来禅高校のとある女子高生の日記 (笹案)
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序章
始まり


 とある学校の教室の中。

 昔は真っ白だったことが伺えるカーテンを開けると、暖かい太陽の光が射し込み、その窓からは曇り一つない晴天と桜の木が見えた。

 そんな理想的に思える天候の中での入学式の日のこと。学園生活に心を踊らせている生徒や早く帰りたそうに時計をまじまじと眺めている生徒、知り合いとクラスが同じになったことを喜び合う生徒たちが同じ空間にいる中で……その少年は、目を伏せている少女に謝られていた。

 

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

 謝っても謝り足りません」

 

 教室の中では、少女の謝罪の声も周りの生徒達の話し声に紛れて聴こえづらくなる。

 聴き取りづらくはあるが、蚊の鳴くように小さな声と言う訳ではないので、すぐ目の前にいる少年には届いたようだ。

 

「迷惑なんかじゃねえよ。無視すんのも後味が悪いし、お前が謝るのもおかしいだろ」

 

 そう言って、少年は困ったように頬をかいた。

 少年は困っている人がいると助けてしまう、いわゆるお人好しと呼ばれる性格の持ち主だった。

 それ故に、同じクラスの女子生徒たちに囲まれて混乱している少女を見て、見過ごすことが出来なかったのだろう。

 

「それでは言い方を変えます。本日は、助けてくれてありがとうございました」

 

 深々とお辞儀をした少女に、周りが少しざわめいた。

 これでは自分が悪者にされると思ったのか、少年は焦ったような声を上げた。

 

「いやちょっと声をかけただけだし、助けただなんて大層なことはしてないから気にすんな!」

 

 だから顔を上げてくれとぶっきらぼうに言われ、少女はやっと下げっぱなしだった顔を上げて、初めてまともに少年の顔を見る。

 すると少女は、信じられないものを見たというかのように目を見開き、震える声音で少年に声をかけた。

 

「士道くん……?」

「お前は」

 

 少年、士道は名前を問いかけてきた少女に目を見やる。

 最近視力の低下が気になっているせいか、少し睨むような顔つきになっていた。

 それが原因なのかは分からないが、それを見た少女の顔色は死にそうな程に真っ青だ。

 しかし当の士道は、問いかけに応じようと記憶を思い起こしている為に少女の様子には気がつかずにいた。

 そして数十秒後、ひとしきり悩んだらしい士道の険しい表情が緩んだ。

 

「ああ、隣の家に住んでいるやつか。クラス同じになったことはなかったけど、中学も一緒だったよな。すまん、名前教えてくれないか?」

 

 士道がそう答えると、少女の不安そうな表情が安堵したようなものへと変わり、そうして今度は花開いたような笑顔になった。

 

「は、はい。私の名前は……」

 

 

 

 

 

 ♢

 

 

 朦朧(もうろう)としていた意識が小刻みに鳴るアラームの音によって浮上してくる。

 とは言えどももう少し寝ていたいという気持ちの方が勝ってしまい、目覚まし時計を止め二度寝に試みようとしたが、数分後にもう一度アラームが鳴り、それを止めてももう一度アラームが……と言った形が十数回続いたことにより、面倒くさくなり起き上がることにした。

 全く、こんなにアラームをかけたのは誰だ……って、自分でやったことだった。

 

「……ん……もう、朝……?」

 

 アラームの音が聴こえるってことはそうなんだろうし、目覚まし時計を見てみても6時半を指しているのが分かる。

 しかし、実は大ボカをやらかしてしまって夕方の6時半で一日の大半を寝過ごしたのかもしれない。

 それを確かめる為に窓の外を見ると、(しら)みつつある空が見えた。

 これで夕方の6時半ってことはないだろう。

 

 それは分かったのだが、自分は何故目覚ましをかけたのだろうか。少し考えた後に、明日から学校だから生活リズムが崩れてては不味いと思い、春休み最後の日である今日から早く起きようと思ったのだという答えに辿り着いた。

 ……しかしまあ、6時半ってのは早すぎたかもしれない。

 今日もすることと言えば、趣味に没頭するか不定期に来る友達を待つくらいだ。

 

 ああ、暇だ。こんなに自分にはすることがなかったのかと思えてしまえる程に暇だ。

 そんなことを考えながらゴロゴロとベッドに寝転がっていると、壁に貼ってあった広告が目についた。どうやら今日は近くのスーパーが特売日らしい。

 暇だし、今日は買い物にでも行こうかな。

 毛糸を補充しておきたかった所だし、それに明日から学校なんだし何か必要な物でも探しに行こう。

 

 簡単に今日の予定を決めた後に、のろのろと緩慢(かんまん)な動きでベッドから抜け出して、寝間着から普段着へと着替えた後に一階に降りた。

 洗濯物を洗濯機の中に突っ込んでボタンを押した。

 その後に気まぐれに玄関口に行き郵便ポストを開くと、手紙が一通入っていた。

 その内容を確認した後に、慣れた調子で返事の手紙を書く。

 まあどうせ今日は家から出ようとは思っていたのだから、ついでに郵便局に寄って出せばいいだろう。

 そんなことを考えながら鼻歌交じりに出かける身支度を整える。

 朝食のゼリー飲料を口にしながら、天気でも調べようかと思いテレビをつけると、速報で空間震(くうかんしん)のニュースが流れていた。

 

 空間震。

 三十年前にユーラシア大陸を焦土に変えた自然災害。

 発生原因は分からないが、何十、何万キロにも渡る範囲に地面にくり抜かれたような穴が出来た現象は、何億もの人の犠牲を伴い、人類史に大きな傷跡を残した。

 学校の授業でも幾度となく教えられてきたことだ。

 三十年前以降、あれ程大規模な空間震が起きることはなかったが、不定期に空間震が起きるようになった。

 それは日本も同様で、特に最近は頻繁(ひんぱん)に起こるようになったと感じている。

 ただの一般人の私でもそう思うのだから、お偉いさんはてんてこ舞いなのかもしれないが、そんなことは私にはどうでもいいことなのだった。

 だってシェルターに籠っていれば大した問題もないのだ。その為の防災訓練だって、小さな頃から何度だって学校でやっているわけだし。

 それにしても、ニュースの場所ってここの近くだったはずだよね……? 

 大丈夫だろうか。一抹の不安を覚えながらも、それこそシェルターに入れば大丈夫なのだと気を落ち着ける。

 

 テレビの時計を見て、洗濯物を干せる頃合いかと思って脱衣所に行き、洗濯機に入れたものをかごに突っ込んでベランダに干す。

 幸いにも量は少ないので、さほど時間はかからないだろう。

 適当に鼻歌を歌いながら、シワを伸ばしてハンガーに衣服を通す。曲はうろ覚えだけど、たしか宵待月乃という人の歌だったかな? 

 色々あって大変だったようだし、最終的に芸能界引退まで追い込まれたアイドルだったはずだ。

 アイドルはそこまで好きではないけど、彼女の歌は好きだったし……落ち込んでいたときも勇気と元気を貰っていた。

 だから彼女が引退することは少し寂しかったのかもしれない。……なんて、他人事ではあるんだけどね。

 

 最後の一枚を干した後に部屋に戻って時計を見ると、予想通りそこまで時間はかからなかったらしいことが分かった。

 少しの達成感を胸に、出かける準備を整えて玄関で靴を履く。

 

「行ってきます」

 

 私以外は不在だが、いつも通りに挨拶をしてから家を出る。

 外は春になったばかりと言うこともあってか、少し肌寒い。薄手のカーディガン一枚では心もとなかったかと思いつつも、もう一度家に戻るのも着替えるのに時間を取られるのも嫌だったからとそのまま歩き始める。

 家を出るのも久しぶり……詳しく言うのであれば、春休み中はまともに外に出ていないような気がする。

 今のままでは運動不足が否めない。

 少し遠回りをして家の近くの郵便局に手紙を出しに行った後に、家近くのショッピングモールに入った。

 やはり特売日と春休み最後の日なのも相まってか店内は人で賑わっている。とは言っても一階は食品売り場であり、食材を大量に買い込むことになるであろう私は大量の荷物を持って歩くのを嫌い、ここを後回しにすることに決めた。

 人混みの中を押しつぶされないように抜け出して、違う階に行く為にエスカレーターに乗り、まずは文房具のブースに顔を出すことにした。

 やはりいつもよりも賑わっているフロアの中でシャー芯やのりなどの欲しいものを探した後に、新学期に使うであろうノートを探しに行った。

 いつも通り、無難な物を選択して買い物かごに突っ込んだが、そのノートの隣にある物を見て思わず動きを止めた。

 桜色の和紙が貼ってある表紙のノートに、シンプルながらも目を惹かれた。

 表紙をめくってみると、淡い桜色の紙に桜の花びらがプリントされていて凄く私の心を揺さぶる。

 買ってしまおうか。いや、だけど教材用のノートはもう買ったし、無駄遣いは良くない。

 だが、しかし無駄遣いでなければ問題ないのでは? 

 そういえば、少し前から日記に使うノートが欲しかったのだ。

 それに使うということにすれば、誰も文句は言えないだろう。自分のことなんだし文句を言う人はいないだろうが、自己管理が出来ていない人だと思われるのも嫌だ。

 ……少し考えた後、結局レジに向かうことにした。

 

 そろそろ備蓄(びちく)も無くなるかと思って、一階の冷凍食品コーナーにも顔を出した。

 本来なら自炊するのが一番なのだろうが、自分の料理の出来なさを身にしみる程に理解している私は、その行動を取れずにいた。何にしようかと物色している時、後ろに気配を感じて振り返ると、気まずそうな顔をしている彼と目があった。

 ……あってしまった。

 

「あ、お前……」

「ひゃ、ひゃい! すすすみません!!」

 

 彼に声をかけられた瞬間に、彼から逃げる為に猛ダッシュで駆け出した。

 思わず、条件反射で。

 

 気づいた時には彼の顔が見えなくなっていたので、今更戻るのも気まずいので、食べ物を買うのは後にしてトイレットペーパーやシャンプーなどの消耗品を買いに行くことにした。

 レジで会計を済ませながら、先程の彼のことを考える。

 

 五河士道。

 彼は去年同じクラスだった男子生徒であり、五年前に私の隣の家に越してきた人物でもある。

 妹と両親の四人で暮らしている彼だが、彼の両親はどこかに出張に行っているようで、あまり家に帰っている姿を見たことがない。

 気づいていないだけで、もしかしたら帰ってきていたりもするかもしれないが、真実がどうかなど私には分からない。

 

 なにせ、私自体は五河君本人から聞き出すなんてことをするほど仲が良くない。

 挨拶をされれば返す、それくらいの関係だ。

 でも、それでも私にとっては特別なことであるように感じられる。

 まだ落ち着きを取り戻せない動悸を落ち着けようと胸に手を当てる。

 

 私は彼が、五河君のことが恋愛感情として大好きだ。

 一目惚れ、と言う訳ではない。

 凄く顔が整っていると言うわけでもないし、理由を聞かれると首を傾げざるを得ないが、困った時に助けてくれて、話を聞いてくれた。

 それだけで私にとって全てだった。

 

「明日、五河君と同じクラスになれますように」

 

 なんて。

 神さまなんている訳ないのに、こんなんやっても意味ないって分かってはいるんだけどな。

 それでも何かに(すが)らなければやっていけないということだろうか? 

 ……まあ、そうかもしれない。

 自分の願いを叶えてくれるんだったら、なんだって利用するべきだろう。

 

 全ての買い物を終わらせた私は、一回荷物を家に置きに行き、その後に近所をぶらぶらと散歩して見つけたパン屋さんに入った。

 扉を開いた直後、辺りにふんわりと漂う香ばしい香りに涎が出そうになったが、何とか押しとどめる。

 美味しそうなラスク一袋と昼ご飯になりそうなサンドウィッチなどのパンを二、三個買い、パン屋近くの公園のベンチでつまむ。

 別に焦る必要もないので、もそもそとゆっくり食べていると、公園の様子に目が向いた。

 公園には、どうやら数人の子供達とその親御(おやご)さんがいるようだ。

 子供達は元気にドッチボールや鬼ごっこなんかを疲れる様子なく遊んでいる。

 どこか懐かしさを感じる光景に口元が緩むのを感じるが、ここで笑ってしまえばお母様方から不審者を見る目を向けられるのは避けられないかもしれない。

 だから私はぐっと堪えて、パンの残りを食べきって持ってきていた水筒の飲み口をあおる。

 帰ってもすることがないので、食べ終わってからも立ち上がることなくその場でじっとしていると、陽に当てられてか少しまぶたが重くなるのを感じたので、子供達の賑やかな声をBGMに目をつぶる。

 しかし、ベンチで座ったままでは寝れるものでもないし、寝っ転がってしまえば本当に不審人物に転落してしまう。

 そのこと実に気がついてしまった私は、日向ぼっこも程々に立ち上がり、またぶらぶらと散歩しながら家に向かうことにした。

 この様子をもし友達に見られていたのなら、定年退職した老人のような生活リズムだと言われるのかもしれないし……この現場を見られていなくて良かった。

 

 

 家に帰った私はすぐに部屋に行き、カーテンを開けた後に目覚まし時計を一時間後にセットして、眠気のままにベッドにダイブして目を閉じて、暫くの間ぬくもりと安らぎを享受していた。

 チリリと鳴る時計に起こされて目を開けると、空の外は少し暗くなっていた。

 外に干していた洗濯物も丁度いい頃合いだろうと思い、取り込んで畳む。それを終えた後にはいつも夜ご飯を食べる時間となっていたので、今日買った夜ご飯を食べて風呂に入った。

 

 寝る前に今日買ったノートを開いた。

 そして思いつくままに真っ白なノートに文字を書き込み、ベッドに身を(ゆだ)ねて目をつぶるが、自分が思っていた以上に明日のことが気になっていたのか、中々寝付けなかった。

 しかし、じっとしていれば少しずつ眠くなってきて、気がついた時には意識がなくなっていた。

 

 

 

 

 

 ♢

 

 ──約束だからね。また君に会いに行くから……

 だから、その時は……

 

 

 

 ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が目に入った。

 変な夢でも見ていたのだろうか? 

 今日は大切な日なのだし、それも仕方ないのかもしれない。

 少し緊張するが……

 着慣れた制服に腕を通し、バターを塗ったトーストを(かじ)る。

 全ての身支度が整ったことを確認すると、スクールバッグを持って家を出て行った。

 

 今日から、二度目の高校生活が始まる。

 そんな中で私が気になるのは……彼と同じクラスになれたのか、ただそれだけである。



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一章
十香デットエンド 〜オリ主視点〜


4月9日 曇り

どうやら自分は忘れっぽいようなので、今日から日記を書こうと思う。

私は明日から高校2年生になる普通のゴミ屑だ。

そんな私には、まるで女子高生であるかのような悩みがある。

それは、隣の家に住んでいる五河君とまた同じクラスになれるだろうか?ということだ。

私は彼のことが好きだ。

確かに凄い格好良い訳ではないし、たまに目を合わせると睨まれてしまうこともあるけど、それでも優しくて何回か係のしごとを手伝ってもらったり、ドジを踏んでしまった時に慰めてもらった。

こんな私にも優しく接してくれる彼にたいして好意を抱くには時間はかからなかった。

まあ、彼にとっては私はただのクラスメイト、いや、ただの汚物でしかないだろうし、こんな私に気持ち悪い視線を向けられるのも嫌だろうけど、許して欲しい。

 

4月10日 晴れ

なんと五河君と同じクラスメイトになることが出来た。

神様、本当にありがとう。

席は遠いが、私の方は一番後ろの席なので、何時でも五河君を凝視することが出来る。

……まあ、こんなゴミクズみたいな奴に見られたくなんてないだろうから、五河君を見るのは程々にしておいた。

五河君の席の隣にいる人形みたいに無表情な女の子も、彼のことをガン見していたみたいだけど、もしかして彼女も彼のことが好きなのだろうか?

それとも、二人は付き合っていたりするのだろうか?

私は、もやもやした気持ちで日記を綴った。

 

……別に良いのかな。あわよくば五河君と付き合いたいと思っている身の程をしらない自分がいるけど、一番大ことなのは彼が幸せである、ってことだから。だからそれが叶えば良いのかな。

そう思っている自分がいるのに、それは嫌だと駄々をこねる自分もいる。全く以てままならない。

 

それと、今日は空間震が起きた。

だというのに五河君はシェルターではなく、外へと走っていった。

大丈夫だったのだろうか?

心配でついていこうかと思ったが、たまちゃん先生に捕まった為、五河君を見失ってしまった。

今日は彼に会うことが出来なかった。

やっぱり先生から逃げて追いかければ良かったと後悔。

不安で不安で今日は眠れなかった。

 

4月11日

五河君が登校しているのを確認した。

それは良かったと思ったのだが、どこか彼は上の空でぼーっとしている気がしてならない。

昨日何かあったのか気になったので話しかけてみようかと思ったが、私みたいな身も心もキモくて最悪な奴に声をかけられたくないだろう。

どうしよう、どうしようと考えた結果が出たのはホームルームが終わった後で、結局私は彼に話しかけることにした。

ドキドキと昂なる胸を押さえつけて何を話そうか考えたのだが、言葉が中々出てこない。

私は、ぐるぐると廻っている思考の中から一言二言を引きずりおろして、そしてレモンキャンディー(チュッパチャップスではない)を彼に渡し、自分の席に逃げ帰った。

不審に思われただろうか?

ちょっと自分としたことが正しかったのか不安になった。

あと、私が去っていったのを確認したかのようなタイミングで美人の女の子(鳶一さんと言う名前らしい)が五河君を引きずって何処かに行った。

その際、鳶一さんは人を殺せる位の殺気をこめた目で私を睨みつけてきた。かなり怖い。

これは五河君に近づくなってことだろうか?

怖い、怖いけど………

 

4月12日 晴れ

何やら五河君が元気がないような気がする。

昨日、鳶一さんと何かあったのだろうか?

いや、でも昨日みたいに上の空な訳ではない。

それよりも何かに疲れているような……?

もしかして他に何かが起きたのだろうか?

気にはなるが、何にしてもクラスのゴミ屑でしかない私は聞いてはいけないだろう。

いや、ゴミ屑だからこそ聞いても良いのか?

……ここまで考えた私は思考を放棄した。

 

4月13日 曇り

昨日よりも五河君が疲れている。

この前にあげた飴を明日は持ってこようかな?

これはただの勘なのだが、明日は今日以上に五河君がヤバくなっていそうなのだ。

 

4月14日 雨

(あめ)だけに(あめ)ってね……

つまらないダジャレというかオヤジギャグが書けるのは日記だからこそだろう。

昨日の私の勘は当たっていて、五河君は昨日よりも疲れていた。

私は彼にまた飴を渡した。

その時の胸の高鳴りようは酷く、私の方が彼よりも先に死んでしまうところだった。

危ない危ない。

ちなみに今回の味はグレープ味にした。

今度は何味にしようか。

 

4月15日 雨

昨日、今日と雨が続いている。

私の気分はただ下がり……という訳でもない。

私は雨は好きだ。

傘をさして雨の中に立ち尽くすのもいいが、傘をささずに雨の中を立ち尽くしたり歩いたりするのも好きだ。

もしかして私は変わっているのだろうか?

あまり他の人と関わらないのでどうなのか分からない。

それと、今日も五河君は死にかけていた。

 

4月16日 曇り

雨は止んだが、空は雲に覆われていてなんとも嫌な感じだ。

雨は好きだけど、雲は好きじゃない。

中途半端、だからだろうか?

 

4月17日 晴れ

やっと晴れてくれた。

心なしか五河君の顔も元気になって……いないな、うん。

飴をあげる以外に、私が彼にしてやれることはないのだろうか?

 

4月18日 晴れのち曇り

あることに気が付いたのだが、五河君は人と話しているときは迷惑をかけないようにか、いつも通りという訳ではないが、1人でいるときよりは無理している気がするのだ。

無理なんかしなくていいのに

 

4月19日 曇りのち雨

移動教室の時に支度をして五河君の席の前を通った時、彼が何かをぶつぶつと呟いていることに気付いた。

何を言っているのか聞きたくて耳を澄ましていたのだが、デートは何処でして、いや違うそれでは好感度は上がらない、などと言っているようだ。

もしかして彼には彼女がいるのだろうか?

いや、小学校、中学校と彼に彼女はいなかったはずだ。

もしかして……鳶一さん?

あの時私を睨みつけていたのは私の士道に手を出すな、ってこと?

付き合っていたからあの時2人で何処かに行ったの?

何がどうなのか分からなくて不安で今日も眠れなかった。

 

4月20日 曇りのち晴れ

オールしてしまった。

頭がガンガンとしてグラグラする。

歩いているのに足元がふらふらする。

日記に何を書いているか分からない。

……休み時間にゴミ(私ではない)を捨てようとしてゴミ箱に向かっていたら五河君の席の辺りで倒れてしまった。

気が付いたら保健室にいて、保健の先生に五河君に運んでもらった旨を教えてもらった。

驚いた、彼は意外と力があるんだな。

いや、かじばの馬鹿力って奴なのだろうか?

まあ、どっちにしてもお礼を言わないといけないだろう。

教室に戻った私は五河君に感謝の言葉をどもりながらも伝えた。

五河君には別に構わないと言われたのだが、その後に頭を掻きながら、寝不足なのか、もしかして30年くらい眠ってないんじゃないか、と言われた時には驚いた。五河君も冗談を言うんだな。

30年間も眠ってないって人間じゃないよ。

 

4月21日 晴れ

そういえば昨日、鳶一さんと付き合っているのか五河君に聞けなかったな。

まあ、そんなことをゴミ屑から言われたら嫌だろうし、聞くに聞けなかったんだけど。

そうそう、今日は驚きのことがあったんだった。

私が放課後に少し図書館に寄って帰ろうと思って廊下に出たら、五河君にばったりと会ったんだ。

そこで他愛もない話をしていた……ような気がする。

ぶっちゃけると、そこら辺の記憶がないのだ。

だから何を言っていたのか分からない。保健室で目が覚めた時に、隣にいてくれた五河君に何を話していたのか聞いたのだが、特に何も凄いことは話していないと言われてしまった。

 

その後内容について詳しく聞きたかったから彼に話しかけようとしたのだが、その後空間震が起こってしまったので聞けなかった。

今回ばかりは空間震が憎い。

彼に何か恥ずかしいことを言ってしまったりしなかったのだろうか?

あと、空間震が起こったから五河君と一緒にシェルターに行こうとしたら、忘れ物したと言って、彼は私とは逆の方向に向かってしまった。

呼び止めようとしたのだが、彼はもう声の届かないであろう位置にいたのでやめた。

もしかして私とは一緒にいたくなかったのだろうか?

一緒にいたくないのに2回も保健室に運んでくれるなんて、五河君はやっぱり優しい人だな。

 

4月22日 晴れのち曇り

空間震の影響で学校が休みだった。

私は1日部屋にこもっていても暇なので街で買い物へ行くことにした。

隣に五河君の家があるけど、何も用がないのに来ちゃうことなんて出来ない……そして行ったこともないはずだ。

好きな人が隣の家にいるなんて、他の恋する乙女からしたら羨ましいかも知れないが、生憎と私は恋する生ごみだ。

生ごみが家に来たら気持ち悪くて五河君や妹の琴里ちゃんが倒れちゃうかもしれないじゃん。

 

ちょっと遅めの朝ご飯を食べようと思ってパン屋にきな粉パンを買おうとしたら、店の中で女の子とデートしている五河君を見つけた。

隣にいたのはこの世のものとは思えないくらいに美しい子だった。特に私が気になったのは水晶のように透き通った綺麗な目だった。

見られていると落ち着かなくなるような……

なんてこった。こんな美人と五河君は知り合いだったのか。

 

そんなことを思いながらきな粉パンを買おうとしたら、きな粉パンが店から消え去っていたので、私はチョコクロワッサンを食べながら五河君と女の子についていくことにした。

主にはパン屋に行ったり、ゲームセンターで遊んでいたりしていな2人だったが、“大人の休憩所”に行こうとしていた時には焦った。

まあ、結局行かなかったみたいだけどね。

女の子が純粋な目であそこに行こうシドー!と言っていたのだが、もしかしてあそこを大人のあははんうふふんな休憩所だと知らないのだろうか?

……純粋、だなあ。

 

五河君と女の子が公園に入ったとき、誰かがドス黒い殺気を女の子に向けて放っていることに気付いた。

つい先日感じたようなそれに、気になってその殺気のする方角を見てみたら、物凄く厳つい武器を女の子に向けて構えている鳶一さんの姿があった。

物騒だけど、見当はつけられる。

五河君のことが大好きな彼女は、その五河君が知らない女の子とデートをしているということに苛立ちを考えているのだろう。

そうは言ってもこのままでは五河君が巻き添えを食らってしまうかも知れない、五河君は頼りになって……こんな私にも優しくしてくれたんだ。

そんな五河君がいなくなってしまうなんて嫌だ。

……五河君は、私が守る

 

4月23日 晴れ

昨日は疲れて、日記を途中まで書いた後に寝てしまったので、昨日の続きから書こうと思う。

昨日、すんごい威力のありそうな攻撃が女の子に向かっていたのだが、その攻撃を五河君が庇おうとしたのか、女の子を突き飛ばした。

本来なら、彼は女の子の代わりにその攻撃を受けて、体に大きな穴が出来るはずだった。

 

私はあの攻撃がどうやったら防げるかどうか考えてみた。結果、あれしかないと考えた私は去年に祭りで買ったとあるアニメキャラの仮面を被り、五河君と女の子を抱きかかえて安全圏まで跳んで逃げた。

 

そして二人を公園の外にあったそこら辺の路地裏まで運んだあと、私は直ぐに逃げようとした……のだが、五河君と女の子にお礼の言葉を言われた。

本当は返ことをしたかったんだけど、声で五河君に私がクラスにあるゴミ屑だとバレてしまう可能性があった為、声もこと出せずに逃げ帰ってしまった。

だってクラスのゴミ屑が自分を助けたなんて知りたくもないはずだ。

 

昨日の話はここで終わりなんだけど、今日の話をしたいと思う。

今日はなんと転校生が来たんだ。

その子はびっくりなことに、昨日五河君と一緒にいた女の子で、夜刀神十香さんと言うらしい。

彼女は私を見て何故か驚いた様な顔をしていたが、それ以上に私は彼女を見て驚いた。

 

……紆余曲折があったが、夜刀神さんは士道の隣の席(鳶一さんの反対側)に座ることになった。

その際に夜刀神さんと鳶一さんが口論をしていたのだが、それを止めるの五河君の横顔がとても疲れていたのだが、まあ私はこんな日常ならウェルカムだ。

……まあ、夜刀神さんが好意の持った目で五河君を見ていたのは頂けなかったが。

 

五河君、なんたって君は可愛い子ばかりにモテるんだ。

私では同じ土俵に立つことすら出来ないではないか。

いやまあ、どんな子とも同じ土俵に立つことは出来ないけども。

ホームルームが終わった後、私はそう思いながらトイレの鏡に映る自分の顔を見つめた。

相も変わらず、私の顔は醜い。

そのはずなんだけど……一瞬、私の顔がいつもと違っているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 

 今日はとても大切な日だ。なんて言ったって、士道が精霊……十香を封印出来るかも知れない日なのだから。

だから気を抜かないようで二人を観察しなくてはならない。

そう思いながら、私は十香達の映っているモニターを確認する。

 今、士道と十香は公園にいる。願わくば此処で精霊の力を封印してもらいたい。

 しかし、私はモニターに映っているもうひとつの存在を確認した。

 AST。精霊達を武力で殲滅することを目的としている組織。

 流石に一般人がいるところを奇襲を仕掛けるとは思わないが……どうやらそう思っていたのは甘かったらしく、ASTの団員が十香に向けて武器を向ける。

そしてそのことに勘づいたのか、士道が十香を突き飛ばす。

 そして士道の脇腹には大きな穴が開く──はずだった。

 イレギュラーが起きたのだ。

 凄い速さで跳んで来た“何か”が士道と十香を攻撃の届かない場所に逃がし、そして消えた。

 あとでその場面をスローモーションにして確認した所、その何かの正体は昔人気だった魔法少女物の面を被った人型だった。シンプルな服とスカートを履いており、胸に膨らみがあることから女だということが分かる。

 精霊なのか? しかし、霊装を纏っていないし、その体からは一欠片の霊力も確認出来なかった。

 彼女は何者なのだろうか? まあ……でも……

 

「士道と十香を助けてくれたし、悪い奴じゃないのかもね」

 

 おにーちゃんを助けてくれてありがとうね。また、今度会うことがあったらチュッパチャップスでもあげよう。そんなことを思いながら、私は士道と十香をフラクシナスに転移させるように部下に命令した。

 

 ……この時、私は知らなかった。彼女が自分の家の隣に住んでいる少女であり、いつでも会う機会があるということに。




オリ主は精霊の事を知りません。
ですが、なんとなく十香が人間じゃないような気はしています。
士道の事は、普通の人間だと思っています。

あと、士道と十香はフラクシナスに回収された後キスをしています。
なので十香はちゃんと霊力を封印されています。
あと、士道は自分が並大抵の攻撃じゃ死なないこと、自分がキスで精霊の霊力を封印する事が出来るのは、フラクシナスに回収された後に知りました。


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十香デットエンド ~士道視点〜

 4月10日。なんてこともない日になるはずだったその日は、俺の今までの人生の中で最も不思議な日になった。

 

 昨日までは琴里や殿町達と騒がしくも平和な日常を送れていたのだが、それは精霊と出会ってしまったことで崩れていってしまいそうだ。

 精霊。

 空間震警報が鳴っているときに街へ琴里を探しに行って出会った存在。

 この世のものとは思えない程美しく、ASTの攻撃を片手であしらえる程に圧倒的な強さを持っている少女。

 

 故意に起こしているか、それとも無意識に行っているのかは分からないらしいのだが、空間震は精霊によって起こっているらしい。

 どちらにしても、ASTは空間震を起きないように精霊を攻撃し、殲滅しようとするだろう。

 

 だけど、精霊が故意に空間震を起こしているなんて、そんなことあるはずがない。……そんな奴があんなにも悲しい顔をするはずがない。

 

 今にも泣きそうな目を。

 自分以外を映さない瞳を。

 世界に絶望しきった顔を。

 

 

 泣かないでくれ、世界はそんなに悲しい物じゃないんだ。

 世界には、そりゃあ悲しいこともあるけどさ、楽しいことだってたくさんあるんだ。

 だから──そんな絶望しきった顔、しないでくれよ。

 

 

 

 ……まあ、そうは思っていたのだが、それは間違っていないのだが。

 

 ……いやいやいや! 何さ、精霊に恋させるって! 対話なら分かるけど! おかしいだろ! そんな流れじゃなかったって! 

 そんなことを思いながらベットにダイブ。

 風呂にも入っていないが汚いとかそんなことは関係ない。琴里の話に渋々ながら承諾したら、じゃあ明日から訓練よ! などと悪人面で言われ、その後に知らない男の人に精霊のことや敵対組織の話を意識が飛びかけながら深夜まで長々とをされて、よく分からない書類にサインをさせられ、今やっと家に帰れた所だったのだから。布団を被った瞬間、俺の意識は驚くほど早く落ちていった。

 

 

 

 翌朝。

 重い体を引きずり学校に行き、眠い授業に耐えて帰りのホームルームを終え、そして帰りの支度を済ませたときだった。

 

「あ……あの、五河、君」

 

 鈴を転がすような綺麗な声。

 しかしその声は弱々しく、消え入りそうだった。

 ……聞いたことがある声だと思いながら、俺は後ろを振り返った。

 そこには、目を閉じて顔を下に向けている、肩につくくらいの長さの髪の女子生徒の姿があった。この女子生徒は、昔から俺の隣の家に住んでいる女の子で、名前は……

 

観月(みづき)京乃(きょうの)……?」

 

 俺がそう聞くと観月はビクッと肩を震わせ、こくこくと頷いた。

 

 観月京乃。去年から同じクラスで、小さい頃から俺の隣の家に住んでいる少女。

 基本的に弱々しい表情をしていて、人と話すのが苦手なのか、いつも自席にいたような気がする。

 なんてことを考えながら、話しかけてきている観月を見る。観月はそんな俺の視線からビクッとして目を逸らしたあと、俺の顔を遠慮がちに見つめて口を開いた。

 

「………あの、大丈夫ですか? 疲れて、いるみたい、ですけど」

 

 俯きながら途切れ途切れに彼女はそう言った。

 もしかして、昨日のフラクシナスの一件での疲れが顔に出てしまったのだろうか? 

 ……頑張っていつも通りに振る舞っていたつもりだったが、無理があったか。

 

「全然大丈夫だ。その、悪いな。気を使わせてしまって」

 

 俺は少し気を落とすと、観月はぶんぶんと首を横に振った。

 

「そ、んなことないです! あと、あ、あの。あ、飴どうぞ。……さ、さようなら!」

 

 観月は俺の手にレモン味の飴を乗せると、慌てながら自分の席に戻った。

 ……何だったんだろう? そう思いながら手の上に乗っている飴を見つめる。

 そこまで観月と仲良くなかったから分からないけど、彼女は昔から積極的に人に話しかけるタイプじゃなかったような気がするのだが。

 ……ん? 昔から? 

 俺は自分の思考に疑問を持った。

 そういえば観月って昔はあそこまで──

 

 そこまで考えた所で誰かに話しかけられたことにより、その思考は遮断された。

 

「五河士道。話がある、着いてきて」

 

 声をかけてきたのは鳶一折紙だった。学年一の天才であり、精霊と敵対している組織であるASTに所属している少女。

 さっき観月と俺が話していた時にこっちを見ていたのだが、もしかして話が終わるまで待っていてくれたのだろうか?

 そんなことを思っていたら、突如鳶一に手首を捕まれ、引きづられながら教室を出た。その際に落とさないよう、レモンキャンディーをズボンのポケットにいれておいた。

 教室から出るときに、観月に不安そうな顔を向けられ、女子の集団にはキャーキャーと叫ばれ、後方にいる殿町にはポカンと口を開けられたが、今はそのことについて考えられず、何で鳶一に引きずられてるのかということについて考えるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「……私のような犠牲者を増やさないようにする為に、か」

 

 鳶一が屋上の扉の前から立ち去ったあと、俺は壁にもたれかかって息を吐き、その言葉を呟いた。

 琴里は精霊が世界を壊すことを対話で解決しようとし、鳶一は精霊を殲滅することで解決しようとしている。

 どちらのやり方も間違ってはいないのだろう。

 だけど、ASTのやり方では双方が悲しい結末を迎えるだけだ。

 精霊は世界から憎まれ続け、鳶一は精霊に心をとらわれたまま。

 

 

 ……まあだからといって、琴里のやり方に賛成という訳ではないのだが。

 だから何だよ精霊に恋をさせるって。ふざけてんのか? 

 いや、本人達は至って真面目なんだろうけど。

 そうでなかったら、フラクシナスなどという空中艦に乗っている意味が分からない。

 

 ……俺はどうすればいいんだ。

 俺はため息をつき、屋上の前から立ち去ろうとした時、廊下の方から女子生徒の悲鳴が聞こえた。

 

 その女子に駆け寄ると、その近くに人が倒れているのことが確認できた。

 驚いて近づいてみると、倒れている人物は見たことのある顔だった。

 

「令音さん……!?」

 

 

 

 琴里の所属している組織の解析官である令音さんと鉢合わせ、高校に来ていた琴里と合流し、生物室のあったはずの部屋に行き、間違うとペナルティでラタトスクやクラスメイトに黒歴史を晒されるという非常にありがたくない特典付きでギャルゲーをやらされ、そして帰宅。

 

 ……辛い。とても辛い。

 妹とその他大勢の前でギャルゲーをしているという状況も俺の心を削っているんだが……

 

 何でミスったら黒歴史が晒されるんだよ! 

 封印したかった過去が俺のSAN値を確実に削っていく……! 

 それに公開処刑とか何プレイだよコンチクショウ!!! 

 

 そんな思いや焦燥を胸に、恋してマイ・リトル・シドーというギャルゲーを始めてから10日が過ぎ、遂に全クリをすることが出来た。

 安心したのだが、二次元か三次元にパワーアップして、たまちゃんや鳶一を褒めちぎることになった……のだが……

 

 ただ褒めていただけのはずが、たまちゃんと結婚したいという話になった途端に恐ろしい形相になってしまったたまちゃんから逃げ、次に好感度を上げることになった鳶一も何故か付き合うことになってしまった。

 

 そして鳶一からも逃げてしまい、精神的にくたくたになりながら図書室の前を通ったら、丁度そこの扉を開けた観月と衝突した。

 

 ……頭付きは食らったが、鳶一の時みたいなラッキースケベなイベントなんか起こらなかった。

 ぶつかったあと、めっちゃ謝られたけど。

 その様子を見ていたのか、琴里からインカム越しに声をかけられた。

 

『士道、彼女なんか良いんじゃないかしら』

「……は?」

 

 俺は慌ててインカムを抑え、小声で話しかけた。

 

「……ま、まだやるのか」

『ええ、当たり前でしょう? 

 彼女も鳶一折紙同様、人に言いふらすタイプではないし、知らない仲でもないし』

 

 よくチュッパチャップスも貰ってたしとね、と呟く琴里。心なしか嬉しそうな声である。

 

『士道、今からいう言葉を……』

「いや、何か嫌な予感しかしないんですけど!!」

 

 琴里が命令しようとする前に強制終了させた。

 ラタトスクの言葉に従ってしまったせいでどれだけの被害を受けたと思っているのだろうか? 

 そう思い、半端ヤケになりながら、俺は自分から観月を褒めることにした。

 

「……観月って昔から可愛いよな!」

「……? 五河君、何言ってるの?」

「もう超可愛い!」

「あの……」

「観月マジ天使!」

「あの、五河、君?」

「可愛い、可愛いよ!」

「……」

 

 まくし立てたせいか、観月は茫然としている。

 その反応で冷静になって、恥ずかしくなり顔を下に向けた。

 

「だからさ、そんなにビクビクしなくても良いと思うぞ? もっと自分に自信を持って良いと思う」

 

 そこまで言って顔を上げて観月の顔を見た。

 彼女の顔には無理やり作ったかのような笑みが浮かべられ、その目からひと粒の小さな雫が落ちた。

 ……あれ? 何か言っちゃ駄目なこと言ったか? 

 そんなことを思ったりもしたが、全くと言っていいほど心当たりがない。

 だが。彼女の作った笑みの中に隠れている絶望、恐怖といった感情には気づくことが出来た。

 彼女の身に何があったのだろう。何故彼女に隠れている絶望に気づくことが出来なかったのだろう。

 それに、俺と観月は昔からの()()()()なのだから…

 だから何なのだ? 

 自分の中にある訳のわからない感情に振り回られる中、彼女の声が聞こえた。

 

「……そんな、はずは……」

 

 観月が戸惑ったように震えた声でそこまで言った途端、彼女の体がぐらりと傾いた。

 

「観月!?」

 

 俺は驚きながらも、倒れそうな彼女の体を支える。

 声もかけてみたが、気を失ったようで返事がない。

 ……昨日も倒れてたけど、何か病気でも持ってるのだろうか? そう思いながらインカムを突くと、暫くの沈黙の後に琴里から返事が帰ってきた。

 

『士道。彼女を保健室に送ってあげなさい』

「あ、ああ分かった。えっと琴里……」

『何よ』

「……訓練、もう良いのか?」

『人が倒れたんだしそっち優先に決まってるじゃない。それとも何? 彼女のこと放っておいて訓練続行する? いや、別に私はそれでもいいけど、この場を他の人に見られていたら、士道は倒れた女の子を見捨てたクズ野郎と言うことに……』

「いや、そんなことする訳ないだろ!!」

『ふん、ならそれで良いじゃない。士道は京乃を運べば良いの。……そうね、起きるまでは待ってあげたら? 起きた時、見知った顔があったほうが嬉しいでしょうし』

 

 心なしか柔らかい声音に同意し、どうやって観月を保健室に運ぶかを考える。おんぶは相手が起きていないと無理だから、お姫様だっこってやつになるのだろうか。

 何か恥ずかしいと思いながら、観月の体を持ち上げた。

 不可抗力で触ってしまった太ももや、鼻にふわりと入っている甘い香りに良からぬ考えが……

 ここまで考えた後、そんな邪念を振り切るように頭を振る。

 ……観月、軽いな。まさか本当に持ち上げられるとは思ってなかった。ちゃんと飯食っているのか? 

 少しの不安を感じつつ、直ぐ近くにあった保健室に入る。驚いた顔をしている保険の先生に事情を説明し、観月が起きるまでここにいる旨を伝えると、快く承諾してくれた。

 

 

 観月を保健室に運んで数十分が経過し、起きないんじゃないかと不安になってきた時、観月は目を覚ました。

 彼女は、隣に俺がいることに驚いていたようだが、すぐに何かに思い当たったのか、納得した表情を浮かべていた。

 

「ごめん、いきなりあんなこと言って」

 

 俺は頭をさげて謝った。

 可愛いだの、天使だの、そんな仲良くもないやつに言われて嬉しいはずがないし、いきなりそんなことを言われたから驚いて倒れてしまったんだろう。

 だから、そのことについて謝ったのだが……

 

「何が、ですか?」

 

 きょとんした顔でそう返されてしまった。

 本当になんともないかのように。

 その反応に、何か違和感を感じながら俺は言葉を紡いだ。

 

「何がって、いきなりあんなこと言ったことだよ」

「……? あの、もしかして何かあったんですか? 

 すみません、五河君と図書室前で会ったのは、覚えているんですけど、その後の記憶が無くて……」

 

 覚えていない、のだろうか。それはそれで俺にとっては嬉しいというか好都合なんだが……

 そんなことを思っていたら、ずいっと顔を近づけられた。

 

「あの……何、話していたんでしょうか?」

「え……? あ、いや、しょうもない話だし、聞いても面白くないぞ?」

「……別に面白くなくて、良いです。だけど、自分が何してたのかくらいは、知りたいです」

 

 取り敢えず、興味を減らす方向に持って行こうとしたのだが、逆効果だったようだ。

 寧ろさっきよりも興味を持たれているような気がする。

 

「えっと……だけどだな……」

 

 

 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ──────

 

 

 冷や汗をかきながらその続きを言おうとした時、空間震警報が鳴った。

 

「空間、震……」

 

 観月が音のする方を見ながら呟く。

 

「またか。観月、シェルターまでいけそうか?」

 

 いきなり倒れたし、後遺症みたいなのが残っていないか不安なのだが……

 

「……大丈夫。全然大丈夫、だよ。

 だから五河君は、私の心配なんてしなくていいから、……君は、自分の心配をして、ね?」

 

 弱々しい笑みを浮かべながら彼女はそういった。

 ……単なる親切心から言われた言葉なのだとは思うが、今の俺にはその言葉が違った意味で聞こえてしまう。

 

『士道、空間震よ。一旦〈フラクシナス〉に移動するわ。戻りなさい』

 

 精霊の前で自分の身の心配なんかしてても、下手したら死ぬんじゃないかなぁ……なんてな。

 

 

 

 本当に死ぬところだった。だけど、精霊……十香にはデートまで取り付けることが出来たし、まあ結果オーライだろうか? 

 

 そう思いながら布団を被る。 

 

 十香とデート。デートって何をすれば良いんだ。遊園地にでも行くのか? 

 ……思うようにいくだろうか? 

 久しぶりにあの呪縛(ギャルゲー)から解き放たれたんだし、明日も学校があるのだろうから早く眠りたいのだが、緊張して眠れない。暫くの間布団にくるまっていたのだが全然寝つけないので、寝るのは諦めて布団から出た。

 

 ちょっとは眠くなるかもしれないし、ホットミルクでも飲むか。

 そう思い、物音をたてないようにしてリビングに行き、カップに入れたミルクをレンジで温めてスプーン1杯分のハチミツを入れて自室に戻った。

 ボーッとしながらちびちびと飲み、カップが空になった後、制服のポケットに飴を2つ入れていたことを思い出す。

 ……琴里に朝はチュッパチャップスなんて食うなと言ったが、自分も人のことは言えないかもしれないなんて思いながらポケットからブドウとレモン味の飴を取り出して、なんの気なしにレモン味の飴を口に含む。

 その味で、昔飴をくれた子がいたことを思い出した。

 よく覚えていないけど、世話焼きな子だった気がするな……

 そんな懐かしいことを思い出すと同時に少しずつ眠気が出てきた。その眠気に身を任せ、意識は遠のいていった。

 その日は、懐かしい夢を見たような気がする。

 

 

 

 

 

 ……学校が休みで、十香と会って、デートで。

 

 最初はいきなり現れた十香に驚いていたが、ラタトスクの助けもあり、順調にデートをすることが出来た。

 ……ラタトスクの策略で大人の休憩所の前に来てしまった時は、泣きたくて仕方がなくなってしまったが。

 それはさておき、今、俺と十香は公園にいる。

 そして、十香にこの世界にいていいんだといい、それを聞いた十香は泣きそうな顔で恐る恐る俺の手を取ろうとして──

 

 嫌な感じ。寒気。殺気。

 そんな悪意の塊が十香の方へ向かっているのを感じて俺は十香を突き飛ばした。

 十香には不満を言われるかもしれないけど、仕方ない。そう思いながらぎゅっと目を閉じる。

 そして、誰かに抱えられる感触と訪れる爆音。

 抱えられた後、凄い勢いで体が引っ張られて引き裂かれるような痛みが来たが、それも一瞬の内に終わる。

 不思議な浮遊感がなくなったから恐る恐る目を開けると、目の前には何が起こったのか分からずに困惑している十香と、国内で人気のある魔法少女のお面を被った女の人がいた。

 

 

「……あの、助けてくれたんですか? ありがとうございます」

「……」

 

 俺がお礼を言うと、女は無言でぺこりと頭を下げ、目にも止まらぬ速さで跳んでいった。

 もしかして精霊なのだろうか……? 

 あれ、そういえば精霊ってそんな何人もいるものなのか? ……琴里には言われてないが、可能性はあるな。

 

 そんなことよりも、俺と十香は今、公園の外の路地裏のような所にいるみたいだが、この後どうすればいいのだろうか。

 そんなことを考えながら、インカムを突くと琴里の声が飛んできた。

 

『……な、何よ士道!』

「何って……どうすれば良いんだ?」

『そんなことも考えられないの? 少しは自分で考えてみたらどう? そんなことだから士道はミジンコレベルなのよ。……急いで十香とキスをしなさい』

「は? 何言って」

『取り敢えず十香とキスすれば良いから! そうすれば十香の精霊としての力は封印されるの! 詳細は後で伝えるから早くしなさい!』

 

「……え、あ、わ、分かった」

 

 インカムから琴里の焦った声が聞こえる。

 何でなのかは分からないが、急いでキスをしないといけないらしい。

 

「と、十香……」

「な、何だ、シドー」

 

 俺の動揺を察してか、十香も緊張した声を出す。

 

「……言ったよな。この世界で暮らしたいって。これ以上この世界を傷つけたくないって」

「あ、ああ、勿論だシドー!」

「そ、その。俺とキスしたらそれは可能になるんだ。だから……」

 

 俺が歯切れ悪く伝えると、十香は俺の手をガシッと掴んで、大声を上げた。

 

「キスとは何なのだ!?」

「……えっと、キスって言うのは唇と唇を合わせることで──」

「これでいいのか?」

「……っ!?」

 

 ……キスを知らないとは思わなくて恥ずかしくなりながら説明したら、いきなりキスをされた。

 柔らかい唇の感触と仄かにする甘い香りに頭がクラクラしそうになる。

 そして、キスをすると同時に十香は全裸になり、ふらりとよろめいた。……それを見てしまった俺は狼狽しながら十香を受け止める。

 

 

「シドー……これは、いったいどういうことだ!?」

「えっと…」

 

 どういうことなのかは俺の方が聞きたいのだが。

 そう思いながら再度インカムを突くと、琴里がいつもの調子で声をかけてきた。

 

『ちゃんと封印出来たようね。

 今から士道達をフラクシナスに移動させるから。あ、質問はすべてフラクシナスで受け付けるわ』

 

 じゃあ行くわよ。などと琴里に言われた後、フラクシナスに来るとき特有の浮遊感に包まれて気がついたらフラクシナスに着いた。

 

 

「し、シドー、いったいここは……」

 

 そりゃ、いきなりこんな所に連れて来られたらそうなるかと思い、返事をしようとしたら琴里に妨げられた。

 

 

「フラクシナスへようこそ、十香。歓迎するわ」

 

 

 

 

 

 




前話にも書きましたが、この後で十香と士道に事情が説明されます。


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四糸乃パペット 〜オリ主視点〜

5月10日 雨

今日、私は雨の中、とびきりの美少女と出会った。

海のような青のふわふわの髪と蒼玉(サファイア)のような瞳が印象的な、ウサギのフードつきの可愛いコートを被っている中学生くらいの、ちょうど琴里ちゃんと同じくらいの歳の子。

フランス人形のような、自分とは全くの別次元の存在なのではないかと疑ってしまうほどに端正な顔をしていて

 

いや、そこはあまり問題ではないのかな。

問題なのは、この子に夜刀神さんやあの子と同じようなナニカがあることであって。

そのことに気がついてしまった私は、知らず知らずの内に少女に接近しまっていた。焦りながらどうしようか考えていると、少女がパペットの口をパクパクと動かしながら、腹話術のように甲高い声を発しながら話しかけるものだから驚いてしまった。

あ、そうそう。こんなゴミ虫以下の存在である私がこんなに近づいてしまうと可哀想だから、急いで一定の距離をとっておいたら、パペットに体を揺らしながら笑われてしまった。

たまにノイズがかっているように言っている言葉が聞こえなかったが、そこは無視して少女、というかパペットと話をしてみたら、こんなことが分かった。

 

・少女の名前は四糸乃

・パペットの名前がよしのん

・よしのんは四糸乃を守る為に存在する?

・四糸乃は精神的に弱いので、いつもはよしのんにどんな行動をするか任せている

・この世界に来ると、びゅんびゅん飛んでいる人たちに攻撃される(しかし四糸乃には傷1つつくことはない)

・要約するとこの少女は別次元から来た存在らしい

 

纏めてみてなお頭が痛い。つまりどういうことなんだろう。四糸乃ちゃんは人じゃないんだよね?

ビームとかで攻撃されても傷ひとつつかないって可笑しいし、この世界に来るって言葉もこの世界以外があるってことを暗示しているのだし。

四糸乃ちゃん可愛いなー別次元の存在みたいだなーとは思ったけど、本当にそうだとは思わなかった。 混乱するけど、多分本当のことだろうし受け入れよう。そうだとすると、夜刀神さんに謎の攻撃が向かっていた理由も分かるし。

 

だとすると鳶一さんは夜刀神さんや四糸乃ちゃんの敵対組織に所属しているのだろうか?

だとしたら、いつも2人が喧嘩している理由も納得だな。ただ五河君を取り合っているだけなのかと思っていたけどそういう訳ではなさそうだ。

 

新しい情報はこんなものかな?

そこまで聞いたあとで、これ以上雨に濡れちゃうと風邪引くかもしれないから、四糸乃ちゃんを自分の家に招待し、体が冷えないようにホットミルクと、家にあったお菓子を四糸乃ちゃんにあげたら小さな声ではあるけど、幸せそうな顔で美味しいと言ってくれた。

自分が作った訳でもないし、自分が作った物を食べさせる訳には行かないから買ってきたお菓子をあげたけど、幸せそうな顔が見られて満足である。

それで、次は何しようなんかと考えていたら四糸乃ちゃんは部屋からいなくなってしまった。

四糸乃ちゃんはこの世界と他の世界を行き来できると言っていたから別にそのことは不思議ではないのだけど、それは何でなのかと考えた結果、彼女は私が嫌でいなくなったのだろうと言うことに気が付いた。

まあ私のような存在が好かれる訳がないと思っていたけど、なんかちょっと悲しいな。

 

 

5月11日 晴れのち雨

今日は学校で料理実習があった。

作ったものはクッキーで、結構上手く作れたかなと思って五河君にあげようとして、やめた。

私が作ったものなんて食べたら五河君は深刻な病気にかかってしまうというのもあるのだが、鳶一さんと夜刀神さん、どちらのクッキーを五河君に食べてもらうかという内容で喧嘩しているのを横目に五河君に私のクッキーを渡すなんてことをしたら、夜刀神さんは分からないが、鳶一さんには殺されそうだからだ。

流石にそんな危険を犯してまで食べて貰いたい出来ではないし、理由もない。

 

 

5月12日 曇りのち雨

朝。殿町君がグラビア雑誌を広げて、この中でどの服がいいかということを五河君に聞いていた。

それに対して五河君はメイド服と答えた。

メイド服、今度取り寄せようかな?

いやまあ私みたいなやつが来ても宝の持ち腐れというやつだろうとは思うけどもただ取り寄せるだけ、そうただ取り寄せるだけ!

 

その後、教室に入ってきた夜刀神さんが五河君とこそこそと話をしていて、その内容が聞こえていたらしい数名の生徒に対して夜刀神さんが、『違うんだからな!私とシドーは一緒に暮らしてなんていないんだからなっ!』となんか凄い怪しいことを言い始めた。

……そんなことを言ったら一緒に暮らしていると言っているも同然ではないか。

そう思いながら事の顛末を見守っていると、五河君が焦ったような声で、夜刀神さんと今朝たまたま会ったという旨の話をした。

……いやいや、クラスの皆さんはそれで納得したようだけど私は納得出来ない。

可笑しい、明らかに怪しいし。

そんな風に不満を持ちながらに授業を終えて昼休みになって昼ご飯を齧っていると、いつものように夜刀神さんと鳶一さんが五河君の机に自分たちの机をくっつけていた。

いいなー私もその中に入りたいなーなどとは思っていても入ることはない。

だってあんなにも眩しい美少女たちに混ざるなんて無理だし、昨日も日記に書いた通り鳶一さんに殺されそう。殺すまでは行かないかもしれないが、陰湿なナニカはされるかもしれない。

 

ここまで書いたあと、何故か胸がちくりと痛んだ。なんなのだろう。何で痛むのかはよく分からない。だけどもうやめにする。

 

そう、それで話の続きなんだけど、鳶一さんが夜刀神さんと五河君の食べている弁当の中身が全く一緒だったことに気がついて、鳶一さんがそのことについて理由を聞くと、五河君は慌てたように答えを返すのだが、鳶一さんによってだんだんと追い詰められる中、突然空間震警報が鳴ったのでその話は中断された。

しかし夜刀神さんと五河君が同棲しているということは私の中で確定している。

だけど気になるから五河君の家に突撃しようかと、やっぱり無理だな。

前の日記にも書いたけど、五河家の皆さんが困ってしまう。

とは言っても五河君のお母さんとお父さんは家にいないから、五河家とは言っても実質、琴里ちゃんと五河君だけなんだけど、それでも私には無理だ。

今日も空間震が起こり、シェルターに移動したのだが、五河君の姿が見当たらず、夜刀神さんと鳶一さんの姿も見当たらなかった。

三人共どこへ行ったのだろうか。

 

5月13日 雨

今日は土曜なので学校が休みである。

そして部活にも入っていない私は、することがなくて自分の部屋でグダっていたのだが、いつまでもこうしているのは良くないと感じて家を出た。

時刻は11時くらいだっただろうか?

商店街に向かう途中で、気になる二人を発見した。

五河君と四糸乃ちゃんである。

……何でこの二人が一緒にいるのか分からなかったのだが、この前知り合ったらしい。

五河君も私と四糸乃ちゃんが知り合いだったことに驚いたようだが、私の方が驚いていると思う。

だって夜刀神さんだけでなく、四糸乃ちゃんまで知り合いって、何か意図的なものを感じるというか……

まあそうはいっても偶然だろうから、態度には出していないけども。

何でも二人はよしのんを探していたらしい。

言われてみると、四糸乃ちゃんの左手についていたパペットがなくなっている。

それで、私も協力したいと言って失くしたと思われる場所を探したのだが、見つけることが出来ずに昼になって、五河君の家でお昼ご飯を食べた。

 

五河君の家で!!五河君の作った親子丼を!!食べた!!!

そのことが嬉しすぎて私の中のキャパシティーが超えた音がしたが、気にしたら負けだろう。

何で五河君はこんなにも料理が得意なのだろう。

美味しすぎて涙が出た。

誰かが作ったものを食べたのも久しぶりだから、そういったものを相まって涙が出てしまったのかも知れない。決して私が涙もろいからではない。

しかし泣いてしまったことで自分のゲロ豚のような顔が更に酷くなり、顔面崩壊してしまっているかもしれないので、洗面所を貸してもらって顔を洗い、気持ちを落ち着かせてからリビングに戻ったら、動きが完全に固まっている夜刀神さんに遭遇した。その夜刀神さんの目の映る方を見たら、キスしてしまうのではないかと思えるくらいに顔を近づけている五河君と四糸乃ちゃんの姿があった。

 

顔がちょっと近くにあるだけ。そうそれだけのことだ。別に2人はそういう関係ではなさそうだし、いや何か不安になってきた。それにやっぱり夜刀神さん五河君の家に住んでいるんじゃんなどと言うその時の私の心情はともかく、固まっていた夜刀神さんが泣きそうな顔で五河君と四糸乃ちゃんのそばを走り抜けて、上の階の自室と思われる所に入ったようだ。

夜刀神さんが乱暴に扉を閉める音を聞いた瞬間、私は息を吐いた。

何か修羅場見ていたみたいで怖かった。周りを見渡したら、また四糸乃ちゃんがいなくなっていた。大方、夜刀神の身にまとうオーラが凄いヤバイことになっていたからだろう。私だって失神しそうになっていたのだから、四糸乃ちゃんが家から逃げ出したとしても不思議ではない。

まあ私のことが嫌で、逃げたいというのもあったかも知れないけど、あれ、もしかして全部私のせいなのじゃないか。私が一緒によしのん探すと言ったばかりに、こうなったんじゃないかな。何かそんな気がしてきた、

あと五河君によしのんのことを聞かれたので、この前聞いた話を自分なりに整理して話したら、驚かれた。

 

よしのんは四糸乃ちゃんの()()()()()()()()私もびっくりしたし。五河君の反応も当然だろう。

その話をした後、長居をするのも良くないと感じた私は昼ご飯のお礼をして家に帰った。

私が、五河君に昼ご飯のお礼をした後、休みの日はいつでも俺の家に来てもいいから、という様なことを言われた。

私みたいな奴が五河君の家に遊びに来ても良いのだろうか?

嘘じゃないのだろうか?

……嬉しすぎて、幸せすぎて、この後にとてつもなく嫌なことが起こってしまうのではないかと不安だ。

 

 

5月14日 晴れ

朝に寝ぼけてパジャマで五河君の家に行ってしまった。すぐにそのことに気がついて家に戻って私服に着替えたのだが。

家で、恥ずかしいことしたと思いながらベッドでバタバタしていたら、呼び鈴が鳴ったので玄関に行くとそこには五河君が立っていた。

 

だっていきなりゴミ屑が家に来て、しかも何も言わずに帰りやがったんだ。彼が来るのも当然だ。だから謝罪をしたのだが、五河君は全然構わないと言ってくれた。

……流石五河君。天使よりも寛容な心を持っている。

そして何か言いたそうな顔をしている五河君をずっと立たせるのも悪いかと思って、家に招き入れた。

 

今気がついたけど、私、五河君を家に上がらせたんだな。自然にあげちゃってたから、気づかなかった。

今更だけどちゃんと掃除をしておいて良かったな。

花は捨て忘れちゃってて、少し恥ずかしかったけど。まあ大丈夫、五河君はきっとそんなに気にしないだろうし!

 

家に五河君を入れた後、居間の椅子に座ってもらい、机に冷たいお茶を出して、話を聞いた。

内容はこんな感じだった。

 

・昨日、よしのんを一緒に探したお礼

・夜刀神さんと五河君が同棲していることは、クラスの人には内緒にしていて欲しいこと

・四糸乃ちゃんのこと

 

1つ目のことは、別にお礼も何も五河君が親子丼を作ってくれたからお礼を言われるどころか、私の方からもっとお礼を言わないとって思ってたんだけどな。

そう思い、家の中に何があるか探していたのだが、叔父さんが家に置いてったクッキーしかなかったので、とりあえずそれを渡したのだが、受け取れないと言われてしまった。 しかしごり押しすると、根負けした五河君が受け取ってくれた。

 

そして2つ目のことだが、話を聞くと、どうやら特別な事情があって夜刀神さんは五河君の家にいるらしいけど、そのうちちゃんと別の所にいくらしい。

だから、それまでの間、秘密にしていて欲しいということらしい。

まあ別になんの問題もない。それに私が五河君の嫌がることをするわけにはいかない。絶対にそんなことしちゃいけない。

まあ特別な事情って言うのは気になるけど、それも聞いたらいけないことなんだろうし。

 

3つ目のことだけど四糸乃と仲良くして欲しい、ということらしい。

勿論、こちらから仲良くしたい。最初は興味本位で近づいてしまったが、あんなにも優しい子には出会ったことがなかった。

だから仲良くしたいと思うけど、向こうから嫌われているだろうからと呟くと、五河君からそれはないと力強く言われてしまった。

五河君にそう言われると、そんな気がしてくる。

四糸乃ちゃんが私と仲良く出来るかもしれないということが嬉しかった。

 

大切な話はここまでだったらしいのだが、そこから先は2人で話をしていた。

別になんてこともない話だったのだが、だからそれ故に五河君の大切な時間を奪ってしまっていて大丈夫なのかと不安を隠し切れない。

その私の様子が分かったのか、五河君はそろそろ帰ると言った。

帰り際に、鳶一と十香とも仲良くしてやって欲しいと言われたが、私はその頼みには苦笑いしか返せなかった。

夜刀神さんはともかくとして、鳶一さんとは正直仲良くなれる気がしない。

……だけど、五河君に言われたんだし、努力くらいはしようかな。

 

5月15日 曇り

昨日五河君に言われたことを実践しようと思い、早めに学校に来た。

とりあえず飴玉はたくさん持ってきたし、きな粉パンもパン屋でたくさん買ってきた。

あと、惜しくはあるが、何故か家にあった小さな頃の五河君の写真も何枚か持ってきた。

これで、二人を待つのみである。

そう思って一番乗りの教室に入り、自席に座って扉を見ていたら鳶一さんが入ってきた。

予想通りである。あとは、ちゃんと彼女と話すことが出来るかどうがが問題になってくる。

そう思い、彼女に話しかけたのだが返事が帰ってこなかった。

……私の硝子の心が割れそうになったが、めげずに話しかけて、大切な話があると言ったら屋上の前に連れて来られた。

そして凄い物を見つけたと言ってあの写真を見せると、凄い勢いで食いついてきた。

その姿は、まるで腹ぺこのライオンが餌をみつけたときのようだった。

その様子に驚きながらあげるといったら、何が目的?と言われた。別に目的も何も無かったからそんなもの無いと言ったら、それでは私の気が済まないから今日の帰りに私の家に来てと言われた。

そして先に教室へ戻ろうとする鳶一さんに並んで教室に入ると、一瞬で静まり返った後、教室内がざわざわと煩くなった。

まあ私のようなやつと鳶一さんのような完璧美少女が並んで歩いていたのだから当たり前のことかもしれない。

そんな騒ぎの中、ものともせずに自席で本を読み始めた鳶一さんは流石だと思う。

正直彼女のことは苦手だが……仲良くなれるのだろうか?

疑問である。

あと昼は夜刀神さんにきな粉パンを大量プレゼントした。喜んでくれたのは嬉しかったが、何か違うような気がする。まあいいか。

帰りのホームルームが終わった後に、鳶一さんと下校するために並んで歩いていたらまたざわざわとされた。

鳶一さんの家に着いたら、お茶をご馳走になった。

そしてお礼は何が良いかなどという話をして、特に思いつかなかった私は、鳶一さんの部屋がどんなものなのか興味があったため、見せてもらうことにしたら、よしのんを見つけた。まごうことなきよしのんである。

話を聞くと、道端で拾ったらしい。

そこでそのパペットをくれないか?代わりに似たようなものを作るからと言ったら、それがお礼でいいなら、と言われた。

つい嬉しくなって、口元が緩むのを感じながらお礼を告げた。パペットか……縫い物は得意な方だけど、パペットなんて作ったことないのにちゃんと作れるだろうか?

いや作るって言ったんだ。ちゃんと言葉には責任を持たないと。

とりあえず本読んで、何体か作ってから鳶一さんにあげるものを作ろう。

そんなことを思いながら、家に帰った。

荷物は家に置いておいて、忘れない内にパペットを見つけたことを五河君に報告しに五河家に向かい、呼び鈴を押すと、すぐに五河君が出てきた。

そして、私が上機嫌なことに気がついたのか、そのことを質問してきた五河君に対して、私はパペットを見せた。すると五河君はめっちゃ驚いて、嬉しそうに私の髪をわしゃわしゃとしてくれた。

 

パペットは五河君に渡した。

四糸乃ちゃんだって私に渡されるよりも、五河君に渡された方が嬉しいだろうしね。

そして私は五河君にお別れを言い、家に帰って、直ぐにネットで良さそうなパペットの作り方の本を買った。

布なんかは自分で見て買いたいので、明日の帰りに近くのお店で買おうと思う。とりあえず今日は勉強して寝る。そして明日から頑張る。

 

 

5月16日 晴れ

放課後になった後、私はとりあえず布と刺繍糸と綿を買いに行った。糸や布の色は自分の中で決めていたので問題ない。

そして家に帰って本が届くのを待ち、届いた後は早速作業に取り掛かった。

そして時間がすぎ、出来たのは熊のパペットである。……何か違うような気がしてもう一個作るとさっきのものに比べて、良い出来のものが作れた。

しかしこれはあくまで練習。

この熊のパペットは自分のものにして、鳶一さんに送るパペットを作る作業に取り掛かろうと……したが、気がついたらかなりの時間が経ってしまったようなので、続きの作業は明日やろうと思う。

 

5月17日 雨のち晴れ

今日も今日とてパペット作りだ。

しかし今日は、鳶一さんに贈るパペット作り。昨日以上に気を入れて作りたいと思う。

そして何個か作ったが、贈り物なんだからもっと丁寧に作らないとと思って、また作る。

そして暫くの時間が経った頃、空間震警報がなった。

けど、無視をしてしまった。ちょうど良い所だったから、キリが良い所まで行きたいと思っていると逃げるタイミングを逃してしまったのだ。これなら、下手に外に出るよりも家に籠もっていた方が安心だろうと思っていたのだが、何分か経った後に冷気を感じたから、狐の面を被り服を着替えて家を出ると、外は銀世界になっていた。

……今は5月だから、そんな馬鹿なことあるもんかなどと思いながらも、現実にはそんな馬鹿なことが起きてしまっている。

なんだろう?空間震ってこんな風に地面が氷漬けになったりすることを指すのだろうか、なんてことを考えながら歩き出すと、大きな物音が聞こえてきたので、その音が聞こえる方に走っていくと、大きなウサギのようなものに乗った四糸乃ちゃんと、鳶一さんや他の人たちがドンパチやっている光景を目にした。

……想像はしていたが、実際にみてみるとキツイものがある。

四糸乃ちゃんはとても辛そうな顔をして鳶一さんたちの攻撃から逃げまわっていた。その左手にはよしのんはいない。

あの後、五河君と会えなかったのか……いや、それは問題ではないか。

頭を振り、その考えを振り落とす。

それよりも問題なのは、どうやってこの状況から彼女を救い出すことが出来るかと言うことで──

そんなことを考えていたら、信じられない光景が目に入った。

五河君、五河君が四糸乃ちゃんに向かって走っていたのだ。

 

何故彼がそこにいたのだろう。彼は空間震の時はシェルターにいるはずで。

そこまで考えた後、この前どれだけ探しても五河君を見つけることが出来なかったことを思い出した。

もしかして、彼は空間震の度に外に出ているのか?

ありえない話ではないのかもしれない。

 

彼は四糸乃ちゃんにパペットを手渡そうとしていた。

しかし、その話を遮るかのように女の人の声がし、五河君に四糸乃ちゃんから離れるように伝えていた。

彼は四糸乃ちゃんのように理不尽な攻撃を受ける訳ではないらしい。

だったら何故、彼はこんなところにいるのか?

不思議でならなかったが、そうこうしている間にも四糸乃ちゃんは、氷の攻撃を繰り出した。

そして、その攻撃は五河君にも向けられていて、彼は立ちすくんで目を瞑っていた。

だから、私はあの時のように五河君を安全圏へ運ぼうとしたのだが、突如大きな玉座のようなものが五河君の前に守るように現れたことによって、それは中断された。

よく見てみると、少し遠くの所から夜刀神さんが五河君に向かって走って来ていた。

そして突然現れた玉座に驚いた四糸乃ちゃんが、何処かへ走って逃げて行ってしまった。

五河君には、夜刀神さんがついているから私がいなくても大丈夫だろう。

学校では感じなかったナニカが今の彼女にはあるから、多分大丈夫だ。実際大丈夫だった。

一部始終を見届けて、こうして日記を書いている私が言うのだから間違いない。

だから私は四糸乃ちゃんを追いかけた。

 

四糸乃ちゃんがいる場所には、氷のバリケードのようなものが出来ていた。

それでどうやってバリケードの中に入るか考えている時、鳶一さんがビルを浮かせて、そのバリケードのようなものの上に落としているのが目に入ったが、それはビルが真っ二つに割れただけという結果で終わった。

こんなヤバイ所の中に突っ込んでいったら、私の体は血まみれになること間違いなしだなんて考えていたら、五河君が大きな剣に乗ったまま、バリケードの前に突っ込もうとしていたので、私は焦ってつい彼の前に出て声を出してしまったが、叔父さんに貰った絆創膏型のボイスチェンジャーを喉に付けていたから大丈夫だった。

焦りながら何をしようとしていたのか聞いたら、案の定バリケードに突っ込むとしていたらしい。

そんなことしたら死ぬと私が言うと、俺は死なないから……と言われてしまった。

五河君が死なないなんてこと聞いたの初めてだ。いや私と彼は仲が良くもないのにそんな秘密を教えてもらえる訳がないか。

そんなことを思いながらも、彼に危険な真似をして欲しくないから何かすることがあるなら私が代わりにすると言ったら、俺にしか出来ないことなんだと言われてしまった。

それでも引き下がれない私は、怖くはあったが五河君を抱き締めて氷のバリケードの中を全速力で走り、四糸乃ちゃんのいる台風の目のような場所に彼を置き、そしてまた全速力で去っていた。

その間、私の身には弾丸のように飛び交っている氷が何十回、何百回と当たり、肉が抉られ、無事な所がないぐらいに、グロテスクで傷だらけになってしまったが、結局彼は大丈夫だったのだろうか?

ちょっと私は……意識が朦朧としかけていたが、何とか自分の家に戻って応急処置をした。

だけどそんなもので何とかなるものではないので、叔父さんに連絡を送った。そしてその後、私の意識は途切れた。

 

 

5月18日 晴れ

起きたら体から傷が1つも無くなっていた。

叔父さん来てくれたんだなんて思いながらリビングに行くと、机の上に『治療しておいたけど、体に不調があったら教えて』と書かれたプリントが置いてあった。

ちなみに明日も来るらしい。まあ、ありがたいから好意はちゃんと受け取っておこう。

あと今日は早めに学校に行って鳶一さんを待ったら、またいつものように早めに学校に来てくれたので、作ったパペットを渡した。

私のようなやつに作られたものなんて、彼女にとってはいい迷惑かなとは思ったけど、いつもの無表情であるというのにちょっと嬉しそうにしていた気がする。

……まあ気がするってだけなんだけども。

そうそう、夜刀神さんも五河君も、今日もちゃんと学校に来ていた。

昨日あんなことがあったのに、よく学校になんて来れるなーと思ったが、よく考えたら自分も同じようなものだった。

 

5月19日 晴れ

学校に行って、いつも通り五河君を取り合っている2人を見て、いつも通りに授業を受けた。

正直家に帰りたくないけど、そういう時に限って時間が進むのは速いんだよな……

そんなことを思いながら家の扉を開けると、叔父さんが急いで玄関へと来て、慌てながら私に事情を話すように言われた。

まあ少しならいいかなと思い、多少はぼかしながらではあるけど事情を説明したら、無理するなと言われた。

……五河君が無理しているのに無理しないなんて選択肢、私にも存在しませんがな。

そう思いながら善処はすると言ったら、叔父さんはため息をついて私に服のカタログを見せ、この中だったらどんな服が良いかと聞いてきた。

訳が分からないけど何となく気に入った服を指差すと、京乃はこういうのが好きなのかと真剣な表情で言われ、暫くしたらまた来ると言われた。

いったい何だったんだろう。よく分からない。

 

5月20日 晴れ

家の近くにマンションが建った。

それには驚くことはないのだけど、何で一日二日であんなにも大きな建物が建ったのだろう?

空震災で壊れた建物を直すのに、陸自の復興部隊を使ったかのような速さだ。

そんな力を使って只のマンションを建てる訳がないし……

うーん、謎だ。まあ何が一番の謎って言ったら五河君何だけどね。

いくら私が彼に怪我を負わせないようにしていたからとは言っても、四糸乃ちゃんが作った氷のバリケードのようなものを無傷で潜りぬけられるとは思えないというのに、彼は無傷で学校に登校してきた。

そこまで考えたあと、五河君が自分は死なないと言っていたことを思い出す。

信じてはいたけど、それではまるで……

いや、よそう。私が五河君の悪口を書くなんて駄目だ。

……だけど本当に彼は何者なのだろう。

今まで彼のことを理解していたつもりだったのに、また分からなくなってきた。

……まあ、五河君だったらそのうち教えてくれると信じて待っていよう。

無理だったら、別に教えてもらわなくても良いんだけどね。

気になるけど、無理強いなんてしたくないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が完全に落ちて世界が闇に包まれる頃。

とあるビルの屋上に一人の少女が佇んでいた。

血のような赤と闇のような黒色のドレスと、ぞっとするほどに美しい容貌に思わず目を奪われてしまうが、最も特徴的なのは目だろう。

金色の目が時を刻んでいる所は人間ではありえない。

 

「五河士道さん、もうすぐ会えますわね。

これでわたくしの悲願もやっと……!」

 

そんな不思議な少女が恍惚とした表情を浮かべて士道の名前を呼んで楽しそうに嗤った後、闇に溶けるかのように姿を消した。

少女が立っていた所に残ったのは、ただの暗闇だけだった。

 

 




折紙に贈るパペット
碧眼の白猫のパペット。よしのんの眼帯は右目にしてあるが、鳶一さんに渡すパペットは逆の左目に眼帯がしてある。触り心地がいい。
よしのんに似せている(装飾とか)


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止まない雨

 あの人たちは私を攻撃してくる。

 みんなみんなどす黒い殺意を持って私を仕留めようとする。

 そうされるのは嫌で、私はその度に頭の中がぐちゃぐちゃになって、どうしようもなくあの人たちを××たくなってしまう。

 だけどあの人たちだって傷つくのは嫌だと思うし、きっと理由があって私を攻撃しているのだと思う。

 だから私はきっとあの人たちを攻撃してはいけない。

 それに私には“よしのん”がいるから大丈夫。

 あの人たちの痛い攻撃だって我慢出来る。

 

 そんなことを考えて左手についているパペット……よしのんを見ながら、四糸乃は一人雨の中を歩いている。

 さっきまでは周りに人がいたが、突然雨が降り始めたから近くの建物に雨宿りをしているのか、今では誰もいない。

 ASTは現れていない。四糸乃は何故だか分かっていないのだが、何にせよASTがいないこの状況が有りがたくて、よしのんと話しながら道を歩く。

 そして数分後、四糸乃とよしのんは違和感に気付き、歩みを止める。

 

『……んー? そこの可愛いおねーさんは誰かなー?』

 

 四糸乃たちの目の先には、電信柱に隠れている、16、7歳くらいの歳の少女がいた。

 四糸乃たちに見つかってしまった少女はばつが悪そうな顔をして、四糸乃たちから距離をとった。

 その行動の意味が分からずに、よしのんは目を丸くした(とはいっても元から丸いが)。

 

『おねーさん、どうしたのー?』

「いや、……なんとなく、近づいたらダメな気がしたので」

 

 少女の言葉を聞いた瞬間、よしのんは体を震わせて笑い出した。

 

『……あははっ! 何それおねーさん、変わってるねー!  名前なんて言うのー?』

「私……ですか? わ、私は京乃って言います」

 

 少女……京乃は、たどたどしく言葉を紡いだ。

 その言葉によしのんは耳を傾ける。

 

『へぇー、そうなんだ〜 京乃ちゃん? いい名前だね!  よしのんはよしのんって言うのっ! いい名前でしょー?』

 

 よしのんが明るくそういうと、京乃は嬉しそうに頬を染めた。

 

「あ……りがと、う。あなたの名前もいい名前だと、思います」

『いえいえ~

 あ、そうだ京乃ちゃん。今日はよしのんたちに攻撃してくる人たちいないみたいだし、お話しない?』

「よしのん……達?」

『そうそう! いつもは四糸乃とよしのんをチクチクと攻撃してくるイヤーな人たちがいるんだけど、今日はいないみたいなんだよねー 全くあのお姉さん達はよしのんの美貌に嫉妬でもしているのかな~? まあ、今日はよしのん達の邪魔はしてこないみたいだけどさっ!』

 

 そのよしのんが語った言葉の意味を考え、京乃は暫しの逡巡のち、四糸乃の頭に右手を置いた。

 

「この子が四糸乃ちゃんで……」

 

 そして、四糸乃に置いていた右手をよしのんの頭に乗せる。

 

「君がよしのんちゃん……?」

『うん! あ、もしかして京乃ちゃん分かんなかった?』

「うん、まあ……」

『もー、京乃ちゃんったら意外とぬけてるとこがあるのかな? 

 今度からはちゃんと覚えてよ〜? 

 あと、よしのんで良いよー

 ちゃんづけなんてくすぐったい!』

「うん、ごめんね。あと分かった」

 

 京乃は何かに勘付いたような顔をして、申し訳なさそうな声で謝ると、よしのんは仕方ないなぁ……という顔をした気がする。よしのんの顔自体は変わらないはずなのに、不思議なものだと京乃は心の中で思った。

 

「そ、れでお話だっけ? うん、私も暇だったし、いいよ」

『え、本当!? やったー! もう全く! あの人たちに京乃ちゃんの爪の垢を煎じて飲ましてあげたいよー』

「……あ、でも、1つお願いしてもいいかな?」

『えっなになにー? よしのんに出来ることだったら何だって叶えちゃうよ〜?』

「ありがとうよしのん。あの、私、四糸乃ちゃんともお話、したいんだけど、いい……かな?」

『何だ、そんなこと? よしのん達にオイタをする人達ならともかく、京乃ちゃんだったら大歓迎だよー

 ね、四糸乃?』

 

 よしのんがそう呼びかけると、今まで反応がなかった四糸乃の顔に驚きがはしる。

 そして京乃の顔を数秒見つめた後、四糸乃は逃げ出そうとしたが、よしのんが声をかけたことにより動きを止めた。

 

『四糸乃、京乃ちゃんは大丈夫だって! ねっ、よしのんもついてるし!』

「……うん」

 

 それでも元気がない四糸乃を見てか、京乃は四糸乃と同じ目線まで背をかがめて口を開く。

 

「ごめんね、驚かせちゃった、かな? 私も、四糸乃ちゃん達のおしゃべりに混ぜさせてもらっても、いいかな?」

 

 出来るだけ優しい声音で言った京乃に対して、四糸乃は不安そうだがこくりと頷き、その様子を見た京乃は嬉しそうな顔をした。

 

「ありがとう。ここじゃ寒いし、私の家に来る?」

「……京乃さんの、お家、ですか? そんなの悪いです……」

『京乃ちゃんがいいって言ってるんだから、遠慮しない遠慮しないー』

 

 中々決心がつかない様子の四糸乃に対して、よしのんは行っちゃおう! と意気込んでいる。

 

「よ、よしのん……でも、……本当に、良いんですか?」

「うん、四糸乃ちゃんだったら大歓迎だよ」

 

 またぎこちない笑みを浮かべて京乃は肯定した。

 その反応に、四糸乃はどうしようか考える。

 本当に行っても大丈夫なのだろうか? もしかしたらついて行った先があの攻撃をしてくる人たちのアジトで、袋叩きにされるかもしれない。

 その可能性もないとは言い切れないけど……

 四糸乃はちらりと手元にいるよしのんを見つめる。

 よしのんが大丈夫だって言っているんだし、信じても良いのかな。出会ったばかりの京乃のことは信用出来ないけど、私のヒーローであるよしのんのいうことなら信用することが出来る。

 そう頭で考えを纏めた四糸乃は、ぺこりと頷いた。

 そんな四糸乃の様子を見て、京乃はさっきよりも一層嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せた。

 

「ありがとう。

 家はすぐそこだから」

 

 そう言って京乃は、躊躇いがちに手のひらを出す。

 四糸乃はそれを見て不思議そうに首を傾げる。

 

『四糸乃っ、そこはちゃんと握らないと〜』

「……っ! 握っても……良いですか……?」

「うん、もちろんだよ」

 

 よしのんの言葉を聞いた四糸乃は、躊躇いがちに京乃の手を取る。

 その瞬間京乃はピクリと肩を震わせたが、ぶんぶんと頭を振って、四糸乃の手を引いた。

 

 

 

 

 

 

 四糸乃が着いた所は、どこにでもあるような変哲もない家の前だった。

 しかし安心なんて出来ない。もしかしたら、四糸乃が安心している隙に攻撃してくる可能性だって……

 そんな考えを膨らませた四糸乃は顔を曇らせた。

 何でこんなにも、人を信用することが出来ないのだろう。自分のことながらこの考えが嫌になる。

 四糸乃のそんなことを考えながらだんだん元気のなくなっていく顔を見てか、京乃は不安げな顔をして口を開く。

 

「四糸乃ちゃん、大丈夫? ……えーと、あ、そうだ。家にちょうどいいお菓子あるし、それ食べたら気が落ち着くかも」

 

 元気のない四糸乃を元気づける為か、京乃は思い出したように口に出した。そんな京乃の様子をみて、四糸乃は首をふる。

 

「……いえ、そんな……悪いです……」

「ううん、遠慮なんかしなくていいよ? どうせ私だけじゃ消費しきれないだろうし」

 

 よしと意気込んで、京乃は四糸乃の手を握り扉の鍵を開けた。玄関で靴を脱ぎ、リビングにある椅子に四糸乃を座らせた京乃は、準備するから待っててと1人と1匹に伝えて、どこかに行ってしまった。

 その間、暇になってしまった四糸乃たちは部屋を見渡しながら会話をする。

 

「よしのん、本当に大丈夫かな……?」

『京乃ちゃんのこと? 大丈夫だよー

 京乃ちゃんからは、あの人たちみたいなものは感じなかったしねー

 四糸乃の気持ちも分かるけど、京乃ちゃんのことは信じてみようよっ!』

「……」

 

 よしのんの言葉に対して、四糸乃は何も返せなかった。

 本当は、京乃を信じたい。

 疑いたくなんてない。京乃はきっといい人、なのだ。

 だけどもし、それが間違っていたとしたらどうすればいいのだろう。それを信用して勝手に裏切られたとき、私は立ち直れるのだろうか? 

 ……分からないと、四糸乃は俯く。

 それを見かねたよしのんが声をかけようとしたとき、京乃が帰ってきた。

 

「四糸乃ちゃん、よしのん。雨で濡れたよね?」

 

 そう言って京乃は持ってきたお菓子と飲み物を机に置き、タオルで四糸乃の髪とよしのんを拭いた。そして京乃が一通り拭き終えた後、四糸乃は感謝の言葉を告げて、何かを決心したような顔で口を開いた。

 

「あっ……あの、京乃……さん」

「どうしたの、四糸乃ちゃん?」

 

 そう首を傾げながら問うてくる京乃の声音も顔も、初めて見た時よりも優しげで、こちらを気遣ってくれていて、四糸乃はこれからいうことに躊躇いを持ってしまった。

 しかし聞かないと何も始まらないと思い、四糸乃は恐る恐る口を開いた。

 

「京乃さん……は、ど……して、私……に優しく……して、くれる……ですか……?」

 

 四糸乃の言葉を聞いた京乃は優しげな顔を崩して、小さく息を吐いた。

 

「……どうして、なんだろうね? 

 私にもよく分からないんだ。ただ不安そうな四糸乃ちゃんを見た瞬間、何とかしないと思ったんだ。……私ってこんな柄じゃなかったはずなんだけどなぁ」

 

 その言葉を聞きながら、四糸乃は京乃の顔を見た。

 そこには打算はなく、ただただ優しさがあるだけだった。

 ……信じても良いのだろうか。そんなことを思いながら、開くつもりはなかった口を開いてしまった。

 

「……あなたは……私を、嫌いじゃない……ですか……? 皆さん、私が嫌いで……、だから痛い、攻撃を……してきて……」

 

 なのに、どうして京乃は攻撃してこないのか。

 

 四糸乃にとって無償の好意なんてものは怖いものでしかない。

 ASTに攻撃されるのは、自分が危険な存在だからだろうと考えられるけど、好意なんてものは生まれてこの方貰ったこともないし、見返りを求められないものなんて何か裏があるのではないかと不安になっていた。

 だから答えを期待して……

 

「私は四糸乃ちゃんのことを嫌いにはならないと思うよ」

 

 京乃は困ったように軽く笑った。

 

「どうして、ですか……?」

「どうしてなんだろうね。理由は特になかったりするんだけど……うーん、直感?」

「……」

 

 直感。あゝ直感か。

 ならしょうがないな。うん、しょうがない。

 ……って、いやいや。直感? 

 四糸乃は混乱した。まさか直感などと言われると思いもしなかったのだ。

 そして、その四糸乃の混乱を悟ったのであろう京乃は、また困ったように笑った。

 

「……それに君が出会った人間は、どんなに多かったとしても、世界の中では米粒程しかいないんだよ? 四糸乃ちゃんのことが嫌いじゃない人達だって沢山いるはずなんだ」

「ほんと……ですか?」

「うん、本当だよ。私にしてるみたいに、色んな人と話してみれば分かると思う」

「そう、なんでしょうか……?」

「うん、そうなんだよ」

 

 そうなのか、そういうモノなのか。

 四糸乃はそんなことを考えながら、左手にいるよしのんを見つめる。

 よしのんや、京乃のような人が他にもいる……? 

 もしそうなのだとしたら、世界は自分が思っているよりも良いものなのかもしれない。

 四糸乃がそう思いながら少し頬を緩ませると、四糸乃の視線に気が付いたのか、よしのんが声をかけてきた。

 

『四糸乃ったらよしのんを見つめてどうしたのさー? 

 ……あ、もしかして惚れた!? 

 よしのんの魅惑のボディの前には四糸乃も無力だったと言う訳かー

 よしのんって罪な女!』

「……いや、違うよ?」

『ガーン!』

「やっぱり2人とも仲が良いんだね」

 

 よしのんと四糸乃の会話を見た京乃は微笑んでそう言い、クッキーやタルトのようなものとホットミルクの入ったコップを机に置いた。

 

「よし、今更だけどお菓子どうぞ」

 

 京乃がそう言って、にこにこと笑う。

 しかし、暫くの間四糸乃がお菓子に手を付けていないことに気がついたら、ちょっと悲しそうな顔をして、自分の口にクッキーを運んだ。

 それを見習うようにして、四糸乃もクッキーを恐る恐る口に運んだ。

 その瞬間、四糸乃の顔に花が咲いたような笑みが浮かんだ。

 

「美味しい……です」

「本当? 良かった。口に合わなかったらどうしようかと……」

 

 そう言って、京乃はクッキーをもう1つ摘んで自分の口に運んだ。

 

「……まあ、あの人が選んだやつだし、不味い物だとは思ってなかったけどさ」

「あの人……ですか?」

『誰ー? 京乃ちゃんの好きな人とかー?』

 

 よしのんが女子高生的なノリで話すと、京乃はあわあわと赤面し始めた。

 

「えっ……好きな人……!? いやいや五河君じゃないよ! 叔父さんがよくお菓子とか持ってくるんだよ!」

 

 完全に自爆した京乃に対して、よしのんはニヤニヤ(とはいっても顔はry)しながら、話しかける。

 

『へえへえ……五河君ねー。覚えておくよ~

 どんな人なの~? 京乃ちゃんとはどんな仲なのー?』

「覚えておかなくていいからっ! 

 四糸乃ちゃんもこんなことは知りたくないよね!」

「いえ……京乃さんのお話……もっと聞きたい……です……」

 

 四糸乃の純粋な目を見て、京乃は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「えっと……聞きたいの?」

「はい……気になります……」

「しょうがないなー」

 

 京乃はそう言いながらも、満更でもない様子で話しはじめた。

 

「その人五河君って言うんだけど、凄く優しくて……」

 

「……その時に五河君が私に笑いかけてくれて……」

 

「でも、最近クラスの女の子が五河君のこと好いていて……その女の子がものすっごい美人で……」

 

「それに鳶一さんも……」

 

「でねっ、この前なんかは……」

 

 

 京乃が語る言葉に対して、四糸乃とよしのんは食い入るように聞いていて、ところどころで嬉しそうに相槌を打ったり、茶々を入れたりしていた。

 四糸乃やよしのんが自分の話をしっかりと聞いていてくれることに気が付き、京乃は一層楽しそうに話し続ける。

 

 

 そうして暫くの時間が経った後、四糸乃は自分がもうそろそろ臨界してしまうことに気がつく。

 

『でも……、まだ京乃さんのお話聞いていたいし』

 

 自分の意思で臨界に抵抗したことはなかったから、頑張れば何とかなるのかも知れない。そんなことを考えたりしたが、それも虚しく四糸乃はあちらへと引っ張られていってしまった。

 

「で、その知り合いの女の子がいつの間にか私よりもゲームが上手くなってて……ってあれ?」

 

 四糸乃が突然消えたことに驚いて、京乃は口を止めた。

 

「やっぱり私なんかの話を聞くなんて嫌だったのかな……」

 

 泣きそうになりながら、京乃は自室に戻ってベッドの布団に包まった。

 悲しいことは、寝れば忘れられる。そうして明日もいつも通りの毎日を送るんだと、そう考えながら目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 ……午後7時? 気がついたら寝てしまっていたようだ。

 昼間何してたのかな。四糸乃ちゃんとよしのんに出会って、彼女たちが人間じゃない存在だってことが分かって、二人を家に招待して……

 お菓子を食べてもらって……

 ……それで二人とも帰っちゃったんだっけ? 

 だけど、何か別のこともしたような……駄目だ、記憶が曖昧だな。取り敢えず、覚えてることだけでも日記に書いておこうかな。

 ほら、こういう何気ないところもかけがえのない日々な訳だし、案外忘れてることなんてぽろっと思い出したりもするかもしれないし。

 

 そんなことを考えて、私は自分の勉強机に置いてあるノートを開き、書くことを頭の中で纏めてから紙にペンを走らせた。

 

 5月10日 雨

 

 今日、私は雨の中、とびきりの美少女と出会った。

 海のような青のふわふわの髪と蒼玉

(サファイア)のような瞳が印象的な、ウサギのフードつきの可愛いコートを被っている中学生くらいの、ちょうど琴里ちゃんと同じくらいの歳の子。

 フランス人形のような、自分とは全くの別次元の存在なのではないかと疑ってしまうほどに端正な顔をしていて──



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ご飯

 ぴょんぴょんと、水溜まりの上を跳ぶと、雨粒などとは比べ物にならないくらいに大きな波紋が水溜まりに広がる。

 その光景を見るのが面白くて、ついぴょんぴょんと跳ねていたが、今回この世界に来たのには意味が合ったのを思い出してそれをやめる。

 

 京乃さん、京乃さんに突然消えてしまったことを謝りたくてこっちに来たんだった。

 だけど……ここどこなんだろう。見渡しても、この前のようなところではなく、よしのんのいう神社? そんな感じの所、みたい。

 もしかして京乃さんの家、遠いのかな。無鉄砲に来るべきじゃなかったのかも。そう思いながらも、京乃さんの家がこの近くにあるという望みをかけて神社から出ようとしたが、歩き出そうとした矢先に近くに落ちていた石につまずき、転んでしまった。

 特に痛いということはない、けど。

 

「よ……しのん」

 

 よしのんがいなくなってしまった。

 彼女がいないと、頭の中がぐるぐるして、ぐちゃぐちゃになって、どうしようもなく、どうにかなってしまって……

 世界が見えなくなる。世界に自分1人しかいない錯覚に陥る。よしのんがいない世界なら……

()()()()()()()()()()()()()

 

「あの……大丈夫か? これ落としたみたいだけど」

「……っ!?」

 

 いつの間にか目の前にいた男の人の声によって、私は自我を取り戻した。

 ……彼の手には、よしのんが握られている。

 

「よ……よしのん……!」

 

 よしのんが男の人に捕まっている。

 もしかして、私に攻撃してくる人達の仲間の人……? 

 駄目だ。もしそうなら近づいた瞬間に、痛い思いをすることになる。

 でも……だけど……よしのんは助けないと……

 そう思いながらも男の人に近づけないでいると、男の人がよしのんを差し出すようにして私に手を突き出している。

 その光景を不思議に思いながら見ていたが、次第に男の人がゆっくりと、私に近寄って来ていることに気がついた。

 

「……?」

 

 そのことが怖いはずなのに、特に何も思わない。

 その感覚はつい最近味わったものと同じように感じて、変な感じがする。

 ……もしかして、この人はただ優しいからよしのんを拾ってくれただけとか? 

 それなら、今この状況にも説明がつくような気がするけど、そんな馬鹿な……

 ……まあ、別にそうじゃなくても、よしのんを助けることが出来るなら何だっていい。そう思いながら手の届く範囲に来ていたよしのんを、彼の手からそっと取って自分の左手にはめ、これからの対応を彼女に託し、意識を落としていった。

 

 

 

 

 

 また、意識が戻ったときの状況は、よく分からなかった。それに、とても怖かった。見知らぬ女の人に、よしのんを取り上げられた。いつも通りにいられなくなって、氷結傀儡(ザドキエル)を出して、女の人からよしのんを取って、その場から逃げ出した。

 

 それがこの前のこと。

 今は……

 

「……ん、どうかしたのか。もしかして、よしのん見つかったとか?」

 

 彼の言葉を聞いて、横に首を振る。

 私のそんな返事を知って、彼は大丈夫、見つかるよと言ってくれた。その言葉を聞いて、私の中にあった不安が少し消えたような気がする。

 

 どうやらよしのんはあの痛い攻撃をしている人達から逃げていた時に、いなくなってしまったようなのだ。

 それで、よしのんを一緒に探してくれているこの人は士道さん。

 この前、神社の所で会った人だ。

 あの時は気が気でなくて、この人はあの人たちの仲間なんだって考えていたけど、こんなに親身に探していてくれるのを考えると、やっぱりただ優しいからよしのんを拾ってくれただけなのかも知れない。

 

 何はともかく私は今、この人と2人でよしのんを探していて──

 

「──四糸乃ちゃん?」

「……!? き、京乃さん……?」

 

 突然声をかけられたのに驚いて振り返って見ると、士道さんが私に渡してくれたもの……えっと、傘って言うんだっけ……? それと同じようなものを頭の上に差している京乃さんの姿があった。

 

「こんな所でどうしたの?」

「そ、それは……」

 

 あの時、急にいなくなってしまったことをあやまらないと。それに、今の状況を説明しないと。

 分かってはいるけど、上手に言葉に出来ない。

 こんな時、よしのんだったらうまく話してくれるんだろうなと焦っていると、私が誰かと話していることに気づいたらしい士道さんが、声をかけてきた。

 

「四糸乃、どうしたんだ……って、観月……?」

「……い、五河君……!?」

 

 すると、京乃さんがあわあわと慌てはじめ、その反応を見た士道さんが困った顔をする。

 

 

 五河君。五河君って……士道さんのことだったんだ。

 京乃さんが好きだという人。

 優しくて、頼りになる人。

 考えてみると……確かに目の前の士道さんの条件にぴったりと当てはまっている。

 

「驚きなんだが……観月って四糸乃と知り合いなのか?」

「え……あ、……そうで、す。……この前……、会って……」

 

 おどおどとしている彼女を見て、私は何か不思議な感情を覚えた。何だろう……違和感と言うか何というか……

 

「へえー、そんなこともあるもんなんだな」

「……う、うん。……そ、ですね」

「……」

「……」

 

 京乃さんが返事をすると会話が途切れてしまったようで、周りは女の人達が話し合っていてとても賑やかなはずなのに、2人の周りだけは静まり返っているような感覚に陥った。

 そんな空気を打破する為にか、京乃さんがさっきよりも大きい声をあげた。

 

「……ど、どうして、2人はこんなところに?」

「……あ、ああ。四糸乃がよしのんを落としてしまったみたいだから、それを探す手伝いをしてたんだ」

「……そ、なんですか。……わ、たしも……手伝っても、良いですか?」

 

 その京乃さんのことを聞いた士道さんはぴくりと眉を動かして言葉を返した。

 

「こちらこそ……いいのか?」

「……はい。……私なん、かで、よければ是非……」

「ありがとうな」

 

 士道さんがそういうと、京乃さんの顔が赤らむ。

 

「……い、えいえ。……ところで、五河君」

「なんだ?」

「あの……傘……差さないと……風邪引きますよ……?」

 

 心配するような声音で京乃さんは自分の持っている傘を士道さんに手渡そうとしたが、それを士道さんに止められた。

 

「えっと、別に俺は大丈夫だから!」

「わた……しも、大丈夫……なので。

 折りたたみ傘……あるので……」

 

 京乃さんは持っていた鞄から折りたたみ傘? を取り出した。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて貸してもらおうかな」

 

 そう言って、士道さんは折りたたみ傘を京乃さんから取ろうとしたが、それを京乃さんに躱された。

 

「どうしたんだ?」

「こっちを……」

 

 京乃さんは自分の持っている、折りたたみじゃない方の傘を士道さんに渡そうとするが、今度は士道さんが受け取ろうとしない。

 その光景を京乃さんは不思議そうに見つめ、首を傾げた。

 

「えっと……どうしたんですか?」

「いや、借りる身としては、出来るだけ小さい方を借りようかと思って。ほら、折りたたみの方が小さいだろ?」

「……なるほど」

 

 京乃さんは目を瞑った。

 

「……だけど、大丈夫です。

 ……この、折りたたみ……結構大きいので」

 

 折りたたみ傘の畳んでいた部分を広げて、ばっと開かれたそれは、さっきの傘と比べても遜色がないくらいに大きいことが分かった。

 それを見た士道さんは、困ったように頭をかいた。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 士道さんは京乃さんから傘を貰って、それを頭上に差した。

 すると私が士道さんから貰った傘のように、その傘にも綺麗な水滴がすぅーっと流れていくのが見えたので思わずその光景に見惚れていると、2人から暖かい目で見られていることに気がついて、恥ずかしくなって両手をパタパタと動かした。

 

 

 

 

 3人で探し始めて暫く経った後、自分のお腹が空いてきたことに気がついた。

 でも、……二人は一生懸命に探してくれているのに自分がわがままを言う訳にもいかないと思い、暫く我慢して……お腹が鳴ってしまった。

 

「……」

「四糸乃、もしかしてお腹……空いたのか?」

 

 士道さんにそう言われて、恥ずかしくなり首をぶんぶんと横に振った……けど、もう1回お腹が鳴ってしまった。

 

「四糸乃ちゃん……と、五河君。お昼に、しませんか……?」

「あ、ああ。それに賛成だ。で、食べる場所だけど……」

 

 困ったのか唸る士道さんだったが、少しするとその表情が晴れた。

 

「あ、そうだ。俺の家で食べるか? ここから近いし」

「い、五河君の……家で……!?」

「ああ」

「ほ、本当に良いんですか?」

「勿論だ。四糸乃もそれで良いか?」

 

 その問いに対して私がぶんぶんと頷くと、士道さんは安心したように笑う。

 

「よし、じゃあ行くか……!」

 

 

 

 

 

 

 

 さっきの場所から歩いてすぐのところに士道さんの家はあった。それに京乃さんの家の隣だったらしい。

 ……そこに着いた後、すぐ作るから観月と話してて待っててくれと言われて、よしのんがいなくてちょっと気まずいながらも、気がついたら京乃さんが興奮気味に五河君の家に来れて良かった、みたいなことを言っていて、私が相槌を打つ状況になっていた。

 京乃さんが嬉しそうに話す姿を見るのは、自分のことのように嬉しくなってしまう。

 そして、あっという間に時間が過ぎ、士道さんがご飯を持ってきてくれた。

 

「よし、出来たぞ」

「それでね、あの子ったら……って。五河君、ありがとうございます。す、みません……手伝えば良かったですね……」

「いやいや、四糸乃の相手していてくれてありがとうな」

「……いえ! これは、自分で望んでやっていたこと……なので。四糸乃ちゃんもごめんね。こんな面白くない話聞かせちゃって……」

 

 申し訳なさそうに謝る京乃さんに、私はあわあわとする。

 

「……い、え。……京乃さんの、話……聞くの……好きです、から」

 

 だから謝らないで欲しいと言うと、京乃さんは俯いていた顔を上げて微笑んだ。

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

「……!」

 

 士道さんが作ってくれたものはとても美味しくてつい目を見開いている私を見て、それは良かったと士道さんは笑っていたのに、京乃さんのいる方を見た瞬間、士道さんの顔は困惑に染まった。

 何だろうと思い私も京乃さんを見つめて……そしてすぐに士道さんが困惑した理由が分かった。

 

 京乃さんが、静かにぽろぽろと涙を流していたのだ。

 そんな京乃さんの様子を見て、士道さんは慌てたように声をかける。

 

「だ、大丈夫か? もしかして嫌いなものがあったのか?」

 

 慌てながらそう言う士道さんに、京乃さんは首を横に振った。

 

「とても……美味しい、です。……手料理を食べたのなんて久しぶり、だったので……」

「え……それって……」

「す、すみません! 洗面所……貸してもらっても……良いですか……?」

「……ああ、いいぞ」

 

 京乃さんの言葉を聞いて士道さんは何かを聞こうとしていたが、焦った様子の京乃さんに押されてか聞くタイミングを失ってしまったみたいだ。

 

「……大丈夫……ですか?」

「……ああ、大丈夫だ。そういえば、四糸乃。四糸乃は観月のことをどう思ってるんだ?」

 

 突然の脈絡もない話に困惑しながらも、私は士道さんの問いに答えを返した。

 

「……他の人は、わ、たしを見ると……いた、い……こ、げき……をした……のに、……京乃さんは……ち、がい……ま、した。……私に、優しく……こ、えを……かけて、くれま、した……

 そして、……京乃さんのように、優しくしてくれる人は、他にもいっぱいいると教えてくれました。

 だから、……京乃さんは……私にとって、大切な……お姉さんのような、存在です……」

 

 いつも以上に喋ってしまったせいで、少し疲れてしまった私を見て、士道さんは気遣うように私にお茶を勧めた。

 

「そうか。観月が……」

 

 何やら不思議そうな顔で士道さんは呟いていて、それを見た私には一つ気になることが出来た。

 京乃さんが、士道さんのことをどう思ってるかなんてことは分かり切っているけど、士道さんが京乃さんをどう思っているなんてことは全く分からない。

 

「……士道さんは?」

「……ん? どうした?」

「士道さんは、京乃さんのこと、どう……思ってる、ですか?」

「えっと……観月か?」

 

 そう困ったように聞いてくる士道さんをみて、そんなことを聞いてしまって良かったのかと不安になってきた。

 

「……す、みません。無理なら、答えなくて……大丈夫、ですよ?」

「あ、いや、別に無理な訳じゃないんだ。

 ただなぁ……、観月か……

 ……俺、観月と仲良くないからな……」

「そう、なんですか……?」

「ああ……」

 

 京乃さんが士道さんのことをあんなにも想っているから、てっきり仲がいいのだと思っていたんだけど……

 

「……まあ、あんまり良くも思われていないだろうしな……」

「……ど……して、ですか?」

「この前は話している途中に気絶されたんだ……

 いや、まあそれはよくあることなんだけど……」

「よくある、ことなんですか……!?」

「ああ、よくあることなんだ。

 ……学校の奴が話しかけても、良くて逃げ出すか、悪くて気絶……って感じだしな」

「そ、そうなんですか……」

 

 ……学校って何なんだろうとか思っちゃったけど、話の腰を折るのも良くないよね。

 それにしても、気絶って……

 私と話しているときの京乃さんはそんな感じしないのに……

 そんなことを考えていたら、士道さんに真面目な顔で見つめられていた。

 

「だから……観月が四糸乃と楽しそうに話していてびっくりしたんだ。

 ……その、四糸乃が良ければ、なんだが……

 これから観月と仲良くしてくれないか? 

 その……あいつが、楽しそうにしているとこ見たことなかったから……」

「……京乃さんが、私と楽しそうに……?」

「そうだ」

 

 ……そう、なのかな……? 

 そうだったら、凄い嬉しいしこっちからお願いしたい。

 そう思い、士道さんに勢いよく答えを返した。

 

「わ、かりました……!」

 

 私がそう言うと、士道さんが安堵の息を吐いた。

 

「良かった……

 ……って、そのことに気を取られて忘れてたわ!」

 

 大きな声を出されたのでビクッと体が震える。

 すると同時に、士道さんが両耳を抑える。

 その光景を私が不思議に思いながら見ていたら、士道さんが申し訳なさそうに謝った。

 

「あ、いきなりすまん。

 それにこの前は、その……いきなり、き、キスしてごめんな……?」

 

 ……キス? ってなんだろう。

 あ、そういえば京乃さんと話していた時も出てた言葉だったような気もする……

 ちゃんと聞いとけばよかったな……

 とにかく、士道さんに聞かないとな……

 

「その……士道さん。キ、ス……って何ですか?」

「え? ああ、それは……こう、唇を触れさせることで……」

「……?」

 

 それでもよく分からなかったから、士道さんが言った通りに唇を士道さんに近づけた。

 

「……こう、いうの……です、か?」

「っ、あ、ああ……そう、そんな感じ」

 

 何故か少し顔を赤くしている士道さんにそう言われたけど、やっぱり覚えていない。

 ……よしのんに、任せたときのこと……かな? 

 

「……よく、覚えて、ません」

「……え?」

 

 士道さんが眉をひそめた。

 だから、士道さんにも分かるようにとよしのんのことを教えようとして……

 

「シドー……! すまなかった、私は──」

 

 突如として開かれた扉の音とつい最近聞いたような気がする声によって、それは遮られた。

 そして、その声の主を見てか士道さんがぶわっと汗をだした。

 

「と──とッ、ととととととと十香……ッ!?」

 

 ……どうしたんだろう? 

 そう思い、扉のある方を見て……怖さのあまりに声が出てしまった。

 

「……ひっ……!」

 

 身体が震える。どうして、あの時の、よしのんを取り上げたお姉さんが……

 

「どうしたんっ……! です……」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、ドタドタと京乃さんが女の人と同じ扉から来て、あまりの怖さにか語尾が弱まっていた。

 

 ……京乃さん、ごめん、なさい。

 ……これ以上、この場にいたら……私……、駄目なことをしてしまいそう……

 ……逃げて、しまうことを……許して、ください……



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四糸乃パペット 士道視点(前)

 ──夕日が暮れる時間。

 

 静かな教室で士道はある人と一緒にいた。

 そのある人と言うのは士道にとって大切な人で、その話というのも大切な話なのだ。

 だからこそ士道は、その話というのをするのを待っていて、その人から出た言葉は……

 

 実は私、君のことが──

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 やけに鮮明だった気がする夢に驚き、飛び起きて周りを見渡したが、ただいつも通りの俺の部屋があるだけだった。

 

 ……いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 こんな内容の夢を見たのはこの前から忙しかったから、そのせいなのだろうか。

 何せ、十香が家に住むことになったり、よしのんのことでひと騒動あったり、十香が部屋から出なくなったりと色々あったから、やっぱりそうかもしれない。

 

 ……十香のこと、正直お手上げ状態だったんだけど、令音さんに何とかしてもらえて良かった。

 何で俺の時は出てくれなかったんだと釈然としなかったけど、まあ女同士じゃないと駄目なことだったのかもしれないし、今更考えても仕方ない。

 ひと息つくとさっきよりも少し気が緩んだが、いつまでも休憩するのもよくないだろう。……ああ、そろそろ食材も買わないと無くなってしまうかもしれない。なら、買いに行くか。

 

 

 家を出て、何を買おうかと考えながら商店街を歩いていると、辺りを挙動不審になりながら見渡している少女を見つけた。

 ……驚いたことに知り合いだった。

 

「よ、よしのん……?」

 

 この前知り合った──精霊の少女。

 何故彼女がこんな所にいるのだろう。そもそも空間震警報も鳴ってないのに……

 と、そこまで考えた所で、下手に行動するよりもどうすればいいか聞くべきかと思って琴里に電話をかけたら、素っ頓狂な命令を出された。ヤバイかと思いながらも言われたことをやったら、何とか上手くいったようでよしのん……四糸乃と、まともとは言えずともそれなりには会話することが出来た。

 

 四糸乃は昨日の十香と会った時に、パペットを落としてしまったようで、こっちに来た時から探していたらしい。

 それで、俺も四糸乃と一緒に会話をしながらよしのんを探していたが、中々見つからない。

 そこで効率をあげる為に2人で手分けしてよしのんを探すことにして数分。少し離れた所でよしのんを探している四糸乃に、よしのんを見つけられたかと声をかけようとしたが、彼女の目の前に人がいることに気がついて言葉を押しとどめる。

 後ろ姿しか見えないが、袖についているレースが印象的な白い服を着ていて、ジーンズを履いている人物。髪の色は観月のような濃い黒茶色で、観月と同じ髪の長さで……ってあれ、観月本人か? 

 

「四糸乃、どうしたんだ……って、観月……?」

「……い、五河君……!?」

 

 振り返って俺の姿に気が付くと、顔を真っ赤にして驚いたように声をあげている観月。まあ、驚く気持ちは分かるが、そこまで驚かなくてもいいんじゃないか? 家近いんだから会う可能性も高いし……

 いや、何で観月が四糸乃と一緒にいるんだ? 

 

『四糸乃の精神値は安定してるわね。……あれ、四糸乃の京乃への好感度が高い……? まあいいわ。取り敢えず、2人が知り合いなのか聞いて』

「……ん、了解」

 

 琴里に言われたことに対して俺は小さく返事をし、観月に声をかけた。

 

「驚きなんだが、観月って四糸乃と知り合いなのか?」

「え……あ、……そうで、す。……この前……、会って……」

 

 なるほどそうだったのか。

 まあ、確かに二人の性格的に気が合うのかもしれないな。

 ……とは言っても、それは前に俺とデートしたひょうきんな性格の四糸乃ではなく、今一緒にいる大人しい性格の四糸乃とという話になるのだが。

 

「へえー、そんなこともあるもんなんだな」

「……う、うん。……そ、ですね」

「……」

「……」

 

 ……話が続かない。

 

 いや、無理に話を続けなくても良いんだ。この空気が続くのは嫌だし、観月と別れて四糸乃と一緒によしのんを探すか。

 そう思い観月に別れの言葉をかけようとした瞬間、観月の方から俺に声をかけてきた。

 

「……ど、どうして、2人はこんなところに?」

「……あ、ああ。四糸乃がよしのんを落としてしまったみたいだから、それを探す手伝いをしてたんだ」

「……そ、なんですか。……わ、たしも……手伝っても、良いですか?」

 

 うん? 手伝うって……まあ、知り合いが困ってるんだから、助けるのは当たり前のことか? 

 ……そうとは言っても、これでもし四糸乃の機嫌が悪くなったら良くないし、どうするべきか琴里に聞くか。

 そう思いインカムをこつんと叩くと、少しの間が開いて琴里の声が帰ってきた。

 

『……あー、士道? どうするべきかって話でしょう? 

 ここで京乃の話を断っても、四糸乃の機嫌が悪くなるでしょうし、了承しといて』

「……分かった」

 

 周りに聞こえないような声で琴里に呟き、観月に確認を取る。

 

「こちらこそ……いいのか?」

「……はい。……私なん、かで、よければ是非……」

「ありがとうな」

 

 俺が感謝の気持ちを述べると、心なしか観月の顔がまた赤くなった……ような気がする。

 もしかして熱でもあるのか? 

 だったら帰ってもらった方がいいか? 

 

 ……本人がやる気満々だから本当に無理そうだと思ったらその時にでも帰ってもらえばいいか。

 そう思いながら3人でよしのん捜索をしたが、あの後結局よしのんは見つからずに、昼時に三人で五河家にて昼飯を食べる流れになった。

 

 

「……こ、こが……士道、さんの家……」

 

 蚊が鳴くような声で呟く四糸乃に肯定の言葉をかける。

 前に観月の家に来たとかで別にここが初めて見る景色という訳ではないようだが、それでも初めて見たとでも言うかのようなキラキラとした目で見つめている。

 

「ああ、そうだ。特に凄いものとかないけど、ゆっくりしていってくれ。……あ、もちろん観月もな」

 

 俺がそういうと、観月は不安そうにこくこくと頷いた。

 観月のそんな姿にむず痒いものを感じながらも、家の扉を開けて二人を迎え入れる。

 そして、二人に手を洗ってもらい(その際に水道から水が出たことに驚いて四糸乃が観月に水をぶちまけた)、居間にある椅子に座らせた。

 

「昼飯作るから適当に寛いでいてくれ。

 ……あ、テレビとかもつけてていいぞ」

「……あ、ありがと、ございます」

 

 まだギクシャクしている京乃に苦笑いを返しながら、俺は何を作ろうかと考える。

 結局買い物には行けなかったし、家にあるものでしか作れない。家にあるのと言えば……卵、鶏肉、あと野菜と米くらいなものだ。

 親子丼でも作るかと思い、3人分を作って机に運ぶと楽しそうに笑っている観月と四糸乃の姿が見えた。

 しかし俺が近くに来たことに気がつくと、観月の表情は一転して悲しそうなものになる。

 ……何か俺悪いことしたか? 

 少しそう思ったが、四糸乃達を困らせてはいけないと思って彼女らに声をかける。

 

「よし、出来たぞー」

 

「それでね、あの子ったら……って。五河君、ありがとうございます。

 す、みません……手伝えば良かったですね……」

 

 何故、何故なのか? 

 何故悲しそうな顔をするのか。

 止めてくれ、観月のそんな顔は見たくない。

 

 ……ふと、そこまで考えた所で自分の考えに疑問を持って首を傾げた。

 そんな顔が見たくないのならば、いったいどんな顔なら見たいのだろうか。

 

「いやいや、四糸乃の相手していてくれてありがとうな」

「……いえ! これは、自分で望んでやっていたこと……なので。四糸乃ちゃんもごめんね。こんな面白くない話聞かせちゃって……」

 

 申し訳なさそうに謝る観月に、四糸乃はあわあわとしながらもしっかりと自分の意見を話す。

 

「……い、え。……京乃さんの、話……聞くの……好きです、から」

 

 だから謝らないで欲しいと四糸乃が言うと、観月は俯いていた顔を上げて、その顔に笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 昼飯を家で食ったことは、結論で言うと失敗だったのかもしれない。

 何故なら、俺が作った料理を食べて観月が泣き出してしまったり、四糸乃と俺がキスしてしまうのではないかと思える程に顔を近づけてしまったタイミングで十香が帰ってきてしまったりしたからだ。

 

 そう、観月。あの後、何で泣き出してしまったのか考えてみたのだが……彼女の家族に関わる問題なのかもしれない。

 昔は彼女のお母さんと観月と仲良く歩いている光景をよく見ていたような気がするが、最近は全く見ないのだ。

 仲が悪いようには見えなかったし、うちの家みたいに仕ことが忙しくて中々家に帰ってこれないとか、そんな理由があるのだろう。

 俺には大したものは作れないが、それでも来たいなら遠慮せずに食べに来て欲しいと思う。

 

 

 ……ってまあ、一番問題なのは観月では無く、十香のことなのだが。

 俺と四糸乃がキスをしている(ように見える)タイミングで十香が帰ってきてしまったのが一番の問題だと思う。……いや、それも元を正せば四糸乃達を家にあげてしまった俺が悪いんだが。

 

 その結果として十香は怒り、四糸乃は逃げ帰るようにロスト、観月も十香が怒っているのをみて泣きそうに、というか半泣きしていたという何とも言えない地獄絵図のような物が出来上がってしまったのだ。

 

 ……もう四糸乃はロストしてしまったし、十香の誤解を解こうとしたが、また部屋に閉じこもったっきり出なくなってしまった上に琴里に今十香に話しかけるのは逆効果だと言われたから、こうなってしまったものは仕方ないと思い、どうすればいいのか分からずにオロオロしている観月に声をかける。

 

「……観月」

「は、はい、何でしょうか!? ……あ……い、いや……その……良い所を邪魔して、すみませんでした」

 

 しどろもどろになりながら家から出ようとしている観月に、焦りながら待ったをかける。

 

「お、おい! いや、違うからな!?」

「……?」

「四糸乃とキスしてたりなんか……」

「……本当ですか? 嘘は言わなくて良いんですよ? 四糸乃ちゃんと五河君が恋人だったとしたら、お、お祝いしますから……」

「いや、本当に違うからな!」

 

 いや、正直の所を言うと恋人ではなくとも四糸乃をデレさせないといけないという点では微妙に合っているのかもしれないが……

 とはいえども、そのことを言ったとしてもこの状況では何も生まれまい。

 

「そうなんだ。……良かった」

 

 そう安堵した表情で俺が今まで見たことが無い、それでいて何故かどこか懐かしさを感じる柔らかい笑みを俺に向けてみせた。

 十香が見せるような向日葵のような眩しい満面の笑顔ではなく、こちらを安心させるようなふんわりとした笑み。

 それを見た途端に俺の動悸が速くなり、それと同時に何故か今朝見た夢を思い出した。

 とは言っても、それは朧気で肝心の内容は全くと言っても良い程に覚えていない。

 ただ覚えていることと言えば、俺が教室でとある人物と話していたということだけだが……

 その話していた内容を思い出そうとするが、その記憶は黒いカーテンで隠されているかのようにそれ以上先は思い出せず、それでも思い出そうとしてカーテンの内を見ようと……

 

「あの……大丈夫、ですか? 顔色が悪い……よう、ですが……」

 

 覗きこむようにこちらを見つめる観月の顔は不安そうで、それを見たら速くなっていた動悸はいつの間にか収まっていた。

 ……どうやら考えすぎたあまりに、顔色が悪くなっていたらしい。

 

「全然大丈夫だ。心配かけてごめんな」

「え……いや、心配なんて……!」

 

 慌てたように頭を横に振る観月。そんな観月を見ながら、これ以上夢の内容について考えていたら今以上に彼女に心配をかけてしまうかもしれないし、これ以上夢について考えるのをやめようと考え直す。

 ……そんなことよりも大事なことがあるんだしな。

 

「観月、俺のことなんかよりも聞きたいことがあるんだが……」

「は、はい、何でしょうか……?」

「今日見ていて思ったんだが……前から四糸乃と話せたのか?」

「……? どういうこと、ですか……?」

「初めて会った時から今の大人しい四糸乃と会話出来ていたのか?」

「……はい、初めて会ったときから、四糸乃ちゃんとも、よしのんとも話して、ました……」

「……よしのんとも?」

「……はい、そうですが……」

 

 それがどうかしたのかとこちらを見る観月だが、俺にはそれは意外なことだった。

 よしのんってパペットだろ? 

 何でパペットが喋るんだ? 

 

「いや、俺の時には今の四糸乃と話せてなくてな……

 観月の時は違ったのか?」

「……はい、そうでした、ね」

「ってことは、よしのんって四糸乃の何なんだろうな……」

 

 最初、四糸乃がよしのんを通して自分の思っていることを話しているのだろうと思っていた。

 しかしよしのんが話しているときに、四糸乃も話すというなら話は別だ。今日改めて話して思ったが、四糸乃は一人二役の人形劇とか、そんなことをするような子ではない。だけど、それならばよしのんとは何なのだろうか? 

 そう考えている時、険しい顔をしながら考えことをしていた観月がぽつりぽつりと話しはじめた。

 

「よしのんは、きっと……四糸乃ちゃんの、別人格なんだと、思います。……彼女は、辛い思いをしてきた……と言ってました。……だから、彼女は……自分がこれ以上に傷つかなくても良いように、相手が傷つかなくてもいいように……、そうして、よしのんを作ったんじゃ……ないかと……わ、私は……思いました」

「……」

 

 

 よしのんは私のヒーローだと、一緒によしのんを探していた時に四糸乃は言っていた。

 よしのんがいてくれたから、自分が自分のままでいれるとも言っていた。そんな四糸乃とよしのんが外れた状態で会った時、そして十香からよしのんを取られた時も、彼女は酷く怯えていた。

 それは自分の中にいた、よしのんという自分を守ってくれる友達の反応が突如として消えたからではないだろうか。

 それに前に四糸乃とキスした時に、彼女の霊力が封印出来なかったのは、あの時に会話していたのが四糸乃本人ではなく、よしのんだったからということだろう。

 

 そう観月の言ったことに納得すると同時にまた新たな疑問が出てきた。

 四糸乃は辛い思いをしたと、観月に言っていたらしい。

 けど、それってそれだけなのだろうか? 

 四糸乃は、観月に自身が精霊だってことも告げているのではないだろうか? 

 ……と、そこまで考えた後で、その可能性は低そうだと考え直す。

 

 自分が危険な存在だと気付いてはいるかもしれないが、四糸乃は優しい女の子だ。

 観月がASTと関係ないと知ったら、巻き込まないようにするに違いない。

 

 だったら観月に精霊のことについてバレることも無いはずだし、そもそも彼女がそんなとんでもないことを四糸乃から聞いたとするならば、彼女が楽しそうに四糸乃と談笑しているはずがない。

 彼女は俺と同じように普通の人間だし、同級生の女子達と比べて異常な位に臆病で思っていることが顔に出やすい。

 そんな彼女が今もいつもと同じ、いやそれ以上に楽しそうにしているのにそんな状況に陥っているのか? 

 ……いやいやいや、ないだろう。

 

 と、そこまで考えた所でまたしてもこちらの顔色を伺うかのように視線を送っている観月によって考えをやめざるを得ない状況になった。

 

「……あの、五河君?」

「観月。どうかしたのか?」

「よしのん探しで疲れちゃった……し、これ以上、……お世話になる訳にもいきません、ので……もう、家に帰り……ます、ね」

「じゃあ家まで送るぞ?」

「……!? ……いえ、そんなご迷惑を、お掛けする……わけ、には……いけません、から」

「いや、隣だし近いんだから送ってくよ」

「……い、いえ! そそそ、そんな……」

 

 尋常じゃない様子の観月を見て、苦笑いを浮かべながら俺は言葉を返す。

 

「まあ、観月がそこまでいうなら仕方ないか」

「……はい、今日は、ありがとうございました。……それに、昼ご飯、ありがとう……ございました。とても、……美味しかったです」

 

 真っ直ぐとこちらを見つめる空色の瞳に少しドキリとしながらも、自分の手料理を褒めてもらえたことで少し気恥ずかしい気持ちになりながらも言葉を返す。

 

「それは良かった。……あ、そうそう。休みとか暇な日でもあれば、俺の家に来てくれて構わないぞ。大したものは作れないが、観月の分の飯作るから」

「……!? は、はい……ありがとう……ございます!」

 

 深々とお辞儀をして急ぎ足で家から出る観月を見送って玄関のドアを閉めると、インカムから琴里の声が聞こえてきた。

 

『……やるじゃない士道。精霊とは関係ない女の子を家に連れて来て胃袋を掴むなんて。

 ……あ、でも気を付けることをお勧めするわ。

 もし精霊達をデレさせた状況なのに、彼女と付き合ったりすると誰かから刺されること間違い無しだから』

「……? 何言ってんだ? そんなことになる訳ないだろ」

 

 観月と付き合うなんて、そんな状況になる訳ない。

 なる訳ないのだ。

 それは()()()()()()()のはずなのだ。

 あいつに好かれていないと言うのにそんなこと、あるはずもない。

 そもそも誰かってだれだよ。

 そう思いながら返事を返していると、特大級の溜息を返された。

 

『……ってまあ、彼女のことは置いておくとして。よしのんと四糸乃は別人格、ねぇ。

 まあ、調べる価値はありそうだからラタトスクで調べておくわ』

「ああ、ありがとうな」

『……ふん、当然のことよ。あとそれと、映像を洗ってみたところ、よしのんの所在が判明したの』

「本当か!? どこにあるんだ?」

『それは──鳶一折紙の家よ』

 

 琴里の発した言葉によってはっきりとしてしまった状況に、俺は頬を痙攣させるほかなかった。



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四糸乃パペット 士道視点(中)

2020.9.27加筆。


「ねえねえ、士道くん。今度の買い物に行かない?」

 

 俺が夏の暑さにやられそうになっている中。家に遊びに来た彼女は、笑顔を浮かべながらそう言った。

 

「買い物……? そういう事だったら琴里も連れていくか?」

「琴里ちゃんは駄目だよ!」

 

 彼女は手でバッテンを作る。

 

「何でだ……?」

「出かけるのは琴里ちゃんの為だからだよ」 

 

 俺の疑問の声を聞いた彼女は少し不安げな顔をしていたが、その言葉で俺はようやく1つの答えへと辿りつくことができた。

 

「……あ、そういう事か」

「忘れてるのかと思ったよ。そういう訳だから、また今度よろしくね」

「あ、ああ!」

 

 俺が返事を返すと、そいつは人のいい笑顔を浮かべながら親指を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 よしのん探しを三人でしていた次の日の朝。

 俺はやけにすっきりと目を覚まし、また夢を見たんだという事を思い出した。

 昨日のようにそんな夢を見たという事は鮮明に思い出せたが、やっぱりその子の顔は思い出せないし、声も思い出せない。琴里の為? 何のことだろうか。

 

 釈然とせずに首を捻り、寝間着から着替えて朝食の準備でもしようかと思った時、呼び鈴が鳴った。

 

 こんな時間に誰だろうと思いつつも玄関の扉を開けると、ふらふらとしている寝惚け眼の観月が出てきた。……なぜか寝間着姿で。

 

「お、おい……大丈夫か……?」

 

 俺はそう言ったがそれが聞こえていなかったのか、観月は意にも介さずに、にこりと笑いながら俺に抱きついた。

 

「えへへ、士道くんの匂いがする〜」

「……っ!?」

 

 柔らかいものが当たる感触とふんわりと香る良い匂いに困惑している中にそんな事を言われて、自分の顔が赤くなっているのを感じた。慌てて彼女を引き剥がそうとしたが、その細い体のどこにあるのか不思議になってしまうぐらい強い力で掴まれているために引き剥がすことが出来ない。

 

「な、ななな……!」

 

 予想外の出来事に語彙力が低下して、顔が赤くなっているを感じる。それを見てか分からないが、観月がもっと密着してきた。

 柔らかいもの……いや、胸が先程までとは比べ物にならないくらい自己主張してくるし、女の子特有の甘い香りが鼻に入ってくる。

 いつもは制服だから分からなかったが、観月意外とあるんだな……って、何考えてんだ、違う違う。

 

「……ふへへ、士道くんだ。士道くーん」

 

 こちらの考えなんてこれっぽっちも気づいていないであろう観月は、幸せそうに顔を緩めていたが、今の俺にはそれを気にする余裕などなく。振りほどこうとしても感触に気を取られてうまく行かない。いや、抵抗はしているのだが、全く効果がないのだ。

 それならむしろ自分からこの感触を楽しめば……いやいや、駄目だろ!? 

 それは彼女が悲しむ……いや、むしろ喜んでくれるんじゃ……

 

 

 

 

 理性と本能がせめぎあい体感的に長い時間が経ったように感じられた後、突如として彼女に掴まれていた力がなくなった。その代わりに、素数を数えていた俺に彼女の身体がのしかかってきたので慌てて支え、肩を揺らして声をかける。

 

「……お、おい! 観月!」

「……はい……? ……って、えっ……?」

 

 観月は呆けた顔でゼロ距離にいる俺を見て、次に俺の脇くらいの所に回されている自分の腕を見た。

 すると時が止まったかのように数秒間動きを固まらせ、そしてまた数秒後にばっと俺から離れた。

 

「あ……え……す、すみません!!!」

 

 観月はそう言って、バタバタと自分の家に戻ったようだ。

 ……どうしよう。家来てたから、何か用事があったから来たんだよな。だけど、この調子だともう来なそうだ……

 そう思いながら玄関の前で棒立ちしていたら、眠たげな目をしている琴里が俺に声をかけてきた。

 

「おにーちゃん、どうしたのー?」

 

 ……どうやら今は妹モードらしい。よく見てみたら白いリボンだった。

 ちょっと身構えかけていた気持ちを緩ませ、観月のことを話すことにした。

 

「あ、琴里。いや、今さっき観月がその……寝ぼけてたらしくて寝間着姿でこっちに来てたんだが、その事に気付いた後に慌てるように家に帰ってしまってな……

 どうしようか迷ってるところなんだ」

 

 琴里に全部をありのままに言うとからかわれるだろうし、観月も良い気なんてしないだろうから、彼女に抱きつかれた事は伏せて事情を説明すると、琴里に不思議そうな目を向けられた。

 

()()? 

 ああ……うんうん、そりゃー京乃おねーちゃんからしたら恥ずかしいよね! 

 ちょっと時間置いて、おねーちゃんがこっちに来なかったら、おにーちゃんがおねーちゃんの家に行ったら?」

 

 やっぱりそうするべきだよな。

 うんうんと頷き、俺は琴里に言葉を返す。

 

「そうだな、そうしよう」

 

 

 

 

 

 結局暫く待っても家に来なかったので観月の家の前に立っている。

 琴里が見ていたら早く呼び鈴押せとか言いそうだけど……何せ女子の家に行くなんて中々ない経験だから緊張するんだよな。

 とは言っても、腹に背はかえられない。

 このままでは時間が無駄に浪費するだけで終わってしまう。

 

 そう思い震える手を抑えながら呼び鈴を押す。

 暫く経つと観月が家から出てきた。

 ……勿論寝間着から着替えて。

 

「いいい、五河君!? あ、あの、さっきはめ、迷惑かけたみたいですみませんでした!! 何か失礼はありませんでしたか!?」

 

 失礼……いや、それよりも……

 

「……観月、さっきの事覚えてないのか?」

「あの……すみません、覚えてないんです。起きたら五河君に揺さぶられてて……これ以上の失礼があるかと思うと……」

 

 ぶるりと体を震わせる観月。

 ……彼女に、甘えた調子で声をかけられ、あまつさえ抱きつかれたりもしたのだ。寝間着姿を見られただけ(だけというのも可笑しいかもしれないが)で、全身がマナーモードの携帯のように震えているのに、クラスメイトに甘えるように声をかけたり、抱きついたりなんかしていた事を教えてしまえば……いや、どうなるのだろう。

 取り敢えず今までの比ではない様子を見ることになるのは確かだろう。

 

「い、いや大丈夫だ! 観月はただ立って寝てただけだから!!」

「い、いや、全然大丈夫なんかじゃ……って、え? 立って寝てたんですか私!? 

 ……い、いえ、迷惑をかけてしまったことに変わりはありません。すみませんが五河君、ここで少し待っててくれませんか?」

「……? ああ」

 

 俺がそう言うのを聞くと、ぺこりと頭を下げた後に駆け足で家の中へと入っていった。

 そうして暫く経った時に、菓子を片手に持って恐る恐ると言った感じで口を開く。

 

「えっと、その……」

「その菓子がどうかしたのか?」

「そ、そうなんです! この前おじさんが帰ってきた時に、家に置いていって……

 五河君、良かったらこの前のお礼という事で受け取って下さいませんか……?」

 

 観月は申し訳なさそうな顔をしながら、俺に菓子を押し付ける。

 

「いや、おじさんが観月に買ったものなんだろう? だったら俺が貰っちゃ悪いし……」

「そ、そんな事ないです! 

 あの人大量に買ってきたので、消費期限まで一人だけでは処理出来る自信ありませんし……その、無理そうでしたら他の人におすそ分けって形でも構いませんし……」

 

 俺は特別甘い物が好きというわけではないが、十香や琴里なんかにあげたら喜ぶだろう。

 特に十香とは喧嘩中のような雰囲気だし、これを渡すことで仲直り……とまではいかなくても、少しは俺の言い分に聞く耳を持ってくれるかもしれないし、いいことづくめなのではないだろうか。

 ひとりでは食べきれないというのは、こちらに受け取らせる為の嘘な可能性もなくはないが、……まあ、好意はありがたく受け取っておこう。

 

「そうか、じゃあありがたく貰うかな」

 

 俺がそう言うと、観月はほっと肩を撫で下ろして菓子を渡してくれ、立ち話も何だからと家の中に俺を入れてくれ、リビングの椅子に座るように促した。

 ……何だろうか? 家の造りも、机、椅子、テレビなんかの家具も家具もそう変わらないのに、何か違和感というか……

 ああ、そうだ。俺の家では嗅いだことのない匂いがするんだ。あまり嗅いだことのない匂いだが、どこかで嗅いだような……

 アロマ? お香? 近い気がするが違うような……

 

「何の匂いだ……?」

「……? におい、ですか……? 

 す、すみません、何かにおいますか……!? 

 わ、私の体臭ですか? 毎日お風呂に入っているつもりでしたが、やっぱり臭いますかね!? くさいですか!?」

 

 突然慌て出した観月に、慌てて訂正の言葉をかける。

 

「違う違う! 観月はいい匂……じゃなくて……部屋から匂うような……?」

 

 さっきの事を思い出してしまい、つい口を滑らせてしまったが、観月は顔を傾げるくらいで特にその事を気にしている様子はない。

 その代わりに観月は顎に手を当てて考える仕草をして、そしてはっとした表情で口を開く。

 

「……もしかしたら、あれかも、しれません」

「あれ?」

「お菓子の匂いです。ちょっと寝ぼけた時に食べてしまったようで、……匂いが篭って、しまった……のかも、しれません

 

 ちゃんと換気しないとと呟く観月の様子を見て、確かに菓子の甘い匂いもする様な気がするとは思ったが、俺が知りたかったのはその匂いではなく。

 

「……もしかして、花か?」

「花、ですか……?」

 

 少し考えてこんだ様子の観月だったが、何かを思い出したという様子だった。

 

「……そういえば、花束を買って、お母さんに、あげようと思ってたんです。でも……勇気が出なくて無駄にしちゃって……」

「喧嘩でもしているのか?」

「……ええっと、そういうわけじゃ……ないと思います。五河君が気にするほどのことじゃ、ないですよ」

「……本当に大丈夫か?」

「大丈夫です。次に会うときには、きっと元通りですから。だから……()()()、です。その……もう少し、時間が欲しくて……」

 

 また、胸がざわめく。昨日観月の笑顔を見たときみたいに、妙な鼓動の高まり。

 ……よその家事情に首を突っ込むものではないだろう。それに、きっと観月は一人で解決出来るはずだ。

 

「そう、だな。観月が大丈夫っていうならそれを信じる。

ただ……困っていることがあるなら頼ってくれ。出来れば観月の助けになりたいんだ」

「……あ、りがとう……ございます。その言葉だけで、本当、嬉しい……です」

 

 硬い笑顔を浮かべて、彼女は台所へと向かった。

 気持ちを切り替え、お茶を出してくれた観月にお礼を言って、向き合うように椅子に座った。

 

 

「……家に来てたが、何か言いたいことでもあったのか?」

 

 俺がそう言うと、観月はばつの悪そうな顔で頭を下げてその姿勢をキープしたままに口を開く。

 

「あ、あの……その節は本当にすみませんでした。

 その、朝は……その寝ぼけてて……その、よ、用とか……無かったんです。ほ、本当にすみませんでした!」

 

 綺麗な姿勢のお辞儀をピシッと決める観月。

 そんな彼女に少々面食らいながらも顔を上げるようにいう。

 

「いや、全然大丈夫だ! バンバン来てもらって構わないから!!」

「……本当、ですか……?」

 

 上目遣いでこちらを見上げる観月を見て、何かこちらがイケナイ事をしてしまっているような気分になりながらもしっかりと彼女に肯定の言葉をかける。

 

「あ、ああ!」

「……あ、ありがとう……ございます」

「でも、そうなのか。用事とかないなら……ちょっと俺の方から頼みがあるんだが、聞いて貰ってもいいか?」

「は、はい、勿論!」

「その、十香の事なんだが……」

「は、はひ! 夜刀神さんと一緒に暮らしてるんですよね! 式はどちらで上げるのでしょうか!?」

 

 観月のどこから来たのかと言いたくなるくらいに突拍子のない言葉に焦りながらも、彼女を落ち着けさせようと言葉を返す。

 

「いやいやいや、違うぞ! 十香は親戚の子で、突然こっちに引っ越して来ることになったのはいいけど、住むはずの家がまだ出来てないから臨時で泊まらせてるだけだから、そういう話じゃないぞ!」

「……そうなんですか?」

「……ああ、そうなんだ!」

「……」

 

 勿論殆ど嘘だ。

 確かに十香の住む家が出来ていないと言うのは合っているが、当然ながら十香と親戚というのは嘘だ。

 それ故に上手く誤魔化せるか不安だったし罪悪感も残ったが、クラスメイト同様、理由も無しに同居するなんて思わなかったからか、少し疑わしそうな顔をしていた観月だったが俺の返事を聞くと溜飲を下げたように息を吐く。

 

「だからクラスのやつらにバレないようにしたいんだ。

 あいつらにバレたら何言われるか……」

 

 俺がそう言うと、観月はあっけにとられたような顔で口を開く。

 

「そ、そんな事ですか? 

 勿論、皆さんには言ったりしません……」

「本当か!? ありがとう……」

「……! いえいえ、私なんかが出来る事でしたら……何でも、言ってください」

「そうか? そうなら、四糸乃の事なんだが……

 これからも仲良くしてやってくれないか?」

「……え、私がですか? ……そ、そんなのこちらからお願いしたいくらいですけど、でも……」

 

 そこで区切ると、観月は嬉しそうな表情から一転、陰りをみせる。

 

「四糸乃ちゃんは、凄い優しくて良い子です。

 ……だからこそ、きっと私の事なんかでも無下に出来ないんです。

 ……私なんかが彼女に歩み寄ってしまえば……彼女はきっと断る事も出来ない」

 

 不安そうに言う観月だが、俺にはそんな風に思えなかった。昨日、四糸乃は観月の事をお姉さんみたいな人と評していたのだ。嫌いな人にそんな事を言うはずがないし、何よりも俺といる時よりも二人共楽しそうだった。

 

「……よく分からないが、観月は自分が四糸乃に嫌われてるんじゃないかって思っているのか? 

 そんなんお門違いもいいところだと思うぞ?」

「……?」

「観月と話している時の四糸乃は凄く楽しそうだし、その姿に嘘偽りはないと思うんだ」

「そうかな……そうなのかな。分かりました、五河君。

 ありがとうございました、その……私も頑張ってみようと思います」

「そうか、良かった」

 

 出来る限り怖がらせないように笑みを浮かべたが、顔を背けられてしまった。

 

 俺が頼み事をしたその後は、観月と取り留めもない話をした。趣味はなんだとか、休みの日はどんな事をしているかとか。意外にも会話は弾んだような気がする。

 

「料理しようとは、思うんですけど、……何か上手くいかないんです」

「あ、じゃあ、俺が見ていようか? 

 それで駄目な時は注意するって形で」

「え? 良いんですか!? 

 じゃあ肉じゃがに挑戦したいんですけど……」

「ああ、あれな。難しく作る必要はないし、手軽なやつなら作り方教える……というか、携帯とかで調べれば出てくるんじゃないか?」

「そ、それはそうなんですけど……その……」

 

 もごもごと口を動かす観月だったが、内容までは俺には聞こえない。

 

「まあ、見れば分かると思うし、人が見てた方が上手く行くかもな。じゃあ今度また観月の家にお邪魔してもいいか?」

「……! はい、ありがとうございます! 勿論大丈夫です!」

 

 と、そこまで話した後で、そろそろ昼飯の時間が迫って来ている事に気がついた。帰って十香……はともかく、琴里に飯を作らないとな。

 

「観月」

「……五河君、どうかしたんですか?」

「琴里達に昼飯作らないといけないし、そろそろ帰らないといけない」

「……そうですか」

 

 少し低めのトーンでそう言った観月は、少しの間目を瞑る。すると心なしか空気が重くなったのような気がした。

 しかしそれも一瞬の事で、彼女が目を開けた次の瞬間にはいつも通りの弱々しげな顔に戻り、空気も元に戻ったように感じられた。

 

「分かりました、あの……今日はありがとうございました」

「ああ、こちらこそありがとうな」

「……観月」

「は、はい!」

「その……四糸乃だけでなく、十香や鳶一とも仲良くして欲しいんだ。二人とも良い奴だからさ。いや、無理にとは言わないが」

「夜刀神さんと……鳶一さん、ですか?」

「ああ」

 

 俺がそう頷くと、観月は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「その、分かりました……善処はします」

 

 

 

 

 

 自分の家に帰りリビングへと足を進めると、テレビにかじりついている我が妹の姿があった。

 俺の存在に気がつくと、こちらに顔を向けて無邪気に笑う。

 

「随分と長かったね、おにーちゃん!」

「ああ、思ったよりも話が弾んでな……」

 

 俺がそう言うと、琴里は複雑そうな顔をした後ににっこりと笑って口を開く。

 

「そっかー、それは良かった!」

「俺も良かったと安心している。

 あと昼飯何がいいか?」

「デラックス・キッズ・プレート!」

 

 それは近所のファミレスのメニューの一つだった。

 いつぞやは行けなかったし、再挑戦という形で行ってみても良いかもしれない。

 

「んー……そうだな、前は行けなかったし、たまには外食でもいいか」

「やったぁー! 

 じゃあ、私は家出る準備してくるね〜」

 

 琴里は嬉しそうに自分の部屋へと戻っていった。

 

 俺は、その間に十香に一緒にファミレスに行かないかと誘ったが、沈黙を返されてしまった。

 確か十香は部屋に大量の食べ物と飲み物を持っていっていたはずだから、飯の問題はないが……いや、何とかならないのだろうか。

 そう思いながら、俺は十香の部屋を後にして、2人でファミレスに行った。

 

 

 

 お待ちかねのキッズプレートを前に興奮を隠しきれないようにウズウズとしていた琴里だったが、次の瞬間にはプレートの中身(エビフライ)へと手を飛ばしていた。

 そして口に運んだ瞬間に幸せそうに顔を緩ませる。

 

「うっまー! おにーちゃんも食べる!?」

「いや、俺は琴里が美味しそうに食べてるの見てるだけで充分だ」

「そうかー? まあ、欲しいって言ってもあげないけどな!」

「いや、いらねえよ」

 

 そう言いながら俺は自分が頼んだものを口に運んだ。

 ちなみに俺はビーフシチューである。美味かった。

 俺もこれに負けないくらいのものを作れるようになりたいものだと、咀嚼をしながら考えていた。

 

 家に帰った後に、琴里はラタトスクに戻った。

 十香や四糸乃などの精霊に関する案件で戻らなくてはいけなくなったらしくて、夜は帰れないだろうと言うことだ。

 白いリボンでありがとうな、おにーちゃん! と言ったあとに黒いリボンに付け替えて、俺を罵倒しながら姿を消した。

 

 あんまりな落差にちょっと気分が下がった。なんとか持ち直して十香に声を掛けにいったがやっぱり反応はなく……部屋から出たら観月がくれた菓子を一緒に食べようと言って、俺は自分の部屋へと戻った。

 

 

 その後は……まあいつも通りだ。学校で出されていた課題があった事を思い出して勉強したり、それが終わった後は十香の機嫌を直すこと、鳶一の家にいるよしのんをどうやって救い出そうかと考えたりしていたら時間が潰れて、やっぱり十香は出てきてくれなかった為に夕飯を一人で食べて、風呂に入り寝た。

 

 

 

 

 

 月曜のその時、教室は凄い騒がしかった。

 

 何故って? そりゃあ……今まで俺以外の誰とも自分から話そうとしなかった観月が、自分から誰かに話しかけてるんだから、それも仕方のないことなのだろう。

 

 ……何で俺に話しかけてくるのかはよく分からんが、その事を殿町に聞こうとすると殺気のこもった目で見られるし、女子には羨ましそうな目で見られるから理由を知るのは諦めた。

 

 勿論女子が観月に話しかけようとした事は何回かあった。しかし、観月は女子に話かけられる度に泣いたり、悪い時には気絶してしまったりと、ちゃんと話すことに成功する事は1回もなかったのだ。

 

 そのうちに、女子たちも観月と話すことを諦めたのだが……それに、話している相手というのも鳶一という事で中々に驚きがあったのかも知れない。

 ……って、まあ、理由は分かってるっちゃ分かってるけどな。

 

『その……四糸乃だけでなく、十香や鳶一とも仲良くして欲しいんだ。二人とも良い奴だからさ。

 いや、無理だったら別にいいんだが』

『夜刀神さんと……鳶一さん、ですか?』

『ああ』

『その、分かりました……善処はします』

 

 そう言った彼女の顔はしおらしくなっていて、あの反応は、もう完全に駄目なやつだと思っていたからそこは驚きだけど。

 

 クラスメイトは天変地異が起こったとか何とかと騒ぎまくっているが、俺は騒ぎの中心である隣の席の人物に声をかけることにした。

 

「……鳶一?」

「何」

「観月と何話してたんだ? ……その、もしかして精霊の事か?」

 

 隣の席に座っている鳶一にそう言ったが、それを聞いた鳶一の目は何言っているんだろうと言っているような気がした。……あくまでそんな気がしたというだけだが。

 

「何を言ってるの。彼女には、重要な物を貰っただけ」

「それって何なんだ?」

「秘密」

 

 そう淡々と告げる鳶一だったが、心なしかいつもよりも嬉しそうな表情を浮かべているような気がする。

 ……鳶一が喜びそうなプレゼントとは何だろうか? 

 考えてみても特に思いつかない。

 

「……まあ、良いか。それよりも鳶一」

「何」

 

 機械的に首を傾げる鳶一。

 彼女の瞳は、まだ何か用があるのかと暗に示しているような気がして、これから言おうとしている言葉を言っても大丈夫なのだろうかと思わずゴクリと息を飲む。

 しかし、話しかけないと何も始まらない。

 そう思い、彼女に声をかける。

 

「あー、えっと……」

 

 ……と、その続きを言おうとした時、クラスの奴らの視線を集めてしまっている事に気がつき、小声で話す事にした。

 

「……頼みたい事があるんだが、休み時間にでもどこか人気のない所に行かないか?」

「分かった。一時限目が終わったらついて来て」

「……ああ、ありがとう!」

 

 

 

 そして一時限目が終わったあと、いつぞやのように手を掴まれ、教室を出る。

 そうして彼女が歩みを止めた所は、トイレの前だった。

 少しも迷わずに、女子トイレの中に入ろうとする鳶一に待ったをかける。

 

「と、トビイチさん? もしかしてですけど、女子トイレに行こうとしてないですか?」

「駄目?」

「いや人気のない場所ってそういう意味じゃないから!」

「分かった」

 

 そう言った彼女の表情は、何も変わっていないはずなのに、残念そうな表情をしているような気がした。

 着いてきてと言って、次に彼女が俺の手を引いて連れてきた所は、いつぞやに来た屋上の近くの階段だった。

 

「頼みって何」

「……こ、今度の休みにお前の家に遊びに行っても良いか?」

「……」

 

 俺がそう言うと、鳶一は真顔でくるりと1回転をし、ぴょんと真上へと跳んだ。

 

「17日が空いている。その日で良ければ」

「……! ありがとう!」

 

 鳶一の頬が少し赤らんでいるような気がしたが、それもやっぱり気のせいだろう。そうに違いない。

 

 あと、教室に戻った時に殿町から憎しみの視線が突き刺さったが、それ以外は何事もなく時間が進んでいった。

 

 

 

 

 たまちゃん先生の話が終わり、皆が帰りの支度をしているとき、後方からうわずったような声をかけられた。

 

「い、五河君!」

「……ん、観月か。どうかしたのか?」

「え、えっとあの……」

 

 おろおろとしている観月が話しかける前に、彼女の手に握られている物に気が付く。

 それは綺麗な装飾が施されたウサギのパペットで……

 その正体に気がつくと俺は驚きの声を上げてしまった。

 

「それ……よしのんか!? 

 どこで見つけたんだ!?」

「その、……昨日、鳶一さんの家に行かせて貰ったんです。……それで、よしのんを彼女の部屋で、見つけたので……お願いして、貰いました…」

「そうか、よくやった!」

 

 それを聞いた観月が嬉しそうにしている姿が小動物のようで、ついわしゃわしゃと観月の頭をやってしまって、目がぐるぐるに回っているように錯覚してしまえるぐらい混乱させてしまった。

 

「っ〜!!」

「あ……悪い!」

「い、いえ……もっとやっても……」

「……? 何か言ったか?」

 

 ボソリと小さな声で呟いたような気がしたので、その内容について聞こうとしたが、真っ赤な顔でぶんぶんと首を横に振られた。

 

「な、何でもないです!! あの、よしのんをよろしくお願いします!! あとありがとうございましたぁ!!」

「……あ、ちょっと待て……って……もういないか」

 

 観月は半ば押し付けるような形で俺によしのんを受け取らせると、脱兎のごときスピードで行ってしまった。

 もう帰りのホームルームも終わったし、家に帰ったのだろう。彼女は部活にも入ってなかったはずだしな。

 それにしても……観月って案外喜怒哀楽激しいらしい。

 

 そんな新発見を少し嬉しく思いながら鳶一とは反対側の隣の席を見るが、十香はもう帰ってしまったらしい。

 

 あちらもこちらもどうにかしないといけないと思いつつ、俺は教室を出た。

 



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四糸乃パペット 士道視点(後)

 観月によしのんは貰えたが、鳶一の家に行くという約束をしたのにそれを破るのは躊躇われた。

 それに、それとなくその日は用事があって行けなくなるかもしれないと言ったのだが、それなら何日に遊びに来るかと聞かれたのだ。逃げ道はなかった。

 ……それに俺自身、鳶一ときちんと話しておきたいことがあったのだ。それ故にこれはいい機会だと思うことにして、俺は本来必要であったラタトスクの捜索カメラなどを抜きにして、鳶一の家へと歩いていった。

 

「ここ……で、あってるよな」

 

 左手に菓子折り、右肩によしのんを入れたバックをかけ直して呟く。

 観月に預かって以来、よしのんはなるべく身の近くに置くようにしている。いつ四糸乃が臨界するか分からないためだ。

 

 ……鳶一折紙の家に侵入しようとしたラタトスクの機関員6名が全員病院送りになったという話を聞いて、少し……いやかなり来てよかったのかと思うが、何とか自分を奮い立たせ、マンションの入り口にあった自動ドアをくぐり、エントランスに設えている機械に鳶一の部屋番号を入力すると、すぐに彼女の声が聞こえてきた。

 

「だれ」

「あ、ああ……俺だ。五河士道だ」

「入って」

 

 名前を告げると、間髪入れずに自動ドアが左右に開く。

 少し驚きながらも鳶一の住んでいる6階までエレベーターで上がり、教えられた部屋番号まで歩いてインターホンを鳴らす。

 そうして開かれた玄関の扉の中にいる鳶一を見て、俺はあんぐりと口を開け、持っていた菓子折りを落とした。

 中に入っている人型(ヒトガタ)焼きがぐちゃりと潰れた音がしたが、それに構うことも出来ずに立ち尽くす。

 

 家の中にいた鳶一は、濃紺のワンピースに、フリルのついたエプロン、そして頭に可愛らしいヘッドドレス。

 つまり完璧なメイドさんの格好をしていたのだ。

 そりゃ、観月だって寝間着で俺の家に来てしまっていたりしたが、あれだって寝ぼけての行動。

 俺が家に来た時にはちゃんと私服に着替えていたのだからそれは間違いないことだ。

 

「どうかした?」

「……あ、ああ」

 

 驚きのあまり固まってしまいそうになったが、すんでのところで返事を返した。

 何故に彼女はメイド服を着ているのだろうか? 

 確かに似合ってはいるし、家の中ではどんな服を着ていようが本人の自由だが……

 もしかしたら姿がそっくりな別人なのかもしれないと思い、名前を呼びかけてみることにしたが……

 

「鳶一折紙?」

「なに?」

 

 返事を返された。

 これで『実は私は折紙の双子の妹の色紙ちゃんなのだ☆』という可能性も消えてしまった。

 

「いや、なんて格好をしてんだよ」

「きらい?」

「いや、そういうことじゃなくてだな……」

 

 似合ってはいる。だがそういうことではなく、何と言えばいいのかと迷っていると、鳶一は首を傾げる。天然なのか故意なのか……

 

「入って」

 

 悶々としていると、鳶一に声をかけられて落とした菓子折りを拾った後にお邪魔しますと言い、家の中に入る。

 

 

 

 

 

 ──そしてその後。

 鳶一が不思議と気分が高揚するアロマのようなものを焚いていることを知ったり、何故か俺の隣に座られたり、変な色と異様な刺激臭を放つのどす黒い色の液体を戴き(鳶一のところに置いてあるのは鮮やかな色の赤褐色のお茶だった)、断り切ることも出来ずにミルクを入れて呑んだ瞬間、思わぬ刺激が喉に奔る。今後飲むどんな飲み物でもこの味に敵うまい。辛いでも苦いでもなく……痛い。

 このままでは死ぬ。いや、まだ死にたくないという一種の生存本能によりがむしゃらに何かを食べようと手を探ったら、持ってきていた人形焼きが当たった。

 

 すぐさま包装を破き、口の中に形の崩れた人型焼きを口の中に放り込む。

 すると、優しい味わいが口いっぱいに広がった。

 

 ──良かった。俺は今、生きているんだ。

 生を実感して安堵し、力なく後方に倒れ込む。

 すると、先程までは感じていなかった暑さ……そして身体が火照ってくるのを感じる。

 今日はこんなに暑かったかと疑問に感じていると、当たり前だと言うかのように、鳶一が俺の腹の辺りにマウントポジションを取るような体制で覆い被さってきた。

 

「…………っ!? と、鳶一!?」

「なに」

「い、いや、おまえ何を……」

「だめ?」

「だ、駄目だ……と思う」

 

 頭が沸騰しそうになるのを抑え、言葉を発する。

 堪えた俺をどうか誰か褒めてほしい。

 

 正直言って、やっべえ。

 鳶一の程よい重量。女の子特有の、しかし観月とは違う良い匂い。柔らかい感触。メイド服の擦れる音。

 少しでも気を抜いてしまえば、オーケーサインを出してしまいそうだ。ひとことで表すと、まじやっべえ。

 それなのにまだ何とかなっているのは、根性で何とかしているというのと……心の中でそれは駄目だろともう一人の自分に語りかけられているように感じられたからだ。

 

 俺が駄目だと言うと、鳶一は目をぱちくりとし、口を開く。

 

「そう。では、交換条件。ここから退くかわりに、私の要求を一つ、呑んで欲しい」

「な、なんだ……?」

「私のことを折紙、と呼んで欲しい」

 

 呼んで欲しい、という割には何も思ってないというくらいに無表情である。

 

「……」

「……」

 

 無言。

 

「……お、折紙?」

 

 その沈黙が何を指しているのが分かったような気がして、試しに先程言われた通りに呼んで見ると、鳶一……いや、折紙は俺の腹から腰を浮かせると、無言で立ち上がり、ぴょんと跳んだ。

 思わぬ光景に目をぱちくりとしてしまった。

 

「士道」

「お、おう」

 

 俺が返事をすると表情筋を一つも動かさずにまたぴょんと跳ねた。

 あまりにシュールな光景にまた目が釘付けになるが、彼女なりの喜びの表現方法なのだろうか? 

 

 折紙が余韻に浸るかのように目を閉じていたが、暫く経つと目を開け、口を開く。

 

「待ってて」

 

 そう言ってどこかに行こうとする折紙に、俺は疑問の言葉をかける。

 

「ど、どこ行くんだ?」

「シャワー」

 

 折紙が当然とでも言うかのようにそう言い放ち、綺麗な姿勢で歩いていくのを見て、堪らずに俺は待ったの声をかける。

 

「……いや、マジで待って、と……折紙さん!?」

「……?」

「あ、そうだった! 俺、とび……折紙に聞きたいことがあって! だからシャワーに入るのはその後にしてくれないか!?」

 

 何もしていないし、携帯を弄るくらいしかすることの出来ない状況の今、シャワーに入られると大変困る。

 主に士道の士道が。

 

「……なに?」

「折紙は……精霊が嫌い、なんだよな?」

 

 折紙の雰囲気が変わったように感じられた。

 そしてどうしてそんな話題を出したのかと訝しむように首を傾げる。

 

「なぜ?」

「いや……精霊の中にも良いやつはいるんじゃないかなって」

 

 折紙は、にべもなく否定の言葉を言い放つ。

 

「ありえない。

 やつらはそこに存在するだけで世界に悪影響を及ぼす。

 あれは害悪。あれは最悪。生きとし生けるものの敵」

「何でそんなに……」

「私は、忘れない。五年前、私から両親を奪った精霊を」

 

 彼女が語る内容。

 炎の精霊に全てを奪われたこと。

 折紙のような人を増やさない為に、精霊を全員倒すこと。十香も精霊の反応がなくても例外ではないこと。

 

 俺はそれを聞いて口を滑らせてしまい、折紙に自分が精霊に何回か会ったことがあること、話したことがあることを話した。

 危険だと、やめるべきと言われたが、そうすることは出来ない。

 

 それに……人類の為に頑張っているいいやつの折紙に、十香や四糸乃のようないい奴らを殺してほしくもない。

 そう言ったが、折紙は言葉を返してくる。

 例え、精霊が闘争心を持っていなかったとしても、空間震が起こる以上放っておくわけにはいかないと。

 

 どうしようもないことだと分かっていたはずなのに、割り切れずにこんなことを聞いてしまった。

 

「最後に、一つ聞かせてくれ」

「なに」

「十香みたいに、精霊の力が確認出来なかったら──もうその精霊に、攻撃することはないんだな?」

 

 理想論? そんなことは分かっている。

 分かってはいるが、その理想論だって俺が何とかすれば……叶うかもしれない。

 折紙は暫しの逡巡のち、口を開く。

 

「……本位ではない。反応がなくなったからと言って放置するのは危険すぎる」

「でも、上の方針として、精霊の反応が出なければ人間と判断するしかない。私が独断で攻撃をすることは許されない」

「つまり……?」

「その質問には肯定を示す」

 

 今度はハッキリと、涼やかな顔で答える。

 

「……ありがとう。今はそれが聞ければ充分だ」

「……私の家に来たのは、それが聞きたかったから?」

「あ、そ、それもそうだが、折紙と話したかったからってのも嘘じゃないぞ!」

「そう」

 

 俺がそう言うと、何故か折紙はジリジリとにじり寄ってくる。俺が思わず後ずさったその時。

 

 

 ウウウウウウウゥゥゥゥゥ────

 

 

 

 空間震警報がなった。

 すると折紙は名残り惜しそうにこちらを見つめる。

 

「折紙……?」

「──出動。士道は早くシェルターへ」

 

 折紙はそれだけ言うともう一度こちらを見つめ、玄関から出ていった。

 

「……まさか、四糸乃……?」

 

 呆然として呟き、バックの中に入れているよしのんを取り出して緊張を隠すように握り、ズボンのポケットの入れた。

 

 

 

 

 

 

 折紙の部屋を出たときにトリモチに捕まり、時間取られて外に出るのが遅くなってしまった。

 

 カバンの中に入れていたインカムを取り出して耳に装着すると、ラタトスクに繋がる。

 出るのが遅いと怒られはしたものの、ラタトスクの支援により四糸乃のいる位置までの最短距離を教えてもらい、何とか見つけることが出来たが、よしのんを渡す前にASTに見つかり、心が不安定になった四糸乃の攻撃を受けそうになり……しかし突如目の前に顕れた大きな玉座により、その攻撃は免れた。

 しかしそれを見た四糸乃はどこかへと逃げ出してしまい、よしのんを渡すには至らなかった。

 ASTも四糸乃を追いかけた為にこの場にはいなくなった。

 

 十香は俺を守る為に天使を出してくれたらしい。

 大きく感情が動くことによって、天使は展開させるらしい。

 こちらが悪いのにすまなかったと謝りながらも、前までのよそよそしさを感じない十香に安堵を覚えながら、四糸乃が十香と同じ精霊で、彼女のことも十香と同じように助けたいということを話し、ASTのひきつけをお願いをする。

 

 それを聞いてお願いを聞いてくれた十香と共に、玉座と合体した不格好な船のような、サーフィンボードのような形の鏖殺公(サンダルフォン)に乗り、四糸乃を追いかける。

 凄いスピードでしがみつくのでやっとだったが、情けないながら十香に助けてもらったりして何とかやり過ごした。

 しかし、その途中で氷のドームのようなものを見かけ、そのうえ折紙がドームの上にビルの一部を突き落とそうとしているが見え、鏖殺公(サンダルフォン)の前方の先端から生えていた柄から一振りの剣を抜き取った十香が折紙の元へ向かい……きっと折紙を止めに行ったのだろう。

 戦いの輪からやっと抜け出せて平穏な日々を手に入れた十香が、また戦場へと向かう。

 それはきっと、四糸乃と……俺の為だろう。

 

 ゴクリと息を呑む。

 そんな十香の覚悟を無駄にするなんて絶対にしてはいけないことだ。

 だからこそ、俺はインカムを突く。

 

「──琴里、確かめておきたいことがある」

『なに?』

「俺は……その、死なないんだよな?」

『ええ……士道は覚えてないかもしれないけど、昔にそれが備わっているってことが、5年前の“あること”で分かったのよ』

「そのあることってのは聞かないでおく……時間ねえし。

 ……だけど、良かった。……間違ってたら無駄死にしに行くところだった」

『……っ、士道、あなたまさか』

 

 琴里がそこまで言ったところで、十香が折紙の持っていたビルを切り刻み、そのことによりASTの目標が四糸乃から十香へと変わる。

 そして、それと同時くらいに鏖殺公(サンダルフォン)が四糸乃の造ったドームに到着した。

 ……勢い余って鏖殺公(サンダルフォン)の霊力に反応して結界に触れていた辺りから凍りついていき、俺は慌てて降りた。 

 

 荒れ狂う氷の結界がある。

 目の前で見ると、先程までとは迫力が段違いである。

 それを感じ取り、俺はポケットに入れていたよしのんを服の中に移動させ、それを守るように前屈みの姿勢になった。

 そして足を1歩前へ踏み出す。

 が、琴里から制止の言葉がかかる。

 

『士道、待ちなさい。何をするつもり?』

「俺は死なないんだろう?」

『正気なの士道? 私が嘘ついていたらどうするつもりなのよ!?』

「琴里は訳もなくそんなことしないだろ?」

『……っ! それは……そうだけど…… 

 それに! 四糸乃のそれは霊力を凍らせるのよ!? その中に入るんだから士道だって無事じゃすまない!! 死ぬかもしれないのよ!?』

 

 琴里の言葉に、俺は眉をピクリと動かす。

 

「そうか……俺の力っていうのは、霊力で出来ているんだな」

 

 苦い笑いしか浮かばなかった。

 霊力で出来た力。……つまりそれは精霊の力であり、その力を持っている俺は人間ではないということを暗に示しているのではないだろうか。

 

 琴里にそのことに問い詰めたくはあるが、今はそれどころではない。

 そんなことをしている間にも、この中にいる少女は絶望に苛まれているのだ。

 だったら一刻も早く彼女の元に行ってこなくては。

 自分の身体なんて二の次だ。

 そう思いながら、震えそうになる身体を押さえ、氷の中に突っ込もうとする。 

 

『士道──! 士道! 止まりなさい!』

 

 制止の言葉をかけられても俺は歩みを止めない。

 ゆっくりと、しかし確実に四糸乃のもとへと近づいて行く。

 

『──止まって……ッ、おにーちゃ──』

 

 琴里の泣きそうな声が聞こえた。

 先程のような命令ではなく、心からの懇願。

 それには動きを止めそうになったが、それも一瞬のことでその後には四糸乃元へと歩みを進める。

 

 ──しかし。

 

「──危ないですよ」

 

 そう言って、突如目の前に人が現れたことによってその行動を停止せざるを得ない状況になった。

 

 中性的な声、肩まで位の長さの黒髪、白い狐の面、黒いゴスロリのような服……

 その特徴には全く持って覚えがないが、不思議と既視感のある人物。

 確か十香の時に助けてくれたやつで……

 

「お前は、あの時の……」

 

 そう言ってるのにも耳をかさず、女は切羽詰った様子で俺に詰め寄る。

 

「何で? 何でなんですか? 

 あなたじゃなくても良いじゃないですか。

 世界はあなたがいなくても廻っていく。

 きっと他の誰かが何とかしてくれます。

 他の誰かがいないのなら、私が何とかします。

 だからそんなに頑張らなくても良いじゃないですか。

 こんなことしたら死んでしまいます!」

 

 泣きそうな、掠れた哀しそうな声音で彼女は叫ぶ。

 

「……大丈夫だ、俺は死なないから」

「え……? いや、でも……」

 

 死なないらしいというのが正確ではあるが。

 彼女が何者なのか何ていうことは分からない。

 彼女が何を思ってこんな言葉をかけているかなんてことも分からない。

 ……だが。

 

「それに俺じゃないと駄目なんだ。

 俺にしか、出来ないことだから」

「……本当に、本当の本当に、あなたじゃないと駄目なんですか?」

「……そうだ。本当に、本当の本当に、俺じゃないといけない」

 

 精霊を封印する力を持っているのは俺しかいない。

 もしこの世界に本当は封印する力を持っているやつがいても、異世界なんかからその力を持つ救世主が現れたとしても。

 ……今、この場にいて四糸乃を……あの心優しい少女を救うことが出来るのは俺だけなのだ。

 

 そうきっぱりと言い放つと仮面の女は押し黙る。

 しかし仮面で見えない瞳に心を見透かされているように感じられて目を背けたくなるが、負けじと俺もそいつの顔を見つめる。

 そうして暫く経ったように感じられたその時、女はふと顔を逸らした。

 

「本当はあなたを傷付く姿を見たくない。

 ……でも、あなたがそこまで言うのなら聞いてあげたい」

「じゃあ……!」

「だから、これが私最大の譲歩」

 

 何を言ってるのか。

 

 そう言いたかったが、その言葉を発する前に彼女は俺を抱き抱えた。

 その瞬間、温かい人の体温とどこかで嗅いだことのあるような匂いがしたような気がしたが、それも一瞬のことで、躊躇うこともなく四糸乃の作った氷のバリケードの中に突っ込んだことでそちらに意識を割くことが出来なくなった。

 

 前のようにGの負荷がかかることはなかったが、代わりに無数の小さな氷が俺の体を抉る。

 そして暫く経った後に、その傷口に舐めるように青色の炎が這って、そしてまた小さな礫が体を抉るの繰り返しで、ひとりぼっちで泣いている四糸乃の所に着く頃には瀕死の有り様だった。

 とは言ってもそれも直に治ることだろう。

 

 

 そう思い、頼んではいないとはいえ運んでくれた彼女にお礼を言おうとして、しかし向き合うと彼女の身に異変が起きていることに気がつきそれをやめる。

 肩で息をしていて、その身体からは大量の血が溢れ出ていて、震える身体を両手で抱きかかえていた。

 

「……だ、大丈夫か!?」

「……」

 

 士道がそのことに驚いて声掛けをすると、その女はピクリと肩を動かしたが、声一つをかけることなく疾風の如きスピードで氷の城壁の外側へと走り去ってしまった。

 

 

 ……女のことが気になるが、だからといって泣いている四糸乃を無視する訳にもいかない。

 

 そう思い、俺はよしのんを左手に持って、四糸乃にこの世界にいても良いんだと言う為に声を上げた。

 

 

 

 

 

 ♢

 

 

 よしのんがいなくて、氷の中でただただ泣くことしか出来なかった私に手を差し伸べてくれたのは、優しくて格好いい、よしのんみたいな男の人だった。

 

 その男の人は、私に希望の光を与えてくれた。

 彼がいなければ、私は今もよしのんとふたりっきりであの人達と戦わなければならなかったと思う。

 だから彼には感謝している。

 

 でも、1つ気になることがある。

 彼が助けてくれた時に一瞬感じた彼とは違う気配は何だったのだろう。

 暖かくて、心地良くて、彼と違うはずなのに何処か似ている気配。

 

 それを感じた途端、私の中にあった不安が少し和らぐのを感じたのだ。

 士道さんや彼女が、京乃さんがそうしてくれたのと同じような感覚。

 

 ……もしかして、あの時感じたのって。

 

 そんなことはないだろうと思いながらも、私は疑問が解けたような気になった。

 また彼女の家に遊びに行けるかな、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何というか本当に小話というか余談(折紙の家に来た際)

 

 

「あの……鳶一さん」

「折紙」

「……え?」

「折紙でいい」

「分かり……ました、折紙さん。

 あの……これなんですか?」

 

 そう言った京乃の指の先には、瓶詰めされた異様な液体の数々。

 

「これを使えれば象でもビンビン」

 

 ……ナニがとは、聞けなかった。

 

「へ、へえ……そうなんですか。

 ……でもそうか。

 それを使えば既成事実が作れて一緒にいられる口実が作れるのか。

 そして、ピーッ!! も穴を空けたやつを使えば……」

 

 ……って何言ってるんだ。

 折紙さんも心なしか驚いている気がするし、何か言わないと……

 そう思い、京乃が慌てて前言撤回しようとしていると、折紙がそれよりも先に口を開いた。

 

「同志」

「え?」

「あなたとは仲良くなれそう」

「そ、そうかな?」

「ええ」

「ソ、ソレハヨカッタデス」

 

 いったい彼女はあの答えで何故そう思ったのかという疑問を無理やり無視して、京乃は苦笑いを浮かべる。

 

「それで同志。何故あれをくれたの?」

「……あれ? ……あー、あれ、ですか……

 正直、あれく、らい……しないと、……話してくれな、そう……でしたし」

「どうして? 私と同志は話す必要なんてない」

「……お願い、だったから。……五河君、からの」

「そう」

「だから、良かったら友達に……」

「同志。それでは駄目?」

「……はい、分かりました。

 同志で……」

「それと出来れば他にも写真を」

「アッ、ハイ、ワカリマシタ」

 

 どこまでもぶれない折紙であった。

 




一応精霊達のオリ主への好感度を。

十香……本編では分かりにくいかもしれないが、意外と好かれている。
現在では、女子の中では一番印象がいい。
琴里や令音よりも好感度が高い。

四糸乃……現在時点では士道と同じくらいか、それよりも少し高いくらいに好かれている。
今は、京乃が士道の事を好きだと知っているのと、士道よりも先に京乃が手を差し伸べたことにより、士道の事を恋愛感情としては見ていない。
だがしかし、今後どんどんと好きになっていく模様。


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番外
京乃クッキング


 ある場所。

 そこは──戦場だった。

 

 少女は闇雲になりながらも得物で敵と戦い、少年は少女の邪魔をしようとする他の敵を排除し、そしてひとときも気を緩めてはいけないとばかりに、瞬きさえもせずに血走った目を見開いて四方八方に目を配らせ、すぐに少女の方へと目を向ける。

 

「まだか……まだなのか……!」

 

 そう言って時を待つ少年。

 そして次の瞬間、少年はカッと目を見開いて大きく息を吸って叫んだ。

 

「今だ! 観月やれ!!!」

「い、いえっさー」

 

 返事を返しながら観月京乃は、火に直接当たったことで熱くなった鉄の塊の上にある黄色いものを、漆黒の得物でひっくり返した──

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し(さかのぼ)る。

 

 

 

 

 休日の昼過ぎ。

 五河家に遊びに来ていた京乃はそわそわとしながら士道に話しかけた。

 

「……あの、五河君。その……ええと……」

「観月か……どうかしたのか?」

「だから、あの……」

 

 もじもじとした煮え切らない態度でいる京乃。

 何だ? 気付かない内に何かやらかしたのか? 

 

 考えてみるが特に何も思い当たらない。

 京乃は昼から五河家に遊びに来ていて、それで昼飯をご馳走して、同じく家に遊びに来ていた十香のゲームの遊び相手になってくれて、そのお礼にということで焼いた菓子を食べてもらい、そして十香はあいまいみーのトリオと遊びに出かけていったことにより、士道は京乃と二人きりとなったのだ。

 

 やはり、何一つとしておかしな点はない。

 だったら何なのだろうかと、士道がそこまで考えた後で、京乃は何かを決心したように拳を握り、キッと目を強めた。

 

「そ、その! ……わ、私に料理を教えてくれませんか!?」

「うん?」

「……えっと、その……前に言ってたやつ、です」

「ああ、そういえ……!?」

 

 そういえば前、家に来た時にそんな話をしたような気がするというのとともに、忘れかけていた感触を思い出した。

 すんごい柔らかかったあれ。

 ちゃんと下着を見につけていたのだろうか? それにしては……

 

「どうかしました?」

 

 観月に声をかけられ、士道は邪な考えを奥底にしまった。

 

「あ、いや……何でもない。そんなに凄いのは作れないが、それでもいいか?」

「い、五河君が凄くないなんてことないです! とても美味しいですから!」

 

 食い気味でこちらににじり寄ってくる京乃を見て、士道は少し嬉しくなった。

 理由は何であれど、自分の作った飯を褒められるのは嬉しいものだ。

 約束していたというのもあるし、上手く教えられるか分からないものの、士道は京乃の料理を見てみることにして頷いた。

 

「ありがとう、観月。それなら試しに何か作ってもらえるか? そうだな……、おにぎりとか?」

「おにぎり、ですか……?」

 

 頭の上にクエスチョンマークが出ている京乃を見て、士道は言い訳がましく言葉を連ねる。

 

「ば、馬鹿にしてる訳ではないぞ? 

 ただ基礎の基礎だから!」

「分かり、ました! 

 あの、その、台所入っても……」

「ああ、もちろん良いぞ。

 しゃもじや茶碗もそこら辺にあるの使っていいから……と、そういや塩とか出さないと場所分からないか。じゃあ出しとくな」 

「あ、ありがとうございます!」

 

 京乃の感謝の声に手を振って答え、士道は台所へと向かってキッチン台の上に塩や海苔、しゃもじや茶碗を置いてリビングにいる京乃に呼びかけた。

 

「観月、茶碗とか出したぞ」

「ありがとうございます。では行きます……!」

 

 威勢よく返事を返し、台所に入って来た京乃。

 そこまで張り切らなくてもいいのにと思いつつ京乃を見ると、彼女はチラチラと士道の顔を見つめ、そして口を開いた。

 

「五河君はその……リビングでテレビでも見ててください。おにぎり作るだけですし、その……見られるの恥ずかしいので……」

「ああ、分かった」

 

 確かに二人で居るには手狭な空間であるし、集中出来ないというのもあるのだろう。

 そう思った士道は了承し、テレビをつけて偶々やっていた動物番組を見た。

 どうやら子猫の特集をやっているようだ。

 こういうの観月も好きそうだなと思いながら見ていて、五分経ち、十分が経った。

 そしてまだ時は刻まれようとしているのに中々戻って来ない京乃を不審に思い、あっちの様子を見に行こうかと思った時に彼女は茶碗を持って帰ってきた。

 

 

 

 茶碗の中に入っているおにぎりを取り出し、見た目で想定していたよりもずっしりと重かったおにぎりを口に入れる。

 瞬間、士道は自分が渋い顔になるのを感じた。

 

 なんだろう、これ。

 まず始めに感じたのはじゃりじゃりとした食感と塩っ辛さだった。

 そしてしょっぱい上に噛みづらいし、ネチャネチャと口の中に(まと)わりつく。

 そのくせに海苔はパリッとしているが、数度噛めば米の中に交わって持ち味を失くし、口の中で風味が広がることもなく口の中に引っ付く。

 

 いうなれば、固くなって伸びなくなった餅に塩をぶっかけて食べているのような気分だ。

 

 つまり、不味い。

 

 急いで机の上のお茶を口の中にぶち込むと、京乃は不安そうな顔で士道の様子を伺った。

 

「どう……でしたか?」

「……」

「その……正直に言ってもらいたい、です」

「分かった。……けど、ちょっと言うことを頭の中で纏めさせてくれ」

「は、はい!」

 

 京乃の緊張した声を聞きながら、士道はどうするべきかと思案した。

 勿論、くそ不味いと直球に伝えることも可能だ。

 しかしそれでは、ただのクズ野郎ではなかろうか? 

 それは自分の良心が痛むし、彼女が可哀想だ。

 

 そんな風に考え抜いてどう答えるべきか結果、オブラートに考えを伝えることにした。

 

「……力込め過ぎじゃないか?」

「そう……ですか?」

「米の持ち味がなくなっている。何の力を入れないって訳にはいかないけどな」

「そうですか。……いつもはもっとうまく出来るんですが……」

 

 その言葉は本当なのだろうかと疑う気持ちを抑えて、士道はアドバイスを続けた。

 

「そ、そうか。あと、塩は濡らした指に少しつけるだけでいいんだ。ひとつまみぐらいで」

「えっと……ひとつかみ?」

「ちょ、待って! ひとつまみだ! ひとつまみ!  もしかして今のやつにひとつかみ入れたのか!?」

「やだな五河君。さすがの私もそんなことしませんよ……」

 

 顔にも声にもいつも以上の動揺の色は見えないが、その代わりに服を掴んでいた彼女の手が離れて指が所在なげに空に円を描いている。

 これは確実にひとつかみ入れたのだろう。

 

 士道は半眼で京乃を見つめると、京乃は少しビクついた。

 

「少なくとも、ひとつまみの倍以上は入れたよな」

「そんなことないですよ、いつも通り、いつも通りの量です」

 

 ……あ、指が悪化した。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、料理は後回しだ! 俺と一緒におにぎりを作ろう!」

 

 士道がそういうと、京乃は『この人何を言っているのだろう』とでも言いたいかのように不思議そうに顔をこてんと傾げた。

 

「……一緒に?」

「一緒に」

「……あのちょっとよく分からないんですが、おにぎりを一緒に作るとは、……その、つまり、どういうことなんでしょうか」

「観月が作るのを後ろで見てるから、俺のことは気にせずに作っていてくれ。あ、これは駄目そうだなと思ったら手伝うからな!」

「わ、分かりました?」

 

 京乃は困惑してそうな表情で頷くと、台所へと歩いていった。

 

 京乃は真剣な表情で釜から茶碗へと米をよそぐ。

 そこで一息おいて、水で濡らした手に塩を馴染ませ、茶碗から左の手のひらいっぱいに米を乗せて、その上に右手を被せて回転させて三角の形に固める。するとおにぎりがぺしゃんこに潰れた。敢えてもう一回言おう、おにぎりが潰れた。

 

「……」

「い、いつかくん……」

「……観月」

「あ、あれ? なんでですかね?」

 

 なんでか聞きたいのこっちの方だ。

 いったい何でそうなるんだ。

 

 そう思い、士道はこんな京乃を助ける為にはどうすればいいのかと目を瞑って考えていると、妙案が思いついたので目を開けて彼女に声をかけた。

 

「……よし、観月、もう一回茶碗から米をよそいでくれ」

「は、はい」

 

 京乃は士道に言われた通りに、また塩を馴染(なじ)ませた手に米粒を乗せた。

 

「それで本当に弱く握って……」

「は、はい」

 

 ロボットのようにカチコチになりながら返事を返す京乃。士道はその横に立ち、おにぎりを握っている京乃の手を自分の手で包んで力を加える。

 京乃の手は小さく、思っていたよりも楽にことを終えることが出来た。

 

「よし、こんくらいの力加減で……」

 

 と、そこまで言った後で、士道は京乃から反応が返ってこないことに気がついた。

 そしてその理由について考えていると、自然に自分の手を彼女の手に重ねてしまったことに気がつき、すぐに掴んでいた手を離し、ついでに密着してしまっていた体も離した。

 

「す、すまん! つい!」

 

 すぐに謝罪して京乃の顔を見ようとするが、彼女は俯いていて顔を見ることは出来なかったが、すぐに返事を返してきた。

 

「あ、いえ……大丈夫、です。その、びっくりしちゃっただけで……」

「なら良かった」

 

 士道がそう言うと、京乃は俯いていた顔をあげて嬉しそうに笑った。

 

「それに五河君のおかげで握るコツが分かった気がします!」

「じゃあ一人で作ってみるか?」

「は、はい!」

 

 京乃は嬉々としてもう一度おにぎりを握り、そしてまた潰れさせた。

 

「……」

「よし、今日はこれくらいで終わりにするか!」

 

 無言で崩れ落ちる京乃を横目に士道はパンパンと手を叩く。

 これではいくらやってもきりがなさそうだと思っての行動だ。

 その後、士道と京乃は使った茶碗なんかの後片付けをして、生産されたおにぎりを食べた。

 食べたそれはやっぱり冷めた餅の味で京乃は少し泣いた。

 

「……なんかおにぎり作るだけで終わってごめんな」

「い、いえ! 私が全然出来ないのが悪いので五河君は気になさらないでください!」

「また明日にでも家来てくれれば作るの見てやるから」

「えっ、本当ですか!?」

 

 嬉しそうに目を輝かせ、京乃は食いついた。

 そこまで食いつくとは思っていなかった士道は驚き、そして笑って肯定した。

 

 

 

 

 

 その日以降も京乃は放課後などに五河家に通ったが、何度おにぎりを握っても、米粒が潰れて餅のようになってしまう。

 仕方がないので士道は作戦を変更し、スクランブルエッグや野菜炒めなどの簡単な料理を作ることにした。 

 士道が見ていないと炒めすぎて殆どスクランブルエッグがパサパサになっていたり、焦げていたりとしてしまうが、指示を出すとそれなりに上手に出来るようになっていた。

 

 

 

 

 

「おお、京乃! 前見たときよりも上手になってるではないか!」

 

 五河家に遊びに来ていた十香が、京乃の作った料理を見ながらそう言った。

 目の前には出来たてホヤホヤの野菜炒めがとても美味しそうな香りを漂わせている。

 

「……そ、そうですかね? まあ、五河君に手伝って貰っていますからね。五河君がいなかったらとてもこんなの作れないと思います……」

「そうだぞ! 美味しそ……ああ、いや何でも……」

「良かったら食べますか?」

 

 涎が出ている十香に対して京乃がそう言うと、十香のポニーテールが犬の尻尾のようにピンと立った……ように感じられた。

 

「良いのか!?」

「はい。その……夜刀神さんにも食べるの手伝って貰いましたし……」

 

 そうなのだ。 

 この最近五河家に入り浸っている京乃は当然、十香ともよく遭遇していた。

 初めの頃は十香を見るたびにギクシャクとしていたが、今では若干の苦手意識があるだけで挨拶されたら会釈を返すぐらいのことは出来るようになったし、無理して食べなくてもいいと言っても、いや大丈夫だと、作った料理(失敗作)を食べてくれるようにもなった。

 京乃にとって、初めてとも言える成功作。

 それをあげるくらいのことはしてあげたい。

 京乃がそう思って十香を見ると、そこには憮然(ぶぜん)とした様子の顔があった。

 

「十香だ」

「……?」

「私のことは十香と呼んでくれ。夜刀神と呼ばれるのはなんだかムズムズするのだ。あと、敬語も堅苦しいからやめてくれると助かるのだが……」

「分かりま……分かったよ、やと……十香、ちゃん?」

「うむ!」

 

 納得したように嬉しそうに頷いた後、十香は机の上に置いてある野菜炒めを数十秒で食べきった。

 

「京乃、美味しいぞ! 所々でびたーな苦味が出ているのもあくせんととなっていて……!」

「あああ……ごめん十香ちゃん……! それ多分焦がしたところだぁ……!!」

 

 グッドと言った感じで親指を突き出した十香を見て、京乃は慌てた。

 やっぱりそう簡単にうまく行くものではないらしい。

 

 

 

 

 

 

「なあ観月、そういえば何で料理したいんだ?」

 

 ある日の料理の待ち時間、ふとした時に士道はそう尋ねた。

 その問いに対して、京乃ははにかんだような笑顔を浮かる。

 

「出来ないことをそのままにしとくのは良くないと思いますし……その、好きな人に美味しいって言われるようなものを作れるように、なりたいんです」

 

 好きな人。

 その言葉にいい感情を覚えないのを不思議に思いつつも、士道は京乃にねぎらいの言葉をかけた。

 

「そっか……頑張れよ」

「は、はい!」

 

 嬉しそうに笑っている京乃。

 それを見て士道は前まではこんなに俺の前で楽しそうに笑うことはなかったな、ということを思い出した。

 

 それも料理を手伝ったおかげなのかと思えば嬉しいけど、また数日経つと元通りに戻るのだからなんとも言えないのだが。まあ、嫌われているのだろうし仕方がないか。

 ……でも嫌ってるやつのところにわざわざ行って、料理を教えてもらったりなんか普通するか? 

 いやいや、観月だったらそれもありえるかもしれない。

 

 そんな風に考えている間に焦げくさい臭いが漂ってきたことに気が付き、士道は慌てて火を止めた。

 その日作った卵焼きは、とても真っ黒だった。

 

 

 

 

 それから京乃はまた数日特訓をした。

 包丁で野菜や肉を切るのもこなれてきたし、前に比べたら火を止めるタイミングを掴めるようになってきた。

 

 

 そして、話は文頭に戻る。

 

「今だ! 観月やれ!!!」

「い、いえっさー」

 

 京乃は士道に指示された通りに鉄の塊の上にある卵をひっくり返した。

 

 そして純白の器の上にある、鮮血のように朱に染められた穀物、焼かれた野菜、残酷にも小さく切り分けられた家畜の肉の上に黄金色に焼けた卵を乗せる。

 少し形が(いびつ)になっているが、それ以外に問題はなし。

 そのことを確認した士道は安心したように、リビングにある椅子に座った。

 士道が席についたことを確認すると、京乃は席の死角となる位置でケチャップを卵の上にかけた。

 ちょっと線が曲がっているがハートマークだと分かるものを大きく描き、しかしそのまま渡すのは恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしながらケチャップのハートマークをスプーンで潰し、卵全体に伸ばした。

 

 

 全ての工程を終えた京乃は、出来上がったオムライスを士道のいる机へと置いた。

 

「で、出来ました……。あの、どうでしょうか……?」

 

 士道は緊張した面持ち、恐る恐るといった感じで、出された物の一部を崩してスプーンで(すく)って口に運ぶ。

 最初、士道の顔は強張っていたが、すぐに安心したように頬を緩めた。

 

「……よし、合格点だ。旨いぞ、観月」

「ほ、本当ですか? 

 やったぁ……」

 

 初めてマトモに成功した安堵のためか、へなへなと崩れる京乃。

 しかし直ぐに立ち上がると、拳を天へと掲げて威勢よく口を開く。

 

「……じゃあ次は肉じゃがを!!」

「今日のところはもう勘弁してくれ!!!」

 

 京乃が次の提案をしたところで、士道は間を置かずに土下座をした。

 ダイナミックDOGEZAである。

 それを目にした京乃は目をパチクリと瞬かせ、そして頬を緩める。

 

「はい、分かりました。

 では、その……また今度お願いします」

 

 また今度。

 そんな約束が出来るという幸福を噛み締めながら京乃は微笑んだ。

 

 

 そんな穏やかな日々の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オマケ(一応書いていたやつ)

 

 

 

 

 突然だが士道の妹である五河琴里の話をしよう。

 五河琴里はラタトスクの司令官である。

 それ故に四糸乃の霊力が封印された後は仕事でてんてこ舞いだった。

 

 精霊の精神が安定しているかの報告書。

 精霊の霊力を吸収した士道や十香、そして四糸乃の霊力反応や怪我などを確認する為に精密検査を受けさせて、その結果のチェックetc.

 士道や十香は比較的早く終わったが、四糸乃に関してはそうはいかない。

 世間に出ても大丈夫かどうか、霊力が逆流しないかを調べた。

 結果を見たところ、まだ地上で生活は出来ないがよしのんと一緒にいれば精神的に安定しているし、想定していたよりも早くマンションに移動しても構わないだろう。

 

 コミュニケーションはまだ苦手のようだが……京乃に、そして言葉にはあまり出さないものの士道にも早く会いたいようで、よしのんと一緒に上手くなるように努力している。

 

 京乃の家に遊びに言ってもいいかと言っていたが、それも直に叶うだろう。

 

 そのことが“五河琴里”としても嬉しい。

 

 それらも区切りついたので十香や士道に顔見せたらどうかと部下達に言われて、琴里は仕方ないと家に帰る。

 

 十香に何か不調がないかを目で確認しに行くだけだ。

 

 ……別に士道に会いたかったからとか、顔が見たかったからとかそんな理由では断じてないのだ。

 

 そう頭の中で否定して地上に降りる。

 目の前にある我が家。

 

 それを見て少し気持ちが高揚し、家の鍵を取りだし鍵穴に挿して、ガチャリと扉を開ける。

 

「ただいま」

 

 家に入る。

 

 とんとんと、兎が跳ねるように駆け足気味になりながらリビングに向かって歩いていることに本人は気づいているのだろうか。否、気づいていないのだろう。

 

「ん?」

 

 しかし、琴里は扉に近づくにつれ強くなってくる家の中の匂いにふと違和感を抱いた。

 何か臭いし、心なしか鼻につんとくる臭いもしてくる。

 

 明らかに発生源はリビングだ。

 

 そのことに少し怯みながらも琴里は歩みを進める。

 無論、先程までの弾んだ足取りではなく、得体のしれないものに挑む小動物のようにビクビクとしながらではあるが。

 

「な、なに……これ!」

 

 こういう時は勢いだとばかりにバーン! と扉を開けると、先程までとは比べ物にならない異臭が鼻に入ってくる。

 臭いの濃い色々な料理が置いてある部屋は、むせてしまうくらいで、急いでリビング中の窓を開けて換気をする。

 すぐに無くなる臭いでもないかもしれないが、まあしないよりかはマシだろう。

 

「本当、なんだっていうのよ……」

 

 ぶつくさと呟きながら部屋を見渡すと、そこにはぐったりとしている士道の姿があった。

 

「琴里……おかえり……」

「え、ええ……ただいま。その、状況が掴めないのだけど、これはどういうことかしら?」

「換気ありがとな……助かった……!」

「士道……説明しなさい、いったい何が……」

 

 と、そこまで言ったところで台所から誰かが出てきて琴里に声をかけた。

 

「あ、琴里……ちゃん? 

 ……はっ! 私は怪しいものではありませんよ!? 

 五河君のクラスメイトをさせてもらっている観月京乃ともうひます!」

「……」

 

 琴里は京乃を目に捉えると、無言で黒いリボンを解いて瞬時に白いリボンに付け替えた。

 

「京乃おねーちゃん! 

 どうしたのこんなところで!」

「え? ……あ、いや……その、五河君にお料理の教えを請うていたところで……」

「料理の、教えかー」

 

 琴里はちらりと何かを作ったと思われる残骸に目をむける。

 いったい士道は京乃に何を教えたというのか。

 

 ジトーっとした目で士道を見つめると、士道はあからさまに慌てる。

 

「ち、違うんだ琴里!!」

「おにーちゃん、何が違うの?」

 

 可愛らしくキョトンとしているのに、あん? とでも言いそうな威圧感がある。

 それを見た京乃は何かに気がついたようにハッとした。

 

「……はっ、もしかして私、兄妹で団欒(だんらん)するチャンスを邪魔してしまっているのでしょうか? 

 も、申し訳ございません! すすすす、直ぐに出ていきます!」

「待て観月出ていくな! 話をややこしくさせるな!!」

「ひゃい! どうもすみません!!」

 

 それを見ていた琴里は納得したように呟いて、廊下の扉へと向かう。

 

「あー、私邪魔っぽいし、友達のところに遊びに行ってくるねー」

「待つんだ琴里ぃ!」

「ばいばーい、おにいちゃん」

 

 士道の制止も虚しく、琴里は家から出ていった。

 その後には、誤解だ……俺がダークマターの作り方を教えた訳じゃないんだ……と嘆く士道と、それを不思議そうに眺める京乃の姿があったという。

 

 




京乃と士道が料理するだけの話。
おにぎりを作るだけで殆ど終わる謎な回。
好きな人に作ったものを食わせたいとか言いつつも、その好きな人に教わるツワモノ。
京乃はメシマズ。
でも兵器的なマズさではないし自覚ありで更生可能。
メシマズヒロインが好きな方は申し訳ない。
ちなみに料理講座といった感じで、士道に費用を払おうとしたが断られた為に、出来る限りの材料は持参して来るようにしている。

あと、何気にオリ主と初めてマトモな会話をしている十香。
フライパンを食えるとか言ってる十香ならば、不味いなと言うくらいのメシならば食べる、そう信じます。


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京乃チェンジ(上)

 静まり返っている部屋の中に京乃と士道がいた。

 互いに恥ずかしそうに、それでいて目を奪われているかのように見つあっていて、2人の間には邪魔することの出来ない空気が漂っている。

 しかし、士道が顔を真っ赤に染めて、京乃に送っていた視線をふと下に逸らしたことによってそれは途切れた。

 そして士道は頭を上げて、何かを決心したかのような、真剣な顔で京乃を見つめる。

 

「俺、実はずっと前から京乃のことが好きだったんだ。京乃のことは絶対に幸せにしてみせるから……俺と付き合って欲しい」

 

 そんな士道に対して京乃は嬉しそうに笑って……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今の凄い良かったよ! 凄い五河君ぽかった! 本当私のわがままに付き合ってくれてありがとうね、()()!」

 

 興奮気味になりながら士道に化けていた少女……七罪に話しかけた京乃。

 そんな京乃を若干引きながら見つめ、七罪と呼ばれた少女は自分の姿を士道のものから元の少女のものへと変えた。

 

「それは別にいいんだけど……」

 

 七罪はそう言って京乃を半眼で見つめた。

 

「やっちゃった私が言うのも何だけど、何よあのコッテコテな告白シーンは」

「いや、あんな感じで五河君に告白されたなら、凄い嬉しいなって。もう、あれだね。喜んで火の中に飛びたくなるくらい嬉しい」

「いや火の中に飛び込んだら死ぬでしょ」

 

 七罪は呆れたように呟いたが、京乃はたははと笑うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 今二人がいるところは京乃の部屋だ。

 今日は七罪が遊びに来たので、京乃は思い切って頼みごとをしてみたのだ。

 まあ、その頼みごとというのは“五河君の姿になって告白して欲しい”という、京乃にとってはとても重要な、七罪にとっては凄くどうでもいいことなのだが。

 

「それにしても会うの久しぶりだね」

「……そうね。本当久しぶりな気がする」

 

 そう言いながら京乃のベッドにあるクマの抱き枕に抱きついて我が家のようにゴロゴロと寛いでいる七罪。

 そんな七罪を尻目に、京乃はお菓子とお茶を机に置いている。

 そのことに気が付いた七罪は、京乃に食べてもいいか聞いてから、ポテチを1つ口に入れた。

 

「……うめえ」

「うん、そうだね」

 

 そう言って、京乃も口に1つ入れる。

 それを片目に、七罪はどうしてこんなことになったのだろうかと、昔に思いを()せた━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロウィン。

 それはケルト人が起源とされる、秋の収穫を祝ったり、害悪な魔女、悪霊を追い出す為に行うお祭り。

 魔女や悪魔なんかに仮装した子供が近くの家に行き、トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ)! と言って家の人からお菓子を貰うというのは、日本にいる人なら誰もが知っているだろう。

 

 まあそうなのだが、それくらいなら日本の文化についてひと通りの知識を仕入れた七罪にだってそれくらいは分かっているのだが……

 

「人、多い……」

 

 あまりの人の多さに疲れて、七罪はため息を吐いた。

 いくら精霊といえども、気分的な問題はどうすることも出来ない。

 

 町外れにある長い間使われていない遊園地にある長椅子に倒れ込むように座った七罪。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 そんな七罪のもとに届いたのは、鈴を転がしたような綺麗な声音だった。

 ……しかし、その声に騙されてはいけない。

 どうせこの声の持ち主は、ぼっちの同級生が便所飯しているのを見て表向きは心配そうな顔をしていても、心の中では嘲笑(あざわら)っているような人物なのだろうから。

 

 そんなことを考えていつも通りに不機嫌になりながらその声がした方に顔を向けると、そこには七罪の安否を気遣っているように見える顔をした少女の姿があった。

 ……美少女かよ。

 

 ぼそっと七罪は呟くが、少女の耳には届かなかったらしく、困ったように首を傾げた。

 

 優しそうな顔の裏は、どうせ汚い感情が渦巻いているのだろう。

 何? その気弱そうな顔でいつも男を誘ってんの? ビッチかよ。

 そんな女と一緒にいるなんて冗談じゃない。

 

 いつも通りの思考回路。

 そんなマイナスの感情に囚われている自分に嫌気が差しながら、七罪はその場から去ろうとする。

 

「だ、大丈夫……」

 

 椅子から腰を上げて何処かへと歩こうとしたが、突然立ったことで立ちくらみを起き、思わずしゃがみこんだ。

 

「いや、全然大丈夫じゃないですよね。待っててください、ちょっとお水買ってきます」

 

 焦ったようにそう言い何処かへと行って数分、彼女は駆け足で帰ってきた。

 

「はい、お水」

「……」

 

 突然目の前に差し出されたそれを、反射的で受け取ってしまった。

 顔を上げると、にこにこと笑っている少女の姿が。

 ……負けたような気がしてペットボトルの中身を一気に飲み干すと、冷たいそれが体全体にまで染み渡るような感じがして、さっきまでの気持ち悪さが少し軽減されたような気がする。

 

「……ありがと」

「いえいえ」

 

 あなたの調子が少しでも良くなる手助け出来て良かったよ。

 そう恥ずかしげもなく言う少女を見て、七罪は眉をひそめる。

 ……いったい何が目的なのか。

 普通に考えて、こんなブスである私なんて助ける理由がない。

 

「……で、何が目的なの……?」

「何がですか? 困っている人がいたら、助けるのが当然じゃないですか」

 

 反吐が出るような言葉の羅列に、七罪は少女を睨みつける。

 当然? それが当然だったら、私を存在しないかのように無視したこの世界の住人は何だっていうのか。

 少女は七罪の視線に困ったように笑った後、口を開いた。

 

「何か理由がないといけないのかな? それなら……君に興味があるから、かな」

「まさか、あんた……あいつ等なの!?」

 

 ASTと呼ばれている奴等なのか。

 愕然としながら少女を見つめると、彼女は困ったような顔をしていた。

 

「あいつらって誰ですか?」

「え……じゃあ、あんたも私と同じなの……?」

「……?」

「いや、そんな訳ないか……」

 

 目の前の少女からは七罪のような霊力なんてものは感じられない。

 それならばその可能性も低いだろう。

 

「……あなたのことはよく分からないけど、だから仲良くしたいなぁって」

 

 ……とてつもなく怪しい。

 しかし、今の七罪にはそれを信じる他、道が無かったので無理やりそうだと信じて、七罪は少女から逃げようと言葉を返す。

 

「あんたが私に興味を持つ理由が分からないわ。水はありがと……だけど、もう帰る……」

 

 どこに? 

 自分で言ってなんだけど、七罪に居場所なんてものは存在しない。

 しかし、だからと言ってこんな怪しい少女と一緒にいるなんて冗談じゃない。

 

 そう思い、さっきよりも良くなった体調を確認しながらベンチから腰を上げて、そろそろと歩みを進めようとした。

 

 しかし、七罪が少女の横を通り過ぎようとした時、彼女に腕を掴まれた。

 まだ何かあるのか。そう思い、ジト目で見つめると、彼女はピクッと肩を震わせた。

 

「……何よ」

 

 不満を(にじ)ませた声でそういうと、少女は言葉を探しているかのように難しそうな顔をして、口を開く。

 

「そ、その……、私の家に来ないですか?」

「……は、はぁ!? さっきの話聞いてたの!? 何であんたの家に行かなきゃいけないのよ!? 何? 何が目的なの!?」

「い、いや、お腹空いてそうだし、家が近くにないっていうなら私の家に休憩所として立ち寄ったほうが……」

「は? お腹なんか空いてないし!」

 

 と、そこまで言ったタイミングでお腹が鳴ったので思わず押し黙ると、少女はあははと笑って七罪に畳み掛けてきた。

 

「お腹空いてるんだったら是非来てください。今なら温かいお茶もサービスしますから」

「そ、そうやって弱み握って……こんなドブス女に優しくしてあげる私って良い子ってことを、遠回しに友達に伝えようとするんでしょ!? そうに決まってる!」

「……それは私に対する、ちょっとしたいじわるなのかな?」

 

 そう言った少女は悲しそうに目を閉じてそう呟いた。

 しかしそんな姿も、彼女がすると様になっているのだから腹ただしい。

 ……ってあれ? 何かちょっとショック受けてる? 

 いやいやいや、そんなはずない。

 今のセリフのどこにショックを受ける要素があると言うんだ。

 

「何が……?」

「……いや、友達がいない私に対する、いじわるなのかと……」

「……は? いやそんな訳ないでしょ!? 

 あんた友達沢山いるウェーイの人種でしょ! てか、私があんたが友達いないとか知るはずないし」

「うん、そうだよね……ちょっと私、病気を患ってて、友達を作ることが出来なかったんだ……」

 

 思いの外、深刻そうな話に対して七罪は驚く。

 

「そうなの……? ごめん、私知らなくて……その、どんな病気なの」

「コミュニケーション力が、その……」

 

 ……思わず頭にげんこつを落としてやろうと思ったが、そんなことで逆恨みされても嫌なので、代わりに頬を摘んだ。

 凄いぷにぷにとしていた。妬ましい。

 

「嘘言わないでよ。だいたいコミュ症だったら、私とまともに会話出来ないでしょ」

「いや、違うの。君くらいの見た目ならいいんだけど、同じ年くらいだとどうにも駄目で」

「へえ、そうなの」

 

 いいことを聞いた。

 これで七罪が少女と同じ年代の姿に変身しても、コミュ症が発動しなかったら、嘘ついたあんたの家になんかいけるかと言って、彼女の家で御茶会ってのも出来なくすることが可能だ。

 うんうんと頷いて七罪は、適当に15、6くらいの姿に変身した。勿論『私の思い描くさいきょーのわたし』と言っても過言ではないくらいに美化された姿だ。

 

「ほら、これでどう?」

 

 少しドヤりながらそう言って少女の方を見ると……体中を震わせて、目をぎゅっと閉じて、過呼吸になりかけている少女の姿があった。

 

「へっ……? いやいや大丈夫……?」

 

 予想以上というか、予想外の容態にちょっと不安になりながら彼女の肩を揺すると、彼女の空色の瞳と目が合った。

 彼女は怯えたようにすぐに視線を逸らし……

 そしてその次の瞬間、彼女の体から力が抜け、七罪が彼女の全体重を慌てて支えるはめになったが、この小さな体では上手く支えることが出来ず、後ろに倒れ込んでしまった。

 

「……これ、どうすればいいのよ」

 

 ぼそっと呟いたがその声を聞くものはいなく、結局自分で何とかするしかなかった。

 身長的に今のまま運ぶのは厳しい所があるので、取り敢えず成人している年齢の男に変身して、少女を自分が座っていた長椅子に眠らせる。

 そして、このままではまた彼女に気絶されるかもしれないので、もとのちんちくりんの姿に戻って椅子に座っている彼女を監視するかのように見つめる。

 眠っている姿はさながら眠り姫のようだが、顔色が悪く、悪夢でも見ているのか(うな)されている様をみると大丈夫なのかと心配になってくる。

 

 そうして暫くのが経っても目が覚めずに、不安になっている中に彼女はパチリと目を覚ました。

 

「……重症ね。もうそれコミュ症の度合い越えてるわ」

 

 彼女は状況が飲み込めきれていないようで、頭の上にハテナマークを浮かべていた。

 

「え、君って、じ、自分を変身させることが出来るの?」

「う、うん。そうだけど……」

 

 思わず頷いてしまったが、よく考えてしまえば良くなかったかもしれない。

 そう思って否定しようと思ったが、それよりも先に少女は七罪の両手をガシっと掴み、真剣な面持ちでこちらを見つめたことでそれは叶わなかった。

 視線にいたたまれなくなり七罪が目線を下げようとした瞬間、彼女が口を開いた。

 

「私、京乃って言うの、君は?」

「な、七罪だけど……」

「よし、七罪ちゃんね。ごめん、ちょっと手伝ってくれないかな」

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 

 これが京乃との最初の馴れ初めだ。

 その後結局七罪は彼女の家に行くことになってしまって、話を聞いたのだ。

 自分は高校生に上がったばかりなのだが、同じ年代の女が苦手で、どうしても上手く話せないこと。

 だから特訓をしたいんだということ。

 その為に七罪に協力してもらいたんだということ。

 

 最初は七罪も乗り気ではなかったが、京乃の熱意やら押しの強さやらで流され、気がつけば約束の通りにナウでヤングなJKへと変身し、会話をしようと試みるもすぐに気絶する京乃に慌てて変身を解いた後に介抱をしたりするようになった。

 そして目覚めた京乃とともに、家で一緒にゲームをやったり映画を見たり漫画を読んだりするようになってしまっていたのだ。

 

 ……おかしい。これじゃあまるで京乃と私が友達のようではないか。

 

 そう思い、七罪が『友達みたいなことしてるな』と京乃に言ってみたら、『え? 友達じゃなかったの?』と返ってきた。

 まさかの友達認定されていた。

 

 よく考えてみたら家に遊びに来て話したり、遊んだりしているのだから、それも当然……なのか? 

 

 しかし、本当に解せないのはその後だ。

 気を許されたのか分からないが、最近はやけに話しかけてくるのだ。

 主に恋愛沙汰について。

 正直、どうでもいい。その五河君とやらなんて凄いどうでもいい。

 しかし、彼女が楽しそうに語っている手前、無下になんて出来る訳がなかった。

 

「……で、最近は? その五河とやらと進展しているの?」

 

 七罪がそう問うと、京乃は待ってました! とばかりに目を輝かせる。

 

「え、まっさかーっ! 

 ……っていつもなら言うところだけどね、進展したかもしれないよ」

「……それは良かったじゃない。具体的には、何がどうなったの?」

 

 そう聞いた後で喉が渇いていた七罪は果汁100%ジュースを口に含むと、林檎の程よい甘さが口の中いっぱいに広がった。

 

「何とね、五河くんの家に行けてね、しかも五河くんの手料理が食べられたの! しかも料理を教えて貰えてて」

「……ッ!」

 

 思っていたよりも好きだった味に口を進ませていた七罪は衝撃の言葉に驚き、口に入れていたジュースをむせて吹き出した。

 

「えっ、家に行って? 手料理を? 食べる? 一緒に作る? え、ナニソレ? それ勝ち確じゃね?」

「……どうしたの七罪?」

 

 京乃は七罪が吹き出したものをふきんで拭きとり、不思議そうに問いかけた。

 

「どうしたのって、こっちが聞きたいわ! 私がいない間に何があったのよ! ふたりっきりで家にいるなんてめっちゃ進展してんじゃない!」

「え、ふたりっきりじゃないよ?」

「……違うの?」

「うん、最初に遊びに行った時は四糸乃ちゃんと一緒だったし、料理の時は大抵五河君の家には十香ちゃんがいるから……」

「へえ、そう」

 

 その男、大丈夫なのか? 

 四糸乃ちゃんとやらがどうかは知らないが十香ちゃんとやらとは完全にクロだろう。

 五河とやら、とんだクズ野郎でパーリーピーポーなのではないか? 

 

 その可能性に気がついた七罪は決意した。

 自分の見ていないところで友達? がクソ野郎に引っかかってるなんてやるせない。

 どうにかして、京乃からの情報以外でその男がどんなやつなのか知りたい。

 そして七罪は思い出す。

 そういえば、自分には使い勝手の良い天使があることを。

 

「ねえ京乃、お願いがあるんだけど」

「なにかな、七罪」

「……今度、私が休日に遊びに来れたら、一日だけでいいから京乃の姿を貸して欲しいんだけど」

「へ? 別にいいけど……」

 

 すぐに頷いた京乃を見て、七罪は呆れたようにため息を吐いた。

 

「もう少し、人の裏を疑ったら?」

「……いつもそうしてるけどな?」

 

 そうだったか? 

 仮にそうだったとしても、私を信用しているのはマズイだろう。

 

「じゃあ、また今度ね?」

「……うん」

 

 本当に大丈夫だろうか、こいつ。

 そう思って七罪は一人、嘆息した。

 

 




京乃(の姿に七罪が)チェンジ

七罪はやさぐれる一歩手前くらい(アウトともいう)で京乃に会いました。
最初は本当に利用する関係ではあったものの、暫く付き合いを続けていると、七罪にシンパシー的なのを感じて仲良くなった京乃。


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京乃チェンジ(下)

 七罪が京乃の姿に変身すると言ってから幾分か経った休日のその日。

 七罪は約束していた通りに京乃の家で落ち合い、外から見えないようにカーテンを完全に締め切った部屋の中で天使を顕現させようとした。

 

贋造魔女(ハニエル)

 

 ぼそりと呟き、左手を天に掲げてから振り下ろすと、柄の部分に小さな鏡の付いたほうきの形をした天使が顕れた。その瞬間、部屋の中いっぱいに光が広がり、光が収まったその後、目の前にいる京乃と寸分違わぬ姿となった七罪がいた。

 

「う、うわぁ、私がもう一人いるよ……」

「な、なによ」

「い、いやぁ、改めて自分の顔を見るとどうにも……」

 

 曖昧にそう言って七罪から目を逸らす京乃。

 そこで七罪は、京乃は自己嫌悪が酷いということを思い出した。

 最近はまだマシになったほうだとは思うが、前までは鬱陶しいほどに酷かった。

 そんなことを考えている七罪。それらがすべてブーメランだと言うことには全く気がつかない。

 

「じゃあ、私は用事をすませてくるから……」

「あ、そういえば用事ってなに?」

「……」

 

 七罪は京乃の言葉を聞いて黙りこくる。

 そういえば用事の内容について話していなかった。

 このままでは明日から情報の齟齬(そご)があるかもしれないし、話しておくべきか。

 

「……ああ、どうせだから京乃のお熱な五河士道ってやつに会おうと思って……」

「五河君!?」

 

 京乃に化けた状態の七罪の肩を掴む京乃。

 とてもカオスである。

 

「ど、どうして私の姿で会うの……!?」

「だ、だって私が京乃になり変わったら、一から関係をつくるなんて面倒くさいことをしなくてもいいから」  

 

 もっともらしい理由を並べておく。

 本当の理由は京乃の一緒にいるときの士道の様子を知りたかったからだが、そんなことを京乃に言ったところで、面倒事になるのが目に見えて分かるので言わないでおいた。

 

「それで、許可してくれる訳?」

「……そ、それで七罪の役に立てるならいいよ、許可します!」

 

 ビシッと目を瞑って右手を上げたそう言った京乃を見て、七罪は手をひらひらと揺らしながら口を開く。

 

「じゃあ行ってくる」

「うん、行ってらっしゃい。終わったら今日のことについて教えてね」

「分かった分かった」

 

 今後辻褄(つじつま)が合わなくなると京乃としても困るだろうし、もとより今日起こった内容を伝えようと思っていた七罪は京乃の言葉に頷いて、彼女から家の鍵を受け取って京乃の部屋、そして京乃の家から出ていった。

 あとは士道の家に行くだけだし、それも隣だと言うことで1分もかからずにつくことが出来た。

 

「観月?」

 

 五河と書かれている表札を見て場所が間違っていないことを確認して、インターホンを押そうとしたときにかけられた言葉。少し驚きながら後ろへ振り向くと、そこには青い髪が特徴的な、京乃の同年代に見える少年が買い物袋をぶら下げて立っていた。

 買い物袋の中身は菓子類だろうか? 

 袋の中にカップ麺や野菜や肉だとかの昼飯となるようなものは入っていないように見えた。

 

 この人物は誰か。

 何度も見た容姿の特徴とこの家に入ろうしているように見えることから少年の名前に当たりがついている七罪は、思いきって声に出すことにした。

 

「……五河、君……?」

「今日は料理するって聞いてないけど、どうかしたか?」

 

 どうやら当たっていたらしい。

 こいつが噂の五河士道かと、七罪は怪しく思われない程度にチラチラと士道を見つめる。

 中性的な顔つきではあるが、イケメンという訳ではない。

 ……京乃からしきりに五河君天使! と言われるが、七罪には、その理由が実際に見てみても分からなかった。

 

「そ、その……、そうなんですが……い、五河君の手料理が食べたくなってしまって……お、お金なら払いますので!」

「い、いや気にしなくていいから」

 

 慌てた様子で気にしなくていいと言ってきた士道を見て、七罪は心の中でしめたとほくそ笑む。

 

 どうだ、私が京乃だと完全に思っているだろう。

 それはそうだ。

 七罪とそこまで関わりのない人物でも、人となりを見ればその人の知り合いに見られてもバレない自信があるし、その上に静粛現界するたびにあっているような気がする京乃は違う。七罪には、姿勢、呼吸の間隔、日々のふとした仕草などすらも間違えない自信がある。

 それに京乃の士道への態度に関していえば、この前の謎の告白シーンよりも前から何回も同じようなことをしている。

 あれでなんとなく予想がつくというものだ。

 つまり七罪にとって京乃になりきるのは朝飯前だったりする。

 

「ほ、んとう……ですか……?」

 

 ちらりと上目使いを忘れずに送る。

 涙目のコンボも忘れずに入れることでより京乃らしくなり、我ながら会心の出来だなと自画自賛しておく。

 

 ポカンと見つめてくる五河士道の顔は滑稽で、思わず笑いそうになったが今の状況で笑っては不自然極まりないから何とか耐えて、表面上はいつも通りの京乃を演じる。

 幸いにも誰かの真似をするということは七罪にとって得意分野なのだ。

 真剣にやればバレるなんてことはまず起こらない。

 

「五河君、どうかしました?」

「えっ……ああいや、何でもないぞ」

 

 何でもないと言っている割には煮え切らない様子の士道だが、すぐにいつもと同じ調子に戻った。

 

「それじゃ、家入ってくれ。ちょうど昼飯を食べようとしていたところなんだ」

「そうなんですか……?」

 

 不安そうな顔で士道の言葉に相槌を打ってから七罪は思考する。

 

 そういえば京乃に士道の料理美味しすぎる、とも言われたような気もする。

 天使だとかなんとか言っていた癖に平凡だった顔のこともあるし京乃による過大評価ということも多分にありえるだろうが、まあ今はお腹が空いているし食べられれば何でもいい。……ああ、違うな。京乃のご飯よりも美味ければ何でもいい。

 七罪は何ヶ月か前に京乃の作った物体を食べたことがあったが、なぜそうなるのか分からないくらいに真っ黒な……有り体に言えば炭のようなものが出てきたのだ。

 流石にアレはもう食べたくない。

 

「あ、十香もいるが大丈夫か?」

「……十香ちゃん、ですか」

 

 要注意人物の名前が出てきて七罪は少し動揺した。

 京乃曰く、五河士道の家にいつも居座っている人物。

 黒髪ポニーテールの天真爛漫な美少女で天然記念物のような少女だと京乃は言っていたが、顔は美少女かは知らんがどうせ性格クソブス女なのだろう。

 というか京乃からの情報は基本的に宛にならないから、結局のところ自分で調べた方が早い。

 

「その、ちょっと……聞きたいことが、あるんですがいいですか?」

「何だ?」

「五河君は、十香ちゃんのことが……その、恋愛対象として好きなんですか?」

 

 モジモジと恥じらいながら七罪が聞くと、士道は動揺したように焦ったような声を上げた。

 

「れ、恋愛対象として好きぃ!? いや、そりゃ十香のことは好きだけど……そういう意味じゃないぞ?」

「……そうなんですか?」

 

 七罪が小首を傾げて問いかけると士道は頷いた。

 

「ああ、別に()は好きな人とかいないしな」

 

 今はいない。

 その言葉に少し引っかかりを覚えた七罪は間髪入れずに質問した。

 

「む、昔はいたということですか……?」

「昔か……確か小学生の頃好きな子がいたな……あれ、中学だったか? いや幼稚園くらいの頃だったか……?」

 

 唸りながらボソボソと呟いている五河士道。

 七罪はそれを見て、こいつその歳でもう記憶が耄碌(もうろく)してんのかと呆れながらも、表面上にはおくびにも出さないように心がける。

 今の七罪は好きな人の好きな人について固唾を呑みながら尋ねる京乃だ。

 彼女の姿で毒舌、そして辛辣な態度を取れば不自然極まりない。

 

「その人とは今も仲良くしてるんですか……?」

「いや、分からないけど元気でやってるんじゃないか?」

 

 随分とアバウトな解答が返ってきた。

 適当な返事だが、そう答えるってことは五河士道にとって好きだった相手というのは今はそんなに関わりのない、仲が良くもない人物ということだろう。

 それならば別段問題もない。

 

「話ズレたが、十香いるけど大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですよ! む、むしろお邪魔でしたら私が出ていきます! そうします!」

「い、いや邪魔ってことないぞ。賑やかな方が嬉しいしな」

「そ、そうでしたか。それは良かったです……」

 

 七罪は京乃らしく、弱々しい笑みを浮かべる。

 

 これで出て行けって言われたら五河士道はとんだ屑野郎だったというレッテルを貼りつけていてところだろう。

 七罪はそんなことを考えながら靴を脱いで、初めて訪れた五河家に足を踏み入れる。

 家の造りは観月家とあまり変わりがないし、心が踊るだとかそんな子供のような感情は湧かないが、これが京乃らしさってやつだろうと思って取り敢えずはそわそわと落ち着かない様子で辺りを見渡しながらリビングへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 何コイツ、マジで居座ってる。

 

 七罪は目の前の破壊的おっぱいにひれ伏しそうになった。

 

 ひと目見ただけで分かる。

 自分に自信がないと出来ない髪型であるポニーテールをして、そして何よりもデカい胸を自慢気に見せびらかすこの十香という女は七罪の苦手なタイプの人間だ。

 

「おっ、京乃か!」

「こ、こんにちは、十香ちゃん……」

 

 まず始めに七罪は胸に目が言ってしまったが、これはヤバイ。

 

 アメジストのような瞳と艶のある闇色の長い髪、乾燥なんてものを知らなそうなすべすべとした珠のような肌。

 ……そしてやはり何よりも胸の圧倒的存在感。立ち上がっただけでたゆんたゆんとたわわに揺れる双丘は目に毒だ。

 

「ちょうど良いところに来たな京乃! 遊戯をしないか!?」

「……はい、いいですよ」

 

 七罪はテレビので格闘ゲームをしようとしている十香に困ったように笑いかけているが、心の中では沸々と怒りが湧いていた。

 腹いせにこいつを負かしてやろう。

 そんな理不尽過ぎる怒りを表に出さないようにしながら、七罪は十香から手渡されたコントローラーを受け取った。

 

 

 

 

 

 

「観月、十香。メシ出来たぞ……って観月もゲームやってたのか」

「は、はい五河君! ご迷惑だったでしょうか!?」

「いや、構わないけど……」

 

 七罪が操作しているキャラクターが十香の操作しているキャラクターに殆どダメージを受けることなく勝っているのを見て、驚きながら士道は口を開く。

 

「観月ってゲーム上手かったんだな」

「……へ? そんなことないですよ」

 

 七罪は表面上は何でもないように取り繕っているが、内心動揺しまくっていた。

 

 しまった。

 そういえば京乃とゲームを対戦することは多々あったが、毎回勝ち越して終わるんだった。

 特に七罪自身は自分が強いだとかは思っていないし客観的に見て京乃が弱すぎるのだというのは間違っていないとは思っていたのだが案外強かったりするのだろうか。

 

 そんなことを思いながら七罪は昔京乃と対戦ゲームをした時の記憶を思い起こす。

 

『ぐっ! ……も、もう1回お願い!』

『も、もう一回だけだからね。それ以降は付き合わないから』

『……! ありがとう七罪!』

 

 ぱあっと顔を輝かせる京乃だが、真剣な表情でゲーム機を握る数分後にはまた負けるのだ。

 そしてもう一回お願いと涙声で懇願する京乃の言葉を受けて対戦するのを何回も繰り返して、気がつけば日が暮れているということもままあった。

 

 ……とてもくだらないことを思い出してしまった。

 とにかく京乃は格闘ゲームが下手なのだから自分もそれに合わせないといけないと思い、士道に言葉をかける。

 

「いつもは全然ダメダメなんですが、今日は、調子が良かったみたいで……」

「そうか?」

 

 少し(いぶか)しく思っているのか、納得してないように見える士道相手にこのまま話していたらボロが出てしまいそうだから、七罪は話題を転換させようと食卓に置いてある肉じゃがとご飯について尋ねる。

 

「い、五河君。そんなことよりも、お昼ご飯は肉じゃがですか?」

「ああ、そんなに自信がある訳でもないが、良ければ食べてくれ」

 

 士道は謙遜するようにそう言うが、七罪の目の前にある料理からは大変美味しそうな香りが漂っている。

 これは京乃の言葉もあながち間違いではないのだろうか……? 

 いや、しかし実は劇物という可能性もあり得るし食べてみないことには分からない。

 

「いただきますなのだ!」

「い、いただきます……」

 

 手を合わせてからすぐに、ガツガツと肉じゃがを頬張る十香に続いて、恐る恐ると言った感じで手を合わせる七罪。

 そしてよく煮込まれたじゃがいもを(はし)で1つ取り、小さく口を開いて一口食べる。

 

 瞬間、ホクホクとしたいもが口の中でホロリと崩れる。

 醤油の芳ばしい味が中まで染み込んでいて、じゃがいも本来の旨味も失われることなく、噛むたびに口の中いっぱいに広がる。

 

「……!」

 

 気がつけば夢中になって豚肉やいんげん豆、しらたきにも手を伸ばしていて、気がつけば器の中身は空になっていて、正気に戻った七罪はワナワナと震えた。

 文句なしに美味しかった。

 

「ご、ごちそうさまでした……」

「お粗末さま。観月も十香も美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるな」

 

 手を合わせて挨拶をした七罪を見て満足そうに頷いた士道だったが、すぐに気まずそうに頬を掻いて視線を逸らす。

 

「観月、今日はどうかしたのか?」

「……え?」

「うまく言えないんだが、今日は何かおかしいような……」

「そんなこと、ないですよ?」

 

 まさか、バレた? いやまさかそんなはずはない! 天使の能力は完璧なはずだ! 

 どくどくと嫌に脈打つ胸を押さえながら七罪は答える。

 

「観月……?」

「あ、あはは……、今日はありがとうございました! ではまた……!」

「おー、京乃また遊戯をしよう!」

「は、はい、是非とも……!」

 

 十香に言われた言葉に力強く頷いて七罪は慌ただしく五河家から出ていった。

 

 次に遊ぶことがあったとしてもその時は京乃なのだから自分には全く関係ないと、完全に面倒事を押し付けたことを京乃は知らない。

 

 

 

 

 

 ぜえぜえと息を切らしながら七罪は、京乃から貸りた鍵で観月家の玄関の扉を開ける。

 そして京乃の姿から本来の七罪の姿へと戻り、駆け足がいるであろう京乃の部屋の扉を開けると、そこにはベッドの上でくつろぎながら漫画を読んでいる京乃の姿があった。

 京乃は七罪が部屋に入ってきたことに気が付くと、手元から目を離して七罪に声をかける。

 

「あ、おかえり」

「た、ただいま……」

 

 いつも通りの様子の京乃に、七罪は脱力しながら挨拶しかえす。

 

「で、七罪。五河君どうだった?」

 

 興味津々といった様子で聞いてきた京乃に、七罪は少し不貞腐れながら返事を返した。

 

「料理美味しかった、冷凍食品とは格が違ったわ。京乃が好きになった理由が分かった気がする」

 

 士道の作ったものは、悔しいことに店で食べるものに匹敵する……もしくはそれよりも旨かったのだ。

 

「……た、確かに五河君の料理は美味しいけども! 別に胃袋を掴まれて好きになった訳ではないんだよ?」

「そうなの? 別にどうでもいいけど、まあ良いんじゃない?」

 

 七罪はふんと鼻を鳴らす。

 

「そういえば京乃、料理をその五河士道とやらから教えて貰ってるって言ってたよね」

「うん、そうだよ」

「どうしてそんなことになったの? 京乃って人との距離詰められなそうだし不思議なんだけど」

「あ、それはね……ちょ、ちょっと待って」

 

 慌てたように学生鞄の中からノートを取り出した京乃。

 とは言ってもそれは授業用に使うようなものではなく、和紙のような材質で出来ている可愛らしい桜色の表紙が特徴的な、授業用のものよりも小さめのサイズノートなのだが。

 

「へぇー、京乃のメモ帳?」

「メモ帳というか、なんというか……」

 

 歯切れの悪く言う京乃だが、それはいつものことだと深く考えずに切り捨てた七罪は、その言葉に適当に相槌を打って、京乃がノートのページをぱらぱらと開きながら話している内容を聞く。

 

「前に四糸乃ちゃんと五河の家に来たときに、たまたま料理作るの手伝うかとか、そんな話になったんだよね」

「へぇ、そう」

 

 七罪がそう返事を返した後に目的のページを見つけたのか、京乃はノートに目を落としながら合ってるみたいだねと呟き、それを見た七罪は不思議そうに小首をかしげた。

 

「……覚えてるならノート開く必要なくない?」

「も、もしかしたら記憶と食い違いがあるかもしれないし、確認しないと」

「あっそう」

 

 本人がそういうのであれば七罪として深く突っ込む気もないし、面倒くさいことをするもんだと思いながらもそれを口に出すことなく、いそいそとノートをしまう京乃を見つめる。

 

「まあ、とにかくそんなことがあったのね。良かったわね、願ったりかなったりじゃない。恨めしい程に……」

「うん、本当に嬉しい。でも、こうなれたのは七罪の協力があったからだよ。本当にありがとう」

 

 ──七罪が協力してくれなかったら、きっと私は士道くんに話しかけることすら出来なかったから。

 

 一点の曇りもない満面の笑顔を向けられ、面と向かってお礼を告げれた七罪は顔を真っ赤に染めて京乃から目を逸らした。

 

「べ、別にあんたの恋路を応援したいからって訳じゃないし。ただの暇つぶしよ、あんなの」

「でもその暇つぶしで助かったっていうのは事実だから。本当、ありがとうね」

「……私が、誰かの役に」

「うん? 七罪何か言った?」

「な、何でも無い!」

 

 また顔を真っ赤に染めてぶんぶんと首を横に振った七罪を見て、京乃はくすりと微笑んだ。

 

 今日も観月家は平和だ。

 

 

 

 




士道→七罪(変装)
なんか違和感

七罪→士道
メシうめえ


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幕間


今回はグロ注意とヤンデレ要素、そして原作キャラ死亡描写があります。
苦手な方は注意をお願いします。


 

 

駄目だから。

■■くんは助けないと駄目だから。

じゃあ彼女は?

それは■けなくてもいい。■にとって一番■■なのは彼だから。

じゃあ、あそこの■面に■がっているアノ■は?

それも■■ない。だから■く……!■■■かないと……!

 

 

 

 

 

何で、何で、何で……!

私に必要なのは彼だけ。彼だけ居ればいいの。

なのに何で彼は私を見てくれないの!?

可笑しい!おかしい!オカシイ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどこかの屋上で目を醒ました。

ここには、五河君も居て……

五河君?何で五河君は泣いているの?

 

『……で、………てる?』

「誰なんだ!?違う、お前は違う!!

頼む……京乃を、あいつらを返してくれ!!」

 

焦点が定まっていない目で彼は私を、私ではない誰かを見つめる。

京乃って私だよね?それにあいつらって誰の事?

 

 

……頭がイタイ。

私はナニカ、ワすレテいる?

私は……。私ハ彼を助けるたメに動いタ。

彼ヲ助ける為だケにあノ力を奮ッタ。

だから彼イ外は……

私は、周りを見渡しタ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辺りには今までに気づかなかったのが不思議な位におびただしい量の血で溢れかえっていて、とても濃密な鉄の臭いにむせ返りそうになる。

その血のもとには何があるのか……

私は恐る恐る血の中を歩いた。

そして暫く歩くと何かに(つまづ)いて転びそうになった。

そしてその“何か”を、見てみると━━

 

 

 

 

それは、十香ちゃんの顔だった。

あんなにもいつも楽しそうに笑っていた顔は血塗れで、グチャグチャで原型も無くなっていた。

それなのにそれが彼女のものだと分かったのは闇色の綺麗な髪と、いつもつけている赤いリボンがあったからだ。

それがなかったら、私はそれが十香ちゃんだと気付くことは出来なかっただろう。

 

『……ッ!』

 

怖くなって後ずさると、また、何か柔らかいものが足に当たる。

それは、折紙ちゃんの頭だった。

赤い血に混じって見える白い髪は間違いなく、毎日見ていた彼女の髪だ。

顔にはあまり傷は見あたらないが、死に面した時に何もわからなかったのであろう顔には“どうして”と書いてある。

その身体には、私の握りこぶしくらいの大きさの穴が両手に収まらないくらいにあり……

 

『……』

 

この光景に耐え切れなくなり、逃げ出そうとした時、私は見てしまった。

まるで子供に興味本位でバラバラにされた虫のように頭と両手、両足が切断されて、何度も何度も執拗に斬り刻まれたのであろう時崎狂三の姿を。

そして、この惨劇を作り出してしまったのは……

 

『……違う。違う違う違う……っ!!私はこんなつもりじゃ……!』

 

頭を抱えてしゃがみこむ。

こんなんじゃ、こんな筈じゃなかった。

違う、嫌だ、何で……。

そんな事を思い時間が経った頃、私は立ち上がってふらふらとフェンスの方へ歩いていき、それを乗り越えて躊躇いもなく屋上から飛び降りる。

数秒間の浮遊感の後、自分の体に激痛が奔り、地面に赤いものが広がった。骨が折れる音がした。

しかし死なない。

鏖殺公(サンダルフォン)を顕現させ、迷いなく自分の胸に突き刺した。

しかし死なない。死ねない。

 

━━数秒後には不思議な青い炎が自分の傷を癒すからだ。

 

『あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!』

 

私は慟哭して胸に鏖殺公を突き刺す。何度も何度も何度も……!

何で私は死なない?

何で?何で十香ちゃんや折紙ちゃんは死んじゃったのに私は死なない?

こんなの可笑しい。

誰か……私を殺して……

 

 

 

そんな私の願いを聞いたのか、十香ちゃんや折紙ちゃんが笑いながら返事をする声がしたような気がする。

……幻聴かな?それならそれでいいや。

もう疲れた。

 

 

次第に訪れる頭への鈍い痛み。

その痛みに、だんだん意識は闇に呑まれていって…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「━━っ!!」

 

見慣れた部屋の中、京乃は目を覚ました。

 

とてつもないレベルの悪夢を見た。

自分が体験してきたかのようなそれが、正夢のようなそれが、ただの悪夢とは思えずに、茫然としながら寝間着のポケットの中身をぎゅっと握りしめた。

だけど大丈夫、大丈夫だあれもまた、ただの夢なんだと気持ちを落ち着かせ、ベットから降りる。

目覚まし時計を見てみたらまだ朝の6時だった。

今日は学校だが今から行くには流石に早すぎだろうし、二度寝をしてしまえばまた先程の悪夢を見てしまいそうで恐ろしい。

じっとりと汗ばんだ肌に服が張り付くのに不快だし、まずは汗を流そうか。

そうすれば、少しは気分も落ち着くかもしれない。

そう判断した京乃は、冷や汗を流す為にシャワーを浴びることにした。

 

 

 

 

 

シャワーを浴びたらすぐに学校に行けるようにと制服に着替えたが、まだまだ時間はたくさんある。

だから京乃は朝食を食べたり、学校から出されていた課題をこなしたりして時間を潰した。

課題の期限までは時間があるのだがなにぶん暇だし、もしかしたら分からない問題があって士道が自分を頼ってくれるかもしれないなどと思ったりしながら、課題を淡々と進めていく。

そしてその課題も終わり、気がついたらいつも家を出るくらいの時間になっていた。

もうそろそろ学校に行った方がいいか、なんて事を思いながら洗面所の前で身支度の最終チェックをする。

服はオッケー。髪もちゃんとドライヤーで乾かしてとかした。

問題は顔は自分の顔だけだが、まあ、それはどうしようもない。生まれつきのものはどうも出来ない。

そう苦笑いして立ち上がると、学校へ行く為に玄関から出ていった。

今日も大好きな士道に会って、彼の楽しそうな姿を見るんだ、なんて事を思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オマケ小話

 

「京乃ちゃん、いいよなぁ……」

 

朝のホームルームが始まる前の教室の中で、他愛もない会話をしてた殿町が突然鼻の下を伸ばしてそう言ったのを見て、俺は思わず距離を取った。

 

「なんだ殿町、今日は一段と気色悪いな」

「親友に対してその態度酷くね!

殿町さんは五河君の人間性を疑いますよ」

「何キャラだよ」

 

呆れながら殿町を見るが、あいつはそれを意にも介さぬようでニヤニヤと笑った。

殿町は俺と中学は違うものの、高校に入ってからは二年間同じクラスだ。

竹馬の友ではないものの、仲の良い友達だし気軽に悪態をつきあえるやつだと思っている。

……少し、いやかなり気持ち悪いところがあるやつだが、悪いやつではないのは確かだ。

 

俺がそんな事を考えているとはつゆほども思っていないであろう殿町は、笑いながら観月について話している。

 

「京乃ちゃんは、去年の『恋人にしたい女子ランキング・ベスト13』で4位なんだぜ」

「……ああ、4月に言っていたランキングか?」

 

確か、『恋人にしたい女子ランキング・ベスト13』や『恋人にしたい男子ランキング・ベスト358』やらを開催してるらしいというのは4月に殿町の口から聞いたというのを覚えている。

確か鳶一が3位だったんだよな。

 

「しかも京乃ちゃんは“守ってあげたい女子トップ161”のランキングでも見事1位という素晴らしい成績だかんな!」

「そうか」

「反応うすっ!」

 

あまり興味のない話題を聞き流していたらそんな事を言われ、仕方なく何か反応を返してやろうと考える。

 

「えっ、そうだな……今回の主催者も順位低いな、殿町よりは順位上だが」

「ああ、主催者はどちらかというと守ってもらいたい女子側に位置するらしい……って誰の順位が低いって!?」

「いやお前だよ」

 

『恋人にしたい男子ランキング・ベスト358』で358位の殿町以外に誰がいるのか。

ちなみに何故か俺には匿名から2票入っていたらしく32位という順位だったらしい。

中々の高順位に驚きを隠せなかったのを覚えているが、選ばれなかった理由は惨憺(さんたん)たるものであったのだからあまり喜べない。

そして蛇足ではあるが殿町と俺は『腐女子が選んだ校内ベストカップル』では見事2位らしい。凄く要らない情報を耳にしてしまった。

 

そんな事を考えていると、教室に観月が入ってきたのが見えた。

 

「おっ、噂をすればなんとやら。

京乃ちゃーん!おはよー!」

 

殿町が声をかけて観月に向けて手を振ると、観月はビクりと肩を震わせてから辺りを見渡し、声を発しているのが殿町であることに気がつくと駆け足で近寄ってきた。

 

「えっと……その……」

 

視線を泳がせながら言葉を探している様子の観月だったが、少し経つと何かを決心したように両手の拳を握って口を開いた。

 

「お、おはようございます殿村君!」

「惜しいなー殿村じゃなくて殿町ですよ京乃ちゃん!」

「は、はいすみません……」

 

申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を深々と下げる観月を見て、殿町は笑って口を開く。

 

「気にしてないから大丈夫だよ!

それに俺のことは名字じゃなくてニックネームとかで呼んでくれてもいいんだよ京乃ちゃん!」

「は、はあ」

 

詰め寄る殿町に対して少し辟易(へきえき)としている様子の観月を見て、俺は二人の間に割って入る。

 

「おい殿町、観月嫌がってんだろ」

「……!?おお、おはようございます五河君……!」

「おはよ……う……」

 

今しがた俺の存在に気が付きましたと言わんばかりの様子の観月に挨拶をしようとしたが、言い終える前に観月は深々と頭を下げて急ぎ足で自分の席へと向かったので俺の挨拶の最後の方の声は消え入るようになってしまい、それを見た殿町に笑って小突かれた。

 

「五河逃げられてやんの〜!」

「うわ、うっぜ」

 

少しげんなりとしながら殿町に返事を返す。

観月とは俺の家に料理を教わりに来るときにはそれなりに話すこともあるが、学校内でとなるとあまり話さない。

いや、話さないというか話せない。

話しかけようとするとやはり先程のように逃げられる事が大半なのだ。

家でのことだって基本的には料理に関することであって他の世間話なんかはあまりしない。

好きな人に美味しいと言われるような料理を作りたいと言っていた観月のことだ。

きっと観月が俺を頼るのも近くに料理を手伝ってくれるような人が俺以外にいなかったからだろう。

 

俺がそう思っていると、殿町は自分の言葉で俺が落ち込んだとでも思ったのか、まあまあとフォローするように口を開いた。

 

「でもほら、京乃ちゃんやっぱり前よりもとっつきやすくなったって」

「まあ、確かにな」

 

それは最近思うようになった。

最近はたまに鳶一とも何か話すようになったようだし、俺の家の中だけの事だが十香とも話すようになったようだ。

それを見て何か心の中が暖かくなるのを感じるのだ。

これは……雛鳥を見守る親鳥のような気持ちだろうか?

どちらかというと見守ってあげたいという感じではあるが、確かに守ってやりたいと思っているのかもしれない。

 

「……それで、殿町は観月と付き合いたいと?」

「五河……お前、鳶一さんや十香ちゃんだけでは飽き足らず、京乃ちゃんにまで手を出すつもりなのか……?」

 

殿町が怪訝そうな表情でそう言うと、近くにいたあいまいみートリオがドン引きしたようにこちらを見てきてヒソヒソと話し始めた。

 

「うわっ、マジか五河君、十香ちゃんや鳶一さんに加えて観月さんまでもハーレムに加えるつもりなの?」

「噂じゃシスコンでもあって、ちっちゃい子にも手を出してるらしいよ?」

「まじひくわー」

 

……あいまいみートリオからそんな会話が聞こえてきたような気がするが、きっと気のせいだろう。

そう思わないとやっていけない。

 

「ちがうわ!何でそうなる!

てか折紙や十香にも何もしてねえし!

……ただ俺は、観月がお前に告られたりしたら断れないだろうし、怯えて嫌な気持ちのままズルズルと付き合うなんて可哀想だと思ってな?」

「酷い言われよう!」

「事実を述べただけだ」

「まあ安心したまえ、殿町さんは五河と同じ気持ちだ。

セクシャルビースト五河と同じ気持ちだ」

「何で言い直したし!というかそのよく分からん呼び方もうやめろよ!」

「はっはっは、俺とお前の仲だろ?」

 

フランクに俺の肩に組んできやがった殿町の腕をすぐに振りほどいた。

 

「いやいや、どんな仲だったらそんな呼び方になるんだよ!」

「いいんですぅー、最近色づきやがった五河にはその呼び方で充分なんですぅー」

 

ブーブーと分かりやすいブーイングをする殿町。

それを見て子供かと呆れつつも口に出すことなく、あいつが話す内容を聞く。

 

「京乃ちゃんはなぁ……癒やしだ」

「はあ」

「京乃ちゃんの周りにマイナスイオンがいっぱい飛んでいるに違いない」

「そうか。

……つまりどういうことだ?」

 

俺がそう聞くと殿町はやれやれと言った風に肩をすくめた。

その気取っている姿を見て無性に殴りたくなったが、何とか我慢した。

 

「つまりどういうことかと言うと遠くで眺めていたいんだよ、分かれよ五河!」

「ああ、なるほど……」

 

殿町の言葉に適当に相槌を打った後に後ろを振り返ると、こちらを見つめている観月と目が合った。

観月は俺が後ろを振り返ると思っていなかったからか、混乱したように顔を真っ赤に染めて机に突っ伏した。

 

「……なるほどな」

 

殿町の言葉も分からなくはないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

翌朝。

 

「と、殿市くんおはようございます!」

「いやー、惜しいなー

俺の名字は殿町ですよ、京乃ちゃん!」

 




Q,何で屋上には夥しい量の血があったの?屋上に居たのは狂三達だけじゃなかったっけ?

A,大体はきょうぞうさんの分身体の血。
きょうぞうさん本人が死んだら分身体達も消えんだろっていうのは勝手な想像なんですけどね。
……って思ってたんだけどなぁ(17巻を見つつ)



夢の中での設定

オリ主san値ピンチ状態。
なーぜか、精霊化してしまったオリ主。
オリ主は仲が良くなった精霊の能力を完コピ出来る精霊(キスする必要なし)というチート。
チートなのですが琴里同様破壊衝動が付き纏い、一定時間自我が消えたりします、自分の欲望がむき出しになったりします。
ちなみにこの設定が今後に登場する事はありません。
 
これは単なる夢なのか、それとも予知夢なのか。
それとも……


京乃→殿町
名前覚えられない

どうでもいいですが、オリ主と士道と殿町は一年の頃も同クラスという設定。


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二章
狂三キラー 初日前半


大幅な修正はしませんが、多分誤字とかの細かな修正を後日すると思います。
ご了承ください。


※思いの他直す所も多く、場面も増やしてしまいました。


 あちこちにぬいぐるみなどや漫画本などが置いてあり、生活感に溢れている部屋の中。

 

「……ぁ」

 

 京乃が目を薄っすらと開けて目覚まし時計を見ると、いつもよりも随分と早い時刻での起床だった。

 

 最近夢見が悪く、眠りが浅いのだ。

 そんな日々の中、今日この日に悪夢を見ることがなかったのは僥倖(ぎょうこう)と言えるかもしれない。

 何故ならば今日は他人にとっては重要ではなくとも、京乃にとっては何よりも重要……かもしれない日なのだから、幸先悪いのは勘弁願いたいと思っていた所だ。

 まだ朦朧(もうろう)としている意識のままでベッドから降りて部屋のカーテンを開けると、空はまだ白み始めたばかりのようで暖かな光が部屋を照らした。

 何とも気分の良い朝だ。

 

 京乃は部屋に差し込んでくる光に眩しそうに目を細め……あくびをこぼしながら布団の中に潜り直した。

 

 

 

 ♢

 

 

「……!?」

 

 布団に包まってささやかな幸せを甘受していた京乃は、再度意識が浮上した時に目を見開き、勢いよく上半身を起こして目覚まし時計を見る。

 時刻はいつも目覚めるよりも大分遅かったが、学校に遅刻する程ではない。慌てて学校に行ってしまえば、何か忘れものをしてしまう可能性もある。

 ここはいつも通りに行動することが大切だろう。

 いつも通り……いつも通りに……

 

「いつも通りにしてたら遅刻する……!」

 

 流石に急がないと間に合わないかもしれない時間帯だ。

 慌てて髪や制服などの身支度を整えてから家から出て行った。

 幸いにも学校は近い。転ばないようにだけ気をつけて駆け足で行こうと決意して、士道の家を通り過ぎようと思った時に、その可愛らしい声は聴こえてきた。

 

「……きょ、京乃さん!」

『やっはろー京乃ちゃん!』

「……え?」

 

 驚いて振り返ると、そこには天使がいた。

 後光が差している(ような気がする)蒼い髪の天使だ。恥じらいながらも笑顔を浮かべている所がポイント高い。

 きっと漫画ならば後ろには花が咲いているだろう。

 花の種類は桜かエーデルワイスだろうか? きっとそうだろう。眩しすぎて直視出来ない。そのうち羽と光輪をつけて空へ飛びたってしまうのではないか。そう思えてしまうくらいに神々しい彼女と一緒にいて大丈夫なのだろうか? 否、大丈夫じゃないだろう。

 京乃が遠い目をしていると、心配そうに見つめていた彼女と目が合った。

 

「……よしのんに、四糸乃ちゃん?」

『うん、そだよー』

「きょ、京乃さんおはようございます!」

「うん、おはよう」

 

 薄手の涼しげな白いワンピースを身に纏い、目元を覆い隠すかのように目深(まぶか)に白の麦わら帽子を被っている四糸乃。

 髪も瞳も海のように青い彼女の左手には、友達であるよしのんが装着されていた。

 

「服、似合ってるね」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 人に褒められるということが少ないからなのか、四糸乃は頬を赤く染めてはにかむ。

 京乃が四糸乃と最後に会話したのは、士道と四糸乃とでよしのん探しをしていた日だろう。

 

「四糸乃ちゃん、よしのんと再会出来たんだね」

『なーにしらばっくれちゃってるのさ京乃ちゃん! よしのんを見つけたのは京乃ちゃんっしょ?』

「その、士道さんからよしのんを手渡してもらった時に、聞きました……その、あ、ありがとう……ございました……!」

 

 京乃は驚いたように目を見開き、そしてにこりと笑う。

 

「……そっか、私四糸乃ちゃんの役に立てたんだね。怖い人達からは、もう追われていないの?」

「は、はい。士道さんに……助けてもらった……ので」

『そーそー! だから四糸乃ってば士道くんにベタベタの惚れ惚れで……むぐー!』

「よ、よしのん!」

 

 慌てた様子の四糸乃がよしのんの口を塞いだ。

 はて、四糸乃は修羅場に発展するとでも思ったのだろうかと京乃は首を傾げる。

 

「そっか。良かった。……うん、凄い安心した」

 

 勿論、京乃は四糸乃が士道のことが好きだと言うことではなく、四糸乃がASTに追われなくなったということに安心しているのだ。

 この小さくて、それでいて芯の通った強さを持った存在である四糸乃を救えて良かったと、心からそう思えたのだ。

 

「あの、実は私、あのマンションで暮らすことになったんです……!」

「そうなんだ」

 

 そういえば、気がついたら京乃の2つ隣に新しくマンションが出来ていた。

 なぜ突然出来たのかと不思議に思っていたが……

 

「じゃあ、引っ越し祝いに何か……お古で良ければ服とか送ろうか?」

「……京乃さんの、昔の服、貰ってもいいんですか……?」

「四糸乃ちゃんが貰ってくれるなら歓迎だよ。場所取っちゃってるし、整理出来るし」

 

 その言葉を聞いた四糸乃の顔は花が咲いたように、ぱあっと明るくなった。

 

「ぜひ、お願い……します……っ!」

 

 嬉しそうに笑ってぴょんぴょんとうさぎのように飛び跳ねた四糸乃だったが、すぐに何かを思い出したように不安そうな顔を浮かべる。

 

「あの、京乃さん。学校の時間、大丈夫……ですか……?」

「あっ、そうだった。早く行かないと」

『京乃ちゃんてばお寝坊さんなの? 

 行ってらっしゃーい!』

「京乃さん、行ってらっしゃい……です」

 

 その言葉を聞いた京乃は嬉しそうに笑った後に、腰をかがめて四糸乃の頭を撫でた。

 

「うん、行ってきます」

 

 

 

 

 

 ♢

 

「京乃ちゃーんー! おはよー!」

 

 四糸乃達と別れた後に駆け足で学校に向かうと、朝のホームルームの五分前には下駄箱に着くことが出来た。

 安堵の息を吐いて廊下を歩いていると、向かい側から自分の名前を笑顔を叫びながらで走ってきた人物が現れた。

 京乃はビクリと身体を震わせて逃げ腰になりなっていたが、相手が見知った人であることに気がついて足を止めた。

 ワックスで逆立った髪、存外筋肉質な身体の持ち主。

 士道の友人で、京乃に話しかけてくる回数が最近増えてきた男子生徒。

 

「……は、はい。えっと……殿山君? おはようございます」

 

 ちょっと小首を傾げながら挨拶をしたが、その言葉を聞いた殿町は思わずといった感じで苦笑する。

 

「殿町ですよ京乃ちゃん! って、それはさておき知ってるかい? 今日はビックニュースがあるんだぜ」

「ビックニュース、ですか……?」

 

 殿町の言葉を反芻(はんすう)する。

 最近何かあっただろうかと考えてみるが、特に何も思い出せない。

 

「タマちゃんが挙動不審だったから聞いたら教えてくれたんだ。……ああ、でもタマちゃんに皆を驚かせたいから内緒にしてくれって頼まれてるから、分かるまでのお楽しみってことで」

「は、はい、分かりました。あの、……五河君には教えたんですか?」

 

 京乃はそわそわと落ち着かない様子で殿町に問いかけるが、それを聞いた殿町の様子は芳しくない。

 

「いやいや京乃ちゃん、あんなセクシャルビースト五河には教えないでいいよ」

「……セク……なんて言いましたか?」

「あー、分からないなら大丈夫だよ。そんなことより五河のやつ、今日十香ちゃんと一緒に登校してたんだぜ?」

「……」

「あー、もう朝から見せつけやがって……」

 

 殿町はやれやれと首を振り、ギザに笑って後ろを向く。

 

「でも大丈夫だ。俺には京乃ちゃんがいるからな……って、アレー? 京乃ちゃーん?」

 

 殿町は前に向き直って京乃に声をかけようとしたが、そこには既に京乃の姿はなくなっていた。

 

 

 

 

 ♢

 

 士道と十香が一緒に登校する。

 それは悪いことではないし誰かに咎められることでもない。

 それでもやっぱり悲しくなってしまうのは、やっぱり士道のことを諦めきれていないからなのだろう。

 そう思いながら自席について俯いていると、声を掛けられた。

 

「むっ、京乃どうかしたのか?」

「え……」

 

 声の主を見てみると、そこには先程の話の中心人物である十香の姿があった。

 

「元気がなさそうに見えてな。何かあったのか?」

「そ、そんなことないです」

「ううむ、そうか。それならいいのだが……」

 

 そう言いながらも十香はうんうんと唸り、隣の席から離れようとしない。

 どうしたのかと尋ねようとした時、京乃の席の前に折紙が現れた。

 

「夜刀神十香。あなたが観月京乃に話しかけたせいで観月京乃の顔色が悪くなった」

 

 淡々と告げる折紙に、十香は食って掛かるように席を立ち上がる。

 

「なんだと!? そ、そんなことないよな! なっ! 京乃!」

 

 顔をずいっと近づけてそう言った十香の迫力に押されて、京乃は慌てて頷いた。

 

「は、はい」

「ほら見ろ鳶一折紙! 京乃は私は関係ないと言っているぞ!」

「無理やりあなたが言わせているだけ。本当は嫌がっている。私には分かる」

「な、なんだとお!?」

 

 一瞬にして京乃の席周辺がバトルフィールドと化した。

 

「大体貴様は何なのだ! いつもいつも私に難癖つけて……!」

「真実を述べているだけ」

「ふ、ふん! それなら私も真実を言ってやるぞ! 

 鳶一折紙の阿呆! 間抜け! のーたりん!」

「幼稚。それらの言葉はすべて貴方に返ってくると何故気づかないの」

「ふ、ふざけるな!」

「ふざけているのは貴方」

 

「あ、はは……」

 

 逃げたい、この場所から。

 京乃が引き攣った笑顔を浮かべていると、朝のホームルームの予鈴が鳴った。

 

「むっ、時間か。京乃またな」

「……」

 

 十香が笑顔でそう言い、折紙が無言で自席に座るのを手を控えめに振りながら見送り、二人が席に着くのを見届けると小さく息を吐いた。

 

 何でこうなるのだろうかとか彼女達は少しくらい仲良く出来ないのだろうかと考えてみるが、どうも出来ないだろうと諦める。

 きっと二人が仲良くできない要因は、きっと京乃が立ち入ることの出来ない深いところにあるのだろうから。

 

 先生が朝の連絡事項を告げているのを聞き流しながらそんなことを考える。

 

「ふふ、なんとね、このクラスに、転校生が来るのです!」

 

 思い出したようにドヤ顔で指を突き出してそう言った岡峰珠恵先生(愛称タマちゃん)の言葉を聞いて、教室内は一気にざわめいた。

 どうやらタマちゃんの思惑通りにことが運んだようで、彼女は満足げに頷いていた。

 転校生が来るというのが、殿町の言っていたビックニュースなのだろうか? 

 そう思っていると、後ろを振り返ってサムズアップをした殿町と目が合った。どうやらビックニュースというのはクラスに転校生が来るということで間違いないらしい。

 

 

 しかし、転校生か。

 6月という中途半端な時期に来るのも不思議であるし、何よりも京乃のクラスには既に十香が転入してきているのに、このクラスにくる理由が分からない。

 ならば、なぜ? 

 

 ──そんな京乃の思考は、少女が入ってきた瞬間に止まった。

 

 どこかで見たことがある少女。

 そんな漫画のような展開に驚いている気持ちもあるのだが、それ以上に京乃の中の何かがこの少女はヤバイと警鐘を鳴らして訴えかけてくる。

 

 確かにぞっとするほど美しい容姿だ。

 季節外れの冬服のブレザーから覗く真珠のように白く滑らかな肌、赤い瞳、影のように黒い髪。彼女のひとつひとつの挙動からも不思議と目を離すことが出来ない。

 それほどまでに美しく、もう一つの隠された瞳で見つめられたら、同性の京乃でも正気を保てなくなるのでないかと思えるくらいに(あや)しい魅力で満ちていた。

 十香や四糸乃も美少女ではあるが、狂三の場合は可愛いというだけではなく、どこかミステリアスな……魔性ともいえる魅力にも溢れている。

 だから目を惹かれたというのもあるのだが、京乃が彼女に目を奪われたのはそれだけの理由ではない。

 

時崎(ときさき)狂三(くるみ)と申します」

 

 黒板に書いた達筆な字の前でそう言った彼女。

 

「わたくし、精霊ですのよ」

 

 その言葉を聞いて、そして十香や士道の驚いた顔、折紙の視線だけで人を殺せるような鋭い目を見て京乃はどこか納得する。

 狂三からは微かながら七罪や四糸乃と同じような気配が感じられた。

 どうやら先程から感じていた違和感はそれだったのだろうということと同時に、彼女達は精霊と呼称されているのだということを知った。

 

「それじゃあ時崎さん、空いている席に座ってくれますか?」

「ええ。でも、その前に一つ。

 わたくし、転校生してきたばかりでこの高校のことがよく分かりませんの。放課後にでもかまいませんから、誰かに案内していただきたいのですけれど」

 

 困ったように告げた狂三。

 それを好機と見たのか、手を上げて立ち上がった少年がいた。……(くだん)の殿町宏人だ。

 

「あ、じゃあ俺が」

「結構です」

 

 時崎狂三は声をかけてきた殿町に笑みを崩さずに、しかし反論を許さないとばかりににべなく言い放って教壇から降りると、項垂れた殿町の側を通り過ぎて士道の席の前までやってきた。

 

「ねえ──お願いできませんこと? 士道さん」

「お、俺……? というかなんで名前を……」

「駄目、ですの……?」

 

 ここで断られたら泣いてしまいますとでも言いそうな程に目を潤ませている狂三を見て、士道は言葉に詰まる。

 

「い、いや、そんなことは……」

「では決まりですわね。よろしくお願いしますわ、士道さん」

 

 先程の表情から一転してニコリと微笑むと、ポカンと呆気にとられているクラスメイトの視線の中、軽やかな足取りで指定された席──京乃の右隣の席まで歩いてきた。

 

 ……そういえば、京乃の右隣の席は二年になった当初から空いていた。

 

「よろしくお願いします、京乃さん」

「……はい、よろしくお願いします。時崎狂三さん」

 

 名前を教えていないのに平然と言い当て微笑を浮かべる狂三を見て、顔を強張(こわば)らせながら京乃は頷いた。

 

 

 

 ♢

 

 

 転校生が現れるというイレギュラーな事態にはなり、休み時間中には彼女の席の周りは客寄せパンダのように人であふれかえっていたものの、京乃の学校生活は騒がしいながらもいつも通りに進んでいった。

 そして、放課後。

 

「士道さん、案内よろしくお願いしますわ」

「あ、ああ!」

 

 

「……」

 

 帰りのホームルームの後、京乃は2人が連れだって歩いているのを尾行することにした。

 士道が危険そうな人物と一緒にいるのが心配だったのだ。

 ……別に、士道が狂三に骨抜きにされるのだとかメロメロになってしまうとかそういう不安がある訳ではないのだ。

 自分自身に言い訳をしている内に二人は教室を出ていったので、京乃も慌ててそれを追いかける。

 

 二人が最初に向かったのは、京乃もよくお世話になっている購買だった。

 士道が購買のメニューの前に立って何か説明していた。

 多分オススメか士道が好きな種類のパンでも教えていたのだろう。

 

 じっと遮蔽物に身を潜めながら見ていると、士道と狂三が歩き始めたので京乃もそれに慌てて着いていく。

 そうして二人が立ち止まった所は、屋上の階段前だった。

 

 士道に何かを言った狂三は微笑をたたえながら、スカートに手をかける。

 そうしてジリジリと焦らすようにスカートをたくし上げ、スカートの中にある黒ストッキング越しの純白の下着が姿を現した。

 それを見た瞬間、京乃の思考は停止し、次の瞬間にはそれを補うようにぐるぐると廻り始めた。

 何故時崎狂三は出会ったばかりの少年に下着を見せるのだろう。痴女か、痴女なのか? もしかして初対面ではないとか? いやしかし士道の狂三に対する態度は引っかかることはあるのだが、間違いなく初対面の人に対するもののそれで……

 

「は、破廉恥です!」

 

 考えることを放棄した京乃は壁から飛び出して顔を真っ赤にして叫んだ。

 あれ、そういえば隠れていたんだっけと思い出した頃にはとき既に遅し。

 掃除用具入れに隠れていたらしい十香も驚いたように京乃を見ているし、心なしか折紙も何か物言いたげに京乃を見ているような気がする。

 

「み、観月?」

「破廉恥……ですの? わたくし貧血持ちでして、そこで優しい士道さんが私の手を取って支えてくれましたの」

「……え?」

 

 何の話をしているのだろうと思い、狂三の手もとを見てみると、確かにそこには士道の手が添えられていた。

 それを見た京乃は、慌てながら手をわさわさと動かす。

 

「す、すみません、私の勘違いだった……みたい……です。先程、時崎狂三さんが五河君に下着を見せていたような、そんな気がしたのですが……」

 

 今度は士道の顔から冷や汗が流れ落ちた。

 

 なんせ京乃の言ったことは紛れもない事実で、ラタトスクからの指令通りに(勘違いではあったのだが)狂三ってどんなパンツを履いているんだ? と尋ね……結果、何故か狂三はパンツを見せてきたのだから、間違いなく士道は狂三のパンツを見た。

 士道さんにパンツ見せろと言われましたのと狂三が告げた瞬間、京乃が殿町にでもそれを言ってしまえば、クラス中、果てには学校中に五河士道は出会ったばかりの美少女にパンツを見せるように恐喝したとんだエロ豚だと言う話がまわってしまうだろう。

 

 

 “神様仏様狂三様、どうか先程の出来事はなかった方向でお願い出来ないでしょうか!? ”

 “ふふ、他ならぬ士道さんのお願いですもの、了解しましたわ。

 それのお礼と言ってはなんですが後日わたくしのお願いも聞いてくださると嬉しいですわ。”

 

 出会って数時間にして奇跡的にアイコンタクトが通じあった狂三と士道は頷きあった。

 その代償は大きそうだが、そのことにまだ士道は気付いていない。

 

「そのようなことはありませんでしたわ。京乃さん、お疲れなのではないでしょうか?」

「……そう、かもしれないですね……とんだ濡れ衣を……」

 

 目を伏せてそう言った京乃に、狂三はくすくすと笑う。

 

「いえいえ、お気になさらずに」

「それで観月は何でこんなところにいるんだ?」

「……こ、こんな犯罪行為(ストーキング)のような真似をしてすみません!」

 

 尋ねた瞬間に綺麗なお辞儀を決めた京乃を見て、士道は少し苦笑する。

 

「い、いや別に大丈夫だが、何で観月も……」

「その、五河君に言いたいことがあったのですが……でも、タイミングを逃してしまいまして……」

「そうか。今聞いてもいいか?」

「い、いえ、その……今じゃない方が……」

 

 チラリと折紙と十香、そして狂三を見て首を振る京乃。

 それを不思議に思い士道が口を開きかけたとき、どこからともなく携帯電話のバイブ音が鳴り響いた。

 

「──もしもし」

 

 折紙がポケットから携帯電話を取り出して、話し始める。電話口に向かって淡々と相づちを打ったのち、なぜか狂三に鋭い視線を送り、電話を切る。

 

「……急用が出来た」

 

 折紙はどこか名残惜しそうに士道を見つめて、もう一度狂三に刺すような眼光を向け、歩き去っていった。

 折紙が士道と一緒にいるのに抜け出すのを見たことがなかったから少し驚いたが、これは流れで先程のことをあやふやにして自分も帰ろうと思い、京乃は引き攣った愛想笑いを浮かべる。

 

「では、私も帰り……」

「京乃さんは案内してくださりませんの?」

「……え!? あ、いや、あの……」

「悲しいですわ、泣いてしまいそうですわ。

 えーん、えーん」

 

 およよと目元を手で隠してしまった狂三を見て、京乃は大いに慌てる。

 

「わ、分かりましたっ! 私も参戦いたします……!」

 

 京乃がそう言うと、狂三は何事もなかったようにケロリと笑いながら京乃に向き合った。

 

「嬉しいですわ、では行きましょう」

 

 こうして、半ば強制的に京乃も十香と同じように狂三の学校案内に参加することになった。

 

「購買には、行ったんでしたっけ……?」

「ああ、行ったな。観月は昼飯は購買か?」

「基本的には購買で買います。その……やっぱり自炊は苦手なので」

「ああ……」

 

 何かを察したように士道は呟いた。

 京乃の料理を見ている身としては、京乃が自炊を出来るとはお世辞でも言えなかったのだろう。

 

「み、観月は購買で何買うんだ?」

「ええと、焼きそばパンを買うことが大半で……たまにドリアンパンを少々」

「……ドリアンパン」

 

 まさかドリアンパンに二票目が入るとは思っていなかったからか、狂三がそれって本当ですのと小さく呟いたが、どうやらその声に気づかなかったらしい三人はどんどん先に進んでいった。

 

「ここは図書室だな」

「え、えっと……そうですね、色々な種類の本があります」

 

 図書室とプレートが掛けられている扉の前で士道が立ち止まってそう説明すると、京乃も同調して頷くが、それはどこの図書室もそうだろうと思うがそこはご愛嬌。

 二人の説明に食いついたのは、転校生である狂三ではなく十香だった。

 

「そうなのか!? 食べ物は! 食べ物の本はあるのか!?」

 

 グイグイと迫り来る十香から逃げるように後ずさりながらも、京乃は返事を返す。

 

「ええっと、あると、思います……」

「十香……レシピ本があっても、食べることは出来ないからな?」

「むう……いや、シドーに作って貰おう!」

「まあ、そうだな。俺に作れそうなものがあれば作ってもいいぞ」

「おお! よろしく頼むぞ、シドー!」

「……時崎狂三さんは」

「狂三でいいですわ」

 

 にっこりと笑みを浮かべてそう言った狂三相手に、迷うような顔をした後に口を開く。

 

「……時崎狂三さんは、次行きたいところとかありますか?」

 

 狂三はつれないお方ですわと嘆息した後に、少し悩ましそうな顔を浮かべる。

 

「そうですわね……先程も申しましたが、わたくし実は体が弱かったんです。ですから、もしもの時の為に保健室の場所は把握しておきたいですわ」

 

 にこりと笑顔を浮かべて告げられて、保健室はこの近くにあっただろうかと京乃は一瞬考える。

 

「近いですし、次行きます……か、五河君?」

「ああ、そうするか」

 

 そんなことを言いながら、一行は校内を進んでいく。

 

「ここが保健室だな」

「……よくお世話になってました」

 

 苦笑した京乃がぼそりと小さく呟くと、その声を拾ってしまったらしい狂三が興味ありげに京乃を見る。

 

「まあ、京乃さんはおてんばさんですの?」

「……」

 

 京乃は失言してしまったと苦々しい表情を浮かべる。

 それを見た士道がフォローするように狂三の前へ出てくる。

 

「ああ、いや。観月はよく失神してたからな。主にクラスメイトに話しかられた時に」

「……それは、大丈夫……ですの?」

「はい、大丈夫です」

 

 狂三に心配そうに声をかけられた京乃はきまり悪そうにして、少し足早に三人の前へと歩いていった。

 

「ここは体育館ですね。授業で使用することが大半です。バスケ部とバレー部、バトミントン部などが朝や放課後に練習に励んでいます」

「へえ、そうですの。そういえば京乃さんは何か部活動に所属してますの?」

「……高校では、特に所属してません」

「では、中学の頃は何部でしたの?」

 

 やけに楽しそうに尋ねてくる狂三を見て、京乃は少したじろいだ。

 別に聞かれたくないことではないのだが、話して面白いことでもない。

 そもそも何でこの人やけに突っ掛かってくるのだろうと思いながらも正直に答える。

 

「……手芸部に、入ってました」

「それはそれは! 楽しかったですの?」

「……活発な部ではなかったですから、楽しいかと聞かれると……よく分かりません。活動がある日も、私くらいしか……来ませんでしたし。正直……名前だけみたいな所でした。でも、放課後に遊びに行けたり、気軽で良かった……とは、思います」

「まあ、そうですか」

「はい」

 

 部活動が充実していなくとも、それで中学での生活がつまらないと決まった訳ではない。そもそも手芸は一人でも出来るものであるし、別に部員が来なくとも問題はないのだ。そう思っての発言で、それを聞いた狂三は相槌を打った後ににこりと微笑む。

 

「私も手芸は好きですし、もし京乃さんと同じ学校だったら……同じ部活をやってたかもしれませんね」

「……え……あの」

 

 そんなことを言われるとはつゆほども思っていなかった京乃は返事に(きゅう)していたが、その様子を見た狂三はくすくすと柔らかい笑みを浮かべた。

 

「ふふ。何だかんだ、京乃さんは無害そうな感じがしますし、からかい甲斐もありますし」

「……む、無害……? からかい甲斐……?」

 

 それって褒め言葉なのだろうかと悶々としている京乃の横目に、狂三は次は十香に話しかける。

 

「十香さんは中学時代は何部でしたの?」

 

 士道と楽しそうに手を繋いでいた十香だが、狂三から質問が飛んでくると思わなかったのか困ったように唸る。

 

「う、うむ。私はその……だな。えっと……そうだ! きな粉パン食べ放題部に入っていたぞ!」

「あらあら、それはそれは……楽しそうな部活ですね」

 

 小さな子供の言葉を聞くように、微笑ましそうに目を細める。

 

「士道さんは?」

「ああ、俺は帰宅部だったな」

 

 士道がそう言うと、十香がその手があったのかとびっくりしたように目を(しばたた)かせた。

 

 

 

 ♢

 

 保健室を訪れた後も、学校各地を説明しながら歩いた。

 教師に用事がある時の為に職員室。

 この前女子生徒がクッキーを作っていた家庭科室。

 生物室(跡地)。

 生活上立ち寄ることも多いであろうトイレ。

 色々な場所を回っている内に、一行はまた屋上の前の階段へと辿り着いた。

 

「ここは学校の屋上……だな」

 

 士道が耳に手を当てながらそう言うと、京乃は不思議そうに返事を返す。

 

「……でも、ここって鍵かかっているんじゃ……」

 

 京乃は前に興味本位で来たことがあるが、先生が言っていた通りに屋上に通じる扉には鍵がかかっていた。

 なら今も開かないだろうと思いドアノブを回すと、予想に反して案外簡単に扉は開いた。

 

「ひっ、開きましたよ五河君!? も、もしかして壊してしまったんじゃ……」

 

 大いに慌てている京乃を見て、士道は京乃が開いた扉を閉じる。

 扉としての機能はちゃんと果たしているようだ。

 

「いや、壊れてるように見えないし、ただ先生が鍵をかけ忘れただけだと思うぞ。

 ……こんな機会が今後来るか分からないし、どうせなら屋上に行ってみるか?」

 

 ちらりと、士道は反応を伺うように一緒に来ているメンツを見てみる。

 

「ふふ、士道さんたらイケナイ人ですね。でも少し気になりますし……どうせなら、行ってみましょうか」

「シドー! 私も行ってみたいぞ」

「み、皆さんがそういうのでしたら私も行ってみたいです……!」

 

 狂三はいたずらっぽく笑い、十香は興味津々と言った感じで目を輝かせ、京乃は皆に同調する形で士道の言葉に頷く。

 皆の意見を聞いた士道はほっとしたように息を吐き、再度屋上の扉を開く。

 

 

「景色が綺麗だな、シドー!」

 

 バタバタと、いの一番に駆け出してフェンスに食い入るように下の景色を見つめる十香の言う通り、屋上から見える風景は普段の学校からは想像出来ない程に綺麗であり……

 落ちてきている夕日が、拍車をかけて辺りを幻想的に照らしている。

 

「ええ、本当に……綺麗ですわ」

 

 狂三も微笑んで、ゆっくりと歩いていく。

 士道も十香と狂三に続いて歩こうとしたが、先程から立ち尽くしている京乃に気が付き、不思議に思って声をかける。

 

「……? 観月、どうかしたのか」

 

 士道の言葉に放心状態だった京乃は我にかえり、辺りをじっくりと見渡す。

 

「……何だか、前も来たような……そんな感じがしたのですが……多分、気のせいですね。ここには初めて来たんですから」

「別に特徴がある場所じゃないんだし、もしかしたら昔行ったどこかの屋上とかが記憶に残ってたんじゃないか?」

「……五河君の、言う通りかもしれません。少し気にかかってしまっただけなので……その、すみませんでした」

 

 苦々しそうに謝ってきた京乃の言葉を聞いて、士道はぽりぽりと頬をかく。

 

「観月、こちらこそごめんな。お前を巻き込む気はなかったんだが」

「あ、謝らないでください五河君! 何だか悪いことをしたみたいでドキドキして、楽しいですから……!」

 

 京乃が楽しいと思っているのは事実だ。

 いつもと違う日常にはワクワクするし、士道と一緒にいるだけでぽわぽわと暖かい幸せでいっぱいになる。

 でも、それと同時に胸もざわめくのだ。

 何かを忘れているような気がする。

 だけどその何かがなんなのかは全く思い出せない。

 思い出せないということは、そこまで重要じゃないと言うことではないのか。

 

「……夕日、本当に綺麗です」

 

 フェンスに身を乗り出すようにして空を見上げている京乃に続いて士道も一緒になって上を仰ぎ見ると、オレンジ色に暖かく輝く夕日がゆっくりと堕ちていた。

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 

 あらかた案内し終えて時間も良いところと言うことで、屋上へ行った一同は校門へと向かっていた。

 

「まあ、大体あんなところだ。わかったか?」

「はい、分かりました。案内ありがとうございました。とても楽しかったですわ」

 

 狂三はくすくすと控えめに笑った後に、士道の側まで歩いて士道の耳元に口を寄せる。

 

「……本当は二人きりが良かったのですけれど」

「は、はは……」

 

 冗談めかして言ってくる狂三に士道は苦笑で返し、世間話をしながら下校していると、狂三が突然立ち止まった。

 

「それでは皆さん、わたくしはここで失礼いたしますわ」

 

 十字路に差し掛かったあたりで、狂三はぺこりと礼をしてそう言った。

 

「え? お、おう……」

「む、そうか。ではまた明日だ」

「……」

 

 士道と十香には小さく手を振って見送られ、京乃には神妙な顔で見つめられながら、狂三は闇の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 ♢

 

 

 京乃は狂三と別れた後、士道、十香とともに近所のスーパーに夕食の材料を買いにいっていた。

 丁度タイムセールが始まった時間に店に入れたものだから、三割引きの合い挽き肉が手に入ったのだ。ずっしりと重い勝利品を片手に、士道は上機嫌だ。

 

「シドー、夕飯はハンバーグがいいぞ!」

「私も、ハンバーグがいいと思います……」

 

 照れ混じりに十香の言葉に頷いた京乃を、士道は不思議そうに見る。

 

「……? 観月も家に来るのか?」

「い、今の気分的にそうだっただけでそういう訳では……」

「別に来てもいいんだぞ? 家族みたいなもんなんだし」

 

 士道がそう言うと、京乃はぴくりと指先を震わせた。

 

「そう言って貰えるのは嬉しいですが、家族……というほど親密な仲でも……」

「っ、ああそうだな。すまん、変なこと言った」

 

 頬を掻いてそう言った士道。

 つい口をついて出てしまったのだが、確かに不自然な言葉だろう。

 

「で、でも五河君の家、行ってもいいでしょうか……? わ、私もハンバーグ作りたいですし……!」

 

 士道よりは少ないものの合い挽き肉を片手に持っている京乃は、林檎のように朱く頬を染めてそう言った。

 それを見た士道は我が子を見守るように微笑ましく思い……そしてはたと思い出す。

 

「そういえば観月、言いたいことがあるんだよな?」

 

 確か、狂三と二人で学校を案内している時に合流して京乃がそのようなことを言っていたのだ。

 そう言われた京乃は、士道に言われて思い出したとばかりに驚いた。

 

「そ、そうでした。あの……五河君」

「ああ」

「その……実は今日私の……!」

 

 両手の拳を握りしめ、なけなしの勇気をふり絞って言おうとした言葉。

 しかし……

 

 

 

「──兄様……ッ!!」

 

 士道に詰め寄った目の前のポニーテールの少女に全てをかっさらわれた。

 



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狂三キラー 初日後半

 自らを崇宮真那と名乗り、士道の妹であると主張する少女。どれほど士道に会いたかったか、涙ながらに熱弁する彼女を追い返すことなど出来る訳もなく、そのまま彼女も一緒することとなった。

 

「……五河君の、妹かあ」

 

 暫く黙っていた京乃は、やっとのことで呟く。

 

 そもそも京乃はこの少女を見たことがないし、もう一人妹がいるなんて聞いたことがない。

士道とは幼い頃からずっと一緒にいたのに

 これまでの付き合いの上で聞いたことがないのだ。

 だからこそ、京乃はこの少女の冗談かと思ったのだが……

 

「確かにシドーに似ているな」

 

 納得している十香の後ろで隠れるようにしながら京乃もこくりと頷き、ピシリと敬礼を決めてそう言った中学生くらいの少女の姿を改めて見てみる。

 ボーイッシュな装い、凛々しい茶色の瞳、ポニーテールに結われた青色の髪と泣きぼくろが特徴的な少女。

 確かに雰囲気から顔つき、何から何まで士道に似ている少女だった。

 だから、士道の妹だというのを冗談だと切り捨てるのは早計かもしれない。

 

 

「しっかし、真那は感心しねーです。鳶一……あ、義姉様(あねさま)というものがありながら他の女性とも関係を持つなど」

「は、はあ!? ちょっと待て、お前折紙と知り合いなのか!?」

「ま、まあひょんなことから」

 

 視線を上に泳がせながら真那は口笛を吹く。

 とてつもなく怪しい真那の様子を不思議に思った士道は尋ねようとしたが、それよりもひとつ聞き逃せない言葉があった為にそちらを聞くことを優先した。

 

「折紙がお義姉様……って何だ?」

「しょ、将来的にそうなると聞きまして」

「ならないからな!?」

「そ、そうなのですか……?」

 

 確かにそう聞いたのですが……とボソリと呟いた真那だったが、士道がそういうのならばそうなのだろうと思い直す。

 兄にやっと再会出来たのだ。

 それ比べれば、折紙の呼び方など些細な問題だろう。

 

「そんなことより! つかぬことをお聞きしますが……あなたは兄様とどのようなお関係で?」

 

 真那の目線の先にいたのは、士道の隣にいた十香だった。

 

「む? 私は……そうだな……」

 

 十香は熟考した末に、自分の後ろに隠れていた京乃に小声で話しかけてきた。

 

「……京乃、私とシドーの関係って何だと思うか?」

「……え?」

 

 まさか自分にそんなことを問いかけてくるとは思わなかった京乃は、不思議そうな顔をしながらも十香と一緒になって考える。

 確か、前に士道から聞いていた関係であっているはずだが……

 

「……十香ちゃんは五河君の従兄妹なんですよね。家が隣と言うことも相まって、家に遊びに行くことも多い……そうですよね、五河君……?」

「み、観月の言う通りだ」

 

 確認をしてきた京乃の言葉に士道は頷く。

 士道の顔から少し汗が出ているような気がするが、それは京乃の気のせいだろう。

 

「そうでいやがりましたか、とんだ早とちりを失礼しました! ……ん? 従兄妹と言うことは、私とも血が繋がっているんでしょうか……?」

「いや、俺じゃなくて拾われた家の方だからお前とは血は繋がってないぞ」

「了解でいやがります兄様! つまり、貴方と兄様は男女のふしだらな関係ではなく、キスやその先の行為をしてはいないと言うことですね?」

 

 真那は念を入れるようにジト目で十香を見つめるが、当の本人である十香は不思議そうな顔をするだけだ。

 

「む、ふしだらな関係……? そうかは分からないが、シドーとは接吻……ムグッ」

 

 士道は十香の口を手で塞いで、思い出したように口を開く。

 

「あー!! なあ十香腹減っただろ!? 今日はハンバーグにしてやるから! な、一旦家に帰ってくれ、頼むから!」

 

 言葉を遮られたことに対して不満そうな顔をしていた十香だったが、ハンバーグと言う単語を聞いた後には嬉しそうな声をあげる。

 

「むっ、本当かシドー! 目玉焼きも付けてくれるか!?」

「分かった分かった! つけてやるから!」

「約束だぞ! シドー!」

「ああ!」

 

 十香は目を輝かせ、手をブンブンと振った後にスキップをしながらマンション内へと消えていった。

 姿が見えなくなるまで手を振って見届けた士道は安堵の息を吐いたが、前に向き変えるといた妹(仮)の存在に、解けかけていた緊張の糸が一瞬で張り詰める。

 

「あの、兄様。あの人何か言いかけてませんでしたか?」

「そ、そうかぁ? そんなことないんじゃないかぁ?」

「そうでいやがりますか?」

 

 すっとぼけている士道に、真那は訝しげな表情で先程よりも士道に詰め寄る。

 

「……本当に?」

「あ、ああ」

「それならいいんですが……」

「それよりも! お前が妹ってどういうことだ!?」

 

 真那は露骨に話題を逸した士道を訝しげに見つめていたが、その問いかけももっともだと思ったのか頷いて口を開いた。

 

「証拠はこれです」

「……これは、ロケット?」

 

 真那はモゾモゾと懐から小さなロケットを取り出し、それを士道の後ろから一緒に京乃もロケットペンダントを覗き込む。

 

 ペンダントの中の写真には、楽しそうに笑い合っている幼い士道と真那の姿があった。

 

「……確かに俺、だな」

「……あの、でもこれ、この頃は五河君は多分10歳くらいですよね……? 五河君は、その頃にはもう、五河家にいたのでは……?」

 

 士道は疑問を投げかけた京乃を不思議そうに見るが、話している内容には何一つ間違いはないからと、京乃に同調する。

 

「……ああ、そうだな」

「だったら、人違いという可能性も」

「いえ、それはねーです」

 

 すぐに否定してきた真那。全く動じることのない彼女を見て、京乃は首をかしげる。

 

「……えっと、理由をお聞きしても」

「真那の勘がビビッと告げているんです!」

「えっと、でも勘ですよね……?」

「そこは兄妹の絆と言いますか! そんな感じでいやがります! 取り敢えず間違いねーです!」

「あはは、そ、そうですか……兄妹の絆ですか……」

 

 真那の圧に押されて、京乃は困ったように呟く。

 えらくガバガバの反論をされたが、当の本人がそういうのならば突っ込む必要もないだろうと引き下がった。

 だが、しかし。

 

「……んん? んんんんん?」

「……えっと、どうかなされましたか……?」

 

 真那に自分の周りを回りながら穴が空いてしまいそうな程に見つめられた京乃は、頬を赤らめながら困ったように問いかける。

 そんな京乃の表情を見て無礼に気がついたのか、真那は咳払いをした後に謝った。

 

「……これは失敬。先程から聞くのを忘れていましたが、あなたは誰でいやがりますか?」

 

 困ったように聞いてきた真那を見て、自分が驚いて十香に隠れてしまったことで自己主張して来なかったから会話に入れず、真那にも気付かれなかったのだろうと思った京乃は、会釈をしてから声を張り上げて自己紹介を始めた。

 

「はっ、はい! 私は五河君のクラスメイトの観月京乃といいます! 折紙さんとも……仲良くしてもらってます?」

 

 思わず語尾が疑問符になってしまった。

 よくよく考えてみれば京乃は折紙とそれらしい交流なんてものはよしのんを探した時以来していないのだ。

 

 しかし煮え切らない京乃の様子に気づかなかったらしい真那は、ふむと顎に手を押し当てて頷く。

 

「なるほど、あなたも兄様と鳶一一曹……ああいや、折紙さんの学友でございましたか。

 では、なぜ兄様の家に?」

 

 お義姉様の次には一曹ときた。

 ……何か折紙とごっこ遊びでもしているのだろうかと京乃は考える。

 思えば士道にもそういう時期があったし、真那もそういうお年頃なのかもしれない。

 なんにせよ、言い直しているということはあまり触れて欲しくないのだろう。ならば真那の意思を尊重しようと思い、京乃はその呼び方を無視して話を進めることにした。

 

「その、五河君には、よく料理を見てもらってて」

「料理、ですか。それでいつもこんな夜にも兄様の家に行っていると」

 

 真那に胡乱な目を向けられた京乃は目に見えて慌て、破れかぶれで的外れな言葉を発した。

 

「い、五河君の料理は凄いんですよ! こう……口からぶわーって光線が出そうな?」

「……なるほど、口から光線ですか。それは私も食べてみたいですね」

 

 何故か歳下であるはずの真那から生暖かい目を向けられて誠に遺憾だ。

 悶々としている京乃を苦笑しながら見た士道は、学校案内をしている時に観月が自分に何かを聞きかけていたことを思い出した。

 

「観月、俺に何か話があったんじゃないか?」

 

 京乃は口ごもった後、困ったように首を振る。

 

「……いえ、やっぱりいいです」

「そうか?」

「はい。五河君は、真那さんと積もる話もあると思いますし……」

 

 京乃がチラリと二人を見てから決まり悪そうに言うと、真那は苦笑しながら首を横に振る。

 

「私のことは気にせずに」

「いっ、いえ兄妹団欒の時間を邪魔するような野暮な真似は出来ません! で、ですので……今日は、その……ごゆっくり……」

 

 少し引き攣った笑顔を浮かべて、京乃は顔を下げる。

 

「観月が良いって言うならそれでいいが……もう暗いし気をつけろよ、また明日な」

「すぐ隣ですので、大丈夫……です! ……その、また……明日……」

 

 嬉しそうでいて残念そう。

 そんなどちらともつかぬ表情を浮かべてから、京乃は足早にその場を抜けた。

 

 

 

 

「兄様、彼女は……」

「言っていなかったか? 観月は隣の家に住んでいるんだ」

「……へえ、そうでいやがりますか。随分と親しそうでしたね」

「な、なんだよ。そりゃ仲良くなれればいいなとは思うが」

「兄様から天然ジゴロの気配を感じ取りました。真那は……真那は悲しいです……! これは矯正! 矯正が必要です!」

「いや、本当に何言ってんだよ」

 

 

 

 

 

 ♢

 

 その場から去ってから急いで自宅に向かい、玄関まで着くと京乃は深いため息を吐いて立ち尽くす。

 

 言えなかった。

 生き別れの妹と会ったというのならば積もる話もあるだろうし、自分なんかが邪魔していい領域ではない。……って、これもただの言い訳に過ぎないのかもしれないが。

 京乃はもう一度大きなため息を吐いてリビングに向かうと、予想だにしていなかった光景が目に飛び込んできた。

 

 風船やモールなどでやけに飾り付けられた部屋。

 ……デカデカとかけられている『京乃ちゃん、17歳の誕生日おめでとう』という文字。

 辺りを見渡して見ると、テーブルの上に置き手紙があることに気が付き、手にとって見てみる。

 

 やけに長ったらしい文章が書かれていて見づらかったが、要約すると部屋の飾り付けをしたのはおじだったようで、一枚目の手紙には祝いの言葉と直接祝えなくてごめんと長々と謝罪の言葉が書かれていた。

 どうやら最近忙しいらしい。

 別に気にしないでいいし、寧ろ会わなくて安心したと思いつつ手紙をめくり、二枚目に突入。二枚目にはあんなに小さかったのに大きくなって……と、何やらジジ臭いことが書いてあった。流し読みして三枚目をめくると、また同じような内容が書いてあったのでまためくる。

 四枚目には、プレゼント用意したよという内容が書いてあった。

 どうやら自室の部屋の前に置いてあるらしいと手紙に書いてあったので京乃が二階に向かうと、『京乃』とネームプレートの掛けてある部屋の前に漫画やゲームに出てくるようなプレゼント箱が置いてあった。

 何だろうと思いつつ赤いリボンを取って箱を開けると、中にはいつぞやおじに見せられた服のカタログで選んだ物と似たデザインの服が入っていた。

 どうやらあのカタログは、プレゼントの為だったらしい。

 

 少し納得しながら服を自室の衣装棚の中に仕舞い込み、再びリビングに戻りながら五枚目の手紙を見てみると、どうやらケーキが冷蔵庫に入っているらしいと情報を手に入れて冷蔵庫を見てみると、朝にはなかった白い箱を目にする。

 箱を開けると、ホワイトチョコのプレートと苺の乗ったホールのショートケーキが入っていた。

 美味しそうだ。美味しそうではあるが早めに食べないと腐らせてしまうだろう。

 いざとなればやけ食いでもしようかと思いながら箱を冷蔵庫の中に戻して、その後の手紙もパラパラと捲りながら読んでいた所で呼び鈴が鳴った。

 

 

 セールスか何かだろうか? 

 そう思い、誰かが聞いている訳でもないだろうが今行きますと言ってから玄関に向かって玄関の扉を開けると、そこには俯きながら所在なげに立っている緑髪の少女の姿があった。

 

「……七罪?」

 

 京乃が名前を呼ぶと、少女……七罪は地を蹴っていた足を止めて顔を上げた。

 

 七罪。

 みてくれはただの少女にしか見えないが、実は精霊と呼ばれる強大な力を持った存在だ。

 なんやかんやあって京乃と知り合い、そしてまたなんやかんやあって遊び友達と呼べる仲になった。

 京乃は最初こそ七罪を協力者としてしか見ていなかったが、波長があったのか、今では京乃にとって大切な……親友とも呼べる存在だ。

 

「こ、こんな時間に来て悪かったわね、迷惑でしょ?」

「いや、迷惑じゃないよ」

 

 基本的に休日の朝か昼頃に来るから珍しいとは思ったものの迷惑だとは思わないが、いつもと違う七罪の様子に、京乃は少し違和感を覚える。

 

「どうしたの、入らないの?」

「いっ、いや! ちがくて!」

 

 玄関前にて百面相を繰り広げた七罪は、数分の時を経た後に家の近くに落ちていた小石を拾い、それをクラッカーに変えて京乃に向けて糸を引く。

 小気味よい音を立てて破裂したクラッカーの中から、お馴染みの色紙が出てきて京乃の顔に被さった。

 

「……誕生日、おめでとう!」

「……え?」

 

 京乃は呆気に取られた表情を浮かべて動きを止める。

 しかし数十秒後にはようやく、といった感じで頭に付いた色紙を取る。

 

「今日なんでしょ? 誕生日」

「……七罪に言ったかな?」

「京乃の部屋のカレンダーに書いてあった」

「そっか……おじさんに会ったりして、聞いたって訳じゃないってことだよね?」

「え……まあ、そうだけど」

 

 確かに部屋のカレンダーに書いてしまったかもしれない。

 おじさんに会ったとしたら、七罪の場合話題を出した瞬間に嫌でも表情に出るだろう。

 そこまで考えて、京乃はようやく納得する。

 

「そっか……良かった」

「ねえ、前から気になってたんだけど、何? あんたっておじが嫌いなの?」

「おじさんのことが嫌いな訳じゃないんだよ? 

 嫌いな訳じゃないの……ひとり暮らしをしている私を気にかけてくれてるのは分かるし、頼れる人なの。それは分かるんだけど……あまり七罪には会って欲しくないなぁって」

「……?」

「五河君にも会って欲しくないけど、七罪の方が危険だから……」

「危険って!? 何が危険なの!?」

「良かった。被害に遭う七罪はいなかったんだね」

「えっ、ちょっ、想像上の私の身に何があったの!?」

「あはは」

 

 曖昧な笑みを浮かべる京乃。

 笑えば全てお茶を濁せると思えば大間違いであると、問い詰めようとする……が。

 

「お祝いありがとうね、七罪」

 

 ……幸せそうに七罪を見つめる京乃を見て、七罪は何も言えなくなってしまった。

 

 会った当初は、京乃のことを何から何まで全く持って自分とは違うやつだと思っていた七罪だったが、一緒に過ごしているうちにそれは間違っていたのだと悟った。

 京乃には何もない……いや、何もなかった。

 

 実は七罪は来禅高校の女生徒に扮して学校での京乃の様子を見に行ったことがあった。

 教室にいた京乃には親しい友と呼べるような存在はいないようで、いつも孤立していた。

 

 ……そんな彼女と、自分とを重ね合わせていたのかもしれない。

 

「べ、別に……暇だから来ただけだし」

 

 七罪は視線を逸らし、口笛を吹こうとしているようだが掠れた音が漏れるだけでなんとも物寂しい状況だ。

 

「……何にしても外は冷えるし、早く上がった方がいいよ?」

 

 昼間はじっとりと汗ばむ気温ではあるが、まだ6月の上旬で夜は冷え込む。

 七罪は小さな声でお邪魔しますと呟いた後に、家の中に入ると、先ほどまでは緊張していたせいで気付かなかったが、京乃が手に分厚い封筒を持っていることに気がついた。

 

「その手に持ってるのって……」

「あ、手紙読み途中だったな」

 

 どうやら次で最後の一枚らしく、ズラズラと手紙を締めくくる言葉が書かれていた。

 

 全てを読み終えてから無言で手紙をポケットに入れた京乃は、七罪に向き直った。

 

「何書いてあったの?」

「何でもないよ」

「えっ、いや何もないってことは」

「何でもないよ」

 

 にこにこと笑いながら京乃がそう言うと、七罪は押し黙る。

 なぜか、笑顔に圧力を感じた。

 

「そんなことよりも七罪、お腹空いてる?」

「……ん? 腹はまあまあ減ってるけど」

「そうなの? じゃあ丁度良かったかな。今日は、合いびき肉買えたから五河君の家に言ってハンバーグ作ろうと思ってたけど……真那さんとお話もあるだろうからお邪魔しちゃうだろうし……うん、じゃあオムライス作ろうかな」

 

 京乃が士道に手伝ってもらいながらも、初めて上手に作れたのがオムライスだった。

 合いびき肉を使ったオムライスと言うのも士道監修のもと作ったことがある。

 合いびき肉ならハンバーグを作ればいいじゃないかとも思うかもしれないが、正直に言うと成功したことがないのだ。

 

「京乃が、料理……? いや、五河士道に教わってるって言ってたか」

「だから良かったら食べていかない?」

「……ねえ、ひとつ聞いていい?」

「なにかな?」

「……それって人が食べられるもの?」

 

 七罪が戸惑いがちにそう聞いた。

 これでもかなり遠慮した方だったが、それを聞いた京乃は目に見えて意気消沈した。

 

「……大丈夫、大丈夫だよ。五河君にちゃんと教わったもの。ちゃんとレシピだって教えてもらったもの。この前一人で作った時もちゃんと成功したし……一回だけだけど

「えぇ……」

 

 京乃がボソリと呟いた声を聞いてしまった七罪は不安を隠せない。

 

「よしっ! 私の勇姿を見守ってて七罪!」

「……お、おお」

 

 既に不安しか感じられなかったが、口には出さない。

 

「まずは肉と玉ねぎをみじん切りします」

「う、うん……細かすぎない?」

「みじん切りだからね」

「そ、そういうもんか」

 

「フライパンにバターを溶かします」

「……」

「……」

「……バター焦げてない?」

「はっ、危なっ!」

 

 辺りに焦げ臭い香りが漂う。

 慌てた京乃は換気扇を強にして回す。

 

「き、気を取り直して……お肉を入れます」

「肉ジュースかな」

「……玉ねぎも飴色になるまで炒めます!」

「……玉ねぎ固形じゃなくなってるんだけど」

 

 見事に液体だ。

 

「はいっ! 飴色になりましたね! 次はケチャップ等々入れます!」

「いや、だから飴色どころか……」

 

 そこまで言いかけたところで七罪は京乃が半泣きになっていることに気がつく。

 玉ねぎの効果のせいだけではないだろう。

 ……こいつ、やけになってやがる。

 

「米も入れます! 混ぜます!」

「……胡椒入れ過ぎだし焦げてる焦げてるから!!」

「……はいっ! 混ぜ終わりました! ケチャップライス完成です!」

「……」

 

「次はケチャップライスの上に乗せるふわとろ卵を作ります!」

「……ふわ、とろ?」

 

 完全に両面焼きだ。

 疑問そうに呟く七罪を見てか、冷や汗をかきながら京乃はケチャップライスに卵を乗せた。

 

「つっ、次です!! 今度は七罪の分です!」

「……」

 

 今度は火力が高すぎたのか半熟どころか、本来の黄色さもなくなりどす黒くなっていた。

 

「……」

 

 京乃は形の崩れた卵の残骸をケチャップライスに乗せ、リビングのテーブルまで持っていった。

 

 

 ……。

 

「ね、ねえ、京乃」

「本当ごめんなさい七罪。コンビニのオムライスの方が美味しいですし、買いに行きましょう。コンビニは凄いのです。五河君の次に凄いのです。これらは責任持って私が食べます」

 

 京乃は七罪から目を逸らして、財布からお金を取り出そうとするが、それを見た七罪は机に置いてあるスプーンを手に取って堅焼き卵のオムライスを掬って口に運ぶ。

 

 何故か粘土のあるしょっぱい米。

 そして跡形もないものの香りと汁だけは残っている玉ねぎ。

 堅焼き卵を食べると、カラが入ってしまったのか、ガリと固いものが砕ける音がした。

 正直言って、そこまで美味しいものではなかった。

 でも……

 

「……まあ、前よりも食えるから」

 

 上達は感じた。きっと、今度は食べられる物が食べられるようになるだろう。

 

「今度、期待してるから」

「ありがとうね。頑張るよ」

 

 

 

 

 ♢

 

 

 オムライスを食べ終わった後は食器を片付けてケーキを冷蔵庫から取り出して大きな蝋燭を一本と通常サイズの蝋燭を七本ケーキに立てて火を点ける。

 部屋の電気を消してから、淡く、そして暖かくオレンジに照らされたケーキの前で雑にバースデーソングを歌って、火を吹き消す。

 電気をつけ直してからケーキを切り分けて、京乃の分と七罪の分を1つずつ皿に乗せ、いただきますと言ってから口に運ぶ。

 

「美味しいね」

「うん」

 

 口いっぱいに広がるバースデーケーキの甘みは、オムライスを食べた京乃達を優しく頑張ったねと励ましてくれているようだった。

 

「……本当、美味しいね」

「……」

 

 京乃の言葉を聞きながら、最後のひとかけらを食べる。

 なんでだろうか、少し泣きたくなった。

 

 

 

 まだ残っている分を冷蔵庫に仕舞ってきた京乃に、七罪は勇気を出して話かける。

 

「……何か私に頼みたいこととかある?」

「えっ、何でもいいの?」

「……げっ、何でもは駄目だかんね!?」

 

 キラキラと目を輝かせる京乃を見て、七罪は慌てて訂正する。

 そんな七罪の様子を見てか、京乃は無茶なお願いはしないよと言ってにっこりと笑う。

 

「今度学校が創立記念日で休みで、七罪さえよければ一緒に出かけてもいいかなぁって」

「なんだ、そんなこと……大丈夫だとは思うし、来れるようにしとくわ」

 

 一緒に出かける時までずっとこっち側にいれば良いかもしれないが、ASTに見つかってしまっても面倒くさいし、京乃に迷惑がかかってしまうだろう。

 実際に来れるかなんてもんは分からないが、そんなことを口に出してしまっては京乃を不安にさせてしまうだろう。

 そう思って七罪が京乃の頼みに頷くと、京乃は嬉しそうに笑った。

 

「七罪、ありがとうね。」

 

「あのね、実はもうひとつお願いしたいことがあって……」

「……今度は何?」

「一緒に寝ない?」

 

 一緒に寝る。

 

 その言葉を京乃が放った瞬間、時が止まったように部屋の中は静まり返った。

 しかし、数秒後には七罪がぷるぷると震え始め、そして噴火した。いや、顔を真っ赤にした七罪が咆えた。

 

「ばっかじゃないの!? 何で! 私が! あんたと寝なきゃいけないのよ!?」

 

 そもそも誰かと寝るなんて行動は夜に怖くなった子供が母親に助けを求めるくらいしかとらないものだろう。

 七罪は自分のことをちんちくりんであるとは思っているが、そんな未就学児並みの行動をしようとは思えない。

 一緒に寝るというのがアッチ方面の可能性もあると言うのも一瞬考えはしたが、京乃は士道を好いているのであって七罪をどうにかしようとは思っていないだろうし……

 

 ……いや、どういう意味にせよ、恥ずかしいものは恥ずかしい。無理無理と即座に七罪は首を横に振る。

 

「……そっか、ごめん迷惑だよね」

「……えっ」

 

 そんなに早く引き下がられるとは思わずに、京乃を見上げる。

 

「……七罪が嫌なら私は一人で寝るね……」

 

 迷惑な訳ではないし、嫌……という訳でもない。

 ただ、一緒に寝るのが恥ずかしいだけだ。

 なのに、そんな悲しそうな顔をされてはこちらが悪者みたいではないか。

 

「いっ、いや京乃がどうしてもって言うなら一緒に寝てあげてもいいけど」

「どうしても七罪と寝たいな。……駄目、かな?」

 

 泣きそうな表情の京乃の頼みを聞いて、七罪は言葉を詰まらせた。

 

「くっそ! そうやって五河士道とやらも色仕掛けで落としやがれ! 女狐め!」

「……よく分からないけど、褒め言葉なのかな?」

「ちげーし! 褒め言葉じゃねーし! 

 いいわ! 寝てやんよ! 文句ないでしょ!?」

 

 七罪が一緒に寝ても良いと言うと、京乃の先程までの陰りが一転して嬉しそうな表情へと変わる。

 

「ありがとう、あと風呂であらいっこしようね!」

 

 至って自然な流れでそう言われて頷きかけた七罪だったが、その言葉の意味を咀嚼するとひたりと動きを止める。

 

「……京乃はさ、私が絶対に嫌だって言ったことはやらないよね」

「……? うん、七罪が嫌がることは絶対しないよ」

「……言ったな?」

「う、うん」

「……嫌なんだけど」

「……え?」

「あ、あらいっことか……嫌なんだけど」

 

 少しの間の静寂の後、京乃は慌てたような声をあげる。

 

「……えっ、ほ、本当なの七罪……駄目? 嫌?」

「嫌」

「あ、あらいっこって日本の伝統だよ? 駄目なの? ほ、本当に駄目?」

 

 オロオロと困惑している京乃を見て、七罪は自分が何故京乃と一緒に風呂に入りたくないのか考える。

 自分は精霊と人間に呼ばれている存在で、そもそも汚れが蓄積しないから自分の体を洗う必要がないのだ。

 その時点で七罪が風呂に入る意味はない。

 ……そして見立てによると京乃は同世代の女よりも胸がでかい。

 それに比べて七罪は……

 

「そ、そんなこと言ってると一緒に寝ないし出かけないから!」

「ご、ごめん、嫌なもんは嫌なんだよね。分かった。……気が向いたら今度はあらいっこしようね?」

「誰がするかっ!」

 

 京乃はつーんと顔を背けた七罪を見つめ、取りつく島もないと悟ったのか苦笑してから風呂場へと向かった。

 それを見届けた七罪は、恐る恐る自身の胸に手を当てて長い息を吐いた。

 

 

 

 ♢

 

 風呂からあがった京乃は、日記を書いたり、七罪と談笑をしたり、クイズ番組を見たりしながら一日を過ごした。

 そして明日に響くと困るからもう寝ようと言うことで、クローゼットの中から七罪用の枕を取り出して、部屋の電気を消してから二人で布団に入ると、ベッドが少しぎしりと音を立てる。

 

「……狭いね」

「……まあ、許容範囲内……?」

 

 二人用としては狭いが、二人とも小柄なので場所はそんなに取らない。

 

「おやすみ、七罪」

「……おやすみ、京乃」

 

 

 

 ……、……。

 

 数十分後。

 中々眠れない七罪をさておいて、京乃はすうすうと寝息を立てながら寝ている。

 

 気持ちよさそうに眠っている京乃を羨ましく思いながら、七罪は京乃に寝返りを打って背を向けるが、やはり眠れない。

 目は覚めていく一方だ。

 喉も渇いたし、気分転換に水でも飲みに行こうと思い、京乃を起こさないように静かにベッドから降りて、台所でコップに水を注いで一気飲みすると、カラカラに渇いた喉に水が染み渡り、それと同時にあることを思い出す。

 

 

 

 

 

 することを終えて、ベッドに潜り直してから数分、七罪は誰かに……いや、京乃に抱き枕のように抱きつかれた。

 慌てて振りほどこうとするも、圧迫はされてないものの、その細い腕にあるとは思えないほどの馬鹿力で抱かれているせいで振りほどけない。

 

「ちょ……京乃……」

「……士道くんメイド服も似合うんだね……かわいい……」

 

 七罪に抱きついてきた京乃は、ふにゃりとした笑顔を浮かべている。

 いったいどんな夢を見ているのやら。呆れれば良いのか、羨めばいいのか。そんなことを考えながら抵抗を諦め、七罪は隣から漂う良い匂いにドキマギしながら目を瞑った。

 

 

 

 

 ♢

 

 京乃が朝起きた時にはもう七罪がいなくなっていたが、別にそれはいつものことだと思い、身支度をしようとベッドから降りて、勉強机に置いてある日記帳を取ろうと思ったら、そのすぐそばに手紙のようなものが置いてあるのが見えた。

 確か家にあったものだが使った覚えはない。

 はて、なんだろうと首を傾げて手に取ると、“京乃へ”と封に書かれている。

 字はお世辞にも上手いとは言えないものの、丁寧に書こうとしているのが見て取れた。

 見たことのない筆跡だが、書いた人物には予想がつく。

 封をゆっくりと開けると、一枚の手紙が入っていた。

 

 そんなに長い内容でもないが、いつもはぶっきらぼうな彼女が一所懸命書いたのを想像すると沸々と湧き上がってくるものがある。

 

 ……宝物にしよう。

 即決した京乃は手紙を日記帳の中に入れてスクールバッグの中に大切に仕舞った。



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狂三キラー 二日目

 五河家に拾われて暫く経った頃のこと。

 絶対的な存在だと信じていた親から捨てられたことで俺は絶望していた。

 五河家の父さんも母さんも俺によくしてくれていたが、それでも心の傷は完全に癒えることなく、俺は脱力感に苛まれながら暮らしていた。

 そんな時、俺はあいつに出会ったんだ。

 

 

 

 

「どうしたの? どうしてきみはひとりなの」

 

 家の近くの公園のベンチに座っていると、幼い声音で問いかけられた。

 声がする方に目をやると、そこには愛らしい少女が笑みを浮かべていた。

 はたからみれば、年相応の少女なのだが……俺はそんな少女にどこか違和感を覚えた。

 ただ少しの綻び。

 人の感情に敏感になっていた俺だったから気付いたのだろう違和感。

 ただ、そんな些細な違和感なんて今の俺にはどうでもいいことだった。

 

「どうしてきみはベンチでつまんなそうにしてるの? わたしとおはなししよーよ。いまならあめもあげるよ?」

 

 何で笑っているのか聞こうとして……やめた。

 駄目なんだ。喋ってしまえば、今後も関わる羽目になるかもしれない。

 どうせ、今日一日だけしか関わることのないやつだし、それならば、関わらない方がマシだ。……もう人に裏切られたくない。

 固く口を閉じる俺を見ても、少女は笑顔を浮かべるだけでこの場から動こうとしない。

 

 いったい何が楽しくて笑っているのか。あっちに行ってくれと彼女に視線を送るが、彼女は一向に気にしない。そればかりか、空いている隣の席に座ってきた。

 

「ねえ、きみはどこからきたの?  わたしはとなりまちからきたの。いえのちかくのこうえんもすきだけど、ここもすきだな」

「……」

 

 隣町なら滅多に来ないだろうと思いながらも、本当に楽しそうに話す彼女に対して、俺は口を開かない。

 そんな俺を見てか、さっきよりもちょっと困ったような顔をした少女は言葉を続けようとした。

 

「もうそろそろ帰るよ」

 

 少女の名前らしきものを呼ぶ大人の声がしたことが理由か、少女の一方的な会話は途切れることとなった。

 

「あれ、もうそんなじかんなんだ……」

 

 少ししゅんとした調子で、少女は呟く。

 

「ごめん、もうかえるじかんみたい。きょうはもうあえないけど、またこんどね」

 

 嬉しそうに大きく手を振って、少女は母親らしき人の元へと走っていった。

 今度も何も、こんなにもシカトし続けたのだからもう会いに来ないだろう。

 

 ……そう思って最後まで喋ることもなく、母親と帰る少女を目だけで追った。

 そろそろ、俺も帰る時間なのかと思いながら。

 

 

 

 その日だけと思っていた少女は、不思議なことに次の日も、その次の日も……毎日公園に来た。

 ……あんなに、嫌だという視線を送ったのを意にも介さずにだ。

 

「ここってゆうひみえるかな……? いえのちかくのこうえんはすっごくきれいにみえるんだ。いつかきみにもみせてあげたいな」

 

 そう言って、少女は今度遊びにおいでよと笑う。

 だが、俺は口を開かない。

 そうなると、決まって少女は悲しそうな顔をするのだ。そんな顔をするくらいなら、会いに来なければいいのにな。

 何だか心がむず痒くなるのを感じていると、少女がどこかへと走り去っていった。

 

「あ……」

 

 遠くなっていく少女を見て、呼び止めそうになってしまった。

 寂しい。

 何故だかそう感じてしまったのだ。自分でも湧くことがないと思っていた感情に困惑していると、軽い足音が聞こえてきて目の前で止まった。

 

「はな、あげる」

「……?」

 

 突然の言葉に思わず顔を上げると、そこには微笑んで花束を抱えている少女の姿があった。

 

「あ、やっとはんのうしてくれたね。じつはわたしのこと、みえてないんじゃないかってしんぱいしてたんだよ」

 

 ほっとしたという気持ちを示すように胸を撫で下ろした少女を見て、内心複雑になるのを感じた。

 

 この少女は、俺がどんなに無視をしようと睨めつけても俺から離れることはない。

 それはもう、分かっていることなんだ。

 だからもう喋っても良いかと思い、俺はいつの間にか重たくなっていた口を開けた。

 

「……なに、それ」

 

 少女が持っているのは青や紫色などの鮮やかな色の花の束だったが、それらにはあまり見覚えがなかったから問いかけると、少女はぴくりと眉を動かした。

 ……そういえば、少女に声を発したのは、これが初めてのことだったかもしれない。

 

「これはね、りんどうのおはな。きれいだなっておもって、きょうおかあさんにかってもらったの。

 ……あ、そうだ。きみもちょっともらってくれないかな? わたしは、きみとともだちになりたいんだ。だから、そのいっぽとして」

「とも……だち」

 

 少女は俺の言葉に対して、ぶんぶんと頭を縦に振る。

 友達。

 その響きに、心の中にじんわりと暖かいものが広がっていくのを感じる。

 俺は今まで友達と言ってくれる存在に出会ったことがなかった。

 ……とはいえ、それは仕方のないことなのだが。

 俺の方から周りを拒絶し続けたのだ。

 そんなことを言ってくる少女が異端なだけだ。

 

「そうそう。はいどうぞ」

 

 にっこりとして、少女は青色のリンドウの花を一房手渡してきた。

 

「……ありがと」

 

 俺がボソリと呟くと、少女は嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔にどれほど救われたことか、そしてこれから救われることになるのか、多分彼女は知らないのだろう。

 

 

 

 ♢

 

 

 

「おお、京乃! 機嫌良さそうだな!」

「と、十香ちゃん、おはようございます。……実は良いことがあったんです」

「むっ……何があったのだ!?」

「え、えっと……それは、ですね……」

 

 教室の窓越しの陽気に当てられて船を漕いでいた時、十香の声と観月の声が聴こえてきて目を開ける。

 まだ朝のホームルーム前で気が緩んでいたのかもしれないが、狂三の攻略をしないといけないのにこんな調子では琴里に怒られてしまうだろう。

 気を入れ直して声の方に顔を向けると、十香が言う通り、観月はどこか嬉しそうに見えた。

 その理由と言うのも少し気になりはしたが、観月は言葉に詰まった後に十香の耳元に手を当てて、何事かを呟いた為に、内容が俺の席まで聞こえて来ることはなかった。

 

「むっ、本当か京乃! それはおめでとうなのだ!」

 

 内容が聞こえてくることはなかったが、その十香の反応で観月にとって喜ばしいことがあったのだと悟った。

 

「……あ、ありがとうございます。……本当嬉しかったんです、あの子から何かを貰ったのは初めて、でしたから。手紙、凄く嬉しかったんです」

「うむ、京乃の気持ちはとても分かるぞ。私もシドーにゲェムセンター? で、パンダローネすとらっぷを貰ったのは、とても嬉しかったからな!」

 

 共感してもらえて嬉しかったのか頬を赤らめていた観月だったが、ストラップの話を十香がした瞬間に驚愕の表情で声を荒らげた。

 

「い、五河君から貰った……!?」

「うむ、お揃いだ!」

「……お、おそろ……!?」

 

 再度驚愕の表情を浮かべている観月。

 何をそんなに驚いているのだろうか? 

 ……自分の中で考えを纏めると、一つ考えが思いついた。

 多分あれだ、観月はきっとパンダローネのことが好きなのだろう。

 ただ、殿町が言うには、ゲーセンでのパンダローネの配置はとてもシビアらしく、取ることが出来なかったらしいし、もしかしたら観月も取ろうとしたが取れなくて、俺らが持っているのが羨ましかったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、折紙が席を立って十香と京乃の間に入ってきた。

 

「同志。士道にストラップを渡したのは私。夜刀神十香が嘘をついているのは明白」

「折紙さんも、すとらっぷ……」

 

 折紙は携帯を取り出し、ついているストラップを観月に見せる。

 するとそこにはノーマルカラーのパンダローネが付いていた。

 ……いや、折紙。同志ってなんだ。

 

「な、なんだとう!? か、仮にそれが本当だったとしても、私は! シドーに! このすとらっぷを! 取ってもらったのだ!!」

「妄想も大概にすべき」

「妄想ではない! ほら、ここに証拠があるではないか!」

 

 折紙に対抗するためにか、十香も携帯につけていたネガカラーのパンダローネを折紙に見せつけた。

 

「自分で取ったものを士道から貰ったと思うなんて、可哀想なひと」

「……な、な……なにおう!! 嘘をついているのは貴様だろう!?」

「あなたの方」

 

 十香が掴みかかる勢いで話しているのに対して、折紙は涼やかな表情で言い返している。

 どうやらいつものように戦いが白熱してきたようだ。

 

「……」

 

 争いごとから抜け出したかったからか、観月はするりと危険地帯から抜け出した。

 手慣れた様子であるのは、いつも経験している出来事だからだろうか? 

 

「お、おはよう、観月」

「い、五河君……!?」

 

 声をかけると観月の体は驚くほどに飛び跳ね、またしても驚愕したように俺の名前を呼び、そして俺の携帯をジロジロと見た。

 ……そこには、レッドカラーのパンダローネがいた。

 

「パンダローネ、欲しかったのか?」

「……!? ほ、欲しいと言えば欲しいですがそうではなく……!」

 

 どうやら、殿町の言っていた女子に大人気というのは間違いでもないのかもしれなかった。

 ただ、観月が言いたかったのは、本当にそう言うことではなかったらしく、慌てたように左右を見渡した後に俺の耳元に小声で話しかけてきた。

 

「おはようございます。あの、真那さんとはその……」

「真那か」 

 

 そっか、確かに昨日あんなことがあったのだから気になるのも当然だろう。

 そう思い、俺も観月にあわせて声を小さくして昨日会ったことを話す。

 

「琴里……妹と三人で話し合ってな。真那も、別の所でよろしくやっているらしいから……まあ、これまでと変わらないな」

「五河君がどっかに行っちゃう訳じゃないんですね。よ、良かった……」

 

 ほっとしたような表情を見て、俺は昨日の出来事を思い出す。

 

「なあ、結局観月の昨日言いたかったことって」

「……あ、それは……もう、解決したから大丈夫……です。その、わざわざ聞いてしまって、すみません……でした」

「そうか、なら良かった」

 

 観月の顔も荷が降りたと言うように晴れやかになっていたが、俺はそんな彼女とは対称的に歯車がうまく噛み合っていないような、そんな違和感を感じた。

 昨日は、大切な日だったような気がする。

 ……とは言っても、思い出せないのだが。

 何とか内容を思い出そうとしている内に朝のホームルームの時間を示す鐘がなり出してしまった。

 

「あ、あの……い、五河君、時間ですしその……」

「ああ、またな」

「は、はいぃ……」

 

 観月は少し情けない声を出して、へっぴり腰になりながら自席へと戻っていった。

 それを微笑ましいような申し訳ないような気持ちで見守っていると、観月が不思議そうに右隣の席を見ていることに気がついた。それを見て、俺は眉をひそめた。

 登校二日目にして、そこには狂三の姿がなかったのだ。

 

「あれ、狂三は」

「──時崎狂三は、もう、学校に来ない」

「それって……」

 

 折紙の言葉の真意をさぐろうと問いかけたとき、前方の扉が開いて狂三が教室に入ってきた。

 

「時崎さん、遅れるなら連絡を下さい」

 

 担任のたまちゃんが狂三に言うと、狂三は申し訳ないという顔で頭を下げた。

 

「すみません、登校中に体調が悪くなってしまいまして……」

「大丈夫ですか? まだ悪いようでしたら、保健室に案内しましょうか?」

「いえ、もう大丈夫ですわ。お騒がせしました」

 

 もう一度頭を下げた狂三は、俺の席を通り過ぎて自分の席へと着いた。

 

「ふふ、京乃さんはわたくしがいなくて寂しかったですの?」

「そんなことないです」

「……あらあら」

 

 後ろからそんな会話が聴こえてきた。

 基本的に同級生の誰と接する時にでも緊張してか声が詰まっている観月だが、狂三と話している時には棘はあるものの全く声を強ばりは感じられない。

 

 警戒心は強く感じられるが……

 いや待て、何で観月は狂三に警戒心を抱いているんだ? 

 

 それにさっき意味深なことを呟いていた折紙も、狂三のことを見て、信じられないものを見たとでも言いたそうな顔をしているような気がした。

 

 そのことに少しばかりの疑問を抱いている内に、朝のホームルームが終わり、そして俺の鞄から軽快な音が流れ出した。慌てて鞄に入っていた携帯を取り出して見ると、琴里からの電話だったようだ。

 

「琴里? 後10秒早かったら携帯没収されてたぞ」

『あら、携帯はマナーモードにしておくんじゃなかったかしら。優秀なお兄ちゃんにそう言われた気がするんだけど』

「うぐっ」

 

 俺が言葉に詰まると、我が妹様は鼻で笑った。

 確かに、俺が前に琴里に電話をかけてきた時に同じ旨のことを言った。似た同士ってことだろうか。

 これはこの前の意趣返しなんだろう。

 

「用はなんだ?」

 

 俺が話題を転換させたくてそう言うと、琴里の声音は先程のからかいじみたものから一転して、落ち着いたものへと変わる。

 

『……士道、落ち着いて聞きなさい。大変なことになったわ。最悪な事態よ』

「最悪な事態?」

『まさかあんなことが起こるなんて思わなかったわ』

「だから何だって」

「士道さん」

「うおっ……!」

 

 勿体つけたような琴里に痺れを切らして急かそうとした時、誰かに肩をトントンと突かれた感覚がした。

 驚いて振り返ると、狂三が微笑んでこちらを見ていた。

 

「何をなされていますの?」

「……すまん、今電話中なんだ」

「あら、そうでしたの。それは失礼いたしましたわ」

 

 ぺこりとお辞儀をして、狂三は自分の席へと戻っていった。

 それを見届け、琴里の電話の続きを聞こうとする。

 

「それで琴里、何があったんだ……?」

『士道……今のは誰?』

「……え? 狂三だけど」

『は? 本当に、本当に時崎狂三なの?』

「何で俺がこんな嘘つく必要があるんだよ」

 

 何でそんなことを聞くのかと言おうとした時、電話越しに息を呑み込むような音が伝わってきた。

 

『……士道、昼休みに物理準備室に来なさい。見せたい物があるの』

 

 有無を許さない声音を聞いて、俺はごくりと唾を飲む。

 

 ──そこで俺は、ASTと似た装備を身に纏った真那に、一方的になぶり殺される狂三の姿を目にすることになる。

 

 だからこそ俺は、これ以上狂三が殺されることがないように……彼女とデートして、デレさせることを決意した。

 

 

 

 ♢

 

 士道が十香と昼ご飯を食べるのを断ってどこかに行き、そして折紙が狂三を連れてどこかに行ったのを見て数十分経った後、京乃は書いていたノートを閉じて席を立ち上がる。行き先は、先程から机に置かれた昼飯を食べずに俯いている十香の所だ。

 

「十香ちゃん、あの……大丈夫、ですか?」

「……むう、京乃か」

 

 そう言う十香の声には、いつものような元気がない。

 

「ちゃ、ちゃんと食べないと……元気も出なくなっちゃいますよ」

「分かっている、分かっているのだが……シドーと一緒に食べないと、昼餉を美味しく感じられないのだ……」

「十香ちゃん……」

 

 いつも元気な十香が落ち込んでいるのを見ると、京乃だって悲しくなってしまう。だから十香を慰めようと言葉を探している京乃だったが、唐突に肩を震わせて顔を青ざめさせる。

 

「……ひっ! すみません十香ちゃん! 私はここらへんでお(いとま)しますっ! 良かったらこれどうぞ!!」

「あっ、おい京乃……」

「すみません……!」

 

 持っていたきな粉パン2個を十香の机の上に置いた京乃は、十香の制止を振り切り駆けて足気味に自席へと向かう。

 そして慌ただしく音を立てて席に着くと同時に教室の扉が開き、3人の女生徒達が入ってきて十香の席へとやってきた。

 亜衣、舞衣、美衣のトリオだ。

 

「やっはろー! 十香ちゃんお昼食べてないの?」

「どしたの? 元気ないね十香ちゃん」

「まさか十香ちゃんに不貞を働く輩が!?」

 

 それぞれ大きな声を出しながらオーバーなリアクションを取っていると周囲のクラスメイトもざわついたが、騒いでいるのが一人称トリオだと気がつくとすぐに雑談に戻った。

 この光景は別に目新しいという訳でもない、日常の光景だからだろう。

 だが、十香の落ち込んでいる理由が気になるのか、何人かの生徒は聞き耳を立てている。

 

「ち、違うのだ! ただ、シドーを待っているだけで……」

 

 あわわとしながら状況を説明している十香を、京乃は昼飯用のゼリー飲料で栄養を補給しながら、遠巻きに眺める。

 

 京乃はあの三人組のことが苦手である。

 別に何をされたかと言われると何をされた訳でもない……いや、一年の初めの頃に質問攻めにされたことがあったのでそれはトラウマになりかけているがそれはともかく。

 京乃はあの三人のきゃぴきゃぴとしている姿を見ると、思わず目を背けたくなってしまうのだ。

 

 良い人達であるとは思う。だから京乃自身もこうやって避けてしまう理由は分からないが、多分根っから苦手なタイプだからだろうと自分の中で結論づけているし、多分間違っていないと思っている。

 

 また教室の扉が開いて誰かが入ってくる。

 今度は、折紙に連れられていった狂三だった。

 

「……時崎さん」

「はい、なんでしょうか?」

「折紙さんと一緒じゃないんですか?」

「さて、後から来ると思いますわ」

 

 惚けるようにそう言った狂三は自分の席に着き、隣にいる京乃の顔をジロジロを眺めた。

 観察するような視線に、とうとう耐えきれなくなった京乃は口を開く。

 

「あの、何か用ですか?」

「ええ、京乃さんに聞きたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」

 

 狂三がそう問いかけてきた直後に、教室の扉がガラリと開いて折紙が教室に入ってきた。

 教室中を見渡した折紙は、狂三が京乃に話しかけようとしていることに気がついたのか、京乃達の席の側にやって来た。

 

「時崎狂三、何をしようとしているの」

 

 折紙が少し眉を潜めて問いかける。

 ただそれだけの、いつも通りの平坦で抑揚の感じられない声なのに、京乃にとっては周りの温度が1、2度下がったように感じられた。

 

「何……ですか。わたくしは、ただ京乃さんに聞きたいことがあっただけなのですが……」

 

 狂三はきょとりと瞬きをした後に、にこりと微笑んで頭を下げる。

 

「ふふっ、分かりましたわ。では京乃さん、この話はまた後日」

「……? は、はい」

 

 何も理解出来ないままに狂三の言葉に頷いた京乃。

 折紙は二人の会話が途切れたことで興味を失ったのか、すぐに自分の席に戻った。京乃はそれを見送った後に、小声で狂三に話かけた。

 

「あの、折紙さんと何かあったんですか?」

「京乃さんは、知らないほうがよろしいのではないかと」

 

 微笑を浮かべながらも、断固として京乃には情報を漏らす気はないらしい狂三。

 だが、またしても体に穴が空いてしまいそうな程に見つめられた京乃は困ったように口をひらく。

 

「あの……やっぱり何かあるんですか?」

「いえ、何でもありませんわ」

「そうですか」

 

 何かしらあるのならば教えてもらいたいものだが、先程の折紙のこともあるし、無理に聞き出すのは良くないだろう。

 それに……狂三からのお話というのが怖いから、と言うのもある。

 

 どこか鬱々としてきた気持ちを変える為に、そして狂三の視線からひとまず逃げる為に京乃が席から立ち上がると、狂三に首をかしげられる。

 

「あら、予鈴が近いですが、どちらに行かれますの?」

「……お手洗いに」

「あら、そうでしたの。こんなことをお聞きしてしまって……」

「いえ、お気になさらず」

 

 狂三の言葉に首を横に振って、足早に教室を後にする。

 

 廊下に出た後に、目的もなく教室を出てしまったことを思い出した。

 とりあえず顔でも洗おうと思った時、曲がり角から現れた人物を見て、京乃は胸が跳ねるような高鳴りを感じた。

 五河士道。

 京乃の最愛の人。

 ただ……彼の纏う雰囲気は、何故か先程までと違うように感じられた。

 

「……あの、五河君」

「な、何だ? ……って観月か」

 

 誰かに呼び止められるとは思わなかったからか、士道は困惑したような調子で言葉に応じた。

 

「どうか、なされたんですか? 少し顔色が悪いですよ?」

「何でもない……何でもないんだ」

 

 士道は、真剣な顔で前を見据えていた。

 

「もうそろそろ授業始まるし、また後でな」

「……はい、また後で」

 

 京乃は、彼の姿が見えなくなるまで見送った。

 そして火照った顔を冷やす為にトイレ前まで行き、水道の水を掬って顔中を濡らすと、ぽたりぽたりと、水滴が落ちていった。

 

 士道は何かを目標として歩んでいるような気がする。

 それに比べて、自分は何なのだろうかと京乃は思案する。

 京乃は彼の、士道のことが大好きだ。

 だから彼が幸せでいられるように、見守っていたい。

 

 でも、それ以外は自分がしたいこともしなければならないことも何も思いつかない。

 

 まるで自分だけ時が止まってしまったのではないかと、そんな風に思えてしまう。

 自分一人だけが、全く変わっていないような感覚。

 そういえば、昔もそんなものを感じていたような気がする。

 

「……」

 

 でも、それでいいのかもしれない。

 自分が他にしたいことなんて言うのは、時が経てば自然と分かってくるだろう。

 だから、それまでは……あの優しい少年の行く末を見守り、必要とあらば手助けしていたいと、京乃はそう思うのだ。

 

 スカートのポケットから白いレースのハンカチを取り出して顔を拭っていると、授業開始を示す鐘が鳴り出した。

 それを聞いた京乃は慌てて教室へと向かうこととなり、改めて決意表明をした割には少し締まらない形となってしまった。



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狂三キラー 3日目(上)

 あの後、午後の授業を少し眠たいながらに何とか意識を保ったまま終えることが出来た。

 それが昨日のこと。今日は……

 

「おはよう、七罪」

「……おはよ」

 

 呼び鈴を鳴らしてきた七罪を玄関に招き入れて挨拶をすると、彼女は眠いのか、少しばかり目を細めて挨拶を返してくれた。

 

 今日は七罪と出かけると約束をした当日だ。

 一昨日も昨日も気疲れしてしまうことも多かったが、今日を思えばなんとか乗り越えることが出来た。

 自分から十香ちゃんに話しかけることが出来たし、時崎狂三にずっと見られていて胃に穴が空きそうになっても、何とか耐えることが出来たのだ。

 

「……? その服初めて見たような。あまりそういうの着ない気がするけど」

「あー、おじさんが買ってくれたの。誕生日祝いらしい」

「へぇ、そう」

 

 七罪に尋ねられ、改めて今日着ている服を見返した。

 膝くらいまでの長さの黒を基調とした長袖のワンピースで、胸部と裾は白いフリルであしらわれている。

 七罪の言う通り、正直中々買わないタイプの服ではあるのだが、確かその頃、五河君がメイド服を好きだと言っていたから、メイド服に似ている服を欲しがっているのではなかっただろうか。

 流石にメイド服を欲しいと言う勇気はなかったのだ。

 

 

 対して、七罪の装いを改めて見てみる。

 

「ちょっと、その格好は……」

「……目立つ?」

「……かなり」

 

 七罪の言葉に、苦笑して頷く。

 

 家の中であればどんな格好でも構わないと思うが、お出かけに行くとなると話は別だと思う。

 今の七罪の装いは、いわばハロウィンの時によく見る……魔女の仮装のようなものだ。

 今はハロウィンの時期には程遠い初夏の候。

 七罪の格好では目立って仕方がないだろうし、あまり目立ちたくない私としては出来れば違う服装に変わって欲しかった。

 

「……まあ、そうよね。正直私もそうだと思ってたわ」

 

 予想に反して、あっけらかんと告げた七罪に服を貸そうかと言おうとした時、彼女の身体が光の粒子のようなものに包まれた。

 そしてその一瞬後にはその粒子も消え失せて、私が今着ている服と同じような黒いワンピースを着た七罪が現れた。

 

「まあ、これでいいでしょ」

「……う、うん」

 

 どうやら貸すまでもなかったらしい。

 便利な能力だなと感嘆したが、少し自分で服を選んであげたいとも思っていたので気落ちもした。

 ……まあ、時間がかからないならそれに越したことはないだろう。それに、これはこれでペアルック? みたいで良いのではないだろうか。

 そう思い直し、鞄を肩にかける。

 

「どこに行くの?」

 

 七罪にそう問いかけられて、少し考える。

 最近熱くなってきたからプールに行くのはどうだろうかとか、遊園地に行って遊び尽くすとはどうだろうかと考えはしたが、一番良いのは多分……

 

「……天宮クインテットかな?」

「どこよ、そこ」

「凄いんだよ、映画館とかあったり水族館もあったり……あとショッピングモールもあるから、やることに困りはしないと思うんだ」

「ふーん」

 

 空返事を返している七罪は、そわそわと落ち着かない様子だ。

 そういえば七罪とは家で遊んだりテレビを見るだけで、外に出かけることはなかったかもしれない。

 私自身遊びに出かけると疲れてしまうということもあり、やんわりと避けてはいたが……七罪も楽しみとあれば、私もめいいっぱい楽しもう。

 そしてその気持ちが伝わってくれれば、きっと七罪にとっても幸せな一日にすることが出来るだろうと思う。

 

「七罪は行きたい所とかある? 別に七罪が行きたいところがあるんなら、私はそこがいいな」

「京乃の誕生日祝いじゃない。私が行きたいところに行ってどうすんのよ」

「七罪が行きたいところが私の行きたい所だよ」

「……特に行きたいとこなんてないからそこでいい。でも、ちょっと京乃に聞きたいことがあったのよ」

 

 第一候補がそこというだけであって、凄い七罪が行きたい所があるなら、そこを第一にして考えたいと思う。

 そう思って言ったのだが、それを聞いた七罪は少し拗ねたような声音でどこでもいいと言ってきた。

 

「その、私ね。前からずっと考えてきたことがあって」

「うん」

 

 言いづらそうにしている七罪を見て、ゆっくりで良いと言って続きを促した。

 その言葉が最後のひと押しとなったのか、七罪は決意したように口を開いた。

 

「私も、京乃みたいに……」

 

 だけど、切羽詰まったような表情で告げられた言葉を上手く聞き取ることが出来ずに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、もう一回言ってもらうように頼むことにした。

 

「ごめん七罪。ちょっと聞き取れなかった。もう一回言ってもらっていいかな?」

「あー、うん、そうね。私の声が小さかっただけだもの、京乃が謝る必要はないわ」

 

 少し困ったように眉を下げた七罪は、言いたい言葉を頭の中で纏めているのか、そっぽを向いてひとしきり唸った後に私の顔を見上げた。

 

「あのね、京乃ってお洒落とかにも気を遣っているわよね」

 

 七罪の言葉を聞いて、そうだっただろうかと首を傾げた。そんな気を使ってはいない筈だ。

 好きなもので構成されているだけで何の面白みもない。

 でも、そんな服を見て気を遣っていると言ってくれるなら、似合っているってことなのだろうか? 

 遠回しな褒め言葉に少し嬉しくなった。

 

「……まあ、馬子にも衣装って言うから。五河君には少しでも見られる姿で会いたいから」

 

 私がそう言うと、七罪はジト目でこちらを見てきた。

 

「な、何? どうしたの?」

「いや、何でもない。馬子にも衣装って言うなら、私にも適応されないかと思って」

「つまり」

「少しでもかわ……じゃなくて、えっと……見れる見た目になりたいと言うか。服とか、その……」

 

 ぼそぼそと何事かを呟いている七罪。

 きっと、まだ言いたいことが纏まっていないのだろう。

 だいたいは理解出来たから、これ以上彼女を困らせないように、笑みを浮かべて口を開く。

 

「うん、七罪の言いたいこと分かったよ。……ちょっとごめんね」

 

 少し考え込んだ後に、七罪の頬に触れる。

 人差し指で頬をつんつんと突いたりしていると、七罪に心底驚かれたような声を上げられた。

 

「な、なな……何?」

「……顔は取り敢えずは下地整えとけば大丈夫だと思う」

「下地?」

「うん、あとはちょちょいのちょいで」

「ちょちょいのちょい?」

「七罪元々の顔が良いもの。それを崩すのは勿体無い」

「へ、へえ……」

 

 辟易としているように見える七罪の髪を見てみる。

 エメラルド色の髪は磨けば綺麗になるだろうが、今は伸びきってしまっているし、枝毛だらけで傷んでいる。

 ここから取り戻すのは無理だろうし、最低でも毛先を整えるくらいはしておいた方が良いだろう。

 

「シャンプーとかリンスもちゃんとしたの使った方が良いよ。……整えたりはするようにしてるけど、正直、まだちょっとボサボサかも」

「ぼっ、ぼさ……!」

 

 ガーンと効果音が付きそうな表情を浮かべ、七罪は髪を両手で押さえた。

 

「結構伸びきっちゃってるし、切るべきかな。私が切ってあげるべきなんだろうけど、そう言うの詳しくなくて……ちゃんとした人に切ってもらうべきだよね」

「へ、へえ、そう」

 

 七罪が相槌を打ちながら自分の髪を触っていると、髪が絡まったのか指が突っかかっていた。

 痛そうだったので、バックからブラシを取り出して渡すと、小さな声でお礼を言われた。

 

「七罪もちゃんとそう言うことに興味あったんだね」

「ちゃ、ちゃんとって……そりゃあるわよ」

「七罪ってば、いつもゲーム機相手に格闘してるんだもの。てっきりそういうことに興味がないのかと思ってたよ。でも、家から出る前に行ってもらえて良かった」

「……?」

「一応、私もその……身だしなみは気をつけようと努力のようなものはしてるから、少しなら七罪の役に立てると思う」

「ど、どういうこと?」

 

 不思議そうに問うてきた七罪に笑いかける。

 

「ちょっとだけ、時間良いかな?」

「え……? 別に構わないけど」

「そっか、良かった。じゃあ、家上がって」

「うん」

 

 

 

 

 

 

「あ、洗顔よろしく。念入りにね」

「え、あ……うん」

 

 五分後。

 私の家に入った七罪は、言われるがままに顔を洗顔クリームを駆使しながら洗っていた。

 

「ねえ、京乃。本当に大丈夫なの……?」

「大丈夫大丈夫。はい、化粧水」

「う、うん」

 

 化粧水を手渡すと、困った様子ではあるものの、教えた通りに塗ってくれた。

 

「目、瞑ってね」

「……ん」

 

 言った通りに目を瞑ってくれた七罪に感謝しながら、出来る限り速く終わらせようと心がける。

 まず初めにパフを使って軽くファンデーションをかけ、頬にチークを乗せ、アイメイクを軽く施す。

 リップは……赤すぎても良くないだろうから、キツすぎない色を。

 

 全ての工程を終えてケースの中に化粧道具を仕舞った後に、七罪に目を開けるように促す。

 

「どう、かな?」

 

 恐る恐るといった様子で目を開いた七罪は、目の前にある鏡を食いつくように見ていた。

 

「……これ、本当に私?」

「うん」

 

 先程までの病人のように生白かった頬は、仄かに赤く上気していた。

 目元はぱっちりと開き、カサついていた頬も瑞々しさを取り戻している。

 

「私のだから、七罪に合わないってこともあるかなって思ったけど……大丈夫そう、かな? 

 まあ、それでも今日は他のやつを買いに行こうね。肌に合う合わないがあると思うし、お試しサイズを何個か買っていこうか。シャンプーリンスは最初はうちのやつ使ってみてね」

「……なんか、楽しそうね」

「うん、妹が出来たみたいで楽しいよ」

 

 昔から、弟か妹が欲しかった。

 結局の所その夢が叶うことはなかったが、今こうして楽しいのだから別に構わない。

 

 

 用意していた手持ちバックを持って家を出て、七罪と共に駄弁りながら歩き始めると、それなりな時間はかかったが、何とか天宮クリテットに辿り着いた。

 

「着いたよ」

「へー、ここが天宮クリテット……ん?」

 

 七罪の手を引いて、急ぎ足で店の中に入った。

 店は平日で開店したばかりだからか、そこまで人は賑わっていないように見える。

 

「あの、予約なしですが大丈夫ですか……?」

「あ、観月さん。空いているので問題ないですよ」

「ほ、本当ですか……この子をお願いしても……?」

「全然大丈夫ですよー」

 

 営業スマイルを浮かべた店員さんの言葉にほっとひと息つくと、七罪に裾を引かれた。

 彼女を見ると、不安そうな顔で小声で話しかけられた。

 

「ここって……」

「私が偶にお世話になってる美容院さん」

「……げっ」

 

 露骨に嫌そうな顔をされてしまった。

 

「七罪が髪切ってもらってる間に、七罪用の必要なもの買っておくね」

「えっ、それって……」

 

 明らかに動揺している七罪を苦笑しながら見つめ、そして美容室の店員さんに頭を下げる。

 

「すみません、店員さん。後はよろしくお願いします」

「ちょっと京乃おお!?」

「はい、分かりました! 妹さんを可愛くしておきますね!」

 

 サムズアップをしそうな勢いのイイ笑顔を浮かべて、その店員さんは頷いた。

 ……妹か。姉妹に見えているんだろうか? 

 まあ、否定することもないだろうし、曖昧な笑顔を浮かべて返事を濁した。

 

「……七罪、買い物終わったら戻ってくるからね」

「……いや、まってよ京乃おお……」

 

 か細い声で名前を読んでくる七罪に罪悪感を刺激されつつも、散髪代を渡して私は店を出て行った。

 

 これは七罪の為でもあるのだ。

 自意識過剰でなければいいのだが、七罪は私に気を置いてくれている……と思う。

 大したお礼も出来ないのにお願いを聞いてくれたのは彼女本来の優しさ故にだろうが、それでもお願いをしなくても家に遊びに来てくれたのは……その、私のことを認めてくれたからだと思いたい。

 

 それは嬉しいけれど、七罪にはもっとたくさんの人と知り合って、そしてその中で私以上に気の合う人を見つけてもらいたいのだ。

 自分でも厚かましいとは思う。

 でも、七罪が私だけに構うなんて現状はあまり好ましいことではないと自分でも分かっているから、なんとかしたいのだ。

 私は、そのうちお母さん達の居る所に行くかもしれないし……いつ居なくなってもおかしくない存在だから、その時に彼女がひとりぼっちになってしまわないように、手を打っておくべきだろう。

 だから、彼女にも少なくても良いから仲が良くて信頼出来る友達を作ってくれれば私としても安心出来る。

 例えば四糸乃ちゃんとか……? 

 七罪のことだから四糸乃ちゃんの優しさに包まれたらタジタジになるかもしれないが、七罪だって優しい子だ。

 中々いいコンビになってくれるかもしれないが、全ては本人達次第だからどうなるか分からない。でも、良い結果になってくれればいいなと思う。

 

 ……いきなり美容室のお姉さんは、ハードルが高かっただろうか。

 いやいや、七罪の為じゃないか。それにハードルが高ければ高い程、後のことがちっぽけだと思える……かもしれない。

 

 

 七罪の為の美容品や自分でも使うものを買った後に時計を見てみたが、まだまだ時間はあるように感じられる。

 

 昼ご飯を何にしようかと思いながら移動していると、服屋のショーウィンドウの前に立っている折紙さんを見つけた。

 微動だにもせずに佇んでいる姿は、まるで店のマネキンなのではと思えるくらいのもので、無機質に感じられる彼女には少しというか、かなり近寄りがたい。

 

 でも、彼女には少し聞きたいことがあるんだ。

 

「折紙さん」

 

 思い切って声をかけると、折紙さんは私の方に顔を向けた。

 

「同志」

「こんな所でどうしたんですか?」

「デート」

「……え?」

 

 慌てて辺りを見渡してみるが、辺りには誰もいない。

 ……デート中……? 

 

「デート」

「えっ、でも……」

「デート」

「な、なるほど……?」

 

 デートとはいったい何なのだろうか? 

 少し自分の中の定義が揺らいできた。

 まあでも折紙さんがデートと言うのであればデートなのだろう。

 そうでなければ、こんなに澄ましてた顔ではいられないだろう。……いや、折紙さんの動揺している顔というのも想像がつかないが……

 

 仮に折紙さんが誰かとデートをしているとして、誰としているんだろうか? 

 真那さんかな。真那さん、折紙さんと仲が良いとか言っていたし。もしかしたら真那さんはお手洗い中だったりするのかもしれない。

 

「あなたは?」

「友達と、お出かけに来ました」

「そう」

「あの、一人で待つの……暇じゃ、ないですか……?」

「別に」

 

 端的に返事をしていた折紙さんだったけど、何故か私をガン見していた。普段なら、五河君絡みでなければ凄いどうでもよさそうに目を逸らされるのだから、何かあったのかと逡巡してしまう。

 

「えっと、折紙さん?」

「前にあなたがくれた写真を知らない?」

「写真……この前渡した物ですか?」

 

 折紙さんは軽く頷いた。

 確か、前に折紙さんと仲良くなろうと思って家に何故かあったブツを渡したんだったな。ちゃんと手渡した筈だけど、失くしてしまったのだろうか? 

 

「……いえ、見ていません」

「そう」

「ほ、補充が必要ですか?」

 

 ……補充って何だろう。自分言ってなんだけど、よく分からなくなってきた。

 しかし折紙さんはその限りではなかったらしく、顔色一つ変えずに口を開いた。

 

「士道の写真の方は欲しい。写真でなくとも、士道と縁があるものならなんでも歓迎する」

「あ、あはは。そ、それはそうですよね」

 

 ……何となく、最近折紙さんの扱いが掴めてきた気がする。

 

 折紙さんは返事を返して会話が終わったと悟ると、今度は完全に私から目を外した。

 きっと、特に用がないなら立ち去れとかそう言ったことを思っているのだろう。

 しかし、私は折紙さんと話したいと思っていた話題を切り出せずにいたので彼女を呼ぶ。

 

「あの、折紙さん……!」

「何か用?」

「あの、実は折紙さんに聞きたいことがあって」

「なに?」

「時崎さんのことなんですが……」

 

 突如、空気が変わったように感じられた。

 

「あの、時崎さんと昨日何かあったんですか……?」

「どうしてそんなことを」

「だって、変……なんですもの」

「変?」

「はい、変……です。折紙さんも、時崎さんも……五河君も」

 

 五河君の名前を出した瞬間、折紙さんは即座に切り返してきた。

 

「士道が変?」

「はい、変です。理由は、よく分からないのですが……」

「そう」

 

 小さく呟くと、折紙さんは少し考え込むように下を向いた。

 

「確かに昨日の士道の様子はおかしかった。その理由までは分からない。だけど、時崎狂三のことで一つ忠告。時崎狂三はおかしい。近づかないことを勧める」

「……そう、ですか」

 

 折紙さんは、随分と彼女のことを警戒しているようだ。

 きっと何か時崎狂三についての情報を知っているのだろう。それについて知りたいかと聞かれたら、私個人としてはあまり知りたい訳ではないけど、五河君に関わるとなるなら話は別だ。

 しかしと、情報を教えてくれる訳でもなさそうだしこれ以上の長居は時間の無駄か。七罪を待たせてしまっているかもしれないし、そろそろ折紙さんとは別れようか。

 

「そろそろ失礼します。長いこと引き止めてすみませんでした」

「気をつけて」

「はい、折紙さんもお気をつけて」

 

 そう言って頭を下げた後に、足早々にその場から抜け出した。

 どっと疲れがこみ上げて来た。

 折紙さんと接していると、何でか精神的ダメージがダイレクトに伝わってくる。いや、今回のはそうじゃなくて……あのピリピリとした空気が耐え難かっただけか。

 

「ひ、酷い目に遭った……もう絶対行かないわ……」

 

 げっそりとした様子の七罪と合流した。

 よく分からないけど、やっぱり店員さんと上手くやれなかったのだろうか? 

 ……いや、単純にいつも関わらない性格の人物と話したからだろう。逃げ出さなかったんだから七罪は頑張った方だ。

 折紙さんと話していて張り詰めていた心が、七罪と会った瞬間に解けるのを感じた。

 

「まあまあ。似合ってるよ、七罪」

「そ、そう?」

 

 疑問げに問いかけてきた七罪に、笑って頷く。

 

 野暮ったく邪魔そうだった髪は、くせっ毛ながらも綺麗に整えられて軽くなっていて、シャンプーを浴びたからか、仄かに良い香りが漂ってくる。

 私が少しながら力添えしたメイクも手伝って、七罪の魅力を引き上げられたと思う。

 そして来ている黒いワンピースも相まって、身体の弱いご令嬢なのではないかと思えてくる。

 

 正直に言って、凄い可愛らしいなと思う。

 

「こ、この後どうすんの?」

 

 少し頬を緩ませて七罪を見ていると、後ずさられてしまった。

 

「……七罪が、行きたい所とか無いのであればひとついいかな?」

「特にないけど……何?」

「ゲームセンターに行きたいんだ」

「ゲームセンター?」

 

 七罪から不思議そうにオウム返しをされたので、ゲームセンターについて知らなかったのかと思い、意気揚々と説明をすることにした。

 

「あ、ゲームセンターっていうのは、いっぱいゲームが出来る所で……」

「そのくらい知ってる。どうして行きたいの? あんたって、ああいう煩い所苦手でしょ?」

「ま、まあそうなんだけど、欲しい物があって。パンダローネってキャラクターのストラップなんだけど、それのUFOキャッチャーがここにあった筈」

「パンダローネ? どんなの?」

 

 バックの中から携帯電話を取り出してパンダローネの画像を検索し、七罪に見せる。

 

「こんなの」

「……ああ、いかにもな」

 

 呆れ顔でそう呟いてきた言葉の意味を理解出来ずに、私は聞き直した。

 

「いかにもって?」

「ああ、なんでもないわ。それよりも、京乃はクレーンゲーム得意なの?」

 

 七罪の問いかけについて少し考える。

 私はあまりゲームセンターで遊んだりすることはないが、多分人並みにはこなせていたような気がする。

 

「まあまあ、かな? 七罪は?」

「やったことない」

「それは楽しみだね」

 

 笑ってそう言うと、七罪から呆れたような顔をされた。

 

「いや、楽しみって……」

「だって初めてなんだよね。未知って言うのは、いつだって心躍るものだと思うんだけど……七罪は違うのかな?」

「さあ? よく分からないけど、クレーンゲームってバカが金を注ぎ込む沼のようなものだと認識してる」

「ば、ばか……」

 

 あんまりな言い様に、少し(ほう)けた声を出してしまった私を見てか、七罪はふんと鼻を鳴らす。

 

「良く考えてみなさいよ。そこら辺で買えばそうお金のかからない商品が、ここでやったら云千円とかかるのよ? これが間抜けじゃなかったらなんなのよ」 

「ま、まあそうかもしれないけど。……五河君と同じパンダローネのストラップは、クレーンゲーム限定だからなぁ……」

「何か言った?」

「い、いや何でもないよ! ほ、ほらクレーンゲームで商品を取った時の達成感は他の何にも変えられないものだし。

 私は商品が欲しいからクレーンゲームをするんじゃないの、その達成感を味わいたいからやるんだよ」

 

 中々良いことを言ったんじゃないだろうか? 

 私は少し得意げになったが、対する七罪の表情は今ひとつ変わらない。

 

「じゃあパンダローネじゃなくて良いんじゃない?」

「そっ、それは……やりたいだけじゃなくてパンダローネも欲しいんです」

 

 言葉を詰まらせてそう返すと、七罪からクスクスと笑われた。どうやらからかわれてしまっていたらしい。

 気恥ずかしさを隠すように歩くスピードを早めると、ゲームセンターが見えてきた。

 そのの一角にあるクレーンゲーム機を見てみると、出口の穴にパンダローネについているタグがかかっていた。

 

「あっ、見てよこれ。出口付近のやつはちょっと引っ掛ければ取れそう」

「……まあ、確かに」

「七罪、先にやってみる?」

 

 そう尋ねると、七罪はクレーンゲームと私を見比べた

 後に考えた後に口を開いた。

 

「お手本よろしく」

「う、うん任せて」

 

 ごくりとつばを飲み、百円玉を投入してクレーンを起動させる。

 最初に縦に移動させ、そして次に横に移動させるボタンを押す。

 ……良い位置に行ったと思ったが、タグに向かったクレーンは虚しく空を切った。

 

「ん?」

「さ、最初はこんなものだから!」

「そんなもの?」

「……うん!」

 

 自分を奮い立たせて、もう一度百円玉を挿入する。

 タグに引っ掛けようとするが、またしても空回り。

 タグ作戦は自分に合ってないのかと悟り、胴体を掴もうとするが、今度は出口から遠ざかる結果となった。

 

「……代わろうか?」

 

 珍しく、気遣わしげな七罪の声が突き刺さる。

 

「……大丈夫だから、もう少し任せて」

「何か私が考えていることが的中しているような?」

「そんなことないよ」

 

 思わず真顔になってそう答えてしまったので、それを誤魔化すように取り繕い笑顔を浮かべて財布に手を伸ばす。

 

「……あ、ニ回で百円玉なくなっちゃうな」

「キリ良いし、やっぱり私と代わってくんない? 京乃の見て、何となく分かってきたし」

「うん、分かった。それならこの二百円は七罪に託すね。私は両替え行ってくる」

「了解」

 

 七罪の返事を聞いて、手をひらひらさせながらその場を立ち去る。

 そして数分とかからずに千円札を両替して、小銭を手に七罪の元に戻る。一回やったのか先程よりも出口に近くなっていて、今はクレーンがストラップを持ち上げる作業に移っていた。

 固唾を呑んで見守っていると、出口にタグが掛かる。

 これは、少し横にずらすだけで簡単に取れそうだ。内心浮き立ちながら隣に立つと、七罪に驚かれてしまった。

 

「いるならいるって言いなさいよ! びっくりするでしょ!?」

「集中してたみたいだから悪いかなって。それにしても七罪って、やっぱりこういうの得意なんだね」

「……まあ、楽しいし」

 

 七罪はいつになく真剣そうな表情でぼそりと呟いた。

 ストラップをどうやって取ろうかと脳内で格闘しているのだろうか? 目の前のストラップをまじまじと見ていた。

 次の百円を渡した私は、邪魔したらいけないと思って静かに七罪がボタンを押すのを見守る。

 

 ストラップが取れるのを神頼みしながら祈っていると、クレーンがストラップを引っ掛けたのが見えた。

 そうして、狙っていたストラップが落ちてくる。

 ……そこまでは言ってなんだが想定通りだが、タグがもう一匹のパンダローネの首元に引っかかり、芋づる式に落ちてきた。

 

「……! ほ、本当に落ちるなんて思わなかったよ、凄いね七罪!」

 

 七罪の手を取っていえーいと喜んだ。

 だけど、恥ずかしかったのだろうか? 喜んだ次の瞬間には、取った手を離されてしまった。

 

「2つともいっぺんに落ちるなんて思わなかったわ」

「幸運の女神様が微笑んでくれたのかもね」

「うわっ、ギザ」

 

 率直な言葉に少しへこんだ。

 

「女神様だとかそういうのじゃなくて、多分そのパンダローネ? だっけ、多分京乃が滅茶苦茶にクレーン操作してたから首元に引っかかったんだと思う」

「それじゃ、私のあれも無駄じゃなかったってこと?」

「まあ、そうなんじゃない?」

 

 ……そっぽを向いてそう言った七罪だが、その口元は少し緩んでいた。

 どうやら、やっぱり少なからず楽しんでくれたみたいだ。

 

「二個もどうする?」

「あげるよ」

「……くれるの?」

「うん、だって今回のMVPって七罪だし。七罪が取ってくれなきゃもう一つだって落ちなかったよ。だから、これはそのお礼かな?」

 

 自分のセンスが壊滅的だとは思わないけど、やっぱり七罪がいたから消費金額が少なくて済んだのだろう。

 そう考えた後に、取れたピンク色と緑色のパンダローネを七罪に見えるように指でつまむ。

 

「どっちがいい?」

「……こっち」

 

 七罪は緑色のパンダローネを指差した。

 私は言われた方を七罪に手渡し、残った方を鞄の中にそっと仕舞う。

 ゲームセンターを抜けて外に出てみると、太陽が真上にいるのが見えた。つまり、今はお昼時なのだろう。

 そのこと実を認識すると、今までゲームに熱中していて気が付かなかったが、自分のお腹が空いてきていることに気が付いた。

 

「……あ。あそこにたこ焼き屋さんあるから、お昼はそれで良いかな?」

 

 七罪に問いかけると、彼女は自分で持っている勝利品(パンダローネ)を見ながらこくりと頷いた。

 屋台のたこ焼きを二人分買い、路上のベンチに座って食べていると、雑踏の中に見慣れた顔が紛れているのが見えて、思わずむせた。

 

「な、七罪……」

「ど、どうしたのよ」

「い、今! 五河君が……と、時崎狂三と連れ立って歩いて……!」

「時崎狂三? 誰それ」

「わ、私のクラスに来た転校生……」

 

 私が茫然としたまま説明すると、七罪は胡乱(うろん)そうな表情……というかジト目になった。

 

「転校生ぃ……? 夜刀神十香も転校してきたクラスにまた転校生が来るの?」

「……まあ、実際来てるんだしな」

 

 確かに気になっていたことではあったが、皆が気にしていなかったから私も気にしなくなっていたな。

 

「ふ、二人は何で一緒にいるんだろう」

「デートでしょ」

「やっぱりか……」

 

 その可能性を否定して欲しかった私は、七罪の言葉を聞いて項垂れた。

 

「追いかける?」

「う、うん!」

 

 先程見かけたのはラグジュアリーショップの近くだったが、移動してしまったのか姿は見えなくなってしまった。

 

「あ、五河君見失っちゃった……」

「そう、みたいね」

「ねぇ七罪、良かったら……なんだけど、い、五河君を……その……」

 

 きっと顔を真っ赤にさせているであろう私を見てか、七罪は何を言いたいのか悟ってくれたようだ。

 

「ああ、分かった分かった。別に私はしたいこととかないし、適当に辺りを散策しながらその五河士道とやらを探そう」

「七罪、あなたが神か……!」 

「神なんていないわよ」

 

 適当に聞き流したのだろう七罪は、言った通りに一緒に五河君を探してくれた。

 とは言っても本腰を入れている訳ではなく、本来の目的であるショッピングをしながらではあるんだけど。

 七罪の髪を二つに結んだり、服屋さんで似合いそうな服を見繕いながらだから横道に逸れてばかりで時間だけが過ぎていたような気がする。

 しかし、一時間後。

 クレープを食べ歩きしながら近くの公園を見た時に、奇跡的にも五河君を見つけることが出来た。

 

「あ、七罪。五河君見つけた……よ……?」

 

 慌てて残りのクレープを食べた後に後ろを振り返ると、そこには七罪の姿がなかった。

 先程までは一緒にいたのだから、迷子になったという訳ではないだろうし、きっと帰ったのだろう。

 唐突に現れて気がついたら消える。

 それが七罪だ。

 

 

 

 自分から五河君に話かけるのは何だか恥ずかしいが、彼の顔色を見て、そうも言ってられないだろうと思い直した。

 五河君は今、何かに怯えている。

 怖がっている、絶望している。

 ……そんな彼を見過ごすことなんて、私には出来そうもなかった。

 

 だって私は、彼には笑っていて欲しいから。



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狂三キラー 3日目(下)

「待ってくれ真那……!」

 

 真那に追い出されて、俺はなすすべもなく公園のベンチに腰掛けた。

 

 何故こうなったのか。最初は十香や四糸乃の時と同じように、好感度を上げる為にただ狂三とデートをしていただけだった。

 あの場面を見るまでは、そのはずだった。

 俯いていると、ゆっくりと誰かが近付いてくる足音が聞こえてきて、慌てて顔を上げる。

 しかし、その顔の主が狂三でも真那でも無いことに気が付くと、穏やかではなかった内心も落ち着いてきた。

 

「……五河君?」

 

 逆光でよく見えなかったが、シルエットと声で誰なのか正体に目星がつく。

 

「……観月か?」

「は、はい!」

 

 緊張した声音で頷いた彼女は、おずおずと問いかけてきた。

 

「すみません、隣に座ってもよろしいでしょうか……?」

「……ああ」

 

 俺がそう言うと、観月はほっとしたような表情で俺の隣にちんまりと座った。

 

 そして訪れる静寂。

 ……いや、鳥のさえずる声も聴こえるし静寂と表すのはおかしいのかもしれない。

 前は観月の二人きりなんていたたまれなくて仕方がなかったが、今は少し違うように感じられる。……なんというか、落ち着く気がする。

 

 無害。観月のことをそう言い表すのが適切だからだろうか。

 精霊でもASTでも、ラタトスクの人間でもない、一般人。

 そんな彼女がいるからこそ、俺は先程の非日常的な光景から日常へと戻って来れたような気がするのだろうか。

 そんなことを思いながら、隣に座っている観月の姿を眺める。

 私服姿を見るのは珍しい気もするが、やっぱり雰囲気も表情もいつもと変わらないように感じられる。

 

「あの……どうかなされましたか?」

「いや、何でもないんだ。……ごめんな、ジロジロ見て」

「いっ、いえ! 全然構いません! 

……それにもっと見てくれても……

 

 構わないと言った後の言葉は、独り言を呟くように小さなものだったので聞き取れなかった。しかし、もじもじと恥じらう観月の姿を見て、あまり同級生のことをガン見するもんでもないだろうと思って視線を外す。

 

「あっ、あの! これどうぞっ!」

 

 観月から、鞄に入っていたポーチから取り出したものを貢ぐように差し出された。

 

「……飴か?」

 

 観月の持っている透明の包みの中には、赤い玉が入っていた。

 見慣れた形状を前にそう問いかけると、観月は小さく頷いた。

 

「不安なことがあった時に飴を舐めると、何だか安心するんです。も、もしかしたら私だけなのかもしれませんが……それでも、五河君も同じ気持ちになってくれればと思って……!」

 

 そんなに変な顔をしてしまっていたのだろうか? 

 目を瞑ってそう言った彼女を見て、俺は昔のことを思い出した。

 

『どうしてきみはベンチでつまんなそうにしてるの? わたしとおはなししよーよ。いまならあめもあげるよ?』

 

 年相応に見える笑顔を浮かべて差し出された手を、俺は恐る恐る取ったのだ。

 あの日から、琴里と両親しか存在していなかった俺の世界は少しだが、着実に広がっていったんだ。

 そうだった。もう声も、顔すらも思い出せない彼女と出会ったのも公園のベンチだった。

 

 十香と会ったばかりの頃も、同じように観月から飴を貰ったのを思い出す。

 その時は聞けなかった飴を渡された理由を聞けて、納得したと同時にズキリと痛んだ胸を無視して笑った。

 やっぱり、観月も本質的には世話焼きな性格なのだろう。

 そう考えながら好意に甘えて飴を受けると、観月は飴を受け取った俺の右手を不思議そうに見ていた。

 どうしたのだろうかと俺も確認してみると、手の甲にすり傷があった。

 今まではそれどころではなかったが気付かなかったが、きっと先程転んでしまったことが原因だろう。

 

「……手、怪我してるんですか? 菌入ったらいけないですし水で洗いましょう……!」

 

 いつになく積極的な観月と水道の蛇口の前に行き、彼女に促されて擦りむいた箇所を水で洗い流すと水が少ししみたが、あのまま狂三に殺されていたら……こんな痛みでさえも感じることなく一生を終えていたのだと、そんなことに気が付いてぞっとした。

 

「……これでよしっと」

 

 俺の洗った手を手際よく拭いた後に、観月は傷口に絆創膏を貼ってそう言った。

 そんな達成感にあふれた顔をしている観月は、どこか彼女と重なって見えた。

 

「……どうかなさいました?」

「ああ、いや。……ごめんな、わざわざこんなことさせて……」

「いっ、いえいえ! 私がやりたくてやってることなのでお気になさらないでください。五河君にはいつも料理とか……お世話になってるのでお役に立ちたいんです……!」

「……そうか」

 

 拳を握りしめて意気込む観月を見て、少しの疑問を抱く。

 

「そういえば、観月はどうしてここにいるんだ?」

 

 ここは別に家に近い訳でもないし、もし天宮クリテットに用があったとしてもこんな公園まで来る理由が分からなかった。

 そう思って問いかけると、観月はいつものように不安そうな表情で、所在なげに指を揺らしながら口を開いた。

 

「……折角の休みなので、知り合いと此処らへんでショッピングしていたんです。でも、その子気分悪くなっちゃったみたいで、それで私は自販機で水を買いに」

「大丈夫なのか?」

「あの子、少し人混みが苦手な所があるんです。少し休んだら、いつもみたいに良くなると思いますから」

「……そうか。残念だけど、この公園には自販機が無いみたいなんだ。少し道を抜けた所にはあるんだが」

「そうなんですか……」

 

 観月はどこか、気もそぞろな様子だ。

 そこまで興味がなかったのか、それとも自動販売機自体は見つけられていたのだろうか? 

 そう考えていたが、どうやら観月が考えていたのは自分のことではなかったらしい。

 

「五河君は先程まで、誰かと一緒にいたんですか?」

「ああ。俺は狂三と……」

 

 狂三とデートをしていた。

 そう言おうとした時に、忘れようとしていた先程の光景がフラッシュバックした。

 狂三が、人を殺している光景。

 そして……真那が、狂三を殺している光景。

 

 乾いた銃声も、広がっていく血だまりも、うめき声をあげて死んでいった男の声も、脳裏にこびりついて離れない。

 酷く、吐き気がした。

 

「……五河君、大丈夫ですか? 顔色、悪いですよ」

「……いや、そんなことは」

 

 そんなことはない。

 そう言い切りたかったが、思いとは裏腹に口は重たく、歯切れが悪くなってしまった。

 観月に心配をかけたくはなかった。

 観月は、他のクラスメイトや精霊達に比べても精神的に打たれ弱い。

 そんな彼女にこれ以上負荷をかけていいものか? 

 

 ──そんなもの、良い訳がない。

 だから俺はさっきの言葉を誤魔化そうと、無理やりにでも口を動かそうと……した。

 

「私はあなたの役に立ちたいんです。だから、何か心配事があるのならば……相談乗ります。頼りないし、信用ならないかもしれませんが……」

 

 その言葉を聞いて、俺は観月の顔を見た。

 観月の蒼い瞳はいつものように不安に揺れていたが、俺から目を離すことなく心配そうにこちらを見つめている。

 きっと観月は打算も何もなく、ただの善意で相談に乗ると言ってくれているのだろう。

 十香と同棲していたことがバレた時にも、観月はクラスにはバラさずにいてくれた。

 観月は信用出来るやつだと、そう思う。

 

 なら、話してもいいだろうか。

 俺はそう思って口を開き、そして開いた口を閉じて押し黙る。

 

 言えない。彼女は……観月京乃は、争いとは無縁の普通の高校生だ。観月に全てを伝えると言うことは、彼女を危険に晒すのと同じだ。

 観月には観月の日常がある。

 俺の日常は精霊に、十香に会ってから崩壊していった。最初は望まなかったことだが、俺は自分で彼女達を救おうと決意するようになったのだ。

 ……今さっき会った出来事で、俺のその決意も崩れつつあるのだが。

 精霊を助けるのは本当に正しいことなのか、今の俺には分からなくなってきている。

 

「……観月には、関係ないことだ。放っておいてくれ」

 

 自然と口調が荒く、突き放すようなものになるのを感じた。

 それに気づいて直そうと思った時には、既に観月の顔は今にも泣き出しそうにくしゃりと歪んでいた。

 

「今度は私がと、そう思ったのですが……すみません。私では力不足、ですよね」

 

 声を震わせてそう言い、駆け足で去っていく観月を止めることも出来ずに、ただ目の端で見送った。

 観月は気の利いた言葉も返せない俺に失望したかもしれない。

 でもきっと俺がやった行動は間違いではなく、俺が出来る最善とは言えずとも観月が幸せに暮らすことが出来る一つの道なのだと、そう信じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 京乃は士道の姿が見えなくなるまで公園の外に走った。

 じっとりと汗ばむ服が気持ち悪いし、息もそう続かない。一度立ち止まって乱れた呼吸を整え、目元を拭った後に俯きながら歩き出した。

 前も見ておらず周りの雑音も耳に届かないようだ。何か考えごとをするように気難しい顔している京乃だったが、目の前が見ていないことが原因で道行く人とぶつかった。

 その衝撃で、やっと目の前のことに意識を向けられたらしい京乃が、ぶつかった人にそう謝る為に顔を上げると、その人は京乃のことを気にするまでもなく歩いた。

 ただ通り過ぎる間際に、彼女は京乃の耳元に口を寄せた。

 

「時崎狂三が近くにいるが、君はどうするんだい?」

「……え」

 

 京乃は慌てて振り返るが、既に雑踏に紛れたのかその人物は見えなくなっていた。

 誰だったのだろうか? 

 ただ、どこかで見覚えがある顔だったような気がする。

 もしかして知り合いだったのかもしれない。

 狐につままれるような出来事に一抹の気持ち悪さを感じたが、そんなことよりもあの人物が言った言葉の方に意識を寄せられた。

 あの人物は狂三が近くにいると、確かに言っていた。

 士道の元気がない原因であろう狂三が近くにいるのなら、追いかけるべきだろう。

 手がかりは何一つないが、それでも近くにいるのなら分かるかもしれない。

 なにせ狂三は、同性の京乃から見ても他とは抜きん出た美少女である。

 そんな彼女が街中を歩いていたら、道行く人が噂話をしている可能性はある。

 盗み聞きとは趣味が悪いだろうが、この際手段は選ばない。

 そこまで考えてから、京乃は速やかに行動した。

 通り過ぎた人らに耳を傾けて、場合によっては彼女の行き先を尋ねて歩みを進める。

 そして、ようやく先程までいたという場所に着き、歩いて周辺を探し始める。

 

「……〜♪」

 

 そんな中で鼻歌交じりで足取り軽やかに歩いている狂三を見つけて、京乃はすぐにその足取りの向かう先を知るべく隠れながら追いかけた。

 

 人通りの多い道では男の視線を集め、大通りから外れた道で子猫を見かけた際には、そわそわとしながらも遠巻きに眺めるだけで近寄りはしなかった狂三。

 狂三は先へ先へと人気のない道を歩いていき……ついには、路地裏の行き止まりまでついたが、そこで京乃は狂三を見失ってしまった。

 どこに行ったのだろうと右往左往している京乃の背後に影が忍び寄る。

 

「京乃さん、どうなされまして?」 

「……!?」

 

 背後から聞こえた声に驚いて振り返ると妖艶に微笑む狂三の姿があり、京乃は思わず瞠目(どうもく)した。

 先程まで絶対に目の前にいたはずなのに、何故後ろにいるのか……そう考えてみると、実は途中で気付かれてしまったという可能性に気が付いた。

 しかし、そうは言っても狂三は京乃のいる方向に顔を向けることなどなかったはずだ。

 

「驚かせてしまいましたか? ですが驚いたのはこちらも一緒ですのよ? 京乃さんがわたくしを追いかけてくるとは思いませんでしたの」

 

 狂三はおどけたように肩をすくめる。

 

「それで、京乃さんはどうして私を追いかけたんですの?」

「……あなたを見つけた最初は普通に声をかけようとしましたが、中々追いつけなかったんです」

「なるほど、それでしたら仕方がありませんね」

 

 飄々として掴みどころのない狂三を見て、京乃は顔が強張るのを感じる。

 先程士道の顔色が悪かったのは、間違いなく狂三ぐるみの話であるはずなのに、当の本人である狂三は何もなかったようにけろりとしている。

 はっきりと言ってしまえば、不気味だった。

 

「……さっきまで五河君と一緒にいたんですか?」

「ええ」

 

 依然として表情を変えずに、狂三は首肯する。

 思ったよりもあっさりと返された言葉を聞いて、京乃は士道の体調が悪かったのはやはり狂三が原因であったことを確信した。そしてこの返事で、もっと言葉を聞き出せると思った京乃は、更に言葉を連ねる。

 

「何故ですか。何故、あなたは何で五河君と一緒にいたんですか?」

「わたくしが士道さんと一緒にいるか、ですの? ……ああ、すみません不快に感じてしまいましたか? 

 わたくし、この街のことをよく知らないので、士道さんに案内してもらってましたの。平たく言うと、デート……ですわね」

「そう、ですか」

 

 狂三は京乃のリアクションが薄いことにか軽く肩を竦め、その後に口を開く。

 

「昨日も言いましたが、実はわたくしもあなたに聞きたいことがあるんです。よろしいでしょうか?」

「……どうぞ」

 

 警戒した表情で京乃は頷く。

 昨日狂三が何かを聞こうとしていたことは、京乃だって理解している。

 だが、肝心の内容は全く分からないし、折紙からは狂三には気をつけてと言われている。

 だから、京乃は少し警戒を強めて、その上で内容を知ろうとした。

 

「京乃さん、あなたは()なんですか?」

「……え?」

 

 狂三の質問の意図を理解出来ないと言った感じで、京乃は首を傾げた。

 

「意味が分からないです。私は、私です」

「ごめんなさい、少し意地悪な質問でしたわ」

 

 少し困り顔で狂三はそう言うが、京乃は不審そうに眉をひそめるだけで特に何も言うことはなかった。

 

「では、京乃さんと士道さんの関係は?」

「何で、時崎さんにそんなことを言わないといけないんですか?」

「ただの興味本位ですわ」

 

 狂三が笑みを浮かべているのを、京乃はやはり疑わしそうに見る。

 何がしたいのか分からない。

 興味本位、そんなもので他人の関係性に口を突っ込むものなのか。

 

「くだらないですよ。時崎さんの耳に入れるほどの情報じゃないです」

「くだらなくても構いませんわ」

 

 狂三は、今度は少し真剣な表情でそう言った。

 本当は京乃にとって断りたい、言いたくない情報ではあるが、拒絶してしまえばそれはそれで狂三に怪しく思われてしまうだろう。

 幸いにも、耳に入った所で困ることはない話だ。

 それなら本当にどうでもいい情報であることを裏付ける為に、早く言って流してしまおうと京乃は口を開く。

 

「……私は、私と彼は」

 

 そこまで言って口を閉じる。

 そして悲しそうに、それでいて少し嬉しそうに口元を緩めて狂三に向き直る。

 

「私と五河君は、家が隣なんです。それ以外の接点はありません」

「そうですか。それは昔からのことですの?」

 

 狂三がそう聞くと、京乃は昔を思い出すように少し考えこんでから口を開いた。

 

「……五河君の前の家は、大規模な火事で全焼してしまったらしいんです。その後に、たまたま空き家だった私の隣の家に越して来たんです。確か、小学校六年か、中学一年の時くらいだったと思います」

「そうですか」

 

 狂三は京乃の情報を聞いて、少し眉をひそめる。

 

「何でそんなことを聞くんですか?」

「先程も申しました通り、少し気になってしまっただけですの」

「物好きですね」

 

 少しむっとしたような表情で京乃は言う。

 そんな京乃をいなすように、狂三は穏やかな声音で話しかけた。

 

「そうかもしれませんわ。それでも、私にとっては大切な情報かもしれませんので。でも、それで京乃さんの気分を害してしまったのなら謝りますわ」

「……そんなことはないです」

 

 やはり少し不服そうな表情を浮かべている京乃を見てか、狂三は苦笑した。

 

「京乃さん。わたくしと士道さんが一緒にいたかという質問には答えましたし、わたくしも聞きたいことは全て聞きました。もうお開きでいいでしょうか?」

 

 心なしか早く会話を切り上げようとしているように感じられる狂三の言葉を前に、京乃は考え込んだ。

 

「……もうひとつ、言いたいことがあるんです。あと少しだけお時間良いでしょうか?」

「少しでしたら構いませんわ」

 

 京乃の真剣そうな表情を見て、狂三は頷く。

 

「何をしたがっているのかは分かりませんが、あなたが何をしようとしても私には関係のない話です」

 

 突然の言葉に、狂三はきょとんとした表情を浮かべる。

 

「あら、よろしいのですか? もしかしたら、わたくしが士道さんに告白するかもしれませんのよ」

 

 揺さぶりをかけるつもりなのか、狂三はそう言ってくすくすと笑う。

 ただ、狂三の予想に反して、京乃は言葉に乗ってくることはなかった。

 

「……別に。でも」

 

 そこで区切り、逸らし気味だった視線を狂三に戻す。

 

「彼を悲しませるような真似をしたら、私は貴方を許さない……です」

 

 最初は語気を強めていたものの、最後の方には萎むように弱々しくなった。それでも、京乃は最後まで狂三に言い放った。

 睨みつけてもいたが、全く凄みも感じられない弱々しいものであった。その言葉にか、睨みつけられたことにか……はたまた両方にだろうか? 狂三は、目を(わず)かに見開いた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの調子を取り戻した。

 

「──ええ、心得ましたわ」

 

 微笑んで、狂三は京乃を見ている。

 ……どうせ、こう言った所でその言葉を守る気なんて物は更々ないのだろうと思いながら、京乃は狂三と別れ、その場を後にした。




オリ主が精霊関連の話を持ち出したら、ぱっくりといかれていた模様。


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狂三キラー 最終日

 下駄箱を通りかかった際に、五河君と時崎狂三が何やら会話をしているのを見つけてしまった私は、きまり悪くなってしまい、存在がバレてしまわないように下駄箱の影に隠れた。

 昨日は考えることが多く、眠りも浅くなってしまった。

 だから今日はいつもよりも早い時間に起床して、いつもよりも早い時間に学校に着いた。

 そうは言っても、早くに学校に着いた所ですることなんてものは限られている。だから気晴らしに下駄箱近くの自動販売機に飲み物を買いに来たのだが……まさかこんな場面に出くわすなんて予想外だった。

 本来ならばすぐにこの場から立ち去るべきだろうが、私はその選択肢をすぐに捨ててしまった。

 出歯亀なのは分かってはいるのだが昨日のこともあり、二人に何があったのかと気になったからだ。

 ゴクリと息を呑み、下駄箱から顔を出して二人の様子を(うかが)った。

 

 時崎狂三は前に学校に来た時と同じように笑顔を浮かべていたが、対する五河君の顔は強張っているように感じられる。

 やっぱり二人の間に昨日何かがあったと考えるべきだろう。

 そこまでは理解出来たが、肝心の会話が聞こえない。

 少し身を乗り出せば聞こえるかもしれないが、そうしてしまえば彼らに存在がバレてしまうかもしれない。時崎狂三は別にいいが、五河君に盗み聞きをするやつなんて軽蔑されたくはない。

 だから顔をあまり出さずに、目を瞑って二人の会話を聞くことだけに全神経を研ぎ澄ませると、周りの喧騒と相まって声は聞きとりづらいが、ところどころの声は聴こえてきた。

 

 会話の内容は、普通の挨拶……だろうか? 

 だけどそれにしては五河君はやっぱり昨日から調子が良くないように感じられる。……まあ、対する時崎狂三の声音はいつもと変わらないような気はするが。

 ただ、会話中に不思議な単語が一つ聞こえてきた。

 “救う”という曖昧でいて希望に満ちた言葉。

 それを聞いて、十香ちゃんや四糸乃ちゃんと会ったばかりのことを思い出す。

 

 もしかして彼は何故七罪と同じような存在を救おうとしているのだろうか? 

 七罪と同じような存在……十香ちゃんや四糸乃ちゃん、そして時崎狂三もそうなのだろうか? 

 時崎狂三は、転校初日に自身のことを精霊と言っていた。

 精霊とは、何なのだろうか? 

 その時の五河君や折紙さんの反応を見て、私はおおよその確信を得ることが出来たのだが、今の情報だけではまだ気のせいという可能性もあるかもしれない。確かに彼女と会った時に七罪を初めてみた時のような違和感は微かに感じたが……微かだったし、勘違いという可能性だってある。

 転校初日に精霊と言っていたのは、時崎狂三なりのジョークのようなものだったのかもしれない訳だし。

 

「……では放課後、屋上で」

 

 二人の会話が終わりそうなことを悟った私は、慌てて下駄箱から離れて当初の目的である飲み物を買いに行った。

 

 

 

 自動販売機でお茶を買って少し経った時、教室に入った。

 五河君は私が席につく前に、こちらを見てどこか申し訳なさそうな顔をした。だけど、彼が私にそんな顔を見せる理由なんてないのだから、私を見ていた訳ではないと思うし、きっと時崎狂三に顔を向けたのだろうとは思う。

 そう思うのに、どうしてか彼から顔を背けてしまった。

 

「京乃さんおはようございます」

「……おはようございます」

 

 席に着くと、普通に挨拶をしてきた時崎狂三に挨拶を返した。先程の出来事を思い出し、苦虫を噛み潰したような気持ちになる。

 

「どうかなされまして? もしかしてまた忘れ物でもなされたんですか?」

 

 こちらをからかうような口調で告げれられた言葉を聞いて、瞬間的にむっとしたように反論してしまった。

 

「違います」

「そうですの」

 

 くすくすと口元を押さえて笑っている彼女を見て、何とも言えない微妙な表情になってしまうのを感じる。

 私は彼女のことをよく知らないし、別に知りたいとも思わない。

 でも、彼女が五河君に何かをしようとしているなら話は別だ。

 五河君に屋上で会おうと言っていたが、結局の所その真意は私には分からない。

 

「あの、うまく言えないのですが……時崎さんは、何がしたいんですか?」

「何、と言われましても。抽象的過ぎてよく分かりませんわ」

「すみません」

「いえ、謝らないでください。違和感を感じたのならそれが正しいのですから。目に見えるものだけが正しいなんてことはありませんわ。……京乃さんなら、分かってくださると思うのですが」

「……え?」

 

 思いもよらない言葉を聞いて、思わず俯いていた顔を上げた。アホ面でも晒していたのか、私の顔を見て時崎狂三はくすりと笑ったが、すぐに思い出したように口を開いた。

 

「京乃さん、今日は帰りのホームルームが終わったらただちに家に帰ることをおすすめしますわ」

「どうしてですか?」

「最近は何かと物騒ですから」

 

 そうとだけ告げると、時崎狂三は私から目を外した。

 

 

 

 

「最近は物騒ですから、気をつけて帰ってくださいね。では皆さん、さようならー」

 

 帰りのホームルームの担任の言葉を聞いて、私はすぐに五河君の動向に目を向けた。時崎狂三にはすぐに帰るように言われたが、守る義理はないだろう。

 それよりも、今朝の言葉が気になってしまった私は、放課後、五河君の後を追いかけていた。

 そのはずだったのに突然脱力感に襲われ、学校の廊下で意識を手放してしまった。

 

 

 ♢

 

 気を失ってから、どれくらい経ったのだろうか? 

 目が覚めて左手に着けている腕時計を見てみると、意識を失ってそこまで時間が経っていないらしいことが確認出来た。

 朦朧とする意識を覚醒させるために鞄に入っている筆箱から取り出したシャーペンから芯を出し、腕に突き刺すと、その刺激で目を完全に覚ますことが出来た。

 倦怠感で動かしにくい身体に鞭打って辺りを見渡すと、辺りにはぐったりと倒れている生徒がいた。しかし、先程まで自分の目の前にいたはずの士道の姿が見当たらない。

 そこで今朝の士道と狂三がしていた会話を思い出す。

 

 放課後、屋上で会おう。

 

 どこか雲行きの怪しい会話の後に時崎狂三が言っていた言葉。そうだ、その言葉が確かならば五河君はきっと屋上にいるのだろう。

 それならば私も行かなくてはならない。

 彼が私を必要としなかったとしても……危険があるなら助けないといけないから。

 

 そう思って立ち上がると、ぐらりと世界が揺れた。

 貧血の症状なのか、目の前が真っ暗になる。

 だけど、大丈夫だ。私は歩ける。

 痛む頭を押さえて重い身体を引きずって、ふらつきながらも壁伝いに屋上に向かう。

 そうして数分が経った時、やっと目が光を認識出来るようになり、目の前の床に人影のようなものがいるということに気がついた。

 皆気絶してしまったが、もしかしたら私や五河君のように起きている人がいるのかもしれないと思い、顔を上げて……そして有り得ない光景に目を見開いた。

 

【──屋上に行くのは危険だ】

 

 その存在は不明瞭だった。

 姿形は見えているはずなのに女なのか男なのか、子供なのか大人なのかも分からない。声だって、姿同様に上手く認識出来ない。

 ……そうだと言うのに、どこか既視感を憶える存在。

 

【観月京乃。君の身に危険があれば、君が大好きな五河士道も悲しむだろう】

 

 正体の分からない不気味な存在が、私や五河君のことを心配するような声をかけてきたことが酷くアンバランスに思えた。

 私はこんな得体のしれない人物に心配をされるような覚えはない。そんなことをされても不気味なだけだ。

 

 冷や汗が流れるのを感じながら後方に片足を引くと、静かな廊下に足音が響き、直後力が抜けて身体が崩れ落ちそうになる。

 身体が限界を訴えているのかもしれない。

 でも、もしそうだとしても、ここでこの存在に隙を見せるのは良くないように思えた。

 今、この存在から逃げ切ることは不可能だろうし、そんなことをしても何も解決しない。

 だってここから……学校から逃げてしまえば、私は五河君を助けに行くことが出来ない。

 

 屋上に行くのは危険。

 もしその言葉が本当であれば、五河君は時崎狂三と一緒に屋上にいるのだろう。それなら彼は今この時も困っているのかもしれない。

 困っていないというのなら、それでも構わない。

 ただ、私は事実を確認する為にも屋上に行かないといけない。

 その為にも……うまくこの場を切り抜けないと。

 

「私に何かあれば彼が悲しむと、そう思うんですか? 

 彼にとって、私は数いる同級生の一人。彼は優しいですから少しは悲しむかもしれませんが、長い年月引きずるようなことではないし、それよりも彼に何かがある方が私にとって恐ろしいんです」

 

 だから屋上に行くと暗に告げると、影がゆらりと揺れる。

 

【そうかな? まあ、君にとってはそうなのかもしれないね】

 

「……何が言いたいんですか?」

 

 (とぼ)けるようにそう言ってきた存在に、不信感が募っていく。

 早くこの場から抜けたいのに、はぐらかすような物言いに語気が強くなってしまった。

 この存在を怒らせてしまえばどうなるか分からないが、その存在は私に対して怒っているようには感じられなかったので、自然と敵対的な態度を取ってしまった。

 しかし、危害を加えてくる可能性はあるし、やはり今の対応は失敗だっただろう。

 ……と、そこまで考えた所で、ある可能性が私の頭をもたげた。

 

「まさか貴方が、こんなことをしたんですか?」

 

 皆が意識を失っているという異常事態だが、こんな訳の分からない存在がやったのであれば納得がいく。

 他にも懸念している可能性もあったが、違うと言うのならばそれで構わない。

 

【こんなこと、というのは生徒達が倒れている事態についてだろうか? それならば私は関与していない。これを引き起こしたのは時崎狂三だ】

 

 その言葉を聞いて、そうかと納得した。

 全く信用出来ない人物からの言葉であるが、それでも腑に落ちたのだから仕方ない。

 

【あまり驚いていないね】

 

 それはそうだ。

 今朝、時崎狂三は油を売っていないで早く帰れとご丁寧に忠告したのだ。その時点でこうするつもりだったと言うことなのだろう。

 

「予想はついていましたから」

 

 その存在が何の感慨もこもってないような声音でそうかと呟いたのを聞きながら、私はこの場を抜け出す方法を模索する。

 わざわざ危険だから帰りなさいなんて言うような存在には感じられない。この存在は、何かしらの理由があって私に話し掛けてきたのだろう。

 

「用が無いならもう行きます。早くしないと、手遅れになる」

 

 今この時も、五河君は時崎狂三によって危険な目に遭わされているかもしれない。余計なことを駄弁っている時間なんてありはしない。

 ぎゅっと服の裾を掴み、力を込めてこの場から抜け出そうとする。

 足を一歩踏み出す。大丈夫、ちゃんと歩ける。先程よりも身体は軽くなっている。そのことを実感し、屋上に向けてもう一歩歩みを進める。

 そうだったのに……そこで、呼びかけられて動きを止めざるを得なくなった。

 

【──君は、彼を……五河士道を守れる力が欲しくはないかい?】

 

「……何を、言って……」

 

 彼を守る力? 

 それはどういうことなんだ。

 曖昧な響きの言葉だが、それは私の願いそのものだった。

 彼を守る力が欲しい。今よりもずっと強い力が、今よりも強い心が欲しい。

 でも、そんなものどうすることも出来ない。自分でどうにかするしかないのだ。私はそうやって今まで生きてきたというのに……

 

 私がそんな葛藤を心の中で繰り広げていることを知ってか知らずかは分からないが、その存在は軽く嗤ったような気がした。

 その存在の手と認識出来る場所に、白い宝石のような物が現れた。

 

【君はこれに触ればいい。それだけだ】

 

 淡々と告げるそのノイズのようなものからは、表情もなにも読み取れなかった。

 困ったら力を貸してくれるなんて、そんな虫のいい話があるだろうか? 全くもって信用ならないし胡散臭い。

 しかし……私は迷ってしまった。

 私は彼を守る力が欲しい。だから、蜜のように甘く纏わり付き、誘惑してくる話を簡単に切り捨てることは出来なかった。

 気が付いた時には、その宝石のような物に吸い寄せられるように私は無意識に手を伸ばしていた。

 

 ──しかし、あと1cmで届きそうな所で手を止めた。

 

 触れる直前、いつか見た夢を思い出した。

 私は夢の中で化け物へと変化し、そして屋上でみんなを殺したんだ。

 いつも明るくて可愛い十香ちゃんも、不器用な優しさを持つ折紙さんも、士道くんの妹だという真那ちゃんも……士道くんを除いたその場にいた人物全てを殺し、その場一面を血の海へと沈めたんだ。

 ごくりと息を呑む。

 あの夢の中の私は正気ではなかった。

 自分の欲望の為に不必要なもの全てを切り捨てるなんて、そんな子供のような思考回路に陥っていたのだ。

 そんなこと、許してはいけない。

 夢の中の場所は見たことなかった場所だったけど、一度訪れた今なら確信を持てる。

 あそこはこの高校の屋上だ。

 そこで、私は不思議な力を使って自決しようとしていた。

 もう、ただの夢と切り捨てることは出来なかった。

 夢にしては……あまりにも今の状況と酷似し過ぎてしまっている。

 

【どうしたんだい】

 

 動きを止めた私を不審に思ったのか、ノイズのようなものはそう問いかけてきた。

 

「……その力を貰っても、私も彼も幸せになんて、なれない」

 

 あの最期は悲惨なものだった。

 誰も幸せになれない、そんな結末。

 ……そんな悲しいことを認められるはずもないし、認めたくもなかった。

 

【……それは残念だ、観月京乃。約束は破るってことでいいんだね。君は賢いと思っていたのだがな】

 

「……え?」

 

 約束を破る? 

 いったい、何を言っているんだ。

 そう思う心とは裏腹に、得体のしれない寒気がこみ上げてくる。……私は、何かを間違えた? 

 

【そうか、そうだったね。それなら愚か者である君に、ひとつ“いいこと”を教えてあげるよ】

 

【実はね……】

 

 私は、そのノイズのようなものが言っている台詞を理解出来なかった。いや、したくなかっただけなのかもしれない。

 何でもない調子で告げられた言葉は、私の今までを否定されるような、残酷な言葉だった。

【実はね、君が信じているその記憶は偽物なんだ。その証拠に、君はそのことを覚えているんだろう?】

「何、を……」

 

 呆然としながら呟いた私を見て、そいつは言葉を続ける。

 

【観月京乃。君に最後のチャンスをあげるよ。それまでにどうするのが自分にとって最善か、考えておくんだよ】

 

 最後のチャンスも何も、私にとっては今が最善だ。

 全くもってありがたくない忠告に、自然と機嫌が悪くなるを感じる。

 

【嫌われてしまったかな?】

 

 首を傾けて彼はそう問いかけてくる。

 何もおかしいことは言ってないというように、自分の言っていることは正しいのだと言うように笑いかけてくる。

 

【それでも約束をしたからね。また来るよ、次はいい返事を期待しているからね】

 

 正体不明のノイズは、私がまばたきをした次の瞬間に消えていた。

 

 

 ……今はあいつの言った言葉の意味なんて考えている場合ではない。

 あんな、荒唐無稽極まりない話、どこにあるのだろうか。

 今のことを忘れようと振り払うように首を振り、私は重い足を引きずりながら屋上に向けて歩き出す。

 幸い誰にも邪魔されることはなく、前に訪れた屋上の扉の前へと辿り着いた。

 しかし、そこである違和感に目をとられる。否、それは違和感という小さなものではないだろう。

 鍵穴に銃痕のようなものがあり、扉は最早扉としての機能を果たしていなかったのだ。それ故に扉を開く必要もなく、屋上の光景が瞬間的に入ってきた。

 

 そこで私は、何故か死にかけの時崎狂三の前に立ちはだかっている士道くん、そして独創的な和服のような衣装に身を包んだ人物を目をした。

 

 

 

 

 ♢

 

 

 天使を構え、獰猛な笑みを浮かべている琴里を見て俺は言葉を失う。

 避けられない。そう分かった時、俺の足は自然と膝をついている狂三の元に向かっていた。

 最悪の精霊? 命を狙われている? それがなんだと言うのか。

 狂三のことを何も知らない俺には、あいつを罰することなんて出来ない。

 少しでもダメージを減らそうと、狂三の前に立ちはだかる。

 

「……っ! おにーちゃん、おねーちゃん! 避けて!!」

 

 琴里の悲痛な声を聞いて、反射的に目を瞑る。

 大丈夫だ、俺だったら致命傷を負っても回復する力があるんだ。

 そう思っていたのに、横から来た誰かに突き飛ばされた。

 宙に浮いた身体は、受け身の姿勢を取ることが出来ずに地面に打ち付ける。

 その衝撃で一瞬息が止まり、苦しくて咳き込む。

 

「……馬鹿っ、君は馬鹿だ!」

 

 叫ぶような声が聴こえてきた次の瞬間、先程まで俺と狂三がいた辺りを中心に炎が包み込んだ。

 琴里の放った炎の魔は()めるように俺の足元まで這って来た。突然の出来事に避けることも出来ずに、足に痛みが伝わってきた。

 

「ぐっ……!」

 

 一瞬のことだったと言うのに、その痛みは止むことがない。いつもなら俺を癒やしてくれていた能力だって発動していない。それでも、先程の位置に比べたら明らかにマシだろう。普通の人間であれば、声を上げる間もなく……命を落としてしまうだろうから。

 

 ……普通の人間であれば? 

 そう考えた後に、先程の声の主を思い浮かべる。

 あれは、最近聞いた声だった。十香でも四糸乃でも、まして琴里や真那、狂三でもない。

 なら、誰なのか。

 途端に激しくなる鼓動を無視して考える。あいつら以外で最近会った同年代の人物……そこまで考えた所で、あいつの声と顔が頭に思い浮かんだ。

 

「どう……して……ッ!」

 

 意識が戻ったのか、琴里は俺達を見て目を見開いて泣きそうな声音でそう叫んで、糸が切れたように倒れた。慌てて駆け寄ろうとするが、足が鉛のように重くなって、動けない。

 琴里は大丈夫なのか、それに今の声はやっぱり……

 

 自分の可能性を否定したくて慌てて声の主を見ると、そこには安堵しているように見えるそいつの姿があった。

 直撃する位置からは離れていたが、それでも炎の攻撃を受けてしまったのか、着ていた制服も髪や左半身の大部分が焼き爛れてしまっていた。

 

「なんで、おまえが」

 

 想像もしていなかった人物のあまりにも生々しい怪我に喉が引き攣るのを感じる。

 訳が分からなかった。何でここにいるのか理解が出来なかった。

 彼女は俺が声を発したことに気がついたのか、三日月型に口を吊り上げた後に言葉を紡いだ。

 

「守らなきゃって、思った。守らないと、いけない。そうしないと私は……」

 

 彼女はゆっくりとこちらまで歩いてくる。

 おぼつかない足取りで、脇目も振らずにこちらに歩いてくる姿は危なっかしく、風が吹けば倒れてしまうのではないかと思えるくらいに弱く感じられた。

 ただ、そんな姿を見て焦燥する気持ちとは裏腹に、俺の胸には何か、こみ上げてくるものがあった。

 言うなれば、既視感。懐かしいような、それでいてどこか気持ち悪さを感じる姿。

 

 俺は昔、こんな風に傷付いた彼女を見たのだろうか? 

 いや、違う。見覚えがあるのは重症の彼女ではなく、彼女が今浮かべている表情……ではなかっただろうか。

 自分でもどうしてそんなことを思ったのかなんて分からないし、そんなことを考えている場合ではないのは分かっている。

 

「君に、大した怪我がなくて良かった。本当に、良かった」

 

 やはり既視感のある表情を浮かべ、彼女はゆっくりとまぶたを閉じた。

 

「……!」

 

 いつものように名前を呼ぼうとしたが、言葉は出てこなかった。

 何かが詰まってしまったように、何かが間違っているとでも言うかのような現象。

 それについて考えようとすると、頭を鈍器で殴られたように鈍い痛みを発してくるし、胃の中の物が逆流しそうになる。意識が吹っ飛びそうになる。

 仰向けのままで荒い息を繰り返していると、背中の方から音が聞こえた。

 

 音の方へ顔を向けると、狂三が身じろぎをして起き上がろうとしていた。

 琴里との交戦で負傷したのか本調子ではないようだが、それでも立ち上がり、俺の前にいる観月の元まで歩いてきた。

 観月はもう意識を失っているようで、地面に血だまりを広げていきながら浅い息を繰り返していた。

 素人目から見ても、……もう彼女が助かるようには見えなかった。

 

 ……死ぬ? 今日まで普通に生きていたあいつが? 

 

「……まだ、そんな状態でも生きているのですね」

 

 狂三がそう言ってしゃがみ、死に体の観月に向かって銃を向ける姿が見えた。

 

 俺は琴里の放った天使の攻撃を完全に防ぐことが出来なかったせいか、思うように身体を動かすことが出来ない。

 意識だって少しずつ霞んでいっている。

 しかし、それでも俺は彼女を止めずにはいられなかった。

 

「や、めて……くれ……狂三……あいつ……に、手を、出さないで……く……れ……」

 

 必死に、乞うように絞り出した声が聞き取れたのか、狂三は銃をそのままに俺の方に顔を向けたが、一瞬後にはすぐに顔を元の位置に戻した。

 

「あらあら、士道さんが心配なさるようなことなど一つもありませんわ」

「待ってくれ……! 殺すなら、俺に……!!」

 

 狂三にはもう見向けもされない。

 

 心配することがないだって? 

 そんなの、心配するに決まっているだろ。

 だって、あの人見知りな四糸乃が一番懐いているのはあいつだ。十香だって俺の家で話したりゲームをする時間は大切だと言っていた。観月京乃は彼女達の日常を彩る上で欠けてはならないんだ。

 俺にだって大切なんだ。あいつのことはずっとずっと大切だった。

 

「京乃さん、すぐに楽にさせてあげますわ」

 

 狂三の気が変わるのを想うも虚しく、狂三の放った弾が、あいつに向かっていった。

 それを見届けた所で俺の意識は完全に途絶えた。

 




三巻の内容は取り敢えずここまで。

アンケ機能使ってみたかったのと、ちょうど良い機会なので集計します。
完全に反映する訳ではなく、参考にする程度ですので気軽にどうぞ。


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天敵となるかもしれなかった人物

前回アンケート協力ありがとうございました。
今回の話は狂三さんの原作のネタバレとなる描写がありますので、ご注意お願いします。


狂三「お可愛いこと」
京乃「??」


「よろしくお願いします、京乃さん」

「……はい、よろしくお願いします。時崎狂三さん」

 

 転校初日の朝。顔を強張らせて頷いた京乃を見て、狂三はどうしたものかと考える。

 

 狂三は京乃のことを“知っている”。

 ファントムに精霊の霊力を蓄えている少年がいると教えられた狂三は、その人物の周辺の人物についても調べていた。その中に京乃も入っていた。それだけのことだ。

 別に大したことは調べていないが、それでも京乃の顔とフルネーム、士道の隣に住んでいるくらいは簡単に調べることが出来た。

 だからだろうか? 自己紹介を交えた朝のホームルームが終わった時に、狂三は隣に座っている京乃に周りとは違う視線を向けられていることにすぐに気がついた。

 他のクラスメイトのような好奇心や羨望の目を向けられたのではなく、かと言って嫉妬や殺意を向けられた訳でもない。ただ、何かに困惑しているように見える少女。

 もしかしたら士道が所属している組織の人間だろうかと狂三は思ったが、それにしては……あまりにも分かりやすすぎる。

 裏表がない、嘘が下手な人物。

 それでいて面白みがないほどに“普通”な人物。

 狂三が京乃に初めて会って最初に下した評価は、そんな所だった。

 

「……」

 

 朝のホームルーム終わり、狂三の席の周りは客寄せパンダのように生徒が集まっていた。隣の席の京乃はというと、狂三の席をチラチラと眺めながら、小さなサイズのノートを読み返していた。

 授業の開始を告げる予鈴がなると、京乃は教科書とノートを机に出した後にスクールバッグの中をまさぐり、そしてひとしきり終えた後に静かに、しかし挙動不審になりながら慌てていた。

 

「京乃さん」

「……あの、なんですか」

 

 つっけんどんに接される。

 何でだろうかと狂三は思考するが、すぐに考えるまでもないかと結論づける。京乃が士道を好きなのは、これまでの観察してきた態度を見ればすぐに分かる。つまり京乃は、士道にお熱な狂三に嫉妬しているのだろう。

 何とも愛らしいではありませんのと、狂三はそんなことを思ってくすりと笑った。

 

「よろしければ教科書を見せて貰えませんか? まだ教科書が届いていなくて困ってますの」

 

 京乃はどうしようかと迷っているように狂三を見た。理性では貸すべきだと分かってはいるが、狂三に不信感を抱いている為に中々行動出来ずにいるのだろう。

 これはもうひと押しといったところだろう。

 

「京乃さんは書くものを忘れたのですよね。それなら等価交換と行きませんか?」

「な、なぜそれを……!?」

 

 何故も何もとても分かりやすかったが、本人は気付いていなかったらしい。

 目に見えて狼狽えた京乃だったが、数秒後には冷静になったようで、得心がいかないようでいながらも狂三の言葉に頷いた。

 

「……分かりました」

 

 やはり少しきまり悪そうに見える京乃だったが、狂三が机を京乃の机に寄せて筆記用具を渡すと、教科書を二つの机の中間に乗せて、前を向いて教師に注目し始めた。

 邪魔をするものでもないかと思い、狂三も教師の話に耳を傾ける。数十分真剣に聞いた後、幸いにも授業の内容についていけないということはなさそうだと思って、その後に苦笑する。

 授業についていけてもいけずとも、長居する気はないのに関係ないだろう。狂三にとってはそんなものはどうでもいい。

 とは言っても、()()の高校生である京乃にとっては、ついていけないのは死活問題といえるのかもしれないと、狂三は左隣の席に座っている京乃を見て考える。

 黒板の文字と先生の話を聞いて、内容を要領よくノートに纏めている京乃の横顔は至って真剣だった。それに感化されてか、狂三も先生の話に耳を傾ける。授業というものを受けるのは久しぶりで新鮮だったこともあり、狂三の体内時計ではあっという間に、終了を告げるチャイムが鳴った。

 一時間近くの授業を終え、一気にだらけている生徒達は多く、隣にいる京乃も眠そうに欠伸をこぼした。

 

「あっ、観月今いいか?」

「……!?」

 

 だらけていた京乃だったが、声をかけられた瞬間に眠気が覚めたのか、音を立てて席を立ち上がった。そして声の主が士道であることに気がつくと、すぐに隣に座っている狂三の椅子の背に身を縮めながら隠れた。

 縮めながらと言っても、狂三とそう身長は変わらない京乃はそこまで隠れられていない。完全に姿を隠すつもりならば無謀な試みと言わざるをえないだろう。

 

「あの、京乃さん? わたくしの後ろに隠れないでいただきたいのですが」

「……! す、すみません……」

 

 流石に無理があったとは分かっていたのか、京乃は狂三の陰から出てきて謝った。士道は京乃に避けられてショックを受けたような顔をしたが、何とか持ち直したのか苦笑しながら狂三に話しかけた。

 

「すまん狂三。悪いが少し観月と話していいか?」

「ええ、勿論構いませんわ」

 

 にこりと笑みを浮かべて狂三は頷いた。それを見て、少し顔を強張らせていた士道の表情がほっとしたものへと変わっていた。

 

「観月、この前忘れ物しなかったか?」

 

 士道は小声でそう言うと、自分の後ろに隠すように持っていた士道の私物にしては可愛らしい、花の刺繍などが施された布製のペンケースを京乃に見せる。すると、京乃は目を丸くした後に嬉しそうな声を上げた。

 

「は、はい! 家にあったんですね……良かったです……!」

 

 京乃の反応を見てか目を細めた士道は、ペンケースを京乃に手渡す。

 

「す、すみませんでした。この恩は必ず……!」

「恩は返さなくていいぞ。それよりも前言った料理のコツなんだが……」

 

 京乃はどこからかメモ帳を取り出して、熱心に話を聞き始めた。要所要所で相槌を打ち、知らなかったことがあると嬉しそうにリアクションしてメモ帳に書き始めた京乃を見てか、心なしか士道も嬉しそうに見える。

 

「そういうことだから、じゃあな」

「は、はい。わざわざありがとうございました」

 

 士道が自分の席に着くまで京乃は頭を下げて、数十秒後に頭を上げて席に座った。

 士道が見る席をじっと京乃の頬は朱く染まっている。

 それを見た狂三は、自然に言葉を洩らした。

 

「京乃さんは士道さんのことをお慕いしておりますの?」

「……何で、そんなことを?」

「ふふ、何ででしょうね」

 

 京乃ははぐらかすような物言いに、じとりとした視線を返した。狂三はそれを受け流して同じ言葉をもう一度繰り返す。

 

「それで、京乃さんは士道さんをお慕いしておりますの?」

「貴女には関係ないことじゃないですか」

 

 京乃は狂三の逆方向の窓側へとつーんと顔を背けてしまったが、その顔は朱く染まっていた。

 京乃は士道のことを好きなのは間違いないだろうが、中々認めようとしない。それを()れったく思ったのか、狂三は意地悪そうな笑顔を浮かべる。

 

「そうですの? では、わたくしが士道さんと恋仲になってもよろしいのですね」

「そ、それは……えっと」

 

 歯切れ悪く、先ほどよりも明らかに狼狽(うろた)える京乃を見て、狂三は自然に笑みをこぼした。

 

「ふふ、冗談ですの」

 

 その言葉に目に見えて安心していた京乃だったが、そのことに少しの悪戯心が湧いたらしい狂三は言葉を続ける。

 

「でも、その内に冗談でもなくなってしまうかもしれませんわ。士道さんがわたくしのものになってしまう可能性……ということも頭に置いておいてくださいな」

「……っ!?」

 

 士道が狂三のものになる。

 狂三がそう言った瞬間に、京乃の顔は林檎のように赤くなった。つまり、京乃は士道と狂三が恋人になるという意味に捉えたのだろうと狂三は察した。

 もっとも、狂三は紛らわしくしようとしていたのだから、京乃の反応だって間違ったものではないのだが……狂三の言わんとする本来の意味とは違っていた。

 狂三は、士道を自分のものとしようとしている。士道の時間を、つまりは士道の寿命と霊力を吸い取ろうとしている。

 その事実を知ったら隣の少女はどう思うのだろうと、狂三は考えてみるが……そんなことを考えたって仕方がない、京乃がその事実に激怒しようが悲しもうが狂三の為すことは変わらないのだとすぐに考え直した。

 

 

 京乃の筆記用具は戻ってきたが、この日はずっと京乃は狂三と共同で教科書を使っていた。

 帰りのホームルームが終わった後、狂三は自分を待っていてくれた士道の元に向かう。

 士道には、学校を案内してもらうという約束を取り付けてある。士道を狙っている狂三にとって、これは好機だ。

 

 

 

 

 ♢

 

 士道達に学校を案内してもらった狂三は、宵が近くなってきた空の下で一人歩いていた。

 本当は今日にでも士道を食べるつもりであったのだが、妨害が入ってしまった。

 悲願を達成するまであと少しというところだったのだからお預けを食らってしまったように思えてしまうが、別にいつでもは食べることが出来るのだ。そこまで気にすることでもないだろう。

 それに今日は楽しかった。

 士道、そして京乃達に学校を案内された時は、まるで昔の学生時代を思い出すようで……

 

 ああ、いけませんわ。

 狂三はすぐに思いを振り払う。

 今の自分にはそんな考えは不要。ただ原初の精霊を殺すことだけを考えていればいいのだ。

 その為に士道に接触したのだから。

 士道を食べることさえ出来れば、きっと時間遡行することが出来る十二の弾(ユッド・ベート)を打つのに充分な霊力を手に入れることが出来る。

 悲願を達成した暁には……新たな精霊が誕生することも、狂三が闘う必要も、他の人達から時間を吸い上げる必要もなくなる。

 狂三にとって、その事実がどうしようもなく嬉しいのだ。

 

 狂三は鼻歌を歌いながら歩いていると、前方不注意が原因で誰かとぶつかってしまった。

 

「あら、申し訳ありませんわ」

 

 ぶつかってしまったのは自分に否があるからと、謝った狂三だったが、その男と仲間達は因縁を付けてきた。

 どうやら前方をたむろっていたのは不良だったらしい。それならそれで構わないと、狂三は先程まで浮かべていた笑みをより深いものに変える。

 

「あらあら、もしかして……わたくしと交わりたいんですの?」

 

 原初の精霊を殺して全て正常な世界にする為に、まずは力を蓄えなくては。

 

「ああ、ああ。士道さん。焦がれますわ、焦がれますわ……! 早くわたくしのものになってくださいまし」

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 士道達に学校案内をしてもらった翌日。

 狂三の分身体はいつも通り真那に(処分)されたが、狂三は士道に会う為に登校することにした。

 

「おはようございます、京乃さん」

 

 朝のホームルーム終わり。

 狂三に声をかけられた京乃は、ちらりと顔を狂三に向けるとすぐに手元のノートへと向き直る。

 

「……おはようございます、時崎狂三さん」

 

 折紙からは動揺を見受けられるが、京乃からは特に昨日と変わった様子は見受けられない。

 昨日と変わらずに不審そうに見られるだけだ。

 

「狂三でいいですのよ」

 

 狂三が笑みを浮かべてそう言うと、京乃は少し逡巡した様子で狂三を呼んだ。

 

「……おはようございます、時崎さん」

 

 どうやら名前呼びには至れなかったらしいが、昨日まではフルネームで呼ばれていたのだから進歩と言えるかもしれない。そんなことを考えながら、狂三はにこりと笑みを浮かべる。

 

 昼休み。

 折紙に屋上前の階段に連行された狂三は、連れ出されたのは折紙が士道に構っている狂三を気に食わなかったからだと思っていた。しかし、その行動の理由が、死んだはずの精霊が何故生きているのか知りたかったと知り、士道に本性がバレてしまう可能性を懸念した。

 だから折紙に()()()()()()脅しをかけたのだが、その最中にたまたま折紙の胸ポケットに手を突っ込んだ狂三達の手に違和感があることに気が付いた。

 折紙の注意を逸らしてそれを取り出して、狂三のスカートの内ポケットの中に仕舞いこんで、折紙から距離を取った後にそれを取り出して見る。

 

「あら?」

 

 折紙が持っていたのは一枚の写真だった。

 公園のベンチで少年が所在なげに座っている姿が至近距離で撮られた写真。映っている青髪の男の子は小学校に入る前くらいの歳に見え、士道をそのまま小さくしたような……いや、きっと士道本人の幼き頃の写真なのだろう。

 

「……ふむ」

 

 何で折紙がこんな物を持っているのかという疑問はともかく、狂三はこの写真に興味を持った。

 あんなにも素敵で優しくて……何よりも美味しそうな士道の過去。それがどのようなものだったのか、少し知りたくなったのだ。

 そこまで考えた狂三は霊装を纏い、おもむろに拳銃を取り出した。と、そこでここで銃を使ってしまえれば騒ぎになるという可能性に気がつき、場所を移動しようと屋上の扉に手をかける。昨日締めなかったものをそのままだったのか、鍵はかかっておらずに簡単に開いたので、狂三はそのまま屋上に入って扉を閉める。

 

一〇の弾(ユッド)

 

 そう呟いた後に写真を自分の頭につけ、写真越しに拳銃で弾を撃った。

 

 一〇の弾(ユッド)

 撃った対象の記憶を読み取る能力。

 情報収集にとても有利で、中々重宝している能力だ。

 狂三はこれを使って原初の精霊についての情報を集めることもしているが、そちらは難航している。しかし、今回の件についてはどうやら上手くいきそうだと悟り、狂三は写真の記憶に意識を傾けた。

 

 そして数十秒後、狂三は自分の頭に入ってきた情報に困惑した。

 士道と京乃が公園で話していただけだ。二人がまた遊ぼうと約束をしようとするだけで、その会話の内容だって特殊なものではない。

 しかし、京乃がベンチに座っている士道に話しかけている距離感と雰囲気が、明らかに今の二人とは異なっていた。顕著なのは京乃だろう。ガワ(見た目)以外は別人のようにしか見えない。

 すぐさま教室に戻り、先程の記憶について京乃に尋ねようとした狂三だったが、口を開こうとする度に折紙に睨まれて、聞きあぐねていた。

 どうやら、折紙は先程の経験で過敏になってしまっているらしく、結局狂三はこの日、京乃に聞くことは出来なかった。

 

 

 

 ♢

 

 翌日の午後三時半頃。公園で士道とデートをしていた狂三は、通算三十度目のトイレに出かけた士道を待つ時間に飲み物を買おうと、公園近くの自販機で購入する。その帰り道に、寄ってたかって子猫をチャチなオモチャで甚振(いたぶ)っている男達を見つけた。

 子猫においたをした彼らに制裁を加えている所を士道に見られてしまい、名残惜しいながらも狂三は士道を力の糧にしようとした。

 しかしやはり真那に邪魔をされ、結局士道を取り込むには至れなかった。

 

 狂三が街中で雑踏に紛れてどうしたものかと考えていると、自分を尾行している人物がいることに気がついて眉をひそめた。

 先程、可哀想な程狂三に怯えていた士道は違うだろう。それなら真那か、その他のASTやDEM社の人間だろうか? 

 どちらにしても狂三が一人になったら仕掛けてくるはずだ。少々面倒くさいが対処をしておこうと思い、人のいない路地裏にその人物を誘い込んでみて……そして狂三は、予想だにしていなかった人物がいたことに目を丸めた。

 

「京乃さん、どうなされまして?」 

「……!?」

 

 耳元に身を寄せて声をかけると、京乃は身を震わせて振り返った。

 どうやら狂三を追いかけてきていたのは京乃だったらしい。京乃にどうして追われていたのかは分からないが、もしかしたら本当に真那の仲間なのだろうかと思案する。

 ……それにしては辺りに仲間の気配がないし、武装も展開していない。幾ら自分の力に自信があるにしても、可笑しいだろう。

 

「驚かせてしまいましたか? ですが驚いたのはこちらも一緒ですのよ? 京乃さんがわたくしを追いかけてくるとは思いませんでしたの」

 

 狂三はおどけたように肩をすくめた。

 本当に京乃がいるとは思っていなかった。偶然見つかってしまったのだろうが、それにしたって京乃の心の内が見えない。

 

「それで、京乃さんはどうして私を追いかけたんですの?」

「……最初は普通に声をかけようとしましたが、中々追いつけなかったんです」

「なるほどなるほど」

 

 明らかに尾行されてたが、どうやらその理由については教えてくれないらしい。しかし、次に発せられた言葉で狂三はその理由に辿り着く。

 

「……さっきまで五河君と一緒にいたんですか?」

 

 どうやら、士道とデートをしている所を見られたらしい。そのことに気がつくと、どこを見られていたのだろうかという疑問が浮かんだ。しかし、人を殺した場面を見られたなら、士道と同じような反応をするものだろうと、すぐに重要な場面は見られていないだろうと当たりをつけた。

 

「ええ」

「何故、ですか。何故、あなたは五河君と一緒にいたんですか?」

「わたくしが士道さんと一緒にいるか、ですの? すみません、不快に感じてしまいましたか? わたくしはこの街についてよく知らないので、士道さんに案内してもらってましたの」

「……そう、ですか」

 

 納得していないように呟いた京乃に、狂三は丁度いい機会だからと質問をした。

 尋ねたのは、士道と京乃の関係性だ。

 昨日思わぬ所で二人の昔の記憶を見た狂三は、そのことが気になってしまったのだ。

 京乃が嬉しそうに語った情報によると、士道は五年前の火災で全焼してしまったことが理由で自分の家の隣に越してきた。それだけの関係らしい。

 狂三はそんな訳あるかと言いたくなるのを堪える。

 五年前にこの近くで起こった火災については、狂三も知っている。何せ、狂三は精霊が関係しているかもしれないと現場を見ていたのだから。問題はそこではない。

 前に得た記憶では、どう考えても士道も京乃も小学校にすら入学していない年齢時点で出会っていた。しかし、嘘をつく意味も分からないし、ついているようにも見えない。

 ……何者かの意図があるのか。はたまた、ただ単純に京乃が忘れん坊なだけか。

 それを知る為にも情報を掴もうかと考え、狂三は京乃と別れようとした。しかし、そこで京乃に呼び止められる。

 

 

 ──(士道)を悲しませるような真似をしたら、私は貴方を許さない。

 

 京乃は()めつけて狂三にそう伝えた。

 それは、真那や折紙が狂三に向ける視線とは、比べものにならないほどに弱々しいものだった。士道を悲しませるような真似なんてもの、度が過ぎるようなことをしている狂三には、もう届きようのない言葉だ。そのはずだったのに、確かな意思を持った言葉に狂三の心は動かされた。

 

「──ええ、心得ましたわ」

 

 奪うのが士道ひとりの命だろうと、彼を想う京乃や士道の家族の人生を狂わせてしまうのはとめられない。改めて、自分のしようとしている事実が重圧となってのしかかる。しかし、歩みを止める訳には行かない。原初の精霊を殺すまでは、歩みを止める訳には行かないのだ。

 

 

 ♢

 

「狂三、俺はお前を救うことに決めた」

 

 士道と愛瀬を交した次の日の朝。

 下駄箱で士道からそう告げられた狂三が最初に感じたのは、呆れと怒りだった。狂三のことを何も知らないのに何を救うというのか。

 しかし、次に感じたのは昨日あんなに酷い目にあったのによく自分に立ち向かえるなという感心だった。士道の態度からは、ある種の決意があるのが分かった。だからこそ……邪魔だと思ったのだ。

 もう少しだけならこの日々を続けてもいいと思ったが、どうやらこれまでらしい。

 そう思った狂三は、放課後に屋上で会う約束を取り付けて教室に入った。

 そして狂三が自分の座った数分後、飲み物を買いに行っていたらしい京乃に挨拶をしたら、彼女の顔は苦々しく歪んだ。今日までも快く返事をしてくれたことはなかったが、この反応は初めてのような気がする。

 狂三は京乃に嫌われたのかと己を振り返ってみると、思い当たる節はそれなりに多かったので失笑しそうになった。

 しかし、京乃が顔を歪ませたのは狂三が嫌いだからという理由ではなく、ただ考えごとをしていただけだった。京乃はその考えごとの末に、狂三に何がしたいのかと質問をしたが、要領を得ないものであった為にすぐに打ち切った。

 

「京乃さん、今日は帰りのホームルームが終わったらただちに家に帰ることをおすすめしますわ」

 

 狂三がそう言うと、京乃は豆鉄砲を食らったような顔をした。

 

「どうしてですか?」

「最近は何かと物騒ですから」

 

 狂三が京乃に忠告したのは、ただの気まぐれだった。それ以外の何物でもない。

 別に京乃ひとりがいなかった所で、貰う時間の量なんて然程変わらない。そもそも、それは士道に対する威嚇行為であり、少し時間を貰えたらいいなくらいにしか思っていない。……そう。士道の時間さえ奪うことが出来たなら、そこまで大差ないのだ。

 

 

 放課後、士道から時間を奪おうとした狂三だったが、余計な茶々が入って首尾は上手くいかなかった。

 しかし、それでも最初は狂三が優勢だった。

 最初は……つまり最終的には不利になった。

 立ち向かってきた真那を行動不能にして、途中から駆けつけてきた折紙と十香の気絶させ、士道を分身体を使って拘束するまでは良かったが、そこから先が問題だった。イレギュラーが起こったのだ。

 狂三にとっては千載一遇のチャンス、士道にとっては絶体絶命の危機に突如としてその存在、炎の精霊は現れた。

 七の弾(ザイン)を使って炎の精霊の時間を止めて、心臓や脳などの致命傷に銃弾を打ち込むのには成功した。そして動かなくなったのも確認した。それが油断したのがいけなかったのだろうか。その後に()()した彼女との闘いは苦戦を強いられた。

 しかし、それでもまだ勝負が決まるというほどではなかった。決め手となったのは、顔を歪めて膝をついた炎の精霊が立ち上がった瞬間……別人のような表情になった時だろう。

 

 爛々と真っ赤な目を光らせた炎の精霊は、狂三を睨めつけて、持っていた巨大な戦斧〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を天高く掲げて、その手を離した。

 離したにも関わらず、その場に静止した状態で〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の刃が空気に掻き消え、(こん)のみがその場に留まる。

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉──【(メキド)】」

 

 その声に呼応するように、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は柄の部分を本体に収納し、炎の精霊の掲げた右手に包み込むように着装された。

 身体の周りの炎を〈灼爛殲鬼(カマエル)〉に充填させ、棍の先端を狂三に向ける姿は……まるで一体の大砲のようだった。

 今までとは比べものにならない火力の攻撃が、繰り出される。そのことを察した狂三は恐怖し、自身の分身体達を招集して自分の周りを固める。

 そして、その時は訪れた。

 

「──灰燼(はいじん)と化せ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 炎の精霊が冷淡な声でそう言った瞬間、彼女が構えた巨大な戦斧から、凄まじい炎熱の奔流が放たれた。

 巨大な火山の噴火を数十センチの範囲に凝縮したかのような圧倒的な熱量が、狂三の分身体を、そして狂三の左腕を消し飛ばした。

 同様に狂三の天使の時を操る巨大化な時計盤、〈刻々帝(ザフキエル)〉の『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』の数字があった所も綺麗に抉り取られている。

 ……戦力差は明らかだった。

 狂三は戦闘が続けられる状態ではなく、絞り出すように息を吐き、その場に膝をつく。

 だが、炎の精霊は武器を仕舞わない。狂三に戦いを強要し、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の砲門に炎を充填していく。

 次の攻撃は、避けられない。

 

「狂三!」

 

 そう言って、狂三の前に立ちはだかったのは士道だった。そんなことをしても意味がないのに、馬鹿な程にお優しい人だ。狂三は諦念して目を閉じる。

 

 ──しかし、狂三は強い衝撃を持って突き飛ばされ、その瞬間に先程まで二人がいた付近には全てを焼き尽くす紅蓮の咆哮が放たれた。

 狂三は慌てて辺りを見渡すと、すぐ近くに士道が倒れ込んでいて、有り得ないとでも言いたそうな表情で前方を見ていた。狂三もその視線に沿った方向に目を向け……そして、狂三を突き飛ばした人物を目にした。

 狂三は、その人物には見覚えがあった。

 

「きょ……の、さん……」

 

 掠れた声しか出なかったが、そうでなかったとしても大した意味もなかったのかもしれない。

 

「君に、大した怪我がなくて良かった。本当に、良かった」

 

 安堵した表情でそう言い、目を瞑った京乃。

 彼女の目には狂三も炎の精霊も、折紙や十香さえも目に映っていないようで、ただ一人だけを見つめていた。

 狂三が炎の精霊の攻撃から逃れられたのは、間違いなく京乃のおかげだろう。

 しかし、京乃の行動は狂三を助ける為ではなく、ただ士道を助けるだけのものだったのだろう。

 狂三が助けられたのは、ただの偶然だ。

 

 ぞっとした。

 

 京乃は意識を失うまで、士道から目を離すことはなかった。ただ安堵した表情で士道を見つめ、狂三には一度たりとも目を向けることはなかった。

 この調子では、もしかしたら炎の精霊の存在も見えていなかったのかもしれない。

 しかし、そうだとしても、全てが士道の為だったとしても。今の攻撃を避けられなかったら、いくら狂三とて、無事では済まなかった。一応とはいえ、助けられたのだから恩返しくらいはするべきだろう。

 命の灯火が消えかけている京乃に向かって銃を向けると、士道から制止の言葉をかけられた。

 彼もいつ気絶するのかも分からない状態ですのに、難儀なことですわね。

 くすりと笑って、天使を無理やり展開させて京乃に向けた銃を撃つ。

 

「──四の弾(ダレット)

 

 京乃がまだ死んでいないと言うのであれば、まだ打つ手はある。

 借りというものを返すこともできる。

 

 炎の精霊との戦いで、霊力の消費は激しいですが……まあ、そのお礼はまた今度の機会にでもいただきましょうか。



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狂三キラー 後日談

 

6月5日

朝に四糸乃ちゃんに会って軽く話をしていたら遅刻ギリギリになってしまった。遅刻にはならなかったんだから、そこは不幸中の幸いなのかな? 

あと、今日の特筆すべき出来事といえば、クラスにまた転校生が来たことだろうか。

時崎狂三、それが私のクラスに来た転校生だ。

五河君に気があるような態度を取っていて、放課後も彼と二人きりでデートをしようとしていた。彼女の積極性は凄くて、ちょっぴり妬ましい。

それは折紙さんと十香ちゃん、そして私によって阻止する結果となったんだけど、一緒に校内を案内することになるとは思わなかった。なんというか、私とは相性が悪い相手だ。

学校が終わり家に着いた後は、七罪が誕生日を祝ってくれた。女友達に誕生日を祝って貰えるなんて初めての出来事で、凄い嬉しかった。五河君には到底頼めないことだけど、また来年もこうやって七罪と祝って遊べればいいなと思う。……そう言えば、七罪の誕生日っていつなんだろう? 

私も、七罪にお祝いしたいな。

彼以外にこんなに興味を持ったのは初めてだったような気がする。でも、自分がこんな気持ちになれることが嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 

6月6日

朝起きたら手紙が机に置いてあった。

七罪が私に宛てて書いてくれた手紙らしい。

大切に宝物として扱うことに決めた。

私は五河君が好きだ。頼もしい彼が好きだ。

でも本当は、彼が困った時は助けを求めてくれるくらいに頼もしくなりたい。

今の私じゃ力不足だろうし、それは遠い未来になるのかもしれないけど……それでも、五河君の征く道を支えるくらいは出来るようになりたいと思う。

 

 

6月7日

創立記念日で学校が休みだから、七罪と遊べたら良いなと約束をしていたのだが、何と本当に遊べた。

七罪はとても素敵な子だ。パンダローネのストラップだって取ってくれたし、一緒に五河君も探してくれた。

最後まで一緒に遊べなかったのは残念だけど、五河君を近くの公園で見つけることが出来て幸せだった。

少し辛そうだったので助けになりたかったけど、私ではまだ力不足みたいだ。

もっと頑張らないといけないな。もっと頑張って、もっと彼には笑顔になってほしい。

だって、彼には笑顔が似合うもの。

もう辛い顔なんてしなくていいって、もう何にも苦しめられる必要なんてないんだって、言ってあげたいんだ。

 

 

 

6月8日

下駄箱で士道くんと時崎狂三が話しているのを聞いた。

内容はよく分からなかったけど、何か不穏な雰囲気だったのを感じ取れた。

会話の最後に時崎狂三が放課後に屋上に来てと五河君に言っていたのが心に残っていて、授業後に五河君の後を追いかけることにした。

 

 

 

気がついたら廊下に倒れていた。周りの皆が気絶している中で、五河君の姿だけがないことに気がついた。だから私は歩いて、屋上に行く途中で変な人影にまた会ってしまっ

だから私は 選択、しないと

 

 

 私にとっては大切な思い出だった。それを消されたくはなかったし、それが残っていたとしても、不完全に残るぐらいなら完全に残してくれた方が良かった。それが駄目なのであれば、全てを消して欲しかった。それだったら、こんなに悩む必要もなかったのに。

 

 

 ごめん、今度からは気をつけるよ。そんな具合に士道の目の前にいる幼馴染は謝った。

 悪いことをしたら謝るのは当たり前のことだ。でも悪いこともやましいこともないのに謝る意味はないだろう。

 士道は上辺だけの謝罪が聞きたかった訳ではないし、疑問に思ったことを聞きたかっただけだ。

 幼馴染は、士道が男友達や少ないながらも存在する女友達と遊んでいることは歓迎して、自分のことのように喜んでくれた。しかし幼馴染が士道との約束を破ったことがなく、そして自分以外の知り合いと遊んでいる所を見たことがなかった。

 だから幼馴染に自分以外に遊ぶような知り合いがいないのか聞きたかったのだが、彼女は謝るだけで理由を話さなかった。そこで、勇気を一歩踏み出して士道は理由を尋ねた。すると今度はすんなりと、照れもせずに微笑んで口を開く。

 君と一緒にいる時間が一番大切だから。

 嘘偽りなくそう言われれば、士道としても顔を赤く染めて狼狽えるほかなかった。

 

 

 

 

 

 

「……またか」

 

 士道は目蓋を閉じたまま、そう呟いた。

 同じような夢を見るのは今日が初めてではない。高校二年生になってから、尋常ではない頻度で似たような夢を見るようになった。

 悪夢でもないし、甘酸っぱい思い出は、士道の中に心地良く溶け込むように入ってくる。

 

 ただ、今回はその限りではなかったようで、先程から頭が痛い。額を触れるが、外傷はないようだ。ただ、じんじんと鈍い痛みが頭の中にくすぶっているような気がする。

 額を押さえたままで目を開けると、大小様々な配管が剥き出しになっている天井が広がっていた。

 寝た状態で周囲を見渡すと、等間隔に並べられたベッドと仕切りのカーテンが目に入った。

 士道はそこまで確認した所で、ここは琴里が所属する〈ラタトスク〉の所有する空中艦〈フラクシナス〉の医務室だと思い出した。

 

 軋きしむ体を無視して身体を起こすと、士道の寝ていたベッドに寄りかかる形で眠っている十香の姿があり、呼びかけてみるが返事はない。

 よく見てみると、その眠り姫のような美貌からよだれが一筋垂れている。……それさえなければ映画のワンシーンみたいなのに勿体ない。

 寝ている十香を起こさないように、音を立てないことを意識してベッドから降りる。

 宙に浮いた足を地面に着けるが……、やはり少し身体の節々が痛む以外は問題はない。火傷もないようだった。

 ……火傷もない? 

 何でそんなことを考えたんだろうかと、士道は戸惑った。怪我をしていないなんて当たり前のことで……

 士道はまだズキズキと痛みを発している額を押さえながらそこまで考えた後で、一人分の足音が聴こえてきたので佇まいを直した。そのタイミングで銀色の髪と目の下の隈が特徴的な人が現れる。

 

「……起きたか、シン」

「は、はい」

 

 どうやら足音の主は彼女だったらしい。

 村雨令音。ラタトスクの優秀な解析官であり、士道のクラスの副担任でもある人物。今日もいつものように、白衣のポケットから継ぎ接ぎだらけのクマのぬいぐるみが顔を覗かせていた。

 

「あの、どうして俺はここに……?」

「……ああ、狂三との交戦の後、気絶した君をここに搬入したんだ」

「狂三との、交戦」

 

 そう呟くと、一気にその記憶を思い出す。

 屋上で狂三を救おうとしたがうまく行かなかったこと。全力を出した狂三と精霊の格好をした琴里が、戦っていたこと。琴里が狂三のことを殺そうとしたこと。……そして、狂三を守ろうとした士道と狂三は、京乃に身を賭して守られたこと、そしてその京乃は狂三に銃に撃たれたこと。

 全てを思い出した瞬間、士道は弾かれたように令音に掴みかかった。

 

「観月はどうしてあんな所に!? 狂三の時喰みの城で皆眠っていたはずで、それなのに何で……死んだ……んですか」

「死んでいない。彼女は無事だ」

 

 言葉だけでは、本当かは分からない。

 しかし、士道は令音が理由なく嘘をつく人ではないことを知っているし、士道の懸念事項は京乃のことだけではない。

 

「それなら真那は無事ですか!? 狂三だって……生きているんですよね!? 琴里って精霊だったんですかっ!? 学校の皆だって……!」

 

 聞きたいことは湯水のように溢れてくる。

 士道は令音に掴みかかったまま、彼女に説明を求めた。正常な思考回路なんて持ち合わせておらず、ただただ混乱していた。

 落ち着きを失っている士道を、令音はいつものように眠そうな表情で見ていたが、そっと士道を抱き寄せた。あまりに突然の出来事に士道は咄嗟に反応出来ない。気がついた時には、士道の顔は令音の豊満な胸に埋もれて……恥ずかしさもあるものの、冷静さを取り戻した。

 

「シン、落ち着きたまえ。順を追って説明する」

「……は、い」

 

  話を聞ける状態にはなったものの、先ほどの出来事が原因で士道の顔は赤いままだ。そのことに気付いてか気づかずか、令音は言葉を続ける。

 

「私の知る限り、死者は出ていない。折紙と真那はASTに回収された。狂三には隙を突いて逃げられた。琴里はここにいるが……」

 

 逡巡するように、令音は士道に視線を向けた。後の選択は士道に任せるということなのだろう。意図を察した士道は力強く頷いた。

 

「会わせてください……!」

「……いいだろう。着いてきたまえ」

 

 頷いた令音は、部屋から出た後はいつもの艦長室に向かうのとは違うルートで歩いていき、そしてひと目見ただけで厳重だと分かる部屋にたどり着く。

 

「村雨令音」

 

 令音がパネルを入力し、手を乗せて機械に名前を伝えると、分厚い扉は重々しく開いた。

 

 そこには──琴里がいた。プライバシーのへったくれもない透明な壁の中で、優雅に紅茶なんかを飲んでいるが、士道達には気がついていないようだった。

 

 士道が令音に目をやると、彼女はこくりと頷いた。ここからは琴里と士道、二人きりで話す時間だということだろう。今は集中しなくてはならないだろうと頬を叩いて気合いを入れ、令音と同じように指紋認証と声認証をして開いた扉を潜り、部屋に足を踏み入れる。

 その瞬間、中で紅茶を飲んでいた琴里の目は士道を捉えた。

 

「士道、起きたのね」

「ここっ、琴里こそ大丈夫か!?」

 

 高校の屋上で精霊の姿になって士道の前に現れた琴里。事情は後で聞くとして、取り敢えずは普段通りにしなければならないだろうと士道が声をかける……が、その声は緊張で上ずってしまった。それを聞いた琴里は鼻で笑う。

 

「ココッってニワトリか何か? ああ、自分は鳥頭ですと自己申告してくれたの? 士道にしては中々気が利いているじゃない」

 

 そこにいたのは、いつも通りの琴里だった。正確には、士道の目にはいつも通りに見える琴里の姿があった。

しかし昨日あった出来事が原因でその光景に違和感を生じさせている。その為か、言いたいことはたくさんあるはずなのに中々言葉が出てこなかった。

ㅤ琴里はそんな士道を尻目に優雅に紅茶を飲み、ミルクを垂らしてマドラーでかき混ぜて、そのマドラーを取り出す。

 

「それチュッパチャプスかよ!」

「何よ、悪い?」

「悪くはないけど……ちょっと衝撃が……」

 

ㅤ士道と接している琴里の姿がいつもらしいというのもあり、少し緊張が解けた。

 

「琴里、本当に大丈夫なのか?」

「今のところは大丈夫よ。士道も元気そうね」

「あっ、ああ」

 

ㅤ勢いよく頷く士道を見て、琴里はほっとしたような表情でひとこと。

 

「……良かった」

「え? 琴里、今なんて……」

「何でもない!」

 

ㅤ顔を赤らめた琴里はそう言った。それでも士道は気になったのか口を開いたが、言葉を紡ぐ前に聞こえてきた咳払いで尋ねそびれた。

「士道。貴方は小言の一つでも言ってやりたい所だけど……本題に入る前に一つ聞きたいことがあるの、良いかしら」

「勿論だ」

 

 力強く頷いた士道に流石私のおにーちゃんと笑い、琴里は彼を見据える。

 

「京乃のことよ」

 

 一言そう告げると、琴里はちらりと士道を見た。その様子が普段と何も変わらないことを確認すると、紅茶の入ったカップを軽く傾ける。

 

「令音から無事は聞いているわ。狂三には……感謝しないといけないわね」

「……?」

 

ㅤ複雑そうな表情を浮かべている琴里に、士道は首を傾げる。そこで狂三の名前が出てくる理由が分からなかったのだ。

 

「令音から聞いてない? 

怪我もなく、無事だってね」

「あ、ああ。俺も無事だって言うのは聞いている」

「そう。顔はまだ見ていないのね?」

「……ああ」

「私も会いたいけど……生憎この状況だしね。士道に、一旦はお願いしていいかしら」

「勿論だ」

「……ありがと」

 

 微かに微笑むと、すぐに引き締めるような表情に戻る。

 

「京乃には不審な点がいくつかある。彼女が何かを企んでいると言いたい訳じゃないけど……それにしてもおかしいのよ」

 

「狂三の時喰みの城が解けたタイミングで現れたから、忘れ物をして学校に戻ってきたって可能性もある。それか、学校にはいたけど解けたタイミングでタイミング良く自我を取り戻したという可能性もあるわ。

それでも不思議なんだけど、京乃はどうしてあんな所にいたのかしら」

「……少しなら、心当たりがある」

 

 士道が恐る恐るといった感じで口を開くと、琴里は目を見開いた。

 

「心当たり? あるならさっさと言いなさいよウスラバカ!」

「い、いや、確証がなかったから言っていいかと迷って……」

 

 士道は糸を手繰り寄せて解くように、少しずつその時のことを思い起こす。狂三と戦うことになってしまう前、下駄箱で狂三と話している時のこと。

 

「実は狂三に放課後に屋上に来いって言われた時に、近くで観月っぽいやつを見たような気がするんだ。勘違いだとは思うし、そうだったとしても屋上に来る意味が分からないから関係ないとは思うんだが……」

 

 士道は、あの時京乃を見た……気がした。それっぽい後ろ姿を遠目に見ただけだ。本当のところは京乃本人かは全く分かっていない。でも、それなら辻褄が合う。

 

「それなら京乃は士道を助けようとしたのね」

「……何で、あいつがそんなことをする必要があるんだよ」

「そんなの、士道のことが大切だからでしょう」

「え?」

 

 士道は琴里の言葉に戸惑ったような声をあげた。今しがた言われた言葉を信じられないように。

ㅤ琴里は、そんな士道の様子を見て小さく息を吐いた。

 

「気づいていなかったの? どう見てもそうでしょうに」

 

 そうだっただろうかと士道は逡巡した。

 京乃には嫌われているものだと考えていた。そういうものだと諦めていた。しかし、彼女の行動を振り返ると、琴里の言う通りなのかもしれないと考えられるようになった。

 京乃はいつも士道を気にかけていた。気弱な彼女なりに勇気を出して声をかけていたのだと仮定すると、本当に……京乃は、士道のことを大切に思ってくれていたのだろう。

 本心ではまだ、完全に納得することは出来ていなかったが、それでも少し士道の心は少し軽くなった。とは言っても少しだ。士道にはまだ完全に心を軽くすることなんて無理だった。

 

「……ねえ、仲直りは出来たの?」

 

 どことなく心配そうな顔で琴里は尋ねた。

 それを見て、そんなに表情に出ていたのだろうかと士道は頬をかく。

 仲直り。京乃とは喧嘩はしていないが……でも、似たようなものはしたと士道は記憶している。

 十香と折紙……そして狂三の三人とトリプルデートをした時に、偶々出会った京乃に対して、ぞんざいな態度をとってしまい……そして、突き放すような言葉を言ってしまったこと。

 でも、士道は自分が間違ったことをしたとは思っていなかった。この前の狂三の件で確信した。

 十香や四糸乃とはこのまま良い友達でいて欲しいと思うが、それ以上は踏み込まないで欲しいし、それが京乃の為になる。 

 

「もう、深く関わらない方が良いに決まってる」

「……あっそ」

 

 琴里は呆れたような目をして、その後に少し口を歪ませた。その表情がいつもの彼女らしくないように思えて、士道は思わず声をかけた。

 

「琴里?」

「何よ」

「反論とか、しないのか」

「貴方が出した結論なんだから文句はないわ」

「いや、でも何か」

「何かじゃないのよ、文句ないって言ってるでしょ?」

 

ㅤ有無を言わせぬ雰囲気に呑まれてか、士道は渋々といった感じで口を開いた。

 

「まあ、そこまでいうなら分かったけどさ」

「……昨日の話に戻りましょうか」

 

ㅤそこから琴里が語るのは、彼女が精霊になった時の話。

 琴里は人間だが5年前に精霊になったこと。

 そして、士道に霊力を封印されて、またいつもと同じ日常を送れるようになったこと。

ㅤ士道と琴里には当時の具体的な記憶は残っていなかった。何者かに記憶を封じされたように、すっぽりとそこだけ抜け落ちている。

ㅤ不思議に思うも、特に記憶を消した相手は思い当たらない。

 ただ、琴里が精霊になってからは誰かを殺したくて堪らない、何かを破壊したくて堪らないといった破壊衝動に身が包まれるらしく、放ってはおけない。だから今確かなことは、琴里の霊力を封印する為に──琴里をデレさせる必要があるということだろう。

 

 士道の視線はぼんやりと琴里の唇に引き寄せられていたが、硝子の割れる音に意識を戻される。どうやら琴里が持っていたティーカップを落としてしまったらしく、床にはミルクティーとティーカップの破片が落ちていた。

 

「琴里、大丈夫か?」

「……大丈夫よ」

「でも怪我したら危ないぞ。手切ってないか? ちょっと見せてみろ」

 

 士道が琴里の手を見ようとした時、後方で扉が開き、黒い鞄を持った令音に声をかけられる。

 

「シン、時間だ。退室してくれ」

「でも」

「……琴里の方はこちらで何とかしておく。さ、早く」

 

 令音の言葉に琴里は頷いていた。そこまで言われては仕方ないと、士道は指示に従って元々いた部屋に戻る。

 

 

 待つこと数分、令音は戻ってきた。

 

「令音さん、琴里は……」

「大丈夫だ、なんて軽く言えることではないかもしれない。薬で抑えているが、今は不安定なんだよ」

「薬ですか?」

「ただの精神安定剤と睡眠薬だ、琴里の身体に悪影響はない」

 

 そうは言っても、薬で抑えなければならない状況というのは良くない状況だろう。士道もそのことを感じ、焦りを滲ませた表情で令音に話しかける。

 

「今すぐに封印した方がいいんじゃ」

「そうしたいのは山々だが……どうも、霊力が安定するのは6月14日だけのようだ。だから君には琴里とデートをし、精霊としての力を封印してもらう」

 

 琴里の精霊の力を封印しなければ破壊衝動に呑まれて、彼女が彼女ではなくなってしまう。最愛の妹が、いなくなってしまう。

 不安や焦り、恐怖、義務感──様々な感情が士道の中に駆け巡る。それを口に出さないように堪え……今まで通り、そして絶対に琴里の精霊の力を封印するのだと決意した。

 

 

「……京乃についても話してもいいかね」

「もっ、勿論です!」

 

 令音の言葉に、士道は身体を改めた。

 琴里のことは勿論大切だが、だからといって京乃のことを疎かに出来る訳ではない。

 狂三との戦闘において起きてしまったイレギュラーのひとつ。

 狂三との会話を聞かれてしまい、起こってしまった事象。琴里との会話で、士道を助ける為にその一歩を踏み出してしまったのだろうということは分かった。

 敵ではない。情報は足りていないが、それだけは確かなのだろう。だからこそ士道は彼女の安否が知りたかったし、どうしてあんなことをしたのかを彼女の口から聞きたかったし……目で確かめて安心したかった。

 

「京乃はここで眠っている」

「眠っているって本当ですか!? でも、あの怪我は明らかに……!」

「眠っているのは本当だ。怪我に関してだが、どうやら傷一つないようだ」

「傷一つ……? そんな馬鹿な」

 

ㅤ士道が最後に見た京乃は身体の大部分が火傷で爛れており、何とか話せているのが不思議な程だった。そして、意識が失う前に聞いた銃声は京乃を狙ったものだった。

ㅤ命を失わなければ御の字、というよりも命を失わなければおかしい状況。それなのに怪我をしていないという令音を訝しげに見る。

 令音はそれも想定済みだったのか、少し表情を歪める。

 

「実際、そんな馬鹿なことが起きているんだ。現実を受け入れる他ないだろう。……京乃もこの艦内にいる。説明するよりも見る方が君も安心するだろう。着いてきたまえ」

 

 士道は、再び歩き出した令音の後を着いていく。先程とは違う道のりで、治療室と書かれた部屋に辿り着く。

 中に入って見渡すと、保健室のような部屋の中では誰かがベッドで寝ていることに気がついた。

 寝ている人物は京乃だった。寝息を立てて眠っているようで、起こすのも忍びなく感じて……しかし不思議と目を離せなくなった。寝ている姿はいつもよりもあどけなく見える。

 布団を被っているせいで身体は分からないが、顔には火傷も怪我一つないように見える。顕現装置リアライザの技術を駆使しても、一日と経たずにこうも綺麗に治ることはないだろう。

 

「本当、ですね。どうして怪我がないんでしょう」

 

 士道からそう質問されることを想定していた為か、令音は小さく頷いた。

 

「原因には目星がついている。多分狂三の能力によるものなのではないかね」

「何で、そう思うんですか? 狂三は身動きも取れずに無抵抗な観月相手に、銃を向けたんです」

 

 士道は自分の言葉に迷いがあるのか、握りしめた拳を震わせてそう言った。

 士道は、狂三とデートをした日……そして彼女が人を殺した瞬間を目にして、絶望した。精霊は救わなければならない存在だという決心が揺るぐ出来事だったのだ。

 しかしその後に京乃と出会ったこと、そしてかつて自分が救った精霊……十香の言葉もあり、少しだが狂三と向き合う勇気が出た。

 それを経ても、士道は狂三がどんな人物なのかを測りきれていない。

 

「だからこそ、狂三の能力が関係していると思うんだ。シンはあの後気絶したから分からないかもしれないが、狂三が京乃に銃弾を放った後、不思議なことに京乃の火傷は跡形もなく消え去ったんだ。だが……少し問題があってな。京乃の額に手を当ててみるといい」

「えっ、でも……」

 

 女の子の肌に触れることに抵抗があるのだろう。士道は分かりやすく狼狽した。

 

「その方が分かりやすいんだ。京乃も嫌がりはしないだろう」

「し、失礼するな」

 

 聞こえている訳ではないだろうが断りの言葉をいれ、士道は京乃の額に自分の手を乗せる。そして、違和感に気がつく。

 

「……熱?」

「今、京乃の意識は混濁している。その原因は昨日の……狂三との戦いだろう。怪我を狂三の能力で治すことが出来たものの、彼女の力はそれだけではなかったらしい。ただ、前例がないからどうなるのか分からないし、ずっと寝たきりというのもありえるのかもしれない」

 

 そもそも精霊という存在だってまだ未知であり、Ifの話のするのであれば限りない。

 もしかしたらすぐに目を覚ますのかもしれないし、そうではないのかもしれない。未来を知ることなんて──それこそ精霊でもなければ不可能だろう。

 

「そんなことって」

「そこで()()()()()()、彼女が屋上であの光景を見てしまったことは、我々に不都合のあることだし、彼女にとっても負担になることだろう。記憶消去の処置を施した後にフラクシナスの息のかかった病院に送ろうと思うのだが、シン……構わないだろうか」

「どうしてそんな重要なことを俺に聞くんですか?」

「君が望むなら彼女は必ず了承する。それが分かっているから、いつ目が覚めるか分からない彼女よりも君に聞いた方が良い」

 

 決められる訳ない。それが士道の本心だった。

 多少は仲が良いが、それでも今後に関わることについてなんて、家族でもないのに決めていいものだろうか。

 ……しかし、そんな思いとは別に、士道の中には沸き上がるものがあった。

 

 士道のことが大切だから助けたのだろうと琴里は言っていた。士道には理解出来ないことであったし、そんなことはあってはならないと思った。……精霊でもなければASTに所属している訳でもないであろう少女がこれ以上戦場に来てしまう可能性は、減らしておきたかった。

 だから士道はある種の覚悟を秘めた表情で、令音に問いかける。

 

「令音さん。それって観月に危険はあるんですか? 後遺症が残ったりはしないんですか?」

「勿論そんなことはないし、安全だ。それにそのままにしている方が危険だろう」

「それなら……俺は、そうした方が良いと思います。

彼女は、観月は精霊とは全く関係のない、ただの高校生です。だからもう……巻き込みたくないんです」

「……そうか、そうだな」

 

 令音は閉じていた瞼まぶたをゆっくり開けた。

 その後に浮かべた表情はいつも通り眠たげなのに、どこか安心しているように見えた。

 

「シン、疲れただろう? 

琴里のことは我々に任せておいてくれ」

「気遣いありがとうございます。でも、琴里は……」

「明日にはラタトスクのメンバーで琴里の霊力を封印する為の会議を行うんだ。それに参加してくれれば嬉しい。今は……そうだな、真那の様子を見に言ってくれないか? 今なら、ぎりぎり面会時間に間に合うだろう」

 

 気分転換も兼ねての提案だったのだろう。それに士道だって、真那のことは心配だ。だからその言葉に士道は、苦々しくながらも頷いた。



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幕間
七罪アドベンチャー


 その日。七罪は静粛現界をして、『観月』と表札が書かれている家の前まで来ていた。

 

 つい先日、七罪は京乃とショッピングに行っていた。最初は七罪をメイクしていたり髪を切ったりと、七罪を磨く時間になっていたが、士道と狂三がデートしているのを見て以降、彼らを探しまわっていたのだ。しかし、七罪は士道を見つけてから、士道と京乃との間に何があったのかは全く知らない。

 というのも、士道を公園で見かけた七罪は、気をきかせて姿を消してしまったのだ。少しの間、姿を隠して京乃と会うつもりだったが、いつの間にかロストしてしまっていたようで、どうも姿を隠してからの記憶がない。

 故に七罪は、京乃に会って事の顛末を知ろうとしたのだが、家の中には誰もいないようで、呼び鈴を鳴らして数分待っても鍵は開かない。その事実に、七罪は渋々といった感じで懐を(まさぐ)り、鍵を取り出す。

 

 七罪はずっと前から京乃の合鍵を渡されている。

 鍵の存在が敵にバレたら京乃に迷惑がかかると察して受け取りたくなかったが、それでもキラキラと嬉しそうな目をされては受け取らずを得なかった。

 鍵なんて落とさなければ良い訳だし、敵連中に盗られそうになったら鍵を別物に替えればいい。

 そう思っていたのだが、こういった形で役に立つとは思っていなかった。

 

 七罪は渡されていた鍵を使って京乃宅へと入ったが、中には誰も居なかった。

 

「……どうしたってのよ」

 

 七罪はそう言って、眉をひそめた。

 おかしい。今日が平日であり、学校がある可能性については分かっているが、それでもなおおかしい。

 京乃がここ数日、家に帰ってきている気配が全くしないのだ。その証拠として、リビングに置いてある花が枯れているのに、全く片付ける事をしていない。

 存外几帳面に彼女にしてはそれは少し奇妙だったし、日めくりカレンダーだって数日前からめくられていないようで、デジタル時計の年月日と一致していない。

 もしかして自分のせいで京乃の身に何か起きたのではないだろうかと思い、七罪は自分の顔が険しくなるのを感じた。

 真偽は分からないが、それでもここでじっとしている気にはなれない。

 七罪は玄関の扉を開けて、外へ駆けだ──そうとした。

 

「あら、京乃さんに用ですの?」

 

 扉の前に人がいさえしなければ、そして声をかけられさえしなければ駆け出していただろう。

 

「あんた誰」

 

 少しむっとして、七罪はそう聞いた。

 京乃を連れ出した誰かという線もあるのだから、気をつけなければならないかもしれないが……七罪は、自分が精霊……人類の最悪の敵であると自覚している。

 たかが人間一人、どうとでも出来るだろう。

 そう思っている事もあり、気は抜かないにしても戦意を剥き出しにする事はなかった。

 対する相手は、あらと口元に手を当てて頭を下げた。

 

「ああ、挨拶が遅れてしまいましたわ。

わたくしは時崎狂三と申します、京乃さんとは学友でしたの」

 

 にこりと微笑を浮かべる狂三を、七罪はじっと見る。

 どこかのご令嬢のような立ち姿だが、何故か片目を隠している。多分厨ニ病が入っているのだろう。そうでなければ、こんな暑い中で長袖の真っ黒な服なんて着ない。

 それに加えて白々しさを感じる飄々とした態度。

 七罪は、狂三は京乃と合わなそうだと直感的に察知した。彼女は、七罪にとっても嫌いなタイプだ。

 

「あんたが時崎狂三?」

「あら、ご存じでしたの?」

「まあ、京乃から転校生が来たくらいの話は聞いたし。……で、何か用」

「京乃さんの家から出てきたあなたの事が気になってしまいまして」

「あっそ」

 

 七罪が素っ気なく返すと、狂三が笑みを深くする。

 

「でもォ、わたくしは違いますが、あなたは京乃さんに会いたいのですよね?

なら、天宮東病院に行けばいいと思いますわ」

 

 始終興味なさそうだった七罪だったが、狂三が病院という単語を発すると、不思議そうに首を傾げた。

 病院という場所については、体調が悪い人や怪我をしてしまった人が行く所だと知っていた。

 だからこそ、嫌な予感を感じながらも口を開いた。

 

「……何で京乃がそんなところに?」

「ご存じないのですか?京乃さんは学校で起きた事故に巻き込まれてしまって、入院していますの」

 

 狂三は悲しくて仕方がありませんわと言うのを片隅に聞きながし、七罪は焦ったような声をあげて狂三に詰め寄る。

 

「……は?京乃が事故に?大丈夫、大丈夫なの!?」

 

 血走った目の七罪にぐわんぐわんと揺らされ、狂三は困ったように制止の言葉をかけた。

 

「わたくしも病院に行った訳ではないのでわかりかねますが、気になったのなら行ってみたらよろしいのでは?」

「……行く」

「ふふ、京乃さんも喜ぶと思いますわ」

 

 人畜無害そうな笑顔を浮かべた狂三は、七罪に別れを告げてどこかへと歩いていった。

 それを見届けた七罪は慌てて京乃の家の中に戻り、お見舞いに必要なものを適当にハニエルで作ったバッグに入れて、また家を飛び出した。

 そして通りかかった花屋で、京乃から貰った駄賃を使って彼女の家によく飾られている花を買って、天宮東病院に向かう。

 そう、天宮東病院に……

 

「……そういえば天宮東病院ってどこなの?」

 

 がむしゃらに走り回っていたが、そもそもの位置を知らない事に気がついて、七罪は血の気が引くのを感じた。

 こういう時に携帯を持っていたら便利なのだろうが、生憎と七罪は持っていなかったし、能力で携帯電話を創ろうとしても、再現出来るのはガワまでであり、機能までは手がまわらない。マップを見ようにも置いてある場所も分からない。空を飛べばそれらしい場所を見つけられるかもしれないが、人の目が多い場所で飛ぶのは目立って仕方ないし、ASTを呼ばれる可能性だってあるので選択肢から排除した。その為、人を頼るのが一番楽なのだが……

 七罪は、辺りを見渡す。犬を連れた老人、子連れの親、スーツを着たサラリーマン、露出の多い拘束着のようなものを着たうり二つの顔の痴女、虚空を見つめている浮浪の民っぽい人。様々な人間が道を歩いているが、どの存在にも声をかけづらい。

 

 ただ、その中でも一際目立つ痴女二人に目が寄せられる。……というか、あの痴女達、なんか近づいてきてないか?

 

 そう思うのも当然で、実際に痴女の片割れが七罪の方に向かってきていた。慌てて逃げようとするが、嵐のような速さで接近してきた彼女を相手に、なす術もなく接触を許してしまった。

 

「応答。夕弦に何か用でしょうか?」

 

 表情筋のあまり動いていない橙色の髪の痴女。自分の事を夕弦と呼ぶ彼女は、首を傾げて七罪に問いかけた。

 

「えっ……まあいいか。質問なんだけど……」

 

 話を聞いてくれるなら四の五の言ってられないと、七罪は彼女に病院の場所を聞こうと口を開いた……が、それはもう一人の痴女によって阻まれた。

 

「小さきものは我に用があると言っているぞ!」

「嘲笑。小ささでは耶惧矢も負けていません」

 

 その言葉の通り、少し小馬鹿にするような表情になった少女。それを受けて耶惧矢と呼ばれていたもう片方は怒ったように口を開く。

 

「はっ?負けてないし!てか夕弦も私とそう変わらないじゃん!」

「嘆息。それは身長の話でしょう。夕弦が言いたいのは身長ではなく」

「……あんた達忙しそうだし、他の人に聞くわ」

「待たぬか!」

 

 途中から蚊帳の外になっていた為、抜け出そうとしたが駄目だったらしい。

 制止の言葉をかけられて、七罪は困ったように耶惧矢と呼ばれている方を見る。

 

「小さきものは何を困っているんだ?

颶風の巫女たる我に言ってみるがいい!」

「……て、天宮東病院の場所って知ってる?」

 

 七罪がそう問いかけると、二人は互いに顔を見合った。

 

「……夕弦知ってる?」

「否定。耶惧矢も知りませんか」

「うん」

 

 ぐぬぬと唸った後に、耶惧矢と呼ばれている方が妙案を思いついたとばかりに明るい顔で口を開いた。

 

「あっ、そうだ。次の対決はどっちが先に病院を見つけられるかっていうやつにしない?

条件として人に聞くのはなしでそれで」

「あっ、……もういいから……」

 

 厄ネタだという事を感じ取った七罪は間髪入れずにそう答えた。なんか、少し会話しただけでもう一杯いっぱいだったのだ。

 しかし、二人にとっては納得いかなかったのか、心配そうな表情で七罪を見た。

 

「そうか?まあ、また何かあれば我に尋ねるがいい!」

「疑問。耶惧矢もここに来たばかりでは?」

「まあそうだけど、この子なんか困ってそうだし助けなきゃって思うじゃん!」

「失笑。一人迷うのが三人に膨れ上がるだけです。耶惧矢は後先考えなさすぎです、頭へっぽこぴーです」

「そこまで言われる筋合いないわっ!」

 

 ぎゃいぎゃいと突っ込む耶惧矢に返事をする前に、夕弦は七罪に小さく頭を下げる。

 

「謝罪。力になれなくてごめんなさい」

「……別に大丈夫だから。探そうとしてくれて、あ、ありがとう……」

 

 そして七罪はそそくさとその場から抜け出した。

 

 その後──七罪は少し離れた所で棒立ちしていた。

 本来ならすぐに声をかけなければならないのだろう。しかし、彼女の今までの積み重ねがそれを容易に行う事を阻んでいた。

 そこらへんの背景と化せるくらいの長時間じっと突っ立っていた七罪。違和感を持ったのか、駄弁っていた高校生三人組が七罪に声をかける。

 

「そこで突っ立ってどしたのー?」

「迷子?」

「おおー、かわいーちっちゃいしぷにぷにだー!」

 

 余計なひとことがあったものの、一応話は聞いてくれるらしい。

 きゃいきゃいと騒ぐこの女子高校生達もまた、七罪の苦手なタイプであったが、肯定的な言葉を投げかけられて困惑した。

 

「かっ、かわ……!?そ、そうじゃなくて、病院、知らない……?天宮東病院って、ところなんだけど」

「天宮東病院ー?」

「どしたの?病気?」

「大変じゃん!」

「……あの、と、友達のお見舞いに……」

 

 七罪がそう告げると、三人組の一人が胸元をドンと叩いて笑う。

 

「よかったら案内するよ!」

「小さな子一人じゃ危なっかしいしねー」

「おねーさんたちに任せなされ!」

「う、うん。ありがとう……」

「いや何、私達も学校が休校で暇だったところだし、気にしないで……って」

「そういえば今日平日だけど、学校ないの?」

「実は君が病気だとか?」

「あ……」

 

 失念していたが、確かに今日は平日だった。

 どう見ても成人しているように見えないであろう七罪が街中をうろついているのはおかしいだろう。

 実は見舞いに行くというのが嘘で、実は自分が病気なんて言った日には、この三人組が着いてくるのが目に見えて分かる。

 

「引っ越してきたばかりで、まだ転校の手続き整ってなくて」

 

 嘘をつくのには、演技をするのには慣れている。だから適当な理由をでっち上げると、三人組は納得したように頷いた。

 

「そうなんだー」

「引っ越してきたばかりで友達がこっちにいるんだね」

「どこから越してきたの?」

「えっ、えっと」

 

 押しが強い。

 ここで逃げたから明らかに怪しいだろうし、そもそも京乃のいる病院までたどり着けない可能性もある。

 しかし引っ越してきたところか。

 

「南甲町の、南甲小ってとこ」

 

 苦し紛れにそう答えた。

 なぜそんな言葉が出てきたのかは謎だったが、それにしても小学生じゃなくて中学と言っておけば良かっただろうって言うのにと、七罪は少し後悔した。

 七罪の小学生設定は、女子高生達には案外すんなり受け入れられたようで、それはそれで七罪の心を複雑なものにした。

 

「ほー、じゃあ結構近いんだね」

「友達と離れちゃったとは言っても、頑張れば会いに行けるね」

「良かったね!」

「う、うん」

 

 少し心が痛んだが、真実を全て告げるのは危険だし、そもそも信じないだろう。

 七罪が話下手なのを感じ取ったのか、三人組は七罪にあまり話しを振ることなく……しかし、シカトをしない程度に話を振った。

 大抵は岸田くんがどうだとか、同じクラスの五河士道がとんでもない不届き者である事など。

 話題がポンポンと飛んでいき、ぼんやりと話を聞いているうちに大きな建物の目の前へと辿り着いた。

 

「おっ、着いたよ」

「お見舞い行ってらっしゃい」

「じゃあまたねー」

 

 病院入り口まで、案内してくれた女子高生達に引き攣った笑みを浮かべて手を振り、姿が見えなくなった瞬間に病院の受付に向かう。

 

「えっと、……観月京乃は、ど、どこの部屋……?」

「ちょっと待っててくださいね」

 

 受付は断りを入れ、パソコンを操作する。

 

「すみません。観月さんは今、面会謝絶中でお会いになる事が出来ません」

「そ、そんなに悪いの!?」

「すみません。その質問にはお答えする事が……」

 

 そう言いかけた時、どこからともなく黒服の男が現れて、受付嬢に近付いた。彼女は少し動揺していたが、どうやら関係者だったようで、すぐに表情を引き締めた。

 

「……えっと、なんでしょうか?

……ッ!そうでしたか。それで……はい、分かりました」

 

 受付嬢はちらりと七罪の後ろを見ると、すぐに頷いた。

 

「観月さんにお見舞いですね。202号室です」

「……行っていいの?」

「はい」

「あ、ありがと」

 

 もしかして京乃が……なんて考えるうちに、嫌な想像が膨らんでいく。少しでも考えを否定して欲しい七罪は、受付の人に詰め寄った。

 

「そ、その……京乃の調子がどんなもんか分かる?」

「……熱があり意識こそないですが、身体にも脳にも異常はないので、きっと、良くなります」

「……そう、教えてくれてありがと」

 

 取り敢えず、命に別状はないらしい。

 その事に内心ほっとしながらも、体調が悪化しやしないかと不安になり、すぐに病室に行こうとした。

 

「……あの」

 

 受付を後にしようとした瞬間、後ろから弱々しい声をかけられた。

 七罪はその声が自分にかけられたものだとは思わず、受付の人に話しかけたのだろうと解釈して横に避けようとしたが、そこでもう一度声をかけられた。

 今度は、相手に目をじっと見つめられた状態で。

 

「……すみ、ません。京乃さんの、お知り合いですか?」

 

 その少女は、小首を傾げてそう問いかけてきた。

 海のように蒼い髪は、ふわふわとしていて触り心地が良さそうだった。

 

『やっはー!なになに、京乃ちゃんってばこんなぷりてぃーな知り合いがいたのん?』

「誰、あんた」

「……その、京乃さんに……前、お世話になって。

それで、私もお見舞いに行きたい……と思って……でも、お部屋の位置が……分からなくて……!」

『泣かないでー!よしのんがついてるよ!』

 

 途中から泣きそうな声音になっている少女と、それを励ますように口をパクパクとさせて、甲高い声を発しているように見えるうさぎのパペット。

 七罪には全く見覚えのない人物であり、思わず身構えていたが、七罪は少女とパペットを見比べて、ふと思いついたように口を開いた。

 

「……もしかしてあんた、四糸乃って名前?」

「……は、い。あの、あなたは……」

「名乗る必要ある?」

「……その、知りたい……ので……!」

 

 キラキラとした目で詰め寄られてしまった七罪は、思わずどもった。

 

「な、七罪よ。これ以上、何も言わないから……!」

「ありがとう、ございます……七罪さん」

「……うっ」

 

 何気に、名前を呼ばれたのは京乃に続いて二人目だ。

 京乃がこの事を知ったなら、『七罪おめでとう!今日は四糸乃ちゃんに七罪の名前が呼ばれた記念日。略して四糸乃記念日だね!お祝いに女子会しよう!』……とかなんとか面倒くさい事を言い出すのだろうと、ぼんやりとそう思った。

 

 

 

 

「ついたけど、どうかしたの?」

 

 『202』と書かれた部屋の前に着き、斜め後ろを歩いていた四糸乃に声をかける。四糸乃は考え事でもしていたのか、少し反応が遅れて口を開いた。

 

「……あっ、七罪さん。私、忘れものしてしまって……だから、良ければ、先に京乃さんに、会っててください……!」

「え?忘れものって?」

「……えっと、……忘れものは忘れものです……!

10分後くらい……に、帰ってきます……!」

『七罪ちゃんふぁいおー!』

 

 四糸乃とよしのんはさっきまでの道を逆走し始めた。

 病院だと言う事を意識してか、走ったりする事なく歩いている四糸乃と、なぜか声援を飛ばしてきたよしのんを見て、七罪は目を瞬かせた。

 10分くらいとはやけに具体的な時間を出してきた。

 しかも、病室が着いた瞬間にだ。

 ……まるで、七罪を京乃と二人きりにする時間を作ってくれていたみたいに。

 

「まさか、ね」

 

 ただの偶然だろう。

 そうだとしても、四糸乃は10分くらいは戻らないと言っていたし、それまでに用は済ませておこう。

 そう思い、七罪は京乃の居る病室の扉を開けた。

 扉を開けた先の、個室にポツリとベッドが置いてあり、そこに京乃が横たわっていた。

 

「……京乃!」

 

 駆け寄って声をかけるが、返事はない。

 ただ、苦しそうな表情と呼吸音が聞こえてくるだけだ。

 ……看護師は熱もあると言ってた。

 その事を思い出した七罪は、恐る恐る京乃の額に手を乗せた。

 

「あ、熱い……」

 

 乗せたら目玉焼きが焼けてしまうのではと思えてしまうくらいに、京乃の額は熱を帯びていた。

 これではうなされてしまうのも当然だろう。

 

「……ごめんなさい。ごめんなさい……」

「何謝ってんのよ。謝るくらいなら目を覚ましなさいよ」

 

 ため息を吐いて椅子から腰を上げると、買ってきた花を京乃の家から持ってきた花瓶に適当に挿した。

 その後に時計を見てみると、後五分くらいは猶予があるのが分かった。

 部屋を見渡してみるが、特に何もない殺風景な部屋だ。

 これでは起きた時に暇だろうと思い、七罪は鞄の中から京乃の部屋にあった本を取り出して、花瓶の近くに置いた。

 

「……うぅ」

 

 京乃が、また苦しそうな声を上げた。

 見ていられなくなった七罪は、備え付けられている椅子をベッドの近くに置いて座り、そこで放り出されている京乃の手をそっと取った。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 何が大丈夫なのかも分からずに七罪は呟く。

 

「大丈夫、大丈夫……」

 

 繰り返しそう呟くが、やはり返事が帰ってくる事はない。

 いつも七罪が話しかけたら嬉しそうに返事を返してくれたのに、何度呟いても返事が返ってこない事に仕方ないながらも不安を隠しきれないのか、眉尻を下げた。

 そもそも、病気をしている所だって見た事がなかったのに、突然の病院行きに気持ちを落ち着かせる事も出来ないのだ。

 

「……大丈夫よね?

あんたはこんな所で死ぬタマじゃないわよね……?

だって、あんたがお熱な五河士道にだってまだ何も言えてないんでしょ?そんなんでへこたれてどうすんのよ」

 

 デコピンをしようとしたが病人にそんな事が出来る筈もなく、デコピンの形を作りかけていた指を解く。

 

「……そんなに重症じゃないって、聞いた気がするんだけど」

 

 心なしか、少し和らいだように感じられる京乃の表情を見て、七罪はもう一度京乃の頭に手を乗せる。

 やはり高熱を出していて熱いが、今度はその手を使って頭を撫でた。

 

 

 

「おや。君も京乃の見舞いかい?」

 

 誰かに声をかけられた。

 七罪が思わずびくりと身体を震わせて振り返ると、そこには銀色の髪を1つに括り、白衣のような服を着ている妙齢の女が立っていた。

 色濃い隈と眠たげな眼をしている女で、服の胸元には継ぎ接ぎのクマの人形が入っていた。

 これを入れる事によってあざとさを出しているのだろう。

 何よりもその胸元……もとい胸はビックサイズだった。

 つまり、七罪の嫌いなタイプの女だ。

 

「何よ、何か文句あるの!?私みたいなちんちくりんは見舞いにくる側じゃなくて病院送りになる側だろって言いたいの!?糞があああ!!」

「いや、そういう訳ではないんだが。……困ったな」

 

 すっとぼけたような口調でいるが、ふむと言いながら胸を組んだことを七罪は見逃さない。

 何と、胸を組んだ事によって、元より特盛りだった胸がより一倍強調されているではないか。

 何たる策士か。

 

「む、どうかしたのか令音」

「……!」

 

 七罪がぐるると威嚇する声を出していると、曲がりから夜刀神十香が顔を出した。

 夜刀神十香。

 豊満な胸を惜しげもなく晒している黒髪ポニーテールのこの女は、やはり七罪の苦手なタイプの人間である。

 

「……京乃の知り合いか?」

「ひっ!」

「おい待て!」

 

 まあ目的は達せたのだ。

 ここらで退散しても問題はないだろう。

 七罪は、次は京乃が退院している事を願いながら、トンズラをこいた。

 

 

 七罪は後で気がついた事だが……

 そもそもの話、ハニエルを使って変身すれば話が拗れる事もなかっただろう。

 

 

 

 




個人的に七罪と四糸乃の組み合わせが好きです。


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三章
五河シスター 冒頭部


観月京乃という少女について

 

善人でも悪人でもない人物。

観月京乃という少女は、それらへんに転がっているような、そんなありふれた人物である。

 

 

 

──崇宮澪調べ

 

 


 

 

 

 

 ひたりと、誰かの手が自分の頭を触った。

 その後からずっと夢心地だった。

 ふわふわとした妙な浮遊感の中、夢での出来事をずっと見続けていた。

 夢心地なんて言ったが、良いものではない。楽しいから見ているのではない、ただ強制的に見せられているシロモノ。

 目を瞑って視覚からの情報を遮断しようとするのだが、それでも脳裏にこびりついた映像は流れてくる。

 気が狂いそうだった。早く終わって欲しかった。

 目を瞑り、耳を塞ぎ、身体を丸めてうずくまる。

 それでも何も終わらずに、自分にはどうすることも出来なくて呆然としているだけだった。

 

 

 暫く経った時、突如として誰かの手が自分の手を握っているのを感じた。誰かなんてことは分からない。それは大人の女の人だったかもしれないし、小さな女の子のものだったのかもしれない。もしかしたら同じ歳の男子生徒だったという可能性もあるけど、そんなことは些細な問題だった。

 その温もりはひんやりとしていて、それでも優しかった。私にとってはそれが全てだった。

 その手の主からかけられた声音は真剣なものだった。よくは憶えていないがそうだったような気がする。

 その声を聞いて、心配をかけてしまったのだと悟った。

 早く会って、謝らないといけない。

 だから、早く戻らないと──

 

 

 

 

 

「……あれ、ここは」

 

 京乃が目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。

 どこかで聞いたようなことを考えた後に起き上がろうとしたが、痛みを伴う耳鳴りがするのと、身体に違和感が生じて上手く起き上がれない。

 仕方がないので眼球を動かして辺りを見渡す。

 どこまでも白い壁と天井、独特の消毒液の匂い、そして腕に繋がれた点滴。

 ここまで見た所でやっと、自分が病院にいると言うことに気がついた。

 これまでのことを思い起こそうとした。

 すると簡単に、意識を失う直前まで学校にいたことを思い出した。

 学校、確かに学校にいた。

 

「なら、私はどうして病院に……?」

 

 と、そう呟くと頭上から声が聴こえてきた。

 慌てて京乃は首を動かそうとするが……全く身体が言うことを聞かない。

 声の主はそのことに気がついて気を利かせたのか、京乃の視界に入る位置に顔を出した。

 

「……ああ、目が覚めたか」

 

 眠たげな顔でそう告げた隈の深い人物に、京乃は見覚えがあった。

 何かと人の名前を覚えるのが苦手な京乃だったが、この人の名前はちゃんと覚えている。

 

「村雨先生」

「……ん」

 

 確信はあったものの、間違っている可能性も考えられた為に、返事を返してもらえて安心した。

 着ている白衣のポケットに継ぎ接ぎのクマの人形を忍ばせているこの人は、京乃のクラスの副担任の村雨令音である。京乃にとってはあまり接点もない人物なのだが、だからと言って忘れるなんてことはない。

 

「君は高熱を出して寝込んでいたんだ。

学校で倒れた生徒は他にもいたが、そこまでの症状を訴えた生徒はいなかった」

「高熱?」

「……ん、ああそうか。君は知っているはずもないことだね。君は学校のガス漏れの事故に巻き込まれてしまったんだ」

 

 ぼんやりとした表情で淡々と告げる令音を見て、京乃はこてりと首を傾げる。

 

「何で村雨先生が?」

「岡峰先生も心配していてな。

ただ、彼女も忙しいから代わりに私が来たという訳だ」 

「そう……なんですか……」

 

 熱が引いていないから顔を真っ赤なまま、ぼんやりとしながら京乃は相槌を打った。

 しかし自分の言った言葉の意味を考えていなかったのか、暫く経った後に疑問そうな表情を浮かべた。

 

「あの、すみません。岡峰先生って誰ですか?」

「岡峰珠恵先生。君のクラスの担任だろう?」

 

 令音がそう言うと、京乃はまた少し考えた後ににっこりと微笑んだ。

 

「あはは。そうでした、すみません。いつもたまちゃんって呼ばれてたので、いざフルネームとなると忘れてしまって」

「まあ、君のような生徒は少なくないだろう」

 

 だから謝る必要はないと言いながら、令音は自分の腕時計を眺めた。

 その仕草を見てか、京乃は口を挟む。

 

「今は何時ですか?」

「6月11日の昼過ぎだ」

「……え」

 

 その日付は、京乃が記憶していたものとは離れており、彼女は放心したような声を出した。

 

「そんなにも寝込むとはにわかには信じがたいだろうがな」

 

 事故。令音が話すところによると、学校でガスが漏れてしまうという事故があったという。それにより、学校に残っていた生徒は意識不明で病院に運ばれているらしいが、幸いにも死者はおらず、また重症の生徒は京乃くらいのものだったらしい。そして、今は学校でメンテナンスをする為に臨時休校なのだと言う。

 京乃は説明された言葉の内容を噛み砕くように反芻し、そして今の状況に追いついたのか、納得したような表情を浮かべる。

 

「……いえ、村雨先生が訳もなく嘘をつくなんて考えられないですし信じます」

「そうか」

「それに日時なんて後で調べたら分かることですし、そんな無意味な嘘をついても村雨先生が損をして信用を失うだけですから」

 

 意識が朦朧としているのか少しふらついているが、貼り付けたような笑みを崩さないままでそう言った。

 令音はその言葉を聞いて、少しの間があったものの眉一つ動かさずに京乃を見て観察していた。

 

「声は良く出ているようだな。体調はどうだい?」

「悪くないです。大丈夫です」

 

 まるで酩酊状態であるかのように顔を真っ赤に染めて、不自然に笑顔ばかり浮かべている京乃は、はたから見ても大丈夫には見えない。

 

 令音は息を吐いて、座っていた椅子から腰を上げて京乃の額へと手を伸ばす。

 京乃は一瞬、その手を嫌がるように顔を背けようとしたが、思うように動かなかったのか、結局令音にされるがままとなった。

 

「……熱がまだあるようだな。痩せ我慢かは知らないが、無理はしない方がいいだろう」

 

 何か差し入れた方がいいかねと尋ねてきた令音の言葉には答えずに、京乃はぼそりと呟いた。

 

「……お母さんみたい」

「母親か?」

 

 令音は不思議そうに聞き返した。

 

「ええ。最近は母と会えていませんが……」

 

 笑みを浮かべて語る京乃に対し、令音は自身の記憶を探るように、目を瞑る。すると、数秒後に思い出したのか目を開き、納得したような顔を浮かべた。

 

「京乃はひとり暮らしをしていたね」

「あはは、そうですね。母と父は海外に住んでいますから。

両親には一緒に来るように言われたのですが、私からこっちに残りたいって言ったんです。海外というと不安が残りますし、住み慣れた街にいたかったというのもあります。それにこっちには……」

 

 穏やかな表情で語っていた京乃だったが、言葉の途中で息が詰まったように語るのをやめた。

 

「──あれ、なんで」

 

 (かぶり)を振り、京乃は気まずそうに苦笑する。

 

「変なこと言ってすみません。

気分を害されたと思いますし、忘れてくれて構いません」

「いや、害されてはいないが……そうか、母親か」

 

 どこか複雑そうな表情を浮かべた令音を見てか、京乃はよく理解出来ていないように笑みを浮かべていた。

 

「村雨先生、どうかなされましたか?」

「……いや、何でもない。それよりも、まだ眠いなら寝た方がいい」

「眠たくはないですし、寝たくもないです」

 

 普段の京乃ならそんなことは言わないだろう。しかし、普段から寝起きが良いとは言えず、そして病み上がり……それどころかまだ熱も引いていない京乃は普段よりも本音が出てきてしまっていた。

 

 それ故、駄々っ子のようになってしまっている京乃を見て、令音は困ったように眉をひそめる。

 

「私でもいいなら側にいよう」

「それは……嬉しいですが、先生のお時間は大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。ただナースコールは押すし、君が検査を受けている間に学校に連絡をしておくことにするよ」

「……先生方、大変ですよね」

 

 ガス漏れが原因で生徒達が病院送りになったという話を令音から聞いていた京乃は、申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 

「決して楽ではないがこれも勤めさ。

……それに、一応はごたつきも落ち着いてきたからね。君が心配することはないさ」

 

 そう言って、令音はナースコールを押した。

 

「では、また検査が終わった後に会いにいけるようにしよう。何か差し入れを買っておくが、何かリクエストはあるかい?」

「特に要望はないです」

 

 令音は頷いた後にすぐに病室を出ていった。

 それと入れ違う形で、看護師や医師が慌ただしくやってきた。

 検査やバイタルチェック等をした結果、記憶の混濁や高熱はあるものの、その他には異常はなかったらしい。

 しかし大事を見て数日検査入院するらしいという旨の話を医師から聞いて、開放された頃にはそれなりな時間が経っていた。

 令音はまだ病院には戻ってきていないので、することもなく暇を持て余していた京乃は机に置いてある本を手に取る。

 

『厨ニ病患者の接し方』

『うまく友達と疎遠になる方法』

 

 良く分からないラインナップである。

 両方京乃のものであったが、長年本棚の端に封印されていたはずのものだ。

 そこまで興味も湧かない京乃だったが、することもないので片方を手にとって文字を目で追いかける。

 ……熱で浮かれている為か、全く持って内容が頭に入ってこないが、暇と時間を潰す役割はきちんと果たしてくれたようで、数十ページをめくっている頃には用事が済んだ令音が病室に顔を見せに来た。

 

「どうだね、気分は落ち着いたかい?

これは差し入れだ」

 

 令音が昔読んでいたものだろうか?

 年季の入った編み物おすすめ集と毛糸を差し出された。

 

「えっ、こ、こんなものいただけません……!」

「長い間じっとしているのも暇だろう?

これは好意として受け取ってくれ」

「……分かりました」

 

 少しむず痒そうな表情で頷き、京乃は令音の手から二つを受け取る。

 

「後、これは君の鞄だ。本当はすぐに渡す予定だったが手違いがあってな」

「わっ、ありがとうございます」

 

 京乃は手渡された鞄を中身を軽く確かめてみるが、意識を失う以前と何ら変わりはないようだ。財布も入っていたが、金額は記憶していたものと変わりない。

 安堵するように息を吐き、京乃は令音に向き直る。

 

「さて、まだ面会終了まで時間がある。何かしたいでもあるかい?」

「実は村雨先生に聞きたいことがあるんです」

「何でも言ってくれ」

 

 京乃は言葉を選ぶように沈黙し、そして重々しく口を開いた。

  

「変なことを聞くようですが……最近、私と学校外で会ったことなかったですか?」

「どうだろうな?

学校ですれ違った記憶ならばあるが」

「そう、ですか。そうですよね」

 

 確かにその程度の仲であるのは間違いないと京乃は理解している。ただ、この病院にいる少しの間だけだが接してみて、学校外であったような錯覚に陥っているのだ。

 いったい、いつ会ったのだろうかと記憶に頭を張り巡らせるが、京乃は答えには行きつかなかったようだ。そして令音の言葉を聞き……きっと他人の空似でも見たのだろうと結論を出した。

 

「……私と君は教師と生徒だ。他にも何か質問があるのなら受け付けよう」

 

 そう言って、令音はベッドの近くに置いてある椅子に腰をかけた。どうやら長居をするつもりらしい。

 

 それなら好意に甘えようと、京乃は質問を頭に思い浮かべる。

 京乃が令音について知っていることなんて、いつも眠そうな隈をお供にしていることぐらいだ。

 何が好きで、何が嫌いか。その程度の話だって多少は興味がある。

 だからまずは、令音のことについて無難な質問をすることにした。

 

「先生は休みの日は何をなされているんですか?」

「ふむ、休みか。あまり馴染みがないな」

「ちゃんと休養しないと身体に毒ですし、倒れちゃいますよ」

「本当に倒れた君に言われると説得力があるな。善処しよう」

 

ㅤ京乃は少し、顔を(しか)めた。

 

「それで、休みの日だったか。

脳を休める為に甘いものはよく摂っているし、読書もよくするな」

「編み物も村雨先生の趣味ですか?」

「……手芸は、イチローを直す為に手を出してはいたが趣味と呼べる程のものではないな」

「イチロー?」

「彼がイチローだ」

 

 そう言って令音は自身の胸元にいる……クマのぬいぐるみを指差す。

 

「な、なるほど。……ぬいぐるみにそう名付けるなんて、先生は野球が好きなんですか?」

「……いや、16日に貰ったから16(イチロー)と名付けたんだ」

「……そうなんですか」

 

 今まで、少し一歩引いた位置にいた令音。今まで先生という立場の彼女しか見ておらず、プライベートの欠片も見えなかった令音。しかし、彼女もまたちょっと抜けているところのある人なのだということが分かり、京乃は少しの親しみを感じた。

 ……まあ、中々に残念なネーミングセンスに、どこかの誰かさんの影を重ねたというのもあるのだろうが。

 

「君は休日何をしているのかね?」

「休日は友達と遊んだり、最近は五河君の家にお邪魔したりもしています」

 

 令音は少し目を細める。

 

「友達、か。“君”には友達がいるんだね」

「そんなに友達がいないように見えますか?」

「そういう訳ではない。他の先生方から君の噂は聞いているから、不思議に思っただけだ」

「参考までに伺いたいのですがどのような内容ですか?」

「君が同性の学友に話しかけられる度に泡を吹いて倒れたり、気絶するという噂だ。まあ脚色されているのだろうとは思うが」

「わあ……お恥ずかしながら全部本当です」

「……なまらびっくり」

 

 本当だとは思っていなかったらしく、令音はなぜか東北弁で話した。

 

「そうなるようになったきっかけは?

まさか、生まれたときからそうという訳ではないだろう?」

「それは……」

 

 京乃は言い淀んだ。

 まさか、副担任にそんなところまで突っ込まれるとは思っていなかったが、きっとたまちゃんに聞くよう頼まれたのだろうと解釈して、この後どうしようかと迷うように令音に顔を向ける。

 京乃はこの話を面白い話だとは思っていない。そもそも笑い話にするものでもないが、そうでもなければ内容に価値がないと感じている京乃は、今まで誰かに言うこともなかった。

 士道には絶対に話したくはないが、それ以外になら別に言ってもいいと思える程度の話だ。

 

 今まで令音という人物を測りかねていた京乃だったが、短時間だが話してみて、令音が秘密話を口外するような人物ではないということは分かった。

 だから、言ってしまっても問題なかった。

 

「大したことはないのですが、中学の頃に同じクラスの子達にからかわれていた時期があって」

「からかわれる?」

 

 令音は不意を突かれたように、そう問うた。

 

「はい。私って見ての通りとろいですし、気が回らない所があるので、そこなんかをズバッと言われたりして」

「ズバッとか」

 

 ズバッと、そう言われて京乃はその効果音でいいものかと現実逃避のように考えた。

 

「……もしかしたらグサッとも言われたりしたかもしれないですし、もしかしたらザクッかもしれないです」

「別にオノマトペはどうでもいいのだが」

「そうですね、話が横道に逸れてしまいました」

 

 冷静に指摘をされて、京乃はまた少し笑った。

 

「そんなことがあって、多感な時期ですので、ちょっと傷ついてしまった……のですかね。それでこんな感じに」

「──少しではなかったのではないか?」

 

 問いかけられた京乃は不思議そうに、そして真意を探るように令音を見る。

 

「時間が経てば記憶は風化する。それでも辛い記憶というのは心に残るものだ。それが身体に現れていたのだろう。それに今の君も……少し辛そうだ」

「そう見えますか」

「ああ」

 

 真剣な表情を浮かべる令音に、彼女にも覚えがあるのだろうかと京乃は考える。そして彼女は己を顧みる。どうしてだか他人の出来事のように俯瞰的に眺めてしまっていた過去。思い返すと……確かに、胸にチクリと痛むものがあった。恐怖、そして後悔と罪悪感。

 これだけは確かだったのであろう感情。胸を押さえて、苦々しそうに心内を吐露する。

 

「……そうですね。当時も嫌だったのかもしれません。思い当たる節もあったので余計心に来たんでしょうね。

私も駄目だって分かってはいたんです。でも、だからって中々直るものでもないですし、アレはやっぱり生まれつきの性分で……」

 

 あははと苦笑しながらも、京乃は段々と落ち込んでいった。

 後半は本人しか聞き取れないような大きさになっていたが、これもまた誰かに聞かせるつもりではなかったのだろう。

 内容が聞こえないにせよ、ここからは負の連鎖になってしまうのだろうということが手に取るように分かった為にか、令音は普段よりも幾分か柔らかい声音で口を挟む。

 

「君が言っている意味はあまり分からないが、今の君はそんなに悪くないように思える。折紙や十香達とも仲良くやれているようだしね」

 

 京乃は目を瞬かせた。

 

「そう見えますか?」

「ああ。十香は君と話すのを楽しんでいるようだ。折紙だって、嫌いな相手とは一緒にいたいと思わないだろうしね」

「そう、ですか」

 

 京乃は安堵の息を洩らした。確証のない言葉でも、肯定の言葉を貰えるだけで嬉しく思えるものだ。

 それに……ただ単純に、十香や折紙と仲良くなれていたというのが嬉しかったのだろう。無意識だろうが、自然な笑みを浮かべていた。

 

「仲が良いといえば、君はシンの家にも遊びに行くと言っていたな。君はシンのことが大切かい?」

「……シンって、士道くんのことですよね」

 

 確認するように呟いた京乃は視線を窓へと向け、そして令音に戻した。

 

「はい、私は彼のことが大切です」

 

 熱で浮かれているせいで分かりづらいが、平熱であれば頬が桜色に染まっていただろう。

 布団の裾をぎゅっと握って、京乃ははっきりとそう告げた。

 

「そうか。なら君は、()()と一緒にいる時間を大切にするべきだな」

「私も……そう思います」

 

 京乃は少し俯いた後に嬉しそうに笑った。

 

 

 その後も二人は世間話をして、話題が尽きた後には持ってきたスクールバッグの中から教科書を取り出して、問題の解き方のコツや次の定期考査のヤマとなりそうな場所を時間ギリギリまで教わった。

 

 面会終了時間のアナウンスがなった後、令音が個室から出るまでにこやかに手を振った京乃は、令音の姿が見えなくなると令音の持ってきてくれた鞄を手に取った。その中から一冊のノートを取り出してパラパラとページをめくり、最後に書かれたページを見た。怪訝そうに顔を顰めて考え込んだ後にその続きを書き始める。

 書き始めて数分が経った後にノートを鞄の中にしまい、仰向けに寝て、ぼんやりと天井を眺めた。

 しかし面白いものでもなかったからか、暫く経つと目を閉じて寝息を立て始めた。

 

 

 

 


 

 昔からひとりが怖かった。

 

 昔からお母さんは優しかったし、それなりに遊べる子もいた。

 孤独ではないはずだった。だから怖かったことに別に理由なんてものは存在してないはずなのだ。

 ただただ怖かった。恐ろしかった。寂しかった。漠然とした恐怖や不安が身体を包むことに耐えられそうもなかった。

 だから、ずっと一緒にいられる人が欲しい。

 “家族”になれる人が欲しい。

 そんなことを考えながら日々を空虚に暮らしている中、私はあなたに出逢ったのだ。



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五河シスター 二

 初めて君を見た時のことは鮮明に憶えている。

 ずっと色褪せていた世界が、様々な色で彩られて見えたのだ。

 

 一瞬で虜になった。目を離せなくなった。

 止まっていた時が、動き出すのを感じた。

 穴が空いたように虚しかった心が、君と出会った瞬間に満たされていくのを感じた。

 

 それから長い年月同じ時を共有して、君が成長する姿を見るのはとても嬉しかったし、それを通して自分が成長出来たのだと思いたかった。

 

 君と出会えたのは、私の生きている中で一番の幸せだった。

  

 


 

 

「シン、疲れただろう?

琴里のことは我々に任せておいてくれ」

「気遣いありがとうございます。でも、琴里は……」

「明日にはラタトスクのメンバーで琴里の霊力を封印する為の会議を行うんだ。それに参加してくれれば嬉しい。今は……そうだな、真那の様子を見に行ってくれないか?今なら、ぎりぎり面会時間に間に合うだろう」

 

 

 

 

 士道は真那の搬入された『自衛隊天宮病院』に向かったが、真那と面会は出来なかった。どうやら真那は顕現装置(リアライザ)を使った治療をしているらしく、それも仕方のないことなのかもしれない。

 しかし病院内で偶然折紙と会い、彼女の攻めのアプローチにおっかなびっくりしつつ病室に彼女を連れて行く。その後もぺろぺろされたり検温したりだとかのイベントがありつつも、話は屋上に現れた炎の精霊──つまりは琴里のことへと切り替わっていった。

 折紙は5年前、炎の精霊に両親を殺されたという話は以前に聞いていた。しかし、その精霊〈イフリート〉を殺す為に5年間生きてきたのだと、いつものように平坦でいて……しかし怨嗟(えんさ)の籠もった声で告げられたのは士道にとっては信じがたい話、信じたくない話だが……琴里自身、破壊衝動に呑まれている時に何をしているのか分からないし、記憶のない部分で人を殺している可能性だって否定出来ないと言っていた。だから、士道が折紙の両親を殺したのは炎の精霊じゃないとは言い切れなかったし……また、確定的な証拠が出てしまうのが恐ろしかったのだ。 

 結局、面会終了のアナウンスが流れるまで、士道は折紙の話を聞くことしか出来なかった。

 

 

 

 肩を落とし、帰路につく士道。

 結局、何もプラスに感じる出来事がないままに一日が終わってしまった。

 狂三の霊力を封印出来なかった。そればかりか真那が重症を負い、京乃も寝たきり。きっと、琴里があの場に出てこなかったら、本当の意味で終わっていたのかもしれない。そう考えると、少しは気が楽になるようだが……いや、しかし琴里の霊力だって封印しなければならない。問題は、結局のところ山積みだった。

 

 しかし、挫けてばかりもいられない。そうしている暇があるのなら、現状を打破する為の解決策でも考えておくべきだ。

 そう士道は決心し、家に入る。

 もう日も暮れている。買ってきた材料で夕飯を作り、そして精をつけて明日に臨まなくては──

 

「シドー!無事だったのだな!」

『やっほー士道くん。大変だったみたいだねー?』

「……士道さん、あの……顔色悪いですが……大丈夫、ですか?」

 

 リビングに行くと十香と四糸乃がいた。四糸乃はともかく、十香は既に隣のマンションに住んでいるはずであり、士道は呆気に取られたように彼女らを見る。

 

「十香達、どうして家にいるんだ……?」

「うむ、令音に家の鍵を貸してもらったのだ」

 

 そう言って十香が見せてきたのは、琴里の使っている鍵だった。どうやら琴里から令音、そして十香達へと渡っていったらしい。

 と、得意げに鍵を見せていた十香は突然士道の身体を周りを彷徨き、そして匂いを嗅ぎだした。

 

「わっ、おい十香?突然どうしたんだ?」

「……シドーから、ムズムズするような……鳶一折紙のような匂いがする」

 

 まるで犬のような嗅覚である。

 十香は疑惑の目を士道を向けるが、士道としては誤魔化さないととんでもない展開へと発展することが手に取るように分かった。

 

「あ、あはは。気のせいじゃないか?」

「そうか? なら良いんだが」

 

 一応は納得したらしい。だが、少し引っ掛けるところがあるのか、考え込むように唸っている。

 それを見た士道は焦ったように声を上げる。士道の秘技、話題逸らしである。

 

「な、なあ十香。何やってたんだ?」

「む、これだ。この前琴里とやってな。シドーもやるか?」 

 

 十香達がやっていたのは、士道の家にあったゲームのようだ。多種多様なキャラクター達が殴り合い、K.O.された方の負けというシンプルな内容ながら、国民的なキャラから、どこに需要があるのかも分からないニッチなキャラまでもが戦う姿に、それなりの人気を博している。

 

「いや、四糸乃とやってるんだよな。見るだけにしておくよ」

「……む、そうか。ではやるか四糸乃!」

「は、はい」

『次こそは十香ちゃんに勝とうね、四糸乃!』

「……うん、よしのん」

 

 そんな掛け合いの後、ゲームが始まる。

 

 どうやら十香が『パンダグマー』、四糸乃が兎の『ナギサン』を選んだようだ。パンダグマーはその名の通りパンダと熊が合体したようなキャラで、ナギサンはよしのんのような見た目のキャラクターだ。

 ナギサンは最初は可愛らしい人形のような見た目だが、戦う時には氷結傀儡(ザドキエル)のような見た目になって口から氷を吐くキャラクターへと変化する。

 パンダグマーは超リアルに描き込まれた意地の悪そうなパンダの顔が、着込んだロープのフードの下で赤い目をギラギラと光らせている。両袖から突き出した腕は熊のように野太く焦げ茶色の剛毛に覆われている。そして、手には赤い宝石が象嵌(ぞうがん)された巨大な杖が握られていた。可愛くはない。

 四糸乃は左手ではよしのんを使って勝とうとしていたが、十香の操るパンダグマーはナギサンに勝利し、ナギサンはパンダグマーの呪術によって和風おろし大葉乗せハンバーグに調理されていた。

 

「……ま、た負けちゃい……ました」

『あっちゃー、十香ちゃん強すぎるよー』

「む、そうか? 琴里は私よりも強かったぞ?」

 

 特に両者には剣呑な雰囲気が漂ってはいない。それどころか、親密になっていることが分かるように、楽しそうに談話していた。出会ったばかりの頃からは想像出来ない光景だ。

 

 士道は邪魔したら悪いかと思ってリビングに向かい、夕飯の準備を始める。まずは米を炊こうと鼻歌交じりにそれを終わらせ、炊飯のボタンを押すと、炊飯を始めることを知らせる音楽が流れた。

 

「シドー!」

「あれ、十香。四糸乃とはもういいのか?」

「ああ。四糸乃の好きな番組が始まったらしいからな」

「そっか」

 

 四糸乃はあまり勝ち負けにこだわるタイプではないだろうが、あまり負けが続くのは彼女にとって良いことではないだろうし、丁度いい切り時だったのだろう。

 

「……十香はどうしてここにいるんだ? 飲み物でも欲しかったのか?」

「いや、シドーを手伝おうと思ってな」

「えっ、十香がか!?」

「うむ! クッキィだってたまに作るし、安心して任せてくれ」

 

 十香は得意げに胸を張ってそう言った。

 

 確かに十香は以前、学校の調理実習でクッキーを作っていた。

 クッキーを作る工程にはボウルで材料を混ぜたり、電子レンジで加熱といったものばかりで、材料を炒めたり、包丁で材料を切ったりといった料理で使いそうな工程は含まれていない。

 しかし、意欲のある十香をこのまま放置というのも良くないかと思った士道は、少し考えた後に口を開く。

 

「……だったら十香には皮むきをお願いしよう。ピーラーの使い方分かるか?」

「む、ぴーらー?」

 

 分からなそうだ。

 士道は苦笑し、人参とピーラーを持ってゴミ袋の前へと向かう。そこでヘタの方から下に向けてさっと皮を剥くと、流れるようにスライスされて、切れ落ちる。

 

「こうだな。包丁よりも使いやすいぞ」

「おお!凄いなシドー! これは誰が考えたのだ!?」

「……誰だろうな?」

 

 士道は少し考えたが、分からないものは分からない。

 

「シドーでも分からないことがあるのだな……でも、使い方は分かったぞ。これで野菜の皮を剥けばいいのだな?」

「出来るか?」

「うむ。任せるがいい」

 

 十香は元気よく首肯し、じゃがいもを持ってゴミ袋付近でじゃがいも相手ににらめっこしていた。

 

 京乃のこともあってか、士道は少し警戒しながら十香を見守っていたが、どうやら問題なく行えているようだと、安堵の息を吐いて調理の準備を始める。

 

 

「シドー、こんな感じで良いか?」

「ああ」

 

 士道は十香から渡されたじゃがいもやら人参やらを受け取り、慣れた調子で調理していった。

 

 材料を炒めて水を入れた鍋に移し替え、ルーを入れてじっくりコトコトと煮る。そうすると、数分後にはスパイシーな臭いが辺りに立ちこめてきた。

 

「おお、この匂いは! 今日はカレーなのだなシドー! 他に手伝うことはあるか!?」

「……大抵は終わったからなぁ。十香はゆっくり休んでいてくれ」

「うむ、了解した。何かあったら頼ってくれ!」

 

 十香はにかりと笑ってそう言うと、四糸乃の隣に座っていった。

 

「むう、これは何の番組なのだ?」

『うんうん、これは旅番組でねー……』

 

 十香達が話しているのをぼんやりと聞きつつ、士道は夕飯の準備を進めていった。

 そして十分そこら経つと準備も終わり、合間に作っていたサラダとカレーをテーブルに持っていく。

 

「戴きますなのだ!」

「……い、いただきます……!」

 

 二人と一匹は手を合わせ、そして料理に口をつけた。

 

「やっぱりシドーの作った料理は美味いな!」

「おかわりもあるからな」

 

 その言葉に十香は目を輝かせた。

 

「そういや、どうして手伝ってくれたんだ?」

「勝手が分かれば京乃の手伝えるようになるだろうかと思ってな。それに、出来れば私もシドーに食べてもらいたいからな」

「そ、そうか」

 

 純粋な好意に、士道は気恥ずかしくなり頬をかいた。それを見た四糸乃とよしのんは顔を見合わせた。

 

『四糸乃、よしのん達も手伝えば良かったねー』

「……そう、だね」

 

 四糸乃は、こくこくと頷いた。

 

「あー、よしのんならうまく鍋の蓋を掴めそうだしな」

『士道くんたら、よしのんだって熱いもんは熱いんだからね? そんな便利道具のように思われたら困るなー!』

「わ、悪いよしのん」

『分かればよろしい! 今度はよしのんもひと肌脱いであげるよー』

 

 結局は手伝ってくれるつもりらしい。よしのんはパタパタと手を上下させていたが、思い出したようにその動きを止める。

 

『そういえば士道くん。京乃ちゃんってば入院しちゃってるんだっけ? 大丈夫かなー』

「観月の所にお見舞いにでも行くか?」

「シドー、お見舞いとは何だ?」

 

 カレーを口に運んでいた十香だったが、ふと不思議そうに問いかけてきた。

 十香は精霊であり、まだ常識には疎い所がある。今回もその一例だろう。

 

「十香、病院は知ってるよな?」

 

 士道の言葉に、十香は元気よく頷いた。

 

「うむ。病気だったり、怪我をした者が行く所だろう? 京乃も病院にいると令音に聞いたのだ」

「お見舞いってのは、入院している人の調子を見に行くことだな」

 

 十香はじっくり考え込んだ後に、表情を緩めた。

 

「それなら、私も行ってみたいぞ」

『よしのんも行こうかなー』

「は、はい。私も……明日、行こうと思います」

「観月も喜ぶんじゃねえかな」

「むっ、シドーは行かないのか?」

「あー、悪い。明日は用事があるんだ」

 

 琴里のことで話し合いがあると令音から聞いているし、聞いた話ではまだ京乃は目を覚ましていないようなのだ。寝ている女性を見るのはあまり褒められたことではないだろう。

 

「では仕方ないな」  

 

 納得したのか、十香は頷いてカレーを食べ進めていった。そして、そこまで時間もかからずに大量に作られていたカレーは、鍋の底を見せた。

 

「ごちそうさまなのだ!シドー!」

「ご、ちそう……さま、です」

 

 夕飯を食べ終わった後も、十香達と談笑をして、そしてこの後にラタトスクで検査があるといった十香達と別れて、風呂に入って床についた。

 

 

 

 

 

 次の日には、令音の言っていた通りに琴里についての話し合い……もとい、デートプランを考える会議が行われた。

 

 

「親愛なる〈ラタトスク〉機関員諸君。我が愛しい女神の一大事だ。日頃のご恩に報いる時だ!司令が!五河琴里司令が!我らの助けを必要としている!それに応える気概はあるか!?」

 

 

「応ッ!」

 

「司令に褒められたいか!?」

 

「応ッ!」

 

「司令の笑顔が見たいか!?」

 

「応ッ!」

 

「司令に踏んづけられたり罵倒されたりといったご褒美を貰いたいか!?」

 

 

「お……ぅ?」

 

 会議室内に大きく広がり、反響した声はビリビリと士道の鼓膜をうったが、最後だけは共感を得られなかったようだ。勿論、問いかけたのは神無月である。

 

 

 琴里のことが大好きなラタトスクの面子達は、彼女を助ける為に全力で動いた。

 

 プレミアムなチュッパチャプスを渡せば良いのではないだろうかとか、好きなゲームに関連した企画を提示したりと、各々が好きに話し合い、可能性を潰していく。

 琴里の写真を使って神無月が自作した缶バッチこと聖琴里勲章(セイントコトリ)は、温泉のプランを計画した〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉に送られることになった。……と思ったが、彼の立案したものでは、設定された日程では封印が間に合わないことが判明した。哀れ〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉。

 

 

 

「……シン。琴里から何がしたいだとか聞いてないか? 琴里から行きたいと言われたら尚良いんだが」

「あー、何時だったか、栄部のオーシャンパークに行きたいと言っていました」

 

 温泉の夢を捨てきれないのか、食い下がっていた面子だったが、令音に琴里の水着姿が見れるのだがと告げられることにより、思ったよりもすんなりと、オーシャンパークに行くことに決まった。

 

 ……聖琴里勲章(セイントコトリ)は士道に贈られることになったが、士道は即座に断った。

 

 

 

 

 そして次の日は──

 

「シン。京乃が目を覚ました」

「ほ、本当ですか!?」

 

 吉報を聞けた。

 

「ああ。しかし、今日はもう面会は出来ないだろう。明日会いに行くといい」

 

 どうやら熱は下がっていなかったようだが、それも直に下がるだろうと言う話を聞いた士道は、翌日にその病院に足を運んだ。

 受付でアポを取り、そして緊張しながら京乃がいるという扉の前に立つ。

 

「……どうぞ」

 

 士道がノックをすると、少し冷たく感じる声音で許可を出された。恐る恐る扉を開けると、そこには本を読んでいる京乃の姿があった。

 殺風景な部屋の中で、棚にぽつりと置かれている花瓶と花が目につく。

 

「し、失礼しまーす……」

 

 声をかけ、おずおずと言った形で部屋に入ると、京乃は読んでいた本から顔を上げて、信じられないよう表情で慌てふためいた声を上げた。

 

「どうしてここに……!?」

「れ、令音さんに観月の目が覚めたって聞いて……それでいても立ってもいられなくなったというか」

「……すみません」

 

 すみません。

 震える声で呟かれた小さな言葉だが、なんとなくの意味は理解出来たのか、士道は慌てて声をあげる。

 

「いや俺が好きで来たんだし気にすんな!」

「でも、私のことに……五河君の時間を裂いてもらうだなんて、もっと有意義な活用方法があったのではないかって」

 

 本当なら、クラスメイトのお見舞いに行くくらいなら、琴里の霊力を封印する為の対策を練っている方が良かったのだろう。

 そうだったのかもしれない。

 だが、この間の京乃の行動が気になって仕方がなかったというのと、記憶はどうなっているのかの確認、そして……体調が本当に大丈夫なのか、気になってしまったのだ。琴里にも頼まれたしな。

 

「来ない方が良かったか?」

 

 少し不安そうに士道は問いかけたが、それは京乃本人によって即座に否定された。

 

「いえ、そんなことはないです!

本当に、嬉しいです。どうしようもないほど嬉しいです」

 

 顔を真っ青にさせたり、真っ赤にしたりと(せわ)しない様子だ。

 それは普段と変わりないかと士道は頬をかき、そして京乃に話しかける。

 

「観月、熱は下がったのか?」

「おかげさまでもうほとんど平熱で、その、もう実は今日検査して、異常がなかったら退院出来ると……」

「そうか、良かった」

「あの……五河君は私に何か用でここに来たんでしょうか?」

 

 用というのであれば、もう済んだも同然だろう。琴里に京乃の様子を見てくるように頼まれ、そしてそれは達成したのだから。

 しかし士道は、すぐにこの場を退くのを躊躇った。

 

「……すまん、もう少しここにいてもいいか?」

「私がその質問に対して駄目だなんて言えませんが……もし、私に聞きたいことがあるのなら今聞いてください。忙しい五河君の時間を奪ってしまうのはあまりに心苦しいんです」

 

 そう思っているのは事実なのだろう。京乃は、苦い表情でそう告げた。

 

 確かに今、忙しいのかもしれないと士道は考える。

 数日後に琴里とデートするという話も聞いているし、それの話し合いだってラタトスクの面子と行った。今はデートへの準備でてんやわんやだという。

 ただ、観月の様子を見てきて欲しいというのは琴里に頼まれてきたことだが、士道自身がしたかったことでもある。どうせならもう少し話していたかったし、それに……話したいことだってあったはずだ。

 

「邪魔になると思うが……側にいたいんだ」

「え……?」

 

 京乃が呆けたようなことを出したのを聞いて、士道は自分の言葉のチョイスが(いささ)か間違っていたことに気がついた。

 

「あっ、いや変な意味じゃなくてだな……!」

「えっと……気が済むのでしたら、お好きになさってください」

 

 気まずかったのか、京乃は余所余所しく視線を外し、読んでいた本に視線を戻した。

 

 

 

「観月」

「……五河君、どうかなさいましたか?」

 

 呼びかけに応じて読んでいた本から目を離し、士道を見上げる京乃。その蒼い瞳は、いつものように不安に揺れていた。

 

「っ、ああ。観月は、ガスの事故の時の記憶はあるか?」

「……屋上に向かっていたと思うのですが、その後の記憶はさっぱりで。気がついたら病院でした」

 

 どうやら、ちゃんと記憶の消去はされているらしい。

 京乃の受け答えと、嘘をつく時の癖が出てないことからそう判断した士道は安心した。

 

「……そうか」

「それがどうかしたんですか?」

「い、いや、ただ大丈夫だったか不安だっただけだから気にしないでくれ。それよりも……観月、ごめんな」

「何がですか?」

 

 少し警戒しているように強ばった表情で、京乃はそう問いかけてきた。

 それを受けて、士道も緊張したのかゴクリと喉を鳴らす。

 

「心配してくれたのに、公園で会った時にあんな態度とっちまって」

 

 琴里にも話したが、そのことでしこりを残してしまうのは悪いだろうしと、士道は重々しくそういった。

 公園で京乃と話した時に関係ないことだから放っておいてくれと、咎めるように言ってしまったことは、反省すべきだっただろう。喧嘩している訳ではないが、今後の生活に響く可能性は否定出来ない。

 

「何だ、そんなことですか」

 

 ほうと息を吐いた京乃は、首を振る。

 

「五河君、私は大丈夫ですから、心配なさらないでいいですよ。それに、私の方こそ無神経でした」

「そ、そうか?」

「はい。だから……君は私のことよりも、自分の心配をしたほうがいいんです」

 

 いつか聞いたような言葉を言った後に困ったように微笑んだ。

 

「事故に巻き込まれてしまったようですが、私は元気です。迷惑をかけてしまったのは心苦しいですが、今の私はなんのおもてなしも出来ません。このお礼はまた今度させていただきます」

「い、いやお礼なんて気にしないでくれ。あと、これ良かったら貰ってくれ」

 

 持ってきていたバッグから一つ包みを取り出し、それを京乃に差し出す。京乃は本に栞を挟んで閉じ、困惑した表情で受け取り、その包みを開ける。その中にはかぎ針が入っていた。

 

「……これは?」

「家にあったやつでな。

確か観月は裁縫が趣味なんだよな?

入院中暇だろうって思ってな。まあ、すぐ退院出来るってのは嬉しい誤算だけどな。……受け取ってくれるか?」

 

 長い病院での生活で暇をしてしまうだろうと思い、渡そうとした物だが、杞憂になってしまったようだ。

 しかしこれも嬉しい誤算だと、士道は口に出す。京乃の口から屋上にいた理由は聞けなかったが、元気であることの方が第一だろう。

 

「五河君がくれたものを無下には出来ません。

それに……本当に嬉しいです。でも、受け取るだなんて申し訳ないです」

「どうせ母さん使わねえだろうし気に入ったから使ってくれて構わないから。もう使わないし使ってくれる子がいるなら道具も本望だって言ってたしな」

 

 京乃はじっとかぎ針を見つめていた。

 

「ど、どうかしたか!?」

「……いえ、本当に驚いて。大切に使わせていただきます」

 

 渡したものをぎゅっと大切そうに抱きかかえ、京乃は本当に嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、いつかのように嫌に動悸が速くなるのを感じた士道は、慌てて座っていた席から腰を上げる。

 

「じゃ、じゃあな!お大事にな!」

 

 喉が乾いてしまっていたのか、少し掠れた声でそう言うと士道は京乃の返事を聞くことなく、足早に個室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、京乃は検査の末にすぐに退院出来た。

 そもそもは怪我もなく、意識不明になっていただけなのだからこの処置は当然とも言える。

 京乃は迎えに来た叔父同伴で家の前まで行って、そこで別れて一旦郵便受けを見る。

 

「写真……?」

 

 何故か、郵便受けには写真が入っていた。それも、京乃が折紙に渡したものだ。何故郵便受けに入っているかは分からないが、親切な誰かが届けてくれたのだろう。

 

 とりあえずはそういうことで納得し、折紙に渡さないといけないななんて考えながら家に入っていく。

 

 そこまで離れてはいなかったはずだが、懐かしく感じられる家の中に入る。

 日めくりカレンダーは、6月8日で止まったまま。

 リビングでは花を飾っていたはずだが、既になくなっている。

 どうやら、自分が病院にいる間に誰かが片付けてくれたのだろうと理解した。

 

 少し考えてみたが、叔父だろうという結論に落ち着いた京乃は、久しぶりに自宅のソファーに座ってゆっくりと伸びをした。

 

 

 

 

 



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五河シスター 三

 京乃は退院した次の日、食材やトイレットペーパーなどの日常用品を買いに行く為に、近くのデパートを訪れた。

 そして目的通りの品を買おうとエスカレーターに乗った時、二階の服売り場にてビキニを着たマネキンが立っているのを見かけた。

 

 京乃の記憶が確かなら、もうすぐ修学旅行で伊豆に行くという話だった。伊豆といえば海が綺麗なことで有名であるし、水着だって必要になってくるだろう。

 しかし、よく考えて見れば水着なんて中学の水泳の授業で着たきり……しかもそのスク水でさえサイズが合わなくなってしまっているのだろうし、これは新しく買い直すべきだろう。

 しかし、今の京乃は特に買いたいものもなければ、ただ水着を買おうとしているのは、目立たないようにするためだった。適当に、目立たないものを買おう。

 そこまで考えた京乃はエスカレーターを降りて、すぐに水着を探そうと水着コーナーに立ち寄って立ち寄ろうとした。

 そして至極適当にそこら辺に合った水着を掴み、サイズを確認するや否やレジに持っていこうとした。

 

 

「シドー!あそこにいるの京乃じゃないか?」

「……あれ、本当だな」

 

 聞き覚えのある二人の声に、京乃の身体は硬直した。

 明らかに京乃の知るその人の声だったが、慌てて隠れようとする。しかし、それらしい遮蔽物はあるものの、居場所がバレてしまっているのでは意味がないだろう。

 現に、京乃は二人にすぐに見つかってしまった。

 

「おーい!京乃ー!」

「み、観月、こんな所で会うなんて奇遇だな」

「五河君……!?」

 

 京乃は慌てた様子で士道を呼ぶ。

 どうやら士道や十香に会うとは思っていなかったようだ。いつものように逃げ出そうとしていたが、足が思うように動かない。どうやらまだ疲れが取れていないようだった。

 

「観月、顔色が悪いけどどうかしたのか?」

「うむ。もし体調が悪いなら、病院に行った方がいいと思うぞ!」

 

 何なら私も着いて行こう、そうふんすとしながら言う十香。

 その十香を(なだ)めようとする京乃だったが、それよりも早くに人形のように無表情な白髪の少女、まあつまりは鳶一折紙が現れて声をかけた。

 

「夜刀神十香、あなたが近くにいるから同志の顔色が悪い。早急にこの場から立ち去るべき」

 

 折紙が無機質な声音で十香に話しかける。

 

「ふんっ!鳶一折紙、貴様がいるのが原因だ!あっちにいけ!そしたら京乃も元気になるぞ!」

 

 京乃を心配するという理由を作った上で、いつものように喧嘩が勃発した。

 しかし、今回ばかりは京乃のことを心配しているのは本当だったのかもしれない。折紙の顔はいつも通りだったが、十香は言い合いをしている中でも心配そうな表情で、チラチラと京乃を見ていた。

 しかし京乃は普段との少しの違いには気が付かない様子で、いつものようにその場から抜け出そうとした。そしてまたいつものように士道に話しかけられた。

 

「観月、本当に大丈夫か?

まだ体調治っていないんじゃないか?」

「……い、五河君。そんなことは、ないです」

 

 京乃は士道にどぎまぎとしながら、受け答えをする。

 

「本当か?」

「はい、もう大丈夫なんです」

「でも、お前……」

 

 士道の気遣いを断ち切ろうとしてか、京乃は士道からそっぽを向いて、十香達の方へと顔を向ける。

 

「そんなことよりも、皆さんこんな所で何をやっているんですか?」

「そうだったな。シドーをドキドキさせた人が、シドーとデェトする権利を得られるのだ!」

 

 水着を身につけて一番士道をドキドキさせた人が士道とのデート出来ると、十香はドヤ顔で今自分達が行っている内容について説明した。

 デートする権利。それに士道も承知しているのだろうかと、京乃は彼をちらりと見る。士道は少し困ったような顔で、しかし確実に頷いた。

 本人が同意しているのなら問題はないだろう。

 京乃は、こそばゆい感覚に陥りながらもそう納得した。

 

「敵を増やすなんて愚策なのだろうが……京乃なら歓迎だ!恨みっこなしで戦おう!」

 

 この場に置いて、その権利について知らなかったのは京乃だけではない。折紙も、十香の話を聞いて小さく頷き、理解を終えた後に京乃を見て士道の手を掴む。

 

「そう。なら、私は士道と二人で選ぶ」

「は?折紙お前何言って」

「大人の、水着選び」

「ちょ、ちょっと待て折紙ぃ!」

 

 ジリジリと水着片手ににじり寄る折紙に、士道は冷や汗を出しながら後退していく。

 それを見ていた十香としては黙って見過ごすはずもなく、士道と折紙の間に入り、通せんぼをするように手を大きく広げた。

 

「貴様の参加は駄目だ!」

「なぜ? 同志と私の間には差異はない。勿論私と夜刀神十香の間にもない。私が参加出来ない理由もない」

 

 淡々と言論をぶつける折紙に、十香はぐぬぬと唸った。

 

「そ、それは……駄目なものは駄目だ!

貴様は……アレだ!こう……とにかく駄目だ!」

「……ふっ」

 

 嘲笑した。いつも人形のような無表情を崩して、嘲笑をした。一瞬の出来事だったが、確かに折紙は嗤った。

 

「んなっ!?」

 

 それを見てしまった十香は慄き、そして後ずさる。それを好機と見たらしい折紙は十香の妨害を抜け、士道の近くにいた京乃に声をかける。

 

「同志。いつもなら折紙ちゃんと一緒に水着選ぶーひゃっはーって言うところ。どうしたの」

「わ、私そんなこと言ってました!?むしろ折紙さんの中の私に何があったんですか!?」

「違う?」

「違うよ!」

 

 堪らずにノリツッコミをした京乃を見て、十香はホッとしたような表情をした後に眩しい笑みを浮かべた。

 

「何だ、元気そうだな京乃。良かったら参戦してくれ!では私は選んでくるぞ!」

「私は士道と」

「シドー、鳶一折紙に襲われそうになった大声をあげろ、そうしたらすぐに助けに行く!」

「そんなことはしない」

 

 十香は足取り軽やかに水着コーナーへと向かう。

 それをどこか憮然と見送った折紙は、士道の方を見た後に京乃へと目を向けて、そして声をかける。

 

「観月京乃。病院で入院していたというのは本当?」

「あ、うん。そう……です」

「そう」

 

 折紙は頷くと、近くの極端に布面積の少ない水着達を見定め始めた。事実の確認がしたかっただけで、特には言いたいことはなかったらしい。

 京乃は苦笑して、そして彼女に渡すべき物があることを思い出した。

 

「……あ、折紙さん。折紙さんに渡したい物があって……」

 

 そう言うと、鞄の中から写真を取り出し、それを折紙に差し出す。先日、折紙に送ったはずの幼い頃の士道の写真だ。

 

「これです。何故か家のポストに入っていて」

「感謝する。この恩は必ず埋め合わせる」

 

 折紙は流れるように写真を取り、遠くの水着を探しに出かけた。呆気に取られるような一瞬の出来事だった。

 

「……まあ、うん。折紙さんらしいよね」

 

 折紙の様子に安心したように笑い、そして周囲を見渡す。見知らぬ人が一人こちらを見ているものの、知り合いは周囲からいなくなったことを確認し、今後どうしようかと思考する。

 

 京乃にとって、士道とデートをするというものは魅惑的なものであったが、それ以上にこの状況は大変好ましくないものであった。競争をしたとして、自分が勝てるビジョンが見えなかったからだ。

 

 逃げることが許されるのなら逃げたいと京乃は考えるが……それはそれで取りづらい選択肢であった。士道とデートする権利を他の人に取られてしまうと言うことに、一抹の不安を覚えているからだ。

 

 だから京乃はその場から逃げることも、立ち向かうこともせずにぼうっと立っているだけだった。

 ぼうっとしていた。周囲の様子に気を配らないくらいにぼうっとしていた。だから、彼女はそれに気付かなかった。

 

『京乃ちゃんゲットー!』

「えっ、ちょっ……」

 

 戸惑ったような声をあげ、京乃は布の感触に手を引かれる。

 手を引かれて辿り着いた先は、先程よりも沢山の種類の水着が置かれている場所だった。

 

『敵に塩を送る真似はしたくないんだけどねぇ……まっ、いいっしょ!』

「……よしのん?」

 

 京乃は困惑したように、彼女に……よしのんに声をかける。よしのんがいるということは四糸乃もいるわけで、よしのんの上へと少し顔を上げると四糸乃の顔があった。

 

「その……わ、私も京乃さんに、協力します……!」

「四糸乃ちゃんも、どうしたの?」

「京乃さんに、お礼がしたくて……」

 

 もじもじと恥じらいながら、四糸乃はそう言った。

 お礼。そう言われた京乃は少し考え込んだ後、思い出したように口を開いた。

 

「ありがとう。でもね、四糸乃ちゃんはもっと、自分に正直になった方がいいよ」

「……?」

「四糸乃ちゃんだって、士道くんとデートがしたいんだよね」

「そ、れは……」

 

 四糸乃はちらりと京乃を見て、そしてこくりと頷き、それを見た京乃は安堵したような表情を浮かべた。

 

「それなら私のことなんて気にしないでいいんだから」

「そ、れでも、私は、京乃さんのお手伝いがしたい……です」

「……そっか」

 

 京乃は腰を屈めて四糸乃の頭に手を伸ばしてポンポンと撫でる。四糸乃はそれを、頬を桜色に染めて受け入れる。

 

「よし、四糸乃ちゃんが選んでくれるなら、私も四糸乃ちゃんの水着をセレクトしようかな」

『よしのんも選ぶよー』

「よしのんに任せて大丈夫かなぁ……」

 

 京乃はそう呟いた後、困ったように笑った。

 京乃の不安は的中した。よしのんは、四糸乃のヒーローであると同時にかなりのお調子者なのだ。

 

『よしのん的にはねー、こういうの似合うんじゃないかなっ!』

 

 最初によしのんが示したのは、布の面積が極端に狭い、水着と呼べるのかも分からないシロモノ……俗に言う、マイクロビキニだった。

 

「……そういうのは、ちょっと」

 

 着ていく服がマイクロビキニでは京乃の当初の目的からは大きく外れてしまう。というか着た瞬間に先生からストップがかかるであろうことは想像に難くない。

 京乃は苦笑して、首を横に振る。

 

『んじゃ、これはー』

「……そうだね、マイクロビキニって言っておけば次のものが受け入れられるって思ったら大間違いだよ」

『ちぇー、ノリ悪いなー』

「これを着るくらいならノリが悪くて結構だよ」

 

 京乃は軽く笑って、四糸乃に似合いそうな水着を物色し、四糸乃にセレクトした物を渡していく。

 

「京乃さんは、どんな服が好きなんですか?」

「特に好きな服とかはないよ」

「……ないんですか?」

「あまり濃い色の服は着ないかなってくらい……って、これじゃあ選びづらいよね、よしのんが選ぶみたく露出が高すぎるのは目立つから嫌だけど、それ以外なら大丈夫なんだ」

 

 にこにこと笑いながら、安心させるようにそう言った。

 何でもいいに等しい言葉を貰ったが、四糸乃は何とか自分一人の力で探そうと周囲の水着に目を向けて、満足する物があったのか目を輝かせた。

 

「京乃さん。あの、それでしたら、よかったらこれを……」

 

 そう言って四糸乃が指をさしたのは、パレオタイプの淡いピンクの水着だった。

 

「いいね。着てみるよ」

「良かった、です。それでは……」

『四糸乃、そのままは駄目だよ!』

「……え?よしのん、どうして……?」

 

 こてんと首を傾げて、四糸乃はよしのんに問いかける。

 別に四糸乃が選んだ水着は変なチョイスでもなく、彼女に似合うと予想出来る物だったのだ。

 しかしそんな四糸乃の反応に、よしのんはまだまだだなあとパタパタと手を動かした。

 

『よく見てみなよ!京乃ちゃん本番は水着の上を着るつもりだよ!そんなんで士道くんのハートを掴めるはずがない!』

 

 よしのんはそう言い、手で京乃の手元を示す。よしのんの言うとおり、京乃の手には防水加工の施されている上着が握られていた。

 それを指摘された京乃は、ばつが悪そうに苦笑する。

 

「別に、私は士道くんのハートを掴もうだなんて思ってないし、これを着た姿だけ見てもらってこの勝負を降りるね」

『えー、もったいないなー』

「あはは、ごめんね。よしのんは、四糸乃ちゃんの水着選びを手伝ってあげて」

 

 小さく笑みを浮かべると、京乃は試着室のカーテンを開けて着替え始める。

 そして数分後、着替え終わった京乃は、ひょっこりとカーテンの隙間から顔だけ出す。

 

「五河君、次私に似合っているかどうか……見てもらえますか?」

「お、おお。良いぞ」

 

 その言葉を受けて、京乃は試着室のカーテンを開ける。

 京乃の考えとしては士道に何やらの評価をしてもらって、それでこの場を抜け出す──はずだった。

 そうは問屋が(おろ)さないとばかりに、突如としてそれは起きた。

 

「──贋造魔女(ハニエル)

 

 どこからかそんな声が聴こえてきて……そして、京乃の姿が光に包まれたのだ。

 

「えっ、ちょっと……!」

「なっ、何だ!? 京乃大丈夫か……!?」

「み、見ないでくださいっ!!」

 

 京乃はそう言い、慌てて仕切りのカーテンを閉めなおそうとするが、何故かカーテンの結び目がキツく結び直されていて、カーテンを閉じ直すことが出来ない。

 何事も諦めは肝心だ。

 カーテンを締めることを瞬時に諦めた京乃は、自分の水着に手を伸ばすが、焦りが手に(にじ)んだのか思うようにいかない。

 諦めは肝心だ……しかしこの状況で諦められるはずもなく、京乃は涙目でしゃがみこんだ。

 

 数秒後、謎の光が収まったのを察した京乃は絶望の面持ちで神に祈りを捧げた。しかし京乃の祈りも虚しく、試着室前に立っていた士道の目に飛び込んできたのは、パレオタイプの水着の紐の結び目……それが(ほど)けたのを片手で抑えようとしたが上手く掴めずに地面に落とし、せめての防御とばかりに胸元を腕で隠した、京乃の産まれたままの姿だった。

 

 

 

 ……その後の惨状は、酷いものだった。

 

 ただ、結果として確かなのは……どっかの誰かさんの助力もあり、士道とのデートの権利を掴みとったのは、京乃だった……ということである。



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五河シスター 四

『京乃ちゃん、おはよっ!!』

 

 ──午前八時頃。呼び鈴がなったことに気付いた京乃が、寝ぼけ眼を擦って玄関の扉を開けると、そこには出会い頭に挨拶をかましてきたよしのんと、申し訳なさそうな顔の四糸乃がいた。

 

「おはよ……ござい、ます。あの、朝からすみません……おうちに、あがってもいいですか……?」

 

 四糸乃は、じわりと目に涙が滲ませながらそう聞いてきた。

 京乃はその言葉に当然のように頷こうとしたが、すぐにその行動を中断して、決まり悪そうな顔を浮かべる。

 

「四糸乃ちゃんが来てくれたことは嬉しいんだけど、大したもてなしも出来ないよ」

「お、お構いなく……です」

『よしのん達は、京乃ちゃんを誘いにきただけだからねー』

「そっか」

 

 何を誘いに来たのだろうかと聞きたい気持ちもあったが、言いたいことならそのうち自分から話し出してくれるだろうと考え、四糸乃達を居間に上げてお茶を出す。

 

 そこで京乃は思い出す。そういえば、今までは静かだったのに、最近はやけに賑やかになってきたな……と。

 無論、嫌な訳ではなかった。それどころかか、実のところは真逆、嬉しくて嬉しくて仕方ない……それが今の京乃の本心だった。

 

 そういえば、お茶を出したが四糸乃は朝食を食べたのだろうかと彼女のことを考える。

 

 大したものは作れないが、目玉焼きくらいならまともに焼けるようになってきたのだから、トーストと目玉焼きくらいなら出すことが出来る。

 七罪との誕生日会で、凝ったものを人前で作ることに懲りた京乃だったが、簡単なものくらいなら作れるようになってきていた。簡単なもてなしだが、それでも喜んでくれるなら作る価値はあるだろう。

 京乃はよしと自分を奮い立たせると、四糸乃に話しかけることにした。

 

「四糸乃ちゃんは朝ご飯食べた?」

「まだ、です」

「良かったら家で食べていかないかな? 士道くんみたいに凄いものは作れないけど」

「ありがとう……ございます」

 

 質問に対し、答えは肯定だった。

 その為、京乃は少し浮ついた気持ちで台所に向かう。

 特に大したことなどはないが、トースターに食パンを突っ込み、その間にフライパンで目玉焼きを焼く。それを皿に乗せて、椅子に行儀よく座っている四糸乃の前に出す。

 トーストを(かじ)って、にこにこと笑みを浮かべている四糸乃を見て、京乃も頬が緩むのを感じた。

 今はまだ、基礎的なことしか教えてもらえないが、それでもこうも美味しそうに食べて貰えるのなら、教えてもらった甲斐があった。これからも士道に教えてもらって、もっと美味しいものを作れるようになりたい。そして、士道に喜んでもらいたい。それが、京乃の目標となっていた。

──でも、これ以上上手くなれない。諦めた方がいいのに分からないの?

 

「……」

「京乃さん」

「どうかしたの?」

 

 四糸乃が食べるのを眺めていた京乃だったが、その彼女本人に声をかけられて、反射的に笑顔を浮かべた。

 京乃には、四糸乃は勇気を出して自分に声をかけてきたように思えた。きっと、四糸乃が声をかけてきた理由は、彼女が京乃宅に訪れてまでして伝えたかった要件だろう。

 

「良かったらですけど……これから、一緒にお出かけしませんか……!」

「お出かけ?どこに?」

『よしのん達この前一緒に水着選んだじゃーん。あれって実は!プールに遊びに行くためだったのだ!!』

「な、何だってー」

 

 妙にノリが良い京乃は、よしのんの言葉にそう返し、とある一件のせいで記憶から抹消しかけていたが、昨日そんな出来事もあったのを思い出した。

 十香と折紙が水着を買いたかったのは、自分と同じ理由なのが分かっていたが、四糸乃には関係ないだろうし、泳ぐシーズンからは外れている。つまり昨日には既に遊ぶというのが決まっていたのだろう。

 

「十香さんもいるので……京乃さんも、一緒……だと、私は嬉しい……です」

『人数が多い方がよしのんも楽しいもんねー』

「……そっか」

 

 どうやら四糸乃とよしのん、そして十香の三人でプールに出かけるらしい。

 女友達と遊びに出かける。しかも同世代の女友達も一緒に、だ。

 その誘惑に京乃はぐらついた。

 悲しいかな、京乃には同性の同級生と遊びに行った経験なんてなかった。

 これは良い経験なのではないだろうかなんて(もっと)もらしい理由を自分の中で作った後に、にこりと笑って提案に乗った。

 

「うん、良いよ。暫く動いていなかったから、少しリハビリがてら運動したかったしね」

「……あの、無理は……なさらないで……ください」

『京乃ちゃんが無理したらよしのんも悲しいよー』

 

 よしのんの口がパクパクと動き、ケミカルな動きも付与されていた。それが面白かったのか、京乃はくすりと笑う。

 

「心配ありがとうね。疲れたら休憩するね」

「なら……良かった、です」

「十香ちゃんと約束している時間までどれくらいかな?私勝手に行って大丈夫?問題ない?」

「だいじょ……ぶ……です。その、十香さんとも、連絡取って……あっ」

『あっちゃー、そういえば連絡してなかったねー』

 

 衝撃を受けたような表情で固まる四糸乃。そして、おずおずと京乃の顔を見た。

 

「今連絡して、良いですか……?」

「うん、勿論」

 

 京乃が頷くのを確認すると、四糸乃はぎこちない様子で携帯を使い始めた。数秒のち、繋がったのか小声で携帯に向かい話し始めた。それを見た京乃は盗み聞きするものでもないかと思い、そして今後の予定を考えることにした。

 これから、四糸乃達とプールに行く。十香を待つまで時間があるし、四糸乃を退屈させてしまわないようにしなければならない。それが、京乃の年上?としての矜持だった。 

 

 だからこれからどうするかを考えていると、いつの間にか十香との通話が終わっていたらしい四糸乃に不安そうな目で見られ、京乃は誤魔化すように笑って口を開く。

 

「と、十香ちゃんなんて言ってたかな?」

「……十香さん、大丈夫って……言ってました。それにここに直接、来ると……」

「そっかそっか。あ、前に服あげるっていたよね。四糸乃ちゃんが気に入ったのあったら持っていって」

「……良い、ですか?」

「勿論だよ。……ほつれたりはしているかもしれないし、お古だよ?大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です……!」

 

 念入りに尋ねた京乃に、四糸乃は力強く頷いた。それを見た京乃はそっかと呟き、自分の部屋に行って物置きの中を探る。

 長年ろくに取り出していなかった為、少し埃っぽかったが、何とか重いダンボールを数個取り出してその中の服を物色する。

 

「……あれ?」

 

 小、中学生の頃の服を調べていると、京乃の趣味からは大きく外れる服などが入っているダンボールを見つけた。

 全体的に黒くてラメがギラギラと光っていて、背中部分には大きな髑髏(ドクロ)マークがプリントされている服だったり、謎の髑髏の置物や謎のロウソク、更には『ちょーかっこいー決め台詞集』なんかと題目がつけられたノートなんかもあった。所謂(いわゆる)、格好いいものに憧れる少年少女が求めるようなそれらを見て、京乃は押し黙った。

 

「……どうか、したんですか?」

「ああ……いや、何でもないよ。あはは」

 

 京乃は釈然としていないように首をかしげながら、見つけたダンボールを更に奥へと封印し、他の段ボールの中を探していたが、次の瞬間には嬉しそうな顔で弾んだような声を上げた。

 

「あっ、これとかいいんじゃないかな」

 

 そう言って抱えあげられた綺麗に折り畳まれている薄いレースの白い服は今の京乃の好みと合致しているように感じられる。

 

「なんとね、白いうさぎが刺繍されているんだ」

 

 四糸乃は渡された服を広げる。白が基調となったレースの服。白い糸で兎の顔と分かる刺繍が、所々に施されている。

 よしのんを連想させるそれに四糸乃の目は輝いた。

 

『おー、よしのんのお仲間かなー?』

「かわいい、です……!」

「それレース地だから薄いし、着るんだったら下に何か着ないと駄目だけど……気に入ってくれたならあげるよ。その方が服も喜んでくれるだろうし」

「……ありがとう、ございます……!」

 

 四糸乃ははにかみ、ぶんぶんと頷いて、グッチョブを表すかのように親指を立てた。

 

 

 京乃はそれ以外にも何個か服を見繕いつつ四糸乃やよしのんと話しをしながら時間を過ごした。その中で四糸乃がお見舞いに来てくれたらしいと、よしのんから聞いた京乃は、ありがとうと感謝の言葉を述べた。

 

『あ、そうそう。七罪ちゃんと会ったんだよ!』

「どんな人?」

「み、緑色の髪の……私と同じ……くらいの背の方、ですよね……?」

 

 七罪は人に自分の本来の姿を見せるのに抵抗を見せているようで、京乃と知り合ったばかりの頃は全く別の人の姿に変身していた。

 それでも、その日は四糸乃にそのままの姿を見せた。京乃には、それが指し示す答えなんて分からなかったが、彼女は一歩前進しているのだろうと言うことは分かった。

──七罪は、まだまだ成長出来る。良かったね。

 

「……うん、本当に良かった。七罪は四糸乃ちゃんとなら大丈夫だと思うんだ。四糸乃ちゃん、お願いなんだけどね、良かったら七罪と仲良くしてやってくれないかな?」

 

 七罪とは楽しくやれている。しかし、いつまでも一緒にいられる訳ではないし、もし京乃がいなくなってしまったら、七罪はまた一人になってしまう。それは避けたいという想いもあり四糸乃に問いかけると、彼女はその言葉を聞いて目を瞬かせた。

 

「もちろん、です。私も仲良く……したい、です。でも……」

「ど、どうかした?」

「……士道さんも……前、同じようなこと言ってて……」

「あはは、そっか。それは嬉しいかも」

 

 京乃の様子を不思議そうに見ている四糸乃だったが、すぐに何かを思い出したのか、よしのんと顔を見合わせて、その後に意気込んだような声をあげた。

 

「あの、実は私も京乃さんにお願いしたいことが……」

「私に出来ることなら、何でも手伝うよ」

「あ、りがとう……ございます。あの、京乃さんって、手芸部……だった、ですよね……?」

「……そうだね。今も手慰みにやってるよ」

 

 それがどうかしたかと四糸乃を見やると、彼女は自身の左手を見た後に、握りこぶしを作って口を開いた。

 

「よ、よしのんの服を作ってあげたいんです。助けられてばかり、だから。私も、よしのんにお礼したい……です」

『四糸乃大好き!』

 

 ぎゅーっと抱きつくように、よしのんは四糸乃の腕を掴む。何とも微笑ましい光景を京乃は見守り、そして頷いた。

 

「勿論良いよ。それにしても……四糸乃ちゃんにとって、よしのんは家族みたいな存在なんだね」

「はい……!」

「そっか。それは……」

──羨ましいな。

 

 京乃が困ったように笑って口を開いた──瞬間、ピンポーンと、間の抜けるような音が流れた。

 

「あっ、誰だろう」

 

 京乃は四糸乃達に断りを入れて玄関に向かい、玄関の扉を開けると十香が現れた。

 京乃は少し驚いたように目を丸めると、先程四糸乃が連絡していたことを思い出し、笑みを浮かべた。

 

「十香ちゃん、おはようございます。どうぞ上がってください」

「おはよう京乃。失礼する」

 

 十香は初めて京乃の家に来たこともあり、少し物珍しそうに周囲を見渡して中に入っていった。

 

「おはよう、四糸乃」

「おはよう……ございます」

『十香ちゃん十香ちゃん、ちょっといいかい?』

「む?なんだよしのん……ふむ……なるほどな……」

 

 耳打ちをしている四糸乃に、意味深そうに頷く十香。

 そんな彼女達を見て、京乃は今更ながら彼女達が仲良くやれているらしいと実感した。京乃が十香と四糸乃が一緒にいるところを見たのは一回限りだし、その時はお世辞にも仲良く出来そうにない──俗に言う修羅場のような状況だったのに、二人で一緒にお出かけする程仲良くやれていることに感慨深くすら感じる。

 その時から時間はそれなりに経っている。京乃の知らないところで和解して仲良くなったって不思議ではないのだろう。

 

 京乃がそんなことをぼんやりと考えている間──数十秒くらいで話自体は終わったようだが、十香は仰々しく京乃の前まで歩く。

 

「京乃、実はまだ約束まで時間があるのだ。良かったら話をしないか?」

 

 戦場に向かう戦士のような面持ちに対して、話す内容は至って普通のものだった。その為、京乃は二つ返事をした。

 

「はい、私でよろしければ是非。でも、約束までって……遊びに行くのは十香ちゃんと四糸乃ちゃんたちだけじゃないんですか?」

「う、うむ、実はそうなのだ!実は琴里も一緒でな!」

 

 十香は明らかに目を泳がせてそう言った。

 琴里とはあまり交流がないし、そもそも土壇場で参加するのはあまり良いものではないだろう。京乃はそう考え、そして不安そうな眼差しを十香に向ける。

 

「……私が行ったら迷惑にならないですか?」

「だ、大丈夫だ! 多分!」

「そうですか」

 

 あまり大丈夫そうじゃない返答をされたが、本人がそういうのなら大丈夫なのだろう。

 

「……あと、京乃。前も言った気がするがそれ、やっぱりやめてくれないか? 敬語で話されると少しむず痒い」

「く、癖みたいなもので……でも、……えっと、うん、努力してみる」

「おお、ありがとうな!」

 

 十香は、花開くような笑顔で感謝を述べた。

 

 

 

 それからも、十香を交えたガールズトークは続いていった。

 あいまいみートリオが喫茶店でバイトをしているらしいということや、十香もそれを知ってバイトに興味が出てきたということ。四糸乃は士道の隣のマンションに住むことになったと話していたが、諸事情でまだ完全に住むには至れておらず、マンションと別の場所を行ったりきたりしているのだと言うことや、最近のマイブームがテレビを見ること、またその内容について。

 そして、話題は夏休みのことへと流れていった。

 

「休みに入ったらな、皆でお出かけがしたいのだ」

「士道くんと一緒じゃなくて、皆で行きたいんですか?」

 

 不思議そうに十香に話しかけた京乃だったが、その言葉にはすぐに頷かれた。

 

「うむ!シドーと一緒も嬉しいのだが、皆一緒も嬉しいのだ!」

「……そう、なんだ」 

「だから、京乃も一緒にどうだ?」

 

 十香から誘われ、京乃は少し考え込む。

 

「お邪魔にならないかな」

「当たり前だ。京乃だって私の大切な友だからな」

 

 これまた即断されて、京乃は頬をほんのりと染める。

 何気ない様子でそう言い切ってしまうのは、十香の美点の一つだろう。嘘偽りなく、好きなことを好きと良い、そして些細なことに幸せを感じられる。そんな可愛らしい十香が、周囲に好かれる理由の片鱗を、京乃は感じ取った。

 

「……十香ちゃんは、夏にどこに行きたいとか希望はあるの?」

「夏……夏には、何処に行くのが良いのだろうか?」

 

 そう問われて、京乃は少し考え込む。

 

「夏の風物詩……お祭りに行ったり、海に行ったり、後は……美味しいご飯を食べたり?」

「そうか! それは……いいな」

 

 ごくりと息を飲み、よだれを拭き取ろうとしている十香に、京乃は苦笑してティッシュを渡した。

 

「うん、とっても楽しいんだよ。十香ちゃんもきっと楽しめると思うし、良い思い出になるといいね」

「そうだな!」

 

 今度は笑顔でそう言った京乃に対し、十香は力強く頷き、そして部屋にある時計を見ると立ち上がる。

 

「よし、そろそろ待ち合わせの時間だ」

「行こっか」

「……は、い」

『レッツゴー!』

 

 待ち合わせは天宮駅なので、真っ直ぐにそこに向かう。右手を四糸乃と、左手は十香と繋いで三人で談笑しながら向かった。

 駅まではさほど遠くない。だから疲れることなく到着したのだが……

 

「シドー!」

 

 十香が嬉しそうに声を上げたのを聞いて、京乃は信じられないものを見るように、声の先にいた士道を見る。

 

「何で十香達がいるんだ!?それに観月まで!」

「……五河君……!?」

 

 士道と京乃は困惑の表情を浮かべる。そして、琴里も驚いたような目を京乃に向け……そして安堵したように息を吐いた。

 

 京乃は助けを求めるように十香の方へと向くと、純朴そうな目を向けられダメージを受けた為、よしのんへと向き直る。

 

『にっしっしー、よしのん達は何も四人で出かけるだなんて言ってないよー』

 

 よしのんは『やーい、京乃ちゃん引っかかったー』腕をパタパタと動かしながら笑う。

 京乃は困ったように士道を見る。どうやら今彼は琴里にどやされているようだ。今日は士道と琴里の二人だけでデートをする、その予定だったらしい。

 

「今から抜けるのってありかな……」

「……いや、ですか?」

「そんなことはない、嬉しいよ。でも……私がいたら……」

「観月、どうかしたか?もしかして体調まだ悪いか?」

「……!?」

 

 士道に顔を近づけられた京乃は顔を真っ青にして、慌てたように距離をとった。

 

「……ち、ちがっ、違います!」

「それなら良いんだが」

 

 どうも歯切れ悪そうな士道から離れようとしたが、士道の隣にいる琴里がグイッと京乃の裾を引っ張った為にその行動は阻止された。

 京乃にとっては何故されたのかも想像がつかない行為だった為、首を傾げることになった。

 

「えっと……琴里ちゃん?」

「ごめんなさい」

 

 その謝罪も予想がつかなかったのか、依然として不思議そうにしていた。……が、頭を下げて謝られて、京乃は思い当たることのない謝罪に困惑した。

 

「京乃、ごめんなさい。謝って済む問題ではないのは分かっているけど、本当に……」

「琴里ちゃん、私は貴女に謝られるようなことはされてないですから、そんなことやめてください」

「いいえ、それでも謝らないといけないわ。謝らないと気が済まないの」

 

 琴里の声は切実で、表情だって心に迫るように深刻そうなものだった……が、考えても考えても京乃には琴里がそんなことをする理由が思い出せなかった。

 いくら忘れっぽいといえども、琴里がここまでするような出来事を忘れてしまうとは考えづらい。

 心当たりのない謝罪なんてものに、少し気味悪さすら感じる。

 

「でも……きっと謝る相手、間違えてますよ」

「そうかもしれない。それでも、この償いは必ずするわ」

「あの、ひとついいですか?」

「ええ」

 

 一拍と空けずにそう言ってみせた琴里を見て、京乃は困惑したような表情を浮かべた。

 

「……琴里ちゃん、ですよね?」

 

 琴里は不可解なものを見るように、京乃を見る。

 しかし、普段の日常生活と違う自分の性格を思い出し、すぐいつも通りの笑みを浮かべた。

 

「……そうよ。京乃はそんなことも忘れたの? 鳥頭なのは士道だけだと思っていたんだけどあなたもだったのね。今から老人ホーム予約した方が良いんじゃない?」

 

 つらつらと言葉を重ねる琴里に、京乃の表情は引き攣る。

 

「そ、そうですよね、琴里ちゃんですよね。ちょっと、雰囲気が違ったのでびっくりしてしまって」

「雰囲気が変わったのはあなたもでしょ。 高校デビューってやつ?何にせよ失敗しているみたいね」

「こ、琴里。変なこと言うのは……」

「……ふん!」

 

 (たしな)めてきた士道の足に、琴里はげしと踏みつけた。

 

「……ッ!」

「時間もないんだし、速く歩きましょう?」

 

 明らかに不機嫌な雰囲気を醸し出し、琴里は先へ先へと歩いていく。

 琴里は士道に対して、やけにつっけんどんな態度をとっているように見えるし、士道もまたその琴里に翻弄されているように見えた。つまり、あまり場の雰囲気は良いものではない。

 ただ……その雰囲気は、楽しそうに笑う十香によって、随分と緩和されているようだった。

 

「そうだな!私も早くプールに行きたいぞ!」

「京乃さんも、一緒に……行きましょう」

 

 四糸乃は右手を京乃に差し出し、京乃はその手を取る。

 

「……そうだね」

 

 

 

 




デート・ア・ライブ完結おめでたいです。
七罪…たまたまでしかないですが、ちょっとびっくりしました(最大限の配慮)



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五河シスター 五

 電車に乗り、天宮駅から五駅先の栄部駅で降りて辿り着いたオーシャンパーク。プールやら遊園地やらが楽しめるスポットである。これが夏真っ盛りなら人が押し寄せて混雑していただろうが、今は繁忙期間中でない。それは、人の目を気にする京乃にとっては僅かな幸運だった。

 

 プールに行くのは随分久しぶりだと、京乃は施設に足を踏み入れる。入場料を払った後に士道と別れて男女別の更衣室に向かい、ロッカーで着替えを取り出す。

 つい昨日に買った水着。見た瞬間に記憶がぶり返して顔が赤くなった。

 水着に罪はないと自己暗示のように思い込ませて、着ていた服を脱いで水着に着替え、持ってきていた上着にすぐに手を通した。

 と、そのとき京乃は隣から甲高い声をかけられる。

 

『京乃ちゃーん、ちょっと助けてくれないー?』

「京乃さん、あの……服着るの、手伝ってもらってもいいですか?」

「勿論だよ」

 

 頷いて京乃は四糸乃の服を脱がせて、そしてよしのんがつっかえることに気がついて手を止めた。普段着ならともかく、水着という種類の服は四糸乃にとって着慣れていないからそうなるのだろう。

 水着は京乃の選んだ物を買ってくれたようで、四糸乃はワンピースタイプの淡く黄色い水着を手に持っていた。それが、京乃の心を温かくさせていて……

 

「あれ、昨日はちゃんと着れたの?」

 

 京乃は、はたと思い出したように口を開く。

折角選んでもらったものだからと買い上げたものの、摩訶不思議なアクシデントがあった後ではあの場にはいづらく、京乃は服を買った後即座に逃げ帰った為、その後の勝負の行方は知らなかったのだ。

 四糸乃は今しがたその事実に気がついたように、少しはっとしたような表情のち、首を小さく横に振った。

 

「着れなくて……十香さんに、助けて……もらいました」

『士道くんにも見られちゃったよねー』

「よ、よしのん……!」

「ああそれは……大変だったし、恥ずかしかったよね。お疲れ様」

 

 四糸乃に水着を着させるのに悪戦苦闘しているように、京乃は渋面(じゅうめん)で労いの言葉をかける。

 四糸乃は不思議そうに京乃を見ていたが、必死な様子を見て邪魔するのは悪いと考えてか、京乃の指示に従った。そして、数分も経てばちゃんと水着を着用することが出来た。

 

「……ん? 四糸乃、今日は着替えられたのか」

「あ、十香ちゃん」

「あの、今日も……手伝ってもらって……その……」

『十香ちゃんも昨日ありがとうねっ、よしのん助かったよー』

「……ありがとう……ございました」

 

 ぺこりと四糸乃が頭を下げるのを見た十香は、満更でもなさそうな表情を浮かべた。

 

「気にしないで良いぞ? 最初は戸惑うものだ。私も最初はそうだった」

『おお、十香ちゃんが先輩っぽいセリフを』

 

 よしのんは茶化しめいたような様子で言うのを、十香は嬉しそうにして頷いた。

 

「そうだな、私は先輩だ。何でも困ったことがあれば頼ってくれ」

『ひゅー、頼りになるぅー』

 

 やはり茶化した様子ではあるが、感謝はちゃんとしているらしく、よしのんと四糸乃は十香に続いて屋内プールの中へと足を進めていった。ならばと、京乃も続こうと歩き出すと、服の裾を誰かに掴まれた。

 

「京乃」

 

 京乃が振り向くと、白いセパレートタイプの水着を着た琴里が、京乃の顔を見つめていた。

 

「……琴里ちゃん、どうかしました?」

「はっきり言ってキモい。私ならともかく、他の年下相手に敬語とかナメられるわよ。今まで通りに接しなさい」

「……き、きも……うん、私はゲロ豚だよね。それでどうしたの?」

 

 少しショックを受けたような顔でありながら、京乃は持ち直したように笑みを浮かべて続きを促す。

 

「……体調、本当に大丈夫なの? この前倒れたって聞いたんだけど」

「うん、へっちゃらだよ。寧ろ前よりも元気になったような気がするしね」

「そ」

 

 京乃が力こぶを作るようなポーズでにへらと笑うと、琴里は素っ気なくそう返して、プールの出入り口へと向かう。それを見た京乃は、置いていかれそうなことに気がついて慌てて彼女に着いていく。

 

「心配してくれたのかな。でも琴里ちゃんの方こそ、体調悪いんじゃ」

「どこを見てそう思ったのかは知らないけど、そんなことはないわ」

「そっか」

 

 京乃達が女子更衣室から出ている頃には、士道はもう着替え終わっていたらしく、彼は四糸乃と十香と言葉を交わしていた。そしてプールに興味津々な二人と別れると琴里が来ていることに気がついたようで、手を振って駆け寄ってきた。

 

「琴里水着似合ってるぞ。その、特に膨らみかけの胸が最高……って違うんだ琴里」

「何が違うの?」

 

 威圧的な琴里の態度に、士道がタジタジとしているのを傍目で見ながら……京乃は、どうやら士道の性的嗜好では膨らみかけの胸が最高らしいという情報を耳にしてしまった。

 京乃は自分の胸元に目を寄せるが、どうも膨らみかけとはいえない。そういう層にはぶくぶく太った雌豚などと言われてしまうくらいにはアレであった。

──知ったところで何も変わらないし、どうでもいい。士道くんから早く離れようよ

 

「わ、たしは……」

「観月は……上着てんのか」

 

 士道が京乃の上半身に向けると、そこにはラッシュガードが着られていた。その視線を受けて、京乃は少し顔をそらした。

 

「ちょっと、恥ずかしくて」

「ああ、うん。そうだよな!」

 

 恥ずかしい。他人に肌を見せる行為に抵抗を感じる。特に、士道には見せたくなかった。だから、前日の水着大会でも出来る限りの肌の露出を避けたのだ。……まあ、その目論見は見事に失敗してしまった訳だが。

 そんな京乃の心の葛藤を知ってか知らずか、士道は照れ笑いをして口を開いた。

 

「似合っているぞ」

「えっと、ありがとう……ございます」

 

 京乃は戸惑ったように言葉を返すと、士道の後ろにいる少女を見て苦い笑みを浮かべる。

 

「……その言葉は嬉しいですが、あんまり私に構うと妹さんの機嫌、悪くなっちゃいますよ?」

 

 士道の後ろには般若のような顔の琴里がいた。それを見て引き攣った顔になった士道に頭を下げて、京乃は四糸乃達の所へと向かっていった。

 

「おおー、気持ちいいな!」

 

 十香は一足先にプールを満喫しているようで、輝かしい笑顔で泳いでいた。そして、四糸乃は十香を見て入ろうかとそわそわしているようだった。

 

『よーし、よしのんも入っちゃうぞー』

「……!」

 

 四糸乃の浮足立っている様を見て、京乃は軽くストレッチをしてから、階段から手すりに捕まり足を踏み入れた。少し冷たく感じたがそれも一瞬であり、暫く経つと温水プールということで温かく心地良い温度が保たれているのだということを実感した。

 底はそこまで深くなく、四糸乃の肩よりも低いくらいの深さだ。

 近くにいる人達は遠くのジェットコースターの火山が時折噴火したりといった凝った演出に驚いたりして楽しんでいるようだった。趣向の凝ったギミックは、大人も子供も何周も巡れるように工夫がなされていて、四糸乃も感動したような表情で水に身を任せてその場を漂っていた。

 暫くの間京乃は四糸乃を見守っていたが、大丈夫そうだと安心して、自らもプールを楽しもうと四糸乃から目を離して軽く泳いだ。

 

 しかし……高波に攫われて、四糸乃の手からよしのんが離れたようだ。

 よしのんは元々、ただの人形だ。意思がある訳ではなく、勝手に動く訳でもない。力なく四糸乃の手から離れたよしのんは下へと沈んでいく。

 四糸乃は感情が暴走してしまうと、良くないことが起こる。先程まで温かったはずのプールが氷点下のように冷えてきっているのがそれを如実に表している。きっと、このまま放置は良くないのだろう。あまり状況を呑み込みきれていない京乃にだってそれくらいは想像がついた。

 

「……よ、よしのんが……」

「大丈夫だよ、大丈夫だから」

「あ、あ……」

 

 声は届いていないのか、四糸乃は絶望の面持ちで震えていた。それを見た京乃は、四糸乃よりもよしのんを先にどうにかすべきだろうと、泳いで流されたよしのんを探す。あまり時間がかからずに下に落ちてしまったよしのんを見つけることが出来たのでさっと取り、四糸乃の手に()める。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 京乃は四糸乃を抱き締め、優しい声でそう繰り返すと、水温の低下が次第に収まってきたようだった。

 四糸乃の目に光が戻り、そして京乃を見てしょんぼりと肩を落とす。

 

「す、すみません……」

「私の方こそ不注意だったよ」

「いえ、そんな……」

 

 二人して気落ちしながらプールから上がって、ドライヤーを求めて更衣室まで戻り、そしてよしのんに当てて乾かす。

 

『おー、京乃ちゃんありがとーねー』

「いえいえ」

 

 失敗のせいで怖くなってしまったのか、四糸乃はブルブルと震えていた。

 

「また流されるの……怖い、です」

「四糸乃ちゃんは、プール自体も嫌になっちゃった?」

「いえ……水に浮かぶのは貴重な体験で、その……楽しいです」

「そっか」

 

 嫌がることを無理やりやらせたくはないが、四糸乃がそう言うのであればと京乃は胸を張る。

 

「よしのんがいなくなっちゃったら私が見つける。……私が、よしのんのことを守るよ。だから四糸乃ちゃんは、安心してプールで遊ぼう」

 

 立ち上がり、また屋内プールへと足を進める京乃を見て、四糸乃は目を白黒とさせながら着いていった。

 

「でも、そのまま入ったらよしのんが危ないね。待っててね、浮き輪取ってくるから」

「浮き輪、ですか?」 

「うん」

「……一緒に行っても、良いですか?」

「そうだね。はぐれちゃったらいけないし、一緒に貰いに行こっか」

「……は、い!」

 

 四糸乃は裾を掴んだまま、貸し出してくれている人の所まで行き、そして笑顔で応対しているお姉さんから浮き輪を受け取り、そしてプールへと向かう。しかし、その折に不思議な光景を目にした。

 

「ちょっとそこのネーチャン達お茶しない?」

「む……なんだ貴様ら」

 

 琴里と十香の前に、ある意味古典的なチャラ男が現れていたのだ。そしてそれを士道が止めに入ろうとした瞬間に、琴里が彼らを一瞥して口を開く。

 

「淡島文雄三等執務官、手代木良治三等官、川西孝史三等官。メイクは及第点だけど……何よ、その三文芝居は」

「し、司令!何故我らのことを……!?」

「いくら関わりがなかろうと、大切な部下の名前を忘れる訳ないじゃない」

「五河司令……!」

「琴里さん、凄いです……」

「……琴里ちゃんの知り合いかな」

 

 感極まったような声を出しているいい年のチャラ男三人を、京乃は若干引いたような顔で眺めつつ距離を取った。

 そして借りた浮き輪を持ち、今度は比較的波の弱い流れるプールに再度入った。それに倣って四糸乃もプールに入る。

 

『おー! ぷかぷかだー』

「……!」

 

 四糸乃もなんだかんだ、楽しんでくれているようだ。

 無意識に緊張してしまっていることに気が付いて力を抜き、しかし今度こそは同じ失敗がないように気をつけながら、京乃もプールに入った。

 

 

 

 ♢

 

 士道と琴里、そして十香はウォータースライダーで遊んでくるらしい。

 つっけんどんな琴里だったが、偶に口元が緩んでいる。楽しいのに、楽しめない、そんなジレンマを感じ取られる。そして京乃を目に留めると、ばつの悪そうな表情で視線を逸らす。今日はずっとそんな調子だ。たまに琴里を見かける機会はあったが、その時には京乃を見ても今日のような態度はとっていなかった。それならば……

 琴里がどうしてそんな態度なのかは、別に重要なことではない。退院したことで心配をかけてしまったらしいし、それに関連したことなのだろうと楽観的に考えることにし、そして隣で浮かんでいた四糸乃に目を向ける。

 

「四糸乃ちゃん、五河君と一緒にいなくて大丈夫? 私とばっかじゃ……」

 

 今日の四糸乃は京乃とばかり一緒にいて、士道と一緒にいる時間は少ないように感じられる。四糸乃だって京乃といるよりも士道といる方が良いのではないかと思い、京乃が問いかけると四糸乃は首を横に振った。

 

「いえ、楽しい……ですから」

『京乃ちゃんこそ、士道くんと二人っきりでいたいんじゃないのー?』

「……そんなことはないかな」

「そう、ですか……?」

「うん」

 

 

 高校に入ると水泳の授業がなくなり、こうして水と触れ合う機会は減っていた。だからこそ、というのもあってか、時間が過ぎていくのは早かった。

 気がついたら昼時を過ぎていたので、士道達一行は遅めの昼食を摂ることにした。

 数分経つと、少し咳き込んだ琴里が席から立ち上がり、それを見た士道は彼女にその訳を尋ねる。

 

「どこ行くんだ?」

「レディの口から言わせる気?」

 

 呆れるような視線をぶつけられて士道は口ごもる。

 

「ああ……いや、ごゆっくり」

 

 琴里はため息を吐いて、歩き出す。食欲がないのか、サンドウィッチは少量しか食べていないようだ。

 

「すまん、俺もトイレ」

「ごゆっくり……です」

 

 四糸乃が小さくそう告げて、十香は手を振られながら士道を見送ると、各自また昼飯を食べ始めた。 

 

「京乃さん、美味しい……ですね……!」

「……」

「京乃さん……?」

 

 士道が去って行った方向を険しい表情で見ながら、サンドウィッチを口に頬張っていた京乃だったが、四糸乃に呼び止められてすぐにそちらに目を向ける。

 

「……ごめん、ちょっとぼーっとしちゃってた。それで、どうしたのかな?」

「今日の、士道さんのことです」

 

 四糸乃からその単語が出てくるのが予想外だったのか、京乃はきょとりと目を丸める。

 

「士道さん、琴里さんとぎくしゃくしてて……」

「確かにそうだったね」

 

 京乃は今日一日の二人を思い出すようにして頷いた。

 京乃にとっては琴里の知らない一面があった。そして、それは四糸乃達には周知の事実だったようだ。

 しかし、それを差し引いても今日の士道はいつも通りと呼べる行動をしていなかった。琴里のそういった一面を最近まで知らなかったか……それとも、単に別の要因でそう言った態度を取らざるを得なかったのか。

 京乃にはそのどちらかなのかは判断がつかなかったが、今日のような琴里を知っていたらしい四糸乃からして、後者だったのだろう。

 

「なので、仲直りのきっかけに……二人きりに出来たらな、って」

「それは良い考えだね」

 

 熟考した後、京乃は未だ昼飯を食べている十香の方へと向き直り、小さく笑みを浮かべる。

 

「十香ちゃん。この後何かやりたいことある?」

「むっ? じゃんぐるくるーず?とやらが気になるが、それよりもシドーが……」

「その、私も……乗りたいです。よしのん、流されちゃ……いやなので……」

 

 流れるプールでの一件を思い出しているのだろう。四糸乃はぶるりと身体を震わせた。

 

「それなら四糸乃と京乃の二人で行けばいいんじゃないか?」

 

 そんな十香の言葉はもっともである。京乃はその言葉が来ることは予想していたものの、少し言葉に詰まった様子で……そして、自分の本心からの言葉を告げることにした。

 

「十香ちゃんとも、もっとゆっくりとお話ししたいんだ。駄目かな?」

「駄目じゃないぞ。それに、なんだ。私も京乃に聞きたかったことを思い出したしな」 

「……? そうなんだね」

 

 聞きたいことが何なのかは京乃には分かりかねていたが、そういうことなら好都合だと頷いておく。

 

「それってどんな……」

 

 京乃がそこまで言いかけたタイミングで、士道が戻ってきた。

 

「お帰りなのだ、シドー!」

『遅かったねー』

「お帰り……なさい」

 

 十香達の言葉を受けて小さく笑うと、士道は何か吹っ切れたような表情で、十香に向かって話しかける。

 

「知ってるか? これからジャングルクルーズってのが始まるらしいんだ」

「おお、今京乃とそんな話をしていたところなのだ!」

「知ってたのか……そうだな、三人で遊んできたらどうだ?」

「そうすることにするぞ! シドーも琴里とゆっくりとしてきてくれ」

「十香、ありがとうな」

「うむ!」

 

 元気よく頷くと、十香は目の前のサンドウィッチ達を平らげることに専念しだした。

 士道はそれを見て、京乃の側に近づいて小声で話しかける。

 

「……観月、危ないと思うことが起こったら、すぐに逃げるんだぞ? 約束してくれ」

「はい、勿論約束します」

 

 京乃は所在なげに士道の死角で指をゆらゆらと揺らしながら、こくりと頷いた。

 

「……皆、恩にきる」

「士道さん……頑張って、ください」

 

 四糸乃のその声と笑みに背を押されてか、士道は頷いて、京乃達がジャングルクルーズの場所に向かうのを見届けた。

 これからどうするかは士道の決めることだ。京乃としては士道がヘタレてもいつも通りに頑張ってくれてもいい。ただ、後悔のないようにしてほしいと、京乃はそれだけを願った。

 

 

 

 

「それで、十香ちゃんが話したかったことって何なのかな」

 

 ジャングルクルーズが始まるまで少し時間がかかるらしく、順番待ちをしている最中に京乃はそう切り出した。

 

「気になっていたことがあってな。私が学校に転入してくる前に、お前と会ったことがあっただろう。ASTのすごい攻撃から守ってくれたことについて聞きたくてだな」

「何のことでしょう」

 

 しらばっくれる京乃を見て首を傾げる十香だったが、すぐに小さく笑みを浮かべる。

 

「……シドーと一緒にいれるのは、京乃のお陰でもあるのかもしれない。亜衣達や四糸乃、それに琴里令音……皆のお陰で、こうして私は暮らしていける。だからな、皆といると私は嬉しいのだ」

『よしのんはー?』

「勿論よしのんもだ」

 

 十香は、あの時正体を知らせなかったはずの謎の人物を京乃と見抜いていたらしい。そして、京乃にとってその感謝は気まずいものにしかなり得なかった。

 あの時京乃が助けたかったのは十香ではなく、士道だ。本当にそれでしかなかった。

 

「だから私が告げたいのは……感謝、だな」

「……十香ちゃんが言っている意味はちょっと分からないけど、その言葉はありがたく受け取っておくよ」

「うむ、そうしてくれ」

「あとね、そのことは五河君に言わないでくれると嬉しいな。困らせちゃうから」

「そうか? 京乃がそういうのならそうしよう」

 

 口元に人差し指を乗せる京乃を見て、十香は任せてくれと力強く頷いた。と、そのタイミングで順番が回ってきたようで、ジャングルクルーズのボートに乗り込んだ。

 

「ああ、そうだ京乃。昨日おめでとう」

「えっ、何かめでたいことあったかな」

「む、シドーから聞いてないのか? 昨日の水着大会のことだ。あれから四糸乃や憎き鳶一折紙と競い合ったがどうやら京乃が一番だったようだ。口惜しいが私の完敗……どうしたのだ?」

「……私が、優勝?」

「うむ。令音にそう聞いたぞ」

「……本当に私が? どうして、そんなはずが……」

「京乃さん?」

 

 隣にいた四糸乃に心配そうに声をかけられて、京乃は思い出したように笑みを浮かべた。

 

「あ……き、気にしないで。もうすぐ動くし、楽しもうね」

「無理はするなよ」

「うん、大丈夫だよ」

 

 十香が不安そうに京乃に声をかけると、ボートが動き出してジャングルクルーズが始まった。

 四糸乃も十香も、係員のお姉さんの説明を受けて楽しそうにしている。それならば京乃も楽しまなければならないだろうと、周囲を見渡す。

 実際、壮観だった。係員のお姉さんの解説がうまいことも相まって、皆が楽しめる空間が創り出されていたのだ。京乃だって、普段なら喜んでいたに違いない。

 一周目が終わり、そしてまた並んで二周目に突入し、それが終われば昼飯を食べたところでジュースを飲んで談笑して。そんな話の途中のことだ。

 

 突如としてそれは訪れた。空気がぴりつくような感覚、そして爆発音が京乃の耳にも届いた。その直後、プール内にサイレンが響き渡り、避難を促すアナウンスが流れ始めたのだ。

 

「シドー……」

「士道……さん」

 

 小声で二人は呟いた。つい、漏れてしまったとでもいうかのように、茫然とした声音で。

 

「あの、十香ちゃん」

「京乃は早く逃げてくれ。私は……やることを思い出した」

『ごめんねー、よしのん達もちょっと野暮用』

「……失礼、します」

 

 そう言って、十香達は何処かに行ってしまった。

 京乃はいつの間にか蚊帳の外になっていた。四糸乃達は士道を呼んだ。それならこれだって士道に関連したことなのだろう。

 

 

 

──行かないと

 

 すぐにそう思った。五河士道という己の好きな人を助ける為になら、何だってやれるのだと自分を奮い立たせる。

 

 逃げてくれと言われようとも、如何に嫌な予感がしようとも、京乃のすることに変わりはない。ただ、いつも通りに行動するだけだ。

 今身に纏っているのは水着とパーカーだけだが、この身一つあれば問題ない。

 私は、私の身体が動かなくなるまで動き続けなければならないんだから。 

 

 アナウンスに従って避難している人の群れに逆らって、爆発音のした方向に進んでいく。

 人はいなくなっていき……そして、見覚えのある姿を前に物陰に姿を隠して、様子を窺う。

 いかつい装備の折紙と十香達が戦っていた。全容は分からないけど、きっと十香達は士道の為に戦っているのだろう。加勢するべきなのか、それを考える。

 

 ……士道のいない時には、足はちっとも動かなかった。逃げることもおぼつかず、きっと無駄に死にゆくようなものだ。ならば士道の所に直接向かった方が良いだろう。それで士道の身に何もないなら、それで良い。

 

 足取りは軽かった。しかし、すぐにその行動をやめなければならなくなった。

 明らかな異常。ノイズのような存在が、京乃の前に姿を表したからだ。

 

【──君の答えを聞かせてくれるかな】

 



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五河シスター 終

 水着を買いに出かけ、帰った後のこと。士道は琴里が精霊になった瞬間を捉えたビデオを神無月と共に見た。そこでビデオに映るノイズを見た瞬間妙な違和感に囚われて、そこで意識を失う。そして目覚めたときには〈フラクシナス〉の医務室で既に翌朝を迎えていた。

 

 士道はその後、琴里の霊力封印の為に彼女とデートをすることになった。京乃達も同行するというアクシデントこそあったものの、予定通りにことは進んでいると言えるだろう。

 琴里とは気心のしれた仲、なはずだ。だというのに、いや……だからこそ黒リボンを着けた琴里相手にうまく距離感を取れずにいた。

 

 しかし昼飯の途中、トイレに行ったはずの琴里と令音が密談しているのを聞いて、士道は自分の考えを改めた。

 

 黒いリボンの時の琴里は、司令官モード。しかしそんな彼女もまた、士道の妹であることに変わりはないのだ。

 

 そのことに気付いてしまえば、もう後はあっという間だった。

 遊園地でジェットコースターに乗ったり、カーレースをしたり、お化け屋敷に行ったり……二人で思う存分に久しぶりの遊園地を楽しんだ。

 吹っ切れてからのデートは、順調にいっていたように感じられる。

 

 しかし……折紙が現れた。見慣れない装備に身を包み、琴里に向かって攻撃を繰り出してきた。

 そして、それを助けてくれたのは、士道が今まで力を封印した精霊達だった。

 ならば、それに報いなければならない。

 

 自身が何をするべきなのか、士道はそれを必死に考える。そして、折紙との対話で至った一つの可能性に賭けることにした。

 折紙は炎の精霊である〈イフリート〉を敵として見ている。だから、言葉遊びのようであったとしても、現状手はそれしか道がない。

 士道は琴里に向き合い、そして問いかける。

 

「琴里は、俺のこと好きか!!」

 

 琴里は士道の言葉を受けて動揺したように……しかし、確かに彼に本心を伝えた。

 

 それを聞いた士道が意を決して琴里と唇を重ねると、自分の中に温かいものが入ってくるのを感じた。経路(パス)を通じて、霊力が自分の中に入ってきたのだろう。

 それと同じように、頭の中にぼんやりときた記憶が流れ込んできて、士道は小さく眉を動かした。

 

 

 

 

 ♢

 

 その日。琴里は一人で寂しくブランコを漕いでいた。

 愛しいおにーちゃんも今日は出かけてしまっている。もしかしたら、士道は泣き虫な自分に愛想を尽かしてしまったのかもしれない。おねーちゃんみたいな女の子にならないから、琴里の誕生日である今日だって遊びに出かけているのに違いないのだ。それが悲しくて目元を拭って、それでも止まらない涙に視界を滲ませた。

 そんな時にそのノイズのような存在が現れ……

 

 ──ねえ、君は強くなりたくない?

 そう、問いかけた。

 

 

 視界が暗転する。

 

 

 青髪の少年……士道はその日、遠くまで出かけていた。しかし、雑貨店を出て暫く経った時に、町の様子がおかしいことに気がついて口をこぼす。

 

(町が……赤い)

 

 沢山の家が燃えている。

 町中が燃えている。いつも通りだったはずの町並みは、赤く、朱く燃えがっていた。

 まるで、世界が全て燃えてしまったかのような錯覚に陥る中、あることに気がつく。

 

(そうだ、琴里は……!)

 

 士道が出掛けている中、琴里はひとりっきり。

 こんな火の中、琴里が無事でいてくれる保証なんてない。

 琴里は、絶望のどん底にいた士道を救ってくれた大切な妹だ。琴里がいなくなってしまうなんて、そんなことがあってはならない。

 

(琴里……無事でいてくれ……!)

 

 炎で覆い尽くされた町の中を士道は走り出した。

 後ろからは声が聞こえた。それは分かっているが、どうしても足を止める気にはなれなかった。足を止めた瞬間、嫌な予感が的中してしまいそうで恐ろしかったのだ。

 だからただただ走り続けた。琴里がいるどこかを目指して走った。

 今、この瞬間も琴里は一人で怖い思いをしているはずだ。

 速く駆け寄って、安否を確かめたかった。安心させてやりたかった。

 

 走り回って数分後、士道は公園で琴里の姿を見つけた。

 やっと見つけた琴里は奇妙な和服を着ていたが、なきべそかいているこの少女はどう見ても最愛の妹だ。

 無事だった。その事実に安堵して、その格好についても深く考えず琴里に歩み寄る。

 

 

(おにーちゃん、来ちゃ駄目……!)

 

 琴里がそう叫んだ時にはもう遅く、彼女の周りにあった炎が膨れ上がり士道へと向かっていき……そして、士道は素人目に見ても助からない怪我を負った。

 

 琴里はそばにいたノイズのような存在を糾弾し、そして士道が助かる方法があることを知る。

 

 琴里はその方法に縋るように、士道にキスをした。その瞬間、琴里の着ていた霊装も一瞬淡く輝き、徐々に空気に消えていき、それと同時に士道の傷口周辺に炎が舐めるように這っていき、凄惨な傷跡が消えていった。

 

 そうして士道が目を覚ました時には半裸の琴里が泣きじゃくりながら彼を見守っていた。

 

 彼は琴里の誕生日を祝い、手に持っていた黒いリボンを彼女の髪に付け替える。

 このリボンを着けている間は、強い女の子に。

 そんな願いを琴里に告げ、そして彼女は泣きながら頷いた。

 その後砂嵐のようなノイズ音が聴こえ、無理やりのように切れて記憶の奔流が終わった。

 

 

 

 

「思い……出した。私はあの時、あの『何か』に……」

 

 琴里は呆然と呟くと、意識を失ったのか、身体から力が抜けていった。それと同時に霊装が消えていき……それを見ていた士道だったが、琴里に向かって小型のミサイルが迫っているのを見て、琴里を抱えてその場から飛び退いた。

 しかし、爆風を受け、士道の背中には痛みが(ほとばし)る。

 

「治療を──」

 

 士道の怪我を見た折紙はそう言うが、彼の傷跡にはいつものように炎が這っていき、傷は完全になくなった。

 

「今は、俺が〈イフリート〉だ。だから狙うなら琴里じゃなくて俺にしてくれ……!」

 

 状況を掴みきれずに狼狽した様子の折紙に、士道は言葉を重ねる。

 

「あの日、俺が何をしていたか思い出したんだ! あの場所にいたのは琴里と京乃と俺だけじゃなかった! あの場には琴里だけじゃなく、もう一人精霊がいたんだ!」

「〈イフリート〉を、五河琴里を守る為の嘘としか思えない……!」

 

 活動限界が近いらしく、折紙はふらつきながら左足のホルスターから9mm拳銃を抜き、銃を琴里の脳天に向ける。ただの銃だとしても、今の琴里なら致命傷になりうるだろう。

 

「頼む、信じてくれ! もし信じられないのなら、琴里じゃなくて俺を殺せ!」

 

 折紙は士道の言葉を聞き、自身の持つ銃へと目を向け……力無く、その場に倒れた。

 

 

 

 

 

 琴里の霊力は封印することができ、折紙とのことだって一段落はついた。万事解決、だというのに士道の頭の靄は不思議と晴れなかった。 

 

 何かがおかしい。

 

 十香と四糸乃のことが心配だから?

 いや、インカムから彼女達の無事は伝えられている。だからこそ、そこまで心配する必要はない。

 

 琴里の精霊としての力の封印に不備が?

 いや、霊装は完全に消えたことから見て、力の封印したことに間違いはないはずだ。

 

 折紙が納得してくれたか分からないから?

 

「……いや、違う」

 

 茫然と、そう呟く。折紙のことでもない。

 気がついたら口走っていた言葉に疑問を覚えるでもなく、また口を開く。

 

「そうだ、幼馴染がいたんだ」

 

 五年前、あの場にはもう一人いた。それを思い出すと、無理やりこじ開けられたような違和感の後、五年前士道が琴里を封印した時の、その続きが再開される。

 

 息を切らして、士道に駆け寄ってきた少女。幼馴染の少女は珍しく声を荒げ、泣きそうな、悲痛な声を上げた。

 

(士道くん……! どうしてこんな……!)

(京……乃)

 

 ぼやけた視界に映る幼馴染、()()を目に留めて、士道は安心したように笑った。

 そしてその場にノイズのような存在が再度姿を表す。

 士道は琴里を後ろに庇い、それを見たノイズのような存在は寂しそうに、小さく笑った。

 

【今は、忘れるといい】

 

 そう言って、ノイズのようなそれが士道の額に触れると、視界が暗転した。

 

 

 

 士道は経路(パス)を通じて戻ってきた自分の記憶が理解出来ずに、でも、士道の都合なんて考えられていないように、そこから記憶が塗り変えられていく。

 

 空白だった部分が、埋まっていく。

 

 

 観月京乃。

 士道にとって、幼馴染と呼べる存在。

 何事もそつなくこなし、困ったことがあれば頼りになる、そんな存在。……そうだっただろうか。いや、そのはずだ。

 

(どうしたの? どうしてきみはひとりなの)

 

 これは、京乃と会った頃、初めてかけられた言葉だったか。懐かしい。……懐かしい?いや、違う。観月と会ったのは高校に上がってからでそれまでは会ったことなんてないのだと、士道は困惑する。

 

 だとしたら、この……観月の顔と声で笑いかけてくる人物は、誰なのか。

 結論なんてもんはすぐに弾き出された。でも、頭では理解していても納得は行かないものだった。

 顔は同じでも、纏う雰囲気も浮かべる表情も何から何まで似つかわしくない。別人だと言われた方が納得出来る。

 

(士道くん、琴里ちゃんの誕生日だよ、分かっているの?君は琴里ちゃんのお兄さんなんだからちゃんとしないと駄目だよ)

 

 ……でも、理解しないといけない事実だ。

 士道は確かにあの日、京乃と一緒に琴里の誕生日プレゼントを買いに行き、そして琴里が精霊になった瞬間に立ち会った。

 

 その事実を認識すると、走馬灯のように出来事が流れていく。

 観月京乃という幼馴染のいた日常。いつも隣で笑みを浮かべていた京乃のいた日常。

 

 小学校に入る前から仲の良かった京乃は、小学校こそは違ったものの、中学からは同じ学校になったということ。しかし、クラスも多かったことから、同じクラスになることはついぞなかったということ。

 

 一緒にいるのが当然だとでもいえる、空気のような存在だった。

 

 ただ、何かがあった。何かがあって、その日常は途切れた。

 ああ、いや……違う。明確な異変は、中学の最後の年に起きていた。そして、士道はそれに気がついていた。

 いつものような笑顔を浮かべた京乃の言葉、それを皮切りに断片的だった記憶はゆっくりと流れていった。

 

 

 

 士道は不思議に思っていた。

 最近自分の教室に来なくなった京乃のことを。

 今までは士道のクラスに休み時間の間いつも来ていたのに、最近では全く来なくなった。

 それだけでなく、京乃の姿を見つけてもすぐに何処かに走り去っていくことが何度もあって、学校内で会うことはなくなり、気付けば学校外でも自然と彼女に会うことは無くなっていった。

 

 もしかして京乃に何かあったのだろうか?

 そうだったら相談に乗ってやりたいし、そうじゃなくても何でもいいから話す機会が欲しかったということが事実だった。

 避けられていることに一抹の不安を感じた士道は、教室に来て欲しいと京乃に伝える為に、昼休みに京乃のクラスへと顔を出したのだ。

 

(士道くん、どうかしたのかな?)

 

 士道の手を引き、人気のない校舎裏に連れてそう尋ねてきた京乃はいつもと変わりないように見えた。しかし、どこかおかしいように見える。

 

(話したいことがあるんだ)

(今聞くよ)

 

 すぐにそう返してきた京乃に、士道は少し圧されて言葉に詰まる。

 

(ああ、いや……今日一緒に帰れるか? その時にでも話そう)

(ごめんね、今日部活なんだ)

 

 こうやって、やんわりと断られるのも数え切れない数になってきた。クラスの子と帰る約束があるから、日直の仕事があるから……いつもそういう口実で煙に巻かれてきた。

 

(なら、部活終わった後でもいいから)

(待たせちゃうの悪いし、士道くんは先に帰ってて)

(大切な、用なんだ)

(……そっか)

 

 顎に手を当てて、考え込むように下を向く。

 そして考えが纏まったのか、士道へと向き直って小さく笑った。

 

(部活は多分私しか来ないんだし、士道くんを待たせるのも悪いよ。いつも部活やってる教室で待っているから、授業終わったら会おうね)

(……ありがとう)

(私の方も、君に言わないといけないことがあったからさ)

 

 少し堅い表情のように見えたのは目の錯覚だったのか、瞬きをした次の瞬間にはいつも通りの表情になっていた。

 

 

 

 受験が近づいているということもあって、いつもよりもピリついた空気の中で授業を受ける。勿論授業は大切だが、士道の頭の中にあったのは放課後のことだった。京乃と、久しぶりに面と向かって話が出来る。それが士道にとっては重要なことで、だからこそ気を引き締めていかなければならない。

 

 

 担任が長めの帰りのホームルームを終わらせると、すぐに鞄を持って駆け足で階段を上る。

 目の前には、家庭科室の扉がある。

 士道は放課後にこの教室で京乃と待ち合わせたのだ。

 緊張でどうにかなってしまいそうな胸を押さえつけて、深呼吸をしてから扉に手をかける。

 

 

 家庭科室の中に入ると、窓を開けて外を眺める京乃の後ろ姿が見えたが、扉の開いた音が聴こえたのか、すぐにこちらへと振り返る。そうすると、いつもと変わらない、見ている人を安心させるような穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

(わ、悪い。待ったか?)

(ううん。そんなことはないよ。それよりも士道くん、お話って何かな?)

 

 いつも通りだった。あまりにもいつも通り過ぎて、今から話そうとしていることが間違っているのではないかと思うほどだった。

 しかし……それは、間違いなくいつも通りではなかった。

 

(ああ、話っていうのはな……)

 

 ごくり。士道は息を呑み込んで、その後に京乃の顔を見る。

 少し首を傾げているが、やはりいつものように笑みをたたえている。そうだというのに、何故だか圧を感じた。

 とは言っても、無難な会話で折角の機会を逃すのはあまりに勿体なく感じられ、士道は前々から思っていた心のうちを彼女に告げる。

 

(京乃。最近どうしたんだ?お前らしくないぞ)

(そんなことないと思うけど、どうしてそう思うの?)

(いや、最近は全く会わなくなったから気になっていたんだ)

(そうかな?)

 

 士道の目を真っ直ぐと見つめ、何ともないように京乃は笑い、その後に思い出したように口を開く。

 

(もうそろそろ受験の時期だし、君の邪魔したくないんだ。士道くんの第1志望のところだって受かるか分からないし。君は、勿論私だって、全力を尽くすべきだよ)

 

 家が近いという理由だけで、来禅に受けようとしている士道には中々に刺さる言葉だったが、だからと言って、それだけで関わりを断つには理由が薄いように感じられた。

 

(それを言われると痛いが……別に一緒に帰るくらいいいだろ)

 

 士道からそう言われると、京乃は少しのだんまりの後、口を開いた。

 

(それは、そうかもしれない。でも、こんなにベタベタしてたら、あらぬ噂を立てられちゃうかもしれないから。士道くんだってそういうのは嫌でしょ? こんな時期に余裕こいてるんだって思われちゃうかも)

 

 思春期特有の気恥ずかしさ、というやつなのだろうかと、士道は少し考える。

 あまり気にしたことはなかった……士道にとってはそう言う時期はもう既に切り抜けているが、京乃が気にするのも無理はないことなのかもしれないと思い、しかし彼女を安心させる為に口を開く。

 

(別に好きに言わせとけば良いだろ)

 

 そもそもそんな噂なんてものは、ずっと前から立てられていたはずだ。京乃が知らなかったとしても、士道には今更気にする理由が分からなかった。

 京乃は人の心の機敏に(うと)い所があり、だからこそこういった話には興味がないのだろうと思っていたのにも関わらず、別にそういう訳でもないらしい。

 

(私の気持ちの問題だよ。……お願いだから、これからは出来るだけ会わないようにしないかな)

(俺はそんなこと気にしないって)

()()()

 

 そう言った京乃の声は、他を許さないとでも言うかのようにはっきりとしたものだった。

 そこまで頑なに断る訳が分からないと口を開いて……そして閉じる。

 

 士道は昔から人一倍、絶望という感情に敏感だった。

 だからこそ、一瞬京乃から怯むような、怯えるような目を向けられたことに気がついた。

 

(何かあったのか? 理由があるなら教えてほしい)

(どうしても言わないと駄目かな?)

(ああ)

(本当に?どうしても?)

(……ああ。困っていることがあるなら頼ってくれ。俺はお前の助けになりたいんだ)

 

 士道にとっては善意の言葉。それをかけられた京乃は、一瞬目を見開くと、彼の言葉を繰り返す。

 

(士道くんが、私の助けに……そっか、そうなんだね)

 

 大きくため息をつくと、士道に距離を詰める。

 

(理由か。そうだよ、理由があるんだ。実は私、君のことが──)

 

 短く呟かれた言葉を聞き、士道は思わず硬直する。

 言われるとは思っていなかった、聞き違いであってほしい言葉。

 

(……な、んて)

(聞こえなかった? 私、君のことが大嫌いなんだ)

 

 はっきりとした、拒絶の言葉だった。

 

(本当は同じ空間にいて息をすることも嫌なの。ねえ、空気を読むくらいしたらどうなの)

(そんな、はずは)

(分からないの? やっぱり君って……)

 

 その続きは罵倒の言葉だった。嘲笑はされなかった。あくまで普段通りに彼女は接していて、それがなおのこと異質に感じられた。

 

(もしかして気づかなかった、なんて言わないよね。それに名前呼ばないでくれるかな?)

 

 いつもと変わらない、士道の大好きだった穏やかな笑みを浮かべて京乃は言葉を連ねる。

 いかに士道が嫌いなのか。今は士道の存在が邪魔で仕方ないのだということ。士道のせいで学校に行きたくなくなるのだということ、士道の存在が迷惑なのだということ、頭に乗らないで欲しいのだということ。

 ゆっくりと、(たしな)めるような口調で紡がれる言葉は、士道の心に鋭く突き刺さった。

 

(──まさか、分からなかったんですか? 薄々そうだと思ってましたが、君ってつくづく……)

 

 また士道の目をじっと見据えて笑い、何事かを告げる。

 

(私は君とあらぬ噂なんて立てられたくないし、一緒にいたくもない。君の顔なんて二度と見たくないんだ。……分かってくれるかな?)

 

 そう言い切った京乃は、やっぱりいつもと同じ表情を浮かべていた。

 いつもだったら癒やしてくれたそれが、士道の心を押しつぶすかのように重くのしかかってきた。

 

(……そう、かよ……)

(あ、れ? ちが……)

 

 何とか言葉は絞り出せたものの、もう京乃の顔は見れなかった。

 ただ、最後に見た顔だけがこびりついて、扉を開いて帰ったことすらもあまり思い出せず、気がついたら家で布団を被って(うずま)っていた。

 

 

 

 

 ♢

 

 

 嘘だ。そう信じたいが、士道はそれを知った時、不思議な感覚に身を包まれた。今まで噛み合っていなかった歯車が噛み合ったような、抜けていた部分が埋まったような感覚。

 

 だからこそきっと、それは本当にあったことで間違いないのだろう。

 

 脱力感に苛まれる。

 

 ぼんやりと遠くから声が響いてくる。

 士道を心配するような声。好きだった声。懐かしい声。でも、どこか少し違う声。

 

 

 京乃、と。最後の声を振り絞り呻くように言うと、士道は琴里同様意識を失った。



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回想
想起


 

 それは何かを私に告げた。そして、私はその言葉に答えた。事の顛末(てんまつ)なんてものは、難しい事じゃなかった筈で、だからこそ悔しかった。

 きっともっとうまくやれた筈だ。でも、うまくやれなかったからこそ今を迎えている。

 過去をやり直す事が出来たなら、私はどうするのだろうか? その答えは、すぐに答えられるくらいに簡単な事で──

 

 

 

 ♢

 

 昔の事。私がまだ、小学校にも入っていないくらいに小さな頃。私は、その日公園で一緒に遊んでくれた子に、帰り際に言われた言葉に衝撃を受けた。

 

(京乃ちゃんと遊ぶのたのしくない)

 

 年相応で、無邪気な一言。彼女の話している内容を聞くに、彼女と遊んでいる時に私がつまらなそうな顔でいた事が理由だったらしい。それにその子以外も同様の理由で私と遊ぶ事を避けてしまっていたらしい。言われてしまえば納得出来る理由だけど、私は少し悲しくなった。やっと初めて出来たと思った友達だったのに、やっぱりうまくいかなかったのだから気持ち的に落ち込んでしまうのも仕方のない事だった。

 でも原因は分かった。反省を踏まえて、私は取り繕った。仲良く出来る人が一人もいないのは私にとって寂しい事だったから、笑顔で皆と接していた。

 その甲斐あってなのかは分からないが、前よりも一緒に遊ぼうと誘ってくれる子だって出来るようになった。ただ、仲の良い友達なんてものは一切作る事が出来なかった。浅く広い関係を築いてきた。

──そうだった? いや、あの時士道くんに出逢った。それは間違いのない事の筈だった

 私の家は昔から共働き家庭だったから、家族と一緒にいる時間が短くて、寂しかったのかもしれない。両親と一緒にいる時間が短いのであれば、せめて……仲の良い友達を作りたかった。でも、それもうまく叶わなくて、弟か妹が欲しいとお母さんに言ってしまう事もあった。『頑張ってみる』と言わせてしまったが、今もひとりっ子なのがその答えといえるだろう。

 

 お父さんは海外に働きに出ていて、お母さんは働きながら天宮市で私と生活していた。

 前述したように、可愛げのなかった私の事を、お母さんは真心込めて育ててくれて、だからそこまでスレる事もなく育つ事が出来た。その生活は私にとっても大切なものだったのだろう。

 

 お父さんは、海外で転々と自分の店を開いている人だった。

 閑古鳥が鳴いている状況が殆どではあったらしいが、強い情熱を持った人だ。

 正直なところ、私にはよく分からなかった。変に冒険をするよりも堅実に生きた方がいいとすら感じる。お父さんは収入の面でも不安が多かった。お母さんに頼りきっているんじゃないかって、少し不満に思う事もあった。だから私は、その感情をお母さんにぶつける事も多々あった。ただ、その時には彼女は決まってこう言う。

 

──困った時は、支え合うって約束しているの。

 

 そして彼女はこうも言った。私はお父さんの事を応援している一ファンでもあるのだと。

 彼女らが昔に恋をして、付き合いを経て現状に至るのだという事は私だって理解している。

 それでも、よく分からなかった。私には彼女の気持ちもお父さんの気持ちも分からない。ただ……お母さんが幸せそうだから、それで良いのだろう。私は日常生活に於いて、大きな不安を感じた事はなかった。だから……当人同士が納得しているのなら、きっと、それで構わないのだろう。

 

 それに、彼の店は少しずつ繁盛しているのだという。そんな話を帰って来るたびに聞くのは私だって悪い気がする訳がない。応援だってしてはいるのだ。

 

 私は変わらずに過ごしていた。順風満帆とも言っても差し支えなかったのかもしれない。私は普通に暮らしていて、たまにはお母さんと買い物に出かけて。そんな日々は楽しくて……そして何かが足りなかった。

 

 ただ、平穏が続くなんて事はなく……中学を過ごして三年目に突入したとある日の事にお母さんが倒れた。過労だったらしい。ワーカホリックのようになっていた彼女は退院したらすぐに仕事戻ろうとしていた。

 私は不安だった。もう一度倒れたら、もう二度と目を覚まさないんじゃないかって。

 昇給だとか、仕事内のトラブルだとか。そんな事はおいていてほしいと思った。

 

 私は違う環境に身を置いて、身体を休めて貰おうと思った。冷静になってほしかった。

 思いつくのは、お父さんのところだった。旅行気分でも何でもよかった。私は彼女に気を休めてほしかっただけなんだ。

 お父さんに連絡を取ると、二つ返事で了承してもらえた。天宮に帰ってきてくれるとは言っていたが……迷惑はかけたくなかった。

 私を置いていく事は出来ないと反対されたけど、その反対を押しきって送り込んだ。私が彼女について行かなかった理由……よく思い返してみると、よく思い出せない。ここから離れたくない、何故かそんな思いが私の中に巣食っていたからだ。そんな意固地になる事はない筈なのに、その時の私は“絶対”にそれだけは許可する事は出来なかった。──士道くんと離れ離れになるなんて嫌だったから。それだけの理由だ。

 だから私は初めてといえる大喧嘩を彼女として……そして、なんとか了承してもらえた。

 ただ、条件はつけられた。定期的に連絡を取る事、成績を落とさない事、家計簿をつける事、心配事があるのなら相談してほしいのだという事。

 それからは、手紙や電話なんかで近状報告をして、週数回家に来る叔父と話をして……不自由はあったけど、何とか暮らして日々を送れていたはずだった。その筈だった。

 ただ、それはどうも勘違いだったようだ。

 

 

 

 

─不潔

 

 中学三年の二学期に入った頃、修学旅行が差し迫っている時期の事。同じクラスの誰かにそう言われて、そうだっただろうかと首を傾げる。

 毎日体は洗っているし、別段汚いとは思えない。

 もしかして体臭でも強いのだろうか?

 気になって嗅いでみるが、自分ではよく分からないし、分かるものでもないだろう。

 

 だから、この事を彼女に問いかけた。どうしたら私は不潔ではなくなるのかと。

 答えは教えてくれず、ただ嫌そうな目でこちらを見てくるのが不思議だった。

 

 それが始まりだったように思える。本当はもっと前から予兆があったのかもしれないが、私が明確な異変を感じたのはこの時だった。

 

 

 それから、というもの。私の学校生活は明らかな変化を迎えた。男子生徒は殆どそれらに関わっていなかったようだが、同性のクラスメイトからの態度は一変したのだ。

 

 話しかけても、シカトされ。

 下駄箱に上靴がなく、グラウンドの植木の近くで見つけるまでスリッパで過ごし。

 大量の虫の死骸が机の中に入っていて。

 教科書やノートを隠されたり、破られていたり。

 身に覚えのない罪を擦り付けられて、そして言葉の暴力を受けて。

 囲まれて服を剥ぎ取られて、服の上からは見えない部分を殴られる。

 

 こんな風になったのはどうしてか。

 理解は出来なかった。こうなった原因に皆目検討もつかなかった。もしかしたら特にもっともらしい理由はなかったのかもしれない。でも、あったのかもしれない。

 だから、何かしたのだろうかと彼女に、彼女達に問いかける。それで言われた台詞は、『余裕そうでムカつく』『頭に乗るな』や『キモい死ね』、もしくは『存在が迷惑』とか『学校に来るな』だ。

 ……学校には行かないと駄目だ。先生から連絡が行ってお母さん達に心配をかけてしまうだろうし、異変に気がついてしまうだろうから。

 だから心配をかけないように日々を過ごして、それで……私は、どうなったのだろうか。何かあったような気がするし、何もなかったような気もする。それが収まる事もなく、そうして日々を過ごしていた。

 

 そんな日々の最中や何度か、クラスメイトである男子生徒に声をかけられる事があった。私の事を可哀想だというその人は私の容姿を褒めてくれて、やっかみを受けているのはそのせいなのだろうと言ってきた。そんな筈はない。仮にそうだったとして、それがこんな事になるのなら聞かなかった事にしたかった。容姿を褒めてくれる言葉なんてものも全部嘘っぱちだ。だって皆がそう言っている。私はゴミのような人間で、外面も内面も全て汚いのだと。だからもう、何も聞きたくはなかった。褒めてくれなくてもいいから、ただ何も起こらないまま時間が過ぎてほしかった。

 

 自己を否定され続ける日々。次第に、同年代の女子生徒を見るだけで身体が(すく)むようになった。自信なんて持てなくなった。何も楽しいと思える事なんてなくなっていった。笑顔を浮かべる事が苦痛になった。それでも、外面は取り繕った。大切な人に、心配だけはかけたくなかったからだ。

 

 そうして日々を積み重ねている中で一つ、中々忘れられない夢を見た。 

 

 私が五河士道と幼馴染であるという、そんな不思議な夢。

 五河士道。隣の家に住んでいる、同じ年の男子だったと記憶している。今までクラスが同じになる事がなかった為、彼がどんな人物なのかは知らない。だというのに彼の存在が夢に出てくる理由は……隣の家に住んでいるから、という一点が引っかかっているからなのだろう。どうせ仲の良い知り合いなんていない。だからこそ無理やり彼を当てはめたのだろうが……

 

 ただ、これを知った瞬間私は……どうも不思議な感覚に陥った。

 今までとは比べ物にならない違和感。まるで、これが本当にあったかのような違和感。それほどまでにやけに現実味のある夢だったのだ。

 

 五河士道に尋ねてみれば分かる。そうでなくとも、両親に確かめて見れば分かる。すぐに馬鹿な夢なのだと分かるはずなのに……私は、それをしなかった。真実を知るのが、怖かったのだ。

 

 だから私はそれから目を背けて、進路の事について考えた。本当は、来禅高校に通うつもりだった。でも、家から近いし、もしかしたらクラスメイトも受けるつもりかもしれない。

 だからこそ高校は、中学の知人が居ないような場所に行こうと考えていたけれど、担任の助言でクラスメイトが行かないという話を聞き、元々の志望校を受験し……なんとか受かる事が出来た。

 

 正直なところ、安心していた。だけどその安心もつかの間、私は衝撃的な事実に直面してしまった。関わるのを避けていた五河士道と同じ高校……その上同じクラスになってしまったようなのだ。

 

 高校に上がっても同じ年頃の女の子と話すのが怖くて、そんな時に男子生徒に助けてもらって事なきを得られた。そして、その男子生徒が五河士道だった。

 それがどうも恐ろしくて、彼に私の事を覚えているかと尋ねた。

 

(ああ、隣の家に住んでいるやつか。クラス同じになった事はなかったけど、中学も一緒だったよな。すまん、名前教えてくれないか?)

 

 そう言われた時、私は確かに安堵したのだ。

 私が見た夢はただの夢だった。私が彼を苦しめた話なんて存在せず、そして残るのはただ隣に住んでいたという事実のみ。なんて、そんな訳ないのにね。

 

 最初は深く関わるつもりなんてなかった。

 奇妙な夢だったとしても、それでも傷つけた人だという認識だけは拭えなかったからだ。

 五河士道は私と隣の家に住んでこそいるが、それ以外には大した接触もなかった。だから、それでいいと思った。

 度々夢に出てくる五河士道に興味は抱いていた。でも、接するのは避けてしまう。だから、私は彼に関わらないようにして、私の日常を送る事にしたのだった。

 

 高校での私の日常。高校に入ってからは、別に私がやらなくてもいい事を、気がついたら引き受けているという事が多くなっていた。

 それは、放課後の掃除だったり、黒板消しや日誌を書くなんかの日直の仕事だったり、または先生の雑用の手伝いだったり。

 頼まれる事もあったが、別にいつもそうだったという訳じゃない。ただ、断ってしまったらまた中学時代と同じような目に遭うんじゃないか、そう考えると断れなくなっていた。それに、たまに先生から褒められるのは嬉しかったから、そこまで苦じゃなかった。

 

 二学期になって暫く経ったその日も、私は雑用をこなしていた。

 花瓶の花に水をやり、ゴミを捨てに行き、担任の先生がクラスに残っていた生徒に『学年室に運んでくれ』と言っていた課題の品を手を洗ってから運ぼうと手にかけ、そして手が塞がっていて扉を開けるのに難航していたときの事だ。

 

 忘れ物をしていたらしい五河士道が、教室に戻ってきた。そして私を見て、驚いたように声をかけてきた。

 

(──誰かに頼まれたのか?)

 

 首を横に振る。別に私個人が誰かに頼まれた訳ではない。自分から率先して始めた事だ。

 

(観月は偉いんだな)

 

 そういう訳でもない。だから、首を振る。

 ただ、強迫観念のままに行動していただけなのだから、褒められるような事ではなかった。

 ただ、言葉は出てこなかった。高校に入ってから、まともに話す機会なんてやってこなかった。どうも、口がこわばって思うように動かなくなってしまうのだ。

 

 五河士道とまともに顔を合わせるのも入学式の時以来のような気がする。今の彼は、私の態度に困惑しているように見える。それも当然の事なのだろう。

 

(それ、一人で運ぶのは大変だろうし手伝うぞ)

 

 手元に目をやる。クラス全員分のノートやワークブックを持っていくには、少しふらつくのは確かだった。

 でも、手伝ってもらうのには、どうも勇気が少し足りない。だから首を横に振る。

 

(俺がやりたいからやるんだ。駄目か?)

 

 駄目じゃ、ない。

 やっと口を開いてそう伝えると、五河士道は表情を緩めた。

 

 

 それからというもの、彼はたまに私に声をかけてくれるようになった。

 掃除の人手が足りなくて手伝っていると、手伝ってくれた。クラスの人と話していて、体調が悪くなった時には保健室に同行してくれたりもした。

 教室に居るのが嫌で逃げるように図書室に行くと、彼とばったり会ったりして、教室に帰るまで少し声をかけてくれたり。そんな時間が私にとっては大切で。

 彼といる時間は楽しかった。心地が良かった。

 彼にとっては何気ない時間だったとしても、何も話せなくても、私にとってはかけがえのない時間だった。

 

 私はろくに口を聞けなかっただろうに、それでも相手をしてくれた。困った事があれば手伝ってくれた。だから私は……その恩を返したいと思うようになった。

 

 その気持ちが恋心へと変わったのが、いつだったのかは分からない。でも、気がついたらそうなっていて、五河君と幼馴染のような存在であった事なんて奇っ怪な夢の事なんて記憶から薄れていった。忘れてはいけない情報まで薄れてしまったんだ。罪悪感だって、後悔だって、忘れ果ててしまった。 

 

──()()

 

 彼が観月と声をかけてくる度に、私は自分を再認識した。私は観月で、だからこそ彼と接しても特に問題ないのだと自分を納得させる事が出来た。

 

 

 そして私はまた、私の日常を過ごした。

 

 一年の十月には七罪と出会った。それからは彼女と過ごす事も多くなった。彼女のおかげで、前よりもだいぶ話す事に苦労しなくなった。それに、私は初めて友達と呼べる子を作る事が出来た。

 

 二年生に上がってから、私は五河君とまた同じクラスになれた。だからゆっくりと着実に、私は彼との関わりを強めた。もっと積極的に関わろうと思った。

 自分から話しかけたり、よしのんを一緒に探したり、また料理を教えてもらえるようになったり。たまに、彼が危険な状況に陥っていたなら助けたいと思い行動してたり。私は、昔に比べたらとても充実した日々を送れていた。そして、それはこれからも続いていくのだろうと思っていた。 

 

 ただ、時崎狂三と屋上にいるであろう五河君を助けようと思って、その場所に向かっている最中(さなか)、それは現れた。ノイズのような存在。

 明らかに異質な存在だったけど、私はどこかで見たような感覚を味わった。どこでなのかは分からない。ただ少し……懐かしいと感じたのは確かだった。

 私は彼と話をした。それは覚えている。でも記憶は屋上に向かうところまでで、途切れている。多分、そこでもう一度気絶してしまったのだろう。

 

 病院で目覚めた後、私の頭にはとある言葉が燻っていた。

 

【実はね、君が信じているその記憶は偽物なんだ。その証拠に、君はそのことを覚えているんだろう?】

 

 何を言っているのかと笑いたかった。夢だと信じたかった。でも、どうやら夢ではないらしい。それの証拠に、日記帳にはその日の出来事が詳細に書かれていた。だからこそ私の中に湧いていた疑惑も膨れ上がっていき、そして混乱していった。

 忘れていたそれを思い出してしまったからだ。

 嫌に現実味のある夢だった。でも、それだけのはずだった。……でも、どうもそれだけではないようだった。

 

 何故買ったのかも思い出せない本。服を探している時見つけたダンボール箱に入っている服やノートだって、買った覚えはなかった。それが、真実を物語っているようで、酷く怖かった。

 

 士道くんが私に会いに来てくれた時、水着を買う時、そして、一緒にオーシャンパークに行く時。私はその違和感が気になり、いつものように楽しめなかった。十香ちゃんや四糸乃ちゃんと一緒に居るのは嬉しかったけれど、それを上回る程に不安事項が大き過ぎたのだ。

 そんな中で、緊急アナウンスが聞こえてきた。だから私は五河君を助けようと思った。それが私の存在理由と同義だからだ。

 

 

 

 

 

【──君の答えを聞かせてくれるかな】

 

 プールから彼の元に向かおうとしている時、それは私に尋ねてきた。

 五河君が危険な目に遭っているのかもしれない。そんな状況下なのに尋ねてくるこのふざけた存在に関わっている暇はない、その筈なのに……無視する事は出来なかった。

 

「……訳が、分からないです。前にも言いましたが、そもそも記憶が偽物、って……」

 

 近付くのが怖くて、足が後ろに下がる。その存在に対する恐怖というよりも、……彼が言っている内容を理解したくなかったから。

 私は逃げたかった。堂々と立ち向かうなんてヒーローみたいな事は出来ない。卑怯者だったとしても、私は……

 

 

【もう思い出しているだろうに、肝心の記憶が戻ってないようだね。それなら戻してあげよう──】

 

 そいつの手が私に触れた瞬間に、弾けるように何かが流れ込んでくる。

──思い出した。昔知り得ていた筈の知りたくなかった情報。クラスメイトの揶揄(からか)いを受けている時に五河君……士道くんに呼び出されたこと。頑張って隠し通してきた筈なのに、バレかけてしまって士道くんに当たってしまったこと。正気に戻った後には全てが終わっていた。“それら”は終わらなかった。私は何も為す事なんて出来ずに、そしてその日を迎えたと言う事。その時出会った不思議な存在の事。全部、全部思い出した。

 

 ♢

 

 

 

──その日、京乃は屋上に居た。ぼんやりと思考が鈍る中、フェンスを乗り越えて下の景色を見下ろしていた。身体が震える。

 最期に思い出すのは自分を育ててくれた両親、そして士道の事だった。でも、それは足をとめる理由にはならなかった。

 京乃はこの現状から逃げたかった。自分が起こしてしまった間違いから逃げ出したかった。ただ、それだけだった。

 

 足を一歩進めると、片足が宙を浮いた。

 冷たい風が頬を撫でる。夕焼け空の下、天に近い位置。身体は宙に踊り出す。……その筈、だった。

 

 しかし、右腕を誰かに掴まれて足は止まってしまった。

 後少しだった。後少しで楽になれた。それなのに邪魔をされた。なんて憎らしいんだろう。

 

 京乃は腹立たしさを胸に振り返り……しかし、言おうとしていた文句の言葉は声にならなかった。

 

 画面越しに見ているようにノイズがかった存在からは歳も性別も特定出来ない。のちに、ファントムの呼ばれるようになるその存在が、京乃の前に姿を表していた。

 腕を掴んで京乃の事を数秒見ていたその存在は、思い出したように手を離し、警戒した様子の京乃へと顔を向ける。

 

【──君は、力が欲しくない?】

 

 少し躊躇った様子で、しかし彼は京乃にそう問いかけた。

 

【私は君に力を与える事が出来る。その力で君は、君を虐めた相手を殺す事が出来るし、願う事は何でも叶うだろう】

 

 こんな摩訶不思議な事、現実な筈ないだろう。もしかしたら実は自分はもう飛び降りていて、これは死ぬ間際に見た夢なのかもしれない。

 そうでなかったとしても、夢か幻覚なのだろう。

 どうやら現実と妄想との区別がつかなくなるくらいに狂ってしまったらしい。

 それが京乃の出した結論で、でも、夢の中だったとしても、願いが叶うというのなら(すが)りたかった。

 

(本当に?)

 

【ああ、本当だよ。君が今願う事は何かな】

 

(私は……)

  

 口を開き、そして閉じる。

 

 もし、本当に願いを叶えてもらえるのなら。

 彼女は神に願うように、許しを乞うように、たった一つの心残りを告げる。

 

 

(──私の事を、忘れてほしい。観月京乃なんてくそったれな存在を、士道くんから消してあげてほしい)

 

 

 

 

 

 身体から力が抜け、地面に座り込む。あまりにも勢い良く膝をついたものだから、その衝撃が体中に伝わった。

 でも、そんな事なんてどうでも良かった。痛みだってどうでもいい。

 

「……そっか。そう、だったんだ」

 

 思い出してみれば、何とも馬鹿らしい話だった。

 そうとも知らずに彼と接していたなんて、自分が馬鹿らしい。

 五河君……士道くんに辛く当たって、それが嫌で逃げてしまいたかったなんて。

 

「……私の記憶を消してなんて言った覚えはない。それに、その力とやらだって、貰ってない。貴方はいったい何が目的でこんな事をしたんですか」

 

 何故か、士道くんの記憶は消してくれていたようだけど、私の記憶まで消されてしまったら、結局のところ何も変わらない。目的が分からなかった。

 

【君は都合がいいからね、死なれるのは少し困るんだ。あそこで君に力を渡したとして、君が死のうとすることくらいは簡単に想像がつく。

だからこうして仕切り直した。今の君は精霊の力を持ったとして、願いが叶ったとして、死のうとはしないだろう?】

 

 それは、確かにその通りだ。中学の頃に比べれば、精神だって落ち着いているし、私が死ぬ事で悲しむ人の気持ちだって、多少は汲み取る事が出来る。私がいない方がいいと思う他人もいる筈だけど、そうじゃない人だって昔よりも増えてしまったから。

 それに私だって死にたくない。七罪と……皆と、まだ一緒に生きていたい。

 それが、私の偽りない本心だった。

 

 言葉の真意はよく分からない。でも、こいつのおかげで私は生きながらえているらしい。勿論慈善だけで行われた行為ではない筈だが、それでも……私が助かったのは確かな事実だ。

 

 黙っている私を見てその存在は何を思ったのか、穏やかに、諭すように言葉を紡いだ。

 

【記憶というのは複雑でね、一人の人間の記憶を消す事は難しいんだ。幾ら記憶を封印しても、その人物と関わっている内に、芋づる式に思い出す。五河士道だって、君との記憶を殆ど思い出している筈だ。あと一歩で、昔の事を全部思い出してしまうだろうね】

 

【これを最後にしよう。五河士道からもう一度、君と一緒に居た記憶を消してあげる。だから君は……これに触れるだけで良いんだ。触れなかった場合は……あと一歩の手伝いをしよう】

 

 それが本題だったのだろう。手に白い宝石のような物を乗せ、彼は何でもないような声でそう告げた。

 

「……脅迫、ですか?」

 

【いや、これはただのお願いだよ。君だって好きな人に嫌われるのは怖い筈だ】

 

 怖かった。確かに、それはそうだった。

 でも、引き伸ばしたところで何も変わらない……事実は消せないし、なかった事には出来ない。

 

「……でも私は……もう、迷惑をかけたくない。自分本位で動くのは、もう怖いんだ」

 

 私が思うように動かなかったから、彼の言う事を聞かなかったから怒るかもしれない。そう思い、その存在を見るが、表情は読み取れない。ただ……彼は、驚くほど、静かだった。

 

【そっか。なら──今回は、後悔のないように】

 

 そう言い残すと、彼の姿は霧散した。

 あと一歩の手伝い。それが示す言葉の意味くらい容易に想像がつく。私は、士道くんの元へと走って、それで……

 

「──京乃」

 

 その声を聞いたときに全てを悟った。目が覚めた彼に私が出来る事なんて……きっと、心からの謝罪だけだろう。

 

 

 




多分次回から更に更新が遅くなると思います。

あと、面倒くさかったり、見えづらいなと感じるならそのままでいいですが、今回の話は夜間モードを使ったり、画面色を白から違う色に変えることをお勧めします。メニューの閲覧設定から背景を選べば色は変えられます。お勧めは白の左隣の灰っぽい色です。他だとちょっと色がどぎついかなと。
まあ、別に変えなくても話の内容が分からなくなる訳ではないので問題ないですよ。見づらかったら元の画面に戻していただければなと思います。四巻の内容くらいからたまに今回と同じように遊んでました。多分後二話くらいで完結すると思うので、それまで温かい目で見守ってくだされば幸いです。


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終章
語らい


「膝を擦りむいているようだが、手当てをするかい?」

「大丈夫です」

 

「水着では寒かろう。これでも着るといい」

「ありがとうございます」

 

「珈琲しかないが、飲めるかい?」

「あの……本当お構いなく」

「そうかね」

 

 そう言ったにも関わらず、その人物が珈琲を淹れている様を注意深くじっくりと確認する。どうも不審な動きはなかったようだ。京乃は机に置いてもらった珈琲を見た後、今しがた自分の対面に腰掛けた人物にも目を向ける。

 眼鏡をかけた隈の深い人物。それは、どこからどうみても、京乃達のクラスの副担任である村雨令音だった。

 

「どうかしたかね」

「ええと、そうですね」

 

 辺りに、ちゃぽんと小気味の良い音が響く。

 京乃は少し混乱した様子で次の言葉を探しつつ、淹れてもらった珈琲を見据える。机には砂糖が用意されていたが、別に入れる事もないかと思い、そのまま飲む。当然といえば当然なのだが、普通の珈琲の味がして、それがどうも不思議だった。対面では令音も同様に珈琲らしき物を飲み始めていたが、首を傾げるともう一度角砂糖を落とす。それを見て、京乃は更に混乱した。

 ここが学校で、令音が京乃に何か頼みごとをするというのなら、京乃はここまで混乱はしない。しかし、今、京乃は学校で令音と話している訳ではない。

 気がついたらSFちっくな部屋に士道と琴里とともに移動していて、大慌ての大人に囲まれていた。京乃はその中で見知った人物に腕を捕まれ、その手に引かれて個室に連れていかれた。そして今珈琲を勧められているのが現状だ。

 

 本当はもっと焦らなければならない状況なのだろう。だと言うのに、全くそうは思えない。これも、目の前にいる人物の、微妙に緊張感にかける表情のせいだろうが……しかし、この人は本当に先生なのだろうかと、京乃は令音の姿を今一度見る。

 

 京乃には偶然にも、他人の姿に変身する事が出来る知り合いが一人いる。つまり、彼女以外にもそういった能力を持った人物が存在していて、その人物が令音の姿をとって京乃を油断させようとしている可能性も、ないわけではなかった。例えば……先程別れたノイズのような存在が化けているだとか。

 

「あの……約束破ってすみませんでした。本当なら貴方の言葉を守った方が良いとは分かっていたのですが……」

「約束? ……はて」

 

 京乃の言葉に対して、少し考えた様子の令音だったが、思い当たる節があったのかすぐに彼女の言葉に答える。

 

「……ああ、安静にすべきなのに、プールに出かけた事かい? 別に気にしていないよ。それどころか、四糸乃と一緒にいてくれた事に感謝だってしている」

「そう、ですか」

 

 京乃は困惑した様子で……しかし、確かに頷いた。

 四糸乃の存在を知っていて、名前も知っている。それだけで、京乃にとってはある程度の信頼をおける存在だと感じ取ったからだ。 

 無意識に入っていたらしい肩の力を抜き、もう一口珈琲を飲むと、幾分か穏やかではない心境も少しは鎮まってくるようだった。

 

「それなら良かったですが……この状況はいったいどういう事でしょうか」

 

 部屋自体は普通の部屋だったが、状況に関していえば全く理解が追いつかなかった。

 

「……ここの人達は、五河君のお仲間ですか? もし、違うのなら」

「信用してもらえるかは分からないが、シンの仲間だよ」

「……そう、ですか」

 

 京乃は、ぽつりと呟いた。

 京乃の耳には『士道くん!よくぞここまで!』だとか『司令!司令ぃー!』『五河司令を労う為の準備を!』などの阿鼻叫喚は聴こえてきたが、害意や悪意のある言葉などは聴こえてこなかった。

 それに、文字通り異次元レベルの力を持っているらしい彼ら。京乃には彼らが己を騙す必要があるようには見えなかった。だからこそ令音を疑わない。

 それに京乃には、士道には誰か協力者がいるという事はなんとなく分かっていた。ここまで現実離れした力を持っている事までは想像がつかなかったが……七罪のような人知離れした力を持っている存在がいるのなら、きっとそういう事もあるのだろう。

 

 右も左も分からない現状ではただただ狼狽(うろた)えてしまいそうだが、先程強く覚悟を決めた手前、この状況に狼狽えてばかりもいられない。

 

「士道くんは、無事ですか? それに、琴里ちゃんも……十香ちゃんと四糸乃ちゃんも、みんなちゃんと無事でしょうか?」  

 

 令音は、少し笑みを浮かべて頷いた。

 

「……皆無事さ。諸事情により、今すぐには会えないがね。なに、ちょっとした身体検査をやるだけだ。心配する必要はない。それにシンなら少し疲れただけだろうし、君だってすぐに会えるだろう」

 

 一つの会話ごとに流れる小気味の良い音をBGMに、耳を傾ける。身体検査。疲れただけ。

 言葉を聞くだけでは、どうも疑念が湧き上がる。しかし、全てを疑ってかかってもどうしようもない。それに、先程令音を信じると決めたのだから、彼女の言った事も信じるべきだろう。

 

「突然こんなところに連れてこられて驚いているだろうが……君には、聞かなければならない事があってね。ちょっとした質問だ、そう気構えないでくれ。ただ、正直に答えて欲しい」

 

 カップの中身をスプーンで混ぜながらという行動のせいか、令音は歯切れ悪く口を開く。

 

「その、なんだ。シンに会う途中……不思議な光景を目にしなかったか?」

 

 不思議な光景。京乃の前に現れたノイズのような存在だろうかと、彼女は少し考える。そして、もう一つあった出来事を目にしたのを思い出す。

 

「……十香ちゃんや四糸乃ちゃんが、折紙さんと戦っている所を見ました。……夢や幻覚じゃ、ないんですよね」

「そうだね。正直に言ってくれて嬉しいよ」

 

 コーヒーカップを傾けて満足げに頷いた令音は、ようやく真剣そうな表情を浮かべ、京乃に向き直る。

 

「話すのは得意ではないが……今は私が一番の適役だろう。少し私の話を──〈フラクシナス〉の話を聞いてはくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 士道が目を開けると、そこは最近見慣れてきた天井だった。ぼんやりと目を開けると、士道の側にいた少女が不安そうに士道の事を見ていた……とは言ってもそれも一瞬の事だ。士道が次に目を向けた時には、(くわ)えているチュッパチャプスの棒をぴこぴこと動かしながら椅子でふんぞり返っている完全無欠な我が妹(琴里)様の姿があった為、先の出来事は目の錯覚であったかと思える程に疑わしい。

 

「やっと起きたわね」

「琴里。もう、大丈夫なのか?」

 

 士道の意識ではつい先程、琴里の霊力を封印したばかりだ。いくら大丈夫そうに見えたとして、そう言葉をかけざるをえなかった。

 

「ええ。霊力は無事封印出来たし、体調だって問題ないわ」

「そっか。……良かった」

「士道も異常はないようね。じゃあ私は仕事に戻るから、令音に連絡するからあとの事は彼女に……」

 

 携帯を操作すると立ち上がり、琴里はこの場から立ち去ろうとする。本当ならば、彼女の事を引き留めるべきではないのだろう。頑張れと応援の言葉をかけ、見送るのが正しい選択の筈だ。だが……思い出した今となってはそれは出来ない選択だった。

 

「琴里、聞かないといけない事があるんだ、少し待ってくれ」

「なに? 言っておくけど今私忙しい……」

「京乃の事だ」

「……今日は観月って呼ばないのね?」

 

 少し驚いたように聞いてきた琴里に、士道は頷いた。

 

「士道が中三の時、どうも京乃とよそよそしかったから、てっきり京乃と喧嘩したのだとばかり思っていたんだけど」   

 

 覚えてない? 貴方がまだ中三の時に、京乃について尋ねたら、放っておいてくれって言ってたじゃない。

 琴里はさも当然とでも言うかのように、士道に視線を向けるが、彼には心当たりがなかった。……が、ぼんやりとした記憶の中、そういう言葉を琴里にかけた事を思い出す。きっと、その記憶も今まで思い出せなかったのだろう。

 

「あの時は、すまなかった」

「そんな昔の事別に気にしてないわよ」

 

 別にあの時もちょっと驚いたってだけだし。

 琴里は苦笑しているがその言葉に嘘はないようで、士道は心のつかえが取れたような気がした。

 

「喧嘩して絶縁でもしたのかと思ってた。でも、あなたは高校に入り、京乃とまた交流を始めた。私だって不思議だったのよ。……理由を聞く気はなかったけど、そうも言ってられなそうね。士道、京乃と何があったの?」

「分からないんだ。俺には、高校まで京乃と一緒に居た記憶なんて存在してなかった。琴里に……その、キスをした時に思い出して」

「はあ?」

 

 琴里は訝しげに士道を見てくる。

 

「一応聞くが、琴里は……その、京乃が幼馴染だったって覚えている……んだよな?」

「覚えてるに決まってるじゃない」

 

 即答されて、いよいよ士道の表情は曇る。それを見て、琴里の表情も同様に曇る。

 

「士道の鳥頭が原因じゃ、ないわよね。封印した瞬間に解けた……もしかして私と同じようにファントムが?」

「どうだろうな。分からないけど、あの時……俺は京乃に嫌われていた筈なんだ」

「詳しく教えなさい」

 

 椅子に座り直し、険しい顔でそう告げた琴里に、士道は思い出しながら口を開く。

 

 中三の時に京乃に誹謗中傷を浴びせられ、家に帰った後の記憶はあまり残っておらず、気がついたら京乃という存在の事を忘れていたと言う事。

 琴里とキスをした時に、琴里が精霊になった五年前の記憶とともに京乃の事も思い出したのだという事。

 全て、全てを琴里に告げた。

 

「京乃が……そう」

 

 士道の話を聞いた琴里は、眉を(ひそ)めてそう呟く。

 

「それで、士道はどう思ったの?」

「……本人から直接話を聞きたいと、思うが……聞きたくもないような……」

 

 士道にとっては、はっきりさせておきたい話でもあるが、あまりほじくり返したくもあり、出来る事ならそっとしておきたいという気持ちも存在していて、歯切れの悪い言葉になってしまった。

 琴里は吟味するように考え込み、その後ににやりと笑う。

 

「別に京乃に聞けば良いんじゃない?」

「んなあっさり」

 

 素っ頓狂な声を出す士道に、琴里は肩をすくめる。

 

「聞かないと何も変わらないじゃない。それが分かっているから、士道は前に進みたいんでしょう?」

 

 図星だったのだろう。士道は分かりやすく虚を突かれたような表情を浮かべる。

 

「私は別に、どうなったって構わないのよ。だけど……士道には後悔しないようにしてもらいたいの」

「琴里、お前……」

「やっぱりなんでもない。士道には異常ないようだし、仕事に戻るから」

 

 少し頬を赤らめて、琴里は少し慌てつつ椅子から腰を上げる。

 

「まだ休んでいた方がいいんじゃ」

「そんな暇はない。私は、ちゃんと私が憶えている内に、ファントム……五年前に私を精霊にした存在についての記録を纏めないといけないから。また、記憶を消されないとも限らないし」

 

 とは言えども士道に心配そうな顔をされて、琴里は少しの間の後に、仕方ない……と言った感じで、士道に声をかける。

 

「私の事を(おもんぱか)ってくれるなら、京乃から話を聞いてきてくれないかしら。彼女もファントムについて知っているかもしれないしね」

「そ、れは……」

 

 決めあぐねている様子の士道。そんな中で出入り口の扉が開き、そこから令音が現れた。

 

「琴里、要件は……おやシン、目が覚めたのか」

「は、はい」

「それは良かった」

 

 令音はいつも通りの眠そうな表情でそう告げ、その後に琴里を見る。連絡をしてきたのは琴里なのだから、その指示を仰ごうとしているのだろう。令音の視線を受けた琴里は小さく頷いた。

 

「令音。士道を京乃が居る部屋に連れていってくれない?」

 

 

 

 ♢

 

 

「令音さん。京乃がここにいるんですか?」

「そうだね。そして京乃は君に会いたがっているようだ。……何かあったようだが、大丈夫かね」

「……はい」

 

 そうかと淡々と告げた令音は小首を傾げると、小さく頷いた。

 

「ならば、ゆっくり話してみるといいかもしれないね」

 

 大きく深呼吸をする。そして心の準備を整えてから、ノックをすると、カチャリと音がなり扉が開いた。

 そこには少し大きめの白衣を着ている京乃が居て、気まずそうな顔で、士道を中に誘導した。

 

 

 その表情、立ち振る舞いともに高校に入ってからの観月そのもので、混乱する。どうも、チグハグで噛み合っていないように感じられる。

 士道にとっての『京乃』とは、いつも笑顔で対応している奴だった。何だって完璧に(こな)すし、疲れをおくびにも見せない。ある意味折紙じみた所がある人物。……だと言うのに、今はそんな風には見えない。

 

「……令音さんからここがどこだか聞いたか?」

「この施設の事は、少し聞きました」

「そうか」

 

 少しというのがどれくらいの量なのかは計り知れないが、とにかく、フラクシナスの艦内にいても驚かない程度には知っているらしい。

 ならば、すぐにでも話を切り出すべきかと京乃の見る。

 

「その、だな……お前に聞きたい事が……」

()()()()

 

 遠回しに聞こうとしていた事を相手にあっさりと突きつけられたようだった。

 今まで何度か名前を呼ばれる事は確かにあった。でも、今日のそれは言い間違えでは済まされない、だろう。

 

「全部思い出したんですよね」

「あ、ああ」

 

 戸惑いながら、士道は頷く。京乃の様子からは、士道が記憶を取り戻している事への確信めいたものを感じ取った。

 それなら、京乃はどうするのだろうか。

 あの時のように冷たい言葉をなげかけられるのだろうか。それとも……

 

「本当、すみませんでした。謝って済む問題ではないと分かっています。それでも、私は……」

 

 士道の予想に反して、彼女は頭を下げて謝った。その背中は普段に増して小さく見える。

 一瞬呆気にとられた士道だったが、すぐに困惑した様子ではありながらも制止の言葉をかけた。

 

「あ、頭を上げてくれ。まだ頭の整理が出来ていないから京乃の口からこうなった理由を聞きたい。……今日までのお前の態度は、全部演技だったのか?」

「そんな事は、ないです。私は、ずっと本心で君に接していて……」

 

 何かを耐えるように服の裾を強く握り、もう一度士道に向き直る。

 

「夢だと思っていました。君と仲が良かったなんて事実は存在しないのだと。君は憶えていなかったから、尚の事そう信じたくて。

……でも、本当だった。私が、目を逸らしていただけだったみたいで。君とまともに関わるようになったのは高校に入ってからだと本気で信じていて、だから……私が知っている事は、君とそう変わらないと思います」

 

 それを聞いてなお、士道には分からなかった。高校に入ってから同じクラスで過ごしている中で、京乃は士道の事を嫌っているのだと、殆ど無意識に思っていた。しかし、接していく内に勘違いだったのだろうと感じるようになったのだ。

 しかし、それは高校で入ってからの事で、その前京乃が士道の事をどのように思っていたのかは分からなかった。

 きっと出会った当初は悪く思わなかったからこそ士道と一緒に居たのだろうが、ずっと過ごしていると人の悪いところが見えてくる。だからこそ、あの日に京乃の我慢の限界が来て、そうなってしまったのかもしれない。

 

「お前は、京乃はあの時……本当に俺を嫌っていたのか?」

「そんな事は、ないです」

「だったら何であんな事を言ったんだ?」

「……君に、私から離れて欲しかったから。それに、私の事を嫌いになって欲しかったから……です」

「どういう事だ?」

 

 京乃は今、士道の事を嫌いではなかったと明言していた。なのにも関わらず、離れてほしい、嫌いになってほしいなんて言葉をかけられる理由が分からずに、士道は困惑する。

 

 京乃は暫く躊躇うように沈黙していたが、ふっと表情を緩めると、ぽつりと口を開いた。

 

「……中三の時、クラスの子達からちょっとした悪戯をされていたんです」

「悪戯?」

 

 その言葉に違和感を感じ、士道はオウム返しに口にする。京乃はその言葉に頷き、自傷的な笑みを浮かべる。

 

「たとえ些細なからかいだとしても、君は自分の事のように心配してくれる。それが分かったから、嫌だったんです」

「俺に心配をかけたくなかったって事か?」

「……私が士道くんに、心配?」

 

 京乃は微かに目を見開くが、すぐに元の表情に戻り、苦々しく首を振る。

 

「それは少し違うかな。知られたら、私は君に失望されてしまうって、そう思ってたんだ。私は、等身大の私を見てほしくなかった」

「なんで、そんな」

 

 乾いた声音での問いかけに対して、京乃は目をそらしながら話を続ける。

 

「君は私にとって守るべき存在だって、ずっとそう思っていました。だからその逆が、私にはどうも辛くて。……軽蔑をされたくはなかったし、同情でさえもされたくはなかった。ただ私は、君に助けられたくなかっただけなんです」

 

「君は優しいから、理由もなしに私の事を嫌いになってくれない。だけど理不尽な事を言えば、私の事を嫌ってくれると思って。それに、私から離れてくれると思って。そうすれば……私はどこにだっていけると、そう信じていたんです。それだけの為に、私はあんな事をしたんです」

 

 そんな訳ないのに。手を握り締め、吐き捨てるように言うと、やはり呪詛のように言葉を連ねる。

 

「自分を守る為だった。だって、君には私の弱い所なんて見せたくなかったから。それだけで私は君を傷つけるような言葉を放ったんです。だから、私は最低で」

 

 士道が何かを言おうと開けた口は、言葉を紡ぐ事なく空気を洩らすだけだった。

 否定は出来なかった。あの時に感じた胸の痛みは、思い出しただけで辛くなった。小さな時から一緒に居た存在、士道の事を肯定してくれた口から言われた否定の言葉は、世界が黒く塗りつぶされるように、突き放されたように感じられた。

 言われた時は何を食べても味がしなかったし、それから数日、もぬけの殻にでもなったように何も感じれなかったというのは紛れもない真実だった。

 

 士道が言い返さないのを見て、京乃は何かを諦めたような笑みを浮かべて、続きを話す。

 

「何の慰めにもならないだろうけど、君が落ち込み続けてしまわないように、ショックから立ち直れるように、私はとある存在と約束をしたんだ。

それが君から私と言う存在の記憶を消してもらう事だったんだけど……きっと、私が約束を守らなかったから、君の記憶も戻されちゃったんだね」

「約束って」

「白い宝石のようなものに触る事でした」

 

 最近聞いたような話だった。琴里も赤い宝石のようなものに触って、そして精霊になったと言っていた。

 琴里はそれに触れ、京乃はそれに触れなかった。ただ、触れていたのなら……精霊になっていたのかもしれない。

 

「触らなかったんだな」

「もう、逃げたくなかったんです」

「……そうか」

 

 逃げたくない。その言葉に、いかほどの重みが込められているのかは士道には計り知れない。しかし、彼女なりの意思の重みを感じ、士道は小さく頷いた。

 

「士道くん。私のエゴに君を巻き込んでしまった。私は、君の前から居なくなれる筈だったのに、ここまでややこしい事になってしまった。だから、そう。きっと私は……謝るべきだったんです。謝りたかったんです」

 

 そう呟くと、京乃は躊躇うような表情を浮かべて士道を垣間見る。

 

「私は君が私に側にいて欲しくないと言うのなら……引っ越しだって、します。お金が欲しいのなら払います。君の気の済む事なら、出来るだけ叶えたい。だからどうか、過去の事を、許してほしくて」

 

 絞り出すような、か細い声で京乃はそう告げた。

 この後士道が告げる言葉をなんでも受け止めようとするのだろうと察せるほどに弱々しく、今にも消え入りそうだった。

 士道は京乃の糾弾出来る立場にいる。京乃のいう通り、金をせびれば彼女の生活費から取る事が出来るだろうし、引っ越してほしいと言えばすぐにでも彼女の両親へと連絡をするだろう。

 

 今日、京乃から伝えられた事は、士道には衝撃的な内容だった。

 京乃がファントムらしき人物と接触していたという事もそうであるが、士道にとってはそんな事よりも、彼女の本心を知る事が出来たのが、一番の収穫と言えるだろう。

 

「今日、お前から話を聞けて良かったよ」

 

 だからこそ、士道はそう伝える。

 

「俺はあの時、お前に一歩引かれていると感じていたんだ。だからあんな事を言われて、そうだったんだって少し納得もしていた。だけど……違ったんだな」

 

 当時の事は、考えれば考える程に違和感を覚える。

 そのからかいとやらも気づく事が出来たのかもしれない。そんな思いが、士道の心の底に(くすぶ)る。

 

「昔の話を聞けて、それにお前の事を嫌なやつなんじゃないかって思わずに済んで良かったよ」

「わ、私なんて、ろくな人間じゃないですよ。長所なんて何もない無価値な人間で……だから君の側に居るのもおこがましくて」

 

 その言葉を聞いた士道は、どうも違和感に襲われた。

 高校に入るまでの京乃は、別に自信家だった訳ではなかったが、こうも自虐的な人物でもなかった。

 悪戯やからかいで、こうも変わるものなのかと考えてしまうと、どうも腑に落ちない。

 もしかして、自分は何か、重要な事を見落としていたのではないか……

 

 そこまで考えて中断する。

 今すべきなのは、京乃を問い詰める事ではない。そんな事は今じゃなくても出来る。

 自身の事を否定して、殻に閉じこもってしまいそうな彼女に肯定の言葉をかける事が、今の士道に出来る事なのだろう。

 

「それを判断するのはお前じゃない。周りに居る人達が考える事だ」

「……周りにいる、ひとたち」

「それに、お前がお前自身の事を否定してやらないでやってくれ。そんなの……自分が傷つくだけだろ」

「そ、れは……」

 

 納得しようとしても、出来ない。そういった表情で京乃は(もく)していた。

 

「無価値な人間……か、俺も思っていた事があったな」

 

 士道の言葉に、京乃は首を傾げる。到底そうは見えないとでもいいたそうな表情だった。

 

「親に捨てられて、自分に存在価値なんてないんだって思っていた時、お前と出会った。両親や琴里と同じように、お前が俺の存在を肯定してくれたんだよ。照れくさい話ではあるが、お前と一緒に過ごす時間は俺にとって、確かに価値のあるものだった」

 

 きっと、その筈だ。誰に否定されようと、その事実は士道の中からは消えない。

 

「だから、お前がお前の事を否定するのなら、俺がお前の事を肯定する。お前の存在は無意味なんかじゃない。お前は、お前が思っている以上に価値のある人間なんだ」

 

 言いきってしまった後、呆気に取られるような表情に、士道は少し恥ずかしくなったのか咳払いをした。

 

「少なくとも、俺にとってお前は大切な存在だ。その事を伝えておきたくてだな……」

 

 照れくさそうに、しかし確実に言い切った士道の顔を、京乃は見る。

 

「……私が、君の側にいて、いいんですか?」

「勿論だ。俺は今までお前の事を理解しようとしなかったのかもしれない。だからこれからは──もっと京乃の事を知って行きたいんだ」

 

 その言葉を聞いた京乃は、口を開いた。しかし、思ったような言葉も出なかったようだった。

 間もなく、京乃の目から一筋の涙がはらりと落ちた。そこからはこらえたものがあふれ出したように涙を流し、嗚咽も漏らさずに静かに泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 数分後。泣きやみ、しかし目元を赤くした京乃は士道にそう告げた。

 

「何で謝るんだ?」

「……君の方が辛い筈なのに、私が……こんな被害者ぶるような」

 

 辛いのか、と言われれば士道にとっては分からない話だった。確かに過去の出来事は古傷のようにズキズキと痛むが、それよりも辛そうな京乃を見ていたら、どうもとやかく言う気になれなかった、というのが本心だ。

 

「本当は何でだって言ってやりたかったけど、京乃は謝ってくれたし、それに……あの時の事には、少し思う事もある」

 

「だから、気にしなくていいんだ。まあ気になるのなら……今度なんかジュースでも奢ってくれ。それでチャラだ」

「……それでチャラ?」

「ああ」

「……そっか。……君は、そういう人だったね」

 

 力強く頷いた士道に、京乃は少し目を瞬かせたあと、懐かしむような表情でぼそりと呟く。

 

「何か言ったか?」

「いえ……是非、奢らせてください。うんと高いジュースでも勿論構いません」

 

 ようやっと表情を和らげた京乃に、士道も安堵の笑みを見せ、先程まで張り詰めていた空気感も柔らかなものへと変わっていった。

 

 

 

「お前、さっき願いを叶えてくれたやつがいるって言ってたよな。そいつってどんなやつだったか覚えているか?」

「……分からないです。ノイズがかっているように見えて歳だって性別だって想像がつかない。目的も何も分かりませんでした」

 

 この言葉で士道はほぼ間違いなく、京乃が出会ったのは琴里が五年前に出会った存在と同じだろうと確信が持てた。

 京乃の話を信じるのならば、士道の身近な少女が一人だけではなく二人、精霊となっていたかもしれない。()()()()()()()()()()()()士道のもとに二人も、だ。それが偶然なのか必然なのかは分からない。しかし、これは琴里に確実に伝えなくてはならない内容だろうと士道は念頭に置き……そして、こちらを不思議そうに見る京乃に気がつく。

 

「どうして彼の事を知りたいんですか?」

「話は長くなるかもしれないが、それでも構わないか?」

「勿論です」

 

 即答した京乃に、士道は少し驚きながらも説明する。

 数ヶ月前、自分も知る由もなかった情報についてだ。空間震の発生原因が少女の姿をした精霊と呼ばれる存在であり、十香と四糸乃も精霊の一人であるという事。ASTは彼女らを殲滅する為に空間震が起こる度に活動しており、それとは反対に、士道とラタトスクのメンバーは、精霊を助ける為に活動しているのだという事。霊力を封印する方法などは気恥ずかしさが勝り、ぼかしながらではあるが伝え、京乃はそれらの情報を聞き終え、理解したのち小さく頷いた。

 

「……なるほど、そうだったんですね」

「そこまで驚いてないんだな」

「お、驚いてはいますよ? でも、君が精霊だと自称していた時崎狂三と接触していたのを見た時、少し違和感がありましたし、四糸乃ちゃんと一緒にいる時も、普通じゃ考えづらいような異常現象がよく起こっていたので……でも、やっぱりそうなら……」

 

 京乃の頭にはとある考えが廻っていた。士道と昔の事について話し合い、士道の口から告げられた結果、浮上してきた願い。しかし、そんな事を告げて迷惑にならないだろうかと、京乃は少し考え……そして意を決したように拳を握りしめ、口を開いた。

 

 

 

「士道くん、どうか私をラタトスクの仲間に入れてもらえませんか?」




大変お待たせしました。難産でした……

前回、前々回と話の流れに唐突感はあったかなと思うので、後々修正していければなと思います。
それと、高校以前のオリ主がどういった人物であるのか全然描写しきれていなかったので、次回を出した後にでも番外編という感じで投稿するかもしれません。

前回の話を投稿したあと気になったので、士道が気付くまでにオリ主が士道と幼馴染だという事に気付いていたかアンケ取らせてください。伝わってなかったら何かしらの形で修正加えておきます。


あとオリ主の挿絵とかって需要ありますか?
自分の絵なんてとても見せられたもんじゃないので、メーカーさんの使わせてもらってます。
もちろん今更挿絵なんていらない人もいると思うし、自分の中でなんとなくイメージを固めている方やなんかもいるかとは思うので、活動報告あたりに載せようかと思うのですが…(もっとももいろね式美少女メーカー様です)
一応前話の最下部にアンケ置いとくので、こちらもよろしければで構わないので、回答していってくださると助かります。

いつになるかは未定ですが、多分次回で事実上の最終話を迎えられると思うので、最後まで応援してもらえたら幸いです。

※すみません、うそこきました。内容膨れ上がってしまったので後2話で完です。


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転機

 フラクシナスの中で、私は彼と話をした。昔の話。

 

 そう簡単に許してもらえるなんて思っていなかった。彼の顔はどうにも煮え切らない表情だったし、きっとどうにもならず、疎遠になってしまうのだろうと思っていた。だから、それを甘んじて受けようと、そう思っていたはずなのに。 

 彼は自分も悪かったのだと、これからは私のことももっと知っていきたいのだと、そう言ってきた。

 ……正直、訳が分からない。彼には悪いところなんてなかったし、いっぱいいっぱいだったとしても、当たってしまった私が悪いことは間違いないはずなのに、そんなことを言ってくる彼の正気を疑ってしまう。

 でも、それはそれとして、納得もした。どうイメージしたところで、彼が酷いことを言う姿は想像出来なかったから。

 

 それから、彼からも詳しい話を聞いた。

 フラクシナス。ラタトスク。精霊。AST。

 精霊。十香ちゃんや四糸乃ちゃんのような存在のこと。隣界と呼ばれる異空間から現世にやってくる際に、空間震を起こしてしまう元凶であり、ラタトスクでは彼女達と対話によって平和的に解決しようとしているらしい。

 士道くんはマナ……いや、精霊が持っている霊力というものを封印することが出来る、ラタトスクにとってはジョーカーのような存在である、らしい。

 そして、十香ちゃんと四糸乃ちゃんは士道くんが力を封印することが出来た精霊であり、今は普通の“人間”としての生活を送っているのだそうだ。

 

 たいていは見てきたから知っている。いつか、士道くんは『俺にしか出来ないことなんだ』と言っていることがあった。士道くんが、自分にしか出来ないこと。つまりそれこそが精霊の力を封印することだったのだろう。

 だからそう……そうだというのなら、私が言いたいことはひとつだけだった。

 

 

「士道くん、どうか私をラタトスクの仲間に入れてもらえませんか?」

 

 口に出すのは緊張して、それでも確かに口に出来た。

 

「……え、京乃が、ラタトスクに?」

「はい」

「でも、危険だぞ?」

「危険があるというのは重々承知です。それでも、ここで働かせてほしいんです」

「……すまん、俺には決められない」

「やっぱり……駄目でしょうか」

「いや、俺が決められる立場ではないってだけなんだ」

 

 その言葉を聞いて、少し……いや結構混乱した。

 士道くんが決められる立場ではない? でも、聞いた話じゃ士道くんって確か……

 

「……君は、司令官なんですよね? だって五河司令って呼ばれてたし……司令官ってことはフラクシナスの中で重要な立ち回りですよね。それでも無理なのかな……?」

「あー、そういうことか」

 

 士道くんは、何やら合点がいったという感じで苦笑いをした。

 

「いや、司令官なのは俺じゃなくて琴里だ。だから琴里に聞けばなんとかしてくれるかもしれない」

「……琴里ちゃんが?」

「ああ。実は琴里って、お前が思っている以上に凄いやつなんだぞ?」

 

 士道くんは自分のことのように誇らしげで、やっぱり妹思いのお兄さんなんだ、なんて思いながら琴里ちゃんについて考える。

 そもそも最近の琴里ちゃんなんてほとんど知らない。たまにすれ違ったりはしていたけど、挨拶程度しかしていなかった。昨日プールに行くまでは本当に会話なんて些細なものしかしていなくて……だから、そんな変化にだって気づかなかっただろう。

 だけど、司令官か。中学二年生の少女が司令官。……琴里ちゃんは精霊なのだから、そこらへんも関係してくるのかもしれない。

 

「……琴里ちゃんの居場所を教えてくれませんか? ひとこと伝えたいだけなので、お時間はとりません」

「ああ、分かった」

 

 それから私は、士道くんの後をついて部屋を出る。

 メカニックな戦艦内ではたくさんの機械と、制服を纏った大人達が騒然としている。

 その中の一人、村雨先生がこちらへと近付いてきて、こっそりと耳打ちをしてきた。

 

「琴里なら個室に()もっている。要件なら私が伝えるが」

「えっと……」

 

 やっぱり琴里ちゃんは忙しい、らしい。

 ……緊急で伝えたいけど、無茶を通せば、信頼度が下がってしまいそうだ。まだどんな顔をしてどう話を切り出せばいいかだって分かっていないし、心の準備をする時間くらいはあってもいいかもしれない。

 

「琴里ちゃんにお伝えしたいことがあるんです。お時間を作れる時で構わないので、連絡くれたら嬉しいと伝えていただけますか?」

「ふむ、了解した」

 

「……あの、ここが空中艦というのは聞いたのですが、どう帰れば……」

「転送する」

「……てんそう、ですか?」

「ああ」

 

 てんそう……転送(てんそう)? 聞き慣れない単語で少し脳が混乱してしまったし、人に対して使うとは思ってなかったけど、そういうことならお任せしてしまおう。

 

「一応言っておくが、今日のことは口外しないよう頼む」

「はい、勿論です」

「あと、これ」

 

 ……村雨先生が持っている私の水着袋と鞄を見て、今の今まで、自分が着ているのが水着だったという事実を思い出した。

 

「……ありがとうございます。白衣は洗濯して返しますね」

「気にしなくていいが」

「いえ、わがままかもしれませんが……そうしないと少し、気分が落ち着かないので」

「そうか。まだスペアはあるから、期限は気にしないでくれたまえ」

「……出来るだけ、早く返しますね」

「ん」

 

 眠そうなまま、彼女は短く頷くと機械を操作した。そして、私を見て少し微笑んで手を降った。

 

「──さっきは誤魔化してすまなかった。契約を破ったこと、気にしてはいないよ。君の願いが、叶うといいね」

 

 

 

 ぐるりと視界が一転する。そして、眼下に映るのは、見知った道だった。そう、家の近くの路地裏。そこから出てみると、近所の主婦たちが談笑していた。……やっぱり、先程までの出来事が夢だったんじゃないかと思えてしまいそうなくらい、いつも通りの光景。だけど…私が今着ているのは、村雨先生の白衣だ。

 なんだか、どっと疲れてしまった。でも塩素まみれの身体で寝るのは、少し良くないような気がする。簡単にシャワーを浴び、着替えたあとにリビングのソファに座ると、急速に訪れた眠気に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 ピンポンという軽快な音で、私の意識が一気に浮上した。慌てて身だしなみを整えて、玄関へと向かう。

 

「邪魔するわ」

 

 扉を開けた瞬間、彼女は滑り込むように入ってきて、靴を脱ぎそろえたあとにズカズカと部屋に入ってきた。その間、およそ5秒。思わずぽかんと(ほう)けてしまったが、慌てて彼女についていった。

 

「あのっ、琴里ちゃん。お仕事は?」

「一段落ついたから来たの。悪かった?」

「い、いえ! 全然大丈夫です。あっ、今なにかお茶を……」

「長居する気はないからいらないわ。それよりも、私に伝えたいことってなにかしら?」

 

 慣れた様子でリビングの椅子に座り、こちらを見る琴里ちゃん。せっかく時間を縫って来てくれたんだ。ちゃんと伝えないと彼女の時間まで無駄にしてしまう。

 そういう思いもあってなのか、言葉は思ったよりも簡単に出てきた。

 

「私をフラクシナスで働かせてくれませんか?」

 

 琴里ちゃんは無言だった。ただ、私を見ている。

 

「技術的なものは分かりませんが、雑用でもなんでもやります。なんなら肉壁でも」

「ふざけないでちょうだい」

 

 冷たい声だった。

 

「ふざけてません」

「本気?」

「勿論です」

 

 琴里ちゃんは険しい顔のまま、机に頬杖をつく。

 

「……超次元的存在がいるって事実に浮かれちゃった? それとも秘密組織って言葉が魅力的だったのかしら、こっちは遊びじゃないのよ」

「分かっています」

「危険な目に遭わせたくないだとか、そんなこと言って……肉壁にあなた一人がなったところで、なんの解決にもなりはしないのよ。むしろ邪魔」

 

 すげなく言われてしまった。

 

「……私は、琴里ちゃんにも士道くんにも危険な目に遭って欲しくないです。でも、精霊達にも辛い目に遭って欲しくない。そしてその気持ちは士道くんも、きっと琴里ちゃんだって一緒なんですよね。だから、その手伝いがしたいんです。君達の邪魔をする気なんて毛頭ない……です」

「……そう」

 

 やはり、あまり(かんば)しくない反応だった。どうしてなのだろうと少し考えてみるが、答えなんて出ない。

 ……本当はそこまで、言いたくなかったけど、この分では言わないと、うまく取り合ってもらえないかもしれない。ならきっと、しょうがない。

 

「ファントムでしたか、彼のことを知りたいんですよね」

 

 琴里ちゃんはぴくりと眉を動かした。

 

「知る限り、私は彼に四度接触しました。一度目は琴里ちゃんも知っての通り、五年前のあの日のこと、二度目は……とあることが理由で、彼は私に話を持ちかけたんです。……士道くんにはお話ししたのですが、琴里ちゃんにもちゃんと話さないといけませんね」

 

 そう前置きをして、端的に伝える。

 士道くんに伝えてたことにプラスして、ガスの事故と、オーシャンパークでもファントムに会ったということ。

 

「……彼は私を精霊にする為に接触してきました。でも、私はその約束を破り、精霊としての力を手に入れることを放棄しました。ですが……私に会いにファントムが再び接触してくる可能性も否定はしきれません」

「つまり、あなたを手元に置いておいた方がこちらとしても都合が良いってことね」

「はい」

 

 私が頷くと、琴里ちゃんは深々とため息を吐いた。

 

「……さっきから話を聞いてて気になっていたんだけど、あなたはどうしてここで働きたいのかしら?」

「理由は簡単です。私は……」

 

 琴里ちゃんに告げるのは、最初から私の胸にある一つの願い。そう、最初から私の胸にあることなんて、それだけだったんだから当たり前の想い。

 

「あなたって本当……」

 

 ──馬鹿ね。

 琴里ちゃんは小声で何かを告げた。

 怒っているのだろうか? そう思い、彼女を見てみるが、そういう風にも見えない。ただ、呆れなどの感情は見て取れた。

 

「大丈夫よ。あなたの言う通り、上に話はつけるわ。それでいい?」 

「勿論、です」

 

 力強く頷くと、琴里ちゃんはまたため息を吐いた。

 

「本当はね、あなたを巻き込みたくはなかったの。でもそう……ファントムね」

 

 琴里ちゃんはなんだか疲れてしまったようだった。

 

「邪魔したわね」

「いえ、あの……琴里ちゃん」

「なに?」

「何か困ったことがあったら、相談してくださいね。これでも一応、年上ですから」

 

 少し胸を張り、琴里ちゃんにそう告げた。

 琴里ちゃんはきょとりとした様子だったが、すぐに表情を和らげ、少し笑った。

 

「プールでも言ったでしょう? 敬語はやめなさい」

「えっ、でも琴里ちゃんは上司になるんだし」

「TPOを弁えていれば別に構わないわ」

 

 ……前も似たようなこと、言ってたっけ。確かに、今までため口で話していた相手がいきなり敬語になったら気味悪く感じてしまうのかもしれない。

 

「うん、分かったよ。じゃあね、琴里ちゃん」

「ええ」

 

 やはりテキパキと動いて、琴里ちゃんは部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 そして数日後──

 

 フラクシナスで活動することを承認してもらえたという話を琴里ちゃんから聞けた。

 

 やっぱり私が、“ファントム”と呼ばれる存在を知っているというのも一因ではあるらしい。

 ファントムが、私の前にまた姿を表すかもしれないとは言っていたけど、私はそうは思わない。

 私は彼女との約束を破った。だから、彼女にはもう私と関わる理由はないだろう。

 ただ、少し気になることもある。ファントムにとって私は“都合が良い存在”であると、そう言っていた。どうして彼女にとって都合が良いのか……それは分からないからこそ、その理由を追求していきたいとは考えている。

 もしかしたら、五河君の、士道くんの役に立つことが出来るんじゃないかって……どうなるかは分からないけど、マイナスになることはないはずだ。

 

 精霊達が円滑な日常生活を送れるようにサポートする。それが、私に課せられた一番の任務ということになるらしい。十香ちゃん達は、士道くんと一緒にいるときが精神的に安定するのだそうだ。でも、四糸乃ちゃんの場合は、私といるときもそれなりに安定しているからきっと助けになるのだろうと。

 

 琴里ちゃんは私にとって上司、ということになるのだろう。

 友達の妹だった子が上司。言葉の上では違和感はあるけれど、ラタトスクの人達は琴里ちゃんを自然に頼っていて、彼女もそれを受け入れている姿はどうもしっくりとくる。

 成長したんだねと思わず呟くと、琴里ちゃんに聴こえてしまったみたいで、少し怒られてしまった。

 

 

 私の生活は、フラクシナスで過ごしているうちに少し変わっていった。

 

 個性的なラタトスクの人達の顔を覚え、研修を受け、それから開放されたら精霊に関する様々な資料を渡された。

 でも、試験期間は己の学業に勤しむようにと言われた時には少し優しいのではないかと思ったけれど、それも仕事の一環らしい。

 十香ちゃんが困っていた時に助けられるように、ということらしい。もっとも、それも士道くんが教えたりしたほうがいいらしいけど……まあ、私でも問題はないらしい。

 

 私は資料として、士道くんがこれまで活動していた資料を見た。空間震が発生する瞬間から始まり、ドタバタの中での精霊と関わりを強めていき、そして最後は……

 それが条件だというのなら、それも致し方ないことだ。理性ではそう分かっているのに、どうも感情では納得しきれなくて、そんな自分に嫌気が差した。

 

 精霊との対話では危険が付き纏う。人間では到底太刀打ち出来ない力を有し、そしてラタトスクとの精霊と敵対している組織との戦いでは戦闘力だってあった方がいいのだと言う。

 折紙さんが所属している組織であるAST、そしてその本社であるDEM社はラタトスクに妨害することも今後多くなってくるだろうと。

 今の私が出来ることと言えば、士道くんを逃がすことだけ。だからこそ、彼を守れる力が欲しいと、真剣に思う。

 

 そんな中で目をつけたのは、ASTの所有する武器だ。

 適正があるかは分からないと言われたが、少しでも可能性があるのなら縋りたい。手術費料は馬鹿にならない値段で、一学生風情が払える額ではないらしいが、給料から引いてくれるらしい。

 

 私に与えられた挽回(ばんかい)のチャンスなのだから、必死で食らいつきたいと、そう思う。

 

 

 そして今の私には一つ、はっきりさせなくてはならないことがあった。

 

 平日の夕暮れ時。家で日記を書いている最中に、呼び鈴がなった。もしかしたらと思い、玄関の扉を開けると、そこには、待ち人がいた。

 

「いらっしゃい、七罪」

 

 彼女を家の中に入れ、扉を閉める。大丈夫、きっと誰にも不審には思われていないだろう。ほっと息を吐き、彼女へと目を向ける。

 

「……生きてたの?」

「うん、生きてるよ。勝手に殺さないでほしいかな」

「……そっか。よかった、本当に……」

 

 震えている彼女の手をそっと握る。暖かい、小さな手だ。見た目に気を遣うようになったのはとても良い変化だと思うけど、彼女の姿は、出会ってから何ひとつ変わらない。背丈も顔も、ずっと成長することはない。きっとこれからも……いや、もしかしたらそんなことはないのかもしれない。

 

 士道くんと話して以降、彼女が来るのをずっと待っていた。……いや、本当はちょっと、この時が来ないで欲しかったけど。少し怖気(おじけ)づいてしまいそうだけど、……なんとか勇気を奮い立たせて彼女の名前を呼ぶ。

 

「七罪。七罪に聞かなきゃいけないことがあってね。これによって、今後を改めないといけないの」

 

 七罪は私の方へと顔を向ける。

 そしてどうやらただことではないと悟ってくれたのか、その表情は真剣なものへとなっていた。 

 

「私ね、精霊との対話、そして封印を目的とする組織に所属することになったんだ」

「……えっ、なにそれ」

「これは言ったら怒られちゃうだろうけど、七罪を騙すような真似はしたくない」

 

 言ってしまった、という気持ちはあるけど、どっちにしても言わなければならなかったんだと思う。

 私は七罪という精霊と知り合いである。そう告げれば、きっとラタトスクのメンバーには信用されるようになるのかもしれない。

 でも私は、友達を売るような真似なんてしたくなかった。それに……無理やり七罪に士道くんを押し付けて騙し討ちするような真似をし不興を買うよりも、ラタトスクにとっても良いはずだ。

 

「士道くんもその組織に入っていて、しかも精霊の力を封印することが出来る、ただ一人の存在であるんだって」

 

 何か言いたげな七罪に申し訳なく思いながらも、そのまま話を続ける。自分が話したいこと、そして七罪の為にも大切な話。

 

「……精霊としての力は、君のことを危険に晒す。でも、七罪にとってその力が大切なのは知っているし、今まで君のことを助けていた力を奪うのはあまりにも身勝手だ。だけど、だからこそ、精霊としての力を封印する組織に所属している私と接触をとっていたら、そのうち七罪が精霊だってバレてしまうかもしれない。だから今ここで、少しでも考えてほしいんだ」

 

「精霊という存在に敵意を向けられる日々。そんなの、私には耐えられる気がしないよ。七罪だって、人に酷いことを言われたり、攻撃されたりなんてされたくないと思う。その日々から開放される。でも、その力はきっと、七罪にとって大切な存在なんだよね。君を幸せにしてきた力。だから、簡単に手放せなんて言えない。だからね」

 

 自分でも支離滅裂になってきているのが分かる。室内はそこまで暑くないはずなのに、身体がじっとり汗ばんでいきた。

 

「……ねえ、京乃」

 

 そう声をかけられ、心臓が嫌に脈打つのを感じた。

 こう選択を迫ったことは、つまり七罪がどちらの解答をしたとして文句は言えないという覚悟をしなくちゃならないだろう。

 

「何かな?」

 

 声が震えてしまわないようにして、私がそう尋ねると、七罪は服の裾をぎゅっと握った。

 

「今まであんたは、私の……変身する力が目的で接していたんでしょ? それなのに、その力がなくなったら私といる理由なんてないでしょ」

 

 彼女らしからぬ弱音だった。だって私なんかと一緒にいるのは理由なんてさしてないはずだし、七罪って存在に救われていたのは私の方なのに……

 

「確かに、最初そうだったのは否定しないけど、今も七罪と一緒にいるのは、それだけじゃないよ」

 

 今までも何度も言ってきたことだと思っていた。でも、よく考えてみると、口に出して伝えたことはなかったかもしれない。

 

「今はその能力なんかじゃなくて、本来の君のことを大切に想っている。そのことは、伝えておきたいな」

「……なんか、雰囲気変わった?」

「そうかもしれないね」

 

 自分じゃ分からないけど、きっかけなら思い当たる。

 

 

「……もう一つ、質問」

 

 七罪は指を一本を立て、困ったような表情で口を開いた。

 

「愛しの五河士道の敵になっても、私の味方でいてくれるの?」

 

 その言葉には、正直迷った。七罪も士道くんも自分にとって大切は存在で、どちらかを選ぶなんて出来そうもなかったからだ。

 

「……七罪と士道くんが敵対する状況ってどんな状況だろう」

「例えば、実はあんたのいる組織が精霊の力を悪用しようとする組織とか、それで、五河士道は自分の中に私の力を取り込むことで完全無欠の生命体になろうとしているとか……? そうじゃなくても、五河士道が実はロリコンで四糸乃とか妹とかを襲ってたりする可能性もないとは言い切れないし。そんな時に京乃は私を守ってくれんの?」

 

 士道くんが小児性愛(ペドフィリア)って可能性は考えたことすらなかった。……いや、でも琴里ちゃんも四糸乃ちゃんも七罪が言っているような目に遭っていたら私だって流石に分かる。それが負の感情であれ、正の感情であれ、表面に全く出さないのはおかしい。可能性はゼロだろう。そう信じたい。

 

「士道くんが、そんなことするとは思いたくないけど……まあ、何か理由があるなら聞くし、間違った方向に進みそうなら止めるよ。私にそんな資格はないかもしれないけど、それでも……好きな人に目を醒ましてほしいから」

「嫌われるかもしれないのに?」

「……嫌われるなら、それもしょうがないのかもね」

 

 むしろ、今までが可笑しかったんだし。

 

 ……まあ、士道くんがそうだなんて考えたくはないな。私ってどう繕っても、そこまで小さくないし。

 いや、ちょっと待って。五河君って確かこの前、四糸乃ちゃんとキスしそうだったような。……あれ、もしかして精霊の力の封印じゃなくて……いや、よそう。きっと大丈夫だ。

 

「なに百面相してんの?」

「……う、ううん。気にしないで」

 

 七罪は気難しい顔をしていたが、頭の中の情報を整理したのか、いつも通りの無愛想な表情に戻っていた。

 

「……ま、あんたの気持ちは、分かったわ」

「京乃が私を、素のままの私を大切に想ってくれてるって言うのなら……まあ、少しは勇気が出る」

 

「また今度、五河士道に会いにいく。五河士道のこと、まだ信用出来るって訳じゃないけど、そこまで悪いやつには見えなかったし、それに……このままじゃ京乃に迷惑かかるかもしれないって、そう思ってたから。だから、そんな悪い話じゃないし」

 

 彼女は、すぐに会いに行くという選択は取らないようだった。でも、それでも間違いなく一歩進んだ。それがどうも嬉しくて、私は彼女に抱きついた。

 

「ありがとう、七罪」

「そうやたらめったらひっつくのやめなさいよ」

「嫌かな?」

「……そこまで嫌じゃ、ないけど」

「そっかそっか」

 

 とんとんと弱く背中を叩く。七罪のこわばっていた身体から、少し力が抜けた。

 

「君の安全は、出来る限り私が守る。だから安心してね。……誰にも君を傷つけさせはしないんだから」

「……あんたに守られるほど、弱くないし」

「あはは、そうだよね。やっぱりこれも私の自己満足だから……うん、じゃあ」

 

 手をどかして、七罪の方へと顔を向ける。

 

「今日は君がいなくなるまで付き合うよ。何がしたい?」

「……インベーダーゲーム」

「えっ……懐かしいね、まだ家にあったっけな……?」

 

 30分くらいかけて手持ちサイズのそれを探し出し、彼女と対戦してみた。

 生憎と、こういうゲームには(うと)いもので、七罪にはほとんど負けてしまった。でも、だからこそ、まぐれでも勝てた時には喜びもひとしおだったし、彼女も楽しんでくれたみたいだった。七罪には笑顔でいて欲しい。だからこそやっぱり私は……

 

 

 

 そして日々は過ぎていく。前までと同じように、それでいて変わっていく日常。

 それで良かった。今までよりも充実した日々を送れているのは確かな事実だったし、今までよりもみんなに深く関われるようになった。昔の同級生のようで苦手だった三人組とも、一応は話せるようになったし、きっとそれは、ちょっとずつでしかないけど成長といってもいいだろう。

 少しずつであっても、きっと私の中で何かが変わってきているのだろう。だから、きっと、私は大丈夫。……そう、そのはず、だったんだけど。

 

 

 

「デートしないか」

 

 一瞬思考が停止した。そして次の瞬間には様々な感情が込み上げてきた。

 懐疑、困惑、そして期待。

 

 ただ単純に分からなかった。彼がなんでそんなことを尋ねてくるのかも、何を思っているのかさえ分からない。

 

 ただ、そう聞かれただけで胸が高鳴ってしまう能天気具合に、自分でも少しうんざりとしてしまいそうだ。




挿絵は活動報告の方に載せておきました。興味ある方がいれば気軽に覗きにきてください。


そして、アンケート取るの好きなのでまた取ります。
次回(多分)最終回なのですが、そのあとに何か後日談的なものも書きたいなと思ってます。なので、読んでいる人が何に興味があるのか知りたいので調査させてもらいます。


①原初の精霊の話
ネタバレさんが出てきます。普通にアニメ三期以降の内容が含まれます。

②昔のオリ主の話
言葉の通りです。

③5巻以降の内容
かなりのダイジェストになると思います。あと、この場合原作とそう変わらない展開になります。場合によっては台本形式になるかもしれません。まあ、多分だいたいの精霊との交流はかけると思います。そんな感じです。

④ラタトスクでの話
今回ダイジェストになってしまったので、そこらへんとか。

⑤完全リメイク
内容としては、ファントムと契約したらどうなるかって感じのもの。内容はかなり異なっている。書くとすると、ここじゃなくて別作品として投稿することになると思われます。


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エピローグ

 学校での生活も再度開始し、終わった後はラタトスクに行って、そんな日々の繰り返しで。今までとは違った形ではあるけれど、とても充実した日々ではあると思う。だからそれが私には嬉しくて、それだけで私は満ち足りているはずで。

 

「なあ、京乃」

「……ど、どうしました?」

 

 艦内で休憩しているときに、そう話しかけられて少し困惑した。

 

 未だに士道くんとうまく接せているか分からない。距離感というものを掴みかねている。

 高校まで士道くんのことを知らなかった私と知っている私。それまで当たり前だったものが崩れていって混乱してしまっている。

 それは彼も同様のようで、これまでは料理を教えてもらっていたのに、その頻度だって落ちてきた。私が前よりも多少は得意になっただとか、ラタトスクで掃除をしたり物を運ぶのを手伝うといった雑用をこなしているから時間自体がなくなったというのはあるだろうけど、多分それだけじゃないんだろうな……と思ったんだけど。

 

「デートしないか」

 

 真剣な顔でそう言われて、何事かと思った。

 何か真意があるのかもしれない。そう考えたけれど、私とそんなことをする理由なんて到底理解出来ない。それに、きっとそれは良くないことだろう。

 新入りではあるがラタトスクの方針を知ってしまった私にとっては、きっと拒絶しなければならないことだ。

 

「……その言葉は、十香ちゃんか四糸乃ちゃんに言ってあげるべきです」

 

 何をトチ狂って私を誘ったのかは分からないけど、問題しかないはずだ。だって、彼は十香ちゃんや四糸乃ちゃん、そういった精霊達の好感度を上げる為に活動しなければならない。その時間を私に割くなんてそんな世迷い言を垂れないで欲しかった。

 

「……デートってのは言葉の綾だな、すまん。ただお前と二人で出かけたいってだけだ」

「……私と二人で、ですか?」

「そう、だな」

 

 士道くんは神妙に頷いた。

 

「この前は腹を割って話したつもりだ。お前がラタトスクに入ったってのは……まあ分かる。なんか、うまく言えないんだけどさ……」

 

 ぶつぶつと何事かを呟いている士道くんだったけど、言いたいことが(まと)まったのか、こちらへと顔を向けた。

 

「……それなら、練習に付き合ってくれないか?」

「練習、ですか?」

「ああ。まだ、精霊達とどう接すればいいのか分かっていないし、それなら本番うまくいくように練習するほうがいいだろ?」

「それは確かにいいかもしれない……ですが」

「それに、前俺とデートする権利とかなんとかをもらってただろ? それを使うってことにしておけば、別に誰も文句は言わねえよ」

 

 確かにそんな物があったような気がする。士道くんが一番ドキドキした相手が一日士道くんを好きにしていいという権利。……あんなの事故だからとは思うんだけど、思い出すと恥ずかしい。

 

「明日学校休みだし、時間が空いてたらどうだ?」

「え、あ、あの……でも……」

 

 きっと断らないといけない。うまい言い訳なんて思いつきたくないけど、なんとか引っ張り出して口を開く。

 

「明日もラタトスクで仕事ありますし……その、やっぱり休みなら十香ちゃんや四糸乃ちゃんと出かけるべきなんじゃ」

「許可ならちゃんともらったぞ? それに今はそんなに忙しくないんだろ?」

 

 ……それを言われると確かに痛いんだけど、でも、私なんかが……

 

「ただ一緒に遊びたいってだけじゃ、駄目か?」

「その、喜んで」

 

 勢いに圧されて思わずそう言った。言ってしまった。

 

 

 

 

 何で頷いちゃったんだろう。そんなデートの権利とかなんて無効でいいとか言えば良かったのに……なんて、本当は理由なんて分かってる。本当は出かけたかったというだけなのだろう。

 私は、士道くんのことが好きだ。

 昔の、ファントムに記憶を戻されてなお、彼のことが恋愛感情として好きだ。むしろ、前よりも一層恋い焦がれてしまっている。

 せめて、昔のように戻れたら……なんてことも思ってしまう。だって、私には到底叶わない恋で、彼に合わせる顔なんてないのに。どうやって笑えばいい? どうやって話せばいい?

 私はいったいどうやって日々を過ごせばいいのか。今までは普通に出来ていたはずのことが、今はよく分からない。

 

 

「……寝よう」

 

 たとえ寝付けなくとも、目を閉じ、明日に備えないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けたたましく鳴るアラームを止めて目を開けると、それなりに約束の時間まで迫っていた。

 慌てて髪を()かして、お気に入りの服を着て、必要なものを鞄に入れる。時間の五分前に待ち合わせ場所の駅前へとたどり着いた。

 

 辺りはやけに賑やかで、楽しそうで。こんな日常ほ中に彼と二人でいてもいいのかと罪悪感が募る。

 でもそんな思いを悟られてはいけない。これは彼が私に望んだことなんだから、せめて楽しそうに振る舞わなれればならない。

 

「士道くん、待たせてごめんなさい。もっと早くに来れば良かったですね」

「いや、俺も来たところだから気にしないでくれ」

 

 それは本当なのかと、少し疑心暗鬼になってしまうけど……士道くんがそんな嘘をつく理由なんてないし、きっと本当なのだろう。

 

「それと、前々から思ってたんだが……これからはタメ口にしてくれないか? 十香や四糸乃には普通に話しているのに、俺相手だと敬語だからさ。少し、距離感じていたんだ」

「……良いんですか?」

「勿論だ、むしろ今までが他人行儀過ぎだった」

「分かりました。それじゃあこれからは……そうするね」

 

 そう口にすると、懐かしくてしっくりとくるような気がする。……昔はそうだったはずなんだから、それも当然といえば当然なのだろう。士道くんはどこか嬉しそうに表情を緩ませた。

 

「それにしても服似合ってるな」

 

 瞬間、顔に熱が集まるのを感じる。

 

「……?どうかしたのか、京乃」

「い、いえ!何でもありませんよ! ああ、あありがとうございます」

「そうか?」

 

 練習だって士道くんも言ってたじゃないか。それなのにこんなにも恥ずかしがっちゃ駄目だ。士道くんもそんなの望んじゃいない……はず。だから、照れくさいのを隠したくて、話題の矛先をずらした。

 

「士道くん、今日はどこに行く予定なんですか?」

「あー……どこに行くか決めてなかった。すまん、普段はラタトスクに任せていたから」

「全然気にしないで大丈夫……だよ」

 

 確かに士道くんは、基本的にラタトスクの指示にしたがっているだけだったようだ。それならこの状況もやむなしなのかもしれない。

 

「京乃はどこか行きたいところとか、何かしたいことはあるか」

「そう、だね……」

 

 恋人のようなことをしてみたい。少女漫画にあったような『あーん』だとか、手を繋いで歩いたり、一緒の服を着たり、同じイヤホンで好きな曲を聴いたりだとか。私の欲望なんてそこを尽きないけど、私としてはもうこの状況だけで、もう満ちているはずだ。だって、私は……五河君と一緒にいるだけで、嬉しいのだから。

 

 悶々とする気持ちを抑えて、(かろ)うじて自分だけの為ではないことをお願いしてみることにした。

 

「今度、四糸乃ちゃんと一緒によしのんの服を作る予定で。まだ材料とか買っていないので、それを買いたい……かな」

「手芸か」

 

 士道くんの言葉に頷く。

 私としても楽しみではあるけれど、四糸乃ちゃんから頼まれたことでもある。だから、そこまで問題はないはずだ。顔色を窺うと、やっぱりそこまでまずくはない選択だったのか、不機嫌そうではない。

 

「そんじゃ、まずは買いに行くか」

 

 士道くんの言葉に頷いて、連れ立って歩いた。

 

 休日ということもあってか、人通りが多い。向かい側から歩いてきた人の肩が当たり、よろけてしまった。

 士道くんとも少しはぐれてしまい、やっと人通りが少なくなってきたところで手を伸ばされた。

 

「……?」

「……はぐれるかもしれないし、手」

 

 士道くんと手を握ったことはある。でも、それはずっと昔の話だ。あ……でも、おにぎりを使ったときにも彼に手を掴まれたっけ。握った手は昔よりもずっと大きくって、思わずドキドキとしてしまった。

 

 やがて完全に人混みがなくなり、名残惜しいながらも手をほどいた。会話も弾まず、どうすればいいのかなんて分からなくて、無言で歩いていく。

 

 方角的に、天宮クインテットに向かっているのだと思う。駅から行けなくはない距離だし、それに色々な施設があるから、やることに困っても時間つぶしは出来るだろう。

 そんな私の推測通り、着いたのは天宮クインテットだった。

 

「確か品揃えいいお店あったから、そこ向かってもいいかな……?」

「おう、そうしてくれ」

 

 完全にこちらに一任してくれるらしい。少しほっとして、よく行く店に足を運ぶ。

 店内はそこまで人がいるわけではなかった。これ幸いと、なくなりかけていた糸をかごに入れ、生地のコーナーへと顔を出す。

 

「何が良いとかあるか?」

「指定はされていなかったけど、よしのんの服なら洗濯しても縮まない素材にしないといけない……かな」

 

 吟味する。

 

「……ああ、この糸とか布地とか」

 

 よしのんに似合うかもしれない。士道くんにも意見を聞こうと思って、彼の顔を見ると、なんだか不思議なものを見たような表情だった。

 

「……士道くん、どうかした?」

「いや、何でもないんだ。ただ、いきいきとしてるなって」

「……そうかな?」

 

 いきいきとしている、か。自分じゃ分からないけど、そんなものなのだろうか。

 なんとなく自分の頬に触れてみると、いつもは下がりっぱなしの口角が、不思議と上がっていた。

 

 

 

「あの、士道くん。琴里ちゃんにも何かあげたら、怒られちゃうかな」

「そんなことはないと思うが、いきなりどうした?」

「す、すみません。琴里ちゃんの誕生日近づいているのに、なにも考えてなかったので……」

「いや、謝ることじゃないぞ。お前がそうしたいっていうならそうするべきだ。琴里だって喜ぶと思う」

「そうかな、それなら……いいんだけど」

 

 琴里ちゃんは、ぬいぐるみとか好きかな。いやでもどうせなら実用的なものの方が喜ぶかな。なら……

 

「行き詰まってるみたいだな」

「あ、うん。琴里ちゃんって何あげたら喜ぶんだろう」

「お前、毎年琴里にはチュッパチャプスあげてなかったか。地元限定とか」

「……うん、琴里ちゃんなら一番喜ぶかなって思っていたんだけど……でも……」

 

 士道くんが琴里ちゃんにプレゼントしたリボン。それを彼女はラタトスクではいつも着けている。

 ……もちろん、士道くんからの大切な贈り物だからっていうのが一番の大きな理由だろうけど、それでも物を大切に使ってもらえるのなら嬉しい。

 琴里ちゃんとは関わる機会は多かったけど『士道くんの妹』としてしか接していなかったから……そう、そこはかとなく壁が存在していたのだと思う。その壁をなくす一歩として、チュッパチャプスのように、なくなってしまうものじゃなくて、手元に残してもらえる物を贈りたい。

 

 ……ハンカチとかどうだろう。日常使い出来るし、ついでにワンポイントで刺繍とかしてみようかな。

 そうと決めればと、彼女に似合いそうな色の生地を選び、会計を済ませる。

 腕時計を見てみると、あっという間にお昼の時間になっていたようだった。

 

「少し、そこの喫茶入って休憩するか?」

「う、うん。そうしたいな」

 

 カクカクと頷いて、士道くんに続いて店に入る。

 人はそれなりに入っているようだけど、雰囲気のいいお店だ。店員の案内してくれた席に座る。

 

「……飲み物を奢るって話だったので、ここの会計は奢ります」

「あ、確かにそういう話だったな」

「お昼もおごります」

「……まあ、それで満足するなら頼む」

 

 士道くんは苦笑いをして、メニュー表に目を通した。

 

「じゃあサンドウィッチとコーヒーで」

「コーヒーなら、この『スペシャルこれでもかコーヒー』でもどうかな?」

 

 見たなかで段違いの価格。コーヒーだけで4桁というのは中々のものだと思う。

 

「普通のブレンドコーヒーが良いな、俺は!」

「士道くんがそれでいいって言うなら、私としては構わないけど……」

 

 これでもかコーヒーって、何が『これでもか』なのだろう。味、それとも量?何か特殊なトッピングなのだろうかと気になっていたけど、値段も中々のものだし自分の分としては注文したくはない。今回はやめておこう。

 無難に紅茶、士道くんが飲みたいと言っていたコーヒーとサンドウィッチを二つ頼み、そして彼と向き合う。

 

「そういえば、よしのんの服を作るんだよな? どんな服を作る予定なんだ?」

「実は、まだ完璧に定めてはいないけど……」

 

 そう前置きをして、鞄の中からメモ帳とシャーペンを取り出して、イメージするものを描いていく。

 

「こんな感じかな?」

 

 季節ごとに着るものを変えるというのも大切かもしれない。もうすぐに夏本番が近づくから、涼しい色や素材を取り入れたつもりだけど、四糸乃ちゃんと同じような服にした方がいいか、それともよしのん専用の晴れ着でも用意したほうがいいのか……

 

「士道くんはどう思う?」

「え? ……ああ、絵結構上手いな」

「あ、ありがとう……ございます」

 

 思わぬ褒め言葉に、思わず敬語に戻ってしまった。

 

「こういうのは結構書いてるから……じゃなくて、こういうデザインってどう思う?」

「俺は服とかよく分からないし、あんまし具体的なアドバイスとかは出来ないが……いいんじゃないか?」

「本当?」

「おう」

 

 自分だけの意見じゃ独りよがりになってしまいそうだと思っていただけに、頷いてくれて少し安心した。

 

「作りたいって言ってたのは四糸乃ちゃんなんだし、それによしのんの好みだって、一番知ってるのは四糸乃ちゃんなんだから、彼女に聞いてみないと分からないけどね」

「そうだな……っと、来たみたいだな」

 

 店員が注文したものを届けに来てくれたみたいで、小さく頭を下げる。そして彼女が去っていくのを目の端で追いつつ、紅茶に口をつける。爽やかな風味が口いっぱいに広がり、少し乾いていた喉が(うるお)う。続けてサンドウィッチを頬張ると、シャキシャキとしたレタスの食感と、トマトやハムの濃厚な味が口いっぱいに広がった。

 

「……うん、美味しいね」

 

 でも、同じ物じゃなくて違うものを頼んだら良かったかもしれない。そうしたら食べさせあいっことか出来たかも……って、違う違う。

 

「どうした? 百面相なんてして」

「き、気にしないでください」

「そうか?」

 

 不思議そうにサンドウィッチを食べていた士道くんだったけど、そこまで気にすることじゃなかったのか、食べることに集中したようだった。最後の一切れを食べ終わると、コーヒーに口をつけて私へと話しかけてきた。

 

「このあとどこに行こうか?」

「少し、服屋に寄って行きたいな」

「服屋?」

「うん、そうそう。士道くんってよく行く服屋とかある?」

 

 そう尋ねると、士道は少し驚いた様子で私を見た。

 

「買うのって俺の服か?」

「うん。今後、ファッションとかにうるさい精霊も現れるかもしれないし……それに、自分の為に良いオシャレしてくれたら、それだけで嬉しいもんだよ」

 

 私なら嬉しいという主観で話してしまっているけど、きっとそういう人は多いんじゃないだろうか。

 

「俺がいい服着ても、着られている感じになるんじゃないか?」

「そんなことないと思うけど……それなら、私が選んでみてもいいかな?」

「京乃がか?」

「うん、客観的に見るとおかしかったりするかも……ですし。……でも、もちろん、最終的な判断は士道くんに任せます」

 

 私は近くにあった店に入っていき、士道くんもそれに着いてきてくれて。それで時間は過ぎていき──

 

 

 

 ……なんといえばいいのか。私は、すっかりと今日という日を楽しんでしまった。

 士道くんに似合いそうな服を見繕ったり、逆に士道くんが私に合いそうな服を探してくれたり、ゲーセンで格闘ゲームをやったり、食べ歩きをしたり。いつも一人でやっていることの延長線。

 

 プールや海、遊園地や水族館なんかの特別な場所に行った訳でもない。

 一人で行っていたり買い物をしている場所に二人でいる。それがどうも不思議で、嬉しかった。

 

 

 

 まだ初夏だが、夏の片鱗を見せている今日日。帰りに訪れた高台公園では、涼しい風が吹いていた。

 先程まで賑わった街の中に居ただけに、人が居ないこの空間は私にとっては凄く落ち着いて……ベンチに座った後は、風に当てられて、心地が良かった。

 

「疲れたな」

「そうだね、私もはしゃいでしまって」

「楽しかったな」

「うん、すごい楽しかった」

 

 士道くんは満足したように笑った。……私にはそれが理解出来なかった。

 

「どうして」

 

 その言葉は不意に出てしまったもので、一度漏れてしまえば歯止めが効かなかった。

 

「士道くんは、どうして変わらず私に接してくれるんですか? だって私は、君のことを突き放して……」

「あの時のことを気にしてないって言えば嘘になる。でもさ、京乃にも事情があったんだろ?」

 

 まるで全てを見透かされているみたいだった。

 

「今日は楽しかった。別に今日だけじゃない。昔から……それに高校に入ってからだって、お前と一緒にいるのは嫌いじゃないし、安心だってするんだ。それだけじゃ駄目か?」

「……ううん。駄目じゃない、と思う」

 

 私がそう言うと、士道くんは少し困ったように苦笑いをした。

 

「……なあ、京乃。少し思ったんだが、もしかしてお前がラタトスクに入ったのは罪悪感からか?」

「それもあるけど、それだけじゃないです」

 

 真剣な表情でそう言ってくれた士道くんに、私は首を振った。

 罪悪感がないかと言われたら、それも含まれているのは確かだろう。でも、私は……

 ベンチから立ち上がって、そして、すぐ近くにある見晴らし台まで歩く。

 

「私……昔からずっと、ここから見る夕陽が好きなんです。ここで見ると、なんだか今日も平和に一日が過ぎたんだなぁって思えるから、なのかな」

 

 一人で見るよりも、誰かと一緒に見るのが好きだ。特に士道くんと一緒に見るのが好きとは、まだ面と向かってはいけないけど、それでも大切な思い出となって私の中に残るのだろう。

 

「だから私がラタトスクに入ったのは、この平穏な日常を守るっていうのも大切な理由……なんだと思う」

 

 そう告げた後、私のことを語ってばかりで、彼のことは聞いていなかったなんて事実に気がついた。

 士道くんは意図して聞き手に徹しているような気がしたけど、それでも……私ばかりが話すのではなく、彼の話も聞いてみたかった。

 

「ねえ、士道くん。君はどうして精霊を助けたいの?」

 

 彼の口からは一度も聞いたことがなかった。だからこそ、聞きたいと思った。最初は不意をつかれたような表情ではあったけど、すぐに表情を緩めた。

 

「そうだな、初めは十香と会った時なんだが……」

 

 懐かしむような表情で、話をしてくれた。

 始めは絶望していた十香ちゃんを助けたかった、ということ。四糸乃ちゃんと出会った時には、心優しい少女が傷つけられる運命を変えたくなったのだと言うこと、時崎狂三と出会った時には、本当の彼女と向き合う覚悟を、琴里ちゃんが精霊だと知ったときには、彼女という大切な存在が殺されないようにする為に、彼はいつも彼女達に真正面から向かい合ってきた。

 

「……やっぱり、士道くんは士道くんだね」

「なんだよそれ、褒めてんのか?」

「褒めてるよ。その原動力だけで、命を賭けられるなんて、頭がおかしいんじゃないかって思う」

「やっぱり褒めてないだろ」

「褒めてるよ。そんな士道くんだからこそ、皆好きになっちゃうんだろうね」

 

 何度も命の落とし、臆したとしても立ち直って、彼女らを救ってみせる。そんな、ヒーローのような少年。

 その真っ直ぐでひたむきな姿は、きっと彼女たちの心を掴むきっかけにしては十分なものなのだろう。

 

「褒め殺しは、やめてくれよ」

 

 そう言って士道くんは顔をそらしたけど、それでも分かる程に彼の頬は赤く染まっていた。それがなんだかおかしくて、私は少し頬が緩んでしまった。

 

 それからは……二人で、夕陽が落ちていく様子を見ていた。

 もうすぐ日は完全に落ち、今日の楽しかったデートのひとときだって終わってしまう。

 

 ……終わってほしくない。そんな思いが芽生えてしまった。

 こうして二人で会う機会なんてなくなってしまうのだろう。私だって忙しくなってしまうし、士道くんにもやらなければならないことがある。

 精霊を全員封印するのなんて、いつになるのか分からない。今まで観測されている精霊は10人くらいのようだけど、それだって増える可能性だってある。

 だから、これが最後のチャンスになってしまうかもしれない。

 

「……どうかしたか?」

 

 浮かない顔でもしてしまったのだろうか、士道くんはそう声をかけてくれた。

 

「悩みがあるならなんでも言ってくれ。力になるからさ」

 

 士道くんはそう言った。彼が私の力になりたいと言ってくれたのは今日が初めてではない。でも、本当はその言葉が好きではなかった。

 理由なんて簡単なもので、負けたみたいに思えていたから。別に勝ち負けなんかじゃないのに、士道の力だけはどうしても借りたくなかった。

 

 でも……そう、今はその言葉が一歩足を進める理由になってしまった。

 

「悩みとは違うんだけど、精霊やラタトスクのことで考えごとをしてたの。人間に敵対的な精霊が現れたらどうしようとか、そんなこと考えてて……それで、初心に戻ろうって思って」

 

 そこで士道くんを見た。

 

「五河君、私がラタトスクに入りたかった理由は、実はもう一つあるんです」

 

 これを告げるのは完全にエゴになってしまうだろう。それでも伝えてしまいたいと思った。

 自分のこれからにかける思いを強固にする為に、そして……ひとまずの区切りをつける為に。

 

「私は君のことを助けたいんだ。罪悪感からではなく、義務感からでもなく。どういう形であれ、君の手伝いがしたい。だって私は──」

 

 風が哭く。心臓は飛び跳ねそうなくらいに脈打って、頭の中は既にぐしゃぐしゃだった。

 それでも私は……

 

 

 

「──君のことが、好きだから」

 

 まっすぐと士道くんを見つめ、そう告げた。

 

「そ、うか。ありがとう」

 

 彼は言葉に詰まった様子だけど、きっとそれが恋愛としての意味を持っているなんて、思ってもいないのだろう。でも、それでいい。私だって、士道くんが今それどころじゃないってことくらい理解している。邪魔やお荷物なんかにはなりたくなかった。

 それでもこうして告げたのは……きっと、ただのエゴなのだろう。

 

「お礼を言うのは私の方だよ。君がいなければ、私は……誰とも仲良くなろうとなんてしなかっただろうから」

 

 七罪と仲良くなれたのだって、『五河士道』という人間が居てくれたからだ。『五河君』が居たからこそ、私は前を向きたいと思うようになった。結局のところ、彼がいなければ私は……今も、ただ一人で過ごしていたのだろう。

 

「だから私は、十香ちゃんや四糸乃ちゃんと仲良くなれたことに感謝してるんだ。君に恩返しだってしたくて。だから、こうして恩を返せる機会を与えてくれたことが嬉しくって」

 

 実は、士道くんに許してもらえることは想像がついていた……のかもしれない。許してもらえたからこそ、辛かった。

 どんなに高いジュースを買ったところで、この心のモヤが消えるとは思えなかった。士道くんが許せても、私が自分のことを許せない。あんなことを言ってしまった、ということ、そしてこれからも酷いことを言ってしまうのではないか……と思えて、自分が嫌で仕方ない。

 それに、士道くんに堂々と気持ちを告げるなんてことは、私自身が許せない。結局は自分本位なのだろう。それでも私は、彼の役に立ちたかった。

 命だってなんだってかける。私が面と向かって彼に、士道くんに恋愛感情として好きなのだと告げられるようになれる日の為に。

 

「だから……胸を張っていけるように頑張っていきたいんだ」

「そう、か。応援するよ」

 

 士道くんはそう言ってくれた。表情は見れなかったけど、でも……その言葉だけで私は、前を向けるような気がした。

 

 息苦しい日々は終わりを告げ、それでもまた日々は続いていく。

 今までそうだったように、今後ずっと嬉しいことや楽しいことが続いていく訳じゃなくて、泣いてしまいたくなることや、時には絶望してしまいそうになることだってあるのかもしれない。

 それでも私は、士道くんと一緒ならどんな困難にだって立ち向かえるんじゃないかって思うんだ。

 

 

 だから……そう、手を伸ばした。

 今は届かなくても、きっといつか重なることを願って。

 

 伸ばした手は取られた。士道くんには大した意図なんてなかったのだろう。ただ、いきなり目の前に現れたから掴んでしまっただけ。それの証拠に、彼はどうして繋いだのか分からないように、不思議そうな顔を浮かべていた。でも、それでも繋がった。それがなぜだか泣きたくなって、それでも嬉しくて。その手を握り返し、あふれそうな感情に身を任せ、それでも心からの笑顔を浮かべた。

 

 

「どうか、これからもよろしくね」

「──こちらこそ、よろしくな」

 

 

 

 




これで当作は完結となります。更新間隔も長く、四年以上をかかってしまいましたが、なんとか形に出来てよかったです。至らぬ点も多かったと思いますが、今まで見てくださった方々、本当にありがとうございました。
今後の参考にしたいので、ぜひ評価感想つけてくださると嬉しいです。



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番外 京乃リバイバル
袋小路



今回の話は13話と19話の補完話です。胸糞要素がありますし、完結後の話という訳でもないので嫌な方は見なくても構いません。あくまで、もし京乃が19話の時にファントムが霊結晶を受け取ったら…という仮定での話です。
アニメ範囲外(19巻まで)のネタバレあります。独自解釈もあります。ご注意ください。
人類の敵の話。


 

 その日の朝、京乃は自動販売機で飲み物を買いに行き、狂三と士道が下駄箱にて話しているのを見つけてしまった。別に隠れることでもないのだろうが、二人の異様な雰囲気からただ世間話をしているわけではないことは明白であり、不安に思った京乃は盗み聞きをすることにした。

 距離がそこそこ離れているということもあり、大した内容は聴き取れなかったが、最後の言葉だけは明確に聴き取れた。

 

「……では放課後、屋上で」

 

 

 

 

 

 放課後、屋上で。そんな言葉が、授業中も京乃の頭の中を流れる。

 屋上は許可もなく立ち入れる場所ではない。そんな場所に待ち合わせるという事実だけで、どうにも疑いを持ってしまった。何も起こらなかったらそれでも構わない。それでも、自分も行かなくてはならない。見て、何もなかったということを確認したかった。だから自分も屋上に向かおう。

 よしとこぶしを握り、気合いをいれた。

 

 そして、放課後。京乃も士道同様に屋上へと向かおうとしたが、途中で強い倦怠感に意識が途絶えた。何とか意識を取り戻した後にまた屋上に向かおうとするが、ノイズのような人物、ファントムに声をかけられたことにより、足を止めた。

 

 ファントムは京乃に語りかける。士道を助ける力が欲しくはないかと、甘い誘惑を(ささや)く。

 確かに京乃はそれを欲していたが、こんな危険人物からもらうほど馬鹿ではないつもりだった。その為、すぐに首を横へと振った。

 

【……それは残念だ、観月京乃。約束は破るってことでいいんだね。君は賢いと思っていたのだがな】

「……え?」

 

 京乃は気の抜けたような声を出す。

 約束を破るとはなんのことか。いったい、何を言っているのか。そう思う心とは裏腹に、得体のしれない寒気がこみ上げてくる。……まるで、何かを間違えたとでも、言うかのように。

 

【そうか、そうだったね。それなら愚か者である君に、ひとつ“いいこと”を教えてあげるよ】

 

 一拍が空き、ファントムは口を開く。

 

【実はね、君が信じているその記憶は偽物なんだ。その証拠に、君はそのことを覚えているんだろう?】

 

 彼の口から何でもない調子で告げられた言葉は、京乃の今までを否定されるような、残酷な言葉だった。

 

「何、を……」

 

 偽物? 偽物っていったい、何のことだ。記憶が偽物。いったいなにが──

 

 否、京乃は知っていた。それなのに見ないふりをしていただけだった。そして……不幸にも、京乃は言葉の意味を理解してしまった。

 京乃には、士道と一緒に幼少期を過ごしたという記憶も混在していた。夢か(うつつ)か、分からないほどにあやふやだった境界線は、士道が京乃を憶えていないという事実だけで全てを決定していた。しかし、ファントムの言葉により、疑惑が膨れ上がる。

 

「ま、待って。私は、本当に……士道くんと昔から……」

 

 困惑したように声を上げる。

 

【私は君に二つの選択肢を与えた。どっちを信じるのも君次第だとね。そして、君は自分に都合がいい方を信じた。それだけのことだろうが……ふむ、最後のピースだけは埋めていなかったね。なら君に思い出させてあげよう】

 

 ファントムは京乃へと手を伸ばす。そして……封印されていた記憶が戻った。

 京乃がファントムと会ったのは初めてではなかった。忘れていただけで、昔中学の屋上で会ったことがあったのだ。そして京乃は精霊になることと引き換えに願ったのだ──士道の記憶から京乃という存在を消すことを。

 

 無情にも、そいつは言葉を続ける。

 

【観月京乃。君に最後のチャンスをあげるよ。それまでにどうするのが自分にとって最善か、考えておくんだよ】

 

 最後のチャンスも何も、京乃にとっては今が最善だ。そのはずだった。

 

【嫌われてしまったかな? それでも約束をしたからね。また来るよ、次はいい返事を期待しているからね】

 

 ファントムの言葉から、すぐに姿を眩ませようとしていることは明白だった。

 本来ならば、気にしない方が良いのだろう。ただの戯れ言で、すぐ忘れる努力をするべきだ。しかし……今の京乃にはそれが出来なかった。

 

「ま、待って! 聞く、貴方の言うこと、ちゃんと聞くから……だから、どうか……士道くんに、あんなこと思い出させないで」

 

 士道に嫌われたくなかった。もっともっと、たくさんの時間を共に過ごしたかった。

 京乃は震える声で、宙へと手を伸ばす。

 

【ありがとう、やはり君は賢明だね】

 

 そう言って、ファントムは京乃に向かって──(しろ)い輝きを発する、宝石のような物体……霊結晶(セフィラ)を差し出した。

 

【触れて】

 

 そんな言葉に、恐る恐る手に触れる。すると、霊結晶(セフィラ)が凄まじい輝きを放ち、空中へと浮かび上がり、京乃の胸元へと吸い込まれた。

 どくんと、心臓が大きく脈動した。不思議に思う暇もなく、脈が速くなり、息が荒くなる。先程の宝石がもう一つの心臓になり、今までとは異なる熱い血流を全身に放出するかのような異様な感触。

 突如、流れ込む力。それにより生まれ変わるような──否、侵略されているかのような感覚に陥った。

 恐怖、そして……悦楽。

 

【……やはり、さしたる適正はないんだね】

 

 事実確認をするように、淡々としたファントムの声が聴こえた。しかし、その言葉の真意を聞く前に、京乃の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、はは」

 

 次に目が覚めたとき、京乃は……京乃の姿をした何物かは楽しそうな笑い声を上げた。

 なぜだか、楽しくて仕方がなかった。今の彼女には恐怖心なんてものは存在しておらず、何かを壊すたびに快感が押し寄せる。

 しかし、気絶している士道の近くにいる狂三。顔と顔が触れ合いそうなくらいに密着している狂三を見て、歓喜の感情は鳴りを潜めた。

 狂三は、敵。偶然にも、狂三は弱っているようだった。だからそう、とどめを刺さなければならない。そう……思考は固定された。

 

「……京乃さん?」 

 

 何かに怯えるような、か細い声が聴こえた気がしたが、でも気のせいであると京乃は断じた。狂三は得体のしれない人物であり、そんな声を出すような人物ではないのだと笑う。

 

「貴女が悪いんです。貴女が、貴女が貴女が貴女が悪い」

 

 京乃は士道のことが好きであり、彼のことを守らなければならない。だからこそ……士道の敵である狂三を排除しなければならない。

 

 狂三以外の誰もが意識を失っていた。

 だから優先すべきは狂三であると、すぐに結論づける。狂三は影のようなものに逃げ込もうとしていた。

 見逃せない、許せない、許容出来ない。

 京乃は、まるで無垢な子どもが虫をいたぶって遊ぶように、狂三を追い詰めた。

 まずは足を使えなくし、そして腕をもいで銃を使うことを不可能にした。

 普段の狂三なら、難なくとは言えずとも切り抜けられる場面ではあっただろう。しかし、今の彼女は満身創痍であり、まともな霊力が残っていないことは明白だった。

 程なくして、狂三の動きは完全に止まる。

 

 狂三を殺した。それが京乃にとっての認識であった。つまり、士道の前に立ち塞がる敵は全て消えた。それで終わりの筈が、京乃の認識は狂ってしまった。

 強くなったことから出てきた自信、そして湧き出てくる破壊衝動、そして、エゴが肥大化した塊となり……京乃が今まで押しとどめていたものは、あまりにも呆気なく崩れさった。

 

 ──士道以外の全てを消さなければならない。世界も人も、全てを破壊し尽くさなければならない。

 だから、京乃は……何度も復活する琴里を再生限界がくるまで壊し、気絶して身動きの取れない十香を、真那を、最後に折紙を……全て、自身の障壁となりうる存在を消した。

 

 そして、ようやく……士道を見た。

 気絶していた士道は、騒音で起きてしまったようだった。京乃は愛しい士道の顔に手を添える。その瞬間、士道の顔は大きく引き攣る。

 京乃は不思議だった、ようやく邪魔者が消えたのに、士道がちっとも嬉しそうな顔をしなかったのが、不思議で不思議で仕方なかったのだ。

 

「誰なんだ!?違う、お前は違う!! 頼む……京乃を、あいつらを返してくれ!!」

 

 しかし、そう言われた瞬間──京乃の意識は覚醒した。正確には、元へと戻った。

 京乃は恐る恐ると言った様子で、辺りを見渡す。

 そこには……ただ、血だまりと皆の死体があるだけだった。 

 何故、そんなものがあるのか。誰がこんなことをしたのか。そんなことは議論する余地すら存在していなかった。そんなことをせずとも……自分がやったのだと、殺してしまったのだと、身体が、脳が、憶えている。

 

「あ、ああ……!」

 

 身体が、震える。

 大きな音がしたのを皮切りに、周囲から音が消えたような感覚にすら陥る。

 

 士道さえいればいいと思っていた。そのはずだった。

 でも、そんなことはなかった。全てが終わったあとに思い出すなんて、馬鹿らしい……十香たちと過ごす日々を愛していただなんて。

 

「ごめん、ごめんなさい……」

 

 京乃は繰り返し、そう呟いた。

 

「みんな、私、私は……」

 

 虚ろに呟き、ふらふらとしながら歩き、屋上のフェンスに手をかける。昔、飛び降りることは出来なかった。でも、今は止める人はいない。だから、迷うこともなく、飛び降りて……しかし、死ねなかった。精霊として生まれ変わった京乃の身体は、それくらいでは死ぬことが出来ないくらいに強化されたのだ。

 そのことを理解した途端、意識が遠のいていく。世界が真っ黒に染まっていく。

 駄目だと分かっているのに、眠りたかった。目の前の事象の全てが嘘で、目が覚めたらいつも通りの日常が始まるのではないかと信じたかった。そう……だからこの絶望に身を任せて──

 

【君に、一つ選択肢をあげよう】

「……」

【私に怪我を負わせることが出来たら、この場にいる全員を復活させてあげる。どうかな、君にとって悪い話じゃないだろう?】

 

 そこでようやく京乃は、目の前の存在を見る。

 やはり姿の見えない、ノイズがかった存在。自分を精霊に(いた)らしめた存在。この状況を創り上げた元凶とも言える存在。しかし、京乃は彼を責めるよりも気になることがあり、喉を震わせる。

 

「……ふっかつ、できるの?」

 

 ようやっと絞り出せた言葉が、それだった。

 

【私にはそれだけの力がある】

 

 それが虚言であるかどうかの判断は、京乃にはつかなかった。だが、霊結晶(セフィラ)はファントムから与えられたものであり、ファントム自身も人知を超えた力を……十香たちを生き返らせる力を保有している可能性は捨てきれない。だから京乃は、頷くほかなかった。

 

【そう。ならここからは……少し離れようか】

 

 辺りに指を鳴らす音が響いた。その瞬間、場所は学校から道路へと変わり……

 

 

「──〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 そう、言葉は紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地が揺れた。それから世界は塗り替えられる。

 周りには、何もない。白と黒しか存在していないモノクロの世界。情報量が極限まで削られた、簡素な風景。

 京乃の背筋を、凄まじい悪寒が襲う。

 

「さて、始めようか」

 

 その声で背後に人がいることに気がついて、振り返る。

 

 そこにいたのは──あまりに可憐な少女だった。

 絹糸のように艷やかな銀髪。透き通るように白い肌。どこか物憂げな色を映す双眸さえ、彼女を彩る要素に過ぎない。

 少女が身に纏っているのは極光(オーロラ)の如き幻想的な色をした、ドレスのような霊装であり、その背には、一〇の星を頂く歪な光輪のようなものが浮遊している。また、少女の後ろには巨大な尖塔(せんとう)があった。ガラスのように無機質な表面、空を仰ぐようにして広がる幾つもの枝葉。そして、幹の一部が縦に裂け、そこから樹霊(ドリユアス)の如く少女の形をした何かが顔を覗かせている。

 

 京乃は、その少女をどこかで見たことがあるような気がした。どこで見たかは分からない。分からない、分からないなら問題がない。いや問題しかない。まとまりのない脳内。混乱しきった京乃だったが、口を()いて出た言葉があった。

 

「……神、さま」

「神か。私は〈ゼウス〉と呼ばれているが、それはただの識別名に過ぎないよ」

 

 少女は、少し悲しそうにそう告げるが、すぐに京乃に笑いかけて──

 

「──おいで、我が娘よ」

 

 慈愛に満ちた表情で告げた。

 

 京乃は、自分が人並み外れた強さを手に入れたことを理解していた。それでも、目の前の存在はそれを上回るほど……文字通り、次元の違う強さを有していることが伝わってしまった。

 

 勝てないと即座に分かった。それでも、希望があるのなら(すが)らずにはいられなかった。もとより京乃が招いてしまった事態。可能性があるのなら絶望なんて、している場合ではなかった。

 これは贖罪(しょくざい)の場。もし、自分が勝てないとしても……皆を戻す為ならば。

 

「──!」

 

 漆黒の天へと右手を掲げ、京乃は自分が知るはずのない単語を口にした。悲鳴じみた声に応じて、精霊にとっての武器……天使が顕現した。

 

 しかし、その瞬間に京乃の精神状態が揺らいだ。目の前の存在を殺せと、世界を破壊しつくせと頭の中に言葉が響く。

 呑まれるな、理性を手放すな。下唇を噛んで、何とかこらえる。

 

 少女は動かずに、ただ京乃を見守っている。

 様子見をしているのだろう。ただ、警戒しているというよりも、ただ単純に京乃の力を確認しようとしているだけのようだが。

 京乃は、全く警戒されていない状況に焦りを感じながらも、これは好機だと自分に言い聞かせて、少女の胸目掛けて攻撃する。

 

「随分と思い切りがいいんだね。でも、残念」

 

 少女に当たる前に、光線は消滅した。

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉では、私に攻撃することは出来ない。ここは私の世界、私のルールで構成されているからね」

「そんなの」

「私が意地悪をしているように見えるかな。でも、それくらい出来てもらわなければ……」

 

 話途中に、新たな光線が少女へと向かう。

 

「……大人しく話を聞く気はないようだね。君は案外激情家なのかな。真っ直ぐに進んでいくそれは美点であると同時に、どうしようもない欠点だ」

 

 少女は、軽くあしらうように自身へと向かう光の方向を捻じ曲げ、京乃へと向かわせる。しかし、当たる寸前に京乃の姿は光のように消えて、そして数メートル離れたところに姿を現した。

 

「……それも、能力の一つだね。君の意志に関係なく瞬間移動をすることが出来る。けれど──連続して攻撃を避けることは出来ない」

 

 京乃は、自身の胸元を見る。穴の空いた胸。

 何が起こったのか、理解が出来なかった。理解した途端、身体が痛みを訴え始め、立つことすら覚束(おぼつか)ず、倒れそうになる。少女は……今、己の命を刈り取る攻撃を与えた存在は、それでも優しい手つきで倒れそうな京乃を支えた。

 

「やはり、駄目か」

 

 少女の声を最後に、京乃は意識が遠のいていくのを感じた。

 もし、もしも過去に戻れたなら……決して霊結晶(セフィラ)に触れることなどなかっただろう。でも、過去に戻る手段なんてあるはずがなかった。

 京乃は目をつぶった。抱いている気持ちは諦観、そして絶望。そして最後に浮かんだ考えは……士道に対する謝罪の気持ちだった。

 謝っても謝りきれない。神がいるのなら、時を巻き戻してくれと、そう願わずにはいられない自分が情けなくて、それでも涙は流れなかった。

 

「ごめ……さ、しど……く……」

 

 

「今まで()()の側にいてくれてありがとう。今まで士道を守ってくれてありがとう。そして──お疲れ様、京乃」

 

 せめて、最後の言葉が自分を責めるものであれば良かったのに……京乃は、そんな願いも叶わずに。胸元から霊結晶(セフィラ)を抜き取られた瞬間、京乃の意識は途絶え……彼女の人生は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 




全3話予定


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抜小路

 何が起こったのだろうか。士道にとっては、全てが理解不能だった。自分の目を、嗅覚をも疑いたくなった。

 

 

 士道の記憶では狂三に屋上に呼び出され、危機的な状態に琴里が精霊として現れたことまでは覚えている。士道が琴里の攻撃から狂三を庇ったことも覚えている。しかし、それ以降の記憶はなく、目を覚ましてから……自分の目を疑った。

 

 眼下に広がる光景。それは、地獄そのものだった。

 あちこちに広がる赤黒い液体。むせ返るような鉄臭さ。そこに横たわるのは、士道のよく知る人々だった。

 彼女たちは間違いなく──息絶えていた。

 

 そんな中、まだ息のある人物を見つける。

 

「──だいじょう……」

「〈絶滅天使(メタトロン)〉……天翼(マルアク)

 

 大丈夫かと言い切る間もなく、頭上から現れた一筋の大きな光線によって、全ては消し去られた。

 

「なんで」

 

 この場に存在しているのは、士道の目視出来る範囲に横たわっている人たちで全てのはすだった。少なくとも、士道の記憶している限りではそうだった。

 しかし、声が聴こえた。無感情な、それなのに楽しそうな……聞き覚えのある声。その声が示す場所を、士道は半ば放心状態で見上げる。

 

 天から射した一筋の光。その下に、その存在は浮かんでいた。

 

 肢体に纏わり付くように包んでいる純白のドレス、ふわりと広がるスカート。そして頭部を囲うように浮遊したリングから伸びた光のベール。光の粒子が集まるようにして悠然と広がる翼。全て穢れなき純白で構成されている霊装。

 神へと祈るように手を組んでいるその人物は──まるで天使のようだった。

 

 

 精霊は、屋上へと足をつけて、士道へと近寄る。距離が近づくと、彼女の容姿が浮き彫りとなる。

 

「あ……」

「──やっと、ふたりきり」

 

 精霊の空色の瞳は士道を捉え、ゆっくりと微笑んだ。完璧な、人形のように作り物じみた笑顔。

 

 視線を、注意を、心をも、一瞬にして奪い去った。それほどまでに少女は──暴力的なまでに、美しい。

 

 士道の顔に少女の手が添えられると、全身から力が抜けるのを感じた。憎むという気持ちすら許されないほどの、圧倒的な虚脱感。

 

 聞き覚えのある声、そして見覚えのある表情だった。

 それを見た途端、士道の中で何かが弾けた。

 こんな絶望的な状況の中、士道の頭には、浮かぶヴィジョンがあった。

 肩までの長さの髪、空のように澄んだ青い瞳、こちらを安心させるように、微笑む少女。

 

(私は、士道くんさえいればいいな)

 

 思い出の中、その少女は優しい声音でそう告げる。

 

(正直、士道くん以外の人はどうでもいいかな)

 

 薄情としか言えない台詞を柔和な表情で吐いた後に、茫然としている“士道の表情を見て”、取り繕うようにまた微笑む。

 

(……冗談だよ。だからそんな顔をしないで?)

 

 ……ああ、どうして忘れていたのだろうか。

 

 士道は思い出した。

 こんな最悪なタイミングで京乃という少女が、”士道と幼馴染である“ということを思い出してしまった。

 

 だからこそ、どうして彼女が周りを排除しているのか理解したくなくて、思考は止まってしまった。信じたくなどなかったのだ。目の前にいる彼女は、幼馴染であるはずの少女ではなく、全くの赤の他人であってほしかった。それなのに士道は……一瞬、京乃ならあり得なくもないと、そう思ってしまったのだ。そんな思いを振り払いたくて、頭を振る。

 

「誰なんだ!?違う、お前は違う!!

頼む……京乃を、あいつらを返してくれ!!」

「……え?

 

 もう、何も考えたくなどなかった。何も見たくなどなかった。

 

 京乃から、目をそらすために下を見る。苦悶の表情で、目を見開いている少女……狂三が、そこに息絶えていた。

 

「……」

 

 狂三がどんな人物だったのか、士道には分からない。

 士道にとって分かるのは、自分がデートをした少女は、年相応の可愛らしい少女に感じられたことだけだった。

 琴里は士道にとって、大切な妹だ。そんな彼女が精霊の姿で現れた。なぜ、人間であるはずの少女が精霊になっているのか、そんな理由だって聞けずしまいだった。

 十香と折紙は、仲が悪い。しかし、最近になって彼女らが仲が良くなれるのではないかと思えるようになったのだ。真那という少女のことは、士道はよく知らない。自分を実の兄だと慕ってくれる少女。これから、交流だって深め、彼女のことも知っていくことが出来たのだろう。それなのに……全ては無に帰した。全て、自分のことを愛おしそうに見つめる少女によって、消え去ってしまった。

 

 

 もし、狂三のように時を操れたら、そして──過去を戻せたなら。

 

刻々帝(ザフキエル)

 

 そう呟いた士道の手に、短銃が現れた。

 しかし、士道には狂三の霊力を封印した覚えはなかった。それに、結局のところ屋上で狂三とは交戦こそはしたが、仲を深める結果になんていたれなかった。

 つまり、これはただの幻想に、夢に過ぎないのだろう。

 どうやら現実と妄想との区別がつかなくなるくらいに狂ってしまったらしい。

 それが士道の出した結論で、でも、夢の中だったとしても、願いが叶うというのなら(すが)りたかった。

 

 士道はこめかみに短銃を向ける。

 今死んだとして……全く、士道にとっては恐くもなにもなかった。

 

「……」

 

 そして、暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここはこうでぇ……それで、これはこう! 皆さん、分かりましたかぁー?」

「せんせー、代名詞ばかりでよく分からないでーす!」

 

 間延びした女性の声が、そして男子生徒の声が聴こえる。緊張感に欠ける、温かい空間。男子生徒の声の後には、それに追随するように、生徒の声や笑い声がまばらに聴こえた。

 

 ゆっくりと目を開けた士道。目の前には、いつも通りの教室があり、先生が授業を進めている。

 

 ──何が起こった?

 士道は、騒ぎ立てる心臓に手をおいて、周囲を見渡す。左右の隣席には十香と折紙がいる。そして更に見回してみると……狂三、そしてその隣には京乃がいた。それからは……放心状態だったと言ってもいいだろう。気がついたら授業の終わりを告げる鐘が鳴り、そして昼休みを迎えていた。

  

 周囲では仲の良いグループに集まって、昼食をとっている。士道の想像していたような出来事が起こる気配もない。いつも通りの、日常だった。

 それならばきっと、先程のは悪い夢だったんだろうか。

 狂三との話し合いがうまくいくか分からないから、少し嫌なことを想像してしまったのだ。そうに違いないと、士道は自分を納得させようとした。

 

「シドー、昼餉を」

 

 意気揚々と士道に声をかけた十香。しかし、士道の顔を見ると、その続きを言うことはなかった。

 

「……どこか、痛いところでもあるのか?」

「え?」

「目から、涙が出ているのだ」

 

 十香の言葉で目元を拭うと、確かにそこは濡れていた。

 

「あれ、なんで」

 

 慌てて服の裾で拭うが、泣いてしまっていた事実がなくなるわけではない。十香は、心配そうな表情で士道を見る。

 

「シドー、調子でも悪いのか?」

「……少し、悪いことを想像しちまってな」

 

 

 ──本当に妄想なのか? 

 夢や妄想にしてはどうにも鮮明で、やけに悪趣味だった。

 これからの不安が形に出たにしても、(いささ)かいきすぎのような気がする。それに、妄想というよりは死の間際の走馬灯のような……

 ふと、自分の机の上に出しっぱなしにしていたノートが目に入った。そこに記されていたのは、士道にとって、先程受けた内容だった。追体験しているような不思議な感覚に、腑に落ちないものを感じる。

 

「なあ、十香。今日って何日だっけ」

「今日か? 今日の日付は……」

 

 十香が告げた日付は、士道が認識している日付と変わらない。変わらないからこそ、違和感がある。士道の中ではもう、今日この日の授業が終わったはずなのだ。

 士道は、今日使ったノートを見返す。先程までのものではなく、今日使ったもの全てだ。そして分かったことは……やはり、全ての授業内容に対してデジャヴのようなものを感じる。これをただの勘違いと切り捨てるには、違和感の種が大きすぎる。

 

 刻々帝(ザフキエル)と、士道は夢の中で告げた。

 時を司る狂三の天使。それならばもしかしたら……狂三が何かをしたのかもしれない。

 もちろん、それは推測の域を出ない。士道自身、半信半疑な部分もある。それでも……これからあのような事態が起こるよりは、行動したほうが良いように、士道には感じられたのだ。

 

「悪い、十香。少し用事を思い出した、今日の昼飯は三人組とでも食ってくれ」

「し、しかしだな……」

「心配してくれてありがとうな。俺は、大丈夫だ」

 

 士道は、十香へと笑みを向けた。ぎこちなかったが、十香を安心させる効果はあったようだ。彼女にしては珍しく、神妙な顔で口を開く。

 

「……頑張るのだ、シドー。私はシドーを応援しているぞ」

「おう」

 

 十香が亜衣たちのところへ向かうのを目の端で見送り、そして士道も歩き出す。

 教室内はそう広いわけではない。数十秒で着いたのだろうが、体感的には何分も経ったように重苦しく感じられる。

 そして士道は……狂三の席の前へとたどり着く。

 彼女の隣席にいる京乃が目に入る。彼女から見られていることに気づいていながらも、士道は目をそらす。

 

「狂三、少し良いか?」

「何ですの? 放課後まで士道さんと話す気は……」

「重要な話なんだが、ここでは話しづらい。人目のつかないところで話したい」

 

 狂三は、士道の顔を見る。どうにも(いぶか)しげだったが、士道の表情は真剣そのものであるということに気がついたのか、自分の席から立ち上がる。

 

「ええ、分かりましたわ。わたくしについてきてくださいまし」

 

 狂三はどこかへと歩いていく。士道もそれについて行くと、体育館裏へとたどり着いた。

 

「士道さん、話とはなんですの?」

「夢を見たんだ。夢の中では、精霊となった京乃がみんなを殺したんだ。荒唐無稽に思えるかもしれないが、やけに現実味があって、ただの夢には思えない」

「訳が分かりませんわ。士道さんは何をおっしゃって……」

 

 狂三はそこまで告げると、何かを思いついたような表情を浮かべる。

 

「もしかして、ですけれど」

 

 勿体つけるように前置きをすると、狂三はくすくすと笑う。

 

「未来のわたくしが、士道さんに六の弾(ヴァヴ)を使用したのではありませんの?」

六の弾(ヴァヴ)……?」

 

 聞き覚えのない単語に、士道はオウムのように疑問を返した。

 

「ええ、撃たれた対象は、精神だけ過去へと戻ることが出来ます。平たく言うのなら──タイムリープですわ」

 

 時間遡行(タイムリープ)。人の手では成し得ることなんて叶わないであろう奇跡。

 

「そんなことが……出来るのか?」

「数日前が限界ですし、万能ではありませんわ。まあ……どうして未来のわたくしが、士道さんを送ってきたのかわたくしにはわかりかねますが」

「夢じゃ……ない?」

 

 頬をつねる。とても痛かった。

 

「狂三、信じてくれるのか?」

「ええ、士道さんの事情は分かりましたわ。それでも、わたくしはあなたが欲しいのですわ」

 

 蠱惑(こわく)的な表情で、士道を見つめる狂三。

 

「お前は、学校で死ぬことになるんだぞ」

「士道さんの言うことはきっと真実なのでしょう。しかし──むしろ、と言いましょうか。わたくしにとって、その状況は都合が良いのです」

「なにを、言って……」

「わたくしとて無駄死にするつもりはありません。ですが、京乃さんが精霊になる可能性を秘めているのなら、話は別ですわ。それに……教えてもらったからこそ、対策はとれるというもの」

 

 士道には、理解が出来なかった。もとより狂三が何を想って人を殺しているのかは、士道には分からない。しかし、己が死ぬ可能性を指摘してなお全く意見が変わらないなんて、そんなことは思いすらしなかった。

 

「……わたくしを救うと言ったことを撤回してくだされば、話は簡単なのですが」

「撤回する気はない。俺はお前のことを救いたいんだ」

「そうですの」

 

 互いの意見がぶつかり合い、それでいてなお平行線を辿っている。狂三は、嘆息した。

 

「情報を、ありがとうございました。放課後、屋上で待っていますわ」

「狂三……!」

 

 それ以降、狂三は何を言ったとしても取り合ってはくれなかった。

 

「わたくしが今この場で時喰みの城を使う可能性を考えまして?」

 

 そう言われてしまえば、何も返せなかった。それに時間はあまりにも少ない。狂三を説得できないのであれば、次にするべきことがある。

 教室に向かうべく、士道は歩みを進める。しかし……

 

「あっ、え、えと……すみません!」

 

 体育館裏から出ようとしたところで、誰かが声をかけてきた。その聞き覚えのある声の主を、恐る恐る見る。そして、士道は硬直した。

 

「……ッ!」

 

 考えないようにしていた彼女が、突然現れた。

 喉が鳴る。顔が引き攣ってしまうのを感じた。昨日までの自分なら、狂三よりも目の前の少女に恐れを抱くことになるとは思いもしなかっただろう。それでも、今は彼女の挙動一つ一つが気になって仕方がない。

 

「どう、して……ここにいるんだ?」

 

 何気なさを装って、話しかけたつもりだったが、どうにも言葉がつっかえる。京乃には、自分の心内がバレてはいないだろうか。士道には、それが気がかりだった。

 

「……五河君が、心配で」

 

 その言葉に嘘はないのだろう。彼女は、いつだってそうだった。士道に対して優しいというよりも甘く、過保護な面のある少女だった。だけど……そんなことを知っていてもなお、士道には聞かなければならないことがあった。

 

「お前に聞きたいことがある」

「な、なんでしょうか……?」

 

 目の前にいる少女は、士道にとって日常の象徴であり、庇護すべき対象、そのはず……だった。

 士道は口の中のつばを飲みこんだ。

 

「お前は──精霊なのか?」

「……え?」

 

 京乃は困惑したように、士道を見る。

 

「頼む、誤魔化さないでくれ。お前は精霊なのか、俺には分からないんだ」

  

 屋上に現れた、天使のような霊装を身に纏った精霊。皆を殺した精霊。それは、間違いなく京乃の姿だったのだ。

 いつ豹変するか分からない存在。いつも身近にいた存在は、士道にとって得体のしれない存在へと変わってしまった。

 

「……えっと、ですね。五河君」

「あの天使のような姿。それに顕現装置(リアライザ)も装備せずに空に浮くなんて人間に出来るはずがない。それにあのとき感じた違和感、服だって霊力で作られているのは目に見えて分かった。それに」

「五河君、落ち着いてほしいな」

 

 落ち着けるはずない。

 

「私は精霊という存在のことは知っているよ。いや……精霊という正式名称こそ知らなかったけど、彼女らの存在は把握している。でも、私は人間だから……」

 

 京乃は、困り眉で士道に笑いかけた。

 

「私は出来うる限り君の力になりたい。だからね、君の持つ情報を教えてほしいな」

 

 本当は京乃のことを信じたい。

 それなのに、脳裏に(かす)める姿がある。あの惨状を創り出した少女を、そんな簡単に信じていいのだろうかと、そう逡巡してしまう。

 だから士道は……一つ、自分の考えを確かにするために問いかけることにした。

 

「聞きたいことがある」

「何でしょうか?」

 

 士道につられてか、京乃もどことなく緊張した様子で士道を見る。

 

「お前は、俺のことを、他の皆よりも大切に思っているか?」

「……え?」

 

 京乃は、一瞬言葉の意味を理解出来なかったようだった。その後には照れ、そして士道の顔色を見て困惑する。

 

 士道が確かめたかったのは、今の京乃が士道に対して抱いている感情だ。あのとき、屋上で彼女に会ったときに彼女は、士道に対してやっと二人きりになれたと告げた。その他は塵芥(ちりあくた)としか思っていないような口ぶりに、士道はそこはかとない違和感を感じていたのだ。だから、これからの京乃の回答によっては、士道は京乃を信用出来ない。

 京乃は、士道の真意には気づいていないだろうが、その質問が重要な意味を持っていることには気づいたのだろう。長考したのちに、俯いていた顔を上げる。

 

「その、私が五河君を……えっと、大切に想っているのは確かです」

 

 京乃は、告げる。やはりとそうなのかと顔色が曇る士道に、京乃は詰め寄る。

 

「それでも、皆のことも大切で……優劣は、つけられない、です」

 

 その顔は至って真剣で、とても優しげで。士道は……そんな彼女を信じてみたいと思った。

 それでも、士道がなぜ京乃を疑っているのか、その理由を伝えることは。

 狂三の話が確かなら、まだ彼女は何の罪も犯していないが、これからそうなってしまうのかもしれない。

 

「俺は、少し先の未来から来たんだ」

「……未来から?」

 

 突拍子のない話に、京乃はたじろいだようだった。

 

「そうなんですね」

「……信じてくれるのか?」

「五河君が嘘を言っているようには見えないですし。その……あなたのことを信じたいんです。それに、昼以前とその後で……その、私を怖がるような視線を向けられていることは、なんとなく分かっていましたから。私は……精霊になるんですね」

 

 力なく笑う京乃。その立ち姿からは、やはり加害者になることは想像出来ない。

 しかし、それが起こったことは間違いない。

 

「ああ、数時間後……放課後にお前は精霊として現れた。そして皆を、十香たちを殺す」

「……私が十香ちゃんたちを……どうして、ですか?」

「理由は分からない。お前は気がついたら精霊になっていたんだ」

「それは……すみません、私にも理由が分からないです」

 

 申し訳なさそうにそう告げる京乃。

 

「五河君の言葉を信じるのなら、そして未来が確定しているのなら……突拍子もなく精霊という存在に変化するのかも……でも……そんなの、私だって嫌で」

「心当たりはないのか? 本当に些細な違和感や……」

 

 そこまで言いかけて、士道は口を閉じる。今違和感を感じているのは、京乃ではなく士道の方だ。士道は今まで、京乃という幼馴染みの存在をすっかりと忘れていた。それはなぜか、士道には分からない。

 ……そもそも、目の前の少女がなぜ、士道のことを見知らぬふりをしているのか、それとも本当に知らないのか。

 藪蛇をつつく結果となってしまいそうで、士道は閉口した。

 

「何もないならいいんだ。とにかく、俺の言葉を忘れないで欲しい」

「わかり、ました。あと、その……五河君にとって、敵である私から渡されたものを食べるなんて……信用出来ないかもしれませんが……」

 

 京乃は、手に持っていたランチボックスを開き、その中から飲料タイプのゼリーを取り出した。

 

「お昼ご飯、まだですよね。その、お弁当も大切ですけど……時間あまりないので……良ければ、貰ってください」

「ありがとうな」

「……! い、いえ。その……私は、五河君の力になりたいんです。

 私は油断しません。もし……もし、精霊になってしまったとしても、自分のことは自分で片付けます。私のことを信じてくれとまでは言いません、それでも……頑張ります。だから、あまり心配しないでほしいんです……それでは、失礼します」

 

 頭を下げると、京乃は駆け足で走り去っていった。

 

 

 士道は、小さく息を吐く。一段落ついたから……というよりは、無理やりにでも気持ちを切り替えて、次のやらなければならないことに意識を向けるためだ。

 すぐにポケットに入れてきた携帯を取り出し、慣れた手つきで電話番号を入力し、耳元に携帯を当てる。少し時間はかかったが、何とか相手に伝わったようだ。

 

「琴里」

『もうすぐ昼休みが終わるんだけど……まあ、いいわ。狂三のことでなにか進展でもあった?』

「俺、未来から来たんだ。このままだとろくな未来にならない。狂三のこともあるが、京乃に注意してほしい」

『はあ? いきなりどうしたのよ、未来ってそんな唐突な……』

 

 琴里の声は疑わしげだった。彼女からしたら、それも当然だろう。

 

「証拠になるのかは分からないが、狂三の能力なら分かった。あいつは時を操ることが出来る。それで俺を過去へと送ってきたんだ」

『……狂三が、時を操る精霊ねぇ。死ななかったカラクリはそこにあるってこと?』

「ああ。それと一つ、俺から琴里に聞きたいことがあったんだ。琴里、お前は精霊なのか? 屋上に現れた炎の精霊は、どう見てもお前の姿だったんだよ」

『……確かに私は、今回の件で何か問題があれば精霊になるつもりだったけど……いえ、それを知ってるなら、確かに信憑性は高いのかしら』

 

 琴里の言葉で、どうやら半信半疑状態までは持ち込めたらしいと悟る。

 

『で、どうして京乃を危険視するの?』

「京乃は自分のことを精霊じゃないと言っているが、俺は……京乃が天使のような精霊になっているのを見たんだ。琴里が本当に炎の精霊なら……京乃だってそうなんじゃないか?」

 

 先天的なのか、後天的なのかは分からない。それでも可能性はあると琴里に告げると、彼女はいつもの飄々とした様子で言葉を繫げる。

 

『……オーケー、京乃に観測機を回すわ。放課後も彼女の後をつけさせる。それでいい?』

「ああ。それで琴里はなんで精霊……」

 

 と、そこでチャイムが流れた。

 

『お互い時間がなさそうね。狂三に警戒される可能性だってある。授業はちゃんと出なさい』

「……分かった。でも、今日のことは全て終わったら、琴里には聞きたいことがある」

『分かったわ。またね、士道』

 

 琴里との電話通話を切り、慌てて教室へと向かう。狂三と京乃は、教室に戻っていたようだった。その他は普段とそう変わらない。しいていうのなら、折紙から狂三と話していた内容を言及されたくらいだろう。曖昧に濁したりしつつ、京乃から渡されたゼリーを飲み干す。

 

 確かな光が見えた。だから、士道は気を引き締めて……午後の授業に望むのだった。



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可能性の話

 帰りのホームルームが終わり、京乃は学校の屋上にてファントムに出会い……霊結晶(セフィラ)を見て、士道の言っていた言葉の意味を知った。

 

「精霊にはなりません」

【絶対に?】

「ええ、絶対に」

【君は昔、私に精霊になると言っていたじゃないか】

「そんなことを言った記憶はありません」

 

 京乃が断ると、ファントムは沈黙した。

 京乃の様子からして、取り付く島もないのは明白だった。何が京乃を駆り立てるのかと、ファントムは不思議そうに彼女を見る。

 

【なら、君の記憶を戻してあげる】

 

 ファントムが、京乃の額に手を当てる。そして京乃は全てを思い出した。

 それは、京乃にとって重要な記憶。そして、ファントムと交した契約。

 

 

「私は、自分のことが大切です。でも、今はそれ以上に士道くん……いえ、士道くんたちが幸せに暮らしている今を壊したくない」

 

 ファントムは、静かに京乃の言葉を聞いている。

 

「約束を破るなんて最低ですよね。それでも……私が未来を(つい)やしてしまうなら……私を殺してもいい。だけど士道くんたちの未来を潰すような真似だけは許さない」

【君は何をそんなに警戒しているんだい?】

 

 何も知らないのだろうか。間違いなく、元凶は目の前の人物なのに、そんなとぼけるような言葉に、身体に力が籠もる。

 

「そう遠くない未来に、私のせいでその場にいた士道くん以外の皆が死んだと、士道くんは言ってました」

【へえ、彼以外の皆が……】

 

 ファントムは、興味深そうに呟いた。

 

【でも、そうか。それが君の答えなんだね。なら約束は無効だ】

 

 そんな言葉をかけたファントムは、程なくして姿を消した。

 

 京乃が精霊になってしまう可能性は、限りなく減ったのだ。ようやく緊張が解けたらしい京乃は、階段へとへたり込む。

 士道の言うことが確かなら、危機的状況だったとしても京乃が手を出す必要がない。むしろ、京乃の手助けが無用な災いを招く可能性だってあり得る。どうすればいいのか、京乃は考え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 京乃が狂三の時喰みの城により意識を失う前、放課後になった直後のこと。士道は廊下に出ると、耳にインカムを嵌めて軽く叩く。すると、要件を察したらしい琴里が、淡々とそれを告げる。

 

『士道、頼まれていた件だけど、京乃からは霊波は観測出来なかった。隠蔽する術を持っている……なんてことも考えられなくはないけれど、人間と考える方が自然じゃない?』

「ありがとうな」

『別に、今は余計な雑念に囚われてほしくないだけよ。京乃のことは士道とは別にカメラをつけるから……気にしないで』

 

 連絡を終わらせ、狂三との約束場所である屋上へと向かう。しかし、その途中に倦怠感に身を包まれる。そして、周りにいた学生の皆が倒れていった。

 結局狂三の気持ちは変わらなかったらしい。しかし、今後は士道次第で変わるだろう。そう、気合いを入れ直して、重い身体に鞭打って屋上へと向かう。

 

 屋上の鍵穴には銃痕のようなものがあり、ぼろぼろですぐに開くようになっていた。

 士道は、扉を開けて前を見据える。

 赤と黒の霊装を身に纏っている少女、時崎狂三がそこにはいた。

 

「あらあら、士道さん」

 

 士道は狂三を……正確には狂三の分身体を見る。

 士道は未来で目の前の彼女を納得させた。そして、士道に絆されてしまった彼女は、本体によって殺されてしまったのだ。

 

 

「狂三、俺は言ったはずだ。この狂三が、狂三本体ではないことだって想像がつく」

「そうですの?」

 

 狂三は笑う。その声は今目の前にいる狂三ではなく、それよりも下から聴こえた。

 影だ。影が揺らめき、そこから狂三が出てきた。

 それが本体なのかの判断はつかない。それでも……伝えたい言葉の価値がなくなるわけではない。

 

「……狂三、俺はお前に死んでほしくはない。お前が悪いやつなのかはまだ分からない。でも……救いたいんだ。お前を……他でもない、時崎狂三を」

「わたくしを、救うと……士道さんはまだ世迷い言をおっしゃるのですね」

「俺は、お前を救うことに決めた。琴里にも、京乃にもお前を殺させない。それにお前に……誰も殺してほしくもないんだ。頼むから……皆から寿命を吸い取ることを、やめてくれ」

 

 士道の懇願に対して、狂三は少し考え込む。

 

「条件を呑んでくださるのなら、やめても構いません」

「言っておくが、お前を救うと言ったのを撤回する気はないぞ」

「違いますわ。今からなんの抵抗もせず……わたくしに撃たれてくださいまし」

 

 狂三は短銃を士道に構えて笑った。

 なんの抵抗もせず、狂三の攻撃を受ける。それを聞いた士道は……

 

「構わない」

  

 迷わず、そう告げた。

 士道には再生能力がある。即死するような攻撃であっても、問題なく生き返るだろう。そして士道は、狂三が士道を殺すことを目的としているのではないということを知っていた。

 その二つの理由がなかったとしても、士道は首を縦に振っただろう。

 

「そうですの」

 

 士道の言葉にか、それとも迷いのない雰囲気にかは分からないが、狂三は面白くなさそうに返事をした。そして、士道へと言葉通り銃口を向ける。

 

「それでは、士道さん。以前この屋上にて起こった惨劇を頭に思い浮かべてくださいまし」

「なんでまた」

「してくださらないのなら、皆さんから時間をいただくのをやめることは出来ませんわね」

「……分かった」

 

 士道は目をつぶり、当時のことを思い起こす。

 忘れたい、しかし忘れることを許せない惨状。そして、そのときに抱いた感情を一層強く思い出した。

 

「──【一〇の弾(ユッド)】」

 

 狂三は楽しげに己の頭へと銃口を向ける。

 士道は怯えずに、真っ直ぐと狂三を見返す。狂三は、士道の頭へと短銃を向けた。そして引き金は引かれる。

 

 士道の記憶を探る。

 そして……士道が体験した出来事を知る。そして、目を見開いた。

 

「……これは」

 

 士道による、狂三の説得。そして、最後の最後に、炎の精霊と化した琴里の攻撃から、身を(てい)して守ってくれたこと。そこからは記憶の断片でしか分からないが、霊装を纏った京乃が現れたということ以外は大した情報は見つからなかった。だが、士道の言っていたことの意味が本当であったことくらいは分かった。

 士道が狂三へ抱いている想いが、一切の偽りがないことを……知ってしまった。

 

「そう、ですわね」

 

 狂三は目を伏せる。

 

「今、何をしたんだ?」

「士道さんから、過去の記憶を読み取らせてもらいましたの。ええ、随分と熱意のある呼びかけでしたわ」

「なんで、そんなことをしたんだ?」

「──知りたいから、ですわ」

 

 彼女はいつになく、真剣な表情で微笑む。

 

「知ることを拒んで後悔するよりも、先に真実を知っておきたい。そう思うのは、何も不思議ではないでしょう?」

「俺は、狂三がただの殺人鬼だとは思えない。何か理由があるんじゃないか?」

「生憎と、士道さんが想像しているようなことは何もございませんわ」

「俺は、狂三のことを信じられる……とまでは言えないが、信じたいんだ」

「……酷く、歪ですわね」

 

 狂三の声は、風にかき消えるほどに小さなものだった。

 

「士道さん、あなたにもう一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか」

「ああ」

「……目を、いいと言うまでつぶってくださいまし」

 

 士道は、目をつぶる。すると、唇に柔らかいものが触れるような感覚がした。それは恐らく……

 

 霊装が消えることはなかった。狂三本人の反応からしても違和感に気づいた様子はない。好感度なんて、さして上がっていないということなのだろう。

 

「士道さんが、わたくしの救うだなんて与太話をするのなら、わたくしと士道さんが和解出来る道はありません。ですから……今日は、ここで失礼しますわ」

「あ、おい……!」

「では、またいずれ」

 

 

 狂三の姿は、影のように掻き消える。

 それを見届けた士道は……安堵した。本来なら、まだ油断は許されない状況であるが、一番の難所を抜けたという気持ちでいっぱいだったのだ。しかし、次の瞬間には反省した。結局のところ、狂三の霊力を封印することは叶わなかったのだ。交渉だって決裂した。最悪の事態は避けれたが、まだ京乃のことだって片が付いたとは言い難い。

 

「琴里、京乃の件は……」

 

 口を開いた士道だったが、前方に真那が現れたためにその行動を中断した。

 

「兄様! 先程ここにナイトメアがいたのではないですか!?」

「あ、ああ真那。確かにいたが」

 

 苦し紛れながら、なんとか言い訳を考えていると扉から十香と折紙が現れる。

 

「確か私は狂三と戦っていたはずなのだ。突然消えたことを不思議に思ってはいたが……狂三はどこに行った?」

「士道、説明を求める」

「兄様! 単独でナイトメアに接触するなんて危険でいやがります!」

 

 やいのやいの、ガヤガヤと声が広がる。誰に何と返事をするべきか、誤魔化すべきなのかと、もみくちゃにされながらも考えていると、三人とは違う声が……聞き覚えのある声が聴こえた。

 

「えっと、士道くん?」

 

 誰なのか察した士道は、緊張しながら声の主を見る。

 京乃だ。精霊の姿ではない、普段の制服姿のままだ。その表情も、普段と何一つ変わりはない。士道はインカムを叩くと、意図を理解したらしい琴里が言葉を紡ぐ。

 

『今の京乃に霊力はないわ。それに……いえ、これは後で話しましょうか』

 

 もったいぶるような琴里。しかし、今はそちらに集中することは出来ない。ただ京乃に霊力がない……その言葉は大切なもので、琴里たちに内心感謝しながらも京乃を見る。戸惑った様子の京乃は……真那の方へと顔を向けた。

 

「あの皆さん……お揃いでどうかなされましたか?」

「真那さんは……えっと、どうしてこんなところに?」

「観月さん、でしたか? これは……つまりそういうことですから、そんなことで失礼しやがります!」

「あっ」

 

 真那は目を離した刹那、どこかへと行ってしまった。

 

「い、今真那さん飛ばなかったですか?」

「気のせい」

「いや、でも……」

「気のせい」

「しかし、どう見ても今のは」

「気のせい」

「……確かに見間違えてしまったかもしれません」

 

 勢いに押された京乃は、目をそらしながらそう告げた。

 

「あなたはどうしてここにいるの?」

 

 折紙の剣呑な視線を受け、京乃は視線をそらす。

 

「あの、皆さんがここに向かうのを見ていたので……でも、すみませんでした」

「そろそろ、自衛隊と救急車が来る。この場にいたら、事情聴取が起こる可能性がある。面倒ごとを避けるなら、このまま帰宅することを勧める」

「い、いえ。皆さん、起きるかもしれないので、近くの人に声はかけてきます……!」

 

 京乃はそう言葉を返すと、足早にその場を抜け出す。

 十香はそんな京乃を見て、得心が行ったとでもいうかのような表情で頷く。

 

「うむ、そういうことなら私も声をかけよう。一人よりは、二人の方が良いのだ」

 

 そして、十香はすぐに京乃の後を追い……屋上には折紙と士道が残された。

 

「士道は、どうするの?」

「俺も救急車が来るまで手伝いをするよ」

「それなら、私もASTに報告してからする」

「良いのか?」

「他にすることもないから構わない。それに、人命救助も大切」

 

 素っ気ない言葉だが、それでいて善意にあふれた言葉だ。折紙は、士道に狂三の話を聞きたがっているのに違いないのに、人命救助を第一としてくれた。それだけで……士道にとっては嬉しかった。

 

 

 

 屋上から校舎内へと入ると、やはりぐったりとうつ伏せている生徒の姿は多く、歩き回るほど元気な生徒の姿は見当たらない。

 誰かの声が聴こえる。その声の方へと向かうと、京乃の姿が見えた。真剣な表情で、特に息がしづらそうな体制の人物を抱き起こし、皆に声をかけているようだ。

 

「……ッ」

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫……」

 

 頭を押さえながら、そう告げる様子は大丈夫そうには見えない。彼女もまた、狂三の能力にかかっているのだろう。彼女も休んでいた方が良いのではないだろうかと懸念するが、大丈夫というのなら無理に休ませることもないだろう。

 

「私はこの階の生徒に、出来るだけ声をかける。十香ちゃんには一階をお願いしてるから、二人は他のところを優先してほしいな」

「他にすべきことはある?」

 

 折紙がそう尋ねると、京乃は少し考えたあとに口を開く。

 

「水を欲しがってる人もいるから、備蓄倉庫を開けて水持ってこようと思っていたけど……」

「私がやる。顕現装置(リアライザ)を使えば、多少重くとも問題ない」

「ありがとうね、折紙さん」

「礼には及ばない。私は、私に出来ることをするだけ」

 

 折紙は淡々とそう告げると、職員室へと向かっていった。

 

 士道も学校のめぼしいところへと向かって、人のいる場所で声をかける。呼びかけに対して、意識を取り戻す者もいるようで、更には自力で歩ける程度まで回復している人も現れ始めた。

 

 救急車の音が聴こえるまで、呼びかけは続いた。

 

 未だ意識が戻っていない生徒などの重症者は、救急車に運ばれていったが、全ての生徒がそうだったわけではない。そのため、比較的軽症な生徒に紛れて、学校から出た。

 折紙はASTに事後処理と報告をしに行き、十香は霊力が逆流したということで念の為に検査をしにフラクシナスに行った。残る士道と京乃は、気まずい雰囲気の中……自分たちの家へと向かった。

 

「あの、士道くん」

「……大丈夫か? 休んだ方がいいんじゃ」

「優しいんですね……でも、休む前に報告したいことがあります。君が昼休みに言っていた、お話しの続きがしたくて……」

 

 重要な話。士道が今一番聞きたい話に、再度緊張の糸が張り詰める。

 

「私のことなら、これで……大丈夫、なんだと思います」

「本当か?」

「その、心当たりが出来ました。でも、ちゃんと断ったので、大丈夫だと思います。それよりも、あの、聞きたいことがあって」

 

「私のこと、覚えてませんよね」

「京乃って幼馴染みがいたってことは覚えてる」

 

 最後の最後で思い出すという、タイミングでいえば最悪に等しい状況ではあった。それでも、思い出したのには変わりない。

 

「で、でも全部戻ってるわけじゃない……ですよね?」

「京乃に嫌いだって言われたの、流石の俺も堪えたぞ」

「あ、え、えっと」

 

 明確に動揺している。そんな京乃を見て……士道はむしろ安心した。こんなにも自分を慕ってくれている少女が、本心からあんなことを言ったとは思えなかったのだ。

 

「これは今度の期末テストの面倒見てもらわねーと割に合わないかもな」

「わ、私で良ければ相談乗るけど……って、どうして笑ってるんですか?」

 

 泣きついても、見放さずにしょうがないなと微笑む。それが、士道の知る京乃だった。その面影があるのに、どこか違う。どこか間の抜けた京乃を見て、士道は安心しように笑った。

 

「正直、皆が生きていてくれるだけで、俺はもう嬉しいんだ。だから……過去がどうとか、そこまで頭が回ってなかったのかもな」

 

 京乃は、目を伏せた。

 

「ごめんね、酷いこと思い出させちゃって」

 

 京乃にはどうしても一つ考えてしまうことがあった。

 それは……自分さえ存在していなければ、士道が傷つく未来は存在していなかったのではないかという疑念だ。

 士道の話が本当ならば、未来で京乃はあの場にいた瀕死の皆を殺してしまうところだったのだろう。しかし、その未来を断ったとして、過去に士道へとひどい態度をとってしまっていた事実は変わらない。

 つまり、京乃がいなければ。もし、小さな頃に士道に出会うことがなければ。もし、話しかけることがなければ……士道がこうして苦しむこともなかったのではないか、と。京乃はそう考えずにはいられなかった。

 

「……士道くん?」

「良かった、お前が皆を殺さなくて」 

「そうだね、私のせいで皆が殺されなくて本当に」

「違う、違うんだ」

 

 士道は首を横に振る。

 

「お前が傷つくこともなかった。それが嬉しいんだ」

 

 士道は心底ほっとしたような表情で、そう告げた。

 士道はあの時、絶望のさなかにいた。それでも、京乃は、最期に話した京乃は驚いたような表情で、茫然と声を出した。まるで……今まで我を忘れていて、ついさっき意識が戻ったとでもいうかのように。

 そんな京乃が自発的に皆を殺そうとしたとは、士道には思えなかったのだ。

 

「こんなことを言うのは恥ずかしいが……京乃がそばにいてくれて、良かったと思っている。だから、どこかに行こうだなんて考えないでほしいんだ」

「……士道くんには、勝てないな」

 

 困ったように微笑む京乃。

 

「私ね、君の助けになりたいって思ってたんだ。それなのに、実際は全く真逆の結果だから……」

「昔から不思議に思ってたんだが、京乃は、何で俺を助けようとするんだ?」

「……え?」

 

 そんなことを言われるとは思っていなかったのか、京乃は目を丸めた。そして、すぐに口元を緩めて笑った。

 

「……士道くんは、私にとって道標、だったからかな」

「道しるべ?」

「うん、道標。士道くんの存在は、会ったときから大きなもので……私の道を照らす光そのものだった」

 

 恥ずかしげもなく告げる京乃に、聞いている士道の方が恥ずかしくなりそうだった。

 

「壮大すぎないか?」

「それでも本当のことだから。でも……今は、それだけじゃないけど」

 

 ほんのりと頬を赤らめた京乃だったが、すぐに罪悪感に苛まれたのか、気を落とす。 

 

「……私は士道くんのことをずっとずっと騙してきた。士道くんは、嘘つきな私が、側にいていいっていうの?」

「ああ」

「君がそう言ってくれるのなら……安心する」

 

 京乃は目をつぶり、そして意を決したような表情を浮かべた。

 

「士道くん。私……私ね」

 

 京乃は、たどたどしく口を開く。

 

「何をやればいいのか分からない。何を成したとしても、無意味なのかもしれない。それでも……私は、動くのを止めたくない。だから……」

 

 京乃は、口を開く。決めていた言葉を、士道へと告げるのだ。

 

「君のいるところで、働きたいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 これから、彼女たちは本来とは違う筋道を辿る。

 

 

 崇宮真那は違う道を辿る。

 真那は重症化せず、そのためにラタトスクへと邂逅するのは遅れるのだろう。しかし、真実はなくなったわけではない。いずれ、ラタトスクに感謝する日が訪れることだけは間違いないだろう。

 

 五河琴里は違う道を辿る。

 琴里は高校の屋上で精霊化しなかった。そのため、士道とデートをする必要性はなくなった。しかし、今後もそうであるかは分からない。もしかしたら、新たな精霊を攻略するときに、耳栓をしていたことで洗脳にかからず、そこで精霊の姿になることもあるだろう。そうではなくとも、非常事態に陥れば、彼女は選択しなくてはならない。

 

 鳶一折紙は違う道を辿る。

 琴里のことが知られなかったために、折紙がホワイトリコリスを無断で持ち出すこともない。そのために、DEM社に目をつけられるのは遅くなるだろう。それでも、京乃がファントムの誘いを断った時点で……きっと、それは訪れる。

 

 観月京乃は違う道を辿る。

 彼女は精霊になる選択肢を捨てた。本来よりも早く、ラタトスクと接触した。その行き着く先は、きっと悪いものじゃない。

 

 

 ■■■は違う選択を選ぶ。

 本来与える予定だった相手に、霊結晶(セフィラ)を渡すことにした。元々、どちらでも問題はなかったのだ。

 

 

 少しずつ、ズレの生じた世界。

 その後の結末が、どうなるのかは分からない。いずれにしろ、彼は幸せを掴むために奔走するのだろう。

 

 元来よりも優しい世界になるかもしれないし、その逆も然り。どうなるのかは、誰も知らない。努力の分だけ救われるとは限らない。それでも、最後には幸せな未来であるべきだ。

 なぜならば、これは……精霊を助けたい少年と、それを支えたいと願う少女の物語なのだから。

 

 




今まで見てくれてありがとうございました。またどこかで会いましょう。


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