思い切り突き出すが、ブラドの野郎はその一撃を身体を思い切り左へと傾けて回避してしまう。突き出した右手の肘がまだ曲がっている段階で強引に右腕を引き戻し、右側に回り込んだブラドをぶん殴るために、今度は左手を突き出す。

 

 さすがに次ぐに追撃してくるのは予想外だったのか、横に回り込んで殴る準備をしていたブラドは、その左手のボディブローを喰らう羽目になった。左手の拳がブラドの腹にめり込み、衝撃と激痛を彼の体内に解き放つ。

 

 もう一発ぶん殴ってやろうと思った直後、よろめいていたブラドが手を伸ばして俺の前髪を掴んだかと思うと、そのまま下へと引っ張りつつ、左手の拳を思い切り振り上げてきやがった。

 

 下へと引っ張られている状態で、上へと急上昇していく拳にぶん殴られたのだ。右の頬から侵入した衝撃と激痛がそのまま脳と頭蓋骨を穿ち、ぶん殴られた頬の内側が裂ける。

 

 ブラドが左手を引っ込めたかと思うと、右手で俺の前髪を掴んだまま、今度は左の膝を振り上げてきやがった。どうやら膝蹴りを顔面に叩き込もうとしているらしいが、その蹴りが顔面を直撃するよりも先に前に突き出した左手の拳が、床へと伸びているブラドの右足の太腿へと喰らい付いた。

 

 唐突に太腿にパンチをぶち込まれたブラドの身体が揺れ、膝蹴りが途中で止まる。激痛を感じて体勢を崩した隙に前髪を掴んでいた手を引き剥がし、その手を左手で掴みながら右手をブラドの黒いコートの襟へと伸ばして、ぐるりと反時計回りに素早く回転しながら放り投げる。

 

「ガハッ…………!」

 

 背負い投げをお見舞いされて床に叩きつけられるブラド。追撃しようと思ったが、ブラドはすぐに起き上がって距離を詰めると、至近距離で顔面にパンチを放った。

 

 予想以上の速さで反撃されたせいでガードできなかった俺は、そのパンチを叩き込まれて体勢を崩してしまう。立て続けに放たれた二発目のパンチをガードして反撃したが、突き出した左手のパンチをブラドはまたしても身体を左に傾けて回避し、今度は俺の左側の脇腹へと、正確にパンチをぶちかましやがった。

 

「うぐ…………ッ!?」

 

 ボキッ、と骨が折れる音が聞こえた。

 

 今の一撃で何本折られたのだろうか。

 

 歯を食いしばりながら目を見開き、右手の拳を思い切り振り下ろす。今しがた肋骨をへし折ったばかりのブラドの顔面を拳が直撃した瞬間、パンチを叩き込まれたブラドが身体をぐらりと揺らしながら体勢を崩し、口から血を吐き出す。

 

 頬の内側から溢れた鮮血で真っ赤になった歯をあらわにしながら、歯を食いしばり続ける。

 

 体勢を立て直す前にぶん殴ってやろうと思ったその時だった。

 

 何の前触れもなく、後方にある諜報指令室の入り口の向こうで爆発が発生し、配管の破片を纏った爆風が指令室の中へと流れ込んできたのである。

 

 おそらく、通路の中に設置されている配管の中に残っていた高圧の魔力が誘爆したのだろう。要塞が放棄されたとはいえ、配管の中には要塞の内部にあるフィオナ機関へと伝達するための高圧の魔力が残っているのだ。

 

 その爆風を浴びる羽目になった俺は、背中に破片が何本も突き刺さる激痛を感じながら吹っ飛ばされる羽目になった。体勢を立て直そうとしていたブラドの上を通過し、書類で埋め尽くされている床の上に叩きつけられてしまう。

 

 歯を食いしばり、背中に刺さっている配管の小さな破片を何本か強引に引き抜く。真っ赤になった破片を投げ捨てながら、お姉ちゃんにプレゼントしてもらったリボンは無事だろうかと思い、ポニーテールにしている髪に結んでいるリボンへと手を伸ばす。

 

 ちょっとばかり焦げてたけれど、彼女から18歳の誕生日にもらった大切なリボンは無事だった。

 

 これは俺のお守りなのだ。

 

 床に散らばった書類たちが、爆炎を浴びて燃え上がり始める。火のついた書類が爆風のせいで舞い上がり、やけにでかい火の粉と化していく。

 

 またしても頭上の岩盤と装甲の向こうで轟音が聞こえた。艦砲射撃が着弾したらしい。次も同じくMOAB弾頭だろうかと思った頃には、やっぱり地下で砲弾を爆破した際に生まれた穴から流れ込んできた爆炎と衝撃波が、諜報司令部の中へと流れ込んできた。

 

 間違いなく、この要塞はもう崩壊する。

 

 もう決着をつけなければならない。

 

 呼吸を整えながらブラドを睨みつける。あいつもさっきの爆風で肩を焼かれたらしく、火傷を負った左肩を押さえながらこっちを睨んでいた。

 

「ナガトぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「ブラドぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 火の海と化した諜報指令室の中を突っ走り、再びブラドに突進する。ブラドも左肩から手を離して突っ走り、距離を詰めてきた。

 

 もうフェイントやガードをしている場合じゃない。一刻も早くこいつをぶち殺し、脱出しなければならない。

 

 だから俺はもう、小細工をするつもりはなかった。

 

 ブラドのパンチを顔面に喰らいながら右手を突き出し、思い切りブラドの顔面をぶん殴る。立て続けにもう一発ぶん殴ってブラドをふらつかせたが、次の一撃を躱したブラドが、ついさっきパンチで折られた俺の肋骨に拳をぶち込みやがった。

 

 その激痛に耐えながら左手の肘を振り下ろし、ブラドのこめかみを打ち据える。

 

 体勢を立て直しながら振り払ったブラドの拳が左の頬を直撃する。俺も血を吐く羽目になったが、そのまま右の拳を振り回してブラドの顔面を殴りつけ、そのまま左のアッパーカットを顎に叩き込んだ。

 

 多分、俺もボロボロなのだろう。

 

 死闘を繰り広げた父親(リキヤ)のように。

 

 親父とレリエルの最終決戦もこんな感じだったのだろうか。それとも、もっと熾烈だったのだろうか。

 

 ブラドもパンチをガードせずに殴り返してくる。お構いなしに顔面をぶん殴ると、唸り声を発しながら殴り返してくる。もう既に両親から受け継いだ格闘術を生かした殴り合いではなく、ただの殴り合いだ。

 

 眉間に右のストレートが直撃し、がくん、と頭が後ろに大きく揺れる。そのまま右手を伸ばしてブラドの髪を掴み、引き寄せながら頭突きを叩き込む。

 

 もう既に、ブラドの傷口は再生していなかった。弱点による銀や聖水どころか、武器すら使っていないただの殴り合いだというのに、強力な再生能力を持つ吸血鬼の少年は全く傷を再生させていない。

 

 俺も外殻で体を覆う余裕はなかった。

 

 ボディブローを叩き込み、さらに膝蹴りをお見舞いする。呻き声を上げたブラドが左のパンチで頬を殴りつけ、体勢を崩した俺の側頭部に回し蹴りをぶちかましやがった。

 

 今の蹴りで体勢が崩れたのを使用し、身体が右側へと傾いている状態を利用して、そのまま右の拳を思い切り振り上げる。その一撃を喰らう羽目になったブラドが、血を吐きながら拳を振り上げる。

 

 だが―――――――そのパンチが突き出されるよりも先に、強烈な轟音が諜報指令室の中を支配した。

 

「…………ッ!?」

 

 火の海と化した諜報指令室の床に亀裂が入ったかと思うと、その亀裂がどんどん肥大化していったのである。艦砲射撃の衝撃で要塞の地下にある区画が耐えられなくなったに違いない。

 

 反射的にブラドの手を掴み、そのまま通路へと突っ走る。

 

 なぜ俺はブラドの手を引いているのだろうか。

 

 こいつは俺たちの同志を何人も殺したクソ野郎だというのに。

 

 前世では友人だったからなのか? 

 

 猛烈な違和感を感じながら諜報指令室の入口へと突っ走った。このままでは床が崩落し、生き埋めにされてしまうのは想像に難くない。

 

 けれども、俺とブラドが諜報指令室の外にある通路に転がり込むよりも先に、肥大化した亀裂が巨大な穴と化した。床やオペレーター用の机が穴へと飲み込まれていき、猛烈な土埃と火の粉が舞い上がる。天井にぶら下がっていた巨大なモニターも機能を停止し、ノイズの音を発しながらその穴へと落下していった。

 

 俺が踏みつけていた床も、同じように飲み込まれていく。

 

 思い切り入口の縁に手を伸ばしていたおかげで、何とか床と一緒に落下する羽目にはならなかった。諜報指令室の出入り口の縁を掴んだまま下を見下ろしてみると、俺に手を掴まれているブラドが、どうして助けたんだと言わんばかりにこっちを見上げている。

 

 何で助けたんだろうな?

 

 とりあえず、早く上に上がろう。このままでは通路まで崩落するかもしれない。

 

 炎で加熱されたせいで、掴んでいる縁の部分もかなり熱い。このままじゃ指が黒焦げになっちまう。

 

 左手に力を込めて身体を持ち上げようとするが――――――――バキッ、と音を立てながらその縁にも亀裂が入ったのを見た瞬間、俺とブラドはぞっとする羽目になった。

 

「や、ヤバい…………!」

 

 穴の底は瓦礫で埋め尽くされている。中には尖った鉄骨やモニターの破片が真上を向いた状態で埋まっているため、ここから落ちれば間違いなく串刺しにされてしまうだろう。

 

 とっとと上に上がらなければ、俺たちまで下に落ちてしまう。しかし、俺が今掴んでいる場所も下に落ちそうだ。

 

 拙いな…………。

 

 無茶をするなっていう約束は破っちまったけど、絶対に帰ってこいっていう約束まで破るわけにはいかねえぞ………!

 

「…………ビッグセブン」

 

「あ?」

 

 前世のニックネームで俺を呼んだブラドを見下ろすと、ブラドはいつの間にかメニュー画面を開き、右手にコルトM1911A1を持っていた。

 

 まさか、俺を殺して自分だけ上に上がる気か!?

 

 この下衆野郎…………ッ!

 

 こいつを助けなければ、今頃こいつは下で串刺しにされていた筈だ。なのにどうして助けてしまったのか。

 

 反射的にブラドを助けたことを後悔したその時、すぐ近くで銃声が轟くと同時に、ブラドの腕を掴んでいた右手に暖かい鮮血が飛び散った。

 

「―――――――え?」

 

 ―――――――ブラドは、下衆な男ではなかった。

 

 ブラドが放った.45ACP弾が穿ったのは、俺の身体ではない。

 

 右手に掴まれていた、ブラドの手首だった。

 

 立て続けにトリガーを引くブラド。弾丸に射抜かれた彼の手首に風穴が開いていき、ぶつっ、と肉の千切れる音を奏でてから――――――――ブラドの身体が、穴の底へと落ちていく。

 

「―――――――生きろよ、ナガト」

 

「ヒロト――――――――」

 

 もう、あいつに再生能力はない。もし串刺しにされればその傷口は再生しないのだ。つまり、普通の人間のように絶命してしまうのである。

 

 千切れてしまったブラドの片手を握り締めたまま、俺は落下していった親友を見つめていた。

 

 銃弾で切断された手首から鮮血を噴き出していたブラドの心臓を、尖った鉄骨が貫く。

 

 心臓を貫かれる激痛を感じながら、ブラドは俺の方を見つめて笑っていた。

 

 前世の頃に何度も目にした親友の笑顔を見下ろした俺は、真下で串刺しにされている親友を見下ろしながら絶叫するのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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春季攻勢の終結

 

 

 

 

 オリーブグリーンの軍服に身を包んだ負傷兵たちが、両手を上げながら通路の奥にある収容所へと進んでいく。中には両腕が動かせない状況の兵士や、片方の腕を吹っ飛ばされた哀れな兵士も含まれているため、テンプル騎士団の兵士の指示通りに両手を上げながら通路の奥へと進んでいく兵士の数はそれほど多くはない。

 

 

 

 自分たちと同い年くらいの若い兵士も収容所へと入っていくのを見守りながら、ラウラは唇を噛み締めた。

 

 

 

 自分が手足を失う羽目になった時も、きっとタクヤはこんな気持ちを味わっていたのだろう。肉親である上に大切な恋人なのだから、彼が受けたショックは更に大きいかもしれない。

 

 

 

「同志副団長、あとは我々に任せてください」

 

 

 

「…………ごめんなさいね。お願いするわ」

 

 

 

 近くにやってきたエルフの兵士に投降した敵兵の監視をお願いしてから、ラウラは収容所のある”収容区画”を後にする。7.62mm弾を使用するテンプル騎士団仕様のAK-12を抱え、左腕に警備班のエンブレムが描かれた腕章をつけた華奢なエルフの兵士がラウラに向かって微笑んでから、ぞろぞろと収容所の中へ進んでいく吸血鬼たちを監視し始める。

 

 

 

 エルフの兵士は、ハーフエルフの兵士と比べると華奢な兵士が多いと言われている。もし仮にこの負傷兵たちが一斉に暴れ始めたら、彼らだけで鎮圧できるのだろうかと思ったラウラは、彼らが暴れ出すという可能性をすぐに消し去った。

 

 

 

 投稿してきた兵士たちから接収したコルトM1911A1やXM8は、何の前触れもなく消滅していたのである。

 

 

 

 彼らが装備していた武器は、転生者であるブラドが生産して支給していた装備である。その転生者が生み出した装備が消滅したという事は、それを作り出した男が装備していた武器をすべて解除して強制的に武装解除させたか、支給していた張本人が命を落としたことで、彼の能力が全て機能を停止したとしか考えられない。

 

 

 

 武装解除させたという可能性もあるが、彼が指揮を執っていた兵士たちがいつでも武装解除して投降できる状態ではない。中には北側や東側の防壁の周囲で、無数のモリガン・カンパニーの兵士たちに抵抗を続けていた兵士たちもいるのだ。彼らに勝ち目は全くないものの、トリガーを引く度に弾丸を発射してくれる頼もしい武器を奪い取り、同胞に絶望を与えるとは思えない。

 

 

 

 つまり、彼らの装備が消えたという事は、それを生産していたブラドがタクヤとの戦いに敗れて命を落としたという事を意味していた。

 

 

 

 そう、タクヤがブラドを倒したのである。

 

 

 

 そのため、彼が生産した銃や戦車は同時に消滅する羽目になった。その兵器を駆使してモリガン・カンパニーの兵士たちに抵抗を続けていた吸血鬼の兵士たちは、一瞬で丸腰にされてしまったのである。モリガン・カンパニーからの報告では、殺した兵士からAK-12を鹵獲した一部の吸血鬼が未だに抵抗を続けているようだが、無数の兵士たちに鎮圧されるのは時間の問題だろう。

 

 

 

 だが――――――――ブラドを倒した筈のタクヤは、未だにタンプル搭へと帰還していなかった。

 

 

 

 すでにブレスト要塞への艦砲射撃は終了しているため、鹵獲した武器で抵抗を続ける兵士たちにテンプル騎士団が降伏勧告を出しつつ、敵兵と味方の兵士の遺体を回収している状態である。しかし、現時点ではその回収された遺体の中に、ラウラの最愛の弟の遺体は含まれていない。

 

 

 

 第一、もし仮に彼まであの艦砲射撃で命を落としていたのだとしたら、とっくにラウラが装備している銃や味方が装備している武器が一斉に消滅している筈である。艦砲射撃をしている艦隊もタクヤの能力で生産された艦艇で構成されているのだから、タクヤが死んでいたのであれば乗組員たちは一斉に海の藻屑となっていてもおかしくはない。

 

 

 

(タクヤはまだ生きてる筈よ…………。早く見つけないと…………!)

 

 

 

 指令室では無線でタクヤを呼んでいるオペレーターもいるが、返事はないという。

 

 

 

 命を落としたのではなく、無線機があの艦砲射撃で破損しているだけなのだろう。

 

 

 

 収容区画を後にしてエレベーターに乗ったラウラは、そのまま格納庫へと向かった。発信準備を始めているカサートカのパイロットに「ブレストに行くなら私も乗せてちょうだい」と言ってから、彼女も兵員室の中へと乗り込んだ。

 

 

 

 兵員室の中には、もう既に数名の衛生兵が乗り込んでいた。漆黒の制服に身を包んだ金髪のエルフの少女たちに敬礼をしてから席に腰を下ろし、装備していたPPK-12の安全装置セーフティを確認する。

 

 

 

 がごん、とカサートカのすぐ隣にあるエレベーターが降りてくる音を聴いたラウラは、エリクサーの箱を運ぶのを手伝おうとしたままそちらを見つめる。地上へと上がっていたエレベーターがゆっくりと降り始め、ヘリポートを兼ねているエレベーターの上に降り立った味方のカサートカが格納庫の中へと戻ってくる。

 

 

 

 タンプル搭のヘリポートは、ヘリを要塞砲の砲撃の衝撃波から保護するためにエレベーターを兼ねている。地下にある格納庫に収容されているヘリが出撃する際は、収納されている場所の床がそのまま地上へと上がっていき、ヘリポートとなるのである。

 

 

 

 今しがた降りてきたヘリのハッチが開き、カサートカの兵員室から数名の衛生兵とオリーブグリーンの制服に身を包んだ吸血鬼の兵士が降りてくる。その兵士は戦闘で片足を失ってしまったらしく、白い腕章をつけた衛生兵に肩を貸してもらいながら、ゆっくりと格納庫の出口へと歩き始めた。

 

 

 

「ちょっと待て。おい、そいつは吸血鬼じゃないのか?」

 

 

 

 衛生兵たちに連れて行かれる吸血鬼の兵士を見守っていると、格納庫の中にあるモリガン・カンパニーのエンブレムが描かれたスーパーハインドを点検していた1人の兵士が、腰のホルスターに収まっているPL-14のグリップへと手を伸ばしながらその衛生兵のすぐ近くへと駆け寄った。

 

 

 

「は、はい、敵の負傷兵です。すぐに手当てしないと…………」

 

 

 

「敵兵を手当てするだと? 貴様、同志リキノフから敵兵を皆殺しにするように命令されていないのか? テンプル騎士団にも通達されている筈だ」

 

 

 

「で、ですが、もう戦闘は終わっています。捕虜を殺せというのですか?」

 

 

 

「そうだ、敵兵は皆殺しにしなければならない」

 

 

 

 おそらく、補給するためにタンプル搭に寄っていたヘリのパイロットなのだろう。モリガン・カンパニーとは同盟関係にあるため、向こうの航空機や艦艇が補給のためにタンプル搭へと寄っていくのは珍しい事ではない。それに今回の戦いでテンプル騎士団は連合軍に救われたため、補給や整備の要請は積極的に受諾している。

 

 

 

 兵員室の奥へと運び込もうとしていたエリクサーの木箱を傍らに置き、ラウラは兵員室を後にする。

 

 

 

「ふ、副団長?」

 

 

 

「ごめんなさい、ちょっとだけ待っててもらえる? すぐ戻るわ」

 

 

 

 制止しようとしたエルフの兵士に向かって微笑んでから、ラウラはその負傷兵たちの元へと向かう。広大な格納庫に彼女の足音が反響したせいなのか、そのモリガン・カンパニーの兵士たちはすぐにラウラが近くへとやってきたことに気付いた。

 

 

 

「銃を降ろしなさい」

 

 

 

「…………同志ラウラ、こいつは敵です」

 

 

 

 PL-14を吸血鬼の負傷兵へと向けている兵士にそう言ったが、モリガン・カンパニーの兵士はそのまま銃を負傷兵へと向け続けた。片足を失った若い吸血鬼の兵士は自分がこれから殺されるという事を理解しているらしく、ヴリシア語で『た、頼む、殺さないでくれ!』と叫び続けている。

 

 

 

「この負傷兵は我々が手当てするわ。殺す必要はないわよ」

 

 

 

 ラウラはリキヤの娘であるため、父親の命令通りにこの兵士を殺すべきだと言うと思っていたらしく、銃を向けていた兵士は目を見開きながらラウラの顔を見つめた。

 

 

 

「父上からの命令は聞いていないのですか?」

 

 

 

「聞いたわよ。でもね、ここはモリガン・カンパニーじゃなくてテンプル騎士団よ? 確かにパパの会社とは同盟関係だけど、指揮下に入った覚えはないわね。今回の戦闘も、そっちに救援を要請した覚えはないし。命令を聞く必要はあるのかしら?」

 

 

 

「…………魔王様同志リキノフの命令を無視するというのですか? 大問題になりますよ?」

 

 

 

「ええ、そうね」

 

 

 

 溜息をついてから、彼女は腰のホルスターへと手を伸ばした。中に納まっているCz75SP-01を引き抜いてモリガン・カンパニーの兵士に向けた瞬間、負傷兵を庇おうとしていた衛生兵や、同盟関係にある組織の副団長に銃を向けられる羽目になった兵士がぎょっとしながらラウラを見つめる。

 

 

 

 もちろん、本当に撃つつもりはない。そんなことをすれば再び懲罰部隊送りになるだけではなく、この春季攻勢カイザーシュラハトで大損害を被ったばかりのテンプル騎士団にモリガン・カンパニーが宣戦布告する可能性もある。

 

 

 

 だから、脅すだけだ。

 

 

 

 銃を向けずに言葉だけで脅すよりも、銃を突きつけながら脅した方が破壊力は上がるのである。

 

 

 

「…………じゃあ、弾丸を頭に撃ち込まれて”ちょっとした大問題”を体験してみる?」

 

 

 

「…………分かりましたよ」

 

 

 

 頭に弾丸を撃ち込まれる羽目になれば、間違いなく大問題になる。

 

 

 

 負傷兵に向けていたPL-14をゆっくりと下ろした兵士は、上司の娘とはいえ、自分よりも年下の少女に脅されて屈してしまったことが悔しいらしく、ラウラを睨みつけながら銃をホルスターへと戻す。

 

 

 

 自分のヘリへとその兵士が戻っていったのを確認したラウラは、溜息をつきながらCz75SP-01をホルスターの中へと突っ込んだ。

 

 

 

「あ、ありがとうございます、副団長」

 

 

 

「気にしないで。その兵士を早く手当てしてあげてね」

 

 

 

「は、はいっ!」

 

 

 

 おそらくその負傷兵は、水銀榴弾で片足を捥ぎ取られてしまったのだろう。

 

 

 

 もし仮に普通の榴弾だったのならば足を捥ぎ取られても再生する事が可能だ。しかし、弱点に対して耐性のない吸血鬼たちは、弱点である水銀榴弾で足を捥ぎ取られれば、自分の再生能力で生やすことはできないのである。

 

 

 

 彼らにとっては無縁だった義足を移植するしかないのだ。

 

 

 

『…………き、君が”鮮血の魔女”なのか?』

 

 

 

 踵を返そうとしていたラウラは、その負傷兵を見つめて微笑んだ。

 

 

 

 幼少の頃に父親からこの世界の列強国の言語を教わっていたため、ヴリシア語も話すことはできるのである。とはいえ、さすがにタクヤのように様々な国の言語を話せるわけではない。

 

 

 

『ええ、そうよ』

 

 

 

 発音はこれでよかっただろうか、と思っていると、若い看護塀に肩を貸してもらっていた兵士が微笑んだ。

 

 

 

『こんなに可愛いお嬢さんだとは思わなかったよ』

 

 

 

『あらあら、口説かれるとは思ってなかったわ』

 

 

 

 そう言ってからその負傷兵に手を振り、ラウラは今度こそ踵を返す。先ほどのヘリにエリクサーの箱を積み込む手伝いをしなければと思いながらカサートカの近くへ戻ろうとするラウラだったが、どうやらもう既にエルフの女性の衛生兵が全て積み込んでしまったらしく、兵員室の中でエリクサーの箱の数を数えているところだった。

 

 

 

 結局手伝う事ができなかったラウラは、申し訳なく思いながら再びカサートカの兵員室に乗り込み、ブレスト要塞を目指すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、タクヤドラッヘは見つからなかったのね…………」

 

 

 

 会議室の中で腕を組みながらモニターを見つめているクランちゃんに報告した私も、溜息をつきながらモニターを見つめた。会議室の壁に設置されているモニターには、いたるところに大穴が空いた大地の様子が映し出されている。砲弾の大爆発で抉り取られた傷跡の中心部には、やけに大きな縦穴が穿たれていて、戦闘が終わってから半日が経過するというのに、未だにうっすらと黒煙を吐き出し続けている。

 

 

 

 これが、戦闘が終わった状態のブレスト要塞だった。

 

 

 

 半日前まで私たちが死闘を繰り広げていた、激戦地の姿。血まみれの兵士たちが銃で敵兵を撃ち殺し、スコップで敵兵と死闘を繰り広げた戦場は、もう原形を留めていない。

 

 

 

 ブレスト要塞へと向かった私も、まだ要塞の中に取り残されていた吸血鬼の兵士やテンプル騎士団の負傷兵たちの救助活動に参加した。

 

 

 

 けれども、そこで回収した遺体や負傷兵の中に、私の弟は含まれていない。

 

 

 

 そう、彼を発見することはできなかった。

 

 

 

「エージェントたちにも捜索させてるし、航空隊にも協力してもらって地上を確認してるが、タクヤらしき男は発見できていない。…………くそ、どこに行ったんだ…………?」

 

 

 

 もしかして、生き埋めになっちゃったのかな…………!?

 

 

 

 でも、エコーロケーションで何度も確認したし、要塞の地下にある区画ではいれる場所も全部確認した。もちろんそこでエコーロケーションを行って確認したんだけど、やっぱりタクヤの反応はない。

 

 

 

 私もあそこに残るべきだったのかな…………。

 

 

 

 諜報指令室でブラドと一騎討ちをすることを選んだタクヤの事を思い出しながら、私は後悔していた。あの時私も一緒にあそこに残っていればタクヤをちゃんと連れ戻すことができたかもしれないのに、どうして私は帰ってきてしまったのだろうか。

 

 

 

「…………もう一回探してくるわ」

 

 

 

「ラウラ、休んだ方がいいわよ…………。あのバカは私たちが探してくるから、あんたは休んでなさい」

 

 

 

「でも、ナタリアちゃん…………」

 

 

 

「身体を壊したら、あいつを抱きしめてあげられなくなるわよ?」

 

 

 

「ふにゅ…………」

 

 

 

 もし彼に会えたら、思い切り抱きしめてあげたい。

 

 

 

 ナタリアちゃんたちに任せて休んだ方がいいかもしれないと思った私は、心配してくれた彼女に向かって首を縦に振ってから、会議室の席から立ち上がった。椅子を元の位置に戻してから踵を返し、仲間たちの話を聞きながら会議室の扉へと向かう。

 

 

 

 扉のすぐ近くで警備している兵士に敬礼してから、会議室の扉に手を伸ばす。とりあえず自室に戻ったらシャワーを浴びて、ちょっとだけ仮眠させてもらおうかな。

 

 

 

 そう思いながらドアノブを捻ろうとしたその時、力を入れた覚えはなかったのに、勝手にドアノブが捻られた。

 

 

 

「ふにゅ?」

 

 

 

 向こうに誰かいるのかなと思った頃には、もう既に扉が開いていた。

 

 

 

「―――――――ただいまー!」

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 ドアが開くと同時に、火薬と甘い匂いが混ざった香りと、何度も聞いたことのある声が会議室の中へと飛び込んできた。ドアのすぐ近くにいたせいでそれを一足早く受け止めることになったから、私は多分みんなよりも早く気付いたと思う。

 

 

 

 男だと思われるために意図的に低くしているというのに、相変わらず女の子に間違われてしまう高い声。火薬の強烈な臭いの中に混じっているのは、石鹸と花の香りを混ぜ合わせたような甘い匂い。小さい頃から全く同じ匂いを纏っているのは、空いたばかりのドアのすぐ前にいる、蒼い髪の少年。

 

 

 

 彼も目の前に私がいるのは予想外だったみたい。

 

 

 

 深紅の瞳を見つめ合いながら同時に凍り付いちゃったけれど、動き出すのは私の方が早かった。

 

 

 

 彼との再会を、望んでいたのだから。

 

 

 

 小さい頃からずっと一緒にいた恋人を、抱きしめたいと思っていたのだから。

 

 

 

「あ、あれ、ラウラ…………?」

 

 

 

「…………会いたかったよ、タクヤのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 

「ま、待てラウラ! 今肋骨が折れ―――――――べれったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 

 思い切り彼の身体を抱きしめながら、火薬の臭いがする彼の胸板に頬ずりする。

 

 

 

 えへへっ、ちゃんと帰ってきてくれたんだね…………。

 

 

 

 帰ってきてくれてありがとね、タクヤ。

 

 

 

 ―――――――大好きだよっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブラドと決着をつけた後、肋骨を折られた激痛と目の前で親友だった男が死んだショックに耐えながら、俺は侵入する際に通ってきた地下の線路を目指した。地上から脱出しようと思ったんだが、海軍が艦砲射撃を継続している以上は地上から逃げるわけにはいかない。外に出ればMOAB弾頭の雨で木っ端微塵にされるのが関の山である。

 

 

 

 だから俺は地下のトンネルへと向かい、激痛を感じながら真っ暗なトンネルの中を歩き続けた。

 

 

 

 装甲列車も撤退していたから、歩くしかなかったのだ。しかもダメージを負った状態で歩かなければならなかったから、ブレスト要塞からタンプル搭の地下までたどり着くのに半日以上もかかっちまったんだ。

 

 

 

 みんなに迷惑をかけちゃったから、ちゃんと謝らないとな。

 

 

 

 そして、ラウラに治療を施してくれたフィオナ博士を問い詰めなければならない。

 

 

 

 ラウラの身体に、いったい何をしたのかを。

 

 




※ベレッタはイタリアの銃器のメーカーです。


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ラウラの対価

 

 

多分、今頃ブレスト要塞の周囲は静かになっているに違いない。

 

 

 

 テンプル騎士団の兵士たちが、吸血鬼の捕虜たちを収容所へと誘導していくのを見守りながら、そう思った。仲間の報告によると、降伏勧告を受諾して武装解除した吸血鬼たちはブレスト要塞に立て籠もっていた兵士たちのうちの5割ほどであり、残りの5割は戦闘の最中に戦死したり、北側や東側に配備されていたせいでテンプル騎士団が攻め込んでいた西側へと逃げる事ができず、圧倒的な数の兵士や戦車たちに蹂躙されていったという。

 

 

 

 戦死したテンプル騎士団の兵士やモリガン・カンパニーの兵士から鹵獲したAK-12や95式自動歩槍で抵抗していた兵士たちも、モリガン・カンパニーと殲虎公司ジェンフーコンスーの歩兵部隊によって全滅したらしく、遺体の改修に向かった部隊はブレスト要塞で銃声を一度も聞いていないという。

 

 

 

 タンプル搭を守るための重要拠点を1つ失うことになってしまった。周囲には小規模な前哨基地がいくつかあるものの、守備隊の規模が小さい上に、配備されている銃や兵器はコストの低い旧式の代物ばかりであるため、攻め込んできた敵を撃退するのは難しいだろう。

 

 

 

 一刻も早く大規模な要塞を用意しなければならないが、その命令を下すのは少しばかり後回しにしなければならないようだ。

 

 

 

 その前に、問い詰めなければならないことがあるのだから。

 

 

 

 愛用しているPL-14が収まったホルスターと、少しばかり刀身の長さを延長したスペツナズ・ナイフの収まった鞘を腰に下げたまま、配管やケーブルが剥き出しになっているタンプル搭の通路を進んでいく。負傷している捕虜を担架で運んで行く女性の衛生兵や治療魔術師ヒーラーに道を譲りながら、モリガン・カンパニーの兵士を探す。

 

 

 

 テンプル騎士団の兵士の中には女性も所属しており、地上部隊や海兵隊にも何人か所属している。けれども女性の兵士が最も多く所属しているのはラウラが率いる狙撃手部隊か、衛生兵の部隊だろう。一般的な部隊に配属されている女性の兵士は1割か2割くらいなんだけど、狙撃手部隊や衛生兵の部隊に所属している女性の兵士は5割か6割である。

 

 

 

 制服の左腕に白い腕章をつけたハイエルフの少女が、片目を失った吸血鬼の兵士に肩を貸しながら、白衣に身を包んだ治療魔術師ヒーラーの所へと連れていく。治療魔術を得意とする治療専門の魔術師はかなり貴重であるため、衛生兵とは違って最前線には派遣されない。

 

 

 

 最前線で兵士たちを治療すればすぐに復帰させる事ができるが、もし流れ弾や砲弾の爆発に巻き込まれて治療魔術師ヒーラーが命を落とした場合、負傷兵たちを即座に治療する事ができなくなってしまうためである。

 

 

 

 そのためテンプル騎士団では、SMGサブマシンガンなどで武装し、エリクサーなどの回復アイテムを多めに支給された衛生兵がエリクサーで負傷兵を手当てしつつ後方へと連れて行き、治療魔術師ヒーラーに治療させることになっている。要するに、左腕に白い腕章をつけた衛生兵の仕事は、”負傷兵を回収して後方へと連れて行く”事なのだ。

 

 

 

 ハイエルフの少女に敬礼してから道を譲り、奥へと進む。

 

 

 

 収容区画の隔壁の近くで警備をしていた警備班の兵士に敬礼をしてから収容区画の外へと出ると、その隔壁の向こうで治療魔術師ヒーラーに治療されている捕虜たちを睨みつけている殲虎公司ジェンフーコンスーの兵士が見えた。

 

 

 

 モリガン・カンパニーや殲虎公司ジェンフーコンスーでは、捕虜を受け入れずに皆殺しにするのが当たり前だという。

 

 

 

 かつて”勇者”と呼ばれていた転生者がネイリンゲンを壊滅させたことが原因で勃発した”第一次転生者戦争”では、ファルリュー島へと上陸した海兵隊が敵の守備隊を皆殺しにしてしまったため、敵の守備隊は全員戦死する羽目になったのだ。

 

 

 

 捕虜を皆殺しにするのは、その第一次転生者戦争の頃からの物騒な伝統なのである。

 

 

 

「お疲れ様、同志」

 

 

 

「どうも」

 

 

 

 敬礼しながら声をかけると、その殲虎公司ジェンフーコンスーの兵士も敬礼してくれた。

 

 

 

「フィオナ博士はどこにいる?」

 

 

 

「第一居住区の空き部屋にいらっしゃいます」

 

 

 

「Спасибо(ありがと)」

 

 

 

 第一居住区の空き部屋か。

 

 

 

 確か、あそこに住んでいた兵士と家族は一ヵ月前に別の重要拠点に異動になっていた筈だ。フィオナ博士はそこで研究でもしてるんだろうか。

 

 

 

 教えてくれた兵士に礼を言ってから、上へと繋がっているエレベーターに乗る。壁面にあるスイッチを押してから後ろにある壁に寄り掛かり、エレベーターが上へと上がっていく音を聴きながら考え事を始める。

 

 

 

 俺がこれから博士に問い詰めるのは―――――――ラウラの事だ。

 

 

 

 ブラドに撃たれて風穴を開けられたラウラが、傷口を再生させながらブラドに反撃していたのである。

 

 

 

 当たり前だけど、キメラに再生能力はない。体内に含んでいる魔物の遺伝子にもよるけれど、サラマンダーのキメラである以上は再生能力を使うことはできないのだ。けれどもラウラは、ブラドに撃たれても、まるで吸血鬼のように傷口を再生させていた。

 

 

 

 それに彼女は、左足と左腕を失っていた筈である。現在の技術では失った手足を”生やす”ことは不可能であるため、基本的に魔物の素材で作った義手や義足を移植するか、機械で作られた義手や義足を移植してからリハビリをするしかない。

 

 

 

 だが、吸血鬼ならば聖水を塗った剣で切断されたり、水銀榴弾の斬撃で捥ぎ取られたのでなければ、千切れ飛んだ手足を容易く再生させる事ができるのだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ラウラが身につけていた再生能力は、間違いなく吸血鬼と同じ能力だろう。

 

 

 

 フィオナ博士は、どうやってラウラに再生能力を与えたのだろうか。

 

 

 

 第一居住区に到着したらしく、エレベーターのドアが開き始める。搭載されたフィオナ機関が排出する蒸気にも似た魔力の残滓を浴びながら外に出て、居住区の通路を進んでいく。そのまま空き部屋のある場所へと向かった俺は、様々な言語で『空き部屋』と書かれた紙が貼りつけられている木製のドアをノックした。

 

 

 

『はーい』

 

 

 

「博士、俺です。話があるのですがいいでしょうか」

 

 

 

『ええ、どうぞ』

 

 

 

 金属製のドアノブを捻り、遠慮なくドアを開ける。普段は警備班の班長が鍵をかけている筈の空き部屋の中には全く家具が置かれていない。かなり殺風景な部屋の筈だったんだが、フィオナ博士がこの空き部屋を使っているという話を聞いた時点で、その殺風景な部屋がちょっとした研究所に変貌しているんだろうなと思っていた。

 

 

 

 案の定、その空き部屋はフィオナ博士専用の研究所と化していた。部屋の中に用意された簡単なキッチンにはビーカーやフラスコがずらりと並び、奇妙な色の液体が大きめのフラスコの中を満たしている。かつてベッドが置かれていたスペースには小さめの木製のテーブルが運び込まれていて、その上には複雑な記号が記載された分厚い錬金術の教本が何冊も居座っている。

 

 

 

 この教本や道具を持ち込んだ張本人は、そのテーブルの近くで、磨り潰した薬草をピンク色の液体の入ったビーカーにぶち込んでいるところだった。新しいエリクサーの調合でもしているのだろうか。

 

 

 

「お久しぶりです、博士」

 

 

 

『ふふっ。久しぶりですね、タクヤ君』

 

 

 

 磨り潰した薬草をぶち込んだビーカーを振りながら、白衣に身を包んだ白髪の幼女の幽霊は空中に浮いたままこっちを振り向いた。

 

 

 

 彼女はネイリンゲンの屋敷―――――――旧モリガン本部は彼女の実家である―――――――に住み着いていた幽霊であり、モリガンの傭兵の1人なのだ。100年以上前に病死しているものの、”まだ生きていたい”という強烈な未練で幽霊になった挙句、自由に実体化する事ができる変わった幽霊なのである。

 

 

 

 外見は12歳くらいの少女だけど、モリガンのメンバーの中では最年長なのだ。

 

 

 

 ちなみに封印されていた間も含めると、俺の知り合いの中ではステラが最年長である。

 

 

 

 この少女が、フィオナ機関という動力機関を発明し、産業革命を引き起こした天才技術者だ。現在でも研究を継続しており、自分の発明したフィオナ機関の改良を続けている。

 

 

 

「相変わらず研究が好きなんですね」

 

 

 

『そうなんです。研究は私の趣味ですから』

 

 

 

 フィオナ博士はそう言いながら緑色に変色した液体が入っているビーカーを机の上に置いた。彼女の元を訪れた俺が、これから彼女に何を問い詰めようとしているのか理解しているのだろう。

 

 

 

 腰に下げているハンドガンとナイフを引き抜く羽目になりませんようにと祈りながら、俺は彼女を問い詰めることにした。

 

 

 

「博士、聞きたいことがあるのですがいいでしょうか」

 

 

 

『はい、どうぞ』

 

 

 

「―――――――あなたは、ラウラに何をしたんですか?」

 

 

 

 地下トンネルを使ってタンプル搭へと戻ってきてから、ラウラから博士に手足を元通りにしてもらったと聞いた。しかし、いくら彼女でも捥ぎ取られた手足を生やすことはできない筈である。

 

 

 

 彼女は一体何をしたのだろうか。

 

 

 

『生やしたんです、彼女の手足を』

 

 

 

「どうやってです? 現在の技術では、失った手足を生やすことはできない筈ですが」

 

 

 

 どんな治療魔術を使っても、手足を生やすことはできない。出血している断面を皮膚で塞いで止血することくらいしかできないのだ。だからこそ、手足を失った人々は魔物の素材で作った義手や義足を移植してきたのである。

 

 

 

 だが、フィオナ博士はラウラの手足を生やすどころか、彼女に吸血鬼のような再生能力まで与え、彼女のキメラ・アビリティを”進化”させてしまった。

 

 

 

「新しい技術ではないですよね?」

 

 

 

『なぜです? 新しい技術を使ったかもしれないでしょう?』

 

 

 

「…………では、吸血鬼の再生能力も”新技術”で再現できると?」

 

 

 

 そう言った瞬間、微笑みながら質問に答えていたフィオナ博士が目を細めた。

 

 

 

「その”新技術”で失った手足を再び生やし、再生能力まで与える事ができるなら、とっくにモリガン・カンパニーの兵士たちにその再生能力を与えていた筈だ。そうすれば衛生兵や治療魔術師ヒーラーは不要になる。…………でも、彼らにはまだその能力は与えていないようですね、博士」

 

 

 

 失った手足を生やすことができるだけでなく、風穴を開けられても身体を再生させる事ができる再生能力を兵士たちに与える事ができれば、間違いなく治療魔術師ヒーラーは不要になるだろう。自分で身体を再生させられるのだから、治療する必要はないのだ。

 

 

 

 その能力を与える技術があるのであれば、とっくに全ての兵士にその能力を与えていてもおかしくはない。再生能力があれば敵の砲弾で吹っ飛ばされてもすぐに復帰し、仲間と共に敵兵を蹂躙する事ができる。どれだけ攻撃されても全く損害を受けない最強の軍隊を作り上げる事ができるのである。

 

 

 

 しかし、モリガン・カンパニーの兵士たちにはまだその能力を与えていないらしい。

 

 

 

 能力を兵士たちに与えていないという事は、これはまだ不完全な技術ということだ。

 

 

 

「博士、あれは不完全な技術なのですか?」

 

 

 

『…………ええ、あれは不完全です。それにリスクが大きすぎます』

 

 

 

「リスク…………?」

 

 

 

 リスクが大きすぎるだと? どういうことだ?

 

 

 

『身体への負荷があまりにも大きすぎるんです。身体が頑丈なサキュバスやキメラでなければ耐えられないでしょう』

 

 

 

「何をしたんですか?」

 

 

 

 5.56mm弾に被弾しても耐える事ができるオークやハーフエルフですら耐えられないほどの強烈な負荷が対価だというのか。

 

 

 

 その負荷が、”死”を希釈する対価なのだろうか。

 

 

 

『―――――――”移植”したんです』

 

 

 

「何を?」

 

 

 

 博士に質問すると、フィオナ博士は微笑むのを止めた。

 

 

 

『戦場にいっぱい転がってるじゃないですか』

 

 

 

「あんた、まさか―――――――」

 

 

 

 戦場にいっぱい転がっているもの。

 

 

 

 多分俺は、ヴリシアでもそれを見ている。

 

 

 

 オリーブグリーンの制服に身を包み、この世界に存在しない筈の銃や戦車で武装した兵士たち。口の中に生えている、人間よりも長い犬歯と舌。大昔から圧倒的な身体能力と再生能力で人々を苦しめ、彼らの血を吸ってきた恐ろしい種族。

 

 

 

 その怪物たちと、ついさっきまで俺たちは死闘を繰り広げていたじゃないか。

 

 

 

 俺は理解した。

 

 

 

 博士が、ラウラの身体に移植したものを。

 

 

 

「―――――――吸血鬼の細胞を…………ラウラに移植したのか…………ッ!」

 

 

 

『はい』

 

 

 

 その瞬間、俺はハンドガンのホルスターに手を伸ばしていた。PL-14のグリップを握ってホルスターの中から引っ張り出し、すぐに安全装置セーフティを解除して、フィオナ博士の頭へと銃口を向ける。

 

 

 

 彼女は幽霊だから、その気になれば実体化を解除して逃げることはできるだろう。しかしフィオナ博士は俺が銃口を向けるのを予測していたのか、じっとこっちを見つめたまま実体化して空中に浮いている。

 

 

 

「分かってるのか…………ッ!? キメラは変異を起こしやすい種族なんだ! そんなものを移植したら、ラウラの身体にどんな変異が起こるか分からないんだぞ!?」

 

 

 

 キメラは突然変異の塊だ。全く別の遺伝子を持つ生物の細胞を持つ怪物なのである。その怪物に別の種族の細胞を移植すれば、更に突然変異を起こす危険性もある。

 

 

 

『分かってます。…………それに、彼女は大きな対価を払っています』

 

 

 

「大きな対価…………!?」

 

 

 

『身体にかなり大きな負荷がかかりますから…………おそらくラウラさんは、彼女の子供が成人になるまでは生きられないかと』

 

 

 

 ―――――――子供が成人になるまでは、生きられない?

 

 

 

 つまり、寿命が減ってしまったという事なのか?

 

 

 

 キメラはかなり強力な種族だけど、他の種族と比べると寿命はかなり短い。フィオナ博士の検査ではキメラの平均寿命は65歳だという。

 

 

 

 ただでさえ短い寿命が、細胞の移植の負荷で更に短くなってしまったという事だ。

 

 

 

 ラウラは、俺よりも先に老衰で死ぬという事である。

 

 

 

「何でだ…………」

 

 

 

『ラウラさんが望んだことです』

 

 

 

「ラウラが…………?」

 

 

 

『ええ。寿命が減ったとしても、彼女は最後までタクヤ君のために尽くすと言っていましたよ』

 

 

 

 あのバカ…………!

 

 

 

 どうして俺に尽くそうとする? 俺は自分の正体が転生者だという事を黙っていたクソ野郎だし、卑怯者なんだぞ…………!?

 

 

 

 フィオナ博士に向けていた銃をゆっくりと下ろし、安全装置セーフティをかけてからホルスターの中に戻す。彼女に吸血鬼の細胞を移植した挙句、寿命が減ったと告げたフィオナ博士に向けていた怒りは、もう完全に消滅していた。

 

 

 

「…………失礼しました、博士」

 

 

 

『いえいえ、気にしないでください。タクヤ君はラウラちゃんの事を大切にしてますし、この話をしたら怒るのは予測してましたから』

 

 

 

 微笑みながらそう言ったフィオナ博士は、再び背後にあるビーカーを拾い上げ、近くにあった容器の中から蒼い粉を取り出す。それを緑色の液体の中にぶち込んでからビーカーを振り、再びビーカーを机の上に置いた。

 

 

 

「では、ラウラの所に戻ります」

 

 

 

『はい』

 

 

 

 博士に告げてから、俺は彼女に提供していた空き部屋を後にした。

 

 

 

 ラウラのバカ…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室のドアを開けると、花の香りと石鹸の香りを混ぜ合わせたような甘い匂いがドアの向こうから溢れ出した。

 

 

 

 転生者ハンターのコートを脱ぎ、壁に掛けておく。PL-14をホルスターごと外してテーブルの上に置き、ナイフの鞘も腰から外しておく。紅いネクタイを取ってからコートの近くに放り投げ、ソファに腰を下ろした俺は、部屋に置いてある時計を見つめた。

 

 

 

 もう午後8時。もし春季攻勢カイザーシュラハトが無かったら、とっくにシャワーを浴びて夕食を食べている時間帯である。

 

 

 

 シャワールームの方から水の音がする。多分、ラウラがシャワーを浴びているんだろう。イリナが眠るのに使っている棺桶の中身は空になっているから、多分彼女は偵察か訓練に行っているに違いない。

 

 

 

「ふにゃ? お帰りなさい。何してたの?」

 

 

 

 シャワールームの扉が開き、向こうからパジャマ姿のラウラが姿を現した。シャワーを浴びた直後だから彼女の赤毛はまだ濡れていて、お湯が滴り落ちている。それに気づいたラウラは持っていたタオルで髪を拭きながらこっちへとやって来ると、俺の隣に腰を下ろしてから甘え始めた。

 

 

 

 いつもなら喜んで彼女の頭を撫でていると思うんだけど、多分今日は無理だろう。

 

 

 

 甘えてくる姉が、俺に尽くすために自分の寿命を減らしてしまったことを知ってしまったのだから。

 

 

 

 多分、俺に彼女の頭を撫でる資格はない。

 

 

 

「…………どうしたの?」

 

 

 

「…………ラウラ、どうしてあんな対価を払った?」

 

 

 

「…………タクヤに尽くすためだよ」

 

 

 

 部屋に戻ってくる前に、博士から話を聞いていたことに気付いたのだろう。甘えていた彼女の口調が一気に大人びたかと思うと、真面目な表情でこっちを見上げてくるラウラ。彼女は右手を伸ばして俺の頭を撫でながら、柔らかい尻尾を首に巻き付けてきた。

 

 

 

 俺にために寿命を減らしたのか。

 

 

 

「何でだよ………!」

 

 

 

「ごめんなさい…………タクヤを守りたかったの」

 

 

 

「このバカ…………! 俺より先に死んじゃうじゃないか…………!」

 

 

 

 そんなのは嫌だ。

 

 

 

 ラウラが先に死ぬのは、絶対に認めない。

 

 

 

 隣に座っている彼女を抱きしめると、ラウラも俺を抱きしめてくれた。

 

 

 

 彼女が先に死んだら、彼女を抱きしめることはできなくなる。

 

 

 

 間違いなく、俺は1人になってしまう。

 

 

 

 そんなことを考えると同時に、涙が流れ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから俺は、天秤に2つの願いを叶えてもらうことにした。

 

 

 

 片方は、メサイアの天秤の完全消滅だ。願いと同等の対価を支払わなければ願いは叶わないのだから、これを手にした冒険者たちは天秤が不完全であることを知って絶望するだろう。

 

 

 

 それゆえに、それを防ぐために天秤を消すのだ。

 

 

 

 そしてもう1つの願いは、ラウラについての願いにするつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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代役の最終試験

 

 リキヤの息子(タクヤ)レリエルの息子(ブラド)を討伐したことによって、吸血鬼たちが装備していた兵器はすべて消滅した。

 

 基本的に、転生者が生産した戦車や戦艦が撃破されて残骸と化した場合も、転生者が死亡すればその残骸まで消滅するようになっている。だからカルガニスタンに取り残された残骸は連合軍の戦車やテンプル騎士団の戦車だけであり、吸血鬼たちが運用していたマウスやレオパルト2の残骸は全く見当たらない。

 

 抵抗を続けていた吸血鬼たちは、きっと武装が消滅した瞬間に絶望した事だろう。目の前から大量の歩兵たちが攻め込んできているというのに、自分たちの武器が全て消えてしまったのだから。

 

 だが、ブラドが死亡して兵器が消滅したことで、助かった奴もいる。

 

 空母『ウリヤノフスク』の医療室のドアを開けた俺は、一緒に入って来ようとした護衛の兵士たちに「ここで待っていてくれ」と告げてから、そのまま部屋の中へと足を踏み入れた。

 

 地上部隊の負傷兵は、テンプル騎士団本部の医療室で治療してもらっている。海戦ではモリガン・カンパニー艦隊に全く損害が出ていないため、戦死者どころか負傷者すら出ていないのだ。しかもまだ2回ほど対艦ミサイルの飽和攻撃を実施できるほどのミサイルを温存している。

 

 負傷者がいないせいで、医療室の中はかなり静かだった。普段ならば数名の治療魔術師(ヒーラー)が負傷者の治療を行っている筈なのだが、少しばかり広い部屋の中にいるのはベッドの上で眠っている1人の女性だけである。

 

 静かに歩きながら、その女性が眠っているベッドの側へと向かう。頭にかぶっていたシルクハットを近くの机の上に置いてからベッドを囲んでいるカーテンを開け、近くにある椅子に腰を下ろす。

 

 そのベッドで眠っていたのは、白いドレスにも似た服に身を包んだ金髪の女性だった。大人になったばかりの女性なのではないかと思えるほど若々しい容姿だが、実際の年齢は間違いなくリキヤと同じくらいだろう。

 

 若々しい容姿のままなのは、この女性が吸血鬼だからだ。

 

 吸血鬼の寿命はハイエルフ以上に長い。だから普通の人間が老人になる頃でも、吸血鬼たちはまるで20代前半のような若々しい姿を維持したままだという。

 

 ベッドに眠っているその女性の顔を見つめていると、女性がゆっくりと目を開けた。医療室の天井を見つめてから、ベッドの中から片手を伸ばして自分のお腹に触れ、近くに座っている俺の方を見つめる。

 

 困惑しているのだろう。水銀と聖水を呑み込み、戦艦ビスマルクと共に海の藻屑になった筈なのに、敵の空母の医療室でベッドに横になっていたのだから。

 

「やあ、アリア」

 

「こ、ここは…………?」

 

「”ウリヤノフスク”の医療室だ」

 

 吸血鬼たちの艦隊の指揮を執っていたアリアは、乗組員たちと共に脱出せずに艦内に残り、海の藻屑になろうとしたのだろう。しかしブラドが死亡してしまったことによって沈んだビスマルクの残骸も消滅してしまい、海の藻屑になる筈だった彼女は助かってしまったのである。

 

 アリアが飲み込んでいた水銀と聖水も、もう既に彼女の胃の中から除去されている。吸血鬼は弱点以外の方法で殺すこともできるが、再生能力が機能しなくなるまで何度も殺さなければならない。そのため吸血鬼の弱点を使って殺すのが最も合理的な手段と言われていた。

 

 だからアリアは、確実に死ぬために弱点である水銀と聖水を呑み込んでいたのだろう。

 

 水銀と聖水は、吸血鬼たちからすれば強力な硫酸のような代物だ。触れれば身体が溶けてしまう上に、通常の吸血鬼は傷を再生させる事ができなくなってしまう。

 

 しかし、聖水と水銀を呑み込んだアリアが死ぬよりも先に、息子であるブラドがタクヤによって討伐されてしまったことにより、彼女は消滅したビスマルクの残骸から放り出されて海面へと逆戻りすることになった。

 

 息子が死んだことによって、母親が生き残ってしまったのである。

 

「私は…………何で生きてるの…………?」

 

「ビスマルクが消滅したからだ」

 

 戦艦ビスマルクは、ブラドの能力によって生産された兵器である。

 

 そのビスマルクの消滅は、ブラドの死を意味していた。

 

「嘘…………」

 

「…………お前の息子は死んだ。テンプル騎士団に返り討ちにされたんだ」

 

「嘘よ………あの子が…………」

 

 絶望するアリアを見下ろしながら、拳を握り締める。

 

 エンシェントドラゴンの寿命には、終着点がない。つまり誰かに殺されない限りは死ぬことはないのだ。それゆえにエンシェントドラゴンは繁殖して子孫を残す必要がないため、性別という概念すらない。

 

 だからリキヤの記憶を受け継ぐ前までは、”子供が生まれる”という感覚がどのようなものなのか、全くわからなかった。子供を生んだエミリアやエリスが嬉しそうな表情をしていたから、人間にとっては嬉しい事なのだということは理解していた。

 

 だが、リキヤの記憶を受け継いだおかげで、その感覚を理解する事ができた。

 

 それゆえに、自分の子供をこの戦いで失う羽目になったアリアの絶望も、理解する事ができた。

 

「どうして…………」

 

 涙を流し始めたアリアにハンカチを差し出す。アリアはそのハンカチを受け取ると、流れ落ち始めた涙を拭い始めた。

 

「…………魔王、私を殺して」

 

「無理だ」

 

「お願いよ…………死なせてちょうだい」

 

「ダメだ。……お前は生きなければならない」

 

 アリアの要求をあっさりと断り、彼女を睨みつける。

 

 彼女は過激派の吸血鬼たちを率いるレリエル・クロフォードの後継者だ。今回の戦いで過激派の吸血鬼たちは大損害を被ったものの、未だに吸血鬼が世界を支配するべきだと主張する過激派の連中も残っている。春季攻勢(カイザーシュラハト)で吸血鬼たちが惨敗したことによって過激派の連中の勝ち目はなくなったが、兵力を集めてまた攻撃を仕掛けてくる可能性もある。

 

 だからこそ、その過激派の連中を説得できる者が必要なのだ。

 

 レリエル・クロフォードを殺したことになっている俺が奴らを説得したとしても逆効果だ。奴らの潜伏している地域を攻撃しても、吸血鬼たちを食い止めることはできないだろう。

 

 しかし、レリエル・クロフォードの後継者であるアリアならば発言力がある。

 

 彼女ならば、過激派の連中を説得できる筈なのだ。

 

「アリア、死は罰なんかじゃない」

 

「…………」

 

「いいか、アリア。もし俺が仲間のせいで死んでそいつを残す羽目になったとしてもな、謝罪するために死んでほしいとは全く思わない。償いたいんだったら生きてほしいって思うんだよ。…………ここで死ぬのはただの自己満足にしかならんぞ」

 

 かつて、リキヤは若き日のエリスを説得する時もこう言った。エミリアの許婚だったジョシュアによって彼女が殺された時に、計画に加担してエミリアを死なせてしまったことを悔やんでいたエリスを説得し、ネイリンゲンまで連れ帰ったのだ。

 

 エミリアの亡骸を背負いながら、エリスを連れ帰ろうとするリキヤの姿がフラッシュバックする。けれどもこれは、私(ガルゴニス)が見た光景ではない。あの頃は、私はまだ封印されていたのだから。

 

 涙を拭ったアリアがこっちを見上げる。

 

「だから生きろ。ディレントリアに戻って過激派の連中を説得するんだ。いいな?」

 

「…………分かったわ」

 

 彼女も、同胞をこれ以上死なせたくない筈だ。

 

 レリエルが封印された後に本格化した人間たちの反撃によって、吸血鬼たちの数は一気に減っている。もしテンプル騎士団や俺たちに攻撃を仕掛ければ、ただでさえ少ない同胞の数がさらに減る羽目になるのだから。

 

 それにテンプル騎士団には様々な種族の兵士たちが所属している。この世界では種族を差別するのが当たり前だが、彼らのように共存することはできるのだ。

 

 踵を返し、医療室を後にする。ドアの向こうで待っていた兵士たちに「すまないね」と言ってから通路を進み、溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タンプル搭の第一居住区にある空き部屋は、もう既にフィオナが持ち込んだ実験用の道具や分厚い教本だらけになっていた。部屋に用意されている簡単なキッチンにもビーカーやフラスコが置かれており、やけに大きなビーカーの中には、ゴブリンの脳味噌が紫色の液体と一緒に収まっているのが見える。

 

 本当ならばベッドがあるスペースに置かれた机の傍らでは、12歳くらいの少女が磨り潰した薬草をフラスコの中へとぶち込み、ピンク色の液体と混ぜ合わせているところだった。彼女がフラスコを振る度に中に入っている液体がオレンジ色に変色していく。

 

 その幼い姿の技術者の傍らで、車椅子に乗った蒼い髪の女性が分厚い錬金術の教本を読んでいるところだった。右足の膝の辺りには未だに真っ白な包帯がこれでもかというほど巻き付けられていた。本来ならばその先にある筈の脛や爪先の部分は、見当たらない。

 

「エリス」

 

「あら、ダーリン」

 

 もし彼女の足が無事だったのならば、今頃俺に抱き着いていただろう。

 

 けれどもエリスは、義足を移植しない限り立つことはできない。

 

「錬金術の本か?」

 

「ええ、騎士団にいた頃から興味があったのよ」

 

「へぇ…………。なんだか複雑だな」

 

「ふふふっ。錬金術はとっても難しいのよ」

 

 彼女が読んでいた本を覗き込みながら、俺は錬金術が全く分からないふりをした。

 

 本当は、錬金術の事は全て知っているのだ。俺の正体は彼女の夫だった男ではなく、最古の竜(ガルゴニス)なのだから。

 

「ところでエリス…………足の件なんだが」

 

「ああ、義足を手配してくれたの?」

 

「いや…………手配はしていない」

 

 まだ、エリスのための義足は手配していない。というか、手配する予定はない。

 

「エリス…………退役するべきだと思うんだ」

 

 義足を手配すれば、彼女を復帰させることはできるだろう。リハビリさえ終われば、再び彼女と一緒に戦う事ができるに違いない。

 

 けれども俺は、彼女を復帰させるつもりはなかった。

 

 一緒に戦うという事は、また戦場に向かうという事なのだから。

 

 エリスは”絶対零度”という異名を持つ、ラトーニウス王国騎士団に所属していた最強の騎士だった。氷属性の魔術を自在に操る彼女がラトーニウスにいたからこそ、オルトバルカ王国も迂闊に攻め込む事ができなかったのだ。

 

 だが、大切な妻をもうこれ以上戦場に行かせたくはない。

 

 だから彼女を退役させるつもりだった。

 

 拳を握り締めながら告げると、エリスは俺の顔を見上げながら微笑んだ。

 

「―――――――ええ、私も退役した方がいいと思ってたの」

 

「エリス…………」

 

 反対するんじゃないかと思っていたんだが、彼女も退役した方がいいと思っていたのか。

 

 説得する準備をしてきたのだが、肩透かしを食らう羽目になっちまった。

 

「ごめんなさいね、心配かけちゃって」

 

「いや、大丈夫だ。それに君を危険な目に遭わせずに済む。…………ラウラたちに話はしたのか?」

 

「ええ、さっき見舞いに来てくれたの。ほら、そこにスコーンがあるでしょ? ラウラが焼いてくれたのよ」

 

 ラウラが?

 

 確かラウラも料理が下手だったのではないだろうか。彼女が作ったシチューを食べて死にかけたことを思い出しながら、車椅子に乗っているエリスの傍らにあるテーブルの上にある皿をちらりと見てみる。皿の上に乗っているのは美味しそうなスコーンたちで、その皿の隣には甘そうなジャムが乗った小皿も置いてある。

 

 どうやら、旅に出ている間に上達したらしい。

 

「…………本当は、まだリキヤくんたちと戦いたいんだけど、みんなを心配させたくないから…………」

 

「エリス…………」

 

 彼女の近くに置いてあった椅子に腰を下ろし、右手を伸ばして優しく彼女の頭を撫でる。すると、俯いていたエリスが顔を上げ、嬉しそうな表情を浮かべながら頬を膨らませた。

 

「もう、年下のくせに♪」

 

「ははははっ」

 

 リキヤは彼女たちに支えられていた。親友を撃ち殺してしまった時も、エリスが支えてくれたからこそ戦い続ける事ができたのである。

 

 けれども、リキヤはもう彼女たちに恩を返す事ができない。

 

 だから私(ガルゴニス)が、恩を返す事ができなくなってしまった男の代わりに彼女たちを支えるのだ。

 

 私は、彼の記憶と容姿を受け継いだのだから。

 

 それが、私の役目なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「”ツヴァイ”が勝ったのかぁ…………」

 

 目の前の立体映像に映し出されている映像を見つめながら、私は傍らに置いてある紅茶のカップを口へと運んだ。

 

 立体映像に映し出されているのは、燃え盛る諜報指令室の中で雄叫びを上げながら殴り合う2人の第二世代型転生者たち。銃やナイフを使わずに死闘を繰り広げる2人の転生者たちの戦いを見つめながら、私はニヤリと笑う。

 

 もう最終段階だね。”テスト”は終わったのだから。

 

 端末を手に入れた転生者たちをひたすら狩り続けたツヴァイは、”最強の転生者”になりつつある。クソ野郎という”餌”を食べ続けることによって、あの世界を守る守護者にふさわしい戦士へと成長しつつあるのだ。

 

 彼があの世界の守護者になってくれれば、もうパラレルワールドから何の罪もないリキヤたちが強制的に転生させられ、戦死していくことはなくなる。だからアインスとの戦いに勝利したツヴァイには、何としても”リキヤの代役”として成長してもらわなければならない。

 

 でも、彼自身が代役にならなくてもいいんだけどね。

 

 そろそろ私も、彼の前に顔を出した方がいいのかもしれない。もし私が彼の目の前に姿を現したら、あの転生者は私に銃口を向けるだろうか。

 

 チョコレートに手を伸ばそうと思ったその時、チョコレートが入っている箱のすぐ隣に置いてあった私の携帯電話が着信音を発し始めた。箱へと伸ばしていた手の向きを変えて携帯電話を掴み取り、耳元へと運ぶ。

 

 ”あの子”からの電話だった。

 

「もしもし、輪廻よ。…………ああ、見たのね? うん、そう。勝ったのはツヴァイ。…………ふふっ、予想通りでしょ? だって彼は”99人目のリキヤ”の遺伝子を受け継いでるんだから。…………うん、だからそろそろ仕上げをしようと思うの。彼を最強の転生者にするために」

 

 転生者を殺せばレベルがすぐに上がる設定になっているのは、転生者同士で殺し合わせるための仕組み。それに気づいた転生者同士が殺し合いを続ければ、最終的に強い転生者だけが生き残る。

 

 生き残った転生者を”リキヤ”の代役にすればいい。もし仮に力を悪用するクソ野郎でも、記憶を消去して戦死していったリキヤたちの記憶を”移植”すればこの世界を守る守護者になってくれる。けれども成長しているツヴァイを洗脳する必要はないかもしれない。

 

 彼の遺伝子を受け継いだ”代役”が、産声を上げようとしているのだから。

 

「うん、彼らの狙いは天秤だよ。だから私が会いに行かなくても会えるんだけどね。…………うん、近いうちにツヴァイと会うつもり。もちろん”君”の出番ももうすぐだから準備しててね。こっちの準備は終わってるから。…………うん、分かった。じゃあ準備が終わったら連絡してね。バイバーイ」

 

 携帯電話をテーブルの上に置き、今度こそチョコレートの入った箱へと手を伸ばす。それを口へと運びながら左手で立体映像をタッチして、私はお気に入りの映像の再生を始めた。

 

 映し出されたのは、赤毛の男性と吸血鬼の王の死闘。12年前に相討ちになった、レリエル・クロフォードと速河力也の最終決戦だった。

 

 もうすぐで君の代役が生まれるんだよ、力也。

 

 その代役が完成する前に、”最終試験”をする必要がある。

 

 ちゃんと力也の代役として機能するかどうか、”試験官”にテストしてもらうのだ。

 

 だから私は、その試験官を呼ぶことにした。多分、その最終試験の試験官と会ったら、ツヴァイはびっくりするかもね。

 

 ―――――――頼んだよ、”試験官(ドライ)”。

 

 

 

 

 第十七章『ブラスベルグ攻勢』 完

 

 番外編『怪物の生まれた場所』へ続く

 

 

 

 



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番外編 怪物の生まれた場所
怪物の産声


 

 怪物になりたい、と思った。

 

 恐ろしい怪物になる事ができれば、躊躇せずに敵を殺せるのだから。

 

 けれども俺は人間だ。母親と父親の間に生まれた、ごく普通の人間でしかない。

 

 もし俺がごく普通の父と母の間に生まれていたら、小さい頃からそんなことを願い続けることはなかっただろう。学校の友達と一緒に、楽しい人生を送っていたに違いない。

 

 けれども俺が生まれた場所は、最悪の場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このクソガキが!」

 

 頭を壁に叩きつけられた激痛を感じると同時に、そんな罵声が鼓膜へと流れ込んできた。壁に叩きつけられた痛みが、頭蓋骨や脳味噌へと浸透していくのを感じながら起き上がり、目の前に立っている男の顔を見上げる。

 

 この男が、今しがた壁に頭を叩きつける羽目になった原因だ。薄汚れた白い上着の腹の部分は脂肪で覆われているらしく、やけに膨らんでいる。胴体から伸びている四肢にも特に筋肉がついているわけではなく、手足も腹と同じようにやや膨らんでいた。デブとしか言いようがない体形だけど、まだ7歳の子供を殴りつけて壁に叩きつけるには十分な筋力を持っているのだろう。

 

 坊主頭の男の顔を見上げながら、鼻血を服の袖で拭い去る。

 

「さっさと酒買って来いよ! ぶっ殺すぞッ!」

 

「…………」

 

 もっと優しい父親が欲しかった、と思いながら、俺は首を縦に振った。

 

 そう、こいつが俺の父親である。俺が生まれる前まではちゃんと仕事をしていたらしいが、俺が生まれた2年後に解雇されちまったらしく、それからは職を探さずに毎日家で酒を飲むか、母さんが稼いだ金でパチンコに行っている。

 

 何でこんなクズが父親なんだろうか。はっきり言うと、これを父親とは思いたくはない。

 

 幸運なことに、俺はよく母親の方に似ていると言われる。そう言ってもらう度に嬉しくなるんだけれど、残念なことに俺はこいつの遺伝子まで受け継いでいるのだ。

 

 また鼻から流れ落ちてきた鼻血を服の袖で拭い去り、階段を上がって自分の部屋へと向かう。ドアを開けて勉強に使っている机の引き出しの中から小さな財布を取り出し、それをポケットに突っ込んでから自室を後にする。

 

 あのクズは仕事をしていないから、酒を買う時は基本的に俺が金を払うか、母さんが買ってくるようになっている。おかげで欲しいゲームやマンガがあるというのに、全然金が溜まらないから買う事ができない。学校で友達が発売されたばかりのゲームの話をしているのを聞く度に、仕事をせずに酒ばかり飲んでいる父親が憎たらしくなる。

 

 階段を駆け下りてちらりとリビングを見てみると、あのクソ親父は横になってテレビを見ていた。

 

 廊下から俺がリビングの方を見ていることに気付いたらしく、こっちを睨みつけながら「さっさと行けよ!」と怒鳴りつけてくる。そのまま玄関の方へと歩いて行き、自分の靴を履く。

 

 いつも酒を買っている店は自分の家から10分くらいで着く。走れば5分くらいで往復できるだろう。

 

 あのクズが死ねば、俺は幸せになれるだろうか。そう思いながらドアノブに手を伸ばすと、俺がドアノブを捻るよりも先にドアノブがくるりと回り始め、玄関のドアが開いた。

 

「あら、永人(ながと)?」

 

「お母さん…………」

 

 玄関のドアの向こうに立っていたのは、買い物袋を持った黒髪の女性だった。優しそうな雰囲気を放っているけれど、よく見ると頬や手の甲には痣があることが分かる。その痣が放つ痛々しさに母さんの優しそうな雰囲気がかき消されているせいなのか、彼女の前では微笑む事ができない。

 

 彼女は俺の母親の『水無月榛名(みなづきはるな)』。虐待を受けている俺をよく手当てしてくれる、優しい母親である。

 

 母さんはどうやら俺のポケットが膨らんでいることに気付いたらしく、悲しそうな顔をしながら頭を撫でてくれた。

 

「………お酒、買ってくるの?」

 

「…………うん」

 

「そう…………ごめんね、永人」

 

「お母さんは悪くないよ」

 

 どうしてあんなクズと結婚したのか、とは絶対に問い詰めない。確かにあのクズと結婚したのは間違いだろうけど、俺にはそう問い詰めて母さんを恨む資格がないのだ。

 

「…………行ってくる」

 

「…………うん、気をつけ―――――――ゴホッ、ゴホッ」

 

「お母さん、大丈夫?」

 

「う、うん…………大丈夫よ。行ってらっしゃい」

 

「うん」

 

 玄関のドアを開け、また咳き込んでいる母さんをちらりと振り返ってから、俺は家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キッチンで皿を洗っている母さんの顔にあった痣が、増えていた。

 

 酒を買いに行っている間にあのクソ親父が殴ったのだろう。自分は酒を飲んでパチンコに行っている上に仕事をしていないのだから、母さんを殴る資格は無い筈だ。けれども反論すれば更にぶん殴られるから、俺と母さんは反論できない。

 

 心配しながら母さんを見つめていると、お椀を拭いていた母さんはこっちを見ながら心配しないでと言わんばかりに微笑んでくれた。

 

 母さんに向かって頷いてから、リビングの方でテレビを見ているクズを睨みつける。家族のために働いている母さんを殴りつけたくせに、あのクズは罪悪感を感じていないらしく、自分の子供に買わせた酒を飲みながらソファの上に横になっていた。

 

 あいつさえいなければ、俺と母さんは幸せになれる筈だ。

 

 死んでしまえ。

 

 ちらりとキッチンの方を見つめる。母さんが調理に使った包丁は既に洗い終わったらしく、母さんの傍らに置いてある。あれを拾い上げてクソ親父の喉に突き付けたら、あのクズは死ぬだろうか?

 

 もし殺人罪がない世界だったら、俺はあのクズをとっくに殺していただろう。仕事をしないくせに暴力を振るう理不尽なクズさえいなければ、俺と母さんが痣だらけになる事はないのだから。

 

 そう思いながらキッチンの包丁を見つめていたんだけど、母さんは俺がそれで親父を殺そうとしている事に気付いたらしく、悲しそうな顔をしながら首を横に振った。

 

 溜息をつきながらキッチンを後にし、自分の部屋へと向かう。多分、学校の友達の部屋よりも俺の部屋はかなりシンプルだろう。勉強用の机とベッドと本棚くらいしか家具がないのだから。友達の中には親に買ってもらったテレビが自分の部屋の中にある奴もいるけれど、俺の親父は何も買ってくれない。母さんに頼めば買ってくれるかもしれないけれど、あのクズがパチンコで使うための金や酒を買うための金を払っているのは母さんなのだから、俺にテレビを買う余裕はないだろう。

 

 この家にゲーム機はない。仮にあったとしても、それを使うためのテレビは一日中あのクズが見ているのだからゲームはできない。「ゲームやってもいい?」と聞いたとしても殴られるのが関の山だろう。

 

 だから俺にとっての娯楽は、本棚にあるマンガを読むか、友達の家に行ってゲームをやらせてもらうくらいだった。しかもこの本棚に並んでいるマンガは自分の金で買ったものではなく、優しい友達からプレゼントしてもらったものばかりだ。

 

 あのクズの酒を買うために金を使う羽目になるから、マンガを買う余裕すらないのである。

 

 本棚へと手を伸ばし、気に入っているマンガを手に取る。ページを開こうとしたその時、リビングの方から大きな声が聞こえてきた。

 

 リビングの向かいに2階へと上がる短めの階段があるから、リビングで話している声は、普通に話している声ですら騒音さえなければよく聞こえるのだ。だから怒鳴り声だと、まるですぐ近くで怒鳴られているかのようにはっきりと聞こえる。

 

『離婚だとぉ!?』

 

『お願い…………私も永人も限界なの…………!』

 

『ふざけんじゃねえよ…………絶対許さねえからな、このクソ女ぁッ!』

 

「お母さん…………」

 

 もし殴っているような音が聞こえてきたら俺もリビングに行こう。勝ち目はないかもしれないけれど、母さんを守ることはできるかもしれない。

 

 でも、殴っているような音は聞こえてこなかった。その代わりに、びりっ、と紙を破いているような音が聞こえてきた後、母さんが泣いている声と足音が聞こえてくる。

 

 多分、母さんが離婚届を親父に見せたんだろう。離婚する事さえできれば暴力を振るわれることはなくなるかもしれないけれど、仕事をしていない親父が離婚を許すわけがない。生活費を稼いでいる母さんがいなくなれば、仕事をしていないクズは酒を飲んだりパチンコに行くことができなくなってしまう。

 

 マンガを本棚に戻し、ベッドの上で横になった。

 

 できるなら、あの父親を殺したい。包丁でバラバラにしてしまいたい。

 

 猛烈な殺意を自分の中で肥大化させながら、俺は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学校を卒業する直前に、母さんはこの世を去った。

 

 俺が小さい頃から病気だったらしい。けれども母さんは働き続けていた。母さんは家に帰ってきてからよく咳き込んでいたけれど、あの咳は病気のせいだったのだろうか。

 

 母さんの死因が病気だったという事を知ったのは、母さんがこの世を去ったという事を学校で先生から教えてもらい、大慌てで病院に向かってからだった。病院に集まっていた叔父さんが母さんは病気で死んだという事を教えてくれたんだけど、どういう病気だったのかは教えてくれなかった。まだ中学3年生の子供には理解できないだろうと思って病気について教えてくれなかったのだろう。

 

 墓石の表面に触れながら、ゆっくりと燃えていく閃光を見下ろしていた。多分、今の俺は虐待を受けている時や父親の怒鳴り声を部屋で聞いている時よりも、虚ろな目をしているかもしれない。

 

 生活費はどうすればいいのだろうか。

 

 俺はあのクズと2人暮らしをしなければならないのだろうか。

 

 もう母さんは俺を支えてくれないのだろうか。

 

 微笑んでくれないのだろうか。

 

 手当をしてくれないのだろうか。

 

 助けてくれないのだろうか。

 

 どうすればいいのか全く分からなかった。親父は全く料理をしないから、明日の食事は俺が用意しなければならない。もちろん洗濯や家の掃除も全くしないから、そういう仕事も俺がする必要がある。

 

 母さんはお金を遺してくれたけれど、このクズはすぐにパチンコに行ったり酒を買うために使ってしまうのは火を見るよりも明らかだ。だから俺もバイトをする必要があるのではないだろうか。

 

「くそ、どうすればいいんだよ…………」

 

 後ろの方から親父の声が聞こえてきた。さすがに自分の妻を失って悲しんでいるのだろう。今まで暴力を振るったり、彼女から貰った金で酒を買っていた事を悔やんでいるに違いない。改心してくれたのだろうかと期待しながら後ろを振り返ると、クソ親父は唇を噛み締めながら母さんの墓石を見つめていた。

 

「―――――――生活費はどうすればいいんだ? 酒が買えねえじゃねえか…………クソッ。死ぬんじゃねーよ、クソ女が」

 

「やめなさい、高雄くん」

 

「奥さんが死んだのよ!?」

 

「うるせえなっ!!」

 

 ―――――――このクソ親父は、全然改心していなかった。

 

 母さんが死んだというのに、全く悲しんでいる気配がない。

 

 自分の妻が死んだのに、何で酒を買う金の心配をするのか。

 

「あ、そうだ。クソガキ、お前明日からバイトしろよ。それなりに金は稼げるはずだからさ。頼むぜ?」

 

「…………」

 

 今度は、俺か。

 

 肩に触れたクソ親父が、母さんの墓石を見つめていた俺の顔を覗き込んでくる。

 

 もしこいつも働いていたら、母さんは病院に行くことができた筈だ。けれどもこいつは働いて生活費を全く稼がずに、母さんに暴力を振るったり、ただでさえ少ない生活費をパチンコで使っていた。

 

 こいつがいなければ、母さんは死なずに済んだのだろうか。

 

 キッチンで皿を洗いながら微笑んでくれた母さんの顔がフラッシュバックした瞬間、心の中で肥大化していた殺意が弾け飛んだ。

 

 墓石から手を離し、足元に転がっていたそれなりに大きな石を掴み取る。野球のボールくらいの石を思い切り握りながら、その石を俺の顔を覗き込んでいたクソ親父のこめかみに叩きつけた。がくん、と中学3年生に石でぶん殴られたクソ親父の頭が揺れる。石の尖っていたところで殴られたせいなのか、こめかみの皮が裂けて少しばかり血が流れていた。

 

「ぶっ…………!?」

 

「な、永人くん!」

 

「このクソガキ…………ぶっ殺されてえのかぁ!?」

 

 こめかみから流れる血を拭い去りながら叫ぶクソ親父を、一緒に母さんのお墓の前まで来ていた親族のおじさんやおばさんたちが押さえつける。おかげで俺は殴り返されずに済んだけれど、心の中で弾け飛んだ殺意は、まだ消えていない。

 

 このまま殴り殺してやろうかと思ったけれど、石を握っていた右手を振り上げようとした瞬間に後ろにいたおじさんに腕を掴まれ、握っていた石を没収されてしまう。

 

「やめなさい、お母さんのお墓の前だぞ!?」

 

「…………」

 

 いつか、殺してやる。

 

 右側のこめかみから血を流しながらまだこっちに向かって叫んでいるクソ親父を睨みつけながら、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 



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前世の記憶とキメラの少年

 

 母さんが他界してから、俺はバイトを始めた。

 

 あのクソ親父の酒とパチンコのために金を稼ごうと思ったわけじゃない。母さんが遺してくれた大金があるとはいえ、高校に卒業する前に使い切ってしまうかもしれない金額だったし、お構いなしにその金を使って酒を買ったりパチンコに行ったりするクズが家にいるから、働かなければ生活費が底をついてしまう恐れがあった。

 

 だから俺は高校に行きながら働いた。もちろん、クソ親父のためではなく自分のために。

 

 とっとと高校を卒業してから就職したい。もちろん、職場はできるなら県外が良かった。そうすればあの家から出て行けるし、上手くいけばあのクズ野郎が飢え死にするところを見る事ができるかもしれないのだから。

 

 夜遅くまでバイトするのが当たり前だったから、授業中に居眠りをしてしまうのは少なくはなかった。けれども成績は上位だったし、授業中に居眠りをしてしまっても近くの席の友達がよくノートを見せてくれた。

 

 入学したばかりの頃は早く3年経たないかなと思っていた。3年経って卒業すれば、もう父親に暴力を振るわれたり、あんなクズのために金を使う必要がなくなる。それにあのクズを1人にすれば、あいつを苦しめてやれるのだ。

 

 けれども冬休みが近づき始めた辺りから、もう少し学校生活を続けてみたいと思うようになった。

 

 その辺りから、友達が増えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり俺は西側の銃の方が好きだなぁ…………。汎用性高いじゃん」

 

 そう言いながら、俺の隣に座っている男子が弁当の箱を開けた。箸を取り出して中に入っている卵焼きを拾い上げてから口へと運び、片手を傍らに置いてある水筒へと伸ばし始める。

 

 彼の名は『葉月弘人(はづきひろと)』。中学校の頃から一緒の親友で、休み時間や放課後は他の友達と一緒によくこういう話をする。俺も最初の頃は銃や兵器に全く興味がなかったんだけど、こいつとそういう話をしているうちに俺もミリオタになってしまった。

 

「いや、俺は東側だ。破壊力が大きい武器が多いし、最近は西側の銃みたいに汎用性も高くなってるからな」

 

「東側にも高性能な銃があるけどさ、小口径の弾丸の方が扱いやすいだろ?」

 

「でも口径が小さくなったらストッピングパワーが落ちちまうだろうが。できるだけ大口径の方がいいって。あと頑丈な武器が多いぜ、東側は」

 

「あー、確かにAK-47は頑丈だよなぁ…………」

 

 弘人は西側の銃が好きらしい。確かに汎用性が高くて扱いやすい銃が多いけれど、俺は頑丈な銃が多い東側の銃の方が好きなのだ。だからこういう話が始まると、いつも教室の真っ只中でミリオタ同士の冷戦が勃発するのである。

 

 ちなみに俺の友達の中で東側の銃が好きな奴は、よく遊ぶ12人のメンバーの中では俺ともう1人の友達のみ。

 

 同志、東側が不利であります…………。このままじゃ粛清されちゃう。

 

「さあ同志弘人、東側へカモン」

 

「遠慮するわ。お前こそ、ベルリンの壁に穴開けておくからいつでも西側へカモン」

 

「その穴越えたら粛清されるからやめときます」

 

 笑いながら持ってきた弁当箱をカバンの中から取り出し、さっき自動販売機で買ってきたお茶のペットボトルの隣に置く。

 

 今まで料理は母さんがやってた。いつも酒ばかり飲んでいるクソ親父は、当たり前だけど全然家事をしないクズなので、掃除や料理は俺の仕事だ。というか、母さんがやっていた仕事は全部俺がやる羽目になった。学校で勉強をしてからバイトに行き、家に戻って家事をするのはかなり大変である。しかも家事をしている最中は、クソ親父が不機嫌だとぶん殴られることもある。

 

 おかげで色んな事ができるようになったけどね。一番得意なのは料理だろうか。さすがに母さんみたいに美味い料理は作れないけれど、母さんが作っていた料理の味は今でも覚えているから、もっと勉強すれば母さんが作ってくれた料理の味を再現できる筈だ。

 

 というわけで、この弁当箱の中に入っている中身は全部自分で料理したものばかりだ。弁当箱の半分を埋め尽くしているのは白いご飯で、余裕がある時は上に梅干を1つ乗せることにしてる。でも今朝は時間がなかったから梅干は乗せてない。

 

 おかずは卵焼きとから揚げの2つだけ。トマトとブロッコリーも一緒に入れてある。

 

 料理を始めたばかりの頃は調味料をどれくらい入れればいいのか全く分からなかったから、味が濃すぎたりまったく味がしないこともあったけれど、今ではちょうど良くなりつつある。

 

 もちろんあのクソ親父の分の飯も俺が作らなければならない。でもあんなクソ野郎に上手い飯は食わせたくないので、わざと調味料の量を間違えたり、あいつの皿に乗せるから揚げはぶん殴られない程度に小さいやつを選んで乗せている。

 

 要するに、あいつには適当な料理(モンキーモデル)しか食わせてない。

 

 ざまあみろ。

 

 多分、あのデブは料理ができないんだな。

 

 俺は料理ができるから大丈夫だけど、もし結婚したら妻は絶対に敵に回さないようにしよう。というかあんなクソ親父みたいになってたまるか。

 

「お、美味そうじゃん!」

 

「1つ食う? でっかいやつだけ入れてきたんだ」

 

「でっかいやつだけ? 他のは?」

 

小さいやつ(モンキーモデル)

 

「お前は東側が好きなんだな…………」

 

 ちなみに調味料の量も減らしてあるので、それなりに味は薄くなってると思います。召し上がれ、クソ親父。

 

 ニヤニヤしながらちらりと弘人の弁当箱を覗き込んでみる。彼の場合はお母さんが作ってくれているからなのか、俺の弁当よりもおかずの数が多かった。小さめのハンバーグとかから揚げも入ってるし、野菜も多めに入ってる。

 

 明日からもう少し野菜増やそうかな…………。

 

「お、美味い! これお前作ったんだよな?」

 

「ああ」

 

「母さんの唐揚げより美味いかも…………。なあ、今夜俺の家で夕飯作っていけよ」

 

「”食っていけ”じゃなくて”作っていけ”かよ!?」

 

 今夜バイトなんですけど!

 

 俺の弁当箱の中から拾い上げたから揚げ―――――――しかも一番でかいやつだ―――――――を口へと運び、噛み砕きながら笑う弘人。俺は苦笑いしながらペットボトルを口へと運んだ。

 

「おい、それ一番でっかいやつじゃねーか!」

 

「いいじゃん。ほら、俺のハンバーグをやるからさー」

 

「まったく…………楽しみにしてたやつなのに…………」

 

 とりあえず、ハンバーグを貰っておこう。

 

 弘人が弁当箱に放り込んでくれたハンバーグを箸で拾い上げた俺は、口へと運ぶのを止めた。

 

 ちょっと待て。これ食いかけのやつじゃねーか!

 

「おい、食いかけのやつ放り込んでんじゃねえよ!」

 

「あー、お前の唐揚げマジで美味い♪」

 

「2個目を持って行くなよ! お、俺のおかずがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 卵焼きとなけなしの唐揚げだけで弁当箱の半分を埋め尽くしているご飯を完食しろと言うのか!? くそ、せめて梅干しがあれば難しくはなかった筈なんだが、さすがに卵焼き2つと小さめの唐揚げ1個でこのご飯を片付けるのは困難だ…………!

 

 あとで覚えてろよ、弘人ぉ…………!

 

 そんなことを考えながら箸で卵焼きを2つに分け、そのうちの片方を口へと運ぶ。

 

 多分、高校でもこいつと同じクラスになっていなければ、俺に友達はいなかったかもしれない。最悪の場合は虐められて自殺する羽目になってたかもな。

 

 家で虐待されてる挙句、学校で虐められるのは最悪だ。

 

 けれども、こいつや他の仲の良い友達のおかげで、俺は学校生活を楽しむ事ができてる。身体や顔から痣が消えた日はないけれど、学校にいる間はあのクソ親父の事を考えずに済むし、勉強と家事とバイトをしなければならないことを”辛い”と思うこともない。

 

 そう、弘人のおかげだ。

 

 こいつのおかげで、やっと学校生活が楽しいと思う事ができるようになった。

 

 こいつのおかげで、友達も増えた。

 

「そういえば、来月の修学旅行楽しみだな」

 

「ああ」

 

 土産は親族のおじさんやおばさんの分だけでいいか。クソ親父の分を買っていかなかったことを知ったらぶん殴られるかもしれないけれど、あいつの分は買わないことにしよう。

 

 修学旅行の行き先はどこだっけ。確か飛行機で行く筈だ。

 

 来月の修学旅行の事を考えながら、俺は次々にご飯を口の中へと放り込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその修学旅行に行く途中で、水無月永人という少年は命を落とす羽目になる。

 

 墜落していく飛行機の中で、これから走馬灯の上映会でも始まるんじゃないかと思っていた。とはいってもたった17年の人生を楽しいと思う事ができたのは、母さんと一緒に親戚の家に泊まった時か、後半の学校生活くらいだろう。

 

 それ以外には、嫌な思い出しかない。

 

 大切な母の死。

 

 虐待。

 

 クソ親父の罵声。

 

 死ぬ前にそんなものをまた見せられるのかと思ったけれど、それを目にすることはなかった。

 

 代わりに―――――――俺は、異世界へと転生することになったのだ。

 

 虐待を受け続けた水無月永人という日本人の少年が死に、タクヤ・ハヤカワというキメラの少年として生まれ変わることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がたん、という音と振動が、墜落していく飛行機の中の光景を強制的に終了させる。瞼を瞑っていたという事を自覚すると同時に、夢を見ていたのだという事を理解した俺は、右手を伸ばして瞼を擦りながら起き上がろうとする。

 

 いつも嗅いでいるオイルや火薬の臭いと、甘いジャムの匂い。多分このジャムはナタリア特製のジャムだろう。彼女のジャムは結構甘いから、たっぷりとパンに塗ると凄まじい甘さになる。アイスティーに入れるとアイスティーがジュースに早変わりしてしまうほどの甘さなので、アイスティーに入れるならほんの少しで十分なのだ。

 

 どうやら俺は眠っていたらしい。周囲を見渡してみると、テンプル騎士団の漆黒の制服に身を包み、支給されたばかりのAK-15やテンプル騎士団仕様のAK-12を装備した兵士たちが、兵員室の座席に座っているのが見えた。その兵士たちの傍らにある窓の向こうには、灰色の砂漠で埋め尽くされた大地と、白と蒼の二色で彩られた大空が広がっている。

 

 確か、転生者の討伐が終わってから帰る途中だった筈だ。最近は転生者の討伐を行うことが多かったから、疲れて眠ってしまったのかもしれない。

 

 俺はテンプル騎士団の団長なのだから、いつまでも眠っているわけにはいかない。そろそろ起きないと。

 

 というわけで瞼を擦りながら起き上がろうとしたんだけど、身体が動かない。

 

 前進が動かないというわけではない。手足は自由に動かせるんだけど、どういうわけなのか首の辺りが何かに押さえつけられているせいで身体を起こせないのだ。手枷や足枷のように硬い感触ではなく、ぷにぷにしてて暖かい感触である。できるならばそれを触ったまま二度寝してしまいたいくらい気持ちいい感触だ。

 

 これ何?

 

「ふにゅ? あ、おはようっ♪」

 

「ふにゅ…………お姉ちゃん…………?」

 

 ラウラ…………?

 

 ああ、首の上に乗ってるのはラウラの尻尾か。

 

 彼女の尻尾に触りながら、ニコニコしているラウラの顔を見上げる。

 

 どうやら、眠っている間に彼女に膝枕をしてもらっていたらしい。数秒前まで頭を乗せていたラウラの太腿をちらりと見た俺は、少しばかり顔を赤くしながら、反射的に頭に生えている角を手で押さえてしまう。

 

 感情が昂ると勝手に伸びてしまう不便な角は、やっぱりラウラの柔らかい太腿を枕代わりにして眠っていたという事を理解した瞬間、ちょっとずつ伸び始めていた。それを見下ろしていたラウラはニコニコと笑いながら再び尻尾を俺の首の上に乗せると、そのまま再び太腿の上へと戻してしまう。

 

「ラ、ラウラ?」

 

「疲れてるんでしょ? 大丈夫だよ、タンプル搭についたらお姉ちゃんが起こすから」

 

「…………あ、ありがと」

 

 ね、寝れるかな…………?

 

 後頭部に当たっている彼女の柔らかい太腿と、その太腿を包み込んでいる黒ニーソの感触を感じながら、強引に瞼を瞑る。

 

 さっきのように眠っている最中に膝枕をしてもらったのならば普通に眠ることができたと思うんだけど、甘い香りと柔らかい感触のせいでドキドキしているから、多分今回は寝れないと思う。

 

「羨ましいなぁ、団長…………」

 

「膝枕かぁ…………」

 

 ラウラ、出来ればこういう事は部屋でやってくれないかな?

 

 そう言おうと思ったけど、多分彼女にそう言ってもラウラは膝枕を止めないだろう。

 

 無駄だろうな、と思っていると、今度はラウラが子守唄を歌いながら俺の頭を撫で始めた。

 

 お姉ちゃん、恥ずかしいんだけど…………。

 

 けれども、こんなに優しいお姉ちゃんの弟として生まれる事ができたのは本当に幸運だと思う。以前の人生とは違って、今の父親―――――――正確には父親のふりをしているガルちゃんだ―――――――もちゃんと家族の事を考えてくれている最高の父親だし、母親も優しい。

 

 もし仮に前世の世界に戻ることができたとしても、俺はあの世界に戻ろうとはしないだろう。

 

 バイトと家事をしながら学校に通い、クソ親父から虐待を受けながら生活するよりも、下手をすれば命を落とす可能性はあるけれど、大切な仲間達や優しいお姉ちゃんたちと異世界のダンジョンを冒険する方が、スリルがあるし幸せだ。

 

 だから俺は、あの世界へ帰ろうとは思わない。

 

 それに、この世界には人々を虐げるクソ野郎がいる。前世の世界のように平和な世界ではないのだ。

 

 前世で散々虐げられる苦しみを経験したからこそ、そういう奴らを許すわけにはいかない。人々を守るためにも、彼らを虐げるクソ野郎は俺たちが狩らなければならないのだ。

 

 だからこそ俺は、親父から転生者ハンターのコートを受け継いだのである。

 

 前世の世界のように平和な世界ではないけれど―――――――俺はこの世界で生きていこうと思う。

 

 仲間たちと一緒に戦って、子供をしっかりと育てて、歳をとって死んでいこうと思う。

 

 きっと最高の人生になる筈だ。

 

 ”退役”する頃には、多分凄まじい量の敵の死体と空の薬莢が転がっているに違いない。けれども俺たちの遺伝子を受け継いだ子供たちを、戦いの中で帰り血まみれにさせないためにも、俺たちが血まみれになって戦わなければならない。

 

 それゆえに、俺たちは戦う。

 

 ナイフと、弾丸と、AK-15(カラシニコフ)で。

 

 

 

 

 

 

 

 



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準備を終えた怪物

 今日は学校とバイトは休みだ。

 

 いつもなら家に帰る前にクソ親父のために酒を買っていく必要があるんだけど、今日は必要ない。だから買い物が終わってから、俺は家に真っ直ぐに帰ることにした。

 

 玄関のドアを開けて中に入り、靴を脱いでから部屋へと向かう。相変わらず玄関にはクソ親父の靴が並んでいて、リビングの方からはテレビの音が聞こえてくる。ことん、と酒の瓶をテーブルの上に置く音を聴きながら、買い物袋の中身を容赦なく冷蔵庫にぶち込んでいく。

 

 当たり前だけど、クソ親父が俺に「お帰り」と言う事はない。だから俺も、あのクソ親父に「ただいま」と言う事はない。基本的に俺から声をかけることはないのである。

 

 階段を駆け下りてキッチンへと向かい、夕飯の準備をすることにする。今の時刻は午後5時だから、今すぐに用意すれば早めに夕食を済ませられる筈だ。

 

 食材が入っている冷蔵庫を開けようとしたその時だった。

 

「?」

 

 ポケットに入っている携帯電話から、着信音が聞こえてきたのである。誰だろうかと思いつつポケットの中から携帯電話を取り出して開いてみると、メールが届いていた。

 

 そのメールを送ってきた送信者の名前を見た俺は、目を細める。

 

 クソ親父に見つからないうちにメールの中身を確認しておく。

 

 ―――――――やっぱり、酒を買って来なかったのは正解だった。

 

「おい、クソガキ」

 

 メールの中身を確認してからポケットに突っ込むと同時に、ソファの上に横になりながらテレビを見ていたクソ親父がこっちを睨みつけながら低い声で言った。どうせ酒を買って来なかったことを咎めるつもりなんだろうな、と思いながらそっちを無表情のまま見つめる。

 

「てめえ、酒はどうした?」

 

「買ってきてない」

 

「あぁ? …………買って来いって言っただろうが」

 

「うん」

 

「じゃあ何で買って来なかったんだぁ!? あぁ!?」

 

 怒鳴られるのには慣れてしまった。小さい頃は母さんの陰に隠れてたけど、そうすれば母さんまで巻き込んでしまうし、最悪の場合は俺の代わりに母さんが殴られてしまうから、すぐに母さんの陰に隠れるのは止めてしまった。

 

 小さい頃から何度も怒鳴られているからなのか、全然怖いとは思わない。もう震えなくなっちまったな、と思いつつ、ソファの上に横になりながら偉そうにこっちを睨みつけている無能を見つめる。

 

 こいつは俺がこの家からいなくなったらどうするつもりなのだろうか。

 

 ちょっとだけ気になるけれど、もう気にする必要はないだろう。

 

「はっ、やっぱりクソ女にそっくりだな………。使えねえガキだ。黙って金稼いで、酒を買ってくればいいんだよ、クソが」

 

「…………」

 

 ちらりとキッチンの中に用意してある包丁を見る。

 

 俺が小さい頃から母さんが使っていた包丁だ。小さい頃、あの親父を殺してやろうかと思ってちらりとその包丁を見た時、母さんは止めなさいと言わんばかりに首を横に振っていた。

 

 あの時の包丁が、すぐ近くに置いてある。

 

 母が美味しい料理を作ってくれた包丁が、近くにある。

 

 けれども、もう母さんの料理を食べることはできない。母さんはあのクソ親父のせいでこの世を去り、お墓の下で眠っているのだから。

 

 あの時首を横に振って制止してくれた母さんの顔を思い浮かべながら、俺も首を横に振った。

 

 いいんだよ、母さん。

 

 俺はもう我慢したし、解放されたんだ。

 

 さっきのメールで、開放してもらったのだから。

 

 これは自由になるための”仕上げ”なんだ。だから止めないでくれ。

 

 母さんは悲しむだろうな、と思いながら、その包丁に手を伸ばす。こっちを睨みつけながらまだ文句を言っているクソ親父に見つからないように包丁を拾い上げ、冷蔵庫からキャベツを取り出して調理するふりをしつつ、クソ親父の様子を確認する。

 

 文句を聞いていないと思ったのか、舌打ちをしてから再びテレビを見始めるクソ親父。こっちを見ていないことを確認してから、まな板の上にキャベツを置き去りにし、右手に包丁を持ったままゆっくりとソファの方に近づいていく。

 

 あのソファはいつもクソ親父が横になっているから、俺や母さんは座ったことがない。いつも横になっているせいで、そのソファからは汗の臭いがする。できるならこのソファには近づきたくなかったんだけど、我慢するしかなさそうだ。

 

「あ? 何だよ?」

 

 ソファのすぐ後ろに俺が立っていることに気付いたクソ親父が、少しだけびっくりしてから睨みつけてくる。

 

「さっさと飯作れよ。サボってんじゃねーぞ、クソガキが」

 

「…………もう、お前に飯は作らない」

 

「あ?」

 

 こんな奴のために、飯を作る必要はない。

 

 もう、そんなことはしなくていい。

 

「何言ってんだ? 殴られてえのか?」

 

 できるなら、もっと優しい父親が欲しかった。多少厳しくても、しっかり働いている立派な父親だったら尊敬していたかもしれないのに。

 

 何で俺の父親は、こんな奴なんだろうか。

 

 失望しながら、俺は右手に持っていた包丁を振り上げた。息子が振り上げた包丁を目にした瞬間、ソファの上に横になっていたクソ親父がぎょっとする。殴れば言う事を聞くだろうと思って高を括っていたのかもしれない。今まで言う事を聞かせていた息子が、包丁を持って襲い掛かってくるのは予想外だったんだろう。

 

 無様な顔をしながらソファから起き上がろうとするデブを嗤いながら、容赦なく包丁を振り下ろした。

 

 どういうわけか、全然躊躇はしなかった。このクソ親父に全く優しくしてもらえなかったからなのだろうか? それとも、幼少の頃からずっと憎んでいたからなのだろうか。

 

 人を殺そうとしているという罪悪感は全く感じない。むしろ、心の中を侵食していた憎しみが凄まじい勢いで減っていく。

 

「がっ…………」

 

 どすっ、と、包丁の切っ先が起き上がろうとしていたクソ親父の脇腹を貫いた。白い上着の脇腹の辺りがどんどん真っ赤に染まり、汗臭いソファが段々と血の臭いに侵食されていく。服から滲み出た鮮血がグレーのソファを濡らし、赤く染めていった。

 

 包丁を引き抜き、真っ赤に染まった刀身を見下ろす。

 

 母さんが生きてたら悲しんでたかもしれない。

 

「て、てめ………え…………ッ! ち、父親に…………こ、こんなことを―――――――」

 

「父親?」

 

 真っ赤に染まった包丁に指で触れ、赤くなってしまった刀身に銀色のラインを刻み付けてから、傷口を押さえて苦しんでいるクズを見下ろした。

 

「息子と妻を虐げるクズを父親とは言わないよ」

 

 だから俺は、こいつを父親とは思っていない。

 

 左手を握り締め、思い切り振り上げてから急降下させる。傷口を必死に抑えているクズの両手もろとも左手の拳で殴りつけた瞬間、血まみれになっていたクズが目を見開き、呻き声を発した。

 

 ざまあみろ、クソ野郎。

 

 血まみれになった左手をちらりと見てから顔をしかめ、右手に持っていた包丁をもう一度振り上げる。無残に殺してやろうと思ったけど、時間はかけたくないから、そろそろ殺してしまおう。

 

「ま、待て! 永人、許してく―――――――」

 

 許す気はありません。

 

「―――――――今までありがとね、”お父さん”」

 

 必死に命乞いをする無様な父を見下ろして笑いながら、俺は容赦なく包丁を突き立てた。切っ先が首の肉を切り裂くと同時に命乞いが途切れ、代わりに首を串刺しにされている苦痛が音に変貌したかのような、痛々しい呻き声が彼の口から溢れ出す。

 

 そんな無様な音が、このクソ親父が最後に声帯から発した音。

 

 この無様で存在する価値のない男にはふさわしいんじゃないだろうか。

 

 喉と脇腹から鮮血を流し、身体を痙攣させ始めたクソ親父から包丁を引き抜く。

 

 血まみれになった制服はどうしようか。できるならば、この後に母さんのお墓の前に行きたいんだけど、着替えた方がいいのだろうか。

 

 血まみれの包丁を持ったまま、俺は階段の方へと向かう。クソ親父が見ていたテレビがついたままになっていたけれど、そのままでいいだろう。テレビの音声を聴きながら短めの階段をゆっくりと昇り、血まみれの包丁を机の上に置いてから携帯電話を充電しておく。

 

 溜息をついてから、俺は着替えを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、お母さん」

 

 母さんがこの世を去ってしまった時のように、墓石に触れながら呟く。

 

 多分、母さんは悲しんでいる筈だ。高校を卒業するまで耐えれば家を出ていくことができたのに、卒業する前に自分の手で父親―――――――あいつを父親とは思いたくない―――――――を殺してしまったのだから。

 

 ごめんなさい。

 

 殺した父にではなく、墓石の下に眠っている母さんに謝る。

 

 あいつを殺した罪悪感は全くない。むしろ、母さんの仇を取ることができたのだから俺は満足している。この墓石の下に眠っている母さんたちは満足するどころか、悲しんでいるかもしれない。

 

 だから、謝る。

 

 けれども、もうあの家にいる必要はなくなった。

 

 不要になったのだ。

 

 だからあの家で生活する必要はない。友達から貰ったマンガと机とベッドしかない殺風景な部屋で眠る必要はないし、家事をしたり、バイトで金を稼ぐ必要もない。

 

 もう、いらない。

 

「…………じゃあね、母さん」

 

 墓石から静かに手を離し、踵を返す。

 

 薄暗くなった空から降ってきた水滴が、着替えたばかりの私服の肩を直撃する。数秒後に襲来した雨粒の弾幕を浴びながら携帯電話を取り出し、電話をかける。

 

 もう、終わった。

 

 俺がやるべきことは。

 

 父を殺して復讐は果たしたし、母にも別れを告げた。

 

 だから、もう終わらせてもいいのだ。

 

「―――――――もしもし。うん、こっちは終わった。…………ああ、分かった、うん。それじゃ」

 

 そう言えば、家にあるテレビをつけたままにしてしまったけれど、消した方がいいだろうか?

 

 いや、消さなくていいだろう。

 

 もう、終わったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『昨日、事故で墜落した飛行機の中から、飛行機に搭乗していた乗客全員の遺体が発見されました。乗客たちの中には修学旅行に行く途中だった高校生の生徒たちも含まれており、体調不良で欠席していた一名の男子生徒を除いた全ての生徒が犠牲になっています。警察は遺体の回収を急ぎつつ、この事故の―――――――』

 

 

 

 

 

 

 

 番外編『怪物の生まれた場所』 完

 

 第十八章『火薬と日常』へ続く

 

 

 



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第18章 火薬と日常
テンプル騎士団の欠点


 

 灰色だけで彩られた殺風景な廊下の床や壁は、砂埃で汚れていた。床には剥がれ落ちた壁の破片も転がっており、小さな破片や砂埃たちと共に床を占領し続けている。

 

 その殺風景な床に、ブーツの跡が刻み付けられていた。

 

 壁の破片や砂埃たちが支配する通路を進んでいくのは、漆黒のボディアーマーと漆黒のヘルメットを身に纏った5人の兵士たちだった。顔にガスマスクを装備しているため、彼らの肌は一切露出していない。そのため種族や性別を見抜くのはかなり難しいだろう。

 

 傍から見れば、真っ黒な人影にしか見えない兵士たちは、装備しているAN-94(アバカン)のセレクターレバーをフルオートにした状態で、通路の曲がり角や後方を銃を向けつつ睨みつけながら、奥にある部屋のドアへと向かっていた。

 

 AN-94は凄まじい連射速度で2点バースト射撃を行う事ができる特異なアサルトライフルである。弾薬の口径が小さいとはいえ、人間の兵士がその正確な2点バースト射撃で射抜かれれば瞬く間に倒れる羽目になるだろう。

 

 しかし、これから部屋の中へと突入することになる兵士たちは、2点バースト射撃ではなくフルオート射撃を選択していた。

 

 足元に転がる破片を踏みつけ、室内に潜んでいる”敵”に自分たちが接近していることを知らせないように、細心の注意を払いながらドアの近くへと移動する兵士たち。突入前にもう一度セレクターレバーをちらりと見てから、後続の兵士たちが戦闘の兵士に向かって首を縦に振る。

 

「CP(コマンドポスト)、応答せよ。こちら”ボレイ1”」

 

『こちらCP(コマンドポスト)、どうぞ』

 

「これより突入する」

 

『了解(ダー)、幸運を』

 

 CP(コマンドポスト)に報告してから、ボレイ1は目を細める。左手をAN-94のハンドガードから離してポーチの中へと突っ込み、中から突入の際に使用する爆薬を取り出す。息を呑みつつ訓練でそれを扱った時の事を思い出しながら、砂埃で汚れている白いドアに設置する。

 

 仲間たちと共にドアから離れつつ、起爆スイッチを用意する。仲間たちがドアの爆発に巻き込まれないように距離を取ったのを確認した隊長は、深呼吸をしてからドアを睨みつけ、左手に持っていた起爆スイッチを押した。

 

 かちん、とスイッチが小さな音を奏でた直後、床に転がっていた壁の破片や無数の砂埃たちが荒れ狂った。唐突に産声を上げた爆炎と衝撃波に呆気なく吹き飛ばされた破片たちが、周囲の壁に激突して跳弾にも似た音を奏で始める。しかし、それよりも大きな爆音が兵士たちの鼓膜を満たしていたため、その破片たちが奏でた音が彼らに聞こえることはなかった。

 

 兵士たちの鼓膜を満たすことが許されるのは、大きな音だけなのである。

 

「突入!」

 

「行くぞッ!」

 

 爆発の残滓が消え去るよりも早く、設置された爆薬が抉った穴へと兵士たちがライフルを構えたまま突入していく。

 

 おそらく、部屋の中に立て籠もっている敵は今の爆音で驚いている事だろう。何の前触れもなく爆発したドアから流れ込む黒煙と火の粉の中で、混乱しているに違いない。その混乱している敵を持っているAN-94で撃ち抜けば、この作戦は終了なのだ。

 

 いくら強力な敵でも、いきなりドアを吹き飛ばされた挙句、突入してきた部隊に対処できるわけがない。

 

 空気と一緒に黒煙を吸い込みながらドットサイトの向こうを睨みつけたボレイ1は―――――――目の前の黒煙の中から突き出ている物体を見て、自分たちは高を括っていたのだという事を理解する羽目になった。

 

 黒煙の中から突き出ているのは、漆黒の銃身であった。まるでホイッスルを縦に2つ繋げたような形状をしているAN-94のマズルブレーキとは違い、非常にシンプルな形状のすらりとしたマズルブレーキである。

 

 先頭を進んでいたボレイ1がその銃身に気付いた直後、すらりとしたマズルブレーキが火を噴いた。

 

 マズルフラッシュと一緒に飛び出した弾丸が、部屋の入り口を満たしていた黒煙を抉る。火薬の臭いをばら撒きながら飛び出した大口径の7.62mm弾は正確にボレイ1の胸板を直撃すると、薄れていく黒煙を深紅の飛沫で彩る。

 

「た、たいちょ―――――――」

 

 銃口の向きが、素早く変わる。

 

 シンプルなマズルブレーキが後続のボレイ2へと向けられると同時に、またしてもマズルフラッシュが黒煙の中で煌く。黒煙にあっさりと風穴を穿った一発の弾丸が、崩れ落ちていくボレイ1の頭上を回転しながら通過し、後続のボレイ2のヘルメットを直撃した。

 

(よ、読まれていた…………ッ!)

 

 部屋の中に立て籠もっていた”敵”は、彼らの突入を予測していたのだ。

 

 爆薬を起爆させた直後にドアの近くに陣取り、室内の敵が混乱していると思い込んでいた兵士たちを容赦のない射撃で返り討ちにする作戦だったのである。

 

 もし敵がこの突入を読んでいなければ、勝っていたのは兵士たちだったかもしれない。しかし敵に突入するタイミングや突入してくる方向を予測されていた時点で、彼らが返り討ちに遭うのは決まってしまったのだ。

 

 ボレイ2の後方にいたボレイ3、ボレイ4、ボレイ5の3人がそのドアの向こうに陣取っていた敵兵にAN-94を向ける。いくら突入しようとしていた彼らを2人も返り討ちにすることができたとはいえ、まだ3人もアサルトライフルを装備した兵士が残っているのだ。しかも彼らはその気になれば通路の向こうに逃げる事ができるが、相手は室内にしか逃げられない。

 

 有利なのは、通路に陣取った3人の筈だった。

 

 しかし―――――――室内で待ち構えていた敵は、アサルトライフルを構える兵士たちの予測を容易く覆してしまう。

 

「「「!」」」

 

 かたん、という音と共に、薄れていく黒煙の中に黒い銃が落下する。グレネードランチャー、ホロサイト、ブースターが装備されたアサルトライフルを見た3人は、そのライフルが敵の装備していたライフル―――――――ロシア製のAK-15だ―――――――であることを瞬時に理解したが、それは瞬く間に不要な情報と化した。

 

 敵が”使っていた”得物ではなく、”使っている”得物を理解しなければ意味が無いからである。

 

 わざと得物を床に投げ捨てたのは、敵の狡猾なフェイントだったのだ。

 

 そしてその狡猾なたった1人の敵が、黒煙の中で牙を剥く。

 

 姿勢を低くしたまま、黒煙の中から飛び出す黒服の敵兵。深紅の羽根のついたフードで頭と顔を隠した敵兵はホルスターからPL-14を引き抜くと、慌てて”彼”に銃口を向けようとする兵士のAN-94の銃身を左手で逸らしてしまう。

 

 ホイッスルを縦に2つ繋げたような形状のマズルブレーキが、強制的に壁へと向けられる。

 

 華奢な腕で銃口の向きを変えられても、本気を出せばすぐに再び銃口を向けられるだろう。しかしその前に、止めを刺されてしまうのは火を見るよりも明らかであった。

 

 胸板へと突き付けられたPL-14のスライドがブローバックし、小さな9mm弾の薬莢を排出する。

 

 兵士の胸板が真っ赤に染まると同時に、今しがた弾丸の餌食となったボレイ3を葬ったPL-14と、もう片方のホルスターから引き抜かれたもう1丁のPL-14の銃口が、急接近してきた”彼”に驚愕している2人の兵士の頭へと向けられる。

 

 2丁の銃で狙いを定めた蒼い髪の少年は―――――――目を見開く兵士たちの顔を見つめながら、笑った。

 

「―――――――チェックメイトだ、同志諸君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら、何でたった1人の敵に返り討ちに遭ってんだよぉっ!?」

 

 手加減するべきだったのだろうか、と思いつつ、スペツナズの指揮を執るウラル大佐に説教されているスペツナズの隊員たちを見守る。

 

 さっきまで行っていたのは、新しくスペツナズに入隊する予定になっている新人たちの突入訓練だ。訓練用にペイント弾を装填した銃を装備し、訓練区画にある室内戦を想定した施設で訓練を行ったのである。

 

 本来ならベテランのアクーラ隊が相手になる筈だったんだが、春季攻勢(カイザーシュラハト)の際に活躍したアクーラ隊の兵士たちは転生者の討伐に向かっているため、代わりに俺が相手をすることになったのだ。

 

 多分、あの兵士たちは相手がたった1人だから油断してたんだろうなぁ…………。というか、突入前に報告する必要はないと思う。ほんの少しだけ声が聞こえてたし、足音も聞こえていた。真面目過ぎたのがあの新人たちの敗因という事だ。

 

「す、すいません、大佐…………」

 

「まったく…………入隊試験だったら全員不合格だからなっ! よし、全員罰として要塞砲の周囲を20周! もちろん今の装備のままだ!」

 

「ま、マジっすか…………」

 

「文句のある奴は粛清するぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

「「「「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」」」」」

 

 あいつ、新兵たちに早速”要塞砲ランニング(タンプル搭名物)”をやらせるつもりか。

 

 簡単に言えば、タンプル砲や36cm要塞砲の外周をひたすらランニングするというタンプル搭の名物だ。志願した兵士は入隊試験で要塞砲の外周をひたすら走らされるし、兵士たちも訓練であの巨大な要塞砲の周囲を走る。しかも場合によっては走っている兵士たちの後ろから戦車に乗ったウラルが追いかけて来るので、後ろを爆走するT-90のキャタピラの餌食にならないように全力で突っ走らなければならなくなる。

 

 もちろん種族によって身体能力に差があるので、トレーニングで走る距離は種族によって異なる。でもウラル教官は部下に厳しい教官らしく、スペツナズの隊員たちはみんな同じ距離を走らされているという。

 

 そう、人間やエルフの兵士たちまで吸血鬼たちと同じ訓練を受けているのだ。訓練で死者が出るんじゃないだろうか。

 

ほら急げ(ダヴァイダヴァイ)!」

 

「「「「「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」」」」」

 

 この訓練が終わってから、ボレイ隊の隊員が転属願を提出しに来ないことを祈るとしよう…………。

 

 ホルスターの中からPL-14を引き抜き、兵士たちを追いかけ回し始めるウラル。入隊したばかりのボレイ隊の隊員たちが絶叫しながら訓練施設から飛び出していったのを確認したウラルは、ハンドガンをホルスターに戻してから溜息をついた。

 

「はぁ…………。人数が増えたのは良いが、あいつらはまだ実戦に出せんな」

 

「厳しいですねぇ、教官殿。あれでも陸軍と海兵隊から選抜された兵士だぞ?」

 

「あの程度で選抜されたのか? 兵士の質が心配だぞ…………」

 

 き、厳しいね…………。

 

 けれども兵士の質が二大勢力よりも劣っているのは、テンプル騎士団の問題の1つだ。第二次転生者戦争を経験し、大半の兵士が春季攻勢(カイザーシュラハト)の迎撃に参加して練度が上がったとはいえ、この世界で初めての転生者同士の戦争となった”第一次転生者戦争”を経験したベテランの兵士ばかりで構成された二大勢力には及ばない。

 

 しかも春季攻勢(カイザーシュラハト)で何人も兵士たちが戦死したため、大損害を被ってしまったのである。幸い志願兵の数が多いのですぐに部隊の再編成をすることができるが、やはり兵士たちの錬度は低い。

 

 積極的に殲虎公司(ジェンフーコンスー)やモリガン・カンパニーとの合同演習を行っているが、今のところ模擬戦ではテンプル騎士団が連戦連敗してしまっている。

 

 けれども、中には転生者の討伐に成功した分隊もあるため、全ての部隊の錬度が低いというわけではない。実際に春季攻勢(カイザーシュラハト)で無数の航空機と戦って善戦したアーサー隊は、二大勢力からも注目されているエースパイロット部隊である。

 

 今月にも合同演習の予定があったし、その時に殲虎公司(ジェンフーコンスー)から武器や兵器を購入する予定になっている。中国製の兵器の性能はロシア製やアメリカ製の兵器と比べると若干劣っているものの、コストが非常に安いという利点があるので、装備が行き渡っていない部隊にもすぐに装備を支給できるという利点があるのだ。

 

 中には中国製の武器や戦車で武装した前哨基地もある。

 

「何とかして練度を上げないとなぁ…………」

 

「あ、ここにいましたのね」

 

「カノン?」

 

 兵士たちの錬度をどうやって底上げするべきなのか悩んでいると、訓練施設の入り口の扉が開き、黒いドレスを思わせるデザインの制服に身を包んだカノンが中へとやってきた。

 

 一見すると貴族のお嬢様が好みそうなドレスをそのまま黒くし、深紅のフリルを追加したような少しばかり派手なデザインにも見える。けれどもスカートの長さは両足の動きを阻害しない程度の長さで、よく見ると脇腹や腰の辺りにはマガジンを収めておくためのポーチも用意されており、実用性も考慮したデザインであることが分かる。

 

 あれをデザインした人は誰なんだろうか。

 

「どうした? 訓練に付き合えってか?」

 

「いえ、その…………こちらを見ていただきたいんですが」

 

「ん? なにこれ?」

 

 書類か?

 

 目を細めながらカノンが差し出した書類のようなものを受け取り、それをウラルと一緒にまじまじと見つめる。

 

「兵士たちに実施しているテストの答案用紙ですわ。ついさっき採点が終わりましたの」

 

「ああ、これテストか」

 

 テンプル騎士団には様々な種族の兵士が所属しているが、その兵士たちの中で読み書きができる兵士たちはたった3割しかいない。大半の兵士は元々奴隷だった人々であり、全く教育を受けていない状態であるため、この世界の公用語という事になっているオルトバルカ語どころか、自分たちの母語ですら文字を読んだり書いたりすることができないのだ。

 

 前世の世界では考えられない事だけど、この世界では珍しい事ではない。そもそも”義務教育”という概念がないのだ。学校は存在するものの、生徒は裕福な資本家の子供や貴族の子供ばかりであり、基本的に平民の子供は両親から必要最低限の読み書きや計算を教わってから就職するのだ。中には読み書きすら教えてもらえず、そのまま就職する子供も少なくない。

 

 そのため、テンプル騎士団の兵士たちにはこのような教育を行っている。さすがに読み書きができなければ仲間との連携に支障が出てしまうし、計算ができなければ残弾の計算もできないからな。

 

 さて、この兵士の点数は何点なのかな?

 

《20点》

 

「…………こっちは?」

 

《15点》

 

 …………ちょっと待て。

 

 冷や汗を拭い去ってから、片手で瞼を擦る。さっきから点数が低い答案用紙ばっかりなんだけど、大丈夫なんだろうか。

 

《2点》

 

「…………」

 

《29点》

 

《0点》

 

《5点》

 

《5点》

 

《23点》

 

「…………か、かっ、か、カノンさん?」

 

「なんですの?」

 

「こ、これさ…………………何点満点?」

 

 尋ねると、カノンは苦笑いしながら言った。

 

「ひゃ、100点満点ですわね」

 

「全員赤点じゃねえかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 使ってる武器や装備だけじゃなくて、点数まで赤くならなくていいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 

 いや、問題が難しすぎたんじゃないか? いくら教育を受ける事ができなかったとはいえ、ちゃんと教育を受けた団員が教師を担当してるんだから高い点数は取れる筈だ。きっと問題が難しかったに違いない。

 

 一緒に渡された問題用紙を苦笑いしながら見下ろすが―――――――俺まで兵士の質が心配になってしまった。

 

《7.62mm弾が30発入るマガジンがあります。クソ野郎を殺すために10発使ってしまいました。残った弾丸は何発でしょう?》

 

 この問題は引き算だ。小学生でもすぐに分かるほど非常に分かりやすい計算である。

 

 なのに、なんでこの兵士は間違ってるのだろうか。明らかに正しい答えは『20発』なのに、この兵士は何と『5000発』と書いているのである。

 

 お、おかしいよね、これ…………。

 

 というか、何でこんな点数を取ってしまう兵士(バカ)たちが吸血鬼に勝利できたのだろうか。多分春季攻勢(カイザーシュラハト)で敗北した吸血鬼たちがこの点数を見たら、きっとプライドを粉砕されるに違いない。

 

「ま、拙いぞ団長…………」

 

「この点数は…………お兄様、何とかしなければなりませんわ!」

 

「よ、よし…………! 円卓の騎士を招集しろ!」

 

 兵士の錬度を上げるのも大事だけど、兵士たちの知能を上げる方が大事だ!

 

「―――――――兵士たちの勉強会を開くぞッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 



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テンプル騎士団の勉強会 前編

 この世界に、義務教育という概念は存在しない。学校は存在するのだが、あくまでも学校は裕福な資本家の子供や貴族の子供たちくらいしか通うことが許されないため、大半の子供たちは両親から必要最低限の読み書きや計算を教わってから就職する。

 

 

 

 両親から読み書きを教わることができずに就職してしまう子供もいるため、自分たちの母語ですら読む事ができない子供は珍しくないのだ。そのため、読み書きや計算ができる子供は恵まれているのである。

 

 

 

 テンプル騎士団の兵士の大半は奴隷だった人々だ。商人や主人に虐げられたり、過酷な労働をさせられていた人々であるため、文字や計算の勉強ができるわけがない。中にはちゃんと教育を受けた兵士もいるものの、読み書きができない兵士の方が多いのだ。

 

 

 

 そこでテンプル騎士団では、教育を受けた兵士たちが読み書きや計算を教えることになっており、定期的に訓練だけでなく授業も行っている。

 

 

 

 けれども、兵士たちの成績はかなり悪かった。カノンが作ったテストを受けた兵士の4割は0点だったのである。

 

 

 

 読み書きや計算ができないのは大問題だ。文字が読めなければタンプル搭の中にあるプレートや、兵器のマニュアルを読んでも理解する事ができない。それに計算ができなければ、マガジンの中に残っている弾丸が何発なのかも把握する事ができないし、味方同士で弾薬を分け合う際にも支障が出てしまう。

 

 

 

 そこで、本格的な勉強会を実施することにした。カノンのテストを受けた兵士たちに授業を受けさせ、少なくとも読み書きと計算ができるようにするのだ。

 

 

 

 実施するのは国語と算数。できるなら他の教科もやりたいんだけど、まずはしっかりと基本的な読み書きと計算ができるようにしなければならない。

 

 

 

 俺とラウラが国語を担当し、クランとナタリアが算数を担当することになっている。まず最初に国語の授業を1時間ほど行い、15分休憩してから更に1時間授業する。昼食と休憩時間の後に1時間算数の授業を行い、同じように15分休憩してから後半の1時間の授業をするというわけだ。

 

 

 

 というわけで、先陣を切るのは俺とラウラ先生の2人という事になった。

 

 

 

「ねえ、ラウラ」

 

 

 

「ふにゅ?」

 

 

 

 自室を後にする前に、洗面所にある鏡の前で鏡に映っている自分の姿を見つめながら溜息をつく。髪型はいつもと同じくポニーテールで、母さん譲りの蒼い髪にはちゃんとラウラがプレゼントしてくれたリボンをつけている。確実に女子に見間違われる容姿だなと思いつつ、胸元と腰の辺りを見下ろした俺は、顔をしかめてしまった。

 

 

 

 身に纏っているのはいつもの転生者ハンターのコートではなく、黒いスーツとスカートだった。そのスーツの胸元はそれなりに膨らんでいる上に開いており、真っ白な胸元が覗いている。

 

 

 

 そう、今の姿は男の姿ではなく、女の姿なのだ。なので息子は搭載しておりません。

 

 

 

「何でこの姿で参加しなきゃいけないの?」

 

 

 

「えへへっ、似合ってるよ♪」

 

 

 

 そう言いながら右腕にしがみつき、肩に頬ずりを始めるラウラ。彼女も俺と同じ服装なんだけど、俺よりも少しばかり彼女の胸の方が大きいので、スーツの胸元は彼女の方が膨らんでいる。

 

 

 

 いつもなら顔を赤くした上に角まで伸びる筈なんだけど、そんな余裕はないだろう。

 

 

 

 ちなみにこの服を用意し、女の姿で参加してほしいというリクエストをしてきたのはシュタージのクランさんである。

 

 

 

 くそ、何でこんな服装で参加しなきゃいけないんだよ…………。

 

 

 

 ただでさえ男の姿でも女に間違われるのに…………。

 

 

 

 鏡の前でもう一度溜息をついてから、ラウラと一緒に筆箱を持って自室を後にする。教師はテンプル騎士団の中でちゃんと教育を受ける事ができたメンバーの中から真面目そうな団員が選抜されている。確かにナタリアはテンプル騎士団の中では数少ないまともな人だし、クランはよくいたずらするけれどもまだ真面目なメンバーだ。ラウラも大人びた方のラウラだったら大丈夫そうだけど、普段はこのように俺に甘えているのが当たり前なのでちょっと心配である。

 

 

 

「ふにゅ? タクヤ、それ何? 模型?」

 

 

 

「え?」

 

 

 

 腕に抱き着きながら頬ずりしていたラウラが、俺が右手に持っている物体を見つめながら首を傾げた。

 

 

 

 俺が右手に持っているのは、一見するとシャール2Cの模型のように見えるかもしれない。けれどもこれは模型ではなく、鉛筆や消しゴムを入れておくことが可能な”シャール2C型筆箱”なのだ。暇な時に工房のバーンズさんから余った木材や金属の一部を貰って作った自作の筆箱で、主砲の砲身の部分は鉛筆削りになっている。

 

 

 

 これ、タンプル搭の工房で販売したら売れるだろうか。

 

 

 

 ちなみに今度はエイブラムス型とチョールヌイ・オリョール型の筆箱を暇潰しに作る予定である。

 

 

 

「俺の筆箱。しかも鉛筆削り付き」

 

 

 

「ふにゅー…………。タクヤって昔から器用だよね」

 

 

 

「まあね」

 

 

 

 この器用さは、前世の頃に身につけた。前世の世界では母さんが他界してから家事やバイトも自分でやらなければならなくなったから、いろいろな技術を磨く事ができた。

 

 

 

 2人で一緒にエレベーターに乗り、居住区に用意された教室を目指す。今回は国語の授業をするだけなので武装する必要はないんだが、念のため腰にはPL-14を収めたホルスターを用意してある。本拠地の中でも丸腰では移動したくないんだよね…………。

 

 

 

 エレベーターから降りて配管やケーブルが剥き出しになっている通路を歩き、教室に使うことになった部屋のドアへと手を伸ばす。授業を受ける兵士は男性が多いので、こっちの格好の方が生徒が大喜びするとクランが言っていたんだが、本当に女の姿で授業をする必要はあるのだろうか。

 

 

 

 クランが見たかっただけなんじゃないだろうなと思いつつ、教室のドアを開けた。

 

 

 

 少しばかり広くなっている教室の中には、ドワーフの職人たちが暇潰しに作ってくれた椅子と机がずらりと並んでおり、各部隊の隊員の中から選抜されたバカたちがその席について俺たちを待っていた。

 

 

 

 けれども、読み書きやできなかったり計算ができないのは仕方がないだろう。テンプル騎士団の兵士の大半は奴隷で、勉強をする事などできなかったのだから。

 

 

 

 俺たちの今日の任務は、彼らに勉強を教える事だ!

 

 

 

「よし、起立」

 

 

 

 教室の前に出て号令を発すると、兵士たちは訓練の時のように席から立ち上がり、一斉に敬礼を始めた。俺とラウラも彼らに敬礼を返すと兵士たちは敬礼を止め、一斉に席に再び腰を下ろす。

 

 

 

 もう既に支給してあった教科書とノートを開き、授業を受ける準備をする兵士たち。テストでかなり低い点数を取った兵士たちとは思えないほど真面目なんだけど、彼らは本当にバカなんだろうか?

 

 

 

 予想以上に真面目だった兵士たちを見ながらチョークを拾い上げる。

 

 

 

 ちなみに、親父たちが若かった頃までは紙は貴重品だったらしく、庶民が購入して勉強に使えるような代物ではなかったという。けれども親父がモリガン・カンパニーを設立し、高品質な紙を、この異世界の紙の価格をバカにしているのではないかと思えるほど低い価格で売り始めたせいで、庶民も簡単に紙やノートを手に入れる事ができるようになった。それまで紙を作っていた工場も立て続けに潰れていったため、現時点でも紙の製造はモリガン・カンパニーが独占している状態である。

 

 

 

 というか、様々な商品にモリガン・カンパニーのロゴマークが刻まれているのが当たり前なのだ。あの大企業の影響力はかなり大きいのである。だからこそ、列強国でさえモリガン・カンパニーには絶対に逆らえない。

 

 

 

 もちろんここにあるノートもモリガン・カンパニーのロゴマークが入っているし、教科書や消しゴムもモリガン・カンパニーが作ったものである。義務教育がこの世界でも当たり前になったら、あの会社はもっと儲かるだろうな…………。

 

 

 

「よし、授業を始めるぞ。ちなみに授業の最後に国語のテストをするからな。…………ラウラ、頼む」

 

 

 

「はーいっ♪」

 

 

 

 授業をラウラに任せて、俺は教壇を離れた。俺が授業をするべきなのかもしれないけれど、やらなければならないことがあるのだ。

 

 

 

「それじゃあ最初は読み書きからねっ♪」

 

 

 

 この世界の公用語はオルトバルカ語ということになっている。なのでオルトバルカ語を喋ることができれば、少なくとも先進国にいる住民たちとコミュニケーションを取ることはできるのだ。とはいえ中には本来の母語を喋っている地域もあるし、発展途上国の大半はその国の母語が使われているので、オルトバルカ語さえ覚えていれば全ての人々と会話する事ができるというわけではない。

 

 

 

 前世の世界で例えると、英語のような存在だ。発音や文字も英語にそっくりなので、すぐに覚える事ができた。さすがに文字の形状は違うし、文法もちょっとだけ違うけどね。

 

 

 

 まず文字や読み方を覚えなければテストを受けることはできない。なので国語の授業では読み書きを行うことになっている。

 

 

 

 黒板にチョークで文字を書き、その文字の読み方を教え始める。授業を受けている兵士たちはノートにその文字を書き、ラウラの真似をして発音の練習をしているけれど、数名だけ何をすればいいのか分からない生徒がいる。

 

 

 

 多分、オルトバルカ語ではなく他の言語が母語になっている国からやってきた兵士たちなのだろう。

 

 

 

『やあ、同志。どうした?』

 

 

 

『ああ、すいません。何をすればいいのか分からなくて…………』

 

 

 

 やっぱりオルトバルカ語が通じない兵士だったか。

 

 

 

 テンプル騎士団の中には、オルトバルカ語が話せない兵士も何名か含まれているのだ。種族どころか国籍までバラバラな兵士たちで構成されている組織なので、兵士たちの母語までバラバラなのである。

 

 

 

 なので、兵士たちがオルトバルカ語を離せない場合のために、シュタージに協力してもらって兵士たちの母語を調べて勉強している。そうすればその兵士たちの通訳になる事ができるし、彼らも話しやすい筈だ。

 

 

 

『読み書きの授業だから、ラウラの発音の真似をしてくれ。文字はノートに書いてくれよ?』

 

 

 

『あ、分かりました。すいませんです、団長』

 

 

 

『気にすんな』

 

 

 

『それにしても、そのスーツ似合ってますね。可愛いですよ』

 

 

 

『あ…………ありがとう』

 

 

 

 俺は男だからね? 今は息子を搭載してないけど。

 

 

 

「じゃあこの文章は何て読むのかな?」

 

 

 

「「「マガジンが3つあります」」」

 

 

 

「これは?」

 

 

 

「「「私はタクヤを愛しています」」」

 

 

 

 ん?

 

 

 

「これは?」

 

 

 

「「「私のタクヤはとても可愛いです」」」

 

 

 

 ら、ラウラ先生、何を教えてるんですか? 

 

 

 

「ラウラ、出来れば真面目にやってくれ」

 

 

 

「はーいっ♪」

 

 

 

 多分、彼女は真面目にやらないんじゃないだろうか。やっぱり俺が授業を教えた方が良かったなと思ったけれど、カルガニスタンに住んでいる部族の言語を話せるのは俺だ。ラウラは彼らの言葉を話す事ができないので通訳を任せるわけにはいかない。

 

 

 

 ラウラに任せるしかないな。

 

 

 

 溜息をつきながら黒板に書かれている英語にそっくりの文字たちを見つめる。基本的にオルトバルカ語は英語にそっくりなんだけど、中にはキリル文字にそっくりな文字も混じっている。発音も英語に非常にそっくりだ。

 

 

 

 前世の世界では英語の成績は二番目に良かったので、覚えるのは簡単だった。ちなみに一番得意だった教科は世界史だな。第一次世界大戦に入ってからはテストで満点を取るのは当たり前だったよ。

 

 

 

「じゃあイワン君、これは何て読むと思う?」

 

 

 

「”見る”ですか?」

 

 

 

「正解っ♪ じゃあ、これは?」

 

 

 

「”走る”?」

 

 

 

「正解っ♪」

 

 

 

 生徒に向かってウインクしながら微笑むラウラ。今しがた問題に答えたイワン君は顔を赤くしながら席につき、ニヤニヤしながらノートに文字を書いている。

 

 

 

 段々と真面目になってきたな。それに生徒も読み書きを覚え始めているようだし、少なくとも最後にやる予定のテストは以前よりもいい点数を取ってくれそうだ。

 

 

 

 そう思いながら、俺はお姉ちゃんの授業を見守りつつ、オルトバルカ語が通じない兵士たちのサポートを続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国語の方は大丈夫そうだな」

 

 

 

 午前中の最後に行ったテストの採点を終えた俺は、椅子に座ったまま背伸びしてからそう言った。カノンのテストを受けた兵士たちは全員赤点をとる羽目になってたようだけど、今回はちゃんと勉強をしたからなのか、平均的な点数は50点まで一気に上がっている。しかも0点をとった兵士は1人もいない。

 

 

 

 まだ点数は低いけれど、このまま勉強を続けていけば問題はなくなるだろう。文字が読めるようになればタンプル搭の中にあるプレートの文字も読めるようになるし、オルトバルカ語を話せるようになれば他の兵士たちとの連携も取りやすくなるのだから。

 

 

 

「お疲れ様、”タクヤ先生”」

 

 

 

「おう」

 

 

 

 あくびをしていると、スーツ姿のナタリアがアイスティーの入ったティーカップを持ってきてくれた。髪型はいつものツインテールなんだけど、いつものテンプル騎士団の制服じゃないからなのか、雰囲気が違う。普段は冷静沈着な参謀なんだけど、スーツ姿のナタリアはしっかりとした授業をしてくれそうな先生である。

 

 

 

 多分、彼女の雰囲気を変えている原因はスカートだろうな。いつもはズボンを身につけているんだけど、今日は少しばかり短めのスカートだから、黒ニーソと太腿があらわになっている。

 

 

 

 スカートを穿いてるナタリアも悪くないな。というか、俺はこっちの方が好きだ。明日からスカートを穿いてくれって頼んだら、彼女は明日からスカートをに見つけてくれるだろうか。

 

 

 

「ねえ、何見てるの?」

 

 

 

「ああ、ナタリアがスカートを穿くのは珍しいからさ」

 

 

 

「ふふっ、似合ってる?」

 

 

 

「最高です」

 

 

 

「うふふっ、当たり前よ♪」

 

 

 

 嬉しそうに笑いながら胸を張るナタリア。彼女の顔を見上げながらティーカップを口へと運び、ナタリア特製のジャムが入ったアイスティーで疲れを希釈する。

 

 

 

 ちなみに、俺たちがテストの採点に使う部屋も空き部屋だったんだけど、どういうわけか前世の世界の学校にあった職員室みたいな感じの部屋になっている。しかも部屋の入り口には”職員室”と書かれたプレートまで用意されていたので、俺たちは休憩室ではなく職員室と呼んでいた。

 

 

 

 なんだか、本当に学校の先生になった気分だ。

 

 

 

「ラウラ、見て見て!」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 午後の授業の準備をしていたクランが、見覚えのあるコートを羽織りながらはしゃいでいるのが見えた。短めのマントやアイテム用のホルダーが装備されているコートにはフードまでついていて、そのフードには2枚の深紅の羽根が飾られている。

 

 

 

 転生者ハンターの象徴だ。

 

 

 

 あれ? そういえば、あのコートは部屋に置いたままだったよな?

 

 

 

「ふっふっふっ、明日からは私が団長ね!」

 

 

 

「ふにゃー…………! 似合ってるよ、クラン団長!」

 

 

 

「じゃあ、まずテンプル騎士団の装備品を全てドイツ製に変更―――――――」

 

 

 

「クラァァァァァァンッ! 俺のコートを返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 

「あはははっ、バレちゃった♪」

 

 

 

「ラウラ、クランを捕まえろ!」

 

 

 

「ふにゃー♪」

 

 

 

 お、俺の部屋から盗んできたのか!?

 

 

 

 どうして彼女が俺のコートを羽織っていたのかは分からないけれど、とりあえずクランを追いかけ回すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクヤとラウラが実施したテストを受けた兵士たちの点数は、前回よりも上がっていた。

 

 

 

 だから算数の授業を私とクランちゃんでやれば、きっと兵士たちの成績も上がる筈。

 

 

 

 そう思ってたんだけど、算数を担当することになった私とクランちゃんは、高を括っていたということを実感する羽目になった。

 

 

 

 ヤバい教科は、国語じゃなくて算数だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 

 

 タクヤの喋れる言語

 

 

 

ナタリア「あ、あんたっていろんな言葉を喋れるのね…………」

 

 

 

タクヤ「まあね」

 

 

 

ナタリア「どれくらい喋れるの?」

 

 

 

タクヤ「ええと…………先進国の言語は全部喋れるし、カルガニスタン語も大丈夫だな。後は前世の世界の日本語と英語だ。趣味でロシア語もちょっとだけ勉強してたから少しなら喋れる」

 

 

 

ナタリア「何それぇ!?」

 

 

 

ケーター(こいつロシア語まで喋れるのか…………)

 

 

 

 完

 

 

 

 

 

 



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テンプル騎士団の勉強会 後編

 タクヤとラウラがしっかりと国語の授業で読み書きを教えてくれたおかげで、兵士たちは私が黒板にオルトバルカ語の文章を書いても理解してくれているようだった。

 

 

 

 だから私は、この算数の授業も大丈夫だろうと思ってたんだけど―――――――質問に答えてくれた兵士の答えが間違っていることを知った私とクランちゃんは、高を括っていたということを理解する羽目になった。

 

 

 

「…………レオン伍長、この計算は分かる?」

 

 

 

「はい、6ですよね?」

 

 

 

 …………間違ってるわよ、レオン伍長。

 

 

 

 教室の後ろで苦笑いしているクランちゃんの方を見てから、私は今しがた黒板に書いた問題の文章を確認する。もしかしたら私が問題を間違えている可能性もあるかもしれないと思ったんだけど、全く間違っている様子はなかった。

 

 

 

《5両のエイブラムスが12両のT-72と戦闘しています。8両のT-72がエイブラムスに撃破されました。残ったT-72は何両でしょう?》

 

 

 

 正しい答えは4両なのに、何で6両なのかしら。引き算を間違ったの…………?

 

 

 

「イワン軍曹、答えは?」

 

 

 

「ええと…………20両?」

 

 

 

 何で足すの!? 引き算よ!?

 

 

 

 問題の文章は読めるようになってるみたいなんだけど、計算がまだできてないのね…………。カノンちゃんのテストで算数のテストの点数がかなり低かったのは、そもそも問題文が読めていなかった可能性があるわ。

 

 

 

 つまり、彼らは計算ではなくてその問題文が読めなくて0点をとっていた可能性がある。

 

 

 

 溜息をついてから、私はチョークを拾い上げて黒板に戦車の簡単なイラストを描き始める。12両の戦車のイラストを描いてから、撃破された戦車の上に印をどんどんつけていった。こうすれば生徒たちも理解できる筈よ。

 

 

 

 撃破された8両の戦車に印をつけてから、そろそろ正解してくれますようにと祈りながら後ろを振り返る。

 

 

 

「この印が書かれているのが撃破された車両よ。撃破されてない車両は?」

 

 

 

「9両ですか?」

 

 

 

「何で!?」

 

 

 

「いや…………エイブラムスは1両もやられてないみたいなんで…………」

 

 

 

 エイブラムスの数まで足しちゃったの!?

 

 

 

 で、でも、足し算はできるみたいね…………。

 

 

 

「ええと、T-72だけでいいわ」

 

 

 

「4両です」

 

 

 

「正解」

 

 

 

 や、やっと正解してくれた…………。

 

 

 

 近くに置いてある黒板消しを拾い上げて、黒板に書いた戦車のイラストたちを消していく。

 

 

 

 そういえばここにいる兵士たちの中には実戦を経験した兵士もいるみたいなんだけど、読み書きができない上に計算もできない状態で戦う事ができたのかしら?

 

 

 

「と、ところで、この中で実戦を経験したことがある人はいる?」

 

 

 

 気になった私が問いかけると、問題を見つめて考えていた数名の兵士たちがこっちを向きながら手を上げた。

 

 

 

「だ、大丈夫だったの? 計算ができないと残ってる弾の数も分からないでしょ?」

 

 

 

「ええ。でも、弾が出なくなるまでトリガーを引いてからマガジンを交換してたんで…………」

 

 

 

 つまり、フルオートで射撃してたって事?

 

 

 

「ええと、あなたは?」

 

 

 

「私は強襲殲滅兵だったんで、棍棒をずっと振り回してました。なので計算は不要でしたよ。ハハハハッ」

 

 

 

 きょ、強襲殲滅兵の生き残りまでここにいるの!?

 

 

 

 でも、強襲殲滅兵は各部隊から選抜された屈強な兵士で構成された重装備の突撃歩兵だから、学力は関係なかったのよね…………。身体が頑丈で、スタミナのある兵士であることが強襲殲滅兵に入隊できる条件だった筈だから。

 

 

 

「あなたは?」

 

 

 

「自分は砲兵でした」

 

 

 

「算数どころか数学ができないといけない部署じゃないの!?」

 

 

 

 簡単な計算すらできない状態の兵士をどうして砲兵隊に配属したのかしら…………?

 

 

 

「だ、大丈夫だったの?」

 

 

 

「ええ、弾道は予測できましたので結構当たりましたよ。同志団長から表彰していただいてますし。勲章は部屋に飾ってます」

 

 

 

 あ、ありえないわ…………。つまり計算は一斉せずに直感で砲弾を命中させて多ということよね? しかもタクヤに表彰されるほど戦果をあげてるの…………?

 

 

 

「ナタリアちゃん、次は私が問題を出すわ」

 

 

 

「お願いね、クランちゃん」

 

 

 

 クランちゃんと後退してちょっと休憩した方がいいかもしれないわね。一旦教壇を離れて教室の後ろに向かい、持ってきた教科書を開く。学校に通う貴族の子供向けに作られた教科書には、簡単な足し算や引き算などの計算がずらりと書かれていた。小さい頃にママから読み書きや計算を教わった時の事を思い出した私は、数秒で解けるほど簡単な計算問題の群れを見つめながら息を吐いた。

 

 

 

 私やタクヤたちはちゃんと親から教育を受ける事ができたけれど、ここにいる兵士たちは小さい頃から奴隷にされていたり、両親が教育を受けていなかったせいで読み書きや計算を教えてもらうことができなかった。学校に通う事ができるのは裕福な資本家の子供や貴族の子供ばかりで、基本的に庶民の子供は両親から勉強を教えてもらうのが当たり前になっている。

 

 

 

 だから、教育を受ける事ができた私やラウラたちは幸運なのね…………。

 

 

 

「じゃあ次の問題よ。30発の5.56mm弾が入るマガジンがあるわ。20発撃ったんだけど、マガジンの中には何発残ってるかしら?」

 

 

 

 答えは10発ね。簡単な引き算だけど、さっきの計算でも兵士たちは間違えていたから、もしかしたらこの問題も間違えてしまうかもしれない。

 

 

 

 アドバイスをした方がいいんじゃないかなと思ったんだけど、私が兵士たちにアドバイスをする前に、クランちゃんがアドバイスを始めた。

 

 

 

「撃ったってことは、マガジンの中の弾丸が減るっていうことよ。弾丸を使ってるんだから増えるわけがないわ。さっきの問題でも足しちゃってる人がいたけど、引き算の問題は基本的に数が大きくなることはないのよ」

 

 

 

 そういえば、他の問題でも引き算なのに数字を足して間違っている兵士がいたわね。もしかして、この兵士たちは足し算と引き算の区別がついていないのかしら?

 

 

 

 多分、後ろで見てたクランちゃんは兵士たちが問題を区別できていないことに気付いたんだわ………!

 

 

 

「イワン君、答えは?」

 

 

 

「10発!」

 

 

 

「正解!」

 

 

 

 さ、さすがクランちゃん………!

 

 

 

 授業を受けている兵士たちが間違っている部分を見抜いたから、クランちゃんのアドバイスはかなり正確だった。確かに兵士たちは間違って数を引かずに足している兵士が何人もいたから、足し算と引き算の区別がつくようにすれば間違う兵士も減る筈よ。

 

 

 

 よし、これで兵士たちのテストの点数も上がるわ!

 

 

 

 クランちゃんの教え方を見て感心していると、黒板の問題を消したクランちゃんがこっちに戻ってきた。

 

 

 

「相手が間違ってる部分を見抜いてあげれば、もっと上手く教えられるわよ♪」

 

 

 

「勉強になったわ。ありがとう」

 

 

 

「ふふふっ。ナタリアちゃんは真面目な子だし、いい先生になると思うわ」

 

 

 

「そ、そうかな…………」

 

 

 

 先生かぁ…………。本職は冒険者なんだけど、先生になるのも悪くないかも。

 

 

 

 そう思っていると、クランちゃんは微笑みながら頭を撫でてくれた。

 

 

 

「頑張ってね、ナタリア先生♪」

 

 

 

「うん、頑張るわ」

 

 

 

 しっかりと彼らに勉強を教えてあげないと。

 

 

 

 クランちゃんに応援された私は、そう思いながら教壇の方へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、成績上がってるじゃん」

 

 

 

 採点が終わった算数のテストに書かれているテストの点数は、以前に行った算数のテストの点数よりも明らかに上がっていた。以前のテストでは当たり前のように0点と書かれたテストの答案用紙が何枚もあったんだが、ナタリアたちが実施したテストの答案用紙たちの中には、0点と書かれている答案用紙は一枚もない。

 

 

 

 100点をとった兵士はいなかったけれど、2名だけ80点をとった兵士もいる。平均的な点数は60点ほどらしい。

 

 

 

 その答案用紙をナタリアの机に置くと、アイスティーを飲みながら休憩していたナタリアが顔を上げた。

 

 

 

「ねえ」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

「あんた、計算ができない兵士をどうして砲兵隊に配属したの?」

 

 

 

「ああ、フョードル軍曹か。確かに計算はできてないけど演習の時の命中率が一番高くてな。確かに計算ができない砲兵を配属するのは大問題かもしれないけど、本人も砲兵隊に配属してほしいって言ってたし、試しに配属してみたんだ」

 

 

 

 そう答えると、ナタリアは溜息をついた。

 

 

 

「あのね、配属するならちゃんと教育を受けた兵士を配属しなさいよ。というか、そのフョードル軍曹にちゃんと数学は教えたの?」

 

 

 

「いや、数学を教えたら混乱したらしくて、命中精度が一気に下がっちまった…………」

 

 

 

「何よそれ!?」

 

 

 

「でも、今回のテストで80点とってるし、教育していけばもっと命中精度は上がるだろ」

 

 

 

 フョードル軍曹は春季攻勢カイザーシュラハトの迎撃にも参加してるし、魔物の討伐の際も支援砲撃で魔物の群れに大打撃を与える戦果をあげてるからな。二週間前に彼を表彰した事を思い出しながら、俺は頭を掻いて席につく。

 

 

 

 今回の勉強会で兵士たちの成績を上げることに成功したけれど、読み書きや簡単な計算ができるようになっただけだ。まだ教育をする必要があるし、新しく入隊してくる奴隷だった志願兵たちの中にも読み書きができない兵士たちは何人もいる筈だ。だから新しい志願兵が入団する度に、彼らに読み書きや簡単な計算の教育をしなければならない。

 

 

 

 しかも志願兵の出身地によってはオルトバルカ語が通じないので、彼らの母語を喋れる人材も必要になる。

 

 

 

「タクヤドラッヘ。学力も問題だけど、言語も問題よ」

 

 

 

「ああ………オルトバルカ語が通じない兵士もいるからな」

 

 

 

 オルトバルカ語を喋ることができる志願兵だけを入隊させるという手もあるが、吸血鬼たちの春季攻勢カイザーシュラハトでテンプル騎士団は大損害を被っている。特にブレスト要塞の守備隊の戦死者が非常に多いため、大急ぎで兵士たちを訓練させつつ、ブレスト要塞の代わりの要塞を建造しなければならない。

 

 

 

 要塞は、東西南北の防衛ラインを守るための重要拠点なのだから。

 

 

 

 部隊の再編成のためにも兵士が必要なので、志願兵の人数が減ることは避けたい。だから敢えてオルトバルカ語が喋れない兵士にも入隊を許可し、入隊後にオルトバルカ語の教育を実施している。

 

 

 

 現時点でのテンプル騎士団の問題点は、練度、学力、言語の3つか…………。練度は訓練や実戦を経験すれば上がるかもしれないけど、学力と言語はしっかりと教育をしなければならない。

 

 

 

「いっそのこと、教育が専門の部署でも作るか?」

 

 

 

「ふにゅう…………つまり、先生だけの部署って事?」

 

 

 

「ああ。先生って言っても、あくまでも勉強やテンプル騎士団の目的に関する教育を行う職員だよ。だから戦闘訓練は受けていなくてもいい」

 

 

 

「そうした方がいいかもしれないわね…………。住民の中には教育を受けて育った人もいるみたいだし」

 

 

 

 それに、もしそのような教育を前線で戦う兵士たちに担当させるわけにはいかない。もしその兵士たちが戦闘で戦死してしまったら、読み書きや計算などの教育ができる人材がいなくなってしまう。

 

 

 

 できるならば、勉強だけでなくテンプル騎士団の目的に関する教育もしてくれる職員がいる方が望ましい。テンプル騎士団はただ単に戦場で銃をぶっ放す武装組織ではなく、世界中で人々を虐げるクソ野郎を討伐し、人々を守るための巨大な組織なのだから。

 

 

 

 それゆえに、前線で戦う兵士たちが殺さなければならない敵の特徴を把握している必要がある。そのような教育も彼らには担当してもらおう。

 

 

 

「クラン、もし今度の議会でこの案が承認されたら教育を担当する人員を決めておいてくれ。兵士だけでなく、住民から選んでも構わない」

 

 

 

「分かったわ。”政治将校”はちゃんと決めておくから」

 

 

 

 な、なんだか段々とソ連みたいになっていくな…………。

 

 

 

 ちなみにテンプル騎士団では、新しい組織の規定を決めたり、部署の設立をする際は必ず議会で円卓の騎士たちに説明し、全員から承認を受けなければならない。議員である円卓の騎士の中の1人がその案を否決すれば、規定や部署の設立などの案は即座に否決されてしまうという決まりがあるのだ。

 

 

 

 これは強行採決を防ぐための仕組みなので、団長である俺が新しい規定を提案しても、誰か1人が否決すればなかったことになってしまうのである。

 

 

 

 テンプル騎士団の団長の権限は、思ったよりも弱いのだ。

 

 

 

 例えば俺が敵の本拠地にタンプル砲を発射するように命令しても、円卓の騎士の1人が否決すればタンプル砲の使用許可は下りることはない。

 

 

 

 だからこの”政治将校”たちの部署を設立するためには、一旦新しい部署を設立するという案を議会に提出し、円卓の騎士たちと話し合ってから全員に承認してもらわなければならないのである。かなり面倒な仕組みかもしれないけれど、逆に言えば全員が承認するまでしっかりと話し合う事ができるので、最終的には全ての議員が納得してくれるような規定になっているのである。

 

 

 

 でも、多分この”政治将校”の設立に反対する議員はいないだろう。円卓の騎士たちは、テンプル騎士団の兵士たちの学力が低い事を把握している筈だ。

 

 

 

「とりあえず、今日はありがとう。おかげで兵士たちの成績も上がったよ」

 

 

 

「ふふっ、それにしてもタクヤドラッヘって女装してる方が似合うわね♪」

 

 

 

「はぁ!? へ、部屋に戻ったらこれすぐに脱ぐからなっ!」

 

 

 

「ふにゅう、ダメだよタクヤ。部屋に帰ってからもそのまま着てなさいっ♪」

 

 

 

「ラウラ!?」

 

 

 

 俺は男なんですけど!?

 

 

 

 今はウィッチアップルを食ったせいで手に入れた能力で性別を変えてるけど、本当は男だからな!? 本当ならちゃんと息子は搭載してるんだぞ!?

 

 

 

 溜息をつきながら近くにある席に腰を下ろし、頬ずりを始めるラウラを見ながら苦笑いする。

 

 

 

 前世の世界よりも、こっちの方が幸せだな…………。

 

 

 

 何度も死にかけたけれど、こっちの世界で仲間たちと生活してる方が幸せだ。

 

 

 

 頬ずりしているラウラの頭を撫でながら、俺はそう思うのだった。

 

 

 

 



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ブレスト要塞を視察に行くとこうなる

 蒼だけで彩られた大空を、7機の戦闘機たちが蹂躙していく。編隊を組んでいた漆黒の戦闘機たちは高度を上げると同時に散開すると、大空にエンジンの轟音と衝撃波を刻み付けながら飛び回り始める。

 

 

 

 タンプル搭上空で飛行訓練を行っているのは、7機のF-22で構成された『モードレッド隊』と呼ばれる新しい航空部隊である。5機のユーロファイター・タイフーンで構成されたアーサー隊のように、他の航空部隊から選抜された優秀なパイロットで構成された精鋭部隊の1つであり、配備されているF-22たちには黒と紅のダズル迷彩が施されている。

 

 

 

 レーダーで遠距離から標的を捕捉し、ミサイルをぶっ放すのが当たり前になった現代の航空戦ではそのような塗装はあまり意味がないかもしれないが、地上で戦っている味方たちはその特徴的な塗装で判別できるし、戦果をあげれば敵もその塗装を見た瞬間に震え上がるだろう。

 

 

 

 ちなみにモードレッド隊のエンブレムは、”折れたエクスカリバーと2つの翼”である。アーサー隊よりも後に編成された精鋭部隊だが、模擬戦では何度かアーサー隊のメンバーを撃墜することに成功している。でもアーサー隊の隊長であるアルフォンスを撃墜したことは一度もないらしい。

 

 

 

 散開して飛び回っていたモードレッド隊のF-22たちが、再び7機で編隊を組み始める。短時間ですぐに編隊を組み終えたF-22たちはそのまま旋回すると、各拠点の中でも特に着陸の際の難易度が高いと言われるタンプル搭の滑走路へ着陸するために、高度を落とし始めた。

 

 

 

 テンプル騎士団の兵士たちの錬度は低いけれど、空軍のパイロットたちの練度は他の勢力からも高く評価されている。

 

 

 

「優秀なパイロットたちみたいですわね」

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 滑走路の方へと飛んでいく7機のF-22を見守りながら、俺は目の前に停車しているテクニカルの運転席へと乗り込むことにした。

 

 

 

 テクニカルとは、要するに荷台や座席に機関銃を搭載したピックアップトラックの事だ。ただ単に車両に武装を積んだだけだから、軍用の戦車や装甲車と比べると火力や防御力はかなり劣ってしまうものの、車両に武装を搭載するだけで戦闘に投入できるため、高性能な戦車や装甲車を購入するよりもコストがかなり低いのである。

 

 

 

 これも転生者の能力で生産した代物で、消費するポイントがかなり低い。T-90を生産するポイントの10分の1で生産できるため、テンプル騎士団の民兵や偵察部隊などにも配備されている。とはいえ戦車や装甲車よりも性能は低いので、さすがに魔物の討伐の際には投入されることはない。

 

 

 

 目の前に停車しているのは、ピックアップトラックにこれでもかというほど武装を搭載したテクニカルだ。フロントガラスや側面の窓は取り外されており、代わりに覗き窓のついた古い戦車のような装甲で覆われている。助手席と後部座席の左右にはブローニングM1919重機関銃が合計で3丁も取り付けられており、荷台の上には迫撃砲と砲弾の入った箱が居座っている。エンジンの周囲には、エンジンが破壊されることを防ぐために装甲が取り付けられているけれど、多分あの装甲が防げるのはアサルトライフルやバトルライフルの銃弾が限界だろう。貫通力が高い徹甲弾や、より大口径の弾丸を放つ重機関銃の攻撃は防げないかもしれない。

 

 

 

 運転席に座ってハンドルを握ろうとすると、カノンに手を掴まれた。

 

 

 

「お兄様、わたくしが運転しますわ」

 

 

 

「いやいや、ドルレアン家のお嬢様に運転させるわけにはいかないよ」

 

 

 

 カノンはドルレアン領の領主になる貴族の娘だからな。

 

 

 

 冗談を言うと、彼女は俺に運転させることにしたのか、助手席のドアを開け、がっちりとしたブローニングM1919重機関銃が居座っている助手席に乗り込んだ。助手席には運転席と違ってブレーキやアクセルはないけれど、その代わりに重機関銃用の弾薬が入った箱が2つほど居座っているから窮屈そうだ。

 

 

 

 これでもかというほど武装を搭載されたテクニカルを走らせ、タンプル搭の検問所へと向かう。ゲードの近くで警備をしていた警備班の兵士がこっちに駆け寄ってきたのを見ながら、運転席の左側にある覗き窓を開けた。窓ガラスの代わりに覗き窓のついた装甲で覆われているので、車内は結構暗い。

 

 

 

「お疲れ様」

 

 

 

「お疲れ様です、同志団長。どちらへ向かうのですか?」

 

 

 

「建造途中のブレスト要塞を視察に行く」

 

 

 

「分かりました。護衛の車両を手配しましょうか?」

 

 

 

「いや、大丈夫だ」

 

 

 

 AK-12の代わりに配備が始まったAK-15を装備している警備班の兵士にそう言うと、彼は敬礼をしてから検問所へと駆け戻り、ゲートの近くにあるレバーを上げた。

 

 

 

 敵の侵入を防ぐために設置されているゲートが、金属音を奏でながらゆっくりと開いていく。分厚いゲートが開いたのを確認してからその兵士に敬礼し、再びテクニカルを走らせる。

 

 

 

 吸血鬼たちによる春季攻勢カイザーシュラハトによって、テンプル騎士団は重要拠点の1つであるブレスト要塞を失う羽目になった。ブレスト要塞はタンプル搭の東西南北に配置されている要塞の1つであり、防衛ラインを構成する重要拠点である。

 

 

 

 つまり要塞が壊滅して機能していないということは、ブレスト要塞方面の防衛ラインがかなり薄くなっているということを意味するのである。

 

 

 

 考えられないけど、もし同じ方向から春季攻勢カイザーシュラハトに匹敵する戦力の敵が攻め込んで来たら、今度こそタンプル搭への攻撃を許してしまうかもしれない。だから周辺の前哨基地の戦力を増強しつつ、要塞の建造を急いでいるというわけだ。

 

 

 

 今から俺とカノンは、その新しいブレスト要塞の視察に向かうのである。

 

 

 

 視察に向かうことは事前に伝えていないため、要塞にいる団員たちはびっくりするに違いない。

 

 

 

 分厚い城壁にも見える岩山の間にある道は、シャール2Cが並走できるほどの広さがある。同等の広さの道が3つあり、その道に2ヵ所ずつ検問所が用意されている。検問所の中には武装した警備班の兵士が待機しており、敵が襲撃してきた場合は応戦して時間を稼ぎ、迎撃部隊と合流して敵を返り討ちにすることになっているのだ。そのため、検問所には予想以上に多くの武装が配置されている。

 

 

 

 2つ目の検問所の前で停車し、同じように覗き窓を開ける。さっきの検問所の兵士がこっちにも連絡してくれていたからなのか、覗き窓の外から俺とカノンの顔をチェックされただけで、その兵士は検問所のゲートをあっさりと開けてくれた。

 

 

 

 この検問所のゲートは、シャール2Cの正面装甲と同じくらい分厚い。そのため160cm滑腔砲のAPFSDSをこれでもかというほどぶち込んでも、表面がほんの少しだけ窪むだけで済むのである。

 

 

 

 ちなみに、タンプル砲を使用する時はこのゲートは全て開けることになっている。タンプル砲を発射する際の衝撃波があまりにも強烈すぎるため、ゲートを閉鎖したままだとこの分厚いゲートが衝撃波で吹っ飛ばされてしまうのだ。

 

 

 

 合計で33基の薬室の爆発が200cmガンランチャーの砲口から飛び出すのだから、その衝撃波が戦艦の主砲の衝撃波を遥かに上回るほど強烈になるのは想像に難くない。下手したらシャール2Cまで吹っ飛ばしてしまうのではないだろうか。

 

 

 

 APFSDSをこれでもかというほど叩き込まれても正面装甲を貫通されることのなかった怪物が、衝撃波であっさりと吹っ飛ばされる光景を想像しながら、ちらりと後ろを振り向いた。城壁のようにも見える岩山の向こうから、ほんの少しだけ巨大な要塞砲の砲身の先端部が覗いている。

 

 

 

「テンプル騎士団も大きくなりましたわね」

 

 

 

「ああ。最初はたった5人だけだったのにな」

 

 

 

 モリガンの傭兵たちは、10人足らずの仲間たちと共に最後まで戦いを続けた。数多のクソ野郎を狩り、彼らに虐げられていた人々を救い続けた。

 

 

 

 けれども、きっと彼らは世界を変えようとはしていなかったのだろう。若き日の親父は、いくら現代兵器で武装した最強の傭兵たちでも、10人足らずではこの世界を変える事ができないということを知っていたのかもしれない。

 

 

 

 だからこそ俺たちは、大きくなろうとした。

 

 

 

 この世界を変える事ができるように。

 

 

 

 父たちの戦いをベースにして、俺たちは進化するのだ。

 

 

 

「ところで、天秤の在り処は分かったのか?」

 

 

 

「まだですわ。ステラさんたちが調査を続けていますが…………」

 

 

 

「そうか…………」

 

 

 

 全ての鍵は、俺たちが持っている。しかしその鍵を使って手に入れることのできる天秤の在り処が、未だに判明していない。

 

 

 

 ”天空都市ネイリンゲン”と呼ばれる場所に保管されていることは明らかになったんだけど、その天空都市ネイリンゲンがどこにあるか分からないのだ。航空隊を派遣し、ネイリンゲンの上空を確認してもらったけど、ダンジョンと化したネイリンゲンの上空には何も見当たらなかったという。

 

 

 

 何か条件でもあるのだろうか?

 

 

 

 テクニカルを運転しながら、俺は唇を噛み締める。

 

 

 

 あの春季攻勢カイザーシュラハトに敗北したことで、吸血鬼は壊滅状態となった。兵士の数が減った上にブラドまで失ったのだから、もう天秤の争奪戦を継続することはできないだろう。

 

 

 

 だが、モリガン・カンパニーは全く損害を受けていない。

 

 

 

 しかもあのモリガン・カンパニーのリーダーは、俺たちの親父ではなく、レリエルと相討ちになった親父の記憶と端末を受け継いだ、最古の竜のガルゴニスである。ドラゴンが生み出された時からずっと生き続けているため、天秤の事も知っているのだ。

 

 

 

 だから、天秤がどこに保管されているかを知っていてもおかしくはない。しかも親父の能力まで受け継いでいるのだから、その気になればテンプル騎士団との同盟を破棄し、鍵を強奪するために攻め込んでくるだろう。

 

 

 

 テンプル騎士団は部隊の再編成の真っ最中だ。今のところ攻め込んでくる気配はないが、いつ同盟を破棄されてもおかしくはない。

 

 

 

 もしかしたら有利なのは、俺たちじゃなくてあっちかもしれないな…………。

 

 

 

「お兄様、どうしましたの?」

 

 

 

「いや、何でもない」

 

 

 

 天秤を手に入れるために、親父を超えなければならないようだ。

 

 

 

 かつてレリエル・クロフォードと相討ちになった、最強の転生者を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しいブレスト要塞の建造は、予想以上に進んでいるようだった。

 

 

 

 要塞を取り囲む防壁は既に完成しており、防壁の上には重機関銃や迫撃砲などの兵器がクレーンで運び込まれている。しかも旧ブレスト要塞の防壁よりも更に分厚くなっているため、砲撃や爆薬で爆破するのは難しいだろう。

 

 

 

「すごい景色だな」

 

 

 

「わぁ…………! エイナ・ドルレアンでもこんな景色は見れませんわ!」

 

 

 

 防壁の上から建造途中の要塞を見下ろしてはしゃぐカノン。真面目になっている時は冷静で礼儀正しい少女なんだけど、稀にこのようにはしゃぐことがある。それに起きたばかりの時は、寝ぼけて俺の事を「お兄ちゃん」と呼ぶこともあるのだ。

 

 

 

 すぐに慌てて顔を赤くしながらいつもの口調に戻るんだけど、慌てている時のカノンも可愛らしい。

 

 

 

「そういえば、お前の髪型ってシンプルだよな?」

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 はしゃぐカノンを見つめていた俺は、彼女の橙色の髪を見つめながらそう言った。彼女の髪は基本的にそれほど長くないし、シンプルである。

 

 

 

 幼少の頃によく親父と一緒に帰属のパーティーやお茶会に出席したことがあるんだけど、そのパーティーやお茶会に出席していた貴族の女の子の髪型はかなり派手だった。だからなのか、貴族の女の子は派手な髪形というイメージがある。

 

 

 

 今のところ、貴族出身の女の子でシンプルな髪形なのはカノンだけだ。

 

 

 

「貴族の子って、派手な髪形にするイメージがあるんだけどさ」

 

 

 

「ええ、確かに貴族の子は派手な髪形にしてますわ。でも…………わたくしはああいう髪型は嫌いですの。準備するのは面倒ですし、戦闘中に邪魔になりますから」

 

 

 

「興味もないのか?」

 

 

 

「ええ、ありませんわ。シンプルな髪形の方が動きやすいですもの」

 

 

 

 ドルレアン家の人って変わってるのかな? それとも庶民的なだけなのか…………?

 

 

 

 そういえば、カレンさんの髪型もそんなに派手じゃなかったよな。式典とかパーティーに出席する時はそれなりに派手にしてるみたいだけど、ギュンターさんの話では屋敷に戻るとすぐに元の髪型に戻していたという。

 

 

 

 やっぱりカノンはカレンさんにそっくりだな。

 

 

 

 変態になっちまったのはギュンターさんのせいだけど。

 

 

 

 苦笑いしながら、俺は要塞の防壁の内側を見下ろす。

 

 

 

 基本的な構造は旧ブレスト要塞と変わっていない。防壁の内側にはずらりと戦車の格納庫やヘリポートらしきスペースが並び、格納庫に囲まれた管制塔と広大な滑走路も準備されつつある。まるで防壁や装備されている兵器を増強したブレスト要塞を、旧ブレスト要塞の近くにもう1つ作ろうとしているようにも見える。

 

 

 

 けれども、この新しい要塞には、旧ブレスト要塞にはなかった新しい設備が準備されている。

 

 

 

 防壁の隅へと伸びていくレールを見つけた俺は、腰に下げていた双眼鏡をズームしながらそれを注視する。双眼鏡の向こうでは、屈強なオークやドワーフの男性たちがレールを担ぎ、凄まじい速度でそのレールを防壁に開いている穴の向こうへと繋いでいるところだった。

 

 

 

 そう、列車用のレールである。

 

 

 

 全ての重要拠点からタンプル搭へと線路を用意し、装甲列車を走らせることができるようにするのだ。しかも地下にも同じようにトンネルを掘って線路を用意することで、その装甲列車を緊急脱出に使うこともできるし、仮に地上の線路が魔物や敵の攻撃で破壊されてしまっても、線路の途中に用意されているトンネルの入り口から地下のトンネルへとルートを変更することで、脱線事故を回避する事ができる。逆に、敵に発見されないように地下を進んでから地上へと続くルートを使って地上に飛び出し、敵に奇襲攻撃を仕掛けることもできる。

 

 

 

 更に、重要拠点が攻撃を受けている際に兵士たちを列車で派遣することもできるようになるのだ。

 

 

 

 まだ装甲列車や列車砲は用意していないけれど、この線路が完成すればタンプル搭の防御力はより強固になるだろう。

 

 

 

 もちろん、装甲列車にはシャール2Cに匹敵する巨大な主砲や対戦車ミサイルをこれでもかというほど搭載する予定である。

 

 

 

 しかも、重要拠点には虎の子のシャール2Cを3両ずつ配備する予定だ。APFSDSの集中砲火でも貫通できないほどの分厚い正面装甲を持つ上に圧倒的な火力まで搭載しているあの超重戦車は、春季攻勢カイザーシュラハトの迎撃で大きな戦果をあげたため、更に4両も増産されることが決定しているのだ。

 

 

 

 予定では、このブレスト要塞には『プロヴァンス』、『マリー・アントワネット』、『マクシミリアン・ロベスピエールの3両を配備することになっている。

 

 

 

 この要塞や線路が完成すれば、テンプル騎士団の戦力は一気に上がるだろう。

 

 

 

 だが、テンプル騎士団の目的はあくまでも蛮行を続けるクソ野郎共の討伐だ。転生者をぶち殺すためには派遣される兵士たちの錬度も高めなければならない。

 

 

 

 殲虎公司(ジェンフーコンスー)と合同演習でもやろうかなと思いながら、俺はカノンを連れて防壁の上を後にするのだった。

 

 



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テンプル騎士団の土地

 

 石鹸と花の香りを混ぜ合わせたような匂いに包まれながら目を覚ます事ができた時は、少なくとも平穏だ。任務の最中や移動中だったらこの甘い匂いはしない。

 

 瞼を擦りながら手を伸ばし、枕元に置いてある時計へと手を伸ばす。シンプルなデザインの時計を拾い上げて時間を確認し、まだ午前5時だということを確認してから時計を元の位置に戻した。二度寝できればいいんだけど、確か今日は午前7時から訓練があるし、午後からは俺が偵察部隊と一緒に偵察に向かうことになっていた筈だ。もう朝食の準備をしていた方がいいかもしれない。

 

 多分、6時くらいにはイリナも帰ってくる筈だ。

 

 ベッドから起き上がろうとしたんだけど、立ち上がろうとした時に腰に柔らかい何かが巻き付いていることに気付いた。人間の手足にしては長すぎるし、感触も皮膚とは異なる。それにその絡みついている柔らかい物体からも、甘い匂いがする。

 

 腰に絡みついているのは、真っ赤な鱗に覆われた柔らかそうな尻尾だった。その尻尾がベッドの毛布の中へと伸びているのを見た俺は、肩をすくめながらもう一度ベッドの上に横になる羽目になった。

 

「にゃあ…………タクヤぁ…………♪」

 

 腰に絡みついている尻尾を撫でると、ベッドの上で眠っている赤毛の少女が嬉しそうに微笑んだ。

 

 朝起きると、このように尻尾を俺の身体に絡みつかせているか、抱き着いたまま眠っているのは当たり前だ。

 

 甘えん坊だな、お姉ちゃんは。

 

 イリナが戻ってきてから朝食の準備をしても間に合うだろう。もう少しラウラとイチャイチャしてから朝食を作ることにしよう。

 

 そう思って彼女の頭へと手を伸ばし、2本の角が生えているラウラの頭を撫で始める。一応ラウラがお姉ちゃんなんだけど、彼女は弟に頭を撫でられるのが大好きらしい。眠ったままこっちに抱き着いてきたかと思うと、絡みつかせていた尻尾の先端部を左右に振り始めた。

 

 満足している時や機嫌がいい時は、彼女はこうやって尻尾を左右に振る癖がある。逆に機嫌が悪い時は、「こっちを見て」と言わんばかりに尻尾を縦に振る癖があるのだ。

 

 どうやら今は満足しているらしい。

 

 頭を撫でながら、ちらりと彼女の胸を見下ろす。胸が大きくなり始めてからラウラはパジャマのボタンをいくつか外して眠るようになった。ボタンをいくつか外さないと胸が苦しくなるらしいんだけど、そのせいで彼女の大きなおっぱいと黒いブラジャーがあらわになっている。

 

 彼女の胸を見つめたまま反対側の手を頭の上へと伸ばすと、俺の頭に生えている角はちょっとずつ伸び始めていた。

 

 本当に不便だよ、この体質は。

 

 どんどん伸びていく角を撫でながら溜息をつくと、小さい頃からずっと俺に甘えていたお姉ちゃんが、あくびをしながら瞼を擦り始めた。

 

「おはよう、ラウラ」

 

「にゃあ…………おはよう。…………ふにゅう♪」

 

 瞼を擦ってから微笑み、頬ずりを始めるラウラ。やがて彼女はしがみついていた腕から両手を離して起き上がったかと思うと、逃がさないと言わんばかりに今度はベッドに横になっている俺の身体の上にのしかかり、そのまま胸板に頬ずりを始める。

 

「えへへへっ、お姉ちゃんと同じ匂いだね♪」

 

「小さい頃からずっと一緒だからな」

 

 腰に巻き付けていた尻尾を離し、尻尾で俺の頭を撫で始めるラウラ。彼女の尻尾は俺の尻尾と違って外殻には覆われていないので、非常に柔らかい。何度か彼女の尻尾を枕代わりにさせてもらったことがあったんだけど、暖かい上に結構柔らかいので、すぐにぐっすり眠ってしまった。

 

 サラマンダーのメスは卵や子供を温める際に外殻が邪魔になるので、外殻が退化しているのだ。ラウラもそのサラマンダーのメスの特徴が反映されているらしく、外殻の生成が苦手らしい。

 

 彼女の尻尾を撫でていると、頬ずりしていたラウラがぺろりと頬を舐め始めた。びっくりして彼女の顔を見ると、彼女はニコニコと笑いながら容赦なく唇を奪い、舌を絡ませ始める。

 

「んっ…………」

 

 目を覚ましてからキスをするのは当たり前だけど、場合によってはそのまま彼女に搾り取られることもある。今日はどっちなんだろうか。下手したら襲われている最中にイリナが帰ってくるかもしれないんだけど。

 

 キスだけで済むことを祈っているうちに、ラウラは舌と唇を離してくれた。キスを終えたラウラの頭から生えている角もどんどん伸びているし、彼女の顔も赤くなっている。

 

 多分、今日は襲われるだろうな。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「ん?」

 

「あのね…………喉が渇いちゃった」

 

 そう言ってから、自分の唇をぺろりと舐めるラウラ。唇から伸びた彼女の舌は、いつもよりも少しばかり長い。

 

 どうやらラウラは、紅茶が飲みたいわけではないらしい。

 

 すぐに両手を自分のパジャマのボタンへと伸ばし、ボタンを外していく。彼女と同じく白い肌がどんどんあらわになっていくのを見ていたラウラは、俺の首筋を見つめながら、まるで飢えている時に大量のご馳走を目にしたかのように息を吞んだ。

 

 そしてゆっくりと首筋を舐めてから、口の中に生えている犬歯をあらわにする。

 

 ラウラの口の中に伸びていた犬歯は―――――――吸血鬼たちのように、長くなっていた。

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

「我慢できない?」

 

「う、うん…………はっ、早く…………飲みたいよぉ…………!」

 

 枕元に用意しておいたブラッドエリクサーの瓶を掴み取り、いつでもそれを飲んで血液を補充できるように準備してから、彼女の頭を撫でた。

 

「召し上がれ」

 

「!」

 

 そう言った直後、上にのしかかっていた最愛のお姉ちゃんが、俺の首筋に鋭い犬歯を突き立てていた。吸血鬼のような犬歯で容赦なく弟の首筋にちょっとした穴を開け、溢れ出た鮮血を荒々しく啜り始めるラウラ。先ほどまでベッドを包み込んでいた甘い香りが、段々と血の臭いに侵食されていく。

 

 激痛を感じながら、血を吸っているラウラを優しく抱きしめた。

 

 吸血鬼たちの春季攻勢(カイザーシュラハト)の最中に、ラウラは左腕と左足を失うという重傷を負う羽目になった。本来ならば義手と義足を移植して復帰する筈だったんだけど、彼女はタンプル搭を訪れていたフィオナちゃんになんと吸血鬼の細胞の移植を依頼し、彼らの再生能力と進化したキメラ・アビリティを身に着けて戦闘に復帰したのである。

 

 細胞の移植の恩恵で彼女の戦闘力は劇的に向上したが、その代わりにラウラの寿命は短くなってしまったという。しかもキメラは極めて変異を起こしやすい種族であるため、吸血鬼の細胞を移植すれば、その細胞を取り込んだ身体が予想外の突然変異を引き起こす危険があった。

 

 ラウラが俺の血を吸っているのも、その突然変異の1つだろう。

 

 おそらく、吸血鬼の細胞を移植したせいで、定期的に血を吸いたくなってしまったに違いない。けれどもちゃんと普通の食べ物を食べて満腹感を感じているため、吸血鬼のように血以外のものから栄養を吸収できない身体になってしまったわけではないようだ。

 

 首筋から静かに口を離し、傷口からまだ溢れている血を舌で舐め始めるラウラ。血が止まるまで首筋を舐めていた彼女は、呼吸を整えながら胸板に顔を押し付けた。

 

「ご、ごめん………吸い過ぎちゃった…………?」

 

「だ、大丈夫…………エリクサーは必要ないよ」

 

 イリナだったらもっと容赦なく吸っていただろう。

 

「美味しかった?」

 

「うんっ♪」

 

 尻尾を横に振り始めたラウラを抱きしめようと思ったんだけど、微笑んでいるラウラの眼が段々と虚ろになり始めると同時に、彼女の浮かべていた笑顔が不気味な笑顔に変質し始めたことに気付いた俺は、ぎょっとしながら両手を止めた。

 

「えへへへっ…………♪」

 

「…………」

 

「ねえ、タクヤぁ♪」

 

「ん?」

 

 俺の両手を押さえつけてから、柔らかい尻尾をズボンへと伸ばすラウラ。彼女が俺のズボンを脱がそうとしていることに気付いた俺は両腕に力を込めて抵抗しようとしたけれど、人間よりも力が強いキメラである上に、小さい頃から一緒に訓練を受けて鍛え上げられたラウラの握力に勝利するのは難しそうだ。多分、普通の人間の男性だったら手首を握りつぶされているのではないだろうか。

 

 キメラの女性と人間の男性が付き合ったら、人間の男性は間違いなく大怪我をすることになるだろう。

 

 彼女の口元にまだ俺の血がついている上に、目つきが虚ろになっているせいで、今のラウラはかなり怖い。

 

「いいでしょ?」

 

「待って。せめて薬は飲ませてよ」

 

「そんなの要らないよ」

 

「いや、飲まないと子供できちゃうって」

 

「ふにゅ? お姉ちゃんはいつでも子育てするよ?」

 

 彼女を説得しつつ抵抗しようとするんだけど、血を吸われたばかりだから両手に全く力が入らない。

 

「子供を作るのは結婚してからって言―――――――」

 

「もうっ。お姉ちゃんの言う事は聞かないとダメなのっ♪」

 

 や、ヤバい…………ズボンとパンツが脱がされそう…………!

 

 足掻き続ける俺の首筋を甘噛みし始めるラウラ。ブラッドエリクサーを飲んで血液を補充すれば逃げられるかもしれないけど、彼女に両手を押さえつけられているせいでエリクサーを飲む事ができない。こっちも尻尾を使おうと思ったんだけど、尻尾にも力が入らない上に、すぐに尻尾で抵抗しようとしていることを察知したラウラの尻尾に押さえつけられてしまう。

 

「いただきまーすっ♪」

 

「ふにゃああああああああああ!!」

 

 結局、イリナが帰ってきませんようにと祈りながら、今朝も彼女に搾り取られる羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な会議室のテーブルの上に、蒼い立体映像が投影されている。参謀総長の座席にある小型の魔法陣を操作する度に形が変わっていくその立体映像を眺めてからティーカップを拾い上げ、ナタリア特製のジャムが入ったアイスティーを飲む。

 

 テンプル騎士団の兵士の大半は紅茶が好きらしい。だから、兵士たちは任務に行く前には水の入った水筒と、アイスティーの入った水筒を2つ持って行くという。

 

 この紅茶は香りが強烈だな。ヴリシア産か?

 

 ティーカップを巨大なテーブルの上に置き、傍らに置いてある資料を拾い上げる。

 

 本当ならば今日は円卓の騎士たちを招集して会議を開く予定はなかったのだが、俺が仲間たちと一緒にスコーンを食べながらテクニカルで偵察任務に行っている最中に、会議を開かなければならない状況になってしまったらしい。

 

 なんと、カルガニスタンを統治しているフランセン共和国の総督から、すぐにテンプル騎士団の拠点を別の場所に移転させるように勧告されたのである。

 

 カルガニスタンはフランセン共和国の植民地であるため、独立はしていない。だから各地で先住民たちがフランセン騎士団とゲリラ戦を繰り広げているのである。ウラルが率いていたムジャヒディンも、フランセンに反旗を翻した武装勢力の1つだった。

 

「団長、こんな勧告は無視しましょうよ」

 

「そうですよ、移転する必要はありません」

 

「そうなんだけど…………同志諸君、俺たちはあいつらの植民地に”勝手に拠点を作って”活動してるんだよ」

 

 そう、テンプル騎士団はその植民地のど真ん中に、統治している総督に許可を得ずに勝手に拠点を作っているのである。

 

 冒険者ギルドや傭兵ギルドを設立する際は、その街を統治している市長や領主に申請する必要がある。植民地に拠点を作る際は、その植民地を統治している総督に申請をしなければならない。

 

「確かに、俺たちは無断で拠点を作っちまったからな。だが、何で俺たちはギルドとして管理局に認められちまったんだ? 申請がない時点で許可されないだろ?」

 

 資料を見つめていたウラルが質問すると、アイスティーを飲んでいたクランが腕を組みながら説明し始めた。

 

「総督が変わったらしいのよ。以前までの総督は、テンプル騎士団がフランセン騎士団に協力することもあったから黙認してた上に、管理局にも許可を出すように指示を出してたらしいの。でも新しい総督はテンプル騎士団を嫌ってるみたいで、管理局に許可を取り消すように圧力をかけてるらしいのよ」

 

 俺たちを黙認してくれていた穏健派の総督のおかげで、テンプル騎士団は冒険者ギルドと傭兵ギルドとして活動する事ができたというわけだ。

 

 しかし、新しい総督は黙認するつもりはないらしく、管理局に圧力をかけているというのである。もし冒険者管理局が許可を取り消せば、テンプル騎士団はギルドではなくただの武装集団になってしまうだろう。組織の資金は傭兵として活躍している海兵隊の兵士たちと、ダンジョンに調査に向かっている兵士たちのおかげで手に入れる事ができている。だがその許可が取り消されれば、テンプル騎士団は資金を入手する事ができなくなってしまう。

 

「なんて奴だ」

 

「しかも、商人たちにテンプル騎士団への商品の販売を禁止するように指示しているらしいわ。幸い鉱石はタンプル搭の岩山で採掘できてるけど、他の資源を手に入れるのが難しくなってるのよ…………。オルトバルカ産の紅茶も底をついちゃってるわ」

 

 だから今日の紅茶はヴリシア産なのか。

 

 あまり好きじゃないんだよな、ヴリシア産の紅茶は。できるならさっぱりしてるオルトバルカ産の紅茶がいい。

 

「拠点を移転させるか、私たちの持っている兵器を提供すれば許可を出すらしいわね」

 

「武器の提供は絶対にしない」

 

 現代兵器を支給するのは、一緒に戦ってくれている同志たちだけだ。だからフランセン騎士団の連中には、絶対に銃は渡さない。

 

 けれども、拠点を移転させるのもかなり難しい。もう既に拠点の規模はかなり大きくなっているし、拠点を作れそうな場所を探さなければならない。

 

「どうするんだ? いっそのこと、フランセンと戦争するか?」

 

 紅茶を飲み干したケーターは、そう言いながらこっちを睨みつける。あいつはシュタージの中でも冷静な男だから、フランセンと戦争をするべきだと思っているわけがない。俺を試すためにわざと”戦争をするべきだ”と言ったのだろう。

 

 テンプル騎士団の戦力なら、フランセンの連中をカルガニスタンから追い出すのは簡単だ。けれども、彼らを追い出せば本国から大規模な兵力が派遣されるのは想像に難くない。下手をすればカルガニスタンの先住民たちまで巻き込んでしまう恐れがある。

 

「いや、戦争はしない」

 

 どうすればいいのだろうか。

 

 スペツナズに命令して総督を拉致し、移転の命令を撤廃させるか? けれども拉致すれば、フランセンに喧嘩を売る羽目になる。

 

 くそったれ………。

 

「お兄様、いい案がありますわ」

 

「カノン?」

 

 変な意見を言うつもりじゃないだろうなと思ったけど、カノンの表情は真面目だった。彼女は席から立ち上がってからこっちに向かってニヤリと笑うと、テーブルの中央に浮かんでいる立体映像を見つめながら言った。

 

「―――――――お金で何とかすればいいのです」

 

「…………はっ?」

 

 お、お金?

 

「このカルガニスタンの土地を、フランセンから買い取るのですわ。さすがに全土を買い取るのは無理でしょうけど、タンプル搭や拠点の周辺を買い取ってしまえばフランセンの統治は全く関係ありませんもの」

 

 確かに、土地を買い取れば総督から許可を受ける必要はない。それに総督が管理局に圧力をかけても、俺たちは”自分たちの土地”にいるのだから管理局も許可を剝奪できなくなる。

 

 さすが貴族だな、カノン。

 

「だが、タンプル搭の周辺を買い取ると言っても金は足りるのか?」

 

「そうですよ、同志カノン。土地を買うのは難しいのでは?」

 

 円卓の騎士たちがそう言うが、カノンはもう既に作戦を考えてあるらしく、微笑んだままシュタージのメンバーの方を見つめた。

 

「ご安心くださいな。金額は関係ありませんわ」

 

「どういうことだ?」

 

「上手くいけば銅貨1枚で土地を買い取れますわ」

 

 ちなみに、一般的な労働者の年収は金貨4枚か5枚と言われている。一般的な家をローン無しで立てるためには、金貨3枚を払わなければならない。カルガニスタンの土地をフランセンから購入するのであれば、それよりもはるかに高額の金貨を用意しなければならない筈だ。

 

 だから、銅貨1枚で買えるわけがない。

 

「どうするつもり?」

 

「シュタージの皆さんに協力してもらう必要がありますわね。もちろん、土地を購入する申請は総督ではなく本国の方にする必要がありますわ」

 

 …………とんでもない作戦だ。

 

 カノンの作戦を理解した俺は、予想以上に可愛い妹分が腹黒くなっていたことに驚きながら苦笑いしていた。

 

 シュタージはテンプル騎士団の諜報部隊だ。本国にエージェントを潜入させる事ができれば、本国にいる政治家のスキャンダルを全て調べる事ができるだろう。

 

 これは購入じゃなくて脅迫だぞ、カノン…………。

 

 

 

 

 

 



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シュタージの交渉

 

 机の上に並べた騎士たちの報告書を睨みつけながら、私は息を吐いた。

 

 その報告書に記載されているのは、カルガニスタンの砂漠に居座る忌々しい”テンプル騎士団”の戦闘を目撃した騎士たちからの報告書だった。テンプル騎士団の兵士たちは黒い制服に身を包み、轟音を発する”クロスボウのような飛び道具”を装備しているという。中にはロングソードやメイスで武装した兵士も見受けられるというが、大半がその飛び道具を装備しているらしい。

 

 オルトバルカの技術者が開発したスチームライフルは各国の騎士団が正式採用しており、フランセンでもライセンス生産が始まっているが、いくら銃剣を装備すれば接近戦にも対応できるとはいえ、ほぼ全ての兵士にそれを装備させているわけではない。高圧の蒸気の入ったタンクを背負わなければならないため、射手の動きは鈍重になってしまうのだ。だから剣や槍を装備した身軽な兵士たちに護衛をさせなければならない。

 

 フランセン共和国騎士団の騎士の6割はスチームライフルの射手である。

 

 しかし、テンプル騎士団の兵士の9割は、その”クロスボウのような飛び道具”で武装しているらしい。報告書にはその飛び道具にも銃剣が装着できる上に、スチームライフルと違って蒸気の入ったタンクを背負う必要がないという。それゆえに射手たちの動きは非常に身軽らしい。

 

 更に、そのテンプル騎士団の兵士たちが持っている装備は、凄まじい速度で連射する事ができると書かれている。

 

 我が騎士団でもスチーム・ガトリングという連射できる飛び道具を正式採用しているが、基本的に戦艦に搭載されたり、車輪付きの台座に乗せて使用しなければならないほど重い兵器であるため、テンプル騎士団のように歩兵に持たせることは不可能だ。

 

 連中の兵器は蒸気を使っていないのだろうか。

 

「…………」

 

 部下が淹れてくれたコーヒーを口へと運びながら、私は本棚の中に並んでいる本へと手を伸ばす。その本に記載されているのは、今から22年前に活躍したあのモリガンの傭兵たちの記録だった。

 

 確か、モリガンの傭兵たちもその飛び道具を使用していた筈だ。しかもたった2人の傭兵で、無数の魔物たちを殲滅したこともあるという。

 

 スチームライフルが開発されるよりも前から、その兵器はモリガンの傭兵たちが使っていたのだ。

 

 それは彼らが開発したものなのだろうか? 

 

 できるならば購入したいところだ。あのモリガンの傭兵が使っていた飛び道具を購入すると本国に打診すれば、本国はいくらでも予算を用意してくれるに違いない。

 

 だが、モリガンの傭兵たちはその武器を決して商人たちに売ることはなかったという。奪い取ろうとすればその商人や雇った傭兵たちは必ず皆殺しにされたため、商人たちは彼らの武器を手に入れることを諦めた。

 

 しかもそれを使っている兵士たちを仕留める事すらできなかったため、鹵獲もできていない。

 

「いったいどんな技術を使っている…………?」

 

 フィオナ機関を生み出したフィオナ博士ですら、その飛び道具が猛威を振るった後にやっとスチームライフルを開発したのだ。しかもスチームライフルは一発放つ度に再装填(リロード)が必要になるため、そのモリガンやテンプル騎士団が使っている兵器から見れば”不完全な兵器”である。

 

 オルトバルカ王国を”世界の工場”へと成長させた天才技術者ですら、その兵器を生み出す事ができていない。

 

 モリガンには、あのフィオナ博士を上回る天才技術者がいたのか?

 

 それとも、彼らの使っている兵器は”この世界の兵器ではない”のではないだろうか?

 

『総督、失礼します』

 

「入れ」

 

 ドアをノックした部下にそう言ってから、本を閉じて本棚へと戻す。

 

 おそらくテンプル騎士団に関する報告だろうな、と思いながら執務室に入ってきた部下が報告するのを待っていると、報告書らしき書類を持って入ってきた部下が、その書類を私の机の上に置いた。

 

「テンプル騎士団は、あの飛び道具を売るつもりはないそうです」

 

「そうか…………」

 

 どうやらテンプル騎士団からの”返事”のようだ。

 

 彼らの持つ兵器や武器をこちらに売却してくれれば、商人たちに彼らとの商売を禁じる”嫌がらせ”を止めてやろうと思ったのだが、彼らもモリガンの傭兵たちのように武器を売るつもりはないらしい。

 

 はっきり言うと、あいつらが持っている兵器は脅威だ。

 

 他の報告書では、馬を使わずに自由自在に走り回る鋼鉄の馬車や、轟音を発しながら大空を飛び回る鋼鉄の飛竜も保有しているという。更に、報告書ではなくカルガニスタンの漁師から聞いた噂話だが、非常に巨大な戦艦も保有しているという。しかもその戦艦は、あのオルトバルカ王国が建造した『クイーン・シャルロット級』を上回る大きさで、甲板の上には巨大な大砲をいくつも搭載しているらしい。

 

 本国には何度もテンプル騎士団は危険な組織だという警告を発しているが、本国の連中は信じていないらしく、逆にテンプル騎士団と協力して治安維持をするべきだと言っている。

 

 確かに彼らの力を使えばカルガニスタンは平和になるだろう。しかし、カルガニスタンは我が国の植民地だ。彼らは我らの植民地に勝手に居座り、未知の兵器を使って魔物を蹂躙し続けているのである。

 

 もしあの組織が我々に牙を剥けば、以前にタンプル搭を襲撃しに行った部隊と同じ運命を辿ることになるだろう。だからこそ商人たちに彼らとの商売を禁じ、管理局にも圧力をかけて資格を剥奪させ、あの組織を弱体化させるしかない。

 

 資金と資源を失った状態ならば、我々にも勝機はある筈だ。

 

「大尉、質問がある」

 

「何でしょう?」

 

「テンプル騎士団の兵器を見たことはあるかね?」

 

 問いかけると、ロングソードを腰に下げた大尉は目を細めながら答えた。

 

「…………ええ。望遠鏡で遠距離から見た程度ですが。大砲を積んだ鋼鉄の馬車を見ました」

 

 テンプル騎士団には、馬を使わずに走り回る”鋼鉄の馬車”がある。フィオナ機関を使っている可能性もあるのだが、魔力の反応は全くしない。しかも搭載している大砲は遠距離の標的ですら容易く吹き飛ばしてしまうほどの破壊力と凄まじい命中精度を持っているという。

 

 あの兵器は、明らかにこの世界の科学力では生み出せない代物ばかりだ。フィオナ博士が生み出したスチームライフルやスチーム・ガトリングですら、あの兵器たちから見れば”不完全”な武器でしかない。

 

 しかし、あの連中はあの兵器をどこで手に入れたのだろうか。

 

「テンプル騎士団の連中は、あれを一体どこで手に入れたんでしょうね?」

 

「分からん。だが…………あの兵器は、おそらくこの世界の科学力では生み出せないだろう」

 

「どういうことです?」

 

 可能性は低いと思うが、あの兵器をこの世界の技術で生み出すことは不可能だろう。騎士団の保有する剣の大半を”退役”させる原因となったスチームライフルですら、モリガンの傭兵たちがあの兵器で猛威を振るった後に生み出された”不完全な最新兵器”なのだから。

 

「―――――――あの兵器はこの世界で生み出された兵器ではないと思うのだよ、大尉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テーブルの上に置かれた書類や白黒の写真を見下ろし、凍り付いた議員の顔を見つめながら、俺はティーカップを口へと運んでいた。

 

 目の前にいる太ったフランセンの議員を凍り付かせているのは、彼のスキャンダルの証拠たちだ。不倫や不正な取引がスキャンダルの大半を占めていたけれど、他の議員の中には信じられないことに麻薬カルテルと取引をしていたクソ野郎もいた。

 

 議員たちとはそのスキャンダルを口外しないという約束をしたけれど、麻薬カルテルや奴隷を売っている商人たちと関わっていた奴らの件は円卓の騎士たちとスペツナズに報告しておこう。きっとスペツナズの派遣が可決され、テンプル騎士団の精鋭部隊であるスペツナズが派遣されるに違いない。

 

 クソ野郎はちゃんと消さないとな。

 

「…………こ、この情報は間違いじゃないかね? この日は会議があったから、私はこの女性と会うことはできなかったぞ」

 

 額の脂汗をハンカチで拭いながら、証拠を見て凍り付いていた議員が反論してくる。

 

 けれども、ちゃんと他の情報も調べてきたのだ。それに数ヵ月前からフランセンで諜報活動をしていたエージェントに、カルガニスタンの土地の購入が議会で可決された日から情報収集をするように指示していたから、この議員のスキャンダルの証拠はこれでもかというほど用意してある。

 

 スキャンダルを全部ここで教えてあげたら、この議員は認めてくれるだろうか。全部言う前にスキャンダルを認めてくれれば”交渉”を始める予定だけど、認めなかったらスキャンダルを全部公開してやる。

 

「あれ、そうですか? ノエルちゃん、写真ある?」

 

「はい、ブービ君」

 

 そう言いながら隣にいるノエルちゃんの方に手を伸ばすと、抱えていたカバンの中から取り出した白黒写真を手渡してくれた。エージェントが三日前に高級ホテルの向かいにある建物から撮影してくれた白黒写真をちらりと見てから、俺は容赦なくその写真をテーブルの上に置く。

 

 一枚目はニヤニヤしながら綺麗なハイエルフの女性と高級ホテルに入っていく写真だ。二枚目はそのホテルの向かいにある建設中の建物の中から撮影した写真らしく、議員がニヤニヤしながらハイエルフの女性の服を脱がせようとしている。三枚目はモザイクがあった方がいいかもしれない。

 

 ちなみに目の前にいる議員は既婚者だ。家族構成も調べたんだけど、もう子供は3人もいるらしい。

 

 奥さんにハイエルフの綺麗な女性とモザイクが必要になるようなことをしていたということを暴露したら、きっと家庭はとんでもないことになるだろう。もちろん議会に暴露したら辞任する羽目になるかもしれない。

 

 ちらりと隣にいるノエルちゃんを見て見ると、彼女は三枚目の写真を見ないように、微笑みながらじっと議員の顔を見つめていた。

 

 の、ノエルちゃんはまだ15歳だからね…………。

 

「確かその日の会議には、あなたの秘書が参加していたそうですね? まさか、ハイエルフのお姉さんとホテルに行くために会議を休んだのですか?」

 

「ち、違う! こんな女とホテルに行った覚えはないぞ!?」

 

「そうですか? では、今からこちらの綺麗な女性をお呼びしても大丈夫ですか?」

 

「え?」

 

 ちゃんとこのお姉さんも調べてるんだよ。フランセンの首都に住んでいる娼婦らしい。しかもその日の会議の議題は、魔物の襲撃や盗賊の襲撃について。要するに、魔物や盗賊に襲撃される街の防衛部隊を増強するという案について話し合うことになっていたのだ。

 

 国民の命を守るための法案なのに、この議員は会議を欠席し、ハイエルフのお姉さんとモザイクが必要になるような事をしていたのである。

 

「ま、待て…………。頼む、このことは公表しないでくれ…………」

 

「大丈夫です、口外はしません。…………ただ、要求があります」

 

「な、なんだ?」

 

「―――――――来週の議会で、”テンプル騎士団にカルガニスタンの土地の一部を金貨4枚で売却する”という法案を可決させていただきたい」

 

「!?」

 

 この世界では、金貨が3枚あれば一般的な家をローン無しで購入できる。ごく普通の労働者の年収は金貨5枚くらいだ。

 

 要するに、普通の労働者の年収以下の値段で、テンプル騎士団に土地を売れという要求である。

 

 同じように他のシュタージのエージェントたちが議員たちに”交渉”に向かっている。それにフランセンの議会では、1票でも賛成が多ければ法案を可決させる事ができるため、大半の議員に同じように”交渉”をしていれば法案を可決させるのは難しくないだろう。

 

 もちろん、否決したら容赦なくスキャンダルを暴露するつもりである。議員たちのスキャンダルを暴露したら、きっとフランセンの議員の大半は辞職する羽目になるに違いない。

 

「き、金貨4枚!? そ、そっ、そんな値段で土地を売れるわけがないだろう!?」

 

 2万円で高級車を売れと言っているようなものだからね。

 

「落ち着いてください。たった金貨4枚であなたのスキャンダルは口外されないんですよ?」

 

「だ、だが…………私だけを脅迫しても、他の議員が否決すれば―――――――」

 

「ご心配なく。すでに他の議員たちのところにも仲間が”交渉”に向かっていますので」

 

「!」

 

 議員の顔が、どんどん脂汗に支配されていく。間違いなくもう反論することはできないだろう。

 

 ティーカップに残っている紅茶を飲んでから、俺は笑顔で議員に告げた。

 

「で、どっちにします?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで過半数だね」

 

 議員の屋敷の外に待機していたエージェントの馬車に乗り込みながら、ノエルちゃんがそう言った。

 

 来週の議会で、脅した議員たちが要求通りに法案を可決させてくれれば問題ないんだが、もしかしたらこっちの要求を無視して否決する輩もいるかもしれない。だから議員の4分の3には同じように”交渉”しておかなければならない。

 

 もちろん、否決した奴がいたら報復するけどね。

 

「もう少しだね…………。まだ証拠はあるでしょ?」

 

「まだまだあるよっ♪」

 

 そう言いながら抱えているカバンをぽん、と叩くノエルちゃん彼女の持っているカバンの中には、エージェントや俺たちが調べた議員たちのスキャンダルの証拠がこれでもかというほど入っている。

 

 中にはモザイクが必要になるような写真もある。

 

 すると、さっきの写真の事を思い出したのか、ノエルちゃんが急に顔を赤くし始めた。

 

「ノエルちゃん?」

 

「ぶ、ブービ君…………お、男の人って、えっちな事に興味があるのかな…………?」

 

「…………あ、あるんじゃないかな」

 

 俺も興味あるけどね…………。

 

「ち、ちなみにブービ君も興味あるの…………?」

 

「…………………た、多分」

 

 そう答えてから、俺は馬車の窓の外を見つめながら溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 



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植民地と穴

 

 ヴリシア産の紅茶がなくなったらティーカップの中身がコーヒーになるんじゃないかと思っていたんだけど、今しがた拾い上げたティーカップの中身は、お気に入りのオルトバルカ産の紅茶に戻っていた。ヴリシア産の紅茶よりも香りは強くないけれど、さっぱりした味だからこっちの方が好きなのだ。

 

 小さい頃からよく飲んでいたオルトバルカ産の紅茶の中に、ナタリアが作ってくれた甘めのジャムを足してから、フランセンに潜入しているシュタージのエージェントが送ってくれた新聞を手に取る。写真とカメラがフィオナちゃんによって発明される以前は写真の代わりにイラストが描かれていたらしいが、カメラが発明されてからはイラストが描かれることはなくなり、白黒の写真に取って代わられている。

 

 新聞を広げ、フランセン語で書かれた記事を読みつつもう一度ティーカップを口元へと運ぶ。

 

 騎士団が盗賊団を討伐したと書かれている記事の隣に議会で可決された法案の記事が書かれているのを見つけた俺は、そこに書かれているフランセン語の群れを読み、新聞を広げたままニヤリと笑った。

 

《カルガニスタンの土地の一部をテンプル騎士団へ売却》

 

 どうやらシュタージと”交渉”した議員たちは、スキャンダルを暴露されて恥をかくよりも、労働者の年収以下の金額と植民地の土地の一部を対価にして、スキャンダルを守ることを選択してくれたらしい。

 

《昨日の議会で、カルガニスタンで活躍するテンプル騎士団へ植民地の一部を売却する法案が可決された》

 

 フランセンに売ってもらった土地は、タンプル搭や重要拠点などの周囲である。要するに、タンプル搭や周囲に展開している拠点のある土地が俺たちのものになったということだ。かなり広い土地を手に入れる事ができたけれど、カルガニスタンの国土はかなり広い。

 

 テンプル騎士団が購入したのは、カルガニスタンの国土のうちの2%ほどの土地らしい。

 

 けれども、これでフランセンの連中がこっちに手を出すことはないだろう。テンプル騎士団が購入した土地はフランセンの総督が統治する植民地から切り離されるため、総督が管理局に圧力をかけても俺たちから資格を剥奪することはできない。

 

 テンプル騎士団への商品の売却を禁じられると商品が手に入らなくなってしまうけれど、もう既にシュタージのエージェントたちがオルトバルカの商人たちと契約して別の輸送ルートを用意しているので、カルガニスタンの商人たちにテンプル騎士団との商売を禁じても意味はない。

 

「紅茶が底をつく前に土地を買えて良かったね♪」

 

「ああ、一安心だ」

 

 そう言いながら、エプロンを身に着けたラウラがスコーンをテーブルの上に置いた。焼きたてのスコーンに手を伸ばしてジャムをつけ、すぐに口へと運ぶ。

 

 紅茶が底をついたら間違いなくとんでもないことになっていただろう。けれどもシュタージのおかげでオルトバルカの商人たちから商品を購入できるので、オルトバルカ産の紅茶が飲み放題だ。

 

 商人たちは商品を船で運んでくるので、今まで以上に海軍を増強し、徹底的に海の魔物を相当しなければならない。新しい海上戦力を用意したり、戦艦の火力を強化する必要がありそうだ。

 

 ちなみにテンプル騎士団艦隊旗艦であるジャック・ド・モレーは、すでに火力強化のために改修を受けている。

 

「ラウラ、スコーンのおかわりはありますか?」

 

「えへへっ、いっぱい焼いたからまだまだあるよっ♪」

 

「食べ放題ということですね!?」

 

 目を輝かせながらスコーンを口へと運ぶステラ。俺もジャムを塗ったスコーンを口の中へと放り込み、ティーカップを拾い上げる。

 

 もし土地の購入ができなかったら、兵士や住民たちに支給する食料を減らす羽目になっていただろう。タンプル搭や拠点でも食料の生産は行っているんだけど、救出した奴隷たちを次々に受け入れているため、生産している食料が足りなくなってしまうのである。

 

 数が減りつつあるスコーンに手を伸ばしていると、隣の席にカノンがやってきて、俺の耳に口を近づけてから囁いた。

 

「そういえば、お姉様の料理が美味しくなりましたわね」

 

「ああ、ナタリア先生のおかげだ」

 

 そう言いながら、向かいの席でスコーンを食いまくってるステラの頭を撫でていたナタリアを見る。彼女がラウラに料理を教えてくれたおかげで、最強の転生者(魔王)を追い詰めるほどの料理が絶品に変わったのだ。

 

 ちなみに、カノンも幼少の頃にラウラの作った紫色のシチューや、何故か血のように紅いオムレツを目にしている。あの紅いオムレツには何を使っていたのだろうか。

 

 けれどもナタリア先生のおかげでラウラは料理が上手くなった。下手したら俺よりも料理が上手いかもしれない。

 

 新しい皿にこれでもかというほどスコーンを乗せて戻ってきたラウラは、エプロンを外してから隣に座ると、ニコニコしながら自分の焼いたスコーンを食べ始める。ミニスカートの中から伸びている彼女の尻尾をちらりと見下ろしてみると、やっぱりラウラは尻尾を左右に振っていた。

 

「ところで、例の法案に反対した議員はいるのか?」

 

 ラウラの頭を撫でながらナタリアに尋ねると、彼女は皿の上に乗っている焼きたてのスコーンに手を伸ばしながら答えた。

 

「いないみたいよ。ただ、麻薬カルテルと取引をしてた議員は何人かいるみたい」

 

「麻薬カルテルか………………クソ野郎の塊だな。潰した方がいい」

 

 この世界にも麻薬カルテルは存在するらしく、騎士団が麻薬カルテルの討伐も行っている。

 

 ナタリアもその麻薬カルテルを潰すつもりだったらしく、さっき口へと放り込んだスコーンを呑み込んでから頷いた。

 

「いつでもスペツナズを派遣できるわ」

 

「ねえ、そいつらって吹っ飛ばしていいの?」

 

「ああ、吹っ飛ばしていいぞ」

 

 イリナも麻薬カルテルの討伐に参加するつもりなんだろうか。

 

 彼女の装備はグレネード弾や炸裂弾を発射する装備で統一されているため、火力はテンプル騎士団の兵士の中でもトップクラスなのは想像に難くない。しかも味方を一度も巻き込んだことがない上に、どこにぶち込めば敵を効率よく始末できるのかを判断しながら攻撃するため、彼女が戦闘に参加するだけで敵の群れはすぐに壊滅してしまう。

 

 けれども、味方を巻き込む恐れがない状態ならばもっと早く終わるだろう。下手したらイリナを1人で派遣した方が討伐作戦が早く終わってしまうかもしれない。

 

「議員の方はどうするの?」

 

「そっちも消す。今回の”交渉”が公になったら拙いし、麻薬カルテルなんかと取引するクソ野郎に生きている価値はない。……………議員の暗殺はノエルに任せよう」

 

 シュタージは基本的に諜報活動を行う部署だ。戦闘の技術よりも情報収集の方が優先されるため、エージェントたちの戦闘力はそれほど高くはない。自衛用に小型のハンドガンやマシンピストルを装備しているけれど、しっかりと武装した地上部隊よりも火力はかなり劣るため、戦闘向きではない。

 

 だが―――――――シュタージには、1人だけ暗殺者(アサシン)がいる。

 

 モリガンの傭兵たちのなかで、暗殺を担当していた両親から暗殺の技術を受け継いだ上に、キメラの強力な能力まで身に着けているシュタージの”切り札”が。

 

 ウラルの奴がスペツナズに引き抜こうとしているらしいが、クランは絶対にノエルを手放さないだろう。確かに彼女はスペツナズに向いている人材かもしれないが、彼女はクランが即座に動かす事ができる唯一の暗殺者(アサシン)だ。相手に触れるだけで手を汚さずに標的を自殺させられるのだから、証拠を残すことが許されない諜報部隊(シュタージ)に配属させておく方が好ましい。

 

 議員の暗殺はノエルに任せて、麻薬カルテルはスペツナズに消してもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカな……………」

 

 本国から送られてきた新聞に載っていた記事を見た瞬間、私はテンプル騎士団を弱体化させるために行ってきた作戦が全て水泡に帰したことを理解した。

 

 信じられない事だが、本国の議会はカルガニスタンの土地の一部をテンプル騎士団に売り渡す法案を可決させたという。しかもテンプル騎士団が支払う金額は金貨4枚のみ。一般的な労働者の年収以下の金額である。

 

 本国にはテンプル騎士団と友好的な指揮官や議員もいると聞いたが、いくら友好的な連中がいるとはいえ、こんな金額で植民地の一部を売り渡すのはありえない。

 

 売り渡された土地は、テンプル騎士団の”領土”となる。もちろんその領土を統治するのはテンプル騎士団だ。商人たちに奴らとの商売を禁じ続ければカルガニスタンで物資を購入するのは難しくなるが、別の商人たちと契約し、別の輸送ルートを確保すれば意味はなくなってしまう。

 

 それに、奴らが統治する領土ということは、これ以上管理局に圧力をかけても資格を剥奪させる事ができなくなってしまうということを意味する。

 

「テンプル騎士団め…………!」

 

 おそらく、本国の議員たちに賄賂を渡したか、脅迫してあの法案を可決させたに違いない。

 

「総督、どうなさいますか?」

 

「……………正面から攻撃を仕掛けても返り討ちに遭うだけだ」

 

「しかし、奴らの持つ兵器は脅威です。野放しにすれば絶対に我々に牙を剥きます」

 

「分かっている」

 

 奴らが手に入れた領土は、簡単に言えばカルガニスタンという城壁に穿たれた”穴”だ。このまま放っておけば、その穴から次々に敵が入り込んでくる事だろう。

 

 テンプル騎士団では種族の差別は全く行っていないという。信じられない事だが、あの組織の中では人間やエルフだけでなく、薄汚いハーフエルフやオーク共まで平等に生活しているらしい。

 

 そのテンプル騎士団が自分たちの領土を手に入れたという噂がカルガニスタンに広がれば、各地で抵抗しているゲリラや部族たちがテンプル騎士団と合流することは想像に難くない。もしテンプル騎士団がそのゲリラたちを吸収し、あの驚異的な飛び道具で武装させれば、カルガニスタンに駐留しているフランセンの騎士団は間違いなく惨敗する。

 

 本国の連中は、カルガニスタンが独立する”きっかけ”を奴らに与えてしまったのだ。

 

 なんとしても、この植民地を手放すわけにはいかない。

 

 しかし、もう弱体化させることは不可能だろう。別の作戦を考える必要がある。

 

「大尉、念のためスチームライフルを2000丁ほどオルトバルカ王国から購入してくれ。兵士に支給して訓練させろ」

 

「本国に要請した方が早いのでは?」

 

「本国に要請しても反対される。極秘裏にオルトバルカから購入した方がいい」

 

「………………了解しました、総督」

 

「それと、偵察部隊を編成してテンプル騎士団の動きを徹底的に監視しろ」

 

「はっ!」

 

 場合によってはテンプル騎士団と戦争をする羽目になるかもしれない。

 

 大尉がドアを閉めた音を聴きながら、私は唇を噛み締めた。

 

 あの領土()を、何としても奪還しなければ(塞がなければ)ならない。カルガニスタンという広大な植民地と豊富な資源を失えば、九分九厘フランセンは一気に弱体化してしまうのだから。

 

 無断で独立国(テンプル騎士団)と戦争を始めれば、私は総督を解任されるだろう。だが、植民地を失った挙句、祖国(フランセン)が崩壊するのを防ぐためには、テンプル騎士団をカルガニスタンから排除しなければならない。

 

 拳を握り締めながら、私は窓の向こうに広がる灰色の砂漠を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射撃訓練場の中で、銃声が荒れ狂う。

 

 銃口から飛び出した弾丸が的の頭を直撃し、あっさりと風穴を開ける。リアサイトとフロントサイトの向こうに突っ立っている的の頭に穴が開いたのを確認してから銃を降ろし、安全装置(セーフティ)をかけてから、銃身の長い漆黒のライフルを肩に担いだ。

 

 いつもぶっ放しているのはAK-47が使用する7.62mm弾なんだけど、今しがた風穴を開けたのは大口径の弾丸よりも大人しい5.56mm弾だ。

 

「…………反動が小さいな」

 

 そう言いながら、俺はアメリカ製アサルトライフルの『M16A4』を訓練場の壁に立てかける。

 

 M16は、アメリカ軍が運用しているアサルトライフルだ。長い銃身と照準器のついたキャリングハンドルが特徴的な銃で、他国の銃と比べると非常に汎用性が高いという特徴がある。しかも使用する弾薬は小口径の5.56mm弾であるため、反動が小さくて扱いやすい。

 

 この銃が初めて投入されたのは、ベトナム戦争だ。

 

 ベトナム戦争ではアメリカ軍は『M14』と呼ばれるライフルを使用していたんだけど、大口径の弾丸を使用するM14は非常に反動が大きいため、扱いにくかったという。

 

 そこで、M14よりも反動が小さくて扱いやすいM16が投入されたのだ。現代のアサルトライフルが小口径の弾丸を使用するようになったきっかけは、このM16と言っても過言ではない。冷戦の最中は敵国だったソ連でも小口径の弾丸を使用するようになった原因でもある。

 

 そう、この銃は敵国にまで大きな影響を与えたのだ。

 

 ちなみにM14もマークスマンライフルに改造され、今でもアメリカ軍の兵士たちをM16と共に支え続けている。

 

 テンプル騎士団では7.62mm弾を発射できるように改造したテンプル騎士団仕様のAK-12とAK-15を正式採用している。小口径の弾丸を使用するライフルも配備しているけれど、それを使用するのは対人戦が専門のスペツナズくらいである。

 

 この世界では魔物との戦闘も行うことが多いため、ライフル弾はできるだけストッピングパワーの大きい口径が大きい方が望ましいのだ。大口径の弾丸ならば魔物の外殻も貫通できるし、厄介な飛竜も撃墜する事ができるのである。

 

 基本的に東側の装備が配備されているけれど、武器庫の中には西側の装備も用意してある。今しがた射撃に使っていたM16A4も、数分前に武器庫の中から持ってきた代物だ。

 

「試験部隊でも作ろうかな」

 

 来週の会議で提案してみよう。

 

 そう思いながらもう一度M16A4を拾い上げ、セレクターレバーを3点バーストに切り替える。銃床を肩に当てて照準器を覗き込もうとしたその時、後ろにあるドアが開いて、ナタリアが射撃訓練場に入ってきた。

 

「ん? ナタリア?」

 

「タクヤ、オルトバルカ王国から招待状よ」

 

「は?」

 

 招待状? どういうことだ?

 

「来週にヴリシア・オルトバルカ戦争の戦勝記念パレードがあるらしいの。そのパレードにテンプル騎士団も参加してほしいんですって」

 

 ヴリシア・オルトバルカ戦争は、今から120年前に勃発した大国同士の戦争だ。ヴリシア帝国の植民地へとオルトバルカ王国が侵攻したことが原因で勃発した戦争で、最終的に優秀な魔術師を何人も実戦投入したオルトバルカが勝利している。

 

 その戦争の戦勝記念パレードに、テンプル騎士団が招待されたらしい。世界最強の大国が開催するパレードに招待してもらえるのは嬉しいんだが、さすがにAK-15を装備した兵士たちを参加させるわけにはいかないだろう。

 

「ちなみに、招待したのは誰?」

 

「……………シャルロット女王からよ」

 

「女王陛下が?」

 

 ハヤカワ家は、王室と太いパイプがある。要するに王室はハヤカワ家やモリガン・カンパニーの後ろ盾なのだ。

 

 断るわけにはいかないな……………。

 

「分かった、『喜んで参加させていただきます』って返事を送っておいてくれ」

 

「分かったわ。…………でも、さすがにアサルトライフルを装備した兵士を派遣するわけにもいかないわよね?」

 

「ああ、あれはこの世界の武器じゃないからな。できるだけ公にしない方がいい」

 

「じゃあ、兵士には普通のロングソードとかスチームライフルでも持たせる?」

 

「そうした方が良さそうだ」

 

 任務の最中に目撃されるのは仕方がないが、こういうパレードで兵士にAK-15を持たせるわけにはいかないからな。

 

 再びM16A4に安全装置(セーフティ)をかけた俺は、銃を肩に担いだまま射撃訓練場を後にすると、ナタリアと共に会議室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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総督と火種

 

「うーん…………」

 

 目の前に整列してくれた制服姿のテンプル騎士団の兵士たちを見渡しながら、俺は腕を組んだ。

 

 バーンズさんが作ってくれたテンプル騎士団仕様のロングソードを鞘と一緒に腰に下げ、地下にある広間に整列してくれた兵士たちが身に纏っているのは、まるで第二次世界大戦中のソ連軍の軍服を黒くして、袖や襟を紅いラインで彩ったようなデザインの制服だ。けれども兵士たちが身に纏っている黒い制服は、よく見るとデザインが違う。

 

 列の先頭にいる兵士の胸にはポケットがあるのに、その後ろにいる兵士の胸元にはポケットがない。3番目に並んでいる兵士の制服は半袖だし、彼の後ろにいる兵士の制服にはフードと短めのマントがついているのが分かる。

 

 そう、デザインがバラバラなのだ。

 

 規定が仇になったな、と思いながら、兵士たちを見渡していた俺とナタリアは頭を抱えた。

 

 普通の軍隊や騎士団では絶対に考えられない事だけど―――――――テンプル騎士団では制服を支給する前に、兵士の要望を聞いて制服のデザインを変えてから支給するようにしている。なので中には実用的なデザインに変更された制服を身に纏っている兵士もいるし、民族衣装を思わせるデザインに変更された制服を身に纏っている兵士もいるというわけだ。

 

 要するに、制服のデザインがバラバラになっているせいで、統一感がないのである。

 

 手榴弾を収めておくためのホルダーが増設された実用的なデザインの制服を着ている兵士の傍らには、真っ黒なターバンを頭にかぶった兵士が立っているのである。

 

「さ、さすがに制服のデザインは統一するべきね…………」

 

「そ、そうだな…………」

 

 溜息をつきながら、もう一度整列している兵士たちを見渡す。

 

 オルトバルカの戦勝記念パレードに参加するのは、20名の歩兵と6名の騎兵ということになっている。テンプル騎士団には騎兵は存在しなかったんだけど、テンプル騎士団に入団する前に馬に乗っていた兵士たちは何人もいたので、馬に乗る訓練はあまり行っていない。

 

 パレードに参加する兵士たちが装備するのは、バーンズさんに作ってもらったロングソードとスチームライフルだ。さすがに戦勝記念パレードに参加する兵士たちにAK-15やAK-12を装備させるわけにはいかなかったので、一般的な騎士団と同じ武器を装備させることにした。

 

 戦闘中に現代兵器を目撃されるのは仕方がないけれど、必要以上に目撃されるわけにはいかない。なので、わざと一般的な騎士団の装備でパレードに参加することになったのである。

 

 ちなみに、俺、ラウラ、ナタリアの3人もパレードに招待されているんだが、彼らと一緒に大通りでパレードをするのではなく、なんとシャルロット女王と一緒にそのパレードを見守ることになっているという。

 

 女王陛下が指名したらしい。

 

 多分、ハヤカワ家と王室に太いパイプがあるせいだろう。親父たちもパレードに招待されているのだろうか。

 

「緊張するわねぇ…………」

 

 女王陛下と一緒にパレードを見守ることになったからなのか、ナタリアはパレードが近づくにつれて緊張しているようだ。

 

 先頭に立っている分隊長が兵士たちと一緒に行進の練習を始めたのを見守っていると、黒い軍帽をかぶり直したナタリアがじっとこっちを見つめていることに気付いた。

 

「どうした?」

 

「タクヤは緊張しないの?」

 

「しないよ?」

 

「どうして?」

 

「小さい頃に何回もお茶会に招待されたから」

 

「えぇ!?」

 

 そう、俺とラウラは親父たちと一緒に、何度も女王陛下のお茶会に招待されているので、シャルロット女王と何度も会っているのである。

 

 さすがにお茶会に連れて行かれる前には両親からマナーについて教えられたし、子供用のスーツやドレスを身に着けて参加したけどね。普通の貴族のお茶会やパーティーならそれほど用意をしないんだけど、女王陛下から招待された時の親父たちの表情はかなり真面目だった。いくら王室と親しいとはいえ、”世界の工場”と呼ばれている大国の女王なのだから、無礼なことをするわけにはいかないからな。

 

 きっと親父たちも緊張していたに違いない。というか、俺やラウラが宮殿の中で迷ったり、走り回って絵画や銅像を傷つけたりしないか心配だったんだろう。宮殿にある芸術品の金額は一般的な貴族がすぐに財産を使い果たしてしまうほどの金額だから、それを弁償する羽目になったらとんでもないことになるのは想像に難くない。

 

 でも、シャルロット女王は他の貴族みたいに堅苦しい人じゃなかったんだよね。優しかったし、ラウラが飽き始めていることに気付くと近くにいる近衛兵に宮殿の中を案内させてくれた。

 

 女王陛下は元気だろうか。

 

 もしかしたら、俺たちを招待したのは成長した俺とラウラの顔が見たかったからなのではないだろうか。

 

「へ、へ、陛下と知り合いなのっ!?」

 

「ああ」

 

「…………タクヤって貴族じゃないわよね?」

 

「平民だよ?」

 

 一部の貴族や王室と親密なのは、九分九厘親父たちのせいである。

 

 多分、女王陛下のお茶会に頻繁に招待された平民は俺たちだけなんじゃないだろうか。

 

 ハヤカワ家が王室と親しくなった原因は、間違いなくモリガンの傭兵たちのせいである。様々な依頼を成功させて世界最強の傭兵ギルドと呼ばれるようになったモリガンの傭兵たちは、シャルロット女王の父親である国王に依頼され、若き日のシャルロット女王を転生者から救ったことがあるという。

 

 その際に親父は、当時の国王陛下から報酬してサラマンダーの仕込み杖を貰ったらしい。すぐにガルちゃんに借りパクされたらしいけど。

 

「セルゲイ、他の仲間に合わせろ! 足がずれてるぞ!」

 

「だ、了解(ダー)!」

 

「ボリス、イワン! お前らは敬礼の角度が違う! さっきも訓練しただろうが!」

 

「「す、すみませんッ!」」

 

「オルトバルカの戦勝記念パレードなんだ! 恥をかくわけにはいかないんだからなっ!」

 

 タンプル搭の広間を使って行進の訓練をする兵士たちは、当たり前だけど種族がバラバラだった。兵士たちを怒鳴りつけている分隊長はハーフエルフだし、怒鳴りつけられている兵士たちはオークやドワーフの兵士たちである。中にはエルフや獣人の兵士も混ざっている。

 

 種族によって体格は全然違うので、統一感のなさに拍車をかけていると言える。例えばオークの平均的な身長は2m以上なんだけど、一番小柄なドワーフたちの場合は140cm以上ならば”大男”と呼ばれるのである。ちなみに二番目に大きいのがハーフエルフということになっている。

 

 制服のデザインはパレードの時だけは統一する予定だけど、種族まで統一する予定はない。

 

 このようにバラバラの種族たちをパレードに参加させることによって、テンプル騎士団の団員たちは種族がバラバラだというのに、ちゃんと共存できているということをアピールするのだ。

 

 これからは奴隷を働かせるのではなく、同僚として一緒に働く時代にならなければならないのだから。

 

 なので、参加するメンバーは変えない。

 

「よう、団長」

 

「あっ、バーンズさん。剣の製造お疲れ様」

 

 肩にタオルをかけながら広間の中に入ってきたのは、タンプル搭の中にある工房で武器を製造しているドワーフのバーンズさんだった。身長は小さいんだけど、小さな身体はがっちりとした筋肉に覆われているのが分かる。もし身長が高かったら、ギュンターさんや親父に匹敵する大男になっていたに違いない。

 

 武器の製造を担当してもらっているとはいえ、さすがに銃は生産できない―――――――というか火薬がこの世界に存在しないらしい―――――――ので、彼らに製造をお願いしているのはナイフや剣などの近接武器である。

 

 ドワーフの職人が作る武器は、貴族たちには「野蛮な武器」と言われているものの、極めて頑丈で信頼性が高い武器が多い。騎士団の騎士たちに支給されている剣の大半はドワーフの職人が作り上げた代物であると言われている。

 

 逆に、ハイエルフの職人が作る武器は華奢で壊れやすいものの、美しい装飾と凄まじい切れ味を兼ね備えた剣が多いと言われている。貴族が腰に下げている剣の大半はハイエルフの職人が作った剣らしい。

 

「あの剣、新しいロングソードのプロトタイプなんだ。今のモデルは若い奴らには重いらしくてな」

 

「そうなんですか?」

 

 俺も素振りしたけど、そんなに重くなかったぞ?

 

「ああ。だから仕方なく刀身に穴を開けて軽量化したよ。素材を別の鉱石に変えて強度を維持しようと思ったんだが、やっぱりちょっと脆くなっちまった」

 

 ドワーフの作る武器の強みは”頑丈さ”だからなぁ…………。やっぱり、欠点を克服するために軽量化したとはいえ、一番自信のある頑丈さを削る羽目になったのは悔しいんだろう。

 

 テンプル騎士団の兵士にはAK-15を支給しているが、中にはバーンズさんのロングソードを構えながら先陣を切り、弾幕を躱しながら白兵戦を始める兵士たちもいるという。テンプル騎士団の兵士は三大勢力の中でも白兵戦に特化しているらしく、モリガン・カンパニーや殲虎公司(ジェンフーコンスー)も一目置いているらしい。

 

 白兵戦をする兵士たちを支えているのは、バーンズさんや弟子たちというわけだ。

 

「そういえば、さっき工房に寄った若い奴が『任務中にフランセンの騎士共に見張られてた』って言ってたぜ?」

 

「そうですか…………」

 

 やっぱり、フランセンの連中はテンプル騎士団を監視しているらしい。昨日タンプル搭から派遣した偵察部隊や、前哨基地へと物資を運んでいた輸送部隊もフランセンの騎士を目撃したり、尾行されたという。

 

「例の総督の嫌がらせか?」

 

「分かりません。でも、警戒した方がいいでしょうね」

 

 多分、総督の狙いは戦勝記念パレードだろう。

 

 俺とラウラとナタリアは、パレードに参加するためにタンプル搭を離れなければならない。つまり、団長、副団長、参謀総長が一時的に本部からいなくなってしまうのである。

 

 テンプル騎士団が領土を手に入れてしまったせいで、今までのような嫌がらせで組織を弱体化させる事ができなくなってしまった。それゆえに、今度は俺たちを本格的に攻撃するつもりなのだろう。

 

 タンプル搭への攻撃を決行する前に装備を集めつつ、こちらの兵器を観察して対策を考えるつもりに違いない。

 

 あの総督は、総督を辞任するつもりなのだろうか。

 

 溜息をつきながら、俺は耳に装着している小型無線機へと手を伸ばした。

 

「シュタージ」

 

『はい、同志団長』

 

「余裕があったら、5日後の戦勝記念パレードに招待されている客を全員調べてほしい」

 

『客ですか?』

 

「ああ。あのパレードにはいろんな国の騎士団の将校が招待されてるからな」

 

 もしかしたら、そのカルガニスタンの総督も招待されているかもしれない。

 

『例の総督ですね?』

 

「そうだ。もし招待されてるなら話がしたい。…………それと、フランセン語が話せるエージェントを総督府に派遣し、騎士団の動きを探らせてくれ」

 

『了解です、同志』

 

 もしも俺たちに攻撃を仕掛けるというのであれば、現代兵器で粉砕してやろう。

 

 総督府の連中が消えてくれれば、上手くいけばカルガニスタンそのものを独立させることもできる筈だ。テンプル騎士団の兵力ならば植民地の騎士団を一掃することは容易いが、そんなことをすれば本国とも戦争になってしまう。

 

 だからこそ、勝手に総督が口火を切ってくれた方が望ましい。

 

 ガソリンの海に、マッチを放り込むようなものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はっきり言うと、王都ラガヴァンビウスはかなり騒がしい。労働者向けのアパートやビルの建設が行われているせいで、大通りを歩いていればハンマーが杭を打つ音や、超小型フィオナ機関で動くドリルの音が絶対に聞こえてくる。

 

 しかもその音に、街中に設置されたスピーカーからひっきりなしに踊り出す音楽や商品の宣伝をする女性の声まで追加されるのだ。街の隅にあるスラム街や墓地にまでその音は届くのだから、きっとあの王都に静かな場所なんかないのかもしれない。

 

 パレードに参加する兵士たちと共に、分厚い防壁に穿たれた通路を抜けた俺は、出発した時よりもはるかに王都が騒がしい場所になっていた事を理解し、うんざりしてしまった。

 

 カルガニスタンの方が静かなんだよな…………。

 

『切れ味の鋭い剣や堅牢な防具は、モリガン・カンパニーの売店で販売しております!』

 

『”ネイリンゲンの戦い”は、本日午後7時より公演開始です!』

 

「ふにゅ…………なんだかうるさいなぁ」

 

「雑貨店で耳栓でも買ってくるか」

 

 冗談を言いながら、ビルや工場の煙突を突き付けられている青空を見上げた。産業革命によって高い建物が街中に居座るようになったせいで、閉鎖的な王都の上に広がる青空はどんどん追い詰められつつある。

 

 その空を舞うのは、背中に赤い制服を纏った騎士を乗せた飛竜たち。騎士団で運用するために子供の頃から調教された軍用の飛竜だろう。背中に乗っているのは2名の騎士で、手綱を握っている騎士の後ろにはスチームライフルを装備した騎士が乗っている。

 

 側面から回り込んできた敵や、後方にいる敵を攻撃するためのガンナーだ。小回りの利く小型の飛竜の場合は戦闘機のように即座にドッグファイトができるから問題ないんだが、それなりに大型の飛竜の場合はそのまま撃墜される恐れがあるため、あのようにガンナーが一緒に乗ることが多い。

 

 要するに頭上を飛んでいる飛竜たちは、兵器に例えるならば急降下爆撃機のようなものなのだ。

 

 魔術で発生させたカラフルな煙で青空を寸断しながら飛び去っていく飛竜たちが、そのまま空中で旋回して宮殿の方へと戻っていく。勇ましい飛竜を見上げている市民たちの歓声を聴きながら、俺たちは宮殿へと急いだ。

 

 ちなみに、俺が身に纏っているのはいつもの転生者ハンターのコートではなく、式典用の制服と軍帽だ。転生者ハンターのコートのようにフードはついておらず、マントの長さは延長されている。肩や胸元にも黄金や深紅の装飾が追加されているおかげでいつもよりは華やかだけど、正直に言うと動きにくい。いつも最前線にいるからなのか、こういう服装は慣れてないんだよね…………。

 

 なので、出来るならばさっさといつものコートに着替えたいものである。

 

 ラウラとナタリアの制服も、同じく式典用の制服だ。基本的にデザインは同じだけど、女性用の制服はズボンではなくスカートになっている。

 

「動きづらいな、この服…………」

 

「うーん…………胸の辺りがきついんだけど、ボタン外していい?」

 

「ダメだって。パレードが終わるまで我慢しろよ」

 

「ふにゅう…………おっぱいが小さくなっちゃうよぉ」

 

 そんなわけないだろ…………。

 

 苦笑いしながらナタリアの方を見ると、彼女は自分の胸元を見下ろしてから苦笑いしていた。ラウラの大きな胸が羨ましいのだろうか。

 

 でも、ナタリアは重巡洋艦がちょうどいいと思うよ?

 

 建設中のビルの向こうに宮殿の屋根が見えた途端、隣を歩いていたラウラが真面目な表情になった。甘えてくるときのお姉ちゃんではなく、戦闘中の凛々しいお姉ちゃんになったらしい。真面目な時のラウラは、同じく真面目な時のエリスさんにそっくりだ。クソ野郎を容赦なく殺していく残虐さは親父にそっくりだけど。

 

 こっちの凛々しいお姉ちゃんも好きなんだよね。甘えてくるお姉ちゃんも可愛いけれど、ラウラの容姿はメンバーの中では大人びている方なので、真面目で凛々しい方が似合っているような気がする。

 

「ねえ、ラウラ」

 

「あら、どうしたの?」

 

「ラウラって本当に二重人格じゃないの?」

 

「どうして?」

 

「ええと……………いつものラウラとギャップがあり過ぎると思うんだけど」

 

「ふふふっ、どっちなんだろうね?」

 

 いつもよりも大人びた性格のラウラが、歩いている最中に傾いていたナタリアの軍帽を微笑みながら直す。彼女に軍帽を直してもらったナタリアは、顔を赤くしながら前を見て歩き続けた。

 

 貴族の屋敷が並んでいる通りの向こうに、真っ白な石で造られた階段が居座っている。その階段の向こうには黄金の装飾で彩られた金属の柵が鎮座しており、その柵の向こうから宮殿の赤い屋根やオルトバルカ王国の国旗が覗いている。

 

 あそこがラガヴァンビウス宮殿だ。周囲の街はどんどん新しい建物やビルに変わっていくけれど、この王都に移り住んだ時から巨大な宮殿は殆ど変わっていない。周囲に居座る貴族の屋敷やビルとは比べ物にならないほど巨大な宮殿を見つめながら、幼少の頃にお茶会に招待された時の事を思い出す。

 

 よく近衛兵の人に案内してもらい、ラウラと2人で宮殿の見張り台に上った。見張り台とは言ってもラガヴァンビウスが襲撃されることは全くないので、衛兵がそこで見張りをすることは殆どないらしい。

 

 だからほとんどの人は知らない筈だ。あそこから王都を見渡すのは最高だということを。

 

 高い建物のせいで絶景が台無しになってるのは想像に難くないけれど、出来るならば昔みたいにまたあそこから王都を見渡してみたいものだ。女王陛下にお願いしたらまた見張り台に行かせてくれるだろうか。

 

「テンプル騎士団だな?」

 

 昔の事を思い出しながら宮殿に向かって歩いていると、階段の向こうに鎮座しているでっかい正門を警備していた衛兵に声をかけられた。パレードだからなのか、今では段々と廃れつつある金属製の防具を身に着け、腰に伝統的なロングソードを身に着けている。

 

「ええ、本日のパレードに招待されました。参加するのは後ろの26名です」

 

「身分証明書を」

 

「はい」

 

 ポケットへと手を突っ込み、冒険者のバッジを取り出す。資格を取得した際に発行される冒険者のバッジは身分証明書にもなるので、紛失すると大変なことになるのだ。

 

 銀色のバッジに刻み込まれている情報を確認した衛兵はこっちを見て頷いてから、そのバッジを返してくれた。

 

「ふっふっふっ。大きくなったな、タクヤ君」

 

「え?」

 

 俺の事を知ってるのか?

 

「覚えてるかな? 君とラウラちゃんをよく案内したんだけど」

 

「あっ、あの時の!?」

 

 よく宮殿を案内してくれた人か!

 

「君たちはあの頃から冒険が好きだったみたいだね。ふふっ、ついに冒険者になったというわけか……………頑張れよ、2人とも」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「よし、それではパレードに参加する団員は向こうの広場に集合して待機してくれ。タクヤ君たちは宮殿の中へ」

 

 女王陛下にお茶会に招待された時に、退屈そうにしていた俺とラウラを連れて宮殿の中を探検させてくれたその衛兵にお礼を言ってから、俺とラウラとナタリアの3人は巨大な門をくぐり、宮殿の中へと進んだ。後ろをついて来ていた兵士たちは宮殿の外にある広場に集合してからパレードをするらしいので、別行動をしなければならない。

 

 それにしても、あの人は近衛兵から衛兵に転属になったのだろうか。あの頃からもう14年くらい経っている筈なんだけど、あまり容姿は変わってなかったな……………。

 

「あの人、近衛兵から衛兵になってたのね」

 

「ああ…………再会できるとは思ってなかったよ」

 

 また見張り台に登らせてもらえますか、と聞いておけばよかったと思いながら、仲間たちと一緒に宮殿の庭を進む。

 

 ラガヴァンビウス宮殿の庭は、飛行場を用意できるのではないかと思えるほど広い。庭の中には花壇がいくつも用意されており、無数の花壇の中では様々な色の花で埋め尽くされている。

 

 花壇の群れの向こうにはガラスで作られたドームのようなものが規則的に並んでおり、そのドームの中には金属製の細い配管が張り巡らされているのが分かる。その配管達はドームの天井に吊るされているシャワーへと繋がっており、そこへと水を運んでいるようだ。

 

 ドームの中に居座るのは、雪国であるオルトバルカでは目にすることができない他の地方の貴重な植物たちだ。あのドームで温度を調節し、オルトバルカの冷たい風から保護しているのだろうか。

 

 産業革命で技術が発展したからこそ、別の地方の植物をこの雪国で愛でる事ができるようになったのだろう。フィオナちゃんが引き起こした産業革命の恩恵は、予想以上に大きいようだ。

 

 しかもそのドームには、やっぱりモリガン・カンパニーのロゴマークが描かれていた。

 

「あのドーム、モリガン・カンパニー製だ」

 

「あのロゴマークを見るのが当たり前になっちゃったわ」

 

 今ではあのロゴマークが描かれたモリガン・カンパニー製の商品が、これでもかというほど流通しているからな。

 

 交差しているレンチとハンマーの上で、赤い星が輝いているロゴマークが。

 

「―――――――こんにちは」

 

「?」

 

 当たり前のように描かれている父親の会社のロゴマークを見てうんざりしていると、後ろから声をかけられた。

 

 オルトバルカ語だけど、少しばかり訛りがある。今しがた声をかけてきた人の本来の母語はオルトバルカ語ではないのだろうな、と思いつつ後ろを振り返ると、眼鏡をかけた30代後半くらいの男性が、2人の護衛の騎士と共に俺たちの後ろに立っていた。

 

 一緒に立っている護衛の兵士たちは、黒と黄色の制服の上に銀の防具を身に纏っている。防具とは言っても、退役しつつある分厚い防具ではなく、肩や脛に装備する小ぢんまりとしたデザインのシンプルな防具である。その防具にはフランセン騎士団のエンブレムが描かれており、彼らが自己紹介をするよりも先に自分たちの出身地を俺たちに告げている。

 

 真ん中に立っている男性も、護衛の騎士が身に纏っている制服を少しばかり豪華にしたようなデザインの制服を身に纏っていた。両肩には黄金の装飾がついており、左肩にはフランセン共和国の国旗と、カルガニスタンに派遣されている騎士団のエンブレムが描かれているのが分かる。

 

 総督府の人だろうか。

 

「君たちはテンプル騎士団の団員かな?」

 

「ええ」

 

「そうか…………」

 

 子供がテンプル騎士団を率いているのが信じられないのだろうか。

 

 その男性は眼鏡をかけ直すと、一瞬だけ俺を睨みつけてから名乗った。

 

「私はフランセン共和国騎士団の”レオ・ヴォルジャティアン”総督。カルガニスタンに派遣されている」

 

 この男がカルガニスタンの総督か。

 

 テンプル騎士団を嫌っている総督で、管理局に圧力をかけてテンプル騎士団からの資格の剥奪を目論み、商人たちに俺たちとの商売を禁じた張本人。

 

 パレードには各国の騎士団が招待されるのが当たり前だが、フランセンの総督まで招待されているとは思わなかった。

 

「テンプル騎士団団長のタクヤ・ハヤカワです。よろしく」

 

「こちらこそ。……………ところで、”小規模な騎士団”の団長が本部を離れても大丈夫なのかね?」

 

 隣にいるナタリアとラウラが、ほぼ同時に目の前の総督を睨みつける。もし2人が護身用のハンドガンや剣を引き抜いたら全力で制止するつもりだったけど、2人を止める必要はなさそうだ。

 

 さすがに宮殿の中で銃をぶっ放したら、王室と親しいハヤカワ家でもただでは済まないからな。

 

 それに、母さんには幼少の頃から紳士的な男になれと言われながら育ってきたんだ。いきなり銃は抜かない方がいい。

 

「ご心配していただきありがとうございます。幸い我が騎士団は、戦力差を見抜けずに惨敗する無能な連中とは違いますので」

 

 ウラルとイリナの一件の際に、俺たちはフランセンの騎士たちと戦っている。あの時のフランセン騎士団は俺たちをただのゲリラだと思って見下していたらしいが、最終的に現代兵器で武装したムジャヒディンたちの猛攻と空爆で大打撃を受けた挙句、要塞砲の砲撃で壊滅してしまっている。

 

 戦力差を見抜けなかった無能よりはマシだ、と思いつつ言い返すと、総督の護衛の騎士たちも目を細めた。

 

「…………ただの子供ではないようだ」

 

「それはどうも」

 

「…………行くぞ、少尉」

 

「はい、総督」

 

 護衛の騎士を引き連れ、レオ総督は宮殿の中へと歩いていく。パレードが始まる前にシャルロット女王に挨拶をするつもりなのだろうか。

 

「…………絶対私たちがいない間に攻撃を仕掛けてくるわよ、あいつら」

 

「そうだろうな」

 

 総督府に潜伏させていたエージェントのおかげで、フランセン側の作戦は筒抜けだった。本国ではなくオルトバルカ王国から最新型のスチームライフルを購入し、偵察部隊にテンプル騎士団を観察させつつ、騎士たちにライフルの訓練をさせていたらしい。

 

 いい作戦だな、総督。

 

 ―――――――相手が俺たちではなかったのなら。

 

 残念だけど、あんたもあの時の総督と同じだ。こっちの保有している兵器の性能は知っているけれど、兵士たちの錬度まで把握できていない。

 

「大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ」

 

 テンプル騎士団の上層部が不在の場合は、シュタージのクランが臨時で団長代理になることになっている。

 

 それに、”フランセンの連中が”攻め込んできてくれた方が都合がいいからな。

 

 軍帽をかぶり直しながら、俺は嗤った。

 

 

 

 

 



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血と鉄の洗礼を

 

「面を上げなさい」

 

 広い空間に、凛とした女性の声が響き渡る。純白の美しい床の上に敷かれた深紅のカーペットの上で、仲間たちと共に猛烈な緊張感を感じながら跪いている俺の左右には、伝統的なオルトバルカ王国騎士団の赤い制服を身にまとい、スチームライフルを装備した騎士たちがずらりと並んでいる。

 

 前世の世界のマスケットにケーブルを接続したような形状の銃に銃剣を装着しているとはいえ、騎士というよりはマスケットを装備した戦列歩兵のように見えてしまう。

 

 けれども、俺たちが緊張している原因はずらりと並んだ騎士たちが発する威圧感ではない。確かにスチームライフルを各国の騎士団が採用し始めたせいで剣が廃れ始めているけれど、スチームライフルは1発しか矢を装填できない。一斉射撃は脅威かもしれないが、アサルトライフルやLMG(ライトマシンガン)の容赦のないフルオート射撃をこれでもかというほど目にしてきた俺にとっては、全く脅威とは思えない。

 

 ゆっくりと顔を上げ、カーペットの向こうにある豪華な椅子に腰を下ろす金髪の女性を見上げた。豪華な黄金の装飾がついた真っ赤なドレスに身を包んでおり、頭の上にはいくつも宝石が埋め込まれた黄金の王冠を乗せている。

 

 その王冠をかぶることができるのは、この世界で最強の大国の頂点に君臨する事を許された王のみ。

 

 俺たちの目の前にいる金髪の女性が―――――――このオルトバルカ王国の、女王だった。

 

 彼女の名は『シャルロット・アウリヤーグ・ド・オルトバルカ』。王位を継承する前に武装勢力によって人質にされたことがあるらしいんだけど、その際に国王が有名になりつつあったモリガンの傭兵たちに彼女の救出を依頼し、若き日の親父たちによって無事に救出されている。

 

 女王陛下が救出されてからは、モリガンの傭兵たちは王室と親しくなった上に、頻繁に王室からの依頼を引き受けるようになった。報酬も貴族からの依頼とは比べ物にならないほど高額だし、王室という最高の後ろ盾と更に親しくなるべきだと考えたのだろう。

 

 俺とラウラが生まれるよりも前から、モリガンは王室と太いパイプを持っていたというわけだ。

 

 なので、俺たちも女王陛下のお茶会に何度も招待された。あの時からもう10年以上も経っているんだけど、真っ赤なカーペットの向こうにいるシャルロット女王の容姿は当時とあまり変わっていない。

 

「久しぶりですね、タクヤ。ラウラ」

 

「はい。お久しぶりです、女王陛下」

 

「ふふっ。仲良く宮殿の中を探検していた幼い子供たちが、巨大なギルドを設立するとは思いませんでしたよ」

 

 正確に言うと、俺は幼児のふりをしてたんだけどね。言っておくけどこの世界に転生した時点で、”中身”の年齢は17歳だからな。

 

「お元気そうですね、女王陛下」

 

 ラウラも顔を上げて微笑みながらそう言った。もちろん、甘えてくるときのような子供っぽい口調ではなく、真面目な時の大人びた口調である。さすがに女王陛下に向かって「ふにゅう」と言うわけにはいかないからね。

 

 彼女が真面目な口調で話をしているのが珍しいらしく、一緒に顔を上げたナタリアは目を見開いてラウラの方を見てから、「本当に二重人格じゃないの?」と言わんばかりにこっちを見てきた。

 

 多分、このギャップの凄さはエリスさんから遺伝したんじゃないだろうか。あの人も普段は親父や母さんを襲ったり、当たり前のようにエロ本を読んでいる変態だけど、戦闘になると真面目になったらしい。

 

 あまり真面目になっている時のエリスさんを見たことがなかったせいで、22年前のネイリンゲンにタイムスリップした時はかなりびっくりしました。エリスさんって二重人格なのではないでしょうか。

 

 若き日の親父もエリスさんのギャップを目の当たりにして驚いたに違いない。絶対零度と呼ばれたラトーニウス王国最強の騎士が、親父と母さんを何度も襲おうとする変態だったのだから。

 

「ふふふっ、ありがとう。ラウラちゃんも立派になりましたね」

 

「ありがとうございます」

 

 普段は腹違いの弟にひたすら甘えているブラコンだけどね。

 

「パレードが終わったら、昔みたいにお茶会でもどう?」

 

「ええ。ぜひ参加させていただきます」

 

 幼少の頃のように、またあの見張り台に登らせてくれるだろうか。ここでお願いしてみようかなと思ったけれど、パレードの前に女王陛下に挨拶をしなければならないのは俺たちだけではない。世界中からこのパレードに招待された騎士団の将校たちもパレードの前に挨拶を済ませなければならないのだから、早めに女王陛下の前から立ち去るべきだろう。

 

「では、失礼させていただきます」

 

「ええ」

 

 跪いたままもう一度頭を下げ、ゆっくりと立ち上がってから踵を返す。話をしている間は緊張感を全く感じなかったんだけど、踵を返して広間の出口に向かって歩き始めると同時に、再びあの緊張感が背中に突き付けられているような感じがした。

 

 長いカーペットの上を進んで巨大な扉を通過すると、その扉の近くの壁に設置されたレバーの隣に立っていた騎士が、こっちに向かって頷いてからそのレバーを倒す。彼が倒したレバーによって目覚めさせられた動力機関が動力を伝達した直後、女王陛下のいる豪華な広間を晒していた分厚い扉が揺れて、そのままゆっくりと閉まり始めた。

 

 対戦車ミサイルでもぶち込まない限り風穴を開けられないのではないかと思えるほど分厚い扉が閉まったのを確認した騎士は、その扉を操作していたレバーにカバーのようなものをかぶせたかと思うと、そのカバーにある鍵穴に自分の持っていた鍵を差し込む。

 

 あの広間に部外者を侵入させないためのセキュリティなのだろう。

 

 彼がレバーにかぶせた金属製のカバーにもモリガン・カンパニーのロゴマークが刻み込まれていることに気付いた俺は、苦笑いしながら軍帽をかぶり直した。

 

 モリガン・カンパニーはあんなセキュリティまで作ってたのか……………。世界最高の工業力を誇るオルトバルカ王国ですらモリガン・カンパニーにかなり依存している状態なのだから、もしモリガン・カンパニーが各国を裏切って攻撃を始めたらこの世界が地獄と化すのは想像に難くない。

 

 親父はそんなことしないけどね。

 

 でも、騎士たちに支給する武器だけではなく、一般的な家庭にある家具や文房具までモリガン・カンパニーのロゴマークが刻み込まれているのが当たり前だ。あの企業はこの世界を掌握していると言っても過言ではないだろう。

 

「緊張したわねぇ……………」

 

「ふにゅー…………昔と変わってなかったね、陛下は」

 

 お、お姉ちゃんの口調がもういつもの口調に戻った…………。

 

「一言も話せなかったわよ、私…………」

 

「慣れれば話せるようになるよ。多分、これからも王室と付き合うことはあるだろうし。…………今度はナタリアをテンプル騎士団代表として派遣しようか?」

 

「何考えてるの!?」

 

 廊下を歩きながらナタリアをからかっているうちに、警備をしていた騎士が俺たちの方へとやってきた。防具を身に着けていない上に剣を持っておらず、銃剣付きのスチームライフルを背負っているせいで、やはり戦列歩兵にしか見えない。

 

 けれども、スチームライフルをぶっ放すためには高圧の蒸気を詰め込んだタンクを背中に背負わなければならない。案の定、こっちに駆け寄ってきた戦列歩兵のような恰好の騎士も圧力計やバルブが取り付けられた重そうなタンクを背負っていた。

 

「テンプル騎士団の方ですね?」

 

「ええ」

 

「ええと、こちらがパレードの際の座席になります。確認をお願いします」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 座席の場所か。

 

 渡された紙を3人で確認し、俺たちが座ることになっている場所を探す。もちろん座席の列のど真ん中には女王陛下が座ることになっており、その周囲には有名な貴族たちの名前が書かれている。

 

 どうせ俺たちは端の方だろう。有名になりつつあるとはいえ、テンプル騎士団はまだ規模は小さいし、所属しているメンバーの大半は平民どころか奴隷だったメンバーばかりだ。貴族たちが蛮族扱いしそうな組織だし、テンプル騎士団の席は端の方に違いない。

 

 そう思いながら端の方を探したんだけど、端の方の座席に書かれているのは小国の騎士団の将校たちや貴族たちの名前ばかりである。

 

 ん? まさか、テンプル騎士団は座るなってことか?

 

 でも、さっきの騎士は座席の位置を教えるためにこれをくれたんだよな? 

 

「あれ? 俺たちの席はどこ?」

 

「端っこにないの?」

 

「ふにゅ、ないよ?」

 

「ラウラ、エコーロケーションで探すんだ」

 

「私でもそれは無理だよ!?」

 

「あ、あったわよ」

 

「「え? どこ?」」

 

 ちゃんと席はあったのか…………。

 

 安心しながら、俺とラウラは何故か目を見開いたまま座席の位置を凝視しているナタリアが指差している場所をチェックする。

 

 そして、俺たちもナタリアと同じように目を見開く羽目になった。

 

「こ、ここって…………」

 

「本気ですか、陛下……」

 

 俺たちが座ることになっていたのは―――――――女王陛下のすぐ隣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スチームライフルを抱えながら、蒸気の入った重そうなタンクを背負った騎士たちがずらりと並んでいる。オルトバルカ王国から極秘裏に購入したスチームライフルにはスパイク型の銃剣が搭載されており、騎士たちが背負っているタンクや銃床の部分には、これ見よがしにモリガン・カンパニーのロゴマークが刻み込まれていた。

 

 本国でもスチームライフルをライセンス生産しているが、購入したのはそのライセンス生産されているモデルよりも新しいモデルだという。それゆえに値段も高かったが、この銃は飛竜の外殻を貫通するほどの貫通力と運動エネルギーを誇る。テンプル騎士団の兵器はかなり脅威だが、このライフルを装備した騎士たちの一斉射撃ならばあの野蛮人共を粉砕できるだろう。

 

 これを販売してくれた商人の話では、射程距離は60mほどだという。

 

 地上部隊の装備は、この新しいスチームライフルだけではない。カルガニスタンに配備されていたスチーム・カノン砲や、凄まじい勢いで矢を連発する事が可能なスチーム・ガトリングも用意してある。

 

 騎士たちの隊列の後方に広がる発着場では、ゴーグルをかけた騎士たちが調教された飛竜の背中に跨り、手綱を握って飛び立つ準備をしているところだった。スチームライフルが普及したことによって剣が廃れつつあるうえに、騎士の天敵と言われていた飛竜やドラゴンの外殻すら貫通する事ができるようになったとはいえ、未だに飛竜は強力な”兵器”である。スチームライフルで一斉射撃されればひとたまりもないものの、強力なブレスと圧倒的な機動力を兼ね備えているため、より強力な兵器が普及しても運用され続ける事だろう。

 

 更に、別の軍港にはカルガニスタンに配備されている戦艦や装甲艦が終結を開始しており、出撃準備が整い次第すぐに出撃することになっているのだ。フランセン騎士団の保有する戦艦は50mの船体の上に強力なスチーム・カノン砲を2門装備している。オルトバルカ王国が生み出したクイーン・シャルロット級には太刀打ちできないが、この戦艦が出撃すれば、敵の地上部隊は艦砲射撃で木っ端微塵になるに違いない。

 

 地上部隊、艦隊、航空隊の3つの兵力がこれから牙を剥くのは―――――――カルガニスタンの土地を買い取った、忌々しいあのテンプル騎士団共である。

 

 テンプル騎士団が保有している鋼鉄の馬車や鋼鉄の飛竜は、間違いなくこちらの兵器よりも高性能だろう。偵察部隊の報告では、テンプル騎士団の兵士が跨っていた金属の奇妙な乗り物が、こちらが派遣した騎兵をあっという間に置き去りにしていったという。

 

 しかもあの騎士団の兵士たちが装備しているのは、剣やスチームライフルではなく、小さな金属を凄まじい速度で連射する事が可能な飛び道具だ。

 

 だが、我々が購入した最新型のスチームライフルの方が射程距離が長いに違いない。それに今回の作戦には優秀な魔術師たちも参加するため、敵兵たちは矢に射抜かれた挙句、魔術師たちの強力な魔術によって薙ぎ払われることになるのだ。

 

 更に、テンプル騎士団の団長たちはオルトバルカ王国の戦勝記念パレードに出席するために、オルトバルカにいるという。つまりあの本部には、厄介な魔王(リキヤ)の子供たちがいないのである。

 

 テンプル騎士団の兵士の大半は奴隷で構成されている。強力な武器を支給されているらしいが、練度はかなり低いに違いない。しかしこちらの騎士たちは、何度も魔物の討伐を経験したベテランばかりだ。戦力は練度が低い上に団長のいない蛮族共の比ではない。

 

「諸君、これよりテンプル騎士団への攻撃を開始する。―――――――奴らは我が国から植民地の一部を買い取って”領土”を手に入れた。今のあいつらは”国”と言っても過言ではないだろう」

 

 そう、今のテンプル騎士団は”組織”ではなく”国”だ。

 

 だからこそ、本国は絶対にこの攻撃を許さない。

 

「今から我々は、その”国”を攻撃する。あいつらが奪っていった我らの植民地を奪い返すのだ。…………この戦いは、本国には通達していない。後で私と総督は、指揮官と総督を解任させられることだろう」

 

 独断で、テンプル騎士団と戦争を始めることになるのだから。もし仮にこの戦いに勝利して領地を奪還したとしても、本国は私と総督を解任するだろう。

 

 だが、あの植民地の”穴”は奪い返さなければならない。

 

 カルガニスタンを失えば、九分九厘フランセン共和国の戦力は弱体化するだろう。最悪の場合、カルガニスタンの豊富な資源を手に入れる事ができなくなり、騎士団が崩壊することになるかもしれない。

 

 それゆえに、カルガニスタンを手放すわけにはいかないのである。

 

「しかし、あの騎士団は絶対に壊滅させなければならない。奴らから領土を奪い返し、この植民地に穿たれた”穴”を塞ぐのだ。…………以上」

 

「出撃!」

 

 行進を始めた騎士たちを見渡しながら、私も総督府を後にする。

 

 あの恐ろしい兵器を保有する連中がこの世界に牙を剥く前に、テンプル騎士団を消さなければならない。

 

 これは祖国のための戦いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかし、あの騎士団は絶対に壊滅させなければならない。奴らから領土を奪い返し、この植民地に穿たれた”穴”を塞ぐのだ。…………以上』

 

「…………下らない演説ね」

 

 ジャムの入ったアイスティーを飲みながらその演説を酷評したクランが、目を細めながらテーブルの上に置いてあった自分のヘアピンを拾い上げる。前世の世界にいた頃から身に着けている鉄十字を模したヘアピンを前髪の右側に付けた彼女は、ティーカップの中にナタリアが作った甘いジャムを足し、溜息をついた。

 

 はっきり言うと、俺もこの演説は下らないと思う。

 

 民主主義が当たり前になった世界で育った俺たちが独裁者の演説を聞けば、間違いなく下らないと思うだろう。独裁者の演説を形成しているのは、殆どは馬鹿げた法律と思想なのだから。

 

 潜入させていたエージェントが録音した指揮官の演説を形成しているのも、やっぱり馬鹿げた法律と思想だった。カルガニスタンはここに住んでいた先住民たちの土地である。先住民からすればフランセンの連中は侵略者だというのに、その侵略者たちが俺たちを侵略者呼ばわりしているのだ。

 

 下らない演説である。

 

「―――――――総督府に一番近い塹壕はどこかしら、ケーター」

 

「第66番塹壕だ」

 

「ただちに守備隊を増強して防衛線の準備をするわよ。シャール2Cを派遣しても構わないわ」

 

 虎の子の超重戦車を動かすのはオーバーキルなのではないだろうか。エージェントの情報では、敵の地上部隊を構成しているのは”戦列歩兵”だという。第66番塹壕にいる40人の守備隊だけでも殲滅できるだろう。

 

 そう思いながらクランを見つめていると、黒い略帽をかぶった彼女は嗤った。

 

「―――――――全力で撃滅するわよ、あの”侵略者”共を」

 

 容赦をする必要はないと言わんばかりにそう言ってから、彼女はティーカップの中に残っていたアイスティーを飲み干した。

 

 40人の守備隊だけでは、物足りない。

 

 侵略者を出迎えるために、もっと強力な兵器(派手な歓迎)を用意する必要がある。

 

 クランは彼らを全力で歓迎するつもりなのだ。

 

 ”血”と”鉄”の豪雨で。

 

「血も涙もない侵略者共に―――――――血と鉄の洗礼を」

 

 

 



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総督の罠

 

 王都ラガヴァンビウスのど真ん中にある大通りは、シャール2Cが5両くらい並走できるのではないかと思えるほど広い。真っ白な美しい石で覆われた大通りの左右にずらりと並ぶのは貴族たちの屋敷で、宮殿に近づくにつれてその屋敷は大きい上に派手な装飾がついている。逆に、宮殿から遠ざかるにつれて屋敷はどんどん小さくなっていくのだ。

 

 一番小さな屋敷の隣にはちょっとした水路があり、王都の中心に向かうための橋がいくつも架けられている。その橋の向こうにあるのは一般的な民家や工場で、そのまま大通りを進むとでっかい防壁に穿たれたトンネルへと続いている。

 

 今回の戦勝記念パレードは、宮殿の正面から大通りを進み、そのまま防壁にあるゲートの近くまで行進することになっている。そこまで行進したら参加している騎士たちを一旦休憩させ、その後に再び宮殿まで行進させる予定だという。

 

 パレードに参加するのは各国から招待された騎士たち。もちろん制服のデザインはバラバラだし、中には未だに金属製の防具に身を包み、剣や槍を持っている騎士たちも混じっている。先進国では剣や槍は廃れつつある装備だけど、小国や発展途上国ではまだ”現役”というわけだ。

 

 宮殿の前に用意された座席から、大通りを行進し始めた騎士たちを見下ろす。先頭を進むのは、この大国の騎士団であるオルトバルカ王国騎士団。殆どの騎士たちがスチームライフルとタンクを装備し、真っ赤な制服に身を包んでいるからかなり目立っている。騎士と言うよりはマスケットを装備した戦列歩兵の隊列だ。

 

 スパイク型銃剣のついたスチームライフルを抱えながら進んでいく騎士たちを見守りながら、俺たちも周囲の将校と共に拍手する。

 

 オルトバルカ王国騎士団も、かつては剣や弓矢を装備した騎士たちばかりで構成されていた。オルトバルカ王国では魔術も発達していたため、騎士団の部隊には最低でも1人は優秀な魔術師が配属されていたらしく、剣士たちを強力な魔術で支援し、治療魔術で癒していたという。

 

 けれども今の主役は、あのスチームライフルだ。

 

 フィオナちゃんが生み出した蒸気を使う異世界の銃が、剣と弓矢を退役させようとしているのである。

 

 現代のオルトバルカ騎士団の戦術は、魔術師に支援された剣士たちが敵へと突っ込むのではなく、戦列歩兵のようにライフルを装備した兵士たちが隊列を組み、標的へと一斉射撃をするのである。射程距離は最新型でも60m程度しかないというが、射程距離内であれば貫通力は7.62mm弾に匹敵するため、騎士や冒険者たちの天敵だったドラゴンすら一斉射撃で撃墜する事ができるのだ。

 

 接近されたとしてもスパイク型銃剣で応戦できるが、鍛え抜かれたオルトバルカの騎士たちは、未だにそのスパイク型銃剣を敵兵の血で汚したことがないという。

 

 大通りを進んでいく騎士たちに拍手をしながら、俺はちらりと左隣に立っている金髪の女性を見た。

 

 テンプル騎士団は、有名になりつつあるとはいえまだ規模の小さい騎士団である。しかもその騎士団を構成しているのは、貴族たちが忌み嫌う奴隷だった兵士たち。団員の大半が奴隷で構成されている騎士団の団長ならば、いくら女王に招待されたと言っても端に座らされるだろう。

 

 けれども―――――――俺とラウラとナタリアの座席の隣にいるのは、女王陛下である。

 

 普通なら裕福な貴族や騎士団の将校が隣にいる筈なのに、女王陛下の隣に座っているのは、結成されたばかりの小規模な騎士団のメンバーである。いくら王室とハヤカワ家が親しいとはいえ、こんなことをしたら周囲の貴族や騎士団の将校が反発するのは想像に難くない。

 

 こちらを見上げながら敬礼する分隊長に手を振っていた陛下は、こっちをちらりと見ると微笑んだ。

 

「ハヤカワ卿も招待したんですけど、断られてしまいましたわ」

 

「えっ?」

 

 こ、こっ、断った!?

 

 ガルゴニス、何考えてんだよ!? 女王陛下からの招待だぞ!? いくら圧倒的な兵力を誇る企業の社長でも、招待を断ったら貴族たちに更に反発されるだろうが!

 

 というか、よく女王陛下からの招待を断れるなぁ…………。

 

 でも、今の親父の正体は最古の竜(ガルゴニス)だ。神々に生み出されてからずっとこの世界で生き続けているドラゴンたちの”原点”なのだから、いくら大国の女王とはいえ、権力者を恐れるわけがない。

 

「失礼しました、陛下」

 

「いえいえ、謝らなくてもいいですよ。ハヤカワ卿はこの国のために貢献してくださっています。あのお方が率いる企業が無かったら、オルトバルカが発展することはなかったでしょう」

 

 そう言いながら、陛下はパレードではなくラガヴァンビウスの街並みを眺めた。

 

 伝統的な建築様式の建物たちの大半は取り壊されており、労働者向けのアパートや巨大な工場に埋め尽くされつつある殺風景な街並み。産業革命が勃発してから、この異世界の技術と大都市の景色は段々と前世の世界に近づいているような気がする。

 

 前世の世界が嫌いだからなのか、俺はこの景色はあまり好きではない。

 

 クソ親父に虐げられた孤独な前世を、思い出してしまうから。

 

「お忙しい方なのですよ、ハヤカワ卿は」

 

 知ってますよ、陛下。

 

 けれども俺たちの本当の父親は、もうこの世にはいない。かつてあなたを救った最強の傭兵はとっくの昔にレリエルと相討ちになって死んでる。あなたがお茶会に招待している男は、リキヤ・ハヤカワという炎が遺した、陽炎という灼熱の幻なんだ。

 

 その”幻(ガルゴニス)”が、”炎(リキヤ)”を取り戻そうとしている。

 

「―――――――ええ、忙しい親父です」

 

 家族の事を大切にしてくれる、最高の親父だった。

 

 幻とはいえ、あいつは俺たちを育ててくれた。

 

 だからあいつを犠牲にしたくはない。

 

 親父の事を思い出しているうちに、オルトバルカ王国騎士団の騎士たちの隊列が座席の前を通過してしまっており、黄色い制服に身を包んだフランセン共和国騎士団の騎士たちの隊列が目の前を占領していた。

 

 そして、俺たちの座っている座席の目の前を通過していく騎士たちの後ろから、黒い制服に身を包んだ騎士たちの隊列が姿を現す。

 

「お、おい、なんだあの騎士団は?」

 

「あの団員はオークか?」

 

「薄汚いハーフエルフまでいるぞ。奴隷部隊か?」

 

「いや、違う。…………テンプル騎士団とかいう騎士団らしい」

 

 周囲に座っていた貴族や騎士団の将校たちが、フランセン騎士団の隊列の後ろから姿を現したテンプル騎士団の兵士たちを見ながらざわつき始める。

 

 はっきり言うが、あいつらは”奴隷部隊”なんかじゃない。

 

 他の種族の文化や自由を踏みにじり、高笑いしている大馬鹿野郎共よりもはるかに気高い。

 

 薄汚いのは、お前らだ。

 

「あれは君たちの部下かね?」

 

 女王陛下の隣に小規模な騎士団の団長が座っているからなのか、俺がテンプル騎士団の団長だということがすぐにバレてしまったらしい。

 

 溜息をついてからこっちに問いかけてきたのは、ナタリアの隣に座っていた貴族の男性だった。豪華な装飾のついた服に身を包んでいるけれど、腹の辺りは膨れ上がっていて、手足も太くなっている。もちろん太い原因は鍛え上げられた筋肉が皮膚の下にあるからではなく、脂肪に覆われているからだろう。

 

 要するにデブだ。

 

 高級な香水をつけているらしいが、それほど暑いわけでもないのに汗をかいているせいで、その香水の匂いが汗の臭いと混ざり合い、凄まじい臭いに変貌して俺の嗅覚を嬲り殺しにしている。悪臭と言うわけではないんだが、結構不快な臭いである。

 

「部下ではありません、”同志”です」

 

「同志ぃ? プッ……………あんな薄汚い奴隷共が同志だと?」

 

 太った貴族を一瞥してから、大通りを行進する様々な種族で構成された兵士たちを見守る。

 

 種族が違うせいで体格はかなりバラバラだけど、大急ぎで用意してもらった式典用の制服は彼らに似合っていた。普通の制服と同じく黒いけれど、あの制服は普通の制服と違って同じデザインになっている。

 

 座席で見守っている俺たちを見つけたのか、馬に跨っていた騎兵や分隊長たちが、こっちに敬礼しながら一瞬だけニヤリと笑った。

 

「やめてくれないかね? あんな薄汚い蛮族共は見たくないんだ。戦勝記念パレードが汚れてしまうじゃないか」

 

「蛮族?」

 

「その通り。あんな種族共は奴隷にされて当然だよ」

 

 ぶん殴ってやろうかな。

 

 そう思いながら溜息をついたその時、その太った貴族の隣に座っていたナタリアが、腕を組んだままその貴族を睨みつけた。

 

「―――――――私は、他の種族たちの自由や文化を踏みにじる人の方が野蛮だと思いますよ、ムッシュ」

 

「なんだと? ……………小娘、私に野蛮と言ったのか!?」

 

「黙ってもらえませんか? 汚い罵声でパレードを汚さないでください」

 

「なっ……………!」

 

 隣に座っていた少女にバカにされたのが悔しいのか、その太った貴族の顔がどんどん赤くなっていく。けれどもそいつがナタリアに言い返すよりも先に、太った貴族は自分が恥をかいていることに気付いた。

 

 18歳の”小娘”に、大国の貴族があっさりと罵倒されて怒り狂っているのである。ナタリアを罵倒して恥を晒すよりも、野蛮な自分のプライドを守るべきだと判断したその貴族は悔しそうな顔をしたまま舌打ちをし、再び行進していく騎士たちを見下ろした。

 

 気の強い奴だな、ナタリアは。

 

 貴族に恥をかかせる戦果をあげた参謀総長(ナタリア)を感心しながら見つめていると、彼女は腕を組んだまま落ち着いたふりをしながら、「席を代わって」と言わんばかりにこっちを見つめてくる。

 

 隣で汗をかいている貴族が発する臭いに耐えられないのだろうか。それとも、キモい奴の隣に座るよりも女王陛下の隣に座った方がマシだと思ってるんだろうか。

 

 代わってあげたいけど、席を代わったら俺の鼻がとんでもないことになってしまうので、首を横に振ることにした。

 

 ごめんね、ナタリア。

 

 苦笑いしながら手と首を横に振ると、彼女も首を横に振る。

 

 休憩時間になったら代わってやるから、もう少し我慢してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願い! タクヤ、席代わって!」

 

「いや、代わったら俺の鼻が……………」

 

 会場の外にある休憩所の外で頭を下げるナタリアを見つめながら、彼女の隣に座っていた貴族の発していた臭いを思い出した俺は、顔をしかめながら苦笑いする。

 

 あの不快な臭いの発生源の隣に座るくらいなら、ガスマスクを装備せずに、マスタードガスが充満している部屋の中で昼寝した方がマシである。

 

 あいつの隣に座ったら十中八九吐くぞ? 

 

「いいでしょ?」

 

「じょ、女王陛下の目の前で朝に食ったカレーとナンを吐く羽目になりそうだ……………」

 

 女王陛下も顔をしかめてたぞ…………。陛下にお願いすれば、あの貴族を退場させられるだろうか。そうすればナタリアと席を代わる必要はなくなるな。

 

 よし、ちょっと女王陛下にお願いしてみよう! ハヤカワ家と王室は親しいから、きっと俺たちのお願いを聞いてくれるに違いない!

 

「―――――――タクヤ・ハヤカワ」

 

「ん?」

 

 嗅覚が蹂躙されずに済む方法を見つけて喜んでいた俺の鼓膜に、少しばかり訛りのあるオルトバルカ語が流れ込んでくる。その訛ったオルトバルカ語で話しかけてきた男の事を思い出しながら振り向くと、案の定、フランセン騎士団の制服に身を包み、メガネをかけた男性が後ろに立っていた。

 

 テンプル騎士団に嫌がらせをしてきた、レオ・ヴォルジャティアン総督である。

 

 護衛の騎士は引き連れていない。自分で身を守れるほどの実力者なのだろうかと思ったけれど、腰には何も武器を下げていないし、懐にナイフや小型クロスボウを仕込んでいる様子もない。もしかしたら魔術師かもしれないけれど、こいつの目つきは戦いが本職の男の目つきではなく、政治家の目つきである。

 

 仮設だけど、多分こいつは魔術師ではない。

 

「君と話がしたい」

 

「…………では、彼女たちも」

 

「ダメだ」

 

 ナタリアとラウラの2人も一緒でいいだろうと提案したが、総督は即座に却下する。

 

「分かりました」

 

 俺だけと話がしたいらしい。

 

 心配そうな顔をしているラウラとナタリアにウインクしてから、路地の向こうへと歩き出した総督の後についていく。

 

 もしかしたら、俺をおびき出して路地の奥で暗殺するための罠なのかもしれない。フランセンの総督府にとって、テンプル騎士団は植民地を蝕む忌々しい敵でしかないのだ。団長を消す事ができれば、テンプル騎士団の戦力は一気に低下するだろう。

 

 シュタージが調べてくれた参加する将校のリストの中に、フランセンの指揮官や総督の名前があった時点で護身用に武器を携帯することにしていた。なのでこの式典用の制服の内ポケットには、刀身の長さを延長したスペツナズ・ナイフとサプレッサー付きのPSMが収まっている。それに腰には式典用に作ってもらったロングソードもあるので、敵を返り討ちにすることはできるだろう。

 

 警戒しながら総督の後ろを歩き続けたが、総督の部下が待ち伏せしていたり、罠を仕掛けられている様子はなかった。

 

 本当に話をするだけらしい。

 

「今日、私は総督を辞任するつもりだ」

 

 何の前触れもなく立ち止まった総督は、屋敷と屋敷の間にあるちょっとばかり豪華な路地のど真ん中で立ち止まり、そんなことを言った。

 

「それはいいですね。後任がテンプル騎士団と友好的な人物であることを願います」

 

「…………願う必要などないさ」

 

「どういう意味です?」

 

 知らないふりをしながら、総督に聞き返す。

 

 団長がいない間にタンプル搭を攻撃する準備をしていたことは、シュタージのエージェントが潜入してくれていたおかげで筒抜けだった。俺たちが戦勝記念パレードに出席している隙に、陸軍、海軍、空軍を投入してテンプル騎士団へと攻撃を仕掛ける作戦らしい。

 

 団長がオルトバルカに行っている間に、新しい武器を装備した騎士たちを投入してタンプル搭を攻撃すれば勝ち目はあると判断したのだろう。事前にテンプル騎士団を監視し、装備している兵器がどのような性能なのかを可能な限り調べて対策を用意し、新型の武器を用意できたからこそ、この作戦を実行したに違いない。

 

 ―――――――愚かしいにも程がある。

 

 彼らの罠にかかってしまった哀れな団長のふりをしていると、総督はメガネをかけ直しながら答えてくれた。

 

「君がカルガニスタンに戻る頃には、テンプル騎士団は消滅している」

 

「なんですって?」

 

「あそこは我々の土地だ。返してもらうよ」

 

 この総督は、以前に交戦したフランセンの騎士たちの指揮官と比べれば優秀だろう。真正面から戦いを仕掛けるのではなく、商人たちにテンプル騎士団との商売を禁じたり、管理局に圧力をかけて騎士団の弱体化を誘発しようとしたのだから。

 

 真っ向から戦うことを避け続けた。

 

 今回の作戦を実行したのも、俺たちがカルガニスタンを離れている間。

 

 有能な指揮官だと思う。

 

 ―――――――相手がテンプル騎士団でないのであれば。

 

「ふふふっ」

 

「…………何だ?」

 

「―――――――あそこはカルガニスタンの先住民たちの土地です。あなたたちの土地じゃない」

 

 罠にかかったふりをするのを止めながら、ニヤリと笑う。少しずつ本性をこの男に見せてやる度に、総督が目を見開いていく。

 

 悟りつつあるのだろう。

 

 彼が考えた作戦は失敗するということを。

 

 彼が戦いを挑んだ相手は、合理性で研磨され続けた現代兵器で武装した、最強の騎士団なのだから。

 

「そちらから攻撃を仕掛けていただいた方が好都合です。”我が騎士団”への明確な侵略行為ですからね。―――――――おかげで、『侵略者を撃退する』という大義名分が手に入る」

 

「ッ!」

 

 こっちから総督に戦いを挑めば、最悪の場合はフランセン本国まで敵に回してしまうだろう。しかし、命令を無視した総督が勝手に”独立国”となったテンプル騎士団を攻撃し始めれば、本国は手を出す事ができなくなる。

 

 勝手に戦争を始めた部下に加勢すれば、他の列強国から間違いなく非難されるからである。

 

 それゆえに、本国の相手はしなくていい。しかもこっちは総督に侵略されているのだから、堂々と叩き潰す事ができるというわけだ。

 

 なので、俺たちは総督が攻撃を始めるまでずっと待っていた。

 

 この戦いに勝利すれば本国と交渉し、賠償金を手に入れることもできる。それに、上手くいけばカルガニスタン全土を手に入れる事ができるからだ。

 

「脚本通りに動いてくれてありがとうございます、総督」

 

 罠にかかったことを悟って唇を噛み締める総督を見つめながら、俺は嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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鋼鉄の飛竜

 

「同志諸君、タンプル搭にフランセンの連中が迫っている」

 

 蒼い光で構成された立体映像を投影する装置を操作しながら、今しがた装置の中から飛び出した蒼い光の映像を見つめる仲間たちの顔を見つめた。パイロットスーツに身を包んだ状態でずらりと並んでいる椅子に座っているパイロットたちの種族はバラバラだ。中には身長が当たり前のように2mを超えるオークの巨漢もいるし、小柄なドワーフもいる。

 

 装置に搭載されている小さなキーボードをタッチし、映像を切り替える。するとカルガニスタンの砂漠を再現していた蒼い光たちが唐突に崩壊し、新しい映像を構成し始めた。

 

 長い尻尾と巨大な翼を持ち、冒険者たちの攻撃を容易く弾いてしまう外殻に覆われた怪物。スチームライフルが開発されたことによって撃破されることが多くなってきたものの、冒険者たちや騎士の大半の天敵と言える存在の姿が、蒼い光たちによって再現される。

 

 その外殻で覆われた背中に跨っているのは、黄色い制服――――――蒼い光で交際されているせいで”黄色には見えない―――――――に身を包み、手綱を握っている騎士だった。

 

「植民地に駐留していた連中が、一斉にテンプル騎士団領へと侵攻を開始している。すでに総督府は我が騎士団に対し宣戦布告。これは明確な侵略行為だ。……………だが、同志団長は戦勝記念パレードへ出席しているため、”テンプル騎士団戦術規定第14条”に基づき、同志クランが指揮を執ることになった」

 

 間違いなくフランセンの連中はパレードの日を狙ったな、と思いながら、俺はブリーフィングを続ける。

 

 我が騎士団の総大将が不在でも、我々は敵を退けなければならない。いや、退ける前に”殲滅”することになるだろうな。この騎士団には容赦のない団員もいるし、戦力差があり過ぎるのだから。

 

「現在、フランセン騎士団の航空隊が第66番塹壕へと向かっている。戦力は中型飛竜が36体。そいつらを護衛しているのは、機動性の高い小型飛竜だ。レーダー及び魔力センサーによる反応では、小型飛竜の数は70体らしい」

 

 合計で106体の飛竜の群れが、背中に騎士を乗せてこっちに向かってきているのだ。普通の騎士団や冒険者たちがその戦力を耳にしたら、真っ先に武装解除して逃げるか降伏するに違いない。

 

 中型の飛竜の特徴は、小型の飛竜よりも厚い外殻による高い防御力と、口の中から吐き出す強力なブレスだろう。小型の飛竜よりもブレスの範囲と射程距離が伸びているため、敵の頭上を低空で飛びながら炎をまき散らし、あっという間に敵兵の隊列を火の海にすることが可能だという。

 

 ただ、身体がでかいせいで機動性が低いため、格闘戦になれば小型の飛竜にやられることも少なくない。そのため各国の騎士団では、後方から接近してきた敵を迎え撃つために、スチームライフルを装備したガンナーやライフルマンを乗せておくという。

 

 要するに、前世の世界の急降下爆撃機のようなものだ。

 

 そしてそいつらを護衛する小型の飛竜の特徴は、他の飛竜よりも優れている機動性だろう。こちらは体格が小さいせいで1人しか乗ることができず、ブレスの範囲と射程距離も短い。しかし調教が比較的簡単で戦場に投入しやすいため、発展途上国でも”運用”されている。

 

 こっちは戦闘機のようなものだ。

 

「我々は直ちに出撃し、第66番塹壕上空でこの飛竜編隊を撃滅する。この中には飛竜との戦闘を経験しているパイロットもいると思うが、飛竜の攻撃の射程距離は戦闘機と比べればはるかに短い。はっきり言うと相手にならん。……………だが、だからと言って高を括るのは絶対に許さん。油断せずに彼らを”歓迎”してほしい。―――――――質問はあるか?」

 

「はい、同志アルフォンス」

 

「どうぞ、同志シャルル」

 

 手を挙げたのは、黒と紅の2色でダズル迷彩を施されているのが特徴的なF-22たちで構成されている、”モードレッド隊”を率いる獣人のパイロットだった。短い金髪の中から伸びているのは猫の耳で、よく見るとパイロットスーツの後ろからは金色の毛で覆われた猫の尻尾が伸びているのが分かる。

 

 獣人は動物の遺伝子と人間の遺伝子を併せ持つ種族だ。魔物と人間の遺伝子を併せ持つキメラと似ているかもしれないが、あくまでも獣人は人間と動物の遺伝子を持った種族であるため、キメラとは別の種族なのである。

 

「飛竜を撃墜したら、撃墜数にカウントしてもいいですか?」

 

「構わん。好きなだけ撃墜して、どんどんエースパイロットになってくれたまえ」

 

 ちなみに、現時点で俺の撃墜数は262機だ。あの春季攻勢でかなりラファールを撃墜したし、その後の任務でも飛竜を何体も撃墜している。おかげで機首は撃墜マークで覆い尽くされてしまってるよ。

 

 部屋にはタクヤから貰った勲章が飾ってあるけど、そろそろ新しい保管用のスペースを用意しなければならなくなりそうだ。

 

「真っ先に奴らと戦うのは我々だ。……………………同志諸君、誉(ほまれ)ある一番槍の役目を全うせよ!」

 

『『『Ураааааааааааа!!』』』

 

 この戦いでエースパイロットが増えるだろうな。

 

 飛竜は驚異的な魔物だが、あくまでも彼らを脅威だと思っているのは、未だに剣で敵を攻撃したり、発動に時間のかかる魔術を使って対抗しなければならない冒険者や騎士たちだけだ。

 

 だが、コクピットに一流の技術を持つパイロットを乗せた戦闘機が飛び立てば、空戦の頂点に君臨するのは飛竜ではなく、科学力によって生み出された”鋼鉄の飛竜”たちである。防御力はそれほど変わらないだろうが、機動性やスピードは比べ物にならない。

 

 けれども、そのスピードと機動性の差を敵が思い知ることはないだろう。

 

 その前に、こっちがぶっ放したミサイルで乗っている飛竜もろともミンチになってしまうのだから。

 

 106体の飛竜を迎撃するために飛び立つのは、5機のユーロファイター・タイフーンで構成されたアーサー隊と、7機のF-22で構成されたモードレッド隊のみ。つまり、これでもかというほどミサイルを搭載した機体を操り、たった12機で106体の飛竜を迎撃しなければならない。

 

 この戦いが終われば、ここでブリーフィングを聞いているパイロットたちは全員エースパイロットになるだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルガニスタンの砂は灰色だ。だから飛竜に跨って空を飛んでいると、自分の真下には灰色の大地が広がっている。

 

 灰色の砂の大地と、蒼い空の2つが埋め尽くすシンプルな世界。けれども飛竜に乗って戦場に向かえば、この大地が真っ赤に染まる。火の海と化した砂漠の中で火達磨になるのは、殆ど魔物の群れだ。けれども稀に手強い盗賊団を焼き殺す仕事を命じられることもある。

 

 跨っている飛竜にブレスを吐くように命令することもできるけど、俺に”支給”された飛竜の腹が空いていたら、接近してきた敵を食い殺すこともある。

 

 出撃する前に餌は与えてきたけど、多分食い足りないのかもしれない。先ほどから前方を睨みつけながら唸り声を発している自分の飛竜の背中を優しく撫でながら、身に着けているゴーグルを片手で押さえつつ前方を睨みつける。

 

 多分、テンプル騎士団の連中も飛竜の餌になるに違いない。

 

 飛竜は大食いだからな。下手したら、あいつらが保有している兵器まで食っちまうに違いない。

 

 可能であれば鹵獲するように命令されてるけど、飛竜が投入された以上は敵が原形をとどめることはない。多分、その命令は無理なのではないだろうか。

 

 ようやく飛竜が唸るのを止めたかと思うと、右斜め上を飛んでいた中型飛竜の背中にいる騎士が、ちゃんと餌を与えたのか、と言わんばかりにこっちを見ながら手を振ってきた。

 

 中型飛竜は1人乗りの飛竜よりも鈍重だが、ブレスの破壊力は比べ物にならない。あいつが低空飛行しながらブレスを吐き出せば、真下は火の海になってしまう。

 

 けれども小型の飛竜よりも鈍重なので、接近してきた敵を迎撃するために後ろにライフルマンが乗り込むのが当たり前だ。大昔から採用されている戦法らしく、スチームライフルが開発される前はクロスボウを持った騎士や、虎の子の魔術師が乗り込んでいたという。

 

 ちなみに俺の爺さんは、その飛竜の後ろで敵を迎え撃つガンナーだったらしい。

 

 ちらりと地上を見て見ると、灰色の大地に一本の長い線が刻まれているのが見えた。そろそろテンプル騎士団領に入るのだろうなと思いつつ腰の望遠鏡を取り出し、レンズに付着していた砂を吹き飛ばしてからそれを覗き込む。

 

「ありゃ何だ?」

 

 その一本の線は、大地に掘られた”穴”だった。大柄な男性でも隠れられるほどの深さで、その線がまるでテンプル騎士団領の目印だと言わんばかりに大地に穿たれている。

 

 奇妙な細長い穴の中にいるのは、黒い制服に身を包んだ兵士たち。制服のデザインはバラバラで、兜みたいな変な防具を装備している兵士の隣にはターバンを巻いた薄汚いハーフエルフがいる。そいつの隣にはでっかいオークが陣取っていて、スチーム・ガトリングに似た長い銃身の兵器を構えているのが見える。

 

 あの穴は何だ? あれがあいつらの砦なのか?

 

 地面に穴を掘った程度で、我々の猛攻を防げるとでも思ってるのか?

 

「―――――――これだから蛮族は」

 

 第一、あんな穴の中で密集していたらブレスにやられるじゃないか。あいつらは最新の戦術どころか、一般的な戦術すら知らないのか?

 

 呆れていると、編隊の先頭を飛んでいた隊長が飛竜の手綱を引き、翼を左右に振らせた。地上に陣取っているテンプル騎士団の守備隊を指差しているのを確認してから、急降下する際にゴーグルが外れないかチェックしておく。

 

 どうやら敵は飛竜すら持っていないらしい。”鋼鉄の飛竜”とやらが出撃しているのではないかと思ってたけど、あいつらが戦場に到着する前に地上部隊が飛竜の餌になっているのは想像に難くない。

 

 中型飛竜も翼を振り、隊長を乗せた飛竜が一気に高度を落とし始める。同じようにその編隊の飛竜たちも咆哮を発してから一気に高度を落とし、地上部隊へと急降下を始めた。

 

 テンプル騎士団の地上部隊はこっちに気付いていないのか、空を見上げて怯えている様子はない。

 

 そのまま焼かれてしまえ。

 

 俺たちの編隊の隊長が急降下を始めた、その時だった。

 

 ドン、という大きな音が、今しがた急降下していった中型飛竜の編隊の”先頭”から聞こえてきたのだ。

 

「!?」

 

 ぎょっとしながら急降下を注視し、ゴーグルに付着している砂を払い落としながら下を見下ろす。灰色の大地に急降下しようとしていた中型飛竜に乗った騎士たちも狼狽しているらしく、全員急降下を断念して高度を上げ、再び編隊を組んでいるところだった。

 

 ん? 中型飛竜の隊長が見当たらないぞ?

 

 そう思いながら下を見下ろしていた俺は、あの編隊が突っ込もうとしていた進路上に、いつの間にか爆炎が生まれていることに気付いた。大地を切り裂こうとしているかのように刻まれた白い煙のラインがその爆炎へと伸びていて、猛烈な風のせいで早くも崩れていく。

 

 その爆炎の中から落下していくのは、黒焦げになった飛竜の首や翼の残骸だった。

 

「―――――――え?」

 

 あれは飛竜の身体の一部……………?

 

 や、やられたというのか…………?

 

「おい、中型飛竜がやられたぞ!」

 

「地上からの対空攻撃か!?」

 

 いや、地上からの攻撃じゃない。そう思いながら、風のせいで崩壊していく白い煙を睨みつける。

 

 飛来したあの白い煙が、中型飛竜を粉砕したのだ。

 

 白い煙が飛来してきた方向を睨みつけていたその時、青い空の向こうに白い煙のようなものが浮かび上がり始めた。まるで飛竜が最高速度で低空を飛んでいる時のような轟音も聞こえてくる。

 

 ぎょっとしながら、俺は望遠鏡をその白い煙へと向ける。

 

「何だあれは………………!?」

 

 望遠鏡の向こうに見えたのは―――――――純白の煙を空に刻み付けながら疾駆する、金属製の太い槍のような奇妙な飛行物体だった。人間の胴体と同等の太さの胴体からは小さな翼のようなものが生えていて、先端部は尖っている。

 

 後端部から吐き出している煙が、先ほど消えた煙と同じものだということを見抜いた俺は、ぞっとしながら叫んだ。

 

「て、敵襲!」

 

「くそったれ……………ッ! 各員、敵の攻撃を回避せよ! 散開を許可する!」

 

 音響魔術で増幅された隊長の声を聞くよりも先に、手綱を引っ張って飛竜に回避するように命令する。即座に右へと急旋回しながらその金属の槍を睨みつけ、俺は舌打ちをする。

 

 多分、あれは敵の”鋼鉄の飛竜”の超遠距離攻撃だ。偵察部隊の報告では、轟音を発しながら飛翔する鋼鉄の飛竜どもは、翼の下にぶら下げた槍のようなものを発射し、遠距離の敵を正確に粉砕する事ができるという。

 

 しかもその槍は、回避しようとする敵を追尾する能力がある。

 

 案の定、先頭を進んでいた金属の槍が中型飛竜のうちの1体を追いかけようとするかのように進路を変えた。後ろに乗るライフルマンが大慌てでスチームライフルをぶっ放すが、飛竜を上回る機動性とスピードで飛来する槍にスチームライフルを撃ち込むのは至難の業だろう。

 

 連射する事ができれば弾幕を張って撃ち落とすこともできたかもしれないけれど、残念なことにスチームライフルは単発型だ。ぶっ放したらタンクからの蒸気の供給を一旦止め、銃口から矢を装填し、バルブを回して供給を再開しなければ発射できないのである。

 

 再装填(リロード)に20秒もかかってしまうのだ。

 

 全力で飛んでいる飛竜の背中でそんなことをしなければならないのだから、連射速度は低下してしまうに違いない。

 

 中型飛竜に乗る騎士は必死にそれを回避しようとしたが、機械の槍は無慈悲に中型飛竜の背中へと直撃した。背中に跨っていた2人の騎士を瞬く間に粉々にした猛烈な爆風が飛竜の背中を穿ち、外殻もろとも肉をあっさりと抉る。

 

 左側の翼まで爆発で捥ぎ取られてしまった飛竜が、絶叫しながら砂漠へと墜落していく。

 

「くそ、アーロンがやられた!」

 

「応戦しろ! 敵はどこにいる!?」

 

「みっ、み、見えない! 超遠距離から攻撃されてる! 敵はこっちの射程距離外だッ!!」

 

 射程距離外からの攻撃……………!

 

 立て続けに飛来する金属の槍が中型飛竜を吹き飛ばし、必死に飛び回っていた小型飛竜の胴体を抉り取る。中にはブレスで撃墜しようとしたり、味方が全滅する前に敵の攻撃が飛来する方向へと全力で突っ込み、超遠距離にいる敵の飛竜を仕留めようとしている味方がいたけれど、敵は超遠距離から容赦なく槍をぶっ放し、足掻き続ける飛竜と騎士たちを次々にミンチにしていった。

 

 息を呑みながら飛竜に速度を上げさせ、墜落していく飛竜たちを見下ろす。

 

 敵の攻撃はかなりスピードが速い。回避しようとしても躱し切れないし、敵の攻撃が早過ぎるせいで迎撃すらできない。しかもその攻撃力は、飛竜の外殻を一撃で粉砕するどころか、外殻の下にある肉まで抉り取ってしまう破壊力があるようだ。

 

 そんな強烈な攻撃を、敵の鋼鉄の飛竜は望遠鏡を使っても見えないほどの遠距離からこれでもかというほど放ってくるのである。

 

 勝負になるわけがない。

 

 まだ機械の飛竜の姿すら見ていないというのに、壊滅状態になっている味方を見つめる。必死に迎撃しようとするライフルマンや、飛竜の背中から飛び降りていく騎士たち。この高度から飛び降りれば、真下が砂とはいえ死ぬだろうなと思っていた俺は、遠距離から接近してくる槍がついに俺を狙っていることに気付いた。

 

 手綱を右に引っ張って急旋回を命じつつ、高度を下げていく。ちらりと後ろを振り向くと、俺を狙っている機械の槍は猛スピードのまま旋回して俺の後ろに回り込むと、その気になったら飛竜を追い越せるのではないかと思ってしまうほどの速度で後ろから追いかけてくる。

 

「だ、ダメだ……………!」

 

 間違いなく、あの攻撃で俺もミンチになる。

 

 鋼鉄の飛竜の姿を見るよりも先に、我が騎士団の航空隊が壊滅するなんて…………!

 

 一体テンプル騎士団の兵器は、どんな兵器なのだ……………!?

 

 もう一度後ろを振り返ろうとしたけれど、それよりも先に猛烈な爆炎と金属の破片のようなものが、俺もろとも飛竜を包み込んだ。

 

 手綱を握っていた両腕に金属の破片が突き刺さり、肉を切り刻んでいく。やがて衝撃波がその傷口を更に抉って身体を引き千切り、俺の肉体と飛竜の肉体をバラバラにしていった。

 

 

 



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業火と蹂躙の海

 

 巨大な船体の群れが、かつて吸血鬼たちの艦隊と死闘を繰り広げたウィルバー海峡を進んでいく。戦艦に匹敵する巨大な艦の周囲を航行するのは、小型の主砲と数多のミサイルを搭載したフリゲートの群れだ。合計で12隻のフリゲートに守られているのは、輪形陣の中心に居座る3隻の巨大な艦たちである。艦首は先端部へと行くにつれて、飛行甲板から飛び立つ艦載機を天空へと飛び立たせるために上へと曲がっており、ずらりと艦載機を搭載した飛行甲板の右側には艦橋がある。

 

 艦橋や船体に描かれているのは、テンプル騎士団のエンブレムであった。

 

 吸血鬼たちの春季攻勢によって、テンプル騎士団が保有する艦隊は大打撃を受けた。”第二次転生者戦争”と呼ばれているヴリシアの戦いを経験した乗組員たちや、虎の子の戦艦『ジャック・ド・モレー』を失わずに済んだものの、戦艦を2隻も失った上に、艦隊旗艦ジャック・ド・モレーや他の戦艦たちも、タンプル搭の軍港へとボロボロになって戻る羽目になった。

 

 春季攻勢が終結してから、テンプル騎士団は大損害を被ることになった原因を調査しつつ、軍拡と各拠点の再編成を始めた。吸血鬼たちとの死闘で多くの兵士たちや乗組員たちが命を落とすことになったものの、各地から保護してきた膨大な人数の奴隷たちが志願して入団してくれたおかげで、彼らの再編成は予想よりも早く進んでいたのである。

 

 大量の人材を入団させることに成功したおかげで、より大量の兵器を運用できるようになった。

 

 兵器を動かすには、それの扱い方を学んだ乗組員がいなければならない。すでに無人戦車を運用しているものの、全ての兵器を無人兵器にするわけにはいかないのである。

 

 更に春季攻勢で数多の兵士を葬ったことで、その兵器を”生産”する能力を持つタクヤは、莫大な量のポイントを獲得していた。吸血鬼たちから賠償金を得ることはできなかったものの、賠償金の代わりに容易に軍拡ができるほどのポイントを手に入れる事ができたのである。

 

 かつてテンプル騎士団艦隊と吸血鬼たちの艦隊が死闘を繰り広げた海を航行する艦隊たちは、そのポイントを使って生産された艦で構成された”新しい艦隊”であった。

 

 テンプル騎士団艦隊は、これでもかというほど武装を搭載した駆逐艦や戦艦による飽和攻撃を重視した艦隊となっており、空母はロシアのアドミラル・クズネツォフ級空母『ノヴゴロド』1隻しか保有していなかったのである。

 

 いくら艦艇の生産に必要なポイントの量が莫大とはいえ、空母の配備を”後回し”にしてしまったことで、テンプル騎士団艦隊はイージス艦や戦艦で構成された吸血鬼たちの艦隊による猛攻で大損害を被ってしまう。

 

 そこで、再編成の際に空母も増強されることとなった。

 

 フリゲートやイージス艦の群れに守られた空母と、敵艦を轟沈させるほどの破壊力を持つ対艦ミサイルを搭載された艦載機たちは、まさに海を支配する兵器と言っても過言ではないのである。

 

 輪形陣の中心を進むのは、アドミラル・クズネツォフ級空母『ノヴゴロド』。フランセン騎士団が出撃させた艦隊を迎え撃つために出撃した、テンプル騎士団機動艦隊の旗艦である。

 

 旗艦ノヴゴロドの後方を進むのは、同型艦の『ユージーン』と『エドワード』だ。春季攻勢(カイザーシュラハト)を迎撃する際に大きな戦果をあげ、戦死したパイロットたちの名前を冠した空母の甲板の上では、これでもかというほど対艦ミサイルを搭載された艦載機の群れが、出撃準備を進めていた。

 

 3隻のアドミラル・クズネツォフ級を守るのは、テンプル騎士団が運用していたソヴレメンヌイ級やウダロイ級ではない。艦隊の増強に伴い、敵の転生者が高性能なイージス艦を投入してきた場合でも迎え撃つことができるように、可能な限り新型の艦への更新が進められている。

 

 そのため、ソヴレメンヌイ級やウダロイ級は、次々に退役し始めていた。

 

 空母を囲んで航行しているのは―――――――ロシア製フリゲートの『アドミラル・グリゴロヴィチ級』6隻と、同じくロシア製フリゲートの『ネウストラシムイ級』6隻である。

 

 アドミラル・グリゴロヴィチ級はロシアの最新型フリゲートであり、ソヴレメンヌイ級よりもステルス性が更に強化されている。ソヴレメンヌイ級に搭載されていたキャニスターが搭載されていないせいですらりとしているように見えるが、ステルス性を強化した華奢な船体には無数のミサイルを装填したVLSがこれでもかというほど搭載されている。

 

 現在は8隻ほど保有されており、そのうちの2隻は練習艦ということになっている。

 

 アドミラル・グリゴロヴィチ級と共に空母を守る『ネウストラシムイ級』も、ロシアのフリゲートである。こちらもウダロイ級に搭載されていたようなキャニスターは搭載されていないが、魚雷や対潜ミサイルなどの対潜装備をこれでもかというほど搭載しているため、この艦を引き連れているだけで艦隊は堂々と大海原を航行する事ができる。

 

 こちらも8隻生産されており、そのうちの2隻は練習艦となっている。

 

 要するに、全ての新型フリゲートを空母の護衛のために投入しているのだ。

 

「やり過ぎじゃないですかね、同志バルフコフ」

 

「確かにな…………」

 

 CICのモニターに映っているフリゲートたちの反応を見つめながら、機動艦隊の指揮を執るバルフコフ大佐はお気に入りのアイスティーが入ったティーカップを拾い上げた。ティーカップの中のアイスティーが発する香りを確認し、さっぱりしているオルトバルカ産の紅茶だということを確認してからそれを口へと運ぶ。

 

 騎士団の中には香りが強烈なヴリシア産の紅茶を好む者やコーヒーを好む兵士もいるが、大半の団員たちはオルトバルカ産の紅茶を好んでいるという。

 

 バルフコフ大佐も、オルトバルカ産の紅茶に魅了されてしまった団員の1人であった。

 

「同志ナタリアのジャムはちょっと甘いよな…………」

 

「いえ、ジャムの話ではなくて…………我が艦隊の話です、同志」

 

 新型のフリゲートが12隻も実戦に投入されるのである。すでに何度か魔物の掃討作戦にも参加しているため、乗組員たちも実戦を経験しているが、”人間”を相手にするのはこの戦いが初めてになるだろう。

 

 もし虎の子のフリゲートを1隻でも失うことになれば、海軍は大打撃を被ることになる。

 

「徹底的に潰すためだ、同志。それにこの戦いは新しい艦のテストにもなる。―――――――ところで、敵艦の数は?」

 

「はっ、同志。タンプル搭へと侵攻を開始した敵艦隊は、戦艦7隻、装甲艦5隻、駆逐艦4隻で構成された艦隊です。レーダーにははっきりと映っていますよ」

 

「ふむ…………連中の艦にステルス性があれば、いきなり発見されずに済んだだろうな」

 

 そう言いながら再びティーカップを口へと運んだバルフコフ大佐は、ウィルバー海峡へと接近してくる敵艦隊の反応を見つめながら溜息をついた。

 

 かつてはフランセン騎士団が運用する戦艦や装甲艦を恐れていたが、テンプル騎士団に入団し、列強国が保有する兵器を遥かに上回る性能の兵器を扱うのが当たり前になってからは、騎士たちが運用する装甲艦や戦艦は全く恐ろしくない。

 

 こちらが装備しているのは、高性能な艦載機と遠距離から敵艦を攻撃できる対艦ミサイル。それに対しフランセン側の装備は、射程が極めて短いスチーム・カノン砲程度だ。しかも各国の海軍には”空母”という艦艇が存在しないため、対空戦闘を行う可能性は極めて低い。

 

 間違いなくこの戦いは、艦隊や艦載機たちが傷1つ付けられることなく幕を閉じるだろう。

 

 大佐が確信すると同時に、蒼いラインの入った黒い制服に身を包んだ乗組員が、大佐に敬礼しながら報告した。

 

「同志、Su-34FNの出撃準備が完了しました」

 

「よろしい、直ちに出撃させたまえ」

 

「了解(ダー)」

 

「あ、同志」

 

「はい、なんでしょうか」

 

 踵を返して立ち去ろうとする若いエルフの兵士を呼び止めた大佐は、空になったティーカップを彼に差し出しながらニヤリと笑った。

 

「アイスティーのおかわりを頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼い海原の真っ只中で、真っ赤な炎が産声を上げた。無数の火の粉や燃え盛る破片を周囲にぶちまけて荒れ狂う炎の根元で、火達磨になりながら海の中へと沈んでいくのは、先ほどまで艦隊の先頭を航行していた装甲艦だ。

 

 魔術師の魔術でも撃沈することは難しいと言われるほど分厚い装甲で覆われた味方の艦が、何の前触れもなく飛来した1本の鋼鉄の槍に貫かれたかと思うと、その槍に開けられた風穴から爆炎を噴き上げ、火達磨になってしまったのである。

 

 しかも内部で高圧の魔力が立て続けに爆発しているらしく、荒れ狂う魔力たちによって船体の装甲が呆気なく突き破られ、火の海と化した艦内の通路を晒し続けている。

 

「くそ、また味方艦がやられた!」

 

「敵の攻撃が飛来! 狙いは―――――――」

 

 マストの上で望遠鏡を覗きながら見張っていた乗組員が、敵の攻撃が飛来したことを告げようとした頃には、その飛来した槍が沈没していく装甲艦の上を通過して、必死にスチーム・ガトリングを連射し続けていた戦艦の船体を直撃していた。

 

 装甲艦よりも分厚い装甲を誇る戦艦にあっさりと風穴が開いたかと思うと、艦内で産声を上げた爆炎が戦艦の50mの船体を容易く抉ってしまう。しかもその風穴の真上にあった艦橋の中にまで爆炎が侵入したらしく、白と黒で塗装された艦橋の窓の向こうでは、火達磨になった乗組員たちが見えた。

 

「旗艦『コルセール』、轟沈!」

 

「なんなんだ、この攻撃は!?」

 

「敵艦は見えるか!?」

 

「見えませんッ!」

 

 ぼ、望遠鏡で見る事ができないほど遠距離からこんな攻撃を放っているというのか!?

 

 副砲に装填する筈だった砲弾を抱えたまま、僕は呆然としていた。

 

 おそらくこれは敵艦隊からの攻撃だろう。テンプル騎士団艦隊が保有している、クイーン・シャルロット級よりも巨大な戦艦による攻撃なのだろうか。

 

 しかも超遠距離から発射されている鋼鉄の槍は、望遠鏡で見る事ができないほどの距離から放たれているにもかかわらず、未だに1本も外れていない。敵の攻撃が飛来する度にこっちの戦艦や装甲艦を直撃し、あっという間に海の藻屑にしていくのである。

 

 圧倒的な射程距離を持っている上に、戦艦ですら一撃で轟沈するほどの破壊力と、超遠距離から正確に命中させるほどの命中精度を誇っているのだ。

 

 当たり前だけど、こっちの艦隊は主砲を未だに一発もぶっ放していない。スチーム・ガトリングはこれでもかというほどぶっ放しているけれど、鋼鉄の槍の速度があまりにも早過ぎるせいで全く命中しないのだ。しかもスチーム・ガトリングの射程距離はそれほど長くはないため、あの武器で迎撃するのは至難の業だろう。

 

 海面が、沈んでいく艦から漏れ出た重油でどんどん黒く染まっていく。火達磨になった船体がその重油に炎をぶちまけ、重油のせいで黒く染まった海面を泳いでいた生存者たちを焼き殺していった。

 

 火達磨になったままもがき、その炎を消そうとして海の中へと潜った乗組員たちは、二度と浮き上がってくる事はない。

 

「おい、とっとと砲弾をよこせ!」

 

「待ってください! 副砲で迎撃するつもりですか!?」

 

「とにかく弾幕を張るんだ!」

 

 無理だ、と思いながら、僕はその砲弾を副砲にぶち込む羽目になった。

 

 飛竜どころかエンシェントドラゴンすら置き去りにしてしまえるような速度で、立て続けに攻撃が飛来するのである。旋回速度が遅い上に連射ができない副砲を使うよりは、艦内にあるスチームライフルを乗組員に支給して、スチーム・ガトリングと一緒に弾幕を張った方がまだ迎撃できる確率は高いに違いない。

 

 そう言おうと思ったけれど、僕はまだ騎士団に入団して部隊に配属されたばかりの新人だ。ベテランの騎士が僕の意見を聞くわけがない。反論する事を諦めて大人しく副砲から離れ、近くに置いてある予備の砲弾を拾い上げる。

 

 球技に使うボールを鋼鉄にしてそのまま大きくしたような砲弾の中には、高圧の蒸気と魔力が充填されている。流し込む魔力の量で起爆させる時間を調節する事ができる仕組みになっているため、このようなタイプの砲弾を発射する兵器を扱う場合は、発射を担当する砲手と、装填を担当する装填手と、魔力を注入して起爆する時間を調節する”調節手”という3人の騎士が必要になる。

 

 さっきの砲弾は起爆させる時間を変更していないので、発射されてから10秒後に起爆することになっている筈だ。10秒後に爆音が聞こえてきたとしても、九分九厘敵の攻撃は容赦なく味方の艦を海の藻屑にしていくだろう。

 

 副砲であんな攻撃を迎撃するのは、不可能なのだから。

 

「くそ、外れた! フォーミダブルに向かってるぞ!」

 

 次の瞬間、スチーム・ガトリングで弾幕を張りながら奮戦していた戦艦フォーミダブルに、鋼鉄の槍が喰らい付いた。前部甲板に飛び込んだその一撃は、一流の漁師が放り投げた銛がクジラを串刺しにするかのように前部甲板を貫いてから起爆し、船体の装甲を歪ませてしまう。爆発した瞬間、前部甲板に陣取っていた主砲のでっかい砲塔の隙間から炎が飛び出したかと思うと、その炎がフォーミダブルの前部甲板を埋め尽くし、主砲の砲塔を天空へと吹き飛ばした。

 

 弾薬庫にあった砲弾が誘爆を起こしたのかもしれない。

 

 前部甲板を抉られたフォーミダブルが、早くも海の中へと沈んでいく。

 

 残ったのは、僕が乗っているこの戦艦だけだった。

 

「おい、マガジンを!」

 

 スチーム・ガトリングをぶっ放していた騎士が、装填手に命令して再装填(リロード)させる。スチームライフルの銃身を6本ほど束ねたような形状のスチーム・ガトリングの上にマガジンを差し込んだ装填手は、側面にあったレバーを思い切り引いてから下部のバルブを捻り、銃身の中に溜まっていた水分を排出する。

 

 あの武器は高圧の蒸気を使って矢を撃ち出す仕組みなので、定期的に銃身の中の水を抜き取らないと、その水が矢に絡みついて弾道を狂わせてしまう。だからマガジンの中の矢を撃ち尽くしたら水を抜き取るようにしなければならない。

 

「来たぞ!」

 

「撃てぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「おい、早く砲弾を!」

 

 はっとしながら砲弾を調節手に渡し、予備の砲弾へと手を伸ばす。砲手が近くにあるハンドルを大急ぎで回して副砲を旋回させるけれど、その副砲が火を噴くよりも先に、超遠距離にいる敵が放った鋼鉄の矢がこの戦艦を貫くことになるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

 鋼鉄の槍を睨みつけながら、僕は息を呑んだ。

 

 先端部は尖っていて、胴体からは短い翼のようなものが生えているのが分かる。後端部には奇妙な形状の部品が取り付けられていて、その奇妙な部品から炎を吐き出しているのが見える。

 

 魔力の反応は全くしないから、多分あの兵器には一切魔力を使っていないのだろう。

 

 狼狽する艦長を睨みつけてから、僕は溜息をついた。

 

 出撃する前にあの艦長は、テンプル騎士団は小規模で貧弱な蛮族共だから、出撃して本部を艦砲射撃する前に降伏するだろうと言っていたけれど、艦砲射撃をする前に全滅してるじゃないか。

 

 砲手がハンドルを回し終えるよりも先に、船体が激震した。

 

 ドン、と猛烈な爆炎が装甲の割れ目から飛び出し、分厚い装甲を容易く抉っていく。舞い上がった破片が乗組員たちの肉体を貫き、大穴から飛び出した炎が仲間たちを次々に火達磨にしていった。

 

 予備の弾丸を拾い上げようとしていた僕は、いきなり甲板から飛び出した爆炎と爆発の衝撃波をお見舞いされる羽目になった。身体があっさりと吹き飛ばされたかと思うと、あの攻撃を喰らったにもかかわらずまだ副砲をぶっ放そうとしている先輩たちを置き去りにしようとしているかのように、そのままあっさりと海面へ吹っ飛ばされてしまう。

 

 重油や甲板の一部が漂っている海に落下してしまった僕は、激痛を感じながら近くの板にしがみつき、自分の乗っていた艦が傾斜していくのを見守るのだった。

 

 

 

 



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塹壕VS戦列歩兵

「信じられない…………」

 

 オルトバルカ王国から購入した最新型のスチームライフルを抱えていた隣の兵士が、空を見上げながら呟いた。

 

 灰色の砂漠の上に広がる青空の中で、深紅の炎と漆黒の煙に彩られた爆炎が立て続けに産声を上げている。その爆炎の中から地上へと落下してくるのは、敵の超遠距離攻撃を回避する事ができなかった哀れな飛竜や、その背中に乗っていた騎士たち。

 

 そう、我がフランセン共和国騎士団の航空部隊たちである。

 

 飛竜は騎士や冒険者たちの天敵だ。剣や矢をあっさりと弾いてしまうほど硬い外殻に覆われているし、圧倒的な破壊力のブレスも兼ね備えているため、産業革命以前は優秀な魔術師の魔術で撃墜しなければ確実に大損害を被ることになっていた。

 

 産業革命で剣の製造方法が変わり、魔物の外殻もろとも肉を切り裂けるようになったし、スチームライフルの発明で魔術師じゃなくても強力な遠距離攻撃ができるようになったとはいえ、剣は当然ながら接近しなければ意味がないし、スチームライフルも命中精度がそれほどいいというわけではない。しかも再装填(リロード)に時間がかかってしまうので、外してしまったら敵の攻撃から逃げながら矢を銃口からぶち込まなければならない。

 

 それゆえに、飛竜はまだ俺たちの天敵として天空に居座る強力な魔物である。

 

 騎士が背中に乗れるように調教された飛竜たちが投入されれば、敵の死体が原形をとどめることはない。強力なブレスで焼き尽くされることもあるし、飛竜の腹が減っていれば食い殺されることもある。だから基本的に飛竜が投入される戦闘では、敵兵の死体は絶対に無残になる。

 

 今回の戦いでもテンプル騎士団の兵士たちが蹂躙されることになるだろうと思っていたんだけど―――――――大空で蹂躙されているのは、テンプル騎士団ではなく、我々の航空部隊たちだった。

 

 超遠距離から飛来する鋼鉄の槍のようなものが、白煙を空に刻み付けながら疾駆していく。飛竜を置き去りにしてしまうのではないかと思えるほどの速度で飛来したその槍は、あろうことか回避しようとする飛竜を追尾して容易く追いつくと、爆炎を生み出し、飛竜と跨っていた騎士たちを木っ端微塵に吹っ飛ばしてしまう。

 

 分厚い外殻を持つ中型飛竜ですら、一撃で黒焦げのミンチにされてしまうほどの破壊力があるというのか。

 

 しかもその攻撃をこれでもかというほどぶっ放している張本人たちは、未だに見当たらない。先頭を進んでいる指揮官が望遠鏡で空を見つめているけれど、どうやらその攻撃をぶっ放している連中は見つける事ができないようだ。

 

 鋼鉄の槍が白煙を吐き出しながら飛来する度に、虎の子の飛竜たちがミンチになっていく。

 

「前方に敵の防衛ラインを確認!」

 

 前進しているうちに、テンプル騎士団が我々を迎え撃つために用意した防衛ラインが見えてきた。灰色の砂漠のど真ん中に兵士たちを待機させてるんだろうと思ったけれど、飛竜たちが蹂躙されていくのを見るのを止めて前方を注視した俺は、今までに目にした事のない防衛ラインを目にする羽目になった。

 

 灰色の砂で埋め尽くされた大地に、穴が掘ってあるのである。

 

 大柄な男性でも隠れる事ができるほどの深さだろうか。中に段差でも用意してあるのか、その穴の中からあのスチームライフルのような飛び道具を構えた兵士たちが顔を出しており、銃口をこっちへと向けている。

 

 俺たちのようにスチームライフルを装備した兵士たちの隊列に遭遇するんだろうなと思っていた俺は、違和感を感じながらライフルを握り締めた。

 

 彼らの掘った穴は思ったよりも大規模らしく、中にはスチーム・ガトリングに似たでっかい飛び道具らしきものがこちらへと向けられているのが分かる。

 

 あんな穴の中に陣取ったら、飛竜のブレスで全員焼き殺されるのが関の山なのではないだろうか。虎の子の飛竜は空で蹂躙されているせいで、実質的に陸軍同士の戦いになりそうだけれど、もしこっちの飛竜があの攻撃を回避して地上にいる彼らに襲い掛かったら、テンプル騎士団の兵士たちは焼き殺されるに違いない。

 

 あの超遠距離攻撃で飛竜を蹂躙できるから、あのように穴の中に陣取っているということか。

 

 舐められてるな、俺たちは。

 

 しかも敵の数は200人足らず。それに対してこっちの騎士の人数は4000人だ。その中で最新型のスチームライフルを装備しているのは半数だけど、俺たちが敵陣に向けて一斉射撃を始めれば敵兵は蹂躙されることになるだろう。

 

 航空隊の弔い合戦だ、蛮族共め。

 

 その穴の中でくたばれ…………!

 

「射撃用意! 第一陣、バルブ開放!」

 

「第一陣、バルブ開放!」

 

 指揮官の命令と復唱が轟くと同時に、スチームライフルを抱えていた最前列の騎士たちがライフルに取り付けられているバルブを開放し始めた。スチームライフルは背中に背負っているタンクとケーブルで繋がれており、発射する前にバルブを開けて高圧の蒸気を薬室の中に注入しなければならない。

 

 かつては魔術師たちに支援してもらいながら、剣や槍を装備した騎士たちが突撃するという戦法だったけれど、スチームライフルが各国の騎士団で採用されるようになってから、そのような戦法はすぐに廃れてしまった。いくら切れ味が劇的に向上したとはいえ、敵に近づかなければ意味のない剣で攻撃するよりも、強力な飛び道具で一斉射撃した方が合理的なのは火を見るよりも明らかだからだ。

 

 俺が配属されているのは第二陣だから、前に並んでいる戦友たちがスチームライフルをぶっ放したらすぐに前に出て、指揮官に命令されてから一斉射撃する必要がある。

 

 たった約200名の敵兵を葬るために、4000人の騎士たちが牙を剥くのだ。テンプル騎士団の蛮族共は、我々の隊列を見つめながら絶望しているに違いない。

 

 スパイク型銃剣を装着したライフルを手にした兵士たちが、更新しながらバルブを開放する。魔物の素材で作られた特殊なゴムで覆われたケーブルが膨らみ、飛び出した高圧の蒸気が薬室の中へと伝達されていく。

 

 射程距離に入るまでもう少しだ。あと30mほど更新すれば、最前列の兵士たちが一斉射撃を開始するだろう。

 

 その時、サーベルを鞘から引き抜いていた指揮官の頭が、がくん、と揺れた。

 

「しょ、少佐―――――――」

 

 頭から鮮血を噴き上げながら、サーベルを持っていた指揮官が崩れ落ちていく。どうやら頭を敵兵の飛び道具で狙撃されたらしい。

 

 ちょっと待て、まだスチームライフルの射程距離じゃないぞ…………!?

 

 敵兵はこっちの射程距離外から狙撃してきたというのか!?

 

 頭を狙撃された少佐を見下ろしている間に、敵の防衛ラインの方からホイッスルの音が聞こえてきた。

 

『ピィィィィィィィィィィィッ!!』

 

 そのホイッスルの残響が消え去るよりも先に、敵陣に用意されていた穴の中で飛び道具を構えていた敵兵たちが、一斉に発砲した。

 

 一斉射撃をするために射程距離へと近づいていた我々が、それよりも先に一斉射撃を喰らう羽目になったのである。しかも敵の装備している飛び道具は我々のスチームライフルのように単発型ではないらしく、スチーム・ガトリングとは比べ物にならないほどの連射速度で攻撃を放ってくるのである。

 

 その一撃を叩き込まれる羽目になった第一陣の兵士たちが、次々に崩れ落ちていった。

 

「ぐあっ…………!」

 

「ぎっ――――――」

 

「ガフッ!?」

 

 射程距離はこっちのスチームライフルよりも上だ。しかも命中精度は指揮官の額を正確に狙撃できるほどで、連射速度はスチーム・ガトリングを遥かに上回っている。

 

 そんな飛び灯具を、テンプル騎士団の連中は一般的な兵士たちに当たり前のように支給しているというのか!?

 

 しかもあの穴の縁に設置されている大型の飛び道具は、その一般的な兵士が持つ飛び道具よりも強力な代物らしく、それから放たれた攻撃を叩き込まれる羽目になった騎士の手足が、あっさりと飛び散った。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 腕がっ…………腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ぎぃ…………た、立てない……! あ、足は………? 俺の足はどこだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 こっちが攻撃を放つよりも先に、一斉射撃の準備をしていた第一陣は壊滅状態に陥っていた。バルブを開放し、敵兵たちに一斉射撃をお見舞いしようとしていた勇ましい騎士たちが次々に殺されていく。

 

 中には運悪く背中のタンクに被弾してしまった騎士もいた。あのタンクの中に入っているのは高圧の蒸気であるため、それに風穴を開ければ人体を吹き飛ばすほどの圧力の蒸気が飛び出す羽目になる。そんな蒸気を浴びればどうなるかは想像に難くない。

 

 タンクが弾け飛び、中に詰め込まれていた蒸気が膨れ上がる。それを背負っていた騎士の肉体をあっさりとバラバラにした蒸気の爆風が赤く染まり、ズタズタになった肉片と血飛沫が灰色の砂漠を彩っていく。

 

 その時、第二陣の騎士の1人が勝手にバルブを開放し、銃口を敵陣へと向けた。射程距離外にもかかわらず照準器を覗き込み、訓練通りにトリガーを引く。

 

 パスン、と銃口から蒸気に押し出された小型の矢が飛び出す。飛竜の外殻を貫通できるほどの貫通力がある代物だけど、その貫通力が猛威を振るうのはもちろん射程距離内だけだ。射程距離外の標的に当てることはできるかもしれないけれど、多分標的に命中する頃には、外殻を貫通するほどの運動エネルギーはなくなっているだろう。

 

「貴様、発砲許可は出してないぞ!?」

 

「このまま殺されるよりはマシ――――――ゲフッ」

 

 今しがた発砲した騎士も、指揮官と同じく敵兵に頭を狙撃され、脳味噌の破片をまき散らしながら灰色の砂の上に崩れ落ちた。

 

「前進しろ! こっちは4000人だぞ!?」

 

「ぜ、前進! 前進だぁッ!!」

 

「第二陣前へ! 急げぇ!」

 

 第一陣が壊滅してしまった以上、俺たちが最前列を進むしかない。

 

 敵の攻撃が命中しませんように、と祈りながら、命令通りにスチームライフルを抱えて前進していく。敵の射手たちは容赦なく飛び灯具を連続で放ち、最前列を進む羽目になった騎士たちを撃ち抜いていく。

 

 第一、あんなに連射できる武器を装備した兵士が何人も陣取っているのだから、密集して前進するのは自殺行為ではないのだろうか。スチーム・ガトリング以上の連射速度で攻撃してくるのだから、こっちの射程距離内に入る頃には、こちらの騎士は全員死体になっているに違いない。

 

 隣を進んでいた戦友が、頭を撃たれて倒れる。右側頭部に戦友の脳味噌の破片が降りかかったけれど、俺はそのまま前進した。

 

「バルブ開放!」

 

「バルブ開放! 射撃用意!」

 

 訓練通りにライフルに取り付けられているバルブを開放する。圧力計で圧力を確認し、ちゃんと蒸気が薬室へ伝達されていることをチェックしてから、安全装置(セーフティ)を解除した。

 

 その時、敵兵たちが掘った穴の後方に広がっていた砂の大地が、何の前触れもなく弾け飛んだ。

 

 地中の魔物がこの戦闘の轟音で刺激されて飛び出したのだろうかと思いながら、そちらを注視する。砂漠に生息している魔物の姿を思い浮かべたけれど、カルガニスタンを埋め尽くす灰色の砂の中から飛び出してきたその巨躯は、砂漠に生息する魔物とは全く異なる。

 

 それは、金属で作られた機械の怪物だった。

 

 全長は明らかに10m以上だろう。飛竜どころかエンシェントドラゴンにすら匹敵するほど分厚そうな装甲に覆われた巨体の上や側面には、巨大な砲身が伸びた連装型の大砲が鎮座している。蒼と黒の二色で奇妙な塗装が施されているその巨大な怪物は、未だに舞っている砂埃の中でその巨大な大砲を旋回させた。

 

 さすがに戦艦に搭載されているスチーム・カノン砲よりは小さいけれど、下手したら装甲艦の主砲に匹敵するほどのサイズなのではないだろうか。

 

 そう思った直後、その大砲が火を噴いた。

 

 足元に着弾した巨大な砲弾が炸裂し、爆炎が俺や周囲の戦友たちを包み込む。猛烈な爆炎の中で手足が千切れていくのを見た直後、視界が炎に支配された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがにシャール2Cを投入するのはやり過ぎなんじゃないか?」

 

 多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)で戦列歩兵のような騎士たちを吹っ飛ばした超重戦車を塹壕から見上げながら、砂まみれになったドラグノフのスコープを覗き込む。砲弾が着弾した周囲にいた戦列歩兵たちは木っ端微塵になっていて、灰色の砂の上には黒焦げになった肉片やスチームライフルの残骸が転がっているのが見える。

 

 当たり前だけど、死体は原形をとどめていない。爆炎と破片でズタズタにされる羽目になったのだから、五体満足の死体は見当たらない。

 

 敵兵たちに戦力の差を見せつけるため、敢えて80mになるまで射撃はしないようにクランから命令されていたから、敵兵が接近してくるまで発砲はしなかった。けれどもマークスマンライフルやアサルトライフルならば、更に距離が遠くても当たり前のように狙撃ができるから、もっと遠距離から攻撃するべきではなかったのだろうか。こっちの姿が見えない状態で一方的にやられたほうが力の差を実感できると思うんだが。

 

 けれども団長代理(クラン)の命令だからな。

 

「クランは徹底的に彼らを潰すつもりらしいです。装甲列車もこっちに向かっているそうですよ」

 

 そう言いながら、木村は隣で射撃するオークの兵士に12.7mm弾がたっぷりと入った金属製の箱を手渡した。弾丸を撃ち尽くした兵士がその箱の中へと手を伸ばし、弾薬が連なるベルトを鷲掴みにする。それをカバーの中へとぶち込んでからカバーを閉じ、がちん、とコッキングレバーを引く。

 

 春季攻勢の後から、テンプル騎士団では装甲列車の運用が始まっている。最初は重要拠点からの緊急脱出用として運用する予定だったんだけど、戦車よりも強力な武装をこれでもかというほど搭載できるし、場合によっては重要拠点に兵士たちを何人も送り込む事ができるという利点があるため、装甲列車を運用するという規定が会議で可決された。

 

 多分、そろそろ装甲列車が到着するのではないだろうか。

 

 スチームライフルを抱えながら前進してくる戦列歩兵の1人レティクルを合わせ、トリガーを引く。頭ががくんと揺れ、脳味噌の破片を風穴からまき散らしながら倒れていく。

 

 塹壕を越えて前進していたシャール2Cの14号車『マリー・アントワネット』が、主砲同軸に搭載された発射口からドラゴンのように炎を吐き出し、前進してくる戦列歩兵たちを焼き殺していく。

 

 マリー・アントワネットは春季攻勢の後に増産されたシャール2Cであり、最初に投入された10両の欠点を少しばかり改善した”後期型”にあたる。車体が延長された代わりにエンジンが増設されているため、最高速度も少しばかり早くなっている上に、側面の装甲も厚くなっている。

 

 14号車であるマリー・アントワネットには、近距離の敵の歩兵や魔物を掃討するため、主砲同軸や側面のルスキー・レノの砲塔には火炎放射器が搭載されている。そのため大口径の主砲の攻撃を回避して肉薄したとしても、歩兵を一瞬で焼き尽くす火炎放射器の餌食になるというわけだ。

 

 しかも砲弾にはナパーム弾も用意してある。

 

 そのため、あの戦車が前進すれば戦場は焼け野原になるのだ。

 

 ちなみに、今のところ増産されたシャール2Cは全部で16両も運用されている。最終的には20両生産する予定らしいが、下手したら更に増えるかもしれない。

 

 生き残った戦列歩兵たちが必死にスチームライフルをぶっ放すが、先行しているマリー・アントワネットの装甲を撃ち抜けるわけがない。第一、正面装甲は160mm滑腔砲から発射されたAPFSDSですら貫通できないほど分厚いのだから、7.62mm弾に匹敵する貫通力があるとはいえ、スチームライフルの矢で貫通するのは不可能だ。

 

 砲弾をナパーム弾に変更し、兵士たちを焼き殺していくマリー・アントワネット。火達磨になって砂の上を転がり回っている敵兵を容赦なくキャタピラで踏み潰しながら、後退し始める敵兵を焼き殺していく。

 

 多分、装甲列車が到着する前に決着がつくだろうな。

 

 機動艦隊は既に敵艦隊を壊滅させたらしいし、航空部隊もミサイルで飛竜たちを血祭りにあげている。あの飛竜たちが全滅するのは時間の問題だろう。

 

 地上部隊もすでに壊滅状態だ。

 

 テンプル騎士団の陸軍、海軍、空軍は、無傷でフランセン騎士団に圧勝したのである。

 

 当たり前だろうな、と思いながら、俺はドラグノフで敵の指揮官を狙撃するのだった。

 

 

 

 

 



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砲弾と降伏勧告

 

 テンプル騎士団領へと総攻撃を仕掛けたフランセン騎士団たちは、壊滅状態に陥っていた。

 

 春季攻勢を退け、再編成と軍拡の最中であったとはいえ、成長しつつあるテンプル騎士団の兵士たちが扱う現代兵器の性能と、自分たちの戦力差を見抜くことができていなかったのである。

 

 更に、本国に無断でテンプル騎士団領へと攻め込んだことも仇となっていた。

 

 もし仮に本国の説得に成功しテンプル騎士団へと宣戦布告をしていたのであれば、多大な損害を出す結果になっただろうが、防衛戦を突破する事ができる確率は少しばかり上がっていた事だろう。しかし本国に居座る議員たちの説得が不可能と判断した総督が独断で戦闘を開始したことにより、カルガニスタンに派遣されていたフランセン騎士団の部隊は、テンプル騎士団の目の前にいるにもかかわらず本国から支援してもらうこともできなくなってしまったのだ。

 

 無断で”独立国”に攻撃を始めた部隊を支援すれば、本国も他国から非難されることになるからである。最悪の場合はオルトバルカ王国に貿易を拒否された挙句、国内のモリガン・カンパニー支社も全て撤退してしまうということになるだろう。

 

 各国の騎士団の武装の大半を製造しているモリガン・カンパニーが撤退するだけで、その国の軍事力が極めて大きな影響を受けてしまうほど、あの企業の影響力は強大なのである。

 

 しかし、この戦いは日付が変わる前に集結する事だろう。

 

 虎の子のアドミラル・クズネツォフ級3隻と新型フリゲートたちで構成されたテンプル騎士団機動艦隊が、フランセン側の主力艦隊を蹂躙している隙に、”この戦争を終わらせる”という任務を受けたテンプル騎士団の”主力艦隊”が、タンプル搭の軍港を後にしていたのである。

 

 次々に沈んでいくフランセン艦隊を眺めながら、巨大な戦艦や巡洋艦たちの艦列が通過していく。艦列を構成している艦たちの甲板の上には現代ではミサイルに取って代わられてしまった巨大な主砲が鎮座しており、その艦たちがまだ船体のステルス性をあまり考慮していなかった時代に生み出された産物だということを告げている。

 

 艦隊の先頭を進むのは、”第二次転生者戦争”と呼ばれたヴリシアの戦いにも参戦し、春季攻勢では吸血鬼たちの艦隊の猛攻を退けた戦艦『ジャック・ド・モレー』。この異世界に存在する戦艦の中では最強と言っても過言ではない、テンプル騎士団の力の象徴である。

 

 春季攻勢で大きなダメージを受けたジャック・ド・モレーは、春季攻勢の直後から改修を受けていた。

 

 火力を増強するために、主砲を3連装40cm砲から”4連装40cm砲”に換装していたのである。砲塔から巨大な砲身が4本も伸びた異形の砲塔を前部甲板に2基、後部甲板に1基搭載しており、改修前よりも主砲の火力が大幅に強化されている。

 

 砲塔の強化に伴って船体の幅もやや大きくなっており、装甲もより分厚くなっていた。その代わりに速度が少しばかり低下してしまっている。

 

 圧倒的な火力を誇るジャック・ド・モレーの後に続くのは―――――――ほぼ同じ外見の、4隻の”同型艦()”たちだった。

 

 春季攻勢で吸血鬼たちの艦隊と交戦した際に、ジャック・ド・モレーは敵艦からの対艦ミサイルや砲弾に何発も被弾した挙句、最大出力ではなかったとはいえ、戦艦『ソビエツカヤ・ベロルーシヤ』を一撃で轟沈させたレールガンに直撃したにもかかわらず、辛うじて沈没することはなかった。しかも艦首を抉られた上に右舷に傾斜し、10ノット以下の速度でしか航行できなくなるほどのダメージを受けたというのに、母港に戻るまで自力で航行していたという。

 

 そこでテンプル騎士団は、海軍の戦力を大幅に強化するため、この圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えた超弩級戦艦の同型艦を生産して運用することにしたのである。

 

 ジャック・ド・モレーの後ろに続くのは、二番艦『ユーグ・ド・パイヤン』、三番艦『ロベール・ド・クラオン』、四番艦『エヴェラール・デ・バレス』、五番艦『ベルナール・ド・トレムレ』の4隻だった。テンプル騎士団では、この超弩級戦艦たちは”ジャック・ド・モレー級戦艦”と呼ばれている。

 

 各艦隊の旗艦として配備される予定の戦艦であるため、今回のように全ての同型艦が並んで航行することはないだろう。

 

 外見はほぼ同じであるため見分けることは難しいが、一番艦『ジャック・ド・モレー』はテンプル騎士団艦隊”総旗艦”となるため、指揮能力の強化のために艦橋がやや大型化している。

 

 合計で5隻のジャック・ド・モレー級戦艦たちの隣を並走するのは、春季攻勢にも参加した4隻のソビエツキー・ソユーズ級戦艦。レールガンで轟沈したソビエツカヤ・ベロルーシヤはタクヤの手によって”再生産”されており、同型艦たちと共に航行している。

 

 そしてその強力な9隻の戦艦たちを駆逐艦たちと共に護衛するのは、3連装30cm砲を3基も搭載した、『スターリングラード級』と呼ばれる巨大な”重巡洋艦”であった。

 

 スターリングラード級はソ連が建造した重巡洋艦であり、戦艦に匹敵する火力と圧倒的な速度を誇る強力な艦である。もし仮に第二次世界大戦に参加する事ができていたのならば大きな戦果をあげていた艦かもしれないが、残念なことにこのスターリングラード級が産声を上げたのは第二次世界大戦が終了してからであり、しかもミサイルが発達を始めた時代であったため、最終的に一度も実戦を経験していない。

 

 テンプル騎士団が運用するスターリングラード級の数は合計で8隻。こちらも全ての同型艦を一緒に運用するのではなく、各艦隊に配備する予定になっているため、このように同型艦(姉妹)たちで一緒に航行することはなくなってしまうだろう。

 

 すでに近代化改修が施されており、艦橋や煙突の両脇には対艦ミサイルを搭載したキャニスターがずらりと並んでいる。機銃などの装備は全て撤去されている代わりに、対空ミサイルやコールチクなどが搭載されているため、接近してくるミサイルや敵の戦闘機を迎撃する事が可能になっている。

 

 要するに、ジャック・ド・モレー級戦艦やソビエツキー・ソユーズ級戦艦をそのまま小さくしたような巡洋艦である。

 

 ソヴレメンヌイ級やウダロイ級たちに護衛されたその主力艦隊の攻撃目標は、フランセン艦隊を出撃させた彼らの軍港である。その軍港にフランセンの総督府やカルガニスタンに駐留する部隊を指揮する司令部も存在するため、そこに砲弾をこれでもかというほど叩き込めば、フランセン騎士団は戦闘を続けることが不可能になってしまうのだ。

 

 艦砲射撃の後に海兵隊を上陸させるため、艦隊の後方には3隻のミストラル級強襲揚陸艦も航行している。

 

 テンプル騎士団領へと攻め込んできた敵を砕く最後の鉄槌が、ついに解き放たれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攻撃目標を確認」

 

「湾内には補給中の駆逐艦を確認。数は3隻」

 

 テンプル騎士団艦隊総旗艦となった戦艦ジャック・ド・モレーのCICで、モニターに映し出される映像とレーダーの反応を見つめていたブルシーロフ中将は、モニターに表示されている軍港の中の3隻の哀れな駆逐艦たちを見つめながらティーカップを口へと運んだ。あの軍港を壊滅させる以上、停泊中の駆逐艦たちも攻撃目標に含まれる。魚雷艇なのではないかと思ってしまうほど小柄な駆逐艦が戦艦の主砲を喰らえば、木っ端微塵になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 しかもこちらは、40cm砲を搭載した超弩級戦艦が9隻もいる。戦艦ではないものの、戦艦クラスの火力を誇るスターリングラード級も含めれば、合計で17隻である。

 

「提督、降伏勧告を出すべきでは?」

 

 ティーカップを置いたブルシーロフ中将にそう言ったのは、昇格して中将となった彼の代わりにジャック・ド・モレーの新しい艦長となった、『セルゲイ・ヴィンスキー』大佐である。

 

「同志艦長、つい先ほど敵は”団長代理(同志クラン)”からの降伏勧告を拒否している。今すぐに降伏勧告を出しても効果は薄いだろう」

 

「…………では、潰してからですな」

 

「そういうことだ」

 

「はっ。…………全艦、砲撃用意。目標、10時方向の敵沿岸砲台群。チェック・メイトはその後だ」

 

「はっ! 全艦、砲撃用意! 目標、10時方向の敵沿岸砲台群!」

 

 沿岸砲台とはいえ、旧式の装甲艦から取り外した12cmスチーム・カノン砲を取り外して並べただけである。射程距離は戦艦の主砲と比べ物にならないほど短い上に、威力や貫通力もかなり低い。このまま湾内に強引に突入して蹂躙しても全く問題ないのだが、射程距離外から蹂躙した方が力の差を見せつけられるだろうと判断したヴィンスキー艦長は、湾外からの砲撃で敵を叩き潰すことを選んだ。

 

 敵の沿岸砲台群は装甲に守られているわけではないため、榴弾でそのまま砲撃しても無力化するのは難しくないだろう。

 

「警報鳴らせ!」

 

「甲板上の乗組員は直ちに艦内に退避せよ! 繰り返す、甲板上の乗組員は直ちに艦内に退避せよ!」

 

「榴弾装填完了!」

 

 甲板から艦内へと乗組員たちが退避してから、甲板の上に鎮座する4連装砲がゆっくりと旋回を始めた。ジャック・ド・モレーの主砲だけでなく、後方を航行する他の同型艦たちやスターリングラード級たちも一斉に砲塔を旋回させ、沿岸砲台群へと照準を合わせる。

 

 あの沿岸砲台群を壊滅させれば、海兵隊も無事に上陸する事ができるだろう。湾内にはまだ補給中の駆逐艦が鎮座しているが、中には出撃を諦めて乗組員たちが退避を始めている艦もいる。もし仮に補給を中断して出撃してきたとしても、搭載しているのは小口径のスチーム・カノン砲やスチーム・ガトリング程度である。

 

 この砲撃で沿岸砲台群を壊滅させた後に再び降伏勧告を行い、それを拒否した場合はテンプル騎士団海兵隊が上陸して、総督府と司令部を占拠することになっていた。

 

 広大なCICの中にある座席に座っていた乗組員の1人が、「同志、砲撃準備完了です」と告げる。その報告を聞いて首を縦に振ったブルシーロフ提督はちらりとヴィンスキー艦長の顔を見てからティーカップを拾い上げた。

 

「―――――――全艦、撃ち方始め」

 

「撃ちー方ー始め!」

 

 ヴィンスキー艦長の命令を乗組員が復唱した直後、先ほど乗組員たちを艦内に退避させた際に鳴り響いた警報とは音の違う警報が響き渡る。

 

 静かに消えようとしていたその警報の残響を蹂躙したのは―――――――全ての戦艦と巡洋艦の主砲が発した、荒々しい轟音であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「迎撃準備! 急げ!」

 

「砲弾装填!」

 

 大慌てでスチーム・カノン砲の砲口から高圧の蒸気と魔力が充填された徹甲弾を装填しながら、湾外にずらりと並んでいる敵の大艦隊を見つめる。すでに攻撃準備が整っているのか、砲塔は全てこちらへと向けられており、警報らしき音の残響がうっすらと聞こえてくる。

 

 テンプル騎士団が派遣した戦艦は、明らかにオルトバルカのクイーン・シャルロット級よりも巨大だった。何度か彼らの保有する艦が軍港の近くを通過したのを見たことがあるが、俺はその時に見た大型艦をテンプル騎士団の”戦艦”だと思っていた。

 

 しかし―――――――多分その艦は、テンプル騎士団の”駆逐艦”でしかなかったのだろう。

 

 それよりも巨大な超大型の戦艦と、巡洋艦がこちらに砲塔を向けているのだから。

 

 装填した徹甲弾であの巨大な戦艦の装甲を貫通できるのだろうか。というか、このスチーム・カノン砲は敵戦艦まで届くのだろうか。

 

 敵艦の砲塔からは、よく見ると4本も砲身が伸びているのが分かる。各国の新型の戦艦が採用している主砲ですら連装砲であり、大半の装甲艦や巡洋艦は単装砲を搭載しているというのに、テンプル騎士団艦隊の誇る戦艦たちは当たり前のように3連装砲や4連装砲を搭載しているのだ。

 

 しかも、明らかにこっちの沿岸砲台よりも大口径である。

 

 反撃するよりも逃げた方がいいのではないだろうか。

 

「大尉、ダメです! 敵艦は射程距離外です!」

 

「なんだと!?」

 

 このスチーム・カノンは、湾外の敵にも攻撃できるほどの射程距離がある。けれども敵艦隊はその射程外からこっちを砲撃しようとしているのである。

 

 もし艦隊が湾内に残っていてくれたのならば、すぐに出撃して迎撃してくれただろうか。そう思ったけれど、敵艦は当たり前のように3連装砲や4連装砲を搭載している大型艦ばかりだ。それに対し、こっちは連装砲を搭載した50m程度の戦艦や、それよりも小型の装甲艦ばかりである。

 

 多分、勝負にならないだろうな。

 

 副官と指揮官が話をしている間に、敵戦艦の主砲が火を噴いたのが見えた。太い砲身の先端部で爆炎が迸り、それを突き破った大型の砲弾が天空へと解き放たれる。けれどもその砲弾たちはすぐに高度を落として、大地に落下するだろう。

 

 その落下する場所がこの沿岸砲台群になるのは、想像に難くない。

 

「そっ―――――――総員退避ィィィィィィィィィィィッ!!」

 

 もっと早く退避させてくれ、と思いながら、自分が担当するスチーム・カノン砲から離れる。司令部の方へと向かって走り出した仲間たちを追いかけながら、全速力で突っ走る。

 

 信じられない話だけど、数時間前にこの軍港から出撃した艦隊と連絡が取れないらしい。もしかするとテンプル騎士団艦隊に遭遇して、あっという間に轟沈させられてしまったのではないだろうか。

 

 こっちの主力艦隊を無傷で打ち破った挙句、逆にこっちの本陣を叩き潰しに来たということなのか。

 

 化け物だ、あいつらは。

 

 未知の兵器を使い、敵兵たちを次々に蹂躙していく鋼の怪物たち。

 

 その怪物の餌食になるのは、このフランセン騎士団なのだ…………。

 

 もう一度敵艦隊を見ようと思った直後、後方に配備されていた沿岸砲台群たちが炎に包まれた。爆炎が重いスチーム・カノン砲を易々と吹っ飛ばし、崖の下へと突き落としてしまう。中には装填されていた砲弾や、砲弾の中に充填された魔力が誘爆して、敵の爆炎に手を貸してしまう砲台もあった。

 

 沿岸砲台が、どんどん爆炎で蹂躙されていく。

 

 自分が担当していた砲台も吹っ飛ばされたのを見た俺は、そのまま司令部へと向けて突っ走るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上陸用舟艇から軍港へと降りた兵士たちが、次々に総督府へと向けて突き進んでいく。黒と灰色の迷彩模様が施された軍服の肩の部分には、盾を角で貫くユニコーンのエンブレムが描かれたワッペンが付けられている。

 

 そのエンブレムは、”テンプル騎士団海兵隊”のエンブレムであった。

 

 ポーチの中にAK-15用のマガジンを収め、正式採用されているAK-15を装備した海兵隊の兵士たちが上陸用舟艇から降り、周囲を警戒しながら進撃していく。もちろん兵士たちの種族はバラバラであり、オークやダークエルフの兵士たちも隊列に混じっているのが分かる。

 

 フランセン共和国側は、沿岸砲台群が壊滅したにもかかわらず、テンプル騎士団側からの降伏勧告を受諾しなかった。そのためブルシーロフ提督は海兵隊を上陸させ、総督府を占拠する事を選んだのであった。

 

 上陸用舟艇から降りた指揮官が、腰に下げていた法螺貝を掴む。何故か身に着けている服と同じく黒と灰色の迷彩模様が施された法螺貝を加え、兵士たちに突撃命令を下す。

 

『ブオォォォォォォォォォォォォッ!!』

 

「「「「「Ураааааааааааааа!!」」」」」

 

「敵の指揮官を討ち取れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 テンプル騎士団の部隊の中でも、最も荒々しいと言われているテンプル騎士団海兵隊が、ついにフランセンの騎士たちに牙を剥いた。

 

 

 

 




※ジャック・ド・モレー級戦艦の艦名ですが、これは全て史実の方のテンプル騎士団団長の名前から取っています。


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偽物のストーリー

 

『私たちの勝利よ、タクヤ(ドラッヘ)

 

「よくやった。お疲れ様」

 

 耳に装着していた小型無線機からの報告を聞きながら、俺はニヤリと笑った。

 

 今回の相手はスチームライフルで武装した戦列歩兵や、スチーム・カノン砲を運用する砲兵たち。彼らの空軍は未だに飛竜たちが主役で、海軍は前弩級戦艦――――――とはいえ全長は50m程度だ―――――――や装甲艦が主役だという。もちろんレーダーは搭載していないし、対空用の装備も連射速度の遅いスチーム・ガトリング程度だ。飛竜は落とせるかもしれないが、射程距離が短いスチーム・ガトリングではミサイルや戦闘機の撃墜は不可能だろう。仮に当たったとしても7.62mm弾と同等の威力であるため、現代の戦闘機を撃ち落とすことはできない。

 

 第一次世界大戦や第二次世界大戦の頃の飛行機だったら撃墜できたかもしれないけどな。

 

 それに対して、こっちの陸軍はアサルトライフルを当たり前のように装備した歩兵たち。更に分厚い装甲と強力な戦車砲を兼ね備えた戦車部隊もいる。場合によっては重装備のスーパーハインドたちがロケット弾や機関砲をばら撒き、進撃する歩兵たちを支援することも可能だ。空軍には西側や東側の最新鋭の戦闘機が配備されているし、海軍には虎の子のアドミラル・クズネツォフ級空母やジャック・ド・モレー級戦艦が配備されている。

 

 春季攻勢で大損害を被ったとはいえ、こっちは軍拡の真っ只中なんだ。

 

 成長中なんだよ、こっちは。

 

 歩兵のライフルの射程と連射速度はスチームライフルを上回っているし、飛竜が空対空ミサイルを回避するのは不可能だ。敵の空軍や海軍は、こっちの戦闘機や空母の姿を見る前に全滅したに違いない。

 

 団長代理として指揮を執っていたクランからの報告を聞いた俺は、満足しながら目の前で冷や汗を拭いつつ唇を噛み締めている総督を見つめた。

 

 もしあのままテンプル騎士団に攻撃を仕掛けず、海上封鎖を実施してオルトバルカからの物資の輸入を阻止されていたら面倒なことになっていたに違いない。けれども彼らが痺れを切らして独断で攻撃を始めてくれたおかげで、こっちは表舞台で堂々と厄介な敵を叩き潰す事ができたのだ。

 

 ありがとう、総督。

 

「チェック・メイトです、総督」

 

「なんだと?」

 

 微笑みながらそう告げると、唇を噛み締めながらこっちを睨みつけていた総督が目を見開く。

 

 もう既に、結末に行きついた。本国に無断で他国を侵略し始めた侵略者たちを、テンプル騎士団が迎え撃って圧勝したという結末に。

 

「たった今、総督府が我々の海兵隊によって陥落させられたそうです。空軍も海軍も壊滅しています」

 

「ばっ、バカな…………!」

 

「ちなみにこっちの損害は0です。…………ああ、あなた方を倒すために使った弾薬や燃料くらいは”損失”と言えるかもしれませんが」

 

 クランの報告では、こちらの戦死者は当然ながら0名。負傷した団員もいないという。しかもたった一日で侵攻してきた部隊を血祭りに上げるだけでなく、敵に敵の本拠地にまで攻め込んで陥落させてしまったのだ。

 

 こんな短期間で終わった戦争は、かつて若き日の親父たちが経験した”第一次転生者戦争”くらいではないだろうか。確かあのファルリュー島での死闘も、たった一日で終わったという。

 

 歯を食いしばりながら、腰に下げているロングソードに手を伸ばす総督。俺も腰にロングソードを下げているし、上着の内ポケットの中には非常用に装備しているPSMも入っているけれど、その武器を使う必要はないだろう。

 

 いくら侵略してきた連中のリーダーが目の前にいるとはいえ、今は戦勝記念パレードの真っ只中だ。こんなところでこいつを消してしまったら、王室との関係に亀裂が入ってしまいかねない。

 

 このまま本国に送り返して裁いてもらいたいところだが、こういう男は絶対に再びテンプル騎士団に牙を剥くだろう。最悪の場合、フランセン騎士団を辞めて仲間を集めて武装勢力を結成する恐れもある。このような男の執念は予想以上に強烈だからな。

 

 それゆえに、こういう奴は消さなければならない。

 

 総督を見つめたまま、まるでこれから遊びに行く子供のように微笑み続ける。

 

「わ、我が騎士団が貴様らに負けるわけが…………!」

 

「――――――がっかりですよ、総督」

 

 少なくとも、設立したばかりの頃に攻撃を仕掛けてきたフランセンの指揮官よりも有能な男だとは思っていた。真っ向から戦うのではなく、こちらの組織を弱体化させようとしてきたのだから。

 

 けれども彼らの敗因は、結局以前と同じだった。フランセン騎士団の連中は、テンプル騎士団の戦力を見誤っている。

 

 彼らから見れば未知の武器や戦術を使う兵士たちに見えるかもしれないが、その未知の兵器と戦術は、戦争や紛争の中で成長していった合理的な武器と戦術なのである。

 

 更に、団員たちが奴隷だった人々で構成されているのだから、練度もそれほど高くないだろうと高を括ったのも敗因の1つだろう。確かにテンプル騎士団の錬度は低いが、少なくともフランセンの騎士たちよりははるかに高い。

 

 こっちの兵士たちは、第二次転生者戦争や春季攻勢で繰り広げられた死闘から生還した猛者たちなのだから。

 

「あなたはもう少し有能な方だと思っていましたが…………他の指揮官と同じ轍を踏んでしまいましたね。失望しました」

 

「なんだと…………?」

 

「我々の規模は、フランセン騎士団と比べると小さい。それに実戦を経験した回数も少ないかもしれません。ですが……………………こちらはね、”本当の殺し合い”を経験してるんですよ」

 

「―――――――!」

 

 少しばかり威圧感と殺気を発しながら、そう告げた。

 

 各国の騎士団の任務の大半は、魔物の掃討や盗賊団の討伐などだ。麻薬カルテルの討伐などを行う可能性もあるが、大規模な麻薬カルテルは騎士団の上層部ともパイプを持っていることは珍しくないため、騎士団の餌食になるのは小規模な麻薬カルテルばかりだという。

 

 フランセンの連中も、そのような戦いばかり経験しているのだろう。スチームライフルを放つだけで終わるような、簡単な戦いを。

 

 敵は旧式の飛び道具しか持たない盗賊や、知能の低い魔物ばかりだ。そんな戦いを何度経験しても錬度が上がるわけがない。

 

 けれどもこっちの兵士たちは、本当の殺し合いを経験している。

 

 人類同士の殺し合い。

 

 塹壕の中での殺し合い。

 

 血や内臓の混じった泥の中でスコップや銃床で敵を殴りつける白兵戦を、こっちは何度も経験しているのだ。確かに実戦経験の数は少ないかもしれないが、格下の相手を蹂躙するだけの戦いをずっと経験している連中よりは練度は高くなるだろう。

 

格下(雑魚)ばかり相手にしているような連中で勝てるわけがないでしょう?」

 

「貴様ぁ………………!」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れてしまったらしく、総督が腰の鞘の中からロングソードを引き抜いた。柄の後端や鍔の部分に黄金の装飾がついている派手な剣だ。やっぱり指揮官や貴族出身の連中は、このような派手な武器を好むらしい。

 

 でも、こういう式典の時は派手な得物の方がいいかもしれない。テンプル騎士団のロングソードは実用性や信頼性を追求した代物だから、あのような派手さとは無縁なのだ。

 

 相手が剣を引き抜いたというのに、ニヤニヤ笑いながらそんな考察をする。

 

 ここは貴族たちの屋敷と屋敷の間にある、随分と豪華な路地裏だ。装飾のついた派手な高い塀が両脇に屹立しているから、その上から身を乗り出さない限り、ここで少女のような容姿の少年が総督に襲われそうになっているのを目撃することはないだろう。

 

 第一、ここに足を踏み入れる人間もいない筈だ。死体が発見される頃には、その死体は腐っているに違いない。

 

 だからここで総督を消してもバレないとは思うのだが、死体が発見された際に明らかに”殺された”ような状態では、テンプル騎士団が殺したのではないかと疑われるのは想像に難くない。テンプル騎士団の弱体化やカルガニスタンからの追放を目論んだこの男は、テンプル騎士団からすればとっとと消えて欲しい”敵”でしかないからだ。

 

 派手なロングソードを引き抜いた総督が、じりじりとこっちに近づいてくる。俺は微動だにしないどころか得物にすら手を伸ばさず、激昂した総督をニヤニヤしながら見つめていた。

 

 ちょっと挑発し過ぎたかなと思ったけれど―――――――シナリオ通りだ。

 

 あんたは自分の手で剣を抜いたのだ。

 

 兵力を派遣して侵略を始めた事だけでなく、自分の最期まで俺のシナリオ通りになりつつあることを確認して嗤いながら、俺は最強の暗殺者(アサシン)の名を呼んだ。

 

「―――――――ノエル」

 

 彼女の名を告げると同時に、黒い服に身を包んだ黒髪の少女が、近くの屋敷の屋根の上から路地裏の地面を埋め尽くす灰色のレンガの上に降り立った。それなりに高い場所から飛び降りたにもかかわらずほどんど足音がしなかったせいなのか、すぐ後ろに彼女が着地したというのに、総督は自分の背後にいる暗殺者(アサシン)に気付いていない。

 

 一体どうやって足音を消したのだろうか。

 

 ノエルはまだ実戦経験が少ないものの、キメラとなってからは暗殺を得意とする両親から暗殺に特化した訓練を受けており、すでに何名も転生者の暗殺に成功している。本来ならばスペツナズの一員になっていてもおかしくない逸材なんだが、シュタージの指揮を執るクランがスペツナズからのスカウトを断り続けているらしく、実質的にノエルはシュタージの切り札として機能している。

 

 両親から受け継いだ才能と、短期間とはいえ濃密な訓練で開花した彼女自身の才能が融合したことにより、最強の暗殺者(アサシン)となったのだ。

 

 それゆえに、総督が背後の暗殺者(アサシン)に気付いたのは、黒い制服に身を包んだノエルが華奢で白い手を伸ばし、総督の背中に触れた瞬間だった。

 

「なっ―――――――」

 

「―――――――さようなら」

 

「な、なんだ貴様は―――――――」

 

 小柄で幼い少女が総督の背中に触れ、幼い声で残酷に告げる。

 

 彼女が告げたのは、単なる別れなどではない。数秒後には二度と会う事ができなくなる標的へと告げる、これ以上ないほど冷酷な言葉だった。

 

 総督が目を見開くと同時に、ロングソードの柄を握っていた彼の両手が痙攣を始める。脳が発する命令を拒もうとしているかのようにぶるぶると震え始めたかと思うと、まるで剣を握る彼の両手が彼自身を憎んでいるかのように、殺意と剣の切っ先を180度回転させてしまったのだ。

 

「!?」

 

 ノエルは、その気になれば俺や親父も殺す事ができるだろう。

 

 触れたまま命令した標的を強制的に自殺させる事ができる、”自殺命令(アポトーシス)”という強力なキメラ・アビリティがあるのだから。

 

 このキメラ・アビリティが発動すると、命令された標的は必ず自殺する羽目になる。自殺するために必要な凶器を身に着けていない場合でも、近くに置いてあるボロボロの縄を使って首を吊ったり、近くにある河に飛び込んで溺死してしまうのだ。

 

 吸血鬼のように再生する事ができる標的でも、”自分が確実に死ねる方法”を自力で探して実行するため、再生能力は意味がない。要するに、吸血鬼の場合は自分で銀のナイフを探し出し、それを自分の心臓に突き立てて自殺してしまうのである。

 

 触れて命令するだけで確実に標的が死ぬ上に、自分の手を汚さずに済むという利点がある。自分が殺したのではなく、標的が勝手に自殺してしまったということにしてしまえるのだ。

 

 こうすれば、俺たちが総督を消す必要はない。”独断で侵略を始めた総督が、失脚と本国での懲罰を恐れて自殺した”というストーリーを彼に押し付けて殺す事ができるのである。

 

 こういう殺し方ができるからこそ、ノエルはシュタージにいるべきなのかもしれない。

 

「な、何だこれは…………! かっ、か、身体が…………!?」

 

「さようなら、総督」

 

 ロングソードの切っ先が制服に当たり、少しずつめり込んでいく。あの制服が切っ先によって突き破られ、自分の内臓を串刺しにする羽目になるのは時間の問題だろう。

 

 俺たちへの敵意や殺意で埋め尽くされていた総督の眼が、少しずつ恐怖で埋め尽くされていく。歯を食いしばって両腕を止めようとする哀れな総督の顔を覗き込みながら、俺は嗤った。

 

 これでテンプル騎士団を弱体化させようとする敵はいなくなる。それに本国を糾弾すれば、上手くいけばカルガニスタン全土を手に入れることもできるだろう。

 

 この男は、そのための生贄だ。

 

 都合のいいストーリーと一緒に死んでくれ、総督。

 

 そう思いながら総督の顔を覗き込んでいると、総督は俺の顔を見上げながら言った。

 

「―――――――悪魔め」

 

 その言葉が、総督の最後の反撃だった。

 

 服を突き破ったロングソードの切っ先が皮膚と腹筋を易々と貫き、背骨のすぐ脇を通過して背中の皮膚を突き破る。血まみれになった切っ先があらわになると同時に鮮血が吹き上がり、地面を埋め尽くしている灰色のレンガたちを真っ赤に染めていった。

 

 口や鼻から血を流しながらゆっくりと崩れ落ちる総督。一旦仰向けに倒れた総督は、背中から突き出ている切っ先がレンガに激突する甲高い音を奏でてから横向きに倒れ、レンガたちを自分自身の鮮血で侵食し始めた。

 

 返り血を浴びる前に後ろに下がっていた俺は、この黒い服に返り血が付着していないことを確認してから、嗤うのを止めた。

 

 能力を使って女装し、少女の姿になって衛兵に「死体を見つけた」と通報するべきだろうかと思ったけれど、そんなことをしたらせっかくの戦勝記念パレードが台無しになってしまう。総督には悪いけれど、死体を見つけてもらえるまでこの路地裏で眠っていてもらおう。

 

「お疲れ様、ノエル」

 

「どういたしまして」

 

 俺とは違ってほんの少し返り血を浴びているらしく、ノエルの顔には赤い血が付着していた。拭い去ってあげようと思って彼女に手を伸ばしたけれど、ノエルはそれよりも先に懐からハンカチを取り出すと、顔についている血を自分で拭い去ってから微笑む。

 

「お兄ちゃん、私はもう子供じゃないんだよ?」

 

「はははっ。でも20歳になるまでは子供だよ」

 

「うぅ…………で、でも、お兄ちゃんだって子供じゃん!」

 

「あと2年で大人ですけどねー」

 

 けれども、ノエルは本当に頼もしくなった。

 

 そう思いながら、「それじゃ、私は戻るね」と言って路地裏を去っていくノエルを見送った俺は、踵を返して死体が転がっている路地裏を後にするのだった。

 

 

 



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解放

 

 

 その出来事は、先進国だけでなく発展途上国の新聞にも掲載された。

 

 カルガニスタンの土地の一部をフランセン共和国から買い取ったテンプル騎士団の領土に、カルガニスタンに派遣されていた総督が、本国に無断で総攻撃をかけたのである。

 

 フランセン共和国は、オルトバルカ王国ほどではないとはいえ、積極的にオルトバルカ王国から最新型の装備を購入し、軍拡を進めていた列強国の1つである。その騎士団が、規模がそれなりに大きいとはいえ正規軍よりもはるかに規模の小さなテンプル騎士団へと総攻撃を仕掛け―――――――陸軍、海軍、空軍をあっさりと壊滅させられてしまったのだ。

 

 その記事を目にした若い将校たちは、列強国の騎士団が小規模なギルドに負ける筈がないと決めつけて笑い飛ばしたが、既に退役していた将校や退役直前の将校たちは、その記事が本当であるということを確信していた。

 

 彼らは、かつて未知の兵器を使ってこの世界で猛威を振るった、最強の傭兵ギルドの事を知っていたのである。

 

 たった2人で無数の魔物の群れを蹴散らすだけでなく、ヴリシア帝国で復活した伝説の吸血鬼であるレリエル・クロフォードを、たった10人足らずの傭兵たちだけで撃退することに成功しているのだ。

 

 その最強の傭兵ギルドのリーダーの子供たちが、フランセン騎士団を瞬殺したテンプル騎士団を率いているのである。

 

 だからこそ、モリガンの傭兵たちを知っている将校たちは信じた。

 

 あのモリガンの傭兵の子供たちならば、フランセン騎士団を瞬殺してもおかしくはないと。

 

 その戦いで、フランセン共和国が植民地に派遣していた部隊は大損害を被っていた。

 

 最新式のスチームライフルを装備した戦列歩兵たちは、塹壕に配備された歩兵たちの掃射で次々に蜂の巣にされ、虎の子の飛竜に跨った操縦士とライフルマンたちは、射程距離外から飛来した高性能な空対空ミサイルを回避する事ができずに、次々に木っ端微塵にされていった。軍港から出撃した戦艦や装甲艦たちも射程外から飛来した対艦ミサイルで次々に轟沈しており、ウィルバー海峡で海の藻屑と化す羽目になった。

 

 しかも、テンプル騎士団が派遣した大型の戦艦で構成された主力艦隊による容赦のない艦砲射撃で沿岸砲台群を壊滅させられた上に、艦隊に同行していた強襲揚陸艦から上陸した海兵隊によって、植民地の本拠地ともいえる総督府をあっさりと占拠されてしまったのである。

 

 総督が総攻撃を命じてから1日足らずで、その戦争は終わったのだ。

 

 それゆえに、ベテランの将校たちは確信した。

 

 テンプル騎士団はモリガンと同系列の兵器を使う、”モリガンの再来”とも言える強力な組織なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交渉している相手に威圧感を与えるコツは、適度に微笑む事だと思う。

 

 微笑んでれば相手にこっちの余裕をアピールできるし、こっちの威圧感に侵食されている相手を見守るのは気分がいい。

 

 テーブルの向こうでこちらが渡した書類を見下ろし、先ほどから何度も派手な刺繍で彩られた高級そうなハンカチで何度も冷や汗を拭いている中年の将校を微笑みながら見つめる。俺と一緒にこの交渉に参加してくれたラウラが部屋に入った時は、子供と交渉するのだから簡単だろう、と高を括っていたのか、あの資料を見るまではあんなに冷や汗をかいていなかった。

 

 どうやら俺の持論は正しかったらしいな。よし、これからも交渉の時は微笑むようにしよう。

 

 白と黄色で彩られたフランセン共和国騎士団の制服に身を包んだ中年の将校の腹は、少しばかり膨らんでいて、袖の中にある腕もやけに太い。もちろん訓練で鍛え上げたことで筋肉がついているわけではなく、ただ単に脂肪で覆われているだけのようだ。この将校は最前線での戦闘を経験したことはあるのだろうか。

 

 交渉の相手が冷や汗を拭いながら動揺していることを確認し、テーブルの上に用意してもらったカップへと手を伸ばす。フランセンでは紅茶よりもコーヒーの方が人気と言われており、喫茶店の中には紅茶を用意していない店もあるという。

 

 個人的には紅茶の方が好きなんだけど、さすがに紅茶を出せと言うのは失礼過ぎる。

 

「む、ムッシュ・ハヤカワ」

 

「なんでしょう?」

 

 冷や汗を拭い去った将校が、動揺しながら俺を呼んだ。

 

「ば、賠償金だけではダメでしょうか」

 

 賠償金だけか?

 

 動揺している中年の将校の提案を聞きながら、目を細める。

 

「いえいえ、賠償金は支払わなくて結構ですよ」

 

 笑顔を浮かべたまま無慈悲に提案を断り、もう一度カップへと手を伸ばす。

 

 隣に座っているラウラは、当たり前だけどいつもの子供っぽいお姉ちゃんではなく、冷静で大人びている方のお姉ちゃんになっている。けれどもやっぱり味覚は変わっていないらしく、先ほどからテーブルにある角砂糖の入った容器の中から角砂糖を拾い上げ、これでもかというほど自分のカップの中へと投下している。

 

 実は、ラウラは苦いものがあまり好きではないのだ。

 

 だから紅茶を飲むときは甘いナタリア特製のジャムをこれでもかというほど入れるし、コーヒーにも容赦なく角砂糖の飽和攻撃を敢行する。それほど砂糖やジャムを入れて毎日紅茶を入れているのだから太るんじゃないかと思ってしまうけれど、相変わらずラウラのスタイルは良いままだ。

 

 多分、普段経験している過酷な訓練や実戦でちゃんとカロリーを消費しているからなんだろう。

 

 彼女のすらりとした身体をちらりと見てから、ブラックコーヒーを飲み込む。

 

「我々はカルガニスタン全土をこちらに明け渡していただきたいだけなのですよ」

 

「しっ、しかし、カルガニスタンは我が国に資源を供給している貴重な植民地で…………」

 

 そう、俺たちの要求は賠償金などではなく、カルガニスタン全土をテンプル騎士団に明け渡してもらうことだ。

 

 賠償金を支払ってもらうのも魅力的な提案である。当たり前だけど、敗戦国が戦勝国に支払う賠償金の金額は、傭兵ギルドや冒険者ギルドが手に入れることのできる報酬の金額の比ではない。

 

 しかもテンプル騎士団は毎日のように奴隷たちを保護しており、希望者にはしっかりと人権と役割を与えて市民として受け入れている。

 

 当然ながら最前線で戦っている兵士たちや、食料を作ってくれている農民たちにも”給料”を支払わなければならない。だが、受け入れている奴隷の数はどんどん増えているし、場合によっては盗賊団や魔物の襲撃で故郷の村を壊滅させられた難民たちがタンプル搭を訪れることもあるから、組織のために貢献してくれている彼らのために支払わなければならない金額の量はどんどん増えている。

 

 けれども―――――――俺たちが運用している兵器は、12時間経過すれば弾薬が勝手に補充されたり、自動的にメンテナンスが実施されて最善の状態にしてもらえるため、応急処置が必要な場合を除けば、極端だけどメンテナンスをする必要などないのだ。

 

 もちろん戦車や戦艦に必要な燃料も48時間後に補充されるので、燃料を用意する必要は殆どない。

 

 団員や市民が急激に増え続けているけれど、兵士たちには冒険者の資格の取得を義務付けているし、海兵隊には訓練も兼ねて傭兵として戦ってもらっているため、彼らが手に入れた報酬のうちの2割を組織の運営資金として納めてもらえればテンプル騎士団という組織は十分に運営できる。

 

 だから、はっきり言うと賠償金は払ってもらってもあまり意味はない。

 

 それよりも俺たちはカルガニスタンの大地を欲しているのだ。

 

 かつてフランセン共和国が先住民たちから奪った、灰色の砂漠で覆われた土地を。

 

「確かに、あの国はあなた方にとっては貴重な植民地だ。大規模な鉱脈から採掘できる多彩な鉱石は、フランセン共和国の工業にとってはまさに生命線…………。絶対に手放すことのできない存在と言っても過言ではないでしょう」

 

 同情するかのように、優しい口調でそう言う。テーブルの向こうにいる将校たちや彼らの護衛の騎士たちは、こっちが植民地を手に入れることを諦めたと思ったのか、少しずつ落ち着き始めている。

 

 けれども―――――――悪いけれど、俺は残酷な男なんだ。

 

 その残酷さをあらわにしないように細心の注意を払いながら、彼らの”生命線”を立つことにした。

 

「でも―――――――我らは戦争に勝利した”戦勝国”で、あなた方は戦争に敗北した”敗戦国”だ。戦勝国は敗戦国から賠償金や土地を貰い受ける権利がある。分かりますよね?」

 

 同情するかのような言葉の陰から飛び出した残酷さの刃が、安心し始めていた彼らの心を抉り取る。

 

 一斉にぎょっとした将校たちを微笑みながら見つめ、俺は言った。

 

「今回の”戦争”の原因は植民地を統治する総督ですが…………残念なことに、彼は責任を果たさずに自殺してしまった」

 

「…………!」

 

 総督があの路地裏で”自殺”したことで、自殺した原因は、本国に独断で独立国となったテンプル騎士団に戦争を仕掛け、惨敗して多大な損害を被ってしまったことを本国で裁かれるのを恐れたからということになっている。

 

 悪いけれど、あの総督の”死”も利用させてもらう。

 

 あのような殺し方もできるのだから、ノエルの能力は本当に便利だ。彼女が受け継いだ暗殺の技術が目立っているかもしれないが、今回のように標的を自殺に見せかけて消す事ができるのである。彼女をスペツナズへと譲らずに、諜報部隊(シュタージ)の”矛”として残しておいたのは正解だな。

 

「総督を制止できなかった本国(あなた方)にも、責任があるのですよ?」

 

「…………ッ!」

 

 カルガニスタンで採掘できる豊富な資源は、まさにフランセン共和国の工業の”生命線”と言ってもいい。他にもフランセンの植民地はあるものの、多彩な種類の鉱石が採掘できるのはカルガニスタンだけだ。それに広大なカルガニスタンには無数のダンジョンや危険な魔物が生息している地域があるため、ダンジョン調査の報酬や魔物の素材を売却すれば、かなりの金額になるだろう。

 

 そこを手放せば国家の発展どころか、最悪の場合は国家の弱体化につながりかねない。

 

 けれども俺たちは、彼らから容赦なくその生命線を奪うつもりだ。

 

 彼らが手に入れたその生命線は―――――――カルガニスタンの先住民たちを虐げて奪った土地なのだから。

 

 あの土地は、先住民たちに返さなければならない。

 

 もし仮に今回の戦闘が他国に知られていなかったら、彼らはカルガニスタンを死守するために、強引に賠償金を支払って済ませるつもりだったのは想像に難くない。しかし、”どういうわけか”フランセンの総督が無断で独立国に侵攻したという情報が先進国や発展途上国に流出してしまっており、誰かが撮影した白黒の写真と共に各国の新聞に掲載されてしまっているのである。

 

 …………一体誰がそんな事をしたのだろうか。

 

 しかも本国で裁かれることを恐れた総督が自殺してしまっているのである。

 

 つまりフランセンは、周辺諸国から「しっかり責任をとれよ」と圧力をかけられている状態だ。責任を取らなければ周辺諸国や列強国に非難される上に、最悪の場合は同盟国と同盟関係を破棄され、孤立する羽目になってしまう。

 

 だからこそ彼らは、強引にテンプル騎士団に賠償金を支払う事ができない。

 

 生命線を差し出すしかないのだ。

 

 よくやったよ、シュタージ。

 

 そういう事は想定していなかったんだが、戦闘の最中にも舞台裏から相手を追い詰める準備を進めていたクランに感謝しつつ、俺はその材料を使ってフランセンの将校たちをどんどん追い詰めていく。

 

「総督が勝手に侵攻したせいで、こちらの市民や兵士たちを脅かしたのです。責任を取っていただかなければなりませんよ」

 

「し、しかし…………ッ!」

 

 もっと追い詰めるべきだろうか。

 

 そう思っていると、隣で角砂糖の飽和攻撃を叩き込まれたコーヒーを飲み終えたラウラが、カルガニスタンを手放さないように抵抗を続ける将校たちを容赦なく追い詰める。

 

「―――――――正規軍ではなくギルドに惨敗したという大恥をかいた挙句、そのギルドに強引に賠償金を押し付けるという恥をかくおつもりですか?」

 

「「「ッ!」」」

 

 む、昔のエリスさんを思い出した…………。

 

 22年前のネイリンゲンにタイムスリップした時に会ったエリスさんもこんな感じだったよな…………。今ではかなり明るいお母さんだけれど、親父たちに出会う前はかなり冷酷な女性だったんだ。

 

 ラウラはエリスさんの冷たさまでちゃんと受け継いでいるらしい。

 

 よし、そろそろ止めを刺そう。

 

「―――――――しっかりと責任を取っていただきますよ、皆さん。あなた方は”敗戦国”なのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ…………!」

 

 鉄鉱石を積んだ荷台のロープを引っ張り、重い荷台を坑道の外へと運んで行く。坑道の外にあるスペースにその荷台を置いてから薄汚れた布をポケットから取り出し、砕けた鉱石の破片が混じった汗を拭い去る。

 

 俺たちの本職はここで鉱石を採掘する事じゃない。村で畑を耕していた奴もいるし、家族と一緒に家畜を育てていた奴もいる。

 

 俺も、フランセンの連中にこんな薄暗い鉱山に連れて来られる前は故郷の村で家畜の面倒を見ていた。村にいる鍛冶職人が作ってくれた鉄製の剣を腰に下げて、家畜を狙ってくる魔物を撃退するのが俺の仕事だったんだ。

 

 けれどもフランセンの騎士たちが村にやってきて、村にいた男性たちはほぼ全員この鉱山に連れて来られた。中には逆らった奴もいたけれど、騎士たちに逆らった奴は財産を没収された挙句、家族を商人たちに奴隷として売られてしまった。

 

 このカルガニスタンを占領したフランセンの連中は、俺たちを奴隷だと思っていやがるんだ。

 

 村は無事だろうか? ここにやってくる直前に妻のお腹は膨らんでいたから、多分俺が家に戻る頃にはもう子供が生まれている事だろう。今は何歳になっているのだろうか。

 

 妻と生まれている筈の息子の事を考えながら、もう一度坑道の中へと戻る。まだ鉄鉱石を積み込んだ荷台が3台もあるから、坑道が崩落しませんようにと祈りながらそれを全部引っ張り出さなければならない。

 

「ん?」

 

 坑道に戻ろうとしたその時、鉱山の入口の方から誰かが入ってきたのが見えた。スチームライフルらしき武器を背中に背負っていたから、フランセンの連中が俺たちの監視にやってきたのだろうと思ったんだが、よく見るとフランセン騎士団とは制服のデザインが全く違う。

 

 フランセンの連中は白と黄色の制服を身に着けているんだが、鉱山に入ってきたその3名の兵士たちは黒と灰色の奇妙な模様で彩られた制服に身を包み、真っ黒なヘルメットをかぶっていたんだ。

 

 しかもその兵士たちの種族はバラバラだった。

 

 フランセン騎士団の騎士たちは基本的に人間ばかりだ。中には奴隷だけで構成された奴隷部隊も存在するらしいけれど、その部隊に最新式のスチームライフルが支給されることはない。飛び道具が段々と主役になりつつあるにもかかわらず、彼らに支給されるのは産業革命以前の剣や弓矢ばかりなのである。

 

 だというのに、その兵士たちが背負っているのはスチームライフルと思われる飛び道具なのだ。

 

「こんにちは」

 

「誰だ、あんたら」

 

 よく見ると、今声をかけてきた兵士がかぶっているヘルメットの下からは長い耳と少しばかり浅黒い肌が覗いているのが分かる。

 

 同胞(ハーフエルフ)か?

 

「我々はテンプル騎士団だ」

 

「テンプル騎士団…………?」

 

 フランセンの連中から土地を買い取ったギルドだ。各地で奴隷を救出して市民として受け入れているらしく、受け入れた市民にはちゃんと人権や仕事を与えてくれるという。しかも賃金も高いらしい。

 

「何しに来たんだ? ここはフランセンの連中が保有している鉱山だぜ? 揉め事になる前に帰りな」

 

「安心してくれ。もうフランセンの連中はここに来ない」

 

「なに?」

 

 どういうことだ?

 

「―――――――先ほど、フランセンの議会がカルガニスタンをテンプル騎士団に明け渡すことを宣言した」

 

「はっ、ということは今日からあんたらが俺たち(奴隷)のご主人様ってわけか」

 

「いや、君たちはもう奴隷ではない」

 

「は?」

 

 奇妙な格好をしたハーフエルフの兵士は微笑みながらそう言うと、隣に立っている女性の兵士―――――――多分こっちの兵士は肌が白いからエルフだろう―――――――に目配せすると、彼女が持っていた紙を広げ、俺に見せてくれた。

 

 だが、残念ながら俺は読み書きを教わっていなかったので何と書いてあるのかは読めない。俺が文字を読めていないことを理解したのか、その兵士はわざわざその書類に書いてある文字を読んでくれた。

 

「『テンプル騎士団はカルガニスタンの独立を承認する』。…………つまり、もうこの国は植民地じゃない。諸君らの国である」

 

「え?」

 

 右手を伸ばし、俺の薄汚れた右手を握る兵士。困惑しながらその隣にいる兵士を見ると、その2人も微笑みながら頷く。

 

「―――――――今までよく耐えてくれた。けれども、今日からはもう自由だ」

 

「え―――――――」

 

 自由…………?

 

 じゃあ、また故郷の村に戻ることができるのか?

 

 妻と一緒に、子供を育てる事ができるのか?

 

「あ…………あぁ……………………!」

 

 無意識のうちに溢れ出す涙を左手で拭い去りながら、妻たちの事を思い出す。きっと妻は俺が戻ったら喜んでくれる筈だ。生まれている筈の子供は俺に会ったことがないから困惑するかもしれないけれど、一緒に遊んだら喜んでくれるに違いない。

 

 また平穏な生活ができるのか…………!

 

「それに、要望があれば我々が対処する。奴隷として売られた住人たちは他の部隊が全力で捜索中だから安心してくれ」

 

「あ、あ…………ありがとう……………!」

 

「ほら、他の仲間にも知らせるんだ」

 

「あ、ああ!」

 

 やったぞ……………!

 

 もうこんな過酷な仕事をしなくていいんだ!

 

 俺たちは―――――――自由になったんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、カルガニスタンはテンプル騎士団の宣言によって独立する事となった。

 

 豊富な資源が採掘できるカルガニスタンという生命線を失ったフランセン共和国は、周辺諸国との戦争で資源を消費し、急激に衰退していくことになる。最終的にフランセン共和国はタクヤたちの孫の代に崩壊し、『ヴリシア・フランセン二重帝国』という新たな列強国が産声を上げることになるのだ。

 

 テンプル騎士団との戦闘と植民地の喪失が、二重帝国が誕生するきっかけとなったのである。

 

 そしてフランセンから独立することに成功したカルガニスタンも、やがて『アスマン帝国』という大国に生まれ変わり、タクヤたちの子孫の時代に勃発することになる”世界大戦”で、オルトバルカ王国の敵として立ちはだかることになるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 器用すぎ

 

ラウラ「ふにゅ? カノンちゃん、どうしたの?」

 

カノン「あ、お姉様。ちょっと髪が伸びてきたので切りたいのですが…………」

 

ラウラ「ふにゅー………」

 

カノン「そういえばお姉様はどこで髪を切っていますの?」

 

ラウラ「タクヤだよ?」

 

カノン「えっ?」

 

ラウラ「8歳くらいの時からずっとタクヤが髪を切ってくれるの♪」

 

カノン(き、器用すぎですわお兄様…………)

 

 完

 

 

 



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条件

 

 ゆっくりと、首筋から真っ赤に染まった犬歯が引き抜かれていく感覚を感じながら、小さなランタンに照らされている天井を見上げる。出来るならば汗を拭い去りたいんだけど、身体に全く力が入らないせいで両手を動かす事ができない。

 

 呼吸を整えつつ、身体に力が入るのを待つ。

 

 今しがた俺の身体から血を吸っていった張本人は、呼吸を整えている俺の身体の上に跨ってうっとりしながら、こっちを見下ろしている。血液を補充できるブラッドエリクサーを服用すればすぐに力が入る筈なんだけど、彼女がその便利な回復アイテムを渡してくれる気配は全くない。むしろ動けなくなっている俺の上に跨って束縛する事を楽しんでいるのではないだろうか。

 

「はぁっ、はぁっ…………」

 

「ダメだよラウラ、今日は吸い過ぎだよ?」

 

「む、難しいわね…………」

 

 うっとりしたまま跨っている彼女を咎めるのは、血を吸っている彼女を見守っていた吸血鬼の先輩だ。

 

 ラウラは吸血鬼の細胞を移植したことで再生能力を獲得する事ができたんだけど、吸血鬼のように血を吸わなければならなくなってしまったのである。種族は一応キメラということになっているんだけど、血を吸う上に再生能力まで持っているので、吸血鬼に勘違いされてしまうこともあるかもしれない。

 

 口元に付着していた血を人間よりも少し長い舌で舐め取ったラウラは、先ほど鋭い犬歯を突き立てた傷口に白い指で触れながら首を傾げた。

 

 どうやら血の吸い方にもコツがあるらしい。

 

「いい? 思い切り吸えばお腹いっぱいになるけど、相手も死んじゃう可能性があるんだよ?」

 

「そ、それは嫌よ…………!」

 

「でしょ? だから相手が死なないように吸う量は調整すること」

 

「わ、分かったわ」

 

 イリナ先生にアドバイスを受けたラウラは、頷きながらブラッドエリクサーの容器へと手を伸ばした。俺の身体の上から降りつつその容器をイリナに手渡した彼女は、隣に横になりながら顔を近づけ、首筋に開いている傷口をぺろぺろと舐め始める。

 

 く、くすぐったいんですけど。

 

 傷口からまだ流れている血を舐め取り、血が止まるまで舐め続けるラウラ。もう血が出なくなったのを確認した彼女は、今度は首筋を甘噛みし始める。

 

 その間にブラッドエリクサーの蓋を開けたイリナから容器を受け取り、それを口へと運んだ。何とか力が入るようになったけれどまだ痙攣しているから、落とさないように細心の注意を払う必要がありそうだ。エリクサーの容器は脆いからな。

 

 エリクサーは便利な回復アイテムなんだけど、それを入れている容器がかなり脆いので戦闘中に割れてしまうのは少なくない。出来るならば頑丈な容器にしてほしいものである。試験官みたいなガラス製の容器じゃなくて、金属製の水筒みたいな容器にすれば割れずに済むのではないだろうか。

 

 そんなことを考えながら、鮮血のように真っ赤な液体を口の中へと放り込む。

 

 ブラッドエリクサーはあくまでも血液を補充するためのエリクサーだ。ヒーリングエリクサーは傷口を瞬時に塞ぐ便利なエリクサーなんだけど、出血した分の血液まで補充してくれるわけではないため、大量に出血してしまった場合はブラッドエリクサーとセットで服用するのが望ましい。

 

 ちなみに、毒の除去や石化の解除に使える”ホーリーエリクサー”というエリクサーも存在する。

 

 身体に少しずつ力が入るようになったのを確認しつつ、起き上がろうとする。けれども俺が身体を起こす前に今度はイリナが俺の上に跨っていて、白い手で両手を押さえつけながらのしかかってきやがった。

 

「いっ、イリナ?」

 

「ラウラ、今度は僕がお手本見せてあげるね♪」

 

「うん、お願い♪」

 

 お、お手本?

 

 まさか血を吸うつもりなのかと思いながら彼女の顔を見上げると、真っ赤な唇の隙間からは少しばかりよだれが溢れ出ていた。

 

 そういえば、まだ朝ご飯を食べてなかったからな。お腹が空いてるんだろう。

 

 ぺろりと長い舌で自分の口元を舐め回すイリナ。深紅の瞳でこっちを見下ろしながら顔を近づけ、そのまま思い切り鋭い犬歯を首筋へと突き立てた。

 

 彼女は血を吸い過ぎないように調節してくれるんだけど、噛みつくときはこのように思い切り噛みついてくるので結構痛い。ヒーリングエリクサーが必要になるほどの傷がつくわけじゃないんだけど、彼らの犬歯は人間よりもはるかに発達しているため、非常に鋭いのだ。

 

「うっ」

 

「んっ…………ん…………!」

 

「ふにゃあー…………」

 

 ブラッドエリクサーで補充されたばかりの血液が、早くも吸血鬼の少女によって吸い取られていく。再び身体から力が抜けていく感覚を感じながら、そろそろ吸うのを止めるかな、と彼女が犬歯を引き抜くタイミングを予想する。

 

 ラウラは思い切り血を吸ってからすぐに飲み込んでいたけど、イリナは少しずつ吸うので、ラウラに吸われている時と比べると力が抜けてしまうのには時間がかかった。

 

 やがて、イリナがゆっくりと犬歯を首筋から引き抜く。傷口から溢れ出ている鮮血を長い舌でちゃんと舐め取り、血が止まるまで舐め続けていたイリナは、うっとりしながら顔を離した。

 

「ふふふっ…………こんな感じだよ、ラウラ」

 

「ふにゅー…………どうしても吸い過ぎちゃうんだよね」

 

「僕も最初はそうだったよ。でもゆっくり吸った方が、血を吸われてる時のタクヤの顔をもっと見てられるよ?

 

 …………なに?

 

「あ、そっか! えへへへっ、血を吸われてる時のタクヤの顔ってとっても可愛いよね♪」

 

「うん! もう襲いたくなっちゃうよ♪」

 

 ま、待って。どういうこと?

 

 俺って血を吸われてる時にどんな顔してるの?

 

 ニコニコと笑いながら尻尾で俺の頭を撫でつつ、用意していた2本目のブラッドエリクサーを渡してくれるラウラ。とりあえず、これで2人の朝ご飯は終わりだ。鏡で首筋の傷をチェックしてから朝食の準備をして、朝の訓練に行かなければ。

 

 汗もかいちゃったし、余裕があったらシャワーでも浴びようかな。でも訓練でどうせ汗をかくんだし、そのまま行ってもいいかもしれない。

 

 予定を立てながら置き始めたけれど、起き上がろうとする俺の身体をイリナとラウラが同時に掴み、そのままベッドの上に押し倒してしまう。再び枕に後頭部を振り下ろす羽目になった俺は、目を見開きながら2人の顔を見た。

 

 ん? 今ので終わりでしょ?

 

「逃げちゃダメだよ、タクヤっ♪」

 

「ふふふふっ、まだお腹いっぱいじゃないよ♪」

 

「え?」

 

 ま、まさか、おかわり? 

 

 さっきのエリクサーは回復のためじゃなくて、おかわりのためのエリクサーだったの?

 

 よく見るとイリナがベッド代わりに使っている棺の隣には、タンプル搭の中にある売店から購入してきたのか、試験管にも似たガラスの容器に入ったブラッドエリクサーたちがぎっしりと詰め込まれた箱が鎮座している。あんなにブラッドエリクサーがあるのならば、彼女たちは血を吸い放題だろう。

 

「じゃあ、今度は一緒に吸おうね♪」

 

「うんっ♪」

 

 そう言いながら幸せそうに微笑み、鋭い犬歯が覗いている唇を近づけてくるラウラとイリナ。もちろん手足は2人にしっかりと押さえつけられていたので、逃げることはできなかった。

 

 こうして俺は、朝から2人の美少女に血を搾り取られる羽目になったのである。

 

 俺っていったい何なのだろうか…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空になった薬莢が床に落ちる音と、銃声の残響が混ざり合う。

 

 マガジンの中に弾丸が残っていないことを確認してから、空になったマガジンをポーチの中へとぶち込んで、安全装置(セーフティ)をかける。レーンの向こうに佇んでいる金属製の的の頭の部分にはいくつも風穴が開いており、そこに大口径の7.62mm弾が命中したということを告げている。

 

 ラウラだったら全弾命中させるだろうなと思いつつ、愛用のAK-15を背中に背負う。俺のAK-15にはグレネードランチャーの他に、アメリカ製のホロサイトとブースターも装備されているため、マークスマンライフルほどではないけれど狙撃することも可能だ。

 

 それと、最新型のアサルトライフルには無用の長物――――――というか現代戦で白兵戦が起こることは殆どない――――――かもしれないが、銃身の右斜め上には折り畳み式のスパイク型銃剣が標準装備されている。

 

 テンプル騎士団の兵士たちはどういうわけか白兵戦を好む兵士が多いらしく、実際に春季攻勢やヴリシアの戦いではその白兵戦で敵に大きな損害を与えている。なので白兵戦になった場合にも使えるように、テンプル騎士団が採用している大半のライフルには銃剣を標準装備するか、銃剣を装着できるように改造が施してある。

 

 一時的にこの銃剣を外したAK-12やAK-15を支給したことがあるんだが、兵士たちから「銃剣が欲しい」というかなりの数の要望が送られてきたので、急遽銃剣を装着したというわけだ。

 

 漆黒のスパイク型銃剣をちらりと見てから、射撃訓練場の隣にある訓練場の方をちらりと見る。そちらでは丁度銃剣突撃の訓練をしていたところらしく、スパイク型銃剣を展開したAK-15を手にした兵士たちが、雄叫びを上げながら標的に向かって突進しているところだった。

 

 ちなみにその的は、魔物の皮を加工して製作したものらしい。確かに素振りするよりも、実際に得物に突き刺した時の感覚に近い方が実戦で戸惑わずに済むだろう。

 

「次、第二陣! 突撃用意!」

 

「「「…………!」」」

 

『―――――――ブオォォォォォォォォォォォ!!』

 

「「「Урааааааааа!!」」」

 

 だから何で突撃の合図が法螺貝なんだよ…………。

 

 しかも指揮官が持っている法螺貝は黒と灰色の迷彩模様で塗装されている。何だあれは。

 

 法螺貝を持っている指揮官の制服の袖についているのは、盾を角で貫くユニコーンのエンブレムが描かれたワッペンだった。テンプル騎士団の海兵隊なのだろう。

 

 海兵隊の兵士たちはフランセンとの戦いで、総督府をたった数分で制圧するという戦果をあげている。あの戦いの事はシュタージが各国に漏洩させたことであらゆる国の新聞に載ったんだが、多分モリガンを知らない若い将校たちは笑い飛ばしているに違いない。

 

 逆に、退役した将校たちは震え上がっている事だろう。モリガンと同じ兵器を使う組織が成長し始めているのだから。

 

 傭兵として戦っている海兵隊の仕事が増えるのは喜ばしい事だが、テンプル騎士団を排除しようとする輩も増えるかもしれないな。そういう連中は早く潰すべきだ。

 

 お気に入りのAK-15を背負い、雄叫びと法螺貝の音に支配されつつある訓練場を後にする。すれ違った兵士たちに敬礼をしながら通路に出て、エレベーターに乗った俺は、メニュー画面を開いて自分のステータスを確認することにした。

 

 春季攻勢でかなりの数の敵兵を殺した上に、軍拡の最中にも転生者を狩り続けたせいで、今の俺のレベルは何と”3014”にまで上がっていた。攻撃力のステータスもついに”95500”にまで上がり、防御力もやや低めだが”74900”となっている。一番高いステータスはやはりスピードらしく、”118200”となっていた。

 

 若き日の親父のステータスの中ではスピードが低めだったらしい。俺のステータスの上がり方は親父と結構違うようだ。

 

 それにしても、このステータスやレベルの上限はどれくらいなのだろうか。

 

 エレベーターがゆっくりと止まり、鉄格子にも似た扉が開いていく。メニュー画面を開いたままエレベーターから降り、残っているポイントの量を確認しながら通路を歩き始める。軍拡のために積極的にポイントを使っているけれど、まだ新しい武器を作ってカスタマイズできる量のポイントは残っているようだ。後で新しい武器でも作ってみるか。

 

 最近は全然ショットガンを使ってないし、後でポンプアクション式のショットガンでも作ってみよう。ロシア製のショットガンにはかなり強力な代物があるんだよね。

 

 そのショットガンを生産するための条件を確認するために、生産のメニューをタッチする。

 

 生産するための条件は、『スコップで30体の敵を倒す』ことと『ポンプアクション式のショットガンで100名の敵兵を倒す』ことの2つだ。水平二連型のショットガンを使うことはあるけれど、ポンプアクション式のショットガンを使って敵兵を殺すことはあまりなかったので、2つ目の条件はまだ達成していない。

 

 残りは20人ほどか。

 

 敵兵には盗賊や転生者なども含まれるので、アサルトライフルの代わりにポンプアクション式のショットガンを使っていれば条件を満たすことは難しくないだろう。

 

 メニュー画面を閉じ、研究区画へと繋がっている通路を進む。警備をしていた兵士たちに敬礼をしてから魔力認証を済ませ、扉の向こうへと足を踏み入れると、猛烈な薬品や薬草の臭いが鼻孔へと流れ込んできた。

 

 タンプル搭の研究区画では様々な研究をしている。新しい回復アイテムを開発するための研究もしているし、中には標的を暗殺するための毒の調合を行っている技術者もいる。危険な実験をすることもある上に機密情報も多い区画であるため、ここに入る事ができるのはこの区画の職員か、円卓の騎士くらいだ。

 

「あ、団長」

 

「お疲れ様。ステラはいるか?」

 

「はい、彼女なら奥に」

 

「ありがと」

 

 やっぱり鍵の分析をしているのだろうか。

 

 メサイアの天秤の鍵を全てそろえることに成功したものの、肝心なメサイアの天秤の在り処が未だに分かっていない。”天空都市ネイリンゲン”という場所にあるらしいのだが、その天空都市はまだ発見していないのである。

 

 航空部隊をネイリンゲン上空に派遣してみたものの、廃墟と化したネイリンゲンの上空には何もなかったという。

 

 首を傾げながら奥へと進むと、白衣に身を包んだ特徴的な銀髪の幼女が、アップルパイを食べながら休憩しているところだった。

 

「やあ」

 

「ああ、タクヤ。お疲れ様です」

 

 微笑みながら顔を上げた彼女は、皿の上に乗っているアップルパイを一切れ手に取ると、それを俺に分けてくれた。ありがたくそれを受け取って口に運びつつ、ステラの隣に置いてある椅子に腰を下ろす。

 

 結構甘いな、このアップルパイ。誰が焼いたんだろうか。

 

「美味しい…………」

 

「これ、ラウラからの差し入れなんです」

 

「えっ?」

 

 ら、ラウラの差し入れ!? あいつアップルパイも作れるようになっちゃったのか!!

 

 ナタリア先生のおかげだなぁ。

 

「追い越されちまうかも」

 

「ふふふっ、ステラはタクヤの料理も大好きですよ」

 

「ありがとな、ステラ」

 

 出会った頃と比べると、本当にステラは感情豊かになった。

 

 ナギアラントで出会ったばかりの頃の彼女は基本的に無表情で、微笑むことは全くなかった。仲間たちを皆殺しにされた挙句、同胞が1人もいなくなってしまった世界で目を覚ましてしまったのだから、ずっとショックを受け続けていたんだろう。

 

 けれども今のステラは笑うようになってくれた。まだ無表情になることはあるけれど、かなり感情豊かになってくれたと思う。

 

「ところで、天秤の在り処は?」

 

「相変わらずヒントはありませんが…………もしかしたら条件があるのかもしれませんね」

 

「条件?」

 

「ええ。夜にならないと天空都市が見えないとか、満月の夜でなければ都市が姿を現さない等の条件があるんだと思います」

 

「なるほど…………」

 

 条件か…………。確かに、鍵が封印されていた場所のど真ん中に天秤を置いておけば、それを見破った冒険者にあっさりと天秤を入手されてしまう恐れがある。それを作ったフランケンシュタイン氏やナタリアの祖先が天秤が危険な存在だということを知っていたのならば、そう簡単に手に入れられないように工夫するのは想像に難くない。

 

 その条件に付いても調べた方が良さそうだ。

 

「分かった、無理はすんなよ」

 

「はい。このウィッチアップルを使ったアップルパイを食べたら元気が出てきましたので、大丈夫です」

 

 …………ん?

 

 ちょ、ちょっと待て。ウィッチアップルだと…………?

 

「こ、これの中身?」

 

「ええ。魔力を含んでるので、サキュバスたちのおやつだったんです。ふふっ、懐かしいです…………♪」

 

「そ、そうか」

 

 ま、また食っちまったじゃねえかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 最初に食った時は何故か幼児の姿になっちまったし、二回目に食ってしまった時は性別を切り替えるという変な能力を習得してしまった。今度はどんな姿になるのだろうか。

 

 キメラは変異を起こしやすい種族だから、本当にこういうものを食べさせるのは止めて欲しいものである。

 

 ステラは狙ったのだろうかと思いながら、彼女に挨拶をして研究区画を後にする。

 

 また変な変異を起こさなければいいなと思いながら自室に戻ることにしたんだが―――――――案の定、次の日の朝にまた事件は起こることになるのであった。

 

 

 

 



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タクヤがまたウィッチアップルを食べるとこうなる

 

 

 部屋の中にある鏡を見つめながら、俺は溜息をついた。

 

 キメラは人間と魔物の遺伝子を併せ持つ新しい種族で、”突然変異の塊”と言っても過言ではないほどどのような種族なのかという傾向がつかめない種族である。それゆえに突然変異を起こす確率は、他の種族とは比べ物にならないほど高い。

 

 だから魔力を含んだウィッチアップルは食べないように注意していた。あれを食べると中に蓄積されている魔力の影響で、突然変異を起こしてしまう可能性があるからである。

 

 1回目は幼児の姿(ショタクヤ)になっちまったし、2回目は性別を切り替える事ができるという変な能力を手に入れてしまった。一緒に外殻の模様を変える事ができる能力も手に入れる事ができたし、性別を変更する能力も有効活用しているけれど、変な変異を起こしかねないので本当にあれは食べたくない。

 

 けれど―――――――食っちまったよ、ウィッチアップルを。

 

 ウィッチアップルは甘みが強いリンゴで、魔力を含んでいる。そのため非常に美味しいのだが、危険な魔物が徘徊するダンジョンのような危険地帯や、魔力の濃度が高い地域でしか育たないため栽培することは不可能なのだ。それゆえにダンジョンで発見して持ち帰れば、たった1個で調査の報酬に匹敵する金額になる。

 

 魔力を含んでいる果物なので、魔力が主食のサキュバスたちはよくおやつに食べていたという。

 

 サキュバスたちは魔力を摂取しない限り満腹感を感じない体質なので、魔力を含んでいるウィッチアップルはおやつにうってつけだったのだろう。それが主食にならなかったのは、魔力を含んでいるとはいえ常人の持っている魔力よりも量が少ないし、栽培も困難であるため危険なダンジョンや魔力の濃度が高い土地から採ってくるしかない。それゆえに食料にするのは難しかったのだろう。

 

 彼女たちにとってはおやつかもしれないけれど、変異を起こしやすいキメラにとっては突然変異の起爆スイッチというわけだ。

 

 そのスイッチを、俺は昨日押してしまったのである。

 

 二度あることは三度あるってか。

 

 何も変異が起きていませんようにと祈りながら目を覚ましたのだが―――――――変異を起こしやすいキメラが、ウィッチアップルを食べてただで済むわけがない。

 

「はぁ…………」

 

 鏡を見つめてから自分の両手を見下ろして、俺は溜息をつく。

 

 親父と比べると、訓練を受けて鍛え上げたとはいえ俺の体格は結構華奢だ。男にしてはすらりとした体格だからよく女に間違われるのかもしれない。最大の原因は髪型と顔つきだと思うが。

 

 けれども袖から覗いている手は、すらりとしているというよりは”小さい”と言うべきかもしれない。指は縮み、手のひらも全体的に小さくなってしまっている。

 

 小さくなっているのは手のひらや指だけではない。両足も結構小さくなっている上に身長まで縮んでいる。おかげで洗面所にある鏡を見るためには踏み台が必要になってしまっている。多分、今の身長は140cmくらいだろうか。

 

 そう、また幼い姿になってしまったのである。一番最初にウィッチアップルを食っちまった時は5歳か6歳くらいだったんだが、今の俺の年齢はおそらく8歳か9歳くらいだろう。

 

 またショタクヤになっちまったと思いつつ、俺に抱き着いたまま眠っていたラウラからこっそりと離れ、トイレに向かった俺は―――――――今回は”ショタクヤ”ではないということに気付く羽目になった。

 

 信じられないんだが―――――――俺の”アハトアハト”が見当たらないのである。

 

 何度もラウラに搾り取られたアハトアハトが、なかったのだ。

 

 つまり今の俺は、ショタクヤではない。

 

 考えられない事だが―――――――ショタクヤではなく”ロリタクヤ”になってしまっているのである。

 

「うそだろ…………」

 

 お願いですからやめてください、あのリンゴをキメラに食べさせるのは。

 

「こんどはようじょかよ…………」

 

 しかもいつもよりも声が高くなってるし。

 

 踏み台に使っていたブラッドエリクサーの箱――――――イリナとラウラが食事をする時のために売店で購入しておいたものだ―――――――の上から降り、溜息をつきながらステータス画面を開く。

 

 転生者の身体能力は、攻撃力、防御力、スピードの3つのステータスによって強化されることになっている。基本的にレベルが上がると同時にどんどん上がっていく仕組みになっているんだが、姿が変わるとそのステータスも影響を受けてしまう。ちなみにショタクヤになっちまった時は全部のステータスが一気に下がってしまったし、女の姿になると攻撃力とスピードのステータスが上がる代わりに、防御力は初期ステータス並みに低下してしまうようだ。

 

 というわけで、今のステータスを把握するためにメニュー画面を開いた俺は、自分のステータスの数値を目にして絶句した。

 

 幸いスピードのステータスは変わっていなかったが―――――――攻撃力と防御力は、なんとどちらも100まで低下してしまっていたのである。

 

 しょ、初期ステータス並みじゃねえかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 スピードのステータスが変わっていないのは喜ばしい事だが、他の2つのステータスが一気に初期ステータスと同じくらいまで低下したのは大問題である。特に攻撃力が初期ステータスと同等だと、それなりにレベルの高い転生者に攻撃が通用しなくなる恐れがあるのだ。

 

 特に影響を受けるのは近接攻撃である。ナイフや剣などで転生者を攻撃しても、相手の防御力がこっちの攻撃力を上回っていれば刃が相手の皮膚に叩きつけられても斬ることはできないし、突き刺しても皮膚が微かに窪む程度になってしまうのである。

 

 銃の攻撃力にも多少は影響するが、近距離攻撃ほど大きな影響を受けるわけではない。銃の場合は普通の銃と同じく弾薬などが攻撃力に大きな影響を与えるので、攻撃力のステータスはおまけ程度で済むのだ。

 

 俺の本職は狙撃だけど、白兵戦もそれなりに得意なので、近距離攻撃がこれで使い物にならなくなってしまったのは本当に大問題である。

 

 落胆しながら洗面所を後にする。背伸びをしてドアノブへと小さな手を伸ばしてドアを開けると―――――――ドアの向こうでは、楽しそうに微笑んでいる3人の美少女が、どういうわけかやけにフリルが付けられたゴスロリの服やスク水を準備して待っていた。

 

 その用意した衣装を自分たちが着るわけではないのは火を見るよりも明らかである。

 

「そ、そのいしょうはなに?」

 

「ふにゅ? タクヤ用の衣装だよ?」

 

「ふふっ、やっぱりゴスロリが似合いますわ! 今回は幼女なのですから!」

 

「何言ってるの? スク水が一番だよっ!」

 

 子供用の衣装を持ったまま、こっちにじりじりと近づいてくるイリナとカノン。まさかあれを俺に着せるつもりなのだろうか。

 

 逃げようと思ったんだけど、素早く伸びてきたラウラの柔らかい尻尾が腰に巻き付いているせいで逃げる事ができません。お姉ちゃん、俺は男なんですけど。あんな服を着るわけにはいかないので逃がしてもらえないでしょうか。

 

 頼んでもラウラは逃がしてくれないだろうなと思いながら、俺はまたしても溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の性別ってどっちなんだろうか。

 

 そんなことを考えながら、隣にいるラウラと手を繋ぎながらタンプル搭の通路を進む。幼児になった時はラウラに抱き抱えられたせいで恥をかいた挙句、母親譲りの大きなおっぱいが猛威を振るったので、今回は彼女にお願いして歩かせてもらっている。

 

 ちなみに身に纏っているのはいつものコートではなく、先ほどカノンとイリナに服を脱がされた挙句、強引に着せられたフリルだらけのゴスロリの服である。どうやらカノンがステラに着せるつもりで実家から届けてもらった服らしい。

 

 こいつは同じ部屋に住んでいる仲間にこんな服を着せるつもりだったのかと思いつつ、反対側の手を握ってニヤニヤしながら歩いているカノンの顔を見上げた。

 

 真面目な時はカレンさんのように凛々しくなるんだけど、普段のカノンは変態なんだよなぁ…………。何でテンプル騎士団の団員はこういう人ばかりなのだろうか。

 

「やっぱり似合ってますわね♪」

 

「やかましい」

 

 俺は男だ。

 

 幸い団員たちの大半は訓練中らしく、通路の中にいるのは巡回中の警備班の兵士たちくらいだ。PPK-12を背中に背負った兵士たちがラウラとカノンに敬礼してくるけれど、見慣れない幼女と手を繋いで歩いているからなのか、目を見開きながら俺をまじまじと見てきたり、首をかしげている。

 

 多分俺とラウラに子供ができたという噂が産声を上げることになるだろうなぁ…………。

 

 3人で一緒にエレベーターに乗り込み、シルヴィアがいる畑へと向かう。もう既に検査はしてもらっているので、これから彼女に検査の結果を教えてもらいに行くのだ。

 

 ショタクヤになっちまった時はウィッチアップルの魔力が体内に定着しなかったのですぐに元に戻れたけれど、性別を切り替える能力を手に入れた時は魔力が完全に定着してしまったため、元に戻ることはできたものの、能力は残ってしまっている。

 

 今回はどちらなのだろうか。場合によっては、元の姿には戻れないという最悪の結果が出ている可能性もある。もしそうなったら性別が変わった挙句、また8歳児からやり直さなければならない。

 

 それは本当に最悪である。ラウラと結婚しても子供が作れないじゃないか…………。

 

 キメラは現時点で4人しかいない希少な種族なので、何としても子孫を残さなければならない。

 

 元の姿に戻れませんようにと祈りつつ、もう二度とあんなリンゴは口にしないと誓っているうちに、鉄格子にも似た扉のついたエレベーターが畑のある区画についたらしく、短いチャイムを奏でた。歯車たちが回転する音を発しながら扉を開けると同時に、取り付けられているパイプの隙間から蒸気にも似た魔力の残滓が噴き出してくる。

 

 この魔力の残滓は高圧の魔力が通過した際に取り残されていく物なので、特に有害というわけではない。

 

 エレベーターから降り、畑へと向かう。タンプル搭の地下にある畑では、天井に埋め込まれたメモリークォーツによって再現された日光を使って野菜などを栽培しているのだ。なので警備兵たちに守られた安全な地下で、魔物に襲われることなく野菜を栽培する事ができるのである。

 

 自分が生えた場所からは基本的に移動できないアルラウネであるシルヴィアには、その畑の管理や薬草などの研究をお願いしている。彼女は植物や魔力の事に関しては非常に詳しいらしく、最近は栽培している薬草を調合して独自のエリクサーを作ろうとしているらしい。

 

 扉を開けた瞬間、歯車たちの音やオイルの臭いが一瞬で土と植物の匂いに呑み込まれてしまった。

 

 ここは地下にある区画なんだけど、天井に映し出されているのは青空と太陽だ。カルガニスタンの砂漠のように熱いというわけではなく、まるでラガヴァンビウスの周囲に広がる草原にいるように暖かい。植物たちにとっては理想的な気温と天候なのではないだろうか。

 

 その畑の隅に置いてある木製の机の近くに、両足を大きめの植木鉢に入れられたシルヴィアがいた。机の上には実験器具や分厚い本が並んでおり、その机の上だけは科学者の実験室と化している。ビーカーの中に入っているオレンジ色の液体は新しいエリクサーだろうか?

 

「シルヴィア」

 

「あっ、タクヤさん。検査の結果は出ましたよ」

 

 微笑みながらそう言ったシルヴィアは、片手で液体の入った試験管を振りながらもう片方の手を伸ばし、数枚の資料を手に取った。

 

 俺は元の姿に戻ることはできるのだろうか。出来る事ならば再び男の姿に戻り、キメラの子孫をちゃんと残したいものである。

 

「今回なんですが―――――――前回のように魔力が定着してしまっていますね」

 

「どういうことだ?」

 

「ええと、要するに元の姿に戻ることは可能です。前回と同じパターンですのでご安心を」

 

 よ、良かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 つまり、この幼女の姿からいつでも元の姿に戻ったり、女の姿に戻ることができるのだ。姿が変わると自分のステータスもかなり変わってしまうんだけど、この幼女の姿の特徴は何なのだろうか。

 

 ちなみに男の姿の時は、スピードがやや高めになっているが、基本的にステータスはバランスが取れている。女の姿になると防御力が一気に下がる代わりに、攻撃力とスピードが劇的に向上するので、スピードを生かして攻め込みたい場合に重宝している。

 

 けれどもこの幼女の姿は―――――――スピードのステータスが男の姿の時と変わらないというのに、他の2つのステータスが初期ステータスまで下がってしまっているのである。スピードに特化しているわけではないのに、何かの対価と言わんばかりの2つのステータスがとんでもないことになっているのだから、何か特別な能力でもあるのではないだろうか。

 

 というか、無かったらこの幼女の姿になる意味はない。大人の兵士を惑わすのには使えるかもしれないが。

 

「ところで、ほかにとくちょうはないのか? とくべつなのうりょくは?」

 

 シルヴィアに幼い声で問いかける。出来るならいつもの声で喋りたいのだが、身体が幼くなっているせいで声まで幼くなってしまっている。わざと低く喋ろうとしてもあまり変わらない。

 

 どういうわけか顔を赤くしたシルヴィアは、小ぢんまりとした角が生えている俺の頭を撫でながら質問に答えてくれた。

 

 おい、子供扱いすんな。引っこ抜くぞ。

 

「ええとですね…………タクヤ”ちゃん”にはちゃんと新しい能力があるようですよ」

 

「ひっこぬくよ?」

 

 さり気なく”ちゃん”に変えるな。今は幼女だけど、いつもはちゃんとアハトアハトが付いてるんだからな。

 

「こらっ、シルヴィアちゃんにそんなこと言っちゃダメでしょ?」

 

「はーい…………」

 

 ら、ラウラまで子供扱いし始めた…………。

 

「一緒に採取した血液なんですけど、血液中に含まれている魔力の濃度が異様に濃かったんですよ」

 

「え?」

 

 この世界の人間の血液の中にも、魔力は含まれている。魔力の濃度は濃ければ濃いほどその人間が大量の魔力を体内に持っているということを意味しているため、優秀な魔術師かどうかを確認する際には血液を採取し、魔力の濃度を測定するのだ。

 

 魔力の量は優秀な魔術師になる条件の1つなのである。

 

 どれだけ瞬時に魔術を発動できても、ファイアーボールを放っただけで魔力が底をつくのであれば決して優秀な魔術師にはなれないからだ。魔術は勉強したり訓練をすれば上達するけれど、魔力の量だけはどのような方法を使っても変えることはできない。

 

 しかし、どうやらこの状態の魔力の量はかなり豊富らしい。ということは魔術に特化した状態ということなんだろうか。

 

「試しに魔力を放出してみてください」

 

「はいはーい」

 

 返事をしつつ小さな手を目の前に突き出し、ただ単に魔力を放出する。もう既に炎属性と雷属性に変換された魔力たちが手のひらから姿を現したかと思うと、時折スパークや火の粉を生み出しながら後続の魔力たちに押し流されていった。

 

 魔力を消費すると疲労にも似た感覚を感じ始める。大半の魔力を使ってしまうと手足に力が入らなくなり、動けなくなってしまうのだ。しかも体内の魔力を全て使い果たしてしまうと死に至るため、魔術を連発する際は体内の魔力の残量に注意しながら使わなければならない。

 

 放出を始めてからそろそろ10分くらい経過するのではないだろうか。魔力の量には元々自信はあったけれど、10分も魔力を消費すれば腕に力が入らなくなってきてもおかしくはない。騎士団の選抜試験に合格した魔術師たちですら、呼吸を乱さずに魔力を放出できる時間は15分程度と言われている。

 

 だというのに、全く疲れない。下手したらこのまま魔力を放出し続けられるのではないだろうか。

 

「ふにゅ? まだ続くの?」

 

「お、お兄様? そろそろ疲れたのでは?」

 

「いや…………全然疲れない」

 

「えぇ!?」

 

 ど、どういうこと? 

 

 エリスさんですら20分くらい放出し続けるのが限界なんだぞ!? この調子じゃ20分どころか一日中放出してられそうなんですけど!?

 

「やっぱり…………幼女の姿は、魔術に特化した状態のようですね」

 

 腕を組みながらそう言うシルヴィア。けれども、血液中の魔力の量が異様に多かったとはいえ、こんなに放出し続けられるのは考えられない。

 

 すると、シルヴィアが「あ、放出はもう止めていいですよ」と言ってから、机の上にあったもう一枚の資料を取り出した。

 

「これは?」

 

「タクヤさんの魔力の量の予測です」

 

 どれどれ?

 

 資料に書かれていたのは、魔術師たちの平均的な魔力の量を意味するグラフと、俺のものと思われる魔力を意味するグラフだった。平均的な魔術師たちのグラフはちゃんと書かれているんだけど、俺の魔力を意味すると思われるグラフは―――――――平均的な連中と比べるなと言わんばかりに、いきなり図の真上へと真っ直ぐに伸びており、図の外まで突き出てしまっているのである。

 

 え、なにこれ?

 

 測定不能…………?

 

「なにこれ?」

 

「ええと…………おそらくなんですけど」

 

 苦笑いしながら俺の顔を見下ろしたシルヴィアは―――――――とんでもない仮説を告げやがった。

 

「―――――――多分、体内の魔力の量は”無制限”なのではないかと」

 

 

 

 

 

 



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魔術の試し撃ち

 

 当たり前だけど、魔術をぶっ放せば魔力は減少していく。

 

 初歩的な魔術やそれほど威力のない魔術ならば、消費する魔力の量はそれほど多くはない。けれども長い詠唱が必要になるような魔術や、体内の魔力の加圧が必要になるような難易度の高い魔術の場合は、莫大な量の魔力を消費することになる。

 

 魔術を使うために必要な魔力の量は生まれた時点で決まってしまうため、トレーニングなどで鍛えることは不可能だ。魔力の量が極端に低い場合は、大半の魔術師が一番最初に習得する魔術と言われているファイアーボールを数発ぶっ放しただけで魔力が枯渇してしまうこともあるという。

 

 その魔力の量は両親から遺伝するため、優秀な魔術師同士の政略結婚は珍しくはないのだ。

 

 幸い俺たちの両親―――――――父は部外者なので、正確には母親である―――――――がどちらも優秀な魔術師だったおかげで、俺とラウラは大量の魔力と才能を受け継ぐことができたというわけである。特にエリスさんの魔力の量は膨大であったため、娘であるラウラの魔力の量もかなり膨大である。

 

 けれども俺は、その魔力の量を気にする必要はなくなってしまった。

 

「うそでしょ…………」

 

 焼け野原の上に転がっている無数の魔物たちの死体を見つめながら、俺は目を見開いた。

 

 まだ蒼い火の粉が舞っている灰色の砂の上に転がっているのは、タンプル搭の周囲に出現した魔物たちの焼死体の群れだ。あらゆるダンジョンで目にするゴブリンもいるし、砂漠で猛威を振るうデッドアンタレスの焼死体も一緒に転がっている。中には砂漠に生息しているゴーレムの変異種も黒焦げになった状態で転がっており、溶けた金属が発する悪臭にも似た臭いを放っている。

 

 ゴブリンは相変わらずそれほど強くないんだが、砂漠に生息するデッドアンタレスやゴーレムの変異種は耐火性や耐熱性が極めて高い外殻に覆われているため、長い詠唱が必要になる魔術でない限り黒焦げになって死ぬのはありえない。

 

 産業革命によって良質な金属が生成できるようになっているにもかかわらず、未だに砂漠や火山に生息する魔物たちの外殻は耐熱性の高い素材として重宝されているのである。

 

 熱や炎に強い筈の魔物たちを黒焦げにしてしまったのは―――――――今しがたぶっ放した、俺の変なファイアーボールであった。

 

「…………あ、ありえない」

 

 そう言いながら、蒼い外殻に覆われている自分の小さな手を見下ろす。

 

 あの魔物たちを焼き殺したのは、この小さな右手から飛び出していった炎属性の魔力の塊だ。俺は普通にぶっ放しているつもりなんだけど、どういうわけか真っ赤な炎の球体が飛んでいくのではなく、蒼い火の粉を纏ったレーザーみたいな光が凄まじい弾速で飛んでいくのである。

 

 その変なファイアーボールが―――――――魔力が無制限になった影響で、更に強力になってしまった。

 

 本来の姿でファイアーボールをぶっ放しても、あの魔物たちの外殻に風穴が開く程度である。けれども幼女になったことによって無制限になった魔力をフル活用してぶっ放したら、魔物たちの巨体に風穴が開いた挙句、火達磨になって焼死体と化したのだ。

 

 下手したら戦車を数発で装甲車を破壊できるほどの威力があるのではないだろうか。さすがに戦車は無理かもしれないけど。

 

 しかもその凄まじい破壊力のファイアーボールを、まるでセミオートマチック式のライフルのように次々にぶっ放す事ができるのである。

 

 その気になればもう少し攻撃力を落とす代わりに連射速度を上げたり、魔力の量を増やし、魔力を変換する過程をちょっとばかりアレンジして独自の魔術を編み出す事ができるかもしれない。魔術のアレンジはなんだか楽しそうだな。現代兵器をヒントにしてアレンジしたらとんでもないことになりそうだ。

 

 ワクワクしてきたけど、この幼女の姿になるととんでもない欠点も産声を上げる。

 

 そう、攻撃力と防御力のステータスが初期ステータス並みに弱体化してしまうのだ。

 

 幸いスピードは本来のステータスのままだけど、攻撃力のステータスと防御力のステータスが一気に弱体化するということは、魔力の量や圧力で攻撃力を底上げできる魔術や、弾薬の種類などによって攻撃力が大きく変わる銃以外の攻撃が、ステータスがそれなりに高い転生者に通用しなくなるということだ。しかも防御力まで初期ステータス並みということは、転生者どころか普通の魔物や盗賊の攻撃を喰らえば致命傷を負う羽目になるということを意味している。

 

 そのため、遠距離攻撃に特化した姿ということになる。接近戦になりそうだったら女の姿や本来の姿に戻って対処すればいいだろう。

 

『ピギィィィィィィィィィ!!』

 

「お」

 

 そろそろ元の姿に戻るべきだろうと思いつつ自分の手を眺めていると、焼け野原と化した砂漠を突き破り、巨大な尻尾を持つサソリのような姿の魔物が地中から飛び出してきた。

 

 全身を覆っている分厚そうな外殻の表面からは、不規則に棘やイボのようなものが生えているのが見える。足はすらりとしていて先端部が尖っているけれども、カニの足にも似たその足が繋がっているのはずんぐりとしている胴体だ。その胴体の後ろから生えているのは鞭を彷彿とさせる長い尻尾で、先端部にある毒々しい紫色の針からは、尻尾が揺れる度に紫色の毒液が滴り落ちている。

 

 頭の部分に鎮座しているのは、まるで髑髏のような形状の外殻だった。

 

 この砂漠に生息しているデッドアンタレスである。

 

 辛うじて地中に潜ってさっきのファイアーボールから逃れたのだろうか。それとも同胞たちが焼き殺されたのを感知して、復讐するためにここまでやってきたのだろうか。

 

 始末しようと思いつつ背中のAK-15を取り出そうと思ったけれど、あいつをファイアーボールをアレンジした魔術の標的にするのも悪くないかもしれない。そう思った俺は背中へと伸ばしかけていた小さな手を引っ込め、外殻で覆いつつデッドアンタレスへと向けて突き出した。

 

 周囲に他の魔物の臭いはない。こいつが最後の一匹だろう。

 

 幸い毒を無効化するスキルを装備しているからあの尻尾の毒は全く怖くはない。けれどもあのずんぐりとした胴体から生えている鋏や尻尾の針の攻撃を喰らえば、十中八九俺は死ぬ羽目になるだろう。

 

 デッドアンタレスの鋏は防具を身に着けた成人男性の身体を易々と真っ二つにするほどの切れ味があるのだから。

 

 サソリの餌になってたまるか。

 

『ピギィィィィィィィィィ!』

 

 お前も焼き殺して食材にしてやる。デッドアンタレスの毒は、高熱で加熱すれば分解できるからな。

 

 体内の魔力を加圧しつつ、魔力を変換していく。

 

 この魔力の変換をアレンジすれば、最終的に発射される魔術は変化する。例えば拡散するように調整すれば炎の散弾をぶっ放す事ができるし、より加圧すれば弾速を更に速くすることができる。一流の魔術師たちは相手の戦い方や特徴をすぐに見切り、変換する過程で魔術を微調整してから放つという。

 

 けれども変換する過程が多くなり過ぎれば魔力の量も増えてしまうという欠点がある。例えばただ単にファイアーボールを拡散させればそれほど魔力は消費しないんだけど、拡散させる上に弾速を速くすれば魔力の消費量が増えてしまう。

 

 あまり過程を増やし過ぎると、大量の魔力を消費してぶっ放したのにそれほど威力がない中途半端で非効率的な魔術になってしまう。魔力の残量に注意しながら戦うのが魔術師の鉄則なので、基本的に魔術師たちは微調整する場合しかアレンジはしない。

 

 だが―――――――今の俺の魔力は無制限なので、アレンジし放題だ。

 

 魔力を更に加圧しつつ弾速を一気に速くする。更に魔力を分散させて拡散させるように調整しているうちに、蒼い火の粉を纏った超高圧の炎の球体が手のひらの中で産声を上げた。

 

 もう既に炎属性と雷属性に変換されている上に、加圧されている魔力が体内にあるので、俺とラウラはその体内にある属性の魔力を使った魔術ならば詠唱する必要はないのだ。アレンジすると言っても詠唱が必要になるような本格的な変換ではないので、アレンジする場合も詠唱は不要である。

 

 最高だね、キメラの身体って。

 

 弱点の属性の魔術を喰らうと体内の魔力が暴発して即死する恐れがあるけどさ。

 

 極限まで加圧されていた魔力を開放した瞬間、手のひらに展開していた蒼い炎球体が火の粉たちを置き去りにし、銃から発射される弾丸に匹敵する弾速でデッドアンタレスへと飛翔する。明らかに魔力とは思えないほどの弾速で飛行している蒼いエネルギー弾と化した炎の球体は、デッドアンタレスの外殻に直撃するよりも前に無数の小さなエネルギー弾に分裂したかと思うと、そのエネルギー弾の一つ一つがブレード状に変形していった。

 

 まるで、炎の刃のようだ。

 

 はっきり言うと、もうあれはファイアーボールではない。本来ならば単なる炎の球体になる筈のファイアーボールをかなりアレンジし、極限まで弾速を速くした上に拡散するように調整したのだ。しかも調整する前から俺の魔術が変だったせいなのか、弾速は最早弾丸に匹敵するほどになっている。

 

「―――――――”ファイアーボール・拡散斬弾(フレシェット)”」

 

 思いついたそのファイアーボールの名前を告げた直後、炎の斬撃と化したファイアーボールの群れがデッドアンタレスに喰らい付いた。

 

 魔術師たちが一斉に放った炎属性の魔術の集中砲火にすら耐える事ができると言われているデッドアンタレスの外殻に、炎の斬撃たちが突き刺さる。耐火性が極めて高いあの外殻ならばナイフの刀身程度の大きさとなったファイアーボールを当たり前のように弾いてしまう筈なんだけど、ぱきっ、という音を奏でたかと思うと、黒焦げになった破片をまき散らしながらあっさりと風穴を開けられてしまう。

 

 噴き出そうとしたデッドアンタレスの血液があっという間に蒸発し、まるでエビを焼いているような香りを発しながら、デッドアンタレスが火達磨になる。拡散させたせいで威力は落ちてしまったようだが、外殻を貫通する事ができればデッドアンタレスの討伐は容易い。

 

 外殻を貫通したファイアーボール―――――――というよりは炎のフレシェット弾と言うべきだろう―――――――によって肉や内臓を直接焼かれる羽目になったデッドアンタレスは、どんどん黒焦げになっていく尻尾や鋏を振り回して暴れてから、最終的に動かなくなり、砂漠に転がっている焼死体たちの仲間入りをしてしまった。

 

「…………やきすぎだな」

 

 多分、あの外殻の下は黒焦げになった肉の塊だろう。デッドアンタレスの肉は非常に美味いので、出来れば持って帰って食材にしてみようと思ってたんだけど、黒焦げになっちまったらもう調理はできない。

 

 焼き殺すのが難しい魔物をあっさりと焼き殺してしまうほどの超高温の魔術をぶっ放したというのに、俺は全く疲労を感じていなかった。普通ならば魔力を消費した際に感じる疲労にも似た感覚を感じて呼吸を整えていてもおかしくはないんだけれど、全くそんな感覚は感じない。

 

 その気になれば、今のファイアーボール・拡散斬弾(フレシェット)を連射することもできるのではないだろうか。

 

「お疲れ様ですわ」

 

 黒焦げになったデッドアンタレスを見つめつつ、何か素材は取れないだろうかと思っていると、後ろで魔術の試し撃ちを見守ってくれていた少女がこっちにやってきた。

 

 身に纏っているのはテンプル騎士団の黒い制服だけど、所々に深紅のフリルがついており、まるで貴族のお嬢様が身に纏うスカートのようなデザインになっている。とはいえ動きやすさを考慮してスカートはそれほど長くなっておらず、腰にはマガジンを収めておくためのポーチやアイテムを入れておくホルダーも装備されているため、実用性も考慮されていることが分かる。

 

 その制服を身に纏っているのは、俺とラウラの妹分であるカノンだ。

 

 今回の任務はタンプル搭の近くに出現した魔物の群れの掃討だった。数はそれほど多くはないというので、この幼女の姿で魔術の試し撃ちでもしようと思って出撃したんだけど、さすがに防御力が初期ステータス並みに弱体化している状態では危険であるため、手の空いていたカノンに護衛をお願いしたのである。

 

 彼女が背中に背負っているのは、ロシア製マークスマンライフルのSVK-12。他の兵士たちと弾薬を分け合う事ができるように、使用する弾薬は7.62×39mm弾となっている。AK-12を改造したマークスマンライフルであるため、まるでAK-12の銃身を伸ばしてスコープを搭載したような外見の銃なんだけど、彼女の要望で銃床をサムホールストックに変更しているせいなのか、AK-12よりも、前任のマークスマンライフルだったドラグノフに近い外見になっている。

 

 腰のホルダーに収まっているのは、テンプル騎士団で正式採用されているPL-14だ。彼女の本職は中距離での射撃を得意とするマークスマンであるため、接近してきた敵に反撃できるようにPL-14をフルオート射撃ができるように改造している。更に26発入りのロングマガジンを装備しているため、グリップの下部から9mm弾の入ったマガジンが突き出ていた。

 

 フルオート射撃用に折り畳み式のストックが装備されているし、本来ならライトやレーザーサイトを搭載できるスペースには、少しでも反動を軽減するためにフォアグリップが装備されている。

 

 それと全く同じカスタマイズが施されたPL-14が”強襲殲滅兵”たちのサイドアームとして支給されているためなのか、マシンピストルに改造されたこのPL-14は、テンプル騎士団では”強襲殲滅兵仕様”と呼ばれている。

 

 カノンは基本的に軽装なのだ。

 

「ごえいごくろうさま」

 

「お兄様こそお疲れ様ですわ。それにしても、凄い威力ですわね…………」

 

「よそうがいだよ。ただのファイアーボールなのに」

 

 別のアレンジをすれば凄いことになりそうだな。後で色々考えてみよう。

 

 今度はどんなアレンジをしようかと考えていると、魔物の死体を見つめていたカノンが俺の小さな手を握った。

 

「さあ、帰りましょう」

 

「おう。…………さて、そろそろもとのすがたにもど―――――――」

 

「だ、ダメですわ! まだ幼女の姿でいてくださいな!」

 

「え?」

 

 か、カノンさん?

 

「そ、そういえば今日はタンプル搭に戻ったら2人きりですわねっ」

 

 そう言いながら顔を赤くし、目を輝かせ始めるお嬢様。彼女が何を企んでいるのか察した俺は、よだれを拭い始めたカノンの顔をぎょっとしながら見上げた。

 

 今日は狙撃手部隊の隊員の育成のため、ラウラは新兵たちを率いて魔物の討伐のために遠征に行っているのだ。ステラは天空都市ネイリンゲンに関する資料を集めるために護衛の兵士たちと一緒にラガヴァンビウスの王立図書館に出かけているし、ナタリアはスオミ支部の視察のためにシベリスブルク山脈へと向かっている。イリナは吸血鬼なので、今の時間は棺桶の中で眠っている頃だろう。

 

 ―――――――つまり、イリナが起きるまではカノン(変態)と2人っきりなのである。

 

 な、なにこれ? 絶対に〇〇〇されそうなんですけど。

 

 しかも隣のお嬢様はニヤニヤ笑いながらよだれをまだ拭ってるし。

 

「あ、そうですわ。戻ったら一緒にシャワーを浴びましょう」

 

「い、いや、おれはえんりょしとくよ…………」

 

「それはいけませんわ。汗をかいたのですからちゃんとシャワーを浴びないと。清潔にしていないと立派な淑女になれませんわよ?」

 

「ようじょをみてよだれをたらしてたらりっぱなしゅくじょになれないよ?」

 

 あと俺は男だ。今はアハトアハトを搭載してないけど。

 

 溜息をついてから、背伸びをしつつ手を思い切り彼女の頭へと伸ばす。頭まで届けば撫でてやれると思ったんだけど、残念ながら手が届かなかったので、とりあえず肩を撫でておこう。

 

「―――――――ほんとうのすがたでよければ、いっしょにシャワーをあびるぞ?」

 

「ほ、本当ですの!?」

 

「おう」

 

 ラウラみたいに氷とか尻尾でこっちの動きを止めることはできないし、その気になればスモークグレネードをぶん投げて逃げることもできそうだからな。シャワールームにスモークグレネードを置いておこう。シャンプーの容器の隣にさりげなく置いておけばバレないだろう。

 

 目を輝かせているカノンともう一度手を繋ぎ、幼女の姿のまま乗ってきたバイクのサイドカーへと向かう。彼女は試し撃ちをしていた俺をちゃんと護衛してくれていたんだし、ちゃんとご褒美をあげないとな。

 

 とはいえ幼女の姿ではバイクを運転できないので、一旦男の姿に戻るとしよう。お嬢様にバイクを運転させるわけにはいかない。

 

 というわけで、俺は男の姿に戻ってからバイクに乗り、サイドカーにカノンを乗せてからタンプル搭へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれども俺は、カノンを甘く見ていた。

 

 カノンならばラウラやステラのように俺を拘束することはできないだろうと高を括ってたんだけど―――この変態お嬢様は睡眠薬を準備していたのである。

 

 しかも対魔物用の強烈なやつ―――というか麻酔薬じゃないだろうか―――だった。普通の睡眠薬ではキメラに効果が薄いだろうと思っていたに違いない。

 

 結局、高を括っていた俺は睡眠薬入りのアイスティーを飲まされて眠らされた後、カノンに襲われる羽目になったのだった。

 

 

 

 

 



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麻薬カルテル討伐作戦

 

 ハヤカワ家の男性は、どういうわけか”女性に襲われやすい”という変な体質らしい。この変な体質をこの異世界に持ち込んで、その体質になるような遺伝子を無理矢理俺に継承させたのは、今では魔王と呼ばれている最強の転生者(リキヤ)だ。

 

 前世の世界にいた頃から親父もその体質を受け継いでしまったらしい。そして異世界へと転生し、エミリア・ハヤカワとエリス・ハヤカワとの間に生まれた俺たちにもその遺伝子を受け継がせやがったというわけだ。こんな遺伝子を受け継ぐ羽目になったせいで、俺も親父と同じく頻繁に彼女たちに襲われている。

 

 フライパンの上で真っ白になった目玉焼きを皿の上に乗せ、塩と胡椒で味をつけてから焼いたデッドアンタレスの肉を目玉焼きの隣に乗せる。デッドアンタレスは砂漠に生息する魔物なので、雪国であるオルトバルカではあまり食べる機会はなかったけれど、カルガニスタンは砂漠なので市場に行けば冒険者が討伐したデッドアンタレスの肉がよく売られているのを目にする。一見するとでっかいエビに見えるけれど、こいつは危険なサソリの肉なのだ。

 

 2つの皿にトーストを2枚ずつ乗せ、キッチンからテーブルの上へと運ぶ。サラダも用意した方がよかったかなと思ったけれど、前に野菜炒めを作った時に大半の野菜を使ってしまったから、冷蔵庫の中には生き残りのピーマンしか残っていないだろう。

 

 ベッドの中でまだ寝息を立てている少女は、ピーマンが嫌いなのだ。朝っぱらから嫌いな野菜を目にしたら不機嫌になってしまうに違いない。カレンさんだったら強引に食わせそうだけど。

 

 ナタリア特製の甘いジャムの入った瓶とオルトバルカ王国から輸入したマーマイトの入った瓶をテーブルの上に置いてから、まだ眠っている少女を起こすことにした俺は、エプロンを取ってキッチンの壁にかけてから、いつもはラウラと一緒に眠っているベッドへと向かう。

 

 いつもなら赤毛の美少女が毛布の中で寝息を立てているんだけど、彼女は狙撃手部隊(教え子)たちを連れて遠征に行っている。なので彼女はベッドの中にはいない。

 

 あの中で寝息を立てているのは、別の少女だ。

 

 数秒ほど彼女の可愛らしい寝顔を見下ろしてから、容赦なく彼女の身体を揺する。

 

「カノン、起きろ」

 

「にゃあ…………うぅ、ねむいの…………」

 

「たっぷり寝ただろ。ほら、飯だぞ」

 

「んっ…………おにいちゃん…………………?」

 

 俺とラウラの妹分であるカノンは、幼少の頃から領主になるための教育を受けてきた。勉強や母親の思想だけでなく、貴族としてのマナーや戦い方を両親から教わっていたせいなのか、最初から中身が17歳の男子高校生だった俺を除けば、大人びていく速度が一番早かったのはカノンだった。

 

 けれども目を覚ましたばかりの彼女は、時折昔の可愛らしい口調に戻ることがある。

 

 瞼を擦りながら昔の口調に戻っているカノンの頭を撫でていると、彼女はつい昔の口調で喋ってしまったことに気付いたらしく、顔を赤くしながら俺から目を逸らす。

 

「お、お兄様っ、おはようございますっ」

 

「おう、おはよう。…………あ、シャワー空いてるから浴びてきてもいいぞ? 俺は浴びたから」

 

「そ、そうですわね…………」

 

 そう言ってから背伸びをし、ベッドを後にするカノン。部屋の隅に置いてある自分の着替えを手に取り、部屋に用意してあるシャワールームへと向かう。

 

 シャンプーを済ませれば消えてしまうな、と思いながら、シャワールームへと歩いていくカノンの頭の上で揺れている彼女の寝癖を見つめていた俺は、彼女がシャワーを済ませて戻ってくるまでメニュー画面を開いて武器や兵器をチェックしておくことにする。

 

 第二世代型の転生者は端末を持っていないため、武器を装備する際に使用する端末を紛失したり、敵に強奪される恐れがない。なので安全性では第二世代型の方が高いんだけど、第二世代型転生者が生産できる武器の中には条件を満たさなければ生産できないものもあるため、こっちの方が面倒なのだ。

 

 第一世代型の転生者はただ単にレベルを上げて手に入れたポイントを支払えばどの武器でも自由に生産できるんだけど、第二世代型が生産できる武器の中にはアンロックしてからポイントを支払わなければならないものも含まれているので、ちょっとばかり面倒なのである。

 

 自由に生産できるようになればいいのにな、と思いつつ、メニューの中からショットガンの項目を選んでタッチ。ずらりと表示された無数のショットガンたちの中からポンプアクション式のショットガンを探し始める。

 

 ロシア製のポンプアクション式ショットガンを生産したいんだけど、それを生産するためにはあと20人も敵兵をポンプアクション式のショットガンでぶっ殺さなければならない。

 

 ちなみに、今のところテンプル騎士団が採用しているショットガンはサイガ12KやAK-12/76の2種類である。この条件を満たして生産すれば3種類のショットガンを運用することになるというわけだ。ポンプアクション式なのでセミオートマチック式に比べると連射力が劣るけれど、使用する弾薬が12ゲージの散弾よりも強力な代物なので、こいつが採用されれば接近戦で猛威を振るうに違いない。

 

 他の兵士たちと弾薬を分け合うのが難しくなるという欠点はあるが。

 

 というわけで、こいつを生産する条件を満たすためにポンプアクション式のショットガンを生産しておくことにする。

 

 俺が選んだのは―――――――アメリカで産声を上げた『イサカM37』と呼ばれるポンプアクション式のショットガンである。

 

 少しばかり旧式のショットガンではあるものの、旧式とは思えないほど信頼性が高い上に軽いのが特徴だ。すらりとした形状のショットガンで、これを装備したアメリカ兵たちがベトナム戦争などで猛威を振るったという。

 

 サイガ12KやAK-12/76のようにマガジンを交換する方式ではなく、まるでもう1つの銃身のように本来の銃身の下にぶら下げられている”チューブマガジン”の中に散弾を装填する方式となっている。

 

 早速カスタマイズするか。まだポイントには余裕もあるし。

 

 まず銃身を切り詰めておく。チューブマガジンは4発入りのままにして、銃床もそのままにする。銃床の両サイドに散弾を収めておくためのホルダーを装着し、銃口の下にも銃剣を装着できるようにしておこう。銃身を切り詰めたことで射程距離が短くなってしまったから必然的に接近戦をすることになるし、相性はいい筈だ。

 

 ちなみにこのイサカM37は、トリガーを引きっ放しにしたままフォアエンドを動かすことによって、強烈な散弾を高速連射することができる『スラムファイア』を敵にぶちかますことが可能だ。中にはこのスラムファイアがオミットされたモデルもあるらしいけれど、この能力で生産できるのはスラムファイアが可能なモデルらしい。

 

 もしできなかったらカスタマイズで追加する予定だったんだけど、ポイントを使わずに済んだよ。

 

 実際に装備してみようと思っていたんだけど、それよりも先にシャワールームのドアが開いて、シャワーを終えたカノンが湿った髪をタオルで武器ながらリビングへとやってきた。

 

「よし、ご飯食べるか」

 

「ええ」

 

 メニュー画面を閉じ、椅子に腰を下ろす。カノンの近くにジャムの入った瓶を寄せてからマーマイトの瓶を拾い上げ、近くに置いてあったスプーンで自分の分のトーストにマーマイトを塗り始める。

 

 普通の転生者と違って、ほぼ完全にこの異世界の人間として生まれ変わってしまったからなのか、どうやら味覚まで変わってしまったらしい。ジャムとかバターを塗ったトーストも好きなんだけど、今はマーマイトを塗ったトーストが一番好きなんだよね。

 

「マーマイト塗る?」

 

「い、いえ、わたしくは苦手ですの…………」

 

「好き嫌い多いなぁ」

 

「お兄様は好き嫌いはありませんの?」

 

「何でも食えるよ」

 

 サバイバルの訓練をやってた頃はカエルとかムカデを生で食うのが当たり前だったからね。さすがに食事中にこんなことを言ったら彼女の食欲をぶち壊すことになるので、これは言わないでおこう。

 

 マーマイトを塗ったトーストを齧りつつ、アイスティーの入ったティーカップに手を伸ばす。カノンがさっきまで塗っていたジャムが入っている瓶を拝借し、スプーンでジャムを中へと放り込んでからティーカップを口へと運ぶ。

 

 甘くなったアイスティーを飲み込んでから、俺は溜息をついた。

 

 き、昨日の夜はアハトアハトをぶっ放しまくった…………。

 

 カノンはラウラのように俺を拘束して襲うことはないだろうと思って高を括ってたんだけど、こいつは対魔物用の麻酔薬を使って俺を眠らせてから襲ってきやがったのである。普通の睡眠薬ではキメラに効果がないと思ったから、より強力な麻酔薬を用意したのだろうか。

 

 ちなみに今回は後半から俺も春季攻勢を始めた。呼吸を整えている最中に押し倒されてびっくりしていたカノンの顔を思い出した俺は、反射的に頭に生えている角へと手を伸ばし、角が勝手に伸びていることを確認してからカノンから目を逸らす。

 

 襲われることが多いけれど、襲うのも悪くないかもしれない。今度は先にラウラを押し倒してみようか。

 

 でもいきなり眠らされて襲われたので、もちろんママから貰った妊娠を抑制する便利な薬は飲んでおりません。下手したらカノンがラウラよりも先に妊娠する可能性があります。

 

 カノンをとっくに抱いていることがバレたら、九分九厘ギュンターさんに殺されるな。下手したらモリガンの傭兵の中で唯一まともなカレンさんも参戦するかもしれない。

 

 というか、モリガンの傭兵もまともな人が少ないよな。若き日のカレンさんはナタリアのような存在だったのだろうか。

 

 フォークをデッドアンタレスの肉に突き刺して口へと運ぼうとしたその時、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。ちらりとカノンの方を見てからデッドアンタレスの肉を口へと放り込み、エビのような味の肉を噛み砕きながらドアの方へと向かう。

 

「はいはーい」

 

 イリナが帰ってきたのかなと思いながらドアを開けたけれど、この部屋を訪れたのは吸血鬼の美少女ではなく、その美少女の兄貴だった。

 

「団長、仕事を頼みたいんだが」

 

「仕事? いいけど」

 

 普通だったら組織のリーダーは最前線に行くことはない筈なんだけど、俺や親父は積極的に最前線で戦うことを心掛けている。一般的な軍隊で例えるならば将校がライフルを持って歩兵と一緒に戦っているようなものだろう。

 

 絶対にありえないかもしれないけれど、最前線に行くことによって戦っている兵士たちが経験する状況を理解できるし、彼らのためにどういう指揮を執ればいいのかがすぐに分かる。それに積極的に前線に出れば兵士たちの士気も上がるだろう。

 

 実際に敵と戦った経験のない将校と、最前線で戦果をあげて昇格した将校ならば、俺は後者の方についていきたいと思うからな。他の兵士たちも同じ筈だ。

 

 というわけで、こういう仕事は積極的に引き受けよう。

 

「実はな、以前にフランセンの議員と取引をしていた麻薬カルテルの1つをぶっ潰すことになったんだが、その作戦に”ボレイチーム”を投入しようと思うんだ」

 

「ボレイチームを?」

 

 今のスペツナズには、『アクーラチーム』、『ボレイチーム』、『シエラチーム』の3つのチームがある。

 

 アクーラチームは春季攻勢よりも前に結成されたチームで、隊員たちの中には吸血鬼の兵士も含まれている。しかもベテランの兵士が最も多いチームであり、すでに転生者を何人も討伐している精鋭部隊である。

 

 ボレイチームとシエラチームはスペツナズの増強のために新設したチームで、どちらも各部隊から選抜されてきた兵士で構成されている。シエラチームはまだ訓練中であるため実戦には出せないけれど、ボレイチームは何度か転生者の暗殺に成功しているという。

 

 とはいえ、はっきり言うと不安だ。

 

 テンプル騎士団の兵士の質は、二大勢力と比べると低いと言わざるを得ない。以前にボレイチームの突入訓練に攻撃目標の役で参加したんだが、室内にいる目標に突入を察知されていた挙句、突入した直後に隊員が全員返り討ちに遭ってしまっているのである。

 

 転生者の暗殺に成功しているとはいえ、彼らを麻薬カルテルの討伐に投入して大丈夫なのだろうか。

 

「大丈夫かよ?」

 

「彼らにも経験を積ませなければな。それに麻薬カルテルの拠点も確認しているし、いざとなったら空軍に空爆も要請できる」

 

「…………で、俺は新米たちの面倒を見るってことか」

 

「そういうことだ。…………ブリーフィングは17時から会議室で行う。遅れんなよ、同志」

 

「はいはい」

 

 まあ、対人戦なら例のショットガンをアンロックするための条件を満たすこともできるし、参加した方がいいだろう。それに未熟な兵士たちをしっかりとサポートしてあげなければ。

 

 俺は団長なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攻撃目標は、フランセン領北東部の『ガルコロフ州』を拠点にしているカルテルだ」

 

 そう言いながらウラルが装置に魔力を流し込み、円卓の上に浮遊している立体映像を変形させていく。蒼い光で構成されていた森がズームされているように見えるけれど、正確には不要な部分の光が移動し、必要な部分を拡大させているだけらしい。

 

 これも産業革命によって生み出されたフィオナ機関を応用しているのだ。

 

「結成されたのは今から17年前。様々な麻薬を販売しているクソ野郎共だ。シュタージが奴らの構成員を尋問した結果、奴らの本拠地はガルコロフ州北東部にある廃村にあることが分かった」

 

 シュタージのエージェントの中には、相手を拷問する訓練を受けた者も多い。しかもエリクサーやヒールを使えば相手の傷口を瞬時に塞げるため、手足を切り刻んだりしなければ好きなだけ痛めつけてもいいのだ。

 

 拘束された哀れなクソ野郎は肉屋の中で吊るされている肉の塊のように鎖で天井に吊るされたまま、情報を吐くまで部屋が血の海と化すような極めて凄惨な拷問を受けるのである。その拷問をモリガン・カンパニーの社員に公開した結果、今では同じ方法がモリガン・カンパニーでも採用されているらしい。

 

 その拷問を受けた可哀そうな奴がどうなったのか気になったけれど、麻薬を販売するようなクソ野郎なのだからとっくに”処分”したに違いない。モザイクが必要になるほど残酷な殺し方をしたのは想像に難くない。

 

「村の周囲は森で囲まれている。敵に警戒されるのを防ぐため、敵の拠点の上空までヘリで近付くことはできない。徒歩で森の中へと潜入してもらう必要がある」

 

「トラップがある可能性は?」

 

 今しがた質問したのは、ボレイチームを率いるハーフエルフのフランク大尉だ。元々は陸軍の歩兵部隊に所属していたらしいが、選抜されてスペツナズへとやってきたという。

 

「警戒心の強い連中だ。何かしらのトラップが仕掛けられている可能性はある」

 

 そうだろうな。多分対人用のトラバサミが用意してあるだろう。

 

 ラウラの手足を奪ったメイドを苦しめた時の事を思い出しながら、トラップが仕掛けられていそうな地点の予測を始める。この世界には火薬が存在しないため、地雷どころか爆弾すら発明されていないんだが、地雷の代わりにトラバサミがトラップとして設置されていることが多い。実際にテンプル騎士団でも、前哨基地の周囲には対魔物用の大型のトラバサミをいくつか設置している。

 

「この本拠地を潰せば、麻薬カルテルは壊滅するだろう。もう既に他の拠点や麻薬の輸送ルートは判明しているため、本拠地を潰した後に撃滅する予定だ。同志諸君には、大物を仕留めてもらう。―――――――相手はクソ野郎だ。生け捕りにはせずに皆殺しにしろ。情報はもう全て手に入れている」

 

 情報があるのであれば、クソ野郎を生かしておく必要はないな。皆殺しにしても問題はないだろう。

 

 ちらりと参加するメンバーを見渡してから、もう一度立体映像を見つめる。

 

 テンプル騎士団のスペツナズには、合計で230人の兵士たちが所属している。けれどもその中で実際に最前線で戦うことになるのは、1つのチームにつき8人だけだ。それ以外のメンバーはその8人をサポートすることになっている。

 

 8人のうちの2人は狙撃手で、片方が一般的なスナイパーライフルを装備し、もう片方は通常のスナイパーライフルでは対処できないような標的を始末するために、大口径の対物(アンチマテリアル)ライフルを装備する。それ以外の6名はアサルトライフルやPDWなどを装備し、潜入や標的の暗殺などを行うのだ。

 

 ボレイチームの錬度はまだ低いが、転生者の討伐に成功しているということは、訓練で俺に返り討ちに遭ってからは成長しているということなのだろう。

 

 もう一度参加する兵士たちの顔を見渡してから、俺は目の前のティーカップを拾い上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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クソ野郎だらけの世界 前編

 

 スペツナズが採用している装備は、テンプル騎士団の陸軍や海兵隊の装備とは異なる。

 

 一般的な部隊は人間の兵士だけでなく魔物との戦いも想定しなければならない。魔物の中には強靭な外殻で身を守っている魔物もいるので、扱いやすい小口径の弾丸では彼らにあまりダメージを与える事ができないのだ。実際に、異世界に転生したばかりの若き日の親父は小口径の弾丸を使っていたそうなんだが、硬い外殻を持つアラクネに弾丸を弾かれて苦戦したため、外殻もろとも撃ち抜けるほどの破壊力を誇る大口径の弾丸を好むようになった。

 

 反動は強くなるけれど、相手の外殻を貫通できるだけでなく、人間にぶち込んだ場合でも獰猛なストッピングパワーが猛威を振るう。それにレベルが自分よりも高い転生者との戦闘にも効果的だったらしく、親父は小口径の弾丸よりも大口径の弾丸を使用することを推奨している。

 

 獰猛なストッピングパワーの7.62mm弾がモリガンの傭兵たちを支えたと言っても過言ではないのだ。

 

 というわけで、テンプル騎士団ではモリガンの傭兵たちに倣って7.62mm弾を使用するアサルトライフルを正式採用している。以前までは弾薬を7.62mm弾に変更した”テンプル騎士団仕様”のAK-12を採用していたんだが、AK-15を生産するための条件を満たしてアンロックに成功してからは、AK-15を正式採用している。

 

 もちろんAK-12も現役で、AK-15と共に最前線で戦う兵士たちを支えてくれている。

 

 けれどもスペツナズが採用している銃の弾薬は、基本的には小口径の弾薬だ。

 

 一般的な歩兵部隊は魔物との戦闘も想定しているからこそ大口径の弾丸を使用するライフルで武装しているが、スペツナズが想定しているのは”敵の拠点への潜入”や”標的の暗殺”などである。要するに、スペツナズが想定している相手は”人間”なのだ。

 

 それゆえに、魔物との戦闘は想定する必要はないのである。

 

 なのでヘリの兵員室の中にいる兵士たちが点検しているのは、7.62mm弾を使用するAK-15ではなく、小口径の5.45mm弾を使用するAN-94だった。使用する弾丸の口径が小さいため、ストッピングパワーではAK-15に劣るものの、小口径の弾丸をすさまじい速度の2点バーストで敵に叩き込む事ができる。

 

 銃の上にオープンタイプのドットサイトを乗せている兵士もいるし、火力を底上げするつもりなのか、銃身の下にグレネードランチャーを装備している兵士も見受けられる。

 

 スペツナズの1つのチームには8人の兵士たちが所属しており、そのうちの6名がアサルトライフルやPDWで武装する。残った2名はスナイパーライフルとアンチマテリアルライフルで武装し、前に出ていく仲間達をサポートするのだ。

 

 真っ向から戦うことを想定した部隊ではないため、LMGで武装した兵士はいない。

 

 今回の任務に派遣されているヘリは、俺たちが乗っているカサートカを含めると合計で4機。兵士を4人ずつ乗せたカサートカが2機と、上空で指揮を執るためのカサートカが1機だ。もう1機のヘリは武装をこれでもかというほど搭載したスーパーハインドで、潜入した部隊から支援要請があり次第すぐに拠点へと突入し、スタブウイングに搭載したロケットとガンポッドを敵にプレゼントすることになっている。

 

 ちらりと窓の向こうを飛んでいるカサートカを見つめると、そのカサートカの兵員室の中にいるウラルがこっちに手を振ってきた。俺も彼に向かって手を振ってから、サイドアームのPL-14にサプレッサーを装着する。

 

 この作戦に参加するスペツナズの兵士は8名。彼らを支援するために、俺とカノンもこの作戦に参加する。俺のコールサインは「アルファ1」で、カノンのコールサインが「アルファ2」だ。

 

 装備しているメインアームは、生産したばかりのイサカM37とサプレッサー付きのPP-2000の2つ。サイドアームは、フォアグリップ、ロングマガジン、ストックを装備した”強襲殲滅兵仕様”のPL-14である。このPL-14はフルオート射撃も可能になっているんだけど、折り畳み式のストックを装備した上にフォアグリップまで搭載しているため、当たり前だけど普通のPL-14よりも重い。

 

 カノンのメインアームは、彼女が愛用するSVK-12だ。スコープとバイポッドが装着されており、狙撃用のスコープの上にはロシア製のドットサイトが乗っている。銃床は本来のものではなくサムホールストックへと変更されているため、AK-12よりも、前任のライフルであるドラグノフにそっくりだ。

 

 彼女のサイドアームは俺と同じく、強襲殲滅兵仕様のPL-14となっている。

 

『さて、そろそろ降下する準備をしてくれ』

 

「了解(ダー)」

 

 息を吐きながら席から立ち上がり、兵員室のハッチをそっと開ける。カルガニスタンの砂漠よりもはるかに涼しい風が兵員室の中へと流れ込み、オイルの臭いがする兵員室の中を瞬く間に植物の発する匂いで満たしてしまう。

 

 これから俺たちは、森の中にいるクソ野郎共を殺しに行くのだ。

 

 世界中に麻薬を販売しているクソ野郎共を。

 

 カサートカが高度を落とし、ゆっくりと減速し始める。機体の速度が変わったのを感じ取った兵士たちはすぐに座席から立ち上がり、草と湿った土で覆われた大地へと降下する準備を始める。カルテルを襲撃する他の兵士たちを乗せたカサートカも同じように兵員室にいる兵士たちを降下させるために減速し、兵員室のハッチを開けた兵士が降下の準備を始める。

 

 指揮を執るカサートカとスーパーハインドは逆に高度を上げると、まるで新しいチームの兵士たちを見守るかのように減速した。

 

『よし、行け! 降下開始!』

 

ほら急げ(ダヴァイダヴァイ)!!」

 

 兵士たちが降下を始めたのは、こっちの方が早かった。

 

 ヘリから降下する方法を学んだボレイチームの兵士たちが、ロープを使って素早くカサートカから降りていく。出来るならばカルテルの本拠地にそのまま降下したかったんだけど、彼らを逃がすわけにはいかないため、森の中を突破して奇襲を仕掛け、そのまま一網打尽にする作戦となった。

 

 そのため俺たちは、ヘリから降りたらこの森を越えなければならない。

 

 トラバサミがびっしりと仕掛けられた、恐ろしい森の中を。

 

 俺に「お先しますわ」と言ってからロープを掴み、兵員室のハッチから地上へと降りていくカノン。彼女が降下を終えたのを確認してから俺もロープを掴み、兵員室の外へと躍り出る。

 

 これから森の中へと突入し、カルテルの拠点を急襲するのは10人の兵士たち。そのうちの8人はまだ錬度の低い兵士たちだ。

 

 ボレイチームの兵士たちを支えるのは、上空に待機しているカサートカと武装を搭載したスーパーハインド。場合によってはテンプル騎士団空軍に空爆を要請することもできるだろう。

 

 だから俺とカノンは、彼らをサポートしつつ見守るのだ。

 

 ボレイチーム(新しい矛)が、敵を穿つのを。

 

 べちゃ、と泥を踏みつけた音を聴きながら、俺は顔をしかめて足元を見下ろす。どうやら雨上がりらしく、草に覆われた大地は予想以上に湿っていた。ヴリシアの戦いで雪解け水で湿った塹壕の中で戦った時の事を思い出しながらサプレッサー付きのPP-2000を構え、愛用のコートのフードをかぶる。

 

 フードに飾られているのは、かなりボロボロになった2枚の深紅の羽根。かつて若き日の親父が転生者を打ち破るために死に物狂いでレベル上げをした時の戦利品だという。

 

 この2枚の羽根が、転生者ハンターの象徴だ。

 

『ブラボー1-1、退避する。同志諸君、幸運を』

 

『こちらブラボー1-2、こっちも退避する。無茶はするなよ』

 

 それは無理だ。無茶をするのはモリガンの関係者の悪い癖なのだから、この戦いでも無茶をするに違いない。できるだけしないように気を付けようとは思うけど。

 

 上空へと退避する2機のカサートカをちらりと見上げてから、降下して周囲を警戒していた仲間に手で合図を送る。フランセンの森は霧で覆われつつあったが、仲間たちはちゃんと俺の合図を確認してくれたらしい。

 

 これから樹の群れのせいで視界が悪い上森の中を、トラップと敵の見張りに警戒しなければ進まなければならない。しかも霧まであるせいで、切り倒せば木造の家が2軒くらい建てられるんじゃないかと思うほどの大きさの樹が屹立しているにもかかわらず、その巨大な幹がうっすらとしか見えない。

 

 だからこそ嗅覚で敵やトラップを察知できる俺が、先頭を進む。

 

 この霧は面倒な存在だが、上手く使えば敵にも発見されにくくなるだろう。森を越える事さえできれば俺たちの独壇場だ。

 

 冒険者向けのブーツを泥で彩りながら、森の中を突き進む。巨大な樹の根を飛び越えて倒木の脇を通過し、生えているキノコや雑草を容赦なく踏みつけながら前進していく。

 

 傍から見ればトラップを警戒しながら進んでいるというよりは、ただ単に歩いているようにしか見えないかもしれない。ちらりと後ろを見て見ると、案の定、黒いヘルメットとバラクラバ帽をかぶったボレイチームの兵士たちは、そんなに警戒せずに進んで大丈夫なのかと言わんばかりにこっちを見つめながら後についてくる。

 

 心配すんなよ、トラップの位置はもう把握してる。

 

 ロープを使ってヘリから降下を始めた時点で、もう俺の嗅覚は捉えていた。

 

 森の中に隠されたトラバサミたちの発する金属の臭いを。

 

 どうやら嗅覚が鋭い魔物にも察知されないように泥や磨り潰した雑草を塗り付け、違和感がないように”匂い”を付けたらしい。確かにこの辺に生息している魔物には有効だろうけど―――――――キメラの嗅覚を一緒にするなよ。

 

 心配そうな顔をしている兵士たちを引き連れ、どんどん森の中を進んでいく。

 

 カノンは心配していないだろうなと思いながら、俺は目の前の巨大な倒木を飛び越えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちの任務に、1つだけやるべきことが追加された。

 

 カノンから借りた双眼鏡で森のど真ん中に居座る木製の門の向こうへとでっかい馬車が入っていくのを確認しつつ、その馬車の中から漏れ出る”匂い”を察知して確信する。

 

 ここにいる麻薬カルテル共は、ただ単に麻薬の販売をしているわけではないということを。

 

「中身は色んな種族の女性だな」

 

「麻薬カルテルのボスはハーレムでも作るつもりなんでしょうかねぇ」

 

 そう言いながら、隣にいるフランク大尉が俺から双眼鏡を受け取って門を確認する。廃村の正門を木材と金属の板で補強したものらしく、それなりに分厚いようだ。C4爆弾を使って吹っ飛ばせば問題なく突入できそうだけど、スペツナズがそんな”お上品”に突入することはあまりない。

 

 正門の前には2人の見張りが、あくびをしながら突っ立っている。装備しているのは金属製のコンパウンドボウで、腰にはマチェットらしきものも下げているのが見える。どうせどちらもモリガン・カンパニー製なんだろう。

 

 その後ろには見張り台があり、そこで見張っている男性の傍らには巨大な矢を装填されたバリスタが鎮座している。命中すれば飛竜の装甲を易々と貫通する代物だが、10年くらい前に退役している旧式の兵器だ。

 

 門の内側にも何人か見張りがいるようだが、それほど警戒している様子はない。あの見張りをしている連中とは違って、武器らしきものを携行している兵士の臭いはそれほど多くはない。

 

「麻薬だけじゃなく、奴隷まで売ってるってことですか」

 

「ああ。奴隷を売ればかなり金が手に入るし、奴隷の売買が違法になってるのは残念ながらエイナ・ドルレアンとカルガニスタンだけだ。他の地域ではまだ合法なんだよ」

 

「あんな商売が合法とは…………クソ野郎だらけなんですかね、この世界は」

 

 悪態をつきながら双眼鏡から目を離したフランクから双眼鏡を受け取り、後ろでマークスマンライフルのスコープを覗き込んでいたカノンに返す。これはカノンの装備なのだから借りパクするわけにはいかない。

 

 ハーフエルフであるフランクも元々は奴隷だったらしい。商人共に虐げられていたからこそ、虐げられている人々の苦痛を理解する事ができるのだろう。しかも自分たちが経験した苦痛がこの世界では”合法”なのだ。虐げられた経験がある奴隷だった人々から見れば、確かにクソ野郎だらけの世界である。

 

「いっそのことこの世界ぶっ壊そうか?」

 

「はははっ、新しい魔王様の誕生ですね」

 

「同志、もし本当にやるならついていきますよ」

 

「冗談だよ。…………アクーラ1-1、応答せよ。こちらアルファ1」

 

『―――――――こちらアクーラ1-1、どうぞ』

 

 耳に装着している小型無線機から聞こえてきたのは、上空のカサートカでサポートすることになっているウラルの低い声だった。

 

「麻薬カルテルの連中は、どうやら奴隷の売買もしているらしい。彼女たちを救助する必要がある」

 

『なに? …………ちっ、麻薬で稼ぎながら奴隷を売ってるってわけか。血も涙もないクソ野郎共だな』

 

「安心しろ、クソ野郎は駆除する。…………衰弱している奴隷もいるかもしれないから、別のヘリの手配を頼む」

 

『了解だ。…………ちなみに敵の人数は、シュタージの情報では60人前後らしい』

 

 確かに人数は多いな。

 

 そういえばショットガンでぶち殺す必要がある人数は20人だったな。要するにクソ野郎共の3分の1をショットガンでぶち殺せば、欲しいショットガンが手に入るというわけだ。

 

 存在価値のないクソ野郎共には、散弾をプレゼントしてあげよう。

 

『よし、まもなく救助部隊がタンプル搭から出撃するらしい。到着は1時間後だ』

 

「了解(ダー)。とっとと終わらせて、アフタヌーンティーでもしながら待つとしよう」

 

 武器をPP-2000からイサカM37に持ち替えつつ、もう一度拠点の中から溢れ出る”匂い”を確認する。

 

 今しがた馬車で運び込まれた奴隷たちは10人ほどだ。他にも拠点の中に奴隷はいるらしく、廃村だった拠点の中から女性の絶叫や、彼女たちを犯そうとしている男たちの声が聞こえてくる。

 

 入り口はしっかりした正門で守られているし、見張り台もある。けれどもそれ以外の場所はそれなりに薄い板や錆び付いた鉄板で作られた粗末な塀で囲まれているだけだ。周囲は霧で満たされているので、塀を乗り越えようとしても目立たないだろう。

 

 仲間たちに合図し、姿勢を低くしたまま移動する。正門を警備している3人の男たちにバレないように細心の注意を払いながら塀へと接近し、右手にショットガンを持ったままお粗末な塀の隙間を覗き込む。

 

 塀の向こうには誰もいない。臭いもしないから、物陰に他の見張りが隠れているというわけでもないだろう。見張りの連中は女たちを犯しに行ったってわけか。

 

 あまり好きじゃないんだよね、俺は。

 

 後続の仲間たちに合図を送ると、フランクもサプレッサー付きのAN-94を構えて警戒しつつ、仲間に合図を送って塀の近くまで前進させる。その隙に2人の狙撃手と選抜射手(マークスマン)のカノンも高い場所へと移動を済ませ、塀の内側の監視を始める。

 

 さて、クソ野郎の駆除を始めよう。

 

「最初は静かにやるぞ」

 

「派手にやるのはその後ですね」

 

 ああ、派手にやるのは最後だ。

 

 フランクたちが周囲を警戒してくれている間に、俺はお粗末な塀を乗り越えた。

 

 

 



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クソ野郎だらけの世界 中編

 

 ただ単に襲撃するだけならば、サプレッサーのついてない銃で銃撃したり、空爆を要請して徹底的にクソ野郎を駆除することができた。敵の数は多いけれど、装備は騎士団ではとっくに退役しているようなコンパウンドボウや、冒険者向けのマチェット程度。現代兵器を装備して訓練を受けた特殊部隊の敵ではないということは火を見るよりも明らかだし、上空には指揮を執るカサートカと武装をたっぷりと搭載したスーパーハインドもいる。

 

 だから実戦経験がまだ少ないとはいえ、ボレイチームの兵士たちでも大丈夫だろうと思った。

 

 しかし、ただ単に空爆を要請して爆弾を落としてもらったり、上空のスーパーハインドにロケット弾をぶちまけてもらうわけにはいかなくなった。そんなことをすればクソ野郎を消す事はできるけれど、彼らに虐げられている奴隷たちまで一緒に消してしまうからだ。

 

 というわけで、面倒だけど彼女たちを救出するまでは空爆の要請はできない。すでにウラルが「場合によっては空爆を要請することになる」と空軍の司令官に通達しているらしいが、下手したら彼らの仕事はなくなりそうだな。

 

 武器をイサカM37からPP-2000に切り替える。銃身を切り詰めたとはいえ、イサカM37の銃身よりもサプレッサー付きのPP-2000のほうが短いし、こっちはサプレッサーがついているから敵にバレる可能性はかなり低い。

 

 奴隷たちがいるのは九分九厘屋内だ。ということは室内戦が発生する可能性が高いということになる。室内戦では銃身が長い武器よりも、サイズの小さい銃を使う方が好ましい。軽い方が素早く構える事ができるし、屋内で兵士の動きを阻害しないで済むからである。

 

 もしかしたらこの任務でショットガンで敵を20人ぶっ殺すことはできないかもしれないな、と思いつつ、姿勢を低くしながら近くの建物の壁に耳を当てる。ここに本来の住民たちが住んでいた頃は雑貨店だったのか、建物の正面の方には商品を並べられそうな棚のようなものが置かれているのが分かる。けれども湿気のせいで順調に腐食した木製の棚の表面には商品の代わりに苔や変な模様のキノコが並んでおり、置き去りにされた建物を彩っている。

 

 建物の中から聞こえてくるのは、若い女性の苦しそうな声と、荒々しい男性の声。

 

 後続の隊員に、この中に敵がいる、と合図を送り、店の正面へと姿勢を低くしたまま回り込む。足音を立てないように注意しつつPP-2000を構え、キノコに支配された棚の前を横切る。

 

 そういうことをした経験はあるから、この半壊した建物の中で麻薬カルテルに所属するクソ野郎と奴隷の女性が何をしているのかは想像がつく。

 

 穴の開いたカウンターの陰に隠れつつ、苔だらけになったカウンターの奥をそっと覗き込む。

 

 案の定、奥には薄汚い服に身を包んだ男がいた。どうやら床に倒れているエルフの女性―――――――薄汚れた金髪の中から長い耳が見えている―――――――を犯し終えた直後らしく、自分が犯した女性を見下ろしながらニヤニヤと笑っている。

 

 PP-2000を腰のホルダーに戻し、鞘の中からスペツナズ・ナイフを引き抜く。刀身の長さを27cmに延長しているせいでちょっとしたボウイナイフのようにも見える。

 

 右手でその大型化したスペツナズ・ナイフを逆手に持ちつつ、姿勢を低くしたままその男に忍び寄る。本職は狙撃だけど、幼少の頃には様々な戦い方を親父や母親たちから学んだ。さすがにノエルほど暗殺に特化した訓練は受けなかったけれど、基本的な気配の消し方や、敵を静かに”消す”方法はちゃんと学んでいる。

 

「さて、そろそろ新しい女の様子でも見るか……………」

 

 床に倒れている女性は、以前からこいつらに犯され続けていたのだろうか。

 

 薄汚いクソ野郎に犯されていた女性をちらりと見てから、こっちに背中を向けている男の口へと左手を伸ばす。華奢な手だけれど、大柄な男の口元を覆うことはできる筈だ。

 

 何の前触れもなく背後から口を押さえつけられた男が、ぎょっとしながら暴れようとする。けれどもそいつが後ろから押さえつけられているということを理解して剛腕を振り回すよりも、こっちがナイフを頸動脈にぶち込む方が早いのは火を見るよりも明らかだった。

 

 漆黒に塗装された両刃の刀身が、男の頸動脈へと突き刺さる。ナイフを突き立てたままその男を部屋の隅まで引っ張ってから静かに床に倒れさせ、ナイフを引き抜く。

 

 傷口から大量の鮮血が溢れ出て、腐食した木製の床を瞬く間に血の海で覆っていった。

 

 ナイフの血を拭いてから鞘の中に戻し、上着を脱ぎつつ先ほどまでこの男に犯されていた女性の側へと向かう。虚ろな目で自分を犯していた男が殺されていたのを見つめていたその女性にコートをかけてから、俺は彼女に声をかけた。

 

「大丈夫か?」

 

「…………」

 

 オルトバルカ語が分からないのか?

 

 とりあえず、喋ることができる言語で話しかけてみることにする。もしかしたらその中に彼女の母語も混じっているかもしれない。

 

 というわけで様々な言語で呼びかけてみると、ドイツ語にそっくりなヴリシア語で「大丈夫か?」と尋ねた瞬間に、その女性の目がぴくりと動いた。

 

 この人の母語はヴリシア語らしい。

 

『よし、この言葉は分かるな? あなたたちを助けに来た』

 

『た、たすけ…………?』

 

『ああ、絶対助ける。…………他の奴隷たちはどこに?』

 

 すると、その女性はまだ痙攣している手を伸ばし、俺の手を握ってきた。

 

『ち、地下…………みんな地下室にいるわ…………。ま、真ん中の………大きな建物…………』

 

『地下だな? 分かった、必ず助ける』

 

 色んな言語を学んでおいてよかった。もしオルトバルカ語以外の言語を学んでいなかったら、他の言語を喋る捕虜や奴隷たちと話をすることはできなかっただろう。それにテンプル騎士団はあらゆる種族の兵士たちで構成されているから、下手したら仲間たちとコミュニケーションを取ることもできなかっただろう。

 

 幼少の頃に他国の言語を教えてくれた両親に感謝しながら、俺も彼女の手をぎゅっと握る。

 

 コートの上着を彼女に着させてから、警戒しつつ外の様子を確認する。幸い霧は未だに森と拠点の周囲をしっかりと覆っているので、10m先にある建物すらうっすらとしか見えない。

 

 敵にこっちの居場所がすぐにバレることはないだろう。

 

 親父から譲ってもらった転生者ハンターのコートを羽織ったエルフの女性の手を引き、外で警戒していたフランクの所へと連れて行く。AN-94を構えながら周囲を警戒していたフランクは、コートを羽織ったエルフの女性を見上げると、頷いてから彼女の手を引き、塀の外へと誘導し始めた。

 

 地下室か…………。室内戦になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒服のスペツナズの隊員が、数秒前に首を切り裂いて仕留めた男の死体を樽の中へと放り込む。苔の生えた蓋を樽の上に乗せて死体を隠したのを確認してから、湿った床が奏でる軋む音を聴いて顔をしかめる。

 

 フランセン共和国のガルコロフ州は雨が多い地域らしい。長い間湿度の高い森の中に放置されていた建物ばかりなのだから、床や壁はすっかり腐食し、当たり前のように苔やキノコが生えている。中には天井が崩落している建物も見受けられる。

 

 床が軋むのは本当に面倒だ。この音で敵に察知される恐れがある。

 

 少なくとも、奴隷たちを救出するまでは敵に気付かれたくないものだ。

 

「同志、地下への階段です」

 

「でかしたぞボリス」

 

 グレネードランチャー付きのAN-94を構えて警戒しながら建物の中を調べていたボリスが、地下へと続く階段を見つけてくれた。

 

 階段があった場所は、かつてはリビングに使われていたと思われる部屋の奥である。すぐ近くにはキッチンらしきスペースがあるが、麻薬カルテルの連中はそこを全く使っていないらしく、長い間放置されたキッチンは苔で覆われている。

 

 多分この建物は村長の家だったのだろう。他の家に比べて明らかに大きいけれど、大金持ちの住民が住んでいたにしては随分と質素な建物だ。

 

 建物の窓の陰に隠れつつ、外の様子を窺っていた他の兵士にも手で合図を送る。

 

 ラウラだったらエコーロケーションで地下にいる敵の人数だけでなく、地下室の構造などもすべて把握してくれる。なので彼女さえいてくれたのならば、敵の位置や建物の構造をすべて把握した状態で戦闘を始める事ができるのだ。

 

 けれども俺は彼女のように頭の中にメロン体があるわけではない。だからエコーロケーションで敵の位置を知ることは不可能だ。

 

 その代わりに、彼女の能力よりは少しばかり不便だが――――――”匂い”で敵の居場所を察知する事ができるのである。

 

 聴覚の代わりに、嗅覚が発達しているというわけだ。かつてラウラの手足を奪ったクソ野郎を追撃する際も、この嗅覚を使ってあいつを探す事ができたのだ。

 

 索敵の精度ではラウラに劣るが、無用の長物というわけではない。

 

 踏みつければ十中八九軋む音を奏でてくれそうな階段の先からは、腐食した木材の臭いと共に汗の臭いが漏れ出ているのが分かる。血の臭いも漂ってくるが、奴隷たちが暴行を受けているのだろうか?

 

 PP-2000を構えたまま、ゆっくりと階段を降り始める。細心の注意は払ったつもりなんだけど、長い間湿気を浴びながら放置されていた階段の木材は、予想通りに軋む音を奏でて俺の努力を嗤ってくれた。とはいえ宙に浮いて移動することもできないので、このままゆっくりと降りていくしかない。

 

 二本の足が生えている以上は、歩いていくしかないのである。

 

 なので、この軋む音で麻薬カルテルの連中に気付かれないように祈りながら降りていくしかなかった。

 

 けれども麻薬カルテルの連中の警備は、奴らに気付かれないようにわざわざ森の外で降下したのが無駄だったのではないかと思えるほどお粗末だった。警戒心が強い麻薬カルテルだと言われていたから、攻撃の前に逃げられないように森の中を突破してきたというのに、あいつらは新しく連れてきた女の奴隷を犯すことに夢中らしい。

 

 売り物ではないのだろうか?

 

 でも、”そういうこと”をしてから出荷する商人も珍しくはないらしい。

 

 階段を下りていくにつれて段々と聞こえてくる女性たちの絶叫。人の身体を殴りつけたかのような音と、男たちの怒号。

 

 あまり好きじゃないな、犯すのは。そういうことは愛し合っている女とするのが一番だと思う。

 

 やがて、階段の向こうにちょっとした通路が姿を現した。通路の奥には木箱や樽が積み重ねられている。通路を遮っているわけではなく、空いているスペースに積み重ねているのだろう。

 

 クソ野郎共の怒号が聞こえてくるのは、俺から見て左側にある木製の扉の向こうからだった。腐食が広かったらしく、木製の扉の表面には新しい小さな板や錆び付いた小さな鉄板が張り付けられて、かつて補強される前には底に穴があったということを告げている。

 

 突入する前に、もう一度室内から漏れ出る臭いを確認。男の臭いは10人ほどで、女の臭いはおそらく14人ほどだろう。やけに強烈な錆びた金属の臭いがするが、鉄格子でも部屋の中に置いてあるのだろうか。

 

「どうです?」

 

 後ろにいたボリスが、小声で問いかけてきた。

 

 10人くらいだ、と俺も小声で答えてから、PP-2000をホルダーの中へと戻し、背中に背負っていたイサカM37にスパイク型の銃剣を装着する。

 

 奴隷たちとクソ野郎共が同じ部屋の中に集まっている以上、敵にバレないようにクソ野郎を消すのは難しい。誘い出すことはできるかもしれないが、迂闊に彼らを誘い出そうとして怪しまれれば、警戒していない状態の他のカルテルの兵士共を刺激してしまう恐れがある。

 

 仕方がない、強引に突撃して奴隷たちを助け出そう。

 

 息を殺しながら待っている他の隊員たちに、突入する、と合図を送ると、ボリスが扉の反対側へと移動してドアノブへと手を伸ばした。彼を見つめながら頷きつつ、俺もスモークグレネードを用意し、安全ピンに人差し指を引っかけて引き抜く準備をする。

 

 この中には奴隷もいるので、奴隷たちを傷つけないように注意しなければ。

 

 突入することを想定していたので、俺のイサカM37にはスラグ弾がもう既に装填されている。けれども蝶番よりも先に、クソ野郎がこいつの餌食になりそうだ。

 

『嫌っ、もう止めてぇぇぇぇぇぇぇっ!!』

 

『はっはっはっ!』

 

『おい、壊すなよ。次は俺だからな?』

 

『や、やだっ…………誰か助けてっ!!』

 

 …………クソ野郎共は、全員ぶち殺す。

 

 テンプル騎士団はモリガン・カンパニーとは違って捕虜は受け入れる。けれども相手が人々を虐げているクソ野郎ならば、絶対に受け入れない。命乞いをしていたとしても必ずぶち殺す。

 

 というわけで、これからこの部屋の中を血の海にする。

 

 もう一度ボリスに向かって頷くと、彼は頷いてから錆び付いたドアノブをゆっくりと捻った。またしても軋む音を奏でたけれど、中にいる男たちは奴隷を犯すのに夢中で気付いていないらしい。

 

 間抜けな連中だよ、本当に。

 

 気付いていれば死なずに済んだかもしれないのにさ…………!

 

 安全ピンを引き抜き、スモークグレネードを部屋の中へと放り込む。ことん、とスモークグレネードが床に落下した音にはさすがに気づいたらしく、中から『何だこれ?』という声が聞こえてきた。

 

 その直後、部屋の中に放り込まれたスモークグレネードの中から、純白の煙が躍り出る。それほど広くはない地下室が瞬く間に白煙に呑み込まれたのを確認した俺は、未だにドアノブを握っていたボリスが扉を思い切り開くと同時に、俺はイサカM37を構えたまま部屋の中へと突っ込んだ。

 

「GO! GO! GO!」

 

 突入する前に、クソ野郎共の臭いで位置は把握している。

 

 まず一番近くにいる男に銃口を向ける。スモークグレネードの白煙のせいでうっすらとしか見えないけれど、距離が近いのであれば外す心配はない。

 

 間違って奴隷に当てないように気を付けながら、俺はトリガーを引いた。

 

 ズドン、と切り詰められた銃身の中から、1発のスラグ弾が躍り出る。白煙の中にうっすらと見えていた人影をあっという間に直撃したかと思うと、白煙の中で血飛沫が噴き上がり、部屋の中を漂っていた血の臭いがより濃密になる。

 

 胸板を強力なスラグ弾で抉られた男が崩れ落ち、押さえつけようとしていた奴隷の少女――――――年齢は多分俺やラウラとあまり変わらないだろう――――――の隣に崩れ落ちる。彼女には悪いけれど、あと9人のクソ野郎をぶち殺すまではそいつの隣でじっとしていてもらいたい。

 

 ジャキン、とフォアエンドを引き、次の標的を狙う。次にスラグ弾の餌食になったのは床に倒れている女性の上にのしかかっていた太っている男で、スラグ弾に上顎から上を食い破られる羽目になった。

 

 そのまま立て続けにスラグ弾を連射し、クソ野郎共の身体を抉っていく。敵の位置を素早く確認してトリガーを引き、そのまま人差し指をトリガーから離さずにフォアエンドをひたすら動かす。まるで熟練のガンマンが愛用のリボルバーでファニングショットを披露するかのように、俺はイサカM37のスラムファイアを有効活用し、チューブマガジンの中のスラグ弾で5人の男を撃ち殺す。

 

 欲しいショットガンをアンロックするにはあと15人。

 

 ホルダーの中にあるスラグ弾をチューブマガジンの中に装填しつつ突っ走る。左右にもまだクソ野郎がいたが、俺が狙っているのは部屋の奥にいる連中だ。スペツナズの兵士たちは優秀だが、彼らは俺と違って発達した嗅覚を持っていない。だからうっすらと姿が見える範囲にいる標的を彼らに任せ、俺は嗅覚を活用して奥の奴を仕留めることにしたのである。

 

『な、なんだ!?』

 

 奥にいた奴が慌てて床に落ちているマチェットを拾い上げたが―――――――大声を発してくれたおかげで、音でも居場所を察知できた。

 

 マチェットを手に持って狼狽している人影に駆け寄り、切り詰めた銃身の先端部に装着されているスパイク型の銃剣を、ジャンプしながら前に突き出して頸動脈に突き立てる。白兵戦では体重移動も立派なテクニックの一つで、体重移動を活用すればパンチやキックの威力も大きく変わる。

 

 もちろんジャンプすれば自分の全ての体重を活用する事ができるので、華奢な体格の俺でも強烈な一撃を叩き込めるというわけだ。

 

 頸動脈を串刺しにされた挙句、ジャンプしながら突き出された銃剣で突き飛ばされた男が、呆気なく吹っ飛んで後ろにあった鉄格子に激突する。床に落下して、早くも血の海を形成し始めたその男の死体を鉄格子の向こうから見ていた女性たちが悲鳴を上げた。

 

 くるりと後ろを振り返り、仲間たちの様子を確認する。

 

 さすがに突入訓練で俺に惨敗してからは猛特訓したのか、ボレイチームの動きはあの時とは全く違った。狙いやすい手前の得物だけ残っていたとはいえ、煙の中で混乱する敵兵をAN-94の2点バーストで正確に撃ち抜き、どんどん仕留めていく。

 

 白煙の中から「クリア!」という声が聞こえてきた俺は、安心しながらニヤリと笑った。

 

 制圧にかかった時間は11秒。

 

 成長してるじゃないか、ボレイチームは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 仕方がない

 

タクヤ「大丈夫か? ほら、この服を着るんだ」

 

奴隷1「あ、ありがとうございます!」

 

奴隷2「すいません、私にも服を…………」

 

タクヤ「え? ええと…………はい」

 

奴隷3「私にも服を貸してもらえますか…………?」

 

奴隷4「私にも……………」

 

スペツナズの隊員「…………」

 

タクヤ「……………だ、誰か、俺にも服を………」

 

 完

 

 

 



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クソ野郎だらけの世界 後編

 

『こちらアルファ1、救出目標を確保』

 

「了解ですわ。…………アルファ1、救助部隊の到着まであと40分ですわね」

 

『あらら、救出が早過ぎたか』

 

 タクヤの冗談を聞きながら、カノンはスコープを覗き込んで拠点の敷地内を確認しつつ微笑んだ。地下室へと突入するまでは無防備な警備兵をナイフで静かに消しつつ進んでいたため、敵に襲撃を察知されることはなかったものの、先ほどの強行突入は流石に騒ぎ過ぎたらしく、中距離用のマークスマンライフルに装着したスコープのレティクルの向こうでは、タクヤのぶっ放したショットガンの銃声を聞いた警備兵たちがマチェットを手にしたまま建物の中から飛び出して、慌てふためいているのが見える。

 

 最早静かに奴隷たちを救出して退避させるのが不可能なのは、火を見るよりも明らかであった。

 

 呼吸を整えつつ一旦スコープから目を離し、他の仲間たちの位置を確認するカノン。これから先は麻薬カルテルの連中と真っ向から戦うことを想定しつつ、別の位置で狙撃の準備をしている仲間たちに合図を送る。

 

 実際に最前線で活動することになるスペツナズの隊員はたった8人だけである。そのうちの2名は狙撃手となっており、一般的なスナイパーライフルの射手と、防御力の高い標的に対処するために対物ライフルを装備した射手の2名で構成されている。

 

 建物へと突入したのは5名の兵士たち。残りの2名はその建物の窓で外の様子を警戒しており、目標を救出して地下室から戻ってきた仲間たちに外の状況を伝え、脱出する仲間たちの支援をすることになっている。

 

(敵の人数は60人前後…………ちょっと数が多いですわね)

 

 建物から飛び出して慌てふためいているカルテルの警備兵たちをいつでも撃てるように準備しつつ、カノンは唇を噛み締める。彼女がスコープを覗き込んだまま伏せている狙撃ポイントから敷地内までの距離は、およそ500m。モリガンの傭兵たちの中で選抜射手(マークスマン)を担当した母(カレン)から受けた訓練で行った距離よりも若干短い距離であるため、スコープの向こうにいる敵兵を瞬時に始末するのはお手の物である。

 

 獲物を瞬時に始末し過ぎて、ボレイチームの狙撃手たちに経験を積ませる事ができなくなってしまうのではないか、と思いつつ、カノンはスコープを覗き込んだまま待機する。

 

 ヘリの到着まであと40分。その前に敵部隊に見つからないように奴隷たちを敷地の外まで脱出させるよりも、地下で一時的に奴隷たちを保護しつつ地上にいる敵を殲滅し、救助のヘリを待った方が安全なのは火を見るよりも明らかである。

 

『アルファ1よりアクーラ1-1へ』

 

『どうぞ』

 

『救出目標を保護したが、敵に気付かれたかもしれない。これより殲滅戦に移行する』

 

『奴隷たちはどうする?』

 

『ボレイ5、ボレイ6の2名に地下室を警備させつつ、他のメンバーで襲撃を敢行する』

 

『了解した。―――――――アクーラ1-1よりアルファ2へ』

 

「こちらアルファ2」

 

 予想通りの作戦だと思いつつ、カノンは無線機から聞こえてきたウラルの声に返事をする。

 

『隠密行動は終わりだ。そろそろクソ野郎共の掃除を始めようか』

 

「了解ですわ」

 

 スコープを覗き込んだままニヤリと笑い、慌てて兵舎と思われる建物から飛び出してくる警備兵たちに指示を出している中年の男性へと照準を合わせ続ける。隠密行動が終わっていつも通りの戦闘が始まるのはとっくに予想していたため、カノンはもう既に戦闘の準備を完全に終えていた。

 

 彼女の持つSVK-12は、テンプル騎士団で正式採用されている7.62mm弾を使用するマークスマンライフルである。本来は一般的な銃床とピストルグリップを併せ持つAK-12に似たマークスマンライフルであったが、彼女の要望によってタクヤがサムホールストックに改造しているため、AK-12というよりは、前任のライフルであったドラグノフに近い形状をしている。

 

「―――――――ボレイ4、ボレイ8、やりますわよ」

 

『了解(ダー)』

 

『準備はできています、同志カノン』

 

 2人の狙撃手に指示を出してから―――――――カノンは、マークスマンライフルのトリガーを引いた。

 

 1発の7.62mmが、サプレッサーの取り付けられた銃口から躍り出る。アサルトライフルに使用される小口径の弾薬と比べると圧倒的なストッピングパワーを誇る7.62mm弾は、拠点の周囲を覆っている霧に風穴を穿ちながら飛翔すると、マチェットを振りかざしながら部下たちに指示を出していたカルテルの指揮官の後頭部を叩き割った。

 

 皮膚を容易く貫いた弾丸が、頭蓋骨と脳味噌を木っ端微塵にし、脳味噌の肉片と肉がこびりついた頭蓋骨の破片たちを引き連れながら、眉間にもう1つの風穴を開けて飛び出していく。

 

 がくん、と指揮官の頭が揺れ、肉片と鮮血が彼の目の前を移動していた若い男性に降りかかる。その男性が目を見開きながら悲鳴を上げた頃には、SV-98を装備したボレイ4の放った.338ラプア・マグナム弾が、その男性の眉間を食い破っていた。

 

 ボレイ4がボルトハンドルを引いているうちに、カノンはすぐに次の標的に狙いを定める。ボルトアクション式のライフルは優秀な命中精度を誇るため、スナイパーライフルにうってつけのライフルと言えるが、1発発射する度にボルトハンドルを引かなければならなくなっていまうため、立て続けに連射できるセミオートマチック式のライフルと比べると、連射速度は遅くなってしまう。

 

 連射速度の速さを生かし、次の標的を撃ち抜くカノン。彼女の正確な狙撃の餌食になったのは、見張り台の上に備え付けられた大型のバリスタの発射準備をしようとしていた男性だった。とっくに各国の騎士団から退役した、ただ単に巨大な矢―――――――矢というよりは巨大な槍である―――――――を発射する旧式の兵器であり、着弾した矢は炸裂せずにそのまま地面や標的を串刺しにするだけである。それゆえに命中しなければ全く脅威ではないのだが、乱戦の真っ只中に放たれれば回避するのは難しくなる。

 

 タクヤたちが突入している間に、敵の位置や人数を観察しつつ、もし今から狙撃が始まるのであれば度の標的から仕留めるべきかと、カノンは既に排除する順番を決めていたのだ。

 

 面倒な麻薬カルテルとはいえ、錬度は騎士団には及ばない。何度も実戦を経験している騎士団の騎士たちならば戦闘中に指揮官が戦死したとしても、すぐに副官が指揮を引き継いで行動を続けることができるだろう。

 

 だが、戦闘に慣れていない麻薬カルテルが指揮官を失えば、迅速に指揮を引き継ぐことはできなくなる。

 

 案の定、レティクルの向こうでは戦死した指揮官を見下ろしながら、数名の警備兵たちが狼狽しているところだった。挙句の果てには逃げるべきだと言った仲間を「臆病者め」と罵り、襲撃を受けている最中であるにもかかわらず、戦場のど真ん中で口論を始めている。

 

 その愚かな3人を容赦なく撃ち抜いたカノンは、呆れながら次の標的へとレティクルを合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下室でサプレッサー付きの武器を使えば気付かれることはなかっただろうか、と後悔しつつ、チューブマガジンの中に散弾が装填されていることを確認する。

 

 奴隷たちを早く救出し過ぎてしまったらしく、彼女たちを救出するために派遣されたヘリがフランセンの国境を越えてここへとやってくるのは40分後だという。その間に奴隷たちをこのカルテルの拠点の敷地の外へと脱出させるよりも、一時的にあの地下室の中で保護しつつ、外にいるクソ野郎共を殲滅した方が安全だろう。

 

 というわけで、地下室を2名の隊員に警備させ、残った5人で敵兵たちを撃滅することになった。

 

 仲間たちはもう既にAN-94からサプレッサーを外している。強行突入した際の音で敵に気付かれてしまったのだから、もうサプレッサーで銃声を誤魔化しながら隠密行動を続ける意味はない。素早く敵部隊を殲滅し、ヘリが着陸する場所を確保しなければならないのだから。

 

 もう既に外にいる狙撃手たちは攻撃を始めているらしく、窓の向こうには大口径の弾丸で頭を叩き割られた敵兵の死体や、それよりもさらに大口径の対物(アンチマテリアルライフル)―――――――ボレイチームでは14.5mm弾を使用するように改造されたOSV-96が採用されている―――――――が放った弾丸に食い千切られた上半身が、湿った大地の上に転がって泥まみれになっているのが見える。

 

 ああいう光景はヴリシアの時に何度も目にした。

 

 溶けた雪のせいで泥まみれになった塹壕の中に転がる死体や肉片。着弾した砲弾がぶちまけた血の混じった泥を浴びながら進軍したクリスマス。

 

 唇を噛み締めながらフォアエンドを握り締め、仲間たちに合図を送る。

 

 準備を終えた仲間たちが頷いてくれたのを確認してから―――――――俺はドアを蹴破った。

 

続け(ザムノイ)ッ!」

 

 べちゃ、と湿った地面に叩きつけられた木製のドアを踏みつけ、その向こうでこちらを振り向きながらぎょっとしている男の顔面に、手始めに散弾をぶち込む。荒れ狂う散弾の群れを顔面にプレゼントされた男は、運動エネルギーを纏いながら飛来した散弾の群れに頬や眼球を抉り取られ、猛烈な血と肉の臭いをばら撒きながら後ろへと吹っ飛ぶと、湿った建物の壁を脳味噌の肉片と鮮血で、深紅とピンクの2色に彩ってから崩れ落ちる。

 

 フォアエンドを引き、次の標的を狙う。

 

 姿勢を低くしたまま前進し、今の銃声で気付いた敵兵へと肉薄。マチェットが振り下ろされる前にトリガーを引き、少しばかり太っていた警備兵の腹を散弾でズタズタにする。

 

 凄まじい破壊力だな、ショットガンは。

 

 散弾で食い破られた敵兵の死体を一瞥しつつ、フォアエンドを引く。排出された空の薬莢が煙を纏いながら排出され、湿った大地へと落下していった。

 

 返り血を浴びながら前進し、敵兵の首筋にスパイク型の銃剣を突き立てながら、ちらりと仲間たちを一瞥する。俺は1人で突っ込み、散弾と銃剣で敵兵の群れを早くも蹂躙しているが、ボレイチームの兵士たちは訓練通りにしっかりと遮蔽物の陰に隠れてコンパウンドボウの矢から身を守りつつ、AN-94に搭載された2点バースト射撃で敵兵を正確に仕留めている。

 

「グレネード!」

 

「了解、頼む!」

 

 ボリスがAN-94の銃身の下に搭載されていたグレネード弾を放ち、まとめて数名の敵兵を吹っ飛ばす。バラバラになった肉片や手足が立て続けに泥だらけの地面に落下し、血の臭いを周囲にばら撒き始めた。

 

 逃げようとする敵兵の背中に2点バースト射撃で2つの風穴をプレゼントし、マチェットを振り上げて突っ込んでくる敵兵を2点バースト射撃の連続射撃で薙ぎ払うボレイチームの兵士たち。

 

 アサルトライフルはフルオート射撃をすることもできるけれど、装着されているマガジンの中に入る弾薬の数はたったの30発。銃の種類によっては更に弾数が少ない銃もある。なので、フルオート射撃でこれでもかというほど弾丸をぶちまけるのは、弾薬の連なるベルトを装備している機関銃の仕事なのだ。

 

 ボレイチームがちゃんと連携を取りつつ敵兵を血祭りに上げていることを確認して安心した俺は、今しがたスパイク型銃剣を突き刺していた敵兵の喉を12ゲージの散弾で抉り取り、銃剣を引き抜いた勢いを利用してくるりと回転。そのまま銃床で殴りつけて喉を抉られた敵兵を後ろへと突き飛ばし、フォアエンドを引きつつ先へと進む。

 

 残った散弾をスラムファイアで一気にぶちまけ、チューブマガジンの中に散弾を装填。突っ走りながら近くの木箱の陰に隠れた直後、その木箱の向こうから俺を攻撃するために突っ込んできた敵兵のこめかみに、やけにでっかい風穴が開いた。

 

 AK-47やAK-15の弾薬として使用されている、大口径の7.62mm弾である。

 

 場合によってはスペツナズでも使用されることのある弾丸だが、魔物との戦闘よりも対人戦を考慮するスペツナズでは、基本的に口径が小さくて扱いやすい5.45mm弾のほうが望ましいと言われている。だからその一撃を放って俺を掩護してくれた選抜射手(マークスマン)の正体を一瞬で察した俺は、後で彼女にご褒美をあげようと思いつつ、にやりと笑ってから木箱の陰から躍り出た。

 

 ズドン、と大口径の14.5mm弾が飛来し、逃げようとしていた兵士の肉体を貫通する。まだ強烈な運動エネルギーを維持していた弾丸は、装甲よりもはるかに柔らかい人間の肉と骨をあっさりと食い破ると、その向こうにいたカルテルの兵士の胸板を抉ってしまう。

 

 OSV-96も、テンプル騎士団で正式採用されているアンチマテリアルライフルである。さすがにボルトアクション式のアンチマテリアルライフルと比べると命中精度はそれほど高くはないが、セミオートマチック式であるため、大口径の弾丸を立て続けにぶち込めるという利点がある。

 

 更に攻撃力を上げるため、”テンプル騎士団仕様”のOSV-96は14.5mm弾が発射できるように改造されているのだ。

 

 ちなみにボレイチームでそのテンプル騎士団仕様のOSV-96を装備しているのは、”ボレイ8”というコールサインを与えられている『アラン・シェンドルフ』だ。スペツナズの兵士はあらゆる部隊から選抜された兵士で構成されているんだが、アランはラウラの教え子でもある狙撃手部隊から選抜されてきた狙撃手であり、テンプル騎士団に入団する前はラトーニウス王国の奴隷部隊で後方からの狙撃を担当していた熟練のスナイパーなのである。

 

 多分、ボレイチームの中では一番実戦を経験している回数が多いのではないだろうか。

 

 木箱の陰から飛び出し、敵に肉薄してからショットガンをぶちかます。散弾で抉られた敵兵の死体を蹴飛ばし、後続の敵兵に激突させて体勢を崩してから、チューブマガジンの中の散弾をスラムファイアでまたしても全部ぶっ放す。

 

 テンプル騎士団ではもう既にサイガ12KやAK-12/76を採用しているが、ポンプアクション式のショットガンも悪くないかもしれない。例のショットガンをアンロックしたら兵士たちに支給してみよう。

 

 あと何人殺せばアンロックされるのだろうか、と考えながら近くの家の中へと飛び込み、ホルダーの中の散弾を次々にチューブマガジンへと装填していく。再装填(リロード)が終わったのを確認してから、俺は再びその家を飛び出し、必死に応戦している敵兵へと姿勢を低くしながら肉薄していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《”KS-23”がアンロックされました》

 

 逃げようとしていた最後の1人を射殺した直後に、目の前にそんなメッセージが表示された。やっとアンロックする事ができた、と思いながら先ほどまで火を噴いていたイサカM37を肩に担ぎつつ、左手で画面をタッチしていく。

 

 俺はこの『KS-23』が欲しかったのだ。

 

 KS-23は、ソ連で開発された大口径のポンプアクション式ショットガンである。一見するとイサカM37を更にがっちりさせたような形状をしており、強力な散弾を放つ銃身もさらに太くなっているのが分かる。

 

 現代のショットガンは12ゲージの散弾を使う代物が一般的だが―――――――このKS-23は、なんと23mm弾を使用する対空機関砲の砲身をショットガンの銃身に利用しているため、12ゲージの散弾よりも更に口径の大きな”23×75mmR弾”と呼ばれるでっかい弾丸を使用する事ができるのである。

 

 航空機を容易く撃墜できるほどの口径の銃身を使っているのだから、それから放たれる散弾が圧倒的な火力を誇るのは想像に難くない。

 

 アンロックされたばかりのショットガンを早速生産しつつ、ちらりと村長が使っていたと思われる建物の方を見つめる。地下室を警備していた2名の隊員が奴隷たちを地上へと誘導し始めたらしく、俺が蹴り破ったドアの向こうからは、ぞろぞろと奴隷にされた女性たちが外へと出ているところだった。

 

 救助部隊が到着するまであと20分もある。奴隷の救出どころか、殲滅も早く終わらせ過ぎたらしい。

 

『アルファ1、敷地内に麻薬を保管してる倉庫もある筈だ』

 

「よし、処分しよう」

 

 生産したばかりのKS-23を手に持った俺は、近くに転がっている泥まみれの死体を見下ろして顔をしかめてから、麻薬が保管されている倉庫を探し始めるのだった。

 

 

 

 

 



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クレイドル計画

 

 湿った地面に掘った穴の中へと、次々に死体を放り込んでいく。

 

 散弾に上顎から上を抉り取られ、血まみれの舌と歯があらわになった死体。14.5mm弾が直撃したせいで上半身を抉り取られ、グチャグチャになった肉と背骨の断面が見えている死体。グレネード弾の爆風でバラバラになった肉片。爆風か弾丸で吹っ飛ばされた、人間の頭。

 

 雨が降るだけで崩れてしまいそうな穴の中へと、濃密な血の臭いを発する死体たちを放り込んでいく。肉片や死体の一部を投げ込む度に、べちゃ、という音が穴の中から聞こえてきて、鼓膜の中へと流れ込んでくる。

 

 基本的に、討伐を行ったクソ野郎の死体はそのまま放置することにしている。人々を虐げていたようなクソ野郎の死体は、しっかりと埋葬してやる価値もない。そのまま腐臭と血の臭いを発しながら腐敗し、魔物の餌になるのがお似合いである。

 

 けれども死体を片付けなければならないケースもある。例えば敵にそのクソ野郎が排除されたということを知られたくない場合や、近隣に街などがある場合である。

 

 今回の理由は後者だ。街が近くにある状態で死体を放置すれば、猛烈な血の臭いで魔物たちが寄ってきてしまう。最悪の場合はそのまま近くの街へと攻撃を始めることもあるので、何の罪もない人々に被害が出ないように処理しておく必要がある。

 

 というわけで、俺たちは湿った地面をスコップで必死に掘り、その中に麻薬カルテルの連中の死体をひたすら放り込んでいた。死体の4割は原形をとどめていないので、場合によっては死体の手足ではなく、泥まみれになった肉片や内臓を掴んで放り込まなければならなかった。

 

 仕留めたクソ野郎たちの死体を放り込み終えたスペツナズの兵士たちは、今度はカルテルの連中が倉庫の中に保管していた麻薬の入った木箱を、その穴の中へと放り込み始める。

 

『お、おい、止めろ! 放せ、この奴隷共が!』

 

 兵士たちが容赦なく麻薬の入った木箱を穴へと放り込んでいくのを見守っていると、フランセン語の罵声が聞こえてきた。メニュー画面を開いて火炎瓶を10個ほど生産し、仲間たちに渡す準備をしながらちらりとそちらの方を見て見ると、2人のハーフエルフの兵士に押さえつけられた中年の男性が、死体や麻薬の入った木箱で埋め尽くされている穴の近くへと連れて行かれているところだった。

 

 カルテルの生き残りだろうか。薄汚れたズボンの太腿の辺りには弾丸が空けたと思われる穴と血痕があり、そこを弾丸で撃たれていることが分かる。もし仮にあの屈強な兵士たちを振り払ったとしても、両足を撃たれているのだから逃げられるわけがない。

 

 火炎瓶を左手に持ったまま、俺はそっちの方へと向かった。

 

『てめえら、よくも俺たちの拠点を…………! 絶対皆殺しにしてやるからな、この薄汚いハーフエルフ共が!』

 

「なあ、こいつなんて言ってんだ?」

 

「さあ? 同志団長なら分かるんじゃないか? あの人いろんな言葉を喋れるし」

 

 どうやらあの兵士たちはフランセン語が分からないらしい。

 

 首を傾げながらその生き残りを穴へと運んでいく兵士たちを呼び止めると、罵声を発していたカルテルの生き残りがこっちを睨みつけてきた。

 

「こいつは?」

 

「倉庫の屋根裏部屋に隠れてたんです。奴隷かと思って助けようと思ったんですが、カルテルの連中の生き残りだったみたいで、いきなりナイフを引き抜いて襲い掛かってきたものですから発砲しました」

 

「…………他に残ってる奴はいないだろうな?」

 

「はい、こいつが最後の生き残りです」

 

「……………念のためもう一度確認してきてくれ。こいつらはここで根絶やしにする」

 

「了解です、同志団長」

 

 クソ野郎共は根絶やしにするべきだ。

 

 こいつを運んできた2名のハーフエルフの兵士は俺に敬礼すると、踵を返してAN-94を構え、再び他に生き残っている敵がいないか確認するために建物の中へと入っていく。カルテルの兵士たちが壊滅したとはいえ、生き残っている兵士が待伏せしようとしている可能性もあるため、しっかりと警戒しながら建物の中へと入っていった。

 

 兵士たちが油断していないことを確認して安心しつつ、目を細めながら傍らに座っている中年の男性を見下ろす。

 

『おいおい、女の子がリーダーなのかよ』

 

 俺がリーダーだと誤解しているらしいけれど、残念ながらスペツナズの指揮を執るのは吸血鬼の巨漢(ウラル)だ。それに俺は男だからな。

 

 自分たちのカルテルを壊滅させた謎の部隊の隊長が女だった上に、まだ未成年だったから侮っているのだろう。ニヤニヤ笑いながらこっちを見上げてくるクソ野郎をぶん殴ってやろうかと思ったが、俺はそのままクソ野郎を見下ろし続けることにした。

 

 やがて生き残っている兵士がいないか確認しに行った兵士たちも戻ってくる。どうやら他に隠れている生き残りの連中はいないらしい。

 

 なので、こいつをぶち殺せばカルテルの殲滅は完了ということだ。ヘリが到着するまではあと3分ほど時間があるので、その前に火を放てばヘリの着陸地点の目印にもなるだろう。

 

『おい、分かってるのか? 俺たちの後ろ盾には議会の議員が―――――――』

 

『ああ、残念だけどその議員はついさっき死んだらしい。馬車の”事故”でな』

 

『…………え?』

 

 先ほどからニヤニヤ笑っていたカルテルの生き残りの顔が青ざめる。どうせカルテルと取引をしている議員にこの襲撃を報告し、テンプル騎士団へと報復してもらうつもりだったのだろう。議員が後ろ盾だからこそ、仲間を皆殺しにされてもこっちを見ながらニヤニヤする事ができていたに違いない。

 

 けれども残念ながらその議員は、数分前に馬車で崖から転落するという”事故”で死亡したという。なのでこのカルテルにはもう後ろ盾など存在しないし、構成員の大半が死亡しているのだから、もうこのカルテルは機能しないだろう。

 

 それに、もし仮に議員に今回の剣を報告したとしても、フランセン共和国はテンプル騎士団に惨敗したばかりだ。騎士団の装備ではテンプル騎士団に勝利することはできないということが実証されたばかりだし、騎士団を派遣したとしても、他国からは「フランセンが武力で強引に植民地を取り戻そうとしている」と見なされ、また避難される羽目になるだろう。

 

 というわけで、こいつらの後ろ盾が議員だったとしても全く意味はないのだ。もちろん、麻薬カルテルを支援するようなクソ野郎にも消えてもらったが。

 

『う、嘘だ……………』

 

『安心しろ、これからあんたらの後ろ盾と再会させてやる』

 

 狼狽するカルテルの生き残りにフランセン語でそう告げた直後、近くでアンチマテリアルライフルを担いだままカルテルの生き残りを冷たい目つきで見下ろしていたボレイ8が、OSV-96の銃床を、その中年の男性の顎へと思い切り振り上げた。

 

 筋肉で覆われた剛腕によって振り上げられた長大なライフルの銃床を叩き込まれた男の首が、がくん、と後ろに大きく揺れたかと思うと、そのまま身体が浮かび上がる。荒々しい運動エネルギーに突き飛ばされた男はあっさりと吹っ飛ばされると、そのまま穴の縁に激突し、泥まみれになりながら仲間たちの死体の上へと転がり落ちていった。

 

 そのうちに、他の仲間達へとさっき生産した火炎瓶を支給しておく。60人分の死体と大量の麻薬が収まった穴なのでそれなりに大きいが、火炎瓶が10本くらいあれば焼き尽くすことはできるだろう。それに煙がヘリの着陸地点の目印になるに違いない。

 

 仲間たちの死体や内臓の一部がぎっしりと放り込まれた穴の中から、さっき突き落とした男の叫び声が聞こえてくる。穴の中には60人分の死体―――――――正確には59人だろう。これから1人追加されるけど―――――――の死体が転がっているし、穴の中は湿っているから這い上がるのは困難だ。俺たちが彼を助けるためにロープを降ろしてやらない限り、脱出することはできない。

 

 けれども、もちろんそいつを助けるつもりはない。

 

 あんな死体と内臓だらけの穴の中に落ちたらトラウマになるだろうな、と思いながら、俺たちは着火した火炎瓶を容赦なく穴の中へと放り込んだ。

 

 パリン、と瓶が割れる音が何度か聞こえてきたかと思うと、バラバラになった死体や麻薬の入った木箱に燃え移った炎が、瞬く間に穴の中の死体を燃やしていく。10秒足らずで火の海と化した穴の中で、火達磨になりながら暴れ回る1名の生存者を一瞥した俺は、息を吐いてから踵を返す。

 

 焼かれてろ、クソ野郎が―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボレイチームの連中も成長したな」

 

 市街地での戦闘を想定した訓練区画の訓練場の中で、編成されたばかりのシエラチームの兵士たちと訓練をするボレイチームを見守りながら、隣に立っているウラルがそう言った。

 

 数時間前に参加した麻薬カルテルの殲滅作戦では、敵が60名もいたにもかかわらず負傷者は0名で、当たり前だけど戦死者も出ていない。それにあいつらに捕らえられていた奴隷たちを全員救出することにも成功している。

 

 最高の戦果だ。

 

 救出目標を全員無傷で助け出した上に、排除しなければならない標的も全て排除し、負傷者を出さずに戻ってきたのだから。

 

 まだ未熟な兵士たちだが、もう俺があいつらと一緒に戦場に行く必要はないだろう。

 

「すまないな、団長。あんたまで行かせてしまって」

 

「気にするな。大事な仲間を失うよりはマシだよ。新しいショットガンもアンロックできたしな」

 

 そう言いながらウラルにアイスティー入りのカップを手渡し、シエラチームが立て籠もっている建物の中へと容赦なくスモークグレネードを放り込むボレイチームの兵士たちを見つめた。

 

 彼らが救い出した奴隷たちの中には、カルテルの連中から暴行を受けて衰弱していた奴隷もいたため、現在はタンプル搭で一時的に受け入れて治療している。基本的には回復次第すぐに故郷へと送り返す予定だし、もし故郷がすでに壊滅していたり、タンプル搭に残ることを希望するのであれば受け入れる予定である。

 

 既に売られてしまった奴隷たちを捜索するため、あの拠点で回収してきたカルテルの奴隷の販売記録をシュタージが確認中だ。派遣しているエージェントからの情報が送られてくれば、すぐにボレイチームとアクーラチームが派遣されることになるだろう。

 

 奴隷を助けるだけでなく、ちゃんと家族と再会させてあげなければならない。

 

「それにしても、クソ野郎ばかりだな」

 

「全くだ」

 

 人々を虐げているのは、転生者だけではない。街や村に住んでいる住民たちを苦しめている領主や貴族もいるし、植民地の人々を奴隷として販売し、私腹を肥やす商人共もいる。

 

 だからこそ、そういう奴らを蹂躙する絶対的な力が無ければならない。

 

「―――――――なあ、ウラル」

 

「なんだ?」

 

 声をかけると、訓練を見守っているウラルは腕を組んだまま答えた。

 

「苦しんでいる人たちを救うにはさ……………俺たちが”揺り籠(クレイドル)”を作る必要があると思うんだ」

 

「揺り籠?」

 

「ああ」

 

 未だに先進国や発展途上国では、当たり前のように奴隷たちが販売されている。植民地から連れて来られた人々や、戦争で敗れた騎士団の捕虜たち。男たちは過酷な労働をさせられたり、粗末な装備を支給されて最前線へと送られるのが当たり前で、女の奴隷たちはクソ野郎共に犯されるしかないのである。

 

 モリガンの傭兵たちはその世界を変えるために努力し続けているが、未だに奴隷が違法になっている地域はエイナ・ドルレアンか、このカルガニスタンのみ。

 

 だから俺はもう、この世界を変えることを諦めようと思う。

 

「虐げられている人々を救って、この世界を捨てようと思うんだ」

 

「何だって?」

 

 正確には、人々を虐げていたクソ野郎だけを世界に置き去りにする。そして救った奴隷たちだけで、決してクソ野郎共に支配されることのない楽園を作るのだ。

 

「―――――――俺たちの力で人々を救って、”揺り籠(クレイドル)”を作りたい」

 

「…………おい、正気か? この世界には何百万人も奴隷がいるんだぞ?」

 

「分かってるよ。少なくとも、俺が棺の中で眠る前に達成できる計画ではない。……………だからさ、この計画を子供たちや子孫たちに託したいんだよ。それにお前は寿命が長いから、きっと子孫たちと一緒にこの計画を成功させてくれる筈だ」

 

 キメラは圧倒的な身体能力を誇る新しい種族だが、他の種族よりも寿命が短い。平均的な寿命は65歳らしく、50歳に達すると急激に身体が老いて行くという。つまりキメラたちにとっては、50歳が”定年”ということだ。

 

 だからこの計画が成功するのは、子孫たちの時代になるに違いない。

 

 逆に吸血鬼たちの寿命は非常に長い。信じられない話だが、中には1000年も生きた吸血鬼もいるという。だからきっとイリナやウラルは、俺や俺たちの子孫たちが次々に老衰で死んでしまったとしても、ずっと若い姿のままなのだろう。

 

 どれだけクソ野郎を消してもこの世界が変わらないというのであれば、こんな世界をとっとと捨てて、自分たちで新しい世界を作るしかない。

 

「ふん……………だが面白い計画だ。確かに世界が変わらないなら、俺たちで新しい世界を作ってしまったほうがいいのかもしれん」

 

「付き合ってくれるか?」

 

「安心しろ、吸血鬼はキメラと違って寿命が長い。計画はお前らの子孫と一緒に成功させてみせるさ」

 

 そう言いながらこっちを振り向き、ニヤリと笑うウラル。俺は安心しながらティーカップに手を伸ばすと、ジャムの入ったアイスティーを飲み干してから椅子から立ち上がった。

 

「Спасибо(ありがとよ)」

 

「おう、任せろ」

 

 彼に礼を言ってから、俺は訓練区画を後にした。

 

 この計画が成功するのが何年後になるのかは分からないけれど、きっと俺やラウラの子孫たちならばやり遂げてくれる筈だ。虐げられていた人々を救うための揺り籠を作り上げ、計画を成功させてくれるに違いない。

 

 その”揺り籠(クレイドル)”を作るために、俺たちは血まみれになりながら戦うのだ。

 

 ”鉄”と”血”で作られた少しばかり物騒な揺り籠だけど―――――――少なくとも、その中に安寧がある筈なのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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強襲擲弾兵

 

 放り投げられた無数の手榴弾が、唸り声をあげる魔物たちの周囲に降り注いだ。

 

 既に安全ピンを引き抜かれていたその手榴弾たちは、灰色の砂の上に着地した直後に起爆すると、爆炎と手榴弾の破片を周囲へとまき散らし、その破片や爆風の近くにいた魔物たちに猛威を振るう。

 

 起爆した手榴弾の爆発でズタズタにされ、血飛沫を噴き上げながら砂まみれになっていくゴブリンたちの死体を見つめながら、俺は生産したばかりのKS-23のチューブマガジンの中へと、12ゲージの散弾よりもさらに大口径の散弾たちを装填していた。

 

 あの手榴弾を放り投げたのは、俺ではない。俺は先ほど撃ち尽くした散弾をチューブマガジンの中へとぶち込む作業を続けていたのだから、いくら尻尾があるとはいえその最中に手榴弾を放り投げるのは難しい。

 

 魔物たちを蹂躙した手榴弾を放り投げたのは―――――――魔物たちの群れの側面で匍匐前進(ほふくぜんしん)をしている、黒服の男たちだった。テンプル騎士団で採用されている黒と灰色の迷彩服に身を包み、同じくテンプル騎士団で採用されている同じ模様のヘルメットをかぶっている。手榴弾の爆風や破片から目を守るためにゴーグルをつけており、胴体に取り付けたポーチやホルダーの中には、これでもかというほど大量の手榴弾をぶら下げているのが見える。

 

 彼らは、新しく編成された『強襲擲弾兵(きょうしゅうてきだんへい)』と呼ばれるテンプル騎士団の新しい兵士たちだった。

 

 一般的な兵士よりも多くの手榴弾を携行した兵士たちであり、味方の歩兵たちが敵部隊と交戦中に側面から敵の陣地へと忍び寄り、携行した大量の手榴弾をこれでもかというほど放り投げ続けるというかなり攻撃的な兵士たちである。しかも対人用の手榴弾ばかりではなく対戦車手榴弾も携行しているため、さすがに戦車をそれで撃破することは難しくなってしまったものの、装甲車にダメージを与えることができるのである。

 

 とはいえ、手榴弾は兵士が自分の腕力でぶん投げる兵器だ。それに対して銃は火薬の力を使って遠距離へと銃弾を射出する兵器であるため、当たり前だが必然的に手榴弾の方が射程距離が短くなってしまう。

 

 なので、この強襲擲弾兵たちが猛威を振るうには、敵部隊が味方の部隊と撃ち合っている最中に側面から忍び寄る必要がある。パーティーが始まるのは敵に肉薄してからなのだ。

 

 強襲擲弾兵たちは側面から攻撃させなければならないため、分隊の中に編入するのではなく、強襲擲弾兵だけで構成された部隊を編成し、その部隊を実戦に投入する予定だ。

 

 強襲擲弾兵のうちの1人が投擲したソ連対戦車手榴弾の”RKG-3”が、爆風でよろめいていたゴーレムの胸板へと飛び込む。戦車を吹き飛ばすために生み出された手榴弾の爆炎がゴーレムの外殻を彩ったかと思うと、岩にも似たゴーレムの外殻が次々に飛び散り、加熱された血の濃密な臭いがぶちまけられる。

 

 現代の戦車を撃破することはできなくなってしまった旧式の兵器だが、戦車よりもはるかに”装甲”が薄いゴーレムなどの魔物には有効な兵器である。なので魔物とも交戦することが多いテンプル騎士団では、旧式の兵器であるにもかかわらずまだ対戦車手榴弾は”現役”だった。

 

 他の強襲擲弾兵たちも、今度は対戦車手榴弾を投げまくる。何発かは外れてゴーレムの足元で爆発したためダメージは与えられなかったけれど、その爆風で驚いたのか、それとも爆風に突き飛ばされたのか、岩石のような外殻に包まれたゴーレムがよろめく。

 

 そこに後続の対戦車手榴弾が立て続けに飛び込み、哀れなゴーレムの上半身をミンチにしてしまった。

 

 おいおい、もうパーティーが終わっちまうんじゃねえか?

 

 せっかく試し撃ちに来たのに、と思いつつ、俺はショットガンを構えながら姿勢を低くして走り出す。俺が突撃したのを確認した強襲擲弾兵の1人が味方へと合図を送り、一時的に手榴弾の投擲を中止してくれた。

 

 ありがとよ、同志。ちょっと暴れたらすぐ離れるから、そうしたらパーティーを再開してくれ。

 

『ギィッ!』

 

「よう」

 

 仲間の血を浴びていたゴブリンに肉薄し、容赦なくKS-23をぶっ放す。

 

 このKS-23はソ連製のポンプアクション式ショットガンだ。アメリカのイサカM37をさらにがっちりとさせたような外見のショットガンで、一般的なショットガンが使用する12ゲージの散弾よりも巨大な弾丸を使用する事ができる。

 

 なんと、このショットガンは大口径の23mm弾を使用する対空機関砲の砲身を銃身に使っているので、砲弾に匹敵する大きさの弾丸を発射することが可能なのだ。あくまでもショットガンなのでアサルトライフルと比べると射程距離は短くなってしまうものの、世界中のポンプアクション式ショットガンの中でトップクラスの破壊力を誇る獰猛な代物と言っても過言ではない。

 

 なので、そんな代物から解き放たれた散弾を至近距離で叩き込まれたゴブリンが、原形を留めたまま倒れることはなかった。大口径の23×75mmR弾を叩き込まれたゴブリンの肉体が四散して周囲に鮮血や内臓の一部をまき散らし、砂漠を真っ赤に染める。

 

 地面に落ちた砂まみれの内臓を踏みつけ、そのまま前進。フォアエンドを引いてからすぐに味方の対戦車手榴弾で肩を抉られたゴーレムの口の中へと散弾をぶちまける。

 

 ズゴン、と強烈な銃声を轟かせると同時に、ゴーレムの口の周りが弾け飛ぶ。そのまま崩れ落ちたゴーレムを一瞥しつつフォアエンドを引き、やけにでかい薬莢を排出。このまま次の標的を狙おうかと思ったけれど、今回の戦闘の目的は魔物の撃滅と強襲擲弾兵たちの”テスト”だ。彼らの獲物を奪い過ぎるのは好ましくない。

 

 というわけで、大人しくそのまま群れの反対側から離脱する。後ろを追いかけてきたゴブリンをキメラの尻尾で弾き飛ばしてから味方に手を振り、パーティーを再開せよ、と指示を出す。

 

 その直後、再び安全ピンを引き抜く恐ろしい音が、砂漠の中に響き渡り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様ですわ、お兄様」

 

「ありがと」

 

 強襲擲弾兵たちと共にカサートカから降りると、格納庫でカノンが待ってくれていた。

 

 彼女からタオルを受け取り、汗を拭きつつ彼女の頭を撫でようとする。けれども自分の手に未だにゴブリンの返り血が付着していた事を思い出した俺は、はっとしつつ持ち上げた左手をすぐに引っ込めた。

 

 カノンを撫でてあげたいところだけど、血まみれの手で撫でたら彼女が汚れてしまうのでシャワーを浴びるまで我慢しよう。

 

 撫でてもらえると思っていたのか、手を引っ込めたのを見たカノンは残念そうな表情をする。シャワーを浴びたらちゃんと撫でてあげないとな、と思いつつ、とりあえず部屋に向かうことにした。

 

 さっきの戦闘はカルガニスタンに住む部族たちからの依頼だった。魔物たちはよく農作物と住民たちを狙って村を襲撃することがあったらしく、植民地だった頃はフランセンの騎士たちが村の防衛を担当していたらしい。

 

 今のカルガニスタンは独立しているので、もうフランセンに村の防衛を任せることはできない。というわけでテンプル騎士団が彼らの代わりに村を防衛したというわけだ。

 

 兵士たちを出撃させる回数は増えることになるだろうが、その分錬度を上げることはできるし、場合によっては今回のように新しい兵士や兵器のテストにも活用できるだろう。それにカルガニスタンに住む部族たちとも親密になることもできる。

 

 ちなみに今回のクライアントだった部族たちからは、ついさっきどっさりと野菜が送られてきたらしい。今夜の食卓は野菜を使った料理に支配されることになるだろう。カノンはちゃんと完食できるだろうか。

 

「そういえば、さっきクライアントから野菜がどっさりと届いたらしい」

 

「そ、そうですわね……………」

 

 野菜の話をした瞬間、カノンの顔が青くなった。彼女は相変わらずピーマンが嫌いらしい。

 

 今夜はその野菜を使って野菜スープでも作ろうかな。もちろん容赦なくピーマンはその中にぶち込むけど。

 

「お前まだピーマン苦手なのか?」

 

「ええ…………嫌いですの」

 

「ははははっ」

 

 彼女と一緒にエレベーターに乗り、居住区へと向かう。自室のある階でカノンと一緒に降りると、エレベーターの外でツナギ姿の獣人の整備兵たちが待っていた。これから戦車やヘリのメンテナンスへと向かうのだろうか。

 

 工具箱を持った彼らに「お疲れ様」と言ってからすれ違い、部屋へと向かう。

 

 とっととシャワーを浴びてカノンを撫でてあげようと思いながらドアノブを捻ってドアを開けると、どういうわけかカノンまで一緒に部屋の中に入ってきやがった。

 

 ん? 部屋に戻るんじゃないの?

 

「カノン?」

 

「なんですの?」

 

「俺、今からシャワー浴びるんだけど」

 

「知ってますわよ?」

 

「…………一緒に入るつもり?」

 

 そう問いかけると、正解だと言わんばかりにカノンは顔を赤くして、俺から目を逸らした。

 

 彼女と一緒にシャワーを浴びたら、そのまま襲われるんじゃないだろうか。数日前に彼女に睡眠薬―――――――正確に言うと対魔物用の麻酔薬だ―――――――を使われて眠らされた挙句、そのままカノンに襲われたことを思い出した俺は、ぞっとしながらカノンから距離を取る。

 

「な、何で離れるんですの!?」

 

「カノン、危険な敵からは距離を取るんだぞ」

 

「わたくしは危険ではありませんわよ!?」

 

「嘘つくなぁッ! お前俺に魔物用の麻酔薬使って眠らせやがったじゃねえか!!」

 

 しかも眠っている最中に襲われたので、ママから貰った妊娠を抑制してくれる便利な薬を飲む時間がありませんでした。下手したらラウラよりも先に妊娠する可能性があるのでやめてもらえないでしょうか。

 

 というか、あの日は俺のアハトアハトは何回火を噴いたのだろうか。

 

 カノンの事も好きだけど、出来るなら子供を作るなら結婚してからにしたいものである。でもラウラも薬を飲む前に頻繁に襲ってくるので、下手したら結婚する前にラウラかカノンが妊娠することになりそうだ。

 

 ラウラだったら問題ないかもしれないけど、カノンを妊娠させたらギュンターさんに殺されるかもしれない。下手したらカレンさんまで敵に回すことになるかもな…………。

 

 溜息をつきながらコートの上着を脱ぎ、着替えを準備してから洗面所へと持って行こうとしたその時だった。

 

『ねえ、ラウラってどうしてそんなに胸が大きいの?』

 

『ふにゅ? ママからの遺伝だよ?』

 

 …………ん? ラウラ?

 

 イリナも一緒なのだろうか。

 

『イリナちゃんだっておっぱい大きいじゃん』

 

『そ、そうかなぁ? でも一番大きいのはラウラなんじゃない?』

 

『ふにゅー…………』

 

『えいっ♪』

 

『ひゃんっ!? い、イリナちゃん!?』

 

『す、すごく柔らかい…………! えへへっ、もっと揉んでもいいよね?』

 

『ちょ、ちょっと、ダメ―――――――にゃあああああ!?』

 

 あの2人はシャワールームで何をしているんでしょうか。

 

 シャワールームのドアに耳を当てて2人の声を聞きいていた俺は、頭を掻きながらそっとドアから耳を離した。シャワールームに行くよりも大浴場に行った方が早いかもしれないな、と思いつつ踵を返そうとすると、いつの間にかドアに耳を当てて中の音を聴いていたカノンに手を掴まれた。

 

「お兄様」

 

「ん?」

 

「―――――――参戦しましょう」

 

「なんでやねん」

 

 今シャワールームの中に突入したらとんでもないことになるでしょうが。こういう時は撤退した方がいい。というか、このシャワールームの中に足を踏み入れてはいけません。片方はまだまともな女の子だけど、おっぱいが大きい赤毛の美少女は弟を容赦なく襲うとんでもないお姉ちゃんなんだから。

 

 突入したらラウラに襲われる可能性が高いし、カノンも便乗して一緒に襲ってくるだろう。最悪の場合はイリナまで襲ってくる可能性がある。

 

 2人に襲われた経験はあるけど、さすがに3人の美少女に襲われた経験はございません。

 

 というわけで私は撤退しますよ、カノンお嬢様。

 

 そう思いながら逃げようとするんだけど、カノンは俺の手を放してくれない。とりあえず彼女のもう片方の手がシャワールームのドアノブへと伸びる前に、全身の筋力をフル活用してカノンをそのまま部屋の外へと連れて行くことにした。

 

「ああ…………巡洋戦艦と超弩級戦艦がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「何のこと!?」

 

 足掻こうとするカノンを引きずりながら、自分の部屋を後にする。けれどもさすがにカノンをこのまま引きずって大浴場に突入するわけにはいかないので、とりあえず隣にあるカノンたちの部屋にお邪魔することにしよう。

 

 ステラは研究室にいる筈だし、ナタリアはラジオ・タンプルの収録に行っているから部屋には誰もいない筈だ。

 

「あら? わたくしの部屋?」

 

「そうだよ」

 

「ふふふっ、お兄様ったら。わたくしと2人きりになりたかったのですわね?」

 

「やかましい」

 

 お前が危険地帯(シャワールーム)の扉を開こうとしてたからここに退避しただけです。

 

 呆れながら洗面所のドアを開き、赤いネクタイを取ってからボタンを外し始める。どうせカノンも一緒にシャワーを浴びるつもりなんだろうな、と思いながらボタンを外していると、やっぱりカノンが洗面所へとやってきて、俺の着替えのすぐ隣に自分の分の着替えを置いた。

 

 何で一番上にピンク色の下着を置いたのだろうか。

 

「あ、お兄様。服でしたらわたくしが脱がせて差し上げますわ」

 

「け、結構ッス」

 

 拒否した筈なのに容赦なく手を伸ばしてくるカノン。彼女は俺の手をあっさりと受け流して肉薄してくると、素早くワイシャツのボタンを外してすぐにワイシャツを脱がせ、その下に着ていたTシャツまで5秒足らずで脱がせてしまう。

 

 そして今度はズボンのベルトへと手を伸ばすカノン。慌てて彼女のすらりとした手を両手で押さえつけ、両腕の筋力をフル活用してカノンの侵攻を食い止めようとする。

 

「ば、バカ、自分で脱ぐから! とりあえずタオルよこせ!」

 

「ふふっ、タオルなんか必要ありませんわ」

 

「全裸は拙いだろ!?」

 

「何言ってますの? この前は全裸になったではありませんか♪」

 

「あれはお前のせいだからね!?」

 

「ふふふふっ…………さあお兄様! 観念してわたくしと〇〇〇〇しようではありませんか!」

 

「普通にシャワーを浴びることはできないんですか!?」

 

 く、くそ、このままじゃズボンまで脱がされちまう…………!

 

 襲われるのを防ぐために抵抗していたその時、なんと部屋のドアが開く音が聞こえてきた。

 

 誰かが部屋に戻ってきたに違いない。この部屋に住んでいるのはナタリアとカノンとステラの3人なのだから、ナタリアかステラのどちらかだろう。

 

 こ、こんなところを見られるわけにはいかない…………!

 

『あら? こっちじゃないのかしら?』

 

 な、ナタリアだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 よりにもよってまともな人が戻ってきちゃった! まともじゃない人が戻ってきても拙いけど、まともな人が戻ってくるのも拙いじゃねえか! こんなところ見られたらナタリアにぶん殴られちゃう!

 

 こっちに来ませんように、と抵抗しながら祈ったけれど―――――――数秒後に洗面所のドアノブがくるりと回ったのを見た俺は、観念した。

 

 ゆっくりとドアが開き、私服姿のナタリアが洗面所の中を覗き込んでくる。もちろんすぐに彼女に見つかってしまった俺は、苦笑いしながらナタリアに手を振る。

 

「や、やあ」

 

「…………な、何やってんのよ」

 

「これからわたしくと2人きりで〇〇〇〇するところでしたの」

 

 バカ野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 

「へえ…………!」

 

 な、なっ、ナタリアさん?

 

 拳を握り締めながら、ゆっくりとこっちにやってくるナタリアさん。幸いホルスターからハンドガンを引き抜いてはいないけれど、彼女のパンチって結構強烈なんだよね。

 

 そう思いながら苦笑いしていた俺に、ナタリアさんは容赦なく拳を振り下ろした。

 

「この変態キメラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「びすまるくっ!?」

 

 か、カノンのせいだぞ…………!

 

 呻き声をあげながらそう思った俺は、ナタリアの強烈なパンチを叩き込まれた腹を押さえる羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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クランが風邪をひくとこうなる

 

 冷たい水の中に入れておいたタオルを絞り、ベッドの上で眠っている彼女の額に優しく乗せた俺は、ベッドで毛布をかぶっている彼女の寝顔を数秒だけ見守ってから、踵を返して部屋に備え付けてある簡単なキッチンへと向かった。

 

 商人から購入した米を木箱の中から取り出して、同じく倭国の商人から購入した鍋も準備してから、もう一度眠っているクランを見つめる。

 

 クランが、風邪をひいてしまったのだ。

 

 シュタージの指令室である”諜報指令室”で指揮を執っている最中に、いきなりクランが倒れてしまったのである。着替えを終えて一緒に諜報指令室へと向かっている時から体調が悪そうだったから、俺は何度か彼女に「今日は休んだ方がいい」と言ったんだけど、彼女は首を横に振りながら諜報指令室へと向かい、いつも通りにエージェントたちの指揮を執ろうとしたのである。

 

 無茶をするな、と何度かクランに言われたことがあるけれど、彼女も人の事は言えないだろうな。クランだって今日は無茶をして倒れてしまったのだから。

 

 というわけで、俺もクランと一緒に休みを貰い、彼女の看病をすることになった。シュタージの司令官代理は坊や(ブービ)に任せたし、副官の役目は木村に任せたので大丈夫だろう。相変わらず木村の変態はガスマスクを取ってくれなかったけど。

 

 冷蔵庫の中からタクヤが仕留めてきたデッドアンタレスの肉を取り出し、包丁で切っていく。こいつは砂漠に生息する魔物で、猛毒を持つ尻尾と胴体から生えた鋏で数多の冒険者を葬ってきた危険な魔物なんだが、肉は味がエビにそっくりで美味しいので食材にもされている。毒を持っている魔物だが、その毒は熱で分解する事ができるので、ちゃんと茹でたり焼いたりすれば問題ない。

 

 なので、残念だけどこいつを刺身にして食うのは自殺行為である。

 

 毒の分解のためにもう既に茹でてあるので、こいつを鍋の中にぶち込むのはもっと後でいいだろう。

 

 あ、そうだ。卵も入れてみようか。そう思いながら冷蔵庫の扉を再び開けて卵を3つ取り出す。

 

 ちなみにこの冷蔵庫はモリガン・カンパニー製。タクヤの親父が経営している会社の工場で生産されたものである。搭載されている小型フィオナ機関に魔力を充填しておけば、その魔力を氷属性の魔力に自動的に変換し、内部に冷気を放射する仕組みになっている。当たり前だけど産業革命前までは冷蔵庫は存在しなかったので、食料の保存にはかなり手間がかかっていたらしい。

 

 しかも価格は一般的な労働者でも購入できるほど安価なので、貴族だけでなく庶民たちもこれを購入して使っているという。テンプル騎士団でもこれを大量に輸入して全ての部屋に備え付けているので、住民たちは俺たちがいた前世の世界に近い生活を送ることができるというわけだ。

 

 段々とこの世界も、あの前世の世界に近づきつつある。

 

 かき混ぜた卵を鍋に入れようとしていると、部屋のドアからノックする音が聞こえてきた。誰だろうか、と思いつつ火を弱火にして、クランの代わりに入り口のドアを開ける。

 

「はいはーい」

 

 ドアの向こうに立っていたのは、背の高いドイツ人の少年だった。身に纏っているのはテンプル騎士団空軍の制服で、左肩には岩に刺さったエクスカリバーのエンブレムが描かれたワッペンがついているのが分かる。

 

 アーサー隊の隊長を務めているアルフォンスだった。

 

「クーちゃんは無事なのか?」

 

 黒いベレー帽をかぶったアルフォンスは、エプロンを身に着けたままドアを開けた俺を見下ろしながらそう尋ねてきやがった。

 

 どうやらこいつはクランの幼馴染らしく、幼い頃はよくクランと一緒に遊んでいたらしい。しかもこいつとクランのご先祖様は第一次世界大戦に参加した戦友で、クランの曽祖父とこいつの祖父も第二次世界大戦に参加した戦友だったという。

 

 クランから聞いた話なんだが、クランのご先祖様は第一次世界大戦でドイツの戦車である”A7V”の車長を担当していたらしい。車体の上に負傷した仲間を乗せて撤退する最中に墜落した飛行機から脱出したアルフォンスのご先祖様を発見し、彼も戦車の上に乗せて無事に生還したという。

 

 つまり、クランのご先祖様はアルフォンスのご先祖様の命の恩人というわけだ。

 

 というかクランのご先祖様も戦車に乗ってたんだな…………。第二次世界大戦でも曽祖父がティーガーⅠに乗ってたみたいだし、祖父も西ドイツでレオパルト1に乗っていたという。そしてクランのお父さんは現役の車長で、レオパルト2に乗っている。

 

 戦車一家だな、クランの家系は。娘も異世界でレオパルトに乗ってるし。

 

「ああ、ちゃんと看病してるよ」

 

「よ、よかった…………。話をしてもいいか?」

 

「どうぞ」

 

 人の彼女を取るつもりじゃないだろうな、と思いながらちょっと目を細めたが、俺は素直にこいつを部屋に入れてやることにした。アルフォンスはかなり誠実な男だからクランを奪うのは有り得ないし、こいつにはもう既に好きな女の子がいるらしい。

 

 道を譲ると、アルフォンスは部屋の中へと足を踏み入れる。タンプル搭の部屋の中に入る際は靴を脱ぐ必要はないので、そのまま部屋の中へと入っても問題はないのだ。とはいっても家の中に足を踏み入れる前に靴を脱ぐのが当たり前だった日本で育ったせいなのか、やっぱり靴を履いたまま中に入るのは違和感しか感じない。

 

 そういえば、前世の世界でクランも大学の寮の部屋に入る時も靴を脱がずに上がろうとしてたな。慌てて靴を脱ごうとしていたクランの事を思い出しつつキッチンへと戻り、俺はアルフォンスを適度に監視しながら雑炊の調理を続けることにした。

 

 よし、そろそろ卵を入れるか。デッドアンタレスの肉を入れるのはもっと後だな。これもう茹でてあるし。

 

『クーちゃん、大丈夫?』

 

『ゴホッ…………あれ? アルフォンス?』

 

『体調はどう?』

 

『大丈夫よ…………これ、ただの風邪だし。それにケーターがちゃんと看病してくれてるからすぐに復帰できるわ』

 

 ベッドの方からドイツ語の会話が聞こえてくるんだけど、当然ながらドイツ語は全然分かりません。正確に言うと少しは喋れるんだけど、さすがにドイツ語が母語の人たちの会話を聞いても、あの2人がなんと言っているのかは理解できない。

 

 ドイツ語辞典でも用意するべきだろうか。

 

 転生者はこの端末を持っていれば、この異世界の言語―――――――異世界の公用語になっているオルトバルカ語のみだが―――――――を理解できるようになる。もちろん出身国の違う転生者同士でも、まるで自分の母語のように扱えるようになったオルトバルカ語でコミュニケーションを取ることができるんだけど、やっぱり自分の母語の方が使いやすいんだろう。

 

 そう思いながら増水の中にデッドアンタレスの肉を入れ、米や卵と一緒に煮込む。あと3分くらい煮込めば十分だろう。

 

「何を作ってるんだ?」

 

「わっ!?」

 

 いつの間にかキッチンの近くにいたアルフォンスに声をかけられ、びっくりしてしまう。

 

 彼はキッチンの中に居座る鍋をまじまじと見つめながら、首を傾げた。

 

「スープか?」

 

「雑炊だ」

 

「ゾースイ? 日本(ヤーパン)の料理か?」

 

「そうだよ」

 

 クランの口には合うだろうか。前世の世界でも彼女は日本食をよく食べてたから大丈夫だとは思うけど、お粥とか雑炊は日本で食べたことがなかった筈だ。

 

 ちょっと心配になったので、俺は鍋の蓋を開けた。煮込まれた純白のご飯と黄色い卵の上にデッドアンタレスの真っ白な肉が乗っており、すでに茹でてあるその肉には、水分を吸ったせいで艶がある。

 

 棚の中からスプーンと小皿を取り出し、そのスプーンで増水の端を少しばかり崩す。小さな肉と卵の一部と一緒に少量のご飯を小皿の上に乗せた俺は、スプーンと一緒にその小皿をアルフォンスに差し出した。

 

「食ってみるか?」

 

「いいのか?」

 

「おう」

 

 小皿を受け取り、スプーンで小皿の上の雑炊を口へと運ぶアルフォンス。湯気と熱を発する雑炊を少しばかりそれを冷ましてから、彼はそれを口へと放り込んだ。

 

「…………悪くないな」

 

「それはよかった」

 

「で、このエビみたいなのは何だ?」

 

「デッドアンタレスの肉だよ。タクヤの奴が仕留めてきたらしくてな」

 

「さ、サソリの肉を入れたのか!?」

 

「安心しろって。味はエビにそっくりだし、毒は加熱すればすぐ分解できる。カルガニスタンでは一般的な食材らしいぞ」

 

 どうやら不味くはないらしい。

 

 小皿に残った雑炊を全部口へと運んだアルフォンスは、「ご馳走様」と言ってからそれをキッチンの近くへと置いた。部屋のドアの方へと歩きながらベッドにいるクランにドイツ語で声をかけた彼は、クランに向かって頷いてからドアを開け、俺たちの部屋を後にした。

 

 鍋の中にある雑炊を皿へと乗せ、大きめのスプーンも用意する。ネギも入れればよかったな、と後悔しながらその皿をお盆の上に乗せ、エプロンを身に着けたままクランの所へと向かう。

 

「ゴホッ…………ごめんね、ケーター」

 

「気にすんなって。ところで食欲は?」

 

「だ、大丈夫…………」

 

 それはよかった。

 

 お盆を近くの小さなテーブルの上に置くと、クランもアルフォンスと同じように皿の上の雑炊をまじまじと見つめる。

 

「これは何? スープ?」

 

「雑炊だよ」

 

「ゾースイ?」

 

「ああ」

 

 雑炊をまじまじと見つめながら、ベッドから身体を起こそうとするクラン。よく見ると後ろ髪の一部から寝癖らしきものが飛び出ていて、大人びている彼女に子供っぽい雰囲気を与えている。

 

 普段の彼女はすぐに寝癖を直してしまうので、寝癖がついているクランは結構珍しい。前世の世界でも1回くらいしか見たことがない。やっぱり寝癖がついているのは恥ずかしいのかもしれないけれど、寝癖がついているクランも可愛いので何も言わないでおこう。バレたら恥ずかしがるかもしれないけれど。

 

 恥ずかしがるクランも可愛いかもしれないなと思いつつ、雑炊を冷ましてから、雑炊を乗せたスプーンを彼女の口へと運ぶ。

 

 彼女の口には合うだろうか。

 

「あっ、美味しい」

 

「そ、そうか?」

 

「ええ。さっぱりしてるし、このエビみたいなのも柔らかくて美味しいわ。これはエビよね?」

 

 いいえ。クランさん、それはサソリのお肉なんです。

 

「これ、デッドアンタレスの肉なんだ」

 

「えっ、サソリの肉なの?」

 

「ああ。でも美味しいだろ?」

 

「うん、悪くないかも♪」

 

 どうやらクランはこの雑炊を気に入ってくれたらしい。食欲はあるらしいので、少なくともこの皿に入っている分は完食できるだろう。もし残してしまったら厨房からネギを貰ってきて残った雑炊に混ぜ、また温めてから明日の朝に食べればいい。

 

 もっと食べたいと言わんばかりに、口を小さく開けて待機するクラン。俺は寝癖がついていることに未だに気付いていないクランを見て微笑みながら、再びスプーンを彼女の口へと運ぶ。

 

 次々にスプーンを彼女の口へと運んでいいるうちに、皿の中は空っぽになってしまった。もっと持ってくるか、と尋ねると、クランは首を横に振る。食欲はあるらしいけれど、まだそんなに食べられないらしい。

 

 枕元に置いてある彼女のタオルを拾い上げ、再び冷たい水で濡らす。熱は下がっただろうかと思いつつ近くにある体温計へと手を伸ばし、まるでテレビのリモコンをそのまま細くしたような外見の、モリガン・カンパニー製の体温計を拾い上げる。

 

 こいつの内部に充填されている魔力を使って体温を測る仕組みらしい。

 

 モリガン・カンパニーの製品のおかげで、この世界の生活は前世の世界の生活に近づきつつある。飛行機や自動車が登場するのはあと何年後なのだろうか。

 

 もしクランと結婚して子供が生まれたら、家族を連れて異世界製の車でドライブにでも行きたいものである。

 

 体温計のスイッチを押してからそれをクランに渡すと、彼女はパジャマのボタンをいくつか外し始めた。体温を測るためにはボタンを外さないといけないのは仕方がないと思うんだけど、水色のブラジャーに覆われた大きめの胸が覗くまでボタンを外す必要はないと思う。

 

 わざとだな、と確信しつつ、クランの誘惑通りに彼女の胸を凝視してしまう。

 

 とりあえず、さっきの皿を片付けておこう。

 

 クランが食べ終えた雑炊の皿とスプーンを拾い上げ、キッチンへと運ぶ。

 

 クランは巡洋戦艦だな。さすがにラウラみたいな超弩級戦艦ではないけど。

 

「あ、熱下がってる」

 

「どれくらい?」

 

「36.8℃ですって」

 

「じゃあ明日の朝には治りそうだな」

 

 安心しながら皿とスプーンの水を拭き取り、再び棚の中へと戻す。エプロンも脱いで壁にかけてからベッドの傍らに戻り、彼女から体温計を受け取って俺も彼女の体温を確認する。最初に測った時は38℃くらいだったからもう大丈夫だろう。

 

「シャワーはどうする? 浴びれそう?」

 

 住民の部屋にはシャワールームが備え付けられており、シャワールームの中にはちゃんと浴槽もある。

 

 それに、なんと居住区の中には大浴場もあるのだ。どうやら居住区の拡張のために穴を掘っていたドワーフたちが温泉を発見してしまったらしい。兵士たちや住民たちもよくその大浴場を使っているんだけど、さすがに風邪をひいているクランを大浴場まで連れて行くのは無理だろう。

 

 彼女に尋ねると、クランは首を横に振った。

 

「今日は寝てたいな」

 

「はいはい。でも、さすがにシャワーを浴びないのは拙いんじゃないか?」

 

「じゃあ…………ケーター、身体拭いてくれる?」

 

「えっ?」

 

 な、な、なんですって?

 

 額に乗せていた濡れたタオルを手に取り、それをもう一度冷たい水で濡らしてから俺に差し出してくるクラン。タオルを受け取ってしまった俺は、呆然としながら彼女を見つめる。

 

「せ、せ、背中だけですよね?」

 

「いえ、全身よ?」

 

 ぜ、全身…………?

 

「一緒にお風呂入ったこともあるし、私の裸を見たこともあるから大丈夫でしょ?」

 

「そ、そうだけどさ…………」

 

 裸を見るどころか抱いちゃったこともあるんですけど、どういうわけか緊張しちゃうんです。どうしてなんでしょうか。

 

「じゃあお願いっ♪」

 

 そう言いながら再び身体を起こし、パジャマのボタンを外し始めるクラン。またしてもあらわになった水色のブラジャーと再会する羽目になった俺は、息を呑んでからタオルを持った手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志大佐、エージェントからの報告書です」

 

「Danke(ありがとう).そこに置いといてもらえるかしら」

 

 オペレーターが置いて行った報告書を手に取り、エージェントたちが集めた情報を目にするクラン。エージェントたちが集めてくるのは基本的には転生者に関する情報で、人々を虐げている転生者がいれば部隊を派遣して殺す必要があるし、転生してきたばかりの善良な転生者がいる場合は保護しなければならない。

 

 転生者を排除するという判断を下すのも、クランの仕事だ。とはいっても実際に排除する前に、排除する必要があるという理由を円卓の騎士たちに説明する義務があるので、即座に部隊を派遣できるというわけではないのだが。

 

 昨日みたいに寝癖のついているクランも可愛いけど、やっぱり彼女に一番似合うのはあの黒い制服だな。そう思いながら俺も報告書を受け取り、内容を確認しつつちらりと彼女を見守る。

 

 やっぱり風は今朝には治っており、俺が歯を磨き終えて洗面所から出てきた頃には、黒い制服と略帽を身に纏った凛々しい彼女が、微笑みながら俺の事を待っていてくれた。

 

「ケーター、読み終わったらそっちの報告書もこっちにちょうだい」

 

了解(ヤヴォール)

 

 返事をしながら内容を確認し、彼女に報告書を手渡す。

 

 するとクランは微笑みながら顔を俺の耳へと近づけ、囁いた。

 

「―――――――昨日はありがとっ♪」

 

 顔を離す前に頬にキスをしてから、再び凛々しい表情になって報告書を確認するクラン。

 

 俺はニヤニヤしながら自分の席へと戻り、いつの間にか机の上にどっさりと置かれている報告書を確認し始めるのだった。

 

 

 

 

 



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イリナの悩み

 

 最近、僕は危機感を感じている。

 

 タクヤとデートしてから彼に告白して、僕も彼の彼女になることができた。今はタクヤたちには悪いかもしれないけど、自分の棺桶を彼の部屋に持ち込んで、タクヤたちの部屋で生活している。僕は吸血鬼だから基本的に行動するのは夜になってしまうけれど、目を覚ましたばかりの時や任務を終えて帰ってきた時はタクヤたちと会う事ができるし、彼らが眠ってしまった後は寝顔を見る事ができる。

 

 好きな人と一緒に生活できるのだから、幸せだと思う。

 

 けれども――――――彼に告白して恋人になってから、全く距離は変わっていない。

 

 基本的に眠る時間帯や行動する時間帯が全く違うから、彼と一緒にいる事ができる時間が少なくなってしまうんだ。

 

「はぁ…………」

 

 ラウラやカノンちゃんは、もうタクヤに抱いてもらってるみたい。僕も血を吸う時にタクヤを誘惑してみたことはあるんだけど、拒絶されるのが怖いから襲ったことはないんだよね…………。

 

 恋人になることはできたんだけど、このままだと彼に置いて行かれるかもしれない。だから何とかしてタクヤとの距離を詰めないと。

 

 でも、どうすればいいんだろう…………。

 

 デートに行くべきなのかな?

 

 それとも、いっそのこと襲っちゃうべきなのかな?

 

 僕はそう考えながらAK-12/76のマガジンを交換し、コッキングレバーを引いた。搭載されているホロサイトとブースターを覗き込み、進撃してくるゴーレムの胸板へと照準を合わせる。

 

 このAK-12/76はセミオートマチック方式のショットガンなんだけど、僕の要望で、発射する弾薬は散弾ではなく”フラグ12”という炸裂弾に変更してもらっている。グレネードランチャーよりも威力や殺傷力は低いけれど、こっちのほうが弾数が多い上に連射できるから、僕はこの銃とフラグ12を愛用していた。

 

 ちなみに、銃身の下にはちゃんとグレネードランチャーも搭載してあるし、接近戦になった場合のために、銃身の右上には折り畳み式のスパイク型銃剣も装着している。

 

 タクヤと距離を詰める方法を考えながら溜息をつき――――――僕はそのフラグ12の群れを、容赦なくゴーレムの胸板に叩き込んだ。着弾する度に胸板を覆っている外殻が弾け飛び、岩にも似た外殻の破片や血飛沫が荒れ狂う。胸板を抉られたゴーレムが呻き声をあげながら崩れ落ちていき、灰色の砂埃を舞い上げた。

 

 ゴーレムが崩れ落ちたのを確認した分隊長が、首に下げていたホイッスルを吹いて部下たちに突撃を命じる。すると、塹壕の中で突撃命令を待っていた兵士たちが一斉に塹壕の外に躍り出て、テンプル騎士団で正式採用されたばかりのKS-23を抱え、残った魔物の群れへと全力疾走を始めた。

 

 今しがた塹壕から敵へと突撃していったのは、テンプル騎士団の”突撃歩兵”たちだ。

 

 全ての部隊の兵士たちの中から、足が速くてスタミナが多い兵士たちを選抜して編成された新しい部隊なんだって。あの春季攻勢(カイザーシュラハト)でブラドたちが採用した”シントーセンジュツ”っていう戦術を実行するための部隊みたい。

 

 敵の防衛線を迅速に突破して後方の司令部を壊滅させるために、彼らの武装は他の兵士と比べると軽装だった。もっと武器を持たせた方がいいんじゃないかな、と心配しているうちにその突撃歩兵たちは魔物の群れに肉薄したかと思うと、強烈な23×75mmR弾でゴブリンの胴体を強引に食い破って群れを突破し、後方にいる魔物の群れのリーダーを銃剣で串刺しにしたり、散弾で粉砕していく。

 

 群れのリーダーたちを仕留めたことを確認した突撃歩兵たちは、魔物の群れに包囲される前に離脱すると、腰のホルスターに収まっていた拳銃で赤い信号弾を天空へと放ち、後方にいる味方へと合図を送った。

 

 群れのリーダーたちを失って混乱している魔物の群れが、他の歩兵たちの餌食になるのは時間の問題だね。

 

 AK-15を構えて塹壕の外へと飛び出し、魔物の群れへと突撃していく兵士たちを双眼鏡で見守りながら、僕はもう一度溜息をついた。

 

 どうすればいいのかな…………。

 

 このままじゃ、タクヤに置き去りにされちゃうかもしれない。

 

「どうしよう…………」

 

「ふにゅ? どうしたの?」

 

「あ、ラウラ」

 

 戦場で悩んでいると、後ろから大きなアンチマテリアルライフルを肩に担いだラウラがやってきた。

 

 彼女に相談した方がいいのかもしれない。ラウラは小さい頃からタクヤとずっと一緒にいるから、彼女ならタクヤと距離を詰める方法を知ってるかも。

 

 双眼鏡で味方の様子を確認しながら、僕は隣にやってきたラウラに尋ねることにした。

 

「ちょっと悩んでるの」

 

「悩み?」

 

「うん…………タクヤの彼女になれたのは嬉しいんだけど、それから全然距離が縮まってないような気がして…………。僕、このままじゃ置いて行かれるんじゃないかな…………」

 

「なるほど…………」

 

 本当に不安だよ…………。

 

 双眼鏡の向こうでは、AK-15を装備した兵士たちがセレクターレバーをフルオートに切り替えて、魔物たちを薙ぎ払っているところだった。負傷者は出ていないようだし、当然だけど戦死者も出ていない。彼らの周囲に転がっているのはゴブリンの死体ばかりだ。

 

 僕たちが加勢する必要はなさそうだね。

 

 ラウラも僕の隣で味方の様子を確認する。もう既に魔物の群れは壊滅状態になっていて、中にはセミオート射撃でまだ生きているゴブリンに止めを刺している兵士たちもいる。

 

 僕は双眼鏡を使って確認してるけど、ラウラはキメラの中でも視力が発達しているらしいから、双眼鏡が無くても遠くにいる敵を見る事ができるみたい。しかも自由にズームする事ができるんだって。

 

「イリナちゃん」

 

「ん?」

 

 双眼鏡から目を離してもう一回溜息をつこうかなと思ったけれど、それよりも先にラウラに名前を呼ばれた。

 

「―――――――タンプル搭に戻ったら、いい作戦を教えてあげる」

 

「いい作戦?」

 

「うんっ♪」

 

 首を縦に振りながら微笑むラウラ。彼女の考えた作戦はどういう作戦なんだろうか。

 

 そう思いながら、僕は魔物の掃討を終えた歩兵たちを双眼鏡で確認してから、ホルスターの中に入っているワルサー・カンプピストルを天空へと向け、装填されていた信号弾を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青空へと向けられているのは、タンプル搭のシンボルでもある巨大な7門の要塞砲たち。超弩級戦艦の主砲に匹敵する6門の36cm要塞砲が中央の巨大な砲身を囲んでおり、6門の要塞砲の中心には、複数の薬室を持つ巨大な砲身が屹立している。

 

 ここはタンプル搭と呼ばれているけれど、”塔”は1つもない。この要塞砲の群れが塔に見えるため、団員たちにそう呼ばれているだけだ。

 

 中心に鎮座するのは、テンプル騎士団の決戦兵器である”タンプル砲”。組織の名を冠した”超巨大多薬室型ガンランチャー”であり、戦艦大和の主砲どころかドイツが開発したドーラすら凌駕する200cm砲である。合計で33基の薬室を搭載されており、砲弾を発射する際にそれを起爆させて砲弾を一気に押し出すことによって、要塞砲どころか戦艦の主砲を遥かに凌駕する圧倒的な射程距離と破壊力を誇る。

 

 しかも砲弾だけでなく、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射も可能なのだ。とはいえミサイルをそのまま装填して発射すれば薬室の爆発で破損する恐れがあるので、ミサイルは保護カプセルに入れられた状態で装填され、大気圏を離脱したタイミングでカプセルが切り離される仕組みになっている。

 

 大気圏を離脱したミサイルは慣性を利用して宇宙空間を飛行し、観測用のポッドを搭載した偵察機からの観測データを受信しつつ軌道を修正。そのまま大気圏へと突入し、攻撃目標を破壊する仕組みになっている。

 

 宇宙空間では慣性を使って飛行するので、実質的にはミサイルの射程距離は無制限ということになる。なので、偵察機さえ派遣できればどんな目標でもミサイルで破壊する事ができるのだ。

 

 今のところは搭載するつもりはないが、これで核弾頭を発射したらかなりの脅威になるだろう。

 

 とはいえ、はっきり言うとこの要塞砲は”大問題の塊”と言っても過言ではない。

 

 200cm砲に33基も薬室を搭載しているので、発射した際に砲口から飛び出す爆炎はちょっとしたキノコ雲と化すし、衝撃波は戦車やヘリを容易く粉砕するほどの破壊力がある。そのため、兵器や人員を保護するために格納庫や居住区などの設備は分厚い隔壁に保護された地下に作らなければならなくなってしまった。飛行場まで地下に作られているので、着陸する際の難易度は非常に高くなってしまっており、別の拠点への異動を希望するパイロットも多いという。

 

 巨大な砲弾を撃ち上げるために砲身の長さは210mに達しており、周囲が岩山に囲まれているにもかかわらず目立ってしまう。しかもその砲身を支えるために無数の太いワイヤーと5つの武骨な支柱を用意しなければならないのである。当然ながら旋回する速度は鈍重としか言いようがないため、これで敵を迎撃するのはほぼ不可能だ。

 

 しかも、砲身の外に32基もの薬室があるため―――――――もしここにミサイルが1発でも命中すれば、タンプル搭は一瞬で火の海と化すだろう。200cm砲の砲弾と、5発の砲弾を撃ち上げる事ができるほどの量の炸薬が薬室の中にぎっしりと詰まっているのだから。

 

 その巨大な砲身の近くを、漆黒のヘリが横切っていく。

 

 テイルローターの周囲は非常にすらりとしており、後端部にプロペラが搭載されているのが見える。胴体もすらりとしているというのにキャノピーが膨らんでいるせいなのか、まるでオタマジャクシにメインローターとスタブウイングを搭載したような形状のヘリだ。

 

 タンプル砲の砲身の近くを通過していったのは、『AH-56シャイアン』と呼ばれるアメリカ製の試作型ヘリである。

 

 ベトナム戦争の真っ只中に開発された初期の攻撃ヘリの1つだ。残念ながらアメリカ軍で正式採用されることはなかったけれど、ヘリの中では非常に速度が速いという特徴がある。

 

 吸血鬼たちの春季攻勢の際に、ブレスト要塞へと増援を送るのが遅れてしまったせいで要塞の陥落を許してしまった。もし速度の速い兵器を派遣して敵部隊を攻撃して足止めしていれば、増援を派遣するまで時間を稼ぐ事ができた筈だ。

 

 そこでテンプル騎士団では、そのAH-56シャイアンを正式採用することになった。

 

 前哨基地などに配備し、別の拠点が敵の襲撃を受けた際に出撃させて迅速に迎撃し、味方の増援部隊が到着するまで敵の地上部隊を足止めさせるのである。そうすれば増援部隊が到着するまでの時間を稼ぐ事ができるし、敵がヘリの攻撃で撃滅できる規模ならばそのまま殲滅させる事ができる。

 

 テンプル騎士団の防衛ラインが、より強固になるのだ。

 

 とはいえこいつはベトナム戦争の際に開発された兵器であるため、現代の兵器から見れば旧式だ。採用する前に仲間たちとどのような近代化改修をするべきか議論した方が良さそうだな。

 

 テストのためにテンプル搭上空を何度か旋回し、飛び去っていく3機のAH-56たち。彼らを見送ってから俺は踵を返し、自室へと向かうことにした。

 

 エレベーターに乗り込み、ボタンを押して下へと降りていく。やがてエレベーターがぴたりと止まり、居住区へと到着したことを告げるチャイムが響き渡る。

 

 鉄格子にも似た扉が開き、パイプから蒸気にも似た魔力の残滓が噴き出す。エレベーターから降りた俺は、ケーブルや太い配管が剥き出しになっているタンプル搭の通路の中を進んでいった。

 

 春季攻勢が終わってから、テンプル騎士団はかなり大きな組織になった。救出した奴隷たちは可能な限り故郷へと送り届けるようにしているものの、もう既に故郷が壊滅していくあてのない奴隷たちはタンプル搭の市民として受け入れており、しっかりと人権を与えて働いてもらっている。兵士たちはその保護した奴隷たちの中から志願した者で構成されているのだが、奴隷たちを保護する度に志願兵の数は増えている。

 

 組織が大きくなるのは喜ばしい事だが、それほど奴隷の人数が多いということを意味しているのだ。

 

 組織の規模が大きくなるにつれて、新しい兵士たちも産声をあげつつある。大量に手榴弾を携行した『強襲擲弾兵』の部隊も編成されたし、浸透戦術を敢行するための突撃歩兵たちも編成された。どちらもすでに戦果をあげている状態らしい。

 

 そのうち、火炎放射器で建物の中の敵を掃討する『掃討焼却兵(そうとうしょうきゃくへい)』、マスタードガスなどの毒ガスで敵の魔物や敵兵を駆逐する『駆逐毒ガス兵』、これでもかというほど対戦車兵器を携行した『対戦車撃滅兵(たいせんしゃげきめつへい)』の部隊も編成する予定である。兵士たちの選抜はもう既に済んでいるので、来週からは訓練が始まるだろう。

 

 ショットガンを肩に担いだ突撃歩兵に敬礼を返しながら通路を進み、俺は自室のドアを開けた。

 

 てっきりラウラがドアを開けると同時に飛びついてくるんじゃないかと思って警戒してたんだけど、部屋の中にラウラはいなかった。多分イリナはベッドの隣にある棺桶の中でまだ眠ってることだろう。

 

 寝顔でも見て見ようかなと思ったけれど、爆睡しているのを邪魔するのはよくないと思うので、そのまま寝かせてあげよう。

 

 とりあえず、シャワーでも浴びるか。

 

 上着を壁にかけてから着替えを用意し、洗面所へと向かう。大浴場で温泉に入ってくるという手もあるんだが、あの大浴場は午後4時から午後8時くらいまで結構混むのだ。最悪の場合は4時に入りに行ったのに、大浴場に入る事ができるのは6時になることもある。

 

 なので大人しく自室のシャワーで我慢しよう。

 

 お姉ちゃんから貰ったリボンを解いて服を脱ぎ、腰にタオルを巻いてからシャワールームへと足を踏み入れる。

 

 産業革命の恩恵で、今では庶民の一般的な家庭にもシャワーは普及している。けれども産業革命以前は貴族の屋敷にしか用意されていなかったため、庶民や農民たちは川や井戸から水を汲み上げてそれを浴び、身体を洗っていたという。冬はその水を温めてお湯にして浴びてたらしいんだけど、薪に余裕がない貧しい家では冬でも冷水を浴びて身体を洗っていたようだ。

 

 タンプル搭の部屋にはちゃんとシャワールームもあるし、シャワールームの中には2人くらいなら入れそうな小さい浴槽もある。

 

 ちなみに、ラウラと一緒に入るとたまに浴槽の中で襲われることもある。先週にこの浴槽の中で搾り取られたせいでまた身体を洗い直す羽目になったことを思い出しながら、シャワーでまずお湯を浴び、母さんから遺伝した蒼い髪を濡らす。

 

 シャンプーへと手を伸ばしたその時、シャワールームの扉が開く音が聞こえてきた。

 

 ラウラだろうか? 

 

「やっほー♪」

 

「ん? イリナ?」

 

 シャンプーのせいで匂いが分からなかった…………。

 

 シャンプーで髪を洗う前に一旦タオルで髪を拭き、くるりと後ろを振り返る。どうやら彼女も俺と一緒にお風呂に入るつもりらしく、身体にバスタオルを巻いていた。

 

「ふふふっ、僕が身体洗ってあげるよ♪」

 

「お、おう」

 

 そう言いながら小さなタオルを濡らし、ボディソープへと手を伸ばすイリナ。けれども彼女は俺がこれから髪を洗うところだったことに気付いたらしく、一旦そのタオルから手を離し、代わりにシャンプーへと手を伸ばす。

 

 ニコニコと笑いながら、彼女はそのまま俺の髪を洗い始めた。

 

 けれども、密着して胸を当てているのはわざとだと思います。

 

 さり気なくちょっと前に移動して猛威を振るうイリナのおっぱいから逃げようとするんだけど、すぐにイリナは距離を詰めてくる。というか、さっきよりもしっかりと胸を当ててくる。

 

 無駄だな、と思った俺は、大人しくイリナに髪を洗ってもらうしかなかった。

 

「タクヤの髪って綺麗だよね」

 

「そうか?」

 

「うん。ところで、この蒼い髪ってお母さんの遺伝なの?」

 

「ああ」

 

「なんだか羨ましいなぁ…………どうすればこんなに髪が綺麗になるんだろう?」

 

「イリナの髪も綺麗だと思うぞ、俺は」

 

 そういうと、俺の髪を洗ってくれていたイリナの指がぴたりと止まった。

 

「…………えっ、そ、そっ、そう?」

 

「ん? ああ、綺麗だよ。桜みたいで」

 

 多分、イリナは顔を赤くしてると思う。照れてる彼女を愛でたいところだけど、残念ながら目を開けたらシャンプーが俺の眼球に突撃してくるので目を開ける事ができません。

 

 ちくしょう、照れてるイリナの顔が見たい!

 

「えへへへっ…………♪」

 

 嬉しそうに笑いながら、シャワーで髪についている泡を洗い落としてくれるイリナ。彼女の照れてる顔を見ることはできなかったけれど、彼女に喜んでもらうことはできたらしい。

 

 でも照れてるイリナの顔が見たかったなぁ…………。

 

 そう思いながらタオルへと手を伸ばし、俺は顔を拭くのだった。

 

 

 

 



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テンプル騎士団の課題

 

 自分の蒼い髪を乾かしてから、イリナの綺麗な桜色の髪も乾かす。

 

 この世界ではまだドライヤーが発明されていないので、髪を乾かす際はタオルでしっかりと拭くか、魔力の出力に注意しつつ手のひらから熱風を出し、それをドライヤー代わりにして髪を乾かすしかない。

 

 そのうちモリガン・カンパニーが発明するだろうな、と思いつつ魔力の放出を止め、洗面所に置いてあるリボンを拾い上げてからベッドへと向かう。さすがに眠る時まで髪をポニーテールにして眠るわけじゃないんだけど、俺にとってこのリボンはラウラから貰った大切なお守りなのだ。

 

 ベッドの近くにあるテーブルにそのリボンを置き、ベッドの上に横になる。普段ならもうラウラが抱き着いてきている筈なんだけど、どうやら彼女は編成されたばかりの突撃歩兵の部隊と魔物の掃討に向かったらしく、まだ掃討作戦から戻ってきていない。

 

 昔までは一緒に眠るのが当たり前だったからなのか、お姉ちゃんがいないせいで少し不安になってしまう。

 

 明日は会議もあるので、早めに起きた方が良さそうだ。部屋に置いてある時計をちらりと見てからそう考え、眠る前に明日の会議の議題を思い出しておく。

 

 明日の会議の議題の中で重要なのは、オルトバルカから商人たちが派遣してくれる輸送船を守るために艦隊を派遣するという議題と、国境を警備するために展開させる国境警備隊の規模についてだ。

 

 フランセン共和国との一件で、”元総督”の実施した規制によって商人との取引ができなくなったテンプル騎士団は、代わりにオルトバルカ王国の商人たちと取引をすることになった。現在では規制どころか元総督が存在しないので、以前に取引をしていた商人たちとも再契約して取引をしているけれど、テンプル騎士団では毎日奴隷たちを市民として受け入れているため、このままでは取引している物資や食料が全員に行き渡らなくなってしまうという問題もあった。

 

 そこで要塞や前哨基地を増設し、そこに居住区を作って兵士の家族たちを移住させつつ、契約する承認を増やして物資や食料を確保することになったのである。コストが高くなってしまうかもしれないけれど、テンプル騎士団では兵士たちに冒険者の資格の取得を義務付けており、魔物の掃討の必要がない場合はダンジョンの調査を命じ、報酬の2割から3割を組織の運営費として提出してもらっているので、それほど大きな影響はない。

 

 カルガニスタンで取引する商人は今まで通りに地上部隊を派遣して護衛すればいいが、オルトバルカ王国の商人と取引するには、彼らが航行してくるルートの魔物を相当し、航路を確保しておく必要がある。主な敵は海の中に生息するリヴァイアサンなどの魔物になるだろうが、場合によっては周辺の海賊たちも相手にすることになるだろう。これでもかというほど対潜装備を搭載したネウストラシムイ級や新型フリゲートのアドミラル・グリゴロヴィチ級だけでなく、潜水艦も派遣する必要がありそうだ。

 

 中には『ジャック・ド・モレー級戦艦を旗艦とした打撃艦隊を編成し、航路の確保に投入するべき』という意見もあるんだが、さすがに海賊船や魔物を叩き潰すために虎の子のジャック・ド・モレー級戦艦を投入する必要はないだろう。

 

 第一、あの戦艦は強力な主砲と対艦ミサイルを搭載した強力な艦だが、対潜装備を全くと言っていいほど搭載していないので、海中の魔物や潜水艦に反撃する手段が全くないのである。沿岸にある敵の要塞の砲撃や敵艦隊との艦隊戦が本職なのだから、戦艦を出す必要はないだろう。

 

 でも、いくら切り札と言っても強力な5隻の戦艦を”ホテル”にするわけにはいかない。戦うために生み出された艦なのだから、あのテンプル騎士団の団長たちの名を冠した戦艦たちには最前線で戦ってもらいたい。

 

 別の拠点に派遣し、そこを母港として活動させたいんだが、現時点でテンプル騎士団が使用できる軍港はこのタンプル搭と倭国支部の2ヵ所のみだ。オルトバルカが保有する港を使うこともできるかもしれないが、この世界の戦艦は全長50m程度の小さな艦ばかりだ。当たり前のように全長200mを超える戦艦や巡洋艦ばかり保有しているのだから、そんなに小さな港ではこっちの艦を停泊させることはできないだろう。

 

 しばらくは倭国支部に艦隊を派遣し、倭国支部艦隊の補助をさせるべきだろうか。

 

 議題について考えていたけれど、俺が頭の中で考えた案が仮にベストだったとしても、これは明日の会議で他の円卓の騎士たちと議論して承認されなきゃ意味がないのだから、そこまで考える必要はなさそうだな。そろそろ寝るか。

 

 そう思いながら瞼を閉じようとしたその時、数分前にシャワールームの中で猛威を振るった柔らかいイリナの胸が、右肩に襲い掛かった。

 

「ん? い、イリナ?」

 

「どうしたの?」

 

「棺桶で寝るんじゃないの?」

 

 反射的に左手を頭の上に伸ばしつつ、頭に生えている角が伸びているのを確認しながら問いかける。本当にこのキメラの角は不便だ。冷静になっているふりをしていたとしても勝手に伸びるのだから、相手に俺が狼狽しているのがバレてしまう。

 

 普段ならイリナはベッドの隣にある棺桶の中で眠るんだが、今日は棺桶ではなくベッドで眠るらしい。確かに今夜はラウラは多分帰ってこないし、ここは地下だから窓から朝日が入ってくる恐れもない。日光が苦手な吸血鬼たちにとっては最高の場所だろう。

 

 とはいっても、イリナの場合は日光を浴びても体調が悪くなる程度で済むんだけどね。吸血鬼の耐性にも個人差があるらしく、耐性の低い吸血鬼は日光を浴びただけで発火したり、消滅してしまうという。

 

 棺桶の中ではなくベッドの上に横になった彼女は、少しだけ顔を赤くしながら俺の顔を見上げると、肩に胸を当ててくる。しかも彼女が身に纏っている水色のパジャマのボタンはいくつか外れていて、大きめの胸を包むブラジャーがあらわになってます。

 

「えへへっ、今日はこっちで寝るっ♪ いいよね?」

 

「い、いいけど…………」

 

 ラウラが帰ってくるのは明日の朝になるだろうし、問題はないだろう。

 

 許可を出すと、イリナは嬉しそうに微笑みながら肩に頬ずりをして、人間よりも鋭い吸血鬼の犬歯で甘噛みを始めた。

 

 本当ならイリナは夜に活動するんだけど、明日の会議に出席するために睡眠時間を調整するため、昼間にではなく夜に眠るつもりらしい。

 

 いつも血を吸う際に突き立てられる犬歯が肌に押し付けられる感覚を感じながら、左手を伸ばして俺もイリナの頭を撫で始める。

 

 イリナはこうやって何度も誘惑してくるんだけど、今のところはラウラやカノンのように襲ってきたことは一度もない。押し倒せということなんだろうか?

 

 でも吸血鬼の女性はこうやって相手を誘惑して楽しむことがあるという話を聞いたことがある。もしイリナもそうやって誘惑して楽しんでいるだけだったのなら、最悪の場合は嫌われてしまうかもしれない。

 

 というわけで、今回も我慢しようと思う。

 

 我慢しつつイリナの頭を撫で続けているうちに、イリナの誘惑がエスカレートしていく。今度は胸を肩に当てつつ首筋に甘噛みを始めたかと思うと、人間よりもちょっとだけ長い吸血鬼の舌で、首筋を舐め回し始めたのである。

 

 ぎょっとしながら彼女を見ているうちに、イリナは俺の右隣で誘惑するのを止めた。もう飽きたのだろうかと思いながら見守っていると、なんと彼女は俺の身体の上にのしかかったまま、パジャマのボタンを全部外しやがった。

 

 す、すらりとしたお腹が見えてますよ、イリナさん…………。

 

 うっとりしながら自分の指を咥え、こっちを見下ろしてくるイリナ。さっきのように甘噛みせずに見下ろしてくる彼女を見上げながら、息を呑んで我慢を続ける。

 

 すると、彼女は静かに顔を近づけてから言った。

 

「ねえ、今日も我慢するつもり?」

 

「え?」

 

 押し倒せということなんでしょうか?

 

「僕はもうタクヤの恋人なんだから…………襲ってもいいんだよ………?」

 

 枕元に置いてある小さめのランタンが、俺の上にのしかかっている吸血鬼の美少女の顔を照らす。

 

 どうやら彼女も誘惑しながらあんなことを言うのは恥ずかしかったらしく、顔がさっきよりも赤くなっていた。

 

「…………いいの?」

 

「い、いいよ? 僕はタクヤに抱いて欲しいから」

 

「女を押し倒した経験はないんだけど…………大丈夫かな?」

 

「ぼ、僕も押し倒された経験はないよ。…………えへへっ、どっちも未経験なんだね」

 

 ゆっくりと起き上がると、上にのしかかっていたイリナはそのまま後ろへと倒れ、ベッドの上に横になった。

 

「…………ウラルには言うなよ?」

 

「言わないよ。兄さんに邪魔されたくないもん」

 

 そう言いながら両手を伸ばし、肩を掴んでそっと俺を引き寄せるイリナ。微笑みながら頷いた彼女の唇をそっと奪い、そのまま2人で舌を絡み合わせる。

 

 はっきり言うと、かなり緊張している。

 

 今まではラウラやカノンに襲われて搾り取られることが多かったから、今回のように彼女を抱いた経験は殆どない。ナタリアを抱いた時はこんな感じだったけれど。

 

 でも、どうすればいいんだろうか。いつも搾り取られていたせいでどうすればいいのか分からない。

 

 イリナを抱きしめてキスをしつつ、こんな記憶が役に立つのだろうかと思いながら、前世でちょっとだけプレイしたエロゲの内容を思い出す。

 

 舌を離してから彼女を見つめつつ頷くと、イリナは微笑んだ。

 

 俺はもう一度息を呑んでから、イリナを抱くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――団長、大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫…………」

 

 テンプル騎士団の議員である円卓の騎士の1人が、心配そうにこちらを見ながら尋ねてくる。俺はそう答えながら深呼吸してテーブルの上のティーカップに手を伸ばし、中に入っているアイスティーを飲み干すと、深呼吸してから円形のテーブルのど真ん中に浮かんでいる立体映像を見つめた。

 

 お父さんから遺伝した変な体質のせいで、昨日の夜も大変なことになりました。

 

 ハヤカワ家の男には、”女に襲われやすい”というとんでもない体質がある。親父が前世の世界からこの世界に持ってきちゃったとんでもない体質を、俺は受け継いでしまったのである。

 

 そのせいで毎晩当たり前のようにラウラに搾り取られるし、カノンにも襲われている。けれども昨日はイリナと2人っきりだったから大丈夫だろうなと思ったんだけど―――――――あのバカ親父から遺伝したこの体質は、強敵でした。

 

 イリナにも搾り取られちゃったんですよ。

 

 ベッドで3回くらい搾り取られた後、またイリナとシャワーを浴びてから今度こそ寝ることにしたんだけど、シャワールームでもイリナに襲われた。そしてシャワーを浴び終えてベッドに戻った後もひたすら襲われる羽目になったのである。

 

 多分、イリナは一晩中俺の上に乗っていたのではないだろうか。イリナと一緒にラウラとカノンが襲ってきたらとんでもないことになるのは火を見るよりも明らかである。

 

 しかもママから貰った妊娠を抑制する薬を飲ませてくれませんでした。彼女は妊娠するつもりなのでしょうか。

 

 溜息をついてからちらりと会議に出席しているイリナの方を見ると、彼女は微笑みながらこっちにウインクしてくれた。

 

 今夜も襲うつもりじゃないよな?

 

 空になったティーカップに、メイド服に身を包んだエルフの女性の団員がアイスティーを注いでくれる。彼女に礼を言ってからティーカップを口へと運ぶと、そのエルフの団員はぺこりと頭を下げてから元の場所へと戻っていった。

 

 彼女たちにメイド服を着せた原因は、ケーターの話ではクランとカノンらしい。何をやってるんだろうか。

 

 目の前に置いてある資料を見ているうちに、黒い制服に身を包んだナタリアが立体映像を投影している装置を操作する。海面を再現していた蒼い光たちが霧散したかと思うと、今度は空中に小さな世界地図を生み出した。

 

「現時点で、我がテンプル騎士団が保有する軍港はたったの2ヵ所となっています。我々の海軍が保有する艦はこの世界の艦よりもはるかに巨大であるため、一般的な軍港を借りることはできません。海軍が活動する範囲を広げるためには、他にも我々の軍港を用意する必要があります。―――――――商人たちの輸送船を守るためにも、軍港の準備は必要かと」

 

 ちらりとこっちを見ながら説明するナタリア。彼女を見つめながら頷き、目の前にある資料を見下ろす。

 

 そう、テンプル騎士団が保有している軍港は、現時点ではたったの2ヵ所だけなのだ。今のところはウィルバー海峡や倭国周辺の海域だけで活動しているので問題はないんだけど、これからは遠方の海域に艦隊を派遣しなければならなくなるだろう。

 

 そのためには、艦隊を立ち寄らせて補給を受けさせるための拠点が必要になる。

 

 人員を派遣して軍港を作るのならば数週間で済むのだが、拠点を作るにはまず領土を確保しなければならない。もしまた勝手に他国の領土の中に拠点を作ってしまったら、前回の元総督との一件のように列強国と激突する羽目になってしまう。

 

 幸いカルガニスタンの先住民たちとは、『先住民たちを脅かす敵を全力で排除する代わりに、カルガニスタンの土地を自由に使わせてもらう』という契約をしている。なのでカルガニスタン領内に拠点を作るなら勝手に作ることはできるんだが、他の国の領内に勝手に作るわけにはいかない。

 

 拠点を作るにはその国の政府や議会と交渉して承認されなければならないのだが、テンプル騎士団のように規模の大きな”ギルド”が世界規模で活動するのは、李風さんが率いる殲虎公司(ジェンフーコンスー)以外では前例がないので、承認される可能性は低いだろう。

 

 すると、円卓の騎士の1人であるハーフエルフの男性が手を上げた。

 

「どうぞ、同志」

 

「あの…………”アナリア大陸”はどうでしょう?」

 

「アナリア大陸?」

 

 そのハーフエルフの男性は席から立ち上がってナタリアの近くへと行くと、装置を操作して世界地図をどんどんズームさせていく。

 

 あの男性は兵士ではなく市民だな。身に纏っているのは制服ではなくスーツだ。

 

 やがて立体映像がぴたりと止まり、巨大な大陸を形成する。

 

「奴隷だった頃、商人たちが話をしていたのを聞いたんです。”アナリア大陸はまだ未開拓の大陸で、先住民がたっぷりいるから、そいつらを捕まえれば奴隷として売れる”って」

 

 アナリア大陸か。位置は前世の世界で言うとアメリカだな。

 

 確かにアナリア大陸にはまだ列強国の騎士団は派遣されていない。あそこに住んでいるのは先住民たちだけだろう。事前に部隊を派遣して先住民の族長たちと交渉して土地を使わせてもらう事ができれば、大国の侵略から彼らを守ることはできるだろうし、貴重な軍港も確保できる筈だ。

 

「…………悪くない案だ」

 

「そうね。国ではなく先住民たちだったら交渉し易い筈だし、こっちには彼らと同じ種族の団員もいるわ。彼らに交渉をお願いすれば、先住民たちも土地を使わせてくれる筈よ」

 

「では、早速派遣する部隊を決めておきましょう」

 

「ああ、頼む。それと先住民の言語を喋れる団員も選抜しておいてくれ。いなかったら俺が彼らの言語を勉強して交渉する」

 

「嘘でしょ!?」

 

 いや、言語の勉強は得意なんだよ。さすがに古代語の難易度は高いけど。

 

 驚愕するナタリアを見て笑いながら、俺はティーカップを口へと運んだ。

 

 上手くいけば―――――――”テンプル騎士団アナリア支部”も設立できそうだ。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 ウラルに大ダメージ!

 

ウラル「よし、今夜の訓練はこれまでだ」

 

タクヤ『ウラルには言うなよ?』

 

イリナ『言わないよ。兄さんに邪魔されたくないもん』

 

ウラル「うぐぅっ!?」

 

スペツナズ一同「隊長!?」

 

 完

 

 

 

 

 

 



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ステラと一緒にダンジョンに行くとこうなる

 

 タンプル搭の地下には、モリガン・カンパニー製の魔力認証装置と武装した警備兵たちに守られた”研究区画”と呼ばれる区画がある。その中では技術者だった団員たちや錬金術が得意な団員たちが、その技術を駆使して様々な研究を行っている。

 

 例えば薬草に詳しい技術者が、陸軍の部隊に持ってきてもらった薬草を調合して新しいエリクサーなどの回復アイテムを開発しているし、毒物に詳しい技術者たちは新しい毒ガスの開発を行っている。その毒ガスを作ろうとしている技術者たちは『どんな防護服やガスマスクでも防げない最強の毒ガスを作る』と言って様々な毒物を世界中から取り寄せているらしいんだが、そんな代物を作ったらこっちも危ないんじゃないだろうか。

 

 回復アイテムを作ってる同志たちは善良な技術者だけど、あいつらはマッドサイエンティストだな…………。

 

 他にも、魔物を生け捕りにして微笑みながら解剖している変態もいる。前に視察しに行った時にそいつの研究室を見たんだが、同行していた護衛の兵士が5秒くらいその部屋の中を見てからトイレに猛ダッシュし、個室の中で吐いていた。

 

 机の上や棚の中に、変な液体と一緒に容器の中に収められた魔物の内臓や骨がこれでもかというほど並んでたんだよ。俺とラウラは顔をしかめるだけで済んだけど、戦場で死体を見た事のない新兵や警備兵が見たら九分九厘吐くだろう。

 

 研究区画は、要するにタンプル搭の中に作られた研究所のようなものだ。毒ガスを作ろうとするマッドサイエンティストや、笑顔で魔物を解剖するド変態も所属しているが、中には錬金術を応用して防御力を上げた防具を作ろうとする熱心な錬金術師もいるし、ダンジョンの中で発掘された古代文字の書かれた本を解読しようとしている真面目な考古学者もいる。

 

 非常に危険な研究をしている区画だし、中にはテンプル騎士団の機密情報もあるので、重要な区画である戦術区画と同等の警備が行われている。巡回している警備兵は当たり前のようにアサルトライフルやショットガンを携行しているし、中にはライオットヘルメットとがっちりしたボディアーマーに身を包み、Kord重機関銃を装備している兵士もいる。

 

 ちなみに、天井にはちゃんと監視カメラも用意してある。それに研究区画に入るためには”魔力認証装置”で魔力の認証をしなければならないので、爆薬で分厚いゲートを吹っ飛ばさない限りこっそりと侵入するのは不可能だろう。

 

 魔力認証は、簡単に言うと指紋認証のようなものだ。魔力にはあらゆる情報が含まれているので、それを利用して認証を行うのである。

 

 この研究区画を建築する際に、研究区画で働いている技術者たちの7割を占めるド変態たちが『機密情報を迅速に処分するため、自爆装置を設置してほしい』という要求を円卓の騎士たちに提出したんだが、円卓の騎士たちは全員却下している。

 

 そんなことしたら大切な団員たちを死なせる羽目になるし、研究区画を吹っ飛ばすほどの量の爆薬を使って自爆したら、他の区画にも被害が出てしまう。それに地上には炸薬がたっぷりと搭載されているタンプル砲もあるので、最悪の場合はタンプル搭そのものが自爆と一緒に吹っ飛ぶことになる。

 

 それに、ド変態共がこんな要求をしてきた理由が『必死に脱出しようとする侵入者の顔を見て楽しみたいから』というとんでもない理由である。他の区画へ被害が出るという理由で全員で却下したが、多分他の円卓の騎士たちも、このド変態共の狂気のほうが、研究区画の自爆よりも恐ろしいと判断したからに違いない。

 

 魔力認証を済ませ、警備兵にお礼を言ってから研究区画へと足を踏み入れる。分厚い扉の向こうへと進んだ途端、先ほどまで通路を支配していたオイルの臭いがあっさりと消滅し、薬品の臭いが俺の嗅覚を支配する。

 

 この薬品は何の薬品なんだろうかと思いながら通路を進み、研究室の扉の前を通過していく。

 

『ヒヒッ…………ほら、動いちゃダメだよぉ…………。あぁ……………………最高だねぇ、ゴブリン()の心臓は………♪ ん? フフッ、じゃあ次は肺を摘出しようね……………♪』

 

『やりましたよ主任! 新型の毒ガスが完成です!』

 

『どのような効果なのかね?』

 

『はい、ガスに10秒以上触れると肉体が急激に腐敗していくんです! しかも防護服も腐食させて無効化できるので、この毒ガスを防ぐことは不可能です!』

 

『素晴らしいじゃないか! 同志団長に表彰してもらえるぞ!』

 

『光栄です!』

 

『……………ところで、君の肌がちょっとずつ変色してるんだが大丈夫なのかね?』

 

『ご安心ください、ちゃんと治療薬も準備してあります。……………すみません、主任。その容器取ってください…………ガフッ、まだ死にたくないんで』

 

 大丈夫かこいつら。

 

 や、やっぱり自爆装置は付けた方が良さそうだな。毒ガスが漏れた時に処分できそうだし……………。

 

 研究室の前を通過しつつ、やっぱり自爆装置を用意してもらった方がよかったんじゃないだろうかと思いながら奥へと進んでいく。

 

「お疲れ様です、同志団長」

 

「お疲れ様。ステラは?」

 

 研究室の中から出てきたハイエルフの女性の技術者に尋ねることにしよう。

 

 彼女はまともな技術者らしく、両手で薬草の入った木箱を抱えている。さっき扉が開いた時に中からエリクサーの匂いもしたし、彼女はエリクサーの開発を担当しているのだろうか。

 

「ステラさんだったらいつもの研究室ですよ」

 

「ありがとう」

 

 やっぱりステラはあの研究室か。

 

 ハイエルフの女性にお礼を言ってから、更に研究区画の通路を進んでいく。研究区画の構造は居住区にそっくりで、通路の左右にここで働いている研究者たちのための研究室がずらりと並んでいる。ある程度奥へと進むと大きめの研究室もあるんだけど、そういう研究室では数名の技術者が共同で研究をしていたり、大規模な研究を行っているのだ。

 

 ここにいる研究者たちにも個室は与えているんだけど、熱心なド変態たちは逆に私物を研究室に持ち込んで寝泊まりし、ずっとそこで研究をしているという。中には解剖された魔物の死体の隣にベッドを置いて眠るド変態もいるらしい。

 

 通路をしばらく進んでいると、薬品や実験用の道具ではなく、古文書や錬金術の教本がずらりと並んでいる大きめの研究室に辿り着いた。いつもステラはこの研究室でメサイアの天秤が保管されている”天空都市ネイリンゲン”の調査をしているのだ。

 

 部屋の中を覗いてみると、やっぱり白衣に身を包んだ銀髪の幼女が、木箱の上に乗って本棚の上に並んでいる分厚い古文書を抱え、机の上でそれを読んでいるのが見えた。

 

「よう、ステラ」

 

「あ、タクヤ。お疲れ様です」

 

「調査の方は順調かな?」

 

 彼女に尋ねると、ステラはやっぱり首を横に振った。どうやらまだ天空都市ネイリンゲンがある場所は分かっていないらしい。

 

 テンプル騎士団はもう既に天秤の鍵を4つ確保している。後はメサイアの天秤が保管されている天空都市ネイリンゲンへと向かえば、願いと同じ価値の対価が無ければ願いを叶える事ができない不完全な天秤を手に入れる事ができるというわけだ。

 

 俺たちの目的は天秤で願いを叶える事ではなく、この不完全な天秤を消滅させ、天秤の正体を知らずにメサイアの天秤を手に入れようとしている冒険者たちや、自分の命と引き換えに親父を生き返らせようとしているガルゴニスを救うことである。

 

 とはいっても、消す前に願いを叶えてもらう予定だけどね。対価は用意できてるし。

 

 あとはステラが天空都市ネイリンゲンの場所を突き止めるだけで、メサイアの天秤の争奪戦に終止符を打つ事ができるというわけだ。天秤に関する資料は古代語で書かれているので、その難解な古代語が母語のステラでなければ場所の調査どころか解読すらできない。

 

 だからステラは、いつもこの研究室で調査を続けているのだ。

 

「俺も手伝おうか?」

 

 そう言いながら近くの古文書を手に取り、中を見てみる。少しなら理解できるんじゃないかと思いながらページを見て見たんだけど、そこに記載されている古代文字の群れを見た瞬間に、俺はステラの手伝いをするのは多分無理だということを悟った。

 

 古文書を埋め尽くしているのは、ハングルにそっくりな古代語の群れだった。古代語は現代の言語よりもはるかに複雑な言語で、考古学者たちも解読するのにかなり時間をかけると言われている。俺もちょっとだけ勉強してみたんだけど、全く分からなかった。

 

 古代文字はハングルにそっくりなんだけど、ステラの発音はスペイン語かロシア語に近いんだよな。

 

「………読めるのですか?」

 

「無理です」

 

 やっぱり、この複雑な古代語が母語だったステラに任せるしかなさそうだ。そう思いながら苦笑いし、古文書をテーブルの上に置いた。

 

 けれどもステラはずっとここで調査を続けているという。他の技術者や考古学者も手伝おうとしたらしいんだけど、大半の資料がステラの母語である古代文字で書かれているせいで全く読む事ができなかったため、彼女は1人で作業をしなければならなかったのである。

 

 必死に調査してくれるのはありがたいんだけど、気分転換も必要なのかもしれない。

 

「なあ、ステラ」

 

「なんですか?」

 

「一緒にダンジョンに行かないか?」

 

「ステラは調査をしなければならないのですが…………」

 

 そう言いながらさっきの古文書を本棚に戻し、木箱に上ってから背伸びしたステラは、小さな手で別の古文書を引っ張り出す。それをテーブルの上に持ってきてから開き、近くに置いてある手帳に古代文字を書き込み始めた。

 

「暴れたいだろ?」

 

 けれどもそう尋ねると、ステラの小さな手はあっさりと止まった。

 

 最近はここで調査をしているせいで、ステラは殆ど魔物の掃討作戦に参加できていない。訓練には参加しているので錬度は問題ないと思うが、急いで天空都市ネイリンゲンの場所を突き止めなければならないというプレッシャーを感じながら調査を続ければすぐにストレスが溜まってしまうのは想像に難くない。

 

「…………ええ」

 

 首を縦に振りながら微笑み、再び手帳に古代文字を書き込むステラ。俺は彼女を見守りながら、ニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凄まじい数の7.62mm弾が、猛烈なマズルフラッシュに一瞬だけ照らされながら解き放たれ、洞窟の奥から襲い掛かってきたアラクネたちの外殻を容赦なく貫いていく。やはり外殻を持っている魔物に有効なのは大口径の弾丸だな、と思いながら、アラクネたちの体液をまき散らされたせいで紫色に染まった岩たちを照らし出すマズルフラッシュを見つめる。

 

 銃声が反響するせいで、魔物たちの断末魔は全く聞こえない。洞窟の中を支配しているのは銀髪の幼女が無表情でぶっ放している機関銃の銃声と、凄まじい勢いで排出される7.62mmの薬莢の音だけだ。

 

 普段なら14.5mm弾を発射できるように改造したKord重機関銃やガトリング機関砲を使うのだが、今回ステラが使っている機関銃は、テンプル騎士団に配備されている銃の中ではかなり変わった外見をしている。

 

 なんと、銃身とマガジンが2つもあるのである。すらりとした細い銃身の上へとマガジンが伸びており、銃口の近くにはバイポッドが取り付けられているのが見える。

 

 ステラが使っている機関銃は、『ビラール・ペロサM1915』というかなり旧式のイタリア製の機関銃だった。第一次世界大戦に投入された機関銃なんだけど、元々は歩兵が装備する機関銃ではなく戦闘機に搭載されていた機銃だったのだ。

 

 使用する弾薬は大口径の弾丸ではなく、イタリアのハンドガンで採用されていた”9×19mmグリセンティ弾”。ライフル用の弾丸ではなくハンドガン用の弾丸だったので、非常に威力が低いという欠点があったのである。

 

 なので第一次世界大戦に参加したイタリア軍は、こいつを戦闘機から取り外して歩兵に装備させたのだ。

 

 ハンドガン用の弾薬を使うので威力は低いものの、当時の機関銃の中では凄まじい連射速度を誇っていた上に銃身が2つもあったので、これをぶっ放すだけでこれでもかというほど弾丸をぶちまける事ができたというわけだ。

 

 余談だけど、イタリア軍はこのビラール・ペロサM1915をベースに、最初期のSMG(サブマシンガン)の1つである『ベレッタM1918』を開発して第一次世界大戦に投入し、猛威を振るっている。

 

 けれどもさすがに第一次世界大戦に投入されていたかなり旧式の銃だし、使用する弾薬も威力が低いので、テンプル騎士団で採用しているこの機関銃はかなりカスタマイズされている。

 

 まず、使用する弾薬を9×19mmグリセンティ弾から7.62mm弾へと変更し、他の部品も大口径の弾丸を撃てるように変更しておく。マガジンはAK-15のマガジンを使えるように変更しているので、その気になればステラからマガジンを分けてもらうこともできるけれど、連射速度が非常に速い得物なので、多分ステラが弾薬を使い果たす方が早いのではないだろうか。

 

 というわけで、彼女には60発入りのマガジンを支給している。

 

 2つの銃身の間にピストルグリップを装備し、キャリングハンドルも搭載。照準器も搭載しているんだけど、2つの銃身の間にレーザーサイトを搭載しているので、大半の兵士たちはそのレーザーサイトを有効活用しながらピストルグリップとキャリングハンドルを握り、弾丸をぶちまけることになるだろう。

 

 銃身の先端部には、白兵戦を好む兵士たちの要望でスパイク型銃剣が1本ずつ搭載されている。

 

 テンプル騎士団の兵士たちは、最新のライフルを使っているにもかかわらず銃剣突撃を好むド変態たちなのだ。

 

 ちなみにこの近代化改修型のビラール・ペロサM1915はテンプル騎士団ではLMG(軽機関銃)に分類している。これを支給されている部隊は、敵陣への強行突撃を敢行する強襲殲滅兵たちだ。

 

 空になったマガジンを取り外し、ポーチの中から60発入りのマガジンを2つ取り出すステラ。マガジンを2つ交換してコッキングレバーを引いている内に、俺もAK-15のフルオート射撃をお見舞いし、逃げようとしているアラクネを蜂の巣にする。

 

 そして再装填(リロード)を終えたステラのビラール・ペロサM1915が火を噴き、洞窟の奥へと逃げようとしていたアラクネを2体ほど一気にミンチにしてしまった。

 

「す、すげえ連射力だな…………」

 

 弾丸を大口径の弾丸に変更したせいで、ちょっとしたミニガンのような得物と化している。ヘリに搭載しても猛威を振るうかもしれないな。

 

 キャリングハンドルから小さな左手を外し、2つの銃身が伸びている旧式の機関銃を肩に担ぐステラ。くるりとこっちを振り向いた彼女は、俺の顔を見上げながら微笑んだ。

 

「調査完了ですね」

 

「ああ」

 

 彼女と一緒に調査に来ていたのは、タンプル搭から少し離れたところにある洞窟の中だ。危険度はそれほど高くないダンジョンなので、新しい武器の試し撃ちにうってつけである。

 

 ビラール・ペロサM1915を肩に担いだステラと手を繋ぎながら、踵を返して洞窟の出口へと向かう。

 

 洞窟の外はもう真っ暗になりつつあり、灰色の砂漠を駆け抜けていく風も熱風から冷たい風に変貌しつつあった。タンプル搭に戻るよりも、最寄りの街にある宿屋で一泊してから戻った方が良さそうだ。

 

 ラウラには後でそのことを伝えておこうと思いながら、俺はステラを連れて最寄りの街へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの機関銃は素晴らしいです! これからステラはあの銃を使いますっ!」

 

「あ、ああ。頼もしいな」

 

「はいっ♪」

 

 次から次へとハーピーの串焼きを掴み、口へと運んでいくステラ。彼女の傍らに積み上げられているのは、様々な料理が乗っていた皿の塔だ。このままステラが食事を続ければ、この皿の塔が天井へと達して柱と化すに違いない。

 

 ダンジョンを調査したことで、カルガニスタン領内に残っていた冒険者管理局の施設で報酬を貰う事ができたんだけど、その報酬は多分この夕食の食費で消える事だろう。余ったらラノベでも買おうと思ってたんだが。

 

 というか、ステラは主食の魔力以外は吸収できない体質なんだから、こうやって普通の食べ物を食べる必要はないと思う。

 

 旅をしていた頃の出費の3割はステラの食費だったからな…………。

 

 野菜炒めを次々に口の中へと放り込み、ソーセージも放り込んでいくステラ。空になった皿を積み上げて塔をどんどん高くしていく彼女を見つめながら、ポケットの中の財布の中にある金額をチェックする。

 

 ラノベは後で買いに行くべきだろう。

 

 ステラが食事を終えるまで待っていようと思った俺は、テーブルの上に残っているウナギゼリーへと手を伸ばす。

 

 その時、隣のテーブルにある席に腰を下ろそうとしていた黒髪の少年が、持っていたカバンをテーブルの下に落としてしまった。落下した衝撃で開いてしまったカバンの中から、次から次へとびっしりと文字が書かれた何かの原稿が躍り出て、テーブルの下を覆い尽くしてしまう。

 

「わっ…………!」

 

「大丈夫ですか?」

 

 そう言いながら席から立ち上がり、俺もその原稿へと手を伸ばす。

 

 原稿に書かれていた文字は、こっちの世界での俺の母語であるオルトバルカ語だった。ちらりと内容を確認してみたんだが、どうやら論文ではなく小説らしい。ラノベだろうか。

 

「ん?」

 

 タイトルも書いてある。

 

 原稿に書かれていた作品のタイトルを見た俺は、その原稿を見下ろしたまま凍り付いた。

 

《異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる》

 

 そう、ファイアーボールでエイブラムスが破壊されていたあのラノベである。

 

 俺たちの隣で原稿をぶちまけた少年は―――――――このラノベの作者だったのだ。

 

 

 

 



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ラノベの作者と遭遇するとこうなる

 

 転生したばかりの頃はびっくりしたけれど、この異世界にもラノベやマンガは存在する。書店に行けば当たり前のように本棚に並んでいて、銀貨1枚くらいで購入する事ができるのだ。昔の紙は貴重品だったからもっと値段が高かったらしいけれど、モリガン・カンパニーが、それまで売られていた紙の価格をバカにしているかのような安い値段で大量に紙を売り始めたため、今では本の値段は急激に安くなっている。

 

 こっちの世界では、まだテレビやパソコンは発明されていない。もちろんゲーム機も開発されていないので、前世の世界のようにインターネットを使ったり、ゲームをプレイすることはできないのだ。なのでマンガやラノベは貴重な娯楽なのである。

 

 とはいっても、大半のマンガは演劇の題材にもされているレリエルと大天使の戦いや、ガルゴニスが率いていたドラゴンたちの反乱などの昔の戦いを題材にすることが多い。最近ではモリガンの傭兵たちの戦いが勝手にマンガの題材にされているようだ。

 

 けれどもラノベをコミカライズした作品も段々と増えている。タンプル搭の自室にあるマンガの大半は、ラノベをコミカライズした作品ばかりだ。

 

 多分、こういうラノベは転生者がこっちの世界で書いたのではないだろうか。前世の世界と比べると娯楽があまりにも少なすぎるので、転生者たちがマンガやラノベを書いて出版し、少しでもこの世界の娯楽を増やそうとしてくれたに違いない。

 

 そのような転生者たちは偉いと思う。彼らのおかげで、この世界の娯楽が増えているのだから。

 

 とはいっても、先進国ですら読み書きができない国民がいるのが当たり前なので、あくまでも読者は教育を受けたおかげで読み書きができる人だけになるけど。

 

「あ、ありがとう…………」

 

 そう言いながら俺が拾い上げたラノベの原稿を受け取り、茶色いカバンの中へと収めるラノベの作者。俺は微笑みながら他の原稿も拾い上げて彼に渡したんだけど―――――――出来るならば、この原稿と一緒に作者を燃やしてやりたかった。

 

 この作者らしき少年が書いているラノベの内容は、俺や親父がキレるような内容だからである。

 

 ラノベのタイトルは『異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる』。要するに、こっちの異世界から俺たちの前世の世界に転生した天才魔術師が、自分の習得した魔術を駆使して様々なトラブルを解決していくという内容だ。

 

 作者は俺たちと同じく前世の世界に住んでいた転生者だからなのか、前世の世界の描写はかなり正確だ。挿絵には高いビルが支配する都会の風景が描かれているし、文章にもちゃんとこっちの世界の都市と前世の世界の都市の違いが描写されている。

 

 面白いとは思うんだが―――――――魔術で現代兵器が瞬殺されていくシーンは、絶対に許せない。

 

 書店で立ち読みした時に目にしたシーンを思い出しつつ、俺は微笑みながら拾い上げた原稿を次々に彼に渡していった。

 

 主人公はこちらの世界で騎士団の魔術師部隊にスカウトされたばかりの天才魔術師だ。なので様々な魔術を習得しており、非常に戦闘力は高いのだが―――――――いくら天才魔術師でも、ファイアーボールごときでアメリカ軍のエイブラムスの正面装甲を貫通させるのは不可能だと思う。

 

 仲間がファイアーボールを使っているのを見たことはあるけれど、ファイアーボールの攻撃力は間違いなくロケットランチャーの対戦車榴弾以下だ。優秀な魔術師がぶっ放しても、グレネードランチャーの対人榴弾くらいの威力なのではないだろうか。

 

 しかもそれをぶち込んだのは、装甲が最も分厚い正面装甲。ロケットランチャーの対戦車榴弾ですらそれを貫通するのは難しいので、側面や後部にぶち込むのが鉄則と言っても過言ではない。なのにこのラノベの作中ではファイアーボールで分厚い正面装甲を貫き、あっさりとエイブラムスを撃破しているのである。

 

 犠牲になった現代兵器はエイブラムスだけではない。

 

 アメリカ軍のF-22もファイアーボールであっさりと撃墜されているし、ロシアのT-14も同じく正面装甲を貫通されたり、土属性の魔術で発生した地殻変動で各座しているシーンもあるのだ。他にもT-90やPAK-FAが撃破されているシーンもある。

 

 数日前に発売された新刊を書店で立ち読みしたんだが、今度はロシアのアドミラル・クズネツォフ級が巨大な水の槍で串刺しにされて轟沈したり、ラーダ級が海域ごと氷漬けにされていた。

 

 そう、俺の大好きな兵器たちが作中で蹂躙されているのであるッ!!

 

 さすがに書店の中でラノベを燃やすわけにはいかなかったので、ちゃんとお金を払ってその新刊を購入し、街の郊外でこっそりと燃やしました。

 

 作者に会ったら粛清してやろうと思ってたんだが、こいつが作者なのだろうか。

 

「もしかして、”異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる”の作者さんですか?」

 

 微笑みながら尋ねると、最後の原稿をカバンの中にしまっていた黒髪の少年は顔を上げた。俺をファンだと勘違いしたのか、恥ずかしそうに微笑みながら首を縦に振る。

 

 ファン()ですよ、俺は!

 

 もしお会いできたら是非握手してほしい(粛清したい)と思ってました、先生ッ!

 

「え、ええ。そうです」

 

「本当ですか!? ファンなんですよ!!」

 

「あ、ありがとうございます…………あははっ」

 

 あのカバンを燃やせば最新刊の発売は延期する羽目になるだろうな、と思いつつファンのふりをしていた俺は、違和感を感じた。

 

 基本的にラノベは、オルトバルカにある出版社から出版されている。けれどもここはフランセンのおかげで少しは発展したとはいえ、まだオルトバルカ王国には及ばない発展途上国のカルガニスタンである。原稿をこんなところに持ってきたとしても、それを出版するための会社と設備はオルトバルカにあるのだから全く意味は無い筈である。

 

 ならば、なぜこの作者はカルガニスタンにいるのだろうか。

 

 原稿を拾っているうちに高くなっていた皿の塔を見上げてぎょっとしながら、俺は首を傾げる。というかステラちゃんはまだ食べるつもりなんですかね?

 

「ところで、なぜカルガニスタンに? 出版社はラガヴァンビウスでは?」

 

「えっ? ああ、今度小説で砂漠を移動するシーンを書こうと思ってたんです。なのでカルガニスタンを旅行すれば参考になるかなと思って」

 

「熱心なんですねぇ…………」

 

 できれば現代兵器の性能をもうちょっと調べて欲しかったですけどね。戦車を撃破したいなら、限界まで加圧した魔術で側面か後方を狙わないと撃破できませんよ。

 

 魔術で戦車を撃破する方法を考えているうちに、その作者は懐から懐中時計を取り出した。

 

 本物の親父が母さんとデートに行った時に貰った懐中時計と似ているけれど、デザインが違う。もしかしたら親父の懐中時計と同じ代物なんじゃないかと思ったけれど、あの懐中時計は違うメーカーのものらしい。

 

「あっ、そろそろ馬車に乗らないと。明後日にはオルトバルカに戻るので」

 

「もう戻っちゃうんですか?」

 

「ええ。もう砂漠のシーンは書き終えましたし」

 

 そう言いながら立ち上がり、懐中時計を懐へと戻す作者。その時、彼の上着の内ポケットの中に真っ白な物体が収まっているのが一瞬だけ見えた。

 

 ―――――――”第一世代型”の転生者の証である、あの端末だ。

 

 異世界の両親から生まれるわけではなく、17歳の状態まで若返ってこの異世界へとやってくる第一世代型の転生者たちは、あの携帯電話を彷彿とさせる端末で自分の武器や能力を生産したり、ステータスを確認する事ができる。

 

 常に身に着けていないとステータスが下がってしまう上に、あれを破壊されれば全てのステータスと武器や能力が消えてしまうという欠点がある。だから第二世代型の転生者は端末を廃止し、その機能を使う能力を身に着けた状態で転生するという方式に変えたのだろう。

 

 なので、あの端末を持っているのは転生者なのである。第二世代型と違ってすぐに見分ける事ができるのだ。

 

 やっぱりこのラノベの作者は転生者だったか。

 

 ぺこりと頭を下げたラノベの作者がこっちに背を向けると同時に、反射的に目を細めた。

 

 けれどもあの転生者は俺たちが狩っているようなクソ野郎ではないのかもしれない。以前に善良だと思っていた転生者がナタリアを殺そうとしたことがあったから、無意識のうちに警戒してしまったけれど、もし仮にあいつもそういう奴ならばすぐに狩ればいいだろう。

 

 当たり前のように転生者を狩っているせいで、”転生者は敵”と思うようになってしまった。どうしてこの世界にはクソ野郎が多いのだろうか?

 

 ステラが積み上げた皿の塔の高さでも確認しようと思って息を吐いたその時、俺とステラは同時にぴたりと止まった。

 

 この宿屋の食堂の中には、他にも冒険者や旅行客がいる。だから椅子から立ち上がったり開いている席に腰を下ろす人を目にするのは珍しくはないのだが―――――――先ほど食堂から作者が出ていくと同時に、2人の男が目配せしてから立ち上がり、店員に金を払ってから食堂を出て行ったのである。

 

 不自然だな。

 

 その2人の男が立ち上がったタイミングに違和感を感じた俺は、ステラと目配せする。

 

 もう食事は終わりだ、ステラ。

 

「すいませーん」

 

「はーい!」

 

 店員を呼ぶと、銀髪のハーフエルフの女性がこっちへと駆け寄ってきた。

 

「会計お願いします」

 

「はい。ええと…………金貨1枚と銀貨20枚です!」

 

 ステラが積み上げた皿の塔の傍らで、微笑みながらとんでもない金額を告げるハーフエルフの店員。財布の中に入っているのは金貨1枚と銀貨25枚なので、ステラの食費のせいで俺の所持金は銀貨5枚のみになってしまうということだ。

 

 早くもダンジョンを調査して手に入れた報酬が消滅してしまった。

 

 落胆しつつ財布を取り出し、テーブルの上に金貨1枚と銀貨20枚を置く。ちなみにこの世界の一般的な労働者の年収は金貨4枚か5枚ほどで、金貨が3枚あれば一般的な家をローン無しで建てることができる。

 

 なので、金貨はかなり高額なのだ。

 

 唇を噛み締めながらステラを見下ろすと、彼女はすらりとした自分のお腹をさすりながらうっとりしていた。料理の味が気に入ったらしい。

 

 溜息をつきながらステラと手を繋ぎ、食堂を後にする。

 

 ちょっとばかり尾行してみるとしよう。

 

「ちょっと運動しようか」

 

「ええ」

 

 宿屋の外へと出て、内ポケットの中を探るふりをし、当たり前のようにその中に納まっているPSMにサプレッサーを装着しておく。俺のサイドアームはPL-14なんだが、PSMはがっちりしたPL-14よりも小さい。なのでホルスターの中にぶち込んでおくのではなく、こうやって内ポケットの中に放り込んでいるのだ。

 

 もしメインアームとサイドアームを使い果たしてしまっても、俺は敵兵を殺害して装備を鹵獲し、戦闘を継続できるように、いくつも小型の武器を携行している。昔のネイリンゲンにタイムスリップした時に使ったけれど、身に着けているこのベルトにも銃が仕込んであるし、首に下げてある銃の形の首飾りは”コリブリ”と呼ばれる超小型のハンドガンなのだ。

 

 商人の馬車が俺たちのすぐ隣を通過し、灰色の砂煙を巻き上げる。その隙に素早くサプレッサー付きのPSMを取り出してステラに渡し、彼女から手を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶色いカバンを抱えたまま、馬車がやってくる筈の場所へと向かう。その馬車に乗ってフランセン共和国の国境まで連れて行ってもらい、フランセンからオルトバルカ王国行きの列車に乗れば、明後日の昼間にはラガヴァンビウスに戻れるはずだ。

 

 一旦フランセンに行かなければならないので、それなりに費用がかかってしまうけれど、カルガニスタンに来たおかげで砂漠を移動するシーンをリアルに書くことができたと思う。後はこれを担当の編集者に渡してチェックしてもらえば、締め切りには間に合うだろう。

 

 ほっとしながら、俺はもう一度懐中時計を取り出す。

 

 それにしても、さっき食堂でファンに会えたのは嬉しかったなぁ…………。

 

 この世界ではまだ義務教育がないから、読み書きができない人は予想以上に多い。ファンレターを送ってくれる人もいるんだけど、読み書きができない人が多いせいでそれほど送ってもらったことはなかったんだ。だからなのか、ファンと話ができたのはかなり嬉しかった。

 

 時間があればもっと話がしたかったなと思いつつ、懐中時計の針を凝視する。そろそろ馬車が来てもおかしくない筈なんだけど、遅いな。遅れてるんだろうか?

 

「―――――――よう、馬車を待ってるのか?」

 

「え?」

 

 白い石で造られた建物に寄り掛かりながら馬車を待っていると、こっちに向かって歩いてきた男に唐突に声をかけられた。

 

 その人も旅をしているんだろうか? でも、旅をしているには荷物が少なすぎる。というか手ぶらだ。旅をしているのであれば道具の入ったカバンを持っているのではないのだろうか。

 

「は、はい」

 

「クックックッ…………残念ながら、馬車は来ねえよ」

 

「え?」

 

 ど、どういうこと?

 

 困惑しながらその男を凝視していると―――――――声をかけてきたその男は、ニヤニヤと笑いながらコートの内ポケットの中に手を突っ込み、その中から真っ黒なナイフを引き抜いた!

 

「―――――――”お迎え”はもう来てるがなぁ」

 

「ひっ…………!」

 

 な、なんだこいつ!? 俺を殺す気か!?

 

 反射的に建物の壁から手を離しつつ、後ろへとゆっくり下がる。

 

 カルガニスタンに出発する前に、編集部のみんなやイラストレーターの友人に『カルガニスタンはまだ治安が悪いから、護身用の武器を持って行け』と言われたので、ポケットに入ってる端末でナイフを生産したんだけど、それを引き抜いて反撃する勇気はない。

 

 はっきり言うと、俺はかなり弱い。運動が苦手な上に体力もないから、ラノベに出てくるキャラクターのようにこういう奴らを瞬殺できるような力もないのだ。だから護身用にナイフを装備してたけど、間違いなくこれを持っている意味はない。

 

「ん? 俺に殺してほしいのか?」

 

「ッ!?」

 

 ぎょっとしながら振り向くと、後ろからももう1人の男が近づいて来ていた。その男も既にナイフを引き抜いており、怯えている俺を見ながらニヤニヤと笑っている。

 

 こっちもナイフを引き抜いて脅したら逃げるだろうか? そう思ったけれど、多分こいつらを脅しても意味はないだろう。

 

 前世の世界で虐められていた時にも、虐めていた奴らの目の前でバットを拾い上げ、こいつでぶん殴るぞ、と脅したことがある。けれどもあっさりとそのバットを奪い取られてボコボコにされてしまった。

 

 ”脅し”は、ある程度力を持っていなければ意味がないのだ。だから弱い俺がナイフでこいつらを脅しても、こいつらは怯えずに襲い掛かってくるだろう。

 

 どうしよう…………!

 

 ここで殺されたら、小説を書くことができなくなる。

 

 ファンたちのために最新刊を出版する事ができなくなる。

 

 いっそのこと、このナイフで反撃してやろうか。

 

 そう思いながらナイフへと手を伸ばしたんだけど―――――――鞘の中から刀身が躍り出る前に、ごきっ、と骨が折れるような音が後ろから近づいてくる男の方から聞こえてきて、俺はびっくりしながら後ろを振り返った。

 

「え…………?」

 

 ニヤニヤしながら近づいてきた男の顔が右へと向けられており―――――――その下にある首が、捻じれていたのだ。

 

 ただ単に右を向いているだけなのだろうかと思ったけれど、首の皮膚がかなり捻じれているから、右を向いたのではなく、首が反時計回りに270度ほど強制的に急旋回させられたことが分かる。

 

 明らかに首の骨が折れているその男の頭を押さえているのは、人間の首をへし折れるほど鍛え上げた男の剛腕ではなく、真っ白で華奢な、小さな2本の腕だった。

 

 呆然としているうちに、もう1人の男の方からも呻き声が聞こえてくる。

 

 ゆっくりとそっちを振り向いてみると、最初に俺に声をかけてきた男が、背後から忍び寄っていた何者かに押さえつけられ、喉元にナイフを突きつけられていた。彼を押さえつけている人物があのナイフをちょっとだけ押し込めば、間違いなく切っ先が頸動脈を貫いてしまうだろう。

 

 振り払おうとするよりも先に殺されるということが分かったのか、俺を殺そうとしていた男は持っていたナイフをあっさりと投げ捨てる。

 

「な、なんだ、てめえは…………?」

 

「さあ、誰だろうな」

 

 ん? 

 

 ちょっと待て、今の声はさっきの食堂にいたファンの女の子じゃないか…………?

 

 この男たちがナイフを持って近付いてきた時よりもぞっとしながら、男を押さえつけている人物の顔を凝視する。深紅の羽根が付いている大きめのフードをかぶっているせいで顔がよく見えないけれど、頬の両脇からはまるで大空を彷彿とさせる蒼い髪が覗いていた。

 

 か、彼女は何者なんだ…………?

 

 

 



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証拠

 

「また会いましたね、先生」

 

 宿屋の食堂を後にしたラノベの作者を見つめてそう言いながら、彼を殺そうとしていた男の喉元にスペツナズ・ナイフを突きつける。暴れようとしていた男の首に、とん、と切っ先を当てて”すぐ頸動脈を抉れる”とアピールすると、逃げようとしていた男は抵抗しなくなった。

 

 俺とラウラは幼少の頃からあらゆる戦い方を両親から教えられた。

 

 傭兵は依頼の内容によってさまざまな戦い方をしなければならない。例えば標的を尾行して情報を入手する依頼もあるし、要人の暗殺というとんでもない仕事もある。もちろん敵と真っ向から戦う仕事もあるが、敵に見つからない戦い方をしなければならないことも多いのである。

 

 だからこそモリガンの傭兵たちの戦い方は、多彩だった。

 

 そして俺たちはその傭兵だった両親から、あらゆる戦い方を教わったのである。もちろんこうやって尾行したり、その尾行している人物を消そうとしている奴らを逆に葬るための技術も教わっている。

 

 本職は狙撃手のつもりなのだが、ナイフの使い方も結構得意だ。騎士団出身の母さんには「剣を使った方がいい」と言われたんだが、剣は銃を使う際に邪魔になるし、ナイフよりも重い。複数の銃器を持ち歩く際にはほぼ確実に足枷になるので、場合によっては隠し持てるナイフの方が俺は気に入っている。

 

 残念そうにしていた母さんの事を思い出していると、一緒に作者を殺そうとしていた男の片割れを始末したステラが、その死体を路地の方へと引きずっていった。周囲に人がいないとはいえ、さすがに死体を放置しておくのは拙い。静かに敵を始末したのならば、その死体はきっちりと処分する必要がある。

 

 路地の方から、板が軋むような音が聞こえてきた。どうやらステラは路地裏に置いてあった木箱か樽に死体を隠すつもりなんだろう。血は出ていなかったから、少なくとも血の臭いで住民に見つかることは無い筈だ。さすがに腐臭には気付くかもしれないが。

 

「ここは拙い」

 

 出来るなら尋問は誰もいないところでやりたい。出来るならば部屋の中で、尋問する相手を椅子に縛り付けられるような場所が望ましいのだが、さすがに男にナイフを突きつけながら移動して、周囲の建物の中から空き家を探すわけにはいかない。

 

 男にナイフを突き付けたまま、今しがたステラが首の骨を折った死体を運んで行った路地裏へと強引に男を連れて行く。昼間に吹き荒れる熱風や、日が沈んでから駆け抜けていく冷たい風たちによって舞い上がった灰色の砂のせいで、路地裏の両脇に屹立する石で造られた伝統的な建物の壁は薄汚れていた。

 

 路地裏に置かれているのは壊れかけの木箱と、砂まみれになった3つの樽くらいだ。その中のどれかにさっきの死体が入っているんだろうなと思いつつ、押さえつけていた男から左手を一瞬だけ離す。もちろんこいつを逃がしてやるために放してやったわけじゃないんだが、こいつはチャンスだと思ったらしく、すかさず姿勢を低くして走り去ろうとする。

 

 けれどもそうしようとしているのは読めていたし、走り去るよりも予想通りの行動をしてくれた相手を捕まえる方が早いのは火を見るよりも明らかだった。案の定、逃げようとしていた男はあっさりと華奢な腕に再びうなじを鷲掴みにされ、その薄汚れた壁に叩きつけられる羽目になる。

 

「ぐっ―――――――」

 

「逃げんなっつーの」

 

 元の持ち方に戻したスペツナズ・ナイフを喉元に突き付けながら、男に向かって冷たい声で言った。

 

 また逃げようとすれば今度殺す、という最後通告だということを理解したらしく、男は歯を食いしばりながら俺を睨みつけてくる。

 

「お、お前ら…………た、たっ、ただの………冒険者じゃないな…………?」

 

 いきなり背後から現れてナイフを突き付けられた挙句、”相方”は幼女に首の骨を折られて死亡しているのだ。俺とステラがただの冒険者でないということはすぐに理解できると思うが、俺たちの正体がクソ野郎の討伐を行う転生者ハンターだということは理解できないだろう。

 

 ヒントすら与えていないのだから。

 

 というか、与えても意味はない。

 

「―――――――お前、なぜあの少年を狙った? あの食堂から後をつけていたようだが」

 

 少しばかり手に力を入れてナイフの刀身を押し付けると、切っ先が微かに首の皮膚へとめり込んだ。ぷつっ、と小さな音が聞こえ、何の前触れもなくナイフの刃に抵抗していた皮膚の感覚が消え去る。

 

 首の皮膚に小さな穴が開き、皮膚に付着している脂汗を鮮血が洗い流していった。

 

 ナイフを突き付けて問い詰めながら、俺はもう一度だけちらりと路地の入口に隠れながらこっちを覗き込んでいる気の弱そうな少年を見る。あいつは転生者だけど、特に悪さをしているわけではないらしい。とはいっても真面目に働いているように見えた転生者がナタリアを殺そうとした前例があるので、まだこの作者も信用していないんだが、少なくともあの時にぶち殺した転生者とは違ってまともなのではないだろうか。

 

 尾行した時に見ていたが、ナイフの持ち方が素人だった。それに足が震えていたから、殺し合いを経験したことが全くないということは簡単に見抜くことができた。こっちの世界では殺し合いは日常茶飯事とはいっても過言ではないが、日本ではあまり考えられない事である。

 

 平和な環境での生活に慣れているからこそ、こっちの世界で過ごしている時の仕草で見抜けるのだ。

 

 つまり、あの作者がこの男たちに憎まれるようなことをした可能性は低い。

 

「だ、誰が答えるか…………」

 

「ああ、そう」

 

 答えてくれなかった男に冷淡な返事をぶちかましてから―――――――ブーツの踵の部分に搭載されているナイフの刀身を展開し、それで男の右足を思い切り踏みつけた。

 

 骨に穴が開く感触を感じた直後、まるでハンマーで地面に打ち込まれた杭のように、ナイフが地面に刺さる感触がした。それと同時に男も目を見開いて絶叫しようとしたけれど、こんなところで絶叫されては困るので、開かれたばかりの口を強引に閉じさせることにした。

 

 まるでアッパーカットをぶちかますかのように振り上げられた手のひらに下顎を持ち上げられたせいで、何の前触れもなく歯と唇に出口を塞がれた絶叫が男の口の中に封じ込められる。

 

「絶叫しなくていいから、質問に答えろ。さもないと切り刻んでハンバーグの材料にするぞ」

 

 男の足からナイフを引き抜きつつ、今度は反対側の足にブーツに装備されているナイフを突き付けながら脅す。情報を吐いたらすぐに消す予定だったんだけど、この男は情報を教えるつもりはないらしく、喋らずにこっちを睨みつけてくる。

 

 多分、そう簡単には吐かないだろうな。

 

 こいつらもあのラノベの作者を尾行していたわけなんだが、素人の尾行ではなかった。適切な距離を保ちつつ目立たないように細心の注意を払う、プロの尾行である。

 

 しかも足を切りつけられた程度では情報を吐かない。

 

 彼らの尾行のやり方と口の堅さで、すぐに仮説が組み上がる。

 

 ―――――――こいつらは、傭兵か暗殺者だ。

 

 傭兵ギルドが引き受ける仕事にもよるが、傭兵のうちの大半は汚れ仕事を経験する。とは言っても依頼を引き受ける傭兵だってやりたくない仕事を断る権利はあるので、そういう汚れ仕事を嫌う奴は汚れ仕事を経験することはないだろう。

 

 傭兵は非常に口が堅いため、そう簡単にクライアントの情報や自分たちの引き受けた依頼の情報を話すことはない。クライアントに雇われた傭兵たちは巨額の報酬を手に入れるために戦うのだ。クライアントの情報を敵に放すということは、金を用意してくれているクライアントを裏切ることを意味する。

 

 なので汚れ仕事をしている最中に敵に捕らえられて拷問を受けても、大半の傭兵は情報を吐かないので、拷問を担当することになる奴はあの手この手で痛めつけ、情報を吐かせなければならなくなってしまう。

 

 中にはそういう仕事の前に、自決用の毒薬を準備しておくギルドもあるという。さすがにモリガンはメンバーを切り捨てるような真似はしなかったらしいが。

 

 もしかしたらこいつも毒薬を持ってるんじゃないかと思ってぞっとしたが、左手で口は押えてあるし、ちょっとでも動いたら即座にハンバーグの食材にする準備はできている。毒を飲むのは不可能だろう。

 

「ステラ、こいつのボディチェックを」

 

「了解(ダー)」

 

 路地の向こうを見つめて警戒していたステラは返事をすると、俺に押さえつけられている男の服にあるポケットの中へと容赦なく手を突っ込んだ。もしかしたら暗殺用の武器を持っているかもしれないし、所属しているギルドのヒントになる物を持っている可能性もある。

 

 できれば後者の方がいいな、と思いつつ、ステラがボディチェックを終えるまで男を拘束し続ける。もし何も入っていなかったらこの場で拷問を始めなければならなくなってしまうんだが、幸運なことに路地裏でそんなことを始める必要はなさそうだ。

 

 ポケットの中を漁っていたステラが、何かを見つけてくれたのだ。

 

「タクヤ」

 

「どうした?」

 

「バッジを見つけました」

 

 そう言いながら、ポケットの中から引き抜いた手を開いてバッジを見せてくれるステラ。真っ白な小さい手の上に乗っていたのは、冒険者に交付される銀色のバッジよりも一回り大きな灰色のバッジだった。よく見ると表面には頭にナイフを突き立てられた髑髏のエンブレムが描かれており、そのバッジがギルドの団員に交付されるバッジであることが分かる。

 

 基本的に、ギルドの団員にそのようなバッジを支給する義務はないので、ギルドによってはバッジを支給しないギルドもある。けれども持っていれば冒険者のバッジのように身分証明書の代わりにもなるのだ。

 

「―――――――お前、”アサシンズ”のメンバーか」

 

「ッ!」

 

 ナイフを突き立てられた髑髏のエンブレムは、有名な傭兵ギルドのエンブレムである。

 

 汚れ仕事を専門的に引き受けるギルドで、団員たちは入団した後に徹底的に暗殺や隠密行動の訓練を受けさせられるという。”先進国で暗殺された要人の3割はこのギルドに消された”と言われており、モリガンほど有名なギルドではないものの、非常に危険なギルドということになっている。

 

 団員の人数や拠点の位置は一切公開していないため、本当は存在しないんじゃないかという説もあるのだ。

 

 それにしても、あのラノベの作者は何でこんな連中に狙われたんだろうか。貴族や議員が政敵を消すために、労働者の年収に匹敵する報酬を支払って雇うような暗殺者共だぞ………?

 

「吐け。なぜあいつを狙う?」

 

 吐いてくれるとは思っていなかったが、もう一度問いかけてみる。けれども男はやっぱり答えるつもりはないらしく、足にナイフを突き立てられた激痛と、足から鮮血が溢れ出す感触を感じながら俺を見下ろしている。

 

 もう一度ナイフを突き立てて問い詰めようと思ったが、多分この男はここで切り刻んだとしても吐かないだろう。タンプル搭まで連行してシュタージに拷問させれば吐くかもしれないが、わざわざタンプル搭まで連れて行く余裕はない。

 

 これ以上問い詰めても無駄だということを察した俺は、溜息をついた。

 

「分かったよ」

 

 仮に吐いたとしても、最終的な結果は同じだっただろうと思うけど。

 

 呆れながら右手のスペツナズ・ナイフを素早く逆手持ちにし―――――――アサシンズのメンバーの男から左手を離すと同時に、力を抜いた右手を左へと思い切り薙ぎ払う。

 

 ナイフの刀身が皮膚にめり込む瞬間に力を込めると、ぷつっ、と皮膚が切れる小さな音が聞こえた。薙ぎ払った右腕が終着点に到着する頃には、延長されたナイフの刀身は微かに赤く染まっており、そのナイフで斬られる羽目になった男の首には、真っ赤な紋章にも似た血の模様が浮かび上がっていた。

 

「カッ―――――――」

 

「―――――――お休み」

 

 喉を切り裂かれた男が、両手で喉を押さえたまま崩れ落ちていく。思い切り両手で押さえつけても無駄だというのに、彼は自分の両手を鮮血で真っ赤に染めながら、少しでも出血を止めようと足掻き続けた。

 

 けれども切り裂かれた傷口から鮮血たちはお構いなしに隙間から飛び出して、灰色の砂の中へと染み込んでいく。俺もステラみたいに首の骨を折って殺せば血の臭いはしなかったな、と後悔しながら、足掻きながら死んでいく哀れな男を見下ろし続ける。

 

 男の身体が動かなくなったことを確認し、死体を引きずって樽の中へと放り込む。

 

 剣だったら、こんな繊細な殺し方はできないだろう。

 

 だから俺はナイフがお気に入りなんだ。ちゃんと急所を終われば、標的を呆気なく殺せるから。

 

 少しでも血の臭いを消すために、樽の中に一緒に足元にたっぷりと居座る砂を入れておく。これから油で揚げる鶏肉に小麦粉をぶちまけるように。

 

 樽の蓋を閉じてから踵を返し、路地の出口へと向かう。多分あの男を殺していたのはラノベの作者に見られてただろうな、と思いながら彼の方を見ると、原稿の入った鞄を抱えていた転生者の少年はぶるぶると震えながら俺とステラを見つめていた。

 

「こ、こっ、殺した………のか………?」

 

「ああ」

 

 殺す必要はないとでも言いたいのか?

 

 怯えている少年を見つめながら、俺は溜息をつく。

 

 確かに、前世の世界の日本は平和だった。他の人と殺し合いをすることは殆どなかったのだから。

 

 けれどもこの世界では、残念なことに殺し合いは日常茶飯事なのだ。先住民たちを蹂躙する騎士たちがいるし、旅人たちを殺して金品を奪う盗賊共もいる。この異世界にはこれでもかというほど犠牲者たちの死体が転がり、その死体を見下ろしながらクソ野郎共が私腹を肥やしているのである。

 

 その”日常茶飯事”を拒絶したくなる気持ちは分かる。

 

 でも、それを受け入れなければ殺される羽目になるのだ。

 

「こ、殺さなくてもよかっただろっ!?」

 

「叫ぶな。住民に目撃されたら困る」

 

 冷たい声でそう警告したが、転生者の少年はまだ咎めるつもりらしい。

 

「なっ、何で躊躇いなく殺せるんだよ…………こっ、こ、この殺人鬼っ!!」

 

「―――――――黙れよ、日本人(ヤポンスキー)」

 

 善良な転生者の欠点は、この異世界の常識を全く受け入れられない事だ。

 

 俺は前世の世界ではあのクソ親父を何度も殺そうと思っていた。あの世界に殺人罪が無かったら、きっと母さんが他界した時点で無残に殺していた事だろう。

 

 前世の世界でそんなことを考えながら育ったせいなのか、この世界では前世の世界の日本とは違って殺し合いが日常茶飯事となっていても、俺はすぐに受け入れる事ができた。だからもう躊躇せずにナイフで首を切り裂くことができるし、眉間を7.62mm弾で抉ることもできる。

 

 多分、前世の時点でこの世界に”適応”できるようになっていたのだろう。

 

 仕方のない事だと思いつつ彼を睨みつけると、転生者の少年はびくりとしながら唇を噛み締めた。

 

「あいつらを説得すれば殺さずに済んだと思うか? 言っておくが、ここはもう平和な世界じゃない。早いうちに平和ボケを止めないと死ぬぞ」

 

「で、でも…………!」

 

「タクヤ、他にも奴らの仲間がいる可能性が」

 

 黙ってろと言わんばかりに報告するステラ。他にもアサシンズのメンバーが潜んでいる可能性はそれほど高くはないと思うが、いつまでも”殺人現場”でおしゃべりをしているわけにはいかないだろう。

 

 それにアサシンズの本隊もいずれは察知する筈だ。弱そうな少年を消すために派遣したメンバーが、死体になったことに。

 

「移動しよう。…………安心しろよ、先生。あんたは俺たちが守ってやる。殺人鬼だがな」

 

 そう言いながらニヤリと笑うと、転生者の少年は顔をしかめた。けれどもここで俺たちから離れればまたこいつらに狙われることになるのは想像に難くない。暗殺者に狙われるよりも殺人鬼と行動を共にした方が生存率は高くなると判断した彼は、歩き始めた俺の後についてきた。

 

 今のうちに武器を装備しておいた方が良さそうだ。

 

 メニュー画面を開き、ステラにテンプル騎士団仕様のビラール・ペロサM1915と予備のマガジンを渡す。俺もグレネードランチャー付きのAK-15を装備して予備のマガジンを腰のポーチへとぶち込み、安全装置(セーフティ)がかかっているかどうかを確認する。

 

「き、君も転生者…………!?」

 

「後で話すよ」

 

 やっぱり驚くか。異世界にAK-15(カラシニコフ)は存在しないからな。

 

 テンプル騎士団の”身内”には正体を明かしているけれど、外部の人間に「俺は転生者だ」って言ったら、本国にいる母さんやエリスさんにも知られてしまうかもしれない。母親たちを混乱させないためにも外部の人間には正体を明かさない方が良さそうだ。

 

 背後から奇襲されても対応できるように、ビラール・ペロサM1915を抱えながら少年の後ろを歩くステラ。石で造られた建物の陰に敵がいないか警戒しながら、俺は後ろにいる少年に問いかける。

 

「あいつらに狙われた心当たりは?」

 

「な、ないよ。俺は小説の描写の参考にするために写真を撮りながら旅行してただけだ」

 

「…………写真?」

 

 ちょっと待て。写真を撮っていただと?

 

 頷いてから、カバンの中からカメラを取り出す少年。傍から見ると少し厚い木製の板にレンズを取り付けたような形状のモリガン・カンパニー製のカメラを取り出した彼は、それで撮影した白黒の写真もカバンから取り出し、俺に見せてくれた。

 

 この世界ではカメラは発明されているけれど、まだ写真は白黒なのである。なのでテンプル騎士団の兵士たちが銃を持ったままカメラで写真を撮ると、ロシア製の最新型のアサルトライフルを手にした兵士たちが、まるで第二次世界大戦の真っ只中に撮影されたかのような雰囲気の写真に写る事になるのだ。

 

 作者が撮影していたのは、大半は街や砂漠の風景ばかりだった。中にはラクダに乗った先住民の写真もあるし、旅行の最中にお世話になったのか、カルガニスタンに住む部族の1人と思われるダークエルフの男性と仲良くしている写真もある。

 

 もしかして、彼はアサシンズにとって都合の悪い何かを撮影してしまったから狙われていたのではないだろうか。

 

 そう思いながら写真を見ていたが―――――――多分、この仮説は当たっていると思う。

 

「なるほど、分かった」

 

「え?」

 

「これを見ろ。右下にいる男だ」

 

 そう言いながら俺が指差したのは、カルガニスタンの街の中で撮影したと思われる一枚の白黒写真だった。カルガニスタンの独立後に撮影された写真らしく、街の中にフランセンの騎士たちが駐留している気配はない。

 

 大通りを歩く住民たち。こういう風景も描写しようと思って撮影したのだろうか。

 

 けれどもその右下に―――――――暗殺者共に狙われる原因が居座っていた。

 

 黒いコートに身を包んだ人間と思われる男性が、私服姿の男性に白い粉が入ったガラス製の容器を手渡しているのである。おそらく黒いコートを身に纏っている男性はアサシンズのメンバーだろう。その容器を受け取っているのは、彼らの取引相手だろうか。

 

「これ何…………?」

 

「多分麻薬だな」

 

「ま、麻薬!?」

 

「ああ。いくら汚れ仕事を専門的に引き受けてるギルドでも麻薬はアウトだ。明るみに出た時点で、管理局からギルドの解体命令が出されるだろうな。もちろんメンバーは全員拘束される」

 

 なるほどな。アサシンズが麻薬の取引をしているところを撮影してしまったから、口封じのためにこいつを消そうとしていたってことか。

 

 何度も標的を暗殺した熟練の暗殺者なら、シャッターを切るも聞き取っているだろう。だから写真を撮られたことに気付いたに違いない。

 

 やれやれ、麻薬カルテルの次は暗殺者共か…………。

 

 

 

 

 

 



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装甲列車と旅路

 

 タンプル搭にある設備の大半は、地下に建設されている。俺たちが席に座って兵士やエージェントたちに指示を出す指令室や、兵士たちが戦場での戦闘を想定して訓練を行う訓練場も、分厚い岩盤と装甲に守られた地下にあるのだ。

 

 兵士たちが訓練をしている区画の下には居住区が広がっており、兵士の家族や志願しなかった住民たちが生活している。テンプル騎士団は志願制なので、受け入れた住民を徴兵することは絶対にない。その代わりに12歳以上で60歳未満の住民たちには、1人につき1丁の銃の所持と、その銃を使って一週間に一度の射撃訓練が義務付けられている。

 

 場合によっては彼らの力を借りることになるかもしれないが、あくまでも住民にまで銃を持たせたのは護身用だ。住民たちの中には設備のメンテナンスをしている者たちもいるけれど、中にはタンプル搭の外に出て買い物に行く住民たちもいるのだ。基本的には兵士たちが護衛につくのだが、兵士たちが任務で出撃している間は護衛の兵士を派遣する事ができない場合もある。だからこそ彼らに射撃訓練を義務付け、銃の撃ち方だけでなく扱い方も教えているのだ。

 

 銃を使うための訓練を、兵士たちの家族も受けるのである。

 

 訓練とはいっても普通の兵士が受けるような厳しい訓練ではなく、銃の撃ち方や安全装置(セーフティ)のかけ方の教育などだ。特に安全装置(セーフティ)に関する教育は徹底的に行うように指示をしている。

 

 銃の使い方を学んでいる住民たちの住む居住区の下にもまだ区画はあるのだが―――――――現時点では”最下層”となっている場所に、テンプル騎士団の新たな兵器が居座っていた。

 

 灰色の砂で埋め尽くされている大地の遥か下に掘られたトンネルを見つめながら、数秒前まで弄っていた端末をポケットの中へと戻す。トンネルの天井には、フィオナ機関から伸びる鋼鉄製のパイプで伝達されている魔力を使って発光する照明がいくつも連なっており、光で闇を穿ち続けている。けれどもトンネルの中に居座る闇を全て消し去ることはできていない。

 

 トンネルの下に鎮座しているのは、2本の金属製のレールだった。

 

 まるで前世の世界にあった地下鉄の駅のホームを思わせる場所からそのレールを見下ろし、これからそのレールの上を疾駆することになる兵器を凝視する。

 

 照明で照らされているホームの傍らに居座っているのは―――――――これ見よがしにテンプル騎士団のエンブレムを描かれた、”装甲列車”だった。

 

 吸血鬼共の春季攻勢の前に、重要拠点とタンプル搭を地下トンネルで繋ぎ、もし重要拠点を放棄せざるを得ない状況になってしまった場合に列車で兵士を脱出させたり、逆にこちらの兵士たちを増援部隊として派遣するという計画がテンプル騎士団の上層部で用意されていたのである。

 

 結局このトンネルが初めて有効活用されたのは、ブレスト要塞の地下にMOABを運び込んで吹っ飛ばすという”ブラスベルグ攻勢”の作戦の時だったが。

 

 あの戦いの後、テンプル騎士団は本格的に装甲列車(こいつ)を運用することになった。

 

 兵士たちの脱出や増援部隊の派遣くらいしか想定されていなかったにもかかわらず、現代戦ではお目にかかれなくなった装甲列車の本格的な運用が決まったのは、テンプル騎士団が初めて装甲列車を投入した”ブラスベルグ攻勢”が原因と言ってもいいだろう。

 

 正確に言うと、あれはMOABをブレスト要塞の地下に運び入れるためだけに機関車と貨車を使っただけなんだけどな。

 

 けれども敵にトンネルがあるということがバレていなかったとはいえ、気付かれずに強烈な一撃をぶちかます事ができた。もしMOABではなく大量の兵士たちだったのであれば、敵はどこからかいきなり現れた大量の兵士たちに急襲され、総崩れになっていただろう。

 

 現代戦では高性能な装甲車やヘリたちが兵士たちを戦場へと運ぶ役目を担当している。けれども装甲列車は、線路の上を走る事しかできない哀れな兵器とはいえ、貨車を増やせばさらに多くの兵士を乗せて戦場へと向かうこともできる。運ぶことができる兵士の人数は、遥かにこっちの方が上なのだ。

 

 更にあの戦いに投入したシャール2Cの”ピカルディー”が、所属していたブレスト要塞が壊滅したにもかかわらず、擱座寸前まで追い詰められたとはいえ、敵の戦車部隊を蹂躙しながら生還し、その後に実行されたブラスベルグ攻勢でも大活躍したことを知った上層部の連中は、兵士の輸送に投入される筈だった装甲列車をとんでもない代物に作り替えるように要求しやがった。

 

 信じられない話だが―――――――シャール2C以上の装甲と武装を搭載し、敵の地上部隊を蹂躙できる決戦兵器として投入するというのだ。

 

 戦術が現代戦から昔の世界大戦の頃に逆戻りしてるんじゃないだろうかと思いつつ、機関車の前後に連結されている重装備の車両を見つめる。

 

 先頭に居座るのは、でっかい砲台が2つも搭載された車両だ。正面と側面の装甲はシャール2Cの分厚い正面装甲を流用しているため、仮に160mm滑腔砲から放たれたAPFSDSが直撃したとしてもそう簡単に貫通されることはないだろう。その車両の上に搭載されているのは、上下に2本の砲身が突き出ているシャール2Cの砲塔だ。搭載されているのは152mm滑腔砲で、口径に合わせて大型化したロシア製対戦車ミサイルの”レフレークス改”を発射する事ができる。主砲同軸には大口径の14.5mm弾を発射する重機関銃まで搭載されているため、この車両に搭載されている兵器だけでも絶大な破壊力を誇る。

 

 更にアクティブ防御システムの”アリーナ”まで搭載されているので、対戦車ミサイルも容易く撃墜してしまう事が可能なのだ。

 

 まるで戦艦の主砲のように巨大な砲塔が居座る車両の後ろに連結されているのは、対空機関砲と地対空ミサイルを搭載した”2K22ツングースカ”の砲塔を3基も搭載した車両である。巨大な主砲を搭載していれば戦車部隊に猛威を振るう事ができるが、装甲列車や戦車の天敵は航空機である。そこで、味方が制空権を確保できていない場合でも強引に航空隊を薙ぎ払いながら進撃できるように、対空用の兵器を満載した車両も用意されているのだ。

 

 その後ろに兵士たちを30名も収容できる兵員輸送車両を連結しており、その後ろに機関車を連結している。

 

 採用された機関車は、フィオナ機関で動く『フィオナM28』という異世界の機関車である。モリガン・カンパニーで製造された車両で、外見は前世の世界に存在した蒸気機関車の”D51”に似ている。

 

 蒸気機関車と違って煙を出さないので目立たないし、重装備の車両を牽引できるほどの十分な馬力があるのでこの機関車が採用された。とはいえ戦闘を想定して設計されたものではないので、タクヤの能力によって装甲が装備されている。

 

 冷却用の水を満載した車両の後ろからは、機関車の前にある車両と同じものが連結されているのだ。現時点で合計で60名も兵士を輸送する事ができるが、車両を増やせばさらに多くの兵士たちを運ぶこともできる。

 

 爆発反応装甲を搭載するという案もあったんだが、列車の走行に必要なレールを爆発で台無しにしては元も子もないので、爆発反応装甲の搭載は見送られた。

 

 黒と灰色のダズル迷彩に塗装されている車両の側面には、エンブレムと共に”シミャウィ”という名前がオルトバルカ語で描かれていた。

 

 この名前を付けたのはタクヤだ。名前の由来は、第二次世界大戦の序盤であのドイツ軍を撃退するという大きな戦果をあげた、ポーランドの装甲列車の『シミャウィ』だろう。腕を組みながら名前の由来を予想している間に、隣にやってきたクランが乗り込んでいく乗組員たちに指示を出していく。

 

 ちなみにクランはこの装甲列車に『ビスマルク』か『ティルピッツ』という名前を付けるつもりだったらしい。最終的に多数決でシミャウィになっちまったが。

 

 俺はビスマルクが良かったんだがなぁ。タクヤめ。

 

「それにしても、たった1人の転生者を救出するためにこいつを出す必要あるか? 切り札だろ?」

 

 タクヤからの連絡は、もうオペレーターたちから聞いていた。ステラを連れてダンジョンの調査に向かったあいつは、タンプル搭から離れた場所にある小さな町で、傭兵ギルド『アサシンズ』に狙われている転生者の少年を保護したという。

 

 アサシンズとの交戦が想定されるため、アサシンズの情報をよこせと要求してきたようだ。

 

 近隣のギルドの情報はしっかりと調べてあるので、もちろんアサシンズの情報も集めてある。メンバーは合計で200人前後で、本拠地はない。各地を移動しながら活動している変わった連中だ。暗殺に特化したメンバーばかりで構成されているらしいし、得物は小型のナイフや古めかしいサーベル程度である。

 

 だからこそ俺はクランに問いかけた。

 

 相手は暗殺くらいしかできない連中だ。装甲車や戦車を投入しなくても勝てるだろうし、下手したら銃を使う必要もないような相手だ。こんな重装備の装甲列車を投入しても勝負にならないのは想像に難くない。

 

 制服姿の運転手に「じゃ、お願いね」と言ってから敬礼した彼女は、微笑みながらこっちを振り向いた。

 

「何言ってるのよ。相手が弱いからこそ投入するんじゃないの」

 

「……………容赦ないなぁ」

 

 クランがこいつを投入すると言った理由が理解できた。

 

 クランの奴は、アサシンズの連中を実験台にするつもりなのだ。このシミャウィは訓練のために出撃したことはあるが、実際に敵と交戦したことは一度もない。だからアサシンズの連中を生贄にして、この装甲列車のデータを得るつもりなのだろう。

 

 すでに装甲列車を走らせるための地上の線路や地下のトンネルは、フランセンとの国境の近くまで伸びている。最終的にはカルガニスタン全土に線路を用意して、いつでも装甲列車を派遣できるようにする予定だ。

 

「ところで、モリガン・カンパニー側から返事はあったの?」

 

「『フランセンの国境に第872哨戒部隊を派遣する』だそうだ。そこに連れてこいって事だろ」

 

 保護した転生者を装甲列車で回収し、モリガン・カンパニーの部隊に引き渡してオルトバルカまで連れ帰ってもらうことになっている。どうやら彼は小説家らしく、明後日にはオルトバルカに帰る予定だったらしいからな。

 

 出版している小説の新刊の発売が延期になったらファンは悲しむだろう。モリガン・カンパニーの連中はそれも考慮してくれたんだろうが、あいつらの狙いはその作者が持っている一枚の写真だろうな。

 

 タクヤが保護した転生者は、小説の参考にするために写真を撮影しながら旅行してたらしいんだが、どうやらアサシンズの連中が麻薬の取引をしているところを写真に撮ってしまったらしい。それを管理局に提出されればアサシンズは解体され、メンバーは確実に身柄を拘束されることになるため、アサシンズの連中は是が非でもその小説の作者を消し、写真の提出を阻止しようとするに違いない。

 

 でも、モリガン・カンパニーの手に渡った方が危ないような気がする……………。あの組織は容赦がない連中ばかりだから、アサシンズの連中や取引相手は確実に”粛清”されることだろう。

 

「で、その哨戒部隊の兵力は?」

 

「歩兵70名、T-14が10両、T-15が15両、スーパーハインド6機。その気になれば近隣の空港からいつでもA-10Cを出撃させられるらしい」

 

「…………ねえ、それが”哨戒部隊”なの?」

 

「ああ。しかも”第872”だそうだ」

 

 化け物だな…………。

 

 ヴリシアに派遣した部隊や春季攻勢(カイザーシュラハト)の迎撃に派遣した兵力ですら、モリガン・カンパニーの全兵力ではないらしい。あの企業の上層部の連中の話では、全ての兵力を集めて侵攻させると、数が多過ぎるせいで”指揮が執り切れなくなる”ために一部の兵力しか投入しなかったという。

 

 要するに、あの2つの戦いでモリガン・カンパニーは全く本気を出していないのだ。

 

 あんな勢力と戦争になったら勝ち目がないな、と思いつつ、俺は再び腕を組みながら装甲車を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリガン・カンパニーは容赦のない連中だが、テンプル騎士団もクソ野郎には絶対に容赦をしない勢力だと思いつつ、メニュー画面を開いた。

 

 どうやらクランの奴は、この作者を保護してフランセンの国境まで連れて行き、そこで待っているモリガン・カンパニーの哨戒部隊に引き渡すためだけに、虎の子の装甲列車を投入するらしい。敢えて格下の敵との戦闘に投入してテストをするつもりなんだろうなと思いつつ、メニュー画面に映っているチョールヌイ・オリョールをタッチし、その戦車を目の前に出現させる。

 

 何の前触れもなく黒と灰色のダズル迷彩に塗装された戦車が出現したのを目の当たりにした少年は、ぎょっとしながら目を見開いた。

 

「せ、戦車!?」

 

「どうぞ、先生。俺たちの愛車だ」

 

 キャタピラと装甲と戦車砲を積んだ物騒な愛車だけどね。

 

 普段は操縦手、砲手、車長の3人で操縦することになっている。自動装填装置を搭載しているので、砲手が乗る必要はないのだ。今から3人でこの戦車に乗って装甲列車の線路まで向かうわけなんだが、俺の隣にいる作者さんは戦車の動かし方を知らないので、実質的にこいつを動かすのは俺とステラということになる。

 

 操縦手がステラで、砲手が俺だ。

 

 彼女がまたドリフトしないことを祈りつつ、砲塔の中へと入る。原稿と写真の入ったカバンを抱えながら砲塔をよじ登ってきた先生に向かって手招きし、でっかい機関銃が搭載されているハッチの中へと案内してから、ハッチを閉じて砲手の座席に座る。

 

 装甲列車の線路に向かうのであれば、バイクやハンヴィーで移動した方が手っ取り早い。けれども敢えて小回りの利かない戦車を選んだのは、この戦車が分厚い装甲で守られているからだ。

 

 装甲の薄い車両や防御力とは無縁なバイクでの移動だと、唐突に奇襲される恐れがある。それを防ぐために警戒しながら護衛するのが俺とステラの役目というわけなんだが、いくら実戦を何度も経験しているとはいえ限界があるし、相手は暗殺を得意とする傭兵たちだ。もしかしたら俺たちの隙を突くほどの実力者がいるかもしれない。

 

 なので、戦車で移動すれば安全というわけだ。全ての方向を警戒しながら進むのはめんどくさいし。

 

 それにこの戦車に乗りながら敵と戦えば、車長の席に座りながらきょろきょろと砲塔の中を見渡している先生にも現代兵器の真の力を見せてあげられますしね。

 

「あ、あのさ」

 

「ん?」

 

 モニターをタッチして自動装填装置のチェックをしていると、車長の席に座りながらカバンを抱えていた作者が声をかけてきた。

 

「そういえば、君の名前は?」

 

「タクヤ・ハヤカワだ。あっちにいる幼女がステラ・クセルクセス」

 

「タクヤ、ステラはこう見えても39歳なのですよ? 幼女ではありませんっ」

 

 操縦手の席でチェックしながら反論するステラ。苦笑いしながら彼女に謝りつつ、俺の名前を聞いた彼のリアクションを予想する。

 

 こっちの世界では”タクヤ”という名前は珍しいらしいので、男なのか女なのかは分からないようだ。けれども前世の世界の日本からやってきた転生者ならば、タクヤという名前が男の名前だという事を知っているだろう。

 

 なので、俺の名前を聞いた転生者共のリアクションは、女なのに男の名前を付けられた哀れな美少女だと思うか、男だと知ってショックを受けるかのどちらかである。

 

 今回はどっちなんだろうな、と思いつつ彼の方を見て見ると、彼は俺と目が合った瞬間に微笑んだ。

 

「やっぱりね」

 

「え?」

 

 ん? バレてた?

 

「なんだか言動が女の子にしては粗暴だし、仕草も男っぽかったからさ」

 

 おお、やっと男だと思ってもらえた!?

 

 でも最初はこいつも俺の事を女だと言ってたよな? 男だとは思っていたけれど、断定できなかったから女ということにしていたという事なんだろうか。

 

 今まで散々女に間違われてばかりだったからなのか、結構嬉しい。けれども親しい人や肉親にすら女に間違われることもあったし、時折自分の性別が女だと無意識のうちに思い込んでしまうこともあったから、ちょっとばかり自分が男だと思われていた事に違和感を感じてしまう。

 

 違和感を感じるのは拙いよな。

 

「そりゃどうも。で、先生の名前は?」

 

「俺は『牧島文耶(まきしまふみや)』。よろしく」

 

「おう、フミヤ先生。……………それじゃあ同志、そろそろ行きますか」

 

「了解(ダー)」

 

 今のところ、アサシンズの連中は襲撃してきていない。まだ仲間が殺されたという事に気付いていないのだろうか。

 

 とりあえず、警戒しながら装甲列車(シミャウィ)と合流するまで旅を楽しむとしよう。

 

 

 

 

 



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戦車の力

 

 ヴリシアの戦いまで、テンプル騎士団ではエイブラムスを採用していた。

 

 けれどもヴリシアの戦いで、連合軍を迎撃するために吸血鬼たちが投入した近代化改修型マウスとラーテの猛攻によって、そのエイブラムスたちは大損害を被ることになったのである。エイブラムスは高い防御力と攻撃力を兼ね備えた高性能な戦車で、世界中の戦車の中でもトップクラスの戦闘力を誇ると言っても過言ではなかったんだけど、吸血鬼共が投入した超重戦車の攻撃力と防御力は、エイブラムスの性能を大きく上回っていたのだ。

 

 機動性ではエイブラムスが圧勝していたけれど、マウスたちが搭載していた複合装甲はエイブラムスよりも分厚く、搭載していた主砲はエイブラムスよりも大口径であったのである。

 

 なのでこちらの主砲は殆ど通用しなかったうえに、向こうの主砲はエイブラムスの正面装甲を易々と貫通してしまったのだ。辛うじて数両のエイブラムスが生還したものの、あまりにも損害が大きすぎたため、テンプル騎士団は戦車部隊を再編成する羽目になってしまった。

 

 しかし戦車部隊の再編成にはコストがかかるし、もしまた近代化改修型マウスやラーテのような怪物が襲い掛かってきたら、”普通の”戦車では勝ち目がなくなってしまう。それゆえにコストが低く、新型の戦車にも対応できるような通常の戦車と、超重戦車を撃破できるほどの火力を搭載した戦車の2種類を採用することとなったのである。

 

 このチョールヌイ・オリョールは、後者の戦車だ。

 

 複合装甲の増設や爆発反応装甲の搭載で防御力を底上げしつつ、主砲を大口径の152mm砲に換装することで、側面であれば吸血鬼たちの近代化改修型超重戦車の装甲を貫通する事ができる火力を誇る。さすがに超重戦車たちが搭載している160mm滑腔砲の直撃には耐えられないものの、通常の主力戦車(MBT)で超重戦車に対抗できるのは大きな強みだ。

 

 とはいえこちらはコストが高くなってしまうため、重要拠点の守備隊や海兵隊の一部にしか配備されていない。出来るならば戦車をこのチョールヌイ・オリョールで統一するのが理想的なんだが、そんなことをしたら俺やクランたちの持っているポイントが底をついてしまう。戦車以外にも生産しなければならない兵器は山ほどあるので、ポイントの残量には注意しなければならない。

 

 なので、他の部隊にはロシアのT-90やT-72B3などの戦車が大量に配備されている。

 

 テンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールは、対超重戦車戦闘を想定して生み出された戦車なんだが、現在ではより強力な武装を満載したシャール2Cも増産されているため、敵の超重戦車との戦闘にはほとんど投入されていない。

 

 とはいえ現時点ではシャール2Cはたった20両しか配備されていないので、もしシャール2Cが対応できなくなってしまった場合はチョールヌイ・オリョールが対処することになるだろう。それに武装は通常の戦車よりも強力なので、敵の戦車部隊との戦闘に投入すれば猛威を振るうに違いない。

 

「ほい、紅茶」

 

「あ、どうも」

 

 車長の席で興味深そうに車内のモニターを見つめていたフミヤに、車内に置いてあるティーカップに紅茶を注いで渡す。戦車の中でいきなり紅茶を渡されるとは思っていなかったらしく、モニターを見ていたフミヤは湯気と熱を発しているティーカップを見て目を丸くしたけれども、すぐにティーカップを受け取って冷まし始めた。

 

 テンプル騎士団では紅茶が大人気なので、戦車やヘリの中にもティーカップやティーポットが用意してあるのだ。

 

「…………ごめんね、さっきは」

 

「あ?」

 

「あの…………殺人鬼なんて言っちゃってさ。俺の事守ってくれてるのに」

 

「…………気にすんな」

 

 紅茶を飲みながら謝ったフミヤにそう言いながら、手元にあるモニターをもう一度チェックする。

 

 この世界で敵を殺すのは当たり前だ。前世の世界のように治安がいいわけではないし、平和というわけではない。未だに当たり前のように戦争をしている国もあるし、先進国の中にも殺人鬼や盗賊は当たり前のように存在している。

 

 この世界は、殺されないように武装するのが当たり前の世界なのだ。

 

 平和な世界で生活していたからこそ、転生者はこの異世界の常識に慣れるまでに時間がかかってしまう。俺たちの親父は容赦のない男だったけれど、転生したばかりの頃はジョシュアに止めを刺さずに見逃していたという。

 

 仕方がない事だけど、元の世界に戻る方法がない以上、早くこの世界の常識に慣れなければならない。それに転生者に牙を剥くのはこっちの世界のクソ野郎だけではないのだから。

 

「俺もやっぱり、強くなった方がいいのかな?」

 

「いや、あんたは武器を持つ必要はないよ」

 

「え?」

 

 敵の殺し方を覚えろと言われると思っていたのか、フミヤはびっくりしながらこっちを見る。

 

「あんたの仕事はラノベを書くことだろ? だったらペンを握る手を血で汚しちゃダメだ」

 

 お前は作家なのだから。

 

 血まみれになって戦うのは俺たちの仕事なんだから、汚れるのは俺たちに任せていればいい。

 

「タクヤ…………」

 

「新刊期待してるぜ、先生」

 

 そう言いながら笑い、俺も紅茶の入ったカップを口へと運ぶ。ナタリアが作ってくれた特製のジャムで甘くなった紅茶で口の中を温めてから、カップをモニターの隣に置いて立ち上がり、砲手用のハッチへと手を伸ばす。

 

 このチョールヌイ・オリョールには自動装填装置が搭載されているので、砲弾を主砲に装填する装填手は乗る必要がない。その代わりに砲塔の中には自動装填装置が居座っているし、主砲も大口径の152mm砲に換装したので、砲塔が大型化した割には中は狭くなっているが。

 

 きっと親父やギュンターさんが乗ったら大変なことになるだろうな。あの2人はモリガンの傭兵の中で体格ががっちりしてるし。

 

 ハッチを開けると、冷たい風が容赦なく砲塔の中へと流れ込んでくる。そのままハッチから身を乗り出して首に下げていた双眼鏡を覗き込み、灰色の砂漠を見渡す。

 

 今のところアサシンズの連中が襲撃してくる気配はない。さっきフミヤを拾った街の中でも襲撃してくることはなかったのだから、下手したら1発も砲弾をぶっ放さずに装甲列車と合流できそうだ。

 

 それにもし仮に襲撃してきたとしても、向こうは暗殺に特化した傭兵たちの集団。敵と真っ向から戦うような戦闘は避けようとする筈だし、武装もとっくに騎士団から退役した剣やコンパウンドボウ程度だろう。魔術師もいるかもしれないが、ファイアーボールごときでチョールヌイ・オリョールの装甲を貫通できるわけがない。

 

 口から吐き出した息が真っ白に染まり、戦車の砲塔の上から置き去りにされていく。冷たい風の中に含まれていた砂粒が双眼鏡や手袋に付着し、どんどんざらざらした感触へと変わっていった。

 

 顔をしかめながら頬に付着した砂粒を払い落としていると、車長用のハッチが開いた。車内でモニターを眺めていることに飽きたのか、フミヤがチョールヌイ・オリョールのハッチから顔を出し、走行している戦車の上から周囲の砂漠を見渡す。

 

 前世の世界では戦車に乗る機会はほとんどないからな。

 

「す、すごい…………! 戦車ってこんなに速いの!?」

 

「意外だろ?」

 

 戦車の速度は意外と速いのである。ちなみにこのチョールヌイ・オリョールの最高速度は70km/hほどだ。確かに昔の戦車の速度は非常に遅かったけれど、現代の戦車は当たり前のように60km/hや70km/hくらいの速度で走行することが可能なのである。

 

「もっと戦車って動きが鈍いと思ってたよ」

 

「そりゃ昔の戦車だ。第一次世界大戦の頃のイギリスの戦車は、大体6km/hくらいしか出せなかったらしいぜ」

 

 第一次世界大戦で登場した戦車という怪物は、100年後には当たり前のように50km/h以上の速度で走行し、分厚い装甲と大口径の主砲を搭載する鋼鉄の化け物へと進化したのだ。

 

 戦車が予想以上に速かったことに驚きながら、砂漠を見渡すフミヤ。戦車での旅を楽しんでいる彼を見守りつつ、俺も周囲に敵がいないか警戒を続ける。

 

 相手は暗殺に特化した傭兵ギルドだ。さすがに標的と真っ向から戦うのは愚の骨頂だという事は知っている筈である。だが、このままフミヤをモリガン・カンパニーへと引き渡すことを許せば、麻薬の取引をしていたギルドを解体するという大義名分を手に入れたモリガン・カンパニーによって”粛清”されるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 是が非でも食い止めようとする筈だが、なぜなにも仕掛けて来ないのだろうか。

 

 違和感を感じながら前方を凝視していたその時、鼻腔の中へと錆び付いた金属が発するような臭いが、冷たい風と共に流れ込んできた。発達した嗅覚のおかげで瞬時にその臭いの発生源を特定する事ができたんだが、この戦車は最高速度で走行している最中だ。今すぐにステラに停車を命じても間に合わないだろう。

 

 戦車が損傷しませんように、と祈った直後、がちん、と金属が激突するような金属音が、戦車の下部にあるキャタピラの方から聞こえてきた。

 

「な、なんだ!?」

 

「中に戻れ、フミヤ!」

 

 身を乗り出していた彼にそう叫びながら、置き去りにされたその音の発生源を凝視する。

 

 砂の中に埋まっていた何かを、チョールヌイ・オリョールのキャタピラが踏みつけたのだ。爆発しなかったから対戦車地雷ではないとは思うが、もし対戦車地雷だったらこの戦車は擱座していた事だろう。

 

 ぞっとしながら後ろを確認すると、キャタピラに抉られた砂の轍(わだち)の中に、確かに金属製の何かが埋まっているのが分かった。円形の金具にサメの牙を思わせる棘を何本も溶接したような外見だが、戦車の重量に耐え切れなかったのか、ひしゃげてただのスクラップと化している。

 

 ―――――――対魔物用のトラバサミだ。

 

 その気になれば魔物の外殻を貫通し、数分間は足止めできるほどの鋭さを誇るスパイクが付いたトラップで、魔物の進撃が想定される地域に大量に設置されていることがある。対戦車地雷とは違って人間が踏みつけても作動するのが厄介な点で、人間の足にあんな太いスパイクが突き刺されば、足止めされるどころか足が食い千切られる。

 

 幸い戦車のキャタピラを食い破るほどの殺傷力はないらしい。魔物用のトラバサミを堂々と踏み潰したにも関わらず、俺たちの乗るチョールヌイ・オリョールは何事もなかったかのように70km/hで走行を続けていた。

 

 頑丈だよな、戦車って。

 

 異常がないことに安心しつつ、素早く砲塔の中へと引っ込む。頭上のハッチを閉めて冷たい風とおさらばしつつ右手をモニターへと伸ばし、タッチして主砲へと砲弾を装填する準備をする。

 

「戦闘準備!」

 

「せ、戦闘!? あいつらなのか!?」

 

「多分な」

 

 残ってた紅茶を飲み干してモニターをタッチし、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)を選択。装填する準備を済ませつつ、もう一度頭上のハッチを開けて敵の位置を確認しておく。

 

 トラップがあったという事は、あそこで俺たちを待ち伏せするつもりだったという事を意味する。つまりアサシンズの連中は、モリガン・カンパニーとの合流を防ぐためにここで攻撃を仕掛けてくる事だろう。

 

 10秒ぶりに冷たい風と再会しつつ、嗅覚を総動員して探知を開始。ラウラのように視覚や聴覚が発達しているわけではないのだが、俺の場合は嗅覚が発達しているのだ。なのでラウラよりも索敵の精度は劣るものの、匂いで敵を探す事ができるのだ。

 

 鼻腔に流れ込んでくるのは、ハッチから溢れ出す紅茶の匂いと砲弾の臭い。車体から溢れ出しているのは、格納庫で染みついた猛烈なオイルの臭い。

 

 ここじゃない、俺が探したい場所は。

 

 もっと遠くへ。円形状に索敵範囲をどんどん広げ、その外周部の匂いを探る。

 

「…………なんだ、この程度か」

 

 暗殺に特化した傭兵傭兵ギルドだから、気配を消すことにも慣れてるんだろうなと思ってたんだが―――――――臭ってるんだよ、剣が発する鉄の臭いが。

 

 幻滅しちまいそうだ。自分の得物の匂いも消せない三流の暗殺者だとは。

 

 再びハッチの中へと滑り込む。再び冷たい風とおさらばしてモニターへと手を伸ばしつつ、ステラに「速度落とせ」と指示を出す。ステラの返事が聞こえると同時にチョールヌイ・オリョールは速度を落とし始めた。

 

「フミヤ、教えてやるよ」

 

「何を?」

 

 車長の座席の上で震えていたフミヤに、ニヤリと笑いながら宣言する。

 

「――――――戦車の強さをだ」

 

 戦車は強いんだよ。ファイアーボール程度じゃ撃破できない怪物なんだ。

 

 モニターをタッチして自動装填装置に多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)の装填を指示。搭載されていた自動装填装置が音を発しながら動き始め、でっかい主砲へと大口径の砲弾をぶち込んでいく。装填されていく砲弾のサイズが予想以上にデカかったことに驚いたフミヤが、車長の席でぎょっとしながら目を見開いていた。

 

 昔の砲弾は人力でも簡単に装填できるくらいのサイズだったんだけどね。

 

 がこん、と砲弾が主砲に装填される音が響き渡る。その音の残響を聞きながら砲塔を旋回させつつ、主砲同軸に搭載されている14.5mm機関銃も準備する。

 

「タクヤ、敵の場所は?」

 

「把握した」

 

 問いかけてきたステラにそう答えつつ、敵が潜んでいる地点を思い出す。

 

 それほど遠くはなかった。敵の位置は3時方向で、距離は1.5kmほどである。それなりに射程の長いスナイパーライフルやアンチマテリアルライフルならば、容易く狙撃できる距離だ。

 

 もちろん主砲と機銃で蹂躙できる距離でもある。

 

 照準器を覗き込むと、やっぱり臭ってきた地点に標的が見えた。

 

 カルガニスタンの砂と同じく灰色の服に身を包み、同じように灰色に塗装したコンパウンドボウを傍らに置いて、望遠鏡をこっちへと向けている。あのコンパウンドボウに搭載されているレンズらしきものは、狙撃するための照準器なのだろうか。

 

 まるでギリースーツに身を包んだスナイパーみたいな奴だ。

 

 そいつの周囲にも、数名ほど同じ格好の男たちが伏せているのが分かる。近くの岩場の陰からは馬の臭いもするから、おそらくそこに馬を繋いでいるのだろう。こっちに逃げられたらあいつらは騎兵に早変わりし、こっちを追撃するという作戦か。

 

 やっぱり戦車できたのは正解だったな。

 

 装甲が厚い兵器だし―――――――ああいう敵を蹂躙できるのだから。

 

「―――――――発射(アゴーニ)」

 

 そう告げて発射スイッチを押した瞬間、チョールヌイ・オリョールの152mm滑腔砲が火を噴いた。砲弾と一緒に飛び出した衝撃波が砲身の周囲の砂を抉り、熱風が一時的に冷たい風の群れを断ち切る。蹂躙される砂と風を置き去りにして飛翔していくのは、一撃で歩兵の群れを容易く吹き飛ばしてしまう破壊力を誇る多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)

 

 アサシンズの連中は、多分潜んでいる位置がバレていた事を知って驚いている事だろう。

 

 大慌てで立ち上がり、逃げようとした男の肉体が木っ端微塵に吹っ飛んだのを見つめながら、俺は次の砲弾を装填するために自動装填装置へと手を伸ばすのだった。

 

 

 




※エイブラムスの主砲は120mm滑腔砲で、T-90の主砲は125mm砲です。テンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールの主砲は試作型の152mm滑腔砲となっております。


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ダズル迷彩の怪物

 

 多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)の中から生まれた爆炎が、近くにいた暗殺者の肉体を木っ端微塵にするついでに、灰色の砂で埋め尽くされたカルガニスタンの砂漠を照らす。

 

 照準器の向こうで爆風に食い千切られていくアサシンズの連中を見つめつつ、自動装填装置が奏でる音を聴きながら、可哀そうな奴らだな、と思った。

 

 テンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールが搭載しているのは、一般的なロシア製の戦車に搭載されている125mm滑腔砲ではなく、より大口径の152mm砲である。それを搭載したことによって砲塔が大型化してしまったものの、従来の戦車砲よりも大型の主砲の破壊力は、砲弾の種類にもよるものの、最新型の戦車の正面装甲を貫通するほどの圧倒的な破壊力を誇る。

 

 こんな大口径の主砲を搭載しているのは、このテンプル騎士団仕様のチョールヌイ・オリョールは通常の戦車ではなく、より分厚い複合装甲と大口径の主砲を兼ね備えた超重戦車との戦闘を想定した代物だからである。もちろん戦車との戦闘は想定しているし、歩兵とも戦うことはできるが、こいつが152mm滑腔砲を搭載した理由は強力な超重戦車を撃破するためなのだ。

 

 なので、その大口径の主砲からぶっ放された砲弾を叩き込まれた敵兵の死体が原形を留めているわけがない。主砲同軸に搭載されている機銃すら、かつては対戦車ライフルの弾薬にも使用されていた14.5mm弾をフルオートでぶっ放す重機関銃なのだから、このチョールヌイ・オリョールと遭遇した敵兵が五体満足で死ねるのは有り得ないのである。

 

 射程距離外から砲撃されて慌てふためいているんだろうな、と思いつつ、淡々と近くのパネルをタッチ。自動装填装置を操作し、次の砲弾を主砲へと装填していく。

 

 そのまま伏せているのは危険だと判断したのか、アサシンズのメンバーたちは伏せるのを止めて立ち上がると、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)の爆風でまとめて粉々にされるのを防ぐために散開し、待機している馬の方へと走っていく。

 

 悪くないな。仲間たちと一緒に移動しようとすれば、多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)の爆発で一網打尽にされるのを察して散開したんだろう。おかげでこっちは敵を木っ端微塵にするために、想定以上の砲弾と弾丸をぶっ放さなければならなくなる。

 

 それに、他の誰かが狙われている隙に、狙われずに済んだ連中が移動する隙を作ることができるというわけだ。

 

 とはいえ戦車の速度は全力疾走する馬を置き去りにできるほどだ。それに馬にはスタミナがあるが、こっちにはスタミナは存在しない。エンジンを動かすための燃料が残っている限り、この機械で造られた化け物は全力疾走を続けるのである。

 

 機械の強みだ。

 

 なので仮に馬で追いかけてきても、あの間抜けな暗殺者共がチョールヌイ・オリョールに追いついて砲塔によじ登り、俺たちを皆殺しにできる可能性は殆どないと言っても過言ではない。

 

 というわけで、散開した暗殺者のうちの1人に狙いを定め、機銃で容赦なく木っ端微塵にすることにした。大口径の14.5mm弾が肉体を直撃すると同時に暗殺者の胴体が抉れ、肉や内臓の一部がこびりついた肋骨らしき骨と千切れ飛んだ肉片が舞う。

 

 人間が粉々になるのは何度も見たことがあるから、飛び散った内臓やズタズタになった死体を目にしても俺は問題はない。けれども、多分一緒に乗っているフミヤがあの死体を見たら吐くだろうな。

 

 そう思いつつ、ちらりとフミヤの方を見る。彼はキューポラから外を覗きつつ、こっちが発砲する度にびくりとしているようだった。暗殺者たちの死体を目にしていないことを知って安心しつつ、引き続き14.5mm弾のフルオート射撃で弾幕を張る。

 

「ステラ、合流地点まであとどのくらいだ?」

 

 耳に装着している小型無線機に向かってそう言う。さっきまではエンジンの音くらいしか聞こえなかったので、無線機を使わなくてもそれなりに大きな声を出せば操縦手と会話は会話ができたけれど、今は砲弾の轟音と機銃の銃声のせいで、戦車の中でちょっとしたパーティーが始まっている。

 

 発射スイッチから指を離し、一旦機銃の連射を止める。敵の様子を確認するために照準器を凝視していると、攻撃しやすいように減速させた戦車を運転していたステラが質問に答えてくれた。

 

『このままの速度ならあと15分です。最高速度を出すのであれば6分で到着できますが』

 

「よし、じゃあこのままの速度で頼む」

 

『了解(ダー)』

 

「あ、それとドリフト禁止だからな」

 

『なぜですか!?』

 

「もう轢き殺されるのは嫌です」

 

 トレーニングモードだったとはいえ、俺はステラのせいで一度”戦死”してるんだよね。ステラが唐突にドリフトしたせいで、キューポラから身を乗り出して指揮を執っていた俺は戦車から投げ出され、そのまま敵の戦車に轢き殺されたというわけだ。

 

 ですので、ドリフトは禁止です。

 

 やっぱり俺が操縦手をやった方が良かったんじゃないだろうか…………。

 

 彼女に操縦手を任せたのは失敗だったなと思いつつ、照準器を覗き込んで敵の動きを確認する。先ほどの攻撃を生き延びた連中はやっぱり岩場の後ろに隠していた馬たちに乗り、こっちを追撃するつもりらしい。砂まみれになった男たちが馬に跨って追撃してくるが、戦車に追いつくにはもう少し時間がかかりそうだ。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

 ティーポットの中に入っていた紅茶をティーカップに注ぎながら返事をする。ティーポットの中に入っていた紅茶はやっぱり温くなっていて、ティーカップに注いでも全く湯気を上げない。

 

 湯気を上げなくなった紅茶の中にナタリア特製のジャムを入れ、小さなスプーンでかき混ぜてから、一旦そのティーカップを座席の近くに置いた。この温い紅茶を飲むのはフミヤの質問に答えてからにしよう。

 

「速度を変えないままでいいの? 最高速度で一気に逃げた方がいいんじゃないの?」

 

「そうしたら装甲列車との合流予定時間がずれる。早く到着しちまっても列車を待つ羽目になるからな」

 

 以前に麻薬カルテルの討伐に向かった際は、カルテルの拠点の制圧が早く終わり過ぎてしまったせいで、派遣されたボレイチームのメンバーたちと共にヘリの到着を待つ羽目になったのだ。予定よりも早く敵を殲滅できたのはボレイチームの隊員たちが成長したということを意味しているんだが、予定がずれれば他の仲間に負担をかけることになってしまう。

 

 今回は多少早く到着しても線路に沿って移動していれば装甲列車とは合流できるかもしれないが、最悪の場合は追ってくる暗殺者共に追いつかれる恐れもある。出来るならば極力予定通りに行動することが望ましい。

 

 というわけで、速度はそのままだ。

 

 フミヤにも紅茶を淹れてやろうと思いつつ、彼のティーカップに手を伸ばす。紅茶を注いでからナタリア特製のジャム―――――――テンプル騎士団の団員たちに人気なのである―――――――を入れてかき混ぜ、フミヤに渡してから席から立ち上がった。

 

 頭上のハッチを開け、チョールヌイ・オリョールを追撃してくるアサシンズの連中との距離と彼らの動きを確認するために身を乗り出す。後ろを振り向いて双眼鏡を覗き込もうと思ったんだが、風上から冷たい風や砂と一緒に流れてきた”臭い”が鼻孔へと流れ込んでくると同時に、はっとして進行方向へと双眼鏡を向ける。

 

 鉄の臭いと毒薬の臭い。

 

 ―――――――待ち伏せか。

 

「ステラ、12時方向に警戒」

 

『進路は?』

 

「変更なし。踏み潰してやれ」

 

 無線機で指示を出しているうちに、チョールヌイ・オリョールの進路上に対魔物用のトラバサミを仕掛けている男の姿が見えた。背中には矢筒とコンパウンドボウを背負っていて、そのコンパウンドボウには照準器と思われるレンズのようなものが取り付けられている。

 

 狙撃を想定したモデルなのだろうか。

 

 スチームライフルに取って代わられたとはいえ、モリガン・カンパニー製のコンパウンドボウは未だに多くの冒険者が愛用している。信頼性が高く、従来の弓矢よりも貫通力が高いという長所があるのだが、いくら優れた弓矢でもさすがに戦車を撃破するのは無理だろう。

 

 こっちは砲弾が直撃しても耐える事ができる程分厚い装甲があるのだから。

 

 奴らが設置したトラバサミも、さっきと同じように踏み潰す事ができるだろう。トラップは無視して問題ない筈だ。

 

 そう思いつつ車内に引っ込もうとしたんだが、その暗殺者がこっちに向かって片手を突き出し、その手のひらで赤い光を形成し始めたのを目にした俺は、目を細めながら息を吐いた。

 

 弓矢ではなく魔術で攻撃するつもりか。

 

 悪い判断じゃない。魔術に自信があるのであれば、中距離から近距離での射撃でない限り魔物の外殻を貫通できない弓矢よりも、強力な魔術の方が確実に標的を仕留められるからだ。殺せるかどうか分からない殺し方ではなく、獲物を確実に殺す手を選んでいるのは、彼らが何度も暗殺を経験している証拠だろう。

 

 しかし―――――――判断が正しかったからと言って、その攻撃が戦車に通用するわけじゃない。

 

 チョールヌイ・オリョールの前に立ちはだかった男が放ったのは、おそらくファイアーボールだろう。長い詠唱は不要だし、魔力の圧力を調整すればそれなりに破壊力も上がる。長くて面倒な詠唱が必要な魔術よりも、威力が低い代わりに素早く発動できる魔術の方が暗殺に向いているのだ。

 

 赤い光と火の粉をまき散らしながら、男の手のひらから炎の球体が解き放たれる。魔力の圧力をちょっとばかり弄ったのか、一般的な魔術師がぶっ放すファイアーボールよりも弾速が速い。ロケットランチャーよりもちょっと遅い程度だろうか。

 

 冷たい風を高熱と場違いな陽炎で寸断しながら疾駆した炎の塊は、砂漠に轍を刻み付けながら前進するチョールヌイ・オリョールの正面装甲へと突撃してくる。もしそれが敵の戦車の放ったAPFSDSだったのならばダメージを受けていたかもしれないが―――――――加圧したとはいえ、所詮は多くの魔術師が最初の頃に習得する初歩的な魔術である。

 

 新型の戦車が、その程度の攻撃で撃破されるわけがなかった。

 

 装甲が赤い光に照らされ、黒と灰色のダズル迷彩に塗装された複合装甲の表面があらわになる。

 

 その装甲に、お構いなしに無謀なファイアーボールが飛び込んできたが―――――――装甲に弾かれた弾丸が奏でる跳弾の音を重々しくしたかのような音を響かせると同時に、そのファイアーボールは無数の火の粉と化してしまった。

 

 もちろんチョールヌイ・オリョールはびくともしない。そのファイアーボールが生み出した火の粉をあっという間に置き去りにしながら、待ち伏せしていた暗殺者の魔術を意に介さずに前進するだけである。

 

 今の一撃でチョールヌイ・オリョールを止められると思っていたのか、ファイアーボールを放った暗殺者がぎょっとしながら目を見開いたのが見えた。

 

 あばよ、とその暗殺者に別れを告げてから、俺は再び車内へと滑り込む。大急ぎでハッチを閉め、彼の断末魔が車内へと流れ込んでこないようにしてから、砲手の席に腰を下ろしてティーカップを拾い上げる。

 

「さ、さっき何かあったの? 赤い光が見えたんだけど…………」

 

「ファイアーボールを喰らった」

 

「ふ、ファイアーボールだって!? 大丈夫なのか!?」

 

 ぎょっとしながらそう言うフミヤ。確かに彼が書いているラノベの作中では、エイブラムスやT-90が正面装甲にファイアーボールを叩き込まれ、一撃で撃破されたり擱座させられているシーンがあるし、信じ難いことにファイアーボールでF-22を撃墜するという凄まじいシーンもある。

 

 けれども正面装甲は、最も装甲が分厚い部分だ。ロケットランチャーの対戦車榴弾が直撃しても防いでしまうほどの防御力があるのだから、初歩的な魔術で簡単に貫通できるわけがない。

 

 ファイアーボールを喰らったという話を聞いて狼狽するフミヤを見て苦笑いしながら、俺は彼に説明することにした。

 

「あのな、正面の装甲は一番分厚いんだよ。だからファイアーボールを喰らった程度じゃ全くダメージはない。もちろん銃弾も効かないんだよ」

 

「え? じゃあ、対戦車ライフルも効かないのか?」

 

「ああ。というか、対戦車ライフルはとっくに廃れてるんだぜ?」

 

「そうなの?」

 

「ああ。弾丸が戦車を撃破する時代は終わったってことだ」

 

 対戦車ライフルが活躍したのは第二次世界大戦の中盤までだな。

 

「もしファイアーボールで戦車を撃破するんだったら、限界まで加圧して弾速を上げて、極力至近距離から側面とか後部に向かって撃つべきだろうな。側面と後部は狙いやすいし、正面装甲よりも装甲は薄い」

 

「そうなんだ…………小説の参考になるかも」

 

「今更描写を変えろというわけではないぞ?」

 

 笑いながらそう言った直後、微かに断末魔のような絶叫と、チョールヌイ・オリョールのキャタピラが人間の肉体をミンチにする音が聞こえてきた。巨大な金属の怪物に踏みつけられた人間の骨が折れる音や、内臓が潰れる音。その潰れた肉体を容赦なく動くキャタピラが攪拌して、ベチャベチャとグロテスクな湿った音を奏でる。

 

 さっきの暗殺者が潰された音なんだろうな、と思いつつ、ティーカップの中に残っていた紅茶を飲み干した。

 

 今の音はキメラの聴覚でなければ聞こえないだろうから、きっとフミヤには聞こえていないだろう。

 

「じゃ、じゃあ、その装甲の薄い場所なら弾丸でも貫通できる?」

 

「いや、無理だ。ロケットランチャーでなんとか風穴を開けられるくらいだな」

 

「戦車ってそんなに頑丈なんだ…………!」

 

「ああ」

 

 他にも弱点はあるけどね。対戦車地雷を踏んだらあっという間に擱座しちまうし。

 

 待ち伏せはないみたいだし、このまま雑談してても大丈夫なんじゃないだろうか。馬に乗って追いかけてきている筈の連中も追いついてくる気配がないし。

 

 あ、でもそろそろ合流地点だな。俺たちの方が早く着いちまったか?

 

 心配になってきたな…………。

 

 目を細めながらちらりと頭上のハッチを見上げ、外を確認するべきか悩んでいるうちに、フミヤはカバンの中から鉛筆と手帳を取り出した。手帳のページを開いて素早く鉛筆で何かをメモしているらしい。さっきの戦車についての話だろうか。

 

 真面目な奴なんだな、こいつは。

 

 感心しながら頭上のハッチへと手を伸ばし、身を乗り出して外の様子を確認する。後方から追いかけてきている筈のアサシンズの連中はうっすらと見えるけれど、先ほどよりも距離が開いているのがよく分かる。やはり燃料がある限り走り続ける機械の怪物に、馬が追いつけるわけがなかったという事か。

 

 引導でも渡してやるかと思い、ハッチのすぐ近くに居座るKord重機関銃を後方へと向けようと思ったその時だった。

 

 ―――――――何の前触れもなく、こっちを追いかけていた連中の周囲の砂が舞い上がったのである。

 

 やがてその舞い上がった砂の幕を、紅蓮の爆炎たちが突き破っていく。その紅い煌きが微かに戦車の装甲を照らした頃に、ドン、とやっと爆音が聞こえてきた。

 

『タクヤ、今の音は何ですか?』

 

「砲撃だ」

 

 もちろん、ぶっ放したのは俺たちじゃない。砲塔は正面へと向けられていたのだから。

 

 あの連中を一掃したのは―――――――このチョールヌイ・オリョールの火力を遥かに凌駕する、テンプル騎士団の切り札。

 

 Kord重機関銃のグリップから手を離しつつ、ちらりと右側を見下ろす。50km/hで疾駆するチョールヌイ・オリョールの隣には、しっかりと分厚い鉄板に固定された太いレールが2本横たわっており、そのレールの向こうから、レールを使って移動する兵器の車輪の音が聞こえてくる。

 

 レールを踏みつけて移動するのは、テンプル騎士団で採用されたばかりの新たな切り札。

 

 前世の世界では廃れ、先進国では殆ど採用されることのなくなった”世界大戦の産物”。

 

 時代遅れになってしまった哀れな怪物が―――――――異世界で蘇ったのである。

 

 風に舞い上げられていく砂の向こうに、うっすらと巨大な車体が見えた。戦車よりも車高が高く、このチョールヌイ・オリョールの砲塔を2つ上下に重ねて溶接したかのような大きさの砲塔を搭載した車両が連結されている。ダズル迷彩に塗装された車両の後ろに連なるのは、ツングースカの砲塔とレーダーを移植された車両だ。ミサイルと機関砲を兼ね備えた砲塔が2基も搭載されているのだから、この化け物に航空機が接近するのは自殺行為でしかない。

 

 その車体にオルトバルカ語で”シミャウィ”と書かれているのを確認した俺は、ニヤリと笑った。

 

「―――――――予定通りだ、シミャウィ」

 

 砂漠のど真ん中に刻まれた線路を通ってやってきたのは―――――――テンプル騎士団の装甲列車だった。

 

 

 



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受け継いだ作品

 

 テンプル騎士団で採用されたばかりの装甲列車の中は、戦車の中とあまり変わらない。車体が戦車よりも大きいので中は結構広いけれど、さすがに乗客を乗せて走り回る普通の列車に比べればはるかに狭いし殺風景だ。

 

 周囲にいくつもモニターを取り付けられた座席に座り、そのモニターに映る映像や数値を確認しながら砲台を動かす乗組員たち。彼らの傍らに砲弾を運んだり、近くのモニターをタッチして何かを確認する兵士たち。車内の隅に腰を下ろしながら、仕事中の彼らを見つめていたフミヤは、不安そうな顔をしながら自分が手帳に書いたメモを見下ろしていた。

 

 もしこの列車が普通の列車で、ちゃんとした座席と窓があったなら彼は安心していただろうか。堅苦しさと物騒な雰囲気で埋め尽くされている装甲列車に乗せてしまったことを申し訳なく思いつつ、乗組員が差し入れしてくれたスコーンを口へと運ぶ。

 

 あとはこのままフランセンの国境まで彼を運び、モリガン・カンパニーに引き渡せばいい。彼は他の転生者のように人々を虐げていたわけではないので粛清されないだろうし、ちゃんとオルトバルカの王都まで戻ることができる筈だ。

 

「原稿は無事か?」

 

 メモを見下ろしていたフミヤに尋ねると、彼は首を縦に振った。

 

 最新刊を出版するために必要な原稿だからな。あの原稿が無かったら、最新刊の発売は延期する羽目になる。そうしたらこの世界にいる彼のファンを悲しませることになるだろう。

 

 フランセンの国境まであと20分。短い旅が終われば、彼は原稿を持ったまま無事に帰国できるというわけだ。

 

「君たちのおかげだよ…………本当にありがとう」

 

「気にすんなって」

 

 善良な転生者を保護するのも、テンプル騎士団の役目である。

 

 フミヤは原稿の入ったカバンを抱えると、中に入っている原稿を見下ろしながら微笑んだ。

 

 彼をモリガン・カンパニーに引き渡せば、モリガン・カンパニーがちゃんとオルトバルカまで送り届けてくれることだろう。そして彼から受け取った写真を使って管理局にアサシンズの解体を呼びかけつつ、メンバーの粛清のためにカルガニスタンへとやってくる筈だ。

 

 数日後にはモリガン・カンパニーの部隊がカルガニスタンで大暴れするんだろうな、と思いながら、装甲列車の殺風景な通路を眺めた。戦車の中よりは広とはいえ、乗組員を守るための分厚い装甲で覆われている上に、砲台を操作するための座席やモニターなどが所狭しと並んでいるので、体格ががっちりしている兵士ならばほぼ確実に肩や頭を天井にぶつける羽目になるだろう。

 

 外から見ればそのまま兵員輸送用の車両に使えるんじゃないかと思えるほど車両は大きいんだが、中は予想よりも狭いのである。

 

 もちろん狭い車内の隅に座っているわけだから、俺たちが座っている場所も結構狭い。俺の左側はすぐ壁になっているし、すぐ近くには通路もあるので、隣に座っているステラは俺に密着するどころか、腰を下ろしている俺の足の上に座っている状態である。

 

「ところで、何でラノベを書こうと思ったんだ?」

 

 スコーンの皿を彼の方へと寄せながら俺は尋ねる。この世界の娯楽は、前世の世界と比べるとかなり少ない。まだテレビやパソコンが発明されていないのだから、前世の世界で生活していた時のようにアニメを見たり、ゲームをプレイすることもできないのである。

 

 だから少しでも娯楽を増やそうとしたんだろうな、と思いながらティーカップを拾い上げると、原稿を見下ろしていたフミヤが答えた。

 

「―――――――恩返しがしたかったんだよ」

 

「え?」

 

 恩返し?

 

 どうやら彼は、ただ単に娯楽を増やそうとしていたわけではないらしい。誰に恩返しをしようとしていたんだろうか。

 

「恩返し?」

 

「ああ。転生してきたばかりの頃の話なんだけど…………いきなりこんな世界にやってきたから、行くあてがなかったんだ。こっちの世界のお金も持ってなかったから食べ物も買えなかったし、宿に泊まることもできなかった…………」

 

 第一世代型の転生者は、17歳に若返った状態でこの異世界のどこかへと転生してくるという。その際にあの便利な端末を持っているわけなんだが、この世界で生活するために必要な資金を持っていない状態で異世界へと放り込まれる。

 

 当たり前だが、この世界の通貨を持っていないという事は食べ物を買うこともできないし、安い宿に泊まる事すらできない。若き日の親父も騎士団から脱走したばかりの母さんを連れてラトーニウスの国境を越え、オルトバルカ王国へと亡命したわけだが、あの旧モリガン本部へと辿り着くまでは銀貨どころか銅貨すら持っていなかったという。

 

 やはり、最初に金を持っていないせいで生活する事ができなくなり、端末の能力を使って略奪をする転生者も多いのだろう。

 

「でも、1人の転生者が俺を拾ってくれたんだ」

 

「転生者?」

 

「ああ。その人もラノベを書いてたんだよ」

 

 ラノベの作者が命の恩人ってわけか。

 

「その人が書いてたのが、この作品だよ」

 

 そう言いながら、自分が抱えているカバンを指差すフミヤ。そのカバンの中に入っているのはあいつの作品ではないのだろうか。

 

「―――――――受け継いだのですか? その命の恩人から」

 

「ああ」

 

 俺の足の上に座っていたステラが言うと、フミヤは微笑みながら頷いた。

 

「だから正確に言うと、これは俺の作品じゃないんだよ…………”先生”が書いてた作品を、俺が受け継いで続けてるだけだ」

 

「その”先生”は?」

 

 フミヤに作品を任せたという事が何を意味しているのかは予想できたけれど、敢えて質問する。するとフミヤはまるで俺の予想が正しかったことを証明するかのように一瞬だけ悲しそうな顔をすると、再び現行の入っているカバンを見下ろした。

 

「…………亡くなったよ、病気で」

 

「そうか…………」

 

 病気で亡くなった命の恩人に恩を返すために、作品を受け継いで連載を続けてるってことか。

 

 カバンをすぐ隣に置き、スコーンへと手を伸ばすフミヤ。まだ温かいスコーンにジャムを塗ってから口へと放り込み、噛み砕いてからティーカップへと手を伸ばす。

 

 娯楽を増やし、人々を楽しませるために努力をしていた転生者から、彼は作品を受け継いでいる。

 

 俺も虐げられている人々を救うために戦い続けていた男から技術を受け継いで、仲間たちと共に世界中で戦っている。

 

 ―――――――同じじゃないか。

 

 物騒な武器を持って血まみれになりながら戦う俺らよりも、鉛筆を持って作品の内容を考えながら原稿用紙に小説を書く彼らの方が立派だと思うけれど。

 

「立派だよ、お前」

 

「ははっ、ありがとう。…………でも、君たちも立派だと思うよ。いつも戦場で悪い奴らと戦ってるんだろう?」

 

 ああ、そうだ。いつも俺たちは血まみれになりながら戦っている。敵兵を蜂の巣にしながら塹壕へと飛び込んで、敵兵の肉体に銃剣を突き立て、返り血を浴びている。

 

 けれども俺は、フミヤの方が立派だと思う。

 

 彼は命を奪っているわけではなく、人々を楽しませるために作品を書いているのだから。

 

 とは言ってもこの世界では読み書きができない人がいるのが当たり前だから、前世の世界のように読者がたくさんいるわけではないみたいだけど。

 

 俺たちよりも立派だよ、フミヤ。

 

 そう思いながらティーカップへと手を伸ばし、残っていた紅茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが本当に”哨戒部隊”なのだろうか。

 

 そう思いながら、フランセン共和国との国境に陣取るT-14の群れを見つめる。T-14の砲塔には砲手や車長が乗り込む必要はないため、乗組員たちは車体の方のハッチから顔を出す。戦車の指揮を執る車長は砲塔のハッチから顔を出すイメージが強いからなのか、操縦手と一緒に車体のハッチから顔を出す車長を見ていると、猛烈な違和感を感じてしまう。

 

 同じ違和感を放っているT-14たちが、国境に10両も居座っている。その後ろには機関砲と対戦車ミサイルを装備したT-15の群れが15両も並んでおり、その車両の周囲ではAK-12を手にしてウシャンカをかぶったモリガン・カンパニーの兵士たちが、アサシンズの生き残りが襲って来ないか警戒している。

 

 しかもその哨戒部隊の頭上を旋回しているのは、スタブウイングにこれでもかというほど武装を搭載したスーパーハインドたち。兵員室のハッチからは、アサルトライフルを手にした兵士たちが顔を出しているのが見える。

 

 哨戒どころか、前哨基地を攻め落とせる兵力である。モリガン・カンパニーはその部隊を”哨戒”に使っているのだ。

 

 信じられない話だが、モリガン・カンパニーの兵力は全盛期のソ連軍の兵力を上回っているという。そのため全ての戦力を集めて最前線に投入しても、全軍の指揮を執り切ることは困難らしい。

 

 あの企業は、最強の転生者に率いられた怪物なのだ。

 

 フミヤを連れて装甲列車から降りると、停車していたT-14の車体のハッチから車長と思われる兵士が降りた。他の兵士たちとは違って赤いベレー帽をかぶっており、そのベレー帽のすぐ下からは人間よりも長い耳が伸びているのが分かる。

 

 エルフの兵士か。

 

「お疲れさまであります、同志」

 

「任務中に申し訳ない。彼の保護をお願いしたい」

 

 こっちに敬礼しながら挨拶してくれた彼にそう言うと、エルフの兵士は俺の後ろで原稿の入ったカバンを持っているフミヤの方をじろりと見た。

 

「分かりました。あとは任せてください」

 

「申し訳ない、同志。…………フミヤ」

 

「ああ…………お別れだね」

 

 哨戒部隊の隊長が耳に装着している小型無線機で指示を出すと、上空を旋回していたスーパーハインドがゆっくりと高度を落とし始めた。あの重装備のヘリでフミヤをオルトバルカまで送るつもりなのだろうか。

 

 ヘリが高度を落としている間に隣へとやってきたフミヤは、俺に右手を差し出してきた。

 

「君たちのおかげで助かったよ」

 

「新刊期待してるからな」

 

「うん」

 

 彼の手を握りながら微笑むと、スーパーハインドがお構いなしに高度を下げ始めたせいで灰色の砂が一気に舞い上がった。やがて真っ黒に塗装されたモリガン・カンパニーのヘリが砂漠の上に降り立ち、兵員室のハッチを開く。

 

 中にはすでに黒服の兵士たちが乗り込んでおり、早く乗れと言わんばかりにこっちに向かって手を振っていた。

 

 行け、フミヤ。

 

 頷きながら手を離し、ヘリが舞い上げる砂を浴びながら兵員室の方へと歩き始めたフミヤを見送る。彼は兵員室に乗り込む前にこっちを振り向いてから手を振ると、兵員室へと乗り込んで開いていた座席に腰を下ろし、再びカバンを抱えた。

 

 彼に手を振っているうちにハッチが閉まり、まるで武装を満載した攻撃機の主翼を縮めてメインローターとテイルローターを取り付けたような形状のスーパーハインドが、再び高度を上げ始めた。お構いなしに灰色の砂塵を舞い上げ、メインローターの残響を砂漠の真っ只中にぶちまけながら飛び立ったスーパーハインドは、同型の機体たちの編隊から離れて進路を変え、オルトバルカのある方向へと飛び立っていった。

 

 多分フミヤが撮影してしまったあの写真は、モリガン・カンパニーに接収され、アサシンズ解体のための証拠に使われることだろう。いくら暗殺などの汚れ仕事を請け負っていた傭兵ギルドとはいえ、麻薬カルテルとの取引はアウトである。

 

 普通ならばギルドの解体とメンバー全員の身柄の拘束で済むのだが、よりにもよって取引していたという証拠を手に入れてしまったのは、敵に全く容赦をしないモリガン・カンパニーである。彼らならばメンバーを拘束するのではなく、弾丸を使って粛清してしまう事だろう。

 

 やりすぎかもしれないが、アサシンズの連中を擁護するつもりはない。今回の一件には介入しないことにしよう。

 

 スーパーハインドを見送っているうちに、哨戒部隊の指揮官は俺とステラに敬礼をしてから踵を返して自分の戦車へと戻った。車体のハッチを閉めた音が響くと同時に、周囲を警戒していた歩兵たちが停車している戦車によじ登ってタンクデサントを始める。

 

 兵士たちが乗り終えたのを確認してから、前哨基地の攻略に投入できそうな規模の哨戒部隊は、再びフランセン側へと引き換えしていった。

 

 彼らが大地に刻み付けたばかりの轍を見下ろしながら、俺は溜息をつく。

 

「新刊が楽しみですね」

 

「ああ」

 

 今度本屋に寄ったら、最新刊を購入するとしよう。今回の一件で描写がよりリアルになっていると良いな。

 

「そうだ、ステラ。眠くないか?」

 

「ええ、ステラは大丈夫ですが」

 

「じゃあ、タンプル搭に戻る前に少し買い物でもしてから帰らないか?」

 

「いいのですか?」

 

「ああ」

 

 近くに生息している魔物の素材を回収して売れば、少しは金になるだろう。さすがにダンジョンを調査した時の報酬のような金額にはならないかもしれないけれど、ステラと買い物をするくらいはできる筈である。

 

 どんどん崩れていく轍を一瞥し、ステラと手を繋いでから踵を返す。

 

 ステラと買い物をしてから帰ることにした俺は、装甲列車の運転手に先にタンプル搭へと帰還するように伝えるために、機関車へと向けて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 覇者たちの密会

 

 モリガン・カンパニーの本社は、王都ラガヴァンビウスの中にある。

 

 かつてはオルトバルカ王国騎士団の本部として使われていた建物を改装して本社として使っているせいなのか、企業の本社というよりも、古めかしい騎士団の砦のような外見をしている。しかし、その伝統的な建築様式の建物へと出入りしていくのは防具に身を包んだ騎士たちではなく、スーツや制服に身を包んだ社員たちだ。中には迷彩服の上にボディアーマーを装備し、がっちりしたヘルメットをかぶった兵士たちもいる。

 

 テンプル騎士団と同じように、モリガン・カンパニーの社員たちの種族はバラバラだった。

 

 人間やエルフたちだけではなく、異世界で最も多く奴隷にされていると言われているハーフエルフやオークの兵士もいる。モリガン・カンパニーが経営する鍛冶屋で働いているハイエルフやドワーフの労働者も、モリガン・カンパニーの社員たちであった。

 

 制服に身を包み、AK-12を抱えて警備している警備兵たちの様子を窓から見下ろしていたリキヤは、曇り始めた空を見上げて顔をしかめた。これからアフタヌーンティーを始めようとしていたというのに、曇り空に楽しみを邪魔されてしまった彼は溜息をつきながら踵を返す。

 

 いくら最強の転生者と呼ばれているとはいえ、かつて転生者たちを絶滅寸前まで追い込んだ転生者でも天候を変えることは不可能である。リキヤのふりをするのを止め、本来の姿(ガルゴニス)に戻ることができたのであれば天候を変えることはできるのだが、そんなことをすれば12年間の努力が水の泡になってしまう。

 

 個人的な楽しみのために、親友との誓いを台無しにすることは絶対に許されない。

 

 席に腰を下ろすと、窓の外を眺める前までは誰もいなかった筈の反対側の席に、いつの間にか白髪の幼い少女が腰を下ろし、リキヤが作ったクッキーへと手を伸ばしていた。

 

 白衣ではなくドレスに身を包んでいたのであれば、初めて彼女の姿を目にした者は貴族の娘と勘違いしてしまうだろう。しかし彼女が身を包んでいるのは研究者が身に纏う白衣であり、胸の小さなポケットには既に奇妙な色の液体が入った試験管が3本ほど居座っていて、彼女が研究室の中で実験ばかりしている人間なのだという事を告げている。

 

 一足先にクッキーを食べ始めていたフィオナを見つめながら、リキヤも自分の作ったクッキーへと手を伸ばした。

 

「遅かったじゃないか、博士」

 

『ごめんなさい。新型フィオナ機関の試運転に夢中になってました』

 

「完成はいつ頃だね?」

 

『そうですね…………魔王様が”休暇を取れ”と言わなければ、明後日にでも試作型が完成します』

 

 フィオナ博士は、全く休暇を取らない技術者である。強引に休暇を取らせたとしても勝手に研究室に忍び込み、休暇中にもかかわらず新しい発明品を完成させ、新しい特許を生み出しているのである。

 

 仲間が新しい発明をするのは喜ばしい事なのだが、休暇を取らせないわけにはいかない。だが、フィオナはどれだけ休暇を取るように命令しても研究を続けるので、リキヤはそろそろ彼女に休暇を取らせることを諦めるべきなのではないかと考え始めていた。

 

 この産業革命の発端となったのは、目の前にいる幼い幽霊の少女なのである。彼女が研究を望むのであれば、その研究のためにバックアップをするべきだ。

 

 そう思いつつティーカップへと手を伸ばしたリキヤは、両手でティーカップを持って口へと運んでいるフィオナを見つめながら微笑んだ。

 

「分かった、休暇を取れとは言わん。必要なものがあればすぐに用意しよう」

 

『ありがとうございます、魔王様♪』

 

「ところで―――――――ラウラに移植した細胞について聞きたいことがある」

 

 オルトバルカ産の紅茶が入ったティーカップをテーブルの上に置いてから尋ねると、ティーカップを置こうとしていたフィオナの白い手がぴたりと止まった。

 

『あの細胞ですか』

 

「ああ」

 

 吸血鬼たちの春季攻勢を迎え撃った際に、リキヤの愛娘であるラウラは、吸血鬼の狙撃手による反撃によって利き手の左腕と左足を失い、一時的に戦線を離脱するという重傷を負っていた。

 

 本来ならば退役させるか、義手と義足を移植してリハビリをさせるために戦線を離脱させるべきである。リハビリを済ませれば復帰することはできるものの、当たり前だが移植する義手や義足は自分の本来の手足とは感覚がかなり異なるのだ。以前と同じ感覚で手足を動かしても、実際に移植した義手と義足は予想通りに動いてくれないのは珍しくないのである。

 

 ラウラが最も得意とするのは超遠距離狙撃である。義手と義足の移植が、彼女の戦い方に大きな影響を与えることになるのは想像に難くない。移植すればラウラは間違いなく復帰できるだろうが、技術は彼女の中に刻み込まれていても、その技術を生かすための手足の感覚が大きく変わってしまうのである。

 

 それゆえにラウラの本格的な復帰には、かなり時間がかかるだろうと言われていた。

 

 しかし、向かいの席でクッキーを噛み砕いている天才技術者は、あっさりとラウラを元通りの身体にしてしまった。

 

 ―――――――吸血鬼の細胞を移植することで、彼女に彼らの再生能力を身に付けさせてしまったのである。

 

 リキヤがその細胞の事を聞いているのだと理解したフィオナは、微笑むのを止めてからリキヤの赤い瞳を見つめた。

 

「気になっていたんだが、あれは誰の細胞だ?」

 

『…………タクヤ君が仕留めた、吸血鬼のスナイパーですよ。”アリーシャ”っていう女の子だそうです』

 

「いつの間に遺体を回収した?」

 

『タンプル搭に行く前ですよ。ラウラさんが手足を失ったという情報は聞いていたので』

 

 愛娘の手足を奪った狙撃手の遺体を、春季攻勢の最終局面の最中に堂々と回収していたという話を聞いたリキヤは、タクヤによって惨殺されたアリーシャの死体をどうやって回収したのかという疑問を、答えの外れた仮説たちと共に投げ捨ててから苦笑した。

 

 転生者戦争ほどではなかったとはいえ、あの春季攻勢も現代兵器を装備した勢力同士が激突した、熾烈な死闘の1つである。

 

「…………確かに、”部品”にはうってつけだな。愛娘の手足を奪ったのだから、きちんと”返して”もらわなければ」

 

『ええ、皮肉ですね』

 

 ラウラを排除するために派遣された狙撃手が、ラウラが再生能力を身に着けるための部品にされてしまったのだから。きっと彼女の身体に細胞を移植する羽目になったアリーシャは、地獄で悔しがっているに違いない。

 

 男性の吸血鬼の細胞よりはマシだろう、と思いつつ、リキヤはクッキーへと手を伸ばした。

 

 しかし、逆に言えば彼女の手足を奪った狙撃手のおかげでラウラは迅速に戦線に復帰する事ができたということになる。敵にとっても皮肉だが、ラウラにとっても皮肉になってしまう。

 

 だからリキヤは頷かなかった。

 

 愛娘が自分のように手足を失う羽目になってしまったとはいえ、復讐のために独断で出撃したタクヤと、無断でその死体を回収したフィオナによってラウラは復帰できたのである。

 

 そのための部品に使われたのがラウラの手足を奪った張本人だという事を確認したリキヤは、彼の脳の中で出番を待っていたもう1つの疑問を解き放つことにした。

 

「…………それで、次の”災禍の紅月”はいつになる?」

 

『…………3ヶ月後でしょうか』

 

 ―――テンプル騎士団との同盟を破棄する日は、近付きつつあった。

 

 彼らから鍵を手に入れ、天空都市ネイリンゲンにあるメサイアの天秤を使って、12年前に命を落とした親友を蘇らせるというガルゴニスの計画が、ついに終着点へ到達しようとしている。

 

 きっと春季攻勢で片足を失ったエリスを見れば、本物のリキヤは悲しむだろう。大切な妻が車椅子に乗って生活しているのを目の当たりにして驚愕する彼の姿を想像したガルゴニスは、溜息をつきながら背中を椅子に押し付けた。

 

 自分が命を引き換えにしたら、リキヤは怒るだろう。

 

 けれどもあの男ならば、受け入れてくれる筈だ。

 

 彼はかつてガルゴニスを倒し、レリエル・クロフォードを超えた最強の男なのだから。

 

 たった6年しか子供たちと過ごせなかった哀れな男のために、何としても彼を生き返らせなければならない。

 

 社長室の天井にぶら下がっているシャンデリアを見上げたガルゴニスは、腕を組みながら目を瞑った。

 

「では、テンプル騎士団との同盟の破棄は”災禍の紅月”の2週間前にしよう」

 

 

 

 

 

 



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ステラと一緒に買い物に行くとこうなる

 

 フランセンの連中がやってくる前までは、カルガニスタンに大きな街はなかった。部族ごとに領地を決めて分け合い、その領地を開拓して村や集落を作ってくらしていたのである。だから先進国のような大きな街は1つもなく、様々な規模の集落が点々と存在しているだけだったという。

 

 けれどもここを植民地にしていたフランセンの連中によって、部族たちの長が話し合って決めた領地は全て没収され、カルガニスタンで採れる豊富な資源や農作物はフランセンのものという事になってしまった。余所者たちに国と資源を取り上げられた挙句、集落や村に住んでいた若者たちは次々に彼らに”買い取られて”いき、鉱山での採掘作業をさせられる羽目になったのである。

 

 フランセンの連中のおかげで国は発展したけれど、先住民たちは資源や財産を奪われ続けた挙句、集落や村の若者たちを連れて行かれ、国内を巡回するフランセン騎士団の連中を恨みながら貧しい生活をしていたのだ。

 

 けれども今のカルガニスタンは、かなり賑やかになったと思う。

 

 彼らを虐げるフランセンの連中はいなくなったし、過酷な労働をさせられていた集落の若者たちも故郷へと戻ることができるようになった。それに、強引に奴隷として売られてしまった住民たちも、シュタージのエージェントたちの活躍によって次々に帰国し、出迎えてくれた家族たちと涙を流し合いながら抱き合っているという。

 

 苦しんでいた住民たちが平穏な生活を送ることができるようになったのは、喜ばしい事だ。

 

「デッドアンタレスのパイはいかがですかー!? 一切れ銅貨10枚ですよー!」

 

「トロールの串焼きもありますよー!」

 

 露店で大きな声を出す店主たちを見守りながら、素早く財布を取り出し、ちらりと中身を確認しておく。

 

 フミヤを国境まで送った後、ステラと一緒にバイクに乗って街へと向かいつつ、道中で出会った魔物を片っ端から討伐して素材を拝借し、街にある冒険者管理局で売却してきたので、今は財布の中にたっぷりと銀貨や金貨が入っている。さすがにダンジョンを調査した時の報酬よりも少ないけれど、その気になれば大通りに並んでいる露店で売っている食べ物を片っ端から購入することもできるかもしれない。

 

 でも、隣にいるサキュバスの少女の食欲は圧倒的としか言いようがない。

 

 ダンジョンを調査した帰りに、その報酬で夕食を食べて一泊してからタンプル搭に戻る予定だったんだが、なんとその夕食だけで報酬をほとんど使ってしまう羽目になったのである。俺はそれほど大食いじゃないから食費で困ったことは一度もない。けれども俺と手を繋ぎながら露店をじっと見つめ、その露店で売られているトロールの串焼きを見ながらよだれを拭っているステラは、テンプル騎士団の中でトップクラスの大食いなのである。

 

 第一、サキュバスの主食は魔力だ。彼女たちは自分の体内で魔力を生成する事ができないので、食事を兼ねて他の生物から魔力を吸収しなければ生きていくことができないのである。

 

 それに、魔力以外の食べ物から栄養を吸収する事ができないので、どれだけ食事を口にしてもサキュバスたちが満腹感を感じることはないのだ。吸血鬼も似たような体質で、彼らの場合は血以外の食べ物から栄養が吸収できないことになっている。

 

 幸いイリナは血を吸う方が多いので、彼女の食費ではそれほど困ってはいない。けれどもステラは食いしん坊なので、彼女を連れてレストランに入ればほぼ確実に財布の中が空になってしまう。

 

 けれども彼女はいつも研究を頑張ってくれているのだから、欲しい物を買ってあげないと。

 

「ステラ、何か食べたいのはあるか?」

 

 彼女を見下ろしながら尋ねると、ステラは唇の端から顔を出そうとしていたよだれを小さな手で拭い去りながら、目を輝かせつつ顔を上げた。

 

「トロールの串焼きが食べたいです!」

 

「分かった、買うか」

 

「はいっ♪」

 

 トロールって美味しいんだろうか。

 

 冒険を始めたばかりの頃にフィエーニュの森で遭遇したトロールの姿を思い出しつつ、彼女の手を引いて露店へと向かう。もう既に午後9時を過ぎているというのに、他国からやってきた観光客や、これから酒場へと向かおうとするダンジョン帰りの冒険者たちで大通りは埋め尽くされている。

 

 周囲から聞こえてくるのは、露店の店主たちに金を支払う旅行客たちの声や、ダンジョンでの自慢話をしながら去っていく冒険者たちの声。フランセンの連中がカルガニスタンから出て行ったとはいえ、まだカルガニスタン国内には彼らが使っていた設備はそのまま残っているし、冒険者管理局の施設もあるので、街の光景はそれほど変わっていない。

 

 ステラを連れて冒険者たちや旅行客を躱しながら露店へと向かう。

 

 露店を経営しているのは浅黒い肌のダークエルフの男性だった。串に刺したでっかい肉を炙り、その肉を焼いている最中に別の肉をレイピアみたいな串に突き刺し、後ろにあるちょっとした窯で焼き始める。

 

 トロールの身長は10mもあるので、当たり前だけど肉は多い。だからあんなでっかい肉が取れるんだろう。けれどもあいつらは脂肪が結構多かった筈だ。炙られているでっかい肉は美味しそうだけど、美味いんだろうか。

 

「いらっしゃい!」

 

「おじさん、串焼き2つ」

 

「はいよ!」

 

 そう言いながらがっちりした体格のおじさんは、焼けたばかりの肉が刺さった串を窯の上に敷いてある網から拾い上げた。まるでぶつ切りにした肉をそのまま串に刺しただけらしく、武器に使えそうなほど太い串に貫かれているのは、鍛え上げた男性の腕と同等の太さの肉だった。

 

 それを包丁で切ってから渡すんだろうなと思いながら財布へと手を伸ばしていたんだが―――――――カルガニスタンの料理は、予想以上に豪快でした。

 

 なんとそのおじさんは、でっかい肉が刺さった串をそのまま俺たちに渡してきたんです。

 

「はい、お待たせ!」

 

「わぁ…………!」

 

「う、嘘…………」

 

 き、切るんじゃないんですか?

 

 目を輝かせながら肉汁で覆われた肉を見つめるステラの隣で、俺はでっかい肉をまじまじと見つめながら狼狽える。

 

「ん? 姉ちゃん、その深紅の羽根はテンプル騎士団かい?」

 

「え?」

 

 かぶっているフードの上で揺れる羽を指差しながら、おじさんは嬉しそうに言った。

 

 テンプル騎士団の兵士は、簡単に言うと”転生者ハンター”である。そのため制服の胸元や支給されているフードには、ハーピーから取れる深紅の羽根を飾っているのである。

 

 この深紅の羽根と黒い制服は転生者ハンターの象徴であり、テンプル騎士団の象徴でもあるのだ。

 

「タクヤはテンプル騎士団の団長なのですっ♪」

 

「お、おい、ステラ…………」

 

「なに? テンプル騎士団の団長は女の子だったのか!?」

 

 男なんですけど。

 

 訂正した方がいいんじゃないかなと思いつつ周囲をちらりと見てみると、露店の近くにいた旅行客や冒険者たちがちらりとこっちを見てきた。

 

 以前の総督の一件で、産声を上げたばかりの複合ギルドがフランセンをカルガニスタンから追い出したという記事が各国の新聞に掲載されたとはいえ、テンプル騎士団は予想以上に有名になっていたらしい。

 

 だからなのか、幼い少女の言った冗談だと決めつけて立ち去る旅行客よりも、本当に団長なのかもしれないと思ってまじまじとこっちを見てくる旅行客の方が多かった。

 

「それじゃあタダにしねえとな! ほら、お代はいらねえよ!」

 

「え、いいんですか?」

 

 トロールって結構危険な魔物なんだが、仕留めるのが困難な魔物の肉を無料で売ってもいいのだろうか。まだ肉はあるみたいだけど、一切れをタダで売るだけでも大変じゃないか?

 

 そう思いながら金を払おうとしたんだけど、まだ財布をしまおうとしない俺を見た店主は笑いながら首を横に振った。

 

「あんたらは俺たちを自由にしてくれた恩人だからな! それに、この肉もテンプル騎士団に志願していった若い奴らが村に送ってきてくれたんだ」

 

 志願した奴ら?

 

 そういえば、数日前に実施した魔物の掃討作戦で2体のトロールと交戦し、あっという間に撃破した部隊があったらしい。受け入れた奴隷たちの中から志願したのではなく、カルガニスタンが独立した後にテンプル騎士団へと入団した新兵たちだという。

 

 さすがに新兵だけでトロールと交戦するのは危険なので増援部隊を派遣することにしたんだが、その部隊が後退する前にトロールが彼らに気付いて襲い掛かってきたため、分隊長が独断で攻撃命令を下し、あっさりと撃破したのである。

 

 トロールを討伐するという大きな戦果をあげた新兵たちは早くも昇進しているし、その肉を故郷へと送ることも許可している。このトロールの肉はその時に活躍した兵士たちが、故郷に送った肉の一部なのだろう。

 

「いつも団長さんにはお世話になってるみたいだし、タダでいいぜ」

 

「ありがとう、おじさん」

 

 でっかい肉が刺さった金属製の串を受け取り、ステラと一緒に露店を後にする。ステラが俺がテンプル騎士団の団長だという事を暴露してくれたせいで、旅行客や冒険者たちとすれ違う度に「あんな若い子が団長なのか?」という声が聞こえてくる。

 

 残念ながら、まだ18歳の男が団長なのだ。

 

 ざわつく観光客を躱しながら露店を後にし、一旦大通りから離れる。反対側にあった喫茶店のすぐ隣にある路地に入り、そのまま真っ直ぐ進んで反対側へと向かう。

 

「私たちって有名なんですね」

 

「予想以上だな」

 

 そう言いながら、早くもトロールの串焼きに嚙り付くステラ。小さな口ででっかい肉の一部を食い千切り、たっぷりと肉汁を纏った肉を咀嚼する。

 

 あの太った巨人みたいな魔物の肉がどんな味なのか気になるけれど、とりあえず食べる前に広い所へ出たい。ここで食べてしまってもいいんだけど、出来るのであればもう少し広いところで頭上の星空を見上げながら食事をしたいものだ。

 

 樽が積み上げられた路地裏を通過すると、石で造られた建物の向こうに木製の柵が見えてきた。あそこが街と外に広がる砂漠の境界線なのだろう。長い間砂塵を含んだ風に晒されていたせいで、柵は灰色に染まってボロボロになっていた。

 

 この変ならいいだろう、と思いつつ、さっき路地裏に置いてあった小さめの樽を2つ拝借する。ちゃんとした椅子よりも座り心地は悪いけれど、街中を歩き続けたせいで疲れた両足を休めるにはちょうどいい。

 

 それを傍らに置いて腰を下ろすと、ステラもその樽に腰を下ろし、美味しそうに串焼きに喰らい付いた。

 

 これ、美味しいんだろうか。味付けは塩とスパイスらしく、巨大な肉からは焼けた肉の匂いと香辛料の香りが溢れ出し、容赦なく鼻孔へと浸透してくる。香りは滅茶苦茶美味しそうだし、見た目もでっかい肉をそのまま焼いたようにしか見えないので美味そうに見えるんだけど、あのオリーブグリーンのでっかいデブにしか見えない魔物の肉だと思うと美味そうとは思えないんだよなぁ。

 

 でもステラは美味そうに食ってるし、せっかくタダでもらったんだから食ってみるか。

 

「いただきまーす」

 

 串に刺さっている肉の一部を前歯で挟み、そのまま食い千切って咀嚼する。

 

 味はどういうわけなのか牛肉みたいな感じがする。でっかい牛肉をぶつ切りにしてそのまま焼いたような感じだろうか。外はちょっとばかり焦げてたけれど中はまだ赤い部分が残っていて、噛みついた歯を柔らかい歯応えで歓迎してくれる。

 

 美味しいな、これ。

 

 でもトロールの肉って硬い上に油だらけになっている筈なんだけど、どうすればこんなに美味しくなるのだろうか。今度トロールに遭遇したら肉を持ち帰って試してみようかな。

 

「美味しいな、ステラ」

 

「ごちそうさまでした♪」

 

「もう食ったの!?」

 

 隣で必死に肉を食べていたステラはもう食べ終えていたみたいで、まだ細かい肉や肉汁の付着したレイピアみたいな串を、小さな舌でぺろぺろと舐めているところだった。

 

 もう1つ買ってきてあげようかな。でもまた同じ露店で買うのはちょっと気まずいし、さすがにあのおじさんも貴重なトロールの肉をこれ以上タダで売るわけにはいかないだろう。もし買いに行く羽目になったら、今度はちゃんとお金を払おう。

 

 そう思いながら自分の分の串焼きを凝視し、隣でまだ串を舐めているステラに差し出した。

 

「食べる?」

 

「い、いいのですか!?」

 

「ああ、俺はもうお腹いっぱいだからな」

 

 これが気に入っていたらしく、目を輝かせながら俺の分の串焼きを受け取るステラ。代わりに彼女が舐めていた串を受け取り、隣で串焼きを咀嚼する彼女の頭を撫でながら星空を見上げる。

 

 カルガニスタンの夜はかなりシンプルだ。特徴的な灰色の砂漠まで、太陽が姿を消したせいで真っ黒に染まってしまうので、夜空と黒く染まった砂漠意外に見えるのは星か月くらいである。もしあの砂漠に小さなライトやランタンをいくつも置いたら、足元の地面まで星空と化してしまったのではないかと錯覚してしまう事だろう。

 

「タクヤ」

 

「ん?」

 

 彼女の頭を撫でながら星空を見上げている間に、数秒前に渡した筈の串焼きが消えていた。もう食べてしまったのだろうか。

 

 何か話があるらしいけれど、ステラの口の周囲には肉汁がこびりついている。服に垂れ落ちたら大変なことになるので、その前にポケットからハンカチを取り出して彼女の口の周りを拭いておくことにした。

 

 外出する時はハンカチを持ち歩くようにしているのである。

 

 口の周りを拭き終えると、ステラは数秒だけ恥ずかしそうに顔を赤くしてから話を始めた。

 

「…………タクヤたちと会う事ができて、ステラは本当に幸せです」

 

「ありがとよ」

 

 仲間が絶滅してしまったショックで無表情だった頃の彼女を思い出しながら、俺は微笑んだ。

 

 前世で俺は辛い経験をしたんだけど、彼女の方がはるかに辛い経験をしている。自分以外の同胞を皆殺しにされた挙句、母親に庇ってもらって千年以上も生き延びて、自分以外のサキュバスがいなくなってしまった世界で目を覚ましたのだから。

 

 自分以外の仲間がいない孤独な世界。しかもその世界では、生きるために魔力を吸収する必要があっただけなのに、サキュバスたちは勝手に魔女と決めつけられて忌み嫌われている。

 

 仲間を皆殺しにされた挙句、死んでいった仲間たちを魔女扱いされていることを知ったステラがどれだけ大きなショックを受けたのかは想像に難くない。

 

 けれども今の彼女は、そのショックに打ち勝ちつつある。

 

「みんなと一緒に冒険するのは楽しいですし、美味しい物もいっぱい食べられますから」

 

「食いしん坊だな…………」

 

「ふふふっ…………♪ それに、タクヤのおかげで生まれて初めて海の中を見ることもできましたし」

 

 楽しそうに笑いながら顔を上げ、俺の顔を見上げるステラ。すると彼女のお尻の辺りまで伸びている長い銀髪が触手のように動き始め、頭を彼女の顔の近くへと引き寄せ始める。

 

「ですからずっと一緒にいてくださいね、タクヤ」

 

「分かったよ、ステラ」

 

 俺の顔を引き寄せた状態で目を瞑り、唇を奪おうとするステラ。キスをするつもりなんだろうなと思いつつ、こっちも唇を近づけたんだけど―――――――彼女の小さな唇に触れた瞬間に、彼女の体質を思い出した。

 

 サキュバスが魔力を吸収するためには、身体のどこかにある紋章に相手の身体の一部を触れさせた状態で吸収しなければならない。その紋章の場所はサキュバスによって異なるらしいんだが、基本的には母親からの遺伝となるという。

 

 ステラの場合はその紋章が舌にあるので、相手と舌を絡ませながらキスをしなければならないのである。

 

 ―――――――要するに、ステラとキスすると魔力を強引に吸われてしまう。

 

 舌を絡ませなければ大丈夫だろうと思ってそのままキスしたんだけど、いつもの癖なのか、それとも舌を絡ませたかったのか、油断していた俺の唇を彼女の小さな舌があっさりと突破して、俺の舌に絡みつかせやがった。

 

 身体の中で産声を上げる疲労のような感覚。力を入れているつもりなのに逆に力が抜けていき、最終的に座っている事すらできなくなるほど力が抜けていく。

 

 き、キスが台無しだ…………。

 

 もしかして、ただ単にご飯(魔力)が食べたかっただけなんだろうか。

 

 彼女が舌を離すと同時に、樽の上から転がり落ちそうになってしまう。踏ん張る事すらできなくなった俺を、自由自在に操れる銀色の髪で受け止めてくれた彼女は、うっとりしながら口の周りをぺろりと舐め回し、再び顔を近づけてくる。

 

 もう魔力はないよ、と言うよりも先に、再び唇を奪うステラ。けれども今度は舌を絡ませるいつものキスではなく、唇同士を触れ合わせるだけのシンプルなキスだった。

 

「―――愛してます、タクヤ」

 

 唇を離し、まだ身動きができない俺の頭を自分の小さな太腿の上に乗せるステラ。魔力が回復するまで膝枕をしてくれるという事なんだろうか。

 

 誰も来ないような街の片隅で、星空を見上げながら美少女に膝枕をしてもらうのは悪くない。

 

「俺も愛してるよ、ステラ」

 

 そう言いながら、こっちを覗き込んでくる彼女の顔を見上げて微笑んだ。

 

 

 

 

 



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掃討焼却兵

 

 デザインがバラバラな制服を身に纏った兵士たちと共に、建設途中の要塞へと押し寄せてくる魔物たちを蜂の巣にしていく。彼らが手にしているAK-15やRPK-12が火を噴き、エジェクション・ポートから煙と熱を纏った薬莢を排出する度に、荒々しいマズルフラッシュの向こうにいる魔物たちの身体に風穴が開き、血飛沫が噴き上がる。

 

 アメリカ製のホロサイトの向こうで眉間を抉られたゴブリンを一瞥し、セレクターレバーを3点バーストに変更。7.62mm弾の強烈な3点バースト射撃でデッドアンタレスの外殻を砕き、その後方にいるゴーレムやデッドアンタレスの変異種にグレネードをお見舞いする。

 

 魔物は様々な場所に生息している。ダンジョンには当たり前のように徘徊しているし、森や草原でもゴブリンやアラクネなどの魔物に出くわすことがある。それに信じられない事だけど、一見すると平穏な先進国の大都市でも、地下にある下水道の中には小型の魔物が生息していて、整備のために地下へと降りた業者に襲い掛かってくる事もあるのだ。小さい頃に下水道のメンテナンスに行った業者が行方不明になり、数日後に下水の中からその業者の千切れた腕が流れてきたという新聞の記事を見た時、ラウラと2人でぞっとした。

 

 それゆえに、この世界の全ての場所が魔物の生息している地域と言っても過言ではない。

 

 どれだけ掃討しても全く絶滅する気配がない魔物たち。人間が彼らを討伐するよりも、彼らの繁殖する速度の方が上回っているというのだろうか。魔物の研究をしている学者たちが長年調査しているが、未だにその難問の答えが出たことは一度もない。

 

 なので、こうやって魔物と戦うのもテンプル騎士団の仕事になっている。放っておけば先住民たちの集落にも被害が出るし、拠点の建設も遅れてしまうのだから。

 

 それにテンプル騎士団がカルガニスタンで自由に活動し、あらゆるところに要塞や前哨基地を建設することを先住民たちから許可してもらった代わりに、俺たちが彼らを守らなければならないのである。

 

 RPK-12を装備した”分隊支援兵”が、強烈な弾幕を魔物の群れに叩き込む。7.62mmの容赦のない連続攻撃を喰らう羽目になったデッドアンタレスの変異種は、尻尾を振り上げながらまだ抵抗を続けようとしていたが、そいつに狙いを定めていた選抜射手(マークスマン)の放った7.62mm弾に尻尾を撃ち抜かれ、自分の毒液を浴びながら崩れ落ちていった。

 

 デッドアンタレスの変異種は、通常のデッドアンタレスと外殻の色や模様が異なる。変異種は紫とピンクのダズル迷彩にも似たかなり気色悪い模様なので、通常のデッドアンタレスとすぐに見分ける事ができるのだ。どうやらより強力な毒を持っているらしく、加熱しても毒を分解できないため、変異種は食えないらしい。

 

 止めを刺した選抜射手(マークスマン)がマガジンを交換している隙に、近くで銃撃していた歩兵が味方に手榴弾を使う事を告げ、安全ピンを引っこ抜いてから手榴弾を投擲。まだ突っ込んで来ようとしていたゴブリンたちをまとめて吹っ飛ばし、密集していた魔物の群れを抉る。

 

「同志、魔物共が後退し始めました!」

 

「よし、”掃討焼却兵(そうとうしょうきゃくへい)”の出番だ」

 

 ヘルメットをかぶった兵士にそう命令し、俺は前方の洞窟の中へと逃げていく魔物の群れを見つめていた。

 

 テンプル騎士団で採用しているヘルメットの形状は、昔のドイツ軍が採用していた”シュタールヘルム”というヘルメットにそっくりなデザインだ。黒いヘルメットをオリーブグリーンに塗り替え、第二次世界大戦中のドイツ軍の軍服を兵士に着させてMP40を持たせたら、きっと昔のドイツ兵と見分けがつかなくなるだろう。

 

 テンプル騎士団のヘルメットは俺やクランが能力や端末で生産したものではなく、工房のドワーフたちが作って支給している代物である。素材はタンプル搭の岩山の中にある鉱脈から採掘された豊富な鉱石を使っているので、生産にはそれほどコストはかからないという。

 

 普通のヘルメットよりもやや重いものの、表面に硬い鉱石を使用し、その内側に柔らかい鉱石を薄くして張り付け、その内側にまた硬い鉱石を使用するという複合装甲のような構造になっているので、防御力が非常に高いのだ。信じられないことに砲弾の破片どころか7.62mm弾でも貫通できないほどの防御力があるので、身に着けた兵士の生存率は大きく高まるだろう。

 

 顔を保護するためのバイザーを取り付けられたタイプのヘルメットも採用されており、分隊支援兵や一部のライフルマンたちが身に着けている。とはいえそのバイザーまでヘルメットと同じく金属で作られているため、重量が増加する上に視界が一気に狭くなってしまうという欠点があるので、普段はバイザーを上に上げている。

 

 それにヘルメットも重いので、ヘルメットではなく略帽やフードをかぶる兵士も多い。中には先住民たちの伝統的な装備なのか、仕留めた魔物の頭骨を頭にかぶっている兵士も見受けられる。

 

 式典用の制服だけは同じデザインになったんだが、相変わらず普段の制服は統一感がないなぁ…………。

 

 洞窟の中へと逃げ込んだ魔物を双眼鏡で確認しつつ、ちらりと周囲を走り回る兵士たちを見ていた俺は、そう思いながら灰色の砂の上に伏せつつ背中に背負っているOSV-96へと手を伸ばした。

 

 このライフルは非常にサイズがでかいので扱いにくいんだが、2つに折り畳む事ができるという強みがあるので、折り畳んでいれば非常に持ち運びやすいのだ。

 

 銃身の下にぶら下がっているバイポッドを展開してスコープの蓋を開け、レティクルを前方の洞窟に合わせる。搭載しているレンジファインダーによると、洞窟までの距離は400mほど。アサルトライフルでも狙撃できる距離だし、魔物たちの攻撃やデッドアンタレスの毒液の射程距離外だから、あいつらが姿を現せばすぐに蜂の巣になるだろう。

 

 その前に―――――――黒焦げになるかもしれないが。

 

 火薬や体液の臭いが充満している戦場の中に、別の臭いが混ざったのを感じ取った俺は、ニヤリと笑いながら後方を振り向いた。

 

 猛烈な燃料の臭いを纏いながら戦場へとやってきたのは―――――――背中に背負った燃料タンクとケーブルで繋がれたライフルのような得物を抱え、ガスマスクと特徴的な防具に身を包んだ数名の兵士たちであった。

 

 一見すると、火炎放射器とガスマスクを装備し、背中に燃料タンクを背負った”騎士”のようにも見える。けれども身に纏っている防具の素材は、よく見ると金属製ではなく、空を自由自在に舞いながらブレスで人類に猛威を振るうドラゴンの外殻で作られていることが分かる。

 

 ドラゴンの外殻で作られた防具と言うべきだろうか。

 

 燃料の臭いと猛烈な威圧感を纏いながら戦場へとやってきたその兵士たちは、『掃討焼却兵』と呼ばれるテンプル騎士団の新しい兵士たちである。ソ連製火炎放射器の”LPO-50”を装備し、敵に肉薄して炎をぶちまけ、敵を殲滅するのが役割である。

 

 とはいえ、現代戦で火炎放射器が投入されることは殆どないと言ってもいい。火炎放射器は銃よりもはるかに射程距離が短く、更に背中に背負っている燃料タンクに敵の放った弾丸が命中すればとんでもないことになるからだ。第一次世界大戦や第二次世界大戦の時よりも、フルオート射撃が可能な銃器がより発達した現代戦の方が、火炎放射器の射程距離に入る前に被弾する確率が高いのは火を見るよりも明らかである。

 

 そこで、テンプル騎士団では火炎放射器を装備した兵士たちを、後退して建物の中などに立て籠もった敵への”ダメ押し”として投入することにしている。予め通常の部隊で敵の戦力を大きく削り、敵が撤退して体勢を立て直しているところにこいつを投入し、一気に焼き殺すのである。簡単に言えば”ダメ押し部隊”だ。

 

 戦力が削られているという事は、肉薄しようとする掃討焼却兵を食い止めるために弾幕を張ることが困難になり、彼らの接近を阻止できないという事を意味するのだから。

 

 更に、もし敵の攻撃が背中の燃料タンクを直撃しても、信じられないことにこの掃討焼却兵たちは無傷で済むのである。

 

 燃料タンクの爆発や炎から、彼らの身に纏っている防具が彼らを守ってくれるのだ。あの防具の素材に使用されているのは、火山に生息しているサラマンダーの外殻である。耐熱性に非常に優れているサラマンダーの外殻は、あらゆる炎属性の攻撃を無効化してしまうほどの耐熱性と耐火性を兼ね備えており、マグマの中に放り込んでも無傷だという。

 

 更に防御力にも優れており、7.62mm弾でも外殻を貫通させることは難しい。

 

 なので燃料タンクに被弾し、戦場に巨大な火柱を生み出すことになってしまったとしても、火炎放射器を装備していた兵士は無事という事になるのだ。

 

 火炎放射器が使用不能になった場合を想定して、サイドアームにPL-14を支給しているほか、近接武器には量産型のテルミット・ナイフを支給している。とにかく相手を焼き殺すことを想定した装備を身に着けた、恐ろしい兵士たちなのだ。

 

 4名の掃討焼却兵は火炎放射器の点検を済ませると、数名のライフルマンに護衛されながら、魔物たちが逃げ込んだ洞窟へと向かって走り出す。強烈な燃料の臭いでこっちの兵士たちが接近していることを悟ったのか、彼らが距離を詰めていくうちに洞窟の中からゴブリンが顔を出したが、小柄なゴブリンが顔を引っ込めるよりも先にマズルフラッシュが煌き、人間よりも小さなゴブリンの頭を吹っ飛ばしてしまう。

 

 そして、洞窟へと無傷で肉薄した掃討焼却兵たちが火炎放射器を構え―――――――彼らの逃げ込んだ洞窟の中を、地獄に変貌させた。

 

「うわっ…………」

 

 先住民の中から志願してきた兵士の1人が、火炎放射器が吐き出す炎を見つめてドン引きしていた。

 

 4人の掃討焼却兵が装備するLPO-50が吐き出した炎が激流と化し、火の粉と陽炎を引き連れながら洞窟の中へと流れ込んでいく。洞窟の中から聞こえてくるのは、猛烈な炎に焼き殺されていく魔物たちの呻き声や断末魔だけだ。

 

 数体のゴブリンが火達磨になりながら洞窟の中から飛び出してきたが、即座に護衛のライフルマンたちがそいつらを射殺し、火炎放射器の餌食になった敵の無残な姿を俺たちに晒す。

 

「あんなのに焼かれたくないな…………」

 

「俺もだ…………弾丸で頭を貫かれたほうが楽に死ねるよ…………」

 

 洞窟の中にいる魔物たちを容赦なく焼き殺していく掃討焼却兵たち。スコープを覗き込みながら、俺は彼らが火炎放射器のトリガーから指を離すまで、ずっと掃討焼却兵たちを見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水面へと伸びる細い糸を見つめながら、アイスティーの入った水筒を口へと運ぶ。いつになったらこの糸は海の中へと引っ張られ、獲物を引っ張り上げるチャンスだという事を教えてくれるのだろうか、と思いながら口の端についたアイスティーの雫を拭い去り、周囲に停泊している巨大な艦艇を見渡した。

 

 タンプル搭のすぐ近くには地下を流れている広大な河がある。信じられないことに、超弩級戦艦や巨大な原子力空母が容易く並走できるほどの広さで、水深も潜水艦が潜航したまま入港できるほどの深さだ。しかも頭上は分厚い岩盤と、ドワーフの職人たちが作ってくれた鋼鉄の装甲で覆われているので、敵の爆撃機がこれでもかというほど爆弾を落としていっても、停泊している艦艇には傷一つつかないというわけだ。

 

 さすがにバンカーバスターを落とされたら、ここから大空を見る事ができそうな穴が開くかもしれないが。

 

 けれどもタンプル搭の周囲にある前哨基地にはレーダーや対空ミサイルもあるし、飛行場も建設されている。バンカーバスターを搭載した敵機が対空ミサイルと迎撃部隊を突破し、この軍港へとバンカーバスターを無事に投下できる確率は5%以下だろう。

 

 この安全な軍港に停泊しているのは、軍拡によって一気に規模が大きくなったテンプル騎士団艦隊に所属する艦艇たち。退役することになったソヴレメンヌイ級やウダロイ級の数は減っていて、彼らの代わりにアドミラル・グリゴロヴィチ級やネウストラシムイ級が数を増やしつつある。その奥に停泊しているのは増産することになったスターリングラード級重巡洋艦やスラヴァ級巡洋艦で、中にはダズル迷彩に塗装されている艦も見受けられる。

 

 そして一番奥に鎮座しているのは―――――――テンプル騎士団海軍の力の象徴だった。

 

 前部甲板と後部甲板に搭載された、大口径の4連装40cm砲。一斉に砲撃すれば12発も砲弾をぶちまける事ができる上に、艦橋の脇には対艦ミサイルが入った4連装キャニスターがずらりと並んでおり、攻撃力を重視した戦艦だという事が分かる。

 

 その超弩級戦艦が、5隻もずらりと並んでいた。

 

 テンプル騎士団艦隊総旗艦『ジャック・ド・モレー』と、彼女の同型艦()たちである。

 

 史実のテンプル騎士団を率いていた団長の名を冠した超弩級戦艦たちは、現時点ではテンプル騎士団で最強の戦艦といっても過言ではないだろう。対潜用の装備を殆ど搭載していないため、潜水艦に襲われたら手も足も出ないという欠点はあるが。

 

 ジャック・ド・モレーはタンプル搭に残るが、他の同型艦は別の海域で活動する艦隊の旗艦となるため、軍港の用意や艦隊の編成が終わり次第、ここに残る一番艦(長女)と別れることになる。

 

 ちなみに二番艦『ユーグ・ド・パイヤン』は”第一打撃艦隊”の旗艦になる予定で、母港は倭国のエゾになることになっている。なので倭国支部の艦たちと共に、軍港に停泊することになるだろう。来週の倭国支部との合同演習の際に倭国まで向かい、そのまま倭国で第一打撃艦隊旗艦として活躍することになる。

 

 でっかい主砲が搭載された戦艦を見つめてから、竿の代わりに使っているOSV-96を見下ろす。相変わらずマズルブレーキの下から伸びる糸はぴくりとも動いておらず、魚がこの周囲にいない事を告げていた。

 

 魚が釣れたら焼き魚にしようと思ってたんだがなぁ…………。

 

「何で対物(アンチマテリアル)ライフルを竿にしてんだよ」

 

「あ? おう、ケーター少佐」

 

 制服姿のケーターは隣に腰を下ろすと、竿の代わりにされているOSV-96を見て苦笑いしつつ、肩に担いでいた手作りの釣り竿から伸びる糸を水面へと垂らし始めた。

 

 軍港の隅にある防波堤は、団員たちがよく釣りをする人気の場所なのである。

 

「銃身が長いから丁度いいんだよ」

 

「弾は抜いてるんだろうな?」

 

「マガジンは抜いてるし、薬室の中にも弾はない。あと安全装置(セーフティ)もかけた」

 

「さすが」

 

 戦闘以外の時は、そういう事に注意しないとな。銃は敵を殺す武器なのだから。

 

 俺やラウラは釣り竿代わりに使う事もあるが。

 

 アンチマテリアルライフルは銃身が長いし、狙撃を想定したバイポッドを使うと非常に便利なのである。普通の竿よりも結構重いけど。

 

 黙って水面を見下ろしていると、唐突に頭の上に柔らかい物体がのしかかってきた。

 

「ん?」

 

「えへへへっ、釣れそう?」

 

 俺の頭の上に大きなおっぱいを乗せながら見下ろしているのは、腹違いの姉のラウラだった。匂いですぐに接近しているのが探知できると思ったんだが、ラウラが接近してきたのは風下からだから分からなかったらしい。

 

 匂いでの索敵には、風向きによって死角ができてしまうという欠点もあるのだ。ラウラはそれを把握していたのだろうか。

 

 びっくりしながら彼女の顔を見上げていると、ラウラは探知されずに接近されてぎょっとしていることを見破ったらしく、微笑みながら耳元で言った。

 

「お姉ちゃんはね、タクヤの事なら何でも知ってるんだよ?」

 

「マジで?」

 

「うんっ。2ヵ月分のスケジュールは全部把握してるよ♪」

 

 そういえば、俺のお姉ちゃんはヤンデレでした。

 

 なるほど、能力の欠点やスケジュールも全部把握されてるってことか。というかそのスケジュールはプライベートのスケジュールも含まれてるのかな? もしそうだったら俺のプライバシーは消し飛んだことになるんですが。

 

「相変わらず仲がいいよなぁ」

 

「えへへっ、だってタクヤのお嫁さんになるんだもんっ♪」

 

「未来のお嫁さんねぇ…………ん? おい、糸見ろ。引いてるぞ」

 

「お?」

 

「ふにゅ?」

 

 あらら。

 

 バイポッドを展開していたライフルの銃床とキャリングハンドルを掴み、長い銃身を引っ張り上げる。どうやら水中から引っ張っているのは結構でっかい魚らしく、予想以上に重い。

 

 でもな、こっちはその気になればアンチマテリアルライフルを片手でぶっ放せるくらい筋力が発達してる種族(キメラ)なんだよ。その程度で俺から逃げれるわけがないだろ。

 

 とっとと釣られて焼き魚にされやがれぇッ!

 

「Ураааааа!」

 

 雄叫びを上げながら思い切り引っ張ると、ついにその獲物が水中から躍り出た。

 

 けれども水の中から出てきたのは―――――――変なのだった。

 

 というか、魚じゃなかった。

 

 ヒレのようなものはないし、胴体から首と四肢が伸びている。鱗が一切ない代わりにオリーブグリーンの濡れた軍服に身を包み、顔をガスマスクで覆っていた。頭にかぶっているのは昔のドイツ軍が採用していたシュタールヘルムというヘルメットで、腰には折り畳み式のスコップやルガーP08の入ったホルスターをぶら下げている。

 

 要するに、昔のドイツ兵のコスプレをした、背の小さな変な奴が釣れたのである。

 

 なにこれ。

 

「―――――――ぐ、グーテンターク。あんた誰?」

 

『テンプル騎士団のマスコットの”ゲルマンくん”だよっ♪』

 

 え、こんなマスコット承認した覚えがないんですけど。というかこれがマスコットなのか。

 

 釣り糸を右手で掴んだ状態で釣り上げられた変な奴を見てから、ケーターやラウラと目配せする。どうやらこの2人もこの変なマスコットを知らないらしく、呆然としながらこっちを見てきた。

 

「…………リリース」

 

『あああっ! ちょ、ちょっと待って! リリース禁止!』

 

「うるせえ! こんな変なマスコット承認した覚えねえんだよコラァ!」

 

『待ってよ! ここ結構深―――――――ゴボゴボゴボゴボッ』

 

 シュタールヘルムを手で押さえてリリースしようとすると、ゲルマンくんは必死に抵抗してきやがった。仕方がないので助けてやることにした俺は、そいつの手を掴んで強引に防波堤の上に引っ張り上げる。

 

 ごつん、とヘルメットを防波堤の上に叩きつけたゲルマンくん。ガスマスクのフィルターから水を垂らしながら起き上がった彼は、濡れた軍服の中に入っていたケースを取り出し、それを俺に差し出した。

 

『クラン大佐からの書類です』

 

「普通に渡せよコラ。何で釣られたんだよ」

 

『ふっふっふっ、釣られたのはあなたの方だったみたいですね』

 

「やかましいわ」

 

 突き落としてやろうかと思いつつ書類を受け取り、それを広げて書いてある文章を確認する。

 

 …………ああ、今度の倭国との合同演習の件だ。ついでに倭国支部の視察もしようと思ったからクランに申請してたんだが、どうやら承認してもらえたらしい。

 

「ふにゅ? 何それ?」

 

「今度の合同演習だ。ついでに倭国支部の視察に行くつもりだったんだよ。ラウラも行く?」

 

「うんっ♪ えへへへっ、新婚旅行みたい♪」

 

 おいおい…………。

 

 ラウラに抱き着かれて苦笑いしながら、彼女の頭を撫でる。

 

 新婚旅行じゃなくて合同演習と支部の視察だからな、ラウラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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倭国支部の視察

 

 第二次転生者戦争の頃と比べると、テンプル騎士団海軍は大きくなったと思う。

 

 テンプル騎士団艦隊総旗艦『ジャック・ド・モレー』の甲板の左舷に腰を下ろし、マズルブレーキの下に釣り針のついた糸を結び付けて即席の釣り竿にされたOSV-96を抱えながら、でっかい主砲から生えた4本の砲身が向けられている方向を見つめた。ジャック・ド・モレーの艦首の向こうに見えるのは、この艦の同型艦()である戦艦『ユーグ・ド・パイヤン』の後姿。後部甲板に居座る第三砲塔の砲身をこっちに向け、艦隊の先頭を航行している。

 

 ヴリシア帝国へと侵攻した際のテンプル騎士団海軍が保有していた戦艦は、このジャック・ド・モレーだけだった。同じく40cm砲を搭載したソビエツキー・ソユーズ級や、ジャック・ド・モレーの同型艦(妹たち)が運用され始めたのは、転生者が率いる組織同士がぶつかり合ったあの熾烈な戦争の後なのだ。

 

 この戦艦ジャック・ド・モレーは、テンプル騎士団艦隊の旗艦でありながら最前線で戦い続けてきた女傑である。第二次転生者戦争では敵のモンタナ級戦艦との戦いに勝利し、損傷しつつ艦砲射撃を続行。敵の防衛ラインを突破しようとする味方の勝利に貢献している。

 

 一番この戦艦が奮戦したのは、やはり春季攻勢(カイザーシュラハト)の時だろうか。

 

 何発も砲弾や対艦ミサイルを喰らった挙句、敵のビスマルク級戦艦に搭載された大型のレールガンが艦首に直撃し、ジャック・ド・モレーは轟沈寸前まで追い詰められた。しかし、レールガンの一撃で艦首を引き裂かれ、第一砲塔を使用不能にされても、史実のテンプル騎士団団長の名を冠したこの超弩級戦艦は敵の攻撃に耐え続け、ビスマルク級戦艦を撃沈しているのである。

 

 しかも倭国支部艦隊とモリガン・カンパニー艦隊と共に敵艦隊を撃滅してからは、ブレスト要塞を奪還する味方を艦砲射撃で支援するために反転し、再び河へと突入。徹底的なダメージコントロールが実施されていたとはいえ、艦首を破壊されたジャック・ド・モレーは右舷へと傾斜した挙句、10ノット以下での速度でしか航行できない状態だった。

 

 いつ退艦命令が下されてもおかしくない状況だったというのに、ジャック・ド・モレーは味方艦の手を借りずに自力で航行して艦砲射撃を敢行。地上部隊が勝利するのを見届けてから、母港までそのまま自力で帰還したという。

 

 この超弩級戦艦は、テンプル騎士団の力の象徴と言っても過言ではないだろう。

 

 ジャック・ド・モレーの前を航行する戦艦ユーグ・ド・パイヤンは、2つの戦いで大きな戦果をあげたジャック・ド・モレー級戦艦の二番艦だ。武装や外見はほとんど同じだが、テンプル騎士団艦隊の総旗艦となるために設備を拡張されたせいで艦橋が大型化されたジャック・ド・モレーとは違い、あくまでも”打撃艦隊”の旗艦を担当することになるため、そこまで指揮を執るための設備を拡張しなくてもよかったので、艦橋は近代化改修を受けたジャック・ド・モレーと同じという事になっている。

 

 他の姉妹艦もほぼ同じ外見なので、ジャック・ド・モレー以外の艦を見分けるのは難しいのではないだろうか。

 

 ちなみにユーグ・ド・パイヤンは、倭国支部に配備される”第一打撃艦隊”の旗艦となることになっており、今回の合同演習に参加した後は、旗艦の補佐を担当する戦艦”ソビエツカヤ・ウクライナ”と共に倭国支部に留まることになる。

 

 他の姉妹艦たちも、同じように別の艦隊の旗艦となる予定である。

 

「はぁ…………」

 

 魚が釣れたらラウラとナタリアに焼き魚でもご馳走しようと思ったんだが、全然釣れる気配がない。諦めてOSV-96を引っ張り、マズルブレーキの下の釣り糸を外して、折り畳んでから装備している武器の中から解除する。

 

 倭国支部まではあとどのくらいで到着するのだろうか。そう思いながら艦首の方向を見つめ、倭国支部のあるエゾはまだ見えないか確認するが、艦首の方向に見えるのは艦隊の先頭を航行するユーグ・ド・パイヤンのみである。

 

 今回の合同演習は、陸軍と海軍が参加する。最初は空軍も参加予定だったんだけど、本部の航空部隊が参加する予定だったスオミ支部との合同演習の予定が変わり、今回の倭国支部との合同演習と重なってしまったため、空軍はスオミ支部との合同演習に参加することになった。

 

 合同演習で倭国支部の錬度を確認しつつ、実戦経験の少ない彼らの錬度を底上げするというわけだ。ついでに倭国支部の状況も確認するため、俺、ラウラ、ナタリアの3人で視察を行う予定である。

 

 そう、戦勝記念パレードの時と同じメンバーなのだ。

 

 前にこの3人でタンプル搭を留守にしたらフランセンの総督が宣戦布告するというとんでもない事件が起こったので、出来るなら誰かが残るかメンバーを変えようと思ったのだが、ナタリアかラウラに留守番をお願いするのは可哀そうだし、他のメンバーも予定があったらしいので、今回もこの3人で行くしかない。

 

 大丈夫かなぁ…………。

 

 俺たちが不在の間に、もしかしたら今度はモリガン・カンパニーが同盟を破棄して襲撃してくるんじゃないだろうか。あの企業が襲撃して来たら、いくら軍拡中とはいえテンプル騎士団に勝ち目はないだろう。

 

 俺たちがタンプル搭に残っていたとしても勝ち目はないが。

 

 襲撃されませんようにと祈りつつメニュー画面を見ていると、後ろから足音が聞こえてきた。ナタリアだろうか、と潮の匂いと共に鼻孔へと流れ込んでくる甘い匂いでやってくる人物を予想しながら待っていると、俺のすぐ隣に黒い制服と軍帽を身に着けた金髪の美少女が腰を下ろした。

 

 風向きで影響を受けやすいとはいえ、この嗅覚は結構頼りになるものだ。

 

「何してたの?」

 

「釣り」

 

「釣れた?」

 

「全然。魚が釣れたら料理しようと思ってたんだけどさ」

 

 釣れなかったのは残念だが、魚料理なら倭国でも食えるだろう。倭国支部にいる柊の話では、倭国は俺たちが住んでいた前世の世界で言うと日本のような国であり、明治維新の辺りの日本に非常にそっくりだという。文化もそっくりなので、ご飯やみそ汁だけでなく刺身や寿司もあるらしい。

 

 転生してからは日本食を食べることは少なくなってしまったからな。久しぶりに日本食を食べるのも悪くはないだろう。とは言っても、他の転生者と違って別人として転生したせいなのか味覚まで変わってしまっているので、前世の世界にいた頃のように日本食を”美味しい”と感じられるかどうかは分からない。

 

 幼少の頃に親父が作ってくれた日本食は問題なく食えたので、多分大丈夫だとは思うが。

 

「焼き魚?」

 

「まあな。でも倭国に行けば刺身とか寿司が食えるぞ」

 

「スシかぁ…………」

 

 そう言いながら微笑み、甲板の向こうに広がる海を見つめるナタリア。旅をしている最中に寿司を作った時の彼女の事を思い出しつつ、俺も海の向こうを見つめる。

 

 オルトバルカにも魚料理はあるけれど、やっぱり火を通した料理ばかりだった。オルトバルカどころかラトーニウスやヴリシアなどの列強国でも生魚を食べることはないらしく、親父が母さんやエリスさんに初めて刺身や寿司を振る舞った時は、2人ともかなり驚いていたらしい。今では当たり前のように箸を使って刺身を食ってるらしいけど。

 

 なので初めて寿司を目にしたナタリアも、寿司をまじまじと見つめて『う、嘘でしょ? ライスの上に生魚を…………?』と言いながら驚いていた。

 

 今では普通に食べてくれるので、本場に行っても大丈夫だろう。

 

 ちなみにラウラは俺と一緒に定期的に日本食を食べながら育ったので、生魚は問題なく食える。しかも親父が倭国の商人から取り寄せた納豆も美味しそうに食べていた。さすがに母さんとエリスさんは食えなかったみたいだが。

 

「で、でも、今回の目的は視察と合同演習よ? 料理を食べに行くわけじゃないんだから、気を引き締めなさいよねっ」

 

 お前こそ寿司を食うのを楽しみにしてるくせに。

 

 ニヤニヤしつつ空を見上げると、隣に座っていたナタリアがこっちに寄りかかってきた。

 

 いつもはしっかりしているんだけど、こういう時は結構甘えてくるのである。よく甘えてくるのは2人きりになった時で、他のみんなが訓練や偵察任務に行っている時はよく一緒にシャワーを浴びたり、料理を振る舞うのである。

 

 もし甲板の上に他の乗組員たちがいなかったらキスしてただろうな、と思いつつ、彼女と一緒に海を眺めることにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンプル騎士団の倭国支部はエゾと呼ばれる場所にある。北東部にある大きな島であり、倭国の本州とは離れているのだ。なのでここに行くには空を飛んで海を超えるか船を使うしかないのだが、この世界ではまだ飛行機は発明されていないし、飛竜に乗れるのは裕福な資本家や貴族くらいなので、基本的には船を使う人が多いという。

 

 エゾは、前世の世界の日本で言うと北海道だろう。

 

 鎖国を維持しようとした旧幕府軍と、オルトバルカ王国の支援を受けた新政府軍が激戦を繰り広げたボシン戦争で敗北した旧幕府軍の本拠地を、テンプル騎士団の倭国支部として使わせてもらっているのだ。

 

 タンプル搭のように勝手に拠点を作ってしまったわけだが、幸い倭国はオルトバルカ王国の同盟国であり、オルトバルカとはかなり親密な関係にある。なので親父に倭国の新政府からエゾでのテンプル騎士団の活動を認めるように要請してもらい、ちゃんと許可を受ける事ができた。

 

 総督の一件とは違って、こっちは穏便に済んだというわけだ。その代わりに新政府からは”積極的に活動し、国内の治安維持に協力すること”という条件を付けられている。

 

「久しぶりだなぁ」

 

「ふにゅー」

 

 軍港へと入港したジャック・ド・モレーの甲板の上から、倭国支部となった”九稜城(くりょうじょう)”を見つめつつ、ここへと2つ目の鍵を手に入れるために訪れた時の事を思い出す。あの時はボシン戦争の最終決戦の真っ最中で、新政府軍を迎え撃とうとする旧幕府軍の兵士に見つからないように城へと潜入し、天守閣から鍵を拝借してきたのだ。

 

 あの戦い以降は廃城となっていたらしく、誰もここを使う事はなかったという。しかもその戦闘で戦死した兵士たちの血の臭いのせいで周辺の魔物を刺激してしまったらしく、一時期はダンジョンに指定されそうなほどの危険地帯になっていたらしい。

 

 柊たちが辿り着いた頃は、オルトバルカ王国騎士団の掃討作戦が終わってかなり平穏になっていたようだが。

 

 倭国支部は廃城と化していた九稜城を改築して使用しており、まるで戦国時代の頃に建てられたかのような城が、要塞砲が搭載された防壁に囲まれて鎮座している。さすがにタンプル搭のようにでっかい要塞砲は用意されていないらしく、巡洋艦の主砲くらいの大きさの連装砲が、防壁の上に規則的に並べられていた。その防壁だけならば近代的な要塞に見えるんだけど、その奥に戦国時代の頃の城を思わせる建造物が居座っているせいで猛烈な違和感を感じてしまう。

 

 倭国支部の軍港には、倭国支部に所属する艦隊が既に停泊していた。春季攻勢(カイザーシュラハト)に参戦して本部の艦隊を救ってくれたイージス艦『こんごう』と、近代化改修を受けた戦艦『金剛』も停泊しており、甲板の上では真っ白な制服に身を包んだ乗組員たちが、テンプル騎士団本部のエンブレムが描かれた旗を振って出迎えてくれているのが見える。

 

 しかもその戦艦『金剛』の隣には、3隻ほど全く同じ形状の戦艦が並んでいた。同型艦の『比叡』、『榛名』、『霧島』だろうか。どの艦も艦橋の脇に対艦ミサイルのキャニスターやCIWSを搭載されており、近代化改修を受けているらしい。

 

 金剛型戦艦は太平洋戦争でも活躍した戦艦たちである。この異世界の海でも優秀な速度を生かして活躍してくれることだろう。

 

 軍港で出迎えてくれた倭国支部の同志たちが、せっせとタラップを用意してくれる。彼らを見守りながら気を引き締め、タラップを降りる前に深呼吸する。

 

 倭国支部の制服は、まるで旧日本軍の軍服をそのまま黒くしたようなデザインだった。俺たちを出迎えるためにずらりと並んでくれた兵士たちは旧日本軍が採用していた『三八式歩兵銃』を手にしているのが見えるけれど、ここで正式採用されてるのは自衛隊の『89式小銃』の筈である。多分あれは式典用の銃だろう。

 

 ちなみに三八式歩兵銃は、小口径の6.5mm弾を使用する日本製のボルトアクションライフルだ。口径が小さいので他国の銃と比べると攻撃力は劣るものの、命中精度が優秀で、反動もかなり小さかったため、ボルトアクションライフルの中では使い易かったという。

 

 タラップを降りつつ、三八式歩兵銃を抱えて直立している兵士たちに敬礼する。

 

 倭国支部の兵士たちはあのボシン戦争の敗残兵で構成されているという。中には本部から派遣された兵士も混じっているようだけど、倭国支部の兵士の7割は鎖国を続けるために新政府軍に戦いを挑んだサムライの生き残りなのだ。

 

 柊の話では、「新政府軍にもう一度戦いを挑もうとしてた連中を死ぬ気で説得した」という。戦争に敗北しても士気の高い連中を一体どうやって説得したのだろうか。もし時間があったら、彼にその時の話を聞いてみたいものだ。説得する技術も指導者には必要な要素なのだから。

 

 よく見ると腰に日本刀―――――――日本ではなく倭国なので”倭国刀”と言うべきだろうか―――――――を下げている兵士もおり、サムライの生き残りだという事を俺たちに告げている。

 

 しっかりと整列した兵士たちの間を敬礼しながら進んでいると、向こうから黒い制服に身を包み、腰に刀を下げた黒髪の少年がやってくるのが見えた。腰に下げているホルスターの中身は、旧日本軍が採用していた”南部大型自動拳銃”だろうか。

 

「久しぶりだな、同志」

 

「ああ、元気だったか?」

 

「おかげさまでな」

 

 そう言いながら、倭国支部を指揮する支部長の柊は笑った。一番最初に出会った頃は華奢で頼りなさそうな感じの少年だったんだが、ほんの少しだけとはいえ本格的な転生者同士の”戦争”や実戦を経験したからなのか、今の彼は頼もしい指揮官にしか見えない。

 

 兵士たちの錬度も上がっているのだろう。明日の合同演習や陸軍の模擬戦が楽しみだ。

 

「部屋は用意してある。ゆっくり休んでくれ」

 

「感謝するよ、同志」

 

「どういたしまして。…………それにしても、でかい艦じゃないか」

 

 微笑みながら言った彼は、腕を組んでから軍港に停泊するジャック・ド・モレーとユーグ・ド・パイヤンを見つめた。

 

 テンプル騎士団の力の象徴と、その同型艦である。

 

(ユーグ・ド・パイヤン)がこれからお世話になる。頼んだぞ」

 

「おう」

 

 対艦ミサイルのキャニスターと、4連装40cm砲を3基も搭載した化け物である。きっと倭国の周囲の海域で猛威を振るってくれることだろう。

 

 けれども旧日本海軍は強力な戦艦を何隻も保有していた。柊の話では、今後はポイントが溜まり次第旧日本海軍の戦艦を生産し、近代化改修を施して実戦投入していく予定だという。そのうち日本を代表する戦艦である大和も近代化改修を受けて異世界の海を公開することになるのだろうか。

 

 戦艦をどんどん作るのは結構だけど、ホテルにするのは絶対に許さないからな。戦艦として生まれ落ちた以上は、最前線で砲弾をぶっ放してもらわなければならない。

 

 なのでジャック・ド・モレーは、テンプル騎士団艦隊総旗艦でありながら三日に一度は出撃し、魔物の掃討や海兵隊の上陸支援のために艦砲射撃を実施している。力の象徴をホテルにするわけにはいかないからな。

 

「それで、明日の模擬戦の相手は?」

 

「本部の海兵隊を連れてきた。そっちは?」

 

「こっちも海兵隊だ」

 

 明日から始まる合同演習では、本部と倭国支部の共同作戦を想定した訓練だけでなく、海兵隊や陸軍の兵士たち同士での模擬戦も行う予定である。現時点ではテンプル騎士団の中で最も錬度が低いのはこの倭国支部なんだが、彼らはどれほど成長しているのだろうか。

 

 期待してるぞ、柊。

 

 

 

 



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戦艦たちの天敵

 

 テンプル騎士団が現時点で保有している空母は、全部で7隻となっている。

 

 3隻の『アドミラル・クズネツォフ級』空母と、4隻の『キエフ級』空母の2種類だ。

 

 大量の航空機を搭載し、敵艦を轟沈するための対艦ミサイルや、艦隊を脅かす敵機やミサイルを撃墜するための空対空ミサイルを搭載した艦載機をこれでもかというほど解き放つ事ができる空母よりも、強力な主砲を搭載した戦艦や重巡洋艦を重視しているテンプル騎士団の戦術は結構”古い”としか言いようがない。敵艦の装甲に大穴を穿つ戦艦の主砲よりも、爆弾を搭載した艦載機の群れの方が猛威を振るうということは、もう既にアメリカと日本の戦いで立証されているのだから。

 

 あの戦艦大和ですら、無数の航空機が解き放つ爆弾や魚雷の集中砲火には耐え切れなかったのである。最新のミサイルやエンジンを搭載し、更にレーダーに映りにくくなるステルス性まで獲得して進化した現代の戦闘機が、それ以上に猛威を振るうのは火を見るよりも明らかだ。

 

 だからテンプル騎士団の海軍の課題は、”空母の増強”だった。

 

 ジャック・ド・モレーの艦橋で双眼鏡を覗き込み、輪形陣の後方を航行するキエフ級の四番艦『バクー』を見つめる。飛行甲板の上には既に艦載機が待機しており、艦隊の指揮を執るブルシーロフ提督からの出撃命令を待っているようだった。

 

 キエフ級はソ連が保有していた軽空母だ。船体の右側にでっかい艦橋が居座っており、その左隣にはアングルドデッキが伸びている。なので傍から見れば一般的な空母のように見えるんだが、よく見ると飛行甲板として機能するのはそのアングルドデッキのみ。アメリカの空母ならば艦載機を飛び立たせるためのカタパルトを搭載している部分には、空母とは思えないほどの武装がずらりと搭載されている。

 

 更にテンプル騎士団仕様のキエフ級は、船体後部の両サイドにスポンソンを増設して、そこにも速射砲や対空ミサイルを搭載しているため、空母の中でも攻撃的な艦となっているのだ。

 

 空母の増強のため、このテンプル騎士団仕様のキエフ級とアドミラル・クズネツォフ級は更に4隻ずつ増産される予定である。それに、ジャック・ド・モレー級戦艦をベースにした”特殊な艦”も2隻ほど生産予定となっており、その特殊な艦はジャック・ド・モレーが率いる”テンプル騎士団主力艦隊”に編入される予定だ。

 

 テンプル騎士団は、少しずつ大きくなっていた。

 

 まだあの二大勢力には届かないものの、転生者が率いる組織の中ではかなり大規模な組織と言っても過言ではないだろう。

 

「お」

 

 ブルシーロフ提督から出撃命令があったのか、バクーの甲板で出撃準備をしていた艦載機が、ついに飛行甲板から飛び立っていく。

 

 形状はアメリカ軍が採用しているF-22や、ロシアのPAK-FAにそっくりだ。けれども左右へと伸びる尾翼の間から突き出ているエンジンノズルはたった1つだけだったので、俺はすぐにその機体の種類を見破った。

 

 ―――――――あの機体はF-22ではなく、F-35である。

 

 しかもキエフ級に搭載されているF-35は、『F-35B』と呼ばれるタイプの戦闘機である。この機体はF-35の中でも特殊な機体と言えるだろう。

 

 なんと、空を自由自在に飛び回ることができるだけでなく、戦闘機だというのにホバリングしたり、滑走路に垂直に着陸する事ができるのだ。更に従来の戦闘機よりも離陸するために必要な距離が短いので、扱いやすいという利点がある。

 

 戦闘機なのになぜそんな事ができるかというと―――――――F-35Bのエンジンノズルは、真下へと向ける事ができるのである。更に機体に搭載されたリフトファンと呼ばれる部分から強烈な空気を噴射することで、ホバリングすることが可能なのだ。

 

 このような機体は、『短距離離陸垂直着陸(STOVL)機』と呼ばれている。

 

 超高速で飛び回ったりホバリングできるのでかなり便利な機体に思えるかもしれないが―――――――さすがに、全ての戦闘機にこの機能を搭載するわけにはいかない。

 

 ―――――――ホバリングしたり、垂直に着陸するための装備がハンデになってしまうのである。

 

 要するに、ホバリングや垂直に離陸する時以外に使い道がないのだ。なので従来の戦闘機と比べると機動性は劣っているのである。

 

 画期的な戦闘機だけど弱点もあるので、従来の機体とは使い分けなければならないという事だ。なのでF-35Bはキエフ級やジャック・ド・モレー級戦艦をベースにした特殊な艦に艦載機として搭載し、敵艦隊への攻撃や地上にある敵の拠点への攻撃に投入する予定である。

 

 無事に飛行甲板から離陸していくF-35Bたち。垂直尾翼に描かれているテンプル騎士団のエンブレムを見ていると、とん、と後ろから肩を軽く叩かれた。

 

 やけにでかい手だな、と思いつつ後ろを振り向くと、蒼と黒の二色で彩られた制服と軍帽を身に着けた、がっちりとした体格の巨漢が後ろに立っていた。一見すると巨漢の多いオークに見えるかもしれないけれど、オークにしては背が小さい。けれども平均的な身長が2mに達するオークにも負けないほどの威圧感を放っているように思えるのは、彼が大きな戦果をあげてきたテンプル騎士団の誇る名将だからだろう。

 

 彼の名はイワン・ブルシーロフ。テンプル騎士団艦隊の指揮を執る提督である。

 

 オークやハーフエルフに間違えられるほど身体が大きいが、彼の種族は人間だ。ヴリシアの戦いでは艦隊の指揮を執ったウラルの補佐を担当し、吸血鬼たちの春季攻勢(カイザーシュラハト)ではテンプル騎士団艦隊旗艦となったジャック・ド・モレーの艦長を担当。敵艦隊旗艦『ビスマルク』を撃沈し、吸血鬼たちの艦隊を壊滅させるという大きな戦果をあげている。

 

 その後もテンプル騎士団艦隊の指揮を執り、あらゆる戦いに勝利した名将である。

 

「同志団長、そろそろCICへ」

 

「了解」

 

 ブルシーロフ提督と共に、ジャック・ド・モレーのでっかい艦橋を後にする。タラップを降りて狭い通路を進み、大慌てで戦闘配置につく乗組員たちを見守りながら、提督と一緒にCICへと向かう。

 

 タラップを駆け上がり、通路を突っ走っていく様々な種族の乗組員たち。彼らが身に纏っている制服は蒼と黒の二色で彩られており、陸軍や空軍の制服とは違って全員同じデザインなので、テンプル騎士団の中では唯一統一感を維持していた。

 

 これから始まるのは、沿岸部にある敵の拠点を襲撃する事を想定した演習である。まず艦隊からのミサイル攻撃で先制攻撃を実施し、更に先ほど出撃したF-35Bたちが更に攻撃を行って敵の戦力を削る。その後に戦艦の艦砲射撃を実施して沿岸砲台群を撃滅し、本部と倭国支部の海兵隊が上陸して敵の拠点を制圧するのだ。

 

 しかも訓練の最中に、倭国支部の飛行場から無人航空機(UAV)を抜き打ちで出撃させることになっている。彼らには艦隊を攻撃しようとする敵の戦闘機を演じてもらうというわけだ。敵の拠点を攻撃している最中に反撃を受けないというのは絶対にありえないのだから。

 

 それを知っているのは俺たちくらいだろう。

 

 演習の内容を確認しているうちに、ジャック・ド・モレーの広大なCICへと辿り着いていた。

 

 拡張されて更に広くなったジャック・ド・モレーのCICの中には、様々なパネルやモニターが所狭しと並んでいた。様々な色の光を発するパネルやモニターが薄暗いCICの中で煌き、座席に座った乗組員たちがその光が形成する図や数値を凝視している。

 

 改装前と比べると、このCICは1.5倍ほど広くなっているという。場合によってはジャック・ド・モレーが全ての艦隊の指揮を執らなければならないため、指揮を執るための設備は可能な限り拡張する必要があったのだ。

 

 薄暗いCICには、もう既にラウラとナタリアがいた。でっかいモニターに映し出されている映像を凝視している彼女たちの隣に立つと、遅いわよと言わんばかりにナタリアがじろりと睨みつけてきた。

 

 苦笑いしつつ頭を下げ、俺も目の前に設置されているパネルを見つめる。

 

『全艦、攻撃準備完了』

 

「攻撃目標、敵拠点のレーダー及び対空兵器。航空隊が攻撃をした後に艦砲射撃に移る」

 

「了解(ダー)。―――――――ッ!?」

 

 ブルシーロフ提督が下した命令を復唱しようとしていたハイエルフの乗組員が、何の前触れもなく目を見開いた。

 

「どうした?」

 

「に、2時方向より所属不明の航空機が接近中…………!? 提督、こんなの予定には―――――――」

 

「馬鹿者、敵が予定通りに動くわけがなかろう」

 

 腕を組みながらその乗組員を見下ろすブルシーロフ提督。俺やラウラはこの襲撃があるという事を予め知っていたのだが、艦隊の指揮を執るブルシーロフ提督にはこの襲撃は知らせていなかった。

 

 しかし提督は、乗組員たちと違って全く狼狽する気配がなかった。実はこの人も知ってたんじゃないだろうかと思ってしまうほど冷静にパネルを見つめてから、こっちをじろりと見る提督。俺たちが抜き打ちで無人航空機(UAV)を演習海域に突入させるように指示したことを見抜いたのだろうか。

 

 一瞬だけニヤリと笑った提督は、黒と蒼の軍帽をかぶり直してから乗組員に問いかける。

 

「主砲にはまだ装填してないな?」

 

「は、はい。主砲の出番はまだ後でしたので…………」

 

「好都合だ。本艦とユーグ・ド・パイヤンの主砲に”艦対空キャニスター弾”を装填せよ、急げ」

 

「はっ! 第一、第二砲塔、艦対空キャニスター弾装填!」

 

『第一、第二砲塔、艦対空キャニスター弾!』

 

 なるほど、対空ミサイルではなく”あれ”で迎撃するつもりか。

 

 全ての戦艦やスターリングラード級に搭載した砲弾の事を思い出しつつ、俺もニヤリと笑う。まだあの砲弾は戦艦『ソビエツカヤ・ロシア』でテストをしただけだが、そのテストは見事に成功しており、標的を撃墜している。

 

 おそらくジャック・ド・モレー級でも大丈夫だろう。ソビエツキー・ソユーズ級とは違ってこっちの主砲は4連装なのだから、成功率も高い筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板の上に居座る巨大な砲塔が、ゆっくりと旋回を始める。4本も突き出ている4連装砲の砲身が、砲塔の旋回する最中にゆっくりと上へ持ち上げられ、艦の眼前に立ちはだかる海原ではなく天空へと向けられる。

 

 いくら戦艦の主砲が強力とはいえ、空を自由自在に飛び回る航空機に直撃させることは困難としか言いようがない。小回りの利かない巨大な砲塔で、素早い上に小さな標的である航空機を撃墜することはできないのだ。なので航空機の相手は船体にびっしりと搭載された対空機銃や高角砲の仕事とされており、レーダーやミサイルの発達で、航空機を撃ち落とす仕事はCIWSや対空ミサイルに取って代わられていった。

 

 だから、接近してくる航空機に主砲を向けるのは愚の骨頂でしかない。

 

 旧日本軍では対空用の砲弾も開発されたが、アメリカ軍の航空隊を食い止めることはできなかったのである。

 

 しかし―――――――ジャック・ド・モレーとユーグ・ド・パイヤンの主砲に装填された砲弾は、”主砲では航空機を落とせない”という現実を打ち砕く性能を秘めていた。

 

『砲撃準備よし!』

 

『こちらユーグ・ド・パイヤン。こちらも砲撃準備よし、いつでもどうぞ』

 

 敵の航空機へと向けられた砲口の数は合計で16門。ジャック・ド・モレーとユーグ・ド・パイヤンの前部甲板に搭載された2基の4連装砲がほぼ同時に火を噴くのだから、40cmの巨大な砲弾が16発も敵機に牙を剥くという事になる。

 

 もし標的が沿岸砲台群だったのならば、沿岸部は火の海と化していただろう。

 

 しかし装填された砲弾は、地上や敵艦を火の海にするのではなく、空を炎で埋め尽くす事ができる特殊な砲弾なのだ。

 

「――――――撃て(アゴーニ)ッ!」

 

 CICでモニターを睨みつけていたブルシーロフ提督が発射命令を下した直後、史実のテンプル騎士団の団長の名を冠した超弩級戦艦の主砲が、倭国の海の上で火を噴いた。

 

 砲弾と共に躍り出た爆炎が真下の海面を紅く染め、衝撃波がその海面を抉る。衝撃波であっという間にズタズタにされた海面を置き去りにして飛翔していくのは、獰猛な4連装砲たちから解き放たれた合計16発もの特殊な砲弾たちだった。

 

 虎の子の超弩級戦艦たちがが居座る輪形陣を置き去りにし、天空に風穴を穿ちながら飛翔する砲弾たち。彼らが起爆して役目を離すことになる”終着点”には、それを探知したレーダーの反応通りに、演習海域へと乱入した余所者が居座っていた。

 

 たった3機で編隊を組み、艦隊へと一直線に進んでいく無人航空機(UAV)たちである。

 

 数秒後に、その標的たちは2隻の超弩級戦艦から放たれた砲弾の餌食となるのである。

 

 4連装砲から放たれた砲弾が通常の砲弾だったのならば、そのまま接近してくる無人航空機(UAV)の隣をすり抜け、炸薬に与えられた運動エネルギーを使い果たして、海面を穿つ羽目になっていただろう。いくら近代化改修を施してレーダーを搭載し、敵のミサイルを迎撃できるほどの命中精度を手に入れたとはいえ、主砲で小さな航空機を迎撃するのは至難の業だ。

 

 だが―――――――それを実現するテストには、ソビエツカヤ・ロシアが既に成功している。

 

 そう、結果は既に出ているのだ。散々戦艦に爆弾や魚雷を叩き込んだ天敵に、一矢報いるどころか、逆に彼らを脅かしてしまうほどの最高の結果が。

 

 無人航空機(UAV)たちがその砲弾の群れの隣を素通りしようとするよりも先に―――――――16発の砲弾たちが、立て続けに膨れ上がった。

 

 敵機を撃墜する前に立て続けに自爆してしまった砲弾たち。爆風で敵機の撃墜を狙っていたのであれば、近接信管の故障としか言いようがないほど、肝心な爆風と敵機の距離は離れ過ぎていた。荒れ狂う獰猛な爆風に呑み込まれれば航空機は間違いなく粉砕されてしまうだろうが、その荒々しい爆炎は標的を飲み込む事ができず、悔しそうに標的の装甲を紅い光で照らしている。

 

 その爆炎を、炸裂した砲弾の中から生まれ落ちた無数の小型の砲弾たちが食い破った。

 

 炎を纏いながら、標的の眼前へとばら撒かれた小さな砲弾たち。まるで火山から飛び出したマグマの飛沫のように紅い残光を残しながら飛翔した小型の砲弾たちは、内蔵された近接信管が標的を感知できる距離まで飛翔してから―――――――無数の爆炎で、青空を蹂躙した。

 

 ばら撒かれた砲弾の一発一発が爆発し、他の爆発と結びついて爆炎の防壁を形成する。戦艦の主砲が当たるわけがないと高を括っていた標的たちは、その爆炎の中へと突っ込む羽目になってしまう。

 

 小型とはいえ、戦闘機の主翼を捥ぎ取ってしまうほどの威力の爆風を浴びる羽目になった標的たちは、あっという間に爆風に表面の装甲を引き剥がされ、融解する装甲の破片を空に撒き散らしながら、ぐるぐると回転しつつ墜落していった。

 

 ジャック・ド・モレーとユーグ・ド・パイヤンの主砲から解き放たれたのは、旧日本軍が使用していた”三式弾”と呼ばれる砲弾をベースにタクヤが生産した、”艦対空キャニスター弾”と呼ばれる砲弾である。

 

 無数の炸裂弾を内蔵した砲弾を発射し、それを敵機の眼前で起爆させて炸裂弾をばら撒くことで爆風の壁を生み出し、高速で飛行する敵機を撃墜するのである。炸裂弾は広範囲にばら撒かれる上に、内蔵されている一発一発に近接信管が搭載されているので、敵機に接近すればたちまち起爆して爆炎の壁を形成するのだ。

 

 爆炎が猛威を振るう範囲が広いため、いくら戦闘機でも回避するのは極めて困難である。

 

 この砲弾を戦艦やスターリングラード級に装備すれば、航空機やミサイルを瞬時に迎撃することが可能になるだろう。

 

「ひょ、標的の撃墜を確認!」

 

 CICで乗組員が叫んだ瞬間、モニターを見つめていた乗組員たちが歓声を上げた。

 

 戦艦の主砲が、航空機(天敵)に一矢報いるどころか木っ端微塵に粉砕してしまったのである。

 

 合同演習の真っ最中であるにもかかわらず歓声を上げる乗組員たちを微笑みながら見守っていたブルシーロフ提督は、抜き打ちでの襲撃というプレゼントを用意していたタクヤに最高のお返しをしてニヤリと笑うと、「さあ、演習を続けるぞ」と言いながら腕を組むのだった。

 

 

 

 

 

 



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戦車部隊の訓練

 

 すらりと横に並んだ戦車たちの主砲が、立て続けに火を噴く。

 

 歩兵の持つライフルとは比べ物にならないほど巨大な砲口から飛び出した砲弾たちは、身に纏っていたサボットを脱ぎ捨てて飛翔すると、用意されていた的たちを正確に撃ち抜き、猛烈な運動エネルギーで木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう。

 

 砕かれた的の破片が舞い上がるのを双眼鏡で見守りながら、俺たちは倭国支部の兵士たちの錬度が上がっていることを実感していた。

 

「静止している標的とはいえ、全弾命中とはな」

 

「あんたらに比べたら実戦経験は浅いが、毎日猛特訓してるからな」

 

 倭国支部を率いる柊も、双眼鏡を覗き込みながら誇らしげにそう言った。

 

 倭国支部に配備されている戦車は自衛隊で採用されている車両ばかりだ。大半は『74式戦車』で構成されているものの、砲撃訓練をしている戦車の中には新型の『90式戦車』と『10式戦車』も紛れ込んでいるのが分かる。

 

 90式戦車は日本で開発された新型の戦車であり、74式戦車の主砲よりも強力な120mm滑腔砲を搭載している。74式戦車の主砲である105mmライフル砲よりも使用できる砲弾の種類が多く、口径も大きいので攻撃力は強化されていると言ってもいいだろう。

 

 けれども90式戦車の特徴は、攻撃力だけではない。アメリカが誇るエイブラムスやドイツのレオパルトに匹敵する火力を持っているだけでなく、非常に高い命中精度を誇っているのである。高い火力をほぼ確実に命中させられることがどれだけ大きな利点なのかは言うまでもない。

 

 更に自動装填装置を搭載しているため、乗組員は車長、操縦手、砲手の3名のみである。

 

 その90式戦車と共に射撃訓練をしているのは、同じく日本製の新型戦車である10式戦車たちだ。

 

 10式戦車も自衛隊で採用されている戦車で、こちらも乗組員は3名のみとなっている。アメリカのエイブラムスと比べると小ぢんまりとしていて華奢に見えてしまうが、90式戦車と同じく火力と防御力と非常に高い命中精度を兼ね備えた、優秀な戦車なのである。

 

 相変わらず倭国支部の戦車の大半は74式戦車となっているものの、最終的には90式戦車と10式戦車に行進する予定らしい。

 

「戦車の数が増えたな」

 

「まあな。やっぱり戦車は必須だよ」

 

「だろうな…………」

 

 この異世界で勃発した”転生者戦争”や、大損害を被る羽目になったあの春季攻勢(カイザーシュラハト)でも、戦車がどれだけ必要な存在なのかは痛感した。強力な主砲や機関銃を搭載して敵兵を薙ぎ払い、分厚い装甲で敵の攻撃から身を守りつつ強引に進撃できるあの怪物は、陸軍や海兵隊からすれば必需品としか言いようがない。

 

 戦車がない状態で「進撃せよ」と命令するのは、兵士たちに死ねと言っているようなものである。

 

「ふにゅー…………本部の戦車よりも小さいんだね」

 

「あの戦車って、確かタクヤが転生する前にいた”ニホン”っていう国の戦車なんでしょ?」

 

「そうだよ」

 

 確かに倭国支部で採用されている90式戦車や10式戦車は、本部で採用されているT-90や、これでもかというほど火力を底上げされたチョールヌイ・オリョールと比べると小柄に見えるかもしれない。けれども搭載されている装備は最新鋭と言っても過言ではないし、小柄な戦車とは思えないほど高い火力と防御力を持っているのである。

 

 2人にも説明した方がいいかな、と思いながら双眼鏡から目を離したその時、訓練場の中へと別の戦車部隊がやってくるのが見えた。倭国支部の戦車たちよりも大型の車体の上に乗っているのは、まるで半分に切り取った円盤の後ろに戦車の砲塔の後部を取り付けたかのような砲塔が特徴的な、チョールヌイ・オリョールの群れであった。

 

「でかっ…………!」

 

 一般的な120mm滑腔砲よりも巨大な152mm滑腔砲を搭載してしまったせいで砲塔が大型化しただけでなく、防御力の底上げのために若干車体を大型化して複合装甲を増設したせいで、10式戦車と比べると超重戦車にも見えてしまう。

 

 キャタピラとエンジンの音を響かせながら訓練場へと乱入してきた6両のチョールヌイ・オリョールを目の当たりにした柊は、ぎょっとしながら双眼鏡を覗き込んだ。

 

 敵の超重戦車を撃破することを想定して改造した戦車なんだが、コストが高すぎるので、コストの低いT-72B3やT-90と一緒に運用している。なので本部の全ての部隊にチョールヌイ・オリョールが支給されているわけではないのだ。

 

 最初は倭国支部にもチョールヌイ・オリョールを配備する予定だったんだが、倭国支部は本部とは違って周囲を海に囲まれており、ここを襲撃するにはまず上陸しなければならない事と、山が多いせいで大型の戦車の運用には適さないことが分かったため、小柄で重量の軽い日本製の戦車を配備するのが最適という事になり、日本製の戦車たちが配備されるようになったのだ。

 

 なのでここには、虎の子のシャール2Cは配備されていない。

 

 ちなみにスオミ支部はかなりの量の雪が降るせいで、重い戦車を走らせればあっという間に雪の中に埋まってしまって使い物にならなくなってしまうので、スオミ支部にもシャール2Cは配備されていないのだ。

 

 おかげで本部は、初期型の10両と増産された後期型の10両を全部運用している。

 

 訓練場に現れたチョールヌイ・オリョールたちも10式戦車たちの隣に並ぶと、新たに用意された的へと照準を合わせ始める。隣の10式戦車の砲塔から顔を出し、巨大な砲塔を持つチョールヌイ・オリョールを見つめて目を丸くしている倭国支部の車長を見つめた俺は、152mm滑腔砲が火を噴くのを見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁー…………」

 

 上着を壁にかけて赤いネクタイを外し、座布団の上に腰を下ろす。右肩を回しつつメニュー画面を開こうとした俺は、久しぶりに床を覆っている畳を目にした事に気付き、懐かしさを感じた。

 

 そういえば、こうやって畳の上に敷かれた座布団に座るのは前世の世界以来だな…………。

 

 俺とラウラとナタリアのために用意された部屋は、まるで旅館の中を彷彿とさせる広い和室だった。床は綺麗な畳で覆われていて、壁には掛け軸もある。本部の部屋と違ってドアはなく、ドアの代わりに襖が用意されていた。

 

 確か、前世の世界でお世話になった母さんの実家の部屋もこんな感じの和室だった。まだ母さんが生きていた頃、夏休みに祖父と祖母の家に泊まりに行ったことを思い出しながら、和室の壁に掛けられている掛け軸を見つめる。あの掛け軸に描かれているのは倭国のサムライなのだろうか。

 

「それにしても、代わったドアよね」

 

「ふにゅう…………椅子じゃなくてこれの上に座るんだね」

 

 …………俺は前世の世界でこういう空間で生活していたことがあったから慣れてるけど、ナタリアとラウラは生まれて初めて和室で生活することになったわけだから慣れていないのだろう。

 

 彼女たちはちゃんと休む事ができているのだろうか。

 

 倭国支部はタンプル搭と違い、大口径の要塞砲を配備しているわけではない。衝撃波を考慮しなければならないほどの要塞砲がないので、格納庫などの設備は地上にも用意されているのだ。ただ、敵の攻撃で被害を受けることを防ぐために、兵士たちや住民が生活している居住区や指揮を執るための指令室などの重要な設備は地下に用意されており、分厚い装甲で守られている。

 

 なのでこの部屋も地下に作られている。もちろん窓はないので閉鎖的な感じがしてしまうかもしれないけれど、タンプル搭の部屋よりもスペースがあるせいなのか、むしろ解放感を感じてしまう。

 

 部屋にはキッチンがないので食事は食堂に行くしかないが、部屋には小さな浴室が備え付けられているし、大浴場もある。住み心地の良い場所なので、ここがテンプル騎士団の支部の1つだという事を忘れてしまいそうだ。

 

 俺の隣に座布団を敷き、その上に腰を下ろすナタリアとラウラ。けれども正座をした事がないので不慣れらしく、時折身体を揺らしたり、顔をしかめて足を延ばしている。

 

 別に正座しなくてもいいのに…………リラックスできないだろ、それじゃ。

 

「あ、あんた、何で平然とセイザできるのよ…………」

 

「前世で経験済みですもの」

 

「ふにゅー…………普通に座っちゃダメ?」

 

「別に大丈夫だよ。リラックスできればいいんだから」

 

 そう言うと、ナタリアとラウラは安心しながら正座を止め、どういうわけか俺の身体に寄り掛かりながら座り始めた。多分寄り掛かってきたのはわざとだと思う。

 

「あ、そうだ。そろそろ夕飯を食べに行くか」

 

「ふにゅ、そうだね。お姉ちゃんお腹空いちゃった♪」

 

 この合同演習は5日間も行われる。もちろん視察にやってきた俺たちもその合同演習を視察しなければならないので、もう少しこの倭国支部に滞在する必要があるのだ。

 

 ちなみに今日は、演習が始まって2日目である。3日目は砲兵隊の訓練がメインになる予定だ。

 

 本部の兵士と倭国支部の兵士の模擬戦は、最終日に行われる。

 

 メニュー画面を着替えて服装を選択し、転生者ハンターのコートからテンプル騎士団の黒い制服に着替える。部屋を後にする前に洗面所の鏡の前で服装を確認してから、頭の上に略帽をかぶった俺は、自分の服装に猛烈な違和感を感じた。

 

 いつもは私服か転生者ハンターのコートばかり着ているせいで、テンプル騎士団の制服を身に纏った回数はまだ数回のみなのだ。

 

「ふにゅ、珍しいね」

 

「何か違和感を感じちゃうわ」

 

 ナタリアさん、違和感を感じてるのは俺もです。

 

 自分の服装に違和感を感じながら部屋を後にする。部屋のドアにちゃんと鍵をかけたことを確認してから、2人を連れて食堂へと向かう。倭国支部の通路はしっかりと整理されていて、まるで戦国時代の城の中のような雰囲気を放っていた。

 

 タンプル搭の通路は壁や天井から配管とかケーブルが剥き出しになっているので、倭国支部のようにすっきりしているわけではない。

 

 できれば改善したいところなんだけど、タンプル搭の設備を作ってくれたドワーフの職人たちにとっては地下に大規模な施設を建造するのは初の試みだったらしく、各所に魔力や蒸気を伝達する配管やケーブルを壁の中に埋めてしまうと通路が狭くなってしまうため、妥協して剥き出しにするしかなかったらしい。

 

 あそこで失敗した点を熟知した職人を派遣して倭国支部の設備を作ってもらったのだから、すっきりしているのは当たり前である。

 

 しばらく通路を歩いていると、やけに大きな襖が通路の向こうに見えてきた。襖の前にある段差の前には兵士たちが履いていた靴やブーツがずらりと並んでおり、もう既にかなりの人数の先客がそこを利用していることが分かる。

 

 タンプル搭の食堂では靴を脱ぐ必要がないので、このような光景はお目にかかれないのだ。

 

「あ、そうか。靴は脱がないといけないのね」

 

「そういうこと」

 

 食堂に入る前に靴を脱ぎ、隅に並べておく。ナタリアたちが靴を脱ぐのを見守っていた俺は、ナタリアの制服のデザインがいつの間にか変わっていることに気付いた。

 

 前まで彼女の制服は黒い上着とズボンだったんだが―――――――いつの間にかズボンではなく、黒いスカートに変わっていたのである。しかもスカートはちょっとばかり短めなので、よく見るとナタリアの白い太腿があらわになっていた。

 

 な、何でスカートにしたんだろうか。

 

「お前制服変えた?」

 

「えっ? …………あ、ああ、そうよ。スカートにしてみたの。どうかしら?」

 

「滅茶苦茶に合ってるよ。可愛いと思う」

 

「…………あ、当たり前じゃない」

 

 少しだけ顔を赤くしながら脱いだ靴を端に並べるナタリア。並べ終えた彼女は満足そうにしながら襖を開けると、一足先に食堂の中へと入っていった。

 

 倭国支部の食堂は本部よりも広い。本部のように敵の大規模な襲撃を想定して戦闘用の設備を建造したり、大規模な研究設備が建造されているわけではないので、その分のスペースをこうして兵士たちや住民たちの居住区に使っているのだ。だから本部よりもゆったりとしているし、解放感もある。

 

 快適さを改善しないと、人員がどんどん倭国支部に異動を希望し始めるんじゃないだろうかと考えながら、俺もラウラを連れて食堂へと入り、開いている席に腰を下ろした。

 

 本部はテーブルと椅子が用意されているんだが、倭国支部の場合はテーブルと座布団が用意されており、床は畳で覆われている。だからなのか、和食の匂いと畳の匂いが混ざり合って、前世の世界でお世話になった祖父と祖母の家を思い出してしまう。

 

 身体が別人になり、味覚や親しんだ文化が変わってしまっても、前世の記憶のおかげでこういう空間にいると懐かしさを感じてしまうのだ。

 

 先に食事をしていた兵士の大半は人間で、当たり前だけど東洋人ばかりだった。倭国は長い間人間のみで構成されていた国なので、エルフなどの他の種族は住んでいなかったのである。

 

 食事をしている兵士たちの階級はバラバラだった。二等兵や伍長だけでなく、少佐や大佐のように階級の高い指揮官も一緒に食事をしている。中には信じられないことに、二等兵たちと一緒に雑談をしながら食事をしている准将や少将もいた。

 

 かなり広い食堂だけど、倭国支部にある食堂はここだけで、将校用の席が用意されているわけでもないので、必然的に前線で戦う兵士たちと指揮を執る将校が同じテーブルで飯を食うのが日常茶飯事になるというわけだ。こうすることで将校たちは前線の兵士たちとコミュニケーションを取ることができるし、逆に兵士たちも自分たちを指揮する将校がどういう人間なのかを知る事ができて、より連携がとり易くなる。

 

 これは本部やスオミ支部と同じ仕組みだ。本部でも将校や兵士たちは同じ食堂で食事をしているのである。

 

 メニューを手に取り、ラウラとナタリアの前に置く。メニューは倭国語とオルトバルカ語で書かれているから、2人でも分かる筈だ。

 

「何にする? 俺は天ぷら蕎麦で」

 

「テンプラ? ああ、フライみたいな料理ね」

 

「ふにゅー…………あっ、それじゃあ私も天ぷら蕎麦にしようかなぁ♪」

 

「お揃いだな」

 

「うんっ♪」

 

「ナタリアは?」

 

「うーん…………せっかくだし、私もそれにしようかしら」

 

 天ぷら蕎麦3つだな。

 

「すいませーん!」

 

「はーい! …………あっ、団長さん! お疲れ様です!」

 

 エプロンを身に付けながらやってきたのは、数ヵ月前に本部から倭国支部へと異動になったエルフの男性だった。本部にいた頃は本部の食堂で勤務していたんだが、倭国の食文化に興味を持ったらしく、倭国への異動を希望したのでこちらへと異動させたのである。

 

「調子はどう?」

 

「ええ、楽しいです。倭国の文化は列強国と大きく異なるので。…………それで、ご注文は?」

 

「天ぷら蕎麦を3つ頼む」

 

「はい、かしこまりました!」

 

 大きな声でそう言ってから敬礼し、踵を返して厨房へと戻っていくエルフの男性。厨房で調理をしている先輩に注文を伝えてから、すぐに別のテーブルへと向かう彼を見送った俺は、前世の世界とこっちの世界の天ぷら蕎麦は同じ味なんだろうかと考えつつ、食堂の天井を見上げるのだった。

 

 

 

 



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合同演習最終日

 

 倭国支部との合同訓練は、今日で4日目だ。

 

 4日目の訓練は主に狙撃兵の訓練や室内への突入の訓練となっており、そのような戦いの経験が少ない倭国支部の兵士たちを本部の兵士たちが指導することになっている。

 

 倭国支部の部隊には海兵隊もあり、あの春季攻勢(カイザーシュラハト)の最終局面で参戦しているので一部の兵士は大規模な戦闘を経験しているんだが、それ以外の兵士は魔物の討伐や盗賊の殲滅などの簡単な任務を経験している程度なので、演習で錬度を上げつつあるとはいえ、本部の兵士たちとの錬度の差は未だに大きいと言える。

 

 89式小銃を構えた兵士たちが、窓の中へと安全ピンを外したスモークグレネードを投擲する。ごとん、とスモークグレネードが床に激突し、白煙を吐き出し始めたのを確認すると、戦闘の兵士がすぐさまドアを開け、仲間たちと共に突入していった。

 

 スペツナズと比べるとぎこちないな、と思いつつ、俺は隣で腕を組んでいる柊と一緒にその様子を見守っていた。室内へ突入する訓練を受けているのはあの春季攻勢(カイザーシュラハト)にも参加した倭国支部の海兵隊で、現時点では倭国支部の部隊の中で一番錬度が高いと言われている。

 

 訓練用の建物の中から響いてくる銃声。白煙の中でうっすらと光るマズルフラッシュ。やはりライフルに使っている弾丸の光景が小さいからなのか、本部で採用されているAK-15やテンプル騎士団仕様のAK-12と比べると、どちらも控えめだった。

 

 テンプル騎士団では正式採用するライフルに7.62mm弾を使用するようにしている。魔物の中には硬い外殻で守られているものもおり、口径が小さい銃弾だと弾かれてしまう恐れがあるからだ。なのでより破壊力のある大口径の弾丸でなければ、外殻もろとも撃ち抜くことはできないのである。

 

 これはあのモリガンの傭兵たちが実証したことである。アラクネなどの外殻を持っている魔物に5.45mm弾を放っても、外殻で覆われていない頭以外には弾かれてしまったという。

 

 頭を正確に狙えば倒せるのだから頭を狙えばいいのかもしれないが、基本的に魔物は群れで襲い掛かってくるケースが多い。無数の魔物が押し寄せてくる状況で、正確に頭を狙って狙撃できる余裕があるわけがない。

 

 なので胴体の外殻を食い破り、風穴を開ける事ができるように大口径の弾丸を使用することが望ましいのだ。それに魔物との戦いだけでなく、対人戦でもこのストッピングパワーは猛威を振るう。小口径の弾丸よりも殺傷力が高いので、被弾した敵を”より確実に殺せる”のだから。

 

 けれども倭国支部で使っているのは、西側のアサルトライフルで使用されている小口径の5.56mm弾だった。

 

 反動が小さい上に命中精度も高い、非常に扱いやすい弾丸である。

 

 対人戦では問題ないだろうが、魔物との戦闘では火力が足りないのではないだろうかと心配になってしまうが、現時点では問題はないらしい。それに倭国に生息する魔物の大半は獣のような魔物ばかりで、本部の周囲に生息している魔物のように外殻を持つ魔物が少ないので、数名の兵士たちで集中砲火をぶちかませば討伐は難しくないという。

 

 できるならば組織で使う銃や弾薬は統一したいところだが、倭国支部にも事情があるのだろう。

 

 部屋の中の制圧を終えた兵士たちが、まだ薄れた煙が漂っている建物の中から顔を出す。使い終えたライフルからマガジンを外し、安全装置(セーフティ)をかけてから建物から出ていく兵士たち。彼らを見守ってから双眼鏡から目を離した俺は、隣にある射撃訓練場へと向かうことにした。

 

 ちょっと射撃訓練場に行ってくる、と告げてから、俺はメニュー画面を開いてAK-15を装備しつつ射撃訓練場へと向かった。

 

 射撃訓練場で俺も射撃訓練をしようかなと思ってたんだが、どうやら既に先客が利用している最中らしく、訓練場の中からは銃声とボルトハンドルを引く音が聞こえてきた。

 

 射撃訓練場で訓練をしていたのは、旧日本軍の軍服をそのまま黒くしたような制服に身を包んだ、倭国支部の狙撃兵たちだった。中には数名ほど本部の狙撃兵も混じっており、倭国支部の兵士たちに狙撃の指導をしている。

 

 本部の狙撃兵は全員ラウラの教え子たちだ。

 

 テンプル騎士団の狙撃兵は観測手(スポッター)と二人一組で行動することになっており、狙撃手の支援が必要な場合は、支援を要請していた部隊に一時的に貸し出されることになる。ラウラから指導を受けた狙撃兵たちは優秀な者が多いらしく、狙撃の精度も非常に高いため、陸軍や海兵隊からは非常に頼りにされているという。

 

 どこか空いてる場所はないかな、と思いつつ、ちらりと兵士たちの銃を確認する。

 

 倭国支部で使用されているスナイパーライフルは、旧日本軍が使用していた『九九式狙撃銃』と呼ばれるライフルだった。旧日本軍が正式採用していた”九九式小銃”にスコープを搭載してスナイパーライフルに改造した代物なんだが、なんとこの銃のスコープはライフル本体の上部ではなく、後方から見て左斜め上に搭載されている。

 

 旧日本軍が使用していた『三八式歩兵銃』の弾薬よりも口径の大きな7.7mm弾を使用するため、破壊力ではこちらの方が上になっているのだ。

 

 搭載しているのはスコープのみのようだが、中には狙撃用のライフルであるにもかかわらず、どういうわけか銃剣を装着して狙撃している猛者もいる。こいつは狙撃したら突っ込むつもりなんだろうか。というか、どうしてテンプル騎士団の兵士は白兵戦を好むんだろうか。

 

 信じられない話かもしれないが、テンプル騎士団が採用している銃の大半には銃剣が装着できるように改造が施されており、その気になればLMGやスナイパーライフルどころか、重機関銃にも銃剣を装着して白兵戦を行う事が可能になっている。アサルトライフルや一部のSMG(サブマシンガン)だけで十分だろうと思ってたんだが、色んな銃に銃剣が装着できるようにしてほしいという要望が非常に多かったのは予想外だった。

 

 どうやらここも同じらしいな…………。

 

 射撃訓練をする狙撃兵たちを苦笑いしながら見守っていると、一番端で女性の兵士が狙撃をしていることに気付いた。

 

 彼女は柊たちと一緒に転生してきた転生者の『青木千春(あおきちはる)』。倭国支部に所属する3人の転生者のうちの1人で、狙撃を得意とするスナイパーである。本部で保護していた頃は三八式狙撃銃にスコープを搭載した代物を使っていたんだが、今はより大口径の九九式狙撃銃を使っているらしい。

 

 現代のライフルと比べると旧式とはいえ、優秀な銃だからな。

 

 彼女の狙撃を見守りつつ、メニュー画面を開いてカスタマイズの項目を開き、AK-15の銃身をちょっとばかり延長しておく。メニュー画面を閉じて伸びた銃身を確認しているうちに、地面に伏せた状態でライフルを構えていた千春が発砲。彼女が放った7.7mm弾はマズルフラッシュを突き破ると、射撃訓練場の向こうにある的を正確に貫いた。

 

 距離は500mくらいだろうか。辛うじてアサルトライフルでも反撃できる距離だが、彼女の放った弾丸が直撃したのは人型の的の頭部。あれが人間なら標的は即死である。しかも肺や心臓のある部位には既に風穴が開いており、その気になれば急所を正確に撃ち抜けるという事を告げていた。

 

「やるな」

 

「え? あっ、団長」

 

 ボルトハンドルを引いていた千春は、ライフルから躍り出た薬莢が床に転がると同時にこっちを見上げた。さすがに彼女のライフルには銃剣は装着されておらず、代わりにバイポッドが装着されている。どうやら彼女はまともな人らしい。

 

「どのくらいの距離まで狙える?」

 

「今は800mが限界ですね…………」

 

 旧式のライフルで800m先の標的を狙えるってのか? なら、彼女に新型のライフルを渡せば1km先の標的を当たり前のように撃ち抜けるのではないだろうか。

 

 ボルトハンドルを引き、クリップで束ねた5発の7.7mm弾を装填する千春。AK-15を背負いながら彼女の訓練を見守っていると、射撃訓練場のドアが開く音が聞こえてきた。誰かが狙撃の訓練にでも来たんだろうかと思っていると、鼻腔に石鹸と花の香りを混ぜ合わせたような甘い香りが流れ込んできて、すぐに入ってきた人物が誰なのかを察した。

 

 そう、吸血鬼たちから”鮮血の魔女”と呼ばれていた、腹違いの姉のラウラである。教え子たちの様子を見に来たのだろうか。

 

「おう、ラウラ」

 

「ふにゅ? タクヤも訓練するの?」

 

「ああ。俺もちょっと訓練しようかなと思って」

 

「えへへへっ、小さい頃からタクヤは努力家だねぇ♪」

 

 そう言いながら近くにやってきて、少しばかり背の高い俺の頭を撫で始めるラウラ。撫でるのを止めた彼女は、背中に背負っていた九九式狙撃銃―――――――誰かから借りたのだろうか―――――――を構えたまま千春の隣に伏せると、スコープではなくフロントサイトとリアサイトを覗き込んだ。

 

 九九式狙撃銃はスコープを左斜め上に搭載しているだけなので、アイアンサイトはそのまま残っているのだ。なのでスコープとアイアンサイトを瞬時に使い分ける事ができるという利点がある。

 

 スコープを覗き込まずにアイアンサイトを覗き込み、トリガーを引くラウラ。鋭くなった彼女の紅い瞳に見据えられた500m先の標的に風穴が開くとほぼ同時に、ラウラはボルトハンドルを引いて次の狙撃の準備を終える。キンッ、と空の薬莢が地面に落下する音が聞こえてくる頃にはトリガーを引き、産声を上げようとしていた金属音を銃声で粉砕してしまう。

 

 弾丸が飛び込んだのは、ラウラが標的の頭の部分に開けた風穴だった。弾丸が風穴の縁に微かに掠める音を生んだ頃には、ラウラはまたしてもボルトハンドルを引き、狙撃の準備を終えていた。

 

 装填されていた全ての弾丸を的の風穴へと叩き込み、次のクリップを装填するラウラ。同じように的の風穴へと弾丸を正確に叩き込み、次のクリップへと手を伸ばす。

 

 いつの間にか、周囲で訓練をしていた倭国の狙撃兵や彼女の教え子たちが、呆然としながらラウラの狙撃を見つめていた。

 

 旧式のボルトアクションライフルで、スコープを使わずに500m先の標的の風穴に何発も弾丸をお見舞いするのは離れ業としか言いようがない。けれどもラウラはその気になれば2km先の標的にも同じことをするだろう。

 

 あの親父も、訓練中のラウラを見ながら「狙撃の技術ならば俺を超えている」と認める程なのだから。

 

 やがて20発の弾丸を放ち終えたラウラは、ライフルを持ってゆっくりと立ち上がった。

 

 彼女が20発の弾丸を撃ち尽くすのにかかった時間は1分ほど。もちろん弾丸は全て500m先の標的の頭部に穿たれた風穴を通過しているので、それ以外の場所に風穴は開いていない。

 

 しかもこんな技術を持つ狙撃手が、氷の魔術を応用して自分の姿を消した状態から狙撃してきたり、味方に敵の攻撃が飛来する方向や着弾予定の時間を教える事ができる能力を持っているのである。しかも吸血鬼と同じく再生能力まで持っているので、もし仮に狙撃で反撃されてもすぐに再生して弾道から敵の狙撃してきた地点を特定して反撃できるというとんでもない狙撃手だ。

 

 この世界では最強の狙撃手と言っても過言ではないだろう。

 

「ふう…………ふにゅ? みんなどうしたの?」

 

 いつの間にか他の兵士たちが狙撃を止め、ラウラの離れ業に注目していたことに気付いたラウラ。小さい頃から当たり前のようにこんなことばかりやってきたからなのか、ラウラは自分のやったことが離れ業としか言いようがないという事に気付いていないらしい。

 

 首を傾げた彼女は、ライフルを借りていた倭国支部の兵士にそのライフルを返すと、俺の近くへとやってきた。

 

「ねえねえ、どうだった?」

 

「すごいな。全弾命中だったぞ」

 

「えへへへっ♪」

 

 彼女を褒めながら頭を撫でると、まるで飼い主と楽しそうに遊ぶ犬のように、ラウラはミニスカートの中から伸びている尻尾を左右に振り始めた。彼女がこのように尻尾を左右に振るのは満足している証拠で、機嫌が悪い時は尻尾を縦に振るのである。

 

「す、すげえ…………」

 

「何なんじゃ、あの子は…………」

 

「信じられん…………本部にはあんな狙撃手がいるのか」

 

 甘えているラウラを見つめながらそう言う倭国の兵士たち。隣でラウラの狙撃を見ていた千春も、俺に甘えているラウラを目を見開きながら見上げていた。

 

「…………私も負けてられないわ」

 

 そう言って近くにあるクリップを掴み、自分のライフルに装填する千春。スコープを覗き込んだ彼女はまたしてもトリガーを引き、標的に風穴を開け始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、合同演習の最終日となった。

 

 今日の演習の内容は、倭国支部の部隊と本部の部隊による模擬戦である。20人で編成された部隊で、市街戦を想定した訓練場の中で模擬戦を行うのだ。ルールはどちらかのチームを全滅させた方が勝利で制限時間は無制限。戦車やヘリなどの兵器の使用は禁止なので、歩兵たちの技術が要求される。

 

 敬礼している兵士たちを見渡しながら、俺も敬礼をした。

 

 本部の兵士たちが身に着けているのはいつもの黒い制服で、制服の上にはボディアーマーを着用している。頭にかぶっているのは昔のドイツ軍が採用していた”シュタールヘルム”にそっくりなヘルメットで、中にはバイザー付きのヘルメットをかぶっている兵士もいる。

 

 今回は4人で1つの分隊となっており、分隊長はまるで棘のような部品が取り付けられた”ピッケルハウベ”と呼ばれるヘルメットをかぶっていた。

 

 ずらりと並ぶ本部の兵士たちの隣に並ぶのは、旧日本軍の軍服をそのまま黒くしたような制服に身を包んだ倭国支部の兵士たち。彼らもボディアーマーを身に着けており、ヘルメットを装備しているが、本部の兵士のようにバイザーを装備している兵士はいないので身軽そうに見える。

 

 こちらも4人で1つの分隊らしいが、分隊長の服装も他の兵士たちと同じなので見分けるのは難しそうだ。

 

「では、これより模擬戦を始める」

 

 模擬戦では、ペイント弾を装填した本物の銃を使用する。ペイント弾に入っている火薬は殺傷力を落とすために極限まで減らされているし、本部の兵士たちが持っている銃もAK-15ではなく5.45mm弾を使用するAK-12になっている。

 

「敵のチームを殲滅した方が勝利となる。被弾するか、接近してきた敵にナイフや銃剣を突き付けられた者は脱落だ。戦車やヘリの使用は禁止だが、それ以外ならどんな手を使ってもいい。…………同志諸君の実力を見せてくれ」

 

『『『『『Урааааааа!!』』』』』

 

 一番楽しみだったんだよね、この模擬戦が。

 

 あくまでも兵士たちの訓練が目的なので、俺やナタリアたちは上にある見張り台から模擬戦の様子を見下ろすだけだけど。

 

「倭国支部の兵士諸君! 相手は本部の兵士たちだ! 強敵だが、我々も訓練で技術を身に着けている! 奴らにサムライの誇りを見せつけてやれ!」

 

『『『『『おおおおおおおおおおおおおおッ!!』』』』』

 

「タンプル搭の兵士諸君、敵は倭国のサムライたちだ。いいか、決して油断はするな。―――――――全身全霊で迎え撃てッ!」

 

『『『『『Урааааааа!!』』』』』

 

 盛り上がってるねぇ。

 

 楽しみにしてるよ、同志諸君。

 

 

 

 

 



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本部VS倭国支部 前編

 

 本部と倭国支部の兵士たちの模擬戦が繰り広げられるのは、屋外に作られた訓練場である。市街地戦を想定した訓練所になっており、広大な訓練場の中にはまるで先進国の大都会の一角をそのまま廃墟にしてしまったかのような、少々贅沢な訓練場が広がっている。

 

 窓ガラスが割れ、建物の壁を構成するレンガが剥がれ落ちた労働者向けのアパート。店主や商品がなくなって薄汚れた露店や、埃だらけの商品がずらりと並ぶ鍛冶屋らしき建物。本当の大都市ならば買い物客たちが占領している筈の大通りは荒れ果てていて、一部の建物は倒壊してその大通りを遮っている。

 

 建物が乱立するせいで、敵と銃撃戦を繰り広げることになる距離は必然的に短くなるだろう。しかし、場所によっては遠距離から敵を狙撃できるポイントもあるため、近距離向けの銃ばかり装備していけば大丈夫というわけではない。

 

 だからこういう場所では、室内戦の場合よりもアサルトライフルが重宝する。

 

 模擬戦に参加する兵士の大半は、アサルトライフルを装備している。けれども全員アサルトライフルで武装しているというわけではなく、中にはマークスマンライフルやスナイパーライフルを装備している兵士もいるし、バイポッド付きのLMGを装備している分隊支援兵も見受けられる。

 

 訓練場の近くに用意された見張り台の上に上った俺たちは、用意されていた席に腰を下ろした。見張り台と言っても敵の攻撃を警戒するための見張り台ではなく、あの訓練場で模擬戦を行う兵士たちを見張る教官用の見張り台だ。

 

 普通の見張り台よりも広くなっていて、座席の周囲にはモニターがいくつか設置されている。映し出されているのは訓練場の中に設置されたカメラの映像で、廃墟の真っ只中を走って配置につく兵士たちの姿が映っている。ヘルメットは昔のドイツ軍が採用していたシュタールヘルムにそっくりだから、あれは本部の兵士だろうか。

 

 同じく昔のドイツが採用していたピッケルハウベを被った分隊長を先頭に、遮蔽物に隠れながら移動していく兵士たち。中には廃墟の中へと入り、身を乗り出せそうな穴からバイポッドを展開したLMGの銃身を突き出して待ち伏せの準備をしている分隊もある。

 

 この模擬戦は20人対20人。どちらも1つの分隊は4人の兵士で構成されているので、合計で5つの分隊となるわけだ。

 

「さすが本部だ、動きが速い」

 

 本部の兵士たちが映っているモニターを見つめていた柊は、予想以上に本部の兵士たちの動きが速いことに驚いているようだった。

 

 一緒に戦ってきた戦友たちが評価されているのは喜ばしい事なのだが―――――――俺も驚いていることがある。

 

 ―――――――倭国支部の兵士たちの、対応力の速さだ。

 

 一番右端にある小型のモニターには、単独で行動している偵察兵らしき兵士が映っている。マークスマンライフルを背負いながら双眼鏡を覗き込んでいる兵士は、どうやら接近しつつある本部の兵士の動きを後方の味方に報告しているらしい。

 

 そして別のモニターには、その偵察兵からの報告を聞きつつ待ち伏せの準備をしている分隊の兵士たちの姿が映っていた。

 

 どうやら倭国支部の兵士たちは、本部の兵士の進撃速度が予想以上に速かったことを知って先制攻撃を諦め、防衛戦を始めるつもりらしい。すでに彼らが陣取る廃墟の窓や壁に開いた穴からは、バイポッドを展開した『ミニミ軽機関銃』や、同じくバイポッドを展開した89式小銃を構え、分隊長の命令を待つ兵士たちが見えている。

 

 ミニミ軽機関銃はベルギーで開発されたLMGである。使用する弾薬は、M4やG36Cなどの西側のアサルトライフルで使用されている小口径の5.56mm弾となっており、西側の様々な国で正式採用されている非常に優秀な銃である。

 

 通常は5.56mm弾が連なるベルトを使用するんだが、場合によってはM16やM4のマガジンを使う事も可能なのだ。弾数は一気に減ってしまうものの、彼らにアサルトライフルのマガジンを渡せば弾幕を張ってくれるというわけである。

 

 なるほど、そのまま進撃しても先制攻撃が成功する可能性は低いから、防衛戦で敵の戦力を削る作戦に変更したというわけか…………。

 

 倭国支部もスオミ支部のように防衛戦が専門なんだろうかと思った俺は、倭国支部を構成する兵士たちの事を思い出してはっとする。

 

 倭国支部の兵士の大半は、あのボシン戦争の敗残兵だ。

 

 オルトバルカ王国から最新の装備を購入していた新政府軍の猛攻によって、旧幕府軍はどんどん退却していく羽目になった。劣勢という事は戦闘の大半は敵を迎え撃つ防衛戦になるという事なのだから、旧幕府軍として戦ったサムライたちは何度も防衛戦を経験しているのだ。

 

 結果的に新政府軍に敗北してしまったものの、彼らはボシン戦争で経験した防衛戦の教訓を生かしているのである。

 

 モニターを見つめていると、隣に座っていたラウラに肩をトントンと叩かれた。

 

「ん?」

 

「あのままじゃ拙いんじゃない? 反撃されるわよ?」

 

 あ、大人びてる方のお姉ちゃんだ。

 

 確かにあのまま前進を続ければ、廃墟の中で待ち伏せの準備をしている倭国支部の兵士たちに反撃されることになるだろう。隠れていた敵から何の前触れもなく奇襲されれば損害を被ることになるだろうし、仮に犠牲者が出なくても混乱することになる。

 

 だが、前進している分隊の兵士たちは待ち伏せされている可能性があることに気付いたのか、段々と進撃速度を落として慎重に動き始めた。敵部隊と接触する予定の地点を過ぎても遭遇しなかったから、敵が待ち伏せしていると考えたのだろう。

 

 残念ながら俺たちは無線で指示を出すことはできない。黙ってモニターを見つめ、兵士たちの模擬戦を見守る事しかできないのだ。

 

 訓練や実戦での経験が生かされることを祈るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『第二分隊、配置につきました』

 

『第三分隊、準備よし。安全装置解除』

 

『こちら偵察隊。敵部隊は地点”ハ”を通過。人数は4名。地点”イ”からも4名接近中。警戒せよ』

 

「了解。…………各員、射撃用意」

 

 無線機に向かって指示を出しつつ、双眼鏡を覗き込む。

 

 足の速い兵士たちだけで編成された偵察部隊を先行させて偵察させ、敵の動きを確認しつつ奇襲していく予定だったんだが、敵の進撃する速度が予想以上に速かったため、先制攻撃は諦める羽目になってしまった。

 

 さすが本部の兵士たちだ。何度も実戦を経験しているから動きが速い。

 

 こちらの兵士が陣取っているのは3ヵ所の廃墟だ。本部の兵士が通過してくる可能性の高い大通りに集中砲火をぶちかませる位置なので、敵の姿が見えたら即座に蜂の巣にすることができるだろう。しかし、相手は現代兵器で武装した吸血鬼との戦闘や転生者との死闘を経験している本部の兵士である。こちらの攻撃部隊と襲撃しなかったから、我々が待ち伏せに戦術を切り替えたことは察している筈だ。

 

 そう簡単に目の前にやってきてくれる可能性は低い。

 

 汗を拭い去り、双眼鏡の向こうを睨みつける。

 

 気温が高いせいで、廃墟の中は予想しているよりも蒸し暑い。壁に穴は開いているし窓ガラスも割れているので風通しは良いように見えるんだが、周囲に高い建物が多いので、思ったよりも風は来ないのだ。

 

 流れ落ちた汗が足元のレンガを濡らし、奇妙な斑模様を描く。

 

 本部の兵士はどこだ…………?

 

『…………こちら第四分隊、敵部隊を捕捉』

 

 その報告を聞いた瞬間、反射的に第四分隊が陣取る廃墟から見える大通りの方へと双眼鏡を向けた。第四分隊が隠れているのは3階建ての建物で、そこのすぐ目の前には大通りが広がっている。

 

 荒れ果てた大通りと無人の露店が連なる大通りの向こうに、黒服の兵士たちが見えた。

 

 ―――――――地点”ハ”から接近してきた本部の兵士たちだ。

 

 向こうも4人で1つの分隊だという。双眼鏡で確認したが、確かに4人の兵士たちがお互いに周囲を警戒しながら、じりじりとこちらへと接近している。装備している武装はよく見えないが、4人の兵士の内の1人はやけに銃身が長く、スコープのついた銃を装備しているのが見える。彼らの装備するAK-12と外見がそっくりだから、おそらくあれはマークスマンライフルのSVK-12だろう。

 

 狙撃されたら厄介だな…………。

 

『隊長、攻撃許可を』

 

「まだ待て…………おかしいぞ」

 

「何がです?」

 

 違和感を感じていると、傍らの窓から89式小銃を構えている若い部下が問いかけてきた。

 

「向こうも4人で1つの分隊…………あそこにいるのはたった4人だけだ。地点”イ”から接近しているのも4名だぞ? 他の分隊は何をしている…………?」

 

 接近している2つの分隊が攻撃部隊ではないのは火を見るよりも明らかだ。では、なぜたった2つの分隊を、4つの分隊が待ち伏せしている場所まで前進させたのか?

 

 様々な仮説が頭の中で産声を上げたが、その中で最も信憑性が高く、説得力のある仮説が産声を上げた瞬間、俺は悟った。

 

 ―――――――このまま待ち伏せをしていれば、一網打尽にされると。

 

「いかん…………ッ! 隊長より各分隊へ。第一分隊が敵を引きつけている間に移動せよ」

 

「な、なぜです? あの連中を叩き潰す好機では?」

 

「馬鹿者、なぜ16人の兵士が待ち伏せしている場所にたった8人の兵士を送り込み、残った12人の兵士が後方に居座っていると思う?」

 

 本部の兵士が我々を舐めているというわけではない。一緒に訓練した本部の戦友たちは、そんなに無礼な兵士たちではない。ならば全力でこちらに攻撃を仕掛けてきてもおかしくは無い筈だ。だというのに、こちらへと接近してきた兵士の人数はたった8人だけ。いくら錬度が大きく勝っているとはいえ、たった8人で16人の兵士たちが待ち伏せしている廃墟へと攻撃するのは無謀としか言いようがない。

 

 おそらくあの兵士たちは偵察部隊なのだ。敢えて前進して攻撃を受け、こちらの隠れている場所を特定するのが役目なのだろう。

 

 もう一度双眼鏡を覗き込み、接近してくる兵士たちを確認する。

 

 遮蔽物に隠れながら接近してくる兵士のうちの1人が背中に無線機を背負っているのを見た瞬間、俺は確信した。

 

 このまま廃墟に陣取っていれば、後方の分隊が装備している迫撃砲で一網打尽にされると。

 

 模擬戦のルールでは、戦車やヘリなどの兵器の使用は禁止だ。しかし歩兵が運用できる兵器であれば使用は禁止されていないため、迫撃砲を装備しても問題はない。

 

 戦闘機に空爆されるよりはマシだが、ここに留まっていれば迫撃砲で殲滅されてしまうのは火を見るよりも明らかだ。

 

「各分隊、移動急げ。第一分隊、攻撃用意。味方の分隊が撤退を終え次第離脱するぞ」

 

「了解!」

 

「…………よし、撃ち方始め!」

 

 命令を下した瞬間、待ち伏せしていた部下たちの89式小銃とミニミ軽機関銃が同時に火を噴いた。

 

 第一分隊の兵士は、89式小銃を装備したライフルマン3名とミニミ軽機関銃を装備した分隊支援兵1名で構成されている。マークスマンラフルを装備した兵士はいないので中距離射撃は苦手だが、ここから大通りにいる敵を狙うのは問題ないだろう。

 

 マズルフラッシュが煌き、エジェクション・ポートから躍り出た薬莢たちが足元へと落下していく。銃口から解き放たれた弾丸たちは大通りの地面を直撃すると、鮮血のように紅い液体をまき散らし、大地を紅く彩った。

 

 そういえばこれは模擬戦だったな。猛烈な緊張感のせいで実戦だと思っていた。

 

 模擬戦だったことを思い出しつつ、俺も背負っていた89式小銃を構えて射撃を始める。セミオート射撃で本部の兵士たちが隠れた遮蔽物を狙撃し、狙ってるぞ、という事を敵兵たちに教える。

 

 本部の兵士たちは強引に反撃しようとせず、遮蔽物へと隠れてチャンスを窺っているようだった。

 

 このまま時間を稼ごうと思っていたんだが―――――――遮蔽物の陰に隠れている兵士が、腰のホルダーに収めていたスコップを取り出したのを見た俺は、目を見開いた。

 

 スコップ? まさか、それを構えて突っ込んでくる気じゃないだろうな?

 

 テンプル騎士団の兵士は白兵戦を好むという。特に本部の兵士は白兵戦が専門と言ってもいいほど積極的に白兵戦を挑むらしく、アサルトライフルや高性能なミサイルが主役となった戦場でも棍棒や剣で武装する兵士も多いという。

 

 たった1つの分隊とはいえ、LMG1丁とアサルトライフル3丁を装備している兵士たちにスコップで突撃するのは愚の骨頂だ。

 

 本当に突っ込むのかと思いつつ見ていると、その兵士は装備していたスコップを分解し始めた。

 

 何だ? あいつは何をするつもりだ?

 

 柄から先端部を引っこ抜き、後端部も引っこ抜いて柄の中間に取り付けたかと思うと、今度はスコップの先端部を下へと取り付けて底盤にしてしまう。

 

 やがて、彼が装備していたスコップは、やけに小ぢんまりとした迫撃砲へと姿を変えていた。

 

「な、何だありゃ…………」

 

 す、スコップが迫撃砲になっただと…………!?

 

 何なんだ、あのスコップは!?

 

「隊長、敵のスコップが迫撃砲に!」

 

「分かってる! くそ、あいつに攻撃を集中させろ!」

 

 慌ててその兵士へと狙いを合わせるが、その兵士は味方に「狙われてる」と警告されたのか、慌てて別の遮蔽物の陰へと隠れてしまう。そいつが隠れた遮蔽物をわざと撃って圧力をかけるが、実戦を経験している彼らに圧力をかけるという手はあまり意味がなかったらしい。

 

 次の瞬間、ポンッ、という音が訓練場の中へと響き渡った。

 

 迫撃砲が発射された音である。

 

 とはいえ、あの迫撃砲はそれほどサイズは大きくなかった。破壊力と射程距離は従来の迫撃砲よりも劣っている事だろう。

 

 だが―――――――たった1人で容易く持ち運べるうえに、最前線で瞬時に砲撃を行える軽迫撃砲というのは非常に脅威である。銃撃戦の最中にそんな軽迫撃砲で支援されたら、こちらは敵の銃弾だけでなく頭上から降ってくる砲弾にも警戒しなければならなくなってしまう。

 

 パンッ、と真っ赤なペンキの入った模擬戦用の砲弾が、廃墟の壁に激突してペンキをぶちまける。グレネード弾などの砲弾も模擬戦用のペイント弾となっており、あの紅い飛沫に少しでも触れれば戦死扱いとなる。飛沫は破片という事なのだろう。

 

 幸い今の砲撃で犠牲者は出なかったようだが、このまま砲撃を続けられればこの中にも砲弾が飛び込んでくるに違いない。

 

「あのスコップ、こっちの支部にも支給してもらえませんかね?」

 

 新しいベルトをカバーの中へとぶち込みながら、味方の分隊支援兵が羨ましそうにそう言った。確かにあの軽迫撃砲はぜひ配備してほしいところだ。模擬戦が終わったら柊支部長に頼んでみるとしよう。

 

『隊長、こっちは退避完了です!』

 

「了解! あいつら凄いスコップ持ってるぞ! 気を付けろよ!」

 

『凄いスコップって何です!?』

 

「合流したら土産話をしてやる! よし、こっちも退避だ!」

 

「了解!」

 

 部下たちが射撃を止めて廃墟の出口へと向かっている間に、セレクターレバーをフルオートに切り替え、マガジンに残っているペイント弾を全て大通りへと叩き込む。立て続けに放たれる弾丸で敵兵を足止めしていると、バイポッドを折り畳んだミニミ軽機関銃を担いだ部下にトントンと肩を叩かれた。

 

 部下に向かって頷き、俺も隠れていた廃墟の一室を後にする。

 

 階段を駆け下りている最中に、先ほどまで隠れていた一室を直撃したペイント弾が、部屋の中を真っ赤に染めた。

 

 

 

 

 



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本部VS倭国支部 後編

 

「素早いですね」

 

「ああ。撤退も上手い」

 

 倭国支部の兵士たちが銃撃してきた建物を双眼鏡で確認しながら、私は隣にある倒壊した建物の壁を盾にしてAK-12を構えていた副官に向かって呟いた。

 

 本来なら我々が先行し、前進してきた敵を足止めしつつ通信兵が後方の部隊に砲撃を要請して、迫撃砲で一網打尽にする予定だった。だが市街地の中心を通過したにもかかわらず敵と遭遇しなかった時点で、私は敵が先制攻撃を諦めて待ち伏せに作戦を切り替えていることを悟った。

 

 仮に敵が廃墟の中に陣取って待ち伏せをしていたとしても、後方の分隊に指示すれば迫撃砲で一網打尽にできる。だから作戦を変える必要はなかったのだが、敵の分隊長はかなり優秀な兵士らしく、こちらの作戦を見抜いて分隊を後方へと後退させている。

 

 おそらく、こちらがたった4人―――――――別動隊も含めれば8人だ―――――――で前進してきたことに違和感を感じただけでなく、こちらの分隊に通信兵が含まれていたのを見て迫撃砲での殲滅を目論んでいると確信したのだろう。

 

 素晴らしい観察力だ。それに、撤退させるタイミングも素晴らしい。

 

 いつまでも後退を続けるわけにはいかないが、敵は部隊に損害を全く出さずに撤退に成功している。相手の指揮官がどれほど優秀な男なのかは言うまでもないだろう。

 

「各員、撃ち方止め」

 

「分隊長、次はどうしますか?」

 

「この模擬戦の時間は無制限だ。にらみ合いに意味はない。…………攻撃あるのみだ」

 

「はっ。では、後方のチャーリーチーム、デルタチーム、エコーチームにも移動を」

 

「いや…………ブラボーチームを先行させろ。我々は他の分隊と合流する」

 

 このまま我々(アルファチーム)とブラボーチームが前進し、後方の味方に敵の位置を連絡して砲撃で攻めるという作戦だと思っていたのか、副官は私が別の作戦を口にした瞬間に目を丸くした。

 

 一番最初に立案した作戦の通りに動いても効果はあるだろう。しかし、敵の指揮官はこちらの装備と編成で作戦を見抜き、無事に部下を無傷で撤退させる技術の持ち主だ。次も同じ手で攻めたら、こちらが砲撃を要請している間に前進し、前に出ている我々とブラボーチームを各個撃破するに違いない。

 

 いくら錬度に差があるとはいえ、8対16ではいくら何でも分が悪すぎる。しかも敵は足の速い兵士で編成した偵察部隊も用意しているため、迂闊に前進すれば敵に待ち伏せされてしまう。

 

『こちらブラボー1。アルファ1、聞こえるか?』

 

「聞こえてるよ、ラスカー軍曹。どうぞ」

 

『当たり前だとは思うが、手は変えるんだな?』

 

 ふん、こいつも同じことを考えていたという事か。

 

 ラスカー軍曹の分隊には、兵士たちの中でもスタミナが多く、足も速い兵士たちばかりが集められている。前衛を担当させるのであればうってつけだろう。

 

 それに彼らの部隊には、我々とは違う装備が支給されている。

 

「…………その通りだ、ブラボー1。悪いが一足先に行っててくれ」

 

『了解(ダー)。…………よし、前進する。俺に続け』

 

『『『了解(ダー)』』』

 

 私たちは後方の部隊と合流した方が良さそうだ。

 

 そう思いながら腰に下げている水筒を取り、蓋を外して口へと運ぶ。中に入っているのは水ではなくアイスティーで、参謀総長(同志ナタリア)特製のジャムも混ぜてあるから結構甘い。当分の補充にはうってつけなので、兵士の大半は水筒にこれを入れている。

 

 中にはコーヒーの方が好きな奴もいるが。

 

 アイスティーを飲みながら周囲を警戒していると、同じように周囲を警戒しているライフルマンたちが、アイスティーを飲んでる場合なんですかと言わんばかりにこっちを見つめてきた。多分この2人は、今すぐにでも倭国支部の部隊を追撃して殲滅するべきだと思っているんだろう。

 

 悪い手じゃない。多分、そっちの方が戦いはすぐに終わるだろう。

 

 だが、そんな作戦を実行すれば確実に損害が出るだろう。実戦では犠牲を覚悟しなければならない局面もあるから、全ての兵士を無傷で帰還させるというのは至難の業だ。そんな事ができる指揮官なんか存在しない。

 

 戦死した部下のドックタグを持って帰って葬式をするよりも、全員で帰って酒を飲んだ方がいいに決まってる。

 

 だから私は損害を被る可能性が低い作戦を選ぶ。

 

 まだ若いライフルマンたちに向けてニヤリと笑った私は、コンコン、と腰に下げているスコップを手で軽く叩いた。

 

 兵士たちに支給されているこのスコップは、なんと軽迫撃砲にもなるかなり特殊なスコップなのである。さすがに従来の迫撃砲のように射程距離は長くないし、照準器は搭載されていないので命中精度は劣悪としか言いようがないが、最前線で即座に迫撃砲に早変わりしてくれる頼もしい得物である。

 

 それに白兵戦でも大活躍してくれるからな。

 

 アイスティーを飲みつつ周囲を警戒し、ブラボーチームの連中はそろそろ配置についただろうかと思っていると、警戒していた私たちの後方から他の分隊の連中がやってくるのが見えた。相変わらず種族や制服のデザインはバラバラで、かぶっているヘルメットにバイザーを装備している慎重な奴もいれば、ただでさえ重いヘルメットがさらに重くなるからという理由でバイザーを外したり、そもそもヘルメットをかぶっている兵士もいる。

 

 やっと来てくれたか。

 

「お待たせ、ディミトリ」

 

「遅かったな、軍曹」

 

 俺たちが装備している軽迫撃砲よりもでかい迫撃砲を肩に担いでやってきたのは、バイザーを取り付けたテンプル騎士団仕様のピッケルハウベをかぶり、ボディアーマーに身を包んだオークの男性だった。ピッケルハウベをかぶることが許されるのは分隊長のみという規則があるので、この男が分隊長だという事は一目で分かる。

 

 エコーチームの連中だ。彼の後ろで迫撃砲の砲弾がたっぷりと入った箱を抱えているのは2人のハーフエルフの兵士で、その2人を若いライフルマンが護衛しているのが見える。

 

 更に、エコーチームの後ろからデルタチームとチャーリーチームの兵士たちもやって来た。デルタチームの兵士たちも同じように迫撃砲と砲弾の入った箱を持っているが、チャーリーチームの兵士たちは彼らのサポートや、もし敵に突破された時の迎撃を担当する予定だったため、ライフルマンや選抜射手(マークスマン)で構成されている。もちろん、腰に下げているのは軽迫撃砲にもなる便利なスコップだ。

 

「ブラボーチームの連中は?」

 

「進軍した。そろそろ配置につくだろ」

 

「よし、じゃあ俺たちも前進するとしますか」

 

 そう言いながら、エコーチームの分隊長は肩に担いでいた迫撃砲の砲身をでっかい手で叩いた。

 

 彼が担いでいるのは、異世界―――――――同志団長の前世の世界らしい―――――――の”ソビエト連邦”という国で設計された『BM-37』という迫撃砲だ。旧式の迫撃砲らしいが、発射される82mmの砲弾の破壊力は非常に高いため、新型の兵器で武装した敵にも通用することだろう。

 

 テンプル騎士団ではこの迫撃砲が正式採用されており、様々な部隊に配備されている。

 

 今回の模擬戦では、この2門の迫撃砲とブラボーチームの連中が切り札になるだろう。

 

 頼んだぞ、ブラボー1。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらブラボーチーム。配置についた、どうぞ」

 

 後方の味方に報告しつつ、ブラボーチームの指揮を執るラスカー軍曹は双眼鏡へと手を伸ばし、前方に居座る大きな溝を睨みつけていた。

 

 大通りの下を通っていた下水の配管を掘り起こした跡なのか、まるでしっかりと舗装された大通りを巨大な剣で両断したかのように、荒々しい溝が刻み込まれている。深さは成人の男性が立ったまま身を隠す事ができるくらいだろうか。足元に踏み台を用意すれば、胸から上を出して射撃することも不可能ではないだろう。

 

 偶然廃墟の中に生まれた、荒々しい塹壕である。

 

 倭国支部の兵士たちは未だに損害を出していないものの、本部の兵士たちの迅速な進軍と迫撃砲の投入により、徐々に訓練場の隅へと追い詰められつつあった。このまま砲撃を要請すれば勝つことはできるだろうが、敵兵たちは既に本部の切り札が迫撃砲だという事と、ほぼ全ての兵士に軽迫撃砲にもなる便利なスコップが支給されていることを知っている。敵に知られている手を使っても効果は薄いだろう。

 

 そこで、ブラボーチームが新たな切り札となるのだ。

 

 双眼鏡から目を離して露店の陰に隠れた直後、その塹壕の中から飛来した数発のペイント弾たちが、亀裂の入ったレンガの壁に真っ赤な模様を刻み付けた。ぎょっとしながら反射的に頭を下げたラスカー軍曹は、苦笑いしながらショットガンに搭載されている折り畳み式のスパイク型銃剣を展開する。

 

 ブラボーチームの兵士たちに支給されている武器は、全て同じだった。

 

 メインアームはテンプル騎士団で正式採用された、ロシア製ショットガンのKS-23。銃床とグリップをAK-15と同じものに換装し、折り畳み式のスパイク型銃剣を装備してスラムファイアができるように改造した、”テンプル騎士団仕様”である。

 

 サイドアームはテンプル騎士団で正式採用されているPL-14と、『PP-91ケダール』と呼ばれるロシア製の小型SMGである。

 

 折り畳むことが可能な銃床と、まるでハンドガンのグリップの前方に細いマガジンを突き刺したような外見のSMG(サブマシンガン)である。本来であれば、マカロフなどの弾薬である”9×18mmマカロフ弾”を使用する代物だが、テンプル騎士団で採用されているSMG(サブマシンガン)やハンドガンの大半が9×19mmパラベラム弾を使用しているため、こちらも9×19mmパラベラム弾が発射できるように改造されている。

 

 そう、ブラボーチームの兵士たちは、ショットガン、SMG(サブマシンガン)、ハンドガンの3つを与えられているのだ。

 

 普通の兵士とは違い、アサルトライフルやマークスマンライフルは支給されていない。装備している武装が接近戦を想定したものばかりとなっているため、遠距離や中距離から狙撃されれば手も足も出ないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 ブラボーチームの兵士たちは―――――――突撃歩兵たちなのである。

 

 味方の支援砲撃の直後に敵陣に突撃し、防衛戦を突破して後方の司令部などを攻撃するのが目的の部隊だ。春季攻勢(カイザーシュラハト)で吸血鬼たちが投入した突撃歩兵と比べると、テンプル騎士団の方が比較的重装備であり、より攻撃力を重視していることが分かる。

 

『こちらアルファ1、準備完了』

 

「了解」

 

 折り畳み式の銃剣をチェックしながら副官に目配せしたラスカー軍曹は、頭上の青空を見上げながら息を吐いた。

 

 副官が要請を終えれば、すぐに後方の部隊が迫撃砲による支援砲撃を始めるだろう。敵がその砲撃で慌てふためいている隙に遮蔽物の陰から飛び出し、反撃を受ける前に塹壕へと肉薄。そのまま塹壕へと突入し、倭国支部の部隊を撃滅することになる。

 

 砲撃を要請する副官の低い声を聞きながら、かぶっているピッケルハウベをコンコンと叩く。他の部隊の兵士たちの中には、仮に弾丸が頭や顔面へと飛んできても身を守ることができるようにただでさえ重いヘルメットにバイザーを取り付ける兵士もいるが、突撃歩兵は普通のライフルマンよりも身軽さを要求される部隊である。それゆえに、彼が率いる部隊の兵士たちは誰もヘルメットにバイザーを付けていない。

 

『こちらアルファチーム。これより砲撃を開始する』

 

「来るぞ、準備しろ」

 

 ラスカー軍曹がそう言うと、兵士たちが一斉に銃剣を展開した。

 

 テンプル騎士団の兵士たちは、どういうわけか白兵戦を好む。中にはアサルトライフルなどの新型の装備を支給されているにもかかわらず、鉄パイプや棍棒を装備して敵と白兵戦を繰り広げる兵士も多いという。

 

 白兵戦を好む兵士が非常に多いため、テンプル騎士団で採用されているほぼ全ての銃には銃剣が取り付けられるようになっているのだ。

 

「…………撃ちましたね」

 

 瓦礫の山の陰に隠れていたハーフエルフの兵士が、そう言いながら微笑んだ。人間よりも聴覚が発達しているハーフエルフだからこそ、後方で迫撃砲が発射された音を聞き取ることができたのだろう。

 

 ショットガンを抱えたまま空を見上げていたラスカー軍曹は、深呼吸をしてから姿勢を低くし、すぐに突撃できるように準備をする。すでに彼の分隊は訓練だけではなく実戦も経験しており、魔物の群れや転生者の潜んでいる小屋への突入を行って戦果をあげている。しかも部下たちは一度も負傷したことがないため、この分隊が編成された頃からメンバーは変わっていない。

 

 突撃歩兵たちの中でも、錬度の高い分隊である。

 

 とはいえ、突撃直前はいつも緊張するものだ。もしかしたら走っている最中に飛来した弾丸に身体を食い破られ、激痛を感じながら死ぬ羽目になるのではないかと考えてしまう。今回は模擬戦であるため飛来するのはペイント弾だが、それに被弾したという事は、実戦で戦死してしまったという事を意味する。

 

 もちろん、敵の塹壕へと無事に突入できても緊張し続ける羽目になる。装備した銃をぶっ放し、敵兵と近距離で殺し合いをしなければならないのだから。

 

 安心できるのはしばらく後だろうな、と思った次の瞬間、後方から飛来した2発の砲弾が、塹壕のすぐ近くに真っ赤なペンキをぶちまけた。鮮血にそっくりな色の飛沫が至る所に飛び散り、物騒な模様を描く。

 

 爆音が聞こえないと寂しいものだ、と思いつつ、ラスカー軍曹が率いるブラボーチームの兵士たちは、極限まで姿勢を低くしながら、前傾姿勢で走り出した。

 

 抱えているショットガンから伸びる銃剣で時折地面にラインを刻み付けながら、そのまま転倒してしまいそうなほどの前傾姿勢で突っ走っていく。頭上やすぐ脇を容赦なく89式小銃の5.56mm弾が掠めていくが、テンプル騎士団の突撃歩兵たちは全く速度を落とさずに、驚異的な速度で塹壕へと向かっていく。

 

 ラスカー軍曹と距離を取りながら走っていた副官が、腰にぶら下げていた模擬戦用の手榴弾を掴み取った。安全ピンを引いた彼に、やれ、と命じると、副官は前傾姿勢で突っ走ったままその手榴弾を塹壕の中へと放り投げた。

 

 数秒後、パンッ、と火薬が炸裂するような音が響くと同時に、真っ赤な液体が塹壕の中で荒れ狂う。内蔵されていた少量の火薬によって飛び散った紅い飛沫は弾幕を張っていた分隊支援兵とライフルマンの制服に付着し、彼らに今の爆発で戦死したという事を告げた。

 

 容赦なく距離を詰め、そのまま塹壕の中へと転がり込む。真っ赤になった制服に身を包みながら両手を上げて苦笑いする兵士たちを一瞥し、まだ応戦している兵士を探す。塹壕の縁で89式小銃のバイボットを展開してフルオート射撃を続けているライフルマンたちは、まだラスカー軍曹が塹壕の中へと無事に侵入したことに気付いていないらしい。

 

「うわっ……!」

 

 そのうちの1人が慌てて絶叫し、仲間に敵が侵入したという事を知らせる。しかし弾幕を張ることに勤しんでいた倭国支部の兵士たちが気付く頃には、ラスカー軍曹と共に塹壕へと侵入した兵士たちの容赦のないスラムファイアとPP-91ケダールのフルオート射撃が荒れ狂い、訓練用の赤いペンキで彼らの制服を真っ赤に染めていたのだった。

 

 

 

 



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帰宅

 

「お見事」

 

 塹壕の中で銃を構えていた兵士たちがペイント弾に被弾して脱落し、その別の場所に隠れていた兵士たちまで迫撃砲の攻撃で脱落したのを目の当たりにした柊は、双眼鏡から目を離しながらそう言った。

 

 屋外に作られた訓練場で繰り広げられた模擬戦の結果は、本部の兵士たちの勝利だった。結局倭国支部の兵士たちは本部の兵士たちを1人も脱落させる事ができなかったが―――――――彼らが成長しているという事は、知る事ができた。

 

 彼らの最大の長所は判断の素早さと防衛戦の技術だろう。

 

 模擬戦が始まってから、倭国支部の兵士たちは足の速い兵士たちに本部の兵士たちの動きを偵察させた。そして彼らが本部の兵士たちの動きが予想よりも速く、先制攻撃が非常に難しいという事を後続の部隊に伝えると、指揮官は即座に先制攻撃を断念して待ち伏せに作戦を変更。その待ち伏せは失敗してしまうが、敵兵の装備を確認して迫撃砲での砲撃を目論んでいるという事を見抜いたのだから、待ち伏せは成功しなかったとはいえ立派な指揮官と言える。

 

 倭国支部の兵士たちがこのように防衛戦を得意としているのは、彼らを構成している兵士の大半がボシン戦争の敗残兵たちだからだろう。

 

 基本的に、戦争では劣勢になると攻め込んでくる敵を迎え撃つ防衛戦が多くなる。倭国支部の兵士の大半はボシン戦争で敗北した旧幕府軍の兵士たちだから、そのような防衛戦を何度も経験しているのだ。

 

 だからこそ、どうすれば敵を効率よく迎え撃つ事ができるのか熟知しているのである。

 

 つまり倭国支部は、スオミ支部と同じく攻撃よりも防衛戦が得意な支部という事になる。攻め込んできた敵を迎え撃つのが得意なのは頼りになるが、テンプル騎士団の活動目的は転生者の討伐と、彼らに虐げられている人々の保護である。基本的に敵の拠点へと攻め込むような戦いの方が多くなるのだから、出来るのであれば攻撃も得意になって欲しいものである。

 

 武器からマガジンを抜いて安全装置(セーフティ)をかけ、訓練場の出口へと向かう兵士たち。彼らを見守ってから双眼鏡から目を離し、俺は息を吐いた。

 

 これで倭国支部との合同演習は全て終了だ。後はこの倭国支部に配備される第一打撃艦隊旗艦『ユーグ・ド・パイヤン』と他の艦艇をここに残し、ジャック・ド・モレーに乗ってカルガニスタンにあるタンプル搭に戻るだけである。

 

 けれどもその前に、ちょっとだけ寄りたい場所がある。

 

 ちらりと隣を見ると、ラウラも同時にこっちを見た。どうやらラウラも俺と同じ場所に寄りたいなと思っていたらしく、微笑みながら頷いた。

 

 小さい頃から常に彼女と一緒にいるせいなのか、話をしなくても彼女が何を考えているのかは分かる。だから戦闘中もいちいち話さなくても連携を取ることは難しくはない。

 

 多分、小さい頃から常に一緒にいた以外にも理由があるのではないだろうか。

 

 父親は同じ父親だけど、母親は違う腹違いの姉弟。けれども俺とラウラの母親は姉妹ではなく、正確に言うと、ちゃんとした人間と、その人間の遺伝子を元に生み出されたホムンクルス(クローン)。一応エリスさんと母さんは姉妹という事になっているが、遺伝子的にはほぼ同じ人間と言っても過言ではないという。

 

 だから俺たちは、腹違いの姉弟というよりは”双子”に近いのかもしれない。

 

 同じ父親と遺伝子的には同じ母親から生まれたのだから、思考がそっくりでもおかしくはないのだ。

 

「さて、兵士たちと一緒に反省会でもしてくるか」

 

「なあ、柊」

 

「ん?」

 

 梯子を下り、制服を真っ赤にされた兵士たちの元へと行こうとしていた柊を呼び止めると、彼は梯子に手を伸ばしたままこっちを振り返った。

 

 その”寄りたい場所”に寄ってから帰る前に、土産でも買っていくべきだと思う。産業革命で技術が発達し、あらゆるものが国中の工場で生産できるようになったとはいえ、倭国でしか手に入らないものもあるのだ。ここから商人たちがオルトバルカへと物を売りに行くには、危険な魔物が生息している海域を超えなければならないのだから。

 

「近くに倭国の土産を売ってる店はないか?」

 

「ああ、閉会式が終わったら部下に案内させるよ」

 

「Спасибо(ありがとよ)」

 

 軍帽をかぶり直してから梯子を下りていく柊。俺たちもそろそろ下に降りようと思いつつ、俺も梯子へと手を伸ばす。

 

「お土産でも買っていくの?」

 

「ああ」

 

「合同演習の記念に?」

 

「いや、ちょっと寄りたいところがあってね」

 

「寄りたいところ?」

 

 そのままタンプル搭へと帰るのだろうと思っていたらしく、ナタリアは首を傾げた。説明した方がいいだろうな、と思いながら踵を返したけれど、小さい頃から一緒にいたお姉ちゃんもやっぱり同じことを考えていたらしく、俺の代わりに説明してくれる。

 

「ええ、ちょっと実家に寄ってから帰ろうかなって」

 

「実家…………ああ、王都の」

 

「そういうこと」

 

 やっぱり、彼女が考えていたことは俺と同じだった。

 

 そう、帰る前にラガヴァンビウスにある実家に寄ってから帰ろうと思っていたのだ。あの春季攻勢(カイザーシュラハト)が終わってからは数回しか両親に会っていないから、倭国の珍しい土産を持って帰れば両親も喜んでくれる筈である。

 

 倭国のお土産は何がいいかな、と問いかけてきたラウラと一緒にどんな土産を買うか話し合いつつ、俺はエリスさんの事を考え始めた。

 

 ―――――――春季攻勢(カイザーシュラハト)で、エリスさんは右足を失う重傷を負ってしまったのである。

 

 戦闘中に身動きが取れなくなった新兵を助けようとして、右足を失ってしまったらしい。

 

 本人は親父のように義足を移植して復帰するつもりだったが、親父はエリスさんを説得して退役させた。妻に義足を移植させてまた最前線で戦わせたら、大切な妻が戦死してしまうかもしれないと思ったのだろうか。

 

 俺もそのような気持ちは味わった。

 

 利き手と左足を失い、身体に包帯を巻いたラウラがベッドの上から虚ろな瞳で見上げてきた時の事を思い出し、こっそりと唇を噛み締める。

 

 隣で微笑んでいる大切な姉を、戦死させるわけにはいかない。

 

 だから俺もラウラを退役させようとした。同じ気持ちを味わっているからこそ、親父(ガルゴニス)がエリスさんを退役させた理由は分かる。

 

 あの後にも家を訪れたけれど、片足を失って車椅子に乗っているとはいえ、エリスさんは元気なままだった。下手なのに料理をしようとしたり、部屋に隠しているエロ本を読んでニヤニヤしていた。片足を失う前どころか俺たちが旅に出る前と全然変わらなかったから大丈夫だとは思うけれど、心の中では戦場で親父と戦えないことを悔しがっているに違いない。

 

 土産を持って顔を出せば、少しはその悔しさも薄められるだろう。

 

 ラウラとナタリアを先に下ろしてから、俺も梯子へと手を伸ばす。

 

 そうだ、母さんにも土産を買っていこう。親父たちと一緒に剣の素振りをしていた時に、「サムライの刀に興味がある」と言っていたから、倭国の鍛冶屋で刀を買っていったら喜ぶかもしれない。

 

 エリスさんにはどんな土産がいいだろうか、と思いながら、俺も見張り台の下へと伸びる梯子を下り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、本部と倭国支部の合同演習は無事に終わった。

 

 最終日で行われた模擬戦では本部の兵士に損害を与えることはできなかったものの、倭国支部の兵士たちの錬度も上がっていることを知る事ができたし、倭国支部が攻撃よりも防衛戦を得意とする支部だという事を把握する事ができた。

 

 それに、倭国支部にユーグ・ド・パイヤンを旗艦とする”テンプル騎士団第一打撃艦隊”も無事に配備された。既に倭国支部に配備されている金剛型戦艦と共に倭国支部を母港としつつ、倭国支部の兵士たちやオルトバルカへと向かう商人たちを救ってくれるに違いない。

 

 これからも今回のような合同演習は積極的に行う予定だし、場合によっては倭国支部に協力を要請することも多くなるだろう。テンプル騎士団の目的のためには、この組織を世界規模の組織に成長させなければならないのだから。

 

 今は、揺り籠(クレイドル)を守るための武力が必要だ。

 

 どんな勢力でも、こちらの軍備を目にしただけで攻撃を諦めてしまうような武力が。そうしなければ、絶対に安寧は得られない。

 

 二週間前の会議で、俺の提唱した『クレイドル計画』が採決され、円卓の騎士全員に可決してもらう事ができた。既に計画のために軍拡が始まっており、タンプル搭の周囲にはかなりの数の前哨基地やレーダーサイトが建設されている。

 

 クレイドル計画とは、人々を虐げるクソ野郎共のいる世界を捨て、絶対に虐げられることのない”揺り籠”を作る計画だ。既に武装したテンプル騎士団の歩兵だけでも、相手が単独ならば転生者を討伐できるようになりつつある。しかし転生者を生み出している輪廻は、どういうわけか未だに転生者たちをこの世界へと送り込み、蛮行を続けさせている。

 

 人々を虐げているのは転生者だけではない。貴族や領主たちも奴隷たちを酷使しているし、一部の貴族は税金の金額を高くして住民たちを苦しめている。

 

 どれだけクソ野郎共に風穴を開けても、彼らの数は減らない。

 

 ならばクソ野郎の殲滅を諦めて、俺たちが人々のための”揺り籠”を作ればいい。

 

 その揺り籠を圧倒的な武力で守れば、クソ野郎共はもう人々を虐げる事ができなくなる。後はそのまま揺り籠の中で平和に暮らせばいいし、もし揺り籠の外に置き去りにされたクソ野郎共が手を組んで攻め込んできても、積極的な軍拡で強化された部隊で粉砕してやればいい。

 

 けれども、私腹を肥やすことを優先するクソ野郎が他の連中と手を組めるとは思えないけどね。そのまま交渉が決裂して、クソ野郎同士の殺し合いになって全滅してくれれば最高だ。もし本当にそんなことになったら、俺は一番最初に殺し合いを始めてくれたクソ野郎のために記念碑でも作ってやるつもりだ。

 

 記念碑には『最初に殺し合いを始めてくれた大馬鹿野郎』と刻み込んでやろう。

 

 そんな過激な事を考えているうちに、やけに分厚い防壁が見えてきた。一般的な要塞の防壁の5倍くらいの厚さがあるのではないだろうかと思ってしまうほどの防壁には、巨大な魔方陣が描かれているのが見える。防壁の上には最新型のスチーム・カノン砲がずらりと並び、その周囲にはそれをぶっ放す砲兵たちが立っているのが分かる。

 

 あの壁面の魔法陣は、魔術を増幅させるための代物だ。あの防壁の中には床や壁にびっしりと魔法陣が描かれた小部屋があるらしく、そこで魔術師が魔術を発動させることにより、あの巨大な魔法陣から増幅された強力な魔術が飛び出す仕組みになっているらしい。

 

 魔物が襲撃してくるのが当たり前だった昔は頻繁に火を噴いていたらしいが、今では射程の長いスチーム・カノン砲の砲撃で決着がついてしまう事が当たり前で、そもそも魔物がラガヴァンビウスを襲撃してくる事が稀なので、単なる壁面に描かれた変な模様に成り下がっているけどね。

 

 要は、魔術が敵を蹴散らしていた時代の産物だ。

 

 キャノピーから大地を見下ろし、着陸できそうな平らな場所を探す。もうモリガン・カンパニーのレーダーには察知されているだろうな、と思いながらカサートカの高度を落とした俺は、防壁の近くにある平らな場所にヘリを着陸させた。

 

 メインローターが生み出す風が足元の草を揺らし続ける。

 

 兵員室からラウラとナタリアが降りたのを確認してから、俺もコクピットから降り、メニュー画面を開いてヘリを装備していた兵器の中から解除した。

 

 奇妙かもしれないが、転生者の端末やこのメニュー画面では、武器だけでなく兵器も”装備”していることになっているらしい。しかも兵士たちに支給している兵器や銃は、仲間が装備しているのではなく俺1人が装備していることになっているので、こっちのメニュー画面では俺が装備している武器や兵器はとんでもないことになっている。1000丁以上のAK-12やAK-15を装備するのは、いくらキメラでも不可能です。

 

 念のため、護身用にスペツナズ・ナイフと水平二連型のソードオフショットガンを装備しておこう。ここはモリガン・カンパニーの総本山と言っても過言ではない場所で、こんなところで強盗をすればたちまちモリガン・カンパニーの兵士たちに蜂の巣にされるから武装する必要はないんだが、そのモリガン・カンパニーがいつ同盟を破棄するか分からない状態なので、一応装備しておいた方がいいだろう。

 

 ラウラとナタリアにもナイフとハンドガンを渡す。ナタリアはこんなに治安の良い王都でも武装する必要があるのかと言わんばかりにこっちを見てきたが、「念のためだ」と言うとホルスターごとPL-14を受け取り、それを腰に下げた。

 

 ちなみに俺が装備したソードオフショットガンは、後部から撃鉄(ハンマー)が伸びている”有鶏頭(ゆうけいとう)”と呼ばれるタイプだ。しかも発射する散弾を12ゲージの散弾から、KS-23と同じく23×75mmR弾に変更しているので、至近距離での破壊力は絶大としか言いようがない。

 

 小さい武器だが、破壊力はある。

 

 それを1丁だけ腰の後ろに下げ、乗ってきたヘリが草原から姿を消していることを確認してから防壁の方へと向かう。分厚い防壁には街の中に入るための門が用意されているんだが、防壁があまりにも分厚過ぎるせいで、門というよりはトンネルにしか見えない。

 

 その”トンネル”の前には、数名の騎士が立って警備していた。俺たちが身に着けている黒い制服を目にした瞬間に、俺たちがテンプル騎士団だという事を見破ったらしく、彼らはすぐに警戒するのを止めて道を開けてくれた。

 

 テンプル騎士団も有名になったんだな…………。

 

「お疲れ様、テンプル騎士団の諸君」

 

「どうも」

 

 親父たちの頃は制服の上に防具を身に着け、剣を装備した騎士が警備していたらしいんだが、今では真っ赤な制服に身を包んだ騎士が銃剣付きのスチームライフルを肩に担いで警備している。そのうち異世界版のアサルトライフルを装備した”兵士”が警備をするのではないだろうか。

 

 こっちの世界でアサルトライフルが生まれるのはまだ先だろうな、と思いつつ、防壁に穿たれたトンネルの中へと進んでいく。道の真ん中は馬車が通ることになっているので、端を歩かなければ馬に踏みつけられてしまう。

 

 トンネルを通過し、以前に訪れた時よりも高い建物が増えている王都の中を進んでいく。建物の間には鉄道の線路が敷かれていて、その上をフィオナ機関を搭載した列車が蒸気にも似た魔力の残滓をまき散らしながら走っていた。遠くに見える塔のような工場の煙突からは真っ白な煙が噴き上がっていて、頭上の青空へと流れ込んでいる。

 

 あの工場には、ちゃんと有害な物質を取り除く装置が付いているらしい。

 

 大きな馬車や立派な服を着た市民たちが行き交う大通りを進んでいるうちに、大通りの向こうに巨大な駅が見えてきた。華やかな橙色のレンガと鉄骨を組み合わせて建造されており、2階にある駅のホームの天井は華やかな装飾が施されたガラスで覆われている。

 

 ラガヴァンビウス駅だ。

 

 確か、最初に転生者を討伐した時の出発点はあそこだったな…………。

 

 昔の事を思い出しつつ、ここで大通りとお別れする。道を左に曲がって真っ直ぐ進み、水路の上にかかっている小さな橋を渡ると、普通の家にしては随分と大きな建物が見えてきた。

 

 大きいとは言っても、屋敷と言える程ではない。どちらかというと”大きめの普通の家”だろうか。

 

「ふにゃー……久々だね」

 

「ああ」

 

 ネイリンゲンから引っ越してきた際に、親父と仲の良かった国王が用意してくれた新しい家。

 

 目の前に鎮座しているのは、俺たちの実家だった。

 

 

 

 

 



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