袁紹を活躍させてみようぜ! (spring snow)
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袁紹陣営の主要登場人物

 おそらくは今後増えたり減ったりすると思いますが、現状の人物を乗せておきます。
 ここには特に物語に関わる重要な人物が書かれており、これ以外にも武将は存在しますのでご注意ください。
 そういった武将は極力、紹介文のようなものを入れるようには致します。


袁紹

 かなり高飛車な性格をしているが大事な仲間を失うことを何よりも恐れている。昔暗殺をされそうになったことがあり、その経験から周りの人間を信頼し切れていない。根は優しく聡明な人物であるが、普段の言動のせいで馬鹿な人間だと誤解を招きやすい。

 

逢紀

 袁紹の幼なじみ。若い頃から仲が良く、今では女房的な立ち位置にいる。袁紹の良き相談相手であり、実質的なナンバー2。

 ただ、袁紹陣営の危ういバランスを取ろうとするあまり優秀な人間の扱いが上手く出来ない。

 

郭図

 あまりしゃべらない少女。しゃべらない割には弁が立ち、韓馥の領地を無傷で手に入れられたのも彼女の役割が大きい。許攸とは対立をよくする。交友関係も広く、郭嘉とも旧知の仲。

 

許攸

 袁紹陣営の最大の問題児。袁紹を思うあまり、感情が先走ってしまい問題を起こすことがしばしばある。田中とは最初こそ対立していたものの現在は、その才能は認めている(もちろん口には出さないが)。田中の設立した情報機関の育成に一役買っている。

 問題児とは言えど、優秀な人間の揃う袁紹陣営でも上位にいるだけあり、かなり優秀な人物。

 

荀諶

 荀彧の妹。犬の耳の付いたフードを被っている。普段天然のような雰囲気を出しており、純粋な少女のイメージを持つが、その中身は老練な考えを張り巡らしており、かなりの策士。能力自体はそれほど高くはないが、その策士としての才能は姉に負けずとも劣らずであり、外交官としての能力が期待されている。

 

顔良

 袁紹軍の若手筆頭武将の1人。もう1人は無論文醜である。

 武勇、度量など将軍として必要な才能が十分備わっており、有望株。現在、袁紹と急激に距離を縮めている。

 

文醜

 袁紹軍の若手筆頭武将のもう1人。

 武勇や度量などは顔良に勝るとも劣らないが、頭が若干残念で、猪突猛進な部分がある。しかし、その突撃力などは袁紹軍でも右に出るものはいない。

 

張郃

 袁紹軍の中では珍しい男の武将。

 優秀な人物で顔良や文醜の次に有望視されている武将である。個人的な技量などは顔良達には及ばないが騎馬の扱いに掛けては袁紹軍のなかでは頭一つ分抜きんでており、公孫瓉のお目付役に選ばれたのはその能力ゆえである。元韓馥配下の武将。

 

田豊

 韓馥の配下だった文官。その率直すぎる性格ゆえ韓馥に疎まれ閑職にいた。袁紹に仕えた後は逢紀の采配で田中の元へ来て、現在功績を立てている最中である。

 洛陽救出作戦時に廬植を失ったことを自分のせいだと思い、塞ぎ込んでいる。

 

沮授

 普段から眠そうにしている文官。元韓馥配下の文官で田豊と双璧をなす優秀な人物。

 田豊に比べ、言動などが巧妙で敵を作らないようにするのが上手い。かなりミステリアスな人物でその実情もよく分かっていない。

 

審配

 文武両道の勇将。文官としても武官としても優秀であり、逢紀のお気に入りの人物である。

 いつも黒い猫と一緒にいる。現在、田中の身の回りの世話をやっている。

 

廬植

 高名な文官で漢王朝に仕えていた女傑。政争で左遷させられていたところを袁紹が登用した。黄巾の乱において数多くの功績を挙げた武将でもあり、朝廷内で顔が利く。その交友関係には名将朱儁、皇甫嵩などがおり、広い人脈を持つ。

 皇帝を救助する洛陽方面救出作戦中、敵将の紀霊に斬られ戦死。

 

郭嘉

 現在、南皮の町の統治を任されている人物。

 若いながらその優秀な才能を見込まれての抜擢。公孫瓉や鮑信ら連合軍が南皮の町を襲撃した際の河水の戦いの作戦を立案したのが彼女である。

 曹操にかなりの興味を持っている。

 

公孫越

 公孫瓉の従妹。

 歩兵の扱いに長けているが、袁紹の配下には張郃や文醜、顔良と言った優秀な人物が多く、埋もれてしまっている。しかし、公孫瓉を下す際に重要な人員となった。

 袁紹陣営ではかなり若く、今後の活躍が期待されている。

 

田中 豊

 この物語の主人公。

 元防衛省の情報系の部署に勤めており、情報関連を取り仕切っている。袁紹からはかなりの信頼を受けているが、配下の人間とはよそ者と言うこともあり、何度か対立したこともあった。

 現在はそのような事も無く、袁紹陣営の閣僚の1人として動いている。配下には田豊や沮授がおり、彼女らと協賛(許攸曰く)している許攸と共に専用の間諜部隊を運用している。

 

陳羣

 去った賈詡の代わりに袁紹の元へ仕官した人物。田豊の強い影響を受け仕官先を決めたため、袁紹を慕ってと言うよりは田豊を慕っての方が正確な仕官の理由。その能力は高く、人事関係は一手に引き受けている。

 

陳宮

 沮授の求めに応じて仕官した。その能力は高いが少し視野が狭い場面が多く、経験不足が否めない。しかし、その伸びしろは大きく、どこまで成長するかが期待されている新人の一人。

 

麹義

 冀州領内で起きた反乱に参加しており、その類い希なる指揮官としての才覚から登用された。異民族との戦闘に関しても詳しく、今後の活躍が期待されている人物。



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第一話 出会い

「袁紹様、どうかどうかご再考ください!今、無理して曹操軍を攻めるべきではありません。今はじっと耐え、国力を増すとき、このよう…」

 

「ええい、うるさい! 黙れ! わしが一度決めたことだ。文句を言うな!」

 

「しかし袁紹様、何卒何卒…」

 

「しつこい!衛兵、こいつを牢にぶち込め!」

 

「はっ!」

 

「袁紹様、どうかどうか…」

 

 

 

 

 

 

「また、この夢か」

 

 そう頭をかき、目を覚ました男の名前は田中 豊。

 自分の名前と似ている田豊という三國志に出てくる袁紹配下の武将を知り、三國志に興味を持った変わった経歴の持ち主である。

 

 田豊

 字を元皓 冀州鉅鹿群の人とも勃海群の人とも言われる。

 若いときから優秀で漢の役人であったが、宦官の横暴ぶりに愛想を尽かし帰郷する。この時に韓馥に仕えたが、その正直さに韓馥に疎んじられており、袁紹が韓馥から冀州を奪った際に袁紹に仕える。袁紹に仕えた後に対公孫瓉などで大きく貢献する。曹操戦では袁紹に長期戦を主張し懸命に止めたが、袁紹の怒りを買い投獄されてまう。

この戦いでは、田豊が忠告したとおり、袁紹は大敗した。このことを馬鹿にされることを恐れた袁紹は田豊を殺害してしまう。

 

「最近はこの夢ばかり見るが何なんだ?おそらく田豊の投獄される瞬間なんだろうが……」

 

 不思議に思いながらも田中はいつも通り出勤の準備を始める。

 彼は防衛省の情報本部に勤めている。情報本部とは防衛に関する情報を集め、分析する機関である。

 

「さてと、行きま…」

 

 そう田中が言いかけたときのことだった

 部屋の中が妙に肌寒くなり、青白く光り始めたのだ。

 

「何だ、こいつぁ!」

 

 本能がやばいと訴え逃げようとした瞬間、田中の意識は暗転した。

 そして、光が収まったとき何事もなかったかのように部屋は元に戻っていた、部屋の主が消えたことを除いて。

 

 

 

 

「う~ん」

 

 うめき声を上げながら、田中は起き上がった。すると目の前には大きな町が飛び込んできた。

 

 しかし、その町は田中のよく知る日本の町並みとは似ても似つかぬ形をしていた。

 なぜなら、その町には城壁がついていたからだ。まるで古代中国の映画にでも登場してきそうな城壁で門の近くには明らかに兵士と思わしき、人が立っている。

 

「おかしいな。俺は今まで自分の部屋にいたはずだ。なのに、なぜこんな場所に…」

 

 すると、城門の兵がにわかに慌て始めた。

 何があるのだろうと思って田中が注目すると、門が開かれ、中から多くの兵士が出てきた。田中は防衛省に勤めていたこともあり、動きだけでだいたい兵士と一般人の見分けはつくようになっていた。

 その時、田中はあることに気がつき驚愕した。その兵士達は明らかに現代の者と違う格好をした兵士達だったからだ。その格好は明らかに三国志に登場してくるような鎧や服装であった。

 そして、彼らの最後尾に守られるようにして出た来たのは、金髪縦ロールの少女であった。

 唖然としてみていると、軍団は迷うことなく田中の方に向かってくる。

 

 やばい

 

 そう思って逃げようとした田中だが、その軍勢には馬もいて逃げるのは不可能であった。

 諦めて、その場でとどまっていると、その軍勢の先鋒の兵士にこう聞かれた。

 

「あなたが、田中 豊様でいらっしゃいますか?」

 

「え、あ、はい」

 

 その言葉だけやっとの思いで返すとその兵士はすぐに金髪少女のところに行き、一言二言告げた。

 しばらくすると、その兵士がやってきた。

 

「袁太守様が田中様をお呼びになっております」

 

「え、袁太守ですか?」

 

 そう聞き返すと、兵士は一瞬むっとした顔になったがすぐに戻り、言った。

 

「袁太守様です。様をつけ忘れるのは無礼に当たりますから、袁太守様の前ではやらないようにしてくださいね」

 

「あ、これは失礼しました」

 

 田中は、頭の上にハテナをいくつも作りつつ、案内されるまま兵士について行った。

 

 金髪少女(袁紹?)の前につくと彼女は開口一番にこう言った。

 

「我が名は袁本初と申します。宜しくお願いいたしますわ!お~ほっほっほっほ!」

 

 

 やべぇ奴だ、こいつ。

 

 それが田中の袁紹に対する第一印象であった。

 

 

 時は後漢末期、朝廷の権力が弱まりつつある中、後に袁紹の田豊 沮授らと共に称えられる軍師 田中 豊はこうして袁紹と初対面するのであった。




ご意見、ご感想ございましたら遠慮なくお寄せください。


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第二話 登用

 田中は袁紹に連れられ町へと入った。この町は南皮であり、史実の袁紹の最初の拠点である。

 南皮の袁紹の屋敷で袁紹からだいたいの話を聞き、自分の置かれた状況について理解することができた。

 まず、今は後漢時代の189年。時は董卓が洛陽にて実権を握り、袁紹は勃海群の太守に任じられて現在は南皮に本拠地を置いていた。

 黄巾党の乱が起こりその後、鎮圧はされたものの、各地にその火種がくすぶることで戦乱が起きようとしている正に三國志の始まりの時代であった。

 ただ、唯一歴史と違うのは武将達が女性ばかりと言うことだ。何と、あの曹操までが女性だという。

 そんな不思議な三國志の世界に来てしまったわけだが、そもそも何故袁紹が田中の名を知っているのだろうか。

 

「何故、袁太守様が私の名を知っているのですか?」

 

 田中がそう聞くと袁紹は答えた。

 

「私の母上様の袁逢様に昔言われたのです。『将来、あなたは大きな人になる。そうなれば、きっとたくさんの人の手が必要になる。その協力してくれる人の中で一番大切な人は10年後の南皮の郊外に現れる。その人は今までに見たこともない服装をしているはずだからきっとすぐに分かるわ。その人の名は田中 豊という名前よ、良いわね。その人の言うとおりにすれば、あなたは素晴らしい人生を歩めるわ』そして言われてからちょうど10年たった昨日、何となく胸騒ぎがして心の赴くままに外へ出てみるとあなたがいたということでしたの」

 

 田中は、10年も前から自分がここに来ることを予測していた人物が存在していたということに仰天した。

 

 その袁逢という人物は何者なのであろうか。

 実際に会ってみたいと思い、袁紹に尋ねた。

 

「袁逢様にはお会いできるのでしょうか?」

 

 そう聞くと袁紹は若干暗い顔をしながら答えた。その儚い横顔を見たとき、不謹慎にも田中はドキッとした。

 

「もう亡くなりましたわ。さっきの言葉を遺言とするかの如く、次の日に……」

 

「申し訳ありません。失礼なことを尋ねました」

 

「いいえ、良いのです。もう悲しみはとうの昔に置いてきましたわ。それよりも大事な話がございます」

 

 そう言いつつ、袁紹は田中の前に進み出て言った。

 

「どうか私に協力していただけませんか?」

 

 田中は、この時ある決意を固めていた。この少女は何があっても最後まで守り通すと。それは打算とかを抜きにして純粋にそう思った。先ほどのような悲しい顔をさせたくはないと。

 

「むしろ、こちらからお願いいたします。どうか私をあなたがたの末席に加えていただけませんか?」

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言って二人は固く握手し合った。

 

 

 

 その夜、田中は袁紹から与えられた部屋にいた。

 

(最初は日本に帰ることばかりを考えていたのに気付いたら忘れていたな)

 

 そんなことを考えていた田中は、最初、袁紹の元でしばらく仕えながら、日本に帰る方法を模索して見つけ次第、さっさと帰るつもりだった。しかし、気付けば帰ることを忘れるどころか、袁紹を守ることしか頭に残っていなかった。

 

(これも袁紹という人の成せるカリスマか。さすが、田豊や沮授を従えていただけあるな)

 

 改めて、袁紹のカリスマの凄さに驚かされていた。

 

 この時、田中は自分の中に芽生えたそれ以外の心に気付いていなかった。

 

 

 翌日、袁紹に呼び出された田中は袁紹に謁見していた。

 

「まず、あなたの位についてですが私の副官として働いていただきます」

 

「え、よろしいのですか?私のような若僧がそんな重要な地位で」

 

「構いませんわ。何せ亡き母上様のお言葉の方ですから」

 

 そう言って、にっこりと笑った。

 

 その後、副官に任命したことを伝えるため袁紹の部下達との顔合わせとなった。

 




 だいぶ、年齢などは適当な設定になっています。すいません。そこら辺はご容赦ください。
 なお、袁逢の没年は分かっておらず、本作では179年と設定してあります。


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第三話 緊張

「私は新しく袁太守様の配下となった田中豊と申します。以後、お見知りおきを」

 

 田中は無難な挨拶で自己紹介をした。

 

 ここは袁紹のいる町 南皮の袁紹の館の中にある客間である。

 客間と言っても一般的な大きさではなく、数十人は余裕で入りそうなほど大きい上、調度品も素人目に見ても価値があると分かる物ばかりである。

 

 その客間で田中は、袁紹の他、何人もの袁紹の配下の人物達と会っていた。

この集まりは田中の紹介を含めた会議であった。

 

「田中殿は、私の母上様がおっしゃっていた方で今回お会いできたので、こうして配下になっていただいたのですわ」

 

 袁紹が登用までの経緯を説明した。

 

 そこにいた人達は、話にうなずいてはいたが、疑いの目が田中に向けられているのは事実であった。

 

 いきなり、どこぞの馬の骨ともしれない奴が自分たちの主の副官に付くのである。

 いくら、主が説明をしても、裏があるのではないかと疑うのが当たり前であろう。

 疑いの目が田中に向けられるのはやむを得ないことであった。

 

「一つよろしいでしょうか?」

 

 一人の少女が、臣下の礼を取りつつ、前に一歩出た。

 髪は金髪、青い目につり目の美しい少女だ。

 

「構いませんわよ」

 

袁紹が、発言を許可する。

 

「ありがとうございます。私の名は許攸、字を子遠と言います。よろしくお願いします。田中殿は何処のご出身ですか?」

(許攸か)

心の中で田中は呟いた。

 

許攸は荊州南陽郡の人である。

性格は、お金に強欲な面があったそうだ。

冀州の王芬と手を組み、霊帝を廃して、別の人物を立てようとするも失敗し、逃亡中に袁紹に仕える。

しかし、その性格と過去の行動から進言が袁紹に受け入れられることはほとんど無かったと言われる。しかし、優秀な人物で、田豊などと並び称されることもあった。

官渡の戦いにおいて、曹操軍への攻撃の仕方を進言するも受け入れられず、他の様々な理由が重なり最終的に曹操に寝返った。

このことにより、袁紹軍は兵糧の拠点がバレて、攻撃を受ける。このことで、形勢が逆転し、袁紹は破れる。

許攸は、この功績を驕った上、曹操にも馴れ馴れしくたために最後は処刑される。

 

許攸は田中の目を見ながら、聞いた。

許攸としては出身地からある程度、身元を割り出そうとしていた。

 

しかし、これに関しては田中は、答えようがない。

まさか、未来から来ましたとは言えるはずもなく、嘘を言っても許攸は歴史にも登場する武将だ。

下手な嘘が通じるはずもない。

 

田中は、言葉に詰まる。

 

最初から疑いの目を持っていた上に自身のことを聞かれると言いよどむということは何かしら怪しい部分があるに違いない。

許攸以外の者の疑いの目まで、強くなった。

 

部屋の中に緊張が漂う。

 

「お待ちください!田中殿も来られて初の挨拶で緊張もしておられることでしょう。ここはあまり、質問をするのは控えましょう。その内、徐々に話を聞けば良いのです」

 

また別の人物がその空気を絶ちきった。

その人物は、黒髪でワインレッド色の目の落ち着いた雰囲気を漂わせる少女だ。

 

「そ、そうですわね。質問はまたの機会にしましょう!」

袁紹がそう言って、会議を始めた。

 

 

 

「どなたですか、あの黒髪の方は?」

話が終わり、一通り家臣が解散したあと、袁紹に田中は聞いた。

助け船を出してくれた人に対してお礼を言わなくてはならない。そう考えて名前を聞いた。

 

「彼女は顔良ですわ。我が軍の将軍の一人です」

顔良

文醜と共に袁紹軍の二枚看板として活躍する。

しかし、官渡の戦いにおいて、袁紹軍から率いる部隊が孤立したところを当時、曹操軍の客将を勤めていた関羽に討たれる。

沮授からは偏狭で単独運用をするなと言われ、元同僚の荀イクからは勇のみで、一戦で生け捕りができると言われた可哀想な人である。

 

(しかし、思っていた雰囲気と違うな)

 

想像からかけ離れた雰囲気の顔良を不思議に思いつつ、先程のお礼に行こうと田中は、顔良の執務室に足を運んだ。




すいません。顔良の目の色を間違えていたので、訂正しました。


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第四話 二枚看板

顔良の執務室に到着した田中は、部屋の前で声を掛けた。

 

「袁太守様の副官、田中 豊にございます。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」

 

 すると、中からどうぞという声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 田中が中へ入ると、顔良は書類を書いているところだったようだ。机の端に乱雑に書簡が置かれている。

 

「職務中でしたか、申し訳ありません!」

 

 そう言って、部屋を出ようとする田中を顔良は引き留める。

 

「いえいえ、お構いなく。それよりも用件があってきたのでしょう?いかがされたのですか?」

 

「はい、今日の会議での件についてお礼を言いたくて……」

 

 その言葉に一瞬考え込んだ顔良であったが、やがて思い出したのか手のひらをぽんと叩いた。

 

「ああ、そう言えば有りましたね。良いんですよ、会議が長引くのが嫌で言っただけですから」

 

 静かに微笑んだ顔良は、田中にとって天使のように見えた。

 

「いえ、本当に助かりました。ありがとうございます」

 

「ええ。どういたしまして」

 

 そこで、顔良は席を勧めてくる。

 

「どうぞ、おかけください。お茶でも飲んでいってください」

 

「いえいえ、お構いなく。勝手に私が押しかけてきただけですから」

 

「客人が来たというのに茶一つもてなさないのは失礼ですし、これから用事があるのであれば別ですが、もし無いのであれば私のためと思って飲んでいってください」

 

 ここまで、言われては田中も飲んでいかないわけにはいかない。

 席に着いて、しばらく沈黙が続く。

 部屋には顔良がお茶を入れる音だけが響いている。

 やがて、その沈黙に耐えきれなくなた田中が話した。

 

「なぜ、理由を聞こうとしないのですか?」

 

 田中は最初からこれが気になっていた。

 普通であれば出生を明かさない人間など怪しくて近づきたくはないし、部屋に入れた上、お茶を入れてもてなすなどもってのほかであろう。

 もし、するのであれば何かしらの魂胆があるはずだ。

 しかし、顔良はそれをしない。

 その行動が理解できなかった。

 

「だって、言いたくないのでしょう?」

 

 さも当然だと言わんばかりに聞き返してくる顔良に田中は驚く。

 

「普通であれば気になるはずですし、出生すら言わぬような人間にこのようにお茶を出すようなことはしないはずです。なぜ、あなたは私にこんな風に接しているのですか?」

 

 その言葉を聞くと、顔良は少し困ったような顔をしながら話し出した。

 

「もちろん気にならないと言えば、嘘になります。ただ、無理に聞き出そうとすれば人はさらに口を閉ざすもの。無理して聞くよりは、相手が話したくなるときに聞けば良い。その方がその方が双方にとって幸せでしょう」

 

 顔良は軍を統率する者だ。

 軍は常に団体行動を重んじられるから、周りとの人間関係というのは他の職よりも自然と大事になってくる。それ故の、判断だった。

 

「……。」

 

 田中は、己の行動に恥じていた。

 自分は、かつて仮にも情報を司る部署にいた人間である。他人から情報を聞き出したいときに下手に口を割らせようとするのは悪手であることは分かりきっていることだ。

 

(そんな簡単なことも分からんとは……)

 

 田中は猛省した。

 そんな田中に気付いていないのか顔良は言葉を続けた。

 

「それに、もしあなたが袁太守様に何かをするつもりで嘘をついているのでしたら別でしたけど、あなたからはそういった感情を感じなかった。だから、聞く必要は無いと感じたんです」

 

「なぜ、そう判断できるのですか?もしかしたら隠しているだけかもしれませんよ」

 

「いえ、私の勘はだいたい当たるんですよ。ここぞと言うときには外しませんから」

 

 そう言って、いたずらっぽく微笑んだ。

 

(ここまで器の大きい人だから、あの優秀な人材が数多くいる中でも袁紹軍の二枚看板にまで上り詰めたのか)

 

 改めて、その凄さに驚かされた田中であった。

 もちろん、そこまで上り詰めるには武力のような他の能力も必要である。

 

 しかし、トップになるのに必要なものは、どのようなくせ者でも受け入れる器の大きさが重要になってくるのは間違いない。

 

(そう言えば、文醜はいないのか?)

 

 田中は二枚看板のもう一人である文醜のことが、ふと気になった。

 ここに来てから、文醜らしき人物を見た記憶が無い。

 そこで顔良に聞いてみることにした。

 

「あの、文醜様はd……」

 

 言葉の途中で廊下から凄い物音がする。

 まるで、何かが凄いスピードでこちらに向かってきているような音だ。

 田中は何事だと驚き顔で話を止めた。

 音が扉の近くまで来た瞬間、音の正体は扉をはね飛ばしながら中へなだれ込んできた。

 

「斗~~~~詩~~~~~!」

 

 その正体は緑色の髪に青い目をした少女であった。

 顔良はまたか、というあきれ顔で頭を押さえている。

 すると、入ってきた少女は憮然としている田中を見て驚いたような声を出した。

 

「あ~~!斗詩が男を部屋の連れ込んでいる!珍しい!もしかして斗詩の彼氏?」

 

 そんな爆弾発言をした。それに顔良は顔を真っ赤に染めながら、

 

「そんなわけ無いでしょう!彼は新しく入った袁太守様の副官の田中さんだよ!」

 

「へえ~~!いや、とうとう斗詩にも春が来たのかなぁと」

 

「私はそんなにモテていないわけじゃありません!」

 

「え、じゃあモテてるの?」

 

「いや、そういうわけでは……」

 

 目の前で突然始まった会話に付いていけず、田中は声をかけようとした。

 

「あのぉ~」

 

 すると二人とも同時に田中を見て、そういえばという顔をした。完全に忘れていたらしい。

 

「すまんすまん。自己紹介を忘れていた。私の名前は文醜て言うんだ。よろしく!」

 

 彼女こそ二枚看板のもう一人の文醜であった。

 



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第五話 袁紹の過去

「へぇ~!で、こいつがここにいるって訳か」

 

 恋愛のせいだと誤解され掛かっていた田中がここにいるわけを説明し、こと無きを得た。

 

「でも、噂は本当だったんだなぁ」

 

 意味深な言葉を口にする文醜に顔良が聞いた。

 

「文ちゃん、噂って何?」

 

 すると、文醜は驚いて目を見開きながら言う。

 

「え、斗詩はあの噂、知らないの?素性をろくに言わない、どこぞの馬の骨ともしれない男が袁太守様の副官になったって言う噂だよ」

 

「どこぞの馬の骨ともしれないだなんて、田中さんに失礼でしょう!」

 

「そう言ったって、素性言わないのは怪しんでくれって言っているようなもんだろう?」

 

「そ、それは……」

 

 確かに、文醜の言うとおりである。的確な意見に顔良は言いよどんでしまった。

 

「ま、でもアンタが袁紹様に危害を加えるとは思えないし、アタシは気にしないけどな」

 

 そう意外な単語が文醜から飛び出る。

 

「え、どうしてそう思われるのですか?もしかしたら、私が何者かが放った刺客かもしれないのですよ」

 

「いや、それはない」

 

 田中の疑問にきっぱりと文醜が断る。

 

「袁太守様は、昔からそういったことが絶えなかった。何せ袁家において、袁太守様の扱いは妾の子。袁家の大半が妹君であらせられる袁南陽太守様を皆は袁家の後継者だと考えている。それゆえ、昔から刺客などが絶えなかったらしい。聞いた話によると生死の境をさまよったのも一度や二度の話ではないそうだ。だから、袁太守様は母上様の袁逢様など、一部の人間しか信用できないし、心を開くことも少ない」

 

 そこで一旦言葉を切り、文醜は呼吸を整えた。

 そして、田中を見ながら話し始めた。

 

「しかし、アンタにだけは違った。最初から心を開き、全幅の信頼を置いている。袁太守様ほど警戒心の強いお方がそこまですると言うことは何かしら信頼できる理由があると言うことだ。故にアンタは信用できる人間だと考えている」

 

 話し終えた文醜は近くにあった椅子を引き寄せて座った。

 顔には悲痛な表情が浮かんでいる。

 いくら一生懸命に主に仕えても信頼してもらえない。なのに、ぽっと出の人間が絶大な信頼を置かれている。

 それは家臣にとって一番つらい状況であった。

 田中はその行為を行った人間に激しい憤りを感じていた。

 同時に今、袁紹は家臣達が分裂の危機にあることも理解していた。

 自分のことを信頼してくれない君主に仕えたい者など存在しない。このままでは、史実の袁紹と同じ人生をたどることとなる。それだけは何としても避けねばならないと田中は考えている。

 

「分かりました。袁太守様をどうにかして見せましょう」

 

 言葉が勝手に口をついて出た。

 顔良と文醜の二人は驚いて顔を上げる。

 

「このままでは、袁太守様は一生人を信じることのできないお方だ。そんなのは人として悲しすぎる。そんな悲しい生き方をさせたくはない!」

 

 そこには一人の男の決意した顔があった。

 

「しかし、どうするんだよ。袁太守様は想像すらできないようなすさまじい経験の結果、今がある。どうやってその記憶を乗り越えさせるんだ?」

 

 文醜は困惑した声で呟く。

 

「それはこれから考えます!」

 

 田中はまるで、自信満々に答えて見せた。

 顔良と文醜はしばらく呆けたあと、吹き出した。

 

「何だよ、今から考えるって!それでも袁太守様の副官かよ!笑える!」

 

 しばらく、二人とも笑い転げた後、二人とも田中を見ながら行った。

 

「だけど、嫌いじゃないな、その考え方。アタシも協力するよ!」

 

「私もですよ。協力させてください。その考えに」

 

「ありがとうございます!」

 

 田中は目頭が熱くなるのを感じながら頭を下げた。

 こうして、この世界に来て田中が最初にやる仕事は、袁紹の心を開くこととなった。

 



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第六話 南皮

 文醜と顔良の二人の協力を取り付けた田中は、いきなり行動には移らなかった。

 

 理由は単純である。

 いきなり袁紹の心を開こうとしても、それは袁紹側からしてみれば自分の心に土足で入り込んでくるようなものだ。

 そのようなことをすれば、袁紹は益々心を閉ざすだけである。

 こうなってしまえば、手遅れとなることは目に見えている。

 

 故に、田中はゆっくりと心を開いていくことを念頭に動くこととした。

 

 田中の扱いは袁紹の副官と言ってはいるが、個人的な使用人に近い。

 これは、厳密には太守の副官は中央からの派遣であるために袁紹が個人的に雇うことなどできない。

 それ故の扱いであった。

 

 

 そんな田中の役目は、やってくる書類を運んできたりする雑用や袁紹の個人的な相談相手である。

 田中自身はそれほどの激務ではないが、袁紹の仕事は大変なのだ。

 

 太守は群のトップであるが、日本の県知事などとは大分違う。これは、群の統治から兵権までを有している。

 つまり軍の統制もできる言わば、小さい国のトップに近い扱いであった。

 そのために職務は幅広く、量も多い。

 

 この時期は冬であるために農業関係の仕事はないが、代わりに囚人の裁判を行うために各地に派遣する官吏を決定する仕事がある。 

 

 後漢時代の中国の役人(現代でも比較的その傾向は強いが)は賄賂などの汚職に手を染めることが極めて多い。

 故に官吏なども慎重に審査して派遣しないと汚職などが発生する可能性があるのだ。

 こうなってしまえば、民の非難の矛先は官吏を統括する袁紹や果ては漢の王朝にまで向かう。

 

 上記のような汚職を防ぐために官吏選びには極めて時間が掛かる。

 こういった仕事を袁紹は日々こなしているのだから、その能力の高さには驚かされるばかりだ。

 

 田中は袁紹の仕事を手伝いたいのは山々なのだが、下手に手を出しては職務を超えたことであるために迷惑になるだけだ。

 そのために、歯がゆい思いをしていた。

 

 

 そんなある日、袁紹が町の巡回に行くというので田中もそれに同行することを許された。

 護衛の任務についていたのが、顔良であったために気を利かせてくれたのであろう。

 

 そう言えば、町に出たことはほとんど無かったな。

 

 田中はふと思った。

 町に出ても知人がいるわけでもない上に、特に用も無いために外出をほとんどしていなかったのだ。

 

 準備を整え、街に繰り出してみて田中は、改めて驚いた。

 それは、南皮の町が発展していることだ。

 元々、南皮は人口が多く農業も盛んであることが有名ではある。

 しかし、統治者がそれを維持するのは大変である。

 治安や飢饉への対策など人口の流出を押さえる必要があるために、決して楽にできることではない。

 それをこなす袁紹の統治能力の高さは決して低くないことを改めて理解したのである。

 

 町は区画ごとに分けられており、どの区画も賑わっており、町の外に出れば広大な畑が広がり、多くの農産物を育てている。

 後漢末期の中国全土が荒れ果てている時代とは思えぬほど平和な雰囲気が漂っていた。

 

 史実では、後に袁紹が統治していた土地を曹操が統治するようになると、その土地の住人は袁紹の時代の統治を懐かしんだと言われるほど袁紹の統治能力は優れている。

 まさしく、その片鱗が南皮の町に現れていた。

 

 袁紹達が歩いていると非番でいつの間にかくっついてきた文醜が話出した。

 

「せっかく町まで来たんだし、何か飯を食っていこうぜ!」

 

「ちょっと文ちゃん!だめだよ!袁太守様は仕事も忙しいんだから!」

 

「っていったてさ、物価見るんなら飯を食って自分で物の値段や質を判断するのが一番じゃん!」

 

「確かに一理ありますわね。よろしい、そういたしましょう!」

 

「え~~~!袁太守様、仕事はどうするんですか!」

 

「そんな物、私の手に掛かれば美しく優雅にこなして見せますわよ!お~ほっほっほっほっほ!」

 

 先ほどまで田中の中で急上昇していた袁紹の株価は、世界恐慌もびっくりの勢いで大暴落していた。

 なぜなら、そう言っている袁紹の額には滝のような冷や汗が流れている。

 

 どう考えても仕事をさぼる言い訳をしているのは丸見えだ。

 しかし、普段から多くの仕事をこなしているため、たまにはこうした休憩が必要であるのは確かだし、親睦を深める良いチャンスでもある。

 

 ここは田中も助太刀に加わることにした。

 

「まあ、袁太守様もああ言っておられますし、食べるのもありでしょう。それにこうしたことで、その店が儲かるようになれば良い経済効果も期待できますし、領主と民の関係が近いのは悪いことではないでしょう」

 

「む~~!どう考えても言い訳にしか聞こえないけど、言い返せないし……。まあ、良いでしょう」

 

 そう言って近くの店に入ることにした。

 

 

「ふ~食った、食った!」

 

 文醜が満足げな顔をしながら、足を進める。

 

 この店の料理は比較的どれも美味しく、ついつい食べ過ぎてしまった。

 袁紹もたまにはこうした料理もありかと満足げな表情を浮かべている。

 

 田中が狙った通り、袁紹は顔良と文醜にも少し打ち解けて話すようになり、今回の外食は大成功を納めた。

 

 

 無事に町の巡察を終えて、田中は自分の部屋に戻ると机の上に一通の手紙が置いてあった。

 

「誰からだ?」 

 

 田中はこの世界の人間ではない。

 故にどう考えても家族関連ではないのは確かだ。

 しかし、知人と言っても手紙を書くぐらいなら顔を合わした方が早い人ばかり。

 そのため、誰が送ってきたのか皆目見当も付かなかった。

 

 手紙を開けて、内容を読んだ田中は目を丸くした。

 そこにはこう書かれていたのだ。

 

 あなたと話がしてみたい。

 一度お会いできませんか?

 

         曹孟徳 

  



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第七話 曹孟徳

投稿遅れて申し訳ありません!


 曹孟徳

 名が曹操、字を孟徳という。

 三国志に詳しくない人でも知っている人は多いであろう。

 魏を建国し、三国最大の勢力を築いた人物である。

政治家や軍人、詩人などとしても優秀であり、人の才能を見抜く目も極めて優秀とされる三国志でも指折りのチートキャラである。

 しかも奥さんが複数といたと言われ、元祖チーレムキャラの一人であろう。

 

 

 

 そんなチートキャラが田中に何の用があるというのであろうか。

 曹操は現在、董卓の暴虐ぶりから洛陽を脱出し故郷で挙兵している頃合いである。

 

 その真意を測るには直接会って話をするしかない。

 

 しかし、会うと言っても田中は袁紹配下の身。董卓から逃げた曹操と会えば、何が起こるか分からない。

 最悪、袁紹にまで責任が問われる可能性がある。

 

 それだけは避けねばならない事態だ。

 

 ここは袁紹に指示を仰ぐしかない。

 そこで袁紹との面会を求め、話をすることにした。

 

 

「それで、孟徳さんと会いたいと……」

 

「はい、相手の真意を理解するためにも会う必要があるかと」

 

「構いませんわよ。ただし、その席で話された内容は私にも教えなさい」

 

「御意!」

 

「私への責任は気にしなくて構いませんわ!董卓が私に手を出せば美しく、華麗に返り討ちにして差し上げますわ!お~ほっほっほっほっほ!」

 

「ぎょ、御意!」

 

 いつものテンションの袁紹に安心と不安という相反する感情を抱きつつ、返事をした。

 

 

 

 時間や場所は指定がしてあり、丑の時(23時)に南皮郊外にて待つと書かれていた。

 指定された地点に着いたのが半刻(約7分)ほど前である。

 

 すると既にそこには先客が来ていた。

 夜目にも鮮やかな金髪がドリルのように巻いており(もちろん主の袁紹ほどではないが)、青い目を持つ少女が一人立っていた。

 

 こっちの存在に気付いたのか、徐々に近づいてくる。

 周辺には人影はない。

 彼女が曹操なのであろうか。

 

「あなたが田中豊?」

 

「はい、おっしゃる通り、私は田中豊にございます。貴殿は曹孟徳殿とお見受けするが、如何に」

 

「ええ。確かに私は曹孟徳よ。初めまして」

 

「初めまして」

 

「このような場所に呼び出してしまって申し訳ない。しかし、私は董卓からよく思われていない身、あまり目立つような行動はしたくないことを理解していただきたいの」

 

「ええ、わかっております。気にしないで構いませんよ。わたくしのような下っ端には身に余るお言葉でございます」

 

「そういっていただけると助かるわ。いきなりで悪いのだけれど時間もないから、早速、本題に移っていきましょう」

 

 そういって一呼吸おいてから、曹操は話す。

 

「わたくしの配下にならないかしら?」

 

 

 

 

 その瞬間、二人の間を風が駆け抜けた。

 

 

 

 

「なぜ私を?」

 

 曹操は人を見抜く目がかなり高かったのは真実に近いであろう。

 実際、李典や楽進と言った名将を見つけ登用してる。

 

 その曹操が誘いをかけているのだから、本来は喜んでもいいところであろう。

 

 しかし、田中は自分はそんなに能力の高い人間だとは思えなかった。

 

 ゆえに、こうして理由を尋ねたのである。

 

「あなたには才能を感じるわ。だから登用しようとしている。これではだめかしら」

 

「そうですか」

 

 それは曹操が何となく感じた勘に近い物であった。

 

 しかし、確実にこの人物は歴史を変えることのできる能力を持つ。

 

 そんな確信めいた物を曹操は感じていた。

 

 元々、本初陣営の優秀な人間を引き抜こうと情報を集めているときに田中の話を聞いた。

 

 本初の配下に出生の分からない人物がいる。

 

 その瞬間何となく興味を持って、詳しく探らせてみると顔良や文醜と言ったまだ無名の人物と仲が良いという。

 二人とも曹操は目をつけ、どうにか味方に引き込めないかと考えていた人物達であった。

 

 そのような優秀だけれども無名な人物を見いだすことをできるのは簡単なことではなく、できる人物は限られている。

 

 さらに主の本初との仲も極めて良好であるという。

 曹操は本初の過去を知っているだけに信じられなかった。

 

 あの用心深い本初と仲が良いとは!

 

 色々な人物と仲良くなれる人は組織にとっては貴重な人材である。

 

 そのような能力の高い人物を見逃す曹操ではない。

 

 すぐに登用しようと連絡を取り、今に至ったわけである。

 

「それで、私に仕える気はあるかしら?」

 

「いえ、私には袁本初様という仕える主がおりますので…」

 

「私の誘いに断る気なの?」

 

「いえ、誘いは極めて光栄に思っております。しかし、私には一度心に決めた主がいる以上、その方を裏切るのは私の沽券に関わります。誠に身勝手な申し出ではございますが、どうかお許しください」

 

「……」

 

 曹操は何も言わずただ、じっと田中のことを見ていた。

 

 どれぐらい経ったろうか。

 田中にとって永遠に近いときが流れたように感じたとき、曹操が突然肩をふるわせ笑い出した。

 

「くっくっくっく、は~っはっはっはっは!いや、思った以上だわ!」

 

 この言葉に何となく嫌な予感を感じる田中は、すぐにでもこの場を逃れたかった。

 

 次の言葉を聞けば、間違いなく面倒なことになる。

 

 しかし、田中の足が言うことを聞かず、この場から逃れることができない。

 

「田中豊、」

 

 曹操が自分の名前を呼ぶのが聞こえる。

 

 耳を塞ごう!

 

 その手を思いつき、実行しようとしたが、もう遅い。

 

「あなたは何としても私の配下に加えるわ!必ずね!」

 

 それは曹操からの田中への宣戦布告のような物であった。

 

 



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第八話 曹操の布石

「ほう。私を、ですか……」

 

 静かに田中は呟いた。

 それは、静かな声であったが何かを感じさせる声であった。

 

「ええ、あなたは間違いなく大きい人間になる。それもこの大陸の歴史を揺るがすほどにね。そのような人物をこの曹孟徳が放っておくと思う?」

 

「さあ、それは分かりませんよ。私は袁本初様の配下の下っ端中の下っ端。そのような人間などはそこら中におります」

 

「あなたのような人間があふれかえっていたら、私のような人間など生き残れないでしょうね」

 

「何をおっしゃいます。私はあなたの目の前で立っていることでやっとの人間なのに……」

 

「立っているだけの人間がそのような切り返しができると思う?」

 

「できるかもしれませんよ?こうして目の前にもいるわけですし」

 

 田中は何としても曹操から逃げ出したいと思っていた。

 

 曹操は人材オタクな一面がある。

 

 史実での例を挙げるとすれば、関羽の話が有名である。

 

 西暦200年に東征をしてきた曹操軍に敗れた劉備は、袁紹の元へと逃げる。

 この時、関羽は曹操の捕虜となってしまう。

 関羽は当初、劉備がどこにいるのかを知らず、劉備が見つかるまでは曹操の客将として働くことにした。

 この時期に起こったのが、官渡の戦いである。文醜と顔良は彼に討ち取られ、その後、袁紹軍は敗北となる。

 

 この後、主の劉備の消息をつかんだ関羽は曹操の元を離れようとする。

 当然、人材オタクの曹操は関羽をできる限り手元に置こうと画策する。

 

 曹操の取った行動は、面会断絶作戦。

 

 避客牌という看板を門において、関羽を1日でも多く留まらせようとした。

 最終的に関羽は曹操に手紙と今までの謝礼のほとんど(赤兎馬だけは頂いた)を返却し、曹操の元を去ったという。

 

 このように人材を手元に置くためなら、子供のような戦法でもとる曹操に気に入られたら、本当に地の果てまで追いかけられることとなる。

 そのような面倒事、田中は御免であった。

 

 そのためには、曹操の目からかいくぐらなければならない。

 何としても、この場は逃げ切らねばならなかった。

 

「そう、分かったわ」

 

「そうですか、良かったです」

 

「ええ。益々、あなたのことが気に入ったわ。何が何でもあなたを手に入れるわ」

 

「っ……!」

 

 田中は思わず黙り込んだ。

 

「何故です?」

 

 田中は言葉を放つ。

 曹操はしばらく田中の目をじっと見た後、黙って振り返った。

 

「何となくね。あなたを手に入れれば面白そうだから」

 

「私のような人間は面白くありませんよ」

 

「それを判断するのはあなたではない。この曹孟徳よ」

 

 その強い言葉を聞いて田中は思わず黙り込んだ。

 

「でも、今は麗羽の元にいるのだから仕方が無いわね。だけれども忘れないで。私は絶対に諦めないわ!」

 

 その言葉を最後に曹操は振り返り、その場から去って行った。

 

 曹操が見えなくなってから、田中は大きくため息をついた。

 

まずいことになった。

 

 その苦い感情だけが田中の中に満ちていた。

 今後、曹操と会うことは多くなることは間違いない。

 その度に、あのような問答を行うと思うと胃に穴が開きそうな思いであった。

 

 田中はやることが完全に裏目に出続けた自分のあまりの不運さを呪った。

 

「帰ろう……」

 

 心身共に疲れ切った田中は、そのままくるりと振り返り、南皮の自宅を目指して帰って行った。

 

 

「華琳様、どうでしたか?」

 

 青髪の美人が曹操に話しかけた。

 

 彼女の名は夏候淵。

 夏候惇の従弟にあたり、史実では軍の拠点間を迅速に移動し行う奇襲攻撃や後方支援などを得意とした前線型の将軍である。勇猛ではあるが、冷静さや慎重さに欠く所があり、史実でもそこにつけ込まれ定軍山に散る。

 

「彼は勘だけど優秀な人間だわ。彼を仲間に引き入れた者がこの大陸を制するでしょうね」

 

「大陸を……。まさか、華琳様!漢王朝は倒れるとお思いですか!」

 

「ええ、近いうちに間違いなく倒れるわ。黄巾の乱が起きてから早5年。未だにその混乱からこの大陸は立ち直れていない。さらに漢王朝の暴政ぶりが民の怒りに拍車を掛けている。破滅へ道はまっしぐらよ」

 

 夏候淵は言葉を失った。

 確かに状況を考えれば、そのような結論にたどり着く。

 しかし、漢が倒れるなど普通、考えることではない。

 そのような常識にとらわれ、曹操は情勢を見ている。その能力の高さに改めて舌を巻いた。

 

「彼もそのことを予見して私に仕えようとはしなかった。彼ほどの能力があれば、先のことなど容易に想像が付くであろうから断られることは分かっていたわ」

 

 分かってはいたものの現実は厳しかった。

 彼は容赦なく自分の弱さを見抜いていた。

 

 これから起こるであろう乱世にはもっと力がいる。

 

 今回の話で突きつけられた非情な現実に、曹操は悔しさを禁じ得なかった。

 

「いずれ力を蓄え、必ず、彼を私にひざまずかせる!」

 

 決心した曹操だった。

 

「華琳様、彼に会った目的は何だったのですか?」

 

 夏候淵は聞いた。

 彼がなびかない可能性が高いのは分かっていたはず。それにも関わらず、会った理由を夏候淵は知りたかった。

 

 その瞬間、曹操は悔しそうな顔を一変させ、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「何、麗羽へのちょっとした当てつけよ。今頃、彼女は彼に疑念を抱いている頃合いだと思うわ」

 

 曹操はあの場に間諜が潜んでいたことに気付いていた。

 しかし、今回の目的の一つは袁紹に疑念の思いを抱かせることでもあったため、特に手を出しはしなかった。

 

 これも将来、彼を手に入れるための布石。

 

 曹操はその手を早くも打ち始めていた。



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第九話 袁紹の不安

 袁紹は書斎にて間諜から報告を聞いていた。

 

「そうですか…。田中さんが孟徳に…」

 

 話を盗み聞きしていた間諜からの報告に袁紹は静かに言った。

 袁紹は元々、こうなる可能性を考えていた。

 しかし、止めはしなかった。

 それは田中への信頼の証であったし、母である袁逢の言葉に嘘があるとは思えなかったからだ。

 だが、こうしていざ事実を突きつけられると果たしてこの判断が正しかったのか迷うところがある。

 

「ありがとう。謝礼は後ほど。下がりなさい」

 

 そう言って間諜を下がらした。

 

 

 田中はどう動くか。

 

 そして本当のことを言いに来てくれるか。

 

 その2点に全ては掛かっていた。

 

「袁太守様、許子遠様がお会いしたいとのことです!」

 

 外の見張り番が声を掛けてきた。

 

 こんな時間に何のようであろうか?

 

「通しなさい!」

 

 不思議に思った袁紹は許攸を通すことにした。

 

「本初様、こんな夜更けに申し訳ございません」

 

 許攸は、頭を垂れながら歩いてきた。

 部屋の扉は防犯の都合上、机から離れた場所にあり表情をうかがい知ることはできない。

 

「用件は何ですの?」

 

 ただでさえ、心が揺れている状態に関わらず、時間を考えない許攸の行動には普段以上に怒りを感じていた。

 

「はい。用件を申しますと、田中の件についてでございます」

 

 その瞬間、袁紹の眉が少しだけ動いた。

 

「た、田中さんが何ですの?」

 

 袁紹が今、最も悩んでいる内容だっただけに動揺を隠し切れていない。

 

「田中は、曹孟徳と通じている可能性がございます」

 

 核心をいきなり突いてきた許攸に目を見開いた。

 

「何故、そのことを子遠さんが!」

 

 最早、袁紹に余裕なんて物は存在しなかった。

 

 史実から見て分かるように袁紹は元から、人を疑り深く身内しか信用しない面がある。

 もちろん、それが良い面に向く場合もあるのだが、君主と配下の関係になった瞬間それは負の面として現れてくる。

 袁紹の場合それ顕著に出ており、直接的ではないにせよ、それが袁紹の跡継ぎ争いの火種ともなってくる。

 

 そんな袁紹がこのような報告を聞けばどのような反応を示すかは想像に難くない。

 

「私は昔から孟徳とは交流がございましてね……。その繋がりで聞きましてね。孟徳はかなり彼に興味を持ってるようです」

 

「そ、それで……どうするつもりですの、孟徳さんは?」

 

 袁紹は曹操とは旧知の仲だ。

 彼女の性格はよく知っており、手に入れたい物は何としてでも手に入れる性格も熟知していた。

 答えは予測が付き、できれば聞きたくはなかった。

 しかし、気付けば質問が口をついていた。

 

「もちろん、手に入れるつもりらしいですよ、田中殿のことを」

 

「しかし、彼は私の配下。断じてあの孟徳の配下ではございませんわ!」

 

 半ば自分に言い聞かせるように、叫んだ。

 

 遠逢から言われた人物だ。

 

 決して裏切ることはない。そう思いたかった。だが、彼女が言っているのみで、現実には本当かどうかは分からない。

 同時に曹操の手に入れる執念が凄まじいのも、また事実。

 

 一方は推測。もう一方は実際に経験してきているもの。

 

 どちらが信頼性があるか。

 判断するまでに時間は掛からなかった。

 

「田中さんは、どう返事をしたの?」

 

「さあ、そこまでは分かりません」

 

 許攸は茶化すように答える。

 

 袁紹の心の中に暗雲が立ちこめていた。

 

 許攸は悩む袁紹の姿を見て、ほくそ笑む。

 

(これで本初様は田中を捨てる。そうすれば私が重用されるはずだ)

 

 許攸の陰謀や曹操の野望、袁紹の不安の嵐に巻き込まれていることに田中は未だに気付いていなかった。

 

 

「疲れたぁ~~」

 

 田中はへとへとになりながら、袁紹に与えられた屋敷にたどり着いた。

 三国最強の国を築いた曹操と直接話してきたのだ。

 疲労困憊になるのはやむを得ないであろう。

 

 あれから、帰ってくるまでほとんど記憶にない。

 我ながら、よく屋敷にたどり着けた物だと感心していた。

 何せ、この屋敷を利用することはほとんどない。ほとんどは仕事場の部屋で仮眠を取って次の日を迎えることが日常となりつつあったからだ。

 

 日頃の疲れを取るためにも今日はゆっくり寝よう。

 

 そう考え、寝床に入り目を閉じた。

 

 

 

「起きてください!田中殿!」

 

 怒鳴り声の目覚ましを受け、飛び起きた田中は時刻が昼になっていることに初めて気付いた。

 怒鳴り声の主は顔良であった。

 

「な、何です、何が起こったんです!」

 

 その普段からは考えられないような顔良の雰囲気から事の重大さを察した田中は顔良に尋ねる。

 

「どうしたもこうしたもありませんよ!田中殿!本初様から今朝、通達がありまして今日の午の正(12時)から緊急の会議が行われるらしいじゃないですか!」

 

「もうすぐじゃないですか!内容は何ですか?」

 

「それが噂だと何でも田中殿に関することらしいじゃないですか!何をしたんですか!」

 

「ええ!そんなこと知りませんよ!どういうことです!」

 

「私だって知りたいですよ!とりあえず、役所に参りましょう!」

 

 そうして二人は袁紹のいる役所に向け大慌てで駆けだした。



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第十話 激論

 役所に入って二人に一人の人物が近づいていった。

 

「許子遠殿!」

 

「ずいぶんと到着が遅れましたわね。お二人とも。それにしてもちょうど良いところでした。その男をこれから連れて行こうとしていたところです」

 

 許攸は、感情を感じさせない無機質な声でそう言って横に控えた兵士に目配せをした。

 すると、その兵士は突然、持っていた槍を田中に向け、言った。

 

「田中殿、申し訳ありませんが牢の方へ向かってください」

 

 顔良と田中は一瞬何が起きたの理解できずにいた。

 すぐに混乱から立ち直った顔良が許攸に向け言った。

 

「これはどういうことです!」

 

「どういうことも何も見たとおりのことですよ。この者は反乱の容疑が掛かっているのです」

 

「そんなわけないでしょう!今すぐ彼を放しなさい!」

 

「昨夜、この者が曹操と会っていたことが確認されています。曹操は宦官の孫であり、袁太守様は前に宦官の大粛正に参加しておられた身。それによって約束されていた出世の道を袁太守様に遮られたと考えているやもしれません。そのような逆恨みしている可能性がある人物と夜中にこっそり会うとは、怪しすぎます」

 

「しかし、会っただけかもしれないではありませんか!そこで曹操の手下になるとでも言ったのですか!」

 

「いいえ。そこまでは分かっていません。ただ、配下になるよう誘われたのは間違いありません。そうでしょう、田中殿?」

 

「……」

 

「そうは言っても、このような明確な理由もないまま逮捕とは酷すぎます!今すぐ……」

 

「これは袁太守様直々のご命令であります!もし止めるというのであれば、それは袁太守様への反乱と見なしますよ!」

 

 許攸は槍を下ろさせようとする顔良を怒鳴りつけた。

 こう言われてしまっては、顔良に打つ手はない。黙って引き下がるしかなかった。

 

「と言うことで、この者を牢獄へ連れて行きなさい!」

 

 田中は為す術もなく、牢へと連れて行かれた。

 

 

 

 牢に連れて行かれた田中は手足に鎖をつけられ、一つの個室に入れられた。

 

「何かあれば、お声をおかけください」

 

 牢番らしき人物が、田中にそう声を掛け離れていった。

 牢に一人残された田中は、こうなった理由を考えていた。

 

(おそらく昨夜のことに関して袁紹様が怪しんだに間違いない。ただ、このことは本初様に報告しておいたはず)

 

 そこまで考えて、ふとあることに気付いた。

 

(そうだ!本初様は猜疑心の強いお方だ!そこを許攸につけ込まれたのか!)

 

 兵士に指示を出していたのが許攸であり、袁紹の姿が見えなかったことを考えると、今回の事は明らかに許攸の計画である可能性が高い。

 元々、許攸は田中のことを怪しんでいる節がある。

 

 しかし、許攸が原因だと気付いても何かしら手を打たねば、問題の解決にはならない。

 しかも、顔良が言っていた会議とはおそらく、田中を裁くための物であろう。

 優柔不断な性格である袁紹は、自分の判断だけでは決められず、配下の人間に意見を聞くつもりだ。

 

 袁紹の性格を考えれば、十分考えられる可能性であった。

 

(自分としたことが迂闊であった!このような時期に会うべきではなかったか!)

 

 いくら後悔しても後の祭りである。

 

 果たして、どうなるか。

 それは牢獄にいる田中には分からなかった。

 

 

 

 一方、このころ謁見の間では、袁紹配下の主要な人間が集まり、田中の判決を考えていた。

 家臣の中でも意見は真っ二つに割れ、処刑など何かしらの罰を考える派と無実にする派で激論していた。

 

「即刻首を切るべきです!太守様、今は分かりませんが、もしかしたら今後、田中は曹操に寝返る可能性だってあるのですぞ!そうなったらどうするのです!」

 

 許攸が真っ赤に顔を赤らめながら言った。

 

「しかし、田中殿は太守様の母上様に当たる袁車騎将軍がおっしゃっていた方ですぞ。そのような方を曹操と会っただけで首を切るとはいかがかと考えますがな」

 

 黒い髪に茶色い目をした美しい女性が言った。

 

 彼女の名は逢紀。

 字を元図と言う。

 許攸と共に袁紹の旗揚げ時からいる最古参の参謀であり、袁紹からの信用も厚い。

 袁紹とは何進に仕えていた頃からの同僚であった。

 史実においてはこの後に仕える田豊や審配といった配下とは仲が悪く、一説では田豊の処刑を仕向けた人物とも言われている。

 その一方で官渡お戦いの後、危機に陥った審配を「私情と国事は別である」として必至に弁護したりもしている。

 袁紹亡き後は、三男の袁尚に仕え、袁紹の遺命を偽造してまで袁尚を後継者に仕立て上げたと言われる。

 曹操が進行してきたときに、迎撃を行った袁譚の目付役として派遣されていたが、袁譚が増援を頼んでも、袁尚はこれを送らなかったために、大敗し怒った袁譚に殺されてしまった。

 

 

「逢元図殿、もし何かあればどうするおつもりです!もちろん袁車騎将軍の遺言も大事ではありますが、今いる袁太守様も大事なのです!」

 

「もし、と言われるが、彼はそのような人柄なのですか?人柄など他の情報を一切考慮せず処刑するようでは、袁太守様の評判に関わりますぞ!」

 

「しかし……」

 

 それにしても何故、逢紀は田中のことをかばおうとしているのだろうか。

 このことを知るには時を会議の前にまで遡らなくてはなるまい。

 

 

 田中が牢に連れて行かれた直後、顔良はこのままでは、田中の身が危ないことは気付いていた。

 

 しかし、顔良はそこまでの有力者ではない。

 許攸と同等かそれ以上の権力者の力がいる。

 そこで、許攸同じくらいの頃から袁紹に仕える参謀の逢紀を尋ねることにした。

 

 

「それで私の力を借りたいと……」

 

 顔良が理由を説明しするとため息交じりに逢紀は言った。

 

「別に構いませんよ。彼に関する噂は耳にしておりましたし、彼が来てから本初様や家臣の空気が良くなっていました。彼は今後、本初様には必要な人材でしょう。こんなところで失うわけには行きません。彼には気に入らないところもありますが、私情と国事は別ですしね」

 

 そう言って、顔良の願いを快くと請け負ってくれた。

 こうして、田中は知らずの内に逢紀という強力な人間を味方につけたのであった。

 

 

 

「私は田中殿は今後、袁家には必要なお方となることを確信しております!彼はこんな所で失って良い人材ではありません!」

 

「彼は出身地も言わぬ怪しい人物。さらに言えば本当に袁車騎将軍が見込んだ方ならば何故、功績が出ていないのです? それは単純、かのお方が仰っていた方と田中は同一人物では無いと言うことです! そのような人……」

 

「それはありませんな。彼を発見したとき、彼以外、周囲に人はおらなかった。彼以外に当てはまる人材は誰もいない。身元が知れぬと言うがそのように人材を選んでいては貴重な人材を逃すことになりますぞ。功績が少ないと言えど、それは止む得ないでしょう。何せ彼が来てからまだ一年と経っていないのですぞ」

 

「それにしたって彼奴の言動には怪しいところが多すぎます!」

 

「もう分かりましたわ!」

 

 袁紹が唐突に声を上げた。

 

「田中さんをここに呼んできて私が直接聞きますわ!田中さんをここに呼んできなさい!」

 

 そう言って、近くの兵を牢獄に向かわせた。

 



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第十一話 判決

「田中殿、外に出てください。袁太守様がお呼びにございます」

 

 牢番が田中のことを呼びに来た。

 

「処刑か、それとも釈放か」

 

 ぽつりとそれだけ呟き、田中は外へ出た。

 

 

 

 そのまま、謁見の間へと通された田中は、袁紹の前へと突き出された。

 

 部屋の奥の方の一段上がったところに袁紹が座っており、そこから入り口に近い方に駆けて部屋の両際にずらりと袁紹の配下が並んでいる。

 

「田中 豊、あなたの名はこれで間違いないですね?」

 

 袁紹が今まで聞いたことのないような厳しい声で問うてきた。

 

「はい」

 

「では、聞きますが、昨日の夜は何をしていましたか?」

 

「曹孟徳殿と会っておりました」

 

「その時に何を聞かれましたか?」

 

「曹孟徳殿に仕えないかと聞かれました」

 

「それで、あなたの返答は?」

 

「もちろん否にございます」

 

 まるで尋問を行っているかのように淡々と質疑応答が執り行われる。

 一様、彼は袁紹直々に迎えられた配下であるから、たとえ階級が低くても袁紹自身の手によって質問が行われていた。

 

「そうですか……」

 

 袁紹は悩み始めていた。

 

 果たしてどちらにすべきなのか。

 

 漢王朝の権力が最早、なくなりつつある事は気付いている。

 短い期間の内に天下は乱れ、大きな乱世へと突き進んで行くであろうことは袁紹も予測している。

 

 曹孟徳。袁紹にとってのライバルである彼女も予測できているであろう。そのためにも彼女は弱小勢力ながらも挙兵をしようと現在人材集めを行っているのだ。

 

 曹孟徳は現在は弱勢力であるが、元々は自分と同じ地位にまで上り詰めた人間だ。

 同僚でもあった故に彼女の能力が極めて高いのは嫌と言うほど知っている。

 

 これから突入する乱世において彼女は最大の袁紹の壁となるであることは間違いない。

 そのような人間に寝返る可能性が少なからず存在する人間を生かすべきか否か。

 

「即刻処刑すべきです!奴は危険です!」

 

 許攸が声を上げる。

 

「静かにしなさい!袁太守様、ご自身のお考えで判断してください!」

 

 逢紀が、袁紹をいさめる。

 

(この場でご自分で決断を為さなければ、今後、本初様はご自分でご決断ができなくなってしまう) 

 

 逢紀は袁紹の未来を心配していた。

 

 このままでは、いつも配下の言葉だけで動くただの操り人形になってしまう。

 

 そのような人間になってほしくはない。

 

 逢紀が許攸を止めようと口を開こうとした。

 

「袁本初様」

 

 小さいが、よく通る声で発言した者がいた。

 田中であった。

 

「袁本初様、私は本初様の望みとあらば、喜んで首だろうが何でも差し出す覚悟にございます。しかし、本初様は今、望みではなく疑念で動かれている。曹孟徳に私が寝返るのではないかという恐怖に目を曇らせられているのです。私はそのような状況で無駄死にするようなまねはしたくはない」

 

 皆が絶句した。

 誰もが思っていても、袁紹を恐れ口に出さなかったことを平気で口にしたのだ。

 しかも、袁紹の指示一つで首を飛ばされるかもしれない人間がだ。

 

「しかし、」

 

 唖然とする皆に気付かないかのように話を続ける。

 

「これが袁本初様の成長の糧となるのであれば、どうぞ首をお切りください。その時は他の人間の言葉に従うのではなく、ご自身のご決断で……」

 

 そう言って、田中は静かに目を閉じた。

 その顔には静かな笑みが浮かんでいた。まるで重大な任務を終え、安心して眠っているかのような顔だ。

 

 とてもこれから最後を迎えようとしている者の顔には見えない。

 

「分かりました。田中さんの望み通り私の意思で決断をいたしましょう」

 

 そう言って、静かに袁紹が立ち上がって田中の近くまで歩いて行った。

 

 一歩、また一歩と徐々に田中に近づいていく。

 

 そして、田中のすぐ隣で止まった。

 

「この者は……」

 

 誰もが息を呑んで、次の言葉を待った。

 

 そして……

 

「処刑せず、従来通りの仕事についてもらう!」

 

 袁紹が判決を言った瞬間、援護派からは大きな歓声が上がった。

 

「「やった!やった!」」

 

 援護派についていた顔良や文醜達は他の者と手を取り合って大喜びしている。

 逢紀は肩の荷が下りたことで安心したような顔をしている。

 

 逆に処刑派は納得のいかない顔だ。

 

「お待ちください!」

 

 許攸が声を上げた。

 

「彼は一体何者なんですか?それすら分からなくては、安心できません!せめてその点に置いてだけでも説明をお願いします!」

 

 それは処刑派、皆の考えであった。

 

「彼は……」

 

「良いでしょう」

 

 袁紹が話そうとするのを遮って、田中が前へ出た。

 

「ただし、話しても信じられないような話でしょうから、信じるかどうかはあなた方次第ですよ。それでも構いませんか?」

 

 田中は、そう前置きをした上で自分がこの世界に来るまでの経緯を話し始めた。



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第十二話 曹操の挙兵と袁紹の成長

 前回、様々な感想を頂き、本当にありがとうございます!
 改善の箇所が大分はっきりとしてきたおかげで、作者としては大変助かっております。
 今後の作品作りにしっかり生かしていきたいと考えています。
 こうした感想は作者としては作品作りを行う上で、大変良い刺激となりますので、少しでも何か不自然な点や気になった点などがあれば、感想をお寄せください!
 まだまだ、稚拙な文章しか作れない身ですが、皆様に少しでも面白いと思っていただけるような作品を作っていきたいと考えています!
 今後とも宜しくお願いします!



「……とのことで私が今、この場にいるのです」

 

 田中が全てを話しきったとき、誰もが黙ったままであった。

 未来から来たなんて話はそう簡単に信じられる話ではない。

 誰もがそう考えていた。

 

「私は信じますわよ!」

 

 袁紹が唐突に声を上げた。

 

「私は田中殿を信じます。先ほど彼を信じたのですから、ここで信じなくてはどこで信じるのです!」

 

 田中は袁紹の言葉を嬉しく思った。

 

(本初様は先ほどの件で一気に成長なされた!一時はどうなるかとは思ったが、これは本当に幸先が良い!)

 

 袁紹が自分で決断を下せるようになり、他人を信頼できるようになったのは大きな成果であった。

 田中が命を危険にさらしてでも成長させたかったことが無事実ったのだ。

 田中にとって、これ以上ないほど名誉なことであった。

 

「誠に申し訳ありませんが、私はまだ信用するには早いと思います」

 

 そう言いつつ、逢紀が臣下の礼を取った。

 

「本初様や田中殿のことを信用していないわけではありません。ただ、今の段階で全員を信用させるというのは難しい物。ですから、ここは一つ質問をさせていただきます」

 

「未来に起こることを述べてください」

 

 確かに今の段階でいきなり信用せよというのは、かなり難しい物がある。

 しかし、未来に起こることを当てたというのであれば、話は別だ。

 

「今月中に曹孟徳殿が董仲穎殿を打倒せんと挙兵し、それに追従するように来月には諸侯が一斉に挙兵いたします」

 

「な、何と!」

 

 予想外な言葉に皆が黙り込んだ。

 董卓は時の権力を一手に抱える超有力者である。そのような人物に反旗を翻そうとは正気の沙汰ではない。

 

「分かりました。それでは、それが当たれば我々は信用することといたしましょう」

 

 そう言って、今日の会議はお開きとなった。

 

 田中の心の中には一抹の不安があった。

 

「果たして、本当に歴史は史実通り動くのであろうか」

 

 既に田中という異分子が紛れ込んでいるために歴史は変化を始めている。それでも、史実通り動いてくれるのか田中には未だ分からなかった。

 

 

 

 数日後、一人の兵が袁紹の屋敷に駆け込んできた。

 

「申し上げます!」

 

「己吾の地にて曹操が董仲穎殿を打倒せんと挙兵しました! さらにこれに続かんと各地の諸侯が一斉に蜂起! 総勢17もの諸侯が戦争の準備を始めたとのことです!」

 

 田中の言うとおり、事が動いたのである。

 

「確かに田中殿の仰るとおり起こりました。これで信用ができます」

 

 こうして田中は袁紹陣営の中で信用を取り戻したのである。

 

 

 

 そんな田中の姿を見つつ、彼の言っていたことを袁紹は思い出していた。

 

(これが本初様の成長の糧となるのであれば、どうぞ首をお切りください)

 

 彼が命を賭しても行いたかった自分の成長。

 

 しかし、自分は未だ成長しているとは思えてなかった。

 このままでは自分は配下の人間に信用されない日々を送ることとなる。

 

 今を逃しては後はないと考えた袁紹は思い切った行動に出る。

 

「皆さん!」

 

 唐突に袁紹が声を上げた。

 

「皆さん、私は今まで人を信じられない上に、自分で決断してきた事がありませんでしたわ!ですけど、今日こうした事に直面して初めて気付きました!人を信じることの大切さを、自分で決断する大切さを!私は君主という職務を放棄していましたわ。しかし、私は今度こそ人を信用して決断を下していきたいと思います!」

 

 そこで、袁紹は驚くべき行動に出た。

 

「どうか、今後も私に着いてきてください!」

 

 頭を下げたのだ。

 

 皆は驚愕した。

 普通、上の立場の者は自分に非があっても頭を下げたりなどしない。

 それほどまでに彼女は本気なのだと誰もが分かった。

 

「着いてきますよ、本初様。たとえ地獄の3丁目だろうが、どこだろうが着いてきますよ!」

 

「私も!」

 

「本官も!」

 

 最初に逢紀が言ったのを境に、誰もが我先にと袁紹について行くと言い始めた。

 

「皆さん、ありがとうございます!」

 

 こうして、袁紹と配下の絆はまた深くなったのだった。

 気付けば夜が明けていた。新しい日の出が始まる。

 

 

「田中殿、あなたは元々情報に関する仕事に着いていたとか」

 

 袁紹が田中に尋ねる。

 

「はい。元は情報を統括したり収集したりする部署にいました」

 

「では、あなたに今後、情報を統括する部署について頂きます!」

 

 田中が歴史の表舞台にようやく出てくる最初の言葉である。

 

 

 

 

「我が君」

 

 夏候淵が曹操の元へと一つの書簡を手にし、やってきた。

 

「田中に関して動いたのかしら?」

 

「ええ。どうやら袁紹はやつを生かすことに決めたそうです。臣下は真っ二つ言われたそうですがね」

 

「そう」

 

 曹操は袁紹の決断を馬鹿にしたのか、それとも田中が生き残ったことに喜んでいるのか、感情のよく分からない返事をして書簡を受け取った。

 

 夏候淵にはその表情からは何も感じ取れない。

 

「それではこれにて」

 

 夏候淵は特に気にもならなかったので、その場を後にした。

 

「殺さなかったとはね……。意外だわ」



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第十三話 田中の初仕事

「曹操が挙兵した理由は?」

 

 だいたい見当は付くが、部下に聞いてみた。

 今、田中は情報関係の部署の最高責任者を任されており、部下を持てるようになっていた。

 その最初の仕事が曹操に関する情報についてであった。

 

「はっ!報告によると洛陽にて暴政を振るう逆賊董卓の首を打つためだそうです」

 

 この話は三国志でも出てくる。

 董卓は洛陽に入る前は一将軍でしかなかった。性格は部下思いで決して暴虐無人な人間ではなかった様だ。軍人としての能力も優秀で、戦上手でかつ本人の武もかなりあったらしい。

 その後、数々の功績を立てていく中で、名は通るようになっていたが、政治とはほとんど関係のない生活をしていた。

 しかし、漢の都 洛陽において何進や袁紹が宦官を一掃しようとする計画が持ち上がるようになり、董卓の人生は一変する。

 この時、この計画に反対していたのが何太后に圧力を掛ける必要があった。そのために洛陽に呼ばれたのが董卓である。

 この計画により、何進が暗殺されたことにより袁紹達は宦官の大粛清を行った。この混乱に乗じて洛陽から少帝と陳留王が誘拐される事件が起きる。

 董卓はすぐさま軍勢を率いて、この二人を保護する事に成功。

 その後、死んだ何進らの軍勢を吸収することで力を増していき、次第に政治の実権を握るようになっていった。

 そして、暴政を振るうようになったというのが史実の流れである。

 

 この世界においても歴史はほぼ、変わらなかった。

 

「では、洛陽の様子はどうなのだ?」

 

「はい。出入りしている行商人の話では、洛陽は人っ子一人見かけないほど荒れているようです。あちこちで悲鳴が上がり、朝目覚めると誰かしらの首が城門にさらされていたりと酷い有様のようで」

 

「それは、確認したのか?」

 

 田中が質問すると副官は不思議そうな顔をしながら答えた。

 

「いえ。調べる必要はあるのですか?」

 

 その言葉に田中は耳を疑った。

 情報というのは、ある人を介して聞くとその人の価値観が入り込んだり、場合によっては嘘の情報を流されてる場合すらある。

 それ故、おいそれと全ての情報を真実だと飲み込む事は禁じ手である。

 歴史上でも嘘の情報に騙されて、軍が敗走した例は数多ある。

 

「調べなくてはならないに決まっているであろう!もし、それが嘘の情報であったらどうするのだ!常に情報はそれが真実かどうかをよく考え、場合によっては確かめる必要がある。今すぐ調べてこい!」

 

 そう言って、副官に指示を出した。

 

(あまりにも情報に対しての認識が甘すぎる。これでは、いずれ曹操などが力をつけてきたときに対抗できない)

 

 このままでは、いけない。

 そう危機感を抱いた田中は、解決策を考えていた。

 

(情報に関してならば、田豊や沮授のように優秀な参謀が出てくれば良いが、そのような優秀な人物が出てくることはそうそうない。専門学校を作り、人材を育てるのも手の一つだが、教師に誰を当てるんだ)

 

 悩んでいても仕方がないので、袁紹に相談を持ちかけることにした。

 

 

 袁紹は執務中であったが、田中が来たことを知るとすぐに出迎えてくれた。

 

「どうなされたんです?」

 

「はい。実は……」

 

 田中は事の成り行きを袁紹に話した。

 

 

「そうですか。それは危険な状態ですね。すぐに対策を考えねば」

 

 袁紹はそう言い、近くの世話役の人間を呼んだ。

 

「子遠、元図、公則をお呼びになって」

 

 子遠は許攸、元図は逢紀、公則は郭図の事である。

 

「かしこまりました!」

 

 田中は袁紹の指示を聞きながら、改めて袁紹がどれほど、この問題に危機感を抱いているかを実感した。

 今呼んだ誰もが、この時期の袁紹の文官を代表する優秀な人間であった。

 

 しばらくすると、数人の足音が聞こえ、やがて部屋の前で止まった。

 

「許子遠、逢元図、郭公則が参上いたしました」

 

「入りなさい」

 

 部屋に入ってい来たのは面識のある2人と見知らぬ一人の少女であった。

 その少女は深い緑色の髪で赤色の目をした静かそうな少女であった。

 

「公則は田中とは初めてでしたよね?」

 

 袁紹がその少女に問うとその少女は静かにうなずいた。

 

「田中、彼女は名を郭図、字を公則と言いますわ。普段滅多にしゃべらない子だけれども根は優しい子ですのよ。宜しくしてあげてくださいな」

 

 そう言って、彼女を紹介した。

 郭図は黙って頭を下げた。

 

 郭図

 豫州潁川郡出身で荀諶や辛評と共に仕えた。

 袁紹が冀州を取るときにも大きな活躍をして功績を挙げている。

 官渡の戦いにおいて審配と共に短期決戦を主張し、袁紹はそれを支持する。そして、監軍(袁紹軍総司令官の地位に当たる)の沮授に対して権力が大きすぎるとして沮授、淳于瓊、郭図に権力を分散させた。

 その後、官渡の戦いに敗北した袁紹は、病没。

 跡継ぎの問題になった際には長男の袁譚を推した。跡継ぎ争いが加速していく中で袁譚と共に曹操に一時降伏をして同盟を結んだ。しかし、曹操が袁尚と争っている間に力を盛り返した袁譚を曹操は盟約違反として再び争いになる。この時に敗北をして205年、袁譚と共に殺された。

 

 官渡の戦いにおいて悪行がかなり評判を悪くしている人物である。

 しかし、袁紹が冀州を手に入れる上で重要な役を担うなどその能力の高さは折り紙付きだ。

 

 

「それで、今回皆さんを呼んだのは情報を扱う人間の能力を上げたいのだけれどもどうすれば良いと思うかを聞きたいのですわ。忌憚なく仰ってください」

 

 そう言って、3人を見た。

 

 歴史に名を残した逸材達はどのような策を出すのであろうか。

 

 田中は目の前で出るであろう3人の策を黙って待った。

 




 今回と次回の話でおそらく、反董卓連合の話へと入っていけると思います。
 袁紹が活躍を始めるまでもう間もなくです!
 皆さん大変長らくお待たせしました!


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第十四話 時代の荒波へ

許攸の台詞のスペシャリストを通じている方に変更しました。


「太守、私が思いますに……」

 

 まず、許攸が話を始める。

 

「やはり、それについて教育できる人間に指導をさせては如何ですかな?」

 

 一番出るであろうと思っていた策が出た。

 これは田中も考えた方法である。

 

「ではその指導する人間はどうなさるのです?」

 

 そう、ここが問題なのだ。

 情報という特殊な部門を扱う人間を育てるには、それについてのエキスパートがいる。

 しかし、果たしてこの後漢の時代にそのような人間がいるかどうかが問題であったのだ。

 

「それはこの前のお話が本当であれば、田中殿がよろしいのではないのですか?」

 

 まるで、田中に挑戦を挑むかのようにとげを持った口調で言い放つ。

 

「それはできませんな」

 

 田中は毅然と答えた。

 

「情報というのは常に私の手元にやってくる物。時によっては一刻を争う事態になる情報も来ます。指導の仕事を持っていては、そのような情報への対処がおくれるだけでなく、常に色々なことを考えながら行動するために仕事の効率の低下を招きます」

 

「むう……」

 

 これを言われては許攸も黙るしかなかった。 

 

「私にその候補がございます」

 

 意外なことに逢起が声を上げた。

 

「誰かしら?」

 

 袁紹が聞くと、逢起はしばらく黙った後。

 

「許子遠殿です」

 

「な、何!」

 

 驚きのあまり声を上げたのは許攸その人であった。

 

「何を仰られる!私は袁太守様を支えなくてはならない立場。とてもそんなことをやっている暇はございません!」

 

「いえ子遠、心配せずとも大丈夫です。今は情報に関する能力の引き上げが急務。あなたはそちらを優先しなさい」

 

「しかし何故、田中殿は仕事を外せなくて私は大丈夫なのですか!」

 

 半ば切れ気味に逢起に食ってかかる許攸。

 それを落ち着いて逢起は言い返した。

 

「彼の代わりになるような情報に通じている方は他にいません。実際、彼は今まで誰も気がつかなかった問題点を就任したその日に発見しています」

 

「……っ!」

 

 きっと田中を一睨みしたあと、許攸は袁紹に臣下の礼を取り言った。

 

「その教務の任、謹んで引き受けます」

 

 そのあと、すぐにきびすを返して部屋を出て行った。

 

「子遠」

 

 部屋を出る前に袁紹が許攸を引き留めた。

 

 許攸が振り返ると袁紹が話し出した。

 

「あなたは降格処分されたと思っているかもしれないですけど、これは降格などではなく昇格ですよ」

 

 許攸は一瞬、怪訝な顔をしたが袁紹は言葉を続けた。

 

「この問題は私にとって死活問題です。つまり、あなたの働き次第で私の未来は決まるのですよ。これはあなたにしか果たせない大任です。情報の大切さがよく分かっているあなたなら分かりますね、情報がどれほど大きい影響を及ぼすのかを」

 

 許攸は、話を聞きながら徐々に嬉しそうに頬を綻ばせた。

 

「御意!」

 

 最後に嬉しそうに大きく返事をして、スキップで出て行った。

 

「本初様、一皮むけましたな」

 

 逢起は感嘆したように言った。

 

 一昔前の袁紹ならば、あのような振る舞いはできなかったであろう。

 

 改めて袁紹の成長を確信した。

 

 最後に一礼して逢起も部屋を出て行った。

 

 

 部屋に残されたのは袁紹と郭図と田中の3人だけになった。

 

「これからは戦乱の世となるでしょう」

 

 袁紹がぽつりと言った。

 

「ええ。そのためにも一刻も早く準備を整えなくてはなりませんな」

 

 田中がそう言うと郭図もしきりに頷いた。

 

 この日の天気は晴れのち曇りであった。

 

 

 事が大きく動き出すのは、それから二週間ほど経った年が明けた正月のある日であった。 

 

 

 

「田中殿、田中殿、大変です!」

 

 副官が大急ぎで田中の執務室に飛び込んできた。

 

「どうした?」

 

 何となく予想は付いているが、何事もないかのように田中は尋ねた。

 

「三公殿下から檄文であります!」

 

「内容は?」

 

「洛陽にて暴政を振るう董卓を打倒せよ、であります!」

 

「分かったすぐに太守様に報告に行く」

 

 そう言って田中は執務室を出た。

 無論、田中はこの檄文が橋瑁が偽装した嘘であることは知っている。

 しかし、これは漢を二つに分ける大戦になるために報告せざるを得ない。

 

 

「そうですか」

 

 田中からの方向を聞いた袁紹は落ち着いて答えた。

 

「すぐに閣僚を集めなさい。今後のことについて話し合います」

 

 近くの兵士に命令して、会議の準備を始めた。

 

 

 

 

 会議は紛糾した。

 田中の証言や様々な情報からこの檄文が三公からの指示というのは嘘であることは分かっていた。

 問題は洛陽がどうなっているかとどちらに付くかであった。

 

 今の権力者たる董卓に付くという者達と時代の趨勢は反董卓連合であるから反董卓連合に加わるべきだという者達の二つに意見が分かれている。

 ただ、洛陽の様子が分からないためにどちらも決定打を決めかねていた。

 

 田中はあらかじめ、こうなることを予測し兼ねてから洛陽の様子を探らせている。

 そこで、会議での発言を許されていた。

 

「私が部下に命じて洛陽の様子を探らせました」

 

 一同からどよめきが起こった。

 

「洛陽は暴政どころか、素晴らしい善政が敷かれており、極めて栄えているそうです、また出入りする商人に問い合わせたところ、暴政になったことは一度もないとのことでした。これは無差別に選んだ商人に聞いているので、かなり信憑性は高い物と思われます」

 

 田中の報告により、董卓に付くという者が優勢となった。

 

 しかし、問題は兵力だ。

 

 董卓の兵力は十万ほど。

 それに対する反董卓連合はおおよそ二十万が予測されている。

 

 どう考えても董卓に勝ち目はない。

 

 最後まで議論をしても決着の付かなかった両者は最終的に袁紹に決断を仰ぐことにした。

 

「最早、議論は尽くしましたが、我々ではこの問題は決めかねます。最後はどうか太守様、ご自身でのご決断を仰ぎたく……」

 

 逢起がそう言って皆が袁紹に注目した。

 

 袁紹は一人一人と目を合わせ、最後に一呼吸入れたあと、大きな声で言った。

 

「私は……」

 

 この日、袁紹の未来を大きく左右する決断がされた。




 ここで、皆様に一つお詫びがございます。
 私は学校の実習の都合上、来週からほぼ一ヶ月間インターネット環境の使えない環境に行くことになります。
 使えるときがあれば、投稿を行いますがかなり厳しい物と予測されます。
 なので、一ヶ月間ほど投稿ができない可能性がありますのでご了承ください。
 誠に申し訳ありません。


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第十五話 反董卓連合

先ほどはすいません!
間違って違うものを投稿してしまいました。



 時は190年。

 

 漢王朝の権威が弱まりつつある。

 

 そんな時に漢の都たる洛陽を守る地にて大きな動きが起きていた。

 

 洛陽を守る関、虎牢関と汜水関。ここで今までにないほどの緊張感が漂っていた。

 理由はつい1週間ほど前のことである。

 

 三公を騙る偽装された董卓を討伐せよという檄文が各地に飛び、諸侯が一斉に蜂起したのだ。

 

 確認されている主立った者では曹操、公孫瓉、袁術、孫策などである。

 

 反董卓連合の総兵力は二十万。

 

 この兵力が集結したのが、汜水関である。

 

 この汜水関を守る董卓軍の将は華雄、張遼である。

 二人とも董卓軍を代表する名将中の名将である。

 

 そんな豪傑の揃う汜水関で大戦がおきようとしていた。

 

 

 

「う~む、七乃! 妾は疲れたのじゃ! 少し休ましてくれたも!」

 

 まだ、十歳にも満たないような小さな幼女が、年相応のかわいらしい声でそう叫んだ。

 

 彼女の名前は袁術。字は公路。

 南陽の太守であり、袁家の正式な跡取りである。

 袁紹とは従弟の関係で、史実では仲が悪かった。内政能力や軍隊を指揮する能力は無かったが、外交交渉能力は極めて高く、周りの国を自分の好きなように操っていた。

 最後は呂布にぼろぼろにされたところを曹操の攻撃に遭い、袁紹の所に逃げる途上で病にかかり死亡。

 最後の言葉が実に有名で「蜂蜜水が飲みたい」であったそうな。

 

 そんな彼女が率いるのは総数三万の大軍勢である。

 

 間違いなく反董卓連合の片翼を担う存在であることは間違いない。

 

 その大軍勢が目指すのは汜水関である。

 情報に寄れば汜水関には現在、董卓の将軍の一人でもある華雄と呂布がこもっているそうだ。

 

 袁術は、反董卓連合の一員として各地の諸侯と共に立ち上がったのだ。

 

「は~い、美羽様、もう少し我慢してくださいね! もう少し行かなくては野営地にたどり着けないので」

 

「七乃、妾は今すぐ飲みたいのじゃ!」

 

「きゃ~ん!我が儘言って、周りのことを考えない自己中心的な美羽様も素敵!」

 

「おお!妾は素敵か!七乃、もっと褒めてたも、もっと褒めてたも!」

 

「馬鹿にしているのに気付かない美羽様、可愛い!」

 

 さりげなく毒舌を振りまく女性は軍師の張勲である。

 

 字は少軒。

 史実においては袁術に仕え、数多くの戦を指揮した。

 孫策が橋蕤(橋ずい)と共にその才能を見抜いた人物であり、かなり優秀な人物であったことがうかがえる。

 死亡に関しては詳しくは分かっておらず、元部下であった廬江太守劉勲に捉えられた記述が最後の記録である。

 

 彼女らの所属する反董卓連合が集結する野営地は汜水関の近くに設置されている。

 

「美羽様~、野営地が見えてきましたよ!」

 

 張勲が唐突に声を上げた。

 

 指さす先には巨大な陣が敷かれた宿営地が見える。

 これこそ総数二十万を超える反董卓連合の野営地であった。

 

「ふ~、これでようやく蜂蜜水が飲めるの~」

 

 気の抜けるような声を出して椅子へと体重を授ける袁術を尻目に張勲はその頭脳を高速回転させていた。

 

(おかしい、袁本初の旗が見えない……)

 

 そう。

 今回の主力の一つでもある袁紹の旗が見えないのだ。

 

 彼女は派手好きであるから軍勢は諸侯の中でも目立つ。

 鎧は金色をしており、その旗は黄色に袁の文字が書かれた物である。

 

 しかし、集まっている軍勢にそのような軍隊は一つも無い。

 

 袁術が到着したのは集合の一日前だ。

 袁紹はどんなときも優雅さを求めるゆえ、遅刻ギリギリなどはない。

 

 何より、彼女に付き従う文官達は誰もが喉から手が出るほどほしがる優秀な者達。

 そのような者達が日にちを間違えるなど万が一にも無い。

 

 また、途中で襲われたと言うことも考えずらい。

 これも指揮ほどの理由と同じく、彼らを率いるのは猛将ばかりだ。

 

 山賊ごときが襲いかかったとしても返り討ちにするであろう。

 

 では現在いない理由は何であろうか。

 

 そこが引っかかっているのだ。

 

(まあ、あそこに行けば分かることでしょう)

 

 そう思い、張勲は野営地へと近づいていった。

 

「恐れながら、どちら様の軍勢でありますか?」

 

 門で警備をしている兵士が大きな声で尋ねた。

 

 それに張勲が答える。

 

「こちらは南陽郡太守の袁公路様にあらせられる」

 

「これは失礼いたしました!どうぞお通りください。それから間もなく軍議が開かれますので、袁南陽太守様は野営地中央の天幕にお越しください」

 

「分かった。勤めご苦労!」

 

 そう言って、門が大きな音を立てながら開いた。

 袁術達は隊列を乱さないようにしながら、進んでいった。

 

 

 

「袁公路様、ようこそお越しくださいました」

 軍議が開かれるという天幕に着いた二人は、入り口で一人の男に迎えられた。

 

 彼の名は孔融。

 字を文挙と言う。各諸侯から信頼が厚く、援軍や仲介役を担うことが多い。

 今回も董卓の横暴に怒り、援軍として出陣したのだ。

 

「どうされたのです?早く中へ入られては如何ですか?」

 

 張勲がそう言うと、孔融はおどけたように言った。

 

「中で待つのはちょっと危険な香りがしましてね……」

 

 何となく予想が付いた張勲は苦笑した。

 

「彼女ですか?」

 

「ええ」

 

 孔融はいかにもと言った具合に相づちを打つ。

 

「分かりました。彼女をどうにかしてきましょう」

 

 そう言って二人は入る。

 袁術は何を言っているのか分からず、ポへーと張勲についていった。

 

「だから、袁紹はどこにいるのよ!」

 

 中に入ると大声が聞こえてきた。その声の主は赤髪の女性に突っかかっている。

 その声を上げた人物は曹操である。そして切れられているのは公孫瓉だ。

 

 彼女は袁紹の治める勃海群のさらに北へ行ったところにある北平の太守だ。

 異民族と何度も交戦をしており、彼女の部隊は騎馬戦に極めて長けており、今回の参加諸侯の中でも有力視されている。

 

「だから、何度も言ったとおり、未だ袁勃海群太守様の足取りは掴めてなくて……」

 

「麗羽は総数五万の兵力を率いて、出陣したのよ!その軍勢の足取りも掴めないなんてあなた馬鹿なの!」

 

「だから、今手を尽くしているところだ!もうしばらく待て!」

 

 曹操が切れているのは言わずもがな、袁紹配下の田中を手に入れるためだ。

 このことは曹操が意図的に情報をリークし、各諸侯の間でも有名な話であった。

 

 この目的を達するためにわざわざここまで足を伸ばしてきたというのに、袁紹が未だ着いていないと知った瞬間、曹操は烈火の如く怒り出した。

 

 特に、途中まで一緒に行動をしていた公孫瓉に対する怒りは凄まじい物であった。

 

 出発するときに偶然、一緒にいたものの途中で用事があるとのことで分かれて以来、行方知らずになったという。

 

「まあ、まあ。二人とも落ち着いて」

 

 そう言って張勲が二人を止めようと動き出したとき、一人の兵士が駆け込んできた。

 

「申し上げます!袁勃海群太、いえ、袁紹の旗が見つかりました!」

 

「どこに行ったの!」

 

 曹操が切れながら聞くと兵士の口から信じられない言葉が飛び出た。

 

「し、汜水関の門の上です!」

 

 その瞬間、その場にいた者、全てが凍り付いた。

 

 

 

 




今後の投稿も出来る限りの事はしますが、いつになるかは分かりません。
すいません。


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第十六話 汜水関へ

 袁紹がどのようにしてここまで来たのだろうか。

 話は袁紹の決断したときにまで遡る。

 

 

 

「私は董卓、いえ董仲潁殿につきます!」

 

 その瞬間、広間に響めきが起こった。

 何せ、董卓は劣勢な状況。そのような沈み掛かった船に乗り込むなど自滅も良いところだ。

 

「しかし、それでは周りが敵だらけになりますぞ!」

 

「そんなこと分かっています。ですが、私は漢の民を守る立場。洛陽の民が苦しんでいないにも関わらず、戦争を起こしてはそれこそ民が苦しむことになります。そのようなこと私の望むものではございません!」

 

 そのいつにないはっきりとした意思表示に袁紹の決意の固さがうかがえる。

 主の心が決まったのであれば、臣下のやることは一つだ。

 

「分かりました。そのような旨をすぐに董仲潁殿に打診し、これから先の策を立案してきましょう」

 

 そう言って逢紀は郭図や許攸をはじめとした文官を引き連れ広間を出て行く。

 

「あたしらは戦支度を始めておくぜ」

 

 そう言って、文醜達、武官は兵舎へと向かう。

 

 広間に残ったのは袁紹と田中だけとなった。

 

「私は今の選択で間違っていましたか?」

 

 消え入りそうな小さな声で袁紹は田中に尋ねる。

 袁紹は優秀な人間だ。自分の統治地域の周りが反董卓連合を組んでいることぐらいは分かっている。

 その上で、自ら董卓に着くと決めた。これは下手すれば周囲の諸侯から攻められる可能性すらある。

 自ら民の平穏を望むと言いつつ統治範囲の民の命を危険にさらしているのだ。

 その判断はどうだったのか田中に聞きたかった。

 

「統治者としては間違いでしょう」

 

 袁紹の質問をずばっと切り捨てた。

 袁紹は予測はしていたが、やはり落ち込んだ。

 しかし、田中の言葉には続きがあった。

 

「しかし、あくまでもそれは統治者としては、です。今は反董卓連合という天下を乱そうとする者達がいます。あなたは勃海群の太守である前に漢の臣下であります。かようなものを討伐するのは臣下たるあなたの役目です」

 

 そう言って田中は一息つく。

 

「ならば、あなたの選択に間違いはない。故に、この問題に正解などないのです。有るとすれば、それは自分の意志か否かです」

 

 そう言って袁紹の悩みをすぱっと断ち切った。

 

「田中さん、ありがとうございます」

 

 袁紹はそう言って田中にお礼を言う。

 

 それに田中は黙って臣下の礼を持って答えた。

 

 

 それから数日後、袁紹の配下が再度集まった。

 内容は反董卓連合に対してどうするか。そして戦争となったときはどうするかについてである。

 

「では、まず反董卓連合に対しての策ですが、反董卓連合に加わる旨を連絡します。なお、董仲潁殿には密使を派遣。味方になることを伝えます。そして公孫瓉軍と出陣を合わせます。偶然を装い、この軍と合流。その後、公孫瓉軍から離脱。一途、汜水関へ向かいます。ここまでで何か質問はございますか?」

 

 そう言って逢紀は周囲を見渡した。

 すると郭図が手を上げた。

 

「郭公則殿」

 

「周囲の諸侯はどうする。勢力は小さいがまとまってこられたら面倒な上、北には公孫瓉がいるぞ」

 

 小さな声だが良く通る声で尋ねた。

 

「公孫瓉は自ら軍隊を率いて出陣するでしょうから、それほど心配することはありません。問題は周囲の諸侯ですが、文将軍と顔将軍、それからあなた、郭公則殿には勃海を守ってもらいます。それで対処は十分でしょう」

 

「分かった」

 

 郭図は納得したようだが、一人不満があったようだ。

 

「ちょっと待ってくれ。俺たちは出陣しないのか?」

 

 文醜が勢いよく手を上げ質問した。

 

「武将に関しては基本的には向こうの人間に従います。董仲潁殿は張将軍をはじめとする優秀な将軍を多く抱えていますから、そちらに任せます。本拠地あっての軍ですからね」

 

「むう。ならば仕方がない」

 

 そう言って文醜は不満げながらも黙った。出陣できないのがかなり不満らしい。

 

「文将軍」

 

 袁紹が話しかける。

 

「はい、何でしょう?」

 

「留守はあなたたちに掛かっています。頼みますよ」

 

「はい!」

 

 そう言って文醜は張り切りだした。

 

「他に質問は?」

 

「汜水関までの行き方はどういたすのですか?周りは敵だらけですよ」

 

 質問をしたのは許攸だ。彼女は基本的には情報を扱う人間への教育指導を行う立場の人間であるが、こうした場面では優秀な人間なので収集される。

 

「途中までは反董卓連合の陣に向かうように見せかけます。その後、汜水関の南東側にある山中へ入り、諸侯の目をくらませつつ汜水関の張将軍達の軍勢と合流します」

 

「それでは裏切り行為とみられ、今後に支障が出るのでは?」

 

「そればかりは仕方がありません。私たちが生き残る方法はこれ以外はありません」

 

「分かりました」

 

「他には?」

 

 逢紀が尋ねるも質問はあらかた出尽くしたようだ。

 

「では今回の出陣における参加人員を発表します」

 

大将 袁紹

副将 逢紀

その他 田中 許攸 荀諶

 

歩兵2万 騎兵5千

 

(荀諶がいるのか!)

 

 田中は思わず叫びそうになった。

 

 この人物は正史においてあまり記録はない。

 しかし、田豊、許攸らと並んで参謀に任命されるなどかなり優秀な人物であった。

 袁紹が冀州を獲得する時にも大きく関わっている。なお、姓から分かるように曹操の軍師の荀彧の兄弟である。

 

「今回の戦に参加する人であったことがない人がいるのですが……」

 

 田中は袁紹にそれとなく荀諶のことを聞いてみた。

 

「友若のことですわね。友若ここへ」

 

 そう言って一人の人物を呼んだ。

 その人物は背が低く、大きな胸が目を引く。髪は金髪で碧眼。活発そうな雰囲気を出しており、頭には犬の耳が着いたフードをかぶっている。

 

「はい、は~い。袁太守様、お呼びですか?」 

 

「こちらは最近加わった田中殿です。一様、出陣する将軍の一人だから紹介をと思いましてね」

 

「田中と申します。宜しくお願いします」

 

「あ~、あなたが噂の人物ね。私は荀諶、字を友若と言います!宜しく!」

 

 そう言って手を握ってぶんぶんとふった。

 

(これがあの荀諶なのか?)

 

 あまりにも馬鹿っぽい行動に田中は、戸惑いを覚える。

 

「今回、出陣する狙いは董仲潁殿に付くだけじゃないよね~」

 

 荀諶は突然意味深なことを言い出した。

 

「何を言っておりますの、彼女の味方をする以外に何があるのですか?」

 

 袁紹はさも知らないという具合に首を傾ける。

 しかし、田中はその後ろにいた逢紀の動きを見逃さなかった。

 一瞬ぴくっと動いたのだ。それ以外に変わったことはなかったが、その動きは明らかに荀諶の言葉に反応していた。

 

「太守様も知らないってことは私の勘違いか、ごめんね~!」

 

 そう言ってその場を離れていった。

 

 田中の中には漠然とした違和感だけが残った。

 

 

 

 

 その後、予定通り事は進み無事、汜水関のそばにまでたどり着いた。

 

 予定の場所にたどり着き、あらかじめ準備していたテンポで銅鑼を鳴らす。

 

 すると汜水関の方面から数騎の馬が走ってきた。

 

 

「何者?」

 

 その者は静かに聞いた。その言葉には下手な言葉をすれば殺すと言う明確な殺意が込められていた。

 さらにその殺意は信じられないほど強く、明らかに普通の人物ではない。

 

「我が軍は董仲潁殿の援軍に来た袁太守の軍勢であります」

 

 そう言うとその者は殺意を消し、黙って反転した。

 そして着いてこいとでも言いたげに走り出した。

 

「全軍、かの者に続け」

 

 命令を出し、さらに走ること半刻ほど目の前に大きな門が見えてきた。

 

「これが汜水関」

 

 誰かが呟いた。

 これからここが戦場となる。

 

(もしかしたらここが自分の墓場になるのかもしれない)

 

 そう思うと不安で押しつぶされそうになる。

 しかし、賽は投げられたのだ。覚悟を決め、田中は汜水関へと足を踏み出した。



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第十七話 汜水関の戦い

 袁紹軍は到着するとすぐに汜水関の中に入っていった。

 

 田中達幕僚が汜水関に入るとそこには先ほどの人物が立っていた。

 炎のように赤色の髪と目に黒い肌。頭には触覚のような二本の長い髪の毛が出ている。

 

「先ほどは案内ありがとうございます」

 

 田中が礼を言うと彼女は黙って頭を下げた。

 

「私は袁太守様の副官の田中という者です。以後お見知りおきを」

 

 そう言って田中は臣下の礼を取る。

 

「恋の名は呂布。字は奉先。宜しく」

 

 

(呂布だと!)

 

 今までで一番驚いた。呂布と言えば三国志の中でも最強の武将として知られている。

 人中の呂布とまで謳われた人物であり、数多くの人間を裏切り最終的に曹操に処刑された人物である。

 しかし、裏切るのは自分からではなく何かしらの陰謀に巻き込まれ、陰謀を企む人物を信用したために裏切ることとなる。故にある意味では凄く純粋な人物であると言えよう。

 

 史実においてこの呂布は汜水関にはいない。

 歴史とは違うと言うことは登場する武将が全員女性と言うことで理解していたためにそれほど大きな驚きはないが、呂布がいるのは田中にとっても驚きであった。

 

 それだけ反董卓連合の力を恐れているのか、それとも他の何か別のもくろみがあるのか。

 

 分からないが、呂布がいるという現実は変わらない。

 

 とにもかくにも賽は投げられたのだ。様子を見るしか他はないと考え、田中はこれから起こる戦のことに頭を切り換えた。

 

 

 

 

 袁紹軍が汜水関に入ってからすぐ董卓軍と共に軍議が開かれる事になった。

 

「うちはここの指揮官の張遼や。字は文遠。よろしゅうなぁ」

 

 紫色の髪をして胸にさらしを巻いた女性がそう挨拶を行う。

 

 張遼

 最初は丁原に仕え、続いて何進、董卓に使えており、呂布に董卓が殺されると呂布に仕える。呂布が敗れ捕獲されると曹操を逆賊呼ばわりして激怒させた。しかし、その場にいた関羽や劉備の仲裁で忠義の士として曹操に仕えることとなる。その後は多くの主要な戦に出陣し、手柄を立てた。特に合肥の戦いは有名であり、たったの数百名の兵士のみで数十万といる呉軍をさんざんに打ち破り孫権をあと一歩に場所にまで追い詰めた。

 しかし、曹丕の時代に戦の矢傷が原因で死去。史実においてはこの時期に病気を押して出陣したために病死したとなっている。

 

「私は袁紹、字を本初と申しますわ。勃海群太守です。宜しくお願いいたします」

 

 そう言って袁紹は華麗にお辞儀をする。

 

「堅苦しい挨拶は無しにしてくれな。うちはあまり得意じゃない」

 

「そう言われましても癖ですので、お気になさらず」

 

「ほうか。ほな気にしないようにするわ」

 

 そう言って、双方の諸将が挨拶をしていく。

 

「私の名は華雄。よろしく」

 

 華雄

 字は不明であり、董卓に仕えた将軍。演技においては関羽の引き立て役に近い扱いをされており、初戦で汜水関を巡る戦いで奮闘するも関羽に斬られ出番が終了する。史実においては陽人の戦いで孫堅に斬られている。

 

「私は袁太守様の副官の田中です」

 

「恋は呂布。字は奉先」

 

「私は逢紀、字を元図でございます」

 

「私の名は許攸、字を子遠と申します」

 

「私は荀諶と申します。字は友若です」

 

 この戦いにおいて袁紹軍からは文官達を董卓側からは武官を派遣し、互いに協力をしあうことは既に決まっていたために、このような偏った編成となっている。

 

 一同が挨拶を終え、早速軍議が始まる。

 

「今回、敵は20万ほどの軍勢で攻めてきている。陣は見ての通り汜水関の正面に布陣。敵は今のところ動きはない。敵の主な武将は曹操、袁術、孫策、公孫瓉です。このほかにも多くの将が参加している」

 

 あらかじめ情報の収集を行っていた華雄が報告を行う。

 

「こちらの兵力は華将軍の2万、張将軍の3万、呂将軍の2万。それから袁太守の兵力として2万5千の総数9万5千です」

 

 逢紀がそれぞれの戦力分析を行って兵力を計算する。

 

「うちらが圧倒的に不利やな……」

 

 張遼が嘆息しながら言う。

 

 重苦しい空気が立ちこめる。分かってはいたものの圧倒的な兵力差に愕然とさせられるばかりだ。

 しかしその中でも田中が一言呟く。

 

「いえ、そうとは言い切れませんよ」

 

「何?」

 

 張遼が聞き直す。

 

「この諸侯はあくまでも利益の点から出陣を選んでいる可能性が高いです。故に同盟とは言えど名ばかりのもの。実質はただ集まっているだけの烏合の衆でしかありません」

 

「それはどうしてそんなことが?」

 

「見ていれば分かるでしょう。あちらの兵士達をご覧ください。訓練している部隊もあれば飲んでばかりいる部隊もある。部隊の天幕の張り方もしっかりしているところもあれば、適当に張られているところもある。点でばらばらで統一感がまるでないのは簡単に見て取れます」

 

 実際に言ったとおりの状況が起きている。

 

「確かに」

 

 華雄がいかにも納得と言った雰囲気を出して頷く。

 

「このような軍は数で押すだけしかできません。ですから実質の能力はかなり低いはずです。とは言えど数は脅威です。故にこちらは敵の士気が下がるのを待ちつつこの関で敵を迎え撃てば良い。何せ敵はこれだけの大軍ですから兵站を維持するのも相当困難なはず。時が満ちればやがて撤退するでしょう」

 

 田中がそのように締めくくる。

 

「成る程なあ!うちにも分かりやすかったわ!ならば籠城すれば良いってことやなあ?」

 

「ええ。さらに敵の兵站を止めるために将軍方には定期的に夜襲や敵の兵站への攻撃を行っていただきたいのです」

 

「お待ちください」

 

 許攸が口を挟む。

 

「籠城は構いませんが、この関にはどれほどの兵糧がためられているのですか?」

 

 いざ籠城と言ってもこちらの兵糧がなくては話にならない。

 許攸はそのことを危惧していた。

 

「安心しぃ。ここは洛陽を守る汜水関や。10万ほどの兵力ならば3ヶ月は持ちこたえられるほどの兵糧は蓄えられておるで!」

 

「ならば安心して籠城できます」

 

「しかし、籠城してこちらに得はあるのですか?兵糧が尽きるというのは、あまりにも希望的な観測のような気がするのですが……」

 

「大丈夫ですよ、やがて万にも匹敵する味方が助けに来てくれますから」

 

「その味方とは?」

 

 その張遼からの質問に袁紹軍の軍師達は微妙な笑顔で答えるのみであった。

 

 

 こうして、袁紹董卓連合軍は籠城戦の構えを見せたのだ。

 

 董卓連合が汜水関に立てこもることを予測していた反董卓連合は、早速攻撃を開始した。

 

 まず汜水関に攻め込んできたのは、孫策軍である。

 

 

「徳謀、汜水関をどうやって落とせば良いと思う?」

 

 ピンク色の髪に黒色の肌できわどい服装をした女性が横にいた青色の髪の同じくきわどい服装をした女性に聞く。

 

「はい。この戦いはこちらの人数が圧倒的に有利です。ここは数の利で攻め滅ぼすのがよろしいかと……」

 

「そうね、ここは手始めに攻撃してみましょう」

 

「いえ、お待ちください!」

 

「何、公瑾?」

 

 公瑾の名で呼ばれたのは同じくきわどい服装をしたグラマーな女性。

 

「彼らは数は少ないと言えど、呂布や張遼、さらに荀諶や逢起が率いていると聞きます。彼らは優秀な将軍ばかりです。手始めの攻撃でかなりの損害を被る可能性が……」

 

「そのようなひ弱な考えで、敵を倒せると思うの!孫呉の兵士は勇猛で董卓らの弱兵如きには負けないわ!」

 

 徳謀の名で呼ばれた人物が怒りの声を上げる。

 

 ここまで書けばお気づきであろうが、ピンクの髪は孫策、青色の髪は程普、公瑾は周瑜である。

 彼らは反董卓連合の一員として汜水関への攻撃方法について議論していた。

 

「申し訳ありません!されど今しばらく慎重に考えられてからご決断ください!」

 

「構ってられない。行きましょう」

 

 必至の周瑜の説得に耳も貸さず、程普と孫策は出陣の支度を始める。

 

「公瑾、忠告は感謝するわ。だけれども今回は本当に軽く様子を見るだけだから大丈夫よ」

 

 そう言って孫策も出陣の準備をして部屋を出て行った。

 

「何もなければ良いが……」

 

 胸の中によぎる嫌な勘をどうか外れてくれと祈りながら、周瑜は二人を見送った。

 

 

 

 

「張将軍!敵が出陣して参りました!」

 

 物見が孫策軍の動きをすぐに把握し、張遼に報告する。

 

「どこの部隊で数はどのくらいや?」

 

「孫策軍のものと思われます!数は2千ほどです!」

 

「手始めに斥候がてらに出陣か!蹴散らしてくれるわ!」

 

 そう言って呂布を呼んだ。

 

「恋、分かっとるな!敵は少ないが、手練れやぞ。決して油断せずに敵を殲滅せよ!」

 

「うん」

 

 そう言って、呂布は待機させていた部下達と共にすぐに出陣をした。

 

 

 

「雪蓮、敵将が出てきました!」

 

「へえ、誰?」

 

 舌なめずりをしながら孫策は聞く。

 孫策は戦狂いで戦闘となると若干逝ってしまうのだ。

 

「あれは……まずい!呂布が出てきたようです!」

 

「呂布ねえ、軽く戦ってみたかったのよ」

 

「お待ちを、呂布は危険です!攻撃せず退却をすべきです!」

 

「いいえ、ここまで出てきて退却は兵の士気につながるわ。今は突撃をしましょう!」

 

 そう言って単騎で呂布の所へと駆けだした。

 

「お待ちください!ええい、こうなったら全軍私に続け!」

 

 そう言って程普も駆け出す。

 

 こうして汜水関における戦いは幕を開けたのだ。

 

 

 呂布は単騎で駆けてくる孫策を見た瞬間、配下の兵士に一斉に矢で射るよう命じた。

 一斉に兵士が矢を射るも最低限の矢だけ払い落としこっちに突撃を続ける。

 

「死ね」

 

 その一言共に駆けてくる孫策に愛用の武器の方天画戟で一太刀浴びせる。

 

「くっ!」

 

 その一撃を本能的に躱す孫策。

 その一撃は地面にぶち当たり、周囲を陥没させる。おそらく孫策がまともに防ごうとしていたら剣ごと体も真っ二つにされていただろう。

 

(何よ、この攻撃!あの早さでこれだけの攻撃を行うなんて!)

 

 しかし、孫策が少し考えている間にも呂布は2撃3撃と攻撃を繰り出してくる。

 それらをどうにかいなした孫策の所へ程普が到着した。

 

「雪蓮、無事でしたか!」

 

「どうにかね!」

 

 しかし、程普が加わったところで呂布にかなわないのは目に見えている。

 

「徳謀、隙を見つけて逃げるわよ!」

 

「分かりました!」

 

 そう言って二人は呂布にかけ出した。

 

「無駄」

 

 二人が同時に放った斬撃を柄で受け止め、そのがら空きになった胴体めがけて蹴りを繰り出す。

 それを予測していた二人は一気に体を回転させて蹴りをいなす。

 

 そして蹴りを放った呂布はその勢いを殺さずに今度は方天画戟で二人の武器を上に跳ね上げ、横一文字に切りつける。

 

「ぬんっ!」

 

 この攻撃にとっさの判断で転がってよけた二人はそのまま逃げ出した。

 

「逃がさない」

 

 そう言って二人を追いかけようと構えた直後、撤退の銅鑼が鳴る。

 

 この銅鑼が鳴っては呂布は撤退しなくてはならない。

 

「……」

 

 呂布は若干不満ながらも撤退をした。

 

 この戦いにおいて呂布軍は出撃したのが7000ほどだったのに対して、被害は100ほどだった。これに攻撃を受けた孫策軍は1000近い被害を出して撤退をした。

 

 こうして汜水関を巡る戦いの一戦目は董卓軍の勝利となった。

 




 今後の作品作りのため、読みづらいや違和感を感じるなどのご意見、ご感想があれば遠慮なくお寄せください。
 忌憚のないご意見、ご感想をお待ちしております!


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第十八話 勃海の危機

 両軍が対峙を始めてから早2週間。

 

 大きな衝突は孫策による攻撃以来起きておらず、互いににらみ合いが続いていた。と言っても反董卓連合は最早、瓦解の様相を呈し始めていた。

 

 これは呂布軍や張遼軍による補給戦線への攻撃だ。

 

 敵は反董卓連合の知らない裏道を通って、補給線に高い頻度で出没し兵糧を奪ったり焼いたりすることが起きていた。

 このダメージは最初こそ気にするほどではなかったが、徐々に被害が効き始め、現在では各軍の兵糧が不足する事態が起きている。

 これを防ぐために護衛兵の数は増やしてはいるものの何せ敵は士気、練度共に高い騎兵。そう簡単に防げる相手ではない。ましてや今は兵糧の不足により、全力を出せない状況だ。

 

 これでは襲撃を防げないのも無理はない話だった。

 

 

「このままではじり貧の戦いね。何か兵站を確保する策はないのかしら?」

 

 曹操は自分の配下の人間に尋ねた。

 皆が一様に悩み込む。

 

「う~む、兵站の意味は何だ?」

 

 一人、夏候惇だけは違うところに悩んでいるが……

 

「姉者、兵站は軍の食料などを運ぶための通路のことだ」

 

「成る程!」

 

 妹の夏候淵の助太刀のおかげで皆と同じレベルまで追いつけたようだ。

 といっても夏候淵が言ったものは夏候惇が理解できるレベルでの説明をしただけで実際にはさらに多くの事象、例としては人員の配置、転換、設備の整備や維持、さらには衛生分野など多岐に渡る。

 

「まったく、春蘭は……」

 

 ため息交じりに曹操が呆れる。

 

 そのなか、一人の女性が声を上げた。

 

「一つ提案がございます」

 

「何、竜刃?」

 

 竜刃と呼ばれた人物は黒髪の長い美女である。

 

「はい、敵はおそらくこちらの兵士の数が多いことを逆手にとって利用してきています。そこで、こちらは敵の弱点を利用すれば良いのです」

 

「……成る程、そういうことね」

 

 曹操は納得するが他の人間は誰も理解できない。

 

「すぐに孔北海太守と鮑済北相、公孫北平太守を呼んでちょうだい」

 

「御意」

 

 彼女はそのまま天幕を出た。

 

「華琳様、あれはどういうことですか?」

 

 夏候淵が聞く。

 

「まあ、見ていらっしゃい」

 

 そこには獰猛な笑みを浮かべた乱世の奸雄の姿があった。

 

 

 

 

 それから数日後、袁紹は久しぶりに関の外を見た。

 

「田中、この戦いに何の意味があると言うのかしら?」

 

 袁紹はこの戦争が始まったときからその疑問を隠せずにいた。

 少なくとも洛陽の民は暴政などしかれていないし、そのことは反董卓連合の諸侯達も分かっているはずだ。

 なのにも関わらず戦争を行うとは、どのような意味があるのか?

 

 その意味を指揮官として知りたかった。

 

「本初様、私が思いますにこの戦に意味などございません。これは今後の敵を減らすための策略なのですよ」

 

「今後の敵……ですか。やはり漢王朝はもう……」

 

「ええ、おそらくは乱世になるでしょうな。そうすれば、今いる強力な人間は邪魔な存在となる。それを消しておこうという算段でしょう」

 

「何とおろかな……」

 

 袁紹は思わず頭を抱えた。そのような理由でこれだけの人間に犠牲を強いていると思うとやるせない思いがこみ上げてくる。

 田中はその袁紹から目をそらし、反董卓連合の陣に目を向けた。

 

「おや?」

 

 田中が疑問の声を漏らした。

 

「どうされたの?」

 

「いや、以前まで見えていた孔融と鮑信、公孫瓉軍の旗がないのです」

 

「何ですって!」

 

 急いで袁紹が目を向けるがその三軍の旗はどこにも存在しない。

 

「これはまずいですわ!」

 

「何がです?」

 

 田中は袁紹の懸念が分からずに尋ねる。

 

 その直後、逢紀が二人の所へ駆け込んできた。

 

「大変です!鮑信、公孫瓉、孔融の軍勢が勃海群へ向け、進軍中との情報が!」

 

「何!」

 

 田中は叫んだ。

 

 田中は攻め込む可能性があるとすれば、冀州刺史の韓馥辺りであろうと考えていた。

 しかし、想定を上回り公孫瓉が配下を率いて、勃海群に攻め挙がろうとしている。これは完全に計算外であった。

 公孫瓉は反董卓連合の主力の一員であり、まさか離れて本拠地に攻め挙がることはないであろうと考えていた。

 

 公孫瓉は北平の太守であるが、別の役目も担っている。

 

 それは漢に侵入してくる異民族を撃退する役目だ。特に公孫瓉が守る地域は馬の扱いに長けている異民族が侵入してくる。ゆえに公孫瓉はそれに対抗するために極めて優秀な騎馬隊を保有している。その戦い方は諸侯の中でもダントツの強さを誇るであろう。そのような軍勢がただでさえ手薄になっている勃海群を襲えば何が起こるかなど目に見えている。

 

 

「本初様、いかがいたす!」

 

「すぐに張将軍に面会を!」

 

「それは大丈夫や、ここにおる」

 

 そこにはいつのまにかいた張遼が立っていた。

 

「張将軍、今の話の通り、私たちはすぐに勃海に戻らなければなりませんわ。申し訳ございませんが、これ以上援軍は無理かと」

 

「構わへん。すぐに戻りぃ!あんたらはもう十分なくらい戦った。おおきに!」

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言って袁紹はすぐに軍勢をまとめ上げ、出陣の準備を整えた。

 

「正面は敵に押さえられております。ゆえに帰りも来た道を通って帰還しましょう」

 

 逢紀は献策した。

 

「そうしましょう!」

 

 そう言って来た道を引き返すように進軍を始めた。

 

 

 

「華琳様、袁紹軍が動いたようです」

 

 竜刃が曹操に報告をした。

 

「今彼らと戦って勝てる?」

 

 曹操の疑問に竜刃が答える。

 

「袁紹は本拠地に顔良、文醜両名を置いてきたそうです。彼女らがいなければ十分かと」

 

「よし、出陣お支度をしなさい!」

 

「御意」

 




 竜刃は真名です。
 彼女は完全にオリキャラで三国志演義には登場する人物なので良かったら予測してみてください。
 

 なお、公孫瓉はある程度袁紹軍の動きは掴んでおり、勃海群を守る部隊があまりいないことから他国に攻め込む余裕などないことが分かっていたために、北平に帰り守りを固めるようなことはしませんでした。


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第十九話 激突

 袁紹軍は勃海の窮地を知り、汜水関を撤退し一路勃海を目指す。

 しかし、そこには強大な敵が待ち受けるのであった。

 

 

「偵察部隊より報告!前方にいくつもの旗が見えるとのことです!」

 

「何!」

 

 袁紹は一瞬、その旗が公孫瓉隊のものではないかと緊張を高めた。もしそうであればかなり危険な状態だ。

 彼女の兵力は少ないとはいえど、兵は精兵揃いだ。一瞬で撃破されてしまうであろう。

 

「旗の文字と敵の数は?」

 

「曹の文字です!敵の数はおよそ1万!」

 

「華琳さんですね……。ここまで来てあのちんちくりんは私の邪魔をするのですわね!」

 

 憤慨しながら、袁紹は怒鳴った。

 史実においても袁紹ち曹操は旧知の仲であり、若い頃は二人で洛陽を遊び回ったらしい。その後、二入はライバルとなり官渡の戦いへと繋がっていくのだ。

 

 まさしくこれからの戦いはライバルとの初戦と言うことになるであろう。

 

「袁太守様、どうなさいますか?」

 

 逢紀が聞いた。言外に早く攻撃を命じてくれと言いたげに言葉には力がこもっている。

 

「どうするもこうするもないでしょう!あのちんちくりんを華麗に撃破して見せなさい!」

 

「御意!」

 

 逢紀はすぐに配下の武将に指示を出し始めた。

 

「高将軍、あなたは盾隊2000を率いて、すぐに本隊の前面に出て敵の攻撃を防ぎなさい!」

 

「御意」

 

「淳于将軍は鉄騎1000を率いて敵の後方に回り、合図が有り次第、突撃せよ。この道を左に進んでいくとなだらかな丘がある。こちらから見る分にはそれほど大きな丘ではないが、反対側に行けばかなりの高低差があり馬と人の背丈ぐらいであれば十分隠せる。道沿いにずっと続いているからこれに隠れつつ敵の後方に行きなさい」

 

「了解」

 

「荀将軍は槍隊4000を率いて高将軍の部隊の護衛と補佐を」

 

「はい、は~い」

 

「田中殿と袁太守様はここで待機し、敵の一撃目を防いだ瞬間に突撃し、敵本隊を撃滅なさってください。私は弩弓隊を率いて敵の牽制に努めます!」

 

 袁紹軍は急速に攻撃準備を整えていった。

 

 

 

 

「竜刃、敵の陣形どう思う?」

 

 曹操が隣の女性に尋ねる。

 

「前に盾隊が横陣で並び、後方の本隊が魚鱗の陣を敷いています。これは我が軍の初撃を食い止めて一気に攻撃に移るつもりでしょう」

 

「なるほど。ならば、敵に食い止められなければ良いのね。春蘭!」

 

「ここに!」

 

「鉄騎1000を率いて袁紹の盾隊を突破しなさい」

 

「御意!」

 

「秋蘭」

 

「ここに」

 

「弩弓隊、500を率いて敵の盾隊を怯ませて春蘭の突破を援護せよ」

 

「御意」

 

「竜刃、あなたは私と一緒に敵が怯んだ瞬間に敵を叩きのめすわよ」

 

「「「御意!」」」

 

 曹操は袁紹軍を静かににらみつけ、攻撃の時を待った。

 

 

 

「曹操軍、突撃してきます!」

 

 物見の兵士より急報が入る。

 

「盾隊、構え!」

 

「槍隊は止められた敵を一人づつ確実に倒していってね~」

 

 二人の将軍から指示がでる。

 

「本隊は直ちに槍隊の後方に移動して、攻撃の時を待て!」

 

 逢起が指示を出す。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 大きな叫び声が聞こえる。田中はその戦場の空気に飲み込まれそうになりながらも必至に指示を出す。

 

「我が隊は袁紹様をお守りする!方円の陣を敷け!」

 

 そう言って陣を固める。

 

 ある一定の所まで近づいた瞬間に逢紀が指示を出す。

 

「弩弓隊、放て!」

 

 その瞬間、一斉に矢が曹操軍めがけて放たれる。

 

「ぎゃあああああ!」

 

 数十人の曹操兵が矢を浴びて地面に転がる。

 しかし、大半の兵士は恐れることなく、突撃を続ける。

 

 逆に曹操軍も指示を出したのであろう。

 曹操軍側からも矢が大量に飛んでくる。

 

 盾隊がある程度防ぐも運悪く矢に当たった兵士が地面をのたうち回る。正しく戦場の惨劇が今目の前で起こっていた。

 

「怯むな!敵の攻撃は弱小だ!矢を放ち続けよ!」

 

 逢紀が兵士に向かって叫んだ。

 

 

 そして、ついに前線が激突した。

 

「槍隊、槍を突き出せ!」

 

 荀諶が大声を出す。

 

「うおおおおお!」

 

 そして、突撃してきた敵の四肢や馬に風穴をうがつ。

 それでも敵は突撃を行い、盾隊と衝突が起きる。激しい衝突音が聞こえ、双方が倒れ込む。そのできた穴を袁紹軍は必至で塞いでいく。

 

 どうにか少し行き足を止められた瞬間、逢起が全軍に命じた。

 

「突撃!」

 

 その瞬間、銅鑼が鳴り後方に待機させていた淳于瓊軍が曹操軍の背後を急襲。一気に大混乱へ陥らせた。

 

「狙うは曹操の首だ!突撃!」

 

 淳于瓊が将兵に叫んだ。

 

 

 

「華琳様、このままですと……」

 

 予想外の敵の奮闘に総崩れになりつつある曹操軍を見て、竜刃が残念そうに曹操に言った。暗に最早撤退すべきだと告げている。

 

「分かったわ。春蘭と秋蘭の部隊に伝えて、撤退せよとね」

 

 近くの旗を持つ将兵に命じて、撤退の指示を出させる。

 

 しかし、撤退を許す逢起ではない。

 そこに追い打ちを掛け、曹操軍の兵士を一気に倒していく。何せ曹操軍は義勇兵。それに対して袁紹軍は正規軍。この状況ではあまりにも曹操軍に不利であった。

 

「まずい!このままでは全滅します!」

 

 竜刃は焦りの色が隠せないでいる。何せ、将兵が急激に減っていくのだ。予想外の損害に冷静ではいられなかった。

 

「華琳様、お逃げください!私が殿を勤めます!」

 

「しかし、竜刃、それは……」

 

「春蘭、秋蘭!華琳様を頼むわよ!」

 

「「御意!」」

 

「待ちなさい、竜刃!そんな勝手は私が許さないわよ!」

 

「華琳様、またお会いしましょう!しからば、御免!」

 

 そう言って竜刃は手勢を率いて、袁紹軍と対峙した。

 

「我が名は戯志才!死にたい奴から掛かってきなさい!」

 

 曹操を守るべく戯志才の決死の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




間もなくテスト期間に入るので不定期投稿になります。
すいません。


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第二十話 戯志才を配下にせよ!

 戯志才は袁紹軍の兵士の数を見てうめいた。

 

「あまりにも多すぎる……」

 

 自分の手元にある兵力はわずか200あまり。それも味方の軍が崩壊したことにより、士気は低下している。

 

 それに対して敵の数は少なくとも5000はいる。これでは勝負にすらならないであろう。

 

「これでは持ちこたえさせることすら難しいだろうな。こんなことなら春蘭は手元に残しておくべきだったか」

 

 しかし、その考えをすぐに打ちけち消した。

 

「だが、華琳様の護衛は絶対に必要だ」

 

 

 そう言っている間にも敵はどんどんとこちらに迫ってきている。

 

「歩兵は方円の陣を組め!弩弓隊は方円の中に入り、敵を迎え撃て!」

 

 配下の兵士達に指示を出す。

 

 すぐに兵士は陣を組み終えた。幸か不幸か兵士の数が少ないがために行えた迅速な陣形変換であった。

 

「これであれば、、多少なりとも時間稼ぎはできるであろう」

 

 それはあまりにも悲壮だが、的確な考えであった。

 

 戯志才は自分の認識の甘さを呪った。敵は本拠地を攻められ浮き足立ち、簡単に撃破できると考えていた。しかし、現実は違った。敵の兵士は予想以上に精強でこちらの突破を阻んだ。

 自軍の兵士の練度をわきまえずに行った自分を今更ながら呪った。しかし、今更どうしようもない。ここはその敗北の責任として自分が命を張って華琳の命を守るだけだと考えた。

 

 しかし、敵は予想に反して自分たちの矢が届くか届かないかの位置で一旦停止し、一人の男が歩み出てきた。

 その人物は大きな声でこう問いかけた。

 

「戯志才よ、私は田中 豊と申す! 貴殿はなぜそこにおわすのか!」

 

「それは貴様ら逆賊を打つためだ!」

 

「ほう、その程度の兵力で我々を打つとは片腹痛いな! 我が軍は総数1万はいるぞ! それだけの人数相手にそれだけの兵士で掛かってくるとは、貴殿らの主の曹孟徳はよっぽど味方を殺したいらしいな!」

 

「違う! 我が主はやむを得ず退却せざるを得なくなって殿を私が自ら志願したのだ!」

 

「では、お前はよっぽど味方を殺したいようだな!」

 

「なぜ、そうなる! 私はやむを得ず……」

 

「では、聞こう! 貴様に投降するという選択肢はないのか? これだけの兵士で勝てぬ事は赤子にでも分かること。ならば兵士の命を考え、投降するという手段はないのか!」

 

「そんなことをすれば貴様らは我が主の元へたどり着き、その首を私に見せびらかすであろうな!」

 

「何故そう決めつける! 我が主はこのたびの戦を大変悲しんでおられる。無駄な血は流さないようにするのが我が主の願い。貴殿の主の首を取ることが目的ではない!」

 

「貴様ら逆賊の言葉など信じられるか!」

 

「貴殿、先ほどから逆賊というが、誰のことを言っておるのだ?」

 

「貴様ら以外に誰がいるのだ! 朝廷を汚し、洛陽に暴政を敷く董卓に付いた貴様ら以外に誰がいる!」

 

「では聞こう。洛陽の情報をどこで手に入れた?」

 

「それは洛陽を出入りする商人達が……」

 

「貴殿は情報をそのような方法で手に入れているのか! その程度でしか判断しないとは何事か! 何故自分の目で見て確かめん! ましてやその内容はこの国を揺るがしかねない重要な情報だぞ! そのような不確実な情報で判断する方こそ逆賊ではないのか?」

 

 もちろん田中は、戯志才が本当にあの情報だけを頼りにしたのではないことは分かっている。

 おそらくは確かめたのであろうが、時代の流れは反董卓の流れになっていた。それゆえ、まだ力の強くない曹操が生き残るにはこれしか方法が無かったのであろう。

 

 しかし、田中は憤りを感じざるを得なかった。

 この戦いで反董卓連合に回ったものは自分たちの利権しか考えていないであろう。そのような者達に自分の主が逆賊呼ばわりされることだけはどうしても許せなかったのだ。

 

「……」

 

「それでよく曹孟徳の軍師が勤められたものだな」

 

 呆れたかの世に言い放つ言葉は、田中の本心のものではない。これらの言い合いは全てある目的のためであった。

 

 それは汜水関への出撃前夜にまで時は遡る。

 

 

 

「田中殿、ちょっとよろしいですか?」

 

 逢紀が田中の部屋を訪れた。

 ちょうど出撃の鎧のチェックをしていたところであったが、特段他にやることもないので逢紀にお茶の用意をしながら椅子を勧めた。

 

「どうしたんです、こんな夜半に」

 

「今回の戦の目的について少しお話があります」

 

 それは田中の最も気になっていた物であった。

 

「何ですか?」

 

 お茶を入れて机に二つの湯飲みを置いて聞いた。

 

「この目的は人材集めです。これからは戦乱の世が予測されます。故に人材の確保は絶対に必要でしょう。そのために今回出陣を行うと同時にめぼしい人間に声を掛けたり、敵であれば捕虜として捕まえて味方に引き入れるのです」

 

「ですが、何故こんな時に?」

 

「今であれば世間の目は戦いに目が向いており良い目くらましになります。この隙に良い人材を確保しに行くのです」

 

「成る程。して、何故その話を私の所に?」

 

「あなたと子遠の育てている間者の力が必要です」

 

 ここまで言われて何となくその先は分かった。おそらく間者には敵に仕えている有能な武将を寝返らせる気なのであろう。

 しかし、田中はある杞憂があった。それは間者の練度がそこまで高くなっているか不安であったのだ。

 

「私は構いませんが、間者の練度はそこまで高いものなのですか?」

 

「今回、忍び込ませるのは訓練もかねて洛陽です」

 

 予想外な答えに田中は驚いた。

 

「洛陽ですか! 一体どなたを……」

 

「それはお楽しみです」

 

 妖艶に微笑んだ逢紀は、お茶を飲み終えて立ち上がり扉の前で少し止まってから田中の方を振り返った。

 

「田中殿、あなたにはある仕事を行っていただきます!」

 

「はい。構いませんが兵の指揮ではないのですか?」

 

「ええ。仕事は別にございます」

 

「では何を?」

 

「敵将を寝返らせることです!」

 

 田中が今まで見た中で逢紀は最高の笑顔で言い放った。

 

 

 

 

(しかし、寝返らせろと言ってもいきなり戯志才かよ!)

 

 心の中で田中は突っ込みを入れつつ、目の前にいる戯志才を見つめた。

 

 田中の言葉に半泣きになりながら睨み付けてくる。しかし、言い返すことはできない。言い返せば、曹操の立場が危うくなり、言い返さなくては自分の立場は悪くなる。これでは何も言えなくなってしまうことは無理は無いことであった。

 

「戯志才、貴殿をここで殺すこと容易い。しかし、その才能を失うのはあまりにも惜しい。今回は失敗したもしれないが貴殿の噂はかねがね窺っておる。そこで我が軍に降伏し、少し仕えてみないか?」

 

「降伏だと! 馬鹿を言うな! 私には曹孟徳殿以外に仕える気はない!」

 

「おそらく、曹孟徳はしばらく姿をくらます。あれだけの被害が出たのであれば、立ち直るまで時間が掛かるであろう。恐らく見つけるのは困難を極める。ゆえに見つけるまでの期間を我が軍で働き、様々な体験をしてみないかと言っているのだ。別に立場は客将で構わん。それに曹孟徳を見つけるのもこちらは手伝うし給与も出そう」

 

 そう言って戯志才に降伏を促す。

 これには二つの意味がある。戯志才を抱え込むのと同時に兵の被害を減らすことだ。

 

 敵は恐らく決死の覚悟でこちらに向かってくるであろう。そうなるとこちらの被害も大きくなる。しかし、この場で戯志才が降伏すればその被害を押さえられる上、客将という立場ながらも戯志才を手に入れることができる。

 成功すれば、一石二鳥であった。

 

 

 

 考え込む戯志才を田中は固唾を呑んで見守る。

 

 

 

 10分経ったのか、それとも1時間経ったのか。時を忘れて田中が見つめていると戯志才が不意に馬から下りて、こちらに向かってくる。そして臣下の礼を取って言った。

 

「曹孟徳殿配下の戯志才、袁勃海太守様に降伏いたします」




 毎度、「袁紹を活躍させてみようぜ!」をお読みいただきありがとうございます。
 評価でも特に4以下の評価をつけられる方は今後の作品作りのため、何が悪かったのかなどを一言覧に簡単にで構いませんので、書いて頂ければと思っております。できる範囲で改善の努力はしていきたいと考えています。
 ただ、極力、公平な評価をつけていただきたいため、評価の際の最低一言文字数は規定いたしません。
 一言覧へ書くことは無理にとは申しませんが、今後の作品作りのためにもできる限りご理解ご協力をお願いいたします。


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第二一話 連合軍を迎撃せよ!

 勃海郡へと袁紹が兵を進めているとき、勃海の首都の南皮では大きな騒ぎが起きていた。

 

 北平の太守の公孫瓉、済北相の鮑信、孔融が連合軍としてこちらに攻め入ろうとしているのだ。特に公孫瓉騎馬隊は異民族の討伐として名高い。連合の総数は6万を超える大軍と言うこともあり、南皮では逃げようとする者などが相次ぎ、大混乱が起きていた。

 軍の宿舎においても出陣の準備が整えられており、全体的に慌ただしい雰囲気が出ていた。

 

 袁紹が連れて行った兵力は2万5千。

 それに対し、南皮の本国に残されているのは4万ほどの軍勢であり、戦いはかなり厳しいものになることが予測された。

 

「早く準備をしろ! 今、こちらに敵が向かってきている! 我が軍が遅れれば、この南皮の町が火の海と化するぞ!」

 

 文醜は兵に呼びかけながら、官庁の方に向かっている。

 今、官庁では閣僚の臨時収集が掛けられており、かなりの人間が向かっていた。

 

 

 

 官庁に入ると中も慌ただしい雰囲気になっており、文官や武官がそこら中を走り回っている。

 

 その中でも、文醜は謁見の間に向かって歩いて行く。ここは広いために会議の際にもよく使われる。

 文醜は謁見の間に入っていくと周辺にいた武官は臣下の礼を取る。ほとんどの人間は集合しており、郭図や顔良はまだ来ていなかった。

 

 いつもの位置に付き、しばらく待っていると最初に顔良が入ってきて文醜の後ろに立つ。

 

「何だ、斗詩。遅えな」

 

「ここに来るまでに人にぶつかっちゃって……」

 

「そうか。大丈夫か?」

 

「ええ。仮にも将軍よ。その程度で傷つくほど柔な鍛えかたをっしていません!」

 

 そう言って憤慨したように言う。

 

「いや、何。私の嫁の斗詩が傷ついては大変だと思ってな」

 

 ニヤニヤしながらいう文醜に顔良がぽかぽかと殴る。

 

「も~! 馬鹿!」

 

 そう言って二人でじゃれ合っていると、郭図が部屋に入ってきた。

 

 袁紹がいない期間、代理で総指揮を執るのは郭図だ。郭図が何者かを連れている。その人物は、白髪交じりの高齢の女性だが、足取りはしっかりとしており背筋も伸びている。

 

 その人物は郭図と共に全員の前までの普段は袁紹が座る袁紹の椅子まで行き、その横で止まった。

 

「皆の者、今は聞いての通り非常事態である!」

 

 郭図が話し始めた。

 

「こちらに迫っているのは北平の太守公孫瓉、済北相の鮑信、北海の太守孔融である!」

 

 そういった瞬間、軍事関係借家らはどよめきがあった。

 それほどまでに公孫瓉の軍は有名なのだ。

 

「そこで今回、紹介したいのはこちらにおわすお方だ」

 

 そう言って横にいる老婆が前に出た。

 

「私の名は廬植、字を子幹と言う。見ての通り老体だが、皆の足を引っ張らぬよう努力する」

 

 そうきりっとした口調で言い放つ。

 廬植と言えば、漢王朝に仕えた人物で、黄巾の乱においては数々の手柄を立てつつも政争に巻き込まれて隠居した人物だ。

 

 そのような人物が味方になるとは心強いと皆が歓喜の声を上げる。

 

「皆の者、廬子幹殿が加わったのは大変嬉しいことであるし、心強い。しかし、今の問題は連合軍への対策である。そこでこの場で皆に聞いておきたい。この中で妙案のある者はいるか?」

 

 皆に問いかけるも反応は芳しくない。もちろんないわけではないであろうが、相手はあの公孫瓉。小手先の技では通用しない相手だ。そう簡単には言い出せないのは当然のことであった。

 

 しかし、そんな中一人が手を上げた。その人物は先日、仕官してきた者で袁紹がいないことから正式な採用は指定ないものの一時的に能力を見るために登用した人物であった。

 外見は袖無しの服を着ており、胸元には大きなリボンをしめていて眼鏡を掛けていた。

 

「では、そちらの者」

 

 郭図が指すとその人物は一歩前に出て、話し始めた。

 

「私は先日仕官させていただいた郭嘉と申します。私に一つの案がございます」

 

「どんな案だ」

 

 郭嘉は静かに地図のそばへと行き南皮の待ちに指を指した。

 

「敵は今、ここ南皮の町に迫ってきております。ただ敵は大軍。どこかの地で補給を兼ねた休憩を取るはずです。そこはおそらく敵の大将の一人でもある鮑信の治める済北の地でしょう。ここは黄河の二本の支流に挟まれた地です。ですから敵が川を渡りきる前に攻撃を行えば敵を川に蹴落とすことができます」

 

 そう言って言葉を切った。

 

「確かにその案は良いであろう。しかし、敵が補給を行わずにこの地に攻めてきたらどうする?」

 

「その時は籠城をしつつ韓馥に使者を送り、敵の背後を付くように説得します。『公孫瓉が我々を倒した後に狙うのはおそらく冀州。なれば今ここで倒すのが上策』とでも言えば説得できるでしょう。韓馥は元来、臆病な性格。現在敵対関係にいるとはいえ、この話を持ち出せば乗ってきます」

 

「では他の地で奴らが補給を行ったら?」

 

「それでも敵はどこかで川を渡らねばなりません。敵が補給を行っている間に先回りをして要所を押さえておけば簡単に倒せます。万が一にも渡河を許せば、南皮の町に立てこもれば良いでしょう。なお、籠城を行う際には必ず城外に伏兵として騎馬兵を5000ほど置いておくべきでしょう。この兵を使い敵の補給線を圧迫すれば為す術もなく敵は崩壊します」

 

 郭図は今一度、この作戦に問題点が無いかよく確認を行った。そして自分が無いと思った後に周りに聞いた。

 

「他の者でこの案に異論、意見、質問などがある者はいないか?」

 

 誰も手を上げない。

 

「よし。ならばこの案を採用しよう」

 

 そう言って出陣をする人選や兵力の検討に移っていった。

 



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第二二話 河水の戦い①

申し訳ありません! 公孫越の真名が他作者様の作品に出てくる真名と被ってしまったので修正を行いました。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした!


「これだけの大軍ともなるとどこかで補給地点が欲しいわね」

 

 公孫瓉が他の諸侯と今後の進撃ルートを確認中に言った。今、連合軍がいるのは済北の町から川を渡った岸の済南の町だ。騎馬隊の持つ機動力を極力利用しながら、南皮へ攻め入ることを目標としたため川をギリギリまで渡らないようにしたのだ。

 その計画の元順調に済南の町まで来たものの兵も馬も共に疲労している上、これから袁紹軍と戦うと兵糧の心配があったのだ。当初は少しの急速の後、渡河をして韓馥から補給をしてもらおうと考えたが、韓馥からの返事が芳しくなかったために急遽別の場所での補給が必要となった。

 

「では、我が領地で如何でしょう?」

 

 鮑信がにこやかに言う。

 鮑信は済北相であり、彼の治める地は目と鼻の先にある。公孫瓉は遠回しに補給をさしてくれと言ったのだ。これは公孫瓉の面子上、補給をさしてくれとは頼めない。彼女にもプライドはあるし、部下達もいる。そのような人間が他人に頭を下げるというのは、かなり問題となってくる。それを鮑信も察して自ら名乗り出てくれたのだ。

 

「それはありがたい」

 

 そう言って補給地を鮑信の治める済北の地で行うことにした。

 

 

 

 

 

 

 済北の地に着いた各軍は休息を取り始めた。

 それは将軍達に関しても同じである。

 

「いや~、長旅ってのはここまで疲れるもんなんだね~」

 

「白蓮姉さん、爺くさいこと言わないの。ただでさえ爺くさい性格がもっと悪化するよ」

 

「なんてことを言うんだ、凪水! 私は爺くさくなど無いだろ!」

 

 久しぶりの風呂につかりながら、言い合うのは公孫瓉と従妹の公孫越だ。

 彼女たちは鮑信の屋敷の一室を借りており、そこの風呂を使わせてもらっていた。

 

「白蓮姉さん、でも最近、『肩こった~』だの『腰が痛い~』だの口癖のように言ってるよ」

 

「それは仕方が無いだろう。領主の仕事は忙しいのだから、体調の一つや二つおかしくはなる」

 

「これだから最近の若者は……」

 

 ため息交じりに悪態をつく公孫越に公孫瓉が言い返す。

 

「お前だって、最近の若者だろ! っていうか、それこそ年寄り臭いし!」

 

「あ~あ。やだやだ、老人は説教くさくて嫌になっちゃう」

 

「な~に!」

 

 そう言って取っ組み合う二人ではあるが、これは一種の愛情表現と言えた。彼女らはこれから戦を控えた身。もしかしたら、これが最後の日になるかもしれないとその日その日を家族と楽しんで暮らすのが彼女たちの大切なことであった。

 しかし、楽しかった時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 3日後。

 補給や休息を終えた連合軍は、いよいよ袁紹の治める南皮の地を目指し、済北の地を出発。

 全軍、渡河を開始した。

 

「公孫将軍、この戦い厳しい物となるでしょうね」

 

 鮑信が不意にそんなことを言った。

 

「ええ。おそらくは多大な犠牲が出ることでしょう。しかし、いずれは戦わなくてはならない存在です」

 

「そうとは言えど、他に方法なかったのでしょうか?」

 

「分かりません。ただ、これ以上はこの話はなしです。兵士の士気に関わります」

 

「これは出過ぎた真似を致しました。申し訳ありません」

 

 そうは言ったモノの公孫瓉自身もこの戦いに疑問を感じていた。本当に戦うしかなかったのかと。

 

 しかし、その疑問をすぐに捨て去る。

 

 そう賽は投げられたのだ。後は戦うしかない。

 

 そう考え、余計な邪念は捨てる。

 

 そして公孫瓉は真っ直ぐ目の前にある対岸の南皮の方を見つめた。 

 

 

 

 

 その対岸においては袁紹軍が今、正しく公孫瓉軍に攻撃を行おうと待ち構えていた。

 

「ほへ~! 敵は多いな!」

 

 文醜がのんびりとした声で呟いた。

 

「文ちゃん! 一応作戦なんだから隠れてなきゃだめでしょう!」

 

「斗詩、そんなこと言ったって偵察はやっぱ重要だろ?」

 

「これ、そこの若いのもちっと頭を下げろ。目の良い奴はそろそろ見つけられる距離だぞ」

 

 文醜をたしなめたのは、廬植だ。

 

「それに戦場で油断は禁物。命に関わるぞ」

 

「すいません」

 

「お主も一角の将軍なのだから、もう少し規律を守って兵士達の見本とならんか。郭奉孝殿が敵に見つからないようにと命令なさったのだから、命令を守らねば軍隊の規律は保てんだろう」

 

 そう言って文醜をしばらくの間、説教し続けた。

 

 そして、その説教が佳境に入り始めた頃、突然見張りの兵士が声を上げた。

 

「敵が間もなく上陸します!」

 

 その瞬間、廬植は説教を止め、一気に指示を出し始めた。

 

「弩弓隊は直ちに矢の準備を致せ! 騎馬隊は馬に騎乗しいつ攻撃命令が出ても突撃できるようにしろ! 盾隊は盾を構えて弩弓隊の前面に出よ! 歩兵は騎馬隊の後方に控え、騎馬隊と同時に攻撃を開始せよ、良いな!」

 

「「「おう!」」」

 

「では文将軍と顔将軍の両名は直ちに配置についてください」

 

「はい!」

 

「了解!」

 

 そう言って二人は顔良が歩兵、文醜が盾隊に着く。騎馬隊を率いるのは廬植自身だ。

 

「それでは、辛将軍。攻撃の開始はこちらから合図します。もし敵の進軍が私の指示より早く始まるようでしたら攻撃を開始してもかまいません」

 

 そう言って弩弓隊を率いる辛評に言った。

 彼は体がかなり大きい人物だが、頭も切れ基本的に兵を率いさせて失敗はないと判断した人物だ。郭図などと同じ地域の出身で彼女とも仲が良い。万が一何かが起きても彼ならば安心して任せられると踏んだのだ。

 

「御意!」

 

 力強く答え、連合軍の船団を見つめる。先頭部隊が到着し、徐々に上陸を始めた。

 上陸した兵士達は直ちに周囲の警戒に移る。襲撃に備え、盾隊も盾を構えさながら戦場にいるかのようであった。実際、袁紹軍はその襲撃をこれから行おうとしている。

 

 その襲撃の作戦の概要について簡単に説明しよう。

 

 まず袁紹軍が陣取っているのは岸を若干見下ろす形となっている小ぶりな丘の頂上だ。作戦としては敵の半数が上陸を始め簡単に撤退できない状況となってから、弩弓隊にて矢を浴びせ敵の混乱を招く。そこを騎兵隊と歩兵で殲滅するというのが今回の作戦の目標だ。

 ただ、これは時期が大事で遅すぎても早すぎても危ない。それ故、指揮官は歴戦の猛将廬植となったのだ。

 

 

 そして、ついに約半数が上陸し終えた頃に廬植から早馬が来た。

 

「廬将軍より伝令! 攻撃を開始せよ! 繰り返す攻撃を開始せよ!」

 

 辛評が命令を出した。

 

「弩弓隊、構え!」

 

 数千の弩弓隊の兵士が一斉に矢を天に向けて構える。

 

「放て!」

 

 そして弓から放たれた矢は敵陣目掛けて一斉に降り注いだ。

 

 ここに袁紹軍の命運をかけた一戦が幕を開けたのである。



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第二三話 河水の戦い②

 連合軍の半数が上陸し、公孫瓉達も上陸を行おうとしていたとき上からシャーという何かが高速で落ちてくる音が聞こえた。

 本能的に剣で切ると目の前に切られた矢が落ちてきた。

 しかし、公孫瓉のようにとっさに反応できたモノは少なく、その落下点にいたほとんどの兵士は為す術もなく四肢に風穴を開けられ絶叫を上げた。

 

「まずい! 敵襲だ! 敵襲に備え盾隊、前へ!」

 

 そう孔融が指示を出すものの混乱が起きているせいで指示が通らない。しかし、数人の小隊長が盾隊に構えるように指示を出して被害は少し押さえられる。

 その瞬間、前方にあった丘から数千の騎馬兵が現れ、突撃を始めた。

 戦闘にいる人物は公孫瓉のよく知る老婆であった。

 

「師匠!」

 

 公孫瓉が叫んだ。あまりにも予想外すぎる人物の登場に唖然としている。

 

 廬植はかつて私塾を開いていたことがあり、その時の生徒の一人が公孫瓉である。また、廬植は前にも述べたとおり黄巾の乱での活躍や儒学者としても有名で数々の本を書いているため、様々な人物からの人望も厚い。そのため、連合軍内でも動揺が走った。

 

「何故だ、何故廬子幹様が袁紹なぞの味方に加わっている!」

 

 鮑信が問うが誰もその疑問に答えない。皆が同じ疑問を抱いているからだ。

 

 実は郭嘉がこの編成にした狙いはここにあった。

 わざわざ老将の廬植を前線の部隊の指揮官に出したのは彼女が引き入れば連合軍に動揺が走ることは間違いないと判断したからだ。

 

 まさしく郭嘉の狙い通りのことが起きた。

 

 この間にも矢は降り注ぎ続け、連合軍の被害は徐々に拡大していく。

 

 やがて騎馬隊を誤射せぬために、矢が止んだ。

 

 すぐに指揮官は自分の部隊を敵の騎馬隊の攻撃に備え、防御態勢を取らせようとする。

 

「各員、こちらに集結し盾隊は上陸地点を中心に周りを囲え! 一兵たりとも入れるな!」

 

 すぐに命令を実行しようとするも負傷した兵士達がおり、その人間を連れてくるには時間が無い。

 それでも兵士達は必至に戦友を助けようと抱えながらも連れてこようとする。

 

 それを見た公孫瓉は叫んだ。

 

「今、そのような時間は無い! 心苦しいが、負傷した者を置いてこちらを守備せよ!」

 

 この指示に驚いたのは従妹である公孫越だ。

 

「白蓮姉さん! 言いたい気持ちは分かるけど、その命令は無茶だ! 下手すれば兵士達の離反を招くよ!」

 

 その忠言に対して公孫瓉は引き下がる訳にはいかない。

 

「私は戦場の指揮官としていかに犠牲を減らすかが問われている。この状況で負傷兵達を守ろうとすれば甚大な被害が出る。それだけは指揮官として避けなければならない!」

 

「だけど、兵士達の気持ちも考えてあげて!」

 

「分かっている! だが……」

 

「敵騎馬隊、間もなく先鋒とぶつかります!」 

 

 話を遮るように兵士が報告を挙げる。

 敵の騎馬隊がもう目の前まで迫っていた。負傷兵達は必死で逃げるが間に合わない。

 

 もうだめだ……

 

 そう思った直後、敵の騎馬隊は負傷兵を無視して真っ直ぐこちらに近づいてくる。

 

「盾隊、弩弓隊、構え! 」

 

 直後、盾隊が一斉に盾を壁のように一列に並べた。その後方に矢を番えた弩弓隊の兵士が並ぶ。

 

「弩弓隊、放て!」

 

 一斉に矢を放つが、何せ全軍の半数しか上陸をしていない。弩弓隊も定員から大分減っており、敵に被害は出せるものの突撃を止めることはできない。

 しかし、弩弓隊は必至で矢を放ち続ける。

 

「全軍、突撃! 敵の盾を突破せよ!」

 

 廬植がそう叫んで双方の軍がついに激突した。

 

 この時、盾隊の後方に待機していた槍隊が槍を突き出す。

 袁紹軍の兵士はそれを予測し、手前で急停止し、その一撃をやり過ごしてからその縫い目を狙って攻撃をした。

 完全に不意を突かれた連合軍は、もろにその突撃を喰らってしまい次から次へと盾隊が突破されていく。

 

 中には機転を利かして敵の突撃の瞬間、出した槍を横に振って騎馬隊の兵士を落馬させる兵士もいたが、ほとんどの兵士はそれをする術もなく蹂躙されていった。

 

 この時、公孫瓉軍の騎馬隊は未だ上陸をしておらず、敵の突撃に対抗することはできなかった。

 

「このままでは……」

 

 孔融が放心したかのように言った。

 

「白蓮姉さん、鮑北相主、孔北平太守。撤退の準備をしてください」

 

 公孫越が槍を構えながら、三人に言った。

 

「待って、凪水! あなた一体、何をするつもり!」

 

「私が殿をやるからあなたたちは先に船に乗り撤退しなさいと言っているの!」

 

「待ちなさい! 公孫将軍、あなたを残して撤退できるわけがありません!」

 

 鮑信が言うも、公孫越は首を縦には振らない。

 

「あなた方はこれからの戦を行う上で失ってはいけない存在です。ここは私に任せて撤退をしてください」

 

「凪水! あなたが残るなら私も残る! あなただけ置いていけるわけないでしょう!」

 

「白蓮姉さん……」

 

 公孫越は黙って公孫瓉に近づき、その首に手刀を喰らわした。

 完全に不意をついた攻撃に対処できず、公孫瓉はそのまま気を失った。

 

「ゴメンね、白蓮姉さん。こうするしか手はないんだよ」

 

 そう言って公孫瓉をおぶって護衛の兵士に預けた。

 

「さあ、他のお二人も早く船に乗ってください! 私も安全を確認次第、船に乗り撤退します」

 

「ですが……」

 

「何、心配に及びませんよ。私は死ぬつもりなんかさらさら無いですから。さ、お早く」

 

 そう言って鮑信と孔融に船に乗るように促した。

 

 少し二人は迷ったものの、すぐに決断を下し二人は船に乗り込んだ。

 すぐに船は離岸をし、撤退を開始する。

 

「さ~て、一暴れしますか!」

 

 そう言って公孫越は馬に乗り、槍を構えた。配下の兵士は二〇〇〇ほど。

 歩兵ばかりであったが公孫越隊の主力は騎馬ではなく、この歩兵だ。異民族相手に使うことは少ないが、来る乱世に備えて訓練を行っていた部隊でそれを率いるのが公孫越である。しかも彼女の部隊は異民族相手に実戦を何度も経験しているために対騎馬兵専門の歩兵隊であった。

 この存在が彼女が殿をやると言えた、最大の要因である。

 それ故、撤退までの時間稼ぎ程度であればどうにかできそうだ。

 

「それでは公孫越隊、行っくよ!」

 

「「「おおお!!!」」」

 

 ついに物語は河水の戦いクライマックスへ向け、動き出した。

 



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第二四話 河水の戦い③

 公孫越隊は突撃を行うのではなく、船の周囲で戦闘を行うことにした。理由は簡単で、敵の方が圧倒的に数が多いのにも関わらず、こちらが突撃を敢行しても何一つ勝率は無いからである。

 

「盾隊、構え!」

 

 公孫越は敢えて、正攻法で挑むことにした。多勢に無勢であるなら奇襲などの奇策を持ってして戦うことしか勝ち目はない。

 しかし、連合軍にはそのようなことを準備する時間も能力もない。それ故、唯一の方法は本隊を守るために正攻法で時間稼ぎを行うという方法しかとることはできなかった。

 

(こんなことなら、もう少し勉強しとくんだったな……)

 

 今さらながら、公孫越は勉強不足を後悔していた。

 

 しかし、悲観ばかりはしていられない。公孫越にも異民族相手に数々の戦功を打ち立ててきたプライドがある。袁紹軍にそう簡単にやられるような無様な戦いをするつもりはさらさら無かった。

 

 

「弩弓隊、構え!」

 

 ギッギッと弩の弦を張る音が聞こえてくる。弩は普通の弩とは違い、弦を強めに張って若干威力を上げているものだ。

 

「まだ打つな! もう少し引きつけるのだ!」

 

 

 

 

 袁紹軍の騎馬隊があと数歩で、公孫越隊に到達するとなった瞬間に大声で公孫越は叫んだ。

 

「弩弓隊、放て!」

 

 その瞬間、今まで狙いをつけ十分に引き絞られた弩の弦が矢を放つ。

 

 近距離で放たれた矢は狙った的確に袁紹軍の兵士を打ち抜いていった。

 

「次、放て!」

 

 後方に待機していた弩弓隊の別の部隊が矢を放つ。

 その矢も狂い無く袁紹軍の兵士の四肢に風穴を開ける。

 

 あまりの被害の大きさに廬植は、驚いた。

 

「騎馬隊は一旦引け!」

 

 騎馬隊に撤退を命じ、後方から来ていた顔良に前線を託す。

 

「予想以上に敵の抵抗が強い。我々では突破は難しい。後は頼めるか?」

 

「はい! お任せください!」

 

 そう言って、配下の兵士を率いて騎馬隊の前に出た。

 

「盾隊、突撃!」

 

 とんでもない指示を笑顔で出した。

 

「え~~~!」

 

 あまりの意外すぎる命令に敵の公孫越ですら驚愕の声を上げた。

 

 普通に考えて、盾隊は防御用の部隊であり、攻撃用では断じてない。ゆえに機動力を持たせる必要が無いのだ。

 

 しかし、顔良の今の笑顔の一言はその常識を根底から覆す命令であった。

 

 

 どんっ どんっ どんっ

 

「「「うおおお!!!」」」

 

 盾隊は目の前に構えるやいなや、太鼓のテンポに合わせて最初はゆっくりと徐々に動きが速くなり、突撃を始める。

 

 これこそが顔良が今まで育て上げてきた歩兵隊の秘技であった。

 

 

 

 以前田中から、史実において袁紹が将来的に公孫瓉と戦うことになる事を聞いていた顔良はもしかしたらと考えた。

 そこで袁紹に提案してみることにした。

 

「袁太守様、盾隊に突撃ができるようにしたいのですが……」

 

「それは素晴らしい案ですわ! ついでに華麗に行軍できるように色々な動きをできるようにしておいてください!」

 

 と鶴の一声で決まり、顔良隊では盾隊の突撃(袁紹を称える踊りもこみ)が行えるような訓練が中心となっていった。

 

 もちろん、通常の盾では重くて突撃などはできないために顔良隊の盾は普通のものよりも小さめの物となっていた。

 

 

 

 小さめのものとは言え、体の重要な範囲は守れるようになっており致命傷を負うのは避けられるようになっていた。

 

「ど、弩弓隊、放て!」

 

 意外すぎる攻撃に動揺しながらも、公孫越は指示を出す。配下の将兵もしっかりと盾の隙間を狙って攻撃を行った。

 しかし、それを簡単に許す顔良隊ではない。

 空いた隙間には普通のものより堅めの防具に身を固めており、さらに部隊でも特に盾の扱いに慣れている者達が盾で隙間を上手く埋めていた。

 

 それでも、やはり矢は一部を通り抜け、兵士を貫く。

 

「ぐあっ!」

 

 しかし、それで顔良隊全体から考えれば、被害は小さく突撃を続ける。

 

「槍隊構え!」

 

 ついに公孫越は弩弓隊はあまり役に立たないと判断。攻撃方法を切り替えた。

 

 すると、顔良も同じ命令を出した。

 

「槍隊構え!」

 

 今の状況的には兵士数は顔良の方が多く、打ち負けることはないと踏んだ上での指示であった。

 

 しかし、廬植が顔良に叫んだ。

 

「敵とぶつかる寸前に盾隊に散開を命じてくれ!」

 

「え、分かりました!」

 

 一瞬、戸惑った顔良であったが、すぐにその意図を理解し了承した。

 

 そして両軍がぶつかる寸前で顔良は叫んだ。

 

「盾隊、散開!」

 

 次の瞬間、盾隊の兵士が二つに分かれ左右に散る。

 

 すると後ろに待機していた騎馬隊が突撃を開始した。

 

「絶対に突破されるな!」

 

 ある程度このことを予測していた公孫越は弩弓隊は間に合わないと判断し、盾隊に死守せよと命じた。

 

「「「うおおお!!!」」」

 

 しかし、その勢いを簡単には止められることはできない。

 

 盾隊の一角が突破され、そこから一気に兵士が流れ込んでいった。

 

「これまでか……」

 

 蹂躙していく袁紹軍を見て、公孫越は呟く。

 

「伝令! 連合軍本隊は岸を離れ、撤退に成功しました!」

 

 奇しくも連合軍の本隊は撤退に成功したとの伝令が部隊が壊滅した今到達し、作戦目標は達したことが分かった。

 

 もうこれ以上の抵抗は無駄であるし、できないであろう。

 

 そう悟った時、顔良がこちらに向かってくるのが見えた。

 顔良の名は既に公孫瓉領にも轟き始めており、その武勇は公孫越が勝てるものではないことは明白だ。

 

「さよなら、白蓮姉さん……」

 

 顔良が大槌のような武器を振り上げるのを最後に公孫越は意識を失った。

 

 

 袁紹軍の勝利が決まった瞬間であった。

 




 毎度、「袁紹を活躍させてみようぜ!」をお読みいただきありがとうございます。
 評価でも特に4以下の評価をつけられる方は今後の作品作りのため、何が悪かったのかなどを一言覧に簡単にで構いませんので、書いて頂ければと思っております。できる範囲で改善の努力はしていきたいと考えています。
 ただ、極力、公平な評価をつけていただきたいため、評価の際の最低一言文字数は規定いたしません。
 一言覧へ書くことは無理にとは申しませんが、今後の作品作りのためにもできる限りご理解ご協力をお願いいたします。


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第二五話 田中、南皮に帰還

「ようやく南皮の町に到着した」

 

 田中達が南皮に到着したのは河水の戦いが起こってから3日後のことであった。

 

 袁紹は後方の馬車に乗って町の人に歓迎を受けながら入場の予定だ。今は、入場のために隊列を整えているところであった。これも袁紹の指示であり、勝ち戦の後でも住民を安心させるために隊列を組めとの命令であった。

 

 帰ってきた兵士数は約1万ほど。

 

 その兵士をまとめるには大分時間が掛かっていたが、ようやくまとまり入場しようとしているところだ。

 

 

「全体、前へ!」

 

 太鼓音共に全兵士が一斉に城門へ向け、歩き始めた。

 

 それに呼応するかのように城門が開け放たれ、中から住民達の歓声が響いてくる。

 

 城内へ入っていくと中では警邏隊が規制線を敷いて住民が袁紹に接近しすぎないように警戒を行っていた。

 

「帰ってきたので……」

 

 帰ってきたという安堵感から来た言葉が口を突こうとしたとき、田中はあるものを見て固まった。

 

 前方の方で何かが動いているのが見える。それは白い小さめの盾を乱舞させている人間の集団であった。

 

 

 しかも妙に動きが鋭く、凄まじい踊りを行っているのだ。

 

「何だ、あれは……」

 

 それは河水の戦いの勝利の立役者である顔良隊の踊りであった。

 袁紹が凱旋したとのことで早速の機会にと顔良が始めることにしたのだ。

 

「す、すごい!」

 

 隣にいる戯志才はその部隊の練度の高さを見て唖然としている。

 戯志才達、曹操軍が戦ったのは、袁紹軍の中でも練度は高い方ではあったものの一番高いのは顔良と文醜の二人が率いる部隊が最強である。

 

 その踊りをしているのは顔良が発案を行った盾隊によるものであった。

 

 

 お題は「袁太守様の勝利に捧ぐ」である。

 

「何をやっているんだ、あいつらは……」

 

 あまりの才能の無駄使いに田中はうめいた。

 

 しかし、そのうめきは誰にも聞かれず住民の歓声にかき消されていった。

 

 

 

 

 

「見事でしたわ、斗詩さん!」

 

 屋敷についた一行はそのまま報告会に入った。報告会ではそれぞれの戦闘を行った武官や文官を集めた。

 

 まず、盾隊の踊りを見た袁紹が会議の始めに、開口一番に言った。

 

「ありがとうございます! あれは袁太守が仰ってくださらなければ出来なかったことです。あれが出来たのは袁太守様のおかげです」

 

「そうですか。それでもあなたがあそこまで育て上げたのです。それはあなた自身の功績でしょう。今後も鍛錬に励みなさい」

 

「御意!」

 

 会話はそこで終わり、本題に移っていった。

 

「それでは、今回の本題に移っていきたいと思います。先日まで行われた戦闘の結果について双方から報告をお願いします」

 

 逢紀が司会役として会議が始まる。

 

 最初に発言をしたのは荀諶であった。

 

「まず、汜水関方面の戦闘についてですがこちらの被害は極めて軽微。失った兵士の数は千ほどです。汜水関を死守するという作戦目標は達成しました。またこの戦闘において曹操配下の戯志才殿を客将としてですが配下に加えることが出来ました」

 

「それでは質問のある者は?」

 

 特に誰も無く、荀諶はそのまま席に着く。

 

 続いて立ち上がったのは郭図であった。

 

「それでは河水の戦いについて述べさせていただきます。今回の戦闘による被害は兵士を五千ほど失いました。しかし、敵を七千ほど討ち取り、二千ほど捕虜にすることが出来ました。また敵将の公孫越を捕らえただいま独房に入れてあります」

 

「では質問は?」

 

 すると田中が手を上げた。

 

「田中殿」

 

「はい。河水の戦いにおいて戦闘を終えた部隊はどこへ向かいましたか?またその部隊に継戦能力は残っておるのですか?」

 

 その質問に郭図が答える。

 

「間者を送り込んだ所、その後、敵部隊に大きな動きはないとのことでした」

 

「相手は連合を組んでいるとのことでしたが、連合は瓦解せず残っていると?」

 

「はい」

 

 この話を聞き、もう一人の人物が発言を求めた。

 

 それは一連の流れを聞いていた郭嘉であった。

 

「では郭奉孝殿」

 

「お初お目に掛かります。私は名を郭嘉。字を奉孝と申します。瓦解させずに連合軍が残るの今後の脅威となりますので、ここは策を用いて敵を瓦解させるべきだと思います」

 

「確かに。その点は同意です」

 

 田中も賛同の意を伝えた。

 連合軍は兵力を失ったとはいえ、継戦能力は失っていない。今後も再度攻めこむ可能性がある以上は敵を瓦解させるのが、今後の最大の目標と言えた。

 

「ではどのようにすべきだと思う?」

 

 逢起が尋ねると意外なところから意見が出た。

 それは今まで沈黙を保っていた袁紹であった。

 

「私、とんでもない策を思いついてしまいましたわ!」

 

 それは今後、歴史の大きな転換点となる策になるとはこの時、誰も考えはしなかった。

 時は190年2月、まだ寒さが抜けきっていない頃の出来事であった。




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第二六話 公孫瓉の反乱

投稿遅れて申し訳ありません!
北平と済北の町を勘違いしていたので、訂正をしておきました。申し訳ありません。


 今、連合軍は河水から撤退を終え、済北の町に駐屯していた。

 

「凪水……」

 

 公孫瓉は行方不明の従妹の真名を呼んだ。当然、それに答える声はない。

 

 公孫瓉の従妹の公孫越は先の戦闘で本隊を撤退させるために殿を勤め、その目標を見事に完遂して見せた。

 

 しかし、その後、袁紹軍の大軍に飲み込まれ生死が不明である。果たして逃げ延びたのか、それとも捕虜となり捕まったのか。または敵に斬り殺されたのか。

 未だその状況は探らせているものの足取りは全く掴めていなかった。

 

 どうか生きていてくれ。

 

 その思いだけが公孫瓉の頭の中をぐるぐると回り続ける。

 自分がその時、近くにいてやれたらと何度も後悔した。

 凪水に手套を喰らい気絶している間に戦闘は全て終わっていた。気付いたときには既に船の上で全軍が岸を離れ撤退を開始していた。

 近くの兵士を問い詰めると、凪水は配下のたった数千の兵士のみで袁紹軍を必死に食い止めていたようだが、船上から確認できたのは袁紹軍に盾隊を突破され蹂躙される寸前にこちらの安全を確認するかのように振り向いたのが最後であったという。

 

 

 

「ゴメン」

 

 どこにいるのか分からない自分の従妹に向け言った。

 

 その直後、部屋の外からばたばたと誰かが走ってくる足音がした。それも一人ではなく、数人の足音であった。

 

 それは公孫瓉の部屋の前で止まり、ドアの外から声を掛けた。

 

「公孫太守様、申し上げたいことがございます!」

 

 それは普段から公孫瓉の右腕として活躍してくれている副官の声であった。

 

「何だ? 入れ」

 

「失礼致します」

 

 そう言って副官と数人の兵士が入ってきた。

 

 誰もが公孫瓉軍の中核をなす存在である。

 

「どうした? 今日は会議などはなかったはずだが……」

 

「公孫太守、町での噂をお聞きになりましたか?」

 

「噂?なんの事だ?」

 

 公孫攅はなんの事だかさっぱりと言った態度だ。

 

「お聞きになっていないのですか?実は町では……」

 

 

 

 副官から話を聞いた後に公孫瓉の胸にこみ上げてきたのは怒りのみであった。

 

「何だと! ということは原因はあいつなのか!」

 

 公孫瓉の決断は早かった。

 公孫瓉軍の全軍に緊急収集を掛け兵備を整えた後、済北の町の官庁街に向かった。

 

 

 

 

「どうなされました? 敵が攻めてきましたか!」

 

 公孫瓉の尋常でない雰囲気に衛兵が声を掛けてくる。

 

 それに対して公孫瓉は言葉少なに答えた。

 

「君たちの主と話がしたい」

 

「分かりました。すぐにお通しいたします!」

 

 完全に敵襲による連絡だと勘違いした衛兵は公孫瓉をそのまま通してしまう。

 

 そのまま公孫瓉は太守用の執務室までたどり着いた。

 そして声も掛けずに中へずかずかと入り込んでいく。

 

 

 中では鮑信が執務の途中であり、突然入ってきた公孫瓉に驚きつつもその格好を見て兵士と同じ事を尋ねる。

 

「敵襲ですか?」

 

 それに対して、公孫瓉は静かに答えた。

 

「ええ」

 

「敵はどこです?」

 

「目の前に」

 

「何ですと! ではすぐに兵士に出陣の準備を……」

 

「そうではありません。私の目の前に敵がいるといっているのです」

 

 その言葉に何を言っているのか分からない鮑信は一瞬、唖然とした顔をする。

 

「は……」

 

「敵は目の前におります」

 

 その敵が自分のことを指しているのだと気付いた瞬間、鮑信は一気に冷や汗が吹き出してきた。動揺を隠せず、震え声で公孫瓉に重ねて聞く。

 

「ど、どういうことです?」

 

「我々をはめましたね。袁紹と密かに手を組んで……」

 

「何を仰られる! そのようなわけないでしょう!」

 

「では町の噂はどういうことなのです!」

 

「町の噂とは?」

 

 さっぱり分からないとでも言いたげな鮑信に公孫瓉は怒鳴った。

 

「よく、そのような戯れ言が言えますね! 町では『鮑済北相と孔太守は一番軍事力を持っている公孫太守を恐れて彼女らの戦力を落とそうと裏で袁紹と組んでいる。その結果、奇襲攻撃を食らった公孫太守の軍は将軍を一人失ったのに、両名の軍は一人も失わなかったのだ』と噂されておりますよ!」

 

「お待ちください! そのように言われる理由は何ですか? 理由もなくそのような濡れ衣を掛けられても困りますぞ!」

 

「問答無用! 町の噂が何よりの証拠だ!」

 

 もはや、公孫瓉は怒りに我を忘れ、正常な判断が出来ない状況となっていた。

 

「覚悟!」

 

 そう言うやいなや、そのまま鮑信に斬りかかった。

 

「うお!」

 

 とっさに攻撃を躱してそのまま近くの窓から身を乗り出し屋根を伝って逃げ出した。

 

「待て!」

 

 その鮑信を追って公孫瓉も走り出す。

 

 外に出ると、そこでは鮑信や孔融の配下と公孫瓉の配下の部隊が戦闘を行っていた。

 

 だが、完全に油断しているところを攻撃された孔融と鮑信の軍は完全に混乱の中にあり、まともに戦えている部隊はほとんどいなかった。

 

 公孫瓉は屋根から飛び降りた鮑信を追って、走り続けるが路地裏に回り込まれ、見失ってしまった。

 

「どこだ、どこにいる!」

 

 しかし、どこにも鮑信の姿は見当たらない。

 

 そこに孔融を殺しに行った副官が来た。

 

「どうだ?」

 

「いえ、ギリギリの所を太史慈に阻まれ出来ませんでした」

 

「そうか。では、全軍に伝えよ。本国へ帰還する!」

 

 そう言って、公孫瓉は城外に出て行った。

 

 

 

 

「敵は計略に掛かりました」

 

 間諜が田中に報告をした。

 

「ご苦労様です。では引き続き、敵の動向を監視し続けなさい」

 

 そして間諜は消えた。

 

「舞台は整いましたよ。後は頼みますよ、公則殿」

 

 静かに田中は呟いた。




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第二七話 冀州の韓馥

 郭図、荀諶、高幹、辛評らは南皮の町を出て、今いるのは鄴だ。 

 

 郭図達一行が今向かっているのは袁紹が統治する南皮の町を含めた地域一帯の冀州を治める韓馥の屋敷だ。

 彼の屋敷は鄴の中心にあり、一際目立っている。

 

「大きな町だね~!」

 

 荀諶がそんな呑気なことを言いながら、鄴の町を歩いている。

 ここは反董卓連合の一人である韓馥の本拠地だ。本来ならば危険で袁紹勢力の人間は誰も近寄るべきでない。

 ましてや袁紹配下の中でも筆頭の人間達だ。

 

 しかし、そのような危険を冒してでも彼女たちは来る意味があると考え、今この場にいる。

 

「大きな町ですか……。しかし、この町もあなたたちが来たところからしたらそんなに大きいものではないでしょう?」

 

 荀諶の言葉に後ろから声を掛けてくる者がいた。

 

 荀諶が後ろを振り返ると黒髪の眠そうな顔をした背の高い人物が立っていた。顔立ちは整っており、目が悪いのか眼鏡を掛けている。真っ黒な着物に身を包み、手には多くの書簡が抱えられていた。

 

「どちら様でしょうか? 第一、我々は商人ですよ?」

 

 郭図は偽造の通行手形を見せながら、言う。しかし、直感でこの人物には全てが見破られていることは分かってはいた。故にそうやって時間稼ぎをしながら、この場の切り抜け方を考えていた。

 高幹はいざとならばと剣の柄に静かに手を掛ける。

 

「まあ、そういうことにしておきましょう」

 

 意外なことにその人物はそれ以上深入りするようなことはせず、そのまま韓馥の屋敷の方へと向かっていった。

 

「ふ~、危ないところだったわ」

 

 思わず、安堵の声が出る。

 

「あの人はだ~れ?」

 

 このような事態を引き起こした元凶の荀諶は悪びれたそぶりも見せず、他の人に聞くが、誰も知るはずがない。

 

「分からない……」

 

 先ほどの人物のことを考えると今でも寒気がするほどだ。おそらくは彼女はこちらの正体を見破っていた。

 

 変装をしたこちらに気付くだけの洞察力、そして上手い切り返しの知恵。さらには引き際までわきまえていた。

 このような切れ者が敵の配下にいたというのは、脅威でしかない。

 

(だからこそ、今回の計画は何としても成功させなくてはならない)

 

 郭図は改めて決意を固めた。

 

 

 

 

 韓馥は齢四十を超えた男だ。

 しかし、その人を見る目は優れており、数多くの優秀な人材を雇っていた。

 

「何、わしに客人だと?」

 

 執務室に韓馥の声が聞こえる。この時間帯に面会の予定はなかったはずだが、と不思議に思い報告に来た門番に聞いた。

 

「その者の名は?」

 

「それが袁紹配下の郭図と申しております」

 

「何!」

 

 信じられない客人の名に思わず韓馥は大声をあげる。

 

 郭図と言えば、袁紹の重鎮中の重鎮。そのような人物が敵対勢力である自分の所に来るとは考えられなかった。

 

 とにかく、会って話を聞きその真意を確かめる必要があった。

 

「とにかく通せ!」

 

「はっ!」

 

 

 

 

「失礼いたします」

 

 郭図達は韓馥の執務室へと入っていった。

 

「貴様、何が狙いだ!」

 

 開口一番に韓馥は郭図達を睨み付けながら聞いた。

 

「狙いとは?」

 

「何の目的もなく、茶飲み話に敵地にまで来る奴がおるか!」

 

「はてさて、何のことやら。我々はただ警告に来ただけですよ」

 

「貴様らに警告される筋合いなどない! わしが一番警戒しているのは貴様らだ!」

 

 郭図は韓馥の大声を聞いても眉一つ動かさない。

 

 その時、荀諶が静かに立って町の外を見つめた。

 

「大きい町だね! この町、おじさんが一人で作ったの?」

 

 荀諶の幼い容姿を見て、一瞬韓馥の怒気が収まる。

 

「金を決めたのはわしだが、それを民が一生懸命発展させたのだ」

 

「へえ~! じゃあ、おじさんにとって民は大事なんだ!」

 

「当たり前だ。民あってこその国だからな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、郭図は静かに高幹に目配せをした。

 

 すると高幹は狙ったかのように一つの書簡を韓馥に見せた。

 

「こちらは、つい先日我が領に届いた報告書です」

 

「それで?」

 

「ここには公孫瓉と鮑信、孔融が戦闘を行ったとあります」

 

「何だと!」

 

 信じられない情報に韓馥は自分の耳を疑った。公孫瓉、孔融、鮑信はいずれも袁紹討伐の兵を挙げたものの、河水で撃破され撤退したと聞いていた。

 

「報告によると、公孫瓉が孔融と鮑信を裏切り、済北の町で戦闘を行ったとか……。市街地で行われたために民間人にもかなりの犠牲が出ております」

 

「嘘だ、貴様らの報告など嘘に決まっておる!」

 

「ならば、確かめてみられますか? おそらくは間もなく早馬が来るでしょうな」

 

 郭図がそう言って直後、韓馥の部屋の前が騒然としだした。

 

「韓太守、報告であります!」

 

「入れ!」

 

 部屋のドアが開かれ一人の兵士が駆け込んできた。

 

「報告! 済北の町で公孫瓉が裏切り、孔太守、鮑済北相両名を攻撃! お二人の消息は未だ掴めておりません! さらに物見より緊急連絡! 公孫瓉の軍勢がこちらに向かってきているとのことです!」

 

「何!」

 

 韓馥はあまりの出来事にただただ声を上げることしか出来なかった。郭図達の言葉が真実であったことに続き、公孫瓉がこちらに向かってきているというのも衝撃的で、韓馥は現実を上手く飲み込めなかった。

 

「だから申したでしょう? 公孫瓉は裏切ったと」

 

 郭図はこれでもかと嘆息する。

 

「そこで韓馥殿、あなたに一つ提案があります」

 

「ああ。なんだ申してみよ」

 

 公孫瓉の軍勢のことで頭がいっぱいな韓馥は半分無意識で言う。

 

「我々に冀州を譲りませぬか?」




 申し訳ありません! 私用で来週一週間は投稿が難しくなると思います。ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解ご協力をお願いいたします。
 次回は予定としては二週間後頃の投稿となります。


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第二八話 求める補給物資

お待たせいたしました!


「まさか、兵糧がなくなるとは……」

 

 公孫瓉が自嘲気味に呟く。

 

 

 彼女は済北の町を出て本拠地の幽州に向かっている最中に、補給物資が足りないことに気付く。しかし、済北相の鮑信を追い出してしまったために、彼からの支援は受けられない。

 

 その時、近くに同じ反董卓連合の韓馥の治める冀州を通っていたために韓馥に支援を仰ごうとしたのだ。

 しかし、済北の町の件で韓馥に警戒されている可能性があるために幕僚からは反対を受けた。そこで、韓馥の臆病な性格を利用して鄴の町の前で軍を展開し、韓馥に脅迫をかけて奪い取ろうと考えたのだ。もしこれが失敗したとしても、そこに攻撃を仕掛けてきた韓馥の軍から兵糧を奪えば良いと考えた。

 もちろん途中の町で略奪する手も考えたが、その手は公孫瓉にとっては他の手が全て失敗したときのみの最悪の手であり、全ての手を試してからにしようと考えた。

 

「陣を敷き終えました」

 

 副官から報告が来た。

 

「よし、使者を韓馥の所に出せ。『兵糧をよこさなければこれより攻撃に移る。返答は丑の時まで待つ』とな」

 

 良心の呵責に苛まれるが部下のためとその感情を抑え込んだ。

 

 

 白旗を持った使者が鄴の町に走って行く。

 

 

 

「成功すると思うか?」

 

 副官に公孫瓉が尋ねる。

 

「分かりません。ただ、厳しいでしょう。何せ韓馥には張郃や審配といった猛将が多くいるので抵抗される可能性があります」

 

「むう」

 

 唸ってから公孫瓉は黙り込んだ。

 

「とにかく、今は目の前のことを考えましょう。賽は投げられたのですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしている間にも時間は一刻一刻と過ぎ、間もなく丑の時が近づいてきた。

 

「来ませんね。やはり、戦闘をするしかありませんか……」

 

 副官が呟く。公孫瓉軍は既に戦闘を行ってから、休み無しにこちらの町まで来ているので疲労は溜まっている。もし、韓馥軍が攻めてくれば、太刀打ちできるか怪しいところだった。

 

「お、何者かが来ましたね」

 

 副官が公孫瓉に告げる。

 公孫瓉が目をこらして見ると、長い衣を身にまとった女性が馬に乗ってこちらへ向かってくる。

 

「先ほどの要求の返答だ!」

 

「返答は何だ?」

 

「受け入れよう!」

 

「「「おおお!!!」」」

 

 兵士達から歓喜の声が上がる。ようやくここに来て、補給が出来ると安心したのだ。

 

「それでは、こちらに来てくれ! 兵士の補給物資は町の中にある。現在、韓馥を含めた一部の人間が要求の受け入れに反対しており、市街地で戦闘が起きている。今のところは受け入れ派が優位に事を進めているが、物資を運ぶほど余裕がない。道はそれほど大きくないためできる限りの少人数で来てくれ!」

 

 公孫瓉はその事を聞き、韓馥を少し気の毒に思った。この程度のことで離反を起こされるほど臣下の心が離れているとは同じ君主として同情を禁じ得なかった。

 

「分かった、すぐに行く!」

 

 公孫瓉はすぐにその返答に応じ、物資を運ぶために最低限の人間を連れて鄴の町へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 公孫瓉達は鄴の町へと入るがその町の雰囲気に違和感を抱く。遠くから戦闘の音が聞こえており、おそらは反対派と賛成派が市街地で戦闘を行っているのであろう。

 町には全く、人の影がないのだ。もちろん軍が箝口令を敷いている可能性もあるが、そうであれば家の中には人のいる雰囲気があるはず。しかし、それすら感じられない。まるで周囲から人が消えてしまったような感覚にとらわれる空気であった。

 

「補給物資はどこだ?」

 

「もう少しだ」

 

 副官の質問にぴしゃりと使者は答えた。

 

 しばらく行くと大きな倉庫のようなものが見えてくる。

 

「ここにあなた方への補給物資がまとめられている。申し訳ないが私は向こうの戦闘に加わらねばならんので、御免!」

 

 そう言って、馬を走らせていく。

 

「よし、もたもたしている暇はないぞ! 急げ!」

 

 公孫瓉は兵に補給物資の搬送の準備を急がせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 半分ほど搬送の準備が終わった頃、にわかに戦闘音が近づいてくる雰囲気がある。おそらくは戦場がこちらに近づいているのであろう。

 

「急げ、もたもたしているとまた戦うことになるぞ!」

 

 公孫瓉がそう怒鳴ったとき、ふと遠くに何かを大量には放つ音が聞こえた。その音は飛翔音に変わりこちらに近づいてくる。

 

「まさか……」

 

 直後、補給物資を運んでいた兵士の多くが矢に打ち抜かれ、朱に染まって倒れた。

 

「敵襲だ!」

 

 反射的にそう叫び、すぐに戦闘態勢を整えさせる。

 

 反対派が攻撃を浴びせてきたとあらば、賛成派は劣勢なのであろうか?

 

 公孫瓉は疑問を抱いた。まだ戦闘音は近くはなく、矢が届く距離とは思えない。と言うことは反対派が別働隊を用意し、こちらに攻撃を仕掛けてきたと言うことだ。

 

「敵は恐らく少数だ! 落ち着いて対処せよ!」

 

 公孫瓉は指示を出し兵士達を落ち着かせる。実際、飛んでくる矢の数は少なく、すぐに混乱は収まり兵は的を探し始めた。

 

 するとその建物の前にある通りの向こう側で以前よく見た鎧をまとった兵士がこちらに矢を浴びせてくるのが見えた。その後方には騎馬隊が控えており、いつでもこちらに攻撃を仕掛けられる態勢に入っている。

 

「まさか、あれは袁紹軍!」

 

 その瞬間、公孫瓉は韓馥に騙されたことに気付いた。周りの音を聞けば、戦闘音も収まり代わりに兵士達の吶喊の声が聞こえてくる。おそらくは韓馥軍がこちらに向かってきているのであろう。

 

「皆、引け! 引けえ!」

 

 このままでは袁紹軍と韓馥軍に挟み撃ちされると公孫瓉はすぐに退却の指示を出し、来た道を引き返し始める。

 

 その道は幸い、何もなく、そのまま突破できるかと思われた。

 

 その直後、前方に火矢が飛んでいくのが見えた。兵を狙って撃ったには弾道が高すぎる。

 

 その矢は公孫瓉軍の前方に落下し、そこから一気に火が広がり、公孫瓉軍の行く手を塞いだ。おそらくはそこら一帯に油があったのであろう。

 

「こっちだ!」

 

 そう言って脇道に逸れようとするも、そちらもいつの間にか火が出ており、後方からも火の手が上がっていた。

 

「しまった! 罠だったか!」

 

 ここにきて公孫瓉は騙されたことに気付くも周囲は既に火の海。もはや公孫瓉に逃げ道はなかった。



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第二九話 韓馥の決断

 話は少し遡り、郭図と韓馥達が話していたときにまで戻る。

 

 

 

 

 

「冀州を譲るかだと? 気は確かか? 私が袁紹にこの大事な冀州を譲るとでも本気で考えているのか!」

 

 あまりにもおかしな質問に少し、いらだちながら返答をする韓馥。

 

 当然であろう。いきなり自分の領地を譲れなどという者達に「はいどうぞ」と譲るような領主はいない。

 

「ええ。もちろん。本気だからこそ言っているのです」

 

 郭図はさも当然と言わんばかりに答える。

 

「何故貴様らに譲るというのだ!」

 

「お答えしましょう。まず、現在公孫瓉軍が接近中であるとのことでしたが、こちらの兵力や敵の兵力はご存じですか?」

 

「こちらの兵力はおよそ五万。それに対して向こうは二万ほどであろう」

 

「それはあくまでもこの冀州全体の兵力です。この鄴の町にいる武将や兵力は?」

 

「……五千ほどだ。その部隊の指揮は文威に任せてある」

 

 彼の言う文威とは耿武のことだ。

 

 三国志において彼は韓馥の配下であったが、袁紹が冀州入りする際に反対した一人でもある。しかし、結局袁紹は冀州入りを果たし、後に田豊に暗殺をされる人物だ。

 

「それだけの兵力でどのように対抗されるおつもりで? 敵はあの白馬将軍ですぞ。弱体化しているとは言え、決して油断は出来ません。もし我々に冀州を譲ると申されるのであれば、援軍を出しても構いませんぞ」

 

「貴様らの援軍なぞ無用! 籠城をすれば儁乂や正南も応援に駆けつけるはずだ」

 

「それほどここの兵士が持ちますかな? 見たところ、精鋭は国境付近に置かれここの兵は経験の浅い兵士に見えますが……」

 

「……」

 

 完全に黙り込んでしまった。元々、鄴の町への襲撃は一切考えておらず、兵の大半は袁紹方面に貼り付けてあり、行の町はかなり手薄な状況であった。

 このような状況で公孫瓉が攻め込んできたらひとたまりも無いことは、韓馥は分かっていた。

 

「申し上げます! 物見より報告! 公孫瓉が『補給物資を出せ。出さなくば攻撃を行う。丑の時まで待つと』とのことです」

 

「敵は兵站が枯渇しているのか! ならば、数日間持ちこたえれば良いだけのことではないか!」

 

「そうはいきませんぞ、韓太守。もし奴等がこちらと戦闘になると分かれば、彼らは周囲の村落を襲いそこに蓄えてある食料を奪うはずです。そうなれば、罪なき領民が犠牲になります」

 

「……」

 

「あなたがここで冀州を譲ると確約されるだけで構いません。その一言で大切な領民を犠牲にせずに済むのです。領民と自らの権力、どちらが大事であるかはあなたになら分かりますね?」

 

「少し、臣下と話し合う時間が欲しい」

 

「分かりました」

 

 そう言って郭図一行は部屋を出た。

 そして韓馥は至急、城内にいる幕僚を集め緊急の会議を開いた。

 

 

 

 

 

「皆のもの、良く来てくれた。今回、皆と話し合いたいのはこの冀州を袁紹に譲るか譲らないかだ」

 

 韓馥が開始早々爆弾発言をしたためにその場は一時騒然となった。

 

「何だと! 袁紹にこの冀州を!」

 

「どういうことだ?」

 

「そんなことを許すわけにはいかん!」

 

「しかし……」

 

「まずは沮授、どう思う?」

 

 韓馥がある女性を見て聞いた。彼女は以前、鄴の町で郭図達と出会った眠たそうな表情をした女性であった。

 

「え~と、袁さんにこの冀州をですか? それは反対ですよ」

 

「理由は?」

 

「何故って、彼女は、逆賊董卓に味方している人間です。そのような人間に冀州を譲っては何が起こるか分かりませんよ」

 

「成る程。では文威、お前の意見を聞かせて欲しい」

 

 男の鎧を着た人物に向け、聞く。

 

「私も沮授殿と同じ考えです。かような者に冀州を譲るなど天子に顔向けが出来ません!」

 

「そうか」

 

「お待ちを!」

 

 そこに一人の女性が出てきた。

 新緑を思わせる緑色の髪に茶色のつり目。服は青を基調とした蓮の花の描かれた服をまとっており、クールな雰囲気を漂わせた女性だ。

 

「韓太守! ここは袁殿を迎え入れるべきかと!」

 

 そう、この女性こそ田豊である。史実においては忠臣でありながらも袁紹の意向に逆らったために投獄、最後は処刑されてしまう

 

「元皓! 貴様、何を言うか!」

 

 耿武が剣を抜き、田豊に向けた。

 

「貴様、事ある毎に韓太守に戯れ言を抜かし、降格されたのを忘れたのか! 今日という今日は許さんぞ!」

 

「待て! 反対の意見でも聞かなくてはならぬ。良い、元皓よ申してみよ」

 

「御意。まず今回の提案でござますが、袁殿は冀州の民に被害を出さぬために打診なさってります。使者の方々が仰るとおり、現在、我が軍に公孫瓉を止める力は到底無く、領民に被害が出るのは明白です。そのような事態となれば、それこそ天子に顔向けできません。袁殿の提案は民を守る上でも乗るべきと思います。また、袁殿は彼女の領内で善政を敷いていると耳にしたことがあります。おそらくは今回の董卓に賛同したのには大きな理由があったのでしょう」

 

「理由とな、それは何だ?」

 

「はい。彼女の叔母上にあたります袁次陽殿はかつて三公を勤めたことがあるほど、天子の臣下の中でも重鎮中の重鎮。故に、洛陽から逃げることは叶わず、董卓の手の内にございます。彼女は袁次陽殿の命のために董卓に味方したのでしょう」

 

「成る程」

 

 田豊の意見にもっともだと皆が頷く。

 

「つまり、彼女がこの地を統治したとしても何ら、問題は起こらないでしょう」

 

「他の者はどう思う?」

 

「「「我々も田元皓殿に賛同致します」」」

 

「そうか。ではそのように致そう」

 

「お待ちください! 私は納得致しません! 袁紹に冀州を譲るべきではありません」

 

 なおも耿武は抵抗をした。

 

「奴は狡猾な人間です。恐らく今回は冀州をかすめ取るための餌に過ぎません! ここは渡さないべきです!」

 

「耿武よ、私への忠誠心の高さはありがたい。しかし、今回は領民の命が掛かっている。たとえ、それが狙いだったとしても領民がそれで助かるというのであれば、それで構わん」

 

 なおも食い下がる耿武を止めて、韓馥は部屋を出た。 

 

 

「結論を出した」

 

「冀州を貴殿らにお譲りいたす」

 

「ご英断、感謝致します」

 

「だが、その援軍とやらはどこにいるんだ?」

 

「既におりますよ」

 

 そう言って、公孫瓉が陣を敷く反対側の門を指した。そこには太行山地と言われる山々が広がっている。そこの手前にいつの間にか軍営が出来ており、袁紹の旗が掲げられていた。

 

「いつの間に!」

 

「今まで太行山地で待機をさせておりまして、その部隊に出陣を命じたのです」

 

 実は袁紹軍が汜水関から帰る際に部隊の一部を太行山地に待機させておいたのだ。その部隊は今回のことを予見した逢起や郭図の指示によって配置されたものであった。それを指揮するのはもちろん彼女だ。

 

 

「何故、私が山に籠もらなきゃなんないのよ! 私は諜報員を育てる学校の教官だったんじゃないの!」

 

 許攸だ。彼女は他にもいくつかの人を背負っており、袁紹達によって置き去りにされた形であった。では彼女が教えていた学生は何をしているのかというと授業と称した実際の諜報活動を行っている。

 

「まあまあ、そう仰らずにこれは大事な役目ですぞ」

 

 郭図達と別れ、許攸と合流した辛評がなだめる。

 

「まあ、そうね」

 

 不満げながらもしっかりと兵の統率をしているあたり、さすが許攸と言ったところであろう。

 

「申し上げます!」

 

 そこに一人の兵士がやってきた。

 

「郭公則殿より伝言! 『韓馥は条件に承諾した! 至急城内に入られたし』とのことです!」

 

「よし! 出立だ!」

 

 許攸は全軍を鄴の町へと向けた。



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第三十話 公孫瓉を捕らえよ!

「……子遠。ご苦労」

 

 郭図がごく短く言った。

 

「全く大変だったわよ!」

 

「その鬱憤を晴らす相手は公孫瓉」

 

「分かっているわよ。何せ今、教え子達は情報収集の実戦中よ。教官のアタシがそれぐらい分からなくてどうするの」

 

「なら、安心」

 

 そう言って郭図は鄴の町の地図を差し出した。

 

「既に住民の避難を進めている。今回の戦闘は市街地での可能性が高い」

 

「待ちなさい! 住民の民家はどうするの? まさか彼らの家を破壊して戦闘するとかじゃないでしょうね!」

 

「それしか方法はない」

 

「家が破壊されるとはどういうことか分かる?彼らの生活を根こそぎ奪うことになるのよ!」

 

「なら、あなたが野戦で勝てるような作戦を立てて」

 

 郭図は許攸に鄴の町の外の地図を渡した。

 

「やってやるわよ!」

 

 最初こそ威勢の良い返事をした許攸であったが、地図を見れば見るほどその表情が硬くなっていく。

 

「どうなの?」

 

 郭図が尋ねると小さく許攸が言った。

 

「無理よ」

 

「でしょうね」

 

 郭図がやれやれといった具合にため息をつく。

 

「だから可能な限り民家に被害を出さない戦闘を行いなさい。あなたなら出来る」

 

 そう言って、郭図は許攸の肩を軽く叩き、そのまま韓馥の屋敷へと向かった。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 

 許攸は嬉々として作戦の立案に取りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり火計に持ち込むのが最良の手ね」

 

 散々悩んだ結果、火計が最良の手と気付くまでに時間は掛からなかった。しかし、火計を用いると民家への被害が大きくなりやすい。

 そこが悩みどころだった。

 

「火計ならどこを利用すべきか……」

 

 町を見ると兵糧を蓄えておく倉庫の前には一本の大きな道路が走っており、そこに追い込むことまでは考えた。しかし、民家が多くできる限り周辺での戦闘は控えたかった。

 

「あれ、これは……」

 

 そこには商人通りの名が書いてある。

 

「これは使える……」

 

 その瞬間、許攸が何かをひらめいたような表情になった。

 

 

 

 

 それから少しして郭図が再び許攸の元へやってきた。

 

「どういう手を打つ?」

 

「火計」

 

 予想外の答えに郭図は目を丸くした。自分であれば容赦なくそうしたであろうが、民衆への被害を考える許攸がそのような手を思いつくとは考えられなかった。

 

「どのようにして民家への被害を押さえるの?」

 

「食料が蓄えてある倉庫の前には大きな通りがある。その通りに沿ってあるのは商人の家や役人の家。旅館などが多く、商人通りとなっているわ。ここであれば、利用ができる。確かに家を失うかもしれないけれど今後の商売で少し融通が効くように手配をしてあげれば、納得をするとは思うわ。商人は家は大事であろうけど彼らは利益には目がないから」

 

「本当にそうかしら?」

 

「そのために極力、役人の家が集中する場所で火計を仕掛けるわ。彼らには申し訳ないけどしばらくの間、鄴の役場で寝泊まりをしてもらうわ」

 

「それしか方法はないの?」

 

「あることにはあるけど、それではこちらの被害も大きくなり、最悪民家への被害がより大きくなる。それにこの方が避難を出す場所が少なくて済むし」

 

「分かった」

 

 その後、すぐに二人は作戦のための準備を始め、前回に至る。

 

 

 

 

 

「公孫瓉をついに追い詰めたわ!」

 

 公孫瓉に対しての使者の役目を担ったのは許攸だ。彼女は自らが倒す武将をこの目で見ておきたいと、使者の役目を買って出た。本来であれば、かなり危険であるために別の人間が行く予定であったがその熱意に押され、渋々郭図が了承したのだ。

 

 その後、事は順調に進み公孫瓉をあと一歩の所まで追い詰めている。

 

「矢を射かけよ!」

 

 油断をせず、火の中にいる公孫瓉軍に矢を射かけるよう命じる。ここでなんとしても公孫瓉を仕留めねば、今後の袁紹の禍根となることは分かりきっている。

 

「これで終わりね、公孫瓉」

 

 総大将を倒してしまえば、城外の敵は為す術もなく崩壊をしていく。

 そう考えて、公孫瓉を孤立させ殺しやすくしておいたのだ。公孫瓉は長年、騎馬兵の強い異民族相手に戦ってきた名将である。そのために正面から戦っても勝ち目はない。

 

 そのことから、彼女らの軍をなんとかして少なくする必要があった。そのために仕組んだのが、今回の仲間同士での戦闘である。町に人がいない違和感を戦闘の音で気付かないようにさせるのと同時に公孫瓉に少数の兵士しか動かせないようにしたのだ。

 

 最後のとどめを刺そうとしている許攸に何者かが走ってくるのが見えた。

 

「お待ちください、許子遠殿!」

 

 それは田豊であった。

 

「これは田元皓殿、如何なされた? ここは戦場であるため危険ですぞ」

 

「分かっております。そんなことよりも公孫瓉への攻撃をおやめください!」

 

「何ですと! 奴は貴殿らを殺そうとした極悪人! そのような者を野に解き放てと申すのですか!」

 

「そうではございません! いまだ、華北の地はいまだ、争乱が絶えず、もし彼女を殺せば我々にも被害が出ます! 今、殺すときではありません! それにあなた方はこれからこの地を統治する存在。今後、民の支持を得る必要があります! この機に乗して敵将を解放するという懐の深さを見せるのです。さすれば民も安心してあなた方を支持するようになるでしょう」

 

 その主張を聞いた瞬間、許攸は成る程と思うと同時に田豊の知識の深さに嫉妬の念を抱かざるを得なかった。

 しかし、これは袁紹の進退に関わることだ。感情だけでは動いてはいけない。

 

「分かり申した、弩弓隊、撃ち方止め! 火を消せ! その際に抵抗するようであれば、容赦はしなくていい、斬れ! それからすぐに公孫瓉を捕らえよ!」

 

 指示を兵に出し、消火を始める。敵の抵抗も予測されたが、ほとんどは窒息したり矢によって死んでいたりする者が多く、生存者は百名にも満たなかった。しかし、公孫瓉は臣下の者が盾になるようにして守られており、気を失った状態で保護される。

 

 こうして対袁紹連合軍は完全に崩壊したのである。



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第三一話 袁紹、鄴の町に入る 

 190年3月上旬。

 

「ここが私の新たな領地ですの?」

 

 公孫瓉との戦闘を終え、3日後。袁紹ら幕僚が鄴の町に入らんとしていた。

 

「ええ。ここ鄴の町を中心として、冀州全体が袁太守の領地になります」

 

 横に控えている逢起が言った。

 

「そうですか。分かりましたわ」

 

 落ち着いているように装っているが、足などはかなりぶらぶらしており、落ち着いていないことが丸わかりである。

 

「麗羽、民が見ておる。もう少し落ち着け」

 

 思わず、逢起が太守としての袁紹ではなく、友人としての袁紹として注意する。

 

「御免あそばせ! ほ~ほっほっほっほっほ!」

 

 いつもの高笑いを決めるやいなや、揺れがぴたっと落ち着く。さすが名門の出なだけあり、こういった仕草の時は雰囲気を大事にする。

 

「いつまでも下らないをやってないで行きますよ」

 

 若干、仲むつまじい二人に嫉妬しつつ許攸が二人に告げる。

 

「構わん。門を開いてくれ」

 

 逢起が指示を飛ばし、門を開ける。

 中では民衆が新たな太守の顔を一目見んと待ち受けていた。

 

「前進!」

 

 部隊の先頭にいる文醜、顔良両名が大声で部隊の前進を促す。

 

 そして袁紹達はついに鄴の町に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 袁紹達はそのまま市街地を抜け、中央にある役場に向かった。

 そこではこの地に留まって戦後の処理を行っていた郭図や辛評達が出迎える。

 

「ようこそお越しくださいました! 袁太守殿!」

 

「公則、私がいない間、ご苦労でした」

 

「もったいなきお言葉。ささ、どうぞ中へ」

 

 袁紹達はそのまま謁見の間へ通された。そこでは韓馥を含めた幕僚達が既に勢揃いしており、刺史の引き継ぎの準備は万全であった。

 

「ようこそ、袁本初殿! 私が冀州刺史の韓馥であります。あなた様のご実家である袁家には以前、お世話になったことがありまして」

 

「これはご丁寧に。私は袁紹と申します。私は袁家の端くれの人間。それほどお気になさらず」

 

 そんな軽い挨拶を行ってから、刺史を示す印綬を袁紹に引き継ぎ冀州の刺史の座に袁紹が座った。

 

 

 

「さて、元図。今回、優秀な人はいらしたのかしら?」

 

 袁紹の質問に逢紀は満面の笑みを浮かべながら言った。

 

「ええ。それは大勢の優秀な人材がいらっしゃいました。その中でも特に優れた二人をご紹介したいと思います。入れ!」

 

 そう言うと、扉が開かれ二人の女性が入ってきた。

 

「お初、お目に掛かります。名は田豊、字を元皓と申します。以後お見知りおきを」

 

「初めまして~。私の名は~沮授と申します~。字は~雷風です~。お見知りおきを~」

 

 二人は臣下の礼を取って、袁紹に挨拶をした。

 

「お二人とも、ようこそ参られましたわ! 共に手を携え、民を豊かにしていきましょう!」

 

 そう言い、袁紹は二人の手を取る。

 

「この二人はすぐに私の副官として働いてもらいますわ!」

 

「お待ちください! そのような重役をいきなり決定なされても他の人事との兼ね合いもございます! いきなり決定なされても出来ることと出来ないことがございます。まずはお二人がある程度仕事に慣れてから、そのようになさるのがよろしいかと」

 

「そうですわね。ではその時を楽しみにしておりますわ! お二人とも良く励みになって」

 

「「ありがとうございます!」」

 

 そう言って二人は部屋を出た。

 

「他にも人はいるのでしょう?」

 

「はい。しかし、人数が多いので仕事に慣れられて、ある程度の役職に付かれてからご紹介したいと思います」

 

「分かりましたわ。所で、田中殿」

 

 唐突に田中に声を掛ける。

 

「はい。何でしょう?」

 

「先ほどの二人をどのように見ましたか?」

 

 その問いに思わず頭の中で答えた。

 

(いや、田豊も沮授も袁紹の幕僚の中では特に優秀と称えられる二人だし! 評価としては仕える主、間違えたんじゃねぇ?とか言われちゃうぐらい凄い二人なんだけどな!)

 

 しかし、このようなことを袁紹に言うわけにはいかない。

 

「素晴らしいお二人だったと思います。二人とも私の部下としてすぐに欲しいほどです」

 

「そうですか。では、そのように致しなさい」

 

「はっ! ありがたきお……、えっ」

 

 聞き捨てならない言葉に思わず、聞き返してしまう田中。

 

「ですから、あなたの部下として採用なされなさいと申したのです」

 

「えっ! よろしいのですか?」

 

「ええ。構いませんわよ。ねえ、元図」

 

 横に控える逢紀に聞くと逢紀はしきりに頷いて言った。

 

「構いません。二人とも優秀すぎるためにどこに行かせるべきか迷っていたのですよ。田中殿の所であれば、人手不足な上、優秀な人間が求められる部署。異論はございません」

 

「ありがとうございます!」

 

 内心ではとんでもない人間を部下にしてしまったと思いながらも、大喜びする田中。

 その田中を満足げに袁紹は見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「さて、仕事も終えたし、帰るか」

 

 人事関連の連絡も一通り終わり、今日の職務を終えた田中は新しく与えられた家に帰ろうと歩いていた。

 

「それにしても流石、冀州の中心地。南皮とまではいかなくとも栄えているな」

 

 夕刻になっても、人の流れが絶えない鄴の賑やかさには驚かされる。

 

 そんな大きい通りから分かれている小道の一つに気になる事を見つけた田中は、そちらに向かっていく。

 

 気になる事とはじっと田中を見つめるネコがいたのだ。そのネコはまるで田中にこちらに来いとでも言っているかのようであった。

 

 黙って田中がついて行くとネコはどんどん先を行く。そして時たま、田中が付いてきているのかを確認するかのように後ろを振り返る。

 

 そんな行為を繰り返しながら進むこと十分ほど。大通りから大分離れた静かな路地で一人の少女が横たわっていた。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 思わず、駆け出しその少女を助け起こす。

 

 その少女は美しい桜の絵が描かれた着物をまとっており、歳は18ほどの黒い長髪を持った美しい少女であった。

 

「う~っ」

 

 唸る少女の様子を見て、とりあえず外傷がないかを確認する田中。

 幸いなことに目立った外傷はなく、ただ気を失っているだけのようであった。

 

「仕方が無い。一旦、家で様子を見るか」

 

 家には数人、世話役の女性がいるため、彼女らに看病してもらおうとその少女を背負い、また家路についた。

 その田中の後ろをまるで守るかの如く、ネコがくっついていった。



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第三二話 新たな風

皆様のおかげで1000ポイント突破しました! ありがとうございます!
まだまだ未熟な作者ですが、今後ともこの作品をよろしくお願いいたします!


 道ばたに倒れていた少女を拾った次の日。

 田中が目を覚ますと庭から聞き慣れない音が聞こえてきた。普段であれば、静かなもので鳥のさえずりの鳴き声を聞きながら、目を覚ますものである。

 しかし、今朝は何かの風切り音が聞こえてくる。

 

(まさかな)

 

 そう思いつつ、戸をこっそり開け、庭を見ると底には思い描いていたとおりの光景が広がっていた。

 庭にいたのは昨日の少女だ。横にはネコもいる。

 その少女が振り回していたのだ、自分の何倍もある大きな槍を。

 

「むっ!」

 

 少女が何かしらの気配を悟ったのかこちらを見てきた。そして田中に気付くと、静かに槍を置きこちらに近づいて臣下の礼を取る。

 

「これは旦那様。おはようございます」

 

「ど、どうも。おはようございます」

 

 何事もなかったかのように挨拶をされて、少したじろぎつつも挨拶を返す田中。

 

「昨日は助けていただき、ありがとうございました。私の名は審配。字を正南を申します」

 

「ご丁寧にどうも。私の名は田中豊と申します。宜しく。して、何故昨日はあそこで倒れておられたのです?」

 

「私は軍を率いているのですが、韓刺史が交代するという早馬が来まして、新たな刺史というのはどのような人物なのであろうと一目見たくて鄴の町に大急ぎできたのは良いのですが、交通費でお金を使い切ってしまって……。その……」

 

「あ~。いえ、良いのですよ。それ以上は言わなくて構いません」

 

 田中は審配の口ぶりから事の事情を察した。審配はお金がなく、腹が減りあそこで倒れたと言うことだ。

 

(それにしても審配を拾うとはな)

 

 思わず信じられない状況に素直に驚きが隠せない田中。

 

 

 

 審配は三国志において評価がかなり別れる人物である。

 かなり優秀な人物で武も智も優れており、袁紹亡き後、三男の袁尚を後継者に仕立て上げた。後に曹操が攻めてきた際には鄴の町に立てこもり、死守し続けたものの数ヶ月の激戦の末、仲間の裏切りによって曹操に捕らえられる。

 しかし、曹操に下ることを断り、処刑される。この時、北側に主君の袁尚がいるからと北を向いて斬るよう言い、その命が燃え尽きるまで主君に仕え続けた忠義の士であると言われている。

 一方で、仕えた三男の袁尚は当時の常識から考えて家督を継ぐはずの人間ではなく、袁家の世継ぎ争いが起きたのはこの審配による所が大きいともされており、この点で評価が大きく分かれる。

 いづれにせよ、優秀な人物であったことは確かである。

 

 

 その田中を気にせず、審配は言葉を続ける。

 

「新しくやってきた刺史殿はなかなかの人物と聞きます。旦那様は何かご存知ありませんか?」

 

「え~……。まあ、自分の目で確かめるのが一番なんじゃないでしょうか?」

 

 審配の言葉に言いよどむ田中。

 袁紹を評価しようとすると、あまり中立的な意見を述べられず主観的な意見しか言えないために無難な線を言った。

 

「まあ、そうですね。明日から私も仕事がありますし、その中で刺史殿について見極めていきたいと思います」

 

 そう言った所で、不意に周囲を見渡し審配が尋ねる。

 

「そう言えば、ずいぶんと大きいお屋敷ですね。もしかして新しい刺史殿に付いてこられた高官の方なのですか?」

 

「……ええ。まあ」

 

 いきなり核心を突いてきた審配の言葉に一瞬、黙り込む。

 袁紹はこの地を無理して韓馥から統治権を移している。その関係上、審配に恨まれている可能性があると見て素直に答えるか迷ったのだ。

 しかし、その迷いから気付かない審配ではない。すぐにその予測が真実であることを理解し、同時に田中の悩む点にも気付いた。

 

「あ、お気になさらず。私は別に新しい刺史殿に何の恨みもありませんし、旦那様に関してはむしろ助けていただいた感謝しかありませんから」

 

 そういう審配の言葉を聞いて田中はほっと一息を付く。

 田中は落ち着いてから今まで気付かなかった点にはたと気付き、尋ねる。

 

「そう言えば、先ほどから旦那様と仰いますが、どういうことです?」

 

「そう言えば、言い忘れていましたね。私は今日からここで旦那様のお世話をすることにしたのです。それから私はお世話係なので、敬語はいりませんよ」

 

 その審配から出た予想の斜め上を行く発言に、田中は凍り付く。

 

「ちなみに誰がそれを許可なされたのですか?」

 

「あ~、また敬語を使いましたね! 使う方には何も答えません!」

 

 そう言って審配は黙り込んでしまう。かなり真面目で強情な性格のようだ。

 

「分かりまし……。分かった。ただ何分、敬語で慣れていたからつい出てしまったら許してくれ。で、どういうことだい?」

 

「はい! え~と、私が旦那様に助けていただいて、今朝目を覚ましたら女中の方とお会いして、その方に事の成り行きを聞きました。そしてどうにかお礼をしたいと言ったら、旦那様を世話するのが一番と仰ったので、お世話することを希望したのです」

 

(あの世話焼きの婆さんか! 南皮にいた時は俺に嫁がいない事を知るなり、散々見合いしろとうるさかったな! 南皮から離れたからもう会うことはないと思っていたが、あいつもこっちに来ていたのか! と言うより、審配に変なことを仕込みおって! 次会ったらただじゃおかん!)

 

 田中の脳内には素晴らしいお婆さんの笑みが浮かんでいる。

 

「分かった。しかし、私の世話役はもう足りている。別に手伝いをしなくて良い」

 

 田中はそう言って、立ち上がろうとした。しかし審配からの返事がない。おかしいと思い、審配の顔を見るとぼろぼろと泣いている。

 

「どうした、何故泣く?」

 

 思わず、狼狽しながら問う田中に審配は、鼻声で言った。

 

「私はいらない子なんですね! そうなんですね! どうせ役立たずとか思っているんでしょう! だったらここで死にます!」

 

 そう言い、置いていた槍の穂先を自分の喉へ向け、突き刺そうとする。

 

「あ~! 待て待て! 何故そうも考えが飛躍する! いや、分かった! 世話して良いから! 私の世話をしてくれて良いから、頼むからその槍を自分の喉へ向けるのを止めなさい!」

 

 そういって大急ぎでその槍を掴む。

 

 すると審配は一気に泣き止み、ニパッと笑みを浮かべて言った。

 

「今、世話をして良いと仰いましたね!」

 

 その瞬間、自分が審配にはめられたのだと言うことに気付く。しかし時既に遅し。言ってしまった後だ。最早、言ったことを引っ込めるわけにはいかない。

 

「これは一本取られたな」

 

 その瞬間、審配が智を備えた知将であることを実感させられたのだ。

 

 こうして田中の生活に審配という新たな風が吹き始めたのだ。



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第三三話 戯志才と郭嘉

今回は日常パートです! 頑張って書いてみましたがちょっと微妙な感じになってしまいました。何かございましたら、メッセージなどでお寄せください!


 袁紹が鄴の町へと移動した後に、南皮の町の太守として任を受けたのは郭嘉であった。

 彼女は郭図たちからの推薦を受け、大抜擢を受けたのであった。彼女はその任を受けると同時に曹操から下った戯士才を副官として置き、数多くの経験をさせるようにしたのだ。

 それは南皮の町をより大きくするのと同時に例え敵であった者でも重用することを内外に示し、能力のある者たちが集まるようにしたのだ。

 

「……」

 

 そんな郭嘉は今、机の上に山のように置かれた書簡を裁いている。南皮は冀州の中でも中心的な都市であり、処理する書簡も半端な量ではない。

 しかし、その大量の書簡を郭嘉は半日もあれば処理しきれるだけの能力を持っている。

 

「は~! ようやく終わった!」

 

 郭嘉は思いっきり伸びをして、息を吐く。

 時刻は正午。ちょうどお昼時であり、郭嘉はこの後には仕事も残っていないために、町に出て食事を兼ねた町の見回りを行うことにした。

 彼女は自分で行った行政に関してはキチンと自分の目で確かめることにしている。

 

「戯志才殿!」

 

 郭嘉は隣の部屋にいる戯志才を呼んだ。戯志才は調べ物のためにしばらく郭嘉の隣の部屋にある書庫に籠もっており、昼ご飯に誘おうと考えたのだ。

 

「はい、何でしょう!」

 

 書庫の中で書簡を片付ける音が聞こえ、戯志才がすぐに出てくる。

 

「お昼ご飯一緒に行きませんか?」

 

「構いませんよ、ちょうど調べ物も終わったことですし」

 

 そう言って二人は町に繰り出した。

 庁舎の前には大きな通りがあり、周辺には商店が軒を連ねている。その通りを二人は歩きながら雑談を行った。

 

「そういえば、戯志才殿は以前、曹孟徳に仕えていたとか」

 

「ええ。以前の汜水関の戦いで袁本初様の軍勢と激突し、我が軍は散々に打ち破られ袁本初様に投降した次第です」

 

「成る程。ちなみに曹孟徳とはどのような人物なのですか?」

 

「素晴らしい人物です。懐も深く、智と武を兼ね備えている。しかし、その才に驕れることはありません」

 

 戯志才はいつになく熱弁を振るう。

 

「では、お聞きするが曹孟徳は現在行方不明ですが、生き残っているとお思いですか?」

 

「はい。もちろんです。彼女はあのような場所でくたばるような人間ではありません」

 

「そうですか」

 

 郭嘉は戯志才のその言葉を聞いて、一つの思いが浮かんできた。

 

(一度、その曹操に会ってみたい)

 

 戯志才は実に優秀な人物だ。その人物がここまで言う人物とはどのような者なのか、そのことに興味を持った。

 

「それにしても、この南皮は栄えていますね」

 

 戯志才は周囲を見渡しながら、言った。

 

「ここまで人が多い町というのは他ではほとんどありませんよ」

 

 そんな戯志才がふと、ある店に目をつけた。

 その店では様々な笛や太鼓などが置かれており、楽器の専門店のようだ。

 

「……」

 

 戯志才はそのうち、一本の笛に吸い寄せられるようにして近づいて手に取った。

 そしてその笛を眺めて、小さく呟く。

 

「良いな~、この笛欲しいな」

 

 笛は一本おきから削り出された木材を漆で塗り、周囲を淡い赤色で山の絵が描かれている美しいものだ。しかし、その笛はかなり値段も高く、まだ仕えたばかりの戯志才は給料などももらっていないために、買う金はなかった。

 

 その様子を見た、郭嘉は店主に金を出し言った。

 

「その笛をください」

 

「はいよ! 毎度あり!」

 

 威勢の良いオッちゃんが大きい声で言う。

 

「え、良いのですか?」

 

 一瞬の出来事に戯志才は困惑して言う。

 

「ええ。構いませんよ。曹孟徳殿に関する話をしてくれたお礼です」

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言って戯志才は笛をしまう。

 

「さて、ご飯はどこに行きましょうか?」

 

 そう言って二人はまた店を探し出した。

 

 

 

「ここのお店は雰囲気が良いですね」

 

 その店は大通りの一角にある大きな店であった。

 多くの客が出入りしており、周囲にはその店から出る料理の良い香りが漂っている。

 

「そうですね、ここにしましょう」

 

 郭嘉が言って、その店の中へと入っていった。

 

 中は客であふれかえっており、賑わいを見せていた。

 二人が空いている席を見つけ、座るとすぐに給士が来て料理名が書かれた紙を渡す。

 

「では選んでしまいましょうか」

 

 そう言ってすぐに二人は料理を選び、給士に注文をした。

 

 そして二人は料理が来るまでの間、軽く雑談を始める。

 

「凄いですね、この店は……」

 

 給士達の動きを見て、戯志才は思わず呟く。

 彼らには動きに一切の無駄がなく、さらに観察眼も優れ自分のやるべき仕事をすぐに見つけている。その能力は目を見張るものであった。

 

「彼らをどうにか雇えないものでしょうか」

 

 その能力をなんとしても欲しいと考えた郭嘉は戯志才に意見を聞いてみる。

 

「おそらくは厳しいでしょう。この辺りの中心的な店でしょうし、ごっそりと人員を無理矢理引き抜けば、確実に住民の反発を招きます。ここは返って逆の手を打つのがよろしいかと」

 

 そう言って、二人は料理が来るまで話し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

 二人は店を出て、そのままそれぞれの屋敷へと向かおうとする。しかし、郭嘉がふと立ち止まり、戯志才に尋ねた。

 

「そう言えば、戯志才殿は笛をお好きなようですが、吹かれるのですか?」

 

「ええ。まあ、少し」

 

 気恥ずかしそうに、着物で少し頬を隠しながら戯志才は答えた。

 

「是非一度聞いてみたいのですが、よろしいですか?」

 

「え! でも下手くそですよ!」

 

「いえ、構いません。私はあなたの演奏を一度聴いてみたいのです」

 

「……分かりました。郭太守様にはこの笛を買って頂いたございますし。では、私の屋敷まで招待します」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って二人は戯志才の屋敷へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

「ここが私の屋敷です」

 

 そこは街の喧騒から少し離れた静かな場所に立っていた。

 

「お邪魔します」

 

 門の中へ入ると一般的な大きさの屋敷が建っていた。しかし、郭嘉は別の場所に目が引かれた。それはその屋敷の庭である。

 この屋敷は門とは屋敷を挟んで向かいにある庭までは吹き抜けになっており、ちょうど向こうが見渡せる形となっている構造となっている。

 その庭は小さな池があり、その周りを苔の生えた岩や野草が囲っている。庭の端には小ぶりな梅の木が一本立っており、ちょうどつぼみが出来ている頃合いであった。

 

 その庭は自然をそのまま移してきたような庭だが、ある意味調和の取れた独特の美しさを漂わせる庭である。

 

「粗末な家で申し訳ありません」

 

「いえいえ。それよりも美しい庭ですね!」

 

「ええ。あれが我が屋敷の唯一の自慢です。袁本初様が私のために見繕ってくださった屋敷です」

 

 この屋敷は袁紹の別邸として使われていたが、戯志才が袁紹に下ったことを受け、曹操が見つかるまでは心が安まる場所の方が良いだろうと袁紹が貸しだしたのだ。

 

 二人はそのまま屋敷へと上がっていく。日は既に傾きつつあり、夕日が見えている頃合いであった。

 

「では茶を入れてきますので、こちらでお待ちください」

 

 その庭が見渡せる客間で郭嘉を残し、戯志才はその場を立った。

 

(これだけ美しい庭を持っている上、笛を吹かれると言うことは相当風流なお方なのだな)

 

 郭嘉は戯志才の性格を今までの行動と生活から推測する。

 その芸術的な能力の高さに改めて関心をしつつ、周囲を見渡した。調度品は一つ一つに品が見られ、全てが調和し合い、その庭の美しさと溶け込んでいる。

 

(素晴らしいものだ)

 

 そんな感想を抱きながら、庭を見ていると戯志才が一人分のお茶を入れて持ってきた。

 

「粗茶ですが、どうぞ」

 

 そういって郭嘉の前に置いた。

 

「では、お茶を飲みながらお聞きください」

 

 そう言って懐から先ほどもらった笛を取り出し、吹き始めた。

 

 その音楽は宮廷音楽でもそこら辺の踊り子が使う歌でもない。聞いたことのない曲であった。どこかもの悲しく儚い印象を抱かせる。

 その音は鈴の音のように美しく、その曲と実に合っていた。

 

 郭嘉は時を忘れ、その音色に聞き入った。

 

 

 月の光は、庭で笛を吹く戯志才をいつまでも煌々と照らし出していた。




ちなみに戯志才の庭は日本庭園をイメージしています。


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第三四話 洛陽からの急報

 田中が南皮の町に来てから、毎日のように気にしている情報がある。

 それは汜水関における戦いの趨勢であった。

 袁紹が曹操や公孫瓉らを撃破した後、反董卓連合には大きな波紋が広がっている。そこで田中は反董卓連合に間者を使って揺さぶり掛けているが、反董卓連合の中には孫策軍にいる周瑜のような知恵者がいるためになかなか、上手くいかなかった。

 

「どうやるべきか?」

 

 悩んでいると不意に田豊が顔をのぞき込んでくる。

 

「どうされました?」

 

「汜水関周辺にいる反董卓連合の諸侯をどうにかして瓦解させたいのだけれども、どうすれば良いと思う?」

 

 既に袁紹が董卓に付いた理由とその状況に関しては伝えてある。それ故、田豊や沮授の誤解は解けていた。

 

「う~ん、あそこには反董卓連合の諸侯が数多く集まっており、周瑜のような知恵者もいますからね……。それ相応の知恵者を送り込んで、瓦解をさせる方法もありますがかなり危険ですしね。補給線戦への圧迫は上手くいっていないのですか?」

 

「それが補給隊の護衛に劉備とか言う連中を当てたらしくて、その連中がめっぽう強く攻撃が上手くいかないらしいんだ」

 

 田中はそう言いながら、その劉備達による被害が書かれた書簡を見せた。

 

 そこには2千の兵力で攻撃を行った部隊がたった千ほどの兵に散々に返り討ちにされたとの情報が書かれている。

 その原因は劉備軍の将軍が異常なほど強いとの情報であった。

 

(やはり、関羽と張飛がいるか)

 

 その将軍の正体を田中は知っている。それは三国志演義の中で数々の偉業を為り遂げる豪傑達の名である。劉備と言えば出てくるのはこの二人である。

 

「これは酷い……」

 

 あまりの被害の大きさに言葉を失う、田豊。

 

「これだけの被害が出たと言うことは今後、敵の補給線に攻撃を仕掛けるのはあまり得策ではない。元皓、どうする?」

 

「となれば、更に大きな揺さぶりを掛けることが良いかと」

 

「具体的には?」

 

「大きな功績を挙げた朝廷の人間に反董卓連合の非難をさせるのはいかがでしょう?そのような人物が言えば、民は反董卓連合に非難の目を向けることになりましょう。さすれば、流石の諸侯も兵を退かざるを得ないかと」

 

「しかし、誰にお願いをする?並みの人物では世に出回る董相国の噂を消しきれんぞ」

 

「皇甫義真殿が適任かと」

 

「成る程」

 

 皇甫義真とは皇甫嵩のことだ。この人物は黄巾の乱において数多くの功績を挙げ、朝廷内でも一目置かれた人物である。

 この人物が味方すれば、流石の反董卓連合も瓦解するであろうと田豊は考えたのだ。

 

「ふむ。確かにそれならば、名将皇甫義真殿も味方になる事だし一石二鳥だな」

 

 田中は同意の意思を示す。しかし、彼の仕事はあくまでも情報を扱うことで人材を雇うことではない。この件に関しては袁紹に話を通してから他の人物に動いてもらう必要がある。

 

「では、元皓共に来てくれ」

 

「御意」

 

「しばし、お待ちを~」

 

 田豊と田中が話していると沮授がどこからともなく現れ、二人を制止する。

 

「何、文句ある?」

 

 田豊が少し目をつり上げながら、聞く。どうもこの二人はあまり馬が合わないらしい。

 

「文句ではないのですが、その案では成功は厳しいかと~……」

 

「何故だ?」

 

「はい。現在、董仲潁殿の噂は天下にとどろき渡っており、これを覆すことはかなり難しい物と思われます~。むしろ、このまま静観することが上策と考えます。敵は長期の遠征であるために兵は疲れ切っております~。さらに敵の兵力は強大であるためにそれを維持する負担もかなり大きいものとなっているはず~。このままでは敵は自壊するでしょう~」

 

「それは私も考えた。しかし、それは董仲潁殿の軍も同じ。敵が万が一総攻撃を仕掛けてきたらどうするのです?」

 

「董仲潁殿の軍は疲れてはいるといっても、すぐに洛陽に下がり休息を取ることは可能ですので、それほど疲労はひどくはないと思われます。万が一にも汜水関が落ちても後方には虎牢関があります。それほど心配されることはありますまい」

 

 田豊と沮授のやりとりを聞いていて、田中はふと気になったことを口にした。

 

「汜水関と虎牢関を通らずに洛陽へ抜ける道というものはないのか?」

 

「「それは……」」

 

 二人して口をつぐんだ瞬間の出来事であった。

 

 田中の執務室を勢いよく叩く音が聞こえる。

 部屋の戸を開けるとそこには許攸が肩で息をしながら立っていた。相当急いでいたのであろう、着物は乱れている。

 

「どうしました?」

 

「大変です! 田中殿、すぐに袁刺史殿の部屋に来てください!」

 

 その尋常ならざる雰囲気に田中は急いで、着物を整え田豊と沮授に付いてくるように言った。

 

「では行きましょう」

 

 田中はすぐに許攸と袁紹の元へと向かった。

 

「何故、その二人を連れてくるのですか?」

 

 許攸は田豊達を見て、怪訝な顔をして言う。

 

「副官として彼女たちを登用してみましたが。彼女たちはかなりの知恵者です。必ず役に立つはずです」

 

 許攸は少し怪訝な顔をしたが、何も言わず田中と共に袁紹の元へ急いだ。

 

 

 

 

「お待ちください!」

 

 袁紹の部屋の前まで来ると衛兵が田中達を止めた。

 

「田中殿と許攸殿は分かりますが、後方の二名は何者ですか? 見知らぬ顔ですが……」

 

「私の副官だ。優秀であるために意見を求めたいと連れてきた」

 

「しばしお待ちを」

 

 そう言って衛兵が中に入り、すぐに出てきた。

 

「どうぞ」

 

 衛兵が開けた戸を通り袁紹の部屋へと入るとそこには袁紹陣営の幕僚が揃っていた。

 

「どうなされました?」

 

「洛陽に放っていた間者より早馬です」

 

 そう言って逢紀が手に持っていた書簡を田中に渡す。

 

「これは……」

 

 そこには洛陽が急襲され、董卓軍が敗走したと言う旨が書かれていた。



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第三五話 家族との再会と決別

 今回は少し本編から離れて話を描きます。
 なお、あの大物が登場します!



「私はいつまでここで拘留されているのだろうか」

 

 公孫瓉は自嘲気味に呟く。

 彼女が牢に繋がれてから早四日ほど。自分は気付けば、この牢に繋がれていた。最後に記憶のあるのが炎にまかれた自分を部下が必死でかばってくれたところだ。

 牢番から話を聞いたところに寄ると、部下の必死にかばったおかげで自分は生き残れたようだ。共に中に入った味方は全滅。外にいた味方は私が捕まったことにより、士気が急落。逃げ出す者や投降する者が相次ぎ、自然に崩壊していったようだ。

 

「白馬将軍か、笑える」

 

 自分についたそのあだ名は今までは実に誇りに感じていた。しかし、こうして無残な敗北を遂げた今となってはただの皮肉にしか聞こえない。

 

 そんなことばかり考えていると牢の外で足音が聞こえる。どうやら公孫瓉の牢に向かってきているようだ。

 だんだんと音が大きくなり、自分の牢の間の前で止まる。

 

「誰だ?」

 

 聞くが返事がない。公孫瓉は相手の顔を確認しようとするが、逆光になり顔が確認できない。

 

「貴殿に質問がある」

 

 その声は女の者ではない。低い男の声だ。それもそこら辺の一般の兵士ではなく、何かオーラを感じさせる不思議な魅力を持った声だ。

 

「敗者が語る言葉はない」

 

「貴殿は敗者ではない」

 

「ならば、どうしてここにいる。こうして牢に入っているのは負けたからだ。違うか?」

 

「貴殿は敗北をしたが、勝利もした」

 

「くだらない。矛盾しているじゃないか! 私にこれ以上恥をかかせるつもりか! 名も名乗らずに何と無礼な!」

 

 公孫瓉は思わず声を荒げた。まるで自分に敗北の言葉を呟かせるように何度も問答を行う相手に嫌気がさしたのだ。

 すると相手は意外なことにわびを入れてきた。

 

「これは失礼をした。私の名は張郃。字を儁乂という。袁冀州刺史殿配下の一武将だ」

 

「ああ。噂には聞いたことがある」

 

 元は韓馥の部下で、攻防共に優秀な将軍と名高い人物であった。

 

「で、その人物が私に何のようだ?」

 

「貴殿を是非我が軍へと思ってな」

 

「何だと!」

 

 張郃の言葉に驚愕と共に怒りがわき上がってくる。

 

(仮にも自分の配下を殺した者どもの軍門へ下れとは何事か! ましてや自分の従妹を殺し、私を捕らえかくも辱めようとは!)

 

「断る! 貴様らのような野蛮人に下るような真似は死んでもせん!」

 

 公孫瓉はきっぱりと断る。そこにはあくまでも一武人としての意地があった。

 

「やはりそうであろう。貴殿のような誇り高い人物は決して自分の家族を殺したような者の元には下らぬ。実に誇り高きものだ」

 

 予想に反し、張郃はしきりに頷く。ここまで褒められることは予想外なだけに一瞬ためらいが出る公孫瓉。

 

「しかし、今の言葉には一言だけ間違いがある。我々は貴殿の従妹である公孫越殿は殺してはいない」

 

「何!」

 

 意外すぎる一言に驚愕の表情が出る。

 

「どういうことだ!」

 

「その言葉通り、公孫越殿は殺してはいない。その証拠に今、この場に連れてきている」

 

 そう言って、近くの兵士に何か合図を送ると、その兵士が牢から出て行く。

 

 数秒と立たぬうちに一人の人物を連れて、公孫瓉の元へと近づいてきた。

 その人物は紛れもない公孫越であった。

 

「凪水!」

 

「白蓮姉さん!」

 

「さあ、儂は少し離れておるから自由に話すと良い。せっかくの再会だ」

 

 そう言って張郃は牢を見ることが出来るが話し声が聞こえないような地点にまで行き、腰を下ろした。

 

「凪水! 生きていたのか!」

 

「うん! あの戦いの後、捕まって牢に入れられていたら、今度は白連姉さんが捕まったって聞いたから特別にこちらに来させてもらったの」

 

「そうかそうか! 何か、怪我はしていないか? 殴られたとか蹴られたとかは?」

 

「全く何も。ただ牢に入れられているからそれほど自由はきかないけど、健康に支障が出るようなことはないわ」

 

「良かった!」

 

 安堵していると公孫越は、言いづらそうに口を開く。

 

「白連姉さん、あのね……」

 

「何だ? 何でも言い、言ってみろ」

 

「実は私は袁冀州刺史の軍門に降ろうと思うの」

 

「……」

 

「白連姉さんのことも大事だし、決して離ればなれにはなりたくはない。だけれども思ったの。これから先はどうなるんだろうって。その時、私は白連姉さんの元では大きいことは学べないと思った。悪い意味ではないの、それだけは勘違いしないで! ただ私は騎馬の扱いに不慣れで、白連姉さんの元では役に立てないし学べることは少ない。けど、ここは違う。ここであれば、歩兵の扱いや運用のことをたくさん学べる。だから私はここに留まりたいと思う!」

 

 公孫越の言葉を聞いて、公孫瓉は目を閉じ、何かを考え込んだまま何も言わない。

 

 二人の間に静かな時が流れた。それは凄く長いようにも一瞬の短い出来事のようにも感じられた。

 

 やがて公孫瓉が口を開いた。

 

「それは本心かい?」

 

「うん!」

 

「分かった。行きなさい」

 

 その言葉にためらいはなかった。公孫越は元来、軽薄そうに見えるが決してそのような人物ではない。重大な決断はゆっくりと考え、答えを出す人間だ。

 その従妹が出して答えに公孫瓉は口出しをするつもりはなかった。

 

「だが、私は行かない」

 

「え……」

 

 次の公孫瓉の一言に公孫越は凍り付く。

 

「私は数多くの人間を死なせてこの場にいる。私だけ軍門に降るようなことをしては死んでいった者に顔向けが出来ん!」

 

 その言葉には公孫瓉の確固たる思いが表れていた。

 

「白連姉さん、私は姉さんに死んで欲しくない!」

 

 半泣きになりながらも必死に説得をしようとする従妹の言葉に決して首を縦には振ろうとはしない。

 

「だめだ! これは私の意地だ! 凪水、許してくれ」

 

 はっきりと拒絶の意志が含まれた言葉に、公孫越は泣くしか出来ない。

 

「凪水。お前はまだ若いし、それほど高い役職にも就いていない。だから自由に生きろ。そして、いずれ私の決断の意味が分かるようになる」

 

「白連姉さん、嫌だ!」

 

「さあ行け! 張儁乂殿!」

 

 張郃を呼ぶ。

 

「公孫越を行かせてくれ」

 

「姉さん!」

 

「行け! さらばだ!」

 

「本当によろしいのですか?」

 

「連れて行け!」

 

 公孫瓉はまるで何かを断ち切るかのように言った。

 

「分かりました」

 

 張郃が合図をして近くの兵士が公孫越の両側を抱え込むようにして、泣きじゃくる彼女を牢の外へと連れて行った。

 

「従妹を頼む」

 

「はい」

 

 その二人の間には武人としての言葉には出ない確かなやりとりがあった。

 

「公孫将軍、貴殿はどうなるかは分からない。もしかしたらその命も……」

 

「分かっている。はじめよりそのつもりだ」

 

「私は貴殿はここで死ぬには余りにも惜しい人物だと思っている」

 

「買いかぶりだ」

 

「できる限り貴殿を生かすことの出来るよう最善を尽くす」

 

「勝手にしろ。私が望むのは処刑のみだ」

 

 二人はそれで別れた。

 

 

 

「今日は冷えるな」

 

 公孫瓉は見えもしない空を見上げるように天井を見て呟いた。



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第三六話 公孫瓉の今後

すいません! しばらくは洛陽戦に入ることは難しそうです。
後、1,2話で洛陽戦に入れるよう頑張ります!


「袁刺史、ご決断をお急ぎください!」

 

 逢紀が袁紹に言う。

 今、公孫瓉の今後を巡って二つに意見が分かれていた。

 

 一方は今後の禍根を残さないために公孫瓉を処刑すべきと言う逢紀を筆頭とする処刑派。

 もう一方はまだ公孫越や民心を考えて、解放をするべきとする郭図を筆頭とした解放派。

 

 この二つにはそれぞれに利点と欠点があり、袁紹は決断に迷っていた。

 

 しかし、袁紹個人的には公孫瓉とは交友があるために処刑は避けたい気持ちがある。その感情は統治者としての決断を鈍らせるために押さえ込んでいる。

 

「袁刺史。ここは処刑をすべきです」

 

「解放すべき。まだここの地は統治を始めたばかりで、民心は安定していない。民の心を安定させるために早い段階での処刑などは避けるべき。それに配下に入ったばかりの公孫越は確実に不信感を抱く。ここは解放しかない」

 

 逢紀と郭図がそれぞれの意見を言って袁紹に決断を迫る。

 

「しばらく、考えさせてちょうだい」

 

 そう言って袁紹は一旦、その場を後にした。

 

 袁紹はその足である部屋に向かっていた。それは田中の執務室だ。彼の部屋には優秀な人物が揃っており、どちらの勢力にも付いていない中立的な意見が聞けると考えたのだ。

 

「田中さん、お邪魔しますわ」

 

「どうぞ」

 

 そう言って、田中の執務室に入った。

 中ではちょうど、田中が董卓と反董卓連合の戦いの情報を聞きつつまとめているところであり、田豊と沮授はその場には居合わせていなかった。

 

「これは、我が君! 失礼致しました。少々お待ちください。すぐに席を空けますので」

 

 そう言って、書簡を片して椅子の上を空ける。

 

「ありがとう」

 

 袁紹はその席についてしばらく黙っていた。

 

「どうされました?」

 

 田中が沈黙に耐えきれず、袁紹に問いかけた。

 

「私はかつて公孫瓉とは幼なじみですのよ」

 

 田中の質問に答えることなく袁紹は独りでに話し始める。

 

「若い頃は同じ人の元で勉学を学び、共にいたずらなんかもしましたわ。彼女は普段から何事もそつなくこなしますが、これと言って飛び抜けたものもありませんでした。俗に言う器用貧乏ですわね。ですから、よくいたずらはそれなりに成功はしましたが、それほど面白みはありませんでしたわね」

 

 そう言って、袁紹は静かに笑った。それは普段の高笑いとは違い、懐かしい記憶に思い出を馳せた人の笑みであった。

 

「それがやがて大きくなり、それぞれが統治する地を持ち、お互いに独立していきましたわ。そして今に至るわけです」

 

 その袁紹の言葉には、公孫瓉に対する思いがにじみ出ている。

 

「我が君。あなたは何がしたいのですか?」

 

 田中は迷う袁紹に何も言わず、問いかけだけをした。

 

「あなたは君主であり、私はただの一人の臣下です。君主としての決断はあなたがすべきです」

 

 田中は袁紹を突き放すように言う。それは田中なりの考えがあってのことだ。

 

 袁紹は元来優柔不断だ。その優柔不断さは後に致命的な欠点として全てを終わらせることになる。その欠点をどうにかして軽減させておきたかった。

 何度もこれを行おうとしたが未だにそれは出来ていない。

 

「我が君、一貫した主張をすべきです。どんな決断であろうとも自分の信念を持ってして動いていれば、自ずと結果は付いてきますよ」

 

 田中はそれを伝えた。二人の間に沈黙の時が流れる。

 

 しばらくして、袁紹が立ち上がる。

 

「田中さん! ありがとうございます!」

 

 そう言って、袁紹は部屋を出て行った。

 

「天よ、どうか我が君を導き給え」

 

 

 

 

 

 

「公孫瓉は解放致しますわ!」

 

 会議の場に戻るなり、一言目がそれであった。

 

「しかし、袁刺史殿。それでは将来禍根を残すやもしれませんぞ! それでも構わないのですか?」

 

「現在、私は冀州を統治し始めたばかり。この段階で、処刑を行えば民達の心も穏やかにはならないでしょう。況してや、我が配下に公孫越が加わったばかり。そのような段階において処刑は内部に禍根を残す結果となります。今は地盤を固めるべきと判断して解放と致します!」

 

「ご英断、流石であります」

 

 郭図達、解放派は一斉に頭を下げた。

 

「ご決断に従います」

 

 処刑派も納得したわけではないようだが、応じる。

 

「解放するにしても彼女を野に解き放つのですか?」

 

「いえ。彼女を北平に戻します」

 

「何ですと!」

 

 その意外すぎる一言に処刑派だけでなく、解放派も驚きの声を上げた。

 公孫瓉の本拠地である北平に彼女を帰せば、下手すると挙兵をされもう一度、袁紹軍に攻撃を加えてくる可能性がある。そのようなやり方は臣下のほとんどが反対であった。

 

「処刑ではなく解放を選んだ上、本拠地に戻すだと! それだけはならん! それでは公孫瓉がまた挙兵するやもしれない! また犠牲を出すつもりか、麗羽!」

 

 逢紀は、自分の立場も忘れて激怒した。袁紹が何も考えずに軽はずみなことを言っていると考えたからだ。

 

「逢紀! 口を慎みなさい!」

 

 袁紹も袁紹で怒鳴り返す。その目には明らかな怒気が浮かんでいた。

 

「私が何も考えないで友人だからとか私的な理由で公孫瓉をその地に返すと思って!」

 

「それ以外に何があるというのだ! どう考えても解放ならまだしも北平に返すのはやり過ぎだ!」

 

「地図を見ていないの?」

 

 袁紹の質問を聞き、ふと地図に目を向ける逢紀。

 しばらく、地図を見てからはたとあることに気付く。

 

「そうか! 黒山賊と黄巾の残党、それに異民族か!」

 

「ええ。彼らの掃討を行わせ、我々の後方の安全を図るわ。ただ、反乱の可能性もあるから、公孫瓉軍は解体してこちらの軍に編入。代わりに我が軍の兵士と将を一人つけて彼女の新たな軍として編成するわ」

 

「それでは、彼女を配下にするのと大して変わらないじゃないか」

 

「いいえ。北平の統治権は彼女のものであり、こちらが特に政治に手を出すことはないわ。何せ北平周辺の豪族たちは彼女になついているから、我々が手を出そうものなら何をしだすか分からない。それくらいであれば、彼女に任せておいた方が楽に統治ができる。それに軍に上を一人つけると言っても、その将はあくまでお目付役で実質指揮を執るのは彼女を含めた元公孫瓉軍の将軍達よ。兵士達は彼女らに懐柔を避けるために定期的な入れ替えを行う。ここまでやれば、彼女たちも反乱を起こせないし、技術も学べる。それでいて北方の脅威は取り除ける」

 

「成る程、それならばいけるやもしれません。すぐに検討を始めます」

 

「いや、時間が無いわ。現在、洛陽方面の情勢は一刻を争うほど緊迫した状態にある。この程度のことをぐだぐだ議論はしていられない」

 

「御意! ではすぐにそのように取りはからいます」

 

 逢紀はそう言って、すぐに近くの文官に準備を始めさせた。

 

「もし公孫瓉の配下がこの条件を呑まなければどうするのです?」

 

 郭図が聞くと、袁紹が答える前にその場にいた廬植が答える。

 

「大丈夫じゃ。奴はその程度のことがこなせないような人間ではない。必ずやってみせる。もし失敗したのであれば、この廬植の首を差しだそう」

 

「分かりました」

 

 郭図が廬植がそこまで言うのであればと提案を受け入れた。これ以降、特に反対意見もなく、すぐに袁紹の決定は実行された。



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第三七話 公孫瓉、北平に発つ

「公孫瓉は当時韓馥領であったこの地に攻め入り、攻撃を行った。この件は大変許しがたく、罪深き者である。しかし公孫瓉のやむを得無き当時の事情を考慮した懐の広い我が主君は貴殿を北平の地に送還。及び従来通りその地での統治を可能とする旨を決定した。また、兵士に関しては従来の公孫瓉軍は我が軍に編入。かわりに定期的に我が兵士をそちらの指揮下に入れることとする」

 

 逢起が謁見の間で書簡を広げて朗々と読み上げた。

 

 今、公孫瓉の今後に関して正式な報告が行われているところであり、この謁見の間には袁紹陣営の閣僚の全員が集結してその報告を受けていた。

 

「以上であります。公孫瓉、何か言うことはあるか?」

 

 逢起が最後に公孫瓉に尋ねる。

 

「……ございません」

 

「それでは以上のように刑を執行致します! 袁刺史、よろしいですね?」

 

「構いませんわよ! オ~ホッホッホッホッホ!」

 

 しかし、袁紹のその言葉とは裏腹に表情には、いつも見えるような元気さはない。どこかで旧友に別の言葉を掛けてやりたい、そう感じ取られた。

 

「それでは、衛兵! 連れて行け!」

 

 公孫瓉は力なくうなだれながら連れて行かれる。そのあまりのもの悲しい姿に袁紹は思わず声を掛けようとした。

 しかし、その前を逢紀が塞ぐ。

 

「麗羽、だめだ!」

 

 小さいながらも迫力の籠もったその声に思わず、袁紹はその出かかった声を飲み込んだ。

 袁紹にはその力ない背中を見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 外では多くの兵士達が整列しており、その中心に公孫瓉を乗せる馬車がある。

 

「こちらへお乗りください」

 

 北平に行く第一陣の指揮を任されたのは張郃であった。

 彼は歴戦の猛将であることが買われ、今回の遠征の指揮官に抜擢された。

 

「……」

 

 公孫瓉は張郃の声に返事もせず、静かに馬車に乗り込む。

 

「公孫太守、しっかりなさってください。兵が見ております」

 

「……私は死にたかった」

 

 公孫瓉の呟いた瞬間、張郃の中で何かが壊れる音がした。

 

「貴様!」

 

 気付けば、公孫瓉に殴りかかっていた。

 

「ぐっ!」

 

 不意を突かれた公孫瓉は地面に転がる。しかし、そこはさすがは勇将。すぐに受け身を取って、立ち上がる。その顔には怒気が浮かんでいた。

 

「何をする!」

 

「何もくそもあるか! 貴様、自分が言った言葉の意味が分かっているのか!」

 

「ああ! 私は軍を失ったばかりか、袁紹の操り人形になったんだ! 武人としてこれほど屈辱的なことがあるか! このようなさらし者になるくらいであれば、死んだ方がましだ! 私だけ、のうのうと生きていては、死んでいった者達に顔向けが出来ん! ましてや、このようなさらし者にされては尚更だ!」

 

「死んでいった者達に顔向けができんだと! 貴様、自分の部下の死に様を聞いていないのか! 貴様の部下は貴様を守るようにして倒れていた! これはどういうことか分かるか! 貴様を生かすために自らの生を犠牲にしたのだ! その貴様が死んだらどうなる? 死んだ者達の思いを誰が継ぐというのだ!」

 

「……」

 

「それは貴様以外いないであろう! ならば、貴様は生きるのだ! たとえ地べたを這えずり回ることになろうとも生きねばならん! それが貴様の定めだ!」

 

「……」

 

 公孫瓉は張郃の話を聞きつつ、黙っている。

 

「公孫瓉! 生きろ! 生き恥をさらしてでも死んだ者の思いを繋ぐのだ!」

 

「……分かった」

 

 公孫瓉は納得はしていないようであったが、返事はした。

 

「いずれ、分かるときが来る」

 

 張郃そう言うと公孫瓉を馬車に乗せ、その前にいた騎馬に乗り従軍開始の命を出した。

 

 

 

 

 

 

 

「行きましたね」

 

 田中は袁紹に言った。彼は今、袁紹の私室の中に入ることを許され二人でお茶を飲みながら話していた。

 

「公孫瓉は明らかに私に恨みを持ったはずですわ。彼女は常に信念を持って行動しております。その信念を汚した者には容赦はしない、たとえそれがかつての友人であっても……」

 

 袁紹の言葉には明らかに暗い色が含まれている。

 おそらくは友人であった公孫瓉に完全に敵対視をされたのがショックなのであろう。彼女は普段、高飛車に振る舞っているが、裏では常に人の動向に気を遣っている。

 

「我が君、長になるというのは時に人に嫌われる勇気を持たなければなりません。それがたとえ、友人が相手だったとしてもですよ」

 

「分かっております。分かっておりますとも。ただ、私は辛いのですわ」

 

「我が君……」

 

 田中は袁紹に掛ける言葉に迷った。その思いは田中には分からないものであるから、どう励ましたら良いのか分からなかったのだ。

 

「麗羽、ちょっと良いか?」

 

 その時、逢紀が二人の元へとやってくる。

 

「どうしたの、雷?」

 

「お前に訪問者だそうだ」

 

「どちら様? 今日は訪問の予定がなかったはずなのだけれども……」

 

「荀諶の姉のようだけど……」

 

「まさか! 田中さん、少しこちらでお待ちになって!」

 

 そう言って袁紹はすぐに訪問客が待つ客間に向かう。

 

「逢殿」

 

「どうなされた? 田中殿」

 

「あなた方は本名や字とは別に名を持っているようだが、何なのですか?」

 

「ああ。真名のことですか」

 

「真名?」

 

「ええ。ご存知ないのですか?」

 

「私の国にはそのようなものは無かったので」

 

「成る程。では説明させて頂きましょう。名前や字とは別に真名と呼ばれる名を持ちます。これは極めて親しい間柄でしか呼ぶことは許されない名です。もし本人の許可無く真名で呼べば、それは問答無用で斬られてもおかしくないほど失礼なことに当たりますのでご注意を」

 

「分かりました。ご教授ありがとうございます」

 

 田中は真名の存在の重さに驚きつつも、何があっても気軽には呼ぶまいと心に誓った。

 

「そう言えば、今いらした方はどちら様ですか?」

 

「ああ。王佐の才を持つ方ですよ」



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第三八話 荀彧との出会いと袁紹の決断

「これは、これはようこそ! 我が冀州へ! 荀文若殿の噂はかねがね伺っておりますわ! 私の名は袁紹、字を本初と申しますわ!」

 

 袁紹は荀彧と会うなり、そう言った。

 

「初めまして。私の名は荀彧、字を文若と申します。荀文若が袁冀州刺史に拝謁致します。この度は冀州刺史への栄転、誠におめでとうございます」

 

「いえいえ、そんな堅苦しい挨拶は止めましょう。ささっ、こちらへ」

 

 そう言って袁紹はすぐ近くの席へと案内した。

 

「して、ここまでいらした理由は?」

 

「ええ。妹に会いに来るついでに袁刺史にご挨拶をと思いましてね」

 

「そうですか。妹さんの友若は実に優秀で素晴らしい人物ですわ」

 

「それはありがとうございます。姉としても誇らしい限りです。妹は袁刺史のような素晴らしい人物に仕えられて果報者です」

 

「そんなことはございません。ところで、荀文若殿は未だに仕官されていないとの噂を聞きましたが、本当なのですか?」

 

「ええ。私のような未熟者が仕えられる仕官先などそうそうございません」

 

「何を仰います。あなたのような人物が未熟者では世の人が全て未熟者になってしまいますわ」

 

「そこまで言っていただけるとはありがたきお言葉」

 

「つまりは現在、仕官先を探されている状態なのですか?」

 

「ええ。お恥ずかしながら」

 

「では、よろしければ、この袁紹に力を貸してはいただけませんか?」

 

 袁紹は思い切って、荀彧に問いかけてみた。

 

「ほう。それはいかなる理由でしょう?」

 

 荀彧も袁紹を値踏みするように聞いた。

 

「私はこの世に憂いを持っておりますわ。世には賊が蔓延り、強い者が全てを平らげ、弱い者が虐げられる。今や、かつて栄光を誇った漢王室の存在は風前の灯火となりつつあります。しかし、私は漢王室のご威光を取り戻し、復活させたいのですわ! それは私の望みでもあり、我が先祖の弔いのためにも成し遂げたいのです。そのためにどうか私にお力添えをいただけませんか?」

 

 そう言って袁紹は頭を下げた。

 

「袁刺史殿、頭を上げてください。あなた様の御覚悟は分かりました。しかし、事は重大ですので、しばしお時間をいただきたいのです」

 

「ええ。それは一向に構いませんわ。その間の宿泊費などは全てこちらで負担致しますので、どうぞごゆっくりお考えになって」

 

「かたじけない」

 

 そう言って荀彧はその場を後にした。

 

 荀彧が出て行った直後、部屋に逢紀が入ってきた。

 

「すぐに董仲潁殿の話で会議があります。こちらへ」

 

「分かりましたわ」

 

 そう言って袁紹は逢紀と共に会議の場に向かった。

 

「それにしても董卓軍が敗北するとはどういうことだ? まだ、汜水関が陥落したという情報は入ってきていないぞ! 敵はいきなり洛陽にでも現れたというのか?」

 

 董卓が敗れたという情報について既に会議が開かれていた。汜水関が抜かれていない状態でどうやって敵は洛陽まで攻め上がったのか、またどのようにしてあの強大な董卓軍を打ち破ったのか。また董卓達のその後はどうなったかなど議論することは山積みとなっている。

 

「どうも敵は汜水関を通過せずにこれら関所を迂回。洛陽方面に軍を進め董卓軍に短期決戦を迫った模様です」

 

「何という大胆な……」

 

 田中の返答に審配が呻いた。洛陽方面の地図に描かれている中で汜水関や虎狼関に抜けるには険しい山中を抜けなくてはならない。さらに補給などもままならず、山賊や黄巾の残党がうようよしている地点だ。どう考えても、そのような策を取るような人間はまともではない。

 

「これを行ったのはどこの部隊だ?」

 

「袁術配下の紀霊です」

 

「何ですって!」

 

 袁術の名を聞いた瞬間、袁紹が急に立ち上がる。

 

「美羽~~~! あのおバカはどこまで私の邪魔を致しますの!」

 

 怒鳴りながら地団駄を踏む。

 袁紹は三国志演義や史実の三国志においても袁術との仲は険悪で有名であった。この世界においてもそれは変わらない。

 

「今度こそあやつにぎゃふんと言わせてやりますわ! 馬を引きなさい!」

 

「袁刺史殿、お気を確かに!」

 

 あまりの怒りに単騎突撃を仕掛けようとする袁紹を必死で逢紀が押しとどめる。

 

「袁術に怒りをもたれるのはよく分かりますが、ここは落ち着いてください! それよりも董仲潁殿達を救出する方が先です!」

 

「はっ! そうですわね! では何か良い策をお持ちの方はいらっしゃいますの?」

 

 袁紹は居合わせた人物達に聞くと一人手を上げた者がいた。

 

「では、廬先生」

 

 逢紀は手を上げた廬植を指名した。

 

「実はの私には数人、あの地に留まっている同僚がいての。その者達から董仲潁殿を始めとした文官達の多くを保護しているから救援に来てくれという早馬がこの会議が始まる少し前に儂の所に来たのじゃ」

 

「何ですと! その人物というのは?」

 

「皇甫将軍と朱城門校尉じゃよ」

 

 この皇甫将軍とは皇甫嵩、朱城門校尉とは朱儁のことだ。

 

「何と! あの方々が董仲潁殿達を保護されていると!」

 

「いかにも早馬によれば、汜水関は今でもどうにか持っているようだが、洛陽が取られた以上は持ちこたえるのも長くはないようだ」

 

「では、汜水関方面の救援部隊と洛陽方面の救援部隊を組まねばなりませんな」

 

 逢紀が廬植の話を聞き、言う。

 

「しかし、洛陽方面には袁術軍の目があるために軍を進めることは危険すぎる。そこで田中殿、あなたの部隊をお借りしたい」

 

「構いませんよ。ただ、彼らの練度はまだそれほど高くはありません。期待通りに動けるかどうか……」

 

「いえ。彼らなら大丈夫です。実際に彼らの訓練を見たことがありますが、彼らならやれるでしょう」

 

「それは良かった。ならば、彼らを派遣しましょう」

 

「お待ちを!」

 

 そこで止めに入る者がいた。田豊だ。

 

「元皓、どうした?」

 

「董仲潁殿が敗れたと言うことは、天子様はどうなされたのです?」

 

「董仲潁殿と一緒にいるそうだ」

 

「では、袁術に捕らわれているわけではないのですね」

 

「いかにも」

 

 その返答を聞き、田豊はひとまず安心したようだ。

 

「では、董仲潁殿を保護する時に天子様はどう致しますか?」

 

「それは……」

 

 逢紀は言いよどんで、袁紹の方に顔を向けた。

 

「現在、洛陽はどうなっていますの?」

 

「戦に巻き込まれた影響で、火が上がり、焼け野原に近い状態です。保護した二人は洛陽郊外のあばら屋で救援を待っている状態のようです」

 

「それでは、あの洛陽宮が焼け落ちたというのですか?」

 

「残念ながら……」

 

「ああ、何という……」

 

 そう言って頭を抱え込んだ。

 

「ということは天子様のお屋敷がなくなってしまっている。ここに招きたいものですが、ここでは何かと不便でしょうし……」

 

「袁刺史殿、ここは招かれるべきです。董仲潁殿と共にいるのに董仲潁殿らだけを救出し、天子様を救出しなければ袁刺史の名は地に落ちるでしょう。ここはお迎えをしてここ鄴の地に招くべきです」

 

 田豊はそう提案した。

 

「確かにそうですわね! では田中殿、お願いできますか?」

 

「ご命令とあらば!」

 

「お願い致しますわ!」

 

「御意!」

 

「では汜水関方面の救援には誰を向かわせますか?」

 

「汜水関の周辺にはどれほどの兵力がいますの?」

 

「反董卓連合の諸侯の兵士がおよそ十万ほど」

 

 許攸が答える。

 

「何と! ちなみに汜水関にいる兵力は?」

 

「四万ほどです」

 

「袁刺史、兵を派遣すべきだと思いま~す」

 

 そう言って出てきたのは荀諶だ。

 

「これから董仲潁殿達の救出に向かうわけでしょう? 今頃、洛陽では袁術軍が董仲潁殿を必死で探し回っているは~ず。ならば、この状況で行くよりは汜水関方面に派兵を行い、敵の目をそちらにそらせた方がより成功率は高いでしょう。ここは兵を派遣すべきで~す」

 

「つまりその派兵は囮ということ?」

 

「そうでもあり否でもあります。つまりは汜水関方面の救出も大事な役目の一つです。何せあの呂奉先殿がいます。万が一にも敵になったら後が大変ですよ~。ですから、囮の任務もありますが汜水関方面の救出を行うことも完遂しなければならない目標の一つです」

 

「なるほど」

 

 袁紹は返事を一つして、しばし目を瞑った。

 そして目をかっと開き、皆に聞こえるような大きな声で言った。

 

「我が軍はこれより董仲潁殿救出と汜水関方面に取り残された同盟軍の救出に向かいます! 各員、至急作戦の立案と決行を行いなさい! 天下に袁家の威光を知らしめるのですわ!」

 



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第三九話 汜水関救出隊

 これが年内最後の投稿となります。皆様、良いお年を!


 袁紹の大きな決断により直ちに救出隊の編制が発表された。

 

 汜水関方面救出隊

 

 大将 文醜

 軍師 田中 沮授

 副将 審配

 

 騎兵一万 歩兵二万

 この他 田中配下の間者 二〇名ほど

 

 

 洛陽方面救出隊

 

 大将 顔良

 軍師 廬植 田豊

 副将 許攸

 

 騎兵 五千 弓兵 一万

 

 両方面護衛隊

 

 大将 逢紀

 軍師 郭図 荀諶

 副将 辛評

 

 歩兵 三万(内 盾隊一万 槍兵一万 弓兵一万)

 

 

 以上がその全容である。

 

 洛陽方面救出隊は、その隠密性と機動力の必要性から精鋭の騎兵のみで固められた。なお、ここにいる弓兵の理由は後ほど説明する。また、道案内を担うために軍師の一人に廬植を登用した形となっている。

 また、ここに書かれている間者は董卓たちを救援隊とより近い位置に来させるために案内と偵察の任を帯びている。

 

 汜水関方面救出隊に関しては、反董卓連合という巨大な勢力を突破する必要があるために兵力も大きく、軍師としては汜水関に一度赴いたことがある 田中を登用した。

 なお、汜水関には既に間者を送り込み、救出隊が到着し合図があり次第、汜水関を破棄。敵の包囲網を突破する作戦を伝えてある。

 

 最後に両方面護衛隊は汜水関の横を流れる黄河の対岸にある河内の地までこの部隊を護衛する役目を担い、帰還するまでその地の防衛と場合によっては追いすがってくる敵の撃滅の任も行う。

 

 

 これほどの大兵力が動員できたのも韓馥と交戦せずに冀州の地を手に入れられた結果であり、郭図達の功績は大きかった。また、今回の指揮官に目立つのが比較的冀州から入ってきた幕僚が目立つことである。

 これは戦慣れをさせるために今回の戦闘で抜擢を行った。寝返る可能性もあるが総大将が顔良と文醜であり、その可能性を低くするために軍師などに元々の南皮からの幕僚を含めるようにしてある。

 

 とにもかくにも、こうして董卓軍や皇帝を救うための大規模な作戦「神々しく、美しく、堂々とした行軍作戦」(袁紹命名)は決行されるのであった。

 

 

 

「ここから先は敵地となっています。くれぐれも油断なされぬよう」

 

 河内の地にたどり着き、部隊が三つに分かれるとき、逢紀が言った。

 厳密には河内の地も敵地ではあるのだが、既に周辺の敵は洛陽方面の戦闘による混乱で、いなくなっており完全に無警戒であった。

 港にこそ少数の敵兵がいたものの多勢に無勢。為す術もなく降伏をした。

 

「分かっています。でもやり遂げなければ多くの人が死にます。何としても成功させます!」

 

 顔良はそう言って武器の金光鉄槌を握りしめた。

 

「袁刺史殿は仰いませんでしたけど今、救出を待っている人の中に親戚の人もいるんですよね。何としても成功させなきゃ!」

 

「斗詩~、そんなに硬くなんなよ!」

 

「きゃあ!」

 

 硬い表情を浮かべていた顔良の脇を文醜がくすぐる。

 

「ほれほれ~!」

 

「あっはっはっはっはっは! ちょっ、文ちゃん、やめて!」

 

「なあ、斗詩、そんなに硬くなっていてはいざというときに動けなくなるぜ。ましてや、斗詩は大将なんだから、動揺していては兵の士気に影響が出る。気負いすぎずにやるくらいが斗詩は一番良い」

 

 優しげな表情で語る文醜の言葉は顔良の胸に深く刻み込まれた。

 

「文ちゃん、ありがとう!」

 

 顔良は文醜に感謝し、対岸へ渡るための船に乗り込んだ。

 

「さて、アタイも行くか!」

 

 そう言って文醜は別の船に乗り込む。

 

 

 

 ここから先の大まかな作戦は以下の通りである。

 

 まず文醜率いる汜水関方面救出隊はこの船団で対岸に移動。

 上陸後、直ちに兵を率いて汜水関に到達する。救出が完了次第、董卓軍と協力をしつつ冀州へ帰還する。

 

 顔良率いる洛陽方面救出隊は弓兵を乗せた多くの船団はそのまま黄河を上り、洛陽付近で弓の攻撃を行い敵の目を引きつける。

 そして騎馬兵を乗せた船団はそこから離れた地点で上陸を行い、一気に洛陽郊外へ移動。救出を行い、冀州へと帰投する算段だ。

 

 汜水関方面軍は突破する董卓軍の中に呂布がいるため、それほど大きな失敗はないであろうと考えられた。

 しかし、問題は洛陽方面だ。

 これは少数の兵力で敵の重包囲網を突破しなくてはならない上、護衛するのは足の速くない文官達。下手をすると全滅の恐れすらある。

 しかし、これを成功させれば袁紹は、最大の勢力となる事は間違いなかった。

 

 果たして吉と出るか凶と出るか、それは誰にも分からなかった。

 

 

 

 文醜率いる汜水関方面の部隊は無事、上陸に成功し攻撃の合図を待っていた。

 敵兵の偵察を終え、今は夕刻に近く、日が沈みかけている時間帯。

 

「敵の様子はどうだ?」

 

「はい。敵兵は一〇万ほど。旗を見ますに敵将は孫策、馬騰、曹操、劉備が主な武将と思われます」

 

「曹操? 以前打ち破ったのではなかったのか?」

 

「おそらくは逃げ返って英雄にでも仕立て上げられたのでしょう。袁紹と必死で戦い、ほとんどの兵力を失いながらも退かなかった猛将、とでもね」

 

 文醜と審配は敵情を見ながらそんなやりとりをした。

 

「敵兵の様子は?」

 

「完全にだらけています。おそらくは長い間、戦闘がなかったのでしょう。歩哨すらろくに見張りをしていませんでしたよ」

 

「よし! ならば、お前ら付いてこい! たるんだ敵兵に目にもの見せてやろうぜ!」

 

「「「おおお!!!」」」

 

「火矢を放て!」

 

 そう言って火矢を一つ放ち、文醜は大音声で叫んだ。

 

「抜刀! 突撃せよ!」

 

 そして文醜を先頭とした部隊はそのまま反董卓連合の中に突っ込んでいく。

 

 敵兵は何事かと目を白黒させ反応できない。

 その間に文醜隊は敵陣へ到達。その勢いを殺さず敵陣へと突っ込んだ。

 

「うりゃあああ!」

 

 文醜の武器である斬山刀は並み居る敵を一気に吹き飛ばしながら、汜水関へと近づいていく。

 

「袁紹軍だ! 袁紹軍の襲撃だ!」

 

 敵兵が口々にそう言い、押っ取り刀で文醜隊に襲いかかる。

 しかし、その程度で止められるほど生半可な訓練はしていない。

 

「良いか! 敵を討つことよりも自分の身を守ることを考えろ!」

 

 文醜は味方の兵にそう伝え、汜水関の様子を見守った。

 すると門がぱっと開き中から、大量の兵士が反董卓連合目掛けて突撃してくる。

 その先頭にいるのは当然、呂布だ。襲いかかる敵兵を一閃する度に何人も切り伏せつつ包囲網を削り取っていく。

 

「良し! 全軍、呂布軍との合流を目指せ!」

 

 文醜がそう言い、馬を向けたとき目の前に一人の人物が立ちはだかった。側頭部に一本にまとめた美しい髪をたなびかせ、手には青龍偃月刀を持っている。その人物は文醜に向かって言った。

 

「待たれよ! 貴殿、相当な腕とみた! 私と勝負……」

 

「御免! アタイ、今忙しいからまたな!」

 

「えっ!」

 

 文醜はその人物を見なかったことにしてそのまま横を通り過ぎていく。

 

「待たんか! おい、そこの貴様!」

 

「待てと言われて待つ奴はオランよ!」

 

「貴様!」

 

 そう言ってその人物は必死に追いつこうとするが如何せん馬の能力が違いすぎた。

 文醜の乗る馬は、公孫瓉軍から奪った馬の特に良いものであり、そこら辺の武将が使うような馬とはまるで違う。

 哀れ、その武将は文醜に追いつけず、どんどん離されていく。

 

「おのれ~! 今度会ったときは覚えておけ~!」

 

 捨て台詞のような言葉を尻目に文醜はどんどん呂布と近づいていく。

 そしてついに両軍は包囲網の中で手を繋ぐことに成功した。

 

「呂奉先将軍ですね」

 

「うん。救助感謝する」

 

「張将軍と華将軍はどちらに?」

 

「後ろにいる」

 

 そう言って呂布は後ろを指さす。

 そこには呂布に負けず劣らずの勢いで接近してくる二人の将の姿があった。

 

「分かりました。では、これよりこの包囲網を離脱します! 遅れないよう付いてきてください」

 

「分かった」

 

 二人は文醜が来た道を反転していく。

 

「呂布殿、お分かりだとは思いますが、くれぐれも敵将の一騎打ちには乗らないようにしてください」

 

「分かっている」

 

 二人とも一騎当千の猛将だ。次から次へと敵を打ち倒していき、間もなく包囲網を突破しようとしていた。

 しかし、そこで大きな敵が立ちはだかる。

 

「呂布! 私と勝負しろ!」

 

「ここを通りたければ、鈴々を倒してから通るのだ!」

 

「見つけたぞ! 先ほどの敵将! 今度こそ私が相手だ!」

 

 曹操配下の夏候惇、先ほどの将、それからチビ。

 

「チビと言うな! 鈴々は張飛なのだ!」

 

「ついでに私も名乗っておこう。私は関羽だ」

 

 これは失礼。もとい、関羽、張飛の三者が敵として立ちはだかる。

 

「これはまずい……」

 

 流石の文醜もやばいと直感した。

 しかし、呂布は何事もなかったかのように無表情を保ったままだ。

 

「流石にここは通れまい!」

 

 夏候惇が勝ち誇ったかのように言った。

 この時、ようやく追いついた田中軍師軍団はこの状況を打破するためにある言葉を呂布に囁く。

 

「奉先殿、ここを我が軍が通ることに成功させてくれたら、鄴に到着次第、上手い饅頭をたらふく食わせてあげましょう」

 

「分かった」

 

 この一言で呂布は一瞬で三人の元へ到達。一閃なぎ払う。しかし、さすがは歴戦の猛将達、いなすことに成功する。

 

「全軍、呂将軍の横を通り抜け、河を目指してくださ~い!」

 

 沮授がのんびりとした声で指示を出す。

 

「あ、待て! お前ら!」

 

 夏候惇が止めようとするが、呂布がその隙を与えるはずがない。

 

「恋に背中を見せようとは良い度胸」

 

「ぐっ!」

 

 間一髪の所で刃を躱すが、その勢いで落馬してしまう。

 

「夏候将軍!」

 

 助けに行こうとした関羽だが、その行く手をやはり呂布が遮る。

 

「逃がさない」

 

「ふんっ!」

 

 呂布は三人の猛将相手に互角以上の戦いをしている。その間にもどんどん兵は抜けていき、ついに最後の兵が抜けきったところで呂布は三人に背を向けさっさと逃げ出した。

 

「「「待て!」」」

 

 三者とも追いかけようとするがすぐに差をつけられる。呂布の乗る馬は赤兎馬と言い「馬中の赤兎馬」と言われるほど有名な名馬だ。

 そのような馬には追いつけはしない。

 

「また、会おう。その時には今度こそ決着をつける」

 

 呂布は三人に聞こえるかどうかは分からないが、そう呟き川岸に向かって走った。

 

 こうして汜水関方面の救助は予定通り完了した。

 

 しかし、洛陽方面は汜水関方面ほど上手くはいっていなかった。

 



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第四十話 洛陽救出隊

 汜水関方面の軍がちょうど攻撃を仕掛けていた頃、洛陽方面軍も洛陽付近に到達。

 

「弓隊! 敵の湾口設備を狙え! 放て!」

 

 許攸の合図と共に弓隊がさっそく攻撃を開始した。

 

 洛陽の守備隊はすぐに袁紹軍の襲撃に気付き、慌ただしくなる。

 

「良し! 敵は陽動に引っかかりました! 今のうち、上陸を行いましょう!」

 

 顔良はすぐに近くの岸に船を着けこっそりと上陸した。

 

 乗ってきた船を水草の中に隠し、陣を整える。

 

「田中組、集まれ!」

 

 すぐに許攸の配下の間者が集まる。

 

「今回の作戦目標は既に伝えたとおりだ。目的の復唱を行う。董仲潁及び、天子の案内と護衛」

 

「「「董仲泳及び、天子の案内と護衛」」」

 

「よろしい。既に数人が現地に入っており事前捜査を終えている。彼らと合流し少しでもこの軍の近づけるのだ。良いな!」

 

「「「御意!」」」

 

「では、分かれ!」

 

 許攸がそう言うとすぐに間者たちは闇に溶け込むように消えていった。

 

 洛陽方面救出軍の本隊の先鋒を務めるのは案内の関係上、廬植が勤めることになった。

 

「それでは出立致す!」

 

 洛陽方面救出部隊はこうして作戦を開始した。

 

 

 

 洛陽を守るのは袁術配下一の猛将紀霊だ。

 彼は敵来襲の一報を聞き、すぐに現場へと向かう。

 

「戦況は?」

 

 部下の副将に尋ねる。

 

「敵の兵力はおよそ一万。袁紹軍の兵と思われます。敵は遠距離からこちらに矢を浴びせてきており、大きな被害は報告されておりません」

 

「ふむ。ずいぶんと中途半端な兵力だな。それに遠距離からの攻撃が主体というのも妙だ」

 

「敵は腰抜けの兵ばかりなのでしょうか?」

 

「袁紹軍に限ってそれは無いな。彼らは以前公孫瓉軍を打ち破っている。腰抜けの兵ばかりならば公孫瓉軍を打ち破れるはずはない」

 

「では、なぜ?」

 

「良いか、攻撃をするときは何かしらの目的があって攻撃を行っている。故にその目的を考えるのだ」

 

「はい」

 

 そう言って副将はじっと敵の方を見つめ、しばらく考える。そして呟いた。

 

「もしや、敵の攻撃は囮?」

 

「決めつけるには早いが、その可能性が高いと私も考える」

 

「では、敵は何のために囮を? ここら辺には敵の狙うようなものはありませんよ」

 

「目的は我々と同じだ」

 

「まさか!」

 

「すぐに兵をまとめよ! 私が直に率いて奴らの発見に全力を尽くす。敵の攻撃開始の時間から見てまだそう遠くへは行っていないはずだ! それから貴様は万が一のことも考え、ここで残れ!」

 

「御意!」

 

 紀霊はすぐに洛陽に行き、そこにいた兵、約一万を率いて袁紹軍追撃軍を編成し、その後を追った。

 

 

 

「敵は気付きますかね?」

 

 顔良は近くにいた許攸に尋ねる。その顔には不安げな表情が浮かんでいる。何せここは敵の重要拠点であり、かなりの兵力がいることは予測されている。

 その中でこの兵力では不安になるのも致し方ないと言えた。

 

「顔将軍、大丈夫ですよ。何せこの軍はあなたが育て上げた精鋭中の精鋭。部下を信じなさい」

 

「はい……」

 

 そうは言いつつもやはり不安げな表情はぬぐえない。

 

「顔将軍、文将軍とのやりとりを忘れましたか?」

 

「あっ!」

 

 今まで忘れていたようだ。

 

「大将という役目を忘れてはなりません。それにこれより天子様をお助けに行くのです。そのようなみっともないところ見られれば世に笑われますよ」

 

「そうでしたね! 子遠さん、ご迷惑をおかけしました」

 

 そう言って顔良は普段のキリッとした表情に戻る。

 だが、この時、既に敵軍がこの軍の存在に気付いていることを誰も知らなかった。

 

 

 

 

「紀将軍! 敵の船の場所を突き止めました!」

 

「よろしい! では、これより追撃する部隊と敵を待ち構える部隊に分ける!」

 

 そう言って紀霊は兵の一部を船の近くに伏兵としておき、その他の部隊を引き連れ追撃を続けた。

 

 

 

「この道をまっすぐ行ったところが待ち合わせた地点じゃ」

 

 廬植が顔良に言う。今のところ特に大きな動きは無く、敵の攻撃もない順調な進撃であった。

 

(しかし、ここでようやく半分の道のりか。まだ先は長いな)

 

 許攸は心中で呟く。

 周囲には敵影らしきものは確認できず、ひとまずは安心に見えた。

 

 

 

 無事、董卓と合流した顔良隊は董卓と軽い挨拶を行う。

 

「顔将軍、救援にここまで来ていただきありがとうございます!」

 

「お礼は主君に後ほどお伝えください。ここは危険です。すぐにここを離脱致しますので、文官の方々は我々が連れてきた馬にお乗りください」

 

 そう言って文官達を馬に乗せようとするが何せ百人近い文官を乗せるのには時間が掛かる。

 

(何やってるんだ! 早くしないと敵が来るぞ!)

 

 許攸は内心焦るが、特に敵が現れる気配もなく、どうにか全員乗り終える。

 

「天子様は?」

 

「いらっしゃいます」

 

 董卓はそう言って後方を向く。

 そこには二人の老人に囲まれるようにして小さめの機動性の良さそうな馬車が止まっている。

 

「天子様の御車は皇甫将軍と朱将軍がお守りしていますので大丈夫です」

 

「分かりました。では、これより出立致します!」

 

 そう言って、再び顔良隊は動き出す。

 

(頼む! このまま何も起こらずにいてちょうだい!)

 

 許攸はそう思うが、運命は非情であった。

 

 動き始めたばかりの顔良隊の上空からシャーと何かが降り注ぐ音がする。

 

「盾構え!」

 

 顔良は反射的に叫び、兵士が盾を構える。

 その直後、上空から何本もの矢が降り注ぐ。

 

「「「ぎゃ~~!」」」

 

 盾を構えていた兵士は良かったが、文官達は身を守る術が何もない。為す術もなく肢体に矢が何本も突き刺さり、朱に染まっていく。

 

「文官をお守りせよ!」

 

 顔良が叫び、大急ぎで兵は文官達を守るような陣形に変化していく。

 直後、前方からわーっと多数の兵士が突っ込んできた。

 

「我に続け! 敵を突破する!」

 

 顔良は既に奇襲の混乱から立ち直った部下を引き連れ、敵の兵士に肉薄する。

 

「他の者も続け!」

 

 廬植がそう叫び、その後を兵士達が続く。精鋭を選んだだけあって、最初こそ浮き足だったもののすぐに混乱から回復し、攻撃態勢に移った。

 

「護衛の兵は無理をして攻撃をせんで構わん! 護衛のことのみを考えよ!」

 

 廬植はそう叫びながら先頭に立ち、剣を振るっている。

 それは老体を感じさせない鮮やかな剣捌きであった。

 実質文官は百人ほどであるために護衛にはあまり人数を割かないようにして、顔良は極力突破力を高める方針を取る。

 

「我は顔良! 死にたい奴から掛かってきなさい!」

 

 そう言って周囲の兵を金光鉄槌で吹き飛ばす。

 その勢いにたじろぐ敵に向け、顔良は叫ぶ。

 

「我々の進撃を阻むというのであれば、ここで死んでもらいます!」

 

 周囲の兵士が怖じ気づき逃げだそうとした瞬間、顔良の目の前に一人の男が静かにやってきた。

 その瞬間、兵の指揮ががた落ちし崩れかかった軍は、落ち着きを取り戻していく。

 

「何やつ!」

 

 顔良はその男へ向け叫んだ。



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第四一話 逃亡劇

 その男は顔良の目の前まで来ると顔良の問いかけに応じず、静かに言った。

 

「顔良と言ったな」

 

「ええ。私の名を知って名乗り返さないとは無礼ではありませんか?」

 

「名乗るほどの名は持っていない。そんなことより、貴様らをこのまま通すわけにはいかんのでな。私も主君の命で董卓を捕らえねばならんのだ。董卓さえ譲ってくれれば、ここを通しても良いのだが如何かな?」

 

「あなたと同じく我が主君の命は董仲潁殿をお守りすることにあります! あなたに譲るわけにはいきません!」

 

「そうか。残念だ。では首だけを頂戴しよう」

 

 そう言って、剣を一瞬で抜き顔良に向かって走り出した。

 

(くっ! 早い!)

 

 その速さに一瞬驚くがその程度で討ち取られる顔良ではない。すぐに愛武器でその攻撃を防ぎ、剣ごと敵をたたきつぶそうとする。

 しかし、敵は弾かれたとみるやすぐに後退し、鉄槌は何もない地面に大穴を空ける。

 

「いやいや、噂には聞いていたがこれほどの猛将とは。いや見くびっていたことを許せ」

 

「そのような無駄口すぐに黙らせてやりましょう!」

 

 今度は顔良から仕掛けに行き、敵に向け鉄槌を振り下ろした。

 しかし、今度も敵はそれを躱し、顔良の背後の地面に降り立つと無防備な顔良の背中に向けて斬撃を浴びせようとする。

 顔良は鉄槌を軸に宙返りをして敵の攻撃をいなし、その勢いを殺さず鉄槌をなぎ払う。

 

 しかし、今度も敵はいなす。

 

「顔将軍! 何をやっている! そのような敵に構っている暇はないぞ!」

 

 そこへ廬植がやってくる。

 

「廬先生! そいつは手練れです! 早く離れてください!」

 

 顔良はそう言い、廬植に警告を送る。

 

「貴殿、まさか!」

 

 廬植が叫ぶとその男はにやりと笑い、廬植に言った。

 

「久しぶりだな、婆さん!」

 

「お前は紀霊!」

 

「おうとも! 再会早々悪いが、アンタには死んでもらうよ」

 

 そう言って紀霊は廬植に斬りかかった。

 

「危ない!」

 

 顔良が止めに入ろうとするが間に合わない。

 廬植はいなそうと剣を構えるが時既に遅し。廬植は血を吐き、地面に倒れる。

 

「先生!」

 

 顔良は駆け寄ろうとするが、そこに紀霊の邪魔が入る。

 

「行かせんよ、お前の相手は私だ」

 

「邪魔だ!」

 

 紀霊の斬撃を払い、叩きつぶそうとするが気が動転していることもあり、攻撃大ぶりで当たらない。

 

「くっ!」

 

 顔良は紀霊の攻撃に防戦一方になっている。

 廬植は血を吐きながらも辛うじて意識を保っていた。傷は肩口から胸の辺りまで達しており、確実に致命傷であることは予測できた。

 

「顔将軍!」

 

 その息も絶え絶えの姿からは想像出来ないほど大きな声で廬植は顔良を呼ぶ。

 

「儂に構わず行け!」

 

「しかし……」

 

「良いから行くのだ!」

 

「……御免!」

 

 そう言って顔良は踵を返し、逃げ出した。

 

「逃がしはしねえ!」

 

 紀霊はその後を追おうとするが、その足下に幾つもの短刀が刺さる。

 

「何だ!」

 

 飛んできた方を見るとそこには数人の兵士がいた。しかし、他の兵士と違い鎧のようなものをまとっていない。

 

「ふん! まずは貴様らから殺してやろう!」

 

 そう言って剣で切りつけようとする。まず、一人が斬り殺されるが、その代償として紀霊も攻撃を食らう。切られた兵士は一言も言わず、静かにその場で崩れ落ちる。

 その攻撃は小さな切り傷のみであり、致命傷には至らない。

 

「ふん! この程度の傷どうということはないわ!」

 

 紀霊は、次々に斬り殺していくが、徐々に切り傷も増えていく。そして、最後の一人を切り終えたとき紀霊はあることに気付く。

 

「くっ! 体がしびれて動かねえ!」

 

 紀霊の動きはどんどん鈍くなっていく。それもそのはず、その剣の先には麻痺毒が塗られており、既に紀霊の体にはかなりの麻痺毒が入り込んでいた。

 

 その間に顔良達は既に包囲網を突破し、辛うじて遠くの彼方へ逃げる姿が確認できた。

 

「待て!」

 

 そう言って追おうとしたが、体が言うことを聞かずその場に倒れ込んでしまう。

 

 今に至って紀霊はとんでもない大物を逃したこと気付く。

 

「しまった! 敵はこれが狙いか!」

 

 紀霊は悔しさのあまり叫んだ。その声は空しく周囲に木霊した。

 

 

 

 

「このまままっすぐ行けば、船にたどり着ける!」

 

 顔良は道筋を確認しながら進んでいく。

 廬植を殺されたことで味方の士気は大分下がってはいたが、顔良の必死の努力もあり辛うじて部隊の壊走だけは避けていた。

 

 しかし、間もなく船という所で、事は起きた。

 

 突如、周囲に敵兵が現れたのだ。

 

「しまった! 敵の伏兵か!」

 

 許攸は思わず唸る。

 こちらの兵は士気も数も劣る状態で勝ち目は低かった。

 

「万事休す!」

 

 顔良が叫び、誰もがもう終わりだと思った次の瞬間、伏兵の周囲に大量の矢が降り注ぐ。

 

「顔将軍! お急ぎください!」

 

 そのさきには田豊が弓隊の指揮を執って待っていた。

 

「皆のもの急ぎ、船に乗るのだ!」

 

 顔良は少ない手勢と共に董卓達を船に乗せる。

 しかし、敵もこのままでは逃げられると気付いたのか死にものぐるいで攻撃を仕掛けてくる。

 

「馬を下り、盾を構えよ!」

 

 顔良は兵士にそう言った。すぐに兵士達は馬を下り、盾を構えた。

 

「弓隊は敵に射かけ続けつつ徐々に後退! 船に乗り込め!」

 

 田豊が顔良の考えを見抜き、すぐに指示を出した。

 

 その間にも敵は突っ込んできて顔良隊とぶつかり合う。

 

「者ども! 後退! 船に乗り込め!」

 

 その瞬間、顔良を含めた兵士達は一斉に船に乗り込むために逃げ出す!

 敵はここぞとばかりに追い打ちを掛け、数人の顔良の兵士を倒すものの大半は逃げ切ることに成功し、船に乗り込む。

 

「出立!」

 

 船はすぐさま岸壁を離れ、沖合に逃げていく。

 命からがら顔良達は岸を離れることに成功した。

 

 こうして救出作戦は数多くの犠牲を出しつつも、一先ず幕を閉じたのである。



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第四二話 静かな帰還

「見えました! あれです!」

 

 逢紀が不意に川の上流を指した。

 現在、顔良隊が董卓の救出を成功させ川を下ってきているとの情報を聞き、袁紹が直々に出向いてきたのだ。

 

「陛下をお早くお迎えせねば! 慣れぬ船旅に加え、長い逃亡と疲労も限界に達しているでしょうし!」

 

 袁紹は皇帝に会うと言うことで先ほどから髪は大丈夫かなど服装は変でないかなど落ち着きが何一つ無い。

 

「袁刺史殿、少しは落ち着かれよ。かような姿を陛下にはお見せしてはみっともないですぞ」

 

 見るに見かねて田中がたしなめるように言う。

 

「あ、そうでしたわね……。こほん」

 

 咳を一つして、居住まいを正す袁紹。流石名家の出と言うだけあって、ここら辺の切り替えや落ち着いたときの堂々とした態度は見事である。

 

「間もなく、接岸です!」

 

 徐々に見えてくる船の様子を見て誰もがあっと叫びそうになった。

 普通であれば、帰還を喜ぶなり出迎えの音楽が鳴るなり、何かしらの反応があるであろう。

 しかし、誰もがそれを出来ぬほどの衝撃的な光景がそこには広がっていた。

 

 船自体には幾つもの矢が突き刺さり、所々火矢を射かけられたのか焦げ跡が付いている。

 船上には兵士が立っているものの誰もが疲労困憊の様子で鎧には幾重もの傷が走り、中には怪我をした状態で立っているものもいる。

 どうにか隠そうとしたのであろうが、甲板上には所々に血だまりが出来ており赤黒く染まっている。

 

 何も知らないで見たならば、完全に敗残兵の集団を乗せた船でとても皇帝をのせた船とは誰も気付かないであろう。

 

「……一体、これは……」

 

 あまりの光景に袁紹は言葉を失っている。

 

「これはやられましたね~」

 

 ぶすりと沮授が言う。

 のんびりとした口調とは裏腹にその顔には苦渋の表情が浮かんでいる。

 

「とにかく、出迎えに行きますわよ!」

 

 そう言って袁紹は岸壁に近づいていった。

 

 

 

 船は無事着岸し、中から顔良をはじめとする洛陽救出隊の幕僚が出てきた。

 そして袁紹に気付くと彼らは一様に浮かない顔で袁紹の元へとやってくる。

 

「洛陽方面救出隊、ただいま、帰還致しました」

 

「ご苦労でした」

 

 袁紹は帰ってきた面々を見て一つのことに気付く。

 

「子幹(廬植)さんはどこですの?」

 

 袁紹の言葉に誰もが言葉も無く、ただ俯くばかりである。

 

「まさか……。そうですか」

 

 袁紹は最初こそショックで絶句していたものの、しばらくしてから静かに頷いた。

 

「ご苦労でした」

 

 袁紹は長い沈黙の後、一言だけ言った。

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 顔良が大声で叫んで土下座をする。

 

「私がもっと強ければ、廬先生は死なずに済んだのです! 私めが不甲斐ないばかりに!」

 

 顔良の悲痛な言葉に袁紹は言葉もなく項垂れた。

 

「顔将軍、報告は後で聞きます。今は疲れたでしょう。馬は用意しておりますのでそれで、あなたの部隊と共に鄴の町まで帰りなさい」

 

「御意」

 

 袁紹の言葉に頷いて、顔良達は静かにその場を後にする。

 

「あの顔将軍を持ってしてもこれほどの被害が出るとは一体誰が……」

 

 審配が言う。彼女は文醜の元で汜水関方面の作戦を執っており、文醜の実力を目の前でまざまざと見せつけられている。その文醜と双璧をなす存在が顔良であり、彼女の実力がどれほど凄いのかは分かっている。その実力を持ってしてもこれほどの被害が出るのは信じられなかったのだ。

 

「敵はおそらくは紀霊」

 

 そばに控えていた郭図がぼそりと言う。

 

「紀霊? 誰です?」

 

 審配が郭図に聞く。

 

「優秀な人材が揃う袁術軍の中でも名将と謳われる人物。直接見たことはないが腕も相当な人物で頭も切れる文武両道の逸材と聞いている。董仲潁殿を発見できていない袁術は彼を配置し、彼女を探そうとしたのだろう。いや、袁術ではなく、その配下のあの女狐だろうけど」

 

「女狐?」

 

「……」

 

 審配の問いかけに今まで饒舌であった郭図の言葉が止まる。よほど言いたくは無いのであろう。

 

「とりあえず、その紀霊とやらの攻撃でこれほどの被害が出たのですか。恐ろしい奴ですね」

 

「いや、むしろあの紀霊相手にこれだけの被害で済ませたのだから顔将軍は相当な人物だ」

 

 郭図は顔良のことを称えた。その言葉には妬みなど一切無い、純粋な賞賛の思いのみが感じられる。

 

「さて、そろそろ天子様が降りてくる頃合いだ」

 

 そう言って郭図は袁紹の元へ向かう。

 

 袁紹はかなりショックを受けていたようだが、それを隠そうと必死で堪えている感が感じられる。

 

「皇帝陛下のご到着である! 臣下は頭を垂れて拝謁せよ!」

 

 皇甫嵩が甲板上から大きな声で叫んだ。

 その瞬間、袁紹を含めたその場にいた誰もが一斉に頭を下げる。

 

 田中は今までそういった場面に遭遇したことがないために周囲に習って頭を下げた。

 すると船から誰かが下りてくるような雰囲気があり、そのまま袁紹の前まで歩いてくる。

 

「袁冀州刺史、面を上げよ」

 

 その人物は幼い声でそう言った。

 袁紹はその声を聞き、ゆっくりと頭を上げる。

 

「袁冀州刺史よ、この度は朕をこの地まで護衛したこと、大義であった」

 

「いえ。臣下として当然のことをしたまでです」

 

「お主は朕を護衛する際に賊の攻撃で配下の廬植を失ったそうだな」

 

「……仰せの通りでございます」

 

 その人物の言葉に袁紹は一瞬固まったが、絞り出すように言った。

 

「朕も廬植の事はよく知っている。先帝の時には黄巾の乱を鎮圧する際に良く仕えてくれた。それにあの者の儒学に残した功績は大変大きなものであり、朕としても大変尊敬していた」

 

「ありがたきお言葉。廬植も陛下のお言葉を聞けば浮かばれましょう」

 

「廬植の葬儀は朕も参列する。日程は決まり次第、董卓を通して報告せよ」

 

「御意」

 

 袁紹の言葉を聞くとその場を立ち去ろうとしたが、不意に止まり、袁紹に語りかけた。

 

「良い臣下を持ったな」

 

 そしてその場を後にした。

 

「ひぐっ、うぅぅぅ!」

 

 袁紹はついに耐えきれなくなったのか糸の切れた人形のようにその場で座り込み泣き出した。

 

「麗羽!」

 

 思わず近くにいた逢紀は袁紹の真名を呼んで、抱きかかえる。

 

「悲しきかな、悲しきかな、子幹よ! 悲しきかな、悲しきかな、子幹よ!」

 

 袁紹は二回叫んで慟哭した。その悲痛な叫びは青く澄み渡った空に溶け込んでいった。



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第四三話 鄴への帰還

 投稿が遅れて申し訳ありません!


「最近はどう、凜花?」

 

 救出作戦が終了し、顔良達が鄴に戻って来ているとき、荀彧は荀諶と久しぶりの面会をしていた。

 

「ま~、ぼちぼちかな。 桂花姉さんは?」

 

「見ての通り、各地を転々としながらどうにか食いつないでいるわ」

 

 飄々と荀彧は言う。

 

「姉さん、いい加減どこかに仕官しなよ」

 

 呆れたように言う荀諶に荀彧は聞く。

 

「あなたの主君はどんな感じなの?」

 

 それに対し、荀諶はしばらく考え込んだ後に答えた。

 

「袁刺史様は不思議な人だね。そんなに能力は高くは無いけれど、冴えたときの頭の切れ方は凄いね。それに何かしら引き寄せられる魅力がある人」

 

「引き寄せられる?」

 

「ええ。何かは分からないけどね」

 

 そう言って出ていた茶をすすった。

 

「それでどんな人材がいるの?」

 

「昔からいるのは逢元図、郭公則なんて所。最近で言えば郭奉孝、田元皓なんて所かな。あ、そうそう! 田中って男も加わったね!」

 

「男ですって!」

 

 男という単語を聞いた瞬間に荀彧が勢いよく立ち上がった。荀彧は大の男嫌いであった。昔から優秀であった荀彧は地元の男の子からいじめを受けており、それ以来、男が嫌いになったという経緯がある。

 

「桂花姉さん、いい加減男嫌い直しなよ。そうしないと将来失敗するよ」

 

「ふんっ! 男なんぞ消えてしまえば良いのよ!」

 

「桂花姉さん……」

 

 荀諶はあきれ顔でため息をつく。

 

「まあ、いいや。で、桂花姉さん、うちに来る話はどうするの?」

 

 荀諶は小声で呪詛を唱え続ける荀彧の気分を転換させるために話を変える。

 

「まだ、考えているところ」

 

「誰か別にいい人がいるの?」

 

「曹孟徳」

 

「ああ。彼女ね……」

 

「曹孟徳は今までに見たことがない人物。彼女の行く先を見てみたい!」

 

 荀彧は昔から優秀な人物には目がない。少しでも能力があると聞けば、その人物の元に赴き、交流を深めてきた。それゆえ、昔から優秀と名高い曹操に興味を持つのは当然と言えた。

 

「桂花姉さん、曹操の所へ行った方が良いわ」

 

「え、何で?」

 

 意外すぎる妹からの提案に衝撃を受ける。

 

「袁刺史様は優秀だけど、桂花姉さんが求めるような能力は持っている人物ではない。おそらくはここに来ても身の狭い思いしかしないわ。それにこの陣営は派閥争いが多いから、下手をすると命を落とすことになる」

 

「そんな危険ならあなたも逃げたらどうなの?」

 

「私はそうするわけにはいかないわ。何せ袁刺史様には多くの恩がある」

 

「それでもあなたの命の方が大事でしょ!」

 

「これは私の忠誠心だけではないわ。荀家のためでもあるの」

 

「何故?」

 

「おそらくこの先天下を取るのは、袁刺史様か曹操のどちらかだわ。曹操の能力は間違いなく誰かの元にいて甘んじるものではないし、あれだけの能力があれば天下は十分狙えるわ」

 

「……分かった」

 

 荀彧は荀諶の言わんとしていることを理解した。つまりは天下を取る可能性のある人物に荀家の人間がいれば、どちらかが負けても荀家は存続するということだ。

 

「袁刺史に会ってくるわ」

 

「今、作戦の推移を見守るために前線に出ているわ」

 

「なら、それまで待っているわ。帰ってきたら教えてちょうだい」

 

 そう言って二人は別れた。

 

 

 

 

 

 190年4月上旬。春の花も散り始め、だいぶ気温が暑くなり始めた頃。

 

「袁刺史殿、まもなく鄴の町に到着いたします」

 

 袁紹達が鄴の町に到着した。袁紹一行は皇帝を護衛しつつ、鄴の町に着いたのは救出作戦が終了してから4日後のことであった。

 

「元図、私は大丈夫ですわよ! オ~ホッホッホッホッホ!」

 

「麗羽……」

 

 逢紀が袁紹の様子を見て、心配そうに声を上げる。

 袁紹が泣き叫んだあの救出作戦終了時の翌日から袁紹はこの様子であった。その様子は無理をしていることは明白であるが、袁紹に掛ける言葉がなかった。

 

「行きますわよ、逢元図!」

 

 元気に言うが、袁紹の足下はおぼつかない。

 逢紀は何も言えないまま、袁紹と共に鄴の町に入っていった。

 

 鄴の町では皇帝の顔を一度は見ようと数多くの民衆が詰めかけていた。袁紹は皇帝の乗る馬車の横に馬を並べ、共に進む。

 

 事が起きたのは城壁から鄴の宮殿までの距離が半分になった頃のことだ。

 

「袁紹、覚悟!」

 

 詰めかけた民衆の中から一人の男が袁紹に向けて駆けだした。兵士達が民衆のことを止めていたのだが、一瞬だけ底にほころびが出来、その男の侵入を許してしまう。その男の手には鈍い光を放つものが握られている。

 兵士達が止めようとするが、民衆が多すぎるせいで袁紹の元までたどり着くことが出来ない。

 

「麗羽!」

 

 近くにいた逢紀が袁紹の前に出て、守ろうとする。

 

「覚悟!」

 

 その男があと一歩の所まで迫ったとき、一人の女性が民衆の中から駆けだしてきた。

 

「ふんっ!」

 

 その女性が持っていた武器の槍を一閃、その男は悲鳴を上げることすら許されず、崩れ落ちた。

 

「大丈夫ですかな?」

 

 その女性は袁紹達の方を振り返って聞く。女性は水色の髪をして裾に鳥の羽のような柄をあしらった着物を着ている。

 

「……ありがとうございます」

 

 袁紹はやっとの事で声を出し、お礼を言う。

 

「いえいえ。私は賊を倒したまでのこと。お気になさらず。それよりも……」

 

 そう言ってその女性は袁紹の前で片膝を突き、言った。

 

「良いメンマの店を紹介してくださらぬか?」

 

 この女性との出会いが後の袁紹の人生において大きな転換点になる事を彼女はまだ知らなかった。




 これから一ヶ月半ほどテスト期間に入るので、投稿を中止します。誠に申し訳ありません。どうかご理解ご協力をお願いいたします。


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第四四話 審配、仕官の理由

皆様、たいへん、長らくお待たせいたしました!
今後も宜しくお願いします!


「はあ、旨いメンマの店へですか……」

 

「そうです。袁刺史の命の恩人がメンマの店を紹介しておくれと仰っておりましてね。私はそういったことは詳しくないので、田中さんにお願いしたのですが……」

 

「構いませんが……」

 

 逢紀から変な命令を受けた田中は、困惑しつつも配下の沮授と偶然見かけた審配を呼んだ。袁紹は廬植を失った悲しみと未だに命を狙われているという恐怖から立ち直れず、逢紀が代わりに職務を行っている。

 

 また田豊は廬植を殺されたことで塞ぎ込んでおり、回復までには時間が掛かると思われており、この場にはいない。

 袁紹陣営は皆が喪に服している状態であった。

 そんな中でも常に状況は変動しているために田中達まで悲しみに暮れる訳にはいかず、働いているのだ。

 

「「旨いメンマの店ですか(~)?」」

 

 二人とも意外な質問に戸惑いつつも首をかしげる。

 

つい最近、呂布に約束していた旨い饅頭を食べさせる約束を果たすため、町中の饅頭屋を探し回ったばかりだ。

もちろん、いい店を見つけ呂布を連れていったのだが、田中個人的には見つけて良かったと思っている。何せ食べるたびにモキュモキュと可愛い音が出そうなほど愛らしい食べ方をしており、噛むたびに動く触覚のような髪も相まって、余計に可愛さを引き立てていた。

 もちろん、その食べっぷりは尋常ではなく田中の懐は一瞬で寒いを通り越し、凍死していたがその光景を見れた価値はあったと言えよう。

 

(今回の人もそんな人だと良いな)

 

 田中はそんなことを考えながら、また調査に行くことを決心した。

 

 

 以前と違い、饅頭屋探しの時の人脈があるおかげである程度、店を絞ることは出来た。

 しかし、メンマは饅頭とは違うものであるために、それほど絞り切れたわけではなかった。

 

「まあ、後は実際に足を運ぶまでか」

 

 そう言って田中は絞った店に実際に足を運ぶことにするが、自分一人だけだと心配であるために審配と沮授を連れて店をはしごすることにする。

 

「この店のメンマは確かに噂通り美味しいですね」

 

 審配は食べながら言った。

 この店は評判もかなり良く特にメンマに関しては、頭一つ分高い評価を受けていた。本来はラーメン店であり、本人達にしてみればラーメンが高い評価を受けたいのであろうが、ラーメンに関する評判は今一つであった。

 

「この店であれば、噂の御仁も満足してくださるであろう」

 

 田中は確信を得て、袁紹にその旨を報告することにした。

 

 

 そのメンマ店探しの帰り道、沮授は審配に尋ねた。

 

「そう言えば、正南殿~。如何にして袁刺史殿に使えようと思ったのですか~?」

 

 沮授は間延びした声で唐突に聞いた。彼女は普段から何を思ったのか到達に変なことを聞く癖があり、田中も最初は戸惑っていたが、最近は大分慣れた物だ。

 

「また随分と唐突ですね」

 

「いや~、申し訳ありません。何せ気になったものは所構わず聞いてしまうのが癖でして~」

 

「まあ、構いませんが……」

 

 審配は一旦勿体ぶってコホンと一つ咳をしてから話し始めた。

 

「私が田中殿の家で奉公していることはご存じですよね?」

 

「ええ~。もちろん」

 

「あれはもちろん、田中殿に助けてもらったという恩義もあってのことですが、それ以外にも思惑があったからなのですよ」

 

「え、そうなの?」

 

 田中は意外な言葉に驚いた。

 

「申し訳ありません。流石にそれだけのために殿方の内に奉公に行くのは、流石に抵抗がございまして……」

 

 そう言って審配は若干頬を赤らめた。

 田中は、審配を完全に天然な少女だと思い込んでいたが、花も恥じらうお年頃なだけあってそういった面での欠如はしていなかったらしい。

 田中は、ある意味安心させられた。

 

「して、その目的とは~?」

 

 沮授はそんなことはどうでも良いと急き立てる。

 

「袁刺史の雰囲気です」

 

「あ~!」

 

 沮授は納得といった様子で頷いた。

 

「田中殿に初めてお会いしたときに袁刺史に関しての質問をしましたが、実際はどんなお方かは分かりません。故に田中殿の普段の雰囲気を見ることで袁刺史の仕事や周囲の人間関係などを掴もうとしたのです」

 

「でも人間関係まで分かるのかい?」

 

 田中は聞いた。

 普通、人を見ただけで周囲の人間関係までは読み取れないであろう。

 審配が普通の人間であればの話だが。

 

「人というのは感情が表情に表れやすい。ですから、田中殿の表情を見てまず、仕事は大変なのかどうか。また、仕事の人間関係はどうなっているのかを実際に様々な人の名前を言ったときの表情の変化で判断していったのです。それだけでは心配なので、町の人からの情報や実際登庁して中の様子を探ったりもしました。ここまでやれば、大体のことは分かります」

 

 その審配の言葉を聞いて田中は身震いをした。審配にここまで読まれていると、自分お勘定が全て筒抜けになっているのではないかと思ったのだ。

 田中も男だ。その家に年若き可憐な少女がいたら、男なら誰しも多少なりとも不純な考えを持ってしまうであろう。

 もし、そのような感情がバレたらと思うと気が気では無かった。

 

 気になりはしたが、田中はそのことを追求はしなかった。というか出来なかった。

 

「その結果、袁刺史様は大丈夫であろうと考え、仕官したのです」

 

 田中の心中を知ってから知らずかは分からないが、話の内容を変えることもなく審配は言い切った。

 

「ふむ~。審配殿は流石ですね~。私にはそこまで出来ませんよ~」

 

「沮授殿はどうなのですか?」

 

「え~とですね……」

 

 しばらく考えた後、妖艶に微笑んで沮授はウィンクをしながら言った。

 

「秘密ですよ~」

 

「え~! 私が話したのにですか!」

 

「まあ、いずれ教えますよ」

 

「む~! まあ良いでしょう」

 

 審配は少しむくれながら言った。

 そんな少女達の会話を横で聞きながら、未だに審配に心を読まれたかどうかを真剣に悩み続ける田中であった。



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第四五話 田豊と許攸

「私が……廬先生を……」

 

 田豊は1人自分の屋敷に籠もり日夜、廬植の死の責任を自分だと思い込んでいた。

 

 洛陽救出作戦は元々、危険な任務であるため多少の犠牲は考えられていた。しかし、田豊はその犠牲を少なくするために送り込まれたのにも関わらず、その任を果たすことは出来なかった。

 田豊率いる別働隊は敵の牽制と同時に万が一の救援を行うことにもなっていた。その任を果たせなかったのは一重に田豊の実力不足だと考えている。

 確かに廬植は内陸の方で斬られており、田豊の救出は難しくはあったろう。しかし、敵の目を引きつけきれなかったのは田豊の役割不足であるし、もう少し何か出来たのではないか、そのように考えてしまうのだ。

 

「私は……」

 

 田豊は譫言のように私はと繰り返し続ける。

 

 そんな田豊の屋敷へ近づく1人の女性の姿があった。

 

「ふん! 何であんな堅物女の所に私が行かなくちゃならないのよ!」

 

 文句をぶつくさたれるのは許攸だ。

 実は彼女は今、手が空いている。理由は先の救出作戦で配下の諜報員の多くが紀霊の手によって殺されてしまい、本来の職務が果たせないのだ。

 もちろん、他にも仕事はあるためやることはあるのだが、彼女は仕事がまるで手に付かなかった。

 理由は簡単。袁紹と田豊が心配だったからだ。

 袁紹が心配な理由は分かるであろう。袁紹ラブな彼女にとって袁紹が、まともに仕事が出来ないと聞けば当然心配になる。しかし、田豊が心配な理由が分からない。

 彼女は田豊をあまり良くは思っておらず、犬猿の仲であったはず。

 そう、許攸自身も思い込んでいた。しかし、気付けば足が動き、田豊の屋敷へと向かっていた。

 

「全く……」

 

 そう言いつつ、門外の扉を叩いた。

 

「田豊! いるんでしょ! いるなら出てきなさい! 許攸が来たわ!」

 

 しかし、中からは物音一つしない。

 

「入るわよ!」

 

 そう言って門を開けた。中は閂がかっておらず、特段苦戦することなくは入れたのは意外であった。

 

「田豊、どこにいるの!」

 

 そう言いながら、敷地内の建物に近づいていく。

 その時、その屋内から何者かが姿を現す。その人物は髪はぼさぼさで着物も若干崩れており、見方によっては物の怪の類に見える人物であった。

 

「きゃあ!」

 

 許攸は思わず悲鳴を上げて、その場に座り込む。

 

 その人物は許攸を見て静かに言った。

 

「許子遠殿ね、ようこそ。我が屋敷へ」

 

「で、田豊なの?」

 

「ええ。そうよ」

 

 よくよく見てみると髪の奥にはあのキリッとした特徴的な眉毛が見え、田豊であることが確認できる。

 

「田豊、どうしたのその髪は?」

 

「最近全く眠れていなくてね……」

 

「眠れないってどうしてまた……。最近は登庁もしてきていないみたいだし……」

 

「もう何をやっても上手く行かない気がしてきてね。私は守れと言われた人1人も守れない駄目な人間だから……」

 

「はぁ?」

 

 許攸は田豊の言葉を聞く内にだんだんといらだちが増していく。

 

「何それ? あんた自分が人を守れないから職務を放棄するというの?」

 

「私は与えられた仕事をしっかりとこなせなかった。それはこの乱世において決してやってはいけないこと。乱世では一つの過ちが時に命取りになるの。その過ちをした私は袁刺史殿に合わせる顔がない」

 

「何を言っているの、あなた? 今回の仕事の趣旨を間違って捉えていない? 我が軍においての最大の目的は洛陽にいた皇帝陛下と董仲潁殿達を救出すること。その一点のみが目的だわ」

 

「いえ、今回の全軍の目的は確かにそれ。だけれども私個人に与えられた目的はその救出部隊の援護を行うこと。その任務は全うできなかった。結果としては上手くいったけど、私の任務を達成できなかったのは……」

 

「え~い! ごちゃごちゃうるさ~い!」

 

 田豊の言葉の途中で許攸は怒鳴った。

 そして驚いて目を丸くしている田豊の手を掴んで、無理矢理屋敷内へ入っていく。

 

「あんた、風呂場はどこ?」

 

「え、まだ話の途中。それに風呂場って一体……」

 

「良いから場所を教えなさい!」

 

 許攸のあまりの剣幕に田豊は思わず場所を指さす。

 

「とりあえず、アンタのみすぼらしい格好をどうにかしないと話す気にもなれないわ! 良いから付いてきなさい!」

 

 そう言って許攸は田豊と無理矢理風呂に入った。

 この屋敷には使用人が住んでいるらしく、既に風呂は焚けており、しっかりと湯は温まっていた。

 

 

 

「アンタは難しことを考えすぎなのよ!」

 

 田豊の頭をがしがしと洗いながら許攸は言う。

 

「難しいことってそんなに考えていないけど……」

 

「いや、アンタは考えている。では、聞くけど今回の廬先生がなくなられた原因は誰にあると思う?」

 

「それは私」

 

「いや、違うわ! 原因は敵将の紀霊よ。だってそうでしょう? あなたが廬先生を斬ったの?」

 

「いいえ」

 

「そうでしょう! だから、あなたは気に病む必要はない。何せ、今回の作戦は元々帰還すら難しいと言われていた難しい任務。それを目的を達成するどころか、ほとんどの人間が帰ってこられたのよ。私もその1人だわ」

 

「……」

 

「それに助けに来てくれたときのアンタの姿、かっこよかったわ」

 

 徐々に小さくしながらも確かにその言葉は田豊に届いた。

 

「ありがとう。子遠」

 

 田豊はそう言って静かに目を閉じた。

 そして静かに寝息を立て始める。よほど疲れていたのであろう。座ったまま寝てしまっている。

 

「ふふっ。こう見てみると可愛い顔してんな」

 

 そう言って許攸は微笑んだ。

 

「って! 髪洗っている最中よ! 起きなさい!」

 

 



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第四六話 戯志才、発つ

「それで、孟徳殿は無事が確認されたのですか?」

 

「はい」

 

 田中と戯志才は鄴の町にある役所で話し合っていた。

 彼らが会っている理由は他でもない戯志才との約束を果たすためであった。

 田中の配下の諜報部隊の1人がついに曹操が無事であったのを確認したのだ。場所は済北の町。彼女は主のいなくなった済北の町を勝手に占拠し、自分が済北相であることを名乗ったのだ。実際、鮑信は慌てて逃げたために済北相の印綬を忘れており、誰でも名乗ることの出来る状況であった。

 それをチャンスと思った曹操はいち早く済北の町を占拠したのだ。

 この事態に対し、朝廷は静観を決め込んだ。

 理由は簡単。ここを統治する人材が朝廷には残されていない上、統治する人間を選び済北の地に送り込んだにしても印綬は曹操の手元にあるため、強制的に追い返される可能性があったのだ。

 元々、救出戦時に夏候惇がいたために、おそらくは曹操も生きてはいるであろうと田中は踏んでいたが、戯志才の能力は高く、そう簡単に手放したくはなかったために確実な存在が確認されるまでは言わなかったのだ。

 

 しかし、先日曹操が声明を発表したために事は公の知るところとなった。この事態に接し田中は最早万策尽きたと判断し、袁紹にこの旨を戯志才に伝えることを決定したのだ。

 そして今に致る。

 

「もちろん、ここにいたいのなら構わない。我々としては大歓迎だし、大いにその能力をふるってもらいたい。しかし、貴殿との約束は曹操が見つかるまでの間であった。見つかったからにはもう、我々は貴殿を止めておくことは出来ない。自由にしなさい」

 

「分かりました。では、私は本当に曹孟徳殿の元へ向かって構わないのですね?」

 

「ええ。大いに結構。旅費もこちらが負担しましょう」

 

「今まで、大変お世話になりました」

 

 そう言って戯志才は部屋を出て行こうとする。

 そこでふと立ち止まり、田中を見て言った。

 

「田中殿、あなたも共に来ないか?」

 

「何故です? 私のような凡人を連れて行って何のお役に立ちましょう?」

 

「貴殿の情報処理能力は目を見張るものがある。もし、その気があるのなら……」

 

「お断りいたす」

 

 田中はきっぱりと言った。

 

「私は袁刺史に全てを尽くすと決めた。今更寝返ることは出来るはずがない」

 

「そうか。それは残念だ」

 

 そう言って、戯志才は今度は振り返らずに出て行った。

 

「「いずれ、戦場でお会いしよう」」

 

 お互いに小さく呟いて。

 

 

 

「郭奉孝殿、今までお世話になりました」

 

 戯志才はすぐに南皮の町に戻り、郭嘉に面会し今までの経緯を伝えお礼を言った。

 

「そうですか。曹操が見つかったのですか……」

 

「ええ。我が主が見つかった以上、私もこうしてはおれません。すぐに主の元へ返り、ご恩に報いなければ」

 

「それは良かったですね。あなたには数多くのことでお世話になりましたし、これをあなたに進呈いたしましょう」

 

 そう言って郭嘉は近くにあった袋を渡してきた。

 

「これは……」

 

「おそらくはそろそろあなたが離れる時期なのではないかと言うことを何となく感じ取っていましてね。念のため用意しておいたものです。おそらくは何かあったときに役に立つでしょう」

 

「ありがとうございます!」

 

「中を確認されないのですか?」

 

「今、確認したらつまらないではないですか」

 

「確かに」

 

「さて、私はそろそろ行きます」

 

「そうですか。お元気で」

 

「奉孝殿」

 

「何です?」

 

「私と共に主の元へ行きませんか?」

 

「どうしてまた?」

 

「以前、あなたが私に主のお話をお聞きになったときにかなり興味を示されていたようなので、もしかしたらと思いましてね」

 

「……」

 

「あなたほどの才覚をお持ちなのであれば、必ず主は重用いたします。来られるのであれば、是非」

 

「少し考えさせてください」

 

「ええ。もちろんですとも。私は旅の準備のために二日後までここにいます。その時までにお声を掛けていただければ、共に行きましょう」

 

 そう言って戯志才はその場を後にした。

 

 

(私は何故あの時断り切れなかったのだろう)

 

 郭嘉は戯志才が出て行った扉を見つめながら考えた。

 もちろん、曹操に興味を持っていることは事実である。しかし、現状を考えれば曹操に付くことは危険すぎる。この乱世において弱小勢力に付くことほど悲惨なものは無い。

 現状としては一番勢力が大きいのは間違いなく袁紹である。恐らく天下を取るのも袁紹であろう。

 しかし、何故か郭嘉は曹操が気になって仕方が無かった。曹操は弱小勢力の内の一つであり、現に先の戦闘に置いて袁紹軍に滅多打ちにされたために軍師であった戯志才を囮に使う羽目になったのだ。

 そのような勢力に加わる利点がまるでない。これが袁紹の元で冷や飯を食わされているような立場にいるのであれば、まだ話は別であろう。しかし、現状としては異例の大抜擢で、この重要な南皮の町の統治を任される役職にいる。おそらくは将来、袁紹の閣僚の1人になれることは間違いないであろう。

 そのような好条件下にいるのに自ら危険な賭に出る必要は無い。

 

 郭嘉は頭では理解している。しかし、心が理解しないのだ。

 

(私は一体、どうしたというのだろう……)

 

 よく分からない感情に苛まれながら時間ばかりが過ぎていった。

 

 

 約束の二日後。

 戯志才は準備も終わり、馬に乗ろうとしていた。

 

(結局一度も私の元へ訪れはしなかったな……)

 

 分かってはいたことだが、少し寂しい気もした。

 

「それでは、ありがとう」

 

 宿の主人にお礼を言って戯志才は城門へ向かう。

 その時、後ろから馬の蹄と鳴き声が聞こえてきた。

 

「戯志才殿! 戯志才殿!」

 

 その声はちょうど二日前、話した懐かしい声であった。

 

「奉孝殿、如何なされた?」

 

 戯志才は後ろを振り返りながら、聞いた。

 

「私も共に連れて行ってもらえないだろうか?」

 

「良いのですか? おそらく待ち受けるのは数々の困難であると思いますよ?」

 

「構いませぬ。私は決めたのです!」

 

 その目には確かな決意の色が見えた。

 そして示し合わせたわけでもなく互いに言った。

 

「分かりました。では、改めて名乗らせていただきしょう。我が名は戯志才。字はなく、真名は竜刃でございます。これから主の元へお連れいたす」

 

「私の名は郭嘉、字を奉孝。真名を稟と申します。宜しくお願いします」

 



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第四七話 趙雲の……

「不味いですね」

 

 田中は思わず呻いた。

 戯志才が出て行くことは予め分かっていたため、人員の準備はしていた。しかし、出て行った人材の中に郭嘉が混じっていたのは袁紹陣営にとってかなりな大きな痛手となった。

 彼女に代わる優秀な人材はそう多くはない。ただでさえ、この乱世の世において人材というのは不足しがちであるのにだ。

 

「田中殿、どう致す?」

 

 逢紀はため息交じりに聞いた。

 袁紹は未だに立ち直れ切れていない。既にあの戦いから半月が過ぎようとしており、いい加減立ち直ってもらわねばいけない時期であった。

 

「とりあえず、袁刺史にはいい加減公務に復帰なさってもらわねばなるまい」

 

 田中はそうは言ったモノの逢紀が田中を止める。

 

「いまだ、袁刺史はご気分が優れぬ様子。ここは安静にしてもらいゆっくりと養生してもらおう」

 

「そのような甘いことを言っていてはなりませぬ! ただでさえ、優秀な人材が出て行ったという難所を迎えておるのです! この浮き足だった時期に君主があのような状況ではこの混乱が収拾できませぬ! 既に我が情報部にも数多くの混乱が起きていると報告が相次いでおります!」

 

「しかし……」

 

 逢紀が食い下がるためにやむを得ず、田中はこれ以上は無駄だと判断し、一旦引き上げることにした。

 

 

 

 

「袁刺史をどうすれば良いのだ……」

 

 田中は自分の執務室で頭を抱え込んだ。

 このままでは官渡の戦いで袁紹を史実通り大敗北を喫することになってしまう。

 

「どうされました?」

 

 その時、田中に近づいてきたのは田豊であった。

 彼女は許攸の助力もあり、現場に復帰することが出来ていた。

 

「それが……」

 

 田中は袁紹の現在の状況を田豊に話し、何か策はないかと尋ねる。

 

「ふ~む。確かにこの状況はよろしくはないですね」

 

「え~。このままでは袁刺史に愛想を尽かした他の人材も出て行く可能性がありますし~」

 

「だから、速く手を打たないと大変な事になります」

 

「ですが、無理にやろうとすれば~、確実に袁刺史は耐えきれないず、何をしはじめるか分かりませんし~」

 

「そうね……。って何であなたがここにいるの、沮授!」

 

 気配を消して後ろから近づいてきた沮授に田豊は驚いて、叫んだ。

 

「何でってここは私の職場でもあるのですよ~」

 

 その叫び声に冷静に反論をする沮授。

 

「沮授、何か良い案はないか?」

 

 田中は沮授にも意見を求める。

 

「私は人間関係に関してはずぶの素人ですから、私に相談されましても~」

 

 と普段は滅多にしない困り顔になった。

 

「田豊は……。無理そうだな」

 

 田豊の方を見ながら田中は言った。田豊は考えすぎて頭から湯気が出ていた。

 

「仕方が無い。とりあえず今日の仕事に取りかかろう」

 

 そう言って田中は普段の業務を始めた。

 

 

 

(ああ、これか)

 

 持ち込まれていた仕事の中に袁紹を暗殺しようとしていた男に関する情報が記載されていた書簡が出てきた。

 彼は元韓馥の部下で耿武であった。彼は袁紹を普段から冀州を奪った極悪人と言って警邏隊とたびたび衝突していた人物であった。

 彼の存在が明らかになったことで韓馥にも疑いの目が掛けられるようになったようだ。

 極秘で彼の周りに田中の諜報員を潜ませ、彼に反乱の意志の有無を確かめよという命令書であった。

 

「だいぶ対処が甘いな」

 

 田中は思わず言った。

 当時はもし君主を殺そうとした人物がいたら、それは一家郎党皆殺しは当然。場合によってはその友人にすら疑いの目が掛かる。

 今回の場合は一家に関しては冀州からの追放のみで皆殺しは避けた。

 

(袁刺史の優柔不断さが現れたか……)

 

 これに関してはあまりにも重大なことであるために政務に復帰していない袁紹が床の中から逢紀などに指示を出した可能性が高い。

 彼女は死に関して人一倍、気にするようになっている。

 袁紹の性格でこれが良い方向に転べば良いが……と田中は心配になりながらもその書簡に自分のサインを入れて、諜報員に渡すよう田豊に頼んだ。

 

 

 

 昼過ぎになった頃だろうか。

 不意に田中の執務室のドアがノックされた。

 こんな時間帯に来訪者は来ない上、田中の仕事の性質上、来訪者など滅多に来ない(彼の配下にいる諜報員は訓練もかねて正面からではなく忍び込むことになっている)。

 

 誰であろうか。

 

 田中は不思議に思いながら、声を掛けた。

 

「どうぞ」

 

 すると部屋のドアがガチャリと開き、見ず知らずの女性が入ってきた。

 

「え~と、ご用件は?」

 

 田中は若干戸惑いながら、その女性に問いかける。

 

「ふむ。こちらに田中殿はいらっしゃるか?」

 

「田中は私ですが……」

 

 そう言うと、その女性は田中の目の前までかつかつと進んできて、言った。

 

「あなたこそが私の求めていた人物だ!」

 

「は……?」

 

 なぞの宣言をされ、思わず固まる田中。

 

「あなたでしょう、あのメンマの店を見つけ出していただけたのは!」

 

 そういった瞬間、田中はぽんと手を叩いてそう言えば、と思い出す。

 以前、探せと言われていたメンマの店を探していた御仁がこの方であったかと改めてその女性を見る。

 

 白地に蝶のような柄があしらわれている着物を着ており、頭には冠を被っている。

 

「あなたでしたか、袁刺史を助けていただいた御仁は! 主に変わり礼を言います」

 

「いえ、あの出会えたメンマに比べれば、あの程度など大したことは無い」

 

 そう言う女性の言葉に内心、メンマと比べて我が主の命は大したことは無いのか、と落胆してしまった田中以下三名の人間を気にもとめず、その女性は熱く語る。

 しばらくメンマの素晴らしさについて語っていたその女性は、はたと思い出したかのように口を噤み、ところでと言った。

 

「私を客将として雇ってもらえないだろうか?」

 

「え、唐突にどうして?」

 

 これには田中も思わず驚く。

 

「これほど上手いメンマ店があるのなら、ぜひこの地で働きたいと思う! 私は自分で言うのも何だがかなり腕に自信はある。どうだ、最初は試しと言うことで客将として雇ってはもらえないか?」

 

「と申されましても私に人事権はないため、勝手にそのようなことをしては私の首が危ない。もちろん多少の口利きはしても構いませんが……。そう言えば、お名前を伺うのを忘れていた。あなたのお名前は?」

 

「これは失礼をした」

 

 そう言ってその人物は一旦、コホンと咳をしてから居住まいを正して言った。

 

「私の名は趙雲、字を子龍と申す!」

 

 田中は本気で口利きをしようと心に決めた瞬間であった。




 これに関してはあまりにも重大なことであるために政務に復帰していない袁紹が床の中から逢紀などに指示を出した可能性が高い。
 彼女は死に関して人一倍、気にするようになっている。

 こちらの文章を付け加えました。


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第四八話 文官を探せ!

「はぁ……」

 

 逢紀は自分の執務室で人事交代を行っていた。

 現在、袁紹陣営では人材不足に悩まされている。最近になり廬植、郭嘉、戯志才といった大きな柱を相次いで失った袁紹陣営では大きな混乱が起きていた。

 運が良かったのは董卓軍を吸収した直後であったため、多少なりとも優秀な文官が入ってきたのは僥倖である。

 郭嘉と戯志才が勤めていた南皮の太守として董卓配下の李儒、賈詡を臨時で任せているが、二人とも内政向きな性格ではなく、どちらかと言えば策略などを練る方が得意な人材ではあるため、一刻も早い内政向きな人材が求められていた。

 そこで袁紹は統治下の各地で文官の大募集を掛けており現在、その人事方面の仕事などを行う役目を逢紀が全て一人で行っている。

 

 誰かいい人はいないのか。

 

 そんなことをぼぉと考えていたとき、不意に執務室のドアが叩かれた。

 

「元図殿、いらっしゃいますか?」

 

 田中の声だ。

 

「はい。どうぞ」

 

 居住まいを正して田中を部屋の中に招く。

 

「元図殿、報告書が出来ましたので、こちらにお持ちしました」

 

 そう言って、田中は逢紀の机の上に竹簡を置いた。

 彼は逢紀の机の上にある山のような竹簡を見て、逢紀に言った。

 

「失礼ですが、どうか発言をお許し願いますか?」

 

「ええ。どうぞ」

 

「我が配下の田豊と沮授に元図殿のお手伝いをさせとうございます」

 

「ほう、私が無能とでも?」

 

「いえ。そういうわけではございません。現状として袁紹様は未だ立ち直られておらず、元図殿お一人に多くの仕事が回っております。見るに夜もろくに休めておらぬご様子。上のお方が休まずにいては下の者は休みを取りづらい状況であります。これでは仕事の効率が落ちることは明白です。そこで我が配下で一番優秀な二人を使って少しでも負担を減らしていただきたいのでございます」

 

「しかし、それではお主の仕事はどうなるのかしら?」

 

「私の仕事は私と子遠殿の二人がいれば十分でございます。どうか、あの二人をお使いください。その能力に関しては私が保証いたします」

 

「そこまで言うのであれば……」

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言って田中はすぐに二人を呼び、逢紀の仕事を手伝わせた。最初こそ、戸惑っていた逢紀であったが、二人の能力を徐々に認め、すぐに大きな仕事を任せるようになった。

 その仕事の一つに人材集めがある。

 逢紀は多少なりとも人脈はあるが二人ほどこの地元には人脈はない。そこでこの地元に精通している二人を人材募集係として抜擢したのだ。

 一見これはそれほど大きい仕事ではないように見えるが、彼女らの仕事次第で今後の袁紹陣営の動きが変わると思えば、軽視は出来ない。

 

 

「沮授、あなた何か良い人材知らない? 悪いんだけど、私には候補がいないのよ」

 

「ありますよ~」

 

「そうよね、あるわけな……ってあるの!」

 

 大役を任され、これからどうするべきか悩んでいた田豊は沮授の言葉を聞き、驚愕した。

 

「ええ。確か、近いうちにこちらに来るとか言っていたので~、おそらくは会えると思います~」

 

「その人物の名は?」

 

「陳宮、字を公台という人物ですよ~。古い友人でしてね~」

 

「聞いたことがない人物だな」

 

「まあ、彼女の才能に関しては折り紙付きですからね~。ご安心を~。ただ、問題は別の場所にありましてね……」

 

「どこ?」

 

「彼女は独特の価値観を持っているために~、よく人と対立するんですよ~」

 

 致命的な欠陥がある人物であった。

 

「まあ、とりあえず人の使い方は後で構わないから人材を集めよとのことだし、あてがあるのならその人も声を掛けましょう」

 

「元皓殿~、あなたからはどうなされます~?」

 

「私、私は……。とりあえずそこら辺探してみるよ」

 

 探している猫じゃないんだからと心中では思ったものの沮授はそれ以上何も言わず、黙って田豊を見送った。

 

 

 

「はぁ~~~」

 

 珍しく田豊は酒場に行き、酒を頼んで飲んでいた。

 普段はあまりこう言った場所が好かず、飲みに来ない田豊だが、今日に関しては無性に飲みたくなったのだ。

 

「よう、嬢ちゃん! そんなため息付いてどうしたんだい? 幸せが逃げるぜ!」

 

 近くにいた若い兄ちゃんが気を利かせて田豊に声を掛けた。

 

「いや、お兄さん、私もね一生懸命働いてきたわけですよ」

 

 そう言いながら普段の仕事の愚痴や人間関係、仕事に関することなどを話した。

 もちろん、詳細に関しては言わず、機密に関わるようなことは言っていない。しかし、話せることに関しては話しきった。

 

 その兄ちゃんはしきりにうんうんと頷いて、田豊の話を真剣に聞き入っていた。

 

 そして話を聞き終えた後に田豊に向け、真剣に言った。

 

「嬢ちゃん、若えのに頑張ってるな」

 

「いえ、私なんかまだまだ……」

 

「でも袁刺史様の配下の文官様だろう? 仕事も多くて大変なのにようけ頑張っとる」

 

 だがな……と言葉を続ける。

 

「嬢ちゃん、時たま気を抜くことも大事だぜ!」

 

 その言葉に田豊は何か救われた気がした。

 

「お兄さん、ありがとう!」

 

 そう言って田豊は酒代を払い、その場を後にした。

 

 酒場にはその兄ちゃんが一人残された。

 彼は先ほどの田豊の話を聞きながら、驚かされる部分があった。それは袁紹に関する愚痴は何一つ出てこなかったことだ。大体の人間は多少なりとも上司に文句を持つものだが、彼女にはそれがない。

 

「あんな若く優秀な子が必死で仕える袁刺史ってのはどんな方なんだろうかね~。いっちょ動いてみますか!」

 

 彼の目には店の近くに立てられた人材募集が書かれた板が映っていた。




 どうにか賈の字を出してきました。



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第四九話 新たな文官

 田豊が酒場に行った次の日、いつも通り登庁すると役所の中がいつもより騒がしくなっていた。

 

「どうしたの?」

 

 近くにいた文官の1人に尋ねた。

 

「これは田元皓殿、実は今朝新しい文官希望の方がいらしたのですが……」

 

「その人がどうかしたの?」

 

「実は即採用となり人事の仕事を受けたのです」

 

「それがこの騒ぎと同関係があるの?」

 

「彼は配属になるなり抜本的な組織改革を行い、今までの採用方法を根底から覆してしまわれたのですよ」

 

「え! そんなことが許されるの!」

 

「ええ。何でも逢元図殿直々の許可とかで……。あ、私は仕事がありますのでこれにて……」

 

 そう言って文官は足早にその場を後にした。

 

「抜本的な改革を許すほどの人物って一体……」

 

 そう言って田豊は仕事の執務室へ向かおうとすると向かいから男が1人向かってきた。

 

「おお! これは嬢ちゃん! 昨夜ぶりで!」

 

「あなたは……!」

 

 田豊は目を見開いた。その人物は昨夜、酒場で語り合っていた兄ちゃんだったのだ。

 

「何故、ここに?」

 

「昨日、嬢ちゃんの話を聞いていても発ってもいられなくなって思わず仕官しちまったよ!」

 

「思わず仕官しちまった……ってあんたどういうつもりよ!」

 

「こういうつもりよ」

 

「大体、嬢ちゃんっ私は仮にもここの人事関係を取り仕切る部署の上役をやっているのだけれども!」

 

「どっこい、これが複雑な話が合ってだな。分かりやすく言うと俺は嬢ちゃんの上司になった」

 

「上司になった! 嘘でしょ!」

 

「しっかり書簡ももらっているぜ!」

 

 そう言って彼は脇に抱えた書簡を取り出した。

 そこには確かに田豊と沮授は彼の指示に従うよう明記してあり、逢紀のサインまで書かれている!

 

「直接問いただしてくる!」

 

 そう言って、田豊は直接逢紀の所に聞きに行った。

 

「あ、嬢ちゃん! ってもう行っちまったか……」

 

 

 

「元図殿、これは一体どういうこと!」

 

 田豊は逢紀の部屋に入るなり開口一番そう怒鳴った。

 

「元皓殿、来ると思っていましたよ」

 

 逢紀はため息をつきながら、田豊を見る。

 

「あの人事は妥当です」

 

「なぜ、あの仕官したての人間がいきなりあのよう重役に来るのですか!」

 

「彼から名を聞いておらぬのですか?」

 

「は、名ですと?」

 

「そうです。ならば、私から言いましょう。彼の名は陳羣、字を長文と言います。あなたなら聞いたことぐらいはあるでしょう?」

 

「まさか、あの清流派の一人の……」

 

「そうです。その陳羣です」

 

 その瞬間、田豊はしまったと思った。

 陳羣と言えば高名な孔融にすら認められたほどの才能の持ち主だ。その能力はお墨付きであり、漢全土においても名は高い。

 その陳羣に無礼な振る舞いをした田豊はどうなるであろうか。

 考えただけで身震いをする。

 

 すぐに無礼を詫びるべく、逢紀の部屋を飛び出した。

 

「全く、せっかちなのですから……」

 

 フフッと苦笑をしながらその後ろ姿を見送った。

 

 

 

「誠に申し訳ありませんでした!」

 

 田豊は陳羣の元へ到着するなり、深々と頭を下げた。

 

「お、嬢ちゃん! 別にそんな気にしてねえから良いよ! それよりも仕事だ、仕事!」

 

 そう言って大量の書簡を田豊に手渡す。

 

「これらを昼飯までに裁ききってくれ!」

 

 最高の笑顔で言った。

 

 

 

「やっぱりアイツ鬼だ……」

 

 田豊は机の上でグデッとしながら同僚の沮授に言った。

 

「ま~、仕事はとても良く出来る人みたいですしね~。能力を見込んだ上で仕事を振り分けているのでしょう~」

 

「だけど田中殿の時はこんなに仕事はなかったよ!」

 

「彼の部署は少し特殊ですよ~」

 

 そんなことを話していると彼女らの部屋に話していた田中が入ってきた。

 

「陳長文殿はどこにいらっしゃる?」

 

「先ほど逢元図殿に話があると出て行かれましたよ~」

 

 沮授が返答をする。田中は沮授を見た後、横にいた田豊を見て苦笑しながら言った。

 

「仕事は大変でしょう?」

 

「田中殿、まさかこれを知っていて!」

 

「は~てどうでしょうかな?」

 

 田豊はガバッと起き上がり田中に怒鳴った。

 

「何と人が悪い!」

 

「まあ、あなた方の能力は高すぎるのでそれくらいの職務の方がやりがいがあるでしょう?」

 

「むう」

 

 実際、田中の言うとおりであるから言い返せない。

 田中の部署は情報がこない限り仕事のやりようがない上に田中のみで殆ど片付いてしまうために田豊達は退屈していたのは事実だ。

 

「まあ、ちょうど私も元図殿に用事があったし、私もそこへ向かおう」

 

 そう言って田中は逢紀の執務室へと向かった。

 

 

 

「田中です。逢元図殿と陳長文殿にお話がございます」

 

「良いですよ、入りなさい」

 

 田中が逢紀の執務室に入ると陳羣と逢紀と意外なもう一人の人物が立っていた。

 それは田中の主である袁紹だ。

 

「これは袁刺史様、失礼いたしました!」

 

「いえ、構いませんわよ。今まで迷惑を掛けましたわね」

 

 そう言って優雅に髪を払いのけながら田中に言う。

 

「あまりお変わりなく安心しました」

 

「当たり前ですわ! 私は健康に関しては人一倍気を遣っておりますのよ! オ~ホッホッホッ!」

 

 そう言って高笑いをする袁紹を見ていつも通りの袁紹だと言うこと確認し、胸をなで下ろした。

 

「所で用事とは何があったのですか?」

 

 逢紀が田中に用件を聞く。

 

「実は間諜の人間をもう少し増やして欲しいのです」

 

「ほう。何故です? あなたの所には相応の人数を与えていると思いましたが……」

 

「実は現在、周辺の諸侯の動きなどが活発化してきておりまして、正確な情報収集のために更なる間諜の増員が求められておるのです」

 

「それで私と長文が同時にいるところに来たのですね」

 

「ええ。その通りです」

 

「どう思います、長文殿?」

 

「むしろ推奨いたします。この乱世において情報を手に入れることは必須です。更なる増員を行いましょう」

 

「袁刺史様は何かございますか?」

 

「良きに計らえ」

 

「御意!」

 

 そう言って田中の間諜の更なる強化が行われたのであった。



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第五〇話 新たな部下

今回は少し短めです。


 ではここで漢全土で何が起きているのかを説明しておこう。

 

 まず皇帝を支配下に置いていたとされる董卓は袁紹と結託。現在の冀州を中心とした地において拠点を設ける。だが、これは結託と言っても董卓には今後、世に覇権を唱える気はサラサラ無く袁紹の実質的な配下になったのが現状だ。

 このことにより袁紹が皇帝を擁立し天下の趨勢は袁紹へと大きく傾いている。

 

 また、洛陽戦における董卓の敗北というのは世に大きな戦乱を引き起こすことになる。

 まず、董卓が支配下に置いていた涼州は地元で元々有名であった馬騰が一気に勢力を拡大していき、支配下に置いてしまっている。

 

 反董卓連合は董卓が逃げたことにより瓦解。

 各諸侯は自分らの持つ領地へと帰っていった。その中でも一際勢力を伸ばしたのが、袁術である。

 彼女は洛陽を占拠した功績を生かし、廃れた洛陽を再建を行う。これらの再建を支えたのが袁術が配下にしていた優れた文官達であった。彼女は仮にも名家の袁家の正式な跡継ぎ。彼女に仕えるのは袁家が数多くの方面に排出した優秀な文官達である。彼らが本気になればそれこそ都市の一つや二つの再建など造作も無いことだ。

 こうしたことから周囲から戦乱を避けていた住民達が洛陽に再び戻ってきてかつての賑わいを取り戻しつつあった。

 この功績は周囲の諸侯達に知れ渡り、袁紹までは及ばないにしろそれに準ずるだけの力を蓄えていた。

 また、これらの流れに乗っかる形で孫策が袁術の配下に入ったのは周囲に衝撃を与えた。江東の麒麟児と謳われるほどの猛将が袁術配下に入ったことは周囲の諸侯にとっては脅威だ。

 

 江東や寿春周辺の各地においてこうした大きな動きが起きている中で、袁紹周辺の地でもいくつか事は起きていた。

 まず、曹操が太守のいなくなった北海国を占拠し、新たな太守として就任したのだ。

 当初は彼女が一人で宣言するのみであったがある人物が朝廷に上奏し、ついに正式に認められるところとなった。その太守にと上奏したのは寿春太守の袁術であった。彼女は袁紹がいずれ自分と仇なす存在だと考え、予め自分と共闘する人間として曹操を取り立てたのだ。

 

 これに対抗するかのように袁紹は劉備を東群太守任命を上奏した。これは曹操と対抗する人材として劉備を共闘する人間と考えるのと同時に今後、中原へ出る際の足がかりとしてここを利用するつもりであったのだ。

 劉備と曹操で考えれば、圧倒的に曹操に才能や人脈の分がある。それは曹操とかつて洛陽を駆け回った袁紹は誰よりもよく分かっていた。

 しかし、曹操は宿敵とも言える袁術と手を組んでおり、最早関係改善は見込めない。だからといって他の有能な人材は殆ど誰かの配下になっており、下手に董卓のように力がある人間を取り立てでもしたら、自分が食われる可能性がある。

 そういったことを考えると劉備はそれなりの配下もいる。だが、力があるわけではない。利用するにはちょうど良い存在であった。

 

 こうして董卓という一大組織が袁紹の配下に組み込まれることで中華は大きな変化の時を迎えていた。

 

 時は190年4月下旬。未だ乱世は収まるのか、そもそも朝廷の手に返るのかすら分からない状況であった。

 

 

 

 

「ふむ。韓馥に変わった動きはないか」

 

 田中は間諜の人間から報告を受け取った。現在、袁紹は曹操や袁術と言った諸侯と対立している。故に周辺で火種となる可能性があるものは極力取り払っておきたかった。

 

「それにしても袁刺史はどうやって復活なされたのだ?」

 

 その疑問にちょうど用事があって田中の元を訪れいていた田豊が答えた。

 

「何でも沮授が上手く立ち回ったようですよ。彼女はそういった処世術には長けていますから」

 

「何をやったんだ奴は……」

 

 田中は思わず頭を抱え込みながら言う。もし袁紹配下の古参組と対立をすれば面倒なことになると考えたのだ。

 

「分かりません。『女はいくつか人には言えぬ秘密を持っているのですよ~』とか言ってましたけど」

 

「頼むから問題だけは起こすなよ」

 

「大丈夫でしょう。逢殿も大喜びで特別に報酬出すとか言ってたくらいですし」

 

 田豊の言葉にひとまず史実のような権力争いが起きることはないと思い、一安心をする田中。

 

「なら、良いんだが……。そういえば、元皓何か用事かい?」

 

「ええ。田中殿が望んでいた新たな戦力です。ようやく人材が集まってきたので、回せる人材が出来ました」

 

「おお。早いな! それでどなたかな?」

 

「入りなさい」

 

 そう言って田豊は外の人物に声を掛けた。

 するとドアが開き、二人の女性が入ってきた。一人は眼鏡を掛けており、深緑を思わせる緑色の髪を持つ女性。もう一人はかなり背が小さく、髑髏の付いた帽子を被り、青みがかった緑色の髪を持つ少女である。

 

「こちらがあなた方の上司に当たる田中殿です」

 

 田豊が田中の紹介を行うと二人とも田中に臣下の礼を取る。

 そして眼鏡を掛けている人物から話し出した。

 

「私の名は賈詡、字を文和と申します」

 

 続く髑髏少女の方も話す。

 

「ねねの名は陳宮、字は公台です。宜しくお願いします」

 

 田中はまたも優秀すぎる人材が来たと頭を抱え込んだ。



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第五一話 噂

 沮授の昇格の件に関して、違和感を感じるとのご意見頂きましたので、若干の変更を行いました。


 実はこの人事異動には大きな理由があった。

 先日、沮授が袁紹を復帰させたのは既に書いたとおりである。実はその後、沮授は更なる仕事をこなしたのだ。

 それは新たな人材として陳宮を配下に入れたことであった。

 

 彼女は元々は地方で役人をやっていたが、董卓の台頭や十常侍などの権力争いに巻き込まれ、降格。その後、反董卓連合による洛陽への攻撃や皇帝の逃避行などの政治的な混乱により職を解かれ、地方を放浪していたのだ。

 その時に声を掛けたのが沮授であった。

 ちょうど、食べ物を買う金にも困っていたくらいであった。その話を聞いた袁紹は面会の前に金を渡し、陳宮に好きなだけ食べ物を食べさせてやれと沮授に命令をしていたのだ。

 この話を聞いた陳宮は感激し、袁紹に仕えると決めたのである。

 これには続きがあり、この話を聞いた袁紹配下の文官は有能な各地に眠っていた智者達を次から次へと紹介。袁紹陣営の人材不足は急速な解決に向け動き出したのだ。

 

 

 これらの動きのきっかけとなった沮授は一気に昇格。その能力を遺憾なく発揮すべく南皮の町の太守に任命されたのだ。

 しかし、沮授一人では仕事の量が多すぎるため、その補佐として田豊が付くことになった。

 

 このことにより即席で太守の任をこなしていた賈詡を李儒は役目を解かれ、本来の業務へ戻る予定であったが、その能力を認めた逢紀が賈詡を田中の元へ配置することを願い出た。

 これは降格に近い処分であり、本来であればあり得ない話である。しかし、賈詡は仕事の連続で休暇を願い出ようと考えており、比較的自由度の効くこの仕事をむしろ歓迎した。しかし世間体を気にした逢紀は降格ではないことを知らしめるため、賃金のつり上げと新たな地位への向上を決定し、一連の騒動は一段落が付いた。

 

 

 

 

「先日、劉備の所へ忍び込んでいた間者からの報告です」

 

 賈詡がいくつかの書簡を持ってきた。

 

「ありがとう」

 

 そう言って田中はその書簡を読み出したが、読むにつれて皺が寄っていく。

 

「何かありました?」

 

「これを見てくれ」

 

 そう言って田中が見せたのは劉備が統治する東郡で広まっている噂についてであった。

 

「天の……御使い?」

 

「ああ。何でも向こうの方ではかなり広まっているらしい。洛陽にほど近い東郡でこのような噂が広まるとは漢の皇室を何だと思っている」

 

 まったくと言いながら、田中は怒ったふりをする。

 というのも内心ではここから先、衰退していく漢王朝の存在を知っているだけにこう言った噂が出てくるのもやむを得ないかと半分思っているからだ。

 しかし、それを外に出すことは許されない。いくら弱まったとは言えど、漢王朝の力は未だに根強く残っている上、今主の袁紹は漢王朝を庇護している立場。そのような人物の配下が王室をないがしろにするようなことを言えば、大変なことになる事を田中は重々承知していたからだ。

 

「そうですね。まあ、噂は噂ですから」

 

「特にそういった人物の確認も出来ていないようですから、現状としては静観で良いだろう。もし万が一にもそういった人物の報告があればすぐ私に伝えてくれ」

 

「御意」

 

「天の御使いね……」

 

 田中はどこか心に引っかかるように気がしてならなかった。

 

 

 

 

「ところで、宮廷の方の資金はめどが付いたのかね?」

 

 田中は不意に気になって、賈詡に尋ねる。

 宮廷の資金というのは漢王室の宮廷の建設費だ。彼の元いた宮殿である洛陽宮は今はもう袁術の占領下にあり、戻るのは難しい。そのため、この鄴の地に新たな宮殿を建設する計画が持ち上がっているのだ。

 

「どうにか王室の予算と袁刺史の予算で組もうとしているのですが、やはり洛陽宮には及ばないですね」

 

「まあ、あれには無理だろう。洛陽宮は皇室が代々築いてきた予算を注ぎ込んでいる。それこそ一代でどうにかなるものではない」

 

「ええ」

 

 そう言いながらも仕事を続けていく。

 彼らがやっているのは間者の訓練の内容に関してだ。許攸が詳細を送ってきており、彼女は色々な訓練を考え出しては提案を行ってきており、そのどれもがかなり役に立つものである。

 

「子遠は流石だな。彼女は優秀だ」

 

 田中は許攸のことをそう評価しながら訓練内容を見ていく。

 

「それにしても各地の諸侯が一気に行動を起こしている。仲違いを上手くさせながら力を分散させていかないと危険だな。我々の周囲は余り心配は無いが、袁術の辺りが危険だ。袁刺史様の親族だけあり、財力、人材、領地どれをとっても見劣りはしない。恐らく袁刺史様と対決を将来起こすことになる勢力は袁術だ」

 

 田中は漢全土の地図を見ながら言う。

 その地図には各諸侯の統治場所などが書かれており、各地の情勢などの細かい情報が載っている。

 

「恐らく奴はこの周囲に包囲網を作ろうとするはず。作るとなれば、曹操、公孫瓉を利用する可能性が高いと思うがどうかね?」

 

 田中は賈詡に聞いた。

 

「いえ、公孫瓉は利用できないでしょう。奴はああ見えて一度負けた相手に再度反撃を行おうとするほどしぶとい人間ではありません。さらに言えば、現状で奴が我が軍に反撃するのは厳しいです。このことから利用すると考えられるのは黒山賊、劉伯安殿辺りです。黒山賊に関しては仲が悪いのは言うまでもありません。劉伯安、劉虞殿の事ですが、彼は基本的に朝廷に従順で真っ直ぐな人物です。その性格を利用される可能性が大いにあり得ます。油断は危険です」

 

「分かった。私の方から上の方に掛け合い、二人の所へ間諜を潜ませるよう進言しておこう」

 

 田中はすぐに逢紀の所へ向かい、相談。許可が出たため、人員が揃い次第、間諜を送ることに決めた。




 噂の彼の登場シーンは少ないと思いますので、ご了承ください。
 今のところの予定はですが……。


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第五二話 賊

「袁刺史様、沮南皮太守様からの書簡でございます」

 

 逢紀は袁紹の元へ書簡を一つ持ってきた。

 沮授を南皮の地に派遣してから早一ヶ月ほど。

 190年の5月から6月へと月が変わろうとしていた頃。早速その報告書をしたためて送ってきたのだ。

 

「ありがとう」

 

 そう言いながら袁紹は中を読み始めた。

 内容は最初は統治状況に関することである。どうも以前の太守であった郭嘉達がかなり優秀な人材達を育成していたらしい。そのおかげで大分統治もやりやすいとの内容であり、もし必要とあればその育成方法も伝えるとのことであった。

 

「これは是非、お聞きしたいですわ」

 

 袁紹はそんな独り言を言いながらも読み続ける。

 続いての内容はかなり深刻であった。南皮の町の近くで黄巾の残党が確認されたらしい。それも少なくはなくかなり大規模なものであった。これの討伐をお願いしたいとの内容である。

 

「なんと言うことですの! 元図さん、元図さん!」

 

「はい。お呼びでしょうか?」

 

 袁紹の呼ぶ声に間髪入れず逢紀が入ってくる。

 

「元図さん、大変ですわ! 賊が私の大事な領地であります南皮の近くにいるとのことですわ。このような事では大事な民が攻撃されてしまいます。急ぎ討伐軍を編成してくださいな!」

 

「御意」

 

 そう言ってすぐに逢紀は袁紹の部屋を出て、すぐに将軍達がいる訓練所に向かう。

 

「顔将軍、文将軍!」

 

 逢紀は二人の将軍を呼び出した。

 

「元図殿! どうした?」

 

 近くにいた文醜がすぐに反応した。

 

「南皮近郊で賊が発生した模様です。規模はかなりのモノ。これより偵察を送り込んで詳しい情報を仕入れますが、将軍達に出撃の準備をさせてください。とりあえず、出撃は顔将軍、文将軍、趙将軍で出撃準備をお願いします」

 

「御意! 兵力が分かり次第ご連絡ください。連れて行く兵士の数をそれで決定します」

 

「今からその旨を田中殿にお伝えするつもりです」

 

「お願いします」

 

 そして逢紀はその足で田中の執務室に向かった。

 

「失礼!」

 

 入ると田中は地図とにらめっこをしている。

 

「田中殿、緊急……」

 

「南皮郊外で十万の賊が一斉蜂起したそうです。狙いは北平の公孫瓉の領地を狙っているとか」

 

「既にご存知だったのですね」

 

「つい先ほど緊急の一報が私の方に来たところです」

 

「それで他に情報は?」

 

「今は分かりません。続報を待っているところです。既に残っていた間諜部隊は全員そちらに向かわせました」

 

「分かりました。これより軍議を始めます。すぐに来てください」

 

「構いませんが、副官の賈詡と陳宮も連れて行って構いませんか? 彼女らは間違いなく戦力になるはずです」

 

「良いでしょう。今は一人でも人手が欲しい」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って田中は二人を呼びに、逢紀は関係各所に連絡をしに走っていた。

 

 

 

 その一刻後、緊急会議が開かれ、投入する兵力などの協議を始めた。

 

「ただいま、賊は北平を目指し、南皮郊外の章武から北上中であります」

 

 章武とは南皮の北北東方面の海岸沿いにある地の名前だ。

 

「何故、手近な南皮を狙わずに北平を狙う?」

 

 郭図が聞いた。

 

「おそらくはこれの後ろには何らかの勢力がいるものと思われます」

 

 答えたのは賈詡だ。

 

「間諜によればこれらが身につけていた鎧や武器は賊にしてはしっかりしていたとの情報です。さらにそれらは比較的統一されたものであったとのことでしたから、この筋はかなり有力かと」

 

 田中もその意見に援護を行う。

 

「しかし断定するには早すぎる。確実な証拠を手に入れなければ敵がどこかも分からん。まあ、予想は付くがな……」

 

 郭図は剣呑な表情をしながら言った。

 

「犯人捜しは後です。今は目の前の敵に集中しましょう」

 

 逢紀は議論の的を絞り直す。

 

「しかし、十万という兵力は大兵力です。これらが北平の町を攻撃すれば、北平の町は手薄に。その間に北方民族がくれば、北平の町は易々と陥落すると思われます」

 

 陳宮はそう発言した。

 

「確かに。そこでこちらから送り込む兵力は軽騎兵のみの編制にして現場にいち早く急行できるようにする」

 

 逢紀はそう言って武官達の方を見た。

 

「軽騎兵と現地の兵力二万の編成だけでこの賊を討伐できると思いますか?」

 

 その質問に顔良達はしばらく考え込んで発言する。

 

「ここの軽騎兵は二万。これらの主力は元董仲潁殿の配下であった兵力です。この兵力は極めて強力で、南皮の町にいる二万の兵力も我が軍の精鋭徒は言えど、十万の兵力相手には不安が残りますね」

 

「この中に策のあるものはいないか?」

 

 逢紀は尋ねた。

 すると陳宮が一人前に一歩出る。

 

「おそれながら、音々に一計がございます」

 

「陳公台殿、申してみよ」

 

「はい。敵は大兵力ですからどこかにそれを持ちこたえさせるだけの兵糧が蓄えてあるはずです。それを焼き払えば敵の士気は地に落ち、戦わずして敵を殲滅できましょう」

 

「それはよろしいですわね!」

 

 それまで黙って話を聞いていた袁紹が初めて口を開いた。

 

「戦わずして勝つ! これほど華麗な勝ち方は他にないでしょう! 元図さん!」

 

「ここに!」

 

「総力を挙げて賊の兵糧拠点を調べ上げてちょうだい!」

 

「御意!」

 

「呂将軍、顔将軍!」

 

「ここに!」

 

「……ここに」

 

「顔将軍を総指揮、呂将軍を副将軍におき、両名は直ちに軽騎兵二万を率いて、出撃の準備を待ちなさい。場所が分かり次第、お知らせいたしますわ」

 

「御意!」

 

「……御意」

 

「陳公台殿!」

 

「ここに!」

 

「今作戦においてはかなり慎重な行動や知恵が必要になってきますわ。参軍に任命しますので、顔将軍の補佐に回ってください!」

 

「御意!」

 

「補給に関しては南皮の町の方が近いですから、可能であれば沮授。出来ないようでしたら公則さんにお願いしますわ!」

 

「御意」

 

「他に何かありますか、元図さん」

 

「刺史様のご英断に文句などございません」

 

「それでは皆様、賊など華麗に打ち破り、我が袁紹の名を天下に知らしめましょう!」




すいません。先ほどは別の作品に投稿する予定だったモノを投稿してしまいました。


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第五三話 南皮の人材

「それにしても、彼らを配下にしておいて本当に成功でしたね」

 

 田豊は沮授に向かって言った。

 彼女の目線の先にあるのは郭嘉らが配下に入れた情報処理部隊である。

 郭嘉と戯志才がこの地で特に重視したのは、人材登用であった。

 袁紹陣営は元々、人手不足な面がある(これは袁紹にのみ限った話では無く、むしろ袁紹の所はましな方であった)ため、優秀な人材が欲しいともなれば独自で発掘する必要がある。

 そんな彼女らが目に着けたのが人気飲食店の店員達であった。彼らは一人でも奥の客をさばくため、素早く的確に動きかつ、臨機応変に対応するという言わば、その他の多くの場で活躍できる能力を身につけている。そこでこうした能力を活かせないかと郭嘉等は各店舗に要請を出し、ある程度の人員を引き入れることに成功したのだ。

 こうして編成されたのが、情報処理部隊である。この部隊は元々は治安維持や民衆の生の声を聞くために編成された物であり、彼らは普段は従業員として店で働いているが、そこで耳にする噂を聞き入れて必要か否かを選別。そして必要を判断される場合は上に報告すると言った任務を担っている。

 言わば、警察組織に近い一面を持つ。

 

 そんな彼らが活躍したのが今回の賊の情報だ。

 彼らは働いている店でいち早く、その情報を入手。更に独自のルートでその情報をさらに濃密にして沮授らに報告を行ったのだ。

 これにより、かなり早くから賊の動きを正確に把握することが出来たのである。

 

「これほどの人材がまさか~、飲食店にいるとは~。これを見つけ出すとは~、さすがは人材発掘の天才ですね~」

 

 沮授はのんびりとした口調で言う。その言葉には郭嘉達に向けられた素直な賞賛が混じっている。

 

「とは言えど、あの賊達は何者の指示を受けて動いているのでしょうね……」

 

「おそらくはこちらと公孫瓉の仲にひびを入れたい何者かでしょう~」

 

「と言うと考えられるのは曹操か、はたまたは……」

 

「袁術でしょうね~」

 

「私は袁術の方が可能性は高いと思います」

 

「ただ、問題はどうやって~、この賊と連絡を取っているかですよね~。おそらくは中間役がいるはずですよ~」

 

「ええ。それを何としても発見しなければいけませんね」

 

「はい~」

 

 その二人の元へ一人の女性がやってきた。

 身にまとうのは黒い将官の鎧、腰に着けているのは煌びやかでは無いが機能美を感じさせる一振りの剣。

 横に従者の如く猫を引き連れている人物だ。

 

「お二方、審配、ここに帰参いたしました!」

 

「おお、ご苦労。兵の調練はいかほどですかな?」

 

「はっ! 現状としてはまずまずであります。正規軍ならば分かりませんが、賊程度であればそれほど苦戦することも無いでしょう」

 

「よろしい! であれば、すぐに出撃の準備を! 既にこちらに向け鄴から援軍が向かっております」

 

「御意!」

 

 そう言って審配はくるりと踵を返し、その場を後にしようとする。

 

「あ、それからもう一点だけ~」

 

 その審配を沮授が引き留めた。

 

「今回の目標は~、敵の撃破では無く~兵糧を焼くことだということをお忘れ無く~」

 

「分かっております」

 

 審配は振り返って一礼をしてからまた歩いて行った。

 

「沮太守、何故そのような確認を?」

 

「今回、実は仕組んでいることがあるのですよ~。ふへへ~」

 

 妖艶な笑みを浮かべながら沮授は言った。

 

 

 

「それにしても今回の敵は十万ですってね」

 

 顔良は進軍を指揮しながら隣にいる呂布に話しかけた。

 

「汜水関ではそれ以上の敵が押し寄せてきた」

 

「確かに。あの時は大変でしたね。私は現場にいませんでしたが帰ってきた田中さんとかに聞いたら、何でも地を埋め尽くさんばかりに敵兵がいたとか!」

 

「うん。でもみんな弱い」

 

「いや、あなたから考えれば、弱い人しかいないでしょう……」

 

 困惑気味に顔良は突っ込む。

 

「うんうん、違う」

 

 首を振りながら呂布は言って、顔良を指さしながら言った。

 

「顔良、文醜二人とも強い」

 

「え、そうですか! いや~それほどでも~!」

 

 顔良は頬を朱に染めて照れながら言った。どうやらまんざらでもないようだ。

 

「この袁刺史様の武将は強い人が多い。だから、恋、嬉しい」

 

「でも呂将軍に敵う人なんていないじゃ無いですか」

 

「そうじゃない」

 

 呂布は顔良の言葉を否定する。

 

「確かに恋に敵う人誰もいない。でもその意志の強さは強い。みんな袁刺史様を思って必死に、戦う。だから強い」

 

「呂将軍」

 

 その言葉に思わずじんわりくる顔良。

 

「ところで何でその大きい馬、立派ですね! 何て言う馬なんですか?」

 

 呂布の乗る立派な馬を見ながら顔良は聞いた。

 顔良達、冀州の兵士達が乗る馬は北部が原産の馬であり、公孫瓉の領地で飼育された駿馬ばかりだ。

 それに対し、呂布が率いている元西涼軍の兵士達が乗る馬は駿馬と言うよりは戦車を思わせる重厚な馬だ。その蹄の音は冀州は軽快なのに対し、西涼は重厚である。

 しかし、唯一呂布の乗る馬だけは将軍が乗る馬というだけあって大きいのに走りは実に軽快だ。

 

「名前は決めていない」

 

「え、そうなんですか! じゃあ決めたらどうですか?」

 

「う~ん、じゃあ平和」

 

「え!」

 

「みんなが仲良くなるような馬になって欲しいから平和」

 

「そう、ですか」

 

 その言葉に一瞬顔良は唖然とした。武の申し子とも言える呂布から平和という言葉が出てくるとは思えなかったからだ。

 

(奉先さんって意外と争いが好きで無いのかもしれないな……)

 

 顔良はふとそんな言葉が頭をよぎった。

 隣にいる呂布の顔を見たが、その顔から特に表情を読み取ることは出来なかった。



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第五四話 密書

「あれほどの大規模な賊の蜂起は黄巾の乱以来ですね」

 

 逢紀は袁紹に語りかけた。

 

「ええ。そうですわね。あの時は本当に大変でしたわ……」

 

 袁紹はしみじみと言った。

 

「ですけど、華琳などとまだ仲の良かった時代。権力にも縛られず、自由なことが出来た時代で苦しくもありましたが、ある意味一番楽しかった時代なのかもしれませんね」

 

「麗羽……」

 

「ごめんなさいね、優羽。こんなしんみりとした話にしてしまって……」

 

「麗羽、今あなたは私にその賊達の未来について話されることを避けているわね」

 

「……」

 

「普通、反逆者というのは遺族郎党皆殺しが原則。となればあそこにいる十万もの賊を殺さねばならない。だけど麗羽は優しすぎる。耿武の時のように無関係な人まで殺すのを凄く躊躇ってしまう。だから今回のことの話しも上手く躱そうとしている。違う?」

 

「……。さすがは優羽、何でもかんでもお見通しというわけですわね。そうですわよ。私は出来ることなら人を殺したくは無い。殺してしまえばその関係者全員に何かしらの禍根を残しますわ。そのような重責に堪えられるほど私は強くはありません」

 

「麗羽、情というのは権力者にとって大切な物でありながらも危険な物でもあるのよ。諸刃の剣。だからそれの使い方を間違ってはいけない」

 

「分かっておりますとも。優羽、私は昔から誰かに命を狙われてきましたわ。だからそれが如何に怖いことか、嫌なことかはここにいる誰よりも分かっておりますのよ。そのような思いを他人に押しつけるのは……」

 

「麗羽! それではいずれ、必ず持ちこたえきれなくなるときがある! 今は大丈夫かもしれないけどいずれその情のために敗北するときが必ずあるわ!」

 

「袁刺史、よろしいでしょうか?」

 

 逢紀が激高しかかったときに外から声がした。

 田中の声だ。

 

「どうぞ」

 

 逢紀は今までの友人同士の関係から君主と配下の関係に戻した。

 入ってきたのは田中とその配下の賈詡だ。

 

「袁刺史様、南皮の沮太守より密書であります」

 

「密書? 何故そのような事を?」

 

「分かりませんが、沮太守は何かしらお考えがあるようです」

 

 そう言って田中は書簡を袁紹に手渡した。

 

「わざわざ、密書とは……。一体何が書いているのでしょう?」

 

 逢紀も気になってその密書の中身を一緒になって確認する。

 

「今回の賊への対策についてですわ……」

 

 袁紹がざあっと中身を確認していきながら言った。

 

「こ、これは……!」

 

 その中身に逢紀は驚きの色を示す。

 

「何故、このような詳細を沮授は知っているのだ!」

 

 驚きの余り逢紀は田中に聞いた。

 内容は賊達の蜂起の理由とその数や陣、食料庫の位置まで内部の人間がいなければ知り得ないような細かい情報が書かれていた。

 

「どうも沮太守は我々の諜報機関とは別の独自の諜報機関を持っているようで、それを利用して今回の情報を集めたようです。この書状もその者達が持ってきました」

 

「独自だと! それは余りにも出過ぎた真似では無いのか!」

 

 逢紀はそういった。

 一応、太守は自治権を持っているとは言え、沮授は袁紹の配下だ。にもかかわらず独自な組織を持つとは余りにも独断専行過ぎる。

 

「この組織は以前、南皮太守であった郭嘉達が組織した物らしく、報告の時間が取れなかったがために報告が遅れたそうです。沮太守はこの組織を田中殿の諜報機関の下に入れることを断言なさっております」

 

「それならば、良いのではないですか?」

 

 逢紀が口を開く前に袁紹が言った。

 

「確かに着任直後に賊の蜂起が起こりましたし、時間が無かったというのは本当でしょう。郭嘉達の事です。何かしらの考えが合ってやったことでしょうから、特に沮授を罰する必要はありませんわ」

 

 こうも言われてしまっては逢紀は口が出せない。

 

「分かりました」

 

「すいませんが、一つよろしいでしょうか? そこに書かれていたのは他にあったのでは?」

 

 賈詡が尋ねた。

 

「いえ、他には何も?」

 

「そうですか……。では失礼いたします」

 

 そう言って賈詡は部屋を出て行った。

 

「麗羽、あの女は危険だ」

 

「ええ。まさか内容に関してまで読み取られるとは思いませんでしたわ」

 

 そう、彼女が内容はそれ以外には無いと言ったのは嘘だ。

 実際はそこから先があり、その十万の軍勢に当たる際に対処法について書かれていたのだ。その案は上手くいけばかなり流血を制限することが出来る。しかし途中で握りつぶされるわけにも行かないから密書として一番安心して託せる田中の元へと持って行かれたのだ。

 おそらくは田中は一人で持って行こうとしたはずだ。しかし、何かの拍子に賈詡にバレてしまったのであろう。

 そして彼女が就いてきたという流れになったわけだ。

 

 彼女は実質的には袁紹配下とはいえ、元董卓のブレーンの一人だ。今は素直に従っているとは言えいつ董卓と共に勢力を盛り返そうとするかは分からない。何せ、今袁紹軍は董卓軍の力にかなり頼っている状況だ。本気で彼らがここを実効支配しようとすれば難しいことではない。やらないのは一重に董卓の性格が純粋であるからだ。

 

 今回の内容が密書として届けられた大きな理由は袁紹陣営の派閥争いだ。これのせいで有益な情報を袁紹に正規な手続きで報告しようとすると内容を途中で握りつぶされる可能性がある。有益な情報を掴めば、当然その者の評価は高くなる。しかし、他の派閥にしてみればこれでは面白くは無い。だから握りつぶそうとするのだ。これに関しては袁紹も把握しており、密書にした背景はすぐに理解できた。

 万が一にもこの問題が董卓にバレれば、面倒なことになる。

 それを避けるためにも別に内容があったことは隠さねばならなかった。これが分かれば密書にした理由がバレてしまう。

 

「不味いですわね。早くこの派閥争いをどうにかしないと」

 

「頭の痛い問題だ」

 

 袁紹と逢紀は二人して頭を抱え込んだ。

 そんな二人を血のように真っ赤な夕日が照らしていた。



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第五五話 戦闘準備

 南皮の町から北北東へ100㎞ほど行ったところに河間郡易城という地がある。

 ここはすぐ近くを川が流れており、勃海へと流れ込む。

 

 その地に今、数多くの人間がいた。それも十人や二十人の話では無い。数万という単位の人間だ。

 まさに地を埋め尽くさんばかりの人間がひしめいている。

 

 一人一人が手に剣や矛や、はたまた槍やらを持ち物々しい雰囲気だ。

 この集団こそ、袁紹の悩みの種である賊の本隊だ。

 

 これら集団を遠くから観察する者がいる。

 

「あれが賊の本隊ですね」

 

 小さな声で呟いたのは陳宮だ。

 

「公台殿、あそこにいる奴等、みんな悪い奴?」

 

 その横で首を傾けながら疑問を呈しているのが呂布だ。特徴的な触覚が一緒に傾いているのがとてもかわいらしい。

 

「ええ。呂布殿。何せあれは賊ですからね。途中で見てきたでしょう、あらされた町の姿を」

 

 賊に襲われた村々は悲惨なものだ。

 老人や男どもは皆殺され、女や場合によっては子供も恥辱を受け使い終われば殺される。運良くその場から逃げ出せたとしても周辺には盗賊や野生の猛獣がひしめいている上、いずれ飢え死にか殺されるかの二択だ。

 陳宮達はそんな村々を幾たびも見てきたのだ。

 

「そう……。でも、何故か奴等が悪い奴には見えない」

 

 呂布には独特な勘でその違和感に気付いていた。

 

「何故です、彼奴達によって民は……」

 

「あいつ等じゃ無い」

 

 呂布はぼそっと言った。

 

「あいつ等はそんな目をしていない」

 

「そんな目?」

 

「賊は違う目をしている」

 

「どういうことです?」

 

「分からない。でも違う」

 

「……」

 

 陳宮は黙り込んだ。

 

 

 

 

「袁刺史様、敵を寝返らせる気ですね?」

 

「何故、それを……」

 

 郭図が袁紹に拝謁を求め、その一言目がそれであった。

 

「早馬が走って行くのが見えて、人に聞いた」

 

「まあ、その通りですが……」

 

 沮授からきた密書に書いてあった内容は敵を寝返らせる作戦であった。

 沮授が持つ独自の情報機関を用いて敵の中枢に進入した結果、賊の殆どはあちこちで黄巾の乱などで土地や家族を亡くし、後の無くなってしまった民衆が大半であった。

 そこでこの賊達には土地などを提供する代わりに銭湯に入ったときに寝返らせるように仕向けるといった内容である。

 この情報がどこかから漏れたらしい。郭図がやってきて袁紹を止めに入ったのだ。

 

「なりません! 袁刺史様、これは賊の計略。こちらに上手く仕掛けたと思わせて、こちらの部隊を包囲し殲滅するのが目的」

 

 郭図はいつになく真剣に言う。

 

「そもそも、配下に加わって間もない沮授がそのような手を使っている時点で怪しい」

 

「沮授は我が配下でも五本指に入る知恵者。たとえ郭図とはいえどそのような物言いは許しませんよ!」

 

「……」

 

 郭図は黙り込んだが、その表情は納得はしていなかった。

 

「公則殿」

 

 そこへ一人の男がやってきた。

 

「田中さん」

 

 それは田中であった。

 

「大丈夫ですよ、既に私の諜報機関もその補佐に入りました。今、事実確認や緊急時に備えて準備を行っております。万が一のことが起こっても対処できるようにはしてあります」

 

 田中は郭図を落ち着けるように言う。

 

「あなたも沮授の意見を信頼するの?」

 

「公則殿、沮授は味方ですよ。もし、失敗したら軍法に照らし合わせて裁けば良い。それにこれ以外に良い手が思い浮かびますか?」

 

「……」

 

「思い浮かばないなら試すしか手は無いでしょう?」

 

 そう言ってその場を田中は落ち着けた。

 

「袁刺史様、先ほど申し上げたとおり我が部隊を敵の中枢に忍び込ませました」

 

「今回の賊の裏に何があるのか、そして敵を上手く引き込むようにお願いしますわ」

 

「御意」

 

 田中はその場から足早に立ち去った。

 

「公則、後でゆっくり話しましょう」

 

 袁紹は郭図にそう告げて、その場を後にした。

 

 

 

「将軍、袁刺史様より使いが参っております」

 

 顔良達は河間郡に武垣に陣を敷いていた。

 

「通しなさい!」

 

 顔良はすぐに言って、使者を通した。

 

「顔将軍に主君よりご命令です。現在、敵に計略を仕掛けているとのこと。敵陣より合図が上がり次第、敵に襲撃を仕掛けよとのことです」

 

「敵の補給基地はどこにあるのですか?」

 

「鄚県です!」

 

 これは武垣のちょうど北側にある場所だ。

 

「分かりました! 公台殿をここへ」

 

「御意!」

 

 兵士はすぐに陳宮を顔良の元へ連れてくる。

 

「お呼びでしょうか?」

 

「公台殿、袁刺史様よりご命令で、敵への計略を仕掛け終えてから攻撃するようにと命令されました。敵の補給基地は鄚県です。何か策はありますか?」

 

「この地は見渡す限り平野が広がっており、見通しが良く奇襲は極めて難しいでしょう。ですので攻撃をするとしたら一瞬で近づいていき、一気に敵を殲滅するしかありません。ただ、これでは危険すぎるので近くに別働隊として敵の本隊近くに囮を設置し、敵を引きつけてから攻撃をするべきです」

 

「分かりました。では囮の武将は誰がよろしいでしょうか?」

 

「呂将軍がよろしいでしょう。彼女であれば兵を上手く使い敵の撃退にも期待が持てます」

 

「分かりました。呂将軍をここへ!」

 

 呂布が程なくそこへやってくる。

 

「呂将軍に五千の軽騎兵を与えます。敵の本隊を上手く引き釣りだし、補給基地を破壊しきるまで引きつけるようお願いします!」

 

「御意」

 

「兵の引き際などはお任せしますが、破壊までは持ちこたえてください」

 

「分かった」

 

「では各員、戦闘の準備を始めてください!」



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第五六話 呂布の蹂躙と敵の策

 お待たせいたしました。投稿が遅れて本当に申し訳ありません!
 最近忙しかったもので……。今週からは定期的に投稿できると思います。


「……突撃」

 

 呂布が小さく呟くとその合図を待っていた数千の騎馬兵が一気に敵陣目掛けて突撃を開始した。

 その様子はさながら巨大な龍に噛みつく虎のようである。

 

「敵襲、敵襲だ!」

 

 敵兵がそう叫び、敵陣はばたばたとしながら戦闘の準備を始める。

 しかし、敵は所詮、賊。戦いを生業としている兵士の中でもとりわけ勇猛で知られる呂布隊の騎馬兵に押っ取り刀で敵うはずも無い。

 為す術もなく、敵兵は蹂躙されていく。特に呂布の周辺は凄まじく、奉天画戟を一降りする度に数名の兵士が朱に染まって倒れていく。

 

「りょ、呂布だ~! 敵に呂布がいるぞ!」

 

 呂布の強さは有名らしく早くも一部の敵が戦意を損失し、逃亡を始める。

 しかし、何せ母体が大きいだけあり、いくら勇猛で知られる呂布隊とてそう簡単には敵を撃破はできない。

 

「敵の数は少ない! 恐れることは無く、迎撃態勢を取れ!」

 

 賊の指揮官らしき人間が周囲の兵士を叱咤している。

 呂布はそれを見つけ手に持っていた画戟から腰に着けていた弓を構える。矢をつがえてきりきりと弦を引き、狙いを定める。

 

 ひゅっ!

 

 風を切る音が聞こえ、狙った敵は叫ぶ間もなく、崩れ落ちる。

 

 これを境に敵の一部は完全に瓦解し、逃走兵が相次いでいく。

 それに見向きもせず、呂布は次の獲物を探る。

 すると逃げ出していく敵の中で一際目立つ部隊がある。人数は少ないもののその部隊は他の兵士が統率を失っていく中で、しっかりと守りを固め、呂布隊に対し、攻撃の準備を行っている部隊であった。中央には敵の将らしき人間がしきりに声を上げて指示を出していく。

 

(あいつ、強い!)

 

 呂布は持ち前の勘でそう感じとる。

 強いというのは武力では無い。武力で呂布に敵う者はそういないであろう。しかし、この人物にあるのは武力では無く、将としての統率力だ。これに関して言えば、おそらくこの広い大陸と言えど、五人といないはずだ。

 そう判断したのは配下の兵の動きだ。

 彼の言うとおりに動いており、彼に絶大な信頼を置いているのが分かる。さらにこの味方が崩壊していく中で迅速に態勢を整えるその指揮能力は呂布すら及ばないであろう。

 

「奉先殿、あの部隊は危険です! 攻撃せずに迂回しましょう!」

 

 陳宮はその部隊の動きの違いに気付き、すぐに危険であると判断した。

 

「分かった」

 

 呂布はすぐに馬のくつわの向きを変え、その部隊から離れるように進もうとする。

 

「呂布が奴だ! 攻撃始め!」

 

 しかし、その敵将はその行為を良しとせず、呂布の部隊へと向け矢を放ち始める。

 

 更に悪いことに、その部隊が落ち着いていることから周囲の部隊も落ち着きを取り戻し始め、呂布軍の包囲網を固め始めたのだ。

 

「公台先生、このままでは不味い」

 

 戦場の空気を読むのが敏感な呂布はその流れをすぐに察し陳宮に言った。

 

「ええ。ですが、こうなったのはあの部隊が原因。ですから奴等を撃破するし、敵の士気の低下を狙うしかありませんね。逃げ出すのはまだ早そうですし」

 

「分かった」

 

 呂布はすぐに行動を開始した。

 

 敵は少ない兵士で守りを中心に考えているのか方円の陣を組んでいる。

 そこで呂布は近くにいる旗を持つ兵士に指示を出し、鋒矢の陣を組ませた。

 ただでさえ、突破力のあるこの陣に呂布のような猛将とそれに率いられた精鋭が組み合わさればその破壊力はとてつもない物となる。

 

「来たぞ!」

 

 敵将はそう叫んでから何かの旗を振り回した。

 すると敵兵の数十人が一斉に弩の矢を放っていく。

 

 数名の兵士が落馬するもその程度の攻撃で止められるような呂布軍ではない。あっという間に距離を詰めていく。

 全くその勢いが衰えずにいるのに、妙に敵は落ち着いている。

 

「不味い! これは罠だ!」

 

 陳宮が叫んだ。

 呂布隊が突撃しているのは周囲がかなりの高さがある草むらの中を突っ走っている。しかもその草は乾ききっている。

 たき火の火種にするには最高の物であろう。

 

 

「未だ! 火矢を放て!」

 

 その将の周囲で何人もの兵士が一斉に立ち上がり、火矢を何百本も飛んでくる。

 

「足を止めるな!」

 

 呂布は鋭く叫んで、兵士達を叱咤する。

 その間に火矢は降り注ぎ、呂布隊の前方に落ち、周囲の草木に一斉に火を付けた。

 

「この場で止まればいずれ火で巻かれるか、敵に包囲されます! 真っ直ぐこのまま突破してください!」

 

 陳宮はそう叫んで、呂布に献策した。

 

「突撃」

 

 呂布は炎をものともせず、突っ込む。火の壁が極力薄く、弱い場所を狙って突破を図ったのだ。まだ燃え上がり始めたばかりの段階であるためにそれほど火の手も激しくは無かったのだ。

 部下達も何事も無いかのように突っ込んでいく。

 

 これには流石の敵も驚いたようで響めきが上がり、明らかに狼狽えている。

 

 その瞬間、合図の狼煙が上がった。

 顔良が敵の兵糧の攻撃に成功したのだ。

 

「目の前の敵を突破して退きましょう!」

 

 呂布に向かって陳宮は叫んだ。

 呂布は何も言わず、陳宮の言ったとおり敵陣を蹂躙すべく、突撃をしていく。

 敵兵は策が上手くいかなかったことから士気が一気に低下し、四散し始める。

 敵将は最早これまでと、覚悟を決めたかのように項垂れた。そして呂布軍は何事も無かったかのようにその場を蹂躙していった。

 そこにはかつての強大な敵兵の軍団は無く、燃えさかる草原と逃げ回る敵兵の姿しか無かった。

 



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第五七話 戦の事後処理

 190年7月上旬。暑さもそろそろ抜けるかという頃に鄴の袁紹の元へ一匹の早馬が走ってきた。

 

「袁刺史様! お味方、大勝利の報であります!」

 

 早馬に乗っていた伝令の兵が袁紹の謁見の間に入るなり叫んだ。

 周囲に控えていた文官武官皆が歓声の声を上げる。

 

「被害は?」

 

 しかし、袁紹はただ一人渋面を作りながら言った。

 

「呂将軍の部隊が大きな被害に遭ったようで、おそらくは兵力の六割を損失したものと思われます。また顔将軍の方は田殿と沮殿の計略が上手くいき、一割ほどの損失で済んだそうであります」

 

「呂将軍の部隊はかなりの小規模部隊。呂将軍単体で考えれば大きな被害ではありますが、軍全体で考えればそれほどの者ではありません」

 

 配下の文官が言った。

 

「馬鹿者!」

 

 しかし、袁紹はその言葉を怒鳴りつけた。

 

「呂将軍が率いていた部隊は我が軍の軽騎兵の中でも選りすぐりの精鋭! それがこれほどの被害を出すということは今後の戦闘に支障が出てくると何故分かりませんの!」

 

 袁紹の言うとおり、今回の戦闘においては精鋭のみを送り込んでいる。たとえ、その被害が小さいにしても貴重な戦力を失ったことには変わりなく、手放しには喜べないのだ。

 

「田中殿!」

 

「ここに」

 

 袁紹は田中を呼んだ。

 

「今回の戦闘においてあなたは情報を取り仕切っておりましたね」

 

「いかにも」

 

「何故これほどの被害が出たのです?」

 

「お答えいたします。間諜によれば呂将軍は囮部隊として敵の本隊がいる地に攻撃を仕掛けたようです。しかし、そこにいた勇将に火計を仕掛けられ、大損害に遭った物と思われます」

 

「なぜ、それほどの勇将の情報があなたの耳に入らなかったのですか?敵情を探るのがあなたの勤めでしょう!」

 

「申し訳ありません。報告を受けた勇将の存在は今回初めて認知された者で、無名の者だったことから完全に見落としておりました。今回の被害の責任は調べきれなかった私にあります」

 

「陳羣!」

 

「ここに」

 

「今回の田中殿のこの度の失態、いかようにすべきと考えます?」

 

「我が軍の精鋭を失ったことは極めて問題であります。しかし、田中殿は我が軍における間諜の基礎教育や訓練制度などの一定の成果は納めてきました。故に余り厳罰にするのは全軍の士気に影響するかと……。以上の点から現地位からの一定の降格が妥当と考えられます」

 

「分かりましたわ。田中殿、そなたは現任を解き、後任の副官を命じます。そこで情報扱い方などを学んできなさい!」

 

「御意」

 

 袁紹はそう言い放ち、田中の職を解いた。

 

「田中殿の代わりに郭図を据えます」

 

「その職をお受けいたします」

 

「続いて今回の功労者の俸禄に移りますわ。まず最大の功労者であった沮授、田豊両名には金一〇斤をそれぞれに与えます。そして顔良には金五斤を。陳公台と呂奉千には金一斤ずつ褒美を出しなさい」

 

「御意」

 

「では、後を頼みます。続いて将軍に関してなのですが、何でも捕らえた勇将がいるとか……」

 

 その質問に逢紀が答えた。

 

「ええ。呂将軍を追い詰めた凄まじい統率力の持ち主です」

 

 そう言って手を振り上げた。

 すると外側にいた兵士達が一人の人物を縄に繋いで連れてきた。

 立派な髭の生えた男で、体のあちこちに傷跡があり歴戦の兵士であることは分かる。兵士達が跪かせようとするが、全く地に着く気配が無い。

 

「構いませんわ。彼は我が軍の精鋭であった呂将軍の部隊を追い詰めた実力の持ち主。それ相応の待遇をせねば失礼に当たるでしょう」

 

 そう言って袁紹は自らその男に近づいていった。

 

「麗羽、危険だ! 離れろ!」

 

 思わず逢紀が叫ぶが袁紹に止める気配は無い。

 

「大丈夫です。彼に私を害そうとする気配はありませんわ」

 

「ほう。いつ儂が貴様に危害を加えないとでも言った?」

 

 その人物が初めて声を上げた。雷を思わせるような低い声ではあるが、怖さは不思議と感じられない。

 

「あなたの目が攻撃しようという目ではありませんでしたから。殺そうとするのであれば、もっと鋭い目つきになりますわ。あなたは最早抵抗を諦め、最期は何も言わずに散ろうとしているのでしょう?」

 

「ふんっ!」

 

 その男は図星であったのか、鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 

「刺史様、何をなさるのです!」

 

 近くの兵士が思わず声を上げた。

 彼女はその男を縛っていた縄を解き始めたのだ。

 

「この者に縄はあいませんわ。先ほど言ったでしょう。礼儀を失ってはならないと」

 

「しかし、それは降将です。抵抗されたらどうするのです!」

 

「大丈夫ですわ。私の信じなさい!」

 

 そう言っている内に袁紹は縄を解ききってしまった。

 

「何故私を信用できる」

 

 男は呟く。抵抗する気配はまるで感じられない。

 

「私は殺したくはありませんが、あなたが万が一にも処刑をされるのだとすれば、その時にこの縄はあなたにとっては不要な物である上、あなたの名誉を傷つけると思ったからですわ」

 

 袁紹のその言葉に思わず男はたじろぐ。

 

「貴様、私を従えるとでも?」

 

「ええ。あなたには我が配下になってもらえませんか?あなたは斬るには勿体ない人物でありますわ」

 

「ふむ……」

 

 しばらく考えた後に不意に男が動いた。

 周囲に控えていた武官達が一斉に剣に手をかける。しかし、男はそのまま手を前に差し出し臣下の礼を取って言った。

 

「我が名は麹義と申します。袁刺史様、私をあなたの剣として、そして盾としてどうぞお使いください」

 

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 

 そう言って麹義の手を優しく握りこんだ。




 もし何かご意見がございましたら遠慮無くご連絡ください。
 「この登場人物を出して欲しい!」などのご意見を取り入れるかは分かりませんが、「今までの展開でこう言った点がおかしい」ですとか「こう言った点が足りない」といった話し全体を通したご意見は大変助かり、私自身もこういった意見に関しては注意をしながら話の構成を行っております。また、以前書いてあった内容でも改良が出来ていないと感じた場合は遠慮無く指摘していただいて構いません。
 「袁紹を活躍させてみようぜ!」をより良いものとするためにご協力お願いいたします。


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第五八話 地道な情報収集

 田豊や沮授は戦が終わり次第、寝返った人間の処遇を決めていた。

 寝返った人間はまだ開拓されていない土地で農民をやるか兵士になるかを選ばせ、国力の増強に努めた。また、寝返らずに無抵抗で捕虜となった人間にはしばらくの間兵士の監視の下で治水工事などの工事関連の危険な仕事を行わせることにして、自由はないものの生きていく上では困らない程度の処遇を与えた。

 しかし、村などでの略奪などに参加した者は理由のいかんに問わず、見せしめとして首を切り領内を犯す者には厳罰が下るという見せしめにした。

 

「それにしてもこれほどの暴動が起きると言うことは何かしら裏で糸を引いた者がおりますね」

 

 田豊は手元の書簡を見ながら、沮授に言った。

 彼女が見ている書簡は捕虜になった人間を取り調べた際に書き取った文章である。

 

「ここにも今回の暴動における上層部が誰かしらと会っていたという情報がありますからね」

 

「それならば既に特定は済んでおりますよ~」

 

 沮授はさも当然と言わんばかりに言った。

 

「何ですと! では、誰なのです?」

 

「曹操、そしてその背後にいる袁術ですよ」

 

「やはりですか……」

 

「またそれを我が軍内部で手引きしたのが韓馥と思われております」

 

「おっと、元我が主がそんなことを……」

 

「敵の陣の跡からそれらを示す多くの書簡が発見されました~。馬鹿ですね、敵も~」

 

 いくら慌てていたとはいえ、そういった機密書類を隠しておかなかったことに嘲笑する。

 

「それは余りにも無防備すぎます。これは何者かによる策略なのでは?」

 

「そうも考えましたが、その可能性は低いでしょう~。まず、真っ先に疑われている曹操や袁術は無いでしょう。何せ策略の意味が無い。そして北の劉鄢、これは否定は出来ませんが天子に基本的に従順であり~、我々の側にいる天子にたてつくような真似はしないでしょうし~、賊を使うような邪道な手は使わないでしょう~。公孫瓉はすること自体が不可能。他の諸侯は距離や資金、利点などの問題から行う可能性は低い~。以上のことから計略とは判定できないでしょうね~」

 

 沮授は理路整然と述べた。

 

「そうですか……」

 

 田豊は頷くが心中納得が出来ずにいた。

 

(本当に計略では無いのだろうか……。余りに雑すぎるような気がするが)

 

 

 

 

「全く、なんで私の立場とあなたの立場が逆転しているの……」

 

 半分ほど呆れかえりながら、賈詡は田中に言った。現在、賈詡が田中の立場に格上げされ、逆に田中が賈詡の地位に格下げをされたのだ。

 

「まあ、あの場では仕方が無いでしょう。かなり大きな被害を出した以上、信賞必罰が必須な軍である以上は誰かを罰しなければならない。しかし、あの状況ではまだ罰するのであれば、一番はその場に出ていた軍師である公台殿を罰する必要があった。だが、彼女は貴重な人材でそう簡単に降格させ、別の諸侯に執られるわけにはいかない。彼女を罰しないのであれば、誰を罰するのが適任か。大きな組織を保つことに長けておられる我が主はそう判断していったのでしょう」

 

 田中は苦笑しながら言った。

 袁紹はあの降格人事の発表の後、こっそりと田中を尋ねそう詫びを入れにきたのだ。

 

「終わってしまったことですし、別にどうでも良いけどね。所で今回起きた賊の蜂起は袁術陣営による計略だという噂があるようで。しかもその手先として動いていたのが韓馥だとか」

 

「確かにそれらの類の書簡は山ほど見つかっておりますが、証拠が無いのですよ」

 

「どういう意味?」

 

「その書簡が本当に彼らが袁術派と連絡を取り合っていた証拠だと断定は出来ません。まず韓馥の話ではありますがずっと間諜の見張りを付けてはおりますが、特にそういった報告は受けてはおりませぬ。さらに言えば各地に潜ませている間諜からもめぼしい報告は上がってきてはいない。と言うことは奴等が仕組んだ可能性とは言い切れません」

 

「では、誰が仕組んだというの?」

 

「今、それを探らせております。沮南皮太守からは気にせずとも良いとは言われてはいるのですが、こうしたことを放っておくと後々に響きますから」

 

「確かにね。でもこれを仕組んだとすればかなり頭の切れる奴よ。策はあるの?」

 

「もちろんですとも。私の本領を発揮する機が到来したというものです」

 

 田中はにやりと口元に不敵な笑みを浮かべ言った。

 

「ただ、この調査は大変時間と手間が掛かるので、賈文和殿にも協力して頂きます」

 

「え、何をするつもり?」

 

 賈詡の脳裏に浮かんでいるのは当然ながら何人かに計略を張って情報を吐かせたり、奪ったりする方法だ。

 

 しかし、田中がいた部署は人権問題や憲法の問題でやれることにかなりの制限がある情報収集の場だ。賈詡の考えるような決して手荒なまねはしない。

 

「もう少しで分かりますよ」

 

 田中はそう言って別の書簡に目を通し始めた。

 賈詡は何となく田中の雰囲気から悪寒を感じ始めていた。

 

 

 数日後、賈詡は田中が準備が出来たというので外の演習場に来ていた。

 そもそも情報を集めるはずなのに野外演習場に来ること自体が妙だ。そんな疑問を吹き飛ばす光景がそこには広がっていた。

 

 演習場のあちこちに様々な剣や防具と言ったものが並んでいる。

 そして真ん中には一つの防具と剣が並んでおり、その周囲には田中以外にも武具や防具の職人から果ては鉄専門に取り扱うの職人や商人までが集められていた。

 その中心で田中は言った。

 

「この防具や武具と同じ材質、同じ工法で作られたと考えられる物をこの中から探し当ててください。極力正確にお願いします!」



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第五九話 仲間の敵

「一体今、何をやっているのですか?」

 

 賈詡は呆けたように言った。田中に策があると言ったがために何かしらとんでもない策を期待していたのに蓋を開けてみれば、ただの物探しという衝撃的な策に半分呆れ、半分驚きの感情が入り交じっていたのだ。

 

 

「何って、この武具がどこの物かを調べているのですよ」

 

 しれっと答える田中の表情はさも当然と言わんばかりだ。

 

「策ってまさか、これのことだったの!」

 

「ええ。もちろん。むしろこれ以外に何を考えていると思われたのですか?」

 

「当然、敵に何かを仕組むなり何なりと手はあるでしょう!」

 

 賈詡がついにキレた。この行為が余りにもばからしい行為に見えて仕方が無いのだ。

 

「何なりって何を言っているのですか? これは一番敵を見分ける上で確実かつ早い方法ですよ」

 

「何故! こんなのただ武器を見ているに過ぎないじゃ無い!」

 

「武器を見ているだけですと」

 

 田中は若干眉をつり上げた。

 

「この武器が何を示すのかお気づきにならないのですか?」

 

「当然でしょう! むしろ何が分かるの!」

 

「武具はその産地特有の特徴を持っています。またそれらに使われた鉄もまたしかりです。これからどこで作られた物なのかを割り出し、その地域で最近何か大きな商売相手がいなかったかを探して、敵を探るのです。敵は当然直接探りに来ると思って身構えているはず。ですから敢えて直接行かずに間接的に探しに行くのですよ」

 

 田中が言っているのは現代の警察などが行う調査に近い。

 実際、情報戦というのは策を練って空いてから引き出すことや敵の本拠地に忍び込んで得るといった派手な方法よりもこうした手元にある情報から地道に探していく地道な方法の方が多い。

 

「でもそれだけでは分からないでしょう!」

 

「ええ。もちろん。ですからこれ以外にも馬や賊の使っていたありとあらゆる道具の産出場所などを洗いざらいに調べていてそれらを複合的に判断して敵を特定します」

 

「賊が使っていたのがばらばらだとしたら?」

 

「それはありません。既に腕の良い職人数人に鑑定をお願いしましたが、皆が賊の使っていた防具の大半に共通の特徴があると言っていました」

 

「……」

 

 賈詡はその田中の地道な作業に若干呆れたものの、手堅く確実な探り方には素直に驚嘆していた。

 

(ただ、トチ狂ってやった行為かと思ったけど、中々に考えられている。この男、思った以上にやるわね)

 

 賈詡が田中を見る目が少し変わっていくことに気付く者はいなかった。

 

 

 

 その夜、一筋の星が天をよぎった。その明るさは各地を真昼の如く照らしだし、各地の人々は貴賤上下の差別なく誰もが恐れおののいた。その星は大陸のある地点に落下する。

 それは黄巾の乱や反董卓連合で活躍した劉備の統治下にあった東郡の地であった。

 その流れ星はやがて中華全土を揺るがす存在になることはまだ誰も知らない。

 

 

 

 二日後、ようやく全ての情報をまとめ上げ田中は賈詡の元へとやってきた。

 

「結果が出ました」

 

「どうだったの?」

 

「まず、武具の原料となる鉄などが作られたのが幽州にある漁陽郡であることが分かりました」

 

「え、漁陽郡と言えば公孫瓉統治下の地域じゃないの!」

 

「ええ。既にその地の調査へ赴かして調査中であります。ですが、漁陽郡は鉄が取れる地としては有名な土地。彼の地から別の地へと移動してから加工した可能性もあり得ます。なお、武具の生産地に関してはただいま特定中でありまして、近いうちに分かるものと思われます。また他の物品に関しましてもやはり幽州が原産のものが多い事が分かりました。ただし、そのどれもが幽州原産とは言えど中華全土で取引されている物であり、公孫瓉が原因と断定できない上、可能性は低い状況です」

 

「まあ、当然ね。公孫瓉にとっては前回の戦闘の被害から全く立ち直れていないのに、現在の状況で我々に反抗する利点があまり無いもの。と考えれば、怪しいのは袁術陣営のどこか、劉虞、黒山賊。代表的な所でそんなあたりかしら」

 

「周囲は敵だらけでありますね」

 

 苦笑交じりに田中は言う。

 

「何せ我が陣営はおそらくこの中華においては最強の存在。敵も周囲を囲って叩くしか方法は無いのでしょう」

 

 賈詡がそう言って田中に聞く。

 

「さて、この戦乱の時代に際して、最も力のある袁刺史は何か手を打とうとしないのかしら。そうね、例えば天子に上奏文をしたためて、各地の諸侯に勅令を出してしまえば多くの流血無く戦乱の世は静まるのでは?」

 

「さあ、私には分かりかねますな。袁刺史様は我らが主、そう簡単に胸の内を開くような口の軽いお方ではありませんので。ですが、袁刺史様の願いは民の安寧。それには変わらないでしょう」

 

 田中は賈詡の問いを躱し、逆に聞いた。

 

「しかし、董相国殿こそ、あれほどの軍勢を持ちながら別の地にて旗揚げなり何なりをやらない理由は何なのです? あれほどであれば十分、一大勢力を築ける上、武官、文官は優秀な人が多く、それこそ貴殿が言う流血を伴わない善政を敷くには十分な体制なのでは?」

 

「かつて袁刺史にお助け頂いた身。董相国は袁刺史にそのような感謝の思いを絶えず抱いており、袁刺史の傘下として全てを捧げる覚悟だそうよ」

 

 賈詡はそう返すとそれ以上は話そうとせず、用があるとその場から立ち去った。

 

「そうですか、ですが私は決して信用はしたりはしませぬよ。たとえ我が陣営の誰もがあなたたちを認めようとも……」

 

 田中にはある考えを抱いていた。それはいずれ董卓が袁紹の最強の敵となり得る可能性があることだ。

 先ほどは言わなかったが今回の賊の騒動に関与していた人物達の中に董卓達も入っている。袁紹達が消えて喜ぶ者は何も袁術や曹操達だけでは無い。

 恐らく一番得するのは董卓であろう。袁紹が消えたとすると大した被害を出さずに肥沃で人材も豊富なこの冀州の地を手に入れることが出来る。

 袁紹達の身の中に潜む蛇と言った表現が董卓を示す一番合っている表現であろう。

 もちろんこちらが警戒していることがバレれば、面倒なことになる。そこで機密情報を取り扱うような重要な地位に賈詡のような董卓側の人間を当てることで、敢えて董卓達の目を眩ます狙いがある。

 

 しかし、董卓達も先ほどの質問から分かるように油断しきっているわけでは無い。恐らく先ほどの田中への問いは一見は普通の政治の質問に見えるが、あの真意は天子を利用する気があるかないかの確認であった。彼らもあたこちらを信用しきっているわけでは無い。田中はそれに気付き、曖昧にして返答をしたのだ。

 これを完全に否定をすると袁紹はこの戦乱の世において何の手も打とうとしないうつけという評価を受けてしまう。

 明らかに先ほどの質問には田中達袁紹陣営の人間を試す意味が込められていた。

 

(賈詡か、曹操を追い詰めた謀臣に気を許すことはできないな)

 

 190年7月中旬。袁紹は一大勢力になっているとは言えどその力は未だ確固たるものではない。



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第六〇話 昇格の裏

「のう、月よ。袁紹は一体何を考えておるのじゃ?」

 

 漢帝国第一三代皇帝劉弁の弟に当たる劉協は董卓に問いかけた。

 

「袁冀州刺史は現在、統治に全身全霊を掛け打ち込んでおり、その功績たるものは他の者の比ではございません」

 

「それは分かっておる。ただ儂にはよう分からんのだ。袁紹がもし皇帝陛下に上奏なされ、天下に争いを止めるよう各諸公に命じれば世の趨勢は決まったも同然。しかし、袁紹はこれを一向にしようとはしない。何故だ?」

 

 主に政務を執り行っているのは皇帝の劉弁よりこの劉協であろう。劉弁は元々政治にはあまり興味が無く、時たまとても漢の皇帝にはあるまじき行動も取っていた。これらの問題から劉弁を廃位し、弟の劉協を皇帝に使用という動きもあったが、劉協はこの提案に断固拒否を示し立ち消えとなった。しかし、実質的な政務は劉協が行っており、皇帝といっても過言ではないほどの権力は持っていた。

 

「それは私も見れば分かるでしょう。陛下を立てようとして動けば周囲の諸公には漢室利用した逆賊呼ばわりされ攻められます。袁刺史は大変慎重なお方です。おそらくはこれを恐れて動けないでいるのでしょう」

 

「袁紹の兵力は強大だ。そなたも袁紹の同盟軍のはず。これだけの兵力を有しているのは漢でもいないであろう。何を恐れる?」

 

「民でございます、陛下」

 

「民か」

 

「漢の民達は数多くの戦乱に逃げ惑い、現状に多くの不安と不満を持っております。そのような状況に逆賊の話が出れば民はどう考えるか……。言うまでも無いでしょう」

 

「ならば、私に考えがある。月、協力をしてもらえぬか?」

 

「何なりと」

 

 

 

 

 時は190年八月上旬。

 

「袁刺史様、皇帝陛下より勅使にございます!」

 

 袁紹の元に転がり込むように駆け込んできたのは逢紀であった。

 

「何ですって! すぐ向かいますわ!」

 

 袁紹は今まで行っていた政務を投げだし、身支度を調え始めた。

 

 袁紹が謁見の間にたどり着く頃には袁紹の主立った配下は殆どが到着しており、勅使を迎える準備は済んでいた。

 

「袁刺史様のご到着です!」

 

 衛兵がそう叫び、臣下達は一斉に礼を取る。

 

「すぐに勅使を!」

 

 袁紹はその礼を軽く受けて、すぐに衛兵に告げた。

 

「天子の勅使である驃騎将軍朱儁が入られます!」

 

 その声と共に初老の男が一人入ってきた。皇帝の臣下であることを示す黒い着物に身を包み、脇には皇帝からの勅書とみられる布を持った人が控えている。

 

「皇帝陛下からの勅命である!」

 

 男が高らかにそう告げると袁紹は椅子から立ち上がり臣下の礼を取って続きを待つ。

 

「冀州刺史袁紹を冀州牧に任じ、同時に大将軍として各地の戦乱を収拾、世の混乱を鎮圧せよ」

 

「その任、謹んで務めさせて頂きます」

 

 袁紹は下を向いたまま勅使である男から布を受け取る。

 

「では、私はこれで……」

 

 そう言って勅使は部屋から出て行った。

 

「随分と慌ただしい勅使でしたね」

 

 許攸が言った。

 

「それはそうであろう。彼は立場こそ驃騎将軍であるが、その任は皇帝の護衛や政務、皇帝の相談役など多岐にわたる。彼は皇甫嵩と並び、朝廷の重鎮だ。ほとんど暇な時間は無い」

 

「何故そんな重鎮が袁刺史、いや州牧の元へ?」

 

「おそらくは朝廷の意志だろう。今、朝廷はほぼ力を失っている。だからそれに変わる軍事力を持つ誰かを必要としている。その点、袁州牧は朝廷に従順である上、漢内でも有数の力の持ち主だ。それだけ重要視していると言うことだろう」

 

 逢紀は許攸の問いに答えていく。

 

「朝廷が睨んでいるのは黄河より南にある諸侯達だ」

 

 郭図がそこへ入ってきた。

 

「おそらくは我が君の権力を強めることで、他の諸侯も静かに従うと考えたのであろう」

 

「だが、こんな考えを天子がお持ちの可能性は低いであろう。何せ、あのお方は政治に余り興味をお持ちでない。おそらく考えたのは皇弟殿下の劉協殿下だ。そしてその背後にいるのは」

 

「董卓だ」

 

 郭図がぼそりと呟く。

 

「相国が! 何故!」

 

 許攸の大きな声に思わず逢紀が口を塞ぐ。

 

「馬鹿! 声が大きい」

 

 逢紀が周囲を見渡すも皆、袁紹に賛辞を述べており、気付いた者はいない。

 

「これ以上の話はここでは不味い。場所を変えよう」

 

 逢紀達は場所を変え、官庁内にある庭園に移動した。

 

「我が君は大将軍となられた。もしこの情報が諸侯の耳に届いたとき、諸侯はどう考える?」

 

「無論、我が君が天下を手中に納めんと朝廷に圧力を掛け地位を奪い取ったと考えるであろうな」

 

「その通り。そして各地の諸侯は反袁紹の狼煙を上げ、一斉に決起することは目に見えておる。それは水が高所から低所に流れ込むかの如く漢全土に余すこと無く広がり、かつての董卓の二の舞だ」

 

 郭図は続ける。

 

「さらに言えば、状況はより悪い。かつての董卓達は守りやすい地にある洛陽に立てこもっていたのに対し、こちらは何も遮る設備が無い平野にある鄴だ。十万以上の軍勢が攻め上がれば、戦いは目に見えている」

 

「しかし、我々が危機に陥れば危険になるのは何も我々ばかりではないでしょう。董卓達も危険な目になるはずだわ」

 

 許攸の反論に逢紀が首を振った。

 

「いや、奴等は大丈夫だ。何せ今は力が無い。だから我々に良いように使われていたと何でも言えば逃げられる。特に強いのは後ろ盾に劉協殿下がいらっしゃることだ。奴等は逃げられるであろう」

 

「つまり、この任命は……」

 

「体の良い囮ということだ。おそらく劉協殿下は民を救うために我々の権力を強め、天下に号令を掛ければ争いも無くなるとこの案を考えついたのであろうが、状況が悪すぎる。むしろ争いは増えるであろうな。そして董卓はこのことを分かった上で案を進めたはずだ。何せ、最近の董卓は劉協殿下に付きっきりであるからな。相談を受けないはずは無いし、彼女が自分の謀臣である賈詡にこれを相談しないはずが無い。賈詡ほどの人間であれば董卓にことの利益不利益を説明しているはずだ」

 

「うん」

 

 郭図と逢紀は頷く。許攸はその由々しき事態に頭を抱えざるを得なかった。




 もし何かご意見がございましたら遠慮無くご連絡ください。
 「この登場人物を出して欲しい!」などのご意見を取り入れるかは分かりませんが、「今までの展開でこう言った点がおかしい」ですとか「こう言った点が足りない」といった話し全体を通したご意見は大変助かり、私自身もこういった意見に関しては注意をしながら話の構成を行っております。また、以前書いてあった内容でも改良が出来ていないと感じた場合は遠慮無く指摘していただいて構いません。
 「袁紹を活躍させてみようぜ!」をより良いものとするためにご協力お願いいたします。


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第六一話 酒の席

お待たせいたしました! 久々の新話です!


「敵を突き止めました」

 

 田中は諜報員からの報告を聞いた。

 

「誰だ?」

 

「黒山賊です」

 

「分かった。しかし、敵は手口から分かるように賢い。くれぐれもバレぬように監視をせよ」

 

「御意」

 

 諜報員は部屋から出て行った。

 

 田中がいる情報部の部屋の壁際には今までに分かっている情報を全て記載された書簡と壁一面を埋めるほどの大きな地図がある。

 その地図を見ながら田中は考え出した。

 

(敵はなかなかの勢力だ。丸ごと飲み込めれば良いが厳しいであろう)

 

 黒山賊といえば後漢でも有名な集団で盗賊などを吸収し、大きくなった組織であった。その大きさについに漢王朝の軍隊すら破れることによって討伐を諦め、官位を与えることで敵対を諦めたという存在である。総数は百万を超えるとも言われており、とても正面から戦っても勝ち目は無い。

 

(確か、史実においては呂布を戦わせることで勝ったらしいが、呂布ばかりに頼っているのは不味い)

 

 田中の頭の中にあるのは呂布の背後にいる董卓の存在だ。呂布にばかり頼っていては呂布ばかりが強くなる。つまりは董卓の力が強まることにもなるということだ。そうなれば、いずれ敵対したときに大変なことになる。

 

(できればこの場は……)

 

「我が君配下の武将の誰かに任せたいな」

 

(しかし、これがつとまるのは生半可な実力では無い人物)

 

「つまりは文醜、顔良、張郃、麹義、趙雲のいずれかであろう」

 

(これに優秀な軍師を……)

 

「っていつからいたんですか!」

 

 気付けば田中の横に立っていたのは趙雲であった。

 

「いや、先ほど私は言いましたぞ、失礼するぞと」

 

「そのような言葉は聞いた記憶がありませんし、いつ誰が許可をしたというのですか!」

 

「いえ、あなたは返事をしましたぞ。心の中で……」

 

「それを通称、人は妄想というのです! というかこの部署は仮にも立ち入りが厳禁な場所なのですから、勝手に入れないはずなのですが」

 

「いや、見張りの兵士に聞いたら良い笑顔でどうぞと言われましたぞ」

 

 田中は見張りに付いている兵士をいずれ殴る覚悟を決めて、趙雲に尋ねる。

 

「それにしてもよく私の心が読めましたね」

 

「声に出とりましたからな、その言葉に続きそうなものを予測しただけのこと。造作もありますまい」

 

 いくら声に出ていたとはいえど次の文面を考えるというのはなかなか難しいものあり、趙雲の能力の高さがうかがい知れるが、そんなことを気にかけている場合ではない。

 

「え、声に! 本当ですか?」

 

「然り」

 

 趙雲は言う。

 

「気をつけます」

 

「精進なされよ」

 

 立場がおかしいと思いつつも田中はその場を流した。

 

「ところでどうしたのですか? 何か用事があったから来られたのでしょう?」

 

「そうそう。忘れるところだった」

 

 趙雲はそう言って、田中に告げた。

 

「久々に一杯やりにいきませんかな?」

 

 美女の酒のお誘いだ。田中の答えは一つしかなかった。

 

 

 

 

「それで私が呼ばれたと……」

 

 審配は完全にあきれ顔で趙雲と酒を飲んでいる。

 

「田中殿はなんと失礼なのだ! これほどの絶世の美女がお酌すると言っても『私には仕事がありますので』とか言って部屋にこもってしまわれた」

 

「あの方は仕事に関しては一切の手抜きをしないお方ですからね。特に最近、情報不足でお叱りを受けたばかりですし」

 

「そうとはいえど……。我が君の配下はお堅い人ばかりだ。私が酒に誘っても乗ってくれたのはお主ぐらいだぞ」

 

「確かに。それは感じますね。まあ、お堅いというよりは他人に干渉されたくない人物が多いといったほうが的確かもしれませんがね」

 

「だから纏まりに欠けているのだ。仲間同士で交流がないから、それぞれが別の方向に行ってしまう。今は力が強いからいいが、いずれこの問題が致命的な状況になりかねませんぞ」

 

「それを解決しようと田中殿も奮闘しているみたいですよ」

 

「む、彼が?」

 

「最近は家に帰られてからもその問題に関して時折意見を求められます」

 

「家に? つまり貴殿は同じ屋根の元で暮らしていると言うことか?」

 

「ええ。私が頼み込んで田中殿に認めてもらいました」

 

「ふむふむ。ということは……」

 

 にやにやしながら趙雲は審配に聞いた。

 

「もう夫婦のような関係になっているのですかな?」

 

「そ、それは……」

 

 趙雲の言葉に顔を真っ赤にしながら審配はしどろもどろになる。

 

「まだ……です」

 

「ほ~う。ちなみに狙ってらしたりは?」

 

「まあ、それは……察してください」

 

「ほほ~う! これは良いことを聞きましたな!」

 

 趙雲は笑いながらつまみに頼んでいたメンマを食べる。

 

「そういう子龍さんはどうなんですか?」

 

「私ですかな? それはどうでしょうな~?」

 

 にやにやしながら答える。

 

「田中殿は優しいですし、顔もなかなか好みではあります。何よりもうまいメンマの店を探してくれた点も好印象ですな~」

 

「ま、まさか狙っているの!」

 

「ご想像にお任せしましょう」

 

「それはだめです! あの人は私の……!」

 

「私の?」

 

「私の……」

 

 そこまで言って完全に停止してしまった審配。おそらくはどうやってこの場を逃れようかと必死に考えているようだが、さしもの審配の高い能力を持ってしても厳しい。言わば援軍が一切来ない籠城戦で食糧も尽きてしまった守備軍に等しい状況であった。

 

「まあ、これ以上の詮索はかわいそうですから無しにしておきましょう。面白い話も聞けましたしな」

 

 趙雲は戦上手と言うこともあり、こういった場面の引き際もわきまえいている。

 

「そういえば、今思い出しましたが……」

 

 趙雲はあごに手を当てながら言った。

 

「元皓殿も狙っているらしいですぞ」

 

 退く際にとんでもない攻撃を仕掛けてはするが。

 

 



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第六二話 黒山賊討伐

 袁紹が大将軍に任じられたことにより、天下の趨勢は袁紹に大きく傾き始めた。

 まずはじめに、袁紹の北方にいた劉虞は袁紹に対し、祝いの書簡を出し正式に朝廷の意思に従うことを宣言した。元々この人物は徳が高い人物として有名であり大司馬の地位にある。その人物が袁紹が(実質的に)匿っている劉弁にひざまずいた上、袁紹に祝いの書簡を出したのであるから世の諸侯は大騒ぎとなり、中には早々と袁紹と手を組もうとする人間まで現れ始めていた。

 ただ袁紹もそれで北方から完全に気を抜いたわけではいない。北方にはまだ異民族、そして先の事件の黒幕の黒山賊がいる。

 その対処のために袁紹配下の人間は動き出していた。

 190年8月下旬。袁紹が乱世を平定する能臣となるのであろうか。

 

 

「現在、黒山賊は兵力100万いると豪語しております。しかし、それは誇張されたものでしょう。我が部下が調べた数値によりますと兵力はおよそ10万から20万と推定されます」

 

 賈詡が袁紹配下の前で話す。皆は一様に賈詡の指さす地図を見ている。

 

「その数値は一体どのように試算した?」

 

 郭図が訪ねる。

 

「黒山賊の活動地域における農地の面積、戸籍の数。また出入りの人数や商人らの証言。輸入している馬の数など様々な数値を調べた上で予測値を出しました」

 

「ほう。これまた変わった出し方をする」

 

 郭図が呟く。

 

「これは私が出したのではなく田中が出しました」

 

「田中が……」

 

 郭図は意外そうに言って少しの間考え込む様子を見せたが、特に気にすることもなく賈詡は報告を続ける。

 

「現在、黒山賊内には密偵を潜ませており、命令によってはすぐにでも動き出せる体制を整えております」

 

「分かりましたわ。現段階では待機を命じておいてください。ご苦労様でした」

 

 袁紹はそう言って賈詡をねぎらう。

 

「さて、話し合いたいのは今後の我々の動きをどうするかです」

 

「道は二つあります」

 

 そう言って話し出したのは逢起だ。

 

「一つは黒山賊を討伐、もしくは懐柔し後方の安全を図り、袁術らとの戦に備える。もう一つは、乱れた国内を落ち着かせ、国力を蓄える方法。いずれかがございますが、どちらにも欠点がございます。後者は当然ながら西方の問題を放っておくために袁術らと組まれると面倒なことになります。前者に関してはその心配はございませんが、下手に兵力を損失すると袁術らに攻め込まれたときに対処ができません」

 

 逢起は利点欠点をうまく説明する。

 

「手は他にもございますが、あまり得策とは言えないものばかりでしょう」

 

「その点に関しましては我々も賛成いたします」

 

「同じく」

 

 これには郭図や許攸らも賛成した。

 

「正直なところ、戦続きで民は疲弊しておりますわ。あまりこれ以上戦闘を起こしたくないのが本音ですわ。ですけど、黒山賊を討伐しなくては今後、第二第三の被害者が出てくるかもしれませんわ。そのためにも奴らを討伐しましょう」

 

「御意。それではそのように全軍に指示を出しましょう」

 

「では討伐軍の先鋒を麹義。中軍に趙子龍、後軍に文醜。大将に文醜。軍師に逢起、長史に審配を命じます。我が軍の偉大さを敵に見せつけてきなさい!」

 

「「「御意!」」」

 

 袁紹はそう言って近くにいた逢紀に言った。

 

「後は頼みます」

 

 そう言って袁紹は自分の執務室へと引き返していった。

 その軍議の場に田中の姿は確認できなかった。

 

 

 

 

 それから数日たったの八月の終わり。完全に麦の刈り入れも終わり、糧食の準備も整った袁紹は三軍に出撃を命じた。

 総数は5万ほどの兵力。 

 ここでおそらく読者の皆様方は不思議に思うのではないであろうか。先ほど黒山賊の兵力は10万から20万ほどと言っているのにこれだけの兵力で大丈夫なのであろうかと。

 しかし、ここにはある策略が仕組まれていたのである。

 

 

 

 

「袁紹軍がこちらへ向けて進軍を始めただと!」

 

 黒山賊の頭領である張燕は思わず頭を抱え込んだ。

 現在、黒山賊は厳しい立ち位置にある。最盛期には百万を呼称していた黒山賊であるが、黄巾党の乱や相次ぐ干ばつや蝗害により勢力は衰退を繰り返していき、現在は十万ほど。しかもそのうち実質的な戦力になるのは五万ほどである。

 官軍を討伐できたのは敵の士気、練度が共にきわめて低く、時たま異民族などと戦闘を行う黒山賊にしてみればただのカモでしかなかったからだ。

 しかし、今回は違う。歴戦の公孫瓉軍を破り、厚い包囲網の中から董卓軍や皇帝を救い出すほどの実力を持った部隊だ。前回のように簡単に勝てる相手ではない。

 

 ましてや、黒山賊の周囲にはもはや味方は存在せず北の公孫瓉は袁紹に破れ、劉虞は戦わずして袁紹の元へ下り(外から見た感覚として)、周囲は敵だらけであった。

 その状況で袁紹軍が攻め込んでくる。

 最悪の状況としか考えられなかった。

 

「戦いましょう! 座して死すより戦って死にましょう!」

 

 副官がそう告げてくる。この男は長い間、一緒にいた者だ。自分の半身と言っても過言ではにほど信頼して頼りにもしている。

 

「……」

 

 張燕は黙り込んでしまう。たとえこの場は勝てたとしてもこちらは大きな被害が出る。敵にはまだ余力があり、次攻め込まれたら防ぐのは無理であろう。

 そのような無駄死にに近い行為を部下にやれとはとても言えなかった。

 

 悩む張燕の元へ一人の衛兵が近づいてくる。

 

「報告します! 袁紹の使者を名乗る者が頭領への面会を求めています!」

 

 張燕は思わず副官と顔を見合わせた。

 

(こんな時期に使者とはどういうことだ?)

 

 張燕はひとまずその使者に会ってみることにした。



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第六三話 袁紹からの使い

 部屋に入ってきたのは中背中肉の男だ。

 

「袁紹の使者だと……。今更何のようだ?」

 

 張燕は焦りを使者に悟られないようにゆっくりとした声で尋ねる。

 

「私の名は田中。袁大将軍配下の者だ」

 

 張燕は聞いたことがない名に一瞬、戸惑うが、すぐに思考を元に戻す。

 

「で、田中と言ったな。もう一度聞こう、用件は何だ?答えないなら、この場で肉塊になってもらうが……」

 

「他でもない。無駄な血を流す必要はない。降参しろ」

 

「何だと?」

 

 ある程度予測できていた言葉に張燕は落ち着きを払ったまま、聞き返す。

 

「袁大将軍は人が傷付くことを大変嘆いておられる。このたびの出兵もかなり躊躇っておられたほどだ」

 

「降伏だと! なめたことを言うでない! 私は百万の黒山賊の頭領、張燕だ! 死んでも降参などはせん!」

 

「未だにそのような妄想にしがみつくか、張頭領。既に百万の勢力がないことなど分かっておる。降伏しても貴殿や部下達の命、名誉共に保証しよう。例外は以前、我が領地をおそった者達のみだ。それ以外の者に危害を加えるつもりはない」

 

「貴様らの軍勢など恐ろしくもない。百万は確かにいないが、あの程度の兵力など一万いれば十分だ! 来るたびに返り討ちにしてくれる」

 

 張燕は決して弱みを見せようとしない。

 百万がいないことは、ほとんどの人間が知っていることだ。その程度の情報がバレたくらいでは問題にならない。

 

 田中と名乗った男は静かにその部屋を歩いて、近くの窓を見た。

 

「ふむ。実に景色だ」

 

 張燕が籠もっているのは晋陽だ。この町は北、東、西の三方向が山で囲まれており回り込んで後方から突くことがしづらい地形となっている。無論、山の頂上を占拠すれば良いのだが、そこには当然堅牢な陣営が築いてあり容易には落とせない。

 言わばここら一帯が巨大な要塞となっているのだ。

 そうした要塞だが、自然が豊かな土地であり、河が市街を流れ、その光景は歌にでも出てきそうなほど美しいものである。

 

「これほど美しい景色が火に包まれることになるやもしれないとは嘆かわしいことだ」

 

「何を言っている? おまえらの地からこちらを攻撃しようとすればこの山を越えるしかない。しかし、そこには数多くの陣が築いてあり、ここにたどり着くまもなく撃破されるであろう。この地が火に包まれることなどない!」

 

「いや、間違いなくあるな。そもそも一体、誰が貴殿らを攻めるのが私たちだと言ったんだ?」

 

「何?」

 

 その瞬間、一人の二人間が部屋に駆け込んできた。

 

「報告します! 異民族の軍が山を越え、我が方に攻め入ってきました! その数はおおよそ十万ほど!」

 

 本来であればこうした場で報告すべきではないと叱咤すべきなのであろうが、あまりの事態に張燕は思わずしこうが停止してしまった。

 本来であれば異民族対策として数万ほどの兵力を国境付近に貼り付けてあるのだが、袁紹との戦闘に備えてかなりの兵力を引き抜いてしまったのだ。それを勘づいた異民族がこちらに攻め込んできたのであろう。

 引き抜かれる前ですらこれほどの兵力相手では苦戦は必至であるにもかかわらず、少なくなった兵力で抑えきるなどとても不可能であろう。

 

「田中、貴様図ったな!」

 

 張燕はそう言って田中の首を切ろうと剣に手をかける。

 

「何をおっしゃられる。私は何もしていない。こうなることなど火を見るより明らかであろう」

 

 田中は特段抵抗もせず、張燕をまっすぐ見つめ返す。

 

「我が軍は現在、公孫瓉と劉幽州牧らと協力し、異民族への圧力を強めている。現在北方方面は寒冷化の一途をたどっており、食うものにすら困っているらしい。だが、南には強力な部隊がいる。そん中で兵力が少なくなった地を見つければ奴らが何をするかぐらい分かるであろう?」

 

 田中は各地の情報を集めていく中で異民族への対策に頭を悩ませていた。

 何せ北方の公孫瓉は異民族対策のプロとは言えど、繰り返される異民族の侵攻は着々とこの地の国力を奪っていた。

 そこである程度異民族の情報を集めていて、この策を思いついたのだ。

 

「どうする? 我が軍を受け入れれば、貴殿らに変わり奴らを撃退しよう」

 

「降伏しなければ?」

 

「言うまでもない」

 

 田中はぴしゃりとはねつけるように言う。

 

 張燕は少し考えてから、言った。

 

「分かった。降伏しましょう。どうかこの町を、部下を守ってやってください」

 

「ご英断、感謝いたします。すぐに我が軍勢を手配しましょう」

 

 そう言って田中はすぐに部屋を出て行った。

 

「良いのですか?」

 

 副官が張燕に尋ねる。

 

「もう暴れ回るのはこれまでだ。奴には勝てない」

 

「どういうことです?」

 

「先ほど奴はさらりと言ったが、我が軍が辺境から兵を動かしたことを知っていた。これは異民族にバレると危険なためかなり極秘で行われたものだった。しかし、奴はそれをさも当然のように知っていた。つまり我が軍営の動きは敵に筒抜けと言うことだ。そのような敵と戦って勝てるはずはない。であれば早めに降参をしてしまったほうが被害は少なくすむ」

 

「敵はそんなことまで……」

 

「とりあえず話は後だ。各地の守備部隊に伝えろ。袁軍を攻撃するな。それから各地の兵力を集め、異民族からの防衛戦に備える」

 

「御意!」

 

 袁紹、張燕連合軍と異民族との初対戦がいよいよ始まろうとしていた。



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第六四話 異民族との戦闘(上)

「斥候部隊が戻ってきました!」

 

 前軍の指揮を執る麹義は早速斥候を出し、敵情を探っていた。

 彼にとっては今回の戦闘が袁紹の配下になってからの初戦であり、功を上げようと勇んでいた。彼は羌族(漢の西側にいる異民族)の戦い方を知っており、故郷では何度か異民族と戦ったこともある。これほどの大軍の指揮を執るのは初だが、北方民族が相手とは言えど負ける気はさらさらなかった。

 

「敵の数はおおよそ五万ほど! 騎馬を中心とした部隊でこちらに迫っております!」

 

「敵が騎馬で来るのであれば我が軍はわざわざ城外に出て戦うことはない!」

 

 麹義達が籠もっているのは晋陽の城だ。

 三国時代の中国の城というのは、日本の一般的な城とは違い、町自体の周囲を城壁で囲んだ作りになっている。このため、城と言っても規模は生半可なものではない。

 

「なんて数だ……」

 

 その数の多さに兵士の誰かが呟いた。

 驚くのも無理はない。敵は文字通り地を埋め尽くすほどの数であり、その数の多さには思わず麹義も息をのむ。

 

「まだだ、まだ撃つなよ」

 

 麹義は弩兵に向って言う。袁紹軍全体の大将は文醜であるが、彼女は異民族との戦闘になれてはいない。そのため、町の守将は異民族との戦闘に精通している麹義が選ばれたのだ。

 

「奴らは騎馬を操るのに長けている。生半可な距離で撃ったところで、無駄になるだけだ」

 

 部下には恐怖の感情をおくびにも出さず、落ち着いた口調で言う。

 部下の兵士達もそんな麹義の様子を見て落ち着きを取り戻していた。

 

「馬というのは元来臆病な生き物だ。決して奴らは無敵なわけではない。それ相応の準備を固めていれば決して負けることはない」

 

 そう麹義は自分に言い聞かせるように言う。

 その直後、不意に城外からかけ声が聞こえてきた。

 

「敵が突撃してきます!」

 

 異民族が一斉に町めがけてかけてくる。その様子は一匹の竜がこの町を押しつぶさんとしているかのようだ。

 

「弩兵、撃ち方用意!」

 

 まずは射程の長く、威力も高い弩兵に攻撃準備を命じる。

 ここ、晋陽の町には異民族の襲来に備え、かなり堅牢な守りを敷いているが、敵はそれを簡単に乗り越えてしまいそうなほどの勢いのある突撃だ。

 

「もう少しだ、もう少し」

 

 撃つにはまだ早い。敵は一気に距離を詰め、まもなく堀まで距離が50メートルという距離にまで迫った瞬間。

 

「今だ! 撃ち方始め!」

 

 その指示出すと、横に控えていた兵士が大きな旗を振る。

 それに合わせるように各城壁に構えていた弩、連弩が一斉にうなりを上げ、敵兵に向け矢を発射し始めた。

 

 シャアと雨の降るような音が周囲に響き、敵軍めがけて矢が迫る。敵は盾あるいは剣、槍でその矢を弾こうと試みるが如何せん数が多すぎる。

 先鋒をかけていた兵士のうち半数以上が矢を受け、朱に染まりながら倒れていく。

 

「装填急げ!」

 

 弩というのは元来威力や命中率、射程が高い分装填に時間が掛かる。

 だが麹義はこれを見越して、別の兵士に命じた。

 

「弓兵、撃ち方用意!」

 

 弓は当たりづらいため、手練れが使う必要があり、弩よりは扱う兵士の数が少ない。そのため、一旦弩で敵兵の数を減らしてから撃つようにしたのだ。

 

 敵兵の生き残った先鋒がまもなく堀にとりつこうとした瞬間、大音声で叫んだ。

 

「弓兵、撃て!」

 

 先ほどと同じように矢は敵兵めがけて飛んでいく。

 しかし、こちらの射程圏内に入ったということは敵兵にとっても射程圏内に入ったと言うことだ。

 敵も騎馬に乗りながら袁紹軍の兵士を狙い、打ち倒していく。しかし、野ざらしになっている兵士と防壁に囲まれた兵士。どちらの方が被害が大きいかは言うまでもないであろう。

 敵兵の多くは堀に落ちていき、息があった者も息がない者も関係なく堀のそこにある杭に串刺しにされていく。

 

 敵兵の数は減らしたとは言えど、敵の数は膨大だ。数にものを言わせ、次から次へと押し寄せてきて、堀に橋のようなものを掛け乗り越え、城壁にとりついていく。

 

「投石隊に連絡! 投擲準備!」

 

 近くの旗を持つ兵士に別の指示を出した。旗はまた別の振られ方をして城壁内で待機していた投石隊に別の支持が飛ぶ。

 弓兵は近くの敵兵を、弩兵は遠くの兵士を。また別の兵士達は石を投げたり、煮え立った油を上から流したりして、敵の雲梯などの攻城兵器からの攻撃を凌いでいく。

 また、まだ腕が未熟な兵士は接近してきた敵兵を転射と呼ばれる弓を撃つための穴から敵の前線に来ている指揮官を狙い撃ちしていく。

 その直後、旗を持っていた兵士が叫んだ。

 

「投石隊より連絡! 攻撃準備完了とのことです!」

 

「よし! 守備兵に伝えろ! 盾の準備!」

 

「了解!」

 

 旗は激しく振られ、麹義の指示が城壁にいる兵士に伝わる。

 

「投擲開始!」

 

 投石部隊に指示が出た。

 投石部隊が指示を受け準備したのは石ではない。人の腕に収まる程度の瓶だ。それに横にいる兵士が火を付けると普通ではあり得ないほどの勢いで火が付く。

 これは火を付けて敵を攻撃するように作られた瓶で、袁紹軍は張燕が降伏しなかったときの攻城兵器として持ち込んでいたのだ。

 この瓶は中に油が充填されており、口は封をしてあるのだが、打ち出した勢いで飛散しないとも限らない。そのため、守兵には盾で上を守らせ、味方に被害が出るのを最小限にとどめようとしたのだ。

 

「撃て!」

 

 瓶は次から次へとコン、コンっと軽い音を立てながら打ち出されて敵の後方へ向け飛んでいく。その数はすさまじい数であった。

 無論、この間にも盾の下から弩兵や弓兵は敵を狙って矢を放つ。

 瓶は城壁を飛び超え、堀の向こう側に着弾、周りに燃えた油を飛散しながら周囲の敵兵を火だるまにしていく。しかし、敵のほとんどはそこにいなかったためにそれほど大きな被害は出ない。

 だが、この兵器の本当の目的は敵に被害を出すことではない。

 

 敵の主力は騎馬兵だ。彼らは堀の向こう側からこちらの守兵を狙い、少なくない被害を出していた。

 だが、それらの騎馬が火に驚き暴れ出したのだ。

 それに対処できず、落馬し、別の馬に蹴飛ばされ命を落とす兵士が数多く出たのだ。さらに炎は後方の味方との連携を遮断させ、敵の孤立化を成功させる。

 

「今だ! 狼煙を上げろ!」

 

 麹義は別の兵士に叫んだ。

 その兵士は狼煙を打ち上げ、合図を出す。

 

 

 

 

「麹将軍、確かに承った」

 

 狼煙を見て不敵な笑みを浮かべて、うすら笑う趙雲がいた。




 以前、感想への返信で騎馬戦は無いと思われますと答えたのですが、有るかもしれません。
 申し訳ありません。


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第六五話 異民族との戦闘(下)

 城壁に籠もって戦うとは言えど、かなり厳しいものだ。

 何せ周りは敵だらけ、援軍がいつ来るとも分からずに戦い続けなければならないという緊張感と不安は想像を絶するものである。

 しかし、異民族相手にまともに野戦をしようものなら返り討ちに遭うことは必至だ。故に袁紹軍が勝つ方法はただ一つ。籠城をしつつ敵の隙を作り出し一気に叩くしか方法はない。

 

 籠城中の麹義は今こそ敵に打撃を与えられるときだと踏んで趙雲に合図を送った。

 

 その狼煙に合わせ、周囲の山に潜んでいた趙雲は怒鳴った。

 

「火矢を射かけよ!」

 

 弓兵は一斉に自分のもつ矢に火を付け敵陣めがけて放った。

 その矢を放つ瞬間に手空きの兵士達は旗を持ち一斉に降り始める。

 

 いきなりの予想外の位置からの攻撃に異民族達は驚き、その方角を見ると大量の旗が翻っている。

 

 

 いつの間にあれほどの援軍が到着したのか!

 

 異民族達は驚きを隠せなかった。

 その場所から騎馬を率いて突撃してくる者がいる。趙雲だ。

 周囲には騎馬が数騎見えるが、その後方は土埃で思うように見えない。だが、その土埃の様子からして相当な大群が押し寄せてきているように見える。

 

 ただでさえ、火計を喰らい浮き足立っているところにこれほどの大群が押し寄せればどうなることか想像に難くない。

 我先に逃げ出そうとする異民族達は転んだ仲間を助けることもなく次から次へと踏みつけながら逃げ、仲間を押しつぶしていく。

 こうなってしまっては最早、軍としての様相を呈していない。

 そこへ城門が開け放たれ、中から出てきたのは袁紹軍大将の文醜だ。

 

「一人残らず斬り殺せ!」

 

 そのかけ声に合わせて歓声を上げながら兵士達は壊走していく異民族達を追いすがっていく。

 しかし、敵は仮にも騎馬の扱いに慣れた部隊なだけあり、ほとんどの騎馬兵は袁紹軍に捕まることなく逃げることに成功する。こうなると悲惨なのは騎馬兵ではない歩兵部隊だ。

 彼らは問答無用で突き、轢き、斬り、撃ち殺された。

 

 晋陽を守ることに成功した袁紹軍はそのまま追撃を続ける。

 晋陽郊外における戦闘から五日後には、異民族達を国境から追い出すことに成功した。

 

 

 

 無事、異民族を追い出した袁紹軍はそのまま晋陽に駐屯。異民族により破壊された各地の要塞や防御設備、建物と言ったものの復興に掛かり始めた。

 これと並行して行われたのが、前回の賊の襲撃における処罰だ。

 主に関与していたのは張燕とその配下数名の人間が中心となって行われたものであったが、張燕は仮にも黒山賊の総大将。今の混乱期に斬ってしまえば、黒山賊はばらばらとなり、場合によっては新たな独立組織となってしまう。

 そこで袁紹陣営としては配下の人間の独断専行によるものだと世間には公表を行い、その者達の首を刎ねることで、混乱の収拾を図ることにした。

 それが決定した夜、袁紹と田中と顔良は密かにその者達がいる独房へ密かに訪れていた。

 

「そこにいる者がこの度、首を刎ねられる者ですか?」

 

 袁紹は既に人払いをしており、周りには田中と護衛の顔良しかいない。

 

「ええ」

 

 田中は小さく頷いた。

 独房の中にいるのは髭はあまり生えていないが、とても体つきががっしりとしている男だ。

 

「罪人に何用だ?」

 

「私は袁本初ですわ」

 

「貴様が……」

 

 男はそれまで下を向いていたが、初めて頭をもたげた。

 まっすぐ袁紹を見つめ、逸らすようなことはしない。その様子は罪人と言うよりは一人の武人としての姿だ。

 

「あなたは明日首を斬られますわ」

 

 袁紹はずばっと言った。

 

「ああ。そうだな」

 

「なぜ、あなたは私に挑もうと考えたのですか?」

 

 袁紹はそれが気になっていた。普通に考えてあれだけの兵力差だ。勝てる見込みなど無いに決まっている。なのに彼らは実行に移した。その真意を彼らから聞きたかった。

 

「さあ。なぜだろうな……」

 

 男は天井を見つめながら答える。

 

「ただ、生きるためには領地が必要だった。我々、黒山賊の力は年々衰退している。しかし、最近では異民族の動きも怪しかった。どうも北方は最近、寒冷化してきているらしくてな。それもあって新たに領地を開拓する必要があった。それだけだ」

 

 男は淡々とだが、確信を持って言った。

 

「なぜ、共存の道を取ろうとしなかったのです? そうすれば、あなたは殺されなかったかも……」

 

「馬鹿言え。仮にも俺らは賊だ。四世三公の出のあんたと薄汚い賊が手を組むと思えるか? 美しい者は美しい者といてこそ生えるもの。俺らとは相容れないもんだ」

 

「でも結果は……」

 

「そうさな。俺たちの見通しは外れたと言うことだ。見る目も力も足りなかった。だからここにいる」

 

「……私を恨まないのですか?」

 

 袁紹は一番聞きたい質問をした。

 彼女は政治的な判断で彼らを斬ることを決めたが、本心では殺したくはない。せめて袁紹はその点だけではっきりしておきたかった。

 

「賊は実力勝負だ。負けた者は勝った者の言うことを何でも聞く。それがどんなに残酷な命令でもな。俺たちは頭が生きている。それだけでも儲けもんだ。感謝はすれど恨みなど無いよ」

 

 男はそれだけ言うとごろんと横に転がり言った。

 

「悪いが眠いんだ。明日には遠くに行かなきゃならん。悪いが眠らせてもらえるか? 今度の遠征はいつまで続くか分からんしな」

 

「分かりましたわ、ではお休みなさい」

 

 袁紹はそう言って田中達と共にその場を後にした。

 

「そう、俺の名は廖元って言うんだ。息子が一人いてね、息子に会ったらこれを渡してやってくれ」

 

 男がそう言って袋を投げてよこした。

 

「息子さんの名は?」

 

「廖化だ。字は元倹」

 

 それだけ言うと男は再び寝始めた。今度こそ起きはしなかった。

 

 

 

 

「こういう時が一番やりきれませんね」

 

 袁紹は寂しげに言う。彼女はそもそも乱世には不釣り合いなほど心優しい少女だ。

 

「本初様。私は決してあなたの元を離れはしません。こうした苦労も共に背負っていく所存です」

 

「私も」

 

「ありがとうございます」

 

 袁紹は二人にそう告げた。

 

 次の日、廖元以下三名の関与した人間の首が斬られたのである。



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第六六話 噂を突き止めるべく……

お待たせいたしました!


 西暦190年十月半ば。

 一年足らずで長江の北にある冀州、幽州、并州の三州を収めた袁紹の名声は天に届かんばかりであった。しかし、その名前と共にある噂が広がっていた。

 それは袁紹が収める冀州からほど近い地、兗州の地で天の御遣いなる人物が現れたというものだ。

 最初は兗州周辺でのみ聞こえていた噂であったが、袁紹が北方の統一を遂げてからその噂と共に拡大していき、漢全土にまで広がっていたのだ。

 この噂についに袁紹陣営でも対応が迫られていた。

 

 

 

 

「このような噂が存在するとは極めて遺憾であります」

 

 まずそのように発言したのは袁紹の側近である逢起だ。

 

「漢における天と言えば、皇帝陛下に他なりません。漢の皇室つまりは劉家以外の人間がみだりに天の名を口にすれば厳正な処罰は免れませぬ!」

 

「無論ですな」

 

 そう同意したのは郭図だ。

 

「このような噂が出てくること自体も問題ではありますが、この噂を吹聴した人間は打ち首の上、城門にさらし首にしても飽き足りません」

 

「何でも噂を流しているのは占師の管輅だそうです」

 

「誰だ、それ?」

 

 許攸が田中に聞く。

 

「実は実体が全く謎に包まれた人物でして、出生、生い立ち諸々の情報が一切ございません。ただ分かっていることは漢全土に突然現れてこの噂を吹聴している。ただそれだけです」

 

「ふ~む、謎に包まれた人物とそやつが噂する天の御遣いか……」

 

 郭図はうなり声にも似た言葉を出す。かなり不本意なものらしい。

 

「ちなみにそやつはどこにいるのだ?」

 

「東郡です」

 

 そういえば、以前と数人の人間が思い出したかのように相づちを打つ。

 

「劉備の統治下か。今すぐに調べに行く必要がありそうだな。こうした噂は元から絶つのが一番良い」

 

 そうだと多くの人物が口々に言う。

 

「では、誰を劉備のところへ派遣する?」

 

 この問題はかなりデリケートな問題だ。皇帝が関わってきているのは無論であるが、劉備は今袁紹とは共闘関係にあり、青州にいる曹操を睨んでいる。

 

 最近は曹操は黄巾党の残党の処理に忙しいらしく、それほど心配は無いが味方が多いことに越したことはない。劉備を疑うと言うことは彼女の統治能力を疑うことになる上、彼女は仮にも劉姓の人間であるから地元でそのような噂が立つことを大げさに言えば彼女のメンツをつぶすことにもなり得る。

 それらの関係を加味した上で情報を集めつつ、うまく立ち回れる人間を探さなくてはならない。

 袁紹の幕僚は皆一人の人間を思い浮かべた。かなり変わった方法を用いながら情報を的確に判断でき、かつ着実に成果を収めている人間。

 

「私ですか?」

 

 皆の視線は田中に注がれていた。

 

 

 

 

 

「それで私が護衛として抜擢されたのですか……」

 

 田中は審配とその配下の兵士百ほどを伴って東郡に向かっている道中である。

 審配は知勇に優れた武将であり、田中とも仲が良い。彼女であれば田中のサポート役にも護衛役にも適当であろうと袁紹が判断したため付けたのだ。

 

「ああ。だが、果たして劉備が本気でこちらを攻撃してきたら私は生きていられるのであろうか……」

 

 田中は劉備の配下に猛将の関羽と張飛がいることを知っている。袁紹配下の二大看板であった顔良と文醜をいとも容易く斬った奴だ。審配のましてや百にも満たない将兵がまともにやり合って勝てるとは思えない。

 

「大丈夫ですよ。劉備なぞ所詮は地方の一役人。天下人と言っても過言ではない我が君の幕僚を斬るような暴挙に出るとは思えません。それに今、我が君と劉備との関係は良好。敵対する理由が見つかりません」

 

 審配はからからと笑いながら言う。

 しかし田中は後の歴史でその一文官であった劉備が孫権と手を組み、圧倒的大軍勢の曹操を打ち破った戦、赤壁の戦いを知っている。とても流暢に笑ってはいられなかった。

 

 何よりも、と雰囲気を変えながら審配は続ける。

 

「この審配がいる限り田中殿には指一本触れさせません」

 

 その瞳は本気であった。

 審配もまた勇将であり、圧倒的大軍勢である曹操の軍勢による城攻めに長期間持ちこたえた守備の達人だ。その言葉にはしっかりとした重みがある。

 

「頼りにしてるよ」

 

 田中はそう言って遠くの空を見た。

 

 

 

 

 

「桃香様、袁州牧からの使者です」

 

 関羽が劉備の執務室に入ってきた。

 彼女は劉備の護衛と執務の手伝いを兼ねており、執務室の往来を許可されている。

 

「え~! 今、書簡の片付けに忙しいのに~!」

 

 彼女はデスクワークが苦手なため、いつも彼女の机には書簡の山ができていた。

 

「とはいえど、仮にも天下人からの使者、無視はできませぬ」

 

「は~い。じゃあ朱里ちゃんと雛里ちゃん達も呼んで」

 

「かしこまりました」

 

 は~っと溜息をつきながら、身支度を調えて使者を迎える準備を整える。関羽はすぐに朱里と雛里と呼ばれた少女達のもとへと向う。

 

「軍師殿、袁州牧からの遣いです!」

 

 ある部屋の前で関羽はそう告げた。

 

「分かりました、すぐ行きます。雛里ちゃん!」

 

「分かってる、朱里ちゃん」

 

 

 

 

「これはお待たせをいたしました、遣いの方々。もうまもなく我が君が来られますのでお待ちください」

 

 関羽がそう言って田中の元へとやってきた。

 

「急なご訪問申し訳ありません」

 

 田中はそう告げて関羽に非礼をわびる。

 

「お待たせしました~!」

 

 その二人の大人な対応をぶち壊すかのように入ってきたのは、この地の統治者である劉備であった。その劉備の背後には、二人の幼女がくっついており、端から見れば完全に幼稚園児の面倒を見る先生の図でしかなかった。

 

(あれ、俺は幼稚園に来たのか……)

 

 今から不安がふくれあがり始める田中であった。



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第六七話 劉備との対面

 劉備と思われる少女はそのまま前にあった机の前に座り込んだ。

 

「袁紹さんにはいつもお世話になっています! わたしが劉備、字を玄徳と言います! そして右から諸葛亮、鳳統、義姉妹の関羽です!」

 

 劉備はそう告げて田中達の到着を歓迎した。

 

「長旅でお疲れでしょうし、宴会の準備を行いますのでしばらくお待ちを。その間にご用件の方をお伺いいたします」

 

「ご丁寧にありがとうございます。私は袁州牧の臣下、田中と申す者でございます。そして横にいるこちらが審配にございます。劉太守の名声は冀州でも名高く、我が君もたいそう感心しておられました」

 

「それはありがとうございます!」

 

 劉備はにこやかに言う。

 

「我々が本日ここに来ました用件というのも実は最近起きている噂についてでございます」

 

「噂とは?」

 

「天の御遣いに関するものでございます」

 

「確か、管路と申す者が言っていたものでしゅね、はわわ」

 

 このときになり始めて、横にいた諸葛亮が口を開いた。というか噛んだ。

 田中はそれに笑いそうになりながらも平静を装う。

 

「左様。我が主君であらせられる袁州牧は皇室を保護されているお方。かような噂が立つことに大変な懸念と遺憾の意を示されておいでです」

 

「私共としても存じております。しかし、ここらは片田舎。使える予算も限られており、この噂をどうしようにもそれを無くすための方法は無く、頭を痛めているところなのでございます」

 

「つまり、噂の対象の地域が劉太守が治められているこの地域であることはご承知であると?」

 

「無論にございます。劉太守は皇室の末裔のお方、このような噂が立つことには大変心を痛めておいでです」

 

「そこまでおっしゃられるのであれば話は早い。調査の費用は全額こちらの方でお支払いいたします。ですので、その調査のお手伝いをしていただきたい」

 

 諸葛亮に田中がそう告げた瞬間、審配は思わず田中の方を見た。

 

「そうは言われましてもどのようなお手伝いをしたらよいのか……」

 

「簡単なことです。私ども共に統治している場所を回り、聞き込みのための道案内や現地の方との橋渡し役をお勤めしていただきたい」

 

「その程度であれば問題ございません。ご協力させていただきましゅ、はわわ」

 

 慌てる諸葛亮を見て吹き出しそうになりながらも田中は感謝の意を示す。

 

「かたじけない」

 

 そう言って田中達はひとまずその場を後にした。

 

 

 

「旦那様、そのような予算を我々はいただいておりませんよ!」

 

 役所を出るなり、審配は尋ねる。袁紹から言われた任務は噂の真偽の確認であり、調査ではない。しかし、田中はその調査を行うと言ってしまった。

 これは完全な越権行為ではないかと心配したのだ。

 

「審配、劉備の動きを見ていたか?」

 

「劉備ですか? いいえ」

 

「噂の件に関して話した瞬間、奴が一瞬表情をゆがめた。あれは痛いところを突かれた瞬間の顔だ」

 

「えっ!」

 

「おそらく奴は何かを知っている。この噂に関して聞かれるとマズい何かをな」

 

「なるほど、確かにそれであれば早急な調査が必要ですね」

 

「悪いが頼まれごとをしてくれないか? 早馬を二頭用意してくれ。私が渡す書簡の一つは丑三つ時に我が君のところへ直行させてくれ。もう一つは明日の白昼に途中までは同じ道のりを、途中からは大きく迂回し、晋陽方面を経由してから届けてくれ」

 

「承知しました」

 

 そう言って審配は早速それらの馬を調達しに行った。

 

「今の話を聞いたな?」

 

「ええ。しかと」

 

 田中は道行く人間の一人に言う。

 

「おまえは今日の早馬と同じタイミングで我が君のところへ行き、伝えよ。劉備は何かを隠しているとな。道のりは任せる。追っ手に気をつけろ。あの諸葛亮と鳳統なる者、ただ者ではないぞ」

 

「承知」

 

 そう言うとその人間は人混みの中へ溶け込んでいった。

 

「それにしても諸葛亮と鳳統が幼女とはな……」

 

 三国志の武将のほとんどが女性であり、まさかとは思っていたが、幼女と言うことは想定はしていなかった。さらに言えば、諸葛亮はまだ世に出てきてはいない。彼(彼女?)が歴史に登場するのは劉備が長坂の戦いで破れ、劉表を頼ってきたときのことだ。鳳統に至ってはさらにその後。それよりも十数年早い今の段階で劉備が天下の智者を取り込んでいる事実に驚きつつも、油断はせぬよう心に刻んだ。

 

「念のため、何人か別働隊を作り、我々とは別の調査隊の必要も考えねばな」

 

 田中は必要なことを考えながら通りを歩いて行った。

 

「それにしてもあの孔明、何度噛んだんだろう?」

 

 

 

 

 その晩、田中と審配は劉備の屋敷へと招かれ、宴会を楽しんでいた。

 

「それにしてもあの名高い田中殿にお会いできるとは光栄でしゅ! はわわ、噛んじゃいました……」

 

 舌を噛みながらも言ったのは諸葛亮だ。

 まさか後に三国志の武将でも一、二を争うほど有名になる人物にそのようなことを言われるとは考えてもおらず、笑いと驚きで田中は思わず酒でむせた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「いえ、少しむせただけです。私が名高いと? そのようなことは一つもしたことはございませんが、なぜそのような?」

 

「袁州牧様は何か多きな決断を下すとき、必ずあなた様がそばにいる。また黒山賊を討伐に言ったときには単身で陣中に入り込み、張燕を説得したとか。他にも様々な噂は伺っておりますよ。疑いをもたれたときは自らの首を差し出し、疑いを解いたとか、曹操の軍師であった戯士才を弁舌だけで配下に加えたとか」

 

 そのほとんどは確かに田中の行ったことではある。

 

「ですが、ほとんどは運がよかっただけです」

 

 田中はそう言って謙遜をする。

 

「運というものは実力が伴わなければつかむこともできません」

 

 諸葛亮はそう言って田中を持ち上げる。

 

「何、私ほどの人間など我が君の配下の中では星の数ほどおります。私はたまたま目に止めていただいただけです」

 

 田中はひたすら謙遜をしつつ、劉備や諸葛亮の言動に変わりは無いかを注視しつつ、月を見た。

 

 ちょうど月は満月でまもなく、丑三つ時になろうとしている頃合いである。このとき、田中が滞在していた宿から二つの陰が闇の中へと消えていった。



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第六八話 噂の調査

「まったく、あの方は人使いが荒いわ!」

 

 ぶつくさと文句をたれながら作業を行っているのは許攸だ。

 彼女は田中から留守時の諜報機関の総指揮を託されており、彼らからもたらされる情報を整理しながら上司のけりを待っているのだ。

 

「こんな情報ばかり集めて、本当に必要なのかしら?」

 

 許攸は疑問を持ちながらもそれらの情報をまとめていく。情報と言っても各地に住んでいる住民の人数や耕地面積と言った内政に必要なモノから危険人物として目を付けている人間の行動のように警備に関するモノ、隣国の兵士の人数や異民族の動きと言った軍事的な情報まで集めるモノは多岐にわたる。

 それらの集められた情報を各分野の部署に向けて持って行くという作業なのだが、これがなかなかに骨のあれる作業なのだ。しかも中には、その土地の伝承のようないかにもいらなさそうな情報まで存在する。

 

「これは給料を上げてもらう必要があるわね……」

 

 許攸の頭の中には給料の上昇という単語が渦巻いていた。

 

 

 

 

 

「こちらがこの地域でも最も大きい村落になります」

 

 諸葛亮に案内されたのは東郡では最も大きい村落である。噂が立つ以上は人間が関与している。そういった人間に会う確率のより高い場所、つまりは人口の多い場所で調査を行えばより効率的に調査が出来るという判断だ。

 

「これはありがとうございます。それでは早速掛からせていただきます」

 

 そう言って田中は早速その村の村長の所を尋ねた。

 

「どうもお邪魔いたします。私は冀州牧袁紹配下の田中と申す者でございます」

 

「おお、あの袁州牧様の臣下の方でございますか! こんな片田舎に何のご用です?」

 

「実は天の御遣いに関する情報を集めておりまして……」

 

「それなら私も知っておりますが、残念ながら私たちが知っているのはその内容のみで具体的な話は何も知らんのです」

 

「つまりは天の御遣いが降り立つということ以外は何も知らないと?」

 

「ええ」

 

「そうですか、それはありがとうございました」

 

 田中はそう言ってお礼をしてからその場を後にした。

 

「孔明殿、ありがとうございます。これで構いません。次の地へと行きましょう」

 

「分かりました」

 

 そう言って田中達はその日に三つほどの大きな集落を訪ねたが、どこにも有力な手がかりは見つからなかった。

 

 

 

 

「桃香様、よろしいですか?」

 

 劉備の部屋に入ってきたのは諸葛亮だ。

 

「朱里ちゃん、お疲れ様。それであのお客さんはどう?」

 

「ええ。情報が無いことに落胆をし、早くも諦め始めているようです」

 

「それなら良いんだけど……。さすがにご主人様のことが世間に知られるとマズいからね」

 

「あの田中という人物。私が見たところによりますと噂とは違い、ただの凡人のようです。調査の仕方も杜撰ですし、しょうもないことばかりに気を取られていますしね」

 

「しょうもないこと?」

 

「ええ。その土地に伝わる伝説やら物価やら特産品やらと噂とは関係の無い話ばかりで盛り上がっていました」

 

「そう。なら大丈夫だとは思うけど、くれぐれもご主人様のことはバレないようにね……」

 

「御意」

 

 そう言って諸葛亮はその部屋を出た。

 その諸葛亮の元へ一人の兵士が近づいてくる。

 

「軍師殿、先ほど早馬がこのようなモノを……」

 

 そう言って彼が差し出したのは一通の書簡であった。

 

「やはり伏兵をおいた地に現れましたか?」

 

「そのようです。かなり急いでいたらしく、あっという間に捕らえることには成功したようです」

 

「その者は?」

 

「斬りました」

 

「よろしい」

 

 そう言って諸葛亮はその書簡を見てみる。

 

「やはりそうでしたか……」

 

 そこに書かれていたのは田中が袁紹へ当てた書簡で中身は劉備が袁術に寝返ろうとしていないかという調査に関するものであった。

 結論としては寝返ろうとはしていないという判断を下しており、問題になるような情報はない。

 諸葛亮はあのような噂に関して本気で袁紹が田中のような人材を送り込んでくるとは思えなかった。そのために別の何か目的があると考えたのだ。考えられるとすれば、劉備が袁術と袁紹、どちらに付こうとしているかであろう。袁紹はたった一年で河北を制定した優秀な統治者だ。そのような人物が簡単に我々を信じているとは思えない。

 諸葛亮はそう読んで、あらかじめ密偵が行きそうな地に伏兵を潜ませ捕まえる準備を整えていたのだ。

 

「これをすぐに袁紹のところへ届けなさい。ただし届ける際には表立ってではなく、袁紹の間諜を装って届けるのです」

 

「御意」

 

 すぐに兵士はその場を後にする。

 

「彼の目的はやはり噂では無かったです。これで安心できましゅ」

 

 

 

 

「やはり劉備は何かを隠している」

 

 田中は審配にそう告げる。

 

「何かあったのですか?」

 

「ああ。今日、いくつかの集落に行ってみたが、どこも大して話を始めていないのに俺があの噂に関する情報を集めていると皆がそれに気付いた。それに奴等、言葉に訛りが一切無く、手がきれいだった」

 

「つまり何者か、中央から送り込まれた人物が返信している可能性が高いと」

 

「ああ」

 

「ではすぐに調査が必要ですね」

 

「だが、用心していれば奴らは絶対にしっぽは出さん。だから、既に一芝居打ってある」

 

「昨日の早馬と今日の調査で。ですか?」

 

「ああ」

 

 二人共、にやりと口元に笑みを浮かべた。その笑みはどこか獲物を睨んでいる蛇のような不気味さを感じるものであった。



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第六九話 悪夢の挨拶

 それから数日間に渡って行われた調査も結局は空振りに終わった。どの村も知らぬ存ぜぬと言われ、収穫は無し。田中達一行は早くもあきらめてしまい、今日が調査の最終日となった。

 田中達がこれらから劉備に挨拶に来るとのことで諸葛亮と劉備はその対応に関して協議していた。

 

「桃香様、今日彼らが挨拶に来ましゅ」

 

 はわわと噛んだことに焦りながらも諸葛亮は報告を行う。

 

「うん。これでご主人様に関してバレることなく終わりそうだね!」

 

「はい。元々それに関して調べる気はあまりなかったようですが……」

 

「でも、これがバレたらかなり大変なことになるのでしょう?」

 

「ええ。何せ今、朝廷は度重なる農民の反乱に神経質になっています。そのたびに担ぎ出されるのは天命を受けたとか言う人物達でした。これから先、朝廷はそうした者に対しては容赦の無い制裁を加えることになるでしょう」

 

「う~ん。別にご主人様はそういった人ではないんだけどな」

 

「本人ではなく周りが問題なのですよ」

 

 そう言って諸葛亮はともかくと続けた。

 

「くれぐれもバレぬよう、気をつけてくださいね」

 

「分かってるって!」

 

 そう言いながら田中達が待つ応接間に向った。

 

 

 

「数日間の間調査にご協力いただき本当にありがとうございました」

 

 田中は開口一番に礼を言う。

 

「いえいえ。漢の臣下として当然のことをしたまでのこと。お礼など構いません」

 

「おかげで本当に順調に調査が進みました」

 

 田中が少し含みを持たせた言い方をしたために少し疑問を持ちながら諸葛亮は答える。

 

「それは良うございました。お帰りになられた際、袁州牧には今後ともよろしくお願いいたしますとお伝えください」

 

「承知いたしました」

 

 そう言って田中は背中を向けるが、思い出したかのように再度劉備の方に向く。

 

「忘れるところでした。劉太守に我が君から書簡がござったのでした。せっかくですのでここで読ませていただきましょう」

 

 そう言うなり、袖下からごそごそと書簡を取り出す。

 

 

 親愛なる劉太守殿

 

 お初お目に掛かりますわ! 劉太守殿! 私は袁紹でございます!

 さて、この度は調査にご協力いただき君主として感謝しておりますわ。おかげでかなりのことが分かったと田中から聞いております。

 天の御遣いに関してはそこにいる田中が一番詳しいのでこの書簡をお読みになり終えましたら本人から報告を聞くようにしてください。

 短い文ではございますが、準備もありますのでここら辺で筆を置かせていただきます。

 では、ごきげんよう。

 

 大将軍 冀州牧 袁紹

 

 

「さて、我が君から報告に関してお伝えせよとのことでしたので、ご報告をさせていただきましょう」

 

 そう言って田中は横に引けていた審配に目で合図を送った。

 すると横に置いてあった箱からいくつかの書簡が出てくる。

 

「これが何かご存じかな?」

 

 それを見た瞬間、諸葛亮は顔から血の気が引くのが分かった。

 

「我が軍に来た書簡なのですがね。おかしいんですよ。私が送った書簡と中身が違うんですよね。私は袁州牧に対しては常に今回の噂に関してしかご連絡をしていないはずなのに、なぜか調査を一切していない書簡が送られていたんですよね」

 

 そう言って田中はその書簡の中身を読み上げる。

 

「ここには劉太守が曹操と繋がっていないということが書かれております。しかも私の名で。おかしいですね。私はこのような書簡を送った記憶はありません。逆に送ったはずの書簡が届いてないのですよ。ご存じありませんか?」

 

「無論、知りません」

 

 感情を表に出さぬようにしながら諸葛亮は答える。

 

「そうですか。それではこの書簡を送った本人に聞いてみるとしましょう」

 

 審配がすぐに外に出て行き、一人の男を連れてきた。その男は血まみれになっており、明らかに何かしらの尋問を受けた後である。

 

「本初様の屋敷の守備兵が怪しい者を見つけたとのことだったので引っ捕らえてみるとこの書簡を持っていたとか。そしてこやつに犯人を聞いてみるのが早いでしょう」

 

 田中は一息はさみ、ゆっくりとかみしめるように言った。

 

「さて、どなたがこの書簡を送ったのかな?」

 

「軍師殿です」

 

「名は?」

 

「諸葛亮、字を孔明」

 

「はて、そちらにおわす方もそのような名前であったと思いますが?」

 

「彼女の命令でやりました」

 

「と申しておりますが、いかがですかな、諸葛殿?」

 

「私ではありません。きっと曹操による計略でしょう」

 

 とっさにそう答えるがすぐに田中は反論する。

 

「曹操ですか、それにしてはおかしいですね? 彼女がわざわざ劉太守が通じていないと書いた書簡を部下に持たせて、尋問しても口を割らないようにして、挙げ句の果てには命令したのは諸葛殿だと申すように仕向けますか?確かにこれが劉太守と通じているように見せるのでしたら計略と言えるでしょうが、これはあまりにも非合理的だ。さて、ここで私は一つの推論を立てました。これは諸葛殿、あなたによって勝手に考えられた物語なのでは?あなたは私に調査されて困ることを隠蔽した。違いますかな?」

 

 彼は間接的に天の御遣いに関することを言っていることは誰にも明白であった。

 ここでもし彼女が書簡に関して田中が嘘を言っていると言えば、彼女が書簡を奪ったことをバレてしまう。しかし、これが曹操による計略だと言ってしまった以上、取り返しは付かない。最早、完全に逃げ道を失ってしまったのだ。

 ここまでである以上、主の劉備にまで被害を大きくするわけにはいかない。そう考えた諸葛亮はすべてを背負う覚悟を決め、口を開く。

 

「……。すべて私が考えました。私の責……」

 

「いいえ! 私が悪いの!」

 

 そこで飛び出してきたのは劉備だ。

 

「私が天の御遣いさんを匿っていたんです! だから朱里ちゃんは何も悪くない!」

 

 その瞬間、その部屋の中の空気が凍り付いた。

 誰もが口を開けなかった、田中と審配を除いては。




 もし何か疑問に持つようなことがございましたらご遠慮なく、ご意見をください。
 少し終盤の方が駆け足気味なので必要とあらば、修正していきたいと考えております。


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第七〇話 裏の企み

「劉太守殿、今ご自分が何をおっしゃっているのか、お分かりか?」

 

 ゆっくりと田中は尋ねる。

 

「もちろんです! でも私は自分のやったことを人に押しつけられるほど落ちてはいません!」

 

 劉備は毅然たる態度で言い放つ。

 

「桃香様、何をおっしゃっているのですか? 私がすべて仕組んだだけで桃香様は何も……」

 

「いいえ! 私は関与していたの! これが証拠よ!」

 

 そう言って彼女は書簡を取り出し、田中に渡す。

 そこには天の御遣いの情報を秘匿にするよう各村に伝えていたことを示す書簡であった。名前の部分には確かに劉備の名が書かれている。

 

「これは本物ですか?」

 

「「はい(いいえ)」」

 

 諸葛亮と劉備の言葉が重なる。

 

「諸葛殿、あなたにはお聞きしていない!」

 

 いつになく厳しい田中の言葉に審配ですら、少したじろぐ。

 諸葛亮はその剣幕に黙ってしまった。

 

「劉備殿、あなたがこれらの事件に関わっていたことを認めますか?」

 

「はい」

 

 その言葉にそこにいた誰もが凍りつくしかなかった。天の御遣いをかばっていたともなれば皇帝をないがしろにしたと世間からは白い目で見られ、不敬罪、もしくは反逆罪で死罪は免れないであろう。

 

「実はこの判決は……」

 

「報告!」

 

 そのやりとりを遮るかのように一人の女性が大慌てで入ってきた。

 劉備の義姉妹の関羽だ。

 

「何! 今来客がいらしているのが見えないの!」

 

「桃香様、大変です!」

 

 そう言って彼女が劉備に軽く耳打ちする。

 

「おそらくは曹操の手による者でしょうな。もしくは袁術か」

 

 田中は独り言を言う。

 しかし、その言葉にいち早く反応したのは関羽だ。

 

「貴殿、何か知っているのか?」

 

 田中をにらみつけつつ、関羽は油断無く構えようとする。

 

「やめなさい! 彼にはもうすべてがバレました。終わりなのでしゅ」

 

 諸葛亮が関羽を制止にかかる。

 

「まさか、ご主人様のことが……!」

 

「ええ。そしておそらく彼は今の情報に関しても何かしら持っているでしょう」

 

「何!」

 

 関羽は驚きのあまり手に持っていた青龍偃月刀を落とした。

 あまりにも急すぎる展開に理解が追いついていないのであろう。

 

「劉太守殿、彼はおそらくは曹操もしくは袁術達の手に捕まり、袁術の元へと送られている頃のはずですよ」

 

「何で!」

 

「彼女たちもおそらくは調査していたのでしょう。我々と同じように。そして居場所と突き止め連れていった」

 

「なぜ、ご主人様が連れて行かれたの?」

 

 訳が分からないといった具合に劉備はうろたえる。

 

「簡単ですよ。先ほど言ったではありませんか。周りの人間次第では反乱の錦の御旗にされると……」

 

「なるほど」

 

 諸葛亮は一人合点のいったような表情に変わる。

 

「どういうことなの、朱里ちゃん」

 

「私も聞きたい、軍師殿」

 

 劉備と関羽は理解できていないようだ。

 

「今、袁術達は袁州牧と対立しています。しかし、漢の皇室を保護している袁州牧と表だって対立をすれば逆賊の誹りを受ける可能性は否定できない。そこで必要になるのが自分たちの正当性です。漢の皇室と同等の立ち位置を持つ者、それは天のみです」

 

「そうか、ご主人様はあいつらが自分たちの正当性を主張するために連れて行かれたんだ」

 

「ご名答」

 

 田中は諸葛亮に言うもその表情は決して祝している表情ではない。

 

「だから我々は必死に調査をしていたのですよ。こういった事態になればようやく落ち着いてきた天下は再び乱世の時代に逆戻りしてしまう。それだけは避けたかった。しかしあなた方は目先の命にこだわり、本当の大局を理解してはいなかった!」

 

 田中は強い語調で言う。

 

「どう成されるおつもりです! あなた方だけであの袁術、曹操達と戦って勝利を収めることが出来ますか? 我が君ですら手を焼いている者達をですよ!」

 

 どう考えても敵いはしない。劉備は片田舎の役人。持っている兵力は良くて一万と言ったところであろう。それにし対し、袁術は袁紹と肩を並べる大勢力。勝負は目に見えている。

 

「おそらくは今から我々が彼らを追っても無駄でしょう。こうなれば天下は二部され再び大きな大乱が起きます。貴殿等はその矢を放ってしまったのですよ」

 

 田中は部屋中が凍り付いている中でただ一人しゃべり続けている。

 

「貴殿等には二つの道があります。一つは袁術の所へ無駄な突撃を行い、無駄に命を散らすこと。これは間違いなく死しかない」

 

 もう一つの道はと続けた。

 

「私に命を預けるか」

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのですか?」

 

 審配は田中に不安そうに聞いてくる。

 何せ彼は一時的にせよ劉備達をかばうことになるのだ。下手をすれば田中まで首が飛ぶ。

 

「彼女たちは見た目からは想像できぬかもしれないが、天下の英雄ばかりだ。間違いなく利用できる。彼女らをここで斬るのはあまりに惜しい」

 

「しかし説得が出来るでしょうか……」

 

「問題は無い。既に許攸から我が君に事の子細は伝えてあり、どうにかするよう元皓や沮授らにも助けを求めている。問題は郭図、逢起だが、彼女らはあまり仲が良いわけではない。おそらくは上手くやれる」

 

「既に手を回し済みとはお見事」

 

 審配はそう言って後方の劉備達を見た。彼女らは車に乗っており、外見からは見えないが両手を縛られ、ほぼ罪人と同じ状況になっている。

 

「旦那様の申すように彼女らが使えることを祈りますよ」



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第七一話 劉備への判決

どうもお久しぶりです。投稿が遅くなって申し訳ありません。テストが近い関係で投稿が遅れるかもしれませんが、ご了承ください(新しい小説を書き始めたからだとは断じて言っていない)。


「逃げられたですって~!」

 

 袁紹の一言目はその怒鳴り声から始まった。

 

「申し訳ありません。奴らが探っていることは分かっていたのですが、何せ厳重な警備でして正面から言いくるめて捕らえてこそ我が方の意向を示せると考えていたことが裏目に出ました」

 

「全く、田中さんともあろう人が何をやっているのですか!」

 

 袁紹はぷりぷりと怒っている。何よりも彼女をいらだたせているのは曹操に出し抜かれたということであろう。

 

「我が君、ですがもしあの場で何も言わず強硬手段に出ていたら劉備との関係は壊滅し、敵を増やすことにもなっておりました。田中殿に落ち度がなかったとは言い切れませんが、どうかそういった点も考慮されて下さい」

 

 袁紹の横にいた田豊が言った。

 最近、袁紹は田豊へ意見を求める機会が増えてきたのだ。これは田豊が比較的冀州周辺の豪族に顔が利くため統治をしやすいことが理由に挙げられる。

 

「仕方がありませんわね。田中さんも普段頑張ってらっしゃいますし、今回の件に関しては後ほどの働き次第で評価をいたしましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

「ところで、今回の事件の元凶は後ろにいる者たちなのかしら?」

 

 袁紹は田中に尋ねた。

 袁紹は大広間におり、中心に田中と審配がいる。その後ろには縄で縛られた劉備と諸葛亮、関羽、張飛といった劉備軍の幕僚がいる。大広間からは距離がかなりあり、声は届かないようになっている。

 

「ええ。彼女らがかの噂を認識しながらも奴を匿っていた張本人たちです」

 

「あら、そうですか。では罪状に関して元皓さん、何が一番的確な罪か述べてあそばせ」

 

「おそらく不敬罪が的確かと。勝手に天を名乗っておるのですから死罪は妥当かと……」

 

「元皓殿、確かにそれに関しては納得ができる理論でしょう。ですが、それをするのはかなり危険な行為かと」

 

「では田中さん意見を申してみなさい」

 

「御意。劉備が統治していた地域に関してですが彼らは劉備に懐いています。彼女らを処刑すれば、民には反感の感情が芽生え、後の統治がやりづらくなるでしょう。また、彼女の配下はあの反董卓連合において功名を挙げるほどの強者。ここで処刑するにはあまりに惜しい人材かと」

 

「確かに。それは一理ありますね」

 

 袁紹はいかにもといった具合に肯く。

 

「ですが何も罰しないというわけにはいかないでしょう~」

 

 そう発言したのは沮授だ。

 

「何も罰を与えなければ功名さえあれば、何でも許されるという状況になります~。これでは統治はできなくなりますよ~」

 

「であるなら、どの程度の罰が適切なのかしら?」

 

「あえて、ここでは罰を与えず、戦功に応じて許すというのは如何ですか~? 今まで善政を敷いておりましたし、それを逃れることの理由にすればよろしいかと~……」

 

「朝廷にはどう説明を?」

 

 田豊が心配げに聞く。正直、これが一番の問題である。

 

「今まで統治をしっかりと行っていた者たちです~。ですのでここは仁義の心を持って善政を敷いていた者ですから、ここは陛下の徳を持ってお許しくださいと告げれば大丈夫でしょう~」

 

 後漢の政治体制は儒教の教えに基づいて行われている。仁義や徳と言った考えはここから出てきている。

 

「なるほど。それであればうまくいきそうですね」

 

「お待ちください!」

 

 部屋に大きな声が響き、一人の女性が入ってきた。逢紀だ。

 

「袁州牧様、奴らは仮にも罪人。一度特例を出してしまえば、今後もそれに続き、戦功さえあげれば良いという風潮が我が領内で蔓延しましょう。それでは統治はできません。ここは初めての案件だからこそ厳しく当たるべきです!」

 

「そ、そうかしら……?」

 

 袁紹の中で迷いが出始める。何せ今まで袁紹が最も頼りにしていたのは逢紀だ。彼女がそのようなことを言えば不安を感じざるを得ないのであろう。

 

「我が君、恐れながら申し上げます」

 

 そこで田中は田豊たちの助太刀に入ることにした。

 

「私は実際、劉太守が統治していた地域を巡ってみましたが、どの住民も彼女に大変懐いています。確かに逢元図殿のおっしゃることは最もですが、いきなり斬ってしまえば現地の住民の反発は必至。さらに彼の地が万が一にも袁術たちの手に落ちれば中原への橋頭堡を失います。我が君、どうか処刑だけはおとどまりください!」

 

 田中は落ち着いた口調で言う。

 

「それであれば、処刑は取りやめにいたしましょう」

 

 袁紹は田中の言葉に後押しされて決断をしたが、逢紀は不満のようであったがその場では何も言わなかった。ただ、田中のことを恨めしそうに見ながらも黙って臣下の礼を取って命令を受けた。

 

 

 

 

「最近は田豊や田中と言った新しい者たちが力を持ち始めてきて、我々の居場所はなくなりつつあると思わんか?」

 

 逢紀は郭図に言った。彼女らは犬猿の仲ではあるが、それを超えてでも話しておきたい内容であったのだ。彼女ら豪族と言われる存在は地元に数多くの土地、そして人民を従えている。自分の権力の失墜は彼らを流浪の民にすること同義なのだ。よく権力に必死にしがみつく者たちを嘲笑する描き方があるが、彼ら豪族にもそういった権力にしがみつかなければいけない大きな理由がある。

 

「そうか? 私はそうは思わない。本初様は我々のお言葉を聞いた上でご決断くださる。決して彼女らばかりを尊重しているわけではないとは思うがね」

 

「う、うむ。ただな……」

 

「元図、おまえは単純に本初様を盗られたようで嫉妬しているようにしか見えんぞ。私はそういった方面に興味はないのでな」

 

「そういうわけではない」

 

「お主は昔から本初様に関することとなると周りが見えなくなる癖がある。落ち着いて周りを見てみろ、彼女らは別に権力闘争をしているつもりはない」

 

「うるさい!」

 

 郭図の落ち着いた指摘についカッとなって怒鳴りつけて逢紀はその場を飛び出していった。

 

「難しい奴だな」



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第七二話 仲良くするにはどうしよう……

皆様、お久しぶりです。投稿が遅れて申し訳ありません。


「劉太守、とりあえずはあなたは殺されずにすむこととなりました」

 

 田中は劉備に伝えた。

 

「ありがとうございます」

 

 お礼を言うモノの目に見えて元気がない。おそらくは天の御遣いの事を心配しているのであろう。

 

「天の御遣いなる人物がどうなるかは分かりません。ただ、その人物を匿ったともとれる行動を行った人物たちは到底そのままにしておくことはできない。そこで貴殿らは一時的に階級を下げ、我々の陣営の元で動いてもらいます」

 

「そう、ですか」

 

「何、いづれ曹操や袁術らと我が君は戦闘状態になる可能性もあります。そうなれば貴殿らが一番に突っ込んで目的の人物を救い出せば良いだけのこと。お気になさる必要はない」

 

「うん、そうですよね! ありがとうございます!」

 

 田中はあえてその救出の後、天の御遣いがどうなるかは言及はしなかった。おそらくは厳罰は逃れることはできないであろう。仮にも天の名を甘んじて受けてしまったのであるから、たとえ袁紹が守ろうとしても朝廷がそれを許すはずはない。

 劉備の表情は明るくなったが、諸葛亮の表情は変わらない。おそらくはあえて田中がそのことへの言及を避けたことに気づいたのであろう。

 

「とりあえず、貴殿らは一時的に領地へとお帰しします。そこで万が一の時のための兵力の増強におつとめください」

 

「分かりました!」

 

 田中はすぐに審配に劉備を帰還させるための馬や護衛、旅費の手配を命じた。

 そして翌日、特に大きな事件もないまま劉備たちは帰還していった。

 

 

 

 

 

 

 年も明けて190年。

 袁紹陣営ではその年の方針を決定する会議が沮授や田豊、逢紀、顔料、文醜といった主立った幕僚らが出席の元会議が開かれた。

 去年は袁紹陣営にとっては激動の年であり、わずか一年ほどで諸侯の中でも指折りの勢力となった。しかし、少しの期間の間にふくれあがった点もあり、地盤固めがうまくいっておらず、今年は大きな軍事行動は控え、足場を確実に固めることが最優先事項となったのである。

 

「田中殿、久しぶりに世間話でもしませんか?」

 

 田中に話しかけてきたのは、今最も勢いのある田豊だ。

 

「ええ、構いませんよ。では私の部屋にお招きしましょう」

 

「敬語なぞよしてください。以前は私があなたの部下であったのだから」

 

「とはいえど、今ではあなたが上司です。まあ、公式の場では我慢してください」

 

 そう言って二人は田中の執務室へと向かった。

 田中はすぐに接待用のお茶を準備し始めた。お茶は高級な品ではあったが、田中も袁紹陣営の幕僚としてそれ相応の給与をもらっているために手が出ないことはなかったために、接客用として買ってあるのだ。

 

「で、話というのは何だい?」

 

 昔の口調に戻りながら田中は田豊に聞いた。

 

「まあ、その私も最近は主君の側近として動くようになって分かったのですが、我が陣営は余りにも側近の仲が悪いような気がするのです」

 

「ああ。そのことですか……」

 

 それは田中も悩んでいる事態の一つであった。袁紹陣営は今は休息状態になっているとはいえどやがて、曹操や袁術と言った勢力と衝突することは目に見えている。そうなったときにこのような状況では勝てるモノも勝てない。

 

「如何いたすべきでしょうか?」

 

「どうするかね……」

 

 田中もしばらく考え込む。

 机の上にはお茶の容器が置かれており、今は茶器を温めている段階だ。

 

「……」

 

「……」

 

 二人とも考え込みながら、温まるのを待つ。

 

「……そうだ、あれを開けば良いのでは!」

 

 田中はふと思いついたように言った。

 

「あれ、とは?」

 

 田中の言葉に田豊は尋ねるが、彼は先にお茶を淹れようと茶葉を茶壺の中に入れ、お湯を注ぐ。すぐに灰汁を切って、ふたを閉め茶壺にお湯をかける。

 そろそろ頃合いか後思った頃に、茶壺を持って一杯目を茶海に淹れ、茶を均等にしてお互いの香杯に注いでいく。その上から茶杯を乗せ、田豊と自分の前に置きお茶を進めた。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 二人は茶杯と香杯をひっくり返し、ゆっくりと香杯を取って香りを楽しんでからお茶を一口啜った。

 

「私の国には茶を皆で楽しみながら飲むという風習があってな」

 

「茶をですか?」

 

「ああ。皆で談笑をしながら飲むのです。そういった事をすることでお互いのことを知る機会にもなりますし、人は美味しい物を食べるのに雰囲気が悪くなると言うことは無いだろう?」

 

「ですが、お茶を楽しむだけというのは……」

 

「そこで美しい風景などを見ながらお茶を飲むのだよ。そうすれば話題に困っても風景に関して話せば話も続くし、黙っていても気まずくはならない。ちょうど、近いうちに梅の花が咲き始める。そうすれば幕僚を誘って大規模なお茶の会を開けば良い」

 

「お茶は高いですから、そう簡単に手に入らないのでは……」

 

「そこが問題なんだよな……。どうにかならんものか……」

 

 田中が悩んでいると扉をぶち破らんばかりに開いて突っ込んでくる人物がいた。

 

「その話、聞きましたわ! この袁本初が主催いたしましょう!」

 

 なんと、我らが主君の袁紹ではないか。

 

「わ、我が君。いつからそこで?」

 

「初めからですわ! 珍しい組み合わせの二人が部屋に入るのが見えたので、思わず盗み聞きしていましたが良いではありませんか! お茶会! 優雅なこの袁本初の陣営として大々的に行いましょう!」

 

「我が君、しかしお金は……」

 

「そんな物はこの私に任せておきなさい! お~ほっほっほっほ!」

 

 そう言って竜巻の如く袁紹は高笑いをしながら去って行った。

 

「まあ、企画は我々の方でもしておきますか……」

 

 今からお茶会はすさまじい物になりそうな雰囲気であった。




 気づけばもう初投稿から一年が経つんですね……。
 正直、ここまでの長い作品になるとは思っていませんでした。ここまでこれたのも読者の皆様のおかげであります。今後も続いていく予定ですのでどうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。


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第七三話 演習

 それから一ヶ月ほどが経ったある日。

 

「何、全軍に明後日の予定は空けておくようにだって?」

 

 文醜は部下から来た伝達事項に怪訝な表情をしながら聞き直す。

 

「は、そのように我が君が仰せであります」

 

「妙だな。近いうちに何かがあると言うことは聞いたことがないが……」

 

 文醜は不思議に思いながらもその旨を軍団の全員に伝えた。

 今日は文醜の部隊と董卓配下の一人である張遼の軍団と軍事演習をしていた。

 

 現在は文醜の軍団が張遼の騎馬隊に総攻撃を食らっている瞬間であった。

 

「くっそ。さすがは霞。突破力は強力だな」

 

 既に文醜の前軍の内の第一防衛陣が突破されており、まもなく第二防衛陣が突破される頃合いであった。

 

「だが、こちらも簡単にやられるような部隊ではない」

 

 そう言いながら彼女は後方に控えた弩弓隊に攻撃を命じる。

 だが、それを見越していた張遼隊はすぐに馬から下りて盾を構えてほとんどを弾いてしまう。

 

「流石だな~。うちの強さをはっきりと分かって対策してやがる」

 

 張遼の騎馬隊は西涼で馬の扱いに長けた軍と何度も抗戦した経験があり、その練度はかなり高い。文醜が苦戦するのもやむを得ない状況であった。

 

「だが、こちらも負けるわけにはいかねぇ!」

 

 そう言うと文醜は各部隊に命じた。

 

「これより陣形を変更する! 旗と太鼓を鳴らせ!」

 

 彼女が合図すると今まで単調であったリズムが急激に変化し、早いテンポへと切り替わる。

 全体的に突破をかけられている部隊を大きくへこませるように軍が移動していき張遼軍を中心に据えて大きくV字を描くような陣形になる。

 張遼隊は包囲されることを恐れ、兵を一気に引かせようとする。

 

 その直後、一気にV時の両端に控えていた兵士たちが走り出し、張遼隊の行く道をふさいだ。

 

「しまった!」

 

 ここに来て張遼は計られていたことに気づく。

 

「矢を射かけろ!」

 

 文醜は次から次へと矢を射かけ、張遼隊は壊滅したという判定を受け、演習は終了した。

 

 

 

 

「くっそ~、今回はええところまで行ったと思ってたんやけどな~!」

 

 張遼は訛りの入った言葉で文醜に愚痴った。

 彼女らは何かと演習で当たることが多く、こうして酒を酌み交わす中にまでなっていた。

 

「霞は十分強くなっているよ~。今回もかなり危ないところだったんだぜ!」

 

「とは言えど勝てなかったやろ~」

 

「今回はその場で兵士たちが動いてくれたから良かったけど。あのまま突撃を強くかけられていたらかなり危険だったんだよ」

 

「くっそ~! かえって悔しくなるわ~」

 

 酒を飲んでは悔しい悔しいと嘆いている張遼に文醜は尋ねた。

 

「そういえば、話は少し変わるんだが、霞のところに連絡来たか?」

 

「何の?」

 

「なんか、我が君主催の茶会をやるらしいんだけど、知らない?」

 

「ああ。なんかうちの月も招待されていたみたいやな」

 

「来ないか?」

 

「何でも武芸大会もあるらしいし、うちも参加しようとは思っているがな」

 

「やっぱりそこにときめいたか」

 

 今回の茶会は袁紹主催と言うこともあり、田中たちの考えていた茶会とはだいぶ違う展開になりつつあった。武芸大会や知識比べ大会など、どちらかと言えば茶会と言うよりは一種のお祭りに近い。

 

「まあ、かなり大演習も行う予定という噂も立っているから、楽しみやな」

 

「へえ」

 

「何でも軍師同士の力量を試すために本当の戦のように軍師と将軍が一緒になって戦うみたいやな」

 

 その言葉に文醜は少し顔をしかめた。

 

「どうした?」

 

「あたいらの軍団の指揮官ってどちらかと言えば腕っ節の強い人物が多いから果たして知識しか無い人間の指示に従うのかと思ってな」

 

「ほう。うちには詠がいるからな。そんじゅそこらの奴じゃ厳しいぞ」

 

「ああ、賈殿か」

 

 確かに賈詡であればそう簡単に勝つことは難しいであろう。

 

「まあ、首を洗って待っておけ! 来月はうちが勝たせてもらうからな」

 

 そういってカカと笑った。それと対照的に文醜は渋い顔のままであった。

 

 

 

 

 

「……って事があったんだよ~。どうしたら良いんだ、田中!」

 

 朝からいきなり部屋に来てみたら文醜が来ていたために少し驚きながらも話を聞いていた田中。思わず頭を抱えた。本来田中の描いた物とは違いすぎる内容に突っ込めば良いのか、それとも喜べば良いのか悩んだ。

 だが、袁紹に任せると言ったのは田中だし、やむを得ないかと少し諦め気味に考えた。

 

「うちの知識人は確かに多くはありますが正直軍の統率が得意な人物がいるかと言われれば、迷いますね……」

 

 確かに将軍や知識人で見れば優秀な物は多い。しかし、いざ軍を指揮する人物としてみてみるとこれと言って優秀な人物が余り見当たらない。

 

「ふ~む、戦の経験が多く軍師に向いている人物ですか……」

 

「どうにかなんねえのか!」

 

 文醜はよほど悔しかったようで半泣きで田中の裾をつかむ。

 

「知識で言うならば元皓や沮授が向いているが、あいつらはあくまで大局を見るのに優れているだけだからな……」

 

 そう言って再度考え込む。田豊も沮授も優秀な部分が多いのだが、一部の知識が足りていない。そういった場合は如何すれば良いのか……。

 

「そうか……。そうすれば良いんだ」

 

 田中は一つ策がひらめいた。




 来月、学校の実習の関係で投稿できいなくなる可能性があります。そうなるとまるまる一ヶ月間投稿ができません。極力投稿できるように努力はいたしますが、ご理解よろしくお願いいたします。
 お読みいただいている読者の皆様にはご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません。


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第七四話 兗州

皆様、お久しぶりです! 大変お待たせして申し訳ありませんでした。これからは定期的に更新を続けていこうと思います。引き続きよろしくお願いします!


「はい?」

 

 郭図は読んでいる書簡から目を離さずに言った。

 

「だから、田元皓と組んで今回の演習に参加してほしいんですよ」

 

 田中は手を前で合わせながら頼み込む。

 

「なぜ、私が冀州名士の代表格でもある田さんと組まなければならないのですか?ましてや私は田さんとは仲が悪い。演習に参加しても袁刺史の名をおとしめるだけですよ」

 

「そう言わずにどうか手を組んでやれませんか? 彼女にはできないことがあなたにはできるんですから」

 

 そういったとたん、郭図は少し眉を動かし田中を見る。

 

「彼女にできなくて私にできること……?」

 

「ええ。ありますよ」

 

「それは一体何なのですか?」

 

「元皓は大局は見れるが細かい戦術方面になるとどうしても疎くなる傾向があります。その点、あなたはそれが得意だ。それに今回の演習では顔良、文醜といった古参の武将達を中心に参加させる予定のため、元皓だけでは性格や得意な戦闘などを把握し切れていない可能性があります。どうか彼女の面倒を見てやるといった思いでできませんか?」

 

「そ、そこまで言われれば」

 

 郭図は少し気恥ずかしげに話を受けることにした。

 

「ありがとうございます!」

 

 田中はお礼を言うと静かに部屋から出て行った。

 

 あくまでも余談ではあるが、このすぐ後に田中を見かけた衛兵は次のような証言を残している。

 

「田中殿は部屋を出られると顔を後ろに向けられ、言ったのですよ『計画通り……』と。そのときのあくどい表情は未だかつて見たことが無いほどゆがみきっていましたね……。今でも思い出すと寒気がしますよ」

 

 

 

 

 

 ちょうど袁紹陣営全体がこの大演習で大忙しの頃。曹操陣営では別の騒ぎが起きていた。

 

「はあ、このタイミングでこれが起きるのは行幸と言うべきか、それとも起きたこと自体が最悪と言うべきか……」

 

 曹操は次から次へと来る書簡に目を通しながら、ため息をつく。

 

「これはタイミングとしては最高と言うべきでしょう」

 

 横に控えていた荀彧はそう答える。

 

「まあ、そうね。現在袁紹は勢力を急激に拡大しすぎたが故に、休息を必要としているわ。彼女たちが動く前にこの問題が持ち上がってきてくれたのは良い事ね。ただし、規模がもう少し小さければの話だけど」

 

 曹操がそう愚痴った。彼女が愚痴りたくなるのもやむを得まい。何せ彼女が統治している地のすぐ近くで大規模な反乱が起きたのだ。これは瞬く間に兵力をふくれあがらせ、近くにある兗州へと流れ込んだ。これを迎え撃とうとした兗州牧劉岱は敗走し、手が付けられない状況となったのだ。そこで曹操はここぞとばかりに兗州牧の地位になろうと朝廷に使いを送ったのだ。

 普通は誰も考えないことである。何せ自分のみを滅ぼすかもしれないところに自ら飛び込んでいくのだ。常人の考えとは思えない。しかし、彼女はあえてその危険を冒した。それは彼女の知恵袋でもある荀彧の入れ知恵によるモノであった。

 もしこのまま何もしなくても、黄巾賊は曹操のやってくる地帯に攻め込んでくる可能性が高い。それであれば多少、兵力や金銭の自由が利く州牧の地位に昇って彼らに挑んだ方が勝ち目はあるという彼女なりの考えであった。

 朝廷としても政治的な空白を作り出し当地域の状況を悪化させることを恐れ、曹操の考えを受け入れることにした。というよりそれ以外、手が無かったのだ。他に統治する人間を選ぼうとしても誰もがやりたがらず途方に暮れていたのだ。

 

「すぐに軍議を開き、賊への対処を計らなければいけないわね」

 

「既に主だった将士達は集めております」

 

 荀彧は曹操に言った。

 

「桂花、ありがとう」

 

 そう言ってすぐに会議の場へと出向いた。

 そこには夏候淳、夏候淵、郭嘉といった主立った人間が並んでいる。

 

「このたび、私は朝廷から兗州牧になることとなった。これで名実ともにこの地を統治する権限を得たこととなるわ。ただ、この地には黄巾の生き残りが数多くいる。だが、我が軍はあなたたち精鋭がいる。故に曹操の名をもって命じる! この賊をなんとしても打ち払いなさい! 負けることは許されないわ!」

 

「「「御意!」」」

 

「これより軍議を始める! 桂花、敵の戦力」

 

「はっ! 現在黄巾賊は三十万と呼称されていますが、その実は非戦闘員を数多く含んでおり、実質的な戦力はその三分の一ほどと見られております」

 

「それでも十万か、多いわね」

 

「我が方の戦力としては、以前から調練している兵、およそ三万の他、州牧になったことで徴兵できる人数が増えましたので、さらに三万ほどが増える予定です」

 

「分かった。ありがとう桂花。以上のように我が軍の苦戦は免れない。何か策のある人間はいるのかしら?」

 

 曹操は全体に響き渡るはっきりとした声で言った。

 

(敵を吹き飛ばせば良いだけでは無いのか?)

 

(姉者、それができるのは姉者だけだ。普通の兵士にはできない。あとそんなこと言ってみろ。桂花に馬鹿にされるぞ)

 

(う~む)

 

 夏候姉妹が何か言っているが、あえて曹操は無視をする。

 

「華琳様。私に一つ策がございます」

 

 そこで出てきたのは戯士才だ。

 

「竜刃、言いなさい」

 

「彼らを懐柔するのです」

 

 その言葉に誰もがざわめいた。何せそれができたら誰も苦労はしない。にもかかわらず曹操の知恵袋として長年仕えてきた戯士才があえてそのことを言ったのだ。

 

「いかにして?」

 

 曹操は試すように戯士才を見た。



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第七五話 郭嘉の献策

投稿が遅れ申し訳ありません!


「黄巾賊が求めているの食べ物、安全な生活、そして旧体制の状況からの脱却です。我が君は以前より間違っているときは相手が誰であろうと対抗する姿勢を常に示してきました。もし彼らが、これらのことを望んでいるのであれば、あなたがこのことを飲み込むことを前提に味方につけてしまえば良いのです」

 

 戯士才の大胆すぎる意見に皆が驚いた。何せ彼女は必要とあらば漢に刃向かってもかまわないと説いているのだ。

 

「竜刃、つまり私に向かって漢に弓引けと?」

 

「既に引いてしまっているのですよ。我が君。あなたは天の御遣いを袁術に手渡しました。この時点で天が御遣いにあることを認めてしまったのです」

 

「戯士才殿、さすがに言い過ぎなのでは……」

 

 見るに見かねた文官の一人が止めようとするが戯士才はその制止を振り払う。

 

「もはや、我々は袁術につくと決めたのですから、今更朝廷に何を言おうと無駄でしょう。どうかご決断を」

 

 一通り言い終えた戯士才を見つめる曹操。天才の頭脳は果たして今何を考えているのか。誰もが固唾をのんで見守る。

 

「良いわ。竜刃の言うとおりにしましょう」

 

 その一言にその場がどよめく。当然の反応であろう。何せその当時の絶対的な価値観である漢に弓引くと言うことをはっきりと宣言したのであるからだ。今まではグレーな立ち位置をとっていたが、ここに来てはっきりと立ち位置を明らかにしたのだ。

 しかし、この時代に漢にという行為はかなりの賭けである。

 いったんはその場で会議を解散とし、戯士才、荀彧、郭嘉に後ほど曹操の執務室に来るよう伝える。

 

 曹操と荀彧以外の全員が退席するのを待って荀彧が口を開いた。

 

「我が君、本当にかまわないのですか?」

 

 荀彧が再確認した。何せ彼女の家は漢に代々仕えている名家中の名家だ。君主の漢を裏切る行為は彼女にとってもきわめて大きな影響を及ぼす。

 

「ええ。桂花、あなたは無理に私に付いてくる必要は無いわ。これは私自身の意思の決定であり、誰も覆すことは許さない。だから、あなたが何を言っても止まるつもりはないわ」

 

 曹操の目は真剣であった。彼女は彼女なりの思いで漢を裏切ることを決意したのだ。

 しばらく荀彧と曹操は見つめ合ったが、はあとため息をついて荀彧は諦めたように口を開いた。

 

「本当にしょうがないお人ですね。我が君は……」

 

「ええ。何せ乱世の奸雄だもの」

 

「そしてそのあなたに惚れ込んだ私はさらにしょうが無い」

 

 苦笑しながら荀彧は言った。しかし、その言葉に未練や後悔と言った類いの雰囲気は感じられない。

 

「桂花、私に付いてきなさい。私があなたに時代の変わる瞬間を見せてあげる。この曹操が漢をそして世界を変える瞬間をね!」

 

「ええ。曹孟徳殿、あなたこそが私のたった一人の君主です」

 

「桂花、あなたには私の真名を預けましょう。何せこれから世界を変える手助けをしてもらう人だもの。私の真名は華琳よ」

 

「確かに受け取りました。改めまして、私の真名は桂花。華琳様、どうか私の知恵をお使いください」

 

「ええ。桂花、任せなさい。必ずこの曹孟徳があなたの知恵を思う存分使ってくれるわ」

 

 ここに曹操とその軍師荀彧の数十年に及ぶ蜜月の関係が始まったのである。

 

 

 

「さて、此度の件でございますが、現在の不利な状況を絶対に他の勢力に悟られぬよう交渉を進める必要がございます」

 

 曹操の執務室に来た戯士才は曹操と荀彧、そして郭嘉と共に会議を始めた。

 

「どのように相手方と連絡を取り合うか、そのために誰を送り込むか……」

 

「悩むところですね。何せ文武どちらも優れた人物である必要がある」

 

 荀彧、郭嘉の順で言葉をつなげた。

 

「となると夏候妙才殿はいかがでしょう?」

 

 戯士才は真っ先に思い浮かんだ人物の名前を言う。

 

「確かに秋蘭なら文武どちらも兼ね備えているわ。ただ彼女は挑発に弱い。万が一交渉がこじれて、私の名を少しでも侮辱しようものなら彼女は黙っていないでしょう」

 

「では、曹子和殿は?」

 

「だめね。あの子は武力があまり無いわ」

 

「ともなると当てはまる人物が……」

 

「いえ、一人います」

 

 戯士才と荀彧が途方に暮れる中で郭嘉が毅然と言い放つ。

 

「それは誰なの?」

 

「曹孟徳、我が君ご自身です」

 

 その瞬間、二人は固まった。まさか中のまさかの答えである。

 

「へえ。面白いこと言うじゃないの? 今、敵対している奴らのど真ん中に君主自ら行けと?」

 

 曹操はにやりと笑いながら言った。しかし、彼女の目は笑っていない。答えようによっては殺すという意思表示であろうか、剣の柄に手をかけている。

 

「その通りでございます」

 

「理由は?」

 

 荀彧と戯士才は曹操の雰囲気に呑まれてしまい、言葉が出てこない。

 

「全部で三点。まず一点。知勇共に兼ね備えた人物でこういった交渉の駆け引きができるのは我が君以外では適任者がございません。第二点。敵はあくまで現状を打破したいと考えているだけであり、我が君と必ずしも敵対したいわけではありません。第三点。我が君、自ら行かれることで敵方に本気度を見せつけることが可能であります。また配下の者や天下に堂々たる行為を知らせることで我が君の名声が高まり、今後に大きく影響を与えることができましょう。以上が我が君が為すべき理由にございます」

 

 郭嘉は単純明快に答えた。

 曹操はしばらく剣の柄から手を離さぬまま、目を閉じていた。




私情により、今後の投稿スピードが落ちる可能性があります。本当に申し訳ありません。
読者の方にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。


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第七六話 青州兵

 皆様、お久しぶりです! ようやく用事が一段落したので、投稿を再開させていただきます!
 長い間、投稿ができず申し訳ありませんでした! 今後ともよろしくお願い致します!


 部屋全体に重い空気が立ちこめている。実質的に曹操に命をかけて敵と交渉してこいという意味と同義だ。普通の臣下であれば考えつくことすらできない考えであろう。もし考えついたとしてもそれを発言するとしたらよほどの馬鹿か、怖いもの知らずのいずれかだ。

 

「郭嘉。もし失敗すれば?」

 

「失敗はございません」

 

 郭嘉は間髪入れずに答えた。郭嘉の目はとても適当に言っているようには見えない。

 

「面白い!」

 

 曹操はそう言って剣から手を離した。

 

「分かったわ。すぐに使者を相手に派遣して話し合いの場を設けてちょうだい」

 

「我が君!」

 

 荀彧がいくら何でも早計すぎるのではと止めようとしたが、曹操はそれを手で制した。

 

「言わなくても分かっているわ。でもこの孟徳はこんな場所で止まるわけにはいかないの。この程度の困難を乗り切れなければそれまでであったと言うこと。これは私が目指す覇王たる覚悟を見せるために天が私に与えた試練だわ。ならば正面から乗り切って見せようじゃない!」

 

 曹操は眼光を爛々と光らせながら言った。彼女は既にこの件を危機的状況ととらえていない。自分が乗り越えるべき一試練としか考えていないと気づいた瞬間、荀彧はこの曹操の底の見えぬ覇気に背筋が震えた。

 

「分かりました」

 

 郭嘉はちょっとしたお遣いを頼まれたかのごとく簡単に返事をして部屋を出て行った。

 

「我が君、私の方では袁術や袁紹の動きに対処すべく裏での画策をしておきます」

 

 戯士才はそう言って部屋を出て行った。何せこれから行われることは、バラさなくてはならないこととバラしてはならないことが点在している行為だ。そのさじ加減は難しい。

 

「桂花。あなたは臣下の者達をまとめる役をお願い」

 

「御意」

 

 荀彧もあえてこれ以上のことは何も言わず、返事をして部屋を出て行った。こうなった曹操は誰にも止められない。その場には静かに何かを考え込む曹操だけが残された。

 

 

 

 

 それから一週間後、曹操と青州黄巾賊の頭領との間で話し合いが持たれることとなった。場所は誰にも隠すことができないそれぞれが数万の軍を率いて対峙した地点の中央。

 曹操は郭嘉、荀彧、そして戯士才を連れて丸腰で目の前に陣の前へと歩を進めた。夏候惇などは曹操を止めようと前に出かけたがあらかじめ控えていた夏候淵に止められた。

 全軍に緊張が走る。万が一、この場で彼女らが死ねば曹操軍の知恵袋たる人物は一人もいなくなりまさしく戦わずして敗北する。

 

「黄巾の者の頭領よ! 曹孟徳が貴殿らと話し合いに参った! いざ尋常にお相手致せ!」

 

 曹操が叫ぶと黄巾の軍勢の中から一人の少女が前に出てきた。かなり小柄な人物で同じく丸腰だ。

 

「よろしい、曹孟徳殿、遠路はるばるご苦労であった。こうした形を取ったのは他でもない、今後のためである!」

 

「今後のためとはどのような意味だ!」

 

「我々、黄巾は貴殿ら漢軍と矛を交えていることは事実! だが、戦争を望んでいないこともまた事実だ。故に条件さえ整えば貴殿らと手を組むこともやぶさかでは無い!」

 

「賊のくせに生意気な!」

 

 夏候惇が剣を引っさげ飛び出そうとするが必死で夏候淵が押しとどめる。

 

「姉者、華琳様に言われてたであろう! 合図があるまで絶対に手を出すなと!」

 

「だが、あの言われようではまるで我が軍が負けているようでは無いか!」

 

「確かにそうだが、今はとりあえず落ち着け! さもなければ華琳様にしばらくの間部屋の出禁を食らうぞ!」

 

 そんな後方での言い争いを尻目に曹操達は話を続ける。

 

「であればその望みとやらを聞こう!」

 

「一つ、我々の信仰を邪魔するべからず! 一つ、我が軍勢を他の軍と同一するべからず! 一つ、孟徳殿の死と共にこの契約を解消するものとす! 以上の三点が守られれば我々は貴殿らに協力を申し出よう!」

 

「良いわ! この曹孟徳の名をもって守ることを誓おう!」

 

「皆の者、聞いたか! 望みは満たされた! 我々はこれより、曹孟徳殿の元で動くこととなる!」

 

 応っとその少女の後方にいた兵士達が答えた。

 

「若くしてあそこまで臣下の者に慕われるとはあの娘、なかなか逸材ね。何という名?」

 

 曹操が荀彧に小声で聞いた。

 

「彼女は姓を許、名を褚、字を仲康と申します。何でもものすごい怪力で、片手で牛を引きずることもできるとか」

 

「それは凄いわね。しかもあの娘、黄巾の兵士達を完璧に指揮しているわ。将としての能力も高い。将来が楽しみだわ」

 

 曹操は口元に笑みをたたえながら、そう呟いた。

 この話し合いのみで、曹操軍は青州で反乱を起こしてた黄巾賊、約十万ほどを配下に納め、その軍事力と統治を盤石なものへと変貌させた。これは各諸侯にとっては寝耳に水の事態であり、対応を急ぐこととなったのである。

 しかし、袁紹陣営だけはそれでも決して急ぐようなことはせず、ただ状況を静観していた。その行動は逆に不気味なものであり様々な憶測を呼んだが、結局有力な手がかりはつかめなかった。ただ一つ分かっていることはその静観を貫くよう指示した中心人物に田中がいたことである。

 彼がどのような思いでこの出来事を見ていたのか、それを詳しく載せている文献は存在しない。ただ、一つ分かっていることはこの青州兵は後の袁紹軍を悩ます大きな存在になることであった。




 三国志演義では許褚は黄巾の将ではないのですが、この小説の独自設定として描かせていただきました。


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第七七話 田豊と逢紀

「ついにこの日が来たのか……」

 

 田中は目の前に広がった光景を見つめていた。鄴の町並みは色とりどりの装飾で飾り付けられ、お祭り騒ぎだ。

 今日、「茶会」が行われるわけであるが、田中達が考えてたものとは大きく違うものとなっていた。何せ道ばたには露店が建ち並び、各地から諸侯や豪族達が招かれ道には朝から護衛の兵士や遣いの者が乗った車の列が絶えない。完全にただの、いや大規模な祭りだ。

 

「田中殿、こんなところにいらしたのですか?」

 

 声をかけてきたのは田豊だ。普段は落ち着いた色の着物を着ていることが多いが、今回は赤色の色鮮やかな晴れ着を身につけている。凜とした雰囲気を感じさせる田豊のつり目とよく似合っている。

 

「元皓殿ですか」

 

 彼がいるのは鄴の街で比較的高台になっている場所だ。ここであれば街を一望できる地で、田中のお気に入りの場所であった。当初はここで茶会を開こうと考えていたのだ。無論、袁紹の手に渡ってから全く違うものになってしまったために、この場所はそういった催し物が開かれない。故に人っ子一人いない。

 

「きれいな着物ですね」

 

「ありがとうございます」

 

 少しほおを染めながら田豊は礼を言った。

 

「元皓殿はよろしいのですか? そろそろ演習が始まりますが……」

 

 田中は尋ねる。今回の催し物で最も袁紹軍が力を入れているのは董卓軍と行われる演習だ。このために袁紹軍は厳しい訓練を行っていた。

 

「そんなこと言ったら今回最も注目されている田中殿がこんなところで油を売っていることのほうが問題では?」

 

「これは言われてしまいましたな」

 

 田中は苦笑しながら一本取られたと頭をかいた。

 実は田中は今回の式典の中心人物として袁紹のすぐ脇の席を用意されていた。通常であれば袁紹の次点に位の高い人物ないしは袁紹の側近中の側近である田豊辺りが座るべき場所なのであるが、今回の催しの企画者として袁紹の隣の席を与えられるという破格の扱いを受けていた。

 今まで田中の名前は一部の人間にしか知られておらず、これを知った諸侯や豪族は田中の情報を集めようと躍起になっているという噂だ。まさに最も注目を受けている人物といっても過言ではない。

 

「では、共に参りましょうか」

 

 田中はそう言って静かにその場を後にした。

 演習は鄴の郊外で行われる。といっても近くに森や川などがあり自然の地形に富んでおり、戦術次第では小勢力で大規模な敵を打ち破ることも可能な地形だ。演習と言いつつもかなり実戦を意識した作りとなっている。

 

「郭公則殿との調整はうまくいきましたか?」

 

「ええ……。まあ」

 

 田豊が明らかにお茶を濁した言い方をした。あまりうまくいっていないようだ。

 

「やはりですか……」

 

「すいません。私も幾度となく彼女に意見を言おうとしたのですが、こちらの言い分をまるで聞いてくれなくて……」

 

 田豊にこの話を任せるときに彼女も、かなり難色を示したが田中が無理を言って聞いてもらっているのだ。それで無下に扱われたら彼女としても腹に据えかねる物があるだろう。

 

「元皓。君はかつて僕の部下だったことがあるね?」

 

 唐突に田中が砕けた口調になった。まるで子供諭すかのような口調だ。

 

「ええ」

 

「君は実に優秀だ。おそらくは歴史に名を残せるほどであろう。だが、どんな優秀な人物にも弱点はある。かつて漢を作った高祖(劉邦)と天下を争った項羽は天才的な将軍であった。戦ではほとんど負けなしの彼も結局は高祖に敗れることとなった。彼はその強さを自覚していたが故に何が欠点なのか真剣に学ぼうとしなかった。これが彼の弱さだ。君もまたそのように郭公則殿から何も学ぶことが無いと思っていないか?」

 

「うっ!」

 

 どこか彼女にも思い当たる節があったようだ。気まずそうに顔を背ける。

 

「郭公則殿は確かにあなたよりも知識などは無いかもしれない。しかし、彼女は以前、袁董連合軍ができたときに戦争の指揮を執って敵を打ち破ったこともあるし、何よりも元皓よりも古参の諸将の性格を熟知している。彼女の経験値とその采配は最良では無いかもしれないが学ぶことはあると思うよ」

 

「はい」

 

「試しに彼女の戦ぶりを見てみなさい。そして何か必要なときに補佐をしてあげてください」

 

 田中は田豊に言った。

 

「御意」

 

「良い返事だ。では演習の勝利を心待ちにしておりますよ」

 

 田中の言葉をかみしめながら田豊は演習場へ足を早めた。

 

 

 

「郭殿」

 

 田中は演習場に既に着いていた郭図を呼ぶ。

 

「何でしょう?」

 

「元皓についてですが、今回の演習ではなにとぞよろしくお願いします。彼女はまだあまり戦などの経験がない身。ご経験を生かしてご教授をいただければ幸いです」

 

「無論です。袁刺史の一将として恥をかくような行為をされては困ります故」

 

 彼女は凜と言った。彼女は田豊は気に入らないが袁紹軍の一員としてしっかりと育てるつもりではあるらしい。

 

「それと元皓の元上官として一言だけ。彼女は経験こそ少なくはありますが、能力は優秀です。もし何かを言ってきたときは、下らぬと切り捨てるのでは無く少し助言を聞いてくだされば幸いであります。必ずや郭殿のお役に立てるかと思います」

 

「分かりました」

 

 その瞬間、演習開始が近い合図の銅鑼が鳴った。

 

「では私はこれにて」

 

 田中はそう言って袁紹達がいる方へと向き歩いて行った。



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第七八話 演習

今年度最後の投稿になります!
少し少なめではありますが、どうぞ!


「敵は方陣を固めておりこちらの攻撃を待ち構える形です!」

 

 見張りの兵が伝えてきた瞬間、賈詡は妙な違和感を感じた。袁紹軍は今回、顔良、文醜、張郃といった猛将を引き連れてきており、守りを固めるような劣勢ではない。にもかかわらず守りを固めるとは珍しい。

 

「なら構いません。我が軍勢で押しつぶすのみです。前軍の張将軍に伝達。騎兵隊を率いて敵陣正面から猛攻を仕掛けなさい。中軍の呂将軍と華将軍は歩兵を率いながら敵側面を脅かしつつ敵の本陣に迫れ。我が軍はゆっくりと前進していき張遼の騎兵の突撃に援護射撃を浴びせます」

 

 賈詡が指揮しているのは張遼、呂布、華雄といった袁紹軍に引けを取らぬ天下に名高い猛将ばかり。下手な人間が守りを固めた陣など正面から押しつぶせるレベルだ。

 

「御意!」

 

 伝令の兵が走り出すと同時に旗を持った兵士や太鼓を打つ兵士が前進の合図を出した。

 一斉に周囲にいた兵士が前進を開始する。今回董卓軍は総数五万だ。賈詡率いる本隊が二万、副将の張遼、呂布、華雄がそれぞれ一万ずつ率いており決して兵力は少なくない。

 これに対し袁紹軍はおよそ五万と見られている。兵力はほぼ互角、後は率いている将と兵の練度次第だ。

 

「郭公則らしい策ね。だけど我々は他の軍勢とはひと味違うわよ」

 

 彼女は呟いた。郭図はどちらかと言えば守りを重点的に展開する性格だ。今回もその性格で陣を敷いたのであろう。だが、董卓軍はその圧倒的な突破力が持ち味の軍勢だ。賈詡からしてみれば自ら得意な戦法に挑みかかろうとしている形に見えた。

 

「前軍前進を開始します!」

 

 見張りの兵の言葉に前方の様子を見る。総数一万の兵士が一気に敵めがけて動き出すのだ。その光景は圧巻と言うほか無いであろう。

 先頭を切っているのは張遼その人である。

 迎え撃とうとしている敵の対象は言わずと知れた袁紹軍の猛将文醜だ。彼女の旗が翻る陣野にはいくつもの方陣が組まれており、複雑に入り乱れ一見すると適当に布陣しているように見える。

 

「あれは……」

 

 どこかで見たことがあるような……。

 そんな違和感を感じたがどこで見たのか、それがなかなか思い出せない。そうこうしている間に前軍の張遼が敵の方陣へと突き進んでいった。方陣の合間を縫いながら敵を求めて奥へ奥へと突き進んでいく。

 その張遼を追うように呂布、華雄の両名が突進を行っている。

 その張遼の動きを見た瞬間、一つの敵の狙いが見えた。

 

「まずい! 霞達を呼び戻して!」

 

「は? 何ですと!」

 

「良いから早く呼び戻しなさい! そうしないと……」

 

 言葉は長くは続かなかった。敵陣に既に動きが起きており、もうその言葉は手遅れであることに気づいたからだ。

 敵本陣の近くで一つの旗が振られると同時に文醜の部隊が一気に陣形を変更し始めた。

 今まで点々としていた方陣が互いに複雑に混じり合い、気づけば張遼の部隊を中に閉じ込めるような形で陣を作ったのだ。

 

「八卦の陣とはやるわね……」

 

 思わず賈詡は歯がみした。

 八卦の陣。史実において諸葛亮が得意とした陣で司馬懿もこの陣に破れている。逆にこの陣の対処を知っていると負けることもあり、徐庶が劉備に仕えて間もない頃に曹仁が構えたこの陣形(厳密には八門金鎖の陣と表記してあるがほぼ同じ陣形)を趙雲を用いて打ち破っている。

 特に騎馬隊の突撃に効果を発揮するとも言われ今回はうってつけのタイミングであった。

 

「呂将軍に命じなさい! 東南の空いた場所から敵の中心を通って張遼達を救出しつつ西の空いた門脱出せよと!」

 

 直ちに伝令が走り出し賈詡の命令が伝えられる。

 しかし、この間に顔良や張郃といった名だたる武将達が前線へ出てきており、戦線を突破するのは至難の業と言えた。

 

「見事ね。さすがは袁紹軍、一筋縄ではいかないわ」

 

 賈詡はその実力を認めざるを得なかった。

 

 

「呂布隊が突っ込んできます!」

 

 その見張りの言葉に郭図は顔を上げた。見れば砂塵を濛々と上げながら呂布が突っ込んでくるのが確認できる。

 

「おそらく敵の狙いは東南の門のはず。文醜に伝えなさい。敵が門内に侵入したら直ちに陣形を後退させて顔良、張郃隊の中軍と合流せよと」

 

「御意!」

 

 伝令が走って行くのを近くで見届けた田豊は郭図へと歩み寄った。

 

「恐れながら郭公則殿、それでは今の有利な状況を捨ててしまうのでは? 敵の侵入は両将軍の兵士を使えば十分可能かと思いますが……」

 

「元皓殿、あなたは各将軍の癖を考えていない。文将軍は特に功名を焦るばかりに突出しやすい。敵をうまく攻めている今だからこそ下手に敵の攻撃を防げてしまえば敵に突撃。孤立しかねない。だからこそこの微妙に有利になった次点で兵を一旦引かせ、冷静な判断を下せる顔将軍や張将軍に前線を引き継がせるのよ」

 

「なるほど」

 

「それに実は他にも策は講じてある」

 

 そう言いながら郭図は不敵に笑みを浮かべた。




後数時間ではありますが、良いお年を!
それから八卦の陣に関しては、あくまでも陣形としては実在していないというのが現在の有力な学説とされております。詳しく知りたい人は是非調べてみてください!


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第七九話 演習の終焉

お待たせ致しました! すいません、投稿が遅くなってしまって。


 賈詡は呂布の軍勢が敵と当った瞬間に敵が退き始めたのを見て、不思議に思った。

 

「敵は優勢のはず。この状況ならいっそ恋達の部隊と他の軍勢をぶつけた方が良いはずなのに……。なぜ?」

 

 出てきた軍勢に張の旗と顔の旗が翻っているのを見て、すぐに狙いに気づく。

 

「敵はおそらく騎兵に長けた将軍をぶつけて恋の突撃をいなすつもりね」

 

 賈詡は不敵な笑みを浮かべた。何せ呂布は天下最強と言っても過言ではないほどの猛将である上、騎兵の扱いは長けている。何せ異民族の侵攻を何度も受けている涼州で鍛え上げられた部隊だ。冀州の兵馬ごときに負けるような柔な鍛え方はしていない。そうとでも言いたげだった。

 しかし、その笑みは呂布が両軍とぶつかった瞬間に消えた。

 あの呂布率いる騎馬隊を正面から受け止めていたのだ。

 

「何!」

 

 それもそのはず。この冀州北岸の幽州は漢を何度も悩ませてきている北方騎馬民族の襲撃を最も受けている場所。その地を治めていた公孫瓉を下した顔良に、その後、公孫瓉の元で騎馬隊の扱いを見て聞いて、実際に訓練してきた張郃が守っているのだ。呂布といえどそう簡単に抜けるような陣ではない。

 

「全軍、前進し、呂将軍の軍勢の手助けをします!」

 

 賈詡は旗色が悪いと判断し、全軍に前進を命じた。

 

 

 

「皆さん! 盾を構えてください!」

 

 顔良は言った。前線で構えていた兵士達が盾を構える。顔良が何かを近くの兵士にささやくと、その兵士は手に持っていた旗をはためかせる。

 すると兵士達は盾を構えた状態で素早く陣形を変化させていく。中央が大きくへこむように下がっていき、逆に右翼と左翼の兵士が大きくせり出していく。

 

「無駄」

 

 呂布は一点をめざし思いっきり突撃を仕掛ける。それに合わせるかのように周囲の董卓軍の兵士も呂布に続いた。しかし、その程度のことで突破を許すような顔良ではない。

 

「槍隊、構え! 弩弓隊は直ちに構えて射撃準備!」

 

 盾を構えた兵士の後ろにいた槍兵達が一斉に槍を突き出した。呂布の周囲の兵士はそれで吹き飛ばされ戦闘不能になるが、呂布は奉天画戟を一閃。なぎ払う。

 

「射撃開始!」

 

 一斉に弩弓兵の矢が董卓軍めがけて飛び出していく。それは正面からだけではなく、四方八方から押し寄せてくる。

 しかし、呂布も決して簡単には倒れない。ついに一角に穴をこじ開けそこから穴を大きくしていく。

 

「撤収!」

 

 顔良は旗色が悪いと感じたのであろう。すぐに兵を引き始めた。それを逃がす呂布ではない。追い打ちのため追撃を仕掛ける。そこに先ほど殲滅されかかっていた張遼軍が混乱を取り戻し、追撃に加わる。

 

「そうはさせないぞ!」

 

 文醜隊が救援のために弩弓隊に矢を撃たせる。しかし、その程度で踏みとどめられるほど追撃の手は甘くない。

 

「ここは儂の出番かの」

 

 張郃の騎馬兵が駆け出し始める。一本槍のように呂布軍に迫る。

 

「あっち行ってて」

 

 呂布は邪魔とでも言いたげに奉天画戟を一薙ぎする。しかし、その一撃を張郃は食い止める。

 

「嬢ちゃん、なかなか良い一撃を出すな」

 

 しかし、力押しすれば確実に負けると判断したのであろう。すぐに呂布への攻撃をやめて周囲の兵士に攻撃を始めた。呂布はそれを食い止めようと追いすがるが、如何せん味方の将兵が多い。その数が仇になって思うように追えない。

 その追撃の手が緩んだ一瞬の隙を突いて、顔良は兵の体勢を立て直し始めた。ここに前線は完全に乱戦の様を呈し始めたのだ。

 

 

 いよいよどちらが勝つのか分からない展開になりつつある。それでも戦場を一望している郭図は不敵な笑みを隠そうとしない。

 

「そろそろですか?」

 

 近くに控えていた田豊は尋ねた。

 

「ええ。合図を出して」

 

「御意」

 

 近くの兵士に大きな旗を振らせた。しかし、乱戦をしている地点で大きな変化はない。

 

「これでどう動くかしら?」

 

 郭図は小さく呟いた。その瞬間、視界の端に小さい騎馬隊が草原を移動中の賈詡本隊に向け突撃を仕掛けていくのが見えた。これこそまさに郭図が狙っていたことであった。

 

 

「軍師殿、大変です! 本陣に敵兵が攻撃を仕掛けてきました!」

 

 その言葉に賈詡は一瞬信じられない気分になった。何せ前線は本陣から遙か遠い場所で行われている。敵の攻撃が届くはずがない。

 

「敵は!」

 

「対象は見慣れぬ槍を携えた女性です! 旗に趙の文字が書かれています!」

 

 賈詡はとっさに信じられない思いで聞いた質問に返ってきた答えは衝撃的なものであった。趙の旗で袁紹軍で有名な人物はあまり聞いたことがない。

 誰かいなかったか。

 記憶の引き出しを探っていると一人心当たりがある人物を思い出した。

 

 趙雲。

 袁紹の命を救ったことで、袁紹のお抱えになった武将。その後、晋陽での戦闘に置いては伏兵を配置し、袁紹軍の勝利の立役者となった武官だ。専ら正面切っての戦闘よりも袁紹軍の手先となって奇襲を仕掛けるのを得意としている将軍だ。噂では袁紹軍の裏の実力者である田中にかなり目をかけられている人物であるとの噂もある。

 

 とにかく決して油断ならない人物だ。

 

「直ちに魚鱗の陣を敷きなさい! 呂将軍に本陣奇襲を食らい危険、至急来援されたしと伝えなさい!」

 

 賈詡は落ち着いて指揮を執る。

 魚鱗の陣であれば騎兵の突撃を防げると判断したのであろう。しかし、如何せん相手が悪かった。

 

「火矢を射かけよ!」

 

 周囲は草原、しかも大軍であるから進撃は遅い。

 この瞬間、賈詡達本隊の運命は決まった。



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第八〇話 田中と陳羣の密約

 本当に申し訳ありません。荀攸だと思い込んでいた人物が陳羣でした。この場を借りてお詫び申し上げます。
 感想蘭でご指摘いただいた方、本当に申し訳ありませんでした。


「演習の大勝利を祝いまして、乾杯!」

 

 袁紹の音頭と共に楽団が一斉に曲を奏で始め、宴会に招かれていた文武官達は酒をあおる。

 今回董卓軍と袁紹軍による大演習は郭図が考え出した策によって大勝利を得たのだ。その郭図は今回の勝利の立役者として一番の歓待を受けている。

 

「それにしてもこの度の郭公則殿の策は見事な策でございましたな」

 

 皆が郭図を讃えている中で田中はこっそりと宴会を抜け出した。もう一人の主役がいなかったからだ。

 

「ここにいたか」

 

「田中殿」

 

 田豊は宴会場の外で一人で佇んでいた。その姿は勝者のそれでは無く、むしろ敗者に近い雰囲気を醸し出していた。

 

「私は無力な人間です。我が君の側近であり、田中殿にこれほど目にかけていただいているのに公則殿の足下にすら及ばない。やはり私は不出来な人間ですね。あらためて我が君の配下の質の高さというものを思い知らされました」

 

 そう。袁紹陣営は曹操に負けたためにあまり注目されないが、当時としては全国的にも名の通った名士達をかなりの人数抱え込んでいる大勢力であるのだ。決して田豊は無能なわけでは無い。むしろ優秀な部類であったろう。しかし、袁紹陣営の中では霞んでしまう。

 

「私は我が君の側近には似合わないのかも知れません」

 

「そうでは無いと思うよ」

 

 田豊の言葉を田中は遮る。

 

「あなたはまだこの陣営の人の特徴を把握できていないだけだ。鳥もいきなり空を飛べるわけでは無い。何度も何度も空を飛ぶ練習をして空を飛べるようになるのだ。人間もまた然り。これから慣れていけば良い」

 

 田中は諭すように言う。

 

「私ができるようになるでしょうか?」

 

「ええ」

 

 だが、彼女が成長するには袁紹陣営幕僚の理解がいる。少なくとも田豊側から対立を起こすようなことはこれで無くなるはずだ。これから先の問題は郭図や逢紀となってくる。それをどうするかが田中の腕の見せ所だ。

 

(曹操との対峙も近い。急がねば)

 

 田中は内心、決意を固めつつも田豊の前では毅然と振る舞った。冷たい風が吹いていた。

 

 

 

 

「郭公則殿、少しよろしですか?」

 

 田中は次の日、郭図に声をかけた。

 

「構いませんが、何です?」

 

「元皓についてなのですが……」

 

「田さんですか」

 

 一瞬郭図の顔が曇った。

 

「その様子では元皓のことはよく思われていないのですか?」

 

「……」

 

 郭図は顔を背ける。

 

「何がそんなに嫌悪されるのですか? 少なくとも味方同士ではありませんか?」

 

「あなたはこの漢の豪族についてあまりご存じないようですね」

 

 そう言うと郭図は語り出した。

 

「我が君もそうですが、ある地域を占領するとその地域の豪族をいかに自分の味方につけるかが重要になってきます。私は郭家、田さんは田家といった具合です。逆に豪族側はいかにして未来ある主君について、かつ重役に登り詰められるかが重要になってきます。もしそれが失敗すれば、自分の地位をなくすだけでは済まされないからです」

 

「え! どういうことです?」

 

「豪族側が失権すればその地域一体は別の者の地域となる。つまりどう扱われるかが分からないと言うことです。ひどいときだと奴隷のように扱われる可能性すらある。我々、豪族はそういった全ての責任を背負ってここにいるのです」

 

「……」

 

 衝撃的な内容に田中は愕然とした。なぜ権力争いがあれほど熾烈になるのかがよく理解できる。

 

「確かに田さん個人としてはそういったつもりは全くないのかも知れません。ですが、我々は我々なりの仲良くできない理由があるのです」

 

 そう言うと郭図はその場を後にした。

 田中はしばらく動けなかった。確かにそれほどの事態ともなれば、仲良くできない理由もよく分かる。しばらく考えた後、田中はある人物の元を尋ねることにした。

 

 

 

「田中殿でしたか……。これはこれは」

 

 陳羣は田中を執務室の中へと通す。彼は袁紹陣営の人事権の大部分を取り仕切る人物だ。田中は陳羣ならば何かしら案があるかも知れないと尋ねたのだ。

 

「すいません。急に尋ねてしまって。実は……」

 

 田中は事の次第を簡潔に話し、自分の越権行為ではあるがこうした問題をどう解決すべきかを尋ねた。

 陳羣はしばらく考えた後にゆっくりと話し出した。

 

「私自身は陳家の名を背負っていますが幸いなことに陳家は全国的にも名の知れた名士。私にも地方の豪族の方の考えは分かりかねる部分はございます」

 

 されど、と陳羣は続ける。

 

「元皓殿の尊敬している人物からの頼みです。私としても考え得る限りの手は打ちましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

 田中は陳羣に礼を言う。

 

「しかし、私としてもできることとできないことがございます。決して完璧にできるとは思われないよう」

 

「無論です。私としてもできる限りのことはしますので何かございましたら、遠慮無くお申し出ください!」

 

 後に田中のこの行動は歴史書でも語り継がれることになる有名な逸話となる。田中が残してきた功績でもこれが一番大きいという歴史家も少なくはない。

 田中のこの行動が後にどういった結果を結ぶのか。それは追々語っていこう。



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第八一話 攻めるや否や

すいません。言い訳はもう言いません。ですが、一言だけ。免許は大変だ。
※この前の回にも記しましたが、陳羣と荀攸を誤って表記しておりました。本当に申し訳ありません。今後、この様なことがないよう気を付けます。ご指摘いただいた方、本当に申し訳ありませんでした。


「袁紹は動かないわね……」

 

 曹操は呟きながら、机を叩く。袁紹軍の諜報機関は相当な規模のはずだ。曹操陣営の動きなど手に取るように分かるだろう。戦力がまだ整いきっていない今が絶好の攻め時のはずなのに攻撃を仕掛けてこないことに疑問を抱かざるを得ない。

 

「桂花!」

 

「ここに」

 

「袁紹は何を考えていると思う?」

 

「おそらくはこちらの現状を把握しつつも動けない事情があるのでしょう」

 

「その理由は?」

 

「袁紹陣営の強みはその圧倒的な組織の巨大さと人材の強さにあります。ですが、その優秀な人材はお互いに権益などの敵対関係にある。つまり巨大さ故の連携のしづらさがあります。おそらくは袁紹陣営の中で攻めるか否かで揉めているのでしょう」

 

 荀彧の言葉になるほどと曹操は相づちをうつ。

 袁紹の性格が優柔不断な性格であることは曹操は重々承知しており、部下の意見が割れた際にどちらに付くのか迷っている袁紹の姿が目に浮かんだのだ。

 

「ならば私は今何をすべきだと思う?」

 

「やはり国内の安定化を図りつつ軍備を増強。一刻も早く袁紹との対決に備えるべきかと」

 

 しかし、このとき彼女らはある人物を考慮に入れることを忘れていた。袁紹陣営の陰の実力者とも言われた田中の存在であった。

 

 

 

「我が君。現在、曹操は国力を増しつつある時期であります。おそらくこれから先、放っておけば大きな脅威となります。一刻も早く奴を討伐すべきと考えます」

 

 郭図が切り出したのはここ最近袁紹陣営で何度も議論されている内容であった。

 

「その件に関しては私は反対です」

 

 立ち上がったのは田豊だ。

 

「現在我が君は冀州、幽州、并州を併合したばかり。足下が固まらずして軍事行動に入れば足下を確実にすくわれます。ここは軍事行動を控えて内政に集中すべきです。さすれば数年後には曹操とは圧倒的な差が付きます」

 

「それには私も賛成です~」

 

 沮授も賛同する。

 田中は議事の流れを見ながら慎重に考えていた。

 

(確かにこの状況を逃せば、次に戦うときには曹操はかなり強力になっている。あえて地盤の固まっていないうちに攻撃するのも手だ。だが、足下が固まっていないのも事実。特に董卓陣営を抱き込んでいるために下手な動きはかえって首を絞めることになる)

 

 交戦派は郭図、逢起といった古参の人間達が中心となっており、厭戦派は沮授や田豊と言った冀州併合時から来た者達が中心となっている。

 袁紹はずっとしかめっ面をしながら双方の意見を聞いていた。

 

「田中殿、田中殿! どちらに致しますか?」

 

 横に控えていた審配が小声で尋ねてくる。

 

「いや、迷っている。どちらの意見にも一長一短がある。今各地の情報を考えながら、判断している」

 

 田中は苦しい表情で言う。特に恐ろしいのは袁術が大きな動きを見せないことだ。袁術は袁紹と肩を並べられるだけの大きな勢力にまで膨れあがっている。普通に考えて何かしら仕掛けてきそうなところだが……。

 

「少し休憩しましょうか」

 

 袁紹が初めて口を開いた。この言葉に皆が席を立ち思い思いに行動し始める。隣の者と話す者。外の空気を吸いに行く者。

 そんな中、田中は袁紹が消えた執務室へと足を進めた。

 

 

 

「我が君。田中でございます。お時間よろしいですか?」

 

 田中の言葉に返答するかのように部屋の扉が開く。

 

「田中殿。私はどうするべきなのです?」

 

 開口一番に袁紹が言った。

 

「私も考え中であります。ただ、一つだけ田中個人としてお伝えしておきたいことがあります」

 

 田中はそう切り出して話し始めた。

 

「曹操が新たに手にした兵団。青州兵と言われるようになる兵士たちですが、奴らは後に曹操の覇権拡大に大きな原動力となる者達であると記憶しております。ただこの世界で本当にそうなるかは分かりませぬ。また現在、東郡にいる劉備ですが、あの者達は袁術と曹操に挟まれた地です。そう遅くないうちに袁術はつぶしにかかるでしょう。そうなれば黄河の南の橋頭堡を失うことになります」

 

「確かにそうですわね……」

 

「ただ我が軍も決して一枚岩とはいかないのも事実。董卓陣営を漢室とともに抱え込んだことでかえって足を引っ張っております。そこで一つ策がございます」

 

「一体どんなものですの?」

 

 袁紹は田中から策を聞き、大きく頷いた。

 

「確かにそれならば戦を長引かせず、董卓陣営に心配することもありませんわ!」

 

「はい。ただしこれは大きな賭でございます。失敗すれば我が軍は袁術や曹操に構っている暇ではなくなりますから、慎重に行動なさいますよう。特に我が軍には董卓陣営の間者が多く紛れ込んでおります」

 

「分かりましたわ」

 

 袁紹はそう言って田中に部屋を先に出るよう促した。

 田中は元の自分の席へ戻り一人策を考え続ける。

 

(これがうまくいけば外部の問題は取り除ける。後は内部だな)

 

 陳羣の姿を目の片隅におきながら田中は考えた。陳羣も何となく視線を感じたのか田中の方を向くと立って歩いてきた。

 

「田中殿、どうも」

 

「陳先生。わざわざご丁寧に」

 

「この前お話しした件についてですが、どうにかなりそうです」

 

「そうですか!」

 

 田中は目を見開き言った。

 

「ええ。現在我が君にもお話ししているところですので、近いうちに発表になるかと」

 

「それは良かった。これで曹操との対決に入れます」

 

「これより会議を始めます!」

 

 袁紹の言葉に陳羣は振り返り、一言だけ告げ戻っていった。

 

「田中殿、何としても我が君を、元皓を勝たせてやってください」



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第八二話 張り巡らされる謀略

お待たせいたしました!


「……。以上のように臣は天下の平和を望むためにも賊臣袁術を討たんと挙兵することのご許可をいただきとうございます!」

 

 袁紹は皇帝劉協に進言した。時は191年10月。秋の収穫も終え、攻撃するには絶好の時期である。

 

「う、うむ。なるほど。そちの言わんとしていることは、よう分かった。ただこの混乱が収束したばかりの時期に攻めるのは如何なのじゃ?」

 

「お答えさせていただきます。現在袁術はあろうことか漢室を天と仰がず、別の人間を天と仰ぐ次第。これはもはや漢の臣下にとって許されない行為であります。しかもそれが我が親族から出ていることに激しい憤りを覚える所存であります。どうか陛下、出陣のご許可を賜りたく存じます!」

 

 袁紹はそう言うと力強く頭を垂れた。

 

「そうか。貴殿の意向よう分かった。では少し他の者と相談をさせてもらえないか?」

 

「陛下の思し召しのままに」

 

 袁紹は意外にもすんなりと引き下がった。劉協はその意外さに驚きつつも袁紹を下がらせ、相国の董卓を呼び相談した。

 

「そちの意見を聞きたい」

 

「出陣の件に関しましては賛成致します。確かに袁術の行っている行為は到底許される行為ではなく、もしこれ以上野放しにしようものなら漢室の名声は地に落ちることとなるでしょう」

 

「そうか。だが月よ。朕は心配なのじゃ。あの本初はどこか腹に一物据えているようで油断できん。ましてや同族袁術を討つとは、あまりにも妙だ。さらにここで功名を与えてしまえば後につけあがる隙を与えかねんのでは?」

 

「その可能性は低いと思われます。何せ袁家といえば四世三公の漢の重鎮中の重鎮。身内から出た問題は身内で解決しようとするのは別におかしな事ではございません。そのようなことを考える可能性は低いかと……。第一つけあがるとしたら、陛下をお助けするときほどの絶好の機はございませんでした。これを逃して今つけあがるのは考えづらいかと……」

 

「いずれにせよこれ以上、本初自身にその気が無くても本初が功績を挙げれば配下の人間が黙っておるまい」

 

「なるほど。とっさに妙案は出ませんので一日ほど考えさせてもらってもよろしいですか?」

 

「うむ。できる限り早急に頼む」

 

 そう言って董卓は宮廷を出て行った。

 董卓はその足で一番信頼している賈詡の元へと向かった。

 

「ねえ、詠ちゃんはいる?」

 

「あ、これは相国! おつとめご苦労様です! 賈先生なら中で書簡を読んでおられます」

 

「ありがとう」

 

 門番の兵士に礼を言って中へと入っていった。賈詡は董卓の懐刀のような存在であることから待遇も非常に良い。宮殿からほど近い官僚の家が建ち並ぶ中でも一際大きいのが賈詡の家だ。

 

「詠ちゃん」

 

「月! どうしたの?」

 

 賈詡は董卓を見かけるなり読んでいた書簡を放り投げて、董卓を出迎える。すぐに近くの召使いにお茶の準備をするよう伝え、屋敷の中へと招いた。

 

「実は天子様から……」

 

 そう言って董卓は賈詡に劉協からの話を打ち明けた。賈詡はしばらく悩みこむ。確かに止める道理はどこにもないが袁紹陣営に全くの企みがないかと言われれば、少し疑問を持つ。何せ袁紹陣営と言えば数多くの優秀な謀臣がいる。決して漢室の利益のためだけに動くとは思えない。

 

「確かに天子様の言わんとしていることは理解できるわ。ただ、断る理由もない。ならばいっそ……」

 

 そう言って賈詡は董卓にある策を伝えた。

 

「これならば天子様も納得するはずよ」

 

「確かに! さすが詠ちゃん!」

 

「べ、別に、このくらい普通よ。まあ月の役に立てたのなら何よりだわ」

 

 少し頬を赤くしながら賈詡は呟く。

 

「では詠ちゃん。すぐに関係各所に連絡を入れてちょうだい」

 

「分かった。月は明日にでも天子様にこの策を伝えてちょうだい」

 

 そう言って二人は別れた。漢室を抱え込んだ袁紹ではあったが、まだ漢室と袁紹の関係は一筋縄にはいかない。

 

 

 

 それから三日後、袁紹は皇帝の元を訪れていた。

 

「大将軍に告げる! 逆賊袁術の討伐の任を命じる!」

 

「この身に余る光栄! 陛下の命、この命を投げ捨ててでも遂行いたします!」

 

「また、相国董卓に命じる! 大将軍袁紹の配下にそなたの兵馬を預け、討伐部隊に参戦せよ!」

 

「御意!」

 

 この言葉に一瞬、袁紹が固まる。そしてすぐに袁紹が話し出した。

 

「陛下、発言の許可を願いたい!」

 

「うむ。許す」

 

「本案件は我が精鋭だけで片付く事案でございます! わざわざ董相国の手を煩わせるまでもございません!」

 

「陛下。私からも発言の許可を」

 

 董卓が一歩前に出て言った。

 

「よかろう」

 

「感謝いたします。大将軍の兵馬は確かに精鋭。されど此度の問題は貴殿の問題のみにあらず。漢全体の問題であります。もし私がこの問題を貴殿のみに任せていれば、我が名が地に落ちます。どうか、共闘のご許可を願いたい!」

 

 そう言って董卓は頭を下げた。通常ではあり得ない行動に袁紹は目を丸くし、すぐに董卓の頭を上げながら言った。

 

「相国、そのようなことはおやめください! そのような崇高なお考えとは、この浅はかな私は理解できておりませんでした。どうか無礼をお許しください。それならば喜んで共闘いたしましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

 こうして袁紹軍と董卓軍は連合軍としての出陣が決定した。

 

 

 

「我が君、面倒なことになりましたな」

 

 その夜、袁紹の執務室を尋ねた逢起は開口一番に告げた。

 

「面倒とは?」

 

「共闘という名の監視役を付けられたと言うことですよ。奴ら、実質的には我々をまるで信用していないのでしょう。万が一反乱を起こした場合。ないしは我が君に手柄を独り占めされないように布石を打たれたのです!」

 

 逢起の言葉に袁紹は笑い出した。

 

「我が君……?」

 

「いや、あなたの考え、見事に策にはまっていると思うと笑いが……」

 

「策ですと?」

 

「ええ。これは元から予測していたことですよ」



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第八三話 逢紀との絆

「策とは一体?」

 

 逢紀が袁紹に尋ねた。

 

「董卓陣営を巻き込んだ戦争ですよ」

 

「だからそれが問題だと……!」

 

「良いですか。現在我が軍は連戦に次ぐ連戦に疲れ始めております。曹操は精強で有名な青州兵を傘下にいれ急激な拡大を続けております。勢いを失った水流が急な水流とぶつかれば飲み込まれてしまう。我々に必要なのは急流なのです」

 

「それが董卓軍だと……」

 

「ええ。彼女の配下には呂布を始めとする猛将。そして西涼より連れてきた精強な兵馬。最近は戦闘も無く兵士達には溢れんばかりの闘志がみなぎっている。まさに滝のごとき勢いを持っておりますわ。されどこれを巻き込む大義名分が無い。ならばいっそ疑われている立場を利用した方が好都合ですわ」

 

「これは見事な……。私が浅はかでした、お許しください」

 

「いいえ。これは田中さんの策ですわ」

 

「何ですと!」

 

「彼が策を示してくれたおかげですわ」

 

 袁紹の言葉に逢紀は面白くなさそうに顔をしかめた。その様子を見た袁紹は逢紀に向かい言った。

 

「元図……、いえ萼さん。田中さん達、新規の臣下を面白く思っていないことは分かります」

 

 萼とは逢紀の真名だ。逢紀は袁紹の核心を突いた言葉に思わず目を見開く。

 

「ただ、我々は味方なのです。無理に仲良くしろとは言いませんが、もう少し協力してあげてはくれませんか?」

 

「麗羽……。私は……。ただ……」

 

「ええ。分かっておりますとも。あなたは私がまだ幼かった頃から仲良くしてくれていました。私が命を狙われていた頃にもよく私のことを守ってくれましたね。でも、もう大丈夫。自分の敵か味方かくらいは分かりますわ。何せ私は袁本初なのですから!」

 

 そう言って盛大に高笑いをして見せた。袁紹の普段の高笑いとは違い、どこか強がりの見える笑い方だった。だが、その強がりがどこか袁紹らしさを感じさせる雰囲気を持っている。

 

「……ふふっ。そうね、あなたはもう一大君主。あの小さかった麗羽とは違うものね」

 

「ええ。そうですとも」

 

「ごめんなさい。どこかで私の記憶は止まっていたみたいね」

 

 そういった逢紀の目は透き通った色をしていた。

 

 

 

「曹操軍において大きな軍事的な動きが見られます。おそらくは我が軍と対峙するつもりかと……」

 

 許攸が報告する。曹操のところに張り込ませておいた密偵から連絡があったのだ。

 

「青州兵がついに出たか」

 

 田中はため息交じりに言う。

「青州兵」。曹操軍の中でも精鋭中の精鋭であり、曹操個人に仕えたと言われる軍団である。この軍団が登場することで曹操の名前は天下に轟くようになったと言っても過言ではない。

 

「しかし、我が軍はまだ公孫軍や北方騎馬民族との戦闘で疲弊している上、まだ統治の体制が盤石ではない。軍事衝突は時期尚早だ」

 

「ええ。ですが、我が君にこのことを報告しなくては」

 

「そうなれば逢殿や郭殿が黙っていません。おそらくは決戦を急ぐはずです」

 

「彼女たちは最近、沮殿や田殿が重用されているのを見て功に焦っていますからね」

 

 許攸の言葉に田中は頷く。あの二人さえどうにかできれば袁紹に勝機がある。

 

「となると我々の出番かも知れない」

 

「と申しますと?」

 

「我々が得意としているのは内部工作や情報収集などの諜報活動。裏工作をして我が君の周囲を我々の味方に付けてあの二人を押さえ込む」

 

「しかし! あの二人は我が君の重鎮中の重鎮。そこら辺の人間が抗ったところでどうしようもありませんよ!」

 

「ならば発言力の強いお方の手を借りれば良い。幸いなことに私の名は裏で天下に轟いておるようだしね」

 

「まさか……! しかし、それは一歩間違えれば首が飛びますよ!」

 

「それ以外では手がない。残念ながら我々には時間が無いのだ」

 

 田中は呟いた。静かな語調ではあったが重い言葉だ。

 

「……。私は反対です」

 

「別に君が反対でも構わない。むしろ君はこれに関与してはならない」

 

「それはどういう?」

 

 意外な言葉に許攸は戸惑いながら聞き返す。

 

「……」

 

 田中はその尋ねに答えはしなかったが静かにいくつかの書簡を取り出し説明を始めた。

 

「これは私が考え得る限りの可能性を考慮した上で書き記した今後の展開や敵情。そして今後の諜報活動の展望だ。何かあればこの書簡を参考にしてみてくれ」

 

「田中殿。それ以上は言ってはなりません」

 

「それからここに引き継ぎに必要な情報は全部載っている。これを見れば全部分かるはずだ」

 

「田中殿!」

 

「良いか。曹操は君が思っているほど弱い人間ではない。もしここで私がいや、我が君麾下全軍が死力を尽くさねば奴に勝つことはできん。一人でも別の方向を向いてしまえば奴にそこを突かれる」

 

「田中殿、別に大丈夫ですよ」

 

 その声に思わず二人は黙り込んだ。その声は一番聞かれてはいけない人間の一人のもの。

 

「逢殿……」

 

「盗み聞きをするつもりは無かったのですが、聞こえてきてしまったもので」

 

 田中は背中に冷や汗が伝うのを感じた。逢紀に先ほどの内容を聞かれていたと言うことはただではすまない。

 しかし、田中の耳に入ってきた言葉は予想外の言葉だった。

 

「田中殿。今までの無礼を承知の上で言わせてもらいます。どうか今後も麗羽のためにも協力してやってくれませんか?」

 

「え!」

 

「私は今までさんざん、あなた方の意見と対立してきた人間。そこに私怨が無かったと言えば嘘にはなりますが、それ以上に麗羽を思う上であったことだけは天に誓って本当です。だからどうか今後とも麗羽のことをよろしくお願いします」

 

「は、はい」

 

 田中と許攸は面食らったような顔で逢紀の出て行く背中を見守る。その背中はどこか吹っ切れたような堂々たるものであった。



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第八四話 曹操の決断

 袁紹軍、出陣す。

 

 この一報は大陸全土を瞬く間に駆け巡った。既にその名を天下に轟かせていた袁紹の動向は各諸侯の注目の的であったのだ。

 袁紹は劉協から逆賊討伐の任を受けたと言うことで出陣を宣言。その配下には「顔良」、「文醜」の二枚看板、名将「張郃」、晋陽の英雄「趙雲」といった名だたる武将。そして袁紹陣営の名参謀「沮授」、「田豊」、旗揚げ時からの盟友「逢紀」、「郭図」といった名文官達。まさに袁紹陣営の主要な幕僚が名を連ねていた。

 さらに驚かれたのは袁紹軍の補助として董卓軍の神速「張遼」、そして天下最強の名を持つ「呂布」といった猛将が含まれていることであった。

 おそらく当代の英雄のほとんどを集結させたような構えに誰もが敵の敗北を悟った。

 この大陸においてほんの一部を除いて……。

 

「華琳様、袁紹が動きました」

 

 荀彧の言葉に曹操は不敵な笑みを浮かべた。

 

「ついに来たわね、麗羽。あなたが勝つか、私が勝つかで今後200年の歴史が決まるわ」

 

「どう為されますか?」

 

「……幕僚を集めてちょうだい。緊急会議を行うわ」

 

「御意」

 

 既に曹操の答えは決まっている。だが、ここで家臣団を一枚岩にするためには意見を聞く必要があるのだ。

 夜間にも関わらず集めることに時間は掛らなかった。それだけいつ何が起きても良いように備えていたと言うことだろう。

 武官で言えば曹操の親戚でもある夏候姉妹、文官で言えば曹操陣営の知恵袋「郭嘉」、古くからの忠臣である「戯士才」など曹操の重鎮達ばかりであった。

 

「これより皆に一つ質問をする。忌憚の無い意見を言ってほしい」

 

 曹操は一拍おいてから話し出した。

 

「皆も知っての通り袁紹が動き出したわ。総数は十五万はくだらないでしょうね。果たして我が軍は戦うべきか、それとも和平を結ぶべきか」

 

 皆が凍り付いたかのように黙っている。戦えば敗北は必至、和平を結ぶにしても自軍に有利な条件を相手が呑むとは思えない。誰が見ても絶望の二文字しか浮かばなかった。

 何せこの周囲には袁紹の息が掛った領主も少なくはない。彼らを黙らせるために全軍を袁紹と対峙させるわけにはいかない。そうなると動員できるのは精々五万ほどであろう。戦力差は三倍。さらに率いている将は誰もが名を知る名将ばかりであり、兵士達は幾たびもの戦乱を乗り越えてきた精鋭。兎が虎に挑みかかるようなものだ。

 

「我が君、私は和平を結ぶべきと考えます」

 

 一歩出て答えたのは戯士才であった。袁紹陣営に一時は捕らわれていたが決して寝返ることは無かった忠臣だ。その忠臣が和平という意見を出したのは臣下にとってよほど意外であったのだろう。皆が目を見開いた。

 

「なぜ?」

 

 曹操が感情の感じさせない声で聞く。彼女の感情を声色から感じ取ることができない。

 

「まず第一に袁紹の方が領土が広大な上肥沃であります。冀州、并州、幽州の三州を収めております。これに対し我が軍は荒れ果てた青州を持つのみ。第二に豊富な兵力。これは袁紹自身のものもありますが、董卓配下の将兵も含まれており、兵力は強大です。第三に人材。袁紹には逢紀を始め、許攸、郭図、田豊、沮授といった優秀な文官が揃っております。これらはいずれも天下に名高い知識人。これらに率いられた文醜、顔良を始めとする兵を巧みに操る武官もきら星のごとくおります。しかも天下最強と名高い呂布までも出陣してきているとか。これでは我が軍には勝ち目がありません。第四に袁紹の元には漢室がおります。これでは我が軍には義がございません。どこに勝機がありましょうか。一刻も早く降伏を行うべきです」

 

「……」

 

 曹操は黙ったままだ。彼女は下を向きその表情から感情を読み取ることはできない。

 

「我が君、私は袁紹と戦うべきと考えております」

 

 一人が前に進み出ながら言った。郭嘉だ。

 

「言ってみなさい」

 

「はい。戯殿は勝機が無いなどと仰りましたが、戦う前から降伏などと言う臣下がどこにおりましょう。さらに言えば先ほど申されました理由はどれも適当ではありません。まず領地と兵力に関してでありますが、袁紹はこれらを完全に使いこなせることはありません。第三の人材に関して言えば袁紹の配下は誰もが名門であるが故にまとまることがありません。必ず意見が割れます。これに加え派閥争いが激しく、一枚岩で戦うことは無理でしょう。第四の漢室についてでありますが、もはや漢室などの名は地に落ちました。巷では『天の御遣い』などと噂が立つほどです。お気になさることはありません」

 

 郭嘉の言葉に皆が一斉に顔を見合わせた。あまりにも思い切ったことを言うことから意外に感じたのだろう。

 

「しかも我が軍の後方に控えているのは天の御遣いを手元に置いた袁術です。決して袁紹に引けを取るような者ではございません」

 

「袁術ですと! あのような蜂蜜馬鹿が袁紹の敵になるわけ無いでしょう。一瞬でひねり潰されます」

 

「奴自身が驚異なのでは無く袁術配下の紀霊、張勲といった有能な者が何名おります。これらを含めれば決して引けを取りません」

 

「ふんっ! どうだか……」

 

「今言い争いをしている場合では無いわ」

 

 曹操が冷たく言い放つ。

 

「両名の意見よく分かった。他は何かある?」

 

 曹操の言葉に応える者は誰もいない。

 

「ならば私の意見を言いましょう。この曹孟徳は……」



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第八五話 決戦へ向け

 お久しぶりです。お待たせいたしました。


「我が君、今のところ進軍は非常に順調であります」

 

 中国文明の礎とも言える黄河の流れを左手に見ながら袁紹軍は進軍を続けていた。袁術を討つにはこの黄河を渡る必要がある。しかし、率いている軍団は大軍だ。そう簡単に渡れる場所は無い。そこで利用しようと考えたのが劉備がいる東郡であった。そこで白馬の地から上陸し、袁術達を叩こうと考えていたのだ。

 

「ご苦労。我が軍の偉容を見せつけるように進軍を続けなさい」

 

 袁紹は田豊の言葉に満足げに言った。袁紹軍は幾たびも戦闘を経験し、質、数共に漢最強の軍団と言っても差し支えが無いほどのものである。

 一方袁術と言えば、それほど大きな戦闘を経験したことは無く、規模も袁紹には届かない。しかし、袁術方には袁家本流と言うこともあり、数多くの名士や太守が付いている。単体ではたいしたことが無くても群れでは非常にやっかいな相手と言えよう。

 さらに言えば数多くの名士が付いていると言うことはそれだけ武力では無く、謀略に長けており配下の張勲を筆頭に与しづらい相手であった。

 

「急ぎ河を渡り、白馬の地に布陣いたしましょう。おそらく敵方はこちらの動きに気付き、何かしら手段を講じているはずです。もし我が軍が渡りきる前に敵に動かれたら劉備軍はひとたまりもありません」

 

 郭図が進言した。

 今回の作戦の最大の障害は河を渡りきれるかに掛っていた。白馬の地は劉備配下の地と言えど東群の両側は袁術、曹操によって占領されている。白馬を落とされれば袁紹軍は橋頭堡を失う。

 

「我が君、足の速い騎馬兵を率いて~、先行させては如何でしょう~?」

 

 沮授が献策する。

 

「ならば、儁乂(張郃)がよろしいでしょう。彼は騎馬隊の扱いに長けています」

 

「張将軍だけでは何かあったときに危険です~。献策をできる人間を一人付けましょう~」

 

「なら、沮授あなたがいきなさい。あなたなら以前から顔見知りだから連携も取りやすいでしょう」

 

「御意~」

 

 沮授はすぐに馬を駆けさせていった。

 張郃は沮授から話を聞くとすぐに軍を二手に分け、足の速い騎馬兵のみを率いてすぐに先行を始める。

 そんな彼らの元へ一騎の早馬が駆けてきた。それは劉備配下の孫乾であった。

 

「袁将軍の軍団の方でありますか!」

 

「ああ。どうなされた?」

 

「大変です! 曹操軍の猛攻を受けており、我が軍は崩壊寸前です!」

 

「くっ! 我が君の元へ報告を! 私はすぐにでも白馬へ向かう!」

 

「いえ、ここからでは間に合わないでしょう~。ならば我が君の本隊と共に動き、白馬を決戦の地にした方がよろしいかと~」

 

「何ですと! 軍師殿は劉太守を見殺しにすると申されるのですか!」

 

「いえ。劉太守の元には臥龍と鳳雛がいたはずです~。彼女たちであれば何の考えもなしに動いていたとは思えません~。太守のことは彼女らに任せましょう~。それから……」

 

 沮授はある人物を呼び出した。

 

 

 

 

「既に曹操は我が領内に進入しており、ここ濮陽も危険です」

 

 配下の密偵の言葉を聞き入るのは諸葛亮と鳳統である。この場には彼女らだけでは無く、関羽や張飛と言った劉備軍の幕僚が揃っていた。

 

「すぐにでも城を捨て、白馬へと撤退すべきです! さもなければ袁紹軍と手を結ぶことは不可能になり、一方的に撃破されます!」

 

 まず発言したのは関羽だ。

 

「だが、愛紗! このまま何もせずに退くというのは、悔しいのだ! せめて一回は戦うべきだと思うのだ!」

 

 張飛が反論する。

 

「今回侵入してきた敵軍の主力はあの青州兵だ。殲滅されるぞ!」

 

「そんなの戦ってみなければ分からないのだ!」

 

「はわわ! 両将軍とも落ち着いてくだしゃい!」

 

「あわわ! とりあえず敵の情報に関して何か無いのでしゅか?」

 

「詳細は分かりませんが五万ほどかと! 牙門旗には曹の一文字が掲げられていました!」

 

「兵の走り方はどうでしたか?」

 

「え?」

 

「兵士達の走り方です。揃っていましたか?」

 

「い、いえ。バラバラでした」

 

「ならば、曹操はまだ来ていませんね」

 

「どういうことだ?」

 

 鳳統の思わせぶりな言葉に関羽がいぶかしげに聞いた。

 

「曹操が率いている青州兵は精鋭中の精鋭。軍隊の基本でもある走り方が揃っていないのは精鋭ではありません。つまりあれは青州兵ではない。おそらく曹操本隊は別の場所にいるはずでしゅ」

 

「ならば……」

 

「あれには勝ち目があります」

 

「なら、すぐに出陣……」

 

「いえ。敵将に関する情報が少なすぎます。さらに言えばあれほどの大軍であれば生半可な兵力では踏みつぶされるでしょう」

 

「ならどうすれば良いのだ!」

 

 張飛が怒鳴った。

 

「そのための袁紹に早馬を送ったのですよ」

 

 鳳統が帽子の裾をつかみながら言った。

 

 

 

 

「全く、人使いの荒い御人だ……」

 

 文句を言いながら谷を一望できる崖で伏せているのは趙雲だ。

 周囲には一騎もいない。傍目から見れば天下の袁紹軍の一将軍とは思えないほどだ。

 彼女はここに来ることになった経緯を思い出す。

 

「お呼びでしょうか?軍師殿」

 

「趙将軍~、お疲れのところ申し訳ありません~」

 

「いえいえ、疲れなどあるはずが無いでしょう。敵と戦うことを今か今かと待ち望んでおります」

 

「それは敵の猛将だったとしてもですか~?」

 

「無論のこと!」

 

「ならぴったりの任務をお願いしましょう~」

 

 こんな会話の後、なぜか用意されていた早舟に乗せられ、この任務の説明を受けたのであった。

 

「全く敵将を確認せよとは、その程度のこと誰にでもできるはず……。うん?これは蹄の音か!」

 

 すぐに崖下を見るとそこには大量の兵士が駆けているのが見える。間違いない、曹操軍であった。

 

「さてと大将は……」

 

 牙門旗のそばにいる人物を確認する。

 

「奴は……」

 

 直後、ものすごい殺気を感じ、とっさに身を翻した。趙雲がいた場所に剣が刺さる。

 

「貴様、何奴だ!」

 

「姉者、質問と行動が逆だ」

 

 そこには群青色の頭髪を持つ女性と水色の髪を持つ女性が立っている。それぞれ手には大剣と弓が携えられていた。

 

「いえ、別にただ昼寝をしていただけのこと」

 

「昼寝をする人間がまじまじと軍隊を見つめるか?」

 

「いや、見ていた記憶などございませんが……」

 

 趙雲は相手の動きを慎重に見ながら後ずさりをする。先ほどの軍団の中に馬はいなかった。つまり騎馬隊は別にいる。そして目の前にいる二人の武人。趙雲の記憶が間違いで無ければ、曹操配下の猛将夏候姉妹だ。おそらく近いうちに彼女らが率いている騎馬隊が来る。

 

「たわけ! そんな嘘が通じるとでも!」

 

 夏候惇が振り回した大剣を躱し、近くにおいていた馬目掛けて走りだした。夏候淵の射線上には夏候惇がいるため撃てない。

 

「すまんな、私は通りすがりの旅人だ」

 

 愛馬に飛び乗り、走り出した。直後、すぐ脇を矢が通り抜けた。おそらくは夏候淵が狙いを付けていたのだろう。

 

「軍師殿……。これは私にしかできない任務であったな」

 

 どこかのんびりとして抜け目の無い軍師に後で目一杯メンマをおごらせようと心に誓い、趙雲は手綱を強く握りしめた。



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第八六話 逃走

お待たせいたしました。
今回は少なめの文章です。


「待て! 待たんと斬るぞ!」

 

「おぬしは待っても斬るだろう」

 

 コントのような会話を行いながら駆ける騎馬が三騎。ふざけているようだが、その中で行われている攻防が本気であることを物語っている。的確に狙う弓矢、時折振るわれる斬撃を槍で躱し、急所を穿つべく放たれる刺穿を体を捻りよける。

 一瞬の隙すら許されない攻防だ。

 しかし、幸いなことに二人の配下の部隊は追いついていない。どこかで引き返さなくてはならなくなるはずだ。

 そのときまで趙雲が持ちこたえれば良いということになる。

 

(そのときまで私が生きていれば、の話だがな)

 

 趙雲は一人でさえ豪傑と言われる武将を二人相手にまわして戦っているのだ。いくら趙雲が槍使いの名手といえど、厳しいことには変わりない。

 

 

 

「その槍使い、そしてこの風貌……」

 

 夏候淵は矢を放ちながらも相手の事を考えていた。自慢するわけではないが、自分も姉の夏候惇も武勇の腕は相当な物のはずだ。その二人の攻撃を避けながらも攻撃を返し、話す余裕もある人間などそう多くはない。こちらの動きを見ていたということは敵、つまりは袁紹の配下ないしはその協力者である可能性が高い。その中でも槍使いの人間で武勇に優れている。

 

「顔良や文醜ではないしな……。張郃でもない。一体、誰だ?」

 

 このとき趙雲は確かに有名にはなりつつはあったが、まだ漢全土へ知れ渡るほどの武勇ではなかった。

 

「貴殿ら、私を追い回しているが、部下達を連れていなくても大丈夫なのか?」

 

 趙雲は夏候惇の斬撃をすれすれで躱し、尋ねた。

 

「部下……。しまった、部下達を置いてきていた!」

 

 夏候惇が青ざめながら言った。

 

「姉者、落ち着け。既に文則に任せてある」

 

「ならばこやつを討ってからでも間に合うな!」

 

 よくもまあ表情をコロコロと変えられるものだと半分感心しながらも、趙雲は逃げる。このままでは埒があかない。

 

「ただ姉者、時間も時間だ。そろそろ引き上げて本隊を率いねば、華琳様が来る」

 

「ムムム……。確かに、それはまずい。だがこやつを逃がしては……」

 

「いや、敵方にこれほどの人材がいると分かっただけでも良いだろう。姉者、退こう」

 

「……分かった」

 

 そう言って彼女は斬撃を止めた。

 

「私を逃がしても良いと?」

 

「ならば決着を着けるか?」

 

「姉者、止めろ。挑発だ」

 

 夏候淵が鋭い声で言い放つ。趙雲は油断せずに槍を構えている。

 

「こやつはここで討ち取ろうとすれば時間が掛る。それになかなかの豪傑と見うる。もし殺しでもしたら華琳様がお怒りになるだろう。今、討ち取ることは得策ではない」

 

「むう……」

 

 仕方が無いといった様子で夏候惇は剣を鞘に収めた。

 

「と言うことだ。貴殿は行かれよ」

 

「戦場で会おう」

 

「そのときは容赦はしない」

 

 夏候淵の言葉を聞くと踵を返し、本隊への帰途についた。

 

 

 

「なるほど~、夏候姉妹がそんなことを~……」

 

 張郃軍へ到着次第、詳細を沮授に報告した。既に彼らは白馬へ駐屯していた。騎馬兵のみで動いたことが功を奏したのだ。

 

「ええ。あの連携力は驚異です。軍を率いる能力は分かりませんが、腕は確かです。さらに申し上げれば部下にも優秀な将がいると見受けられます」

 

「名は?」

 

「文則……と」

 

「なら于禁の事でしょう~」

 

「于禁……ですか?」

 

「ええ。最近曹操軍の中で~、台頭してきた武将集団の一人です~」

 

「軍師殿。如何なされますか?」

 

「趙将軍、なぜ私が~貴殿を偵察に~行かせたか分かりますか?」

 

「戦う可能性があったからでは?」

 

「それだけなら~別の将でも~勤まりますよ~」

 

 沮授は笑った。

 

「何か見ていて~気付いたことは~ありませんでした~?」

 

「気づいたこと?」

 

 趙雲は記憶を呼び戻し、よく考え直す。

 

「そういえば、率いている将が一人変わった者がいましたな」

 

「于禁ではないのですか~?」

 

 沮授は趙雲からの報告に質問した。

 

「いえ、ならば牙門旗が于だと思うのですが、そこに掲げられていたのは廖の文字でした」

 

「廖?」

 

 沮授は怪訝な顔を浮かべた。

 

「何か心当たりが?」

 

「どこかで聞いたことがある気がするのですが……」

 

 そのとき兵士が入ってきた。

 

「申し上げます!本隊が渡河を開始した模様です」

 

「分かりました~。警戒を強めてくださいね~」

 

「御意」

 

 兵士が去って行ったのを確認して沮授は趙雲に言った。

 

「その者の調査は私の方で行います~。趙将軍は劉備の救援に言っていただけますか~?」

 

「承知しました。張将軍への報告は?」

 

「私の方から行っておきます~」

 

「ありがとうございます。では、行って参ります」

 

「趙将軍、くれぐれも警戒をしてくださいね~」

 

「は……、その真意は?」

 

「劉備が必ずしも味方とは限らないと言うことです~」

 

「……肝に銘じます」

 

「ではお気を付けて~」

 

 沮授の言葉は趙雲の心の中に重くのしかかっていた。



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第八七話 動き出す陰

「そう、水色の髪の武将に発見されたと……」

 

 先行している夏候軍の伝令が報告を曹操の元へと届けていた。

 

「その者は趙雲で間違いありませんね」

 

「趙雲?あの晋陽攻略戦で活躍した?」

 

「ええ。常山の出身で槍の扱いに長けております。北方の出身と言うこともあり、騎馬の扱いにも長けているとか」

 

 荀彧が曹操に伝えた。

 

「袁紹の先鋒は張郃。ならば間違いなく彼の指揮下にあると思われるわ」

 

「ええ。張郃の配下ともなると厄介ですね。彼は言わずと知れた名将。彼の元に夏候姉妹と互角に戦える猛将が付けば苦戦は必至です」

 

「しかも密偵の報告では軍師として沮授が付いていると聞いているわ」

 

「さすがは袁紹ね。手堅い手法を取ってくるわ」

 

「こうなれば正攻法は厳しいでしょう」

 

「桂花、どうすれば良いと思う?」

 

「奇策を用いつつ、敵の分裂を狙うのが一番かと」

 

「分裂?」

 

「敵は劉備、董卓、袁紹の三つの連合軍です。こちらと比べ連携が取りづらい。そこをうまく利用するのです」

 

「ではその策を用いるわ。すぐに準備を」

 

「御意」

 

 

 

 

「曹操が動いたか……」

 

 田中は呟いた。ついに曹操と袁紹の正面対決が始まる。自分が知る歴史では袁紹はこの戦いで大敗した。しかし、今回は前回とは違い、袁紹陣営は固まっており、勢力も強大。一見、曹操に勝ち目はないと考えられる。

 それはあくまで一般論。前世の歴史でも曹操に勝ち目が無いと言われつつも、袁紹は負けた。曹操を侮るのは危険だ。

 

「間諜の報告によれば曹操軍は濮陽近郊で劉備軍と戦闘状態に入ったとのこと。また何人か董卓陣営に怪しい人物の出入りを確認したとのことです。おそらくは曹操軍の手の者と……」

 

 許攸が報告した。

 

「曹操ならやることだろうな。特に董卓はあくまでも我が君と同等の存在。割るならちょうど良いところだ」

 

「董卓軍は大丈夫でしょうか」

 

「董卓の指示が無い限りあの者達は動かない。そういう人選になるよう仕組んである」

 

「とは言えど、董卓軍が寝返れば我が軍は大混乱に陥ります。そもそもあの軍は我が軍の目付役として投入された部隊。信頼に足るか否か……」

 

「それは我が君が判断されることだ。我々臣下は考え得る全ての対策をしておくだけだ」

 

「その通りですわ」

 

 今聞こえるはずのない声が聞こえ、二人は驚き声の方を見た。

 幕僚用に張られた天幕の出入り口に金ぴかの鎧が見える。くるくるの縦巻き髪。堂々たる風格。

 

「我が君、出迎えも無く失礼いたしました」

 

 大急ぎで田中は頭を下げ、許攸も大急ぎで頭を下げる。

 

「別にそこは構いませんわ。それよりも……」

 

 袁紹は喝と怒鳴った。

 

「張将軍方は我々に寝返るような方ではございません!」

 

 袁紹の勢いに二人は黙り込む。

 

「私もお二人にお会いしてきましたわ。私の優秀な文官達も彼女たちについて様々なことを言いましたが、私の目には二心ある人物に見えませんでしたわ」

 

 袁紹の言葉は一見何も考えてない人間のものに聞こえる。しかし、彼女の目は数多くの謀略を乗り切ってきた人間の目だ。そう簡単に欺くことは不可能だろう。

 

「しかし……」

 

 言いかけた許攸を田中が制した。

 

「申し訳ございませんでした。出過ぎたまねを致しました」

 

「それで構いませんわ」

 

「それより我が君。ここへは何のご用で?」

 

「そうでしたわ。袁術軍の動向はどうなっていますの?」

 

「袁術軍ですか。では、こちらに……」

 

 そう言って袁紹を部屋に置かれた地図の前に誘った。

 

「現在、袁術は本拠地である汝南にいると間諜からの報告がございました。しかし、袁術には張勲や紀霊がいます。官渡周辺にも偵察兵を出して、常に警戒させております」

 

「そうでしたか。ならば安心ですわね……」

 

 しかし、そういう袁紹の顔色は優れない。かつて袁術軍の紀霊には廬植を殺されている。因縁の相手だ。

 

「此度の戦は今までで最も過酷なモノとなるでしょう。田中殿の活躍には期待しておりますわ」

 

 袁紹はそう言うと天幕を出て言った。

 

「田中殿、我が君は過酷と言いながら、なぜ董卓軍を信頼しておるのですか?それに田中殿も諫められないのです?」

 

「我が君は確かに、あまり賢くは無い。しかし、裏切る人間か否か程度は見抜くことができる。あのお方は陰謀渦巻く宮中を乗り切ってきたお方だ」

 

「そ、そうですか……」

 

 不安な表情をしながら許攸は言った。

 そう、今回は袁紹陣営は一枚岩となっている。史実のような敗北はしない。

 

「それよりも我々は袁術や他の陣営の邪魔が入らないか情報を集めるぞ」

 

「はい」

 

 二人はそう言って間諜からの報告書を読んでいった。

 

 

 

「張将軍の命により趙雲が劉太守に拝謁いたします」

 

 趙雲は劉備がいる濮陽に到着していた。戦闘中と言うこともあり、城内は慌ただしかった。

 

「よく来てくれました、趙将軍。詳細はシュ……、軍師に尋ねてください」

 

 そう言うと横にいた二人の少女を見た。

 

(劉備に軍師……。ということは、これが噂の臥龍と鳳雛か)

 

 趙雲は二人を見つめた。見た目は年端もいかない少女だ。袁紹の軍師も独特な人物が多いが、こちらの軍師も相当だなと思った。

 

「はわわ……、そ、それでは現在の状況を説明いたしましゅ……」

 

 一人の少女が舌をかみながら説明を開始する。

 

「この濮陽から東へ行くと黄河の支流が流れています。曹操軍とはそこでにらみ合いが続いている状況です。我が軍は関将軍率いる二万、それに対し、曹操軍は戯士才率いる五万の軍勢が布陣しています」

 

「他の軍勢は?」

 

「探しても見つかりませんでした。おそらくは到着が遅れているものと……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、趙雲は違和感を感じた。自分が見たとき、既に夏候姉妹の軍勢はかなり近づいていたはずだ。彼女らが布陣していないばかりか存在も発見されていないのは怪しすぎる。

 しかも曹操は用兵の達人。到着が遅れることはまず考えられない。何かしら裏があるはずだ。

 

「なるほど。では軍師殿、私はいかにしたらよろしいか?」

 

 あえて趙雲はその違和感を押し込み尋ねた。

 

「関将軍の加勢に言ってください。その間に我々迎撃の準備を整えます。準備が整えば伝令をよこしますのであえて敗走したふりをしてください。そこで追撃してきた曹操軍に痛打を与えます」

 

 その言葉を聞き、趙雲は承知と返事をした。

 

「では、趙将軍は関将軍が布陣する地に向かってください」

 

 その言葉を聞くと彼女は配下の兵士を引き連れ濮陽を後にした。



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第八八話 裏切りと恨み

「趙将軍が関羽の援軍に向かったとのことです!」

 

 伝令の兵士が張郃の天幕へ報告に来た。

 

「ほう……。劉備は子龍を関羽のところへ向かわせたか」

 

 天幕内に設置された地図を見ながら呟いた。

 

「そこでは子龍殿に万が一のことがあれば援軍に間に合いませんね~」

 

 沮授が自軍の状況を見ながら言った。

 張郃軍は現在、白馬に駐屯しており本隊の渡河を援護している。ここを投げ出して援軍に行くことは敵わない。

 

「だが、まだ動くことはできない……。曹操軍は誰が率いている?」

 

「戯士才とのことです~」

 

「戯士才であれば、我が軍の実力を知っているはず。おそらく積極的に動くことはないだろう。むしろ問題は曹操の本隊が発見されていないことにある。奴は一体どこに……」

 

「曹操の用兵術は天下一。おそらくは我が軍の守備が最も手薄なところを狙うはずです。さらに言えば夏候姉妹などの主立った将が見えないのも気になります」

 

「手薄だと?一体どこだ?」

 

「今最も手薄なのは……」

 

「張将軍!敵襲です!旗には曹の文字が!」

 

「敵の狙いはここか!」

 

「将軍、曹操の目的は攪乱です~。くれぐれも落ち着いて対処してきください~」

 

「兵士達には魚鱗の陣を敷かせ、敵の攻撃から身を守れ! 騎馬隊はすぐに騎馬を率い、深入りした敵を討伐せよ!」

 

「御意!」

 

 張郃の言葉を聞くと伝令の兵士が走り出した。

 

「しかし、なぜ攪乱など……」

 

「兵力差が圧倒的です~。ですから戦闘開始前から士気の差を付けておきたかったのでしょう~」

 

 沮授は答えた。しかし、彼女の脳裏にはもう一つの懸念事項があった。

 

「張将軍、念のため、配下の兵士には常に鎧を着けさせておいてください~」

 

「む、それは何故だ?」

 

「念のためです~」

 

 

 

「敵は見事ね!」

 

 曹操は目の前の陣形を見ながら言った。襲撃を始めてから僅かの間に敵の旗と太鼓が鳴るなり、狼狽えていた敵兵が陣形を敷いた。見る見るうちに魚鱗の陣を敷き終わり、こちらの攻撃に対応し始める。

 

「袁紹軍と言えば、度重なる戦闘を経験しており精鋭揃いです」

 

 冷静に答えるのは荀彧だ。

 

「桂花、そろそろかしら?」

 

「ええ。もう十分でしょう」

 

「秋蘭、兵を引かせなさい!」

 

「御意!」

 

 夏候淵がすぐに兵士に伝達をすると太鼓が鳴った。今まで敵陣に食らいついていた曹操軍が一斉に引き始める。そのしんがりを務めているのが夏候淳だ。

 

「全く、相変わらず春蘭は目立ちたがり屋なのだから……」

 

 曹操は呆れ気味に言った。

 

「華琳様、間もなく劉備の方が……」

 

 荀彧の言葉に曹操は不敵な笑みを浮かべた。

 

「さて、袁紹はどうでるかしらね」

 

 

 

「趙将軍、劉備軍から伝令です!」

 

 伝令が趙雲の元へとやってきた。

 

「間もなく関将軍が攻撃を仕掛けるので、撤退の準備をとのことです!」

 

「承知した!」

 

 趙雲は答えると副将を呼び寄せた。

 

「良いか、全軍に伝えよ。劉備軍にバレぬよういつでも命令通り動けるよう連携を断つな、とな」

 

「は……、それは理由をお聞きしても?」

 

「劉備軍は何かしら企んでおるかも知れぬ。万が一に備え、準備しておけ」

 

「……御意」

 

 副将は静かに頷くと伝令の兵士を呼び寄せ、命令を伝えた。

 

「さて、この予感が当らぬと良いが……」

 

 趙雲は劉備軍を見つめた。間もなく河を渡り、敵と激突しようとしていた。

 

 

 

 

 激突してから、しばらくした後、関羽軍に撤退命令が出たのだろう。一斉に兵が退き始めた。

 

「撤退!」

 

 タイミングを見て趙雲が命令を出した。趙雲軍も撤退を開始する。

 その瞬間、目の前に一斉に兵士が現れた。見ると劉備軍の鎧をまとっている。

 

「くっ、やはり図られたか」

 

 趙雲は顔をしかめる。

 

「このままでは危険だ!一斉に突撃を敢行、包囲網を突破せよ!」

 

 趙雲は全軍に命じた。後方は河で向こう岸には曹操軍がいる。この場で戦うことは不可能だと判断したのだ。

 

「趙将軍!曹操軍が渡河を開始しました!」

 

「敵に追いつかれる前に突破するのだ!」

 

 趙雲軍は騎馬隊を戦闘に劉備軍に突っ込んだ。幸いなことに大きな混乱も無く、兵士は隊列を組み直し、突撃を敢行する。

 趙雲軍は袁紹軍の中では新参者が多いが、他の領主の軍に比べれば戦闘経験は段違いに多い。

 瞬く間に敵を蹴散らしていく。

 しかし、劉備軍の数は予想以上に多く、突破には至らない。

 

「このままですと曹操軍に追いつかれます!」

 

 後方から追いついてくる敵の旗印が目に入った。「廖」と書かれた赤い文字はどこか炎を思わせる文字だ。

 

「後方に構うな!正面だけを見続けよ!」

 

 趙雲は必死で馬を走らせた。

 

 

 

 

「父君の敵、必ず晴らす!」

 

 趙雲を追う武将は目をぎらぎらと輝かせながら全軍を走らせていた。

 炎を思わせる真っ赤な髪に黒い瞳。その両手には双剣が握られている。

 

「廖化、いざ参る!」

 

 彼女こそ晋陽での黒山賊との戦闘で首を切られた廖元の子、廖化だった。

 

「将軍、我が軍は突出しすぎでは!」

 

 配下の武将が忠告してくる。実際、廖化軍は趙雲軍を追う余り少し曹操軍から離れつつあった。

 

「いや、今こそ敵将の首を取る絶好の機会! 足を止めることは許さぬ!」

 

 配下の武将に怒鳴りつけ、前方を見据えた。

 

「逃がしはせぬ!」



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第八九話 趙雲の危機

「我が父の仇、ここで取らせてもらおう!」

 

 廖化は叫んで趙雲軍に突貫した。騎馬に兵士が吹き飛ばされていく。

 

「廖将軍、やはり突出しすぎです! 危険かと!」

 

「何を! 我が君は敵を殲滅せよとお達しである! これは軍令だ、敵への歩みを止めた者は斬る!」

 

 廖化は副官に叫んだ。

 無論、私怨だけでは無く、この場で趙雲を討ち取ることができれば袁紹軍の士気を下げることも可能であるし、今後の戦闘を優位に進められる。その考えに間違いは無い。

 しかし、このときの廖化軍の突出の仕方は異常であった。

 細く伸びた前線の尖端に位置していた廖化軍の勢いに後方の軍がついて行けず、徐々に孤立していったのである。

 何せ趙雲軍は騎馬を中心とした騎馬隊だ。趙雲自身の指揮能力を合わさってその機動力は生半可なものではない。それについていけば当然、他の軍から切り離されるのも無理は無い。

 

 

「ここで後方の敵を叩く手もあるが……」

 

 趙雲は切り離されつつある廖化軍を見て考えた。ここで一戦交えて撃破する手もあるが、貴重な時間が失われる。もし後方の敵に囲まれればいくら趙雲でも手の施しようが無くなる。

 

「後方の敵は気にするな! 前に向かってのみ進むのだ!」

 

 しかし、趙雲はこのとき劉備軍の二人の天才が動いていることに気づいていなかった。

 

 

 

「まさかとは思いましたが、ここまでとは……。噂に名高い猛将ですね」

 

 遠く見える趙雲軍の動きを見て言った。軍の動きを見ればその指揮官がどれほどの能力かは判断できる。

 鳳統はその能力の高さに鳥肌が立った。おそらく劉備軍で趙雲とまともに戦えるのは関羽と張飛くらいの者だろう。それにもかかわらず袁紹軍の中ではまだ、それほど高い地位にいるわけでもない。

 これから戦う袁紹軍の巨大さに恐ろしさしか無かった。

 

「だからこそ、ここでたたきのめしておく必要がありますね」

 

 そう、今、袁紹に対抗できる勢力と言えば曹操と袁術くらいのものだろう。彼女らに自分たちが有能な存在であることを示すためには、ここで趙雲軍を殲滅することが必要だった。

 

「狼煙を!」

 

「御意」

 

 近くの兵士に命じた。すると紫の狼煙が上げられた。

 

「朱里ちゃん、頼みますよ」

 

 鳳統は小さく呟いた。

 

 

 

「将軍! 前方に敵兵が!」

 

「む、伏兵か!」

 

 趙雲は副官からの報告を受け前方を見た。前方には諸葛の旗印を掲げた一軍が控えていた。鶴翼の陣形に広がっている。

 おおよそ戦力は四千ほど。まともに戦えば、今の時間が無い状況では絶望的だ。

 だが、周囲は河に囲まれており、敵を迂回することはできない。

 

「全軍、鏑矢の陣形を組め! 全軍突撃する!」

 

 趙雲の指示を聞くなり、騎馬隊でも突破力のある精鋭が前方を固め、矢印のような陣形になる。

 

(敵軍の事だ。間違いなく弓弩を備えているだろう……。ここを突破できるか……)

 

 趙雲は前方の軍を見つめた。ものすごい勢いで敵軍に接近していく。

 直後、前方から無数の木枯らしにも似た音が聞こえた。空に黒い棒が幾筋も走る。

 

「来るぞ!」

 

 趙雲の言葉が言い終わらないうちに周囲にものすごい数の矢が突き刺さった。趙雲は槍を振るい矢をたたき落としていく。

 他の兵士達も必死に盾を構え、剣を振るい矢から体を守ろうとする。しかし、如何せん数が多すぎた。

 何人もの兵士が矢に体を射貫かれ朱に染まって倒れていく。

 

「くそっ!」

 

 趙雲は叫んだ。しかし、為す術はない。それでも趙雲軍は突貫を続ける。

 ついに敵前方と接触。敵兵がなぎ倒されていく。しかし、運が悪い騎兵は盾にはね飛ばされ振り落とされたところを狙い撃ちにされた。

 趙雲も必死に剣を振るい、周囲の敵兵を倒していく。

 

「将軍! ここは我々にお任せを!」

 

 副官が叫んだ。

 

「……すまん」

 

 趙雲はこの場を切り抜けられるとしても僅かしかいない、それを直感で感じ取ったのだ。そうなればこの部下達は死んでも自分を生かそうとするだろう。自分が逃げ切らなければ、部下達も逃げられない。

 

「お前らもすぐに逃げろよ!」

 

 そう言って趙雲は愛馬をむち打った。

 

 

 

 

「この辺りですかね……」

 

 諸葛亮は戦局を見ながら言った。想像以上に趙雲軍は手強く、趙雲を討ち取るまではいかなかった。しかし、大きな損害を出させることには成功したはずだ。

 

「軍師殿、どうやら袁紹軍の兵、約一万がこちらに向かっていると……」

 

「気づきましたか。思ったより早いですね」

 

「兵を退きますか」

 

「ええ」

 

 諸葛亮は全軍に撤退を命じた。

 そこへ廖化軍が到着した。

 

「趙雲軍は?」

 

「見ての通り。大半は討ち取りましたが、趙雲は逃げました」

 

「くそっ! ならば追いかけます!」

 

「今からでは不可能でしょう。間に合わない上、袁紹軍一万が接近しています」

 

「しかし!」

 

「お気持ちは分かりますが、ここはお引きください」

 

「……ちっ! 退くぞ!」

 

 廖化は悔しそうに命じた。これから先、いくらでもその機会はある、何せ戦争は始まったばかりなのだから。



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第九〇話 曹操の偽の怒り

「趙将軍!」

 

 駆けつけたのは顔良の部隊だった。沮授から緊急の要請と同時に田中達、諜報部隊から劉備裏切りの急報を聞きつけた袁紹が顔良を派遣したのだ。

 

「顔将軍、すまない」

 

 趙雲は顔を背けた。彼女の周囲には兵士はほとんどいない。

 

「遅かったのですね……」

 

「私の責任だ」

 

 趙雲は出陣前に沮授から警告を受けていたにも関わらず、それを防ぐことができなかった。

 

「とりあえず張将軍のところへお送りします」

 

 顔良達は敵襲に警戒しながら、張郃の元へと向かった。

 

 

「やはり劉備が裏切りましたか~……」

 

 報告を聞いた沮授が呟いた。

 

「分かっていたのですか?」

 

「何となくではありますがね~。警戒するように言ったのは~、そのためです~」

 

 趙雲は顔を下に向けた。

 

「全ては私の責任です。どうか軍法にて裁いてください」

 

「まだ趙雲殿には~やるべきことが~残っておりますから~」

 

 そう言って沮授が処罰を拒否した。

 

「しかし、それで我が君は納得されるのですか?」

 

「既に許可は~取り付けております~」

 

 趙雲の疑問に沮授が答えた。

 

「今、我が軍は曹操軍の本隊とぶつかる可能性が高い。騎兵の指揮官が必要だ」

 

 張郃が言った。

 

「曹操軍がもう既にここに到達しているのですか?」

 

「ちょうど趙将軍が~戦っている頃に~、曹操の本隊がここに来ましてね~」

 

「追い返したが、奴の軍の機動力は相当なものだ。本隊が渡河を終えるまでここを守り切る必要がある」

 

 張郃は苦り切った顔をして言った。趙雲は、その表情から自分に与えられる任務が困難なものになることを予測した。

 

 

 

 劉備が寝返ったことにより無欠で手に入った濮陽に曹操軍は入城した。

 そこで曹操は主立った将を集め軍議を開いていた。

 

「袁紹軍は初戦に敗退したと?」

 

 曹操の言葉に戯士才は頷いた。

 

「ええ。趙雲は大半の兵を討ち取られ、敗走したとのことです」

 

「それで彼女は?」

 

「それが……。取り逃がしたと」

 

「取り逃がした?」

 

 その瞬間、曹操の目に怒りの灯がともった。

 

「あれほど趙雲は捕らえよと伝えたはず! なぜ捕らえなかったの!」

 

「どうやら劉備の裏切りに勘づかれていたようで、敵の立ち直りが想定以上に素早く……」

 

「言い訳など聞きたくは無いわ。桂花!」

 

「ここに」

 

「戯士才の首を切りなさい」

 

「我が君!」

 

「華琳!」

 

 その一言に夏候淵や荀彧が、一斉に立ち上がった。

 

「戯士先生の功績は大きい! これまでも我が軍の多くの点で支えてきた功績がある! 華琳、余りにも厳しすぎる!」

 

 夏候淵が必死に止めた。

 

「甘いわ、秋蘭! 趙雲は稀代の将、彼女を逃せばどれほどの損失が我が軍に出るか!」

 

 曹操の言葉は間違ってはいない。今回、圧倒的優位な状況で戦っていたはずの劉備、曹操連合軍は趙雲の部隊に想像以上の苦戦を強いられた。被害は五〇〇〇ほどにまで昇り、挙げ句の果てに肝心の趙雲を逃したのだ。

 

「奴を逃したことは万死に値する」

 

「だが!」

 

「我が君、お待ちください!」

 

 荀彧が小さな体からは想像ができないほどの大声を上げた。

 

「戯士殿は確かに許されざる失敗をされました。しかし、同時に彼女の功績も非常に大きい。大戦の前にあって彼女ほどの功労者を斬れば、全軍の士気が下がりましょう。ここはもう一度、機会を与えるべきかと」

 

「ふむ……」

 

 曹操が少しの間考え込む。

 

「分かった。桂花の案を入れるわ」

 

「感謝いたします」

 

 戯士才は頭を下げた。

 

「戯士才、次は無いわ」

 

「御意」

 

 曹操はそう言うと軍議を再開した。

 

 

 軍議が終わり、戯士才は荀彧に近づいた。

 

「桂花、ありがとう」

 

「竜刃、良いのよ」

 

 彼女たちは元々既知の中だ。既に真名は交換している。

 

「元々、我が君はあなたのことを斬るつもりなんか毛頭無かったわ」

 

「だろうね」

 

「あら、読めてたの?」

 

「我が君の命をしくじった私を軍法で裁かねば、軍の規律が乱れる。体裁だけでもああいう発言をするしか無かったことは分かっているわ」

 

「さすがは竜刃ね」

 

「おそらくあなたが言わなければ、誰かの言葉を聞いて同じような処置、ないしは軽い刑で済ましたはずよ」

 

「それ、我が君の前で言っちゃだめよ」

 

「あの人は天邪鬼だからね。ふてくされるから言わないわ」

 

 にやにやとしながら言った戯士才を、心底良い性格をしていると荀彧は思った。

 

「ところで、実際、趙雲はどうなの?」

 

「手強いわ。彼女が率いていた軍は精強揃いでかつ指揮も的確。正直、あれ以上の軍とは戦いたくはないわね」

 

 戯士才の言葉に荀彧は顔を顰めた。

 

「それは我が軍以上なの?」

 

「聞いている情報では趙雲軍は中の上くらいの実力らしいわ。本隊が率いているのはさらに強いらしい」

 

「厄介なことね」

 

「本当に……」

 

 戯士才はため息をついた。

 

 

「勝ち目はあるの?」

 

「袁紹軍の内部分裂を狙うしか無いわ」

 

「とは言っても……」

 

 長期戦は無理だと言いかけたところで、戯士才はある存在を思い出した。

 

「なるほどね」

 

「我が軍だけじゃない。袁紹の苦戦につけこんで我々はゆっくりと平らげれば良いわ」

 

 荀彧の口角がつり上がる。それは獲物を狙う捕食者を連想させるどう猛なものだった。



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第九一話 絡み合う謀略①

謀略関連の話がこれから多くなりますので、しばらくお付き合いください。


「袁術軍が接近中か」

 

 田中は報告を見て呟いた。

 洛陽方面に向かわせていた密偵からの報告だ。

 

「袁術軍はかつて廬先生が討たれた……」

 

「ああ。間違いない」

 

 許攸の苦り切った顔に田中は頷く。

 かつて袁紹軍は袁術軍と衝突。その際に廬植が討ち取られた苦い過去がある。

 

「袁術軍と曹操軍が手を結べば厄介なことになる。その前に討ち取る必要があるな」

 

「我が君に報告を?」

 

「ああ」

 

 田中はすぐに袁紹の元へと向かった。

 

「我が君。袁術軍が洛陽方面に進軍。狙いは我が軍かと」

 

「田さん」

 

 袁紹が田豊を呼び出した。

 

「ここに」

 

「美……、袁術は我が軍を攻撃するつもりですの?」

 

「軍の動きからして間違いありません。曹操軍の動きと呼応していることから、密接に連絡を取り合い、頃合いを見計らって我が軍を挟撃するつもりかと」

 

「よろしい。軍議を開きましょう。董相国の張将軍と呂将軍も呼んでちょうだい」

 

「御意」

 

 袁紹は主立った将に招集を掛け、今後の方針を話し合うことにした。

 

 

「現在、我が軍は南方に曹劉連合軍、西側に袁術軍を見ております。このまま静観を続ければ間違いなく両軍は挟撃の準備を整え、我が軍は危険な状況に立たされます」

 

 田豊が現状の説明を行っていく。

 

「そこで各将軍方にはご意見を賜りたく存じます」

 

 田豊はそこで一旦話を区切った。

 集まった全員は目を閉じ、しばらく誰も発言しない。

 

「私は曹劉連合軍と短期決戦を行い、袁術に備えるべきと考えます」

 

 郭図が発言した。

 

「両軍挟撃体制ならば、各個撃破を行う良い機会です。袁術軍よりも少数の曹劉連合軍を先に撃破するのが得策かと」

 

「ですが、そんなに簡単に曹劉連合軍が撃破できますかな」

 

 発言したのは逢紀だ。

 

「曹操は青州にいた黄巾の残党を吸収していると聞きます。彼らは実戦を経験しており、我が軍に負けずとも劣らずの戦力とみられます。軽率な攻撃は危険です」

 

「ならば、どのようにしてこの危機を乗り切るのです?」

 

「元々、曹操、劉備、袁術は仲が良くはありません。言わば我が軍という共通の敵が現れたがために共闘しているだけの存在。ならば、その足並みを乱れさせてやれば良いと考えます」

 

「謀略を仕掛けると」

 

「その通り。これなら我が軍に血を流すこと無く敵を撃破することが可能です」

 

「ですが、その方法では攻略に時間が掛かりすぎるのでは?」

 

 郭図の疑問に逢紀が答える。

 

「袁術は猜疑心が強い人物です。特に曹操が狡猾な人間であることは重々承知のはず。その猜疑心を利用してやれば時間はそれほど掛かりますまい」

 

「元図さんの策を入れましょう」

 

 今まで発言をしなかった袁紹が言った。

 

「我が君!」

 

「確かに、公則さんの策も有効だとは思いますが、子龍さんの軍を撃破されたことを考えると正面切っての戦闘は避けるべきでしょう」

 

 袁紹は有無を言わさない強い口調で言い切った。

 

「これに関しては田中さんの部署と協力して進めなさい」

 

「「御意」」

 

 田中と逢紀が頷いた。

 袁紹は満足げに頷くと議題は別の物に移った。

 

 

「田中殿、実際うまく行く策はあるのですか?」

 

 会議を聞いていた許攸が尋ねた。

 

「不可能ではない。ただ問題は袁術配下の人間に気づく人間がいる可能性がある」

 

「張勲ですか」

 

「ああ。奴は謀略に秀でた人間だ。油断はできない」

 

「張勲は袁術と自分のため以外には頭を使わないと聞きます。それを利用してやれば良いのでは?」

 

「それしかないな」

 

 そこへ逢紀がやってきた。

 

「遅くなった。申し訳ない」

 

「いえいえ、今、袁術対策を考えていたところです」

 

「ならばちょうど良い。少し相談したいことがあって」

 

 そう言って逢紀は二人に考えていた策を打ち明けた。

 

 

 呂布と張遼は天幕に戻ると人払いをして話し始めた。

 

「現状、月達から連絡は来とらんか?」

 

 呂布は張遼の問いに首を振る。

 

「せやか……」

 

「どうしたの?」

 

「実は曹操から密偵が来た」

 

「……」

 

 呂布は表情を変えずに続きを促す。

 

「寝返れば月達を庇護下に置くという話や」

 

「受けるつもり?」

 

「正直悩んどる」

 

 袁紹は現在、董卓らを庇護下においている。別に権力を振りかざしているわけでもなく、今の状況に文句はない。しかし、袁紹がそのやり方を貫いていても配下の人間にはいい顔をしない者も多いと聞く。だからこそ、今回、袁紹単独での出撃を認めず、張遼達も出撃したのだ。

 曹操からはその点を突いてきており、果たしてこのまま袁紹達と組むことが賢明か否かと説いてきていた。

 袁紹には窮地を救われた恩義がある。できれば裏切りたくはないが、袁紹の力がこれ以上、強くなれば何が起こるかは分からない。

 

「月達はこのこと、知ってるの?」

 

「早馬でな」

 

「返答は?」

 

「その返答を待っている」

 

 張遼は大きなため息をついた。

 

「恋は麗羽を信じる」

 

 呂布が呟いた一言に張遼は目を丸くした。

 

「お前、それは袁紹の真名じゃ……」

 

「交換した」

 

「いつの間に!」

 

 呂布の予想の斜め上をいくカミングアウトに張遼は驚きを隠せない。

 

「出撃前に猫にご飯上げてたら麗羽が来て話したら交換してくれた」

 

「はぁ」

 

「そのときにいい人だったから、恋は麗羽を信じる」

 

 呂布の目はまっすぐ張遼を見ていた。張遼はしばらく呂布の目を見つめ、反らした。

 

「お前がそこまで言うんや。間違いないやろ」

 

 呂布は頭はそれほど良くないが、恐ろしいほど直感が働く。特に悪人か善人かを見分ける能力は並外れていた。

 

「うん」

 

 呂布は満足げに頷いた時、外から張遼の副官の声が聞こえた。

 

「張将軍、董相国から密書が届きました」

 

「ここへ」

 

「御意」

 

 張遼が促し、副官が手に携えた密書を張遼の前に置き、天幕から出て行く。

 張遼と呂布は顔を見合わせ、密書を開封し中を読み始めた。



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第九二話 絡み合う謀略②

「七乃~、麗羽の奴はまだ官渡におるのかの?」

 

「ええ、お嬢様。今ならば曹操さんと手を組んで、袁紹を倒すことができますよ~」

 

「だけど、麗羽を倒したところで良いことがあるのか?」

 

「だって袁紹はお金をたくさん持ってますから、お嬢様の好きな蜂蜜をたくさん買えますよ~」

 

「おお! それなら麗羽の奴を倒す意味もあるな!」

 

「さすが自分のことしか考えないお嬢様! そんなお姿もかわいらしい!」

 

 張勲は袁術の軍師として軍に随行していた。

 そのとき、不意に部屋に一人の男が入ってきた。

 

「失礼。我が君、ご報告がありまして」

 

 入ってきたのは袁術軍の将軍である紀霊だ。

 

「紀将軍、いかにされました?」

 

 先ほどまでの緩んだ表情に変わり、真剣な顔で張勲は尋ねた。

 

「全軍、出撃準備が整いましたのでご報告に」

 

「ご苦労様でした。合図があれば出陣します。それまでお待ちください」

 

 張勲は紀霊に指示を出した。

 

「張殿、そのお言葉、何度も伺っているが、今こそそのときでは無いのか?袁紹軍は未だ渡河を終えておらず、曹操軍との初戦に敗れたと聞く。今こそが好機と考えるが」

 

「いえ、まだそのときではありません。もう少し手間を加える必要があります」

 

「承知しました」

 

 そう言って紀霊はその場を後にした。

 

「のう、紀霊と七乃はなぜ我に従ってくれるのじゃ?」

 

 不意に袁術は張勲に尋ねた。

 

「お嬢様?」

 

「妾は袁家の正当な後継者であることは分かっておる。だからよってくる者達は何かしら思惑を抱えた者ばかりじゃ。じゃが、おぬしら二人は違う。なぜなのじゃ?」

 

 袁術はまっすぐな目で張勲を見つめてきた。

 小さな頃から袁術は袁家の跡取りとして甘やかされながら欲望の道具として扱われてきた。彼女は頭は良くないが、その反面、本能的に人を見抜く力は長けている。

 張勲は普段の態度を改めて袁術に言った。

 

「お嬢様のことが好きだからですよ」

 

 袁術のお世話係を申しつけられ初めて会ったあの日。純粋無垢に微笑む袁術を見て、この世にこれほどかわいらしい存在があるのかと驚いた。そしてその日誓ったのだ。この少女の笑顔を守り抜くために全力を尽くすと。

 

「そうか。七乃は妾のことが好きか!」

 

 自慢げに胸を張るこの少女。この姿を守るために消せねばならない存在がある。

 

 袁紹。

 

 袁術の姉でありながらも妾の子として生まれたが故、後継者から外された。しかし、彼女は自らの才覚のみで袁術で張り合えるだけの勢力まで伸ばした。

 これは袁家にとって二人の実力者が存在することになる。言わば跡目争いでもあるのだ。

 もしこれに負ければ、命は助かるかも知れない。

 ただそれが、袁術が笑っていられる環境だろうか。張勲が出した結論が今だ。

 

「お嬢様の笑顔は私が守ります」

 

 張勲はまるで自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 

 

 その夜、張勲は密偵からある報告を受けていた。

 

「曹操が袁紹陣営に離間の計を仕掛けているのね」

 

「はい。このまま正面切っての戦闘は不利と考えているようです」

 

「曹操陣営はどこに仕掛けているの?」

 

「どうやら袁紹陣営内部及び董卓陣営に仕掛けている模様です」

 

「こちらも便乗すればより効果が期待できそうね」

 

「しかし、袁紹内部は以前よりも強化されている上、奴らの防諜はかなり優秀です。そう簡単にはできないかと」

 

「それなら心配はいらないわ。彼らは優秀故につけ込む隙がある」

 

 そう言って張勲は一つの書簡を密偵に渡した。

 

「これを持って董卓の武将のところへ向かいなさい。バレるかバレないかぎりぎりの行動をしながらね」

 

 密偵は静かに頷き、その場から消えた。

 

「これで布石は打った。後は奴らの動きを待つのみね」

 

 

 

「袁紹に動きは?」

 

 曹操が戯士才に問いかけた。

 

「どうやら董卓陣営と揉めているようです」

 

 戯士才はにやりと笑みを浮かべて言った。

 

「田中達、防諜部が我らの計略に掛かり、張遼と呂布の裏切りを疑っている様子ですね」

 

「計略に掛かったと?」

 

「そう見て間違いないでしょう」

 

「本当にそうでしょうか?」

 

 その瞬間、疑問を呈する人物が現れた。郭嘉だ。

 

「田中は諜報を取り扱うことに長けた人物と聞きます。そんな人物がこんな簡単に計略に掛かるとは考えづらいと考えます」

 

「そういえばあなたは彼と会ったことがあるわね」

 

 曹操の言葉に郭嘉は頷く。

 

「ええ。彼は一面からの情報に頼らず、いくつかの情報を統合し複合的に物事を判断できる人物です。少なくとも彼が関わっている案件なのだとすれば不自然かと」

 

「ふむ……」

 

 曹操は目を閉じ、しばらく考え込む。そして目を開いた。

 

「いずれにせよ我が軍にとって袁紹達と相まみえる以外の方法は無いわね。軍議を始める」

 

「御意」

 

 曹操の主立った将はすぐに曹操の元へ集まった。

 

「袁紹に攻撃を仕掛ける。いつ頃が一番良いと思う?」

 

 すぐに荀彧が発言する。

 

「袁紹軍が間もなく渡河を終えると物見の兵士より報告が入っております。ですから渡り終えて進軍の準備が整うまでの間が一番かと」

 

「兵力をどの程度にする?」

 

「袁紹本隊は準備が整っておりませんので、戦力として考えなくてよろしいでしょう。陣が整っているのは先鋒の張郃軍、およそ二万程度。ですから三万もいれば十分かと」

 

「分かった。各員は出撃の準備を整えておきなさい。明日の夕刻、出陣。袁紹の先鋒、張郃軍を討つ!」



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