ベルくんちの神様が愛されすぎる ((◇))
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プロローグ
話を凝縮させるためオリジナルの設定は入っています。また時系列に関しても原作と相違点が有ります。
その日は怪物祭を3日後に控えた夜だった。
祭りを主催する【ガネーシャ・ファミリア】によって『神の宴』が開かれ、本拠地の『アイアム・ガネーシャ』には多数の人影が有った。
スーツやドレスなどの正装を身に纏った者達は給仕を除いて全員が神であり、その中に一人、ほぼ普段着を身に纏ってテーブルの端を動いている人物がいる。いつもより少し上質の普段着に上着を羽織ってフォーマルっぽく見せているその少女も勿論神である。
たとえタッパーを片手に日持ちする料理を詰め込んで、時折口に料理を詰め込むみっともない姿を見せていても、紛れもなく彼女――ヘスティアも下界の人々から神と呼ばれる存在だった。
「かりあげくんにフライポテト、うんうんガネーシャにはいい料理人がいるようだね。ジャガ丸くんが居ないのは減点だけど……おっ厚切りベーコンあるじゃないか! ベル君も喜ぶなぁ……」
無論下界に来た時点で神達は神の力を失っており、生活のランクにも差が付いてくる。ヘスティアに至ってはこの場所に居る神達と比べれば、とびぬけて貧乏な生活を送っているため、ただ飯とあれば恥は二の次だった。
そんなことをしていれば神達から注目されるのは早かった。だが他の神達もお腹が空いていたんだなぁと、腹ペコ欠食児童をみる近所のおばあちゃんの目で彼女を見ている。
「……何やってんのよアンタは」
そんな彼女に話しかけるヘファイストスは、頬袋をパンパンにした自分の友人に嫌そうに話しかける。凛とした意志の強さを思わせる表情はそこにはなく、呆れて気が抜けたため息交じりの表情だった。
友人の声に食べるのを止めて振り向くヘスティアだったが、大好きな友人の後ろにその正反対に位置する人物が居て顔をしかめる。
「くぅ~なんちゅう悲しいもん見てしもうた。ちびっこい何かがウロチョロしてるんで鼠かとおもうたわ」
「むぐ、むぐぐ……ヘファイストス! ……と、ロキ。鼠とはなんだい失礼だなぁ!」
「まぁやってることはそれに近いから何とも言えないわね……」
頬袋に食べ物を溜めおき家にもきちんと貯蓄する。鼠は鼠でもハムスターの類であることは間違いない。
「何しに来たんだいロキ、僕もそうだけど君が神の宴に来るなんて珍しいじゃないか」
「あほぅ、ドチビが顔出ししなさすぎるだけや。まぁうちの子たちまだ遠征から帰って来んし、暇つぶしや暇つぶし。暇つぶしついでにドチビの面でも拝んでおこう思うてな」
ロキ自身も神の宴に積極的に出るわけではない。 遠征に出かけた自分のファミリアの団員たちが予定日がずれたからか帰って来ず、やる事も無いから此処に来た、と言った様子だった。
だがヘスティアが神の宴に顔を出すことはさらに珍しい。彼女自身ファミリア自体結成できてない貧乏生活を送っているため、他の神に笑われるのを嫌って出てこなかったのだ。そのため他の神達からはちょっとしたレアキャラ扱いされている。
「そうかいじゃあ目的は達成しているね。じゃあ帰ってくれよ僕は夜食の確保で忙しいんだ。君の女装なんて見ている暇はないんだよ」
ちなみにヘスティアは自分の身長に、ロキは自分の胸にコンプレックスを抱いている。両者ともに踏み抜いた時点で怒ることは決まっていた。
「女そっ……ド・チ・ビ、世の中には言うたら絶対にアカンことがあるんやで。という訳でくらえやぁああああああ!!」
徐にヘスティアの持ったタッパーと、テーブルの上に置いていたタッパーを強奪すると、テーブルの奥にある料理皿の上にひっくり返す。
一瞬何をされたのか分からなかったヘスティアは、時間をかけて詰め込んだ料理達が奥に追いやられたと言う事実に思わず声をあげた。
「あああああああ!! 何するんだい止めろロキ! 絶壁! そのオードブルを詰めるのにどれだけ苦労したと思っているんだ!」
「フハハハハハハハ! 踏み台が無きゃドチビの背じゃ奥の皿には届かへんやろ! どぉーだ悔しいかフハハハハハ!」
「あんた達恥ずかしいからやめておきなさいよ……」
タッパーを引っ張り合う二人の友人に、ヘファイストスは思わず自分の頬に手を当てて溜息をつく。
神たちにとってはいつもの事のため、どっちが勝つかで賭けを始めたり、やんややんやと囃し立てることも慣れた物だ。慣れたものであはあるが恥ずかしい物は恥ずかしい。
と、そんな風に騒ぐ神達だったが、ヘファイストスは道を開く様に身体を避けた男神たちの間から、一人の女神が近づいてきたのが分かった。
その姿を見て少しだけ悩ましげに眉をひそめるも、軽く手を振る彼女に言葉で返事を返す。
「あらフレイヤ、久しぶりね」
「ふふ、お久しぶりヘファイストス。此方は随分と騒がしいのね」
三人の前に現れたのはフレイヤだった。美に魅入られた神とまで言われた彼女が、このコミカルな空間に居るのもおかしいと感じるヘファイストスだったが、自分もそのコミカルな一員にされている気がして思考を止める。
フレイヤの登場に清廉な空気でも流れたのか、彼女の姿を目に入れたヘスティアとロキは、タッパーの取り合いを止めていた。
「うえ、フレイヤか。ひ、久しぶりだね」
言葉とともにヘファイストスの後ろに隠れるヘスティア。タッパーをロキから取り換えし損ねたことなど忘れて、ヘファイストスの影から顔をのぞかせるように声を出した。
そんなヘスティアにむう、と思いながらもフレイヤは言葉を綴る。
「……私ヘスティアに何かしたのかしら」
「オーラがやらしいんとちゃうか? 男つまみ食いするならこっちのテーブルにはあらへんで」
「ええ、私もここまで華のないテーブルだとは思わなかったわ。タッパー、後で彼女に返した方がいいわよ?」
茶化すように言ったロキではあるが、フレイヤの言葉に思わず詰まって押し黙る。先ほどまで二人でタッパーの取り合いをしていたためのだから、華が無いなどと言われても仕方のないことだ。
なにより赤のドレスに安っぽいタッパー片手では締らない。ロキはそっとテーブルの上に置きなおす。
「まぁこの二人にとってはいつもの事だから、その辺りは諦めているのだけれど。寧ろ良い男避けになって清々しているわね」
ヘファイストスも男神たちに声を掛けられることは無くも無い。ただ喧嘩をする子供たちを諌めるお母さんのような状態になっているのに、話しかける男は居なかった。
「そやそや、ウチとドチビの仲やで。なぁ~ドチビ!」
ヘファイストスの言葉に気をよくしたのか、ロキはヘスティアの頭をぐりぐりと撫でながらフレイヤへ言う。
「誰が君との仲だい! あ、こら頭を押さえるな無乳!」
「聞こえんな~ウチ141セルチ以下の女神の声って聞こえんのや。いや~参ったどないしよう」
「何度でも言ってやるさ! ナイチチ!絶壁!まな板! 僕のは夢の詰まった
「っこここっここのドチビぃぃいいいいい!! 何がハハハやぁ!!」
「ふん! しっかり聞こえるじゃ……イタタタタ止めろ!アイアンクローは卑怯だぞ!」
ぎりぎりと掌に力を入れるロキに向かって必死に手を伸ばすヘスティアだったが、ロキの身体には届かない。身長というアドバンテージを有効に使われていた。
終わった筈の喧嘩がまた始まったことにヘファイストスは思わずため息交じりに目頭を押さえて、好奇の視線に晒されているにもかかわらず、フレイヤは小さく笑ってそれを静観した。
「なーにが夢いっぱいや! 夢ばっか詰め込んで成就しておらんやろが! ちょっとは放出して減らさんかい!」
「ロキ……ヘスティアの胸が減っても貴方の胸は大きくならないわよ?」
「やかましいわファイたん! そんなことウチがよう知って……知って……くのおおおおおおおお!!」
「うにゃああああああああ!!!」
頭からもちもちの頬に標的を変えたロキの手のひらは、プニプニとヘスティアを引っ張り合う。
たゆんたゆんと揺れるヘスティアの胸は、ロキの精神防壁がカットして頭の中に情報として入っていかなかった。
「ふ、ふふふ。本当に相変わらずね、貴方たち二人って」
「ぐうぅ、それをフレイヤに言われるとなんか腹立つわ……」
ロキの手から離れたヘスティアは、ふみゃん、と可愛らしい声をあげて尻もちをついている。
楽しげに笑うフレイヤは、昔のキレたナイフの状態だったロキを思い出しながら笑みを深くした。優しくなった、というより丸くなった知り合いの姿に何か思わないわけでもなかった。
「そういう君だって変わらないじゃないか。ロキも言ってたけど、今日はだれかつまみ食いに来たんだろ?」
つままれていた頬を赤くし、涙目交じりでヘスティアは言う。
ヘスティアがフレイヤを苦手としている理由の一つがそれだった。奥手である彼女とませであるフレイヤとでは、感覚が違うのだろう。
「そんなことないわ。貴女が久しぶりに顔を出すって言うから、私も顔を見せに来ただけ。それに此処の男神はみんな飽きちゃったから」
「うわ、君って奴は相変わらずだな。男神を食べ飽きたならそれこそ女神にでも手を出したらどうだい?」
ジト目でヘスティアは冗談交じりに言う。
スナック感覚で男をつまむフレイヤの感性はヘスティアには分からず、皮肉も混じった言葉だった。
そんな言葉に呆気にとられたのはフレイヤだった。そして言葉の意味を理解すると、にこりと笑みを見せて応える。
「あら、いいのかしら」
「え」
笑みを見せた先は……ヘスティアだった。
ヘスティアは思わず後ろを向くも談笑中の神達が居るだけで他に誰も居ない。ちらりとヘファイストスを見上げれば、やってしまったな、と言わんばかりに彼女は顔に手を当てている。
「あー、ええなそれ。嫌がってるところをこう、薄い本みたいにな?」
「ふふ、本じゃあ本物は分からないわよロキ? そうね、ヘスティアだったら何がいいかしら」
ちなみにロキは男でも女でもイケる。まぁ言っていることは半分は冗談だったが、そんなことにはヘスティアには伝わらない。そして自分の名前が出たことで、ターゲットが誰になったのかヘスティアは理解した。
「や、やめろおぉーーっ!僕に近づくな色情神! 僕は食べても美味しくなんかないんだからな!」
「自分で自分を食べることなんてできないのだから、意外と食べてみたらおいしいかもしれないじゃない」
笑顔でじりじりと近寄ってくるフレイヤにヘスティアは薄ら寒い物を背中に感じていた。
「なんだなんだ」
「百合キタ。百合だ! 神様同士じゃ滅多に見れない百合だぞ!」
対して周りの神達も囃し立てており、止めようとする気配は一切ない。
女神であるフレイヤに言い寄られているためか、友人であるヘファイストスにすら疑心暗鬼になったヘスティアは、だれか頼りになる人物を捜し始める。
お隣さんであるタケミカズチはとうの昔に居なくなっており、他に誰かいないかと考えある人物に飛びついた。
「ガネーシャ!ガネーシャ! 助けておくれよ今日は君の開いた神の宴だろう!?主催者として来賓が襲われてたら助ける義務があるんじゃないかな!」
「そう俺がガネーシャだ! どうしたヘスティアよ。なにやら鬼気迫っているようだが」
「彼女ライオン僕ウサギ! 同じ草食動物仲間の誼みで彼女を何とかしておくれ!」
イマイチ話がつかめていないガネーシャであったが、獲物を捕まえようとする猛禽類のような視線を向ける二人の神の姿に冷や汗を流す。ガンを飛ばすロキと笑みを向けるフレイヤ。一般人が見たらなんて勇ましい、何て神々しいと感じるそれも、ガネーシャにとっては不良にカツアゲされかけている下級生の心情しか感じなかった。
アレは重い。胃もたれする。とてもではないが消化しきれない。以前オラリオに居たあの神ならば、あれもなんとかできるのだろうか。
「が、ガネーシャ……」
君でも無理なのか、そう涙目の視線で語りかけるヘスティアを見て、ガネーシャは腹をくくった。
俺は誰だ、ガネーシャだ! そう心を震わせたガネーシャはヘスティアを背にやると二人の神の前に立つ。
「ふむ、確かに助けを求める無辜の民を見捨てるのは道理に合わぬ。そういうわけだ女神達よ! 夜の相手ならこのガネーシャが仕るが如何に!」
ガネーシャの言葉に周りの神達から、おお! と歓声が上がる。
「いった!ガネーシャが逝ったぞ!」
「二人がかりであの言葉……紛れもなくアイツって奴は男の中の漢だな……」
下手をすれば赤玉君こんにちわになる可能性も見える相手に対して、その言葉はガネーシャと言う神が漢であることを表していた。
とくにフレイヤが他の意中の存在を真剣に狙っている時に話しかけるなど、自殺行為でもあった。だが、ガネーシャは退かない。
威風堂々としたその佇まいは、この場に於いて言うならば、紛れもなく彼はヘスティアの盾であった。
「え、ガネーシャ? ……ないわぁ」
「嫌よ、だって貴方勢いばかりで下手糞なんだもの」
「ぐあっぁはあああああ!!」
「アーーッ! ガネーシャがマジで逝ったぞ!」
なお、盾が矛に勝てるとは限らない。
一瞬で心をずたずたにされたガネーシャへと、更に追撃を駆けるように二人は言葉を続ける。
「それに情緒もなにも感じられないものだったから……今までの中でも最悪だったわ」
「アンタがそれだけ言うんてどんだけ床下手やねん、ガネーシャの奴。」
「そうね、自動で動く道具の方が上手いぐらいじゃないかしら」
「あー、それ最悪以外の言葉もあらへんなぁ……」
「さい……さいあくあくあく……」
「やめたげてよぉ! ガネーシャのガネーシャがパオーンしなくなってしまうぞ!」
あんまりな言葉についに外野からレフリーストップがかかる。
真っ白になって動けないガネーシャと流石に同情的になった男神たちによってその場を治められる。
神の宴ってこんなハチャメチャな物だった? と一人ヘファイストスは思う。だいたいあの子のせいね、とガネーシャを生贄の羊にして帰ったヘスティアを思い出し、ヘファイストスは溜息を吐いた。
「たーっく、ガネーシャも口ほどにもあらへん……って、あれ、あのドチビどこいったん?」
ヘファイストスの方に戻ってきたロキとフレイヤは、ガネーシャの後ろに隠れていたはずのヘスティアが居なかったことに首を傾げる。
てっきりヘファイストスの方に来ていると思っていたからだ。
「さっき逃げるように帰ったわ。なんでもホームで団員と一緒に持ち帰った料理を食べるそうよ」
「ん、ホームっちゅうことはついにあのドチビもファミリアを作ったんやな」
こりゃウチのファミリアの自慢しにいかなあかんなぁ、と。にししと笑うロキはどこか嬉しそうに見える。
対してそれを聞いたフレイヤは目をすっと細めた。特に興味は無いのか、と。ヘファイストスはフレイヤの様子に特に何も思わず話を続ける。
「まったく、二人ともヘスティアをからかうのはいいけれど、ほどほどにして頂戴。ヘスティアも好きでトラブルを起こしたいわけじゃないんだから」
「わーとるってファイたん。ジョーダンやジョーダン」
けらけらと笑いながらロキは答える。ヘスティアは体の一部は不倶戴天の敵であるが、基本的には嫌悪しているわけではない。
だがフレイヤは首を傾げて不思議そうに言った。
「あら、私は本気だったけれど」
「えっ」
「えっ」
「そう言えばヘスティアがファミリアを作ったなら、団員が入ったってことでしょう? どんな子が入ったのか知っている? ヘファイストス」
実に朗らかに話すフレイヤであったが、話を聞くヘファイストスは嫌な予感が止まらなかった。
確かにヘスティアのあの発言の後フレイヤは、ああその手があったか、と言わんばかりの表情を見せていたことを覚えている。その時はからかうネタを見つけたという意味であったと考えたが、本気であったとは思わなかった。
どうするべきか、そうヘファイストスは考える。何かあって自分の友人であるヘスティアが悲しむのは嫌だが、彼女の眷属に思うところは無い。だが自分の眷属が共に行動している以上、彼女の思惑に関わってしまうのは明らかだった。
「……そうね、素直そうに見えてひねくれた男の子、だそうよ」
「ふぅん、そっか。男の子、ね」
「……言っておくけれど、何かしたらあの子泣くわよ」
どちらにしてもすぐわかることなのだから、ここは素直に知らせるべきだ、そう判断して以前ヘスティアから聞いていた団員の事を話す。
一応忠告じみたことはしてみるが、フレイヤは意味深に笑うだけで特に答えることはしなかった。
「……どこの誰んなんかは知らんけど、ご愁傷さん」
ロキはほぼ確実に思惑に巻き込まれるだろう、ヘスティアの眷属である少年へと呟いた。
――
ぞくり、と。少年の身体に悪寒が走った。
そこはダンジョンの中で、切り上げるには十分遅い時間だった。低い階層であらかたこの辺りのモンスターを倒し切った後、魔石の回収を始めていた少年――ベル・クラネルであったが、訳もなく感じた悪寒に思考を巡らせる。
結露した水滴が背中に入ってきたわけでも、冷や汗を流すほどの危機に直面しているわけでもない。魔石を回収した手を止めて、武器であるナイフを逆手に握り直すと、改めて辺りへの警戒を深めた。
「……? どうしたんだベル。敵か?」
「……敵、ではないけれど嫌な予感がした。ヴェルフ、勿体ないけれどここは中断して帰ろう」
ベルに声を駆けたのは、背に太刀を据え着流しに防具を装着した赤髪の青年だった。しかし返されたベルの言葉に思わず眉をひそめる。
青年――ヴェルフ・クロッソにとってその階層は適正よりも低い地点であり、即座に危機に陥る事例は思い当たらなかった。余裕がある状態で金銭に直結する魔石を放置する、というのは納得がいくものではない。
「その勘、って奴は当たるのか?」
「偶にね。……勘って経験から来た未来予知って言うほどだから、何か異変を感じたんじゃないかな、たぶん」
「多分って言われてもなぁ……あいよ、万が一にも何にも無ぇのが一番だしな。ここは……」
そこまでヴェルフが答えたところで、ベルはダンジョンが小さな揺れを起こしていることに気が付いた。
それは他の場所で戦いが始まれば起こる程度のもので、誰かがコボルトでも狩っているのか、という考えが浮かぶ。だが嫌な予感が連動して思考を留めることはしなかった。
そもそも今日はヘスティア様が「神の宴で夕食をガメてくるぜ!」と言っていたため、ダンジョンに遅い時間まで居る。他の冒険者たちが多く居るのだろうかと疑問に思う。
そしてその小さな揺れはだんだんと大きくなってきている。冒険者が全力で走るような状況など、逃げるか迎撃の時間を作るかの二択だ。
「ヴェルフ! 振り返らずに前に向かって走って!」
「おうよ! 逃げるぞベル!」
切羽詰まったようなベルの声にヴェルフは持っていた魔石を投げ捨て、ベルもその背中を追った。
足音はだんだんと大きくなって近づいてくる。足音から恐らく来るのは人型のナニカだろう。
できればオーク、最悪でもシルバーバックならヴェルフと共闘すれば逃げ切ることはできるだろう。角を曲がる直前、ベルは後ろから走ってくる人型の何かを視界に入れた。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
「畜生ふざけんな! ミノタウロスだ!」
悲鳴交じりにベルは叫んだ。
GLっぽいですけどそうするつもりは無いです。
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一話上
小さいころ、自分にとって一番偉大な人は『おとうさん』だった。
『男ならハーレムを目指さなきゃな!』
そう言って愉快そうに笑いながら頭をぐりぐりと撫でる『壮年の男性』を、白い髪の少年、ベル・クラネルはきらきらとした眼差しで見上げていた。
それはベルがまだ小さいころ、村で『おとうさん』と暮らしていた時の記憶だった。小屋のような小さな家で、暖炉の前の椅子の上に一緒に座りながら、『おとうさん』は楽しげにベルと語り合っていた。
実際の所ベルとその『男性』は血がつながっていたわけではない。それはベルがコウノトリやキャベツ畑の話を信じなくなった頃と同じように、本人から聞いた言葉だった。
それでもベルと同じ白い髪を持つその男性は、外見年齢やその容姿からベルの父親のようにも見える。ベル自身も恐らく自分は『おとうさん』のことは大好きだと恥ずかしげもなく語っているだろう。
この頃のベルが何よりも好きであったのが、『おとうさん』が語って見せた様々な物語、英雄譚だ。それは英雄が怪物を退治する話であったり、捕らわれた姫を助ける話であったり。
『アルゴノゥト』みたいに失敗してコメディチックに逃げ出してしまう話もあったけれど、『おとうさん』と笑いあう時間が楽しかったことを覚えている。
それでも何と言っても一番なのが、一人の男性が父親に兄弟を捕らわれ、それを知恵や勇気を振り絞って助け出していく英雄の物語だ。その英雄がその時どんなことを思い、戦ってきたのかを情緒あふれた表現で語ってくれる『おとうさん』の話が一番好きだった。
『キツイことばかりだった旅だけれど、その男は止めなかった。どうしてか分かるか?』
『どうして?』
『女の子が可愛かったからだ。村一番のあの子も可愛いけれどアレが野ッ原のミントに見えるぐらいに可愛いかったんだ』
『え!? あの子だって凄く可愛いのに!?』
『それでもだ! ……いや、やっぱあの子も充分可愛いからなぁ。甲乙つけがたい。それはともかく! 兄弟との出会いもそうだが何よりやっぱり女の子との出会いが一番充実していたんだ!』
『ふぁ~』
『激動の最中一瞬の出会い、たったそれだけの会合で恋に落ちていった。一夜の愛、そして男は自分が彼女を幸せにできないと分かっているからこそ、彼女の涙を振り切って別れていく……』
『それじゃあその英雄は、世界中にその人を好きな女の子がたくさんいるの?』
『そうとも! 女が思い出したとき、そっとその場所に戻って愛をささやいているんだろうなぁ』
『へぇ~』
『ベルも、女の子が居たら優しくするんだぞ。泣いている子が居たら笑わせてやるんだ』
なぜか照れくさそうに話す『おとうさん』にベルは首を傾げながらも、ハーレムと言うのは女の子をたくさん幸せにできるんだろうなぁという間違った知識を付けていった。
『おとうさん、僕もおとうさんみたいになる! ぜったいにハーレムを作ってみせるよ!』
『お、おう! 頑張れよベル!』
ベルの言葉に何故か詰まったように言葉を返している。少なくともこの時点で彼は一瞬ではあるが嫌な予感を感じていた。
そう、ここで回想が終わったのなら、ベル・クラネルという少年は恐らく本来の歴史の様に純粋に育っていたのだろう。偉大な育ての親の背中を見て、その繋がりを求めて『英雄』を、ついでに女の子との出会いを探すような少年に。
そして話の転機は此処からだった。
木箱を押しつぶしたかのような轟音が玄関から響き渡る。
それは小さな家の玄関が蹴り破られ、ドアが壊れた折れた音だった。押し入り強盗かと一瞬怯えたベルと、すぐさま臨戦態勢となった『おとうさん』は、埃の中から現れた姿に目を丸くした。
そこに居た人物にベルが初めに抱いたのは、きれいな女性だ、という感想だった。
ふわりとした桃色の髪になめらかな肢体を強調するような服を着たその女性は、ベルが今まで聞いてきた英雄譚のお姫様のようだと感じていた。
成程、確かに村一番の美人であっても彼女のような女性の前では野原のミントに見えてしまうだろう。
ゆっくりと歩みを進め、顔を上げた女性は動かずにいたため、少しばかり部屋に静粛が訪れる。
『おとうさん』の知り合いなのかな、となんとなくではあるがベルは考える。
『おとうさん』の陰に隠れていたベルは、女性と対峙する自分の父親を見上げその表情を窺った。
めっちゃ冷や汗が出てた。まるで滝だった。
『おとうさん』からしてみれば、ジャーンジャーンと何故か脳内で銅鑼の音が聞こえていたのだろう。
絶世の美女ともいえる女性は天敵とも呼べる神だったのだから。
『ふふふふふふふ、久しぶりね■■■』
『は、ははははは久しぶりだな■■……』
そして数秒後、『おとうさん』の膝を抱え背中に馬乗りになっている女性の姿がそこに在った。
「イタタタタタタタ待って待ってマジ待ってらめぇぇえ折れちゃう折れちゃうのぉおおおおお!! プロレスごっこはダメなのオオオオオ」
「折るわ」
「マジ待てって■■! そんなにアレに手を出したのが気に入らなかったのか!? ここ数年女には手を出してないってマジで!」
「じゃあ空白の数年間は?」
「つまみ食いしてました!」
「死ね」
「NOOOOOOOOOOOO!!」
何時だって夢とは儚い物で、幼き頃のベルは少年に成る以前にそのことを知ってしまった。
ああ、僕の目指した
―――
初めてオラリオに訪れたベルが感じたことは、でかい、の三文字だった。都市そのものを囲む市壁は侵入者や外敵を許さないと言わんばかりに堅牢な作りになっており、昼間であるからか、かなり距離が離れた地点でも街の喧噪が聞こえてくる。
肩に掛けていたバックパックを背負い直したベルは、圧倒されかけていた自分に活を入れるとゆっくりと歩みを進める。身体よりも一回り小さいバックパックがあり、腰にはポーチとナイフ、身体は旅人に向けて作られた麻黄色のローブが纏われている。その装い通り彼は旅人であり、旅の終着点に漸くついたのだと言える。
そうして足を踏み入れたベルが驚いたのは、あらゆるところに魔石が使われていることだった。
他の都市では魔石は貴重な物に当たる、というのも魔石自体がこの都市にあるダンジョンから生まれたモンスターが持つものであり、供給自体はふんだんにあるのだろう。それこそあらゆることに使える魔石を多く取れるこの場所は、正しい意味で世界で一番栄えていると言えるのかもしれない。
「ここが……オラリオかぁ。今一番ホットな場所っていうのもあながち嘘じゃないみたいだ」
きょろきょろと辺りを見渡す姿はおのぼりさんの少年そのままだった。とは言え使い込まれた旅装束や武具など、見る者が見ればただの世間知らずの坊やではないということは分かる。
流石に表通りにいる旅人へむやみやたらと喧嘩を吹っ掛ける冒険者は居ない。路地裏となれば話は別だが、ある程度人が少ない道などを見分けることはできた。
表通りを歩いている最中に、とある張り紙が目に入る。その下には洋紙が置かれ、名前を記入する欄が書かれていた。
「【ロキ・ファミリア】団員募集中?」
そこに書かれていたのは、とあるファミリアの入団試験の案内だった。曰く、新しく団員を募集するが見込みのある人物を入れたいという事が遠まわしに書かれている。
【ロキ・ファミリア】といえば、大きなファミリアである、ということぐらいはオラリオに入って数時間のベルでも知っている。あちらこちらで偉業を達成したことや、憧れる声などの噂話が聞こえてくるのだから、大手の場所であることは確かだった。
自分以上にできる人は山ほどいるだろう、とベルは思う。だが旅をしている内にそれなりの出来事を体験してきた自分も、そこらの者よりはできるという自信はある。
入団試験の記入用紙を回収してバックパックに入れると、再び辺りを歩き始めた。
が、道中でぐぅぅ、と空腹感と共に腹の音が聞こえてきた。 そういえばもうお昼か、そう思ったベルは露店で林檎を買い、手で軽く弄びながら歩く。果物類は軽くお手玉すると甘くなる。どこかベンチでも見つけてのんびりと食べるつもりだった。そうしてある場所にたどり着く。
そこは下り坂のスタート部分で、長い坂道の上からはオラリオを遠くまで見渡すことができた。
下の市場からは多くの者達の活気ある声が聞こえてきたことに、ベルは小さく笑みを見せた。
「とにかくまずは宿をとって……それからファミリアを捜さないと。……なんだか楽しみだな」
ベル自身も明確な目的があってオラリオに来たわけではない。無論、旅の終着地点にしようと考えていたことも事実だが、噂に違えて酷い場所だったら止めようとも考えていた。
一番大きな理由は『おとうさん』がこの場所で見てきたものを見てみたかったからだ。いろんな場所を旅していた『おとうさん』が一番初めに居た都市が、本当はどんな場所であったのか、それを知りたくてオラリオへと訪れたのだ。
そしてベルはこの場所が凄く魅力的な場所に見えた。栄えていることもそうだが、ぐるりと冒険者たちを見渡すだけでも未知の防具、未知の武器が揃っている。
『男だったら冒険しないとな! 勿論旅もいいけどよ!』
キラリと歯を光らせ親指を立てる『おとうさん』を幻視したベルは、よし、と言葉に呟き歩みを進めようとした。
「あっ」
それは間違いなくベルの不注意によって起こったことだった。
坂を下り始めようとした時、通り過ぎようとした他者とぶつかり手に持っていた林檎を滑らせて地面に落としてしまったのだ。
鈍い音を立てて地面に落ちた林檎だったが、偶然落下地点に小石があり予想以上に跳ねてしまった。
確かに弾力が強い果実だとはおもったが、ここまで跳ねるとはベルも予想してはいない。ぽーんぽーんとなんの偶然か潰れることなく林檎はどんどん坂を下って行った。
あれはもう食べられないな、と言う思いと、他の都市で見た、ボールをスタートさせると様々な絡繰りによってどんどんボールが遠くに行ってしまうピタンゴラスイッチを連想させた。
ぽーんぽーんと林檎は下って行く。そろそろ落ち切るかな、というところでベルにその声は聞こえた。
『ふぎゃ!!』
「…………あ」
ベルの耳に届いたのは自分の間抜けな声と、坂を見上げて見事に林檎を顔面に直撃した少女の姿だった。
白い服と飾りの青い紐が特徴的な少女はリンゴの果汁塗れに成り、ぶつかった勢いで倒れ頭をぶったのか気絶している。
それを見てベルはこの上ないほど冷や汗を垂らした。正しく偶然の産物であり、悪いのはベルではないだろう。だが最後に林檎に触っていたのはベルである。
このまま知らないふりして逃げても大丈夫なんじゃないかな~という黒い思考が流れ出すも、ざわざわと騒ぎが出てきたことと、ぶつかったのが少女だったことにベルは首を振った。
『女の子が居たら優しくする』、当然のことである。被害を生み出した原因が自分であることはさておき。
「だ、大丈夫ですかぁー!!」
結局善意の第三者の旅人君と言う体で、ベルは少女へと駆け寄った。
―――
「はぁ~なんで誰もファミリアに入ってくれないんだろうなぁ~」
ベンチに座って溜息を吐き、ヘスティアは露店で買った串焼きを頬張った。
それは怪物祭が始まる数か月ほど前の話であった。下界に降りてきてからヘファイストスの元でぐうたらと過ごしていたヘスティアであったが、ヘファイストスの堪忍袋の緒が切れてしまい何とか自活しなければならなくなってしまっていた。
意訳すると『金をとるか私を取るか、どっちかにして出ていけ』と言ったヘファイストスは、ヘスティアの前にヘファイストス製のペンダントと見た事も無い量の現金を積み上げた。
君を取るに決まっているじゃないか! と迷いなくペンダントをとったヘスティアだったが、その後何回もヘファイストスに泣きついている。青狸とダメ少年を思わせる関係で、仕方ないなぁヘスティアちゃんは、とヘファイストスに甘やかされているが、ヘスティアとしてもそろそろ友人やロキを見返してやりたかった。
なにしろロキの自慢話がウザいのだ。『ええでええで~ファミリアはええでぇ~』と自慢してくる彼女を羨ましく思ったことは否定できなかった。
「そう腐るなよヘスティアの神さん。なにも住民だけじゃなくて、外部からの旅人を入団させるって目もあるだろうよ」
「そうなんだけれどさぁ……ねぇ串焼屋のおやっさん、ボクのファミリアに入らないかい?」
「ダメダメ、うちは特定のファミリアだけじゃなくていろんな奴に食ってほしいからな! それにジャガ丸んところにどやされちまう」
串焼き屋の店主の言葉にやっぱりだめかぁ、と落ち込むヘスティアだったが、何時もの事であったためダメージは少ない。
やっぱり外部の何も知らない子を入れるしかないのかな……そう思ったところでヘスティアは首を振った。流石にそこまで落ちたら胸を張ってファミリアができたなどとは言えないだろう。
きちんと納得してきてもらいたい、そして
「よし頑張ろう! じゃあねおやっさん! ボクは行くよ! ボクのファミリアに入らなかった事を後悔させてやるからな!」
「おーう頑張れよぉ!」
おやっさんの声援を背中にヘスティアは走り出す。
そうだ、今日は頑張って勧誘してみよう! 非番だから夜までいろんな人に話しかけてみよう! 一人ぐらい、入ってくれる人が居るかもしれない。
だれでもいい、何てことは言わない。だけどボクのファミリアで一緒に楽しめたなら、きっと、きっと。
決心を胸にヘスティアは走り出す。そうと決めたら向かうのはオラリオの出入り口付近だ。ファミリアを探しに初めてオラリオに来る人が居るかもしれない。
「いよーし! 頑張るぞ……ふぎゃん!!!」
なお、決心は飛来した赤い果実によって一瞬にして打ち砕かれ、そのまま気絶した。
真っ暗になる意識の中でヘスティアは少年の声が聞こえたような気がした。
――
「……マズイ、マズイってこれ、どうしよう……」
ベルはベンチに座って頭を抱えながら、誰に向かって言う訳でもなくぼやく。原因はベンチの横で寝ている少女だった。
ベルが気絶させてしまった少女だったが……どう感じても神様だった。人々にとって神様たちはどうしても恐れ多く感じさせるものである。幼少期から神様に育てられたベルは、その辺りが鈍感で――あるわけが無く、寧ろ神様って怖ェを身を持って体験している。
なのにどこの神とも知らぬ者を気絶させた……ケジメ案件である。下手をすれば大事に巻き込まれることもあるだろう。と言うより過去に巻き込まれた。付き人から逃げ出した少女が実は一国の神だったとか想像できないだろう普通。
とはいえ自分が女の子を放置してどこかに行くことなどあり得ない。どうしたものか、と額に当てた手を横目に少女の姿を窺った。
ふにゃん、と。男の夢が左右にだらしなぐ垂れていた。
「……はっ、いけないいけない!」
それにしてもこう、なぜ女神さまたちはギリギリを責めるのだろう。ワンピースはいい、だけど男の夢を強調させる紐はいったいどういう事か。それがファッションなら流石神様パネェとしか言えない。
ちらりと、下を向くふりをしながらベルは少女の様子を窺った。今日は日差しが高く暖か日であるからか、肌がしっとりと汗をかき桜色になっている。特に男の夢の狭間は艶やかになって……
「ってダメダメ! 僕の馬鹿! 煩悩退散煩悩退散!」
「う、う~ん」
「ひぃ!!ごめんなさい!」
目を擦りながら意識を戻したヘスティアにベルは思わず頭を下げた。意識がはっきりとしていないからか、ぼんやりとした思考のままヘスティアは首を傾げる。
謝っているのかどうかも分からない状態だったが、突然現れた後頭部からの痛みで現実に引き戻された。
「イタッ……つぅ~なんだったんだいったい……と、君は?」
「あっと、大丈夫ですか? 頭を打ったみたいなので寝かせていたのですが……あ、ポーションです。飲めそうならどうぞ」
「うん、いただくよ……」
目の前の少年が助けてくれたんだな、と未だはっきりとしない寝ぼけたような状態のヘスティアだったが、海の表面のような薄い青色のポーションを受け取り、飲み込んだことで意識がはっきりと戻ってくる。
後頭部の痛みも引いてきており、割と即効性があるんだな、と。そう考えたところで目を見開いた。
「ってポーション!? 高いモノなのに使っても大丈夫だったのかい!?」
「い、いえ。オラリオのポーションは高いですけど、これは外の物ですから……。大した効果はないかもしれませんけど」
「そうかい? 君が良いならいいんだけど……」
なんだかおかしいな、とヘスティアは首を傾げる。ヘスティアの言っていることは正しく、効力の薄いポーションであってもオラリオの外では貴重品に当たり、それなりに高級であるのは否定はしない。
とはいえオラリオの中ではちょっと高い飲み薬程度に値下がっているため、大枚はたいて買ったベルとしてはがっかりしたのだが。その程度なら彼女に使っても惜しくは無いと考えるのも当然である。
「どうやら君が介抱してくれたみたいだね。ありがとう助かったよ。ボクはヘスティア、君は?」
「えっと、ベル・クラネルです。いえ、お互い様ですから」
ベルの返しが少しおかしいとヘスティアは感じたが、きっと『困ったときはお互い様』と言いたかったのだろう。なんて謙虚な子なんだ! 内心でベルの評価を上げていた。
「ふふん、謙遜もいいけど感謝も受け取ってほしいぜ。よし! ポーションのお礼には安いかもしれないけど、美味しい物をおごってあげるよ! 昼食はもう食べたかい?」
「え、いえまだです。だ、大丈夫ですよ!結構です! お腹空いていないですか」
ぐぎゅるるる、と。
ベルの腹の虫が鳴く。ああそう言えばあの林檎食べ損ねたんだった、と。都合の悪い時に泣き虫になる腹をベルはぶん殴りたくなった。
「どうやらお腹の方は正直者のようだね! 遠慮しなくてもいいよ、さあ行こうじゃないか!」
笑顔で手を引くヘスティアにベルは引き攣った笑みを見せる。
何しろ気絶する原因になった林檎をぶつけたのは自分である。なのにトラブルを避けるため善意の第三者のふりをして介抱して、純粋な感謝を向けられているのだから決りが悪い。
おまけに心のフォルダにはヘスティアの漢の夢がバッチリである。『きちんとカメラに収めたか!?』とベルの心の中でポーズを決めている『おとうさん』に『おかあさん』を登場させてきっちりヘッドロックを決めさせておいた。
そんな理由もあってベルは一方的に気まずい思いをしていた。原因が自分だと話すタイミングはとっくの昔に過ぎており、どうしようかな、と考えていた。
「……わ、美味しいですねこれ」
「そうだろう、そうだろう! 僕のバイト先のジャガ丸くんは最高なんだ!」
料理を楽しんでいたらいつの間にか忘れていた。
ヘスティア、という神様は自分が想像していた以上に気安く、どこか話しやすい人物だとベル感じていた。
もしかしたら怪我をした原因は……と、ベルが事情を話してみても、君が介抱してくれたことは事実だからありがとう! と朗らかに返してくれたのだ。
神様は怒らせたらヤバイ、のイメージを先行させた『おかあさん』とは全く違うな、と。ベルはジャガ丸くんに齧り付くヘスティアを見ながら笑みを見せる。
「それでベル君はあまりこの辺りで見ないけれど……もしかしてオラリオの外から来たのかい?」
「はい、今日到着したところです。だけどこの街に根を据えてみたいとも考えているので、顔を合わせるようになるかもしれませんね」
「旅人! いいね、僕は此処でバイトしているからいつでもおいでよ!」
ベルが初めてオラリオを訪れたという事に、ヘスティアは内心で興奮しつつあった。何しろ彼はフリーであり、謙虚な性格の少年であることがヘスティアにも分かったのである。
彼がボクのファミリアに入ってくれたらな……よし。
小さく拳を握ってヘスティアは意を決したように口を開いた。
「も、もしかして君はファミリアを――むぅ!!?」
「? ああ、これですか?」
ヘスティアの目に入ってきたのは、ベルのバックパックからはみ出ている【ロキ・ファミリア】の新団員募集の記入用紙だった。ベルがそれを取り出し予想通りだったことに歯ぎしりしてしまった。
この辺りでロキ・ファミリアの団員が張り紙を張っていたことはヘスティアも知っている。それを持っていると言うことは、
「べ、ベル君? もしかして君もロキの所に受けに行くのかい?」
「えーと、はい。一応受けてみるつもりではありますけ……」
「ろ、ロキ・ファミリアは止めておいた方が良いよ!うん! 本人が女の子好きだから男女比も偏っているしロキ自身の(おっぱいに対する)僻み癖も酷いし!」
「えぇ……」
リアルハーレムを作っている神様なのかな、と。ベルは内心で尊敬しつつも入るのは難しいと感じる。
「ロキって奴は酷いんだ! 人の事を散々ちびっことかドチビとか馬鹿にして! 前だって『ドチビ~この酒を飲むんにはちょっと背丈と金銭が足りんとちゃうんかぁ?』 っていやらしそうに言ってさ! 身長が足りなくて飲めない酒なんてあるかって言うんだ! 酷いと思わないかい!?」
「あ、あははははは」
どうやらヘスティアとロキは仲が悪いらしい、と。ベルは内心でメモを取りながら思考を纏めていく。
もしも【ロキ・ファミリア】に入団したらヘスティアとは疎遠になるかもしれないとベルは思う。だがロキという神様が酷い奴と言うのは大分主観が入っていたため、とりあえず受けてはみようと思うベルだった。
「…………その、やっぱり入るとしたら大きなファミリアに入りたいのかな?」
ロキへの文句を一通り言い終わったヘスティアだったが、自分の悩みも込めてベルへと尋ねる。
ファミリアに入りたい理由を理解すれば、自分もちゃんとファミリアを作れるかもしれない。そんな考えも込めた言葉だったが、それに反する様にベルは首を傾げた。
「え、だって新設するファミリアに好き好んで入るメリットってあるんですか?」
ガーン、と。漬物石が自分の頭の上に落っこちてきたような気分になった。
「そもそも神様が送る恩恵だって神様ごとに違う訳でもない。なのに新設したてってことはその神様を養わないといけないわけですよね? 元々人数が居るファミリアならその負担も分散しますし」
そもそも人一人を養うのにどれだけかかるという話である。だが人数が多ければ多いほど1人当たりの負担が減るのは間違いない。
それどころかファミリアに居ることの恩恵も確実に得ることができる。何の伝手も無い状態で一から店を立てるのと、大企業の社員と成るのでは安定性が段違いである。
「そこの神様自身が技術や知識を教えてくれるとか、そう言ったメリットが無いと入るなんて言う物好きは居ないんじゃないですか?」
「ハ、ハハハハハハソウダヨネ。イヤハヤ勉強ニナッタヨ」
引き攣った笑みで言葉を返すヘスティアに、どうしたんだろうかとベルは首を傾げる。
ヘスティア自身が自分の眷属に何か与えることができるか……そんなものは無いとヘスティア自身で思う。
何しろ自他ともに認めるダメ神様である。今でさえヘファイストスに半分はヒモ状態である。教えられるスキルなんて自慢じゃないが持っていなかった。
そんな自分が目の前の自論を展開した少年をファミリアに誘う? 止めろ無理だ。
どうしようもなく情けなく、恥ずかしくなって、ヘスティアは顔を赤くする。
「ジャ、ジャアボクハコレデ。今日ハアリガトウ!」
「あっ……行っちゃった」
質問の内容から、もしかしたらヘスティアもファミリアの団員を募集していたのかもしれない。ベルはそう当たりをつける。
だがこれからの身の振り方を考えるうえで、簡単に入団するファミリアを決めることはどうなのか。ヘスティアに誘われたとしても様々な場所と比べたうえで決めるだろう。
ベル自身、女の子を放っておけない性格ではあるが、それは完全に余裕がある場合に限る。たとえマッチ売りの少女が目の前を歩いていたとしても、明日死ぬ事を知らなければ素通りするだろう。ある程度ドライな一面も確かに合った。
彼女のイメージはLOVです
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一話下
昼からもう三時を過ぎたところで、ダンジョンを運営管理する『ギルド』のロビーには少しずつ人が増えてきていた。ダンジョンから探索を切り上げてきた冒険者たちが、魔石の換金を行うために『ギルド』へと訪れ始めていたのだ。
冒険者に成るためにはギルドに登録しなければならない。だがその前にどこかのファミリアに入らなければならない。そのためギルドではファミリアの募集があれば斡旋なども行っている。オラリオで一旗揚げるとなれば、まずギルドに訪れるのが一番だろう。
本日の宿を取ってこの場所に訪れたベルもその例に漏れず、受付を済ませてギルドの職員を待っているところだった。
「お待たせしました、今回担当させていただくエイナ・チュールです。よろしくお願いします」
「はい、ベル・クラネルです。よろしくお願いします」
ベルがエイナに初めに感じたのは、親しみやすそうな人、という印象だった。尖った耳や美しいと言える容姿は、もしかしたらエルフなのかも、と想像させるには十分である。
だが凛とした雰囲気は無く声色は朗らかだった。だけど失礼が無いようにしないと、と。ベルは椅子を引いて座り直す。
話は滞りなく進んでいった。ベルの装いからエイナは彼が今日オラリオに到着したばかりだと分かり、冒険者における基本的なルールを確認する。
ダンジョンの出入りについてやファミリアのこと。そしてベル自身の望みについての確認だった。
「(ベル・クラネル、十四歳。五年前から旅人として各地を渡って、商いと賞金稼ぎをしながら生活。オラリオでは冒険者を希望……うーん)」
ファミリアの入団を希望しているということで、ベルに事前にある程度の経歴を書いてもらっていたが、エイナはその内容で頭を悩ませることになる。
旅をしながら商い、此処まではいい。農村から行商人について旅に出る子供は多く、そこで商いを学んだと言うのならおかしな話ではない。だが問題は賞金稼ぎの方である。
「えっと……どうでしょうか?」
「(この子が……賞金稼ぎ? ……ひょっとして嘘?)」
カッコいいよりも可愛らしいと呼ばれそうな顔つきに小柄な体格。赤い瞳や白い髪はウサギを連想させる、小動物系男子と言う奴だろう。
持っている軽装やナイフの外観は使い込まれているように見え、それでいてしっかりと手入れはされている。しかし恩恵を受けていないヒューマンが少年と言える年齢で戦う事ができるのだろうか。
賞金をかけられる相手は外れの村に発生するモンスターや、武装化した盗賊など、そこに居る大人でも対処しきれない者達である。それを彼が戦い倒してきたということだ。どうもちぐはぐな印象を受ける。
「あのー」
「っと、ごめんなさい。ベル君、この賞金稼ぎって記入されているところなんだけれど……」
エイナは記入用紙を見せて言葉にしながら、内心でしまったと思う。頭の中でベルを年下の少年として見ていたせいか、つい名前の君付けで呼んでしまった。
ベルの表情を窺えば、名前で呼ばれたことに少し驚いたのか目を丸くしている。だが記入用紙に指されている項目を見て、困ったような笑みを見せた。
「あー、やっぱり信じられませんか、エイナさん?」
「(むぅ……)うん、ちょっとだけね。ギルドを通してファミリアに行ってもらうから、どうしても疑わなきゃならなくて」
自然にファーストネームで呼ばれたことに、平静を装いながらも少しだけ複雑な気分だった。
エイナ自身、友人達や冒険者たちからファーストネームで呼ばれているし、寧ろ苗字で呼ばれ馴れていないから、名前で呼ぶようお願いする方だ。当然ベルにもそう言うつもりだった。
だけど自然に名前を呼ばれたことで、名前呼びは特に気にしないのでフレンドリーに話しましょう、と言外に伝えてきたのだ。確かに商人らしく懐に入り込むのは得意そうなのだけれど……年下の少年にやり込められたような気がしてちょっと面白くない。
勿論ベルにそんな気は無いのだが。
「(むむむ……可愛いけれど可愛くない)」
「ああ、そのことなんですけれど……僕元々恩恵を受けていたんです。おか……神様はもう居なくなってしまったんですけどね。恩恵もその時無くなってしまったみたいだから、そこには記入しなかったんです」
それを証明することもできませんから、と。そう言うベルは少し寂しげだった。
「えっ? ……そうだったんだ。ごめんなさい、踏み入ったことを聞いて」
「いえ、大丈夫です」
捨てられた仔犬のような表情を見せるベルに、エイナはちょっとだけきゅんとした。分かり易くチョロかった。
さて仕事の事を考える思考は、ベルの言葉に対して悩ましげだった。神様が天界に送還される事例は確かにある。そして恩恵を受けた眷属が残されるという事態は当然考えられることだった。
眷属に『神の恩恵』を送っているのは神そのもので、天界に行って繋がりが消えてしまえば、すぐにとは言わないがやがてそれは失うものだ。そうなる前に団員も他のファミリアに移籍するなどして、引き続き恩恵を受けるのである。
現にオラリオでも突然二人の神が失踪したため、残された大手のファミリアの団員のスカウトが一時期盛んになったことを覚えている。
だがベルはそれができなかったのだろう。少なくとも神の恩恵が完全に消えてしまう程度の時間は過ぎているようだ。
「それでファミリアに入っていたって言うけれど、どこのファミリアに?」
外のファミリアの話とは言え、天界へと戻ってしまった神様の事ならオラリオでも噂になっているかもしれない。また後で自分が調べるためにエイナは尋ねる。
「本人は『セポネ』と名乗っていましたけれど、たぶん偽名だと思います。初めて会った時、おとうさんに呼ばれた名前と違う名前を名乗っていましたから」
初めて会ったときしか呼ばれていなかったため、ベル自身も『おかあさん』の名前を覚えていなかった。
ちなみに『おとうさん』の偽名は『ハデス』である。尤も村でもそう名乗っていたため、ベルはそれが本名だと思っていたのだ。
「セポネ……ペルセポネ様かな? 完璧に偽名だね、ペルセポネ様はハデス様と一緒にまだ天界に居るって話だから」
「ええ、おとうさんも『一足先にアイツの名声広めといてやるぜ』とか言ってました」
なんて余計なお世話をしているんだろう、ベル君の父親は。そうエイナは成長して破天荒になったベルをイメージに置きながら苦笑する。
「(あれ?)」
少しだけ話の流れがおかしかったことにエイナは内心で首を傾げた。しかし気にならなかったという事は大したことではないのだろう。
とにかくベルが賞金稼ぎだった、という理由も分かった。ダンジョン攻略を目指すファミリアに入るには良い経歴であり、紹介することも問題は無い。入れるかどうかは募集をしているファミリア自体が決めることだ。
エイナとしてはベルに冒険者にはなってほしくない。その職業がどれだけ過酷で、どれだけの夢が潰えてきたのかを知っているからだ。これが田舎からきて世間知らずの少年だったら、考え直す様に諌めるだろう。
しかし目の前に居る少年はそれを知っていてなろうとしている。それなら一人の大人として扱うべきであり、エイナが止めることはできなかった。
「聞きたいことはこれぐらい、かな。資料を纏めてくるから、少し待っててくれる?」
「分かりました、よろしくお願いします」
「と、ごめんね、一つだけ聞き忘れてた。ベル君の最終的なレベルはどれぐらいだったの?」
1であろうことは予想が付くため、聞かなくても良い質問であったため後回しにしていたことだった。聞いたのもエイナが真面目であったため一応聞いておく、という程度の話だった。
問われたベルは困ったように目を逸らし、あー、うー、と呻いた後にエイナの耳元によって口を開く。
「……一応、ギリギリのところでレベル2でした」
エイナの悲鳴のような驚く声が響きベルは耳を抑えた。
――
「……やっぱりそうなるよなぁ、聞けば聞くほどレベル2って上級冒険者の範囲内じゃないか」
とぼとぼと冊子片手にギルドから出てきたベルは、ギルド内での反応に溜息をついて歩く。レベル2ぃ!? とエイナが驚いて叫んでしまったせいで、ベルもある程度レベル2の冒険者が貴重な存在であると察しがついた。僕の知り合いがです! と弁解するように声を出して言わなかったら、少しだけ面倒なことになっていたかもしれない。
何しろ所詮は過去の話である。今の自分にそれ相応の働きをしろと言われても無理だし、恩恵を失ったせいか覚えていた魔法も使えない。開けていて思う存分に動かせた身体は思考についてこれず、レベル0の状態に擦り合わせるまで何度も転んだことを覚えている。
「『おとうさん』はレベル2なんて大したことないって言っていたのになぁ……」
何時もの様に話半分で聞いとけばよかった、と小さく溜息をつく。
少し歩いた後噴水のある広場のベンチに腰掛けて、先ほどエイナから渡された冊子に目を通した。
それは入団募集中のファミリアの詳細だった。詳細と言っても表面上の事しかないが、方針や傾向などは入団を決めるための十分な指針に成る。どんなファミリアが有るのか、ベル自身これからの事を考えると楽しみでもあった。
「……うーん、やっぱり商業系のファミリアが多いな。そっちを中心にするつもりは無いんだけれど……」
パラパラと冊子をめくっていき、エイナのチェックが付けられたファミリアを確認する。基本的にファミリアの団員は飽和状態にある。人手が欲しい、と言う意味では店の核を自分の眷属に任せたいと商業系のファミリアの方が募集は多かった。
商いのまねごとをしていたと説明したからだろう、チェックはそれらのファミリアが多い。尤も、エイナ自身が冒険者よりもそれ以外の商人として大成してほしいと言う無言の意思表示だったのかもしれない。
「悪くは無いけれど……やっぱり【ロキ・ファミリア】の入団試験を受けてみようかな」
勿論商業系のファミリア中でもダンジョン攻略をしているものもある。鍛冶や調剤、娼館など多岐に渡る。しかし金銭を得て大成するつもりはベルにはなく、純粋にダンジョンに挑みたいと思っているのも事実だ。
『おとうさん』が見ていた光景を見てみたい。ベルにとってそれが一番の目的だった。
他の人や神は『おとうさん』の事を笑うだろう。女の人に騙されて、『おかあさん』に折檻されて、それでも懲りないでナンパを仕掛け、ついでに誰かを助けて、いろんな人振り回されるのに周りを笑顔にする。
どこか【アルゴノゥト】を連想させる『おとうさん』は、ベルにとって間違いなく偉大な英雄だった。
ベルは苦笑する。『おとうさん』の様にはならないと決めたはずなのに、こうして今自分は『おとうさん』の後姿を追っているのだから。
「それじゃあとりあえず受けるとして……一応、【ヘルメス・ファミリア】の推薦状もあるけれど、あんまり頼りたくはないし――ん?」
冊子の上あたりを見ていた時、景色の奥に見覚えのある後ろ姿が見えた。
二つに分けた漆黒の髪と白を基調とした服を纏った少女が、探し物をするようにキョロキョロと辺りを見渡している。そして時折何かを話しかけては断られ、がっかりと肩を落としていた。
「……ヘスティア様? と、確か冊子には……」
あった、と。ベルは巻末近くにある新設ファミリアの項目で手を止める。
新設、とあるが団員数に関しては0人と、まだ結成すらしていない状態だった。神様が新しくファミリアを新設するという事で、一応巻末に乗せておいた、と言う程度の扱いになっている。
そこもエイナによってチェックが入っていたが、ベルはその項目を見るつもりは無かった。単純にメリットデメリットの問題で、損が多いと感じていたからだ。
「勧誘の最中なのかな、あっ」
肩を落としていたヘスティアだったが、トトトトとベルと反対方向へ走って行った。どうやら違う場所で勧誘を始めるらしい。
空も見れば茜色に染まった空はだんだんと暗闇を帯びてきている。魔石で外灯を照らすこの街で暗闇は縁の少ないモノになってきていた。宿は食事つきで取っているため、今戻れば丁度いい時間で夕食を始められるだろう。
ヘスティアは今日オラリオを訪れたベルよりも、危ない場所はしっかりと把握しているだろう。夜中に一人女性を、という気遣いは必要ない。
「……」
だがベルはどうしてもその後ろ姿が気になって、隠れるようにヘスティアの後を追いかける。一定間隔の距離で、なるべく気配を消して。
場所を移した後もヘスティアは変わらず勧誘を始めていた。冒険者の風貌の者は避けて、行商人や若者、時には店を出している者にまで様々だった。
それでも最終的には首を横に振られ、落ち込むヘスティアの後姿がそこにあった。もう十人も勧誘をしたところだろうか、茜色だった空は闇の色と星の光に変わり、街の外灯が辺りを照らし始めた。
空を見上げて今どれぐらいの時間なのか分かったのか、ヘスティアは大きく溜息を吐いていた。その様子では成果は無かったのだろうとベルは思う。
「きゃん」
とその時だった。ヘスティアが空を見ていたせいか、前から来ていた住民に気が付かずぶつかってしまったようだ。通り道の端に倒れかけたヘスティアはその勢いのまま尻もちをついて小さな悲鳴を出した。
ぶつかった冒険者風のヒューマンはどうやらヘスティアに気が付かなかったのか、そのまま隣に居る仲間と談笑を続けている。ヘスティアの手を取って立たせる誰かは誰も居なかった。
立ち上がることもせず、尻もちをついたまま暫くぼんやりとしていたヘスティアは俯いたまま動かない。ベルからは彼女の前髪が遮っていてその表情は見えなかった。
「……やっぱり駄目なのかな」
小さく、沈んだ声の呟きはベルには全部聞こえなかった。ただベルには彼女がこのまま放っておけば消えてしまうのではないかと思うぐらい、小さく沈んだ姿だった。
「神様、こんなところでぼんやりとしてたら風邪をひいてしまいますよ?」
気が付けば、ベルは彼女に声をかけていた。
――
「……もう、こんな時間か」
暗く闇に染まった空を見上げながらヘスティアは呟く。
一日中辺りを歩き回って勧誘をしてみたものの、結局一人たりともファミリアに入ってくれる者は居なかった。
梨のつぶて、という訳ではなかった。話を聞いてくれる人も実際には居るのだから。それでも断られるのは、ファミリアに入ろうとする者たちがより良い場所に行こうと向上心を持っていたからだ。
この街で神の恩恵を受けたぐらいで粋がる馬鹿者は居ない。受けたうえでのし上がってやるという者たちがファミリアに入ろうとするのだ。そうでない者は元々ファミリアでの生まれの者達ぐらいだった。過去に一人だけファミリアに入りたいと言った少女も、結局生まれのファミリアが有るから無理だった。
だからヘスティアが断られ続けるのも当然だったと言えるだろう。より広く商売してやると、コネや自衛能力などを求めてファミリアに入りたがる商人や、国を出て自分を売り込もうとする戦士など、新設のファミリアなど見向きもしない。
「きゃん!」
と、その時予想外の衝撃が横から来て、ヘスティアは道端に尻もちをつく。
見ればぶつかったヒューマンは此方を見向きもしない。気が付かなかったのだと分かるが、文句の一つでも言ってやろうと思い……何もせずにそのまま俯いた。
徒労感の方が憤る感情よりも上回ったからだ。
「(……結局、一日全部費やしてやってみたけどこんなのか)」
今日はヘスティアなりに頑張ってみたはずだった。いろんな場所を歩いていろんな人に話しかけて。
だけど足が痛くなるぐらい歩き回って勧誘してみても、結果はこの通りだった。昼ごろに頑張ってみようと決心した自分がバカみたいに見える。
せっかくの休日を棒に振ってしまったのだから、それなら行きつけの本屋で様々な物語に目を通す方がよっぽど有意義だった。
「……やっぱり駄目なのかな」
尻もちをついたときの痛みや情けなさ、自分への悔しさでじわりと視界が滲む。
今日はもう帰って寝てしまおう。そうしなければ情けなさで何もできなくなってしまいそうだった。
「神様、こんなところでぼんやりとしてたら風邪をひいてしまいますよ?」
「えっ?」
不意に声を掛けられた。
見れば自分の前に武骨な小さな手が差し出されている。思わず掴むとそのまま身体を起こされ、掴み返された手のひらは思ったよりも力強かった。
「あ、ありがとう……って、ベル君?」
「はい。昼方ぶりですね、ヘスティア様」
昼ごろに会った少年にもう一度会ったことにヘスティアは驚くも、起き上がった拍子に涙が零れ頬を伝ったのを感じ、慌てて目を擦る。なぜかベルには情けない姿を見せたくは無かった。
「えっと、ベル君はどうしてこんなところに? 迷子にでもなったのかい?」
「……実のところそうなんですよ。取った宿が何処にあったのか忘れてしまって。流石に迷子になったなんて恥ずかしいから探していたんですけれど」
そろそろ見栄も晴れ無くなる時間帯ですよね、と。困ったようにベルは笑う。実際にヘスティアを追いかけていたら本当に迷子になってしまったのである。
釣られたようにヘスティアも笑みを見せる。
「全く仕方がないなぁ。どこの宿だい? ボクが知っているところなら案内してあげるよ」
「本当ですか? えっと……」
ベルの言った宿はヘスティアも知っており、丁度彼女のホームであるさびれた教会に向かう道の上にある場所だった。
じゃあ丁度いいとベルとヘスティアは並んで道を歩き始めた。
「それで、ベル君はもうロキの所には行ったのかい?」
「いえ、今日はまだギルドに行った帰りですから。実はちょっと迷っているんです。この冊子をギルドで貰ったんですけれど、いろいろあったので」
ベルが見せた冊子はヘスティアにも見覚えがあった。新設するという事で募集を頼んだのだが、巻末の端の方に書かれていたことに憤慨した物だった。しかしそれは過去の話である。
ヘスティアはベルがまだどこに入ろうか、何処に行ってみようかと揺れている見て内心で喜んだ。もしかしたら今なら彼も自分のファミリアに入ってくれるかもしれない。
「そ、そうなのかい? まだ迷っているって言うならぼ、ボクの……」
と、そこまで言ってヘスティアは押し黙った。
昼ごろに話して分かったことだが、ベルも今まで勧誘してきた者達と同じように向上心は高かった。だから今勧誘したところで同じように断られるのではないだろうか。
だって自分に何ができるのだろうか。生活も友人に頼りきりで、お世辞にも器用に立ち回れるようなことはできない。丁度今日も何にも成果もあげられず、時間を無駄にしただけだった。
ヘスティアは自分の中から暗いものが出てきたのが分かり、ほんの少しの間俯いた。
「……神様?」
「や、何でもないよ! それよりもギルドで推薦状とかは書いてもらえなかったのかい? それがあれば大分スムーズに話は進むと思うけれど」
押し黙ってしまった事をベルが不審に思って話しかけられたようだが、それを何でもないと伝えるように明るい声でヘスティアは返す。
「ギルドでは書いてもらえませんでしたけれど、一応【ヘルメス・ファミリア】の推薦状を伝手で書いてもらっています」
「ヘルメスの? ……うーん、ヘルメスかぁ。良いとも悪いとも言いにくいから、何と言っていいかな」
ファミリアの推薦など滅多にもらえるものでは無いが、ヘルメスの事だからオラリオの外で旅に出たときに書いたのだろうとヘスティアは当たりをつける。
「だけどあそこは放任主義だから縛りも緩いし、一からやり直すっていう点では向いているかもしれないね。問題はそこの神自体がなかなか旅から帰って来ない事だけど。まぁ帰ってくる間にロキの所の入団試験でも受けてみたらいいんじゃないかな」
「え? でもヘスティア様は……」
「いや確かにボクはロキが嫌いだよ? 今度会ったら中指立ててやるさ。だけどロキ・ファミリアの規模は本物だ。君が冒険者として大成したいと言うのなら、受けてみる価値は在ると思う」
ロキについては憎いあんちくしょうであることは否定しない。ただそれでもヘスティアの耳に簡単に届くほど【ロキ・ファミリア】の名声はオラリオに広がっている。
ベル・クラネルが何か目標が有ってダンジョンに挑むと言うのなら、そこ以上に良い環境はほとんどないだろう。……少なくとも、何も無い自分の所とは違って。
ずきりと胸が痛む。それを無視してヘスティアは明るい声でベルに話しかける。
「まぁボクからはこんな所かな。とはいえたった一度しかない君の人生なんだ、どこのファミリアに行ってもボクは君を応援するぜ!」
にっ、と。ベルにヘスティアは笑みを見せる。
嘘ばっかりだ。応援なんて本当はできるとは思えなかった。目の前の少年に良い神様だと見せている自分は愚図でノロマで容量が悪くて、背伸びをしているだけに過ぎなかった。
だけど今日自分を立たせてくれた彼の前では、格好いい神様でありたいとヘスティアは思ったのだ。
「さぁーて、そろそろ君の言っていた宿に着くよ。夜ももう遅いから……ベル君?」
「……その、えっとですね」
捜していた宿が見つかり声をかけたところで、ヘスティアはベルが急に立ち止まっていたことに気が付いた。
数歩と言う距離だろう。何か言いたそうにして口ごもる彼を妙だと思いつつも、ベルの言葉を待つ。
「……ヘスティア様のファミリアはどうなんですか?」
「ボクの? ダメダメ、団員は居ないし家も借り物、貯蓄に至っては空っぽ寸前だよ。止めておいた方が」
「ええと、だからそうじゃなくてですね!」
ベルにとって最大の助言に成るようヘスティアが答えると、欲しかった答えではなかったのか、頭を振って言葉を遮る。
なんだろう、と首を傾げるヘスティアに、ベルは意を決したように口を開いた。
「どうしてヘスティア様は僕をファミリアに誘ってくれないんですか!」
「……………………へ?」
突然の言葉に何を言っているのか分からない、というようにヘスティアは間抜けな返事を返す。
「だ、だってベル君が言っていたんじゃないか! 新設するファミリアに入るメリットなんてないって」
「それはそうですけど、それはそうですけど!」
ヘスティアは正しい事を言っているが、それでも納得いかなそうにベルは応える。
「……さっきも言ったけれどボクのところには何にもないよ。ボクなんかの所よりも他のファミリアの方が」
「なんか、なんて言わないでください! 僕はヘスティア様の所が良いです! 何にも無くてもそれでもヘスティア様のファミリアに入りたいです!」
ヘスティアへと近づいたベルは、咎めるようにヘスティアの額を指先でぐりぐりとつつく。不敬であるだとか、そんな考えはベルの頭の中から吹き飛んでいた。
あう、と額を抑えるヘスティアは、何が理由でベルがそんな事を言いだしたのか分からなかった。自分が今まで言っていたことに何もおかしいことなんてなかったはずだ。
「……どうしてベル君は、ボクのファミリアに入りたいんだい?」
訳が分からなかった。ベルの目的が何なのかヘスティアは知らないが、少なくとも自分の所に入るのは遠回りにしかならないだろう。きっと他のファミリアに入る実力があるにもかかわらず、だ。
肩で息をするベルは呼吸を整えると、表情を崩して笑みを見せる。ベル自身、これが愚かな選択であるという事は分かっていても、それでもそれを無視していい理由があった。
「……今日話していて、他のファミリアに行くよりもヘスティア様と居たいなって、そう思ったんです」
「……」
「……」
「……え、それだけかい?」
「はい」
なんてことは無い。ベルが決めたのは、ヘスティアという神様が気に入った、ただそれだけのことだったのだ。
かぁ、とヘスティアは自分の顔が熱を持って赤くなるのを感じていた。嬉しさだとか羞恥だとか、いろいろな物が入り混じっていて。それはベルも同じだったようで、耳まで赤くした顔が彼の白い髪が良く映えさせていた。
恥ずかしさを誤魔化す様にヘスティアは笑い、ベルも同じようにそれに乗っかった。
「は、はははは! なんだいベル君! 君って案外チョロいやつなんだな!」
「育ての親がチョロかったんだからしかたないですよ! それに、凄く浪漫が有るじゃないですか!」
「浪漫?」
ベルは年相応の様に屈託のない笑みを見せて言う。それこそが自分の目的であると、夢であると言うように。
「何にもない所から伸し上ってでっかいことを起こすなんて、なんだか物語の英雄みたいじゃないですか」
それこそ男のロマンですよ、と。ベルは笑う。
ベルの口から洩れたその言葉は、きっと『おとうさん』の繋がりを求めて無意識に発した物だったのだろう。
『まるで体験してきたように』語る『おとうさん』の物語に出てくる英雄は、初めは何もない所からのスタートで、やがて大きな事を成し遂げて物語をハッピーエンドに導いた。その思い出が彼を突き動かしたのだった。
「そ、それじゃあ、本当にボクのファミリアに入ってくれるのかい?」
「はい。神様が良ければ、僕を【ヘスティア・ファミリア】に入団させてくれませんか?」
改めて礼を行い頭を下げてベルはヘスティアへと言う。
ヘスティアからの答えは無い、ちらりと彼女を窺えば、ぷるぷると何かをこらえるように震えていて、やがてそれは爆発した。
「っっぃぃぃいやったぁぁああああああ!!!! ベル君ベル君ベル君ベルくぅううううん!!!!!!」
「わわっ!!」
勢いよくベルへと飛び込んできたヘスティアはぎゅっとだれにも渡さないとでも言うようベルを抱きしめる。そして彼の胸板へとぐりぐりと顔を押し付けた。
急なことで周りの人達に見られていても、なにそんなこと気にするものか、とヘスティアは喜びを表した。
「ありがとう! 本当にありがとう! 君がボクのファミリアに入ってくれて本当にうれしいよ!」
顔を上げて至近距離から顔を見せられ、ベルはどきりと自分の胸が高鳴ったように感じた。
目尻に嬉し涙を溜めて、喜びを顔いっぱいにだした彼女の表情は、ベルが今まで生きてきた中で一番心を動かされた顔だっただろう。
もっと良いファミリアに入れるだとか、ヘスティアに会う直前まであったそんな賢い考えはベルの中から吹き飛んでいた。
今思えば、泣きそうに見えたヘスティアへと無意識に声をかけていた時から、自分の腹は決まっていたのかもしれないとベルは思う。彼女に笑ってほしいと、心のどこかで思っていたのだろう。
『ベルも、女の子が居たら優しくするんだぞ。泣いている子が居たら笑わせてやるんだ』
そう子供の頃伝えた『おとうさん』の言葉をベルは本当の意味で分かっていなかった。自分の周りに居る女の人は強い人ばかりで、結局泣かせてもいるため『おとうさん』を軽蔑したこともあった。
「(……くそう、『おとうさん』が女の人を笑顔にしたがる理由が分かったかもしれない)」
だってそうして見られた彼女の笑顔は、とても綺麗なものだったのだから。
そしてこれからも彼女のファミリアで彼女を笑わせられるのだから、何処のファミリアにもない特典だと胸を張って言う事ができるだろう。
チョロい上に安い人間だな、と。ベルは思わず苦笑した。
「ベル君が入団してくれるなら百人力さ! ダンジョンの底もあっという間だよ! それこそロキの所なんかにも負けたりするもんか!」
「まったく、調子に乗らないでください」
ベルがヘスティアの額に軽くチョップすると、あう、と小さな悲鳴が返ってくる。恨めし気に視線が返ってくるが、それでも喜びを隠せないのか、頬をだらしなく緩ませている。
結成したぐらいで有頂天にならないでください、そう言おうとした時ベルのお腹から既視感のある音が響いた。
ぐぎゅるるる、と。
ああ、そう言えば宿に行かなかったから晩御飯食べていなかったんだ。そんなことを考えるベルだったが、くすくすと聞こえてきたヘスティアの笑い声に顔が赤くなったのが分かった。
「ふふ、なんだかボクと会うといつもベル君はお腹を空かせているね」
「いや違っ……これは晩御飯を取り損ねてしまったからで……」
「いいさいいさ! 遠慮することなんてないよ! 今日は君が初めてボクの
行こう、と手を引く神様に釣られるようにベルも走り出す。予約を取り消さなかった宿の事だとか、今後の事だとか今はただどうでもよく、彼女の笑顔を見れたと言う幸福を噛み締めていた。
これが、彼らの物語の始まりだった。
それは冒険譚と呼べるものでも、英雄の物語と言えるものでもなかったかもしれない。
でもある日何処かで、一番初めに彼女の眷属になった少年は呟くのだ。
『僕のところの神様が愛されすぎる』、と。
立場入れ替え ベル⇔ヘスティア
次はミノタウロス
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二話上
小さいころ、ベルは暴れ牛を見たことがあった。身体のどこかに針でも刺さったのか、目につくもの全部ぶっ飛ばしてやると言わんばかりに大暴れした牛を、村人たちはどうにかして抑え込んでいたのを遠目で見ていたのを覚えている。
たった今ベルの後ろから迫っているのはその数百倍は恐ろしいと胸を張って言えるだろう。暴れ牛が巨人の四肢を持って追いかけてくるなんて、冗談は本の中だけにしろと吐き捨てたくなった。
無論、生死を賭けている状態で言葉にすることは無い。ベルは愚痴を削ぎ棄てて前方に見えるモンスターの情報を叫ぶ。
「ヴェルフ! 前方60コボルト6! すれ違いで左から4いける!?」
「3! それ以上は分からねぇ!」
「分かった僕も右から3をやる、次の角を右!」
「あいよ!」
疾走しながらヴェルフは太刀を両手で構え、ベルは背にあるサブのバックパックに手を伸ばすと、それごと掴んで振りかぶる。
自分の筋力値と相手との距離を目測で測り、魔“石”の入ったバックパックをぶん投げた。
コボルトたちがベルとヴェルフに気が付いたのは、ベルが既に投擲を終えてからだった。自分たちにとっての敵がいる、一匹のコボルトが気配に気が付きその方向を見たとき視界に入ってきたのは、景色一杯に広がるバックパックの生地だった。
『グギャ!!?』
魔石の詰まった袋はそれなりの殺傷力があったらしく、それを顔面に喰らったコボルトは血反吐を吐いて弾き飛ばされる。何が起こったのか分からない、つい倒れた仲間を目で追ってしまったコボルトは、もう一人の仲間がさらに突然倒れたことで頭の中の混乱が更に広がった。
それは投擲用のナイフだった。柄が無く刃がむき出しになったそれが、仲間のコボルトの後頭部に突き刺さっている。
ごちゃ、と。ナイフを抜き取ろうとして手を伸ばしたコボルトは、後頭部の痛みと顔面を潰した音を最後に聞いて意識を失った。
「(……あっぶなぁ! よくしっかりと当てられたな僕。ついてる……いやついてたらこんな状況が有るか!)」
コボルトを踏み潰し、姿勢を低くしてナイフを回収後そのまま駆け抜けたベルは、内心で冷や汗をかきながら走り続ける。
バックパックは確かに狙ったが投げナイフはせいぜい怯めばいい程度のものだった。まさか行動不能にまでなるとは思わなかったのだ。最初の投擲が効き、また適正階層よりも上層であるためかヴェルフも問題なく三体のコボルトを辻切って倒していた。
『ヴォオオオオオオオオオ!!!』
ただし状況は全くよくなっていない。ベルは回収したナイフをホルダーに仕舞い舌打ちする。
「おいベル、どうする!? このまま逃げ続けんのか!?」
ヴェルフは叫ぶようにベルへと指示を仰いだ。
ヴェルフは冒険者としてはステータスや経歴は先輩だと言えるだろう。しかし本職は鍛冶師であり、戦いを生業としてきた年数はベルの方が上であると知っている。それがヴェルフとベルが組んだ理由なのだが、此処では割愛する。
頼りすぎてもいけないが、この極限状態で経験も何も在った物ではない。だから恥ずかしいとも思わなかった。
少なくともどうすればいいか分からない状態で、自分はベルが考えたこと以上の判断を下す洞察力は無いと、ヴェルフは自分の無知を知っていた。
「……地上まで逃げよう。ルートは出す、ヴェルフは体力はそこまで持つ?」
「問題ねぇ、だけど大丈夫なのか?」
大丈夫、というのはベルの体力のことではなく、地上にモンスターを、それも中層に位置する奴を出しても大丈夫なのか、という意味だった。
現在4階層に居て七割程度の力で走っているが今のところ問題は無い。敏捷だけならヴェルフもベルも互角といったところだ。そして地上に出してしまえば、生き残る芽は絶対にあるとベルは当たりを付けていた。
簡単だ、モンスターが時折ダンジョンから外に湧いてくるなんてことがあれば、オラリオに住民が居つくはずがない。そのためベルは少なくともレベル2以上の人員が入口に常時待機していると踏んでいた。
自分たちにどうしようもない以上、上級の冒険者に任せるしかない。居なければやりたくはないが、確実に居るだろう下級冒険者に押し付けることも考えていた。
「大丈夫だ、僕を信じて」
「それしかねぇんだ、信じるよ。っちぃ! もう来やがった!」
通路の奥からミノタウロスが迫ってくるのが分かり、ベルとヴェルフは余計な口を叩くことすらせずに足を動かし続ける。
「(本当に幸運なことに……あのミノタウロスは負傷しているしサイズも小さい。充分に逃げられるぐらいの速度だ)」
きちんと目視で確認はしていなかったが、あのミノタウロスは角も折れ、身体の所々は打ったような打撲跡があった。何度も壁に激突しているのは何かに怯えしっかりと前が見えていないのかもしれない。
それでも自分たちを追いかけてくるのは、目の前の敵を倒さなければならないと言うモンスターとしての防衛反応が過剰に働いているのだろうか。
混乱という異常状態に負傷、さらに弱い固体である。普通のミノタウロスに遭遇しない分、ベルとヴェルフはツイていると言えるだろう。
だがそれでも倒そうなどとは思わなかった。敏捷Dはベルの中でも最高ステータスである。ミノタウロスが負傷してそれだけは互角の状態だった。なのに手負いの獣の状態になっているモンスターなど戦いたくは無い。
「(中層で冒険者が誤って逃がした? ……怪物祭絡みで動いていた【ガネーシャ・ファミリア】が捕獲にでも失敗した? くそ、迷惑な祭りを開くならきっちりリスク管理はしてよ! ……って)」
「っち、運が悪ぃ! おいそこのあんた、ミノタウロスが出たぞ逃げろ!!」
ベルとヴェルフの視界に入ったのはT字路になっている通路の角から現れた女の冒険者だった。遠目からでは金の髪と軽装であるという事、女性であることしか判断が付かない。ただ周りに人が居ないのを見ると、ソロでダンジョン攻略をしている初級冒険者であるとベルは当たりを付ける。
「おい何やってんだ! 速く走れ潰されるぞ!」
ヴェルフがミノタウロスを見て唖然とするその冒険者を、叱咤するように怒鳴った。ヴェルフもその女性が初級冒険者であると当たりをつけたからだ。
上級になっている冒険者がソロでダンジョンに潜る愚行をするとは思えず、気まぐれで一人で潜るにしては遅い時間帯だ。冒険者として上級なのか下級なのか分からない。上級冒険者なら任せればいい、でももしも下級冒険者なら?ほぼ確実にミンチになって命があっさりと消える。ダンジョンはそう言う場所だ。
ベルは思う。
つまり、僕がこの女性にモンスターを押し付けて殺して生き残るわけだ。
クソが、ふざけんな。やる事全部やってないのに放置できるわけが無いだろう。
ベルは自分の筋力値と敏捷値を思い出し、重量はどこまで対応できるか、どこまで速度が保つかを頭の中から叩き出す。問題ないと言う結論を出した結果、ヴェルフへと叫んだ。
「ああもう! ごめんヴェルフ! 第二案!」
「え? わっ!?」
「そうするとは思っていたよ! 安心しろコノヤロウ!」
身体を前へ倒し姿勢を低くして走ったベルは、その女性にすれ違いざま女性の腰あたりを腕にひっかけるようにして抱きかかえる。俵を担ぐように女性を肩へと持ち直したベルは、視界にゴブリン二匹が入ってきたことが分かる。
任せろ、と。そう一言言ったヴェルフは速度が落ちたベルを追い抜き、前方に出現したゴブリンを撫で切りにして再び並走した。
「え? え? 待って……君たちは」
「喋るな! 舌噛むよ! ヴェルフ、モルブルボムを使う。数秒でいいから膠着状態を作って欲しい」
肩に居る女性が何かを言おうとしたようだが、それを無視してベルは思考を続ける。
ベル自身が女性という荷物を負ってしまったため、ミノタウロスと同等程度だった速度は落ちてきていた。遠くない未来追いつかれると判断したため、地上まで逃げる案は却下された。
第二案がモルブルボム……煙幕と臭い消しの複合爆弾の使用だった。【強臭袋】と呼ばれるモンスターとのエンカウントを避けるアイテムを、接敵してからも回避できるようにしたものだ。炸裂させればモンスターにとって有害な臭いと煙が、方向感覚や視界を滅茶苦茶にするという結果が起こる。それは中層以降のミノタウロスでも例外ではないだろう。
「おいおいおい、アレ相手に打ち合えってか? 無茶言ってくれるぜベル」
「明日から金銭的に僕の無茶が始まるから勘弁してくれないかな。ナァーザさん、此処ぞとばかりにふっかけてくるから」
そしてそれを第二案にしていたのは、今のベルには製作費用がそれなりにかかる。少なくとも今週の収入の殆どが吹き飛ぶ程度には。
ベルはオラリオの外で出会ったシアンスローブの顔を思い出してモルブルボムを使いたくなくなった。しかし確実性を考えて使わないわけにもいかない。
このまま逃げながら投げる準備をしてもいいが命中率が不安になる。全体的な生存率を考えてヴェルフに負担を押し付けることにベルは内心で申し訳なく思った。
「ご愁傷さん! 無茶させるんだから俺にも後で飯奢れよベル!」
「なんとかなったらね! ―――3カウント後にこっちも投擲準備する。反転して一当てお願い。投げるタイミングはこっちで言うから地面に伏せてすくこっちに離脱して」
「あいよ、分かった」
「申し訳ないけれど貴女もカウント後に降ろすから先に逃げて下さい」
「ん、分かった」
ミノタウロスに追われているにもかかわらず澄ました顔で答える女性に、ベルは天然さんか! と内心で思った。
「じゃあ行くよ! 3、2、1、行って!」
「おうよ!」
ベルは急ブレーキをかけるようにその場に留まると、足から着地するよう肩から女性を下し、バックパックの中を探った。
――
ベルと呼ばれた少年が叫ぶと同時に、その声に応える様ヴェルフと呼ばれていた青年がミノタウロスへと駆ける。その様子を女冒険者――アイズ・ヴァレンシュタインは剣を構えすぐに助太刀に入れる体勢で見ていた。
遠征から帰還する際にミノタウロス達が【ロキ・ファミリア】の団員に怯え上層向けて逃げ出す事故が起こり、散り散りになって団員たちがその討伐に向かっていた。そして上層付近まで最後二体になったところでベートと二手に分かれ、最後のミノタウロスに追いついたところだった。
だが自分が下の冒険者に抱きかかえられてしまうのは予想外だった。さらには二人組の冒険者――ベルとヴェルフはミノタウロスを何とかする算段を付けたようだ。
「(……どうしよう)」
アイズはベルたちの短いやりとりの間に考える。自分が何かを言おうとしたがそれはベルに遮られてしまった。さらに彼等が目の前の負傷したミノタウロスを倒せる相手だと判断したらどうなるか。
モンスターの横取りは余計な諍いを生み出しかねない。そして目の前に居るモンスターはミノタウロスにしては小柄なサイズで負傷もしている。ベルとヴェルフが討伐するという選択をすることもアリだとアイズは判断した。
だからこそアイズは此処で戦いを見守るという選択を取った。万一に繋がると判断した場合に介入する、そう考え一目も残さず状況を観察した。
1秒
ベルはバックパックから取り出した、楕円形の道具に着いたピンを引っこ抜いた。ジジジ、と小さな音を立てるそれを手に振りかぶる。落ちてから起爆させるのではヴェルフが離脱できない。まだか、と冷や汗を流しながらベルは戦況を見定める。
ヴェルフは大太刀を上段に構えてミノタウロスに向かっていたが――感じた威圧感にすぐに打ち合う事は無理だと判断する。明確な敵意を感じたミノタウロスはその手に拳を握りしめて勢いをつけるためか腕を引いた。
そこにヴェルフは大太刀を振り下ろす――フリをして地面を前転するようにして転がった。ヴェルフの顔面向けて放たれたミノタウロスの拳は、チッっとヴェルフの髪を掠め地面を砕いた。
2秒
アイズは剣を構えて動かない。だが内心でヴェルフではミノタウロスに及ばないと判断する。一太刀が届かないと彼が判断したのなら……介入する。たとえその隙にミノタウロスの一撃が放たれようとも、この距離ならばそれごと斬り伏せることはできると判断した。
体勢を直したヴェルフは、下段に構えた大太刀でミノタウロスの後ろ腿を切り上げる。裂いた感覚ではなく、腿に沿ってなぞるように滑った斬撃の感覚に焦りを感じていた。
「(冗談だろ! 全うに入って薄皮一枚かよ!)」
文字通り読み通り刃が立たない。一番力の入る上段からの切り落としではなかったが、刃が通るかどうかも疑わしい。つまるところ……自分がこのミノタウロスを倒すためにはモンスター共通の弱点である魔石を砕くしかない。
瞬間、後ろ目にミノタウロスとヴェルフの目が合った。やべえ、と感じた瞬間何も考えず、ミノタウロスの脇目掛けて飛び込んだ。放たれたのは地面に埋まっていたはずの拳、裏拳が暴風の様に振るわれる。
裏拳を放たれていた右ではなく、ミノタウロスの左に飛び込んだヴェルフは運よくその一撃を回避する。右の拳を振りぬいた姿勢ならば左の方が体の可動範囲が狭く致命傷にならないと判断したのが当たったようだ。
だがヴェルフが戦闘中に考えられた思考はそこまでだった。斬撃の一撃でひるませられるという判断が外れた以上、考えが遅れたヴェルフはミノタウロスの一撃を、初撃のように計算通り避けられず、無様に頭から地面に突っ込む羽目になる。
3秒
「(ああ、こいつはやべぇ)」
この思考が終わらないうちに自分は地面に倒れ伏すだろう。ヴェルフはその事実を他人事のように感じていた。
魔石を砕く? 負傷している? 弱い固体? 冗談はやめろ、こんなのが相手に成るはずがねぇだろ。
後先も考えない回避行動の後は明確な隙ができるに決まっている。その状態を踏み潰すことなどミノタウロスにとっては他愛のないことだろう。一撃喰らったら終わる、耐久も力も流石中層のモンスターと言ったところか。
「(時間作って伏せたんだ、なんとかなるだろ、なぁ! なんとかしろよベル!)」
死ぬ間際、人間の脳は生きるために高速回転し辺りの情景を遅く見せるらしい。背後に感じる威圧感と殺意は明確に自分の身体を突き刺してくる。
それはミノタウロスがどうにもなっていない事を表していた。
アイズは身体を前に倒し駆けようとした。ヴェルフが回避になっていない状態でミノタウロスの一撃を避けられたのはいい、だがそれ以上は続かないだろう。見守るのは、ここまでだった。
「前に跳ねろヴェルフ!」
「ぁあぁぁあああああああぁぁああああ!!!!」
ヴェルフの喉から洩れたのは了解の意味もなく、単語ですらない叫びだった。
結果どうなるか分からない、分からないがベルがそう言ったのだ、やることに絶対に意味はある。ヴェルフがベルの言葉を理解できたのは無意識の信頼だった。
無茶な体制、無茶な勢いで頭から地面に突っ込むところを、無理やり手を前に出して地面に着いたのだ。
そのまま上手く地面を掴んだヴェルフは、腕力だけで身体を前に投げ出した。【ステイタス】の恩恵を前面に出して常人以上の力を以ってしても、腕がミシミシと嫌な音を立てたのを感じる。それでもハンドスプリングを無茶な姿勢で行い、身体を前に跳ばすことはできたのだった。
空中で一回転したヴェルフの横をベルが投擲したモルブルボムがすれ違った。
ごしゃあ!
「おいアイズ! てめえなにやって……」
「え?」
「あ」
立場入れ替え
ベル⇔ヴェルフ
アイズ⇔ベート
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二話下
へぶはっ、と。ヴェルフは地面に胸を打ち付けて肺の中の空気を吐き出した。その痛みが早く立ち上がれと自分を催促しているようにも感じ、うつ伏せになった身体を起こした。
まだ終わってはいない。ベルが投げたモルブルボムは作用したのか、自分は今動けるのか、ミノタウロスの足は止まっているのか。無我夢中で自身の状態が分からないなど言い訳にもなりはしない。言い訳をしながら死んでいくぐらいなら、一つでも自分の思う最善を尽くす方が先なのだから。
感覚を研ぎ澄ませる。視覚聴覚嗅覚すべてで現状を把握するためにヴェルフは片膝を立てて辺りを見渡し情報を取り入れた。
「がぁぁあああああああああああああああ!? なんだ! なんだこれ!!? なんなんだこいつはぁ!!」
「ああああーっ!? やっちゃった……」
ブラックアウトした視界に再度色が灯ると、そこには鼻を押さえてのた打ち回っている狼人と駆け寄る少年が居た。
「……どういう状況だこれ」
死の気配から遠く離れた風景に戻されたからか思わずヴェルフは呟いた。
戦闘中背後に感じていたミノタウロスの威圧感は霧散し、死ぬ前兆は微塵も感じられない。その代りにベルと狼人の近くには、潰れたトマトになったなにかがあった。
もしかしてあれがミノタウロスだったものか?
そうヴェルフが考えれば頭の整理は簡単に進んでいった。上級冒険者にミノタウロスは討伐されて、自分とベルは助けられたということだろう。
「……大丈夫ですか?」
その言葉と共にヴェルフの目の前に手が差し出される。死の脅威が去った安堵感から、ヴェルフは特に思う事も無くその手を掴んで立ち上がった。
「ああ、悪いな……ってお前はさっきの」
ヴェルフに手を差し出していたのは、先ほどベルと自分が助けようとした女性だった。どうして逃げなかったのか、と問う前にヴェルフは彼女の持つ装備や姿を見て察しがついた。
今の自分の手ではひっくり返っても打てはしない業物を持ち、金の瞳に金の髪、蒼の軽装の姿は、ヴェルフも耳にしたことのある人物のものであった。
アイズ・ヴァレンシュタイン。【剣姫】の二つ名で呼ばれる彼女のことは、姿を見たことは無いが名前だけは知っている。レベル2到達のレコードホルダーであり、最大手ファミリアである【ロキ・ファミリア】の精鋭の一人だ。
「いや……すまん助かった。俺はヴェルフ。アイツはベル、パーティが危険な時に助けてくれて感謝する」
「アイズ、アイズ・ヴァレンシュタイン。気にしないで。寧ろ迷惑をかけたのは私達だから」
「私達……?」
なお助けたのは後ろでのた打ち回っている狼人、ベート・ローガである。ヴェルフはそれには気が付かず、アイズの起伏の少ない表情を見て内心で苦く思っていた。
自分たちのやったことは無駄な世話だったらしい。ただ自分もベルも相手が格上だったことに気が付けなかったのだから、ベルの判断が間違っていたとしてもそれに思うところは無い。
そして相手が助けてくれたことは事実であり、有名人だからと言って対応を変えるのは失礼にあたるだろう。ヴェルフは礼の言葉を伝えるがアイズから返ってきた、迷惑をかけた、という言葉に内心で首を傾げた。
話を聞けばミノタウロスが上層まで来てしまったのはロキ・ファミリアが原因らしく、遠征の帰りにひと暴れしようとしたらミノタウロス達が怖がって逃走してしまったようだ。一目散に逃げていたミノタウロスは道中で他の冒険者に攻撃されながらも突っ切って此方に来たらしい。
「そういうことだから、私達が下手を打たなければ君たちが危険に巻き込まれることも無かった。本当にごめんなさい」
「だけど助けられたことは事実だからな。俺は恨むつもりは無いから気にしないでくれ」
頭を小さく下げるアイズにヴェルフは軽く手を振ってやめてほしいと応える。実際に此方の被害と言えるのはベルの消費した道具ぐらいだ。投げた魔石は後で回収すればいいし、自分は安全に格上のモンスターと命がけで切り合ったという経験ができた。感謝こそすれ恨む筋合いはないだろう。
「まぁベルの方は……どうだろうな」
「彼にはアイテムを使わせてしまったから補償したい」
ベルが使用したアイテムはアイズが初めて見るものであり、ベルと共に行動しているヴェルフにとっても滅多に使わない貴重品という印象があった。
「……え、えーと。大丈夫、ですか?」
「大丈夫に…見えるか……糞がぁ! ゲホッ、カハッ」
咽る狼人の冒険者と頭を抱える少年がまだそこに居た。思わずアイズは首を傾げる。
「……あのアイテム、身体に影響はある? 【耐異常】のアビリティを突き抜けてあの効果が出るのは少し異常だと思うけれど」
狼人――ベートの余りの悶えぶりに流石のアイズも心配になって尋ねる。情報の漏えいにも思えるが、一級冒険者達はほぼ例外なく【耐異常】のアビリティを保持している。言葉にしたところで問題は無い。
【耐異常】はモンスターの毒だけでなく人為的に造りだした毒でさえ防ぐため、ベートは大丈夫だろうとアイズは考えていた。
しかしこうも状態異常が長いと流石のアイズも心配にもなった。
「いや、一定時間で完全に効力は失うって話だ。……実際に試し打ちに付き合わされて、ベルの奴が暴発させたが、あの狼人みたいになっていただけだったな」
モルブルボムについては商品化の前段階としてミアハ・ファミリアから実験をクエストとしてベルと二人で頼まれていたことが有る。ダンジョンでの使用とそれ以外での使用での差異などのデータを得るのが目的だった。
しかし製品を作る段階で製作者であるナァーザが、うっかりとその臭いをまともに嗅いでしまい、のた打ち回っているのをベルが大爆笑したらしい。それを見たヴェルフは、何かしらの因縁でもあるのだろうかと首を傾げていた。
ただ試作品として渡されたそれがダンジョンの外とは言え暴発したのは、それも一因ではないだろうかとヴェルフは予想する。苦情が周りから来てその日は散々だったとヴェルフは思い出す。
テロに使えそうなこれは流石にダメだと互いの主神から止めが入り、今はベルが特注品として頼むだけで商品にはなっていない。
「あと数十分もすれば臭いも取れるだろうよ。まぁベルがああなったときはぶん殴って気絶させたけどな」
ヴェルフぅ!僕を殴って気絶させろぉおお!! と叫んでのた打ち回っていたベルを思い出し、大きな問題にはならないだろうとアイズに笑いかける。
なんか臭ぇから嫌だと断った時のベルの表情と、死なば諸共実験を再開すると伝え別の試作品を取り出したナァーザの表情は今でもヴェルフは覚えている。あの惨事の後でも後遺症は無かったため恐らくは大丈夫だろう。
「…………そう、分かった」
「? 何を……」
神妙な顔で頷いたアイズは、すたすたとベートの近くまで寄った。それに気が付いたベルは道を開けるが、ヴェルフもベルも何をするのかと首を傾げる。
唯一その場所で嫌な予感を感じたのはベート・ローガただ一人だ。何かがマズイ、此処で蹲ってる場合じゃねぇ。長年戦闘者として培ってきた直感が、サンドバックにされても立ち上がるボクサーの様に、ふらふらとしながらも身体を起こした。
「おいアイズ、てめぇなにを……ほぐぁ!!」
「おぅ……」
あくまでも治療行為の一端であり、嫌な予感はあっても殺意を微塵も感じることができなかったベート。決め手、右のボディブロー。見事にKO判定を出されたベートは再び気絶した。
俵でも持つようにベートを肩に掛けたアイズは、モルブルボムの残り香に顔を顰めつつもベルたちに向き直る。
ベルにヴェルフと同じような説明をした後、ミノタウロスの魔石はその補償代わりに受け取って欲しいと言って一礼し、去って行った。正直二人とも唖然としていたため、悠々と歩くその姿にかける言葉も無かった。
――
ミノタウロスという固体にしては小さい体躯であったが、とれた魔石は相応に大きなもので、ベルとヴェルフは思わず息を呑む。この魔石を換金したのならモルブルボムを使った分の金銭は余裕で取り返せるだろう。問題は作成を嫌がる製作者に頭を下げる程度の事だ。
回収を終えた二人は、ミノタウロスに追い掛けられた道中で放り投げた魔石入りのバックパックを拾いに向かった。幸いなことに盗まれたりすることは無くその場所にあり、稼ぎが無くなるという事は防ぐことができた。
「たっくとんだ目にあったな。もう一度ミノタウロスと戦えって言われても絶対にやんねぇぞ」
「やめてよダンジョンで……えっと、神様曰くフラグ、だっけ? そういうの立てるの。本当にもう一体来たらどうするのさ」
神様たちの中でダンジョンや危険地帯で意味深な事を言うと本当に発生するというジンクスがある。俗称フラグと呼ばれるそれを立てて冒険に出ようとする眷属たちを、神達は冷や冷やしながら見守っているのだとか。
肩に太刀を据え気楽に歩くヴェルフをジト目で見ながらベルは答えた。
「あーーそんときは……ベル、作戦立案は任せた。もう一回あの臭い玉使うとかどうだ?」
「在庫がもうないよ……下手にたくさん持つと誤爆して道具やら食料やらオシャカになっちゃうし。他の冒険者に押し付けるしかないんじゃないかな?」
「……マジか?」
「マジだよ」
事実上対処不可能という事である。
確かにそりゃマズイ、と。ヴェルフは気持ち急いたのか、少しだけ歩幅が広がった。とは言えベルとしては下層から帰ってきたロキ・ファミリアの団員が居ることが分かっているので、ほぼ有りえないと考えている。
ただ自分もヴェルフも少し気が緩んでいる。互いに引き締めるため、ベルは何も言わず歩幅を合わせた。
「それよりも、この魔石。僕が消費したアイテム分は引くけれど、分配はどうしよっか?」
鈍い光を放つミノタウロスの魔石を取り出してベルはヴェルフへと尋ねる。小さくとも中層のモンスターである。レベル1である自分たちにはそこそこ大きな収入に成ることは間違いないだろう。
消耗品や、今回使用したモルブルボムの値段を差し引いてもなかなかの額が手元に残ることになる。
「ん? そりゃああっちの詫びってことなんだから、5:5で分ければいいだろう?」
「……いや、ミノタウロスの矢先に立ったのはヴェルフだからね? とりあえずいつも通り、下層のモンスターだから普段通りの8:2で」
ベルとヴェルフがパーティを組んでいるのは互いに目的があってのことだ。お互いの利があったからこそ、レベル2への到達資格(ステータスオールD)を得ているヴェルフと駆け出しのベルは組んでいる。違うファミリアである二人が好意だけで相手に付き合うのは酔狂でもあるし相手のためにもならない。
当然適正階層には差が出るため、ベルの適正より下の階層ではヴェルフのサポーターをしていた。分配はヴェルフの側に偏っているし、ベルにとっての適正階層では使用したアイテム量を引いて等分にすることになっている。
なら今回のミノタウロスについてはどうか。自分の働きとベルのアイディアがあって初めて発生したものだ。ならば5:5だとヴェルフは考えていた。
「下の方の魔石はそれでいいがコレはお前と俺の成果だ。それならコレは例外だろう」
「それはそうだけど……」
何かを言いたそうで口ごもるベルに、どうしたんだとヴェルフは内心で思うが、やがてあることに気が付き納得した。
アイズが一級冒険者であることに気が付いていれば、あるいはベルが助けようとしなければ、もっと安全にミノタウロスは対処できただろう。少なくとも自分が死にかけるという危ない橋を渡る必要は無かったわけだ。
要するにベルはヴェルフに危険な目にあってこいと言ったことを、結果論とは言え自分の判断ミスを気にしているようだった。
そのことに気が付いたヴェルフは、空いた手の指で輪を作ると、そのままベルのでこ目掛けて弾いた。ぺしんっ、という爽快な音と小さな悲鳴を上げて思わず額を抑えるベルに思わず苦笑する。
「たっく、
勿論高い所でな、と。ヴェルフは気にしていないと言うように片手を振った。
実際ベルと組んで数か月が経つ。パーティを組んだこと自体にも契約は絡んでくるが、互いに互いの背中を任せられる程度には信頼を得ているつもりだ。もしもベルが同じファミリアに入団していたとしたら、戸惑うことすら無く彼の事を友人だと応えていただろう。
とはいえ気恥ずかしさもあり、それを面と向かって言うつもりは無かったが。
「(まぁ流石に鞍替えはねぇな。ベルの奴、自分の所の神様に首ったけだしな)」
ヘスティアが居ない場所の話ではあったが、ヴェルフは一度だけベルに自分のファミリアに来ないかと聞いたことが有る。自分の神様が好きだからやめておくよ、という答えに納得してそれ以来は聞いていないが、もう少し早く自分の神と出会っていればと思う事もある。
それになんの臆面もなく自分の主神を好きだと言えるのなら、良い関係を築くことができている証明でもある。
「ん……それじゃあ明日あたり、帰りに何処か食べにでも行く? あぁ、こっちは神様が付いてくると思うけれど」
案の定自分の所の神様を誘うベルにヴェルフは思わず苦笑する。
自分も同じようにできたらと思うが、そんなに暇のある身では無いからまだ無理だろうなとヴェルフは考えた。
「お、いいなそれ。それなら明日はベル先生のおごりで、豪華に行かせてもらおうか」
「こっちは駆け出しなんだからちょっとは手加減してよ?」
軽口をたたき合う二人の足取りはそれと同じように軽い。勿論警戒を緩めるつもりはないが、上層ダンジョン入口近くまでくれば多少なりとも緩んでしまうのは仕方ない。
翌日はそれに加えてベルが夕食を奢ってくれるときた。ダンジョンでの冒険を平穏と言うには物騒すぎるが、日常に少しの彩が着くことをヴェルフは有り難く感じていた。
まぁ明日の夕食時頃には
――
ヴェルフと別れたベルはとっくの昔に暗闇となったオラリオを歩いていた。オラリオに来て迷わない程度の時間は経っているし夜目は効く。神の宴からヘスティアがまだ戻っていなければ、迎えに行くのも良いだろう。
神様であるとは言え下界では人と同じ存在であり、妙な輩に絡まれる可能性は十分にある。まぁ寧ろ妙な輩には神様自身が絡みに行くのだが。彼ら彼女らは面白い
とそこまで考えたところで、タッタッタ、と何かが欠けてくる音が此方に向かってきて、ベルは思わず其方へと振り向いた。
「べ~ル~くぅぅぅん!!!」
「ちょっ! 神様!?」
そこには背中に風呂敷を背負ったヘスティアが、ベルに向かってダイブしてくる姿があった。
「もう嫌だぁ!神って奴は変態しか居ないじゃないか!喧嘩仲間だと思ってた奴がボクの貞操を狙っていたなんて! ちくしょう思えば所々怪しかったんだアイツ!」
「神様が変態しか居ないのはいつもの事なんじゃないでしょうか……なぜか周りは流石は神様進んでいると褒め称えますけど」
「ううう、君がまともな感性で居てくれてボクは幸運だよ。神達は進みすぎなんだ減速してくれてもいいじゃないか」
昔から神様を親として見ていたベルは、価値観の一部は神に寄っている。主に冒険者たちの二つ名を見て顔を歪ませる程度ではあるが。
抱き留めたヘスティアをひとまず地面に降ろす。ギャグ調で滝のような涙を流す神様を見て、ああまたからかわれたのか、とベルは気が付いた。ヘスティアの交友関係について多くは知らないが、どうやら弄られるキャラであるらしい。一般的な神らしくないと言う理由もありそうだ。
「神の宴は……この調子だと抜け出してきたんですね。忘れ物は有りませんか?」
「ん、大丈夫だよ。忘れたい物は沢山あるんだけどね。ただ、コイツだけはしっかりと忘れず取って来たんだぜぇ! 長持ちするのを多く詰めてきたから、これで二日はバッチリさ!」
そう言いヘスティアはくるりと身体を半回転させ、背負っていた風呂敷を見せる。外から中身は見えないが、朝持って行ったタッパーには中身が詰まって帰ってきたのだろう。
自分の所の神様に情けないことをさせてしまってベルとしては悔しい所もある。しかし褒めてもいいんだぞと言わんばかりに胸を張るヘスティアに、ベルは困ったように眉を下げて苦笑した。
「ありがとうございます。神様のおかげで夕食がちょっとだけ楽しみになりました」
「ふふん、そんなに褒めてもガネーシャの所の料理しか出てこないよベルくん?」
ホームへと足を勧めながらヘスティアと会話を続ける。神の宴で散々な目に合ったことや、相変わらずお隣さんのタケミカズチがからかわれていただとか。
ベルからは今日の成果やミノタウロスに会ったことを話す。驚かれ心配もされるが、ロキファミリアの団員に助けられたと聞いて複雑そうな表情をしていた。自分の所の団員を助けてくれたことの感謝や今日の出来事が脳内で絡み合っているのだろう。
途中でそういえば、とベルは明日にヴェルフと食事の約束をしていたことを思いだす。
ヘスティアと雑談をしているが、今日やるべきことと言えば後はステータスの更新をするだけである。
「(外食なんて久しぶりだからちょっと豪華にしたいけど、神様は今日いろいろ食べてきたんだよね。うーん……)」
流石に二日連続で御馳走という奴は胃に優しくないかもしれない。ただヴェルフとは約束してしまったし、無理そうなら神様も断るだろうとベルはヘスティアへと尋ねた。
「と、忘れていました。神様、明日ヴェルフと一緒に外で食べてくる予定なんですけれど、神様も一緒にどうでしょうか? 胃に優しい料理も置いている場所ですからよかったら……」
「ヴェルフ君と? そうだね久しぶりに彼の顔も見ておくのもいいかな……あっ!」
承諾しようとしていたヘスティアだったが何かを思い出したように言葉を切り、残念そうな表情をベルへと向けた。
「ごめんよベル君。明日は知り合いと子と一緒に夕食を食べる約束をしていたんだ」
「……へ、へぇー。そうなんですか。ちなみに誰とは聞いても大丈夫ですか?」
ベルにとって断られたのは残念だが、重要なのはそこではない。ヘスティアは知り合いの『子』と言ったのだ。神様の知り合いには奴だとかアイツだとか言うヘスティアがそう言うのは、決まって下界の者達だとベルは記憶している。
「ええと、君に出会う前に知り合った子だね。ファミリアに誘いたかったんだけどもう別の所に入っているらしくてさ。悪い子じゃないし、ボクも何回も会っているから大丈夫だよ」
そう言うヘスティアだったが、いろいろ考える前にベルは地味にショックだった。何故かは分からないが、ぷつぷつと煮えたぎるような感情が出てきたような気がした。
ベルがヘスティアに会う前に知り合いがいることなど考えてみれば分かることだ。分かることなのだが、何と言うか、気に入らないと言うか、悔しいと言うか、微妙な感情だとベルは考える。
「……そう、ですか。分かりました僕一人で行ってきます」
「うんごめんね、埋め合わせは何時かするからさ」
申し訳なさそうな表情をしているヘスティアに、とんでもないと言おうとしたベルだったがその言葉が出ることが無かった。
自分よりも前に会った子、という言葉が気になることも事実で、だけどあまり聞きたくないと思うのも事実である。
「(何やってるんだろ。……分かってはいるけれど、子供っぽいとは思うけれど)」
やっぱりヘスティアにとって自分が一番ではないという事に少しだけベルは拗ねていた。
立場入れ替え
ベル⇔ヘスティア
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三話上
ヴェルフにとって酒は気分転換に使う物である。無論前後不覚に成程酒に溺れることもなく、明日に残してしまえば自分の仕事に不純物を投げ入れる様なものだ。しかし純物だけで出来た得物は脆い。何事もバランスよく経験することは自分が人間として、鍛冶師として糧にできることでもある。そう言った意味では友人と杯を交わすことはヴェルフも嫌いではなく、むしろ好ましく感じることでもあった。
【豊饒の女主人】という店はサービスや料理、酒の質が高いだけの値は張る。だからこそ飲み過ぎず、たまにの贅沢としては適度なものだ。時折女将さんに料理を山盛りにされたりするが許容できる範囲だろう。ベルとは時々ではあるが今の様に夕食をともにすることもあり、こうした時間はヴェルフにとっても悪くないと言える。
しかし予定していた時間よりも少しばかり早く、ベルはまだ到着していない。注文を取ろうとするウェイトレスの言葉を躱しながら、少しずつ酒を呷る。
「(……そういえば、ベルと出会ってから二、三か月ぐらいは経ったのか?)」
初めて見たときは特に思い入れることも無かったが、今ではこうしてともに冒険に出ている。懐かしさと共に過去を思い出した。
――
ヴェルフは伸び悩んでいた。と言うのも彼の評価はヘファイストス・ファミリアではあまり良くなく、他の鍛冶師から避けられているからだった。個人の素行に問題があるわけではなく、あるとすれば【クロッゾ】という家名とその血筋に準ずる才能を使おうとしていないことだ。だがそれを妬む視線や愚かだと考える者は多く、ヴェルフは周りから疎外されていた。
だがレベル2到達のための質の高い経験値を得るためには深く潜らなければならない。最近装備を整えて到達階層の11階で経験を積もうとしたが、文字通り死に掛けながら撤退したところだ。お蔭で次の錬鉄のための素材すら購入できないほどの有様になってしまっていた。
「(結局のところ手詰まり、なんだよな。アドバイザーに言われなくともソロじゃもう限界だって分かっている)」
手元にある伸びの少ない【ステイタス】を写した紙。一度は購入されたが返品されたと、店から返却されて戻ってきた自分の作り上げた作品の数々。自分が前に進めていない、ということにヴェルフは暗い感情が漏れかけ首を振ってその思考を遮った。
「こうしていても仕方ないな」
鍛冶をやろうにも手元には素材が無い上に、こんな状態で集中できるはずがない。気を紛らわそうとその脚をある場所へと向けた。
ヴェルフが居るのは【ヘファイストス・ファミリア】が運営する店だった。多くの装備が売られているその場所に来たのは、陳列されている商品を買うため――ではなく、売れている物や質の良い物を確認するため市場に乗り出したのだ。
ヴェルフ自身は自分のレベルや技量にしては質の良い、他の者達にも負けてない装備を作り出しているつもりだった。だがそれが売れない、手に渡らない事実に悔しさを覚えていた。
ヴェルフ自身もだが職人と呼ばれる人種は頑固者ばかりだ。他の職人の物を真似をする、という妥協を重ねた物を作るつもりはない。ただ他の者の作品の良い場所を盗み自分の力にするのは別だ。物は言い様である。
要するに自分の作品が売れないのは何か原因があるのか調べに来たのだ。自分の作品と同じ場所に出品されている他者の装備を見ても、質では決して負けてはいない。ならばそれ以外に劣っているところが無いか確認をしている。
今はどうすれば前に進めるのかが分からない、だができることはやろうとヴェルフは身体は休めつつも鑑識力だけは鍛えようとしていた。
途中息抜きで自分とはレベルが違う場所の商品に目を通す。陳列された作品を見ているヴェルフの耳に、どこか自慢げな少女の声が届いた。
「ここがヘファイストスの所のお店さ! どうだい立派な場所だろう?」
「……ええ、凄いですね。これだけの規模のお店は初めて見ました」
ふとそちらに眼を運んでみれば、胸を張る女神と感嘆の息を漏らしている少年の姿があった。質も量もオラリオの外とは比べ物にならないだろう。ヴェルフ自身も初めてこの場所に訪れたときは心を揺さぶられたものがあったのだから。
なぜか別の神の店を自慢げに見せている神はヴェルフも見覚えがあった。ヘスティア、という神だったはずだとヴェルフは思い出す。
「あら、ヘスティア様。今日もアルバイトに来たのですか?」
「丁度いいところに、今人手が足りなかったんです。早く着替えて売り子お願いしますねー」
「おー久しぶりに看板娘が来てるじゃないか。せっかくだしこっちの案内してくれよー」
自分の主神であるヘファイストスとヘスティアは仲が良く、その関係でこの場所のアルバイトをしていたのを覚えている。要領は悪いが元気な姿は売り子としてはなかなか人気があったらしい。
「散った散った! 今日はきっちりと客としてきたんだから仕事はしない! こら、制服を持ってきても着ないからな!」
「なんというか神様、人気ですね」
「本当に人気ならボクのファミリアに入ってくれる子もいるはずなんだけどなぁ……」
しみじみとため息交じりにヘスティアは言う。
「実際に神様の話を聞くとヘファイストスと言う神様に凄く好意的な印象を持っているように感じました。そんな神様だからここの人たちもこのファミリアに居続けるんじゃないでしょうか」
「むむむ……悔しいけど今のボクじゃヘファイストスにはかなわないや。でもいいよ、ベル君がボクのファミリアに入ってくれたんだから!」
ぐぬぬ、とヘスティアはどこか悔しげな表情だったが、隣に居る眷属の事を思い出して笑みを見せる。どこか気恥ずかしそうに頬を掻いたベルは、ヘスティアに手を引かれて別の場所に移動するようだった。
ヴェルフはそれを見ながら、随分と眷属と主神との関係が近いんだな、と微笑ましく感じていた。見たところ新興したファミリアの主神と初めての眷属が装備を新調しに来た、といったところだろうか。冒険者の一番初めの装備は大体がギルドで勧められるものだ。改めてこの場所に来たと言う事は、装備を使い潰す程度はダンジョンに入ったと言う事だろう。あるいはある程度オラリオの外で装備を使う機会があり、武具を使う事が完全に初心者ではないと言う事か。
「(……そう言えばアイツらが向かって行った方向に俺の作った作品もあったか?)」
レベル1の冒険者が手に取るには手ごろな価格となって陳列されていた自分の作品を思い出す。少なくとも質だけならその周りの物と比べても一番だと言う自信がある。
ならばあの二人も自分の作品を手にとって買っていくのではないだろうか。
「……まぁ、少しだけならいいか」
どのみち此処を見たら同じ場所に行こうと考えていたところである。自分の作品を手にとって評価されれば嬉しく思い、逆に手に取ってくれなかったのなら見ていればどこが悪いのか分かるだろう。
聞き耳を立てるのは良い趣味ではないが気になることも事実だ。今回は興味本位に流されてみようとヴェルフは足を進めた。
そのエリアではレベル1の冒険者に向けた装備品たちが並べられていた。自分の作品である剣がビニール傘の様に一纏めにされていた時は目を覆ったが、それが今の自分の評価なのだろう。悔しいと感じるが性能が良くとも売れないと言うのは装備としては劣っていると言えるのだろう。それでもヴェルフとしては自分を曲げたくは無かったが……
「駆け出しならこの辺りの防具かな。ヘファイストスのブランドをまだ付けられない作品だけれども、質は他の所より良いと思うし」
「6800、5200……ギルドから初めに勧められた物よりも値は張りますけど、確かに良い物もありますね。ただこう高価な物だと少し足踏みします」
そこまで考えて先ほどの二人の声が聞こえてきたのは、箱に乱雑に積まれた防具の山の前だった。相変わらずの扱いをされているが確かあの山の一角にも自分の作品は在った筈だった。
自分の作った作品が低い評価で同じように低い値段で売られていれば、ヴェルフ自身も悔しいと思い奮起するだろう。だがこうして駆け出しの手に渡りやすいと考えれば悪くないのかもしれない。
「ふふふそう言うんじゃないかと思っていたんだ。見るがいいベル君! この封筒の中にはなんと一万ヴァリスも入っているんだ!」
「おお! ……って、そんな大金どこから持ってきたんですか! まさか借金を……」
「まさか。ヘファイストスの所でこつこつと仕事をして作り出したへそくりさ! いつか入ってくる眷属のために貯めておいたんだけれど……流石に武器も一緒に買える程の量は貯められなかったかな。ごめんよ」
その言葉にベルは感動で身を震わせていた。ある程度の資金を彼も用意していたのだろう。だが自らの主神からそのように言われて感激しないほどベルは不純ではなかった。
「神様……僕絶対に神様を幸せにしてみせます。もう毎日三食じゃが丸くんを出せるぐらいに稼いできます!」
「ありがとうベル君! だけど三食じゃが丸くんはボクがじゃが丸くんの事嫌いになるからやめようね!」
神様! ベル君! と抱き合う二人を見て、ヴェルフは何やってんだアイツら、と困惑しながら見ていた。仲が良すぎてデートに来ている男女を出歯亀している気分になり、視線を思わず自分の前にある商品に向けた。手に取ったのは自分の作品だった。
「(……やっぱり質自体は負けてねぇんだよな。値段も納得できなくはない。外見についてもセンスがどうだとかははっきり比べられないが、周りと比べても悪いもんじゃないとは思う)」
装備の山から掘り起こしたのは自分の作り上げた防具だった。何度見ても何が悪いのかがヴェルフには分からなかった。オラリオは今もなお栄え続けている。ならばその原動力となる冒険者が減ることは無く、駆け出しがこの場所に訪れ、自分の装備を手に取ってくれることもあるはずだ。
あの二人組はどうだろうか、とヴェルフはベルとヘスティアの方へと目を運ぶ。どうやらヘスティアはどれが良いのか分からず、値段ばかり見て買えそうなものと無理そうなものとを分けている。その横では真剣な表情で装備を吟味するベルの姿が有った。手際は悪くない。値段と質が釣り合わない物をどんどん避けて装備の山を掘り下げているのが見える。
「(本当に駆け出しなのか? にしては手際が良すぎる様な気が……いや)」
駆け出しだからと言ってオラリオの外で経験が無いとは言い切れない。外で商人をしていて目利きをしていたなどの経験が有ればおかしな話でもないだろう。装備を掘り進めていくベルだったがある装備を手に取ったところでその動きが止まった。
手元にあるのはライトアーマーだ。最低限の箇所を守った白い金属で作られたそれは、ヴェルフには見覚えのある物だった。何しろ自分が作った物だ、作成途中の一つ一つまで思い入れが有る。
「(あれは……【
それはヴェルフが身軽さを中心に作り出したライトアーマーの一つだった。まじまじとそれを眺めるベルは先ほどと同じように次の防具に手を付けようとしていない。いけ……いけ……! とヴェルフは内心で手に力を込めていた。
「……ううん」
目の間に皺をよせ、一部を見ながらベルは考え続けていた。それは名札とそれについている値段の部分だ。
値段なら大丈夫だ、それだけの質は補償する、だから行け! と、内心で思うヴェルフだが、ベルの視線が値段ではなく名札に言っている事には気が付かなかったようだ。
「ん? 何か良い物が見つかったのかい?」
「そうなんですけれど……ちょっと手直しが必要そうなんですよね。あとは……」
ベルは名札の所をヘスティアへと見せた。初め値段を見て大丈夫だと声を掛けようとしたヘスティアだが、そこに記入された名前に何とも言えない表情をした。じゃが丸くんの新作を意気揚々と食べて口に合わなかったような表情だった。
「一度、置いておきましょうか。ここ以外にもありますし」
「そうだね……君にはこれは少し早すぎるよ」
「すまん! ちょっと待ってくれ!」
見なかったことにしようと言わんばかりに防具の山に戻した二人に、ヴェルフは思わず声をかけていた。
一度は購入されかけるが何故か返品される、つい最近もあったことだ。目の前の二人に不審そうに思われるかもしれないが、それよりも原因に辿りつけるかもしれないという思いの方が強かった。
「えっと、もしかしてこの商品を買うつもりでしたか?」
「ああいやそうじゃないんだ。こっちが盗み聞きしちまった内容を掘り出すのは悪いんだが、お前さんは
見たところ防具の目利きも素人ってわけじゃないんじゃないか、と。自分の装備に対して自画自賛するのはこそばゆいものがあるが、ヴェルフはあくまでも自分が製作者とは名乗らなかった。
ベルとしてはどうしてこんなことを聞いてきたのか分からなかった。客引きだとか押し売りだとか悪意のあるものではないとは分かるが、買わない理由を聞かれるのは初めてだった。さてどうしようか、と考えていたところで先にヘスティアが口を開いた。
「うん、
沈黙が流れる。その言葉に対してベルは何も言う事ができなかった。とりあえず即決しないで他の物も見ておこうと思った四割の理由がそれだったからだ。
対してヴェルフは固まっていた。自分が商品として出せるレベルの物は全て自分が直感で付けていた。それはもう、この装備にはこの名前しかないと天啓でも受けたかのように。
それは……ダサかったのか。
ヴェルフが地味にショックを受けていることにベルは気が付いてしまった。そしてなぜこんな質問をしたのか連鎖的に考えて気が付いてしまった。
あれ、この人もしかしてこの防具の製作者じゃね?
「神様それは……」
「いやだって考えてごらんよ。ベル君は強大な敵に追い詰められている、魔力はもう無い、頼れるのは自分の武具だけ。そんな時に『もう少しだけ持ってくれよ、
「か、神様ーっ!!」
ヘスティアが言葉で錬鉄した刃は見事にヴェルフへと突き刺さる。
そこにはガクリと膝をついてマインドダウン寸前に追い詰められたヴェルフの姿があった。
慌てて共に後ろを向き、耳元で会話をし出す二人。
神様、神様、多分あの人製作者です、この防具の。
え、マジ?
マジもマジの大マジですよホント! どうするんですか!
あ、あわわわわ。
そんな会話をしているがヴェルフの耳には届いていなかった。ヘスティアの言葉は全く持って的確な言葉だったのだから。
自分は達磨に目を入れる段階で失敗していたのだ。達磨の目に星の形を描かれたらそりゃ困惑する。自己紹介で突拍子のない名前を出されたら嘘じゃないかと疑われる。自分の付けた名前がダサいと仮定して、『お、その装備なんていう名前なんだ?』なんて問われた日には、口ごもるような武具は確かに装備し難い。
要するに、自分の付けた名前は
「あーうー、ほら! ヘファイストスのファミリアには優秀な人が多いからさ! 単に他の人のも見てみよって思っただけなんだよ! それにこの製作者の……えっと、ヴェルフ・クロッゾ? えーと……思い出した! ヘファイストスが『意固地なところがあるけれど光る物が有る頑張りやな子』って聞いているしさ! レベル1の眷属でもよい腕だって聞いているよ! この子の他の防具もあれば見たいと思ってたんだ!」
慌てて言い訳するようにこの防具の製作者を持ち上げるヘスティアだが、ヘファイストスの評価については本当だった。レベル1の中でも優秀な鍛冶師を聞いておけば、ベルが武具を選ぶ手助けになると思っていたからだ。なおヘファイストスの言葉の中に、『有り余るぐらい残念な子』という評価があったが口に出すことは無かった。
それにヴェルフの防具や名前についても、アルバイトで陳列する際に見ているから全く知らないわけでもなかった。
「一応、僕が使う物なのでしっかり見極めたくて、これはサイズや収納性などの付加要素で少し手直す必要があるからです。僕らに伝手は有りませんし、多く見積もって1000ヴァリスぐらいだとして、少し予算が厳しいですから。同じぐらいの質の物で要求が充分なものがあるかもしれないと思ったんですけど……」
一方ベルは実利的な面で理由を話す。実際は装備できなくはないが、同じ質の物で更に要求を満たす物があるかもしれない、という事で他の装備も見て回るつもりだった。
「その、もしかしてこの装備の製作者ですか?」
この段階ならもう流石に分かるだろう、といったところでベルはヴェルフへと尋ねる。
立ち上がったヴェルフは恥ずかしそうに頭の後ろを掻き、口を開いた。
「あー、流石に分かるか。不格好なところを見せちまって悪かった。それに気も使わせちまったみたいだしな。一応その武具の製作者のヴェルフ・クロッゾだ」
立場入れ替え
エイナ⇔ヘスティア
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三話下
鍛冶師の工房に来たのはベルは初めてだった。平屋造りの建物内は様々な器具が並び、その近くには炉と鉄床がある。これぞまさしく鍛冶屋、と言わんばかりの光景に見ぼれていた。
「へー、
「俺からしてみればそこに行ったことが有るって方が凄いと思うけどな。狭い場所だが勘弁してくれ」
そう言ってヴェルフはベルとヘスティアに椅子を差出し、器具の方へと向かって行った。
「あの、本当にいいんですか? 手直しなら普通にお金を支払いますけれど」
「気にすんな、これぐらいなら1時間もあれば終わる。わざわざ金をとる程の手間でもないぞ」
それになんか俺がこれを買わせちまった様な感じもするしな、と。ヴェルフはベルへとおどけたように言う。
結局店で『試作型兎鎧』を購入した後にヴェルフから、調整なら俺がやろうか、と提案が有り、それに乗った形でベルはヴェルフの工房へと足を運んでいた。ヘファイストス・ファミリア、という点で信頼性はあり、資金に余裕を持たせられる点でも否定する要素は無かったのだ。
「にしてもライトアーマーか。身体を上手く使わなければ大怪我を負いやすい装備なんだが、その辺は上手くできているんだな」
「ヴェルフ君、その辺はベル君はバッチリさ! 何しろオラリオの外でレベル2に成る程の経験を積んでき」
「神様」
意気揚々と自分の眷属の事を自慢しようとしたヘスティアの後頭部をベルは掴む。
相手が神ではないからヘスティアの口が軽くなったのだろう。簡単に情報を漏らしかけたヘスティアの言葉をベルは止めていた。
「神様、僕は商人崩れから神様に拾われて冒険者になった駆け出しです。オーケー?」
「お、おーけーってイタタタタ!! ミシミシいってる、いってるからベル君! 僕の頭の一部がハゲてもいいのかい!?」
頭のツボをマッサージする様に親指の腹でヘスティアの頭をぐりぐりする。すっきりするけど滅茶苦茶痛いツボを突かれたヘスティアは、頭を押さえて涙目になっていた。経験値の放棄は珍しく、それに伴って発生するスキルなどはその上を行くため、余計な注目を浴びたくは無かったのだ。
ヴェルフの方を向いて見れば目が合ったのか、何も聞いてなかったと言うように苦笑し道具の選定に戻っており、その心遣いがベルには有り難く感じた。
「採寸だけ手伝ってもらおうと思ったが、どうせなら身体の可動範囲に合わせてピッタリに調整するか?」
「メリットとデメリットはなんでしょうか?」
「オーダーメイド程とは言わんが、装備が身体に吸い付いている様な感覚で戦えるな。ただ一時間か二時間ほどベルに此処に居てもらう事になる」
「それならクロッゾさんの助言に従わせてもらいます。と、神様はどうしますか? 少し時間がかかっちゃいそうですけれど」
流石に自分のためにずっとここに居させるのも悪いと、ベルはヘスティアへと問いかける。
「そうだなぁ、じゃあちょっとヘファイストスの所に挨拶してこようかな。ファミリアを結成してから来ても居なかったし」
「分かりました、こっちが終わったら迎えに行きますね」
じゃあヴェルフ君、ベル君の事は頼んだよ、と。家主に挨拶をしてヘスティアは鍛冶場を後にする。その後ろ姿にぽつりと零す様にヴェルフは呟いた。
「ヘスティア様も相変わらずだな」
「あれ、クロッゾさんは神様の事を知っていたんですか?」
ヴェルフの言葉がふと気に成り訪ねると、ヴェルフは少しだけ眉をひそめて答えた。
「ああ。……すまん、家名で呼ぶのは止めてくれ。あんま好きじゃねぇんだ。俺もレベル1で駆け出しと大して変わらんから敬語も使わなくていいぞ?」
「でも年上ですよね? 一応僕は14ですけれど」
「17、まぁ冒険者なんて連中はその辺あんま気にしてねぇから、気を遣わなくても大丈夫だぞ。……と言うより、俺が気を使っちまう」
ヴェルフは困ったようにベルへと返す。
「ん……じゃあヴェルフ、でいいかな。それで話の続きなんだけど」
「何の話だったか。ああ、ヘスティア様の話だったな」
ヴェルフが言うにはヘスティアはそこそこ長くヘファイストス・ファミリアで世話になっていたようだ。店でアルバイトをやっている姿や、ヘファイストスに泣きついている姿が割とよく見られたらしい。
「他の神様に騙されただとか、機材を爆発させただとか、まぁ泣きついたって噂はいろいろあるな」
「か、神様ホント何やっているんですか……」
自分が来る前にヘスティアがやらかしていたという事実にベルは頭を抱えていた。ヘファイストス様に挨拶に向かったけれど、自分も一緒に行った方が良かったかな、とベルは少しだけ後悔した。
「それで流石にヘファイストス様の堪忍袋の緒が切れて、私物を持たせて追い出したって聞いたぞ」
「? それにしては神様の様子からそんなに険悪になってないって印象を受けたけれど?」
「いや、割と公然の秘密でヘスティア様を甘やかしてるな。渡した私物もヘファイストス様の手製だったか? 一度言った手前もう一度ここに住ませるってわけでもないようだが」
「うわぁ」
なんというかもう、うわぁであった。自分が入る前から受けた恩が重すぎている。上下関係とか後々このファミリアと関わる様になったら肩身が狭くなりそうだった。
ベルの懸念は当たっており、それを心配してヘファイストスはヘスティアを此処から追い出して独り暮らしをさせていた。だが結局心配してあれこれ世話を焼いてしまっており、ロキからも「流石に面倒見過ぎとちゃう?」と呆れられるほどだった。
頼むから渡された私物はあまり価値のない物であってください、とベルは内心で願う。数日後に現物を見せてもらい相当高価なお守りだったために頭を抱えたのだが。
そんなベルをしり目にヴェルフはサクサクと作業を進めていた。時折ヴェルフが質問し、それに合わせて装備を調整している。少し待っていてくれ、とヴェルフはライトアーマーの固定具の手入れを始めていた。
ぐるりとベルは当たりを見渡すと、ヴェルフが作成した幾つかの作品があった。本人の気質らしい武骨な作りはこれが俺の作品だ、と言わんばかりに主張しているようにも感じた。
中でも一つ、白い布で乱雑にまかれた棒状の何かが目に入った。それだけは見たくないと見せたくないと伝えてくるようで、全貌はどんな状態なのかも分からないほどだった。それを見てベルはふとヴェルフの名前を思い出す。
「(ヴェルフ・クロッゾ……【クロッゾの魔剣】の関係者かな)」
クロッゾの家名は旅の道中でベルにも聞き覚えがあった。簡単に言えば祖先が精霊に力を貰い魔剣を打てたが、神が下界に降りてきて【恩恵】を受けることで血統にその力が蘇った。魔剣を作って【王国】の貴族になって調子に乗っていたら戦闘中にその魔剣が全部破壊され作成は不可能になった、という流れだったと記憶している。
国自体が【アレス・ファミリア】である【王国】にはベルも訪れたことが有る。とある半精霊に王国で保護と言う名の軟禁状態の友人を助けて欲しいと言われたらしく、それが理由で訪れていたのだ。
らしい、と言うのはベルも事が起きてから知ったことで依頼は『おとうさん』が勝手に受けていた。何故かベルは不敬罪や除き魔の冤罪で兵士に追い掛け回され、魔剣を持った部隊まで出てきたが何とか逃げ切れたのだ。押し付けたのは『おとうさん』で本人はその半精霊とランデブーやっていた。ベルは初めて『おとうさん』をぶっ飛ばすつもりで殴った記憶がある。
「(……ただ流石に本物の【クロッゾの魔剣】は目にすることが無かったんだよね。もしかしてあれが本物……な訳ないか)」
もしも家名が示す様に魔剣が作れたのなら、とっくの昔にこのオラリオで上級鍛冶師として名を上げているだろう。少なくともオラリオに来て数か月以上経っているベルの耳に全く入らないと言う事は無いはずだ。
「少しだけ曲げる必要がある、となるといっそのこと器具を付けて固定しちまうか? ベルちょっと聞きたいんだが……ベル?」
「っとゴメン、何?」
「形状に拘りは無いか聞こうと思ったんだが……アレが気になるのか?」
ヴェルフはベルの視線の先にある物に気が付き、少し考えた後にベルへとそう尋ねる。拘りは無いから好きにしてほしいと応え、気になるかどうかについては素直に頷いた。隠されるように置かれた物、と言うのは少なからず興味を惹かれるもの。
「アレは魔剣だ。俺が打った【クロッゾの魔剣】だ」
言われた言葉にベルは一瞬だけ息を詰まらせた。
「欲しいのか?」
そう尋ねるヴェルフの表情は見えない。既に作業に移っておりその後ろ姿だけがベルの視界に入った。
「別に。今の僕じゃそれに値する対価を差し出すこともできそうにないから」
「じゃあ無料でやる、っていったらどうだ?」
すぐにヴェルフから来た問いに、ベルは小さく溜息を吐いた。
「ヴェルフ、流石にそれを言われたら僕はヴェルフを疑うよ。たとえそれが道に落ちているのを拾っても、やったーって手を上げて喜べるほど素直とは言えないし、いらないよ」
試されているんだろう、とベルは何となく感じていたが、応えた言葉はベルの素直な気持ちだった。在れば便利だが今現在困っているわけでもないのだから。
いらない、とはっきりと言われたことにヴェルフは作業の手を止めて眼だけベルの方を振り向き苦笑した。
「いや、てっきりお前も俺に魔剣を作ってくれ、って言ってくるもんかと思ってたんだ」
「受注している様子は無いからね。……クロッゾとは聞いていても正直打てるとは思ってなかったけど」
「ま、そりゃそうだ。何の因果か知らんが俺だけ魔剣が打てちまったみたいでな」
ヴェルフの言い方にははっきりと拒絶が混ざっていた。それと同じくしてベルはどうして視線の先に会った剣が布に包まれていたのか察した。
「ヴェルフは、魔剣が嫌いなんだ」
「ああ、大嫌いだね」
即答だった。その言葉にベルはやっぱりと感じるだけだった。
「身の丈に合わない力を齎して人を腐らせる。なのに自身は勝手に先に壊れていく、そんなもんを俺は剣とは呼びたくねぇ」
ベルは黙ってその言葉を聞く。それはきっと鍛冶師やその他の職人でなければ分からず、少なくともベルには共感も何も分からない言葉だった。ベルにとって魔剣は単純に便利な道具に過ぎないのだから。
あれは剣の形をした魔法の塊だ。読ませた相手に魔法を覚えさせる『魔導書』とよく似た物だとベルは考える。書と言葉に着くくせに後からは真っ白になって
「……なんというか、魔剣は大砲の弾みたいなものだからね。流石にそれを鍛冶師に作れていうのも確かに酷な話だとは思うけど」
「そう思うだろ? だけど俺の所に来る客は俺の作品を放り投げて『魔剣を作ってくれ』だからな。ついでにそん中に俺の親父と爺まで居やがってよ。嫌にもなるぜ」
軽く言うヴェルフだったがそこに笑みは無かった。
きっと彼の所に来る者は多かったはずだ。クロッゾの名前に釣られ、そうして勝手に失望して帰っていく人たちの姿が目に浮かんだ。
「鉄の声を聞け、鉄の響きに耳を貸せ、槌に思いを込めろ。……そう俺に伝えたのは
その言葉の中には失望が現れている。だが逆にヴェルフは今までその言葉を胸に刻み続けて今に至るのだろう。
「……、父親や祖父のことを尊敬していたんだ」
自然とベルはそう返した。それは単純に自分も『おとうさん』には失望以上に尊敬があったからそう思ったのだ。
「んなことは……いや、違うな。確かにその時は尊敬していたんだろう。作り手を残して壊れていく、なんて嫌いな理由を言ってみても、魔剣は親父や爺さんの鍛冶師としての矜持を奪い取った。だから気に入らないって部分もあるんだろうな」
剣に恨みを持つなんて鍛冶師失格だけどな、そう言うヴェルフの表情がベルにはどこか寂しそうだと思う。それと同時に共感もあった。
「わかる、ような気がする。僕の『おとうさん』もやっぱり総合的に見てマイナスなんだけど、でも確かに尊敬できる部分があったから」
村を出て一緒に冒険をした。その背中に村で見た理想を物とした男の姿は無く、『アルゴノォウト』の主人公の様に失敗ばかりしていた。遠回りを何度も繰り返し、『おかあさん』に折檻を受けて、騙されたりもしたけれど、確かにその旅は楽しかったと断言できる。
村に出ても、『おとうさん』が『偉大な存在』だと感じたのは変わらなかった。
「へえ、ベルの親父もそんな感じだったのか」
「そうだね、凄い方だったよ」
そう言ってベルは思い出を口ずさむ。浮かんだのは、旅をした『おとうさん』の姿だった。
「国の兵士を押し付けられ追い掛け回されている間に王女とランデブーやってたり、薬師の少女に騙されて素寒貧にされてたり、浮気相手に会ってきている間、捜索しているおかあさんの防波堤を僕がやったり……あれ、何か殺意湧いてきた」
「気に触ったら悪いが、もしかしなくてもベルの親父ってクズ野郎なんじゃないか?」
ダメだった。浮かんできたのは『アルゴノォト』序盤の主人公のようなダメダメの姿だった。
『おとうさん』が愛の囁きをその場で会った女性に呟いて顔を赤らめさせている後ろで、なぜか尻拭いで走り回っている自分が居た。バキボキと拳を鳴らして近づいて行く『おかあさん』が見えた。
やっぱりダメだったよ、『おとうさん』はクズだった。ベルは久しぶりに自覚した。
「いやいや、そんなことよりもなんでその話を僕に?」
照れ隠しで話題を逸らす様にベルはヴェルフへと尋ねた。ヴェルフの言葉についつい口が滑ってしまったが、多弁な姿はどこかヴェルフの印象とは逆に感じる。
それはこの鍛冶場や剣に武骨で簡素な状態に表れているのだから。
「そういやなんでだろうな。……いや、それだけ俺も作品が売れなくて参っていたってことかもな。愚痴聞かせたみたいで悪かった」
「いや、いいよ。僕も手持無沙汰だったし、嫌な共感もしたし……」
引き攣ったような笑みを見せるベルに小さく笑い、ヴェルフは自分の作業へと戻っていった。
それからヴェルフから会話を振ることは無く、手元の防具を弄る金具の音だけが響き渡る。その静けさに浸る様にベルはヴェルフの後姿を眺めていた。
鍛冶場の中心にあるはずの炉には火は灯っていない。ベルはなぜかその状態が寂しく思い、気が付いたら呟いていた。
「僕は……いい防具だと思ったんだけどな。即決は出来なかったけれど、最終的に多分普通に買っていたと思う。名前の所に目をつぶって」
「名前の所はもうやめてくれって。こう見えてけっこうショック受けてんだからな」
そう言うヴェルフの姿は言葉を失うほどの衝撃は受けていないようにも感じ内心で首を傾げる。
「その節はうちの神様がご迷惑を……」
「いや、ヘスティア様のせいじゃなくてだな。何て言ったらいいか……」
ヴェルフは困ったように頭を軽く掻く。少しの間を置いてベルへと尋ねた。
「そうだな……ベル、お前にとって武具っていうのは何だ?」
「……体の一部、かな。性能をしっかり把握して、何処まで自分ができるかを理解して、自分ができることを増やす身体の拡張機能だと思う」
言ってしまえば身体も道具の一部だと言えなくもない。どうすれば性能を伸ばせるか、自分は何処まで何をできるか、それを把握して正確に使っていた。そうして自分の限界を見極めてずっと走ってきたのだ。
そうしなければ、『あの背中』に並ぶことさえもできないと感じていたから。
自分の中に『一途』な思いは無い。理想が『理想』でないと知ってしまい、それでも尊敬し続けているから、迷いながらも自分の『できる限り』でその『軌道』を追い掛け続けていたのだ。
「俺好みの悪くない答えだ。俺も剣は自身の半身だと考えている」
ヴェルフの言葉にベルも同意する。だけどヴェルフの表情は冴えないものだった。
炉に火は灯っていない。ただ燃料となっていた物が灰となりその場に残っているだけだった。
「だってのによ、俺は担い手が『名前が嫌だと考えている』なんて単純なことにも気が付けなかったんだ」
淀みなく手を動かしながら言うその言葉の中には、確かに悔いる様な感情が有った。そうしてベルは気が付いた。
「鉄の声を聞いて、鉄の響きに耳を貸して、槌に思いを込めていた。だけど肝心な担い手の思いや完成した武具の声を俺は聞いちゃいなかった。そんなもん、完成した陶器を投げてぶっ壊したのと同じだ。手に取ってくれるはずがない」
炉の火は灯っていない――ベルにはそれがどこか今のヴェルフを表しているようにも感じた。
「おかしな話だろ? 剣は使用者の半身だなんて考えるくせして、その半身のことを俺は考えたことも無かったんだから」
手に取ってもらった物のどこに不満に思われたのかが分からない。その原因が自分の腕に有ると考えて、武具を装備する者の事を考えもしなかった。
例え笑われたとしてもそれを誰かに聞くこともできたはずだ。誰かに向けて装備を作ったなら、せめてどんな客に売って欲しいかぐらいは提案できただろう。
それはしなかった。なぜなら興味が無かったからだ。悪いのは自分の腕だと考えていたから上達すればよいと考えていた。
「俺はいったい誰のための剣を打っているんだ、って思っちまった」
「……それは」
返答に詰まった。なぜならそれはヴェルフにとっての
ベル自身が『冒険者』をしているのは最後に来る『自分のため』という言葉の前に『神様にもっと喜んでほしい』という目的があるからだ。神様が驚くような英雄譚を作りたい、そんな小さな希望もあるが、突き詰めてしまえば『自分の主神のため』という目標があった。
ヴェルフもそれは同じなはずだ。『自分のできる究極の剣を主神に捧げる』、このファミリアの者達は例外なくそれを究極の目標としている。そこに描く情景には、入団する前にヘファイストスから見せられた『剣』が有った。下界の者が造る限界の剣、そこを超えるために鍛冶師たちは己の灯を燃やし続けていたはずだ。
だが頂点は遠い。そこまでの道のりで足をくじいてしまう事もあるだろう。強く風に吹かれることもあるだろう。
ならばヴェルフの灯を消したのは、きっと
ベルはそう確信する。
膝をついて言葉を失っていたのは大げさに見せていたわけではなかった、それだけの衝撃を受けていたのだと今更ながら気が付いた。
神の言葉は少なからず何かを残す。ヘファイストス様はそれを懸念していたのだろうか、とベルはなんとなく思う。
「……なら、今までのヴェルフは技術はあったけど職人じゃなかったってことだよね? だったら今からなればいいじゃないのかな」
「……そうだな。愚痴につき合わせて悪かった。もう少しで終わるからちょっと待っていてくれ」
作業に淀みは無い、目に光は宿っており少なくとも自分の技術だけは見誤ってはいない。それはただ自分の今できることを真剣に取り組んでいた。そこに『情景』は写っていないが、だけどただ前に進もうともがいている姿は確かにある。
きっとヴェルフは正しく自分の仕事を終えるだろう。完成品をベルの手物に残すはずだ。
「……うっし、完成したぞ。せっかくだし装備していくか?」
「ダンジョンに行くわけでもないのに? ……でもせっかくだから着ていこうかな。神様にも見せておきたいから」
ヴェルフの表情は笑みを見せており、その下でどんな感情が有るのベルには分からなかった。少なくとも自分もいつかはぶつかるだろう壁であり、ヴェルフ自身が越えなければならないものだとなんとなく察していた。
ヴェルフから装備を受け取りその場で装着する。自分の身体ピッタリに造られたはずのそれは、思った以上に着込みやすかった。
「へえ! ぴったりになってる。思ったよりも動きに邪魔もないし、本当に軽いや!ありがとうヴェルフ!」
ベルは年甲斐もなく心の中でははしゃいでおり、それは表情にまであらわれていた。自分用の防具、その言葉に憧れが無かったわけではない。一歩また冒険者として成長したことに、ぐっと手のひらに力を入れた。
それを見てヴェルフも苦笑する。さっきまで神妙そうな表情していたのに、あそこまで笑顔になるなら作った甲斐があったもんだと内心で思った。
「どういたしまして、だ。まぁさっきも言ったが大した手間でもない……あ」
「? ヴェルフ?」
「ああいや、作った物を買ってもらって評価を受ける。……こんな当たり前のことを久々にやったなと思った」
何言ってんだ俺は、と。ヴェルフは自分で言った言葉に首をかしげている。
同じようにぽかんとしたベルだったが、なんとなくその意味を理解して口元でにぃと笑みを作った。
「じゃあ今度こそヴェルフは職人ってわけだね」
「おいおいおい、そいつは最初っからだっての。生意気だぞベル助」
ぺしんと指で額を弾かれ、恨めしそうな視線をヴェルフへと向ける。そうしてどちらかともなく小さく吹き出し、そのまま互いに笑っていた。何が面白かったの理由は分からないがなぜか笑いが漏れていた。
ああ、火は消えて居たけど種火は単純に残っていたのか。消えたのだと深く考えすぎていた自分がおかしかったのだとベルはなんとなく思った。
――
「……やめやめ、小っ恥ずかしい」
酒が乾きそうになるほどぼんやりしていた思考を振りほどき、そのまま少なくなった酒を煽いだ。
ベルに会ったときの自分と言えば、分かりやすいぐらいスランプに陥っていた。何を初対面の奴にほざいていたんだ、と過去の自分を殴りたいぐらいだ。
その後も何回か会う機会が有り、それでも上手くいっていなかったからヴェルフからベルに提案したのだ。
『俺と組んでみないか?』と。
ベルには疑問の表情が浮かんでいた。恐らく自分もレベル2の鍛冶師に同じことを言われたら同じような表情をするだろう。予想通り断ったベルに寧ろ自分が頼み込んでいたような気がする。
理由の一つがこのままだとスランプから脱却できないと感じていたからだ。改めて『職人』に成り直して、一から始めてみても目指す場所が何処にあるかまだ分からない。そうして思い浮かんだのがベルの姿だった。
『今の自分は燻っている。どこから目指せばいいか分かっても居ない。……だからまず、俺はお前のための装備を作ってみたいと思った』
その言葉でベルは頷いたが、結局その理由を知ることはできなかった。ベルと共にアドバイザーの所へ行って、分配やコンビでの基本的な行動などを詰め込まれ、やらなければならないことは山ほどあったのだから。
そしてベルが言葉を受け入れたのは、ヴェルフが自分の目論見だとか考えだとか全部話した上でベルに判断を委ねたからだった。
ヴェルフは自分の思いを全部言葉にする、それ以上の交渉術を知らないと言った。それがベルの琴線に触れたのだ。
ああくそ、ヴェルフも『おとうさん』と割と同類だ。
ベル自身が感じたことだがヴェルフが聞いたら否定するだろう。流石にお前の話に出てくるほどの奴じゃないと。
「お、来たかベル……て、どうしたんだよ」
新しく酒を注ごうとしたヴェルフの横にベルが座る。無言で座ったベルは、ヴェルフの言葉に対して、ぐでっとカウンターに身体を倒して答えた。
「ヴェルフ、僕少し神様にべったりし過ぎて居たりしたかな?」
何言ってんだコイツ、という表情をベルへと向けた。
「それ俺が出会ったときからだろ。ほら、何か頼むか?」
「たのむ」
その言葉と同じタイミングでやってきた銀髪のウエイトレスに本日のおすすめを頼む。ほどなくして厨房の奥から女将の威勢のいい声が聞こえてきたため、少し待てば料理は来るだろう。
落ち込んでいるベルの話を聞いてみれば、どうやら主神の機嫌を損ねてしまったらしい。会いに来る友人は本当に大丈夫な人物なのか、料理を置いた場所は覚えているか、食器は水につけておいてくださいねと。来る前に口うるさく過保護に言ってしまったらしく、ヘスティアに流石に怒られたようだ。
『そんなに心配しなくても大丈夫だよ! ほら、君もヴェルフ君と羽を伸ばして、たまには豪勢な食事に行っておいで!』
とそのままホームから追い出されたらしい。ベルもわりとヘファイストス様と似たようなところが有るんだよなぁ、と内心で思う。どこかの鍛冶場で主神がくしゃみをしたような気がした。
「機嫌悪くさせたなら、良くすればいいだろう? それなら明後日にでも怪物祭があるんだからそれにでも誘ったらどうだ」
「さ、誘うって。それってもしかして」
「もしかしなくてもデートだデート。一日ヘスティア様のために使ってやれば機嫌がよくなるんじゃないのか? よく分からんが」
「で、デート!? いやでも……ううん、そっかデートか。でも……大丈夫かな?」
「そこまで知るかって。まっ、そんなこと言ってもここの代金はきっちり出してもらうんだけどな!」
「む、そのお酒代はヴェルフが払ってよ。ご飯を奢るとは言ったけれどお酒は別」
そんなたわいのない会話をしながら二人は運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。そうして移った話題は互いのステータスについてだ。聞いている人はいないと軽く周りを見て、小声で話し始める。
ベルに関しては力と魔力がG、耐久がH、敏捷器用がギリギリでDと成長し続けており、伸びが良い時は魔力を除き合計で40程度も上がると話す。牛歩の俺とは大違いだな、ともうすぐCに成りそうな耐久を思い出しながらヴェルフは溜息を吐いた。駆け出しの頃は確かに伸びは早いが、まだそれと同じような速度で伸びているのなら羨ましい限りだとヴェルフは思う。
「いっそのこともう一回インファントドラゴンと戦うか? 今度はコンビで」
「やめよう……やめよう。そういう風にフラグたてるの。洒落にならないって言ってるでしょ!」
「お、おう悪い。んなこと言ってたからミノタウロスが出たのかもしれないしなぁ」
インファントドラゴンについては単純に二人が死にかけた冒険の話である。それが話題に出たからか、ヴェルフは思い出したようにベルに言う。
「そう言えば主武装のメンテナンスをそろそろやるぞ。明後日冒険に行かないなら、明日帰りにでも渡してくれ」
「ん、分かった。それで次行くところなんだけれど……」
そう言い掛けたところでベルは店内に人が増えていることに気が付いた。見ればぽかんと予約で開けられていた場所の席に様々な種族の冒険者たちが集まっている。
団体様が来たのかな、とベルが思うと、すぐに威勢のいいファミリアの主神の声が聞こえてきた。
「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなご苦労さん! 今日は宴や、飲めぇ!」
――
「ううん、流石にベル君に言い過ぎちゃったかな」
ベルをホームから追い出して行かせた後、少しだけヘスティアは後悔していた。ベルもいつもは根ほり葉ほり聞くことは無かったが、別のファミリアの眷属が絡んでいるかもと言う事で警戒していたのだろう。
警戒していたのは分かる、が個人的な知り合いをそこまで疑われるのは良い気がしない。だけど心配してくれたのは自分の可愛い眷属で、と。ヘスティアはいろいろ悩んでいる。
「悩んでいても仕方ないや。エール良し、料理良し、ソファー良しと」
とりあえず一旦悩むのを止め、簡単とは言え歓待の準備を済ませる。さびれた教会の地下であることは言ってあるため、ベルとヘスティアの関係のある人物以外は来ることもないだろう。
控えめのノックが響き、トトトと扉へと向かい開けたヘスティアはそこに居た人物に満面の笑みを見せた。
「ようこそ! よく来てくれたねリリ!」
スキルはこの話のオリジナル
インファントドラゴンの話はサブシナリオで(書く余裕が有ったら)書きます。
下はベルのステータス。小説内で語ったことのまとめ。
ベル・クラネル
LV.1
力G 耐久H 器用D 敏捷D 魔力G
魔法【 】
スキル【軌道■跡】
・早熟する
・軌跡を辿るまで効果持続
・発生条件 一定量の【ステイタス】を放棄する
武器 【
防具 【兎鎧】
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四話
「ロキ・ファミリア……流石にちょっと気まずいかな。あの狼人にアイテム誤爆させちゃったし。あの後何事も無ければいいんだけれど」
ロキの一言を皮切りにジョッキをぶつけ合う音と歓声が店内に響き渡る。初め何事かと見ていた他の客たちの話題は、宴会を始めたロキ・ファミリアの面々についてがほとんどだった。
ベルもそれと同じく、その日に会ったロキ・ファミリアのメンバーであるベートの顔をなんとなく捜しながら呟いた。
「気にしなくてもいいんじゃないか? あっちも自分たちが悪いって言っていたしな」
「それもそっか」
ヴェルフは何でもないように答え、ベルも気にすることもないかとロキ・ファミリアの面々へと視線を向けた。彼等も有名人であるという自覚があるため、好奇の目に見られることも慣れているだろう。ベルもついでにその視線の一つに混ざる。一流のファミリアの団員たちがどんな者達なのか興味があったからだ。
ベルが初めに見たのはベート・ローガ、ミノタウロスに遭遇した時助けてもらった狼人だった。速すぎて何をしたのかわからないが、自分達が逃げることしかできなかったミノタウロスを一撃で倒して見せた強さには少し憧れもする。
彼は今は憮然とした表情で酒を呷っていた。遠征の最期の最期でケチがついてしまったのだから、少し機嫌が悪いのかもしれない。
「誰を見ているんだ? やっぱり噂の【剣姫】か?」
「【剣姫】?」
「アイズ・ヴァレンシュタインの二つ名。今日助けてもらっただろう?」
「ああ、確か……」
ベルはミノタウロスに遭遇した時のことを思いだす。第一印象は『何やってんだこんなところでこの初心者は!』だった。
そしてベルが肩に抱えて走っていた時のことを思いだす。俵の様に持ち上げるためにベルが腕を回したのはお腹の辺りだ。だから体の柔らかさだとかは覚えているわけで。
胸当てが無ければアウトだった。何がアウトなのかベルには分からなかったし、セーフだったことが少し惜しく感じたがとにかくセーフだ。
「……ベル、顔赤くなってんぞ」
「な、なってないよ。それに僕が見てたのは今日助けてもらった狼人の方だよ」
小さく笑うヴェルフに不満そうな表情を向けて、ベルは手元にあったエールを呷った。
アイズとはミノタウロスが上層に上がってきた原因を聞き、それに対して応答しただけで会話したとは言えないだろう。そのため深く印象に残っては居なかった。
残っているのは無表情で此方に来て、足腰を震えさせる狼人に腹パンをぶち込み、『ほぐぁ!』と言わせ気絶させたことぐらいだ。ちなみにベルがそれを喰らったら背骨が爆散し、内臓が飛び散っていただろう。
「……ベル、顔青くなってんぞ」
「ヴェルフ、やっぱり女性って怖いね。『おかあさん』やナァーザさんもそうだったけれど容赦って言葉をどこかで忘れてるんだもん」
「ナァーザに関してはのた打ち回っているのを爆笑したベルが悪いと思うんだが。あいつにどんな恨みがあるんだよ」
「ブラッドザウルス10頭分ぐらいかな?」
「マジで何があったんだ……」
ヴェルフが頭を抱えたその話は、ベルがオラリオに来る前やダンジョンの外での依頼を受けたときの話である。酷い話だったため割愛する。
身体を震わせながら言うベルにヴェルフは辺りの喧噪に耳を傾ける。まず聞こえてきたのはアマゾネスの少女の声だった。
「アイズー、あの話してよー」とアマゾネスの少女が仲間の失敗談をせがんでいる。なんでも遠征の最期の最期で気絶して汚物塗れで背負われた者が居るらしい。対面に居る狼人がプルプルと震えていた。自分たちが今日助けられた狼人だった。なぜ火山をつついて遊んでいるのか、とヴェルフは困惑する。
続いて聞こえてきたのもアマゾネスの女性の声だ。血肉を見つけたブラッドザウルスのような視線で酒に粉末状の何かを入れ、年若い少年にそれを堂々と差し出した。にこやかな笑顔の後ろに何故か猛獣が見えヴェルフは困惑し、納得した。
「まぁ、女性が怖いって言うのは一部分は納得した。だけどヘスティア様も女性だろう?」
「あれは
ベルが思い出したのは『おかあさん』の姿だ。なんでもオラリオで大きな規模のギルドを結成したが、逃げ出した『おとうさん』を追い掛けるため解散してベルの居た村まで来たらしい。
『おとうさん』がベルの前からいなくなったとき、『おかあさん』もそれを追い掛けて居なくなった。その頃にはベルも一人立ちしていたため不満は無いのだが、結局【母】とは呼んでも【親】と呼ぶことはできない、どこまでも『おかあさん』は【女性】であったのだろうと思い出す。
「今度こそ追いつめてやる」と腕を鳴らしながら去っていった『おかあさん』を見て、やっぱり女性って怖いと感じていた。そして
そんなことを考えながらも店の喧噪は続く。アマゾネスの少女がアイズと話しており、その内容にベートが苛立ち始めているのが見えた。
「それでさー、ベートってば物凄い臭いしながら目を回しててさ! なのにアイズったら無表情なんだもん、びっくりしたよ!」
「……あれはベートさんが悪いんじゃなくて、私の判断が間違っていたから。ティオナ、そんな風に言わないでほしい」
「えー、そうなの? ベートどんな失敗したのかなーって、ちょっと気になってたのに」
「成程クソ女、テメェが俺にケンカ売ってんのは分かった表出ろ」
ジョッキを片手に据わった目でベートはティオナに言う。
「ふーんだ、ベートには聞いてないー! ちょっと気になってる女の子の背中で、目を回してた面倒くさいツンデレの言葉なんて聞こえませーん!」
「随分と都合のいい耳してるじゃねぇかおい。胸と一緒にダンジョンに落としてきたのか? どうやら後続の奴らには拾ってもらえなかったみたいだなぁ!」
「はははベートってばうまいこと言ってぶっ潰す」
「上等ォ!!」
互いにジョッキの中身を飲み干した後テーブルに叩きつけて立ち上がる。互いの顔を至近距離まで近づけてガンを飛ばし始めた。
一発触発と思われたところに一つの影が近づく。ドワーフの大きな手はベートとティオナの頭後ろに回され、そのまま二人の頭をくっつけた。ごん、という良い音が響き、ベートとティオナはその反動のまま椅子へと戻された。
「痛い~、もう、なにするのガレス!」
「お主らここは酒場じゃろう。となれば、突き合わせるのは拳ではあるまい?」
ニカッと笑みを見せたガレスは、テーブルに置いてあったグラスを軽く揺すり入った酒を見せた。
暫し言葉を失ったベートとティオナだが、同時に相手を指差して怒鳴る。
「馬鹿女に一番強い酒だ!」
「ベートに一番強いお酒!」
「
銀髪のウエイトレスの楽しげな声が店内に響き渡る。あわや乱闘か、という空間を気にせず近づいた彼女は楽々と注文を取る。そして予測していたように時間を置かず運ばれた酒を二人は掴み取り、有無を言うより先にジョッキを傾けた。
ハイペースで飲み始めたベートとティオナ、それに自分もと参加したガレスの飲み比べに一人近づく影が有る。ファミリアの主神であるロキだった。
「おーなんや飲んどるなぁ。何があったか知らんけど飲み比べならウチも混ぜてぇな」
「おおロキか。いやなに、二人が小さなことでもめそうになっておったからな。コイツで格を比べておったところよ」
「小さいこと~? ああ、なんやベートがティオナの胸の事かなんかで絡んだんか? ダメやでベート、どっかの馬鹿男の言う事とちゃうけど、女の子には優しくせぇへんと」
面倒くさいツンデレとか流行らへんでーと、けらけらとロキは笑うが、言葉内の二人はじろりとロキへと視線を向けた。
「なにさロキってば! なんにも無いし最初っから神様だから希望は無かったロキに言われたくないー!」
「はっ、俺に言う前にテメェの特定の奴に対する
「す、少しぐらいあるわい! って、どどどどドチビは関係あらへんやろ!?」
動揺するロキだったが、ジト目に耐え切れず他のテーブルへと逃げていく。既に数杯先に勧めていたガレスに促され、ベートとティオナは自分のグラスに再び酒を注いだ。
ロキが駆け込んだのはアマゾネスの少女に絡まれるパルゥムの男性と、静かだが楽しげに飲んでいるエルフの女性の場所だった。
「うううう
エルフの女性――リヴェリアはため息交じりに応える。
「ママと呼ぶな。ベートやティオナが言ったことは図星だろう。流石の私も的を得ている言葉を変える術は無いな」
「お待たせしました団長。
「せめてよく眠れそうな粉を溶かす努力はしようか。すまないねロキ、ちょっと手が離せない」
ギリギリと渾身の力でグラスを押し付けるティオネを冷や汗交じりに押し返すフィンは、ロキの相手をする暇はないようだ。
悉く袖にされたロキはテーブルにあった酒を静止の声を聞かずに一気飲みし、一つのテーブルへと首を向けた。ぐるりと視線を向けられたアイズは思わずびくんと身体を震わせる。
「アイズたーん! アイズたんは違うんよな? ウチをテキトーにせぇへんよな? もっとヨイショと持ち上げてくれてもええんやで!?」
アイズに向かって飛び込んだロキは、抱き着いて自分の顔をアイズの胸へと押し付けようとする。それを顔を掌で押しのけながら、アイズは困ったような表情をした。
しょんぼりとした表情でアイズを見るロキに思うところはある。あるのだが……アイズはなぜかファミリアの面々からなにか期待されるような視線を向けられているのだ。
ロキからは見えないが様々なやりとりをしているファミリアのテーブルから、様子をうかがう視線を感じる。こういう時はどうすればいいんだっけ、と。アイズは前にティオナから教えてもらった事を言葉にした。
「……私の方が(胸が)大きくて、素直?」
首を傾げるアイズは言っていることがよく分かってない。みんながロキに言っていたことの反対の事を言ってみただけだった。
だがロキにとってはそうではなく、ショック、の文字の岩が頭の上にガーンと落ちてきていた。お気に入りの
「ええんやな! ウチも泣くで! めっちゃめんどくさいで! それでもええんやなお前らぁ!」
「「どうぞどうぞ」」
「チクショー! ノリの良い団員なんて大好きやぁー!! アイズたんが追い掛けて来んかったらウチ戻らへんからなぁー!!」
ギャグ調に涙を流しながら店の外へと駆けていくロキと、何時もの事と言うように喧噪を取り戻す店内。
アイズー、もう少ししたら迎えに行ってあげてー、というティオナの声へとアイズは頷いた。
さて、そんな様子を酒を呷りながら見ていたベルとヴェルフだったが、一番に出てきたのはベルの一言だった。
「やっぱ主神様って癒しだよ」
「それな」
互いのグラスをカチンとぶつけた。
―――
美味である食事とお酒、ほどほどの酔いはベルの気分をとても良い調子へと変えていた。
次回は『火鉢亭』に行くか、と次回の約束まで取り付けて満足げなヴェルフと別れ、自分のファミリアのホームへと足を向ける。
ダンジョンと向き合う冒険者としての生活は気を張り詰めなければならないことが多い。ここでいったんリフレッシュし、あとはホームで休息を取ることで明日も頑張ろうと。そんな気分で帰っていたはずだった。
「う゛ぉえぇ、気っ持ち悪ぅ……やっぱ神酒飲んだ後に走るとかアカンな……う゛っ」
「水です、飲めそうなら少し飲んでください。ロキ様、濡れタオル首元に当てるので少し我慢してください」
「すまんなぁ……」
その道中、店内で大騒ぎしていた人物――ロキを見つけてしまい、ベルは内心で溜息を吐いていた。なぜ自分が見知らぬ人……ではなくて神の面倒を見なければならないのか。
これが男で路地裏で吐しゃ物をまき散らしているのなら、ベルもそう言う事もあるかと無視して通り過ぎていただろう。しかし『おとうさん』の言葉を真に受けたわけではないが、ベルは親であった二人から女性には優しくと育てられてきているためか、思わず足を止めて介抱してしまったのだ。
「ん、もう濡れタオルはええで。少しは良くなってきたみたいやし。……おっかしいなぁ、何時もならそろそろアイズたんが来ると思ったんやけど」
「大丈夫そうですか? 無理はしないでくださいね」
「もうすぐ迎え来るから大丈夫や。……うん、介抱されっぱなしでハイサヨナラとは言えへんな。ジブン、名前は? どこのファミリアの
「ベル・クラネルです。ファミリアはえっと……ヘスティア様のファミリアに所属しています」
「ほうほうヘスティア……ってあのドチビんとこなんっ!?」
驚いて目を丸くしたロキだが、それも一瞬の事で興味深そうにベルに値踏みするような視線を向けた。
ベルとしては自分の主神がロキのことを散々に言っているのは知っているが、一部分認めている節が有り、どちらも憎からず思っていることはなんとなく察していた。そのためファミリアとの繋がりと言う面でも顔を売っておいて損は無いと判断したのだ。
「ドチビんとこかぁ……悪口みたいになるけど、なんであんな何も無い所行ったん? ウチんとこ来るか?」
「あはは……まぁ確かに何にも無かったですけれど、神様が居ましたから。なので遠慮しておきます」
苦笑して返すベルにロキは目を丸くするが、すぐに笑みを見せて「それならしゃあないなぁ」と呟いた。
「ありがとうございますロキ様。ヘスティア様を気遣っていただいて」
何気ない会話の中でベルはロキが自分の事を試してきたのを察した。ロキが自分のファミリアの名前を出して勧誘したのは、自分がどのような反応を見せるか見るためだったとベルは想像する。しかしそこの一部にはヘスティアの眷属としてベルはどうかを見る目的もあったように感じていた。
これだから神様相手はやりづらいとベルは思う。
「……あーほらし、なんでウチがあのドチビを気遣うんや。そんなことより、ベルはドチビの眷属なったばっかりやろ? ドチビと言えばオラリオでもちょっとは有名でなぁ…」
その言葉に対してロキは何のことだと言うように否定し話題を変えたが、ベルとしては恐らく当たりだろうと察していた。
ロキが次に振った話題は自分が来る前のヘスティアの話である。本人の居ないところで嫌がらせにいろいろ喋ったるわー、と機嫌よく話す内容にベルも興味を惹かれつつ相槌を打った。
――
アイズ・ヴァレンシュタインは魔石の外灯が照らすオラリオの街の中を一人歩いていた。主神であるロキが豊穣の女主人を飛び出して行ってすぐに追い掛けるつもりだったが、店の中が慌ただしくなってしまったのだ。具体的にはベートVSティオナだったはずの飲み比べがガレスVSベート&ティオナになったり、アマゾネスと化したティオネが団長のフィンを襲ったりしていたため鎮圧に回ったのだ。
店の軒下に釣り下げられた自分のファミリアの団員を尻目にアイズは街を歩く。その道中で時折止まると、目を閉じて辺りの感覚をじっと探った。
「(……こっち、かな)」
匂い、足音などを【器用】の【ステイタス】の補正によって見分け、街の中に居るロキの場所を察知する。主神が一人、夜外に出ても気にしなかったのはレベル5である彼女が見失うほど遠くまでロキは行けないだろうという理由があった。
「(近くの広場で誰かと話してる。楽しそう、だけど)」
流石にその内容を聞くほどアイズもロキのプライベートに足を踏み入れるつもりは無かった。ひとまず感覚に振っていたステイタスの補正を切り、ロキの居る方向へ角を曲がろうとした時だった。
「あうっ」
と、身体に何かぶつかる感覚と小さな悲鳴がアイズの耳に届く。視線を下に向ければ黒髪でワンピースの上に薄い上着を纏った少女が、地面に尻もちをついていた。
「大丈夫? ……貴女は」
「いたた、すまないね。ちょっとよそ見をしちゃったんだ……って、あ! 君は小豆クリームの!」
差し出された手を掴んだ少女――ヘスティアの姿はアイズも見覚えが有り、彼女の好物であるジャガ丸くんの店で売り子をやっていたことを覚えている。一方ヘスティアもよく小豆クリーム味のジャガ丸くんを買っていくアイズには見覚えがあった。
怪我はないかとアイズが尋ねると、大丈夫だとヘスティアは返す。上手く手を付けていたようで、擦り傷のようなものも表面的には見えない。
「ん、よかった」
傷一つないことを確認しアイズは子供をあやす様に軽くヘスティアの頭を撫でる。
暫し猫の様にそれを受け入れたヘスティアだが、はっとしたように頭を振って腕を退けた。
「って、ここはお店じゃないからそれはやめておくれよ!」
じゃが丸くんの店で購入していく客が、御利益を、というようにヘスティアの頭を撫でていくことはよくあった。ほとんどが年配の方々だったが、アイズも同じように真似てヘスティアの頭を撫でていくことがよくあり、ジャガ丸くんを買った後の癖になっていたのだ。
「あ……ごめんなさい」
「いや、そんなに謝ることもないけれどさ」
大きく表情を変えていないが眉を落とししょんぼりとした様子のアイズに、ヘスティアも思わず困ったように頬を掻いた。
「えーと、よし! それなら明日、ジャガ丸くんのお店で新作が出るから、それを買って行ってくれたら許そうじゃないか!」
「新しい味が出るの?」
「そう言う事さ! 明日はボクは非番だけど、是非とも買って行ってくれると嬉しいな」
新しい味の試作はヘスティアも食べてみたがなかなかチャレンジングな味だった。とは言え全く売れなかったら悲しくもあるし、アイズにもぜひ挑戦してほしいと考えて提案していた。
その提案にアイズは頷くと、ヘスティアはほっと安心したように息を吐く。そして一言言ってから歩みをホームへと向けた時だった。
「……えっと、なんでボクについてくるんだい?」
「その、私が行こうとしていた所もこっちだったから……」
「なんだそうだったんだ。じゃあ途中まで一緒に行こうか」
偶然であるがロキが今居る場所とヘスティアのホームのある場所と方向は一緒であったため、ヘスティアにアイズが付いて行く形になってしまった。違うファミリアの子供と神ではあるが、ある程度顔見知りではあるためか会話は弾んでいた。ヘスティアが一方的に話しかけてアイズが相槌を打つような形の会話であったが。
どうやらヘスティアは友人を送った帰りだったらしい。楽しく過ごすことができたのだが、眷属のステイタスについてちょっと心残りができてしまったらしい。ギルドの担当者に相談するといいというアドバイスをするとヘスティアはぱぁっと笑みを見せて感謝した。
その次の話題は共通の話題であるロキについての事だった。
「それでロキはデメテルにこう言ったんだよ。『後生やデメテルたぁあああん。ウチのコレを豊饒にしてくれや! いや分けてくれてもええんやで! つか寄越せやぁああああ!!』ってさ! いやはや神聖浴場の従業員まで総出で止めて大騒ぎだったよ」
「ロキ……」
ヘスティアが言ったのは女神たちの集まりで酒が入ってしまった時の話だった。妙なテンションで神聖浴場まで行ったとき、酒の力とデメテルの豊満な身体を見てロキが暴走してしまったのだ。
ヘスティアとしてはロキの眷属に昔の黒歴史を教えて尊敬度を減らしてやろうと言う事で出した話題だった。ロキ自身もベルに同じことをやっているため思考回路はよく似ていると言えるだろう。
そしてアイズの表情はとても残念なものを思い出すような表情だった。自分やリヴェリアの胸を揉みたがっていたのはこういう理由があったのか、と。揉ませたくはないが今度は少し優しくしようとアイズは思う。
「そのときなんだけど――む」
「あ、ロキ」
続けてヘスティアが話をしようとしたとき、アイズの目的地の広場に来てロキの姿が目に入ったのだ。
どうやらロキは誰かと話しているらしい。愉快そうな笑い声が此方まで聞こえてきていた。ヘスティアはわざわざ絡みに行くのも面倒だと、アイズに別れを告げてそのまま帰ろうとした時だった。ロキの会話の内容が耳に入ってきた。
「そんであのドチビ、のれんが変わってることに気が付かないで男湯の方に突っ込んどってな、いやーあんときのドチビの慌てぶりったら笑わせてもらたわ」
「神様……」
「少しして出てきて第一声が『ガネーシャのガネーシャはガネーシャだった』やで! んでガネーシャん所のホームがあんなんやろ? 他の神の奴らも大爆笑でオラリオで【ガネーシャ】が流行語になったっけなぁ」
その内容はヘスティアにとっては非常に聞き覚えがある物だった。飲み放題でただ酒を呷った帰りに女神達で神聖浴場に入ることになり、ロキが悪戯で男湯と女湯ののれんを入れ替え、ヘスティアが突撃してしまった時の内容だ。
運が悪いことに
「あのーそれガネーシャ様はヘスティア様のことを相当恨んでいるのでは」
「無い無い、あの馬鹿は『流石は俺!ガネーシャである!』とか言って気が付いておらんわ」
ロキが自分の悪口を誰かに言っている……まぁそれぐらいなら自分もやっているし許してやろう。もんだいはそれを、誰に、言っているかだ。
白い髪の少年は苦笑交じりにロキの話を聞いている、どっからどうみても自分の眷属だった。
「ってなにやってるのさロキぃぃぃいいいいいいいい!!!」
「んん? ドチビと、アイズたん! 迎えに来てくれたんやな!」
アイズへと向かって飛び込みそのまま胸に顔を押し付けるロキだが、その時点で首を傾げた。いつもなら痛烈な一撃がアイズから飛んでくるのだがそれが無かったためだ。
「ベル君! ロキに何かされて無いかい! 誘惑とは無縁の奴だけどアイツの意地悪さは筋金入りなんだから! 何か変なことを聞いたりなんかはしてないよね?」
「えーと……ヘスティア様の北通りの
ベルから漏れた言葉にヘスティアは固まった。それはジャガ丸くんを作っている最中に起きた事件の一部だった。具体的にはヘスティアの失敗談の一つだった。
「……ロキ! 君って奴はやっていいことと悪いことが有るだろう! というよりベル君に変なことを教えるんじゃない!」
「ウチ本当の事しか言っとらへんしー。なぁアイズたん……ん?」
ロキはアイズに抱き着きながらついでに尻まで手を回した。……が、何時もの手刀やらが飛んでこない。おかしいな、と考えアイズの表情を見れば、そこには慈愛の女神を彷彿させるような微笑を浮かべていた。
「ロキ、その。私のは分けてあげられないけれど、ロキがそこまで追い詰められたなら……」
ロキはアイズの言葉にしばし黙るとそっと身体をアイズから離す。
「……おいドチビ、ウチのアイズたんに何を言ったあぁあああああ!!」
「ふん、本当のことを言っただけだよ! いいんだぜ、そんなに恋しいなら君の無い胸じゃなくてボクの豊満な胸を揉んでもさ!」
「だったら揉んだるわぁ! 覚悟せぇよドチビぃ!!」
「うわ止めろ! やっぱりそっちの気が有ったんだな!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人の神に他のオラリオの住民たちが目を向けるが、まぁよくある神同士の諍いだと無視してそれぞれの家路を歩いている。
「すみません、神様がご迷惑を」
「気にしないで。ロキもたぶん楽しそうにしているから」
完全に見守る形になった眷属の二人、ベルとアイズはその合間に挨拶を済ませる。アイズが自分の事を呼び捨てで良いと言ったためベルもそれに倣って同じように呼んでほしいと応える。
「その、僕が
「ベートさんなら特に気にしていないみたいだったよ。……でも確か君は、さっき見ていなかった?」
アイズの言葉にベルは暫し返答に困った。この会話も自分が手持無沙汰であったから、という理由と、ロキ・ファミリアの幹部であるアイズと少しでも繋がりを作っておこうと言う意図はあった。
これがフィンやリヴェリア、ガレスやラウルならすぐその意図に気が付いただろうが、今のアイズにはそこまで気が付かず首を傾げるだけだった。
「一応聞いておこうかと。ただよく分かりましたね? 不躾ですけれど視線は送っていましたが、それを見分けることができるなんて」
「視線じゃなくて、なんとなく君に似た雰囲気の人が店の中に居たから聞いてみたのだけれど。流石に視線だけで誰かを見分けるのは少し難しいかな」
「少し難しいって、一応できるんですね。……前の僕でもできなかったなぁ」
レベル2程度ではレベル5が見る世界とは文字通り次元が違うのだろう。苦笑交じりにベルは呟くが、その言葉が気になったのかアイズはロキ達に向けていた視線をベルへと向ける。
「『前』っていうのは?」
「……あー」
今の呟きを聞き取れるのか、と。一級冒険者との対面はほぼなかったベルは、改めてそれの凄さに感心した。それと同時にどう答えた物かと頭を動かすことになった。
「昔【経験値】を放棄したことがありまして、その時は少しだけ今よりステイタスが良かったんです」
結局は嘘も交えて大体本当のことを話すことにした。
「……ミノタウロスと対峙したのは、それが理由?」
「えっ?」
「……逃げるつもりだったのに、私が居たせいでそうしなかったから」
アイズの表情に大きな変化は無い。だがベルはそれが彼女なりに此方を探りに来ているのだろうかと考える。しかしそれは考えすぎで、アイズとしては無謀な挑戦をしようとしたベルの行動が気になったからだった。
挑戦と無茶は違う。そしてレベル1であるベルが取った行動はしなくてもいい無茶だった。ミノタウロスを前にして動かなかった自分は、一人で対処できるか、行動できないほど未熟の二択に見えただろう。それを無視して逃げることも決して間違いではなく、不合理な行動をとったベルの事が少し気になったのだ。
もしも自分なら……同じようにミノタウロスに立ち向かっていたかもしれない。だけど自分がファミリアの団員からよく言われるように、無茶している自覚はある。身勝手な話であるがベルに無茶はしてほしくないな、とアイズは内心で思ったのだ。
「まさか。今よりはマシなステイタスだとは言っても、ミノタウロスに勝てる程の物ではありませんでした」
「それならなぜ?」
興味深そうにまじまじと尋ねてくるアイズにベルも困ってしまった。あの一件は自分の判断ミスだ。ヴェルフにも迷惑をかけてしまい、落ち込んでしまうほどの事だった。
だから改めてなぜそんなことをしたのかを考え――すぐに結論が出た。
「それはアイズさんが……」
「私が?」
「……女の子だった、から?」
『野郎は黙って女の盾になるもんだ』。そんな『おとうさん』の教えを馬鹿正直にやってしまっただけのことだった。
言ってしまってからベルは思わず顔を掌で押さえた。目標ではあるけれどそう言う側面ではない。自分は『
「……よく分からないけれど、ありがとう、なのかな」
「人によってはふざけるな、かもしれないですね」
こてんと首を傾げるアイズを見てベルは顔に熱が上ってくるのを感じていた。言ってることまで似たようなものになっているし、今更になって気恥ずかしくなったのだ。
「……うん、でも気を使ってくれたみたいだから、ありがとう、と君に言わせてほしい」
「……ドウイタシマシテ」
ベルの応答は小さくなって夜闇に消えてしまいそうなほど小さいものだったが、アイズの耳にはしっかりと届いていた。そんなベルの様子が可笑しかったのか、身近な人しか分からない程度にアイズは口元に笑みを見せていた。
「…………ヘスティア」
「…………ロキ」
ロキはヘスティアの胸を揉みながら、ヘスティアはロキに胸を揉まれながら互いの名前を言った。
え、なんでいつの間にかあんな雰囲気になってる? いやそんな甘い物じゃないけどなんかそれっぽくない? あれ?
喧嘩の最中にベルとアイズの様子に気が付き、そんなことを考える。
あれ、ヤバくね? まさか自分の大切な
そんなことを考えつつもベルとアイズの会話は続いていた。探るようなものではなく談笑と呼ばれるものになっていたのだ。
「君が使っていたあの煙玉? は、あまり見ない物だったけれど便利だね。どこで手に入れた物?」
「ミアハ・ファミリアの団員が生成したものです。ただ一応非売品なので売り物としては出されていませんが。ファミリア全員分、となると難しいですね」
「ミアハ……デュアル・ポーションの。そっか、残念。いざと言うときに在ると良いと思ったんだけれど」
「下層に通じるかは分かりませんけど……一応個人としてなら紹介しましょうか?」
「本当? それなら今度――」
そして今まさに
ヘスティアとロキは互いにアイコンタクトで今自分がすべきことを察知する。そして談笑をしている二人の間へインターセプトする様に滑り込んだ。
「いやーアイズたーん!! ウチ飲み過ぎて気持ち悪いわー! 眷属たちの顔見ぃひんとめっちゃ不安やわー! おんぶしてーな!」
「ベル君! 明日もダンジョンに潜るんだろう! こんな夜まで風に当たっていたら風邪をひいちゃうぜ!」
ロキはアイズに抱き着き、ヘスティアは素早くベルの腕を取って歩みを逆方向へと向けた。
二人に会話をさせる隙を与えるか! と言わんばかりにヘスティアは先行して口を開き、ロキもそれに応える。
「いいかいロキ! 今日はこの辺りで勘弁してあげるけれど、今度ボクの眷属にちょっかい掛けたら許さないからな! 行こうぜベル君!」
「こっちの台詞やドチビぃ! またなんかやらかしてファイたんに泣きつかんよう、気を付けて帰るんやなぁ! さぁ行こかアイズたん!」
神様ぁ!? とベルは驚いたような声を出していたがヘスティアはそれを無視。アイズは言葉の最中で名残惜しそうだった所をロキが余韻を奪うようにアイズの胸を揉んだ。普通に殴られたがロキの表情は晴れ晴れとしたものだった。
――
「と、どうしたんですか神様。」
「うるさいうるさい! ベル君の浮気もの、女たらし、ハーレム志願者! ロキの所に行きたいなら行っちゃえばいいんだ!」
オラリオの夜街をヘスティアに手を引かれながらベルは混乱していた。ホームで友人とやらと食事をしていたはずなのに、なぜかベルの前に現れて不機嫌そうな表情を見せているのだ。そして自分の『
「僕のどこからそんな単語が出てくるんですか……それに神様のファミリアを退団する予定は無いですよ」
そう言うベルをヘスティアはジト目で返す。
「だって……ベル君ロキのこと様付けで呼んでいただろう?」
「それだけで!?」
基本的にベルは神様に対しては様付けで呼んでいる。だけどヘスティアからしてみれば、ベルが一時期入団しようとしていたロキにだけは疑いの目を向けてしまっていた。
「それにアイズ君とも仲が良かったみたいだし?」
「……仲が悪いわけじゃないから完全に否定はしませんけれど」
「やっぱりそうじゃないか!」
僕は怒ってるんだ!と言わんばかりに黒いツインテールがうねうねと動いている。そんなヘスティアの後ろを歩きながらベルは悩む。ついさっきまで神様の機嫌を良くしようとヴェルフに相談していたのに、いつのまにか更に機嫌が悪くなっていた。
「(どうすればいいんだろう)」
ベルは考える。
『(俺にいい方法がある。抱きしめて口付けてそのままベットにGOだ!)』
ほわんほわんと浮かんできたのは『
『デートにでも誘ってみたらどうだ。一緒に遊びたい、と意思表示するのは悪いもんじゃないはずだろう』
脳内に現れたのはさっき相談していたヴェルフだった。
……ここは年長者の意見を取り入れることにしよう。そういえばヴェルフにはそういう経験があるのかな、と。どうでもいい考えは取消し、意を決したようにヘスティアへと話しかけた。
「あ、あのですね神様、明後日に怪物祭がありますよね!?」
「それがなにさ」
不機嫌そうな声にベルは思わず言葉に詰まる。だが、此処で踏みとどまるわけにはいかないと次いで言葉を続けた。
「神様がよろしければ、その、僕と一緒に回りませんか!?」
ピクリとヘスティアの歩みが止まる。
「……それはボクをデートに誘ってくれていると言う事でいいのかな?」
「ええと、女性と一緒に出掛けることをそう呼ぶのなら、そうなると思いますけど」
面とデートと言われるとベルも気恥ずかしいものがあった。だからわざわざその言葉を避けてお誘いをしていたのだから。
どうだろうか、とベルは歩みを止めるヘスティアの前へと出る。そしてその表情を窺った。
「……ふへへ、しょうがないなぁ。ベル君は僕の事が好きみたいだからそのお誘いに乗ってあげよう!」
だらしないと言いそうになるほど頬が緩み切っていた。だけどちょっと威厳を見せるように胸を張るヘスティアに、ベルも思わず笑みをこぼす。
ちょろい。だけど自分だってそんなものだ。こうして神様の笑顔を見るだけでさっきまでの不安が無くなってしまったのだから。
「はい! 神様の事は大好きです!」
「……そう素直に言われると照れるよ」
ナァーザの話、ヘスティアの友人の話、ヴェルフの話、インファントドラゴン、……書かなければならないサブシナリオが増えていく……
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五話上
ベルが一番初めに心に強く抱いた憧憬は、『おとうさん』の口から語られる英雄譚だった。冒険者によって達成させられる偉業、仲間との絆、強敵との対峙など。そこには『おとうさん』を含めた英雄の物語が有った。
そうして『おとうさん』が達成した『
そうして次に抱いた憧憬は、やはり『おとうさん』が関わる物だった。
『おとうさん』にはやらなければならないことがあったらしい。そこに『おかあさん』が合流し――
『おとうさん』との別れが嫌だったから、という理由だったが『おとうさん』は笑って許し、『おかあさん』もベルに興味があったらしい。
その旅路はベルに与えた影響は大きかった。騙されてモンスターに追い掛け回されたことや、賭け事に負けて素寒貧にされたこと、賞金首と命のやりとりをしたこと。そうして段々と『おとうさん』の事を知っていき、彼が正しく【英雄】であると理解させられた。
気に入らないことが有ればぶっ壊し、泣いている子供のために死力を尽くし、先人として悩むベルを導いた。
たった一人の少女を救いたいとベルが願ったとき、『おとうさん』は笑って一つの国を敵に回す決断をした。そんな背中を見てベルは思ったのだ。
この
だがベルが抱いた情景は彼の背中にではなかった。
『おとうさん』と共に並び立てるぐらい強くなりたい、追い掛けるのではなく対等な目線で世界を見たい。そこに抱いたのは何処までも純粋な『
『僕はおとうさんみたいには成らないよ』
それは自分が迎えた初めての反抗期であり、『おとうさん』の事を認めているくせに口から出るのはその反対の言葉ばかりだった。
『おとうさん』のような【英雄】にはならない。失敗や馬鹿なことをして自分や『おかあさん』に迷惑をかけて、なのにへらへらと笑っている様な奴に。
だから目指さない、ただ『
それがベルが抱いた憧憬。ただそこに真っ直ぐに、【一途】に、ベルは走り続けた。
『おとうさん』は満面の笑みを見せて言う。『俺が居る場所なんざただの人でもいつかは来られる場所だ。そんなもん目標にするなんざ小っせぇぞ』。だけどそこには堪えきれない喜びがあった。
『おかあさん』は苦笑しながら二人を後ろから見守った。『好きに物語を描きなさい。そのために与えた
だがいつかは旅も終わる。――それがベルの【憧憬】の終わりでもあった。
――
朝の食事が終わり丁度人々が仕事を始めるぐらいの時間帯だった。
自身が持つ一番上質な服に着替えたヘスティアは、鏡の前で髪を結んだり降ろしたりと試行錯誤をしている。悩んでいるようだが鼻歌交じりに笑みを表情に出しながらしている姿は、彼女がご機嫌であるというのが見て取れた。
「(デート、デートか! 良い響きじゃないか。ふふふ言葉にするのが恥ずかしいなんて、ベル君ってば随分といじらしいなぁ)」
今日は怪物祭当日、ベルがヘスティアと外に出かけないかと誘った日だ。どうせデートするなら外で待ち合わせてあのセリフを言おう! とヘスティアが提案し、苦笑しながらベルがそれを了承した。
そのためベルは先に外に出かけており、ヘスティアは誰も見ていないからと緩み切った表情を隠そうともせず、浮かれた子供の様に身支度をしていた。
「(どうせならヘファイストスから貰ったお守りも付けていこうかな。仕舞いっぱなしも可哀そうだからね)」
ヘスティアが物入れの奥に置いた小箱から取り出したのは、鈍い銀色のペンダントだった。剣を形作られており、細い身には小さく製作者の名が掘られている。
因みにそれはヘスティアがヘファイストスのホームを出るとき、選別としてもらったお守り代わりのプレゼントである。
ヴェルフから話を聞きその現物を確認したベルは、神聖文字で書かれたヘファイストスという製作者の名に顔を引き攣らせ、ミスリルなどの複合希少金属素材に頭痛を覚え、かかっている破壊不能を初めとした保護を与えるエンチャントに胃を痛めた。
鏡に映った自分をいろんな角度から見て、身だしなみの準備はしっかりできたことを確認し、近くに置いていた時計の針に目を配る。
足取り軽く部屋の中を早足で移動しながら思考する。
「(こんなもんかな。少し待ち合わせの時間には早くなるけれど先に出ようか……おまたせ! とも言いたいけれどベル君に言われるのもいいなぁ。いやいやあまり気をつか) あ痛ぁ!!」
ヘスティアがまた頬を緩ませ移動したところで、ずる、という音が足元から聞こえた。それは自分が紙を踏んづけて滑ってしまった音であり、背中から打って倒れたヘスティアの顔に、踏みつけた紙がひらひらと落ちてくる。
「いたた、全くこんな所に紙を置いたのは誰だ……ってボクだった。片づけ忘れちゃったんだっけ」
手に取った紙に書かれていたのは、昨晩ベルが更新した【ステイタス】を写したものだった。ベルには口頭で伝えたため、後で自分が片づけようと考えてそのままにしていた物が床に落ちたのだろう。
先日友人をホームに招いたときも、【ステイタス】を移した紙を置いたままにしていたとき咎められていた。『リリを信頼してくれるのは嬉しいのですが、ヘスティア様は自分の眷属の事を一番に考えるべきではないですか?』と。
冷や水を浴びさせられたような気分になりながら、何気なくその【ステイタス】に目を通し……ヘスティアは思わず顔をしかめていた。
ベル・クラネル
Lv.1
力G:201→G219 耐久H:113→H:119 器用D:500→D:510 敏捷D527→543 魔力G:200
《魔法》
【 】
《スキル》
【軌道■跡】
・早熟する
・軌跡を辿るまで効果持続
・
「……数日で全アビリティ熟練度、上昇値50オーバーかぁ」
その事実を改めて呟きヘスティアは思った。成長が早すぎると。いやその原因は分かっているのだけれども。原因のスキルに早熟するって書いてあるのだから。
欄に書かれたスキル名についてはヘスティアはギルドや神友たちの伝手を使って調べたため、発現方法については知っている。と言うより、【軌道軌跡】というスキルについてはギルドで公表されている物だった。
発現条件、一定量の【
オラリオに定期的に攻めてくる外の国、【王国 アレス・ファミリア】に勝利した後、ギルドでは制裁として団員たちの【経験値】の放棄を何度か行っている。アレスが血の涙を流しながらレベル2の団員をレベル1にすることもよくあった。そんな団員だが、取り調べで【軌道軌跡】と呼ばれるスキルが発現したことがオラリオに伝わったのだ。
『与えられた【恩恵】によって眷属たちは自らを神へと近づける。【経験値】によってその器を作り出しているのだ。だからたとえ【恩恵】を失ったとしても器の作り方、軌跡を覚えているのだろう』
どこかの神がそう言いだし、それは殆どの者に納得をさせてしまった。既知へと変わってしまった新しいスキルに神達は興味を失い、ギルドで聞けば教えてくれるような情報へと変質した。
だがヘスティアとしてはその話はどうでもよかった。寧ろ神達の興味を引くようなスキルでは無くてほっとしている。肝心なのは、【軌道軌跡】の発現条件だった。
「ベル君は……他の神と一緒に旅をしていたんだっけ」
その事実にヘスティアは少しだけ嫉妬で胸が痛んだ。下界の子供たちのような感情だとヘスティアは思うが、彼の初めては自分ではないと言うのがちょっとだけ悔しいと感じたのだ。
「(……思ってみればボクはベル君の事を全然知らないな)」
ベルがファミリアに入団してから何か月も経っているが、今日の様にベルとじっくり何かをするという機会はほとんどなかった。自分はジャガ丸くんの屋台やヘファイストスの所のバイトで忙しいし、ベルは冒険者なので言わずもがな。
それにベルからベル自身の事を語ってくれるまで待っていたという言い訳もあるが……
「(初めての
ただベルと過ごす日常が楽しくて、彼がダンジョンから帰還して話すその日の冒険譚が面白くて、自分が話す内容を興味深そうに聞いてくれる彼の姿が愛しくて。
下界に降りてきて今が一番楽しいと言える自信はあるし、ベルも今のところ順調に過ごしているため問題も発生していない。だから急ぐことは何もない。
「……だけどボクはベル君のことをもっと知りたい。よし! それなら聞いてみようじゃないかってね!」
ヘスティアは自分の頬を両手でぱちんと叩き気合を入れ直す。
今日はベル君に彼自身の事をいろいろ聞いてみよう。いつも一緒に出掛けたときの様に、自分が楽しくて忘れてしまう事が無いようにしよう。
そう決心しヘスティアは部屋を出てベルと待ち合わせした場所へと足を向ける。そうしてベルの話を聞くことになったヘスティアは、彼の語る冒険譚に顔を引き攣らせるのだった。
――
鉄を打つ槌の音は長屋を一つ挟んでもベルの耳へと届いていた。怪物祭当日と言えど職人気質のヘファイストス・ファミリアの団員たちにとってそれは平日と何の変りも無いのだろう。
椅子に座りこんだベルの目線の先にはライトアーマーを弄るヴェルフの姿が有る。豊饒の女主人で飲み交わした夜の翌日、つまりは昨日のダンジョンの帰りが遅くなってしまったため、明日の朝でもいいというヴェルフの好意をもらって装備を今朝預けに来たのだ。
それに伴い代金も支払おうと持ってきたのだが、やはりヴェルフはそれを断った。一度面倒を見ると断言した以上、追加で貰うつもりはないと返されたのだった。
「……やっぱり劣化が早いな。ベル、下鱗刀と一緒に兎鎧の方もメンテナンスしちまうから、ついでにそれも置いて行ってくれ」
「そんなに悪かったんだ。……ヴェルフ、今日だけでいいんだけれど代わりの装備に成りそうなものは無いかな?」
「
ヴェルフの疑問にベルは頬を掻いて気恥ずかしそうに応えた。
「いや、改めてデートって考えるとちょっと落ち着かないと言うか……せめて装備だけでも固めておこうかと思って」
女性と二人で出かけたことはある。それはヘスティアとだったり、オラリオに来る前に出会った少女であったりするが、どれも女性の方から連れられてだった。
うぶな表情を見せるベルにヴェルフはやれやれと言った様子で、弟分を見るようにベルへと小さく溜息を吐く。
「そこは装備を固める前に決心を固めておけって。まぁ浮かれた馬鹿が出ないとも限らんから、せいぜい護衛を務めるんだな」
武器に関してはオラリオに来る前から持っていた短刀を持ってきている。棚に入れてあるから勝手にとって行ってくれ、というヴェルフの声にベルは了解と返して装備を取り出しそのまま身に着けた。
万一主武装が壊れたときの繋ぎとして保管したものらしい。装備に関しては俺に任せろ、とヴェルフから言われているが、此処まで至れ尽くせりだとベルも少し気後れしそうだった。
「ヴェルフは怪物祭を見て回らないの?」
「一人で回って面白いもんでもないしな。最近は冒険の方に力を入れっぱなしだったから、久しぶりに鍛冶に専念するとするさ」
あっけらかんと答えるとベルは少しだけ怪訝そうな表情を見せた。
それはベル自身が自分との冒険がヴェルフの成長の足を引っ張っているのは好ましくないと感じたからだった。
「それって大丈夫? いや冒険に付き合ってくれるのは有り難いから、僕がヴェルフの心配するのもおかしな話だけど」
「頻度は確かに減ったが、腕を落とすほどサボっているわけじゃないから心配するな。……【力】や【器用】のステイタスが上がったせいかもしれないが、腕は逆に上がったんじゃないか?」
対するヴェルフは嬉しそうな表情で、本気で思っていることを口に出していた。
ヴェルフの腕が上がっている、と言うのはベルにも分かる。現在の主装備である【兎鎧】は【
今ベルが装備している仮装備がどこか頼りなく感じさせる程だった。
「……自分の装備を近くで使われているのを見ていると、俺の不備が、妥協が担い手を殺すってことが実感できるんだよ。今まで以上にお前の持つ装備へは思いを込めたつもりだ」
勿論普段作っていた物の手を抜いていたわけじゃないが、とヴェルフは言葉を切った。
心技体全てが鍛冶に重要な要素であり、担い手への思いで心を、ステイタスの上昇による体の強化をそれぞれ受けているためか、当然の様に鍛冶の腕は上がっている実感がヴェルフにあった。
ベルとの専属契約期間は1年、若しくはヴェルフがレベル2になるまでと定めている。それ以上は鍛冶の技術が錆び付くとヴェルフ自身が分かっているからだ。だが以前ヘスティアが漏らした、ベルは過去にレベル2であったという話と、自身とベルのステイタスの上昇具合から、期間内にどちらかがレベル2に成れるだろうという確信もある。
「そう言う風に遠慮すんのはベルの悪い癖だな。冒険者なんだからもっといい装備を作ってくれって貪欲に言うぐらいでもいいんだぞ?」
「うーん、装備をヴェルフが新調するたびにその出来に満足してるから、それ以上って言うのは考えられないよ。やっぱりこんなに贔屓されていいのか、って思っちゃうかな」
ファミリアとしての面子もあるし、と。そう言うベルにヴェルフはどこか引っかかる物を感じていた。その違和感は小さなものであり、気のせいだろうと考えヴェルフは言葉を返す。
「俺は未熟者だからな。贔屓もするし気に入った奴には入れ込みもする」
「あはは……それはそれでどうなんだろう」
開き直った様子のヴェルフにベルは困ったように小さく笑う。
「と、そろそろ時間はいいのか?」
ヴェルフに言われベルは時計を確認した。待ち合わせの時間には少し早いぐらいだが、待たせてしまうのも申し訳ないとベルは考える。
「もう少し時間はあるけれど、流石にこれ以上はヴェルフの邪魔になりそうだから行くことにするよ」
「俺は気にしないんだが……と言うよりデートの前に野郎の部屋に来るのはどうなんだ?」
「女の部屋に行くよりマシなんじゃないかな」
「お、おう。なんか悪い」
濁った眼で応えるベルにヴェルフは冷や汗をかいた。そう言えばコイツの父親は女たらしで、触れたらアレな話題だと言う事を思い出したのだ。
「まぁその辺は忘れて楽しんでこい。お前が緊張でガチガチだったら、ヘスティア様も素直に楽しめなくなるぞ」
「む……それは嫌だな。うん、どうせだから楽しんでくるよ」
相変わらずコイツ神様の事大好きだな、と。ヘスティアの名前をだして露骨に気合を入れたベルにヴェルフは内心で苦笑する。
「それじゃあ明日はいつも通りダンジョンに向かうから、何時もの場所で」
「了解、羽目を外しすぎるなよ」
「分かってるって」
工房から去っていくベルにヴェルフは軽く手を挙げて応える。
自分も今日やろうとした用事をこなそうと、改めて預かった装備達に身体を向けた。
刀身を叩き刃へと形成する。
使用者はベル・クラネル、種族、体重、身長、手の大きさ、可動範囲、重量、強度、状況、ステイタス、技量。全てを思い出しその最適を鉱物へと伝え、その答えを待つ。
何処までならその鉱物は応えられるか、その限界を見極め自分の身体へ命令を送る。秒毎に鉱物は答えを変えた。その変化を見逃さずに命令を変更し反映させ、ただ打つ。
がきん、と。鈍い音を立てて刀身が折れた。
その音にヴェルフは集中を解き、額に浮かぶ汗を拭って大きく息を吐いた。それは自身が新しく生み出そうとした剣が死産に終わったことを表していた。
「種族は
「……」
背後から聞こえてきた女性の声にヴェルフは応えない。ほんの少し作業を見ただけで最適解を伝えたその女性から、自分との鍛冶師としての格の差を伝えてきているのが分かったからだ。
「まだあの小僧とつるんでおったのか、ヴェル吉」
「……お前には関係ないだろう、
――
怪物祭は想像以上にオラリオの住民を賑やかせていた。【ガネーシャ・ファミリア】が主催とするその祭りのメインは、闘技場でのモンスターの
その混雑の間を縫うように抜けてベルは待ち合わせ場所へと向かっていた。時折周りを見れば、冒険者と思わしき外見の者達が屋台を冷かしているのが見える。祭りの意義やメインの題目はともかく、この雑多ながら華やかな雰囲気は嫌いではないのだろう。
そんな街並みを歩いている道中でベルは正面から来たとある神物と視線が合う。並外れた容姿の青年は、手に大きな荷物を抱えていた。
「おお、ベルではないか」
「ミアハ様。お久しぶりです」
それはヘスティアとも神交がある神の一人であるミアハだった。買い出しの最中だったのだろう、荷物の頭からはあまり見ないような植物が顔を覗かせていた。
「その装い……これからダンジョンへと向かうのだろう?」
「ああいえ、これから神様とお祭りを見て回る予定です」
「なんと、それでは香油の一つでも渡したいところだが……あいにく手持ちを切らしてしまってな。ポーションはあるが持っていくか?」
懐から取り出したのは試験管に入った深い青色の液体だった。ポーションはベルも多用するが駆け出しにとってはなかなかの値段だった。
思わず受け取ってしまったベルはそのままミアハへと返す動作を見せた。
「ミアハ様、そんな風に配っていたら、またナァーザさんに怒られてしまいますよ?」
「うむ、その通りだがベルは私たちのお得意様だ。多少の胡麻をすっておいても損はあるまい?」
少し茶目っ気が混じる笑顔で言うミアハは、女性で有ったら思わず見惚れてしまうだろうとベルは感じていた。
今度ナァーザさんに菓子折りか何かを持って行こうと、ベルは予定を頭の中で組み入れる。丁度モルブルボムの注文をするつもりであり、その時に渡しておこうと考えたのだ。
「それなら有り難く受け取らせ頂きます。今度注文をしにホームへ向かわせていただくので、その際にナァーザさんにもお礼を伝えさせてください」
「うむ、御贔屓に頼むぞ。……ふむ、此方にわざわざ来て注文するのも二度手間に成ろう。ここで私が注文内容を承ろうか?」
ミアハの申し出にベルは目を丸くする。
「えっと、ナァーザさんと値段などを相談しなくてもよいのですか?」
「うむ、扱っている素材に値段の変動は無いにも等しかったのでな。ベルが前の値段で良いのならそれで構わないだろう」
ミアハはメモ用紙と筆を懐から取り出すとそのままベルに渡した。それに何を注文するのか書いてほしいと言う事だろう。
ミアハの言葉はベルにとっては渡りに船だった。時間の短縮にもなり、何よりナァーザとの交渉をしないで注文できるのだ。前の値段は値切りに値切って上手く相手の言質を取って安い値段で買い上げた物だ。ナァーザの表情に悔しさが表れていたのは記憶に新しい。
それと同じ値段で注文できるのは有り難かった。メモに注文を記入しながら内心でガッツポーズをするが、表情には出さないよう気を付ける。
「ではこれらの内容をお願いします。丁度代金もありますので今払わせていただきますね」
「この後のための持ち合わせは問題ないのか?」
「はい、別件で使おうとしていた物ですが、その予定が無くなったので。と、ミアハ様の予定は大丈夫ですか?」
ヴェルフに渡すつもりだった代金を持ってきていたため、持ち合わせには余裕がある。そしてミアハにも予定があるのではと思い直してベルは尋ねた。
「なに、ディアンの用事を丁度終えた帰りであるのでな。一応商売敵の場所であるが、やはりディアンの店は盛況であったぞ」
ミアハが名前を出した神はディアンケヒトという医療の神の一柱だった。オラリオでは治療と製薬を主とするファミリアを率いている。冒険者にも評判が高いファミリアであるため、ベルにもその名は聞き覚えがあった。ただ薬関係は【ミアハ・ファミリア】を使用しているベルは一度も訪れたことは無かったのだが。
「オラリオ一番の製薬ファミリアですからね。ただ僕はミアハ様の所でお世話にならせていただきます」
「うむ、嬉しいことをいってくれるではないか。ただエリクサーなどの高額な薬品はまだ扱えないので、ベルが高位冒険者になったときには
「流石にそんな早く高位の薬にお世話になることはありませんよ」
エリクサー、万能薬とも呼ばれるそれは一級冒険者たちが使用する者で、腕がもげるような大怪我も瞬時に治すその薬は値段も50万ヴァリスと高額な物だ。ベルは遠目で見ただけだが、薄く七色に光るそれを液体の宝石のようだと感じたのを覚えている。
ベルにとって一級冒険者に成ると言うのは先の長い話ではあるがミアハ、神達にとってはほんの少しの事なのだろう。ミアハは裏表のない誠実な神だとベルは思う。そんな神から社交辞令ではなく、期待していると言われることはどこかくすぐったく感じた。
「ではそろそろ行かせていただきます。ナァーザさんにもよろしくとお伝えください」
「うむ、ヘスティアにもそのように伝えてくれ。では頑張ってくるのだぞ」
ベルが一礼するとミアハも軽く手を挙げてそれに応えそのまま別れた。
時刻に余裕はあるため急いで行かなくてもよいだろうと、ベルは余裕を以って歩いて待ち合わせ場所へと向かった。
それにしても、とベルは思う。エイナさん、ヴェルフ、ヘスティア様、ミアハ様、ついでにナァーザさんと様々な人たちにお世話になっているのだと改めて感じていた。
周りに支えられて自分は冒険者となってオラリオに居る。そうして期待をされているのも分かり――少しだけ胸が痛んだ。
自分は今に満足してしまっている。――
ヴェルフの持つ、頂へ登ろうとする【英雄】の様に強靭な意志を今の自分は持っていない。焦がれる様な【憧憬】を見出せておらず、自分の歩む先の視界は霧に囲まれている。
それは多くのただの人が抱える思いと同じだった。それでもいいとベルは思った。
やがてヘスティア様の元には多くの眷属が集まるだろう、その中に英雄と呼ばれる者も来るかもしれない。
自分はその英雄のための道を作ろう。嘗て自分が『おとうさん』のサポートへと回っていた時の様に。『英雄』の隣を目指して走り続けていた時の様に。
遠くに自分の主神の姿が目に入る。それは相手も同じで、手を振って此方へと呼ぶヘスティアにベルは早足で駆け寄った。
「申し訳ありません、神様。待たせてしまいましたか?」
「ううん、いま来たところだよ」
朗らかに笑うヘスティアにベルもつられて笑う。やっとこのセリフが言えた!と、喜ぶヘスティアの姿が微笑ましく感じていた。
少し言葉を交わしヘスティアに手を引かれベルはその場を去っていく。
神の、暗い感情の籠る視線がそんな二人へと向けられていた。
▼フラグ【ヘスティア・ナイフ】獲得条件達成されていません。
▼フラグ【ヴェルフ・クロッゾの武具】達成されました
フラグ【椿・コルブランド】【パーティ離脱】【■■■炉】が解放されました
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五話下
とある喫茶店、オラリオ東に位置するメインストリートを上から眺められるその席は、店の中でも一番人気な場所だった。そんな場所でロキは頬杖をつき、外のにぎわいと半比例するような気だるげな表情で溜息を吐いた。
そのままダンジョンへ突っ込んでしまいそうなアイズを昨日捕まえて、今日はデートとしゃれ込むつもりだった。現にアイズは自分の隣に立っている。喫茶店で護衛の様に立たなければならない元凶こそがロキが溜息を吐いた理由だった。
女性が口元に笑みを作る。ロキへと向けられた微笑みは男女問わずに慈愛を感じさせ、やがて彼女の魅力に堕とされていくだろう。たとえ身体を隠す様に紺色のローブを纏っていても彼女――『美』の神フレイヤの魅力を全て妨げることはできなかった。
「その胡散臭い笑みぃこっちに向けんのやめーや」
「あら、美人は貴女の好物でしょう? 喜ぶと思ったのだけれど」
「幾ら好きな見かけで腹が減っていても、爆竹で出来たもん口ん中には入れへんやろ? あと美人は好きやけど美神は別になぁ」
お前やイシュタル見る限り面倒くさいだけやろ、と。その言葉と共にロキは強い視線をフレイヤの隣に居る獣人から感じていた。我らが主神を貶めるのは許さんと、そう意味を込められた物をロキは涼しげに流す。
「オッタル」
「……失礼いたしました」
フレイヤの隣に護衛するような位置で経っていた男性――オッタルが小さく頭を下げる。それはロキに向けられたものではなく、声をかけたフレイヤへのものだった。
【
どうしてこうなったのか、答えは簡単だ。偶然、の一言で済んでしまう。
怪物祭にアイズと乗り出そうとして、まだ朝食を取ってないからと喫茶店の見晴らしのいい場所でアイズと話しながらブランチを取ろうと考えたのだ。
店内が妙に浮ついていることに気が付いた時点で引き返せば良かった。しかしお忍びで来ているような格好のくせして、大男を護衛につけたその女神と目が合ってしまい、あろうことかロキに向かって手を振ってきたのだ。
周り右しようとしたところで魅了にやられた従業員に、案内しますと声を掛けられた時点で諦め、フレイヤ達と相席をすることした。フレイヤの前で自分が尻尾撒いて逃げたなどと言う噂を立てられたら堪らないだろう。
「そっちもデートの真っ最中だったんやろ? ウチ等無視して続けておけばよかったやん」
「いいじゃない、
「それな、そっちから見れば
「ふふ、ベッドから蹴り落とすついでに天界に返してあげたくなるような状況ね」
「流石にそれはウチも引くわ」
天界に返してやると言うのは下界の子供たちに言うところの、アイツぶっ殺してやる、である。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない」
もう、と。少し眉を落としつまらなそうに言うフレイヤに、奇妙な物を見たと言うようにロキは頭の後ろを掻く。
「……まぁ邪険にしてたのは認めたる。つってもウチもそっちも仲良くお喋りしましょなんて関係じゃないやろ」
「偶には、よ。最近は大きな出来事もなかったから、貴方も暇をしていたんじゃないかしら?」
「否定はせーへんな」
軽食も食べ終わった。煮えたぎるような温度だったコーヒーは冷めて、すぐに飲み干せる程度の量まで減っている。
さっさと離れようとカップを傾け残ったコーヒーを流し込もうとした時だった。
「それに、もうすぐ貴方に呼び出されそうだったから、先に話の場を作っておこうと思ったのよ」
「……ほーん」
相変わらず不敵な笑みを見せるフレイヤに、カップ越しにロキは適当な返事を返す。そして静かにテーブルへと置きなおし、軽く手を振って給仕を呼んだ。
「すまんなー、給仕くん。ちょいとコーヒーのお代わり頼むわ。砂糖たっぷりでなー」
フレイヤが近くに居るからか浮ついたように注文を承る給仕を見送り、ロキは頭を回転させる。
「まっ、そないに話をしたいんならもう少し話そか。コーヒーが来て飲み終わるくらいまでやけど」
「そうね。貴方との会話は有意義だもの。甘党だったとは知らなかったけれど」
「この後にもアイズたんとのデートが控えとるやろ? まぁそれに備えての頭の栄養補給やな」
フレイヤと朗らかに話している最中、ロキは頭の中を全力で回転させていた。
オラリオで【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】は二大派閥に当たり、関係性としては明確な敵対はしていないが牽制し合っているような状態である。片方が大きく動けばもう片方も動かざるを得ない状況にあった。
その上でフレイヤはロキに呼び出されるような状況、つまり今から何らかのアクションを起こすと明言してきたのだ。
ハッキリ言ってロキから見たら寝耳に水の話だった。今現在フレイヤが大きな動きを見せているという情報は全く入ってきていなかった。だからこそ適当に相手していたし、少しでも予兆が有るのならそれ相応の準備をしていただろう。
「(大きな動きの情報は入っとらん。しいて言うんなら珍しく【神の宴】に参加した程度か? いやそん時にそれとなく探りは入れたけど、周りに働きかけている様子は無しやろ? ……アカンな、ホンマに分からん)」
フレイヤが神の宴に参加するのは珍しい。当然ロキもある程度警戒はしていたが、軽く友神達に話を聞いてみてもフレイヤは暇だから来たと言った様子だった。
ガネーシャをドついてからかったヘスティアが逃げ去った後は、終わりまでなんやかんやでフレイヤ、ヘファイストスと共に過ごした。警戒の意味もあったが普段通り過ごすフレイヤにロキは気を抜かされていた。
とりあえず意気消沈しているガネーシャを置いて、
「(……いや待て、周りじゃなくてウチに話を通しておく必要がある?)」
「整理は終わった?」
フレイヤが微笑む。軽い会話の時間稼ぎはばれていると分かっている。舌打ちをしたい内心を殺し、ロキは道化師のように軽く薄笑いの表情を見せた。
「ま、だいたいな。そんでウチ『個人』が面倒くさそうになることだけが分かったわ。ジブンが動くと碌なことにならへん」
「……へぇ」
アタリか、と。ロキは勘で言った事を顔には出さず思う。
これはロキ個人に迷惑が来るものであっても、ファミリアを巻き込むほどの物ではないとロキは当たりを付けた。
大規模の物なら今ここでロキに明かす理由が無い。横車を押す様に今このタイミングで舌戦を仕掛けるのはメリットとデメリットが釣り合わないだろう。
フレイヤの情報がロキに入らないのは当然だった。重要な情報そのものが無かったのだから。
「そんでジブン、何するつもりや」
「大したことじゃないわ。貴方の知り合いに当たる神へ繋がりを持とうと思っただけ。それでも貴方に疑われるのは嫌だから先に話しておくべきでしょう?」
貴方を無暗に警戒させるつもりは無いもの。そうフレイヤは言葉を区切る。
「一応聞いとくけど、その神のファミリアの階級は?」
「……一番下って何だったかしら?」
「……オーケー。要するにアレか。新しくファミリア作ろうとしてる神を支援しようっていうアレやろ?」
フレイヤは軽く微笑みその問いに対して肯定した。ロキは動かしすぎて鈍い痛みを放つ額を掌で押さえ、小さく溜息を吐く。
天界から降りてきた神は下界に全く伝手が無く、一番初めに当てにするのが自分の友神や肉親などである。そして無謀にもフレイヤにそれを頼む神が居たと言う事だろう。
入れ込ませるならともかく、それ以外でフレイヤが特定の者に入れ込むとなればロキ自身も警戒する自信がある。この場でそれを言ってきたのは互いの手間を短縮するのが目的だった。
ロキとしても自分のファミリアに大きく影響が出るわけでも、最初警戒していた以上にロキ自身に迷惑がかかるわけでもない。勝手にしろと言うのが結論だった。
「まぁ入れ込むんを止めるつもりや無いんやけど、ファイたんみたいにダメ神に世話やかし過ぎるのは――」
『あら、私は本気だったけれど』
ふと、フレイヤの発言が唐突に思い出される。
『そう言えばヘスティアがファミリアを作ったなら、団員が入ったってことでしょう? どんな子が入ったのか知っている?』
『ふぅん、そう。男の子、ね』
冗談じゃなかったのか、まさか、という言葉がロキの頭をよぎり、そのままカップへと手を伸ばし中に入ったコーヒーを飲み干した。甘ったるい味がここでは有り難く感じていた。
「おい、まさかあのドチビの事とちゃうやろな?」
がらりと場の雰囲気が変わった。
道化師の様な感情を読ませない笑顔はそこに無い。蛇だろうが巨人だろうがぶち殺すと言わんばかりの視線がフレイヤへと向けられる。
「さぁ? 貴方が誰の事を言っているのか分からないわね」
「とぼけんな、阿呆」
二人の従者は動かない。互いが互いの一挙手一投足へと気を配っているからだ。二人が放っているわけではないが、辺りにはそれが殺気として背中に寒い物を感じさせていた。
店内はいつの間にか彼女たちのテーブル以外に人は居なくなっている。視線の応酬が続き、眷属たちに寒気すら感じさせる程になった頃、フレイヤがおもむろに口を開いた。
「面識もできて少しだけ手助けしたくなった、で納得してくれないかしら?」
「理由が弱いわ。ヘファイストスがアホらしいほどあのドチビに世話焼いてんのは周知の事実やろが。野郎ならともかく、その辺の三下女神のドチビに入れ込むなんざ、アレになんか有ります言うてるようなもんや」
ロキは思考を巡らせる。ジャブでも仕掛けてみるかと再度尋ねる。
「……ドチビんとこの眷属が気に入ったとかその辺りか?」
「冗談はやめてくれるかしら?」
にこりと、フレイヤは笑みを見せて拒絶の言葉を出す。ジャブの感触が思ったよりも強く、ロキ自身も内心では驚いた。
ヘスティアの眷属――ベルに関してはロキも面識が有り、軽く流す程度かと思えば拒絶を明確に示すとは思わなかったのだ。
「……面白いでしょう? 彼女」
彼女、という単語が誰の事を示すのかはすぐわかった。それに対して何言ってんだコイツ、と言うようにロキは鼻を鳴らす。
「面倒くさいだけや。行動が大体大騒ぎにしてんのは一種の才能やな。つっても今まで眷属の一人も捕まらなくて、鼠みたいにオラリオをウロチョロしているのを見んのは傑作だったんやけど。ドチビに関しては大した情報も入って来いひんし、そっちが目ぇつける理由も無い――」
「ロキのそう言う風に彼女に関しては多弁になるところ、私は好きよ?」
「――――……なんも嬉しくない告白やな」
口が滑ったのを自覚しロキは口を紡ぐ。
フレイヤはそんな様子のロキを見て口元に笑みを見せた。
「……初めは大した興味も無かったのだけれど、貴方たちが楽しげに話していたから、つい気になったの」
「……それで?」
「面白そうだと思ったのよ。ころころ表情が変わる彼女を見るのが。だから少し見ていようと思っただけ」
「……」
ロキは黙って耳を傾ける。
ロキ自身、ヘスティアをからかうのが面白いことは否定しない。事あるごとに自分の豊満な胸を自慢してくるのはウザいとは思うが。馬鹿みたいなやりとりは自分の眷属に絡むときと違った感触であり、天界でありきたりであったが悪くはないと考える。
「彼女は次はどんな表情を見せるのか、これから何を感じるのか。……私達はこうして確立されてしまったけれど、それを久しぶりに見たいと思うのはおかしな事かしら?」
「……」
ロキは応えないが肯定の意思はあった。既にオラリオで二大派閥と呼ばれた自分たちが、今更初心のころに戻るなど有り得ない。だから懐かしく思い出に浸る程度は理解できる内容だった。
……尤も、それを見守るなら自分の眷属にやれと言いたくもなるが。
柔らかな風が店内へと入りロキ達の頬を撫でた。それと同時に互いの間にあった剣呑な空気が入れ替えられていくようだった。店の中の客たちが徐々に増え、それと同時に固まっていた店員たちも慌ただしく動き出す。
「……そっちがドチビに目ぇかけるんなら勝手にしい。つかどいつもこいつもウチとドチビを関連付けするのはやめろや」
「そうさせてもらおうかしら。あと、男神達の間で貴方と彼女の組み合わせ、攻めと受けのどちらもかなり流行っていたわよ?」
「一偏どころか何度も〆ないと分からんようやなあの
頭が痛い、とロキは額を押さえ、フレイヤはそんなロキを見て微笑む。
「貴方が絡むから気になるのだと思うけれど? 昨晩も彼女と話していたでしょう?」
「見とったんか。流石に早々にストーカーはウチも引くで」
「偶々目に入っただけ。夜風に当たって外を見ていた時に――」
と、不自然なところでフレイヤは言葉を切る。その視線は当時の動作を再現したように窓の外に向けられており、その状態のまま固まっている。その不自然な動作にロキは首を傾げた。
――
『申し訳ありません、神様。待たせてしまいましたか?』
『ううん、いま来たところだよ。……下界に降りてきて一度は言いたいセリフをやっと言えた!』
『感想はどうですか? 神様』
『待っている間はワクワクしたけれど……ベル君と一緒に出掛けた方が行くまでの時間を楽しめたかもしれないね。ベル君は?』
『神様と似たような感想です。ただその、心の準備をする時間が取れたのでそれはよかったかなぁと、思いました』
『ほーう、なんだベル君照れているのかい? それなら今度はどんなことを言ってやろうかなー。『お風呂にする?ご飯にする?それとも…』なーんてどうだい!?』
『それ言われた僕の『おとうさん』は『おかあさん』が言い切る前に口塞いでベッドに突入していましたね』
『そ、そういうのはまだ早いんじゃないかな? 日も高いんだから』
『……ぼ、僕もそう思います』
『~~! よし! この話題終わり! 時間は有限なんだお祭りを回ろう!』
『そうですね。どこか行きたいところはありますか?』
『まずはジャガ丸くんを食べて、それから座って何処に行こうか考えようか』
――
「…………………」
「おい、何やフレイヤ。急に黙って」
ロキからは外で行われていた会話は耳に届かなかった。祭りの喧噪で聞こえなかったと言うのもあるが、内容がフレイヤにとって不快であったことは理解できた。
外を見るフレイヤの表情は暗く冷たい物だった。明確に表れてはいないが無表情であることがロキにそう判断させていた。
「ねぇロキ、貴方は彼女の
「……まぁ、及第点やな。5段階の評価付けで、ウチのアイズたんやそっちの【
背景に何かが有る、主神に忠誠もある、実力は自分ではよく分からないが、それは度外視してその評価だ。
少しぐらい裏になにかあった方が面白い、神達はそう感じる者達だ。それはヘスティアも例外ではないだろう。離反の意思は全くなく、ベルがそのままヘスティアの下で成長し続ければ、初代の団長としてファミリアをまとめ上げその基礎を作り出していくだろう。
そう考えれば一番初めの眷属として、適している人物であるとロキは考える。優先はしないが、最初に自分の所に入団したいと言っていたのなら、まぁええかと応えるかもしれない。
「……濁った灰色。私はそう思ったわ。染色に失敗して様々な色を混ぜてしまったよう。なのに染めてしまったからもう変わりようがない」
「……」
フレイヤの言っていることが彼女が見たベルの魂の色であるとロキは察する。
フレイヤが視線をロキへと戻す。フレイヤの口元にわずかな笑みが見えるが、それは好意的とは真反対だった。
「そうね……ロキ、もしもあなたの眷属、例えばそこにいるアイズ・ヴァレンシュタインがペットを飼い始めた。それがドブネズミだった。貴方はどうするかしら?」
その比喩の内容は取り繕う気もないと言うように直接的だった。
純粋な透明は既に染められている。そしてそれはこびりついて取ること出来ない。そんな布を使う誰かに、フレイヤに思うところがあるのだろう。
それに対してロキは淡々と答える。
「まぁ、ウチなら風呂に入れるように言うくらいや。他人の趣味に口出すなんざ、普通は無粋いうもんやで」
「……ええ、その通りね。つまらない質問だったわ」
その言葉を最後に暫し静粛が訪れる。
普通、などとは言ってみたがロキ自身もフレイヤも普通からほど遠い存在であることは理解している。
何を起こすかなど考えるのは容易かった。
「……少し、考えたいことができたからこれで失礼するわね。行きましょう、オッタル」
「そうか。まぁ暫く顔合わせんことを期待するわ」
フレイヤの言葉にロキは軽く手を挙げて答える。
そのまま店内を後にする神とその眷属を見送り、完全に居なくなったことを確認すると、どっと椅子の背もたれへと身体を預けた。
一言、面倒くさ、と呟く。
「ロキ、さっきの話は……」
そこで護衛として傍に控えていたアイズがロキへと話しかけた。アイズとしても話の内容の節々は理解でき、それが自分の知人の事であるため心配だったのだ。
「んー、アレか。……でかいことは起きんやろな。アイズたんが心配しなくても大丈夫やで」
ロキとしてはそうなる確信はあった。ただしベルがご愁傷様な目に合うことは想定できるが、そこは頑張ってくれとロキは思う。
なにより自分のお気に入りであるアイズが何やら気にしているのが面白くなく、ちょっとぐらい酷い目に合ってもいいぐらいに考えていた。
「ウチ等はウチ等で祭りでも楽しもか。とりあえず後でジャガ丸くんでも食べよ」
まぁ座りぃ、と。ロキに促され先ほどフレイヤが座っていた場所へとアイズは座った。ロキは給仕を呼んでコーヒーのお替りを頼んでいる。そして何か思い出したように、ロキはアイズに向けて口を開いた。
「アイズたんも気を付けるんやで。孤高気取ってああいう風に過ごしておると、普通の友人の作り方も分かんなくなるんや」
本当に面倒くさい、と。ロキの呟きがアイズの耳に残った。
この小説のベルは事前登録のレアぐらいの有効度です。★3から4ぐらいで初心者にお勧めの。
某聖杯探索のソシャゲで性能を位置づけするなら槍兄貴。ちなみにヴェルフは軍師、リリルカは童話作家に当たるでしょう。
原作ベルは文句なしの★5SSRです。ここのヘスティアはリセマラし忘れてますね……。
フレイヤとヘスティアの関係はソシャゲで見たことあるような関係です。
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六話上
見上げた空に居たのは【影】だった。黒と赤で出来た幻影は天空を羽ばたく【龍】を形作っており、その視線はたった一人の神を見据えていた。
そこにあるのは憎悪、世界を壊しても尚足りぬと吠え猛るようなそれを受ける男神は、にやりと笑って杖を構える。
それをベルはただ見ている事しかできなかった。
「悪いなベル。お前が居ると邪魔なんだ」
くしゃりとベルの頭を撫でた男神は、いつも通り、不安一つ感じさせない笑みをベルへと見せる。
「アレは
身体が動かず恐怖で自分の体が震えていた。それでも戦わなければならないと自分は分かっているくせに、何が起こってしまうのか理解しているくせに、身体が言う事を聞いてくれなかった。
「ベル、お前はもう何処にでも行ける。俺の後を追い掛ける必要も無ぇ、好きに生きろ」
違うと叫びたかった。ただ僕は、貴方の隣に立ちたかった。背中を追いかけるのではなく、貴方と対等な場所で共に戦い歩き続けることが願いだった。
僕は、『おとうさん』と離れ離れになるのが嫌だった。きっと自分が英雄を目指さなかったのはそれが根幹だったのに。
『おとうさん』のその後をベルは知らない。自分はその後気絶してしまい、その最期に立ち会う事はできなかったのだから。
「かくして大神は禍罪の龍を打ち果し、太平は乱れることなく続いていく。おめでとう、君は導かれる者であると同時に彼の導き手でもあった。そして役目を果たし切ったんだ」
「…………僕は、貴方の事が嫌いです」
「そうかい? オレは君の事が好きだからそう言われると悲しいな」
ベルを見る燈黄色の瞳には好意の色が浮かんでいる。まるで同類や兄弟を見るかのような男神の視線に、ベルは否定の言葉を返し交わすことは無かった。
「どこにも行く場所が無かったのならオレのファミリアに来るといい。アスフィやあの子達も喜ぶだろうしね」
そう言いその男神は去っていった。
一人になったベルはその男神の名――ヘルメスの名が書かれた推薦状を見てそのままバックパックへと詰め込んだ。そうして部屋の外に出て空を見る。
オラリオに行ってみよう。
『おとうさん』が見てきた何かを見れば、自分が失ってしまった何かが見つかるかもしれない。ぽっかりと自分の中に空いてしまった場所を埋めることができるかもしれない。
帰る場所はなくなって、旅の行き先はオラリオに決まった。ベルが歩いてきた場所には彼が抱いていた『一途な憧憬』は存在せず、失った憧憬を目指した『軌跡』だけがその場所に残っていた。
―――
「僕の話、ですか?」
「うん。ベル君が来てそこそこ時間が経つけれど、そう言う話をしていなかったなって思って」
食べ歩きながら店を冷かして回り、一息ついて休憩しているときヘスティアはベルに尋ねる。オラリオ東のメインストリート、徐々に怪物祭のメインイベントの時間が迫ることで人は徐々に減っており、一角に設置されたベンチには誰もおらず悠々と座ることができた。
「もしかして闘技場の催しの方へ行きたかった?」
「いえ、普段からモンスターは見ているので、凄く興味があるわけではないですから。……えっと、何から話せばいいでしょうか?」
ベルの質問にヘスティアは暫し考える。ヘスティアがベルについて知っていることは、親代わりの男神が居て一緒に旅をしてきたということ、レベルを一度上げる程の経験をしたこと、それぐらいだ。どんな道のりを歩んできたのかはまだ知らなかった。
「先ずはそうだね、ベル君はいろんなところを旅してきたんだろう? 旅の目的とか、旅に出ようと思った理由とかを聞きたいな」
なのでじっくりと話を聞こうと彼の一番初めの事を尋ねることにした。
「旅の目的は……本当はよく分かってなかったんです。9歳ぐらいのとき親代わりだった男神、『おとうさん』がやることが有って旅に出ると言ったから、僕はそれについて行きました」
旅の初めは襲来した『おあかさん』から逃げるため夜逃げしたのが始まりだが、それについて行くと決めたのはベル自身だった。
「恥ずかしい話ですが、『おとうさん』と一緒に居たかったというのが旅の理由です」
少し頬を赤らめ恥ずかしげに語るベルに、微笑ましく感じた。幼い姿のベルが笑顔を見せて父親に駆け寄る姿が安易に想像できたからだ。
「ベル君は『おとうさん』が大好きだったんだね」
「……そうですね。まるで物語に出てくる英雄のような方で、子供の頃は憧れていました。ハーレムは浪漫あるいいものだぞ! なんて言ったりして、僕もそれを目指していたこともあります」
「……え? ハーレム?」
純朴そうに話すベルの口からとんでもない単語が現れヘスティアは思わず聞き返す。
世界中の女は僕のものだ、なんて自分を含めた女性を侍らせているベルを想像し、似合わなさにヘスティアは首を振る。
「まぁ現実のハーレムの結末を『おとうさん』を通して見てしまいまして……。旅の目的は、世界中で粉をかけていた女性に、正妻が居るから付き合えないと謝罪巡りが主でしたし」
うわぁ、と。ベルの反面教師になってくれたことに喜ぶべきか、ベルの不憫さを嘆くべきか分からず意味もなく呆れた声が出た。
「昔は物語に出てくるような英雄に憧れていたんです。『おとうさん』が実際にハーレムを囲っていたっていうのが憧れの一因でした」
曰く、ハーレムは幼いベルの夢だったが、英雄のような『おとうさん』ですら維持できないハーレムを自分が作れるわけないだろいい加減にしろ! と現実を見て夢は砕かれたらしい。是非ともそのまま砕かれ粉になっていることをヘスティアは祈る。
旅の道中でもその女癖の悪さは健在だったらしく、それで起こした問題にベルが巻き込まれたことも少なくなかったらしい。
「一つだけ思ったことが有るんだけれど、君と一緒に居た男神は最低だな!」
ベルはその言葉に苦笑するが、ヘスティアとしてはその男神に怒りを感じていた。
「(そりゃあ当時の主神はボクじゃないけれどさ! ベル君に自分の尻拭いみたいなことさせるなんて!)」
「否定はできないですけれど、僕が見た『おとうさん』は紛れもなく【英雄】でした。そこだけはまだ尊敬しているんです」
ベルが話すには、問題は起こすが起こした問題は最終的にすべて解決してきたと言う。
勿論物騒な話や行く先で勝手に起きた問題も出るが、それすらも力技で解決したらしい。それこそ物語の主人公の様に。
そこまで話を聞いてヘスティアに一つ疑問が出た。
「……それってボク達と同じ【神】の話だよね? 神の力は地上じゃ使えないはずなんだけれど」
「いえ、全部素だそうです。曰く、
ヘスティアは頭の痛い話に思わず掌で額を抑えた。
天界での力を人と同じ身になっても再現できる神は居る。ヘスティアの親友であるヘファイストスや、ソーマなどがそれにあたるだろう。純粋な戦闘力という面を再現しようとすればどれだけの時間がかかるのか。とりあえずベルの父親代わりの男神は頭のおかしい奴、でヘスティアは思考を区切った。
「ベル君と一緒に居た男神についてはいいや。突っ込んだら3つぐらい突っ込みどころが増えるし」
「あはは、否定できませんね」
「どうせなら今度は君が何を見てきたのかを知りたいな。ボクはオラリオの外は本でしか知らないから、実際はどんな感じなのか実は気になっていたんだよ」
実際ヘスティアはベルの事の方が気になった。そんなハチャメチャな神と共に育った彼はどんな風に成長してきたのか。何に感動して何を得てきたのか。
「それじゃあまずは呪文書を読んだ時の話をしますね! 村を出てから初めての街だったんですけれど……」
ヘスティアの質問にベルは表情を明るくして意気揚々と語り始める。その表情を見るだけでそれまでの旅路が楽しい物だったのかを表していることがヘスティアは分かった。
絵本になった呪文書の中の世界を冒険したこと。
魔獣の怨念によって呪われた村に訪れたこと。
秘境で雷という魔石とは違ったエネルギーで動く絡繰りの街を見たこと。
極東で気に入らないという理由で人買いを襲撃して狐人を攫ったこと。
王国で覗き魔の冤罪を喰らって追い掛け回されたこと。
薬師の少女に騙されモンスターと追い掛けっこすることになったこと。
そのどれもをベルは楽しげに語った。聞いているヘスティアは幾つもの
問題が起きて、介入しようとベルが解決策を探して、男神が滅茶苦茶にしてなんやかんやで解決する。喜劇で終わる物語の一員としてベルが居ることがさらにヘスティアがのめり込む理由でもあった。
「『おとうさん』が困っている人……大体が女性ですが、を見つけて。僕が力技で何とかしようとする前に解決方法を探して、解決後にお父さんに見初める女性を見て嫉妬した『おかあさん』が折檻する。それの繰り返しの旅でした」
嫌なことも勿論あったのだろう。男神が原因で痴女のもつれに巻き込まれて苛立ったり、面倒事に巻き込まれたり。
それでもベルが語る『おとうさん』への尊敬がヘスティアに感じられて思わず嫉妬する。
ボクもそんな風にベル君と歩めたらどんなに楽しいだろうか。
その言葉に意味が無いと思いヘスティアは思考を切り捨てる。
自分はベルの『おとうさん』のような力はない。最低限の暮らしに出来る程度で、それさえもヘファイストスに言われバイトや一人暮らしをしなかったら、逆にベルにおんぶ抱っこの状態になっていたはずだ。
「なんだか……いいね。ベル君の歩んできた軌跡は凄く楽しそうだ」
「……でも今歩んでいる軌跡も楽しいです。その、神様と一緒に居られますし」
「ありがとう。そう言ってくれるとボクも嬉しいよ」
嫉妬が表情に出てしまい、ベルに気を遣わせてしまったらしい。頬を掻き、恥ずかしげに語るベルにヘスティアも笑みを返す。
そして話を聞いている最中にヘスティアは疑問が一つあった。
今まで語られてきた話を
だけどベルは旅の道中でLv.2へランクアップしたと言う。それは、彼が何かを成し遂げたということだ。
「ベル君は、その旅でランクアップするためにどんな偉業を成し遂げたんだい?」
「……えっと」
そこで初めて言いよどむベルにヘスティアは首を傾げる。レベルをランクアップさせるためにはそれ相応の偉業を達成する必要がある。そして多くの冒険者はそれを誇るものであると聞く。
目を合わせず視線を宙へと向けたベルの表情から、何を考えているのかは分からない。程なくしてぽつりぽつりと語り始める。
「……一つの国全体から狙われて、逃げ続けたんです」
ベルが言っていることがヘスティアには分からなかった。それほどの悪事をベルが行ったことが信じられなかったのだ。
「神を造ろうとしている国が有って、生贄に少女が選ばれて、処刑の手から逃れるために一緒に逃げました。そうして『おとうさん』が解決するまで逃げ続けた、……僕がやったのはそれだけです」
その表情はどこか懐かしむような色が有る。ただその偉業を誇っているとは思えなかった。どちらかと言えば、少女を助けられたと言う安堵の方が大きく見えているだろう。
「助けたいと『おとうさん』に言ったんです。『おう、まかせろ』って軽く言って結局なんとかしてしまいました。……その時に思ったんです。この方は偉大な『英雄』だって」
その時からベルが思い描く最も身近な【英雄】は『おとうさん』になった。
「それじゃあ『英雄』じゃないただの僕は何をしたらいいんだろう、そう考えた結果、その少女と一緒に逃げるのが僕の最善でした」
考えて、考えて、考えて、考えて。
自分ができることは何か、自分に付加している装備、魔法によってどこまで可能範囲は広がるか。事前に分かることは無いか、何処までが自分の限界なのか。
「そうして逃げ切ることができて助けることができました。たぶんそれがレベルアップ切っ掛けだったはずです」
そう言いベルは言葉を区切った。
ヘスティアが思ったのは、ベル自身はそれを偉業だと思っておらず、寧ろ少女を助けることができたという結果に喜んだのだろうと想像する。
それはきっと一つの冒険譚だ。非力な少年が残酷な運命に向かう誰かを助けたのは、紛れもなく英雄の物語の一つだ。
「逃げただけって言うけれど、君に救われた少女にとって君は英雄の様に見えたんじゃないかな」
「そうかもしれませんね。ありがとうございます、神様」
ヘスティアの言葉にベルは困ったように返す。そんなベルを見て少しずつであったが増えつつあった何かを察し始めた。
「(……この違和感はなんだろう。なにか……変だ)」
ヘスティアは言い様のない違和感を抱かされていた。
ベルの話を纏めれば、自分の最善をやったら誰かを救えてついでにランクアップもした、という事になる。
だからこの話単品におかしなところは無い。それなら今まで話してきたことを纏めれば?
ヘスティアは自分の言葉を思い出す。
ベルの語る話を自分は
そして今語った話は少女を救う、という場所にスポットを当てず一つの国と戦うことを一つの舞台とするなら、やはり狂言回しの役割だったのではないだろうか。
彼は子供の頃英雄に憧れていると言った。それなら旅をしている時は?
「君は、君の言う『おとうさん』のような英雄に成りたいとは思わなかったのかい?」
「……思いませんでした。だって、そんな暇はありませんでしたから」
ああ、勿論下半身にだらしない大人になりたくないって意味もありますけれど、と。ベルは茶化したように言い言葉を続ける。
「『おとうさん』は【英雄】で、僕はただの人でした。ただの人が英雄と一緒に居るにはどうしたらいいのか、……だったらとにかく出来ることを振り絞らないと、って思いました」
そこで初めにベルは言っていたことをヘスティアは思い出す。
『『おとうさん』と一緒に居たかったというのが旅の理由です』
それは小さかったベルが最初期に抱いた思いではなく、旅の終わりまで持っていた物だったのだと気が付いた。
レベルを上げるためには【
そしてそれだけの経験と努力を積んで走り続けてきた。彼の『おとうさん』と一緒に居たいという理由で。
それなら今は?
「……じゃあベル君。そこまではボクが居ない場所の話だ」
彼の走り続ける理由だった男神との旅は終わった。だけどベルは冒険者としてまだ経験値を積んでいる。その理由は?
「君は、これからこのオラリオで何をしたいんだい?」
「……しいて言うなら神様と一緒に居たい、でしょうか? 神様はどうしてほしいですか?」
暫し悩んだ後ベルはヘスティアに視線を戻すと、自身がヘスティア・ファミリアに入りたいと思った時と同じ内容を伝えた。
「……それは」
ヘスティアはその言葉を聞いて返答に詰まった。
真っ直ぐに好意を向けてくれるベルに対して、嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいに決まっている。当たり前だ、ヘスティア自身もベルの事が大好きなのだから。
きっとベルはヘスティアがオラリオの外に行きたいと言えば、街でのしがらみにひと段落つけてそれに着いて行くだろう。一緒に屋台を出したいと言えばその準備をしてくれるだろう。
ロキがベルを一番初めの眷属として適していると評するのはそれが理由だった。ファミリアとしてどのような方針をとっても、ファミリアの基礎を固め付いて行ってくれる眷属なのだから。
フレイヤがベルに悪感情を抱くのもそれが理由だった。空に浮かぶ多くの惑星の様に、太陽のような恒星と成る者が居なければベル自身の魂が輝いて見えることが無いのだから。
それは依存ではない。現状で満足できる普通の人間そのものだ。ヘスティアはそれが美しい物であると知っている。英雄たちが描く冒険譚でなくとも、そうした日常が尊い物であると理解することができる。
彼が嘗て旅をした街、海、秘境、国、道先で。麦わら帽子をかぶった自分が、荷物を背負って此方へ向かうベルに向かって手を振る。そんな自分に苦笑しながらベルは歩みを早めるだろう。
あるいはオラリオで二人でジャガ丸くんの屋台を出して、器用に商品を作り出すベルと人々に接客する自分が居る。そうして時折ヘファイストスやロキ、リリルカやヴェルフが遊びに来て笑いあうのだ。
また自分が読んだ冒険譚の様に、ダンジョンに向かうベルと新しく眷属となった者達、遠征から無事帰ってきたのを見て、笑顔を見せる自分とそれに応える眷属たちが居る。そうした未来を歩むことも可能だろう。
ヘスティアが想像したそうした日常はベルに言えば仮定ではなく現実に成ると分かった。極彩色ではなく淡い色合いの日常は、本の中の冒険譚に憧れていたヘスティアだが、驚くほど魅力的に思えた。
だからヘスティアは返答に詰まった。自分の中でどのようなファミリアにしたいのか、はっきりと形になって居なかったこともある。
「(……ボク自身はどうしたいのだろう)」
ロキを見返すような大きなファミリアにしたい。英雄たちの冒険譚のような眷属の活躍を見たい。
それは紛れもない本心であり――今それを言うのは正しいと思えなかった。
「――」
「ベル君、ボクは……ベル君?」
東通りの闘技場へ向かう道を見つめながら静かに立ち上がったベルにヘスティアは思わず口を噤む。そしてヘスティアの手首を掴んでベンチから立ち上がらせた。
そして驚きの声をあげるよりも先にベルが口を開いた。
「……走ります。前だけを見て、転ばないよう気を付けて」
「ベル君、いったい何を……わっ!?」
ヘスティアの言葉に返答せずベルは走り始める。手を引かれ訳も分からず足を動かすヘスティアの耳に、祭りの喧噪とは違う、切迫した声が響く。
そしてそれはだんだんと大きくなり、一つの悲鳴となって街に響き渡った。
「モンスターが出たぞぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「神様!」
走れと、そう言葉に込められたベルの声とは逆に、ヘスティアは悲鳴が上がった場所へと視線を向けてしまった。
そこにあったのは銀色の大きな物体だった。シルバーバックと呼ばれているソレはヘスティアが初めて見るような圧倒的な存在感を放っている。
そして荒い息を吐きながら辺りを見渡し――此方へと視線を合わせた。
――
時は少し遡る。
ガネーシャファミリアの催しは始まっており、一匹目のモンスターの
手筈なら次のモンスターが闘技場に運ばれることになっているがその様子が無く、その場所の担当者であるガネーシャファミリアの眷属の一人が確認に来ていた。
「これは……いったい何が――」
薄暗い倉庫はモンスターたちの控室となっており、いくつもの檻のなかにモンスターが捕えられている。そして見張りをしていたはずの構成員たちが倒れ伏す姿があったのだ。
この場所に居るのは殆どレベル1の者達だが、万が一を想定してレベル2の者達も配置している。報告より先に状況の確認をしようとしたところで、とん、という音がその人物の耳へと届いた。
それと同時にその人物の意識はこの場に居る者達と同様、暗闇の中へと溶けて行った。
「流石ね、オッタル」
「いえ。……今暫くすればまた確認の者が来ると考えられます。お急ぎを」
「ええ。また少しお願い」
「はっ」
意識を刈り取った獣人の大男――オッタルは気絶し倒れ伏しそうになったその人物を支え、静かに床に横たわせた。そして懐から檻の鍵を抜き取りそのままフレイヤに渡し、周囲の警戒を続けた。
檻の中に居る者達を吟味しながら眺めるフレイヤのことをオッタルは考える。
主神が他の神へと興味を示した。それはオッタルがファミリアに所属している中でも稀なことだ。オッタルや他の眷属たち、あるいは地上の者たちを見初められる視線とは違う。親愛なるものを見る視線ではなく、道化師を見る視線に近い。どのような表情を見せるのか、これから何をしてくれるのか、それを興味津々に見つめる目だ。
新しい発見をした幼子のような雰囲気の変化だと言えば、恐らく主神から咎められるだろう。だがそれと同じものをオッタルは感じていた。
「……神ヘスティア、そしてベル・クラネル」
ヘスティアに関して強く思うところは無い。我らの主神を楽しませるのならそのままでいい、興味を失わせたならそれでもいい。その分の寵愛が我らに向けられることになるのだから。
だが、ベル・クラネル。アレは死ぬべきだ。
理由は
今のところはフレイヤが口に出していないから何もアクションを起こしていないだけだ。もしも一言それを言えば、オッタルだけでなく他の眷属の誰かが行動するだろう。
「……そうね、この子達がいいわ」
フレイヤが定めたのは気に入った者へ送る試練の扉ではなく、いたぶり殺す処刑の鎌だった。
オッタルはベルのステイタスを把握していない。だが一目だけ見た動きから考えるに、今の状態ではほぼ殺されるモンスターを選んだことは分かった。
例えば自身を脅かす脅威に襲われた時、
例えば自身の眷属を失ったとき、
幼子のような――残酷な好奇心もまたフレイヤの一面だ。それを知りつつ眷属たちは彼女を慕う、否崇拝しているのだ。
檻から何匹ものモンスターたちが外へと向かう。それを確認した後、オッタルはフレイヤを抱えその場所を離脱した。
そして喧噪とは離れた場所でフレイヤを降ろし、これから騒ぎが起きるだろう東通りへと目を向けた。
既にその場には自分以外のフレイヤ・ファミリアの構成員が待機していた。事前にオッタルがフレイヤの行動を読み、指示していたものだ。
その護衛を共にしてフレイヤはオッタルへと目を向ける。視線を合わせ微笑みながら口を開いた。
「オッタル、彼女のことをお願いね」
「……了解しました」
フレイヤの下を離れたオッタルは考える。自分がやるべきことを。
それは主神の思惑を阻害する者を通すわけにはいかない。自身がするべきは障害を遠ざけることだ。
次の思考は処刑の鎌の送り先である、ベル・クラネルの事についてだ。オッタルが彼に付いて考えた理由は、両者がファミリアの団長であるという共通点だった。
もしも自分が同じ立場なら、自身の全てを使って主神を守り抜くだろう。なら、ベル・クラネルは?
「やってみろ。できないのなら、共に在る資格など無い」
オッタルは誰に言う訳でもなく呟いた。
『おとうさん』についてはサブシナリオのオマケで後書き辺りに適当にあらすじだけ書こうと思います。
フレイヤがヘスティアたちに向ける感情は、珍しいカブトムシを見つけたら毛虫がくっついていたという状態です。
この小説のベルが初心者向けなのは、どんなふうに育てても一定の成果を出してくれるからです。ヤンデレやイエスマンのような厄介児でもなく、方針の最善を考えてくれるでしょう。
そしてヘスティアがどのような選択を取るのかを次回書いていきます。
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六話中
今回もキャラクターが独り歩きしたので少し違和感があるかもしれません。
『
物語の姫のような装いのその女性は、真っ直ぐな視線をベルへと向けてそう尋ねた。
英雄たちの持つ力の一つ。困難を打ち砕き、未知を切り開いていく自分の憧れを秘めた力。そう答える。
『
極東の武士のような出で立ちの男性は、心の底を見抜くように視線を向け尋ねる。
自身の歩みを先に勧めるためのもの。上を目指すために必要な武器。自分が得られるはずがないと諦めた力。そう答える。
『貴方はなぜ魔法を求めますか?』
……力が欲しい。
それは魔法じゃなくていい。自分の血肉に、手足となって動かし限界を引き延ばせるものなら何でもいい。
魔眼でも、超能力でも、異業者でも、武術でも、スキルでも。自身の力に成るのならなんだっていい。
『何故力を欲する?』
『おとうさん』は英雄だ。
僕は只の人だ。
英雄の最期は、物語の終わりは、別れだ。
只の人は置いて行かれて、その後の世界が続いて行くだけだ。
別れたくない。終わりになんてしたくない。
英雄になんてなれなくてもいい。ただ、その隣に居る資格が欲しい。
劇的な物語なんて無くてもいい。ただ、英雄の未来が欲しい。
『それでもきっと、終わりは来てしまいますよ?』
知っている。終わりは全てにいつか訪れる。
だから僕は納得したいんだ。後悔したくないんだ。
未来で活躍する力じゃなくて、今を走るための、今の最善を行うための力が欲しい。
『幼子のようだな』
知っている。後の事は、大人になったら考えるよ。
『だからこそ、私達は貴方に助けられました』
男性は苦笑しながら言い、女性は僕の回答に微笑んだ。
『業火の如く猛々しく、唱えよ』
『雷霆の如く疾く、唱えなさい』
『その時ベルの力に
その力は、僕が憧憬を失ったとき、同じように使えなくなっていた。
――――
「(マズイ、マズイ、マズイ、マズイ!! って……そんなことは知っているんだよ!)」
ヘスティアを握る手に思わず力がこもり小さな声が漏れた。すいません、と声を掛けようとしたところで、ベルは背後にある圧倒的な存在感を意識に入れてしまった。
シルバーバック、11階層以降にでる大型のモンスターであり、ベル自身も何度も顔を合わせているため知っている。ベルが準備万端の状態で対峙したとして、6割は殺されると判断する相手だった。
そう、装備を含めて万端だ。間違ってもギルドの支給品のナイフと型落ちの防具で戦っていい相手ではなかった。万全でも出会ったのなら対応をヴェルフにぶん投げて補助に回る、そう対処したモンスターでもある。
考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。
ベルが思い浮かべたのはオラリオ東の地図だ。自身が走っている場所と地図を比べ、シルバーバックの図体が通れない場所を選んで進む。
目的地はバベル、ミノタウロスから逃げようとした時と目的は同じで、行けば対処できる冒険者は確実に居るからだ。
「……くそっ、こっちもダメか!」
そんなベルの思考を読んだように、路地裏へと繋がる道は閉鎖されていた。
怪物祭の影響で住民たちや外からの観客が余計なトラブルに巻き込まれないように配慮したものだろう。
それがベルの行こうとするルートを狂わせる。道中で他の者に気を取られてくれと願うが、屋台や馬車を跳ね飛ばして追い掛けるシルバーバックは、まるで熱でもあげている様に此方を追いたててくる。
神様を抱えて建物の上を走る? ダメだ僕の【力】のステイタスじゃ神様を抱えてそこに上る前に潰される。
囮になって神様だけでも逃がす? 最終手段だ。僕の【耐久】じゃ一発まともに喰らったらマズイ。
【敏捷】を生かしてシルバーバックから逃げる? 今やっているだろう! 神様置いて逃げる気か!
いっそのこと自分や神様に似ている他の人物にシルバーバックを押し付けてしまおうか。 ぶっ殺すぞベル・クラネル。
頭の中にいくつも浮かぶ選択肢をベルは却下し続ける。思考はクリアなまま広がっているのに、有効な選択が一向に浮かび上がらず舌打ちしたくなった。
「ベル君! 君は……勝てない、のかい?」
全力で走り、息絶え絶えに尋ねるヘスティアの言葉にベルは唇をかむ。
「……無理です。十中八九アレに勝つことはできません」
そもそも今手持ちにある武器は護身用に持っているギルドの支給品の短刀だけだ。モンスター共通の弱点である魔石が存在する体内を斬るためには、最低限シルバーバックの剛毛を裂ける必要がある。その切れ味をベルが今持つ短刀は持っていない。体外から殴って魔石を砕くなど、最低限【力】のステイタスがBを超えてから発言できるものだ。
情けなさと悔しさで思わず歯を食いしばる。
「――だめだっ! ベル君そっちは!」
手詰まりだ、そう考えたときヘスティアの悲鳴のような声がベルに届く。同時に虫食い穴だった地図が目の前の光景と共に補完された。
そこは広域住宅街への入り口だった。度重なる区画整理によって形成された人口のダンジョン、『ダイダロス通り』はオラリオの住民からそう呼ばれている。
ベルの頭の中に描いた地図は、ダイダロス通りの入り口を区切りに真っ黒に塗りつぶされている。無理もない、ダイダロス通りの道のりは設計者どころか住民ですら分からないのだから。
ご丁寧に他の場所へ向かう道は怪物祭が無くとも閉鎖されているという詰みの状態だ。ダイダロス通りへ向かうか、という選択をベルは鼻で笑う。行き止まりから行き止まりへ行ってどうするつもりだと。
「……ベルくん?」
ベルは足をゆっくりと止めてヘスティアへと視線を向けた。
肩で息をして膝を抑えるヘスティアは、素人目で見てもこれ以上走り続けるのは無理だと判断できる。
不審に思うヘスティアの声をベルは無視し、ベルの頭の中で新しい選択肢をはじき出す。
「神様、僕が今からあの大猿を引き付けます。神様はダイダロス通りに向かって逃げるか、隠れるかしてください」
「そんなこと、できるわけないだろう!」
「確かにダイダロス通りは危険な場所です。でも僕が必ず迎えに行きます。最悪夜まで地下にでも隠れていれば……」
「違う! ボクは君を置いて、行くことなんてできないって言っているんだ!」
知っている。
その言葉を無視してヘスティアに背を向けて、迫るシルバーバックへと視線を向けた。
もっと力があれば、なんて何百回思ったか分からず、それが無駄なことだと知っているから思考を動かしてきた。
笑え、不安を微塵も表情に出すな。自分の背後には守らなければならない方が居る。
自分は英雄になんてなれない。だけど、英雄の在り方だけは知っているのだから。その背中を見続けてきたのだから。
「貴方が居ると邪魔なんです、神様」
突き放す言葉に背後から息を呑む声が聞こえた。
納得させるだけの理由があればいい。感情が邪魔するならその感情を損なう事を言えばいい。
「ベル……くん」
「幸いアレの相手はしたことが有るので、逃げ続けて時間稼ぎなら何分でもできます。ただ、貴方が居るとそれができない」
足手まといを置いて何とかできるほど僕は強くありません。そう言葉を区切るベルは、振り向くこともせずにシルバーバックを見据えている。
「だけど君は逃げ続けてどうするんだ!? いつかは捕まって……」
「此処は『オラリオ』です。アレより強い冒険者は幾らでも居ます。ガネーシャ・ファミリアも解決に動いているでしょう。その救援を待ちます」
淡々とヘスティアがこの場所に残る理由を潰していく。逆に残れば障害になると理解させ、遠ざけようと言葉を繋いだ。
ベルが言った言葉は一つも嘘が無い。嘘をついたところで神様に見破られるからだ。
ただヘスティアが無事なら自分はどうでもいいという思いと、救援が来るのは完全な運任せで目途は一切立っていないことは話していないだけだ。
鞘からナイフを抜いて逆手に構える。ギルドで支給され整備以外に空気に晒していなかったその刀身に頼りなく思う。
ヴェルフの作った型落ちの鎧は、何時も冒険で使っている装備よりも薄く、シルバーバックの一撫でで破けてしまいそうに感じた。
道具は道中でミアハから貰ったポーション一つ。ここまで来ると笑いすら出そうになった。
「行ってください、目途は立っているので、必ず何とかします」
「……ベル君の馬鹿」
ヘスティアの呟きとこの場から離れていく足元がベルの耳に残る。そしてベルは自嘲の笑みを表情に浮かべた。
神達に嘘は通用しない。だから先ほど言った言葉が嘘だという事がばれてしまっていた。それでもこの場所を離れていったのは、この場所に居ないことがベルのためになると理解したからだろう。
シルバーバックは寵愛を受けた者と似た光を持つナニカを追い掛ける。掴まなければならない、献上しなければならない。自身の本能が塗り替えられ、それを達成しろと叫んでいる。
辺りに小さな光のナニカは居ない。その代りに番兵の様にダイダロス通り前に立つ人間を、自分が先に行くための障害だと理解し、その拳を振り上げた。
追わなけば。追ってアレを捕まえなければ。続く寵愛を受けなければ!
ちっ、と。僅かな痛みをシルバーバックは感じた。
振り下ろした拳の先の障害が視界から消えて居た。自分の手にある拘束具の鎖をトントンとのぼり、頭の横を何かが通り過ぎて着地する。
人間の手に会ったのは刃物。光に反射し鈍く光るそれを視界に入れ、シルバーバックは自分の頬に手をやった。
指先にわずかに着いたのは自身の血だった。そして視線をずらせば頬をわずかに裂いた、という結果を残した人間がそこに居る。
そして指を二本立てて手の甲を向けた。くい、くい、と。二つの立てた指を曲げかかってこいと挑発する人間がそこに居た。
「アァアアアアアアアアアアア!!!」
寵愛を受けるべきこの身体によくも傷を! よくも邪魔を! そう意味を込めてシルバーバックは咆哮する。
「……ああ、嫌だなぁ」
まるで、自分の目の前で居なくなった『おとうさん』の様なことをしている。
オラリオで背中を守ってくれた
ベルはなんだか無性に泣きたくなった。
――
アイズ・ヴァレンシュタインとロキはオラリオ東部の闘技場近くに居た。
ロキと祭りを回りガネーシャ・ファミリアの催しが始まる時間頃に、アイズが街の異変に気が付いた。それを確かめようと近くのギルドの職員に質問をしたところで、今回の騒動に気が付いたのだ。
東部全域に向けてモンスターが脱走した。そして東通りでは自分の知人である少年と神が楽しげに話していた場所でもあることをアイズは思い出す。フレイヤ達と会合した時、ロキは聞こえなかったがアイズの耳には外の喧噪と共にベルとヘスティアの声は聞こえていたのだ。
そしてそれを聞いて表情を変えたフレイヤ。アイズが頭の中で関連性があると感づいたのは当然だった。
「ロキ、これは……」
「……そーやなぁ、ウチとしてはアイツがそんな短絡的なことするとは思わへんのやけど」
ロキは訝しむように虚空を見つめそう呟く。
ロキとしてはさっき別れたばかりで問題を起こすなど、私が犯人ですと伝えてきている様なものだと考える。フレイヤが問題を起こすとしても少しばかり時間を置くと考えていた。
ギルドの職員、ひいてはガネーシャ・ファミリアからモンスターたちの掃討を頼まれそれは了承した。
だが自分の知人が何か謀に巻き込まれている、それを理解しアイズはわずかに焦る。そしてその様子を見逃すロキではなかった。
「……アイズたん、行きたい場所があるなら行ってもええよ。ウチが居たら足手まといやろ?」
「……ロキ」
「いやー眷属の心中察して背中を押すなんて、ウチはなんてええ神なんやろなぁ? どこぞのドチビとは大違いやでー」
けらけらと笑うロキにアイズの中に浮かんでいた焦りが、心をざわめかすのを止めていた。
「ただ、他の所でもモンスターは騒ぎを起こしとる。無事確認したらガネーシャんところを手伝ってやるんやで」
「だけどロキはどうするの?」
モンスターが暴れているというのなら、この場所も危険であることに変わりない。
「んーウチはそうやなぁ」
「アイズー! ロキー!」
ロキが口を開こうとしたところで二人に声をかけた人物がこちらに向けて走ってくる。良く通る聞きなれた声が、ティオネのものだとアイズは分かった。
それを聞きロキはにんまりと笑った。
「まっ、丁度あの
「わかった。ありがとうロキ」
気を使ってくれた自分の主神に一礼して、アイズはすぐさまその場所から駆けた。
この大勢の観客の中からベルとヘスティアを探すことは難しい。それなら脅威となる場所に居るモンスターを優先的に倒せばいいとアイズは判断する。
初めに確認したのは高所から街を見下ろして、東通りで騒ぎが起きている場所に向かって跳躍する。
着地と同時にトロールを一閃し撃破する。討伐に来ていた他の冒険者の驚く顔を無視して、次の場所へ向かう。裏通りを抜けて、東通りのメインストリートへ。避難する住民たちとは逆方向に向かってアイズは駆けた。
その先にモンスターが居る。全員倒せばひとまずは危機は無くなると、そう考えたアイズの耳に静かな男の声が届いた。
「止まれ」
アイズはそれを無視しようとして、眼前に立ちふさがる男に足を止めざるを得なかった。
「……貴方は」
「この先に行く必要はない、『剣姫』」
それは猪人だった。防具などの身体を守る武具は一切装備しておらず、その手に武器は握られていない。
それでもLv.5の自分が敵わないと感じてしまうほど、その大男――オッタルの存在感は大きなものだった。
オラリオの住民たちはオッタルとアイズを無視して我先にと逃げようとしている。言葉を、圧を、向けていたのはアイズただ一人だったという事だ。
「この先にモンスターが居る」
「ならば俺が対処しよう。俺は主神より命を受け此処に居る」
「私は、貴方を信用できない」
「する必要はない。派閥同士が敵対している以上、それは無用だ」
淡々と返すオッタルの言葉にアイズは奥歯を噛んだ。昼の会話の後に、オラリオの最高戦力とも言える人物がこの場所に居る。その状態で何も起こすつもりはないと考える程、アイズは無知ではなかった。
自身の持つ借り物である細剣に目を向け、すぐにそれを抜く選択肢を捨てた。此処はダンジョンではない。戦うと成ったらギルドが介入し、多大なペナルティを科せられるだろう。
ならばどうするか、と言ったところでアイズは思考が行き止まる。舌戦の経験はアイズはあまりない。冒険者の諍い程度ならともかく、ファミリアを左右する謀は主神や、フィン、リヴェリアの戦場だった。
「(……無視して、通る!)」
アイズはそう判断し再び動こうとする。それを見逃すオッタルではなく、アイズが行動するより先に口を開いた。
「この場は【
それはアイズに向けていた時とは違う、一帯に響き渡るような声で言った言葉だった。
なぜこのタイミングでその言葉を言ったのか。理解する前にその言葉の結果は、アイズ達の周囲から現れた。
「【猛者】だ……【猛者】が来た!」
「本当か!? 本当だぁ!!!」
「【剣姫】も居るぞ!」
「都市最強の【フレイヤ・ファミリア】が来てくれたぞぉ!! みんな落ち着けぇ!!!」
オッタルは決して謀が得意ではない。だがファミリアの団長である以上、それに触れない事は許されなかった。故に不慣れな者を相手にするなら言葉だけで有利になることは可能だった。アイズはオッタルが言った言葉の意味を理解する。
歓声を上げたのは周りに居るオラリオの住民たちだった。周囲へと存在感を与え声をあげたオッタルの姿を見て、悲鳴とは違う形で湧き上った。
「っ! 貴方は!」
「【剣姫】! ここは俺一人で充分だ。他に手を求める者の場所へ急げ!」
強く、雄々しく、まるで理想的な
オラリオの住民たちはオッタルの普段の姿を知らない。今の立ち振る舞いを彼の知人、例えばアレンが見れば『誰だお前』と素で言い、フレイヤが見れば『オッタルったら』と笑いを堪えきれずくすくすと声が漏れるだろう。それだけ普段の彼とかけ離れた姿だ。
だが、オラリオ最強の称号は、今オッタルが行っている理想の英雄のような立ち振る舞いは、自然とこの場一帯を守る守護者のように感じさせた。
それはアイズも同じだ。ならば、その場に介入しようとしている自分はただの邪魔者でしかないことも分かった。
「……っ」
この時点で自身が剣を触れることは許されなくなった。鍛え上げてきた腕が今この場では何の意味も待たず、悔しさが胸に溢れる。
今この場所で自分が介入しようとすれば、声高々にオッタルはロキ・ファミリアの眷属に邪魔をされたと言う事ができるだろう。彼自身がそのようなことする気質には見えないが、できるという時点で問題だ。
彼自身が行わなくとも住民からギルドへ報告が行く。最悪実害が出ればペナルティを貸される可能性をアイズは否定できなかった。
自分達に傷をつけないようにするのは、この場を後にするだけ?
ふと、ロキの事を楽しげに話すヘスティアの姿が。
ミノタウロスから逃げて全力を尽くしたベルの姿が脳裏に過る。
アイズは一歩前に出て、真っ直ぐにオッタルの視線と合わせた。そして静かに口を開く。
「この先で、私の大切な友人が襲われている。助けたいから通してほしい」
「……返す言葉は先ほどの物と同じだ」
アイズの言葉にオッタルはわずかに表情を変えた――ように見えた。周りの住民たちには分からなくともアイズにはそう感じた。それは舌戦に応じるアイズの事を意外だと思った事で出た表情だろう。
アイズの言葉に周囲がざわめく。その内容は困惑する者、非難する者や納得するものなど様々だ。
大切な友人と言えるほどの付き合いは無く、実際に追われているかもわからないが、そこは嘘をつく。
舌戦の参考にするのはロキ。あの手この手で自分の要求を眷属たちに通そうとする狡猾な主神は、どうやって自分に要求を呑ませる?
事件の全貌は見えて居ない。ならば自分が最低限通すべき要求は?
「……貴方が対応するなら、一人の犠牲者も出さないと誓えますか」
「それをお前に誓う理由は無い」
オッタルはにべもなくその言葉を切り捨てる。
周囲からアイズを急かすような雰囲気を感じる。問いをするのなら一つか二つが限界だ。だから最初に決めたように、オッタルを真っ直ぐに見据えてアイズは問う。
「それなら、貴方の
「…………それを、言うか」
アイズの身体の中心線に、大剣が突き刺さった。
それはアイズが幻視したものだ。
最深層に位置する者達が発するようなそれ。周囲に居る住民一人にすら伝えないように濃縮された殺気は、アイズ一人へと向けられている。
「(大丈夫。手出しをできないのは相手も同じ。だから)」
殺気は一瞬の物だった。目を閉じ何かを考えたオッタルは、やがて静かに口を開く。
「未熟なこの身が犯した万一の失態で、我らが神の名を汚すことはできん。尽力はする、お前に言えるのはそれだけだ」
「……ありがとうございます」
手ごたえは、あった。尽力をするという言葉を引き出した。それ以上は望めないと感じ、アイズは目を閉じることで謝意を示す。
そしてそのまま背を向けると、再度モンスターたちの位置を確認するため足に力を込めた。
「【剣姫】、二度とその言葉を言うな」
フレイア・ファミリアの眷属にとって女神への誓いという言葉はジョーカーである。使った者を勝たせる札であり、文字通り殺す札でもあるということだ。
今回で言うならば、『お前の行動は敬愛する主神に誓う事ができない程度の、お粗末なものなのか』と聞いたのと同じだ。今現在のオッタルだったからこそ踏みとどまった。フレイヤ・ファミリアの特定の眷属にそれを言ったのなら、即座に爆発して周りの住民を巻き込み戦争になっていただろう。
オッタルは去ろうとするアイズの背中に向かって言外に警告を放つ。アイズはそれに応えず、無言でその場から消え去っていた。
その後アイズは、ロキ・ファミリアの団長と副団長にこっぴどく怒られることになった。そして去り際にオッタルが言った言葉の意味をそこでようやく理解した。
――
シルバーバックの大腕が振り下される。風圧で民家に置かれた植木鉢が落ちて音を立てて壊れ、潰された木箱から零れた埃が宙に舞った。
家庭の園芸用に用意された腐葉土たちが辺りに散らばり、舞った埃がシルバーバックの視界を一時的に奪う。
「アアアアアアアアアア!! ……アゥ?」
吼え立て次の一撃を与えようとしたシルバーバックだが、戻ってきた視界に首を傾げた。
自分は少年を相手にしていたはずだが、
嗅覚も同じだ。辺りに人の匂いは感じられず、シルバーバックが少年は逃げ出したのだと判断する。
ならば続けてアレを追おう。あの小さな光を手にしなければ。
ダイダロス通りへと足を向けようとしたシルバーバックの耳に、とん、という音が聞こえた。
肩に何か乗った。森の地面の匂いを感じ反射的にそちらを見れば、土で薄汚れたベルの姿があった。そこでようやくシルバーバックは、視界を失った一瞬でベルが腐葉土で臭いを消し、隠れていたことを理解する。
「ガァァァ!!!」
身体に付着した泥を振り下ろすようにシルバーバックが腕を振るえば、その勢いのままくるくるとベルは中を舞い、両手両足で地面へと着地した。それと同時に低い姿勢のままシルバーバックへの足元へと走る。
ベルを踏み潰そうと何度も足を上げて地面へ向かって踏みしめた。だん、だん、という地面の敷石を砕く音が響き渡るが、肝心の人を潰した音は聞こえてこない。
暫くすると、狙いを付けていたはずの人間の姿は無い。先ほどまで足元に居たはずの茶色に薄汚れた人間の持つ、目立つ白い髪は辺りに無かった。
逃げられた、そうシルバーバックが思うより先に、自分の背後から跳躍する音が聞こえた。
冒険者たちを
瞬間、自分の身体の後ろから跳ねてシルバーバックの目の前を通って地面に落ちていくベルの姿がシルバーバックの視界に入る。元々取ろうとしていた行動、
その口目掛けて、ベルは落ちながら手だけの力で持っていた土を投げ込んだ。
「ゴガァッ! ガァッ! ガォ!!」
空気に混じり余計な固形物がシルバーバックの気管へと向かい、咳となって辺りに吐き出した。
反射的に閉じる目に、再度映るのは街の中だとは思えない静寂だけだ。
自分が対峙し潰そうとしているはずの人間は、再び影も姿も消えてなくなっていた。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
シルバーバックの苛立ったような咆哮が一帯へと響き渡った。
そして隠れながらもその咆哮を聞いていたベルは――粗い息をなるべく殺しながらシルバーバックの前から隠れた。
「(もう十分近く経つのになんで誰も来ないんだ!)」
勿論それを声に出すことは無い。対峙している相手に余計な情報をくれてやる余裕はベルには無かった。
ベルにとっては既に何時間も戦っている様な気分で、それでも稼げた時間は十分と少し。それはベル自身が稼げるだろうと考えた時間と同じだった。それだけの時間が有れば上級冒険者ならオラリオを一周どころか何周でもできる時間なのだから。
「(……きついな)」
背中の神聖文字の跡が火傷した様に熱い。呼吸が落ち着かない。汗はひっきりなしに身体中から溢れ、自身の匂いや汚れが気になるなど余計な情報まで頭の中で考えてしまう始末だ。
そして相手の一撃は必殺で、自分がやっていることが所詮は遅延戦術に過ぎないことも一因だった。
戦場に行こうとしている兵士に向かって泥団子を投げ込み、靴の中に画鋲を仕込む。無視しようとしたところで目の前に油をまいて転ばせ、それを指差して笑って挑発する。
ベルがやっていることは英雄などとは程遠い、クソガキの所業と同じだった。それでよかった、時間を稼ぐという結果を残しているのだから。
「(考えろ、考えろ、考えろ!)」
思考を動かす。
ステイタス、残り体力、残り精神、精神状態、戦場配置、使用可能道具。詐術、交渉術、武術、逃走術、鉄鎖術。可能な限りを思い浮かべて瞬時に次の行動を選択する。
「(今できる最善を探せ、考えることを止めるな! できるだろう僕なら! それだけの【軌跡】を歩んできたんだから!)」
自己暗示で精神を落ち着かせた。可能な限り空気を取り入れ体の中に酸素を送り込む。その直後に、空気がわずかに動いたことをベルは察知した。
シルバーバックが黙り込み、辺りに静寂が訪れる。自分を無視して先に行こうとしているのか、その考えは此方に静かに向かう足音が否定した。辺りを視覚以外の感覚で探っていたのだろうと結論付ける。
影が揺れる。陸上選手のように四肢を地面につけたベルは、シルバーバックの影が素早く動いた瞬間を見計らってスタートを切った。
「ガァアアアアアア!!!」
振り下ろされる拳がベルが隠れていた物影を壊した。既にその場所にはベルは居らず、シルバーバックの足元を抜けて左手に有る拘束具の鎖へたどり着くと、その巨大な鎖を折れた街灯へと引っかけた。
そしてわざとシルバーバックの前に出て――鼻で笑った。
びきり、とシルバーバックの血管が音を鳴らす。それを見てベルは次の行動を予測した。
「(左なら上等、右で来るなら回避を、どちらかな、とぉ!)」
シルバーバックが動かしたのは先ほど鎖を引っかけた左腕だった。怒りでベルを叩きつけようと振りぬいた左腕は、いとも簡単に街灯を曲げて引っかかった鎖を外した。
想定外の刺激により、同時にベルへと叩きつけようとした鎖がシルバーバック自身の手首へと巻き付いた。金具の拘束具に辺りそれがへこむ鈍い音と、自身の力で叩きつけられた僅かな痛みにシルバーバックは気を取られた。
視界の端でベルが死角へ移動しようとしているのが目に入る。逃がすまいとシルバーバックは両腕による猛攻をベルへと浴びせた。
「(……僕が、英雄だったのなら)」
こんな戦いをせずともこの問題を解決できるのだろう。あっという間に打倒して勝利という結果を残すことができるのだろう。それとも物語で魔物を打倒する様に、雄々しく猛々しい戦いを繰り広げるのだろうか。
その資格が今の自分にはない。非力な自分に敵を打倒する力は無く、虫の様に地面を這いつくばって次の生を探している状態だ。
『クロッゾ』の名を持つ、英雄の片鱗すら見せる友は今この場所に居ない。
紛れもなく英雄であった『おとうさん』はこの世界に居るかも分からない。
自分より上の格上にできることはない。自分にできるのはそれを打倒できる英雄の補助をすることだけだ。
自分が持つ武器の何もかも通じないのなら――
「(……いや、一つだけ、ある)」
シルバーバックの猛攻を回避しながらベルは思う。それは確実なことが一つもない、最初期で却下した案の一つだった。
参考にしたのは自身のステイタス、魔力Gという項目と空白の魔法の欄だった。
魔法の成長はオラリオに来てから一度も成長していない。それはヘスティアの神の恩恵を受けた最初期から、
自分がオラリオに来る前、魔法を使用可能になったきっかけは
神の恩恵を受けたことでそれが上書きされたとベルは判断した。……それが失っているのではなくただ使用制限がかかっているだけなら?
「(……策ともいえない馬鹿な考えだ。今まで使えなくなっていた魔法が、今この場で都合よく使えるようになるなんて)」
それこそまるで英雄のようだ。極限で追い詰められた状態で、力を覚醒させて怪物を打倒する。熱く猛々しい物語の一幕。
それこそ自分には似合わない、華やかなその戦いをベルは否定する。だが――
「(今は、今だけはっ……!)」
自分がそうした英雄であってほしいと願う。そうありたいと願う。
自分がヘスティアの前でやったのは英雄の真似事だ。不安を感じさせないように笑い、あたかも不死身の英雄でもあるかの様に振る舞った。嘗て自身が幻視した『おとうさん』の背中を再現しただけだった。
それでも、と。ベルは思う。
「(最後までっ、その真似事を貫かせてよ!)」
不意に、自分の足がもつれた。
何度も地面に叩きつけられるシルバーバックの連撃、そして自分の姿勢、すぐに立て直したベルだったが、次の一撃が回避できない事を悟った。
無意識に手を前に突き出した。それは嘗て自分が行っていた魔法を使う前動作であり、何をしようとしているかベルは理解する。
『奇跡』が欲しい。今この場だけでいい、英雄のような奇跡を。
業火の如く猛々しく唱えよ。雷霆の如く疾く唱えなさい。
二つの声が頭に響き渡る。同時に背中から焼ける様な熱を感じた。
丹田に力を籠め、息を吸う。嘗て自分が直ぐに最善を得たいと願い、習得した速攻魔法、詠唱を必要とせずに即時発動するそれの名を、ベルは叫ぶように唱えた。
「【ファイアボルト】!」
突き出した手からは、何も出なかった。
「……そりゃあ、そっか」
ベルの口から乾いた笑いが漏れる。
自分の目に映る世界がモノクロに変わり、周りが全て水の中にでもいるかのようにゆっくり動いている。
その光景にベルが既視感を覚えたと同時、シルバーバックの拳がベルに突き刺さった。
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六話下
二万文字ぐらいです。今までSSを書いていて一番楽しかったです。
ベルの身体の中心に防具を通して衝撃が走り、勢いは止まらず身体は宙に舞った。
地面と平行に弾き飛んだベルは、その勢いのまま背中から壁へと激突する。脆い岩の素材だったのか、着弾地点を中心にひび割れその場所でずるりとベルは地面へと落ちる。
壁を背にして座る様に地面に落ちたベルは、真っ白になった頭の中を整理する。
「ゴォオオオオオオオオオオオオオ!!」
シルバーバックの咆哮はまるで勝利の雄叫びの様だった。事実そうなのだろう。自分の周りを鬱陶しくまとわりついていた者を潰すことができたのだから。
「(痛い、けど。動けないほどじゃない、か)」
口の中を切ったのか唇の端から血が流れる。喉をせりあがってくるものは無いため、内臓を傷つけたということはなさそうだ。
打撲程度にはなっているだろうが骨が折れている状態ではない。ヴェルフの防具が良い形で受け止めてくれたからだ。薄目を開けて防具の状態を確認すると、ひしゃげた形が目に入り、一目でそれ以上役に立たないと分かった。
「(もう少しだけ持ってくれよ試作型兎鎧……なんて、確かに気が抜けるな。名前はやっぱり大事だよ、ヴェルフ)」
頭の中でベルは友人に思わず苦笑する。思考を再構築している最中の余計な考えだったが、それはベルを冷静にするという結果をもたらした。自分が戦闘に関すること以外に使っていた思考を、再びそれのために使えることに気が付いたのだから。
「(シルバーバックは……まだ居る。当たり前か、僕だってそうする)」
勝利の雄叫びをあげたシルバーバックだったが、直ぐにはヘスティアの向かったダイダロス通りに行かず、じっとベルの方に視線を向けていた。
なんとなく、ベルにもそれがわかる。俯いた状態、さらに目を閉じているように見える程の薄目では辺りの状況を確認するのも限界だった。
ベルは動かない。動かせないわけではない。死んだように最低限の呼吸で調子を整え、隙を窺っている。相手が死んだと思ってくれれば御の字だ。だがそれは無いだろうとベルは判断した。
「……グルル」
シルバーバックはジッとベルの方を見て……ゆっくりと歩みを進めた。ダイダロス通りではない。ベルが居る方向へだ。
「(散々吹っ飛ばされたふりをして奇襲してたんだ。いくらモンスターでも学習するよ)」
クリーンヒットを受けたわけではない。シルバーバックが余計な力を使って起こった衝撃でよろけたようなふりをしたり、どさくさに紛れて隠れたりしただけだ。
そうして時間を稼いでいた、ならば今倒れているベルが同じことをしないなど考えられない。しっかりと止めを刺してから次の作業に移るつもりだろう。
「(……それなら、今は我慢だ)」
馬鹿な真似をしてシルバーバックの一撃を受けた結果、自分に都合の良い奇跡なんて起きないと理解することができた。それなら次は最初からその選択肢を取らなくてもいい物差しが作れた。
時間を稼げ、一秒でも長く。それが自分を生かすことになる、神様が無事な率を上げる選択と成る。
シルバーバックが歩くたびに地鳴りが響く。衝撃、音、それで今相手がどの場所に居るかを確認し、ベルは自身が動くタイミングを待った。
かつん、と。地面に落ちる小石の音が聞こえた。
「グルゥ?」
「――――は?」
奇しくもシルバーバックとベルが疑問の声をあげたのは同時だった。
それはベルとシルバーバックの間に投げ込まれた小石が地面に当たった音だ。転々と跳ねてやがて止まった小石の方向から、それが何処から投げ込まれたのか理解し、シルバーバックとベルは其処へ視線を向けた。
少女が居た。黒い髪をツーテールに纏め、白いワンピースを纏っている。身につけた白いレースの手袋、その掌の中にあるのは数個の小石だった。
少女はその小石を一つつまむと、勢いよく振りかぶって投げた。小石がシルバーバックが拘束具として身に着けているバイザーへと当たり軽い音が鳴る。
そうして少女は――ヘスティアはニヤリと笑ってシルバーバックに叫んだ。
「こっちだ! デカ猿!」
言うと同時にヘスティアは反転しダイダロス通りへ向かって走る。
数秒、時が止まった。ベルの思考は玉突き事故でも起こしたように滅茶苦茶だった。ほんの少しも想定していなかった出来事に、ベルに選択肢すら現れなかった。
「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
先に再起動を起こしたのはシルバーバックだった。
すぐ近くに自分が求める光が有る。アレを捕まえろ、女神の恩寵を受けよ! そう本能がシルバーバックを突き動かした。
羽虫のような敵が自分の邪魔をする? そんな者は無視しろ。所詮は障害にもならない者なのだから。
ダイダロス通りに向かって跳躍し、建物の上へと行くシルバーバックを見て、ようやくベルも再起動を果たす。
「(…………なにを)」
身体を跳ね起こし、胸部に身に着けていた防具を引きちぎる。形状が変化したこの状態では逆に自分に刺さって危険だと考えたからだ。
「(……なにを)」
無理やり動かした身体がギシギシと音が鳴ったような気がした。
この状態ならもうしばらくは動かせる、そう判断して身体が求めている休息を無視してベルは駆ける。行先は当然、ダイダロス通りだった。
「(なにを!)」
ダイダロス通りの坂道を下る――ことは無く、道の石垣の上に跳躍し、もう一度行った跳躍で住宅の上に着地する。その程度なら神の恩恵のない人間でもできる動作であり、その補助が有るベルは危なげなく住宅の屋上を走る。
前には同じように駆けるシルバーバックの姿と、遠目に白い服の少女の、自分の主神の姿が見えた。
「なにをやっているんだ、
ベルは意味が無いと理解しつつも叫ばずにはいられなかった。
――
ヘスティアはダイダロス通りを駆けていた。デカ猿――シルバーバックが通れないような細い道を選んで駆ける。
今日一日走っていたからか、足が痛みを訴える。だけど後ろから来るシルバーバックの存在感が、今止まれば自分は終わるな、ということをなんとなく教えていた。
「(……凄いなあ、ベル君は。ずっとあんな奴と戦っていたんだから)」
直線だったのならあっという間に自分は捕まっているだろう。今自分が逃げ切れているのは、ダイダロス通りの複雑怪奇な道が自分を守っているからだ。
無論、来た道なんて一偏すら覚えちゃいない。ホームに一人で帰れと言われたら、その辺で野垂れ死にになってしまうかもしれない。
いや、それよりも先に自分があの大猿に捕えられるのが先か。
「我ながら、馬鹿なことやっているなぁ、っとぉ!!」
ヘスティアが裏路地へと文字通り飛び込むと、シルバーバックの掌が自分の居た場所の後ろを通り過ぎる。倒れ込んで、痛みに気を取られつつも走るのを再開し、ちらりと後ろを見れば、シルバーバックが路地の間に手を突っ込んで自分を捕まえようとしている姿があった。
ヘスティアは考える。もうすぐ自分は捕まると。足が徐々に動かなくなってきて、胸は爆発しそうなくらい痛い。運動なんてせいぜいヘファイストスのお店でこき使われ走り回っていたことぐらいだ。
自分がシルバーバックから逃げられるような算段は無い。それでも――
「(ベル君が、逃げるぐらいの時間は作れたかなぁ)」
ヘスティアは笑う。
自分が地上での終わり――天界への送還が行われた後、ヘスティア自身が後悔する確信はあった。
きっと天界は人手が足りておらず、殺気立っている事だろう。過去にぐーたらしていたようなことはできず、管轄外だというのに事務仕事を手伝わされるのだ。
時折天界から地上を見て、何とも楽しげな景色を見て溜息をつく。なんであんなことやっちゃったのかなぁ、と呟くのだろう。
何千年、下手をしたら何万年もそれが続くはずだ。その未来はこの数分後に必ず訪れるとヘスティアは理解していた。
「(はは、本当にボクはバカだ。たった一人のためにこの世界で過ごす未来を費やそうとするなんて。――だけど、それでも)」
ベルに助かって欲しい、たった今この瞬間そう思っているヘスティア自身の思いに嘘は吐けなかった。
ああ、愚かだ。自分は彼のためなら、たとえ【
「(なぜ? 決まってる。ボクは、ベル君の未来が見たい)」
どうなって欲しいのか、ベルはそう尋ねた。自分はそれを直ぐに答えることはできなかった。自分がどうしたいのかはっきりと理解していなかったから。
だけど自分を逃がすために命を捨てる決断をしたベルを見たとき、はっきりと理解した。
「(悪いねベル君。神なんて連中は、どいつもこいつも嫉妬深くて、我儘なんだ)」
ベルがヘスティアに見せていたものは嘗て彼が恩恵を受けていた時、築いた【軌道】そのものだ。その事実に、ヘスティアは確かに嫉妬し、確信したのだ。
昔の彼が定めた【軌跡】ではない、
ああ、あと一つ。大切なことが有る。
誰も手を取ってはくれず涙が零れ落ちそうだったとき。たった一人手を取ってくれた少年が居た。
大丈夫ですか、と。ヘスティアを安心させるように微笑んだその少年に――
確かに恋をした自分が居た。
「ボクは、ベル君の事が、大好きなんだ! 文句あるかぁああああ!!!」
「ガァアアアアアアアアアアア!!!!!!」
ヘスティアの叫びはシルバーバックの咆哮によってかき消される。裏路地を抜けた大通り、進行方向へと現れたシルバーバックを見て、ヘスティアは停止し、身体を反転させて再び駆けだした。
シルバーバックの掌がヘスティアへと向けられる。そして彼女を捕まえようと彼女の周りを囲った掌を握りしめた。
「グルゥ!!?」
バチィ、と火花が弾けたような音が辺りに響き渡った。
何が起こったのかヘスティアにも分からなかった。そして彼女の視界に入ってきたのは、自分が胸にかけていたお守りが、淡い金色の光を放っている姿だった。
「……ヘファイストス」
ヘスティアは神友の名を呟いた。
鍛冶の神、ヘファイストスが自らの
ヘスティアはその価値は分からない。ただ、神友が自分に送ってくれたと言うだけで最上級の価値があると決めつけていた。そしてそれは、確かにヘスティアの危機を救っていた。
やがて御守りは光を失い力なくヘスティアの首へと掛けられる。二度目はない、少なくとも今日中はもう使えないだろう。シルバーバックは何かおかしかったのかと首を傾げ、再度ヘスティアを捕まえようと手を伸ばしたときだった。
「神様ぁあああああああああああああ!!!」
ベルの声が響き渡る。
【敏捷】のステイタスを全開に使って駆けて跳躍したベルは、シルバーバックの後頭部へと着地する。それは強烈な跳び蹴りとなって突き刺さり、ヘスティアを捕まえようと重心を前に倒していたシルバーバックの顔面を地面へとぶつけていた。
「ベルくん! たぁ!?」
「少し、我慢していてください神様!」
地面へと着地しヘスティアの横を通過する際に手を伸ばし、腹部の辺りへと手を置いて身体を掴む。そしてそのままヘスティアを荷物のように肩へと置いた。
ベルの顔の横にはヘスティアの尻がある。いわゆる、俵持ちという奴である。
「ちょ、ちょっとベル君! 凄いタイミングで来て助けてくれたのは嬉しいし惚れちゃうよ! だけどこの持ち方は無いんじゃないかな!? もっと相応しい持ち方があると思うんだ!」
「こんな時に何言ってるんですか神様!? 馬鹿ですか!? いや馬鹿でしたね!? 今改めて気が付きましたよちくしょう!?」
ヘスティアは背中から場違いなことを叫び、ベルはそんな彼女に突っ込みを入れた。
背後からはシルバーバックが迫っている。ベルはそのことに気が付いているし、ヘスティアはその様子がバッチリ見える状態で抱えられている。
だけど両者とも奇妙な安心があった。自分が守ろうとした者の体温がそこにある、互いに思い感じていたことは同じだった。
ベルの前に見えたのは建設途中の木材が、小さな子供が通り抜けられそうなトンネルになっている状態だった。
あ、これは神様ぶつかるな、と察したベルは、走りながら僅かに膝を曲げた。
「ちょっと、失礼しますよ神様!」
「なぁあああっ!?」
そしてそのままヘスティアを宙へと放り投げる。木材で出来たトンネルをスライディングで滑り込んで通り抜ける。木材を越えて落ちてきたヘスティアをベルは両手でキャッチし、そのまま走り抜けた。数秒もした後には、その木材はシルバーバックの振るう鎖によって粉々になって吹き飛んでいた。
ヘスティアを両手で抱えながらベルは走る。いわゆるお姫様抱っこの体勢に気が付いたヘスティアは顔を赤くした。
「そう、これだよこれ! ちょっと扱いは雑だけど分かっているじゃないかベル君! そんな君にボクに惚れるか惚れられる権利をあげよう!」
「ははははー、神様がもしも男で、可愛くなかったらぶん殴ってるセリフですね!」
ベルは駆ける。思考は勿論全力で動かしている。だけど口から勝手に零れたセリフは、ベルの心に何かをもたらした。そうして逃げ続ける中で狭い裏路地のいくつもの出口に分岐したその場所で、シルバーバックは二人を見失った。
眼前に広がるのは幾つもの道の中央に位置する開けた空間だった。そこで初めてベルたちはシルバーバックから距離を取ることができた。直ぐにでも見つけてくるが、それは確かにヘスティアとベルに落ち着いて話す時間を作り出した。
ミアハから貰ったポーションを懐から取り出し一気に飲み込んだ。身体に溜まっていた疲労が抜けていくような感覚が広がった。
ヘスティアを静かに地面に下ろし、その視線を真っ直ぐに受け取った。
ヘスティアがベルにもたらす温かいソレは、ベルが失いたくないと願った物と同じだった。悔いるような声で、ベルは尋ねる。
「……どうして、来たんですか」
「逆に聞くよ、ベル君。君はどうして来たんだい? 逃げれば君は助かっていたのに」
「そんなの! 神様が無事であってほしいからに決まっているでしょう!?」
「ああそうだ。ボクも君に全く同じことを抱いた、それが答えだ」
ヘスティアは、真っ直ぐにベルの目を見て答える。そしてベルはその言葉から、ヘスティアが自分の
ヘスティアが見せる意思は、ヘスティアがベルのためなら【神の力】ですら使ってみせるという覚悟を感じさせるものだった。
「君も、ボクも、同じことを考えている。そして助けが来ない今、どちらかが犠牲になる以外に助かる術は無い。……だけど、両方が助かること出来る術を君は知っているね?」
「……まさか」
ベルの頭の中を過ったのはたった一つの回答だった。
自分が犠牲になってシルバーバックから時間を稼げばヘスティアは助かる。そしてヘスティアが【神の力】を使ってシルバーバックを撃退すれば、ヘスティアは地上を離れベルだけが助かる。
両方が助かる方法は一つ、その原因と成るモノを殺すこと。
「ベル君、君があのモンスターを倒すんだ」
「馬鹿な事を言わないでください!!!」
ベルは叫んだ。ヘスティアのあまりにもバカバカしい言葉に、気が付かれるかもしれないリスクを忘れて声を荒げた。
「言ったじゃないですか神様! 僕じゃあのモンスターに勝つことは――」
「十中八九無理だ、そう君は言ったね? ……裏を返せば、一か二、勝つ手段が有るってことじゃないのかい?」
「そんなの、言葉の綾で」
「ベル君、ボクは【神】だ。その言葉の裏の意味を隠しきれない事を知っているだろう?」
嘘をついて、誤魔化そうとしたベルの言葉をヘスティアは切り捨てる。そして真っ直ぐな視線に思わずベルは目を逸らした。
一か二程度、勝つ手段はある。いや『あった』。
その中の一つは魔法だ。自分が嘗て使っていた魔法が使うことができれば、という不確定を含んだそれだった。そしてその結果は自分の防具を失うだけという結果を残した。
ぎり、とベルは自身の奥歯を噛んだ。どうしてわかってくれないんだ、そう怒りすら抱いてベルは思う。
残りの零か一? ああ、確かに存在する。余りにも馬鹿げた理論に、ベルは怒気を含ませて叫んだ。
「ええ! ええ! ありますよ! あれは人型だから人間と同じ急所
言った全部がベルにとって好都合な妄想だ。どれ一つベルに確信は無いし、偶然が幾つ重なっても無理だと断言できる夢想に過ぎなかった。
そんなものに
「あるならいいじゃないか。ボクを気にしないで挑戦してみればいい」
それを、ヘスティアは肯定した。
ベルの思考回路は滅茶苦茶だ。神様相手に気が狂ったんじゃないかと考える程に頭は煮立っている。
論理のない言葉は叫びとなってベルの口から溢れた。
「不可能だって言っているんですよ!」
「できる」
「本当に話を聞いていたんですか!? 妄想一つ違っていたら終わり! 僕の手元が狂ったらナイフはへし折れて終わり! そんな方法ができると思っているんですか!?」
「できる!」
「できないって言っているだろう!?」
「ベル君なら、できる!」
「僕は! 物語の英雄なんかじゃない! そんな都合のいい話があるわけないじゃないですか!!!」
「それでも! ベル君ならできる!」
お互いに声を荒げ言い合った。分かって欲しいと、そう言葉に込めたベルの言葉をヘスティアは否定する。
自分は物語の英雄ではない。そんなこと何年も前から知っていて、ついさっき再確認を済ませたところだ。
【奇跡】は起こらない。運命を司る神が居るとするのなら、只の人であるベルにそれを授けることはしない。
時間が無い、この言い争いの間にシルバーバックは此方に向かっているだろう。その焦りからか、ベルの口から出した言葉はまるで悲鳴の様だった。
「どうして神様にそんなことが言えるんですか!?」
「だってあの時ボクの手を取ってくれた時から――君はボクにとっての英雄だった」
ベルは言葉を失った。
ヘスティアが浮かべた慈愛を含めた微笑みは、ベルの中にあった空っぽの場所に雫を落としたからだ。
「確かに君は、他の人から見たらただの人だ。父親の陰に隠れて、虫みたいに走り回って、女の子の扱いも分かんないような小っちゃい少年だよ。――だけど!」
それでもと、ヘスティアは思う。
かっこ悪い神だとベルには思われたくなかった。彼がファミリアに入ると言ったその帰りは誤魔化していたけれど、本当は泣きたいぐらいに嬉しかったんだ。
彼は、ボクを笑顔にしてくれた。それだけは紛れもない事実だ。
「他の有象無象の英雄なんて知ったことか! 君はボクの手をとってくれた! 一緒に居たいと言ってくれた! ボクにとって英雄という言葉は、君だけの物だ!!」
ヘスティアが読んだ様々な物語があった。冒険譚があった。英雄たちが居た。
古代にダンジョンで本当にあったと言われる、【
そんなもの、これからベルが描く
「なりたいんだろう!? 君が言っていた父親のように! 憧れていたんだろう!? 物語で描かれていた英雄たちに!」
「そんなわけが――」
「
今日、ベルが楽しげに語った
物語の英雄たちに憧れていたと言う少年だった頃のベルの【憧憬】を、ヘスティアは確かに聞いた。
英雄になるのは諦めたと、なるつもりは無かったと彼は言った。
だけど、
だから見たいと、書き綴りたいと思った。
英雄の隣を目指し【軌跡】を描いた
確率が零よりも少ない? だからどうした、
「周りも、君自身の考えも、誰にも気にする必要なんてない! 英雄に成りたいんだったらなっちゃえばいいさ! その背中をボクは押してやるよ!」
彼の物語の主人公は彼自身だ。英雄でしか【奇跡】を引き起こせないのなら、ボクが彼の事を英雄だと言ってやる。
「あいにく背中に居るヒロインは、その、ボクみたいなちんちくりんで悪いけれどさ……」
最後の最後で恥ずかしげにヘスティアは顔を赤らめる。自分で自分を物語のヒロイン扱いすることがちょっとだけ恥ずかしかったのだ。
静寂が訪れる。その静けさにヘスティアが耐えられなくなった頃に、くす、と小さい笑いがベルの口から零れる。
ヘスティアが言ったのは自分が思い抱いていた全てだ。なのに最後の発言の方が恥ずかしいと感じているヘスティアが、少しだけ可笑しいとベルは思った。
「わ、笑うなよぅ」
「だって神様……自分のことヒロインって、ふふ」
「笑うなってば!」
誤魔化すように怒るヘスティアの事を素直に可愛いとベルは思い、そのいじらしさに思わず笑いがこぼれてしまった。
ああ、自分はこんなにも神様に思われているのだと、その嬉しさを誤魔化すための笑みでもあったのだ。
くすくすと笑うベルにヘスティアは非難の目を向ける。そして口を開こうとしたところで――シルバーバックの咆哮が響き渡った。
「ガァアアアアアアアア!!!!」
屋根の上から広場へと着地したシルバーバックは、真っ直ぐに視線をベルとヘスティアに見据えている。
先ほどと何も変わらない、一つも好転したことなど無い。それでもベルは、静かにナイフをシルバーバックに向けて構える。
「……神様、きっと僕はアレに殺されます。そうしたら神様まで天界に郷帰りする羽目になりますよ」
それでも本当にいいんですか、と。ベルは尋ねる。
「そいつは丁度いいや。
ボクが特別に案内してあげるよ、と。ヘスティアは不敵に笑ってベルに言葉を返した。その内容が可笑しくて――ベルは口元に笑みを作った。
ヘスティアの言った内容はあまりにも魅力的だ。本当に彼女と天界に行けるのなら、ここで死んだっていいぐらいには思ってしまいそうだ。
「いいですね、それ。……だけど――」
「そう思うだろう? ……でも――」
ベルは笑う。
ああそうだ。ベル・クラネルは、ヘスティアがこういう神様だから一緒に居たいと思ったんだ。
「神様、やってみます」
「うん、頑張れベル君!」
ベルはシルバーバックに向かって歩く。まるで近所へ散歩にでも出かけるように。
ベルの心情の変化にシルバーバックは気が付かない。当然だった、これから猫が鼠を――否、虫を潰すのに何を考えるなど知ったことではないのだから。
シルバーバックが握り拳を金づちの様にベルに向かって振り下ろす。その瞬間にベルは倒れるように身体を前に出して、そのまま踏み出しトップスピードまで速度を上げた。
シルバーバックがやることは変わらない。ダイダロス通りに入る前、一度捕えた虫を再度潰すだけだった。
【奇跡】が欲しいか?
ベルの頭に浮かんだのはそんな甘言だった。
その発言を思い浮かばせた原因は自身だろう。『おとうさん』が、『英雄』が引き起こしてきたような【奇跡】が有れば。目の前の脅威なんて簡単にやっつけられるのに、と。そうどこかで思っている子供のような感情がその言葉を頭に思い浮かべたのだ。
糞喰らえ、ベルは【奇跡】という言葉に中指を立てた。
「(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ!!! 引き落とせ! 何でもいい! この場を解決できる【軌跡】を!)」
詐術、交渉術、武術、逃走術、鉄鎖術。医術、柔術、合気術、体術、拳術、操騎術。剣術、短刀術、投擲術、跳躍術、歩行術、体操術、演技術。力学、科学、薬学、呪術学、魔法学、動物学、言語学、人間力学、運動学――――。
嘗てオラリオに来る前、男神と共にベルが歩んできたその全ての【軌跡】を引き落とす。
ベルの眼前に迫る拳を無理な姿勢で回避し、着地した時に腕に負荷を与え肩が外れた――それを瞬時に嵌め直し、ポーションの空き瓶を握り締めて下手投げで投擲した。
ぎゃり、という地面に瓶が辺り割れてガラス片となった残りがシルバーバックの顔面へと向かう。シルバーバックが反射的にそれを腕で防ぐと、見失ったベルが居たのはシルバーバックの肩だった。
「ガァアアアアアアア!?」
シルバーバックがベルを振り落とそうと身体をゆすった。それに合わせてベルはその上で跳躍し、その地点と差が無い場所へと着地する。シルバーバックは不規則に動き乱そうとするが、ぴょんぴょんとノミのように跳ねるベルは暴れ馬を操る様にその動作に合わせる。
ベルを振り落とせないシルバーバックは自分の右肩に居るベルを押しつぶそうと、右肩から建物へと突っ込んだ。その衝撃ならばベルを振り落とせると判断したのだ。
ベルは右肩に居なかった。
「そら、よっと」
シルバーバックの後頭部から、その声は聞こえた。
最後の跳躍でシルバーバックの後頭部へ着地したベルは、その両足でシルバーバックの身体を押した。
シルバーバックが見ていたのは右肩、そしてベルが居たのは反対側の後頭部。【敏捷】のステイタス限界まで足に力を込めたベルは、シルバーバックが向かいたがっている壁に向かって押しやったのだ。
【敏捷】のステイタスの恩恵はベルの身体を高く上まで弾き飛ばした。落下するベルは壁に向かって頭を突っ込んだシルバーバックを眺めながら、宙にあった洗濯物の紐を掴むなどしてゆっくり着地する。
なぜ、と。壁に突っ込んだ体を起こしながらシルバーバックは思う。
何故自分はあんな虫けらごときに振り回されている。なぜあの神の恩寵を受けることができない。
見下ろす先には着地し立ち上がったベルの姿が有る。そしてベルはシルバーバックと視線を合わせ――
「…………はんっ!」
鼻で笑った。
「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!!グゴガァアアアアアア!!!!」
シルバーバックは吼えた。
その言葉を聞くことができたのなら、殺してやるぞ! 磨り潰してやる! という声が辺りに響き渡っているのが分かっただろう。
自分の腕には拘束されていた時くっついていた
「(悔しいよね。悔しいに決まっている。お前に比べたら僕は辺りを飛び回る蚊みたいなもんだ。そいつが挑発したのなら、悔しくない訳が無い)」
知能は四から六歳児程度、挑発が通じるのなら此方の言語はニュアンスだけ伝わっているはずだ。
目の前に居るのは紐を振り回す子供と同じだった。武器を持つと、それを使いたくなるのは殆どの者がそうだ。シルバーバックが振るう鉄鎖術はベルから見ればお粗末な物だった。
頭に血が上った五歳児が、紐を振り回して此方を狙っている。笑ってしまいたくなるぐらい簡単な状況だ。
故に、ベルは危なげなくシルバーバックの連撃を回避する。再度懐に近寄れるタイミングを探し続ける。その最中、ベルは徐に口を開いた。
「――そうです! 神様! そのまま逃げてください!」
ベルはこの場を離れていくヘスティアへ向かって笑みを見せて叫ぶ。
反応したのはシルバーバックだった。目の前に居る虫に気を取られて神の方に意識を向けていなかった。
このままこの虫を相手していればまた見失って追い掛ける羽目になる。せめて逃げる方向だけでも見ようと虫が向けた視線の先を一目確認する。
誰も居なかった。少し視線をずらしたその場所に、きょとんとした表情のヘスティアが居る。
「ばーか」
声と同時にシルバーバックが感じたのは、股間から来た強い衝撃だった。鈍い鈍痛に脂汗が顔から零れ、股間を庇うように片膝を立てて辺りを確認すると、視界にナイフを構える
意識が有る、此方の言っているニュアンスが分かる――そいつは会話や演技で欺ける相手だという証明だ。
僅かな隙でシルバーバックの股下に駆け寄ると、【敏捷】を使い地面を蹴り飛ばす。そして二足歩行動物共通の急所に【力】のステイタスを込めて拳を叩き込む。生殖器は無かったが問題は無い。確かなダメージは相手に伝わっている。
シルバーバックの額の血管がぶつぶつと煮えたぎるような音を立てる。その勢いのままシルバーバックは己の拳を振り上げた。
「ガァッ! ………………………フシュゥウウウウ」
拳を振り下ろそうとしたシルバーバックは、一度その拳を静かに下げると、大きく息を吸い込んで吐き出した。
そして静かに、構えるベルに向かって視線を据え、薙ぎ払うように腕にくっついた鎖を振るった。
「……っ! くそ!」
その挙動に力は入っていない。今までが殴り殺すように力を入れられたのなら、それは叩き落とすように速度を速めた物だ。
無造作に、だが静かにベルを見据えながら行う連撃は、先ほどまでの駄々っ子のような者とは違う、害虫を潰す人間その物だ。
今、シルバーバックはベルの事を叩き落とす羽虫ではなく、自身に害をもたらす障害だと認識した。
速度も精度も変わった連撃は、先ほどと変わらずベルにとっては必殺だ。
そうした極限の中、ベルは思考を動かしつつも一つのことを思ったのだ。
「(……神様は僕の事を
「(虫、ああその通りだ。強大な怪物を前にしたら僕は蚊や毛虫、ゴキブリ辺りが良い所だろう)」
特に最後は当てはまっていると、逃げ回っている様子がそっくりだと。ベルは自嘲するように笑う。だがそこに含まれた笑みの意味は自嘲だけではなかった。
「(虫と呼ばれようがゴミと呼ばれようが、きっとどうだっていいんだ)」
嘗ての自分は『おとうさん』の姿が、情けない所や馬鹿なところを見せる英雄の姿が嫌いだったから。その姿に、ただの人間でしかない自分はどうしようもない劣等感を抱いていたから。
だから英雄を目指すのを辞めた。只の人間がたどり着けるその場所なら、きっと『おとうさん』について行けると思ったから。
どうしようもない
だがそのツケの結果、自分は此処に居る。今この状況で、【奇跡】を引き起こせない只の人の状態でこの場所に立っている。
だから、億分の一の確率を引き当てる様な【奇跡】を引き起こすことはできず、自分がシルバーバックに殺されるという当たり前の【結果】しか出せないことも理解していた。
「(……そうしたら、神様はどう思うのかな)」
手足を潰され、なぶり殺しにされた
天界でデートに行けることに喜ぶだろか、それを楽しみにするだろうか? それなら自分はとんだ神様に目を付けられたもんだと僕も笑うだろう。
怒って【神の力】を使うだろうか。ああ、確かにありそうだ。どれだけの思いをこちらに寄せているか自分だって理解している。それを失ったときの怒りはどれほどの物か。
「(――なんか違う。しっくり来ない)」
想像する。自分が倒れ伏せその場に駆け寄るヘスティアの姿を。この先に起こる、只の人が起こす当たり前のような【結果】の終わりを。
鮮明に思い描くことができた。
大粒の涙を流して、顔をくしゃくしゃにして歪めていた。それが――これから起こる【結末】だ。
「――――はは」
ベルは笑う。
お前は何を考えた? これから起こる結末を、ほんの少しでも認めたのか? 仕方ないと諦めたのか?
お前は只の人だ――知っている。
お前は英雄ではない――知っている。
故にお前の下に【奇跡】は訪れない――知っている。
ならば起こる【結末】は確定した―――ぶっ殺すぞ、ベル・クラネル。
自分は知っている。自分がこれまで歩んできた【軌跡】を知っている。
幼いころに定めた
それでも、知っているだろう? 『
『ベルも、女の子が居たら優しくするんだぞ。泣いている子が居たら笑わせてやるんだ』
幼い
いつも
女の子を泣かせる男は、最低だ!
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
獣が、男が、吼えた。
それは互いに自身へ活を入れる物ではなく、雄叫びによって自身の緊張を解すための物だと理解している。
シルバーバックの
引き起こす【軌跡】は歩行術だった。平和な国で行われたルールのある戦い。そこで培われたチェンジ・オブ・ペースと呼ばれる歩行術はベルの身体に緩急をつけ、掌の雨を回避する結果をもたらした。
足元に来たベルをシルバーバックは蹴りあげる。先ほど詐術と演技術で引き起こしたシルバーバックへの一撃は警戒させるに足るものだった。
引き起こす【軌跡】は合気術、柔術と力学だった。極東の達人が見せた、本の街の学者が教えたその
巨体が宙を舞った。そのまま落ちてきて潰されないよう、ベルは地面を蹴り飛ばして頭から突っ込み範囲外へと着地する。
「(ソレを引き起こす【軌道】を描け!)」
起き上がってくるシルバーバックに向けてベルは短刀を構え走る。
【軌道軌跡】――自分が嘗て抱いていた【
その眷属が他の場所に居た
それはオラリオで解釈されたスキルの概要だった。嘗て作り出した器を記憶して、それを辿る限り成長する、目立って珍しくもないスキルだ。
その解釈は殆どが合っている。だが一つだけ足りないものがあった。
「(培ってきた【軌跡】を辿れ!)」
起き上がったシルバーバックは恐怖した。未知の力によって転ばされたのもそうだが、目の前に走ってくるベルが、今まで対峙していた者とは思えなかったのだ。
――そのスキルは、その眷属が確かにその
だからこそベルは自分の【軌跡】を引き落とし再現する。
だがベルが行っているソレは嘗ての旅で廻り見てきた
フレイヤは知らない。混ざり染め上げられ、濁った色になったと判断したその少年の過去を。
ヘスティアは知らない。少年だったベルがどれほど強い【
彼の『おとうさん』――男神は知っている。
彼の『おかあさん』――女神は知っている。
未熟で幼いベルが目指した【憧憬】への【軌跡】はその身体に確かに宿っている。
男神と女神――
そして
故に。
「【奇跡】が起こらないから、
【一途な憧憬】が――嘗てベルにあった【
【軌跡引用】武術、体術、歩行術、短刀術、心理学、動物学。
ベルは思考を巡らせる。自分のスキルの事について気が付いてなどいなかった。ただ、異常に背中が熱いと感じたことと、自分がどう選択すれば、最適解を得られるのかがより鮮明に感じられた。
シルバーバックは無我夢中で自身の腕をベルに向かって叩きつけた。それは、自身に迫る恐怖を遠ざけようとしたものだ。
【軌跡引用】跳躍術、歩行術、体操術、体術、着地術、操騎術。
ベルが、シルバーバックの手の甲の上に着地する。そしてそのまま腕を通ってシルバーバックの顔面に向かって駆けあがった。
「ウォオオオオオオオオオオオオオ!!!?!」
シルバーバックは咆えて、自身の腕を振り回す。
人間の感覚で言えば、潰そうとした虫が腕から本体に向かって駆けあがったのと同意だ。恐怖が、根本的な嫌悪感がシルバーバックの思考を奪う。
【軌跡引用】跳躍術、体操術、医術、短刀術、生物学、動物学。■■.■【■■】
「(……あれ?)」
そうしてベルは気が付いた。
視界がすべてモノクロに変わっている。頭をハンマーで何度も殴られたように痛い。だけど思考は冴えわたり、自分の周囲の全てが水の中にでも浸かったようにゆっくりな世界なら、どんな細かい事でもできる様な気がした。
辺りの時間がゆっくりに成る現象。ゾーン、走馬燈といった言葉を知っているが、それとは違うとベルはなんとなく判断する。
つい最近この光景を見たのは魔法が放たれず、シルバーバックに一撃を喰らったときだ。そのとき見たこの世界に既視感を覚えていた。
「(身に覚えがある? ……ああ、そっか。僕はこの世界を知っている)」
全てができる様な全能感を、身体の全ての性能を上げた【ランクアップ】した自分が見た世界と同じだ。
ベルは可笑しくて笑いそうだった。魔法を使う前に、
それは自分の中でしっかりと芽吹いていたのだ。
シルバーバックの腕が振るわれた瞬間、それに合わせてベルは跳躍する。腕の勢いと跳躍した時の加速で、ベルの身体が回転しながら宙へと舞った。そして何度も反転する世界の中で、ベルはナイフを持ち直した。
チャンスは一度きりだ――なんだ一回もあるのかとベルは安心した。
■■.■【■■】――Lv.2【器用】
ゆっくりと流れる光景の中で、ベルのナイフはシルバーバックのバイザーを通して眼へと突き刺さった。
「ガォアアアアアアアア!!?」
明確な痛みにシルバーバックは叫ぶ。
なぜこんなことになっているのか分からなかった。自分が戦っていたのは害虫ではなかったのか? 邪魔であろうとも、自身の身を脅かすような存在ではないのではなかったのか!!
目に突き刺さった何かを取らなければならない、手を顔にやるより前に、シルバーバックは壁へと足を掛けて、まるでバリスタを引き絞る様に足を曲げたベルの姿を目に焼き付けた。
【軌跡引用】体操術、体術、跳躍術、医学、動物学。Lv.2【敏捷】【器用】【耐久】
ベルがシルバーバックの眼にナイフを突き刺したとき、刃の先で眼底の骨に当たった感触があった。
モノクロの世界の中でベルは考える。目玉を抉り取ったところで人は死なない。それなら、シルバーバックが死ぬ道理はない。だけど全ての生物に共通した弱点は存在する。
「脳を抉れば、生物はやがて死ぬ」
ベルを矢に見立てた自分の身体というバリスタの発射準備は整っている。研ぎ澄まされた世界の中で、【敏捷】のステイタスで補正された
ベルの耳に足の筋肉が千切れて骨が砕ける音が聞こえた。
当たり前だ。引き起こした【軌跡】に対してそれを扱う
ベルの周りの世界がモノクロになっているのは、周り全てが水中のように感じるのは、恩恵に対して身体が追いついていないからだった。
未熟なその身で上位の力を振るうのに代償は必須だった。
【軌跡引用】拳術、体術 tan■術 〇▽術 Lv.2【力】【耐久】【器用】
それでもベルに戸惑いは無い。
只の人が、英雄がもたらす【奇跡】が起こす【結末】を求めたのだ。最初から代償を支払う覚悟はできている。
脳がオーバーフローを起こし動かしている思考にエラーを表示する。眼が映しているはずの映像は砂嵐が起こり輪郭だけを残して消えていく。
科学の街で見た杭打機。自身をそれに見立てたベルは、自身の右腕に【力】を込める。それだけで腕の血管が幾本も千切れる音が聞こえた。
このままいけば、自分は後戻りできない場所まで行くだろう。
だったらどうしたと、女の子を泣かせる以上の最悪が有ってたまるかとベルは鼻で笑った。
「ゴガァアオアガアアガガアガガ!!!?!??」
シルバーバックが聞いたのは自分の頭の中の骨――眼底部分の骨が砕けた音だ。そしてナイフは未だその先の脳へと突き進もうとしている。
放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せぇ!
それはシルバーバックの本能が与えた命令だった。致命的な何かが起こる、そう判断したシルバーバックの腕は、未だ組みつくベルの四肢を引き裂こうと引っ張った。
「(離すな離すな離すな離すな離すな離すなぁ!!)」
ベルは叫ぶ。それが最早言葉にはなっておらず口の端から内臓を傷つけ溢れた血が零れる。
右腕以外の四肢の感覚はもう無い。身体の中を火鉢でかき混ぜたような痛みを発し、自分の眼球が映す世界は砂嵐が舞い物体の輪郭すらわからない。
それでも掌でナイフの柄を押しやっていた右腕は、今その柄を握りしめて
そしてベルは理解する。限界は来ていた。一押しが足りない。ベルが培ってきた全てを足しても、【奇跡】が起こす【結末】には届かない。
不安を抱いた感情が右腕の感覚を消そうとした瞬間に、その声はベルの耳に届いた。
「ベル君!」
にぃと。ベルは笑った。
英雄じゃなくてもいい。だって、物語で主人公の背中を押すのは、ヒロインの言葉だろう? そいつはどんな物語だって共通だ。
最後の一押しはそこにあった。ドアでもあけるように気楽に、ベルは柄を捻り上げた。
――
ベルの身体が地面へと落ちる。受け身を取れずそのまま地面を転がったベルは、身動き一つもしなかった。
それはシルバーバックも同じだった。ベルを掴んでいた体勢で立ったまま動かない。
どれだけの時間静寂は続いていたのだろうか。風景の中で初めに動いたのはシルバーバックだった。
大地へ向かってその身体は倒される。びく、びく、と。筋肉が痙攣し顔面のバイザーから液体のような何かが流れると、やがて他のモンスターと変わらず溶けて消えていく。そして倒れた体が在った場所に紫紺の色の結晶だけが残った。
ヘスティアは慌てて倒れ伏すベルの元へと向かう。そして仰向けにして体の状態を確認する。
ベルの身体から見せる肌は青黒く、身体の中で血液が爆発したようだった。死人のように青白い表情のベルを見て身体を震わせた。
「……ベル、くん?」
「はい、なんですか神様?」
ゆっくりと目を開き、ベルはヘスティアの顔を見る。ぽろぽろとその目からは大粒の涙が零れている。ああ、泣かせちゃった、と。ベルはぼんやりと考えた。
声をあげて泣き出したヘスティアはベルの身体を抱きしめる。そしてその瞬間に、歓喜の声が辺りから響き渡った。
それは今までベルとシルバーバックの戦いを見守っていた、ダイダロス通りの住民たちの物だった。ベルを称える声や恋仲のような二人を冷かすような声が響き渡り、涙目交じりに顔を赤くしたヘスティアが叫ぶ。
「……なんとか、生きてる」
「当たり前だろう!? 死んだらどうするんだ!? もっと余裕で、ボクに心配させないように勝っておくれよ!?」
「神様がやれって言ったのに……酷いですよ」
「ああそうだよ言ったのはボクだった! くそぅ、こんなにベル君を傷つけるつもりなんてなかったのに……」
砂嵐だった世界がモノクロに、そしてゆっくりと色彩が世界に戻っていく。腕や足はまともに動かない、力を入れようとしたらひどく痛みが走った。致命的かどうかは
「(僕は、守れたんだ)」
【奇跡】がもたらす【結末】を、自分とヘスティアがまたこの世界で笑う事ができるという未来を。
ベルは起こしていた身体をヘスティアへと預けた。突然力を抜かれて慌てたヘスティアはベルの頭の方へと身体を寄せた。
そしてヘスティアはベルの頭を自身の膝に置くと、汚れを気にせず優しくベルの頭を撫でた。
ヘスティアはベルに向かって微笑む。ベルも、同じように笑みを返した。
これからどうしようもなく辛いだろう。身体はボロボロで再起不能かもしれない。再起可能でもリハビリに悩まされることになるはずだ。
それでもオラリオの良く晴れた空を見ると、そんな悩みもちっぽけな物に感じてきた。
ベルは自分達のホームが有る方向へと視線を向ける。屋根の上に少しでも自分たちが帰る場所が見えないか、と。ぼんやりとその風景を眺めつづけた。
黒い影が、ベルの視界に入った。
――
ベルたちを見下ろせる場所の屋根に立つオッタルは、その光景を見て見事だと素直に思う。
英雄の武器も身体も持たない少年――男は只の人がもたらす結末を遠ざけ英雄の結果をはじき出した。確かにベルは英雄の片鱗をその場に示したのだ。
「――だが」
オッタルは思い出す。フレイヤが示したモンスター
フレイヤがベルに送ったのは気に入った者へ示す試練の扉ではなく、いたぶり殺す処刑の鎌だったという事を。
――
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
そのモンスターの咆哮に、ダイダロス通りの住民たちが散り散りになって逃げだした。
アレは先ほど戦っていたシルバーバックと同じだ。そして、それは相手に成るなどと生易しい考えを持つことをできない相手だと理解する。
死神の鎌は――『ミノタウロス』はベルに向けて獰猛な笑みを見せた。
幼ベル「英雄の隣にいくためにはどうすればいいかなぁ? そうだ、見た物全部身につけたら近づけるかも!?」
憧憬一途「分かった、手を貸そう」
ベルハードモード
次回原作一巻分ラスト。
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六話終 一巻分終了
9000文字ぐらい。これ六話下に付けようとした作者は脳が湯だっていた。
さようなら連休、愛していたよ。また年末に会おう
屋根から跳躍したミノタウロスが広場の端に着地する。その場所まで転がっていたシルバーバックの魔石を踏み潰し、自分が捕えるための獲物を見据えた。
アレは虫だ。文字通り虫の息だ。それなら虫以下の存在だ。ならさっさと潰してしまおう。
ミノタウロスに焦りは少しも無かった。相手が害虫であるなら怪我をしないよう気を付けるが、それ以下の存在に何を緊張しろというのか。
ベルは身体を起こすと右腕に握っていたナイフを再び前に構える。
激痛が身体中から走った。どこが痛い、など分からなかった。身体を満足に動かすための筋肉は傷だらけで、支える骨はへし折れている。今ベルを支えているのはヘスティアが刻んだ【神の恩恵】によるものだ。
「神様、逃げてください」
ベルの口の端から血が零れ地面に赤い染みを作った。
「ベル君」
「アレは、無理です。だから、早く」
虫は、人を殺せる。先ほどのシルバーバックはそれだけの力の差だった。だからベルはその結果を引き寄せたのだ。それなら、目の前のミノタウロスは? その力の差は?
塵が、人にどうやって勝てって言うんだ。
「早く、逃げろ!!!!」
言葉と同時にベルはミノタウロスに向かって駆けだした。
【軌跡引用】歩行術、跳躍術、■刀術、柔■、Lv.2【器用】
ベルが行おうとしたのはシルバーバックへ行った事と同じだった。身体を前にさらし、緩急をつけた走法で攻撃を空かし、隙を突く。
世界が再びモノクロへと変わった。全てが水中に沈んだように遅くなる。それはベル自身も同じだった。Lv.2の眷属が見る世界の中で相手のミノタウロスは、普段と
「っ!!!」
【軌跡引用】歩■術、着■■、短■術、■■、人■■学、Lv.2【耐久】【敏捷】【器用】
そしてベルは今の自分では何の回避もできないと判断した。相手は等速で動くのに自分は減速した世界に居れば、自分が捕まることがゆっくり理解できるだけだと分かったのだ。
一歩足を進めるたびに激痛が走る。脳内麻薬はとっくの昔に切れて、着地ごとに足の筋肉は破壊される。【神の恩恵】が有るから動いているのであって、本当にくっついているのかも怪しくなった。
「ウォ? ウォウォ」
自分の目の前で急に速くなったベルに、ミノタウロスは興味深いと視線を向ける。そして蝶を捕まえる子供のように手でベルを追い掛けた。
ミノタウロスと対峙する適正Lv.は2だ。つまり、今ベルが身を削りながら動いている、彼の見るモノクロの世界は、ミノタウロスが普段から見ている光景だった。
【軌■引用】体■、■■■、■■術、動■■、■■■、Lv.2【敏捷】【耐■】【器用】
【軌跡】を、引き落とす。彼が嘗て培った知識は、経験は、今の彼がそれ以上の【軌跡】を宿せば死ぬと判断し脳内から潰れていった。
跳躍する際に自分の考えとは別の場所に身体が跳ねる。すんでのところで着地すると、何かが折れる音と逆方向に曲がった足首が見えた。
痛みは分からなかった。全部痛いのだから。
ベルの視界にベルを捕まえようとするミノタウロスの掌が見えた。
【軌■■用】■■、■■■、■■■、■■■、■■■、■■■
ベルの知識は、技術は、経験は、【軌跡】は、彼に何かをさせることを止めていた。何もしてはいけないと、スキルを使う本体を労わったのだ。その根本には、何をしてももう駄目だという現実をベル自身で理解しているからだった。
「だから、どうした」
只の人が培える全てが使えないとしても、後はこの身体には本能だけが残っている。自身の神への思いが残っている。自身が抱いた【憧憬】が残っている。
それなら、諦める理由なんてない。
ベルは思い浮かべる。【軌跡】を。たった一度だけ踏み入れた、もう一つ上の世界を。
それは極東のとある場所で受けた一つの【奇跡】。たった一人で敵と対峙したベルに掛けられた狐人からの
今でさえ身体はボロボロで、そのさらに上の力を使ったらどうなるかは――まぁ死ぬだろうとベルは当たりを付ける。
それでも、今の現実を解決できるのなら、それが唯一の選択肢なら、ベルが使わない理由が無かった。
【■■■■】Lv.3【器――――
からん、という音がベルの耳に届いた。
その音が響いた方向へベルは視線を向ける。白と線だけになった世界で、先の尖った長方形が地面に落ちているのが分かった。そして手元にあるナイフを見て理解する。
折れている。あと、右の世界が無い。
暗闇になって居るのではない、何も見えないのだ。なぜとベルが考えた瞬間に、自分の右目の後ろから何かが千切れる音が聞こえた。
冒険者が二人戦い、Lv.が一つ違えばまず勝てない。二つ違えば絶対に勝てない。針の穴にボールは通らないように、ハサミは岩石を切れないように。
ベルがその力を使えないことは、【奇跡】の起こる余地が無い【必然】だった。それをベルは理解する。
朽ちて壊れゆく自分の身体を思い、なんだかこのナイフみたいだ、と。折れた刀身を見て薄く笑った。
白と線だけの世界がモノクロへ、そのまま色彩が戻ってくる。右の世界は何も映さないままだ。それが刹那の時間、
ミノタウロスの掌を止める手段は存在せず、その身体はその掌に包まれる。潰さずに腕を後ろに引いて振りかぶったミノタウロスは、ボールでも投げるようにベルを壁へと叩きつけた。
後ろの壁がひび割れる程その衝撃はその場にとどまり、ずるりとベルの身体を地面へと落とす。うつ伏せに倒れたベルはわずかに振動するだけだった。
「ベル君!」
ヘスティアの声がベルに届く。沈んでしまいそうだった意識を辛うじて現世に戻し、身体を起こそうと掌を地面に着けた。
僅かな痙攣を起こすだけで腕が動くことは無かった。顔だけでも起こして辺りの状況を確認しようとした。
「ウォッウォッウォッ」
ゆっくりと此方へと向かってくるミノタウロスは、嗤っていた。猫が鼠をいたぶりその様を見て楽しむ様に、ベルが足掻こうとする様を見て笑っていたのだ。
身体は、何処も動かない。声を出そうとした脳が焼き切れているからか、うめき声が言語に成らず僅かに漏れた。
ミノタウロスが自分の拳を後ろに引いた。ベルの様子を見て、もう玩具は遊べないからと、作った泥団子でも壊すような気軽さだった。
その一撃で自分は死ぬだろう。そう思ったベルが考えたのはヘスティアの事だった。
この戦いはシルバーバックの時とは違う、ヘスティアが背中を押したわけではない。ベルが挑もうとしていたのが、物語で言う打ち倒すべき敵だったから見守ったのだろう。
それなら、今のこの現状は? 嵐や雷のようにまるで【神】がもたらした【天災】を相手にしている様なこの状況は?
ふと、ベルはヘスティアを見た。
ヘスティアは、泣いていた。だけどその目は慈愛を含めた目でベルを見つめ、その視線はベルの物と重なった。
「(ごめんね)」
ヘスティアの、そんな声が聞こえたような気がした。
「――――やmeロ」
ベルはその目を見たことが有る。
親が子に向ける様な慈愛を含めた目だ。自分も未来を諦めた者の目だ。そして――死ぬことを許容してその先へ歩もうとしている者の笑みだった。
自分の『おとうさん』が、ベルとの別れのときしていた目と全く同じだった。
自分の
ヘスティアは今この場所で、【
「(やめて、ください。かみさ、ま)」
今度は声が出なかった。喉がわずかに痙攣するだけで息すら漏れない。
「(誰か、たすけて、ください)」
ヘスティアが居なくなれば、また自分は一人ぼっちになる。空虚を抱えて
ヘスティアと一緒に築いた【軌跡】は、新たに抱いた【憧憬】は、何の意味もなくなって消えていく。
誰でもいい。神様でも、英雄でも、ヘスティアを助けられるならなんだってする。自分自身の命だって捨ててやる。だから、
「お願、し、す。誰か、たす」
ベルの声に応える者はいない。ヘスティアの【神の力】は放たれる。
「だ、れ、ぁ」
迫る拳。
「ぉと、さ、ん」
遠くで何かが当たる音が一つ聞こえた。そしてそよ風が吹いた。
――
その音は、ヘスティアの前で発生した音だった。少し前の地面に着弾した石は、ヘスティアの後ろへと転々と転がっていく。
何があったのかと彼女が目を丸くした結果、一瞬であるが、ヘスティアには周りの様子を見渡せるほどの無思考状態が発生していた。
そしてベルは、その男の背中を見た。
ベルの目の前でミノタウロスの拳を止めたのは一人の男だった。ミノタウロスの拳を止めたその腕は筋骨隆々としており、ピクリとも動いてはいない。力を込めるミノタウロスの手が震えるばかりで、その足元は止めた衝撃で足裏の形で地面が陥没していた。
その身体周りに目立った武器は無い。代わりにベルに印象付けられたのは、圧倒的な力を持った父を思い出させる背中と、獣人であることを表す猪耳だった。
周りに吹いたそよ風とヘスティアの目の前に石を投げ込んでそれが鳴った音。
なんてことは無い、この男はミノタウロスが拳を振り下ろしたその一瞬で、ヘスティアの思考を奪い、ベルの目の前に立ち風圧すら感じるその拳を涼しげに受け止めたのだ。
【
オッタルは自身よりも巨漢のミノタウロスを見上げる。そしてミノタウロスと視線を交わした。
「ウォ?」
ミノタウロスは自分に何が起きたのか分かっていなかった。オッタルは静かにミノタウロスから手を離すと反対の手で拳を作る。そして未だに握りしめたままのミノタウロスの拳に向かって振りぬいた。
拳がぶつかり衝撃がミノタウロスの中へと伝導する。その肉体に収まりきれなくなった衝撃は、ミノタウロスの身体を爆散させ、魔石が粉々に砕けて宙に舞った。
ミノタウロスの肉片が辺りに散らばりやがて溶けて消えていく。その光景に現実感を持てず唖然としていた。
自分があれほどまでに苦しめられた怪物が、たった一撃で文字通り消えてなくなった。
これが最強。ベルは本物の英雄が見せるその姿に安堵すら浮かべていた。そして何か声を掛けなければと。そう考えた瞬間に、ベルの視線はオッタルのものと重なった。
大剣がベルの中心線に突き刺さった。
アイズとオッタルが対峙した時に放ったものと同じだった。アイズはオッタルが放った殺気をわずかに一歩退くだけで耐えきった。それは一級冒険者としての器の頑健さがもたらしたものだった。
そして同じように殺気を受けたベルは。
「――ぁ、」
殺される、と。頭の中で本能が叫ぶ。恐怖を外に吐き出したかったのに喉が痙攣して息がわずかに吐き出ただけだ。オッタルに向けていたはずの視線は地面に下ろされ勝手に眼から涙があふれる。胃が痙攣し血が混じった胃液がベルの口から零れた。
なぜ、どうして、と。どうして自分は敵意を向けられている? どうして殺されなければならない?
「ぁ、す、け」
思考回路はまともに動いていない、操作する場所をベルという生物の本能が勝手に弄りまわっているようだ。
それは目の前の脅威から、明確な死から逃げなければならないという、生物として当然の反応を示していた。
「(死にたく、ない)」
何の戸惑いも無くベルはそう思う。モンスターと戦っていた時にあった勇気は沸かず、行動の意志を完全にへし折り『恐怖』状態へと押しやった。
Lv.が二つ違えば勝つことはできない。そして、それ以上違えば敵対して前に対峙することすらできない。
一歩、オッタルがベルに向かって歩みを進めた。顔も挙げられず自分の吐しゃ物まみれの地面に伏せたベルはその様子を確認はできない。
だがそれだけで圧はベルを襲い、恐怖で体が痙攣する。息をすることを忘れ、窒息し意識を失う限界まで追い詰められた。
不意に、殺気がなくなった。
「っ、げほっ、がっ、はぁ、ぐっ、がっ」
忘れていたようにベルは息を吸い込み、肺にへと急に酸素が送られる気持ち悪さに咳きこんだ。相変わらず右の世界が死んだ視界が戻ってくる。
何故殺気が無くなったのか、自分を恐怖状態にしていた存在は何処に行ったのか。自分の生を長らえようとした身体は勝手に情報を取り入れようと顔を上げて辺りを見渡し、
そこに、神様の背中が見えた。
それは英雄たちが見せる様な雄々しく頼もしい物ではない。小さい体は一握りで折れてしまいそうな華奢なものだ。
だけど神様は――ヘスティアはベルの前で手を広げオッタルと対峙する。我が子を守る母のように、脅威から遠ざけその光景を見せぬように。
「――――止めるんだ」
女神のその一言が静かにその空間を打った。
「ボクの目の前で
――――
オッタルはその光景を見て静かに目を閉じて自問する。はたして自身が殺気を向ける先は何処なのか、と。
決まっている。オッタル自身と、ベル、その二人だ。
フレイヤが求めたのはヘスティアの変化だ、それ以上のものを口にはしていなかった。だが言外にフレイヤはベル・クラネルが戦い死亡することも望んでいたはずだった。その死が、ヘスティアに変化をもたらしその光景を見たいと思っていたはずだ。
そしてそれを止めたのは自分だ。自らの女神の意志に反することを行なうのは、オッタルにとって自身の半生を否定することと同意だった。
オッタルがそれを行った理由は二つある。その中の一つがフレイヤだった。
はっきりと言えばフレイヤは
ミノタウロスの存在はヘスティアが覚悟を決めるには十分な相手で、それを察知したオッタルがすんでのところで止めたのだった。
もしもヘスティアが【神の力】を使用し地上から居なくなったのなら、少しフレイヤは後悔するだろう。だが、それだけではオッタルが動く理由には弱かった。自身への寵愛を失うかもしれない、それを覚悟するだけの理由にはならなかった。
そして二つ目の理由が、アイズの言葉がオッタルに行動をさせる理由となった。
アイズは言った。『貴方が対応するなら、一人の犠牲者も出さないと誓えますか』と。そして未熟ゆえに簡単に『鬼札』を切り、オッタルに『尽力はする』という言葉を出させた。
此処で約束を破ってしまったとしたら、それは最早『フレイヤが愛したオッタル』ではなかった。
『フレイヤの想定外の出来事』『アイズ・ヴァレンシュタインとの約束』
オッタルがフレイヤの意志に反すれど、『一人の犠牲者も出さないように尽力する』理由ができてしまったのだ。
「(――未熟)」
オッタルは自身の事をそう思う。
オッタルはフレイヤの事を敬愛し、崇拝している。自身の持つ愛は全て自らの女神に向けられている。だが決して狂信者ではなかった。今、誰が悪であるのか、そしてこの場に倒れ伏していた少年が犠牲者であると理解していた。
自らの未熟さでこの【結末】を出したこと。そしてその要因である少年に怒りを向けている。それは只の八つ当たりであることも理解していたのだ。
オッタルの目の前にはヘスティアが――否、
オッタルには幾万年の月日を刺激のない場所でただ生き続ける恐怖は分からない。だが、その未来を前にしてなお自分の
自身の主神以外の神に対して確かに敬意を抱いていた。だからこそ。
「無様だな」
オッタルは自身とベルを重ねて見た。
自身が愛し敬愛する神を守ろうとする男の姿の中に、確かにオッタル自身と同じものを見たのだ。
そしてソレが、敬愛する神によって『守られている』。
オッタルが言った言葉が静かに辺りへと響き渡り、何かが動く気配があった。
「惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱――。全てに該当する弱者である存在がお前だ」
故に、オッタルからその言葉は
「お前では女神を守れない。ただの
「だぁ、ま……れぇ!」
オッタルの言葉を聞いたベルは叫んだ。それだけは認めてたまるかと、それだけは言わせっぱなしで済ませてたまるかと。
身体は限界を突破して死体と同じような状態だった。身体を動かす神経は一本だって仕事をしていないはずだった。
それでもベルは立ち上がる。それを突き動かすのは頭の中の命令や【神の恩恵】ですらなかった。
お前がそれを言うのか、と。ベルは真っ向からオッタルの視線と交わした。
それはオッタルへと向けた怒りであり、彼を通して見たベル自身への怒りだった。オッタルはベルの中に自分を見た。ならば、ベルがオッタルの中に自分自身を見るのは当然だったのだ。
死神の鎌を送るフレイヤを、自身の未来を捨てようとしたヘスティアを。女神の行為をただ眺めていた、それは両者とも同じだった。
オッタルとは違いなぜそう行き着いたのか、その理屈はベルには分からない。だが、
一撃を。
この男の言葉を否定するに値する一撃を。
身体はもう動かない。拳一つだって握りしめられやしない。それでもこの男に一撃を与えなければならない。
右腕を上げる。掌を前に向ける。震える
行けよ。
行けよっ。
行けよっ!
行かなくちゃ!
男が大切なモノを否定されて、舐められっぱなしで引くなぁああああああああああああ!!!
「ファイアボルトォッ!!!!!」
炎が。業火の如く、雷霆の如く、形作ったベルの魔法が放たれる。
体力は無い。精神もない。ステイタスは更新されておらず、魔法の発現は確認されていない。彼のスキルは、彼にこれ以上何かをさせることを止めていた。
不発に終わるだけだ。何も起こらず、ただその身体は倒れ伏す。この場所に、ベルが自身の魔法を発動させる理屈は何も無かったのだ。
だがそこには神の恩恵、いや世界の理すら覆そうとする
それが幾万幾億の中からたった一つ引き起こすことを可能とした【奇跡】を含んでいるのなら。
それがベルの手によって
それは確かに、【英雄の一撃】と呼ばれる物だった。
オッタルは動かない。それは
そこから退くことはオッタル自身が許さなかった。
「――見事」
緋色の光は辺りを照らしやがて消えていく。
オッタルの様子に変化は無い。Lv.1が放つ速攻魔法はLv.7の肌を焦がす程度の事も出来ない。そしてその一撃を放った存在にじっと視線を向けている。
ベルは動かない。魔法を放った体勢のまま彫像のように固まっている。そしてぐらりと揺れたかと思えば、身体は膝から崩れ落ちて前に倒れ伏した。
「ベル君!」
その身体を支えたのはヘスティアだった。ベルとオッタル、その二人の間に何があったのか自分には分からなかった。ボロボロの身体で動かないでくれとベルに言いたかった。
だが何故かそれを止めてはいけないと思ったのだ。そしてそれはきっと女神である自分には理解できないことだった。
オッタルが一歩前に出た。その様子を見てヘスティアはベルを庇うようなしぐさを見せる。
オッタルが腰から取り出したのは二つの瓶に入った液体だった。その蓋を開けるとヘスティアが何かを言う前に、ベルとヘスティアに向かって浴びせかけた。そして虹色の滴がかかった場所の傷が見る見るうちに癒えてなくなっていった。
「……これは」
「これをこの男に。飲めば時間はかかれど障害を残すことは無いでしょう」
「っ!?」
ヘスティアは直ぐにその瓶を開けてベルの口を開いて飲ませる。一本目のエリクサーでかなりの傷が癒えたおかげか、無意識ながら身体に反応を残し飲み込むことができていた。
オッタルはヘスティアに視線を合わせる。何か言いたいことがあると理解したヘスティアはその視線を交わした。
ひとつの女神から寵愛を受ける者として、ファミリアを率いる頭目として頭を下げることは許されなかった。眼を閉じそれを礼としオッタルは口を開く。
「神ヘスティア。我らが女神、フレイヤ様が御身の事を案じておられました。どうかご自愛ください」
その言葉に
ヘスティアは真摯にそれを受け止め言葉を返す。
「君に、ありがとう、とは言えない。君は僕の家族を馬鹿にした、それで簡単に感謝を示せるほど僕は寛容な神にはなれない」
だけど、と。ヘスティアは言葉を続けた。
「だけど、君の神には助けてくれてありがとうと、感謝を伝えて欲しい」
「……確かに」
その言葉を受けてオッタルは二人に背を向ける。地面を蹴ったかと思えば、それは直ぐに消えて見えなくなってしまった。
残されたのはベルとヘスティアの二人だった。
エリクサーの恩恵によってベルの意識は其処で覚醒する。膝を地面についているその身がヘスティアに支えられていることが分かる。そして失っていた右の世界が修復されていることに気が付いた。
これほどの治療ができるのは回復魔法か、万能薬か。どちらにしても
「……ちくしょう」
その言葉がベルの口から零れる。悔しさで視界が滲み、溢れた涙がヘスティアの服を濡らした。
惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。
オッタルの語った言葉の全てが、ベルの心を削り悔しさとなって表れる。
「……ちくしょう」
何が英雄だ。何が憧憬だ。力が無い自分が、何を語ろうと言うのか。何を成そうと言うのか。
自身が守りたいと願った女の子に守られて、何が男だ!!!
「……ちくしょう!」
言葉が、漏れた。
ヘスティアはベルから零れる涙の熱を感じ、ベルの口から漏れた感情の欠片を聞いていた。
ただ受け止めつつも、ヘスティアはベルに何も言わず何もしなかった。
抱きしめてやりたかった。声をかけてやりたかった。だけどそれは違うのだとヘスティアは感じていた。
オッタルに向かって掌を向けたベルを、止めなかったときと同じように。
「……神様」
「なんだい、ベル君?」
これは一つの【憧憬】の始まりだ。一人の男が女神に誓う決意だった。
「僕、強くなります」
強くなりたいではない、必ずなるとベルは誓う。
あの男に勝てるように、全てから貴方を守れるように。
僕が胸を張って、貴方の英雄だと言えるように。
ヘスティアは静かにベルの誓いを胸に刻む。今確かに、一つの【眷属の物語】は記された。
立場入れ替え オッタル⇔アイズ オッタル⇔フレイヤ オッタル⇔ベート
書いてて思った、オッタル仕事し過ぎなんじゃが。
このSSは原作を読んでなくても読めるを目指してますが、読んでいるともっと楽しめると思います。
原作を知っているとさらに盛り上がる改変は好きです。アニメ一話Bパートラストは神だった。
原作一巻分終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回予告
フィン「【猛者】にこの言葉は……一回だけなら大丈夫か? 失敗したら全面戦争になりそうだけど。うん、この鬼札はとっておこうか。使わないのが一番だけれど、決定的なところで使えるかもしれない」
アイズ「使いました」
フィン「」
ロキ「www」
アレン「あのオッタルが他の
フレイヤ「」
ベル「……」
ヘスティア「……」
ヴェルフ「あいつ……」
ヘファイストス「まったくもう」
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七話上
怪物祭から一日が経ちミアハにベルの容態を診てもらったその晩、寄り添っていてそのまま眠ってしまったヘスティアは、夜中に起きたときベルが居ないことに気が付いた。重傷を負っていたはずの自分の大切な眷属がいつの間にか消えており、ヘスティアは今悪い夢でも見ているんじゃないかと泣きそうになった。
そんなときホームの扉が開く音が聞こえた。そこにはベルの姿があり――煤まみれの姿から、彼がダンジョンへ行っていたのだとヘスティアは理解する。そうしてベルは口を開いてこう言った。『ステイタスの更新をお願いします』と。
当然ヘスティアは怒った。どれだけ心配させるのだと、怪我人なんだから寝ていなきゃダメだと、ベルを咎める言葉はいくらでも湧いて出てヘスティアの口からこぼれた。その言葉の全てをベルは反論することなくただ受け止める。
その様子を見てヘスティアは気が付いた。自分が言っていることは全部ベルも気が付いて理解している、理解したうえで行動を起こしたのだと分かったのだ。
ベルの身体の容態、ヘスティアの心理状態、その他の障害全てを理解しており、それでも自らが持つ【憧憬】のために走り続けることを選んだのだ。一歩でも先に進まなければと体が動いたのだ。
『君が強くなりたいと言うのなら、ボクは力を貸すし背中を押そう。……でも無茶をしないでほしい。それは嘘偽りないボクの本心だ』
『――はい。無茶はしません。約束します』
その答えの中に嘘はないと、神であるヘスティアは理解することができた。それでも不安がヘスティアの心を過る。
『おとうさん』の、英雄の隣に立つこと。只の人であるベルがそこを目指すために、自分のできる限りを尽くしてきたのだ。ならば限界――どこまでが無茶でそうでないのか彼は一番それを理解している。オラリオに来るまで彼はそうして生きてきたのだから。
それなら自分ができることは何だろう、とヘスティアは考える。
ベルはヘスティア以上に地上の世界のことを知っていて、彼は一つの目標に向かって走り続けることの意味を理解していた。そこにヘスティアの手を借りようと考えすらしないだろう。【英雄】にとって自分の背に居る者は守るべき者だ。それを目指すベルもヘスティアのことを守らなければならない者と考えていたとしても何もおかしくはない。
だけど悔しいとヘスティアは思ったのだ。自分がベルのために何もできなくて、ただ見守っていることしかできないことが。
何の取り柄もないちっぽけな神だけれど、それでもベルの力になりたい。
「(……ヘファイストスに会いに行こう)」
他力本願で情けない限りだけれど、ベルはヘスティアが何かしなくても行動を起こすはずだ。だからヘスティア自身にしかできない、持っていないものを彼に渡そうと決意した。
――――
ダンジョン7階層、生まれたばかりのニードルラビットはあたりを見渡して自分の場所を確認する。キラーアント数体が哨戒し、パープルモスがのんびりと宙を漂っている。敵対反応を示す存在は無く、どこにでもあるダンジョンの一角だった。
その湖の水面のように穏やかな場所の一角に一石が投じられる。最初の波で漂っていたパープルモスが小さな悲鳴を上げて地面に墜落し、モンスターたちが臨戦態勢に入る。パープルモスの魔石に突き刺さっていた投げナイフはからんと音を立てて転がった。
襲撃者に向かってニードルラビットは突進する。己の角を相手の足へ突き刺そうと駆け、衝突しようとしたところで相手の姿が煙のように消えた。歩法で自身の意識をずらされたニードルラビットの背中にナイフが突き立てられ、勢いのまま裂いて走り抜ける。ダメージの許容量を超えたところでニードルラビットの体は勢いに任せて転がり消滅した。
「(……遅い)」
襲撃者――ベルはそれに目もくれず残ったモンスターへと向かう。キラーアント、蟻の外見とは裏腹にその甲殻は堅牢なものだ。情報を頭の中から引き落とし、複数を同時に相手することを避ける、というセオリーを無視して群れているその場所へと走った。
一匹目、首に当たる頭と胴体の繋ぎ目にナイフを突き立てそのまま切り落とす。
二匹目、向かってきた所を返しの刃で胴体へと突き刺しそのまま柄をひねる。
三匹目、足を狙った噛み付きは突き刺したナイフを起点に腕の力で体を動かし回避する。柄の感触からキラーアントの甲殻に阻まれナイフは抜けないと判断し、腰の鞘から予備である角兎のナイフを抜きそのまま一閃した。
「(……鈍い)」
サブウエポンであるシャドウウォールのナイフは同階層のドロップアイテムである爪を素材に使ったものだ。その一撃はキラーアントを怯ませるには十分で、怯んだ所に本来の特性へ沿うようにその体へと刺突した。その一撃はキラーアントの魔石を貫き、目に光がなくなったかと思えば、その肉体は霧散しダンジョンの中へと消えていった。
ベルは倒れ伏すキラーアントからナイフを引き抜くと、ゆらりとその足をダンジョンの奥へと向けた。自身が倒したモンスター達に目もくれず、ただ自分が倒すべき糧を探し続ける。
「――弱い。ああくそ、畜生、もっとできるはずなのに」
ぎり、と。奥歯を噛んでベルは呟いた。
怪物祭から三日経ったその日、ベルはダンジョンの中で戦い続けていた。
「(駄目だ、こんなんじゃ届かない。あの男のいる場所すら見えやしない)」
自分の限界は伸びている。それは急激に伸びたステイタスに反映しているし、体を動かして確認もできている。やれることは一つずつ増えていて、嘗て自分が歩んできた【軌跡】は引き落とさずとも体に馴染んできている。
かつて
……だが、それだけだ。数年程度の積み重ねでは、それだけの軌跡ではオッタルには届かない。自分が打倒しなければならない男の、立っている場所すらベルには分からないほどの力量差があった。
自分の旅で得てきた【軌跡】全てを取り戻したとしても、保証されているのは自分が嘗て居たLv.2という場所だけだ。その先は未知であり、行けるかどうかも分からなかった。
『何もかもしなければ』、英雄の場所に立つことは許されない。
「(そんなことずっと前から知っているんだ! だけど、それでも!)」
【英雄】になりたい。
目の前の全てを打ち砕けるような、全てから神様を守れるような、【奇跡】すら手繰り寄せられるような英雄に。
自分の持つ【軌跡】だけでは至ることができなかった。至る前に憧憬は砕けて消えた。だから今は、それを土台にして自身を打ち続けるしかない。
打って、打って、打って、打って、打って、打つ。
どうしようもなく辛い道のりでも歩いているのは自分一人だった。壁が立ち塞がろうとも、自分自身で打ち壊さなければならない。そのために、ただ自らを打つ。
『無茶はしないでほしい』とヘスティアからベルは言われている。だが自分の限界は常に把握している。どこからが無茶であるのかも自覚している。それなら神様へ言った言葉に嘘もない。
「(もっと速く、もっと強く、もっと先に行かないと!)」
自分はきっと追いつけない。だから、自分の定めた限界を走らなければならない。
ダンジョンからまたモンスターが生まれ、その場所に向かってベルは走る。
ウォールシャドウの影を踏み消し、群れたコボルトを全て切り捨て、ニードルラビットの角をへし折った。バットパットの羽を斬り落とし、インプの頭を捩じ切り、オークへ放った魔法は体を焼き払った。
立ちふさがるモンスター達を倒しベルは走り続ける。一つでも自分の限界を広げるため、ただ真っすぐに【憧憬】に向かって走り続けた。
ベル・クラネルは【英雄】ではない。
嘗ての旅では男神が、走り続けるベルを導いていたからこそ最後まで折れずに居た。だが今この場所にベルを導く存在はいない。
そしてダンジョンは、只の人を、夢見る者を簡単に殺す場所だ。一人、【英雄】という夢だけを求めて走り続けるのなら、只の人であるベルが行く先は【死】という当たり前の現実だけだった。
不意に、その背中に声をかけられた。
――
「待って」
アイズ・ヴァレンシュタインは思わず声をかける。
身体能力の面では自分の方が優れているが、どんどん先に行ってしまうその存在を呼び止めようと声に出ていたのだ。
心にどこか焦燥感を持ったアイズを気にすらしていなかったその存在だが、アイズの言葉にゆっくりと振り向いて口を開いた。
「んー? なんやアイズたん。まーだ考えてるんか?」
アイズの声にその神――ロキは振り向き言葉を返した。
そこはオラリオの市場。日は高く多くの人々が行き交っており、人々の軽快な声が彼方此方から聞こえてきた。
ロキの言葉を肯定するようにアイズの態度にはどこか躊躇が表れている。可愛いなぁ、とロキはアイズに思うと同時に、その原因を作った相手に対して苦々しく思った。
怪物祭が終わりロキ・ファミリアではフィンやロキが、その場所で騒動に巻き込まれた団員の話を纏めていた。ロキとしては十中八九今回の騒動はフレイヤが起こしたと確信しており、その裏付けをするための情報を集めていたのだ。
フィンとしてもロキがそう判断しており、敵対するファミリアの勢力を少しでも削げるカードになるのなら止める理由はない。食人花と対峙したティオナたちの話を聞いた後、ロキとフィンはアイズの話を聞くことになった。
結果、フィンが噴き出した。フレイヤ・ファミリアの団員との交渉でフレイヤを暗示する名称を利用して状況を動かすのは、爆発するか成功するかの二択にしかならない。オッタルに対してもう一度は使えないな、と頭を抱えるフィンと冷や汗を流すロキの様子にアイズも表情に出る程度にオロオロとしていた。
やってしまったものは仕方ないと次いで詳しい話を聞くフィンだが、ロキ・ファミリアの幹部として、そのあたりも教育したほうがいいのだろうか、そう考えた。
アイズがオッタルと話したとき、ヘスティアやベルのことを大切な友人だと言葉に出したことを聞き、フィンは口を開く。
『なるほど……ただ『大切な』という言葉は出さないほうが良かったかもしれないね。僕たちは敵が少なくない。それに巻き込まれる可能性を上げることになってしまうから』
フィンの言葉にアイズはたじろいだ。自分の行動がヘスティアたちを危険に巻き込んでしまうかもしれないと考えたからだ。
『(まぁ、そんなことは無いだろうけれど)』
言った本人は心の中でその可能性を否定する。特定の誰とも言っておらず、特定するとなればそれこそオラリオ中を聞き回らなければならないだろう。人質などで利用しようとしても、敵対しようとしている人物がそれだけ動けばフィンの耳にも入り、幾らでも対処は可能だった。
フィンの言葉は結果論からきたいちゃもんに近く、そのことは自身も理解している。
今回フィンが大げさに言ったのは、ちょっとアイズを脅かして、ファミリアの幹部として戦い以外のことを学ぶきっかけになってほしいと考えたためだ。フィンが口を開こうとしたところで先にロキから言葉がアイズへと向けられた。
『ちょっと軽率やったかもな。ウチらにとってはそんなでもない奴でも、ドチビんとこだと手も足も出ないようなのが向かうかもしれんな』
その意を汲んでくれたのだろう、フィンを肯定するようなロキの言葉にアイズの瞳がわずかに揺れた。ロキの後押しもあって信憑性は上がり、アイズも本当のことのように思っただろう。
まぁアイズを脅かすのもこれくらいでいいかと、フィンが逆に良かった点を言おうとした時だった。
『それにドチビんとこの
『……そんな』
『ちっと、対応間違えたかもしれんな。近いうちにいつの間にか
まさかの追撃だった。さらにそれを加速させていた。別にロキはフィンの意を汲んでいたわけではない。『アイズたんがドチビばっかり心配してるからちょっと意地悪したろ』ぐらいのノリだった。
顎に手を当て真剣な表情で言葉を告げていたロキだったが、ちょっと焦っとるかな、と考えつつもちらりとアイズの様子を窺った。
『どうしよう……私のせいであの二人が……っ』
そんなアイズは、泣いてこそいないが焦燥感に駆られていた。珍しいなどというレベルではなくロキは内心でやりすぎた、と冷や汗をかく。
本当にこの神は……とフィンは呆れたように溜息を吐いた。
『はぁ……脅かしすぎじゃないかな
『せ、せやかてフィン。って、今ものすごい意味でウチのこと呼ばんかったか!? ってそれよりもちゃうんやアイズたん! 今のはちょっと大げさに言っただけなんやって!』
ハンカチ片手にアイズの目元を拭いながらロキは慌てたように言う。
そして一瞬だけ口元に笑みを見せたことをフィンは見逃さなかった。いいことを思いついた、といった様子のその表情であるとフィンは思った。
『……本当に? あの子とヘスティアさんは』
『大丈夫やって安心しぃ! そや! そんなに心配なら見舞いにでも出かけて顔見に行こか! どーせあのドチビのことやしピンピンしとるって! な?』
バシバシとアイズの背中をたたくロキの言葉にアイズはこくんと小さく頷く。
『いよっしゃ! 早速明日にでも行こか! 怪物祭じゃ半端やったから今度は最後まで一緒や! ウッヒョー! アイズたんとデートやぁ!』
怪物祭では中途半端に終わってしまい、不完全燃焼であったということもある。ロキは丁度アイズと出かける口実ができたため、アイズを慰めるついでに約束を取り付けたのだ。
その言葉でアイズも気が付いたが、その数秒後にはロキは自分の部屋に走って行ってしまい、アイズとフィンだけがその場所に残された。
『アイズ、明日は予定はあったかい?』
『えっと、ダンジョンに行くつもり……だったけれど』
『あの様子じゃ無理そうだ。……あんな風に、口の上手さならロキは神達の中でもずば抜けていると聞くし、参考にするといい』
『……うん』
アイズはヘスティアのところに見舞いに行くことに不満はなくとも、言いくるめられたことに複雑そうな表情を見せる。そんな様子のアイズにフィンは苦笑し言葉をつづけた。
『ああいった
と、そんな話をしたのが昨日の話だ。
アイズはフィンから出された課題は彼女を悩ませるに足りるものであり、ロキが先に行っていたことも気が付かずに没頭していた。
課題の内容は『ヘスティア・ファミリアから何か益となるものを得てくること』だ。アイズとしては今回迷惑をかけてしまったかもしれないと考えており、お見舞いの品をどうしようと真剣に考えることになっていた。
眉をひそませ、むむむと悩む姿はロキにとっては新鮮に見えたが、それが自分の宿敵の神のためのものだと思うと面白くなかった。
「(ドチビィ……ウチのアイズたんにこんな表情させるなんざ許……すわ!可愛いしな! ……いやいやイカンってウチ。
アテナに関しては自分の所の眷属を闘技場で戦わせ続けるなどしており、フレイヤに至っては言わずもがな。最近ではヘスティアにターゲットを絞ったようだが、変態であることには変わらないとロキは考える。神はどいつもこいつも変態だが。
「(まぁフレイヤに関してはご愁傷さんとしか言えんしなぁ……)」
怪物祭でフレイヤがやらかしたことは表ざたにはなっていない。ロキ自身はその情報をつかんでおり、意気揚々とそのカードを使ってフレイヤ・ファミリアからアドバンテージを引き出そうと思っていたのだ。
だがその前にフレイヤ・ファミリアは、触れたら爆発するぜと言わんばかりの火薬庫になっていた。その原因は怪物祭が終わってから立ち始めた噂が原因だと言えるだろう。
フレイヤ・ファミリアの団長が離反した。
普段そんな噂を出せば頭がおかしい奴扱いされるが、現に団長であるオッタルが謹慎しており、ファミリア自体が殺気立っているなど裏付けされる情報はある。
実際のところは言葉が足りなかったオッタルと早とちりしたアレン等団員達、フレイヤの嫉妬などが複雑に絡まった結果ミラクルZが起きたらしい。ロキも深く知らないが、フレイヤにとってはショックだったということだけは分かった。
オラリオの住民はフレイヤ・ファミリアについては触れたらマズイ案件と察しそれを広げることは無かったが。
ロキもそれを察し、今回の案件で得たカードは昔あった借りを潰すことに使うことに決めた。昔フレイヤから拝借したものの所有権を、改めて自分が得るということを手紙で一方的に送り付けた。まぁ今回の件はフレイヤも痛い目見たからええか、とロキとしては今回の件の終わりについては特に文句はなかった。
それで怪物祭についてはひと段落ついており、あと残っているのはアイズがヘスティアたちのことを心配しているぐらいのことだろう。
「ほらアイズたんもそう何時まで悩んでおっても変わらへんって。ドチビのことやし、その辺でじゃが丸くんでも買ってけばええんとちゃう?」
「ヘスティアさんはそうだけれど、ベルは怪我をしたって聞いたから。……やっぱりポーションにしよう」
「あー、それは……まぁええか」
ポーションは一般的な見舞いにしては高額なものだとロキは考える。今回の件は別にアイズが迷惑をかけたわけでもないのだから、手軽なものでいいとロキは思うが、そのあたりも含めて勉強ということだろう。
「(それにしてもドチビの眷属……ベルか。なんでこんなアイズたんに心配されとるん?)」
ロキとしてはアイズはお気に入りの眷属であり、生半可な男にはやらんと考える人物である。それがファミリアの外の男、それも自分の宿敵の神の眷属であるとなれば疑い深くなるのも無理はないだろう。
「(知らん内にドチビんとこの
そこまで考えてロキは思いなおす。
いや別にヘスティアが誰を眷属にしようが勝手な話であり、今の自分には関係のない話である。そしてその結果ヘスティアがどうなろうとどうでもいい話だ。
「ロキ?」
「うん? アイズたん? もう買い物は終わったんか?」
ロキの言葉にアイズはこくんと頷いた。手にある紙袋には見舞い用の果物がいくつかと、包装されたポーションが入っている。
「そか! それなら後はドチビんとこ行くだけやろ? ついでにじゃが丸くんでも食べてこか!」
そういってロキはアイズの手をとってずんずんと歩みを進めた。突然のことで驚いたアイズだが、すぐに歩調を合わせてロキについていく。
ロキにとってはヘスティアがどうなろうとどうでもいい話だ。どうでもいい話だがアイズが気にかけているなら少しぐらいは心配してやってもいいだろう。顔見せついでに土産でも買っていこうかと、じゃが丸くんの屋台へと近づいた。
「「おっちゃん、じゃが丸くん幾つか頼む
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七話中
『ヘファイストス・ファミリア』メインストリート支店の執務室で、ヘファイストスは自身が作った剣を模したペンダントに、自動防御のエンチャントをかけなおしていた。ヘスティアに渡してあったそれは
そしてその友神――ヘスティアといえば、執務室に備え付けてあったソファに座りぼんやりと何かを考えているようだ。活発な彼女の印象とは反対で、心なしか二つに纏めた髪もしょんぼりと地面に向かって垂れている。そして時折こちらをチラチラと何か言いたげにして、口を開こうとして噤むの繰り返しだ。
ペンダント、ヘスティアにとってはお守りの調子を見てもらいに来た、というのがヘスティアがここに来た口実だった。ほかに何か言いたいことがあるにもかかわらず切り出さないヘスティアに、ヘファイストスはいい加減言いたいことがあれば言えと言いたくなっていた。
ペンダントの手入れが終わりヘファイストスはそれを持って立ち上がる。ヘスティアの視線を無視して、彼女の座るソファの横へと音を立てて座った。
「できたわよ。それで、あんたは何時までそうしているつもり?」
「……迷惑かな?」
苦笑交じりに言うヘスティアにヘファイストスは額に手を当てて溜息を吐く。
「迷惑というより鬱陶しいわね。何時ものあんたはどこに行っちゃったのかと思ったわよ」
「えっと、いや、これには訳があってさ。そういえば! 執務中だったんだろう? 忙しいところに中断させちゃったけれど、大丈夫なのかい!?」
この期に及んで引き延ばそうとしているヘスティアを見て、ヘファイストスは指で円を作るとヘスティアの額めがけてそれを弾いた。
あうっ、という小さな悲鳴がヘスティアの口からこぼれる。
「私はこれから休憩よ、今決めたわ。確かあんた今日は店のシフトに入っていたのに、ここで長居していてもいいのかしら?」
休憩時間がずいぶん長いようだけれど、とヘファイストスは言葉を続ける。
ヘファイストスが運営している武具店のアルバイトは、ヘスティアが居候していた時代から続いている。じゃが丸くんの屋台でのアルバイトを始めてからその日数は減ったが、どの日に店で働いているかはヘファイストスも把握していた。
「あはは。……どうも身が入っていないことがばれちゃってね。今日はもういいからって帰されちゃったよ」
「前はそんなことあったら蹴りを入れられていたのに、だいぶ変わったわね」
「ぐぅ、君のお店の子たちは容赦がなさすぎると思うな。神をなんだと思っているんだ」
「あんたがグータラし過ぎたからでしょうに。私も鍛冶師から牛飼いに転職するとは思わなかったわよ」
ヘファイストスはヘスティアが天界から降りてきて怠惰な生活をしていたことを思い出す。年がら年中本を読んだりして働こうともせず、ついには夕飯のお代わりを遠慮しなくなったヘスティアにヘファイストスは突き付けたのだ。
『今のあんたを養ってくれるような眷属なんて居ると思っているの』と。
「神友を牛扱いは流石に酷いってヘファイストス!」
「安心なさい。今は馬ぐらいまでランクアップしているから、精肉する予定はなさそうよ」
「文字通り馬車馬のごとく働かされているから、勝手にひき肉にされそうだよ。もう少ししたらハンバーグにでもなるんじゃないかな」
「そうなったらロキやフレイヤ辺りに食べられそうね」
「ひぃ! なんで今その名前を出したんだい!? ガネーシャのところの神の宴で君も見ていただろう!?」
その言葉にヘスティアはショックを受けたらしい。客観的に見て今の自分はクソニートだと気が付いたのだろう。それでも本の中の姫のように王子様が迎えに来ると考えているなら、ヘファイストスは容赦なく追い出していたかもしれない。
まぁそこで、どうすればいいかな、とヘファイストスに相談されたため、とりあえず自分の生活ぐらいは何とかしろとアルバイトを勧めたのだ。
結果は……いろいろ問題を起こしたが勧めたのはヘファイストス自身である。それでももう少しぐらいなら居候させてもいいかと思う程度には頑張っていたため、ついつい甘やかしてしまったのだった。
「って、そうじゃなくてボクのことは別にいいんだよ。それよりもヘファイストス、その」
「なに?」
もじもじと何かを言おうとするヘスティアの言葉をヘファイストスはじっと待った。ヘスティアにとっては言いにくいことであると分かるが、言ってくれなければ自分も分からない。
意を決して口を開いたヘスティアの言葉はなんとなく予想できたものだった。
「……お願いがあるんだ」
「久々に来たわね……それで、なにを?」
ヘスティアがヘファイストスに頼みごとをするのは久しぶりだった。オラリオでの生活がまだ勝手がわからない頃や、アルバイトで大ごとになった時など頭を下げて頼み込んでいた。
眷属を得てからその様子もなく、独り立ちしたと安心したところだったのだが、今回来たのは想定外だったといえるだろう。
「ボクのファミリアの眷属のために、武器を作って欲しい」
「………………………ふう。とりあえず理由を話してちょうだい。二つ返事で返せるほど私は自分の腕を安売りするつもりはないわよ」
そして言われた内容も予想外だった。ヘファイストスは頭を再起動させるために息を一つ吐き、親しさを少し消した声色でヘスティアに言葉を返した。
ヘスティアはヘファイストスの店でアルバイトをしており、そしてその主神が作成する武具の価値を理解していた。理解したうえでその頼みごとをしてきたのなら、普段のように簡単に聞いてやるわけにはいかなかった。
「わかっているよ。実は……」
そうしてヘスティアの言葉に耳を傾ける。
怪物祭で襲われたこと、眷属であるベル・クラネルがそこでヘスティアに語ったこと。そして今、【英雄】になりたいともがき続けていること。いろいろ尋ねたいことはあったが、まずはヘスティアが語り終わるまでヘファイストスは待った。
「ボクにできることなんてとっくの昔にベル君はやってると思う。それでも、力になりたいんだ」
「……」
ヘスティアの話を聞いた後も、ヘファイストスは言葉を返さず、口元に手を当てて考えたままだ。
ヘスティアが巻き込まれた怪物祭での事件について。巻き込まれたことは知っていたが、まさかベルが大怪我を負うほど関わったことは知らなかった。まぁ元凶についてはアタリはつくが、触れるなら火傷では済まない相手のため、今度会ったとき一言二言伝えようと考える。
そして話に出てきたベル・クラネルについては軽くだがヘファイストスも知っている。以前ヘスティアがファミリアを結成したと報告に来た時、さんざん自慢していたためである。そして団長である椿・コルブランドが目をかけている眷属――ヴェルフ・クロッゾが今共に行動している人物であるためだ。
「……話は分かったけれど、それは本当に私の助力が必要とは思えない。今は見守っていてもいいんじゃないかしら?」
自分の無力が許せなくて力を得ようとする、そうした
だが自分への怒りはいつか収まるため、それだけを糧に人は走れはしない。周りを見る余裕を見つけて、導かれているのだと分かって、そうしてようやく走らずとも前には進めることに気が付くのだ。
抜き身の刀のような人物であったとしても、ヘスティアが鞘となって迎えてやれば収まるべくところへ向かうだろう。ヘファイストスはそう考える。
ヘスティアはその言葉を聞いて顔を上げる。見せた表情はやはり不安げで、ぽつりとこぼすようにヘスティアは呟いた。
「……怖く、なったんだ。ベル君が止まらずにずっと先に行っちゃうんじゃないかって」
英雄になってほしいと、そう願ったのは自分だ。そして英雄になると決めたのはベル自身だ。止める資格は自分にはなくて、そしてベルは無茶を無茶だと思わず走り続けている。
「ボクの言葉は、ベル君に届かないんじゃないかって」
声が震えヘスティアの視界がにじむ。
ベルがオラリオに来る前に来た道で、歩みを止めたのは憧憬が砕けてからだ。ならばまたオラリオで新たな【憧憬】を得た今は?
前は彼の『おとうさん』――男神が導いていたため、道を外れず走り続けていた。それが居ない今は? ダンジョンという当たり前のように命を奪っていく場所に居る今は?
ベルが自分の目の前から居なくなってしまうのではないか、それがヘスティアはどうしようもなく怖くなったのだ。
「ボクが彼のためにしてあげられることなんて何もない。だけど、ただ見ているだけなのは嫌なんだよ……」
「……」
ぽろぽろと、ヘスティアの目から涙がこぼれる。ヘスティアがどう考えてみてもベルを止める方法は思いつかなかった。だからせめて、前に進むための力を渡したかったのだ。
ヘスティアの言葉をヘファイストスはじっと受け止め……ハッキリといえばベルに対して文句を言いたくなった。よくも私の神友をこんな風に泣かせてくれたなと。もちろん言わないが。ヘファイストス自身にも立場があるのだから。
「お願いだヘファイストス。ベル君のために、武器を打ってほしい」
ヘスティアは深々と頭を下げる。そのまま行けば地面に頭をつけてしまいそうだとヘファイストスは思った。
ヘファイストスはヘスティアに対してかなり甘いことを自覚している。このまま彼女に頭を下げ続けられたら、最終的にはこちらが折れてしまう未来がはっきりと見えるぐらいには。
ベルという冒険者についてヘファイストスは詳しく知らない。英雄を目指し破滅していく、どこにでもいる人であるというのが今のベルに対する印象だった。さらに直接会ったことはないため、聞いたままのことだけで判断すればベルに対して良い印象は持っていない。それでも、自分の神友がこうも心配している眷属であるのなら、何とかしてやりたいと思うのも事実だった。
「ヘスティア」
ヘファイストスは考える、今の自分がすべきことを。こうして自分に頭を下げた神友のためにどうすることが一番なのか。それを決めて改めて口を開いた。
「私は、あんたの眷属のための武器を打たない」
「ヘファイストス!」
「勘違いしないでほしいのは!」
悲鳴のようなヘスティアの声を遮るようにヘファイストスは言葉を続けた。
「あんたのことが嫌いになったわけでも、ベルって子がどうでもいいと思ったわけじゃない。……そこは誤解しないでちょうだい」
ヘスティアの反応は予想していた物であり、彼女が何か勘違いする前に無理やり自分の思っていることを先に伝えた。
感情が高ぶったり治まったりでまだ揺らいでいるのか、何とも言えないあいまいな表情のままヘスティアは頷いた。
今すぐどこかに駆け出したりすることは無いだろう、そう判断したヘファイストスは話を続ける。
「私がそういう結論に至ったのは二つ理由があるわ。一つ目だけれど……私はあんたに『貸し』を作りたくない。今回の頼みがどれだけ重いことになるのか、あんたも理解しているでしょう?」
「……それは」
ヘスティアは言葉に詰まった。今回ヘファイストスに作る借りは今までの比ではないことを理解していたからだ。
ヘファイストスの作品を実際に購入するなら、オラリオの一等地に城を建ててもまだ足りない程度の金額が必要になるだろう。ファミリアを率いる立場であるヘファイストスに直接頼み込んでいる時点でタブーに踏み出している。自分の働きに対する対価についてヘファイストスは軽くするつもりは一切無かった。それは自分の眷属たちの作品を軽く見ることにも繋がるためだ。
「貸し借り程度で縁を切るつもりはないけれど、私はあんたとは対等で居たい。……あんたは違うのヘスティア?」
「……そういう聞き方はずるいよ、ヘファイストス」
ヘファイストスも今自分が言った言葉はずるいとは思うが本心でもあった。
天界に居た頃、ヘファイストス自身が眼帯で隠している場所のことで指をさされ、笑われたことも何度もあった。それを気にせず接していたのがヘスティアであり、そこから彼女とは神友となった。
ヘスティアがオラリオに来たとき色々世話をしたのは確かだが、それをヘファイストスは貸しだとは思っていなかった。もしもヘスティアとヘファイストスの立場が逆だったらヘスティアも同じことをしただろう。今の立場の違いなど、早く下界に降りてきたか否かの違いでしかない。
だが今回の話は別だ。ヘスティアに対する明確な『貸し』である。貸借にはどうしても立場に上下が出る、それがヘファイストスは嫌だったのだ。
沈んだ表情になるヘスティアにヘファイストスは小さくため息を吐く。それは悲観的なものではなく、仕方ないな、とお節介心が漏れたものだった。
「もう一つの理由は、あんたの眷属の情報を纏めて考えてみたけれど、やっぱり私の助力は必要ないっていう結論が出たからよ」
「え? ……君がそう言うなら根拠があるとは思うけれど、なんでそう思ったんだい?」
「まぁさっきのはおまけみたいな物で、こっちが主な理由ね」
そう、先ほどの理由だけではヘスティアの頼みを断るには少し弱い。ヘファイストスが自分の意思を呑み込めば済む話であり、いざとなればできなくはなかった。
「私がベルって子に持った印象は抜き身の刀と同じものよ。研ぎ澄まされているのに簡単に折れてしまいそうな、そんな感じの子だと思った」
ただしそれは神達から見れば癖の強い子供でしかない。そういった意味では懐の深い存在であるといえるだろう。それはヘスティアやヘファイストスも例外ではない。
「あんたならその子の鞘になってあげられると思ったけれど、……現状は違うんでしょう?」
「そう、だね」
口の端を噛むヘスティアはどこか悔し気にそう答える。
もしかすれば彼女は自分の力不足のせいで、などと考えているかもしれないが、ヘファイストスはそうは思わない。
ベル、ヘスティア、ヘファイストスだけの話なら自分はベルのための武器を制作していただろう。だが――
「ただ、納まるはずの鞘まで傷つけるっていうならその刀は異常よ。そして――」
ヘファイストスが今回の件を断った一番の理由は。
専属の鍛冶師を差し置いて勝手に武器を作られたら、たとえそれが主神でもあっても怒りを生むだろう。
「刀の異常を診るのは、鍛冶師の仕事よ」
――
「ちょっと待ってくれベル。速すぎだ、道中の奴らを回収しきれなかったぞ」
十一階層入り口、そのまま自分たちのボーダーラインを超えてしまいそうな勢いで走るベルに、ヴェルフは思わず焦ったように声をかけた。
怪物祭の次の日、待ち合わせの場所にベルが来なかったため、ダンジョンでの探索もそこそこに切り上げその次の日を迎えたのだが、その日は普通にベルは待ち合わせ場所へとやってきた。怪物祭の騒動に巻き込まれて一日拘束されていた、とヴェルフはベルから聞いている。それ以上ベルから語ることは無く、謝罪もされたためそのままにしてダンジョンに向かった。
その時ベルから提案があったのだ。大きくステイタスが伸びたから、十一階層までは自分一人でやらせてほしいと。
ヴェルフとしては半信半疑でベルのサポーターに回っていた。だがヴェルフが魔石を回収する時間を持てないほどベルはどんどん先に進んでしまい、目標地点である十階層の奥までたどり着いたのだ。
「ヴェルフ……? と、ごめん。気が付かなかった」
「気が付かなかったって、お前なぁ」
十一階層から下はヴェルフにとってソロでは対処できなくなる場所であり、ベルとパーティを組んだ後も万全の状態でないのなら行かない場所でもある。今まではステイタスの適正でいえば到達しているのはヴェルフだけであり、自然とメインアタッカーを務めベルがその補助をして成り立っていた。
だが今回実質ソロで十階層の奥まで到達したベルを見て、ヴェルフは十一階層以降でもベルがメインアタッカーを務めても問題ないと判断した。急激な成長に思うことはあるが、状態はほぼ万全だ。
「…………」
自分の仲間が急成長したのならヴェルフとしては喜ぶところだろう。だが、なにか違うとヴェルフは違和感をもっていた。成長した本人が喜ばず、淡々とモンスター達を倒しながら進む姿をヴェルフはベルが怪物祭の前と全く違う状態であると感じたのだ。
本当にこのまま行っても大丈夫か? 行かせても大丈夫か?
「
ヴェルフはベルに近づくとじっとその表情を窺った。突然のことへの驚きと、先に早く進みたいという焦燥感でわずかにベルの表情が変わった。
「……どうしたの、急に」
「……あーすまんベル、装備に不備がある。割と致命的な、それこそ俺の工房じゃないと何ともできそうにない奴だ」
「えっ!?」
そしてこのまま行くと自分たちは死ぬ可能性が高いから、今回は行かないほうがいいとヴェルフは判断を下した。
「……さっき戦ってた時に壊れた? ……見たところおかしいところは無いように感じるけれど」
ベルは自分の手足を動かして自分の装備を確認する。道中での戦闘で多少汚れてはいるが、短刀の切れ味も体を守るライトアーマーの安定さも変わっていない。
ならばヴェルフの装備の方かとベルは考えるも、それはないと思いなおす。ここまで戦いはベルが全て行っていたため、ヴェルフの装備が損傷するというのは考えにくい。
だがベルの言葉に対してヴェルフは首を振って答える。
「素人目だと分からない場所だ。……もっとも、装備の不備を出した俺が言えたことじゃないけれどな。悪かった、ベル」
「そんなことは……」
ヴェルフに先に頭を下げられベルは次の言葉を失った。嘘なのではないか、とベルは思ったが、ヴェルフが自分の仕事の出来で嘘をつく理由がわからない。それに嘘だと断言できる根拠もなかった。
「……分かった。それってすぐに直りそう?」
「俺の工房で何とかできるかも、ってところだな。今日は戻ったらそのまま見たいんだが、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。それなら戻るときはまた――」
「今度は普通に俺も戦いながら帰るぞ。流石にその状態で一人でやるのは事故起こしてもおかしくないからな」
「……分かった」
しぶしぶベルは頷いて立ち上がり来た方向と真逆へと歩みを進めた。
ヴェルフもそれについていくため立ち上がると、一度十一階層への入口へと目を向けた。
そこは冒険者たちにとっては一種の休憩場所でもあった。開けた空間の見通しは良く、大きく警戒せずともモンスターの到来がわかるからだ。ギミックの発生も少なく広く場所を取れるため戦いやすい場所だと言えた。
そしてヴェルフにとってはある意味では特別な場所であるといえる。
「ヴェルフ?」
「ああすまん、今行く」
ベルの手にはヴェルフが制作した武器の短刀――『下鱗刀』が握られている。それは今まで生きてきた中でヴェルフが一番だと言える傑作だ。
下鱗刀を制作した時点でヴェルフはスランプから抜け出すことができていた。だがそれでも今でもベルとパーティを組んでいる。
ヴェルフはその武器の素材を落としたモンスター――インファントドラゴンとこの場所で戦った時のことを思い出した。
サブシナリオ インファントドラゴン
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サブシナリオ1上 インファント・ドラゴン
サブシナリオ1は全部で3話ぐらいになりそうです。
ただ絶対必要だったので、頑張って書ききります。
時系列が少し前に戻ります。
それはヴェルフとベルがパーティを組んでから暫く経った頃の話だった。
報酬の分配などの契約内容など細かいことを決めて、互いの強さと連携の確認が済んだのが先週のことだ。
そろそろヴェルフの適正階層である10階層に向かおうという話になったところで、ぽん、とヴェルフの肩に手を置かれたのである。
ニコリと笑うハーフエルフのギルド職員が居た。
ひきつった表情を向けるベルとは対照的にヴェルフは何が起こるかわからず首を傾げ……数時間後には机の上の解答用紙に脳を揉まれる羽目になった。
「待、待て、待ってくれ! あと少しで出てくるんだ! もう少しだけ待ってくれ!」
そして現在、出現モンスターや地図といった10~12階層の知識、パーティプレイ、契約内容の注意事項などを教え込まれ、その確認のテストを行っているところだ。
机の上の解答用紙を奪おうとしてくるエイナの手を躱しながら、ヴェルフは焦るように叫んだ。
「もう時間ですよヴェルフさん、いい加減諦めてください。ベル君もきっちり手を止めているんですから」
エイナの片手にはベルが記入していた解答用紙があり、隣で唸らせていたべルは机に突っ伏してダウンしていた。
「あれは頭がパンクしているだけだ……ってなああああ!」
ヴェルフの手元にあった紙……解答用紙をするりとエイナは回収する。そしてすぐに手元にあったバインダーの上で採点を始めてしまった。
「規則31の5……契約破棄時……対応……過去の判例……対策……」
頭から湯気を出し、脳から勝手にこぼれた言葉がベルの口から出ていた。
ヴェルフが聞いていた内容は大体知っているし、いいよね、と逃げようとしたところを同じく捕まったらしい。過去の揉め事の判例や冒険者たちの対応など、ギルドの職員にでもなるんじゃないかと言わんばかりの内容に脳がショートを起こしていた。
「ふんふんふん……間違えちゃいけないところは全部あっているし、うん、二人とも合格! お疲れ様だけど、間違えたところはしっかり見直してね」
天使のような笑顔を見せるギルド職員……エイナにヴェルフは返せる言葉がないと言うように背もたれへ体を預けた。
ベルはようやく脳内の整理ができたのか、突っ伏した体から顔だけ上げて恨めしそうにエイナへと視線を向けた。
「……エイナさん。勉強していて思ったんですけれど、この問題の内容、もしかして10階層進出に関係なかったんじゃないです?」
今回ベルが解いていた問題は、ファミリア間の抗争や住民たちと起きた問題、その解決や判例など。いわばオラリオの規則や法などと呼ばれるものだった。
ヴェルフとベルは違うファミリアであるが、さあ今から10階層に行くぞ、というとき学ぶ知識としては少し重いものだった。
「そうだよ? サポーターとしての今のベル君に必要な知識は前に全部教えちゃったから、これから必要になることを先に予習したほうがいいと思ってね」
エイナはジト目のベルに対して何かおかしいかな、と毅然と返す。
ベルは過去の旅で発現していたスキル――【憧憬一途】の影響からか知識を蓄えることは慣れていた。それは当時ベルが求めていた種類の【力】に一番沿うのが知識や技術であり、スキルはその意思を後押しした。それこそスポンジが水を吸い込むように
もしも少し立場が違ったとしたら、【憧憬一途】がもたらしていたのはステイタスへの成長補正だったのかもしれない。
さておき、スキルは失い吸収は遅くなったものの、その残滓の影響なのかダンジョンの知識も早期につけることができた。それが今回勉強会のハードモードに巻き込まれる原因になったのだが。
「そこは手始めに、10階層以降についての復習とかやると思ったんですけれど……」
「え、なに? 今から復習をやりたいって?」
「ひっ、ごめんなさいなんでもないです!」
分かればよろしい、と答えるエイナにベルは何とも言えないような表情を返した。知識が重要であることはわかる。だが今本当にこれは必要なのか、という思いが少しだけあった。
それがエイナも分かったのか、小さくため息を吐いてベルの目の前に人差し指を突き付けて言う。
「確かに今すぐ必要な知識じゃないけれど、君はヘスティア・ファミリアの団長なんだから。むしろ必修ものだって私は思うよ」
今回の復習ついで、と言うようにエイナは改めてメリットをベルへと言い聞かせた。
先ほどベルがテストされたのは主にファミリア間の争いについての対処方だった。
ファミリア間の抗争に基本的にギルドは不介入である。だが住民たちに危害が出た場合や、ファミリア自体がルールを破っていたなどの理由があればギルドを通して抗議することができる。
お上に言いつけてやる! という行為をそのファミリアの主神がどう思うかは別の話だが、弱小である内はその抗議方法の存在は身を守るための知識の一つだった。
「今回のケースだとヴェルフさんとの直接契約にギルドを挟むっていうのは堅実な方法の一つだね。手間は掛かっちゃうけれど、相手に信頼を伝える、自分の利益を守るっていう二つの目的に使われるのが一般的かな」
「それは初めの方でやったので大丈夫です。……融通が利かないのが難点なんですよね」
ヴェルフにパーティを組まないかと言われたとき、ベルも少しの警戒があった。そのためギルドを通して契約をしていた。しかしヴェルフとの信頼ができた今は、わざわざギルドを挟むのは手間でしなかった。
現在は契約内容を変えてギルドを通さずやり取りをしている。
「その通り。きちんと実践ができているなら教えた甲斐があったよ」
自分が担当している冒険者が堅実に歩みを進めていることが嬉しく、エイナの表情に笑みが浮かぶ。
それを隣で聞いていたヴェルフは頷いて感心していた。ファミリアの団長というのはそんなことも考えているのか、と。
「椿の奴もその辺りをやってたのか…? まぁ俺はそこまで関係な」
「ヴェ・ル・フ・さ・ん? 貴方も他人事じゃないんですからね? せっかくですから追加でベル君の内容を覚えていきますか?」
「待った待った、もう入らないっての!? 今日覚えたはずの内容まで零れちまうぞ!」
ギンと鋭い視線を向けたエイナを遮るように、ヴェルフは手を前に出して首を振った。
ヴェルフとしてはエイナはギルドの受付嬢としては珍しい人物だと考える。冒険者とギルドの受付嬢の間柄はドライであることが普通であり、個人勉強会などを開いているのはエイナぐらいなものだろう。
「ヴェルフさんの担当者から話は聞いています。全然顔を出してくれないってぼやいていましたよ」
「まぁ、確かにしばらく顔を出していなかったな」
ヴェルフがギルドで担当されていた人物は美人だったことは覚えているが、それ以外の詳しいことは殆ど覚えていなかった。
以前ソロで行き詰まっていることを相談したが、パーティを組むことを勧められて以降使用していなかった。ファミリア内でヴェルフは爪弾きにされており、それができないため別の方法を考えようとしたからだ。
「……ファミリア内で組まない理由を聞くことはしませんが、貴方はこのパーティのリーダーでもあるんです。直ぐにとは言いませんが、ファミリア外で長くパーティを組むのならサポーターに必要な知識や、オラリオの決め事に関しては知っておくべきだと思います」
――
「(……たっく、ぐうの音も出ないな。そういう道を選んだっていうのは自覚しているけどよ)」
自身がソロで続けていたのは半ば意地のようなものだった。それが足を引っ張っていた自覚もあり、エイナから苦い言葉を貰うのも自業自得だ。知識の獲得、という見方によっては余計な手間をかけてしまうのも事実だろう。
だが、とヴェルフは思う。悪いことばかりではない。
「ギィ、ギギ!」
そこは10階層のルームだ。ダンジョンへと潜ってきたヴェルフはそこまで来たところで、インプたちと遭遇、そして今は逃げている所だった。
ヴェルフの少し後ろから不快な鳴き声とインプたちの足音が聞こえてくる。確認してみれば6匹のインプがヴェルフ一人を追いかけている状況だ。一体の強さはそうでもないが、連携を組んでくるインプはこの辺りの厄介者の一つだった。
普段ソロで活動していたヴェルフなら道具の出費を覚悟し、傷だらけになりながら対処していた相手である。しかし口元でにやりと笑みを浮かべたヴェルフは足でブレーキをかけて体を反転させる。
ヴェルフが立ち止まることでインプたちも同じように足を止めた。インプは知恵者だ。ゴブリンならそのまま突撃していたが、インプはヴェルフの行動の意味を探った。ヴェルフは右手で大刀の柄を持ちその底を左手で叩いた。
一瞬の静粛の後、それをヴェルフが迎撃を決めたと判断しインプは雄たけびを上げて行動を開始した。
「ヒィィヤァア! ギガァ!?」
瞬間、先頭を走ろうとしていたインプの足にナイフが突き刺さり、先頭が地面に転び、それに後続のインプも足を取られる。それと同時にそして視界に白い影が広がった。
横からの強襲を仕掛けたのは霧に紛れて隠れていたベルだった。ベルの主要武器の短刀はインプの胸へと一撃を与え、ベルは引き抜きながら足の裏で体を蹴り飛ばす。
「よう、お疲れさん」
飛んでくる仲間の身体を受け止めるインプが最期に見たのは大刀を横薙ぎしたヴェルフの姿だった。
それで二体のインプが絶命する。残りは四体。小賢しく回る頭は逆にこの時点でお荷物となり、奇襲によって喚きだすインプたちは再度大刀を構えたヴェルフへの反応が遅れた。
再度インプへと向かったヴェルフは動揺しているところを一撃で両断する。残りが三、そして逃げ出そうとしているインプの姿が見えた。
「逃がすかよ! 一匹と槌頼む!」
逃がして増援を呼ばれるのは面倒であるが、近接攻撃のみのヴェルフでは中距離への攻撃はない。叫んだヴェルフは大刀の鍔を鷲掴みにして後ろに引くと、そのまま大刀を逃げ出そうとしているインプに向かって投げ込んだ。
【器用】と【力】のステイタスの補正で矢のように放たれた大刀は、インプの背中へと直撃しそのまま地面に縫い付けた。
「シャアァアア!!」
一体は初撃のナイフで転んだところをベルに絶命させられている。最後の一体となったインプは武器を手放したヴェルフを見て飛び掛かる。防具で受け止めはできるが追撃する武器は無い。責め時であると判断したインプの前にとどめを刺し終えたベルが立ちふさがる。
【■■軌跡】■術。
「シッ!」
跳躍し一撃を与えようとしたインプにタイミングを合わせて、ベルはその顎へと掌底をぶつけた。その勢いでインプは押したプロペラが回るように一回転 、二回転と宙を舞った。
地面へと転がったインプへとヴェルフが追撃に走る。近くを横切る直前にベルの手からヴェルフの予備武器である戦槌が軽く放られた。
ああちくしょう、戦いやすいなぁおい!
ソロではできなかったことが、手が届かなかったところに手が届く。心理的な余裕やその効率にヴェルフは思わず口元で笑みを作る。
最後お願い。
任された。
すれ違いざまにベルと視線を交わし、ヴェルフは戦槌を握りしめる。倒れ起き上がろうとしたインプの頭へ向かってそれを振り下ろした。
グギ、と小さい声を上げてインプが絶命する。そして周囲を視野に入れつつ残心をとった。
周囲に増援は無し、ベルもそれを理解していたのか、ヴェルフが投げた大刀を取りに向かっていた。そしてインプの片足を持って引きずりながらこちらに来て、大刀の柄をこちらに向けた。
「武器を投げるのは少し無茶だったんじゃないかな?」
「ま、上手くいったんだからいいだろう? ありがとな、ベル」
大刀を受け取り
思わず零れたようにヴェルフは口を開く。
「やっぱあれだ、パーティプレイ、ってのはいいもんだな」
ヴェルフの言葉にベルも笑みを見せて応えた。
――
六階層以下ではベルはヴェルフのサポーターを務めており、戦闘以外の補助は基本的にベルの仕事だった。
インプたちから魔石を剥ぎ取った後、道中は平和なものだった。すでに他の冒険者が通った後であったため、目的地である10階層の奥、11階層入り口へと向かう一つ前のルームには戦闘もなく進むことができた。
11階層に挑む、ベルとヴェルフの今日の目的はそれだった。無論11階層とはいっても直ぐに逃げられるよう奥には進まず、最初の部屋で狩りを行うつもりだったのだ。
「着いたら持ち物の確認をして……丁度いいから昼食をとろうか」
「あの先はレストポイント、って奴だろ?」
「そういうこと。エイナさんの講義のおかげかな」
「身になってんのを実感しないときっついけどな」
ベルが指定した場所のことを聞いてヴェルフはエイナの講義の内容を思い出す。
11階層へ向かう入り口があるルームは一種のセーフティエリアだと言えた。見晴らしが良く奇襲をかけられる心配が少ないことや、出現するモンスターが変わる直前の場所であるためだ。10階層で安定している冒険者なら、モンスター達が出ても問題なく対処できるだろう。
そしてもう一つの理由は、それらの条件が整っているため冒険者が休息場所に選ぶことが多い。そこで休憩を取れ、というのはもはやダンジョンの中では一種の慣習であり、人が集うため万一の場合に協力を求めることができる。
そのため限りなく安全、といえる場所だった。問題があるとすれば、その場所で倒れたモンスターについてだった。
「っと、先客がいたか」
目的の場所についた二人が目にしたのは、多くのモンスター達の死体とそれを狩ったであろう数名の冒険者たち。そして魔石を取ろうとしているサポーターの少女だった。
フードを被っている姿から種族の特性は見えないが、背の低い姿からベルはパルゥムではないかと予想する。そこでまじまじと見ていたせいか、ふとそのサポーターが顔を上げた時視線が合った。
「……っ!」
ベルたちの姿を見てキッと睨みつけたサポーターは、直ぐに辺りにあったモンスター達の死体を一つの場所に集めた。これは自分たちの物だ、とこちらに誇示しているのだろう。
手際よく行ったその姿にベルは感心する。自分もヴェルフのサポーターとしてこの場所に居るが、魔石回収の手際が良いとは言えなかったからだ。
「んなことしなくても盗るつもりはないぞ?」
「あっちからはわからないから仕方ないよ。丁度いいからあっちに警戒を任せて僕たちも休もう」
「そうするか。飯だ飯!」
フロアに設置された岩を背に、持っていた荷物を地面に置いて昼食を取り出した。ベルはサンドイッチでヴェルフは握り飯を。
最低限の警戒はしつつも
「おおいサポーター、さっさとしてくれよぉ! 日が暮れちまうぞぉ!」
「……はい」
バーカダンジョンに日はねぇよ! そうだそうだとゲラゲラ笑う冒険者たちに、サポーターの少女はぺこりと頭を下げてそのまま作業を続けた。休息を取り続けている彼らは手伝おうとするつもりはないようだった。
その光景にヴェルフは眉を顰めるも行動に起こすことは無かった。ただ嫌なものを見たと残っていた握り飯を口に詰め込み水で流し込んだ。
「……少し時間空いたから武器の調子診てもいいか?」
「ん、わかったお願い」
食事が終わりベルが食べ終わるまで手持無沙汰になったため、断りを入れて二人の武器の状態を確認する。細かく精査するのではないが、ヴェルフがざっと見た様子ではおかしな場所は無い。このまま使い続けても大丈夫だろう。
そうしている内に魔石の回収は終わったのか、そのサポーターは冒険者たちが休んでいる場所へと向かってしまった。
警戒を深めたほうがいいだろうか、そう少し思うが同じようにこの場所にいくつかの足音か近づいてくる。着物を纏った極東風の服を纏った者たちのパーティや剣や双剣、槍などを携えた女性のパーティ、屈強な体を持つ男たちのパーティなど様々だった。
朝食事をとれば空腹になるタイミングもほとんど同じだ。休息場所に来る冒険者たちを見て、再度ヴェルフは警戒を緩めた。
「と、お待たせ。もう少ししたら行くけれど、その前に打ち合わせをしようか」
「だな。武器に関しては問題ないぞ。作ったばっかりで問題があったら流石に自信を失うけれどな」
冗談めかしていうヴェルフに苦笑しながらベルはヴェルフから短刀を受け取った。
ベルの短刀――ヴェルフが名付けた銘は【
ヘスティアやヘファイストスといった神達からは
二人は11階層以降での隊列や優先順位などについて話を進める。注意すべきモンスターの特徴や対処方法の再確認を行い、ある程度問題ないと判断したところで持ち物の確認へと移った。
「ポーションは3本渡しておくね。こっちには7本残っているけれど、切れたらすぐに言って欲しい。あとは……ハイポーション3本。1本はそっちに渡すよ」
「……用意できたのか、それ」
「ナァーザさんに頭を下げてなんとか。……使うときは躊躇なく使って欲しいけれど、使ったら使った本数だけ白米と漬物生活になることは覚悟してね」
「おう……白米だけの生活になったこともあるから何とかなるだろ」
以前ヴェルフがソロで十一階層に挑んだときは、後でその生活を送らなければならなかったため、それに比べれば心持ちは楽だった。
ベルが次に取り出したのは卵程度の大きさの黒い物体だった。
「撤退用にモルブル一つとボムになったのが一つ」
「……用意してくれたのか、それ」
「ナァーザさんに頭を下げまくってなんとか」
「頭下げ過ぎてもうそろそろ地面に埋まってんじゃないか?」
因みにベルとヴェルフがであった頃はヴェルフの金欠状態は続いており、ベルが紹介したのがミアハ・ファミリアでモルブルボム開発のアルバイトだった。悲鳴を上げるナァーザとのたうち回るベルとヴェルフ、慌てるミアハとショック状態になったヘスティアと散々な目にあって開発されたものである。ベルとヴェルフがソレを見つめる目は忌々しげでもあった。
そして最後にベルが取り出した道具は布で包まれた棒状の物だった。それが何か、理解したヴェルフは眉を顰める。
「そいつは――魔剣か」
「うん。……ごめん、配慮が足りてなかった」
「気にすんな、ソレは俺の意地の問題だ」
ベルが取り出したもの、それは魔剣だった。無論【クロッゾの魔剣】ではなく、威力も下級冒険者が持つものだと直ぐに想定できた。
ただそれでも自身の魔剣への嫌悪感は否めず、それが表情に出ていたようだった。
万一の場合を脱出できる火力が有るのと無いのとでは安全性は段違いだ。ヴェルフ自身も切り札の代名詞である魔法は覚えているが、それは所謂【魔法封じ】の魔法であり直接的な火力には成り得ない。
「……ソレは違うし準備したなら必要だってことも分かっているだが、どうしても名字のことを思い出しちまってな」
「【クロッゾ】の?」
「ああ、それだ。本当にろくな事してねぇぞこの名字。余計な力を持ってくるわ、エルフに作った武具をぶん投げられるわで踏んだり蹴ったりだ」
「ははは……」
「笑い事じゃねぇって。……いや笑い事にしてくれたほうがマシか」
はぁ、と。肩を落として小さくため息を吐くヴェルフにベルは乾いた笑いをこぼした。そして話題に出ていた【クロッゾ】という名前のことについてベルは思い出す。
クロッゾ、というのは一人の男の名前だった。とある一般人が体を張って精霊を助け出し、その代償で傷を負った。そして精霊が恩からその身を削って助けたところ、その子孫に魔剣を打つ力が宿ったらしい。
その家名を名乗る血脈はそれを初代と呼んでおり、神の恩恵によって魔剣鍛冶師としての力を発現し――そしてその驕りから精霊に呪われ力を失った。だが力を失う前に被害を受けた者も存在しており、エルフはその代表だといえるだろう。
呪われた魔剣鍛冶師、そう周りから呼ばれている。その異名もまた、ヴェルフが避けられている一因であることは否定できなかった。
「ただ、この名前や力が無かったなら、そのまま歩いて行けたんじゃないかって思う時がある」
言っても意味ねぇ言葉だけどよ、と。ヴェルフは呟く。
魔剣鍛冶師ではない、ただの鍛冶師としてのクロッゾだったのなら。自分はただ炎へとひたすら向き合い頂へ目指していたのだろうか。
無論それは仮定の話であり、自分の家名を含めてヴェルフは成長してきている。だが足を引っ張るその力や汚名が煩わしくなったことも事実だった。
ベルはその言葉を黙って聞き続ける。もしも、のIFはベル自身も何度も思ったことがある。ベルは自分の肉親を知らない。だから自分がどこまで行けるのだろうか、という論拠、物差しの一つを失っていた。
もしも自分が本当に『おとうさん』と『おかあさん』の子供だったのなら、それともあの二人が神ではなく人であったのなら。いや神であることを知らなかったのなら。
自分はもっとひねくれずに、真っすぐに【英雄】を目指していたかもしれないのに。
それは単なる言い訳であることの理解も自覚もあった。だけど現在のベルは【英雄】を目指さず歩いてきて、【憧憬】を失いそこに居た。
後に新たな【憧憬】を目指すことになるが、この場所に居るベルはまだ自分の道をヘスティアに投げていたのだ。
「(……そっか、ヴェルフも同じなんだ)」
真っすぐに【英雄】を目指せばいいのに、ただその隣を目指すという半端な道を歩み続けたベル。
どちらも正道を行かず、捻じ曲がった道を歩んでいるという共通点があった。
本来ヴェルフは多弁な性格ではない。自身のファミリアの団員、団長にもこれほど自身の思いを吐露することは無いだろう。あるとすれば自らの主神ぐらいなものだ。
ヴェルフ自身に自覚は無いが、ベルにこれだけのことを話したのは互いが持っている共感のためだった。
「(……だけど)」
ベルは思う。
ヴェルフの言葉を理解できるし納得もできる。当然共感もできた。
「俺はこの血が、この力が嫌いだ」
呪われた魔剣鍛冶師。、その業を初めから抱き抱かされたその名を持つ男のことをヴェルフは嫌いだった。
共感から来たヴェルフの感情の欠片にベルは小さく答えた。
「それは違うと思う」
ベルの視線が真っすぐにヴェルフへと向けられる。威圧も大きな存在感もない。だがその瞳に秘められた意志の強さにヴェルフは目を見開いて驚いた。
「……違うってのは、何がだ」
ベル以外の誰かに言われたのなら真っ向から反抗していただろう。自身の内面を否定されて、完全に冷静でいられるほどヴェルフは大人ではなかった。
だが互いに共感を持っていた状況で、ヴェルフは無意識だが肯定の言葉が返ってくると考えていた。だから否定の言葉が来るとは思っておらず、返答は力ないものだった。
「クロッゾ――初代の人が魔剣鍛冶師の力を得た始まりは、助けた精霊の血を身に受けたことだよね?」
「……ああ、そうだ」
「その身を犠牲にしてでもその精霊を守ろうとしたから、その精霊も血を分けようと思ったんだと思う」
初代クロッゾは名字もない、売れない鍛冶師の人間だった。神が認めるほど平凡な人間だったと語られている。
たとえ後の繁栄の基礎を築いたとしても、それは精霊の血によるものが殆どであったのだろう。
「只の人が、見知らぬ誰かを助けるために自身の命を懸けて、そして助け切ったんだ」
だが話を聞いたベルも理解できることが一つあった。
初代クロッゾは『大馬鹿野郎』だった。たとえ精霊が相手にできないほどのモンスターと対峙しても、その精霊を守ろうとしたのだ。そうして守り切るという結果をはじき出した。
そんな『大馬鹿野郎』のことを何というのかベルは知っている。助けられた者が、その存在に何を思うのかベルは知っていた。
「ヴェルフの名前は、その
だからこそ、それは誇るべきものだとベルは言う。
ベルに肉親は居ない。気づいたら神に――『おとうさん』に拾われて日常を過ごしてきた。唯一つなぐのは、クラネル、というどこにでもあるような名前だけだった。
自分の先祖が何をやってきたのかベルは何も知らないからこそ、ベルは何の業も背負わずこの世界に居る。そして『おとうさん』と歩んできた【軌跡】があり、捻じ曲がった道だったとしてもそれを誇っている。
ヴェルフに否定してほしくなかったのだ。『おとうさん』のような【英雄】のことを。ベル自身が持っていないからこそ、『クロッゾ』という男はヴェルフの誇りにしてもいい存在であることを。
「――――……。」
ヴェルフはベルの言葉に言葉を失い、しばし何かを考えるように背の岩に体を預けた。
呪われた魔剣鍛冶師、【クロッゾ】の名に残ったのはわずかばかりの地位とその悪名だけだ。それはクロッゾの名を継ぐ者たちが作り上げた汚名だった。
自身に流れる血とその力は、それらと同じであると思うのが嫌だった。
だがベルの言葉を聞いて思ったのだ。初代クロッゾに血を分け与えた精霊は何を思ったのだろうか。
何かしらの力が宿ることは知っていて、例え初代がどんな人物であれ、人間が欲に塗れればどうなるのか分かっていた。
だけどそれでも生きてほしいと思ったはずだ。その願いを籠められ発現した力ならば。
その力を失ったのは精霊からの【呪い】なのではなく、きっと――
「ヴェルフ!」
ベルが叫ぶように声を上げた。
同時にヴェルフは立ち上がり大刀を構える。そして外に意識を向ければ返ってきたのは地震のような地響きだった。
「……んだ、これは」
音が聞こえてくるのは11階層への入り口だった。下のフロアからモンスターが上がってくることはある。だがそれは数多いものではない。この場所に居るのなら周りのパーティと少しでも協力すれば難なく退治できてしまうものだ。だからこそこのルームはセーフティエリアと呼ばれているのだから。
だが、コレは何かが違う。その違和感に周りのパーティも気が付いたのだろう。各々が武器を構え脅威の到来に備える。
「……けて ……れ」
初めに聞こえてきたのは足音と小さな声だった。だがそれはだんだんと大きくなり、ルームへと突入した。
「たたたす、助け、助けてくれぇえぇええええええ!!!! うげぇらっ!!?」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」
めきめきめき、と。11階層の入口が音を立てひび割れる音が聞こえた。それほどの体格の持つ何かがこの場所にやってきた。それをこの場所に居る全員が理解する。
初めに叫び声をあげて逃げながらルームに入ってきた男は、その怪物に跳ね飛ばされてルームの中に転がった。
「嘘だろ……ここは十階層だぞ!?」
冒険者の誰かが悲鳴のように叫んだ。
十階層と十一階層の間にはモンスターの変化から壁があった。そして中層攻略に目途を立てているパーティはこの場所を休憩位置とはしない。
だがその場所に現れたのは――上層最上位のモンスター、実質の階層主。
インファントドラゴン、その存在がルームに体を出して咆哮をあげた。
原作では4ページの描写で退場したモンスターごとき楽勝だと思いました。
クロッゾの解釈についてはプロット制作時点ではオリジナルです。新刊でどうなってるか考慮していません。
クロッゾは平凡な人間→体を張って精霊を助けた→精霊の血を引いている。
オラトリオ4巻を見る→精霊が出る。
森を薙ぎ払えるほどの力を持った魔剣が作れるようになった
→ぐらいの力を分け与えられるほどの精霊
→が対処できなかったモンスター
→それを撃退した普通の人間クロッゾ
……コイツ、逸般人か一般人(古代)か。
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サブシナリオ1中上 インファント・ドラゴン
インファント・ドラゴン。小竜と呼ばれるそのモンスターは文字通り幼い竜のような外見であり、炎を含んだ竜の吐息はまだ出せず、飛ぶための翼はない。未熟な竜のようだ、という意味合いで付けられたのがその名だった。
ただし竜種だ。堅牢な外殻と強靭な肉体はダンジョン上層のモンスター達と一線を画していた。パーティ単体で出会えばまず崩壊するというのがギルドの見解だ。Lv.1の冒険者では勝つことができないだろう、と判断されている。
そう、十一、十二階層で中層攻略の目途を立てているパーティを簡単に崩壊させているモンスターである。少なくとも総合力で一回り劣る十階層が適正の冒険者にとっては、死、そのものであった。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」
大きく息を吸い込んだインファント・ドラゴンがルーム全体へと
我が声に応えよと、まるでそう告げたインファント・ドラゴンの咆哮へ反応を起こしたように、ダンジョンから、ぴしり、ぴしりという壁がひび割れていく音が響き渡る。
「(ふざけろ……っ!
内心でヴェルフは零す。ダンジョンからモンスターが生まれてくる速度がいつもよりも早い。眠っている所を
ほんの少しのダンジョンの様子の違い、それがヴェルフに少しの時間の無思考状態を作り上げる。
どうする、どうする! どうすりゃいい!?
ヴェルフが
そこにはその一撃で僅かに悲鳴を上げ体を揺るがせたインファント・ドラゴンの姿があった。
その剣撃の音を奏でたのは一人の少女だった。極東風の服、ヴェルフが纏っているような着物が目を引き、その手には脇差と呼ばれる刀があった。
「この戦場はタケミカヅチ・ファミリア、【絶†影】のヤマト・
凛とした声はそのルーム全体へと行き届く。武士が名乗りを上げ戦場に自身の存在を知らしめるように、少女はこの場へと自身の声を響かせた。そして怯んだインファント・ドラゴンが動き出したのはその直ぐ後だった。
蛇のように食らいつこうとする噛み付きを受けることはせず、少女は回避し続ける。その光景を見た冒険者の一人が呟いた。
「【絶†影】……じゃあアイツはタケミカズチ・ファミリアの【絶†影】か! Lv.2の冒険者だ!」
「最近神会でランクアップが報告されたあの……」
冒険者達から零れた声が辺りへと行き渡る。わずかな騒めきに込められているのは、歓喜の混じった声だった。
Lv.2に到達した冒険者は神会のよって神達に二つ名を付けられ、それはそのまま冒険者の名声となる。
それはこの場所にいる冒険者たちも例外ではなく、上級冒険者が居る、という状態に僅かに安堵した。
「……くっ。千草、盾だ! タケミカズチ・ファミリア、カシマ・桜花、同じく参戦する! 悪いが手が足りない、手助けを頼む!」
そのファミリアの仲間である男、桜花は仲間の少女から盾を受け取ると、周囲に向かって叫びそのままインファント・ドラゴンと対峙する。桜花の言葉に周囲が騒めき――その騒めきに混じるようにベルはヴェルフへと問を投げかける。
「ヴェルフ、状況が変わった。協力する? それとも逃げる?」
「どういう状況なのか教えてくれ! これ
パーティのリーダーはヴェルフであるためベルは判断を投げたが、ヴェルフはそれどころではなかった。
ヴェルフ自身、多数発生したモンスター達を
叫ぶようなヴェルフの言葉に、ベルは淡々とした口調で答える。
「
冒険者のセオリー、即ち『冒険者は冒険をしてはいけない』ということだ。ベルはこの場所で主力になるタケミカズチ・ファミリアのメンバーが確実にこの場を乗り切れるとは考えていない。乗り切れない、ということもないだろうが。
ゴライアス、ウダイオスといった階層主の能力はその層での適正Lv+2程度の能力を持つ。だがインファント・ドラゴンは『実質の』階層主ではあるが、単なるレアモンスターでもあるため求められる能力値は他の階層主ほどではない。数値でいうのなら+1.5程度だろうか。Lv.2である【絶†影】の
「(ただ……行動が半端なのはなぜだろう。単に判断を間違えただけなのかもしれないけれど)」
ベルは片手に短刀を持ち、モルブルを直ぐ取り出せる体制を取りつつも頭の中で首を傾げた。
この場での正解は助力を求めず戦闘を開始するか直ぐに逃げるかの二択である。命の行動は一種の扇動術であり、逃げる冒険者もいるが戦いに参加する者と暗黙の了解を取り、協力体制を敷くことも可能だった。
だが桜花は周りのパーティに『助力を求めた』。言質を取らせた時点でこの場所での戦闘後に得られる成果は、周りのパーティへの報酬で大きく減るだろう。当然ベルも、この戦いに参加するなら報酬を桜花から毟るつもりだった。
「……ディア・ファミリア、オリアナ・ドレーク! その戦闘に参加させてもらうぞ!」
命の言葉に当てられた槍使いの少女が、同じく声を上げて参戦する。
その言葉に引かれたように他のパーティもファミリアと自身の名を掲げてインファント・ドラゴンへと武器を向けた。
ベルはヴェルフがどう判断しても行動できるよう、辺りの状況を見ながら、再度ベルはヴェルフに問いかける。
「それで、どうしよう。五秒以内に決められないならモルブル使って逃げよう」
言葉を投げられたヴェルフは、ぎり、と奥歯を噛んだ。今更になってエイナに指摘された『貴方はこのパーティのリーダーでもある』という言葉が突き刺さったからだ。
このまま数秒待ってベルの判断を待てば無難に退くことになる。だがそれだけはダメだ。土壇場で判断を投げるような逃げの選択を取れば、それは以後も癖になって続くだろう。
ベルから選択肢の詳しい説明を聞き、ヴェルフがとっさに取ろうとした選択はこの場への参戦だった。インファント・ドラゴンの素材は貴重で換金や武具の生成など使い方によっては高いリターンが見込めた。そしてなにより必要な純度の高い経験値を得ることができる。自身のステイタスはとっくの昔にLv.2到達条件を満たしているため、この場の戦闘はそのままLv.2へのランクアップの機会でもあるのだ。
「(……いいのか? 俺はともかくベルは明らかに適正ステイタスを満たしてねぇぞ?)」
この階層ではオークですらベル一人では難しいだろう。インファント・ドラゴンなどまともに一撃受ければ致命傷まであり得る。ヴェルフ自身余裕もなく、ベルをカバーできる自信は無いが、それでも戦う選択をするならやらなければならない。
自分だけの
「俺は……この戦いに参加したい。付き合ってくれるか、ベル?」
「分かった、戦おうヴェルフ。何時ものように状況を知らせつつサポートに回るから、前衛をお願い」
絞り出すようなヴェルフの懇願にベルは即答する。思わずぽかんとしたヴェルフだったが、すぐ再起動して大刀を肩に構えると口元に笑みを作った。
淡々としたベルの言葉は何時も通りだった。つまり何時も通り状況を乗り切れると確信しているようなベルの姿に、ヴェルフはそれが頼もしいものだと感じたのだ。
「(大丈夫か、なんて聞くのは野暮だよなぁ!)」
ベルの思惑はともあれ、ヴェルフの背中を押したことは確かだった。それならその期待に応えたいとヴェルフも思ったのだ。
「行くぞベル。ヘファイストス・ファミリア、ヴェルフ・クロッゾ! その戦闘に参加する!」
「こっちの手は足りている! 小竜以外のモンスターの掃討をやってくれ!」
桜花からの指示にヴェルフは足をつんのめりかけた。
――
戦闘自体は順調だったといえるだろう。フロア出口付近に陣取ったインファント・ドラゴンへ向かうアタッカーと他のモンスターの掃討役と別れて戦闘をしている。
Lv.2である命と桜花は壁役前衛を務め、インファント・ドラゴンに痛撃を与えられる存在でもあるため攻撃の殆どは二人へと向けられていた。残った他のパーティがその合間を打って攻撃し、インファント・ドラゴンへとダメージを蓄積させている。
ベルとヴェルフ、そしてもう一つのパーティはオーク、バットパットといったフロアモンスターの撃退を行っていた。攻撃前衛は十分な人数がおり、それ以上いても邪魔にしかならないという桜花の判断だった。
ヴェルフにとっては貧乏くじで、もう一つのパーティにとっては当たりくじである。
「おおい、タケミカズチのところの団長さんよぉ! 俺たちを顎で使うんだからきっちりと報酬を分けてくれよぉ!」
「く……分かっている!」
インファント・ドラゴンへの対応で苦し気な声を上げながら、桜花はそのパーティのリーダーへと返答した。事実桜花は後のことよりも今の戦闘で手がいっぱいだった。返答がおざなりになってしまい、その内容に男たちは豪勢だねぇ、と囃し立てるような声を上げた。それと対照的に彼らに討たれたオークは鈍い声の悲鳴を上げて倒れ伏す。
そのパーティも10階層で恒常的に狩りをしている。何時もの狩りに多大な報酬が付いてくるため彼らにとっての当たりくじだと言えるだろう。多少のリスクはあろうとも大きな苦労もせず、リターンが見込めるのだから。
「んなのありかよ……くそっ」
対してヴェルフは先ほどの決意はなんだったのか、という微妙な表情でインプたちを切り伏せながら悪態をつく。その直ぐ後にオークがダンジョンの壁から生まれるのが見えて、舌打ちしつつもそちらへ向かって走った。
ヴェルフの主目的は経験値で報酬は二の次だ。さらに言うのなら気負い過ぎたところに水を差された気分だった。
ベルが命を賭けるなら自身も……という思いに冷や水をかけるように、危険度の少ない状態となって
ただ、本当の貧乏くじという意味ならタケミカズチ・ファミリアのパーティだろう。Lv.2である彼らにとって決して純度の高い経験値ではなく、また報酬はほぼなくなることが確定しているのだから。
「
俺たちばっかり大変なんだよなぁ、と。男たちは挑発混じりに目の前のオークへと対応していたヴェルフに声を投げる。その言葉の中には、なんでお前たちみたいな少人数のパーティがこんなところに居るんだ、と。侮蔑を含んだ言葉だった。
なんだと、とそうヴェルフが反応したところでそれは声に遮られた。
「
「
ベルと相手のサポーターの声が同時に響き渡る。
ベルはヴェルフが対峙していたオークの顔面へと小さなボール状の道具を投げつけると、それは着弾と同時に破裂し中の液体がオークへと付着した。オークがその刺激で目を押さえるが、その効果を見るより前に、フロアのほぼ全員が自身の耳を塞いだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
息を吸い込む予備動作をして喉辺りを大きく膨らませたインファントドラゴンは、全ての息を声とともに吐き出して衝撃波を放った。風さえ感じさせるその音波は周囲のモンスターを強制的に停止状態へと追い込み、まともに食らえば冒険者も例外ではない。
ただし抜け道がないわけではない。音と圧で体をスタンさせるそれはタイミングよく音を遮断すれば効果は半減する。
一部食らってしまい、尾を振り回したインファント・ドラゴンの一撃でダメージを負ったものも居る。だがそれは一時的に前衛を引く程度で問題はなさそうだ。
ヴェルフはポーチのポーションを一瞬で飲み込み、中身がなくなった試験管を落とすように捨てた。ヴェルフと並走したベルからポーションを渡され、それをポーチに入れて補充すると、新たに出現したモンスターの場所に向かった。
「(……あのサポーター、上手いな)」
インファント・ドラゴンの存在や人とモンスターの配置などを見極めて発生したモンスターはオークが一体、相手のパーティの方は二体居るが人数も多く討伐はたやすいだろう。ベルはそれらを冷静に分析しつつも、思考の一つは掃討役パーティのサポーターへと向けられていた。
大荷物を背負っているにもかかわらず俊敏に動くサポーターは動作に迷いがない。倒れ伏すモンスターを片付けて足場を作り一か所に纏めている。時折モンスターに狙われそうになっても上手くパーティの冒険者へと誘導しあしらった。またその際にも冒険者に周囲の状況を知らせ、邪魔にならないよう立ち回っている。バットパットなどこちらが撃ち落とした小型のモンスターの死体を、さりげなく自分たちの方へと寄せることなど細かいずる賢さすら感じさせた。
ずん、というオークがヴェルフによって倒される音がベルに届く。そのまま絶命を確認したヴェルフは、ベルの近くによると耳元でささやく。
「ベル、俺たちも少しアレを殴りに行かないか?」
「インファント・ドラゴンを? ……いいね」
インファント・ドラゴンの方は先ほどの
混戦状態にあり魔法使いは魔法を打てず前衛のサポートに回っている。その戦い方ならヴェルフとベルにもできる。Lv.2の二人はともかく、ヴェルフは前衛として回っても十分戦うことはできるだろう。
経験値や貢献した度合いなど、直接インファント・ドラゴンと対峙したほうが大きい。ベルはヴェルフの言葉にGOサインを出すが、駆けだそうとしたヴェルフの目の前に手を出してその行動を停止させた。
何を、とヴェルフが言おうとしたところでタケミカズチ・ファミリアのサポーター――千草は声を上げた。
「
「聞いたな、構えろぉ!!!」
インファント・ドラゴンの息を吸い込む動作、
インファント・ドラゴンが息を吸い込み体にため込んだ。瞬間、その体の喉元の鱗が紅く光った。
違う、と。ベルは直感的に理解する。 そしてぴしり、という
「
インファント・ドラゴンが息を吐く寸前、行動に移せたのは二人だけだった。一人が警告を放ったベル、そしてLv.2の冒険者である命だった。
しかしそれ以外の者を置き去りにして
「――え」
そしてその弾丸の行き先には、Lv.2である二人のサポーターを務めていた千草が居た。唖然とした少女はその一撃を対応しきれていない。反射的に半身になって避けようとするも、火球は大きく直撃は避けられない。
インファント・ドラゴンからしてみれば、自身に痛撃を与えられる相手がいる。うざったい、それを支えている根から切ろう、という意味で千草に放たれたものだろう。だがその一撃は完璧に不意を突き、即死させる結果を出すほどのものだ。
「千草どのっ!!!?」
即死、という結果を回避させたのは唯一行動できた命だった。
この場の役割で桜花が防御盾であるのなら命は回避盾であり、行動の自由は命の方が大きい。そのため千草を庇う動作をすることができたのだ。
火球の直撃と急所を庇いながら命は千草の間に割り込んだ。だがその勢いは止まらず、命もろとも千草へ向かって火球は進む。それに伴う形で吹き飛んだ命に着弾地点に居た千草が巻き込まれ壁に激突した。
「命ぉ!!!!」
「ガァアアアアアアアア!!!!」
桜花の視界に装備や服が焼き爛れ、ぐったりとした命が入ってきた。
だがそんなこと知ったことかとインファント・ドラゴンは桜花を攻め立てる。首を鞭のように振り回し、装備もろともかみ砕こうと牙を向けた。先ほどまでかく乱していた命はおらず、苛烈になったインファント・ドラゴンの攻撃に桜花は苦悶の声を上げた。
モンスターやダンジョンに冒険者の都合など関係ない。悪いことは重なるもので、それは先ほどの
オークが4体、1体はベルとヴェルフの近くに現れ二人はその対応に走る。残りの3体は掃討役のパーティの方へと向かっていた。
まずい、と。ベルはオークに向かって走るヴェルフを見つつそう思う。
インファント・ドラゴンにダメージを蓄積させ、その上で拮抗状態にできていたのは、タケミカズチ・ファミリアの二人によるものが大きい。壁役をLv.2の二人が行っていたからこそ、他のパーティはアタッカーを務めることができたのだから。
その片割れは先ほどの一撃で戦闘不能に陥った。生死すら分かったものではない。自分たちの主力であったパーティに大きな損害が出たことで、他のパーティにもその影響が飛び火していたことがわかった。
「命! 命ぉ! 返事をして!」
「な、なんでインファント・ドラゴンが
「モンスターが多い、手ぇ貸してくれぇ!!! ぐあぁ!!?」
「なにしてるのよ、早く攻撃しなさいよ!」
「無茶言うな! あんなのに割り込めるかぁ!」
「く……」
混乱状態は周りのパーティへと波及する。曲りなりともこの協力体制のリーダーは桜花だ。先に声を上げ、そして最も大きな戦力であるという点でもそれは明らかだった。その混乱を収めることは桜花の役目でもあった。
「くっ……ぉおおおおおおおおおおお!!!!」
「グガァアアアアアアアアアアア!!!」
だがその桜花に他者に指示を出せるほどの余裕はない。インファント・ドラゴンの攻撃は桜花の身体を傷つけ、徐々に疲労を蓄積させていった。
暴れ狂うインファント・ドラゴンにアタッカーたちは割り込めない。当たりどころが悪ければ致命傷にもなり得る攻撃の嵐を潜り抜けようとする者はこの場所に居なかった。
撤退も考えよう、そう判断したベルの意識に入ってきたのは、オークの掃討をしていたパーティのリーダーの姿だった。
「……っち、テメェ等逃げるぞ。 こんな状態じゃあ割に合わねぇ。」
倒れた仲間の服を掴み男は自分のパーティのメンバーに言った。オークと打ち合っていた壁役もその言葉に頷き、オークを突き放すように蹴り飛ばすとフロアの出口に向かって撤退を開始する。
「お、おいなにやってんだ!」
「待ってください! この状況で逃げたら――」
そのパーティが逃げようとしたことにインファント・ドラゴンに向かっていた一人が気が付き声を上げた。そしてそのパーティのサポーターだけは今逃げることがどういうことか理解していた。恨みを買う、この場所に居る者たちが全滅する、考えられるマイナスはいくらでもある。
だが男たちにとってそんなことはどうでもいい。自分の命が一番大事であるという点だけはだれ一人ぶれていなかった。
止めようとしたサポーターに向かって男は手を伸ばし、その胸ぐらを掴んで体を持ち上げた。
「煩ぇんだよ! そんなに残りたいならテメェだけで残ってろ
そのままサポーターの少女をオークに向かって投げ捨てた男は、仲間とともにフロアの出口へと向かった。少女はオークにぶつかって地面に落ち、その衝撃で小さく悲鳴を上げた。
二体のオークは逃げる冒険者を追うことはせず、すぐ近くに落ちた少女に視線を向けた。そうして狙いを定める。
「(……だめ、か)」
ベルは掃討役のパーティが逃げようとしているのを見てそう判断した。
オークは2体健在、今彼らが逃げ出せばその二体は放置され、インファント・ドラゴンと対峙している者たちの所へと行くだろう。そこに挟撃されれば……崩壊するのは火を見るよりも明らかだった。彼らが撤退を選ばなければもう少し時間があったが、たった今なくなったようなものだ。
ベルは彼らの行動を責めることはできなかった。この場所に居る中で最も賢い選択をしたのが彼らであり、ベル自身も同じ選択を今取ろうとしている。
即ちここで戦っている者達を囮にしての撤退だった。
『いいの?』
幼いころの小さな
自分は【英雄】じゃない。奇跡は起こせない。
『本当に?』
旅に出たばかり、少年だったころの
あの時は【
『「その通り、それが最善だ」けど』
旅を終えた
「あ……」
サポーターの少女の小さな悲鳴が耳に届く。無視する。かまっている余裕はなく、パーティメンバーであるヴェルフのことで自分は精いっぱいだ。
ヴェルフに撤退を伝えてこの場を離れる、その行動を始めるより先に、ヴェルフの姿と声がベルに届いた。
『大馬鹿野郎』をベルは重ねて見た。
「ベル!!! アレは頼んだ!!」
オークの一撃を受け流しながらヴェルフは叫ぶ。ベルの思考が秒も掛からないほど一瞬停止した。
アレってなんだ。ヴェルフの視線の先に居るオークのことだろうか。インファント・ドラゴンのことか。
かつて【憧憬一途】によって成長させられた思考回路は、ベル自身に惚けんなと言わんばかりに回答を提示する。ヴェルフの視線は、オークに向かって投げたサポーターの姿だ。ヴェルフは常人で思考回路も同じ、危機的状況の人を見て何も思わない性格ではない。
つまり……助けて来いって言ってんだ馬鹿野郎、と。思考はベルに答えを提示した。
冒険者は冒険をしてはならない、最善ではない、不可能だ、失敗する、余力がなくなる。それらの言葉がベルの目の前に浮かんだ。
「ああもう! ヴェルフ、ソレ十秒以内にケリ付けて手伝って!」
「上等行ってこい!!!」
ベルは頭に浮かんだ言葉を踏み潰すように地面を蹴り飛ばして少女のもとへ走る。
先ほどは撤退という選択肢に幼い自分は本当にそれでいいのか、と問いかけてきていた。良いわけがあるかとベル自身も叫びたかった。誰が好き好んで見捨てる選択を選ぶものか。
だがベルの知っている【英雄】に似た『
オークが二体、両方とも
インファント・ドラゴンについての情報は一度遮断する。この場で必要なのは速度であるためだ。オークの片割れ、ヴェルフが対応済み。情報を整理しつつベルは走り、攻撃を止めて襲撃された方向、ベルの方へと視線を向けたオークへの次の手を打つ。
【軌跡■■】投球術
ベルのスキルの効果が無意識のうちに発動する。ベルはそのことに気が付いていないが、体をうまく動かせるという直感を得ることができた。オークはこちらに振り向いた、ならばそれはベルにとって的が大きくなったようなものだ。
ベルはポーチからボール状の道具を取り出し、二個同時にオークへと投げつける。ライフルと同じように回転と速度を両立させて投げ出されたソレ、視覚で冒険者の気配を探るモンスターに向けた目つぶしは、顔面に着弾すると直ぐに破裂し黒い液体を付着させた。
目つぶしの痛みでオークが顔面を押さえ、その一瞬でベルはサポーターの少女へと駆け寄った。助けに来られたことを理解した少女は、感謝の言葉を言おうとして――
「あ、ありが――ぐぇ!?」
首根っこを掴まれその言葉は出る前に潰れた。
ベルは少女の首根っこを掴むと直ぐに反転し、ヴェルフの元へと駆ける。目つぶしが効いていると言ってもベルでは倒しきれない。さらに言うなら目つぶしは今使った物で最後だった。
潰れたカエルのような悲鳴を出す少女を無視してオークたちと距離を取れば、そこには対峙していたオークを片付けたヴェルフが向かってきていた。
直後、再度ベルは停止し掴んでいた少女の服を放した。当たり前だが少女の方は運ばれている最中は地面に足が付いていない。走るベルの勢いを殺すことはできず、ベルに唐突に手を離された少女は悲鳴を上げ、地面に向かって1メートルほど転がった。
10層は地面が草原のため大丈夫だろうとベルは判断し、ヴェルフに並走する形で再度オークへと向かう。
「かく乱するから右の奴はお願い!」
「分かった!」
再度ベルは投げナイフをオーク二体に向かって投擲する。ポーチにある残りは二本、回収している暇はなくする気もない。ここで時間を掛けたら終わるとベルの勘が背中を押した。
投げナイフをオークたちは
【軌跡■■】歩行術
ヴェルフの上段からの切り下ろしに対してオークは、ランドフォームを剣のように持ってその一撃に合わせた。ギン、という鉱物が打ち合う音と火花が弾け、ヴェルフとオークは鍔迫り合いのような状態にとなった。
「グ、ゴォ!!?」
当然意識をヴェルフに向けることになり、その集中状態に入ろうとしたところで足からの痛みとともにオークは姿勢を崩す。その一瞬を見計らったヴェルフは、足の裏で蹴り飛ばすようにしてオークから体を放した。
痛みの正体はオークが意識から外したベルの一撃だった。視線をそらされ煙のように視界から消えたベルはオークの背後に回り、膝裏へと自身の短刀を突き刺したのだ。膝は二足歩行者の弱点の一つで二足歩行の豚であるオークもその姿勢を取っているのなら例外ではない。
オークは二匹いた。ヴェルフと対峙していなかったオークはベルに向かい、ランドフォームを振り下ろしたがベルは簡単にそれを回避したのだった。
オークは
「グゥゥウウウウ!!!」
ベルによって同胞の膝裏へとナイフを突き刺されたのを見て、オークは激昂する。今度こそ潰してやろうとランドフォームをベルに向かって振り下ろし――。
ヴェルフによって蹴り飛ばされたオークがその一撃の前に現れた。
「ブゴギィッ!??」
振り下ろす手は止めることができず、仲間であるオークにランドフォームは叩き込まれる。常人、Lv.1の冒険者以上の力でもって叩きつけられた頭への直撃は、オークを
その陰から、白い少年の頭がオークの視界へと入った。
【軌跡■■】 走行術『獣』
「ブグゥウウ!!!!!」
とある獣人達が培ってきた獣としての狩猟術。その一端をベルは【ステイタス】の恩恵によって疑似的に再現する。
四肢を地面につけ獣のような低い姿勢での走行術は回避方向を予測できず、叩きつける形でのオークの攻撃ではベルを捉えることできなかった。
だが仲間をやられ更に激昂したオークに考える頭は無い。地面を這うように走るベルに何度もランドフォームを叩きつける様は、ゴキブリをスリッパで退治しようとしているようにも見えた。
「そんだけ隙があれば上等だ!」
ざぐ、という肉を裂く音とともにオークの背から大刀が突き刺される。その一撃はオークの魔石を砕いて絶命させ、体は灰となって消えていった。
同じく
「――!! 入り口からオークが3、インプが複数!」
無茶な再現で荒くなった呼吸をベルが整えようとしたところで、いつの間にかベルたちのそばに来ていたサポーターの少女の声が投げかけられた。
ベルがそちらに視線を向ければ、血が付着したランドフォームを持ったオーク、そしてインプがフロアに入ろうとしているのが見え、ベルは叫ぶ。
「ヴェルフぅ! モルブルボムを使った!」
「あいよ!!!」
自分たちだけで対処できる数ではない、即時にベルはモンスター除けの臭い袋、その複合爆弾の使用を決意する。卵型のソレからピンを引き抜き投擲されたソレは、入ろうとしたモンスター達の前で爆発した。
瞬間、中身であるモルブルと同じ成分の液体が入り口に煙のように気化して広がった。そしてうめき声をあげるモンスター達の声が響き渡った。
効果は十数分程度、ルームの入口で効果を発揮しているのなら、その時間はモンスター達はこのルームに入ろうとすらしないだろう。
「嘘だろアイツ等……逃げるなら余計なもの連れてくるんじゃねぇよ!」
ランドフォームに付着した血、そして先ほど逃げ出した冒険者たち。ヴェルフが逃げ出した冒険者たちが道中でやられ、残ったモンスターがこのルームへ来ようとしていることに気が付いたのだ。
モルブルボムは僅かな延命措置に過ぎない。その効果時間が切れればモンスターがルームになだれ込み――全滅する。
爆発音が響き渡る。それはインファント・ドラゴンの戦場からだった。
「グォオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「なんで!? 魔法も効かないの!?」
爆発がインファント・ドラゴンへと直撃するも、それは僅かに巨体を揺らしただけに留まった。前衛が手を出さなくなり、巻き込まれる者がいない状態でありその冒険者は魔法を使ったのだ。そしてその魔法を放った方向へインファント・ドラゴンの首が向き、魔法使いの冒険者は小さな悲鳴を上げた。
「ぁあああああああああ!!!!」
同時に金属がぶつかる音が響き渡る。桜花がインファント・ドラゴンへ斧による一撃は痛撃となって突き刺さった。
Lv.2の一撃はインファント・ドラゴンに確かにダメージを与え、再度脅威を桜花へと設定される。呼吸は荒く軽傷は体中にあり血が装備をわずかに染めている。だが桜花は盾と斧を構えてインファント・ドラゴンと対峙した。
ルーム内からモンスターが生まれる様子はない、少しではあるがベルたちには時間の余裕ができる。
「(考えろ……考えろ……考えろ!!)」
数秒の間、ベルは思考を回し続ける。今の状況の把握、危機への脱却、大目標と小目標、最善を探すためにベルは思考し続けた。
そして出された結論は、
「…………ヴェルフ、中確率に祈って逃げるのと、『アレ』と対峙するの、どっちがいい?」
ベルは感情を消した表情でヴェルフへと問う。
アレ、という言葉の先を理解したヴェルフは顔を引きつらせて問い返す。
「『アレ』ってのは……アレだよなぁ!? あのドラゴンだよなぁ!?」
「あのドラゴン。やるのはさっき倒れた【絶†影】と同じ時間稼ぎでいい。ただあのリーダーを一度下げて回復させないともう手段は無い。僕も手伝うけれど……正直手助けとかの期待はしないでほしいな」
ベルの言った言葉は、
「んなもん……」
できるわけがねぇ、そう言おうとしたヴェルフを遮りサポーターの少女は割り込んだ。
「に、逃げましょう冒険者様たち! 中確率で逃げられるって言うなら、目途があるってことなんですよね!? そうですよね!?」
少女の声は焦りが混じっている。組んでいた冒険者たちに囮にされ、一番生き残れる確率が高いと踏んだベル、ヴェルフのパーティに近寄ったが、その二人が危険な選択肢を取ろうとしているのだ。止めるのは当然だった。
対するベルの答えは無言だった。はっきり言えば逃走という選択は分の悪い賭けになる。手段は下級の魔剣と単なるモンスター除けであるモルブル。それも今一度食らったモンスター達に通じるかはわからない。
ベルは真剣に、この目の前の少女を囮にすることも考えなければならなかったのだ。
くそっ、と。ベルは内心で愚痴る。女の子を犠牲にして生き残るぐらいなら、ベルはそれ以外の最善を探して行動する。だが今ベルはヴェルフとパーティを組んでいて、優先しなければならない命がある。自分の考える最善は、ヴェルフの命をチップにしなければ成立しない。
ヴェルフが撤退を選択をするのなら、ベルは行動に移す決意をしている。
「それで、どうするヴェルフ?」
ベルの言葉にヴェルフは返答に詰まった。
今のヴェルフにとってインファント・ドラゴンにと対峙しろ、など、死んで来いと言われたのと同じだ。ヴェルフ自身、『命を賭ける』覚悟は冒険者になりダンジョンに入っている時点で決めていた。
だが、『死ぬ』覚悟はしたことはない。ヴェルフだって死ぬことは怖い。明確な死に向かっていく自殺するための決意を抱き、生き続ける人物など狂人以外に居るはずがなかった。
ヴェルフが返答しないで黙る間にも時間は過ぎる。十数秒、答えられずにいたとき、ベルは小さく息を吐いた。それはヴェルフに向けた溜息ではなく、自身に向ける自嘲が含まれたものだった。
「これは、言いたくなかったんだけれど」
一つ前置きし、ベルはヴェルフへと視線を合わせる。その言葉に浮かぶ感情は無くただ事実を淡々と述べたのだ。
「『クロッゾ』なら、逃げなかった」
「――――。」
ヴェルフはその一言で、ベルが何を言おうとしていたのかを理解する。サポーターの少女はクロッゾの名に少しだけ反応したが、何のことを言っているのかを理解していなかった。
ヴェルフが言葉によって想起されるのは自分の祖である『クロッゾ』の逸話。精霊のために自身の命を賭けてモンスターから守り抜いたという、自分の
力ある存在が対処できないモンスター、ただの一般人であったクロッゾでもそれと対峙することが自分の死になることを理解していただろう。
『クロッゾ』は困っていたのが精霊で命は残してくれると分かっていたから助けたのか。違う、『クロッゾ』という男だったからこそ、自分の命を賭して守り抜いたのだ。
古代の話でありそこで実際にあった葛藤はヴェルフには理解できない。だが結果はヴェルフ自身の存在によって表されている。
ヴェルフはクロッゾが嫌いだ。精霊に媚を売って余計な力を齎したクロッゾを、この体に流れる血でさえ嫌悪している。
魔剣作成という力を嫌悪し、使わないことを自分の
だからこそ――ベルの言った言葉は意味を変えてヴェルフへと突き刺さる。
お前が軽蔑した
「……できねぇよなぁ」
ヴェルフは呟く。大刀の柄を握り、ぎり、と歯を食い縛りながらもそこに無理やり笑みを作り出した。
『クロッゾ』は間違いなく『大馬鹿野郎』だ。そしてその男がやったことなど同じように馬鹿な選択に決まっている。ならばその選択を取らないことが正解で最善だ。クロッゾが行ったことをやらない程度のこと、否定する理由はいくらでもあった。
ああ、それでも駄目だ。他のクロッゾの血族にとってどうでもいい言葉であっても、ヴェルフだけはその言葉を無視するわけにはいかなかった。
ここに居るのはヴェルフ・クロッゾだ。神ヘファイストスの作成した武具の頂点。それを目指し、それでも自身の
鍛冶の腕でも才能でも男としてでもない、『何か』を。『クロッゾ』を超えなければ、自分は頂に辿り着くことはできないとヴェルフは感じたのだ。
「できねぇよなぁ……! 逃げることなんてよ!」
今逃げたのなら自分は一生『クロッゾ』を超えられないという確信があった。それはきっとヴェルフの人生をかけて乗り越えなければならない『何か』だ。それを超えられないのならきっとこれから鍛える剣には空洞が宿る。
空洞を含んだ剣が神ヘファイストスに並ぶ作品になり得るか? 成り得るはずがない。それは【絶対】だとヴェルフは感じた。そんな瑕疵を抱いて辿り着ける頂ではないのだから。
そこに至る可能性がないのなら、ヘファイストス・ファミリアの鍛冶師として死んだと同じだ。
それは――ヴェルフにとっては自身の死と変わりない。
故にヴェルフは大刀を握り締めてそれをベルへの返答とした。
ベルも自分が言った言葉がヴェルフにその決断をさせることを理解し、それでも自分の意地を貫くために発言したのだ。同じように、ベルも死を決意しつつも最善を掴むために思考を動かした。
死ぬ決意はしたがベルに死ぬつもりはなかった。自分が死んだら……おそらく自分の主神は悲しむだろう。女性を悲しませるようなクズになるつもりはない。故に、ベルは思考を止めることは無い。
インファント・ドラゴンの動き、癖、思考、感情、状態、特性、他種族の類似属性。自分の経験を、考えられる全てを【軌跡】から【引き落とし】、構築していく。
「なにを……考えているんですか!? あんな冒険者たちなんて放置して、逃げればいいじゃないですか! 自分の命がかかっているんですよ!?」
ベルとヴェルフが何を決断したのか理解しサポーターの少女は叫ぶ。少女にとってこの二人は理解できない生物へと変わってしまったように感じたのだ。
それにヴェルフは申し訳ないといった様子で頭を掻いて口を開いた。
「あー、確かにつき合わせるのも悪いしな……ベル、このチビスケだけ逃がせないか?」
「無理。それよりも君にも協力してほしい。たぶんそれが一人で逃げるよりも確率が高いから」
「だからそうじゃなくて……! Lv.1の
「……? それは止める理由になるのか?」
「口頭での約束しかできないけれど、分配は全体の4割で臨時契約したい。再度言うけれど、独りで逃げる率よりこっちに協力してくれたほうが目があるよ」
「ああああああああ!! これだから冒険者なんて連中はぁ!!!」
死ぬであろうことを理解しているにも関わらず、穏やかと言えるような口調のヴェルフ、そして淡々と処理するような口調のベルに、サポーターの少女は頭を掻きむしって叫んだ。理不尽という単語が物体化したら、少女は真っすぐに拳を向けていただろう。
そして荒い息を押さえると、最後に溜息を吐いて呟いた。その目は据わっており不機嫌そうな表情だった。
「……まぁ、そうですね。所詮は死ぬ『程度』のことですか」
少女のつぶやきの意味をヴェルフは理解できず、ベルは、その理解に
「いいでしょう、臨時契約します。報酬はさっきの通り全体の4割。それで、私は何をすればいいですか?」
先ほどの冒険者に媚びるような口調はそこになく、少女はベルに契約を投げかけベルもそれに頷き了承した。
少女のそれは覚悟を決めたのではなく、どちらかと言えば自暴自棄に近いものだった。だがここで簡単に死のうとしているわけではない。それを理解したからこそヴェルフは笑みを浮かべ、ベルは思考の一つに組み込んだ。
ベルが二人に行動方針を伝える。その内容に作戦と呼べるものは無く、ヴェルフは顔を引きつらせ、少女は溜息を吐いた。
「まっ、やるしかねぇか!」
「すみません、その前に一ついいですか?」
「っとと、なんだよ?」
明るい声を無理やり出して鼓舞したヴェルフを置いて、少女は手を挙げて尋ねる。ベルは思考を最小限に割いて少女の言葉に耳を傾けた。
「……二人の名前、教えてください。呼ぶのに不便です」
「そういや忘れてたな。俺はヴェルフ・クロッゾだ。家名が嫌いだから名前で呼んでくれ」
「ベル・クラネル」
「ではクロッゾ様とクラネル様、と。リリルカ・アーデです。リリでもアーデでもサポーターでも、適当に呼んでください」
「分かった、じゃあリリスケでいいな!」
「……流石にそれやめてくれません? 契約範囲外なんですが」
「リリスケが俺のことをクロッゾって呼ぶのを止めたなら考えてやるぞ」
む、とリリルカは言葉に詰まり、に、とヴェルフは笑みを見せる。その様子が面白くなかったのか、リリルカは小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
気は抜けてはいないが緊張は解けた。思考の殆どを攻略に向けたベルに戦闘外のことを考える余裕はないが……なんだかいいな、と感じていた。
命を賭けることではない。背中を任せられる対等な誰かが居ることが嬉しく思い、ベルは口元の端を少しだけ吊り上げて笑う。
「――行こう、二人とも」
「あいよ、行くとするか!」
「まったく、仕方ないですね」
インファント・ドラゴンの通常個体がブレスを吐かないというのはこの作品単体の設定です。ゲームだとバリバリ吐いてることを知らず、設定に組み込んでいていたため変えることができませんでした。
オリアナは名前だけ。
命、桜花、リリルカの行動には理由を設定してあり、次回はその辺りも書きます。
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サブシナリオ1中下 インファント・ドラゴン
長くなったので分割しました。
桜花はインファント・ドラゴンと対峙しつつもその胸中には後悔や苛立ちが混じった複雑な感情があった。強大なモンスターと戦うことではない。自分の半端な選択が仲間を危険に巻き込み、傷を負わせてしまった。初めから自身がリーダーとして結論を出していれば、
命がLv.2へとランクアップし、その調整のために何時もより浅い階層で戦っていた。この場所に来たのは命の調整、という名目になっているが、祝いの席をサプライズで仕掛けたい団員たちの企みである。そのため残りのメンバーがホームで準備をしており、メンバーは何時もの半数、自分と千草、命の三名だけだった。
そんな時に現れたのがインファント・ドラゴンで、そこで桜花は選択を間違えた。正しくは選択することを戸惑った。
自身と命が居るのならインファント・ドラゴンは、
総合的に見れば十回同じことがあれば三回は壊滅になる可能性がある、桜花はそう最終的に判断した。
『(撤退するべきだ)』
桜花は最初はそう判断した。たとえこの場所の冒険者たちが壊滅しようとも、自分たちはその選択を取らなければならないだろう。
『冒険者は冒険をしてはならない』、そのセオリーに反する必要がある瞬間は冒険者をしていれば必ずある。しかし今はその時ではない、その冒険に対して釣り合うものがこの場所にはないのだから。
それを
生真面目で、忠義者で、正義感が強い少女は、例え他者でも無暗に見捨てることを好まないはずだ。可能性がなければ自分たちを第一に考えるとはいえ、この状況を十回のうち三回は潰える、ではなく七回打破できるとも考えるだろう。
『桜花殿、戦いましょう』
命はそう発言した。その言葉を聞いて桜花は即断することができなかった。
冒険者の首領として見るならその意見を否定して即撤退すべきだ。だが桜花も人間で、自分の手の届くところで死にそうになっている者を見れば、引き留める程度の善性は持っている。本音を言えば誰かに負担を押し付けて撤退するようなことはしたくはない、それが正しい決断だったとしても。
ここから逃げ出しホームに戻った後、祝いの席で沈んだ
『それは』
『グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』
間違いだ、そう却下とした瞬間にインファント・ドラゴンのハウルがルーム全体に放たれた。
あと数秒あれば桜花はリーダーとして間違いのない決断を下せるはずだった。冒険に必要な感情をそぎ落とし、
『もう場が持ちません! 先に出ます桜花殿!』
『待て、命!』
だが、間が悪かった。
ランクアップした初期に持ってしまう
命はインファント・ドラゴンの前に出て対峙し、自身の名を掲げこの場に居る者全員を鼓舞した。彼女の才能は忍寄りではあるが気質は紛れもなく武士向けの物を持っている。
『千草、俺も前に出る。補助を頼んだ』
『わ、分かった』
命の言葉によって恐慌状態が始まる寸前のところで各々は落ち着きを取り戻した。
今ここで撤退という判断を出されれば、自分たちが壊滅する率が上がっていく。
故に桜花も命と同じように名乗りを上げ、周囲の冒険者たちに助けを求めた。戦闘すると決まってしまい、その時点で最も自分たちが安全だと言える状況を作り出すために。
「(その結果がこれか)」
桜花はインファント・ドラゴンの猛攻を防御し、回避しながらそう思う。
傷は多いが動きが鈍くなるような、自分が戦闘不能になる前兆は訪れてはいない。周りの冒険者たちはインファント・ドラゴンに武器による攻撃や魔法を放ってはいるが、壁役でもあった命が居なくなった影響でその勢いも衰えている。
盾役を他の冒険者にやってもらえば自分がアタッカーに回ることも、回復をすることもできたが、それを自ら行おうとする命知らずは居ない。現状は動かない。
全部押し付けて、投げ捨てて逃げる。その選択肢を取らなければならなくなるのも時間の問題だった。
インファント・ドラゴンが呻きを上げて自身の首を引いた。
攻撃の前兆に桜花が盾を構えた瞬間、その顔面で爆発が起きた。紫色の光る何かがインファント・ドラゴンに着弾したのだ。
「これは、雷か?」
「下がって回復してこい大男!!」
焦げた赤の髪の青年が桜花の横に立って叫ぶ。フロアモンスターの掃討役に回っていたその青年――ヴェルフは、大刀を構えてインファント・ドラゴンへと向かう。そしてその大刀を鱗が比較的少ない腹の部分へと叩きつけた。
それはインファント・ドラゴンにとって痛撃ではないが、受け続ければ無視できないものだ。その視線は、ヘイトはヴェルフへと向けられた。
「……分かった、少し任せる!」
「おう!」
インファント・ドラゴンをヴェルフに任せ、桜花は自分たちの団員が居る場所に向かった。
今ならインファント・ドラゴンから離れることができる。距離という意味ではなく、この戦闘からという意味だ。
自分の優柔不断さが仲間へ傷を与えたのなら、自分はもう間違えてはいけない。
桜花はこの戦闘から離脱することを決意した。
――
感じられる威圧感が今まで対峙してきたモンスターの比ではない。これ無理だわ、と。ヴェルフはインファント・ドラゴンと対峙し敵意を向けられた瞬間にそう思った。
そして一歩飛ぶように後ろへ後退し、大刀を正眼に構えた。そしてベルに言われた言葉を想起する。
『ドラゴンは鳥と蛇の融合体みたいなもので、捕食の特性はそのまま攻撃に引き継がれている』
例えばクチバシで落ちている餌を食べる鶏、そして蛇の攻撃である
インファント・ドラゴンは自分の巨体が、力がそのまま武器になることを知っている。故に突進という手段や、自身の顔面による打突は必殺になることを知っていた。首を鞭のようにしならせ振り回す攻撃はそれを知らねば行わないはずだ。
至近距離で突進をされれば避ける手段は無く、そのまま馬車の前に出た人のように挽かれることになる。そのためヴェルフは少しだけ間を開けて対峙しなければならなかった。その距離で行われる攻撃は、鳥の捕食と同じだった。
即ち自身の顔面による打突と噛み付き、それをヴェルフは前兆を見て半身を反らし回避する。十数センチ隣にはダンジョンの地面を陥没させた。
その威力をヴェルフに見る余裕はない。必殺の一撃ではなく、キツツキが木に穴を空けるように、その攻撃は連続してヴェルフに向けられていたのだから。
「あぶっ……ちぃ!!!」
ヴェルフは回避しつづける。インファント・ドラゴンの凶器でもあるその顔面は弾丸のようで、ヴェルフの視界にははっきりとその輪郭は映らなかった。
ヴェルフの回避は殆どが勘に過ぎない。無論その背後にはある程度の確信があった。
『蛇は捕食の前に咬蛇姿勢を取る。後方で体をばねのようにして、一気に伸びて跳躍する。インファント・ドラゴンも同じで、打突を行う前には首をわずかに退く』
そのタイミングを見てヴェルフはその瞬間に立っていた場所から左右に退避すればいい。拳闘士のパンチに対して、拳を見てから避けるのは不可能だ。だからこそ彼らはそのわずかな前兆を見て勘で攻撃を回避するのだ。
そして拳闘士のようにフェイントをかけられるような知能をインファント・ドラゴンは持っていない。
『だから
「簡単なわけあるかふざけろ!!」
勘がいつまでも続くはずがなかった。回避が足りない、と判断したその一瞬でヴェルフは自身の大刀を盾にして打突を受け止める。
みし、という自身の骨か筋肉が軋む音がヴェルフの耳に届く。そして自分の持つ大刀が衝撃で曲がっていることに気が付いた。遅れてきた痛みが体を走り、すぐその痛みを無視して威力を流すように体を反らした。
その威力に膝をつき、ヴェルフの思考に悪寒が走る。次の一撃で自身がくたばるという未来予知に似た勘だった。
そしてそのタイミングを見計らったかのように白い影は動いた。
障害物を回避し走るパルクールのように、走り、登り、着地と跳躍を行いインファント・ドラゴンの身体を駆け上がる。
ヴェルフへの一撃の感触にインファント・ドラゴンがわずかに高揚した。ヴェルフが膝をついた姿を見てわずかに油断したのだ。再度攻撃しようと自身の首を後ろに引いた瞬間、自身の顔に何かが引っ掛かった。
虫だ。白い虫がそこに居て何かを自身の鼻へと突き刺した。
「く、らぁ、ええええええええええ!!!!」
「グギャグッガガッグゥゥウウウ!!!!!???」
雷属性の魔法に似たその一撃はインファント・ドラゴンの顔面、正確には鼻孔内で炸裂したのだ。
反射的にインファント・ドラゴンは首を振った。顔面に張り付いた
「グガァガァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
剥がれた虫が今度は自分の背に着地したのを感じたインファント・ドラゴンは、自身の身体を揺すり、転がり引き剥がそうと暴れ出した。体を反転させ、尻尾を振り回し、背を地面にこすりつけた。幸いなことに腰が引けていた冒険者たちはそれに巻き込まれることは無かったが、ヴェルフは転がるようにその範囲外へと退避した。
十数秒ソレは続き、やがて再度四肢を地面につけたインファント・ドラゴンが体を軽くゆすった。自分の身体についた埃や土を払うようにしたその動作の後、とん、という感触が背中に走る。
まだ、
「なんだありゃあ!? 曲芸師かなんかか!?」
冒険者の一人が叫ぶ。
ベルが行ったのはインファント・ドラゴンの上での跳躍と着地、それだけだった。玉乗りか暴れ馬への乗馬か、それと同じように体が動くリズムに合わせて着地と跳躍を繰り返したのだ。
人は恩恵を受けずとも暴れ馬を、興奮する牡牛を、恐竜のような猛禽類ですら乗りこなすことができる。ならば神の力の一端を、その恩恵を受けた人間が、ドラゴンという多少スケールが増えただけの生物に乗ることは簡単――
「(なわけあるかふざけんな!!!)」
奇しくもベルはヴェルフと全く同じことを思い憤慨し荒い息を吐いた。自分の思考は全て着地と跳躍に向けられ息をすることも忘れていた。それでもできるかは五分五分で、何とか致命的なダメージを負わずにいられたのだ。もう一度やれと言われてできる気はしなかった。
「だぁああああああああああ!!!」
インファント・ドラゴンの意識がベルへと向けられそうなったとき、再度ヴェルフはインファント・ドラゴンへと突貫した。曲がって使えなくなった大刀を捨てて予備武器メイスによる打撃をその体の一部へと叩き込んだ。
前足部分で一番小さな指先、爪の根の部分の一点への打撃にインファント・ドラゴンは小さな悲鳴を上げた。その部分は大したダメージにならずとも痛撃にはなる。
自分はともかくベルは一撃まともに食らったら死ぬ。その事実がヴェルフを動かし結果として数秒、インファント・ドラゴンを怯ませる。
その一瞬で再度ベルはインファント・ドラゴンの頭へと登った。
「(うざったい虫が二体、まとめて吹き飛ばすなら次は『ソレ』だよね!?)」
ベルは次の行動を選択し、ポーチから道具を取り出した。ヴェルフと自分ではインファント・ドラゴンを討伐するほどのダメージを与えることはできない。自分は道具を使ってようやく効果がある行動ができる程度だった。
インファント・ドラゴンがベルに意識を向けた時点で、ベルは自分が面倒くさい相手だと思われていることを理解した。ヴェルフに対しても同じだろう。
そしてのた打ち回るという行動に出て、それがベルには効かなかったように見えたはずだ。だからベルは次にとる行動を読み取った。自分とヴェルフを纏めて攻撃を与える方法は他に一つだけだ。
「モルブルを使う! ヴェルフ離れて!」
「分かった!!」
インファント・ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。
息を吸い込むその瞬間にモンスター達が嫌悪する臭いを叩き込まれ、無視できない刺激に行動は
ベルは己の行動がインファント・ドラゴンにがむしゃらに体を振るわせる行動になると想定できていた。だからこそそれに巻き込まれないようヴェルフを離れさせたのだ。
ベルはインファント・ドラゴンの頭の上から跳躍し離脱する。わずかにベルの足が宙に浮いた瞬間だった。
頭を振ったインファント・ドラゴンの角が、ベルのつま先にぶつかった。
「(まずっ……!)」
体の中心部ではなく端に与えられたその衝撃は、プロペラの端を押すように宙に居たベルの身体を回転させた。何度も反転する世界にベルの思考は付いてこない。目まぐるしく変わるその視界に、動体視力も思考も付いていくには【器用】のステイタスが圧倒的に足りなかった。
そして慣性の通りに落ちるベルの先にあるのは、モルブルの臭いを消そうと首を振り回すインファント・ドラゴンの姿があった。
「ベルぅ!!!!」
意識も何もない、無意識の行動故の衝突事故。首を振ったインファント・ドラゴンの一撃はベルに直撃しその体をルームの端に向かって弾き飛ばした。
ベルの言葉で暴れるインファント・ドラゴンから離れたヴェルフは、再度向かおうとしたところで弾かれるベルの姿を見て叫んだのだ。
低いステイタスの身体に致死量の力によっての一撃、ベルの死、最悪を想定し思考が途切れる。
ヴェルフの耳に届いたのはそれが原因だったのだろう。
「あいつもやられた、もうだめだぁ! あんなの俺たちじゃどうにもならねぇ!」
「タケミカズチのところは何やってんだよ!」
耳障りな内容の声が、ヴェルフの耳に届く。
ここに残った冒険者は、ヴェルフ自身も含めて桜花たちのおこぼれを狙ったハイエナだ。桜花たちが居なければ残って戦おうとするものは居なかっただろう。
危険な場所である壁役を誰一人やろうとしないのがその証拠だった。
「……ふざけろ」
ヴェルフだってその心境は理解できる。
たった一撃大刀で防御しただけでそれは曲がって使い物にならなくなった。骨が軋みピリピリとした感触が手先にある。まともに受ければ行動不能になることが安易に想定できる一撃だった。
この乱戦で行動不能になればそれは死に直結する。それが怖いのは先ほどまで覚悟を決めきれなかったヴェルフ自身が良く知っていた。
そして今、戦う選択をとったベルが直撃を受けて死んだ。愚か者の末路がそこにあった。
だが、それでも。
「ふざけろお前らぁ!!!!」
端的に言うなら、ビビる冒険者たちの不甲斐なさにヴェルフはキレた。そしてベルが死んだ事実に自分の無力さもまとめてぶちまける。
ベルが倒れたのは自分たちの選択で、いわば自業自得だと理解していて、周りの冒険者たちの行動も勝手だと理解していてその上でブチ切れたのだ。
「お前らのその装備は飾りか!? Lv.2の保護者が居なけりゃなにもしねぇのか!?」
何を言っているんだ、とそういった様子の冒険者たちに向かってヴェルフは叫んだ。
「お前らは冒険者だろうが! 三流
ヴェルフには彼らを侮蔑する資格は無いだろう。それでも逆ギレ上等八つ当たり上等言わんばかりにヴェルフは叫ぶ。
インファント・ドラゴンが顔のモルブルの臭いが取れないと理解して諦めるのも時間の問題だ。そうなればその意識は周りに向けられるだろう。それまでが残された時間だった。
ヴェルフは自分の予備武器であるメイスを握りしめる。自分は死ぬ、それが十数秒後か分単位で後なのかは、インファント・ドラゴンだけしかわからない。
インファント・ドラゴン対峙してからの戦闘時間は五分にも満たない、だが自分とベルは数分とはいえ命を預け合った。真っすぐに同じ
その男を友と呼ばずに何と呼ぶ。その友が死んで、何もできず何もやらずおっ死ぬのかヴェルフ・クロッゾ。
「冗談じゃねぇ」
一言、呟く。
それは自暴自棄だ。ヴェルフの身体を突き動かすのは決して良い理由でも意味のある感情でもなく、また冒険者としては愚か者の考えだった。
だからどうした、俺は『大馬鹿野郎』だとヴェルフは内心で正論を踏み潰す。
「冒険すんのが怖いなら、最初から出てくるんじゃねぇ臆病者」
ヴェルフは周囲にそう吐き捨てた。
ポーチから取り出したハイポーションを一気に飲み込み、空になった試験管をその場に投げ捨てる。そして一歩、前に出る。打撃槌を両手で握り、息を吸い込み――駆けた。
インファント・ドラゴンがモルブルの臭いを消すことを諦めた。首をわずかに引いた攻撃の前兆、それを見たヴェルフが半歩横に回避する。
数センチ横を打突は通り過ぎ、そのままヴェルフはインファント・ドラゴンへ向かって駆けた。接敵する直前に打撃槌を肩に担ぎ叫ぶ。
狙いは無い。ただ叩きのめしてやると思いだけで振るわれた槌はその肉体へと直撃する。
ぎん、という鉱物がぶつかる音が聞こえた。
ヴェルフの感覚が捉えたのは腕に上がってくる手へのしびれ、そして頭が吹っ飛んだ槌が視界に入る。
「……固ぇ」
インファント・ドラゴンにダメージは無い。乱雑になった一撃に怯むほど、インファント・ドラゴンは弱くは無い。
いくら思いが込められようと、どれだけの意思があったとしても此処は『ダンジョン』だ。あっけなくそれらを踏み潰し、力不足という
ヴェルフの身体は殴った時の衝撃で数歩、離れた場所に着地した。そして伸びた首をインファント・ドラゴンはそのまま横に動かし、それに巻き込まれヴェルフは弾かれる。
背中を地面にぶつけたヴェルフは点滅する視界でインファント・ドラゴンを見つけた。
首を引く、攻撃の前兆。回避手段は無い。
「よくほざきやがったクソ
ヴェルフの前に現れたのは大盾を構えた名も知らぬドワーフの男だった。
ヴェルフの代わりにインファント・ドラゴンの攻撃を盾越しに受けたその男は、衝撃を殺しきれずそのまま後ろに転がった。そして腰に据えていた剣が地面に落ちた。
九死に一生を得てあっけにとられたヴェルフは、次いでインファント・ドラゴンに投げ込まれた
「剣を借りるぞドワーフ!」
「手垢着けんなよヒューマン!」
ドワーフの男の横に落ちた剣を拾いながらヒューマンの少女はインファント・ドラゴンに向かって駆けた。自身の武器はインファント・ドラゴンに向かって投げ込んだ。叫び声をあげて自身の恐怖をごまかしながら攻撃を開始する。
同時に複数方向からアタッカーを務めていた冒険者たちがインファント・ドラゴンへと接近する。彼らの表情に浮かぶのはヒューマンの少女と同じ恐怖で、震える手を無理やり押さえつけていたのだ。
ヴェルフを庇い転がったドワーフも立ち上がり、再度インファント・ドラゴンへと向かった。盾はへこみ、腕が折れているのにも気が付かないといった様子だ。
「潰せ! 潰せ! 潰せぇええええええええ!!!!!!!!!!」
それは誰の叫び声なのかもわからない。それでも剣を、槍を、盾を、武具を持った冒険者たちは突貫する。
インファント・ドラゴンは首を振り回しそれを鬱陶しそうに薙ぎ払う。攻撃に巻き込まれ苦悶の声を隣で上げていても、冒険者たちは狂ったようにインファント・ドラゴンへと向かっていった。
此処にいる彼ら、彼女ら冒険者たちは少しだけ利己的で、ずるい。それでも普通の範疇の者達だった。そして共通する点が一つある。それは十階層まで自力で上がってきた冒険者たちであることだ。
そんな風習はオラリオや冒険者たちの間には無い。ではなぜ彼らがそれをしたのかと言えば、単純に
馬鹿らしい理由だが十階層まで来る実力がある冒険者たち根源にあるのは、誰もが抱くような名誉欲で、それが目指すのは自身の中で素晴らしいと思う自分だった。
楽に稼ぐなら弱者をいたぶればいい、自分たちのギリギリの実力ではなく、もっと浅い階層でモンスターを狩っていればいい。そうではない彼らは、誰もがもっと上に行きたいという欲望を持っていた。
それが表に現れないのは感情や理性、常識があるからで、目指したいものと同じように体が動かないことなど当たり前のことだ。
Lv.2の上位者の下で楽に経験値を稼ぎたい、一発で戦闘不能にしてくるモンスターが恐ろしい、ランクアップしているのなら攻撃を堪え切れるのだから、そいつらが負担を背負えばいい。だから体は動かず、ただ状況が動くのを待っていた。
それを無視してインファント・ドラゴンと戦った『大馬鹿野郎』が居た。
馬鹿だ、理性が飛んだ狂人だ、自分の力量も理解していない愚か者だ。
だが強大な存在に立ち向かっていく【英雄】のような姿に、心の一番奥の本音で、カッコいいと、そう思わない者は誰もいなかったのだ。
Lv.2の桜花では彼らを奮起させることはできなかった。それはランクアップによって得たステイタスは彼らと同じ場所に立ってはおらず、安全地帯から声を掛けられているようなものだったのだから。
だがヴェルフの時は状況が違った。モルブルボムで一時的に止められたモンスター達は入り口に屯しており、逃げ場所の無い背水の陣が敷かれている。
そしてヴェルフは冒険者たちと何も変わらない、Lv.1である普通の人間である。その男が言った罵倒じみた言葉は激励となり、生まれた意地や怒りといった感情が彼らの常識や理性を叩き潰した。
死はもうすぐ近くにある、理想とかけ離れた今の自分のまま死んでいくことを理解した冒険者たちは、ヴェルフの自暴自棄を含んだ狂気に釣られた。
だったらせめて自分の根源にある
そしてここに結果として現れる。
此処は『ダンジョン』だ。ヴェルフの時と同じ、力の伴わない思いはあっけなく潰れていく。必死になって打った攻撃を受けてもインファント・ドラゴンは僅かに身じろぎするだけで、大したダメージにはなっていない。それどころか攻撃を受けて吹き飛び、戦闘不能になった冒険者もいる。
力不足という現実は思いだけで埋めきれるものではなかったのだ。
ヴェルフが突貫した時と全く同じことが結果としてあらわれた。――ならば、ヴェルフが冒険者たちを突き動かした時と同じように、『誰か』を動かすのは当然だった。
「ゴグゥウウウウ!!?」
影が一つ、インファント・ドラゴンへと接近する。手にあるのはバトルアックス、敵の意識の外から放たれた、防御を考慮しないその一撃はインファント・ドラゴンの鱗ごと体を引き裂いた。
痛撃となった一撃を放った者を見て誰かが叫ぶ。
「遅ぇぞ大男ぉ!!!!」
「ああ、悪かった」
桜花・カシマ。Lv.2の冒険者が再び戦線へと復帰した。
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サブシナリオ1下 インファント・ドラゴン
命と千草の元に戻った桜花は渡されたポーションを一気に飲み、自分が置かれている現状を整理した。
火球を受けた命の身体は重体だ。千草が直ぐに治療薬をかけて応急処置をしたとはいえ、焼け爛れた装備からその下の身体がどうなっているのか想像するのは容易かった。中層を目指してサラマンダーウールを使った装備は火傷を減らしたが、生を繋いでいるのはステイタスによる器の頑強さもあるのだろう。
荒い息を吐く
『撤退するぞ』
その言葉に千草が目を見開いた。
『待って桜花、そうしたら此処は』
『全滅するな。だがそんな事実よりも俺はお前たちのほうが大事だ』
選択をせずに逃げた自分のせいで命は傷ついた。全ては自分が未熟だったからだ。ならばもうファミリアの首領として間違えるわけにはいかない。
何かを言おうとした千草を桜花は視線で止めた。口論をしている暇はないと、その意味を込められたものに千草は口を閉ざす。
『逃げるんですね』
そんな彼らの場所に場違いな第三者の声が響く。
そこに居たのは少女だった。自分の身の丈以上のバックパックを背にし、フードを被ったパルゥムの少女――リリルカは、無価値の物を見るような視線で彼らを見つめていた。
桜花はさりげなく自身の武器の柄に手をかけた。この少女が自分たちの撤退を阻害するのなら、手にかけてでも行かなければならない。だがその予想とは外れてリリルカは小さくため息を吐いただけだった。
『別に邪魔するつもりはありませんよ。逃げるか戦うか聞きに来ただけなので。ああ、一応クラネル様に説得も頼まれていましたか』
『……あいつ等か』
リリルカは桜花たちのことなどどうでもいいといった様子だ。ただ仕方なく来た、といった態度の彼女に桜花は自分と壁役を交代した男を頭に浮かべた。
ベルがリリルカにお願いしていたのは桜花の説得だった。壁役を交代して回復した後、Lv.2の冒険者ならば十階層のモンスターは十分突破可能な相手に過ぎない。ならば彼らが撤退という選択を取ることは予測できたことだった。
『ならお前は俺たちを説得に来たんじゃないのか』
『だから、別に。私嫌いですから、冒険者なんていう連中は』
桜花たちが戦わないと分かればベルもそれなりの選択を取るだろう。それ以上のことをリリルカはするつもりはなかった。
さらに言うのならリリルカは冒険者という存在が嫌いだ。野蛮で力任せで弱者をいたぶる、そのくせして困難から簡単に逃げだす冒険者という人種が大嫌いだった。
だから裏切ることだって戸惑いは無い。リリルカは今まで何度も冒険者たちを騙してきた。利己的な判断だけで見るのならば、ベルを裏切って桜花たちの撤退についていくことがリリルカにとっての最善だった。
『ああでも、しいて言うのなら私は貴方たちみたいな冒険者は大嫌いです』
困難から、脅威から、簡単に逃げようとするような奴らがリリルカ・アーデは一番嫌いだった。
賢い選択肢ではなく、少し前の彼女であったのなら迷わず見捨てていただろう。
だけどベル・クラネルとヴェルフ・クロッゾは別だ。たった一度とはいえ助けられてしまった。大嫌いな冒険者という人種に、自分たちを窮地に追い込む選択を取らせその上でリリルカは助けられてしまった。借りを作ってしまったのだ。
そんなものを忘れて生きるズルい選択をしたくなかった。自分がどうしようもない弱者だったとしても、せめて自分が信じた『神様』に恥じない生き方をしたかったのだ。
桜花たちをもう興味は無いといった様子で、リリルカは彼らに背を向けて歩み始めた。情けなさや悔しさ、それを払拭するかのように桜花はその後ろ姿に声をかける。
『お前はどうするつもりだ?』
『
リリルカは戦場へと駆けだした。その後ろ姿に桜花は何もできず、ただ自分の拳を握りしめた。
ぎり、と桜花は奥歯を噛んでただその悔しさに耐える。自分はタケミカズチ様の眷属だ、その神に恥じないような生き方をしたいに決まっている。
そう思ったと同時にルーム全体にヴェルフの怒号が響き渡った。
一つ、深呼吸をした。そしてゆっくりと拳を開き、前を見据えて呟く。
『俺は、このファミリアの団長だ』
選択を間違えるな、背負っているものを投げ捨てるな、切り捨てるべきことを戸惑うな。
苛立ちも感情も一つ一つ潰していく。取るべき選択に向かって桜花は手を伸ばす。
『……行って、ください。桜花、どの。まだ手は、あります。』
掠れた
わずかに目を見開いた桜花は、その言葉に対して迷いなく首を振った。
『それはできない。あいつらに全部押し付けることが胸糞悪いなら、後で俺をどうしてくれてもいい。だから――』
『でも、桜花どのが、したいこと、は。そうではない、でしょう?』
きっと自分たちの誰もが桜花の行動を肯定する。それは自分たちの主神であるタケミカズチも例外ではない。優しく大きい、眷属たちの父親のようなその偉大な
そんな主神の眷属だからこそ、桜花は主神に恥じぬ人物として生きてきた。その思いが変わることは無い。だから彼らの友は、主神は、彼をファミリアの団長として着いてきたのだから。
『桜花』
千草が一言、彼の名を呼んだ。微笑みを浮かべたその表情が、桜花に行って欲しいという思いを込められたものだと理解した。
『命、千草』
桜花は二人に背を向けて戦場へと視線を据えた。そこには己の【
だけど、そうでありたいと願った桜花の憧憬もそこにあった。
『悪い、行ってくる』
『行ってらっしゃい』
これを最後にしようと桜花は決意する。ただの冒険者である桜花が、自分のためだけの選択をすることを。
武器を握りしめて地面を蹴り飛ばす。冒険者たちが作り出した隙を縫って、桜花はインファント・ドラゴンへと肉薄した。
――
「策はあんのかぁ!? タケミカズチんとこの旦那ぁ!!!?」
「ある! みんな、そのまま聞いてくれ!!」
戦闘に参加した桜花に冒険者は湧き上がるも、その視線や警戒はインファント・ドラゴンに、向けられたままだった。
桜花の一撃でインファント・ドラゴンが怯み、その隙に桜花は叫ぶようにして己の勝機を皆に伝えた。
「今から30秒後、範囲拘束魔法を放つ! それの解除と同時に、攻撃魔法を使える者はそれに合わせて魔法を使ってくれ! 千草ぁ!! カウントを頼む!」
命の重力魔法である【フツノミタマ】は大型のモンスターに放てば一種の拘束魔法となる。ファミリア外の者達が多く居るため、また壁役として前に出ており使用できなかったが、今は戦線を離れているため詠唱することも可能だった。
そして高威力の魔法による一斉攻撃、上位の存在であるインファント・ドラゴンをしとめるには、そうしなければならないと桜花は判断した。
ここにきて全員、切り札を伏せる必要はない。各々から了承の声が響き渡った。
「聞いたな
「上等よブ男! あの子の魔法に巻き込まれないように注意しなさいよ!」
「魔法使いの前にコイツを行かせるなぁ!」
「カウントを開始します! 30! 29! 28……」
それぞれが行動を開始する。それぞれが声を掛け合い、囮を務め、攻撃を行った。
――
「ベル! ベル! 無事か!? リリスケ! ベルは大丈夫なのか!?」
「一応は無事ですよ。確認したならさっさと戦線に戻ってください、こっちはリタイア組の場所ですから」
ヴェルフを庇った冒険者から、
そこにはうめき声をあげる冒険者たちが雑に置かれ、リリルカがハイポーションをベルの口に突っ込み飲ませている姿があった。
桜花が戦線に参加すれば冒険者たちも戦い始めるだろう、その時出た負傷者をインファント・ドラゴンの攻撃の範囲外に出して欲しいとベルに言われていた。リリルカはその通り、荷物のように冒険者たちを引きずり離脱させていたのだ。
誰かのせいで桜花が戻るより先に冒険者たちが暴走したが、リリルカはおまけだと言うようにそこで倒れた者たちを回収したのだ。
「エホッゲホッ……つぅ、ありがとう、アーデさん」
「さん付けはやめてください。ムズムズするというか、気持ち悪いです」
「えっと、ごめん。ヴェルフ、今何がどうなってる?」
ベルは意識を取り戻し左腕の痛みに苦悶の声を上げつつも、それは表情に出さずヴェルフへと尋ねた。
インファント・ドラゴンの一撃を食らいベルは弾き飛ばされたが、幸いとなったのはこのルームの地形だった。
地面は草原で柔らかく、吹き飛ばされた方向は壁から遠く離れていた。そのため地面へと激突する瞬間に転がるようにして勢いを横に流すことができたのだ。当然無傷とはいかず、左腕がガタついている。
「あの大男が復帰した、もう少ししたら拘束魔法をやるから魔法で一斉攻撃するらしい。カウントは今やってるやつだ!」
耳を澄ますとベルの耳に千草がカウントを行っているのが聞こえてきた。残り時間は25、この後のことを思考し、結論を出したベルはヴェルフへと口を開いた。
「ヴェルフ、お願いがある」
――
戦況にはいくらか余裕が出た。桜花の示された作戦は端的に言えば30秒間魔法使いを守れという単純なものだった。だが桜花の攻撃も継続的に通すために、冒険者たちは盾役と囮と回復を交代しながらインファント・ドラゴンの気を引き、命の魔法を待った。
「【救え浄化の光、破邪の刃。払え平定の太刀、征伐の霊剣】」
詠唱が進む。だが冒険者たちにとって数秒が何倍もの時間となって身に降りかかる。
千草のカウントが進む。すでに15を切った。瞬間、インファント・ドラゴンの前兆に誰かが反応し叫んだ。
「
「させるかぁあああああああああ!!!」
息を吸い込むインファント・ドラゴン。全てをスタン状態に追い込むその攻撃の前兆。
その言葉を聞いた瞬間桜花は動いた。自身の持っていた斧を後ろに引くと、そのまま振りぬいて手を放したのだ。
投擲された斧はインファント・ドラゴンの身体に着弾し、その巨体を揺るがせた。ごふ、と息を漏らしたインファント・ドラゴンは、それでも吐き出さないように耐えたのだ。
だがその息を漏らした瞬間、桜花の目に見えたのは炎だった。そしてその首元の鱗が紅く光った。その変化を、その前兆を見て桜花は叫んだ。
「
桜花の言葉に冒険者たち全員が動いた。
インファント・ドラゴンと詠唱を続けている魔法使いの間に、特に拘束魔法を唱えていた
燃やされ死ぬかもしれない、なんて恐怖はもうインファント・ドラゴンに挑んだ時点で狂気に包まれて燃えていた。せめて攻撃に耐えようと、インファント・ドラゴンのブレスに身構えようとした時だった。
その声は響いた。
「【燃えつきろ、外法の業】!」
瞬間、インファント・ドラゴンの口の中で爆発が起きた。
「グォグググ!!!?!?」
唐突な出来事に誰もが一瞬あっけにとられ、行動を停止した。唯一その魔法を放った人物ともう一人だけが何が起きたのかを理解していた。
ウィル・オ・ウィスプ。ヴェルフが唱えた
敵と正面から向き合い戦うヴェルフ・クロッゾという人間の本質が表れたその魔法は、自身の外から持ってきた力に頼ることを否定したのだ。
ヴェルフが魔法を放つよりも先に、その横を駆け抜けた誰かが居た。
その白い影は――ベルは誰よりも早くインファント・ドラゴンへと肉薄する。手にあるのはヴェルフの作った短刀である
ヴェルフの魔法は魔法に対するカウンターであり、ヴェルフのタイミングが外れれば失敗しそのままブレスは放たれていただろう。だがベルはそれが必ず成功すると『決めていた』。
リリルカを助けるために愚かな選択をしたヴェルフを、祖に
ヴェルフの中に確かに【英雄】の片鱗を見たのだ。ならばこの状況で【奇跡】でもない困難など、乗り越えていくだろうと『決めつけた』。
だからベルのその一撃は迷うことなくインファント・ドラゴンへとぶつけられた。爆発によって顎を上げてしまったその場所に、ブレスの前兆に紅く光った鱗があった。
「ああああああああああああ!!!!!」
モンスターの外殻は鉱物と同じ、『熱すれば柔らかくなる』。ドラゴンたちが最も守りたい急所、即ち逆鱗と呼ばれる場所にベルはそのナイフを叩きつけた。
容易く突き刺さったナイフをベルはひねり上げる。インファント・ドラゴンの悲鳴が響き渡った。
「ガグァガガアァアアアアアアアアア!!!!!?!」
暴れるように首を振り回すインファント・ドラゴンのその動きを、片手を短刀の柄に、両足をインファント・ドラゴンの首を大地のようにして踏みとどまる。短刀を引き抜こうとその足に力を入れたが、わずかに刺さった部分が軋むだけで抜けなかった。
「(刀身部分が溶けてくっついた!? ああもう、こんな時に!)」
そこはインファント・ドラゴンが吐息を炎のブレスに変換する器官のような場所だった。そこに突き刺さった短刀の素材はシャドーウォールの爪、即ちモンスターの外殻だった。そのため武器がその熱に耐えきれず、インファント・ドラゴンにくっついたのだ。
そこを潰せれば人間でいう喉仏をはぎ落したようなものだ。しかし現実に短刀ごと鱗を剥ぎ取るにはベルのステイタスが足りなかった。
「7! 6! 5!」
千草のカウントが進む。魔法に巻き込まれればどうしようもない。
くそ、と。悪態をつき柄から手を放そうとしたとき声は届いた。
「ベル!!!!!!!」
「ばっっか…!!」
数秒で魔法が発動するその効果範囲に、ベルの元へと飛びこんだ
ヴェルフが魔法を放った後、誰よりも早く行動したのはベルだが、その次に早く行動したのはヴェルフだった。ベルの後ろ姿を見てそれを追いかけるようにして走り出していたのだ。
インファント・ドラゴンの逆鱗に短刀を突き立て、引き抜くことができずに窮したベルを見て、何も考えずにヴェルフは飛び込んだのだ。
ベルがピンチだ、それなら危険だろうが何だろうが、自分が辿り着かずにどうすると。ただそれだけでヴェルフは動いたのだ。
ベルの手の上からヴェルフは短刀の柄を掴む。一瞬の視線の交差の後ベルは叫んだ。
「せぇーーーー!!!!」
「のぉ!!!」
掛け声と同時にベルとヴェルフはインファント・ドラゴンを壁のようにして蹴り飛ばす。
ぶちぶちぶち、と。喉の逆鱗が剥がれ引き千切られる痛みでインファント・ドラゴンは叫んだ。
弾かれるようにしてベルとヴェルフは地面へと墜落して転がった。そして冒険者の回収をしていたリリルカに拾われ戦闘から離脱する。
同時にその言葉がルームに響き渡った。
「2! 1! ゼロぉおおお!!」
「【天より降り、地を統べよ――――神武闘征】!! 【フツノミタマ】!!」
悶えるインファント・ドラゴンの真下に作られた複数の魔法円陣が発生する。大きな円のように配置されたその真ん中に一筋の光が貫けば、そこを中心として重力の檻が発生した。
「今だ! 10秒後に解除する! 魔法を使える奴は全員詠唱しろ! 攻撃前衛! 回復を済ませて武器を構えろ!」
「10! 9! 8……」
桜花の指示が冒険者たちに届けば、重力の檻に囚われたわずかな時間を使って魔法使いは詠唱を開始し、前衛は回復と武器の補充を済ませた。
サポーターは、リリルカや千草はその間にも辺りを駆けた。回復薬を失ったもの、武器を失ったものにそれを届け、戦闘不能になった者たちを離脱させた。
「2、1、0! 魔法お願いしまぁす!!!!!!」
千草の言葉とともに重力の檻は解除される。同時に複数方向から放たれた色とりどりの魔法は全てインファント・ドラゴンへと着弾した。
爆音が響き粉塵が舞ってそれが煙となりインファント・ドラゴンの姿が見えなくなる。
ここで終わってくれ、だれもがそう思い桜花ですらこの後の指示を出せずにいた。
煙が晴れる、インファント・ドラゴンは、
「グ、ゴォ、ガ」
立って、そこに居る。
「つぅううううぅぶぅううせぇえええええええええええええええ!!!!!!!!」
誰かが叫んだ。それと同時に動ける冒険者は全員武器を持ってインファント・ドラゴンへと突貫した。
武器をインファント・ドラゴンへと何度も叩きつける。弱って動けないなら好都合だと狂ったように武器を振り回した。
――
「いて!! いでででででぇ!! もうちょっと丁寧に運んでくれってリリスケ!」
「この運び方が一番効率よくて楽なので別料金になりますね。クラネル様、起きていますよね? 次はどうしますか?」
インファント・ドラゴンから短刀ごと逆鱗を引き抜いたベルとヴェルフはリリルカによって回収されていた。お返しと言わんばかりにベルの首根っこを掴み、ヴェルフの腰の帯を掴みながら走っていたため、ベルは首が締まりヴェルフは顔面を地面に何度もぶつけていた。
やがて戦闘範囲外でリリルカは足を止めると、静かに二人を地面におろす。小さくせき込むベルは、ジト目でリリルカを睨む。
「たった今起こされたよ。……たぶんもう大丈夫じゃないかな」
「ええ、リリもそう思います」
「大丈夫って何が……あー」
ベルとリリルカの言葉の意味が分からなかったヴェルフは、視線の先にある光景に納得した。
インファント・ドラゴンは立っているが、もはや泥酔しているかのようにふらふらで、行動に力は無い。それに気が付かず全力で武器を叩き込んでいる冒険者たちは、もはや死体蹴りをしているようなものだった。
インファント・ドラゴンの風前の灯はいまだに狂気から離れない冒険者によって散々に踏み潰され、やがてあれだけ暴れまわったとは思えないほど小さな悲鳴を上げてその地面に倒れ伏した。
「死ね! 死ね! 死ねぇえええええええ!! らぁああああああ!!!」
「くたばりやがれこのや……あ?」
倒れてもわずかに身動きをすればまだ冒険者たちは武器を振り下ろし――やがてそれが動きを止めたことに気が付いて手を下す。
武器を持って突貫しようとする冒険者を、狂気から離れた者たちが抑える。
「…………動いて、ない?」
そして誰もがインファント・ドラゴンが死んだことを理解したとき、起こったのは爆発だった。
「いよっしゃああああああああああ!!!! ざまぁみろクソ竜このやろう!!」
「おわった!? おわったんだよね! うぁあわああああん神様あああああああ!!!!」
『うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』
誰もが歓声を上げてその結果を喜んだ。自分たちがインファント・ドラゴンをしとめた。狂気から現実に戻りそれでも生還できた結果に言葉にならない叫び声が辺り一面から広がった。
「……なんつーか、アレだ。まだ生きてる実感が無ぇ」
「同感、いろいろあり過ぎてもう神様に会って寝たい」
「リリもお二人の言葉に共感しますけれど、まずはアレを何とかしてからにしてもらっていいですか?」
リリルカが指さした方向をベルとヴェルフが視線を送れば、そこにはルームの入口いっぱいに詰まったモンスター達が居る。そしてゆっくりとルームへ侵入してくる姿があった。
モルブルボムの効果が切れ、栓がされていた入り口からあふれてきたのだ。
その姿は他の冒険者たちも気が付いたのだろう。歓声が一度止まると、各々の武器を再度構える。
「おおい、タケミカズチとこの旦那ぁ! 空気が読めねぇ馬鹿が入ってきたなぁ!?」
「本当だな。……各パーティから一人代表で、インファント・ドラゴンの解体を手伝ってくれ! 残りは水を差したモンスター達の討伐だ! こんなところでヘマなことをするなよ!」
『おう!!!!』
彼らにとって残ったモンスターなど余談に過ぎない。各々がパーティの垣根を越えて協力したその場所では、散らばるモンスターなど有象無象に過ぎないのだから。
そして冒険者たちはダンジョンから帰還する。傷だらけで肩を貸されたものだって多いが、それでも誰もが外の空気を吸って、恥も何も知るかと言わんばかりに歓声を上げた。
―――
「っしゃあお疲れぇ!」
「お疲れ様! ヴェルフ! アーデ!」
「はい、お疲れさまでしたクラネル様、ヴェルフ様」
そこはバベルの簡易食堂の一角だった。換金を済ませて腰を据えるところを見つけたベルたちのパーティは、テーブルの中央に換金して金貨の詰まった袋を中心に置いて打ち上げをしていたのだ。
それぞれのグラスをぶつけて乾杯をする。リリルカもおり軽く済ませるために頼んだものは酒ではない。だが気分が高揚してる彼らはそれでも十分だと言うように愉快げだった。
「じゃあ最初に分配をしようか。とりあえずアーデにはこの中から四割先に渡すね。ギルドの人に分配してもらったから大丈夫だと思うけど中身は数えてほしい」
「だな。今日は助かったぞリリスケ。ありがとうな」
「……えっと」
テーブルには三つ金貨の入った袋が置かれている。初めにリリルカに手渡されたのは、テーブルの上で一番大きな袋だった。全体の四割が入った金貨、20000ヴァリス以上にもなるそれを、二人は雑にリリルカの前に置いた。
「……いいのですか?」
「? 何が? それよりも次だけど」
「おうそうだな! あんだけでかい魔石で山分けも大きかったんだ。あのドラゴンの素材を使った装備を作って……うまいもん食っても釣りがくるだろ!」
ヴェルフは上機嫌でリリルカの言葉を聞いていない様子で、ベルは契約通りだったのだから何がおかしいのかと疑問を浮かべている様子だった。
残る袋は二つ大きいものと小さいものだった。ヴェルフはそれを見てわずかに表情をしかめた。ベルがいつも通り、報酬を8:2で割ろうとしていたと思ったからだ。
「なぁベル、今回は8:2で割るのは止めようぜ。俺もベルもお互いに居なかったら死んでいたんだから、今回は山分けしないか?」
「……そう? 流石に助かるかも。報酬が流石に厳しかったから」
ベルの言葉にヴェルフは何か違和感を持った。そして大きい方の袋を掴むと、それをリリルカの前に置いた。
「「……えっ」」
「それ、残りもアーデさんの分。じゃあヴェルフ、山分けしようか」
小さい袋をヴェルフの前に置き、唖然とする二人を置いてベルは軽く言った。
「ちょちょっちょっと待ってくれベル! なんだってあんだけあった金貨がこの袋一つに収まっちまったんだよ!?」
「な、なんですかこの大金! どうして私の所にこんなに山が来るんですかぁ!!?」
「あーーうん。契約通りに分配したらそうなっちゃうんだよね」
頬を指先で掻きながらベルは何と言うか迷った。そしてその内訳を詳しく話し始める。
リリルカに支払うお金は全体の4割だった。緊急時だったため破格のものになったが、大きな問題ではない。問題は今回の報酬内容だった。
今回の換金内容はインファント・ドラゴンの素材を含めていないものだ。そしてインファント・ドラゴンは1フロア当たり4体程度しかいないレアモンスターである。その素材は当然高額なものになる。
さらに言うならばベルとヴェルフが最後に引き抜いた短刀、そこには『インファント・ドラゴンの逆鱗』というレアドロップがくっ付いていたのだ。レアモンスターのレアドロップは上位のファミリアですら依頼に出すほどの素材だ。高額にならないはずがない。
ヴェルフとベルは鍛冶の素材としてそれを使いたいため、換金には出さずにキープしていた。そのため素材+換金したヴァリスで計算すれば以下の状況になってしまうのだった。
「というわけで、うん。正当な報酬だから気にしなくてもいいよ」
「……いや、流石に貰うのが悪いと言いますか、貰いますけれど!」
「マジかぁ……マジか」
リリルカは慌てて金貨の入った袋をしまい、ヴェルフは額に手を当てて天井を見上げた。
「でもヴェルフも今回の戦いでランクアップするだろうし、これぐらいは直ぐ稼げると思うよ?」
「そうだな! そうだよな! 良しだったらもうこの報酬は使っちまうかベル!」
ばちん、と自分の頬をたたき気を取り戻したヴェルフは、今回の戦いの目的を思い出した。元はと言えば純度の高い経験値を得ることが目的だったのだ。そして道具や装備が壊れることも想定済み、だったら今回の冒険は成功だったのだろう。
後日、結局ランクアップはしておらず、残念会を開くことになるのだがそれはここでは語らない。
「ははは、そうだね。たまにはいいか! 火鉢亭にでも行く?」
「おう! 祝勝会といくか! せっかくだからリリスケも一緒にどうだ?」
「――……いえ、せっかくですがリリはここで失礼させていただきます」
ヴェルフの言葉にリリルカは一瞬何かを考えると、すぐに首を振って誘いを断った。
そして椅子から立ち上がるとぺこりと二人に頭を下げた。
「そうか、分かった。またなリリスケ!」
「今日はありがとう、アーデ」
「ええ、ありがとうございました。またご利用していただけたら幸いです」
――
変な冒険者たちだとリリルカは思った。
目の前にいるのが自分のような弱者なら、契約なんて知らぬふりをしてしまえばいい。所詮はダンジョンの中での口約束なのだから。
ヴェルフの誘いを断ったのは、リリルカが彼らのことを信頼していないからだった。誘いをかけ、後ろから襲い掛かって報酬を強奪するぐらいのことを今までパーティを組んだ冒険者は簡単にやってきた。
結局信頼のできる場所まで必要分以外の金貨を宝石に換金し、金庫に預けるまでリリルカは二人の襲撃を警戒した。だが何も起こらず肩透かしを食らった気分だった。
「……祝勝会、行けばよかった」
ぶつりと、リリルカはヴェルフに誘われた言葉をつぶやいた。自暴自棄になって、命を
ベルとヴェルフとパーティを組んだのはほんの数分、戦闘の後はただついていって報酬を待っていただけだった。それでも自分の掌の中に何かがあった。
冒険者は嫌いだ。だけど、と。リリルカは確かに思った。
自分が神様と出会った、あの時のように。
「お、
「バーカ、中身が詰まってなけりゃしょうがねえだろう!」
「ひっくり返せばわかることだろ。 おおい、アーデ、さっきお前俺たちのサイフ拾ったよなぁ?」
くすんだ瞳でその光景を視界入れ、リリルカは思う。
私は冒険者という人種が大嫌いだ。
―――――――――
工房に辿り着きヴェルフはインファント・ドラゴンの記憶をそこで一度閉じた。
あの後ヴェルフはインファント・ドラゴンの素材を使ってベルの武器――『下鱗刀』を作り上げた。それは今まで生きてきた中で最高の作品だったと言えるだろう。素材はまだ残っており、Lv.2になり【鍛冶】のアビリティを得た暁には、完璧となった武器を送ろうと思っていたのだ。
「と、散らかっているけど適当に座ってくれ」
「分かった。それで装備の不備ってのはどの辺のこと? 先に装備を外した方がいいかな?」
「ああ、まぁ着たままでいるのも窮屈だろ。全部外してくれていいぞ」
工房の備え付けてある魔石が付けられた魔法瓶と急須を用意し、茶葉を適当に入れて湯を入れる。ベルはヴェルフの言葉に違和感を持ったが、言われた通りにライトアーマーと武器を外して置くと、適当な椅子を持ってきてそこに座った。
ベルはヴェルフの様子がやはり気になった。装備に不備がある、と言われたからわざわざ10階層から引き返してヴェルフの工房まで来たのだ。なのにその本人は人でも招くように先に茶を淹れ出したのだから。
ベルの体面に座ったヴェルフは急須から湯呑に注いだ茶を渡した。
「ほら、まぁとりあえず飲んでくれ」
「ありがとう……それで、装備の不備についてだけど」
「ああ、あれ嘘だ。悪いな」
「……はぁ!!?」
ヴェルフの言葉にベルは思わず叫んだ。その反応に意に介さずに茶をすする。そして一度盆に湯呑を置くと、真っすぐにベルに視線を向けて口を開いた。
「不備があるってのはお前のことだ、ベル」
次から本編に戻ります。
次回一部最終話
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七話下 第一部最終話
ベルの様子がおかしい、ヴェルフがそのことを真っすぐに本人に言ったとき、真っ先に返されたのは怒りに似た感情だった。そういえばベルからそういう感情を向けられたのは初めてだ、と。ヴェルフは茶を飲みながら呑気にそう思う。
「…………僕に不備があるって、どういう意味か聞いてもいい? ヴェルフ」
ベルの静かな口調にヴェルフはパーティを組むことを提案した時のことを思い出した。その時は何言ってんだコイツ、と言いたげな視線でありつつも此方の意図を探りに来ていた。
だが今回のベルの表情からはヴェルフは内心を読み取ることはできなかった。何時も通り、といった様子で最初の敵意が無かったのなら、気のせいと感じていたかもしれない。
「いや、そのまんまの意味だ。明らかに何か焦っているだろ?」
「言ってる意味が分からないんだけれど」
む、とベルの表情に苛立ちが混じる。それを無視してヴェルフは言葉を続けた。
「なぁベル、俺は頭が回らない。そんな俺でもお前が何かに焦っているか、問題抱えているかぐらいは分かったぞ。……怪物祭の日以降に何があった?」
怪物祭の翌日……昨日は、普段冒険に行く前に待ち合わせている場所にベルは来なかった。それで今日顔を合わせたと思えば、力を試したいと言わんばかりに一人で10階層まで突っ走っていた。
ベルの冒険に対するスタンスは、『冒険者は冒険をしてはならない』を守る堅実なものだとヴェルフは捉えている。深い階層に挑む前の事前の準備にそれは表れており、そのスタンスのおかげでインファント・ドラゴンからは生き残れたようなものなのだから。
それが我が身など知るかという様子で戦っていれば、問題がないなどとは思えなかった。
「……っ!」
ヴェルフの言葉に怒りを滲ませてベルは口を――開こうとしてそのまま閉じて俯いた。
そして一言呟いた。
「……ごめん」
「謝らないでくれ。俺だって踏み込み過ぎてる自覚はあるんだ。怒ってぶん殴られたって文句は言えねぇ」
人に図星を突かれれば苛立ちを生むのはベルも例外ではなかった。だがヴェルフの言葉がベルにとって気に入らないものであると同時に、どうしようもなく正しいことであるのをベルは理解してしまっていたのだ。
「ヴェルフから見て問題があるところがあれば直す。ヴェルフにこっちの事情で迷惑をかけるつもりはないから……それでいいんじゃないかな?」
「本当にそれで大丈夫だって言い切れるか?」
「……」
ヴェルフの言葉にベルは無言を返答とした。真っすぐな視線を避けるようにベルは目をそらして俯く。
きっと自分はヴェルフに、見かけだけで問題なんて何もないと言うように取り繕うようになるだろう。だがそれがダンジョン攻略には余分で負担にもなり、ヴェルフに迷惑をかけることになるのは目に見えていた。
無言の時間が続く。ヴェルフが急須から茶をつぎ足し、それを口に付けた時ベルは小さくつぶやいた。
「ヴェルフには言いたくない。……言っても仕方ないし、意味がない」
「意味がない、か。それは違うと思うぞ」
言いたくないと言うのなら、そこから先に踏み込むならそれはきっとお節介だとヴェルフは思う。だがその後に来た言葉だけは見過ごせず、言葉を続けた。
「ベル、お前の目の前に居る男は何をとち狂ったのか、スランプが抜けないって理由で
そんなもの周りから見れば意味がない、無駄の一言だった。現にファミリアの団員ですらヴェルフが馬鹿なことを始めたと思っているぐらいなのだから。わざわざ無関係の人物のレベリングに付き合い、装備まで提供するなど酔狂を通り越して愚かだと言えるだろう。
だが今のヴェルフはそうしたことを無駄だとは思わなかった。
「そんで俺は最高傑作の【
以前到達階層である11層に行ったときは、為す術もなくボロボロにされ逃げることしかできなかった。だが最近は常時ではないがそこで戦うことができていた。それに伴い【ステイタス】も上昇し、鍛冶に挑む自分の身体がより明確に分かるようになった。
今日のベルの動きを見れば、自分とステイタスは近いぐらいになっている。ならば11階層で恒常的に戦うことも可能になるだろう。
意味がなく無駄にしか見えない選択が、ヴェルフを先に歩ませたのは事実だった。だからヴェルフはベルはと問う。
「なぁベル、本当にそいつは意味がないのか? お前が問題を打ち明けられないほど、俺は情けない奴なのか?」
ヴェルフは何度もベルに背中を押されてきた。本人にはその自覚は無くとも、ヴェルフはそう思う。
『クロッゾ』に対して反発するだけの自分の考え方を変えてくれた。インファント・ドラゴンと戦ったときはベル自身の利を求めるのではなく、ヴェルフが前に進むための選択を取った。
ヴェルフならできると、ベルならできると信じ合い、背中を合わせ命を預け合った。
だからベルが困っているのなら力になってやりたいと思ったのだ。
「ヴェルフはさ、なんでそこまで聞いてくるの?」
「あん?」
「ヴェルフが僕にそこまでやる理由がないのに」
だというのにそんなことを言ったベルにヴェルフは思わずため息を吐いた。そして指を突き付け口を開く。
「ベルお前なぁ、自分の友人が目の前で問題抱えてんのに何もしないなら、そいつのことを友人なんて言えるかよ」
ヴェルフにそう言われたベルはキョトンとした表情を返した。そしてヴェルフが指を突き付けたまま気まずい沈黙が部屋に流れる。
自分がクサい台詞を言っていることに気が付いたヴェルフは、その恥ずかしさをごまかすように言葉を続ける。
「そ、それだけじゃなくてだな! 剣は持ち主の半身だ! つまり持ち主だって半身は剣だ! だったら鍛冶師の俺が問題見たっておかしくねぇだろ!?」
「……ありがとう、ヴェルフ」
「くそっ、小っ恥ずかしいことあんま言わせんなっての」
ここに来て初めて小さく笑いを見せたベルに、ヴェルフはどさりと背もたれに背を預けて呟く。顔に手を当てれば熱が上がっているような気がした。
ベルはヴェルフの言葉が嬉しかった。本気で、本音で力になりたいと言うヴェルフの真っすぐな言葉が僅かに心を溶かし小さな笑いがこぼれたのだ。
「うん、ごめん。――少し愚痴を言うね」
だからそれは溶けた心の本音の部分だった。それが促すままにベルは言葉を紡ぐ。
――
ベルの話は単純なものだった。
怪物祭の日、大切な人を自分では守れなかったという無力を味わい、それを
だからもっと先に行きたくて
「……【英雄】になりたいんだ」
全ての理不尽をぶっ壊すような英雄に。背中を押してくれた神様に誇れるような男に。
自分を残して去っていった『
ベルの言葉をヴェルフは黙って聞き続ける。ベルの本音を受け止め宙を見上げ思案して呟いた。
「……英雄、か」
最強――オッタルに何を言われたのかベルは語らなかった。だがきっとベルの根源にあるのは悔しさだとヴェルフは考える。
ヴェルフ自身も自分の無力さから停滞し、がむしゃらにダンジョンに向かったことがある。そして結果はろくでもなかった。
「事情は分かった。先に進みたいなら止めねぇよ。だけど余裕を持たないのは違うんじゃないか?」
ヴェルフが指摘したいのはそれだった。今回自分が最初に問題だと思ったこともそれだったのだから。
ベルは無茶はしていない、だが余裕は無かった。ヴェルフ自身、一度自分を見直してベルと組んで自分に入り過ぎていた力を抜いた。そうして現在前に進み続けている。
「抜きっぱなしの剣は強いのか? 俺はそう思わない。空気に晒しっぱなしの剣なんざ、直ぐに錆びて朽ちていくだけだ」
強いというのは力だけではないだろう。ヴェルフの言葉にベルは首を振った。
「……でも、凡刀じゃあ名刀には敵わない。そこまで行ける力は僕には無い。だけど……」
そんなことはないと、そう言いかけたヴェルフは口を閉ざす。続く言葉があることに気が付いてその先を待った。
「……だけど戦場で振るわれ続けた凡刀が、力を宿した名刀に代わることだってある」
一瞬ヴェルフの思考が固まった。
そしてベルが言っていることが何を意味しているのかを理解し、怒鳴るように叫んだ。
「ふざけんな! その在り方は妖刀や、正しい意味での『魔剣』と同じじゃねぇか!」
戦場で振るわれ続ける――即ち多くの者を斬り捨て血を啜った剣に力が宿る例はある。そこに蓄積した思い、怨念や悲しみは刃を研ぎ澄まし、容易く障害を絶つ剣と化す。
それを極東では妖刀と、他の地方では邪剣と、物語では担い手をやがて滅ぼす『魔剣』と呼ばれるのだ。
自身を叩き、目の前の物を全て超えていき強くなると、ベルの言った言葉はそれと同じだ。ヴェルフはその在り方を認めるわけにはいかなかった。友人としても鍛冶師としてもその道を進ませるわけにはいかないと叫んだのだ。
「でも、力だ。それさえないのなら、何も語れないし意味がない!」
ヴェルフの言葉を真正面から否定してベルは言う。
惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱――ベルに投げかけられた言葉は悔しさとなって心を削った。
弱い自分は途中で倒れ、
力が無ければ何も語る価値は無い。
「それで自分をぶっ壊してどうすんだ!
ベルはヘスティアを守る剣のようなものだとヴェルフは思う。だからこそ、すぐに朽ちて居なくなってしまう『魔剣』のような在り方を否定する。
ベルはその在り方を肯定する。どんなに本人に適した剣だったとしても、担い手を生かせないのなら意味がないのだと。
「【
「それでも前に進んでる奴が、お前の目の前に居るだろう!?」
ヴェルフ自身、自分の才能を投げ捨ててそれでも頂を目指している。それではたどり着けないと
「ヴェルフは、僕と違う!」
「何が違うってんだ!?」
「ヴェルフは! 『クロッゾ』っていう『
ベルの悲鳴のような言葉に、ヴェルフはとっさに言葉を返すことができなかった。
才能を捨てるのと才能が無いのでは万倍の違いがある。後者から見れば前者は愚か者にしか見えず、妬み恨むのだ。ヴェルフの同僚たちがヴェルフにそうしたように。
ベルは自分の肉親のことを知らない。どんな風に生まれ何をしていたのか、気が付けば神に拾われたベルは気にもしなかった。
だから自分がどこまで行けるのか、その縮尺定規の一つを持てず、勝手に決めた【憧憬】を目指して走り続けたのだ。だがそれは旅の道中で失い、新しい【憧憬】はゴールがどこにあるのかも見えないほど遠い。
「何もできないのが怖い……違う、意志に体が追いつけなくなるのが怖いんだ」
一人、前を進んでいるはずなのに、ゴールは遥か先で姿かたちも見えない。何もかもしなければ、自分の限界を走り続けなければ辿りけないかもしれない。たどり着けるかどうかも分からない。
だからただひたすらに余裕を切り捨てて走り続けた。【
「……カッコ悪いや。だからヴェルフに言いたくなかったんだ」
背もたれに体を預け、俯きながらベルは呟く
前が暗くて歩くのが怖いと言っている幼子と同じだ。あるかもしれない石に怯えて、ゴールがどこにあるかも分からないのに走り出して弱音を吐いている。
恰好悪い、情けない、そんな自分がベルは嫌だった。
ヴェルフにベルを止める言葉はもう見つからなかった。いや、止める言葉はあってもヴェルフは言うことができなかった。
なぜなら本人がその【憧憬】を諦めることが正しいと知っていて、だけどそれでも諦めたくないから無茶を繰り返してもがいているのだ。
賢い者なら身の丈合わない夢など持つのをやめろと言う。それが正しいのだから。
ヴェルフはそれらを理解し、静かに目を閉じる。
そして何かを思案し、暫し静かな時が流れた後に口を開いた。
「ベル、二つだけ確認させてくれ。辿り着けないって分かっていて、それでもお前は前に進み続けるのか?」
ヴェルフの言葉にベルは頷いた。
「うん。……それは、諦める理由にならないから」
「……とんでもねぇ壁があっても、それでもか?」
「立ち止まることはあるかもしれないけれど、諦めたくない」
ベルはヴェルフの問いに対して肯定する。その視線は真っすぐにヴェルフに向けられている。
諦めるつもりはないと、例えそれが届かぬ【憧憬】でしかないとしても折れはしないとベルは返した。
「じゃあ分かった、そこまで言うんだったら決めた」
故に、ヴェルフはその言葉に笑みを見せた。
半端なものではない、ベルが最後まで最後まで貫き通すと言うのならば、自分も最後まで突っ走る。
賢い者なら知ったことかと放りだしてしまえばいい。自分になんの利も害も無いのなら、自己責任だと言ってそのまま行かせてしまえばいいのだから。
それがきっと正しい選択だ。
だがここに居る『
ずい、と体を前に出してヴェルフは言った。その瞳には一片の迷いもなかった。
「手ぇ、貸してやる。お前が折れないって言うのなら、お前が頂点に行くための剣を作ってやる」
ベルがヴェルフの言葉を理解するのに数秒必要だった。そして理解できた時に生まれた感情は怒りだった。
「なんで……? ヴェルフにそんなことする理由なんて無い! 同情するつもりなら……」
「同情するつもりはねぇよ」
ベルの言葉を真っ先に切り捨てる。真っ正面からの否定にベルが言葉を失っている間にヴェルフは先を続けた。
「言っただろベル? 剣っていうのは担い手の半身だ。ただ良い剣ってだけじゃ半分なんだよ。担い手が最高じゃなければ、その剣は最高にならねぇんだ」
例えば一級冒険者たちが持つような強い武器が良い武器だと一言に言えない。それを下級冒険者が持てば剣の力を自らの力と勘違いし驕り始め、やがて身を滅ぼすことになるだろう。
担い手が自身にとって最高の者でなければ、最高の剣とは力を発揮できない欠けたものになるのだ。
そして損得勘定や強者を最高だと定めた場合で考えるのなら、オラリオの【最強】に差し出せるような武器を今作れるとヴェルフは思ってはいない。ベルの存在は丁度いいと言えるだろう。
「だったら僕じゃなくていい。このオラリオに、僕以上の冒険者なんて幾らでもいるじゃないか」
「だけどお前はなるんだろう? 最強を超えていく【英雄】に」
今はまだ弱い、だけど折れずに歩き続けるとベルは決めていた。だったらたどり着けばいい。たどり着かせればいい。そこに居るのはヴェルフ自身が作った【最高】の剣に見合った【最強】だ。
「お前の目標もオラリオ最強っていう頂で、俺の目標もヘファイストス様すら超える鍛冶師っていう頂だ」
そして道は途中まで同じだ。【冒険】で自らの身体という【器】を作り上げるという点まで共通しているのなら、最後に道が別れようとも共に歩くことはできる。
ベルもヴェルフも、オラリオでダンジョンを進む【冒険者】だ。冒険を二人で行って何が悪い、たまたま頂上に行く道が冒険だったのなら、一緒に行って何が悪いと言うのか。
「壁があるなら一緒にぶっ壊せばいい。半端に曲がりそうならぶん殴ってでも真っすぐ向かせればいい」
「そら、お前と俺が立ち止まらないで進み続けるなら、いつかは
躓きそうな石があるなら全部踏み潰せ。壁があったのなら全部砕け。ゴールが見えないなら灯り照らして全部の場所に行け。
諦めないのならどこかにゴールは見える。そこに向かって歩けばいいだけのことだ。
お前と俺ならそれができるだろうと、ヴェルフはベルに言う。
「……ヴェルフは、僕がそこまで行けないとは思わないの? 道から外れて逃げ出して、そうしたらヴェルフ自身の時間を無駄になることが怖くないの?」
どうしてヴェルフがそこまでできるのかベルには分からなかった。
無駄足になったとき、もう頂上に行くのに間に合わなくなるかもしれない。それが怖くないのかとベルは問う。
「高々人生を少し無駄にしただけで、それは俺が頂点を諦める理由になるのか?」
お前が諦めないように、俺も諦めてたまるかとヴェルフは言う。腕が取れようが目を失おうがそれは諦める理由にはならない。
辿り着けずともそれでも歩き続けたいという強い意志を見た。ならばへばるような真似をして負けてたまるかと言うだろう。
「まぁ、こう言ってる俺が折れかけることだってあるだろうよ。そうしたら尻を蹴り飛ばしてくれるとありがたい」
その辺は持ちつ持たれつって奴だ、と。ヴェルフは茶化すように言った。
ヴェルフ自身、先のことなど分からない。腕が無くなればショックで立ち止まるかもしれないし、今持っている意志を誰かにへし折られることもあるだろう。
だけどそれでも隣で歩き続けるベルが居るのなら、それに負けるかと思い再び歩き始められるはずだとヴェルフは確信する。
「……分からないよ。ヴェルフにそこまでしなきゃならない理由がないのに、どうして?」
ベルは訳が分からなかった。ヴェルフの言っていることが全部本音で、本気であると理解できたからだ。
ヴェルフの示した道には何の保証もない。それどころか愚かだと言われても否定できないような、そんな道だ。自分の人生を無駄にするようにしか見えないその選択肢を、迷い無く取れるヴェルフが分からなかった。
「んだよ、何度も言わせんなベル」
自分とベルは対等だ。命を預け合った仲間だ。もしもどちらかに差が有ったのなら、ここまで踏み込むことはできなかっただろう。
だけど『ヴェルフは
仕方ない奴だと言わんばかりにヴェルフは口を開いた。
「お前が、俺の
同情? 違う。これは友人の力になりたいという自身のエゴの押し付けだ。断られても仕方ないような馬鹿な提案だ。
だからどうした俺は『クロッゾ』だ。賢い選択を蹴っ飛ばした『大馬鹿野郎』の末裔だ。だったらその選択を俺が取って何が悪い。
「行こうぜベル!
ヴェルフはベルに手を差し出した。それは握手ではなく、腕相撲のような肘を下にして掌を横に向けたものだ。
一緒に行こうぜ、という馬鹿男からの提案だ。それを見て――ベルは何かが胸からこみ上げた。
「ヴェルフは、馬鹿だ」
こみ上げた何かがぽつぽつと目から零れた。
ベルには先導し、後ろから見守る
だけど隣を歩き、ともに行こうと言ってくれた対等な友は居なかった。ヴェルフがそう言ってくれたのが、ベルはどうしようもなく嬉しかったのだ。
「馬鹿、俺が馬鹿なことぐらいとっくの前に知ってるぞ」
笑うヴェルフにベルも釣られた。涙は止まらないけれど、嬉しいという感情が止まらずそれは表情にも表れた。
「本当に、本当に、大馬鹿野郎だ。」
だけどそんな『おとうさん』のような『大馬鹿野郎』がベルは好きだったのだ。
ベルはヴェルフに差し出された掌に向かって、自分の掌を音が鳴るほど強く叩きつける。そして思いっきり握り締めて笑みを見せた。そうしてヴェルフも掌を握り返して笑った。
――
「ほら、そいつで顔拭いとけ」
ヴェルフは部屋に備え付けてあったタオルをベルに向かって投げつける。受け取ったベルはそのまま顔を拭った。
「ヘスティア様を心配させたんだろう? 謝るついでにデートでも行って機嫌をとっとけ」
「……うん」
自分がヘスティアに心配をかけていたことはベルにも分かる。ヴェルフのおかげで余裕を持てた今だからこそ、ヘスティアを悲しませてしまっていたことが実感となって返ってきた。
「……ヴェルフ、これ汗臭い」
「ここにハンカチなんてお上品なもんあると思ってんのか」
――
日が高く真上に来る頃、ヘスティアは自分のホームへと向かって歩いていた。ヘファイストスの昼食の誘いを断り、とぼとぼとオラリオの街並みを歩くヘスティアの表情は暗かった。
道中は多くの人々が行き交っており、人々の軽快な声が辺りから響いている。その中を歩くヘスティアは最早異分子だった。
ヘファイストスに武器の作成を断られ、自分ができることが無くなってしまいヘスティアは落ち込んでいた。『今はまだ見守ってあげなさい。必要なら私が(ヴェルフと)話してみるから』とヘファイストスから言われている。だがただ待っていることしかできない歯がゆさはどうにもならない。
「……よし! だったら今日こそベル君にガツンと言ってやる!」
心配させるなと、それでも無視するならこっちにも考えがあると、徹底的に纏わりついてやると決心する。
「……あれ? 神様?」
そんな決意をしたヘスティアの耳に、その話題の本人の声が届く。振り向いてみればそこには唖然とした表情のベルが立っていた。
「え、……ベル君!? なんでここに?」
「ええと、その」
ヴェルフの工房から離れたベルは、一度ヘスティアと会って謝りたいと思ってバイト先まで行っていた。しかし従業員に、今日は帰らせたと言われホームへと向かっていたのだ。
その道中は当然『ヘファイストス・ファミリア』メインストリート支店からホームに戻るヘスティアと同じだった。ワンクッション置こうと何か買って帰ろうと考えていたベルは、思わぬ遭遇に思わず口をまごつかせた。
「……ベル君、ボクは君に言いたいことが」
「心配かけてごめんなさい!」
そしてヘスティアが何かを言おとするまえにベルは頭を下げた。ヘスティアに嫌われてしまったらどうしようと、そんな子供のような思いが彼女の言葉を聞くより先に頭を下げさせたのだ。
「……え?」
「いや、その。……神様に心配かけてしまいました。だから……」
思わぬ言葉にヘスティアはポカンと言葉を漏らした。そしてベルの様子に刺々しさが無くなっていることに気が付く。
その表情からベルが自分が抱えていたものを解決してきたと分かり、嬉しいと同時に少し悔しくなった。結局自分は何もできなかったと思ったからだ。
「ベル君、悪いと本当に思っているなら、無茶はしないと約束してくれるかい?」
ヘスティアが一番怖かったのはそれだった。無茶を重ね続けて居なくなってしまうことが怖かった。しかしベルはその言葉に言葉を詰まらせる。そして何かを決心して口を開いた。
「無茶は、するかもしれません。だけど! 神様を心配させることはしません! ……なるべく」
勢いよく言った言葉は最後の最後で不安げなものになり、尻つぼみになって消えた。
「なんだってぇ? ボクの聞き違いかなぁ? なるべくって聞こえたような気がするんだけどなぁ?」
「ご、ごめんなさい神様」
自信満々とは言わないけれど、いつもはっきりと言い切るベルにしては珍しいとヘスティアは思う。
できればその言葉だけは言い切ってほしかったな、と思うと同時に仕方ないかとも思った。
子供は、無茶をするものだ。親は、それをハラハラしながら見守るものだ。少なくともヘスティアの思う家族とはそういうものだと考える。
「ふふ、もういいよ。ベルくんは冒険者なんだ、無茶することを否定することはできないよ。……だけど、できればボクを蔑ろにしないでくれると嬉しいな」
「……はい、必ず」
ヘスティアの言葉は穏やかで慈愛があった。だがその表情には微笑みと同時に僅かに憂いが見えたのだ。
それが今回彼女を蔑ろにしてしまったことの結果なら、ベルは次は無いように心に刻む。
【英雄】になりたい、……でもその根源には『
「……よし! 言質は取ったぞベル君! それならボクのデートを断るような蔑ろな行為を君はしないよね!?」
「え、ええ!?」
先ほどの愁いを帯びた表情は何だったのか。反転させて笑みを見せるヘスティアにベルの思考は追いついてこなかった。
たちまち手をとられ引っ張られたベルは促されるままに足を動かす。
「ほらほらまだ日は高いんだ。買い物ついでにいろいろ見て回ろう! とりあえず……うん、ボクもお腹すいたからジャガ丸くんでも食べよう!」
どうせ君もお腹すいているだろう? そう言ったヘスティアの言葉にベルは否定できないでいた。冒険は途中で切り上げてそのままヴェルフと話をしたため、結局昼食を取り損ねていたのだ。
流石に外で偶然会うたびにお腹が減っていると思われてはたまらないと、お腹が鳴らないかひやひやしながらベルは思った。
ジャガ丸くんの屋台に向かうヘスティアの表情は笑顔で、ベルも釣られたように笑う。自分が余裕を持たずに走り続けて居たのなら、これは見られなかったのだろう。
だから今こうして笑えることが嬉しくなった。
「「おっちゃん、じゃが丸くん幾つか頼む
ヘスティアと誰かの声が同時に響き渡った。
第一部終了。読んでいただきありがとうございました。
次回はサブシナリオ2か二部に入ります。
▼フラグ【パーティ離脱】が無くなりました。以後ヴェルフの自動離脱は無くなります。
▼フラグ【椿・コルブランド】が達成されました。以降イベントが開始されます。
フラグ【■■■■■・■■■】開放されました。フラグ【■友■炉】の第一フラグ達成されました。
以下ステイタス
ベル・クラネル
LV.1
力E 耐久F 器用B 敏捷B 魔力E
魔法【ファイア・ボルト】
スキル【軌道軌跡】
・早熟する
・軌跡を辿る『限り』効果持続
・発生条件 一定量の【ステイタス】を放棄する
武器 【下鱗刀】 / 短刀【影次郎】
防具 【兎鎧】
ヴェルフ・クロッゾ
LV.1
力A 耐久C 器用A 敏捷C 魔力H
魔法【ウィル・オ・ウィプス】
スキル【
・魔剣作成可能
・作成時における魔剣能力強化
・■■を■■にした■■■■時における■■以外■■■■付与。
武器 【大刀】 / 【戦闘槌】
防具 【着流し】/ 【軽装】
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サブシナリオ2 神達と眷属達
ジャガ丸の屋台で二つの声が重なった。それは奇しくも同じ内容であり、ヘスティアは一歩下がって口を開く。
「と、ごめんよ。横入りしてすまなかったね。先にどうぞ? ……げ」
「んあ? いや先にええよ。遠慮せんと――あん?」
だがそこにいたのはロキ……ヘスティアにとって不倶戴天の相手であり、なんでこんな奴に気を使ってしまったんだと言葉を濁す。
ロキもそれに気が付いたのか、怪訝そうに言葉を濁すとヘスティアに向かって大きなため息を吐いた。
「はぁ~ホントなんなんドチビ? ほんの数日しか経っとらんのに顔合わせるとか、ちょっとウチのこと好きすぎんやろ」
「だ・れ・が・だ! 万人受けしない滅茶苦茶濃い性格している癖に、よくそんなこと言えたもんだね!」
ロキに指をさしてヘスティアは反論する。必要以上に会いたくない相手のことが好きだとか指摘されるのは彼女にとって鳥肌が立ちそうな言葉だ。
「おいそれ他の
「少なくともボクの周りの神は灰汁が強いのは少ないよ。ヘファイストスは勿論、ミアハやタケミカズチはお隣さんだけど良くしてくれるし」
ヘスティアの深い交友関係についてロキは知らないが、知っている限りで思い出す。ミアハ、タケミカヅチ、ヘルメス。成程背中から刃を刺されそうなことを除けばまともと言える連中が集まっているではないか。
「なんで男神の(比較的)当たりくじばっかドチビの周りに居るんや……」
「日頃の行いの差ってやつさ。天下のロキ様はやっかみも多いんだろう?」
「まぁーそれは否定せんけどな。ウチの周りは腹黒とウェーイと馬鹿しか居らへんし……比較的ドチビが安牌って可笑しないか?」
可愛い眷属達が居るから別にかまわへんのやけど。そうロキは言葉を区切った。
実際ヘスティアはロキにとっては話していて感情を揺さぶられる相手でもある。神にとっての楽しいは正にその瞬間であり、クソうざいことを除けばヘスティアは当たりくじであると言えた。
ヘスティアがロキに怪訝な表情を向けようとしたところで
「ちょっとちょっとヘスティアちゃん。お友達としゃべるのが楽しいのは分かるけど、ずっとそこに居られたら困っちまうよ」
「あっと、ごめんおばちゃん。あと別にコイツは友達じゃないよ」
「ほら、そっちの別嬪さんも。ちょっとサービスして盛って渡しといたから早く避けとくれ!」
「お、ありがとなー。……つかドチビ、顔覚えられるほどここの常連やってたんやな」
ジャガ丸くんの中身は三つ、どうやらロキとヘスティアの分だけのようだ。だがヘスティアの目にベルが再び注文をしているのが映り、屋台の前から少し場所を空けてロキとヘスティアは会話を再開する。
「常連も何も此処はバイト先だよ。知られているに決まってるじゃないか」
「ほーん、へーん、ほー。良いこと聞いたわー。勤労ご苦労様やで」
にやにやと表情を変えたロキに、ヘスティアは口をとがらせて答えた。
「……なにさ。そんな風に言う君は随分と暇そうじゃないか。働かずに眷属に養ってもらって食べるご飯は美味しいかい?」
「最高に美味いに決まっとるやろ! 可愛い眷属と一緒に食べるアレは、成功の味って奴やな! やー、前の遠征明けで飲んだ時は最高やったで!」
「このやろう……」
ウチ野郎じゃないもーん、と。笑うロキに対してヘスティアは歯ぎしりする。ファミリアの大きさについては月とすっぽんであるため何も言い返せなかったからだ。
「……つかドチビ、思ってたよりも普通やな。怪物祭でえらいことになったって聞いとったんやけど」
一しきり笑ったロキだったが、会話の様子から普段と変わりないと感じていた。初めての眷属が死にそうになった、あるいは死んだのであれば、取り乱すのではないかと考えていたのだ。
「なんでそんなことまで……まさか」
「ちゃうわ! オラリオででかいこと起きたらそら探るやろ。そんで情報が入ってきただけや」
しかしロキのそんな考えなどヘスティアには届かず、自分の身体を隠すようにしたヘスティアにロキは思わず反論する。
「そんで……大丈夫みたいやな」
「……うん。悪いね、心配してもらったみたいで」
そしてここまでの情報が集まれば、ヘスティアもロキが此方を気遣っていることを理解した。遺憾ではあるがそれに対して礼を言わないつもりもなく、言葉を返しロキに視線を合わせた。
何言ってんだコイツと言わんばかりの表情をロキは浮かべていた。
「……気持ち悪! 冗談やめーやドチビ。うわ、鳥肌まで立ってきたわ」
「こ、ここ、このヤロー! ボクが譲歩に譲歩を重ねて言葉を絞り出したってのに!」
食って掛かるヘスティアにロキは楽しげに笑う。
「別にウチ頼んどらんしー。ヤローじゃあらへんしー。ドチビやしー」
「そんなんだから男と間違えられるような体形なんだ。腹黒になり過ぎて次はどうするつもりだい? 黒いところが見えてへそ出しの服なんて着れなくなるよ?」
「どうやらドチビとはいい加減決着つけんとならへんようやなぁ?」
「上等だ。それなら今日こそ……待った」
「あん?」
「似たようなこと、最近あったような気がする」
――
主神二人が勝手に会話を始めてしまい、それぞれの眷属は残されることになった。手持無沙汰なこともあり、ベルはアイズに話しかけようとしたところで目の前に籠を差し出された。
「えっと、これは?」
「お見舞い」
アイズの表情に感情は見えず、淡々と渡されたそれにベルも何事かと考えた。果物と液体が入った小瓶が袋に包まれている。色合いからそれがポーションであることが分かった。
「……ひょっとして僕ですか?」
「うん。怪我をしたって聞いたから、ポーションを選んでみたけれど……」
「確かに怪我をしたのは事実ですけど……なぜそれでアイズさんがお見舞いの品を?」
ベルの一番の謎はそれだ。アイズとヘスティアが知り合いであることは知っているが、たかが数分話しただけの自分に対して見舞いをするほどの義理は無いはずだ。
それがベルではなくヘスティアに当てられたものだから自惚れるなと言われれば、流石にベルもへこむ自信はある。だがアイズの様子からそれもない。
「それは私が……」
そしてそのことはアイズも分かっており、事情を説明しようとしたところで団長の言葉が頭を過ぎった。
『いいかいアイズ。君のことだからその気に掛けているって子に全部話してしまいそうだけれど、オッタルと対峙して居たことは話さないほうがいい。知らないほうが良いことだ』
成程、駆け出しの冒険者が一級冒険者たちの企みに巻き込まれるなど悪夢でしかない。知ってしまったから、が鍵となって事件が起こる可能性も低くはないだろう。
しかしアイズ自身がベルとヘスティアとの繋がりを匂わせてしまった以上、ある程度有名な自分と知人であることになってしまい、面倒ごとがベルに行くかもしれない。
「(私と、ベルやヘスティアさんと関わりを持っていると広めてしまったこと。問題が起こるかもしれないこと。それを遠回しに伝えないと。)」
アイズは自分が言わなければならないことを整理し、口を開く。
「えっと…………私が君に気があることを周りの人に知られて、迷惑だと思ったから?」
「!!?!?」
アイズ自身コミュニケーション能力は高くはない。君に、という言葉の前には『神ヘスティアと』、という言葉が入るはずだったが、アイズは抜いて話してしまっていた。
その結果ベルには『ベルのことが好きだったことが周りにばれて、自分も有名人だから迷惑をかけるかもしれない』と翻訳されて伝わってしまっていたのだ。
「どこでそんな切っ掛けがあったんですか!?」
「前に(ヘスティアさんとはお店で)会っているけれど」
「そ、そんなに少しだけで(惚れるん)ですか!?」
「(? 確かにヘスティアさんが働いているお店に行くことは余りないかもしれない)やっぱり変なのかな?」
突然の告白で頭が空回りしているベルと、フィーリングだけで話しているアイズの会話は変にかみ合った。そしてアイズはヘスティアのこともベルに伝えたと思っているが、口に出ていなかった。
その結果、どこかおかしいのだろうかと首をかしげるアイズに、ベルは言葉を詰まらせた。
「変だとは言いたくありませんけれど……」
否定の言葉を言いつつもベルは続く言葉に言いよどんだ。
いわゆるチョロい女性というのをベルは何度も見てきている。『おとうさん』が甘い言葉を囁く、やだ素敵抱いての即落ち二コマコンボが何回あったのか覚えていない。まぁ三コマ目で必ずギャグ落ちになるのだが、問題は殺意満々の女神ですらそれが起きたのだ。
ベルとてアイズのような美しい少女に告白(勘違い)をされれば慌てるし、もしかしたらと思ってしまう。まだまだ思春期の少年なのだ。それでも冷静に情報を聞き出そうとしているだけ頭の回りは早い。から回っているが。
「……周りの方というのは、アイズさんと同じファミリアの仲間ですか?」
「うん。それもある。ロキと団長も知っていて、オラリオの人たちも知ったかもしれない」
「……成程そうですか」
アイズは控えめに見ても人気者だろうと想像できる。美貌にしても庇護欲をくすぐる性格にしても、ファミリアの団員やオラリオの住民からすらも一目置かれているだろう。それが恋慕の情を抱く相手が居るとなれば、確かに面倒ごとに巻き込まれるだろう。ここまでがベルの勘違いであるという事実が無ければ。
「(告白の)返答は……すこし待ってもらえますか?」
「(? 何か悩んでいるのかな……)うん。それならその間にジャガ丸くん、注文しておくね。どれがいい?」
「い、いえ! 僕が買っておきます! 何がいいですか!?」
「??? ……それなら、新作の味を」
今は告白に対して答えられないから少し待ってくれ、というベルの言葉に対して、アイズは会話の返答を少し待ってくれという意味でとらえた。数分もあれば言いたいことの整理も付くだろうというアイズの心遣いは、勘違いしている最中のベルには逆効果だった。
ベルからしてみればさっさと告白の返答をしろと言われたようなものなのだから、パシリという安易な逃げの一手を取ることも仕方なかった。
「(どうしてそうなった!?)」
ジャガ丸くんを注文しながらベルは内心で頭を抱える。
告白をされたのは人生初であり、未知の情報に対してベルの頭はから回っていた。屋台からジャガ丸くんを受け取り、アイズに渡す段階になってもどうすればいいかなど分からない。うやむやにせずに全て受け止めた『おとうさん』はクズだったけれど偉大だったと再確認する始末だった。
「えっと、新作の味っていうのを貰ってきました」
「ん、ありがとう。いただきます」
ベルからジャガ丸くんを手渡されて表情を緩ませたアイズは、礼もそこそこにそれへとかぶりつく。
先ほどの会話など知らんと言わんばかりの行動に、この段階でベルも『アイズがベルに惚れてる説』が怪しいことに気が付いた。
「(分かった! たぶん勘違いだ!)」
告白が本当だったのなら父親以上のクソヤロウ案件だが、ベル自身も手一杯だった。少し時間をおいて冷静さを取り戻そうと無理やり思考を切り替える。
「……むぅ」
「それ、イマイチでしたか?」
「……珍しい味、だと思う」
「……美味しいですか?」
「…………」
一口食べてアイズは複雑そうな表情を見せる。好物のジャガ丸くんであるため、フレーバーが微妙でも美味しくないとは言いたくない。だが不味くはないが口に合わないのも事実だ。そのため捨てるという選択肢は浮かばなかった。
「もしよければ交換しませんか? ほら、まだ僕の方は口をつけていませんし」
冷静になればベルとて空気を読んで気を遣う程度のことはできる。恋愛ごとが絡まずに女性に振り回されるのは旅の最中でもオラリオでも体験してきた。
ベルの言葉にアイズは目を丸くする。
「いいの? ……でも口を付けちゃったけれど」
「あっ……。 いいです問題ないです!」
口を付けたぐらいで慌てることでもないのだが、先ほどの告白のような言葉があったからベルは妙に意識してしまった。
アイズもそのまま新作ジャガ丸くんを渡そうとして――考えた。
果たしてこのまま微妙な味のジャガ丸くんを渡していいのだろうか、と。
流れではあったがベルに使い走りをさせてしまい、その上で口に合わないから食べて、というのは、なんだか威厳が無いような気がするとアイズは思う。
せめてもっと美味しいものであれば自分も気にすることは無かったのに、そう思ったアイズにとある人物の言葉が思い出された。
『アイズたんが食べさせてくれるなら何でも美味やー! アイズたーんあーんしてやー!』
たしか怪物祭に出掛けたとき、ロキがそんな感じのことを言っていたような気がする。
ロキの言っていることは所々怪しい。だが自分が技を放つときその名前を言うと威力が上がる、というものは間違っていなかった。
ならば自分があーんをすればジャガ丸くんが美味しくなる可能性がある……?
それならやってみようと、アイズの行動は早かった。
「あーん」
「え゛っ」
その一言と共にジャガ丸君を差し出されたベルは、驚きの声が漏れて体が硬直した。
「あーん」
「いや、その」
「……嫌、かな?」
「いやいやいや嫌ではないですけれどぉ!?」
「じゃあ。あーん」
アイズも仲間や完全な他人にそれをするほど羞恥心が無いわけではない。だがベルとアイズの距離感はちょっと試してみるためにはちょうどいいぐらいだったため、アイズの押しが強かった。
しかしベルとしてはたまったものではない。先ほどまでの自分の勘違い、という仮説が音を立てて崩れ落ちているのだ。まさか本当に……と疑念を抱いてしまうことを責められないだろう。
ついには圧に負けてアイズの持つジャガ丸くんへと近づいた。
「い、いただきます」
さく、と心地よい音がした。
「美味しい?」
「味が分からないです……」
しかし混乱していて商品名も見て居なければ、味も上手いかどうかも分からなかった。
「そっか。やっぱり嘘だったのかな?」
対してアイズはロキの言葉が実は嘘であると思い始めていて、恥ずかしがるそぶりは一切なかった。
「そっち、貰っていい?」
「ど、どうぞ」
そもそも食べさせあいをするという話ではなく、交換するつもりだったのだ。ベルも手に持ったそれを渡そうとして……アイズの口元ぐらいの高さでジャガ丸くんを上げてしまった。
「(……これってもしかしてアイズさんに、あーん、をしてしまったのでは!?)」
しまった、と思うよりも先にアイズは動く。それは手ではなく、ベルに差し出されたそれをそのまま食べようと近づいてくる。
「(え、えええ、えええええ!?!?)」
まさか、まさか本当に!
いよいよ現実味が無くなってきたベル。周りの光景がやけにスローモーションで見えて、アイズがそれを食べようとしたところで、
「はむっ!!」
「ふんっ!!」
二つの影によってそれは中断された。
一つはヘスティア。下から急に現れた彼女はそのままベルが差し出したジャガ丸くんへとかぶりつく。そしてもう一つはロキ、手に持ったジャガ丸くんをアイズの口の中へと詰め込んだ。
助かった、でもちょっと残念。とそんなことを思ってしまったのが運の尽きで、じろりとヘスティアから送られた目線にベルはたじろいだ。
「ベルく…むぐ…ボクは怒ってる。デートと言ってたのに他の女の子と一緒に居るなんてどういうつもりだぁ!?」
「ご、ごめんなさい」
確かにデートと言う名目でヘスティアと共にいたのに他の女性と何かをするのは失礼だ。というより『おとうさん』以下の屑野郎じゃないか! とベルは内心でショックを受ける。
「しかも寄りにもよって相手が……相手が……あい…」
そして怒り心頭であったヘスティアはその相手をこき下ろそうとして言葉に詰まった。
ベルが対応していたのはアイズで、ヘスティア自身アイズがすごく良い子であることは普段お客として顔を合わせたり、前の一件があったため知っている。ロキの眷属でなければファミリアに入って欲しいと思う程度には気に入っていた。
そのため言葉の矛先はベルへと向かっていった。
「あ、相手にあーんなんて破廉恥なことをするなんて! ボクは君をそんな子に育てた覚えはないぞ!」
「やってません! 未遂です! どちらかというと僕が被害者です!」
「……でも実は嬉しかったんだろう?」
「…………ちょ、ちょっとだけ」
「ベールくん?」
「(いったいどうすればよかったんだろう。助けて『おとうさん』)」
怒りの背景と表情がマッチしていないヘスティアの笑顔にベルは泣きたくなった。
反省している様子のベルではなく、今度はアイズへとヘスティアは指をさす。
「くぅ、ベルくんもそうだけどアイズくんもボクの眷属を誘惑するのをやめるんだ! 狙ってやってるのか!?」
「それは……ロキがそうすると美味しくなる、って言っていたから」
「……ロキ?」
「こっち見んなやドチビ! ちゃうてアイズたん。それはウチ限定やし、他の奴にやったらあかんって」
自分の眷属を
対してこっちだって
「……それ、本当?」
「マジや」
しかし二神の視線の応酬など知ったことかとアイズはマイペースに考える。そしてロキの言葉は嘘疑惑がある。
「……ヘスティアさん」
「なにさ……って!?」
「あーん」
それならもう一度試してみようと、今度はヘスティアに向けてアイズはジャガ丸くんを差し出した。
「んなぁ!? ちょ、ちょっとアイズくん!?」
「あーん」
「こ、これでもボクは神で……」
「あーん」
「くうううううううう!! はむっ! ……美味ふぃ」
「ドチビィイイイイイイ!?」
負けた。だって可愛いんだからしかたない。可愛いは正義、アイズは可愛い。ロキもヘスティアもそんなことは知っていた。ベルはその光景を見て勘違いの仮説が立証され始めてきたが、ちょっと複雑そうな表情を浮かべた。
対して今度は騙されなかったと、ちょっと得意げな表情のアイズ。完全勝利だった。
「ずるい、ずるい、ずるいわー! なっ? なっ? アイズたんウチには?」
「嫌です」
「なんでやー!? 前はやってくれたやん!?」
「嫌です」
「そ、そや。それならウチがあーんしたる。それならええやろ?」
「ヘスティアさん、あーん」
「アイズたぁぁぁあああん!!!」
一人と二神が振り回される、そんな光景を周りはオラリオではよくあることだと普段通りの空気が流れている。
それはベルたちも例外ではなく、騒がしくも穏やかな雰囲気が辺りには流れていた。
「――っち」
「え?」
それを中断させたのは一つの視線だった。
「神様?」
「ロキ、なにかあった?」
ロキの舌打ち、そしてヘスティアの驚いたような声に眷属達の表情に真剣さが宿る。
「誰かに見られていたような気がした。これは……」
「バベルの方からか。あんの色ボケ、覗きはヤメロって言うたのに懲りんやっちゃな」
ヘスティアとしてはバベルに住むような上位ファミリアの主神に心当たりは無かった。あるとしたらヘファイストスだが、彼女は今執務中だったことを覚えている。
心当たりのある様子のロキにヘスティアは尋ねた。
「色ボケ、っていうのは?」
「あー、フレイヤの奴。まぁウチとドチビが一緒に居るのが珍しかっただけやろ」
何しろウチも有名神やしなーと。ふざけたように言うロキではあったが、フレイヤの迂闊な行動に舌打ちしたくなった。
都市最大のファミリアに睨まれれば、オラリオから出ていくと言う選択も十分に出る。というよりその主神に狙われていると分かれば誰だってそうするだろう。
「へぇ……そういえば彼女の眷属には助けてもらったんだ。今度しっかりお礼をしに行かないと」
「そん時はウチを呼べ。いや、マジで。ファミリアの等級が違い過ぎるとこは、神の宴扱いにしとかんと危険やし、なんかあるかと疑われるで」
「別に君に言われなくても……分かったよ、覚えておく」
ロキの表情には真剣さが込められており、ヘスティアもしぶしぶではあるが頷いた。
知人の神に会いに行ったらその眷属に背中を刺される神も昔は居た。今はギルドによって神の宴での狼藉は厳しい罰則が科せられるため、会合を神の宴扱いにすることも珍しくない。
「そうしとき。たっくあの色ボケ、手ぇ付けるならウチの関係ないところでやれや」
ロキはバベルへと手の甲を向けるとそのまま中指を突き立てる。なにやってんだ、というヘスティアの視線がロキへと突き刺さった。
――
「あら、バレちゃったわね。やっぱり覗き見じゃダメかしら」
「必要ならば、席を準備いたします」
「それも魅力的だけれど止めておくわ。ロキに釘を刺されちゃったし、貴方をまた魅了されたら私、悲しいもの」
「…………」
外面的には何の変りもないが、表情に出ないように必死に抑えているのだろう。そんなオッタルにフレイヤは窓から見下ろしていたオラリオへと目を離すと、オッタルへと視線を合わせた。
怪物祭で見せたヘスティアの表情にフレイヤは自身の感情が大きく揺さぶられるのを感じていた。嗜虐的なものから愉悦、好奇心や感嘆を得てそれらを楽しんだ所で――オッタルがヘスティアを庇ったところまで目撃した。
瞬間、フレイヤは硬直した。フレイヤは人の持つ魂を色として見ることができる。そしてオッタルの持つそれがヘスティアとの接触によって変わったのが見えてしまったのだ。
眷属の他の誰かならまだ納得できたかもしれない。だがオッタルはフレイヤが最も寵愛してきた眷属だ。それに、これまでフレイヤに全て向けられた思いのうち、数千分の一ではあるが他の『女神』が占める。その事実は確かにフレイヤにとって衝撃だった。
フレイヤの意思に反すれど自身の主神のために動くことができる、オッタルはそういう男だった。だがそれがフレイヤには一見裏切りのように見えてしまったのも要因の一つである。
そしてそれらは供をしていたアレンも気が付きオッタルに指摘し、そしてオッタルも事実である以上否定はしなかった。その結果アレンはオッタルのそれを裏切りだと捉え衝突することになってしまった。
今でこそフレイヤ・ファミリアは落ち着いているが、それが原因で暫し荒れた。周りから触ったら大怪我をする爆弾扱いされる程度には。
最終的にはオッタルが自主謹慎、フレイヤが落ち着きを取り戻しすぐに復帰した。理由としてはフレイヤがオッタルの変化を成長であると見たからだろう。
「ああそれとも、
つまりは消せと、その意味を込められた言葉にオッタルは微塵も動じず応える。
「
本気だった。神の前では嘘はつけない、だからこそフレイヤもその言葉が本心であることが分かった。
オッタルがフレイヤに向ける思いの強さは変わらない。ヘスティアの一件で彼女にも思いを向ける余裕ができた。思いの強さが100%から101%まで余裕ができたのなら、それは成長したと言えるのだ。
「……冗談よ。貴方の成長を見守れないのなら、それこそ主神失格だもの」
「ありがとうございます、フレイヤ様」
そう、成長したのだ。だからフレイヤもヘスティアには複雑な感情を持っていた。
オッタルからフレイヤへと向ける思いの全てを量で換算すれば微塵も変わりないが、それはそれ、これはこれだ。自分の一番が他の『女神』に思いを向けられるのは複雑なのだ。
それを差し引いてもヘスティアという女神はフレイヤにとって面白い存在であり、複雑さは増していった。しかし、
「だけど、彼女に纏わりついているあの眷属はどうかしらね」
「フレイヤ様が気に留めるほどの価値はない男です。必要ならば、掃除致しましょう」
フレイヤ『が』気に留める価値もない者だ、それは嘘偽りのない本音だろう。だが遮るように言ったのはオッタルが無意識のうちにベルを庇っていたからだとフレイヤは気が付いた。その事実に少しだけ不快感が漏れる。
フレイヤの言葉が戯れであり、オッタルは自身の言葉に否と返されることを知っている。それを無視しても面白いかもしれない、そうフレイヤは思う。しかしオッタルやヘスティアのことを思えばそれをしないという選択肢をとることになるだろう。そこまでオッタルは知っているのなら、成程これほどの者に思いを向けられるヘスティアとベルに嫉妬せざるを得なかった。
「今はいいわ。それが楽しいことだとも思えないもの」
嫉妬、まさかこの自分が。成程下界の子供たちはこんな感情に突き動かされていたのかと、今更ながらフレイヤは思う。
だが既知だらけの天界では受けることが無かったその感情を知ることができたのだから、それは面白いことのはずだとフレイヤは笑みを浮かべた。
―ー
「それで、アイズたんはフィンからの宿題はきっちり終わらせられたんか?」
「あっ………えっと。ジャガ丸くんを奢ってもらったから、それでなんとかできる、……かな?」
「どーやろか。フィン次第やなー」
次回二巻から
ベルの過去編をやる予定が無いのでプロットを一部公開。作成時が原作8巻発売時だったのでそこまでの情報を参考にしたもので、現在と差異があります。
以下プロット
―ー
オラリオで最大ファミリアを率いていたかもしれない男、自称『ハデス』他称『【ネタバレ!】』。ちょっと別の所のファミリアの神を【FUCK】したところを妻の自称『セポネ』他称『【ネタバレ】』にばれてた事を察知。オラリオから追放される、もとい逃走を始める。ファミリアの眷属たちは各地へと散った。自分たちの主が居なくなったことに不満はあるが納得はしている模様。地雷原(セポネ)の上でタップダンスしていた男なのだから、いつかこうなるのだろうと諦めがあった。
なおセポネが眷属をハデスの確保に遣わせなかったのは、自分が追い詰められないから、という理由らしい。神様の考えることは分からない……とオラリオの住人たちからは同情的な意見を寄せられている。
所は変わってハデス、人の身に落とされているにもかかわらず圧倒的な身体能力と技術で、セポネの襲撃を避けながら世界を巡る冒険者をしている。いくら巨大なファミリアの主神とは言え、常日頃からあるセポネファミリアとの襲撃には、身体を鍛えなければ対応できないのだ。
オラリオの外にも昔ダンジョンから抜け出した魔獣の子孫がおり、強さは劣化しているものの常人では倒せない。そんな懸賞首を刈っていた。本人曰く「眷属も恩恵も無いくらいで俺が死ぬかよ」
なお雷の魔法はバンバン使っていた模様。乱れる千の雷と暴風。一応人類カテゴリに入っているものの「なにそれチートじゃん!」と言われても文句は無いだろう。だが本人の努力で(セポネの襲撃に耐えるため)そこまで至っているのだから強制送還は出来なかった。
口も上手くイケメンでナンパ癖とあればかなりモテた。行き行く街でパートタイムラヴァ-と合体していた模様。面倒くさい事情もちも居たが、黄門さまや暴れん坊将軍のように解決していった。パートタイムラヴァ-が純粋なラヴァ-になるのも当然で、セポネのイライラゲージがレッドラインまで上がっていく。知らぬはハデスだけである。
ある日ハデス、一人の捨て子を拾う。白い髪という特徴が自分に似ていたため子連れ狼状態でセポネの目を騙し眩ませるだろうという屑い理由で拾って行く。ベル、クラネルという名札が付いていたため、自分の名前もついでにハデス・クラネルに変更。
いい加減逃亡生活も疲れてきた頃であり、セポネの目も他に向けられたため、暫くの間大人しくして居ようと片隅にある村に住むことを決めた。
そろそろラヴァ-ズと合体しに行こうかなー、と言うときにぐずるベルをうっとおしく思う事は無かった。手のかかる自分の眷属を手放すことなどしたくはなかったし、愛らしく思っていることも事実だった。
元のファミリア? 奴らはもう十分やって行けるだろうと判断している。つまり自分の子供が大学を卒業して完全に手がかからなくなった親と同じ感覚だった。
ベル、幼いころ英雄に憧れる。そのためには強くならなくちゃな、とハデス言う。強くなりたいとせがむベル、それじゃあ農作業の後に鍛錬するかと護身術よりもちょっと上の鍛錬を。
へとへとになる農作業の後に訓練、当然の様にスタミナはついた。ちょっと鍛錬をきつくしても英雄に成るんだ!ときらきらとした目で言うベル、ハデス思わず鍛錬に力を入れてしまう。それでも追い付いてくるベルは、かなりの速度で成長する。コイツはでかいことをやらかす奴に成ると、ハデスさらに訓練を厳しく。夜は冒険譚を聞いていつか冒険するんだと夢を大きくするベルとそんなベルを微笑ましく見るハデス。血は繋がってなくとも二人は確かに親子だった。
村の外に冒険に出かけた子供たち、ゴブリンと遭遇。二体、とてもじゃないが勝てないが、農作業用のナイフを持っていたベル、自分がやるしかないと震える体を押さえて応戦。直ぐに子供たちは村に報告し、真っ先にハデスがクワを持って駆け寄った。
一体をなんとか倒したベル、ゴブリンAに身体を刻まれ足をもつらせて倒れる。後ろには二体目のゴブリンBが。もうだめだと思ったときにハデス駆け寄ってぶったおす。NOUGYOUによって培われた肉体はゴブリンの頭を粉砕し、顔面を陥没させた。
幸い切り傷で済んだベル、治療をしたあとに怒られる。村の外に行くなと言ったはずだ、と。
「だがなベル、俺は親としてはお前を怒らなきゃならないが、男としては称賛したいぐらいだぜ?」
「友をお前自身の手で守り切った。少なくともあのガキどもにとっちゃお前は絵本の中の英雄と同じだ」
「よく頑張ったな、ベル」
ぐしゃぐしゃと固くなった手で頭を撫でるハデス。感極まって涙を零すベル。
ハデスの言ってることを当て嵌めるなら、自分にとって自分の父こそ偉大な英雄だ。
僕は貴方のような偉大な人に成りたい。貴方が誇りに思えるような人に成りたいです
「成れるに決まってんだろ! 俺様が信じる。世界中のだれもが笑っても、俺はそいつを信じてる。それに、お前の親であることを俺は誇りに思ってるよ」
今日はゆっくり休め、と。頭を撫でる手を心地よさそうに感じるベル。何時しかそれは睡魔に変わってゆっくりとベルの意識を落としていった。
ベルくんちの『おとうさん』は偉大過ぎる
なお数日後セポネが来襲してくる模様。
ハデスとセポネはそれぞれ偽名。本名は察しの通り。
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八話上
リリルカ・アーデにとって冒険者は世界で最も嫌悪する存在だ。卑怯で傲慢で、弱者である自分を嘲け笑い搾取し簡単に裏切るのだから。
だからサポーターとして冒険者たちに同行し、彼らを罠に嵌めアクシデントに見合わせて金品を強奪してきた。ソーマ・ファミリアを脱退するために、でなければ自分はずっと解放されずに、ファミリアの弱者として生きることしかできないだろう。
自分の姿は鏡に映った冒険者たちのようだ。何もできないから他者を踏み台にして生きている。そんな姿はきっと惨めで、見苦しい。だから冒険者たちと同じようにリリルカは自分自身のことも嫌いだった。
『(本当に、なんでそんなどうでもいいことを考えていたのでしょうか)』
無駄なことを考える暇があれば、冒険者に対してもっと非情になるべきだった。『リリルカ・アーデは少しだけ弱かった』。陥れた冒険者を完璧に殺してしまうほどの悪意と意志の強さを持ち、結果に移せれば不覚をとることも無かった。
『ぐっ……ぎぃ!』
骨が軋む音と連動したようにリリルカの口から苦悶の声が漏れる。折れた肩に足裏を押し付けられ、煙草でも消すように踏み潰される。
周りにはそれを眺めるもの、リリルカの荷物を漁るもの、ダンジョンのモンスターを警戒するもの、話し合いをしているものがいる。例外なく共通していることは、誰一人リリルカを助けようとはしないことだった。
『はっ、
数分前には文字通り囲んで棒で殴られていたのだから、冒険者がこちらに向ける嫌悪の表情は最早見慣れたものだ。面白がって行うのではなく、本気で嫌悪されているため救いようがない。
『……同情するか?』
『まさか。あれはやり過ぎだとは思うけれど自業自得だろう? あのサポーターに騙されたのは同じだし』
少し離れた場所で話すのは冒険者の中でも比較的マシな性格の者たちだった。いくら騙されたとはいえそれだけの報いを受けているのだから、これ以上自分たちが報復するのは気が引ける。
ここにいるパーティの共通点はリリルカに騙された者たちであることだ。過去に様々な形で損害を受けている。そのためリリルカへの報復、または損害の補填のために協力し合ったのだろう。
『おい、行くぞ。山分けに参加できなくなっちまう』
『この程度でいいのか? ここでぶっ殺しちまった方が後腐れなくていいだろうが』
『お前がんなことしなくてもモンスターが片付けてくれるさ』
その言葉を聞いた冒険者は舌打ちすると、リリルカへ向かって唾を吐き捨てる。べちゃ、という顔に当たった不快感に顔をしかめる余裕もなかった。
やがて冒険者たちは居なくなったところで、リリルカはゆっくりと体を起こして呟いた。
『好き勝手、……やってくれましたね』
足は動く、走れば痛みが出るだろうが短距離は可能だ。荷物も道具もない、このままダンジョンに居て、モンスターに襲われればどうしようもない。
『……逃げ、ないと』
幸いダンジョン内でも浅い階層で、マップは一通りリリルカの頭の中にある。少しでも早く脱出しようとリリルカは足を動かした。
『(歩けないほどではないですが、荷物や金品は全部持ってかれましたと)』
体は散々まさぐられており、財布はおろか数本あったポーションすらない。文字通り素寒貧だ。
『(金庫の鍵まで無し……貞操を奪われてなくておめでとう、と言ったご様子。はは、此処まで来ると笑えて来ますね)』
零れた笑みには完全に諦めが含まれている。オラリオの金をコツコツと金品に変えて馴染みの金庫屋に保管していたものも、暴行を受けていた最中に情報を漏らしてしまった。今まで貯めてきた資金は全部吹き飛んだということだ。
地上まで帰還し自分が今とってある宿へと足を向ける。リリルカのボロボロな姿を何人も目撃しているが、誰もが知らぬふりをした。オラリオではよくある話であり、冒険者は勿論、一般人ですら面倒ごとはごめんだと言った様子だ。
ぽつぽつと雨が降り出す。リリルカの今の心情を表していたような曇り空はいつの間にか黒い雲へと変わり、雫を落とし始めた。
『(帰って治療薬を飲んで、商売道具を買いなおして……新しい宿を探して、)』
『……その後、どうしろって言うんですか』
雨が降り注ぐ。傘もなく雨に打たれるだけのリリルカの歩みは遅い。
路地裏を抜けてあと何分か歩けば自分の宿、と言ったところでリリルカは足を足をもつれさせる。べしゃり、と雨でぬかるんだ地面の泥が跳ねる。
『(……疲れ、ました)』
起き上がろうと膝をついたところで、リリルカは体を脱力させて壁を背に座り込んだ。宿に戻ったらポーションを使うなりして、傷を治療しなければならない。先のことを考えなければならない――それらが面倒になった。
ぼんやりと雨が降り注ぐ空を眺め、ぽつりと言葉が零れた。
『かみさま、かみさま、かみさま』
どこの誰とも知らぬ神にリリルカは呟く。
なぜ神は下界に降りてきてしまったのだろう。なぜ神は只の神様で居てくれなかったのだろう。
『運が悪かった』と。『神様が悪いんだ』と。そう思うための生贄としての神が存在しないのなら、いったい自分は誰を恨めば良かったのだろうか。
最期に思うのが自分が悪い、という結論であるのなら、自分の生に意味なんてなかったのに。
『ふーんふふーん。今日の晩御飯はちょっと奮発してお肉に――げ』
能天気な声がリリルカの耳に届き、思わず顔をしかめる。空に向けていた視線をその声の主に向ければ、傘を指して怪訝な表情をした少女、神が
そして視線が合ってしまい、その神はなんといっていいのかと狼狽える。リリルカはその様子をぼんやりとどうでもいいと言った様子で眺めた。
『えーと、君。大丈夫かい? 随分と痛んでいるみたいだけれど』
痛んでいるとはとんだご挨拶だ。自分はこの神の前にしたら、腐り落ちて転がっている林檎と左程変わりはないらしい。
『……大丈夫に見えるのなら、神たちの目はガラス玉かなにかですね。傷だらけで曇り切っているのなら、取り替えることをお薦めしますよ』
リリルカは皮肉気に言葉を返す。
神は遥かに長い時を生きるが、その神の外見は自分と同じか、それより少し年上に見える。しかし反応は外見相応で、リリルカの言葉に見るからに機嫌を悪くした。
『む、そんな言い方は無いだろう? 心配してやってるのにさ』
『してくれとは誰も言っていません。余計な世話です』
リリルカの言葉にむむむ、と唸り神は言葉を探す。そして皮肉を返すように言葉を吐く。
『……自分で大丈夫じゃないって言っといて、ボクに心配するなって言うのは変な話じゃないかな?』
『しつこいですね。……神なんて連中に手を借りるのはまっぴらごめんだと言っているのが分かりませんか?』
何かしようともがいている自分が何もできず、何もしないくせに世界を動かす連中のことを好きになれるはずがない。
それに、今更だ。幾ら頼ろうとしても何の反応を示さなかった
『同情されたくはありませんよ。さっさと消えてください』
『……ふん。そこまで言うならもういいよ。冷たい地べたじゃなくてちゃんと家に帰って寝るんだね』
リリルカの言葉を聞いて神は自分の帰路へと足を向けた。そしてその足音は少しずつ遠ざかっていく。そして後に戻るのは雨の音と静粛のみ。
何分そうしていたのか、リリルカはわからない。いくら神の恩恵を受けているとはいえ、このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。だけどやはり体を動かす気にはなれない。
空は雨と灰色の雲。それを眺めながらリリルカは――何かが此方へ駆けてくる音を聞いた。
『ああもう! やっぱり大丈夫なんかじゃないじゃないか!』
先ほどの神の少女は、手に救急箱を持ってリリルカを見下ろすように立った。そしてしゃがみ込んでリリルカの傷に手を当てると、不器用に治療する。
『じっとしていておくれよ? 手当なんてあまりやったことがないんだからな』
手当、と言ってもリリルカからすればヘタクソの一言だった。包帯の巻き方は滅茶苦茶で、骨が折れた部分を抑えるものだから痛みで声が僅かに漏れる。添え木を使って固定すると、リリルカの折れてない部分を持って背負う。
リリルカも小柄とはいえ人だ。それなりの重さがあり神の少女はよろめいた。
『ふぎぎぎぎ、重い。くそう、これぐらいヘファイストスのとこの道具に比べたらなんのそのって!』
どうやらこの神は自分をどこかに運ぼうとしているらしい。その事実にリリルカは馬鹿なことをしていると考えるだけだ。
ふと、昔のことを思い出す。ソーマ・ファミリアから逃げ出そうとして、離れた場所で花屋の夫妻に――
『……なにをしているんですか? 余計な世話だと言ったはずです』
そうだ、余計な世話だ。自分は何一つ返せない。それどころか面倒ごとを運ぶだけだ。だからもう、何もかも勝手にさせてほしい。
『だったら
神はわがままだ。それは古来から変わることが無い。
神の少女も例外ではない。今彼女が背負っているリリルカが勝手にしたいと言うのならそうすればいい。こっちも勝手にするのだから。
『いいか! 草汁みたいな液体を飲ませた後には布を使ってお湯攻めしてやる! 頭に熱風を当てたら体に沁みる変な液体を体に塗りたくろう! ああ、手足を布で拘束してやってもいいや! 最後にはいやらしい場所から出した白い液体を煮込んだ、吐しゃ物みたいな状態の料理を食べさせてやるからな! 覚悟するんだ!』
――
「これが今日の取り分です。間違いはないと思いますが金額の確認をお願いします」
オラリオの軽食屋の一部分で、ベルは男に袋に詰められた硬貨を渡していた。その男はサポーターであり、その日はベルとヴェルフのパーティに参加して荷運びを行っていた。
大きな背負い袋を持つその男は袋から袋に移す形で金額を数えると、媚びるような笑みをベルへと見せた。
「へへ、確かに。ありがとうございましたぁ、旦那がた。また必要になったらよんでくだせぇよ」
「ええ。また機会があればよろしくお願いします」
「……おう。お疲れさん」
ベルは礼儀正しく頭を下げ、隣に憮然とした表情で座っていたヴェルフは軽く手を挙げて応える。
男が見えなくなった辺りでベルは小さくため息を吐いた。そして隣のヴェルフへと話しかける。
「ねぇヴェルフ……どう思った」
「あんま人様を区別できるほど偉いつもりはねぇけどよ、アレはダメな分類だろ。マジで荷運びだけだったぞ」
「だよねぇ……ちなみに二人で行くよりも稼げているから効率的なのは確かだね」
「釈然としねぇ」
ベルは軽く肩をすくめるとヴェルフも頭が痛いと言った様子で額を押さえた。
ベルがヴェルフの実力に追いつき前に出られるようになると、サポーターとしてではなくコンビで冒険を行うようになった。より対処できる場面が増えた半面、所持容量や効率性、戦闘の継続性の関係でサポーターを新たに雇うべきだという結論に至った。
だがベルもヴェルフもオラリオで正式にサポーターを雇うのは初めてであり、その仕事の出来とハイエナぶりを目の当たりすることになった。
荷物を運び、戦闘後に魔石を回収する。それ以外のことは一切行わず、さらには魔石を隠してくすねる始末である。魔石の交換時にベルが少し情報を集めたが、それはフリーのサポーターにとっては当たり前のことのようだ。
「募集しているのは
「ベルがやっていた事が普通だと思っていたから違和感がすげぇぞ。次に会ったのがリリ……リリ……リリスケだから、なおさらそれが普通だと思わされたってのに」
「リリルカさんだって」
偶発的なことでインファント・ドラゴンでの戦いでサポーターとしてパルゥムの少女を雇ったことがある。一度きりでヴェルフにとって名前すらうろ覚えであるが、その仕事ぶりは覚えていた。危険の中で走り回り、死んだモンスターの死骸を片付け、必要な道具を必要な場面で受け渡した。
ベルやリリルカの仕事が当たり前だと思っていたヴェルフはその落差に驚かされた。そしてふと閃いて口を開く。
「そうだ、リリスケじゃだめなのか? 俺たちが組んだのは一回限りだったが、いい仕事していたと思ったんだが」
「それは思ったからエイナさんと調べたんだけれど……ギルドの方は手が空いているサポーターについての情報に、アーデさんは載ってなかったんだ」
面識もあり腕も確かである。そのためベルもアドバイザーのエイナに尋ねたが、結果は芳しくなかった。
「繋がる線が無いなら無理か。オラリオはかなり広いから出会うのも……居た」
「ん、それだけじゃないんだけれどね。ギルドに紹介されないってことは……ヴェルフ?」
会話の不自然なところで口をつぐんだヴェルフに、ベルは首をかしげる。そしてヴェルフの見ている場所へ視線を向けると、道を縫うように走っているフードの少女が目に入った。
同時にベルの前をヴェルフが横切った。
素早く地面に置いていた荷物を拾いどこかへと駆けだしたヴェルフを、ぽかんと呆けながら見ているだけだった。
そして慌てて椅子を蹴り倒して追いかける。
「……ちょ、ヴェルフぅ!?」
「見つけた! 追いかけるぞベル!」
「そういうことは先に言ってよ! ああもう、まだ頼んだ軽食貰ってなかったのに!」
ベルの悲鳴がオラリオへと響き渡る。だがこの街にとって冒険者達が慌しいことは何時も通りのことであり、普段と変わらず喧噪が広がっていた。
ベル⇔ヘスティア
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八話下
前日譚ヘスティア、リリルカを拾う。
ヴェルフ&ベル、
リリルカが目を覚ましたのは魔石灯で灯された暗い部屋だった。此処は、と眠る前の自分の記憶を探ろうとして隣から寝息が届く。
『……ふにゃ』
『……ふにゃ、じゃないですよ。何をしているんですか、この神様は』
ベッドはお世辞にも良いものではなく、二人で寝るには狭い。そもそも自分とは全くの見知らぬ関係の人物を隣に置いて無防備に寝られる神経がどうかしている。そしてリリルカは昨晩のことを思い出した。
ヘタクソな治療を行い、ポーションを飲まされ、そのままシャワーで体を洗われた。まるで捨て猫を拾ったように自分は扱われていて、それを自分はなすがままに受け入れていた。自暴自棄だったと言ってもいい。そのことを思い出してリリルカは思わず顔を赤くした。自分が散々に思っていた神に助けられたことに、悔しさや恥ずかしさが混じった複雑な感情が溢れてきたからだ。
『不用心すぎません? ……本当に、馬鹿なんじゃないですか?』
リリルカの服は部屋に干されており、それを着替えて辺りを見渡した。目についたのは棚に置かれた小奇麗な小物入れだった。近くには財布が無造作に置いてあり、ひょっとして自分はこの神に試されているのではないかとリリルカは邪推する。
しかしこの部屋の主である神はいまだに起きようともしない。幸せそうな表情で熟睡していることがはた目からでも分かる。
『……授業料です。これに懲りたら余計なことをしなければいいんです』
財布を無視して小物入れの中を確認すると、着飾るためのアクセサリーが見つかった。安物だらけの中から剣の形どったペンダントが見つけると、それを直ぐ懐へと仕舞った。
現金は無くなればすぐ気が付くが、それ以外で普段から使用しない物は気が付くまで少し時間が空く。一番金目になるだろうモノを素早く物色したリリルカは、音もたてずに部屋を抜け出した。
教会の地下から外に出て、一度振り返ってみてもあの女神が来る様子は無かった。あれだけ熟睡していたのならそれも当然だろう。そして懐から盗み出したペンダントを取り出して、そこに彫られていた神聖文字に気が付いた。
『ヘファイストスの神聖文字……っ!? 本当に、本物? 冗談でしょう?』
下界の者でもヘファイストスという神聖文字は、冒険者なら誰でも知っている。正確には【ヘファイストス■■■・・・】と彫られており、その後ろにある文字まで意味は分からない。だがリリルカも名前の部分を見て、自分の手の中にあるモノがどれだけの価値があるのかを理解してしまった。
思わずぎゅっとペンダントを握りしめる。そして自分が取っている宿へ向かって足を速めた。
『(売るためのルートは持っている。魔法を使わずに姿を見せてしまっていたのは減点ですが、眷属の一人もいない神なら見つかった所で問題もなし。それなら――)』
さっさと売って金銭に変えてしまえばいい。ひょっとすると自分がファミリアから脱退するのに十分な資金を手にすることもできるかもしれない。
あれほど望んだ自由が目の前までやってきている。思いがけない幸運に思わず口元に笑みを作る。
“ああもう! やっぱり大丈夫なんかじゃないじゃないか!”
“はい、ポーション! 着替え! 脱げない? 手伝うよ! なにを恥ずかしがっているんだい、女どうしだっていうのに!”
“上手いもんだろう? ミアハに教えてもらったんだ。体調が悪くなったらこの料理がいいってさ!”
“いいよ、君が眠れるまで近くに居るからさ、ゆっくりおやすみ?”
ふと、
先ほどまでの浮ついた気分が一気に冷めたような気がした。笑えてしまうぐらい自分に都合のいい状況なのに、なぜか笑えない。宿へ向けていた足取りは酷く重くなった。暖炉のような暖かいあの光景を、思い出してしまうたびに嫌な気分になった。
『……なんで今更』
同じようなことはあった。あの神様がもたらした暖かさは、かつて花屋の老夫婦が自分に与えてくれたものと同じだ。あっけなく壊れてしまったけれど。
どうせ壊れて失ってしまうなら今無くしても後で無くしても同じだ。だったら自分に一番利がある選択を取るべきだ。
『……』
まだ空は晴れない。曇り空。
――
リリルカを見つけて追いかけるヴェルフだったが、実際にどうするかは全く考えていなかった。一緒に組みたいと思っていた相手が見つからなかった所で急に視界に入り、思わず行動してしまったのだ。
会って話すかどうするのか、とりあえず話す席を作ってから考えるか。そのような発想になってしまったのはベルという、事をぶん投げれば何とかしてくれる相方が居てしまったからだろう。
「(……つか、なんで俺はリリスケを追いかけているんだ? そりゃあリリスケが逃げてるから追いかけるんだが、別に俺が声をかけたわけでもねぇぞ?)」
敏捷のステイタスはヴェルフの方が勝っているにも関わらず、大通りから裏路地へ、巧みに走り続けるリリルカに距離を詰めることができなかった。
「ちょっと待て、待てっての! リリスケぇ!」
ヴェルフの声が届いたのか後ろ目にリリルカがヴェルフの方へと視線を向けた。
帰ってきたのは驚きの表情だった。それが確認できたと同時に、そのままリリルカは逃走を続けていた。
逃げられた、無視された、という思うより、なんで逃げるんだ、という疑問の方が大きく、ヴェルフは走りながら後ろを走るベルへと言葉を投げる。
「なぁ! 俺なんかアイツにやったか!? 身に覚えがねぇぞ!?」
「ああ!? なんだお前は!? あの糞サポーターにやられたんじゃねぇのか!?」
まったく知らないヒューマンの男がそこに居た。
「……誰だお前!?」
「こっちのセリフだ!」
後ろを駆ける音が聞こえていたからベルだと思い込んでいたが、見知らぬ男が駆けていたことにヴェルフは気が付かず、驚きの声を上げる。ロングソードを背にした冒険者風の装いのその男も、言葉を返しながらも足は止めなかった。
ヴェルフはその男に見覚えは無く、逆もまた然り。ならば共通の相手は今追いかけている人物になる。
路地裏へと入り奥にリリルカが走るのが見えヴェルフと男は追いかける。通路の奥に大通りの光が見えたところで、白い影が空からリリルカの前へと着地した。
「なっ! ひゃあ!?」
「ごめんよっ!」
リリルカは回避しようとしたがその白い影……ベルはその回避先へと廻り、走り抜けようとしたその体を捕まえる。ヴェルフを走らせ住宅地の上からそれを確認したベルは、進行方向へと辺りを付けていた。
「なんなんですか貴方は!? 離してください!」
「ちょ、ちょっと待ってごめんアーデさん! 逃げないで!?」
暴れて腕の中から逃げ出そうとするリリルカを何とか抑えてベルはその言葉を口にする。自分の名前を呼ばれたことでベルのことにリリルカは気が付き目を丸くする。
「……? クラネル様? って、今はそれどころじゃ!」
「悪いな坊主、助かったぜ。それで……よくも騙してくれたよなぁこの糞サポーターが!」
リリルカの言葉は男の声によって遮られる。そこでベルもその男のことに気が付いて視線を向けた。武器や防具を身に着けた冒険者の装いと発した言葉、それを観察してある仮説を立てる。
ヴェルフはその間に二人の近くに駆け寄った。直ぐにベルが耳元でヴェルフへと尋ねる。
「……ヴェルフ、お友達?」
「いや、まったく知らねぇ。なぁあんた、リリスケになんか用か?」
ヴェルフの言葉に男は意外だと言わんばかりの表情だ。
「なんだお前ら? そいつに用があるわけじゃねえのか? ……まあいい、そいつはコソ泥だ。ダンジョン内で罠に嵌めて俺の荷物を盗んでいきやがった」
怒りの視線を向ける男にリリルカがひっ、と小さくつぶやいて怯えた
「リリスケが……? 本当なのか?」
「嘘なんかつくかよ! モンスターを引き寄せて、俺が対処してる最中に荷物を奪って消えやがったんだよ!」
男の言葉をヴェルフは信じたくは無かったが、冷静な部分の思考はそれもあり得ると結論を出していた。
一瞬ベルに視線を向ける。男の言っていることは本当か、という意味を込めたものに対してベルは頷いた。
「なぁ、ベル」
「本当だと思う。アーデさんが冒険者間で問題を起こしたことは、ギルドに報告されていたから」
「……ああ、成程な。ギルドから紹介が無かったってのはそれが原因か」
ヴェルフから見てリリルカは優秀なサポーターだ。だがギルド側が彼女を紹介する選択をしなかったのは、前科者であり問題を起こされた場合、話がこじれてしまうからだった。
「それで、お前等はそいつ何だ? このままじゃ俺の気が済まねぇんだ、無関係だって言うならさっさとそいつを引き渡せ」
「そりゃあ……」
ヴェルフは言葉に詰まり、頭を軽く掻きながら考える。
正当性は男の方にありその復讐に合うのはリリルカの自業自得だ。女だから、子供だから、という理由付けは冒険者になった時点で無いも同然だとヴェルフは思っている。
ヴェルフがリリルカを庇ってやる理由は何処にもなかった。この状況でリリルカ以外の冒険者なら、ヴェルフも迷うことなく引き渡していただろう。
「(リリスケとは別に深い縁があるわけじゃねぇ。やらかしたのも自業自得。だけどなぁ、命かけて戦って、背中任せた奴がボコボコにされるのを見逃すってのはどうなんだ?)」
実質の階層主戦で同じ戦場に居たのはリリルカだけではない。そして彼女とはたった一度そこでチームを組んだだけだ。
だが、ヴェルフにとってあの戦いは特別だった。ベルに対して強い友情を抱いたのはその戦いであり、自分が前に進むための切っ掛けになった戦果を手にした場所でもあるのだから。
無論そこでリリルカにまで友情を感じるほど、ヴェルフ自身も安い人間ではない考えている。ただ見逃すのは引っ掛かる、程度の感情を抱く程にはリリルカに対して好意的な感情はあった。
「(……詰まる所、このまんまリリスケを引き渡すってのはなんか違うって分かってんだ。なら、そうするか)」
最終的にヴェルフは自分の感情論で決めた。メリットデメリット、考えなければならない事は山ほどあるのだろう。ただベルが発言しないのなら、どっちを取ってもよいという事だ、という意思疎通はベルとできている。
「なぁ、ベル。なんとかなるか?」
「なんとか
「分かった、じゃあ決まりだな」
事実、ベルもヴェルフがどう選択してもよいように考えていた。
オラリオに来る前の旅で『おとうさん』が何度も女性に騙されており、ベル自身女性にも悪人は居ることを知っている。リリルカがその類であることは分かっていた。
言ってしまえばリリルカがどうなろうとベルは別に良かった。ヘスティアと出会ったときと同じように、ドライな面があるのは変わっていなかった。変わったとすれば、その隣にはオラリオでできた友が居て、彼ならどうするのか何となく想像できたことだろう。
「あー、悪いんだが俺らはリリスケと組むつもりで探してたんだ。引き渡すってのは勘弁してくれねぇか?」
「……え?」
「はぁ!? お前俺の話聞いてたのか!? そいつは薄汚ぇサポーターだぞ!?」
「そりゃあ、そうなんだけどな。金は……まぁリリスケが持ってる分なら渡すし、足りないなら少しは出す。それじゃダメか?」
ヴェルフの発言には男も、そしてリリルカも目を見開いて驚いた。
だがベルだけは違った。小さく口元で笑みをつくると、リリルカを抱えたまま一歩前に出る。
「金じゃねぇんだよ、このままじゃ俺の気が収まらねぇって言ってんだ!」
男が背中のロングソードに手をかける。それと同時にヴェルフが大刀の柄に手を据えようとしたところで、後ろから声をかけられた。
「ヴェルフ、アーデさんのことお願い」
「ん? おう、任せた」
ベルが抱えていたリリルカをヴェルフへと渡す。両脇の下を持つようにヴェルフはリリルカを抱えた。
前に出てきた
ベルがこの街へ来る前の旅での資金源は、『おとうさん』と共に稼いだ賞金稼ぎとしての褒賞と、行商人としての利益だ。後者をベルと共にいた
そして……
【軌跡】を引き落とす。
【軌跡引用】 詐術 話術 交渉術 心理学 商学
――
ヴェルフはリリルカを抱えながら、ベルが男と交渉している光景を見ていた。男の顔を赤らめさせ、青ざめさせ、そして今は喜色の笑みすら浮かべさせている。その様は祭りでガキどもに当たり無しくじを売りつける屋台の親父のようだとヴェルフは思った。要するに、えげつない、の一言だった。
「……あの、ヴェルフ様。降ろしてもらってもいいですか?」
そうしていると抱えていたリリルカから声がかけられる。下ろすタイミングが無かったからか、抱えたまま忘れてしまっていた。
「あ、そういやそうだな。って、下ろすのは良いけれど逃げるなよリリスケ!?」
「リリルカです。……逃げませんから、その珍妙な名前で覚えられるのは止めてくれませんかね?」
さっき冒険者の男から声をかけられたときの怯えた表情は何だったのか、半目でヴェルフを見ながら不機嫌そうにリリルカは返答する。
ベルが男の耳元で何かをつぶやき麻袋を握らせた。満面の笑みを浮かべた男が友人にでも語り掛けるように、ベルの背中を叩く。そしてその麻袋を懐に入れると、ヴェルフたちへと近づく。
「おいサポーター、今日の所はこいつに免じて許してやるが、次やったら只じゃ済まさねぇからな!」
リリルカへ向かって言葉を吐き捨てる。びくり、と男の言葉に震えたリリルカは、暗い表情でうつむいた。
男は路地裏を抜けて去っていく。少しの静粛の後、先に口を開いたのはリリルカだった。
「……はぁ。クラネル様、幾ら使いましたか?」
「九千ぐらい。おめでとうヴェルフ、今日の収穫はさっき無くなったよ」
「ああ……ああ!? 待てさっき渡していた袋の中ってのは今日の稼ぎか!?」
ヴェルフの言葉にベルは頷き、ヴェルフは額を押さえて空を仰ぐ。リリルカとの諍いに割って入ったのは後悔していないが、稼ぎが無くなるのは流石に痛かった。
元々リリルカに道理が無い状態で相手に納得させるなら、利を与えるしかない。討論でへし折ることはベル自身もできるだろうが、後日同じことが起きるだけだ。多少の出費は仕方のないことだった。
「そうですか。お買い上げありがとうございます。それで、今度は私に何をやらせるつもりですか?」
投げやりに言ったリリルカの言葉にヴェルフは顔をしかめた。感謝をしてもらいたくて行ったのではないが、人買いのように言われては耳障りが悪い。
「いや買うってリリスケお前なぁ、そんなつもり俺にはねぇぞ」
「そんなに繋がりも無い相手を大金出して助けたなら、そう見えても仕方ないと思う……と言うよりも、やって欲しいことがあるのは事実だよね?」
ベルの言葉を聞いて表情を消したリリルカは、ヴェルフへと向き直り小さく頭を下げた。
「…………………春を売る予定はまだ無いので、できればそれは外してくれると嬉しいです。いえ、リリに選択肢が無いのは承知しているのですが」
「裏路地で追いかけまわして金を握らせて頼みごとをする……やばいヴェルフ、言い訳できない」
「おい、やめろ。俺を下衆に仕立て上げるのは本当にやめろ、俺が椿にぶっ殺される」
「嫉妬でですか?」
「ヴェルフ、愛されているんだね」
「この状況じゃ純粋な殺意しか無ぇっての!? つかリリスケ分かって言ってるよな!? ベル! お前まで俺をからかうんじゃねぇよ!」
憤慨するヴェルフにベルはごめんごめんと笑う。ベルとしては頼んだ食事や稼ぎが無くなったことに少しだけ思うところがあったが、ひとまず先ほどの冗談で水に流した。
「とにかく、こっちはリリスケを雇いたくて追いかけてきたんだ。サポーター、頼まれてくれねぇか?」
「……ヴェルフ様、失礼ですけど先ほどの話本当に聞いていました? あの冒険者が私に装備を奪われたって言うのが嘘だと思ってます?」
「……嘘、だとは思いたいけどよ。本当なんだよな?」
「ええ。ついでに言うのなら理由は金銭目的とそれらしい理由もありませんね」
自嘲するように言ったリリルカにヴェルフは次の言葉が出なかった。客観的に見てもリリルカに対して庇う理由が見えず、パーティに誘うにしてもデメリットが目立つ。ヴェルフが行動を起こす理由はそこには無かった。
「(つかなんでそこまでリリスケに拘っているかって言ったら……)」
「……そんなに悩まなくても、そのまま言えばいいんじゃないかな? ヴェルフらしくも無い」
悩んでいる様子のヴェルフにベルは一言助言を出した。目を丸くしたヴェルフはやがて納得したように頷くとリリルカへと視線を合わせる。
「なぁ、リリスケ。俺はお前らと組みたい。あの戦い……インファント・ドラゴンと戦ったときのことを意識し過ぎているのは自覚しているけれどよ、あのパーティをまた組みたいって思っているのも本音だしな」
それにあの時はそんなに悪い奴だとは思わなかった、と。そうヴェルフは言葉を続けた。
ヴェルフがリリルカに拘っていたのは、きっとインファント・ドラゴンと戦ったときと同じように、二人と組みたいと思っていたからだ。あの戦いはヴェルフにとっては大きな一歩を踏み出した出来事であり、そこで共に信じ合い戦ったベルとリリルカに対しては深い感情を得ていたのだ。本人の考えとは逆に、安い人間だと言われたら否定できないだろう。
ただし仲良しこよしをしたいわけではなく、打算も無論存在するが言った言葉はヴェルフの嘘偽りのない本心だった。
その言葉にリリルカは虚を突かれたような表情をした。しかし直ぐに睨むようにヴェルフへと視線を返し口を開く。
「あの時は、命が懸かっていたから協力しただけです。それにサポーター程度なら、私じゃなくても他に居るでしょう?」
「いいや、前組んだ時思ったんだが、リリスケはサポーターとしては凄腕だしな。それなら組む価値はあると思わないか?」
あっけからんと言うヴェルフの様子に、リリルカは呆れて溜息を吐いた。
「だからって
「……そこはたぶん大丈夫じゃないかな?」
能天気な言葉を口にしたベルを、リリルカはジト目で睨む。余計なことを言うなと視線は語っていたが、ベルは肩をすくめるだけだった。それが癪に障り、リリルカは咎めるようにベルへと言う。
「どこをどう見てその判断に至ったのか教えていただきたいですね。クラネル様からも少しは――」
「アーデさん、別にパーティに入りたいとも、その逆に嫌だとも言ってないよね? ヴェルフを諭すだけで」
「――――」
そもそもこの話は単なるパーティ勧誘であり、リリルカが一言断ればそれで終わる話だった。それでも長引いているのなら、勧誘された側に何か思うところがあるとベルは判断する。そこに悪意あるものなら、きっとリリルカならもっと
リリルカが悪い人ではあるが根が腐っているわけではないと、そう判断するには彼女の話の内容は十分だった。それならそこから先どうしたいのかは好意関係の問題だ。ベルもリリルカのことは嫌いではない。そして互いに冒険者であり、同じ階層で行動できる実力があるのなら、冒険に誘うことは何もおかしくない。
「――自意識過剰にもほどがありますね」
「あはは……そうなりたくないし、まずは仮に組んでみてもいいんじゃないかな?」
「物は試し、ってやつだな」
「その言葉、詐欺の常套句だと思うのですが」
「まあそう言うなって。行こうぜ、リリスケ」
ヴェルフは、にっ、と歯を見せて笑った。
――
何時もの最悪の日だ。命がけでサポーターを務めて、横暴な冒険者に突き合わされ、過去の自分のツケがついでとばかりに追いかけてきた。まぁ前科もちのサポーターなどそんなものだ。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが、当たり前の日常を謳歌する大多数と比べ、理不尽ではないかと舌打ちをしたくなる。数日前、
少し前に短時間だけ組んでいた想定外の人物の声に驚き、捕まったとき諦めようとした。せいぜい怯えた子供のようにふるまい、同情を買おうとした。
『なんとかなるか?』
『なんとかするよ』
……想定以上に同情を高額で買われてしまったのだけれども。
二人は自分の殆ど繋がりがない他人も同然の間柄だ。それを助ける理由も無く、何かに利用したいのだと聞いて自然に納得できたし、理解ができて安心はあった。以前素を見せていたので冒険者
一緒にパーティを組む、という提案には目の前の鍛冶師がどれだけ愚かなんだと鼻で笑いたくなった。どうして
それを指摘して諦めさせようとして――少年の言葉に本心を抉られた。彼は、嫌いだ。
自分から彼らのことを拒絶できなくて、何かに期待している自分が嫌だった。
提案をし言葉を待つ青年と、小さく笑みを浮かべる少年が居た。自分は不満げに言葉を返す。
「リリルカ・アーデです。その珍妙な名前で呼ぶのはやめてくださいと言いましたよね? クラネル様、クロッゾ様?」
これは慈悲に縋ったわけじゃない。必要だから、有用だから互いに手を貸し合うだけだ。必要なら切り捨てるし、彼らからも同じことをされても仕方ないと思える。何も変わったことなんてない。
だから、笑う理由も何一つない。自分の顔に浮かんでいるのはきっと作りものだ。
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九話
憂鬱だった。
昼も過ぎているが手持ちの金は昨日全部奪われたばかりだ。さっさと自分の手元にあるモノを換金するべきなのだろう。
『(……悩むことなんてない。神なんて勝手に下界にやってきているだけで、それでいて好き勝手やっているのなら、リリが勝手にしたっていいじゃないですか)』
リリルカに神の視点は分からない。酒に溺れる下界の子に何を思ったのか、リリルカは知らない。自身の趣味以外の全てに興味を無くしたその神に、恨むことだってきっと無意味なことだ。
なんであんなファミリアを作ったのだろう。なんで団員に酒など与えたのだろう。無関心でいるのなら、初めから何もしてほしくなんて無かったのに。
『(だから……私が何をしたっていいはずです!)』
神が様々な不条理を与えるのなら、少しぐらいの不条理が神に降ってもいいじゃないか、とリリルカは思う。
ポケットに手を入れヘスティアのペンダントを握った。金具の部分の冷たい感触が返ってくる。大金となる現物は確かにその手の中にあるのに、高揚感は微塵も浮かんでこない。
『……』
だって自分はもうこのペンダントを盗んでしまった。今更どの面下げて返しに行くと言うのか。自分自身で盗んでおいて、リリルカはヘスティアの顔を見るのが怖かった。神なんて、と否定するように思っていたのに、ヘスティアから否定の言葉が出されるのを聞きたくなかった。
忘れてしまえばいい。さっさとこのペンダントをお金に換えて、ファミリアを抜けて、しがらみを全部無くしてしまえば、きっとこの陰鬱な気持ちも無くなるはずだ。
北通りを抜けて裏路地へと足を向けた。ノームの翁が営んでいる古物店へ向かおうとしたところで――声が響き渡りリリルカの耳に入った。
『ひぃぃぃいいい!! 熱っ! 熱っ! ちょっと! おばちゃん! 油が、飛んでいるよ!? 揚げ物するって、言っても、限度があるって思うんだ!?』
『やだねぇヘスティアちゃん! ちょっと数滴はねたぐらいで大げさ! 火や油が怖くてジャガ丸くんの屋台が務まらないでしょう!? ほら! 浮かび上がってきたよ取った取った! 焦げちまうよ!』
『無理! 無理! 無理だって! 良いよ少しぐらい焦げたって! すこし待とうよ! お米だって少し焦げてる方が美味しいだろう!?』
『ヘスティアちゃんアンタそう言って屋台を全焼させたの忘れちゃいないだろうね!? 焦がしたら全部自分で買い取ってもらうよ!?』
『そ、そんなぁ!?』
悲鳴を上げて涙目になりながらジャガ丸くんを揚げているヘスティアの姿があった。
『………………別に、いいですけど』
神様が何をやろうが勝手であり、別に傍から見れば楽しそうにアルバイトをしているのは別にいい。いいのだが何故か納得いかないような気がしてきた。勝手ではあるが自分がヘスティアの大切なものを盗んだと言う自覚があって、罪悪感も抱えていたと言うのに
実はこれ偽物なのではないか、と。リリルカはポケットの中のペンダントを弄るように撫でた。
『いやぁ、ヘスティアちゃんは今日も頑張ってるねぇ。偉い偉い』
『でも張り切り過ぎてお店まで燃やしちゃだめよ? 慌てん坊さんなんだから』
『ごめんね! だけどもう少しで終わるから、ちょっと張り切っちゃおうかな!』
老人たちがヘスティアへと穏やかな笑みを浮かべている。時折神様へと拝む――代わりに可愛い孫娘を甘やかすように頭をなでている。ヘスティアも満更ではなさげで、リリルカから見れば楽し気な光景に見えた。
神がアルバイトをしている、というのは珍しいことではない。威光を示せば付箋がもらえる時代は終わり、今では神という存在は種の一つとして扱われている。種族のるつぼのようなオラリオではたとえ神だろうと只の住民でしかなかった。下界の子供たちと神は対等であるとは言えないのだが。
『……馬鹿馬鹿しい』
リリルカは小さく呟く。
下界に来てまで下界の子供たちと同じことをするのなら、最初から天界で眺めていればいい。退屈だろうが何だろうが、そこが
『や、昨日ぶりだね』
ふと、その神の声を聞いて俯いた顔を上げた。二つに纏めた髪は頭の三角巾で覆われ、エプロン姿のヘスティアが其処に居た。
いつの間にか来たのだろう。そうリリルカは思うが、単に自分がぼんやりとしていただけだ。商品も買わずに眺めていれば目立つのだから、見つかるべくして見つかったのだろう。
自分は盗人で、ヘスティアはその被害者で。ならば自分は逃げるべきだとリリルカは思うが、そうしようとは思わなかった。どうでもいいとは思ってはいたが。
『……なにか?』
『なにか、じゃないだろう? まったくもう。僕がどれだけ心配したと思っているんだい?』
『……すみません』
ジト目で言うヘスティアに、なぜかリリルカのその言葉はすっと出てきた。
リリルカにとってはヘスティアに心配される必要も義理も無い。きっと昨日の自分ならそう言って突き放していただろう。
口に出してからリリルカは自分に対して苛ついた。自分のポケットにあったヘスティアのペンダントを雑に彼女に向かって放り投げる。
わ、と。驚いたように悲鳴を漏らしたヘスティアは、慌てた様子でそれを受け取った。
『
皮肉を込めてリリルカは言う。どの面下げて自分はそれを口にしたのだと笑いたくなった。
相手は神だ。自分の言っている嘘ぐらいは直ぐ見抜くだろう。自分がどんな存在なのか、彼女だって理解できるはずだ。
『ああ、
だけど目の前の神は、笑みを浮かべてそんな言葉を返してきたのだ。
思わず、ぎり、とリリルカは奥歯を噛んだ。
『……嘘だ、ってことぐらいわかるはずですよね、わざわざ地上に来てアルバイトしている身とはいえ、神なんですから』
神に嘘は通用しない、例外は神と神の間だけだ。リリルカの言葉にヘスティアは小さく笑みを見せる。
『でもそれを分かって君は嘘を吐いただろう? 返したいと、謝りたいと思っている子を追い詰めるほどボクは狭量に見えるかい?』
見透かすような言葉にリリルカは息を飲み、視線を逸らして口を開く。
『……全体的に狭量には見えますね』
『そこはほっといてくれ! そりゃあケチだとは思っているけどさ!』
まったくもう! と。そう怒ったような表情をする
『(本当に、本当に反吐が出ますね。
ただ自分は
強い拒絶の言葉を吐いているのは、相手がそれを受け止めてくれると理解しているから、相手に甘えているだけだ。彼女なら、
本当は何もかもに怯えていて――詰まる所、リリルカ・アーデは
『……リリは、どうしようもない
『それぐらいなんだって言うんだ! ボクなんて神友に頼ること数百回、ジャガ丸くんを焦がすこと数十回、最近は屋台までこんがりさ! それに比べたら軽いもんだよ!』
神のスケールを舐めるな、と。自慢げに言うヘスティアにリリルカは苦笑する。
『胸を張って言わないでください』
『ふふん、盛るほどあるからね』
『嫌味ですかそうですか、捥ぎ取りますよ』
他愛のない言葉を紡ぐ。名前だとか最近あった出来事や天界でのことだとか、リリルカ自身、話せるような話題が無かったため聞いているだけだった。
遜らず、媚びず、ただ砕けた口調で行うやり取りは、リリルカが思っていた以上に楽だった。どうして
『ね、ねぇリリルカ君、……じゃなくて。リリ! 良かったらなんだけれどボクの――』
『ヘスティアちゃーん! 休憩終わりだよ! 手伝っておくれぇ!』
ヘスティアが口を開いたところでジャガ丸の屋台から声が張り上げられる。見事に言葉を遮られたヘスティアは慌てたように返事を返した。
『わ、分かったよ待ってて! あーえー、リリ! もしもよかったらまた話そう! ボクのホームの場所はもう知っているだろう!? 夜は大体居るからたまに顔を見せてくれると嬉しいな!』
『……気が向いたら行きますね』
自分の言葉に笑みを見せて
一人手持無沙汰になったリリルカはその場を後にする。
金銭になるはずだったペンダントは無くなって、手持ちも何もない。だから結局自分はサポーターとして金を稼がなければならない。それでも幾分か心が晴れたような気がした。
ギルドに行き、自分が
どうしようもない現実がそこに在った。
――
11層、Lv1の冒険者たちの中でもLv2になろうとしている者たちが集まるそのフロアで、リリルカはハードアーマードと対峙するベルとヴェルフの戦いを観察していた。
サポーターとして様々な冒険者を見ているが、この二人は評価がしにくい相手だと思う。戦闘能力、という意味ではベルが多少不足ではあってもヴェルフがカバーできる範囲だ。ハードアーマードやシルバーバックなどから数体で囲まれれば難しいが、そもそのような状況にベルはしないだろう。
戦闘の立ち回り、という面になればその評価は逆転した。最大戦力のヴェルフにベルが合わせている。リリルカやヴェルフが動きやすく分かりやすい位置、であると同時にベル自身が戦えるよう立ち回っている。それも――
「――」
「(……見られていますね)」
もしもリリルカが
リリルカ自身も彼らを陥れたり魔石をくすねたりするつもりもない。むしろ新顔をパーティに入れることの当然の警戒だ。それでも
ただ少し、苛立った。それは疑われていることにではない。
「ファイアボルト、ヴェルフ開けて!」
「おうよ!」
アルマジロのように転がってくるハードアーマードの進行先の地面を魔法で抉る。進行方向がそれて背中から壁に激突した。
ヴェルフは大太刀を貝に刃物を差し込むように突き刺すと、丸まったハードアーマードをこじ開ける。そして大太刀を引き抜いたタイミングで、ベルはその傷口へと右腕を突っ込んで叫ぶ。
「ファイアボルト! ――ヴェルフ! アーデさん! モンスターは!?」
いかに外殻が硬かろうと内蔵までは硬化していない。ベルの魔法はハードアーマードの体内で爆発し、内臓へと致命的なダメージを負わせた。そして与えすぐさま此方へと向かってきていたモンスターについて再確認を取った。
「シルバーバックが一匹!」
「取り巻きはあり――いえ、インプが4」
大太刀を肩に担ぎなおしたヴェルフを横目にリリルカはベルへと目を向ける。
ハードアーマードへと止めを差し、ヴェルフの援護に向かうベルと視線が合った。警戒をあからさまにされるのは気持ちの良いものではない、が所詮自分はサポーターだとリリルカは自分へと言い聞かせる。そしてハードアーマードの死体を掴み運びながらベルとヴェルフが戦う場所へと近づいた。
インプが数体集まりかけており援護が必要だ、そうリリルカは判断するが既にベルがナイフを投擲して牽制していた。その数秒でヴェルフがシルバーバックを足止めをし、ベルがその喉を掻っ切る。悶えたところをヴェルフが心臓の魔石向けて大太刀を振り下ろし両断した。
援護は必要ないだろう、そう思い手にかけていたボウガンから手を離した。
「――」
ベルから視線が向けられていた。
ああ、これは
「解体をやってしまいます、ベル様」
「うん、お願い。
「っち、魔石ぶった切っちまったか! ベル、残り手伝ってくれ!」
ヴェルフの呼びかけに応えそのままインプたちの掃討へとベルは向かう。
それまで自分と同じサポーターだと思っていたが、ヴェルフと対等に動くベルを見てリリルカは呟く。
「嘘ばっかり」
アレは自分と同じ、誰かを騙せる人間だ。
リリルカなりに解釈をするのなら、あの言葉は『おいたをするな』、だろうか。
もしも自分がベルと同じ立場だったとしたら、同じことをリリルカはするだろう。それをベルは理解しているだろうし、リリルカ自身に伝わることも分かっているはずだ。
きっと自分とベルは似ているのだろうな、と。それが分かってしまいリリルカはベルのことがますます嫌いになった。
――
リリルカは冒険者を信用していない。
「(……まぁ、もうそんなことをするつもりはありませんでしたけど……)」
特に何か言うわけでもなく淡々とヴァリス金貨を分けるベルと、ドロップアイテムと手持ちを睨めっこするヴェルフに毒気を抜かれた。
以前インファント・ドラゴンの報酬でも正しく分けたので、不正に此方の報酬を減らすことはしないと予想はしていたが、こうも
「11階層で戦うのがやっぱりリスクと収入のバランスが一番いいね。勿論何かがあって支出が多すぎたらいったん上の階層で稼いで、持ち物が万全になったら再度行こう。二人はどうかな?」
「問題はないと思うぞ。やっぱリリスケが居ると滅茶苦茶戦いやすいし効率もいい。不安なのはベルの負担とリリスケの防御力に関してだな。正直インプ一匹でも後ろに通したらヤバイ、ってのは心理的に負担がある」
額に手を当て疲れたように言うヴェルフは、本当に此方を気遣っているのだろう。
「ベルはその辺りを考えているんだろうが、任せっきりってのは違うだろ?」
「だね。ステイタスが上がった影響で集中力が途切れにくくなったから、補助はするよ」
「ヴェルフ様、リリへのお気遣いありがとうございます。ですが倒せずとも長引かせていなすことはできるので、どうかお気になさらないでください」
ニコリと笑みを見せて言葉を返す。しかしベルの言葉には舌打ちをしたくなった。普通はそんなに早くステイタスなど上がらないのだから。
そしてインプ以下程度ならリリルカ自身もいなす余裕はある。大型のモンスターが向かってくる状況はベルとヴェルフが同時に戦闘不能になっていることが予想できるため、どちらにしても死ぬのだから話す意味は無かった。
「……なぁリリスケ、やっぱなんか気持ち悪ぃからその媚っ媚の口調止めねぇか?」
「ははは……最初に素の口調を見ちゃったから違和感が凄いよね」
何て失礼な人たちだ、と。リリルカは内心で思った。インファント・ドラゴンと戦い同じパーティの時はどうせ死ぬからと自暴自棄だったのだ。素の自分を見せてしまっており、過去の自分に対して文句を言いたくなった。
「いいですかお二人とも、リリはしがないサポーターです。そんな私がお二人と気安くお話をしていたら、なんて生意気な奴だと周りから言われてしまうんですよ?」
リリルカの立場上それは好ましくない。今このパーティでの待遇は警戒したくなるほど良いが、いつ外されるのか分からない。サポーターとはそういうものだ。その時になって自分と組んでくれるパーティは皆無になるだろう。
「(……まぁ、その時は文字通り体を売るしかなくなるわけですが)」
それでもいいとリリルカは考えている。
「まぁ、クラネル様は専業サポーターではなかったので必要ありませんでしたけど。有望な冒険者さまと一緒でリリはもの凄く幸運です!」
ベルがサポーターをやってた時期から一か月程度、それだけの期間で数年冒険者をしているヴェルフに追いつくなどどう考えてもおかしい。
間違いなくベルは
「……周りの視線が気になるならダンジョンの1階層で反省会をする?」
「いいえまさか! ただでさえリリは恵まれているのに、お二人にそこまで気を遣わせるわけにはいきません! なによりリリは弱っちいので、ゴブリン数匹相手での嬲られてしまいます!」
よよよ、とおどけたように言うとヴェルフが、ぶっはと噴き出した。
普段のリリルカを知っているから違和感が臨界突破したのだろう。この男は……と内心で怒りマークを浮かべた。
反省会も終わりベルが山分けしたヴァリスをそれぞれに渡す。リリルカも一応確認はするが、本当に報酬に差異は無い。
「これだけあるなら少しぐらい贅沢を、ってやってると金が貯まんねぇんだよな。装備の新調やら鍛冶に使う素材集めやら、これでも全然足りねぇ」
ずっしりと重くなった袋を眺めてヴェルフは言う。それが装備に費やせばあっという間に無くなるものだと全員理解して頷く。
「日雇いが多い街と同じような雰囲気だよね。成果が直ぐにお金に代わって、そのお金が使える場所が直ぐ用意してあって」
「そんでもって冒険者はまた金を稼ぎにダンジョンに潜るわけか。素敵なサイクルだな。気を付けねぇと」
安定してその場所でいいと妥協した冒険者たちが歩む道だ。冒険者と言う存在はロマンに挑む馬鹿者か、その日その日を退廃的に生きる愚か者のどちらかだとリリルカは思っている。
リリルカが見てきた冒険者は後者で、幸いなことにこの二人は前者に当たる。二人のサポーターに付けたことは間違いなく幸運だ。
ならば自分がやるのはこの二人に気に入られることだ、捨てられないようにすることだ。少しでも長く二人にパーティを組んでもらうことだ。
笑みを作る。自分の手持ちを二つに割って袋に入れると、その片方を二人へと差し出した。
「お二人の配分がしっかりしているので、リリも十分なほど報酬をいただきました。このお金は過剰ですから、お二人でどこかで食べてきてください」
ならばどうするべきか、一番良い方法は自分と一緒に居て損をさせないようにすることだ。
幸いこのパーティなら2割も貰えば十分貯められる程度の収入にはなる。消耗品が此方持ちでないのも良い。ならば余剰分は本人たちが使えばいい。少しでも気をよくしてくれればいい。そうして此方が最終的に利を得られるならば、何をしようがされようが文句は無いのだから。
「……そんじゃお言葉に甘えるか。火鉢亭でいいよな? 安くてそこそこ美味いぞあそこは」
ヴェルフはリリルカに渡された袋の口を締めると、そのままリリルカへと放った。
「いいね、行こうか二人とも」
ベルは置いていた自分の荷物を持ち直す。渡されたヴァリス金貨のことなど目もくれていなかった。
「えっと、その。お二人とも?」
リリルカは目を丸くし、何か自分は言い間違えてしまったのかと考える。そして言いよどんでいるうちにヴェルフは首を傾げた。首を傾げたいのは此方だと言いたくなった。
「? おい、なにやってんだリリスケ? さっさと行くぞ」
「ほら、立って。行こうよアーデ」
ベルから手を差し出され、思わずそれを握ってしまった。そのままベルが手を引き、自分は立たせられる。
それじゃあ行こっか、と。ベルはリリルカの手を引いたままそう言ってそのまま歩き始めた。リリルカ自身は二人の行動が理解できず、言われるがまま足を進めた。
「……やっぱり変な人たちです」
リリルカは小さく呟いた。
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