Re:ゼロから寄り添う異世界生活 (ウィキッド)
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番外編
いちどめの死


就活のストレス発散に執筆しました。要望があれば続けます。また書籍組はネタバレがありますので注意を


――体が動かない。指先をピクリと動かすことさえ厳しい。

 自分の体から熱が逃げていくのがわかる。本能的にそれを防ぐように手で腹を押さえたことで気づく。血が体からあふれていることに。

 そのどろりとした感覚と熱さにようやく思い出すことができた。自分がどんな目に遭ったのかを。妹を救おうとして多くの人の静止を振り切り罠にかかってしまったこと。

 だが正直どうでもいい、自分はもう助からない死んでしまうのだから。起きていてもつらい、寝てしまおうと目をつぶる。

「――ぃ」

そんな中小さな声が聞こえた。

それは朦朧とした際の幻聴だったのかもしれない。だが幻聴だろうとこの声に自分は答えなくてはならない、この自分を呼ぶ声には応えなくてはいけない気がした。

ゆっくりとまぶたを開く。

体に血がほとんど残っていないからか視界がかすんで見える。頭を振りぼやけた意識を振り払い視界を鮮明にさせる。

 すると薄暗い中わずかに見えたのは濃い緑髪を肩口で揃えた少女の姿だ。その姿には見覚えがある。なぜなら命を懸けて守りたかった愛する妹の姿だからだ。

 

「テュ――」

 彼女の名前を口に出そうとしたが声が枯れ、途中から声にならなかった。それどころか血がこぼれ落ちた。小さく舌打ちする。今わの際にさえ彼女の名前を呼ぶことができないのか。それでも最期に顔を見ようと彼女の近くまで向かう。体は縛られていないが虫の息の体では這って近づくことしかできない。近づくと彼女の姿がだんだんとはっきりしてきた。

 彼女の自慢だったリンガのように赤い頬は死人のように青い。褐色の肌とは対称的な雪を思わせる白色のワンピースのような服装も泥水に濡れて可憐さを失い、愛らしさを周囲に惜しげもなく振りまいていた顔は傷だらけだ。青い花を模した髪留めはボロボロになってしまい乱暴に扱われていたことがわかる。

 だが酷いありさまの中自分がプレゼントした赤い首飾りはあまり傷がついていない。彼女が守ってくれていたのかもしれない。そのことに不謹慎ながらもつい笑みがこぼれる。

 這って更に彼女に歩み寄る。触れられる距離にようやくたどり着いた頃にはもう意識はおぼろ気だ。いつものように頭を撫でてやりたいが腕を動かすことすら難しく撫でることもできない。

 

「こほっ!」

 せき込むと同時に大量の血液が口からこぼれ視界が黒く染まる。どうやら限界が来たようだ。

 

「ごめん、な」

 

『傲慢』の名を持つ助けようとした彼女を助けることができなくて。

 

「ごめんな」

 

『色欲』の名を持つ自分のことしか考えていないが優しい彼女との約束を守れなくて。

 

 

「……悪いな」

 

 

『暴食』の名を持つライバルに対して借りを返さなくて。

 

 

「ごめんな」

『憤怒』の名を持つ誰よりも優しく、誰かのために本気で怒れる友人に対して無理をしてしまったことに。

 

 

「ごめんなさい」

 

『強欲』の名を持つ博識で教師のような彼女に対価を払えなくて。

 

 そして

 

「――ごめんなさい」

 彼女と自分の母代わりをしていた『怠惰』の魔女に、わざわざ引き留めてくれた彼女の言うことを聞かずにこの結果になってしまったことに。

 最期までずっと謝罪の言葉を紡いでいた。

 

「ああ、ごめんなさい」

 

 

 ずっとずっと機械のように言葉はこぼれる。シャオンの命がつきるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――これでシャオンの物語は一度終わる。だが一度だけだ。永遠に終わるわけではない。

 

 

 なぜなら彼は幸か不幸か『魔女(・・)たち』に愛されていたのだから。



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ロズワール邸でのバレンタイン

気分転換に投稿です。
だって、本編鬱になりそうなんだもん


 ロズワール邸の調理場。

 普段はレムが一人で食事の準備をしているが今日だけは違っていた。

 

「ねぇレム。これで、いいのかしら」

「はい、そのままの温度で保ってください。決して加熱したり、冷やしたりしないでくださいね」

 

 珍しく念を押しながら、エミリアに注意をするレム。

 彼女の背後には氷塊が突き刺さっているチョコや、氷山が生じているチョコの姿があった。通算、これで作り直すのは三回目である。

 

「うん頑張る! でもチョコづくりってすごーくむずかしいのね。ちょっと意外かも」

「そうですね。でもその分やりがいがありますし、完成した時の達成感も素晴らしいものになると思いますよ」

「もうコツもつかめたし次は大丈夫!」

 

 数多の犠牲を産み出した人物の信用ならない言葉にもレムは笑顔で応援をする。

 

「それにしても、スバルの故郷って愛の誓い日にお世話になった人にチョコを贈るなんてとってもふしぎな風習があるのね」

「はい、レムも初めて耳にしました。とってもいい風習だと思います」

 

 スバルが持ち上げられているが、実際は彼が愛の誓い日、別名バレンタインにチョコレートをもらったことがないことに駄々をこねただけなのだが。

 そんなことは知らず必死にチョコを作り続けているエミリアとレムだった。

対して、もう一組のチョコ作成組に入っているベアトリスは、その長い金髪をピョコピョコと跳ねさせて高所に置かれているパウダーを取ろうと奮闘していた。

 

「これっすか?」

「……全く、ベティーがなんでこんなことをしなくちゃならないのかしら」

「ベアトリスちゃんもパックにチョコ渡したいっていったんじゃないっすか」

 

 ぶつくさと文句を言い続けるベアトリスの横で、サポートをするアリシア。

 先のようにベアトリスの身長では届かないものなどをとってあげたりと、まるで仲のいい姉妹のようにも見える。

ただ実年齢を考えるとベアトリスのほうが姉ということになるが、そこは言わないお約束ということにする。

 

「ふん、お前は誰に渡すのかしら」

「うーん、取り合えず全員に渡そうかと思ったけど、流石にそこまで作る余裕はなさそうなんで子供たちとシャオンにいつもの感謝を込めてって、感じっすかね」

 

 アリシアは照れを隠すように少し強めにボウルの中身をかき混ぜる。

 中に入っている黒い液体が飛びそうになるのを防ぎながら、ベアトリスは呆れたように呟く。

 

「感謝を込めるというよりもただ、力をこめているという方が正しいかしら」

 

 鬼の力でかき混ぜられたチョコが、その威力に耐えきれずにボウルから飛び出す。そして飛び出た先には――

 

「あ」

「ふぎゃー! なにするかしらー!」

 

 急な攻撃にベアトリスは避けることができず、その結果、ベアトリスを黒色に染めてしまい二人は再度作り直すことになってしまった。

 

 

 調理場の外で聞き耳を立てている男が、いや、花園に入ろうとする一人の(おとこ)がいた。

 目つきは悪く、足は短くそして、鼻息は荒い。

 そんな不審者を通すわけにはいかないと立ちふさがるのは猫の門番だ。

 

「だめだよースバル。ボクはリアに頼まれて」

「そこを頼むよ! パック様! 俺は、俺がいかなくちゃいけないんだ!」

 

 これが別のタイミングで放たれた台詞だったらとてもかっこよかったのだが、ただ覗きに行こうとする男の台詞なのだ、かっこよくあってたまるか。

 そんなやり取りを見ているとスバルが首をグリン、という音を鳴らしながらこちらへ向ける。

その凶悪な面に、珍しくシャオンは驚き、数歩後ろに下がる。

 

「おいシャオン! お前からもなんか言ってくれよ!」

「スバル、あまりパックを困らせるなよ」

「まさかのそっち側!」

 

 逆に味方になるとでも思ったのだろうか。

 

「第一覗いたところでなにかあるのか?」

「この先にエプロン姿のエミリアたんがいるって想像しただけで……うぉおおお! 高まるぜ!」

 

 背中に炎を幻視させるほどのやる気を出す彼だったが、要は思い人が調理をしている姿を見たいという邪な思いによるものだ。怒るどころかみじめすぎて涙が出てしまいそうになる。

 

「はぁ、チョコの一つや二つでなにをそんなに――」

「シャットアップ! それ以上口を開くな殺すぞ!」

 

 耳を立てていた扉から一瞬でシャオンの下に近寄り、チョップを繰り出すスバル。流石にあたることはなかったが、思わぬ攻撃に驚く。

 

「なにすんだよ!」

「おまえ、今までにチョコをもらったことは……?」

 

 抗議の声をものともせずにスバルはシャオンに問い詰める。

 その目は血走り、今にも殺しを行ってしまいそうなほどの危うさを宿していた。しかしシャオンは彼を思ってあえて嘘を吐かずに正直に答えた。

 

「……まぁ誰かからは必ず一個はもらっていたな。親を除いて」

「け、決闘だっ!」

 

 勢いよく人差し指をこちらに向けるスバル。

 その瞳には軽い嫉妬と、羨望。そしてよくわからないがまるで信じていた仲間に裏切られたような悲哀さが入り混じっていた。

 それを見てシャオンは口では彼を説得できないと悟り、話に乗ることにした。 

 

「ほー、俺と戦うと? やめとけよ。怪我をしたらせっかくのチョコを食べられなくなるぜ?」

「上等だ、その胡散臭い顔をもっと歪めてやるよ」

「なら俺はお前の鋭い目つきをさらに尖らしてやるよ」

 

 売り言葉に買い言葉とはいかないがシャオンもカチンときたのかやる気を出してスバルとの決闘に臨む。

 

「表に出ろっ! いや、俺が先に出るからお前は少し遅れてから来い!」

「先に行って罠でも仕掛ける気だな?」

「ばっきゃろう! そんなことすると思ってんのか!」

 

 シャオンの言葉を否定しないあたりあながち予想は外れていないのかもしれない。

 

「ごめんねーシャオン。スバルの気を引かせる役目を任せちゃって」 

「別に大丈夫だよ。それより、パックってチョコ大丈夫なの?」

「ボクは猫に見えるけどこれでも精霊だからね。好き嫌いはないよ」

 

 好き嫌いという意味で聞いた訳じゃなくて、種族的に猫がチョコを食べて大丈夫なのかという問題なのだが、そもそもマヨネーズなども口にしているのだから大丈夫なのだろう。

 

「それじゃ、頃合いを見てボクが呼びに行くからそれまでスバルの相手を頼むよ?」

「はいはーい」

 

 気の抜けた返事を残し、スバルがいるだろう中庭に足を運んでいった。

 

 

 夕食後、スバルは自身の部屋でレムから治療魔法をかけてもらっていた。

 

「もう、スバルくん無茶しちゃだめですよ。魔獣騒ぎの時の傷だって癒えていないんですから」

「まさか、用意していたトラップをすべて躱されるどころか利用されるとは思わなかった」

 

 急仕立てではあったがそれなりの罠を設置することができ、勝利を確信していたのだがそれすらもシャオンは見破り逆にスバルを誘導して罠に陥れたのだ。

 自ら手を出さないあたり彼の意地の悪さが感じられる。

 

「はい、治療は終わりましたよ」

 

 自らを棚に上げたスバルにレムが治療の終了を告げた。

 確かめるように何度か手の平を開閉する確かに彼女の言う通り無事に治癒は終わったようだ。

「おう、サンキューレム。……あの、なんで離れないの?」

 

 お礼を言い、ベットから立とうとしたがレムはスバルを離さない様に力強い抱擁をした。

 思わず理由を聞いてみるが彼女は、背中に埋めていた顔を上げ、

 

「ダメ、ですか?」

 

 上目遣いで、潤んだ瞳をこちらに向けたのだ。

 これにはエミリア一筋であるスバルも思わずクラっと来たようで目線を逸らし、照れた頬を彼女に見せない様に努めた。

 

「スバルくん」

「な、なんだよ」

「はい、チョコレートです。いつも頑張っているスバルくんのために一生懸命作らせていただきました」

 

 スバルの手には丁寧にラッピングされた小箱。そして彼女の言う通りならば中にはチョコレートが入っているのだろう。

 母親以外に始めて貰うバレンタインでの、しかも手作りのものを渡されスバルは、

 

「れむぅ……ありがとぉ」

 

 思わず涙を流してしまう。

 そんなスバルを見てもレムは驚きもせずうれしそうな表情で話しかける。

 

「お礼は別にいりませんよ? ただスバルくんに喜んでいただければレムは幸せです。でも、どうしてもお礼をしたいなら頭を撫でてもいいですよ?」

 

 遠まわしに褒美をせがむ彼女に、涙をふき取りスバルは、

 

「まったく、愛い奴め」

 

 犬のように見えない尻尾を振る彼女の頭を、優しく、感謝の気持ちを込めて撫でたのだった。

 

 

 同時刻。禁書庫にて精霊同士が戯れていた。

 

「にーちゃ、ハッピーバレンタイン! なのよ」

「わーい、ありがとうベティー」

 

 パックが貰ったのは小さなチョコレートだ。

 だが、彼の背丈を考慮すればそれでも十分大きいものだろう。

 食べきれるか心配に思っているとふと、パックは自分に渡されたもの以外に同じような大きさの、数個の箱を視界にとらえる。

 

「あれ? この包みは? もしかしてスバル達の分?」

「……ふん、あまり物かしら。ベティーが、気まぐれで作ったものなのよ」

 

 口ではそう言いながらもしっかりと包装された箱を見て、素直じゃない妹分に呆れてしまう。

 

「はいあーん、なのよ」

「あーん」

 

 きっと口に出してしまったら怒られるだろうけど、願いが叶うならばパック意外にも彼女が懐くことを望もう。

 パックは彼女が作った少し苦めのチョコを口にしながらそう祈ったのだった。

 

「いるっすか?」

「いないっす」

 

 シャオンは外から聞こえてきた声に流れるように答える。すると扉が勢いよく開かれて、

 

「チョコを食らえっす!」

「食べ物で遊ぶな」

 

 奇襲を見事にかわし、シャオンはアリシアの額にデコピンを喰らわせる。勿論、投げつけられたチョコレートは地面に落ちる前に片手で回収する。

 

「うぅ、痛い」

「珍しいな、お前が食べ物で遊ぶなんて」

 

 基本的には礼儀正しく、マナーもしっかりとしている彼女がチョコを投げつけるとはらしくない行動だ。

 額を撫でる彼女の前で包装を丁寧に剥がし、チョコレートを一つとりだす。

 ハートをかたどったそれは市販されているものとなんら変わりがないようなほどのでき前だった。

 それを見て味にも期待しながら口に入れるとチョコ独特の甘さが口の中に広がった。

 

「うん、美味いよ」

「そ、そうっすか! あ、あー。お、お返しは三倍返しで頼むっすよ‼」

 

 シャオンの褒め言葉と、笑顔にアリシアはしどろもどろになりながらも入ってきた時と同等の速さで部屋から飛び出す。

 部屋に出ても顔に残る熱は抜けることはなく、彼女が今夜眠りにつくのは遅くなりそうだった。

 ただ、少女がその気持ちに気付くまでには、もう少し時間がかかりそうだった。

 

 スバルがレムのチョコを食べ終え、日課のイ文字の勉強をしている最中に、扉をノックされた。

 集中していた際のノックにわずかにイラつきながらも誰かを尋ねる。すると、扉の外から小さな声が聞こえてきた。 

 

「スバル、今いい?」

「え、ええええエミリアたんっ!? どうぞどうぞ! 今でも過去でも未来でも!」

 

 意中の相手からの唐突な来訪に驚きを隠せず、よくわからない言葉で招き入れる。先ほどまであったわずかな苛立ちは初めからなかったように消えていた。

 部屋に入ってきたエミリアの姿は寝間着に近いものだった。

 それだけでもスバルには目の保養になるのだが、彼の関心はわずかに見える彼女が背後に持つ小さな箱に注がれていた。

 エミリアもそれを見て、隠し切れないと思ったのか素直に前に出す。

 

「ほんとは夜中に甘いものを食べるのはよくないんだけど」

「あの、多かったり、おいしくなかったらのこしていいからねっ!」

「大丈夫、大丈夫。君が作るものがまずいわけないじゃん!」

 

 笑顔でスバルはエミリアのチョコを口にする。

 焦げが残っていたりと、味は満点を出すことはできなかったが、彼女の手に残っていた努力の傷を見てそれすら気にならなかった。

 

 

 月明かりが照らす執務室。

 その部屋にも、来訪者が現れた。

 

「失礼します」

「おやぁ? 今夜はいつもよりも早いねぇ。まさか、私にチョコレートでもくれるのかーぁい?」

 

 入室してきたラムにくつくつと笑いながらロズワールは冗談を飛ばす。

 しかし、彼女はいつものように注意をすることをせず、一つの小箱をこちらに手渡した。

 

「流石です、ロズワール様」

 

 ラムがロズワールに手渡したもの。それはチョコレートだった。

 

「……これはこれは、驚いた。冗談だったのにまさか君が私にくれるとは」

「ラムが渡すとしたらロズワール様しかおりません」

「うれしいこと言ってくれるじゃーぁないの。これはスバルくんに感謝、かなぁ」

 

 珍しい彼女からの贈り物に、思わず笑みがこぼれてしまう。ピエロのメイクをしていなければ思わず素が出てしまいそうなほどの笑みを。

 スバルが考える催し物は驚くものばかりだが、今日ほど驚いたことはなかっただろう。そして、それはロズワールだけでなく屋敷の面々にもいい効果を与えたようだった、もちろん目の前にいる彼女にも。

 

「ええ。たまには、バルスも面白いことを考えたものだ、と思いました。ほんの少し、僅か程度ですが」

「そうだーぁね、チョコのお礼とは言わないけど今日はいつもよりも念入りに、供給をしよーぅか」

「――あ」

 

 そっと、彼女を抱き寄せ髪を撫でる。

 彼女はくすぐったそうな声を出し、そして――いつものように逢瀬が始まった。

 



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恋は盲目に、思いはいつかへ

 

「なーなー、あに」

「うん? どうしたんだい、テュフォン」

 

 緑髪の童女。傲慢の魔女テュフォンがシャオンの髪をいじりながら唐突にその名を呼ぶ。

 シャオンは彼女の髪をとかしながら呼びかけに応える。

 

「あには誰かから『チョコレート』をもらうのかー?」

「そういえばもう少しで誓いの日、か。いや、どうだろうね。僕のことを好いてくれる人なんてほとんどいないからね」

 

 愛の誓いの日。

 この日は想い人、友などに贈り物を贈る日だ。

 なかでも一般的なものはチョコレートではあるが花を贈る人もいるらしい。シャオン自体そこまでもらった回数が多くないので詳しくはないが。

 

「ならテュフォンがあげるかー?」

「ああ、それはうれしい。でも、無茶はしないでね」

「うー? わかった」

 

 妹は兄を想い、兄はそんな妹の思いを素直に受け取る。血はつながっていないが確実に兄妹の仲そのものだ。

 

「……」

 

 そんな仲睦まじい光景を見ていた魔女も、声をかけるのを躊躇うほどに。

 

 

「という訳だけど、カーミラ。アンタはどうすんの?」

「……はへ?」

 

 息も絶え絶えに、汗を滝のように流しながら桃色の髪を湿らせている女性。色欲の魔女カーミラはミネルヴァの言葉に震えた声で返事をする。

 

「……アンタねぇ、マナを移すのはいいけど無茶しないでよね!」

 

 彼女が今行っていたのはマナの貯蔵、マナをためることができる特別な石にマナをためていたのだ

 こうすることでマナを消費せずに使えるという訳だ。

 だがマナを込める時には結局消費されるわけなのでやりすぎれば無理がたたってしまい、体がもたないだろう。

 特に、そんな無茶をカーミラがしているということに驚いている。

 

「だって、こうしなくちゃ。しゃ、シャオンくんと、離ればなれに、なっ、ちゃう」

 

 カーミラがここまで必死になっている理由は一つ、『来たるべき日』のためだ。

 シャオンの模倣の加護の副作用で彼の命は刻々と削られていく。それだけでも厄介極まりないのに多くの生物と契約をしている彼の体はボロボロだ。

 しかもシャオンもカーミラも両方ともミネルヴァの権能では癒せない傷を負っているので彼女の機嫌も悪くなる一方なのだ。

 

「全く、恋は盲目って言葉がこれほど似合うことはないわ」

 

 彼女のやっていることは無駄ではない。

 だが、それで体を壊してしまっては結局シャオンに心配をかけてしまうことになるのだが目の前の魔女はそれすら気づいていないのだ。

 ただ、自分も同じ立場なら同じ行動をしていただろうと考えると馬鹿にもできない。無論、他の大罪の魔女たちも同じだろう。

 

「お互い、大変な人を好きになっちゃったわね。ほんとうに」

 

 彼女には聞こえない様に小さな声でつぶやく。

 勿論ミネルヴァとカーミラの好きは違う意味ではあるのだが、話を聞かない彼女には同じ意味にとられてしまうかもしれないからだ。

 

「結局、チョコはどうする……って、もう! 話を聞きなさいよ!」

 

 本題の答えを聞く前に再びマナの注入を始めたカーミラに怒るミネルヴァ。

 しかし彼女はそれすら聞こえていない様に熱心にマナを放出する。あれではよほどのことがない限り反応を示さないだろう。

 それを見てミネルヴァは、

 

「今年もあたしがアンタの代わりも作ってあげなきゃいけないのか」

 

 そう疲れた様に言った。

 ただ、ため息交じりに発せられたその文句の割に、彼女の顔は笑顔であったことを知る人物は当人も含め誰もいなかった。

 

 

 ミネルヴァが去った後、カーミラは少しの休憩を取り、またマナを込める。

 淡い光が桃色の魔石に取り込まれていく。魔法に精通しているものならば驚くほどのマナ量と、その幻想的な風景を見る者はいない。

 それが数分続いた後、流石の彼女も限界が来たのか倒れそうになる。

 

「シャオンくん」

 

 だが、倒れるわけにはいけない。倒れてしまっては彼が手の届かないところに行ってしまう。

 すんでのところで持ちこたえるが、これ以上の注入は命にかかわりそうになったので、仕方なく断念をする。 

 すると淡い光が空気に溶けるように消え去り、何事もなかったかのような風景に戻る。 

 カーミラは大きく深呼吸をし、汗でぬれた体をハンカチで拭く。そして落ち着いたころミネルヴァが言っていたことを思い出した。

 

「チョコ、かぁ。愛、の誓いの日もちかい、もん、ね」

 

 愛の誓いの日は女の子が好きな男の子にチョコを渡す日だ。

 それは人間だけでなく、亜人も精霊も、そして魔女にだって、カーミラにだって例外はない。

 

「シャオンくん……」

 

 想い人の名を愛おしそうに口にし、頭の中で彼の笑顔を思い浮かべる。

 それだけでカーミラの顔は紅葉し、心臓が強く脈打つ。

 初めて出会った日に一目ぼれをし、そこから彼女は彼にひかれていった。以前の自分では考えられなかった他者を思うこと、それがこんなにもドキドキするものとはカーミラは思わなかった。

 

「今年は、が、がんばって、チョコレートをつくるから、ね」

 

 彼の喜ぶ顔を思い浮かべ、疲労で震える体で、そう決意を固めたのだった。ただ――

 




一応この後
エキドナ作のチョコ――紅茶に合いそうなもの。
ダフネ作のチョコ――いっぱい食べれて、なおかつ大勢で食べられるもの。
ミネルヴァのチョコ――無難に美味しいチョコ
セクメトのチョコ――売っているチョコ(溶けかけ)
テュフォンのチョコ――白黒のチョコ
カーミラのチョコ――ハート形の少し歪なチョコ

これをシャオンはもらいました。 


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エキドナの誕生日!

今日が誕生日の彼女のために急いで作りました。短いです


「誕生日というものは嫌いだ」

「なんですかいきなり」

 

 ワタシの拗ねたような声に青年は呆れた様に答える。

 

「ワタシの誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死はワタシに向かって歩いている。確実にね、だからワタシは誕生日が嫌いだ」

 

 手に持ったティーカップを静かにテーブルに置き、目の前に弟子に語り掛ける。

 

「ワタシはまだまだやりたいことが山ほどある。この世界全ての知識を得て、この世界全ての未知を体感したい」

 

 だが、ワタシは不死身ではないのだ。ワタシの欲望が満たされることはない。

 

「誕生日というのはそれを実感させる最悪の日だ。勿論、生まれてきたことに感謝する、おめでたい日でもあることは否定しないけどね」

「そんなことより、主役なんですから急いでください」

 

 ワタシの主張をバッサリと切り捨て、彼はワタシの体を引っ張る。

 彼にしては珍しく強引な行動に目を白黒させてしまうが、彼はワタシのそんな様子を気にも留めずに無理やりワタシの体を椅子から立たせた。 

 

「まったく、これでワタシがダダをこねていたらどうしたんだい?」

「四肢をもいで運びます」

「……君も、やっぱり異常だね」

 

 迷いのなく、そして嘘偽りのない言葉に苦笑いをこぼしてしまう。

 ワタシ達魔女もだいぶ異質な存在ではあるが彼も彼で異質な存在だ。

 まぁ、そうでなければ魔女と付き合っていくことなど無理かもしれないが。

 

「皆待ってますよ」

 

 青年の言葉を受け、耳をすますと、

 

「ドナー? まだなのかー?」

 

 無邪気な魔女の声がワタシを急かし、

 

「あ、あのエキ、ドナちゃんが、来ないと。は、始まらないよ?」

 

 人を惑わす魅惑の魔女の声が優しく呼びかけ、

 

「もぐもぐ。別にい、急ぐ必要はないですよぉ。ドナドナがこなくてもぉ、おいしい料理はぁありますしぃ……もぐもぐ」

 

 生を堪能する貪食の魔女が食べ物を貪り、

 

「ちょっとセクメト! アンタこんな時でも寝ているの!? それにエキドナも早く来なさいっ! せっかくの料理が冷めちゃうじゃない!」

 

 怒りをぶつける癒しの魔女が地団駄を踏み、

 

「ふぅ、逆に。アンタはこんな時でも、ふぅ。怒っているのかい。はぁ、難儀なもんさね」

 

 安らぎを求めてさまよう怠慢の魔女が軽く流し、

 

「ほら、早くいきましょう」

 

 全ての存在を妬む、ワタシの弟子が促す。

 そんな彼らの元へ向かうと、ワタシの嫌いな存在もそこにはおり、こちらを見ていた。

 思わず眉をひそめるが、相手は気にした様子はなく、長い銀髪を撫で、小さな、しかし確実にワタシに聞こえる声で言葉を発した。

 

「――――誕生日、おめでとう」

 

 彼女の言葉を始めに、他の友人たちも祝いの言葉を口にしていく。

 すると、心のどこかで何かが満たされる感触に襲われ、暖かな気持ちに包まれる。

 きっと、これはうれしい感情なのだろう。この気持ちを抱いたのはいつぶりだろうか。ワタシはもう覚えていない。

 誕生日は嫌いだ、だが好きでもある。

 それを迎えると死は確実に近づき、だがそれと共に大事な思い出も増えていく。

 なにより ワタシには祝ってくれる友人がいることを、実感させてくれる。

 だから、案外、誕生日も捨てたものじゃないかもしれない。

 

「あ! 誕生日プレゼント用意していないじゃない! どうするのよっ!」

 

 その怒鳴り声に笑いながら「大丈夫だよ」と答える。

 ワタシが今欲しいものは一つ、この日々が長く続いていくことだ。

 他に欲しいものなど今はない。

 これが――強欲なワタシの、珍しくささやかな願いだ。

 




ミネルヴァ:7月20日。
セクメト:8月13日。
カーミラ;6月19日。
以上が現在わかっている魔女組の誕生日です。
ちなみにシャオンは4月10日。


とにかく、エキドナおめでとう。


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世界を汚す愛の贈り物

急いで作ったから雑だよ!
でも、伏線は山ほどあるよ!



魔女は必ず世界に厄介事を遺す。そしてーー魔女に付き添う寄り添い人も、例外ではないのだ。

 

 

「お疲れ、シャオン」

「あー、はい。お疲れ様です」

 

エキドナの声にシャオンは珍しくも気だる気な返事をする。

 

「どうだい、進歩の方は」

「上々、というより今日中にできますね」

 

エキドナは空中に浮かぶ、紫、ピンク、緑色をした三つの珠を見上げる

あれはーー人工精霊だ。

エキドナが作った方法とは別の、彼自身が作った精霊だ。

いったいどういう出来になるのだろう。

 

「マナも注入したし、擬似オドも無事安定。あとは、時間を待つだけです」

「流石、ワタシの弟子だね、上出来だ。少し、休んで来たらどうだい?」

「そうさせてもらいます……流石に疲れました」

 

あくびを噛み殺せずに、シャオンはのんびりと寝処へ戻っていく。

長い白髪が地面を擦っていくのが見えるが、不思議と彼の髪は汚れる様子がない。

どう言った仕組みなのか気にはなるが今は、別のことだ。

 

「さて」

 

シャオンが作った人工精霊、その役目はもう決めている。だが、本来の役割を果たすだけに終わらせるのはもったいない。

だから、エキドナは時期が来るまで、精霊達にいろいろな経験をさせようと決めていたのだ。

一つは、聖域に。ベアトリスとの親睦を兼ねて。

一つは、傭兵業を。色々な人を見させてあげるため。

そして、最後の一つは……エリオール大森林にでも連れていこう。

エキドナの判断が精霊達にどう言った影響を及ぼすのか、この先の未来を予想し、笑みを浮かべていると、背後から一人の女性が近づいてきたのがわかった。

 

「ミネルヴァ。どうしたんだい」

「ねぇ、エキドナ。今日のこと……大丈夫?」

 

憤怒の魔女である彼女は珍しくしおらしげにエキドナへ確認をとる。

 

「別にボカさなくても、シャオンなら今はいないよ。精霊を作るのに、思ったよりも力を使ったから体を休めているのさ」

 

「そう」

「……浮かない顔だね」

 

そういうエキドナも、先程とは違い表情はくらい。だってこれからやることを考えれば気落ちはする。勿論少しの楽しみはあるが。

 

「……みんなの贈り物を集めようか」

「……そうね」

 

あの魔女達が用意した贈り物がまともであるはずはないのだから。

 

 

目の前にあるのは六つの箱だ。この中に、魔女達が選んだ代物がある。

 

「さて、みんなに用意してもらったけど、誰の物から確認しようか」

「誰からでもいいわよ、結局最後まで見るんだから」

「ならまずはワタシからだ」

 

エキドナは箱を開け、一冊の本を取り出す。

白い、雪のような表紙をしたそれはどこにでもありそうな本だった。

 

「ワタシの贈り物は一般的な魔導書だよ」

「魔道書? アンタらしくなく、普通ね」

「魔を、導く書物だよ。普通の魔法が書いてある物じゃない」

「どういうこと?」

「開いてごらん」

 

言われるがままにミネルヴァは白いその書物をめくる。

他人へのプレゼントを開けてしまうことに罪悪感を抱くが、それは本の中身をみて掻き消えた。

 

「……白紙?」

 

最初のページには染み一つ記されておらず、なにもない。

慌てて他のページも捲っていくが、どれも同じ有様だ。

どう言うことかと、エキドナの方へ顔を向ける。

すると彼女はミネルヴァが期待通りの反応をしてくれたからか、得意気に説明を始めた。

 

「この本を手にしたら、その人にあった魔法が一つだけ記される。そして、それを扱えるようになったら別の魔法が……といったように鍛えるための本さ。これはマナの制御にも利用できる代物だ。彼には適しているだろ?」

「まぁ、確かにね。合格よ」

「君は何を用意したんだい?」

「新しい服よ。あの子ったら母親を見習ってか、着た切り雀もいいとこだもの」

 

ミネルヴァが箱から取り出したのは彼の髪とは正反対の漆黒の服。

袖は長く、手が隠されてしまうが布質はかなり上等なものだ。

幼くみられる彼もこの服に袖を通せばいくらかはマシになるのではないだろうか。

なるほど、彼女らしい相手を想った贈り物だ。勿論合格だろう。

 

「これでワタシ達のプレゼントは確認しあった。後は……」

 

問題児と言える残りの魔女達が用意したプレゼント。それに目を通さなければならない。

 

「まずはダフネのね」

「彼女がプレゼントを用意しているということに驚いているけど」

 

暴食の魔女。

その名の冠する通り、彼女は満たされない食欲にさいなまれている。

そんな彼女に他者へのプレゼントを用意する余裕などあると思っていなかったのだから驚くのも責められることではない。

 

「……果物?」

 

出てきたのは一房の果実だ。

なんの変鉄もない、ただ、うっすらとかじられている痕があり、彼女なりの葛藤があったことは予想できる。

ただ、なぜ果物なのだろう?

 

「どうする?」

「どうもこうもないね、彼女の性格を考えれば食べ物を分けるなんて、どういう意味があるかわかるだろう」

 

彼女が食べきらずに、誰かに譲った。それは彼女なりの想いが込められており、つまりは合格と言えるだろう。

 

「次はセクメトかな?」

「宝石ね、結構な代物よこれ」

 

紫色の箱から出てきたのは薄い桃色の宝石だ。

光に掲げると妖しげに光りはするが、まともなプレゼントではある。あるのだが……。

 

「あの子は気にしていないからいいけど、普通男の子に女性物の装飾品渡す!?」

「しかも、これ以前彼女が貰ったものだろうね。使用した形跡がある」

 

彼女が使っていたわけではないかもしれないが、どちらにしろ自分宛に渡された物を別の人への誕生日プレゼントに利用するのは何とも怠惰な彼女らしい。

これは合格かどうか悩みどころだがーー

 

「……妥協しよう」

 

駄々をこねればセクメトに殺されるかもしれない。

それだったら妥協するしかない。

 

「さて、残ったのは問題の二人だ。変なものでなければいいが」

「顔をにやけさせながら言っても説得力ないわよ」

 

どんな代物が出てくるのか、エキドナは歪んだ期待を浮かべながら箱を明けると出てきたのは、

 

「カーミラは……」

「これはーー日記帳?」

 

青色の蝶が描かれた黒表紙の本。

中には日付を書く欄以外はなにも記されておらず、一切の手付かずのものだ。

 

「思い出を記録するように、ってところかしら。一番の贈り物かもね」

「おや、珍しく詩的じゃないか」

「なによっ! わるい!?」

「別に悪くないよ……最後にテュフォンだね」

 

照れ隠しに怒鳴るミネルヴァをおいて、箱から出てきたのは青色の首飾りだった。

 

「なるほど、首飾りだね。彼女と色違いの」

「テュフォンの首飾りって、シャオンが上げたものだっけ?」

 

彼女がいつも首に下げ、大事にしていたのはシャオンからの贈り物だったはずだ。

そしてそれのお返しも込めて、この首飾りだろう。

 

「一番若い魔女が一番まともってどう言うこと?」

「……」

 

頭脳明晰のエキドナは、ミネルヴァの単純な指摘に閉口してしまった。

 

 

「意外にもみんなまともだったね。魔女としてはどうかと思うけど」

 

大罪の名を持つ魔女達以外からも彼宛に贈り物が贈られてきたが、すべて合格ラインを越える物であった。

 

「魔女だからって贈り物すら奇抜なものを送るとは限らないわよ」

「それもそうだ」

 

ミネルヴァの言う通り、普段が普段だからといってそれだけで判断されるのは心外だろう。

彼女達だって、乙女であることにはかわりないのだから。

 

 

 

強欲の魔女が彼の寝顔をみ見に姿を消し、残されたのは憤怒の魔女だ。

 

「……できるならば。あの子が、自分の価値を気づくときがーー」

 

一度首を振り、自らの発言を取り消す。この言い方ではシャオンと同じではないか。

ミネルヴァは、価値なんて言い方は好きではない。だからもっと単純に、

 

「ーー愛されているって気づくときがきますように」

 

憤怒の魔女は、珍しく怒りを抱かずに、静かに弟分を想うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー結局そんな願いは叶わず、魔女達は死に、彼もまた愛されていたことに気づかず死ぬことになるのだが。




人工精霊は
・純心
・天然
・クズ
だよ! 本編で出るのをお楽しみに!


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青と赤の蝶

一日遅れた、カーミラの誕生日回です。


 シャオンの目の前には一人の人間がいた。

 ただし、顔は詳しくは見えない。なぜならその人間は首から上が黒い靄がかかっており、先を見通すことが出来ないからだ。ただ、体つきから人間は女だと判断できた。

 そして、目の前の女の物語は進んでいく。

 女はどこにでもいる、生まれも育ちも平凡な村娘のようで、物語に出てくるような特別な能力もなければ、富や名声を持っている人物でもない。

 父母に愛され、兄弟に愛され、女もまた家族を愛する、極々普通の女、シャオンが彼女に感じた感想はそれだった。

 家の決めた許婚がいて、凡百の村娘と同様に定まった生涯を送り、終えるのだろう。

 シャオンは事情がわからないがそれでも彼女の纏う雰囲気からそれなりに幸せを感じているのだと察することが出来た。

ただ、そんな女の平凡は、村を訪れた下衆な権力者によって打ち砕かれる。

寒村であろうとも、権力者との間には拭いきれない格差がある。当然、要求は断れない。

 金も、食べ物も、なにもかもほしいものはすべて差し出さなければいけない。”女”もだ。

だが、不幸にも女は愛されていた。家族に、許婚に、村々の人々に。

女を要求したことをきっかけに権力者の横暴に耐えかね、人々の怒りは小さな火種をきっかけに燃え上がり、それはやがて戦火を生む。炎は延焼し、村々は軍となり、ついには権力者は館ごと焼き尽くされる。

 平穏だった光景が、あっという間に死と、肉の焦げる臭いがする光景に変化する。

 

「すごいね、人間の可能性というものを見た気がするよ」

 

 心の底から本当にそう思っているシャオンは素直に小さな拍手をする。だが、数回手を叩いた後には彼の関心は別のものへと移る。

 

「――ただ、普通の彼女にとってこの出来事はいいことなのかな?」

 

 たったの一晩で女の立場は大きく変わったのだ。英雄であり、姫であり、そして――民衆を誑かした魔女というものに。

  戦火は瞬く間に燃え広がり、やがて小国を、周辺国を、大国を焼き尽くす。その発端とされた女の存在は知れ渡り、人々は彼女を天上の美姫と噂する。

 だが実際の彼女はいたって普通の人間。そのことに誰も気付かない。家族も、許婚も、人々も、誰も女を見ていない。

 手を振れば歓声が、道を歩けば人波が、声をかければ感涙が、女へと向けられる。

 

「耐えられるかな? この期待に」

 

 結果がわかっていることからシャオンはつまらなさそうにつぶやく。

 当然、平凡な少女は大勢の期待に応えられない。だが世界はそんな事情を知ったことないとでも言いたいように進んでいく。

 燃え上がる首都、積み上がる死体、狂喜に打ち震える人々。

共に過ごした村人たちも、彼女を愛した家族も、女の幸福を願った許婚も。もう、誰も、どこにもいない。

 

 ――彼女は平和を、愛をなくし、血塗られた平穏と偽りの愛を手に入れた。

 

 望んでいない期待を与えられ、それ以外を失った彼女のとった行動は逃亡。そして、それをだれも止められない。

 勿論、干渉できないシャオンもただ見ているだけだ。

 ただ、その女がシャオンとすれ違う時に小さな声が彼女の口から発せられた。

  

「こ、こんなの『愛』なんかじゃ、ない」

 

 そんな声が聞こえたと同時に衝撃がシャオンの体を襲い、世界がひび割れ、崩れていった。

 

「愛ってなんだろうね」

「んー?」

 

 赤い果実をその小さな両手で掴み、童女は齧り付く。

 童女もとい傲慢の魔女テュフォンは兄であるシャオンの小さな言葉を聞き取り、伸びの入った声ではあるが再度聞く姿勢を見せている。

 聞かせるつもりはなかったのだが、こうなってしまってはごまかしがきかない。仕方ないので詳しい話をすることにする。

 

「いや、変な夢を見ちゃてさ。実は――」

「んー、あに疲れてるのか―? だめだぞー? 自分をたいせつにしないのはー」

 

 赤い頬を膨らませて怒っているように忠告する彼女。彼女の価値観では自らの体を大切にしないのは『悪』なのだろう。そして悪ならば彼女は肉親であろうと関係なく裁く。

 シャオンもそれは例外ではない。

 話は逸れたが、彼女に夢の内容を話したが、あまり反応はない。

 

「テュフォンにはわからないなー。そういうむずかしい話はドナに任せればいいぞー」

 

「でも先生は今は忙しいらしいし」

 

 自らの恩師を頭に思い浮かべるが彼女は彼女で忙しいらしく、多くの人と契約をしに行ったり何らかの魔法を研究しているようだ。

 だからエキドナに相談はできない。とはいっても、こんなことを相談できるような頼りになりそうな友人なんて――

 

「なにやってるの、アンタ達」

 

「――ちょうどよかった、ミネルヴァ。相談したいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 シャオンがミネルヴァにそんなことを言うのがよほど予想外だったのか、彼女はキョトンとした表情を浮かべたあと、意味が分からないと言いたいように首を傾げた。

 

 

 

 あのシャオンが自分を頼った。

 それだけで姉貴分であるようなミネルヴァは、うれしくなりやる気を出した。

 勇んでシャオンの話を聞いて、ミネルヴァはひとつの仮説を立てていた。

 魔女の中でも常識はあるほうかもしれないが、そこまで頭がいいわけではない彼女が立てた仮説だ、勘が9割を占めているといってもいい。だがそれでも抱いた仮説は筋は通っているものだ。

 

「アンタ、それって――」

 

――カーミラの過去なんじゃないの?

 そんな言葉が出そうになったが、彼女の事情を勝手に伝えてもいいのだろうかという優しさが言葉を紡がすことを止めた。

 

「何か知っているのかい?」

 

 眠ってしまったテュフォンを撫でながら期待の眼差しでこちらを見るシャオンにミネルヴァは首を横に振る。

 

「……いえ、たぶん気のせい」

 

 専門的なことはわからないが、ミネルヴァの直感だとそんな夢を見た理由はシャオンが今も巻いているマフラーにあるだろうと感じていた。

 カーミラのシャオンに対する想いは異常とも思えるほどに重い。そしてそんな彼女が彼を想って作ったマフラーだ、何らかの力があってもおかしくはないだろう。

 想いが、夢という形でカーミラの過去を映した、これがミネルヴァの考えた結論だ。しかし、証拠はないし、合ったとしても個人的事情を伝えられるほどミネルヴァは無神経ではない。腹は立つが。

 

「……ごめんなさいね、残念ながらあたしにもわからないわ」

「そっか」

 

 僅かに顔を曇らせるのを見て罪悪感が襲うが、何とか堪えて別の話題を出す。

 

「それより、アンタ近いうちに彼女への贈り物をちゃんと用意しているんでしょうね!」

「ああうん。ちゃんと高価な贈り物を……」

 

 彼女というのは色欲の魔女カーミラのことだ。

 真面目なシャオンのことだから当然用意はしていると予想できたが、念のために聞いたのだ。まぁ、それも結局意味がなかったようだが。

 しかし、シャオンはミネルヴァの問いに答えてから何かを考え込むような姿で固まっていた。

 

「シャオン?」

「……いやなんでもないよ」

 

 何かを隠すような、悩むような表情を浮かべながらそう答えた弟分に若干の不信感を覚えながらも、ミネルヴァは追及することはなかった。

 

 

 

 カーミラは不機嫌そうに頬を膨らませ、僅かにではあるが涙で顔を濡らしていた。そんな彼女を普通の人間が見れば心臓が止まり死に至るだろうが、今は彼女の周囲に人はいない。いたところで彼女は気にしないだろうが。

 

「カーミラ」

「あ、しゃ、シャオンくん」

 

 カーミラは自らの誕生日を祝ってくれなかったシャオンくんに対して疑問と、見捨てられたかもしれないという恐怖を感じ、僅かながらの怒りも感じていたのだ。身勝手ではあるが彼が彼女の誕生日を祝ってくれるのが当たり前だと考えていたからだ。

 そんな彼女の機嫌が損なった原因と出会い

 そんな彼女の複雑な心情を気にした様子もなく、シャオンは小さな小箱を手渡した

 

「一日遅れだけど、キミへの贈り物だ。誕生日おめでとう」

 

「あ、あけても……いい、の?」

 

 小さく頷くシャオンをみてカーミラはゆっくりと丁寧に箱の包装を解く。

 中から姿を現したのは一つの”蝶”だ

 といっても本物の蝶ではなく、精巧に作られた髪飾り。青色の、透明感のある大きな蝶の髪飾りが箱の中に入っていたのだ。

 

「僕が一日マナを込めて作ったものだ。そのせいで、とは言いたくないけど当日に渡せなくなってしまったんだ。ごめんね」

 

カーミラは箱と、シャオンの顔を何度か見比べようやく状況を把握できた。どうやら彼は昨日、つまりはカーミラの誕生日の間一日マナを注ぎ込んでこれを作ったのだと。

 でも、なぜそんなことを? 彼のことだから何か用意はしていたはずだろうに。その思いが彼にも伝わったのか彼も首を掻きながら恥ずかしそうに答える。

 

「うーん、なんでだろうね。ただ、本当になんとなくだけど一から想いのこもった贈り物を渡したくなったから?――まぁ、あの夢を見たからなのかな?」

 

「夢?」

 

「気にしなくていいよ、それよりつけてみないのかな?」

 

 シャオンは珍しく、カーミラの追求を避けるように話を逸らす。カーミラもカーミラで贈り物をもらったことでそこまで気になる案件ではなくなったので突っ込みはしない。

 

「お、お揃いの”蝶”の髪飾りに、な、なるのかな?」

 

「うん? ああそうだね。ボクがつけているものと色違いだね」

 

 そう言われて初めて気づいたのかシャオンはその白髪の中にある一つの赤色――カーミラに渡した青色の蝶の髪飾りとは別の髪飾りに手を当てる。

 

「……まぁ、偶然かな?」

 

「そ、そうなの?あ、そうだ……つけて、くれる?」

 

「――勿論」

 

 一日遅れの誕生日。

 カーミラにとって大きな出来事ではあったがそれだけではない――すべてに平等だった青年の精神が揺らいだのだから。

 




うん、まさか体調崩して投稿が遅れるとは思わなかった、すみません。


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終わりのない一日は怒涛のように
テンプレは通用しない


リアルが少し落ち着いたので投稿します。


――体が動かない。指先をピクリと動かすことさえ厳しい。

「あぁ」

 

 本能が赤いそれを欲しているのがわかるように体の中から腹の虫が唸り声を上げる。

その大きな声に周囲にいる人達は笑い声を押し殺すようにしていたり、呆れていたりと様々な反応をしている。原因は二人の男だ。

一人は帽子のように布を頭に巻いた強面の男性。その顔の造形と比例するように体も筋肉隆々だ。

 対するのは一人の女顔の青年だ。

糸目がちな眼には若干の隈があり、疲労が目にとれてわかる。また後ろ髪が長く、腰に届きそうなほどのものをひとくくりにしている。白色のパーカーを身につけ、紺色のジーパンをはいている。

良く言えば浮世離れした、悪く言えば周囲の空気に馴染めていないといった服装だ。

 強面の男性がため息を交えて青年に語り掛ける。

 

「……どれだけいたって金がねぇなら売れねぇよ。ほら、どいてくれ!」

「あぅ」

 

 腕で払った際に体に腕が当り、軽く吹き飛ぶ。男も飛ばすようなつもりはないようだったのかびっくりとしている。

しかし周囲からは強面の男が男を突き飛ばしたようにしか見えないのだ。当然周りからは非難の目が注がれる。その空気に耐えられず男は青年に店先の果物を袋に詰めて渡す。

 

「……ほら、兄ちゃん。これやるからさっさとどっか行ってくれ」

「お、おおお!! いいのか? いいんだよね!?」

 

 青年は先ほどまでの死にかけていた表情から一転、驚きとともに倒れていた体を起こして店主の手を握り感謝の意を示す。

 

「べ、別に兄ちゃんのためじゃねえよ、それにわざとじゃねぇが突き飛ばしちまったし。そこにいつまでもいられたら迷惑だし何より俺が悪者扱いされそうだ」

 

「謝謝! スパシーバ!  サンキュー! ありがとう!」

「意味の分からないこと言ってねぇでさっさとどっかいってくれ」

 

 シャクリとリンゴ、もといリンガに音をたててかぶりつく。いささか行儀が悪いが果物はやはりこう食べるほうがおいしく感じるのだ。

 

「お兄さん、名前は?」

「カドモンだよ」

 

リンガを芯ごと飲み込み店主の名前を聞いて改めて礼をいう。

 

「ありがとうございました、カドモンさん。俺の名前は雛月沙音(ひなづきしゃおん)。今度はちゃんと買いに来るよ!」

「おう買いにこいこい、っとほらいい加減どけ! ……兄ちゃん、見ない服装だな。リンガいるかい?」

 

 そういうとカドモンはシャオンを視界から外し、新たな客に声をかける。

 

「リンガ?」

 

 その声は男の声だった。高校生くらいのまだ若さを感じるような声でカドモンの呼び込みに不思議そうな声を上げる。シャオンはリンガを新しく取り出し、声の主の姿を目にする。

 黒色のジャージにコンビニ帰りだろうか、買い物袋を右手にぶら下げている。シャオンと同じく黒髪、黒目だがシャオンの糸目とは違いつり目気味の目は人相が悪いといえるかもしれない。

そんな男はズボンのポケットからいくつかの小銭を取り出しカドモンに渡す。

 

「これで買える?」

 

 男が出した小銭は少ないが少なくとも果物一つは買えることができるくらいはある。しかし、

 

「――ここはルグニカだぜ? こんなんじゃ買えねぇよ」

 

 カドモンはその金を不機嫌そうな表情で押し返す。その様子をみてシャオンは二人の会話に混じった。

 

「カドモンさん。そんなこと言わずに」

 

 にこやかな笑顔で近寄るシャオンにこめかみに筋を立てながらカドモンはにらむ。

 

「お前さんに分けてさらにこの兄ちゃんに分けたら俺の店は赤字だ。お前さんがわけてやればいいだろ?」

「おー! それは名案だね」

 

 わざとらしいぐらいにポン、と手をたたく。そして男に近づき小声で話しかける。

 

「それじゃここじゃ邪魔になるし行こうか、異世界に来たお仲間さん?」

 

 シャオンの一言に目つきの悪い青年は驚いていたがうなずいてくれた。

 

 カドモンの店から少し離れた路地裏の段差に腰掛けながら青年と状況を確認する

 

「で、状況の整理をしたいわけなんだが、ここは異世界、俺は召喚or転生された。ってことでOK?」

「オーケー。ついでに君が主人公だろうね」

 

 青年の確認にリンガにかぶりつきながら答える。

 

「まじか、俺そんなに主人公力でてる?」

 冗談で言った言葉に思ったよりも乗ってきたのでシャオンもふざけ返す。

 

「マジもマジ、引きこもりでニートっぽさが隠れきれずに醸しでてるその姿はまさしく主人公!」

「おおよそ主人公っぽさが出てない気が済んだけど!?」

 

 大声で突っ込みしてくる男に笑う。そんなシャオンの様子を見て男はあきれているような表情を浮かべる。

 

「それにしたってお前……そういや自己紹介してなかったな。俺の名前は菜月昴(なつき すばる)!無一文の高校生! よろしく!」

「おー」

 

 片手を腰に当て、もう片方の手の指を立てて自己紹介をするスバルと名乗る青年のノリに付き合い、パチパチと拍手で自己紹介を称える。スバルはその拍手に応えながら照れ臭そうに笑う。

 

「ではではこちらも」

 

 くるりと一回転し、同じく指を立てて自己紹介をする。片手はリンガの袋を持っているのでふさがったままだがそれ以外はスバルと同じポーズで宣言した。

 

「俺の名前は雛月沙音(ひなづきしゃおん)!無一文!趣味はネットで習った拳法! 免許皆伝まではまだ遠い!」

 

 そう名乗り上げるとともに食べかけのリンガを口に含む。

 

「さっきからよく食うなぁ、リンガ? だっけ。というかなんでシャオンはそんな空腹になってたんだ?元いた世界……日本だよな? いや、そもそも地球?」

「まぁいろいろあったのさ。もう少し好感度が高ければ固有イベントに入って教えてあげていたんろうけど」

 

 ケラケラと笑う。さすがにスバルもシャオン自身があまり聞かれたくない内容なのだと察したからか突っ込まないようだった。

 

「さてふざけるのもここまで、お互いの情報整理といきたいが」

 

 シャオンの雰囲気が変わったのがスバルにも感じられた。

 

「そうは問屋が卸さないらしい」

 

 シャオンはやれやれといったように肩をすくめながら路地の奥側に視線を移す。スバルもそれに倣うようにそちらを向く。

 

「強制イベントかよ」

 

 スバルは苦笑いしながらつぶやく。その気持ちはわかる。なぜならガラの悪い三人の男たちがこちらに対してにらんでいるからだ。その目はどうみても友好的なものではないのがわかる。たとえるならば獲物を狙う肉食動物のそれだ。

 

「なにいってんだこいつら?」

「頭イッテんじゃねぇの?」

「おい兄ちゃんたち身ぐるみ全部寄越したらすぐ解放するからおとなしくしろよ?」

 

 ごろつきたちが若干ながら可哀想な目で見てくるが要は追剥のようだ。

さて、どうしたものかとシャオンはうなる。数は相手のほうが多い。それに加えて相手が武器を持っている可能性、異世界というなら魔法が使える可能性もあるとしたらこちらはかなりの不利といえる。

 なにかで一瞬気をそらし、人が多い道に向かうのが最適だろうか? そこでもう一人の追剥被害者のスバルに意見を求めようとしてみると彼はなぜか自信満々に笑い、

 

「ふふふ辛辣な評価するのも今のうち、逃げ出すのも今のうちだぜ?」

「ちょっ!スバルさん?」

 

 ごろつき達になぜか挑発をするスバルにシャオンは慌てる。先ほども思ったが相手は三人、こちらは二人。数の差はそこまで多くはないが向こうのほうが一人多いのだ。下手に逆らうと危険なのはスバルもわかっているはずだろう。しかし、

 

「大丈夫だって! きっと俺には異世界に転生した際に得たチート能力が……!」

 

 自信満々でサムズアップしてくるスバル。どこからそんな自信がわいてくるのか分からないがそういうことらしい。

どちらにしろもう相手は挑発にのりヤル気満々だ。ならばスバルに任せてみようとシャオンは一歩身を引いて事の成り行きを見守ることにした。

 

「先手必勝!」

 

 男たちが動くより先にスバルの先制攻撃が入った。懐に飛び込んで渾身の右ストレート。先頭の男の鼻面を見事に直撃し、当たった相手の前歯が理由で拳骨から血が出る。だが男も無事ではない。

殴られた男は鼻血を出しながら地面に倒れ、動かなくなった。そのまま感情に任せて、スバルは驚いている別の男にも躍りかかった。

 

「食らえ! 引きこもりの暇な時間を利用して習得したハイキック!」

 

「ぐはっ!」

 

 弧を描くスバルの足先が男の側頭部を打ち抜き、壁に叩きつけて二人目を悶絶させる。

 

「ほぉ」

 

 思いのほか好調な戦いぶりに、スバルが言うチートが本当にあるように思えた。これだったら何とかなるかもしれない。

 

「やっぱこの世界だと俺は強い設定か! アドレナリンだばだばでこれは勝つる――っ」

 

 勇んで振り向き、最後の男を叩きのめそうとスバルは身をかがめた。が、その最後の男の手の中にきらりと光るナイフを見つけた瞬間、かがめた体が沈み、

 

「すみません俺が全面的に悪かったです許してください命だけは――!」

 

 ――土下座。それは相手に対して降伏を示す、最大にして最低の和の心だ。その和の心をナイフの男にスバルはそれまた見事に表した。

 

「ってそんなこと考えてる場合じゃねえ! おい、スバル!何してる!?」

 

 気付けば一撃食らわして倒したはずの二人も復活している。それぞれ鼻血の垂れる顔を押さえていたり、くらくらする頭を振ったりしているが、それ以外は元気そうだ。

 

「あれ!? 俺無双の攻撃でダメージ小ってどゆこと!? 召喚もののお約束は!?」

 

「なにわけわかんねえこと言ってやがる! よくもやってくれやがったな!」

 

 先に攻撃された形の彼らには容赦がなく、おまけに元の世界と違ってチンピラが命を取らない保障はない。このままなぶり殺しにされる可能性も十分にある。

 ――いっそ玉砕覚悟で暴れるか。

 

「動くんじゃねえよ、ボケ!」

「あたたたたた! 痛い痛い痛い!! タンマ! タンマ!」

 

 立ち上がろうとするが、思い切り掌を踏みにじられて悲鳴しか出ない。

 唾を飛ばしてがなる男が怒りで顔を真っ赤にし、持ったナイフを逆手に持ちかえるのが見えた。

 

「ふざけた真似しやがって……」

 

 大男が乱暴な足取りでスバルに近づき、蹴りを入れる。その体はスバルよりも大きく、当然威力もかなりのものだ。だが、手を踏まれているので吹き飛ぶことはなく、衝撃を逃がすこともできなかった。鼻から熱いものが流れるのがわかる。骨も折れているかもしれない。

 奥を見れば先ほど蹴り飛ばした男も起き上がってくるのが見えた。彼もこのリンチに加わるのだろう。

 

「か、金目の物が目的ならぶっちゃけ無駄だぜ。なにせ俺は文無し……!」

 

 せめてもの意地と、興味をなくす可能性にかけ虚勢を張るが男は鼻で笑う。

 

「なら珍しい着物でも履物でもなんでもいーんだよ。路地裏で大ネズミの餌になれ」

 

 男が邪悪な笑みを浮かべるのを見て、スバルはもう自分は長くないことを察した。

このまま痛い目にあって、大ネズミとやらのファンタジー的モンスターに食われるのだろう。こんな人通りの少ない路地では助けが来ることも期待できない。

――ああ、何もないまま自分はここで終わるのか。

 スバルが恐怖に涙をこぼすと、

「――リンガはあるよ。くうかい?」

「あ?」

 少し高めの声が聞こえた。 完全に意識外からの声だったからか大男は気の抜けた声を出す。男がこちらを振り返るのと同時に右手で掌底を顎に当てる。音は軽い、しかし効果は十分あったようで男の体は宙に浮き、後ろに吹き飛ぶ。

 

「おぉ」

「ひっ!」

 

 小柄の男が小さく悲鳴をあげる。変に警戒されても面倒なので素早く相手の頭に踵落としを決めようと

近づく。小柄の男はポカンと口を開けたままよけようとしない。その様子を見てもシャオンは一切動作を止めず踵を高く上げ、振り下ろす。あのまま行けば男は気絶するだろう。しかし踵が男の頭に直撃する数センチ手前、

 

「う、動くな!こいつがどうなってもいいのか!」

「定番のお脅し文句! スバルさん的にはもう少しひねったほうがよろしいですよ!?」

 

 背後から声が聞こえ、おろそうとした足を止めて後ろへ振り向くと地面に押さえつけられたスバルの首もとに男がナイフを当てていた。そのナイフはみるからに切れ味が良さそうで、少しでも動かされればスバルから噴水のように鮮血が飛び出るだろう。

 スバルとの距離は少し離れている、どうやっても間に合わない。

 小柄な男を倒すためにスバルとの距離を置かず、まずスバルを助ければ良かった。

 

「はぁ……まだまだだなぁ」

 自分の判断ミスにため息をつきながらシャオンは両手をあげ抵抗の意思はないことを示した。

 

「おらぁ!」

「がっ!」

 

 その瞬間先ほど踵落としを決めようとした男が勢いをつけてシャオンの足に蹴りを食らわせる。小柄とはいえ勢いをつけられればそれなりの威力になる。シャオンは耐えきれず地面に倒れこむ。だが倒れこんだ後も男の攻撃の手は緩むことはない。

 

「さっきはよくもやったな?」

 

 その声とともに顔を上げると掌底を当てた男がふらつきながらもこちらをにらみながら見下ろしていた。当然だ。人間はあれぐらいでは意識を失わせることはできない。シャオンが武術の達人なら話は別だがこちらはその域まで到達していない。

 暴力の雨が二人に降り注ぐ中、シャオンの心の中で怒りが沸き上がっていた。その怒りはこんな事態になった原因であるスバルに対してではない。自分の力不足、甘さに対することに対する怒りだ。

――もっと自分に力があれば、もっと圧倒できる力があったら。

 そんな悔しさとともに怒りを噛み締めていると満足したのか男たちの暴力が止まる。

 

「はっ! 手間かけさせやがって」

 

 ずっとこちらに攻撃していたからか息を切らしながら悪態をつく。そして終いだとでもいうようにナイフを掲げる。

 振り下ろされそうなナイフを見て、そんな現実逃避がぽつりと思い浮かぶ。走馬灯とかは特に見えず世界がゆっくりに見える現象もなし。ぷつりと糸が切れるように終わる――そのときだ。

 

「ちょっとどけどけどけ! そこの奴ら、ホントに邪魔!」

 

切羽詰まった声を上げて、誰かが路地裏に駆け込んできた。シャオンはスバルとともに動かない体で視線だけ持ち上げる。その視界を少女が横切っていく。

 セミロングの金髪を揺らす、小柄な少女だ。意思の強そうな赤い瞳に、イタズラっぽく覗く八重歯。太陽みたいな明るさを持っているみたいだなぁ、とシャオンは思った。

そんなイメージの着古した汚い格好をした少女は、今まさに強盗殺人が行われる現場に出くわしたのだ。友人に進められた異世界ものの小説ではこういった出合いで少女が助けてくれるのがテンプレらしい。

 

「なんかスゴイ現場だけど、ゴメンな! アタシ忙しいんだ! 強く生きろよ?」

 

「って、ええ!? マジで!?」

 

 だがしかし、そんな希望は儚く砕け散った。目が合った少女は申し訳なさそうに手を上げ、走る勢いを殺さないまま細い路地を駆け抜ける。男たちの後ろを素通りし、行き止まりのはずの奥へ。

当然、壁が脆い素材で作られてなければ少女は激突して怪我をしてしまうだろう。だが、ここは異世界なのだシャオンの常識が通じるわけない。

 

「よっと」

 

 そのまま袋小路に立てかけてあった板を蹴り、身軽に壁のとっかかりを掴むとあれよという間に建物の上へと消えた。少女の姿が見えなくなり、自然と場に沈黙が落ちる。

 まさに台風のように過ぎていった少女。残された5人は全員唖然としている。我に返ったスバルがごろつきの一人に提案をする。

 

「今ので毒気が抜かれて気が変わってたりしませんかね!?」

「むしろ水差されて気分を害したな。楽に逝けると思うなよ?」

 

 そんな提案認められるわけもなく、低い声で脅される。ぎらつくナイフ男の目がマジなので、今度こそ終わったなとシャオンは思う。

未だに手は男に踏まれたまま。当然立ち上がろうにもワンテンポ遅れる。絶体絶命とはまさにこういうのだろう。

 シャオンは自分が案外落ち着いていることに驚き、そして若干ながら納得もしていた。元いた世界でも自分のことに関してあまり気にしていないといわれていたのだ。

 ――だから今ここで殺されようともまるで他人事のように思うのだろう。

 

「あーでも、痛いのはいやかなぁ」

 

 別に死ぬことに恐怖など微塵も感じていない。だが痛い死に方は嫌なのだ。最後にこれぐらいの望みはかなえてくれないか神に祈りながらあきらめるように目を閉じる。そんな中――

 

「――そこまでよ、悪党」

 

 一人の少女の声が聞こえた。




シャオンの見た目は胡散臭い若い中国人みたいな見た目です。たとえるならばとある魔術の禁書目録の青髪ピアスの髪が長い版みたいな。イメージができない方は検索! 



 もし間違い、誤字がございましたら連絡を。またアドバイス、要望もございましたら気軽にどうぞ。

※六月十九日
シャオンの見た目について書き忘れがありましたので修正しました。


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メインヒロインは銀髪少女?

 鈴を転がすような声に聞き惚れ、その声以外の音は聞こえなくなった。

そしてその声の持主を目にすると再び、体が固まった。この世のものとは思わない、いや思えないほどのどこか世界から浮いているほどの美貌の少女だった。

 整った顔立ちもだが何よりも目を引くのは銀髪だ。まるで雪のような白さをしたその髪は腰にかかるほどの長さだ。しかしそんな長さでも手入れは怠っていないというのが見てとれる。それほど彼女は綺麗だったのだ。

 次に目をひいたものは通常よりも尖った耳、いわゆるエルフ耳というやつだ。この世界にはきたばかりだが人外は街中である程度見てきた。しかしエルフを目にするのは始めてだ。

 

「綺麗……」

「ああ、そして今度こそ助けてくれそうだ」

 つい口からこぼれた声は彼女に届くことはなく、隣で自分と同じくボロボロになっているスバルの同意を得ただけだった。

「エルフってやっぱ、綺麗なんだな」

 スバルのこぼした言葉に銀髪の彼女は紫紺の瞳でこちらを睨み付ける。

「おいスバル。なにか機嫌を損なったようだぞ?」

「んなこといわれても俺にはわからない」

 

 スバルが狼狽える中、シャオンはあることに気づいた。

 

「見てみろよあの羽織ってるコート」

 目線の先には鷹に良く似た鳥の刺繍がされているコートがある。それは素人目から見ても荘厳で高価なものだとわかるほど見事な出来だ。スバルもそれを見てシャオンの言いたいことが理解できたようだ。

 

「この世界で言うところの貴族的な?」

 

「可能性はありそう」

 

 その証拠にシャオンたちを蹴っていたゴロツキ達も動きを止め若干ながら顔を青ざめている。目の前の少女が貴族であることは確実ではないがこの世界の住民である彼らにとってもあまりかかわり合いたくないような存在であることには違いない。

 

 

「んで機嫌を損なったようなスバルくんは首をおとされ哀れ、大ネズミの餌に」

 

 首を切るようなジェスチャーをするシャオン。スバルは叫ぶ。

 

「縁起でもねぇこと言わないでくれよ相棒!」

「すいません、貴族様に喧嘩売る相棒は俺にはいませんね」

 そんなやり取りをしていると銀髪の彼女はジト目でこちらを見つめる。

「意外と元気そうね貴方達。それよりも、それ以上の狼藉は見過ごせないわ」

打って変わってキリッとした表情でゴロツキを問い詰めるように睨む。

「今ならだれにも話さないから盗ったものを返して」

「ん?」

手を突き出す彼女の姿と話している内容に違和感を感じ、

 

「お願いだからあれだけは返して。あれがないと私、とーっても大変なことになるの」

「ま、待ってくれ!話が食い違っているとおもうんだが」

 

 男達がシャオンたちを指差し少女に訊ね、

 

「こいつらを助けに来たわけじゃ?」

「悪いけど、知らないわ」

 

残酷な結果になった。

 

「はぁ」

 

途中からわかっていたが予想通り、彼女は正義感溢れて自分達を助けに来てくれたわけではなかったようだ。つまり状況はいまだに変わらず。

 だったら生き残るために次にすることは決まっている。

 

「スバル、俺がスキを作る。だからその間にカドモンさんのところか誰か、そうだな……できれば人が多いところに向かってくれ」

「おい、それって……」

 

――シャオンが囮の役目をすることだ。

 流石にこいつらも大勢の人がいるところで暴力を振るうほど馬鹿ではないだろう。

 

「生き残る確率をあげるためさ。それに脚痛めてな。俺じゃ逃げ切れん可能性ある」

 チラリと足を見ると赤く腫れているのがわかる。これでは走ってもすぐに追い付かれてしまうだろう。それでもスバルは納得が行かないようで首を縦にはふらない。

 その様子にシャオンはスバルは優しい人間だということがわかり、苦笑する。

 

「なんだその顔、お前が生き残れる可能性は高いんだぞ? ま、大丈夫。こっちも死にはしねぇよう頑張るから、頼んだぜ?主人公?」

「……くそ」

 その言葉でようやくスバルは小さく頷く。

 

「確かに彼らは盗った子とは関係ないみたい……だったら急がないと」

 会話が終わったのか、彼女が踵を返し、ゴロツキ達が安堵の息を漏らす。今ならこちらを気にしている様子はない大きく息を吸い、力をいれて踏みつけられている足を持ち上げようとしたその瞬間。

 

「――でも、それはそれとして見過ごすことはできないの」

 

 振り返りざまにこちらに掌を向けた少女――その掌から、飛礫が立ち尽くす男たち目掛けて放たれていた。

 硬球が肉を打つような鈍い音が三つほど鳴り、男たちが短い悲鳴を上げて吹っ飛ばされる

 

 男たちに命中し、シャオン達の傍らに甲高い音を立てて落ちたのは氷塊だ。

 拳大の大きさの氷の塊――物理現象を無視して生じた物体は、その役目を果たした途端に大気に溶けるのではなく食まれるようにして霧散する。

 

「魔法?」

 スバルの口からとっさにこぼれたのは、今の現象を説明するのにもっとも適した単語だ。詠唱もなにも聞こえなかったが、今の氷は少女の掌から生まれて打ち出されていた。

 こうして目の前で実際にその情景を見て、初めてわかったことがある。

 それは、

 

「思ったより、幻想的な感じじゃないな……がっかりなリアル感だ」

「漫画だとフワフワな子犬が実際にさわると意外とごわごわしているみたいな?」

「そう、そんな感じ」

 

 スバルの言う通り光が散ったりだとか、エネルギーがはっちゃけたりとか、そういうイメージだったのに。実際には無骨な氷が急に生じて、急に消える。情緒もクソもありはしない。残念だ。

 

「やって……くれやがったな」

 

 そんな感想はさて置き、その一撃を受けた側のダメージは甚大だ。だが戦意を喪失させるまではいかず、足をふらつかせながらも男が二人立ち上がる。ひとりは打ちどころが悪かったのか昏倒しているものの、残りの二人は流血こそしているが健在。ナイフ男とは別の男も、その手には錆びの浮いた鉈のような獲物を握って臨戦態勢だ。

 

「こうなりゃ相手が魔法使いだろうがなんだろうが、知ったことかよ。二人で囲んでぶっ殺してやる……二対一で、勝てっと思ってんのか、ああ!」

 

 片手で曲がった鼻を押さえながら、半ばやけになりながらナイフの男が怒声を張り上げる。

 確かに少女が魔法を使えても数ではいまだ不利のままだ。なんとかして手助けをしたいが、先ほど男達にやられた傷が痛み、動きが鈍る。下手をすれば足を引っ張ってしまう。どうするべきだろうか?悩んでいる中状況は一刻と過ぎていく。

 

 しかしシャオンやナイフ男とは真逆に少女は冷静な反応を示す。

 

「そうね。二対一は厳しいかもしれないわね」

 

「じゃ、二対二なら対等な条件かな?」

 

 少女の声を引き継ぐようにして、中性的な高い声が新たに路地の空気を震わせた。

 驚きながらシャオンとスバルは視線をさまよわせる。同様の反応は男たちにも見られた。路地の入口にも、当然路地の中にも、その声を発した人物らしき姿はない。

 戸惑い、困惑する中、見せつけるように、少女が左手を伸ばす。

 上に向けられた掌、その白い指先の上に『それ』はいた。

 

「あんまり期待を込めて見られると、なんだね。照れちゃう」

 

 そう言ってはにかむように顔を洗ったのは、掌に乗るサイズの直立する猫だった。毛並みは灰色で耳は垂れ、鼻の色がきれいな、艶のあるピンク色、そして妙に尻尾が長い。その奇妙な猫の姿を見て、ナイフ男がその顔に戦慄を浮かべて叫ぶ。

 

「――精霊使いか!」

 

「今すぐ引き下がるなら追わない。すぐ決断して、何度も言うけど急いでるの」

 

 少女の言い分に口惜しげにしかし舌を打ち、男たちは昏倒する仲間を担ぐと路地の外へ向かう。スバルをまたぎ、隣を抜けるときに少女をちらりと振り返り、

「くそっ!その顔覚えたからな!」

 

「この子に何かしたら末代まで祟るよ? その場合、君が末代なんだけど」

 

 恫喝は精一杯の矜持だったのだろうが、それへの返答は軽い口調ながら恐ろしいものだった。

 手乗り猫、いや精霊はへらへらとした態度だが、男たちはそれまででもっとも顔色を青くして、今度こそ無言で雑踏の方へと駆けていく。

 それきり彼らの姿が見えなくなると、この路地に残るのは少女たちとシャオン達だけだ。

 

「――動かないで」

 

 体の痛みも忘れて体を起こし、とにかくお礼の言葉を。そんなことを考えていたが少女は情を感じさせない冷たい声で言った。

 彼女の瞳には警戒の色が濃い。こちらが男たちと別口だとは理解していても、その存在が善であるとは欠片も思っていない、そんな目だ。

 それはそれとして、こちらを見る彼女の紫紺の瞳は魅入られるように美しい。例えるならばありきたりだが宝石のようだ。ちらりと横を見てみるとスバル顔を赤くして、目をそらしていた。恐らくあちらの世界で女性と面識があまり盛んではなかったのだろう。

 そんなスバルの仕草にシャオンと少女は笑う。しかしシャオンの笑みは呆れの意味、対する彼女は警戒の眼差を秘めた不敵な笑みだ。

 

「やましいことがあるから目をそらす。私の目に狂いはないみたいね」

「どうかな。今のは健全な男の子的反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」

 

「もう! 黙ってて。あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」

 

 小猫を黙らせて少女はスバルに問いを投げる。近年まれに見るドヤ顔だ。しかし、

 

「期待されてるとこ悪いけど、全然知らないんだよねぇ」

 

「嘘っ!?」

 

 そのドヤ顔が崩れると、その下から少女の素の表情がちらりと覗く。先ほどまでの凛々しい態度もどこへやら、慌てふためく。そもそもスバルが言ったことを疑いもせずに信用するなんて思ったよりも彼女はお人好しなのかもしれない。

 

「いや、俺らを助けた辺りお人好しなのは確定か」

 

シャオンが呟いた言葉は彼女には届いておらず、ただ手の平の猫に話しかけていた。

 

「ど、どうしよう。まさか本当にただの時間の無駄……?」

 

「その状態も刻々と進行中だけどね。急いだ方がいいと思うよ。逃げ足が速かったから、きっと風の加護があるよ」

 

「なんでそんなに他人事なの、パックは」

 

 不機嫌そうに頬を膨らませる少女に猫はやれやれと言ったように首を降る。

 

「手出し口出し無用って言ったのそっちなのに。それと、あの子たちはどうする?」

 

 思い出したように話題の焦点がこちら側に戻ってきてスバルは苦笑、そして虚勢を張って立ち上がり、

 

「助けてもらっただけで十分だ。急いでるんだろ? 早く行った方がいい」

 

 そう高らかに宣言した。しかしそれもつかの間、

 

「あら?」

 

「あー、無理して立ち上がんない方がー、って遅かったね」

 

 スバルの体がふらつき、支えようと伸ばした手が壁を掴めずに空を切る。シャオンも反応が出来ず、体が地面に向かうのを見届けることになってしまった。結果、スバルはさっきまで寝ていた地面にセカンドキスを捧げる羽目に。受け身もとれず鼻面から落ちる。そしてそれっきり動かなくなった。

 

「――で、どうするの?」

 

「関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ」

 

 猫の問いかけに冷たい返しをする少女。さすがは異世界ファンタジー、人情味に関してもシビアな見解だ。

だが死ぬところだったのが命あるだけ恩の字だな、というポジティブな思考を抱く。

 ただ今回の出来事を教訓にこれからどうするかしっかりと考えないといけない。この世界は想像したものよりも酷く、残酷らしいのだから。

 

「ホントに?」

 

「本当に!」

 

 シャオンの考えを遮るように少女は猫の確認に大きな声で応える。

 そして、ひと一倍大きな声で叫んだ。

 

「――――絶対のぜったいに助けたりなんかしないんだからね!」

 

 その大声を聞いて猫はため息をつき何も言い返さなかった。だがその表情は少女の大声に黙らせたわけではなく、この展開をもう何度も繰り返しているかのような、諦めの表情だった。

 おそらくその予想は当たっており、少女はきっとああいいながらも助けてきたのだろう。

だが、まずは、

 

「あのーすんません、手を貸してくださるぐらいはお願いできませんかね?」

――起こしてもらおう。 

 情けない話だが、一人では起きることが難しいのだ。一度立てればあとは気合で何とかなりそうだが。

 シャオンの台詞に二人は(1人と一匹)は今初めてその存在に気づいたようで間抜けな表情をこちらに向けた。

 

 手を貸して貰って、立ちあがりズボンについた汚れを手で払う。幸いにも破けてはいない。

 

「さて、実際俺がスバルを、彼を治療しますから大丈夫ですよ?」

「でもできるの?正直、貴方治癒魔法使えないように見えるけど」

 

――治療魔術、そんなものもあるのか。

 しかし、少女の問いかけに無言になってしまう。当然、できるわけない。シャオンがやるとしたら患部を冷やして布で巻くぐらいの応急処置ぐらいだ。無言になっていたこと、そして表情に出ていたのか少女がため息をこぼす。

 

「はぁ、嘘つかなくていいわよ。それに気にしなくてもいい。これは私の為なんだから」

 

 そう言い倒れているスバルに近づき手をかざす。途端、スバルの体が薄青い光に包まれる。するとスバルの体にある傷が治っていく様子が見える。

 

「優しい子ですね奥さん」

「本当にね、優し過ぎて困っちゃうよ」

 

 彼女の相棒ポジションである猫に冗談気味に言うと乗ってくれた。はたから見るとおばさんたちが噂話をしているようにも見えるかもしれない。

 

 ふと猫が黙り、こちらを青色の瞳で見つめていた舐めるようなそれに若干の戸惑いを感じていると。

 

「君も脚を痛めてるね」

 

 その言葉に体がびくっと震えたのがわかる。なぜわかったのだろうか? そして猫の言葉が少女にも聞こえたのか、はたまた猫があえて聞こえるように言ったのかわからないがスバルの治療を終えたらしい彼女がこちらに駆け寄る。

 

「え、そうなの。今治すわ」

 

 少女は何の躊躇もなくジーパンの裾を上げられる。そこには先ほども確認したように腫れた肌があった。

 そこに手をかざされ彼女が先ほどしたように青い光に包まれる。その感触はぬるま湯に全身を浸かっているような、気が抜けていくような心地よい感覚に襲われる。

 そんな感覚を味わうこと約一分、治療が終わったのか青い光が消えた。

 

「ふぅ、これで大丈夫ね」

 

 見てみると腫れは治まり元の健康的な肌の色に戻っていた。痛みも違和感もない。

 

「ありがとう。……さて、君は一体誰を探しているんだ?」

 

 

 少女が急いでいて、なおかつ人を探していることは先の会話でわかっている。だから詳しい話を聞こうと思い問いかける。するとシャオンの言葉に顔を曇らせながらも少女は小さな声で話した。

 

「とあるものが盗まれたの……」

「盗まれた?」

 

 盗まれるとはあまり穏やかではないが、先ほどまで自分達もそんな追剥にあっていたのでこちらの世界ではよくあるものだとシャオンなりに納得をし、さらに詳しい話を聞くことにする。

 

「何を盗まれたの?」

 

「えっとこれぐらいの宝石つきの徽章」

 

 少女は掌よりも一回り小さい大きさを示す。盗まれたものは財布、はたまたこの世界特有の価値のあるもの、そんな予想をたてていたシャオンだが少女の言葉に裏切られてしまった。しかし、少女にとっては大事なものなのだろう。それに宝石付きなら実は高価なものかもしれない。

 

「……ふむ、それがないとどうなるの?」

「詳しくは言えないけどとっても困っちゃう。というよりも貴方は行方知らないの?」

「残念ながら」

 頭を下げるが少女は、気にしなくていいわと一言。

「盗まれた心当たりは? 恨みとか買った?」

 

 盗まれた理由がわかればその徽章の行方を予想できるかもしれない。そういう意味で尋ねたのだが少女は表情をこわばらせてしまった。

――もしかして地雷を踏んでしまったか? と思っていると少女ではなく猫が口を開いた。

 

「それはないね。君もさっき見た通り彼女、お人よしだから感謝されることはあっても彼女自身が恨まれることなんて、ないよ」

 

 若干不機嫌になりながら猫が少女の潔白を告げる。確かに見ず知らずの人間のケガを治すのだからよっぽどのお人よしだ。そんなお人よしが恨まれることは確かにしないかもしれない。

「うーん」

 情報が全く明かせないあたりかなりのやっかいごとの可能性がありと判断してもいいだろう。さて、一体どうすればいいのだろう。正直この少女に助けられたのは事実だがシャオンが体を張って手助けするほどお人好しではない。しかし命の恩人が、しかも美女が困っているのを無視するのは人としてどうかと考える。

 そんな思考を少女に悟られないように悩んでいると声が聞こえた。

「あれ意外と美少女の足って毛深いんだなぁ」

 そんなバカらしいことを言いながら目を覚ましたスバル。そこで一つひらめいた。

「んなわけあるかよ、相棒」

 ケラケラと笑いながら一先ずはスバルの意見に合わせようと決めた。そうすればきっと話が進むなにかが起こるだろう。

――だって彼は主人公(・・・)なのだから。




 基本原作通りに進ませますが、シャオンとスバルが別行動をし、なおかつスバル視点が原作通りの展開だったらそこはカットしたほうがいいんですかね?
その場面になったら皆様の感想を聞いてみたいと思います。


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一日一善

今回はスバル視点です。


 目覚める感覚は、水面から顔を出す感覚に似ているとスバルは思う。瞼を開ければ傾いた陽光が瞳を焼き、眩しさに顔をしかめながら目をこする。

 

「あ、目が覚めた?」

 

 声は真上、寝ているスバルの頭上から聞こえた。

 その声に顔を向けて、スバルは自分が地べたに寝転がり、何か柔らかいものに寄りかかりながらまどろんでいた事実に気付く。

 

「まだ動かないで。頭も打ってるから、安心できないの」

 

 こちらの身を案じる声は優しく、さらに頭の下には尋常でない至福の感触。

 スバルは自分が意識を失う寸前の出来事を思い返し、今、自分が男の子的にもの凄く恵まれた展開にいるのではという推測に即座に辿り着いた。

 天恵に従い、スバルは寝返りを打つ素振りでその太ももの感触を堪能しにかかる。決して邪な気持ちなどない。天恵に従ったからなのだから。

 頬が至高の感触に辿り着き、想像以上にモッフモフの感触が顔全体を押し返した。

 「あれ意外と美少女の足って毛深いんだなぁ」

 失礼かと思ったが思ったことを口に出す。

「そんなわけあるかよ、相棒」

 

 突っ込みを入れられ、今度こそ覚醒した視力が世界を正しく映し出す。

 スバルの眼前には凄いでかい猫の顔があった。猫はやたらと愛嬌のある顔で微笑みっぽい表情を作り少女の声の真似なのか裏声で語りかける。

 

「せめて覚醒までの瞬間を幸せに過ごさせてあげようという粋な計らいよ?」

「とりあえず、その不快な裏声はやめてくれ、誰得かわからん」

 

 人間大の猫に膝枕されるという尋常でないシチュエーションで、スバルは何とかそれだけを注文。あとはせっかくなので、モッフモフの感触を頬で楽しむことにする。モフモフなものが好きなスバルにとってこんな機会は2度とないのだ。味わっても罰は当たらないだろう。

 

「モッフモフ……モッフモフやぁ。神はなんてもんを生み出してしもうたんやぁ」

 

「いやぁ、こんなに喜ばれるとボクもわざわざ巨大化した甲斐があるよ。ね?」

 

 同意を求めるように片目をつむる巨大猫。その視線の先に立つのは、路地の入口で不満げに腕を組む銀髪の少女とやれやれと言った表情のシャオンだった。

 銀髪の少女は意識を失う直前、スバルの記憶と眼に鮮烈に焼きついた少女の姿と相違ない。つまり、

 

「お前はさっきのミニマムサイズな猫?」

 

「ふふふ、ご名答! 大きさ自由で持ち運びに便利。さらにユーモアあふれるトークで退屈な日常を彩ったりしちゃう。ひとりに一匹! 生活のお共に。詳しくは精霊議会に問い合わせてみてね。今ならボッコの実もつけちゃいます」

 

 

 器用に指を鳴らして流暢にトークをかます猫。いまいち要領を得ない内容だったが、たぶんそういう芸風なのだろうとスバルは納得。

 それから話題の焦点を歩み寄ってくる少女に移す。

 

「なんか、けっきょく目が覚めるまでいてもらって……」

 

「勘違いしないで。聞きたいことがあるから仕方なく残ったの。それがなかったらあなたのことなんて置き去りにしたわ。そう、してたの。だから勘違いしないこと」

 

 申し訳ない、そう言おうとしたスバルを遮り、念を押すように勘違いするなと言われる。そこまでされたらスバルもさすがにそれ以上は突っ込めない。

 

「だから私があなたの体の傷に治癒魔法をかけたのも、目覚めるまでパックの膝枕を堪能させてたのも、全部が全部、自分の都合のため。だから悪いけどその分に応えてもらうわ」

 

「なんか恩着せがましい感じを醸し出しても一周回って普通の要求だな」

「お人好しの擬人化そのものみたいなぐらい優しい子だからねぇ」

 

 シャオンの言う通り、お人好しという言葉を身に纏っているような。そんなシャオンの返答に対し、少女は厳しい顔つきのままで首を横に振って、

 

「そんなことない、一方的よ。――それで、あなた達は私の盗まれた徽章に心当たりがあるわね?」

 

 おずおずと条件を受け入れたスバルに、少女はどことなく声をひそめて問いかけた。

 その問いの内容にスバルは首を傾げざるを得ない。正直、それとまったく同じ質問を、意識を失う寸前にも行ったような気がするのだが。

 

「俺、意識のない短い間に、強く頭を打ったりとかした?」

 

「意識がなかったのはせいぜい五分、俺の知るかぎりそんなことはなかったぞ」

 

 シャオンに確認してみるがそんなことはなかったようだ。

 

「じゃデジャブか? あるいは俺の隠された異能が目覚めて、ほんの少しだけ先の未来の出来事を実体験しておくことができるようになったとか?」

「だったらお前の与えられたチートはそれだ。能力名でも考えていたらいいんじゃないか?」

 

 

 

「こっちの意図を無視して暴走しないでくれる? それで、質問の答え」

 

 話が進まないことに苛立ちを感じたのか若干の棘を含んだ目線で促される。流石にスバルも焦りながら答える。

 

「えーっと、それでしたらあの……心当たりとか、ないですね、はい」

 

 徽章、というといわゆる身分を証明するためにつけるバッジに価するものだったはず。残念ながら、スバルはこの小一時間ほどの時間でそれっぽいものを見た記憶は皆無だ。

 同じく行動していたシャオンも同じだろう。というよりもスバルが起きるのを待っていたのだ、シャオンも少女の要求を答えることができなかったことがわかる。もしかしたらスバルが目にしたかもしれないという僅かな可能性にかけて意識をよりもどすのを待っていたのだろう。

 だが、残念ながらスバルには彼女の求めているだろう期待に応えることはできない。しかし、少女はそんなスバルの答えに対して落胆した様子も憤慨する様子もなくただ頷き、

 

「そう。それじゃ仕方ないわ。でも、あなたは何も知らないという情報をもらうことができたわけだから、ちゃんとケガを治した対価は貰っているわね」

 

 と、詐欺師も呆れるほどにびっくりな論法で言い切る。

 あっけにとられるスバルを、苦笑いをするシャオンを置き去りにし少女は吹っ切るように大きく手を叩き、

 

「じゃあ、もう行くわね。悪いけど急いでるの。ケガは一通り治ってるはずだし、脅したから連中ももう関わってこないとは思うけど、こんな時間に人気のない路地にひとりで入るなんて自殺志願者と一緒だから。それにさっきと同じことになったら大声で憲兵を呼べばいいわ。絶対に助けてくれる人が来るから」

 

 少女は早口で言いまくしたて、有無を言わせない。押し黙るこちらの沈黙を肯定と受け止めたのか、少女は「よし」と満足そうに呟いて身をひるがえす。

 

「あ、これは心配じゃなくて忠告よ。次に同じような現場に出くわしても、私があなたを助けるメリットがないから助けなんて期待されても困るから。絶対に助けないからね?」

 かと思えばもう一度振り返り念を押すように助けないことを伝えてくる。それを最後に再び身をひるがえし歩き出した。

 少女の長い銀髪が彼女の仕草に合わせて揺れ動き、薄暗い路地の中ですら幻想的にきらめいた。

 

「ゴメンね。素直じゃないんだよ、うちの子。変に思わないであげて」

 

 笑いを含んだ口調でフォローして、猫は少女の肩にやわらかに着地する。少女の手がその感触を確かめるように猫の背を一度撫で、その姿は銀髪の中にもぐるように消えた。

 

 その颯爽とした背中を見送りながら、スバルは今の猫の言葉をひたすらに反芻する。

 ――素直じゃないらしい、あの少女の言動と行動の意図を。

 

 物盗りにあったらしい彼女は、大切な物を盗んだ相手を追いかけていた。

 その途中で暴行を受ける無関係の自分達を見つけて、盗んだ犯人を追う時間を削ってまで助けてくれたのだ。

 その上、迷惑千万にも治療して、聞いたはずの質問を繰り返してそれを代価と強調し、負い目を感じさせないようにした。

 

 素直じゃないとかいうレベルの問題じゃない。こんなに面倒くさい配慮ばかりを好んで実行する人物を初めて見た。恐らくもとの世界には、いやこの世界にも1人としていないかもしれない。

 少女にとって、自分達と関わって得た収穫は完全にゼロだ。いや逃走犯を見失った上に、時間まで取られたことを考えると、収支でいえばブッちぎってマイナスもいいところだろう。

 少女には責める権利があったし、こちらもそれを素直に受ける義務があった。勿論スバルも責められたら甘んじて受けていただろう。それはシャオンも同じはずだ。

 しかし結果、少女は責めることはなかったし、謝罪の言葉も聞かなかった。欲しい情報が得られなくても誰も攻めず、誰も恨まなかった。

 理由? そんなものは明白だ。

――なぜなら少女にとって、助けたことは全て自分本位の目論見通りの結果なのだから。

 

「――そんな生き方、メチャクチャ損するじゃねぇか」

「さて、どうする?」

 シャオンの問いかけにスバルは親指を立て、無駄に白い歯を輝かせノータイムで答える。

 

「決まってんだろ? 」

 

 そう言いながら立ち上がり、スバルは砂埃で汚れたジャージを叩く。汚れこそ目立つものの、ほつれたりのダメージはほとんどない。シャオンも同じようで白いパーカーは土汚れがわずかについているだけで裂けたりなどはしていない。それに普通に立っていることから痛めていたという足も治療して貰ったようだ。改めて魔法の非常識さ、そしてこれだけの恩を売っておいて欲を出さない少女の規格外さに驚く。

 

「おい、待ってくれよ!」

 

 路地の入口、大通りへ繋がる場所で首をめぐらす少女、その背中に声をかける。髪を手で撫でて、わずらわしげに彼女は振り返り、

 

「なに? 話ならもう終わったわ。貴方とはほんの一瞬だけ人生が交わっただけの赤の他人。いえそれ以下ね」

「わお冷たい言い方。俺の豆腐メンタルが砕けそうだよ」

 冷めた視線の少女におどけたようにシャオンを無視しながら駆け寄るスバル。なんか振られた男が女に追い縋ってるみたいだな、なんて心の片隅で思いつつも、両手を広げて彼女の進路を阻み、

 

「大切なもんなんだろ? 俺にも手伝わせてくれ」

 

「でも、あなた達は何も……」

 

「確かに、盗んだ奴の名前も素姓も性癖もわからねぇけど、少なくとも姿形ぐらいはわかる! 八重歯が目立つ金髪のプリティーガール! 身長は君より低くて胸も小さかったし、歳も二つ三つ下だと思うけどそんな感じでどうでござんしょ!?」

「それに盗んだってことは個人的な事情か、誰かに頼まれたかだ。前者だったらちと面倒だけど、後者ならまだだ手はある」

  

 冷や汗で背中ぐしょぐしょ。脇汗と手汗で腕まわりがヤバい。動悸息切れと目眩に貧血、鼻づまりと偏頭痛で四面楚歌。シャオンもそれを察しているからか若干ながらこちらをフォローしてる時の笑みが親が子を見守るようなものに近い。

 そのセルフ絶体絶命状態から彼を救ったのは、

 

「――変な人たち」

 

 口元に手を当てて、珍獣でも見るように小首を傾けた少女の声だった。彼女はスバルを値踏みするように見据え、その後同じようにシャオンをちらりと横目で見る 、

 

「言っておくけど、なんのお礼もできません。こう見えて無一文なので」

 

「丸ごと持ってかれたからね」

 

「安心しろ。俺も無一文みたいなもんだ」

「同じく。明日生きることが出来るかも不安だ」

「安心できる要素が何もないね」

 

 ちょくちょく入る合いの手を意識的に無視してスバルはドン、と気合を入れる身も込めて自分の胸を叩いた。

 

「それにお礼なんていらない。そもそも、俺が礼をしたいから手伝いたいんだ」

「お礼をされるようなことしてない。傷のことなら、ちゃんと代価は貰ってるから」

 

 あくまで頑なな姿勢を崩さない少女。そんな彼女の頑固な態度にスバルは苦笑して、「それなら」と前置きし、

 

「俺も俺のために君を手伝う。俺の目的はそう、だな。そう、善行を積むことだ!」

「ゼンコ―?」

 首をかしげながら片言で復唱する少女のかわいらしさにスバルはドキンとするがそれを察せられないように気を付けながら話を続ける。

「そう、俺らの国での言い伝えでな。それを積むと死んだあとに天国に行ける。そこでは夢の自堕落ライフが待っているらしい。だからそのために、俺らに君を手伝いたい。いや、手伝わせてほしい」

 自分でも何を言っているやらわけがわからないが、言いたいことは言い切った。伝えたいことも伝えきった。

 無茶苦茶なこといっているのは分かる。シャオンが思わず吹き出しているのもわかる。だが、コミュ症の自分にしてはよくやったと思うのだ。ほめてほしい。

 やり切った顔のスバルに少女は思案顔。しかし、そんな彼女の頬を肩に乗る灰色猫がそのやわらかそうな肉球でつつき、

 

「邪気は感じないし、素直に受け入れておいた方がいいと思うよ? まったくの手がかりなしで探すなんて、王都の広さからしたら無謀としか言いようがないし」

 

「でも……私は」

 首を縦に振ってくれない少女にどうしたものかと考えていると肩がつつかれた。見てみるとシャオンが何か企んでいるような笑みを浮かべていた。

 

「……スバル、俺にいい考えがある」

「本当か? その言い方だと俺的には失敗フラグなんだが」

 

 シャオンが耳打ちし、作戦を伝えてくる。耳に当たる息がこそばゆい。

 シャオンの見た目は女顔だが男だ。スバルはノーマルな性癖だ、男に息を吹きかけられてもあまりいい気持ちではない。

「どうだ?」

 

 そんな感想は置いておいて、肝心の作戦の内容だが、いい作戦かもしれない。少なくともやらないよりはましだ。

 シャオンが離れると同時に少女に向き直る。少女はびくりと体を震わせ、しかしこちらに対して警戒の視線を向けている。その様子に小動物系に似たかわいらしさを感じたが、辛うじて口には出さなかった。

 

 まず、作戦の要であるリンガの入った紙袋をシャオンから受けとる。重さは言うほどではないがそれなりの数がある。

 

「あー、すまないけどちょっとこれ持っててくれない?靴紐がほどけちゃって」

「え? う、うん」

 そういい少女にリンガ入りの袋が手渡される。急な話の転換に訝しげながらも少女はそれを受けとる。その素直さに心のなかで苦笑しながらスバルは靴紐を結ぶためにしゃがむ。実際には解けてなどいないが一応結び直す。

 

「よし、ありがとう」

 

 数秒後、立ちあがり礼を言うとともに袋を返してもらう。そしてそれをシャオンに戻す。いまだに彼女はこちらが何をしたいのかわからないようだ。だが、わかってももう遅い。作戦は完了したのだ。

 

「――じゃあ荷物をもって貰ったお礼がしたい。そうだな、君が探している徽章を探す手伝いぐらいが妥当かな?」

 少女がスバルの主張にポカンとしている。無理もない。スバルもシャオンが立てたこの作戦は暴論ぎみだと思った。しかし少女を納得させる方法には最適だ。何故なら彼女も同じ様に対価だからといった理由でスバルを助けたのだから。

 

「そうだね、か弱い少女がこーんな重い荷物をもってあげたんだそれぐらいはやってもらわないと」

 さらに猫が作戦の意図を理解したのかこちらに加勢をしてくる。少女の目がまるで裏切られたようなものに変わる。

「もう……どっちの味方なのよ? それに貴方達もお人好しすぎるわ。ちょっと荷物をもっただけで探し物の手伝いをしてくれるなんて」

 文句を言う少女。その様子に少女を除くの二人と一匹は心のなかでシンクロした。――お前が言うな、と。

「悪いけどこれ以上は譲れないな。受けた恩は返さないと一生気にしちゃうから、俺達」

 シャオンの言葉を聞いて、それから彼女は数秒悩んだ挙句、

 

「――本当に、変な人たち」

 

 そう言って、お手上げといったようにようやくスバルの差し出した手を取ってくれたのだった。

 




何か要望がございましたらおつたえてくだせぇ!!


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目覚める熱

 少女がシャオンたちの手を取って、徽章を探し始めてから約1時間たった頃。シャオンたちは何の成果も得ることができず、捜査は滞っていた。

「まさかこんな事態になるとはこのスバルの目をもってしても見抜けなかったぜ」

「濁ってるからな、スバルの目」

「うるせぇよ! お前も似たようなもんだろ!その糸目の怪しさったらラスボス級だぜ!」

「あー酷い! 傷ついた。猫さんや、癒しておくれ」

 癒しを求めモフモフと猫の体を両手で包み込むように優しくさわる。

 洗いたての毛布のような柔らかさ、確かにこれはスバルが言ったように癖になる。モフモフし、傷ついた心がふさがり始めた頃、少女が少し怒ったような声を出す。

「……手伝って貰っている身で悪いけど、真面目にやってもらえるかしら?」

「すんません、えっと……」

 流石に悪いと思ったのかスバルと一緒に頭を下げ、謝罪をする。そこであることに気づいた。

「そういえば、まだお互い名前すらしらないね。自己紹介とかしてないんじゃないか?」

「そういやそうだな。んじゃ、俺の方から」

 こほんと咳払いして、スバルはシャオンにしたようにその場で一回転、指を天に向けてポーズを決める。

「俺の名前はナツキ・スバル! 右も左もわからない上に天衣無縫の無一文! ヨロシク!」

「ないないづくしだなぁ」

「うん。それだけ聞くともう絶体絶命だよね。そしてボクはパック。よろしく」

 友好的に差し出したスバルの手に、パックと名乗った猫が体ごと飛び込んできてダイナミックな握手。片方は手で片方は全身なので、傍目から見るとスバルがパックを握り潰しているように見え、動物好きにはなんとも言えない猟奇的光景だ。

 それからスバルの視線は傍らの少女へ。彼女はひとりと一匹の心温まる? やり取りを白けた目で見ながら正論を吐く。

「なんでその不必要に馴れ馴れしい態度を普通の場面に分けられないの?」

「縋れそうな糸見つけて焦ってんだよ! 悪いが絶対逃がさないぜ、この出会い……情けないが、生きるために依存してやるんだ!」

「すごーくしょうもない決意。……そもそも、今、あなたがどういう名目で私たちと同行してるのか自分で覚えてる?」

「もちろん。探し人のためだな。そしてその尋ね人の特徴を知っているのは俺とシャオンのコンビのみ……お払い箱にされてたまるか……!」

「聞き込み中に後ろでぼそぼそ『金髪で……八重歯が、あ、やっぱいいです』とか言ってたから大まかな特徴は割れちゃったぞ?正直もうお払い箱一直線さ」

 固く決意するスバルだったが、シャオンの言う通り捜査中にスバルがぼそぼそと犯人の情報を口に出していたのだ。だからスバルの持つ情報はすでに少女たちに伝わっており、正直言うとスバルとシャオンは価値がなくお荷物になっているのだ。

「なぜ、黙ってたんだ!?」

「なんか考えあんのかなと思ったからさ。悪かったな」

 シャオンの指摘に頭を抱えてその場にかがみこむスバル。

 その気持ちは分かる。スバルの行動は謂わば持ち札見せながらポーカーしたようなものだ。それで交渉とは片腹が痛い。

そんなスバルの葛藤を見ながらパックが苦笑して、

「ま、お互いに事情はあるよね、事情は。スバル達の方の事情はあとで聞くとして、こっちの話を先に片付けちゃおう。それにしても、スバルにシャオンか。珍しい名前だけど、いい響きだね」

「そうね、二人ともこのあたりだとまず聞かない名前。そういえば髪と瞳の色も、服装もずいぶんと珍しいけど……どこから?」

「テンプレ的な答えだと、たぶん、東のちっさい島国からだな!」

 異世界ネタなら使い古されたパターン。 他国との国交がほぼない国で、そこから流れ着いたと聞けば大抵の人が納得してくれるという魔法のようなお約束。

ついでに言うならその国は巫女とか侍がいるイメージだ。

 しかし、少女はシャオン達に憐れみに近い視線を向けてきた。その理由をすぐに彼女は語った。

「ルグニカは大陸図で見て一番東の国だけど」

 つまりこの国より東の国はないということだ。

「嘘、マジで!? ここが東の果て!? じゃあ、憧れのジャパン!?」

 異世界のテンプレは実際に異世界に来た場合には適用されていないようだ。

「自分のいる場所もわかってなくて、無一文で、人と会話が恐くてできない。……大丈夫?」

 慌てふためくスバルに対して、少女はそわそわ落ち着かない目をし始める。

 素直じゃないわりに、だいぶ世話焼きっぽさが端々からにじみ出る少女だ。あまりに無防備なスバルの様子に気が気でないのだろう。強いて言うならば彼女はオカン体質といえるだろう。

てっきり疑いの目線が強まると思ったがその体質のお陰で心配は要らないかったようだった。

 こちらのやり取りを微笑ましげに見守っていたパックだったが話を進める。

「とりあえず、そのあたりはおいおい詰めていこう。今はとにかく奥へ……といっても、ボクが顕現できるのはあと一時間もない行くなら急がないと」

「――行くわ。どの道、今を逃す気なんてない。手の届かないところへ持っていかれてからじゃ遅いんだから」

 パックの問いにそう応じて、それから少女はこちらに向き直る。

「じゃあ、行くけど……この先の路地からは今まで以上に警戒して。暗くなるからよからぬことを考える連中もいるだろうし、荒事慣れしてる人たちが住んでるところだから。恐いようならここで待ってるか、さっきまでと一緒で私の後ろについてきて」

「ここで待ってるとか言い出したら俺どんだけチキンハートだよ! 行くよ! 背後霊のように!」

「うわ、ストーカー発言。スバル、流石に引くぞ?」

「だまらっしゃい!」

「前に出る選択肢はないのね……」

 スバルとシャオンのコント染みた会話に呆れ、もう何度目になるかわからない少女のため息が溢れた。

 出会ってから、その表情を曇らせてばかりだ。思い返せばまだ、少女の笑顔ひとつ見ていない。きっと笑うと最高に可愛いだろうに。

 そんな感想を心の中で抱いていると、スバルが何か企んでいるような表情を浮かべていることに気付く。そして、スバルは高らかに宣言した。

「アルミ缶の上にあるミカン!!」

 空気が凍った、というのはこういうことを言うのだろう。少女も猫も、そしてシャオンですらも白い目でスバルを見つめる。

「……急にどうした?」

「やめて!そんな冷たい目でみないで!」

 恥ずかしさに顔を押さえながらうずくまるスバル。どれほど恥ずかしかったのか耳まで赤く染まっているのがわかる。

「急に言動に異常をきたしてる……『呪い』の影響とかじゃないでしょうね」

「そんな呪いがあるんだったら笑えるけどねぇ」

「いや自発的なものだよ。やたらと一生懸命ではある。無意味な方向に」

 スバルの悪戦苦闘の根本を察したのか、それとも同じオスだからか、パックはわりと好意的な解釈だ。一方でスバルが狂ったようにしか見えない少女には不信感を植えつけただけの結果だが。

「足が痙攣したから家にけえれんとかどう?」

 ようやく現代知識に依存しないパターンが出たようが、正直無理がある。言った本人も自覚あるのか顔がひきつっている。

 それに加えて少女の反応はいたたまれずに顔を背けるというもの。いや、これ以上は付き合っていられないという意思表示か。どちらにしろ、いい反応ではないことはわかる。

 恐らく、いや絶対スバルは彼女の笑顔を見たかったのでダジャレを言ったのだろう。だが欲求に従った結果は不発に終わった。それどころかスバルは大火傷、見ているこちらにも飛び火した。

 これ以上は続けても糠に釘もいいところで下手をすれば少女の機嫌を損ね見放されるかもしれない。そうなれば路頭に迷う運命まで分かれ道無しの一直線だ。なので止めに入ろう。

「――気は済んだか?スバル? というより済め、俺の方が見ていてつらい」

「……おーう、もう十分だ。真っ白に燃え尽きたぜ……」

 どこぞのボクサー選手のようにうなだれているスバルに対してため息をこぼす。そこまで傷つくなら一回目に失敗したときにやめればよかったものを。

「結局なにしたかったの?」

「スバルのプライドのためにも聞かないでくれ」

 流石にスバルの行動の意味を説明するほどシャオンは意地が悪くはない。

「さて、急ごうか」

 急いでうなだれているスバルを起こし探索を再開する。これ以上時間を浪費するのは誰も得はしないのだから。

 路地の中へと歩みを進めるその背中に続きながら、スバルが口を開く。

「なぁ、彼女目的を果たしても、俺たちを見捨てるつもりがないんじゃね?」

 確かにスバルの言う通り『ここで待っていて』というのは、探し物が見つかったあとに戻ってくる意思があるということだ。嘘をつく可能性もあるにはあるが……まともな嘘がつけない性格であるのは、この小一時間でわかっている。

「やべぇ。俺、超かっこ悪ぃ」

 ふとスバルがつぶやく。

 確かにかっこいいとは言えないだろう。少女に命を救われ、足を引っ張りさらには気を使われているしまいだ。

 だが、なんの庇護も、説明もなく別の世界に落ちれば、誰もがこうして路頭に迷う。シャオン自身も表面上は見せていないが混乱している。そのことを悪いことだとは思えない。しかし、スバルは気合を入れるように頬をたたく。

「おんぶにだっこはかっちょ悪い。せめて、後ろ歩くぐらい自分でやれよ、俺」

 その言葉、その瞳には先ほどまでなかった『熱』というものが小さいながらも宿っていた。漫画や映画の主人公のようなどんな困難でも打ち砕くような『熱』が。

「ようやく覚醒したのに出来た目標が小さいな、俺」

 自嘲ぎみに笑うスバルに、肩を軽くたたき、

「でも目標が出来たならそれは前進だぜ?」

 とフォローする。

「フォローありがとな。あとそういえば、なんだけどさ」

 斜め後ろから声をかけると少女は振り返らず、その銀髪の隙間からちらりと視線だけ向けてくる。その白い横顔にスバルは問いを投げた。

「けっきょく飼い猫、いや飼い精霊? の名前は聞いたけど、君の名前は聞いてないなと思ったり、そして聞きたいなぁと思っちゃうんですが」

「お、確かにそうだな。いつまでも二人称で呼ぶのもなんかへんだし。名前を教えてくれないか?」

 茶目っ気まじりの問いかけに、少女は視線を前に戻してしばし沈黙。

 その態度になにか失敗したのかと内心で焦る。さっきの場面で喋らなかったということは、名前は言いたくないと暗に言っていたのかもしれない。

 だがいつまでも彼女では呼びづらいのだ、我慢して教えて欲しい。

「――サテラ」

「お?」

 ポツリとした少女の呟きをのがしてしまいそうになる。

 少女は振り返ることもなく、無感情に、ただ決まったことを言うようにもう一度だけ、呟く。

「サテラとでも呼ぶといいわ、家名はないの」

 名乗っておきながら、そうと呼ぶのを拒絶、嫌悪するような態度だった。恐らくは深い事情があるのだろう。だったらそこまで深くかかわり合うことはしない。誰にだって踏み入れられたくない事情はあるのだから。

 だから銀髪に埋もれ消えるパックがふと一言、

「――趣味が悪いよ」

とだけ呟いたことをシャオンは聞かなかったことにした。




だいぶ遅くなりました。
あと、連絡ですがしばらく書き溜めて、次投稿するには連日投稿したいと思います。具体的には一章が終了するぐらいまで書き溜めます。

また、質問、アドバイス感想は随時、随時! お待ちしていますので。


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ハーフエルフの少女

生存確認、忘れられないように一時投稿します。


 少女――サテラが壁側に佇み、まるで祈るような体制をとっているのが目に入った。よくみると唇がかすかに動いているのがわかる。その様子にスバルとシャオンが首をかしげる。

「彼女はなにしてんだろうな」

「微精霊とお話をしているんだよ、スバル」

 

 スバルの問いかけに答えたのはシャオンではなく、先程消えたと思ったパックだ。

 

「あれ? 消えたと思ったのに。あと一時間もないんでしょ? 出ていられるの」

「出られなくなるのは夜。つまり五時ぐらいだね。僕はこーんなかわいい見た目をしてるけど精霊だから」

「精霊だと出られる時間が限られてるのかい?」

 

 シャオンの問いかけにパックは悩み、サテラの方を見てさらに数秒悩んでようやく口を開いた。

 

「うん、まだ時間がかかりそうだし、二人とも精霊に関しての知識があまりないみたいだから少し教えよう」

 

 こほん、とわざとらしく咳払いをしてこちらに説明を始める。

 

「精霊っていうのはマナが活動力の源でね、蓄えが十分に溜まっていないと眠気が続いたりするんだ。これでも僕は位の高い精霊だから結構なマナが必要なんだ」

「あー、だから現れるのに時間が限られているんだ」

「うん。五時を過ぎたら彼女の持つ結晶の中でゆっくりと眠るんだ。すやぁ」

 

 手を合わせて眠るようなポーズをするパック。

 

「それで、彼女が今語りかけてるのは微精霊。僕ら精霊よりも知識が身についていない言わば精霊の赤ちゃんだね」

「精霊の赤ちゃん、ということは成長したら精霊になるんですか? 先生」

 

 シャオンの疑問にパックは頷く。

 

「うん。時間をかけたら微精霊、準精霊と過程を経て精霊になるんだ」

「へぇー」

 精霊というのは漠然としか知らなかったが予想より複雑なものらしい。

 空を見上げ、ため息をこぼす。

「……はぁ」

 今のことで改めて実感したがこの世界は意外と厳しいものらしい。文字は読めず、道案内なども見当たらない。幸いにも話す方の言葉は通じるが、常識的なことがわかっていないからか下手に話せば頭のおかしい奴だと思われてしまう可能性大、だ。

 それ以外にも気になるのは人以外の存在だ。亜人なども町では見た、それにサテラだってエルフという人外の存在だ。今は人に友好的な存在ばかりだが、人間に敵対心をもつ種族もいるかもしれない。そうなればなにか戦う手段がなければ元の力で劣っているこちらは瞬く間に殺されるだろう。

 

「――ひゃっ!?」

 

 そんな憂鬱の気分をサテラの小さな悲鳴が打ち破った。慌ててサテラのいる方向を見てみるといつの間にかスバルが幻想的な風景をぶち壊すかのように微精霊、光の粒を珍しいものでも触るかのような手つきで触っていた。

「おー、パニくってる。すげ」

 

パックの先程の時間がかかりそうだという発言、そして微精霊と会話しているということから察するに徽章の情報もとい盗った少女の行方を聞いていたのではないのだろうか? つまりスバルの今の行動はその会話を邪魔しているのと変わりない。

「おい、スバル――」

 

「あー! いなくなちゃったじゃない! スバルのおたんこなす!」

「うわーぅ、ごめーん!! でもおたんこなすって今日日聞かないね!」

 静止の声をかけようとしたがどうやら間に合わなかったようだ。辺りに漂っていた光は今では微塵も残っておらず、残ったのはサテラの怒鳴り声と、スバルの謝罪の声だけだ。

 

 

「あー、すいませんねパックさん」

「あはは、別に構わないけど制御下にあるから大丈夫だっただけでスバルはいま、危なかったよ」

 

 肩の上に乗っているパックはてっきり怒っているのかと思ったがそんな様子を感じさせず、ただ苦笑いを浮かべながら長いしっぽを振る。

 

「危ない? どゆこと?」

「もう、パックの言う通りよ」

 

 パックに対して言葉の意味を聞こうとしたが、こちらの話を聞こえていたのか代わりにサテラが説明をする。

 

「未熟な精霊術師に今みたいなことしたら……ぼかん、よ」

「ぼかんて」

 

 要は下手をすれば死んでいた、もしくは大けがをしていたといいたいのだろう。サテラの表情は冗談を言っているようには思えないほど真剣だったが、いかんせん言葉が可愛いいので緊張感が感じられない。

 

 

「探し物の心当たりを聞き出せないかなって思ったんだけど……消えちゃった」

 

 落胆するサテラ、そして予想していた通りサテラが徽章の行方を調べていたようだが、スバルが足を引っ張ってそれを無駄にしてしまった。

「スバル?」

「すいません。はい、ほんとに」

 責めるような視線に耐えきれず、スバルは頭を下げる。その様子にサテラもそれ以上は責める気が起きなかったのか頭を押さえながらため息をつく。

 

「気にしても仕方ないわ。とりあえず人通りが多い表通りに行きましょう」

 

 

 

 表通りにつき、誰に声をかけようか三人であたりを見回しているとサテラが何か発見したのか声をかけてきた。

 

「――ねぇスバルとシャオン。あの子、迷子かしら」

「ちょいまち、落ち着こう」

 サテラの指さす先には一人の小さい女の子が涙目で立っていた。年は7歳にも満たなそうなほど幼い少女に対してサテラが言いたいことは予想できる。

 彼女は呪いとでもいえるほどにお人よしだ。おそらく、いや考えるまでもなくあの子供を助けようとするだろう。しかしそうすることで時間はどんどん進んでいく。

 しかし、シャオンの静止に聞く耳を持たず、サテラは今すぐにでも駆け出していきそうだ。

 

「落ち着いている暇があったらあの子はもっと困っちゃっていくわ。それにどこかいっちゃうかもしれない」

「あー、自分で言うのもなんだけど、俺のヘマもあって時間はだいぶロスだ。売り払われたら手元に戻せなくなるかもしれない」

「それはそうかもしれない、けど」

 スバルもシャオンの意見に賛成のようでサテラに止めるよう遠まわしながらも忠告する。時間を割いてしまっている要因の一つである身としてはあまり強く言えないが、ここでまた時間をとってしまっては捜索を再開するころには陽は落ちてしまっているだろう。

 しかしサテラは頑なに首を振ろうとはしない。

 

「あの子は、今泣いてるの。そうでしょ? だったら助ける理由はあるじゃない」

 梃でも譲らない、そういう意思が秘められた瞳で見つめられ二人は何も言えなくなってしまう。

 数秒、沈黙が続いたがサテラが口を開く。

 

「付き合いきれないならそれまで、ここまでね。ありがと、あとは私で何とかしてみるから」

 決別の言葉は厳しい。しかし、その言葉にはこちらに愛想が尽きたというよりは自分のわがままにこれ以上付き合せたくないという彼女の配慮が感じられていた。

 そういってサテラは童女のもとに小走りで走る。その足音に童女は顔を上げる。その瞳には希望の色が宿っていたが、駆け寄ってきたのが探し人でないと知るとその色は霧散する。

 サテラが声をかけていくが、童女はおびえていくばかりだ。当然だ、知らない人に声をかけられては誰だって警戒する。年端もいかない子供ではおびえもするだろう。

 しばらくそのやり取りを見ているとシャオンの横を通ってスバルが二人に駆け寄っていった。

 

「……はぁ」

 

 確実に面倒なことになるのはスバルもわかっているはずだ。だが彼は見捨てられないだろう――だって彼は自分とは違い主人公なのだから。

「君はいかないの?」

 スバルの健闘をみているといつのまにかシャオンの頭にのっていたパックに訊ねられる。その問いかけに軽く笑ってしまう。

「俺が行ったところでなーんもできませんよ。それに」

 視線の先には無事、童女を笑顔にできたらしく、まるで子持ちの家族のように間に子供を挟みながら仲睦まじく歩いていくスバルとサテラ、二人の姿が見える。

 実際に血はつながっていない、それどころかあの三人は全員が今日知り合ったのだ。だがその光景は本当に、家族のように見える。そんな光景を見ながらシャオンは小さな声で

 

「あの光景をぶち壊したくはないから、かな」

 

 そう答え、わずかに離れた距離を保ちながら見失わないよう後を追いかけることにした。

 

 

「本当にありがとうございました」

「いえいえ、無事に見つかってよかったです」

 幸いにも目立つ服装の二人のおかげでだろうか、女の子の保護者はほどなく見つかった。保護者の童女の母は何度もお礼を言いながら歩いて行った、今度は離れないようにしっかりと童女の手を握って。

 

「それで? だいぶ寄り道しちゃったけども! 今度はどーんなメリットがあったと主張するんですか?」

「簡単よ」

 スバルの皮肉めいた軽口にフフン、と得意気に笑い、

「これで気持ちよく徽章を探すことができる」

 腰に手を当てて堂々と言い切った。その姿は一筋の後悔もなく、嘘偽りのない答えだとわかった。

 

「ぷっ」

 思わずスバルが吹き出す。それにつられシャオン、パックと連鎖して笑いが起きる。しかし当のサテラはなぜ笑われているのかわからず、頬を膨らませて不満顔だ。

「な、なんで笑うの? パックも」

「いや、君が君らしくてね」

「なにいってるのかわからないけど馬鹿にしてない?」

「ほめてるのさ」

 

 パックの言葉に更に不満げに口を尖らせる。

「それより、どうして手伝ってくれたの? 乗り気じゃなかったのに」

「え? あーっと。それには海よりも深ーい理由が……」

 問い詰められ返答に困っているスバルに助け船を出す。

「一日一善、だろ?」

「そうそう!そのモットーを守るため! というわけでこれは俺の俺自身のために繋がることだから!」

 自分自身のため、そう口にすることで暗に気にすることではないとサテラに告げる。しかしサテラは首をかしげる。

 

「……それだと徽章探しはしなくてもよくなっちゃうんじゃ?」

「あ。えーと、すいません、前倒しで」

 そう小さく笑いながらのスバルの言葉にサテラは呆れたように肩をすくめる。

「ほんとおかしな子」

 

 おかしな子、その言葉にスバルは疑問を感じたのかサテラに質問をする。

 

「女性に年齢を聞くのはどうかと思うけど君って何歳?」

 途端、サテラの表情が曇る。

 

「あ! いや、気に障ったなら謝るけど、子ども扱いするからちょっと気になってさ。そんなに俺らと年の差ないだろ?」

 

 機嫌を損なわせてしまったと思い急いで謝罪するがサテラの口から出たのは予想外の言葉だった。

 

「……その予想は当てにならないと思う。私は――ハーフエルフだから」

 

 ハーフエルフ、つまり純粋なエルフではなく何かとの混血であるということだ。

 

「なるほど、出会った時からエルフだとは思ってたけどハーフエルフかぁ……」

 そのスバルの言葉にサテラの瞳に諦観と、失望。そして底知れない悲しみが混ざった不可解なものが浮かんでいるのをシャオンは目にした。しかしそれとは対照的にスバルは太陽な笑みを浮かべる。

 

「――どうりでかわいいと思った!」

「え?」

 

 きょとんとサテラが目を丸くする。

 

「うんうん。で、やっぱりハーフエルフでも見た目と実年齢って全然違ったり?」

「勇気あるな、スバル。女性に年齢を聞くとか俺の国だと死刑だぞ?」

「俺とお前は同郷だろーが! いつから日本はそんな国になったよ!?」

 

 二人で笑いながら話しているとサテラは

 

「――――ぁ」

 かすかに喉を震わせ、サテラは二人から顔をそらして後ろを向く。そして距離を少し取り銀髪に手をやり頭を抱え込んでしまった。その奇行にシャオンとスバルは顔を見合わせる。するとパックが二人の前に現れる。

 

「とりゃ」

 そしてノータイムでパックが突如二人の頬を肉球で優しく殴りつけてきた。

「いきなりなにするんだい、痛くないけど」

「むしろ柔らかいまである」

 

 理由を尋ねるとパックは唸る。

 

「堪えがたいむずむず感を形にしたくて」

「そんなフワフワとした理由で殴られたらこっちとしては納得いかないよ」

 そういってシャオンは仕返しとばかりにパックの鼻を、スバルは尻尾を触る。パックもされるがままに受け入れる。

「ボクも別に怒って叩いたわけじゃないよ、むしろ逆」

「逆?」

 意味が分からず再び顔を合わせる。しかしそんな様子を見てもパックは愉快そうに笑うだけで教えてくれない。

 

「もう、二人のオタンコナス。それより早く行きましょ」

 

 いつの間にか近くに来ていたサテラの照れた顔を見て、気にしないようにした。

 




 用語説明
『ルグニカ王国』

 世界のもっとも東に位置する大国。人口30万ぐらいの王都ルグニカを中心に、六茫星を描くように人口20万から30万クラスの大都市が六つ配置されている。それ以外にも小規模都市が点在しており、町、村落、集落レベルで下がっていく。人間族に限れば大体が村落レベルに住んでいるが、亜人は集落レベルを 山や森に作って暮らしているケースもある。仲は積極的にはよくない。
『親竜王国ルグニカ』と呼ばれ、ずっと昔から王族と竜に結ばれた盟約によって繁栄を助けられてきた。
 『マナ』
 魔法を使ったり、魔獣の食事であったり、精霊の糧として必要なもの。
これを体の中で循環させる器官が『ゲート』。ちなみにマナをため込む器官を『オド』という。
『ハーフ』

半分の意味、今回は混血という意味で。
『ぼかん』
その言葉通りぼかんとする。


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失われる、熱

本日二話目。とりゃー


 現在、サテラが徽章を盗まれたという場所、そこに彼女自身に案内されて、たどり着いた先には――

「……何の用だ? 一文無し共」

「あっはは、どうもーカドモンさん。ご機嫌はどう?」

 リンガを快くくれたカドモンの果物屋が立っていた。そう、つまり――スバルとシャオンがおそらく召喚された場所だったのだ。

「お、お元気そうで」

「おかげさまで、今だったら文無し二人を追い払うのも苦にならなそうだ」

 スバルの苦笑いしながらの言葉に青筋を立てながら凶悪な笑みを浮かべて答える。こぶしで答えないだけまだ優しいのかもしれない。

 

「ま、ま。落ち着こう。お客様候補を連れてきましたから」

「そうそう、おっちゃん! 見て驚くなよ?」

 

見せびらかすかのようにサテラをカドモンに紹介する。その服装から貴族だと思ったのかカドモンの顔が驚きに変わる。どうやら好感触のようで、商品を三、四個も買えば知りたいことを教えてくれるだろう。しかし、

 

「えっとね二人とも。期待されて悪いけど私もお金持っていないわよ」

 

 サテラの発した言葉が周囲の時を止めた。

 

「……」

「…………すいません。作戦タイムで」

 

 沈黙するカドモンに待ってもらうよう頼みスバルとサテラを連れて作戦を立てる。

 

「ちょいと、どうするよシャオン」

「流石に商品買わずに聞きたいことだけ聞くのはだめだろうし……ダメもとで泣き落としにかかるか?」

「あの強面のおっちゃんが許してくれるとは思わないけどな」

 

 しかしやらないよりはましだ。その作戦を採用し、意を決してカドモンの前に立ち自分でも気色悪いと思うが女声で話しかける。

 

「うぅ、実は僕たち……」

「全部筒抜けだったからな? 作戦とやら」

 

 再び沈黙がシャオンたちを襲った。もうこの沈黙が心地よく感じるようになってしまうかもしれない。

 

「……で? どうすんだい? 文無し三人衆?」

「や、やっぱり悪いんじゃない?」

 カドモンの顔が怒りに染まっていくのを見てサテラはスバルの裾を引いて肩を小さくしている。確かに、このままでは情報を得ることは不可能だ。残念だがここは撤退するべきだろうか。

 そのようなこれからの行動を考えていると女の人の声が聞こえた。

 

「あら? 先ほどはどうも」

「あれ? 奥さんこそ、なんでまたこんなところに?」

 声の主は迷子の童女の母親だ。その隣には小女もいる。婦人は笑いながらカドモンを見つめながら答える。

 

「ふふ、主人のお店なのでちょっと立ち寄ったんですよ」

「主人?」

 三人でカドモンと婦人を見比べる。

 

 片や紫がかった髪をしたきれいな婦人。その子供も年相応にかわいらしさをふるまっている。

 片や顔に大きな傷がある大男。その肉体は凶悪な顔に比例するように鍛えられている。

 

「囚人の間違いじゃ?」

「カドモンさん、いくらなんでも奥さんの旦那さんを殺して奪うのはだめだよ。自首しよう」

「ちょっと二人とも、いくら何でも失礼よ? 確かに……予想外だけど」

 

「お前らなぁ? 喧嘩を売りに来たのか?」

「ぱぱっ!」

 三人の言葉に堪忍袋の緒が切れそうになっているところに愛娘である少女が抱き着く。勢いをつけての抱擁だったがなんなくカドモンは受け止め、笑顔で抱きしめ返す。

 

「おーよしよし。元気だな。それよりお前、こいつら文無しと知り合いか?」

「文無しなんて失礼なこと言わないでください」

 

 少し怒り気味に婦人はカドモンに事情を説明する。するとカドモンの表情から怒りが消えていく。そして話が終わる頃には一転、申し訳そうな表情を浮かべるようにまでなってしまった。

 

「そいつはすまねぇ」

「いえ、そんな実際私たちが素寒貧なのは事実なので」

「素寒貧ってきょうび聞かねぇな」

「もう!スバルったら! ……ほんとうにすいません」

 茶化すスバルをサテラはたしなめ、再び謝罪する。すると少女がサテラの裾を引っ張る。彼女の視線に合わせるようサテラはかがみ込む。すると恥ずかしがりながらも頑張って話しかけた。

「おねーたん。これあげる!」

「どうかもらってください」

 

 少女はそういって花の胸飾りをサテラに手渡す。初めは戸惑っていた彼女だったがやがて、笑顔でそれを受けとる。

「ありがとう、すごーく嬉しい」

 

 チラリとスバルの方を見ると頬を染めて見惚れていた。寒い駄洒落を言ってまで見たかった笑顔だ。達成感は

 

 シャオンがこほんと咳き込み、スバルは現実に戻ってくる。カドモンもスバルの気持ちがわかっていたからか笑っている。

 

「娘の命の恩人だ、何でも聞いてくれ」

 

 事情を掻い摘んで話すとカドモンは一言、呟く。

 

「盗まれたのなら貧民街の……盗品蔵にあるかもしれない」

「盗品蔵?」

 名前からして盗品を保管する蔵のことだろう。確かにサテラの徽章もそこに運ばれている可能性はあるだろう。

わずかな希望が見えた三人だったがカドモンは言いずらそうに口を開く。

「ああ、場所は知っているから教えてもいいが……諦めた方がいいかもしれない。盗品蔵には巨人が管理しているらしい」

 

 巨人、つまりまた人外の存在。そして盗品の管理人ということはあまりまともな人物ではない気がする。しかしそんな忠告を受けてもサテラはひるむことなく答える。

「それでも、行かないといけないんです」

 

 それに続きスバル、シャオンも同意する。

「悪いな、おっちゃん。忠告はありがたく受け取っておくだけにしておく」

「そういうことなので」

 

 もう何を言っても無駄だと思ったのか、カドモンはそれ以上はなにも言わなかった。

「うっし、じゃあその盗品蔵まで行ってみるか!」

「やっと手がかかりが見つかったわね……もう」

 サテラ、スバルが離れていく。すぐに後を追いたいが、その前にカドモンに言うことがある。娘と婦人は店の奥にいるのか、それともどこかにいったのだろうか姿が見えない。カドモンがこちらに気付き振り返る。

 

「ん、どうした? まだ何か聞きたいことでもあんのか?」

 

「いえ、言い忘れていたことがありまして」

 

 姿勢を正し、カドモンに向き直る。

「――わざわざ他人の私たちに親切にしていただきありがとうございました。カドモンさん、今度機会があったら商品を買いに来ますので」

 

 今までのふざけた態度とは違い真面目に礼を言うとカドモンはしばらく呆気にとられていたがすぐに朗らかな笑みを浮かべ近づき、シャオンの背中を豪快に叩いた。

 

「おうよ! その時はサービスしてやるよ! あとその口調は気持ち悪いから今まで通りにしてくれや」

「はは、わかったよ」

「おーいシャオン! 急がないと置いてくぞ!」

「ダメよスバル。おいていくなんてひどいこと考えちゃ」

スバルの冗談に真面目に注意するサテラ、そんな二人を見てシャオンは手を振り応える。

 

「ああ! 今行く! それじゃまた!」

 最後にカドモンに礼を言い二人のいる場所に駆け出していく。

 

 カドモンに盗品蔵までの場所を教えてもらい、言われた場所にたどり着く。するとそこには大き目な建物があった。

 その建物は盗品蔵という名前には似合わない威容でどっしりと構えている。一瞬違うのではないかと思ったが周囲にはほかにそれらしい建物がなかったので、おそらく、これが盗品蔵だ。

 

「というわけで、現在、盗品蔵の前に来たわけだがどうする?」

 

「行くしかないでしょ」

 スバルの問いかけに何をいまさらといったようにサテラは言う。確かにそうだ。これ以上うだうだ言っていたところで来てしまったのだからあとはいくしかないのだ。そう思っていると。サテラの銀髪からパックが現れた。

 

「あ、ごめん。ボクそろそろ限界だ。でも何かあったらすぐにオドを使ってでも呼び出すんだよ?」

 パックは言葉と同様に辛そうにしている。

「うん。ありがとう。――おやすみなさい」

 そうサテラが言うとパックは白い光となって消えた。まるで死んでしまったように見えるがおそらくは一時的に消えただけだろう。

 

「さて、行きますか」

「ちょいとお待ちを! 俺が先にいかせてもらうぜ! シャオンは彼女の後ろにいてくれ」

「ん?なんで」

「もしも、盗った奴が俺たちの存在を気づいていたら奇襲を仕掛けてくるかもしれない」

 

 人差し指を立ててスバルが作戦を説明する。

 

「一番戦闘力の低い俺が偵察、もし何かあっても彼女は一人で治療や魔法が使える。それに加えてシャオンは俺よりも強い、何かあっても対処はできる。どうだこのフォーメーションは!」

なるほど、悪くはない作戦だ。ただし一つ問題がある。――それは、

 

「ねぇスバル。その作戦って――」

 

「正直暗闇に男と二人きりにさせたくはないが、シャオンだったら大丈夫だろう! な?」

 サテラがスバルに対して何か言いたそうにしていたが、スバルは大きな声でかぶせるように話を逸らす。

 ――そうこの作戦の問題。それはスバル自身が危険を一番負うことだ。心優しい彼女のことだ、きっと反対するだろう。しかしこれ以上時間をかけるわけにもいかないのだ。だからシャオンもスバルに合わせて話を逸らす。

 

「はっはっはソウダネ」

「信用していいんだよな?大丈夫だよな!?」

 

 片言で返すとスバルの突っ込みが返ってきた。その様子にサテラは疑っていたが、なんとか話を逸らすことができたようだ。

 

「大丈夫よ。しっかりと私が迷子にならないようシャオンを見張っておくから!」

「そういう意味じゃないんですが!? この子たぶん天然だよ! そんなところもかわいいけどね!」

 

 サテラの天然発言を聞いてスバルがかわいさに悶えているがこれ以上時間をかけるわけにはいかない、スバルに対して作戦の開始を告げようとする。しかし彼もわかっていたのか、急に真面目な顔に変わる。

 

「んじゃサテラ、シャオン。行ってくる」

「……え? あ、うん。気をつけてね」

 

「できるなら”私のために頑張って”っていう台詞のほうがスバルくん的にはうれしいわけですが……」

 ――それでも心配をされてうれしいだろうに。いつもの強面が緩んでいるのを見て呆れる。

 

「ん、頑張って」

 スバルの要求にこたえる彼女、相変わらず素直だ。

「ああ、頑張る」

 

 そう笑顔を浮かべ盗品蔵の扉を開けようとスバルは戸の取っ手に手をかける。そこでシャオンは気づいてしまった。スバルの手が震えている(・・・・・)のを。

 

「――スバル」

「え?」

 スバルが振り返る前に、背中を力強くはたく。当然予期しない一撃にスバルはもだえる。

 

「え、え? どうしたの?」

「な、なにしやがる!」

 状況がいまいち把握できていないサテラとスバルのそれぞれの反応を見てシャオンは笑顔で答える。

「ん? 気合付け」

 

 サテラはその言葉を耳にしても首をかしげるだけだったがスバルは気づいたようだ。先の一撃で震えが止まっていることに、先の一撃はいわば震えを止めるために与えた一撃だということに。

 スバルがサテラに惚れていることは一目瞭然だ。一目ぼれ、という奴だろうか。まぁ要は……スバルのプライドのためだ。スバルも惚れた女の前で恐怖に震えている姿を見せさせたくないだろう。だからシャオンはそれを気遣い、恐れをごまかすように強い一撃を与えたのだ。

 

「頑張ってこい!」

「……あとで覚えとけよ!」

 

 互いに拳をぶつけ合い 見送る。にやりと笑いながらスバルは先ほどとは違って軽やかに蔵に足を踏み入れた。

「えっと、どういうこと?」

「はは、まぁ男にしかわからない問題さ」

 いつまでも首をかしげている彼女にはそう言ってごまかした。

 

 

 

「なんで、あんなになっても助けてくれるのかしら」

 スバル自身は彼女自身に気付かれたくなかったのだろうが、どうやらお見通しのようだった。救われない。

「一日一善、ってだけじゃないさ」

「教えては、くれないのよね?」

 

 抗議の目で見つめられるが、残念なことにその理由をシャオンの口から言うほど無粋ではない。

 

「スバルが戻ってきたらしつこく聞いてみるといいよ。あとさ、サテラ嬢。君がさ――」

 

 頭をかきながら言うかどうか悩んでいたが決心し言葉を発する。

 

「――偽名(・・)を使っていることに突っ込みはしないけど、できれば本名をいつか教えてほしい」

 シャオンの言葉にサテラは息を呑む。

 確信に至ったのはつい先程だ。いや、まだ百パーセントの確証はない。だがスバルが彼女の名前を呼んだ際、反応が遅れた。まるで呼ばれているのが自分の名前だと気づかないように。

 そこで、カマをかけてみたのだが案の定、当たったようだ。彼女はなにか言い訳しようと口を開いたが酸欠状態の魚のようにパクパクとさせるだけで声にはならなかった。

 やがて観念したようにサテラ、いや名の知らない彼女は小さく「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。

 

「別に怒ってないさ。でもね、徽章を無事取り戻すことができれば俺には無理でもスバルだけにでも本名を教えてあげてほしいな。たぶん飛ぶように喜ぶから」

 オーバーリアクションの彼のことだ、比喩表現ではなく、本当に飛ぼうとするだろう。

 

「……本当に怒ってないの?」

「誰にだって抱えているものがあるからねぇ。パックも言ってたろ? 今は互いの事情は置いておくって」

 

 そう、お互いに抱えているものはあるがそれは今は置いておくのだ。まずは互いの問題を解決することが優先だ。

 それに、今日一日の行動を見てきて彼女は悪い人間ではないことがわかる。だったら偽名を使うのにもきっとそれなりに重い事情があるのだろう。

 

「うん、わかった。無事徽章を取り戻せたら私の本名を教えてちゃんと借りを返すから」

「よろしい」

 満足げに頷くと同時に、倉のなかで何かが勢いよくぶつかるような大きな音が聞こえた。サテラと顔を見合わせ、尋ねる。

 

「――どうする?」

「私が行くわ、シャオンは誰も入らないようにして。流石にこの中で挟み撃ちにされたらきついから」

 確かに彼女が先に行けばもしスバルが怪我をしていても治すことが可能だ。もしも人質に取られていても彼女なら遠隔で攻撃ができる。

 

「何かあったら合図するから、その時は逃げて」

「それはお断り。ほら、はよ行きなさい」

 

 その提案を断ると彼女は不満そうだったが事態は急を要するかもしれないのだ。サテラもそれをわかっているのか急いで蔵に入っていく。

「さて、と」

 

 周囲に人の気配、人影がないか感覚を研ぎ澄ませる。あたりには風で木々の葉が揺れる音しか聞こえない。人も、いない。もともと人通りが少ないらしい貧民街だ、夜中になればなおさなのかもしれない。

 その様子に若干、警戒を緩める。すると、

「あ……れ?」

 突如、体に違和感を感じた。まるで今まで燃料を供給していたホースが切断されたかのようになにか”繋がり”が途切れたのだ。

 それを意識し始めると体から血液が抜けていくような感覚に陥る。それに伴って熱も抜け落ちていく。

「さむ、い?」

 体には傷一つない。なのに先ほどまでは寒さなどみじんも感じなかったはずの体が今では体が震えを起こすほどの寒さを感じている。震えが強くなるにつれ感覚がなくなり、ついには立っていることすら難しくなり地面に顔面から倒れる。

「っ!」

 落ちていた石によって額を切ってしまったようで熱い液体が伝うのがわかる。だがそれすら一時的なものですぐにまた寒さを感じる。

 寒い、寒い、サムイ、サムイ。全身を氷水につけているようなほど冷たさだ。

 視界がくらみ始めその寒さすら感じなくなったその時、

「――ぁ」

――雛月沙音は、死んだ。

 







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にどめの世界

いやー、遅れました


 ぼやけていた視界がハッキリと輪郭を取り戻し、シャオンの目に世界を写し出した。

「ここ、は?」

 眩しいほどの日差し、絶え間なく歩き続ける人々。そして――

「……兄ちゃん、見ない服装だな。リンガいるかい?」

 朝にお世話になった八百屋の店主、カドモンがある男性に話しかけていた。その男性の姿はジャージを着た目付きの悪い青年。間違いない、スバルだ。しかしここで疑問が浮かぶ。なぜスバルと自分がこんなところにいるのだろうか?記憶の限りでは盗品蔵の前で自分は立っていたし、スバルは盗品蔵の中に、それに偽サテラも追って入ったはずだ。

 だが彼女の姿は何処にもなく、スバルも盗品蔵とはかけ離れた八百屋の前にたたずんでいる。そしてもう一つ気になることがある。

「……なんで、日が落ちていないんだ?」

 シャオン達が盗品蔵にたどり着いたのは日が落ちたころ、しかし今はそんな様子はなく、さんさんと太陽が照っている。

 違いすぎる状況に混乱しながらも考えをまとめていると、

 

「買わねぇならさっさとどっかいきやがれっ!」

 

 カドモンの大声でシャオンは思考の海から抜け出す。そこには呆けた表情で怒鳴られているスバルがいた。どうやらカドモンに冷やかしだと判断され追い出されたのだろう。とりあえず今は

 

「スバル!」

「シャ、シャオンか? ちょっといま状況つかめないんだけど! なぜに俺は怒られてんでせうか?」

 

 どうやらスバルも状況がわからないらしい。だが、少なくとも自分のことは覚えているらしい。

そのことに安心しながら、確認をとる。

 

「……とりあえず、お前は盗品蔵に入った。それはOK?」

「ああ、それで……」

 

 スバルが言葉の途中で詰まらせる。その顔色はより酷く、土気色だ。

 

「スバル?」

「ああ、何でもない」

 

 今のスバルの様子を見て、何もなかったと思える人間などほとんどいないだろう。シャオンはため息をつきながら追及する。

 

「スバル、今は状況把握が大事だ。それはお前もわかっているだろ?」

 

 そう、蔵の外にいたシャオンにとっては蔵の中で何が起き、スバルがどうなったのか何一つ情報がないのだ。今どうなっているのか、どうすればいいのかを考えるにはスバルから情報を得るしかないのだから。

 

 真剣なまなざしで見つめるとスバルは若干言いづらそうにしながらも口を開いた。

 

「信じてくれるかわかんねぇけど……蔵の中で誰かに襲われて、死んだ」

「……どんなふうに?」

 真面目に聞いてくれたことからスバルは先ほどよりも幾分か簡単に言葉を吐き出した。

 

「たぶん、刃物によって腹を裂かれたと思う。犯人の姿は暗くて見えなかったけど……」

 

 そこでスバルは思い出したかのようにシャオンに詰め寄った。

「そうだ! サテラは!? 大丈夫なんだよな!?」

 肩を強く握られ、揺さぶられる。おそらくスバルは彼女がどうなったのか知っているのだろう。しかしその事実を否定したく、シャオンに意見を求めた。

 スバルの気持ちを考えれば言いづらいのは事実だ。だが、真実はしっかりと伝えなければならない。

 

「……たぶん、死んでいるだろう。俺も、だ」

 

スバルが死んでいるのだ。そのあと盗品蔵の中に入った彼女も死んでしまっているだろう。よしんば死んでいなかったとしても現段階でその事実を確かめることはできない。

 そして、シャオンが味わったあの感覚。

 恐らく、あの後自分は死んだのだろう。そう考えるほうが可能性が高い、原因は同じくわからないが。そして、スバルの話してくれた情報をもとに頭の中で考えをまとめ、一つの仮説がシャオンの中で生まれた。

 

「スバル、落ち着いて聞いてほしい。これは仮説だけど」

 

 そう前置き、袋一杯に入ったリンガを見ながら続ける――数時間前には半分まで減っていた(・・・・・・・・・)はずのリンガを。

 

「――たぶん、時間が戻っている(・・・・・・・・)。お前の死を起点に」

 

 そう、いわゆる死に戻りというものを経験しているわけなのだ。

 

 青い顔で石段に腰掛け、空を仰いでいるスバルにカドモンから借りた冷たい布巾を渡す。スバルはそれを力なく受け取った。

「大丈夫か?」

「いや、結構きつい」

 その表情には本当に余裕がなく、目を離すとどこかに行ってしまいそうなほどの弱さをスバルから感じられた。

 

「お前はどうして落ち着いていられるんだ? 死んでんだぞ?」

「これでも動揺しているよ。だが、どちらか冷静にならなければだめだろう」

 

 スバルが動揺しているのをみてかえって冷静になったのだが 、それはあえて言わないでおく。

 そして、ようやくスバルも落ち着いたようで、大きく息を吐くとあることに気付いたようだ。

 

「……そういえば俺とお前は戻ったていう記憶あるけどほかの奴らは認識してないんだな」

 

 そう、先ほどのカドモンの反応はどう見てもこちらを覚えているやり取りではなかった。一回目の世界では他の人物と接触をあまりしていなかったので判断に困るが、おそらく彼らも覚えていないだろう。

 

「それは……俺たちが異世界から来たからか?」

 条件としては一番それが当てはまるが確たる証拠がない。だから正直に結論を言おう。

「――わからない。全然わからないことだらけだ。だからまずは、盗品蔵に向かうことを提案したい」

 そう、盗品蔵。あの場所に行けば何かがわかるだろう。スバルもシャオンの提案に応じ、盗品蔵に向かおうとする。そして

 

「おい、兄ちゃんたち。待ちな」

――見事に一度目と同じごろつき達に絡まれてしまった。

「わざわざ前回とは違う路地に来たのにどういうことだよ」

「そもそも路地裏を通ることが間違いだったかな」

 これにはシャオンだけでなくスバルも苦笑いを浮かべる。彼らとの接触は必然であるのだろうか?

 

「有り金を全部置いていったら、ひどいことはしねぇよ」

「ははは、わかりました。今渡しに行きますね」

 要求に素直に従おうとするシャオンの言葉に抗議の意を唱えようとするスバル。しかしそれを手で制する。

 そうして下手に出たことにごろつき達は油断し、下種な笑みを浮かべ、シャオンに近づく。そんなごろつき達の、ナイフをもつ男のその喉元を目掛けて蹴りを放つ。

「んがっ!?」

 急な一撃に男は対応などできるわけもなく、短い悲鳴を漏らしながら吹き飛ぶ。男は二度ほど体を震わせ、それっきり動かなくなった。

 

「てめぇ!!」

 硬直から脱した男がシャオンにつかみかかろうとする、しかし

「俺もいんだよ忘れんな!!」

 スバルが巨漢の胴体に抱きつくようにして腕を回す。そして腕、足、腰、ついでに顔に力をいれる。そう、いわゆる――

 

「くらえ! バックドロップッ!!」

 

 スバルの叫びとともに頭から地面に見事に叩きつけられ、男は泡を吹き、白目をむきながら気絶した。

 仲間の二人がやられ、三人いたごろつきは残り一人。すると男は流石に不利だと悟ったのか仲間たちを見捨ててシャオンたちから背を向け、逃げ出す。しかし、慌てたせいで足がもつれ転んでしまう。

 その隙にシャオンは男がもっていたナイフを拾い上げ、男に近づき首元に添える。

 

「ちょいと、聞きたーいことがあるんだけどいいかなぁ?」

 できるだけ恐怖を与えるような声色で語り掛ける。男は小さいながらも頷く。

 

「盗品蔵の主、わかる? 情報知りたいんだ俺たち」

「し、しらねぇ! だけど……巨人族ってのは聞いたことが――」

「それは知ってる」

 

 シャオンはナイフを首もとにさらに近づける。もっといい情報が無ければこのナイフが男に刺さるという暗示を込めてのものだ。勿論シャオン自身そこまでする気はないのだが、そんなことを知る由もない目の前の男はさらに体を震わせる。そして、刺されまいと男は必死に考えて、一つの情報を口にした。

 

「ま、孫娘がいるらしいっ!」

「孫娘?」

 

 予想外の単語にシャオンは聞き返す。その反応に男は好感触を得たと思ったのか慌てて話し出す。

「た、確か名前はフェルトって奴だ! 金髪、赤目の女! 盗品蔵によく出入っているらしい!」

 

――徽章を盗ったであろう女の特徴だ。

 男にさらに詳しく話を聞こうとした瞬間、

 

「ぺっ!」

「ぐっ!」

 男がシャオンの目をめがけて唾を吐きかけた。予想だにしない反撃によけることができずそれをまともに食らってしまう。

 

「はっ! じゃあな糞やろうっ!」

 男はそんな捨て台詞をこぼしながら走り去ってしまった。拭いおわったころにはもうそこには倒れた二人以外には誰もいない。

 

「……とりあえず、盗品蔵に向かうことがつながるな。あ、こいつら、どうする?」

「無視しよう、どうせ死なんさ」

 

 男のつばで汚れた顔面をふきながらシャオンは不機嫌そうに答えた。

 

 

 前回、カドモンに教えられた道筋を覚えた限りでそのまま通ると以前よりは幾分か早く盗品蔵に着くことができた。

 ――この盗品蔵の中に、求めている答えがあるのだ。

 

「ビビんな、ビビんな、ビビんなよ、俺。バカか……いや、バカだ、俺は。ここまできて答えを見ないでなんて帰れるかよ」

「そもそも、帰る場所なんてどこにもない。いくよ」

 

 シャオンに言われ意を決してスバルは前を向き、歩き出そうとする。しかし膝が笑い、がくがくと震えて言うことを聞かないだろう下半身をシャオンは目にした。あれでは1歩を踏み出すのも時間がかかるだろう。

また、叩いて根性を出させるかとでもを考えていると、スバルは自身(・・)でその膝がしらに拳を打ち込んで、無理やりに震えを落ち着かせた。

「……よしっ行くか!」

 その突拍子もない行動に驚いているとスバルは深呼吸して足を進める。そのあとにシャオンはスバルの成長を微笑ましく思いながら続く。

 橙色の日差しの中、盗品蔵の扉は無言で来訪を拒絶しているようだった。だがそんなことなど気にする暇などない、スバルも同じ気持ちのようだ。

 

「誰か、いますか」

 

 スバルはその木造の扉を軽くノックした。意外と鈍い音が中にも外にも響いたはずだ。が、返ってくるのは居た堪れなくなるほどの無音と無言。

「誰か……誰かいるだろ! いてくれよ、頼むよ、返事してくれ……頼む」

 

 焦り、恐怖、そして認めたくない現実を否定したいからだろう。スバルは戸が軋むほどに拳をぶつける。その強さに拳からはうっすらと血がにじんでしまっている。

 

「スバル、落ち着け。こういう時は――壊すに限るっ!」

 スバルを下がらせ、開かない扉を乱暴ながらも蹴り破ろうとしたとき――そんな頃になってだ。

 

「――やめんかぁ!! 合図と合言葉も知らんで、そのうえ扉を壊そうとするやつがどこにおる!!」

 

 目の前の扉が勢いよく開いて、へたり込むように体重を預けていたスバルが吹っ飛び、蹴り破ろうとしたシャオンは体制を崩して転んでしまう。

 スバルは盗品蔵の入口から五メートル近く後ろに飛ばされ、シャオンは扉を開けた人物を間近で見上げる羽目になった。

 その驚愕に見開いた瞳の中に、入口で顔を真っ赤にさせた老人がスバルを、そして近くにいたシャオンにも気付き睨んでいる。

 

 大柄で、禿頭の老人だ。

 元は白かったのかもしれない上着は、埃と長年の汗で茶色く変色し、臭いもどぶ川のようにひどい。見るからに不衛生な有様だ。その衣服の下には筋肉質な肉体が詰まっていて、その年齢を感じさせる見た目に反して弱々しさの一切を思わせない強靭さが見え隠れする。

つまるところ、体のでかい超元気そうな爺だ。それが盗品蔵の入り口を塞ぐように立っていた。

 

「なんじゃお前ら! 見覚えのない面ぶら下げて、何しにきたんじゃ! どうやってここを知った、どうやってここに辿り着いた! 誰の紹介じゃ!」

「そんなに一度に質問はよしてくれよ」

 

 すさまじい勢いで唾と大声を出しながら質問してくる爺は距離を詰め、その巨大な掌でスバルとシャオンの首根っこを掴みあげる。

 浮遊感を味わい、自分の体が地を離れていることに気付く。よほどのことがない限り負けない基礎体力も、よほどの相手が相手ではこれだ。

チラリと横を見るとスバルも身長が二メートル近い爺に担がれてしまいすっかり抵抗の気力もなく、

 

「――お近づきに印に、おひとつどうぞ」

 憤怒の感情一色の顔に向かって、まるで供物を献上するようにコーンポタージュ味の菓子を投げ込むの見て、倣うようにシャオンもリンガのひとつを投げ入れた。




感想、アドバイスお待ちしております。


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巨人族との交渉

 互いに猛烈な印象を与えただろう出会いのあと、二人は盗品蔵の中に招き入れられていた。

 入口から入ってすぐのカウンター、そこに備えつけられた来客用の固定椅子に座り、居心地悪く尻の位置を直す。

 

「なんじゃさっきからもじもじしおって……タマの位置がそんなに気になるか」

 

「別にチンポジ気にしてるわけじゃねぇよ。ってか、下で会話始めんなよ。あと菓子全部食うな」

 

スバルが落ち着かないのもわかる。この椅子の座る部分がささくれだっているせいで、動かさなくても尻に鋭い刺激があるのだ。贅沢は言っていられないがもう少しましなものはなかったのかと思う。

文句を言っても仕方ないので我慢しながら視線を前に向ける。

 カウンターの向こう、本来なら店主の定位置となる場所に立つのは大柄の老人だ。彼はその筋骨隆々な体からすると小さな菓子袋を持ち上げ、注ぐように豪快に食べていた。

「あーっ! 全部食いやがったな!?」

「なんじゃケチ臭い。こんなうまいもんをひとり占めなんぞ、地獄に落ちるぞい」

 

「そんなうまい他人のものを勝手に食うジジイは地獄に落ちないのか。スバルくんは疑問に思うのですが」

 

「年寄りは敬えばこれぐらい許すのが当たり前じゃぞ。まったくこれだから若い奴は……うまうま」

 

 身を乗り出して腕を伸ばし、どうにか老人の腕から菓子袋を奪い取る。が、すでに中身の大半は老人の腹の中に収められたあとだ。有るのはもう少しの欠片のみだ。  

「ああ……貴重なコンポタが。もう二度と味わえないかもしんないのに」

 

「なんじゃ、そんな貴重な食い物だったか。なんじゃったら残りは複製魔法でも依頼したらどうじゃ」

 

「複製魔法?」

 聞きなれない言葉に項垂れるスバルを余所に聞き返す。

 

「ひとつの物を二つに増やす魔法じゃな。生き物なんかだと真似できるのはガワだけじゃが、食い物あたりなら複製できるんじゃないかの」

 

 「味は劣化するかもしれんが」とつけたし、指についたコンポタの粉を舐めながらの老人の言葉に、魔法の便利さをさらに思い知る。

 

複製魔法、治療魔法に氷の魔法。恐らくは風や土、炎等の魔法もあるのだろう。あらゆる意味で万能なんだなとシャオンは感心する。

ふと、なんとなく室内をぐるりとひとめぐりしていた。勿論、スバルもだ。

夕刻の盗品蔵――そこに、スバルが語った惨劇の跡は一切感じられない。統一感ゼロの品々が所狭しと並び、蔵の中の広いスペースを無造作に覆い尽くしている。

そんな視線に気付いたのか、目の前の老人は意味ありげに目を細めて、

 

「なんじゃ小僧ども――盗品に、興味があるのか?」

 と、こちらの核心を突いてきた。

 

大柄の老人――ロムと名乗った人物との交渉は思いのほかスムーズに進んだ。用事があって訪れたこと、盗品蔵の噂話を聞いてきたこと、それらを伝えてロム爺に納得してもらい、こうして互いにカウンターについている。

 カウンターの向こう、ロム爺はそのたくましい腕を台の上に乗せて、薄汚れたグラスに酒を注ぎながら小さく笑い、

 

「ま、ここにくる奴の目的なんぞ二つにひとつ。盗品を持ち込むか、盗品自体に用があるか――そのどっちかじゃからの」

 

「確かに、目的の一個はそれだ」

 

「一個? んじゃ別の用件もあるってことかの?」

 スバルの条件付きの肯定にロム爺の片眉が上がる。

「その前にちょいとタイム……シャオン」

「なんだい?」

 神妙そうな表情でこちらに小声で声をかけるスバルに嫌な予感を感じながら耳を傾ける。

「ロム爺に会って思い出せたんだが、この爺さんも死んでいた。蔵の中で」

 

 驚きを顔に出さなかったのは奇跡に近かったかもしれない。

 

「……OK。んで?スバル。確認するのか?」

 

 スバルは頷き、それから躊躇いがちに、馬鹿にされるのを覚悟で問いを作った。それは、

 

「馬鹿げた話なんだが……爺さん、最近、死んだことないか?」

「アホ」

 余りにも直接的に訊ねたスバルの頭を反射的にはたく。文句がありそうにこちらをにらむスバルにため息をつく。

 

「そんまま訊く奴がいるか」

「しゃあねぇだろ、上手い聞き方思い付かなかったんだから。それに案外シンプルが一番いいかもしれないぜ」

 

 スバルの問いと視線を受け、ロム爺はしばしその灰色がかった双眸を見開き、それからふと時間が動き出したように破顔した。

 

「がははは、何を言い出すかと思えば。確かに死にかけのジジイなのは認めるが、あいにくと死んだ経験はまだないな。この歳になればもう遠い話じゃないと思うがの」

「なんつージョークだよ」

 

 当人以外は笑えないジョークを口にしながら、ロム爺は「飲むか?」とグラスをスバルの方にも勧める。つんと鼻を突くアルコール臭を手振りで遠慮して、スバルは「悪い」と言葉少なに今の発言を詫びる。

 

 今、こうして言葉を交わしているロム爺だが――スバルの話では彼の死体を見たらしい。

 しかし、その話を否定するように、ロム爺はスバルの目の前で大柄な体を窮屈そうにカウンターの中に押し込めている。グラスを傾ける赤ら顔には確かに血の気が通い、死とは程遠い顔色だ。

――どこからどう見てもロム爺は間違いなく生きている。

 ちらりとスバルのほうに視線を向けると頭を押さえながら目にわかるように狼狽している。

 

「あの感覚の全部が、夢だってのか……? だったらどっからどこまでが夢で、俺はどうしてこんな世界にいるんだよ」

 

 焦燥感が忘れさせていただろう泣き言が、腰を落ち着かせる場所を得てこみあげてきたのだろう。若干の現実逃避をしているスバルのためにシャオンはロム爺に一つの確認をする。

 

「ロム爺さん、ここで銀髪の女の子を見てないか?」

 偽サテラが存在すれば夢でないとスバルも確認できるだろう。だがロム爺は首をひねり、

「銀髪……? いや、見とらんな。そんな悪い意味(・・・・)で目立つ見た目なら忘れんし。いくら儂の頭にガタがきてたっての」

 

 がはは、とロム爺は豪気に笑い飛ばすが、それを受ける二人の表情は優れない。

その態度に真剣さを感じ取ったのか、ロム爺はぴたりと笑いを止めると、

 

「飲め」

 ずい、と再びスバルの前にグラスが突き出されていた。

 空のグラスに酒瓶を傾け、なみなみと琥珀色の液体が注ぎ込まれる。それを黙って見守るスバルに対し、ロム爺はもう一度「飲め」と短く言った。

 

「悪ぃけど、そんな気分じゃねぇよ。それに酒飲んで悪ぶるほどガキじゃねえんだ」

そのスバルに言葉に鼻で笑い、

「阿呆が。酒飲んで悪ぶれんのをガキと言うんじゃ。グイッと飲んで、腹の内側を燃やしてみろ。熱さに耐え切れなくなって、色んなもんが吐き出てくる」

 

 「だから飲め」とロム爺は三度、グラスをスバルの方に押しやってくる。

 その強硬な態度に気圧され、グラスを手に取り、赤い色の液体に鼻を近づける。濃厚なアルコール臭が鼻孔を鋭く叩き、思わずむせそうになってスバルは渋い顔。だが、そんな否定のスタンスを作る一方で、ロム爺の言葉に従ってしまいたい、と葛藤しているのがわかる。

 

「ええい……ままよ!」

 

スバルはグラスを傾けて、酒を一気に喉に向かって流し込む。

「っぷはぁ! があ! マズイ! 熱い! クソマズイ! ああ、マズイ! もう一杯何て言えねぇ‼」

 

「何回も言うな、罰当たりが! 酒の味がわからん奴は人生の楽しみ方の半分がわからん愚か者じゃぞ。ほれお前さんも」

「あ、すいません」

 

 シャオンも渡されたグラスに酒を注ぎ口にする。度数がどれほどの酒だったのかわからないが、直後に全身が火照るのを感じる。酒のとおった喉がやけどしたように感じる。味の良しあしというよりも度数が強すぎる気がする。下手をすれば消毒用アルコールのような感じすらある。

 酒にはあまり詳しくないが、この酒の感想を述べるとすると

「……うん、不味い」

「なんじゃと!」

 こみ上げる熱を吐き出すスバルと素直な感想を述べたシャオンに、ロム爺は怒鳴りながら同じく酒を口にする。豪快に、グラスに注がずに酒瓶をひっくり返してラッパ飲みだ。

シャオン等の飲んだ量のゆうに三倍以上を喉に通して、荒っぽいげっぷをして老人は笑う。

「てか俺ら未成年飲酒じゃね? 憲兵に捕まってゲームオーバー?」

「この世界では法律がどうかわからないからなぁ。ま、俺は二十一だから大丈夫だと思うが」

「マジで!? お前俺より年上!?」

「言ってなかった?」

「まじか、同年代かと」

 

 信じていた仲間に裏切られショックを隠せないスバル。だが先ほどまで受けていたショックからは抜け出せていいるようだ。

 

「これで、ちったぁ吐き出せそうな気がするか?」

「……ああ! ちっとだけな! 爺さん、もう一個の目的の方を果たすぜ」

 

 笑いかけてくる老人から顔を背けて、スバルはこぼれた酒を袖で拭いながら蔵の奥を指差す。そちらにはそこらに転がる粗悪品と違い、値の張る盗品が置かれているはずだ。

ロム爺の顔が真剣味を帯びる。それを見ながら、スバルもまたはっきりと、

 

「宝石が埋め込まれた徽章を探してる。――それを譲ってもらいたい」

 

己の目的を言葉にして告げた。

 

当初の目的――サテラと名を偽った少女、彼女の安否の確認とは別に、ここへ訪れた本来の理由だ。

盗まれたという宝石入りの徽章。理由こそ知りはしないが、彼女にとっては危険を冒してでも取り戻す必要のある一品。

 貧民街に持ち込まれた盗品ならば、必ずここを通ると聞いてきたのだ。せめて徽章が実在してくれれば、今までのことが全て夢だという下らないオチは免れるのだが。

 そんな縋るような思いを込めた要求に対し、ロム爺はしかし難しい顔をして、

 

「宝石の入った徽章……いや、悪いがそんな品物は持ち込まれておらんぞ」

 

「……本当にか? よく思い出せよ。ボケてんじゃねぇのか、ガタがきて。それか酒の飲み過ぎ」

「まて、スバル。ロム爺、持ち込まれてはいないんだね?」

 

 シャオンの問いかけに、ロム爺は意味ありげにニヤリと笑い、

 

「お前さんは鋭いのぉ。そう、実は今日は大口の持ち込みがある、そう聞いておる。――宝石入りの徽章とやらなら、十分にその可能性がある」

 

「持ち込むのはひょっとして……フェルトって子か?」

「なんじゃ、しっておるのか?」

「ああ、見事に盗んだ相手だよ」

拍子抜けしたようなロム爺の言葉に、スバルは思わずガッツポーズをとる。徽章を盗んだと思われる少女、フェルトの名前がここで出たのだ。ならば当然、徽章を盗まれたあの少女の存在を証明することもできる。夢などではないのだ。

 

「妙な安心しとるとこ悪いが、持ち込まれてきたもんをお前さんが買い取れるかどうかはまた別の話じゃぞ? 宝石付きの徽章となれば、それなりの値でさばけるだろうしの」

 

「ハッ! いくら足下見たって無駄だぜ。なにせ俺は一文無し!」

 

「話にならんじゃろうが!」

 

いざ交渉で値を釣り上げようとでも思っていたのか、肩すかしを食ったようにロム爺が怒鳴る。が、スバルはそんなロム爺に対して立てた指を左右に振り、

 

「ちっちっち。確かに俺は金はない。だ・け・ど! 世の中、物を手に入れる手段はお金だけじゃない」

 

 チラリとこちらに目配せをしてくるスバルに対して言葉を継く。

「物々交換って手段。てことで」

 

口を閉じるロム爺から反論はない。続きを促す沈黙に頷きで応じて、スバルはズボンのポケットをまさぐった。そして、抜き出すその手が握るのは、

 

「――なんじゃこれ。初めて見るの」

 

「これぞ、万物の時間を切り取り凍結させる魔器『ケータイ』だ!」

「お、ガラケーか。俺はスマホ」

 

 続けてシャオンもパーカーの上ポケットからスマートフォンを取り出す。

 コンパクトなサイズの白い携帯電話に黒いスマートフォン。初めて見るその姿に目を白黒させるロム爺に対し、スバルは素早く操作を入力し――直後、薄暗い店内を白光が切り裂いた。

 パシャリ、と効果音が鳴り響き、光を向けられたロム爺が大げさに驚いてカウンターの向こうに転げる。そのリアクションの大きさにスバルが思わず笑うと、

 

「なんじゃ今のは! 殺す気か! 怪しげな真似しおって、あまりジジイを舐めるでない」

 

「まあ待てまあ待て。深呼吸して落ち着いて、そんでこれを見てみんしゃい」

 

 酒とは違う原因で顔を赤くするロム爺。その迫力満載の顔面にスバルはずいと携帯の画面を押し付ける。胡乱げな目でロム爺は下がり、その小さな画面に目を凝らして――その目を見開いた。

 そこに映っているのは、今、撮影したロム爺の呆け顔だ。

 携帯電話のカメラ機能、それを使っての撮影。当然、そんな技術はこの世界には存在しまい。予想通り、ロム爺は食い入るように画面を見据えながら、

 

「これは……儂の顔、じゃな。どういうことじゃ?」

 

「言ったろ? 時間を切り取って凍結させるって。この道具でさっきのロム爺さんの時間を切り取って、この中に閉じ込めたんだ。ほらシャオンも」

 

スバルに頼まれシャオンは彼に向けてカメラを構えて撮影。

結果を知りたがるロム爺に再度画面を見せると、今度はピースサインを決めるスバルの顔が画面に表示されている。

「こんな感じで時間を切り取れるわけ。こんな無駄遣いじゃなくて、本当はもっと記念になるような絵を残すのに使われるんだけどね」

「無駄遣いって、酷くないでしょうか!?」

 

「なるほど……確かに、これは……ううむ」

 

どうやら交渉は悪くはない流れだ。その予想を保証するかのようにロム爺は携帯電話を手に取って眺めながら、つぶやく。

 

「初めて見るが……これが話に聞く、『ミーティア』というやつかの」

 

「ミーティア?」

 

聞き慣れない単語の出現に二人で首を傾げる。ロム爺は「うむ」と頷き、

 

「ゲートが開いていないものでも、魔法を使えるようにできるという道具のことじゃ。とはいえ……儂も見たのは初めてじゃがの」

ロム爺は感心したように呻き、しげしげと舐めるように見ていた携帯をカウンターへ。

それから改めてスバルに向き直ると、

「こいつの価値は確かに計り知れん。儂も長いことこの商売しとるが……ミーティアを扱うのは初めてじゃからの。じゃが……これまでにない値がつくのは間違いない。しかもそれが二つと来ている」

 初めてみたそれを商売品として扱えることに興奮があるのだろう。ロム爺はわずかに声を震わせながら「それだけに」と前置きし、

 

「物々交換にこれを出すのは少し、いや大分お前さんらに損が大きすぎる。その徽章の価値はわからんが、これ以上ということはあるまい。単純に金額だけで比べるなら、これを売りに出した方がよっぽど得じゃぞ?」

 

貧民街の奥で、盗品を取りまとめてさばく裏稼業。そんな稼業の元締めをしている人物とは思えないロム爺の忠告だ。それはこの世界の知識がないに等しいシャオンたちにとって魅力的な忠告であることは間違いない。

 魔法も使えなければ、飛び抜けた強さがあるわけでもない。知識も皆無な上に字すら読むことができず、さらに最悪なのは無一文であるという悲しき事実。

 そんな八方ふさがりを、この携帯電話を売ることができれば切り開くことができるのだ。しかもそれがシャオンとスバルの分で二つ、少なくとも金銭面での心配は当面なくなるだろう。

 明日の食事にも当たり前のように困る未来が見えているだけに、それは喉から手が出るほどに欲しいもので、選んで当たり前の選択だ。だが、スバルは少しの迷いも見せずに答える。

「ああ、それでいい。このミーティアは、フェルトが持ち込む徽章と交換する」

 当然ロム爺は訝しがる。

「なんでそこまでする? このミーティアよりも値が張るのか? 金に代えられん価値があるとでも言うのか?」

 

 徽章の価値を問い質す一方で、金より大事なものなどあるわけがない、とでもいいたそうな嘲笑めいた感情すら見え隠れする。

 こんな場所で暮らす彼のことだ。金より大事な物の存在など、概念的にはわかっていても実際にそれと認めることは容易くはできないのだろう。そんな価値観があることは否定しない。

 事実この盗品蔵にたどり着くまでには金が大事で、それを得るためだけに生きているような人間も何人かいた。ただ、それを否定することはこの世界に来た自分たちにはできない。

 

「ぶっちゃけ、俺はその現物を見たこともない。耳にしただけだ。だけど金に換えても正直、この魔法器より高いってことはないだろうし、丸損間違いなしだってことは馬鹿な俺でもわかる」

 

「そこまでわかっとるなら、なんでそんなことする?」

 

「決まってんだろ。――俺は損がしてぇんだよ」

 

ロム爺が三度、目を白黒させ、視線をスバルからシャオンに移す。その目はこいつが冗談を言っているのかと問いかけているようだ。その問いにシャオンは「本気で言っている」という意味を込め苦笑いで答える

 

「俺は恩返しがしたい。貸し借りはきっちり返す。そうでなきゃ気持ちよく寝られねぇ。――だから、大損してでも徽章を手に入れる」

 

「ふむ……今のを聞くに、つまり徽章はもともとお前さんのもんじゃないんじゃな?」

 

「俺を助けてくれた銀髪美少女の持ちもんだ。なんでか知らないけど大切なもんなんだと」

 

「その恩人は? 一緒じゃないのか?」

 

 至極当然の疑問だ。しかしスバルは

 

「目下、捜索中! っていうか、ひょっとしたら助けてもらったのも、その美少女の存在自体も命の危機に扮して見た妄想かもしんない!」

 

 スバルはグッと拳を握りしめて、先ほど否定した不安を口に出して笑い飛ばす。

――徽章を手に入れて、きっともう一度、あの少女に出会おう。

 そんな決意を固めるスバルを見下ろしながら、ロム爺は心の底から珍妙なものを見るような目で、

 

「――お前さん、相当なバカじゃのぉ。なぁ?」

「ああ、ほんとにね」

 シャオンに同意を求め、それに肯定し互いにあらゆる感情を吹っ切って、ただ楽しげに笑ったのだった。



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交渉、開始

 現在、蔵の中にはシャオンとロム爺の二人しかいない。スバルは酒の酔いを醒ますため、フェルトが来た際の事情説明をするために蔵のすぐ外にいる。

 

「それにしてもロム爺、この盗品蔵、これだけ規模がでかいってことはやっぱり盗品も多いの?」

「そりゃあそうじゃ。大抵の品物はあるぞ」

誇らしげに胸を張るロム爺だが、褒められることではないことを自覚してほしい。だが今はそんな感想はおいておいて、本題に入る。

 

「――防具と何か武器になるものない? できれば軽いやつ」

 

 異世界の危険性についてはある程度理解できた。だったら武器が必要だ。いくらなんでも素手でこの先乗り越えることは無理だ、しかもスバルを殺したという輩に対しても有効になるだろう。

 そう思って尋ねてみると、

「ふむ、待っておれ」

 ロム爺は少し考えた素振りの後、蔵の奥に進んでいった。数秒後、戻ってきたロム爺の手の中にあるものが握られていた。

 

「ほれこれとこれでどうだ」

 

 そうしてロム爺は一本のククリナイフと二つの手甲をシャオンの前に置いた。

 ナイフを手に取り、軽く凪いでみる。重すぎず、かといって軽いわけでもない。刃を見てみると刃こぼれさえない。上等なものかもしれない。

 手甲も装備してみる。多少は重いが、動きに支障は出ない。

 

「えと、お代だけど」

 

 こちらでは元いた世界の通貨は価値がないのはわかっている。だが物々交換ではどうだろうかと思い上着のポケットをまさぐり、交換できそうなものを探す。

 しかしロム爺は頭を振り、シャオンに語りかける。

「いらんいらん。どうせおぬしら訳ありじゃろ?その上質な服装にミーティアを二つも持ち合わせているのじゃ、位もかなり高い二人組のお忍びといったところじゃろう」

 その予想は大きく外れているのだが、うまく勘違いしてくれているのだ。余計なことも言わないで頷いておくことにする。

 

「おぬしらがその気になればフェルトのことなどなんとでもできように。しかしそれをしなかったのじゃ、これくらいのことはせんとな」

「ロム爺、貴方フェルトのこと大事にしてんだね」

 シャオンがそう口にするとロム爺はなにかを思いだすかのように眼を細め呟く。

 

「まぁ、の。付き合いもそう短くはないからの」

 ロム爺と彼女との関係は詳しくは知らない。だが、ロム爺は彼女のことを大事な存在だと今のやり取りで伝わってくる。そのことにシャオンは微笑ましく思う。

 そんな雰囲気の中、一つ気になることがあったことを思い出す。

 

「あ、もう一つ聞きたいんだけど――銀髪が悪い(・・)意味で目立つってどういうこと?」

 先程の会話中に引っ掛かった言葉だ。ただ単純に銀髪が目立つ、というならばまだ物珍しいという意味で目立つだけだろう。だが悪い意味とはいったいどういうことだろうか。

 シャオンの疑問にロム爺は変な質問をされたとでも言いたそうに眉をひそめる。

 

「知らんのか? 嫉妬の魔女の特徴じゃろ」

「嫉妬の、魔女?」

 

 聞いたこともない単語を繰り返すとロム爺は酒を口に含んでから口を開く。

「銀髪のハーフエルフ、六人の大罪の魔女を滅ぼし世界の半分を飲み込んだ史上最悪、最強の魔女」

 古い童話の決まり文句のように紡がれる言葉。

 世界の半分を飲み込んだ、という嘘みたいな話。だがその言葉を発する彼は冗談をいっているようには見えない。

 

「まぁほかの魔女といっても実際に見たことはないが……知り合いに似たようなやつもおったし、何よりダフネの負の遺産というもんがあるからその逸話も真実味があるのじゃろう」

「ダフネの負の遺産?」

 

 嫉妬の魔女と同じように不穏な響きのする言葉に冷や汗を流しながらも再度尋ねる。

 

「暴食の魔女ダフネ。白鯨、大兎、黒蛇の三匹の怪物を生み出した存在じゃ。黒蛇なんかは今でも傷跡が様々な場所に残っておる」

 その怪物や暴食の魔女とやらにも興味はあるが、今は本題はそれではない。話を戻すために一度咳ばらいをし、ロム爺に再び問いかける。

 

「なぁ、その嫉妬の魔女の名前ってなんていうんだ?」

 

 銀髪のハーフエルフは嫉妬の魔女の容姿。嫉妬の魔女は忌み、恐れられる存在。そんな存在と同じ見た目の人物は同じく虐げられ、さらに名を騙る人物などどこにもいないだろう。

 だがもしも自分に近づく人間を遠ざけようとしたら? その名を騙るだろう。

 なぜ、遠ざけようとしたのかまではわからないが心優しい彼女のことだ、大体想像できる。

 ――恐らく、嫉妬の魔女の名は

 

「……あまり口にしとうないが……嫉妬の魔女の名は――」

 

 ロム爺は小さく口を開け、その名前を発しようとした。その瞬間――蔵の入り口の扉が叩かれる音が響いた。

 

「フェルトじゃろう、どれ」

 ロム爺は入口に向かって歩いていく。もう少しでその嫉妬の魔女の名前がわかったのだが、本題はフェルトとの交渉だ、それを遮ってまで聞く必要はない。

 

「大ネズミに」

「毒」

「白鯨に」

「釣り針」

「我らが貴きドラゴン様に」

「くそったれ」

 

 テンポよく合言葉を言い合うと重い扉が開かれた。その扉の先には金髪の髪をした少女フェルトと、外で待っていたスバルがいた。

 

「待たせちまったなロム爺、撒くのに手間取っちまった」

 

 申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべるフェルト。しかし、シャオンの姿を目にすると途端にそれも崩れる。

 

「それと、大口を持ち込むから人払い頼んでおいたはずだよな? ロム爺、誰だこいつとそいつ」

 

 外で待っていたスバルとロム爺の近くにいるシャオンに指差しながら警戒をする。

「スバル、事情説明したんじゃないの?」

「見事に、失敗しました!」

 歯をきらめかせ親指を立てながら誇らしげに失敗を報告するスバルに近づき、頬を殴りぬく。

「ひどい! 父さんにだって殴られたこと無かったのに! たぶん」

「オーケー。なら俺がスバルの父さんの代わりにぼこぼこにしてやんよ」

 

「……本当に、なんだよこいつら」

 

 その様子を見てロム爺は豪快に笑う。

「そう警戒するな、こやつらはその大口に関係しておる」

「ロム爺まさかアタシを売ったんじゃないだろうな?」

「ワシとお前とのなかでそんな不義理なことはせんよ。なにお前にも得があると踏んでおる話じゃ」

 

 片眼をつむりこちらにウインクをしてくるロム爺。その光景にシャオンは苦笑い、スバルは爺がウインクするという体験をし気持ち悪さからえずく芝居をする。

 そんな様子をみてもフェルトはいまだ警戒を解かない。そこでスバルがフェルトに向き直り語り掛ける。

「そんな怖い顔すんなって、ほらスマイルスマイル」

「おぞましい顔見せんなよ……何企んでるか知らねーけどアンタたちの話があたしにとって金になるんだったら、本題に入っていいぜ?」

 

「俺たちがほしいのは宝石が埋め込まれている徽章だ。持っているんだろ?」

 

 フェルトはその言葉に目を見開き、ついでスバルから距離を取る。

 フェルトが目当ての品を持っていることを確信しているかの言い様に当然彼女は警戒する。それを見て慌ててスバルはちょいまち、と言う。

 

「警戒する気持ちはわかる、だけど俺たちは手を出さないから安心しな。早い話、交渉タイムだ。互いに損をしない、な?」

 

単刀直入に切り込んでみせるスバルに、短く応じるフェルトも素直な肯定。

彼女は懐に手を入れると、そこから抜き出したものをテーブルの上に静かに置いた。

 ――求め続けた徽章。それは竜を象った意匠が特徴的なバッジだった。大きさはワッペン程度のもの。材質は詳しくないので判断できないが、高価そうな金属が使われて見える。 翼竜を正面から象ったデザインをしていて、徽章の中央――竜の口が赤い宝石をくわえるような絵を描いていた。

 

徽章の中心、赤い宝石はぼんやりと淡く輝いており、その灯に思わずスバルは言葉を見失ってしまう。徽章を値踏みするロム爺も黙り込んで「ううむ」と難しげにうなるのみだ

 

「さあ――」

その沈黙を破ったのは、徽章を握るフェルトだった。彼女は前置きの一言で二人が我に返るのを見届けて、テーブルの上の徽章をこちらに押し出し、

 

「今度はそっちのカードを見せなよ。徽章はこんだけの出来で、しかもアタシはそれなりに苦労させてもらった。それに見合うカードだと、お互いに嬉しいよな?」

 

「悪い笑顔でこっち試してみてるとこ悪いが、俺の出せるカードは一枚だけだ。なにせ、俺はたいそう立派な一文無し!」

 

「無一文って言っちゃうと反応困っちゃうから控えようぜ? スバル」

 これからも無一文というのを強調していくのは流石に恥ずかしい、というよりも周りの視線が痛いのでやめるよう注意する。

 

 そしてこちらの手札を出そうとした瞬間、扉を軽くノックする音が響いた。

 ロム爺がフェルトに目線を向ける。

「符丁は?」

「あ、忘れてたわ。まぁあたしの客だろうから見てくるわ」

 フェルトが扉に向かって駆け出す。それを見てスバルが咎めるような目を向ける。

 

「いいのかよ、あんな勝手ばっかさせて」

「まぁ、付き合いも長いしのぉ……頼られてやるとするわい」

 

 ぼりぼりと禿げ頭をなでながら、笑顔を浮かべるロム爺にシャオンは笑う。

 

「心なしか喜んでるなぁ。孫にお年玉をねだられる爺さんみたい」

「お年玉、というのがどんなものか知らんが……まぁ頼られているのは確かに嬉しいかもしれん」

 ロム爺は釘の刺さった棍棒を持ち、外の人物入ってくるのを待つ。

 次なる交渉相手、つまり徽章の争奪相手それは――

「部外者が多い気がするのだけれど」

 身長の高い女性だった。スバルと同じぐらいの背丈で見た目から年齢を想像するとおそらく二十歳前後。目じりが垂れたおっとりとした印象を与える女性だ、目元にある小さなほくろも女性のきれいさを損なわない。

 身にまとう衣装はすべて黒装束でそれに合わさるように髪も瞳もシャオンたちと同じものだ。

 だがそれらの特徴よりも目に入ったのは――

「あのぉ、露出高すぎやしませんかね」

「そうかしら?」

 

――肌色が多いのだ、主に胸元の。

 女性のスタイルはかなり良く、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。

 ある程度女性に慣れてはいるがシャオンだって男。ここまで肌を晒されていると目のやり場に困ってしまう。

 

「それで、こちらのお兄さん方は?」

 そんな男性心を知らずに、女性は話を進めていく。

「競争相手デス、ハイ」

 そう、答えるしかできなかった。

「なるほど、事情は分かったわ」

 

 グラスを傾けて薄い唇の上についた白いミルクの跡をこれまた舌を使い妖艶になめとる女性。先ほどのやり取りの後エルザ、そう名乗った女性は仕草の端々が艶っぽく正直どぎまぎしていた。

 

「ま、あたしにとっちゃどっちに売ろうかは関係しない。より、高いほうに高く売りつけるさ」

「いい性格ね、嫌いじゃないわ」

 エルザは笑みを深めてフェルトを見つめる。ふと、その目線がシャオンに向けられた。

 

「ねぇ、貴方座らないのかしら?」

「……ああ、お構い無く」

 

 エルザが蔵に入ってからシャオンは椅子に座らず、テーブルについたスバルの後ろに立っている。

 主となる理由は一つ、緊急時に素早く動くためだ。

 前回の話では日没頃にこの盗品蔵で殺戮が行われた。現在の時刻は夕刻、件の時間にはまだなっていないがタイムリミットまでそこまで差はない。それに、前回と違いロム爺と遭遇でき、交渉まで持ち込めている時点で前回とはだいぶ違っている。あまりあてにしてはいけないかもしれない。

 どちらにしろいざとなったら犯人からスバルの命を守るためだ。

「さて、交渉開始だ。俺が出すのはこのミーティア。価値としては半端ない代物だ」

 スバルは携帯電話をテーブルにたたきつける。

 シャオンの分も出し合いに出してもよかったのだが、先ほど相談し、片方を出して、もしもそれで足りなかったらスマホを交渉の賭け金の追加としてだそう、と。

 これだったら徽章をスバルの携帯だけで交換できたなら、シャオンのスマホを使ってこれからの資金源になるようにできる、との考えでだ。

 

「私も依頼主からいくらか追加料金をもらってきてるの。念のために、ね」

「依頼主、ってことはアンタも頼まれただけ?」

「ええ。この徽章を欲しているのは私ではなく、私の雇い主よ。……もしかしてお二人もご同業かしら?」

「ははっ。だとしたら無職だぜ?」

 

 エルザが懐から小さめの麻袋を取り出す。テーブルに置かれたそれは重量感を感じさせる音を発した。おそらくかなりの枚数の金貨があるのだろう。

 

「私が出せるのは聖金貨――」

 

 緊張に包まれる中、袋に入っている聖金貨をロム爺が数える。そして袋の奥までしっかりと確認し、枚数を確認する。

 その結果――

 

「ちょうど、20枚じゃな」

「これが依頼主から渡された聖金貨のすべて、これ以上はだしようがないわね。厳しいかしら?」

「これって?」

 

 ロム爺はミーティアは”20枚にくだらない”といったのだ。しかもこちらは金貨そのものではないのでロム爺の腕によっては20枚よりも稼げることができる可能性があるのだ。

ロム爺に顔を向けると、その考えを決定づけるように彼は笑みを浮かべていた。

 

「うむ、この賭けはおぬしら二人に傾く」

 

「いよっしゃあああああ!」

 

 喜びのあまり椅子からスバルは立ちあがり、シャオンにハイタッチをする。

 

「うい、シャオンやったぞおらぁ!」

「テンションたかいな、おい」

 そう注意するがシャオンも交渉が無事成功し実はだいぶ気分が高揚している。なのでスバルのハイタッチ要求にもノリノリで応えてしまう。そんな様子を見てフェルトは呆れ顔を浮かべる。

 

「はしゃぎすぎだろ兄ちゃんたち……まぁアタシにとっては儲かればどうでもいーし」

「仲睦まじいわね」

 

 その言葉でエルザの存在を思いだす。

 

「あー悪いなエルザさん。依頼主さんに怒られちゃったりしちまうか?」

「いいのよ。私の雇い主も手元に徽章がある必要はないから」

 

 そういう彼女は徽章に興味を持っていなそうなそぶりを見せる。本当に彼女はただ頼まれただけだったのだろう。

 

「それじゃ、交渉は残念だったけどそろそろお暇させていただくわね。……あ、そうそう」

 

 盗品蔵から出ようと席を立とうとした彼女が思い出したかのように訊ねた。

 

「――その徽章、どうするのかしら?」

 それはどこか低い、氷のような冷たさを感じさせる脅しにも似た問いかけだ。まるで首筋に鋭いナイフを突きつけられていると錯覚しそうになる。

 だが、それでも失言はしないように言葉を選んで返答しようとした。しかし、それよりも早くスバルが口を開いた。――開いてしまった。

 

「……ああ持ち主に返すんだよ」

「馬鹿!そんなこと言ったらーー」

 

 スバルの言葉にシャオンが注意すると同時、エルザはうっすらと笑みを浮かべ

 

「――なんだ関係者、なのね」

――そう告げ、冷たい殺意とともにエルザは腕を大きく凪ぎ払った。



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惨劇の幕開け

「あら、もう一人の坊やがいてよかったわね」

二コリ、そう先ほどとは何ら変わりのない笑みを浮かべスバルにエルザは語り掛ける。

そう、何ら変わりないはずの笑顔なのに雰囲気が違う理由は簡単だ。彼女が握っている凶器だ。

――ククリナイフ、元いた世界ではそう呼ばれていた凶器だ。それを、何のためらいもなく、当たっていたら確実に死ぬであろう一撃をスバルに放ったのだ。

 

「貴方、今死んでいたわよ?」

「実行犯が何を言うか……おい、スバル距離をとるぞ」

「あ、ああ」

 

 スバルは命を狙われた恐怖からか動転し、顔色は悪く、あまり体調はよくないように見える。休ませておきたいが、今は緊急事態だ。少し乱暴ぎみに引っ張る。

 

「ふんぬぉおおおおおお!!」

 

 雄たけびをあげ、エルザに棍棒を振りかぶり飛びかかるのはロム爺だ。

棍棒が降り下ろされ激しい轟音を響かせるが、エルザはヒラリと回避する。恐らくロム爺も今の一撃で倒せるとは思っていなかったのかよけられたことに驚かず、すぐさま棍棒を凪ぎ、追撃する。その一撃をエルザは笑みを浮かべながら受け流す。

「おい、スバル俺の後ろから離れるな。フェルトもこっち来い」

 

 スバルに言い聞かせるとともに、少し離れた場所で戦闘の成り行きを見守っていたフェルトに声をかける。彼女は戸惑いながらも、すぐに駆け足でこちらに近寄った。

 

 

「……三人で別れて逃げるか?」

「馬鹿! ロム爺を置いてけるか!」

 スバルの提案にフェルトがかみつく。

「大丈夫だ、ロム爺が何とかしてくれる。ロム爺とアタシは長い付き合いだけど喧嘩で負けたロム爺なんて見たことがねぇ!」

 

 その堂々とした言いようにフェルトのロム爺に対する厚い信頼を感じられる。しかし彼女の自信とは違い、なにかいいようのない嫌な予感がする。

 それはシャオンだけでなくスバルも同じようで彼の表情も浮かれていない。

 

 

「ほれ!きりきりおどれぃ!」

「流石に巨人族と殺しあうのは初めてだわ」

 

 命がかかっているのにエルザは笑みを絶やさない。、いや、命がかかっているからこそだろうか? 楽しんでいるようにも思える。

 

「食らえい!」

 

 ロム爺の雄たけびとともにテーブルが蹴り上げられる。置かれていた聖金貨とミーティアも吹き飛び、テーブルは蹴りに耐えきれるほど頑丈ではなかったのか砕け散った。そしてその破片はエルザの視界を塞ぐ。

 視界がふさがれてしまえば流石にロム爺の攻撃は当たるだろう。そしてその一撃は確実に頭を粉砕し、彼女の命を奪うはずだ。

 誰もがそう、思っていたのだ。

 

 

「――ロム爺ィ!!」

 

 フェルトの叫びが蔵の中に悲痛に響く。その痛ましいほどの叫び声の中、シャオンは目にした。くるくると回転をしながら壁に飛んでいく、ロム爺の巨大な()を。

 切り飛ばされた腕はやがて壁にぶつかり血がまき散る。スバル、フェルトそしてシャオンはその血の雨を頭からかぶった。

 

「ぐぅ……! せめて相打ちに」

 

 切断された肩から大量の血を滝のように流しながらロム爺はエルザの頭をもう片方の腕で潰そうとする。

 幸いにも、エルザは先の一撃でククリナイフを振りぬいた姿勢のままだ。再び構えなおして反撃するよりもロム爺の攻撃が届くほうが早い。

 つまりそれは死に繋がるのだ。

 「言い忘れてたけれど――」

 

 しかしエルザは焦りを感じさせないまま笑みを浮かべ、

 

「――ミルクごちそうさまでした」

 反対の手にいつの間にか持っていたコップの破片をロム爺の首元を狙って一閃していた。

 赤い線がロム爺の首元に現れ、その線から血がこぼれ始め、やがて破裂した。

 

「フェル……ト」

 もうまともに見えてないだろう、うつろな瞳をしながら、かすれ声で愛しい孫娘の名を口にしロム爺は頭から倒れる。

 二度ほど痙攣し、彼はそれ以上動くことはなかった。

 

「――てめぇ!」

「フェルト!」

 

 シャオンは羽交い絞めによって駆け出そうとするフェルトを引き留める。なんとか抑えられたが、いまだ腕の中で彼女は暴れている。少しでも力を抜けばエルザに食って掛かるだろう。

 飛び出していきたい気持ちはわかる。親しい、おそらく彼女にとって唯一の肉親ともいえる人物を目の前で殺されたのだから。だが今ここで早まった行動をしてはいけない、我慢してもらう。

 

「よくも……ロム爺を!」

「暴れないでほしいわ。あまり歯向かうと手元がくるってしまって痛い思いをするかもしれないのだけれど」

 

 エルザは器用にナイフを回しながらフェルトに懇願する。その様子は挑発じみたものでフェルトの暴れる力が増す。

 

「どちらにしろ、殺すきだろーよ、異常者がっ!」

 

 勢いよく足を踏まれ、不意の痛みについ拘束を緩めてしまう。

「いっ!? 待て! フェルト」

 

 呼びかけるもすでに時遅く。フェルトとシャオンの距離は離れてしまっていた。

 エルザに飛びかかりながら一瞬、ちらりとシャオンとスバルを見る。その視線が語っていた「巻き込んでしまってすまない」と。

 

 そして直ぐにエルザのほうを向き腰に差していたナイフを抜き、一切の躊躇もなく降り下ろす。常人は避けることすら難しい一撃だろう。だが、

 

「風の加護ね……ああ、素敵。世界に愛されていて、妬ましいわ」

 

 フェルトの一撃はエルザに紙一重で、いや最小限の動きで回避された。その結果無防備の格好をしたフェルトは――

「――ぁ」

 小さく声を漏らし、エルザによって無残にも空中で肩から腰にかけてなで斬りにされた。

 ゆっくりと、まるでスローモーションのように彼女の体は落ちていく。

 フェルトという遮蔽物がなくなると共にエルザの姿をとらえた。それはあちらも同じようで彼女と視線が合った。 エルザはペロリと顔についたフェルトの返り血を舐める。その様子は獲物を前に舌舐めずりする蛇のようにも見えた。

 

 体中に悪寒が走る。だが、いまは思考を停止してしまってはいけない。

 

「おい、スバル。ここは引き受ける、できるだけ遠くに逃げろ」

「……なに、を」

「急げ!」

 震えているスバルに怒声を上げて立たせる。

 蹴りで閉まっていた扉を弾き飛ばす。途端に薄暗い蔵の中へ夕日陽の光差し込んでくる。

 時刻はもう夜に近づいている。そう、仮説通りなら前回スバルが死んだ時に重なる時刻だ。そして現在の状況を考えると、スバルを殺した人物はエルザで確定だ。

 

「時間稼いだら後を追う。合流場所は出会った場所で」

 

 エルザは二人の特攻にも傷一つなく、むしろ二人も殺して体が温まったとでも言いたそうだ。

 敵の体調は万全。ならば、スバルが残って時間を稼いだとしてもほとんど稼げないだろう。だったらスバルよりも強いシャオンが時間稼ぎに残るほうがましだろう。

 それをスバルもわかっていたのか、ふらつきながらも背を向けて走り出す。転んでしまわないか不安だったが流石にそんなドジはしなかったようで小さくなっていく彼の後ろ姿を確認できた。

 そして振り返り、エルザをみる。浮かべた表情はこれから殺してしまうことの申し訳なさか、憐れんでいるように見える。

 

「あら、見捨てられちゃったの?」

「違うさ、託したんだよ。俺ができるだけ時間を稼げば憲兵かなんか連れてくるだろう。そしたらアンタも終いだ。逃げるなら今のうちだ」

 

遠回しに逃げても追わないこと、今なら見逃すことをほのめかす。しかし彼女は引く様子は微塵も見せず、ロム爺とフェルトの死体に視線を向けた。

 

「逃がしてもいいのかしら? そこの二人を私は殺したのだけれど」

「残念、死なないでほしいとは思っていたけれどわざわざ命張ってまで敵討ちするほどの仲ではないんだ」

 

 冷たい、と言われたらシャオンも同意する。だが敵を討つと思うには彼らとは付き合いが長くない、これが十年の付き合いの友人なら考えたかもしれないが。

 ロム爺からもらった手甲を改めて装備し、ククリナイフを右手に構える。僅かに手の甲全体に重量を感じるが動きに支障はでない範囲だ。

 

「時間稼ぎ、そして片方が応援を呼ぶ。確かに悪くない作戦ね、あなたが私の足止めになればだけどっ!」

 会話の流れを切り、エルザは首元を狙ってナイフを振るう。

 

「……いきなり急所を狙ってくるとは」

 

 それを手甲で防ぎ、弾く。

 躊躇なしに命を奪おうとする彼女に恐怖を通り越して一つの尊敬すら生まれそうになる。

 

「よく防いだものね。 貴方だったら楽しませてくれるかもしれないわ!」

 どこに根拠があるのかわからない。しかし彼女の顔には嘘偽りのない、本当にシャオンが楽しませてくれるという予想をしていることがわかる笑みが浮かんでいた。

 

「うわぁ惚れそうな笑顔、違うところで出会ってたら恋に落ちてたかもな」

「私はあなたの腸に恋しそうだわ、勘だけどとってもきれいな気がするもの」

「残念、自分自身の腸を見たことはないんで、わかりかねます!」

「そう。なら――見せてあげるわ」

 

 腹を狙った一撃、当たればもちろん死は免れない。だが先ほどのエルザの台詞から狙ってくる場所は予想できていた。タイミングを合わせ、こちらもククリナイフでエルザの一撃を防ぐ。

 金属と金属がぶつかり、甲高い音が耳に響く。手には衝撃と痺れが襲ったがなんとか武器を弾いてしまうことは免れた。

 

「同じ武器ね、運命感じてしまうわ」

「残念、これこの蔵から借りたやつ! その運命はきっと偽装されてますよ!!」

 なるべく防戦を意識しながら戦いたいが、このままではじり貧だ。そこで攻撃に転じるようにした。

 

「ふっ!」

 

 体を低くし、一瞬でエルザの懐に潜りこむ。

 驚いた彼女の表情を尻目に腰を据えた一撃を彼女に叩き込んだ。踏みとどまることができず、彼女の体が吹き飛び、棚に激突する。

 

「女性の腹殴るのは気が引けるが、相手が相手だからってことで」

 

 正直ナイフで攻撃してもよかったが素手よりも動きが遅いのでよけられる可能性がある。しかも外れてしまったら彼女の反撃が来るだろう。そうなったら確実に死んでしまう。そう考えての一撃だったが、

 

「紳士なのね、でも心配は無用よ」

「……ノーダメージですか」

 

 汚れた服を払いながら現れたエルザは無傷だ。それどころか若干興奮したように頬を紅潮させている。どうやら、先ほどの一撃は戦意を向上させてしまったようだ。

 今の一撃で倒せるほどシャオンは己の強さを過信していない。だが流石に全く効果がない様を見せつけられてしまうと。

 だがそんな心中などお構いなしにエルザは凶刃を振るう。

 シャオンの体を縦に切り裂こうとシャオンの足元から切り上げようとする。ナイフがシャオンに触れる直前、

 

「震、脚!!」

 

 勢いをつけて右足を上げ、振り下ろす。

 それはエルザの左手に直撃し、骨を砕くような嫌な感触を感じながらもそのまま蔵の板ごと踏み抜く。その衝撃に年季の入った蔵の床は耐えることができず穴が開く。

 追撃をしようとしたがエルザは滑るようにシャオンから距離をとった。

「あら、左手が使えなくなっちゃったわ。酷いわね」

 左手を押さえるエルザ。その言葉とは裏腹に喜びの表情を浮かばせている。先ほどまでよりはダメージが通ったようだがそれでも戦闘を続けるには十分なようだ。

ダメージは与えられる、攻撃をよけることもなんとかできる。だがそれは――

 

「手加減しているからそうなるんだよ」

 そう、エルザがあくまで手加減をしていたからできたことだ。彼女の腹、臓物を狙うという異常な性癖、そして自分よりも圧倒的に強者であるという慢心からだろうか、先程からどの一撃も確実に殺しに来てはいない。いや、正確には一撃で仕留めようとはしないとでもいえばいいだろうか。

 

「ええ、そうね。正直油断していたわ。それにそろそろもう一人も追わないといけないし。だから」

 手を抜いていたというシャオンの発言を否定することもなくぺろりと唇をなめる。

 シャオンの言葉に彼女は腰を沈め、飛びかかる獣のような姿勢をとる。足に力を込めているのが見てわかる。

 

「――今から本気でいかせてもらうわ」

 

 彼女の低い声とともに、空気が変わった。




最近リゼロの作品が増えててうれしいですね。


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目覚める力

今回は少し文章が雑です。


 スバルは走っていた。どれだけ走ったのかわからない。ただ、脇目も振らずに全力で走った。走るのを止めたのは体力の限界がきて、足が動かなくなった頃だ。

 

「ここまで、くればいいだろ」

 

 切れた息を整えながらスバルは後ろを振り返ると蔵はもう見えず、あの殺戮が行われている場所からは大分距離をとることができたことがわかる。もう安全といってもいいだろう。

 

「憲兵、で何とかなるのだろうか」

 

 この世界の憲兵というのがどれだけの戦闘能力を有しているのかわからないがあの怪物じみた強さのエルザに勝てるのかどうか確信がない。

 もしも憲兵を連れていって返り討ちにあってしまったそれこそスバルの命も終了だ。

 シャオンとの話し合いで死に戻りという能力があるかもしれないと分かったが、あくまでもそれは仮説。その不確かな情報を信じるのにはスバルにはハードルが高すぎる。

 ふと、一つの考えが脳内に生まれる。

 

「そうだ。逃げちまおう!」

 ――なにも見なかったことにして、憲兵に伝えることすらしないで人通りが多いあの通りに向かうのだ。そうすればスバルは死ぬことはない。

 フェルトも、ロム爺もシャオンもそして、サテラとも。誰とも出会わなかったことにして知らないふりをして安全に過ごす。ミーティアこと携帯は蔵の中だが金は服などを売ればなんとかなる。どうやらジャージはこの世界では高価な物とされているらしいので売れば当面の生活資金は賄えるだろう。その後の生活はその時に考えればいい。

 スバルだけが助かる、そのことに多少の罪悪感を感じてしまうが誰だって自分の命が大事だ。そうだ、スバルを責めるような奴なんていないはずだ。

 半ば自身に言い聞かせるように結論付け、歩き出そうとする。

 ふとシャオン、そしてサテラの顔が頭のなかによぎった。スバルの中の彼等は何も言わない。責めるようなそぶりも、何か訴えるような素振りもない。当たり前だ、初戦はスバルの中の都合のいい妄想なのだから。

 このまま進めば痛い目も見ずに済む。それは確実なのだ。しかし、

 

「……んなことできるか」

 

 拳を強く握り込み、震えを無理矢理止め、恐怖をごまかす。

 

「あーもう! こんなの俺らしくねぇっての!!」

 

 頭皮がめくれそうになるほどの勢いで髪をかきむしる。

 別に恐怖を感じなくなったわけじゃない。ただ、自分の命を捨てても助けたいという気持ちが強まっただけだ。それを隠そうとするほどスバルはできた人間ではない。

 

「くそったれ! こうなったらやりきってやんよ!」

 踵を返し、命の攻防を今も繰り返しているだろう盗品蔵に走り出す。不思議と疲労で動かなかった脚はいとも簡単に動いた。

 

 自身でもなぜこんなに早く走ることができたのかわからないが、ものの数分で盗品蔵の前にたどり着くことができた。

 壊れた扉から見えたのは今にも殺されそうになっているシャオンの姿だった。

 

「――っ」

 

 体が勝手に動きシャオンとエルザとの間に割り込む。思ったよりも躊躇がなく割り込むことができた。――理由はわからない。ただ、ひとつわかることはこの行動に後悔はなかったということだ。

 目前に迫るのは鈍く光る刃先。瞬きした間に迫っていたそれをすんでのところで逸らす。しかし逸らした力を利用しエルザは反対側の肘を使って頭を打ち抜く。

 

 衝撃に意識が飛びそうになるが何とか堪える。しかし、追撃の手はやまない。

「ほら、危ない」

 ククリナイフの柄でシャオンの顎にぶつけ、その反動を利用し勢いよく縦に切り裂く。

「っ! 全然動き違うじゃねぇかよ!」

 

 幸いにも傷は浅い。だがいずれは致命傷を受けてしまうことは確実だ。

 確かに彼女はシャオンよりも格上だということはわかっていた。だが、ここまでとは(・・・・・・)思わなかった。まるで勝てる気がしない。

「ちっ!」

 

 このままではらちが明かないので一時的に逃げ出そうとする。しかし、

 

「逃がさないわ」

「なっ!?」

 

 床に垂れていたロム爺の血液、もしくはフェルトのものだろうか。エルザはそれを器用にも掬い上げシャオンの目を狙ってかけた。

 予想外の目くらましに意表を突かれもろにそれをかぶってしまう。

 

「ちっ!」

 急いでぬぐうもすでに遅く、懐に入りこちらにククリナイフを切り上げようとしているエルザと目が合った。

 黒い瞳は獲物を追い詰めた時の獣そのもので、獰猛だ。

――まずい、避けられない。

 直感的にそのことがわかった。

 体勢は崩れ、視界はまだ若干悪い。相手の動きは自身よりも速い、逸らすこともできない。

 

「さよなら。なかなか楽しめたわ」

 

 ひんやりとした感覚。これが死ぬ時の感覚なのだろうか。

 死に直面していると認識したからかエルザのナイフがゆっくりと迫ってくるのが見える。

できるならば痛くないようにしてほしいが目の前の彼女の性格からはシャオンの望みはかなわないのだろう。覚悟を決め、いやあきらめて目を閉じた。

 しかし痛みはいつまでも来ることはなく、代わりに

「――こなくそおおおお!!」

 スバルの雄たけびと――

 

「……あ?」

 

 スバルの生暖かい血液がシャオンの体にかかった。

 

「予想外の展開なのだけれど」

 エルザが血で濡れたナイフを横凪で払い落とすのが見える。そして停止していた思考が彼女の声で元に戻る。

 

「おい、スバル。なんで戻ってきたよ」

 エルザの存在を余所に、かすれた声でスバルに話しかける。

 

「さ、さぁな? ただ、俺だけ逃げるのは」

 

 虫の息だが、スバルは弱く笑い、

 

「かっこ、悪いからな」

 

 そういってスバルの体から力が抜け落ちるのが感じられた。完全に体をシャオンの腕に任せ、後はピクリとも動く気配はない。僅かに脈はあるがそれもどんどん弱くなっていく。このままではもって数分、いやそれすら持たないだろう。

 目の前で、それも自身をかばって命を落とした人間がいるのに意外にも落ち着いていた。そんな自分に腹が立ちそしてなによりも、

 

「ふざけんなよ」

 彼は死ぬべき人間ではないのに死んでしまった。そのことに対する世界の不条理に、そして何もできなかった、スバルを助けられなかった自らの弱さに憤っていた。

 なぜ、彼が死んでしまったのか。なぜ自分ではなく彼なのだろうか。

 そんな怒りを、ついスバルにぶつけてしまった。こぶしを彼の体にたたきつけて(・・・・・・・・・・・・・)

 

「あなた、何をしたの?」

「あ?」

 

 小さく声を上げるエルザ。鋭い視線でそんな彼女を射貫くと彼女は初めて見せた驚きの表情をし、スバルを見ていた。

 それにつられるようにスバルに視線を戻す。そこにはあり得ない光景が広がっていた。

 

「傷が、治っている?」

 スバルから流れ出ていた血は今は止まっている。

 傷をよく確かめるべく急いで服をまくりあげ、服の下を見る。そこには傷一つない健康そのものの肉体が存在していた。次に脈も測ってみる。弱まっていたそれも安定し、元に戻っている。

 顔色は青白いものから健康的な赤みを帯び、意識こそ戻らないが少なくとも命の危機は脱したといえるだろう。

 

「――よかった」

 

 原因も仕組みもわからないが、どうにかスバルは死ななかった。そのことに何度目かわからないが安堵の息をこぼす。だが状況はいまだ危険なままだ。なぜなら――

 

「これ以上、時間をかけていられないの。まさか最上級の治癒魔法の使い手とは思わなかったけど、一撃で首をはねれば問題ないわね」

 彼女がいるからだ。

 後ろからの声に反応し、転がる。頭上で何かが通りすぎた音が聞こえた。髪の毛を数本切り飛ばされたが何とか無事のようだ。ただスバルとの距離は離されてしまった。

 幸いにも人質として扱ったり、先に殺すことはしないようだができれば手の届く範囲にいてほしかった。

 この力がなぜ、どういう経緯で使えるかわからないが今はこの力を駆使してこの場を切り抜けるしかない。

 考え事をしているとエルザが肉薄してくる。もうこの距離では避けることができない、ならば――よけない。

「もらったわ」

 

 鮮やかに切り上げられたナイフに合わせ、左腕でそれをあえて受ける。

 手甲がない部分から切断され、自らの左腕が回転しながら宙を舞うのをシャオンは目にする。しかし、

 

「屁の、河童ぁ!!」

 慌てることなく素早く右手で左腕の切り口を殴りつける、僅かに感じる痛み、拳に感じる骨の固さに顔を歪めるが歯を食い縛り、耐える。すると妙な感覚と共に瞬く間に腕が新しく生え変わった。

 そして治った左手で勢いよくエルザの鼻頭にこぶしをたたきつける。

 手を開いたり閉じたりを繰り返し、調子を確かめる。問題なく動かせる。

 どうやらこの能力は”傷を殴る、もしくは攻撃することでそれを治療する”ものらしい。副作用などがあるのかはわからないのが怖いが、今は気にしていられない。

「凄い再生能力ね……」

  エルザはもうこの能力に驚く様子はなく、鼻から流れた血を拭いながら笑みを浮かべる。

 未知の敵に戦うことが楽しいのだろうか。シャオンには理解のできない考えだがきっとそうなのだろう。

 

「なら、これは?」

 その声とともにエルザの姿がぶれ、シャオンの視界から消える。

 構えるがエルザの姿は見えない。右にも左にもいない。勿論背後にもいない。

――まずい、見失った。

 蔵の中に沈黙が訪れる。耳を澄ましても音一つしない。どこかに消えてしまったのではないかと思うほどに気配がない。

 すこし、警戒を解く。このまま警戒し続けても持たない。

 途端、上空から音が聞こえた。顔を上げるとナイフを振り下ろそうとしているエルザの姿があった。

「お疲れさま」

 急いで左腕で攻撃を防ごうとする。しかし

「――あ」

 生え変わった左腕には手甲がない。当然エルザの攻撃を防ぐことはできず、叩きつけるような斬撃が襲う。

――ああ、左側の手甲はさっき腕ごと飛ばされたんだった。

不思議なことに痛みはなく、スローモーションのように自らの腕が飛んでいくのを再び目にしながら他人事のようにそう考える。

 

 急いで能力を発動させようと考えたがそれはもう読まれていたらしく、エルザに右手も切り飛ばされる。切断面から勢いよく血が流れ出るのが、熱が失せていくのがはっきりとわかる。

 それと同時に、視界が暗くなってくる。もう自らの体の中に血液はほとんどないのだろう。

「もう一度、言うわね。お疲れさま」

 本当に楽しませてくれたことに感謝するようにエルザはねぎらいの言葉をかけ、ナイフで腹を裂いた。

 シャオンが薄れていく中で見た光景は――それが最後だった。




何か訂正する、アドバイスする点があればお願いします


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三度目の、せかい

「おい、兄ちゃん?」

 

 中年が眉をひそめて、何のリアクションも起こさないスバルに声をかけてくるが、それをどこか判然としない意識で聞き流す。

 

「おい、兄ちゃん!」

 

 大きな声で再度呼び掛けられる。そしてようやくスバルは飛び跳ねるように顔を上げ、周囲に視線をめぐらせる。

 昼下がりの通り、場所は露天商の前だ。

 八百屋のような店構えの中には、あちらこちらに色とりどりの野菜や果実が並べられている。そのどれもに見覚えがあるようで些細な違いがある。

 左腕が無意識に動き腹部に触れ、そこに何の異常もない肉の感触を感じ取り、内臓がこぼれたような形跡が何もないのを確認した。

 

 「もう、わけわっかんねぇ……」

 

 それだけ呟き、スバルはこみ上げてきた吐き気と目眩に翻弄され、膝から崩れ落ちそうになる。

 

「っと」

 

 しかしそれを受け止めた人物がいた。

 

「……シャオン」

「大丈夫……ではないわな」

 

 苦笑いしながらシャオンがスバルの顔色を覗いてくる。そして彼の顔を見て改めて思い出すのはあの盗品蔵で起きた悲劇だ。

 おぼろげだった記憶もだんだんと鮮明に思い出してきた。

 ロム爺とフェルトがエルザに殺され、スバルはシャオンを彼女の凶刃からかばい、腹を裂かれて気を失った。それまでがスバルの覚えているところだ。

 

「なあ、シャオン。盗品蔵、どうなったんだ?」

「……ダメだった」

 

 あの後誰かが偶然盗品蔵に駆けつけエルザを撃破ないし追い払い、なおかつスバルを治療してくれた。そんな展開だったら万々歳。あとはのんびりとサテラを探すだけなのだが、そんな展開は夢に過ぎなかったようだ。

 そもそも八百屋の前にいる時点でそんな展開はあり得ない。つまりは殺されてしまったのだろう。あそこにいた人物は全員。そして以前に立てた仮説通りにスバルが死んでしまったことにより時間が巻き戻った。

 

「……まじ、死に戻りとかわけわかんねぇ」

 

 異世界に召喚されたら何らかの能力を得るのはフィクションの世界ではよくあることだが、こんな負けること前提の能力を得ることになるなんて思いもしなかった。

 

「おいおい、お前さんら大丈夫か?」

 

項垂れるスバルを心配し中年が労るような声をかける。それにシャオンがスバルの代わりに応える。

 

「ああ、たぶん大丈夫。それより聞きたいことがあるんだ」

「あ? なんだよ急に」

 

 なんなのだ、一体。これ以上混乱させないでほしい。

 しかしスバルの心の声はシャオンに届くことはなく、事態は進んでいく。

 

「ああ。大丈夫、至極常識的かつ簡単な質問だし、これに答えてくれたらすぐにいなくなるから」

 

そう言うと目で早く言えと促される。どうやらいつまでもここにいられるよりもさっさと質問に答えていなくなったほうがいいと思ったようだ。

 

「嫉妬の魔女の名前は?」

 

 嫉妬の魔女、聞き覚えのないその単語にスバルは首をひねる。

 シャオン自身が元いた世界で知っていた単語なのだろうか? だとしたら尚更店主にはわからないだろう。

だが、店主の反応はスバルの予想と大きく離れていたものだった。

 

「お前――」

 

 その言葉を聞いた時の表情の変化は激しく、そしてわかりやすかった。

 驚き、怯え、疑問。それらが入り混じったような表情が浮かんでいる。

 その表情のまま唸り、その嫉妬の魔女の名をなかなか口にしなかった。

 

「頼みます」

 

 それでも、頭を下げ、シャオンが頼むと中年は頭をかきながら渋るように小さな声で答える。

 

「――サテラだよ」

「……は?」

 

 スバルは、何を言われたのか一瞬わからなかった。

 なぜ、嫉妬の魔女とやらの名前が追い求めている彼女と同じ名前なのだろうか?

 訳が分からず、棒立ちの状態でいるとシャオンがこちらを向いた。

 

「そういうわけだ、少し話をしよう」

 

 少し離れた場所で蔵のなかで起きた出来事を教えてもらった。

この世界の災害のような存在、嫉妬の魔女について、それにシャオンの治癒能力のことも話してもらった。

 

「世界を半分のみ込んだほどの奴が嫉妬の魔女。銀髪のハーフエルフでその名前はサテラ。そして俺たちが追いかけている彼女が名乗った名前もサテラ」

「同じ名前だった偶然は?」

「ない。それ以前に俺は彼女が偽名を名乗っていたのを知っていた。一回目の盗品蔵のあたりで」

 

 なぜ、言わなかったのかと責めるような眼で見るとシャオンは申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「混乱すると思ったから言わなかったんだ。悪い。それに彼女にも事情があったからな」

 

 そういわれてしまっては責める気になれない。

 それにしてもなぜそんな世界の災厄のような存在と同じ名を偽名として使ったのだろう?

 

「でもなんでだ? 外見が嫉妬の魔女に似ているっていうのに名前まで同じくしても何もいいことないだろ?」

 

 周囲のほとんどから拒絶され、完全に世界から孤立するだことは容易に想像できる。だからこそなぜそのようなことをしたのだろうかわからない。

 シャオンは少し考えるそぶりを出して口を開いた。

 

「恐らく、心優しい彼女の配慮だろう」 

「――そういうこと、なのか?」

 

 嫉妬の魔女に瓜二つの存在である彼女は今までに想像ができないほどの扱いをされてきたのだろう。当然、彼女の周囲にいた人物も被害は受けていたはずだ。

 あの優しすぎる彼女はそれに耐えることができなかった、他人が傷つくよりも自らが傷つくほうがいいと判断したのだ。

 だからこそ、その名を名乗り人との関わりを絶った。

 

「……辛すぎんだろ」

 

 誰にも頼ることもできず、誰かに頼られることもない。元の世界で他人に頼りっきりだったスバルにはその辛さはわからないが、並大抵のものではないことだけはわかった。

 

「ま、真実はわからんさ。で? スバル、この後はどうするんだ?」

「この後?」

「探しつづけた彼女の名は偽名だった。追いかける手掛かりはなくなった」

 

 彼は袋の中から取り出したリンガに齧り付きながら、スバルに話しかける。

 

「偽名を頼りに探す? 馬鹿を言うんじゃない。さっきのやり取りを見ていて分かったろ? 嫉妬の魔女名はそれほどの影響力があるんだ、おいそれと出していい名前ではないはずだ」

 

 確かにシャオンの言う通りだ。そこまで大きくもない八百屋の店主でもその名を聞いただけで青ざめるほどだ、嫉妬の魔女の影響力は並大抵のものではない。

 

「――君には一切の得はない、それ以前に損をする。いや、もう二回は死んでいるんだから完全に損をしている」

 

 リンガの芯を丸ごと口に放り込み、咀嚼し、飲み込むちこちらに目を向ける。糸目がちだった目が開かれ、光が一切と灯らない沼のような黒目がスバルをとらえる。

 

「それでも、彼女を追い求めるのかい?」

 

 シャオンの声色は先ほどと変わらない、変わらないはずだ。だが、感じる威圧感はエルザに襲われた時とそこまで差がないように感じる。

 

「う、あ」

 

 圧されながらも考える。

 スバルがあきらめると言ったら彼はどうこたえるのだろうか?

 いや、そんなことよりも重要なのはスバル自身の意思だ。

 彼女は助けたい。――だが、どうする?

 シャオンの言う通り、方法はない。勿論、スバルには力もないし奇策を思いつくほどの知恵もない。そもそもなぜ自分はこんなに必死になっているのだろう。

 親しい中でもない、本名すら知らない彼女になぜここまで命を張っているのだろう。

 

「お、おれは……」

 

 返答に戸惑っているとスバルの横を通り過ぎる、とある人影が見えた。―白いローブを羽織り、銀髪を揺らして歩く少女の姿が。

 ひとつに束ねた長い銀髪が揺れ、風にまじる花の芳香のような匂いが鼻孔をくすぐる。アメジストの意思の強そうな瞳はスバルを見ておらず、ただ真っ直ぐに自分の進むべき道を見据えているような鋭さを秘めていた。

 その凛とした佇まいは変わりなく、その震えるような美貌は一切の陰がなく、求め続けた存在がスバルの目の前を通り過ぎようとしていた。

 

「ま――」

 

 ――それだけで、スバルの体は動きだしていた。

 シャオンの体を押しのけ、走り出す。

 

「スバル!」

 

 とっさに声が出ず、喉の奥で音を詰まらせて行き過ぎる背中に追いすがる。シャオンの呼びかける声すら無視し、走る。すいすいと、人波を縫うように歩き抜ける少女。人にぶつかりながらも逃げる銀髪を追いかけながら、スバルは泣きそうな声で呼びかける。

 

  「ちょ、待って……待ってくれ……っ。頼む、待って……」

 

 名前で呼べばいいのだがその肝心の名がわからない、ただただ止まってくれるように声を出す。周りから見れば変人そのものだ。だがそんなことは気にしていられない。

 すると不意に彼女が足を止めた。

 スバルの願いが届いたのだろうか? いやこの際なんでもいい。今は彼女の声を聴きたい、彼女と話をしたい。

 シャオンに言われた通り自分は損をしている。助けたい理由もスバル自身がわかっていない。が、だがそれでも彼女の役に立ちたい、彼女の笑顔を見たいのだ。

 振り返った彼女はこちらを驚いたような表情で見つめる、それもそうだ。いきなり見ず知らずの男が汗だくで呼び止めているのだから。

 

「ちょ、ちょっとまった。息を、整えさせて」

 

 とりあえず呼び止めることはできた。ただなんと言って呼び止めた理由を話せばいいのだろうか?

死に戻りをしたことを伝える? そんなことしたら不審者扱いだ。いくら優しい彼女でも警戒するのは間違いないし、スバルにそんな狂言じみたことを言える勇気はない。

 そもそも時間軸がはっきりわからない。

 今、彼女は徽章を盗まれた後なのか?それともまだ盗まれていないのだろうか? そもそも必ず盗まれるのだろうか?

 色々と考えがめぐり、なんて切り出そうかと迷う。

――その迷いがスバルの判断を鈍らせた。故に、彼は目の前で起きた出来事を、指をくわえて見過ごすことになる。

 

 「――――っ!」

 

 小さく息を呑む声がしたのは、スバルの身長より頭ひとつ高い位置――露天商の屋台、その幌立ての屋根の上からだった。

 跳躍。小柄な体が重力に引かれて軽やかに落ち、着地と同時に風に乗って加速する。

 疾風は薄汚れた服を着て、金色の髪をなびかせていた。人込みを神がかり的な体捌きですり抜けると、スッと伸びた腕が刺繍の入ったローブの中へと入る。

 接触は一瞬、しかし、その一瞬の邂逅で十分だった。

 風がローブをはためかせ、身をよじる少女から跳ねるように飛びずさる。あまりの手際に拍手さえしてしまいそうだ。

 

「な――!」

 

 銀髪の少女が驚愕の声を上げ、己のローブの内に手を入れる。

 そこに目的のものが見つからず、目を見開き彼女が追うのは急速に遠ざかる風の行方。

 その風の手に握られた竜を象ったあの徽章、そして後ろ姿を見てとっさにスバルは叫ぶ。

 

「フェルト!?」

 

 呼びかけに風が戸惑うように揺れる。が、その速度はゆるまずに一気に大通りから細い路地へと飛び込んでいく。ほんの一瞬だけしか見えなかったがあの姿はおそらく、いや絶対にフェルト、前回の世界で無惨に死んでしまった彼女の姿そのものだ。

 めまぐるしく動く状況に対応できず、棒立ちで眺めていたが偽サテラがフェルトを追いかけるのを見て我に帰る。スバルもまた路地へと二人の影を追う。

  走りながら、スバルの胸中は不可思議への疑問でいっぱいになっていた。

  情報量が多すぎて、焦る頭では処理し切れない。それでなくても、今日は二度も死ぬような目にあって混乱しているのだ。いや、それ以前に異世界に召喚されたこと自体が大きすぎるイベントだ。

 

 「ああ、もう展開がはえーよ!」

 

 嵐のように過ぎていく事態に対して叫ぶように暴言を吐き、薄暗い路地をふらつきながら駆け抜ける。

 持久力には自信がないが短距離での速度ならば二人にも引けをとらない。すぐにその背中に追いついて、この疑問を晴らしてやる。

 そんな心づもりで走っていたのだが、

 

「ちょいとまちな兄ちゃん」

 

 それを邪魔するように三人のごろつきが道をふさいでいた。

 二度あることは三度あるということだろうか。こいつらとは三度目の出会いだ。腐れ縁どころの話ではない。

 

「……神様がいるなら絶対、俺のこと嫌いだろ」

 

 その問いに神はおろか誰も答えてくれなかった。

 

 現在シャオンは偽サテラを追いかけたスバルを探していた。現在のスバルを一人にさせてしまうと何をするかわからないかもしれない。

 

「ああもう! 人多いな!」

 

 だが人が多く、また結構な速度で追いかけているためスバルにはなかなか追い付けない。なんとか見失わないでいるが距離はどんどん離れていく。無理やりにでも人混みをかけ割ってでも追いかけようとする。すると、

 

「きゃっ!」

「おっと、悪い!」

 

 横から出てきた桃色の髪をした給仕服をまとった少女にぶつかってしまった。本来なら立ち止まってちゃんと謝りたいが今はそれどころではない。軽い謝罪をし、スバルの姿を追いかけようとする。

 しかし視線を戻すとすでに彼の姿はなく、彼が追いかけていた偽サテラの姿もない。

 

 ――まずい、見失った。

 遠くには行っていないはずだが、この人混みだ。一度姿を見失ったら見つけるのにも一苦労だろう。

 焦り、口の中が乾く。いっそ恥を捨て、大声で叫んでみようかと考える。そんな中、

 

 「……だろ。表に逃……。面倒どころの話じゃねえ」

 「あーあ、こりゃ……。……傷付いてっから死ぬな。……着物も……」

 

 近くの路地裏の方向でそんな声がかすかに聞こえた。

 普段だったらまずは覗き込んで状況を確認するのだが、そんな余裕はない。慌てて路地裏に駆け込む。

 

「なっ……」

 

 そこには――倒れているスバルとその背中の腰あたりにナイフが突き刺さっていた光景が広がっていた。

 

 「ごぁっ……がっ……」

 

 スバルは血を吐き、うめき声に近い悲鳴を上げながら倒れている。

 それをごろつき達は面倒臭そうに眺めている。人をひとり刺しておいて、罪悪感を感じている様子は微塵もない。

 

「スバル!」

 

「……おい、見られたぞ」

 

 咄嗟に出た叫びに男たちはようやくシャオンの存在に気付いた。

 

「相手は一人だ」

「こっちは三人、やれる」

 

 ごろつき達は犯行現場を見たシャオンの対処を相談しているようだが、今はそんなものどうでもいい。今はスバルのほうが大事だ。

 

「どけっ! 今ならまだ治せる!」

 

 前の世界で得た力が残っていれば瀕死の状態でも治療はできる。だが、死んでからはおそらくはせない。そこまで便利なものではないだろう。

 今のスバルは遠くからでもわかるほど出血が激しく、長くはもたないのが素人目でもわかる。だが、まだ間に合う。

 そう思い、急いでスバルのそばに駆け寄ろうとする。しかし、

 

「ヒャッハー!」

 

 ごろつきの一人に蹴りを入れられ、後ろに吹き飛ばされる。勢いよく吹き飛んだ体は壁にぶつかることでようやく停止した。

 痛む体を無理やり起こすと、いつの間にか近づいていたごろつき達が追撃をしてくる。

 

「おらっ!」

 

 図体の大きい男の蹴りが側頭部に命中する。その勢いに耐えることができず地面に頭からたたきつけられる。

 だがそれでも歯を食いしばり、起き上がろうとすると、そうはさせまいと男の一人が体重をのせた体当たり食らわせる。耐えきれず倒れてしまう。そこからはリンチの始まりだ。

 蹴る、殴る、唾を吐きかけられる。そんな暴力の嵐に飲み込まれる。

 

 何故、どうして、なんでこんな目に合う。痛みの中、様々な疑問がシャオンの脳内をかき回し、混ざりあい、 そして――

 

「――もう、面倒臭い」

 

 ぷつり、とシャオンの中で何かが切れたような気がした。

 それとともに体から力が流れ出るように抜け、ぺたりと地面に座り込んでしまう。

 

「おいおい大丈夫かあんちゃん?」

「これ以上痛い目見たくなかったら身ぐるみ全部置いてきな!」

 

 ごろつきがシャオンの顔を覗き込み、下衆な笑みを浮かべる。しかし、今の彼にはそんなことに反応するのすら億劫に感じていた。

 呼吸をするのすら面倒くさくなり、それとともに急激な睡魔が襲ってくる。だが眠るわけには行かない。

 

「ああもう。ダルい。面倒。そもそも、はぁ、あんたたちは、ふぅ、たった3人で優位になって、いるとでも?」

「はぁ?なにいってんだこいつ」

 

 呟きにごろつきの一人が呆れ半分、得体の知れない恐怖半分が入り混じった声を発する。

 

「数の、ふぅ。問題じゃ、はぁ。ないんだよ」

 

 シャオンはゆっくりと、気怠そうに手を右に振るう。なぜ、そうしたのかは彼自身にもわからない。ただ、そうしたほうが楽な(・・)ような気がしたからだ。本能的行動とでもいえるかもしれない。

 すると呆れた顔でこちらを見つめていたごろつきたちの表情が歪んだ。

 

「なっ!? 」

 

 ごろつきの驚いた声と共にそれをかき消すような轟音が路地裏に響く。

 路地裏の壁がシャオンの手の動きに沿ったように大きくえぐれていたのだ。

 しかしその跡はシャオンの手の大きさよりもはるかに大きく、まるで強い力で無理矢理削り取ったように歪だった。ふと、シャオンは自分のに足元に目を落とす。そこには黒い、自身の腕の数倍の大きさはあるであろう巨大な手が数本、生えていた。

 禍々しく蠢いているその手は不思議と恐怖などの暗い感情を感じなかった。むしろ自らの体の一部分だとすら感じている。

 試しに、ごろつき達の近くの地面を黒い手がえぐるイメージをする。

 

「ひっ! な、なんなんだよっ!?」

 

 イメージ通りに一本の手が動き、いとも簡単に大きく地面が削り取られた。

 ごろつき達に目を戻すと何が起こったのかわからず混乱している者や、誰の仕業か、隠れている人間がいないかを探していたりした。

 その慌てぶりが滑稽で、シャオンは小さく笑みをこぼす。そして確信した。

 ――どうやらこの手は自分以外には見えていないらしい。

 

「ふぅ、ああなら簡単だ」

 

 先程猛威を振るった黒い手の一本がシャオンの頭上にまで伸び、しなりを上げて今にもごろつき達の頭を粉砕しようとする。このままこの黒い手を振り下ろせばごろつき達は死に至るだろう、どのように死んだのかすらわからずに。 

 だが、罪悪感も、躊躇も今のシャオンには一切感じていない。今は障害を排除し、スバルを治療することが大事なのだ。スバルに寄り添い、助けるのがシャオンの役目だ。

 そう、それが、それだけがシャオンの生きる意味なのだから。

 

 「――そこまでだ」

 

 その声は唐突に、しかし明確に、路地裏のひりつくような緊迫感を切り裂いた。




お気に入り百越え。ありがとうございます。
プレッシャーではきそうです。


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剣聖と名乗る青年

 凛とした声色には欠片も躊躇もなく、一切の容赦も含まれていない。聞く者にただ太陽のような圧倒的な存在感だけを叩きつけ、その意思を伝わせるソレは養殖のものではなく天性のものだ。

 その迫力にシャオンも無意識に黒い手を止めてしまうほどだった。

姿勢はそのままでちらり、とその声がした方向に目を向ける。

 その声の主はまず何よりも目を惹くのは、燃え上がる炎のように赤い頭髪。

 その下には真っ直ぐで、勇猛以外の譬えようがないほどに輝く青い双眸がある。異常なまでに整った顔立ちもその凛々しさを後押しし、それらを一瞥しただけで彼が桁違いの存在であると知らしめていた。

 すらりと細い長身を、仕立てのいい白服に包み、その腰にシンプルな装飾――ただし、尋常でない威圧感、そして言い様のない嫌悪感(・・・)を放つ騎士剣を下げている。

 

「これ以上は彼らが死んでしまう。ここは矛を収めてくれないかな」

 

 青年がこちらに提案をする。姿勢はそのまま、敵対心と警戒心をもそのまま間に思考を巡らす。

 目の前の青年の素性はわからない。だが、この肌を粟立たせる威圧感からただものではない存在だということはわかる。戦えば敗北することは想像に容易い。

 幸いにも向こうには戦意はなさそうだ。ならば話し合いで済むのなら済ませたい。

 そう思いシャオンは大きく息を吐き青年の問いに答えた。

 

「別に、構わないさ……だが、そいつらが、ふぅ、納得するのかい?」

 

 今のシャオンには楽をしたい、スバルを治したいという気持ちしかなかった。なので彼らが今すぐ逃げ出すのだったら追いもしないし、復讐する気もない。すぐに記憶から追い出すだろう。

 その言葉を聞いて青年はごろつき達に振り返る。

 

「そっか。……どうだい君達、今なら追わない。逃げてくれるとうれしいが?」

 

 その言葉にごろつき達は怒りもせず、先ほどよりも紫色になりつつある唇を震わせて、ごろつきの一人が青年を指差した。

 

「ま、まさか……燃える赤髪に空色の瞳……鞘に竜爪の刻まれた騎士剣」

 

 確認するように各所を指差し、最後に息を呑んで、言葉に詰まりながらもその名を呼ぶ。

 

「ラインハルト……『剣聖』ラインハルトか!?」

「自己紹介の必要はなさそうだ。……もっとも、その二つ名は僕にはまだ重すぎるけどね」

 

 ラインハルトと呼ばれた青年は自嘲げに呟き、しかし眼光を決してゆるめない。

 視線に射抜かれた男たちは気圧されるように後ろへ一歩。逃げるタイミングを見計らうようにそれぞれが顔を見合わせる。

 

「さっきも言ったけど、逃げるのならこの場は見逃す。振り返らずそのまま通りへ向かうといい。もしも強硬手段に出るというのなら、こちらも相手になる」

 

 腰に下げた剣の柄に手を当てて、彼は後ろに立つシャオンを示すように顎をしゃくり、

 

「その場合は三対二だ。数の上ではそちらが有利、その上緊急事態だ。僕の微力がどれほど彼の救いになるかはわからないが、騎士として全力を出させてもらおう」

「っ! くそっ!」

 

うそぶくラインハルトにごろつき達は慌てふためき、蜘蛛の子を散らすように大通りへと逃げ去っていく。その様子だけで、この目の前に立つ青年の規格外さが知れるというものだ。だが彼らとの立場が逆だったのならシャオンも同じように背を向けて逃げ出していただろう。そう考えると笑えない。

 

「ケガはないかい?」

 

 男たちが完全に消えたのを見計らって、青年が微笑を浮かべて振り返った。

 途端、路地裏を席巻していた威圧感が消失。それすらも意識的に青年一人がやっていたことだと体感して、シャオンはもはや絶句するしかない。だが、現在の状況を思い出し、我に返る。

 黒い手はいつのまにか消えていた。どうやら無意識のうちに安全だと判断したから消えたようだ。

 この力がどういったものかはわからない、だがシャオンの意思に沿って動くことが先の一件でわかった。ならば今は使える能力と考えていいだろう。

 未だに睡魔と倦怠感は抜けきれないがそれよりも今は一刻を争うことがある。

 

「どいて、くれるか」

 

 ラインハルトを手でどかし、倒れているスバルの元に向かう。

 ナイフを刺され、内臓が傷ついているのか口からも血を吐き出している。そのひどいありさまにラインハルトは眼をそらし、申し訳なさそうに謝罪をする。

 

「……すまない、もっと僕が早くたどり着けたなら彼も」

「まだ、なんとかなる」

 

 訝しげな視線をこちらに向けるラインハルトを余所にシャオンは倒れているスバルの体を優しく起こす。出血は激しく、呼吸もほとんどできていない。

 前回の世界でシャオンをかばってしまった時と同じような状況だ。

 

「大丈夫、できる。俺はできる」

 

 自らに言い聞かせるように繰返し声に出す。

 刃物を引き抜く。熱い血液がかかるが眼は閉じないそして拳を勢いよく傷の近く――腹部に叩きつける。

 傷を直すために傷を殴り付ける、その奇妙な様子を驚いたようにラインハルトは見つめる。しかし彼にとってもっと驚く事態が起きた。

 

「……よかった」

 

 小さく安堵の声を発するシャオン。

 傷が完全にふさがり、噴水のように飛び出ていた血液は流れ出るのをやめた。呼吸も安定し、土気色だった顔色も次第に良くなるだろう。

 しかしそこで気づく。問題が解決した安堵さから忘れてしまっていたが今はシャオン一人ではない。この光景を、致命傷を瞬く間に治してしまう場面を見られてしまっているのだ。

 この世界の治療魔法については偽サテラが使っていたものしかわからないが一瞬で傷を治すほどの魔法は珍しいに違いない。

 だがこの能力についてはシャオン自身、詳しくはわかっていないのだ、追及されれば面倒なことになりそうなので慌てて言い訳を考える。

 

「えーっと、ラインハルトさん……でいいですか? えとですねこれは――」

「呼び捨てで構わないよ、シャオン」

「……え? あ、うん。ありがとう、ラインハルト」

 

 急に距離を詰められ若干の戸惑いを覚える。

 

「水属性の魔法を使えるなんてね。しかも見たところかなり上等なものだと見る。知り合いにも同じ魔法の使い手がいるけど彼にも引けを取らないかもしれない」

 不審な目で見ることはなく、むしろ感心しているような眼で見られている。そしてこの能力について詳しく聞いてくる様子はないようだ。

 とりあえず怪しまれていなければいい。ほっと胸をなでおろす。

 

「それにしても意外と王都の人って冷たいんだな」

 

 あの不可視の手が壁などを削り取ったとき大きな音が響いたはずだ。なのにラインハルトしか様子を見に来なかった。

 あれだけ人の数がいて、あの轟音が聞こえたのが彼ひとりということはないだろう。面倒なことにかかわりたくないということか。シャオンにもその気持ちは十分わかるのでそこまで責める気にはなれないが。

 

「あまり言いたくはないけど、仕方のない面もある。多くの人にとって、連中のような輩と反目するのはリスクが大きい。衛兵などに任せたほうが安全だからね」

「その言い方だと、ラインハルトって衛兵なのか? そうは見えないけど」

「よく言われるよ。まあ、今日は非番だから制服を着ていないのも理由だろうけど」

 

苦笑いしながら両手を広げるラインハルトに、シャオンは内心で反論する。

彼が衛兵に見えない最大の要因は、そんな泥臭い感じのイメージとかけ離れた雰囲気が為せる技だ。加えることがあるとすれば、

 

「『剣聖』とか呼ばれてた気がするけど……」

「家が少しだけ特殊でね。僕自身には重すぎる家名だ」

 

 肩をすくめてみせる気軽さに、どうやら上手いユーモアも言えるらしい。

 完璧人間のようなラインハルトに呆れと驚嘆を隠せないシャオンだが、彼はそんなシャオンといまだに眠っているスバルをジッと見下ろし、

 

「倒れている彼も、君も珍しい髪と服装だ。それに名前だと思ったけど……シャオンはどこから? 王都ルグニカにはどんな理由できたんだい?」

「どこからかって言われると答えづらい。……そうだね、もっと東とかってのはどうだい?」

 

 我ながら安直な答えだと自省の限りだ。スバルに聞かれていたら笑われてしまうかもしれない。だが、それに対するラインハルトの反応は意外にも顕著なものだった。

 

「ルグニカより東……まさか、大瀑布の向こうって冗談かい?」

「大瀑布?」

 

 聞き慣れない単語に首をひねる。

 

「誤魔化してるってわけでもなさそうだけど……とにかく、王都の人間じゃないのは確かみたいだね」

 

 ラインハルトはこちらの足の先から頭のてっぺんまで眺め、納得する。

 

「ここには何か理由があってきたんだろう? 今のルグニカは平時よりややこしい状態にある。僕でよければ手伝うけど」

「ああ、なら――」

 

 善意100%の提案を受け、ちらりと倒れているスバルに目を落とし、

 

「――スバルを起こしたいから水をどこかから持ってきてくれない? あとこの血も洗い流したいからそれの分も」

 

 そう、ラインハルトに頼んだのだ。

 

「えっと、つまり」

 

 ラインハルトに持ってきた貰った水入りのバケツを使って血を洗い流し、残った水でスバルにかけ、起こす。

 刺されて死んだと思っていたスバルは目覚めたときの慌てぶりは酷かった。仕方ないので落ち着くまで待ち、丁寧に一から事態の説明を行った。

 

「なるほど、つまり命の恩人か」

「そんな大層なことはしていないよ」

 

 笑顔で謙遜をするラインハルト。

 顔と声と佇まいと行動、今のところ全てが高水準でイケメン判定をクリアしている。これで性格と家柄までよさそうなのだ、裏で何か悪事を働いてないと釣り合いが取れないレベルだと思う。もしも彼がラスボスだったとしても案外納得できてしまうかもしれない。

 

「このたびは命を救っていただき、心からお礼申し上げる。このナツキ・スバル、その御心の清廉さに感服いたしますれば……」

 「俺からも礼を言おう、助かった」

 「向こうも三対二になって、優位性を確保できなくなってのことだ。僕がひとりならこうはいかなかった。それに実際彼が助けた」

 

 二人でそろって礼を言うとラインハルトは笑みを崩さず謙遜を続ける。

 

「……なんだ、このイケメン。本気で身も心もイケメンか。俺ルートのフラグが立つわ!」

「俺にはたてないでね? 立てたら色々と折るよ?」

「なにをですか!?」

 

 そして照れ臭さを隠すためか咳ばらいを一つし、スバルはシャオンに向き直る。

 

「あー、まずありがとな」

「気にすんな。借りを返しただけだ」

 

 顔を赤くしながら礼を言うスバル。

 シャオンはそれを見て照れ臭そうに笑いながらこぶしを突き出す。スバルもそれに合わせてこぶしを突き出し、ぶつけ合い、コツン、と軽い音が響く。

 

「さて、それで二人とも。何か困っていたんだろう? 僕でよければ手伝おうか?」

 

 その様子を微笑ましく眺めていたラインハルトが口を開く。

 

「いやいや、休日なんだろ? それ返上してまで俺の手伝いなんてすることねぇよ。さっきので十分……できればもっと優しく起こしてほしかったけど。いや、ついでに聞きたいことはある」

 

 ラインハルトの申し出に首を振ってから、スバルはふと思い出したように指を立てる。ラインハルトは「なんでも聞いて」と気軽に頷いた。

 

「世情には疎い方だから答えられるかはわからないけどね」

「いんや、聞きたいってのは人探しだから平気。ってなわけで聞きたいんだけど、このあたりで白いローブ着た銀髪の女の子って見てない?」

 

 偽サテラの格好はかなり目立つ類のものだ。銀髪は黒髪同様に見かけないし、鷹っぽい刺繍の入ったローブも同じくここら一帯で見かけることはまずない。

 

「白いローブに、銀髪……」

「付け加えると超絶美少女。で、猫……は別に見せびらかしてるわけじゃないか。情報的にはそんなもんなんだけど、心当たりとかってない?」

 

 猫型の精霊、パックを連れているという点まで合致すれば偽サテラであることは疑いようもないが、通常は銀髪に埋もれているはずだからそれは高望みだ。

 

「……その子を見つけて、どうするんだい?」

「落し物、この場合は探し物か? それを届けてあげたいだけだよ」

 

もっとも、それはまだ手の中にはないし、ひょっとしたらまだなくしてすらいないのかもしれないのだが。

 スバルの答えにラインハルトはその空色の瞳を細め、しばし黙考してから、首を振る。

 

「ううん、すまない。ちょっと心当たりはないな。もしよければ探すのを手伝うけど」

「そこまで面倒はかけられねぇよ。大丈夫、あとはどうとでも探すさ」

 

 謝るラインハルトにスバルは手を上げ、気にしないように言う。そしてラインハルトには聞こえないような小声でスバルはシャオンに話しかける。

 

「どうする? やっぱり盗品蔵に向かうしかないか?」

「ああ、そうしたほうがいいだろう。夜になったらタイムリミットだ」

 

 日が暮れるころになってしまったら盗品蔵にエルザが向かってしまう。偽サテラがシャオンたちの介入なしで盗品蔵に向かうかどうかはわからない。だが一回目の世界ではロム爺は殺されていた。おそらくフェルトもだろう。

 つまり、エルザは二人を殺し徽章を奪ったのだろう。結果、偽サテラは生き残るが徽章は彼女の手にない、それではだめだ。

つまり、エルザが盗品蔵に来る前にフェルトと徽章の交渉を成功させ、偽サテラに出会う。これが一番いい方法だ。そのためにはフェルトに交渉を速めることを頼まなければならない。

 

「問題はフェルトをどう説得するのかだな。あいつ絶対納得しないだろうな」

「ミーティア二つ分で交渉してみるか?」

 

 こちらには聖金貨二十枚分の価値があるミーティアが二つあるのだ。速く交渉を開始することもできるかもしれない。

 さらに相手はこちらを貴族のような存在と勘違いしている。ならばそれも利用していけばエルザが来る前に徽章を取り返せる可能性が高くなるだろう。

 

「行くのかい?」

「ああ、行く。ラインハルトには世話になった。この礼はいずれ。……衛兵の詰所とか行けば会えるのかな?」

「そうだね、名前を出してもらえればわかると思う。もしくは今日みたいな非番の日は、王都を見て回っているから探してくれればすぐに見つかると思うよ」

「わざわざ男を探して町をうろつき回る趣味はねぇなぁ……」

「でも礼はしに行くよ。それじゃ!」

 

軽口で応じてシュタッと手を掲げると、ラインハルトは「気をつけて」と最後まで爽やかに見送りの言葉を向けてきた。

その言葉に背中を押されるようにしてようやく、無傷の損害ゼロで最初のイベントを抜け出したのだ。  




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役者はそろい、舞台は整う

 ラインハルトと別れた後、走りながらスバルとシャオンは盗品蔵に向かっていた。

 

「それで? 行動指針はどうなんだ?」

「俺がロム爺のところに行って交渉の下地を作ってくるよ。お前はフェルトの捜索を頼む」

 

 最初と同じように二人で蔵に突入しようかと考えたが、二人で同時に蔵を訪れるよりは分散したほうが効率がいいだろうと考えた結果の指針だ。

 

「見つけたらその段階で徽章の交渉をしたほうがいいか?」

「……いや、下手に挑戦しないほうがいい。決裂したときのデメリットがでかい」

 

 うまくいけばいいが、最悪の場合は交渉の場に立たせてもらうことすら難しくなるかもしれない。それだったら盗品蔵でロム爺からも援護をしてもらいながら交渉を進めたほうがいい。

 

「了解。後さ、気になったんだけど」

 

 スバルが走るのをやめこちらに話しかける。仕方ないのでシャオンも立ち止まり話を聞く。

 

「お前はどれぐらい戦えるんだ? ”癒しの拳”と”不可視の手”を駆使して戦えばエルザを倒せるんじゃないか?」

「わかんないな。正直、無理な気がする」

 

 エルザに対してあの二つの力は確かに有効打となるだろう。一撃で死ななければおそらく戦闘は続行でき、壁をえぐり取ったあの手は当てることさえできれば彼女を撃退できるだろう。

 ただし、当たればの話だ。

 彼女はそれなりに場数を踏んでいる、勘もそれなりに鋭いだろう。下手をすれば発動の予兆を読み取られ、躱されるかもしれない。そしたら二撃目の命中率はほぼゼロになるだろう。

 もう一つの能力については自身を攻撃することで致命傷もほぼ完全に治すことができるものだ。だが、それは生きていることが条件だ。一発で首を切られてしまっては能力を発動する暇もなく死んでしまう。

 いくら強い能力があったとしても油断はできないのだ。

 

「って、なんだその名前」

 

 ”癒しの拳”と”不可視の手”。傷ついた体に攻撃をすると治る能力、シャオンにしか見えない破壊力抜群の手。確かに名前は能力にあっているかもしれない。だが、なんというか名前を他人につけられるとむずがゆい感じがする。

 

「気に入らないか? 俺もカタカナ読みのほうが必殺技っぽいなと思っていたんだよ」

「……今のままでいいよ」

 

 碌な名前にならないと思い妥協する。変な名前を付けられてしまったら使用するたびに思い出してしまいそうだ。

 

「それじゃあ、俺は盗品蔵に向かうから」

「おう。うまくやれよ」

 

 互いに手を上げ、それぞれの目的地に向かって走る。

 

「それにしても、本当なんでこうなってんのかねぇ」

 

 考え事をしていると曲がり角から現れた人影とぶつかってしまう。

 予想外の衝撃に思わず「うぐ!」と息が詰まる。そんなシャオンを見て、ぶつかりかけた相手はおっとりとした仕草で、声をかける。

 

「あら、ごめんなさい。大丈夫かしら?」

「ああ。大丈夫ですよ――ええ、本当に」

 

 気遣う女性の声に、顔を上げ相手を確認する。――声が詰まらず、応対できた自分をほめたい。

 

「本当に大丈夫?」

 

 耳にかかる髪をかき上げる。ただそれだけの仕草がどこか艶めかしく、相変わらず挙動の一個一個がやたらとエロいとシャオンは内心で思う。流石に前回の世界でやられた仕打ちから顔を赤くしてドキマギするなんてことはないが。

ぶつかった女性はエルザ、仕草がエロい艶っぽい美人のお姉さん――絶対に再会したくなかった相手であり、今回のボス的存在だ。

 

「――不思議ね」

「なにがです? きれいなお姉さん?」

 

自身が徽章を狙っていることを悟られないように、愛想笑いを張り付け、相手の会話に乗る。

 

「貴方、恐怖や怒りを私に向けているわね」

「なーに、黒髪黒目で露出強の女性にいやな思い出があってね。怖がるのも仕方ないんですよ」

 

 動揺が顔に出そうになるのを何とか堪え、笑顔を張り続ける。

 

 「ついでに、聞きたいのですが。なんで俺が貴方そう感じていると?」

 「臭い……」

 

 エルザはその双眸を嫣然と細める。

彼女の言っている意味が分からず首をひねるシャオンに、彼女はその形の良い鼻を小さく鳴らして、近づく。

 

「恐がってるとき、その人からは恐がってる臭いがするものよ。とってもとっても甘い香りが、ね」

 

 こちらの内心を暴露しながら上目で見上げてくるエルザ。憎たらしいぐらいに楽しそうだ。

 そんな彼女に無言の愛想笑いで応じながら、シャオンは早鐘の鼓動を殺そうと呼吸を深くしていた。

 ――彼女の言葉はすべて事実だ。

シャオンは彼女が恐い。今、この世で恐い人間はぶっちぎりで目の前の彼女だろう。

そして、同じくこの世で一番憎たらしい人間も目の前の女だ。前回殺された相手だ、心底から恐怖に震え上がるし、怒りに燃えるのも至極当然のことだろう。

笑みを張り付け押し黙るシャオンに対して、エルザの瞳が蛇のように細められる。その視線に射竦められながらも、しかし目をそらすことはできない。そらしたらそれまで、何をされるかわからない。だから目をそらすことだけはしない。

 彼女はそんな虚勢に愉悦を感じながら唇を舌で湿らせ、

 

「……少し気にかかるのだけれど、いいわ。今は騒ぎを起こすわけにいかないから」

「あんましビビらせると美人が台無しですよ?」

「あら、お上手」

 

 笑みを浮かべる彼女にお世辞を込めて笑みで返す。そして右手を差し出し、

 

「これも何かの縁です。俺の名前はシャオン、ヒナヅキ・シャオン。あなたの名前は?」

「――エルザ・グランヒルテよ。よろしく」

 

 自己紹介をするとエルザは少し呆気に取られてはいたが彼女はシャオンの手を取り、握手を返す。

 

「それじゃ、失礼するわ。また会えそうな気がするわね」

「ええ。次は酒を飲みながら、夜景が見える場所ででも」

 

 現在はいっぱいいっぱいでそんな皮肉を言うのが精いっぱいだ。

 エルザは悩ましげな微笑だけを残し、黒い外套を翻して路地の闇に溶ける。文字通りに消えた彼女を見送って、シャオンは胸をなでおろしながら空を仰ぎ見る。

 

「……予想外の再会だったな、この時点で蔵付近にいたのか。ったく、冷や汗でびしょびしょだ」

 

予期せぬエンカウントに心がへし折られそうになった。できる限り、彼女と会うのは今回が最後であるのを祈りたい。

 

「もしくは名前を互いに知っている仲ってことで見逃したりしてくんないかなぁ」

 

そうぼやきながら歩いていると予想よりも早く、盗品蔵の前にたどり着いた。

 

「さて、友好的にいこう」

 

 少し強めに扉を三度ノックする。すると待つこと数秒、くぐもった声が聞こえてきた。

 

「大ネズミに」

「毒」

「白鯨に」

「釣り針」

「我らが貴き――」

「ドラゴン様にクソったれ、だろ?」

 

 前回聞いた符丁をそのまま繰り返すとゆっくりと思い扉が開き、中からこれまた前回と同じような埃臭い巨体の老人、ロム爺が現れる。前回の世界で無残にも切断された腕はそのことが夢だったかのように傷跡すら残っていなかった。

 

「……入れ」

 

 彼は不機嫌そうな声で蔵に入るようシャオンに言う。

 

「符丁を遮るでない。まったく」

 

 ぶつくさと文句を言うロム爺を気にせず、中にある椅子に腰を下ろす。

 

「さて、ロム爺。単刀直入に言おうフェルトがもってくる徽章を買い取りたい。できるだけ迅速に」

 

 ロム爺の孫のような存在、フェルト。彼女の名前を出した瞬間、ピクリと彼の眉が動いたのがわかった。

 

「取引方法は金貨ではなく物々交換だ」

 

 まくしたてるように話を進め、こちらの交渉のカギであるミーティアこと『スマートフォン』を取り出し、机に置く。

 

「ミーティア。盗品蔵の主であるアンタならしっているだろう? その価値を」

 

 そのでかい手でスマートフォンをつまみ、物珍しいような顔で眺めている。数分後、半ば納得ができないような表情を浮かべながらも、ロム爺は静かにスマートフォンを置いた。

 

「取引は行おう。だが……いろいろ聞きたいことはある。どちらにしろフェルトの奴はまだもどってきておらん。それまで話を聞かせてもらえんか」

「ああ来るまでな。連れが彼女を探しに行っているからそこまでかからないと思うが」

 

 スバルがへまをしない限りはタイムリミットまでに彼女を連れて戻ってくるだろう。

 余計なことはしゃべらないように、と釘を刺していたから交渉開始前に失敗しているなんてことはないはずだ。

 

「まず、お主はフェルトがその目当ての徽章を持っていることはなぜわかる?」

「取られる現場を見たからだよ。正確には連れが、だけどな」

 

 話を聞く限りでは疾風のような速度で偽サテラに迫り、かすめ取ったという。できれば未然に防いで欲しかったが以前見た彼女の走る速度を考えてみると無理だろう。

 

「なぜそれを欲する? パッと見た限りではこのミーティアは件の徽章よりも価値は高いぞ?」

「聖金貨20枚ぐらいはするだろうね」

 

 前回の世界でロム爺自身が鑑定したのだ。恐らく現在の彼も同じ評価をするはずだ。

 

「なぜ、それを知ってて損をするような真似を?」

 

 今までノータイムで答えていたが、ロム爺のこの質問で返答に詰まる。

 よくよく考えてみればシャオンはわざわざ彼女のために動く必要はないはずだ。

 スバルは恩返し、もとい惚れた弱みで動いているかもしれないがシャオンはそうではない。だが、放っておこうとは思えなかった。

 顎に指を当て、考える。そして――

 

「……損がしたいから」

「は?」

 

 ポツリと呟いた言葉を聞き漏らすことなくロム爺が訊き返す。

 シャオンは首を振り、小さく笑う。

 

「冗談。俺はスバルとは違うからそんな理由では動かないよ」

「では一体……」

「理由としては弱いし、信じられるかわからないけどただ友人がその徽章を欲しがっているからだ」

 

 結局のところシャオン自身にも理由はわからない。ただ、スバルが動くのに協力しているから動くといったところ、だろうか。

 

「つまりは他人のために、ということか? 報酬もなしに」

 

 訝し気にこちらに視線を送るロム爺。やはり彼は無償で働くことが信じられない、もしくは愚かなことだと考えているのだろう。

 

「いいや、結局これは自分のためになるんだ。決してほかの人のためじゃない……あ、でもやっぱ損すぎるからさ。簡単な盗品、できれば武具をもらっていい?」

「ふむ、別に構わんが……どんなものが欲しいんじゃ?」

「それはロム爺に任せるよ」

 

 ゆったりとした足取り奥に消えるロム爺。その光景に軽いデジャブ感を感じ、ロム爺がもってきたものを見てさらにそれが強まる。

 

「ほれ、こいつでどうじゃ」

「……運命の力ってスゲー」

 

乱暴に放り出されたものは、前回の世界でも貰った手甲とククリナイフだった。

 シャオンが武器や防具などをロム爺に要求すれば必ずこれらが出るのかもしれない。検証してないので確かではないがそんな気がする。

 シャオンがそんな運命力の強さに感心していると後ろから扉が叩かれる音が聞こえた。

 ロム爺が立ち上がり、入り口の前で先と同じ符丁を口に出す。するとそこにいたのは、

 

「おいロム爺……って」

 

 予想外の来客がいることに驚いているフェルトと、

 

「おー、待たせたな相棒」

 

 なぜか泥に汚れているスバルの姿だった。

 

 

「なんでそんなに汚れてんの?」

「ちょいとひと悶着がありまして」

「あんまり問題を起こすなって言ったのに……まぁいいが」

 

 フェルトの機嫌を損なわせてはいないのでこれ以上は責めない。責めて話をこんがらせてしまっては元も子もない。

 するとロム爺から詳しい話を聞き、ミーティアを二つ調べていたフェルトが口を開いた。

 

「駄目だな。こいつを売るにはもう一人の取引相手を待つ必要がある」

「な、なんでだよ!」

「……今売るならミーティア二つ分だ。聖金貨40枚はくだらないのは分かるだろう? なぜだ?」

 

 予想外の事態に焦りながらも努めて冷静にフェルトに理由を尋ねる。彼女の性格から考えて利益が多く得られるなら直ぐにでも飛び付くと践んでいたのだが。

 

「だからこそだ。なんでそんな価値のあるものを取引に出す。この徽章にそこまでの価値があるとはあたしは思えねぇ」

 

 フェルトは手の平のなかで徽章を転がしながら彼女自身の考えを口にする。

 

「疑い深いんだな」

「つり合いが取れてねぇんだよ、当然裏があるかどうかぐらい疑うさ」

 

 隠すことなく堂々とこちらを疑っていることを口に出す。このままでは交渉は難しいだろう。

そこで、シャオンは切り札の一つを切り出すことにした。

 息を小さく、だが、深く吸い込み顔に笑顔の仮面を張り付ける。

 

「ロム爺はもう気づいているかもしれないけど、俺たちはとある貴族だ。所謂お忍びで来ている」

 

その言葉にフェルトの表情はわずかながらに変化する。それはいい意味での変化ではなく、むしろ恐怖や敵意のような負の感情が露わになるものだった。だがそれは承知の上だ。

 

「言いたいことはわかるな? できるだけ、穏便にすましたい。できるだけ、な」

 

 含みを持たせる言い方、口調でフェルトたちに語り掛ける。もしも鏡があればそれはそれは胡散臭い顔が映っているだろう。

 

「おい、シャオン」

「スバルはちょっと黙ってて」

 

 スバルが言いたいことはわかる。こんな脅しのようなことはシャオンだってやりたくない。だが現在残された交渉の材料はこれぐらいしかない。

 実際には貴族でもなんでもないがそれを確かめる方法は現在彼女らにはない。家名などを尋ねられたら面倒だが、適当に嘘をつきごまかすこともできるだろう。

 

「さて、もう一度聞くよ? 売る? 売らない?」

「……理由を聞かせろ」

「理由?」

 

 苦虫を噛み潰したような表情とともに小さな声でつぶやかれた言葉は予想と反したものだ。

 

「アンタ達がなんでこの徽章に執着しているのか、それを聞かせろ。納得ができたら今すぐに取引してもいい。アタシに依頼してきた姉さんも話たがらなかった、そしてあんたら二人も話したがらない、これじゃあ素直に取引を行うわけにはいかない」

 

 それはそうだ。エルザも依頼されてきただけで恐らく徽章を求める本当の理由は知らされていないはずだ。つまりこの徽章の価値をしっかりと把握しているのはエルザの雇い主と、持ち主である偽サテラだけだ。

 だがそんなことを知りもしないフェルトの追撃は続く。

 

「それに加えてアンタ達は貴族だ。アンタが言ったことだぜ? そんな奴らが盗みを依頼されたこの徽章を横からかすめ取ろうとしているわけだ」

「それは――」

「違わねぇだろ? だって交渉を急いでいるってことは盗みを依頼した奴よりも早く手に入れたいってわけだ」

 

 言い訳をしようとしたがそうはさせまいとフェルトが睨み付ける。

 

「それに、アンタ達はこの徽章に聖金貨40枚の価値をつけているしロム爺もそれを保証した。だったら信憑性はあるだろうよ。だがなにもしなくても一、二年は過ごせるほどの大金をこんなちっこい徽章に出すなんてのは怪しすぎる。しかも、さっきも言った通りアンタらはこれを横から奪い取るんだ。当然、後ろ暗いことだろう?」

 

 してやったり顔でこちらを指さす。

 

「貴族が欲しがり、かつ後ろめたいこと。……こいつはアタシの勘だがこれはミーティア二つ分以上の価値があるってわけだ。もしもアンタ等がこの徽章を求めている理由がただ珍しいからだった、なんて理由だったらまぁアンタ達にしか価値がないっていう訳だから交渉を早めてもいい」

 

 グラスに残っていたミルクを飲み干し、彼女は宣言する。

 

「でも、違うならまだ交渉はしない。もう一人の交渉相手が来るのを待つ」

 

――まずい、手詰まりだ。

 予想外の理由に心中で焦る。

 後残っている手で有効なのは力付くで奪うことだ。しかしこれはなるべくなら使いたくない。路地裏でごろつき達に使った不可視の手は人を殺すのに十分な破壊力を持っている。まだ使いこなせるかどうかわからないこの能力で殺さず、かつ戦意を損失できるだろうか?

 もしも手加減をせず、殺してまで奪うとなれば確かに楽だろう。だが、それは人としてどうなのだろう? いくら異世界の人物で、仲がそこまでよくなくても自ら進んで人を殺したいとは思わないし、思いたくもない。

 

「フェルト、頼む……」

 

 爪をかじりながら悩んでいるととスバルが、頭を下げて頼み込んだ。

 

「いくらお願いされてもダメだ。アンタ達を交渉相手としては認めるよ、後がこえーしな。でも、相手方の意見も聞かなきゃフェアじゃない。これの価値を話して、相応の対価を用意するなら話は別だけど」

 

問い詰める瞳には微塵の容赦も慈悲もない。

少女の双眸はこちらの態度から、真実を掴み取ろうと懸命な様子だ。だが、事実として監視していても徽章の価値は知れない。

こちら側が徽章を欲する理由はエルザのそれと違い、ただの恩義に関わるものだ。

それ以上は宝石のはめられた徽章、といった外観の内容しかわからず、フェルトの知識と大きな差はない。

 そもそも偽サテラがなぜこれを欲しがっているのかすらシャオン達はしらないのだ。 故に、フェルトの求める答えを差し出すことはどうやってもできないのだ。

 

「俺が、それを欲しがるのは……元の持ち主に返したいからだ」

「――は?」

「俺はそれを持ち主に返したい。だから徽章を欲しがってる。それだけだ」

 

目を見開くフェルトに対して、スバルは顔を上げて同じ言葉を告げる。

深紅の双眸が敵意をはらんで威嚇してくるが、スバルはそれを受け止めた上で押し黙っている。付け加えることも、言いつくろうこともしない。

 

「俺からも頼む、いや頼みます」

 

 シャオンも倣って頼み込む

 確かに出せる手はある程度だした。相手も妥協をしてくれた。ならばこちらは正直に話し、誠意を込めて膝をつき、頭を下げるだけだ。

 

「……フェルト。どうもこの小僧等、嘘をついてるようには見えんが」

「ロム爺までほだされんなよ。冗談に決まってんだろ? 持ち主に返す? 大金まで払って盗んだ相手から買い戻してかよ? 馬鹿馬鹿しい。衛兵のひとりでも連れてきて、アタシをとっ捕まえちまえばそれで済む話じゃねーか」

 

それはできない相談だ。

偽サテラはこの件に、衛兵が関わることを是としていない。だから、協力を申し出るラインハルトの好意すら断ったのだ。

それが彼女の不利益につながるのであれば、こちらはその方法を選択することはできない。

 

「つくならもっとマシな嘘をつけよ。真剣なふりしても騙されねーよ。そうじゃなきゃ、アタシは……そうさ。アタシは騙されない」

「フェルト……」

 

 なにかを振り切るように、フェルトは絞るように掠れた声を出す。

 気遣わしげなロム爺は彼女の胸中を知っているのか、その表情は痛ましげだ。ただ、その頑なな態度がフェルトの心変わりを固く禁じているのがわかる。

 つまり早める交渉は、失敗に終わったということだ。

 

「仕方ない」

 

 シャオンは肩を落とし、懐からロム爺からもらったナイフを取り出した。

 

「なっ!」

「お主っ! やる気か!」

 

 交渉が失敗したから無理矢理にでも奪うのかと思いフェルトは慌てて距離を取り、ロム爺はこん棒を構える。

 

「おい、シャオン!」

「身構える必要はないよ、スバルも落ち着いて。交渉自体は反古にされないんだから」

 

 慌てて止めるスバルにも椅子に座るよう指示する。

 

「とりあえずはもう一人が来るまでリンガ食べる? 剥いてあげようかと思ったんだけど」

「……そのナイフで剥こうとするなよ」

 

 この時始めてシャオンを除いたメンバーの心が一致した瞬間だった。

 

 

 三人からツッコミを受けた後、シャオンは鼻歌を歌いながらリンガの皮をむいていた。むろん、もらったナイフで。

 

「シャオンお前切るのうまいな」

 

 スバルが一つのリンガを手に取り、感心したように眺める。そのリンガは市松模様に飾り切りにしたものだ。この模様がこちらの世界で存在するのかわからないが、ロム爺とフェルトも驚いたように見ている。

 

「妹によく切ってやったからね。ほら、薔薇と兎」

「ほぉ、器用なもんじゃな」

 

 そうした小技を披露していると、背後でトントンと扉をノックする音が耳に入った。

 

「アタシの客だろう。まだ早い気がするけど」

 

 フェルトが切り分けたリンガを一つ食べ、入り口に走っていく。

 時刻的に来訪者はエルザだろう。しかしこの段階ではまだ敵対することはないはずだ。徽章を持ち主に返す(・・・・・・・・・)ことを話さなければ、だが。

 流石にフェルトとロム爺もそのことをバラしてしまってはまずいと考えているだろうから大丈夫だ。問題は、スバルだ。

 

「スバル、口を滑らすなよ。もしもなにか聞かれたら適当に自分のためとか言っておけ。それか彼女に渡すプレゼントとか」

「まじか、照れるな」

 

 恐らく偽サテラのことを頭に考え、頬を染めるスバル。大丈夫かどうか不安になっている中、扉が開かれた。

 

「うわっ!」

「やっと見つけた」

 

 しかしそこにいたのは黒い殺人鬼ではなく――

 

「よかった、いてくれて。今度は逃がさないから」

 

 ――銀髪の少女、偽サテラだった。

 

「しつこいな、アンタも」

「残念だけどその徽章はほんとーに大事なの。今なら何もしないから返して」

 

 フェルトに詰め寄る彼女のその表情は冷たく、顔つきも険しい。だが、彼女の言葉には隠し切れないやさしさがにじみ出ている。

 そのことに緊張感は解け、あることに気付く。

 それは彼女の胸元につけられている一つの花飾り。あれは一度目の世界でカドモンの娘からもらったものと同じだ。

 

「……結局人助けしたのか」

 

 自身の目的よりも他者を優先する。何度世界をやり直しても彼女のこの性格は変えることができないのかもしれない。スバルもそれに気づき、頬を緩め彼女とフェルトの間に入り込む。

 

「まぁまぁ、ややこしくなるからもうこれで終わりにしよう。フェルトももう観念して徽章を返してやれよ。君も、早急にこんな場所からは出ていったほうがいい」

 

「なんで急に親身になってくれるの? ちょっと私、釈然としないんだけど」

「ほんとだよ。兄ちゃん、一体何なんだよ」

 

 二人の仲を取り持とうとしたスバルだったがまさかの両方からバッシングにあえなく肩を落とす。そんな光景を遠くで見ていると、あるものが目に入った。

 ――すべるように黒い影が笑みを浮かべながら、偽サテラの背後に忍び寄っている姿を。

 ナイフを投げようとしてもこの位置からでは当てることができない、彼女に声をかけても急すぎて伝わらないかもしれないし、何より防御が間に合わない。

 万事休す、そう思った瞬間、スバルが叫んだ。

 

「――防げ! パック!」

 

 叫びとほぼ同時に偽サテラにナイフが降り下ろされる。

 無残にも少女の体は首と同体で二つに分割され、周囲に鮮血が飛び散る。――それがシャオン達の予想した未来だった。

 しかし、なにかが削れるような音ともにその一撃は防がれた。

 偽サテラは滑るようにして距離を取り、影に向き直る。そしてその時に気付く、彼女のうなじに張り付くように氷の盾が出来ていたのだ。

 こんなことができるのは一人、いや一匹(・・)しかいない。

 

「なかなかどうして、ギリギリのタイミングだったね。助かったよ」

「気にすんな むしろナイスブロック! アンタが今日のMVPだ」

 

 予想通り、彼女の相棒であり精霊であるパックが彼女の肩の上に現れた。彼が彼女を守ったのだろう。

 偽サテラを襲った黒い影――エルザは目標を仕留められなかったのに唇を月のように曲げて、愉快そうに笑う。

 

「精霊、ね。ふふふ、素敵! そんな存在の腸はどんな色をしているのかしら」

「おい! どういうつもりだ!」

「私が頼んだのは徽章よ? だれも徽章の持ち主ごと連れてこいなんて頼んでないわ」

 

 ため息を吐きながらフェルトに冷たい一声。一転、蠱惑的な笑みを浮かべる。

 

「――まぁ、うれしい誤算だったけど」

 

 獲物の数を指差しで数えているとエルザはこちらに見知った顔がいることに気付く。

 

「あら? あなたは」

「先ほどぶりですね、エルザさん。こんな早くに会うとは思いませんでしたよ」

「ええ、本当に数奇な運命ね」

 

 互いに笑みを浮かべる。

 片方は皮肉めいた笑みを。もう片方は愉楽じみた笑みを。

 

「さて、スバル――」

「シャオン」

 

 スバルに声をかけようとするとそれを遮るようにスバルが先にこちらに声をかけた。

 

「待ち遠しかった明日まで後少しだ。踏ん張るぞ」

 

 足を震わせ、歯を恐怖で鳴らして声を出す彼は情けない。情けないが紛れもなく主人公だ。だったらヒロインの前でその無様さを指摘するのも無粋だ。

 それなら今のシャオンにできることは一つ、

 

「――あいよ!」

 

 ただ、彼の助けになることだ。



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盗品蔵の攻防

「さて、それじゃあ楽しみましょうか」

「てめぇ! ふざけんなよ!」

 

 スバルの叫びにエルザが冷たい視線を向ける。だがそれでも彼の口は閉じられない。

 

「こんな小さいガキに、いたいけな美少女。さらには無防備な男たちをいじめて楽しんでんじゃねぇよ! こっちの戦力は枯れ木のような爺しかいねぇんだぞ!」

「枯れ木とはなんじゃっ!」

「悪いロム爺、フォローできねぇ」

「フェルト!?」

 

 愛する孫娘の同意にショックを隠せないロム爺。それを視界の端にとらえつつ、この行動の意味を考える。

 いくらスバルでもこんな風にただ相手を挑発するような意味のない行動はしないはずだ。

 だとしたら、何か意味があるはずなのだ。

――考えろ。なぜスバルは挑発している? 

 エルザに対しての文句だったらこのタイミングで言う必要はない。だったらなんだ? これではただ、注目されるだけだ。

 そこで気づく。わざと注目を集めていることに(・・・・・・・・・・・・・)、まるで何かから注意を逸らさせているかのように。

 

「ああ、そういうこと相変わらずズル賢しこいっていうか頭が回るっていうか」

「さっすが相棒! わかってくれるか! 俺らは以心伝心だな! という訳で――」

 

 手をたたき、大きな音を出すスバル。その表情には不敵、という表現が似合うほどの笑みを浮かべていた。

 

「――時間稼ぎ終了。やっちまえ! パック!!」

「まったく、なんていうか無様だったね。でも! その期待には応えよう!」

 

 そう、スバルが行っていたのはパックが魔法を使うまでの時間かせぎだ。

 今までの世界との一番の違いはパックが顕現できていることだ。彼の魔法の強さは十分わかっている。だったらエルザに警戒されないようにし、準備させるだけで勝率は跳ね上がる。

 

「これは……」

 

 呆気に取られていたエルザの表情が驚愕に染まり立ち尽くす。

 彼女の周囲には全方位、先端が鋭くとがった氷柱。二十を超えるそれらが彼女に狙いを定めている。

 

「そういえばまだ名乗っていなかったね。ボクの名前はパック、名前だけでも憶えて――逝ってね!」

 

 パックの合図とともに氷柱が、猛獣の牙のように鋭く尖ったそれが、躊躇なく一斉にエルザを襲った。

 

 たたきつけるように発射された氷柱は白い霧を巻き上げ、蔵の中に低温の世界が広がる。

 氷柱の速度は一度目の世界で見た、路地裏でごろつき達に使われたものよりも速く、着弾を辛うじて目で追えたレベルのものだ。

 すべて命中すれば致命傷は免れない。

 この白煙が晴れればそこには赤い色で染まった氷柱と、酷い有様のエルザの肉体が現れるだろう。

 

「やりおったか!?」

「それフラグ! 何故言った!」

「さ、流石にやったはずだ。なにビビってんだよ兄ちゃん」

「お前も声が震えてんぞ!」

 

 ロム爺、スバル、フェルトたちの口論を聞きながら注意深く白煙を観察する。そして、その先に動く影を視認した。

 

「うーわ。回収したよそのフラグ」

 

 顔を引きつらしながらのシャオンの言葉に言い争っていたスバル達が視線を元に戻す。そこには、

 

「――備えはしておくものね、着てきて正解だったわ」

 

 白煙を切り裂くようにして、黒髪を躍らせるエルザが飛び出していた。

 ククリナイフを振りかぶり、身軽にステップを踏むその体に負傷は見えない。羽織っていた黒の外套を脱ぎ棄て、その下の肌にフィットした黒装束だけになっている以外、先ほどまでと違いは見られない。

 

 「まさか、コート自体が重くて、脱ぐことで身軽になる感じの展開!?」

 「ははっ、笑えねぇ展開だよそれ」

 

 コートが拘束具となっていたため動きが制限されていたとすると彼女が現在出せる速さはシャオンたちが知るものよりも上、ということだ。

 

「それも面白いのだけれど、事実はもっと単純なこと。――私の外套は一度だけ、魔を払う術式で編まれていたの。私、魔法には弱いから、命拾いしてしまったわね」

 

 こちらの驚きに丁寧に笑顔で答えてくるエルザ。直後、低い姿勢からエルザが刃を正面へ。

 そこに立つのは大技を放ったばかりの偽サテラだ。

 刃は真っ直ぐに、重みのある先端を少女の胸へと突き込もうとする。思わず声を上げそうになるスバル。それが形になる前に、

 

「精霊術の使い手を舐めないこと。敵に回すと、恐いんだから」

 

 偽サテラはドヤ顔を浮かべ、威張る。

 多重に展開された氷の盾が、エルザの刃を易々と食い止めていた。

 胸の前で手を合わせる偽サテラ。氷の盾は彼女の手によるものだろう。そして、一撃を止められたエルザは反撃をされないように即座にバク転で後ろへ回避。

それを追うように地面に突き立つのは、ややサイズを小さくした氷柱の連撃。小刻みに床板に穴を開ける音が響く。その音を奏でさせているのは指揮者のように腕を振るうパックによるものだ。

 

「攻撃と防御の役割分担――実質、二対一の状況だ」

 

 ロム爺が目を細めながら口にする。

 

「アレが精霊使いの厄介なところじゃ。片方が攻撃して、片方が防御。場合によっちゃ片方が簡単な魔法で時間を稼いで、もう片方が大技をぶっ放す……なんてのもできる。『精霊使いに出会ったら、武器と財布を投げて逃げろ』ってのが戦場のお約束じゃな」

「なるほど、覚えておこう」

 

 冷や汗をかきながら棍棒を握りしめるロム爺が呟く。

 その言い分に素直に頷く。確かにあの状況はそうそう崩せるものではない。

 

「ところで、爺さんはなにをしようとしてんだ?」

 

 スバルの言葉に視線をそちらに向けるとロム爺が棘付きの棍棒を手に握っていた。

 

「機を見て、助太刀をな。まだ向こうの方が話がわかりそうじゃ」

 

 その言葉にスバルだけでなく、シャオンも慌てて止めにかかる。

 

「待て待て待て待て待て待て待て! やめとけって! 絶対、足引っ張るだけだから! 右腕と首を切られてやられんのがオチだ、ジッとしてよう!」

「そうだそうだ! どうせ一撃も当てれずに腕を吹き飛ばされてあたり一面に血を飛ばしてあまつさえそれを目つぶしとして利用されるんだろ! 俺知っているから!」

「具体的すぎるわっ! 行く気なくなるというのにっ! ……まぁ、このまま物量で押していけば儂の出番などいらなそうじゃがな。マナ切れの心配はないのじゃからの」

「マナが切れる心配がないっつーのは……」

「魔法使いと違って、精霊使いが使うのは己の中でなく、外にあるマナじゃからな。世界からマナが枯渇しない限り、精霊使いに弾切れは存在せん」

「ガソリン無制限でエンジン吹かし放題か。なんたるチート」

 

 精霊使いには弾切れは存在しない。ならばロム爺の推測通りこのままいけばエルザは倒れるだろう。

 ふと蔵のドアから漏れる夕日影を見て、気づく。もう、夜が近い。そこであることを思い出し、背中にいやな汗が伝う。

 

「……まて、ロム爺。精霊がいなくなったらどうなる?」

「精霊抜きでは普通の魔法使いとそう変わりない。一気に形成が傾くかもしれんぞ」

「うげ、そういやもうタイムリミットに近い。……もしかしてまずい?」

 

 嫌な事実から目をそらしたいが、ゆっくりとパック達のほうを見ると、

 

「ちょっと眠くなってきた。むしろ、今ちょっと寝ながら戦ってた」

「なんかすげぇ小声で不安になるやり取りしてねぇ!?」

 

 予想が的中してしまったらしい。

 パックがだいぶうつらうつらとしてきたのか、小猫を肩に乗せる少女の表情からも焦りの色がうかがえる。

 

「楽しく、なってきたのに。心ここに非ずなんて、つれないわ」

「もてるオスの辛いところだね。女の子の方が寝かせてくれないんだから。でもほら、夜更かしするとお肌に悪いからさ」

 

 拗ねる様子のエルザに軽口で答えるパック。

 膝をたわめて、エルザが跳躍の構えを取る。それに先んじて、彼女の視線の先でパックが器用にウィンクして言った。

 

「そろそろ幕引きといこうか。同じ演目も、見飽きたでしょ?」

「――足が」

 

 踏み出そうとした瞬間、エルザがつんのめるようにして手を置いた。エルザの両足が凍結した床に縫い付けられていた。しっかりと根付いたそれを剥がすには時間がかかりそうだ。だが、目の前の精霊はそんな時間を与えてやるほど甘い存在ではない。

 

 

「無目的にばらまいてたわけじゃ、にゃいんだよ?」

「……してやられたってことかしら? 意外と頭が回るのね」

「年季の違いだと思って、素直に賞賛してくれていいとも。オヤスミ」

 

 パックが生み出したそれは歪な氷の塊だ。だが今までよりも大きく、強力な破壊のエネルギーを感じさせていた。

 氷塊はゆっくりと動けないエルザに対して照準を合わせるかのように傾く。 

 そして、一切の容赦もなく発射された。

 青白い光が車線上すべての物を凍てつかせ、白く染め上げる。エネルギーはエルザを通過、盗品蔵の入り口に衝突する。立て付けの悪い扉が大きな音ともに外まで弾き飛ばす。

 凍結の余波を外にまで及ぼすほどのエネルギー、流石のエルザも、当たれば即死は免れないだろう。ただし――当たったら、の話だ。

 

「嘘、だろ……」

「嘘じゃないわよ。ああ、素敵。死んじゃうかと思ったわ」

「……女の子なんだから、そういうのはボク、感心しないなぁ」

 

 その台詞でシャオンは何が起こったのか把握できた。

 彼女は、固定されていた足を、正確には足の皮を削いだのだ。自らのナイフを使って。そのおかげでパックの魔法を躱すことはできたが、彼女の両足からはおびただしいほどの血と、無理やり削いだからか、肉が荒くささくれている。

 それでも痛みに顔を歪めることなく、気にせずにいる様子に彼女の異常性が改めて実感できる。そしてなによりも自傷すらも躊躇せずに行えてしまう思考回路に開いた口が塞がらない。

 エルザは近くの氷柱に血だらけの足を当てる。すると、湯気とともに大気のひび割れる音が響き、彼女の表情が快楽一色に染まる。

 

「ちょっと動きづらいけど、十分よ」

 

 硬質な足音を響かせて、氷の靴を履いたエルザがいっそう愉しげに笑う。

 その様子に言葉も出ないが、さらに深刻なのは彼女と相対している偽サテラたちの方だった。

 

「パック、いける?」

「ごめん、スゴイ眠い。ちょっと舐めてかかってた。マナ切れで消えちゃう」

 

 少女の呟きに答えるパック、その声から初めて余裕が消えていた。

 銀髪の横、肩の上の小猫――その姿が淡くぼんやりと輝き、今にも消えそうなほど儚げにうつろっている。時間切れ、ということだ。

 

「あとはこっちでどうにかするから、今は休んで。ありがとね」

「君になにかあれば、ボクは盟約に従う。――いざとなったら、オドを絞り出してでもボクを呼び出すんだよ」

 

 慈しむ、偽サテラの声に押されるように、パックの体がふいに霧状と化して消える。死んだわけではない、だが少なくともエルザとの戦いでは彼の手助けは期待できないだろう。

 その離脱を悔やんだのは室内の全員がそうだったが、中でも一際そのことに肩を落としたのは、

 

「――ああ、いなくなってしまうの。それはひどく、残念なことだわ」

 

 命のやり取りを実際に行っていたエルザ張本人だったろう。ナイフを構えなおし、氷でできた靴で音を鳴らしながら偽サテラへと向かう

 向かい合う彼女の周囲に氷柱が次々と生み出され、エルザに向かって射出される。だが、

 

「押され始めたぞ」

 

 氷の弾幕は依然途切れることはなく放たれている。ただ、パックが顕現できなくなってからはその量、その質、狙いがすべて劣っている。実際に対峙したシャオンだからわかる――あれでは、勝てない。

 

「いくぞ――ッ!」

 

 この事態にロム爺が雄たけびをあげ、エルザに向かう。

 振り上げた棍棒が風をまとう音ともに振りぬかれるが、かがんで避けるエルザの後ろ髪をわずかにかすめるだけに終わる。

 

「ダンスに横入りなんて、無粋じゃないかしら?」

「あいにくと育ちが悪いからの、無粋なのは勘弁してもらおうか! そら、きりきり舞え!」

 

棘付きの棍棒を突き出し、線から点への攻撃範囲の変更。

奇をねらったとっさの攻撃はエルザの喉元めがけ進み、その結末にロム爺の喉が小さく変な音を漏らす。

 

「なん、じゃそらぁぁ!!」

「あなたが力持ちだから、こんなこともできたのよ。それじゃ」

 

 突き出された棍棒の先端に、軽くつま先を乗せたエルザの姿がある。

 彼女は揺れ一つすら起こさず、絶妙なバランスで立っている。そして さよなら、という言葉を口にしエルザはロム爺のこめかみを切断しようとナイフを真横にふるう。

 

「させるか!」

 

 ナイフをめがけ、こちらもナイフを投げる。咄嗟の行動だったので完全に軌道をずらすことはできず、頭からは逸らせたがロム爺の首から胴体までを軽く裂かれてしまう。さらにはじかれたこちらのナイフの腹が速度を保ったままロム爺の側頭部に命中し、彼の体は弾かれるかのように倒れた。

 死んではいないようだが、気絶しており戦闘はできそうにない。

 どうやらここからはシャオンたちが動くしかないようだ。

 

「スバル、お前フェルトを連れて助けを呼べ」

「悪いが、恐怖で足震えてまともに走れねぇよ」

 

 ちらりと見ると確かにかすかだが震えているスバルの足がある。アレでは確かにまともに走れない。

 だったら逃げるのは彼女だけだ。

 

「あー、すまんフェルト。だましていたことがある」

 

 急に話しかけられフェルトは変な声をあげこちらを見る。

 

「俺たち貴族なんかじゃない。無一文、無職のプー太郎だ」

「な、なんで今そんなこと」

 

 意図が分からないシャオンの告白に困惑しているとスバルがフェルトに教える。

 

「簡単なことだ。騙していた分の借りを返したいってことだよ。いいか? 助けを呼んだらできるだけ遠くに逃げろ」

「――! よくねーよ! なんだそりゃ、アタシにケツまくって逃げろってのか!?」」

「ああ、そうだ」

 

 赤い双眸が睨むように見上げてくるのを、スバルは顔を近づけて受けて立つ。

 スバルは一瞬、こちらの気概にフェルトが怯んだような顔をするのを見逃さず、

 

「お前のほうが足速いだろ? 別に俺たちも死にに行くわけじゃない。ただ、少し気張って耐えるだけだ」

 

 それでも渋る彼女にスバルは肩に手をかけ、語る。

 

「本当なら俺がそれやりてぇんだぜ。こんな暴力空間、一秒だって長居したくねぇよ。でもな、俺はやっぱりビビりだから走れねぇんだ。それにこん中じゃお前が一番年下だ。だったらお前を逃がそうとするのが当たり前なんだよ」

「……ロム爺は」

「あの爺さんは絶対に殺させない。俺らが生きている間はな、だからお前もあの爺さんを助けるためだと思って――全力で走れ。なに、大丈夫だ。俺はともかくあそこの銀髪の娘とあのうさん臭い奴は一筋縄ではいかないからな。案外、助けが来る前に片してしまうかもな」

「……信じるぞ」

 

 スバルの説得にようやく首を縦に振るフェルト。目元に涙を浮かべながらもその目は覚悟で満ちていた。

 

「今だ! いけよ、フェルト――!!」

 

 スバルの叫びに弾かれるように、フェルトの矮躯が風に乗って駆け出す。

 速度は一歩目からトップスピードだ。まさしく目にもとまらぬ速さで室内を駆け抜け、氷柱の障害も凍結した床も踏破し、少女の体は出口を目指す。

 

「行かせると思う?」

 

 それを真横から阻むのは、エルザが懐から抜き放った投げナイフだ。

 シンプルな装飾のそれは真っ直ぐに、逃走するフェルトの背中を狙い撃っている。が、

 

「邪魔させっかよ!」

 

 真横にあったテーブルを蹴り上げて、スバルはそのナイフの進路を阻んだ。

 反射的な行動は結果に結びつき、ナイフは跳ねたボロ机に突き立つことで役目を果たせない。

 ――無事、フェルトは蔵から抜け出せた。

 

「三対一、フェルトが助けを呼べたらもっと増えるだろう。不利だから帰るという気は?」

「あるわけないでしょう? こんな獲物を前にして帰るなんてありえないわ。それに援軍の件だったら問題はないわ。来る前に殺しつくせばいいもの」

 

 笑みを絶やさないエルザ。

 戦いにおいては数がものをいうことが多いという。だが、それでもエルザの不敵な笑みは剥がれることはない。それほどまでに力量差があることを自覚しているのだろう。

 

「交渉は失敗、才能ないのかねぇ」

「うさんくさいんだよ、やっぱ。もっと俺みたいにスマイリーになれ」

 

 後ろで棍棒を構えながらシャオンにアドバイスをするスバル。

 

「スバル、もしも俺がやられたらお前と彼女で戦うんだ。それまで休んでろ」

 

 正直、あの棍棒を持って近くで戦われたら動きが制限されてしまう。下手をすればシャオンに当たるかもしれない。そんな心配をしながら戦えるような楽な相手ではない。

 それだったらシャオンがやられるまでに緊張をほぐし、ついでにエルザの動きに慣れていてほしいのだ。

 

「……悪いな」

「……そう思うなら今度そのスマイリーになる方法でも教えてくれ」

「――まかせとけっ! 菜月昴式ほほえみ術を楽しみにしてろよっ!」

 

 シャオンの言葉に一瞬の間。だがすぐにスバルはウザいほどの笑みを浮かべる。

 それを尻目に改めて顔を引き締めてエルザにナイフを構え向き直る。

 

「同じ武器、というのはうれしいけれど。使い慣れていないのがわかるわよ?」

「いいんだよ、今から覚えるから」

 

 エルザがこちらに踏み込んでくる。

 それに向かって今までとは違い、完全に殺す気でナイフを振り下ろす。どうせこれぐらいでは死なない相手なのだから。

 

「いい殺気。でも読まれやすくなるからもっと隠しなさい」

 

 その一撃は予想通りにナイフで防がれてしまう。

 そしてそのお返しとばかりにこめかみを狙った鋭い蹴りが繰り出される。氷の靴を履いたうえでの蹴りは重く、まともに食らえば頭蓋骨が砕けてしまうかもしれない。

 

「っと」

 

 手甲でうまくそらすことで最低限の威力に抑える。だがそれでも側頭部を軽く削り、血が噴き出る。

 その血液を掬い取り、エルザの目元に向かって払うようにかける。

 

「目くらましはいい判断ね。でも、まだまだ未熟」

 

 首を傾けその目つぶしを避ける彼女。やはりこの程度での目つぶしでは効果がないようだ。

 

「――こっちも忘れないでよねっ!」

 

 正面からの相対、それを背後から急襲する氷の飛礫。

 後ろを振り返りもせずに刃を振るい、それをことごとく打ち落とすエルザ。その人知を超えた超感覚に、もう呆れることすらない。

 

「流石に、そのお遊びも見飽きたのだけど」

 

 彼女は不満そうに偽サテラに視線を向け、

 

「まだ、楽しませてもらえるのかしら?」

 

 黒い笑みを浮かばせた。

 

 

 シャオンには一つの作戦があった。

 現状、彼女にはどうやっても勝てない。だが、相手が素手だったらどうだろう? 

 その条件だったらこちらは武器を持った状態、それに加え偽サテラによる魔法の援護がある。流石に楽勝、とまではいかないだろうが勝利の筋道は立てられる。

 だから、狙うのは彼女自身だけではなく彼女の獲物(ナイフ)だ。壊すことができれば御の字だが、最低でも彼女の手から離すことさえできればいい。

 だが彼女の一撃はどれもこちらを殺す気の物ばかりでタイミングをつかめない。下手に受けたらそのまま死ぬだろう。

――こうなったら、やるしかない。

 

「問題が、山積みの作戦ではあるけども。やる価値はある」

「もうおしまい? 呆気ないのね」

 

 急に動かなくなったシャオンに若干の失望の視線を向けながらもエルザはナイフをこちらに突き刺すようにして駆ける。

 それを見てシャオンは歯を食いしばり、エルザの突き出したナイフに向かって肩を合わせて体当たりをする。

 

「っ!?」

 

 そこで初めてエルザの表情に驚愕が生まれる。それはそうだ。だれが自らを殺そうとするナイフに向かって刺さりに行こうとする馬鹿がいたものか。

 ズブリ、と自身の肉体に冷たい刃が侵入してくるのがわかる。肉を裂いて刃の根元までシャオンの左肩に突き刺さっていく。

 その痛みに脂汗を流しながら不敵に笑みを浮かべる。

 

「い、い表情だぜ? エルザさん?」

 

 引き抜こうとするナイフの柄を右手でつかむ。

 ここで引き抜かれてしまっては警戒され、二度と武器を奪う機会は訪れないだろう。悲鳴を上げる肩を無視して全力で握りしめる。

 

「銀髪の娘! いまだ! 大きいの頼む!」

「え、でも」

「大丈夫だから!」

 

 躊躇する偽サテラ。その優しさに今ばかりはイラつきを覚える。

 

「……ああ、死なないんだったらあいつは大丈夫だ。やってくれ!」

 

 スバルの言葉を受け、ようやく彼女は手を構える。そこを中心に光が集まり、氷柱ができ始める。

 

「ちっ」

 

 それを見てエルザは流石に柄から手を放し、シャオンから距離をとる。その手にあったナイフはシャオンの肩に突き刺さったままだ。

 直後彼女のいた位置に大きな氷柱が突き刺さる。残念ながら偽サテラの魔法が当たることはなかったが最初の目的であるナイフの奪取は達成できた。

 力を入れ、ナイフを肩から引き抜く。栓をなくし、肩から血が噴き出るがすぐに拳をたたきつけて治し、ナイフをどこか遠くに投げる。

 

「ふぅ、これでアンタは素手だ。降伏は、今だったら聞くぞ? まだ犠牲者いないしな」

「いい覚悟ね、いくら治療できるとはいえ自ら刺されに来るなんて」

「さっきのアンタの行動を見てたら覚悟で来たんだよ」

 

 狂人を相手にするならばこちらも同じレベルになる。馬鹿みたいな発想だが意外と上手くいったようだ。

 

「仕方ないわね。この状況じゃ、八方塞がりだわ」

 

 そう言うと彼女から感じられていた圧力、禍々しいほどの殺意が消え去ったのがわかる。

 

「……やけに素直だな」

「流石に武器もなしに三人も相手にするほど無謀ではないわ」

 

 両手を上げ、抵抗の意思はないことをこちらに示す。

 

「……一応、拘束するぞ? 関節ぐらいは外すからな」

「もう抵抗はしないって言ってるのに」

 

 一瞬、やりすぎだとも考えたが目の前の女は何をしでかすかわからない危険人物だ。やりすぎてちょうどいいかもしれない。

 だが彼女は女性だ。拘束自体はあまり跡が残らない程度にしよう、と考えながら近づくと、

 

「――武器がなければ、だけどね」

 

 その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。そして、その数秒でエルザはシャオンの懐に踏み込んでいた。

 気づくべきだった。なぜ彼女が逃げずに、拘束を受け入れていたのかを。

 

「――っ!? 二本目?」

「残念ね、獲物を一つと勘違いしちゃ駄目よ」

 

 懐から取り出されたククリナイフが近づく。身を翻し、回避しようとするがすでに遅く、鈍く光るナイフの刃がシャオンの腹部に突き刺さる。

 体の中に異物が入ってくる感触ととも中身があふれ出る感覚がシャオンを同時に襲う。

 

「ぐっ……!」

 

 ゆっくりと、それで確実に横一線に捌かれていく感触。今まさに自身の腹が裂かれている最中だと改めて実感させられているかと思うと気分が悪くなる。

 

「ああ、やっぱりきれいな色。キスをしたいぐらいだわ」

 

 エルザはシャオンの腹から垂れてきた色鮮やかな腸をやさしく、それこそきれいな花を触る童女のような手つきでなでる。

 

「くっ……そったれぇ……」

 

 激痛に耐えながら不可視の手を発動しようとする。しかし、痛みによって集中できていないからか、あの黒い手は現れることはなかった。

 

「やめろっ!」

 

 スバルがエルザめがけ机を蹴り飛ばす。しかし彼女はシャオンに蹴りを入れ、その反動を利用し避ける。机は砕け、辺りに木片が散らばる。

 

「無粋ね、本当」

「シャオン!」

「危ない!」

 

 こちらに駆け寄ってくるスバルを間一髪偽サテラが手を引き、止める。あのまま進んでいたらエルザに殺されていただろう。

 

「まず、ったな」

 

 癒しの拳を使うために体を殴りつけようとするが拳が上がらない。まるで自身の手でないようだ。

 

「まずは一人――さて、まだまだできるわよね?」

 

 その言葉とともにシャオンの視界は黒く染まっていった。




恐らく、次回で一章終わります。
ところで私の文章量って多いんですかね?


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王都での長い一日

若干のキャラ崩壊? 注意


「シャオン! 無事なら返事しろ!」

「次の踊り手は貴方? それともその銀髪の子かしら? いっそ両方でもいいわ」

 

 シャオンの心配をしているとエルザが血の滴るナイフを払う。それを見てひとまず彼のことは置いて置き、自身と偽サテラを守ることだけを考える。

 

「……秘められた真の力とかがあるなら、今のうちに出しといた方がいいと思うぜ。出し惜しみして負けんのが一番かっちょ悪い」

「……切り札はあるけど、使うと私以外は誰も残らないわよ」

「前言撤回! やっぱ淑女には切り札的なものを残しておくのがいいとスバルくんは思いますっ!」

 

 偽サテラが全てを諦め、その切り札を切るのを必死で阻止。そんなスバルの必死の形相に、戦いの最中だというのに少女はほんのわずか唇をゆるめ、

 

「やらないわよ。まだこんなに一生懸命、あなたが頑張ってるのに。それにあなたの友達も体を張って助けてくれたんだから。足掻いて足掻いて足掻き抜くの。――親のすねをかじるのは最後の手段なんだから」

 

 仕方なさそうに、そう語る少女の表情を見て、スバルの中でなにかが灯る。

らしくない感傷だと、今の自分の中に込み上げる感情を顧みてそう思う。

 らしくない、まったくもって、本当にこんなのは自分らしくないのだ。

 

「――この世界に来てから、本当にどうかしてるよ」

 

 少し前まではいつだって周りに無関心で、あらゆる事柄に影響を与えず、どんな問題が立ちはだかろうとマジメにぶつかることを選ばず、ただ漫然と雲かなにかのようにうつろう。それこそ老人のような生き方をしていたのに。

 誰かに期待することも、逆に期待されることも、全部全てなにもかも、どうでもよかったはずなのに。もう、あきらめていたのに。

 張り詰めたような顔で、ずっとなにかを探し求めている彼女の横顔を見せられていたから、そんな彼女の微笑む顔が見てみたいと思って、頑張ってきたのに。

 諦めてしまいそうな、不条理を受け入れてしまいそうな、そんな弱々しい表情の変化が、初めて得た彼女の『笑み』だなんてとても許せない。許してはいけない。

 

「俺は、何も見てない」

「え?」

「ああ、もう! 今のやり取りはなし! そうだ、お前をぶっ飛ばしてシャオンを治療すれば問題はなし! ハッピーエンド突入だ」

 

 棍棒をエルザの顔に向け、啖呵を切る。

 

「おふざけはもうけっこうよ。踊りを始めましょう。ちゃんとついてきてね」

「先にお手本を見せてくれた相棒がいるからな。おまえこそついてこいよ!」

 

 挑発に挑発で返しスバルは棍棒を構える。

 体を低くし、滑るような動作でエルザが迫る。それに対しスバルは全力で棍棒を振る。しかし彼女は慣れた動きでしゃがみ、回避する。

 

「まじかよ、蜘蛛じゃねぇんだから」

 

 そんな揶揄に応えずエルザはナイフを切り上げる。その鋭さを身をもって体験しているからか反射的に体を倒して躱そうとする。

 だが、それでも彼女の攻撃範囲からは避けきれない。

 

「こなくそっ!」

 

 やけになって出した蹴りはエルザの腕に当たり、わずかに刃が逸れる。そこにシンプルな氷の盾が現れた。当然このサポートをしてくれるのは偽サテラ一人だけだ。

 

「狙ったところに作るのは得意じゃないの。――危うく、氷の彫像ができるところだったわ」

「それはいったいどちらがベースになっているか訊きたいんです、が!」

 

 お礼と軽口を言いながら距離をとるスバル。そして偽サテラは氷の弾幕を張り続ける。

本来ならば弾幕に紛れてエルザの背中を狙いたいのだが、うっかり攻撃に混ざろうとするとフレンドリーファイアしそうでなかなか踏み出せない。

 凡人であるスバルはこの弾幕にさらされて無事でいられる自信はない。そもそも彼女とはそこまで仲が良くない状態での共闘だからだ。

 

「しかし、そんな二人も共に試練を乗り越えることで互いの絆を深めていく。いつしか信頼は愛情へと変わり、燃え上がる二人は誰にも止められない……そして子供たちに囲まれて」

「ぼそぼそ小声でなに言ってるかわからないけど、すごーくくだらないのだけ伝わる」

「女を前にして、別の女のことを考えるなんて、野暮なことこの上ないのだけれど」

「まさかの二人からのブーイング!! 心くじけそう!」

 

 そんな会話をしながらもスバルの二の腕、ふくらはぎ、脇の下にどんどん浅い傷が増え始め、灰色のジャージにも止まらない出血で血痕がにじみ始めていく。

 節々に走る痛みにより自身の動きが鈍くなっていくのがわかる。

 

「切れるの痛ぇ! 超痛ぇ! こんなにしょぼい傷で泣きそうになるわ!」

 

 今まで痛みをこんなにも体験する機会がなかったからか、些細な傷でも勝手に涙が出て、心がくじけそうになる。むしろなぜくじけていないのか疑問に思う。

 スバルには、死に戻りという能力がある。だからここで死んでも恐らくまたあの八百屋の前に戻ることになる。 そうしたら今度は戦闘を回避する方法で進めていけばいい。だが、それはできない。なぜなら――

 

「――あきらめるわけにはいかないだろ。あの娘のためにも、シャオンのためにも」

 

 必死にエルザと戦ったシャオン、今もこんな非力な自分を信じ、戦い続ける偽サテラ。どちらもこの世界だけのものだ。

 いくら元に戻ることができるからと言って、彼らを見捨てることはできない。彼らの努力を、彼らの存在を見捨てることなどできない。

 

「という訳で! ここからが菜月昴の逆転劇の始まりだ! みなさん? 惜しみない声援と拍手を!」

 

 大きな声で気合を入れ、その直後に回し蹴りを放つ。

これまでの棍棒パターンから一転、奇をてらうのが目的の格闘技だ。が、

 

「はい、掴んだ」

「げ」

 

 蹴り足がゆうゆうと避けられ、おまけに通り過ぎる前に軽く掴まれる。振り上げるククリナイフはスバルの上がった足の付け根を狙っており、勢いはばっさりと足を切り落として余りある速度と鋭さ。

 振りほどこうにもエルザの力は思ったよりも強く、体制が不安定なスバルには無理だ。

 これが、判断ミスの代償だ。もう、回避することも防ぐことも間に合わない。

 声にならない偽サテラの悲鳴が走り、斬撃が容赦なくスバルの足に到達。このまま肉を絶ち、骨が断たれてしまうだろう。その激痛と鮮血の予感に文字通りに血を吐く絶叫を上げ――、

 

「――ナイスだスバル、そのまま」

 

 その絶叫を遮るように、澄んだ男の声が、聞こえた。

 直後、目の前の空間が歪んだような錯覚を感じる。

 骨が軋む音、そして折れる音。その嫌な音がスバルの耳に聞こえると同時にしびれるような衝撃がエルザの体を伝って響いてくる。

 そして、あまりの威力にエルザの手はスバルの足を掴み続けることができず離れ、体が吹き飛ぶ。そのまま盗品蔵の壁にぶち当たり、体ごと盗品蔵の壁を吹き飛ばした。

 外に吹き飛ばされたエルザは二度、三度地面をはねてようやく止まる。――動きはしない。

 

「ふぅ、ジャストヒット。流石に倒せたろ。死んではいないはず、うん。たぶん、おそらくきっと」

 

 無くなった壁からの夕日に照らされるその体に傷はなく、勿論こぼれていたはずの腸はどこにもない。ただパーカーに横一線の傷跡が残っていただけだ。

 

「……ロム爺これ見たらキレるんじゃないか」

 

 そんな的外れな感想を口にして、死んだはずのシャオンは現れた。

 

 

「な、な、な!」

「どうしたよスバル、まさか加減しろ、とかいうなよ? ふぅ、こちとら腹裂かれてんだから加減できない」

 

 一応、死なないように配慮はした。だがスバルはそんなことはどうでもいいとでもいうように叫ぶ。

 

「なんじゃそりゃあ! 俺お前のためにとか言っちゃってたよ!? 黒歴史もんだわ!」

「癒しの拳が、ふぅ。あるって言ってたろ? まぁ、流石にやばかったけど」

 

 エルザに切り裂かれ蹴り飛ばされた後、意識が途切れた。だが奇跡的に、本当に奇跡的に命が尽きる前に意識を取り戻すことができた。その時にわずかに動く手で腹部に拳を当て、能力を発動したのだ。

 だから現在は、

 

「えっと、大丈夫なの?」

「うん、ほら。傷一つない」

 

 心配する偽サテラに向けてパーカーをめくり、腹を見せる。そこには傷一つない健康的な色をした肌が広がっていた。

 

「それにしてもナイスファイトだったぜ、スバル」

「……釈然としないけど、これで一件落着だな。フェルトの奴、無駄足になっちまったな」

「……ふぅ。これで、解決ね」

 

 指を立ててほめると照れ臭そうにそっぽを向くスバル。それを見て偽サテラも緊張を解く。

 

「――ふふ」

 

 そんな円満ムードをぶち壊すように、いやな笑い声が聞こえた。

 

「……おいおい、流石に倒れてくれよ。はぁ。こちとらチート使ってやっとなんだから」

「いい、いいわ。今の一撃はよかったわ」

 

 シャオンの棘のある言葉をまるで聞こえていないかのように笑い声をあげ、エルザはこちらに近づいてくる。

 

「お互い、痛み分けってことでどう?」

 

 もう何度目かわからない提案にエルザは首を振る。

 

「まだ戦えるわ。これで対等なんじゃないかしら」

 

 エルザの様子を一言で表すなら、満身創痍だ。服はこすれて穴だらけ、不可視の手の一撃を受けた彼女は片方の腕は骨が折れているのが見てわかるように垂れており、整った顔の半分は頭部からの流血で赤く染まっている。

 しかしその有様でも美貌は衰えていないことに彼女の見た目がどれほど優れているのかがわかる。

 

「スバル、彼女のそばから絶対離れるなよ。俺はこれから、――全力で行く」

 

 ボリボリと乱雑に長い髪をかき、苛立ちをあらわにする。

 

「……わかった。ほら君もこっち来て、ロム爺の治療を頼む」

「え、でも」

「さっき見た通り。アイツは大丈夫だよ……たぶん」

 

 納得はしていないようだが偽サテラとスバルはロム爺に駆け寄り治療を始める。

 それの開始とともに、禍々しい渦を巻いた黒い腕が四つ、足元から沸き出る。同時に体全体が軽く締め付けられる感覚が襲う。だが、それを無視し敵意を込めた目でエルザをにらむ。

 

「――素敵」

「そりゃどうも。でももう相手するのも面倒。だから死ね」

 

 エルザはこちらの殺意を感じ取ったからか、興奮したかのように頬を染め、あふれる情欲を表すかのように身をよじる。

 何も知らない人間がその様子を見れば生唾ものだが、シャオンはもうそんな気は起きない。今、心にある感情は一つ、彼女を殺すというものだけだ。

 エルザが体を低くし、こちらに肉薄してくる。その速さは今まで見てきた中で最も速いだろう。だが、そんなもの気にしない。

 

「っ!」

 

 不可視の手が、シャオン以外には視認できない黒い手がエルザをたたきつぶすかのように振り下ろされた。

 それはそのままエルザの体から左肩を分断し、蔵の床を割り、周囲に破片をまき散らす。

 

「まだやる? こちらとしてはもう、投降してほしいんだけど」

「……冗談」

 

 血しぶきがかからないようにしながらエルザに尋ねる。だが彼女の返答は相変わらずだ。

 

「それでも構わないよ。ただ、容赦する気はない」

 

 肩をすくめながら不可視の手でエルザに向けて上からこぶしを突き立てようとする、しかし バックステップで大きく距離を取られる。その結果彼女の体に攻撃は当たらず、床が沈没しただけだった。 

 

「……ほぉ」

「よ、よけたっ!?」

 

 回避されることはないと思っていた一撃をよけられたことにシャオンの目はわずかに見開く。

 

「……見えないはずなのによく避けたもんだ。長年の勘ってやつ?」

 

 シャオンの言葉にエルザは返答をせず、笑みを深めるばかりだ。

 

「この能力を発動するとさ、眠気がすごいんだ。だから、ふぅ。もう終わらせたい」

 

 エルザは牽制のつもりか、近くのテーブルをこちらに向けて蹴り上げる。

 

「無駄」

 

 手はそのテーブルを文字通り消し去る。破片すらもその一撃の余波で消滅する。

 破壊はそれだけではとどまらず、衝撃がテーブルを通り過ぎエルザの体を襲う。堪えることができずに浮いた体は吹き飛び、再び壁にたたきつけられる。

 壁に小さなクレーターができ、エルザの体が床に向かって落ちていく。だが今のシャオンにはそれを待っている時間すら面倒くさい。

 落ちきる前に不可視の手で、拳で彼女の体を打ち抜く。

 

「――ぐっ」

 

 きしむような音は蔵の壁の悲鳴か、それとも彼女の骨の悲鳴か。

 そんなものはどうでもいい。ただ殴り続ける。

 一度、二度、三度。

 

「――っ!」

 

 エルザはそんな攻撃の中、懐から取り出したナイフを投げつける。切れ味のよさそうなそれはシャオンの頭部めがけて回転して向かってくる。このままいけばナイフはシャオンに突き刺さるだろう。 

 

「無駄さ、ね」

 

 シャオンが指をわずかに下から上へ動かすとナイフは消し飛び、射線上にあったエルザの体も弾き上がる。

 彼女の体は回転しながら天井に打ち付けられ、ゆっくりと落ちる。受け身も取れずに彼女の体は落ち、骨の折れるいやな音が聞こえる。

 

――だが、まだ生きている。

 

「……丈夫だな。普通の人間だったら死んでると、思う」

「普通じゃ、ないのよ」

 

 口から血の泡をこぼしながらもエルザは答える。どうやらいまだ戦意が残っているようだ。

 

「頭を潰せば、何とか――」

 

 なる、そう言おうとした体が床に倒れた。

 

「シャオン!?」

 

 急に倒れたシャオンを見てスバルが叫ぶ。

 その声を他所に自身の体に起きている変化について考える。今身に起きているこの感覚は、

 

「……睡魔と倦怠感?」

 

 まるで風邪をひいたような軽い倦怠感と、瞼が勝手に下がってくるような感覚。ついでに全身にかかっている重圧。この感覚は以前も味わったことがある。

 

「ごろつき達の時、か」

 

 今回の世界でのごろつき達に対して使った時に感じたものと同じものを現在味わっているのだと気づく。

 つまりこれが――能力の副作用。

 

「睡魔、呼吸のしづらさに加え倦怠感が副作用とか……現実味ありすぎだろ」

 

 倦怠感はつらいが、立ち上がれなくなるほどのものではない。だが、立ち上がらなくても不可視の手は動く。だったらこのままの姿勢で動いたほうが楽だ。

 

「予想外の、ふう。事態は起きたけど。これで、終わり」

「――あぁ」

 

 自らの死を悟り、それでも笑みを浮かべるエルザを見てせめて一撃で仕留めようと力を籠める。横になった体制のままだが不可視の手は高く上がる。

 

「眠れ」

 

 そして、振り下ろす。

 

 

 

 

 

「――そこまでだ」

 

 

 

 その声とともに屋根を貫き、盗品蔵の中央に燃え上がる炎が降臨する。

 焔はすさまじい鬼気でもって室内を席巻し、そして眼前、もうもうと埃と噴煙をたなびかせる中に、真っ赤な輝きを見た。

 

「お、お前は……」

 

 炎が揺らぎ、足を前に踏み出す。

 シャオンも、スバルも、偽サテラも、エルザすらも表情を凍らせる威容。室内の視線を一身に集めて、なお欠片も揺らがないその端正な面持ち。

 ただひたすらに純粋な、『正義感』を空色の瞳に映した青年が、かすかに微笑み。

 

「シャオン、それ以上はやってはいけない。友人として、止めさせてもらうよ」

 

 紅の髪をかき上げて、イケメンが高らかにそう謳った。

 

 

「別に、こっちも、やめてもいい。ふぅ。でも相手が戦う、意思。むき出しなんだ、ふぅ」

 

 床に伏したままラインハルトに顔だけ向け事情を説明する。すると彼はエルザのほうを向く。

 

「状況はどう見ても不利です。それでもまだ戦う意思があるなら僕も、動かざるを得ない」

 

 落ちている剣を拾いあげ、エルザに向ける。彼女はゆっくりと体を起こし彼の言葉に答えた。

 

「……逃げさせてもらうわ、剣聖とはこんな状態で挑んでも楽しめないだろうし」

「ええ、そうしてください。これ以上の戦闘は無意味でしょう」

 

 あのエルザが戦闘をやめ、素直に撤退を選んだことにシャオンは驚く。それほどまでに彼、ラインハルトという存在は異常なのだろう。

 

「――ああでも」

 

 エルザは落ちていたナイフを拾い、笑みを浮かべる。

 

「腹立たしいからその娘の腸は目に焼き付けさせてもらうわ」

「なっ! まずい!」

 

 

 エルザは偽サテラにナイフを構え、襲う。

 ラインハルトはとシャオンは偽サテラから距離が離れすぎてかばうことができない。不可視の手も、彼女を守るには時間がなさすぎる。

 

「――え?」

「さようなら、お嬢ちゃん。雑に切り裂くから痛いけど、我慢してね?」

 

 急な事態に、偽サテラは間の抜けた声を漏らす。アレでは彼女自身が防ぐことはできそうにない。

 白いローブが赤く、染まり。彼女の体は力なく横たわって動かなくなる。

 そんな運命だった、だが――

 

 

「狙いは腹ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

――こちらには運命を捻じ曲げる存在、菜月昴がいる。

偽サテラを突き飛ばすように庇い、腕の中に残っていた棍棒を引き上げ、とっさに腹の上をガード――衝撃。

横薙ぎの一発の威力は斬撃というより、重厚な鈍器による打撃に近かっただろう。その証拠に土手っ腹への衝撃で地から足が離れ、血を吐きながらスバルは吹き飛ぶ。

 

「この子はまた邪魔を――」

 

ぶっ飛んだスバルを見ながら、エルザが悔しげに舌を鳴らす。

それから彼女は立ち尽くす偽サテラに目を向けるが、

 

「そこまでだ、エルザ!」

 

駆け戻るラインハルトを前に、

エルザは手の中、スバルへの最後の一撃で完全に歪んだククリナイフをラインハルトへ投擲。しかしそれはまるでナイフ自体が彼をよけたかのような軌道で逸れ、壁に刺さる。

 

「いずれ、この場にいる全員の腹を切り開いてあげる。それまではせいぜい、腸を可愛がっておいて」

 

 そう、捨て台詞じみた、しかし執念を感じさせる言葉をラインハルトと、そしてシャオンを見て残し彼女は切断された腕を拾い上げ、廃材を足場にどこかに飛び去っていった。

 ラインハルトもこれ以上の戦闘はためにならないと判断しているからか追いかける気はない様だ。数秒エルザの去った方向を眺めた後負傷しているであろうスバルに近づく。

 

「妙なのに、狙われたかねぇ」

 

 二度と会いたくないと思いながらつぶやく。絶世の美人といえる存在だがもう彼女との出会いはこれっきりにしてほしい。

 

「……いやぁ……まじで……」

 

 遠くでスバルの元気な声が聞こえる。どうやら怪我はないらしい。それを知り、安堵のため息を吐くと同時に不可視の腕を消滅させる。

 途端、今までよりも重い倦怠感に襲われ、立っていられずゆったりと床に仰向きに倒れ込む。開いた天井から青白い月光が称賛するように彼の体を照らす。

 

「ああ、やっと一日が終わる――なげぇよ。こんちくしょう」

 

 空高く、浮かんでいる月に対して文句を言い、シャオンは睡魔に従うように目を閉じた。

 




やっと一章が終わりました。他の投稿者さんに比べて一章をこんなにかけてしまってよかったのだろうかと疑問に思っています。
次回、幕間のような小話を挟み二章に入らせていただきます。幕間は4勝の登場人物が出るのでネタバレ注意です。
 ここまで、ありがとうございました。


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幕間、いつかの記憶
強欲と憤怒


幕間です。
四章での登場人物が出てくるのでネタバレ注意です。


 どこかの時代のどこかの野原。一人の少女が静かに、紅茶を飲んでいた。

 背中にかかるほどの長さの少女の髪は雪を映したような儚げな純白で、まるで世界から隔離されているようだ。

 露出の少ない肌もまた透き通るほどに美しい。理知的な輝きを灯す双眸と、身にまとう簡素な衣装のみが漆黒で、二色で表現できる彼女を端的なまでの美しさで飾りつけている。

 目にすれば、誰もが見惚れてしまうほどの美貌、だがその黒い瞳の奥には常人が見たら狂いそうなほどの未知を求める強い欲が潜んでいるのがわかる。

 

「――ふぅ」

 

 ため息をこぼした姿すら神々しく、声をかけることすらためらってしまうほどだ。しかし、そんな存在に声をかける人物がいた。

 

「エキドナ先生。今お時間よろしいです?」

「ああ、別に構わないよ、シャオン」

 

 呼びかけられた声に振り返るとそこには長髪を後ろで束ねた青年がいた。

 男とは思えない相貌で、エキドナよりも色素の薄い白髪は傷や染みひとつない。女であるエキドナよりも女らしいかもしれない。

 そこに羨望も嫉妬心もないが、もっと男らしくすればいいのではないかとは時折思う。

 

「テュフォンにプレゼントを送りたいのですけど、どうすればよろしいですかね」

「プレゼント? それまたどうしてだい?」

 

 シャオンの言葉に驚きの声を上げる。

 彼が個人にたいして物を贈るという行為は非常に珍しいことだ。何故なら彼が特別視することはほとんどないからだ。ましてや、その贈り物の内容を他人に相談するなど想像もできなかったことだ。

 

「母上様に頼まれ、僕は彼女の兄に任命され一年経ちました。だったら愛する妹のために贈り物を送らないといけないのです。愛する人のためには贈り物をしないといけないのです、と聞きました」

「そこまで思われているならテュフォンも幸せだろうね」

 

 その気持ちを彼女に伝えれば十分だとは思う。回りくどい言い方や思いなどは彼女に対して意味がないのだから。

 

「……ちなみにその情報はどこから聞いたんだい?」

 

 ほぼ誰が言ったのか予想できるが念のために尋ねてみる。するとシャオンは胸を張るように誇らしげに答えた。

 

「カーミラです。彼女には熱心に愛について教えてもらいました」

「そうか。それで、君はなんて返したんだい?」

 

 恐らく、カーミラは遠まわしに自分にも何かプレゼントが欲しいと伝えたかったのだろう。だがシャオン相手にもテュフォンと同じく回りくどい言い方は伝わらないだろうに。

 

「……? ただお礼を言っただけですが」

「……報われないね、彼女も」

 

 案の定彼には真意が一切伝わっていなかったようだ。もう慣れてしまったことだが彼女の不憫さには同情してしまう。

 

「……まぁプレゼントを贈るという考えは悪くないと思うよ? 物を送るという行為は思いが伝わりやすいと聞くしね」

 

 事実、エキドナに対して知恵を求めに来た人間の何人かからは貢物や契約の対価として物を献上されたことがある。

 

「それこそセクメトに聞けばいいじゃないか。彼女もテュフォンと仲がいいだろう?」

「母上様はエキドナ先生に訊けとおっしゃいました。」

 

 恐らく、面倒ごとだと思って押し付けたのだろう。どちらにしろ彼女にこのような相談事を持ちかけてもまともに答えてくれるかわからないが。

 

「――もしかして答えられませんか?」

 

 黙って考えていると、シャオンの声が氷のように冷たく、低くなる。

 彼の体から個人のものとは思えないほどに黒く、禍々しく何かが揺らめき始め、そしてエキドナですら息を呑むような量のマナが彼の周囲に集まり始める。

 

「いや、答えてもいいんだ。ただ、ワタシが答えをそのままあげるというのは意味がないと思ってね」

 

 そう答えると先程まで漂わせていた圧力が水にとけるかのように消えた。

 

「そうでしたか、すみませんでした」

 

 納得したように頭を下げるシャオン。

 言葉を間違えていたらエキドナはシャオンに殺されていただろう。

彼の性格は嫌いではないが、価値がなくなると直ぐに殺そうとするのはどうなのだろうかとおもう。それもまた彼の魅力なのかもしれないが。

 魔女といっても始まりは人間なのだ。喜怒哀楽の感情からも、物の好悪にも、接する相手の得意不得意からも人間であるという縛りがあるから逃げられない。

 しかしシャオンは違う。現在ではレイドやボルカニカなどの例外ができてしまったが、それ以外はすべてを愛しすべてに羨望し、だからこそ全てに平等に接する。

例外を除いて全てを愛するからこそ全てに嫉妬し、価値が下がったらその価値を守るために殺そうとする。

 ――それはまさに、

 

「嫉妬の塊、か。本当にあの女じゃなくて君が……」

「先生? やはり、ご迷惑でしたか?」

 

 考えていたことが表情に出ていたのか心配そうにシャオンは顔をのぞき込む。

 

「なんでもないよ。では答えよう――先生からの宿題だ、自分で答えを見つけ渡しなさい」

「……答えではないのでは? それは?」

 

 若干の反感を含んだ目でこちらをみるシャオンにくっくと小刻みに笑う。

 

「仕方ない、ヒントを上げよう。贈り物というのはその人が使っているものを想像できるものがいい」

「想像、ですか?」

「そう。使っている様子が思いつかないものは贈り物として適していない……とまでは言わないがあまり良くないと思うよ」

 

 酒を嗜まない者に酒を送るのは意味がない、文字を読めない者に本を送るのは意味がない。

つまりはその人にどんなものを贈るかが大事ではない。その人に合うものをよく考え、贈るものを通して相手に思いを伝えることが大事なのだ。

 しかし意味が分からなかったのかシャオンは小首をかしげている。

 

「ダフネに食べ物じゃない物を与えても意味がないだろう? それと同じことだよ」

「ああ、なるほど」

 

 身近な人物の例を出すことでシャオンは納得したように頷いている。

 

「流石先生ですね、ありがとうございます」

「なに、かわいい生徒のためさ。これぐらいはなんてことない」

「ではこれで、僕は少し考えてみます」

 

 そういうとシャオンは頭を垂れた後、髪の毛を数本抜き、祝詞を口にする。

 するとシャオンの体が歪み、渦を巻いていく。あの魔法は以前にエキドナが教えた転移の魔法をアレンジしたものだ。

 色々と発動条件が複雑なこと、発動する際に消費するマナが魔法の効果に見合っていないことからあまりエキドナ自身が使うことはない魔法だ。なぜだかわからないが彼はこの魔法を好き好んで使用している節がある。

 その様子を眺めていると彼の体は完全に消え去った。恐らく別の場所に転移したのだろう。

 

「……お茶ぐらい飲んでいけばよかったのにね」

 

 口のつけられた様子のない、彼のために淹れた紅茶を寂しそうに眺め、エキドナは息を吐いた。

 

「君もそうは思わないかい? ――ミネルヴァ」

 

 同意を求めるようにテーブルの下をのぞき込むとそこには息を殺した様子で体を丸めている金髪の少女がの姿があった。

 

 

「いつまでそうしているんだい?」

 

 流石にテーブルの下にいる状態の人物と話し続けるのはどうかと思い、出るように促す。

 

「……エキドナ、シャオンはもうどこか行った?」

「うん、もういないよ」

「ふぅ、よかった」

 

 エキドナのその言葉に安堵のため息を漏らしながらテーブルの下からはい出る彼女。

 土で汚れたウェーブがかかった金髪と短いスカートを払いながら、エキドナの向かい側になるように椅子に腰を下ろす。

 

「珍しいね、君が彼を邪険に扱うなんて。何かあったのかい?」

 

 新しく紅茶を淹れながらミネルヴァに問いかける。

 

「だって、愛する人に贈るものは何がいいなんて言われたら、こ、困っちゃうじゃない」

「……彼の言う愛は恋愛的な意味のものではないんじゃないかな」

 

 頬を染めている彼女に呆れの眼差しを向ける。彼女自身はこういった話に慣れていないからかすぐに顔を真っ赤にしてしまう。耐性をつけなければ将来はどうなってしまうのだろうか。

 

「ん? それは……」

 

 彼女の将来を懸念しているとふと、彼女の手に一冊の古びた書物が握られているのがわかった。

 

「……まだ、探しているのかい?」

「癒すついでにね――あたしは絶対に諦めない」

 

 エキドナの呆れのこもった声色と対照的にミネルヴァは碧眼に怒りと、覚悟を滲ませながら手に持つ書物を握りしめる。その握りしめる強さから彼女の意思の固さが伝わってきた。

 

「正直、ワタシはもう提示した方法以外ないと思うけどね」

 

 ミネルヴァは多くの生き物を癒すために世界を駆けまわっている。文字通りその足でだ。

 野山を走っては怪我人を癒し、川を渡っては怪我人を癒す。

 なので彼女はたいていの場所に足を運ぶ。その行く先々で彼女は探し求めているのだろう、彼を癒す方法を(・・・・・・・)

 

「彼、シャオンは”模倣の加護”でワタシ達魔女の権能すら真似ている。当然すべての力を万全に使えるわけではないが7,8割は使えるかもしれない」

 

 模倣の加護。

 見ただけでその仕組みをすべて理解し、自らのものにできる加護だ。

 剣の達人の動きを一度見れば習得し、魔法を一度見れば彼自身も使用できるようになる。非常に強力な加護と言える。だが――

 

「強力、だからこそ負担が大きいんでしょ? 何度も聞いた話だわ。そして! 何度も何度も治療したわよ! ああもうっ!」

 

 そう、何事にも代償は存在する。

 魔法を使うのにマナやオドを用いる必要があるのと同じように得るためには失う必要があるのだ。いくら便利な加護であってもその決まりからは逃れることはできない。

 ――彼はその加護を使いすぎる度に血反吐を吐き、体中の骨が砕け命の危機に襲われる。

 当然だ、魔女たちの因子の適性がないのに魔女たちの権能を使おうとした罰のようなものでもあるのだ。

だが彼はそれでも、自身の体がボロボロになっていっても加護を使い続けていくのだろう。

 

「あんたは、それでいいの? あの子が無茶するようになったのはあたしたちの責任でもあるのよ?」

「それが彼のとった選択で、決断だからね。先生としては別の道筋を示してあげたかった、という気持ちも勿論ある」

 

 彼との付き合いはそれなりに長い。だから意固地さも十分にわかっているつもりだ。彼は一度決めたことはなかなか曲げようとはしない。それこそ力づくで止めるならばセクメトやテュフォンに助けを借りるしかない。

 

「それに、カーミラもなにか企んでいるようだし、もしかすると奇跡、なんてものが起きるかもしれない」

 

 色欲の魔女、カーミラ。

 あの自己愛の塊である彼女が他人である彼に心酔しているのだ。恐らく全力をあげて彼を助けようとするだろう――それこそ多くの犠牲を出してでも。

 その際に出る犠牲について想像し、静かな怒りとともにミネルヴァはエキドナをにらむ。

その怒りをこちらに向けるのは理不尽じゃないかと思ったが、止めるそぶりを見せずに傍観している時点で同類なのだろう。

 

「だが、多くの犠牲が出るやり方ならば、それこそ彼自身が止めるだろうね」

 

 彼は他人のための行為ならいざ知らず、シャオン自身のための行動で多くの犠牲が出てしまうなら彼は止める。たとえ彼自身が命を犠牲にしても彼は多くの命を、多くの価値を守るために戦うのだろう。

 当然、そんな返答をすれば目の前の心優しき魔女は――

 

「ああっもう! みんなバカばっか! もうしらないっ!」

 

 怒りをあらわに、地面を踏みつけ、その衝撃でクレーターができる。周囲の緑は捲れ、砂埃が周囲に舞う。

 

「君の性格からこうなることは十分に予想で来ていたからこのテーブルが汚れないようにしておいたけど、少しは配慮してほしいものだ」

 

 エキドナの言葉すら聞かず、ミネルヴァはどこかに走り去っていく。

 しかし彼女は数秒後こちらに戻ってきてテーブルにつき、エキドナが入れた紅茶を勢いよく飲み干す。

 

「――あちっ」

 

 淹れたての紅茶を冷まさずに飲み干そうとすればそうなるのはわかっていただろうに。

 感情のままに行動する、彼女らしい行動だ。

恐らく、今もエキドナがわざわざ淹れてくれたのにその好意を無駄にするのはどうなのだろうと思い、戻ってきたのだろう。

 

「君のそういう所、ワタシは好きだよ」

「なっ!なによ、バカ! もう、信じらんない! バカ! バッカ! バーカ! バカじゃないの! バカみたい! そんなこと言われたって、うれしくないわよ! 本当にバカ!」

 

 素直にほめるとミネルヴァは照れたように顔を赤く染め、そのままどこかに走り去ってしまった。もう少ししたら茶会が始まるというのにいったいどこに行くのだろうか。

 これで本当に周りには誰もいなくなった。ただ、風の音だけがエキドナの耳に入る。

 ――時折、思うことがある。

 もしも、彼を助けることができるならば自分は助けるのだろうか、と。

 その方法があったとして自身は動かず、周囲の人間が、彼を慕う魔女たちがエキドナ自身に想像できないような方法で助けるのを期待してしまうのではないか、と。

 そんな未知なことに対して期待し、彼を見捨てるのではないかと。

 結局のところ、それはわからない。強欲の魔女として本能に従うか、エキドナという人間としての情に従うのか今はわからない。

 だから、今は――

 

「……さて、お茶会の準備をしようか」

 

――いずれ来る終わりのことは今は考えないようにしよう。もうすぐ楽しいお茶会が始まるのだから。

 




魔女たちの口調ってこれであっているのでしょうか、と不安に陥ってます。


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カーミラちゃんは恋するおとめっ!

キャラ崩壊注意!
それとヒロインの一人が出ます。あと四章ネタバレ注意


 薄紅の髪を腰ほどまで伸ばした、化粧に印象を左右される平凡な顔立ちの少女。

 自信がなく、伏し目がちで常におどおどとしており、にも関わらず発光する体質のせいでどこにいても目立ってしまう少女。それが色欲の魔女、カーミラだ。

 そんな彼女は目に涙をためながら目の前の男をにらみつけていた。

 白く伸ばした長髪は処女雪のように白く、神秘的だ。だがその髪とは対照的に塗りつぶされたような黒さをもつ瞳が彼女をとらえる。

 

「話を聞いてほしいな」

「や、やだ……死んじゃえ」

 

 気弱な見た目を裏切るかのように好戦的な言葉で拒絶を示す。

 その言葉に周囲にいた男達が一人の青年を敵と認識し、親の仇とばかりに飛びかかる。

 男達は武器を持つものから屈強な肉体を持つもの、はてには年端もいかない子供など多くの人種がいた。人間のように見えない、まさに人ならざる者という存在もいた。

 それらすべてが狂ったように一人の男に襲い、肉の山が積み上がる。当然、襲われた男は肉片も残さず消えていくだろう。だが――

 

「それは困る。僕はこの世界を愛し、この世界の価値をまだまだ見続けていたいからね」

 

 山の中から聞こえたその声は襲われているにもかかわらず平坦で、無機質だった。

 

「君たちは彼女に盲信している、もともとの人格なども忘れてね。だったらそれに価値はない、嫉妬する気も愛する気も起きない――だから、死ね」

 

 男の声色にわずかな悲しみの色を感じた瞬間、襲っていた生物たちの首が飛び、手足が何か強い力で潰されたように吹き飛ぶ。

 肉の山から出てきた男の体には傷はおろか衣服に汚れすらついていなかった。

 

「ひっ!」

 

 カーミラの悲鳴に呼応するように彼女の後ろで待機していた人間たちが魔法を放つ。それに対して男は片手を掲げ呟く。

 

「アルヒューマ」

 

 直後、シャオンの足元から針のように鋭い氷の柱が走り、カーミラを除く、すべての人間達を串刺しにする。

 鮮血とともに臓物が飛び、周囲に鉄臭さが広がる。だが男の魔法はそれすらもすぐに凍結させ、多くの氷像を作り上げる。

 

「僕には君の権能は効かないらしい。先生の話では僕の性格が原因らしいけど」

 

 ゆっくりと目の前の男は音を立てながらこちらに近づいてくる。そして、へたり込んでいるカーミラの前で立ち止まり、目線を合わせてきた。

 

「だから僕には君の姿がはっきりと見える、他の誰でもない君自身の姿がね。それと、残念ながら魅了されることもない」

「ど、どうして……い、いじめる、の? わ、私はなにも、していない」

 

 男に訊ねると男は困ったように頬をかく。

 

「いじめるつもりも、いじめているつもりもないけどね。ただ、君はどうして権能を使うのか気になってね。先生に君と僕はよく似ているらしいから一度会ってみるといい、といわれてね。それで、質問の答えは?」

「い、いじめ……るから。みん、なが……私を、いじめ、るから。ただ、私は”愛されたい”だけなの、に」

 

 カーミラの権能は『無貌の花嫁』。彼女の見た目、言葉を相手が求めるものへと魅せることが出来るものだ。

彼女自身の姿を目にすれば人は彼女以外の存在を意識することなどできない。彼女しか見えない。たとえ横から剣に串刺しにされようと。彼女しか存在しない。たとえ業火に焼かれる最中でも彼女のことしか考えられない。

まさに”愛されること”に特化している権能だ。

 そう説明すると男は納得がいったのか数回頷く。

 

「そうなのか。君は愛のために権能を使うのか。なるほど、先生の言う通り君と僕は似ているのかもしれない」

 

 そこで初めて目の前の男から喜び、のような感情が見える。

 男は笑みを浮かべる。その笑みは柔らかく、一切の飾り気のない純粋なものだ。魅了することしかしてこなかったカーミラが見惚れてしまうほどの、純粋無垢な笑みだ。

 

「僕は他人のために力を使う、君とは正反対の”愛したい”、という理由からだ。あ、君とは違って権能使えないけどね」

「あ、あなたは、私を、き、嫌わない、の……?」

「さぁ? どうなんだろうね。僕にはまだ嫌うという感情がよくわからない。乱暴なレイドや皮肉なボルカニカには苦手意識はあるが」

 

 笑みを消し、首をかしげる。ふざけた様子も嘘をついている様子も感じられない。

 

「ただ、推測を語るなら僕は君を嫌うことはないだろうね。好きになるかは、まだわからないけど」

 

 カーミラはその言葉でわかったことがある――彼は、誰にでも平等なのだ。

 どんな善人だろうとも、どんな悪人だろうとも愛する。命の恩人だろうと、理不尽に自身を殺そうとする相手でも平等に接する。

 それは、ある意味で他人に無関心なのかもしれない。その”人”を見ているのではなく、人の”価値”だけを見ているのだから。

 ――もしもその価値がなくなったら目の前の亡骸達のように、命を奪っていくのだろう、悲しみながら。

 

「あ、あの!」

 

 彼は、カーミラにとって理想の人間なのかもしれない。そう考えると自然と声が出ていた。

 目の前の男は彼女をいじめることはない、そして彼女の権能が効かないのなら極端に愛してくることはない。愛され飽きている彼女にとってはそのことが心地よい。 だから――

 

「も、もしも……わ、私がいじめられ、たら。助けて、くれ、る? と、友達に……なってくれる?」

「うん? それはなぜだい? 君がいじめられることはないと思うけど」

「こ、こたえ……て」

 

 恐らく今の自身の顔は赤く染まっているのだろう。

 数分、数秒、いやもっと短かったかもしれないがカーミラにとって長いほどの間の後、返答が来た。

 

「いいよ。それが君の価値を守るためというならば僕は命を懸けて守ろう。こんな命でも盾ぐらいにはなれるだろう。自惚れかもしれないけどね」

「なら……あ、あな、たの……なま、え……お、おしえて?」

「いいよ。ボクの名前はシャオン。君の名前は?」

「か、カーミラ」

 

 名乗られた名前を頭の中で繰り返し反響させる。

 

「そうか。カーミラ、これからよろしく」

 

 片方は怯え、だが頬を赤く染める恋する少女のよう。

 片方は無関心に、だが確かな喜びを感じている。

 

「立てるかい?」

「ご、ごめん……なさい。こ、こしが、ぬ、ぬけちゃ、て」

「……おぶるしかないか」

「ふぇ!?……よ、よろしく、おねがい、します」

 

 多くの亡骸の上で名乗りあい、手を取り合う。常人が見れば発狂ものだが、二人は気にする様子はない。

――これが色欲の魔女、カーミラと彼との出会いだ。

 

 とある時代のとある野原。ダフネという灰色がかった肩ぐらいまでの髪を、二つくくりにしている。色白で華奢な少女がいた。

 それだけみればありふれた情景だ。ただその光景を異常とさせているのは少女の見た目にある。

 斜めに立った棺の中に入れられて、拘束具に全身をがんじがらめにされた上に、その両目を固く固く黒の目隠しで封じられている拘束状態。

 見るからに不審者そのものだ。だがそんな少女に話しかける少女がいた。

 

「だ、ダフネちゃん、お、おきて、る?」

「はぁい? ミラミラ、なんですかぁ」

 

 珍しく眠っていなかったダフネが小さな声で返答する。この声はカーミラだ。

 

「え、えっと、お、お茶会で、ね。しゃ、シャオンくんと、と、隣に、なって……いいか、な?」

「べつにぃ、ダフネは構わないでぇすけどぉ」

「あ、ありがと、う」

 

 律儀にお茶会の参加者全員に聞いて回るのだろう。

 いざお茶会が始まった際に、シャオンの隣に座りたいという人物が彼女以外に出てきたら争いが起こるだろうからだ。

 正直、テュフォン以外は彼の隣にこだわりを持つことはないだろうとは思うが。

 

「まぁ、どうでもぉいい内容、ですけどぉ」

「だ、ダフネちゃん……シャオンくんね、わ、私に、ありがとう、って言って……くれたの。あ、頭は……なでてくれ、なかったけど……」

「へぇ……そぉなんでぇすか」

 

 顔を赤らめながら惚気話、のようなものを延々と語りはじめるカーミラ。

 肝心の話を聞く相手であるダフネは空返事ばかりでぬいぐるみに話しかけているようなものだが彼女は気にしていない。吐き出したいだけなのだろう。もう毎度のことなのでダフネも慣れている。

 

「シャ、シャオンくん……ね、リン、ガの……パイ、がす、好きなん、だって」

「へぇ、それはぁおどろきですぅ。甘い食べ物がぁ好きなんですねぇ」

「こ、今度……つくって、見、よう、かな……」

「――――そぉなんですかぁ」

 

 一瞬、ダフネは自身の耳を疑った。あの、カーミラが他人のために動くなど今まであり得なかったからだ。

――究極の自己愛と究極の他者愛、これがダフネから見た二人の評価だ。

 片方は自身のみを愛してもらうために、片方は自身以外を愛するために力を注ぐ。

 いくらシャオンが他人のために全力を尽くすとはいえ、どんなことをしたら自己中心的な彼女の性格を変えることができたのだろう。

 いや、少し違う。カーミラ自身の在り方が変わったわけではない。ただ、自身と同じほど大切な存在ができた(・・・・・・・・・・・・・・・・)だけだ。だが、これほどまで溺愛しているとは思っていなかった。

 エキドナ辺りはその事に茶々をいれるなり自身の考えを口にするなりしてひと悶着を起こすのだろう。

 ただ暴食の魔女にとってはそんなことに興味はなく、頭の中は

 

「――どうしてぇ、そんなに食べること以外に関心を持つのかぁ。ダフネにはぁ、ちぃっとも理解、できないですねぇ」

 

 茶会で出る、エキドナのお茶請けのクッキーはいったい何味になるのか、それだけだった。




※無事お茶会ではカーミラはシャオンの隣の席に座れました。


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ピエロの屋敷での一週間
始まりの朝――ピエロを添えて


二章、開始です。


――これは、いつの記憶だろう。

 夕日に照らされながらシャオンは買い物袋を右手に、左手に小さな手を握って歩いていた。

 左手をふさいでいるこの手の持ち主は黒髪の少女だ。シャオンよりも髪は短く、肩にかからない程度で切りそろえられている。

 そんな少女とともにとある道を歩いていた。

 

『お兄ちゃんって凄いよね』

「うん? どうしたよ」

 

 少女の急な称賛に戸惑いながらも理由を尋ねる。

 

『だって、何でもできるし、できないことがあってもすぐに覚えちゃうじゃない』

 

 唇を尖らせながら妬ましそうに半目でこちらをにらむ少女。

 

『それに加えて困っていたら人も動物も率先して助けに行くじゃない。聖人君子かっ!』

「はは、たいしたことないよ。俺はそこまでいい人間じゃない」

『うん、そうだね』

 

 謙遜の意味を込め、そういうと少女は感情のこもらない声で答える。

 

「……否定してもらわないと悲しいな」

 

 流石にそこで同意されるとは思わなかったので困り顔になる。その様子に少女は笑みを浮かべ、

 

『だって――』

 

 握っていた手を放し、少女がこちらを見つめる。

 

『――お兄ちゃんはお父さんを殺したもんね』

 

――息が、詰まる。その言葉に、その声に喉が張り付く。

 

「な、にを」

 

 辛うじて出せた声は枯れ果てたもので、ほとんど声になっていなかった。

 しかし、その少女はシャオンの言葉などどうでもよさそうに言葉を紡ぐ。

 

『お兄ちゃんがいなければ、お父さんは死ななかった。お母さんは死ななかった』

 

 その言葉とともに二つの影が少女の足元から生まれる。いや、影というよりは泥のようなそんな色をした人影だ。

 

『お前がいなければ――』

『お前がいなければ――』

 

 責め立てる声とともに、シャオンに近づき、影はシャオンの首元に手をかける。

 徐々に力が加えられ、息苦しくなる。

 

「――ごめん、なさい」

『お前がお前がお前がお前がお前がお前が――』

『お前が、お前が、お前が、お前が――』

 

 無我夢中で謝罪の言葉を述べても、影は責め立てることをやめず、絞める力も弱まる様子はない。

 

「――ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 繰り返し、泣く幼子のように謝るシャオン。

 その様子を少女は感情のこもっていない、黒色の瞳で眺めていた。

 

『お兄ちゃんさえいなければ――』

 

 あまりの苦しさに意識が保てなくなったころ、少女は小さくつぶやく。

 

「――こんなことにはならなかったのに」

 

 小さな声で発せられたその言葉は、なぜか今までの中で一番はっきり聞こえた。

 

「……なんつー夢だよ」

 

 首元に何もないか触り、額に流れる汗をぬぐい、夢に対して文句を吐く。最悪の目覚め方だ。

 そんないやな気分を忘れるように軽く肩を回し、窓の方へ目を向ける。

 

「……いま、何時だ?」

 

 窓の隙間から入る日差しに目を細めながら誰に聞かせるわけでもなくつぶやく。しかし、返事があった。

 

「今は陽日七時になるわ、お客様」

「今は陽日七時になったところですよ、お客様」

 

シャオンの言葉に反応したのは顔だちが瓜二つの少女達だった。身長も同じで、髪型もショートボブで統一している。

 違いと言えば髪の分け目と、髪の色が桃色と水色だというところだろうか。

 陽日七時――よく意味がわからないが、想像できる字面からして明るい時間の七時だろうか。だが、今はそれよりも気にするところは別にある。

 

「えっと、どちら様で?」

「ラムはラムですわ、お客様」

「レムはレムです、お客様」

 

 桃色の髪をした、特徴的な給仕服をまとう少女はラム、水色の髪をした給仕服をまとった少女はレム、と名乗った。当然ながら、知らない名前だ。

 

「ちょっと待って、今状況整理したいから」

 

 覚えている記憶を思い出す。

 確か、エルザを撃退したところまでは覚えている。その後は能力の副作用なのか、はたまた疲れによってなのかわからないが意識を失ったことはわかる。

 だが、目を覚ましたら見知らぬ屋敷というのはどういうことだろうか。

――せめて、スバルがいれば事情は分かりそうだけどな。

 そう考えているとその考えを読んでいたとばかりに部屋の入り口から不敵な笑みを浮かべ、スバルが現れた。

 

「ふっふっふ。驚いたろ? 相棒。この世界にもメイド服が存在するんだぜ」

「ということは――」

「スバル。お連れの人、目が覚めた?」

 

 スバルの後ろ、開いた扉から小さく顔をだし、こちらを見る少女がいた。

 長い銀色の髪の美しさは陰りを知らず、今日は結びをほどかれて自然と背中へ流されている。

 服装は町で見かけたローブ姿ではなく、黒い系統が目立つ細身に似合ったデザインの格好だ。スカートは膝丈よりやや短く艶やかだが、その領域は腿の上まで届くニーソックスが隠している。

 

「選んだ奴はわかってるぜ、GJ!」

「……なんのことだかわからないのに、くだらないってわかるのってある意味すごーく残念なんだけど」

 

 スバルの謎の称賛にため息をつきながら銀髪の少女、偽サテラはあきれた様子を見せる。

 

「ここは、どこでしょうか?」

「えっとね、ちょっと説明が」

「ちょい待ち、その前に自己紹介しなよお二人さん」

「それもそうだな」

 

 事情を説明しようとした偽サテラを遮り、自己紹介をするようスバルが勧める。

 確かに互いの名前も知らないのは不便だ。素直に従う。

 

「俺の名前は、ヒナヅキ・シャオン。そこのスバルと同郷の者です」

「私の名前はエミリア。家名はないの、エミリアと呼んでね」

 

 ――エミリア、それが偽サテラの本名。二度、死ぬ思いをしてまで知ることができた少女の名前。なぜだか、一種の感動が湧き出そうだ。

 それをごまかすかのようにシャオンはエミリアに訊ねる。

 

「……この屋敷って、エミリア嬢の?」

「いえ、この屋敷の当主はロズワール様ですわ」

 

 桃髪のメイド、ラムが答える。

 

「ロズワール?」

「ラムの言う通り、私のお屋敷じゃないの。えっと、そうね。ロズワールは……会えばわかるわ」

「どゆことよ?」

「……えっとね、うん。ごめん、何も言えない」

 

 スバルの言葉にうまく説明できないようで、彼女は申し訳なさそうに眉を下げる。

「どんな言葉を並べても無駄。もう少ししたらお戻りになられるはずなので、ロズワール様の人となりは、ご本人に会ってご理解なさってお客様。ええ、きっと大丈夫」

 

ラムとレムは顔を見合わせて頷き合い、エミリアも渋々それに同意。

 

「――きっと、二人とは気が合うから。頭の痛い話だけど」

 

 そう、気の重くなるような言い方で呟いたのだった。

 あの後エミリアの提案でスバルは庭へ散歩に出かけた。

 勿論、シャオンも誘われはしたが二人の邪魔をするわけにはいかないと思い遠慮させてもらった。

 双子たちが預かっていたらしいシャオンの服、パーカーを返してもらい、顔を洗うついでにトイレに向かっていた。そして用をすまし、扉を開けた先には長い廊下が広がっているはずだった。

 

「俺はお手洗いから出たはずなんだけど。ここは……書庫?」

 

目の前にある広いスペースは二十畳ワンルームの倍ほどもあり、壁際を始めとして至るところに書棚が設置されている。どの書棚にも本がみっちりと詰められていて、蔵書数はどれほどになるのか想像するのも難しい。

 一冊適当な本を取り出し、開くが案の定文字がシャオンの知っているものではなく、一文字も読めない。仕方ないので元の場所に戻すと、高い声が聞こえた。

 

「……本当に、なんで扉渡りを破る輩がこうも出てくるのかしら」

「えっと、君もこの屋敷の使用人さん?俺の名前はヒナヅキ・シャオン」

「……ベアトリスなのよ」

 

 不機嫌そうにベアトリスと名乗り、シャオンを出迎えたのは一人の少女だ。

薄い藍色の瞳に、クリーム色に近い淡い色合いの長い髪を縦ロールの形に編み、二つに分けている。

いわゆるツインドリルという奴だ。

 豪奢なフリル付きのドレスは少女に似合っており、その小柄な体も相まって人形のような印象をシャオンに与えた。

そんな少女の会話の中で気になる単語があった。

 

「扉渡り? だっけ、それを破った輩って……スバルのこと?」

「名前なんて知らないかしら」

 

 確かにそうだ。思いつく限りの特徴を言おうとする。

 

「えっと、目つき悪くて……」

「ああ、そいつかしら」

 

 他の特徴を伝えようとしたが、どうやら目つきのことだけで伝わったらしい。それほどまでに彼の目つきは悪いのだろう。

 

「まったく、ロズワールの奴、はやっく帰ってこないかしら」

「ロズワール? それってこの屋敷の当主の人だっけ。どんな人なの?」

「……見ればわかるかしら」

「……性格とか、何お仕事しているかとかわからない?」

 

 今までそのロズワールという人物について尋ねても、見ればわかるとしか言われていない。だがどんな立場の人間なのか、それに性格なども外見から判断はできないだろう。

 

「宮廷魔術師、なんて肩書を持っているのよ。ま、ベティには関係ないことかしら」

「へー、偉いんだな」

 

 つまりは宮仕え、国が抱える魔術師ということだ。権力もそれなりにあるのだろう。

 素直に感心したシャオンだがベアトリスは面白くなさそうだ。

 

「ニンゲンなんてどれも同じかしら。ロズワールの奴も少し努力し、才能が少しあって、師に恵まれただけの小僧かしら」

 

 妙に棘がある言い方が気になるがそれよりも彼女の言葉の中に一つ、違和感があった。

ニンゲンなんてどれも同じ、という言葉。それでは――

 

「その言い方だと君は人間じゃないみたいだな」

「……意外と鈍い奴なのかしら」

「え?」

 

 冗談気味に言った言葉に少女はあきれたように眉間にしわを寄せ、大げさにため息をつく。

 

「出口はあっちなのかしら、さっさと出ていくのよ」

 

 これ以上の会話は無駄だとでも言いたそうに追い出そうと手を払うベアトリス。そんな様子に何か嫌われるようなことでもしたのだろうかと思う。もしくはスバルが何か彼女の機嫌を損ねてしまい、その巻き添えで嫌われたか。

 

「……もう一つ、聞いていい?」

「……なにかしら」

 

 嫌そうな顔をしながらもしぶしぶとシャオンの質問に答える姿勢を見せるベアトリス。彼女は口は悪くても優しい性格なのかもしれない。

 

「なんでそんなに悲しそうなんだ?」

「――は?」

 

 理解できない、といったような顔もちでこちらを見るベアトリス。その反応におもわずシャオンもなぜこんなことを言ったのかわからず、気恥ずかしくなり顔をそらす。

 

「いや、俺の気のせいだったら悪いんだけどね」

 

 言葉にうまくできないが、彼女はなにか泣くことを堪えているような、そんな何かを感じ取れた。 何故なのかはわからない。本当に、なんとなくなのだ。

 

「……でていくのかしら」

「え?」

「聞こえていなかったのかしら、ベティは早く出て行けといったのよ」

 

 瞳のなかにひどく強い拒絶の色を露わにする彼女。今は怒りを爆発させていないがこれ以上彼女の機嫌を損なってしまってはいつ爆発するかわからない。ここは素直に退散しよう。

 

「あー、うん。そうだな、悪い」

 

 シャオンが知らないところで彼女の地雷を踏み抜いてしまっていたのかもしれない。そう思うと申し訳ない気持ちになる。

 軽い謝罪とともに入ってきた扉を開け、書庫から出ようとすると、

 

「――シャロ、リューズ。ベティーは――」

 

 つぶやく声に、振り返るもそこにはただ、シャオンが最初に入ったトイレの扉があるだけだった。再び開けてみてもそこにはトイレしかなく、あの書庫も少女の姿もどこにもない。

 

「……どういう仕組みなんだろう」

 

 扉渡りと言っていたが、これも魔法の一種なのだろうか。だとしたら彼女の魔法なのか、屋敷の誰かによるものなのか。

 様々な考察をしていると声がかけられた。

 

「お客様」

「あれ、えっと……ラム嬢?」

 

 声の主は桃色の髪をした給仕だ。確か名前はラム、だったはず。

 

「はい、ラムですわ、お客様。お食事のご用意ができましたのでご案内を」

 

 

 朝食の場として案内された食堂ではスバルがいた。

 こちらに気付いたスバルは大きく手を上げて声をかけてくる。

 

「おっす! シャオン、おせぇぞ!」

「悪いね、ちょっと戯れてた。あれ、エミリア嬢は?」

「エミリアたんはお着換え中だ。それと戯れてたって……」

 

 その時、食堂の入り口が開かれ、中からベアトリスが来た。

 彼女はちらりとこちらを一瞥し、鼻を鳴らして開いている席に向かう。

 

「彼女と?」

「マジか……相棒はロリコン属性の疑いありとか」

「その単語、意味は分からないけど不愉快な感覚だけはするのかしら」

 

 スバルの軽口にベアトリスは反応する。そこから始まる喧騒を聴きながら辺りを見回す。

 

 食堂には白いクロスのかかった卓が置かれており、皿の並べられた席がある。

 シャオンたちの席もあるならば下座のどれかだろう。

 

「……シャオン、お前テーブルマナーわかる?」

「常識的には、少なくとも上座には座るなよ」

 

 ベアトリスとの触れ合いを終えたスバルがいつの間にか近づき、耳元で相談をしてくる。恐らく、惚れた相手であるエミリアの前で恥をかきたくないからだろうか。

 

「失礼いたしますわ、お客様。食事の配膳をいたします」

「失礼するわ、お客様。食器とお茶の配膳を済ませるわ」

 

台車を押し、食堂に入ってきたのは双子のメイドだ。

レムがサラダやパンといった、オーソドックスな朝食メニューの載った台車を押し、ラムが皿やフォークなど食器の乗った台車を押している。

 二人はテーブルを挟んで左右に別れると、テキパキとそれらの配膳を開始。一糸乱れぬ連携で食卓が彩られ、温かな香りに思わずシャオンの腹が小さく鳴る。

 そのことに恥ずかしくなり、小さく咳払いをする。だが、その咳ばらいをかき消すかのような大きな声とともに、一人の男性が食堂に現れた。

 

「おーぉや? おなかが減るのはぁ、元気の証じゃーぁないの。いーぃことだよ」

「……飯の前の余興にいちいちピエロ雇ってんのか、流石貴族」

 

 濃紺の髪を長く伸ばした長身は、二人を見て嬉しげにそうこぼした。

 身長はラインハルトを上回り、百八十センチの半ばほどまで届くだろう。肉体は力仕事とは無縁そうな細身であり、しなやかというよりは純粋に痩せぎすといった印象が強い。

 瞳の色は左右が黄色と青のオッドアイであり、病人のように青白い肌と合わせて一種の人外さを感じさせる。

 確かに、スバルの言う通りピエロという表現が正しいかもしれない。

 

「何を考えているのか予想できるけど、ベティーは不干渉を貫かせてもらおうかしら」

「つれねぇこと言うなよ。俺らの仲だろ? な、ベティー」

「馴れ馴れしいかしらっ!」

 

 そういって親し気に語り掛けるスバルに、言い返すベアトリス。まるで年の離れた兄弟のようだ。

 そんな様子を眺めていると食堂の扉が開かれた。現れたのはエミリアだ。

 

「にーちゃ!」

「や、ベティ―。四日ぶりだね。ちゃんと元気にしてた?」

 

 エミリアの髪から姿を現せる灰色の猫、パックにベアトリスは抱き着き、頬をこすり合わせる。

 その扱いの違いに思わず唖然としているとエミリアの小さな笑い声が聞こえた。

 

「ふふ、おったまげたでしょ。ベアトリスがパックにべったりだから」

「オッたまげたって……きょうび聞かねぇな」

「そういえば着替えてたんだな、エミリア嬢」

「うん……さっきも気になったけどその嬢って?」

「なんとなく、スバルが君に愛称をつけてたし俺もつけようかなと」

「俺に見習ってたん付けはどうだ?」

 

 絶対に、嫌だ。そう答えようとした瞬間、先ほどのピエロメイクの男が割り込む。

 

「そーぉだね。私も真似して、エミリアたーぁん! なーぁんてよぼーぉかな」

「やめとけやめとけ、ピエロの姿でも怪しいのにその状態でたん付けとかもう、救いようがねぇぞ。というより、本当に誰?」

「……スバル、たぶんこの人は――」

 

 先ほどから考えていた。

 一目見ただけで変人とわかるその風貌、特徴的なメイクに特徴的なしゃべり方。それらの条件だけでこの人物の正体が予想できてしまう、予想できてしまった。

 そう、彼女たちの見ればわかる、会えばわかる(・・・・・・・・・・・・・・・・)はこういうことだったのだ。

 

「そうだーぁよ。君の想像のとーぉり」

 

 そのピエロは化粧で目立つ口元をさらに大きくゆがませ、こちらに笑みを贈り、

 

「私がこの屋敷の当主、ロズワール・L・メイザースというわーぁけだよ。ナツキ・スバルくんにヒナヅキ・シャオンくん。その様子だと、お体はだいじょーぉぶのようだね」

 

 そう、名乗ったのだ。

 

 

 上座に座るピエロ、もといこの屋敷の主ロズワールを筆頭にそれぞれが用意された席に腰かけ、食事を始める。

 

「む、普通以上にうめぇ」

「この料理は青髪の……えーと、レム嬢が作ったの? すごいね」

 

 サラダやスープを口にした感想を青髪のメイド、レムに伝える。

 

「はい、その通りです、お客様。当家の食卓は基本、レムが預かっております」

「ははーん、双子で得意スキルが違うパターンだ。じゃ、桃髪は料理苦手で掃除系が得意な感じ?」

「はい、そうです。姉様は掃除・洗濯を家事の中では得意としていますわ」

 

 スバルの言葉にレムは答える。つまり、

 

「じゃ、レム嬢は料理系得意で掃除・洗濯は苦手か」

「いえ、レムは基本的に家事全般が得意です。掃除・洗濯も得意ですわ。姉様より」

「桃髪の存在意義が消えたな!?」

 

 うっすらと、その姿も空気と同化しているように見える。

 家事全般が得意な片割れと、掃除系だけが得意だがそれも相方に及ばない片割れ――逆に双子としては新しいパターンだ。

 あんまりといえばあんまりな発言だが、レムの隣のラムは気にした様子もない。本人が否定していないのだから真実なのだろう。

 

「……二人とも、食事の最中に私語はだめよ。働く人が二人しかいないのにわざわざ準備してくれたレムとラムに悪いでしょ?」

「いや、その指摘はもう遅くないかな? なぁ、スバル」

「ああ」

 

 広い食卓の中、エミリア、スバル、シャオンと三人並ぶ形で座っている。本来であれば、食卓を大いに活用するため互いの距離は離れていたのだ。

 

「だけど、俺がエミリアたんの近くで食べたいから移動してきた。でも主であるロズっちが黙認した時点で今更じゃん」

 

 その言葉に反論できないようにエミリアは口をつぐむ。その姿がかわいかったからかスバルは格好を崩す。

 

「ところでロズっち。今、エミリアたんが屋敷の使用人が二人しかいないって言ってたけど……使用人を新しく雇用できない状態ってこと?」

「まぁ、そういうことだぁね」

 

 笑ってはいるがロズワールのまとう雰囲気、こちらに向ける視線。スバルの言葉によってそれらが激変したことを感じた。

 まるでこちらを見定めるような、舐めるような視線、スバルもその変化を感じ取れたのかわずかに顔がこわばっている。

 

「本当に不思議だぁね、君は。ルグニカ王国のロズワール・L・メイザースの邸宅まできていて、事情を知らないってぇいうんだから。よく、王国の入国審査を通ってこれたもんだね?」

「まぁ、ある意味、密入国みたいなもんだからな……」

「スバル」

 

 確かに気付いたら入国してました、ぐらいの感覚だ。だが、そんなことを正直に言ってしまう必要はない。

 そういう意味で咎めたが、すでに遅くエミリアが幼子を叱るような義憤を浮かべて睨んでいた。

 

「呆れた。あっさりとそんなこと喋っちゃって、いきなり牢屋に押し込められて、ぎったんぎったんにされるんだから」

「ぎったんぎったんて、きょうび聞かねぇな」

「茶化さない、ねえ、スバル。ホントに大丈夫?」

「あー、悪い、ちょっと俺って物覚え悪いからご教授お願いしていただいても?」

 

 本気で心配してきてくれているエミリアに悪い気がして、スバルは頭を掻きながら自分の今までの態度を反省しているようだ。

 その様子にエミリアは説明を開始する。

 

「えっと、今、この国ルグニカは戒厳令が敷かれた状態なの。特に他国との出入国に関しては厳密な状態よ」

「戒厳令……穏やかじゃない響きだな」

「穏当とはいえないねぇ。――なにせ、今のルグニカ王国には『王が不在』なもんだからねぇ」

 

 結論を引き継いだロズワール。その言葉を吟味し、意味を理解して静かに息を呑んだ。

 ちらりとエミリアと双子、それからベアトリスとパックの様子をうかがう。そこに動揺の兆しはなく、周知の事実なのだろう。その上で、部外者に等しい自分たちにもその内容が知らされた事実に警戒心が先立つ。

 だが、こちらの心中を察し、安心させるような笑みをロズワールは浮かべた。

 

「心配はご無用。今じゃ知らない人間のほうが少ないまである事実だからーぁね」

「さよけ。いや、危うく秘密を知られたからには生かして帰さん展開かと」

 

 流石にそちらから情報を明かしたのにその展開は酷いと思う。

 

「でもおかしくありません?そういうのって普通、王様の子どもが跡を継いで万事解決、若いようなら摂政……代役がつく感じで」

 

 シャオンの指摘にロズワールはうなずく。

 

「ふむ、通例ならその通りになるよね。だぁけど、事の起こりは半年前までさかのぼっちゃう。王が御隠れになった同時期に、城内で蔓延した流行病の話にねぇ」

「流行り病?」

「まぁ、簡単に言うとその流行り病で王族は全滅。ルグニカでも優秀な治療ができる”青”の称号を持つ魔術師も手も足もでなかーぁたからね」

「病気なら仕方ないけど……じゃあ現在の国の運営はどうなっているんだ」

「現状の国の運営は賢人会によって行われてるよん。いずれも王国史に名を残す、名家の方々の寄り合いだ。国の政治自体に関しての影響はそこまでじゃぁない」

 

 そこで一度間を置き、「しかし」と息を継いでロズワールは表情を引き締め、ふざけた口調も真面目なものとなる。

 

「――王不在の王国など、あってはならない」

「それは、そうですね」

 

 たとえ運営に問題がないお飾りだったとしても、頭の存在しない組織など成立しない。

 どれだけ役立たずでも、どれだけ自分勝手でも、王とは必ず存在する必要があるのだから。

 それらの点を含めて、シャオンは今の状況に焦る。

 

「……スバル、これって俺たち」

「ああ、めっちゃ怪しい存在だ」

 

つまりシャオンとスバルは王国が王不在な上に王選出のどたばたで混乱中、他国との関係も縮小中の鎖国状態とも言える中に現れた、出身不明の不審者だ。

 下手をすれば疑わしきは罰せよの精神で釈明もできず、二人の首が飛ぶことも考えられる。

 

「さーぁらに付け加えるとエミリア様に対して接触、メイザース家とも関係を持ったわけだーぁしね」

 

 焦っている二人へさらに追撃するようにロズワールが笑う。そこで気づく。

 

「……エミリア『様』?」

 

 この屋敷で一番偉い立場にあるロズワールがエミリアを様付で呼んでいたことを。

 

「当然のことだーぁよ? 自分より地位の高いほうを敬称で呼ぶのはねーぇ」

 

 ロズワールの言葉を理解するのに数十秒ほどの時間を要した。

 そしてそれを理解したと同時に二人して油の切れた機械のようなぎこちなさで当人であるエミリアを見ると、照れたように顔をそらし、

 

「騙そうとか、そういうこと考えてたわけじゃないからね」

 

 そう一言。ロズワールの言葉に否定する様子はない。

 

「――えっと、エミリアたんてばつまり」

 

 まだ懲りずに「たん付け」するスバル。

 そんな現実を否定したがる彼にトドメを刺すように、

 

「今の私の肩書きは、ルグニカ王国第四十二代目の『王候補』のひとりなの。そこのロズワール辺境伯の後ろ盾で、ね」

 

「……好きな女の子は女王さまでした、てか。俺の恋が実るのは遠いなぁ」

「それよりも俺らの首が飛ぶのも近いかもなぁ」

 

 今までスバルが行った彼女に対する無礼、それらを思い返し、無性に青空を眺めたくなった。だが、見上げても視界に広がるのはきれいな天井だけだった。




今回はちょっと急ぎだったのでところどころ荒いです。
間違い、アドバイスなどがございましたらご連絡を。


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悪徳交渉

「いや、まじすいませんでした」

「ちょっ、ちょっと二人とも頭をあげてよ!」

 

衝撃的な事実の告白から二人の、主にスバルの無礼さを考えたうえでするべき行動は、土下座だった。

額を床につけ、て相手に向かい正座した上で、手のひらを地に付ける。

 

「いーやぁ、面白いからこのまーぁま見ていたいけどもぉ? 事態の説明をしたいから面を上げてくれるかな?」

 

 そういわれ、顔を上げるとそこには見覚えのある、あるものを手にしたエミリアが立っていた。

 

「あ、あの徽章じゃねぇか」

 

 フェルトによって盗難の憂き目に遭い、文字通り死ぬ目に合ってようやく持ち主の手元に戻った竜を象った徽章だ。

 赤い宝玉は持ち主の手の中で光り輝いていて、その眩さは不気味さと、畏敬の念を思わせるほどに深く澄み切っている。

 

「竜はルグニカの紋章を示しているんだ。『親竜王国ルグニカ』なぁんて大仰に呼ばれていてねぇ。城壁や武具なんかも含めて、あちこちに使われているシンボルなんだよ。とりわけ、その徽章はとびきり大事だ。なぁにせ」

 

 一息置いたロズワール。それから目線でエミリアに続きを催促する。彼女は瞑目し、それから、

 

「王選参加者の資格。――ルグニカ王国の玉座に座るのにふさわしい人物かどうか、それを確かめる試金石なの」

「ま、まさか……王選参加資格の徽章をなくしてたの!?」

「なくしたなんて人聞き悪い! 手癖の悪い子に盗られたの!」

 

 その言葉にエミリアは頬を膨らませ拗ねたように小さくつぶやく。しかし、それは結局のところ、

 

「一緒だ――っ!!」

 

 そう、同じことなのだ。

 

「それってなくしたままだったら……」

「もっちろーん、そんな人物に国なんて任せられないよーぉね?」

 

 遠まわしながらに王選失格だったということをロズワールは口にする。

 

「盗んだのはフェルトだったけど、盗ませたのはエルザだ。あいつは誰かに依頼されたって言ってた。それはつまり、エミリアたんが王様になるのを邪魔しようって奴がいるってことか?」

「たぶんそうだろうねぇ。王選から脱落させるのに、徽章を奪うなんてのは簡単に思いつく話だからさぁ」

 

 確かに本人を直接襲うよりも資格である徽章を狙ったほうが簡単で、危険が少ない。

 

「それって、やっぱほかの候補者が依頼したってことなんでしょうか?」

「さーぁね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。単純にエミリア様に恨みを持つ者の仕業カーぁもしれない」

 

 エミリアに恨みを持つ者、つまりは彼女が”ハーフエルフ”だということが関係しているのだろう。世界を滅ぼしかけるような存在と同じ種族、見た目の存在が王になればそれは確かに批判を覚えるものは多いだろう。

 

「ふふーん、どーよ、どーよ! エミリアたん。俺ってばかなりナイスでハピネスな活躍したんじゃね? これはもう、ご褒美に期待とかしちゃっても仕方ないじゃないかな!」

 

はしゃぐようにスバルはそっと俯くエミリアの顎に手をかけて顔を上に向かせる。目を細めて好色に振舞う姿勢は、もはや堂の入った悪代官のそれだ。

 その様子を見てシャオンはため息をこぼした。

 

「スバル、励ますのはいいが、流石に空気読もうか」

「へ?」

 

 小声でたしなめるとスバルは周囲に目を走らせる。

 

「……そうよ。二人は私にとって、もうすごい恩人。命を救ってもらっただけじゃ済まないくらい。だから、なんでも言って」

「えっと……?」

「私にできることなら、なんでもする。ううん、なんでもさせて。貴方たちが私に繋いでくれたのは、それぐらい意味のあることなんだから」

 

 胸に手を当てて、真剣な顔つきで見つめ返されてスバルは言葉を失っている。

 顎に触れていた手も放し、自身の空気の読めなさを実感したようだ。

 

「……実質、こんな事態は初めてのことだろうねぇ。ラムが付いていたはぁずなんだけど」

 苦笑して襟をいじり、ラムに話題を向けるロズワール。それにつられ背後のメイドを見ると、彼女は髪の分け目をひっくり返してレムに扮した体で平然としている。髪の色が違うから丸わかりなのだが。

 そこでとある事実に気がついた。

 

「……思い出した! ラム嬢って王都で俺と会ってる!」

「そうなの?」

「ああ、うん。王都でぶつかった程度だけど」

 

 アレは三回目の世界の時、スバルがエミリアを追いかけていった時だったはず。あの後スバルを追いかけようとしたら、ぶつかった少女が確かラムだったはずだ。

 

 

「ええ、そうですわ」

「なんだその少女漫画の出会い方。俺はエミリアたんにフラグが立っているけどお前もラムちーと立っているじゃん」

「ご冗談を」

 

 スバルの言葉に即座に否定の言葉を告げるラム。僅かながらに苛立ちを覚えているかのように眉間にしわが寄っている。 

 

「それはそれとしても、主人の命令が守れなかったのは事実だろ? そこんとこ、ドゥーよ?」

 

 唇を突き出していい発音で問いかけ、ロズワールはそれに首をひねるアクションで応じる。彼は「一理あるね」と前置きして、

 

「確かにラムの監督不行き届きは私の責任でもあるかもねぇ。でぇも、それはそれとして君はなにを言いたいのかなぁ?」

「簡単な話だよ。報酬が欲しい、勿論エミリアたんからじゃなく――アンタからだ」

「なぁるほど。確かに私財としては一文無しに等しいエミリア様より、パトロンである私の方が褒美を求めるには適した相手だろうねぇ」

「だろ? そしてあんたはそれを断れないはずさ。な・に・せ! 俺らってばエミリアたんの命の恩人な上に、王選ドロップアウトを防いだ功労者! つまるところ王選でのエミリアたん陣営にとって救世主!」

 

 ロズワールに指をさし、高らかに宣言をするスバル。

 

 

「認めよう、事実だからねぇ。で、その上で問いかけよう」

 

 ロズワールの金色の瞳が、怪しく煌き、スバルとシャオンをとらえる。

 

「君は、いや君らは私になぁにを望むのかな? 現状、私はそれを断れない。どんな金銀財宝を望んでも。あるいはもっと別の、酒池肉林的な展開を望んだとしてもだ。徽章の紛失、その事実を隠ぺいするためなら何でもしよう」

「さすがはお貴族様。話がわかるじゃねぇの。どんな願い事でも、だぜ?」

「うん、約束しよう」

 

 スバルはからかい気味に笑い、あくどい表情を浮かべるが対するロズワールの表情は真剣そのもの。その対照的な様子は互いに話が食い違っているかのように錯覚させられる。

 

 

「じゃ、俺を屋敷で雇ってくれ」

 

 すっぱりあっさりと言い切ったスバル。

 半ば予想していたシャオンは驚かないが、そんな彼の申し出に、唖然とした顔をしたのは背後の女性陣だ。

 双子はその表情の変化の少ない面差しに困惑を浮かべ、ベアトリスはこれまた本気で嫌そうに顔をしかめる。中でもエミリアの驚きは一際目立っていた。

 

「わ、私が言うことじゃないけど、ちょっとそれは……」

 

 パクパクと金魚のように口を開け閉めして、言葉が出ないほど驚いているようだ。

 そんな彼女に振り返り、スバルは悔しげに肩をすくめながら、

 

「えー、そんなに俺の意見に反対? 流石に傷つくんですが」

「そうじゃなくてっ! 欲がなさすぎるの! パックの件もそうだし、今の話も……違うわ。そもそも、王都で私の名前を聞いたときもそうだった」

 

 彼女は自分の知る限りの、スバルが褒美を得られそうだった場面を羅列する。それらの成果の全てを知るエミリアは、本当に理解できないと頭を振って、

 

「こっちの感謝の気持ちがわかってないのよ。そんな……そんなことで、命を救われたことへの恩なんて、全然返せないのに……」

「それは……」

「ちょいまち、エミリア嬢」

 

 二人の間で雲行きが怪しくなり始めた頃、シャオンが口を挟む。スバルは困惑した顔で、エミリアは目に若干の涙をためながらこちらに顔を向け、注目する。

 

「スバルはしっかりと感謝の気持ちがわかっているんだよ」

「どういう、こと?」

「ちょっ――」

 

 意味が分からないといった顔でエミリアはこちらを見る。だが、スバルはシャオンが何を口にしようとしているのか理解し、慌て始める。

 

「そう。だって一目惚れの相手と一緒に――」

「ちょいと口を閉じようか? シャオン君」

 

 シャオンに疾風のごとく近づき、口を手でふさぐスバル。運がいいのか悪いのかエミリアにはシャオンの言葉は聞きとられなかったようだ。

 

「……ごほん、確かにシャオンの言う通りなんだぜ?。正直、俺ってば今のところは徹頭徹尾の一文無し! 一時の快楽と引き換えにするにゃ、ちょいと懐具合も頭の具合もよろしくない。俺にとって、ベストな選択肢だと思うんだけど」

 

 本当はそれだけが理由ではないが、また口を塞がれるのも嫌なので黙っておく。

 エミリアはそのスバルの言葉にうろんげな瞳でにらむ。

 

「……それなら別に雇われなくても、食客扱いとかで構わないじゃない」

「――その手があったか!? ロズワール!?」

 

 一縷の望みをかけてロズワールを見る。が、彼は顔の前で両手を大きく×の形に交差していた。

 

「最初の要求のみが有効でーぇす。取引は慎重にーぃ」

「くっそおおお!」

「……それじゃあ俺からも」

 

 涙を流しながら悔しがるスバルに冷めた目を向ける女性陣をよそにシャオンはロズワールに提案をする。

 

「俺の願いは三つ」

「ほーおぉ。スバルくんよりも一つ多いねぇ」

 

 ロズワールは驚いたように僅かながらに瞳を見開く。それを見てシャオンは頬をかく。

 

「なに、そんな驚くことじゃないですよ。俺の願いは些細なものです」

 

 いつの間にか入れられた紅茶で唇を湿らせ、ハッキリとした声で要求を口にする。

 

「一つ目は簡単、スバルと同じく俺も働き場所がないんだ、ここで雇ってください」

「いいとーぉも。存分にはたらーぁいてもらおうじゃーぁないか」

 

 スバルがここで働くと言ったから半ば予想をしていたのか、シャオンの提案にロズワールはすんなりと首を縦に振る。

 

「二つ目、時間のある時鍛えてほしい」

「そーぉれは、どーぉいう意味かーぁな?」

 

 意味が分からず、ロズワールはわずかに首を傾ける。

 

「ベアトリスから聞いた話、貴方は”宮廷魔術師”という立場にある。つまりは魔法に関してだいぶ知識があるはずだ」

「宮廷魔術師?」

「簡単に言うと、王国で一番の魔法使いってこと」

「へー! ロズっちって凄いんだ」

 

 端で疑問の声を上げるスバルにエミリアが小声で説明する。

 話の腰を折られたが、続ける。

 

「正直、王都で痛い目にあって自身の弱さを実感した。だから、鍛えてほしい。恐らく、最強に近い魔法使いであるあなたに」

 

 エルザとの戦いを思い返す。不可視の手を使えば戦闘は確かに問題はあまりない。だが、もしもこの能力が通用しない相手がいたら? もしもこの能力の副作用が悪化してしまったら?

 そう考えると現在の戦闘能力では心もとない。つまり、能力のほかに”魔法”という第2の刃が欲しいのだ。

 この要求に対してロズワールは口元に指を当て、どう答えるかを考えているようだ。

 

「シャオンは身を守るために鍛えてもらいたいのよね? でも、それはこの屋敷にいれば大丈夫じゃない?」

「エミリア嬢、ずっと屋敷にこもるってのは無理でしょう、それにこもっていたとしても緊急事態に動けないと困る。王選ってのはおもったよりも泥臭そうだからね」

 

 事実徽章を狙う、王選候補者を狙うなど正々堂々とした戦いではなさそうだ。そうなれば屋敷自体が襲撃される、なんてことも冗談じゃすまないかもしれない。

 

「ふーむ、いいだろう。たーぁだし、時間があるときだけという条件付きだぁ」

 

 それは仕方のないことだろう、彼は位が高い立場の人間だ。わざわざシャオン個人に時間を割いてくれているだけで御の字だ。

 

「最後は――うん、保留で」

「もったいぶってそれかよ」

「思いつかなかったからな」

 

 スバルの言葉に苦笑いで答える。これは嘘ではなく、本当に思いつかなかったからだ。

 今は思いつかなくてもいつかこの要求権を使って利益を得られればいい。だから、保留だ。

 

「俺とおなじくパックをモフれる権利はどうだ」

「結構です」

 

 ノータイムで拒否の意を示すとベアトリスに抱きしめられていたパックがショックを受けた表情を浮かべ、彼女の腕の中から脱出し本来の飼い主に抱き着く。

 

「がーん、リア。僕はショックだよ。悲しすぎて毛並みが荒れちゃいそう」

「大丈夫、パックの毛並みはいつも通りよ。ふっさふさ」

「……いーいだろう。ただーぁし、教えるにあたってーぇは手を抜くことは決してしないからねぇ」

 

 ロズワールは不敵な笑みを浮かべシャオンの要求をすべての呑む。ただ、彼の黒い笑みを見て、早まってしまったか、と内心後悔をした。

 

 

 あの後食事を終え、スバルは教育係に命じられたラムに連れてかれ、レムは食堂の片づけを、エミリアは勉強、パックとベアトリスは書庫に戻った。

 そして残ったシャオンは、ロズワールと共に屋敷の外に向かった。

 連れてこられた場所にあったのは木で作られた人形だ。大きさはシャオンと同じほど、たとえるならば案山子のようなものだ。

 

「ではまず最初に、シャオン君は勿論ゲートについては知っているよぉね?」

「恥ずかしながら、まったく」

「こーぉれはこーぉれは、スバルくんならまだしも君がこんな常識なことを知らないのかーぁい?」

 

 正直に話すとロズワールはからかうように大袈裟に驚く。

 

「でーは、簡単にゲートの説明から始めよーぉかね。簡単に言っちゃうと、自身の体の中と外にマナを通す門のこーぉと。ゲートを通じてマナを出し入れする。生命線だ―ぁね」

「ゲートは誰にでもあるんですよね? やっぱり才能とかでそれらも優劣があるんですか?」

「とーぉぜん、無視できないほどのおーぉきな問題だーぁよ。まぁ? 自慢じゃないけど、自慢じゃーぁないけど私のように才能に恵まれることはまーぁずないと考えていいか-な」

 

 言葉とは違い自慢気味に、いや確実に自慢をしてくるロズワールに軽い苛立ちを覚えるがこれから教えてもらうのだ。慣れるように何も言わず耐えることにする。

 

「でーぇは、次に君の適性がある属性は何か調べるとしよう」

「属性?」

「そーう。熱量関係の火のマナ、生命と癒しを司る水のマナ、生き物の体の外の加護に関わる風のマナ、体の内の加護に関わる地のマナ、もしやもしやで陰や陽の属性やも?」

「はぁ、といっても私は魔法は毛ほども使えませんよ?」

 

 そもそもシャオンは魔法の知識が皆無に等しく、実物も王都でエミリアが使ったものしか見ていない。もしも属性を調べるのに魔法の発動が必要ならいきなり手詰まりなのだが。

 しかしロズワールは気にする必要などないとでも言いたそうに首を横に振る。

 

「安心したまーぁえ。私くらいになーぁれば触れただけで属性がわかっちゃうよ。でーぇはぁ、みょんみょんみょん」

 

 妙な効果音を口で奏でながらロズワールはシャオンの額に指をあてる。そして数秒後、

 

「強いのは”風”だーぁね。でーぇも? 一応全属性の適正はあるようだーぁね。かーぁなり微弱で使い物にするには難しそうだけど」

 

 先ほど口にした六属性の魔法がすべて使える可能性がある。それは、とっても

 

 

「陰魔法ならベアトリスに教えてもらえればいいんだけど……君はなーぁぜか嫌われているようだーぁしね」

「ベアトリスがですか。あの子も幼いのにすごいんですね」

 

 その言葉にロズワールは意表を突かれたような顔を浮かべ、直後腹を抱えて笑う。

 

「くくく……彼女は君よりも、ぼくよりもずーぅっと長生きだーぁよ。だって、精霊だもん」

「せい、れいですか? というとパックと同じ」

 

 確かにそれなら彼女との書庫でのやり取りも納得が行く。冗談で人間じゃないといったのだが本当だったとは。

 しかし……頭のなかで猫と少女が同じ種族だということがうまく結び付かない。

 

「さすがーぁに、大精霊様とは格が違うけどねぇ」

「大精霊、ですか。普通の精霊とは何か違いがあるんですか?」

「もっちろーぉん。でも、今は魔法の勉強のおじかんだからぁ、教える時間はないねーぇえ。どうしても知りたくなったらご本人そのものに訊ねればいい。きっと、こころよーぉく教えてくれるだろーぉね。でーは、始めようか。まずは私の真似をして」

 

 その言葉とともにロズワールの周囲の空気が張り詰める。そして、目の前にある木偶人形に向かって片手を構える。

 

「フーラ」

 

 ふざけた様子の一切感じられない、芯のある声でロズワールがつぶやく。

 すると、ロズワールの手の先から風が吹き出し、目の前にある木の人形の首が流れるように落とされた。断面は鮮やかで、強い力で素早く切断されたことがわかる。風の刃、とでも言えばいいのだろうか、それが生まれ、切断したのだろう。

 

「さ、君の番だ。一つ、アドバイスをするなーぁら、想像力が大事、自身の体の中にあるマナを外に出すことをイメージすればいい」

「ふ、ふーら」

 

 その呪文と共に確かに魔法は発動した。そう、発動はしたのだ。

 しかし先ほどのロズワールとは違って鋭さも、勢いもなく。肌に張り付くような圧力などどこにあるのやら。

 僅かな風が人形に当たり、かすかに揺れただけだった。

 

「……要特訓だーぁね」

「……よろしくおねがいします」

 

 呆れ半分、同情半分といった声色で肩をたたいてくるロズワールにうなだれながら答える。前途は、多難のようだ。

 

 

 あの後、風以外の魔法も試したが、そもそも発動すらしなかった。

 あまりの不甲斐なさと、マナの消費によって疲れ、地べたに倒れているとレムが、屋敷から現れた。

 

「失礼します、ロズワール様。シャオン君はいらっしゃいますか?」

「そこにいるよ……だいじょーぶかい?」

 

 倒れ込んでいるシャオンを指さしながらロズワールはこちらを気遣う。それにかすれた声で答えた。

 

「ええ、少し怠いですけど」

「ではついてきてください。これから屋敷の案内と業務の説明を始めます。スバルくんはもう準備が整っていますので、急ぎましょう」

 

 そう言ってロズワールに礼をし、二人して屋敷に戻る。

 廊下を歩きながら考える。この服装で働くのはどうなのだろうか。

 さすがにパーカー姿のまま使用人生活スタートというのも味気なく、そもそも貴族の使用人として働くのだからそれ相応の服装をしなければいけないのではないか。

 

「どうしました?」

「いや、やっぱ、こういう服じゃ仕事はしにくいからそれなりの制服か何かが欲しいかな、と」

「そうですね、服装は大事です。ちょうどいい服が、確かあるはず。二階の使用人控室の……そうですね、西側の部屋の、プレートがかかっていない部屋ならどこでも大丈夫なのでそこで着替えてください。好きなところを自分のお部屋にしてください。そこに制服の替えも置いておきますから」

「了解。んじゃ、そうだな……」

 

 屋敷の二階へ案内され、制服と仮住まいが与えられるに当たり、候補として挙げられた部屋を眺めるシャオン。とはいえ、位置が多少ずれるだけで中身は一緒のはずだ。それならば階段などに近い方が移動に便利だろう。

 そう思い適当にドアノブをひねろうとした瞬間。

 

「……貴方は、何も言わないのですね」

「ん?」

 

 小さな声で発せられたレムの独り言が耳に入った。

 まさか聞こえているとは思っていなかったのかレムはシャオンに驚きの表情を向ける。流石にごまかせないと思ったのかこれまた小さな声で話す。

 

「先ほどスバルくんに、姉さまと区別をつけて、個性をつけたほうがいいといわれまして」

 

 恐らく、スバルは悪気がなく本当に善意で発した言葉だったのだろう。だが、できればもう少し後先を考えて発言をしてほしいものだ。

 このままでは共に働く際にわだかまりが残ってしまいそうなので簡単にフォローをすることにする

 

「んー。俺はさ、正直誰かの真似をして生きても、別にいいんじゃないかと思ってる。それぞれ事情があるわけだしね」

 

 あこがれているからその人の生き方をまねをする。それ自体は悪いことではないと思う。真似していく中で、その当人のほうが優れているところ、劣っているところを自覚できることもあるのだから。

 

「そう、ですよね」

 

 そういう意味を込めての言葉にレムは少しうれしそうに笑う。これでいくらかはスバルともマシになってくれればいいが。

 そう不安に思っていると、廊下の先でエミリアが歩いてくるのが見えた。

 

「あ、ちょうどいいところにいた……お取込み中だった?」

「いえ、問題はありません。シャオンくん、着替え終わったら教えてください」

 

 そう言ってレムは階段を下りていく。廊下に残されたのはエミリアとシャオンだけだ。

 

「それで? 何か用だったんじゃ?」

「あ、うん。スバルにはちゃんと伝えたんだけど、シャオンにはまだだったから」

 

 なにかあっただろうか? 頭の中で思い当たる節を探すがピンと来ない。だが、エミリアはそんなシャオンをみて小さく笑みを浮かべた。

 

「――助けてくれて、ありがとう。お仕事、頑張ってね」

「……どういたしまして」

 

 彼女の笑みを見て、少なくとも損はしていないのかもしれない、と柄にもないことを思ってシャオンは扉を開けた。



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初日の業務。そして運命の出会い

いつの間にかお気に入り数、UA、評価がたくさん……ありがとうございます。


「あっだぁ!」

 

 悲鳴とともに新しい傷口を作り上げ、そこから鮮血を吹き出すスバル。

 

「……はぁ、ここまで使えないとは思っていなかったわ。バルス、上達という言葉を知らないのかしら」

「うぐっ、もう少し慰めの言葉をかけてもいいのでは?」

 

 ラムの毒舌にスバルはうめき声をあげる。しかしラムもレムもかまおうとはしない。流石に可哀想だと思って軽く声をかける。

 

「指、切断すんなよ?」

「……もしそうなったら治療を頼むわ」

 

 料理でのケガであんな能力を使う羽目になるなんて笑えない冗談なのでやめてほしいが。

 そんな会話をしているとシャオンたちとは別の調理をしていたレムがこちらに来ていた。

 

「……シャオン君は治癒魔法が使えるのですか?」

「ん? ああ、一応ね」

 

 だが、あの能力は治癒魔法、なのだろうか。ロズワールの話では水の魔法が治療魔法に該当するというが。

 今度時間があるときでも彼に見てもらおう。彼だったらこの能力が魔法なのか、そしてもし魔法だったら頼めば新たな使い方を教えてもらえるかもしれない。

 

「手が止まっているわよ」

 

 ラムに注意され慌ててシャオンは作業の続きを再開した。

 現在、スバルとシャオン、レムとラムは食堂にいる。理由は簡単、時刻が昼頃に差し掛かっているので四人で昼食の準備をしているのだ。

 最も、屋敷の案内が終わり、ラムとスバルの三人で庭園の手入れを終えた後、厨房に入ったときにはレムが大抵の仕事を済ませていたようだったが、仕事を覚えることも兼ね彼女の手伝いをしているのだ。

 

「姉さま、スバルくん、シャオンくん。準備は大丈夫ですか?

 

 黙々と作業をするラムを見てレムは輝くような笑みを浮かべた。

 

「流石姉様! 野菜の皮むきをしているだけで見とれてしまうほどです」

「清々しいまでの身内びいき……ここで優しい言葉を一つぐらいかけたら後輩のやる気も上がるかもしれないよ? ちらっ、ちらっ」

 

 わざわざ擬音を出してまで慰めてほしいアピールをするスバルにレムは侮蔑の視線をぶつける。

 

「そのお野菜を作った畑の持ち主の努力を無駄にしてますね」

「ひどぅい! でも正論だ!」

 

 事実、スバルの前には見るも無残な野菜の残骸が散らばっている。確かに作った人から見ればあまりいい気分はしないだろう。

 スバルのあまりの不手際に見てられなくなったのかラムが口を挟んだ。

 

「バルスはナイフの使い方がなってないのよ」

「それに、力が入りすぎだよ。もっと力抜いていい」

 

 ラムに乗っかり、シャオンもアドバイスをする。

今のスバルの手つきは包丁を持ったことがないことが丸わかりなほど震えており、このままでは勢い余って本当に指まで切断してしまいそうだ。そんなスプラッターな光景は見たくない。

 

「シャオンは慣れてるな。まさかの弁当系男子だったり?」

「そんなとこだよ、ほらやってみな」

 

 ラムとシャオンのアドバイスを受け再び野菜の皮むきに取り掛かる。すると、

 

「おお! すげぇ」

 

 今までとは違いなめらかな動作で皮を剥くことができ、喜びの声をあげるスバル。その姿を見れば教えたこちらもうれしくなる。だが、気になることが一つ。

 

「……あの、流石にそこまで凝視されていると照れるんですが」

 

 スバルも気づいていたようだ。

 先ほどから、具体的にはラムがアドバイスをしたあたりからだろうか、姿勢正しく立ちながらレムがスバルのことをじっと見ていたのだ。

 

「え、そ、その」

 

 声をかけられると思っていなかったのかレムは驚愕の表情を浮かべながらも言葉を紡ごうとする。 

 

「言いたいことがあるんだったら言えばいいよ。悪口でもスバルは多分喜ぶ」

「おう! 隠し事や遠慮されることのほうが正直対処がわからないから困っちゃう!」

 

 無駄に上がったテンションでレムに遠慮はいらないというスバルの言葉を受けても彼女は言い淀んでいる。

                                        

「――バルスの格好の無様さが目に付くんでしょう。控えめに見ても、品がなさすぎるもの。頭も、顔も野盗のようなものだわ。特にその髪の毛」

 

 だが彼女が言葉にするよりも前にラムが割り込んだ。その言葉にスバルはうなだれる。

 

「それは言いすぎだぜ、先輩。それにしても……これ、自前でやっててわりかしうまくできたと思ってたんだけど……」

「使用人としては落第点ね――そうでしょう、レム」

「……はい、そうですね。ほんの少し、わずかに、些細な程度ですがちょっと気になりますね」

「大変気になっているみたいで悪かったですね!」

 

 自信があったはずの自分の仕事を遠まわしながらに否定され軽く凹んでいるようなスバル。そして、ふと思いついたようにシャオンを指さす。

 

「それを言うんだったらシャオンの長髪はどうなんだよ。衛生面とか最悪じゃない?」

「確かに、あまりいいとは言えないわ。どうせだったら二人ともレムに整えてもらうといいわ」

 

 話の矛先がこちらに向けられる。

 この長髪については元いた世界でも散々言われていたことのため、いつか指摘されるかと思っていた。流石に今のタイミングだとは思わなかったが。

 

「んー、俺はパス」

「なんでよ? 二人でさっぱりしようぜ?」

 

 なれなれしく肩を組んでくるスバルを引き離し、件の髪の毛を触る。

 

「ちょいと切れない事情があってな」

「……まぁ、メイドの中には長髪で仕事をしているのもいるし、別に強要はしないわ。仕事もちゃんとできているようだし」

「そうだな。よし! アドバイスをもらった俺も後に続くぜ!」

 

 すまなそうな表情から何か事情があると推測したのだろうか、ラムは思ったよりも簡単に折れてくれた。

 正直この話題はシャオン的には続けたくはないものなので心の中で感謝の言葉を告げる。

 そして意気揚々とアドバイスをもとに野菜の皮むきをしようとするスバル。だが、調子に乗ったからか彼の持つナイフは野菜から外れ、

 

「――あ」

 

 四者の声が重なり、ざくり、といったような音が厨房に響く。

 

「ぎゃあ! いってえ!」

「はぁ、油断しているからそうなるのよ」

「……あまり厨房を汚さないでくださいね。姉さま、そろそろ鍋に具材を」

「……はぁ」

「うぅ、エミリアたん。慰めてぇ」

 

 情けない声を上げるスバルを視界から入れないように余っている野菜の皮をむくことにする。思ったよりも余裕がありそうなので治療はしなかった。

 

 

 一日目の業務が終わり、日も落ちたころ。シャオンは部屋で一日の業務について振り返っていた。

 

「……思ったよりも疲れたな」

 

 初日に行ったことは庭園の手入れ、調理、掃除洗濯だ。

 それだけ見れば普通の家事だがこの屋敷の大きさを考えてみれば結構な仕事量になる。疲労がたまるのも当然だ

 だが、一度慣れを作ってしまえば何とかなりそうだ。使用人は自分一人ではない。幸いにも熟練の先輩が二人もいるのだ。わからないことがあれば素直に教えてもらえばいいだろうし。

 そうしてやる気を出していると扉がノックされた。

 

「シャオン、今入ってもいいかしら」

「ん? ああ、今開けるよ」

 

 扉を開けるとそこには分厚い本を数冊両手で抱え持つラムがいた。そのままでは大変だろうと急いで受け取る。

 

「どうしたよ?」

「用件は簡単、ロズワール様から魔法の勉強の面倒を見るよう言われたの」

 

 なるほど、確かにロズワールからは魔法は実技しか教わっていない。だが、勿論魔法にはこのような知識も大切なのだろう。

 そしてそのサポートにラムが選ばれたという訳だ。

 

「悪いな、ラム嬢も疲れているのに」

「ええ、でもレムがいるから」

「……姉としてその台詞はどうなんだよ」

 

 事実、今日の仕事ぶりをみてレムの仕事の出来はラムをはるかに凌駕していた。しかしそれを当人が認めるのはどうなのだ。姉のプライドはないのだろうかと疑問に思う。

 

「基本的な魔法についての本はここに置いておくからわからないことがあったら訊きなさい……どうしたの?」

「……字が、読めません」

 

 その言葉に口を開けて驚き、少しあとにため息を吐かれた。

 

「……バルスよりは少しはできると思っていたのに、期待外れね」

「ははは、ぐうの音も出ない」

 

 半目でにらまれ、乾いた笑いで答えることしかできなかった。

 一応、正直に事情を話そうかとも考えた。だが、”異世界から来たからこの世界の言葉がわからないのは仕方がない”。

 そんなことを言ってみたらどんな目で見られるのか。下手をすれば頭のおかしい人間として見られてしまうかもしれない。

 ただでさえ怪しい存在なのにこれ以上心象を下げる必要もないと思い黙ってることにした。

 

「まったく、予定変更よ」

 

 ラムは文句を言いながら分厚い本ではなく、一緒に持ってきていたらしい薄い子供向けの本のようなものをシャオンの前に広げる。やはり、ミミズが這ったような文字が広がっているだけで一文字も読めそうにない。

 

「まずは簡単なイ文字から初めて、そこからロ文字にハ文字と進めていきましょう。魔法の勉強はその後から」

「……宜しくお願いします」

 

 改めて言語の大切さ、難しさを実感しながら初日の夜は過ぎていった。

 

 

 ロズワール邸で働き始めて五日目に入ったころ。

 今、シャオンは屋敷近くの村までラムの買い物に付き合っている。だが彼女は買い物ついでに村の見回りをするといってシャオンとは別行動中だ。

 なので今は一人で何の気もなしに村を歩き回っているところだ。

 一応村の見回りという仕事ではがあるが、この村には危険なことや不審な人物などそうそういるものではなく、ただのんびりと散歩をしているものに等しい。

 そんな中、

 

「あ! ちょうどいいところにいたっ!」

 

 響くような声がシャオンにかけられる。

 振り返ると金髪を小さく揺らしながらこちらに駆け寄ってくる少女がいた。

 肩にかからない程度の長さの髪型はレムやラムと同じようにショートボブと言えるものだ。ただ、彼女らと違って目の前の少女は元気がよく、健康的なイメージを与えてくる。服装もそのイメージと合うようにカジュアルなものだ。

 他には、おしゃれなのかマフラーのようなものを首に巻いている。それだけ見れば普通の少女だ。

 だが、両手首にはめられたガントレット、それが少女の身にはどう見ても合わないような厳つさを醸し出し、異質なものとしている。

 正直に言うと、怪しい。

 

「ふぅ、領主様の関係者っすよね? 貴方」

「……そうですが、どちらさま?」

 

 だが、頭ごなしに追い返すのはどうかと思ってとりあえずは話を聞いてみることにする。

 とりあえずは話を聞いてもらえることがわかったからか、若葉色の瞳を宝石のように輝かせている。

 

「ああ、アタシはこういう……あれ」

 

 ポケットに手を突っ込み何かを探しているようだ。

 その焦っている少女めがけ村の子供たちが遠くからこちらに駆け寄り、飛び乗ってきた。

 

「おねぇちゃんどうしたの?」

「あせってるあせってる」

「わーお姉さん髪の毛サラサラ」

 

 心配するもの、からかうもの、髪の毛をいじって遊ぶもの。子供たちが彼女の背中に乗りながら多種多様な行動をする中それを気にせずに何かを探し続ける少女。器用なことに大勢の子供が乗っても体勢を崩さないでいる。

 だが積み重なっていく子供をもろともせずに立っているその姿は不審者そのものだ。

 

「よし、行こう」

 

 彼女には悪いが、何も見なかったことにして足をラムの待っている方向に向ける。やはり、積極的に問題ごとにかかわろうとするとろくなことにならないらしい。

 改めてそれを体験できたことは今回の一件で得られた唯一の利益かもしれない。

 

「すいません! お願いします! 話を聞いてくださいっ!」

「ちょっ!」

 

 シャオンが逃げようとしているのに気づき、わざわざ丁寧に子供たちをすべて降ろし、こちらに駆け寄り涙を流しながらシャオンに組み付く少女。

 それだけでも問題がある光景なのにさらにその問題を悪化させているのは少女の組み付いた位置にある。

 

「頼むっす! お願いっす!」

 

 力強く引っ張っているのはシャオンの腰回りだ。つまり、ズボンの位置に値する。

 

「やめ、ズボンが!」

 

 彼女の力はその見た目から想像できるものよりも強く、ベルトが緩んでいき、パンツが見えそうになる。こんな公衆の場でそんな恥はさらしたくない。しっかりとズボンをつかむ。

 

「頼みますよぉー!」

「何を騒いでいるの――」

 

 騒ぎを聞きつけたラムがこちらに向かってくる、そして、

 

「……流石に野外でそういうことをするのはどうかと、ラムは思うわ」

 

 冷たい声と視線を置き土産として去っていく。

 

「まって、話を聞いて!」

 

 数秒の硬直の後、この事態の弁明を始めるために追いかけることにした。

 

 あの後、話を聞かない少女の頭に拳骨を入れ離れさせた。ラムに対する弁解は一応はうまくいった。それでも評価は下がったようだが。

 

「うぅ、痛いっす」

「俺も心が痛いよ。ついでにこれから一緒に働くことになるだろう同僚からの視線も痛い」

 

 頭を押さえる少女に文句を言いつつにらむ。

 ただでさえ文字の読み書きができないこと、そもそもが怪しさ抜群なのに評価を下げてしまった。これ以上の失態はそろそろ役立たずとみなされても仕方がない。

 

「それで? 話って?」

 

 イラつきを隠さずに問い詰める。すると少女は一度息を吸い、叫んだ。

 

「アタシを、雇ってくださいっす!」

 

 予想外の用件にラムとシャオンは目を数回瞬きする。

 

「あー、どうしますよ?」

「正直、ラムは反対だわ。怪しすぎるもの」

 

 流石に対応がわからず、先輩であるラムに助言を頼む。しかし彼女は眉間にしわを寄せ、少女の要求に反対のようだ。

 それはそうだ。見ず知らずの、しかも彼女はシャオンたちとは違ってエミリアの恩人でもない。つまり一切の関係がない人物からの雇用要請だ。怪しまないわけがない。

 

「働きたい理由は?」

「……えっと、資金稼ぎっすね」

 

 とにかく志願理由を尋ねなければ始まらない。

 そう思ってのシャオンの問いかけに答えた少女の表情はどうみても隠し事をしている、といったように影があった。

 

「はぁ……まずは詳しく、聞かせてもらいたい。という訳でラム嬢、ロズワールさんは今お時間いいか」

「……現在は、特に忙しいお仕事はないはずだわ」

「よし、ついてこい。詳しく話を聞こう」

 

 そこで気づく。少女の名前をまだ聞いていなかったことに。万が一にでもこれから共に働く可能性があるならば早めに名前を覚えておいたほうがいい。

 

「お前、名前は?」

「あ!自己紹介を遅れましたっす! アナスタシア・ホーシン様の友人、アリシア・パトロスと申します。アリシア、もしくはアリィと呼んでください」

 

 目の前の少女は敬礼をしながらそう名乗った。




もしもオリキャラの見た目がイメージつかなければご連絡を。
作者の拙い絵ではありますがイメージ画を描いて活動報告に載せますので。



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そしてまた、始まる

 アリシアと名乗った少女は先ほどまでと変わらない笑顔を振りまいている。しかし、こちらにいる彼女はそうではなかった。

 

「……ホーシン商会のアナスタシア?」

「ラム嬢、どうした?」

 

 ラムの表情が険しく、というよりも焦りの表情に変わる。その変化からはただ事ではないものを感じ小さな声で尋ねる。

 

「シャオン、彼女を連れていくのは薦めないわ」

「……なんで?」

 

 彼女はただ怪しいからという理由で彼女を屋敷に招くことを拒否しているようではない。なにかもっと重大な理由がありそうだった。

 それを示すかのようにアリシアに聞こえないような声のままシャオンに理由を話した。

 

「彼女、アナスタシア・ホーシンの関係者だといったわ」

「それが?」

 

 生憎とこちらは別世界から来た人間なのだ、たとえこちらの世界で有名な人物だったとしても知りようがない。 だがその事情を知らないラムは険しい表情の中にわずかな呆れを混じらせながらも言葉を続ける。

 

「――アナスタシア・ホーシンは王選の候補者よ。エミリア様とは違う」

 

 その告白に喉が張り付いたような錯覚を起こした。 

 王選の候補者、その関係者。つまり、目の前にいる少女はエミリアと敵対するほかの候補者の回し者、ということだろうか。

 先ほどまでも怪しい人物ではあったがこの事実だけでさらにその怪しさが増す。いや、怪しさだけではなく脅威度も上がったといえる。

 背中にいやな汗がたらり、と流れる。

 

「ラムとしては人目のつかないところでそれなりの対処をしたほうがいいと思うわ」

「対処、例えば?」

 

 シャオンの質問に答えず、ラムはアリシアに歩み寄る。

 

「……ねぇ、貴方。資金が必要だといったわね」

「はいっす!」

「今、雇うことはとある事情でできない。でもせっかく訪ねてきたのだからそれなりの資金を渡すわ」

「え、あー。できれば安定した働き口が欲しいんすよ」

 

 ラムの言葉に渋るアリシア。やはり、ただ単純に金目的で雇われたいわけではないようだ。

 その後も互いに譲歩をしながらも両者とも要求を受け入れる気配がない。

 

「ラム嬢、それ以上は平行線だろう。それに、君も資金稼ぎだけが理由じゃないんだろう?」

 

 返事はない。だが、声を出さなくてもその表情からは肯定しているのがわかった。

 

「だったらいま領主様、ロズワールさんに会って、君が直接頼み込んでくれ。このことは俺たち、使用人の立場からだけじゃ決められない」

 

 その言葉にラムが目を吊り上げる。

 

「シャオン。わかってるの?」

「勿論。でも、このまま放っておくわけにはいかないんじゃないか」

「……たぶらかされた、なんていわないわよね」

 

 なにか考えがあってのことだと判断したのかシャオンの言葉を切って捨てるような真似はされなかった。

 確かにアリシアの見た目はかわいいといえるかもしれない。だが、そんな理由で危険人物を入れるなんて、笑えない。

 

「確かに王都の件でエミリア嬢が狙われているのもわかるし、食事のときにも話していたけどから部外者を雇うのはあまり良くないことだというのもわかる。それに加えて、彼女はエミリアとは別の王選候補者の関係者だ怪しい要素100%だ」

 

 だからこそ、と言葉を繋げる。

 

「一番頭がよく、立場もあるロズワールさんに相談したほうがいい。雇わないにしてもそのまま放置しておくほうが、監視下に置かないでいるのが一番危険だと思う」

 

 もしも目の前で心配そうにこちらを眺めている少女がエミリアを蹴落とすために送り込まれた、候補者からの刺客だったとしたら何か行動を起こすはずだ。それだったらこちらが彼女の動向を把握しておくことが安全だと思う。

 逆に、彼女の様子がわからなければいつか屋敷に火をかけることなど大掛かりなことをする可能性がある。そうなれば対処は困難になるし、下手をすればその騒ぎに生じてエミリアの命が狙われるかもしれない。

 

「……危害が及ぶなら容赦なく処分するわ」

「もちろん」

 

 シャオンの言葉に一理あると考えたのか、渋々ながらも提案を受け入れるラム。

 アリシアがこちらに害ある存在だったのならばシャオンも容赦はしない。全力を持って排除するだろう。

 

「という訳で、一応話は聞いてみる。ただし、失礼のないようにな。あまりにもひどいと首を飛ばされても文句は言えないから。あと、ちゃんと本当の理由を話すこと」

「百も承知っす! ほらなにしてるっすか! 早くいきましょ!」

「……はぁ」

 アリシアは少なくとも話を聞いてもらえることがわかり、太陽のような笑みを浮かべる。その屈託のない笑みにさすがのラムも毒気が抜けたようだった。

 

「調子がいいわね……きゃっ」

「遅いっすよ! ほらいきましょう!」

 

 アリシアはゆっくりと歩きだそうとしたラムの手を掴み、屋敷に向かって全速力で走っていく。

 その様子は犬に無理やり引っ張られる飼い主のようで微笑ましい。それによくよく見れば外はねが犬耳のようにも見えなくない。

 

「大丈夫そうだけどねぇ」

 

 走っていく二人の後をゆっくりとした歩調でシャオンは追いかけた。

 

 

「失礼します、ロズワール様」

「おーやぁ? どうしたんだい」

 

 ロズワールがいるであろう執務室の扉を開けると彼は読んでいた書物を閉じ、こちらに目線を向ける。

 入室してきたラム、シャオンに目を向け、そして初対面であろうアリシアの姿を目にすると目を細めた。

 

「少し、聞いてもらいたい話がありまして」

 

 シャオンが最低限必要な情報を吟味し、事情を掻い摘んで話す。

 

「ふぅむ」

 

 事情を聴いたロズワールの表情は明るくない。

 それもそうだ。素性不明の不審者を二人も抱えているのにさらにもう一人追加するのだ。いい顔はしないに決まっている。

 少しの沈黙の後、ロズワールはゆっくりと口を開いた。

 

「アリシア、といったね」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 裏返った声で返事をしてしまい、アリシアの顔が真っ赤に染まる。

 

「そんなに緊張することはないよ。少なくともちゃんと目をそらさずにしっかりと会話できている時点で、話す価値はある」

 

 その様子を微笑ましく眺めるロズワール。だが、その奥にある瞳は見定めるような選定者の瞳だ。その瞳が優しく、舐めるように彼女に絡められる。

 

「君は本当の理由をまだ話していない、ね。それを聞かなければこちらとしても判断はできない」

「……アタシはホーシン商会の人間です」

 

 ロズワールの言葉に罪人が罪を告白するかのように、ゆっくりと言葉は紡がれていく。

 

「親父は……父は鉄の牙の団長補佐をしています」

「”竜砕きのパトロス”の逸話は有名だからねぇ。耳にしているよ」

「そうなの?」

 

 近くにいるラムに小声で尋ねる。

 

「……パトロス家はアストレア家と同じような貴族よ」

 

 ――アストレア。

 それは確か、ラインハルトの家名だ。そして彼もそれなりの地位についていたはず。ならば彼女の、パトロスという家名もかなりの立場にあるはずだ。

 だが、それならなおさら仕事を探しに来た意味が分からなくなる。そんな立場ならわざわざ働かなくてもそれなりの資金は勝手に入ってくるはずだ。

 

「そのご息女がこんな場所にいったいどのようなご用件で?」

「……あたしの夢は、立派な、力なき者を守れる騎士になることです。しかし、父はあたしが騎士になることを反対しました」

 

 力強く拳を握りしめながらも彼女の話は続いていく。

 

「それでも、あきらめたくなくてお嬢に相談したんです。そしたら父がアタシを反対する理由は心配だからじゃないか、と言われまして。だからあたしは、もう一人でも立派に生きていける。もう守られてばかりの小娘じゃないって伝えたいんです」

 

 強い意志が込められた声にロズワールは数舜ほど黙り、そしてまた口を開いた。

 

「君のその気持ちは十分に分かった。しーぃかし、それがなぜ雇われたいと望むのかがいまいち繋がらないんだーぁがね?」

「幸いにもお嬢は同意してくれました。それに父の説得も手伝ってくださいました。”一人で旅に出て、自分の力で働き、稼ぎ、多くの人を救え”これが父がアタシにだした、一人前と認めるための条件です。こんな大きなお屋敷だとそれができそうだから」

 

 そして思い出したかのように懐に手を入れ何かを取り出した。

 

「あ、一番最初に出すべきでしたが……これがその封書です」

 

 懐から取り出した手紙をロズワールは魔法を使って引き寄せ、椅子に座ったまま中身を読み始める。

 

「……うん、どうやら本物のようだ。しかしまだ気になることがある」

 

 封書の中身が本物とわかったからか、先ほどよりもロズワールの眼光が今までよりも鋭く、冷たい色を宿す。

 

「――どうして、君はわざわざ私の屋敷に、アナスタシア様とは別の王選候補者がいるこの屋敷を働く場所として選んだんだーぁい?」

 

 その問いかけは嘘を吐く、などという逃げを潰すような圧力を持っていた。もしも嘘をついてしまえばその場で殺されてしまうような、そんな脅迫じみた問いかけのようにも感じた。だが――

 

「――はい?」

 

 その雰囲気に罅を入れるような抜けた声がアリシアから発せられた。

 

「えーっと、それはどういう意味ですか? 私がここを働く場所として選んだのは給料の羽振りがよさそうなのと、私なりの勘でしたからっすよ? あとさっきもおっしゃいましたが父の出した課題を達成できそうだった……から……あの、すいません」

 

 質問の意味がわからず、だんだんと言葉が小さくなっていくアリシア。終いには謝罪までしてしまっていた。

 

「おーやぁ? これはもしかしーぃて?」

 

 その姿にロズワールが笑いをかみ殺し、

 

「もしかすると」

 

 ラムが半目で疲れた声でつぶやき、

 

「知らないで来たのかよ」

 

 シャオンが驚きの声を上げた。

 

「え、え?」

「さーて、どうしたものかーぁね。正直、疑う要素が多すぎて逆に怪しくなさそうにも思えてきたよ」

 

――推理小説で言う怪しすぎる奴は犯人じゃない。みたいなものだろうか?

 そんなことを考えながらもロズワールが彼女をこの屋敷に迎え入れることにそこまで否定的でないことに気付く。いや、そもそも否定的だったのなら事情も聞かずに断っていたはずだ。

 なので、もうひと押しをすることにする。

 

「三つ目の褒美を使います」

「――シャオン」

「どうです? 王都での件、早めに帳消しにしておいたほうがいいのでは?」

 

 ラムの咎める声を無視しロズワールに要求を持ちかける。

 

「確かにそうだね。でもなぜ、そこまで彼女に肩入れするんだーぁい?。惚れでもしたのかーぁい?」

「えっ? そんなこと急に言われてもぉ……まずは友達から――「それはないから安心を」バッサリは酷くないっすか!?」

 

 こちらをからかうように笑うロズワールと照れたように頬を染めるアリシアの両者を切り捨て断言する。

 

「別に、どうせ使わないで腐らせるよりは誰かの役に立てればいいかな、と思いまして。それに今はレム嬢に屋敷を任せっきりだ。人手は多いほうがいいと思いますが」

 

 シャオンの言葉は筋が通っている。人手を増やすメリットが彼女を入れるデメリットを上回ることができれば、の話だが。

 もしもデメリットのほうが大きければこの交渉は不成立。悪いが彼女には別の働き先に行ってもらうことになる。その際には二度とこの領地に近づかせられなくなるという条件が付くが命を奪われるよりはましだろう。

 

「……何かあったら責任はとれるのか―ぁい?」

「その時はどうぞ、煮るなり焼くなり。ただし、スバルは巻き込まないでください」

 

 その言葉が最後の一押しになったのかロズワールは参ったとでも言いたそうに両手を上げる。

 

「……仕方ない、雇おう。でーぇも、条件を付けよーぉう」

 

 両手の指を一本たて、シャオンとアリシア二人に突きつける。

 

「彼女を雇うならしばらくは、そうだーぁね。彼女の信用がはっきりとするまでは君が監視すること、それに彼女もレムやラムの仕事を負担してもらうこと。あとはーぁ君の給料は彼女と折半という条件。もしも侵入者だとしたら新たにわざわざ給料を支払うなんて真似はしたくはないかーらね」

「呑みます」

「では、君も今はこの屋敷の使用人の一人だ。ラム、頼んだよ」

「……まずは給仕服を見立てないとね。ついてきなさい」

「え? え?」

 

 ただ一人、流れるように過ぎていった状況に思考が追い付つかずアリシアはきょろきょろと困惑の表情を浮かべていた。

 

 

「さて、どういうことでしょうか。シャオンさん」

「なんだよスバルその顔」

 

 にやにやとした表情でシャオンを中心に回るスバル。なんといえばいいだろうか、男子小学生がからかっているような感じだ。

 現在、シャオンとスバルはアリシアが着替えるのを部屋の前で待っている。ラムはその手伝いをしているので今は野郎二人だけだ。

 

「いやいや、旦那も隅に置けませんねぇ」

「はぁ、言っておくがそういうのじゃないからな」

 

 つまりスバルが言いたいことはシャオンがアリシアに惚れたから彼女を雇う手助けをしたと思っているようだ。

 生憎とそれほどまで飢えている人間ではない。もっと純粋な理由だ。

 

「待たせたっす!」

 

 そう説明をしようとすると、大声と共に扉が開かれる。そこに現れたのは、

 

「どじゃぁ~ん! どうっすか!」

 

 腰に手を当てこちらに対してドヤ顔を見せつけるアリシア。

 ラムたちと同じ独特な給仕服に、身を包む彼女はさわやかな新人メイド、といったような評価が下されるような雰囲気を醸し出していた……相変わらずガントレットの装備付きだが。

 

「おぉ!」

「うん、似合ってる」

「そ、そんなに誉めないでくださいっすよ」

 

 二人して素直な感想を告げ褒める。すると頭をかきながら目線を逸らした。案外ほめなれていないのかもしれない。

 

「それじゃあ屋敷の案内はシャオンに任せるとして、あとは今日の業務を……」

 

 ラムの、言葉が止まる。

 

「……うかつだったわ」

「どうしたん? ラムちー」

 

 ラムはスバルの独特な呼び名に青筋を立てながらも事情を話す。

 

「買い忘れがあったのよ。レムは夕食の支度で手が離せないし、ラムも用事があるから買い直しに行けないわ。ああ、困った」

 

 チラチラとこちらに視線を向けるラム。それは仕事を代わりにやってほしいと遠まわしに伝えているのだろう。

それをスバルも察したのかため息をつきながら了承した。

 

「……じゃあ新人三人組で行きますよ」

「物分かりがいいのね」

「ちょうどいいっすね! 渡したいものがあったし」

「渡したいもの?」

 

 アリシアのその言葉にラムの眉がピクリと動く。

 

「もしも妙なものだったらバルス、あなたが毒味をするのよ。そうすれば誰も犠牲が出なくて済むわ」

「俺が犠牲になっているんですがそれは!?」

「少なすぎる犠牲は犠牲とは言わないのよバルス」

 

 売り言葉に買い言葉。

 言い合いはヒートアップしていくが、どちらも表情にいやなものはない。

 

「仲いいっすね」

「そうだなー」

 

 蚊帳の外の二人はそんな、まるでじゃれあいのような様子を、収まるまでの少しの間離れた場所で眺めていた。

 

 

 屋敷の外は赤い夕陽が村を照らし始めていた。幸いにもラムが買い忘れたものはすくなく、完全に暗くなる前には戻れそうだ。

 

「そういえばちゃんとした自己紹介してなかったな」

「確かにそうっすね、アタシの名前はアリシアっす。バルスさん」

「スバル!ナツキ・ス・バ・ル! 俺の名前はそんな目を潰すような呪文じゃないから!」

「あ、そうなんすかラムちゃんが呼んでいたからそんな名前かと」

 

 自身の顔を指して名乗るスバル。その言葉にアリシアは頭をかきながら笑う。

 

「それにしても勇気あるよな」

「なにがっすか?」

「いやだってお前、エミリアたんとは違うところの王選陣営なんだろ? いわば敵地に単独で乗り込むスパイみたいじゃん」

「スパイ?」

 

 スバルの言葉に首をかしげるアリシア。恐らく”スパイ”という言葉がこの世界にはないのかもしれない。

 

「間者のことだよ。スバル、こいつエミリア嬢が王選候補者だということも、ここにいることすら知らなかったんだよ」

「……馬鹿じゃね?」

「うぐっ」

 

 アリシアは図星を指されたのかうめき声と共に反論できないでいる。

 

「あ、ちょっと待ってるっす」

 

 村に入ろうとする直前、アリシアが近くの林に入り込んで行ってしまった。かと思うと数十秒も経たずに荷車を引きながら戻ってきた。

 

「これを雇われ先の人に渡そうかと」

「これは?」

「レモムっていう果物っすよ」

「いや、知っているよ。いや、正確には違う果物なんだろうけど。いや、それより多くね?」

 

 元いた世界で言う、レモンがあった。荷車いっぱいに積み上げられて。

 その量に圧倒されているとアリシアが事情を説明し始める。

 

「お嬢にお金が無くなったらこれを売ってなんとしろって言われて。熟しているこのレモムは高く売れるんすよ」

「へー」

 

 スバルは好奇心から一つレモムをつかみ取ってみる。

 

「あ、そんなに強く握ると」

 

 アリシアの忠告はすでに遅く、スバルの指は黄色い果実のその皮を突き破り、中から透明な液体を吹き出させ、周囲に柑橘類の独特な香りが漂い始めさせた。

 

「――痛って!」

「スバル?」

 

 急に痛みを訴えたスバルを心配すると彼は心配はいらないとでも言いたそうに、笑みを浮かべてこちらに手を向けた。

 

「ああ、いや朝レムと買い出しに来たときに犬にかまれちまってその傷にこの果汁が染みて」

「うわぁ……それは痛いっすね」

 

 手を振って痛みを紛らわせているスバルにアリシアは同情の目を向ける。

 

「治そうか?」

「――いや、この傷は俺の努力の勲章だから」

 

 少し考えた後に申し出を断ったスバル。それは強がりでも、遠慮でもなく、ただ本当に努力の証だと思っているような。そんな輝かしい表情だった。

 

「――そっか」

「なに笑ってんだよ」

「別に?」

 

 口に出せばからかわれるので絶対に言わない――成長していっていることがわかってうれしく思っているなんて。

 

 現在シャオンとアリシアは同じ部屋にいる。ロズワールに監視を命じられたのでできるだけ一緒にいるようにとも命じられていたのだ。

 

「いやぁ、本当に悪いっすね!」

「だったらもっと申し訳なさそうにしてくれよ」

「それにしてもまさか本当にほかの候補者の方の屋敷とは……」

 

 あの後、エミリアと対面を果たし、アナスタシアとは違う候補者ということを告げた。

 しかし思っていたよりも動揺は少なく、ただ単純にこれからお世話になる旨を伝えただけで終わった。色々と考えていたこちらの苦悩は無駄となったのだ。

 

「そういえば……騎士を目指すって言ってたけど、剣は?」

 

 ふと、彼女が騎士の代名詞ともいえる剣を所持していないことに気付いた。すると彼女は悩みながらも口を開いた。

「あー、諸事情で剣は持ってないんすよ」

 

 ぽりぽりと頬を照れ隠しにかくアリシア。だがその照れを吹き飛ばすかのように勢いよくこぶしを突き上げる。

 

「だから、この拳! この拳こそが剣の代わりっす! あ、疑っているっすね? これでも獣人傭兵団”鉄の牙”の団長に膝をつかせたこともあるんすから!」

「いや、悪い。ロズワールさんとの話でも出てたけど、その鉄の牙って知らない」

「まじっすか……意外と有名じゃないのかなぁ」

 

 予想よりも知名度が低かったことに項垂れるアリシア。自慢の話を潰してしまったようでなんとなく申し訳ない気持ちになる。

 そんな気持ちを抱きながら、明日着る服を用意しているとアリシアが再び口を開いた。

 

「――なんで、見ず知らずのアタシにここまでしてくれるの?」

「ん?」

 

 今までとは違い、声色が真剣なものになり、語尾も真面目になる。

 

「さっきスバルにも言われたけど 正直、断られると思ってたのに。わざわざ、その褒美とやらを使ってまで交渉してくれて」

 

 振り返るとベットの上でこちらを見つめている彼女の姿があった。まるで、正直に答えてくれるまで動かないとでも言いたそうに。

 仕方ないので観念して話を始めた。

 

「……俺さ、努力している人間が好きなんだよ」

「え?」

「ある目標に向かって、自身の力を全力で使って向かって進んでいって。足りないところは学んで、補って、また歩み続ける」

 

 彼女は何も言わないでシャオンの話を聞いている。ただそれは理解できないのではなく、聞き入っているようだった。

 

「そうすることで、できないと思ったようなこともできるようになる。それって、とっても素晴らしいことだと思うんだよね。それに俺も父さんに――」

「シャオン?」

「いや、なんでもない。以上が理由だ」

「そうっすか。なんか、照れるっすね……ああもう! この話はやめにするっす!」

「お前から話したんだろーが」

「知らないっす! ほらもう寝るっす! あー、アタシが床のほうがいいっすよね?」

「いーや別に? 俺は床で寝るから、お前さんはベットで寝なよ」

「それならお言葉に甘えるっす!」

 

 遠慮のしない素直さに苦笑いをしながらも寝支度を整えていく。

 

「……寂しかったら一緒に寝てもいいっすよ?」

 

 彼女はベットに一人分のスペースを開けてこちらに手招く。その表情はからかい気味ににやついており、ふざけているのが丸わかりだった。

 

「ほざけ、ちんちくりん」

「ぶーぶー。いいすっよ、じゃあ」

 

 その軽口と共にアリシアは毛布にくるまって姿を消す。それを見てランプの明かりも消す。

 規則正しい寝息が聞こえ始めたころ、シャオンはなるべく音を立てずに入り口の扉前に腰を下ろす。

 そして、ゆっくりと瞼を下した。

 

 

「あの啖呵から五日――いや、四日と半日か。そろそろ見えてくるものもある頃じゃぁないかね?」

 

 耳元で囁かれ、桃色の髪を大人しく撫でられるのはラムだ。部屋にいるのはロズワールとラムの二人だけで、彼女にとって半身とも呼べる双子の妹の姿はそこにはない。

 

「そうですね……バルスは全然ダメです」

 その教育担当の明確なダメ出しに、ロズワールはきょとんとした顔をして、直後に吹き出しながら破顔した。

 

「あはぁ、そうかい、全然ダメかい。まさか、全然とは」

「料理も、掃除も、さらには文字の読み書きすらまともにできていません。正直、業務の負担になっています」

 

 その言葉尻から滲み出る毒舌に小さく笑い声をあげながらも話を続ける。

 

「シャオン君は、どうだーぁい?」

「彼は……正直、不気味です」

 

 言いにくそうに告げた言葉にロズワールは意味が分からないといったように首を傾げた。それと同時に彼女がこんな評価を他人に下すなど珍しいとも思いながら。

 

「不気味? それはそれは妙な評価だ」

「バルスとは違ってシャオンは物覚えが良すぎました。一を教えたら十を覚える、なんてものではありません。皿の場所や調理器具の保管場所はもちろん、驚くことに買い出しに出た際に寄っただけで村の住民の顔と名前、家の配置など覚えてました」

 

「確かに彼は魔法の覚えも常人より早い。単なる才能かとも思っていたーぁけど、”加護持ち”ということも考えたほーぉがいいかもね」

 

 彼は初日では風魔法を発動させるのがやっとだったのに今ではほかの属性も含めてある程度使いこなせるようになっていた。現在の問題点としては消費するマナの調節ぐらいだろうか。その成長速度は異常ともいえるかもしれない。

 

「ラムも、その線を考えて遠まわしに聞きましたが本人は知らないようでした」

「ありえなくはないことだからーぁね」

 

 基本的に加護を有する人間は生まれた時にその存在を知っているものが多い。だが、中には後天的に目覚めたものなどもおり、加護を持っていることになかなか気付かない人間もいる。

 あの糸目の少年がそうなのかはわからないが可能性としては考慮してもいいかもしれない。

 

「さて、本題に入ろう――彼らが間者の可能性は?」

「完全に否定はできませんが……正直、ないかと」

「その心は?」

「良くも悪くも目立ちすぎです」

 

 ラムは嘆息しながらも報告を続ける。

 

「バルスの行動もそうですが中でもシャオンの、アリシアという不穏因子を屋敷に入れるなんて行為。まるで疑ってみろと訴えているのと同意です」

「本当に善意の第三者、か。まったく恩人を疑う羽目になるとは嫌なことだーぁよ……おーぉやぁ?」

 

 ちらり、と視線を窓の外に移す。

 執務室の窓から見下ろせるのは、屋敷の敷地内にある庭園だ。少し背の高い柵と木々に囲まれたその場所は、外から見えない代わりに屋敷の窓からは非常によく見渡せた。

 その月明かりを盛大に受ける庭園の端、そこに銀髪の少女と黒髪の少年が談笑している姿がある。

 一方的に話しかけているのは依然、少年の方のようだが、それに対する少女の表情は決して不快げな方向へは傾かないでいる。

 

「私の立場としては、邪魔するべきなんだろうけどねぇ」

 

 黄色の瞳だけで庭を見下ろし、ロズワールはそうこぼす。それに、

 

「どちらも子どもですから、放っておいても何も起きませんよ」

「それは言えてる」

 

 かすかな笑声が執務室で重なり、少年と少女の逢瀬を見下ろしていた窓の幕が引かれる。

 ――まるでその幕のなかで行われていることは、月にすら見せたくないとでも言いたいように。

 

「ん」

 寝返りを打った時に感じた柔らかい感触に、ぼやけていた思考が明白なものに切り替わった。

――起きた場所が扉の前じゃない、移動している。

 その事実に焦りながら飛び起きる。

 

「お目覚めですか? ”お客様”」

「大丈夫かしら”お客様”」 

 

 目の前、ベットの前にはラムとレムが立っていた。屋敷に来た初日のように(・・・・・・・・・・・)冷たい目線でこちらを刺しながら。

 

「あー、と?」

 

 動揺をなるべくあらわにしない様に気を付けながらも二人に訊ねる。

 

「……俺の名前、わかる?」

 

 半ば確信しているが、杞憂であってほしいという気持ちからか、確認する。

 

「すみませんお客様、記憶にございません」

「すみませんお客様、ご存じありませんわ」

 

 首をかしげる様子の二人の姿に疑念が確信へと変わる。そして、ため息をつく。

 

「――ほんっと、異世界って危険なんだな」

 

 世界が巻き戻った――つまりは、また、死んだのだ。この世界で、この屋敷で。

 




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台本通りに物語は進まない

――死に戻り。それは、王都で起きた事象だ。

 エルザに殺され、一定の時を戻された。それと似たようなことが今起きたのだ。

 

「お客様?」

「あー、ちょいまち。寝起きだから頭が回らない。悪いけど少し一人にしてくれ」

 

 こちらの様子に不審がるラムとレムに大丈夫だと手で示す。

 

「あと、できればもう一人、俺と一緒に来ているはずのスバルを呼んできてくれないか?」

 

 とりあえずは基点であるだろうスバルがいなければ話にならないと思い彼女たちに呼んでくるように頼む。しかし、

 

「……それが」

「どうかしたの?」

 

 眉を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべる二人に何かあったのだろうかと尋ねる。だがその答えを聞くよりも早くに、声がした。

 

「もう……来てるぜ」

 

 声の聞こえた方向には顔色が青く、なんとか扉に寄りかかるようにして立っているスバルがいた。

 

「おー。すごい顔色、流石寝起きの悪さに定評があるな」

「大丈夫、なのですか、お客様」

 

 心配するレムの言葉で確信する。

 

 ――たぶん、双子に対して変な態度をとったんだな。

 

 予想外の再び始まったループに動揺は隠せないだろう。事実シャオンも動揺を隠すことは難しかったのだから。

 だから、彼女たちはスバルに対して今もいぶかしげな眼を向け、少し距離をとったような発言をしているのだろう。

 変なイメージをつけているのも良くないので、すこしでもイメージを払拭するようにからかうようにスバルの顔色の悪さを口にする。

 

「お二人さんも何かスバルの挙動がおかしかったとしても許してくれ。寝起き、くそ悪いからさ」

「はぁ、では失礼します」

 

 いまだ警戒は解いていないようだが、礼をして扉を出ていくラムとレム。

 そして扉に耳を立て、立ち去っていく足音を聞いてスバルに向き直る。

 

「さて、何があったかわかるか?」

「……わからない」

 

 小さな声でそうこぼすスバルの表情には余裕が微塵も感じられなかった。だが、立ち止まっている時間はあまりない。早く立ち直ってほしい。

 

「お互いの状況を確認しようか……でも、その前に顔洗え。本当に顔色ひどいぞ?」

「ああ、そうする」

 

 シャオンの指示に素直に従い、二人で洗面所への扉を開いて、

 

「……は?」

 

 ――大量の書架が並ぶ、禁書庫にその身を滑り込ませていた。

 

「おいおい……」

「いろいろとありすぎてわけわかんねぇ中に、さらにこんな追加イベントかよ……」

 

スバルの言葉にはキレがなく、乾いた笑いは虚無感を際立たせるばかり。それが気休めに過ぎないと当人もわかっているのだろう。

繰り返し、繰り返し、最後に深く大きい呼吸を繰り返す。と、

 

「――ノックもしないで入り込んで、ずいぶんと無礼な奴なのよ」

 

 薄暗い部屋の奥、小さな木製の机の前に座るのはクリーム色の髪の少女。いつでも変わらず、いつでも揺るがず、こちらとの距離を保ち続けたロズワール邸の禁書庫の番人――ベアトリスだ。

 彼女は手にしていた本を音を立てて閉じると、その小さな体には大きすぎる冊子を片手に抱いたまま不機嫌そうに眉を寄せながら歩み寄る。

 

「どうやって『扉渡り』を破ったのかしら。……さっきといい今といい」

「……さっき、か」

 

 ベアトリスの言葉に今の時系列の確認ができると思い、問いを投げる。

 

「ベアトリス、俺のこと知ってる?」

「ふん、知らないのかしら。まぁ? そこのニンゲンとはちょっとからかったことはあるかしら」

「あれが、ちょっとかよ」

 

 二人の間に何があったのかは詳しくは知らないが、相も変わらず冷たい対応を示すベアトリス。

 だがこれでおおよその時系列がわかった。

 

「今の俺らがいるのは……ロズワール邸に初めて来た日、戻ったのは五日後から、四日前までか」

 

 かろうじて記憶に引っかかる光景が思い出され、シャオンは合点がいく。

 メイドの双子が揃って起こしにきたのはあの日だけ。しかも、客室のベッドを利用する身分だったのも初日だけのことだ。

 些細な違いはあるが、つまり――

「やっぱり、”また”なのか……?」

「ああ、王都の時とは大分戻る時間が伸びているようだけど」

 

 正しく現状を見つめ直し、スバルは今の状態をそう定義し、シャオンもそれに同調する。

何がしらかの不可思議な力の導きにより、再び時間を遡行したのだ。

 

「うそ、だろ」

 

 その現実を理解はできる、だが納得はそれとは別の話だ。特にスバルが感じているショックは大きいものだろう。

 なにせ、この屋敷に来てから初めての労働を経験し、働くことの苦労、そして楽しさを覚えたのにそれがなくなってしまったようなものだ。それに加え、わずかながらに築いてきた屋敷の住人達との絆も霧散したのだから。

 だが失意に押しつぶされているつもりはない。こうして戻ってきてしまった原因が何なのか考える。

『時間遡行』が起こったのは、異世界召喚された初日の、一日だけだ。二度の死を糧にエミリアを救い、ループから抜け出したものと判断していた。

 そう思うのも仕方がないのだ。事実、『死に戻り』と定義した時間遡行はこれまで行われず、ロズワール邸での四日間は極々平和に過ぎていたはずだ。

 それがここへきて、突然の時間遡行――前触れも何もあったものではない。

 

「前回とは条件が違う、のか? 死んだら戻るって勝手に思ってたけど、実は約一週間で巻き戻るとか……」

「いーや、だとしたらこの日を選んで巻き戻ったのかの理由がつかない」

 

 時間遡行の原理は不明だが、あの繰り返した時間を思えばある程度のルールは存在したはずだ。そのひとつに、ループの開始点がある。

 もしもあのループから逃れられていないのなら、二人が目覚めるのはまたしても八百屋の店主の前でなくてはならない。だが、今回のループの開始地点はロズワール邸だ。これが意味することは、

 

「ということはセーブポイントが更新された……?」

「そう考えるしかねぇよな……これからどうすればいい?」

「わかんないな」

 

 スバルも信じたくはない気持ちが強そうだが理解はしてきているようで、対抗策を考える余裕もできてきたようだ。

 だが正直、対策も何も立てられない手詰まりの状態が現在の状態だ。

 なぜ、死んだのか、他殺か、それとも事故か。

――なにひとつ、わからないのだ。

 

「……原因がわかるまで、できるだけ同じ行動をする。っていうのはどうだと思う?」

「いいんじゃないか。なんで死んだのかわからないんだし」

 

 スバルが出した作戦に同意する。

 つまり今までの生活を台本通りになぞって生活していきそうして、最後だけ手直しをするのだ。そう、大事なのは結末だけ。

 

「……やっぱり、俺が死んだのか。お前が死んだって可能性は?」

「一度目の世界では、お前が死んだから俺も死んだからそれはないと思う。逆に俺が死んでもお前が巻き添えで死ぬかはわからないけどな」

 

 もしも。そう、もしもシャオンが死んでしまえばスバルも道連れになるなんて結果になってしまうことがあれば、シャオン自身も今後の行動は慎重に行わなければならないだろう。

 

「話は終わったのかしら?」

 

 煩わしそうに少し離れた場所でこちらを眺めているベアトリス。その瞳には早く出て行けとでも言いたそうだ。

 

「おう、ベア子! 無事男同士の内緒話は完了したぜ! ナイスなお仕事であった」

「不名誉なのよ……いまベティのことなんて言ったのかしら!?」

 

 そんな彼女の心の中を知らず、サムズアップとともにベアリスに感謝の言葉を述べるスバル。だが対する彼女の視線は変わらず絶対零度そのものだ。

 

「ふん! さっさと出ていくかしら!」

 

 ついには堪忍袋の緒が切れたのかベアトリスの魔法で二人まとめて禁書庫から追い出されてしまった。

 

 

 前回と同じようにスバルとシャオンはロズワールに王都での功績に対して褒美をもらい、使用人としての立場などを確立した。

 シャオンも無事ロズワールに鍛えてもらうことを約束してもらい、保留の三個目の褒美までもしっかりと取り付けてきた。

 順調に進んで行っている。そう、思っていたのだが。問題は中庭での初めての授業で起きたのだ。

 

「……君、魔法だけでなく肉体も鍛えてみないかーぁい?」

「肉体、ですか?」

 

 ロズワールの予想外の申し出に質問に質問で返してしまう。

 

「一応私には武の心得も少しはある。君は気づいていると思ったけどね」

 

 確かにロズワールの身のこなしにはわずかながらに武心得があるような雰囲気があった。

 

「そこでぇ? 君には魔法以外も鍛えてあげようと思ってね」

「いいんですか?」

 

 力を得られるなら願ってもない申し出だが、ロズワールは仕事に追われて忙しい身だ。今でもだいぶ時間を割いてもらっているのにこれ以上縛ってしまってもいいのだろうか?

 

「なーぁに、基本的な鍛錬方法を教えてあとは君自身が時間を見つけて修行すればいいさ」

「……では、よろしくお願いします」

 

 なぜ、今までとは違う流れになってしまったのか疑問に思う。だが、断る理由もそこまでないし、これぐらいの逸れは影響しないだろうと判断しロズワールの申し出を快く呑んだ。

 

 

「ふぅ」

 

 湯気立つ浴場でスバルは大の字に浮かびながら、シャオンはその隣で一日目を振り返る。

 正直、すべて精細にトレースできたとは思えないが、大まかな話の流れは前回と同様のものを辿ったはずだ

 方針通りに前回の流れを踏襲し、そのまま勢いに乗れると判断したのはいいが、ロズワールの件とは別に、一つ予期しない問題が立ちふさがったのだ。

 それは、

 

「……あー、疲れた!」

「ははは、絶対仕事量増えてやがる」

 

 ラムが二人に課した仕事の内容だ。

 台所周りであったり、単なる部屋の掃除であったり、あるいは衣類の洗濯や片付けであったりしたそれらの仕事。前回のループでもこれらの内容に変わりはなかったが、問題はその難易度だ。

 業務の内容が二倍三倍に圧縮されたかのようにつらくなっていたのだ。

 

「特に今回の場合、戻った理由がわからねぇからな……」

 

そう、普通に寝て、起きたら戻ってしまったのが今回のパターンだ。

 死んで戻った前回の明解さとは違い、いつくるのか予想がつかない今回への対処法は考えるだけで骨が折れる。

 

「こんだけ違っちまうと、もう記憶は当てにならねぇのか……?」

「諦めんなよ。俺も原因考えてみるからよ」

 

思わず弱音をもらすスバルを励ます。

 するとスバルは気を取り直すように湯の中に体を沈めた。

 シャオンも熱いタオルを顔の上に乗せる。  

 慌ただしい勤労の中でまとめ切れなかった思考、がタオルが帯びている熱でどうにかまとまり始める

 

「ああ、落ち着くぜ」

「本当にな」

 

 スバルの隣で同意し、タオルを目の上から寄せると、

 

「――やぁ、ご一緒していいかい?」

 

 目の前に、変態(ロズワール)がいた。

 ――後悔した、タオルをとってしまったことに。

 当然、風呂場にいるのだから長身は全裸。貴族の嗜みか、それとも浴場に至るものとして当然の気構えか、腰のご立派様を隠す気配もない全裸。

 腕を伸ばせば届きそうな距離に全裸が立ち、風に揺れる”あれ”が一緒にこちらを見下ろしている。イチモツに見下ろされる感覚、それはひどく屈辱的で、

 

「貸し切りです、お断りします」

「私の屋敷の施設で、私の所有物だよ? 私の自由にさぁせてもらうよ」

「だったら聞かないでくださいよ」

「おや、手厳しい。使用人と弟子とたのしーぃい触れ合いをしたいのに」

 

 ロズワールは片膝を付き、湯船の中からじと目で見上げる二人に体を寄せる。それから伸ばした手で、顎を

くいっと、つまみあげる。

 

「そう、裸の付き合いでね」

 

 スバルは顎を摘まんだ不快な指先をわりと本気で噛み、シャオンはゆっくりと距離をとる。互いが互いの反応をとってロズワールから距離を取った。

 

「これはこれは手厳しいね」

 

 湯船の広さは目測だが二十五メートルプールの半分ほどもある。無意味に巨大なスペースは貴族の道楽趣味丸出しでセンスはないが、ゆったりとひとりでくつろいでいると無意味な支配感に浸れる優れモノだ。

 ただそれは前回の話だ。今回のようにロズワールと湯浴みの時間が重なることなど一度もなかった。それどころか魔法の特訓以外は彼の姿を目にすることはなかったほどだ。

 

「また想定と違う展開だよ……」

 

 特別入浴時間を変えたりはしていないので、変わったのは向こうの方ということになるのだが。なにか彼に入浴時間を変えさせる理由があったのだろうか?

 

「まったく、ほんのわずかにエミリアたんが恥ずかしがりながらも混浴しに来たのかと思ったのに」

「本当に欲望に忠実だーぁね……おっと、隣に失礼するよ」

 

 浮かぶスバルの隣に身を置き、ロズワールは湯船の中に沈むと長い吐息を漏らす。湯浴みの快感は世界共通、無言の意思疎通の賜物だ。

 自然に隣に寄り添う痩せぎすの体躯から微妙に離れつつ、スバルは警戒を解いたように体を伸ばしながら、

 

「んでもって、旦那様。ずいぶんと遅めの入浴ですね?」

「少々、仕事が立て込んでいてねぇ。片付けている間にこんな時間だ。」

 

 笑いながら疲れをアピールするように 肩を軽く回すロズワール。どうやら本当に疲れているらしい。

 

「もぉっとも、君達とこうして語らう時間が持てたのはとても喜ばしい。……初日はどうだったかな?」

「有意義に過ごさせてもらったよ。俺の体の各所の筋肉の話、聞きたいか?」

「最っ高に、無駄な時間を過ごすからやめてくれ」

 

 自身の筋肉をぴくぴくと動かしているスバルに割と本気で止めるように頼み込む。

その様子に苦笑しながらもロズワールは話をつづけた。

 

「ラムとレムはちゃんとやぁっているかな? 二人は屋敷で働いて長いから、後輩との接し方についても弁えてはいるはずなんだけど」

「レムりんとはあんましだけど、ラムちーとは仲良くしてんよ。むしろ、ラムちーはちょい馴れ馴れしすぎねぇ? 先輩後輩の関係だからとかじゃなく、俺がお客様の立場の時点から変わんねぇよ、あの子」

 

 確かに彼女の立ち振る舞いは同僚になる前と後では微々たる変化もない。恐らく、

 

 

「なぁに、足りない分はレムが補う。姉妹だから助け合わなきゃ。そういう意味じゃ、あの二人は実によくやっているよ」

「あまりいい言い方ではないですけど、聞く限りじゃレム嬢が万能型、ラム嬢は妹の劣化版って話ですが」

 

 あらゆる家事技能での優劣を、姉妹共々ではっきりと断言されているし、前回のループでも実際にその差は見てきた。

 あらゆる技能で妹に一歩及び二歩及ばない姉、普通に考えれば劣等感に苛まれひと悶着程度は起きそうだと思うのだが。

 

「聞いたら、『姉だからラムの方が偉い』って即答ときたもんだ。俺を見習って謙虚に生きてほしいものだぜ」

「神経の太さで言ったら、君もなぁかなかだと思うけどねぇ……でもそうか。そんな風に答えていたかい。それはそれは……」

 

 ロズワールはしみじみと首を振り、横目にスバルを見る。

 その感情のうかがえないオッドアイに見つめられ、スバルはかすかに身をよじる。しかしすぐにロズワールは破顔し、晴れやかな笑みを浮かばせた。

 

「ずけずけと踏み込んで、だいぶ遠慮がないねぇ。いーぃことだよ」

 

 含みはあるが、素直な感謝の言葉にスバルは照れたのか顔を背けた。

 

「俺ってなんでもそのまま受け止める性質だから皮肉言うとき気をつけようぜ? 学校で先生が『今すぐ帰れ!』とか怒鳴ると、本気で帰る奴だから」

「うわ、めんどくせぇ奴だ」

 

つまり彼は場の空気をかき乱して、最悪の雰囲気にする人間だと言っているのだ。

ロズワールはスバルの発言、そしてシャオンの反応に小さく笑う。

 

「皮肉でもなんでもないとも。実際、いーぃことだと思ってるよ。あの子らは少し自分たちだけで完結しすぎているからねぇ。君たちのように新しい風を招き入れればきっといい変化が得られると私は信じているとも」

「そんなもん?」

「そんなもんですともぉ」

 

 三人して湯船に首まで沈めて向かい合い、ぬくぬくとした感覚に全身をふやけさせながらぼんやりと感嘆を交換。

 それからふと、スバルは思い立ったように眉を上げた。

 

「そだ、ロズっち。ちょっと聞きたいことあんだけど?」

「慣れないねぇ、渾名。で、質問かい? まぁ、私の広く深い見識で答えられる内容なら熟考した上で構わないよ」

「自分、物知りですってそんな迂遠な言い方する奴を初めて見た。……それはともかくとして、この風呂ってどんな原理で働いてんの?」

 

 浴槽の底をこんこんと叩き、スバルはずっと思っていた疑問を口にした。

 シャオンたちの浸かる浴槽は、その材質を石材で固定している。触り心地は滑らかに磨かれていて、見た目のざらつく感じは実際にはほとんどない。風呂の場所は屋敷の地下の一角であり、浴場は男女兼用だ。

――浴場は男女兼用。つまりスバルの想い人であるエミリアも使っている。

 彼の性格、性癖から考え出たことが一つ。 まさかとは思いたいが念のために訊ねることにする。 

 

「……飲んだのか?」

「ば、馬鹿野郎! さすがに飲む前に気付いたわ!」

 

 飲もうとした事実は否定しないスバルに若干の引きを覚えたが若さゆえの過ち、ということで追及は避けることにする。

 

「ともあれ、その答えは簡単だ。でーぇも、ここでは私の教え子に答えてもらおう。このお風呂の仕組みはどんなものだい?」  

 

 ロズワールはウインクをしながらこちらに問う。シャオンに問いかけたということはこの問題は、魔法の授業を初日に受けた自分にも答えられるようなものだということだ。

 

「スバルくんも答えを考えてみるといい。案外、簡単な仕組みだーぁからね。当てられたらご褒美を上げよう」

 

 その言葉にスバルの目が輝き始める。

 

「うっし! その言葉は本当だなロズっち! 考えろ、俺。今こそ灰色の脳細胞を輝かせるのだ……」

 

 顎に手を当て、考えをまとめる。

 恐らく直接火で温めているわけではないはずだ。かといってこの世界にヒーターのような発達した電化製品があるわけがない。ならば、考えられる答えはある程度絞られる。

 そして、このようなお風呂は屋敷以外にも普及されているだろう。つまり誰にでも扱えるようなものが利用されている……ならば答えは一つだ。

 

「魔鉱石、ですか」

「なんじゃそりゃ?」

 

 見知らぬ単語が出てきて首をかしげるスバルをよそにロズワールに成否を問うと、

 

「せいかーい」

 

 ゆっくりと丸のポーズをとった。

 魔鉱石。ラムからもらった書物の中にあった単語で、原理などはわからないが属性などをその石に付加し、簡単な魔法を誰にでも使えるようにしたものだ。

 

「浴槽の底のその下に、火の魔鉱石を敷き詰めてあるのさ。入浴の時間になると、マナに働きかけて湯を沸かす、これも常識的なことだーぁよ?」

 

 料理の際に使ったヤカンとかもそういう原理なのだろう。前回の世界ではうまく扱えず、それっきりだったが今だったら普通に扱えそうだ。

 

「なんかさぁ、マナがどーたらって魔法使いじゃねぇとどうにもならねぇの?」

「そぉーんなことはないよ、ゲートは全ての生命に備わっているんだ、動植物もね……それより、精霊との接し方といい、今朝の朝食の場でのことといい、君はちょこぉっと不可思議なくらい常識に疎いねぇ。ラムもぼやいていたよぉ?」

「それは……育ちが良すぎたってことで」

 

 ぼやくスバルにロズワールは「ふむ」と考え事をするように顎に触れながら吐息。それから指をひとつ立てるとにんまり微笑み、

 

「よし、こぉこはひとつレクチャーしようか。少し無知蒙昧な君に魔法使いのなんたるかを教授してあげようじゃぁないの」

 

 そうしてスバルに対して魔法とは何たるかの教えが始まった。

 基本的には前回の世界でシャオンに教えたこととほとんど同じ内容になりそうなのでシャオンは聞き流しながら今回の”死に戻り”の原因を考える。

 まず一番に考えなければいけないことは”死因”だ。

 自殺、はないとして。考えられるのは他殺、病死、事故死ぐらいだろうか。

 もし病死だったらどうしようもないが……他二つだったらまだ対処はできるだろう。

 ――他殺の場合は誰が? 何の目的で?

 ――事故死ならば事故の要因は? 事故の規模は?

 考えなければならないことはだいぶ絞ったと思うがまだこんなにもある。まったく見当がつかない、まるで先の見えない霧の中をさまよっているみたいだ。

――やはり、タイムリミットまで待つしかないのだろうか。

 

「もぉちろん、私ぐらいの魔法使いになると、もう触っただけでわかっちゃう。ま、実際はゲートの構造に踏み込んで確認するんだけどねぇ」

「マジかよ! マジかよ! うわ、キタコレ、すげー期待度高いよ! シャオンもボーっとしてないで耳を澄ませてろよ?」

「ん? ああ」

 

 スバルの呼びかけに意識を思考から切り離す。どうやらスバルの属性を調べる流れになったらしい。 

 しかし、調べるためとはいえ、互いに全裸なのも忘れてゼロ距離に等しいほどまで近づく光景を見せられるのはいい気持ではない。その気持ちを察しているのかロズワールも苦笑いを浮かべながら、その掌をスバルの額に当てる。

 

「よっし、んじゃちょこぉっと失礼します。あ、痒いとこあったら言ってね」

「尻が痒い! けど自分で掻くよ! その分の労力も俺のリサーチに費やしてくれ! うおお、マジで震えるぜハート!」

 

 スバルの気持ちも少しはわかる。今だけはあらゆる不安材料を全て忘れて、目の前に広がるロマンそのものに思いを馳せていたいのだろう。

 恐らくそこには期待があり、夢があり、そして確信めいた感覚があるのだろう。

 唇の端を歪めた笑みは、三白眼の眼光と合わせるとやたらと好戦的に輝く。爛々と双眸を光らせ、ただ診察結果を待つスバル。そして、

 

「――よぉし、わぁかったよ」

「きた、待ってました。なにかな、なにかな。やっぱ俺の燃えるような情熱的な性質を反映して火? それとも実は誰よりも冷静沈着なクールガイな部分が出て水? あるいは草原を吹き抜ける涼やかで爽やかな気性こそ本質とばかりに風? いやいや、ここはどっしり悠然と頼れるナイスガイな気質がにじみ出て地とか出ちゃったりして!」

「うん、『陰』だね」

「ぶっ!」

 

 長ったらしく自身の持つ属性は何か予想をしていたスバルの考えを容赦なく粉砕するかのように伝えられた事実に思わず吹き出す。

 

「ALL却下!? つかそこ笑うなっ!」

「いや、だって……に、似合いすぎ……」

 

 強面顔に、適応する属性は陰というもの。 その様子が似合いすぎて想像するだけで吹き出してしまうのも仕方がないのだ。

 しかし当人はそんな気分にはなれず、耳を疑う診断結果が飛び出して、思わず悪い病気を告知されたような反応になってしまった。そして、実際になんかそんな感じの雰囲気になったままロズワールは重く口を動かし、

 

「もう完全にどっぷり間違いなく『陰』だねぇ。他の四つの属性とのつながりはかなぁり弱い。逆に珍しいもんだけどねぇ」

「つか、陰ってなんだよ! 分類は四つじゃねぇの? カテゴリーエラってるよ!」

「四つの属性を除いて『陽』と『陰』って属性もあるんだよ。どちらも珍しいものだからさ、そこまで落ち込むなよ」

 

 その極々わずかな可能性を引いた、ということらしい。

 そんな話を聞かされて、少々空回っていた気持ちも落ち着いてきたのだろう、スバルは不敵な笑みを浮かべる。

 

「ということは、なんか実はすげぇ属性なんだろ。五千年に一度しか出ない的な!? 他の系統では扱えない魔法が使えちゃう的な!?」

「そうだねぇ、『陰』属性の魔法だと有名なのは……」

 

 ロズワールの返答を子供のように目をキラキラと輝かせながら待つスバル。そして、

 

「相手の視界を塞いだり、音を遮断したり、動きを遅くしたりとか、それとかが使えるかな」

「デバフ特化!?」

 

 スバルの頭の中ではスゴイ魔法が使えるとか、闇の空間に敵を引きずり込んだりとか、そういう強力無比なのを期待したのだろう。

 異世界召喚されて、武力も知力もチート性能は与えられず、

 

「唯一の魔法属性はデバフ特化……」

「ちぃなみに見た感じ、魔法の才能は全然ないねぇ。私が十なら、君は四ぐらいが限界値だよ」

「さらに聞きたくなかった事実! もはやこの世には神も仏もいねぇ! いたとしたら、もちっと俺にやさしくしろよっ!」

 

 ロズワールの追い打ちにお湯を激しく弾いて絶望のアクション。大の字に浮かぶスバルを気の毒そうな視線が刺さるが、わりと本気で失意のスバルは反応する余裕がないようだ。

 ロズワールはそれでもどうにかスバルを励まそうと、

 

「まぁま、意外と便利だよ、陰系統。見られたくないことするときに他人からの視線をオフできるし、聞かれたくないことするときに音が漏れないようにもできるしぃ」

「なるほど、密談ってーか密会に特化してるわけだ。こいつはいいね、HAHAHA!」

「……それ、かっこいいか?」

「……」

「……」

 

 シャオンの一言にスバルはおろかロズワールまで口を閉ざしてしまう。

 

「……悪い」

「ゴホン……まぁ? 努力すれば伸びはすると思うよ?」

「そうだよなぁ。魔法、魔法か……デバフ特化と判明しても、やっぱり捨てるには惜しい。クソ、どうすれば」

 

 頭を悩ませるスバルに、しかしロズワールはあっけらかんと、

 

「使いたいなら教わればいーぃじゃない、シャオン君のように。幸い、『陰』系統なら専門家がここにはちゃぁんといるからね」

「そうか、なるほど、その手があったか! 魔法を教えてもらう、という口実が成立すればこの際、実際に魔法が使えるようになるかどうかはどうでもいい!」

 

 片手を天に、片手を腰に当て、水面を割りながら急浮上。水飛沫を上げて全裸が跳ね、そしてロズワールとシャオンの両者の視線を浴びながらポージングする。

 

「魔法のレッスンで意中のあの子に手取り足取り腰取りレッスン、よりどりみどりの放課後レッスン。そして互いに手に手を取り、明日に向かって舵を取り、やがて二人にコウノトリ! イェ!」

「流石にロリに手を出すのは俺が止めるぞ?」

 

 スバルの頭の中にはもはや前回の内容を踏襲しようという初目的が微妙に頭から消えている。しかし、

 

「ん? エミリアたんってそこまでロリ顔じゃなくね?」

 

 シャオンの指摘にスバルは疑問の声を上げる。

 

「……勘違いしてるみたいだから訂正するけど、『陰』属性の専門家はエミリア嬢じゃないぞ」

「なんでだよっ! 確かにエミリアたんにはそんな陰属性なんて黒いものに合わないと思ってたけど! ぶっちゃけ小悪魔エミリアたんを想像して興奮してたけどっ!」

 

 勢いを引きずったままロズワールに指を突きつけ、半ばキレ気味に叫ぶ。

 

「じゃ、誰だよ、お前か! 宮廷魔術師様か! 全属性ALL適正持ちの超エリートッスもんね! がっかりだよ!」

「いーや、違うよ」

 

 ロズワールは笑いをかみ殺しながらも否定する。

 

「ならお前か? シャオン! お前も俺と同じく陰なるものか!?」

「違うって」

 

 呆れながらも否定の言葉をシャオンは口にする。

 

「じゃあ一体――」

「ベアトリスだよ」

「もっとがっかりだよ!!」

 

 ばっしゃーん、と盛大に水飛沫を跳ね上げて、今宵最大の叫びが炸裂した。

 

 

 文句を垂れながら入浴所から外に出たスバル。そんな彼の去った方向を見て音を鳴らしてロズワールは笑う。

 

「まったく、彼は面白いね」

「あまりいじらないでくださいよ。突っ込むのも大変なんですから」

「そう? 意外とたのしそーぉに見えたけど」

 

 確かに彼の相手をするのは楽しいといえるだろう。だが、限度というものもあるのだ。特に、考え事をしているときや真面目な場面でやられてしまうと楽しさよりも鬱陶しさが勝る。

 

「あ、ちょうどいい機会なので聞きたいことが」

「うん? なんだーぁい?」

 

 ちょうど今日の業務でできた切り傷をロズワールに見せる。そして、その傷に軽く、拳をたたきつけて癒しの拳を発動する。

 拳を寄せてみるとそこに会った傷はきれいさっぱりと無くなっていた。

 

「この力、水の魔法の一種ですか?」

「――――」

 

 顔を上げて見るとロズワールは絶句していた。どうやら彼の知識にもなかったことらしい。やはり、この力は魔法とは違う別のものなのだろうか。

 

「……いーや、弟子の力になれなくて悪いけど私のひろーぉい知識の中にもそんな魔法はないねぇ」

 

 申し訳なさそうにロズワールは自身の知識が役立たなかったことを詫びた。

 いくら天才でも知らない物もあるのだ、ならば仕方ない。そう思ってシャオンも浴槽から出ようとすると、呼び止められた。

 

「……待ちたまえ、シャオン、君に話がある」

「……なんです?」

 

 真剣な表情でこちらを見るロズワールにいやな予感を感じながらも応じる。先ほどこちらの質問に答えてくれたのだ、断ることはできないだろう。

 浮かした腰を再び湯船に戻す。

 一体どんな爆弾が彼の口から投げられるのか不安に思いながら待っていると、彼の口がゆっくりと開き、

 

「ヒナヅキ・シャオン。――エミリア様の騎士になるつもりはないかい?」

「――はい?」

 

 そう、口にしたのだ。

 

 




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襲来

今回風邪気味の中執筆したので荒いかもしれません


 指を鳴らし、もう一度ロズワールは言葉を繰り返した。

 

「もう一度言うよ? ヒナヅキ・シャオン。君はエミリア様の騎士になる気はあるかい?」

「それは、どういった意味ですか?」

 

 言葉の意味が分からず、失礼にあたるが、質問に質問で返してしまう。だが、相変わらずロズワールは気分を害された様子はなく、うっすらと笑みを浮かべている。

 

「そのままの意味だーぁとも。今回ばかりは何の含みもない、エミリア様を守る騎士になってほしい」

 

 騎士、というのはやはりあの騎士だろうか。物語などに出てくる甲冑を着込み、剣を携え戦うあの騎士。少年にとってのあこがれのような存在。なおさら自分とはかけ離れたものだろう。

 

「君が先ほど見せた人智を外れたような能力、乾いたスポンジのようにどんどんと知識を吸収していくその才能。それに? エミリア様の話じゃあまだ何か隠しているようじゃーぁないか?」

 

 隠しているものというのは恐らく不可視の手についてだろう。

 盗品蔵でエミリアの前で使った不可視の手、その存在をあまり明かしたくはない。

 あの能力は強力だ。中でも、不意打ちに関しては他の追随を許さないだろう。しかし、その存在を知られているのならば不意打ちの成功率は大幅に下がってしまう。なので、できればその詳細は隠していたいのだが……

 その不安を察したのか、ロズワールは小さく笑う。

 

「別に、それを暴こうとはしないかーぁら、安心していいよ。それより、どうだい?」

「……ほかに、適任がいるでしょう」

 

 シャオンの頭の中に、三白眼の少年。ナツキスバルの顔が思い浮かぶ。

 ほかの人物ならまだしもエミリアの騎士となるには彼ほどの適任はいないだろう。ロズワールも同じ人物を想像したに違いない。

 だが、彼はシャオンの意見を否定するように小さく首を横に振る。

 

「彼は、弱すぎる。」

 

 鋭く、冷たい、だが覆ることのない事実をロズワールは口にする。

 ナツキスバルは、確かに弱者だ。そこらにいるごろつきにすら無残にやられるだろう。物語に出てくる騎士ではなく、村人などのわき役のほうが似合っているかもしれない。

 だが、

「――お断りします」

「理由を訊ねてもいいかい」

 

 まるでシャオンがそう答えるのがわかっていたかのように、大して驚きを表には出さず、ロズワールは理由を問う。

 

「確かに騎士としての強さ、才能などは私のほうがあるかもしれません」

 

 事実、スバルにはシャオンのように不可視の手や癒しの拳などの戦闘に役立つ特殊能力はなく、また魔法の才能もほとんどない。

 かといって特別力が強いわけでも、頭がいいわけでもない。本人も認めている通りないない尽くしの人間と言える。百人に聞いても恐らくは全員が向いていないと答えるだろう。

――それでも、

 

「――それでも、彼女を思う気持ちは、スバルには到底及ばないと、自負しておりますので」

 

 シャオンにはエミリアを、たった一人の女性を助けるために命を懸けるほどの勇気はない。

 それはシャオンにとってスバルを尊敬する大きな理由の一つだ。

 

「なーぁるほど、よくわかった」

「ええ、それでは――」

 

 納得したようなロズワールの言葉に会話を切り上げ、今度こそ湯船から出る。そんなシャオンに向けてロズワールは一言、

 

「もしかーぁして君は、スバル君に嫉妬している?」

「……失礼します」

 

 その問いに振り返らず答え、わずかに足を速め入浴所から出ていく。

 歩みの中、ロズワールの言葉が頭の中で反響する

 

『嫉妬している?』

 

 嫉妬。それはシャオンが一番嫌う言葉だ。

 嫉妬する側も、される側も誰の得にもならない。なぜ存在しているかもわからない感情だ。

 

 

「……ちっ」

 

 今のシャオンは苛立ちが心の中で沸き起こり、感情を爆発させないように唇をかみしめることで精いっぱいだった。

 ――だから、不敵な笑みを浮かべながら浴場の外を眺めていた彼の姿に気づかなかった。

 

 

「また、違う展開か」

「どうしました、シャオンくん」

 

 首をかしげながらシャオンの独り言に反応するレム。それに対して、ただ何でもないと答える。実際は何でもないわけはないが。

 一度目の世界ではラムが魔法についての勉強を手伝ってくれた。しかし、現在の世界では彼女の妹であるレムがその役割を担っている。

 まったく同じ展開になるようにするには同じ行動をする。いい作戦だと思ったが、そこまで世界は簡単にはできていなかったようだ。

 

「いーや、世の中うまくいかないもんだなぁと」

「はぁ……? とにかくロズワール様から魔法の座学のお手伝いをするようにと”申しつけられまして”」

「ふーん、ラム嬢は? レム嬢よりもまぁ……暇だろ?」

 

 流石になぜ前回とは違う動きをしているのかなどと聞くことはできないので遠まわしになぜラムが来ないかを聞き出す。すると彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、小さな声で答えた。

 

「姉さまは……スバルくんの勉強のお手伝いを」

 

 この出来事も、一週目の世界では起きなかったことだ。

 

「……シャオンくんはスバルくんとどういうご関係で?」

「どういうって」

 

 確かに、彼と自分はいったいどういう関係なのだろう。

 改めて考えると彼と自分は関係が浅い。年齢も違い、歩んできた人生も違う。だが、赤の他人で済ませられるような関係ではないだろう。

 

「王都で偶然であった同郷同士?」

「それだけ、ですか?」

 

 拍子抜けしたとでも言いたそうな表情にこちらとしても何も言えない。

 

「なぜ、王都に?」

「うーん、流れるままに?」

 

 馬鹿正直に異世界から召喚された、などといえば妄言を言う不審者と思われるだろう。ただでさえレムは他の人よりもシャオンたち二人を疑っているきらいがある。

 

「貴方は――」

「レム嬢ってさ、スバルのこと苦手?」

 

 続けて質問をしようとするレムを遮り、逆にこちらから問いかけた。

 唐突なことに彼女は一瞬、驚いていたがすぐに答えた。

 

「そんなことは――いえ、そうですね」

「否定しないんだ」

「そこまで確信を持った目で見られたら隠し通すことはできませんから」

 

 そんなつもりはなかったのだが、彼女にはそう見えていたらしい。ならば否定せずにそういうことにしておく。

 

「……嫌う理由を聞いても?」

(にお)い、です」

「そ、そうなの?」

 

 予想だにできなかった解答に驚きを隠せない。

 臭い、というのは体臭と言う意味だろうか。だとしたら香水でもつけろとしか対策が思いつかないのだが。

 しかし、

 

「そんなに臭いのか?」

「ええ。あんな魔女の臭いがする輩、姉様を傷つけたそんな存在がこの屋敷にいるだけでレムは、怒りでどうにかなってしまいそうです」

「レム嬢?」

 

 笑いながらのシャオンの言葉にレムは憎悪が込められた声で答える。

 

「姉さまも、ほかの誰もが気づかなかったとしても! レムは、レムだけはその臭いに気付きます! 決して償われることのない、咎人の臭いに!あの日の惨劇を忘れはしません!」

 

 彼女の口から告げられていく怨嗟の声。それはだんだんと強くなり、声だけでなく目も鋭くなっていく。

 

「ロズワール様から命じられ、仕方なく監視をするようになりましたが、一日目でもう辛いです。もう、この怒りを抑えられません」

「レム嬢、落ち着いて」

 

 拳から血が出るほどの力で握りしめるレム。シャオンの言葉すら耳に入っていないようだ。

 

「姉さまをあんな目に合わせた、私の幸せを踏みつぶした輩がまたレムと姉さまの大事な居場所を壊そうとする! そんな輩を視界に入れているだけで吐き気がする!」

「レムっ!」

「っ!」

 

 レムの肩を揺らし、無理やり意識を現実に戻す。すると申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「……すいません、取り乱しました」

 

 謝罪の言葉を口にするが部屋に流れる微妙な空気は変わらない。

 

「……お前がどれだけスバルを苦手としているかはわかったよ。でもな、できればだけどあいつをその”臭い”とやらだけで判断しないでやってくれ」

 

 頭をかきながらのシャオンの言葉にレムの眉がピクリと動く。

 

「別に人を嫌うのをやめろとは言わない、人には苦手な奴が何人かはいるだろうからな。でも俺とスバルは――まだ君たちとあって一日しかたっていない。それなのに、内面を知らずに嫌うのはそう、もったいなくないか?」

「もったい、ない?」

「そう。だって外観からじゃわからない魅力があるかもしれないんだぞ? それを知らないで敵意を向けてかかるなんて損だとおもうけど?」

「そう、なんでしょうか?」

「そうそう。ロズワールさんだって見た目はあんなんだけどすごく頭がいいし、鋭い」

「確かに……そうですね」

 

 先ほどまでの表情は嘘のように笑みを浮かべるレム。部屋の中の雰囲気もだいぶましになったようだ。

 

「ちなみに、俺からはする? その……魔女の臭い」

「いえ、まったく」

 

 それもそうだ。もしもしていたら彼女がここでそんな話をすることもないだろう。

 

「すみません、シャオンくん。勉強の時間なのに変な質問をしてしまって」

「いや、大丈夫」

「その代わり今日はびっしりとお付き合いします」

 

 やる気が満ちた瞳で数冊の分厚い書物をシャオンの前に重ねていく。下手をすればこれらを終えるころには夜が明けてしまうかもしれない量だ。

 

「お、お手柔らかに」

「お断りします」

 

 にっこりとした笑みはまるで、悪魔のようだとシャオンは感じた。

 

 

 それからは予定通りに進まなかった一日を除いて、順調に同じ経路をたどっていた。

 相変わらず仕事の内容は増していたが、それ以外にはイレギュラーが発生していない。スバルの方も初日以外は何事もなく進んでいたようだ。

 そしてスバル自身もこの世界の言語を必死に覚えようと努力しているらしい。まだまだ時間はかかりそうだが。

 

「そして結局また出会うのか」

「ぐわあああ、やーらーれーたー」

 

 苦笑いを浮かべながら目の前で行われている寸劇を眺めている。劇の内容は騎士が悪い敵を倒すといった王道物のようだ。

 

「ここにわるものはたおれた! せかいはへいわになったのだ!」

 

 現在シャオンはラムと共に買い出しで村に訪れていた。勿論、前回同様アリシアに出会うためだ。しかし、ラムが離れていってから彼女を探していると子供たちとの演劇に参加しているのを発見したのだ。

 

「うー私がやられても第二第三の私が――」

 

 主演は村の子供。お決まりの台詞を口にしながら倒れていく悪役を演じるのは金髪の少女、アリシアだ。

 劇も終盤に差し掛かり、悪者にとどめを刺した勇者が剣を掲げ勝利を宣言している場面だ。

 

「見てた? ぺトラ!」

 

 少年は自身の活躍を想い人に見てもらいたかったようだが、

 

「はい、花冠の出来上がりだよ」

「きれい……」

 

 肝心の姫様は劇には見向きもせず小さい子に花冠の作り方を教えているだ、あの恋が実るのは難しいだろう。

 そんな項垂れる少年にアリシアは近づき肩を一叩きする。

 

「あー、少年。強く生きるっす」

「うぅ、アリィつらいよー」

 

 こちらの存在に気が付くまではまだ時間がかかりそうなのでそんなやりとりを眺めながら、シャオンは昨夜のやり取りを思い出していた。

 

「レムは、監視と言っていたな……」

 

 やはり、自分たちはロズワールに疑われているのだろう。

 そして、監視役はレムだけでなくラムもだろう。

 別に怪しむのは予想通りなので気にはしない。だが、もしこちらを疑っているならば一つ気になった事がある。それはロズワールがシャオンを騎士になるよう勧めたことだ。

 シャオンとスバルは怪しい人物。そんな人間にいずれ王になるかもしれない者の騎士になるよう誘うだろうか?

 

「考えても仕方ない、か」 

 

 いつまで考えても答えは見つからず堂々巡りだ。なので現在するべきことを整理することにする。

 まずは、アリシアを雇わせることだ。 

 正直、彼女を屋敷に招き入れるかどうか悩んだ。情抜きで考えれば彼女の怪しさは一番であり、彼女を引きいれることでシャオンに対する警戒も増すだろう。考えれば考えるほどこちらにとってはデメリットしか出ない。

 だが、今回の世界では出来るだけ前回の再現をすると決めたのだ。主要人物の不足など、許してはいけない。

 前回と同じようにアリシアをロズワールに出会わせ、三度目の報酬を条件に彼女を屋敷で雇わせ、そして、同じ部屋に泊まらせる。ただし、そこで眠りにつかずスバルの部屋に向かう。

 これが今日のシャオンが果たすべき目標だ。

 

「あのー、そろそろいいいっすか?」

「はい?」

 

 考え事をしていたからかいつの間にか近くにアリシアが来ていたことに気づかなかった

 

「にいちゃんへんなかおしてかんがえてたー」

「うさんくさいー」

「くさいー」

「縮めてそこだけ言うのはやめてくれないかな? 意味大分変わってきちゃうから」

 

 一緒についてきただろう子供たちの笑いながらの罵声を軽くたしなめながら、アリシアに顔を向ける。

 

「それで、話って?」

「実は――あたしを雇ってほしいっす!」

 

 息を吸い込んで大声で、そう前回と同じ宣言をした。

 

 

「だめだーぁね」

 

 ロズワールがいる執務室にその部屋の持ち主である彼の声が響く。

 

「え?」

「聞こえなかったかぁい。私は彼女の雇用に反対すると言ったんだ」

 

 止まってしまった思考を再び回転させる。特別に変な行動はとらなかったはずだ。しかし彼の返答はアリシアの事情を聞いても揺るぎのない否定の姿勢のままだ。

 

「……風呂での一件、断ったからですか?」

 

 しかしロズワールは首を振る。

 

「違うよ。ただ、彼女を迎え入れるメリットが少なすぎるからねぇ」

 

 前回はそんなことはなかったはずだ。またイレギュラーか。

 

「三つ目の報酬として――」

「それとこれと話はべつだーぁあよ、あれは君に対してのものだ。君以外の願いを聞き入れることに使われるならそもそもの権利をなかったことにさせてもらおーぅか」

「でも前回の――」

「前回?」

「――なんでもない、です」

 

 焦りすぎて、つい口が滑ってしまった。彼らは死に戻りについて知らないのだ。今そのことを説明しても何の意味もない。

 

「シャオン、いいっすよ」

 

 不穏な雰囲気を察したのか肩をたたき、すまなそうに笑うアリシア。

 

「話だけでも聞いていただき、ありがとうございました。ロズワール辺境伯」

「雇うことはできないが、一晩だけならこの屋敷に泊まってもかまわない。もう日は落ちてきている」

「ロズワール様、それは流石に危険では?」

 

 ロズワールの提案にラムが意見する。だが、その意見を否定するように大きく扉が開かれ、

 

「いいんじゃないか?」

 

 恐らく話を外で聞いていたであろうスバルが親指を立てながら入室してきた。

 

「……バルス、入室を許可した覚えはないわ。出ていきなさい」

「細かいことは気にすんなよラムちー俺とお前の仲だろ?」

 

 睨みを聞かせるラムをスバルはへらへらとした笑みで受け流す。

 

「構わないよ、別に聞かれちゃ不味い話ではなかったしね」

「さっすが話がわかるぜ、ロズっち」

 

 主から言われてしまっては何も言えず引き下がるラム。

 

「部屋はどうするんだい? 客間は開いているけども」

「そこで提案があります。シャオンとアリシアを同じ部屋泊めればいい」

「ほぉ?その心は?」

「別に俺が恋のキューピットとなってこいつらの仲を取り持つなんてことはしないし、できそうにない。残念ながら俺の恋愛経験を参考にしてしまうと大変なことになるし、むしろ現在は俺の方がキューピット募集中」

 

 別に彼女に対してそんな感情は抱いていないのだが、今は何も言わずに成り行きを見守ることにする。

 

「バルスの恋愛経験なんて当てにしたところで痛い目を見るのは火を見るよりも明らかなのはわかるわ」

「そこ、おだまりっ! あー、こいつの実力は俺だけじゃなく、エミリアも、あのパックも保証する。なんたってあの腸狩りを相手に生き残っただけじゃなく返り討ちにしたんだからな。つまりは、シャオンが彼女の見張り役に適しているんじゃないかって話」

 

 その言葉にロズワールは数秒考え、目を開いた。

 

「いいだーぁろう。では、部屋に案内して差し上げなさい。シャオンくん」

 

 そうして予定とだいぶ違ってしまったがタイムリミットであろう五日目に前回の世界とほぼ同じ条件で迎えることができたのだった。

 

 

 

 一度目と同じようにシャオンの部屋にアリシアを入れ、のんびりと話をする。変化があったことと言えば彼女の表情がわずかに硬いのと、服装が給仕服ではないことだけだろうか。

 

「これからどうするんだ?」

「とりあえずは勘に任せて進んでみるっす」

「食糧、もらえるように伝えておくよ」

「ああ、それは助かるっす」

 

 彼女は軽々しく言っているがそれはとても大変なことだ。しかし自分ができることはもうほとんどなく、できたとしても彼女の旅の手助けぐらいだろう。

 

「さて、そろそろ眠るっすか。シャオンも明日早いんすよね?」

「ん? まぁ」

「だったらもう床に就くことにするっす! あ、悪いけどベットは借りるっすよ」

「抜け目ねぇな。ほんとに」

 

 彼女のその性格に笑っていると、異変を感じた。

 

「――なんだ、このにおい」

「え? 臭うっすか?」

「いや、お前じゃない。この臭いは――」

 

 くんくんと自身の体に鼻を押し付けているアリシア。

 だがこの臭いは体臭ではない。錆臭い、あの盗品蔵で嫌になるほど嗅いだあの臭い――血の臭いだ。

 それにかすかなアンモニア臭に、鼻の曲がりそうな獣臭さが混じった臭いがシャオンの鼻腔を通り抜け肌が粟立つ。

 恐らく、臭いの発生場所は……二階の、スバルの部屋辺りだろうか?

 幸いにもここからはそこまで離れている距離ではなかったはずだ。今から走って向かえば数分とかからずにたどり着くだろう。

 引き出しを開け、とあるものを取り出す。

 

「なんすか? それ。手甲?」

「ロズワールさんのおさがりだってよ……早速使うことになるなんてな」

 

 初日に魔法以外にも鍛えると言われてから渡されたものだ。かなり年季が入っているらしいが手入れは怠っていないようで欠けや罅などは入っていない。

 それを両手に装着し部屋の外に出ようとする。

 そこで気づく、

 

「なんで、こんなにはっきりとわかるんだ?」

 

 シャオンは特別嗅覚が優れている訳ではない。

 いや、そもそもここまでわかることができるなど人間業ではない。まるで、獣の鼻にでもなったようだ。

 

「ちょっ! 大丈夫っすか!?」

「え?」

 

 アリシアの焦る声と共に鼻から熱い液体が流れ落ちてきたのを感じる。慌てて手で押さえるとそこには赤い液体が付着していた。

 恐らく急に刺激臭を嗅いだから粘膜が溶けたのだろう。わずかに感じる痛みに顔をしかめながらも鼻血を拭う

 そして一つ考えが浮かぶ。――これは、能力ではないか?

 不可視の手や癒しの拳のように異世界に来てシャオンが使えるようになった能力。それとこの鋭い嗅覚はなにか関係しているのかもしれない。そしてこの鼻血は、副作用といったところだろうか。

 なぜ自分にこのような能力が宿っているのかはわからない。だが、一つ仮説が立てられるかもしれない、今はそれどころではないが。

 

「……アリシア、ついてきてくれ」

「――了解っす」

 

 シャオンの表情から何かただ事ではないことが起きているのだと判断したのかアリシアは小声で応じる。

 音を立てない様に静かに扉を開く。頭をわずかに出して外の様子を伺うが、いままでと何ら変わりのない、静かな廊下だ。特別荒らされた形跡はなく、何者かの気配を感じることもない。体を完全に廊下に出してもそれは変わらなかった。

 だが確かに感じる異臭が、なにかが起こっていることをシャオンに知らしめていた。

 

「なにもないっすよ?」

「……気のせいだったか? でも確かに異臭が――」

 

 警戒をしながら周囲を見回すがやはり、人影も物音すらしない。

再び臭いの出所を確かめようと鼻を動かすと――獣の臭いではなく”血”のにおいが頭上から漂ってくるのを感じた。

 

「アリシア! よけろ!」

 

 シャオンの言葉にアリシアは反射的に飛びのく。

 直後、先ほどまで彼女がいた位置に巨体が押しつぶすかのように飛び降りてきた。

 

「何事っすか!?」

 

 彼女いた場所には鋭い爪痕が残っており、敷いてある絨毯が裂かれ床が見えていた。

 

「なんだよ、こいつ」

 

 目の前に立つ魔獣は獅子のような猫科の猛獣の頭に、胴体は馬か山羊のような細くしなやかなシルエットをしていた。

 長い尾はうねっており、その図体は広い通路を塞ぐ程馬鹿でかく、アリシアとシャオンとの前に壁のように立ちふさがる。

 そして目の前の獣は一撃で仕留められなかったことに怒りを感じているのかその鋭い瞳でこちらをにらみつけていた。

 

「魔獣っすね……しかも」

 

 できるだけ獣から視線を外さない様にしながら、アリシアは首をわずかに動かし背後を見る。

 

「お仲間さんも、腹を空かせているらしいっす」

 

 アリシアの視線の先には数匹の別種類の魔獣が歩み寄ってきていた。飛びかかってきた獣よりは数段小さいが、同じように角が生えた狼にも似た獣だ。

 

「ロズワールさんたちは気づいているのか?」

「わかんないっす、魔獣には気配を消して動ける奴らも多いっすから。でも気づいていないわけはないと思いたいっすね」

 

 そもそも、この屋敷には実力者が多い。気づかないということはないだろう。

 あえて無視しているのか、はたまた何か細工があるのか。

 

「考えるのは後っすよ!」

 

 アリシアの叱咤に現在の状況を対処するほうが先だと気づく。

 

「そうだな。アリシア、そっちは一人で戦えるか?」

「そっちこそ大丈夫なんすか?」

 

 気遣うような声にアリシアは不敵な笑みと挑発じみた返答で答える。それに対抗してシャオンも不敵に笑う。

 

「これでも修羅場はくぐってきたよ」

 

 文字通り、三度も死んだ。などと口にはしなかったがその言葉が嘘ではないとわかったのか彼女は「頼もしいっすね」と一言。

 

「そうっすか、なら――」

 

 痺れを切らしたのか、一匹の獣がアリシアめがけ飛びかかってきた。そのまま少女の喉笛を噛み切ろうと飛びかかる。しかし、彼女は、

 

「背中は任せたっす」

 

 飛びかかってきた獣を迎え撃つように、拳を振り抜いた。

 爆発音にも似たような轟音と共に、その拳は獣の鼻頭を芯で捕らえ勢いを殺さずに貫く。そしてあまりの衝撃に獣の首は折れ曲がり、数メートル先まで吹き飛んでそのまま闇の中に消えていった。

 華奢な体からは想像できないその豪快さに、

 

「……女の子らしくしろよ」

「親父と同じこと言わないでくださいっす! うりゃ!」

 

 引き気味に注意すると彼女は拗ねたようにぼやき、そしてまた別の獣に拳をたたきつけていた。

 

「さて」

 

 彼女から視線を戻し、前を向くとシャオンが担当するであろう巨体の獣は舌なめずりをしながら歩み寄ってきていた。圧倒されそうな大きさから改めて異世界の獣なのだと実感させられる。だが、

 

「こっちもやりますか」

 

 臆するころはなく拳を構え、シャオンは獣を迎え撃ち始めた。




感想やアドバイスがあったらご連絡を。















――憤怒、レベル3
――怠惰、レベル2
――暴食、レベル1


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禁忌

「うらっ!」

 

 獣が放った一撃を姿勢を低くし避ける。そして、逆にがら空きとなった獣の腹をめがけて拳を突き上げた。

 

「ぐっ!」

 

 無理な体制で拳を放ったからか、肩に鈍い痛みが走る。さらに、手甲越しでも動物の骨が腕に突き刺さる感触に顔を歪める。

 肉弾戦は不利と考え、転がるようにして距離をとる。

 

「エル、フーラっ!」

 

 マナを目の前の標的に向かって風の刃に変え、解き放つ。

 放たれた魔力の塊は、初日にロズワールから教わった際に放ったような不完全なものではなく、しっかりと形作られた風の刃が獣の腹を、顔面を浅く、だが確実に切りつける。

 魔獣は悲鳴を上げ、確実な敵意を持ってシャオンをにらみつける。思わぬ反撃を食らって奴なりのプライドというものが傷つけられて怒りを覚えたようだ。

 

「よしっ」

 

 致命打には到底及ばないものだが確実に攻撃は通ったようだ。ならば魔法を使っての攻撃ならば勝機はあるかもしれない。

 

「っていってもマナの量を考えないと」

 

 ロズワールとの特訓で注意されたこと、それは魔法使用時のマナの残量についてだ。

 彼曰くシャオンはマナの量は劣ってはないが、そこまで優れているものではないらしい。具体的にどれぐらい魔法を使えるかの見極めはまだできていないので自身の体調で推し量るしかない。

 本来だったら魔法ではなく不可視の手を使用したいのだが、問題点がある。それは副作用(・・・)だ。

 不可視の手の副作用は睡眠作用、使用すればするほど疲労感を伴って睡魔が襲ってくるものだ。

 限界を試したことはないが数回程度だったら強制的に眠りにつくことはないだろう。しかし、今の時間帯は夜の帳が降りきったともいえる時刻だ。

 日中に仮眠などができていたのならばまだしも屋敷の激務に追われそんな暇はなかった。なので一度や二度使用すれば生理現象に逆らうことができずに眠ってしまうだろう。 

 不可視の手は当たれば。芯に当てることができれば魔獣の息の根を止めることなど造作もないことだろう。だが、避けられたらそこでシャオンは魔獣の餌。所謂ハイリスクハイリターンというものだ。

 なので確実に当てられる状況に追い込んだ状況でなければ魔法を使って対処する必要がある。

 恐らく大量のマナを使うだろう。最終手段としては命を削る”オド”の使用も考慮しなくてはいけないかもしれない。

 

「オドは……いざとなったらだけど、な」

「そんなことしなくても魔鉱石をいくつか渡せるっすよ」

 

 話を聞いていたのかアリシアはガントレットに開いている穴から色鮮やかな石、魔鉱石を数種類取り出しこちらへ向かって投げる。

 渡されたのは赤と緑色の輝石、火と風の魔鉱石のようだ。

 

「……そこに入れてんのか」

「必要っすからね――っと」

 

 会話に割り込むかのようにアリシアに魔獣の牙が襲い掛かる。

 しかし彼女は身を引いて避け、逆に魔獣の顔面を勢いよく蹴り上げる。

 蹴り上げられた魔獣は情けない悲鳴を上げ、一度天井に体をぶつけた後動かなくなった。だが、いまだに魔獣の数は増えているようで、まだまだ戦闘は続きそうだ。

 

「――ッ!」

「あぶねっ!」

 

 目の前の魔獣はシャオンの体を吹き飛ばそうと 尻尾を鞭のようにしならせ薙ぎ払う。

 視線を後ろに向けていたシャオンは何とか回避する。そして、流れるように壁を蹴って魔獣の頭上を取る。

 シャオンの姿を追おうと標的が顔を上げた瞬間、

 

「ゴーア!」

 

 火の魔法を放つ。

 小さな、けれども触れただけで肌が焼けそうなほどの火球が魔獣の顔面に衝突する。先ほどよりも大きな悲鳴が響き渡る。当然だ、顔面に火球を当てられたのだから目の水分が乾き、激痛が伴うだろう。

 だが、これで終わりではない。

 

「味わえよ?」

 

 すかさずアリシアからもらった魔鉱石を投げつける。到着地点は――魔獣の口の中だ。

 

「――ッ!?」

 

 突如投げ入れられた異物に驚きを隠せない魔獣。しかし異物の正体を知ると慌てて吐き出そうとする。やはり普通の動物と違って幾分知能が高いのか、はたまた本能的行動なのか。どちらにしろもう遅い。 

 イメージするのは燃え盛る炎、そして吹き荒れる嵐だ。

 脳内で浮かばせたイメージを保ちながら、魔鉱石に遠隔でマナを働きかける。すると、

 

「――――ッ」

 

 魔獣の口内で大きな爆発が起きた。

 目をつぶるほどの光と共に魔獣は悲鳴を上げる。

もっとも口内が傷つけられたのだから声になっていないようなものだったが。

 

「どうだ、こんちくしょう……うぇ」

 

 強化された嗅覚によって獣の肉が焼け焦げた臭いがシャオンに襲い掛かり、思わず胃の中身を吐き出してしまう。

 

「っと、えづいている場合じゃない」

 

 流石に今ので倒れたとは思わない。運が良ければ気絶しているかもしれないが。

 口元についた胃液を拭い、煙の先を見ようと目を凝らす。そして、あるものが目に入った。

 

「……宝石?」

 

 それは魔鉱石によって焼き切られた魔獣の舌、正確には魔獣の舌の裏に位置する部分にあった。

 赤黒い肉の中に一つだけ碧色の輝石が埋め込まれていたのだ。

 詳しく見てみようと床に落ちた舌へ手を伸ばす。その瞬間、

 

「――ッ!」

「――がぁっ!」

 

 煙の中を忍び寄っていた魔獣によってわき腹に強い衝撃が加えられ、踏みとどまることができずに壁に叩きつけられる。

 その威力に肺の中の空気すべてが吐き出される。

 ゆっくりと床に落ちると骨の折れたような音が聞こえた。いや、実際に折れているのだろう。

 呼吸をするたびに痛みが走り、口から血があふれ出る。 

 急いで癒しの拳の使用を試みるが、腕が動かない。

 どうやら先の一撃で関節が外れてしまったようだ。無理やり動かそうにも痛みで動きがつい止まってしまう。

 

「ぐふっ!」

 

 そうこうしている間に魔獣の次の一撃がシャオンを襲う。

 

「くそっ……っ!」

 

 シャオンは今の一撃で虫の息だ。

 だが、魔獣の怒りは収まることなく、攻撃は続く。鋭い爪で腹を抉られ、押しつぶすかのように全体重を乗せた一撃でシャオンに体当たりを浴びせる。

 

「シャオン! このっ!」

 

 遠くからのアリシアの声と共に小さな炎が飛来し、魔獣を吹き飛ばす。

 どうやら彼女は近接だけでなく遠距離戦も十分にできるらしい。

 ボロボロの体になりながらも、そんな風に周囲に思考を回せるほどシャオンは落ち着いていた。理由は簡単だ。自分の命はもう持たないだろうと理解していたからだ。

 何度かの死を体験したからわかる。この感覚は生と死の境界線を越えてしまった感覚だと。

 うっすらとみえる視界にはアリシアの傷だらけの体が映る。どうやら彼女はもう一種類の魔獣の群れを退治できたらしく、今はシャオンを助けようとこちらに向かってきているようだ。

 だが、そうはさせないと吹き飛ばされた魔獣がすぐにこちらに戻り、彼女に襲い掛かろうとする。

――ああ、それは情けない。

 互いに大口をたたきあったのに、自分だけが役割を果たせないのは情けない上に身をも挺して手助けされるなんて。

 そんな考えから一つの決心が生まれる――こいつだけは殺すと。

 

「不可視の、手ぇぇぇ――ッ!!」

 

 震える体を無理やり立たせ、絶叫と共に一つの大きな腕を、不可視の手を発動させる。

 目の前の獣にはそれを視認することはできず、怒りに燃えているその顔を容赦のない一撃が穿った。

 あまりの威力に、獣の顔面には大きな穴が開き、空気の抜ける音と共にそこから粘り気のある赤黒い血が噴き出す。

 あふれ出るそれを受け止めるものはなく、流れに逆らわずに滴り落ちるそれは絨毯を赤黒く汚し、血だまりを生み出していく。そして、

 

「――ざまぁ、みろ」

 

 崩れ落ちていく亡骸に覆いかぶさるように、血だまりに飛び込むかのようにシャオンの体も倒れる。

 もともと体には限界が来ていたのに意地だけで意識を保っていたのだ。それに標的を撃破したことによる安堵感が加わったことから緊張の糸も限界が来たのだろう。

 

「シャ――ン、大――っすか!?」

 

 アリシアのこちらを心配する声が聞こえる。だが、その言葉に反応する力は生憎と残ってはいない。

――すまない。

 心の中で彼女に謝罪の言葉を口にし、目を、閉じた。

 

 

 目が覚めてシャオンの前に広がる視界は見覚えのある天井、ロズワール邸のものだ。

 小鳥のうるさいほどの囀りと、カーテンから漏れる光が朝だと嫌でも知らせてくる。しかし、

 

「さて、と。これはどういうことだ?」

 

 ループの始まりはいつも双子が起こしに来ていた。しかし、今回の世界では二人はおろか、エミリアもスバルの姿すらもなかった。

 

「……ループから抜け出せた?」

 

 だがその希望的観測を打ち砕くかのように部屋の扉が開き、声がかけられた。

 

「お客様、お目覚めになられましたか」

「お客様、お体の調子は大丈夫なのかしら」

 

 ”お客様”。

 シャオンがこのように呼ばれるということはまたループが始まってしまったということだ。

 残念ながらシャオンはあの魔獣と相打ちに、スバルも何らかの理由で死亡したのだろう。

 

「ああ、なんとかね」

 

 ループは始まってしまった。それだったらそれで仕方がない。ならば今回は抜け出せるように努力すればいい。

 そう気持ちを切り替えると控えめに扉がノックされた。

 

「目が覚めたのね。えっと……」

「ヒナヅキ・シャオン。貴方の名前は……聞いてなかったな」

 

 ノックをした人物はエミリアだった。そしてどうやらスバルはシャオンのことを紹介していなかったらしく、今は互いに名前の知らない状態のようだ。

 

「そう、シャオンね。私の名前はエミリア。家名はないの」

「そっか、よろしく。ところでスバルは?」

 

 いつも彼女のそばに鬱陶しいほどまとわりついてくる彼の姿がどこにもない。

 

「うん……ちょこっと機嫌が悪かったかも」

「なにがあったの?」

 

 エミリアの表情に浮かぶ陰りに、なにか問題が起きたのではないかと、半ば確信しながらも彼女に問う。

 

「実は――」

 

 

「悪いな……なんていうか、相棒が迷惑をかけたようで」

「ううん。スバルもいきなり起きて知らない場所だったらびっくりしちゃっても仕方ないもん。でも、あとでしっかりと謝ってもらわなきゃ」

 

 エミリアの話ではどうやらスバルは起き抜けにラムとレムに暴言を吐いてしまったらしい。その内容は詳しくは問いただしていないが、結構なものだったらしい。

 流石に初対面の人物にそんなことを言われると思っていなかったのか双子の様子も若干ながら気落ちしているようだ。

 

「じゃあ、エミリア嬢。あとは俺に任せといてくれ。なるべく期待は少なめで」

 

 とりあえずはなぜそんなことをしてしまったのかを本人から聞き出す必要がある。そしてそれを聞くことができるのは”死に戻り”をスバルのほかに知覚できているシャオンだけだろう。

 彼女の期待とスバルを気遣うようなものが入り混じった表情に見送られながら、扉を開ける。

 

「よぉ、スバル。元気か?」

「……シャオンか」

 

 ノックをしても返事がなかったので無理やり入る。そこにはベットの上で毛布にくるまりながら震えているスバルの姿があった。

 顔色は土気色で悪く言うならば死人そのものといえる。

 

「スバル、今は俺とお前しかいない、だから正直に答えろ。”前回”なにがあった?」

 

 シャオンの問いかけにスバルは体を震わせる。どうやらよほどひどい死に方をしてしまったらしい。

 だが、それでも数秒かけてようやく口を開いた。

 

「――レムだ」

「レム嬢? 彼女がどうした」

 

 その口から零れた名前はこれから自分たちの同僚になるであろう少女の一人だった。だが、彼女がなぜスバルをここまで怯えさせている原因になるのだろうか?

 シャオンの胸中が疑問で埋まる。だがスバルの発した次の言葉は、その疑問を晴らすようなものだった。

 

「あいつが……レムが俺を――」

 

 現実から目をそらすように顔を伏せながらも、はっきりとした声色でスバルは、

 

「――殺したんだ」

 

 そう口にしたのだった。

 

 

「ふむ、どうしたものか」

 

 あの後スバルに詳しい顛末を聞いた結果、彼は夜中に衰弱し、なんとかエミリアだけは守ろうと彼女の部屋まで向かっていた。

 その際に、現れたレムのモーニングスターによる一撃で、頭を粉砕。無事、ループの発動条件を満たしたようだ。

 恐らく、シャオンが嗅いだアンモニア臭と血の匂いはスバルの物だったのだろう。

 だが、ここで一つ疑問が生まれる。

――なぜ、魔獣たちの存在に気付かなかったのだろう。

 スバルの話を聞く限りレムはいつもと同じ姿だったらしく、戦闘の形跡もないらしかった。つまり魔獣と遭遇をしていないと考えられる。

 それにレムだけでなく、魔鉱石の爆発や、魔獣の悲鳴など大きな音が聞こえていたはずなのに誰も駆けつけなかったことが気になる。

 できるならば本人たちに直接問い詰めたい、だが五日目の彼等はもういない。今は好感度がゼロの彼等だ。

 ならば考えても無駄なことだ。それよりも今考えなければいけないのは別にある。

 

「なにも異常はない、よな」

 

 現在シャオンがいるのは正面の入り口だ。なにか魔獣が屋敷の住人に気付かれずに侵入できる仕組みがないかを確かめに来たのだ。

 ――侵入経路として考えられるものとしては窓、屋敷の入り口、あるかもしれない隠し通路から侵入してきた等だろうか。

 そもそもあの魔獣はいったい何だったのだろう。

 ロズワール邸付近の森に住んでいたものが彷徨ってきた、エミリアを狙ったほかの王選候補者による攻撃、大穴でロズワールが飼っているかもしれないペットの暴走。

 最後の可能性は冗談として、どれもあり得る可能性だ。

 それにあの舌についていた碧色の宝石も頭に残る。

 あれが個体独特の物なのか、誰かにつけられたものなのかによって今後の行動の指針が大きく変わるだろう。

 

「駄目だな」

 

 自分一人で考えていても知識不足で壁にぶつかってしまう。やはりここはもう一人分の知恵が欲しい。スバルの力を借りたいが彼は生憎と部屋にこもりっぱなしの状態。なにより彼もそこまで知恵があるほうではない。

 魔獣に詳しいのはロズワールだろうか。しかし前回の世界の情報では彼は当然なことではあるがスバルとシャオンに監視を突ける程度には疑っていた。

 いきなり魔獣について聞くにはもっともらしい理由付けが必要となる。そして、問題なのはそれが思いつかない。

 ならばあまりロズワールと関わり合いが少ないベアトリス、もしくはパックについて聞いてみるのがいいかもしれない。

 パックに聞いてもいいがエミリアにも必然的に聞かれてしまう。お人よしの彼女だ、恐らく口が軽い。

 そうしたら何らかの手違いでロズワール達に話が漏れてしまう可能性がある。なので必然的に、選択肢は書庫の主である彼女だけになる。

 ベアトリスに会うには”扉渡り”をクリアする必要があるが試練は困難なほど盛り上がるのだ。

 そう無理やり意気込み、振り返ると、

 

「――お客様、何をしているのかしら」

 

 桃髪のメイド、ラムが立っていた。

 

「なんだラム嬢か……えっと、この屋敷の防衛はしっかりしているのかなと」

 

 気配もなく音もなく後ろに立たれ驚いていたがそれを表には出さずに今行っていたことを軽くぼかして説明する。

 

「そう、王都で襲われたのだから仕方のないことかもしれませんわ。でもご安心を、当屋敷に攻め入ろうとする命知らずはいないわ。もしいたとしてもすぐに屋敷の誰かが気づくわ」

「そっか、なら安心だ。あ、ちょうどいいやまでの案内お願いしてもらっていい?」

「構わないわ。でもひとつ、聞きたいことが」

「なに?」

 

 彼女から自分に質問をするなど珍しい。先ほど暴言をぶつけられたスバルに関する質問だろうか?

 そんなふうに呑気に考えていたシャオンの思考は、

 

「なぜ――ラムの名前を知っていたの(・・・・・・・・・・・・)?」

「――」

 

 彼女の一言で世界が軋んだような感覚に陥った。

 息が詰まる。腿をつまみ顔に動揺が現れないよう試みる。

 

「……貴方たちは特例だけど現在、この屋敷にはよそ者を招き入れることは芳しいことではないわ。勿論、怪しい行動をするならお客様といえども”よそ者”は”よそ者”」

 

 瞳は鋭く、敵意むき出しのものでこちらを射貫く。その剣幕にわずかに気圧される。

 

「エミリア様の恩人であるお客様には正直に、話してくださると助かるのだけれど」

 

 その顔には正直に話さなければどんな手段を用いてでも話させると書いてあった。

 一回目と二回目のループで過ごした計10日間、ラムと接してきたからわかるが彼女は聡い。穴だらけの嘘などすぐに見破られてしまうだろう。

 やはりシャオン自身も謎だらけで焦っていたのだろう。

 今彼女の名前は知らないのに彼女の名前を呼ぶという一番やってはいけないミスをしてしまったのだ。

 こうなってしまっては馬鹿にされるかもしれないが、嘘をつけないのならば正直に答えるしかない。最悪、頭のおかしい奴と思われてもすでにスバルに対する彼女らの印象は最悪に近いものだ。

 今更シャオンの印象が悪くなってもあまり影響はないだろう。

 

「――信じられないかもしれないけど、俺とスバルは」

 

 シャオンは口を開く。馬鹿にされる可能性よりも、真面目に受け取ってもらえるわずかな可能性信じて、

 

「死に戻りを――」

 

 している、と言い切る前に、カチリ、と時計の針が止まったような音がした。

 いや、実際にはそんな音は鳴っておらずシャオンだけが聴いた幻聴だったのかもしれない。

 言葉にしようと、声を作ろうと、そう思った瞬間、それは訪れた。

違和感。言葉にはできないような違和感と共に五感すべてで感じさせられる圧力。

 世界から音が消え、色が消える。

その全てが、世界から完全に消えさっていた。

音のない世界、それは静寂といった単語すら生ぬるいほどの隔絶された空間だ。心臓の鼓動音も、体内を流れる血の音すら止まってしまっているのかと思わせられるほどの無音状態。

ただそうされたというだけで、全身を悪寒が駆け巡り、堪え難い不快感が臓腑を掻き乱すように暴れ回る。

そして、それは異変の始まりに過ぎなかった。

 世界から次は全ての存在の動きが消えた。

時間が引き延ばされ、一秒後ははるか時間の彼方へと、見えない到達点へと大きく変わる。

眼前のラムが浮かべる表情は疑いの面差しを浮かべたまま動かない。瞼はぴくりとも動かず、唇は固く引き結ばれたままで、呼吸すら止まっている。まるで出来のいい人形のようだ。

 そしてそれはシャオンもまた同様で、本来ならば口にするはずだった言霊は、永久に誰かへ届けられることはなく、消え去ってしまうだろう。

音は消滅し、時間が凍てつき、シャオンの覚悟をあざ笑うかのように世界すら静止する。

ふいにやってきた理解を越えた現象。神経の通わない体は欠片も動かすことができず、シャオンはただ混乱を抱えたまま思考だけは止めてはならないともがく。

なにが理由でこうなったのか。それを推し量る精神的な余裕はない。

 そして、その感覚の終焉は唐突にその姿を現した。

 

 ――なんだ?

 

疑念の声が脳裏に浮かぶ。

視線の先、固定された動かない視界の中、それはふいに生じたとしか思えなかった。  

 たださらに特異だったのは、その黒い靄だけが動き、ゆっくりと形を変えたことだ。

 なにもかもが停滞した世界の中で、黒い靄だけが緩やかな速度で形を変える。両手の上に抱えられる程度、そんな質量の靄はその輪郭を少しずつはっきりとさせていき、体感時間で十数秒もかけてようやく目的の形状へ辿り着く。

 

 ――それは、黒い掌だ

 

形を変えた靄は腕の形状を取っていた。長い五指を備え、肘の先ほどまでの長さしかない浮遊する黒い腕。

そしてソレは、明確な意思を伴ってシャオンに迫る。

 それと同時に直感的に悟る、悟ってしまう。”アレ”からはもう逃れることはできない。

 世界が静止してしまった時点でどのような抵抗も無意味で、どのような希望にすがることすら無駄となる。そう悟ってしまった。

 黒い指先は遮るものがないかのように、するりと胸へ忍び込む。そして、はっきりとその指先が、爪が内臓を軽く突き刺す感覚が伝わった。

 次に肋骨を撫で、さらに奥へと掌は進み、やがて人間の中心ともいわれる心臓。その直前で掌は動きを止めた。

 声も出せず、抵抗のできない体は冷や汗すら流すことすら叶わず、黒い掌の思惑もなにもわからないまま、全身を恐怖と鈍い痛みが駆け巡る。

その瞬間、シャオンに激痛が襲い掛かる。ただひたすらシンプルに、心臓を容赦なく握り潰されるような痛みが与えられ続けた。

 痛みに涙を流すことすらできない中、無機質な女性の声を耳にした。

 

『契約の、履行』

 

 その言葉がシャオンの頭の中に響き一拍、何かが潰されるような強い衝撃に襲われた。

 そしてその衝撃を皮切りに世界は再び稼働する。

 色の消えていた世界に再び明るさを伴って着色され、消失していた音はまるで何事もなかったかのように奏でられる。

 

――あれは、一体なんだったのだろう。

 

「――お客様っ!?」

「あ?」

 

 ラムの驚愕の声と共に体から力が抜ける。

 倒れそうになった体をなんとか、扉で支え現在の状況を確認する。

 目の前には静止する前と同じ光景が広がっている。どこにも異変はなく、ラム自身も目立った異変はない。

 ふと、自分の体に違和感を感じ、視線を下へ向ける。 

 

「……まじか」

 

 心臓に当たる部分。そこに掌サイズの穴があけられていた。当然、肉という蓋が外れたのだから、そこからは血が流れ始めていた。

 脳が状況についていけていないからか不思議と痛みはなかった。

 

「――あ」

 

 ラムの珍しく焦る表情を見ながら世界は回り、倒れる。

 ――そして、シャオンは再び命を失った。

 

 

 天井と壁の境もわからず、部屋の広さを想像することすらできないほどの漆黒に染められた世界。

 その世界のどこかで、一つの存在があった。

 

『――契約』

 

 かすれた声、誰に対して発せられているかわからない声が響く。

 

『――これは契約、導くものとしての、寄り添うものとしての逃れられない、契約』

 

 そんな言葉と共に黒い世界は消失し、影も意識も濁流に飲み込まれるがごとく消滅した。

 




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情けない慟哭

今回少し長いです。後、原作の引用が少し多いかもです。


 もう、何度目になるかわからない光景、その光景はとある男によって変化を遂げていた。

 

「……おも」

 

 ちょうど腹に当たる部分に感じる重さを感じ目が覚める。

ゆっくりと開けた瞼の先には相変わらずの威圧を感じさせる三白眼。腹立たしいほどの笑みと、無駄にきれいに生え揃っている歯を輝かせながら、

 

「グッドモーニング! ヒナヅキシャオンくん!」

 

 重さの原因はシャオンに跨がり、指をさして大声で挨拶をしたスバルだった。

訳がわからず口を開けて呆けているとスバルはベッドから跳び跳ねるように離れ、ポージング。

 

「いやぁ、いくら屋敷のベッドが気持ちよくても寝すぎは損だぜ? 俺を見習ってもっと早く起きたほうがいい。なんせ早起きは三文の徳! ……えっと三文っていくら?」

 

「姉さま姉さま、お客様ったら自分で言ったことの意味がわからない様ですよ」

「仕方ないわ、レム。お客様の頭は残念なものだから」

「そりゃないぜ、ラムちー、レムりん」

 

 代り映えのない双子の毒舌に、慣れたようにスバルは受け流す。それどころかあだ名で呼びかけるほどの余裕があるようだ。

 

「ラムちー……!?」

「レム、りん?」

 

 スバルのつけたあだ名に驚きと疑問を隠せないレムとラム。

 しかしそんな様子を気にすることはなく彼は高笑いを続ける。

 

「……えっと、状況がよくわかんない」

 

 正直な感想を口にするとスバルはくるりとその場で一回転。そして、こちらに指をさし、

 

「心配をおかけしました! 皆様のナツキスバル、復活完了いたしました!」

 

 元気に、大声でそう宣言したのだ。

 

 

 現在、男同士の話があると言ってスバルとシャオンは二人きりで部屋にいる。

 怪しい目で見られたがそこは目覚めたばかりで混乱している、互いに状況を整理したいと伝え事なきを得た。

 

「さて、俺たちが今することは三つある。一つ目は屋敷の住人からの信頼の獲得、つまりはレムによる襲撃の回避だ」

 

 レムの襲撃。それは二度目の世界でのスバルの死因だ。

 彼女の凶行はスバルに対して抱いている嫌悪感……もとい警戒心が限界を超えたために起きたともいえる。それを防ぐには確かにレムから信頼を得ることが鍵となるだろう。

 彼女がそこまでスバルを嫌う原因は一つ、”魔女の臭い”だろう。

 それがどのような匂いなのかは強化された嗅覚でも知りえないものだ。恐らく、特定の者にしか嗅ぎ取れないものではないのだろうか?

 だったら臭いに対しての対策はできそうにない、信頼を得るにはほかの方法を考慮する必要がある。

 

「二つ目に呪術師の発見および対処だ」

「呪術師?」

 

 スバルの口から出た、初めて聞くその単語に首をかしげる。

 

「ああ、そっかお前は前の世界で……」

「死んだよ、よくわからん手にハートキャッチされた」

 

 言いづらそうに言葉を選んでいるスバルを遮り自身の顛末を口にする。

 正直、死因についてはよくわからないので抽象的な説明で具体性にかけてしまうが仕方ない。伝わらなくても仕方ない、そうあきらめていたシャオンだがスバルは、神妙そうな顔を浮かべていた。

 

「……死に戻りについて誰かに話したか?」

 

 言い当てられたことに驚き、目を見開く。

 

「ああ、でもなんで知ってる? まさか、オマエも前回の死因も?」

「いや、俺の方は別の死に方だ――詳しく話す」

 

 前回の世界、シャオンがスバルを訪れた後にベアトリスが部屋に訪れ”五日目の朝までスバルを守る”という契約を結んだらしい。

 ベアトリスは精霊だ。それも陰の魔法、そのすべてを知り尽くしているといっても過言ではないほどの使い手。

 そんな彼女に守られ、なおかつ禁書庫にこもっていたスバルは無事五日目を迎えることができたらしい。

 ただし――

 

「――四日目は超えることができた。しかし、レム嬢が死んだ。そして、衰弱死の原因はベアトリス曰く”呪術師”による呪術。そして、死に戻りをするために自殺した」

 

 スバルの表情には悔しさがにじみ出ており、血が出るほど強く唇を噛み締め、耐えている。

 シャオンがいない間に何が起きたのかは理解した。だが、スバルの心情は知りえない。

 最後に会った時は彼は双子に恐怖を抱いていたはずだ。だが、現在ではその二人をも救おうという気概を感じられる。

 

「……すごいな」

「なにがだよ、結局自殺してリスタートさせるしかない状況しちまったのは俺の責任だろうが」

 

 確かにそれは前回何も行動を起こさなかったスバルの責任かもしれない。

 だが彼の責任でもあるならシャオンの責任でもあるだろう。自分も何もできなかったのだから。

 それに拾った命をわざわざ”自身の手で絶つ”など並大抵の覚悟ではできないことだろう。

 

「それで最後に、魔獣の襲撃。これに関しては俺はわかんないぜ? 少なくとも俺は一度もそいつらと遭遇していない」

「もともと、俺だけを狙ったのか、それとも偶然俺がその牙に襲われたのかわかんないけど、確実に来るだろうな」

 

 二度目の世界で起きる固有イベントなどと楽観視できる次元はとうに過ぎている。一度目に起きなかった理由はわからないが必ず起きると考えて行動する必要がある。

 

「まぁ、わからんことだらけだ。それで? 作戦は? あるんだろ? スバル」

「ああ、今回俺は――」

 

 仕事を始めて二日目、特に何事もなく生活できている。ただ、不安があるとすれば、

 

「あちゃー! おっと、レムりん。だいじょうぶだぜ? 後片付けもすべてこのスバルくんがやっておきますとも!」

 

 スバルのことだろうか。

 割れた花瓶の破片と、花を素早い手つきで片づけるスバル。その様子を少し離れたところで見つめるレム。

――一度目の世界でみた光景だ。

 

「……ねぇシャオン」

「なんだい、エミリア嬢?」

 

 いつの間にかそばに来ていたエミリアがシャオンに声をかける。

 彼女の質問に答えるため掃除の手を止める。

 

「うーんとね、なんだかこう、もやもやしてるの。うまく言葉にできないんだけど」

「はい?」

「スバル、何か変じゃないかしら?」

「――変、とは?」

 

 エミリアの疑問にシャオンの意識が切り替わる。

 感覚を鋭く研ぎ澄まし、彼女の言葉一つ一つに意識を向ける。些細な行動も舐めように観察する。まるで変態のような行動だが、作戦のためなので仕方ないのだ。

 スバルの立てた作戦は――一度目の生活を繰り返すことだった。

 そしてスバルがシャオンに頼んだことも簡単なことだった、もしもスバル自身が不自然な振る舞いをしてしまったらサポートしろ。それだけだった。

 だから今、エミリアがスバルに対して違和感を感じているならばなるべくそのことから意識を遠ざけ、フォローする必要がある。

 だが、彼女は困ったように眉を下げるばかりで肝心な理由を話そうとはしない。

 

「それがよくわからないんだけど、なんていうか……無理をしているような、うーん」

 

 そういってエミリアは再び思考の海にその身を投げたようだ。

 そう、彼女の言う通りスバルはだいぶ無理をしている。笑顔を張り付けてはいるが心が擦り切れてきている。あれでは数日と持たないだろう

 

「君もそれを知っているのに放置するのはどうなのかなぁ?」

「……パック、わかるんだ? というよりもいつの間に」

 

 胸ポケットに潜り込んできたその灰色猫の言葉に静かに答える。

 先ほどまでは感じていなかった生暖かさが胸に感じる。パックが能動的に体温を消していたのか、はたまたそんなことに気付くことすらできないほどに焦りを感じていたのだろうか?

 

「接触すれば心の状態ぐらいは読み取れるからねー僕たち。それより彼、だいぶぐちゃぐちゃになってたけど……止めないの?」

「本来だったら止めなきゃいけないんだけど、やむにやまない事情があってね。少なくとも俺には止められません」

 

 スバルの考えた作戦は確かに有効だろう。決められたレールに乗っていけば必然と同じ到着点に向かうのだから。それに加えて二度目の世界とは違い死の原因も判明しているのだ、もしかするともしかするかもしれない。

 だが、一度目と今回の世界とでは大きな違いがある。それは、プレッシャーだ。

 なまじ救いたいと思えるものが増えたから彼にかかる重圧も増え、さらに失敗したら待っているのは確実な死なのだから心が休まることはない。下手をすればこのループを超える前に廃人になる可能性のほうが高いかもしれない。

 だが、彼の行いを止めることはできない、現状一度目の方法を繰り返す以外に代案を出せないからだ。

 もしもスバルが出した案に変わるものがあれば即座にそれを出し、スバルに薦めていただろう。

 

「……自分の力不足に腹が立つばかりだよ」

「ふーん」

 

興味なさげにパックは返事をし、あくびを一つ。そして、

 

「――よしっ! あ、ごめんね。お仕事中だったのに呼び止めちゃって」

「いやいや、気にしないよ。パックの毛並みも堪能できたから」

 

 自身に憤りを感じているとエミリアがようやく意識を現実に戻してきたようだ。

 

「あ、パック。もう、いつの間にシャオンのポケットにいたの」

「にゃあん」

 

 そういってエミリアはパックの体を優しくつまみだす。それを彼はくすぐったそうに体を震わせ、すぐに彼女の髪の中に忍び込んだ。

 

「もうっ、パックったら。あ、シャオン、私ちょこっとやることができちゃったから行くわね?」 

 

 エミリアはパックが潜り込んだことで乱れた髪を直し、そしてこちらに軽く謝りどこかに走っていった。

恐らく、

 エミリアもスバルの異変に気付いたはずだ。根拠も、なぜそう思ったのかわからないが彼女はスバルの今の状況を読み取ったのだ。

 だったらもうシャオンには止めることはできない。

 

「誇れよ、スバル――お前の惚れた女は思ったよりもすごい女だ」

 

 覚悟を決めた様子のエミリアを眺め、どうやら自分の出る幕はなさそうだと判断し、再び掃除を再開した。

 

 

――気持ち悪い。

 

「お、ラムちー! 今の見たか!? 俺の包丁さばきってば、たったの一日でかなり洗練されてきてね!? 石川五右衛門も腰が砕けるほどだ!」

 

――気持ち悪い、気色が悪い、吐き気がする。

 

「レムりん、見て見て! この繊細な細工を可能とする技量――今、俺の指先は輝くっ!」

 

――不快だ、不愉快だ、胸がむかむかするほど、不快で気持ち悪い。

 

「エミリアたんてば会うたび見かけるたびに俺の心を掻き乱すな! マジ罪作りすぎてギルティってるよ!」

 

 ――気持ち悪い辛い気持ち悪い痛い気持ち悪い苦しい気持ち悪いあきらめたい気持ち悪い嫌だ気持ち悪い許して気持ち悪い。

 

「お? なんだぁ、シャオン! 相変わらずうさんくせぇ顔だな! ほれほれ、もっと俺を見習って明るく! にこー!」

 

――気持ち悪い我慢しろ気持ち悪い悟られるな気持ち悪いまだできるはずだ気持ち悪いあきらめるな気持ち悪い耐えろ気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――助けて。

 笑顔を浮かべ、舌を全速力で回す。

 任された仕事にも全力で取り組み、失敗も恐れず果敢に挑み、手が空けば即座にやり忘れたイベントがなかったか、記憶の中を模索する。

 どんな些細なことでも、起こせる限りの出来事に自分を刻み込む。それこそ、実際にナイフを体に突き立てるように。

 そうでなくてはいけない。そうしなくてはならない。そうでなければ、そうでなければ――この場所にいられなくなる。

 だから一秒だって無駄にはできない。起こり得る可能性の全てを吟味して、必要なイベントのあらゆる成否をシミュレートして。

 もっとうまく笑えるはずだ。もっとうまく笑わせられるはずだ。

 頭を空っぽにしたように振舞え、だが、思考の歯車は決して止めるな。

 無意味で無駄で大げさなアクションを取れ。警戒することが無駄だと思わせられるように、愚者を演じるのだ。

 使えないほど馬鹿だと判断されるのは避けろ。切り捨てられない様に自身の能力を見せつけるのだ。

 考えるよりも先に行動だ。だが、動く前に己の行動の意義を自分に問いかけ、ナツキスバルという人間はどういう人間なのかを世界に見せつけろ。

 不自然になっていないか常に気を配れ。いつみられているかわからないのだから、一秒どころか刹那の間すら油断してはいけない。

 だが、気を配っている姿を悟られるな。あくまで自然体を演じるのだ。失敗は、できないのだから。

 そう――失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない失敗できない。

 繰り返し繰り返し、頭の中で警鐘が鳴り続けている。その響きが強すぎて、視界が歪んでいるような錯覚に陥る。だが、

「おっと、ラムちー、別にサボっちゃいないぜ? お給金は出るんだからちゃんときっちりかっちりお仕事はやり遂げますとも。先輩はふんぞり返って部屋でステイしながらシエスタかましててもいいぐらいよ?」

 

 浮かばせるのは笑顔だ。気味の悪いくらいの笑顔を浮かべ、自らの役目を全うするのだ。

 だがラムの前でできていたとしても、肝心のレムの前で地金が晒されれば全てはおじゃんだ。自然で天然にナツキ・スバルを装うのだ。

 簡単だ、簡単なのだ。

 なにも知らないこと、なにもわからないこと、なにも気付かないこと、なにもしないこと。得意だったはずだ。それしかできなかったはずだ。簡単なことのはずだ。笑いながらそれぐらいできたはずだ。

へらへらと、つぎはぎだらけの仮面を張りつけたままで歩く。

屋敷の中だ。どこで誰と出くわすかわからない。自由はないと知れ。空白の時間は未来を掴むために埋めろ。

 

「お、う、ぇ……」

 

 ふいに込み上げてきた嘔吐感。中身はもれず、呻きだけが口の端から溢れ、スバルはしかし微笑みを決して崩さない。

 そのまま足はスキップを刻み、踊るように滑るように近場の客間へと忍び込む。そして、部屋に備えつけられた洗面所へ向かい、

 

「……うぇっ、おうぇ……ッ」

 

 すでに空っぽの胃の中身を、洗いざらい流しへとぶちまける。

 もう何度目かの嘔吐。当然ながらこんな心理状態で食べ物を受け付けるほどスバルの体は丈夫ではない。

 あふれ出るのは黄色い胃液。 数多の嘔吐で胃が傷ついているのだろう。

 それでも収まらぬ嘔吐感を満足させるために、流しの水をがぶ飲みして腹を満たし、直後にそれをぶちまける。繰り返し繰り返し、弱音を吐き出すかのようにその無意味な行動は行われた。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 乱暴に口元を袖で拭い、青白い顔つきでスバルは荒い息をつく。

 圧し掛かるプレッシャーにそれだけで殺されそうだ。このまま気の休まる暇のない時間が続けば、それだけで衰弱死できそうな気がする。

 本末転倒な自分の状態を自嘲する。

 しかし渇いた笑みも、軽口もなにひとつ浮かばない。

 浮かぶのはひたすらに、胸中からわき上がってくる不安と絶望感だけだ。

 

 ――ちゃんとできているだろうか。

 

 振り返ってみれば、屋敷の人間との関係がもっとも良好だったのは無知だった一回目の頃だったと思える。

 ならば一回目を踏襲し、同じ状況をなぞらえてみるか。

 

「ちげぇ、それじゃ二回目と同じ顛末だ」

 

 頭のなかで産み出した解決策を即座に否定する。それをするのは二度目のトレースに他ならない。

二度目のケースは一度目の内容をなぞり、その上で衰弱の魔法にレムの鉄槌を追加された形だ。すでに誤った道を通るだけに他ならない。

 三度目も問題外とすれば、やはりスバルが見習うべきは一回目になる。二回目のときとはやり方を変えて、一回目をなぞるのではなく一回目よりうまくやるという方向で。

 一回目はあらゆる仕事の能力が低かったが、代わりに与えられた仕事には真っ向から取り組む姿勢を見せていたと思う。

二度目は一度目の成果と近しくしようとしたのが見抜かれ、手抜きと判断された結果の不信感がスバルを殺した。

 ならば今回は一度目と同様に全力で、その上で一度目のときよりもちゃんとした成果を出してみせる。

 ラムもレムも、そうすればスバルを見限るまい。彼女らに粛清されるルートさえ外れれば、スバルの懸念はひとつ取り払われる。

 だが問題は、

 

「依然、呪術師の行方に見当もつかねぇってことだ」

 

 前回の世界で屋敷の住人であるレムが殺された以上、呪術師は外部の人間だと考えられる。

 屋敷を狙う人間――王選関係者だとすれば、それらの関係性に明るくないスバル達には手詰まりともいえる状況だ。

 呪術師の正体を暴くにあたり、屋敷の関係者の協力は絶対に必要不可欠だ。

 少なくとも、警戒を呼び掛けることは無駄にはなるまい。ぶち当たる問題としては、現状のスバルとシャオンのよそ者コンビがこの屋敷でどれだけの発言力を持っているかだ。

 

「信用も得てない状態で、進言とか誰が聞き入れる? はっ、馬鹿じゃねぇの」

 

 おまけにその情報源を明らかにすることができない制約付きだ。無理矢理話そうとすればあの手が襲う。

 幸いにもシャオンとは違って殺されてはいないが、だからと言って強行に踏み切れる勇気はない。

 故にもどかしさも遠回りさえも許容して、ひたすらに胃に穴の空くような窮屈さを堪えながら時間を過ごしている。

 時間が足りない。時間がないのがもどかしい。この苦痛の時間にこれ以上耐え切れる自信はない。早く終わってしまいたい、だが終わるわけにはいかない。言葉が届かない。届かせる道を築くには時間がいる。その時間がない。どうにかしなくてはならない。気持ちが悪い苦しい。

  思考が幾度も辿り着いた袋小路へと迷い込む。

 昨晩も、この答えの出ない螺旋に飲み込まれて一睡もできなかった。理由のはっきりしている不安を、解決策の見つからないまま手探りで振り払う無力さ。

 いっそ、ただひたすらに『危ない』とだけ叫んでみる選択肢が選べれば良かった。ネジのとんだ狂人だと思われても、それで屋敷の全員の命が救えるのならば悪くない賭けだとも思う。

 事前に対策が行われ、屋敷の全員が無事に五日目を迎えられる。状況の悪化に呪術師が撤退を選ぶ。そうなれば大団円だ。

 ――だが、その場所に自分がいられないのは耐えられない。

スバルの望みは、屋敷の全員が生存し、その上で円満な状態で五日目を乗り越えることにある。

 強欲だろうが、傲慢と罵られろうが知ったことか。ナツキスバルという人間は元々狡猾で、汚い、ただの無力な人間なのだから。

 

「……シャオンには頼れねぇ」

 

 唯一の協力者であるシャオンの力を借りることはなるべくしたくない。

 今回のループを乗り越えたとして、いつまた同じように死のループに巻き込まれるかわからない。

 スバル的にはそうそう死ぬような出来事に巻き込まれたいとは思いたくないが、彼女(・・)と付き合っていくならば避けられない運命だろう

 そうなった時にスバル一人で解決できなければならない。

 そうしなければ、そうしなければ――スバルがエミリアの傍にいる価値がなくなってしまう。

つまらない意地、と言われてしまえば否定はできないがスバルにとっては大事なことなのだ。

 気付けばいつしか薄れた嘔吐感を振り切り、スバルは強張る頬を叩いて己を叱咤。もうすでに痛みを感じる余裕すらなかったが無理やり顔を自然なものに戻す。影のない、表面上は輝かしい笑顔を無理やり貼り付ける。

 それから客間の外へ向かう。現状、割り振られた仕事は終えた空き時間だが、そんな時間すらも今は惜しい。自らの有能さをアピールしなければならない。

 

「やっと見つけた」

 

 扉から身を乗り出したところで、そうして声をかけられた。

 振り向くと、そこには弾む息を整えるエミリアの姿がある。

 風に揺れる彼女の銀髪は、スバルの意識を切り替えた。

 一瞬、顔の筋肉がこわばるが即座に状況に対応、胃の痛みも胸の痞えも閉塞感も全て忘却させる。

今はエミリアに振り返り、頬を好色につり上げろ。

 

「おやおやぁ、エミリアたんから俺をご指名とか嬉し恥ずかしい! なんでも言って、なんでも命じて! 君のためならたとえ火の中水の中、盗品蔵の闇の中だってもぐっちゃうよ! あ、でもロム爺と戦闘はゴメン! あの爺さんマジで迫力だけはあるから!」

 

 愛しい君を笑顔を張り付けて出迎える。――それと同時に何か、自分の中の、何かが削れていく気がする。

我ながら変わり身の早さに舌を巻きたい気分。が、それと向かい合うエミリアのリアクションは予想とは違うものだ。

てっきり、呆れたような顔。もしくはしっかりと仕事をするようにたしなめる、そんな反応を予想し、期待したのだ。だが、

 

「スバル……」

「おいおいおいおい、よくねぇぜ、エミリアたん。俺が一晩寝ないで考えた渾身のネタをスルーだなんて。一度使ったネタは鮮度の関係で二度と使えないんだぜ? こんな非道、流石のスバルくんも、涙が隠せません!」

 

 袖を噛んで泣いて悔しがるアクション。歯茎から血が出るほど力み、苦しさを悟られない様にごまかす。

が、これに対してもエミリアの反応は乏しいものだった。

 エミリアはスバルの予想の反応をことごとく裏切り、ただ哀切と痛ましさをないまぜにした瞳でスバルを見てくるのみだった。

 

「え、エミリアたんてば黙っちゃってどったのよ。そんなに美人で黙っちゃったりしたら、俺が芸術品と勘違いしてお持ち帰りして部屋の片隅に飾りつけて毎朝毎晩おはようからお休みまでよろしくのキッス、しちゃうぜ?」

 

 予想のどれとも違う反応。怒る分にはまだ対応できた。呆れられる分にもまだ対応できる。

だが、こうして痛ましげな目を向けてくるということは――。

 

「――あ」

 

 自分の被っているボロボロの道化の仮面が、彼女にはばれているということではないだろうか。

 そんな不安が差し込んだ瞬間、スバルは常に彼女の傍らに存在する灰色の猫の存在を思い出す。

 

――精霊は心を読める。

 

 精霊を名乗るその猫の特性を思い返せば、スバルがこれまで行ってきたことの無意味さが知れる。

 それに気付かされてしまった瞬間、スバルの虚勢は瓦解する。

 張り付いていた微笑は形もなく消え去り、代わりに浮かび上がるのは叱られるのを待つ幼子のような弱々しい表情だ。

 

――怖い。

 彼女の次の言葉が、怖くて仕方ない。

なにもかも見抜かれている相手の前で、それでも気付かれていないと踊り続けたことの罰の悪さ。そしてなにより、彼女にだけはそれを知られたくなかったというちっぽけな自尊心がいたく傷付いた。

 だがなによりも、――エミリアに幻滅される。それだけは嫌だった。

 しかし、なにを口にすれば言い訳が立つのかそれすらわからない。状況を打開する術がないのはここでも同じ。

 口を開こうと何度も試みるものの、肝心の言葉が見つからずに踏み出せないスバル。そんなもどかしさを抱え込むスバルを見ながら、エミリアはふいに「よし」と小さく呟き、

 

「スバル、きなさい」

「……へ?」

「いいから」

 

 ぐいとスバルの腕を掴み、彼女が向かうのは今しがたスバルが出てきたばかりの客間の中だ。

 体半分が出ていただけの部屋に引き戻され、スバルは彼女の意図がわからずに疑問符を頭に浮かべる。

 が、エミリアはそんなスバルの疑問に取り合わず、腰に手を当てて部屋の中をぐるりと見回すと、

 

「じゃあ、座って、スバル」

 

 床を指差し、変わらぬ銀鈴の声音でそう言ってきた。

 指に従って地面を見やる。床には絨毯が敷かれており、誰も使用していない部屋ではあるが清掃は行き届いているので汚くないが。

 

「座るならベッドでも椅子でもよくね?」

「いいから座るのっ」

「はい、仰せのままに!」

 

 いつになく強い口調で言われ、思わずその場に正座で従う。スバルが座るのを見届け、エミリアは満足そうに頷くとすぐ傍らへ。

 自然、低い体勢から彼女を見上げることになるが、そんな邪まな気持ちを抱くことすら今は浮かばない。

 ただただ、エミリアの真意を読み取るのに必死になるばかりだ。

 

「……うん」

 

 小さく、そう呟いたのはエミリアだ。

 確かめるように、あるいは自分に言い聞かせるように息を呑み、エミリアはスバルの隣に同じく正座。

 すぐ触れ合えそうな距離に美貌があるのにドギマギしつつ、スバルはその白い横顔から感情が見えないかジッと眺める。ふと、その彼女の白い横顔が紅潮し、耳がわずかに赤いのが見えた。

 

「特別、だからね」

 

「――え?」

 

 言い含めるような言葉に疑問符が浮かぶが、それを口にするより前にスバルの後頭部がなにかに押される。

 自然、正座していた体は力に抗えず、そのまま勢いに流されるままに前のめりになり――柔らかい感触に迎え入れられた。

 

「ちょっと位置が悪い。それに、ちくちくする」

 

 もぞもぞと頭の下でなにかが動き、エミリアの照れ臭げな声がすぐ傍で聞こえた。

 驚きに視線を上げ、目の前の光景にさらに驚きが重なって目を見開く。

 すぐ真上、それこそ顔と顔が触れ合いそうな近くにエミリアの顔がある。それは上下が反対に見えて、「ああ、自分が逆さになっているのか」とどこかぼんやりと遠い感慨が浮かび上がる。

 

「膝、まくら?」

 

「恥ずかしいからはっきり言わないの。あと、こっちの方を見るのも禁止。目、つむってて」

 

 額を軽く叩かれ、掌で瞼を覆い隠されて視界が遮られる。が、スバルはそんな彼女の抵抗を手で除けて、

 

「恥じらうエミリアたんも最高だけど……そもそも、これってどういう状況? 俺、いつの間にご褒美貰える手柄立てたっけ?」

 

「そういう変な強がり、よくないわよ」

 

 額を再度叩かれる。しかし、今度はそのまま額に手を当てたまま、エミリアは逆さのスバルの前髪を指ですくい、

 

「言ってたでしょ、スバル。疲れ切ったら膝枕してって。だからしてあげる。いつもってわけにはいかないけど、今日は特別」

 

「特別もなにも、まだ二日目ですよ? これでグロッキーに見えたってんなら、俺ってば古今無双の虚弱体質……」

 

「なに言ってるの。打ちのめされてるの、見てればわかるもの。詳しい事情は、きっと話してくれないんでしょ? こんなことで楽になるだなんて思わないけど……こんなことしかできないから」

 

 スバルの言葉を遮り、エミリアは慈愛の眼差しのままでそう語る。前髪を梳く指はいつの間にか髪をかきわけ、ゆったりと幼子をあやすように頭を撫で始めていた。

 

 小さく笑い、そのエミリアの行動を跳ねのけようとする。

 それは見当違いだと、そんな格好悪い真似なんかしちゃいないと、彼女の前で張り続けると決めた虚勢を張り続けるつもりだった。

 

「はは……エミリアたんてば、そんな……俺、が……」

 

 なのに、声が上擦り、喉が詰まり、次の言葉が出てこない。

 頭を撫でられる柔らかな指の感触から、どうしてか意識を切り離すことができない。

 

「疲れてる?」

 

「ま、まだまだ、やれる。俺ってば意外と体力は、あるほう、だから……」

 

「困ってる?」

 

「優しくされると、ほら、惚れ直しちゃいそうで、あ、困っちゃう。……はは」

 

 短い問いかけに、応じるスバルの言葉は虚ろにしか響かない。

 そして、エミリアはそんなスバルにそっと顔を寄せて、

 

「――大変、だったね」

 

「――――」

 

 慈しむように言われた。いたわるように言われた。愛おしむように言われた。

 たったそれだけのことで、たったその一言だけで、スバルの内側にあったボロボロの堤防が決壊する。

 先ほどまで怖がっていた心はどこかに消える。

 溜め込んでいたものが一気に外へと噴き出す。止めることはできない。

それは封じ込めたつもりで、しかし欠片も消すことのできずにいた激情の吹き溜まり。それがあふれ出る。

 

「……うん。大変……だった。すっげぇ、辛かった。すげぇ恐かった。めちゃくちゃ悲しかった。死ぬかと思うぐらい、痛かったんだよ……!」

 

「うん」

 

「俺、頑張ったんだよ。頑張ってたんだよ。必死だった。必死で色々、全部よくしようって頑張ったんだよ……! ホントだ。ホントのホントに、今までこんな頑張ったことなんてなかったってぐらい!」

 

「うん、わかってる」

 

「恐かったよ。逃げ出したかったよ。すげぇ辛かったんだよ。また、あの目で、見られたらって……そう思う自分が、嫌で嫌で仕方なかったよ……ッ」

 

 死に戻りによって大切だと思った存在、心が休まる場所、それらがなくなったことによる恐怖。自分にしか解決できないというプレッシャーに苛まれてきた。

 それでも、あきらめたくなかった理由は、

 

「好きだったからさぁ、この場所が……大事だと、思えてたからさぁ、この場所が……! だから、取り戻したいって必死だったんだよ」

 

――大切な場所だったからだ。自身の体も、精神もすり切らしてでも守りたいと思えた場所だったからだ。

 

 一度爆発した感情は堰を切ったように溢れ出し、道化師の仮面が外れ、露わになった臆病者の顔を涙で盛大に汚していく。

 涙が止まらない。鼻水が垂れてくる。口の中にわけのわからない液体が溢れ返り、嗚咽まじりのスバルの泣き声をさらに聞き苦しいものへと変える。

 みっともない。情けない。大の男が惚れた女の子の膝の上で、頭を撫でられながら大泣きだ。死んでしまいたいほど情けない。死んでしまうかと思うぐらい、心が温かなものに満たされている。

 スバルの泣き言を聞くエミリアの相槌は優しい。「わかってる」だなんて言っていても、スバルの体験のひと欠片も彼女に届いていないのはそれこそわかり切った話だ。

 それなのに、エミリアの声には鼻で笑い飛ばすことのできない重みが込められていた。

 理由はわからない。スバルがそう感じただけで実際は違うのかもしれない。

 でも、それでもよかった。その温もりに救われたような気になっていたのは事実なのだから。

 泣き続ける。泣いて、泣いて、泣き喚いて、いつしかみっともない泣き声は遠く彼方へ消えて、静かな寝息だけが客間に落ちていた。

 

 

 ――レムが客間を訪れようとしたその時、扉から少し離れた場所でとある男が立っていることに気が付いた。

 猫のような細い目をした、新しく屋敷にやってきた人間の一人。ヒナヅキシャオンだ。もう一人の人間、ナツキスバルとは違って魔女の臭いはしないがうさん臭さは彼を超えるだろう。

 そんな彼は部屋の中に入らず、ただ静かに部屋をわずかな隙間からのぞいていた。

 

「なにをしているんですか、シャオンくん。それにスバルくんは――」

 

 彼は首で部屋の中を指す。中を覗け、ということだろうか。

 警戒は解かず、静かに指示に従うとそこには確かにスバルはいた。ただし、エミリアの膝の上で静かに寝息を立てている状態だが。

 

「……邪魔しないようにしよ?」

 

 彼の声と表情には今まで過ごしてきた中で一番やさしさに満ちていたようにレムは感じた。

 気のせいかもしれない、だが少なくともレムが感じていたうさん臭さは彼から消えていたことは確かなことだった。

 

「そう、ですね。全く、姉さまにスバルくんは今日はもう役立たずだとお伝えしないと」

「代わりに俺が働くさ。……なぁ、レム」

「はい?」

 

 シャオンの表情はレムからは見えない。だが、その声色は先程浮かべた表情と変わらずやわらかく、暖かった。

 

「スバルは、不器用で、変な奴だがいい奴でもあるんだぜ? それだけは保証する」

「そう、ですか」

「うん、それじゃ俺は俺でやる仕事あるから」

 

 そう告げ、シャオンはレムとは正反対の方向に歩みを進めていく。

 その背中を瞳に入れながらレムは考える。 

 姉さまやエミリア様の近くにいるあの魔女の臭いが染み込んだ男が憎い。だが、先ほどの幼子のような寝顔は本当に警戒に値する、憎むべき存在なのだろうか?

 過剰に反応しているだけで、本当はただの人間なのではないのか?――自身が過去にとらわれているだけで。

 わからない。結局のところは何もわからない。優秀な姉とは違って、ただの代替品である自分には何もわからない。

 

「……花瓶のお水、取り替えないといけませんね」

 

 自身の分からない気持ちから逃げるように、レムは足早に客間から遠ざかっていった。

 




次回の投稿は諸事情で遅くなると思います。


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容疑者探し

「……まったく、なんでこうも扉渡りを破る輩がでてくるかしら」

「さぁ? スバルと違って俺は案外正解引く確率低いからそれで許してよ」

 

 眉を八の字に曲げ、来訪者であるシャオンをにらみつけるのはこの書庫の主であるベアトリス。

 禁書庫に入ると毎回必ず来訪者を出迎える彼女はよっぽどスバルが苦手なのか彼には当たりが強い。

 

「それで? なんのようかしら。まさかオマエもあの男と同じように無意味にベティーの時間を奪いに来たのかしら」

 

 やはり、というべきだろうか、彼女の機嫌はあまり良いわけではないようだ。

 なので出来るだけ礼儀正しく、下手に出るように声をかける。

 

「紅茶、お持ちになりました。お嬢様?」

 

 まるで執事のような言い方になってしまったが、一応丁寧な物言いではあるだろう。

 シャオンがここに訪れた理由は一つ、彼女の力を借りたいからだ。流石に手ぶらではどうかと思い、紅茶とお茶菓子を用意しての来訪だ。

 それでも彼女が喜んでくれる可能性はかなり低いが、

 

「――」

「どうした?」

 

 ポカンと言う表現が似合いそうなほどに、間抜けに口を開けているベアトリス。

 なにか更に機嫌を損なわせてしまったのだろうか。

 もしそうならば時期を改めたほうがいいかもしれない。

 肩を落とし、禁書庫から外に出ようと踵を返したその時、

 

「はぁ、そこに座るのかしら」

 

 シャオンの予想を裏切るように引き留める声が彼女から聞こえた。

 振り返るとそこにはいつの間に用意されていたテーブルに座り、早く用意をしろとでも言いたそうに口を尖らせているベアトリスの姿があった。

 

「――かしこまりました」

 

 彼女の期待に沿うべく、丁寧に紅茶を注ぐ。

 ベアトリスはその光景を静かに眺めている。そして、彼女の小さな口がティーカップにつくと、

 

「まずっ! まずいかしらっ!」

「ははは、紅茶入れるのなんて初めてだったからな」

 

 ベアトリスは口に含んだ紅茶を勢いよく吹き出し、文句をシャオンに言う。

 シャオンもカップを手に取り、紅茶を口にする。

 

――まずい。

 

「うん、すげぇ渋い」

 

 これは飲めたものではない。何も知らずに口にすればシャオンも噴き出していたかもしれないほどだ。

 レムやラムが淹れるのを真似ただけだったので味に期待していなかったが、これほどまでに酷いとは思わなかった。

 これでは彼女の機嫌はぶっちぎりに最悪になるだろう。

そう予想していたが、

 

「待っているのかしらっ!」

 

 ベアトリスはその怒声とともに、禁書庫から出ていってしまった。かと思うとすぐに戻ってくる。

その手には新しい、花のマークがついた紅茶器具があり、そのまま椅子に座らずに、シャオンと自分用に新しく二人分の紅茶を淹れる。

 

「おぉ……」

「ふん、これくらい大したことないかしら」

 

 シャオンとは違う手際の良さ、そして漂ってくるいい香りに感心するように息を漏らすと彼女は得意げに笑みを浮かべる。

 目の前には四角い角砂糖――シュガーが二つ用意されている。

 

「ん?」

「なにかしら、シュガーの数は二つであっているはずなのよ」

「いや、確かに俺は紅茶呑むときいれる砂糖の量は大体二つだけど、話したっけ?」

 

 その言葉に彼女はわずかに肩を震わせ、ゆっくりと口を開いた。

 

「――あの男がぺちゃくちゃ話してきたのよ。聞いてもいないことをべらべらと、腹立たしいかしらっ!」

 

 彼女の瞳が段々とつり上がっていくのを見て、地雷を踏んでしまったと焦る。

 ここで彼女の機嫌を損なってしまえば本来の目的を達成できないまま部屋から追い出されてしまう。

 慌てて話をもとに戻すことにする。

 

「は、話を戻そう。実は君の力を、知恵を借りたい」

「……オマエがベティーの手を借りたい?」

 

 シャオンの言葉にとりあえず怒りを抑え、話を聞く姿勢を見せてくれる。

 

「ああ、呪術師について詳しく知りたい」

「相変わらず意味の分からないことに情熱を注ぐのよ……それで? 何が知りたいのかしら」

 

 呆れながらもしっかりと話を聞いてくれる彼女のやさしさに感謝しながらベアトリスに訊ねる。

 

「呪術の防ぐ方法、みたいなのない?」

 

 シャオンとスバルだけが知っていること、それは”呪術師の襲撃がある”ことだ。

 なにが起こるのかがわかっているならば防ぐ方法を考えるのは当たり前のことと言えるだろう。だが、

 

「ないのよ」

「――へ?」

「呪術は発動したら防ぐ手段はない、発動に手間がかかるのだからそれぐらいの効果はあるのかしら」

 

 ベアトリスの言葉に頬が引きつる。

 防ぐ手段はない、彼女はそう口にした。つまりは、発動したらゲームオーバー確定だ。

 それだったら、村に行くことをやめさせるほうが先決だ。

 だが、屋敷で過ごす以上誰かが買い出しなどで村に行く必要がある。

 現に今までのループでもレムとスバルが、シャオンとラムが村へ出向いているのだ。正当な理由がなければ止めることはできない、もしも要求が通ったところで長続きはしない。

 

「――ただし、発動前ならなんとかなるかしら」

 

手詰まりかと思っていたシャオンへ光明が差すかのようにベアトリスの言葉がかけられる。

 思わず顔を上げると彼女はシャオンの様子を気にするわけでもなく、紅茶にシュガーを三つほど入れ溶かしていた。

 

「ベティーやにーちゃはもちろん、ロズワールも恐らくは出来るのよ。ただあくまで、発動前という条件があるかしら」

「つ、つまり、発動する前なら後遺症なしに呪術を無効にできるんだな?」

 

 シャオンのどもりながらの確認とは対照的にベアトリスは静かに首を縦に振る。

 その反応にシャオンは心の中でガッツポーズをとる。これで一つ進展した。たった一つだが大きな進歩だ。

 流れに乗るようにもう一つの問題について助言を求めることにした。

 

「それと、もう一つ聞きたいことがある。気配だけでなく物音すら消す魔法、なんてあるか?」

「……陰魔法の大抵はそれかしら」

 

 陰魔法。いわゆるデバフ系統の魔法だ。

 確かにあの系統の魔法ならば気配だけでなく音すらも遮断できるだろう。

 だが、魔獣に陰魔法を使うことができるのだろうか? そもそも陰陽の魔法は適性があることが珍しいらしい。 可能性に入れてもいい選択肢ではあるが確信はできない。他に、何か手掛かりはないかと記憶を探る。そして――

 

「――石」

「は?」

 

 つぶやいた言葉にベアトリスが眉を顰める。だが、今のシャオンにはそれに反応する時間すら惜しい。

 頭によぎったのは魔獣の舌裏についていた碧色の石だ。あれがただの装飾品なはずがない。

 そして気配を消せるような魔法は陰魔法、魔獣に陰魔法が使えるかという疑問。それらを組み合わせて作り上がった考えは、

 

「その効果を出せる魔鉱石、あるか? つまりは、陰魔法の魔鉱石」

 

 魔鉱石の使用、その可能性だ。

 魔鉱石はマナを扱うことができればたいていの者が使える代物、知能があまり高くない魔獣にも扱えるというのは以前書物で呼んだことがある。

 ならばあの舌の裏についていた輝石が陰の魔鉱石で、気配を消していたのではないかと考察する。

 自らの考察が正しいことを期待して彼女の返答を待つが、

 

「確かに陰の魔鉱石は存在するかしら。ただ、大体は魔法器、『ミーティア』の魔力補充に使われているのよ。そのまま陰魔法を使うために魔鉱石を用いるなんてめったにないのかしら」

「まじか……」

 

 希望が打ち消され崩れ落ちそうになるのを何とか堪える。

 そんなことを気にする様子を微塵にも見せず、ベアトリスはお茶請けを口にしている。

 

「他には何か聞きたいことがあるかしら? なければベティーはもう眠らせて――」

「よぉベア子! あれ、相棒もご一緒で?」

 

 ベアトリスの声をかき消し、スバルが大きな声と共に禁書庫に侵入してきた。

 シャオン自身時間をかけてたどり着いた書庫だが、彼はすぐに見つけることができたらしい。

 

「ああ。といっても俺のほうは俺のほうで解決したけど……どうする? 俺も残ろうか?」

「そうだな、できればお前と相談もしたいからここにいてくれ」

「なんで、ベティーを無視して話が進んでいるのかしら!」

「そう吠えるなよ。ほら紅茶でも飲んでクールダウン」

 

 怒鳴るベアトリスをなだめながらスバルは、椅子に腰かけ、シャオンが淹れた紅茶の残りを口にし、

 

「まずっ!」

 

 勢いよく紅茶を吹き出した。

 

 

禁書庫でのベアトリスとの会談から一夜明けて、今は三日目の朝に突入している。

 昨夜の禁書庫でのやり取りで今後の方針はだいぶ定まったといえるだろう。

 魔獣の件についてはいまだ不透明なところが多いが、一つだけ対策を練ることができた。現在は対策を立てることができたからか、わずかながらに心にゆとりを持ちながら仕事をしている。

 そして、今はラムとレムと共に朝の業務の確認をしているところだ。

 粗方の確認を終え、いざ仕事にとりかかろうとするとしていた時、

 

「姉様、姉様。スバルくんという薄情者が来ましたよ」

「レム、レム。バルスという穀潰しが図々しくも来たわね」

「相変わらずの毒舌でスバルくん心は折れちゃいそうです……とりあえず」

 

 双子の毒舌にスバルはげんなりとした表情を見せながらもスバルがこちらにやってきた。

 そして、大きな声で、

 

「昨日はマジすんませんでしたー!」

 

 謝罪の言葉と共に、頭を床にこすりつけるようにする。

 

「本当に昨日はすまんかった。……まぁ、いろいろあってリフレッシュできたから今日は、いや今日からはしっかりと心機を一転しちゃいますぜ?」

 

 ウィンクを決めながらやる気を見せるスバルに三人は目を合わせ、

 

「膝枕ですね」

「膝枕だわね」

「膝枕だからね」

「待って! 俺のプライバシーが筒抜けなんですがっ!?」

 

 三人そろって”いろいろ”の部分をあえて口にするとスバルは顔を赤く染め、うずくまる。その姿があまりにも滑稽だったのでその場にいたスバル以外が吹き出し、さらに顔を赤く染める。

 

「さて、そろそろ朝のお仕事に入りましょうか、姉様」

「そうね、バルスにかまっていたら貴重な時間が、貴重な時間が無駄になるもの」

「切り替え速いな!」

 

 わざわざ二回も口に出し貴重な時間の部分を強調するラムに苦笑いを浮かべるスバル。

 

「タンマタンマ。仕事を始める前にちょいとお願いがありましてね」

「お願い?」

「……面倒ごとね」

 

 片方は単純に疑問を、もう片方は察しながらスバルの話を聞く体制をとる。

 

「決めつけはよくねぇよ? 姉様。実は村に行ってみたいんだ。近くにあるだろ?」

「ああ、あの小さな村。確かに買い出しとかがあれば業務を中断せずに寄れるだろうけど……」

 

 スバルの提案を初めて聞くようなそぶりを出すが実はこれは昨日考えた作戦だ。

 今夜、禁書庫での推測を確かめるため、今日中にでも村へ足を運びたい。そう思い、買い出しの日程を今までよりも一日ずらすことにしたのだ。

 

「香辛料が切れていたので、明日村に降りて買いに行こうかと考えていましたが……」

「いいんじゃないかしら」

「姉様?」

 

 悩む妹の代わりにあっけらかんと応じたのは、桃髪に軽く触れながら片目をつむるラムだった。彼女は妹の疑問の声に視線を向け、

 

「買い出しにはいかなければならないし特別急ぎの用事もない。二人の荷物運びもいるようだし、この機会にこき使えばいいわ」

 

 ラムの援護射撃は正直、予想外だったが結果として助かる。

 二人をどう説得するか、そのことに関してもスバルとシャオンは本気で頭を悩ませていたのだから。

 

「……姉様が、そういうのなら」

 

 しばしの間を経て、レムもまた肯定的な意見を述べた。

 彼女の行動の指針は基本的に姉の意見を優先する、ということはこれまでの接触からわかっている。

 ラムが偶然とはいえ口説き落とせた時点で、この交渉の結果は決まっていたといってもいい。

 レムは買い出しが加わった一日の予定を組み直しているのか、頭の中を整理しながらせかせかと歩き出す。

 

 「ま、俺が言うのもなんだけど……仕事しますか、先輩」

 

 その背中を見送りながら、スバルも遅れて後を追う。だが、ラムが「待ちなさい」という声に歩みを止めた。

 

「その前に、さっきの庭園での魔法だけど……」

 

 その言葉にスバルは手を合わせ頭を下げた。

 

「ああ、無様で悪かった。とても使い物にならねぇ。ありゃしばらく封印するわ。具体的には使いこなすのに二十年かかるらしいぞ」

「そういうことじゃないんだ、スバル」

「――どゆこと?」

 

 シャオンの言葉の意味がわからないからか、スバルは疑問符を頭に浮かべる。そんな彼にシャオンは自らの右頬を指差し、説明する。

 

「庭園の一角で、エミリア嬢の周囲を目隠しのシャマクで撹乱――慌てたレム嬢を食い止めた俺に、スバルくんは感謝の言葉をかけても罰は当たらないと思うんだ」

「あ……あーあー、あー、そーねそーよね。どーりでお前の頬腫れてるわけだ」

 

 未だに頬に感じる熱に痛みや怒りを通り越して感心してしまいそうなほどだ。

 庭園で陰魔法の発動が見えた瞬間、レムが鬼気迫る表情で現場に向かおうとした。

 勿論、その行動は間違っていない。屋敷の主とも同等と言えるほどの人物が襲われているかもしれないのだから。

 ただ、彼女の表情にはスバルを殺してしまいそうなほどの殺意がにじんでいたので慌てて止めたのだ。

 当然、立ちふさがったシャオンをレムは吹き飛ばし、その直後にラムが止めてようやく落ち着いたのだが。

 

「そういえば、ラム嬢とレム嬢どっちがついていくんだ?」

「なにを言っているの?」

 

 ラムはシャオンの言葉に首をかしげるがその様子にこちらも首をかしげる。

 

「ラムも、レムも、二人とも行くわ。きれいな花に囲まれてさぞ幸せでしょう? 男ども」

 

 スバルとシャオンの表情がラムの答えに引きつったものに変化したのを感じる。

 

「その花、毒あるんじゃないかな。とても強い」

 

 できればその毒が致死性が高くないことを願い、今日の業務をするためにそれぞれの持ち場に足を運んだ。

 

 

 その村を訪れるのは、通算で二度目のことだった。

 ラムと回った村落。領主の屋敷のすぐ側にある村にしては規模が小さく、住んでいるのはせいぜいが三百人前後。

 だが、三百人前後、などと簡単にいっても、その全員を調べて回ることなど不可能だ。ましてや時間は、楽観的に考えても今日、明日しかない。

 

「それにしても、ずいぶんと早く仕事が終わりましたね」

「人手がいつもより多かったのもあるけど、バルスが気味悪いくらい冴え渡ってたのよ。なにがあったやら」

「ふふん、俺の中の眠れる潜在能力が開花したんだろ。ラムちーも変に照れずにストレートに褒めていいぜ。ただし惚れるなよ!」

 

 午前中の仕事内容を高く評価され、かなり有頂天なスバル。

 午後の買い出しを確実なものとするため、必須の仕事を終わらせるのに全力を傾けた結果だ。おかげで村で活動できる時間を大幅に取れただろう。

 昨晩のベアトリスへの質疑応答で得た、呪術師が呪術をかける条件――それは、対象との肉体的接触。

 その対象に触れるなりの接触行為を行わなくてはならない。呪術師を純粋に暗殺者として考えた場合、これはかなりリスキーな条件だ。

 その対価を払うからこそ、発動後の絶対の呪術の発動、”死”が約束されているともいえるが。

 ともあれ、

 

「犯人の条件は変わらない――俺が過去に村に訪れた二回で、どちらも遭遇してる村人に限られる」

「そして、お前以外にレムも接触している」

 

 そして、その人物がこの数日以内の外来の存在であればほぼ確定だ。絞り込みは容易に行われる。

 こじんまりとした村だ。だがいくらそんな村でもどう頑張っても出会った全ての人物を把握することはできない。

 これまで屋敷の中に向いていた目を急に外に向けて視界を広げたのだ。ほぼ除外していたラインだけに、古い記憶を探るのも一苦労なのである。

 

「とりあえず記憶にあるのは……『若返りババア』と青年団。『ラムレム親衛隊』と『ムラオサ』と、ガキ共ってとこか」

「ネーミングセンスについてはいささか疑問が残るけどね」

 

 だが、名前の通り村の中で特に印象深いのがこのあたりの面子になる。

 『若返りババア』は、好色そうな笑みを浮かべてスバルの尻をまさぐっていった。勿論シャオンもその魔の手にかかったことはいやな記憶として新しい。

 『青年団』はそのまんま、村の若者で結成された集団だ。体育会系っぽい声の男がリーダーで、肩をバシバシと叩いてくる元気のいい男たちだった。

 『ラムレム親衛隊』は便宜上そう呼んでいるだけで、実際に当人たちが名乗ったわけではないらしい。そもそもシャオン自体彼等には出会っておらずスバルが語る印象しか知らない。

 一見、青年団によく似たメンバーで構成されていて、角刈りのリーダーが統率している。ラムとレムに親しくする男が気に入らないらしく、肩をバンバンと叩かれたとスバルが嘆いていた。

 そして『ムラオサ』は、背の低くて腰の曲がった爺さんだ。白く、まっすぐに伸びた立派な髭と、鋭い眼光も合わせて見た目は完璧に『できる村長』といった雰囲気の村民である。

 

「こうして思い出すとアレだね……ちょっと全員怪しすぎるだろ」

「ほんとにな。しかもさりげなく全員が俺と接触してるじゃねぇか。あとは……考えたくねぇががきんちょも候補にいれる」

「結局ぶち当たっていくしかないのか」

 

 結論としてはそうなる他ない。

 いちいち、体当たりな方法しか見当たらないことに情けなく思ったのか、スバルは大きなため息を吐く。と、そんな彼の物憂げな様子に、

 

「どーしたー」「お腹痛いのー?」「お腹減ったのー?」

 

 立て続けに反応する声は、頭の上から届いた。

 首をめぐらせ、スバルの後ろ、ちょうど背中あたりにしがみつく、小さな人影を見やる。

 茶髪を短く揃えた少年だ。年齢は十歳に満たず、小学校低学年くらいだろうか。そして、それ以外にもスバルの足や腰には小さな影がまとわりついている。

 いずれもスバルの腰あたりまでしか身長のない、小さな子どもたちだ。その数はスバルにしがみつく子だけで四名、そして周囲を見渡せばざっと十名には届くだろうか。

 そしてその手はシャオンにも及んでいる。スバルとの違いはその数が少ないのと、女の子が多いことぐらいだろうか。

 

「お前らは時空を越えても俺に絡みにくるな……」

「なに言ってんだー?」「頭ぶつけたー?」「お腹壊したー?」

「相変わらず好かれるね、子供たちに」

 

 笑顔で背中に上った子どもに頬を引っ張られているスバルの姿に感心の声を上げる。

 

「なんでか昔っからガキとお年寄りにはわりと受けいいんだよ。正味、俺はこの世でたったひとりに受けが良ければそれでいいのに」

 

 体を回して背中に乗せた子どもをあやすように揺らす。

 揺れに合わせ、きゃいきゃいと嬌声が響き、次は自分だなんて声が乱舞するのを聞きながら、スバルとともに子どもを引き連れて村を歩く。

それに倣い、軽く体を揺らしながら立ちあがる。

現在、シャオンはスバルと二人で自由行動中だ。

子供たちにあちこちしがみつかれているせいでとんだ自由行動だが、ラムやレムと同行していないという意味では自由行動中である。

 共に村へ訪れたメイド姉妹は、

 

「姉様、姉様。手分けして軽いものだけ集めてしまいましょう」

「レム、レム。重くて持ちづらいやつは男どもに任せましょう」

 

 などと後々に気が滅入るであろう発言を残し、足早に買い出しに散ってしまったのだ。

 おそらく、村を見てみたいといったことに対する気遣いなのだと思うが、どちらか片方は残っていてほしかったというのが本音と、そして監視の役割としてそれはどうなんだという疑問が残る。

 

「……二人がいれば、超緊張しながら容疑者挨拶回りしなくて済んだのに」

 

 呪術師の探索において、スバルが選んだ手段は非常に簡単なもので――自らの身を囮に、呪術師自体を誘き出すというものだ。

 といっても自暴自棄になって、身を差し出すわけではない。その前段階、つまり呪術の術式を刻まれる段階にあえて踏み込もうと考えているのだ。

 非常にリスキーな判断だ。その気になれば呪術師が呪術を発動させた瞬間にこのループのタイムリミットを迎えてしまうということになるのだから。

 

「少なくとも、術式自体はベアトリスが解ける」

「あのロリが拗ねなきゃな」

 

 呪術の術式解除はベアトリス、そしてパック、ロズワールにも可能という話だ。パックの場合は自然とエミリアを巻き込んでしまうため避けたいが、ベアトリスが非協力的な場合にはその手段もやむをえまい。胡散臭いロズワールに頼るのは最終手段だ。

 

「ん?」

 

ふと、頭になにかが掛けられたような感触を感じる。手でその感触の原因を確かめようとするが、

 

「……だめ、さわっちゃ花冠が崩れる」

 

 声と共に背後から小さな暖かい手が伸び、シャオンの手を止めた。

 その手の主は赤髪の少女だった。おそらく彼女も村の子供だろう。

 

「ほぉ、器用なもんだな、俺にはないの?」

「うん、ペトラお姉ちゃんのおかげ。スバルには……また今度、うんきっと、たぶん作るから」

「その今度が果てしなく遠い気がするんですが!?」

 

 自分の分はないのかと要求するスバルに悪気のない毒舌が刺さる。恐らく悪気はないのだろう、だからこそえげつないのだが。

 

「えっと、ありがとう?」

 

 礼を言うと恥ずかしがるように、しかしシャオンから離れようとはせずにただ背中に顔をうずめる。

 その様子にスバルがからかうような笑みを浮かべた。

 

「モテモテだな、おい」

「お前もな」

 

 互いの背中には大勢の子供が引っ付いている。離れさせようにも離れない。重く、動きづらいことこの上ないが、

 

「ま、悪くないか」

 

 そう、思える重さだった。

 

 

「そろそろ自由時間も終わりだからって見にきてみれば……」

「まぁ、まぁ。別に変なことをしているわけじゃないし、もう少しで終わるからさ」

 

ラムは呆れと怒りが混ざった声を出したのでそれをフォローする。

視線の先ではスバルはのびのびとダイナミックに体を動かし、その動きを真似して、子どもたちも同様に、そしてそれを取り囲んでワンテンポ遅れてついてくる老齢の集団や青年団の姿もある。

最後に深呼吸を行い、全員で息を整え、それから締めの一発として両手を空に伸ばし、全員で声を揃えて、

 

「――ヴィクトリー!!」

 

形式としては一応ラジオ体操だと思うが……なにか妙なアレンジがされており、よくわからないような踊りになっていたそれはようやく終わりを迎えたようだ。

やり切ると歓声が上がり、周囲の人々とスバルは手を打ち合う。わずかに汗のにじむ額を拭い、こちらにスバルが戻ってくる。

 

「それでこれはなんの余興?」

「余興て、そんなたいそれた話じゃねぇよ? ただがきんちょたちをまとめて相手するにはちょうどいいかなと」

「まぁ、思った以上の好評で俺も驚いたけど、それよりも驚いたのが――」

「アリィお姉ちゃんヴィクトリー!」

「はいヴィクトリー!! これ楽しいっすね。よし! もう一回!」

「あの子供たちよりも子供っぽい反応をしている奴がいるってところだよな」

 

 いつの間にか金髪の女性、アリシアもラジオ体操に参加し、子供たちよりもはしゃぎながら体を動かしていた。

そのはしゃぎっぷりは体操が終わった後もまた、一人で続けようとしているほどだ。

 本人の性格が相変わらず子供っぽいからか、子供たちと仲よく遊んでいても違和感がない。

 

「それで、お望みの村は堪能したの?」

「――ああ、その点に関しちゃ、滞りなく」

 

 村の散策、とは名ばかりの容疑者たちとの接触――それはあっさりと叶った。

 もともと目立つ面子であったこともそうだが、そもそも彼らの方も新しい人間へ接触したいという意識があったからだろう。

 探すまでもなく顔を出してくれたので、流れはともあれ肉体的接触に関しても前回と同じかそれ以上にあった。

 

「でも、流石に離れてほしいかなー」

「ああ、動きにくくて仕方ねぇ」

 

 いまだに体中にまとわりついている子どもたちに嘆息。一度避ければまあ諦める大人陣営と違い、子どものバイタリティには頭が上がらない。

 

「じゃ、俺らは仕事あっから離れろ、お前ら。いやぁ、残念無念。もっと時間があればもっと遊んでやったのに。はは、残念」

 

 レムとの合流を急げと視線で合図してくるラムに続く。が、

 

「お?」

「ん?」

 

 ふいに引っ張られるような感覚を感じる。振り返るとすぐにその原因がわかった。

さっきまで積極的に絡んできていた面子と違い、一歩引いた位置から、こちらをうかがっていた子がスバルとシャオン二人の袖を引っ張っていたからだ。

 

「どした? 言いたいことがあるなら聞くぜ?」

「えっとね……こっち」

 

 少女が指差すのはレムとの待ち合わせの反対方向だ。

 スバルは許可を求めるようにこちらを見る。

 残念ながら行動の決定権はシャオンではないので先輩であるラムにその視線を受け流す。

 彼女は小さく嘆息して、

 

「もう少しだけ、勝手にしたら?」

「悪いな、それじゃあついていこうぜ」

「ああ、そうしようか」

 

 ラムの許可を無事得ることができ、手を引かれるまま少女についていく。

 ついていくと集まっていたのは、さっきまでと同じ子どもメンバー。彼らは一様にその顔に悪戯っぽい笑み浮かべ、小さい声で囁き合っていた。

 

「あーあー、そういえばこのイベントもあったよなぁ……」

  

 納得の声を出すスバル。駆け出した少女。少し大人しめな彼女が息を弾ませ、ソレを腕に抱いてスバルの前へ戻ってくる。

それは褐色の体毛をした『子犬』っぽい生き物だった。

まだ生後間もないといった様子で、体長はいっぱいに体を伸ばしても三十センチに届くまい。つぶらな瞳に柔らかそうな体毛を生やすそれは見た目は紛れもなく犬だ。

 

「ふかーっ」

「やっぱりこうなるか……」

 

 スバルが歩み寄った瞬間、全身の毛を逆立てて威嚇してくる。

 小さな体をめいっぱい警戒させる姿に、子どもたちも驚いたような顔で、

 

「いつもは大人しいのにー」「スバルにだけ怒ってるー」「なにやったんだよー、スバルー」

 

「それは俺が聞きたい勢いだよ。三度が三度、これだと単純に俺とこいつの相性って話なのかねぇ」

「ふーん、どれどれ」

 

 悲しそうに肩を落とすスバルの隣で子犬に向かってお手をする。すると、

 

「おお、やわらかい肉球の感覚が」

「……できれば俺にもそんな反応だったら嬉しかったりしたなぁ」

 

 普通の犬のように前足をシャオンの手に載せてくる、その子犬の反応の違いにスバルは恨めしそうにこちらを眺める。

 

「ふむ……ならば胡散臭そうな笑みを浮かべて」

 

シャオンを見習ってか愛想笑いしながら媚びを売るスバル。と、その効果が出たかどうかは置いておいて、子犬が警戒を解いたように身をほどく。

 

「では、失礼して。うぉう、さすが夢にまで見たモフっ子。なかなかのモフリーケーションじゃねぇか。でもやっぱ野良は多少毛触りに難ありだな。そこは毎日のブラッシングと愛情が決め手」

 

 柔らかな手触に心を癒され、スバルの表情が緩む。

 

「モフっ子とモフリストは惹かれあう運命にあるわけだな。俺、詩的。そしてお前は超素敵。とはいえ、ちょいちょい気になる箇所あんな。おっと、頭頂部に十円……いや一円ハゲ見っけ。白っぽくなってっけど、お前どこにぶつけ――あいたー!」

 

 コンプレックスを指摘されたのがポイントだったのか、それまで大人しくしていた子犬が突如として牙を剥いた。

 がぶり、と左手に小さい犬歯が食い込む。

慌てて引き抜いたようだが、手の甲を軽く血が伝っている

 

「なんというイベント補完率。傷の位置までほぼ同じとか、ひょっとしてお前、タイムリープしてね?」

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 一度目の世界でもスバルは手に傷を負っていたことを思い出す。確かにかまれたと言っていたがそのイベントはこのことだったらしい。

 子犬は警戒心を隠すことなく小さく唸る。

 再び溝の開いたひとりと一匹のやり取りに、それを傍観していた子どもたちが、

「やっぱ調子乗ったからー」「あれだけ勝手に触られたらねー」「それにこの子はメスだしねー」

「微妙に問題点がずれてく気が……そして誰も俺の心配をしてくれない。そろそろデレるツンデレが出てきてもいい頃だよ!」

「大丈夫? これでOK?」

「お前じゃないよ! でもありがとう!」

 

 シャオンの裏声での心配に、スバルが大きな声を出して突っ込んだからだろう。びくっと体を震わせた子犬が、少女の腕の中から身をよじって飛び出し、そのまま茂みの方へと駆けていってしまう。

 その光景を見てスバルを除く全員がスバルを非難する目で見つめる。

 

「ついに全員でひと揃いかよ! 悪かったよ!」

 

 地団太を踏み、ひとしきり謝って、それから子犬を探しにいくという子どもたちと手を振って別れる。

 最後まで盛大に二人の体のあちこちにその痕跡を残していった彼らと別れ、待たせていたラムのところへ慌てて戻る。

 

「悪い、待たせた」

 

 腕を組み、塀に背を預けていた態度のでかいメイド。彼女は片目だけ開けて視線を向け、

 

「すぐ済むだろうと思って送り出した後輩の一人が、左手から血を流してる件について」

「それこそ悪かったよ! 色々あったんだよ、見りゃわかるだろ」

「そうね。視てたからだいたいは知ってるわ。早く戻るわよ、レムが待っているから。ついでにその傷もレムに治してもらいなさい」

 

 と、ふいにラムがスバルに歩み寄り、その袖を引いて先導を始める。

 彼女からスバルに接触するのは珍しかったからかスバルは瞬きを数回する。

 そして、動かないスバルに疑問を覚えたからかラムは首をわずかに後ろに向け、

「バルス? こないの?」

「……今行くよ、ちゃんとついていくよお前に」

 

 照れが入ったようなスバルの返事にラムはわずかに口角あげ、再び前へ進む。

今度はスバルもそれに合わせて歩みを進めていく。

 

「……これは信頼度は十分だね」

 

 そう、ひとりごち、彼等の背後をのんびりと、シャオンは一人で、ついていった。

 




リアルが忙しいので十二月中旬付近まで投稿できなくなるかもしれません。
一応簡易プロットはできているので今年中に三章には入ると思いますが。


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蛇足 司書の見た夢

幕間です。時系列はシャオンがハートキャッチされた後です。
僅かに四章のネタバレありですのでご注意を。


「ベアトリス様!」

「……どうやって扉渡りを潜り抜けたのかしら」

 

 禁書庫の沈黙を破ったのは一度扉渡りを抜けてきたナツキスバルという目つきの悪い男ではなく、屋敷で働いている桃髪のメイドだった。

 

「お客様が!」

「――どうしたのかしら」

 

 その声と剣幕にただ事ではないと知り、詳しく話すように促す。

 だが、正直説明されても意味が分からなかった。ただ、わかることは――ヒナヅキシャオンが体に穴をあけ、死にかけているいうことだった。

 

「現在はレムが治療を続けていますが、一向に治る気配が……」

「邪魔かしら」

 

 治療を続ける青髪のメイドにどくように指示し、目の前の男を見る。

 屋敷に運ばれてきたときにも思ったが、胡散臭い顔。黒い長髪を後ろで一纏めしているその姿はまるで女性だ。

 以前見た時と違うのはその服が赤い血で染まっていることだろうか。

 治療魔術を施そうと手をかざす。だが、その動作でもうベアトリスにはわかってしまった。

 

「もう、遅いのよ」

 

 治療をやめ、シャオンの開ききった黒い瞳を隠すように、瞼を閉じさせる。

 その際に触れた彼の温度は酷く冷たく、酷く無機質なもので、

 

「……魂が、すでに離れてるかしら」

 

 手遅れだということを改めて伝えてきた。

 

「そう、ですか。ありがとうございました。……ラムは、ロズワール様に報告に向かいます」

 

 ベアトリスの診断結果にわずかに悲し気に表情を変え、それでもしっかりと礼を告げる。

 

「レム、このことは今はまだ、もう一人のお客様にお伝えしない様に」

「――はい」

 

 桃髪のメイドがそう忠告し、部屋を退出。青髪のメイドが感情の読み取れない声で応え、続くように部屋を出ていく。

 残されたのはベアトリスとシャオンという人間の遺体のみ。

 

「――っ」 

 

 ベアトリスはその遺体を数秒見つめ、逃げるように部屋の扉を禁書庫につなげた。

 

 

 ――これは、夢だ。

 ベアトリスはそのことにすぐに気付くことができた。なぜなら今、自分のいる場所は――聖域だからだ。

 彼女はその聖域の、外に用意されたテーブルに腰を下ろしていた。

 テーブルの上には湯気が立っている紅茶と、色とりどりのお茶菓子。そして、向かい側の椅子にいるのは――

 

『ベアトリス、君はなんでそんな不機嫌そうにしているのかな?』

 

 笑顔でベアトリスに話しかけてくるのは白髪の男だ。

 長く伸ばした髪を二つ結びにし、黒い服を纏った彼の名前はシャオン。

 ベアトリスの大切な、母親でもあるエキドナの”弟子”だ。

 そして、ベアトリスの口は勝手に開き、あの時と同じ言葉を紡いでいく。夢なのだから自分の好きにしてほしいのに。

 

『……ベティーは優しいから教えるのよ。不機嫌の原因が目の前にいるからなのよ』

『それはそうかもしれないね。僕は君に嫌われているようだし』

 

 嫌われている自覚があるのに、なぜ目の前の男は笑顔なのだろう。

 もしもそういう嗜好を持っているのなら、ベアトリスはすぐに彼との茶会から退席する選択を選ぶ。変態と会話を続けるなど時間の無駄以外に何があるだろう?

 

『ふん、お母様からのお願いじゃなければオマエの相手なんてするつもりないかしら』

『ああその点は先生に感謝するよ。僕だけじゃ君と会話の機会すらできなかっただろう』

 

 くつくつと声を押し殺して笑う姿は相変わらず腹立たしく、どうにかその顔を歪めさせてやりたいと何度思ったことか。

 

『それにしても君は僕の認識阻害を見破った、いいかげんその方法を教えてほしいかな』

 

 彼が言っているのは初めて出会った時のことだ。

 エキドナが連れてきた客人という体で紹介された人間。その際に彼の容姿を言い当てたのだ。

 どうやら認識障害が発動していれば、本来では正反対の見た目に映るらしいがベアトリスの目には今のシャオンと同じ容姿の男が映っていた。

 

『僕の考えではあるけど、精霊特有の魂の形を見れることを利用したんじゃないかな?』

 

 その解答に、ベアトリスの眉がわずかながらに動く。

――正解だ。

 シャオンの認識障害を見破る技量を持つ人間はだいぶ限られる。

 ベアトリスが知っているのはそれこそエキドナだけだろう――あくまで”人間”という種族では。

 精霊は魂を読み取ることができる。

 初めてみたその時に感じた”魂”の違和感、それは精霊だったらすぐに気付けたものだったが、精霊以外には見破ることはできないだろう。

 どうりで魔法に精通しているロズワールが見抜けないわけだ、”魂”ごと存在を偽装しているのだから。魂を見ることができない者には到底無理なのだ。

 

『あれ、違ったかな?』

 

 黙っているとシャオンは頬をかく。

 ベアトリスが見破った理由をシャオンに教えてはいない。

 それはいろいろな理由があったが、大半は意地によるものと言い換えてもいいだろう。

 だが、今日、彼は正解にたどり着いた。そのことはベアトリスに驚きを与えた。幸か不幸か、シャオンにはそのことは気づかれなかったようで彼はただ、ため息を吐いていた。

 

『ふぅ、だんまりか』

 

 口を閉ざしているベアトリスをよそに、寂しそうに紅茶にシュガーを二つほど入れて飲む。どうやら彼は甘いものが好きらしく、エキドナ曰く知り合いの作るリンガパイが好物らしい。

 見た目同様好物も女らしいとは、本当は男ではなく女性ではないかと思う。

 

『まぁ、僕がここに来るのも恐らくはあと数回だろうね』

『……そう、かしら』

 

 その言葉に驚きはなかった。

 エキドナは、彼との茶会は”聖域”のみで開くと言っていた。

 彼は忙しく、ベアトリスと会うためだけにエキドナに会いに行くことは難しいらしいからだ。なので、エキドナが聖域に、一か所にとどまっている間のみ開かれるのだ。

 そのことを事前に聞かされていたので、いつかは別れが来るだろうと知っていた。ここまで早いとは思っていなかったが。

 

『”親友”の弟子の教えもいろいろと頼まれてるし、僕の方の研究もほぼ完遂したからね。君のおかげだ』

 

 礼を告げ、紅茶を飲み終えたシャオンが席を立つ。どうやらこれで今日のお茶会は閉会となるようだ。

 

『紅茶、おいしかったのかしら』

『お気に召したようで、なにより』

 

 不満そうにしながらも紅茶の感想を正直に口にする。

 ベアトリスは、彼との間にいくつかの契約をしている。

 その一つに”紅茶の感想に嘘はつかない”というものがある。バカらしい契約だが本人はいたって真面目なのだ。仕方ないので彼女自身も付き合っている。

 

『紅茶器具、忘れているのよ』

『あ、そうだった』

 

 テーブルに置かれた花の模様がついた紅茶器具を指差すと、シャオンは思い出したかのように手をたたく。

 シャオンは賢いが意外と抜けているのだ。ベアトリスが指摘しなければそのまま忘れて帰ってしまっただろう。だが、

 

『君にこれを譲ろう』

『は……?』

『いつか、おいしいものを淹れてくれると信じているよ。次に来たときは君が淹れるんだ。それとも、できない?』

 

 つまり、これは持ち帰り忘れたのではなく、ベアトリスに渡すために置いていったのだ。そして、その目的はベアトリスが紅茶を上手に淹れるためだという。

 その挑戦じみた言い方に腹が立つよりも、その挑発を受けて、シャオンの予想を超えることで彼を驚かせてやろうという気持ちのほうが強かったようだ。

 

『ふん、そんなのベティーにはお茶の子さいさいなのよ』

『ああ、期待して待っているさ。またね、ベティー』

『――またね、なのよ』

 

 小さくつぶやいたその言葉は、どうやら届いてはいたようで。シャオンは小さく笑みを浮かばせた。

 

 

 ゆっくりと瞼を開けるとそこは見慣れた禁書庫だった。

 先ほどまで感じていた聖域の雰囲気はもともとなかったかのように消え去っていた。ただ、目の前には譲り受けた紅茶器具だけがある。

 どうやら紅茶を淹れたはいいが、飲まずに眠ってしまったらしい。湯気がまだ立っていることからそう長く眠っていたわけではないようだが。

 

「……シャオンと、あのニンゲンは別人なのよ」

 

 あの夢を見た理由は屋敷に来たシャオンの死が関係しているだろう。

 

「馬鹿らしい、かしら」 

 

 名前と見た目が似ているからと言って同一視するなど、両方に失礼だ。

 それに、あのシャオンが本当にベアトリスの知っているシャオンならばそう簡単に命は落とさないはずだ。

 

「ベティー、ちょっとお願いが――」

 

 突然、愛する兄であるパックが禁書庫の扉を開け、入ってきた。

 笑顔で、それを迎えようと顔を向ける。すると、珍しくパックが驚いたように眉を上げ、

 

「ベティー? 泣いているのかい?」

「――え」

 

 指摘され、自らの頬に流れる熱い液体の存在を知る。どうやら、夢を見ていたとともに涙を流していたらしい。

 

「なんでもないのよ、にーちゃ。いま、行くかしら」

 

 乱暴に袖で自らの涙をぬぐうと、愛する兄の話を聞くための、体制を整える。

 

「別に焦らなくてもいいよ?」

「大丈夫かしら、それで? にーちゃのお願いなら何でも聞くのよ」

「実はね、スバルが――」

 

 ――恐らく、もうベアトリスは自身の手で紅茶を淹れることはないだろう。淹れる相手が、その存在が、もういないのだから。

 




本編はもう少しお待ちを。


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呪術師の正体

ぼちぼち投稿していきます


「姉様、ロズワール様が」

 

 屋敷の玄関前に荷物を持って先にいったレムが戻ってくる

 屋敷の主の名を口にする彼女に、高速で反応したのはラムだ。

 彼女の様子は激変したといえる。

普段から漂わせている気だるい雰囲気をどこかに置いてきたかのような、テキパキとした動きでレムに並び、歩きながら身だしなみを整える。

 それから、こちらをキリッとした目でとがめるように

 

「なにをしているの、ロズワール様を待たせる気?」

「え、なに、使用人集合ってことでいいの?」

「よくわかんないけど、そうなんじゃ無い? とりあえずついていこう」

 

 シャオンは今だに疑問の残るといった表情のスバルを連れ、慌てて二人に続く。途中、ラムを見習って身だしなみを適当に直しつつ、屋敷の玄関を開くと、

 

「全員集合とは、手間が省けて助かるよぉ」

 

 屋敷の主であるロズワールが、両手を広げて四人を待っていた。

 相変わらずの藍色の長髪に、青と黄色のオッドアイ。シャオンよりも胡散臭い笑みを浮かべた男。

 だが、今はいつもと纏う雰囲気が、そもそも来ている服装から違っていた。

 

「外出用の、いや余所行きの格好ですか?」

「ご名答。私もあんまり好きじゃないんだけどねぇ。普段の装いだと、どぉしてもやっかむ輩がいるものだからぁね」

 

彼は普段遊び心が溢れすぎている格好を好んでいるが、今は真っ当な礼服に身を包んでいた。

 皺一つないその黒服に、シルクハット。相変わらずピエロメイクは施されているがわずかにいつもよりも薄くなっているように感じる。

 

「少しばぁかり、厄介な連絡が入ってねぇ。確かめにガーフィールのところへ行ってくる。遅くはならない気だけどねぇ」

「ガーフィール?」

 

 初めて耳にするその単語に首をかしげる。横に視線を向けるとスバルもシャオンと同じように首をひねっている。

 地名なのか、はたまた人名なのか。会話だけでは判断できない。

 二人の疑問を察したのかロズワールは小さく笑い、

 

「そうだぁね、シャオンくんと彼は案外気が合うかもしれない」

 

”彼”ということは人名、そして男性だと言うことがわかった。

 

「そぉんなわけで、しばし屋敷を離れる。どちらにせよ、今夜は戻れないと思うから任せたよぉ」

「はい、ご命令とあらば」

「はい、命に換えましても」

 

 即断で頷くのは腹心ともいえる二人だ。その返答の迷いのなさはロズワールの外出に慣れている、というよりも、何があっても対処できるという自信の表れに見える。

 それからオッドアイがシャオンの右側、スバルを見つめる。

 

「悪いけど、俺は命に換えるほどの忠誠はまだ誓ってねぇよ?」

「そぉれでいいとも。いきなりそんなこと誓われても、重たいし気持ち悪いからねぇ――でも」

 

 ロズワールは片目をつむって黄色の瞳だけにスバルを映し、声を低くし、

 

「きな臭いものを感じる。私のことは構わないから……エミリア様のことだけはしぃっかり頼むよぉ?」

「――ああ、それはマジ任された」

 

 スバルのやる気を鼓舞するような頼み方にスバルもしっかりとした声で応じる。そしてロズワールはスバルから視線を外しこちらへと向ける。

 

「そーぉれに、シャオン君。君も私の弟子としてしっかりとこの屋敷を守るよーぉに」

「はい、全力を尽くさせてもらいます」

 

 言われるまでもない。なぜならようやく事態が動き出したのだから。

 ――これまでにない展開。

 これはまさしく、スバルが起こしたアクションによって、世界に変化が生まれたことを意味する展開なのだから。

 使用人それぞれの返事を受け取って、ロズワールは満足げに頷く。

 

「それじゃぁ、ちょっと行ってくる。何事もないことを祈るが、ね」

 

 どこか低い声でそうこぼし、ロズワールの背中が玄関の向こうへ。

 その背をお辞儀で見送ってから、ふとスバルがつぶやく。

 

「あれ、思ったけど二人はついてかないの?」

 

 スバルの疑問に対し、双子は揃って呆れたような感情を瞳に宿し、

 

「行っても仕方ないですから。足手まといになるだけです」

「忠誠心じゃ空は飛べないもの。スカートの中が見えるし」

「おいおい、聞き逃せないワードばっかりだったよ……」

 

 レムとラムも中々の戦闘力を保有しているはずだ。

 だがその二人がはっきりと力不足を自覚している。やはりロズワールは別格なのだろう。

 

「おわー、マジだ」

 

 スバルはロズワールが消えた玄関を押し開き、外に主の姿が見えないのを確認。それから視線を空へ向けてしばしめぐらせると、遠く夕焼けの方角に、豆粒のような影がかろうじてマントをひるがえしているのが見えた。単独飛行中のロズワールだろう。

 魔法の授業中にも一度飛行している姿を見たが、あそこまで飛んでいるのを目にするのは初めてだ。

 だが、そんなシャオンよりも人が初めて空を飛ぶという現場を見たスバルの驚きは上だろう。

 彼はわずかながらに目を輝かせ、こちらに訊ねた。

 

「空とか飛べんのかよ……あれって、『陰』属性でもできる?」

「風と火と地が相応に扱えればできるはず。いや、頑張れば地がなくてもなんとか?」

「……どちらにしろ俺には無理だということがわかったよ……」

 

 陰属性にしか適性がないスバルにはどちらにしろ無理な話だと分かり、肩を落とす。

 そんなやり取りを終え、

 

「ロズワール様がいなくても、レムたちの仕事は変わりません。むしろ、ロズワール様がいないからこそしっかりやりましょう」

 仕切りを始めるレムの話に頷きながら、シャオンは思考を激しく回転させる。

 ようやく、状況に再び変化が訪れた。そしてそれは明らかなまでに襲撃を予期させる変化。

 ロズワールに命じられた双子もいっそう、屋敷の警備に力を入れなければと力を入れているだろうが、確実に襲撃があると知っているこちらの内心はそれをはるかにこえて、緊張している。

 呪術師の正体――それを一刻も早く掴む必要がある。

向こうのアクションが早くなったのは間違いなく、今日の村への訪問が引き金になっていることだろう。

 ――即ち、スバルの推測は正しく、あの中に刺客が潜んでいるだろうということだ。

 

 

「どこにも呪いの残滓はないのよ」

「……俺は呪われていなかった、ということか」

 

 ベアトリスの診断結果にわずかに安心するがすぐに、思考を巡らす。

 今回シャオンが接触したのは『ムラオサ』『若返りババア』と青年団。『ラムレム親衛隊』に『子供たち』だ。

 つまり彼等が呪術師であるという可能性はこれでなくなったわけだ。

 

「昨日は呪術師について知りたいとほざいたかと思えば、次の日には呪術がかかっていないかの確認……オマエ、思ったよりも影響されやすいのかしら」

 

 確かに、事情を知らない彼女からすればそう見られてしまっても仕方ない。

 そしてその様子を想像し、似合わないなと苦笑い。

 

「あ、たぶん後でスバルも来るから」

「はぁ?」

 

 シャオンの言葉にベアトリスは驚いたような声をあげ、すぐに不快そうに眉間にしわを寄せる。

 

「あ、それと言い忘れてたことがあった」

「……なんなのよ」

 

これからスバルが来るという事実を知ってしまったからか彼女の声には諦観のような感情が混じっていた。

 だが、怒る様子はないようだ。もう、スバルに抵抗しても意味がないと判断しているのだろう。

 たった数日の間に彼女にこうも思わせるスバルの性格に驚きの声も出ない。

 あまり長居して彼女の機嫌を損なうような真似はしたくない。だが、こればっかりは伝えておきたいのだ。

 

「色々ありがとうベティー。あと、紅茶ごちそう様。今度淹れ方教えてくれ」

「――」

 

 照れ隠しに彼女の愛称を添えて、感謝の言葉を口にする。

 予想外だったのか彼女は瞬きを数回し、それでも驚いたままだ。

 珍しく、しかめっ面ばかり浮かべていた彼女の鼻を明かしてやったことに満足感を覚える。

 思えば彼女にはとても世話になっていた気がする。

 スバルの話ではシャオンが死んでしまった世界で、彼の護衛の役割を必死に努めようとしていたらしい。

 呪術師に関してもそうだ、よそ者である自分たちに詳しい事情を聞かずにその知識を貸してくれた。快くとは言えないが。

 

「お」

「ん、俺は終わったよ」

「げ、本当に来たのかしら」

 

 ちょうどいいタイミングでスバルが禁書庫に来訪した。

 その際に聞こえたベアトリスの不快さを隠さない声色が聞こえ、彼女の機嫌をこれ以上損なわせないようスバルに祈りながら、入れ替わるようにシャオンは退出した。

 

 

「シャオン!」

 

 禁書庫を後にして数分も経たない頃、スバルが転がるようにして現れた。ちょうど共に仕事をしていたラムはその様子に驚き、ブラシを落とす。

 確かにいきなり大きな音をたてて登場すれば驚くのも無理はない。

 だが、シャオンは彼がここまで焦る原因に心当たりがある。

 

「犬だ! あの犬ころだ!」

「なにを騒いでいるのよ。バルス」

 

 驚かされたことも相まってか、ラムはいつもよりも険しい視線でスバルを咎める。

 

「悪い、これから俺たちは村へ向かう必要ができた」

「村へ……? なにをしに……いえ、それ以前に、ロズワール様の言いつけを聞いていなかったの? 今夜、ラムたちは屋敷を任されているわ。その意味がわかっていないというの?」

 

 スバルへ反論するラムの視線が鋭さを増す。

 ロズワールの意思を優先させるのが彼女のスタンスだ。主の命令を蔑にするようなスバルの態度、それが琴線に触れたのだろう。

 だが、こちらもそれで引き下がれるような心情でも状況でもない。この機会を許してしまったら屋敷の住人たちの命はおろか、村の人間にまで被害が出る可能性がある。いや、必ず被害が出る。

 

「十分に理解している。だけど、こればかりは譲れない――あの村に悪い魔法使いがいる。その正体がわかったから、行かないといけない」

「……その子どもの言い訳みたいな理由で認めろと?」

「ラム嬢もスバルがこんな冗談を言うような人間だとは思っていないだろ? その証拠に若干今間があった」

「……ちっ」

 

 シャオンの指摘に忌々し気に顔を歪め、舌打ちも加えてこちらを睨む。だがシャオンの言ったことは図星だったのか否定する言葉は彼女の口からでてこない。

 その様子を見てスバルは説得を再開する。

 

「俺の言葉を信用したいのならベア子にでも聞いてくれりゃ証言してくれる。あとは……」

「姉様――」

 

 背後の大扉を開けてレムが姿を見せる。彼女は玄関で言い合うこちらの様子を見ると、滑るような動きで姉に並び、状況を把握しようとしている。

 

「姉様、これは……」

「村にいる悪い魔法使いを退治するから、外へ出してくれと仰せよ。――どうしたものかしらね、レム」

 

 バカにするかのような、そんな言い回しで妹に事情を伝えるラム。

 

「信じ難い話なのは認めるし、信じろって言われても難しいってのもわかってる。だから無条件で見送れなんて欲張りはしねぇ」

 

ここからが、分岐点だ。

 舌で唇を湿らせて、押し黙る二人に対して提案する。

 

「これから村に行く。怪しいって言うならついてきて構わない。ただし、エミリア嬢をひとり残しては行けない。ついてくるなら片方だけで、お願い」

「勝手な仕切りを……そもそも、ロズワール様のご命令を守るなら、シャオンくん達にレムや姉様がついていく理由は……」

「ああ、ない。夕方のロズっちの命令を守るってだけならな」

 

 スバルの言葉に二人の表情は疑問に満ちる。だが、

 

「お二人さん。ロズワールさんから出てる俺たちへの命令はそれだけ?」

「――――」

 

痛いところを突かれたように、言葉を見失うレム。

二人がロズワールから、よそ者二人組の監視するよう命令を受けている。というのは以前にシャオンが彼女自身から聞いた話だ。

なおもレムは反論の言葉を探すように視線をさまよわせるが、それより先に吐息で話の流れを割ったのはラムの方だった。

彼女は小さく手を上げ、

 

「わかったわ、バルス、シャオン。あなた達の独断行動を認める」

「姉様――!?」

 

 あっさりと白旗を上げてみせる姉の態度にレムは愕然。が、ラムは「ただし」と言葉を続ける。

 

「バルスもわかっている通り、貴方たちだけで行かせるわけにはいかない。ここでその行動を許すと、ロズワール様の命令に背くことになるから」

「そうだな。んで、妥協点は?」

「――癪な話だけど、さっきの申し出に乗るしかない。ラムが屋敷に残る。レムが二人についていく。怪しい真似をすれば……それが条件」

「願ったりかなったりだ」

 

 小さくため息をこぼすラムは、やや話に置いていかれ気味の妹に振り返り、

 

「レム、そういうことだからお願い。ベアトリス様への確認と、エミリア様の方はラムが守るわ。――そっちのことも、ちゃんと視てるから」

「姉様、あまりその目は……」

「言っている場合でもない。必要なら使う。レムもそうしなさい」

 

 姉の淡々とした物言いに、レムはそれ以上の言葉を差し挟めない。

 二人にしかわからないやり取りを経た上で、レムは渋々と言葉をいくつも飲み込むと、決して友好的ではない視線をスバルに、そしてシャオンにも向け、

 

「詳しい話が聞きたいところです」

「道中でな。ひょっとすると、かなりマズイ事態が進行してるかもしれねぇ」

 

 最悪の想像が正しかったとすれば、決して大げさと笑っていられないだけの被害が出かねない。それはス、もっと大きな視点から見た上での被害だ。

 軽く肩を叩き、通してくれるラムへの謝意を示す。

それからまだ納得していない風なレムを引き連れ、玄関へと向かう。

 すると、

 

「――スバル、どこか行くの?」

 

 玄関ホールの大階段、その上から鈴の音が降りた。

 振り返えると頭上、銀髪を揺らして佇むエミリアがそこにいた。

 彼女にもさっきのスバルの大声が届いていたのだろう。

 やや息を弾ませ、玄関で固まる四人を見やりながら彼女は、

 

「大きい声が聞こえたから降りてきてみたら……なにかあったの?」

「なにかあるかも、だよ、エミリアたん。まぁ、心配しないでくれていい。あ、でもちょっとは心配してくれてると嬉しい」

 

エミリアに余計な気苦労をさせないためだろう、スバルはわざとそう振舞ってみせる。

しかしそんな軽薄な振る舞いを彼女は見透かしたかのように肩をすくめ、

 

「また、危ないことしそうな顔してるわよ」

 

 エミリアは物言いたげな顔を作る。そんな彼女の洞察眼に頭を掻きつつ、スバルは苦笑いを浮かべる。

 

「そのあたりの言い合いは今しがた、ようやっと終わったとこで……」

「エミリア嬢には悪いけど、止めても無駄だよ?」

「うん、知ってる。だから、止めたりしないわよ」

 

 階段を下り、スバルたちの前まで降りてきて腰に手を当てるエミリア。

 そしてそのままスバルの方に手を伸ばし、胸に軽く触れると、

 

「無茶も無理もしないでって言っても、それも無駄そうよね」

「場合によっちゃ……な。いや、俺もしたくないんだよ」

 

 スバルの言葉は本心だろう。

 だが、自分たちにしか解決ができないのなら解決したいと思っているのも本心のはずだ。それがもともとのスバルの性格なのか、はたまた彼の思い人である銀髪の彼女の影響なのかまではわからないが。

 

「――あなたに、精霊の祝福がありますように」

「なんだって?」

 

 胸に触れたまま発した呟きに、スバルが首を傾げる。と、エミリアはそんなスバルに含み笑いを向け、

 

「お見送りの言葉よ。無事に戻ってきてねって、そんな意味」

「ああ、火打石で見送る感じか。なら、俺も答えにゃならんね。エミリアたん、あい――」

「はいはい」

 

 いつものように愛の言葉を告げようとしたスバルを流して、エミリアはこちらにも視線を向ける。

 

「二人も気をつけて。それと、スバルが無茶しないように見張っててね」

「はい、エミリア様。承りました」

「うん、了解。気を付ける」

「……信用ねぇかな、俺」

 

しょげたようなスバルの言葉にエミリアは呆れた様に息をこぼし、腰に手を当ててお説教モードに変わるエミリア。

 

「なに言ってるの。スバルの人となりを信用してるから、こんな話になるんじゃない」

「なにその信頼。いい意味にも悪い意味にも取れるな」

 

 言い足りない気持ちはいくつもあるのだろう。だが、それでも彼女が話を引っ張ったのはそこまでだ。

 急ぐこちらの心情を酌み取り、彼女はこちらの背を押すと、

 

「いってらっしゃい」

「うぃ、行ってきます!」

「うん、行ってくるよ」

 

 スバルと共に腕を振り上げるポーズで応じ、エミリアとラムを置いて屋敷を飛び出す。

 少し後にレムが後ろに続き、駆け出したこちらの隣へ悠々と並んでくるのがわかった。

 

「それで、詳しい話が聞きたいんですが……」

「呪術師が村にいる。ベアトリスに解呪してもらったけど、俺も呪いをかけられてたぐらいだ」

「――本気、ですか?」

「うん――下手すると、村が壊滅するかもしれない」

 

 走りながら息を呑み、レムが目を見開いて聞いてくる。

 それに無言の頷きで応じながら、ひたすらに村を目指す。

 呪術師が人間ならば、理性のある者だったらそんな手段は想像する必要もなかった。だが、呪術師が人間でない場合、最悪の事態は起こり得る。

 故に、駆ける足を緩めるつもりはない。並走するレムもまた、事の重大さを知って無言の疾走。

 遠く、木々の向こうにある村を目指し、三人はただ走り続けた。

 

 

「見つかったか!?」

「いや、駄目だ。どこにもいねぇ」

 

 村では大勢の大人たちが松明を持ちながら、忙しなく何かを探しているようだった。

 その騒ぎにレムが愕然としているなか、村の青年団の一人がこちらの存在に気付く。

 

「お屋敷のお二人じゃないですか。こんな時分に……」

「ちょうどいいところに。なにかあったんですか?」

 

 駆け寄ってきた青年を捕まえ、レムが問いかける。彼はその強い語調に少しだけ驚くも、上擦りながら応じた。

 

「実は、村の子どもが何人か見当たらなくてですね。暗くなる前まで遊んでいたのはわかってるんですが、そのあとが……」

 

 青年のはっきりしない物言いに、レムがさらに質問を重ねようと口を開く。

 が、それよりも先に動いたのはスバルだ。荒い息をのまま、スバルは青年の肩に手をかけて振り向かせる。

 その時に浮かべていたスバルの剣幕がすごいものだったからか僅かに体を震わせた。

 

「いないってのは、リュカとかペトラとかミルドだな?」

「そ、そうですが……どこに行ったのか心当たりが?」

 

 スバルが挙げた子供たちの名前、それは、昼間に犬と戯れていた子供だ。

 不安が的中してしまった怒りを晴らすように、シャオンは地面を蹴飛ばす。

 

「子どもたちを探してんのは、あなたと?」

「青年団が総勢でと、ムラオサが」

「子どもたちがいるのは森だ。村の中を探し回っても出てこねぇ」

 

 スバルの断言に青年の表情が変わる。彼はなおもスバルに聞きたいことがある様子だったが、スバルはそんな彼の肩を叩くと走り出し、

 

「俺らは先に森に入る。あんたはみんなに伝えてくれ。子どもたちは森だ!」

 

 背後で青年が疑問の声を上げるが、それに取り合わず再び駆け出す。

 慌て、ついてくるのはレムだ。彼女は確信めいたスバルの態度が腑に落ちず、口を開く。

 

「どうして、そんなことが……」

「子供たちが村で言っていたんだ”森に逃げた子犬を探しにいく”って」

 

 納得がいっていないレムにシャオンは説明する。

 今日、村を訪れた時に子供たちはスバルとシャオンに子犬を触らせようとした。その際逃げ出してしまったのだ、森の奥へ。

 そしてそのまま帰ってきていないとすれば――彼らはいまだ森の奥にいる。

 

「シャオン。臭いでわからないか?」

 

 そういわれ、すうっと音を立てて匂いを嗅ぐ。だが、

 

「……無理だな。木々の臭いに邪魔されるし、なによりほかの生物の臭いが濃すぎて無理だ。強い香料でも塗られていれば別だけど」

 

 シャオンが嗅ぎ取れたのは腐敗したような木の臭いと、わずかな動物の臭いのみ。

 大雑把な位置しか察することができないうえに、その種類が多すぎて断定は流石に無理だ。

 

「……くそっ、ならあてずっぽうで探すしかねぇのか」

 

 森に隣接する策を越え、入り口にたどり着くと、レムは驚愕を露わにしながらも、努めて冷静に数歩先の大樹を指差す。

 

「なん、で」

 

 驚きの声を漏らすレムに、シャオンは自分たちの予想が的中してしまったと舌打ちをする。

 眼前、レムが指摘したのは、大樹に埋め込まれた結晶だ。光を失って久しいといった感じのそれは、森の中で何度か見かける機会があった謎の物体。

森を指して、結界の話が出たことが何度か記憶に残っている。山の奥へ入ってはいけないと、そうラムに直接指摘されたのはいつだっただろうか。

 詳しくは覚えていないが重要なことだと何度も注意されたことは覚えている。

 

「結界が、切れています」

「結界が切れてると、どうなる?」

「『魔獣』が境界線を踏み越えてきてしまいます。だからこそ、結界の維持の確認は村人の義務なのに……!」

 

 与えられた業務をおろそかにした村人に対し、憤るレム。確かにその怒りは十分に理解できるが今はそれどころではない。

 

「言っても仕方ねぇ、目の前のが事実だ」

「ああ、急がないとな。村人に対する文句はすべて終わってからだ」

「――! 二人とも、なにを!?」

 

 輝きを失った結界石を尻目にスバルは足を進める。シャオンもそれに続いていこうとすると、レムが驚き、制止の声を上げる。

 

「あ? ガキ共は奥だ。助けにいかねぇと」

「子供たちが本当にいるのか確証がありません。それに結界を踏み越えるには、ロズワール様の許可が……」

「俺の手の甲の傷跡が証拠だ」

 

 乱暴に指し示す左手の甲――そこには昼間、村を訪れた際に負った傷がある。

 子どもたちが取り囲み、スバルに洗礼を浴びせた犬歯の痕が。

 村でシャオンとスバルは呪術師の捜索を行うために多くの人物と接触を行ってきた。

 なるべく村の住民全員との接触を試みたので、スバルとシャオンが接触した人物はほとんどがかぶっている。

 ただ、唯一違いがあったのは――子犬にかまれたかどうかだ。

シャオンには呪いがかけられていなかった。だが、スバルにはかけられていた。

 そしてそれと同じように子犬にかまれたのはスバルで、シャオンはその被害にあっていない。

 ――つまり、この傷跡を作った存在が、あの子犬がスバルに呪いをかけた張本人であるのだ。

 一度目、二度目、そして今回。

 スバルの身を呪いが降りかかったケース、その全てに関わる存在。そして、三度目の世界でレムの身を襲ったという存在。

 全てを包括する可能性を持つのは、もはやあの存在以外にあり得ない。

 

「ガキ共が可愛がってた犬だ。犬っぽいアレが”呪術師”だ」

 

 天災のようなものだろう。

 伝染病のように、獣を通じて爆発的にそれが広まれば、こんな村ひとつどうなるか想像に容易い。幸いにもかまれた人間から移らない分、マシと言えるが。

 

「時間をかければかけるほどヤバい。ガキ共が呪われてるかどうかはわからねぇが、とにかく全員連れて屋敷で解呪にかけないと」

「幸いにも、呪いの発動タイミングはかけたやつの意思によるものだからまだ手遅れじゃない。そして、発動前ならベアトリスが何とかしてくれる。発動タイミングは……奴が腹を空かした時か?」

 

 魔獣は一部を除き、本能に従ったような行動しかできない。そして彼らが人の命を奪う、つまりマナを欲するタイミングは空腹を満たすときだろう。ということはタイミングは今ではないが、必ず呪いは発動するということだ。

 

「待ってください。そんな判断を勝手に――そもそも、状況が怪しすぎます」

「ああ?」

 

 逸る気持ちのまま森へ入ろうとするスバルに、なおもレムは食い下がる。彼女は屋敷の方を指差し、

 

「ロズワール様が不在のこの機に、狙ったようにこんな問題が起きますか? これがお屋敷を狙ったものでないなんて……」

「じゃあ、どうする!」

 

 この事態でも冷静なレムに、スバルはついに我慢の限界が来たのか声を荒げる。レムに手を出さなかったがこれ以上はそれすら危ういほどに、感情をぶつけ、激昂する。

 

「現在進行形でピンチなのは間違いないガキ共を見捨てて、屋敷に戻って防御固めるか!? ああそうだな、次の日に村人全員が死んでてもいいってんなら、それも手だろうよ!」

 

 レムはあくまでリスクを回避しようとしているに過ぎない。それは当然の感情であり、彼女が責められる筋合いなどまったくないのだ。だが、

 

「……悪いけど、俺にはそんな選択は、……できねぇよ」

 

 スバルの小さく、こぼした声にレムは目をそらす。

 

「レム、頼む……頼むよ。俺たちで、どうにかしてやるしかないんだよ」

「どうしてそこまで……この村がどれほど関係が……」

 

 情けない声を上げながら、頭を下げレムに頼み込むスバル。

いまだ判断に迷っているからか、レムが女々しくそう呟くのを初めて聞いた。いつでもどんなときでも、整然とした態度を崩さなかったレム。

 だが、信頼する主と姉のいない場で決断を求められるとき、彼女はこんなにも脆い年相応の少女としての顔を取り戻す。

 時間の余裕もそうだし、精神的な問題での余裕もあまりないだろう。

 その証拠にレムの決起を促す傍らで、スバルの足は疲労以外の理由で震えるのを隠せていない。

 当たり前だ。自分に二度、レムに一度、命を奪う原因となった存在が、この先に待ち構えているだろうとわかっているのだ。

 だが、それでも進む理由があるから止まることはできないのだ。

 

「なぁ、レム嬢。子供たちの夢、知ってる?」

「……はい?」

「――ペトラ嬢はな、大きくなったら都で服を作る仕事がしたいんだ」

 

 唐突に始まった関係のない話にレムは間の抜けた声を上げる。

 だが、そんな彼女の疑問に答えることはなく、今度はスバルが口を開いた。

 

「リュカは村一番の木こりの親父の跡を継ぐって言ってるし、ミルドは花畑で集めた花で冠作って母ちゃんにプレゼントしたいんだと」

「メイーナ嬢はもうすぐ弟か妹が生まれるって喜んでたし、名前も考えてた。ルカ嬢はいつもお世話になっているペトラ嬢に恩返しをしたいってサプライズを考えてる」

「ダインとカインの兄弟はどっちがペトラをお嫁さんにするかで張り合ってやがる」

「どっちも断られていたのが笑えたけどね」

 

 その光景を思い出し、二人でつい吹き出してしまう。

 それから、押し黙ってしまうレムに首を横に振り、

 

「関係ないなんてことあるかよ。あいつらの顔も名前も、明日やりたいことも知ってんだ」

「それだけ知っていれば、関係ないなんてことはないんだ。命をかけて守る、守りたい理由にはなるよ」

 

 まったく関係のない、身近でない子どもなんてどうなったところで関係ない。それこそ、レムの言う通り屋敷にこもる方がずっといい方だと自分でも思う。でも、

 

「それに、ラジオ体操、明日もやろうぜって約束しちまった」

「わざわざ、俺も巻き込んでね。わざわざ芋判も作るほどのやる気ようだ」

 

 関わってしまったのだ。明日を楽しみに、希望をもって生きる光を見たのだ。

 ならば、助けたいと思うのは仕方ないことだ。

 

「俺は約束は守るし、守らせる性質なんだ。――俺はあのガキ共と、またラジオ体操を必ずする。だから、奥へ向かうぜ」

 

 震え声でレムに説くスバル。

 そんなスバルの背を見ながら、レムは静かに瞑目する。

 彼女がついてこないというなら、それもまた仕方のないことだと思う。今から戻って村人たちを呼びにいくのは時間のロスが大きすぎる。

 副作用を気にせず、能力をフルに使っていく覚悟を決めたその時、

 

「仕方、ないですね」

「レム?」

 

 ふっと、唇をゆるめてレムが顔を上げる。

 彼女は驚きを浮かべるこちらへ、初めてといっていいぐらい、はっきりとした感情をうかがわせる表情を浮かべ、

 

「レムの命じられている仕事は、お二人の監視ですから。ここで行かせてしまっては、それが果たせないでしょう?」

 

 からかうような彼女の言葉に、驚き、それから頭を振って、

 

「ああ、そうだな。俺達が怪しい真似しないか、しっかり見張っててくれ」

「ええ、そうします。――だから、行きましょうか」

 

 ようやく、森の入り口に足を踏み入れようとしたその瞬間、

 

「アタシも、連れて行ってくれっす!」

 

背後からかけられた声に振り返る。そこには金髪を乱れさせ、息を切らした少女――アリシアがいた。

 

「子供たちは森の中にいるんすよね?」

 

 事情を聞いていたのか、確信を込めた瞳でこちらを見せながら、自らも捜索隊に入れてほしいと、頭を下げて三人に懇願する。

 どうしたものかと悩む前に、シャオンは彼女の様子に気づく。

 彼女の体の節々に小さな傷がついており、切り傷や擦り傷などが目立つ。そして、頬には泥などがつき、汚れている。

 だが、よほど子供たちを想って探していたのだろう、彼女は自分のその様態に気付いていないようだ。

 

「スバル、提案がある」

「ああ、わかってるよ。というよりも願ったりかなったりだ」

 

 彼女の戦闘力は二度目の世界で十分に知ることができた。戦力不足の今、彼女の力は大きな助けになるだろう。だから――

 

「アリシア、お前も子供たちの探索に付き合ってくれ」

「シャオンくん?」

 

 レムの疑問の声に応じる前に、さらに別の声がかけられた。

 

「私からも、お願いしますレム様」

「ムラオサ……?」

 

 予想外の援護にアリシアすらも驚いたようにその名を呼んだ。

 長い髭を蓄えた老人、ムラオサ。彼がアリシアの背後から現れる。

 

「彼女はもともと村の人間ではありません。ですが必死に私たちの、村の子供たちを探してくださいました……彼女の子供を思う気持ちに嘘、偽りはございません。それはこの私が保証します」

 

 優しく、諭すように彼女の捜索への参加を許可するように頼み込む。

 

「どうか、彼女のご同行を許してあげてください。改めて、お願いします」

「お、お願いしますっ!」

 

 そう告げ、ムラオサは頭を下げる。それに続いてアリシアも頭を下げて懇願する。

 こちらとしてはスバルとシャオンは彼女の同行に賛成なので、残るのはレムの許可だけだ。

 なのでその問題であるレムの反応を見るために視線を向けると、わずかばかりに逡巡した様に視線を動かし、

 

「……はぁ、討論している時間もないですし、ここまで言われてしまっては仕方ありません」

「か、感謝するっす!」

 

 ため息とともにアリシアの同行に許可を出した。

 

「本当に、本当に感謝するっすレムちゃん!」

「そ、それよりも急ぎましょう」

 

 勢いよくレムの手を握って上下に振るアリシア。

 その様子に珍しく照れた様に頬を赤くするレムは、照れ隠しなのか急ぐように提案する。

 

「ああ、そうだな――」

 

その提案を受けると同時に、スバルがあることに気付き、顔をわずかに引くつかせる。

 そしてそのスバルの様子にシャオンと、アリシアも気づく――隣を歩くレムの手に、いつの間にか鉄球が握られている。鉄の柄と鎖で結ばれたそれは彼女の手の中で、その重量感に見合わぬ軽やかな金属音を立てていることに。

 恐らく彼女の武器なのだろう。アリシアのガントレットと同様に似合わない武器だが、レムの鉄球は彼女の性格からかけ離れているからか、アリシアの物よりも似合っていない気がする。

 

「あの、レムさん、それって」

「護身用です」

 

 スバルの指摘にレムは即答、

 

「いやでもそれは」

「護身用です」

 

 シャオンの指摘にもレムは即答し、

 

「レムちゃん、流石に――」

「護身用です」

 

 アリシアの言葉は途中で遮り、即答した。

 

「……そですか、わかりましたはい」

 

 あくまで護身用ということを譲らないレムにスバルは肩を落としながらも妥協の返事をする。

 恐らくレムに殺されたことがあるスバルにとってトラウマなのだろう。

 

「複雑なご事情があるんすね」

「ああ、複雑すぎるよ」

 

 その様子を見てこぼしたアリシアの言葉に同意を示し、ようやく四人は森へと歩みだした。

 



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小指の約束

 月明かりが木々に遮られ、森の闇は深い。行く手に立ちはだかる木々を避け、枝葉を掻き分けて進む内、体のあちこちに血のにじむ擦過傷が生まれる。

 だがそれらの痛みを感じるよりも、ただ速く足を駆けさせる。だがいまだに子供たちが見つかる様子は微塵もない。

 先陣を切っていくのはレム。その僅か後ろにスバルとアリシア。シャオンは背後を警戒しながらついてきている。

スバルの目の前の少女は小さく鼻を鳴らしている。その警察犬めいた仕草を指差し、

 

「シャオンもレムそうやってるけどさ、実際臭いで追いかけるなんて真似できんの?」

「一番誤魔化しのできないところですよ。姿かたちや声は偽れても、存在からにじみ出るそれだけは偽れないものですから」

「まぁ俺はレム嬢ほどの嗅覚じゃないけどね。この暗闇だと目だけでは探しきれないから」

 

 当人ではないのでわからないが、どうやらレムとシャオンでは嗅覚に差があるらしい。頼りになることには違いないが。

 

「うちの団長みたいな種族じゃないのによく嗅ぎ取れるっすね」

「団長……?」

 

 スバルはアリシアの口から出た言葉に首をかしげるが、彼女の説明が来るよりも前にレムが足を止めた。

 

「――! 近くに、生き物の臭いです」

 

 レムが顔を右に向けて瞳を細める。スバルは同じ方向につられて目を向けるが、広がるのは一向に変わらない闇だけだ。

 

「子どもたちの臭いか!?」

「わからない。だけど少なくとも獣の臭いじゃない」

 

 レムだけでなくシャオンも嗅ぎ取れたのか僅かに警戒の色を浮かばせた表情で答える。

 

「それだけわかれば十分っす!」

「とにかく行きましょう。こっちです」

 

 身を低くして駆け出すレムに、スバルも追いすがる。

 心なしか、レムの声にも弾むような音色があった。暗闇の中に見えた、文字通りの光明に足取りは意識せずに逸っている。

 だが、期待と不安は表裏一体だ。

 二人が捉えた臭いが子どもたちだと断言しなかったのは知らず知らずその不安を認めているからこそだろう。だからこそ、答えを一刻も早く見つけ出す必要があった。

 前を行くレムは手にした鉄球を乱暴に振るい、道幅いっぱいに広がる樹木を抉り飛ばして道を作る。その煩雑なやりようには焦りが強く感じられ、後を追いかけるスバルも自然と地を踏む蹴りつけが強くなっていた。

 息が切れ、足が重くなる。しかし、転んでタイムロスになることだけは避けるように踏ん張る。次第に真っ暗闇にも目が慣れ始め、スバルの視界にもわずかばかりに森の光景が映り込み始める。

 と、そんな慣れ始めた視界はふいに目の前で開けた。森の中、ぽっかりと木々が口を開けた空間があった。小高い丘が広がるそこは空が開けており、差し込む月光がいっそ幻想的な雰囲気すら醸し出している。

そんな小高い緑の丘、月明かりをを受けるその場所に――、

 

「子どもたちっす!」

 

 緑の絨毯にぐったりと、四肢を投げ出して寝転がる子どもたちの姿があった。

 真っ先に駆け寄ったアリシアに続き、スバルもレムとシャオンと共に子どもたちの安否を確かめる。

 倒れているのは全部で七人。わずかに腕に噛まれた跡がついているがそれ以外に外傷はなく、全員の意識はないが幸いにも呼吸は止まっていない。

 

「生きてる。――生きてるぞ!」

 

スバルは拳を固めて喝采を上げる。どうやら最悪のケースを回避することはできたようだ。

 アリシアとシャオンもそのことに、ほっとした表情を浮かばせる。が、その傍らで眠る少女の容態を見ていたレムの表情は優れない。

 

「今はまだ息がありますが、衰弱が酷すぎます。このままじゃ……」

「衰弱……呪い!」

 

 改めて見れば子どもたちの顔色は蒼白で、熱にうなされているかのように喘いでいる。額にはひどく冷たい汗が浮かび、苦しげな寝顔をしていた。

 

「なんとか、なんとかできないのか。シャオン、治療はできるか?」

 

 ありとあらゆる傷を治療できるシャオンの力。不確定要素が多い能力だがその威力は保証できる。

 シャオンも急いで子供に近づき、軽く拳を当てる。するとわずかに光が瞬き、

 

「……駄目だな」

 

 輝きが収まる頃には体についていた僅かな擦過傷などはなくなったが、子供たちは苦痛の表情を浮かべたままだ。

 

「レムも癒しの魔法をかけつづけます。少しでも体力を戻さないと」

「ああ、頼む。俺達はどうしたらいい?」

「周囲の警戒を。それと、子どもたちを一ヶ所に集めてください」

 

 レムの指示に従い、子どもたちを彼女の前にずらりと並べる。苦しげに呼吸する子どもたちを痛ましげに見やり、レムは地面に鉄の柄を使って円を刻んだ。

 子どもたちをすっぽりと包み込む形の円、その縁にしゃがんで手を触れ、

 

「水の癒し、その祝福を与えたまえ――」

 

 詠唱に続き、淡く青い光が粗末な円の中に浮かび上がり、寝ている子どもたちの体を柔らかに覆うと、その光をゆっくりと体内に沁み込ませていく。

 その輝きが癒しの波動であるのだと、優しく柔和なきらめき。

 時間が経つにつれて光は子どもたちの体に浸透し、次第に苦しげだった呼吸がわずかではあるが穏やかなものへと変わり始めた。

 

「……すげぇな」

 

 シャオンの能力で治療した時とは違い、子供たちの顔色は良くなる。癒しの拳と治癒魔法、何か通常の魔法とは違うものがあるのだろうか。

 

「駄目です。言った通り、これは気休め。こうして体内のマナに語りかけられる内は大丈夫かもしれませんが、それが枯渇してしまえば応急処置にもなりません。一刻も早く、根本的な原因を排除しないと」

「解呪、だな。よし、戻ろう。屋敷まで行けばベアトリスとパックが何とかしてくれる」

「なら急いで子どもたちを担いで……」

「――スバル?」

 

 即時撤退の覚悟を固めた直後、ふいに名前を呼ばれてスバルは驚く。声の方へ視線を向ければ、そこには薄目を開く麻色の髪をした少女の姿があった。

 そして少女の手には彼女の妹分である赤髪の少女の手が握られていた。

そして、僅かに意識が戻ったらしき少女はその瞳にスバルを映し、苦しげに喘ぎながら、

 

「スバル、スバ……」

「起きたのか、ペトラ。よし、いい子だ強い子だ。妹分をしっかりと守ったんだな。でも無理すんな。すぐに連れ帰って、苦しい理由とはサヨナラさせてやる。あとは俺たちに任せてくれていいから、今は大人しく休んで……」

「ひとり、奥……まだ……奥に……たすけて、あげて」

「……? まさか――」

 

 途切れ途切れになにかを伝えようとするペトラ。

 その断片的な情報に聞き逃せないものを感じ、子供たちに視線を戻す。そして、あることに気付いてしまった。

 その事実にスバルは小さく「くそ」と悪態をつき、それから森の奥へと視線を向け、

 

「昼の、あの場所にいた面子が行方不明のガキ共なら……」

「あのお下げの子が、いない」

 

 シャオンもスバルの言いたいことに気付いたようだ。

この場にいたのは七人、全員が名前を見知った子どもたちだ。が、この場に欠けているのは昼間にスバルを子犬の場所へと導いた少女。引っ込み思案なのか、なかなかスバルたちの輪に入ってこれなかった内気な子だ。

 そんな子が、この場にその姿を現していない。

 

「クソったれ」

 

 もう一度悪態をついて、スバルはその場に立ち上がる。

 

「レム。子どもたちに癒しの魔法をかけっ放しにすれば、制限時間を延ばすことはできるか?」

「……現状は、可能です。でも、本当にそれはただの時間稼ぎにしかなりません。レムもこの場にかかりっきりになってしまいます」

 

 スバルの意図が読み取れず、応じるレムの言葉の歯切れは悪い。

 それを聞きながら、スバルの脳はめまぐるしく回転させる。どうすればいいのか。この場において役立たずの自分は、どう動くのが最善となるのか。 

 幸いにもこの場にいるのはスバルだけではない。

 

「レム。子どものひとりがまだ奥に連れていかれてる」

 

 そして、恐らくそこにこの事件の元凶である魔獣がいる。だが、一人で魔獣と居て生き残る可能性は少ない。

レムもそれを知っているのだろう、表情が暗くなる。

 

「状況が悪いのは俺もわかってる。でも、かなりヤバいって思ってた子どもたちの命はどうにか拾えた。なら、残りも拾い切る努力はするべきだろ?」

「欲張って、拾って戻れるはずだったものまでこぼれ落とすかもしれませんよ」

 

 確かにレムの言うことも十分にわかる。だが納得はしたくない。

 

「アタシはスバルの意見に賛成っす」

 

 アリシアは横たわる子供の一人を優しく撫でながら、しかし覚悟を込めた声でスバルに同意を示す。

 

「もしも、たった一人だけ助けられなかったってなったら子供たちに顔向けできないっすから」

「それになにも俺も考えなしにこんなこと言ってるわけじゃねえよ」

 

 食い下がるレムが鼻白む。彼女の前でスバルは両腕を広げ、

 

「レムの力なら七人担いで逃げるのも無理じゃねぇだろ? 逆に俺もそこそこ力自慢なつもりだったが、ガキ七人担ぐのは無理だ。せいぜい二人、無理して三人ってとこ。シャオンと協力したら全員担げるかもしれないけどそれでもきつい。アリシアも十分馬鹿力だけど、俺たちに合流するのは難しい」

 

「でも……」

 

「俺が奥を見てくる。レムは子どもたちを連れて、一度村へ戻ってくれ。――なぁに、無理無茶無謀はしねぇし、できねぇよ。村の連中に子どもたちを預けたら、レムが飛んで戻ってきてくれればいい」

 

スバルの無茶苦茶な論法を、レムは無言で聞いている。

その彼女の視線が一向に和らがないのを受けながら、しかしスバルの唇は口八丁手八丁でまくし立てる。

スバルの判断が受け入れ難いのか、レムはスバルの袖を掴んで言い募る。

こちらの身を案じているのか、それとも純粋に無謀なスバルの案を飲み込むことができないのか。前者だと嬉しいなと思いながら、スバルは苦笑して彼女の指を袖から外す。

 

「スバル、もしもあの連れていかれた子供が、その、最悪の状況だったら――」

「ああ、それなら俺も引き返すさ。でも、もしもまだ望みがあるなら、時間稼ぎぐらいはできる」

 

 言いにくそうなシャオンの言葉を遮りスバルは断言する。

 

「相手がどんな相手なのかもわからない上に、レムがどのぐらいで戻ってこれるかもわかりません。最悪、見失って合流できないことだって……」

「なぁに、見失ったりしねぇさ」

「なにを根拠に……」

「根拠ならあるとも」

 

 その言葉を待っていたとばかりに笑い、スバルは自分の鼻に指で触れて、それから彼女の顔を指差し、

 

「――魔女の残り香」

 

 スバルの口にした単語に押し黙り、目を見開くレム。

 彼女のその驚愕に、いつかのレムに、このレムが知らない彼女に意趣返しするように笑みを深める。

 

「他の誰も気付かなくても、お前だけは俺の臭いに気付く。俺の身にまとう悪臭に、咎人の残り香に――そうだろ?」

「スバルくんは……どこまで、知って……?」

「さぁて、わかんねぇことばっかりだぜ。わかんねぇことだらけで、昨日も今日も明日も、何度繰り返しても望む答えになかなか辿り着かない。はぁ、人生って辛い」

 

 急な話題の飛び方に、レムは煙に巻かれたような顔をする。そんな彼女の反応を仕方ないと思う反面、このことを笑い話にできる自分の心境に驚嘆する。

 慣れてしまったのか、はたまた壊れてしまったのか。どちらにしろ似たようなものだが。

 

「お前が俺に聞きたいこといっぱいあるみたいに、俺もお前に聞きたいことがいっぱいある。だから、全部片付いたらお話しようぜ。勿論、お前が作ったお菓子をつまみながらな」

 

 そうして無理やり、手に取ったままだった彼女の指と己の指を絡める。

 小指と小指が絡んだ状態で、レムはスバルを戸惑いの瞳で見る。そんなレムの前でスバルは大きくその絡めた指を上下に振り、

 

「ゆーび切った、と」

「い、今のは……?」

 

 畳みかけられ、スバルの言動はもはやレムの理解を越えている。困惑に困惑を重ねて言葉もないレムに、スバルは「つまるところ」と前置きして、

 

「俺はレムを信じてるよ。だから、レムに信じてもらえるように俺も行動したい。そのための約束を、今しよう」

「――――」

「言ったろ? 俺は約束を守るし、守らせる性質だって。だから、心配されなくたってへっちゃらぷーだっての」

「ぷーって……」

 

 ついに堪え切れず、レムが呆れのため息をこぼしながら力なく笑う。

 そのまま笑いの衝動を殺し切れず、レムは小さく笑い続け、それにつられたようにスバルもまた声を殺したまま笑う。

 そうしてひとしきり笑い、笑い終えて、顔を上げたレムは、

 

「約束、しましたよ。――本当に、色々と聞かせてもらいますからね」

「初恋の子の名前でもなんでも話すよ。現在進行形で好きな子の名前以外はな」

「それはもう知ってます」

「本人には届かないのにね!」

 

 どこか、置き去りにしていたような彼女とのやり取り。

 それを再現して、スバルは己の満足を得る。レムもまた、真剣な面差しで、頷く。

 

「ちょいちょーい、お二人さん」

「いい雰囲気になるのは構わないんすけどね、途中からアタシたちのこと忘れてないっすか?」

「いやっ!? しっかりたよりにしていますよっ!」

 

 不満そうにレムとスバルのやり取りを眺めていた他の二人組が、抗議の声を上げる。慌ててフォローすると、その必死な姿が面白かったのか二人は笑いをこぼした。

 

「スバルの戦闘力のなさは俺たちでカバーできる。だから、レム嬢は安全確実に子供たちを頼む」

「なんかよくわかんないすけど、レムちゃんはスバルの体臭を嗅ぎ取れるんすよね? なら適任すよ」

 

 スバルと同じように、二人もレムが無事合流することを疑わない。

 そのことにレムは紡ごうとした言葉が詰まり、しかしすぐに覚悟を決めた顔つきに変わる。

 

「すぐに戻ります。皆さん、決して、無茶はしないでください」

「ああ、エミリアたんにも怒られちまうしな、気をつけよう。――ま、それに大丈夫だって。今日の俺、だいぶ鬼がかってっから」

「神がかる、じゃなくて?」

「神がかるの鬼バージョン! 最近の俺のマイフェイバリット!」

 

 両腕を交差して足を開き、虚空を掴む新ポージング。周囲の反応は何もない。だが、レムは、

 

「また、あとで」

 

 と、一言を残し、子どもたちをひとまとめに抱え上げる。小柄な少女がその小さな肩に、年少とはいえ人を六人も担ぐ姿は大道芸じみていて、こんな状況なのに遠ざかる背中を見送りながらスバルは笑ってしまう。

 静寂が落ちる世界で深く息を吐き、スバルはゆっくりと件の方向へ振り向き、

 

「んじゃま、やるとしますか。お二人さん、手を貸してくれよ」

「足震えてるっスよ」

「ついでに言うと手もね」

「だーっ!指摘すんなよっ!」

 

 かっこつけたことを台無しにした二人の指摘に照れ隠しと、空気を読んでほしいという意味で吠える。

 

「……ん?」

 

 そんなスバルの両腕をアリシアとシャオンがそれぞれ手に取り、小指を絡める。

 

「アタシたちも、ゆびきりするっす」

「時間がないのはわかってるけど、こういう願掛けは意外と役立つからね」

 

 強引に絡ませた小指をそれぞれ上下に振らせた。

 体勢上一つの輪を作るようになったが、指切りが終わるとともにその輪も切れた。

 スバルはその僅かな指を絡ませた間に気付くことができた――二人の小さな震えを。

 二人ともスバル程ではないがわずかに震えを隠せずにいたのだ。

 仕方ない、命を懸けて戦うというのはやはり誰でも怖いのだ。

 頼りになる二人のその姿を見ても、不安にはならない。むしろこの恐怖を感じているのはスバルだけではないということ、そして、

 

「――行こう」

 

 何より、その伝わってくる暖かさから自分は一人ではない、そう訴えられているようで、不思議と震えはどこかに消えていた。

 

 心は急ぎ、しかし足取りは慎重に。

 シャオン達は森の奥――朦朧とした意識の中でも懸命に絞り出したペトラの言葉に従って、暗い夜を裂くように駆けていく。

息を殺し、足音を殺し、魔獣どもに悟られない様に森を進む。

 この戦い、勝算は限りなく低いものだろう。

 シャオン達の勝利条件はお下げの子供の安否を確認、そしてできるならば連れ帰ることだ。逆にそれ以外はこちらの負けとなる。

 子供達を襲ったのがあの子犬ならば撃退は容易だと考えるが……

「さすがに負けねぇ、よな……?」

「たぶん。でも油断は大敵……以前の戦いで十分に身に染みたからな」

「魔獣に見た目なんて関係ないっすよ。その気になれば数倍になれるのが奴らっすから」

 あの魔獣が巨大化したり、上位の魔法を使えたりしたら……などと最悪の想像が頭によぎる。

 

「よせよせ、やめろ。最悪のパターンを描くと、喜んでそのラインをくぐってもっとひどい状況を持ってくるんだ」

 シャオンの顔色から心情を読み取ったのかスバルが肩を小突く。

確かにこれまでの実績を鑑みて、手酷いしっぺ返しを食らう前に予防線を張る。その予防線を無慈悲に引き剥がし、下に隠した傷口を抉るのがこの世界なりの親愛の示し方だと身をもって知っている。

 ならばできるだけ明るく、ポジティブに考えようと決めたその時、

 

「――止まれ」

 

ふいに生じた悪臭に息を詰め、足を止めるよう呼びかける。

 二人もシャオンの緊張した声に警戒をする。

空気が変わる、という感覚が如実に肌に伝わせ、大気の温かさが変わり、空気の流れが乱れるとそれは更に異臭を運んでくる。

 先ほどまでは鬱蒼とした草と土の臭いだけが立ち込めていた森の中に、思わず顔をしかめてしまうほどの生臭さが漂ってきていた。

 嫌な予感を掻き立てられるのを止められないまま、シャオンは息を殺して前へ。

 ――それは森の深い闇と同化する、漆黒の体毛をまとっていた。

体躯は大型犬に匹敵するだろうか。長い四肢が大地をしっかりと踏みしめ、重量のある長い体を支えている。発達した獣爪と、口の中に収まり切らない牙は、まさしく肉を穿ち切り裂くことに特化して進化した暴力の結集だ。

 枝葉に光を遮られる闇の中にあって、その爛々と光り輝く赤い双眸だけは見落としようがない。それは周囲をめまぐるしく睥睨し、その牙に獲物をかけることをいまかいまかと待ちわびているように見える。

 こと、暗闇に浮かぶその姿を見て、はっきりとわかる。――屋敷を襲った魔獣と同じ種類だ。 

 あちらはこちらの存在に気付いていないようで、今なら撃退は楽だろう。だが、わざわざ危険を冒す必要もなく、この場から離れてレムとの合流を待とう、そう判断しかけたときだった。

 

「――――」

 

 魔獣が立ち尽くす森の深淵、倒木が折り重なる場所がある。おそらくはその倒れた木々の隙間に、魔獣の住処のようなものがあるのだろう。

 ――その倒木の傍らに、ひとりの少女が打ち捨てられていたのを目にした。

 ボロボロになった衣服。ほつれてしまった藍色のお下げ。白い肌にはあちこち血がにじみ、うつ伏せに倒れる体の負傷がどれほどのものかは遠目ではわからない。

 だが、しかし、その子は、

 

「――う」

 

 小さく、か細く、声がした。

普通に考えれば届くはずのない距離だった。あるいは少女が生きていてほしい、という希望が生んだ幻聴かもしれない。

 証拠に件の少女はピクリとも体を動かさない。うめき声も二度目は聞こえない。

 弱々しい呟き、視線の先では魔獣がその首をぐるりとめぐらせ、倒れる少女の方を見ていた。そのまま鋭い爪で地面を掻き、ゆるやかな動きで彼女へ向かう。

 魔獣の意図が読めない。彼女をここまで引きずり込んだのは奴のはずだ。いつだって、奴は彼女を殺せたはずだ。なのにまだ生かしていた。生かしていたあの子が動いたから、今度はそれを止めようとする。

 

「――止めなきゃ」

「あ、ああ」

「ちょいまち、お二人さん」

 

 今にも駆け出そうとする二人を止める。

 当然、獣よりもこちらを先に殺すぞとでも言いたそうなほどの殺意を向けられる。

 だが、それを治めるよりも早く、不可視の手を発動し、魔獣の首をたたき折る。嫌な音が聞こえるとともに、魔獣の口から血が吐き出される。

 そして、魔獣は血を吐くことすら止め、完全にその命を停止した。

 

「い、いったい何が」

 

 状況が全く分からないアリシアに説明しようとすると、

 

「――あれ?」

「どしたよ」

 

 隣で疑問の声を上げるスバルが信じられない光景でも見たかのように、目をこする。そして、こちらに顔を向け、

 

「いま、一瞬お前の不可視の腕がみえたような」

「本当?」

 

 今までは決して視認することができなかった不可視の腕。それがスバルにも認識できた。それも何のきっかけもなく、突然に。

 

「見える?」

「……いや、全然。気のせいだったかも」

 

 だが、残念なことに、極度の緊張が生んだ幻覚だったのかもしれない。別段スバルに見えても何のメリットもないと思うが少し残念だ。

 

「な、なにがなんやらなんすけど、倒したんすよ、ね?」

「ああ――そうだ、あの子はっ!?」

 

急ぎ、倒木の傍らの少女の下へ。

高揚感も勝利の余韻も今は必要ない。ただただ、今の争いの果てに求めたものが取り戻せているか、それを確かめたい焦燥感の方がずっと勝っていた。

 

「――無駄に、ならなくてよかった」

 

 左腕を抱えたまま倒木に背中を投げ出し、スバルは深い安堵の息を吐く。

 どうやら救出目的の少女の体に確かな生命が残っていることが確認できた。むしろ、遠目で見てもその顔色は先ほどの子どもたちと比較しても血色がよく、ささやかな外傷を除けば被害はないと言える。

 

「心配かけやがって……まぁ、いいってことよ。女の子の体に傷なんか残っちゃった日には、責任とってお嫁にもらってあげにゃいけねぇもんな。エミリアたん、一夫多妻には厳しそうだし」

「一妻すら難しい状態なんじゃないっすか?」

「もうすこしオブラートに包もうぜ? 結婚は難しそう、とか」

「そっちの方がひでぇ」

 

ドッと安堵が降り注げば、戻ってくるのは軽口による精神安定だ。

 スバルだけでなくアリシアも、そしてシャオンも精神的にだいぶきつかったものがあったのだ。こんな軽口を口にだすぐらい許してくれるだろう。

さて、レムには時間稼ぎなどと言ったものだが、蓋を開けてみれば呆気ないともいえるほどに、見事、脅威事態を排除した形になる。

 この後は大人しく、レムの合流を待つのが得策だろうか。下手に入れ違いになるよりもそのほうがいいかもしれない。

 

――ふと、生き物の臭いがした。

 

「――ッ!」

 

 顔を上げる。慎重に、確信を得るためにもう一度嗅覚に意識を回す。

 同じ臭いが真っ直ぐ正面――シャオン達が様子を伺っていた方角から漂っていた。そして同時にその方向にある茂みが揺れる。

 その方向はレムと別れた方角にもなる。ともなれば、茂みを揺らしてくるのは青い髪のあの子……だったらどんなに良かったのだろう。

 シャオンが嗅ぎ取れた臭いは――

 

「待ちくたびれたぜ……あいにく、お前の相手は残ってねぇよ」

 「違う、スバル。レム嬢じゃない」

 

 来訪者がレムだと思い込んでいたスバルは、その言葉に緩んでいた顔を引き締めさせ、茂みからゆっくりと離れる。

 そう、シャオンが嗅ぎ取った臭いは――今さっき葬った獣と同じものだった。

 

「アリシア、スバルとその女の子に指一本触れさせんなよ!」

 

 草木が揺れ、茂みの向こうで立ち止まる気配。茂みが揺れる、向こう側から踏み出してくる、背の低い四足の影。

 そして、

 

「おいおい、嘘だろ……」

 

 夜の森を煌々と切り裂く赤い双眸――その光点が数えきれないほど、正面の木々の群れの向こうから覗くのが見えた。

 数えるのも嫌になるそれは、おそらくは両手両足の指を足してもまだ足りない。

 ふと、シャオンは自分の頬に右手で触れ、それが引き歪んでいるのに気付いた。口の端がひきつり、笑みの形を作っている。

 人間、ピンチになると笑ってしまうとは聞いたことがあるがどうやら本当だったようだ。だが、それだけで心は折れない。なぜなら、ようやく進むことができたのだから。

 

「かかってこいよ――不可視の、手」

 

 二つの圧倒的な殺意がその一言に爆発し、静寂の森が狂乱に飲み込まれた。

 

 赤い光点がシャオンめがけて一斉に飛びかかってくる。

 近づくにつれ、それが次第に輪郭を結び、漆黒を身にまとう猛獣が牙をむき出して襲いかかってきているのだと見てとれた。

 背後でスバルの叫び声が響く。だが、シャオンは慌てない。慌ててしまったらここにいる全員の死につながってしまう。なので焦らずに不可視の腕で目の前の魔獣を薙ぎ払う。

 魔手に襲われた魔獣たちは悲鳴を上げる時間すら与えられず、首と同体を分断され、吹き飛ぶ。

至近での撲殺に血飛沫がばらまかれ、頭からその鮮血を浴びる。

 ねっとりとした液体が頭を襲い、その不快感を払うことと、視界を確保をするために頭を振るって赤い液体を飛ばす。

 目の前の魔獣たちはいったい何が起きたのか知覚できていない。だが、確実に警戒させてしまったようだ。

 じりじりとシャオンから距離を取る。シャオンもそれに合わせて距離を詰める。

 すると、警戒を露わにしている魔獣の頭が、勢いよく粉砕された。その異常事態に他の魔獣が反応を示すよりも前に、2匹、3匹と同じように赤い華を咲かせ、その命が失われていく。

――いったい何が起きた、その疑問はすぐに解決された。

 

「遅くなりましたが――レムがいなくても大丈夫だったかもしれませんね」

「いや、ふぅ。この数で、しかも守りながらの戦いって結構しんどいからマジで、助かったよ」

 

 茂みの奥から現れたのはレムだ。

 スカートの裾を優雅にひるがえし、白いエプロンドレスを片手で軽く摘まみ、それと反対の手に血の付いた凶悪な鉄球を携えて、青い髪の少女が深淵に降り立つ。

 身を回し、ダンスを踊るかのように軽やかなステップと共に、鎖の音を響かせる。、

 その反応を横目に、レムはゆっくりと己の正面――新たな獲物の参入に、舌舐めずりしてこちらをうかがう魔獣の群れを見やる。

 奴らは群れの一匹が一瞬で屠られた事実を、決して軽んじて見ていない。ケダモノの見た目に反して連中は、かなり強かで小賢しいのだ。

 

「レム……」

 

 仁王立ちするその背中に声をかけ、その警戒を促す。

 スバルのトーンを落とした声にレムは振り返らず、ただ吐息をこぼし、

 

「スバルくんのひどい体臭を追いかけて、さらに人目をはばからない奇声に急いで駆けつけてみればこの有様。碌な状態じゃありませんね」

「ひどい体臭とか軽く凹む。あと、自覚ないけど俺ってさっきなにを叫んでたのか詳しく聞きたい」

 

 鉄の柄で正面を指し示し、レムはまるで挑発でもするように剣呑な光を瞳に宿す。その敵意を向けられる魔獣たちの心中は穏やかではないらしい。黙してこちらを睥睨していた奴らの目に、はっきりとした交戦の構えと蹂躙の先走りが浮かび出していた。

 

「それはまた今度、時間があるときにレムの気が向けば」

「――レム嬢!」

 

 シャオンの叫びを合図に彼女の正面でふいに生じたのは、左右に散る二匹の魔獣の猛攻だ。彼女までの距離を数歩まで詰めたところで、並走していた二匹が同時に左右に割れる。

片方を潰せばもう片方が確実に攻撃を当ててくる。効果的で、小賢しい策だ。だが、

 

「――――しっ!」

 

 鉄の柄を握る右腕が、ぞんざいに虫でも払うかのように振るわれる。

 うなりを上げて回転する破壊兵器はすさまじい勢いで、軌道上の全てを薙ぎ払い、その軌道の途中にあった二匹の魔獣の胴体を直撃させ、胴体を文字通り砕く。

 吹き飛ばされた魔獣の肉体は骨と内臓がぶちまけられ、地に落ちる。

 実際にシャオンはレムの戦闘力は知らなかった。

 ロズワールが言うには水魔法を扱うことができて、それなりの戦闘力を有して言るとは聞いたが……それが嘘でも謙遜でもなかったということが名実とともに明らかになる。

 

「つ、強ぇぇぇぇええええ!!」

「女性にその言葉はどうかと思いますよ、スバルくん」

「ボキャ貧の俺にはこんなんしか今の状況を表現する言葉が思い浮かばねぇよ。マジお前パネェな」

 

 スバルの激励を受けてもレムは表情を緩めない。

 

「これでも多勢に無勢、じり貧です」

「俺はまだ、いけるだろうけど、森で戦うにはあいつらが有利すぎるな」

「アタシも魔鉱石がなくなったら近接技しかできないっすね」

 

 戦闘要員である三人が現在置かれた状況の悪さを口に出す。だったらやるべきことは一つだ。

 

「ということは、撤退あるのみだな!」

「先頭はアタシがいくっす、スバルついてくるっすよ!」

 

 スバルは少女を抱いたままアリシアの隣へ。

 警戒しているのだろうか、新たに群れの二匹を失った魔獣たちの動きは鈍い。こちらの出方をうかがうように身を低くしている。威嚇の視線が光るものの行動にはでない。

 奴らは慎重と臆病を履き違え、最優の選択肢を自ら誤った。数で押されれば確実に死んでいたのはこちらだったのだ、おかげで生き残る道ができたので感謝するが。

 

「そこ!」

 

 スバルの叫びにレムの一撃が呼応する。

 大気を穿ち、殺戮を喝采する鉄球のうなり。それは狙い過たず、魔獣の群れが密集する地点のすぐ手前、その大地を爆砕――土塊と粉塵が舞い上がり、土砂の瀑布が飛び退く魔獣たちの視界を数秒間塞いだ。

 

「今だ――!」

 

シャオンの叫びに、スバルの体は蹴飛ばされるように走り出す。

隙間に飛び込むアリシアとスバルに、道を譲った魔獣が咆哮を上げる。猛獣は吠えながら再びスバルの進路を阻もうと跳躍するが、こちらを忘れてもらっては困る。

 

「フーラ!」

 

 風魔法をスバルに当てないように細心の注意を払いながら放つ。見えない空気の刃は魔物の腹を縦に裂き、確実に絶命させた。

 

「――うおおお 臓物がこぼれる音が背後から!!」

「我慢するっす! ほら走れっ!」

 

スバルは鮮血を浴びながらもアリシアの誘導を受け、ただ走る。そして遅れてシャオンとレムも続いていく。

 

「レム、道がわかんねぇ!」

「真っ直ぐ、正面です。結界を抜ければ勝負がつきます。それまで、方向を見失わないでください!」

「なら俺が誘導する。アリシアはこっちを頼む!」

 

 走るスピードを上げ、入れ替わるようにアリシアがレムの助太刀に、シャオンがスバルとおさげの子の前に移動し案内役になる。

 ほんのわずか先しか見えぬ暗闇が、これほど方向感覚を狂わせるとは思っていなかった。

 同じような景色が続き、自分がまるで一歩も進んでいないような感覚に陥る。だが、確実に臭いは村に近づいていることを知らせてくる。

「ああ、クソ! 横っ腹が痛ぇ――!」

「もっと鍛えとけ!」

 

 スバルの泣き言に八つ当たりの叫びをぶつける。そんな言葉を発する力すら足に込めろと言いたい。

 そしてふいに、眼前で闇が開かれる。

 視界が広がり、突然のことに思わず目を細める眼前、遠く、人工の明かりがともされているのが見えた。

 

「明かりだ! 人が……結界に辿り着くぞ!」

「はぁ……はぁ。こんなに走ったのは中学のマラソン大会ぶりだ」

 

文字通りの光明の出現に、首を後ろに向けて歓喜を伝える。

が、スバルとシャオンは直後に凝然とその目を見張ることになった。

 背後、こちらの背を守りながら戦っていた二人の姿が、あまりに壮絶だったからだ。

レムの糊の効いた仕立てのいいメイド服のあちこちに、爪や牙のいずれかによる裂傷がいくつも刻まれている。むき出しの白い肌には浅からぬ手傷がいくつも浮かび、目にも鮮やかだった青い髪は乱れに乱れ、頭からかぶった返り血が多すぎて元の色が判別できないほどだった。

 アリシアに至っては胴体を大きく切られており、出血が激しく、綺麗だった金髪も返り血か、負傷によるものかを判別できないほどに澱んでいた。

 

「二人とも――!」

「走ってください! ……レムが、レムがまだレムでいられる内に!」

「レムちゃんよそ見はしないで!」

 

 身を案じるスバルの声は、後ろからの強い言葉に切り落とされる。納得はできない。だが、その叫びに迷いを振り切って結界を目指して走る。

 

「……?」

「どうした――」

 

 呆気にとられているようなスバルの視線を追うと――それは結界を司る結晶の輝き、それが埋められた大樹のから離れた場所に向いている。視線は低く、ほとんど地面と平行の位置。その場所に小さな、小さな小さな影が蹲っているのだ

 そして、それに気づくと同時に小さな影――子犬の周囲が歪むほどのマナが生まれ――

 

「嘘だろ……」

 

 大きな土砂となってシャオンたちを襲い掛かった。真横から襲い掛かるその一撃は人の命を奪うには十分すぎる脅威だ。

 幸運だったことはその一撃は範囲は狭く手を伸ばして、引っ張ることができれば躱すことなど容易なことだ。

 だが、今まで走っていた足を止めてその行動に出るには難しすぎた。

 

「掴まれっ!」

「――ッ」

 

 転びそうになる体を何とか引き留めスバルの体を掴もうと手を伸ばしきる――だが、わずかに、届かない。

ゆっくりと、ゆるやかになる世界。

 その全てが遅々として進む世界で、目の目の友人が土砂に呑まれそうになる。

 

「スバルくん――!!」

「おごあああ!?」

 

 回避の手段はない。そして流れに呑まれれば、砂と石の狂宴は一瞬でその身を八つ裂きにするだろう。そう思ったと同時に、木々を巻き込みながらスバルがこちらに向けてぶっ飛ばされた。

 いきなり襲ってきた衝撃に思考が追い付かなかったが、ただ飛んできた二人を守るために体を抱え込むように丸め、そのまま太い幹に背中から激突、息が詰まり、地に落ちる。

 

「がはっ、あふっ、ああ……痛ぇ……ッ!」

「わ、悪い。そ、そうだレム――」

 

 スバルの言葉に点滅する意識の中、何とか目を開けると土石流が暴力的に地面をめくっている光景、そして、土砂流の直撃に木々の上まではね飛ばされる、レムの姿を直視した。

 そのままレムの体は受け身も取れず、地面の上に派手に落下する。唯一の幸いは土石流によって耕された大地が、落下した少女の頭を砕かなかったことだけ。

土砂流に襲われそうになるスバルを、レムが己の回避する時間を犠牲にして突き飛ばしたのだ。そして、自分はまともにその衝撃を受ける羽目になった。

 もちろん、人間の、それも女の子では耐え切れるはずのない威力。体の原型が残っていることすら奇跡に近いかもしれない。

 

「レム、バカ野郎! お前、こんな……俺は、これじゃ……!」

「どけ、スバル。今俺が――」

 

 治療する、そう言いレムの体に触れようと近づく。だが、そのシャオンを引き留めるかのように何かに引っ張られた。振り返るとそこにはいつの間にか追いついてきたアリシアの姿があった。

 

「アリシア……?」

「離れるっすよ。二人とも」

 

 なにを言っているんだ、とそう叫びかけた瞬間、シャオンの背筋が凍った。

 ――ゆっくりと、倒れていたレムの体が起き上がっていた。勿論そのことに驚いたが、さらに驚愕することは別にあった。

 レムの体はあれだけ派手な攻撃を受けたというのに、負傷の気配が見当たらない。それどころか、受けたはずの傷口が見る間に塞がる。すさまじい回復力が高熱を発し、血を蒸発させた。

そして、

 

「――はは」

 

ぐるりと、レムは理性の消失した瞳で何かを探す。そして、魔獣の姿をとらえると、返り血にまみれた形相を恍惚の笑みに歪む。

 

「なんだ、あれ」

「――鬼?」

「ああ、ずっと感じてた違和感の正体はこれっすか」

 

 三人はそれぞれが違う感想を口にするが、互いに現在みているものは同じはずだ。

 そう――髪飾りが外れた頭部から、白い角を生やした彼女の姿を。

 

「あは、ははは――」

 

 笑い声。まるで蝶の羽を毟って遊ぶ童女のような、剥き出しの残酷さから溢れるものだった。

 身をひるがえし、風に乗るレムの体が群れへ突進。足を止めていた先頭の魔獣が反応するよりも早く、その胴体がレムの踵に踏み潰される。骨を潰され絶命した魔獣、その死体を思い切り蹴り飛ばし、別の魔獣にぶつける。

 そして動きの止まるものから順に鉄球を、蹴りを、拳を浴びせる。

 

「魔獣、魔獣、魔獣――魔女!!」

 

 彼女はそのほとばしる獣性に身を委ねながらも、状況を見失っているわけではないのだ。その圧倒的な力で、己の内に燻るなにがしかの因縁を吐き出している。

 血が弾け、破砕した顔面から眼球が飛び散り、腸と脳漿がおびただしい勢いで森にばらまかれる。

 

「――っ」

 

 その 惨状は吐き気を襲うに十分なものだった。

 だが、何とか堪える。――今、声は出せない。それをしてしまえば、あのレムの意識に入り、殺されてしまいそうな気がしてならない。

 どれだけの返り血を浴びようと、白い角だけは決して汚れることはない。

 その存在は穢されることを拒むように、鋭い先端を光らせている。

 完全に状況に呑まれ、恐怖に体が縛られ動くことはできない。瞬くことすらできず、ただただ彼女の虐殺を見せつけられる。

 だが、虐殺の対象である魔獣たちはただ座して屠られるのを待つはずがない。硬直から逃れた個体が次々とレムを取り囲む。

 彼らは一撃ごとに死骸の数を積み上げながらも、少しずつ彼女の体に爪を、牙を届かせていく。

 元より多勢に無勢なのだ。最初に群れに加わっていた数を、森の中の移動の途中でさらに増やした魔獣の数は計り知れない。すでに最初の群れの数ぐらいは潰されているはずだが、闇夜に浮かぶ赤い光点は途切れることなく次々にわき上がっていた。

 数の暴力。単純ながらもその恐ろしさをシャオンたちは今、目にしているのだ。

 

「……まずいっすね。あれじゃ持たない」

 

 めまぐるしい状況の変化、だが変化していないことは自分たちが崖っぷちの状況にあるということだけだ。そしてアリシアの言う通り今のままではレムの体がもたずに朽ちるだろう。

 なにか、状況を変えることができることはないかと、考え始めたその時、

 

「シャオンっ――!」

「――!」

 

 唐突ともいえるスバルの叫びにシャオンもようやく気付いた。レムのはるか後方で、先ほどの土砂を起こした魔獣が、再びマナを集めているということに。

 発動前に気付けたことは僥倖。だがこの距離では魔法を使用しても間に合わない、ならば――

 

「不可視の手ッ――!」

 

 魔法よりも発動の速い不可視の攻撃を発動する。

 だが、威力よりも速度を重視したからか腕は一本のみ、そして大きさも小さい。

 

「ぐっ――!」

 

 逸る気持ちからか、それとも先ほどから行われている虐殺に思考が停止していたのを無理やり動かしたからか、僅かに不可視の攻撃はそれ、子犬の手前を抉ってしまう。

 直撃させることはできなかったが何とか魔法の発動を止めることができた。しかし、

 

「――魔女っ!」

 一番気づかれてはいけない存在に気付かれてしまった。レムがこちらに振り返り、今しがた魔獣の内臓を抉った手刀を構えてシャオンの方へ――しかし、

 ――駆け出そうとするその機を見逃さず、魔獣の群れが一斉にその背中に飛びかかっていた。

 

「――――ッ!」

 

 ――間に合わない。

 シャオンにレムの攻撃が当たるよりも、不可視の腕をもう一度発動させるよりも、魔獣の牙が彼女の柔肌を噛み抜き、命を奪うほうがわずかに早い。

 アリシアも魔法を飛ばすが、数多くの魔獣を殺すには足りない――もう、彼女を救うには間に合わない。

 諦め、せめて惨殺の光景を目にしないよう視線をそらす。だが、

 

「――え?」

 

聞こえてきたのは動揺したような声。

 理性が消えていた鬼の瞳に感情が戻り、血にまみれた凶笑がふと崩れ、状況がわからずうろたえているような少女の表情。

 そして、彼女がなにかを口に出すよりも早く、

「――がああああああ!!!」

 

 噛み砕かれた左腕の激痛に耐えられず、スバルの喉が張り裂けそうな絶叫を上げるのをシャオンは耳にした。

そしてそれに呼応するように、

 

「スバルくん――!!」

 

悲鳴のような声を上げ、レムは魔獣を蹴散らしながらスバルに駆け寄る。

「死なないで、死なないで、死なないで――!」

「くそっ! おい、意識を保て! 馬鹿っ!」

 

 シャオンは顔面を八つ当たり気味に殴りつける。すると、淡い光が彼を包み、魔獣の牙の痕跡をかき消す。

 癒しの拳でスバルの傷は治された。だが、いまだ意識はこちらに戻っては来ない。噛まれたショックで意識がないのだろう、でも息はある。

 

「まだ来るっすよ! とりあえず今はスバルを連れて退却するっす!」

「っ! レム嬢、スバルを頼んだ!」

 

 アリシアの言葉に現在置かれている状況を思い出し、放心しているレムを叱咤し、意識のないスバルとおさげの子を連れ、村へと駆け出した。

 




絶賛!インフルエンザ!
……すいません、文章荒いです。


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最終決戦

 シャオンは屋敷のある部屋の前でうろうろとしていた。

 端から見れば不審者そのもので、自分もそうだと思っている。だが、それも仕方ないことだ。

 この部屋の中には、スバルがいる。だが入れない、合わせる顔がない。

 

「……」

 

 現在スバルは、屋敷で安静にしている。

 襲われるレムを庇い、スバルは全身に魔獣の牙を浴びた。

 人間の体はそこまで強く出来ていない、だがそんな事情など魔獣は知らない。獣の顎は容赦なく、スバルの体を噛み砕き、引き千切り、切り裂いていったはずだ。

 傷は深く、肉がえぐれ白い骨が見えるほどに酷かった。

 幸いにもすぐに治療を行ったお陰で命に問題はない。ないのだが、あれからだいぶ時間がたつが目覚める様子がない。

 ベアトリスの保証もついているうえに、死に戻りが発動しなかったことから大丈夫だとは思うのだが、それでも心配なのだ。

 もしも、何かの例外が起きて死に戻りが発動しなかったら。もしも、ベアトリスがこちらを気遣って嘘をついていたら……その可能性を考えれば落ち着くことなどできるはずがない。

 それに、何よりスバルを守れなかったことが、シャオンのことを責め立てている。

 

「――うじうじと、まるで女のようね」

 

後ろから声をかけられて、忙しなく動かしていた足を止めて振り返る。

相変わらずの毒混じりの言葉を放ち、背後に立つのは桃髪のメイド――ラムだ。

彼女は珍しく給仕服の袖をまくり、その手にあるザルのようなものに、大量の蒸かした芋のようなものを乗せて運んでいるところだった。

 

「そんなに卑しそうに見てもただではあげられないわ」

「別にみてないよ、そこまで」

 

 ラムはため息を吐く。

 

「……貴方、やっぱり似てるわ」

「誰に?」

「――レムよ」

 

 予想だにしなかった名を挙げられ、驚きでキョトンとしてしまう

 そんなシャオンに、してやったりとでも言いたそうに笑みを浮かべ、ラムは続けた。

 

「自分が要らない存在、自分が代わりに傷つけば良かった。そんなところでしょう? 考えていることは」

 

 図星を突かれ、黙ってしまう。

 

「少なくともあの子供達の命は無事助けることができたし、レムも無事帰ってきた……残念ながらあの男も」

 

 最後の言葉だけは忌々しそうに、そして小さくだが確実に言葉にする。

 

「助けたいものすべてをこぼすことなく掬い上げた。それ以上何を望むのかしら?」

「――確かに」

 

 スバルの命も、子供たちもレムも無事戻ってきてくれた。そしてこのままいけば、きっとスバルも目覚めて二度目のループを抜け出すこともできるのだ。

 あの状態で挑んだ割には最高な結果だと思う。

 何も、失うものはなかった、何も取りこぼさなかった。これ以上を望んでしまっては罰当たりにもほどがある。

 そのことを気付かせてくれたことに礼の言葉を告げようとすると、彼女は一つ蒸かした芋を手に取り、シャオンのその口に突っ込んだ。

 

「貴方も、レムも考えすぎなのよ。もっと、楽になりなさい」

「……どうも」

 

 挿し込まれた芋を取り出し、礼を告げ咀嚼する。

 僅かに塩で味付けられただけの芋だったが、だからこそだろうか、素材の味が生かされている。正直、この屋敷で食べた中でも一番おいしかったとも言えるかもしれない。

 ラムは食べていた表情からシャオンが抱いた感想を読み取ったのか満足そうに笑う。

 

「それと、バルスはいつ目覚めるかわかったもんじゃないから、それまでアリシアと村に行きなさい。ラムも蒸かし芋を分け与えに村にいくから」

「アリシアと? いや、そもそも芋を渡すって……」

「ああ、言ってなかったわね」

 

 ラムは憂鬱そうに息をこぼし、

 

「彼女、今日からここで働くことになったから……癪だけど」

 

 どうやらアリシアがこの屋敷で働くことになるのはどの世界でも確定なのかもしれない。

 

 

「いやーラムちゃんって厳しいっすね」

「雇主のロズワールさん、エミリア嬢、ベアトリスとレム嬢以外には皆あんな感じだよ」

「アタシが心強くなかったら、泣いてたっすよ」

 

 そう言うアリシアは先ほどまでラムの毒舌に参っていたようだが、支給されたメイド服に袖を通せばすぐに機嫌は元通りになった。

 現在シャオンとアリシアは森から回収してきた子どもたちの安否の確認のため、村を巡回している。ラムは大人たちに対して結界に対することで話があるようだったので別行動だ。

 

「それにしてもこの服、子供たちに見せたかったすよ」

 

 訪問した際、子供たちの意識が戻っていればよかったのだが昨晩の疲労、解呪によるマナの消耗もあって残念ながら眠りについたままだった。

 だが、救出時とは違い、規則正しい寝息を立てながら幸せそうな寝顔を浮かべており、もう大丈夫だろうと判断できただけでも良しとしよう。

 それでもアリシアはメイド服を子供たちに自慢したかったのか、残念そうに肩を落としている。

 

「今度からは、いつでも見せに来れるだろ」

「それも、そうっすね」

 

 聞いた話ではアリシアは子供達救出に大きく貢献したとして、彼女はラムに屋敷で雇ってもらえないか頼み込んだらしい。

 ロズワールにはまだ話は通せていないようだが彼が帰ってきて次第話をするようだ。彼女の力がなければ子供たちの救出は叶わなかったのだから彼も彼女の要求を呑んでくれるだろう。

 それと、ロズワールが帰ってきたらすぐに森の魔獣を狩りつくすらしい。確かにあんな危険な生き物が近くに住んでいれば落ち着かないだろうが、すべて狩りつくすなんてできるのだろうか?

 まぁ、ロズワールの存在は十分規格外なものだ、きっとできるのだろう。

 

「……良かったすね、傷が残らなくて」

 

 考え事を

 

「ん? ああ、噛み痕は目立っちゃうからな。特に女の子は――」

 

 ――嚙み痕。その言葉が不意にシャオンの脳内に引っかかった。

 

「シャオン?」

「――ついて、いたか?」

 

 足を止め、こぼした言葉の意味が分からずアリシアは首をかしげる。

 

「嚙み傷、ついていたか? お下げのあの子の腕に。他の子と同じような傷が」

「ついて……なかった気がするっすけど。それがどうしたっすか?」

 

 それは、湧いて出た、豆粒のような小さな疑問だ。

 だが、小さな疑問は段々と膨らみ、不安、そして焦りへと変化していく。

 

「あのおさげの子は!?」

 

 村で仕事をしていた青年団の一人を捕まえ、尋ねる。最初はシャオンの剣幕に驚いていたがすぐに丁寧な口調で答えてくれた。

 

「え? ああ、あの子はいつまでも寝ているのは退屈だからと言って外で遊びに行きましたが……大丈夫ですよ、見る限りほかの子供たちより症状は軽いようでしたし」 

「あの子の、親は?」

「そういえば……村でも見たことがない子供でしたね」

 

 その答えに、パズルのピースが集まり、歪ながらも一つの完成図を作り出すかのように疑問が、確信へと変わっていく。

 男性に礼を言うことすら忘れ、魔獣の森に向かおうとする。

 すると森のそばの家の裏に、意識を取り戻したらしいスバルと、ベアトリスがいた。

 

「ベアトリス!」

 

 自分でも驚くほどの大声で紅色のドレスを纏う少女の名を呼ぶ。

 彼女も大声で名を呼ばれると思っていなかったのか、驚いたように目を丸くしていた。そして、驚かされたことに不満そうに口をすぼめながら、

 

「なにかしら、こっちは――」

「呪術発動は必ず対象との接触が条件だったよな?」

 

 遮るシャオンの言葉に何をいまさら、とでも言いたそうにベアトリスは答えた。

 

「そうなのよ。それだけは譲れないものかしら」

「おい、どうしたんだよ」

「あのおさげの子、嚙み痕ついていたか? スバル」

 

 事情を読み取れないスバルに、自分の気にしすぎによる勘違いであることを願って尋ねる。だがその希望は、

 

「え? 確かついてなかったような――おい、まさか……!」

「その反応だと、俺の記憶違いってわけじゃなさそうだな」

 

 スバルもシャオンの考えを読み取り、絶句する。

 

「ど、どうしたんすか! 急に走り出して……なにかあったんすか?」

 

 置いてきたアリシアが文句を言いながら追いついてきた。だが、緊迫した空気にただ事ではないと察する。そんな彼女に、

 

「ああ、アリシア。落ち着いて聞けよ? 俺らが助けた子供の一人、おさげの子供は呪術師をこの村に連れてきたやつかもしれない」

 

 最悪な可能性を、提示した。

 

 

「どうする、今ならまだ追えるぞ」

「いや、それもそうなんだけど、こっちはこっちで問題がありまして」

 

 そういうスバルは言いにくそうに、頭をかき、数秒後とある事実を口にした。

 

「実は俺の体、呪術が残っているらしい。そして、半日でそれが発動だ」

「どういうことっすか? スバルは無事解呪されたんすよね? ベアトリスちゃんが……」

「もう一度、説明するのは省くけど、とりあえず解呪は完全にはできなかった。森で新しく植え付けられたウルガルムの呪いの数が多すぎたんだよ。呪いが重複しすぎてベア子にも無理」

 

 ウルガルムというのは魔獣の名だろう。それよりも、呪いが解呪されていないというのは本当なのだろうか?

 ベアトリスに顔を向けると、彼女は無言のままだ。だが、否定はしなかった、それだけで肯定したと判断するには十分だろう。

 

「……なら、その女の子に頼み込んで解呪させる、か?」

 

 魔獣を連れてきた彼女ならば魔獣を操る、もしくは魔獣と意思疎通ができるはずだ。それなら呪術の解呪をするよう魔獣に頼むことも不可能ではないはずだ。

 

「ああ、そうだな。だから追いかけるのは賛成だ。ただ、お前ひとりじゃ追いかけるのは厳しいだろ? 探索に向いているレムを――」

 

 同行させる、そう続けようとしただろうスバルの口が止まる。

 そして、何かに気付いたかのように、目を見開いていく。

 

「――レムは、どこだ?」

 

スバルも、シャオンもこの朝になって青髪の少女の姿を目にしていない。アリシアのほうを見ても、彼女もその所在は知らなそうだった。

負った傷の具合が重すぎて、今もどこかで休んでいる? いや、鬼化の影響だかなんだか知らないが、外傷はないという話だからその可能性はゼロだ。

 それなら村のあちこちを回って、村人の世話に精を出してる? いや、シャオン達も村を一通り回ったが彼女の姿はなかった。

 そもそもレムが厨房に入れるなら、蒸かし芋なんてラムの得意料理は出てこない。

 ――じゃあ、傷もないのに厨房にも入らない彼女は今、どこにいる?

 スバルと同じようにシャオンの思考も嫌な予感で埋め尽くされる。

 

「ベア子……ベアトリス、レムは、どこだ?」

 

 スバルのたどたどしい問いかけに、ベアトリスはその縦ロールをひと房撫で、

 

「お前が同じ立場なら、どうするかしら?」

「答えになってねぇ!」

 

 ベアトリスの態度に怒声を上げるスバル。そこへ、

 

「――ああ、四人ともこんなところに。悪いんだけど、レムを知らない?」

 

 今の怒声を聞きつけてだろうか。広場の方の一角から、桃髪の少女が姿を現してきてしまった。彼女はこちらを不思議そうに見てから、今の問いかけを思い出させるように首を傾けてみせる。

 そんな彼女の仕草に対して、ベアトリスは見慣れた無関心な表情を保つ。

 だが、彼女以外はラムの愛妹であろうレムの現在置かれている状況を伝えることができず、目を逸らす。

 その露骨な反応と、会話をしている場所。そこになんらかの符号を得たのか、ラムは「まさか」とその表情をふいに曇らせ、

 

「――千里眼、開眼」

 

 髪の中に手を差し込み、ラムは己の片目を塞ぐとそう呟く。

 直後、彼女に起きた変貌を目にした驚愕にうめき声を漏らす。

 左目を塞ぎ、右目を見開く彼女の形相に、びっしりと血管が浮かび上がる。白い面に青緑の血管が浮かぶ光景はグロテスクで、さらに血走ったというより血溜まりと化したラムの右目の様子がさらにそのおぞましさに拍車をかけた。

 その驚嘆すら無視し、そうした変貌を得たラムは唇を震わせ、

 

「――見えない。そんな、まさかレム、結界の向こう!?」

 

 目を血走らせたまま振り返り、ラムの足は結界の張り直された森へ向かう。

 と、スバルは思わずその肩に手をかけて止める。

 

「待て、場所がわかるのか!?」

「結界の中にさえ入れば……止めないで、バルス!」

 

 肩にかかるスバルの手を猛然と振り払おうとするラム。が、スバルの方も引き剥がされまいと必死だ。

 

「ベアトリス! なんで彼女を止めなかった!」

「――可能性の提示はした、それだけなのよ。混じり物の娘を危険にさらしたくないにーちゃはもちろん、禁書庫とこれだけ離れてしまったベティーも戦力外かしら。その男はなんの役にも立たない。選択肢は限られていたのよ」

 

 確かに、動ける人数は限られていただろう。

 アリシアは負傷が思ったよりも激しく、姉であるラムを頼ることは彼女の性格上しないだろう。だが、シャオンはどうだ? アリシアほど負った傷は深くなく、動くことはできたはずだ。

 

「……なんで、頼ってくれなかったんだよ」

 

 そんなこと、わかっている。迷惑をかけたくないからだ。

 そして、スバルが傷ついたのは自分の責任だと考え――魔獣の住まう森の中に、単身、群れを掃討するつもりで入ったのだ。

 先ほどラムが言った、レムとシャオンは似ているという言葉は案外あっているのかもしれない。すぐに彼女の考えを理解したこと、そしてシャオンも同じ立場ならその行動をしていただろうと思ったからだ。

 レムの力は夜の森で魔獣たちを圧倒していた。だが、

 

「魔法が使える奴が何匹いる? そもそも、俺の呪いが解呪できたってどうやって確かめるんだ。片っ端から殺して殺して、闇雲ってレベルじゃねぇんだぞ!」

「どういうこと? バルスの呪いは解呪されたはずじゃ……」

 

 スバルの血を吐くような叫びに、ラムもまた血走った瞳を曇らせる。

 

「複雑に絡んだ魔獣の呪いを解くために、ウルガルムの群れを殲滅しに森に入ったんだ、単身でな」

 

 苛立ち気なシャオンの言葉に、ラムは一瞬言葉を失う。

 しかし、すぐにその表情を悲嘆から決意に切り替えると、妹のあとを追って迷わず森へ飛び込もうと駆け出し始める。

 

「――待て!」

 

 その正面に両手を広げて飛び出し、ラムの行く手を遮るスバル。桃髪の少女はそんなスバルの態度にキッと鋭い目を向け、

 

「どきなさい、バルス。今のラムは余裕がないから、優しくできないわよ」

「なにも考えなしに行くなっつってるわけじゃねぇ! いくつか聞きたいことがあるからそれに答えろ、正直にな」

「そんなことをしてる時間は……」

「ラム、落ち着いて。こういう時こそ一度落ち着こう」

 

 スバルの横に並び、二人で彼女の進行を止める。

 どうやら二人を相手にして無理やり突破するよりも、話を聞いてからのほうが早いと考えたのか少なくとも足は止まった。

 

「……レムを助けたきゃ、聞いてくれ。少しでも、可能性は上げておきたい」

 

 現在進行形で窮地にあるだろう妹、そのレムを助ける手段と聞かされて、ラムの頑なだった姿勢がわずかに揺れる。

 

「聞きたいことはほんの二個だ。まず、お前の千里眼って力があれば、森の中のレムの居場所がわかるのか?」

「……ええ、わかるわ。ラムの千里眼は範囲内の、『ラムと波長の合う存在』の視界を共有する目だから、見えた光景を順々に移動すれば必ず届く」

「見通す目っていうより、複数の視界から見渡す目、ということでいいんだね。なら、一つ目の条件はクリアかな」

 

 第一条件のクリアに頷きながら、続いてスバルは二本目の指を立て、

 

「ああ、なら二個目。――ラム、お前って戦えるタイプのメイドだったりする?」

「それはどういう意味?」

 

 目を細めて問い返してくるラムに、スバルは「そりゃまぁ」と前置きして、

 

「レムと合流するまでの間、どこで魔獣と激突するかわからねぇんだ。自衛できなきゃ話にならねぇ。あ、わかってると思うけど俺の戦闘能力は期待すんなよ?」

「ま、待ちなさい。シャオンはともかく、そもそもバルスはついてくるつもりなの?」

 

 自信満々に実力不足を語るスバルに、ラムは珍しく焦った口調だ。その彼女の焦燥感はわかる。

おそらくこ子にいるメンバーの中で最弱なのはスバルだ。そして、それはスバル自身もわかっているはずだ。

 それなのについてくるというのだから動揺はするだろう。

 

「動揺はわかるけど、必要条件だぜ? いや正直、レムの生還だけが目的なら俺は必要ないっちゃないんだが……」

 

 台詞の後半が尻すぼみになり、聞き取れなかったらしきラムが疑惑の表情。

 その表情にスバルは慌てて両手を振り、ごまかす。

 

「こうなりゃ全員で五日目を突破してぇじゃねぇか。それができてこそ、こうまで何度も挑んだ甲斐がある。だからひとつ、頼まれてくれ」

 

 両手を合わせて拝むスバルに、ラムはなにを言うべきか迷うように唇を震わせる。

 しかし、結局はそれら全てを封じ込めたままため息をこぼし、

 

「――鬼化したレムと同じくらい戦えるのを期待されているなら、無理よ」

「というと?」

「レムと違ってラムは『ツノナシ』だから、完全な鬼化はできない。レムと違って肉弾戦が得意でもないし、少しだけ過激に風の系統魔法が使えるだけよ」

 

 そう答え、ラムはスバルの髪に軽く風魔法をぶつける。わずかに髪が揺れる程度のものだったが、少し力を込めれば首を切断する程度、造作もないものだろう。

 

「まったく魔法が使えない俺からしたらどっちにしろ十分な戦力だっつの」

 

 苦笑いをしながら遠まわしに十分だと告げるスバル。

 

「バルス、言っておくけど」

 

 笑うスバルに、ラムは、一拍置き、目を鋭くとがらせ、

 

「もしも、レムが生きて帰ってこなかったらその時は、容赦なく――殺すわ」

 

 殺意のこもった、冷たい声でスバルに宣言する。常人ならばひるむようなほどのそれを、

 

「上等だ」

 

 スバルは鼻で笑い、ラムの言葉を正面から受けて立った。

 その様子に驚き、不快そうにラムは表情を変えた。

 

「もしも冗談と思っているなら――」

「それこそ冗談。お前がレムをどれだけ大切に思っているかなんて十分わかってる。お前が俺を殺せるのも十分わかってる」

 

 スバルは、三度目の世界でレムを死なせた。

 その時にレムの死にかかわっていると判断したラムに殺されそうになったという。

 だからこそだろう、彼女がレムを、妹を大事にしていることは身をもって知っているのだ。彼女の言葉は決して冗談ではないことを知っている。

 そのことを知らないラムは疑いの眼差しを向ける。だがスバルは鼻をこすり、

 

「その脅しでむしろやる気が出てきたぜ、俺はレムのためじゃなく、俺の命を守るために動くってことだからな」

 歯を見せ、にっこりと笑みを浮かべる。そんなスバルにラムはそれ以上何も言えなかったようだ。

 

「ベアトリス! 俺ら今から一緒に森に入る。もし戻る前にエミリアたんが目覚めちまったら、適当に誤魔化しといてくれ」

「……あの青髪の娘を連れ戻すってことは、自分の命を諦めるってことなのよ。お前はそれが理解できているのかしら?」

「ちょっと違ぇな、訂正するぜ」

 

 低い声で覚悟を問い質すベアトリスに対し、スバルは指を左右に振り、

 

「命は大事だ、一個しかない。お前らが必死こいて繋いでくれたからそれがわかった。だから、みっともなく足掻かせてもらう」

 ベアトリスが意図したところにこれっぽっちも則していない答えを返し、しかしスバルはこれ以上ない程のドヤ顔で胸を張る。

 恐らく、いやシャオンとスバルを除けば言葉の意味を理解できないだろう。

 

「なにを考えているのかわからないのよ。でも、勝手にすればいいかしら。選択肢は提示した。そこからなにを選び取るかは、お前が勝手に決めればいいのよ」

「あぁ、勝手にやらせてもらうぜ? これまでも、これからもな」

 

 ようやく話がまとまり始め森を振り返り、その深い闇の中で今なお、戦っているだろう少女を思う。今すぐに駆け出していきたい気持ちだが、その前に考えなければならないことがある。

 

「問題は、あのおさげの子をどうするかって話だね」

「何の話?」

「あの呪術師を連れてきたのが俺らが助けた子供だってことだよ」

 

 先ほどの話を聞いていなかったラムに簡単に事情を説明する。その説明を受けてラムの表情がうんざりとしたようなものに変わっていく。

 

「面倒なことに、なったわね。ロズワール様がご不在の時に」

「俺としてはあの子供をこのまま放置はまずい気がする。それに、彼女を捕まえればスバルの呪いを解呪してくれるかもしれない」

 

 最悪、心を鬼にして拷問をしてでもさせるつもりだが、そもそも捕まえなければ話にならない。だから、

 

「そこで、俺は二手に分かれることを提案する。嗅覚が優れている俺がおさげの子を、スバル達がレム嬢を探すという分担で」

 

 レムの臭いをかぎ取れるならシャオンがスバル達に同行するべきだが、常に高速で移動し続けるだろうレムの臭いをかぎ取ることは難しい。そして、彼女は恐らく魔獣の血で体を濡らし、臭いの判別が難しいだろう。あまりにも血を浴びていると臭いはわからなくなる。

 なので、このように分担をしたのだが、問題が一つある。

 

「……さっきも言ったけど、ラムはそこまで戦闘は得意じゃないわよ」

 

 そう、問題があるとすればレムの捜索側には戦えるメンバーが少ないということだ。

 シャオンも、もしも非戦闘員の二人だけでレムの捜索に向かわせることになるならおさげの女の子捜索を諦め、ついていくつもりだった。だが、

 

「適任がいるでしょ」

 

 その適任者に視線を向け、続くようにラムとスバルも視線を向ける。ベアトリスは興味ないようだったが。

 

「え?」

「アリシア、頼む。俺たちに力を貸してくれ」

 

 そこにいたのは金髪の少女だ。スバルは頭を下げて、アリシアに頼み込む。

 彼女は事情も分からず、うろたえている。

 

「そもそも貴女はもうロズワール様の使用人の一人なの。だから先輩の言うことには絶対服従よ」

「うぇぇ……? 流石に横暴じゃないっすか?」

 

 そんな彼女にラムは拒否権がないことを伝える。下手をすれば人権すらないともいわれているような言い方にアリシアは涙目だ。

 

「それで?」

 

 アリシアの苦情を無視し、ラムとスバルは返答を待つ。

 

「……まぁ、いいっすよ。というより断る理由がないっす」

 

 アリシアはポリポリと頭をかきながら捜索についていくことに同意する。

 これで、分担の条件はクリアだ。

 

「それに、レムちゃんは鬼化しているんすよね? ということは話し合いは難しい……うん、だったらアタシが一番適任かもしれないっす」

 

 それはいったいどういう意味だろうか? 

 だが彼女はそれ以上の説明をするつもりはなく、ただ確かめるように自身の額に手を当てていた。

 

「やっぱり、そういうこと(・・・・・・)。それなら、こっちの戦力は十分だわ」

 

 さっぱりわからない男二人を置いて、ラムだけは事情を察したのか頷く。だがやはり彼女もそれ以上の説明はしない。

 

「まぁ、よくわからないが行けるんだな? なら、最後の大勝負といこうぜ。――運命様、上等だ!」

 

 スバルは拳を鳴らして決意を後押しし、魔獣の森へ向かって宣言する。

 その奥に住まう黒い獣の群れに、そしてシャオン達をこの運命へ引きずり込んだ超常的な存在に対し――宣戦布告を口にし――最後の鬼ごっこが始まった。

 



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鬼と鬼

スバルルートです。
ちょっと長めです


「――ずいぶんと格好いい啖呵を切っていたけど」

 

 運命に対して宣戦布告を行って約十五分、足場の悪さに苦労しているスバルにラムがそう前置きして、つぶやく。

 

「落ち着いて考えると、別にバルスが最前線で戦うみたいな条件じゃないわよね。むしろさっそくお荷物になっていることから失望しているのだけれど」

「う、うるせぇやい!」

「……おんぶするっすか?」

 

 あまりにもたどたどしい動きだったからだろうか、背後からアリシアの気遣う声がかけられる。

 

「女性に気を遣われてどういう気分かしら? バルス」

「ひっじょーに、申し訳ないです」

 

 正直その提案を呑み、楽になりたい気持ちは十分にあった。だが、男子として女子の背中にオブるというのはかっこ悪いのではないだろうか、というスバルなりのプライドと、あまりにも足を引っ張ってしまうとラムに村へ返されてしまうのではないかという不安から、その欲求に従うことはなかった。

 

「本当っすか?」

「バルスがああいっているんだから、いいのよ。それよりアリィ、ラムは足が疲れたわ、背中に背負うことを許すわ」

「絶対余裕あんだろうよ姉さま」

 

 ラムに対して文句を言いながらスバルは手にした剣を杖代わりに地面を突き、足元を確かめながら歩いている。

 

「まさか初めて持つ真剣を杖代わりにしちまうとはな……」

 

 現在スバルの手に握られている剣はアーラム村の青年団から譲り受けたものだ。スバルが元の世界で持っていた木刀とは違い、しっかりとした重さを持っているそれを譲り受けた時の青年団の代表者の顔は印象に残っている。

 魔獣の森に入る、と告げた時驚き、止める声は多数あった。だがスバルの表情からいくら止めても無駄だと悟り、それでも手ぶらでは危険だと剣を渡されたのだ。

 そして、村で託されたものはそれだけではない

 

「ポケットの中に……菓子と、きれいな石と……うおおおお! 虫入れてやがった!」

 

 色々と詰め込まれたポッケの中を探りながら、嫌な感触にスバルが悲鳴を上げる。窮屈な場所に閉じ込められていた羽虫はスバルの手を離れ、森の奥へとそのまま消えていった。

 

「どさくさに紛れて何ちゅうもん入れてんだ」

「慕われているんすよ」

「……なんでなのかは理解できないけどね」

「子どもの純真な瞳には、俺という男の本質がきらめいて見えるんだよ。それに、慕われているのは俺だけじゃない」

「……そうね」

 

 納得を躊躇うようなラムの声に、スバルは満足げな顔で何度も頷く。

 村を出る前のやり取りは、それなりにスバルの琴線にも触れるものがあった。同じくそれを見ていたラムにとっても、そうあればいいなと思っている。

 

 ――村を出て、魔獣の森に入る。

 村人に隠して森に入ろうとしたスバルたちを察知したのは、いまだマナを搾り取られた影響の消えていない子どもたちだった。

 疲れて眠っていた子供たちがスバル達の出発に気付けたのは偶然だろう。いや、ある意味必然だったのかもしれない。

 スバルとレムに直接礼を言おうとしていた彼らはスバルたちに気付くと、お礼と称して様々なものをスバルのポケットにブチ込んだ。

お菓子も、綺麗な石も、あの羽虫ですら、彼らにとっては感謝の気持ちを形にあらわしたそのものだ。無碍に扱うことなどできるはずもない。

 そうしてわりと不要な感謝の形を押しつけられて動揺するスバルに、子どもたちは笑顔を浮かべて言ったのだ。

 

「レムりんにもお礼が言いたいから、あとで連れてきてね……か」

 

 彼女が今どれほど危険な場所で、なんのために命を賭けて戦っているのか。

 子どもたちはそれを知らない。そして、知る必要もない。

 なぜなら――、

 

「安心しろって、クソガキ共。夜中に暗い森の中に入るような悪ガキ共は、相談もしないで早まった真似するお姉ちゃんと一緒に説教してやっからな」

 

 そして、最後にみんな勢ぞろいでハッピーエンドを笑顔で迎えるのだ。

 

 

「二人とも、またラムたちを見ている視界があるわ」

「……前に出たほうがいいか?」

 

 無言で頷く二人にスバルは覚悟を決めるように息を吸い込み、鞘から剣を抜く。

乱暴に投げられた鞘が付近の岩に当たり、甲高い音を立てる。

 その音を合図に静けさを打ち破り、聞きなれてしまった唸り声がスバルの鼓膜に響く。

 咄嗟に振り返ると、頭上から木々の隙間を縫って飛びかかってくる黒い獣。殺意を形にしたような鋭い牙はそのままの勢いでスバルの喉を狙い、反応が遅れたこちらの息の根を止めようとする。

 

「――ッ!」

「どうしてスバルを真っ先に狙うんすかね?」

 

 目の前で聞こえたのは骨の砕かれる音と少女の疑問の声。

 ゆっくりと閉じた目を開くとそこには、首から上がない魔獣の死体が横たわっていた

 

「弱いからでしょう」

「……今助けられていなかったら否定したかったけどな」

 

 拳についている血をふき取るアリシアの姿が見え、彼女の仕業だと推測する。

 森に入ってから数度、魔獣はスバル達に単独で襲撃を仕掛けてきている。いずれもアリシアの拳か、ラムの魔法によって撃破してきた。

 魔獣の死骸に軽く手を合わせて、それからスバルは首を掻きながらラムの言葉に肯定し、再び歩き出す。

 歩き出して、数分。ようやくスバルは覚悟を決めて問いかけた。

 

「ツノナシってなにか聞いてもいいか?」

 

 森に入る前、ラムが自ら口にしていた単語だ。

 なんとなしではあるが想像のつく単語、それに対してラムは足を止めず、そして振り返らないまま、

 

「聞いたまま、鬼のくせに角を失くした愚物に与えられる蔑称よ」

 

 鬼、という単語の出現に、スバルの脳裏を昨夜の光景がよみがえる。

 森の中、返り血を浴びて哄笑を上げるレムの姿。その額から鋭く伸びた、白い角は忘れられない。まさしく、お伽噺で知る鬼の姿そのものだった。

 ただ、双子であるはずのラムの額にはその角の兆候は見当たりもしない。隠している可能性もあったが、その可能性は今さっき本人の口から否定されてしまった。

 無言の内に納得のいかないスバルの気持ちを酌んだのか、ラムは自分の桃色の髪に手を差し込んで、

 

「ちょっとしたいざこざで、一本しかなかった角を失くしたのよ。以来、何事もレムを頼ることにしているわ」

「……悪い」

「なぜ謝るのかしら?」

 

 前を行くラムが振り返り、本当に不思議そうに首を傾ける。それに対してスバルは頬を掻くアクションで応じながら、

 

「いや、鬼って種族にとって角がどんだけのもんだか知らないけど、予想じゃかなり大きい問題だろ。それにけっこう不躾に触ったかなぁと思って」

「――鬼にとって、角の有無は命にかかわるものっす。角がなければ忌み子としてみなされるっすよ」

 

 アリシアはか細い声で付け加え、それにラムも頷く。

 

「アリィの言う通り、角がなければ鬼としては致命的だわ」

 

 でも、と言葉をつづけ、

 

「当時はともかく、今は落ち着いているわ。角を失くしたことで、得たものも拾えた命もある。そのあたりのことは天命のひとつだわ。でも……レムは、そうは思っていないでしょうね。――だからこそ、早く見つけてあげないといけないのだけど」

 

 切なげに響く声を区切りに、ラムがこちらに手振りで制止の合図をする。

 千里眼が入るタイミングだ。今度こそ抜かりなく、彼女の周囲を警戒する

 右目が真っ赤に染まり、彼女の視界はここから彼方へと移動する。跳躍した視界の先で、また別の視界に乗り移り、目的の存在を探し出す。

 千里眼を使うたびに、血の涙がラムの白い頬を濡らし、両の足が小刻みに震え、意地を張って前を行く体は何度も目眩を起こしたように揺れる。それでも、ラムは森を進むことをやめようとしない。

 辛いとも苦しいとも、彼女は弱音を口にしない。

 それは今ここにいるのがスバルやアリシアだからではない。エミリアやベアトリス、恐らくは崇拝しているロズワールにも口にはしないだろう。

 本質的な部分で、けっきょくのところ彼女とレムの双子は似た者同士。

 無理をするのが自分の方であるならば、それを躊躇せずにやる性質。スバルが異世界で知り合ってきた人物は男女問わず皆、少しばかり他人優先が過ぎる。

 

「くそっなんでみんなこうも自分を犠牲にできんだよ――自分がかっちょ悪すぎて嫌になるじゃねぇか」

「ははは。スバルもそう人のことを言えないんじゃないっすか?」

 

自分を卑下する発言を聞いていたアリシアに呆れた様に笑われる。

 

「なんでだよ」

 

 意味も分からず笑われ、顔を近づけてにらむ。だがアリシアは更に笑みを深め、

 

「結局子供たちを救うため、レムちゃんを救うために無茶してるじゃないっすか」

 

 スバルの鼻を指で弾き、

 

「そういうの、かっこいいっていうんすよ」

 

 にへへ、と照れたように微笑む。

 

「……悪いけど、俺の心はエミリアたん一筋だから」

「お生憎と、アタシは身持ちが固いので」

 

 照れ隠しの言葉にアリシアは舌を出して反論。彼女とのやり取りで肩の力が少し抜け、落ち着けた。

 落ち着いたからこそラムの覚悟を確かめるように、尋ねた。

 

「――ラム、レムが大事で心配か?」

 

 千里眼を使用中、彼女の意識を乱すのは良くないとわかっていながらの質問。

 目を血走らせ、視界をここに置いていないラムは一拍遅れて、

 

「当たり前でしょう。確かにあの子の方がラムより強い。でも、それは心配しない理由にはならない」

「……うん」

「なにをやらせてもあの子の方がずっと上でも、ラムはあの子の姉様だもの。その立場だけは、絶対に揺るがない」

 

 なにがなんでも、妹を助ける。姉という立場ならその命を犠牲にしてでも助けるのが当たり前だとでも言いたげに。

 それを認めてしまったからには、スバルもまた覚悟を決めるしかない。

 

「本当はレムと合流してからってのが理想だったんだがなぁ」

 

 スバルの態度に腑に落ちないものでも感じたのか、成果を得られなかったラムが千里眼を終了して視界を取り戻す。

 血の溜まる右目を懐から出した布巾で拭き、彼女は怪訝そうに眉を寄せ、

 

「バルス、なにをする気なの?」

「現状だと足引っ張るためだけについてきたみたいなもんだろ、俺。森に入る前に言ったはずだぜ、俺。レムを助けるのに、ちゃんと役立つってな」

 

 半信半疑の可能性ではあったものの、現状では勝算は七対三ほどまで持ち直している。もちろん、残りの三を引いてしまうリアルラックの不安はあるが、

 

「――お二人さん、ちっとばかし危ない橋を渡る気はあるか?」

「「今更?」」

 

 重なり合う二人の声にそれもそうか、とスバルも同意し覚悟を決める。

 

「そんじゃ、戦闘は任せるわ」

 

 情けない言葉を吐き、代わりに大きく息を吸い込む。そしてスバルは――

 

「二人とも、実は俺は――」

 

 ――『死に戻っている』と口にしかけた。

 

 あえて、そうあえて告げることを禁じられたそれを告げようと、禁忌を破ろうとスバルは振舞う。スバルがなにを口にしようとしているのか、身構えていたラムの表情が凍った。

 

 否――時間が制止したのだ。

 

 世界が色を失い、音が消滅し、時間の概念が根こそぎ吹っ飛ぶ。

 

――きたか。

 

 呟きは実際に音とはならない。

 だが、目前のそれに届けと、あらん限りの毒は込めてやった。少しは気持ちが通じ、遠慮というものを学んでくれればよし、だ。

 ――時間が制止した世界で、ただひとつその影響を受けない黒い靄。

 どこからともなく現れたそれは、虚勢を張るスバルの前で腕の輪郭を作り始める。手指が生まれ、手首が生じ、肘が生えて二の腕が派生――そこまでは前回までも見届けた靄の変異だ。だが、今回はさらに変化があった。

 

「肩まで……」

 

 二の腕を越えて肩と思しき形が象られる。

 手指の先から肩までを作り出したそれは、もはや立派な『一本の腕』と呼ぶにふさわしい。

 初見の時点から徐々にはっきりとした像を結び始めるそれ。回数を増すたびに靄による浸食が進むのを恐怖する。

 話ではシャオンはこの手に一度殺されている。だが、スバルは生きていた。

 なぜシャオンは殺され、スバルは生き残ったのかはわからない。ただの気まぐれなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。

 その理由がわからないままこの腕を呼び出すのは高リスクだったが、このままでは手詰まりなのだ。だから、らしくない危険な賭け(・・・・・)をしたのだ。

 そんなスバルの覚悟を無視して指は躊躇いなく滑り込む。

 胸の薄い肉を越え、肋骨を撫でて、その胸骨の内側に守られる心の臓へとまっしぐらだ。

くるとわかっていても、痛みというものはある領域を越えれば耐えられるものではない。

心臓を直接握られるその痛みは、絶叫と狂ったようにのた打ち回ることをなくして語ることなどできない領域にあった。

 長く苦しい、堪え難い苦痛の時間が続く。

 心臓のリズムが狂い、血流がメチャクチャに押し出されて全身が悲鳴を上げる。痛みに血涙が噴き出し、奥歯は砕け割れそうなほど噛み締める。

やがて苦痛の時間は遠くなり、視界が真っ白に染まり――、

 

「大丈夫っすか?」

 

 呼びかけられて、スバルはアリシアに体を支えられていたことに気付く。

 俯いた口元からは涎が伝っており、慌ててそれを袖で拭って立ち上がりながら、

 

「危ね危ね、白昼夢」

「病み上がりなのに無理なことはしないで、ラムに任せて帰りなさい。それで、どうすればレムを……」

 

 言いかけて、ラムはハッと表情を変えると周囲を見回す。

 静寂の落ちた森の中、風に木の枝が揺れ、葉の擦れ合うかすかなざわめきだけが響いている。

 

「なにをしたの、スバル」

「……ちょいとばかり、痛みを伴う賭けに出てみた」

 

 あれだけの苦痛、その名残も今は体のどこにも残っていない。

 やはり、シャオンとは違ってスバルはあの手に殺されることはなかった。ただ、外傷もなく精神的に痛みを与え続けるという最悪な攻め方をされているのだが。

 いろいろと文句を言いたいが今は後回しだ。

 なにせ――、

 

「風が乱れて……獣臭が近づいてくる。それも、すごい数」

「二人とも右っす!」

 

 ざわざわと静けさを失い始める深緑の中、アリシアの叫びにラムの顔が右の方向へ。遅れ、スバルもそちらへ視線を送ると、複数の赤い光点が遠間から接近してくるのが見えた。

 まずは五匹。あと十数秒で激突するだろうそれに向き直るラムとアリシア。ふらつく体に鞭を打ち、隣で片手剣を鞘から抜き、スバルもまた避けられない戦いへ備える。

 

「レムはまだ見つからないのに……!」

「まぁ、安心しろよ。たぶん、そう遠くない内に合流できっから」

「どうしてそう言い切れるっすか!?」

 

 泣きの入ったアリシアの叫びにに肩をすくめて、

 

「レムの目的は森の中の魔獣を狩り尽くすことだぞ。――俺がいる限り、奴らは俺って獲物目掛けて食いついてくる。だからその内、レムもここにこざるを得ない」

 

 ずっと考えていた。ずっと疑問に思っていたのだ。

 魔獣が、スバルを標的に選ぶその理由を。

 この繰り返しのループの中で、スバルは魔獣とエンカウントするたびに必ず呪いを受けていた。それは避けられない運命であるというより、魔獣と遭遇した際には必ずスバルが標的に選ばれるという、運命の強制力が働いていたのかと思った。

 だが、正確には違う。

 魔獣は”スバルの存在”に過剰に反応する、のではない。同じくスバルに過剰反応をしていた彼女(レム)のおかげで気づくことができた。

 

「魔女の残り香、だ」

 

 魔獣とは、魔女が生み出したとされる人類の外敵。

 そして、奴らは魔女の臭いを漂わせるスバルに対して常に過剰反応を見せていた。森に入り、ことごとくスバルが襲われてきたのも同じ理由だろう。

 

「俺の体臭でおびき寄せるってのもなんか気持ち悪い話だけど――」

 

 やるならば豪快にやろう。

 森中の魔獣が、スバルの身に呪いをかけた全ての魔獣が集まり、それを追ったレムすらも合流してくれるぐらい、豪快に。

 

 それがスバルの考えた、レムと合流した上で自分も助かる上策。

 ――名付けて、『ナツキ・スバル囮大作戦』だ。

 以前に一度、死に戻りをエミリアに告げようとした際に靄が現れたとき、ぽつりとベアトリスがこぼしていた『濃くなっている』という言葉が引っかかっていたのが助けとなった。

 靄の出現とともに、スバルを取り巻く魔女の残り香は濃くなる。

 ――おそらく、あの靄は魔女となにかの関係があるのだ。

 だからあの靄が出現するたびにスバルから漂う魔女の気配は濃くなり、結果的に魔獣を呼び寄せる生き餌としての効果を発揮するようになる。

 死に戻りを同じく経験しているシャオンにはなぜかスバルとは違って臭いはついていない。そのことも気になるし、そもそもなぜ一切のかかわりのない自分と魔女が接点を持つのかも分からない。

 わからないことだらけでうんざりしてしまうが、

 

「ようやく、一手だ」

 

 この吐き気を催すほどの最悪な運命様を利用し、小さな一手、けれども確実な一手を返したのだ。

 心中で喝采し、片手剣を握り直すと、迫る魔獣に対して身構える。

 そして隣に並ぶ協力者たちに声高に告げた。

 

「じゃあ、戦いに関しては超お前頼りなんで、よろしく!」

「客観的に、自分がなにを言ってるのか振り返ってみなさい」

「……あとで一発なぐらせろっす」

 

 二人の声に遅れて、風の刃が、赤い光弾が正面から迫る群れにぶち当たる。

 ――魔獣との戦端が再び、キャストを変えて開かれようとしていた。

 

 

 大地を踏みしめ、飛ぶように前へ進む。

 足元の蛇のようにうねっている太い根に躓いてしまわない様にしっかりと足裏で踏みつけるように乗り越える。

 息が荒く、額を伝う汗が目に入り涙が出そうになる。だが、しっかりと前を向き、ただ走り続ける。

 

「戦えるって信頼したらこのありさまだよっ!」

「戦えていたでしょう、実際。思ったよりも戦えた時間が短いものだっただけで」

 

『ナツキ・スバル囮大作戦』を発動して約数分。

 その効果は十分どころか十二分に発揮された。

 まずラムは十匹ほど撃破したが、それ以上は体力がもたずに脱落、そしてスバルが剣を振り回して応戦するも二匹ほど負傷させ撤退。

 頼りの綱であるアリシアも善戦したが、十数匹の魔獣を相手にし、狩りつくせないと判断し退却。

 つまるところスバルの目論見通り集まり出した魔獣たちとの戦闘は苛烈を極め、三人は為す術もなく敗走を選んで森を駆け抜けていたのだ。

 

「でも十分働いたっすよ? 今ある魔鉱石の大半も打ち尽くしたっす。おかげでこの”ミーティア”も今はただの武器っす。ははは、お嬢が知ったら『無駄遣いせぇへんでよ』って言われそう」

 

 乾いた笑い声を上げながら、アリシアは両腕に装備しているガントレットを見せつける。

 見る限りでは何ら変化のないそれは当人にしかわからない大きな変化があったのだろう。

 

「くそ、早くレムに合流しなきゃいけないのにっ!」

 

 先ほどから遭遇するのは目当ての少女ではなく因縁のある魔獣どもばかり。相手の数が多く尚且つ得意なフィールド、そして今スバルの頭の中に残る不安要素は――タイムリミットだ。

 ベアトリスの推測が正しいのなら夕刻頃にはスバルの体に仕込まれた呪いが発動する。

 願うならそれまでに呪いをかけた魔獣どもを殲滅したいが、もしもそれが叶わないならば最低でもレムと合流し、スバル以外のメンバーを屋敷に戻したい。――死ぬのは、スバルだけで十分だ。

 

「……シャオンには申し訳ねぇがな」

 

 道連れになってしまう相棒に謝罪し、走ることに専念した瞬間、

 

「――バルス!」

「しまっ――!」

 

 ふいに森が開けて、足下の地面が消失し、内臓が丸ごと上に持っていかれるような浮遊感が襲いかかる。スバルは駆けていた勢いを殺せず、抱えていたラムごとその体を崖に投げ飛ばしていた。

 

「うぉおおおおお! ファイト一発っす!」

 

 落ちていくスバルの体を、間一髪アリシアが襟腰を掴むことで落下を防ぐ。

 だが、

 

「アリィ! 後ろ――!」

「へ?」

 

 間の抜けた声と共にアリシアの体は後続の魔獣による体当たりによって、吹き飛ばされる。

 当然、掴まれていたスバル達の体も崖下に吹き飛ばされていく。

 咄嗟にスバルは逆手に構えていた剣を再度大地に突き立て、

 

「いだだだだだ痛い痛い痛い!」

 

 右半身で地面を削り、突き刺した剣をねじりながら食い込ませて滑落を制御。だが、流石に何の力も持たない剣ではスバル達三人分の体重を支えるのは荷が重かったようで、甲高い鋼のへし折れる音が鳴り響いた。

 崖に突き刺した片手剣の刀身が、先端の三分の一ほどを斜面に残したまま折れた。あきらめず歪んだ刀身を慌てて崖壁に突き立てるが、先端が平らになってしまった分だけ刺さる勢いが甘く、単純な話――、

 

「うぉおおおおお! 助けてぇ! エミリアたん!」

「情けない声を上げるのね、最後に聞くのがこんな声なんて最悪だわ」

 

愛する人に祈るスバルの言葉に、ラムが諦観たっぷりにそう応じる。瞬間、突き刺さりの甘かった刃が斜面から解放され、落下が再開する。

 

「お二人とも! しっかりとつかまってるっすよ!」

 

 アリシアの言葉に無我夢中にスバルとラムは彼女の体に抱き着く。

 そして、彼女は両手を下に向け叫んだ。

 

「――ムラクっ!」

 

 瞬間、明らかに自然のものではない力が働いたのをスバルは感じ取れた。

 無理やり重力を消失させようとするような、妙な力。

 それがスバル達三人を守るように包む。だが、その力も次第に弱くなり、

 

「だめっ! 勢いを消しきれないっ! 二人とも、アタシを下敷きに――」

 

 アリシアの言葉を聞き取るよりも早く、スバルとラムは彼女によって場所を入れ替えられ――落ちた。

 女性特有の柔らかさに包まれながら、スバルは軽い衝撃に襲われ、周囲が砂煙に包まれる。

 

「ってて。おい、大丈夫か!?」

 

 砂煙を手で無理やり払うとスバル達の下にはクッションになったアリシアの姿があった。

 呼びかけても反応がない彼女に焦るが、ラムが落ち着いて脈を図り、一息。

 

「気絶しているだけね。彼女が陰魔法で落下速度を軽減してなかったら三人ともお陀仏だったわ――バルスッ!」

「うぉっ!」

 

 スバルが身を引くのと、その場所に上空から魔獣の死骸が勢いよく落ちてきたのは同時だった。慌ててラムを抱えその場から離れる。

 

「まずっ――!」

 

 アリシアをその場に残してしまい、急いで彼女の元に駆け寄ろうとしたとき、崖上から鎖の音と、獣たちの悲鳴がスバルの鼓膜を揺らし、動きを止めさせた。

 

「おいおい、嘘だろ」

 

――はるか頭上の崖上に、ひとりの人影が出現している。

 血に濡れた鉄球を手に下げ、正気をなくした瞳で崖下を睨みつける給仕服の少女を。

 その殺意に支配された視線と目が合った瞬間、スバルはこれ以上ない嫌な予感に背中がびっしょり冷や汗で濡れるのを感じた。

 

「――レム」

 

 ラムはいったいどんな気持ちでその名をつぶやいたのだろう。

 そんなことを考える余裕すら彼女は与えてくれず、跳躍、高い高い崖から難なくこちらの大地へ、『鬼』が降り立ってくる。

 深い森で魔獣に囲まれ、『鬼』と対峙し、頼りにしていた戦闘要員は意識をなくし離れ、唯一の武器である剣は半分ほどの長さしかない。

 ようやくスバルは最終局面に到達した、だが――

 

「それにしてはちょっと、俺の方が貧相すぎやしませんかね?」

「絶望的、というのはまさにこのことね」

 

 どれだけ、自分は絶望に愛されているのだろう。

 スバルは自身の不運と世界の意地悪さに嫌になりながらも、ようやく出会えた彼女に向き直った。

 

「レームりーん、お友達のスバルくんですよー」

 

 静寂の状況を一新するために、スバルはあえて陽気に振舞ってそう声をかける。

 そんなスバルの友好的な呼びかけに対し、レムの反応は、

 

「姉様を、ハナセ」

「バルス、無駄よ。今のレムは正気を失っているわ」

 

 ラムの言う通り今の彼女はどう考えても異常だ。鬼化したはいいけど、制御できないとでもいえばいいのだろうか。

 だが疑問が一つ。

 昨晩も同じく鬼化を行ったはずのレムだが、今とは違い、あの時点では即正気を取り戻していたはずだ。

 経過時間か、あるいは目も覚めるようなショッキングな光景が原因か。

 スバルが自分を庇い、目の前で重傷を負ったことがそれほど彼女の心に影響を与えたというのなら――、

 

「あえてスプラッタな光景を見せればワンチャン……?」

 

 チャンスどころかそのままデッドエンド一直線な予感しかしない考えに嫌な汗が頬を伝う。

 現状、どうすればいいかわからない。

 

「姉様……」

 

 その呟きにスバルはひらめく。

 今、腕に抱えている少女を渡せば、レムは正気に戻るのではないだろうか?

 恐らく彼女は完全に意識を失っているわけではない。先ほどからつぶやいている姉の名がその証拠だ。

 ふと、ラムに腕を軽く引っ張られる。

 

「バルス、死にたくなかったら絶対ラムを離さないことよ。離したら最後、レムはバルスを相手に加減する理由がなくなるわ」

「それも、そうか。どうやらすっげぇ恨まれてるらしいしな」

 

 どうやら考えていたことが読まれてしまったらしい。

 スバルがわかりやすい表情をしていたのか、それとも彼女が敏いのか。わからないがとにかく今はレムの攻撃をよけ続け、打開策を練るのみということはわかった。

 

「よっしゃ、来い!」

 

 その言葉を聞いてかどうか、レムは風を纏い、スバルめがけて走り出す。その時、

 

「――?」

 

 レムの体が石に躓いたかのようにつんのめる。転びはしなかったが、大きく体勢を崩した。

 ゆっくりと彼女はその原因へと視線を巡らせ、足元を見やる。そこには、

 

「――アリシア?」

「やっと……つかまえたっす」

 

 意識を失っていたアリシアが血だらけの腕を伸ばし、スバル達に近づかせない様にレムの足首を掴んでいたのだ。

 それを無視して進もうとするレムだったが、アリシアの握る力は思ったよりも強く、前に進むことはできないようだ。

 

「うぐっ!」

 

 レムは無視することができないならば排除するほうが早いと考え、アリシアの腕を掴まれていない足で踏みつける。

 鬼化した彼女の一撃は重く、流石のアリシアも苦痛の声を上げる。

 

「おい……やめろ」

「レムっ!」

 

 愛しい妹のそんな姿を見てられないからか、ラムは叫ぶ。だが、彼女の言葉は届いておらず、無残にも攻撃は続いていく。

 

「ぐっ!」

 

 蹴り、蹴り、蹴り続ける。

 腕を、頭を、顔を、腹を。一切の容赦はなくただ姉を守るために邪魔だから蹴り続ける。

 

「ごっ……!」

 

 とにかく蹴り続ける。鼻の骨は折れ、歯は欠け、彼女の体も顔もボロボロだ。だが、離さない。

 

「っ! いい蹴りっすね。でも、まだ――」

 

 言葉を最後まで発するよりも、ついにレムの一撃がアリシアの鳩尾をとらえ、体を吹き飛ばした。

 血の塊を口から吐き、崖壁に叩きつけられ、大きなクレーターを生み出してようやく彼女の体は止まる。

 まともに入ってしまった一撃は彼女の意識を刈り取った。だが、レムは今まで邪魔してくれた鬱憤でも晴らそうというのか動かない彼女に近づいていく。

 スバルと違って屋敷で過ごした記憶もないのに、共に危険である森に同行し、スバル達を守るために身を挺してかばったお人好しな少女。

 力不足を、度胸のなさを卑下するスバルを励ました優しい彼女、そんな彼女の命が、潰える。

 そう考えていただけで体が、動いていた。

 

「――――あぁああああああ!」

「馬鹿っ――!」

 

 恐怖をごまかすように体を震わせて叫び、地面に落ちている小石に躓きながらも駆け出す。

 だが、そんな叫びにもレムは反応せず、とどめとばかりに、足を高く掲げ、人間の頭を容易に砕くことができるだろう一撃を込めた蹴りを、アリシアに振り下ろす。

 

「やめろぉおおおおおおお!!」

 

 スバルの慟哭もむなしくレムの足は振り下ろされ、アリシアの頭蓋を粉砕し、血と脳漿を散らばせ、無残な姿態を作り上げる。

それが、スバルの予想した展開だ。

 だが、スバルをあざ笑うかのように目の前では信じられない光景が映っていた。

 

「――ッ!?」

 

 この驚きの声はいったい誰のものだろうか?

 ラム? スバル? それともレムだろうか?

 そんな疑問をすべて置き去り、目の前の異常は語りだす。

 

「――いい加減、痛いわね。片角」

 

 アリシアの頭を粉砕しようとしていた足が、嫌な音を響かせ、直角方向に折れ曲げられる。

 レムは苦痛の声を上げ、体をアリシアから離そうとした――だがそれを許さず、距離をとるよりも早く鋭い蹴りが彼女の腹めがけて放たれる。

 地面に足をつけていられずにレムの体は吹き飛び、岩にぶつかることでその勢いを止めた。先ほどとは真逆の状態だ。

 だが、戦闘不能には陥っておらず折れた足もすぐに修復し、レムは敵意のと警戒を込めた目でアリシアを見据える。

 

「ふぅ、流石に今のじゃ終わんない、か。まぁ加減したし」

 

 首をコキコキと鳴らし、アリシアは血が混じった唾を吐き捨て、立ち上がる。レムによって傷つけられた体も、崖から落下した際の負傷もすべて治っていく。

 その光景は、どこか既視感があった、だが思い出すよりも早く、気づいたことがある。――彼女の額から、金髪をかき分け二対の光る角が生えているのだ。

 

「ど、どういうことだよ」

「……彼女も、鬼ということよ」

 

 あっという間に変化した状況についていけないでいると、ふらつく体でスバルに近づいたラムが皮肉気味に笑う。

 

「レム以外の同族に会う機会が合うなんて、もうないと思っていたけど」

「ま、そういうこと。といってもアタシの鬼化はそこまで長引かない」

 

 こちらの声が聞こえていたのかアリシアは肩を回し、体の調子を確かめる。軽快なその動きから先ほどまでのケガは殆ど癒えたと見受けられた。

 

「というわけで、お二人とも。僅かばかり時間稼ぎはするんで何とか知恵を絞って正気の戻す作戦、頼むっすよ」

 

 こちらに、笑みを浮かべ、レムに向かって駆け出し――鬼と鬼の戦いが始まった。




早く投稿しなくちゃ……!


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もう一つの鬼ごっこ

ネタバレ! ギルティラウさん出るよ!


「近づいてはいるが、いまだ見えないか」

 

 アリシアが森から帰ってきてから風呂に入れず、汗や土で汚れている子供たちのために香料であるレモミをすりつぶし、塗っていたお陰で臭いは辿れる。それでもギリギリだが。

 スバル達と別れて数分、まだ目的の少女の姿を視認することができていない。

 そして、荒れた道を進んでいることに、シャオンの彼女に対する疑惑が膨れ上がっていく。どう見ても、意図的に追撃者を撒くような進み方だ。

 だがそんな先の見えない追跡も終了を迎えた。 

 少し開けた場所、その中心部におさげの少女の姿を見たからだ。

 

「見つけた」

「あ、あの……」

 

 彼女もこちらに気付き、村で初めて出会った時と同じような、怯えた表情と共に庇護欲を掻き立てるような震え声で語り掛けてくる。

 事実シャオンも魔獣の森で彼女と遭遇したところで警戒せずに対応していただろう、昨夜までは(・・・・・)

 シャオンの推測が外れている可能性は十分ある。だが、こうして顔を合わせて話すとどうしても本能的に彼女がただ者でないことを察してしまっている自分もいるのだ。

 

「――その様子だと、気づいちゃったのね。残念だわあ」

 

 黙っていると少女の雰囲気は豹変した。

 見た目は先ほどと変わらず童女のまま。だが、目つきは明らかに年相応の者からはかけ離れたものに、そして彼女の背後からは数匹の魔獣が姿を現す。

 

「……今だったら村の中央でおしりペンペンですましてやる」

 

 外れていて欲しかった予想は見事ど真中に的中し、最悪の結果となった。

 

「駄目よお。お役目、ちゃんと果たさないとママに叱られちゃうもん。なのにヴェルクったら私に任せて逃げちゃったのよお」

「ヴェルク?」

 

 初めて聞くその名を復唱するが少女はどうでもよさそうに答えた。

 

「単なる仕事仲間よお。それにしても、いいのかしらあ? お屋敷の方を留守にしても?」

「ああ、それは大丈夫」

 

 思った反応と違ったからか、メイリィと名乗った少女は目を白黒させた。

 

「一応忠告だけどお、お屋敷の方に向かっているのはギルティラウっていうつよーい魔獣よお。しかもお、ヴェルクから借りたミーティアで気配も物音も認識できない様に強化されているからあ、並大抵の子じゃ返り討ちよお?」

「――最高最強の番人がいるから」

 

 意味が分かっていない様子の彼女に説明してやるほどの義理はない。ただ――

 

「リベンジできなかったのは残念だけど、今はあの獣野郎のほうに同情するよ」

 

 禁書庫を守る精霊。

 彼女と屋敷で戦うのならその勝敗はもう火を見るよりも明らかなのだから。

 

 

「――――」

 

 森の静かなる王――地域によってはそう呼ばれることもあるギルティラウは、他の魔獣と違って無用な雄叫びや物音を立てることを好まない。

 その巨躯と異形に反して軽やかに荒れ地を飛び回り、音もなく獲物に接近して急所を一撃で抉り、仕留める。そういった奇襲、暗殺めいた狩りを最も得意としている。

 自らの得意な分野で力を振るえること、そして『主人』の命令というのも相まってか、こうしてギルティラウは今、気分が高揚している。

 

「――――」

 

鼻を巡らせるギルティラウは、獲物のおおよその方向を探りながら『主人』の命令を反芻する。

この屋敷のなかに存在する獲物を狩ること――それが、ギルティラウに命じられた務めであり、『主人』の望みだ。

 

「――――」

 

 勢いをつけ、ギルティラウは地面から屋敷の窓縁へ飛び乗り、そして窓縁から体当たりするように屋敷の中へ移動する。

 さしものギルティラウであっても窓が割れた際の音を消すことはできない。だが、主人と共に来ていた茶髪の男が所持していた不思議な道具のおかげで察知できる生物はいない。

『主人』が、自分以外にも多数の魔獣を連れてきていることをギルティラウは知っている。自分より力も体の大きさも劣る魔獣の多くを引き連れ、森を通って退却している。

 主人が自分を護衛に選ばず、単独で任務をするように指示したのにはきっと、この屋敷には自分が相手するのにふさわしいほどの強敵がいるからなのだろう。 

 故に、ギルティラウは獲物を狩りつくすまで、主人の護衛につかなかった。それに自分を唸らせるほどの実力者、その存在と戦えることができるという期待もあったからだ。

 ――その待ち望んだ結果が、これか。

 ギルティラウの存在を認知できないのは仕方ないとして、警戒している様子はどこにもない。

 未だ獲物に遭遇していないが、この有様では期待はできない。

 今回の獲物は、自らの武器と誇りである爪で、牙で、振り払えばそれだけで散ってしまいそうな儚く劣った存在しかいない。

 

「――――」

 

――わざわざ主人の元を離れて相手するのが、この程度の存在か。

 腸が煮えくり返りそうになる気持ちを表すかのように、ギルティラウの四肢に力が籠められる。

獲物をこの牙で食い千切り、血肉の一片たりとも胃に収めず、ばらまく。そうすることで、王者である自身の怒りを鎮めることができるはずだ。

 

「――――!」

 

 ちょうどいいタイミングで、ギルティラウの嗅覚に獲物の臭いが引っ掛かった。臭いの発生源はここからそう遠くない。ちょうど近くの曲がり角の先、そこにいる。

呼気を乱さず、ギルティラウは首を伸ばして獲物の背へと飛びかかる――だが、

 

「――――?」

 

 追いつき、爪の届く範囲にまで気配があった獲物の姿がどこにもない。

 持ち上げた腕の振り下ろす場を見失い、ギルティラウは刹那の違和感に足を止めた。鼻の頭を震わせ、ギルティラウは首を巡らせる。

 愚かで、脆く、弱い獲物の姿はどこにいったものかと。

 

「――はぁ、本当に来たのかしら」

「――――!」

 

  背後で、声がギルティラウの耳朶を打った。

  距離を取りながら、背後を見やれば、目の前に立つのは金色の頭髪の小柄な女だ。

 主人とほとんど変わらない背丈の獲物を前にし、ギルティラウを襲ったのは驚きでも怒りでもなく、呆れだった。

 だが、自らよりも小さな獲物をしとめるのに罪悪感はない。

 弱肉強食、弱者は強者に殺される定めなのだから。ギルティラウは長い尾を振り、獲物の首を刈り取ろうとした。だが、

 

「汚ならしい尾っぽをベティーにぶつけようとするなんて、レディーに失礼なのよ」

 

 獲物の不満そうな声と共に、ギルティラウの体を何か鋭いものが貫いていき、数本の穴をあけた。

 叫びを上げようにも喉にも同様の穴をあけられ、ただ血液と共に息が漏れるだけだった。苦痛の叫びは意味のない音となり抜けていく。

 

「にーちゃの毛並みを見習うかしら」

 

 よくわからないが、獲物に馬鹿にされたような発言を最後に、頭部を貫かれ、森の王者、ギルティラウの命は尽きた。

 

 

「それでえ? 胡散臭いお兄さんはあ、どうするのお?」

 

 言葉の意味が分からず、シャオンは首をかしげる。

 

「私をつかまえるのかしらあ? それとも、ころすのお?」

「……ひとつ、聞きたい。スバルがかかっている、魔獣の呪いをお前は解呪できるか?」

「無理よお。私はあくまで魔獣使いというだけで魔法使いじゃないんだからあ」

「っ! だったら魔獣たちに呪いを解くように――」

「それこそもっと無理な話だわあ。私から言ってもウルガルムが食事をやめるなんて絶対しないものお」

 

「なに馬鹿なことを聞いているの?」と、呆れた様子でシャオンのことを嘲笑う。

 心を読むなど人外じみたことはできないが、恐らく彼女は嘘をついていない、そんな気がする。

 

「それでえ? 見逃すつもりはあ? お兄さんもお仲間さんのほうの手助けしたいんでしょう? 私を見逃してそっちの手助けに向かったほうがお互いにお得なんじゃないのお?」

「それはできない」

 

 メイリィの提案を一蹴し、にらみつける。

 

「あいつらは、今頑張っている。だったら信頼してやるのが、仲間でしょ」

 

 アリシアが、ラムが、そしてスバルがたった一人の少女を助けるために身を削って奮闘している。

 本来だったら自分もそこに加わりたいがシャオンは自らの意思でこちらの役目を選んだのだ。

そのせいで彼等には苦労を掛けさせている。だったら限界まであきらめたくはない。

 

「ざんねーん。だったら魔獣の餌にならなくちゃあ。本当に残念」

「全部、森の肥やしにしてやるよ」

 

 言葉とは裏腹に笑顔で、少女は殺し合いの開始を告げた。

 

 

「うッらあ!」

「あははは! 素敵、素敵! いったいどういう仕組みなのかしらあ!」

 

 逃げるメイリィを追いかける。

 当然彼女もただでは捕まってくれない。彼女の武器である魔獣たちが主の外敵を仕留めようと一斉に飛びかかってくる。

だが、

 

「ワンパターンなんだよっ、畜生共、が!」

 

 不可視の腕を、鞭のようにしならせ飛びかかってくる魔獣を弾き飛ばす。衝撃に耐えられずその体が破裂するもの、耐えたとしても再起不能の状態になるものとそれぞれだ。

 このようにもう三十体近くになる魔獣を粉々にしているがまだまだ魔獣たちはいるようだ。

 

「ならこれはあ? 岩豚ちゃーん」

 

 彼女が叫ぶと、一体の魔獣が森の奥から現れ、メイリィを背後にかばう。

 漆黒の肌に、人間を一人二人は容易に一飲みにできそうな大きな口と、石臼のような平たい歯が特徴的な生き物だ。

 明らかに今までの魔獣と別格な存在の登場に、足を止め、今までよりも威力を込めた一撃をその巨体に叩き込む。

 

「なっ!」

「ご自慢のその技も、岩豚ちゃんの皮膚を貫くことはできなかったようねえ」

 

 魔獣の体に傷はつかず、わずかに後退しただけだった。

 

「……だったら、これでどうだ!」

 

 反撃が来るよりも早く、歯を食いしばり、岩豚の体を二本の不可視の腕で掴む

 

「――っるあ!」

 

 そして唯一柔らかい部分である眼球部を、尖った枝めがけ投げつける。

 眼球がつぶれる音と共に魔獣の悲鳴が鼓膜をたたく。

 岩豚はわずかに痙攣した後、動かなくなった。

 

「凄い凄い! 子供とはいえ岩豚ちゃんを投げ飛ばすなんて!」

 

 パチパチと柏手を打ち、シャオンの戦いぶりを称賛してくる。だがすぐに嗜虐的な笑みを向け、

 

「でも、だいぶお疲れなんじゃなあい?」

 

 確かにシャオンの体もだいぶ追い詰められている。

 不可視の腕の使用による副作用で意識は微睡の縁に立っているようで、それに加え潰しきれなかった魔獣の攻撃の積み立ても拍車をかけている。

 不可視の腕は使えてあと数回、魔法を使うならオドを削るしかない。それほどまでに追い詰められているのだ。だから――一か八か、賭けに出る。

 シャオンの雰囲気から勝負に出ることを察したのかメイリィは笑みを薄め警戒する。

 

「次は何を見せてくれるのかしらあ?」

「うまくできるか知らねぇけど、とびっきりの魔法だよ。腰抜かさないでくれよ?」

 

 そう軽口をたたき、シャオンは右手を地面につける。

 

「っ!」

 

 イメージするのは大きな腕。そして今までとは違い、攻撃をするためではない。ただ、吹き飛ばすため(・・・・・・・)に使うことをイメージする。そして、発動する。

 

「え?」

 

 メイリィが初めて驚愕の声を漏らした。

 彼女の視点に立てば納得だ。なにせ離れた場所にいたシャオンの体がはるか上空に浮き上がり、そしてすぐに彼女の前に落ちて来たのだから。

 だが実際シャオンがしたことは単純なもの。

 不可視の腕で自らの体を上空に押し上げ、そしてメイリィの目の前に落下するように叩きつけただけなのだから。

 荒っぽい方法だったが、幸運にも負傷は微々たるもので、意識もまだ落ちない。百点満点はもらえないが咄嗟の行動としては十分合格点だろう。

 

「きゃっ!」

「よーやく、掴んだぞ。くそったれ」

 

 右腕で彼女の首を拘束し、背後を魔獣に取られない様に木を背にする。

 体格差から力づくで拘束を抜け出すことは無理だ。彼女自身もそれがわかっているから、抵抗はしていない。そして、周囲にいる魔獣たちもだ。

 

「魔獣どもが無駄に頭利いたのがよかったよ。おかげで主人もろとも襲い掛かるなんて馬鹿な真似されないからな」

「……たしかに急に飛んできたのは驚いたけどお、これからお兄さんはどうするのかしらあ?」

「え?」

 

 万事休すといった状況なのに、楽しそうに声を弾ませメイリィは、

 

「――殺せるの(・・・・)? 私を」

 

 曇りのない、瞳で少女はシャオンを見据えた。

 

 

「ねえ、あなたの手で、私を殺せるのかしらあ?」

 

 メイリィの口から出た”殺す”という言葉。

 挑発的な言い方ではなく、純粋な疑問から出た問い。だからこそ、シャオンは固まってしまった。

 

「……勘違いすんな、お前がスバルの呪いを解呪しないっていうなら痛い目に合わせるが殺しはしない。気絶させて屋敷に連行だ」

「しないんじゃなくて、できないのよお。おバカさん」

 

 クスクスと、今度は挑発するように笑うメイリィ。

 自らの命を握っているシャオン相手にそんな態度をとるのはシャオンがそんな真似ができないと侮っているからか、はたまた死ぬことなどなんとも思っていない異常者だからか。

 

「……そうか」

 

 彼女の真意はわからない。だが、やることは変わらない。

 不可視の腕を使い、彼女の頭部に軽い衝撃を与え眠らせようとする。

 

「――あ?」

 

 外れた。

 彼女からだいぶずれた位置に、拳は叩きつけられ、地面は凹む。

 

「おいおい、いくら疲れているからってこの距離で外すなんて」

 

 再び、能力を使用しする。

 だが、同じような結果になった。

 

「どおしたのかしらあ?」

「……悪いが、絞め落として、気絶させてやる」

 

 不可視の腕による気絶させる方法は断念し、少しでも力の加減を間違えてしまえば折れてしまいそうな首に、ゆっくりと力を加えていく。

 

「――っあ、くる、し」

 

 だが、彼女が漏らす苦痛の声に、力を緩めてしまう。

 

「はぁ、はぁ。どうしたのお?」

 

 呼吸を乱しながらもこちらに向けて問いかける。

 殺されようとしているのに彼女の様子は今まで会話してきたと何ら変わりがなく、不気味にすら覚えた。

 

「――くそが」

 

 殺せない理由はわかっている。

 エルザや魔獣たちとは違い、彼女から抵抗の意思が感じられないからだ。

 元の世界で生きる殺すだのとは無縁な生活を過ごしてきたシャオンに、人を殺すことは精神的にきつい。しかも、正当防衛でもなく、自分よりはるかに幼い人物が相手では尚更だ。

 だがそれとは別に心のどこかで生物を傷つけること(・・・・・・・・・・・・・)を躊躇っている感覚がある。

 

「お兄さんって、優しいのね。でも、残念。私を見逃さないなら殺さなきゃ――」

「いっ!」

 

 押さえつけている腕を噛み、メイリィは拘束から抜け出す。

 そして、ステップを踏むように移動し、シャオンから距離を取る。

 

「まて――!」

 

 焦るように腕を伸ばすがもう届かない。

 彼女はウィンクをし、

 

「じゃあねえ」

 

 枷となっていた主人が離れ、獰猛な魔獣の牙が、爪が、シャオンを飲み込んだ。

 

 

「ふぅ、驚いたわねえ」

 

 かみついた際についた、シャオンの血をなめ、現在行われている惨殺を眺める。

 魔獣たちは新鮮な餌を堪能するかのように派手に血をまき散らせている。あの様子では数分を持たずに無残な姿態となるだろう。

 流石にそんなものを好んでみるほど歪んではいないので獣たちが満足するまで目をそらしている。

 

「さっさとママのところに帰らなくちゃあ」

 

 もう一人の”お兄さん”も気にはなるが今はこの森から抜け出し、愛するママの元へ帰ることが大事だ。メイリィは十分に仕事をした。これ以上無理することはよい子のすることではない、メイリィはいい子なのだからそんなことはしない。

 

「終わったかなあ? みんな、頼んだよ!」

 

 殺戮の音が止んだのを確認し、移動手段である魔獣たちに呼びかける。しかし、魔獣たちはメイリィについてくる気配がない。

 

「どうしたのお? 早くいかなきゃ暗く――」

 

 奇妙に思いながらも、イライラとした様子で魔獣たちの方向へ、シャオンのいる方向に首を動かす。そして、

 

「――あ」

 

 メイリィは目にした、目にしてしまった。淡く発光しているシャオンの姿を(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 魔獣に襲われた傷がひどく、意識はないようだが、死んではいない。

 ――何故立ち上がれたのだろう? 何故、光を帯びているのだろう? そもそも魔獣たちはなぜ攻撃をしない?

 それらの疑問すべてを些細なものと片付け、ただ、彼を見つめ続ける。

 愛しく、尊いものを見るように、熱烈な視線を向ける。

 瞬きすることすら勿体無く、呼吸をすることさえ彼を見つめることに比べればどうでもいい。

 

「――素敵」

 

 ふと漏れた声は掠れた声であったことに気付く。気付いたが、それよりも彼の姿を眺めているほうが大事だと思い直し、すぐに頭から消える。息苦しさも、胸の痛みも彼の放つ光で些事なものに変わっていく。 

 すべてをささげたくなるほどの熱烈な魅力。それを感じながらメイリィは涙を流す。

 生理的反応か、感動により心が揺さぶられたからか。

 ――そんなものはどうでもいい、どうだっていいのだ。与えられた任務すら後回しにし、今はただ、彼の姿を心に、脳内に焼き付けるだけ、それこそ自分が生まれた意味だと、そう考えるほどに。

 もっと近くで彼を見ていたい。そう考えると今まで動かなかった足が自然と動いた。

もっと間近で彼の姿を眺めたい、許せるならば彼とふれあいたい、彼の声を聞いていたい。彼のーー

 

「――――ォォォ!!」

「――っ!?」

 

 遠くに待機させていた魔獣の雄たけびでメイリィの意識は復活する。

 途端、襲いかかってきたのは、呼吸をしていなかったことが続いたことによる窒息寸前の苦しみと、見開きっぱなしになっていた瞳の渇きによる痛みだった。

  立っていることが困難になり、膝をつき、酸素を求めて荒い呼吸を続ける。血の混じった赤い唾が垂れ、頭痛が彼女を襲う。

 

「っ、かふっ……は、はぁっ。 今のは?」

 

 原因を確かめるためにメイリィは再び顔を上げる。すると再び彼の姿を目にしそうになる。

 

「――っ!」

 

 だが今度は寸前で目を逸らす。

 それでも、危険なものだと分かっていても頭が動きそうになる。このままではまた、彼の光に虜にされてしまう。そうなってしまってはもう逃げられない、そう本能的に訴えられているのだ。

 だから体が動くうちに逃げなければならない。

 

「急いで!」

 

 メイリィの行動は早かった。

 悲鳴のように叫び、その叫びに呼応するように魔獣たちは主人である彼女を背に乗せ、未知の存在から離れていった。




よくよく考えると今回の話でシャオンさん幼女を魅了させてるんですよねぇ。












――色欲、レベル1


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馬鹿な鬼

「がァァァァァ――ッ!」

「獣じゃないんだか、らっ! そんな声出さないでよ!」

 

 怒りを表すかのように雄叫びをあげ、レムがアリシアに殴りかかる。骨と骨がぶつかり、空気がはじける音がスバルの鼓膜を震わせる。

 その猛撃には一切の容赦がなく、どれも確実に殺そうとする一撃だ。スバルが相手だったら数秒も持たずに肉塊になってしまっただろう。

 だが彼女の相手をしているのはもう一人の鬼、アリシアだ。

彼女も決してレムに負けていない。致命的な一撃は避け、ダメージを軽減している。

 ただ、レムの体を案じてか反撃はほとんどしていないように見える。

 

「バルス、策はあるかしら?」

「微妙、いや……わり、微妙どころか正直ない」

 

 ラムに手詰まりであることを伝える。

 目の前で行われている戦闘の烈々さに当てられてか、考えがまとまらない。せめて、なにか彼女を元に戻す方法がわかれば話は変わるのだろうが。

 

「はぁ……使えないのね。いや、そもそもバルスに頼ること自体間違っていたわ」

「互い様だろ」

「――角よ」

「角?」

 

 ラムは攻防をしている二人の片側、レムの頭部。

 怪しげな光を纏い存在している一つの角、それを指差す。

 

「レムを鬼たらしめているのは、あの角だから……一発、強烈なのを叩き込めば……それで、戻ってくる……はず」

「微妙に言い切っていないから不安が残るんだけど……」

 

 ただ、同じ鬼でありレムと過ごした時間が一番長い彼女の言うことだ。信じてもいいだろう。

 

「うし、なんとかなりそうだな……どしたよ?」

 

 ようやく解決の糸口が見えたが、提案者であるラムの表情はすぐれない。

 

「問題は、誰が角に衝撃を与える役割を担当するのかということだけど」

「……? アリシアがレムの角に衝撃を与えればいいんじゃないか?」

 

 現在レムと渡り合っている彼女にこのことを伝えればその問題は解決するだろう。彼女の実力ならあの角に触れることは難しくないはずだ。

 しかしラムは渋い表情を浮かべ小さいな声でつぶやく。

 

「……鬼の力でそんなことやってしまったら100%角が折れるわ」

 

 角が折れる、それはつまり、

 

「――レムには、ラムのようになってほしくないから」

 

 ――ツノナシになる。ラムと同じように、生きるだけで死と隣り合わせの存在になってしまう。

 姉である彼女にはレムがそうなることは耐えられないのだろう。

 そして、今まで苦労してまで行ってきた救出劇の結果がそんなことではスバルも耐えられない。

 

「ってことは、俺がやるしかないのか……」

「……一番頼りにならない男が一番重要な場面を担当しなければいけないのね」

「酷い言いようだ、事実だけどな」

 

 アリシアがその役割を担うのは無理。体力の問題でラムも無理。だったら残るのはスバルだけだ。

 問題としては、スバルがその目的を達成する前に死んでしまうのではないだろうかという点がある。

 なにか、気を引けるものでも投げ、その際に生まれたわずかな隙をついて彼女に近づき、折れた剣をたたきつける。これが妥当だろうか。

 

「くそっ、何かねぇのか」

 

 彼女の気を引けるものはないか、ポケットを探るそして、あるものが指先に触れた。

 

「――思いついた」

「本当?」

 

 こぼした言葉を拾い、ラムは小さく驚く。

 

「けど、これは……」

 

 あまりにも、スバルの命をないがしろにした作戦だ。一歩間違えればスバルの体はレムの手によって粉砕される。

 

「急ぎなさい、バルス。もうアリィも限界。鬼化する前に受けた傷が深すぎたようだわ」

 

 その言葉と共に、アリシアがレムの一撃を食らい、こちらまで吹き飛んでくる。

 地面に何度か体を打ち付け、それでもその勢いを利用し体を起こし、レムに向き直る。

 

「あぁもう! こっちは全力出せないのにレムちゃんは殺す気でやってくるんすから」

 

 彼女の額に生えている二本の角の輝きが弱くなり始め、角の大きさも小さくなってきている。ということは鬼化のタイムリミットが来てしまったのだろう。

 時間はもうない、作戦もこれしかない、スバル以外にできる人物はいない。

 

「――今からあることをする。すると確実に、レムは俺を殺しに来る。だが、邪魔はするな」

「は!?」

「それは、レムを救うのに必要なことなのよね? バルス」

 

 今から自殺をするとでも言っているようなものだ、驚くのも無理はない。

 だが驚愕するアリシアとは対照的に、ラムは冷静に確認するようにスバルを見つめる。

 その目を見つめ返し、小さく頷き肯定を示す。

 

「だけど成功する確率は高くない。もしも失敗したら――」

 

 死ぬ。そう言おうとしたが、かぶりをふり、

 

「いや、必ず成功させる。だから成功させたら全員で帰るぞ。ロズワールの奴に祝いのパーティを盛大に開くように言ってやる」

 

 自らが言ったではないか。絶望的な予測をすればさらに絶望な結果になってしまうと。ならば、希望にあふれた未来を想像したほうがいいに決まっている。

 

「離れてろよ、二人とも。――おいレム!」

 

 レムは血走った眼でスバルをにらみつける。

 スバルの言葉が聞こえていたのかはわからない、ただ単純に魔女の香りに反応したのかもしれない。だが、こちらに関心を向けたのだ。作戦の開始は十分だ。

 あとはありったけの幸運と、

 

「よく聞けよこんちくしょう! 一度しか言わねぇからな!」

 

 ――ほんの少しの勇気を。

 

「俺は、死に戻りを――」

 

 何度目かわからない世界の停止。

 それは決して慣れることができない光景。

 スバルを除いた人間の意識はすべて切り離され、スバルだけがその”腕”の存在を認識する。

 スバルの体を透過し、腕が心臓に触れる感触の直後、激痛が走る。

 

「――魔女ッ!」

 

 世界の始まりと共に鬼が、標的であるスバルめがけ駆け出す。

 だが、逃げない。逃げたらすぐに追いつかれてBADENDだ。だから迎え撃つ。そもそもようやく助ける対象に出会えたのだ、逃げる必要などどこにもない。

 

「……頼むぜ、猫様パック様、マイスイートハニー、エミリアたん!」

 

接触まであとほんのわずか、その直前、ふらつく体に鞭を打ちスバルは息を深く吸う。

イメージするのは、己の体のど真ん中。胸と腰の間、その部分に内と外を繋ぐ『門』を意識し、叫ぶ。

 

「――シャマク!!」

 

 スバルの中心から爆発したかのように黒雲が発生。それは彼の周囲にいた全てを飲み込んで、ラムもアリシアも、レムも闇の中へと閉ざしていった。

 

 

 突如襲った暗闇の中、レムは標的である魔女の香りを漂わせる男を見失った。

 臭いも濃すぎて正確な位置を把握できない、近くにいることはわかるが、それだけでそれ以上は絞れない。

 

「――悪いな、レム」

 

 声が聞こえてきた方向へ振り返る。

 僅かに靄が晴れ、敵である男の姿が現れる。

 迅速に、鉄球を構え標的を仕留めようと動こうとする。だが、

 

「俺は勝ち組にしか味方しない神様よりも鬼のほうが好きなんだ。そして、一緒に笑ってくれる鬼ならなおさらな」

 

発せられた男の声は震えており、情けなさを感じさせる。だが、だからこそだろう(・・・・・・・・)。本心を隠していないその言葉に、僅かにレムの動きが止まる。

 そして男は、スバルはその隙をついてレムめがけ折れた剣を振りかぶる。

 

「――だから笑え、レム。――今日の俺は、鬼より鬼がかってるぜ」

「――あ」

 

 避けようと思えば避けれていた一撃。

 何故か、本当にわからないが、レムは、その一撃をよける気は起きなかった。

 

 

 甲高い鋼を打つ音が、魔獣の森に鋭く響き渡り、スバルはなんとか意識を失ったレムの体を支える。

 レムの額に有った角はどこにもなく、今スバルの腕の中にいるのはただの少女だ。

 魔女の臭いを濃くし、レムを引き寄せ、接近した際に陰魔法による目くらまし。これが考えた作戦だ。

 通常時のレムには絶対効かないスバルの魔法だが今のレムには効くと読んでの作戦だったが、なんとか成功したようだ。

 

「あぁ、くそ。しんどい」

 

 頭が重く、全身がだるい。それはパックにも指摘された、ゲートの開放が不完全なスバルの魔力行使による、過大なマナ放出による負債の影響だ。

 本来ならば体の中のマナを全て吐き出し、その場に倒れて立ち上がれなくなるはずだった魔法の実行――それをスバルは、切り札によって打破して抜けた。

 

「……感謝しといてやるぜ、ガキ共」

 

 口の中にわずかに残った果実の皮を吐き捨てて、スバルは小さくそう呟く。

 吐き出した果実――それは以前エミリアがくれたものと同じものだった。

 ボッコの実。体内のマナを活性化し、枯渇した肉体にわずかに力を取り戻させるもの。どこから拾い集めてきたのか、レム救出に向かうスバルに子どもたちが持たせた役立たずの中にそれはあった。

 幸運なのか不運なのかわからないが、今の今まで気づけなかったが一番重要な時には気付けた。

 

「……なんつう幸運値の振り方だよ」

 

 できるならば別の場所で運を使ってほしい。やはりこの世界の神様はスバルに厳しいらしい。

 そう嘆いていると、離れた茂みから見覚えのある人影を目にした。

 

「お、シャオンお前も――」

 

 その姿を見たとき、スバルがレムの体を落とさなかったのは奇跡だったのかもしれない。

 後光にも似た光を纏いながらシャオンはこちらに歩み寄る。その光は暖かく、何もかも放り出してもっと間近で浴びたいと思うような光だ。

 スバルは”それ”から視線を逸らすことができず、逃げることもできないただ接近を許していく。

 シャオンはゆっくりとこちらに歩み寄り、そして――近くに落ちていた石ころに躓き、転んだ。

 途端、彼がまとっていた厳かな雰囲気は霧散し、目の前にはかっこ悪く、地に伏している相棒の姿が。

 

「……何してんの?」

「あれ、すば、るか。 ラム嬢も、アリシアもそれに……レム嬢!」

「ああ、無事だ」

 

 今まで半ば意識がなかったようだったがスバルの腕の中にいるレムの姿を見て、覚醒したようだ。

 

「それにしてもよく俺の場所がわかったな。やっぱり魔女の香り?」

「いや、俺はその臭いをかぎ取れないみたいだ。ただシャマクの靄が見えたからこっちに進んでいただけ。……それと、悪いがおさげの子、メイリィは逃しちまった」

 

 申し訳なさそうに告げるシャオン。

 彼の姿は生傷だらけで、彼が行ってきた戦闘の烈々さが十分に伝わってくる。下手をすれば命を落としていたかもしれない、だが戻ってきてくれた。

 

「十分だ、死ななきゃ安い」

 

 これでレム救出メンバー全員の無事を確認できた。レムの意識はまだ戻らないが鬼化も解けたのだ、次に意識を取り戻す頃には元の彼女になっているだろう。

 

「感動の再開もいいっすけど急がないと魔獣たちが――」

「――――ァアアアア!」

 

 アリシアの言葉を最後まで聞き取るよりも早く、近くで遠吠えが聞こえ、

 

「――フラグ回収速すぎる!」

 

 スバル達めがけ大勢の魔獣が襲い掛かってきた。

 

 

「走れ走れ走れ!」

「――スバル、正面の折れた木を右へ! もっと速く!」

「無茶、言うな……っ。はぁ、全力、疾走だ……っつんだよ!」

 

 互いに罵倒しながら走り、ただまっすぐに村に向かう。そこまでいけば張り直した結界がスバル達を守ってくれるはずだ。

 だからあとはスバル達の体力との勝負なのだ。

 そんな事情は自然にとっては関係ないらしく、手入れされていない枝が頬を裂き、落ちている葉や木の根がスバル達を転ばせようとしてくる。

 

「くそっ、手入れしとけよこの森っ!」

「……スバル、くん?」

 「――! レム!」

 

腕の中から聞こえた声に、スバルは歓喜の声と共にレムを見下ろす。

 レムは虚ろな瞳でそれを見上げ、すぐにハッとしたように目を見開いた。

 

「……よかった、レム。本当に、手間のかかる子だわ」

 

スバルの横を並走しながらラムはその唇をほんのわずかだけ、見知った相手にだけわかる程度に笑みの形に崩し、伸ばした手でレムの青い髪をそっと撫でる。

 その直後、

 

「フーラ!」

 

 風の刃の詠唱が行われ、巻き起こる風刃が森を裁断――途上にあった魔獣の肉体を輪切りに切断し、飛びかかろうとしていたその身を肥やしへ変える。

 額から血を流すラム。おそらく魔法を使った代償だろう。ふらつく体をラムの隣にいたアリシアが支え、倒れてしまうことは防いだ。

 

「どう、して……」

「ああ?」

「どうして、放っておいてくれなかったんですか?」

 

 彼女は気づいてしまったのだろう。スバル達が、ラムがなぜ森にいて、なぜ傷ついているのかを。

 

「姉様と、スバルくんがきてしまっては意味がない。レムが……レムがひとりでやらなきゃ……傷付くのは、レムだけで十分で……」

「じゃあもう遅ぇよ、皆ズタボロだよ! 下手したらお前よりひでぇよ!」

 

 スバルは誇張でもなんでもなく、事実としてそうだろうことを告げる。ラムはなにか思うところがあるのか、その会話には参加してこない。

 

「レムの、レムのせいなんです。レムが昨晩、躊躇したから……だから責任はレムがとらなくちゃ……そうでなきゃ、レムは姉様に、スバルくんに……スバルくんは本当なら、噛まれずに済んでいたんです――」

 

 泣きそうになりながらも、必死に言葉を紡ぎ自らの罪を懺悔するレム。その告解をスバルは何も言わずに聞き続ける。

 

「レムがスバルくんに手を差し伸べるのを躊躇ったから、スバルくんは死にかけたんです。そして、あまりに多くの呪いを一身に浴びてしまった。だから――」

「その罪滅ぼしに、てめぇひとりで片をつけようって腹だったのか」

 

 レムの告白に、荒い息ながらもスバルは納得したように頷いた。

 

「――レム」

「はい」

 

 名前を呼ばれて、覚悟を決めた表情でレムはこちらを見上げる。

 そんな彼女に、

 

「ちょーぱん」

「――あぅ!?」

 

 がつん、音を立て、スバルはレムの額に向けて頭突きをする。

 鋭い痛みに一瞬だけ視界が点滅し、涙が出そうになる。

 レムは意味がわからないといった顔で額を押さえる。『鬼化』していない今の肉体は、人間の強度とさほど変わらないのだろう。打撃を受けた額はかすかに腫れ、赤くなっている。

 

「とりあえず、バカかお前は。いや、バカだお前は」

「バルス。割れた額がまた割れて再出血してるわよ」

「馬鹿かお前は」

「知ってるよ! でも、こいつはもっとバカ!」

 

 口を挟む外野にそう言ってから、スバルは流血する頭を振る。

 

「色々とお前はバカだけど、特にバカなことが三つある。わかるか?」

「なにを、言って……」

「まず一つ目のバーカ! 俺を助けられなかったとか言ってることー!」

 

 唾を飛ばしながらレムを遮り、スバルは抱えるレムを持ち上げると目の前に顔を突き合わせ、息がかかるほどの距離で黒瞳を見開き、

 

「目ぇかっぽじって超見ろ。俺は死にそうか? ちげぇだろ、今お前に頭突きをするほどの元気があんだよ。ちょびっと体のあちこちに白い傷跡が残っちゃいるけど、傷は男の勲章だから問題なし。よってお前の負い目はそもそも間違いだ、バーカ!」

「でも、だから、そもそもレムが躊躇しなかったら、手を伸ばすことをすぐにしていれば、そんな傷を負うことだって……」

「うっせ! 結果だけ見れば俺は生きてんだよ! そして二つ目のバーカ! 全部自分で抱え込んでたったひとりでやろうとしたことー!」

 

姉であるラムもスバルの言いたいことがわかるからか、口出しをしてこない。

レムはそれを見捨てられたと思ったからか泣きそうに顔を歪める。しかし、スバルはそれを無視し、

 

「いいか、俺の故郷には『三人寄らば文殊の知恵』って言葉もあってな」

「もんじゅってなんすか?」

「はいはい、口を挟まない」

 

 空気を読まずに質問するアリシアをシャオンが嗜める。スバル自身文殊の意味が分からないので知り勝った気持ちもある。

 だが今は置いておいて、

 

「と・に・か・く! ひとりで考えるんじゃなく、色々と周りを頼れよ! 口がきけないわけじゃねぇだろ。俺らみたいに心臓握ら――」

 

そこまで言いかけて、世界が数舜ほど停止し、心臓を強い力で握りしめられる感覚に襲われる。

 幸いだったのは衝撃の瞬間、スバル以外が静止していたことだろうか、おかげで情けない叫びを聞かれた心配はない。

 世界が時を刻み直したと同時に苦しげに息を整えながらもスバルは、

 

「今のでダメとか……は、判定厳しくねぇ?」

「なんの話を……いえ、スバルくん。急に、魔女の、臭いが濃く……」

「今は、そんなことどうでもいい。切り替えてくれ、じゃないと俺死ぬ」

 

 レムは口をぽかんと開けてスバルを見る。その横顔には言葉以上の感情はなにも見えず、本気で問題を先送りにしたのが伝わってきた。

 

「それで三つ目のバカだが……クソ、時間がねぇな」

 

 走りながら前方を見るスバル、

 同時、隣を走るラムもまた、痛む頭に手を当てながらマナを展開し始め、

 

「ラム、村の方向……いや、この際、結界の方でいいや。どっちに走れば抜けられる?」

「前の群れさえ抜けば、あとは左に向かって全力疾走だけど、どうする気?」

 

 スバルはラムの問いにわずかに考えるそぶりを見せ、

 

「レムをラムに突き飛ばし、俺はひとりで結界の彼方まで無情にも逃げ去る――というシナリオはどうだ?」

「魔女の臭いでウルガルムを引きつける囮になる、と」

「正直に言えばいいっすのに”ここは俺に任せて先に行けっ!”って」

「それ死亡フラグだからっ! 俺死んじゃうから!」

 

そんな会話を耳にしながら、レムは「そんな……」と絶望を口にし、

 

「助かるわけが、ないじゃないですか。……やめ、やめてください。それじゃ、レムはなんのために……」

「バーロ、これが全員が助かる最善の策だぜ? 結界抜けてどうにか合流できりゃ、あとはお前が知らない方法で、ウルガルムどもを狩り尽くす名案があんだよ」

 

 レムにはスバルが虚言を言っているようにしか見えないだろう。スバルが単身で包囲網を抜けるということがレムには達成不可能な事柄に思えるのだろう。

 事実立場が違ったらスバルも無理だと判断している。

 

「そんなことしなくても……レムが魔獣なんて、蹴散らして……」

「できるわけないっすよ、レムちゃんもう手が動かないでしょ」

 

 レムはその言葉に驚いたようにアリシアを見る。

 

「殴り合いの際にちょいとマナをいじったっすから体動かすの辛いはずっす。あくまでしびれる程度っすけどね。まさか、今になって効くとは思っていなかったすけど」

「そもそも武器ないでしょ、レム嬢」

 

 体は動かず、武器すら手元にない。

 そんな完全にお荷物状態なったことに耐えられないからかレムは震える手で顔を覆い、涙声でスバルに話しかける。

 

「スバルくんは、なんでそこまで……」

「――そうだな」

 

 問いかけにスバルは一瞬だけ瞑目し、それから指を一本立てて笑い、

 

「俺の人生初デートの相手だ。見捨てるような薄情はできねぇな」

 

 言って、その指を立てていた手でレムの髪をそっと撫で、

 

「んじゃま、ちょっくらやってくるとするわ。――レムを頼んだぜ、お姉様」

「バルスも、無事に合流できるのを祈っているわ」

 

 らしくない、素直にスバルの身を案じているラムの言葉に最初のころとは大違いだな、と彼女に気付かれないように笑う。

 

「アタシもついて――」

「ばーか。お前も十分戦って、今走っているのが限界だろ……」

 

 アリシアはの攻撃方法は近接とミーティアを用いた魔鉱石の発射だ。しかし今の彼女は鬼化の影響か体力の限界を迎え、魔鉱石はすでに打ち尽くして遠距離の攻撃もできない。戦闘をするには心もとない。

 

 

「だからついてくるとしたら……」

 

 言葉を途中で切り、スバルはシャオンに視線で訴える。

 

「やれやれ、人使いが荒い」

「あったりまえだ、幼女逃がした汚名を返上しろ――行くぞ!」

 

 そんな短いやり取りを置き去りに、走る方向が急速に別れる。

 ラム達は右へ、スバル達は左へ。正面にいた群れが散らばる獲物のどちらを追うか僅かに迷い――即座に、左のスバル達を追い立てる。

 こうも魔女の香水が強烈だとは思わなかった。

 そこまで魔獣を引きつける魔女とはいったいどんな人物なのだろうか。

 答えの出ないであろう疑問を抱きながらも捕まらない様に走る速さを上げる。

 

「――姉様! スバルくんが――!」

 

 背後からレムの悲痛な叫びが鼓膜に響く。

 スバルの身を案じて出たであろうその叫びに、不謹慎ながらも口角が上がるのがわかる。

 

「――いいのか?」

「仕方ないだろ、それに策があるってのは嘘じゃねぇしな」

 

 その策は結局は他人任せで、しかも成功するかもわからないものだ。だが、シャオンはため息をつき、覚悟を決めた目つきで、

 

「……信じるぞ」

「当たり前だ、黙って信じてろよ。相棒なんだから」

 

 そう、つぶやいたのだ。

 




次回、二章最終話。
そして幕間を5つほど投稿し三章へ。
申し訳ありませんが今年中に三章はきついかもです。
一月中にはできますが


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弱者の誓い

 

「なぁ、スバル、まだか!」

「まだだ、ここで撃っちまったら木に邪魔されちまう!」

 

 走り続け、もう足の感覚がなくなってきたように錯覚する。

 別れてから数分は立つ。だがいまだに作戦は開始できていない。

 スバルから聞いた作戦が重要なのは”場所”だ。だが、追われながら適当な場所を探すのはやはり難しい。

 ふと、開けた場所に出た。十分なスペースもあり、何より頭上があまり木に覆われていない。これだったら条件は十分だろう。

 

「ここなら―‐」

 

 スバルの言葉が止まる。なぜなら目の前に村でメイリィが抱えていた子犬の魔獣がうなり、立ちふさがっていたからだ。

 

「いい加減、因縁にけりをつけなくちゃな。邪魔されたらたまったもんじゃないし」

 

 折れた剣を子犬に向ける。このサイズの魔獣ならば魔法にさえ気を付ければ今の武装でも十分だと判断したのだろう。

 だが、子犬に変化があった。

 

「……おいおい、質量保存の法則ってご存知ですか?」

 

 スバルの文句に対して全力で同意を示す。なぜなら目の前の子犬がシャオンたちの数倍の大きさに膨れ、変貌したのだから。

 

「シャオン! 目標地点はここだけど、どうする!?」

「もうタイムリミットも近い、やるしかない!」

 

 目の前の魔獣が行動をするよりも早く、作戦を開始しようとする。だが、魔獣の姿がぶれたかと思うと、シャオンにとびかかってきていた。

 

「っ!」

「シャオンっ!」

 

 激痛、そして頭を打ち付けたからか脳が揺れ意識を持っていかれそうになる。

 

「あと少しだってのに……!」

 

 魔獣はシャオンの上にまたがり、体重をかけてくる。自分の数倍のものが乗っているのだ、それ相応の痛みも襲い掛かる。

 そして最悪なのは両方の腕をふさがれてしまっていることだ。おかげで魔法を放つことはできない。体感的にわかるが、不可視の腕も発動できない。完全に拘束されてしまった。

 

「離しやがっ、れぇ!」

 

 万事休すかと思ったが、スバルが遠くから拾ってきた石を投げつけた。

 わずらわしいと思ったからか魔獣はわずかにスバルに注意が向き、シャオンにかけていた重さがわずかにやわらいだ。

 

「ナイスサポート、そして――」

 

 自由になった右手を魔獣の頭部、そこに向け、

 

「――エルゴーアァ!」

 マナではなく、”オド”を使ってシャオンは無理やり魔法を発動させる。

 自分のなにかが削れていく感触と共に、手のひらより数倍にでかい程度の火球を魔獣に向けて放たれた。

弱っている獲物からの思わぬ反撃に魔獣は回避行動をとることができず、火は魔獣を貫通させ、顔面を焼失させ、その体を横なぎに倒れさせた。

 

「スバルっ! 行ったか!?」

「ああ、無事いった!」

 

 上空を見上げるスバルはほどなくして、焦りの表情を浮かべる。

 いったい何があったのか聞こうとしたが、

 

「――離れろっ!」

「――ウルゴーア」

 

 空から降り注いだ炎弾の直撃によって、永遠に中断されることとなった。

 

「ううぉああ!?」

 

 二人の体は衝撃で後ろへ吹き飛ばされていた。

 突如、目の前の地面が爆ぜたのだ。高温になった突風を伴い、すでに傷だらけで痛みを訴えかけていた全身にさらに火傷のダメージを追加する。

 流星群のように降り注ぐ火球が魔獣たちを的確に貫き、火達磨にしていく。

 口に入ってしまった土を吐き出しながら、その喜劇とも悲劇ともつかない事態を生み出した人物が、へらへらと笑いながら姿を現したことに気付いた。

 

「……遅すぎるうえに、雑ですよロズワールさん」

「これはこれは手厳しい。しぃかし? 君ももっと早く目印として火の魔法を使ってくれてもよかったんじゃーぁないの?」

 藍色の長髪を風になびかせ、青と黄色の色違いのオッドアイ。痩せぎすの長身を見慣れた奇抜な衣服に押し包み、彼は上空から優雅に降り立ち、笑う。

 屋敷の主。宮廷魔術師。肝心なときにいない役立たず――ロズワールの到着だ。

 彼は着地した足の裾を払い、それから長い髪を背に流すとスバルを見下ろし、

 

「改めてみぃると、ずぅいぶんと、ひぃどい有様だ」

「くんの超絶遅ぇよ、ロズっち。それにしても、よくすぐに場所がわかったな」

「村でエミリア様にさぁんざん釘を刺されたかぁらねぇ。『無茶でも無謀でも、追い詰められたらきっと魔法を使うから、空を飛んでたら見落とさないで』ってぇね」

 

 裏声を使ってエミリアの声まねをするロズワール。もしも体力に余裕があったら一発殴っていたかもしれない。

 

「でも、実際はスバルくんじゃなくてシャオンくんが発動しているとはねぇ、これは君への評価を改めなくちゃねぇ」

 

 いい意味だろうか、悪い意味だろうかは彼の笑みからは判断できない。声色から少なくとも悪い意味ではないと思うが。

 

「ベア子め……あっさりエミリアたんにばれてんじゃねぇか」

 

 エミリアにばれないよう、うまく誤魔化す係は彼女では力不足だったらしい。

 こうしてロズワールの奇跡的な介入があったことを思えば、まぁ結果オーライと言うべきなのかもしれないが。

 

「ロズワール様――っ」

 

 茂みを揺らしながら姿を見せたのはラムだ。レムに肩を貸す彼女はロズワールの姿に気付くと、それまでの冷静な面を一瞬で氷解させ、

 

「お手をお煩わせして、申し訳ありません」

 

「いんやぁ、いいとも。そぉもそも、これは私の領地で起きた出来事だ。収める義務は私にある。むしろ、よくやってくれていたとも」

 

 労いの言葉に頬を赤くして、ラムは胸を押さえながら厳かに頷く。

 その二人のやり取りを横目にしながら、スバルは深くため息をこぼし、

 

「――スバルくん!」

 

 スバルは飛び付いてきたレムの抱擁を受けて「ぐぇ!」と悲鳴を上げ、尻餅をつく羽目になった。

  美少女からの熱い抱擁、通常時ならば役得と喜ぶべき場面だが、今のスバルには取っては傷を痛めるだけの地獄になってしまうだろう。

 

「レム、今は、体の、あちこちが……あ、意識とか」

「生きてる。生きててくれてる。スバルくん、スバルくん」

 

 レムは感情の制御が利いていないのか、スバルの言葉も耳に入らず力の限り抱きしめている。

 負傷した全身が余さず苦痛の悲鳴を上げ出し、スバルは自由になる左手で必死にレムの背中を叩いて苦しみをアピール。

 あの様子ではもう意識を失うのも遠くない。

 

「また、この、パターン……」

「いいや、しっかりと起きてろ。主役がいなきゃエンディングは迎えられないだろ」

 

 歯を食いしばり、スバルに対して癒しの拳を放つ。

 たちまちスバルが負っていた傷は、消え去り、代わりにシャオンの体に疲労感が襲う。

 

「――おまえ……」

 

遠ざかる意識。聞こえなくなる声。最後に、

 

「――十分にお前も主人公だよ、馬鹿」

 

 これまでの疲れが吹き飛ぶようなスバルの言葉に、ゆっくりと暗闇の世界に落ちていった。

 

 場所はロズワール邸最上階、中央の主の部屋である。

 

「――スバルくんのその後の経過はどーぅだい?」

 

 押し黙るラムにロズワールが問いを投げかける。

 ラムはその問いに小さく首を横に振り、

 

「体の方はほとんど治っています。シャオンの”能力”とベアトリス様のおかげで健康体です」

 

「ベアトリスか……ホントどうしたことだろね、珍しい。付き合い長いけど、あの子がそこまで誰かに肩入れするなんて初めて見たよ。一目ぼれとかかね?」

「ラムの見たところ、そういった感情には見えませんでしたが……」

 

 ベアトリスの治療風景を思い浮かべながら答える。彼女の様子はどうみても好意的なものではないようにラムには見えた。

 そのままロズワールは「だけど」と前置きしてから上目にラムを見上げ、

 

「首を振る否定から入ったということは、命が助かったことを単純に喜べる状況ではないってことなんだろうねぇ」

 

「はい。いくつか問題が」

 

 問いかけに首肯し、ラムはその後を続けるのに一拍の間を置いた。一度、自分の中で伝えるべき内容を整理してから改めて、

 

「バルスは枯渇状態からゲートを無理やり活性化させていました。その上で命に関わる負傷を治癒魔法で癒しましたから……ゲートをこじ開けて酷使しすぎた影響で、まともに機能するまでどれほどかかるか」

「大精霊様とベアトリスの見立てなのかな?」

「はい」

 

 己の手を組み、ロズワールは瞑目してその情報を噛み含める。

 ゲートの損傷、それはマナとの生活を切り離すことができないこの世界を生きる上で、非常に厄介な障害を抱えたということに等しい。

 宮廷魔術師という立場にあり、人より身近にマナを扱うロズワールだからこそ、今のスバルの状況の不便さが一際痛感できた。

 せめて一日でも早い回復を望むが――、

 

「ゲートの修復は個人差があるとはいえ、それも何年がかりのことになるか。彼には酷な選択を強いてしまったことになるね」

 

 重々しいロズワールの言葉にラムは頷きで肯定を示し、さらに続ける。

 

「それよりも問題は、呪いの件です」

「――発動の危機は去ったはずだね?」

 

「術者のウルガルムは一掃によって不在。よって呪いが発動することはありませんが……術式はいまだにバルスの体の中に残されたままです……複雑に絡んだ糸を外すのは、ベアトリス様でも困難とのことです」

「専門家の彼女がそういうなら、そうなんだろうねぇ」

 

 スバルの体を蝕む呪いの魔手は、想像以上に根深く息づいてしまっている。

 術式は解体が困難なほど彼の肉体を縛り付けており、あのベアトリスをして挑ませることを躊躇わせるほどだ。

 とはいえ、術者を失った術式自体には脅威というほどの問題は存在しない。

 通常、組まれた術式の発動は術者本人の認識なくして発動は不可能であり、特に今回の呪いは対象から術者へマナを移譲する類の術式だ。その移譲先が存在しないために、呪いの発動は前提条件からして整うことがない。

 故に、スバルの肉体に残る術式は放置していて問題になるものではない。

 ただし、

 

「そこを問題にする以上、頼んでいたことの確認は取れちゃったわけだ」

 

 ロズワールの主語のない問いかけに、しかしラムは迷いなく頷く。そうして返答を待つ彼に、ラムは己の額に触れながら、

 

「死骸の確認ができた個体に限りますが、発見されたウルガルムは全個体が『ツノナシ』にされていました」

 

 ラムは淡々とロズワールにそう報告する。

 ロズワールは彼女のその態度に吐息、それから背もたれを軋ませ、

 

「私が見た限りでもそぉだった。おそらくは群れ全てがそうだったんだろう」

「でも、可能でしょうか。あれだけ多数の魔獣の角を折るなんて……」

「工夫をすればできるもんだよぉ? まぁどの方法をとったのかまではわからないけどねーぇ」

 

 ロズワールの言葉にラムが納得を示し、それを目にしながらロズワールは片目をつむって彼女を見る。オッドアイの黄色が閉じ、透き通る青い目がラムを見据え、

 

「しぃかし、だとすると事情が変わってきちゃう。ましてや、スバルくんは二度にわたる我々の恩人だというのに」

 

 物憂げなロズワールの声にラムは「ええ」と同意を示し、

 

「角を折られた魔獣は折った相手に従う。――屋敷を、あるいはロズワール様の領地を意図して荒らした愚か者がいることになります」

「まーぁた王選絡みになっちゃうかなぁ。ガーフィールのところへの誘い出しといい、よほど私たちが邪魔だとみえる」

 

 顎に触れながらそう思案するロズワール。

 

「話を戻そう。その魔獣の『親』になるかな。目星はついてるのかな?」

「シャオンが戦闘をしたそうです。ただ、取り逃がし、足取りは完全に途絶えてしまいました」

「逃げきられたか……あるいは消されちゃった?」

「どちらとも言えません。ただ、親――メイリィという少女の存在を知っている村人は誰一人いませんでした」

 

 村民は口を揃えて見知らぬ少女であったと答えた。彼女と行動を共にした子どもたちも、ふらっと輪に加わった人物であると証言している。

 大人たちはスバル達と同様の余所者であったと判断し、子どもたちはそもそも相手の素姓を疑わしいと思わなかった。二つの心理に潜り込まれてしまい、遅れてその存在に気付いたこちらは後手に回る形になってしまった。

 ラムの報告を一通り聞き、ロズワールは「参ったね」と髪の毛を弄りながら、

 

「王都では腸狩り、領地では魔獣使い。変なレパートリーに絡まれたもんだよ」

 

 ロズワールは目を細め、

 

「ふむ、計画を早め、シャオンくんをもっと鍛えてあげなくちゃねぇ。具体的には”全力の私の魔法を防げるくらい”には」

 

 明らかに何かを企んでいる表情にラムは何も言わず、ただ彼を見つめているだけだった。

 

 

「ん……?」

 

 シャオンは腹部に感じる重みによって目を覚ました。

 寝ぼけ眼をこすり、よく見てみるとシャオンの腹の上に眠るようにして体を丸めているのは、アリシアだった。

 

「……はぁ」

 

 年頃の女性がなにをしているんだ、とため息をつきながら彼女の体を揺らす。だが、微塵も起きる気配はない。

 

「起きろー起きないと給料なしだぞー」

 

 耳元でそうつぶやくとアリシアは勢いよく飛び上がり、

 

「それは困るっす! ただ働きほど嫌なものなんてないっすから!」

「なんでお前がここにいるんだ?」

「いやぁ、スバルとエミリア様はなんかいい雰囲気だし、レムちゃんは忙しそうだし。ロズワール様とラムちゃんに至っては大人な雰囲気だしてて近寄れないし。ベアトリスちゃんはそもそも出会えない」

 

 よよよ、と泣く真似をしながらアリシアは語る。つまるところ、

 

「……さみしかった、と」

「うぅ、アタシにはパートナーがいないんだぁ……ミミやヘータロー、ティビーのモフモフが懐かしい」

 

 ベッドの上、正確にはシャオンの体の上で暴れるアリシア。

 だがさすがに病み上がりだということを彼女も考えてか体に負担をかけるような騒ぎ方ではない。

 無駄に気遣いができる彼女に苦笑しながらふと、窓の外を見ると完全に黒く染まっていた。

 

「……だいぶ寝ていたな」

「それほど疲れていたんすよ。スバル達もお見舞いに来ていたけど目覚めなかったから仕事に行っちゃったっす」

 

 シャオンのひとりごとを拾い、アリシアは泣きまねをやめて応えてくれる。

 

「訊かないん、すか?」

「なにが」

「――アタシが鬼だったこと」

 

 スバルたちが森でどのような戦いをしたのかは短い時間でだが耳にしている。

 彼女は鬼族である、と。そして目の前にいる少女は差別をされるのか不安がっているのだろう。

 この世界では鬼という存在がどのようなものかはシャオンは知らない。だが、彼女の不安から好ましい存在には思われていないようだ。だが、

 

「聞いてどうするよ? これからお前を鬼様と畏れ、崇めろと?」

「違うっす! アタシは! アタシはそんなつもりじゃ――」

「ほーい、ごっつんこ」

「あうっ!?」

 

 叫ぶアリシアにスバルがレムにやったようにシャオンも頭突きをする。

 それなりの痛みを伴ったが、落ち着かせることはできたようだ。

 

「俺の言い方も悪かったけど、話は最後まで聞け。お前、この屋敷の主知っているよな?」

「ロズワール、辺境伯っすよね」

「ああ、別名”亜人趣味”。それに本人はピエロメイクの変人だ」

 

 この世界では彼女と彼の関わり合いは今までよりも薄い。

 魔獣討伐の際と、シャオンが眠っている間に交流があっただろうが、その程度だ。だが、あの容貌を目にしたのだ。見てはいないが絶対に驚きを覚えたはずだ。

 

「ぶっちゃけた話、あんまお前が鬼だって言われても驚かない。それにあんまり言いたくないけどここには上級な精霊が二人、鬼族が二人、ピエロ一人に――ハーフエルフが一人いる」

 

 指を数えながら屋敷のメンバーを確認していく。頭の中に浮かぶ彼らの姿はどれも個性的なメンバーであることを伝えてくる。

 

「普通の人なんて俺とスバルぐらいしかいない。でも、俺もスバルもだれも差別なんてしていない。安心しろ、なんて偉そうなことは言わない。でも、もう少し俺らを信用してほしい」

 

 何も言えず、唖然となっているアリシアに指を突き付け、

 

「それに頼まれても扱いは変えない。お前に対しての扱いは一生そのままだ」

「思ってたんすけどあたしの扱いだけほかの人より低い気が……」

「この話はこれで終わり、次の話だ」

 

 小さく文句を口にするアリシアをスルーし、この話にけりをつける。そんな話よりも未来の話をする必要がある。

 

「……これからが大変になる、お前はいいのか?」

「王選のこと、すね」

 

 頷き、肯定を示す。

 

「お前の主であるアナスタシアという人はエミリア嬢の敵になる。つまりお前は別陣営に組するわけだ。さっきは扱いを変えないなんて言ったけど、どうするんだ?」

「うーん、お嬢がどうしても戻ってこいって全財産使うなら考えてもいいっすけど、そうじゃなければアタシは帰らないっすよ」

 

 あっさりといいのけるアリシアに。今度は彼女ではなくシャオンが驚く番だったようだ。

彼女はもともとの主よりもたった数日の関わり合いであるこちらの陣営に力を貸すというのだから。

 間抜けな表情をしているであろうシャオンに向かって小さく笑い、

 

「まだまだ未熟っすからね。今回の一件で改めて身に刻まれたっすよ」

「そう、だな。俺もまだまだだなって、実感させられた」

 

 今回の騒動で、いったいいくら自分の力不足を感じたのだろう。

 スバルの負傷、レムの単独行動、村の子供たちの誘拐。さらに、犯人の逃亡を許した。

 考えるたびに、自らに力が、知恵があればと思ったのだ。そうすれば、今回の件ももっと楽に解決できたのだから。

 

「強くならなくちゃな」

「お供するっすよ、未熟者同士、気が合いそうだし」

 

 アリシアはこちらにこぶしを掲げる。それに合わせシャオンもこぶしを掲げ、互いに軽くぶつけ合う。硬い手甲の感触が傷に響き、わずかに顔をゆがめそうになるがこらえる。

 

「さて、それじゃあスバルたちに目を覚ましたって伝えにいくっすよ」

「いい雰囲気だから邪魔したくないんじゃないのかよ」

「一人じゃ無理っすけど二人ならぶち壊せるっす!」

 

 シャオンを置いて走っていく様子を見て、呆れ、肩を落とす。

 

「……一人で行かせるのも面白いかもな」

 

 ついてきていると思ったシャオンの姿がなく、慌てる彼女の姿を想像しながら、笑みを浮かべシャオンは部屋の扉を閉めた。




 今回は少し雑だったと思います。急いで書き上げましたから。
では幕間を挟んで、”三章”に入らせていただきます。

 今までよりも一番複雑な章なので丁寧に書きますので更新は遅くなります。ご了承ください。


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幕間、いつかの記憶
怠惰なる母


今年最後の投稿です。



「まったく、ひどい有り様だ」

 

 一人の女性は白髪を整えながら、悲し気に瞳を揺らし、目の前の光景を眺める。

 女性の記憶ではここ、クローリサという国は色とりどりの花が咲き誇り、川の水は澄みきり、人々の活気があふれる場所だったはずだ。

 しかし目の前の光景はそれと正反対だ。

 色彩豊かな花は黒色に染まり、生命の象徴である川は、水が蒸発し、そしてこの国に人間はおらず屍のみが佇んでいる。

 もしもクローリサという国を知っている人間が見たらここがその地だということに気付くことはできないだろう。それほどまでに変化しているのだ。

 

「花は枯れ、川は干上がった。そして、人は死に絶える……まるですべての生物の墓場だね。死後の世界というものがあるならこういった場所なのかな」

 

 笑えない冗談を口にしながら女性――強欲の魔女エキドナは腰をかがめ、足元に咲いている花に触れる。

 途端、花はその形を崩し、灰のように吹き飛んでいく。

 それを悲しげな表情で見送り、立ち上がる。

 

「さて、どうする?――セクメト」

 

 振り返り、共に来ていたもう一人の”魔女”に語り掛ける。

 

「彼の母親である君なら、どこにシャオンがいるかわかるんじゃないかな?」

「ふぅ、あたしとあの子は、血がつながっているわけじゃないよ。それに血がつながっていたとしても、はぁ、そんなことわからないだろうさ」

 

 億劫そうに、尋ねられた事柄に答えるのは赤紫の髪を伸ばした女性――怠惰の魔女、セクメトだ。

 彼女は目の前の凄惨な光景を見てもいつもと同じく生気のない眼を保ったままだ。

 

「先に駆けつけたダフネは気絶させられ、テュフォンは眠らされた。カーミラも同様にね。ミネルヴァにいたってはそもそもこの事態に気づいていないだろう」

 

 エキドナが連ねたのは大罪の魔女の名だ。

 一人一人がそれ相応の大罪を冠する能力を持ち、それなりの戦闘能力を有する。

 だが今の彼はそれらをことごとく戦闘不能に陥れることができる。命は奪っていないが少なくとも数日は目覚めないだろう。

 

「これ以上彼が暴れてしまえば剣聖だけではなく、龍まで動く可能性がある。だからワタシ達で止めなければいけない。全く、荷が重い」

「ふぅ、サテラが教えてくれなければ、はぁ。もっと被害が拡大していただろうさ」

「……ふん、安全圏で見てるアレのおかげとは思いたくないな。……っと、どうやら、見つかったようだね」

 

 エキドナは屍の中に一つ動く”黒い影”を見つけた、恐らくあれがシャオンだろう。

 もともとの彼の姿からはかけ離れた、それが赤い瞳をこちらに向けていた――新たな獲物を見つけた獣のように。

 

 

――妬ましい。

 全てを癒すためにその五体全てを使って生物の傷を治してきた彼女の愛が妬ましい。

 すべての争いに対して横暴ながらも縛られず、怒りをぶつけることができる彼女の”憤怒”が妬ましい。

――妬ましい。

 人生を食べることにのみ費やそうとする食への愛が妬ましい。 

 多くの命を食し、いまだに満さえていない彼女の”暴食”が妬ましい。

――妬ましい。

 世界を愛で埋め尽くそうとした彼女の愛が妬ましい。

 そしてすべての生物を惑わしてきた彼女の”色欲”が妬ましい。

――妬ましい。

 愛とは何かを考え、そして更なる未知を求めていく知識への愛が妬ましい。

 尽きることなく知識を求めていく”強欲”が妬ましい。

――妬ましい。

 無邪気に物事を考え、悪とは何かを追い求める彼女の罪への愛が妬ましい。

 全てを自分の判断のみで審判する彼女の”傲慢”が妬ましい。

――妬ましい。

 全てを面倒に思いながらも生き続ける生への愛が妬ましい。

 生きることさえ億劫に考えるその”怠惰”が妬ましい。

――妬ましい。

 たった一人をあそこまで愛し続ける彼女の存在そのものに”嫉妬”する。

 ああ、妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい――――!

 セクメト達がシャオンを認識したと同時に、彼もこちらに気付いたようだ。

 

「――ア」

「――来るよ」

 

 僅かに首が傾いたと思った瞬間、大きな黒い手がセクメトに叩きつけられる。

 衝撃の後、セクメトの周囲が黒く染まり、地面がわずかに陥没した。 

 ずぶずぶと音を立てて周囲の地面が”腐る”のを見てエキドナは気を引き締める。

 

「セクメト、大丈夫かい?」

「ふぅ、あたしじゃなければ今の一撃で死んでしまっていたさ。はぁ、我が子ながら、厄介きわまりないもんだ」

 

 事実、今の一撃を食らえばいくら魔女でもひとたまりではなかっただろう。だがセクメトには”怠惰の権能”がある。

 

「彼の相手は頼んだよ。ワタシは捕縛と解呪の術式を編むから彼とは距離を取らせてもらう」

 

 エキドナはセクメトにこの場を任せ、シャオンの攻撃が届かない位置まで離れる。もしもエキドナが倒れてしまったらセクメトはシャオンを殺すことでしか助ける方法がなくなってしまう。

 それを彼女もわかっているからだろう、彼女が面倒くさそうになりながらも彼の相手をしているのは。

 

「――ア?」

 

 先の一撃ではだめだと判断したのか、シャオンは影を伸ばす。

 その数は百を超え、千にも届く。

 影に触れればほかの生物と同じようになってしまうだろう。だがセクメトはその一撃を避けようとせず、怠惰の権能ですべてを潰した。

 

「――ッ!」

 

 悲鳴が轟く。だがセクメトは眉を動かしすらしない。ただ、疲れたかのように息をこぼす。

 

「ふぅ、いくら増やそうとも、はぁ、無駄に終わるだけさね」

「ガアアッ――!」

 

 セクメトの忠告も届いていないように、シャオンは多量の影を生やす。

 

「――アアアアアアッ!」

 

 しかし今までとは違った。

 無数の影が一つにまとまり、セクメトを貫こうとうねりを上げて伸びたのだ。

 あの影は今までとは違い、一度では潰せない。仕方なく、セクメトはわずかに両拳を握る。

 たったそれだけの動作で――

 

「ガッ――!?」

「はぁ、無駄に知恵がふぅ、回るもんだ――でも無駄さね」

 

 ――彼の影はすべてが吹き飛ぶ。

 唖然とし、隙だらけになったシャオンの首から上が弾け飛ぶ。

 だがこれでも彼は死なない。それをセクメトは知っているし、今の一撃は殺すために放ったわけじゃない。あくまで目つぶしのための一撃だ。 

 頭を潰された彼の視界は一時的にない。

 その隙に、再生をするよりも早く、四肢を粉々に粉砕し、胴体を二つに分ける。

 

「ふぅ……これで、どうだい。エキドナ」

「十分な働きだよ。流石にここまで破壊されればワタシの方で縛れる」

 

 いつの間に戻っていたのか、エキドナはセクメトの後ろから前に進み出る。その姿には固体かと思えるようなマナが渦巻いている。

 エキドナは彼に向けてそのマナの塊をぶつける。

 するとマナが、明らかな形を得て顕現し、檻のようにシャオンの体を囲んだ。

 

「これで彼はしばらくの間動けない。そしてたまった”淀み”もワタシがなんとかしよう。悪いけど、ワタシは術式の発動個所を確認するから君はここにいてくれ」

「ふぅ、頼まれたってあたしは動かないよ」

 

 それもそうか、と納得がいったようにエキドナはセクメトを置いて、自らの仕事を果たしに向かった。

 

 

「これでもう大丈夫だろう」

 

 最後の術式を発動し、一息を吐く。

すると、服の袖を引っ張られた。

 振り返るとそこにいたのは数人の子供たちだ。恐らく、この国の生き残り、避難していた人間たちだろう

 

「あの! シャオン様は、どうなりました?」

「彼は、今はワタシ達が落ち着かせたよ。安心しなさい」

 

 エキドナは子供たちがシャオンがまた暴れだすのではないかと不安になり、様子を尋ねたのだと考えた。

だが、そんな彼女の予想を大きく裏切り、

 

「死んでいませんよね!?」

「大丈夫だよねっ!?」

 

 彼らが発したのはシャオンを心配するような声だった。

 流石のエキドナも目を白黒させ、子供たちに訊ねた。

 

「……失礼だけれど、君達は彼を恨んでいるんじゃないか? 君の生まれ故郷であるこの地を彼は破壊つくし、死の国と変えたんだよ? 死んでほしいと思ったんじゃないかな?」

「そんなことないもんっ!」

「シャオン兄ちゃんのことを恨む奴なんていない!」

 

 エキドナの言葉が彼らの琴線に触れたらしく、彼らは今までためていた感情を爆発させたかのように泣き叫ぶ。

 その声を聞き、一人の大人の男が現れた。

 

「子供たちが失礼しました。貴方がエキドナ様ですよね?」

「ああ。これは一体、どういうことだい?」

「まずはお礼を、あの方を止めていただきありがとうございました」

 

 頭を大きく下げ、感謝の言葉を告げられる。

 

「そして、魔女様の質問の答えですが私たちがあの人を恨むわけありません。この国を建て直していただいた恩もありますし、シャオン様がわざとなさったわけではありませんので。事前に忠告もいただいておりました」

 

 シャオンが以前言っていたことを思い出す。

 彼は腐敗していたとある国を建て直したという。 恐らく、この国がその国なのだろう。

皮肉にも破壊したのも彼ということになってしまったが、

 

「我々は私たちの意思で、この国に残っていたのですよ。それでも一部の人間は守るものがあるためにいなくなってしまいましたが」

 

 恋人、家族、主、命。守るものは様々だろう。

 互いに相談し、国を出ていった人間は少なくないはずだ。

だが、それを捨ててでも残る理由があった人間も多かったということだ。

 

「――どうして残った人間がいるか、訊いても?」

「あの人は泣いていましたから。恩人を放っておけないと思った私たちの我儘です。もしも、彼と話す機会がありましたら、お伝えください。”私たちは大丈夫です”と」

 

 術式を発動する際に国を見て回ったが、彼の影に呑まれていた亡骸はみな、安らかな顔を浮かべていたのだ。

 何故かは今の今までわからなかったが、エキドナは彼の回答で納得がいった。

 

「――すまなかったね。そうだね、彼は人の恨みを買うような人間じゃない。ワタシが間違っていたよ」

 

 涙目の子供たちに向け、目線を合わせて謝罪をする。

 ――彼は、魔女だけでなくずいぶんな人たらしでもあるようだ。

 エキドナは、そう思いながら泣き止む子供たちを、見つめ、静かに笑みを浮かべた。

 

 

「ふぅ、本当に手間をかけさせてくれた」

 

 エキドナの魔法が発動してから数分立つ。

 黒く染まっていた彼の体は元の肌色に戻り、髪も雪のような白いものに戻っていた。

 恐らく、淀みが完全に抜けたのだろう、証拠に檻も消え去った。

 

「目覚めたら、事情を察するだろうね。ふぅ」

 

 その時彼は嘆くのだろうか? それとも気にせずにまた世界を放浪するのだろうか。セクメトの予想では両方だろう。

 嘆き、自身を責め、そしてまた世界を彷徨うのだろう。

 自らを愛してくれる場所を、探すために――そんな場所はとっくにあるのに。

 

「目覚めるまでまだ、ふぅ、かかるだろうね。……それまで、ゆっくりと惰眠をむさぼろう、か、ね」

 

 怠惰の魔女セクメトは、わざわざ自らの足で動き(・・・・・・・・・・・)、シャオンの横たわる体に密着し、眠りについた。




副題としては『シャオンの脅威』と『シャオンに対する信仰』をイメージしてます


では、皆さま良いお年を


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いつか、誰かが、後悔する議論

年明け最初の投稿です。
過去最高に、難産でした。


 目の前を埋め尽くすのは、砂。砂、砂、砂のみだ。

 一面の砂。所謂砂漠、というものに青年はいた。

 照りつける太陽、裸足の足裏に伝わるのは照らしだす日光によって熱しられた砂の感触のみ。

 だが少年は汗一つ流さず、とある場所に向かっていた。

 

「――マナが揺らいでる。ここが、先生の言っていた場所だね」

 

 そう呟くと青年は空に両手を掲げ、”何か”を無理やりこじ開けるような動作をする。

 すると、砂ばかりだった空間に、一つの”歪”が生まれた。

 その歪の中は生命というものが一切感じられず、好き好んできたいとは思えないような空間だった。

その奥に一つの、斜めに立った棺がたたずんでいるのが見える。

こんな場所にそんなものが存在しているだけで不思議なのに、もっと驚くことは中身(・・)があるということだ。

 棺桶の中に存在する少女は灰色がかった肩ぐらいまでの髪を、二つくくりにしている。

 うっすらと見える肌は色白で華奢、胸は体相応に小さい。

 少女の年齢は見た目から、青年――シャオンは妹であるテュフォンよりも少し年上といったところだろう、と予想する。

  棺の中に入れられて、拘束具に全身をがんじがらめにされた上に、その両目を固く固く黒の目隠しで封じられている少女。

 そんな少女が目隠しの下から涙を流している。

 

「なんで泣いているんだい?」

「……吐きたくないですよぅ。お腹空きましたよぉ……泣きたくないですよぉ。お腹減っちゃいますからぁ……」

 

 少女は問いかけに答えない。いや、答える余裕もないのだろうか?

だが、彼女が漏らす言葉から、目の前の少女が空腹で涙を流しているのだということに気付く。

 といっても今少年の手元には食物といえるものはなく、空腹を満たすことはできない。

 だが目の前で今にも死にそうにしている少女を放っておくことなどもできない。

シャオンはため息をつき――ためらいなく自らの左腕を引きちぎった。 

 

「お食べ、生憎と、僕のようなものの、手しかないけど――」

 

 左腕の断面を少女に向けると興奮した様に、よだれを垂らす。

 

「そ、そ、そ、それでいいですぅ。いいですからぁ、ダフネに、ダフネのお口にくださぁい。はやくぅ、ねぇ、はやくぅ……っ」

「と、言っても先生の言うことが正しいなら君に直接触ってはいけない。だから、投げ渡すよ」

 

 激痛に苛まれ、顔を歪めながらも、痛みを押し殺し自らの腕だったものを彼女の口をめがけ、投げ渡す。

 すると少女は涙だけでなく、口から別の液体を流しながらそれをなすがままに受け取った。

 瞬間、咀嚼するような描写もなくシャオンの腕は虚空に、正確にはダフネの胃の中に消えたのだろう。

 その様子をみて話に聞いていた通り『化物』染みているな、と思いながらも拳で軽く腕をたたき、傷を治す。

 

「ふぅ、助かりましたぁ」

「僕の名前はシャオン。ただの、シャオンだ。君は『暴食の魔女』、ダフネだね?」

「そぉですよぉ。貴方はシャオンっていうんですかぁ、へぇー、じゃぁヤオヤオってよびますよぉ」

 

 泣き止み、間延びした声で礼を言われ、先程までおこなわれていた凄惨な光景などどこにもないように感じてしまう。

 事実、腕を引きちぎったシャオンも、その腕を食べたダフネも気にしていないのだからなかったようなものだが。

 

「それでぇ? ヤオヤオは一体なんでぇこんなところにきたんですかぁ? こんな砂漠に来るなんてよっぽどのぉ暇人くらいですよぉ?」

「先生――エキドナに連れて来てほしいと頼まれたんだ」

「ドナドナがですかぁ?」

 

 自らの恩師である女性がそう呼ばれているのを聞いたのは初めてだ。

 シャオンはわずかに苦笑し、

 

「ああ――拒否するなら、無理矢理連れていく」

 

 表情を一変させ、低い声でそう宣言するシャオン。

 しかし、肝心の宣言相手であるダフネは、

 

「別にいいですよぉ。ダフネもここにいたいとは思いませんしぃ」

 

 大きくあくびをしながら、抵抗する意思は見せない。

 

「……拍子抜けだなぁ。でも、話が早いのは助かるね。それじゃあ結界を抜けるための魔術を使うから少し待っててね」

「ならぁ、その間にもう一ついただいてもいいですかぁ?」

「……流石に僕も痛いのは嫌だから我慢してよ。早めに終わらせるから」

 

 その答えに僅かに悲しそうに眉を下げるダフネを相手取らず、急いで術式を組み立てていった。

 

 

 ダフネとシャオンが結界を抜けるとそこに広がっていたのは一面の緑だ。

 草原のほかには、川が流れ魚も飛び跳ねているのがわかる。

 遠くからは人々の活気あふれる声が聞こえ、まさに、”生命の国”といえる。

 

「シャオン兄ちゃんっ!」

「おや、どうしたんだい」

 

 こちらに駆け寄ってくるのは一人の少年だった。そしてそのままの勢いでシャオンの体に抱きつく。

 抱き着かれたシャオンはわずかに体勢を崩していたが、しっかりと受け止め少年の頭をなでる。

 

「うんとね、おとーさんがお昼食べていかないかって!」

「ああ、といいたいんだけど」

 

 ちらりとダフネを見ながら小声で呟く。

 その様子を見てようやく少年は彼女の存在に気が付いたようだ。

 

「……友達?」

「そぉですよぉ。ヤオヤオとダフネは『親友』ですよぉ。だから、できれば、ダフネもぉ、お呼ばれしたいなぁって」

「はぁ、兄ちゃんの友人ならばきっと良い奴なんだろうけど……友達は選んだほうがいいぞ?」

 

 その見た目、しゃべり方、雰囲気全てから不審者丸出しの彼女を見て少年は若干の引きを見せている。

 

「あと――服装はもう少し押さえ目に……」

「気にするだけ無駄だよ、魔女ってそういうものだからね。どうしても恥ずかしいなら彼女の存在は無視していいからね」

「そ、そっか」

 

 少年も男だ。

 ダフネの格好は拘束具に包まれているだけでなく、服というものが意味をなしていないほど肌が露出しているのだ。年頃の子には目に毒だろう。

 

「はやくぅ、行きましょうよぉ」

 

 そんな思春期の困った感情を無視するようにダフネは早く昼飯を食べに連れていくように催促する。

 

「う、うん!」

「やれやれ」

 

 呆れながらも、少年を先頭に国の中に入っていった。

 

 エキドナは自らの愛弟子であるシャオンを探していた。

 久しぶりに開かれた茶会だったが、シャオンの姿がなかったのだ。

 親しいセクメトやテュフォン、彼に惚れているカーミラなどに所在を聞いても皆知らない様だった。なので、ちょうど彼に用事があったエキドナは困り果てていたのだった。

 そんな中、とある口論が耳に入ってきた。

 

「だからぁ、思うんですよお。大きく育ったりぃ、際限なく増えたりすればぁみぃんな助かるんじゃないかって」

「ふむ、それじゃあやっぱり強くすればいいんじゃないかな。長生きすれば成長するし、知識も身につく」

「でもそれじゃあ、食べにくくありませんかぁ?」

「食べがいがあるほうがいいんじゃないか?」

 

 口論の内容から誰と誰が話しているのかはすぐにわかった。

 

「なんの話をしているんだい? シャオン、ダフネ」

 

 二人はテーブルを境に、向かい合っていた。

 白髪の青年シャオンは紅茶で唇を湿らせがら、棺の中にいる少女ダフネはエキドナが作ったクッキーを取り込みながら話し合っている。

 エキドナが声をかけると皺を寄せていた表情が嘘のように、シャオンは笑みを浮かべる。

 

「ああ、先生。実はですねダフネが生み出すという魔獣についてちょっと議論をしてまして」

「議論? どういうことだい、ダフネ」

 

 どういう話か読み取れず、棺で横になっているダフネに訊ねる。

 

「飢餓を解決するにはぁ、強い魔獣を生み出すかぁ、どうするかぁという話題ですよぉ」

「僕としてはより強い魔獣を産み出して、食べにくくすれば食べたときの感動もより増すかと思ったんですけど」

「それで空腹で死んじゃったらぁ駄目じゃないですかぁ」

「まぁ、空腹は最高のスパイスとは言うけど……君が度が過ぎるだけじゃないかな?」

「ヤオヤオも極限の空腹を味わったら……平気でしたねぇ」

 

 そう短くない仲だ、彼らの討論が平行線で終わってしまうことは予想できる。そして長引いてしまうことも経験からわかっていた。

 仕方ないので終わるまで出直そうかと思ったが、エキドナの中にふとした好奇心もとい探求心が生まれた。

 

――彼らの議論。この議論の結果のせいでいったいどれぐらいの命が奪われるのだろう? そして、彼らはどう感じるのだろう。

 

「ねぇ、二人とも、ちょっといいかな?」

 

 エキドナは知識欲の赴くままに、訊ねる。”その魔獣が生まれたら、大勢の命がなくなるのではないか”、と。

 するとシャオンとダフネ、その両方が何を言っているんだとでも言いたそうに首をかしげる。

 

「食べられた側の気持ちなんてぇ、そんなの知りませんよぉ。ダフネとしてはぁ、食べられるほうがぁ悪いと思うんですけどぉ」

「食べられるほうが悪い、とは僕は思いませんが。ダフネが生み出した魔獣たちに負けたのならそれは”その程度”の価値しかなかったんでしょう。実際に立ち会わなければわかりませんが」

「ここでは意見が一致するんだね」

 

 先程まで対立していた二人組は揃って同意見を口にする。

 ダフネはケラケラ笑いながら、シャオンは紅茶を口にしながら答えた。

 

「別にダフネとヤオヤオはそこまでぇ仲が悪いわけじゃないですからぁ」

「いいわけではないけどね」

 

 ほとんどの存在を平等に見ているシャオンだが、ダフネに対してはわずかながらに扱いが厳しい気がする。本人は無自覚だろうし、ダフネも気にしている様子はないので突っ込まないでおくが。

 

「それで、一体どんな魔獣を生み出そうとしているのか、ワタシも話に入れてもらってもいいかい? なに、参加費として追加の茶菓子ぐらいは用意するよ」

「別に構いませんよぉ? クッキーを用意してくれるならぁ大歓迎ですしぃ」

「なら僕は新しく紅茶を淹れ直しましょう」

 

 この平行線の討論に乗り掛かった舟だ。エキドナもたまには参加してみよう。

 一人、魔女が加わるだけで結果が変わるかもしれないのだから。

 

 

 茶会が閉会し、魔女たちも帰る中、シャオンとエキドナだけが残っていた。

 

「見事に皿も、テーブルも跡形もなく食べられましたね」

「お陰で後片付けはだいぶ楽だけどね」

 

 だいぶ楽というよりはほとんどすることがなくなってしまったが。

 

「それで?」

「うん?」

「用件は何ですか? わざわざダフネとの会話に入るためにこちらに来たのではないでしょう?」

 

 シャオンは確信を持った瞳でエキドナを貫く。

 その様子に参ったとでも言いたげに手を上げて頷く。

 

「ああ、そうだね。シャオン、君を私の弟子として頼みたい、いや正確には提案がある」

「提案?」

 

 意味が分からず首をかしげる愛弟子に向かって笑みを、

 

「――人工精霊を、作ってみないかい?」

 

 三日月のように、口元をゆがませて笑みを浮かべた。

 




・『白鯨』の討伐難易度が上昇しました。
・『大兎』の討伐難易度が上昇しました。
・『黒蛇』の討伐難易度が上昇しました。





どうしよう、モツ姉さんの話投降したいけど三章も投稿したい……


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マヨネーズ大戦争

 事件は、ロズワール邸の食卓で起きた。

 

「もうだめだ! 耐えきれない!」

「危ないですよ、スバルくん。病み上がりなんですから」

 

意味不明な発言と共にがっくりとうなだれる肩を優しく叩き、背後からスバルの顎のラインに指を這わせながら献身を口にするのはレムだった。

 たった一人『魔獣騒動』を経てスバルになついたレム以外は、普段が普段だったからか、スバルの意味不明な行動及び言動は皆慣れている。

 

「でも、なんだか本当に今は苦しそうね」

 

 エミリアの言う通り、実際にスバルの表情は青く額に汗を浮かべており、その言葉が嘘ではないということは明らかである。

 

「まさか、呪いの後遺症とか……」

 

 最悪の想像を口にして、全員が顔を見合わせる。それからエミリアは憂いを瞳に宿して己の銀髪に手を入れ、その中から灰色の小猫を摘まみ出した。

 目をこするパックはスバルの顔の前に座らされ、すんすんとピンク色の鼻を鳴らし、

 

「うーん、リアが心配するような感じはしないよ? マナが空っぽだから生気は相変わらず弱々しいけどー」

 

 テーブルに突っ伏すスバルの頬を肉球で叩きながら、パックが声でそう報告する。

だが、

 

「指先の震えに浅い呼吸。まるで依存度の高い薬物への禁断症状のようだな」

「いつそんなの摂取したんすか」

「……ーズが、足りない」

 

 心配をよそに、スバルはテーブルに突っ伏したまま、右手の中にパックを確保したまま、かき消えるような声で囁く。

 

「――え?」

 

 わずかにでも聞き取れたのは、すぐ側に身を寄せていたエミリアだけだったらしい。

 エミリアはこぼれ落ちそうなスバルの言葉を聞き逃さないよう、さらに口元に耳を近づけ、再びスバルの言葉を聞こうとする。

 そんな彼女の献身を裏切るように、唐突に跳ねるように体が持ち上がり、周囲の驚きすら気にせずに、スバルは声高に叫んだ。

 

「――マヨネーズが、足りない!!」

 

 その言葉を知らない人間、つまりシャオンを除いた屋敷の面々が首をひねった。

 

「マヨラーにとって、マヨネーズを感じられない日が続くことがどれだけ苦痛か。それがもう二十……いや、一週間も続いてんだ。常人なら発狂しててもおかしくない。俺の狂人的な精神力だからまだもってるが……もう限界だ」

 

 テーブルをたたき、スバルは熱く宣言する。

 わざわざ動きをつけてまでの熱弁だが、レム以外には効果がない様だ。

 

「マヨネーズなしでも食事はうまい、確かにうまいさ。このパンみたいな奴も、スープ的な液体も、サラダチックな盛り合わせにしたって、水かどうかも怪しいような飲み物と相まって最高にうまいさ。でも、マヨネーズがないのは事実だ」

「つまり、食べ慣れたマヨネーズ、調味料がないからダダこねてるってことだな?」

「シャオンはわかってねぇよ!! わかってない!」

 

 馬鹿を見るような眼と共にスバルに訊ねるが、涙目に否定される。

 

「目的もなく、生き甲斐もない俺が、次に見る夢だ。……それが、この異世界にマヨネーズをもたらすこと。それで、なにが、悪い」

「悪いことしかないんじゃないかしら」

 

 ラムの言葉すら気にせずにスバルはマヨネーズの魅力を熱弁し続ける。

そんな彼の熱く、静かな意気込みを清聴し、胸を叩いたのは、

 

「わかりました。スバルくんのその要望、レムにお任せください」

 

 青髪を揺らし、目をキラキラと輝かせるレムだった。

 

「そもそも、お屋敷の厨房を与るのはレムの担当です。そのレムの料理が満足していただけないなら、相応の手段を講じるのが務め。――そうですよね、姉さま」

「え、あ、うん。そうね。その通りだわレム」

「はい! 頑張らせていただきます、姉さま!」

「や、やってくれるのか。レム」

 

 感動に瞳を潤ませて自分を見上げるスバルに、レムは再び胸を叩いてやる気をアピール。それから彼女は手を広げ、

 

「やってみせましょう。ではスバルくん、その調味料のレシピを……」

「――え?」

「――え?」

 

 陥る沈黙。それを破ったのは――

 

「……まさか、そのレシピがわからない、なーんてことないっすよね? ははは」

 

 アリシアの言葉のみだった。

 

 

 朝食の後、使用人たちは、正確にはロズワールとの修業があるシャオンを除くメンバーが、マヨネーズ作りを命じられた。

 本来の仕事がおろそかになるかと考えたが、使用人が以前よりも三人に増えたのだ。業務に関しては何ら問題ない。

 ただ、問題としては、

 

「それがなくちゃ生きられないって口にしておいて、その作り方もわからないとは……」

「きっとスバルくんはレムを試しているんですよ」

「いやー、あれはどう見てもそんな考えあるようには見えなかったっすけどねー」

 

 呆れるシャオンとアリシアとは別に、スバルを妄信的に尊敬しているレム。

 意図しようが意図してなかろうが結局彼女がスバルを尊敬することには変わらないのかもしれない。

 

「それじゃあ、アタシは一階を。シャオンは三階、レムちゃんは二階の分担で」

 

 アリシアはそう告げ、階段を下りていく。

 それを見てシャオンも自らの担当場所である三階に足を運ぼうとしたが、

 

「……シャオンくん、ありがとうございます」

「ん? 急にどうしたよ」

「魔獣討伐の時のお礼をまだ言えてなかったので」

 

 レムの言葉に足を止める。

 

「別に大したことはしてないさ。むしろ犯人を取り逃がしたんだ、礼を言われる立場じゃない」

「それでも、です」

 

 遠慮するシャオンに、レムは譲らない。

 そして彼女の頑固さは十分にわかっているので素直に受け取るとしよう。

 

「……スバルくんは、レムにとっての英雄です」

 

 唐突にレムは話す。

その声は弱く、瞳はまるで、なにか眩しいものでも見ているかのように細められている。

 

「スバルくんはとても強い人です。でも、レムはそうではありません」

 

 レムは悔しそうにこぶしを握り締め、悲し気に眉を下げる。

 

「証拠もなく、直感ですけど。レムが想像できないようなことで、レムが力になれないようなことでスバルくんは悩んでいるときがあります……でも、シャオンくんは違います。貴方は、気づいています。力になれます」

 

 シャオンはレムの言葉に驚き、目を見開く。

 レムは、彼女自身が言ったように直感的ではあるがスバルが抱えている『死に戻り』という点までは気づいていないが、何かを抱えている、というところまでは気づいたのだ。

 

「……もしもレムが力及ばず、スバルくんについていけなかった時、きっとシャオンくんが支えになると思います」

「……ずいぶんと高い評価で」

 

 正直な話を言えばシャオンがスバルの悩みを解決しているというのは嘘ではないはずだ。

 彼一人では足りない戦力を補う役目だけではない、『死に戻り』を共有できる人物として精神的な支えになっていると、少なからず自負している。

 

「ええ、だから少し、嫉妬してしまいます」

 

 ほほえみながらそう告げたかと思えば次の瞬間には頭を下げ、

 

「お願いします。スバルくんをこれからも助けてあげてください」

「――うん、頼まれた。頼まれたけど」

 

 ポンポン、とレムの頭を軽くたたく。

大人が子供にやるように優しく、けれど力強くもあるように。

 

「そういうふうに諦めるのは感心しないよ、レム嬢。確かにスバルには想像できないような悩み事もあって、俺にしか解決できないようなものもあるだろうさ。でも、それがすべてじゃない」

 

 シャオンは全知全能で、万能な存在なんてものではない。

いつもスバルを助けられるとは限らないのだ。

 

「逆に俺ができなくてもレム嬢にできることがあるかもしれない。いや、絶対にある。だから、お前もスバルの助けになるんだよ。いや、なってほしい」

「レムで、いいんでしょうか」

「レムだから、いいんじゃないか? あいつの面倒をしっかりと見れるのはレム嬢ぐらいだぞ」

「それは……そうかもしれませんね」

 

 ようやく笑みを取り戻したレムを見て、シャオンはようやく掃除を開始したのだ。

 

 

 場所は、屋敷の庭。

 ここでいつもロズワールにシャオンは魔法を教わっている。

 だが、今日行われているのはいつもの授業、というよりは模擬戦に近いものだった。

 

「エルゴーア!」

 

 拳よりも僅かに小さい火球がシャオンの掛け声とともに顕現する。

 一つの球、それは徐々に数を増やし、二十もの数にまでなった。

 一個の火は小さい。それでも持っている熱量はそれなりのもので、当たればただでは済まない攻撃だ。

 だが、ロズワールは避ける動作すら見せずただ指をつきだす。

 

「ヒューマ」

 

 その呟きとともに、ロズワールの周囲を囲うように一つの氷の輪が生まれる。

 輪はゆっくりと、だが確実に広がっていき、それは火球の一つに触れ、粉々(・・)になった。

 輪は火球と相殺した、だが彼の魔法はそれで終わる訳がない。

 

「……マジすか」

 

 粉々になった氷の破片が残る火球に触れていく。

 瞬間、それらの火球はすべて消失した――たったそれだけで、シャオンの生み出した火球はすべて対処されたのだ。

 

「本当の火属性の魔法というのは、こういうものだーぁよ」

 

 笑みを深め、ロズワールの周囲にマナが濃く浮き出し、溢れ出ていた力の奔流が具現化する。

 生まれたのはシャオンが出したものと同じ大きさの火球。

 だが、離れていても肌が焼けるような熱を持つその火球は、シャオンの生み出したものよりも数倍の威力があるということがわかる。

 まるで小さな太陽、彼はそれを生み出したのだ。

 

「――アルゴーア」

 

ロズワールの掌がシャオンの方へと向けられる。

即ち、それは掌中にあった火球を投じる動きだ。火球はゆっくりと、確実にこちらの体を焼き尽くそうと迫りくる。

 それを眼前に、回避行動をとろうとする。だが、

 

「――っ!?」

 

 足が動かず、つんのめってしまう。

 慌ててその原因を確認しようと足元を見る。そこには――

 

「ちょろちょろ動かれると面倒だからね、凍らせてもらったんだ」

 

 地面に足を縫い付けるように氷が生えていたのだ。

以前パックがエルザに行ったような技、まさかそれを自分が受けるはめになるとは夢にも思わなかったが。

 

「あ、アルヒューマッ!」

 

 よけることはできない、ならば迎え撃つのみだ。

覚悟を決めればあとは容易い。

 イメージするのは盾だ。硬く、何者にも破ることを許さない強固な盾。

 一枚では足りない、二枚でも足りない。一体何枚必要なのかもわからない。

だから、シャオンの中にあるマナすべてを使い、前方にありったけの盾を何枚も重ねていく。

 

「ッ!」

 

 炎の豪球が、盾と接触する。

 氷がとけ、蒸気がシャオンの視界を遮り、マナ同士がぶつかるり、衝撃が体を襲う。

 幸いだったのはロズワールがシャオンの足を氷で地面に張り付けていたから、体が吹き飛ぶことはなかったことだろう。

 もしも吹き飛んでしまったら盾は消滅し、小さな太陽がシャオンを焼き尽くしていたのだから。

 

「――ぁああああっ!」

 

 一体どれぐらいの時間がたったのだろう。

 五分、十分それ以上。もしくはシャオンがそう感じているだけで数秒の出来事だったのかもしれない。

 そうした中、事態は急に終わりを迎えた。

 

「……ほう、面白いことをしたものだ」

 

 ロズワールの言葉と共に衝撃が収まり、不意に視界が晴れた。

 目の前には半透明の盾が一枚、そしてその盾の先には興味深そうな笑みを浮かべているロズワール。

 

「――はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った」

 

 ロズワールの火球は完全に打ち消すことができた。一枚だけ残っている盾がその証拠だ。

 ただ、こちらはもう魔法を使うことはできない。始めに出された条件はクリアできない。

勝負はシャオンの負けということになる。

 しかしロズワールは勝ち誇る様子はなく、むしろ肩を落として残念そうな表情だ。

 

「すごいねぇ、今のは加減なしに放ったんだけど。いやいや私も年かーぁな」

「全然平気そうじゃないっすか」

 

 同じ、最上級に当たる魔法である「アル」系統の魔法を使用したのに、肩で息するシャオンとは対照的にロズワールは鼻歌を歌いそうなほどに余裕がある。 

 そんな状態で褒められても嫌味にしかならない。

 

「勝負は私の勝ちだ。でも、私の一撃は防いだ。うん合格点をあげよう」

 

 ロズワールが指を鳴らすと、足元の拘束が解かれ自由になる。

 そして、疲労感から尻餅をつく。

 

「……いいんですか?」

「流石に大人げないかなぁと思ったからねぇ」

 

 今回行ったロズワールとの模擬戦の勝利条件は、『シャオンが魔法の一撃をロズワールに当てる』か、『ロズワールから合格点をもらう』だった。

 残念ながら、前者は達成できなかったが後者は無事達成したようだ。

もしも達成できなければまた一から、体に覚えさせるといわれていたので、安心した。

 

「基本的な魔法の使用は十分。あとは、無詠唱ができれーぇば私の弟子として申し分ないだけど、きついでしょ?」

「そもそも無詠唱って、いまいちやり方わかんないんですけど」

 

 魔法を使用する際に魔法名を口に出すのはイメージのためだ。

 マナを形にし現実世界に顕現させる、これが魔法の基礎中の基礎。

 だからイメージしやすいように口に出すのが主流だが上級な魔法使いはその工程すら省けるらしい。当然、目の前の彼もそれに当てはまる。

 

「術式起動の際に、なにか合図を入れるんだーぁよ。そうすればその合図さえできれば無詠唱で魔法を使える」

 

 アドバイスを受けるが、その合図を定着させるのが難しいのだ。

 ロズワールは心情を読んだのか苦笑し、指を立てて更に説明する。

 

「最初は攻撃を目的とした魔法を無詠唱で発動させるんことは難しいだろーぅね。でも、最後のあの盾を発動させることぐらいはできるんじゃないかな?」

「そうですか?」

「うん。まずは、前方にただ盾を出す。このことをとある合図だけで発動できるようにすればいいんじゃないかな? おすすめとしては、指を鳴らすとか、指で体をたたくとかだーぁね」

 

 ロズワールが右手で指を鳴らすと、シャオンの前に火球が生まれ、ロズワールが反対側の手で足をたたくと今度は小さな氷柱が生えた。

 

「なるほど……」

「慣れるまではこんな感じだね。逆に慣れたら合図は頭の中でできるようになる。そうすれば相手に悟られずに魔法を使えるだろう、私が君の足を固定したようにね。あ、そうだ、話は変わるけど――」

 

 説明をしていたロズワールは急にシャオンに目線を合わせ、ささやく。

 

「――君の体もだいぶ筋肉がついてきたようだーぁね」

 

 その声とその見た目と、こちらを嘗めるように見る視線と、それを発したのが男であるということに、身の危険を、具体的に言えば貞操の危機を感じ、急いで立ち上がり距離を取る。

 

「冗談だよ」

「冗談に聞こえないんですよ!」

 

 笑顔でそういうロズワールだったがそもそも、その笑みが胡散臭い。

 

「アリシア君とともに鍛えているんだったね……どれ、では私も一つ技を教えよう」

「……技? 今からですか? 明日からでもいいんじゃ……」

 

 魔法の使用でシャオンの体は疲労困憊だ。

 今肉弾戦の修業をしたところでまともにできないだろう。

 だが、彼はシャオンの言い分を無視し、

 

「スバルくん的に言うには『第二ラウンド開始』ってところかーぁな?」

「鬼! 悪魔! ピエ――」

 

 ロズワールの拳がシャオンを襲った。

 

 

「――そんなわけで、これが俺の故郷に伝わる究極の調味料マヨネーズである。素の蒸かし芋に付けることでより味がわかるという考え。さあ、実食あれ!」

 

「正直期待していなかったけど、本当に作ったんだ」

 

 ボロボロの状態のシャオンの前に広がるのは温かな湯気の立つ蒸かし芋と、それにトッピングされたマヨネーズのみのシンプルなものだ。

 

「これはまーぁた、思い切った食事だね?」

「マヨネーズのすばらしさをみんなにもわかってほしくてな。ラムやレム、ついでにアリシアには無理を言って、余計なものは一切合財取り払ってもらった。なにか文句があるなら全部俺に責任があっから言ってくれ。そしたら」

 

「そうしたら?」

 

「魔獣騒ぎの件での功績で、この昼飯の無礼をチャラにする……!」

「君はほんとーぉに、功績の使い方が下手だねぇ」

 

 ロズワールは苦笑してスバルの無礼を許容。

 彼からすれば、スバルの拙い言い訳などあっさりと見抜いていたことだろう。特にスバルの後ろで、申し訳なさそうに佇むレムの姿があるのだからなおさらだ。

 もっとも、蒸かし芋を出すことになんの躊躇いもなかったらしいラムは、瓜二つの妹の隣で堂々と胸を張っている。

 

「どうよ、エミリアたん。食べられそう?」

「初めて見るから、ちょっと恐いかな。スバルがあれだけ言ってくれるくらいだから、おいしいって信じたいんだけどね」

 

 さすがのエミリアも苦笑を浮かべ、なかなか皿の上に手が伸びない。

 誰か一人、屋敷のメンバーが口にできれば自然に進んでいくのだろう。

 残されたメンバーとしては、スバルと同郷であるシャオンを除くと――

 

「どうしたっすか? ベアトリスちゃん」

「……ベティーはちょこっと、用事を思い出しただけなのよ」

 

 アリシアの声で、ベアトリスに視線が集まる。

見れば彼女は席を立とうと腰を浮かしていた最中だった。

 今までだったら止めた人物はいなかっただろう。だが、 

 

「なぁ、ベア子」

「ふん、何を――むぐっ!」

 

 今は、天敵ともいえるスバルの存在がいるのだ。

 注目の的になってしまったのが彼女の運のつき、スバルは彼女の開いた口に無理やり芋を突っ込ませる。

 いきなり口に入った芋と、未知の存在であろうマヨネーズの味に目を回すも、涙目ながらに咀嚼を開始する。

 

「むきゅむきゅ?……むきゅむきゅきゅ」

「おお、むさぼり始めた」

 

 マヨネーズの味に意識が追い付いたのか、ベアトリスは驚いたように瞬きを一度し、一気に咀嚼し完食。

 そして、悔しそうにしながらも二つ目の芋へと手を出したのだった。

 彼女の陥落を受けて、ようやく昼食がいつものように開始された。

 

「あ、おいし。やだ、止まらなくなっちゃう」

 

 最初は警戒していたエミリアも蒸かし芋をいくつも口にして、ご満悦の様子だった。

 

「確かにマヨネーズだな」

「おお!合うっすね! うまいっす!」

 

 試しにシャオンも口にするとそれは元の世界で味わったことがあるものと相違ないもので、正直美味いといえる。

 アリシアもシャオンが食べたのを見て、恐る恐る口にし、その絶妙なおいしさに目を輝かせている。

 ロズワールも「これはおいしいねぇ」と貴族級の舌も満足させられたようで、スバルは満足そうだ。

 

「よっし、大成功と。レム、よくやってくれたな」

 

 思いがけず高評価の状態に満面の笑みを浮かべ、スバルは後ろでいまだに固まっていたレムの肩を叩く。

 レムはその呼びかけに恐れ多いように俯き、

 

「いえいえ、レムのしたことなんてそれほどでもないですから。これも全て、スバルくんの行動の賜物ですよ。レムは没頭しすぎて、昼食の準備も忘れてしまうくらいで……姉様とスバルくんがいなかったら、ロズワール様にどんな叱責を受けたか」

 

「集中させすぎた俺が悪いんだよ。このマヨネーズのおかげで食卓にさらなる花が咲かせられる。感謝、してるぜ」

 

 レムの低すぎる自己評価を、スバルは勢いで押し流してしまうことにする。ここでいつまでも引っ張っていたら彼女は譲らないだろうという判断だろう。

 

「――レムの、おかげですか?」

 

 そんなスバルの思惑に見事に乗っかり、レムは顔を明るくする。

 彼女のお手軽さに苦笑しつつも、頷き返し、

 

「おお、もちろん。レムがいなきゃ、今日の成功はあり得なかった。誇っていいぜ」

「お役に立てましたか?」

 

「もう、バリバリ。おかげでマヨネーズ依存症の俺の命は救われた。そりゃもうホントに危険域だったんだから」

 

「危険域……」

 

「危うくマヨネーズにどっぷり浸からなきゃ死ぬかもレベル。おかげさまで命拾いだ。神様、仏様、レム様、エミリアたんって具合だな」

 

大げさに感謝の言葉を口に出していくスバル。

 レムはそんなスバルの言葉に生真面目な顔でうんうんと頷き、

 

「わかりました。任せてください」

「――うん? わかった。超任せるぜ! それじゃあ俺もいただくか!」

 

スバルもその料理を味わおうと芋を手に取る――その後ろで、レムが静かに決意を固めるように、ガッツポーズしているのに気付かずに。

 

「……いやーな予感がすんなぁ」

「なにをぶつぶつと言っているのかしら……もむもむ」

「口元にマヨネーズがついてるっすよ、ベアトリスちゃん」

 

 ただ、止めずに見ておくことにしよう。

 彼女がスバルに対して何かしようとしているのは事実なのだから。

 

 

 日が落ちた執務室、光源として存在するのは月の光のみだ。

 現在、ここにいるのはその部屋の主であるロズワールのみだ。

 雑務をすべて終わらせ、ラムのマナ補給も滞りなく終わらせた。あとは睡眠をとるだけ。

 

「それにしても、レムがあそこまで懐くとーぉはね」

 

 スバルが提案した『マヨネーズ』というものを生み出そうとし、屋敷の業務を忘れてしまうまで熱中するほどの入れ込みようだ。

 更には彼が冗談で言ったことを真に受けて本当に浴槽一杯にマヨネーズを仕込むという暴挙にも踏みでた。

 ロズワールにとって長く付き合ってきた使用人のそんな劇的な変化はうれしくもあれば、寂しくもあった。

 

「ま、いい変化だということにしておいて――思ったよりも早かったね」

 

 机の引き出しから一枚の封書を取り出す。

 白いその手紙は封が閉じられているが恐らく、書いてあることは予想通りの内容だろう。

 そして、その予想が的中すれば今日のような楽しいことはもう起きないだろう。

 いささか、残念ではある。残念ではあるが――

 

「……でも、これでようやく動き出す」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべる。

 机の上に置かれた封書。

 その裏側の差出人の名前が書かれている欄、そこには小さく、きれいな文字で記されていた。

 

 

 

 ――アナスタシア・ホーシン、と。




モツ姉さんの話は今度時間があるときに投稿することにいたしました。申し訳ございません。
投稿した際には最新話としてではなく、幕間として追加させていただきます。
きちんと報告もしますのでご安心を。
そして――次回から三章が始まります。


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嫉妬の楔
屋敷からの別離


始まります


「――いい加減にしてくれ」

 

 それは小さくこぼされた声だった。

 シャオンが聞きこぼさなかったのは偶然か、それとも彼の、スバルの声が――怨嗟のこもったものだったからか。

 それすらわからないままスバルの語りは進んでいく。

 今までため込んできたものが限界迎え、溢れ出したかのように吐き捨てていく。

 

「ああ、お前はいいよな? 魔法の才能もあって? 喧嘩も俺より強いし、チート能力持ちだもんなぁ?」

 

 見ているこちらが辛く感じてしまうほどに顔を歪ませて、スバルの告白は続いていく。

 

「ああそうさ、それが周りの奴等はお前を認めて、俺のことは認めない理由だ。ロズワールの野郎も、俺を憐れんでいた騎士共も! そして――エミリアでさえお前のほうを取った理由さ!」

 

 スバルは自らの体に掌を添え、訴えかけるようにそう宣言する。

 その迫力に、怒声に、ぶつけられている対象であるシャオンは思わずひるんでしまう。

 

「……ふざけんなよ」

 

 スバルから歯を食いしばる音が聞こえ、力強く握る拳からは血が垂れているのが見えた。

 自らの体を傷つけるまでに力が籠められ、それほどまでにこちらに敵意を向けているのだ。

 

「俺だって努力してきただろ? なんで、なんでお前ばっかり……」

「スバル……」

 

 その声には怒りや悲しみよりも、悔しさが占められているようにシャオンには感じた。

――自分も命を削って尽くした、なのになぜ報われない? なぜ、シャオンばかり報われる?

 そんな、他者を妬むような、黒い気持ちで占められていた。

 

「……そもそもさ、なんでお前は俺に対してなんの自慢もしない? はっ! 強者の余裕ですってかぁ?」

「そんなことっ――」

「触んなっ!」

 

 否定の言葉と共に伸ばした手は軽く(つよく)、叩き落とされる。

 勢いに任せての行動だったのだろうが、彼の放った一撃は力が込められていなかった。

 だから、だから、痛くなどないはずなのに――

 

「……ス、スバル。誤解だ。落ち着いて、話し合えば、ちゃんと分かり合え――」

「お前に――」

 

 シャオンは喉を震わせ、何とか出すことができたかすれた声で引き留めようとする。

 だがスバルはそれを遮り、

 

「――お前に、俺の気持ちなんて……わかりゃしねぇよ」

 

 スバルはその言葉を最後に、頭から毛布をかぶり、現実から逃避する。

 何か、何か言わなければ彼は腐っていくだろう。

 わかっている。

 そんなことは、わかっているのだ。だけど――

 

「――――」

 

――シャオンには、何も言うことができなかった。

 

 

「あい、最後に腕を天に伸ばしてフィニッシュ――ヴィクトリー!」

 

「「ヴィクトリー!!」」

 

 両手を掲げてスバルの言葉を締めとし、ラジオ体操は終了。

 スバルを取り囲むようにいるのは、ロズワール邸にもっとも近い村の住人たちだ。おおよそ、半分ほどが集まっているだろうか。

 その輪からほんの少し離れたところでエミリアとシャオンはいた。

  もっとも、

 

「スバルー、体操終わった!」「スタンプ、スタンプ押して!」「イーモ! イーモ!」

 

「だぁぁ! うるせぇ!焦んなくてもスタンプは逃げねぇよ、並べ並べ」

 

 寄り集まってくる子どもたちに馴れ馴れしく接されて、それに応じるスバルの表情には苦笑がきっかり刻まれている。が、そこに拒絶の要素は見当たらない。

 子どもたちが指示に従って、スバルの前に綺麗に直線で並ぶ。それを見届けるとスバルは満足げに頷いてから振り返り、

 

「んじゃ、二人とも頼むわ」

「――はいはい、どうぞ」

 

 シャオンの右側に立っていたエミリアが、手にしていた小袋をスバルへと手渡し、苦笑とともに唇をゆるめていた。

 袋の中に入っているものは細い、芋だ。

その芋の登場に子どもらが黄色い声を上げ、スバルはその甲高い歓声に応じるように芋を掲げ、

 

「よし、じゃ、押すぞー。出せ出せぃ」

「相変わらず精が出るなぁ」

「なーに爺臭いこと言ってんだ。ほらお前も芋判押すの手伝え」

 

 子供たちに群がられながらも判子を的確に押していく。

 スバルが手にもつ芋判は毎日、夜中に彼自身が新しいものを彫っているらしく、子供たちはどんな絵柄が押されるか楽しみにしているようだ。

 そのせいで仕事中も眠たそうにしているのはいただけないが。

 

「それにしてもスバルが来てから毎日体操してる気がするわ。今ではまるでそれが当たり前だったみたい」

 

 魔獣討伐事件以降、こうして早朝の時間を村で過ごすのがスバルの日課だ。

 その日課にはエミリアとシャオンも付き添っているので必然的に、自分達の日課にもなっている。

 だが、今日はその日課に一つの違和感が存在していた。

 

「それにしてもアリシアの姿は見えなかったわね、どうしたんだろ」

「確かに。あいつ、いつもだったらガキどもよりも前に出て体操してるのにな」

 

 普段だったら子供たちよりもはしゃぎ、参加している彼女の姿が見えない。というよりも記憶が正しければ今朝は一度も姿を見ていないはずだ。

 もしかして体調でも崩しているのだろうか。

 

「それには少し事情がありまして……」

「お、レム。おはよう……事情?」

 

 そんな不安を抱えていると、ラジオ体操が終わるのを待っていたらしいレムが、期を見計らってこちらに駆け寄ってきた。

 

「おはようございます、スバルくん。それにお二人も」

 

 丁寧にあいさつを返すレム。

 その姿は魔獣討伐の事件からだいぶやわらかい雰囲気を出すようになっている。

 本来の彼女の性格はこのような優しいものだったのかもしれない。

それをまた引き出すことができたのだから、スバルとともに体を張った甲斐がある。

 口には出せないような達成感を抱くのをよそに、レムは表情を緩やかなものから引き締め、

 

「その事情に大きく関係する話がありまして……三人とも、ロズワール様がお呼びです」

「ロズっちが? なんだろ」

 

 スバルがこちらへ目で問いかけてくるが、シャオンにも心当たりはない。

 エミリアも呼ばれる訳がわかっていないようで頭を捻っている。

 

「ま、行ってみればわかるか。まったく、エミリアたんとの触れ合いタイムを邪魔するなんて……」

 

 スバルの痛惜の念に堪えない、とでも言いたそうな表情にエミリアは呆れの表情を浮かべている。

 だが、流石のお人よしの彼女でもスバルとまともに取り合うと疲れるだけだと学習したのか無視して屋敷に歩みを進める。

 慌ててその後をスバル、レムと続き相変わらず最後にシャオンという形で慣れ親しんだ屋敷へと踏み入れる。

 

「ロズワール? 一体――」

 

 食堂の扉を開くとそこに広がっていたのは――魂が抜けた様に椅子にもたれかかっている、今朝から姿が見えなかったアリシアの姿だった。

 

「……どしたの? これ?」

「説明するからそこに座ってくれるかーぁい? 三人とも」

 

 スバルの言葉を受け、珍しくも真剣な面差しでこちらに視線を向けたのだった。

 

 

「アリシア・パトロスくんの主であるアナスタシア・ホーシン様。彼女から連絡があってね、近況を知りたいそうだ」

 

 ロズワールが端的に事情を説明する。

 なるほど。確かにそのことが本当ならばアリシアがここまで参ってしまっているのも納得がいく。

 だが腑に落ちない点、いくつかの疑問も生じている。

 

「ちょい待ち、確かアリシアがこの場所を選んだのは偶然だったよな? 何で場所がわかったんだ?」

 

 スバルの言う通り、疑問の一つ目はそれだ。

彼女がロズワール邸を訪れたのは偶然のはず。

 アリシアが働き先を見つけたという報告の手紙を出したという可能性も考えたが、それだったら送られてきた手紙は矛盾する。

 そもそも手紙を出すにはロズワールか、ラムを通さない限りは無理なはずだ。よってこの線はなしと考えよう。

 あとは……考えたくはないが、彼女が狙ってこの館を選んだということだろうか?

 なんのために? 簡単だ、敵陣営の情報を得るためだ。

 

「……ないない」

 

 そんな考えを頬をたたいて頭から追い出す。

 彼女は子供たちが魔獣に襲われたときに真剣に捜索を手伝っていたのだ。少なくともあれが演技とは思いたくない。

 

「そーぉれが、どこからか情報が漏れてしまったようでね」

 

 シャオンのそんな祈りが通じたのかロズワールが疑問の答えを口にする。

 

「おいおい、頼むぜ使用人のプライバシーを守るのが雇い主の仕事だろ?」

「これはこれは、耳がいたい言葉だーぁね」

 

 スバルの言葉に申し訳なさそうに頭をかくロズワール。

 とはいっても彼の表情には言うほど責任を感じているようには見えない。

 

「詳しい話をしよう。アリシアくん、見せてあげて」

 

 アリシアはロズワールの言葉に頷き、懐から一枚の紙を取り出す。

 豪華な装飾がされているそれは、普通の生活では見ることがなく、明らかに日常で使うものではないことがわかった。

 ゆっくりと広げられるが、この世界の言葉で書かれているためスバルには読むことに苦労しているので要約して、アリシアが読み上げる。

 ――何の音沙汰もない娘を、父親が心配している、一度でいいから顔を見せてほしい、ということだった。

 

「帰ってこい、か。……アリシアが一人旅するのに、父親は納得したのでは?」

 

 疑問の二つ目。

アリシアの父親が娘の一人立ちを一応ではあるが認めたはずだ。

 しかしこの手紙に記されている内容を見るかぎりは、どうも納得がいっているようには思えない。だがこれもすぐに疑問は解決された。

 

「それが、親父が限界を迎えたようで……」

 

 父親を納得させたのはあくまでも応急処置のようなもので、結局長続きはしなかったということだ。

 そう語る彼女の顔は嬉しいような、困ったような表情だった。

 確かに彼女にとっては実の父が心配してくれているのだからうれしくないはずはない。ただ、親バカな父親の存在を恥ずかしくも感じているのだろう。

 

「ねぇ、ロズワール? 寂しいけど、アリシアのお父さんが会いに来てほしいっていうなら行かせちゃダメなの?」

「いえいえ、彼女が向かうのは止めはしませんよ? たーぁだ? 付き添い無しで行かせるのはどうかなぁと」

 

 ロズワールが言いたいことは分かる。

 現在アリシアはエミリア陣営に所属しているようなものだ。

 だが、それよりもホーシン商会で過ごした年月の方が遥かに長く、思い出も多いだろう。

 だからといって彼女が裏切るとは思わない、思わないが確たる証拠がないのも事実だ。

つまりは――

 

「疑っている、と」

 

 先ほどシャオン自身もわずかながらだが彼女が間者である可能性を考えたのだ。

 血なまぐさいこの世界を生き、より黒い部分にかかわっているであろうロズワールもその考えに執着するのは必然だ。

 

「ロズっち、アリシアを信じてるってことでここは一つ……っていうのはだめだよな?」

「言い訳のつもりではないけど、私としても信じたいという気持ちはある。だーぁけどねぇ、エミリア様を推薦する立場としては、そう簡単に首を縦に振れない」

 

 パトロンである彼の言い分はもっともだ。

 アリシアがもしもスパイだったら、屋敷での情報すべてがまるわかりになってしまうのだから。彼女を一人で雇い主へ向かわせることは自殺行為に近い。

 スバルもその事をしってか、アリシアを一人で向かわせることにいい表情は見せない。

 

「……わかったよ、んで?誰を連れてくんだ? よそ様の家にそう大勢で詰めかけることはよくないだろ?」

「うん、まぁ候補としてはぁ? そう多くはないと思うんだけどねーぇ?」

 

 そう言い、ロズワールはいつも通りのピエロメイクを施した、自らの顔を指さし、次いでエミリアを指差す。

 

「まず、場所が王都であるとはいえ、王選開始が近い今、エミリア様や推薦者である私が他の陣営に赴くというのはあまり良くない、よって除外。それに禁書庫から離れられないベアトリスもだめだーぁね」

 

 後者の二人はそもそも付き添い人としては向いていないので問題ないが、ロズワールが来てくれないのは残念だ。彼がいるならば事態は下手なことにはならないだろうに。

 

「屋敷業務の関係上レムが抜けるのも厳しいし、ラムも屋敷から離れることができない」

「ラムも?」

 

 屋敷のほぼ十割を管理するレムが屋敷からいなくなることができないのはわかる。だが、ラムが来れない理由はいったいなぜだろう。

 

「うん。命にかかわってしまうからね……」

「命にっ!?」

 

 スバルが驚いたようにポージングをとり呟くと、ロズワールは神妙に頷いた。

 

「ラムの肉体は欠陥がある。そーぉれは鬼族にとって重要な、角という器官を無くしたことが原因だ。本来、角が補うはずの肉体を動かす莫大なマナ――それを用意できないことで、体は常に苦痛と倦怠に蝕まれている」

「そんなことになってるの……!?」

「エミリア様が驚かれるのも無理はありません。あの子は強すぎる子ですから。一度だってそのことで、表情を曇らせたことはなかったでしょーぉから」

 

驚くスバルたちの前でラムはいつもと同じようにロズワールの隣で姿勢よく佇んでおり、何の反応も示さない。

アリシアは己の額、角があるであろう場所を撫で付けた。

 

「鬼族の種族的な特徴は、莫大なマナを操る力と強靭な肉体の戦闘力っす。でもそれは角があるからこその産物っす」

 

『鬼の角』。

 鬼という存在がおとぎ話などの空想上の生き物だという認識だったスバルとシャオンにとっては、それがどのような意味を持っているのか最初わからなかった。

 だが、実際には必要不可欠なもので、なければ生命の危機に陥るという代物だったわけだ。

 

「他種族には存在しない角――その角が役割を果たせず苦しんでいるのであれば、他のものが『角』の代わりを果たさなくてはいけません」

 

 ある程度は吹っ切れたとはいえ、いまだ辛いものがあるのかレムは顔を俯かせながら語る。

 そんな彼女の頭をスバルは慰めるように撫で、元気づけさせる。赤くなった表情を見て、どうやら問題はなさそうだと判断。話の続きに戻る。

 

「なるほど」

「そうだったのね……」

 

シャオンのほかにエミリアも理解に至って手を叩いている。一方、置いてけぼりで困惑しているのはスバルだけだ。

 事が魔力関連になると、門外漢のスバルは理解に遅れるばかりである。

 

「勝手にそっちだけでわかった感じになるなよ。つまり、どういうことだ?」

「ラム嬢の肉体は、角があったときと同等のマナを外部から摂取することを求めている。角がなくなってそれができないのであれば、誰かが補充させるしかない」

 

 そして、それができる人物は限られているというわけだ

 わざわざ相手側にそんな人物を用意してもらう訳には行かないだろう。

 

「えっと、もちっと簡単に説明してくんね? できれば三行で」

「燃料が」

「足りて」

「いないって話だーぁよ」

 

 アリシア、シャオン、ロズワールが律儀にスバルの要望どうりに答える。

 

「なるほど、すごい馬力の車が燃料を食うってことか」

「……よくわからないけど、その言い方は癪に触るわね」

 

 スバルの納得の仕方にラムが眉根を寄せる。

だが、それもいつものことだと諦めたのか、すぐに元の表情に戻った。

 

「そもそもラムはロズワール様から、このお屋敷から離れるつもりはないわ」

 

 ラムのその言葉には確固とした意志があり、意地でも同行する気はなさそうだ。

 ロズワールが頼めば話は別だがそもそもそんな事情があるのに行かせたいとは思わないだろう。

 

「と、いう訳でぇ? 残る選択肢は必然的に――」

 

使用人の男二人組に、ナツキ・スバルとヒナヅキ・シャオンのどちらかになる訳だ。

 そして今回の主役であるアリシアはその候補のうち、スバルを一瞥し首を振った。

 

「スバルは……絶対ダメっす」

「なぜに!?」

 

 真っ先に選択肢からはずされ、驚き半分悲しみ半分といった表情で理由を尋ねる。

 対してアリシアは頭をかきながら、

 

「スバルみたいなのがお嬢に出会ったら……下手すればこちらの陣営はもう王選脱落っす」

「そ、そんなに?」

「お嬢とスバルは恐らく相性最悪っすからね。あっという間に情報を抜き取られて、はいおしまいっす」

 

 笑いながらスバルが候補から外れる理由を語る。

 しかしその目は笑っておらず、冗談で話している訳では無さそうだ。

 

「まじか……怖いな」

 

 会ったことがない、件の人物に対し恐れを抱くスバル。

あれではもう頼まれても同行はしないかもしれない。

 

「それで、残ったのはシャオンくん。君しかいないわけだ」

 

 ロズワールの言葉に、面々がシャオンに注目する。

 その視線に込められた意味を詳細に読み取れるほどシャオンはその道に通じていない。

 だが他のメンバーは先ほどのような事情があり、同行ができないのは十分にわかってしまった。

 

「……はぁ、わかりましたよ。実際他の陣営がどんなものなのか知りたかったですし」

 

 さすがにこの状況で断ることができるほどシャオンの心は強くないのも事実だ。

 それに、短くない間同じ館で過ごした仲だ、見捨てるほど薄情でもない。

 

「――ありがとうっす!」

「うわっ!」

 

 涙目だったアリシアはその返答を聞いたとたんに、獲物を見つけた獣のようにこちらにとびかかり、体を押し倒す。

 感極まって、ほぼ無意識にでた行動だったためか加減ができていない突進を食らったことになる。

 

「そういってくれると思ったっすよ! 実はあたしも一人で行くには勇気がなくて……いふぁいいふぁい‼」

「あのね? 急にね、体当たりしたらね? 危ないの? わかる?」

「おやおや」

「はぁ」

 

 シャオンの腹部にダメージを与えたアリシアにお仕置きをし、その光景を見てロズワールとラムが疲れたように肩を竦め、

 

「……むぅ。レムもあれぐらい豪快にしたほうがいいのでしょうか」

「あの、レムさん? 何故にそんな熱のこもった視線をこちらに向けるのでせうか?」

 

 妙なところでやる気を出しているレムに、若干引いているスバル。

そして――

 

「――とりあえず、朝ごはんにしましょ?」

 

 エミリアの言葉でいつもの朝食が開始を告げた。

 

 一週間後、手紙の返事はある物の到来で表された。

――ロズワール邸の正門前に集まった屋敷の面子の中で、スバルが目を輝かせてそれを眺める。

 

「ほあー、こいつが!」

 

 緑色の硬質の肌、見上げるほどの巨躯、黄色く爬虫類独特の鋭い双眸――幾度も見かけておきながら、こうして至近で触れ合う機会に恵まれなかったそれは強大なトカゲの姿をしていた。

 ロズワール邸の正門に堂々と鎮座するのは、これからシャオン達を王都へと連れていく案内人、地竜の引く竜車である。

 

「体でけー! 肌かてー! 顔こえー!!」

「ホントに、子どもみたいにはしゃいじゃって」

 

 スバル本人がその竜車に乗るわけでもないのに歓喜に震えているその姿を眺めながら、唇をゆるめるエミリアは呆れたような吐息。

 

「ヤバい、すごい感動がある! シャオン、お前写真とっておけよ! 確かお前も――」

 

 それこそテンションゲージが振り切り始めたころ、トカゲの堪忍袋が切れた音がした。

  そして、それは気のせいではなかったようで――

 

「ひぶっ!?」

 

 うなりを上げて旋回するトカゲの尾がしなり、スバルの肩あたりを思い切り殴りつられる。

 残像を生みそうな速度でスバルが飛び、門扉の横、柔らかい茂みの中に頭から突っ込んだ。

 僅かに間をあけて、体を葉っぱだらけにしながらもスバルは戻り、

 

「――ど、どういうことなの」

 

 ボロボロになったスバルのその疑問に慌てて竜車の前方にいる少年が頭を下げ謝罪をした。

 

「も、申し訳ありません。地竜はとても賢い生き物で、言葉は通じなくても大体の意思が通じまして、だから扱いに関しても丁寧にしないと」

 

「早く言ってね!?」

「変に触ったオマエのミスだろうが……すいません」

「いえいえ、こちらも緊張が解けましてちょうどよかったですよ」

 

 ずれたモノクルを直し、恥ずかしそうに笑う青年。

 色素の薄い紫髪を長く伸ばし、うなじで一つに束ねている彼はアナスタシアが寄こした竜車の御者だ。

 その見た目、服装からは”貴族”であるということが一目瞭然であり、これからシャオンたちが会いに行くのはその主、もっと上の立場の人間であるということを嫌でも実感させられてしまう。

 

「時刻もいいころだ――それじゃあ、頼んだよ? くれぐれも、失礼のないよーぉにね?」

「シャオンくん、アリシアさん。お二人とも体には気を付けてくださいね。スバルくんのお世話は全力でレムにお任せください!」

「長い間ラム達に仕事を任せるのだから、当然帰ってきたら十分にこき使わせるわ。だから、そのつもりでたのしんできなさい」

 

 雇い主と同僚の、彼等らしい見送りの言葉をもらう。

 そして、この屋敷で一番偉い人物であるエミリアは――

 

「忘れ物はない? ハンカチはもった? あと、これ少ないけどお小遣い。無駄遣いしないようにね」

「子供じゃないんだから……」

 

 あたふたと、心配そうにこちらの様子を伺っていた。

 その様子は初めて学校に行く子供を不安がる親の姿みたいだった、本人には言えないが。

 

「あ、アタシは忘れてたっす! ハンカチ!」

「締まんねぇな、本当に」

 

 エミリアの指摘を受けてアリシアは屋敷へ再び駆けていく。

 あれでシャオンと年が離れていないというのだから驚きだ。

 

「スバル、屋敷のことは任せたぞ?」

「――おう、頼まれた! そっちも頼んだぜ!」

 

 相棒である彼にグータッチを交わしあい、互いに別れを告げあう。

 そんな少年同士のやり取りを微笑ましく見ていたエミリアが一つのことに気付いた。

 

「それにしてもベアトリスは来なかったのね」

 

 金髪ドリルヘアの少女、ベアトリス。

 エミリアの言う通り、屋敷のメンバーの中で、彼女の姿だけがどこにもないのだ。

 彼女の性格上見送りには来ないとは思っていたが、実際にその姿がないと寂しくもある。

 

「あんのロリめ、意地でも連れてきて」

「……ああ、いいよいいよ」

 

 シャオンには、正確にはどこかにやけているロズワールも気づいているだろうが、 屋敷の、ほんのちょっぴりだけ開いた扉の陰、こっそりとこちらを眺めていたドレスの人物がいるのに気づいた。

 相手はこちらが気付いたことに一瞬だけたじろいだが、すぐに開き直ったかのように堂々と――扉の陰に隠れたままこちらを凝視している。

 そんな意地っ張りな少女に苦笑し、手を振ると慌てて彼女の姿は屋敷の中に隠れる。

 

「素直じゃないやっちゃな」

「じゅうぶんじゅうぶん」

 

 スバルもその一部始終を眺め、できの悪い娘を見るように温かい目で彼女を見送った。

 プライドの高い彼女が遠目ながらも、見送りに来てくれただけで本当に十分なことだ。これ以上望んでしまっては罰が当たってしまう。

 

「待たせたっす!」

 

 今度はしっかりと準備ができたアリシアが到着し、改めて屋敷を視界に入れる。

 これから自分たちはある程度の期間働いてきた屋敷から離れ、王都に向かう。

 それは、異世界へ最初に来た時の場所に行くことになるのだ。不安がないと言えば嘘になる。

 正直、あんな目にあったのだから嫌な予感がするのは仕方ない。

 

「それじゃ、改めて、行ってきます」

 

 なので、無事に帰ってこれることを願って、竜車に足をかけた。

 

 

 

「うん? あれー? アリィじゃない? おにーさん誰?」

 

 竜車に乗り込んで真っ先に出迎えたのはオレンジ色の体毛をした、猫の獣人だった。

ふさふさの毛を生やし、見るだけで上等だと分かる白いローブを羽織っている少女。

 そんな彼女のくりくりとした眼は、シャオンをとらえ、首は不思議そうに傾いている。

 

「お姉ちゃん、失礼です?」

 

 その様子を咎めたのは少女と同様に、オレンジ色の体毛の猫獣人。

 ほとんど顔の造形は同じだが、唯一の違いは左目にモノクルをつけていることだろう。

 少女と同じローブを羽織っており、モノクルの向こうにくりくり眼だが、シャオンに対してはわずかな警戒心を宿していることが読み取れる。

 

「今回、護衛と案内役を務めさせていただきますです。姉のミミと、弟のティビーと申しますです」

「ど、どうも。シャオンと申します。今回、同行人としての役目を――」

「かしこまる必要はないっすよ。年下っすから」

「そーそー!」

「そっか、ならよろしくね。二人とも」

 

 お言葉に甘え、敬語を崩して改めてあいさつする。

 その態度を見てミミは笑顔を浮かべ、ティビーは軽く会釈で返す。

 姉弟での対応の違いに実は姉と弟が逆なのかと思ってしまったのは内緒だ。

 

「……ふむ」

 

 そして、初めての竜車の乗り心地を確かめるように軽く身じろぎ。

座席の感触は客室の造りの良し悪しで変わるところだと思うが、肝心の乗り心地については意外にも快適なものだ。

 そして元の世界ほど竜車の車輪なども開発が進んでいないはずだが、座るシャオンの体に伝わってくる震動は予想していたものよりはるかに弱い。

 正直、元の世界の乗用車の揺れと比較しても遜色ないほどに。

 

「竜車が物珍しいです?」

「珍しいというか、初めてだね」

 

 ティビーの問いかけに応じながら、窓の外を眺める。

  外の景色の動く速度はゆっくりとは程遠い。それこそ速度は乗用車に匹敵し、目測ではあるが百キロ近い速度が出ているように思えてならない。

 

「結構なスピード出ているんだけど、御者台とか剥き出しで平気なの?」

「竜車は加護に守られてるから、問題はないっすよ?」

「竜車の加護っていうと……『風避け』の加護?」

 

 『風避け』の加護。

 書物での知識だが、それは地竜が大地を走り抜ける上で風の影響や抵抗を一切受けないというものだ。

 そして、その加護の効力は繋がれた竜車に対しても反映されており、そのおかげで御者にも負担がかからないという仕組みなのだろう。

 

「納得、それで? ティビーくんだっけ? その、アナスタシア嬢がいるお屋敷ってどのぐらいかかるのかな?」

「この速さなら四時間ほどです」

 

 竜車の広さは華美な見た目に反して案外狭く、四人掛けのこじんまりしたものだ。

座席の素材は長距離移動に備えてか、かなり上質で、これならその四時間の間座っていても尻が痛くなる不安はないだろう。

乗り降り用の扉の上部に設置された小窓からは、今も高速で行き過ぎる外の景色が切り取られて流れていく。

 ここから見た景色では青空が占める割合が多く、背の高い木々の群れが見当たらないことから、もうロズワール邸の近辺の森林地帯は抜けているのだろう。

 座席から腰を浮かせて小窓に顔を当てると、横に流れていく景色の速度は予想よりずっと速く思えた。荒れた街道を快調に飛ばしているにも関わらず、車内に震動が伝わってこない原理は謎といえば謎。

 だがその快適さを損なわず、この速度を継続的に出せるのだとすれば、竜車が普及する理由もわかるというものだ。

 

「ふぁ……」

 

 代わり映えのしない景色にも飽き始め、ついあくびを噛み殺せずに漏らしてしまう。

 

「んー? おにーさん、おねむー?」

「最近忙しかったからすね。ついたら起こすから安心して寝ていいっすよ。ティビーも別にいいっすよね?」

「構わないです」

 

 同乗者の許可も貰い、素直に応じることにする。

 

「それじゃ、お言葉に……甘えるよ。何かあったら起こしてね」

 

 ゆっくりと一度伸びをし、静かに瞼を閉じる。

 王都に向かう中――わずかな震動も与えない竜車の中では、はしゃぐミミの声とシャオンの静かな寝息が響いていた。

 




のんびり、行きます。
アドバイスがあればどうぞ気楽に


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ホーシン商会

「おにいさんー? おきろー!」

 

 呼び掛けられる声とともに痛みよりもむず痒さが勝る感触が襲う。

 ゆっくりと瞼を開けると暗かった視界が白く染まり、色を取り戻す。

 

「おー! おねぼうさんだなー!」

 

 目の前にいるのはにこりと笑うアリシアと朗らかに笑うミミ。

 どうやら自分はミミによってたたき起こされたようだ。

 そして、起こされたということは、

 

「ついたっすよ」

 

 目的地に着いたのだ。

 竜車の窓から外を見ると屋敷が佇んでいた。

 大きさはロズワール邸にも引けを取らないほどに大きく、きちんと手入れされているようで汚れなどはない。

 

「ここが、ホーシン商会」

「王都の支部っすけどね」

 

 支部でこれだけとは本部はいったいどれほどの大きさになるのだろう。

 驚きよりも恐怖に近い感想を抱いていると竜車の扉が開かれ降りるように指示される。

 言われるがまま足を地に降ろすと、屋敷の前に人影があることに気付く。

 

「あっ! ダンチョーだ」

「おおっ! ミミにティビー! しっかりと仕事できたようやな!」

 

 竜車から飛び出たミミと、遅れて降りたティビーを抱擁で迎え入れたのは褐色の短い体毛を生やし、狼に似た頭部を持つ生粋の獣人だ。

 そのでかい図体から発せられる声は比例するように大きく、聞いているだけで体の芯が揺らされているような錯覚に陥るほどに響く。

 

「お?」

 

 十分に抱擁を堪能しあい、ようやくこちらの存在に気付く。

 意外にも向ける瞳は円らだが、口元から生えそろっている牙の群れは鋭く、打ち消しあっているように見える。

そんな評価をしているとは知らず、団長と呼ばれた獣人はこちらにも声をかけてきた。

 

「なんや! アリィもなんや変わりあらへんようやな!」

「団長も相変わらず元気っすね、もうすこし落ち着いてくれるとアタシとしてはうれしいんすけど……おもに耳が痛くなくなるので」

「ワイからこの大きな声を取ったら何も残らんさかい! そんなこと言わんといてくれや!」

 

 馬鹿笑いをしながらバシバシとアリシアの背中をたたく。

 見ているだけで痛そうだが彼女は慣れなのか、表情を変えずに受け入れている。

 ふと、その獣人はアリシアからシャオンに対して視線を移す。

 

「お嬢から話は聞いてますさかい! 兄さんがアリィの付き人やな!」

「でっ!?」

 

 その大きな掌で勢いをつけてシャオンの背中も同じようにたたく。

 その力強さは背中に熱しられた鉄を当てられたかのように痛く、思わず涙が出そうになる。

 

「ワイはリカード言うねん! 鉄の牙の団長を務めとるコボルトや! よろしゅう!」

「あー、シャオン? 団長と付き合うコツとしては距離を置くことっす。そうしないとこんなふうに力任せに撫でられるっすから」

「もうちょい、早くいってほしかったな」

 

 おかげで彼の声のせいで耳が痛い。しかも叩かれた背中にはでかい紅葉が咲いてしまっているだろう。

 

「男が細かいこと気にすんなや! 背、伸びへんぞ!」

 

 実行犯であるリカードは大きな口をさらに広げ高笑いを上げる。

 見た目通りの粗野で大雑把な性格の持ち主だが、悪い人物ではないようだ。

 

「それで団長、親父は今どこにいるっすか?」

「ああ――ルツなら」

 

 リカードはちらりと屋敷の入り口へ視線を向ける。

 その視線に答えるようにゆっくりと扉は開き、中から一人の男性が姿を現す。

 黒い外套を羽織り、胸元から見える肌は筋肉質で鋼のような硬さを持つことが見ただけでわかるほど頑強。

 黄金色に輝く髪は肩に届かない程度に短く切り揃えられ、清潔感があるように髭などは一切生えていない。

見た目は完全な好青年のような男だ。だが、シャオンが感じたのはそんなものではない。

 

「――アリシアか」

 

 ――獰猛な獣。

 そう印象付けさせる男性はこちらにその鋭い瞳を向け、

 

「……親父」

 

アリシアが父と、そう告げた男は大股でこちらに近づき、アリシアのすぐ前で立ち止まる。

 アリシアと男は身長に差があり、必然的にアリシアが彼を見上げる形になる。

 そんな男はアリシアの頭へゆっくりと腕を伸ばし、

 

「うあっ!?」

 

――破顔し、おもいっきり撫で回した。

 

「ははっ! とりあえずは、健康そうで何よりってところだな! 残念ながら身長はいまだにちびすけのままのようだけどな!」

「や、やめるっす! 離すっすよ!」

 

 先程までの剣呑な雰囲気は鳴りを潜め、今は仲がいい普通の親子同士のやり取りが繰り広げられている。

 雑に、けれどもしっかりと彼女の頭を撫で続けるアリシアの父――ルツという男性。 

 

「いい加減に、するっす!」

「はうっ!」

 

 アリシアも流石に限界が来たのかきれいな回し蹴りを男性の(・・・)急所にぶち当てる。

 悲鳴と共に、崩れ落ちるその姿を見ても情けないとは思わない。むしろ、

 

「あぁ……」

「あれは、痛いやろな」

「うんー? そうなのー?」

「お姉ちゃんは知らなくていいことですです」

 

 男性メンバーが心の中で彼に同情すると共にその痛みを想像し顔を青ざめる。

 しかし女性であるミミと実行犯であるアリシアはその痛みを知らないからか、悶えるルツの姿を見てもびくともしていない。

 

「ったく、なんなんすか!」

「お、おまえ! 親父に対して何を――って、話はそれじゃねぇんだった」

 

 持ち直し、ルツは頭をかきながら声色を変え話を変える。

 

「お前さん、自分が騎士になれないってことに気付いたか?」

「――っ」

 

 その言葉にアリシアの体が見てわかるように震えた。

 ルツはその様子を見て苛立ちを隠そうともせずに乱雑に頭をかく。

 

「おいおい、長い研修期間が過ぎたわけだ、いい加減気づいただろ?」

「そんなわけっ――!」

「団長補佐! 急がないと会合の時間に遅れますよ!」

「おう、今行く」

 

 アリシアの叫びを遮るように、遠くから呼び掛ける声。

 ルツはそれに手を挙げて答え、そして彼女に対して背を向けて声の方向に向かう。

 

「まだ話は――!」

「時間がないから詳しい話は帰ってからになるだが、これだけは言わせてもらう」

 

 話を続けようとする彼女を、わずかに振り返り放った眼光だけで止める。

 その姿は先ほどまでの人柄の言い人物とは違い、『団長補佐』という肩書が似合っているほどに威厳に満ち溢れていた。

 

「俺はお前が騎士になることを認めない」

「――っ! このっ、くそ親父ッ!」

「ばかっ! 落ち着け!」

「せや! いくらなんでも手が出るのが早すぎるやろ!」

 

 衝動的に殴りかかろうとするアリシアをシャオンとリカードが引き止める。

吹き飛ばされそうになるほどに力強い彼女を止めることができたのは、一人でなくリカードの力もあったからだろう。

 もしもシャオン一人だったら彼女は止められず、弾丸のように飛び出して殴りかかっていたはずだ。

 

「これまたずいぶんときつく言われたようやな」

 

 呆れたような声と共に屋敷の中からゆっくりと現れのは、一人の女性だった。

 ウェーブがかかった紫色の髪を、腰にかからない程度に伸ばし、朗らかそうな印象を感じさせる小柄な女性。その女性の浅葱色の瞳と、目があってしまった。

 当然、彼女はシャオンの存在に気付き、薄く笑みを浮かべる。

 その仕草だけで常人とは違うものを感じさせられ、思わず距離をとってしまう。

 

「貴女が――」

 

 だが、彼女はそれを許さずにとった距離を詰め、シャオンの口に人差し指を添えて、言葉を遮らせる。

 

「先に自己紹介、させてくれへん?」

 

 その大胆な行動に思わずひるんでしまったが、動作で肯定を示すとすぐに離れ、小さくお辞儀をする。

 

「ウチが、アナスタシア・ホーシン。カララギ出身で――今度の王選参加者や」

 

 予想通り、彼女がこの屋敷の主であり、エミリアとは別の王選参加者――アナスタシア・ホーシンだ。

 屋敷に出る前にアリシアから彼女の情報を耳にしていた。

 打算深く、自分の利益に執着する守銭奴体質。

 自他ともに認める欲深い性格で、なぜ彼女と仲が良くなったのかはよくわからないらしい。

これだけでもだいぶ濃い人物像だったが、さらにすごいのはその仕事ぶり。

 幼少の頃に下働きとして務めていた商会で、小さな取引きに口出ししたことが切っ掛けでトントン拍子に仕事を任され、その結果は私財を増やして務めていた商会を乗っ取り、自分の商会を拡大――カララギでも有力な商会へと成長させた。

 金に愛されている、というよりも金の流れを読めるような人物、それがアナスタシア・ホーシン。

 

「アリィが世話なったらしいな? 友人として心配だったから助かったわ」 

 

 そんなアナスタシアは困った顔でアリシアを見る。

 押さえつけられながらも、父親に罵倒を続けている親友をみてどう思っているのかは読み取れない。

 そしてこちらに視線を移し――

 

「それはそれとして――よろしゅうな、ヒナヅキくん?」

 

 改めて、全く感情を読み取れない笑顔を向けたのだ。

 

 

 案内された客間ではシャオンとアナスタシア、そして彼女の護衛であるリカードのみが在室している。

 

「うん? どしたん?」

「いや、珍しい……屋敷だなぁと」

 

 シャオンがこちらの世界に来てからはずっと洋風な建物しか目にしておらず、

 だが、アナスタシアの屋敷は外観こそ西洋風ではあるが内装は和風、つまりは日本に似たようなものがあった。

 

「うちの故郷、カララギのお屋敷を参考に建てさせたんよ。ワフー建築とはちょいと違うけど、ええやろぉ?」

「――カララギ」

 

 ロズワール邸で起きたとある事件でも話題になったが、この世界にある『カララギ』という国は日本の文化を有しているらしい。

 なぜあるのかはわからないが、もしかしたら元の世界に関することがわかるかもしれないので気にしてはいた国だ。後で時間が許すならば彼女に詳しく聞いてみようと思う。

 

「アリシアは……?」

「ちょいとミミたちと戯れさせて癒させとる。流石にさっきのやりとりで傷ついてな。あと、ちょいと親友からの贈り物」

 

 意味深に笑うアナスタシア。 

 しかし彼女はそれ以上追及されてもうまくはぐらかすだろう。

 

「本題に入ろか……まず、うちのアリィを誑かしてそっちの陣営に引き入れたことの弁明でもきこか? せやね、少なくとも多額の賠償金と、ウチの陣営に戻るように掛け合ってくれるぐらいの誠意は見せてもらおか」

「――」

 

 声に激しい怒りの色は感じ取れない。当然ながら喜びの声も読み取れない。

 彼女の声にわかりやすい変化はないのだ。だが、確実に彼女の纏う雰囲気が激変したことはわかる。

 先程までの小動物のようなかわいらしい雰囲気はどこかに置き去り、商会の主としての風格があるものに変わる。

 

「あ、とぼけても意味ないよ? とある情報筋からヒナヅキシャオンという男の子がうちの親友を惑わして引き込んだって聞いとるよ?」

 

 そんな焦りを、はぐらかしていると勘違いしたのか彼女は逃げ道をふさぐように咎める。

 別にそれはどうでもいい、シャオンにとっても別に逃げる気はない。

 

「……正確な答えを出すために、二つほど聞きたいことがあります」

「ええよ、二つな」

「一つ、その情報を聞いてアナスタシア嬢はロズワール様がアリシアを雇っていることに初めて気付いたのですか?」

 

 シャオンの質問にアナスタシアは少し考えるそぶりを見せ、首を縦に振った。

 

「そうやね。うちが知ったのはそん時が初めてや」

「二つ、その男性は確かに私めの名を出したのですか?」

「うん、確かに出しとったよ。あ、ウチからもひとつだけ聞いてもええ?」

「どうぞ」

 

 今まで質問してきたシャオンと変わり、アナスタシアが口を開く。

 

「……なんで”男性(・・)”って言うたん? うちはただとある情報筋ってしか――」

「それはありません。だって――情報を漏らしたのは辺境伯、その人でしょう?」

 

 アナスタシアの質問を途中で断ち切るように遮る。

 質問を許可した身で失礼かと思ったが、彼女は気にした様子はなく、むしろ興味津々にこちらを見つめ、先を促した。

 

「――――詳しく聞かせてもろてもええ?」

 

 頷き、了承する。

 

「まず、ロズワール辺境伯はあの風貌のわりに従者に対してそれなりの愛情もきちんと有しております。当然、使用人の個人情報も厳重に管理なさっています」

 

 屋敷で過ごすロズワールの様子から見れば少なくとも従者を雑に扱うことはしていない。

 それにスバルが言っていたレムが死んでしまった世界。その時も、彼は犯人に対し確かな怒りを抱いていたという。

 屋敷以外のロズワールの姿を知らないので、確実ではなく不安要素も残るが、そんな情報を漏らす必要はない。

 湯呑に似た容器に入っている茶で喉を潤しながら説明を続ける。

 

「そんな方がおっしゃっていたのですよ。『情報がどこからか漏れてしまった』、と。彼の情報規制を破る、その条件が付くだけでその情報筋は限られてしまいます」

「せやね、でもそれだけでロズワール辺境伯自身が漏らしたっていうのは早計やないかな?」

「ええ、ですから先ほどの質問ですよ」

 

 僅かだが、その言葉に初めてアナスタシアの表情が崩れた。

 意味が分からない、というよりも面白いものを見たかのように目を輝かせる。

 だがそこは歴戦の人物、すぐに元通りの読み取れない能面のような笑みを張り付けごまかし、続けるように促した。

 

「一つ目、もしもその凄腕の情報筋がいたとします。でもその人がアリシアの存在を知っていることはおかしいんです」

「うん? 意味わからんよ」

「アリシアが王選候補者みたいに有名だったらそれはすぐにわかるでしょう。でも、彼女の名を知っている人物はいなかったし、本人も特に逸話を残しているわけじゃないと言っていました」

 

 アリシアの父親は有名だ。

 だが、その娘の存在はそこまで著名なものではない。親の名前のほうが強すぎてそこまで有名になれなかったのだろうか?

 真実はわからない。だが、彼女の知名度が低いことは確かなのだ。そしてそれはアナスタシアも否定する様子はない。

 

「ヒナヅキくんがいいたいことはわかったよ? でもな、その情報をくれたのがホーシン商会や、鉄の牙。まぁ、簡単に言えばウチと関わりが深いとこからだったらその話は破綻するけど、そこんとこどうなん?」

 

 確かにアナスタシアの言う通り、彼女の関係者だったらアリシアの存在を知っているだろう。

 その姿を見れば気づくかもしれないし、声を聞いただけでもわかるかもしれない。

 なるほど、それだったら彼女の言っていることは通る。

 

「だとしたら、なおさらおかしいですよ」

 

――だからこそ、二つ目の質問をしたのだ。

 

「だって、その人は()の名前を口にしたのですよね? 当然私は見知らぬ人に名前を聞かれたことはありませんし、答えておりません」

 

 村でのシャオンたちの立場は子供たちを救った功績から英雄にも近いが、それを除いても辺境伯の使用人ということでだいぶ上の扱いだ。

 そんな存在と好んで関わろうとするものは子供たちを除いて意外にも少ないのだ。

 特に村人たちに自ら歩み寄っていくスバルと違ってシャオンは扱いがだいぶ丁寧なものになっている。

 なので、わざわざ名前を聞いてくるような人物がいれば記憶に残っているはずだ。

 

「そもそも、王選が近い今不審者を領内に招くことなどあり得ないのですよ。百歩譲って、規制をかいくぐり遠目から私の姿を見たとしましょう。それでその方がロズワール邸で働いている男は”ヒナヅキシャオン”という名の男だという情報を入手していた、とも仮定しましょう」

 

 アナスタシアに質問をされない様に矢継ぎ早に、それでも不審がられない程度の間を置きながら言葉を綴っていく。

 そして、出された羊羹に切れ目を入れながらアナスタシアを見据える。

 

「ですが、すぐに私のことをヒナヅキシャオンと思うのはおかしいんですよ――男性の使用人は私だけではありませんから」

 

 男性の使用人は二人いる。勿論それは、ナツキスバルと、ヒナヅキシャオンだ。

 どちらも出身地はこの世界ではない。当然それを知っているものはこの世界にいないので必然的に正体不明の人間となっている。

 なのでアリシアと同じように逸話を作ってきたようなことはないし、有名な生まれではない。アーラム村以外ではその存在は塵芥と同じように矮小なのだ。

 もしも名前を呼ばれているのを聞かれたとしても、村に近づかなければ聞き取ることはできない。それほど近づいたのだったら村の誰かが気づくだろうし、レムやラムも当然気づくだろう。

 彼女たちからそんな報告は聞いていないので、そもそもそんな人物はいないと判断する。

 

「さて、以上から私はロズワール様が情報源だと判断したのですけど、どうです?」

 

 口に出してきた条件と、情報が漏れたことが事実だということを照らし合わせるとそれが実行できるのはロズワールだけなのだ。

 と、屁理屈を重ねて説明したが穴だらけの推論だ。

 もしも彼女が一言違うと言ってしまえばそれを否定できる材料はもうない。それをされたら素直にこの討論の負けを認めるしかない。

 返答を、息をのんで見守る。目の前の女性はただ、何も言わずに見つめ返してくる。

 そして――

 

「……はぁ、負けや負け」

 

 観念した様に肩を竦めるアナスタシアを見て張り詰めていた客間の空気が元に戻る。

 若干うまくいきすぎて拍子抜けしてしまい思わず彼女に訊ねる。

 

「穴だらけの推理ですが、いいんですか?」

「別に、ちょっと試しとっただけで本気で問い詰めよなんて思ってへんよ」

 

「いややわー」と言いながら笑うアナスタシアの姿は嘘をついている様子はない。

 

「そう、うちがさっきから言ってる情報筋はお宅らの主、ロズワール辺境伯や。あ、誑かしたとはウチ”は”おもてへんよ」

「……何を考えてんだ、あのピエロ」

 

 聞こえない様に自らの雇い主である道化師メイク野郎の存在に悪態をつく。

 今までも何を考えているのかわからない存在だったが今回の件でそのレベルが数段上がった。

 

「してやられたな! お嬢」

「リカード、黙っときいうたやろ」

 

 アナスタシアとの会話の際中は沈黙を保っていた彼だったが、性格上辛いところもあったらしく水を得た魚のように生き生きと口を開く。

 一応はアナスタシアは上司であるはずだがそんなことは気にしていない様に不満をこぼす。

 

「なんや、お嬢。もう話し合いは終わったんやろ? だったら別に話してもいいやん! それにしても思ってたんよりやり手やな兄ちゃん! 驚いたで、お嬢が言い負かされるところ見たのなんて久しぶりやからの!」

「……まぁ、ウチもヒナヅキくんのこと若干舐めてかかったところはある」

「本人を前にそれをいいますか」

 

 堂々と目の前にいる人物に対しての評価としてはあまり良くないものだが、彼女の剛胆さからか申し訳ない友うような気持ちはなさそうだ。

 

「ほめてるんよ? 商人としては信頼関係を築くことのほかに考えを読まれすぎないということも重要な要素やもん」

 

 こちらとしては商人ではないので褒められている気がしないのだが、凄腕の商人に言われたら悪い気はしない。

 照れを隠すように用意された茶菓子を口にしていると、

 

「――ア、アナッ!!」

 

 壊れるかと思うほどに勢いよく扉が開かれる。

 そこから現れたのはアリシアだ。

  

「なんなのっ、この衣装! ていうかいつの間にアタシのサイズを……!」

「ええやろそれ。だいぶ高かったんやからな。あとサイズは前測った時から変わってへんやろ? ちんちくりんのまんまやん」

「確かにそうだけどっ! アナも同じでしょ!」

 

 得意げな様子のアナスタシアとは反対に元の口調に戻るほど動揺しながら、アリシアは手に持つそれを突き出す。

 ――白いブラウスに、青いコルセットスカート。

 施されている装飾は少ないが、素人目でも見ただけで上等な品だとわかる女性ものの服。

 

「……えっと?」

 

 意味が分からず、アリシアに頬を引っ張られている送り主に視線で問いかける。

 

ふふぁり(ふたり)で王都を見て回ってく()とええ、どうせルツは夜までかえってこうへんしな」

 

 なんといっているかはわかりにくかったが要は時間を潰して来いということだろう。

 確かになれない屋敷内で時間を潰すよりもそっちのほうが気が楽だ。

 

「アリィも、久しぶりに会った親友からの贈りもん、素直に受け取っておき。まさか、断るなんて恩知らずなことせえへんよなぁ?」

「うぅ……卑怯者ぉ!」

「さてさて、ちゃあんとウチが整えたるからなぁ」

 

 餅のように伸びた頬が戻り、アナスタシアは鼻歌交じりにアリシアを連れてどこかに行く。

 彼女の性格から親友の厚意を断ることもできず、素直に連れていかれる。

 こうなることも読んでいたのだろう。流石は一大商人の手腕、というよりも彼女同士の長い付き合いからだろう。

 

「兄ちゃん! モテモテやんな! ひゅーひゅー!」

 

 リカードの囃し立てを受けて気づく。

 ――これは、いわゆるデート、というものなのだろうか?

 

「なんや兄ちゃん! 顔真っ赤やんけ!」

「……うるさいです」

 

 わずかに頬を赤く染めてしまうシャオン。

 今はリカードのからかいに反応するよりも、この顔色を元に戻すことが最優先だ。

 そう思い、気付け代わりに残っているお茶を一気に飲み干した。




アリシアに渡された服の見た目はいわゆる『童貞を殺す服』みたいなものです。
興味があれば検索を。

あと三章は基本的にこのペースで投稿します。
鬱シーンは早く更新しますが



※1月24日追記。
番外編、エキドナの誕生日!を追加しました


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王都でデート! カドモン店編

「はぁ……」

 

 ため息をついているシャオンが現在いる場所は、屋敷の入り口だ。そこの階段に腰かけ、待ち人を待っているのだ。

 ここにはシャオン以外は、自分達をここまで導いてくれた竜車の御者である青年のみでほかに人の姿は見えない。皆仕事などで出かけていたり、訓練をしているらしい。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「え? な、なにが?」

 

 かけられた声に、努めて冷静に返そうとする。

 だが、声が裏返り、動揺が隠せていないことが明らかになり、恥ずかしさで赤面する。

 

「だいぶ緊張しているようですけど、なにかお茶でも持ってきましょうか?」

「あー、いいです。大丈夫ですはい」

 

 気遣う声が逆にむなしく、差し出された厚意に断りを入れる。

 それでも彼は嫌な顔をせずに引き下がり、先ほどと同じ位置に戻る。

 先ほど名乗られたが、彼の名前はヨシュア・ユークリウス。

 色素の薄い紫髪を長く伸ばしてうなじで一つに束ねているその姿と、モノクルがいかにも知的なイメージを与えてくる少年だ。

 そんな少年がここにいるわけはお客人であるシャオンを一人で待たせることを防ぐためだと思うが、これからのことを考えてみれば逃げ出さない様に見張りをつけているようにも思える。

 シャオンとしてはリカードのようなにぎやかすぎる人物よりも、静かな彼のほうが気が落ちつけて楽なのでその点に関してはアナスタシアの配慮に感謝する。

 

「お、お待たせっす!」

 

 緊張した声と共に、屋敷の扉が開き用意された衣装を着たアリシアがゆっくりと姿を見せる。

 

「――――」

 

 普段の軽装とは違い、暗みのある青色のスカート、夕顔の花のように儚げな白色のブラウスに袖を通ている。

 お気に入りのマフラーは身に着けておらず、赤い宝石が付いたネックレスが代わりにそこに存在していた。

 薄くではあるが化粧もされ、更に、恥ずかしさからかわずかに顔を赤く染められ、それすらも化粧の一部かと思ってしまうほどだ。

 まるでどこかのお嬢様のような変わり様。――正直、見惚れていた。

 

「なんやヒナヅキくん! 女の子がおめかししたんにお世辞の一言もでえへんの?」

 

 シャオンに対してのヨシュアと同じように、逃がさない様にアリシアの後ろにいたらしいアナスタシアが頬を膨らませて、無言だったこちらに抗議をする。

 それを受けてようやく意識を現実に戻す。

 

「や、やっぱり変すか!?」

「いや、似合ってる。ちょっと、いや、かなり驚いてたわ」

 

 勢いづいて感想を求められ、思わず素直な感想を口にするとアリシアは体を縮ませながらも嬉しそうに小さく笑う。

 

「そう、すか……へへ」

「うん……あはは」

 

 互いに赤面し、思わず顔を背けあう。

 すると背けた先にはニヤニヤしたアナスタシアの顔と、モノクルを指で上げているヨシュアの姿があった。

 

「もうっ! ほら行くっすよ!」

 

 この雰囲気に耐えられなかったのかアリシアはこちらの手を掴み、無理矢理屋敷から離れる。

 

「きいつけてなー」

 

 見送りの言葉を背に受け、どんどん離れていく。

 屋敷が見えなくなるころ、そこであることに気付いた。

 

「あれ、アリシア。手甲は?」

 

 そこでようやく彼女の足は止まり、質問に答えた。

 

「えっと。お嬢が「せっかく綺麗な服きて、めかしこんだのにゴツイもんなんかいらんやろ」って言って、取り上げられたっす」

 

 初めて手甲越しではなく、直に触る彼女の素肌、その手は肉刺(まめ)で硬い。

 女性特有の柔らかさもあるが、それでも年頃の女性のものとは違っている。

 だが彼女自身の努力を表しているようでシャオンとしては好ましく思ってしまった。

 

「なんすか? アタシの手をじっとみて」

 

 視線に気づき、訝しげにこちらを見つめるアリシアに「なんでもない」と答える。手に対して好ましいと思うなど変態ではないか。

 頭を振りそんな邪な考えを追い出し、これからのことを考える。

 

「行く場所はどうする?」

「特にないっすよ? そっちは?」

「俺も特に……いや」

 

 王都はこの世界に来て初めて訪れたことになる場所だ。思い入れがない場所とも言えなくはない。

 また来る機会が必ずあるとは思えない。ならば、

 

「二つほど、気になる場所がある。というより、お礼参りかな?」

 

 恩を返しに行くのも一興だろう。

 頭に疑問符を浮かべる先ほどの仕返しにアリシアの手を引き、先へ進む。

 引っ張られ、わずかに遅れていたアリシアは歩調を早め、シャオンの隣に並ぶように歩き始める。

 その姿は付き合いたての恋人同士のように見えていたことは、シャオン達には知る由もなかった。

「シャオンの言ってたお店って、どんなお店なんすか?」

「八百屋だよ、強面のおじさんが運営している小さな八百屋」

 

 バンダナを撒き、口元に届くほどの傷跡を残す店長の姿を思い出し、堅気の人間ではないよな、と改めて思い出す。

 シャオン達、正確にはシャオンが向かおうとしているのはカドモンという男が営んでいる八百屋だ。

 彼は異世界で初めて出会った現地民であり、とある事情で腹を減らしていたシャオンに無償で商品を譲ってくれた命の恩人でもある。

 そんな彼とまた店に来て今度はちゃんとお金を払って買い物をするよう約束したので、それを果たしに行くのだ。

 

「強面って、大丈夫なんすか?」

「うん大丈夫大丈夫。あ、俺の命の恩人でもある人だから失礼のないようにな。でも緊張しすぎなくてもいいから。強面だからビビるかもだけど」

「そんな前情報を知って緊張しないと思ったんすか!?」

 

 アリシアのツッコミを受けながらもシャオンは現在の場所と目的地がどれぐらい離れているかを考える。

 そもそも王都の記憶は屋敷で過ごした日々によって打ち消され、細部までは思い出せない。

 人の顔などは覚えているがその店の場所までを明確に思い出すのには少し時間がかかりそうだ。完全に覚えていないよりは数段マシともいえるが。

 我ながら前途多難の道を歩もうとしていることに苦笑いを浮かべていると、隣に並ぶ彼女が歩みを止めた。

 

「――シャオン。あの子、迷子じゃないっすか?」

「……なんだろ、デジャヴが凄い」

 

 アリシアの指さす先には一人の小さい女の子が涙目で立っていた。

 年は7歳にも満たなそうなほど幼い少女。

 シャオンの記憶に間違いがなければ、どこか見覚えがある少女だ。

 

「まぁ、この世界じゃ初対面になるのか」

 

 一度目の世界。

 件の少女はスバルと、エミリアと出会った世界で、初めてこの世界に召喚された世界で出会った少女だ。

 エミリアとスバルが無事母親に送り届け、お礼にエミリアへ花飾りをプレゼントしていた。

 結局あの世界ではエルザの凶刃にスバルが殺され、死に戻りの道連れによりシャオンも命をなくしたので少女はシャオンのことを記憶の隅におけてもいないだろう。

 それを寂しくは思うが、もう仕方ないと割り切っている。  

 

「話を聞いてみるっす」

 

 アリシアは少女に向かって走っていく。来ている服装はいつもと違うが中身はいつも通りのまま、ということか。

 

「あの時はなかなか泣き止まなかったなぁ」

 

 偽サテラ、もといエミリアが今の状況と同じように少女を泣き止まそうと試みたことを思い出す。

 迷子だった少女は、心細さと見知らぬ人から声をかけられついに限界が来たのか大声で泣き出したのだ。

 あの時はスバルの機転で事なきを得たのが今はもう懐かしい記憶。さて、今回はいったいどのような方法で少女を笑顔にさせるのだろうか。

 

「シャッオーン! ほら一緒に来るっすよ!」

「はい?」

 

 遠目で見物していると、思わぬ呼び出しに目を丸くする。

 そんな様子のシャオンに彼女は怒ったように頬を膨らませる。

 

「なに他人のふりしてんすか、勿論シャオンも一緒にくるんすよ!」

 

 いつまでも動かないシャオンに、しびれを切らしたアリシアがこちらまで戻り、背を押して、少女の元まで連れていく。

 

「お待たせっす! お嬢ちゃん。お名前は?」

「うっ、ひっぐ……プラム」

 

 アリシアは腰をかがめ、泣き続ける少女を安心させるために目線を合わせて優しく名を尋ねる。

 少女も、涙声交じりではあるがプラムという名を名乗った。

 

「プラムちゃんすか、かわいい名前っすね! アタシはアリシア、アリィって呼んでくださいっす」

 

 警戒心を解いてもらうように自らの名と、愛称を少女に教える。

 そして今度はこちらに悪戯っぽい笑みを浮かべ指をさす。

 

「それであのうさん臭いお兄ちゃんがシャオンっす。ああ見えて頼りになるっすから見かけによらないんすよね」

「喧嘩売ってんの?」

 

 もういい加減に慣れてしまった評価ではあるが、初対面のしかも幼子に対して説明する言い方としてはどうなのかと思う。

 子供の手前、怒りはしないがいい加減にしてほしい。

 そんなシャオンの心情を読み取ってしまったからか、プラムはおびえ、涙を流す。 

 しまった、と思った時にはすでに遅く彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ始める。

 しかし、その大粒の涙が落ちる前に白い布でふき取られた。

 

「プラムちゃん、女の子は簡単に泣いちゃだめっすよ」

 

 アリシアはポケットから取り出したハンカチでプラムの涙をふき取りながら、優しく語り掛ける。

 

「アタシも子供の時はだいぶ泣き虫だったっすけど、泣いてばっかじゃダメなんすよ。事態は解決しないし、周りも助けてくれなかった」

 

 声にはどこか懐かしむような、寂寥を覚えているようなものを滲ませている。

 

「そりゃ当然すよね、だって”自分がどうしたいか”、それすらわかっていなかったんすもん。自分ですらわからないことなのに、他の人がわからないのは当たり前っすよね」

 

 プラムにはアリシアの話は詳しくは伝わっていないだろう。

 だが、それでも彼女が伝えようとしていることは伝わったのだろう。その証拠にいつの間にかプラムの表情に涙は消えていた。

 それを満足そうに眺めアリシアは再び頭を撫でる。

 

「ほら」

 

 彼女はプラムの小さな手を、花を触るように優しく握りしめ、

 

「手を握るっす。こうすれば離れない、プラムちゃんは一人じゃないっす。だから、プラムちゃんが今どうしたいか教えてくださいっす」

 

 アリシアが目線でこちらにも手をつなぐことを訴えかけてくる。

 

「……はぁ、わかったよ。ほらプラムちゃん、こっちの手もお兄さんとつないでくれるかな?」

「う、うん」

 

 おどおどしながらも、ゆっくりと少女がこちらの手を握る。

 暖かく、生命を感じさせる熱をシャオンは感じる。必然的に少女も感じているだろう

 

「あの、私、おとーさんへおべんと届けようとしたの。でも、道に迷っちゃって」

 

 その温かさに安心したのか、プラムは泣いていた理由を説明する。そして二人に向かって、

 

「探すの、てつだってくれる?」

 

 僅かに気後れしながらもしっかりと自らの言葉でそう頼んだのだ。

 

「勿論、シャオンもいいっすよね?」

「ああ、構わないよ」

 

 少女の勇気を出しての要望を当然アリシアも、シャオンも断るつもりはなく、すぐに承った。

 

「おにーさん、おねーさん」

 

 プラムは、涙でぬれた顔を乾かすような輝く笑みをシャオン達に向け、礼の言葉を口にした。

 

「ありがとっ!」

「「どういたしまして」」

 

 重なった言葉に顔を見合わせているとプラムが噴き出したように笑う。

 それにつられ、シャオンとアリシアもつい吹き出してしまう。

 笑い声が響く中、そこには当然、涙の痕はどこにもなかった。

 

 

「「ふんふんふふーん」」

 

 女性二人組の鼻歌に合わせ、手が揺れる。

 プラムの表情は先ほどまで泣いていたとは信じられないほどに晴れやかで、見ているこちらの気持ちも明るくなっていくほどだ。

 

「それにしてもなんという偶然なんすかね、プラムちゃんのお店がシャオンの行くお店と同じなんて」

「本当にね」

「おとーさんったらよく忘れ物しちゃうの! いつもはおかーさんが届けに行くんだけど、今日は忙しいから私が頼まれたの!」

 

 プラムの話を聞きながら、人垣を眺め、記憶を揺り起こす。

 正直、似通った光景が延々と続く通りだけに、確証と呼べるほどのものはない。それでも以前に『三度』も辿った道筋だ、記憶には嫌でも染みついているので一度思い出せば自然と思い出してくる。

 ふと、とある店が記憶に引っかかった。

 年季の入った店の造りはシンプルなもので、人目を惹く派手さに乏しく、一見は雑踏の中に埋没してしまいそうに見える。が、最近に塗り直したばかりと思われる奇抜な色の看板が存在を主張しており、結果的に通りの喧騒の印象から一部突出して浮き上がる効果をもたらしていた。

 その奇抜な看板に描かれている文字、以前は落書きにしか思えなかったそれも、イ文字が読めるようになった現在では店主の名前、『カドモン』と記されているのがわかる。

 

「ねぇ、プラムちゃん。君のお店って、あれじゃないかな?」

「あ、うん! おとーさんだ!」

 

 ちょうどあの傷顔の店主がこちらの、正確には愛娘の姿を目にして顔を輝かせる。

 プラムも父が気づいたことがうれしかったのか大きく手を振り、駆けだす。

 

「あっ!」

 

 慌てて走り出したからだろうか、プラムは落ちていた石に躓き、転んでしまう。

 幸いにも竜車などが走るような場所での転倒では無いが、硬い地面に顔をぶつけたのだ。それなりの痛みは襲うだろう。

 

「う、ひっぐ」

「おいおい大丈夫か!」

 

 一部始終を見届けてしまったカドモンは慌てて愛娘の元へ近づく。

 しかしプラムは心配する彼の手を借りずに、自分の力のみで起き上がり流れていた涙を袖でふき取り、

 

「らいじょうぶ! 女の子は簡単に涙を流さないもん!」

 

 無理矢理笑みを作って父親に答えたのだ。

 今までの彼女だったらそのまま大声で泣いてしまっていただろう。

 娘の変貌にカドモンは一瞬呆気にとられたが、すぐにそのスカーフェイスとは似合わないほどの笑みを浮かべてプラムの頭を撫でたのだ。

 

「そうか、流石俺の娘だ。偉いぞ」

「わっ! くすぐったいよ! おとーさん」

 

 男らしく、雑に娘の頭を撫で続けるカドモンは見たことがないような柔らかな笑みを浮かべている。

 その空気を邪魔するのはいささか気が引けるがいつまでもこうしていられないので、遠慮がちに近づく。

 

「お久しぶりです……覚えてます?」

「……? 兄ちゃん、どこかで会ったことがあるか?」

 

 一日に何人もの人の顔を見て、声を聞いている商売だ。忘れ去られてしまっているのは仕方ないこととはいえ少し心に来るものがある。

 そう静かに落胆しているとカドモンは目を見開き、指をさして叫んだ。

 

「ああ! あのうさん臭い兄ちゃんか。もう一人の兄ちゃんとは一緒じゃないのか?」

「スバルとは一緒の職場で働いてますよ。今日は、約束を果たしにきました」

 

 シャオンの言葉に、記憶を探ってその約束を思い出そうとするカドモン。

 するとプラムがカドモンの腕を引っ張り、話しかけた。

 

「ねぇおとーさん。お仕事手伝ってもいい?」

「え? あー、でもなぁ」

「別にいいんじゃないですか? ゴツイ強面男が呼び込むより人が来ると思いますよ?」

「否定できねぇのが悔しい……そうだな、ならお願いするか」

 

 渋っていたカドモンはシャオンの言葉に押され、娘のお願いを素直に受ける。

 すると太陽のように顔を輝かせ、プラムはアリシアに声をかけた。

 

「アリィお姉ちゃん! 一緒にやろ!」

「え、でも」

 

 彼女はこちらに視線で問いかける。

 王都で回る場所は他にもあるのに時間を取ってしまっていいのだろうかということだろう。

 

「別にいいよ。俺の件はそこまで急ぎじゃないしね」

 

 流石に一日中手伝うわけでもないし、それにシャオンもカドモンにも聞きたいことがあったのだ。

 

「それじゃあお言葉に甘えて、がんばろっか」

「うん! おとーさんのお店をもっと元気にする!」

 

 張り切る女子二人組は男子二人組を置いて店先に立ち、大きな声で客を呼び込む。

 

「……わが子ながら天使だなぁ、おい!」

「ははは」

 

 親バカっぷり満載のカドモンにどつかれながらも感情のこもらない声で笑う。否定すれば面倒だから。

 

「約束の件は思い出した、だがまずは、礼を言おう。迷子だった娘を連れてきてくれてありがとう。まさか弁当忘れちまうとはな」

 

 先ほど受け取ったかわいい包みをこちらに見せる。

 あの中には彼の奥さんが作った愛情たっぷりの料理が詰まっているのだろう。

 

「正直人攫いがうろついているって話が出回っているから、一人で外に出すのはよくないと思っていたけど考えすぎだったな」

「人攫い?」

「ああ、あんまり表で話すもんじゃないし、俺も詳しくは知らねぇが……『魔女教』と関係がある誘拐組織らしい」

 

 『魔女教』。

 ロズワールからエミリアと接する上では必ず出会う存在だと聞いている。

 いつ生まれたのか、どんな組織構成なのか詳しい情報はわからない。

 ただ、わかっていることは『銀髪のハーフエルフ』であるエミリアの前に必ず現れるだろうこと、そして目的のためならばどれだけの犠牲を出してでも達成しようとする最悪の組織であることだ。

 そんな存在と関わりがある人攫いとやらも碌な奴ではないことは予想できる。

 

「兄ちゃんも気を付けろよ? 彼氏ならあの別嬪さんしっかり守ってくれ。娘の世話になった奴がさらわれるなんて考えたくねぇからな」

 

 別にシャオンとアリシアは付き合っていないが、外から見れば確かにそう見られても仕方ないのかもしれない。

 だが、そう思われたままでは癪なので否定しようとカドモンの方を向くと、彼はその彫り深い顔に涙を流していた。

 

「どうしました、カドモンさん。似合わない涙を流して」

「予想外の娘の成長を目にして親バカもほどほどにしないとな、と考え直してんだよ。あと別に泣いちゃいねぇ」

 

 涙は心の汗とでも言いたいのか、涙を流していることを否定するカドモン。それだったらせめて涙を隠してほしいものだが。

 

「ねぇ、カドモンさん」

「ん? なんだよ」

「例えばだよ? 例えば娘がさ、危ない職業につきたいって言ったら反対する?」

 

 頭に思い浮かべるのはアリシアの父親であるルツの姿だ。

 彼のアリシアに対する態度から、少なくとも嫌ってはいないことがわかったが、娘の願いをあそこまで頑なに否定するという理由がわからないからだ。

 なので、同じく子を持つカドモンの意見を聞いてみることにしたのだ。

 

「あったりめぇだ、大事な愛娘。安全に幸せに生きていってほしいと思うのは当たり前だろうよ」

 

 シャオンの問いかけに数秒の間もなく答えるカドモン。

 予想できていたその答えの後に「ただし」とつなぎ、

 

「俺の反対を押し切ってでもその仕事をしたいってんなら止められねぇわな」

 

 自らの意見を口にするのは恥ずかしいからか頭をかきながらも続ける。

 

「娘が大事だから当然反対はする、厳しく反対する。でも娘が大事だからこそ賛成もしたいって気持ちがあるんだ。だから、そっから折れるかどうかは子供の熱意次第だ」

「矛盾、してますね」

「そんなもんだよ、親ってのは。ま、まだ若いお前さんにはわからん話さ」

 

 シャオンの言葉を否定せずに、意味ありげに頷くカドモン。

 そしてアリシアのほうを見ながら、

 

「お前さん方が結婚して、子供を作って、時期が来たら自然とわかるだろうよ」

「そうなんすかね。あ、あと俺たちは別に――」

 

 付き合っていないと口にしようとしたが、それよりも大きな少女の声にシャオンの言葉はかき消された。

 

「おとーさん! お客さんだよ!」

「シャオンもカドモンさんの手伝いをするっす!」

 

 二人の声に、いつの間にか列が店の前にできていることに気付く。

 若い娘たちが客呼びをすればここまで人気が出るものかと、内心驚きながらも、一部では理解している。男って単純。

 

「悪いな、恩人に手伝わせちゃって」

「今更ですよ、はい、いらっしゃい!」

 

 申し訳なさそうにするカドモンを置いて接客を始める。流石に負けていられないと思ったのかカドモンも力を入れて仕事をする。

 競うように働くその姿を見て遠くにいる二人の笑い声が耳に入るが気にしない、気にしてられない。それほどまでに繁盛しているのだ。

 結局、カドモンの店での手伝いは、プラムの母親が来るまで続いたのだった。

 




主人公のようには進んでならず、輪から外れて見守るシャオン。
アリシアはそれを許さず、自分と共に無理やり輪に連れ込む。
そういう風に意識して書きましたが表現できていたでしょうか。

あ、次話の投稿は遅れます。


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王都でデート! 盗品蔵の主編

戻ってこれました。久しぶりの投稿です。


「いっぱいもらちゃったすね」

「お礼しに行ったのに逆にもらうとはどういうことなのだろう」

 

 カドモンの店から出て、アリシアとシャオンはひとつの包みを手にもってのんびりと歩いていた。

 

「ま、嫌いじゃないからいいけどね」

 

 中に入っていた物は因縁があるともいえる赤い果実、リンガだ。それもけっこうな数で二十に届きそうな数が詰め込まれている。

 初めは受け取れないと断っていたのだが、カドモンどころか奥さん、更には娘であるプラムも受け取ってほしいとお願いしてきたのだ。

 それでも渋っていたのだがカドモン達の頑として譲らない態度に、こちらが折れて現在に至るのだ。

 

「どれどれ、では一個味見をするっす」

 

 小腹がすいたのかアリシアは包みからリンガを一つ取りだす。

切り分けるどころか皮を剥かずに豪快にその丸い果実に齧り付こうとする彼女を見て、自分もそれに倣おうとする。その瞬間、

 

「きゃっ!」

 

 リンガを食べようとしたアリシアに、何かがぶつかり短い悲鳴が上がる。

 予想外の衝撃を受け、彼女は尻餅をついてしまう。

 

「ああっすいませーん」

 

 ぶつかってきたであろう人物は間延びした声で謝罪する。

シャオンと同じ、この世界では珍しい黒色の髪を二つに分けて結び、ずれた眼鏡と、髪についている桃色の花飾り以外はアクセサリーというものは身に着けていない。

 薄縁眼鏡のレンズ越しに見える、眠そうな目蓋からは髪と同色の瞳がわずかに見えていた。

 

「大丈夫ですかぁ。すいません、私急いでまして、前を向いていませんでした」

 

 衝撃の際にずれた眼鏡を直しながら、彼女はどこか抜けているような声色ではあるが謝罪の言葉を口にする。

 そして慌ててアリシアを立たせようと手を伸ばす。だが、

 

「待てやこのアマッ!」

 

 遠くから、正確には彼女が来た方向から聞こえてきた声に女性はその身を震わせる。

 声の聞こえてきた方向と、尻餅をついたアリシア。

 それらを交互に見て数秒。差し伸ばされていた手は引っ込まれ、代わりに申し訳なさそうに手を合わせて謝罪の体制をとる。

 

「すいません、ちゃんとした謝罪はまた今度で!」

 

 そう告げ、急いで走り去っていった。

 

「どけっ!」

 

彼女が駆けていき数秒、後を追うように三人の男たちがこちらに向かって走ってきた。当然彼らは勢いを緩める様子はなくこのままでは衝突は免れない。

 だが、器用にも彼らはシャオン達を避けて走り去ってしまう。

 

「大丈夫か、ほら」

「どうもっす」

 

 未だに尻餅をついてしまっている彼女の手を引き、立たせる。

 

「ただ事じゃなさそうっすね」

 

 目を細めて、女性とごろつき達が去っていった方向を見やる。どうやら女性はこの先の路地裏に逃げ込んだらしい。当然、チンピラたちも後を追って路地裏に入ったはずだ。

 

「シャオン、いいっすよね?」

「はいはい、わかったよ」

 

 短い言葉ではあったが、彼女が何を言いたいのかはすぐにわかった。彼女との付き合いが長いからか、それとも彼女がわかりやすいだけか。答えはわからない。だが一つだけわかったことがあった。

 

 ――どうやら自分が王都に来ると、必ず厄介ごとに巻き込まれるらしい。

 

 そう嘆きながらもアリシアを連れてチンピラたちの後を追うのだった。

 

 

「ようやく追い詰めたぜ、この野郎」

「あらあらあらー。これはピンチ? 絶体絶命というものなのかしらぁ?」

 

 まさにその通りで、現在彼女は追い込まれた状況と言える。

 前方には高くそびえ立つ壁、左右も逃げ場はなく、当たり前ではあるが背後にはチンピラたちがいる。

 女性もようやく自分の置かれた状況を理解した、と思ったが、

 

「どうすればいいと思いますぅ? おにーさん」

「ふざけてんのかこいつ!」

 

 まるで理解していないかのように明るい口調で、さらにあろうことかチンピラたちに解決策を訊いたのだ。

 その態度にからかわれている、もしくはなめられていると思ったのか男の一人が怒鳴り声をあげる。だが彼女は依然としてその表情を崩さない。

 

「いやですねぇ、私は頭があまりよくありませんけどもぉ、ふざけていたことなんてありませんよぉ? いつだって一生懸命ですよ。そんなこともわからないなんて、おバカさんですねぇ」

「……痛い目みねぇと、自分の立場が分かんねぇみてぇだな、おい」

 

 青筋を立ててみてわかるように怒りをあらわにするチンピラ。だが、当の本人には効果がなかったようで彼女はただ不思議そうに首をかしげている。

 その態度が決め手となってしまったのか、チンピラの手が彼女の胸ぐらをつかもうと伸び、

 

「やぁやぁおにーさん方」

「あん? んだよ、俺たちゃ今取り込んで――」

 

 ごろつきの一人、スバルが名付けたあだ名ではチン、と呼ばれていた男は突然の呼びかけに苛立ちを込めて応える。

 そしてシャオンの顔を見て数秒、どうやらこちらのことは記憶に残っていたらしく、怒りで染まっていた表情が驚きと恐れの表情に変わっていった。

 

「あー! お前はあん時の!」

「知り合いか?」

「あの商い通りでへんなガキを刺しちまった時に暴れたくそ野郎だよ!」

 

 思い出せていなかった他の男たちもその言葉で記憶の底からシャオンの姿を引き戻したようだった。そしてチンと同じように面白いほどにわかりやすく顔色を変えた。

 

「ご名答、そのくそ野郎ですよ……まだこんなことやってんの? いい加減に懲りろよ」

 

 半ばあきれ、そしてもう半分には敵意を込めて告げる、これ以上目の前で続けるならば容赦はしない、と。

 

「お、覚えてろよ!」

「はいはい、忘れてやるよー」

 

 一度シャオンの力を見ているからか、抵抗する様子も見せずに捨て台詞を残して蜘蛛の子を散らすように背を向けて走り出す。

 こちらとしても面倒事を起こす気はないので追わずにただその情けない姿が消えるまで見届けるだけにとどめた。

 

「あのー、すみませーん。有り金はすべてお渡しするので見逃していただけませんかぁ?」

「いや、アタシたちはさっきの奴らみたいなもんじゃないっすよ」

 

 女性の見当違いの言葉に若干拍子抜けしながらも自分たちが危害を加えるような存在ではないことを説明する。

 しかし彼女は首をかしげている。

 

「えぇ? なら別のチンピラさんたちですかぁ?」

「……とりあえず、話を聞いてもらえます?」

 

 そう疲れた声で頼み込むと女性は不思議そうな表情を浮かべながらも首肯した。

 

 

「いやはや、これはこれはしつれいしましたー。ハムハム。助けてもらっただけでなくこうして果物も頂けるなんて」

 

 女性は貰ったリンガを口にしながら、恥ずかしそうに礼の言葉を口にする。

 あれから誤解を解くのに時間を要するかと思われたが、先ほどぶつかった少女だと気づいてもらったおかげで意外にもすぐに理解してもらった。

 そして今は追い回されて疲れている彼女にリンガを一つ分けていたわけだ。

 

「お詫びにワタシのお店に招待いたしますよー。ちょうど新しいお菓子を作っていた途中でして」

「え、でも……」

「なにか急ぎのようでもぉ?」

「流石に暗くなるまでには帰らないといけませんので」

 

 急ぎの用事は別にない。だが、夜までに帰らなければアナスタシアたちが心配するだろう。先の一件で王都はそこまで治安がいいわけではないと再認識してしまったのだからなおさらだ。

 

「そこまで引き留めませんよー」

 

 シャオンの心配を女性は吹き飛ばすように笑う。

 それならばせっかくのご厚意を断るのもどうかと思い言葉に甘えることにする。

 

「それなら、お願いします。えっと」

「あぁ、私ったら名乗り忘れていましたねぇ」

 

 うっかりしていたと彼女は自らの頭を軽くたたき、舌を出して笑う。子供らしい振る舞いだが彼女の見た目は完全にシャオンよりも年上だ。

 もしかすると彼女の立ち振る舞いや間延びした語尾が幼く見せさせているのかもしれない。

 

「リーベンス・カルベニアと申しますぅ。出身はぁ、えっとぉ、どこでしたっけ?」

「いや知りませんよ。頑張って思い出して下さい」

「あ、思い出しましたグステコ聖王国出身ですぅ。はい」

「グステコ!?」

 

 グステコ聖王国。

 北方にある国で気温がとても低く、また貧富の差が激しい国柄で、貧困層では捨て子が珍しくないと聞く。

 これだけでもいい印象を与えない国だが、更にイメージを下げる要因となったのはとある事件が絡んでくる。

 ――グステコ領の悲劇。

 少し前に起きた事件で、イゴール・ケナシュ男爵という管理者を含め、その部下が全員殺害されたというものだ。

 犯行はすべて魔法によって行われたものだと判断され、犯人を捜しているが今だ見つかっていない。

魔法の専門家であるロズワールすらお手上げだというほどの証拠の隠滅が上手く、犯人を見つけることはできないかもしれないといわれている事件の一つだ。

 そんな物騒な事件が起きた国が出身だというならばそれなりの警戒はするだろう。だが、

 

「えっへん! 驚きましたかぁ」

 

そのでかい胸を誇らしげに張る彼女の様子を見ていると案外大したことがないように錯覚してしまう。

 

「まぁ黒髪黒目の見た目からそうだと思ったっす。そういえばシャオンとスバルも同じような特徴っすよね。もしかして同じ出身地なんすか?」

「ん? まぁ違うよ」

 

 この質問をされたのはもう何度目だろうか。

 エミリアやロズワールにも訊ねられた時に日本といっても伝わらなかったが、彼女たちにもグステコ出身だと思われているのだろうか。

 

「それで、リーベンスさんはなんであんな奴らに追われていたんすか?」

「お料理の材料を買っていたらあの方たちにぶつかってしまい、なんだか骨を折ってしまったようで」

 

 典型的な当たり屋の手口だ。まさか異世界でもそのようなものをお目にかけることができるとは想像したくなかった。

 

「お二人はどこから?」

「アーラム村から野暮用で」

 

 そう気軽に答えるとリーベンスの様子が大きく変化した。

 今までのほんわかとした雰囲気はどこかへ置いたように、瞳が鋭くなり、眉をわずかに寄せる。そして小さな声でおずおずと口を開く。

 

「あの、アーラム村って、ロズワール辺境伯がいらっしゃる村ですよね」

「正確には管理している村ですが……どうなさいました?」

「そこに、ルカという少女がいませんでしたか? 赤髪の似合う女の子でこれくらいの身長なんですが」

 

 両手でその少女の背丈を示すリーベンス。

 彼女が示した身長の少女、そして口にした名は心当たりがあった。

 村でペトラと共に花冠を作り、そしてシャオンにもプレゼントしてくれた少女。たしかその子の名前がルカのはずだ。

 

「もしかして、ルカちゃんの母親さんっすか?」

「大正解でーす」

 

 アリシアの言葉にリーベンスはVサインを作って笑顔で肯定する。

 だがその表情はすぐに心配そうに曇る。

 

「娘は、元気に過ごしていますか?」

「ええ、少し照れ屋ではありますが元気ですよ。友達も多いですし」

 

 ペトラを始め他の子供たちとも交流を持ち、今では自ら遊びに誘うほどに成長している。

 それを聞いたリーベンスは胸に手を当て大きく、本心から安心した様に息をこぼした。

 

「……よかった、昔っからあの子ったら人見知りが激しかったので不安だったんです。私は仕事でなかなか王都から離れられませんし、あの子と一緒に住んでも時間も取れなくて、あの子を放っておくことになってしまうので、知り合いが住んでいるアーラム村で預かってもらったんですよぉ」

 

 ルカは自らの母親と接するのに他人行儀で、ずっと気になっていたことだったがリーベンスの説明で納得がいっく。つまり彼女は養子だったという訳だ。

 思わぬ告白にわずかに空気が重くなる。それに耐えきれなかったのかアリシアが話題を変えた。

 

「それにしても大分離れに来ちゃったすけど、まだなんすか? そのお店」

「もう少しですよぉ、貧民街の近くに建てたんですよ」

「なぜにそんな場所に建てたんすか……?」

 

 確かにその理由も気になるがシャオンの頭の中ではそのことよりも別のことが引っかかっていた。具体的に言うならば『貧民街』というフレーズに。

 

「あ」

「どうしましたかぁ?」

「いや、すっかりカドモンさんとのやり取りで忘れていたけど、俺が王都で行きたい場所、まだあった」

 

 目の前に広がるとある建物を視界に収めたことでそのことを思い出すことができた。

 だが、前方にある盗品蔵の有様(・・・・・・)を目にしてしまったシャオンとしては思い出さないほうがよかったのかもしれない。

 

「ああ、ロム爺さんの盗品蔵ですねぇ、盗品にご興味が?」

「興味と言いますか、なんと言いますか」

「はいるんすか?」

 

 蔵はボロ屋とまではいかないが進んで入りたいとは思えない見た目だ。いつもは迷いがなくすぐに決断するアリシアも選択するのに迷ってしまうほどには。

 

「……帰ろう」

 

 正直言って、あの主に会いに行ってもあまり得はない。それどころか逆に損をするだろう。

 なぜなら、蔵の一部に大きく穴が開いているのだから、いや正確には開けてしまったからだ。

 あの穴を開けたのはシャオンだ。

 徽章騒ぎの際に腸狩りという傭兵との戦闘で開けてしまった穴。

 幸いにも蔵の主は話が通じる人物ではあるので事情を丁寧に話せば許してもらえるかもしれない。だが、許してもらえなかった場合は――あのでかい棍棒でたたきつぶされるだろう。

 それだったら回り右して帰ることにしたほうがいい。

 

「つれないことをいうのぉ」

 

 早めの決断をし、踵を返そうとした瞬間、それを邪魔するようにシャオンの両肩に大きな手が置かれた。

 その手は万力のように肩を握り締め、獲物を逃がさない様にかみつく肉食動物を思わせる。

 

「どうやら、互いに無事だった様じゃの」

「ロ、ム爺」

 

 油の切れた機械のようにゆっくりと振り返るとそこにはこの蔵の主、ロム爺の姿があった。

 相変わらずの巨体に、若干の垢の臭い。

 どうやら初めて出会った時と見た目が大きく変わっていることはない様だ。ただ、ある変化してはシャオンの気のせいだったらいいのだが彼のこめかみに青筋が立っているように見える。

 

「まぁ、なんじゃ? 積もる話もあるしのぉ。特に蔵の有様についての、な」

 

 助けを求めるように女性二人組に視線を向けるが、両人の瞳には心情を映した様に、言いたいことが伝わってきた――あきらめろと。

 

「ははは、お手柔らかに」

「お前さんの態度次第じゃのう」

 

 そして、そのまま大きな荷物を運ぶようにロム爺はシャオンを肩に担ぎあげ、盗品蔵まで歩みを進めたのだった。

 

 

「まったく、目が覚めたら自宅が崩壊しかけとったなど酒の肴にすらならんぞ」

「大げさだな、崩壊はしていなかったんだし笑い話にはなりそうじゃん」

「ぬかせ」

 

 軽くこちらの頭を小突き、不敵な笑みを浮かべるロム爺。

 今いる場所は盗品蔵ではなく、リーベンスが運営している店の中だ。

 あのまま蔵まで連れてかれて、尋問されるかと思っていたがリーベンスの機転のおかげで彼女が働いている店にロム爺も招待をし、そこで話をすることにまで話を持ってこれた。 

 彼女の店は彼が住んでいる盗品蔵とはかけ離れた様に清潔感あふれ、家具などもきれいだ。

 そのせいかロム爺は落ち着かない様だったが我慢をしてもらうことにする。

 

「どういう関係っすか?」

「命の恩人?」

「一応、そういうことになるじゃろ」

 

 色々と事情が混みあっていてなんといっていいかわからないが一応はそういう関係になるらしい。ただその関係を聞いてアリシアは軽く頭を押さえ呆れていた。

 

「……カドモンさんといい、このおじいさんといいシャオンの人間関係が濃すぎないっすか?」

「否定はしない……どちらにせよ、会えてよかったよ、ロム爺。あのときは俺たちは瀕死だったから、状況確認する手段がなくて」

「お前さんも、腹がかっさばかれたと聞いとったが元気そうじゃの」

 

 ロム爺は苦笑を浮かべ、傷一つないシャオンの体を指差す。

 大抵の傷を治せる癒しの拳を持っていることを知らない彼からすれば、シャオンの健康そのものの体を見れば疑問がわくのは当然のことだろう。

 

「あらあらそんな大変な経験をしてきたのですねぇ、はい、お待たせしましたぁ」

 

 会話の途中、リーベンスが色鮮やかなサラダと、酢漬けにされた料理。そして、一つのボトルを持ってきた。

 ボトルの中身は見えないが、一緒に持ってきたものから察するに、

 

「お酒?」

「はいぃ、私は基本的にお菓子を作っていますけど、夜は大人の方のためにお酒も用意してますのぉ。ご老体はもちろんのこと、お二人も飲めますよねぇ?」

 

 確かにシャオンもアリシアも酒を飲める年ではあるが、今はまだ日が明るい。この時間からアルコールを取るのはあまりいいとは思えないのだが。

 

「ほぅ、うまいのこの酒。ちと弱いが」

 

 彼が飲んでいるのにシャオンたちが飲まないのはどうかと思い口にする。

 すると酒を飲んでいるとは思えないほどの口当たりの良さに、軽さ。ジュースでも飲んでいるかと思えてしまうその味に思わず驚く。

 アリシアのほうに視線を向けると彼女も同様に口を押え、驚いていた。

 確かに美味しい酒だ。だが、飲みやすいから飲みすぎてしまわないように気を付けなければならない。

 

「酔いが回りきる前に聞くけど、盗品蔵の騒ぎのあとはどうしてた? 職場の見た目が悪くなっちゃったわけだけど」

「心配してもらって悪いがどうとでもやっとるよ。なにも盗品蔵で呑んだくれとるのだけが仕事だったわけでもないわ」

 

 心配をするシャオンに、ロム爺はカカと笑ってそう答える。

 実際、貧民街で信用を得ていなければ、盗品を取りまとめる役割に就くことなどできるはずもない。それなりのツテというものでもあるのだろう。

 どちらにせよ、あの一件でのケガの後遺症やその後の生活の心配などもないのであれば、安心だ。先ほどまで忘れてはいたが一応気にはかけていたことが解決し、すっきりとした気持ちになる。

 

「儂からもお前さんに聞きたいことがあったんじゃ」

 

 声を落とし、ロム爺は真剣な表情を浮かべる。

 それをみてシャオンも真面目に話を聞こうと振り返る。

 

「アタシは席を外したほうがいいっすか?」

「いや、お嬢ちゃんが聞いても不都合はない、構わん」

 

 席をはずそうとする彼女を引き留め、ロム爺は静かな声で尋ねた。

 

「小僧。お前さん、フェルトがどこに行ったか知っておらんか?」

「……聞いてないの? ラインハルトが連れてったって話だよ」

「ラインハルト……『剣聖』のことか? アストレア家がどうしてフェルトを連れていくなんて話になったんじゃ?」

 

 思い起こせばあの一件の最中、ロム爺が意識を失ったのはラインハルトの乱入の前の話だ。その後、事態が解決するまでロム爺がラインハルトと意識のある状態で接触していた記憶はない。つまり、

 

「可哀想に、目を覚ましたら誰もいない蔵の中だった、ってことか。流石に同情するわ。ほら飲みなよ」

「憐れんでもらって悪いが、儂が目を覚ましたのは衛兵の詰め所じゃ。治療されておったのは助かったが、すぐにお暇させてもらったがの」

「ああ、なるほどそりゃ居心地悪いっすね」

 

 悪事の心当たりがある人間が、義に重きを置く場で目を覚ますというのは生きた心地のしない話だ。詳しい話を聞く余裕もなく、早々に逃げ出すのも不思議ではない。

 つまりロム爺は詳しい事情を聞かずに詰め所を離れたせいで、フェルトを保護したというラインハルトとも接触できず、今まで過ごしてきたわけだ。

 

「仕方ない、俺が顛末を話そう」

「あ、それアタシも聞きたいっす」

「あらぁ、私もいいかしらぁ?」

 

 事情を詳しく知らないアリシアと、ほとんど知らないリーベンスも聞き手に回り皆シャオンに視線を集める。

 想定外の聴客が増えてしまったが、知っていることをなるべくわかりやすいように説明した。

 腸狩りを無事撃退後、スバルとシャオンは気を失ってしまった。なのでエミリアから聞いた話になる。それを前置きして話を始める。

 そもそもラインハルトが蔵にいる理由から話し始め、徽章をエミリアに返そうとした瞬間にラインハルトの表情が焦ったようなものへ変わったこと。そしてあとは流れるようにフェルトの気を失わさせ連れ去ったということまで話した。おまけに自分とスバルが現在はエミリアのいる屋敷で使用人として過ごしていることも添えて。

 

「と、いうわけで俺が知っているのはここまでだ。どんなことになっているのか詳しく知りたいならエミリア嬢に聞けばわかるだろうけど、今は忙しいから無理かも」

「……坊主、いつの間に出世したんじゃな」

 

 感慨深そうにも羨ましそうにも見える瞳でこちらを見るロム爺。

 シャオンはそんな視線に耐えきれず顔を逸らす。

 

「あー、長年のツテってやつで、ラインハルトの家に直接お伺いとかできない?」

「そこまで万能なら廃屋で酒かっくらって暮らしたりしとるか? しかし、そうなると困った話になる。――よりにもよって、といったころか」

 

 深刻そうな顔をするロム爺を見上げ、シャオンは仕方ないと肩をすくめるアクションをして、

 

「俺の方でラインハルトと話せるかもしれない。だからなにかわかったらロム爺にも教えるよ。もともと、フェルトがどうしてるかは気になっていたことだしね」

「……助かるわい」

 

 この老人にしては珍しくしおらしい返事を受け、やりにくさを感じながらも素直に礼を受け取る。

 

「それじゃ、お酒もなくなったし外も暗くなりそうだ。俺たちはお暇させてもらうよ」

「あ、ちょっと待ってぇ」

 

 空にしたグラスを置き、席を立とうとするとリーベンスに引き留められた。

 いったい何だろうか? と思っていると彼女は店の奥に入り二つの袋を持ってくる。

 

「これ、レモムとオレンの実を合わせて作ったクッキー。お二人にあげます」

「いいんすか?」

「ええ、お礼がお酒だけというのもぉ、申し訳ありませんしぃ」

 

 渡された袋の包みを軽くほどくと、彼女の言った通り中にはいろいろな形をしたお菓子が入っていた。

 一つ摘みあげ口に運ぶと柑橘類の独特のさっぱりとした風味が口内に広がる。

 

「ありがとうございます。おいしいですよ」

「そういってくださるとぉ、うれしいですぅ。それと、娘に伝えてください。近いうち会いに行けます、と」

 

 前半は緩く、娘に関する後半部では引き締めた表情と声で話す彼女。

 どうやら娘に関するときだけ人が変わるようだ。

 

「ええ、楽しみに待っておくように伝えておきます」

「きっと、喜ぶっすよ」

 

 今度こそ店を出ようと入り口に向かおうとすると、背後から乱暴に酒を注ぐ音が聞こえた。

 振り返るとロム爺はいまだに酒を飲んでいた。どうやらまだまだ飲み続けるようだ。

 そう簡単にあの巨体に酔いが回るとも思わないし、彼もそれなりの年だ。止め時は十分にわかっているだろう。

 だが、その背中が寂しそうに見えてしまいつい声をかけた。

 

「ロム爺、気を落とすなよ。必ず見つかるから」

 

 まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかったのか一瞬呆け顔になり、すぐに照れたような笑みを浮かべた。そして、

 

「ふん! 若いもんが気を使いすぎじゃ! さっさと行け!」

 

 酒のせいか、照れているからかわからない赤い顔でようやく彼らしい怒鳴り声を発したのだった。

 

 

 貧民街から路地裏に出るころには夕方になっていた。もう少しすれば辺りは完全に暗くなるだろう。

 そうなってしまってはアナスタシアたちも心配してしまう。なのでなるべく足早にアナスタシア邸に向かう。

 

「悪いな、今日はなんか俺が行きたい場所ばっか連れて行って」

「ううん。今日は楽しかったっすよ!」

 

 満面の笑みを浮かべる彼女は嘘をついているようには見えず、素直な感想を述べているようだった。

 

「そう、か。ならよかった」

 

 自分が行きたい場所に行っただけなのでつまらないという反応をされても何も言えなかっただけに少し安心する。

 

「ねぇ、シャオン。アタシ、今悩んでいることがあるんだ。とっても大事な、アタシの人生にかかわるような悩み」

 

 唐突に足を止め、声を落として真面目な口調で彼女は切り出した。

 きっと彼女は真剣に悩み、そして答えを出すことができなかったからシャオンに打ち明けようとしているのだろう。

 一体どんな内容なのか、助けになることはできるのだろうか?

 そんな不安を抱きながらも助けになりたいと思う気持ちからシャオンは迷いなく答える。

 

「……言ってみろよ」

 

 その返答に、彼女はわずかに驚き、そして覚悟を決めたような目つきになる。

 そして何度か口を開きは閉じ、を繰り返しようやくその内容を声にする。

 

「アタシは――」 

「やっと見つけたぜ!」

 

 背後から声高に叫ばれ、彼女の言葉はかき消された。

 振り返るとそこにはチンピラの一人、トンと数人の男たちの姿が。

 

「こっちにもいるっす!」

 

 アリシアが示す方向にはチンとカンも同じく男たちを連れてきていた。どうやら昼間の仕返しということらしい。

 

「へっへっへ、いくらお前が強くてもこの数相手じゃ辛いだろ。しかも女守りながらじゃなおのこと」

「別に俺たちはお前に恨みはねぇさ。だけどよ、そいつが楽に身ぐるみはがせそうなら話は別だ。悪く思うなよ」

 

 トン、チン、カンの三人が連れてきたらしい援軍は各々の武器を手に目をぎらつかせている。なるほど、確かにこれではシャオン達は容易に身ぐるみを剥がすことができる格好の獲物だ。

 

「そんなわけで、少し痛い目にあってもらうぜ。少し、そう少しだけな」

 

 下卑た口調で笑いながら、チンが隣にいるアリシアを好色な目で眺める。

 周囲を囲む男たちの目にも似たような下賤な光が宿っており、彼らが彼女を捕えたあとでどうしようとしているのか、想像したくもない。

ただ当の本人はそんな想像に身を震わせる様子はなく、

 

「きゃー怖い、って言えばドキドキするっすか?」

「似合わないな」

「うん、アタシも自分でやってて気味悪くなったっす」

 

 おどけた様に鳥肌が立っている腕をこするアリシア。

 そのやり取りに、チンピラたちは今度こそ堪忍袋が限界に達したようだ。

 明白な敵意を込めて、それぞれが獲物を手にじりじりと包囲を縮め始める。彼らも全員でかかれば敵ではないと判断したのだろう。

 集団で個人を叩きのめすのに慣れていると思しき陣形。王都でそれなりにチンピラをやっているわけではないわけだ。ほめられたものではないがその根性は見習えるものがあるかもしれない。

 

「結局こうなるんすね……悩みの件はまた後で」

「りょーかい、なら早く済ませよう」

 

 アリシアが拳を構え、それに合わせて背後のチンピラたちにシャオンもこぶしを向ける。互いに戦闘態勢をとり、チンピラたちも一層気を引き締めて隙を疑ってくる。

 そんな緊張の糸で張り詰められた空間は、一つの声で簡単に切り裂かれた。

 

「――そこまでだ」

 

 凛と響いた言葉に、チンピラたちの動きが止まり、シャオンの動きも止まる。

 声の発生源は路地裏の出口、そこに現れたのは濃い紫色の髪をした美青年だ。

 鼻筋の通った美形で、立っているだけでその姿も気品が隠れきれていない。更に土埃などが多い路地裏の中、彼が纏う白い服は汚れることなく、ただ持ち主を美しく見せていた。

 誰もが威圧され、見惚れていた中、唯一動いたのは――

 

「ユリウス?」

 

 アリシアの言葉にユリウスと呼ばれた青年は答えず、ただわずかに視線を彼女に向けた。

 そしてすぐに視線をチンピラたちに戻し、口を開く。

 

「アナスタシア様一の騎士。ユリウス・ユークリウス」

 

 静かに、青年は改めて自ら名乗る。

 

「主の命に従い、手を出させてもらおう。だけど、できれば抵抗はせずに投降してほしい。私だって無駄な血は流したくはないのでね」

 

 優雅に、高らかに、そして芯のある声で宣言する。

 その姿は正に、最も優れた騎士のようだった。

 




アドバイス、感想お待ちしております。
※2/14、番外編追加しました


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騎士とは

今回推敲が雑です。


「ま、まさか、最優の騎士!?」

「最優?」

 

 チンピラ達が口にしたその呼び名を初めて聞いたものだ。だがシャオンが彼に抱いた印象を表すにはその言葉は適したものでもあった。

「聞いたことないっすか? 騎士の中の騎士、ラインハルトと並ぶ模範的象徴。騎士団長マーコスに次ぐほどの腕前の持ち主」

 

 シャオンが浮かべた表情を見て、説明が必要だと察したアリシアが、簡単ながらも説明する。

 騎士団長に次ぐ実力。

 実際にその団長とやらの力はわからないが、弱くはないだろう。そして、それに次ぐ実力の持ち主というならば、それだけで目の前に現れた男が只者ではないことは伝わってくる。

 

「じょ、冗談じゃねぇ! 俺は降りる!」

 

 チンピラの一人が獲物を投げ捨て、走り去る。

 それにつられ、周囲の男たちも程度の差はあれ怯えた表情で姿を消していく。

 最後にはトンチンカンの三人だけが残ったが、彼らもこの状況で戦うほど馬鹿ではなく、お決まりの負け犬の遠吠えのような言葉を残して走り去っていった。

 だがユリウスは追わずにそれらを一瞥し、すぐにこちらに視線を戻した。

 

「君がヒナヅキ・シャオンだね。アナスタシア様から話は聞いているよ」

 

 先ほど名乗ったことが本当ならば、彼が王選候補者に仕える騎士、アナスタシアの騎士であるのだ。

 つまり、かなり立場が上の人物という訳だ。そう意識してしまえばするほど緊張し、手が汗ばむ。

 

「そんなに緊張することはない。君の立場は客人であり、私より上だ」

「そういわれてもね、流石に気品の差がありすぎるといいますか」

 

 彼の背後からは後光が差しているように見え、つい悪いことをしていないのに、罪の告白をしてしまいそうになってしまうほどだ。

 

「んぎっ!?」

「変に考えなくていいっすよ。アタシはともかくシャオンは言われた通り客人なんすから堂々としてるっす」

 

 足を踏まれ、激痛と共に無理やり気を引き締められる。

 

「相変わらず、気障な男っすね。ユリウス」

「そういう君も相変わらずのようだ」

「後、つけてたんすね」

「……それに関しては、謝罪しよう。いくらアナスタシア様の命とはいえ、逢瀬を盗み見るような真似をしたことは事実だ」

「別に構わないっすよ。過保護のアナのことだからどうせ監視の一人ぐらい入ると思っていたっすから」

 

 頭を下げるユリウスに、気にしないと笑うアリシア。

 しかし、シャオンには彼女の表情が、僅かながらに悲しそうに見えた気がした。

 

 

 屋敷に戻る頃には星が見えるほどの暗さになっていた。にもかかわらず屋敷の外ではアナスタシアがシャオンたちの帰りを待っていたようだった。

 こちらに気付くと、安心した様に手を振る。なるほど、確かに過保護かもしれない。

 

「もうルツは帰っとるよ。そんで、どうする?」

「どうするもなにもいくしかないっすよ。話し合いっす」

 

 話し合いをするという彼女だったが、両こぶしを突き合わせている姿はどうみても殴り合いをしにいく姿にしか見えない。

 

「あ、それなんやけどヒナヅキくんは会話に入らんといてくれへん?」

「どうして、って聞くのは駄目ですよね?」

「まぁ、親子水入らずで話させたってよ」

 

 手を合わせて申し訳なさそうにお願いされては断れない。それに、家族の問題に必要以上に部外者が立ち入ることもいいことではないだろう。アナスタシアの提案に素直に頷く。

 

「あんがとな。せやなぁ……ユリウス、ヒナヅキくんとのんびり世間話でもしといてや。退屈な思いさせたらあかんで?」

 

 そう笑うアナスタシアは仕事があると言って案内された客間から出ていく。

 残されたのは困ったように眉を顰めるユリウスと、同じような顔を浮かべたシャオンのみとなった。

 

「……ご趣味は?」

「いや見合いじゃないんだから」

 

 ふざけているかと思うような質問をしてくるユリウスにスバルにするように突っ込みをいれてしまう。

 やってしまった、と思ったがユリウスは照れ臭そうに小さく笑っていただけだった。どうやら機嫌を損ねたわけではないらしい。

 

「すまない、場を和ませようとしたのだが。やはり私にはこういうことは似合わないようだ」

「そうですね」

 

 出来ればそうしてもらいたい。笑いどころがわからない冗談を聞かされても気まずい空気が流れるだけなのだから。

 

「そんなに硬くならなくてもいい。先ほども言ったが君は客人だ」

「それなら、敬語はやめさせてもらうよ」

「ああ、そうしてくれるとこちらも助かる。ところで」

 

 ユリウスはそれまでの笑みを消し、騎士としての表情に変え、こちらに向き直る。

 

「君は、エミリア様の騎士なのか?」

 

 急に質問が投げ掛けられ、その問いの意味を理解するのに僅かに時間がかかった。

 ユリウスが言いたいことは、シャオンがエミリア専属の騎士かどうか、つまり『ヒナヅキ・シャオン』は『ユリウス・ユークリウス』と同じ、候補者を守る騎士なのかと聞いているのだ。

 はぐらかすことも考えにはあった、だが目の前の男の瞳はそれを許さないほどの力強さがあった。

 仕方なく、シャオンは椅子に腰を下ろしてユリウスの問いかけに答えることにした。  

 

「……ロズワールさんに薦められてはいる、けど今は断っている状態」

「それは、なぜだい? ロズワール辺境伯の推薦があるなら簡単にその道を進むことができるはずだが」

「俺には騎士として重要なもの、それが足りていないから」

 

 一の騎士としての資格――主への忠誠心、あるいは主君を守るだけの力。そして王となるべく邁進する主の道を切り開くなにかを持つ者でなければ騎士は務まらない。

 初めてロズワールに騎士推薦を受けた時に自ら調べたことだ。その時も思っていたが、シャオンは騎士には向いていないと思ったのだ。

 

「あいにくと俺はそこまで強いわけではない」

 

 もしもシャオンが強者ならば今までスバルが死に戻ることなどなかったはずだ。

 それにエルザや魔獣たちとの戦闘には結果的には勝利できているが、あれは能力のおかげによるものが大きい。能力を除いたシャオン自身としての力では勝てなかったはずだ。

 だとするならば、シャオンは騎士の名を騙れるほどの実力者ではないのだ。

 

「そして、俺はエミリア嬢にたいして忠誠を誓うというほど信をおけてるかわからない」

 

 彼女と自分の関係もいまいちわからない。

 スバルと共に彼女の命を救い、王選の脱落を防いだ恩人。さらにいえば彼女の推薦人であるロズワールが管理している領地を救った英雄のような存在。

 そのような存在になるには多くの世界を過ぎてきた、だがそれを知覚できるのはスバルとシャオンだけだ。彼女はそのことを知らない。

 だが、それだけなのだ。シャオンとスバル、そしてエミリアの関係とはそれだけなのだ。

そもそもなぜ彼女を助けたのか、その理由をスバルは話していない。シャオンもペナルティを恐れて口にできていない。

それだけじゃない。シャオンは、エミリアが王選に参加するのか、その理由すらわかっていないのだ。

 これだけでも十分とした理由になるが、極めつけは別にある。

 

「なによりも、俺よりもふさわしい男がいるからね」

 

 ナツキスバル。

 彼がいる限り、彼がエミリアの力になりたいと思い続ける限りは、シャオンが彼女の騎士になることはない。そう断言できる。

 もしも、彼がエミリアを置いてどこかに姿を消すことがあるならばシャオンは彼女を守るために命を懸けるだろう。だがよほどのことがない限りそのような事態にならないと踏んでいる。

 それに友人として、彼が彼の想い人を守る騎士になってほしいという勝手な願いもある。

 

「……君の言う通り騎士に求められるものは、主君と王国に対する忠誠。そして、自らの尊ぶべきものを守り切るための力。それらは必要不可欠なものだ。どちらも、騎士を名乗る上では決して欠かせまい。だが、私はその他にも大切なものがあると考える。わかるかい?」

 

 ユリウスはさらに問いを投げる。シャオンはすこし考え、

 

「血筋?」

「そう、歴史と言い換えてもいいかもしれない。事実、私が所属する近衛騎士団には出自の確かでないものは推薦されない。それは別に排他的な思考に因るものではなく、出自の確かさが王国に仕えてきた歴史の重みを語るからだ。積み重ねてきた歴史こそが、我らの騎士たる矜持を支えるからだ」

 

 彼の言い分は理解できる。だが、それでは、

 

「それは当人にはどうにもできない問題じゃないか?」

「そうだとも。人には生まれながらに分がある。それは己の生家すらもそうだ。だから人は生まれながらに、平等足り得ない」

 

 ユリウスはそう断言する。

 言っていることは厳しいが、彼の言葉は真理でもある。ただ、その考えを聞いてシャオンは言いたいことができてしまった、珍しく、らしくもなく。

「うん、ならやっぱり俺は騎士にはなれないよ。『今は』」

「いつかは成し遂げると?」

「血筋の問題は確かに解決できないだろうね。俺の故郷はかなり田舎のようだし」

 

この世界にシャオンの故郷、日本は恐らく存在しない。だからこそ、血筋の話はそもそも問題外なのだ。だが、今の問題点はそこではない。

 シャオンは言葉を続けていく。

 

「ユリウスは人には生まれながらに分があるといったね。そうだ、確かに始まりは一緒ではなく差は必ずある、どれぐらいの物かはわからないけど」

 

 一年で達人になれる武術の天才もいれば、数十年努力してようやくその域に達する凡才だっているだろう。もしくはそれ以上かかる人もいるかもしれない。

 だが、それでも必ず――

 

「でも、それは決して埋まらない差ではない、必ず埋められる差だ。だからこそ、人は努力をするんだ。だからこそ、人は立ち止まらずに進むんだ」

 

 熱弁を終え、沈黙が訪れる。

 その沈黙を破ったのは、ユリウスの小さな笑い声だった。

 

「――――ふふ。なるほど、アナスタシア様とアリシアが気に入る訳だ。かくいう私もこの談義で十分得られるものがあったと思うよ」

「そりゃどうも」

 

 この場にアリシアやスバルがいなくて助かった、彼らがいたらきっと"らしくない"と揃って口にしていただろうから。シャオンもそう思う。

こんな風に持論を語ってしまったのはリーベンスのところで飲んだ酒がまだ残っているからだろうか。

 

「だが、私の意見は変わらない。それでも君が騎士になろうとするなら、これから歩むであろう道は酷く厳しいものになるだろう」

「人生に厳しくない道なんてないでしょ。甘く見えても必ず辛いものがあるんだから」

「それも、そうだね」

 

 してやられたとでも言いたそうに前髪を書き上げるユリウス。

 その姿は気障ったらしくもみえ、それと同時に美しさも合わさっていた。様になっているともいえるかもしれない。

 

「さて、悪いが私は休ませて貰うよ」

 

 そういわれ、魔刻結晶が黄色に染まり、冥日十二時近くを表していた。思っていたよりも時間がたっていたらしい。

「ああ、そうだ。最後に、一つ忠告しておこう。明日は、気を付けた方がいい。君も今日は早く体を休めるように」

 

 詳しくは語らず、ただそう言い残してユリウスは部屋から出ていった。

 

 

 場所はルツの部屋。

 彼の性格とは裏腹に部屋の中は片付いており、言われなければ部屋の持ち主が彼だとはわかりはしないだろう。むしろ自分の部屋よりもきれいなので腹が立つ。

 理不尽な怒りを晴らすようにアリシアは備え付けられていたベッドへ勢いよく飛び乗る。僅かに軋んだだけで埃一つ飛ばないことに呆れてしまう。

 

「さて、と。アリシア」

「残念、心代わりなんてしないっすよ」

 

 話し始めようとするルツの言葉に、喰いぎみで返答をするアリシア。失礼なその行為に彼も憤るかと思ったがそんなことはなく、むしろ嬉しそうに笑みを浮かべただけだった。

 

「ああ、そうだろうとも。アイツの娘なんだ。頑固なのは知ってるよ。アイツとも散々喧嘩したもんなぁ」

 

 昔を懐かしむような、こちらを見ていないような態度にわずかに苛立ちを覚えたが抑える。ここで怒りをぶちまけてしまってはいつまでたっても話が進まない。

 ルツもそれをわかっているのか、すぐに本題に戻ろうとする。

 

「だが、頑固さは俺も負けちゃいねぇ。よほどのことがない限り譲れない。特にこのことだけは、だ」

 

 こちらを見つめるルツの瞳は今までに見たことがないほどに強固な意志を秘めていた、娘である自分でさえ、怯んでしまうほどに。

 それでも意地でにらみ返すとルツは呆れた様にため息をこぼす。

 

「……そもそもお前、何があった? 家を出た時とは様子が全然違うじゃねぇか」

「べつに? ちょいと成長しただけっすよ」

「あの坊主か」

「それだけじゃないっす」

 

 図星を突かれ、焦りを隠そうと早口で答える。

 幸いにも追及はされなかったが、恐らくすべてお見通しなのだろう。目の前の男は存外に鋭いことは今までに過ごしてきた年月が知っている。

 

「お前が騎士になりたいっていうのを百歩譲って認めよう」

「え!?」

 

 父の言葉に目を丸くする。

今までに頑として首をたてに降らなかったはずの父が急に許可を出したのだ。喜びよりも驚き、そして疑念の方が強い。

 そして案の定、その予感は当たっていたのだ。

 

「だが、いくつか聞きたい。別に今すぐにってわけじゃなくてもいいだろう? あと数年、十年は必要ないだろうがそれぐらいの年月をかけてゆっくりとなればいい。なんで、そんなに急ぐ必要がある?」 

「それは……」

 

 答えることができず、彼の目を見ることもできずに自然と下を向いてしまう。だが父の追撃はやまない。

 

「今のお前はトラウマで剣をまともに握ることすらできないだろ。そんな奴が騎士になれるか?」

 

 その通りだ。

 

「加えてお前は亜人だ。当然そのことを差別するつもりはねぇし、差別しようとするやつがいるなら俺が殴るさ。だが、世間はそんな事情知りもしない。お前も知っているだろ? ボルドー殿なんかの反応を見れば一目瞭然だ」

 

 その通りだ。

 

「お前と同じようにフェリスの奴なんかも同じ亜人で、同じように剣術に優れているわけじゃないが、騎士になっている奴もいる。だがそれはアイツしかない力を持ち合わせているからされている評価だ。お前に、それがあるか? お前に力を持つ理由があるのか?」

 

――その通りなのだ、全て父の言うことは正しいのだ。

 アリシアが今すぐに騎士になる理由もなく、過去にとらわれ剣を持つことすらできず、亜人だと差別をされることに恐怖を感じている。

 そして、なによりも力を身につける確固たる理由がないこと、それらは全て変えようのない事実なのだ。

 だが、それを認めてしまうことが怖い。もう立ち直れなくなってしまうことが、怖いのだ。

 

「……何も言えない、か。やっぱお前は騎士にはなれないよ」

 

 落胆したようなその声を聞き、堪えられずに部屋から飛び出す。

 不思議と背後からは追いかけてくる気配はない。

 走って、走って、走り続け、辛くなったころにようやく足は止まり、近くにあった階段の脇、暗くなっているそこへ座り込み、体を丸める。最初はやる気十分で父に向かっていったが、結局はこの様なのだ。悔しくて、情けなくて涙が出てしまう。

 そんな彼女の頭に、何かが投げられた。頭上にあるそれを手に取ってみるとそれは一つのハンカチだった。そして、このハンカチには見覚えがある。これは、

  

「だいぶしぼられたようやな?」

「アナ……なんでここに」

「アリィはつらくなった時は大抵こういう場所に隠れるやん、それなりの長さの付き合いや、わからんわけないやろ?」

 

 いつの間にか現れたハンカチの持ち主に睨みを効かせると、彼女は気にした様子もなくおどけたように笑う。

 

「うん、取り合えずその泣きそうな顔拭くついでにウチの部屋こよか。ウチも話があるんよ」

「はなし?」

 

 復唱すると、アナスタシアは珍しく悲しそうな、言いにくそうな顔を浮かべていた。アリシアはそんな彼女の表情を見て、嫌な予感で心の中が埋まっていった。

 

 アリシアとの話を終え、アナスタシアは自らのベットに顔を埋めていた。

 そこまで他人を気にするような性格ではないのは自らも十分にわかっている。だが、やはり親友に厳しいことを言ってしまえば落ち込んでしまう。思ったよりも自分はまだ甘いのかもしれない。

 そんな風に考えていると、乱暴にノックされる。こんなノックの仕方はリカードか、もしくはルツかだ。別に今入られて困ることはないので、入室の許可を出す。すると扉が開かれた先にいたのは後者の可能性、ルツだった。 

 

「なぁ、お嬢」

「うん? なんやルツ。ウチは親友相手に厳しいこと言うてしもたから、悲しんどるんやけど」

「全然、そうは見えねぇよ。まぁいい、頼みがある。これはユリウスと以前から話していたことなんだけどよ」

 

 ルツはアナスタシアに一つの提案をした。

 はじめ、その話を聞いた時は驚き、何を馬鹿なことを言っているのだと思った。だが、それと同時に興味深い話だとも思ったのだ。

 

「――また面白いこと考えよるなぁ……うん、ええよ。許可出したる。ただ、あくまで本人が同意を示すこと、そして()()()()()()()()()

 

 こうは言ったがリスクは大きい。

 手加減はできると思うが、娘が絡むと何をしでかすかわからないルツのことだ。もしも何かの間違いでエミリア陣営の使者でもある彼が命を落とすことにでもなったら、王選が始まる前から完全な対立が起きてしまう。

 勿論挑まれても負けることはないが、無傷ともいかないだろう。そして、そうなってしまったらあとは他の陣営に狙い撃ちにされる。

 なので少なくとも王選が始まる前、そしてどのように王を決めるのかを知るまではおとなしくしていた方が得策だ。

だが、それを承知したうえでルツの要求を認めた理由は――

 

「得られるものが多い、からに決まってるやん」

 

 誰に言うでもなく、アナスタシアは笑みを深めたのだった。

 

 翌日、ロズワール邸で習慣がついていたのか仕事がないにもかかわらず、早く目を覚ました。

 流石によその屋敷で仕事をするわけにもいかないので、体を動かそうかと思っていると、扉がノックされた。

 

「どうぞ」

「ちょいと話があるんだけど、大丈夫か?」

「はい、構いませんよ……えっと、ルツさん?」

「それはあだ名でな、本名はウルツァイト・パトロスだ。ヒナヅキシャオン」

 

 来訪者はアリシアの父親、ルツだった。

 昨日会った時と同じく、獣のような鋭い瞳でこちらを睨みつけている。

 

「朝っぱらから悪いがひとつ、話がある。お前さん、アリシアのことをどう思っている?」

「意味がわかりませんが。まさか、好きかどうかっていう話ですか?」

 

まさか彼も昨日のアナスタシア同様に自分と彼女が恋仲とでも疑っているのだろうか? だとしたらうまく説明しないと話がこじれてややこしいことになってしまう。

 しかしそんな不安は杞憂だったようで、

 

「別にどう捉えてもらっても構わない。ただ、単純にどういう感情を抱いているかって話だ」

「嫌い、ではありませんね。男女の仲は考えずに言うと、好ましい人物ではあります」

「なら頼みがある。お前からも、アイツが騎士になることをやめるように言ってくれないか?」

 

 それは、いつかは聞かれるだろうと思っていたことだ。

 自惚れでなければアリシアとシャオンは一応友人関係ではあるはずだ。だから自分からも説得するように請われることもあるかもしれないと思っていたのだ。

 なので、答えは用意してある。

 

「お断りします。それは、俺が決めることではありませんので」

 

 こればかりはシャオンは譲れない。こればかりは、彼女の意見を尊重したいのだ、

 シャオンの答えに、ルツは何も言わない。だが、僅かに頬を緩めた様に見えた。

 

「そう、か。なら決まりだな。ついてこい」

「どこにですか?」

 

 てっきりなにか苦言を言われたり、からかわれたりするのかと覚悟をしていたが、予想外の行動に面を苦ありながらも行き先を尋ねる。

 すると彼は、肩を回しながら答えた。

 

「場所は練兵場、用件は簡単な話だ――単なる、決闘だよ」

 場所は屋敷から移って、王城のような建物、その隣に独立した騎士団員詰所だ。

 赤茶けた土で固められた地面に、長い時間の経過を感じさせる堅固な防壁。それに囲まれるのは衛兵たちが日々肉体を研磨し、実力を高め合うことを目的とした訓練施設。

 敷地の広さはシャオンが通っていた高校の校庭、その半分ほどもあるだろうか。

 駆け回るにせよ、剣を交えるにせよ、戦うには十分な広さを与えられた空間であるといえる。

 そこに、鉄の牙の団員と、アナスタシアが待っていた。その場にいないのはアリシアとユリウスだけだ。

 

「こまけぇことは抜きに説明する。リカード! 頼む!」

「おう、お嬢から話は聞いとる。決闘の条件は簡単や。ルツが用いんのは肉体のみ。そんで兄さんが用いるもんは武器以外なら何でもええ」

 

 立会人として選ばれたリカードが簡潔に説明をする。

 

「拒否権は?」

「別にいいぜ、ただ断ったのなら娘を誑かした輩としてまともに生きて帰れるかの保証はできなくなるがな」

 

 はったりだ、そう言い切ることは簡単だ。

 しかし、もしもそうでなかった場合、自分はどうなる? 簡単だ、死ぬ(・・)。しかも仮にもエミリア陣営に所属しているシャオンが死ねば、当然争いになる。

 ロズワールがなんとかするかもしれないが、お人よしのエミリアはそうはいかないだろう。そして、スバルも納得がいかないはずだ。つまりこれはシャオン一人の問題ではないということだ。

 

「……魔法の使用は?」

 

 拒否権はないものとし、覚悟を決めて決闘に応じる。

 それを見てルツは獣のような牙を輝かせ、笑う。

 

「別に構わない。好きなように使ってもいい」

 

 ルツは己の肉体のみ、対してシャオンはそれに加え、武器を使用しないのならば何を使ってもいいわけだ。つまりはこの決闘はシャオンに有利なものとなる。

 

「それでは、さっさと始めや!」

 

 リカードの開始の合図と共に先手必勝、という意味を込め素早く相手の懐に潜り込み、拳を放つ。

 屋敷での訓練で、以前よりも実力は増したはずだ。実際、今の攻撃も完全なタイミングで放てたと思う。

 だが、

 

「筋はいい、だが――」

 

 背後から声が聞こえ、額に嫌な汗が流れるのを感じる。

 その次の瞬間――

 

「まだまだ青い」

 

 激痛と共に世界が回転し、シャオンの視界は練兵場の高い空のみを映していた。

 




誤字、脱字があったら教えてください。
後、少し手直しするかもしれません。


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決闘という暴力

「おおー! お兄さんういたういた!」

「お姉ちゃん静かにするです」

 

 背中に感じる痛みを知覚し、外野の声を聞き、目の前に広がる青空を見て、ようやくシャオンは自分が倒れていることに気付く。同時に、背後から蹴り飛ばされたことにも気づいた。

 

「っ!」

 

 振り上げられた足を目にし、慌てて体を回転させて避ける。砂利や小石によって体が擦れる痛みを堪え、その一撃をかわす。

 直後、先ほどまで顔面があった場所に踵が振り下ろされ小さなクレーターを生み出す。放たれた一撃の威力はどう考えても常人には出せる域ではなく、彼が歴戦の戦士であることを示していた。

 

「休む暇はねぇぞ」

 

 その言葉を聞き終えるよりも早くにルツは降り下ろされた足を軸足にし、地面を抉るような回転蹴りを放つ。それも、シャオンの顔面に向けて、だ。

流れるような連撃に対処しきれず、ルツの鋭い蹴りは顔面の中心をとらえ、シャオンを吹き飛ばした。

 鈍い音ともに、赤い液体が飛び散ったのが見え、そして壁に叩きつけられようやく止まる。

 

「あぐっ」

 地面に片膝をつき、流れ出た鼻血をふき取る。そして、現在の状況の酷さに泣きそうになる。

 今までエルザや魔獣とそれなりの強敵との戦闘を經驗してきたはずだ。だが、これは初めてのことだろう。――まったく勝てるビジョンが見えない相手とは。

 

「……まだ朝ごはんを取っていなくてよかった」

 

 もしも取っていたらすべて吐き出してしまっていただろう。

 

 そんなことを考えていると、いつのまにか目の前にはルツが立っていた。

 そしてこちらを見下ろしながら、何の気もなしに、ただ蟻を踏みつぶすかのような軽い動作で、

 

「え?」

 

 シャオンの腕をへし折ったのだ。

 

「――ぁああああが! う、腕がぁあああ!!」

 

 視界が点滅し、額からあぶら汗が吹き出しているのがわかる。

 そして遅れて痛みがシャオンを襲い、抑えきられない叫びが体から出ていく。

 

「うっわ団長補佐、えっぐいなぁ」

「やり過ぎじゃないか?」

 

 外野からの声を無視し、ルツは腕を押さえて叫んでいるシャオンに問いかてくる。

 

「降参するか?」

「――だ」

「……? 聞こえねぇよ」

 

発せられた声は弱々しく、完全に勝敗が決したと思ったのか、ルツはなんの警戒もなくこちらに歩み寄ってくる。

そして、シャオンから半歩の位置まで近付き、しっかりと声を聞こうと腰を屈めたその瞬間、

 

「――まだまだ、やれる。そう言ったんですよ」

 

 下から打ち上げるように掌打を放った。

 

「なにっ!?」

 

 焦りの表情を初めて見せるルツだったが、彼に一撃当てるまでではなく、放った掌底はすんでのところで回避され、距離を取られてしまった。

 

「おい、あの人折れた方の腕使わなかった?」

「ああ、そう見えたけど」

 

外野からざわめく声に舌打ちをする。アナスタシア陣営に赴く際に一番やりたくなかった事をやってしまったのだから。

そう、それは――手を晒すことだ。

 

「なるほどなぁ、なぁんかあるっちゅう訳やな」

 

 アナスタシアの言葉で確信する、こんなに大人数で決闘を観戦している理由はそれだ。

 シャオンの戦力の見極め、手札を知ろうとしているのだ。これでアナスタシアがこの決闘を容認した理由がわかった。

 上手い手だと、素直に称賛する。ただ、それとは別に彼女のそのやり方は狡賢く、まるで――

 

「女狐め」

 

 その言葉が彼女の耳に届いたのかはわからない。ただ、アナスタシアはにっこりとした影一つない笑みでこちらの戦いを見物していた。アリシアがスバルを連れてくることに反対だった理由が嫌でもわかった気がする。

 

「驚いたぜ、いったいどういうことだ?」

 

 彼の表情には困惑の一文字が浮かんでいる。それもそうだろう、確実に折れていた腕を使って反撃したのだから。しかも癒しの拳は魔法とは違うものらしいので、よほどのことがない限り正体に気付けないだろう。

 

「教えてくれはしないか……まぁ、それはそれとしてお嬢の狙いには気づいたようだな、俺はただ決闘をしたいって話だったんだが」

「あれ? それなら話がだいぶ違いますね。という訳でお互い戦うのやめません?」 

「俺もエグい作戦だとは思う。だが、それでやめるかっていうのはまた話が違う、ってことだ」

 

 当然ながら、闘志むき出しの彼を話術で止めることはできず、その言葉と共に彼の姿が消える。かと思えば、真横に現れ肘を使った一撃を放つ。

 間一髪躱し、僅かに髪を削がれただけで押さえる。だが、彼は止まらない。

 

「ぐっ!」

 

 肘から膝による一撃へ、そしてその攻撃から踵落とし、そして、アッパー。

 流れるように打ってくる攻撃は一撃一撃が重く、まともに食らわなくても体力が削がれていくのがわかる。

 幸いなことはこちらには、癒しの拳という回復手段があることだろうか。しかしそれも気絶してしまえば意味がない。

彼もそれを察したのか、一撃で意識を刈ろうとすることがこちらにも伝わってくる。

 先の攻防だけで、シャオンの能力の弱点を読み取ったわけだ。流石は歴戦の戦士と言ったところか。 

 

「おいおい」

 

 呆れた声と共に、視界が茶色く染まる。

 それが砂煙による目くらましだと気づいた時にはすでに遅く、ルツの姿は視界から消えていた。

 

「戦いの最中に余計なこと考えるなよ」

 

 背後から声が聞こえた瞬間に、体を無理やり動かして後ろを向く。するとこちらに拳が迫ってきていた。

 拳を防ごうと腕を前に構え、防御を試みる。しかし、

 

「甘いっ!」

「なっ!」

 

 その拳は衝突の直前に開かれ、シャオンの腕を握りしめる。

 

「ぐっ! は、なせっ!」

 

掴む腕はびくともせず、ただ力を増していく。

 骨がきしむ音と共に激痛が走り、顔が歪む。

 たまらず蹴りを放ち、無理やり離させようとする。だが彼はそれすらわずかに体を動かしただけで躱し、不安定な体制をとったシャオンの体を片手(・・)のみを使って投げ捨てた。

 

「こほっ‼」

 

 強く背中を打ち付けられ、息ができない。受け身すらできなかったのに意識があるのは幸運というべきか不運ともいうべきか。

 ルツは倒れているシャオンに語り掛ける。

 

「そろそろ降参してくれねぇか」

「そもそも、なんで、俺はこんな目に会っているん、ですか?」

 

激痛に苛まれながらも、なんとか声を絞り出してこの決闘の意味を知ろうとする。勝とうが負けようが、どちらにしろそれを知らないで終わるのは嫌だったからだ。 

 しかしシャオンの言葉に彼は鬼のように笑い、

 

「言っただろ、俺のわがままだってな‼」

 

これが返答だとでも言いたげに、拳を振り下ろす。何度も、何度も何度も。

 その光景を見ていた人物は皆同じことを思ったはずだ――そこで行われているのは決闘ではなく、嵐のような単純な暴力だった、と。

 

 

 時刻は決闘が始まる前夜まで遡り、場所はアナスタシアの部屋でのことだ。

 

「それで、話ってなんすか? アタシは正直もう寝たいんすけど」

「うん、わかっとるよ。ウチももう寝ないとお肌に悪いもん。でもな、こればっかりはハッキリとさせとかあかんのや」

 

父親に言い負かされ、心身ともに疲れ果てているアリシアは今すぐに眠りに逃げたいところだったのだが、アナスタシアは軽口をたたきながらも、話を聞くようにお願いしてくる。

 

「アリシア・パトロス。アンタはいったいどっちの陣営に属するん?」

「そ、れは」

 

 驚きはしない。

 アリシア自身、この問題はいずれはっきりさせなければならないと思っていたことだからだ。

 エミリア陣営と、アナスタシア陣営のどちらにも属しているようでどちらにも属していない自分。このままでは互いの陣営に不安を与えているままだからだ。

ただ、ここまで早く、そして彼女の口から直接聞くことになるとは思わなかった、ただそれだけだ。

 

「も少し時間をおいてからでもええかな思たんやけどな……五人目の候補者が見つこうたってはなしやから」

「……うん。今のアタシの立場は不明瞭、王を選ぶ戦いが始まるのならハッキリさせなきゃ」

「よぅわかっとるやん。ウチの味方をするのか、そうじゃないのかはっきりさせてほしいんよ」

 

 王選が開始されるのだ、開始されてしまうのだ。もう、有耶無耶にはできないのだ。それでは、いけないのだ。

 だから、シャオンに自分はどうすればいいのか意見を仰ごうとしたのだったが……チンピラの乱入という予想外の出来事で流されてしまったのだ。そのまま父との話合いになり、結局彼に相談はできずに今に至る訳だ。

 

「期限は明日の夜まで、それ以降はどうやっても待てへん。まぁ、ウチを選んでくれなくてもアリィとは親友でいるつもりやし。期限まではゆっくり悩んでええよ、うん」

 

 そんな優しい言葉をかけてきたのは恐らくは、父親と喧嘩し、気落ちしている自分に対する思いやりという奴なのだろう。

 普段の彼女を知っているアリシアにとってはその言葉はやさしく、珍しく、そしてなによりその親友の言葉が、今の彼女にはつらかった。

 

 

 耳をふさぎたくなるような小鳥のささやきで目を覚ます。

 

「朝、すか」

 

 元々寝起きがいい方ではないが、今朝は特に酷い。やはり昨日のことを引きずっていたからだろうか、今も眠気と疲労感が容赦なく襲ってくる。

 

「ああ、体洗わなきゃ」

 

衣服は昨日と同じもので、髪もグシャグシャのまま。女性としては落第点もいいところだ。それを見てせめて、汗を洗い流して、髪を梳かすぐらいはしなくてはいけないと思い、ベッドにふたたび潜り込みたい欲求にかられながらも、なんとか洗面所まで向かう。

まずは呆ける意識を覚醒させるために、冷水を手に取り顔へ数回かけ、さっぱりした気持ちになる。

 すると、扉の外からノックと共に、声が聞こえた。

 

「ユリウスだ。入ってもいいかい」

「……ちょっと待つっすよ。今鍵開けるっすから」

 

かすれ声で入室を許可する。どうやら寝ていた際に喉を軽く痛めていたようだ。

アリシアは近くにおいてあるコップを取り水を飲み、調子を整える。そして、鍵を開ける。

 

「なんすか? こんな朝早くに、いくらアタシががさつでも一応は乙女に分類されると思ったんすけど」

 

 ドアの奥で神妙な顔を浮かべながら現れたユリウスに、そんな軽口のような文句を口にする。

 しかし、そんな感情は彼の次の言葉でどこかに消えてしまうことになる。

 

「ヒナヅキシャオンと、ルツが決闘をしている」

「は?」

 

 彼の言葉を理解するのに時間がかかった。

 そして理解したと同時に思わず、中身が入ったコップを落としてしまうほどに驚いてしまった。だがそれすら気にすることなく、ユリウスに詰め寄る。

 

「な、なんでっすか! 意味がわからないっすよ? なんで親父と?」

「私も決闘の理由は存じていない。だが、いま練兵場で彼等は決闘を行っている。これは事実だ」

 

 わからない。

 父はそう簡単に倒せる相手ではない、腕前としてはユリウスと同等ともいえるのだから。

 そして、ロズワール邸でシャオンと共に特訓をしてきたから、彼の力は把握している。だからこそ断言しよう、今の彼では、一撃を当てることすら厳しい。シャオンもそれがわからないほど鈍い男ではないはずなのだ。

 

「なのに、なんで」

 

 頭の中には疑問符しか浮かばない。

 この衝撃的な事実を知らされて、目を覚ましたはずなのに考えが寝起きのようにまとまらない。だが、今すべき事はここで悩んでいることではないことだけはわかった。

アリシアは先ほどまで気にしていた格好のことなど頭から追い出し、練兵場に向かったのだった。

 

 

 練兵場につくと、そこには大勢の人が集まっていた。

 白いローブを纏うその姿は鉄の牙の一員である証拠だ。そして彼らもアリシアがここにいることに気付き驚きの声を上げる。

 

「あれ、アリィだー!」

「呼ぶつもりはなかったんに、さてはユリウスの仕業やな。とりあえず、おはようさん」

「どういう事っすか、これ」

 

 アナスタシアとミミが決闘に目を向けたまま挨拶してくる。

 そんな二人を無視し、練兵場で行われている光景を見て、目を剥く。

 片方は自分の父、ルツ。そしてもう片方は友人であるシャオン。ただその様子は異常だった。

 

「渋てぇな、おい。流石の俺でも罪悪感ってのがわきそうだ、降参しねぇか?」

 

 ルツは拳についていた血をなめとる。

 別に彼が怪我をしたわけではない。あれは、返り血だ。そしてその血液の持ち主はふらつきながらルツの問いかけに応えない。

 そもそも答えられる余裕がないのかもしれない。彼の腕は見ただけで折れているのがわかるほど歪み、額を何か所も切っているからか体中を鮮血に染めている。そして、殴打の後がひどく、痣だらけの体は痛々しい。

 

「何してるんすか! 二人とも‼」

 

 思わずでた叫び声にルツは驚いたように発生源を見、僅かに目を見開くと小さく笑う。

 

「俺の我儘だよ、娘を誑かした輩に対する誅罰ともいえるか?」

 

 からかうような言い方をする父にアリシアも我慢の限界が来てしまった。流石に殴り掛かるほど冷静を失ってはいなかったが、これ以上続けばそれもわからない。

 

「ふざけてんすか!? シャオンがいつアタシの事を誑かしたって言うんすか!」

「しただろうよ。お前が騎士になるって、そうまた決意させたことは誑かしたって言えんだろうが」

 

 彼は不機嫌を隠そうともしない様子で答える。

 

「ただよ、俺もなにも鬼じゃない。殺すつもりはねぇ。こいつが”参った”の一言でも口にすればすぐにやめるつもりだった。だけど存外、しぶとくてな」

 

 ルツはシャオンを呆れた様子で一瞥する。

 彼の体はボロボロで、瞳は焦点があっておらず、意識はないようだ。今立っていることすら奇跡に近く、これ以上続ければ命にかかわるだろう。

 

「シャオンも、もうやめるっすよ! 馬鹿じゃないんすか!? なんでそんなに戦うんすか!」

 

 ルツにこれ以上何をいっても無駄だと思い、今もしっかりとした意識があるかわからないシャオンに、アリシアは声をかける。

 しかし彼からの返事はなく、代わりに予想外の人物から返答があった。

 

「わからへんの? アリィ」

 

 アナスタシアが憐れんだような視線をこちらに向ける。そして、小さな子供へ言い聞かせるように説明をした。

 

「ヒナヅキくんはアンタに夢を諦めてほしくないって、そうおもて戦うてるんよ」

「なんすか、それ。なんなんすか」

 

 シャオンは、アリシアのために戦っている。それはうれしいことでもあるが、誰がそんなことを頼んだというのだ。誰が、友人をこんな目に合わせてまで自らの夢を優先するというのだ。

 

「アタシはそんなこと望んでねぇっすよ!」

 

 彼はフラフラしながらも、戦いを続けようと体を動かしている。

 一歩一歩足を引きずりながら、ルツに向かって進んでいく。こちらの言葉は微塵も届いていないようだ。

 

「もうやめてくれっす!」

 

 あのままあれ以上戦えば死ぬ、それは外野も承知のはずだ。だがだれも止めず、ルツも拳を構え、応戦しようとしている。

 そして、また虐殺が始まった。

 シャオンの拳は空を切り、ルツの拳が容赦なく突き刺さる。だが、倒れずにシャオンは再び拳を振る。そしてそれをルツは体を半歩ひねるだけ躱す。それだけでシャオンの体は地に伏す。だが、それでも再び立ち上がり挑む。

 そして再び血をまき散らしながら倒れ伏す。

 

「もう、止めてよ。アナタが、そこまでする事ないじゃない」

 

 下を向き、自らのために傷を負う少年に請う、もうあきらめてくれと。もう立ち上がる必要はないのだと。そしてついに口にしてしまう。

 

「――アタシは騎士になるなんて言わないから止めてよっ‼」

 

 自らの夢を否定する言葉――その言葉に、初めてシャオンの動きが止まった。

 だが、そのことにアリシアは気づかない。

 

「もともと、アタシには向いてなかったんだよ、努力したって結局無理なものは無理だった! もう、それが十分にわかったからぁ! シャオンがそんな目に合うことないよっ!」

「だとよ、それでどうするよ? 俺としてもこれ以上やっても得はないと思うんだが」

 

 ルツの闘志が消え、嘆息する彼の様子を見て安堵する。アリシアの言葉に興が削がれたとでもいうのだろうか。 とにかく片方の戦意はもう零に等しい。ならこのなぶり殺しのような決闘という暴力は終わらせることができる。後はシャオンの意識をとり戻して――

 

「――けるな」

 

それは冷たい声だった。

アリシアもルツも周りの見物人たちも皆、驚く。

それはシャオンがいつの間にか意識を取り戻していたことでも、彼の声に圧せられたからでもなく、

 

「ふざけんじゃねぇぞ! アリシアァッ!」

 

――彼の怒りの矛先がアリシアに向いていたからだ。

 




もう少しで原作の流れになります。
あと本編再開したのでペース上げたいと思います。


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誇っていいこと

二本立てです。十時ごろにもう一話投稿します。おそらく


「アリシア、もう一度言う。ふざけるな」

 

 血走った眼で見つめられアリシアは困惑する。しかしすぐに持ち直しこちらにかみつく。

 

「な、何がよ! アタシの言っていること、間違っていないでしょ!? 親父に言われて、言い返せなくて……改めて実感させられた。アタシの努力は全て――」

「アリシア」

 

 ゆっくりと彼女に近づきながら、叫びを遮るように静かに名前を呼び、そして、

 

「お前の言っていることは間違いだ」

「っ!」

 

 諭すように、しかし確実にシャオンは彼女を否定した。

 

「お前、覚えてるか。魔獣事件が解決した日のこと。お前と俺はあの日から強くなるように誓った。実際お前は前から強くなろうと努力していただろうがあの日からより一層励んでいただろう」

 

 瞳を鋭くしてアリシアに言葉をたたきつける。

 

「なのにお前は今までしてきた努力が、間違いだったというのか?」

「――ぁ」

 

 もうアリシアとの距離は、目と鼻の先だ。

 

「何度でも言うぞ、ふざけるな」

「なんで、なんでそこまで」

 

 そんなのこっちが知りたい。ヒナヅキ・シャオンはそんな熱い人間ではないはずなのになんでここまで必死になっているのかなど。

 

「お前が騎士になろうとしたきっかけは何だったのか、俺にはわからない」

 

 冷たく事実を言い捨てる。虚言など意味がない。

 

「親父さんになんて言われて、くじけたのかも俺は知らない。わからないことだらけだ」

 

 肩を竦めて笑うシャオンだったが、すぐに表情を真面目なものに切り替え、

 

「でも、俺はここにいる誰よりもお前の努力を知っている」

 

 指を突き付け、いつになく真剣な口調で断言する。

 

「お前はいつも夢に向かってただなにも考えずに突っ走っていた。それはとっても――輝かしいことだ。それは、誇っていいことなんだよ」

 

 決して自分にはできないもの、それを持っている彼女へ羨むような視線と共に、まるで泣いている子に語り掛けるように優しくささやいた。

 

「……お前、俺がこの決闘に勝てないと思っているだろうろ」

「そ、それはそうよ」

「俺も無理だとは思ってるさ。なにせ経験が違う」

 

 年季が違う、くぐってきた修羅場が違う、体格が違う。

 何もかもが違う、違いすぎて嫌になる。

 

「でも、やってやるよ」

 

 それらすべてを力任せに握りつぶし、シャオンは再び前を向く。

 

「随分とやる気になったじゃねぇか」

「時間をかけてすいません。お詫びとして、手札を隠すことはもうやめだ」

 

 その言葉に周囲が息を呑む。ここからが、本当の戦いが始まるのだと、みなそう思ったのだ。

 

「ふぅ」 

 

 一度息を吐き、拳を額に叩きつけた。まるで気合を入れるように行ったその行為は一見すると頭のおかしい行動だ。だが、体はまばゆい光に包まれ、折れた腕はもとの健康な腕に、腫れあがった頬は傷一つない肌に戻る。

 

「俺一人の力量が知られた程度で不利になるなんて思うこと自体が傲慢だった」

 

 ケラケラと笑いながらシャオンは血で濡れた髪をかきあげる。視界が広くなり、改めて自らが戦っている相手を視界に収める。

その相手が放つ固体かと思ってしまうほどの気迫。思わず身震いしてしまうが武者震いだと思い込ませる。

 

「この後は俺自身の力で挑む。全力で、俺自身の力のみを使ってだ」

 

 この決闘ではもう癒しの拳は封印し、不可視の腕も使わない。ただ使うのは今まで学んできた魔法と、己の肉体のみ。そう、決心した。

意地、というのかもしれない。ただ、諦めているアリシアの目を覚ますにはこの方法が一番だと、俺自身の努力で身に着けたものだけで戦うしかないと、そう思った。

 

「――アリシア」

 

 長くは語れない。もともと口が上手いわけではないうえに、先ほどまでの会話で言いたいことは言いつくしたのだ。だからたった一言告げる、後ろで泣きながら見ている親友にただ一言、

 

「しっかりと見てろ。俺がお前の積み上げてきた努力は無駄じゃないってことを証明してやる」

 

そう言い残し、シャオンはルツの前に舞い戻る。

 

「良い眼に変わったな、お前」

「らしくないんですがね、こんなに熱くなるのは」

「そうか? そのわりにはいい表情してっけど」

 

 そういわれ、シャオンは自らの顔に手を伸ばす。確かに口角が上がっていることが分かった。

自他共に冷めているという認識だったのだが意外と熱い男だったのかもしれない。自分には似合わない、似合わないが――悪くない。

 

「さて、それじゃあ改めて。ロズワール・L・メイザース辺境伯が使用人――ヒナヅキ・シャオン。参る」

「鉄の牙団長補佐――ウルツァイト・パトロス、こいよ」

 

 名乗りを上げ、二つの獣の食い合いは本当の意味で始まった。

 

 

「どらぁあああ!」

 

 先に仕掛けたのはルツだ。

 大きく振りかぶった一撃は身をもってその威力を知っている。だから距離を詰めることはしない。 

 

「っ!」

 

 マナの集中を感じ、ルツは後ろに大きく飛翔する。そしてその直後にマナの爆発が生じた。

 

「アル、ヒューマ」

 

ルツの目の前に太い氷柱が勢いよく生える。それも一本や二本ではなく、二十にもなる本数の氷の槍が冷気を纏いながら姿を現し、シャオンの姿もルツの姿もそれに隠れる。

 氷柱は最初の攻撃を除けばルツに牙をむくことはなく、その周囲に規則性もなく乱雑に生えていくだけだった。

 自らを狙った攻撃ではないことは明らか。だとすればこの攻撃には一体何の意味があるのかわからずルツの瞳に理解できないという感情のみが映される、そしてそれは他の人物にも同じようだった。ただ、魔法に学がある一人を除いては。

 

「なるほど」

 

 その声は観客席側から聞こえてきた。

 

「どゆことなん? というよりユリウスいつのまにおったんよ」

「つい先ほどです」

 

 声の主、ユリウスは不満そうに言う主に対して頭を下げ、説明を始める。 

 

「ルツの一撃は確かに凄まじいです。手加減はしているでしょうが、下手に当たれば意識を持ってかれるでしょう。当たれば、ですが」

「なんや、目眩ましってこと?」

 

 拍子抜けしたかのように言うアナスタシアだったが、ユリウスは感心した様に練兵場を見つめている。

 

「それだけじゃありません。彼は氷柱を足場にして移動を繰り返している、あれではルツの攻撃が当たる可能性は低くなる」

 

 シャオンの姿が見えなくなってから何かを打つような音が聞こえる。アレはシャオンが氷を利用して移動している音らしい。確かに普通に移動するよりは機動力はあるだろう。

 それに加えシャオンの生み出した氷柱は透明ではない。あれでは彼の姿を視認することはできず、頼りにできるのは氷を蹴った際の音の響きだけだ。

 流石に歴戦の戦士であるルツでもその情報だけで攻撃を当てることは厳しい。

 

「いい作戦だとは思います、ですが彼は、”竜砕き”を甘く見すぎている」

 

 僅かに失望したかのように目を細めるユリウス。だがその意味をシャオンは知る訳もない。なぜ彼が竜砕きと呼ばれているかなどわかりもしないのだから。

 

「ああ、そういうことかよ。なるほどなるほど、頭を使ったな」

 

 その”竜砕き”は手拍子をしてシャオンをほめたたえる。その態度には嘘もからかいもなく、純粋に感心しているようだった。

 

「だったらこれで、どうだよ」

 

 表情から笑みが消え、纏う空気も激変する。

 ルツは腰を落し、拳に力を込める。それに合わせ手の甲から腕にかけて血管が浮き出る。

 

「砕けろ」 

 

 小さくそう呟き、腕を振るった。たったそれだけで、

 

「おいおい……まじか?」

 

 たったそれだけの動きで、シャオンの放った氷魔法のすべて――二十もの氷の柱が、根本から全て、一度の振り払いでたたき折られた。

 

 

「ふざけんなっ!」

 

 縦横無尽に氷の柱を飛び回っていたシャオンは急な足場の消失に、動揺を隠せない。

 

「やっべ!?」

 

 なんとか体制を整え、次の足場が消えたことによる転倒は防げたが、無防備な体制でルツの前に体をさらしてしまう。そしてそれを見逃すほど相対している男は馬鹿ではない。

 

「――ゥフーラ!」

「ッラァァアア!」

 

 両手をかざし、風魔法を発動する。

イメージするのは刃ではなく、やわらかい風だ。

 すると風刃ではなく、噴出する形で風が出現しシャオンとルツとの距離を無理やり引き離す。直後、シャオンの頭があった空間に落雷のように鋭い蹴りが落ちた。

 

「あっぶな、今の一撃当たってたら終わってたよ」

「一撃で終わらせるってのがお兄さんの気遣いだよ。素直に受けとけ」

 

 軽口の応酬をしながらも内心穏やかではない。

 ――考えろ、考えるんだ。どうすれば勝てる、どうすれば流れを変えられる?

 距離を詰めて放たれるルツの攻撃を回避しながらも、思考は止めない。おそらくそれを止めてしまえば負けてしまう、そう思ったからだ。

 ルツの回し蹴りを受け流し、現状を再認識させる。 

 上位の魔法、発動するための時間がない。

 下位の魔法の多様使用による数の攻め、そんなものごり押しされたら終わりだ。格闘で対応することなどは絶対に考えられない。どうやっても返り討ちにあってしまう。

 焦り、それが肉体の方にも影響し始め、段々とルツの攻撃が捌けなくなってきている。このままでは終わってしまう。

 せめて、隙を作ることができれば何とかなるかもしれない。それだったら一つだけ策はある。

 ただこの作戦を使って失敗してしまってはシャオンの敗北が決まるかもしれない。

 

「なに、悩んでんだか」

 

 笑ってしまう。策が一つしかないのなら、それをまずは試すことが定石だろうに。どうやらシャオン自身まだ覚悟が決まっていなかったようだ。

 

「覚悟完了……エルフーラッ!」

 

 掌を地面に向け、風魔法を放つ。

 当てるつもりのないその一撃は地面を襲い、練兵場は砂塵に包まれる。

 

「目くらましってか? ざかしぃッ!」

 

 ルツは空気をえぐるように大きく腕を薙ぎ、砂煙を無理矢理晴らす。しかし、すでにそこにはシャオンの姿はなかった。

 

「ちぃっ」

 

 見失ってしまった標的を探すために聴覚を、視覚を嗅覚をすべて集中させる。

 だが、気配も形もない。面倒くさいことになった、そう思った瞬間、

 

「ん?」

 

 赤い水滴、それがルツの手の甲に落ちてきた。そう、落ちてきたのだ(・・・・・・・)

 つまりシャオンのいる場所、それは――頭上。

 その結論に至ると同時に頭を上げ、標的の姿を確認する。太陽による光でその姿は明瞭に見えはしなかったが、そこには確かに人影があった。

 

「そこだッ!」

 

 重力に従って落ちてくる人影に向けてこぶしを突き上げる。拳はその胴体部分に突き刺さる。メキリ、と鈍い音が響く。

骨が砕かれ、臓器を潰し、肉が混ざる。周囲の人間はその光景を目にし、思わず目を逸らす、中には一部始終を見届けようとする者もいたが表情は険しい。だがすぐにその表情は別のものに塗り替えられることになった。

 

「は?」

 

 この声はルツの物だろうか、それとも他の誰かだろうか。

 それはわからないが、皆驚いていることは確実だ。なぜなら、拳が彼の体を突き抜けたのだから。

 一瞬、ルツがついにシャオンを殺してしまったのかと嫌な想像をする。だが、それは違った。

 

「人、形?」

 

 貫いた腕にはほとんど血液はついておらず、ただ土で茶色く汚れているだけだ。

 ボロボロと崩れていく土で作られた人形、しかもわざわざ血まみれの服を纏わせたもの。このことが指し示す事はひとつ――

 

「囮っ!」

 

 意図に気付いたころにはすでに背後に迫る影が。シャオンだ。拳を振りかぶり、ルツに迫る。振り返ると同時に拳は振るわれる。だが、

 

「残念だったな、あともう少しだったのに」 

 

 打ち出された拳は、吸い込まれるかのようにルツの右手に吸い込まれ、一撃を当てることはできなかった。

 周りからも落胆の声が聞こえ、皆シャオンの敗北を疑わなかった。それでも、シャオンはあきらめない。

 

「――――まだまだぁッ!」

「なぁ!?」

 

 勢いは殺さず、その掴んだ手すら利用し、ルツを引き寄せる。そして反撃も、距離を取らせることもさせない様に素早い動作で、勢いよく頭をのけぞらせ――

 

「――ッらァ!」

「がっ!」

 

 ルツに額をたたきつけた、所謂頭突きを食らわせたのだ。

 反動で頭がくらくらし、意識が点滅する。額から鉄錆の臭いがする液体が流れ落ちる。

 ぺろりとそれをなめ、してやったと笑みを浮かべる。これで一撃、ようやく一撃を当てることができた。

 だが相手はまだまだ戦える状態にある。それなのにこちらはもう立っているのすらギリギリで、しかもこれ以上彼に攻撃を当てられる気がしない。

 だが、負けられない、あきらめられない。

 あきらめてはいけない。もしもシャオンがくじけてしまえば、あの少女も挫けてしまうからだ。それだけは、それだけは許容できない。

 だから心の炉に薪ををくべさせ、闘志を燃やし続ける。まだまだ倒れるわけにはいかないのだと奮起させる。

 そんな熱を冷ますかのように、ルツの口から、

 

「――負けだ」

 

 ポツリと、そう呟かれた。 

 

「この決闘、俺の負けだ。一撃も貰わないつもりだったのに、見事に一発貰っちまった」

 

 そう言ってルツは先ほど攻撃が当たった場所を見せる。浅い一撃かと思ったが思ったよりも強かったのか、僅かに赤く腫れている。

 

「流石にこれで負けを認めなきゃ大人としてどうかと思うわ。もともと俺の我儘で始めたことだしな」

 

 リカードに視線で訴える。最初は意味がわからなかったようだがすぐに何を求められているかを察し、その鋭い牙を一鳴らしさせ、口を開いた。

 

「勝者、ヒナヅキ・シャオン!」

 

 リカードが決闘の終了を知らせるとともに、練兵場中から生まれた歓声がシャオンを包み込み、脱力する。そしてそもそも勝利条件を決めていなかったことにいまさらながら気づく。

 

「あー、くそ。かっこ悪い。なんだよ一撃当てただけなのに勝ちって」

 

 それでも、一応は決闘に勝利できた。その安心感から気力でつないでいた意識が途切れる。

 

「っと」

 

 倒れかけたシャオンの体を支えたのはルツだった。そして戦いの際中には見せなかった人懐っこい笑み浮かべ、

 

「男、見せてもらったぜ。悪かったな」

 

 シャオンだけにそう告げ、意識を保つ糸は限界を迎えた。

 




誤字、アドバイスあればお願いします。最近忙しくて推敲雑になってしまっているので。


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少女は決意する

本日二話目です


――これは、いつの記憶だろう。

 自分がいるのはとある病室。白い白い病室だ。自分は横になっている。

 

『お兄ちゃん、大丈夫?』 

「これが大丈夫に見えるか、妹よ」

 

 心配しているのは愛する妹だ。その小さな体にはどうしても長すぎるマフラーを身に付けてリンゴの皮を剥いている。

『はい、お兄ちゃん』

 

 切り分けられたそれを受け取り、口にする。まだ熟れていなかったからか甘味は少ないがこれはこれでいい。

 

『髪切らないの?』

「お前が言ったんだろ? 切るなって」

 

 あれはいつだったろうかは覚えていない。ただ髪質がいいから伸ばしてよという無茶な要望に従ってから長髪のままにしている気がする。

 

『律儀に私との約束を守ってくれるんだ』

「珍しいお前の我儘だからな」

 

 苦笑すると妹も同調するように笑みを浮かべ――

 

『――うそつき』

 

 その声と共に世界は変動した。

 病室は沼のように粘り気を持つ液体に包まれ、今まで食べていた果実は石のように硬いものに変わる。

そして目の前で会話していた妹は、顔面が黒く塗りたくられその空洞から声が漏れる。

 

『バカジャナイノー』

 

 からかうような、それでいていて機械のような冷たさも秘めたような声で少女は笑い、そして、世界は完全に歪みきり、終わった。

 

 

 意識の覚醒は海上への浮上に似ている、というのはスバルと話し合ったことだ。

 確かに似ている部分はあるだろう。では眠っている間は海の奥底にいるのと同じ体験をしているのだろうか?

 結局のところどちらも体験した意識はないのだから判断できないという結論になったはずだった。 

 そんなことを思い出しながら瞼を開き、挿し込まれる夕日に焼かれながらシャオンはわずかにだるい体を起こす。

 そして意識を覚醒させるまでに数秒かけ、目を限界まで開き叫ぶ。

 

「ねすごしたっ!」

 

 時刻は夕方、すでに一日の半分は終わっている。このままではレムやラムどころかスバルにさえ文句を言われてしまう。

 慌ててベッドから飛び降り、そこで気づく。

 

「あれ? ここ、は?」

「目を覚ましたっすか」

 

 シャオンが今いる部屋はロズワール邸にある自身の部屋ではなく、どこか日本を思わせるようなそんな部屋だった。そして、アリシアの姿を見てようやく思い出す。

 

「そっか、いま俺王都にいるんだったな」

「寝ぼけてるんすね。そんな姿見るの初めてっす」

 

 口元を押さえて笑う彼女にシャオンは自分の頬に熱が集まっていることが嫌でもわかってしまった。

手でそれを隠しながら熱が引けるのを待つ。

 

「決闘はシャオンの勝ちだったっすよ」

「そう、か」

 

 あれを勝ちと言い切ることは腑に落ちない。

 倒す気でいたのに結局一撃当てることしかできなかった。そもそも勝利の条件を決めていなかったこともあるがそれでも納得はいっていない。

 

「どうやら起きたようやな」

「アナスタシア嬢」

 

 すっきりとしないまま、現れた来訪者はアナスタシアだった。

 彼女は意識があるシャオンを見てまずは安堵したように息を吐いた。

 

「まずは謝罪させてもらってもええ?」

 

 アナスタシアの深々と頭を下げるその姿に目を白黒させてしまう。

 

「”部下が勝手にやった”内輪揉めに巻き込んでしもたようなもんやからな、これは借りとさせてえな」

 

 確かにアナスタシアにとってこの事件はエミリア陣営に対して大きな借りを作ったこととなる。ただ、これはそう簡単な話ではない。

 なぜならあの決闘を申し込んだのがアナスタシアの部下であるルツで、受けたのがエミリアの部下ともいえるシャオンだから。つまりは、これは陣営同士の争いと考えていいものなのか判断が難しいことなのだ。

 アナスタシアの言う通り内輪揉めに巻き込まれただけとも考えられるが、そもそも決闘を受けたのはシャオン自身の意思だ。いくら脅しを受けたといってもそれを本気でとるかどうかは結局はこちら次第。

 それに彼女は止めなかっただけで、直接指示を出している場面をシャオンは見ていない。もしも必要以上に責めた意見を述べれば、彼の独断専行だったと言われて、それまでだ。

 そしてそうなれば後はトカゲの尾切り同じようになる、ということだ。相変わらず知恵が回る。

 

「とりあえず、この件は私一人では解決できません。一応エミリア嬢に……」

 

 ――何かが引っかかった。

 エミリアに報告する。つまりは陣営のトップに報告をするわけだ、今回の騒動を。彼女は怒るだろう。だがそれはまだなんとかなだめることができる。問題はそこではない。

 

「シャオン?」

 

 第一、今回の決闘の黙認の理由はなんだ? なにか利があってのことのはずだ。戦力の把握、アリシアを引き込んだことによるアナスタシア陣営での不満解決。

 思いつく限りはこのあたりだろう。あとは考えられるのは、

 

「繋がり、か?」

 

 そもそもアリシアを屋敷で雇っている時から繋がりは出来ていたとも言えなくはないが、今回の件でそれがより確実でより強固なものとなってしまった。

 正直な話、彼女の陣営といい関係になるのはこちらとしても悪い事ではない。目立った恩恵としては鉄の牙の幅広い能力を借りられる可能性があるからだ。

ただそれを差し置いてもアナスタシアとの、油断できない相手との関係だということが不安要素として残っている。

 特にエミリアはそういった騙し合いや取引には向いていない。だからアナスタシアとは相性が悪い。

 ロズワールがいれば大丈夫だろうが彼はあくまでパトロン、王選参加者同士のみの話し合いとなればエミリア単身で彼女との話し合いをしなければならないはずだ。そうなれば後はアナスタシアの都合のいいようにできる。

 要約するとこの決闘を黙認した理由は――エミリア陣営とのシャオンとアリシアを通したパイプ作りの可能性が高いのだ。

 

「そういうこと、ですか」

「んー? 何のことかわからへんよ」

 

 アナスタシアは真正面でそれを受け、笑顔でとぼける。その張り付けた笑みの下ではどのような策略を練っているのかは未熟なシャオンに読み取ることはできそうにない。

 そして断定できることでもないので追及もできない。下手に藪をつついてわざわざ蛇を出すこともあるまい。

 

「寝起きにこんな話すると頭痛くなりますね」

「うん、なら小難しい話はこれぐらいにしとこか。それに聞き耳たてとるのもいるようやしな」

 

 アナスタシアは部屋の入り口に目を向ける。するとその視線に従ったかのように扉が開かれた。

 

「うわぁ!」

「団長! なにするんです!」

 

 襖に似た扉が開かれるとそこには大勢の獣人たち。白い装束を纏ってはいないが、恐らく鉄の牙のメンバーだろう。

 彼らは扉を開けたであろう人物、リカードに抗議の視線と声をぶつける。しかし彼はそれを受けて逆に大声で答えた。

 

「お前らがそんなところにいるんが悪いんやろが!」

 

 その一言は正論で、団員は大声も合わさってか黙ってしまう。だがそれもわずかのことですぐに団員たちはシャオンに向かって駆け寄ってくる。

 

「すごかったですよ! 団長補佐に一撃当てるなんて!」

「私”ふぁん”になっちゃいました!」

「は、はぁ」

 

 大勢の鉄の牙の団員に詰め寄られ、握手を迫られる。まるで有名人にであった人みたいで何とも言えない気持ちなる。正直言うならば居心地が悪いというか、照れ臭いというべきか。

 

「ああこらこら、病み上がりのヒナヅキくんにそな詰め寄ったらあかんよ」

 

 アナスタシアがシャオンの心情を察したのか、離れるように指示する。すると不満そうではあるが皆離れてくれた。

 

「さて、主役が目覚めたんや。やることあるやろ?」

 

 アナスタシアの言葉の意味が分からず首をかしげていると、奥から一人の男が現れる。そしてそれはシャオンをこんな目に合わせた人物、

 

「――宴の始まりだ」

 

 酒瓶を持ったルツの姿だった。

 

 

 案内されたお座敷では見たこともない豪華な食事が用意されていた。

 ロズワール邸で出されたものとは方向性が違い、魚介は使っていないが和食寄りに近い。これもやはりカララギの影響を受けているからだろう。

 洋食ばかりで飽きていたシャオンにとっては驚きと共に懐かしさを感じさせた。

 

「飲め飲め飲めぇー!」

「団長補佐の秘蔵の酒だぁー! 飲まなきゃ損やぞ!」

「皆好き勝手やってるなぁ」

 

 隣に座ると言っていたアリシアはシャオンのために遠くの料理を持ってくると言って席を立ったので 喧噪の中一人座っていた。

 先ほどまで集まっていた団員達も流石に迷惑だと思ったのか近づいてこない。逆にそれはそれで寂しいと感じている。

 

「……何か食べるか」

 

 今気づいたがシャオンは今日まだ何も口にしていない。腹はすいているが最初に入れるのがこのような豪華な食事で胃が驚いてしまわないか心配ではある。

 

「ヒナヅキくん、食べとる?」

 

 そんな心配を抱いていると、隣に座ってきたのはアナスタシアだ。

 手に持つは御猪口、つまりは酌をしてくれるということだろうか。

 

「え、悪いですよ」

「これぐらいさせてよ」

 

 有無を言わさずに注がれる酒。こぼれる寸前まで注がれたそれを静かに口にし、とりあえずはこぼすことは防げた。

 

「なんか、すいませんね。主さんにこんなことさせちゃうなんて」

「別にかまへんよ、ウチもウチで打算なしにやってるわけじゃないもん」

「はい?」

 

 訊き返すとアナスタシアは腕を絡ませ、体をこちらに、預ける。

 密着しているわけだから必然的に彼女の温もりを感じ、心音が高まる。

 

「あの……」

「正直、一撃当てるとウチも思ってなかったからな。ヒナヅキ君に対する評価は変えへんとなぁ」 

 

 にこやかに笑うアナスタシアではあったがその瞳に隠れている感情は完全に獲物を狙う動物そのもの、つまりは引き抜きのターゲットとして狙われているのだろうか?

 

「お待たせっす、色々とごちそう持ってきた――シャーっ!」

「ああん、冗談やって」

 

 アリシアが戻り、蛇のような鳴き声を上げてアナスタシアとシャオンを引き離し、そしてそのままシャオンの隣に勢いよく腰を落とす。仕方なくアナスタシアは反対側に座り直す。

 

「なんすか? 色仕掛けっすか?」

「べつにそんなこと企んではおらへんよ? ただ頑張ったヒナヅキ君にはこれぐらいの褒美をしてあげてもいいかなぁおもて」

 

 火花が散っているのが見えるが片方はどう見ても政治的な目線での誘惑だろう。もう片方は何とも言えないが、どちらにしろ意味が違う上での争いではあるようだ。

 

「ふん、まぁ? 貧乳体系のアナには無理だと思うけど?」

「それはお互いさま。ウチもアリィも年のわりに育ってないやん」

「うぐっ、いやシャオンがロリコンだったらまだ可能性は……!」

「確かに! その可能性は考えてなかったなぁ」

「あの、そんな会話はしないでくれます? 俺の前で」

 

 目の前で反応に困る内容の会話をされてしまっては気まずさがMaxで、落ち着かない。誰かに助け舟を求めるが皆酔っぱらっていたり、関わらない様にしていたりとしている。そんな中、

 

「ゆ、ユリウス」

 

 対面に座るユリウスに気付き、視線で助けを求めるが、彼は同情したような目線をこちらに一度向けると軽く頭を下げ、それ以降こちらを向くことはなかった。なるほど、見捨てやがった。

 最優の騎士も見放すことがあると知ったが、この事態を解決する方法は知らないままのシャオンは身じろぎすらできずに二人の女性の反応に困る会話を聞いていることしかできなかった。

 

 

「ふぅ、そろそろいいかな」

 

 ふとアリシアが、息をこぼしたかのような声を出す。そして頬をたたき立ち上がった。

 

「皆、話がある!」

 

 大声で、今もなお騒いでいる団員に声をかける。すると彼らは先ほどまで騒いでいたのが嘘だったかのように、静まり、視線をアリシアに向ける。

 

「アリィ、ええの? もうちょっと待っても別にええんやけど」

「ううん、これは早く決断しなくちゃいけないことだから」

 

 アナスタシアの気遣いを断り、彼女はもう一度息を吸って、宣言した。

 

「アタシは――エミリア陣営に入る」

 

 その言葉を聞いた者の反応は様々だった。納得していた、動揺していた、意味が分からないといったもの。ただ、アナスタシアだけは冷静な声で訊き返す。

 

「後悔は、あらへんな?」

「ううん、後悔はあるよ」

 

 その言葉にアナスタシアの眉がわずかに動く。そして彼女の口から言葉が出るよりも早く、アリシアは続きを口にする。

 

「だって家族同然の人たちと離れ離れになるんだから後悔はあるよ。でも、アタシは騎士になりたいから」

 

 決闘の際中に見た弱りきった様子は見せず、今目の前にいる彼女はいつもと、いやいつもよりも力強く意思を示す。

 

「目標もない、力もない。立派な騎士になれるとは自分でもまだ思えてない」

 

 でも、と言葉を繋ぎ、

 

「アタシは騎士を目指して一生懸命身を削って努力してきた。だから頑張りたい、その努力を無駄だと思いたくないからアタシは騎士を目指したい」

「悪いが、俺はお前を認めたわけじゃないぞ?」

「うん、それでもいいよ頑固親父」

 

 厳しい表情でアリシアを否定するルツ。だが、彼女はそれすら笑顔で受け止める。今までとは大違いのその様子にルツも驚きを隠せないようだ。

 

「否定してくれる人だけじゃなくて、肯定してくれる人もいるって、わかったから。アタシの努力は無駄じゃないって言ってくれる人がいたからさ。だから、頑張る」

「辛い道だぞ?」

「上等。トラウマを克服できていない時点でそれは覚悟のうえだよ」

 

 拳を振り上げやる気をあらわにする。 

 

「それに、身を張ってアタシに教えてくれたんだもん。だったらアタシも頑張らなきゃ、ってね」

 

 ちらりとこちらを見るアリシア。今思えば自分は恥ずかしいことを口走っていたような気がする。そう思い返すと、照れ臭くなりつい目をそらしてしまう。

 そしてそれを見てアリシアも気恥ずかしくなったのか目線を逸らし、体を縮ませ静かに元の位置に戻る。

 

「い、いじょうです」

 

 僅かの沈黙の後、絞り出された彼女の声を皮切りに鉄の牙の団員たちが一斉に瓶に入った酒を注いでくる、シャオンの頭に。

 

「ぎゃあああああ! な、なんだ!? 酒?」

「なんやなんや! いい雰囲気やな!」

「だが残念! そんな雰囲気を許すわけにはいかない!」

「おらおらおら! 飲めっ!」

「ちょっ! アタシも!?」

 

 その被害は隣にいたアリシアにもおよび、周囲は酒の臭いで満たされる。

 

「うるせぇ! そんな雰囲気にさせたお返しだ!」

「なにそれ理不尽っ! ゴボボ」

 

 抗議の声は新たな酒でふさがれ、おぼれそうになるその姿を見て座敷は笑いに包まれる。

 

「あーあ、後片付けが大変そうやなぁ」

 

 ただひとり、いつの間にか被害が被らないように離れていたアナスタシアだけが泣き言を口にしていた。

 

 

 座敷では無茶な飲み方をしていたからか、大勢の人が酔いつぶれてしまっていた。

 そんな中シャオンは踏まない様に慎重に座敷から外へ出る。

 

「うぅ、飲みすぎた。というより浴びすぎた。」

 

 いまだにとれない酒のにおいをどうにかするため、風呂を借りようとしたが場所がわからずに迷っていた際、その足が縁側で止まった。そこに一人の人物が座っていたからだ。

 

「よお、シャオン」

 

 声の主はルツ、シャオンの記憶では同じく酔いつぶれていたはずだったが今は酔いもさめたのか赤みが抜けた顔でこちらに声をかける。

 

「あれ、ルツさんここでなにを?」

「月見酒」

「ああ、確かにいい月ですね」

 

 ルツにつられて視線を向けると、黒い世界には満月が一つ浮かんでいた。高く、高く浮かんでいるそれは確かに酒の肴とするには最高だろう。

 酒はこれ以上飲むつもりはないが、せっかくなので月を見ていこうと腰を下ろす。

 

「……あいつが、騎士を目指す理由は俺は知ってるよ」

「え?」

「メアリア……俺の妻に憧れたんだよ。そして、それこそが剣を握れない理由にもなっちまった」

 

 酒を注ぎながらも彼は唐突に話を切り出した。

 一瞬ついていけなかったが、すぐに話を聞く体制をとる。

 

「剣を握れない理由、ですか?」

「俺の妻が、剣を持って敵を斬る姿がアイツの知っている姿とかけ離れすぎてて怖かったんだとよ。それ以来妻は剣を握らなかった。だから、死んだのかねぇ」

「……すいません」

「俺が勝手に話してんだから謝んなよ」

 

 聞いてはいけないことを聞いてしまったようで謝罪をするがルツは気にしていないようだ。

 それでも空気は一度変わってしまうとそう簡単には元通りにならないのが世の性だ、どうやっても暗くなる。

 

「そうだ、気になってたんだがよ。お前なんで決闘を続けたんだよ」

「はい?」

 

 それでもどうにかしようと話題を変えようとしたルツに乗っかる、だが言葉の意味が分からず頭の中に疑問符を浮かばせてしまう。

 

「そもそも受けたのが理解できないが、続けたのももっと理解できない。降参の一言でも出せばすぐに辞めたんだぜ?」

「いろいろ理由はありますけど」

 

 小さい理由ではあるが数えれば多すぎるくらいの理由はある。だが、一番の理由としては――

 

「まぁ、罪滅ぼしってところですかね」

「あん?」

「娘さんを誑かした覚えはありませんが、それは結局感じ方次第ですし。貴方が誑かされたと思えば、やっぱりそうなんでしょうから」

 

 王都に来てからカドモンが娘を大切にしている場面を見て、ロム爺の娘がいなくなり寂しくなっている姿を見て、やはり親にとって子が危険な目に合うのはどんな理由があっても嫌なことのはずだ。

 そして話を聞く限り、シャオンと出会う前と出会ったとではアリシアの考え方は大きく変わってしまったようだ。つまり彼女が危険な目に合うかもしれなくなってしまった一応の責任はこちらにある。殴られるだけでそれが何とかなら好きなだけ殴られてもいい。

 

「それで気が済むまで殴られようと? 死ぬ可能性もあったのに?」

「それはうそでしょ。だって親父さん、途中から殺す気失せていたでしょう?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったようような表情で黙ってしまうルツを見てしてやったりと笑う。

 戦闘の際中、始めは死を感じていたが途中からはその気配はなくなっていた。スバルほどではないが死の体験はこれでも豊富なのだ。間違いなく、途中から手を抜いていた。

 

「なんでぇ、つまんねぇの」

 

 言い当てられことに拗ね、猪口に酒を注ぐが、中身がほとんどなくなったようで猪口の中はあまり満たされてはいなかった。

 

「……いいこと教えてやるよ、これでお前はお嬢に大きな貸しを作れた。だが、必ずお嬢は逆にそれを利用する。お前のその様子だと気づいているようだが、気を付けろよ。意外とやるからな、お嬢は」

「ご忠告痛み入ります」

「脅かすようなこと言っちまったが、正直責任とれって言われなくて助かったぜ。腹切り覚悟してたからな」

 

 そう笑うルツではあったが、冗談を言っているようには見えず本当に命を絶っていた可能性もあったわけだ。流石にそんなことを目にしてしまっては胸糞が悪い。

 

「それじゃあな、お前も早く寝ろよ、シャオン」 

 

 酒がなくなったからか、それとも照れ臭くなったからかルツは足早に縁側から離れる。そしてその背中は大きく、よく怖気づかずに戦えたものだと改めて思う。

 

「父親、か」

 

 寂しくつぶやいた言葉にどんな意味があったのか。それは、まだわからなかった。




アナスタシアが決闘をして得た利益
・シャオンの手札の把握。
・アリシアとルツの問題解決。
・エミリア陣営とのパイプ作り

シャオンが得た利益
・アリシア
・アナスタシア陣営の評価
・鉄の牙の力について
・陣営同士のパイプ作り
・貸し


まとめるとこんなところでしょうか。
アドバイスや文章の間違い、途切れ、感想があればお願いします。


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小話 ナツキスバルの来訪

時系列としてはルツとの決闘終了後、シャオンが眠っているあたりです。


「それで、さ。エミリアたん。色々と複雑なんだけど、これやっぱやめね?」

 

 ご機嫌伺いの媚笑いを浮かべ、スバルは冷や汗を流したまま提案する。これというのは現在スバルとエミリアをつなぐ、手だ。

 場所は王都。それも人通りが多い商い通りで、はたから見れば仲睦まじいカップルにも見えなくはない。しかし会話の内容に耳を傾ければそんな甘い関係ではないことにすぐ気づけるだろう。

 

「絶対にダーメ! どうせスバルのことだから、人が目を離した隙におかしなことするに決まってるわ。王都にいる間、一人での行動は許しません。おわかり?」

「竜車での馬鹿は超反省してるよ! でもでも、このままだと俺の心労がマッハでヤバい! 」

 

 エミリアが信用ゼロの瞳を向けるのもわからなくもない。というのも、竜車での『スバル途中下車未遂』が発生したのだから。

 事件の概要としては至極単純、調子に乗ったスバルが竜車から落下しかけたから。

 幸いにも落下しかけたスバルをレムがモーニングスターで回収したことで事なきを得たが、当然エミリアの機嫌は絶対零度の寒さに。

 そしてその浅慮の行動をした結果が――

 

「まさか行動を制限されるとは」

「当たり前でしょ?」

 

 現在のエミリアによる拘束という訳だ。

 

「いや、俺の軽率さが切っ掛けなのは重々承知してっから保護者同伴はもう納得したんだけど……せめーて、このお手々繋ぎだけは勘弁願いたいかなって」

「ふーん、そういうこと言うんだ。村ででーとしようなんて言ってたときは、あんなに一生懸命繋ぎたがってたくせに」

「あのときは覚悟とかその他もろもろが準備万端だったの! イメトレも十分した状態だったの! 今は違うの!」

 

 具体的に言うと手汗があり得ないほど溢れ出ている。

 これで「スバルの手って湿っているのね、ちょっと引いたかも」みたいなことを言われればメンタル豆腐なスバルはそれこそ崩れ落ちるだろう。

 そんなことを知るよしもないエミリアは慌てるスバルに意味が分からないというように眉根を寄せる。

 

「んで? 俺はいつまでそのイチャイチャを見てなきゃいけねぇんだ?」

 

 こめかみをピクピクと震わせ、低い声で会話に割り込んだのはスカーフェイス。そして今スバルはどのような状況にいるのかを思い出す。

 王都に来て真っ先にやること、それはお世話になった人々に恩を返すことだ。

 まずは、スバルにとっては初めて出会った現地人であり、セーブポイントであり、印象深い人であるカドモンの店に来たのだ、リンガを買いに来るという約束を果たしに。

 

「ったく。客が寄り付かねぇだろうが」

「居てもいなくても変わらないんじゃ……いえ、なんでもないです、はい。怖いので近づかないで」

 

 距離を置いても怖い顔が間近に迫り余計恐怖を与えてくる。異世界生活に慣れを覚えていない頃のスバルだったら漏らしてしまっていたかもしれないほどにインパクトはある。

 なので話題を変えようと何とか頭の中を模索する。そしてひらめいたことが、

 

「あー! そうそう。ぶっちゃけいうとよく俺のことを覚えててくれたよな」

 

 一方的な口約束だったとも言えるはずなのにカドモンがスバルのことを記憶に残していたことの驚きだった。

 

「俺自他ともに濃いキャラ付けしてるから記憶から消えにくいけどさ、おっちゃんは商売上いろんな人の声と顔を見るわけじゃん? 正直覚えてたことに驚いてんだけど」

「お前、あの胡散臭い兄ちゃんのツレだろ? あの兄ちゃんと昨日出会わなきゃ思い出すのにもちっと時間がかかったわな」

「もうその認識で通ってんのね、あいつ」

 

 にこやかに糸目で笑うその姿を思い浮かべ、苦笑する。同情の気持ちもあるがスバル自身もそんな認識を抱いているので否定はできない。

 それにしても、

 

「あいつも来たのか」

「ああ。金髪の嬢ちゃんと、めかし込んでな」

 

 その言葉にエミリアとスバルは顔を見合せ、首をかしげる。恐らく金髪の嬢ちゃんとはアリシアのことだろう。だが、彼女の性格からは着飾るなんてことしなさそうなのだが、 

 

「なにか、あったのかしら?」

「さぁ? 案外急に乙女に目覚めたとか?」

「とりあえずお前さんは、次はリンガ買うって約束を守って、わざわざ買いにきてくれたってわけだ。義理堅いねぇ、気に入った!」

 

 答えの出ない疑問に何とか答えを出そうとしていたが、カドモンの声がそれを遮る。

 彼は気前よく笑うと、店の多くから木箱を持ち出し、カウンターに置いた。重々しい音を建てた箱の中には、赤くて丸い宝石のような輝きを秘めた果実が見える。

 

「ほれ、約束していたリンガだ。何個買うんだ? 今は一個で銅貨二枚だな」

「ならきりよく十個だな。約束の超過分支払いだ」

 

 太っ腹なスバルに手をたたくカドモン。その様子を見て気を良くしたスバルは意気揚々と懐から財布を取り麻生とする。そして倣うように財布を取り出そうとするエミリアに気付いた。

 

「あれ、なにサイフ出そうとしてんの、エミリアたん」

「どうしてって……お金を出さなきゃ代金が支払えないじゃない」

「違くて、エミリアたんが払おうとするのっておかしくね? 俺の買い物なんだから当然のように俺持ち……ヘイ、おっちゃん。なんだよその目は」

 

 なぜか代わって支払いを断行しようとするエミリアへの抗議中、白けた瞳でスバルを見ている店主に気付いた。

 彼は「いや」と頭を掻きながら前置きし、ゆっくり首を横に振りながら、

 

「確かに金ができたら買いにきてくれ、って話はしたと思ったが……金持ってる女の子を連れてきて払わせる、ってのはおっちゃん感心しねえな」

「今の痴話ゲンカ見てた!? 俺は俺が払うって主張してんじゃん!」

 

 疑わし気にスバルを見る店主の前に、スバルは己のサイフを早々に取り出し、突き出す。

 中身は屋敷の仕事のお給金。それなりの金額が入っていて、さすが貴族屋敷は使用人の給金も高ぇとスバルを戦慄させたものだ。

 

「リンガ一個が銅貨二枚ってことは……十個で銀貨二枚とかでいい感じ?」

「おいおい、今の貨幣の交換比率知らねえのかよ。銀貨は今、一枚で銅貨九枚分だ」

「ってことは、銀貨二枚と銅貨二枚か。ほい」

 

 ぱっぱと革袋の中から貨幣を取り出し、それを店主へと手渡すスバル。それに対して店主は憮然と押し黙り、その反応を訝しみながらスバルは首を傾げる。

 

「どったの?」

「俺が言うのもなんだけどな。兄ちゃん、もちっと他人を疑った方がいいぞ。通貨の交換率の変動は市場入口の立て看板に書いてあんだ。それも見ないでのこのこやってきて……性質の悪い商人に食い物にされんぞ」

 

 素直というより危うげなものでも見るような店主の忠告。それを聞いてスバルは「ああ」と納得の頷き。

 確かにさらっと信用して代金を支払うところだった。売買に関して信用が成り立っている元の世界――それを基準に考え過ぎ、ということなのだろうか。

 屋敷の近くの村の場合、閉鎖的な人間関係すぎて騙すという発想自体が出てこないものだろうが、ここは曲がりなりにも王都。国でもっとも大きな都市だ。そういった悪意を持つものがいたとして、なんら不思議な点はない。つまり、

「おっちゃん、やっぱ超いい人だよなぁ」

 

 へらへら笑って、スバルはスカーフェイスの御仁の人柄に好意を示す

 

「たまたまだ。わざわざしたかどうかも曖昧な約束守りにきてくれた客が、うちで買い物したあとにどっかで素寒貧にされて転がされてるなんて夢見が悪いだろうが」

「男のツンデレ誰得ですね、わかります」

「とっととこれ持って行っちまえ! 代金はぴったりです、毎度あり!」

 

 前半乱暴で後半はお客様は神様精神。

 両極端な反応を小気味よく笑いながら、スバルは手渡されたリンガの袋を抱えると、エミリアの手を引いて店の前から離れる。

 

「あんがとよ、おっちゃん。縁があったらまた会おうぜ」

「次も買い物するなら歓迎だ。……嬢ちゃん、あれだ。男は選んだほうがいいぞ」

「余計な世話だよ!」

 

 見送る店主に中指を立てて、スバルはエミリアと共に雑踏の中へ、そして数歩歩くと店主の姿は見えなくなる。

 

「言ってた約束も果たせたわけだし、次の目的は……」

「ああ、盗品蔵だな」

 

 貧民街――異世界召喚初日の出来事を思い出し、スバルはそちらの方へ視線を向けながら、掌の温もりに対して握り返すアクションで気を引き、

 

「にしても、そこまでエミリアたんに付き合ってもらっていいの? ぶっちゃけ、チンピラ闊歩してるぐらいには治安悪いぜ。王選参加者とかマジ慎重に……」

 

「それを言い出したら、もうどこを歩くのにだって気が休まらないじゃない」

 

今さらといえば今さらなスバルの質問にエミリアは苦笑し、それから銀髪を覆っている白いフードの端を軽く指で摘まむと、

 

「認識阻害の効果があるから、私の素姓は大半の人にはわからない。わかっても性別程度かしら? 伊達に筆頭宮廷魔術師のお手製ってわけじゃないんだから。けっこうすごいのよ、これ」

「ロズっちのお手製か……なんか、それ聞くと急にありがたみとか薄れんな」

「こーら、そんなこと言ったらダメじゃない。って言いたいんだけどね」

 

 内心で同意見なのは隠し切れず、エミリアは舌を出して照れた様子。

 ふいに見せる愛らしさにスバルは不意打ちでダメージを受け、心臓が一度だけ爆発したような拍動をしたのに身をよじる。

 

「んじゃま、盗品蔵に向かうとして……お?」

 

 照れを隠すように咳払いし、改めて目的地を定めたスバルが唇を曲げる。その反応にエミリアが「なに?」と目で問いかけてくるのにスバルは、

 

「いや、袋の中のリンガを数えてたんだけど……十一個あるな」

 

 丸々大きく、真っ赤に熟した果実の数は合計で十一。

 袋に詰めたのは店主自身であり、まさか数え間違えて放り込んだ、という線は商売人としてありえないだろう。ならば、

 

「やっぱあのおっちゃん、超いい人すぎるな」

 

 ガラの悪いスカーフェイスを思い浮かべて、傾いた袋の角度を直しながら、スバルはそう言いながら笑った。

 

 記憶を頼りに辿り着いた盗品蔵は、王都の貧民街の最奥に位置していた古びた廃屋であった。

 貧民街で生活する手癖の悪い人々が、王都中から合法非合法問わず様々な手段で入手した物品をここに集め、それをまとめ役が売りさばくというシステム。

 その名称が示す通りの腐敗の温床となっていたこの場所だが――、

 

「やっぱりあの時のままか。修理とかしねぇの? てか言っちゃ悪いけど、相変わらず辛気臭いな。幾分ましになったかもだけど」

「貧民街、だからね」

 

 寂しそうに言うエミリア。優しい彼女のことだ、そんな貧民街の状況を見て心を痛めているのだろう。そんな姿に心奪われつつ、スバルもその貧民街の状況に思うところもあるがどうしようもないことも事実だ。今は用件を済ますことを優先させよう。

 

「……あの爺さんが気づいたらめちゃくちゃキレそうだな」

 

 大きな穴が開いた盗品蔵を眺めて、スバルはそう感想を述べる。

 棍棒を持ったロム爺が現れたら迫力はすごそうだが、それでも今までスバルが戦った相手を比べるとどうしても見劣りする。ザコ敵、よくて中ボス扱いになってしまうのは仕方がないことだ。

 

「スバル、どうするの?」

「一応ノックしてみるか、蔵が丸ごと破壊されていたなら別だけどこれぐらいなら住んでいるかもしんないし」

 

 壁に大穴は開いているがそれ以外の部分はほとんど無傷と言える状態だ。贅沢を言わなければ生活に支障はないともいえる。ただでさえここの主は図体がでかいのだから体を壊すことなどそうないはずだ。

 

「もしもーし! 聞こえますかー! ちわーす! 三河屋でーす!」

 

 定番の呼掛けをするが、通じるかどうか以前に反応が帰ってくるようすがない。ならば、とありとあらゆる掛け声をかけていくが、

 

「やっぱり留守、みたいね」

 

 エミリアも呼びかけてみるが反応はない、どうやら居留守をしているわけでもないようだ。

 すれ違ったか、そもそもこの蔵を寝床としなくなったかはわからないが主はここにいないことは確かだ。

 

「あらぁ? ロム爺さんに御用ですかぁ?」

 

 不在ならば仕方ないということで出直そうとした矢先、のんびりとした声がかけられた。

 艶やかな黒色の髪を二つに分けて結んだ、発せられた声と同様にどこか眠そうな目をした女性。今までにないタイプの女性を相手に流石のスバルも対応に迷いが出る。

 

「えっと? 目つきの悪い貴方と、きれいな銀髪のお嬢ちゃん。前者はともかくぅ、後者はどう考えても、ロム爺さんとぉ、関わり合いがないとぉ思うんですけどぉ」

「いやこれには海よりも辛く、山よりもダイナミックな事情がありまして」

 

 眼鏡越しに見える明らかに警戒の色を醸し出す瞳を見て、慌てて不審者ではないことを説明しようとする。しかし盗品蔵の主と関係を持っていること自体が不審者であると言っているような気がする。

 

「あー、とりあえず、ロム爺は元気だったんですよね?」

「はい。今朝も私のお店でお酒を飲んでましたよぉ? 今は酔い冷ましに出かけるって言ってましたけどぉ」

「あの爺相変わらず朝から酒飲んでんのかよ」

 

 用件だけを口にしたスバルだったが、幸いにも女性は追及をせずに問いかけに答えてくれた。

 そして彼は初めて出会った時も酒瓶を手にしていたのを思い出す。異世界だからこそ許されているがこれがスバルのいた世界でもその振る舞いをしていたらダメ人間認定確実と言える。

 

「ではではぁ、私も買い出しに行かないといけないのでぇ。あぁ、私。身寄りのない人たちに食事をふるまっているんですよぉ。今日はぁ野菜が安いかもしないわねぇ」

「そ、そうなんですか」

 

 マイペースな彼女にペースを乱されながらも相槌を打つ。

 そして女性は遠くを見やり、子供たちを見つけると手を振る。そしてその行動に対して子供たちも元気よく手を振り返していた。

 以前見たとき同様衣服は薄汚れ、満足な生活はできていないようだったが、それでも元気よく反応していることからいくらか活気づいてはいるようだ。

 

「なるほど、思ったよりもやるな」

「そんなたいしたことはぁしてませんよ。あ、これも何かの縁なので」

 

 素直に称賛の言葉を口にすると女性は照れた様に眼鏡を直し、懐から一枚の紙きれを取り出した。そこにはリーベンスの菓子屋店主、リーベンス・カルベニアと書かれたいわゆる名刺というものだ。

 

「あそこでお菓子屋を営んでおりますぅ。なのでごひいきにー。今度来てくれたら半額しますよー」

 

 彼女の指さす先には場違いなほどにおしゃれな建物。思わず今までの疲れを癒したいという欲求に襲われるがなんとか、立ち入りたいという欲求に耐え、頭を振る。

 そんなスバルの様子を小さく笑いながらリーベンスという女性は貧民街を後にしたのだ。

 

「とにかく、俺達もとっとと出よう。あとはフェルトについてだが……やっぱラインハルト探すのが確実か。ラインハルトが連れてったんでしょ?」

「ええ、そう。悪いようにはしないって言ってたけど……急に顔色を変えて」

 

 エミリアの話だと、見逃すことで片付いていた話を引っ繰り返したということらしい。口約束であろうと命懸けで守りそうな芯を感じさせる青年だけに、前言を即撤回というのもらしくない印象が拭えない。

 

「せめてもう少し踏み込んだ話が聞けてればよかったんだけど、私たちは私たちで早く屋敷に戻らないといけない理由があったから」

「え? そうなの?」

 

 エミリアの目線が腹部に向けられていることに気付き、そして、

 

「……ほら、お腹が破けちゃってた子がいたでしょ? ちゃんと治せるのがベアトリス以外に思いつかなくて、それで急いでたの」

「ああ、そうでしたか……面目ない」

 

 彼女にしては珍しい皮肉を言われ、ずきずきともうありもしない傷が痛むと同時に心も痛んでしまったスバルだった。

 

貴族街――その呼び名の示す通りならば、上流階級の人間が住まうだろう地だ。

当然のように景観は庶民の暮らす地区より洗練され、端的にいえば金のかかり方が違う。建物はもちろん、道に壁、美観維持のための植林すらそうだろう。

 様変わりした景色の中でも一際背の高い建物で、この目の前の施設だけはざっと六階建てほどの高さを保っている。

背面を外壁の一部に隣接しており、上部に設置されたテラスからは都市の全貌が見渡せることだろう。が、無骨な建物の雰囲気がそのテラスの存在を、景観を楽しむことより眼下の人間を見下ろすためにあるのだと思わせる。

 先ほどまでいた貧民街との差が改めて浮き彫りになり、正直いい気持ちにはなれない。この外装に回した分を貧民街に回すだけでも大きな変化になるはずなのに。

 そう思っても大きく口に出せないのは仕方ないことだ。貧民街の様子に変わりがないというとは他の人間も口に出せていないことなのだから。

 

「ここが王都を見回る衛兵の詰め所。貴族街に出入りする人たちの身分を確かめたりとか、そういうこともする場所みたい」

「だからこんなとこに建ってんのね。……しかしやっぱいつの時代でもどんな世界でも、警察組織の持つ妙なパワーには抗い難いもんだな」

 

 それと知らずともこの圧迫感。気軽に落し物や迷子などの要件で、門戸を叩けるような雰囲気でないことは確かだ。

 

「とりあえず中でラインハルトの話を……なんでちっちゃくなってるの?」

「つい条件反射で、俺みたいな小心者はこういう施設と相性が悪くてね。目立って行動できないんですよ」

「なに言ってるかわかんないけど、悪いことはできないってこと?」

「さすが、本質が見えてる」

 

 正しくスバルの発言の肝を見抜いたエミリアは嘆息。

 それから前を向き、入り口に向かう。二人の間に会話はない。だからだろうか、嫌でも目を向けてしまう――自分がエミリアのことをなにも知らずにいることを。

 スバルが知るエミリアは、銀髪と紫紺の瞳が印象的な美少女。ハーフエルフであり、立場としてはこのルグニカ王国の女王様候補者。現在はパトロンであるロズワール邸で生活していて、家族と呼ぶほど親しい精霊のパックを連れている。

自分に素直で強がりでお人好しで、他人のために損することをいとわない性格で、お姉さんぶるわりには抜けてるところが多くて、見ていて危なかったしいところもある。

 彼女との出会いからの二週間で、これまで見てきたエミリアの全てがそれだ。

 それが完全に彼女の上っ面だけの情報であり、彼女の内面や内情になにひとつ踏み込んでこなかった事実に、今さらながらスバルは気付いた、いや、気づいてはいたのだ。ただ、その事実に目を向けることができなかっただけで。

 思えばスバルはエミリアが王選に参加することになった経緯も知らない。ロズワール邸にやってきた経緯も、スバルと出会った日に王都にいたことの理由すらも。

 当たり前のように、彼女から与えられるものばかりを受け止めることに夢中で、それ以上のことを知ろうと求めることすらしなかった――本当に勇気が出ない自分が嫌になる。

 

『そうやってなんだかんだで本心を溜め込む分、君も難儀な子みたいだけどね』

「え?」

 

 自己嫌悪に対して反応するかのようなふいに頭の中に響いた声音に、スバルは驚きに目を見開く。頭蓋をすり抜け脳に直接囁きかけるような言葉を放ってきたのは、

 

『ボクだよ。リアのことなら心配いらない、これは君だけに直接呼びかけてるだけだから』

 妙な反響もかかっているがその声は聞いたことがある声だった。エミリアの契約精霊であり、灰色の猫、パックだ。

 

『……俺の心の声も、これで届くってのかよ』

『呑み込みが早いね、正直驚きだ。繋がりやすさからも君は精霊との親和性が高いのかも』

 

 テレパシーを返すと一方的に納得した様子を見せるパックに、苛立ちを覚える――まるで彼もスバルを置き去りにしているようで。

 

『……さっきのはどういう意味だよ』

『気づいているでしょ?』

 

 浅薄な己に気付いて口を閉ざしたとしても、心の内までを無言でを貫けない。こちらの心中の上澄みをすくい取るパックに、隠し事などできないのだ。

そもそもそんなことができるのならば人間をやめている、痛みを、悩みを、苦悩を隠しきるなどできるはずがない――ロズワール邸でのループで、スバルは身をもって体験しているからよくわかる。

 それでもこれ以上みじめさを自覚したくない、そんな弱音を心中ではき捨てる。だが、

 

『ねえ、スバル』

 

 そのスバルの思いを酌み取らず、パックの話は終わらなかった。

 鼓膜ではなく心に囁かれる言葉には拒絶すら届かず、スバルはただ無言であることを己の意思と表明して出方を待つ。

明らかに歓迎していない態度。しかしパックはそんなこちらの反応に興味を見せず一方的に告げた。

 

『――あまり、ボクを。そして、リアを期待させないでほしい』

『……は?』

『希望は優しい毒だよ。それがいずれ体を蝕むとわかっていても、手の届く位置にあると錯覚すれば手を伸ばさずにはいられない。君はまさしく、毒だ』

 

 スバルの知るパックという存在は、常にマイペースを崩さない存在だったはずだ。そんな印象を抱いていた存在から告げられた言葉はあまりにも、印象を裏切るには十分すぎた。

 

『そりゃ、どういう意味……』

 

 何とか絞り出した声が、不可解なパックの言葉への返答として届くよりも――、

 

「ついたわ」

 

 手を引くエミリアの足が止まるほうが早かった。つんのめり、思わずエミリアの背にぶつかりそうになるのは防ぐ。そして彼女の手がスバルから離れ、詰所の扉が叩かれようとしたその瞬間、

 

「――おや、これは珍しいところでお会いしましたね」

 

 僅かに早く詰め所の扉が外へと開かれ、中からひとりの青年が顔を出していた。

 青年はエミリアに恭しく一礼し、

 

「お久しぶりです、エミリア様。その後、お変わりはありませんか?」

 

 と、フードを被ったままの彼女を『エミリア』と断定して呼んだ。

 それだけでスバルの胸中を警戒が走ったが、彼の一礼を受けるエミリアはやや身じろぎしながらも平静のまま、青年に頷いた。

 

「……ええ、ありがとう。特に変わりないわ。ユリウス」

「覚えておいていただけて光栄です。エミリア様も、その美しさに変わるところなくなによりでした」

 

 ユリウス、と呼ばれた青年は歯を見せて笑い、その歯が浮くような台詞をなんのてらいもなく言ってのけた。

 長身の青年だ。身長はスバルより十センチばかり高く見えるので、百八十センチ前半。髪の色は青みのかかった紫で、長めのそれが気障ったらしくも丁寧にセットされている。体つきは細身だが弱々しい印象はせず、しなやかと形容すべきだろう。

 

「近衛のあなたが詰め所にいるなんて珍しいことじゃないの?」

 

 煌びやかな装飾が施された制服。龍の意匠があしらわれた制服に袖を通し、腰には西洋風の剣を下げる姿。――なによりその佇まいが、彼の、ユリウスという人物の生業がなんなのか如実に語り尽くしていた。

 

「兵士たちへの慰労と、街の視察を兼ねて……というところです。友人の頼みで足を運んだのですが、たまには友誼を優先してみてもよいのかもしれません」

 

 手を掲げ、まるで歌うようにエミリアへ返答するユリウス。

 彼はその語り口で自分に酔うように言葉を紡ぎ、目の前のエミリアを意味ありげに見ながら「なにせ」と言葉を継ぎ、

 

「こうして市井に足を伸ばした先で、一足早く可憐な華のお目にかかることができた。これ以上を望んでは罰が当たるというものです」

 

 言いながら慣れた仕草でエミリアの手を取り、その場に跪くユリウス。それから彼は息つく暇もなく、白い手の甲にそっと口づける。

 呆然と、その一連の流れを為す術もなく見送ってしまったスバル。一拍遅れて感情が沸騰し、思わず詰め寄ろうとするが、

 

「ありがとう、ユリウス。それからいきなりで悪いんだけど……」

 

鼻息荒くユリウスに口出ししようとするスバルを、後ろに差し出されたエミリアの掌が制止していた。

彼女の意図が呑み込めずに動けなくなるスバル。その彼の前で事態はゆっくりと進行し、

 

「ちょっと用事があって、お城の方に取り次いでもらいたいんだけど……」

「ああ、なるほど。それで詰め所の対話鏡が必要になったのですね。そちらは?」

 

 エミリアの申し出を聞き、ユリウスが声の調子をあからさまに落とし、スバルに視線を向ける。その視線の見下した感が気に食わず、スバルはガンつけの意を込めてにらみつけた。

 

「――服装に見合わない品性と態度、()とは大違いだ。自覚の有無は別として、貴殿一人の問題ではないのですから気を付けたほうがいい」

「ご忠告ありがとさん。んじゃ俺からも一つ、その格好でカレーうどん食べるのは気を付けたほうがいい! 汁が跳ねたら困るからな!……彼って?」

 

 勢いまかせに口撃を返したスバルだったが、その勢いはユリウスの口にした”彼”という単語に引っかかり消沈してしまった。

 しかしユリウスはそんなスバルを無視するかのように扉を開き、施設内に視線を送りながら、

 

「本来はこのようなむさくるしい場所に、エミリア様をお連れするのは気が引けるのですが……」

「そういうことは気にしないでくれていいから。お願い」

「では、中へ……」

 

 エミリアの言葉にユリウスが頷き、先導するように詰め所の中へ戻っていく。エミリアがその背に続くのを見て、スバルも慌てて追いかけようとするが、

 

「スバルは待ってて」

「……ほえ?」

 

扉が閉まり切るより先に振り返り、エミリアに断ち切るように言い放たれてしまった。

 

「本当はついてきてもらいたいんだけど、スバルが一緒だとユリウスがいい顔をしないと思うから、待ってて」

「なにそれ。俺よりあいつのご機嫌伺いってこと!? あんな気障ったらしい奴の」

 

一瞬、自分よりユリウスの方を優先するような言い方に捉えてスバルが唇を尖らせる。それにエミリアは「そうじゃないわよ」と困った顔で、

 

「ユリウスの機嫌を損ねるからって話じゃなくて、きっとスバルが嫌な思いをするから、いさせたくないの。お願い、わかって」

「嫌な思いなら――」

 

 ――すでにしている。そう口に出せないのは勇気が足りなかったからだろうか。それとも、完全な拒絶の言葉を聞くのが怖かったから?

 

「あまり長引かせないように話をつけて戻るから、いい子で待ってて。詰め所の前からいなくなってたらダメだからね」

 

子供に言いつけるような優しい言い方ではあったが、そこにはまたしても拒絶の色が濃い。

徹底してスバルを自分の事情から遠ざけようとする彼女の態度に、またしても踏み込むことを恐れるスバルはなにも言うことができなかった。

 まるで彼女と自分を遮るように、重い音を立てながら扉は閉ざされる。

 

「マジ俺かっこ悪ぃ……なにやってんだよ。なにもしてねぇだけだけど」

 

 自己嫌悪の言葉しか出てこない。

 嫉妬丸出しで飛び込んでおきながら、その嫉妬も出し切れないとはこれいかに。自分のヘタレ加減が自分で自覚できて、放置しておけば鬱になりそうだ。

 

「つって詰め所の前でいつまでも凹んでるわけにはいかないか」

 

 傍目から怪しさ全開の己を省みて、スバルは足早に詰め所の前から離れる。あのままでは通報されるのも仕方ない。

 とはいえ、エミリアの指示があるから、移動するのは詰め所の様子が見える通りの反対側までだ。適当な距離を開けて壁に背を預け、スバルは再度のため息。

 

「あの気障男……近衛とか言われてたっけ」

 

スバルの認識が正しいのなら、それは近衛騎士とやらの近衛ということだ。 騎士団とやらが存在するのならば、近衛騎士はその中でも特別のはず、そしてそんな男がスバルと比べた彼という言葉、恐らくは――

 

「……けっ」

 

 同郷である、雛月沙音のことを言っているのだろう。スバルと同じ、元の世界から来たはずの彼を。自分と同じはずの彼を。

 

「……なんで、こうなるんだか」

 

 うきうきとしていた王都来訪だったはずなのに、今のスバルはまさに一人で留守番を任せられた子供の気持ちだった。

 




次カーミラのイチャイチャをかいたらあとは”原作三章”の時系列と合流します。


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小話 ありえない一コマ

ぶっちゃけあまりうまく書けてません。頭空っぽにして読むほうがいいかもしれません。


 とある村のこと。流行り病で体調を崩していた子供の治療をした際のことだ。

 

「うん、これで大丈夫かな?」

 

 顔の赤みが抜けた子供の様子を見てシャオンはそう診断する。よほどの無理をしなければ命の危機にはならないだろう。

 

「あ、ありがとうございます! あの、お礼なんですが」

「いや、いらないさ」

 

 シャオンとしては別に礼を求めて行った行動ではない。単なる自己の欲望に従った行動だ。しかし、子供の父親であろう男性は納得がいっていないようで、引き下がらない。

 

「で、ですがそれでは私たちの気が収まりません! あ、少しお待ちを!」

 

 男は家の奥に走っていくと数分後には手にあるものをもって戻ってきた。

 

「これを」

「これは……?」

 

 渡されたのは見るからに高そうな酒瓶だった。

 

「我が村で伝わる銘酒です、どうかお納めください」

 

 直角に腰を曲げて受け取るように頼み込む男性を見てシャオンはため息をこぼす。

 

「わかったよ、素直に受け取ろう」

 

 渋々ながらも受け取ると、男性は笑みを浮かべる。 

 そういえば酒の類を飲んだことはなかったな、と思い、今回の茶会にでも持っていこうと決めたシャオンだった。

 

「いまお飲みになってみては?」

「いまかい?」

「ささ、どうぞ」

 

 酒瓶と一緒に用意していたのか、グラスも男の手の中にあった。

 もともと頼まれたら断れない性格であり、これ以上長引いてしまうのもよくないと思い、注がれた酒のにおいを一度嗅ぎそして――一気に仰いだ。

 

 

「あれ? シャオンじゃない。こんなところでなにしてんのよ」

「んー?」

 

 間の抜けた返事を聞き、耳を疑う。

 シャオンは少しずれてはいるが、礼儀正しい男の子のはずだ。恐らく聞き間違いだろうとそう判断し、もう一度話しかけようとした途端、

 

 

「ミネルヴァ姉さんだー」

「姉さん!?」

「んふふ、面白いかおー」

「ひょっ、ひょっと!」

 

 シャオンは手を伸ばしてミネルヴァの頬に触る。いや、これは触るというよりもこねるといったところだろうか。

ぐにぐに、こねこね。

 頬の感触をしっかりと味わうように、パン生地をこねるようにしっかりとこねられていく。

 

「もう、いきなり何なの!?」

「あうー」

 

 無理矢理離れると名残惜しそうな表情を浮かべる。ミネルヴァはそんな表情を浮かべる弟分に罪悪感を抱く。しかしその隙をついたのか、

 

「髪きれいー」

「きゃっ!」

 

 いつのまにか背後に回り込んだシャオンが彼女の髪を撫でてほめ始める。

 普段の彼では絶対にやらない行動の数々。冷静でいようとしていた彼女の精神はピークを迎え、唯一できたことは――

 

「え、え、エキドナァァァ!」

 

 大声でこの状況を何とかしてくれるであろう友人の名前を叫ぶことだった。 

 

 

「どうしたんだいミネルヴァ。キミが大声を出すことは珍しくもないけど、ワタシの名前を叫ぶなんて」

 

 叫び声を聞き、駆けつけたのは白と黒の二色で構築されているような少女、エキドナだ。

 強欲の魔女と呼ばれる彼女は全知を持つともいえる存在。しかしそんな彼女も人の子、急な事態には戸惑いを隠すことはできない。だから、呆けても仕方がないのだ。

 

「おー先生だー」

「――は?」

 

 エキドナに近づくシャオン。

 その動きはまるで雛が親鳥の下に赴くときのようにおぼつかないもので、いつ転んでしまうかわからないほどに危うい。

 そしてそのままの歩調でエキドナに抱き着く。それには邪な感情は感じられず、子が親に甘えるようなものだった。

 だが、

 

「……どういうことだい? これは?」

「知らないわよっ!」

 

 エキドナが知るシャオンはこういった行為をする人物ではなかったはずだ。これではまるで子供、それもだいぶ幼い子供のようではないか。

 

「むふふー、先生いいにおいですへー」

「この臭い、滑舌……そうか、酒を飲んだね? シャオン」

「う?」

 

 愛らしく首をかしげるシャオンの息からは僅かに酒の臭いが感じられる。原因はわかった、そして危険性がないことも十分に理解できた。 

 

「なんだ、酔っぱらっているわけね」

「そういうことだね。この事件が起きたのが今日でよかったよ」

 

 

 幸いにも問題児であるテュフォンやダフネ、ついでにセクメトは今回の茶会にはいない。なので問題というものはカーミラに知らせるかどうかという問題のみに突き当たる。

 

「――アタシは知らせないで酔いを醒まさせるに1票」

「――ではワタシは敢えて知らせずに二人を出会わせ、反応を見ることに票を入れようかな」

 

 片方は争いを避けるため、もう片方は自らの知的好奇心を満たすための案を提示する。

 

「絶対に! 争いが生まれるから反対よ!」

「やってみないと分からないじゃないか。未知というものは予想がつかないものだ、案外平穏に終わるかもしれないよ? 彼のことを考えるならば、ぜひやってみるべきだ」

「嘘を言うな! 愛弟子のことを考えたら普通、そんな考えに到達するわけないでしょ!」

「魔女だからね、普通じゃないのは当り前さ」

 

 ミネルヴァの怒りの意見をエキドナは笑いながら流す。しかしミネルヴァはエキドナに比べ頭が回らない。よって、言い争いはエキドナのほうが勝つのは必然だった。

 ただ、その言い争いをしていたせいで、問題の中心にいたシャオンの姿を見逃すことになり、エキドナも意外と抜けているのだった。

 

 

「ふぅ」

 

 カーミラは現在マフラーを編んでいた。

 愛しの彼のために、ではなく。シャオンに自分とお揃いのマフラーを身に着けてほしいという願望からだ。

 幸いにも今は亡き母親から編み物は教えてもらっていたので、作成は滞りなく進んでいた。そんな中、

 

「んー? カーミラだー」

「あ、シャ、シャオンくん。どう、したの?」

 

 彼自身が自分へ会いに足を運ぶことなどそう多くない。何かあったのだろうか?

 

「カーミラにあいにきたのー」

「――――」

 

 照れた顔で発せられた言葉に、カーミラの思考は一度停止し、その後高速で回転し始めた。

――それは、どういうことだろうか?

 カーミラの、自分の”色欲の権能”が効果を発揮してしまったのだろうか? もしもそうならば、なんとかしなければならない。権能に惑わされたシャオンなど、カーミラの求める彼ではない、愛を感じる彼ではないのだから。

そして、もしも元に戻らなければ彼を――

 

「よしよしー、難しいこと考えてるねー」

「……むえ?」

 

 思考の海から引っ張りあげたのは、カーミラの頭に感じた彼の体温。いや、正確には彼がカーミラの頭を撫でていることが原因だ。

 

「え、ええっ!?」

「よしよしよーし」

 

 慌てふためくカーミラを置き去りにし、テュフォンの頭を撫でるようにカーミラの頭を撫でまわす。当然密着する必要があり、カーミラの心臓は高鳴るが、それよりもその時にわずかに鼻腔をくすぶる酒のにおいから、彼が酒気を帯びていることに気付いた。

 

「しゃ、シャオンくん。よ、よって、る?」

「うん。 うーん? うむ、よっているともー。えへへ」

 

どこか誇ったように胸を張って、肯定をし、途端に笑みが弾けた。

 

「えへへへー、お酒っておいしいねー?」

「そ、そうだね?」

 

 確かにいつもの彼と比べると頬に赤みが差しているだったら酒が抜けたら、いつもの彼に戻るはずだ。ならば彼の命を奪う必要はなくなる。

 しかしそんなカーミラを置いて、シャオンは鼻歌を歌っている。

 

「たまにねー、皆の色が見えるんだ―」

「い、いろ?」

 

「うん、色」と口にしてシャオンは、カーミラの膝上に頭をのせて横になった。所謂、膝枕の体制に移行したのだ。

 

「しゃ、しゃおんくん!? な、なに――」

「そのたびに嬉しくなって、そのたびに悲しくなって、そのたびに、視界が黒くなって」

 

 カーミラの動揺した声を無視して、シャオンは有無を言わせないように、続きを口にする。

 

「草も花も空も、みんなもきれいな色なのにね、僕だけが、なんの色もついていないんだ。なにもね。まるで僕だけ仲間はずれみたいでさ」

 

 まるで見えていない、届かない星を掴もうとするかのように、彼は手を宙へ伸ばす。そしていい加減な動きで泳がした後、まるで急に酔いが醒めたかのようにポツリとつぶやいた。

 

「――さみしいな、って思った」

 

 珍しいほどにわかりやすい感情の吐露。

 下を見ると、シャオンの黒い瞳とカーミラの桃色の瞳がぶつかった。

 普段だったら目が合ってしまったら数秒も持たずに逸らすカーミラだったが、僅かに目を潤ませ、泣きそうになっているシャオンを見てしまっては視線を逸らすことなどできなかったのだ。

 

「だ、いじょうぶ、だよ?」

 

 震えながら、それでも彼女は、色欲の魔女カーミラは、勇気を振り絞って語り掛ける。

 

「シャオンくん、は……一人じゃ、ないよ。み、みんなが、おいて、いっても。私だけは絶対に見捨てない、そこにはちゃんと、愛があるから」

 

 慣れない笑みを作ってまで、慰めるように言葉を紡ぐ。前半はとぎれとぎれに、後半は彼女の信念にかかわる事柄だからか揺るぎない意志を感じさせる口調だった。

 それを受けてシャオンは何を感じたのかわからない。だが、

 

「――そっか」

 

 小さく、それこそ彼女でなければ見逃してしまいそうなほどの微笑を浮かべ、安心したかのように息を漏らす。そして、 

 

「なら、安心した……ごめん、ねていい?」

「う、うん」

 

 了承を得ると彼は大きなあくびをし、カーミラの膝の上で頭を横にする。

 

「ねぇ、カーミラ」

「な、なに?」

「ありがとね。僕は君と知り合えてよかったよ」

 

 その言葉を最後に、シャオンの口から寝息が聞こえ始めるのを見て、

 

「――おやすみ、なさい」

 

 マフラーを編む作業を再開したのだ。

 

 どこかであった、日常。

 ガラス細工のように綺麗で、儚い日常の一コマ。

 




カーミラちゃんかわいい。
 次回から鬱展開が徐々に始まります。また、原作よりはグロくないかもしれませんがところどころそういう要素がありますのでご注意を、一応該当する話には前書きで警告しますが。
カーミラちゃんかわいい。


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待ち望んだ再会、そして予期せぬ再会

「すぅ」

 

 机にあるのは二つの用紙。

 片方には砂が、片方には規則的な窪みが彫られたものだ。

 

「フーラ」

 

 小さくつぶやくと、手のひらから言葉の強さと比例したような、微弱な風が発生する。

 そして、シャオンは目を閉じ、呪文のようにさらに言葉を発する。

 

「――魔法は手足、魔法は手足、魔法は手足」

 

 魔法を教わるにあたってロズワールに言われ続けたことを、口に出し、頭の中で反復させる。

 シャオンの中に手ごたえがあったような感触を覚え、わずかに目を開く。

 

「成功」

 

 紙の上に置いておいた砂はシャオンの作った風に掬われ、宙を舞っている。それらは一粒も零れ落ちることはなく、すべてが風によってからめとられていることが分かった。ここから右のくぼみに沿って砂を落としていき、文字を書く。これはロズワールにいつも欠かさずやるように言われた、魔法の修行の一つだ。

 最初は風の力が制御できずにすぐに砂を落としてしまっていたが、もう合格をもらえるレベルまで成長し、今では考え事をしながらもできるようになるほど成長したのだ。

 勿論、今日の修行も考え事をしながら行う。内容は、シャオンが使えるようになった異能の力についてだ。

 現在は不可視の腕、癒しの拳、嗅覚強化――そして、スバル曰く、シャオンは認識していないが”魅了の燐光”(スバル命名)という能力も自分は有しているらしい。

 ほかの能力にも不透明な部分は多いが、”魅了の燐光”というものは別格で意味が分からない。というのもほかの能力と違い、この能力についてシャオンは自覚すらできていないのだから。

 発動する方法は不明、だがスバルの経験談では危険度はそこまで高くないとのことらしい。せいぜい目を奪うことぐらいらしい。目くらましとしては十分に使えそうだが本人の意識がないのであるなら意味はない。

 そしてこれらの能力の中で確実にわかっていることは一つだ。

 それは――死に戻りを経験するとシャオンの体に能力が追加されることだ。

 理由はわからない、原理もわからない。ただ、わかるのは”そういうものだ”という結果のみだ。

 

「わー!」

「うぇい!?」

 

 背後から聞こえた大声に驚きの声をあげ、思わず風の制御が揺らぐ。

 そこにいたのは笑顔のミミと、すまなそうにしている彼女のもう一人の弟であるヘータローの姿だった。

 

「あははー! すごいこえー!」

「お姉ちゃんダメです……なにやってたです?」

「風魔法の勉強、修行? かな。最初は全然だったけど今はもう慣れたもんさ」

 

 先ほどまであった砂の山のほとんどが右側の用紙に移動し、簡単な文章が書かれていた。それを見てヘータローは興味深そうにのぞき込む。

 

「面白いですね」

「そうでしょ、やってみる?」

「そんなことより!」

 

 興味津々に用紙を見る彼とは違い、姉のミミは手を勢いよく上げ下げし、叫ぶ。

 

「お嬢が来てほしいって! 朝ごはんだってー!」

 

 

 食事が用意されている居間に向かうとすでに鉄の牙の団員でほとんどの席が埋まっていた。

 そんな中、なんとかアリシアの姿を探し隣に座る。

 

「ごめん、止められなかったっす」

「ん、どしたん?」

 

 開幕早々謝罪の言葉をぶつけられ一瞬、頭に疑問がわいたが食卓に並ぶそれら目にし、納得がいった。

 

「これは、酷い」

 

 思わずそんな感想を口にしてしまったシャオンを責めるものなどいないはずだ。いるならば逆に問おう。目の前に広がる黒い、黒い……なにかだ。

 

「おはようございます。あの、これは?」

「あ、おはようさんなぁ。ヒナヅキくん。これはダイスキヤキや」

 

 その名状しがたい暗黒物質を生み出していたアナスタシアは、シャオンの姿を見て一度動きをとめ、挨拶を返す。どうやら長机の半分を占める黒く巨大な鉄板の上でそのダイスキヤキとやらは作られていたらしい。

 

「ダイスキヤキ、ってなんですか? もしかしてカララギの?」

「そ、カララギの国民的な伝統料理――ダイスキヤキ。ウチ、これ作るの上手いんよ。あ、ユリウスできたで」

 

どうやら今しがた新しく、完成したらしい黒い物体は彼女の騎士、ユリウスの皿に。

 彼は渡されたダイスキヤキを一口サイズに分け、口に運ぶ。当然その見た目通り、こげの味しかしないだろうにも関わらずユリウスは顔色を一切変えず飲みこみ、

 

「さすがです、アナスタシア様。ですが、私の好みはもう少し焼き時間を短めにしたものの方が合っているかもしれません。アナスタシア様の手を煩わせてしまうのは本意ではないのですが……」

「ええよええよ。わかった。もうちょっと短くやね。ユリウスは男の子やのに繊細な舌の持ち主なんよねぇ」

 

それは違う、アンタが豪快なのだ。

そんなツッコミをしたいのだが一の騎士であるユリウスが口にできていないのだ、部外者であるシャオン達が口にしていいことがらではないのだ。うん、きっとそうだ。

それにしてもダイスキヤキは若干、いやほとんどお好み焼きといえる見た目のそれはカララギ産だ。やはり、カララギにはシャオンがもといた世界から受け継がれたものが多いようだ。となれば、もとの世界に帰る手掛かりもそこにある、ないしも同郷がいるのかもしれない。

 別に今すぐ元の世界に帰りたいとは思っていない。だが、帰れる手段がないのかどうかぐらいははっきりさせておきたいのだ。

 

「あ、ヒナヅキくんはどれくらいがええ? 焼き加減。慣れてないやろからウチが焼くよ」

「え? あー、そうですね。俺は詳しくないのでお任せしてもいいですか?」

「あーあ、やっちゃったっすね」

 

考え事をしていた最中に聞かれたから何気なく返答してしまったが、途端に周囲から気遣う声がかけられる。

そんな状況を理解できていないでいると隣に座ったリカードが鼻息を大きく吐くと、

 

「お嬢に任せるっちゅーことは、まぁあれを喰うことになるわな」

 

リカードが首で示した先には先ほど眺めた黒い物体が鎮座している。

 認識するのに数秒、現実逃避に数秒そして覚悟を決めるのに数秒。彼女があらたな物質を生み出すには長すぎるほどだったようだ。

 

「ほら、できたで……うん? どしたん」

 

 何とか理由をつけて断ろうと模索していたシャオンだったが、彼女の無垢なその瞳に射貫かれては断ることなどできない。彼女にばれない様に太ももをつねり、勇気を振り絞って、

 

「い、頂きます」

 

 箸でそのダイスキヤキを口に運ぶ。

 口内で、砂を含んでしまったときのような不快感、そして言い表せないほどの苦味。それらを歯をくいしばって耐え、飲み込む。

 

「どや? ほっぺたがおちそうやろ?」

「――ええ、はい」

 

 頬だけでなく命も落としてしまいそうだったとは、口が避けても言えないシャオンだった。

 

 そんなコゲコゲしい朝食会を終えて、食休みの茶をいただいている最中にアナスタシアは切り出した。

 

「さて、ヒナヅキくん。今日はなにか予定ある?」

「いえ、とくには」

 

 ある程度王都でやるべきことは行ったのでもう用事はない。なので今日屋敷に戻ろうと考えていたのだ。

 

「実はな、今日王選参加者が集まる儀式があるんよ。その時にヒナヅキくんにも来てもらおかとおもてな」

「アナスタシア様、流石に関係のない人物を」

 

言い方はだいぶオブラートに包まれてはいるが、そこには明らかに棘が含まれている。

 それもまぁ仕方ないことだとは思う。次代の王が集まる機会に不安因子を多くしたいとは思わないだろう。

 そんな考えを察した上でのことか、アナスタシアは真面目そうなユリウスにたいして、申し訳なさそうに眉を下げ、

 

「それがな、ユリウス。これはロズワール辺境伯からのお願いなんよ」

「……なるほど、そういうことならば。申し訳ありません、アナスタシア様」

 

 納得が言った顔を浮かべた後、主の意見に口をはさんでしまったからか、ユリウスは謝罪し、頭を下げる。

 

「ええよ、別に。それより話を戻させてもらうで。ヒナヅキくんの主様もそこに集まるからちょうどいいかと思ってるんやけど。キミにもウチの王さまを目指す理由も聞いてもらいたいと思ってたとこやし」

 

 獲物を狙うかのように鋭く、そして僅かに蠱惑的な視線をこちらに向けるアナスタシア。アリシアの咳払いでそれは霧散したが、気をつけなければならない。恐らく、引き抜きを狙っている。

 ただそれよりも気がかりなことがある。

 

「……エミリア嬢とロズワールさんかぁ……碌なことにならない気がする」

 

 しかし、シャオンが属する陣営のトップに立つ少女が王選に参加する理由を宣言するのだ。興味がないわけではない。ただそれでも、これからの起こることを想像し、ダイスキヤキとは別の理由でシャオンは胃が痛くなった気がした。

 

 

 竜車から降り、王城の中に歩みを進める。

 絵画や美術品が展示されている通路をアナスタシアの後に続くように歩き、感心した様に声を漏らす。

 

「すごいな」

「なんぼかは模造品やで? ほんまもんも混じっとるけど。アレとかはだいぶ有名な……」

 アナスタシアの解説を聞いていると通路が終端を迎え、大きな扉の前で足を止めた。

 扉の前に立つ兵士が一歩前に出て、先頭に立つアナスタシアに剣を掲げ、敬礼を向ける。

 完全武装の巨漢は兜を外し、その理知的な眼差しでアナスタシア、そしてこちらを見据えた。年齢は四十前後で、精悍というよりは厳つい顔立ちの男性だ。巌のような彫りの深い顔には険しさと、歴戦を感じさせる兵の雰囲気をまとっている。

 

「お待ちしておりました、アナスタシア様」

 

彼はその厳つい顔に見合った重々しい声で恭しく頭を下げる。

 

「……こちらの方々は?」

「辺境伯の従者。うたごうなら本人に確認とってみたらええよ」

 

 アナスタシアに言われても未だ訝し気に視線を向ける騎士に、シャオンはあることを思い出した。

 

「ああ、それならこちらにロズワール様の、家紋。鷹を模したものが」

「なるほど」

 

 上着の裾をめくり、裏にある印を男に見せる。

 それを見た彼の瞳からは僅かにこちらを疑う色は消え、静かな海のような青色の瞳を輝かせた。

「危険な魔力反応、および武装は確認できません。お二方が所持している武器はその手甲と、ナイフだけですね?」

 

 男性がそれぞれの武装を指差し、確認を取ってくる。本来はそこに異能の力もあるがそれを口にすればややこしいことになるので口に出さず、首を縦に振る。

 

「では、中にお入りください」

 

 疑いも晴れ、ようやく扉が開かれる。そこには――

 

「――おお」

 

――視界に広がったのは、赤い絨毯の敷き詰められた広大な空間であった。

 煌びやかな装飾が施された壁に、豪奢な照明が真昼間から光を放ち、目をくらませるほどだ。もっとも、その部屋の目的と用途を思えばそれも当然の話だ。

部屋の中央の一番奥、そこにはささやかな段差と、大きな椅子。

背後に竜を模した意匠の施された壁を背負い、椅子に座るものはその竜を背負っているようにも守られているようにも見えるだろう。

それはまさしく、王城王座の間。ならばあの椅子はルグニカの玉座に相違ない。

室内には外と違い、剣を構える衛兵の姿はひとりも見当たらず、その代わりに白を基調とした礼服を身に付け、規則正しい姿勢で並んでいる騎士剣を腰に携えた――近衛騎士隊の騎士たちがいた。

さらに奥には文官風の者たちや、高い地位にあるとお思われる風貌の人物など、玉座の間にふさわし面々が並んでいた。

 

「それじゃあウチは並ぶ場所決まっとるから」

「私も近衛騎士として行かねばならなくてね。申し訳ないが、案内はできない」

「え? あ、はい」

 

 そう言い残しそれぞれの決められた場所に向かっていく。

 二人が消え、改めて王城に広がるその威圧に呑み込まれてしまうなか、部屋の中央に見慣れた男性の姿を目にした。

 

「こっちだーぁよ、シャオンくん」

「ロズワールさん! お久しぶりです」

 

 ピエロ服姿のシャオンの師匠、ロズワール。

 いろいろと文句を言いたい気持ちはあるが、この場に知りあいがいるだけで気は楽になるので今はその気持ちをぶつけることはしないでおく。

 

「何でシャオンとアリシアが?」

 

 疑問の声をあげるのはエミリア。

 ロズワールの隣に立つ彼女は目を丸くしてシャオンの登場に驚いている。

 

「私が呼んだんですよ、エミリア様。彼らはスバル君ほどボロボロではないですし」

「まぁ、貴方なら無茶はしなさそうだけど」

「ははは……」

 

 誰と比較したのかは口にしないでおくことにしよう。

 それよりもロズワールの言葉に気になる単語が聞こえたので追及した。

 

「ボロボロ? いったい何が――」

「ウルガルムの呪い」

 

 その単語にシャオンの瞳が鋭くなる。

 

「……その件はもう終了したはずでは? 術者は死んでいるはず」

「呪い事態は問題ない。問題は別、呪いの残滓に関してーぇはね」

 

 もったいぶる彼の口調にイラついていると、珍しく頭を下げ、シャオンに近づき耳元で小声での説明した。

 

「詳しい説明をするには残念ながら時間が足りない。これから王選が始まるようなものだからね。でーぇも? 安心したまえ、”治療”は施されている。あとは彼が無茶をしなければ命の心配はない」

「――誓ってくださいよ」

「ああ、勿論、誓おう」

 

 真面目な口調、真面目な表情で誓うことを口にした。それを見て半ば無理矢理納得させる。魔法使い、精霊術師にとっては契約は重要なものに値するからだ。

 

「アリシアくんも随分と、抱えていたものが軽くなったようだーぁね」

「ええ、まぁ。おかげさまでって、ところっすかね」

 

 打って変わって明るくアリシアにロズワールは話しかける。

 彼女が抱えていた問題。それは陣営の問題もあったが、彼女個人に関する問題もあった。ロズワールがどちらのことを示しているのかわからないが、解決してくることがわかっていたとでも言うような口ぶりをした言い方をした彼に、言いようのない恐怖を感じる。

 

「……なにかずっと背負ってたの? アリシア」

「相変わらずの天然っぷり、流石っす」

 

 思わず身を固くしたシャオンをよそに、アリシアの背後に目線を向けている相変わらずの様子のエミリア。どうやら実際に荷物を持っていたと思っているらしい。

 そんな彼女のおかげかわからないが、先ほどまで感じていた緊張感はどこかに消え、本調子に戻ることができた。

 

「それで? 俺らはどこにいればいいんですか? 」

 

 急に呼ばれたのだから立ち位置も何も知らないのだ。

 大切な儀式のはずだから、そういったことも事前に決められているだろう。いくらなんでも適当な場所に並ぶことは許されないはずだ。

 しかしロズワールは口元に手を当て、考えること数秒。なんてことがないように口を開き、

 

「ああそれなら、近衛騎士団の列にならんでくれるかーぁい」

「え?」

「でーぇは、私はアナスタシア様と話があるから」

 

 聞き間違いかと思ったがロズワールはそれ以上詳しくは離さずにアナスタシアと会話をしに立ち去る。

 

「ごめんね、私も並ばなくちゃいけないから。くれぐれも、騒がないようにね」

 

 代わりにエミリアに聞こうと思ったが彼女もそう言って中央に戻ってしまった。

 残されたのはシャオンとアリシアのみだ。

 

「いいのかな」

「ずっとここにいるわけにはいかないっすからとりあえず行っす」

 

 それもそうだ。

 言われた通り近衛騎士たちの列に並ぼうとした瞬間に出迎えたのは、

 

「辺境伯も君達を信頼してのことだよ」

「――ラインハルト」

 

 列の先頭に立つ、さわやかな微笑を浮かべた赤い髪の青年、ラインハルトだ。彼は空を想像させるような青色の瞳でシャオンを見、次いでアリシアを見る。

 

「久しぶりだね、シャオン。正直僕はスバルがこの場に来ると思っていたんだけど」

「まぁ、俺もそう思う」

 

 スバルの性格を考えれば、エミリアが来るならば彼女が嫌といってもついてこようとするはずだ。そんな彼がいない理由はエミリアに本気で来ないよう頼まれたからだろうか、それとも先ほどロズワールが言った”治療”をしているからか。

勝手な予想を頭のなかで思い浮かべていると一緒に来ていたアリシアがシャオンの影に隠れていることに気付いた。

 

「どしたよ?」

「いやー、アタシの自信を砕いた一人と言えばいいっすか? そもそも、苦手なタイプなんすよ。完璧超人っていうっすか?」

 

 犬が飼い主以外の人間に警戒するようなその様子を見て、シャオンはため息を吐く。そして体制を無理やり入れ替え、ラインハルトの前に彼女を突き出す。

 

「わっ!? なにするんすか?」

「失礼だろうよ、別にラインハルトが悪いことしたわけじゃないんだし」

「うっ、それはそうっすね……ごめんなさいっす」

「気にしていないよ、アリシア」

 

 文句が言いたそうなアリシアだったが、流石に失礼だったと思ったのか小さく謝罪の言葉を口にする。それも笑顔でラインハルトは笑顔で受ける。やはり、外が良ければ仲も十分にできている人物のようだ。

 

「な、なんすか」

 

 アリシアはシャオンに戸惑いの視線を向ける。それもそのはずだ、急に頭を撫で始めていたのだから。

 

「いや、素直に謝れたから。えらいえらい」

「子ども扱いしないでくれっす! そんな年離れてねーでしょうが!」

 

 叫ぶ彼女に、ラインハルトは笑みを浮かべ見守る。ただ、周りは微笑ましいと思っていないのか僅かに視線が刺さってくる。

 

「あまり騒がないようにしてもらいたいのだが……」

「にゃににゃに? なんかおもしろそーなことしてるね」

 

 ラインハルトの隣からユリウスと、見知らぬ女性が声をかけてきた。

 初対面の彼女の容姿は亜麻色の髪をセミロングで切り揃えた、愛らしい顔立ちだった。

 身長は女性にしては高く、しかし線の細さは当然ながら比べるべくもなく華奢で、仕草ひとつひとつに女性らしさ、というよりも女子高生のような女の子らしさがあふれ出ている。

 亜麻色の髪は白いリボンで飾られ、大きな瞳を好奇心に輝かせる姿はまるで猫のような愛嬌があり、そして実際にその頭部には、頭髪と同じ色をした猫の耳だ。

 アナスタシアの屋敷で十分に見た光景だったが、やはりまだ慣れていないので一度はそちらに目を奪われてしまう。

 だが彼女は慣れているからか、それを気にした様子もなくシャオンの視線を無視してアリシアに近づく。

 

「ふふーん? 初めて見るけど、アリィちゃんの彼氏?」

「違うっすよ!……うん」

 

言いきりはしないその様子に少女はニマニマと含みのある笑みを浮かべ、くるくると周囲を回る。アリシアはそのからかいに顔を赤く染め、思わず手を出してしまいそうだ。

 

「フェリス、からかうのはそこまでに」

「もーう、お堅いんだからぁ」

 

 ユリウスのたしなめるような言動に頬を膨らませながら引き下がる。

 

「フェリスさん? でしたっけ、貴方も騎士なんですか?」

「そうだよー。フェリちゃんはクルシュ様お抱えの騎士にゃのだー!」

 

 大げさにも思えるような動作でフェリスは部屋の中央にいる一人、主である女性を示す。

 そこには男性が切るような軍服をしっかりと身に付けた、綺麗な深緑の髪を背中の真ん中ほどまで伸ばし、ひとつに束ねた凛々しい女性がいた。鼻筋の通った美形であり、琥珀色の双眸をフェリスの呼びかけに応えるかのようにこちらに向ける。そして、薄く笑みを浮かべた。

 それを受けてフェリスは身をよじらせる。

 はたから見れば変人だが誰も驚いていないことから彼女はいつもこうらしいことが読み取れた。

 そしてフェリスの主、クルシュがあの場所にいるということは彼女も王の資格がある女性ということだ。

 前に立つのはエミリアを含め三人。王を決めるにはいささか少ない気がするのだが、

 

「今いる人たちで全員? こういうものなのか?」

「いや、まだプリシラ・バーリエル様の姿がない。もうすぐ、お越しになるはずだが……」

 

 どうやら一人到着が遅れているらしい。

 何か問題でもあったのだろうか。

 忘れかけてはいたが、王に選ばれる可能性があるのだから暗殺や誘拐など、何があるのかわからない。しかし、姿を見たこともない女性を気にするよりもシャオンは気になることがあった。

 

「ラインハルト、お前にあったら聞きたいことがあったんだ」

「なんだい? 僕に答えられることなら何でも答えよう」

 

 ラインハルトはさわやかな笑顔で了承する。

 その太陽のような輝かしさに若干引きながらも、疑問を晴らす。

 

「フェルト、どうしたんだ?」

「……君が彼女の所在が分からずに、心配させてしまったことは謝ろう」

 

「でも」といって、顔を上げる。

 

「もう少しでその心配事は解決できるよ」

「それはどういう――」

 

 言葉の途中で扉が開かれ、その轟音にシャオンの声はかき消される。

 もう少しで疑問が解決し、スッキリできそうだったのだ、僅かに鋭い目で入り口を見やるとそこには――

 

「なんじゃ、妾に見惚れるのは当たり前じゃが、いささか不敬である。礼儀というものがあろうに」

「そりゃ、あんな大きな音を立てて入れば誰だって注目するぜ? 姫さん」

 

 橙色の背に届く程度の髪をバレッタで一つに束ねた女性。そして横に立つのは彼女の騎士であろう隻腕の男だ。

 それだけでも目立つ存在だが、シャオンが注目したのは、驚愕したのは彼等ではなく、

 

「――は?」

「ゴメン、きちゃった」

 

 予想外の人物、ナツキスバルの媚びた笑みがそこにはあったからだ。

 




リアルの事情で四月からは完全不定期更新になります。
申し訳ありません。
 カーミラちゃんが動く姿を見れればモチベーションが上がるかも……?


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不穏そして五人目

 基本原作通りです。
 本格的に動き出すのはもうちょっと先


「なぁ、アリシア。俺の目がおかしくなければあそこにいる目つきの悪い男性に見覚えがあるんだけど」

「気のせいっすよ。あんな目つきの悪い男なんて知り合いにいないっす」

 

 二人して現実逃避の言葉を唱えても、時間は止まることはなく時を刻み続け、現実からは逃げることはできない

 スバルの先の行動はシャオンに向けたものではなく、エミリアに向けたものだろう。そしていまだに先ほどのポーズのままなのは彼女が何らかの反応を示すまで動く気はないということだろうか。

それを受けさせられたエミリアは言葉を求めるように唇を震わせ、考えをまとめようと努めるように瞳をさまよわせていた。

 そして、彼女の唇が引き結ばれ、なんらかの結論を得たかのように紫紺の瞳がスバルの黒瞳を真っ直ぐ見た。

 

「妾の小間使いをジッと見て、なにかあったか、混ざり者」

「おうふ」

「え?」

 

スバルの背後から伸びてきた腕が胸板と首を艶めかしい仕草でロックする。

つい先ほどスバルとともに入室してきた、橙色の髪の少女――その少女の顎が後ろからスバルの肩に乗せられ、顔を隣り合わせる形でエミリアと向かい合っている。

 

「なにが小間使いだ、エミリアたんに誤解され……」

「ほう、妾の小間使いでないと。ならば王城内を堂々と歩き回れる貴様の身分は、いったいなんであるというんじゃろうな?」

「うぐ……ッ」

 

 スバルの反応を見て察する。彼は正規の方法できた訳じゃない。不法侵入にも等しい方法でこの王城に入ってきたのだ。

 さらに、詳しい事情は把握できていないが、女性の使用人という体で入室できたようだ。だが、どうやらスバルはエミリアの前で彼女以外の女性に従うつもりはないようで、

 

「エミリアたんの前で、誰かに頭垂れるなんて真似はできねぇ」

 

「……ほう、面白い。ならば貴様は、己をなんとするのじゃ」

 

からかうつもりであった少女の表情が一変し、冷徹さを感じさせる口調のまま問いを投げる

彼女の騎士だろう鎧兜の男がフォローしようとしているが、そんな彼の厚意を踏みにじるようにスバルは静かに息を吸い込み、

 

「俺はこの城に……」

「失礼、この度は当家の使用人がとんだご迷惑を。まさか城内で迷うとは思いませんでした」

 

スバルの言葉を遮り、シャオンは女性の前に立つ。

 今止めるタイミングを逃してしまえばスバルはよくて投獄、悪ければ首が吹き飛ばされていただろう。普段だったら軽口で済んでいただろうがこの場にいるのは冗談など通じないメンツなのだから。

 

「このお礼はいずれ。重ね重ね、当家の人間が失礼いたしました」

「ほぉ……」

 

恭しく礼をするシャオンを女性は値踏みするような視線を向け、

 

「まぁ、いいじゃろう。そこな道化と混ざり者のおかげでそれなりに楽しんだ。感謝せよ、人形もどき」

 

 女性は鼻をならし、シャオン達から背を向け候補者の並びに加わる。どうやら危機は去ったようだ。

 

「わり、助かった……何でシャオンが?」

「アナスタシア嬢に送ってきてもらったんだよ、演説を聞いてほしいって言われたからな。それより頼むから無茶はしないでくれよ」

 

 呆れ半分、注意半分でスバルに頼むと彼は軽い口調で謝罪を口にしただけだった。いつも通りのスバルだったが、この場ではもう少し考えをもって行動してほしい。

 

「まーぁさか、本当に来るとは思ってもいなかったよ」

 

コツコツと靴音を高く鳴らし、手を広げ歓迎しているかのようにも見える態度で近づいたのはロズワールだ。そして彼はいつものようにスバルに語り掛ける。そしてその隣にいるのは、

 

「どうして……」

「ん?」

 

 訳がわからないとでもいいたそうに、瞳を揺らすエミリアだ。

 聞き返すスバルに彼女は一度首を振り、それから改めてスバルを見つめ返すと、

 

「どうやって……じゃなく、どうして。どうして、スバルがここにいるの?」

 

「そこを話そうとすると、実は深いようでいて浅くて重いようでふわっふわな理由があったりなかったりするんだけど」

 

「茶化さないで。スバル、私、言ったでしょ? 覚えてないの?」

 

いつになく厳しい口調でスバルを追求するエミリアの様子を見て、ただ事ではないと想像がつく。対するスバルも心当たりがあるようでバツが悪そうな顔を浮かばせる。

 

「スバル、詳しいことはわからないけど何かしたのか?」

「いや、ちょっと約束を――」

「――皆様方、お揃いになられました。これより、賢人会の方々が入場されます」

 

 スバルとエミリアの話し合いを遮るように、王座の間の扉が開かれる。

 音に振り向くと正面、大扉を開いて最初に入ってきたのは、入場前に会話を交わした騎士。

 頑健さを感じさせる表を被り直した兜の下に隠し、堂々たる態度で歩を進める。その姿はまさにお伽噺で見る騎士そのものであり、自然と背筋を正されてしまうような圧迫感だ。

 そうして歩く彼の背後に、数名の老齢の団体が続いている。

 全員が場と身分に則した装いに身を包んでおり、振舞いと物腰からかなり位の高い人物たちなのだろうと察せられる。どの顔にも長く重い経験が深い皺となって刻まれており、威厳ある佇まいが端々から感じられた。

 その団体の中でも一際目を引くのが、集団の真ん中を歩く白髪の老人であった。

 真っ白に色の抜け落ちた白髪が長く伸ばされ、その髪と長さを競うようにヒゲもまた長く長く整えられている。身長の低さもあって、弱々しい印象を与えるが、そんな印象を切り捨てるかのような『刃』の切れ味を思わせる眼光の持ち主。

ただ者ではなく、いくつもの修羅場を乗り切ってきた風格がある。

 

「あの方が賢人会の代表――つまり、王不在の現在のルグニカにおいて、最大の発言力を持つ人物。マイクロトフ様ってわーぁけ」

 

 隣に並ぶロズワールが密やかな声で注釈する。

 その内容に納得する。ただものでないのが一目でわかる人物は、やはりただものではなかったらしい。

 王不在のルグニカの代表、そして賢人会という団体の名前にも聞いた覚えがある。

 

「確か王様に代わって国の運営とかしてる機関でしたよね」

「名目上は補佐なんだーぁけどね。今は実際の運営も賢人会頼み……とはいえ、王家が存命のときからそのあたりはあんまり変わっちゃいないんだけどさ」

 

 呟きに対して肩をすくめるロズワールの応答。ようは国を動かす能力に欠けた先王の時代から、賢人会がほぼ運営を任されてきたという実績があるらしい。

「それより、オレらはあっちだぜ、兄弟」

 

 そうスバルに声をかけたのは先ほどの女性と共にいた鉄兜を身に着けた異形の男性だ。

 おそらく彼が先の女性――プリシラ・バーリエルの騎士だろう。

 男が指示した場所は先ほどまでシャオンがいた位置、騎士たちが並んでいる場所だ。

「ってな具合なんだけど、俺はあっちでよかとですか?」

「正しい措置としーぃては、このままさらっと君を外へ送り出すのが正しかったーぁりするんだけど……面白いから、君もシャオンくんと一緒に並びなさい」

「ちょっと、ロズワール」

 

 屋敷での態度と変わらぬロズワールに、こちらも屋敷での接し方と変わらず怒り気味のエミリア。彼女は軽々しいロズワールの言葉に物申すと詰め寄るが、

 

「残念ながら、今はエミリア様の正論に従っている時間はありません。正しく事態を明らかにすると、スバルくんはここでおさらば……長い永い意味でーぇね」

 

「だからってこんな場所に一緒にいさせたら、スバルが……」

「意見を交わすのは後回し。エミリア様、他の候補の方々が集まられています。そちらの方に」

 

 ロズワールが促した先には最後に到着したプリシラを含め、王選候補者が並んでいる。

 それを見てエミリアは待たせるわけにはいかないと思い、スバルを名残惜しそうに見ながらもそちらの列に加わった。

 

「ほら、行こう。ちゃんと後で謝らなきゃいけないけど今は邪魔になる」

「お、おう」

 

 半ば強引にスバルを、連れ騎士たちが位置する場所に連れていく。

 詳しい事情を聞きたいが、今は時が悪い。ゆっくりと時間をかけて仲介人を用意して話を聞く必要があるだろう。

 

「――やっぱり、君がきたね、スバル」

 

列に戻ると赤毛のイケメンが片手を上げて、二人の来訪を微笑で出迎える。

 

「シャオンとも話し合ってたけど、エミリア様が出席されるのを聞いて、まず君がくるんじゃないかと思ったよ」

「なんで俺が議題に上がってたのかわかんないんだけど」

「エミリア様を凶刃から守ったのはもちろん、それ以外の面でも君は最善を選び続けた。当然のことだと思うよ」

「なんだこのイケメン……!」

 

嫌味ゼロの顔つきでラインハルトは恥ずかしげもなくそう言い切る。 

 むしろ後光が差しているようにも見え、スバルが焼かれているようにも幻視する。

 そんな様子を見てラインハルトは青い瞳をきょとんとさせるのを余所に、身を焦がされたスバルは気を取り直し、

 

「こないだはホントに助かった。つか、礼を言う暇もその後の連絡の方法もなかなか選べなくて悪かった。もっと早く話せたら良かったんだけど」

 

「それについては事情もわかってる。仕方のないことさ。君達は名誉の重傷で、僕もこのところは少し立て込んでいたから」

 

 小さく肩をすくめるラインハルトは、それでもスバルの感謝の言葉を受け取ると嬉しそうに唇をほころばせる。

「ラインハルトとスバルきゅんって、知り合いだったんだ。いっがーい」

 

 そう言いながら、フェリスが軽い声音で割り込んできた。

 彼女は手刀に見立てた手を額に掲げ、敬礼のような仕草でウィンクすると、

 

「ほんの二日ぶりだね、元気してた? みんなのフェリちゃんは元気にしてたよ」

 

「聞いてねぇよっていうか、先日はどうも。またお会いできて光栄デス」

 

堅い言葉でフェリスに挨拶の言葉を口にする。

 

「スバル。フェリス嬢とは顔見知りなのか?」

「ああ。お前が出て行ってからだけどな。ロズワールのとこに、今日の出席確認にきたのがこの子。てっきり下っ端の小間使いかと思ってたけど……」  

 

 気安くスバルの肩に触れて、緊張をほぐすべしと呼びかけてくる少女。そんな彼女とスバルのやり取りをラインハルトも少し驚いた顔で見て、

 

「そうか、エミリア様のところにはフェリスが行っていたんだ。僕の手が空いていたら、ぜひ僕が行きたかったんだけど」

 

「剣聖を王都から離すとか、そんなのマーコス団長が許すわけにゃいでしょ。これ以上、団長の気苦労を増やしてあげたら可哀想だよ。ただでさえ三十前なのにあの老け顔……今後は顔だけじゃなく頭にもいっちゃう恐れが」

 

 冗談めかしたフェリスの言葉に、ラインハルトがわずかに微苦笑。さすがに内容が内容だけにおおっぴらに笑うわけにもいかない。マーコスと呼ばれたあの騎士は三十前には見えない、最初は四十歳にみえていたととてもではないが口になどできない。

 

「そろそろ、私の方にも彼を紹介してくれないかい?」

 

 と、声をかけたのはユリウスだ。

 しかし、彼の姿を見たスバルの変化は見るからに不機嫌そうに変化していた。

 フェリスに対する女性への免疫のなさからくるものではなく、むしろ敵意に近い雰囲気で彼を迎えている。

 

「どうしたよスバル。そんな今にもかみついていきそうな顔で」

「詰め所でエミリアたんの手にキスしやがった奴だかんな。けっ」

 

 スバルの説明を聞いて、その態度にも納得が行く。

 これがユリウスでなければまだしも、彼の性格と立ち振舞いはスバルと相性が悪いと思う。それにエミリアに手の甲とは言え接吻をしたのだ、スバルにとっては敵とも言える存在だろう。

 

「こりゃ自己紹介が遅れまして、ナツキ・スバルってケチな野郎でさぁ。どうぞ、頭の隅っこにでもせせこましく置いといてくだせい、へへっ」

「急にずいぶん卑屈な感じだね、スバル」

 

 ラインハルトがスバルをたしなめ、ユリウスに対して向き直り、

 

「気を悪くしないでほしい、ユリウス。スバルは少し、こうして他者に侮られる振舞いをして相手を試す節があるから」

「ラインハルト、スバルはそこまで考えていないよ。多分、単純な嫉妬」

 

ラインハルトのスバル買い被りはかなりの領域にある。

もっとも、功績を考えればあながち間違いではないが、すべて正しいとも言い難いという何とも言えないものだが。

「――賢人会の皆様。候補者の皆様方、揃いましてございます。僭越ながら近衛騎士団長の自分が、議事の進行を務めさせていただきます」

「ふぅむ……よろしくお願いします」

 

席に着いたまま手を組み、かすかに顎を引いて頷くのは賢人会の代表マイクロトフだ。彼の老人の返答にマーコスは恭しく一礼し、それから巌の表情の眉を寄せ、

 

「此度の招集は次代の王の選出――王選に関わる方々への重大な通達があってのことです。王城までご足労いただき、賢人会の皆様にもお集まりいただいたのはそのため」

 

 朗々と響く声はさほど大きくないにも関わらず、王座の間にいる全員の耳に等しく届く。生まれながらに他者に聞かせるための資質、声にすらそれが表れているのを感じ取り、隣にいるスバルでさえ軽口を挟む気すらわかずにその声に聞き入っていた。

 

「事の起こりは約半年前――先王を始めとした、王族の方々が次々とお隠れになったことに起因しております。王不在の事態は王国としてなによりの窮地、特に親竜王国ルグニカにとっては、『盟約』と深く関わることになります」

 

 盟約――というのが、王国がドラゴンと交わしたとされる約束事のことだろう。魔法の勉強をした際にも、軽く触れていたことであり、絵本にも題材になっていることだ。

 

「盟約の維持は王国の存続に大きく関わる。それだけに王の一族が一斉に病魔に侵されたのは痛恨事。一刻も早く、ドラゴンと意思を通わせることのできる『巫女』を新たに見出さなくてはなりませんでしたな」

 

「そのために我ら近衛騎士団一同、賢人会の皆様の命を受け、竜殊の輝きに選ばれた巫女を探し出すため、任に当たってまいりました」

 

懐を探るマーコスが掌に乗せているのは、見覚えがある小さな徽章――宝玉の埋め込まれた王選参加者の資格だ。

歩くマーコスが整列する候補者たちの前に向かい、彼女らに一礼すると、

 

「皆様、竜殊の提示を――」

 

 呼びかけに呼応して、少女たちがそれぞれ自らの徽章を前に掲げる。

 いずれの宝玉も彼女たちの手の中で眩い輝きを放ち、それぞれ異なる彩りで王座の間に光を散らし始めていた。

 それを見る騎士たちに感嘆の吐息が広がり、賢人会の老人たちも皺の深い顔に安堵と喜色めいた感情を浮かばせている。

 

「こうして、候補者の皆様にはいずれも竜の巫女としての資格がございます。それらを見届けました上で、我々は竜歴石に従い――」

 

「あんな?」

 

 厳かに議事を進行するマーコス。彼はその重々しい口調のまま話を進めようとしていたが、そこにふいにおっとりとした声で待ったがかかった。

 振り返るマーコスに声をかけたのは、はんなりと小首を傾け、僅かに不満そうに眉を寄せるアナスタシアだった。

 

「団長さんがぴしーっとお話進めたいんはわかるんやけど、ウチも忙しいんよ。カララギでは『時間は金銭に等しい』って言うてな?」

 

 穏やかな口調とおっとりした顔つきのわりに、直球で要求を突きつける少女。彼女は竜殊をしまうと手と手を合わせて音を立て、

 

「わかりきった話を繰り返すくらいなら、ウチらが集められたお話の核心が聞きたいなーってのが本音かな」

 

 柔らかい言葉ではあるが、きちんと最後に要求を告げ、笑顔で締め括る、

 その態度にマーコスは少しばかり面喰ったようだ。

 

「おいおい、関西弁とか嘘だろ」

「カララギでは一般的なものらしいよ」

 そしてスバルの驚きとは違う、かすかなどよめきが広間に蔓延しかける中、それを押しとどめたのは別の凛とした女性の声だ。

 

「道理だな」

「――クルシュ様」

 

腕を組み、顎を引いて同意を示すのはクルシュだ。彼女の反応にマーコスはその名を呼び、わずかに困惑を浮かべて眉を寄せると、

 

「格式を重んじる気持ちはわからなくもないが、それで本題が蔑にされるのは本末転倒と言えるだろう。我々が集められた理由に早々に触れるべきだ。もっとも」

 

女性は片目をつむり、マーコスのさらに奥、賢人会の歴々を視界に入れながら、

 

「おおよその想像はついているが、な」

「ほぅ、なるほど。さすがはカルステン家の当主。すでにこの召集の意味がわかっておりましたか」

 

 周囲のざわめきの声とマイクロトフの感心したような言葉に頷き、女性は凛々しい面を持ち上げ、玉座の前で開かれるこの集りの真意に触れる。それは、

 

「ああ。――酒宴だろう? 我々はいずれ競い合う身であるとはいえ、今はまだ互いに知らないことが多すぎる。卓を囲み、杯を傾け合い、腹を割って話せば自ずとその人柄も知れようと……」

「いや、違いますが」

 

 荘厳な感じで飲み会の段取りを決めようとする女性に、たまらず老人が口を挟む。

 彼女はその態度に驚き顔を作り、それからゆっくり自らの騎士フェリスのほうに顔を向け、

 

「フェリス。聞いていたのと話が違うが」

「やーだなー、もう。フェリちゃんはただ、お城にいっぱいお食事とかお酒が運び込まれてるから『酒宴でも開くのかもですネ』って言っただけじゃないですかー、やだー」

「そうか、私の早とちりか。許す」

 

懐の広いような振舞いだが、会話の内容が明らかにおかしい。

前に向き直り、今のやり取りを踏まえた上で女性は軽く吐息を漏らすと、

 

「そんなわけで、私のさっきまでの話は取り消してくれ。恥ずかしいのでな」

「ねぇ、フェリス嬢。クルシュ嬢って、意外と抜けてる?」

「にゅふふ、かわいいでしょークルシュ様」

 

 質問に態度で答えるかのように、頬に手を当てて身悶えるフェリス。顔を赤くして腰を振る彼女は主に誤情報を流した点は気にしていないようだ。というか、今のを見るにわざとな気もするが。

 

「クルシュさんが引いてもウチの意見は変わらんよ。今さら王選の上辺のことなんか話さんでもみんな知ってることや。そやろ?」

 

 アナスタシアが手を叩き、それた話をもとに戻す。

 身を傾けて、同意を求めるように並ぶ三者に尋ねる少女。

 彼女の問いにクルシュは頷き、プリシラは退屈そうな顔つきで小さく鼻を鳴らし、エミリアは緊張に強張る唇を震わせ、

 

「わ、私はちゃんと話を聞くべきだと思うけど……」

「悪いけど、ウチはアンタ様の意見は聞いてないんよ」

 

 が、ただひとり応じたエミリアへの彼女の態度は断ち切るようなものだった。

 

「てめ、なんだその態度……「うははーい! オレ、王選がどうとか知らないから先が聞きたかったりすっかなー!!

 

 前に踏み出し、怒号を放ちかけたスバルをたくましい腕が遮って止める。そのまま口から飛び出す予定だった罵声も、被さるような声によって広間に上書きされて響いた。

 スバルの感情での行動を遮ったのは鎧の男だ。彼は広間中の視線を一身に浴びながら、それらを気にせずに隻腕で己の漆黒の兜の金具をいじってリズミカルに金属音を立てている。

 豪胆というより気遣いの心を落っことしてきたようなその振舞いに、ラインハルトを始めとした周囲もさすがに面喰った様子だが、

「プリシラ様。彼はあなたの騎士とうかがいましたが……説明は?」

 

「妾がせずとも長話好きの貴様らが勝手にするじゃろ? 妾は妾の無駄を省いたにすぎん。繰り言など寝言と変わらん。寝言など、寝ててもするな」

 

マーコスだけがどうにか冷静に応対する中、尊大な口調でプリシラが煽る。

 

「すいません。助かりました」

「いやいや、気にすんなよ」

 

親指を立て、シャオンの謝罪に気楽に応える。

スバルが激昂し、あの場で声を荒げていたとしたら、流石にここまでうまく乗り越えるとはできなかっただろう。それを彼は前に出て、非難を一身に浴びた男性が肩代わりをしてくれたのだ。そう考えると見た目は変人だが、意外にも中身はできる男性らしい。

そしてその騎士の主であるプリシラは緋色の扇を広げ、

 

「妾が凡俗を意に従えるのは天意である。喜び、掌で踊るがよいぞ。続けよ、マーコス。妾の騎士に、妾が如何にして王となるのか教えてやれ」

「他人に丸投げするんをそこまで言えたら立派なもんや。ウチももうなんも言わん」

 

 肩をすくめて、プリシラの態度に匙を投げるアナスタシア。

 そうして二人の意思が統一されたのを見ると、マーコスは小さく咳払いして「よろしいですか?」とエミリアとクルシュにも確認。二人が頷くのを見届け、

 

「では少し脱線しましたが、話を戻しましょう。――竜の巫女の資格を持つ皆様がこうして集められたのは、竜歴石に新たに刻まれた預言によるものです。石板に刻まれた預言はこうありました。『ルグニカの盟約途切れし時、新たな竜の担い手が盟約の維持と国を導く』と」

 

「ふぅむ。石板が示したのはまさに天意。王国誕生のときより同じだけ歴史を積み重ねてきた竜歴石は、王国の命運を左右する事態に呼応して文字を刻む。その内容に従うことの重大さは皆お分かりだろう」

 

マイクロトフの述懐に、他の賢人会の老人たちも厳かに頷く。

ようは今後の方針は預言板に丸投げ、というかなり豪快な解釈もできるが、魔法ありの世界の預言と考えると効果があるのかもしれない。

ともあれ、その預言に従い、エミリアたちは王候補――というより、ドラゴンと意思を通わせる巫女としての役割を買われて集められたということらしい。

と、そこまで考えてふと脳裏に疑問が浮上した。

それはつまるところ、

 

「ドラゴンと盟約が云々ってんで話をするっていうなら、王様がどうのとかって話に加わる必要はなくないか?」

「そうそう。竜の巫女って役割を担う一族みたいなのがいればいいわけで」

 

 浮かんだ疑問を小声で、隣にいるラインハルトに向けてみる。スバルもその意見に賛成し彼に尋ねると、ラインハルトは苦笑を口の端に上らせながら、

 

「もっともだと僕も思う。けれど、そうはいかない」

「なぜに?」

「答えは、王国繁栄の盟約はドラゴンと王の間に交わされたものだからだよ。ドラゴンは自分と意思の疎通が可能なだけの存在と盟約を結んだわけじゃない。その人物が王国を背負う王であったから、盟約を結ぶに至った」

 

 ラインハルトの説明が示す通り、ドラゴンと人の契約はそれこそ綿々と受け継がれてきたその歴史の重みであり、それを少しでも遵守しようというのが賢人会を始め、近衛騎士団の総意なのだろう。だが、

 

「それならなおのこと、急ごしらえの巫女かつ王様なんてドラゴンのまさに逆鱗に触れるんじゃねぇか?」

「一応仮初めの王様を用意して、そのあと本物が見つかるまで仕事をしてもらうっていうことも考えられるけど、それだったら賢人会の人たちで十分だよな」

「うん。そのあたりの意見はかなりぶつかり合ったって聞いてるよ。でも、実際に王国に伝わる預言板、竜歴石はその綱渡りの手段が正しいと天意を示した。そして賢人会の方々もそれを認めて僕らに命を下したんだ。悪いようになるとは思いたくないね」

 

 確証はない、がそれ以外の手段もない。ならば最善を尽くすのみ、というのが今の親竜王国ルグニカの在り様というわけだ。

 肝心のドラゴンがこの王国の人間の判断にどんな沙汰を下すのか――それは今は誰にもわからない。あるいはそれを知るのは、神のみぞ知るということだ。

広間の視線を集める巌の騎士は並ぶ候補者四人に振り返り、

 

「そして預言にはこう続きがあります。『新たな国の導き手になり得る五人、その内よりひとりの巫女を選び、竜との盟約に臨むべし』と」

 

 マーコスが朗々と述べた内容、それを読み解き、うなって納得するしかない。預言板に、ひとりを選べと刻まれているのならばそうする他にないのだろう。

 と、そこまで考えてふと一部分が引っかかる。

 

「五人……?」

「そう、五人だ」

 

スバルの疑問にラインハルトが頷きで応じる。

 

「つまり、四人しか候補者がいなかった現状――王選はまだ、始まってすらいなかったということさ。そこは五人目の候補者を見つけられずにいた、近衛騎士団の不甲斐なさを責めてもらうしかないんだけど」

「人口五千万とかって話でしょ? そっから五人探せって話じゃ厳しいと思うけど」

 

 実際、通信手段が確立されて、国民調査がいっぺんに行える環境が整っている日本とかなどでないと、かなり難しい条件であると思う。日本でですら、そういった条件をくぐって例外となり得る存在はいくらでもあるだろうと予想できるのだ。

 近衛騎士団がどれほど人数がいる面子で、どれだけ優秀なのかはわからないが、短期間で四人の候補者を選出しただけでもかなりのお手柄だ。

 

「ま、意外と竜殊を光らせられる潜在的巫女がゴロゴロいるとかって話なら遠慮なく俺はお前を責めるけどな。この節穴……ッ」

「五千万の国民全てを調べられたとは断言できないけど、八割以上を調べた上での四人だ。騎士団を労ってほしいと僕は思うよ」

 

それだけのことをしてきた、と自負があるのだろう。ラインハルトの態度には恥じ入るところは一切ない。母数が多いのだ、むしろ四人も見つけられた時点で十分な功績だろう。

 ただ、

 

「その五人目が見つからないから、こうして我々は競り合うべき相手を見知っていながら、なにをすることもできずにいた。歯がゆいことだな」

「そうそう。事あるごとに呼び出されて商談の邪魔を何度もされとるし、ユークリウス家と繋がりが持てたってだけじゃ、その内にわりに合わんくなるわ」

 

クルシュの言葉にアナスタシア少女が同意。言い方はあれだが、皆同じことを思ってはいるようで否定の言葉は出てこない。

 

「とにかく、ここまでのお話はみんなも知ってること。これでお姫様は満足しました?」

 

「どうじゃろな。アル、わかったか?」

 

「うーい、了解。わざわざあんがとさん、そっちのカララギ弁の嬢ちゃんも」

 

 ひらひら隻腕を振る男性――アルの答えに、プリシラが「だそうじゃ」とアナスタシアに応じる。アナスタシアはその主従のいい加減さに瞑目。それから改めて賢人会を見上げ、

 

「話があるなら早くしてな? ウチも暇やないから、このあとにもやりたいこといっぱいあるんよ」

 

 諭すような言い方は、しかし相手が目上だとわかっている現状ではからかっているようにしか感じられない。思わず場が荒れるのでは、と警戒に身を固くしたが、そこはアナスタシアもすでに場数を踏んでいる人物だけあってギリギリのラインの見極めができているらしい。

 敬意に欠けた発言を受けた賢人会の面々の、いずれにも今の彼女の発言を咎めるような雰囲気は見当たらない。それどころか、マイクロトフなどは楽しげに、

 

「忙しいアナスタシア様には悪いですが、もう少し老体の話にお付き合いいただければ幸いですな。なにせ……今日は王国史に刻まれる一日になりますから」

 

 何気ない会話の最後、ふいにマイクロトフの声が低くなる。

 それを聞き、それまでどこか最初の緊迫感が失われつつあった広間に、誰もが背筋を伸ばさずにいられないほどの雰囲気が駆け抜けた。

それから彼は眉の濃い視線をマーコスに向け、目配せをもって合図とする。

それを受けたマーコスは胸に手を当てて一礼し、

 

「――騎士ラインハルト・ヴァン・アストレア! ここに」

「はっ!」

 

 突然、広間に響き渡るマーコスの声。

 呼びかけられるのを待っていたようにラインハルトが返答。それから彼は流れるような身のこなしで中央に進み出ると、候補者の四人に一礼を捧げ、それから騎士団長のマーコスの前へ。

 

「では、ラインハルト、報告を」

「はっ」

 

一歩場を譲り、マーコスが壇上前の中央を空ける。そこに進み出たラインハルトは観衆の視線をひとり占めにして、欠片の気負いもない表情で賢人会に向き合い、

 

「名誉ある賢人会の皆様、近衛騎士であるこのラインハルト・ヴァン・アストレアが、任務完了の報告をさせていただきます」

 

ラインハルトは一礼してから振り返り、広間の全員の前で堂々と背を伸ばす。そして全員に聞こえるように通る声で、報告を切り出す。

 

「竜の巫女、王の候補者――最後の五人目、見つかりましてございます」

 

おお、とどよめきが立ち並ぶ騎士たちの間に広がり、候補者たちの表情がそれぞれの強い感情に呼応して変わる。

今までの話の流れからして、そういう話になるのは目に見えていた。そしてラインハルトが報告の場に選ばれた理由。それも周囲の面子を考えれば予想はつく。

アルがプリシラ。フェリスがクルシュ。ユリウスがアナスタシアの関係者。

 全員が王選に関係している人物である。

よってこの場に加わっていたラインハルトの立ち位置もまた明白で、彼が主と仰ぐであろう人物の正体もある程度察しがついていた。

 

「お連れしてくれ」

 

その声を受けた門前の衛兵が敬礼し、それから扉がゆっくりと開かれる。

 そうして開かれた扉の向こうから、侍女らしき格好の女性数名を伴って、ひとりの人物が王座の間の中に招き入れられた。

 その人物の姿を見て、スバルは怪訝そうに眉を寄せ、エミリアは驚愕に目を見開き、唯一予想できていたシャオンだけは顔を引くつかせた。

 薄い黄色の生地のドレス。肘まで届く白い手袋とスカートを揺らし、いかにも履き慣れていないような踵の高い靴で絨毯を踏む姿。小柄で華奢な体躯は抱きしめれば折れてしまいそうなほど細く、衣服と同色の金髪が儚げな印象に良く似合う。

 しかし、意思の強い炎のように赤い双眸の彼女が、そういった弱々しさと無縁であるのを、短い時間ながらも共に生死のやり取りをしたシャオン達は知っている。

 

「自分が王として仰ぐ方――名を、フェルト様と申します」

 

少なくない動揺が漂よう広間にラインハルトのその声は何度も何度も繰り返すように響き続けていた。

 



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仲が悪いメンツ

まだまだ原作と同じ流れです


 ボロキレのような薄汚れた衣服をまとい、くすんだ金髪に荒んだ目をした少女。俯いて歩かざるを得ない環境にありながら、決して下を向かずに生きてきた、たくましく雑草のような少女。

 それが、フェルトという少女に抱いていた印象の全てであった。

 ラインハルトの宣言に招かれ、侍女を伴うフェルトが王座の間を静かに歩く。赤い絨毯を踏みしめ、薄い黄色のドレスの裾を地に擦らないよう意識しながら、小さな背中を真っ直ぐ伸ばして進む姿はひとりの貴族令嬢のそれだ。まだまだ未成熟ではあるが、外見を整えられた彼女の姿は美しい。

 彼女はゆったりとした動きでラインハルトのすぐ側へ。手の届く位置にフェルトがきたのを見届け、ラインハルトはその整った面に微笑を刻んで頷き、

 

「フェルト様、ご足労いただきありがとうございます」

 

「――ラインハルト」

 

 恭しく一礼するラインハルト。その彼に、身長差があるために下から見上げる形でフェルトが顎を持ち上げて呼びかける。

 涼やかな声音に呼ばれ、ラインハルトも通る声で応じる。フェルトはそんな彼の態度にそっと微笑んだ。

 そして、

 

「――てめー、またアタシの服隠しちまいやがっただろ!?」

 

 ドレスの裾を持ち上げながら、体躯のわりにはすらりと長い足が弧を描く。それは狙い違わずラインハルトの側頭部に命中――することはなく、蹴り足は軽く持ち上げられたラインハルトの掌の中にすっぽりと収まっている。ご丁寧にフェルトに負担がかからないように配慮した受け止め方でだ。

 片足立ちになるフェルトに、その足を掴んだままのラインハルトが一息つき、

 

「突然、なにをなさるんですか」

 

「さらっと止めといてしれっと言ってんじゃねーよ! アタシの服! 隠したのまたおめーだろ? おかげでこんなうっとうしいひらひらした服着せられたじゃねーか!」

 

 片足でバランスを取りながら、フェルトは彼女のためにあつらえられただろうドレスの裾を揺らしながら不満そうに頬を膨らませる。

 乱雑に扱われ、皺ひとつなかった生地に無粋な折り目が生まれ始める。それを見ながらラインハルトはゆるやかな動きでフェルトの足を地に下ろし、

 

「よく似合っておいでですから、恥ずかしがる必要はありませんよ」

 

「恥ずかしがってんじゃねーよ、嫌いだっつってんだよ! 服だけの話じゃねーぞ、お前もだ! 騎士様が拉致監禁とかそれこそ恥ずかしいと思わねーのかよ!」

 

「それが王国繁栄のためならば」

 

 迷いないラインハルトの言い切りに、頭痛でも感じたようにフェルトは額に手を当てる。それから彼女は遅れて広間中の視線を一身に集めていることに気付いたように、

 

「なんだよ、じろじろ見てんじゃねーよ。見世物じゃねーし、見世物だと思うんならお捻りのひとつでも投げるもんだろ」

 

 一目で上流階級とわかる人々に噛みつき、それこそこの場でもかなり上等に位置するだろうドレスに袖を通しながら、いかにも柄の悪い態度でフェルトがぼやく。

 

「すっかり変わっちまったかと思ったら、見た目だけの話でやんの。よかったー、やっぱ人間ってそうそう根っこの部分は変わらねぇよな。俺含めて!」

 

 フェルトのフォローを入れる上で、自己正当化も行いご満悦のスバル。その考え方に呆れていると品定めするように広間を見回していたフェルトの視線がスバルと絡んだようで、止まった。

彼女はふいに眉を寄せ、それから記憶を探るように瞑目し、ほんの数秒でその記憶を探り当てたように顔を明るくすると、

 

「お! なんでこんなとこにいんだよ、兄ちゃんたち!」

 

 軽い突き放しでラインハルトの胸を押すと、彼女はそのままの勢いでのしのしとスバル達の方へ向かってくる。高級そうなドレスが悲しくなるほど乱暴に扱われ、丁寧にそのコーディネートをしただろう侍女たちが顔を押さえて目を背けている。

 そんな感傷を置き去りにして、満面の笑みで向かってくるフェルトにスバルは相対。必然、シャオンも対面することになる。

 正直、シャオンとしては場の空気的に彼女と向かい合うのは避けたいのが本音だったが、味方不足で心細いのは彼女も同じはずだと思えば、無碍にできるはずもない。

 

「よぉ、久しぶりだな。元気してらんだばっ!」

 

 スバルが軽く手を掲げて爽やかに挨拶を放った瞬間、前蹴りが土手っ腹を直撃。衝撃に体がくの字に折れ、スバルはその場に膝をついて咳き込む。

その醜態を片足を上げたままのフェルトが見下ろしながら、

 

「その感じだと腹の傷とか平気みてーだな」

 

「お前……なんで確認に渾身の一発だよ。公の場で戻すとこだったじゃねぇか……。つかなんでおれだけ」

「そっちのうさんくさい兄ちゃんは……うん、あとが怖い。まぁ、兄ちゃんの方は兄ちゃんの方で大変だったってことか。けど、大変だったっつーんならアタシの方も負けてねーぜ?」

 

「……だろうな。まさかこんな場面でお前と出くわす羽目になるとは思わなかった。徽章騒ぎがめぐりめぐってこうしてぼんじょびっ」

 

 スバルが余計なことを口にしようとしたのを見てシャオンはぐりぐりと体重を乗せ彼の足を踏みつける。成人男性の体重を込められたその一撃を受け、スバルは妙な悲鳴をあげた。

 

「徽章騒ぎとか大っぴらに言えない事柄だと思うんですがぁ? スバルくんよぉ」

「……口塞ぐとか、もっと可愛いやり方あったんじゃね?」

 

 今までの鬱憤をこめて、の一撃だ。あまんじてうけてほしい。

 ともあれ、彼女の前科に触れるのはラインハルトに対しても悪いことになりそうだと思ったのはスバルも同じだったようで素直に口を閉ざす。

 もっとも、フェルト自身の行いのおかげで、とんだ社交界デビューとなってしまった事実は覆せないと思うのだが。

 

「フェルト様。旧交を温められるのもよろしいですが、こちらへお願いします」

 

 と、傍目には和気藹々に見えたのかもしれないやり取りをする二人に割り込んだのは、その場の空気に依然呑まれず、淡々と議事を進行するマーコスだ。

 その巌の表情にフェルトはまだ反論したがった様子だが、彼のすぐ側に立つラインハルトが申し訳なさそうに腰を折ると、不承不承といった顔で再び前へ。

 

「で、アタシになにをさせてーんだって?」

「まずは淑女としての振舞いを、と言いたいところですが、その前にこちらを手にとっていただいて」

 

 ラインハルトの軽いジャブに嫌そうな顔をするフェルト。その彼女の掌に、ラインハルトは懐から取り出した竜の徽章を手渡す。

 一瞬、その徽章の形にフェルトの眉がしかめられたが、すぐに宝玉が掌の中で光り輝き始めるのを見ると、その強張った表情も軟化する。

 

「珍妙な石だよな。なんだって光るんだか」

 

 振り返り、黙ってその資格照明の場面を見ていた賢人会のお歴々を仰ぎ見て、

 

「この通り、竜殊は確かにフェルト様を巫女として認めました。彼女の参加を承認した上で、此度の王選の本当の意味での開始が成るかと思われます」

 

 鉄製のプレートに掌を当て、恭しく頭を下げるマーコス。団長のそれにラインハルトが、そして捜索に当たった近衛騎士団の全員がそれに従う。

 任務完了の報告を行う騎士団の面々、彼らの尽力あってこの場に五人の竜の巫女――つまり、未来のルグニカの女王候補が集ったこととなる。

 

「なるほど、それで歴史の動く日ってわけだ」

 

そう考えれば歴史の目撃者となるのだからシャオン達は案外幸運なのかもしれない。

そんな見当外れの感想を抱くシャオンだが、ふいに王座の間に広がり始めているどよめきに遅れて気付いた。

どよめきの発生源は、敬礼を行う騎士たちとは中央を挟んで対面――そちらに居並ぶ、ロズワールなどを含んだ文官筋の集団から発されていた。どよめきの詳細は聞こえてこないが、それは困惑や戸惑い、そして明らかな不満が含まれている。

 

「失礼、よろしいですかな?」

 

と、ついにはその文官集団の中からひとりの中年が進み出る。

茶色の総髪を流した、四十代ぐらいだと思われる男性だ。彼は立派な顎ヒゲを神経質そうに撫でつけながら、

 

「今回の王選出の儀に当たり、近衛騎士団の尽力には言葉もない。諸君らの力なくして、これほど短期間で竜歴石の預言に沿った状況を作ることはできなかったろう」

 

「もったいないお言葉です」

 

もったいぶった言い回しで騎士団を賞賛する男性に、重々しい口調のままマーコスが謙遜してみせる。それに対して男性はやり難そうに目をそらしながら、「しかし」と前置きした上で、

 

「こんなことは言いたくないが、竜歴石の示した状況に沿っているとはいえ、少々人選に問題があるのではないだろうか」

「と、言いますと?」

「肝心の王国の冠を頂く資格について蔑にしてはおらぬかと言っているのだ」

 

 聞き返す言葉にぴしゃりと、中年は察しの悪い相手を怒鳴りつけるように言い放つ。

 

「竜との盟約はなにより重要だ。親竜王国としてルグニカが存在してきた以上、彼らとの友好なくして国は成り立たない。だが、竜を重要視するあまり、民を軽視するようでは本末転倒ではないか」

 

「つまり、こういうことですか。我々近衛騎士団は竜の巫女を探すことに心血を注ぐあまり、忠誠を誓うべき王に相応しい人物を見誤っていると」

 

「まぁ、そういうことになるな」

 

 マーコスの端的なまとめ方に肝を冷やされたのか、中年は言葉を選ぶようにと遠回しに忠告する。が、そのフォローも少しばかり遅い。

 必死に動いて結果を出したにも関わらず、その成果に対して決して寛大ではない評価を下された騎士団の方の心情は穏やかではないのだ。

「雲行きが怪しくなってきた気がするぞ」

「ま、騎士団からすりゃ難癖つけられてるわけだかんな。オレはそのあたりどうとも思わねぇが、どうよ?」

 

 スバルの呟きを聞きつけ、アルがくぐもった笑いを上げて別の二人に話を振る。振られた形になったユリウスとフェリスは視線だけをこちらに向け、

 

「フェリちゃんは別ににゃーんとも? だってだって、なんて言われようとフェリちゃんの忠誠はもうたったひとりに捧げちゃってるわけだし」

「フェリスと同意見、とまでは言わないけれど、私も同じ気持ちだよ。すでに剣は捧げている。彼らもいずれは自分の忠誠を預けることになるんだ。そうなる前の心の揺らめきを咎めるほど、狭量なつもりはないのでね」

「は、立派なこった。まぁ、それはオレも姫さんに対して一緒だがね」

 

対抗するかのようにアルが言うと、二人が微笑を口元に刻むのが見える。その様子を見てシャオンは瞠目した。

 彼らは見た目も、性格も、使える主も全く違うはずだが、主に対して忠誠を誓っているのは共通の事柄のようだ。つまり、彼らは騎士として、あるいは傭兵として全幅の信頼を主に預けている三人、というわけだ。

 そんな話をしていると事態は急速に進んでいき、意見を述べた中年を皮切りに、文官集団は次々に不満を口にし始める。

 その種類は様々ではあったが収束すると、「巫女であると同時に、王である。あるいは王になる、という自覚が足りない」ということだった。

 文官集団が特に矢面に挙げて糾弾しているのは、先ほどの態度の悪さが目立ったフェルトのことだろうが、それ以外の候補者たちにも飛び火していないとは言い切れない。

 事実、心優しいエミリアの横顔は痛みを堪えるかのように痛切で、あの場に立っていることが負担になっていることは間違いない。

 しかし、その糾弾も止むことになる。

 

「――静かに」

 

たった一言、壇上に座る老人がそう呟いたことだけが理由だった。

長い長いヒゲを撫で、マイクロトフはその閉じかけた瞳をさらに細めて、勝気な顔で老体を見上げるフェルトを見る。

 しばし無言の時間が続いたが、マイクロトフはふいに小さく吐息を漏らすと、

 

「騎士ラインハルト」

「はっ」

 

名を呼ばれ、手招かれたラインハルトが颯爽と壇上へ。

彼はマイクロトフの前で膝をつき、剣を腰から外して床に置く最敬礼を示す。それを満足げに見届け、老人は白いヒゲを手繰りながら記憶も手繰り寄せるように、

 

「ふむぅ。御身が彼女を見出した経緯を聞かせてもらえますかな」

 

出会いの経緯を聞き出され、知らず当事者でないのにシャオンの額に冷や汗が伝う。無論、スバルもそして、前に並ぶエミリアにもだ。

 それもそのはず。真実をそのまま告げる場合、当然、フェルトが行った盗難騒ぎにまで言及する必要があるが。それはどう考えてもいい方向には転ばない事柄だろう。

 

「彼女は十三日前、自分が王都の下層区――通称『貧民街』の一角で保護いたしました。その際、訳あって竜殊に触れる機会があり、彼女が巫女としての資格を持つものだと判明し、こうしてお連れした次第です」

 

 しれっと、問題の部分をぼやかして報告するラインハルト。

 

「貧民街の浮浪児だと……正気か、騎士ラインハルト!?」

 

 先ほどから文官集団の後押しを得て、いくらか息巻き始めている中年の声だ。

 彼は身振り手振りを加えた動きで大仰にフェルトを示し、

 

「未来のルグニカを担う王を選出するこの儀に、よりにもよって浮浪児を招き入れるなど言語道断だ。君は玉座をなんと心得ている!?」

 

「――――」

 

「都合が悪ければだんまりか。これが現剣聖の継承者とは、アストレア家の名誉も地に墜ちたものと判断せざるを得んな」

 

 壇上に敬礼を捧げたまま、ラインハルトは言われるままの言葉を受け止めている。その涼しげな横顔には負の感情の一切が見られず、男性もその様子に口をつぐみ、苛立たしげに舌を打つ。それから、

 

「マイクロトフ様、やはり考えをお改めください。竜殊に選ばれただけで、そのものに王座を得る資格を与えるなど過ぎた話なのです。王の冠はふさわしいものにこそ与えられるべきだ。手当たり次第に徽章を光らせられればいいという話では……」

 

「リッケルト殿、ちょこーぉっと熱くなりすぎじゃーぁないですかね?」

 

 現状の国の頂点に水を向け、その方針に異を唱える中年――リッケルト。その火のついたような舌鋒に水を浴びせたのは、聞き慣れたとぼけた間延びした声だ。

 リッケルトは明確な敵意を孕んだ視線を横、数名を挟んで並び立つロズワールに向ける。その刺すような視線にロズワールは両手を掲げ、

 

「おーぉ、恐い恐い。そんな目で見られると、小胆な私は胸が痛んでしまいますよ」

 

「戯言を……ロズワール。卿の態度にも納得していないぞ。私だけでなく、宮中の多くのものがだ。これまでは非常時故に仕方なしと見過ごしてきたが、こうして例外ばかりが目につくようではお話にならん。浮浪児を玉座に担ぎ上げようとするアストレア家はもちろん、半魔を王に推挙する卿の愚挙も……」

 

「――リッケルト殿、今の言葉は訂正された方がよろしい」

 

 凍える声が広間に静かに響き、興奮に赤くなっていたリッケルトの顔色が蒼白に変わる。原因は声と共に発せられた威圧感――依然変わらぬ微笑をたたえたまま、ただただ気遣わしげに小首を傾けるロズワールだ。

 

「ハーフエルフを半魔などと呼ぶのは悪しき風習ですよ。ましてやエミリア様は依然王候補――分を弁えていらっしゃらないのがどちらなのか、おわかりですか?」

 

「だとしても、だ。私は主張が間違っているとは思わない。竜の巫女たる資格のあることと、それが王に相応しい人物であるかは同義ではない。マイクロトフ様!」

 

 ロズワールの静かな威圧に気圧されながらも、リッケルトはマイクロトフの名を呼ぶ。

 

「どうぞご再考を。この場において、王候補をみだりに選出するのは早計と言わざるを得ません。竜歴石を形だけなぞることにどれほどの意味が……」

 

「――騎士ラインハルト」

 

心変わりを願い出るリッケルトの言葉に対し、しかし賢人はそれに応じることなく赤毛の騎士の名前を呼ぶ。その声に騎士は迷いなく応じ、その後に続く言葉を待つように精悍な面を壇上へ向けた。

マイクロトフは己の長いヒゲに触れ、やはり記憶を探る作業をするかのように指先でそれを弄びながら、

 

「まさか御身は、彼女がそうであると?」

 

「確信はありません。確かめる手段はすでに失われております。――ですが、これだけの符号を偶然と呼ぶのには抵抗があります」

 

「ならばなんと?」

 

「――運命である、と」

 

 ラインハルトの明朗な答えに、マイクロトフは感じ入るものがあったかのように瞼を閉じた。

 その二人のやり取りの内容が、傍で聞いているシャオンにはさっぱりわからない。異世界人だからわからないことなのかと、周囲の顔色をうかがうが、顔色の見えないアルはもちろん、フェリスやユリウスも同様の状態のようだ。

 わかり合っているのはラインハルトとマイクロトフの二人のみ。

 その状態に痺れを切らしたかのように、リッケルトは唇を震わせて前に出て、

 

「意味のわからない言葉遊びだ! 騎士ラインハルト、貴殿は正しい騎士としての道すら見失ったか。浮浪児を連れてくるような曇り眼にはそれも似合い……」

 

「上辺だけに囚われ、大切なことを見落とすようでは御身の目は節穴ですな。あるいは王家へ捧げてきた忠義がハリボテなのか、と疑われるところです」

 

 気勢を吐いてラインハルトを糾弾しようとしたリッケルトを打ったのは、静かだが決して甘さを寄せつけないはっきりとした弾劾だった。

 マイクロトフの口から紡がれた言葉の意味が呑み込めず、しばしリッケルトは呆然とした表情となる。それはリッケルトを支持していた文官集団も同じであり、否、この場にいるほとんどがそうなってしまっていた。

 自然、静寂が広間にわずかに落ちるが、しかしそれでも立場があるリッケルトは青い表情ながらもマイクロトフに物申した。

 

「こ、これはおかしなことを。マイクロトフ様もお人が悪い。私の忠義の、あるいは目のなにが過っていると」

 

「ふぅむ。でしたら、フェルト様を見ていてお気付きになりませんかな」

 

 試すようなマイクロトフの言葉に、リッケルトは怪訝な顔でフェルトを見る。

 話題の当事者でありながら、だいぶ話の関わりから遠ざけられていた彼女は、その視線を受けて露骨に嫌そうな顔をする。  

 言葉に従いフェルトを見ながら、また彼女の王の器として抜けている部分を指摘しようとしていたリッケルト。その表情がふいになにかに気付いたように強張り、凝然と目を見張る。

 それから彼は押し開いた眼をマイクロトフの方に向けて、

 

「き、金色の髪に紅の双眸――!?」

 

リッケルトが動揺の原因を口にすると、その意を察した文官たちにも同じだけの衝撃が広がっていく。ピンとこないのはこの世界の常識に欠けているスバルとシャオンのみ。

 ちらりと周囲見ると、フェリスとユリウスも合点がいったという表情。アルは兜でおおわれているからか表情はわからないが、動揺はしていないようだ。

 リッケルトは自分の今の驚愕を周囲と共感でもしたいのか、彼は震える指でフェルトを示し、

 

「金色の髪に紅の双眸――それはルグニカ王家の血筋に表れる容姿の特徴だ。だが! そんなおかしな話があるものか! 王家は半年前の一件で、血族の方々ことごとくがお隠れになっている! 割り込む隙などどこにもありは……」

「――十四年前、宮中で起きた事件のことをご存知ですか、リッケルト様」

 

 強い否定を口にしかけるリッケルトを、静かにラインハルトが遮った。

 そしてそのラインハルトが口にした内容に、リッケルトの表情がさらに強張り、震える声でラインハルトに語り掛ける。

 

「まさか騎士ラインハルト、貴殿が言いたいのは……」

「十四年前に城内に賊が侵入し、先代の王弟――フォルド様のご息女が誘拐される事件がありました。そのまま賊には逃亡を許し、ご息女の行方もわからないままに」

「ふぅむ。前近衛騎士団の解体と、再生の切っ掛けとなった一件でしたな。確か御身の親族も無関係ではなかったと思いましたが……」

「本来は知り得ないはずの情報を知っている。それで察していただければ」

 

 ラインハルトの言葉少なな応答に、マイクロトフはただ頷きを持って応じる。

 が、リッケルトの方の混乱は収まる素振りが見えない。彼は手を振り乱し、

 

「極論、いや暴論だ! 十四年前に行方不明になられたご息女が、王都の貧民街に身を落として生活しており、それを偶然にも貴殿が見つけ出したと? あまつさえ、その身は竜の巫女としての資格にも値したと?」

 

 立て続けにぶつけられた情報を羅列し、それからリッケルトは笑う。

 

「馬鹿馬鹿しい! あまりにでき過ぎな話だ。いっそ巫女の資格を持つ少女を見つけ出した貴殿が、その少女の髪を染色し、瞳の色を魔法で変えたとでもした方がよほど無理がない。――そんな命知らずな真似、してはいないだろうが」

 

「剣にかけて」

 

 幾許か冷静な表情を取り戻すリッケルトに、ラインハルトは床に置いていた剣を立て、鞘からほんのわずかに刀身を覗かせ、音を立てて納刀。誓いを立てる。

 その整然としたありようにリッケルトは薄くなり始めた頭部を乱暴に掻き、

 

「……すでに王家の血は全て病没しており、血族かどうかを確かめる手段は存在しない。憶測だけの素姓で、誰もが頭を垂れるなどとは思わぬことだ」

 

「それは当然のことです。が、自分はフェルト様こそが、王位を継ぐに相応しい方と確信しています。血のことをなしにしても、です」

 

「今代の剣聖ともあろうものが、ずいぶんと入れ込んだものだ」

 

ラインハルトの真っ向からの返答に、リッケルトは諦めたように吐息。それから彼は改めて、話題に上っていながら混じっていなかったフェルトを見やり、

 

「竜の巫女としての資格を持つことは別として、貧民街の出身。――そして、あるいは失われたはずの王族の血統の可能性。貴女がさらされる苦難の重さは想像を絶する。その覚悟が、おありか」

 

挑発、という軽い意味合い抜きに試すような物言い。

それはこれまでの会話の流れを鑑みて、彼女自身の答えをもってリッケルトが己の不満と決別するための儀式でもあるのだろう。

 時に人はこうして相手を認めていながらも、面倒な手段を選ばなくてはならないこともある。だがこれでようよう不毛な議論に終止符が打たれると肩を撫で下ろしたのだが、

 

「は? なに言ってんだよ、オッサン。アタシは王様やるなんて一言も言ってねーよ、勝手に決めんな」

 

これまでに作られた雰囲気を根元からぶち壊すように、フェルトが憎々しげに唇を尖らせてはっきりと拒絶の意を表明した。

自然、リッケルトを始めとした広間の全員に動揺が走る。そんな感情の波を巻き起こしたフェルトはラインハルトに指を突きつけ、

 

「アタシは無理やり貧民街からこっちに引っ張ってこられてんだよ。帰せつっても帰しやがらねーし、服は隠してこんなひらひらした服ばっか着せやがる。うんざりどころの話じゃねーぞ、アタシは全然納得しちゃいない」

 

 言いまくしたてて肩を上下させ、フェルトは挑発するように顎を持ち上げ、ラインハルトの長身を見上げる。立ち上がった赤毛の青年は困ったように微苦笑し、

 

「フェルト様はまだそのようなことを」

「アタシからすりゃー、アンタの諦めの悪さの方が説明つかねーよ。いいか? アタシは嫌だ、つってんだ!」

「――いつまでもうだうだと、つまらんことこの上ない話じゃな」

 

主張を曲げないラインハルトに、焦れた表情でフェルトが怒鳴る。

そんな二人のやり取りに口を挟んだ少女がひとり――これまで沈黙を守り続けていた王候補陣営、その中で腕を組んで退屈そうに目を細めるプリシラだ。

彼女は組んだ腕の上で豊かな胸を揺らし、

 

「形だけでも開幕に必要な五人は揃った。あとは始まりさえすれば、相応しくないものは自然と省かれるじゃろう。どうせ最後に残るのは妾なのじゃ。他の余分な連中の王の資質など、あろうがなかろうが関係あるまい」

 

「ああ?」

 

 プリシラの暴言めいた暴論に、ヒートアップしたままだったフェルトが反応する。彼女は小さな体をさらに縮め、真下からプリシラを見上げるチンピラスタイルで、

 

「さっきっからおめでたい格好した女だと思ってたけど、そんな動きづらい服でケンカ売ってんのかよ。アタシはすぐ足が出るんで有名だぞ」

 

「頭が高い。妾を誰と心得る」

 

「はっ、知るわけね……ッ」

「――姫さん、そいつは」

 

 アルの叫びとほぼ同時に、やはり動いていた彼女は、虚空に手を差し伸べながら淡い輝きをその掌をフェルトに放つ。

 しかしそれが彼女に触れるよりも早く、まさしく風のような速度で動いたラインハルトが、フェルトの前にその体を割り込み、光弾を無理やり打ち消した。

 

「失礼します。プリシラ様」

 

 静かな声はプリシラの眉を僅かに動かし、その隙にエミリアはフェルトをかばうように自らの胸に抱き寄せた。

 

「こんな場所で、なに考えてるの!?」

「な、なにをしようとしたんだ?」

「陽魔法の過干渉。簡単に言えば水が入っているコップの中にあふれだすぐらい水を入れたようなものかな」

 

 魔法の知識があまりなく、何が起こったのかをスバルに説明をする。

 

「つまり、無理矢理ドーピングさせたみたいな? 栄養剤を大量に取らされたってことでOK?」

「まぁ、その認識でいいよ。アレを受けていたら耐性がなければ倒れていたかもね」 

 

 たとえ方が独特ではあるがあながち間違ってはいないのでいいとしよう。いまはそんなことよりも目の前の事態を何とかしなければいけないのが優先される。

 怒りも露わにエミリアが怒気をぶつけるのは、己の所業になんら呵責を抱いていない顔のプリシラだ。彼女は煩わしげに手を振ると、

 

「躾のなっていない雌犬に少しばかり教授してやったのだ。妾に対する無礼は命で払うしかないのをその程度で済ませたのじゃから感謝してもらいたいほどじゃ」

「悪いことをしたらごめんなさいでしょう? 叱られてみないとわからないの?」

 

 悪びれないプリシラの答えに、エミリアが普段の調子を取り戻しながら言い募る。その内容に一瞬、プリシラはきょとんとした顔をし、すぐに笑いを堪え切れないといった様子で破顔。そのまま笑いを得た表情で、

 

「ああ、これは面白い。今のは久々に楽しめたぞ、褒めてやってもよい」

「イチイチ不愉快な子ね。なにを……」

 

「悪いことをしたら謝る、とな。ならばさながら、貴様の場合は『生まれてきてごめんなさい』とでも謝罪してみせるか? 銀色のハーフエルフよ」

 

衝撃が、エミリアの全身を貫いていったのが見てわかった。

エミリアの肩が大きく揺れ、彼女はさっきまでの毅然とした表情を打ち消され、痛切に満ちた瞳を押し開きながら、

 

「わ、私は……魔女と関係なんて」

「そんな言い訳が誰になんの意味を持つ? 貴様は世界の禁忌の存在の映し身で、人々はその姿を目にするだけで恐ろしくてたまらない。それは揺るぎない事実じゃろ?」

 

辛辣な言葉を畳みかけるプリシラに、顔を蒼白にしたエミリアは首を力なく横に振るだけだ。プリシラの言葉の意味は理解できるが、それで納得がいくかどうかは話が違う。

 流石に割り込もうかと考えたその時、

 

「姫さん、そこまでにしてくんね? あんまし敵増やされても困んだよ、マジ」

 

 プリシラの暴君ぶりを引き止めたのは、アルの弱音だった。彼は表情の見えないはずの兜の中、そこが困り顔であるのを誰もが察せられるほど弱々しい声で、

 

「特に剣聖と対立とか特大の厄ネタもいいとこだ。素直に謝っとこうぜ?」

「妾の従者ともあろうものが情けないことを抜かすでない。剣聖がどうした。たかだかこの国で最強というだけじゃろうが、どうにかせい」

「一分ももたねぇよ」

 

 彼我の戦力差を冷静に見極め、アルは早々に白旗を掲げて無抵抗を表明。プリシラはその態度に呆れた様子。そして、アルと向かい合うラインハルトとエミリアの二人は驚きと困惑を隠し切れない顔だ。

が、少なくとも場が即座に一触即発の場面に飛び火することだけは防がれた。

 仕切り直すにも切っ掛けのほしい場面ではあるが、すぐに事態が悪い方向へ転がり落ちることもあるまい。

 誰もがこの膠着状況をどうにかすべし、と頭を回転させる中――甲高い音が響いた。

 

「――話逸れてないっすかね。いい加減、話を進めるっすよ」

 

 音の発生源はシャオンの隣にいた少女、アリシアによるものだった。

 今まで黙ってみていたアリシアが、イライラした様に手甲を突き合わせ注意を引いたのだ。

 

「同感だな」

「せや。ウチは言うたやろ? 時間がもったいないって。早く始めよ」

 

 アリシアの意見に同意したのは先の争いにかかわっていないともいえるクルシュとアナスタシアだ。

 アリシアがせっかく作ってくれたきっかけを無駄にはしないとでも言いたいように、二人は苦情を口に出したのだろう。そして、それに乗っかる人物がもう一人、

 

「そうですな。それでは、始めるとしましょうかの」  

 

マイクロトフは全員を見回し、それからエミリアとフェルトに視線を合わせると、

 

「フェルト様、それにエミリア様。お二人とも、落ち着かれましたかな」

 

「え、ええ……私は大丈夫。この子も……」

「……礼は言わねーからな」

 

 エミリアの抱擁から抜け出し、ふてくされた顔のフェルト。その態度を見たラインハルトはエミリアへ感謝の目礼を向け、元の騎士の列に戻る。それを見てエミリアとフェルトも不満そうにではあるがそれぞれの列に舞い戻った。

 クルシュとアナスタシアはようやく本題に入ることができると思い、安堵の表情を浮かべている。

ただ、事の発端であるプリシラだけが変わらず退屈そうな眼で、反省の色が一片も見当たらないのが腑に落ちないが、ひとまずの一悶着は終結。

候補者が並んだことを見届けて、マイクロトフが改めて宣言する。

 

「では本来の議題――王選のことについて、候補者の皆様を交えて、賢人会の開催をここに提言いたします」

 



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番外編 四月一日の記念日。前編

感想五十件目の一二三四五六様によるリクエスト”エイプリールフール”ネタです。
ちょっと雑になったかもしれませんが、ご了承を


 ロズワール邸のとある部屋。

 口元を三日月のように歪ませ、下種な笑みを浮かべる男がそこにいた。

 

「……ついに、ついにこの日が来たっ! げへへ、まってろよ!」

 

 端から見れば変人だが、幸いにもそれを見る人物はいなかった。 

 

 

 ベアトリスは禁書庫の椅子に座りながらいつものように本を読んでいた。

 物音すらせず、静かで平和な空間。そこに、

 

「ベア子!」

「……相変わらずだけど、なんで扉渡りを破れるかしら」

「俺だから!」

 

 いつになくウザい、もといやる気がある、スバルの登場にベアトリスの頭が痛くなる。

 スバルがここまでテンションが高いということはまたなにか企んでいるはずだ。流石に彼の考えていることはある程度読める。

 しかし先ほどまでのハイテンションの様子から一転、申し訳なさそうに手を合わせて頭を下げたではないか。

 

「いや、今までさ。迷惑をかけちゃったかなと思ってよ」

「今頃気づいたのかしら」

 

 本を閉じ、スバルに向き合う。その姿はどうやら本当に反省しているらしく、頭の下げ方もきちんとしていた。

それを見てベアトリスはいつものスバルではないと考えを改める。

 

「ああ、だからこれだ」

「……なんなのよ、これは」

 

 スバルが取り出したのは一つの箱だ。

 しかしただの箱ではない。色鮮やかに加工された、贈り物に扱われるようなものだった。

 ベアトリスにとってそれだけで疑問ものだが、これを渡される理由が全く想像つかないのだ。

 

「日頃のお詫びもかねて、俺からのプレゼントだ」

「信用ならないかしら」

 

 即答したベアトリスだったが、スバルはそれを予期していたとも思えるほどに俊敏に動く。

 

「いいのかな? そんなこと言って。中に入っているのはお前が好きなパックのぬいぐるみだ!」

 

 高々と箱を上げるスバル。

 普段だったら、ただただうっとおしいだけだったが今の言葉は彼女には――

 

「にゃっ!? にーちゃの!?」

 

 瞳を輝かせるには十分だったようだ。

 

「俺の手作りだ。お前も俺の実力は知っているだろ? モッフモフだぜモッフモフ」

「……ふん、オマエにしては気が利くかしら。ま、まぁ? もったいないから貰ってやるのよ」

 

 口ではそう言いながらも、ベアトリスの表情筋は緩みまくりでよだれがこぼれていないのは奇跡ともいえるだろう。

 そんな彼女の様子にスバルは苦笑しながらも箱を手渡す。そしてベアトリスから距離を取る。

 敏い彼女だったら気づいていただろう、なぜスバルが離れたのかを。だが、今の彼女はいつも通りの彼女ではないのだ。

 鼻歌を歌いながら包装をほどき、箱のふたを開いた瞬間――

 

「ふぎゃー!」

「大・成・功! 流石ベア子、俺の予想を裏切らない騙されっぷりだ!」

 

 小さな爆発音と、箱の中からなにかが飛び出し、ベアトリスの目の前で止まる。

 そう、スバルが彼女に渡したのは世間一般でいうびっくり箱というものだった。

 

「な・ん・な・のかしらー!」

「エイプリールフール! 今日は嘘をついてもいいんだよー!」

 

 事情を説明し、魔法が飛んでくる前に退散しようと、入り口まで駆ける。

 幸いにもあまりにも驚いたベアトリスはひっくり返っており、魔法を放つほど余裕がなかったようで一撃も魔法が発動されることはなく扉にたどり着いた。

 

「ふふふ、俺ったら悪い奴だぜ」

 

 しかしそう言いながらも箱の奥にはしっかりとパックのぬいぐるみを用意してある当たり自分も度胸がないのかもしれない。

そう自嘲気味に笑いながら、禁書庫から無事逃げ出したのだ。

 

 

 スバルは次の標的を見つけ、スキップを取りながら彼女の元に近づく。

 次の標的は金髪の少女、アリシアだ。

 彼女は箒を片手に仕事をしている場面だった。

 

「アリシアー」

「なんすかー? アタシは今忙しいんすよ」

 

 そういう彼女だったが廊下を掃除しているだけでそこまで仕事に追われているわけではなさそうだ。だったら嘘をついても問題はないだろう。

 

「なんかロズっちが呼んでたぜ? 給料がなんとか……上がるんじゃないか?」

「ま、まじっすか!」

 

 お金の話になると彼女は目を輝かせ、周囲に星が飛んでいるように見える。

 

「俺がこの仕事を代わりに受けるから行ってこいよ」

「恩に着るっす!」

 

 埃を舞い散らせながら彼女はロズワールがいるであろう執務室にかけていった。真っ先に、一切の寄り道をせずに。

 

「……少しは疑えよなー。流石に心が痛む」

 

 自分でやったことだがあまりにも不憫なので、彼女の代わりにここの仕事は担当することにしたスバルだった。

 

 

「と、いうわけかしら」

「何とかしてほしいっす」

「うん、事情は分かったよ。でもさ、何故に俺のところに来たんだよ」

 

苦情をいいに来たベアトリスとアリシアにシャオンは洗濯物を勢いよく伸ばしながら聞き流す。しかしそれをさせまいとベアトリスはシャオンの前に出る。

 

「オマエとあのバカは同郷って聞いたのよ。それだったら対策があるはずかしら」

「うーん。確かに俺も騙されたけどなんとかしたしな」

 

 ちなみにシャオンの場合はスバルが言った嘘を適当に流し、嘘と真実を混ぜたようなことを言い返したのだ。それだけでスバルは信用してしまったので意外と彼もチョロいのかもしれない。

 

「なに笑ってるんすか!」

「いやいや、何でもないよ」

 

 微笑ましく思っていたことが表情に出ていたらしく、アリシアにどつかれる。

 これ以上突っ込まれると恥ずかしいので話をそらすためにもう一人の同僚にも話に参加してもらうことにする。

 

「なー、ラム嬢。スバルから嘘つかれた?」

 

 反対側で洗濯物を干している桃色の髪をしたメイド、ラムにも尋ねる。

 すると彼女は呆れた様に息を吐き、そして髪を払い、鼻で笑う。

 

「はっ! ついに頭がバルス並みに腐ったのね。そもそもラムはバルスの言うことなんてほとんど信用していないわ」

「それは……ひどいな」

「レムのほうが全部肯定するもの。だったらラムはすべて否定するわ」 

 

 確かにスバルに心酔している彼女だったら彼の言うことはすべて信じるだろう。そしてそれが嘘でも信じていそうだ。

 かといって姉のラムが彼女の反対の方針を取る必要はないと思うのだが……突っ込むのも野暮だろう。

 

「だそうだ。参考になった?」

 

 振り返り、確認を取ろうとしたがそこには誰もおらず、砂煙が舞っていた。

 

「……少しは手伝えよ。今日はレムは忙しいんだから」

 

 なので一人で改めて洗濯をやり直す必要が出て、嫌になるシャオンだった。

 

 

 ラムと共に階段の掃除をしているとドタドタとこちらに向かって走ってくるような音が聞こえる。そしてそちらを見ると案の定アリシアとベアトリスの二人が向かってきていた。

 

「ダメだったっす!」

「なんなのかしら! あの男!」

 

 二人して文句を言う。どうやら返り討ちにされたようだ。

 これはスバルができるのか、それとも彼女たちが素直なのかは悩ましいことだが。 

 

「どーぅやらお困りのようだ―ぁね」

「ロズワールさん」

 

 階段の上からこちらを見下ろすのは白い顔、この屋敷の持ち主ロズワールだ。

 

「シャオンくんはもう解決策が浮かんでいるんじゃーぁないかい?」

「まぁ、一応」

「だったら私の仕事の邪魔になりそーぉなものでね。いい加減懲らしめてもらいたい」

 

 そういうロズワールの表情はいつも通りのように見えたが僅かにイラついているようにも見えた。

まさかとは思うが彼に対してもスバルは仕掛けたのだろうか?

 命知らずというか、なんというか。誰にでも平等に接するのがスバルらしいとしか言えない。しかし、雇い主兼師匠であるロズワールの頼みならば断わることはできない。

 

「仕方ないですね。では、とある人物に手伝ってもらいますか」

 

 シャオンの言葉に一同は意味が分からないようでそれぞれ首をかしげる。だがそれを無視してシャオンはついてくるように指示する。

 面々は素直についてくる。よっぽどスバルに一泡吹かせたいようだ。

 シャオンはとある部屋の前に止まり、必然的に他のメンバーも足を止める。

 

「ここは――」

 

 扉をノックし中にいるか確認を取る。

 数秒後、ゆっくりと扉が開かれ中から現れたのは銀髪の美女、エミリアだ。

 

「エミリア嬢。いきなりで悪いけど頼みがある」

「それは構わないけど……シャオン、それにみんなも。いったいどうしたの? なにか、あったの?」

 

 レムとスバル以外が集まって自分の部屋の前にいたのだ。だから不安がるエミリアの気持ちもわかる。しかし、今の問題を解決するには説明をしてはいけないのだ。だからシャオンは――

 

「実はね、今日は――」

 

――とある嘘を吐くことにした。

 




午後に後編を


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番外編 四月一日の記念日。後編

「さて、そろそろ昼になるか」

 

 エイプリールフールは午前中だけ適応されるのだ。だからあと嘘を吐けるのは一回ぐらいが限界だろう。だとしたら、その対象はいったい誰にするべきか。

 ベアトリス、アリシア。この二人には散々吐いた。正直これ以上は可哀想になるので却下。

 シャオン、ラム、レム。この三名にはそもそも嘘をついても意味がない。

 前者二人はまともに取り合わないし、レムに至ってはスバルの言う言葉を信じすぎてしまうので嘘を吐いたという達成感がない。

 ということは候補は一人に絞られる。

 彼女のことだ、すぐに騙されるだろう。問題としてはスバルの良心が彼女をだますことに耐えられるのかということだ。

 だがやらねばならない。男には一度決めたのならばやりきらねばならないことがあるのだから。

 でも、できるならば彼女に出会う前に昼に入ってほしいという気持ちもあるので、神様に軽くお願いする。どうか――

 

「――スバル、ここにいたの」

「エミリアたん……なんつーか、神は性格が悪いな……まぁいいやエミリアたん、実はね――」

 

 偶然エミリアと鉢合わせをしてしまい、スバルは神様に恨み言を口にする。

 しかし、出会ってしまったのならば仕方がない。スバルは心を鬼にして彼女に嘘を――

 

「あのね、言いたいことがあったの」

「へ?」

 

 出鼻をくじかれ、思わず鼻白むスバル。

 

「今日が何の日かシャオンから聞いてね。言いたいことがあったの」

「ああ、そうなのか。実はエイプリールって言って――」

 

 シャオンから聞かされていたのならば仕方ない、スバルは安堵の息を漏らす。

 彼女に嘘を吐けなかったことも残念ではあったが、心を痛める必要はなくなったのだから。しかしスバルのその安堵は彼女の次に紡がれた言葉によって乱されてしまった。

 

「――スバル、大好き」

「――――はい?」

 

 エミリアの発言にナツキスバルは自らの耳が狂ってしまったのかと錯覚する。

 

「いま、なんて?」

「な、何回も言わせないでよ。もう、スバルのばか」

 

 ――照れた様子のエミリアマジプリティ。

 という感想は置いておいて、これはどういうことだろうか。

 やはり、今の発言は嘘だろうか? 嘘じゃなかったら文字通り飛んで喜ぶところだが、それは悲しいことに確率が低すぎるのだ。

 ならばエミリアが嘘を? 彼女を疑うのか? こんな嘘をつくということからかけ離れた彼女を?

 正直、信じたい。信じて彼女がスバルに愛の言葉を口にしたのだと信じたい。しかし、彼女は言ったではないか”今日が何の日か聞いたと”。

 つまり彼女はエイプリールフールについて知っているわけだ。ということはやはり先の発言は嘘だったのだろうか? だが彼女の無垢な瞳からは嘘をついているようには見えない。しかし――

 

「スバル?」

「え? あ、ああナンダイエミリアたん」

 

 考え事を中断し、結論はまだ出せていないが片言で彼女の話を聞くことにする。

 

「あのね、今日の夜大丈夫?」

 

 彼女は頬を染めながらスバルの予定を確認する。しかも、今日の”夜”ということ。

 つまり、これはあれがこれでそれがどれで……ナツキスバルは大人の階段を上ることに?

 

「――――う、うわぁぁああああ!」

「ス、スバル!?」

 

 コミュ力が乏しく、度胸がないスバルにはそれを受け止めるほどの体力はなく、想像しただけでいてもたっていられず雄たけびを上げる。

 その叫び声に驚いたエミリアすら置いて走り去る。

 

「さて、これですこしは腹の虫も落ち着いただろ?」

「えぐいっすね」

「ざまぁないわ」

「ふん。まぁ、少しはマシになったかしら」

 

 柱の陰で見守っていた三人の使用人と一人の司書はその様子を見て呆れ、同情そして満足そうに頷くといった反応を示していた。

 シャオンがエミリアに教えたのは今日がエイプリールフールだということではなく、”とあること”だ。そして彼女にこう言えばいいとしか伝えていない。

 隠し事ができない彼女にすべて話してしまっては鋭いスバルにはすぐに見抜かれてしまうだろう。だからこんな作戦を思いついたのだが……うまくいったようだ。

 

「さて、それじゃ、仕事に戻ろう。今日は忙しいぞ」

 

 なにせ、今日の本番は夜なのだから。

 

 

「バルス、早くしなさい」

「ういうい。まったく、一体なんだってんだ」

 

 あの一件の後スバルのやる気は超低下していた、というよりも仕事に集中ができなかったのだ。

 エミリアの言葉の意味を聞こうにも彼女の姿は見えず、シャオン達に聞こうにも彼らも姿を現さない。レムに至っては嘘を吐きに会いに行ったきりでそれ以外では出会えなかった。

 唯一会えたのはラムとロズワールのみ。そして現在はそのロズワールに酒蔵にある酒を取ってくるように言われたのだ。

 頼まれたのは今夜の食事で飲む、珍しいお酒らしい。何かあるのか聞いてもはぐらかされてしまったのでそんな酒を今日飲む理由は全く持って検討がつかない。

 ちなみに値段を聞いたらあまりにも高級だったので手が震えてしまっていたスバルの代わりに、ラムがもつことになってしまったのは内緒だ。

 

「ほら、さっさと開けなさい。ラムは今重いもので手がふさがっているの」

「へいへい、まったく人使いが荒いこって」

 

 彼女に言われるまま、重い食卓への扉を開く。するとそこに広がっていたのは――

 

「え?」

 

 綺麗に装飾された部屋、腹の虫を鳴かせる料理のいい香り、そして奥にあるのはプレゼント箱。

 あまりにも予想外の光景に一度スバルの思考は停止し、その隙を突いたかのように、

 

「せーのっ!」

 

 エミリアの、鈴を転がすような声が掛け声となり、

 

「「「「誕生日おめでとう!」」」」

「――あ」

 

 クラッカーの音が鳴り響き、スバルに紙吹雪がかかる。それを払わずに、ようやくスバルは今日は何の日だったのかを思い出す。

 四月一日、それはエイプリールフールであり――菜月昴の誕生日でもあるのだ。 

 

「もう、スバルったら教えてくれないんだもん。私、今日知ったのよ?」

「でもエミリア様以外は全員知ってたっすよ」

「え? そうなの!?」

 

 ふてくされるエミリアにアリシアが申し訳なさそうに説明をすると、彼女は驚きの表情で首を向ける。

 そんな様子を見てシャオンは申し訳なさそうに頬をかき、

 

「教える時間がなくてね。まぁ流石に当日に教えるつもりだったから結果OKでしょ?」

「いーぃやぁ、めでたいもんだねぇ、何歳になったんだい?」

「ふん、年をとっても結局中身は変わらないかしら」

 

 比較的にいつも通りの二人も僅かにこちらを祝う言葉をかけてくる。

 

「スバルくんの好物を用意しました。勿論、全力でです」

 

 鼻息を荒くさせ、何かを期待するかのように迫るレム。

 流れるようにレムの頭を撫でると彼女はうれしそうに身をよじらせる。

 いつもだったら何か気の利いたジョークを挟むところだが今のスバルにそんな余裕はなく、ただ、

 

「おいおい。なんだよそれ」

 

 ――恥ずかしい。

 ただただ皆をだまそうと考えていたスバルは、穴があったら入りたいと思うほどに恥を感じている。

 

「バルス、ラムが入れないわ、どきなさい」

「お、おお。わりぃ」

 

 思わずその場にうずくまるスバル。しかしそんな相手にでも相変わらずの態度であるラムは冷たい声でどくように指示。

 確かに邪魔になっているだろうと思い彼女を通すために体を横にずらす。するとラムがスバルの横を通る瞬間、

 

「――感謝しておりますわ、ナツキスバル様」

「なに? いま、なんて?」

 

 スバルの聞き間違いでなければ、小声ではあったが今ラムはスバルのことをあだ名で呼ばず、しかも敬意を込めた、そして感謝の言葉を口にしたのではないのだろうか。

 しかし彼女は何事もなかったかのようにすまし顔をしている。そして振り返り僅かに悪戯っぽい笑みを浮かべつぶやいたのだ。

 

「――今日は、嘘をついてもいい日なのでしょう? つまりそういうことよ」

「お前――そうだな。そう、だったな」

 

 さっきの姿は幻だったのだろうかと思うほどに、いつも通りのこちらを見下したような目でスバルを見る。

 彼女の先ほどのそんな言葉を聞くことも、そんな表情を見るのも珍しいことだ。 

 彼女はそれ以降何も語らない。だからスバルもエイプリールフールは、嘘をついていい日というのは午前中のみ適応される、という野暮な事実はスバルの心の中にのみ留めておくことにしたのだ。

 




リクエストをくださった一二三四五六様、ここまで読んでくださった皆様。ありがとうございました。
 しばらくは更新ができなくなりますが、復帰するのを楽しみに待っていただければ幸いです。


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始まりは緑と赤

 威厳に満ちたマイクロトフの宣言があり、広間に緊迫感が張り詰める。

 ここまでも弛緩したやり取りをしていたわけではないが、国の頂点である賢人会を蔑にして話を進めていたのは事実。ここへきて、ふいにその存在感を増してみせるマイクロトフに、自然と王座の間の全員の注視が集まる。

それを受け、マイクロトフは動じることなくヒゲを撫でながら、

 

「賢人会の開催の提言にあたり、まず他の同志に賛同をいただきたく」

 

 壇上に並ぶ九つの席、その中央で周囲の老人たちを見渡すマイクロトフ。その彼の言葉に、これまで言葉もなく存在感がほぼ消えていた老人たちも首肯。

 

「マイクロトフ殿の提言に、同じく賢人会の権限をもって賛同します」

「同じく賛同しましょう」

 

 老人たちの同意にマイクロトフが顎を引き、それから眼下の候補者を見下ろす。

 緊張感みなぎる候補者に反し、その関係者たちがわりと長閑なやり取りを交わしている間に、賢人会の開催が正式に発令――マイクロトフが頷き、

 

「同志の賛同に感謝いたします。では議論に入るとしますかな。議題はもちろん、『どなたに王となっていただくか』ですが」

 

 ヒゲを梳きながら言葉を切り、それから老体は片目をつむると、

 

「竜歴石には五人の候補者を集めろとはありましたが、その後の選出法については記述がなかった。簡単に決める方法としては武で競う、と言う手もありますが」

「ごじょうだーぁんを。そんなことをしてしまったら結果は火を見るよりもあきらかなものーぉになるでしょう」

 

 マイクロトフの言葉に、文官集団からロズワールの軽口が応じる。

その軽口が示す陣営はただひとつ、ラインハルトを擁するフェルトの陣営に他ならない。それがわかっているだろうに、マイクロトフは強かに笑い、

「故に話を。それぞれの立場、王になる覚悟、その上でなにをするつもりでおられるのか――そのあたりの話が妥当でしょうか」

「ふぅむ、至極納得。では、騎士マーコス、お願いしてよろしいですかな」

 

 賢人会の話し合いの結果、議事の進行が再び騎士団長へと委ねられる。

 ただひとり、候補者の側を離れずに立つ甲冑姿が一礼し、それから候補者の方へと振り返り、巌の表情を引き締めながら、

 

「僭越ながら、改めて私が進行させていただきます。候補者の皆様には各々、主張と立場がおありのはず。賢人会の方々も、広間にいる騎士や文官も、全員がそれを知りたがっております。どうぞ、お付き合いを」

 

広間の全員の気持ちを代弁し、マーコスは候補者五人に恭しく頭を下げる。

そして顔を上げると、厳格な表情は大きく口を開き、

 

「ではまず、クルシュ様よりお願いいたします。――騎士フェリックス・アーガイル! ここに!」

 

「うむ」

「はーい」

 

 マーコスの声にクルシュが悠然と頷き、フェリスが軽やかに手を上げる。

 前に出るクルシュに並ぶように、小走りに駆け出すフェリスが広間の中央へ。彼女はそこへ向かう途中、マーコスの顔をジッと見つめ、

 

「団長。いつも言ってますけど、フェリックスじゃなくフェリスって呼んでくださいよー。フェリちゃん傷付いちゃうなぁ」

「私は部下の誰も特別扱いするつもりはない」

 

 手を合わせてあざとくお願いするフェリスをすげなく突き放し、マーコスは顎でクルシュの隣を示して先を急がせる。フェリスは不満そうに頬を膨らませながらも腕を組んで立つクルシュの隣に並んだ。

 

「王候補者、カルステン家当主のクルシュ・カルステンだ」

 

「クルシュ様の一の騎士、アーガイル家のフェリスです」

 

「騎士フェリックス・アーガイルです、賢人会の皆様」

 

 堂々と怖じることない態度で名乗るクルシュと、それに追従してあくまでも軽々しいフェリス。彼女の名乗り上げをたしなめるように訂正するマーコス。

 そんなやり取りを傍目に、

 

「あのフェリスって子、本名はフェリックスってのか。なんか、すげぇ男の名前に聞こえる名前なんだな」

「まさか男の子だったりしてねー」

「まっさかー」

 

 シャオンはあまり詳しくないが日本でも古い武家などでは長子の名前が継承されるもので、男女の性別が違ってもそのまま付けられる場合なんかもあったらしい。だからありえない可能性ではないだろうが、いまそういったのはあくまで冗談だ。

 スバルもそれをわかっているからか笑顔で応じる。だが、

 

「二人とも聞いていないんすか?」

 

 故郷の変な文化を想う最中、アリシアが驚きの顔で問う。質問の趣旨がわからず、「なにが?」と間抜けな声で聞き返す。

 

「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性っすよ」

「――待て」

「なんすか」

「今、なんて、言ったのか。ワンスアゲイン?」

 

 アリシアが口にした内容が受け入れられず、脳が一時的にパンクする。ゆっくり、噛み含めるように言葉を紡ぎ、再度の復唱を要求。彼女は意味が分からない様子だったが、二人の必死ともいえる剣幕にしぶしぶ了承する。

 

「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性。男の子っすよ」

 

 一言一句違えることなく、大事なことを二回言ってくれたおかげで、ようやく脳がその情報を受信する。そして――

 

「「ええええええええええ――!?」」

 

 意識が理解に追いついたことにより、スバルとシャオンの二人の絶叫が広間に響き渡った。

 その驚きぶりに広間中の注目が二人に集まったが、じたばたと身振り手振りで混乱を表現する二人はそれに気付かない。

 スバルは大きく身を動かしながら、部屋の中心に立つフェリスを示し、

 

「ちょっと待て、アレが男!? 笑えねぇよ!?」

 

 スバルに同意を示し、首を残像が見えるほどに縦に動かし、こちらを見ているフェリスを眺める。

 確かに女性にしては長身だと思っていたが、顔の造形に体の線の細さと背丈さえ除けば女性にしか見えない。ただ、女性としての起伏にはやや欠けている面は否めないが、世の中には成人しても胸が平たい女性も少なからずいる。

 

「声も高いし、線も細い。肌も透き通るほどきれいだし、男だなんて信じられない」

「そ、そうだ! 信じねぇからな!」

「ああ、そこの二人は初見か。私の騎士であるフェリスは男だぞ。他の誰でもない私が断言しよう」

 

 それまで沈黙を守っていたクルシュが、事実を認められない二人にそう声をかけた。

 凛々しい声音の信じ難い内容に、スバルとシャオンの首が音を立てて振り返る。

 

「く、口だけじゃなんとでも言えるぜ! 俺たちを担ごうったってそうはいかねぇ! 証拠! そう、証拠がないと!」

「やめい! 気持ちはわかるけど証拠なんて見たくない!」

 多重に混乱材料を叩き込まれて慌てふためくスバルは、この事態のそもそもの根源であるフェリスを力強く指差し、

 

「チクショウ! お前、そのナリで付いてるとか誰得だよ! おまけにネコミミまで付いてんのに実は男とかそれも誰得だよ!! 俺は男の娘属性とかねぇんだよ!」

「そーんにゃこと言われてもぅ、勝手に勘違いしたのは二人の方だしネ。フェリちゃん、自分が女の子だなんて一言も言ってにゃいもーん」

 

「ふざけんな、このアマ――訂正、この野郎!」

 

 てへり、と舌を出してウィンクしてみせるフェリスの態度に、スバルは地団太を踏んで憤慨を表明するが、それ以上に相手からの謝意を引き出せそうもない。

 

「――落ち着きましたかな」

 

 と、しわがれた声が確認の言葉を二人に投げかける。

 壇上、膝の上で手を組み合わせるマイクロトフだ。国の頂点にわざわざ気遣いされてしまい、我に返って「す、すんません」と素で恐縮してしまう。

 すごすごと、元の列に戻って本当に珍しく心の底から自省する。

 

「フェリスの性別を知ると決まって皆が驚きを顔に出す。これだけは何度味わってもやめられない楽しみだ。――今の二人ほど驚くものもそういないが」

「ふぅむ。わかっておられてなお続けるのですから人が悪いですな、クルシュ様」

 

 満足そうに唇をゆるめるクルシュを言外にマイクロトフはたしなめるが、それに対してクルシュは表情を引き締めて首を横に振り、

 

「誤解があるようだが、フェリスの装いは私が言いつけてさせているのではない。全て、本人の自由意思によるものだ」

「従者に相応しい格好をさせるのも、主の務めであると思いますが」

 

 言い切るクルシュに反論したのは、リッケルトだ。先ほどの流れで文官集団の中で発言権を得たのか、彼の言葉に頷きをもって同調する列席者が何人か見られる。

 その代表者であるリッケルトをその鋭い双眸でクルシュが射抜く。射抜かれたリッケルトは顔をひきつらせ、それでも真正面から向き合う。

 

「目をそらす有象無象とは違うな。少々間が悪く、信ずるものも同じにはならず、少しばかり担ぎ上げられやすい点を除けば、私はリッケルト殿を評価している」

 

 ――それはほめているのだろうか?

 と内心思うのだが、クルシュ的には今のは賛辞の言葉なのだろう。だが言われた側であるリッケルトもイマイチ腑に落ちない顔でいる。

 しかし、それの追及をするより先にクルシュが「だが」と言葉を継ぎ、

 

「相応しい格好をさせるのも主の務め、と言ったな。ならば私はやはりフェリスには今の格好でいることを望むだろう。なぜかわかるか?」

「なぜ、ですかな」

 

 問いはリッケルトを見つめたまま放たれたが、眼光に気圧されたのか言葉を継げないリッケルト。彼に代わり、マイクロトフが問い返すとクルシュは頷き、

 

「簡単な話だ。――そのものにはそのものの魂を最も輝かせる姿が与えられるべきだからだ。騎士甲冑を着せるより、よほどフェリスには今の格好が似合う。私がドレスを着るよりも、こちらの格好を好むように」

 

 クルシュは己の魂を張るかのように胸を張る。

 堂々たる立ち姿にフェリスが並び、彼女――否、彼もまた主の雄姿の隣で微笑みながらも従った。

 その二人の佇まいを見下ろし、マイクロトフは眩しいものを見るように目を細める。それから彼は小さく顎を引き、

 

「ふぅむ、よろしいでしょう。このお話はここで終わりにします。リッケルト殿、よろしいですかな?」

「い、異存ありません」

「こちらも異存なし。マーコス団長、進めてくれ」

 

 口ごもりながらも矛を収めるリッケルトに、あくまで王者の余裕を失わないクルシュ。意見を交換した形だが、どちらの方に軍配が上がったかは考えるもない。

 

「候補者の中で最初の所信表明ではありますが、最有力候補ですからな。言ってはなんですが、安心感が他の方とは違います」

 

ぽつり、というにはやや大きすぎる声量でそんな言葉が聞こえた。

「クルシュ様が当主を務められるカルステン家は、ルグニカ王国の歴史を長く支え続けてきた公爵家だ。国に対する忠節の歴史と確かな家柄、そして若くして当主として公爵家を動かすクルシュ様自身の才気――これ以上ない、王選の本命だよ」

「そりゃ……どうなんだ、実際」

 

スバルの表情を見て察し、説明をしたラインハルトがつらつらと語った内容に、思わず喉をうならせるしかない。

 王候補――王族が滅んでしまった状態であるとはいえ、当然次の王座に就くのはもともとの王家に近しい存在であればあるほど望ましいというものだろう。

そういう意味で考えれば、エミリア陣営に属する我々にとってはあまり旗色がよくない。なぜなら最初から大きくリードされているのにも等しいのだから。

 

「ほとんど決まりであろう」

「カルステン家のご当主で、なによりクルシュ様の才媛ぶりは有名な話だ」

「少しばかり豪胆な判断をされるが、それも器の大きさと考えれば申し分ない」

 

今しがた聞いたばかりの内容を、周囲の列席者たちも改めて確認したのだろう。ひそひそと交わされる会話の内容はクルシュの有利性を語るものばかりで、始まったばかりの王選で彼女が頭ひとつ抜け出す存在であることが言外に周知されているようですらあった。

 まるでもう王が決まってしまったような雰囲気、しかしそれは、

 

「少し勘違いしているものが多いようだな」

 

 指を立て、ひそひそ話を中断させたクルシュの言葉が切り払った。

 全員の口が閉ざされ、自分への注視が集まるのをクルシュは待つ。その意図を察して広間に静寂が落ちると、彼女はひとつ頷きを置いて切っ掛けとし、

 

「各々が王座に就く私に望んでいることがなんなのか、私なりにわかっているつもりだ。カルステン家は王家と関わり深い重鎮であるし、これまでの国政にもかなりの割合で責任を持たされてきた。それ故に、私が玉座に就くことになれば、政や国の運営には影響が生じずに済む。波のない王位の継承が約束されるというわけだ」

 

 流暢に語られるクルシュの言葉に、聞き入っていた広間の幾人もが頷く。

 丁寧に言葉にされ、改めてこの王選の彼女の有利さが浮き出る。しかし、

 

「――期待される卿らには悪いが、その約束はしてやれない」

 

自身に持たされた圧倒的なアドバンテージを自ら捨てるような発言に、王座の間に一瞬の静寂――数秒の間を置いて、激震が走る。

「どういうことだ」と口々に疑問を投げかける声。それらをざっと見渡し、クルシュはその熱が冷めやらぬ状況に堂々と踏み込み、

 

「親竜王国ルグニカ――かつて龍と交わされた盟約に守られ、この国は繁栄を築き上げてきた。戦乱も、病魔も、飢饉さえも、あらゆる危機は龍によって回避され、長きにわたる王国の歴史から『龍』の文字が消えることはない」

 

『ドラゴンとの盟約』――ルグニカ王国が龍と交わした盟約により守られ、繁栄と栄達を続けてきたという歴史のあらまし。

 それは王国の歴史を常に陰から支え続けてきた龍との盟約。それが王族の滅亡という事態にあって、継続が危ぶまれているからこその王選の前提条件。即ち、次代の王たるものは『龍の巫女』の資格あるもの、という条文が科せられるのだ。

 

「――その考えが、気に入らんな」

 

マイクロトフが盟約を語る最中、ふいを突くようにクルシュの一言が突き刺さる。

老人がかすかな驚きに目を押し開くと、クルシュは腕を組んで吐息し、

 

「竜との盟約により積み上げられてきた繁栄、大いに結構だ。あらゆる苦難は全て、我らが尊きドラゴン様により救われる」

 

 語る内容は輝きに満ち溢れているにも関わらず、それを口にするクルシュは淡々としていて表情も晴れない。

 無言の全員を視線を見渡し、彼女は小さく呟く。

 

「問おう。――恥ずかしいと思わないのかと!」

 

 静まり返る広間に、これまで以上の緊張感が張り詰めるのがスバルにもわかる。

 しかし、この様々な激情がこもり始める広間の中で、今もっとも怒りを感じている存在が誰なのかとすれば、それは間違いなく玉座の前に立つクルシュであった。

 

「いかなる艱難辛苦であっても、龍との盟約により乗り越えることは約束されている。その盟約に甘え、堕落し、いざその存続が危ぶまれれば取り乱して代替手段に縋ろうとする。古き時代にて恐れられていた牙は折れてしまったのだろうか?」

 

「――口が過ぎますぞ、クルシュ様!」

 

苛烈なクルシュの発言に、賢人会のひとりが立ち上がって怒りを露わにする。マイクロトフに負けず劣らず高齢な人物だ。老体はしゃがれ声で席の肘かけを叩き、

 

「盟約を軽んじることは許されませぬ! 王国がどれだけの犠牲を払わずに済んだことか、王国の歴史を貴方様は否定なさるのか?

 

「過去の繁栄に関して、私は大いに結構と述べた。私自身、その恩恵に与っていないなどとは口が裂けても言わない」

 

 だが、と彼女は息を継ぎ、

「今口にしているのは過去ではなく、未来の話だ」

「――それは」

 

「竜歴石の記述になき出来事に対し、我々はあらがえるのか? もし竜の庇護の下で生きることに慣れ切って、それで滅びるのであれば王国など滅びてしまうがいい」

「あなたは……あなたは、国を滅ぼすと仰るか!」

 

 血管が千切れそうなほどいきり立つ老人。

 その叫びにクルシュは目に覇気をみなぎらせ、「違う」と首を横に振った。

 

「龍がいなければ滅ぶのであれば、我々が龍になるべきだ。これまで王国が龍に頼り切りにしてきた全てを、王が、臣が、民が背負うべきだ」

 

 そう言うとクルシュは一度目を閉じ、再び大きく開いて、叫んだ。

 

 

「私が王になった暁には、龍にはこれまでの盟約は忘れてもらう。その結果、袂を分かつこととなっても仕方がない。親竜王国ルグニカは竜のものではない。我らのものなのだっ!」

 

「――――」

 

「苦難は待っていよう。しかし、それは必ず乗り越えるものであると私は信じている。たとえ困難な出来事がルグニカを襲うことになろうとも、自らの誇りを、魂をかけて、自らの道を歩んでいくと誓おう」

 

先王への忠義を思えば、不敬と切り捨てられてもおかしくない一言だ。

現に、賢人会の老人たちも今の彼女の発言には顔を見合わせ、その表情に深い影を落としている。しかし、その一方で、

 

「理想論なのは間違いねぇけど……」

「否定は、できないね」

 

 それもまた周囲も同じように感じているらしく、声高に彼女に反論する声はもはや広間には見当たらない。

 王国の積み上げてきた歴史と真っ向から打ちあい、そしてそれを破壊すると堂々と言いのけた彼女。まさしく王の風格を有しているだろう。

 

「――クルシュ様のお考えはよくわかりました。それらを受けた上で、御身が玉座を得るのであれば、御身の思うようにされるがよろしいでしょう。それこそが、国を背負う王の選択です」

 

 

 マイクロトフの言葉に、クルシュは語るべきことは語り尽くしたとばかりに踵を返す。

 堂々としたマイペースに再びざわめきが漏れかけるが、それを先んじて制したのはマイクロトフだ。彼の老人は話の矛先を今度はフェリスへ向け、

 

「では、騎士フェリックス・アーガイル。御身はなにかありますかな?」

 

 主だけでなく、従者からも主のアピールポイントを話せ、という趣旨らしい。

 が、フェリスはそのマイクロトフの言葉に対して静かに首を横に振り、

 

「お言葉ではありますが、私が補足するようなことはなにもありません。クルシュ様の行いの正しさは、後の歴史と従う私どもが証明していきます。――私は私の主が、王となられることをなんら疑っておりません」

 

 厳かに、細身の腰を折りながら朗々とフェリスはそう謳ってみせる。

 マイクロトフが了承の意を頷きで返すと、フェリスは一度敬礼してからクルシュの下へ。目配せし、彼女が顎を引くと嬉しげに頬をゆるめる。

 それだけで絶対的な信頼と、心棒が二人の間に結ばれているのがそのやり取りでわかる。

 

「さて、ようやくおひとりにお話は聞けたわけですが……ふぅむ、どうやら最初からかなり波乱含みの内容になってしまいましたな」

 

クルシュの所信表明にひと段落がつき、今のやり取りを簡単にマイクロトフがそう言ってまとめる。

賢人会や文官たち、おおよそ事態を穏便に片付けたいと思っていた面々からすれば、王座の最有力候補であった彼女の方針は寝耳に水もいいところだっただろう。

 しかし彼女はとてつもないアドバンテージを捨てはしたが、不利になったわけではない。長い目で見てそれが王選にどれほどの影響をもたらすのか、今の段階ではメリットデメリットを測れない言動であった。

 

「では、続けさせていただきます。クルシュ様のお隣から順番に、アナスタシア様からどうぞ」

「えぇよ!」

 

 意気揚々と返事をし、アナスタシアが前に向かう。

 

「待て」

 

 その足取りを止めるように彼女の背後から声がかけられた。

 振り返ると彼女は露骨に顔を引きつらせる。それもそのはず、声の主は彼女の苦手な相手プリシラだったのだから。

 また何かやらかすのかと、息を呑み見守る中。彼女はその視線を感じないような大声で用件を口にした。 

 

「妾が先にやる。来いっ! アルッ!!」

「え、俺?」

 

 まさかの呼び出しに兜を揺らし、しかし彼女の理不尽さは彼が一番身に染みているのだろう。すぐに彼女のもとへ向かってきた。

 

「申し訳ございませんが……アナスタシア様」

「……まぁ、ウチは別にええよ、いつでも」

 

 ここで渋ると話がまたこんがらがる。

 そう考えたアナスタシアとマーコスは彼女に順番を譲ることにしたようだ。

 騎士団長が気を取り直したように議事を進行すると、それからのしのしと重い足音を立て、前に出たプリシラの隣にあるも並ぶ。

 先ほどのクルシュと違い、華やかなドレスに太陽を映したような髪。色鮮やかな装飾品の数々が金属音を立て、見た目から騒々しい彼女をさらに騒音で飾り立てる。

 そんな少女の隣に立つのが、みすぼらしい格好に漆黒の兜で顔を隠した隻腕の男なのだから、否応にも周囲の目が奇異の視線になろうというものだ。

 

「大丈夫かい、姫さん。俺は緊張で手汗がやばいんだけど」

「たわけ、こんないい眺めで不安になることなどない」

 

 泣きごとを言うアルをみて呆れた様に肩を竦めるプリシラ。

 だが、彼女が注目の的となっていることを認識すると再び機嫌がよくなる。

 

「それではプリシラ・バーリエル様。よろしくお願いします」

「うむ。心して聞くがよい」

 

 その機嫌のよさを表すかのように、朗らかな声で二人目の演説が開始された。

 

 

「では改めまして、お名前をお聞かせ願えますかな」

 

 場の空気が悪くなるより早く本題を投げ込むあたり、マイクロトフの場数を踏んだ老練さが見える。自分よりはるかに年少の相手に対し、装いに感じない敬意を払った態度をとれることもまたそうだ。

 国のトップの座席に座っているわりに、ぐいぐい引っ張るより周りに気遣い過多な方向に思考を使えるタイプらしい。

 マイクロトフのその穏便な振舞いの意味がわからないわけではないのだろう。プリシラもまた素直に頷き、

 

「よいじゃろう。先の短い老骨の、その残り少ない時間を削るのも酷といえる。妾の寛大な心に感謝するがいい」

 

 いらない一言を付け加えつつ、彼女はさらに居丈高に豊かな胸を張り、

 

「これより名乗る、妾の名を今生の終わりまで忘れず刻みつけておけ。妾の名はプリシラ――プリシラ。あー、プリシラ……はて、今はなんじゃったか」

 

 幾度か首をひねる彼女を見てアルは恐る恐る、と言ったように彼女を見やる。

 

「姫さん、まさかと思うけど家名のバーリエルが出てこねぇって話じゃねぇよな?」

 

「――おお、それじゃ」

 

 アルは自分の主の頭の残念さに天を仰いで掌を額に当てる。その嘆きのポーズを隠しもしない従者をさて置き、プリシラは改めて前を向き、壇上の賢人会へと不敵に笑うと、

 

「妾はプリシラ・バーリエルである。次代の王じゃ、敬え」

 

 端的で、これ以上ない自己アピール。少なくとも、まともに王になりたい人間の口にする演説内容ではない。

 彼女はそのあとに続ける言がないのか、もはや今の一行発言で全てを語り尽くしたとばかりに満足げだ。

 さすがにこれで話が終わるのはいくらなんでも、と広間が緊張に包まれていると、

 

「バーリエル……というと、ライプ・バーリエル殿の?」

 

 疑問の声を差し込んだのはマイクロトフだ。老人は自身の白いヒゲを指で弄びながら、記憶を探り出すように目を細めて、

 

「ふぅむ。そういえばライプ殿の姿が見えませんが、彼は……?」

「死んだよ」

 

 アルの端的な回答に広間は本日何度目かの動揺が広がる。

 なかでも一番動揺をあらわにしたのは、今まで冷静に進行を務めていたマイクロトフだった。

 

「なんと、ライプ殿が。ふぅむ。そうなると、ライプ殿とプリシラ様のご関係は……?」

 

 名前の出た人物が故人であったことに痛ましげな顔をするマイクロトフ。その老人の質問にプリシラは鼻を鳴らし、

 

「妾にとっては亡き夫ということになるじゃろな。指先さえ触れておらんのじゃから、本当の意味で名前だけの関係ということになる」

 

しん、と広間に再び静寂が落ちる。

聞き間違いでなければ彼女は今、伴侶の死を退屈そうに吐き捨てたということになるが。

 

「姫さん、いくらなんでもその言い方だと哀れすぎねぇ?」

 

さすがに聞き咎めたのか、あるいは周囲の反応の悪さのフォローをするつもりか、アルがひそやかにプリシラに耳打ちする。が、彼女はそのアルの配慮すらあっさりと切り捨て、

 

「事実を事実と話すのに飾る必要がどこにある。あのジジイは妾をめとり、分不相応な野心を燃やした挙句、無関係なところで無関係な事故に巻き込まれ、火種を大火にする前に勝手に燃え尽きたのじゃ。これが笑い話でないとしてなんじゃ。まぁ、命まで張ったわりには笑えん話で、つくづく無価値な老骨であったがの」

 

 一太刀でばっさりならまだマシな方で、プリシラは言葉の刃ですでに斬られた故人をさらに何度も滅多切りにする。顔すら知らないその人物に同情心すら芽生える始末だ。

 

「ふぅむ、お話はわかりました。長年の知己故、ライプ殿の訃報には少しばかり驚くところがありましたが……プリシラ様の話は筋が通っております。バーリエル家の当主が御身であることは確かに」

 

「当然じゃな」

 

「さらに詳しいお話が聞きたいところではありますが、そちらの騎士殿は?」

 

 悠然と頷くプリシラに、マイクロトフが今度は隣に立つ従者に水を向ける。話の中心を急に譲られた形のアルは、

 

「……あ、オレ?」

 

 話を聞いていたのかすら怪しいような声で返事して、主ともどもにマイペースの権化であることを証明してみせた。

 しかしマイクロトフも慣れたのかアルの確認に応じ、話を進めた。

 

「そう、御身です。変わった格好ですが、近衛騎士団では見ない顔……ヴォラキアの兜ですな」

 

「お、わかる? この兜は南のヴォラキア帝国製でさ、持ち出すのに苦労してんだよ。丈夫で長持ち、あと見た目かっこいいから重用してる。それと、騎士団の皆様は顔を隠していることに不満を覚えているようだけど」

 

 賢人会を見上げ、アルはその兜の隙間に指を入れると、ほんのわずかだけ持ち上げて隠された顔の一部を外に見せつける。

 首下が持ち上がり、顎から鼻下までが外気にさらされ――、

 

「う――――」

 

 その痛ましい顔の傷跡に、誰かが小さくうめき声を上げたのがわかった。

 そのままアルはぐるりとモデルよろしくその場で回り、同じ状態を広間の全体に向かってアピール。自然、騎士たちの勢いも収まってしまう。

それも当然の話だろう。

なにせアルの顔面は見えた部分だけでも、火傷や裂傷、様々な傷跡が積み重なった歴戦が刻み込まれていた。 周囲の反応が思惑通りだったのか、指を外して兜を被り直すアルは笑い、

 

「とまぁ、こんな感じで見苦しい顔してるわけで、こうして顔を隠して皆様と向かい合う失礼も許していただけると幸いです候」

「なるほど、承知いたしました」

 

 適当にお茶を濁す発言をするアルに、マイクロトフは頷くことで。それから彼は巌の表情を固くしながら、

 

「重ねて失礼をいたしますが、帝国の出身でその傷跡……もしや剣奴の経験者では」

「へぇ、さっすが。あの秘密主義の帝国の、その後ろ暗い部分のことなんてよくご存知だな。確かに剣奴経験者だよ。十数年ばかしのベテランだ」

 

 どよめきが再び広間に広がり、剣奴という単語を騎士の何人もが口の中で呟く。

 単語としては知らないものだが、字面で想像するに『剣を使う奴隷』といったところだろうか。

「ヴォラキアとも縁が切れて、今は流れの風来坊――アルって呼んでくれや」

 

 相変わらずとぼけた態度で笑いかけるアル。

 その姿勢は主と同様、周囲の声など欠片も気にした様子がない。反対に先ほどまで彼に対して不満を覚えていた周囲のほうが彼の身に刻み込まれた傷跡のすさまじさに言葉を失ってしまっている始末だった。

 片腕がないことを含めて、彼の歩いてきた道のりが平坦なものでなかったことがはっきりと周知されたからだろう。そして、それを気にしていない様子のアルの姿を不気味と思ったからでもあるだろう。

 

「ふぅむ。ヴォラキア帝国出身ならば、プリシラ様とはどのような縁で? あの国は情報だけに限らず、人も物も外に出さない一種の別世界ですが」

「なんのことはない。妾の余興の結果じゃ」

 

 それまで黙り込んでいたプリシラが、自分の出番がないのを腹に据えかねたのか口を挟む。マイクロトフの質問に割り込んで答えた彼女は、自分の指を飾る色とりどりの装飾品をいじりながら、

 

「妾が王となるのは天意同然。ならば従者など誰でも同じこと。故に妾は妾の従者に妾の気に入ったものを選んだ。その結果がそこな男というわけじゃ」

 

「なるほど、然り。では、その選び方とは?」

 

 下手に反論するより受け入れた方が話が進む。プリシラの傲岸不遜な部分には触れずに、マイクロトフは彼女の自尊心を満たしつつ先を促す。

 その計らいに彼女は機嫌良さそうな顔で、爪に息を吹きかけ、

 

「なに、知れたことよ。――目に適ったものを従者に加える条件で、妾の領地に腕自慢を集めて競わせた。それなりに楽しめる余興じゃったな」

 

 マイクロトフにそう応じ、プリシラは意味ありげにアルを横目にした。

 彼女の言を信じれば、つまるところアルはその彼女の目に適ったということになるわけだだ。ますます、隻腕の彼の実力がどれほどのものか想像が届かなくなる。

 プリシラの答えにマイクロトフを始め、賢人会の面々も納得の頷き。

 

「つまり、その大会の優勝者が彼ということに……」

 

「いや、優勝はしてねぇよ?」

 

 が、その納得を打ち壊すかのような言葉。

 驚く老人たちの顔を悪戯が成功した悪ガキのように愉快そうに肩を揺らしてアルは眺め、

 

「片手の奴が腕自慢連中の中から抜け出られるほど人生甘くねぇよ。勝ち上がり形式で上位四人に残っただけでもくじ運が冴え渡ってたね」

 

「で、ではなぜ、プリシラ様は彼を従者に……?」

「言ったはずじゃ。妾は妾の気に入る相手を選んだと。それ以上は語らん」

 

 自分のこと以外をを語り続けるのも面白くないと思ったのか、口を閉ざす。

 

「ふぅむ、お二人の関係性はわかりました。ですが、そうなると疑問なのは、プリシラ様が龍の巫女であると知れたのはどういった理由からだったのでしょうか。騎士が見つけたわけでないとすると……ライプ殿ですか」

 

 プリシラの我儘に言葉もない面々と違い、マイクロトフにはそれを受け止めるだけの度量がある。彼は彼女の言を受けた上で、次なる疑問点に着手――老人の口にした内容は、なるほど確かに疑問に上げるに相応しい内容であった。

 

「しかし、肝心の巫女を見つけてきても、ご本人が不幸に遭われたとあってはなんとも皮肉な話になってしまいましたな」

 

「すでに死んだ老害の話など不要。妾は妾のみで立つ。それ以外の理由など、全ては触れる必要すらない些事じゃ。気兼ねなく、貴様らは妾を王と崇めよ」

 

 自信満々に、プリシラはこの短時間で幾度も達した結論を通告する。

 広間の誰もが彼女の態度に言葉を継げない中、彼女の隣に立つ漆黒の兜だけが彼女の方をしっかりと見据え、

 

「姫さんよ、それをした見返りは? なにがもらえる?」

 

「簡単な話じゃ。――妾とくれば、それはそのまま勝者となる権利を得よう」

 

 笑い、プリシラは息を継いで、

 

「王選が争いである以上、至上の目的は勝利することじゃろう。故に、妾を選ぶことがそのまま答えとなる。故に、妾に従うのが貴様らの正道である」

 

「天が、自分を選んでいると……」

 

「当然じゃ。なにせこの世界、妾の都合の良いことしか起こらない。故にこそ、妾こそ王たるに相応しい。否、妾以外にはそれは務まらん。語るべきことはなにもない。ただ貴様らは、そのおろかな目を、眼前に立つ妾の威光に輝かせておればよい」

 

 橙色の髪をかき上げ、大胆に宙に流してプリシラは悠然と振り返る。

 語るべきことは語り終えた、とその姿は示しており、そのまま彼女は壇上の賢人会に背を向けたまま中央へ歩を進める。

 その戻る背中に従いながら、漆黒の兜が最後に壇上を見上げ、

 

「姫さんは詳しくは話してねぇから俺も詳しく話すつもりはねぇよ。ただ、俺が付け加えることは一つ――勝ちたいのならば下につけ、ってことだ」

 

 躊躇なく言い切り、アルはぐるりと広間の中を視線を一周させる。

 兜の隙間から僅かに見えたアルの目に見つめられたものは全員が息を呑み、それを見届けて隻腕の男は片方だけの腕を軽く振り、「以上」と終わりの言葉を結びつける。

 主従揃ってどれだけ自信があるのか、自信満々な足取りで彼女らが候補者の列に戻ると、自然と張り詰めていた空気が軽く弛緩、どうにか一息つけそうな雰囲気が漂い始める。

 

「男の娘に男装の麗人。今度は金持ち未亡人とか、ジャンル多岐にわたりすぎ」

「……この後の候補者を考えれば、まだまだ序の口だぞ」

 

そんな最中にも、王選は淡々と進行の兆しを見せている。

 

「では次に、アナスタシア様。そして騎士、ユリウス・ユークリウス! 前へ!」

 

「はいな」

「出番だね」

 

 はんなりと、紫髪の少女が応じ、ユリウスが悠然と片手を天に掲げると、振り下ろす動きで制服の袖を高らかに鳴らす。

 渇いた破裂音が響き渡り、いやがおうにもそれまでの空気を一新、その計らいにアナスタシアが「おおきに」と微笑みながら前へ。

 その最中、アナスタシアは一度立ち止まりシャオンの方へ視線を向け、かわいらしくウインクをする。

 それを見てスバルは首をかしげる。

 

「……いまのはどゆこと?」

「きかんでくれ、俺は俺で色々と問題を起こしちまってんだ」

「同情するっす。シャオンに対してお嬢の”カン”とやらがドンピシャだったんすよ」  

 

 事情をしらないスバルに説明するには時間が足りなさすぎる。それほど彼女とは、彼女の陣営とは色々とあったのだ。

 

「では、改めてお願いします」

 

 マイクロトフの言葉にシャオンは気を引き締める。

理知的で計算高く、相手に自らの心を読まさせないアナスタシア。

一体彼女がなんで王選に参加したのかは想像がつかない。

だからだろう、すこしばかりワクワクしているのは。

 

 ーー聞かせてもらおうじゃないか、アナスタシアがいったいどのような王を目指しているかを。

 



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強欲娘の王道

時間が少しで来たので投稿します


「まず、話を始める前に言わせてもらてええかな」

 

いざ主張が始まるかと思いきや、出鼻をくじかれ、皆驚きの色で顔を染める。

 

「ウチは前の二人ほどに。我が強すぎんのはあんまり好きやないんよ。期待していたんならごめんなぁ」 

 

そんな嫌な緊張感が張り詰める広間で、アナスタシアは衆目を集めながらまず最初に、

 大きく二度、手を叩いて全員の意識に揺さぶりをかけ、驚く全員に見えるように穏やかな微笑を浮かべてみせるアナスタシア。

 そのアナスタシアの微笑を受け、それまで妙な違和に占められていた広間の空気がわずかに緩む。

しかしシャオンとアリシアは彼女の性格を知っているのだ。

彼女の微笑には黒い意味があると。

 それらの反応を満足げに見やり、アナスタシアは一度頷くと、

 

「ほんなら、ウチ――アナスタシア・ホーシンがお話させてもらいます。余所者やから不心得もんなんは堪忍してな?」

 

 叩いた手を合わせ、かすかに首を傾けて愛嬌をふりまいてみせる。

 先ほどの出だしの一言といい、相手の反応を一動作で手玉に取る悪女めいた仕草。

 そして、

 

「アナスタシア様の一の騎士、ユリウス・ユークリウスです。優雅に、支えてみせましょう」

 

 前髪を軽く撫でて、ユリウスは無駄に洗練された動きで己の存在をアピール。

 なるほど、『没個性が売り』という文句はどこへやら、前の二人といい勝負ができそうなほどの個性だ。

その傍ら、粛々と議事は進行中。名乗り終えたアナスタシアに対し、壇上のマイクロトフが長いヒゲに触れながら、

 

「その独特な口調は、カララギの出身ですか?」

 

「その通りです。出身はカララギの、自由交易都市群の最下層になります」

 

「ふぅむ、最下層区――となれば、ルグニカにはどういった縁で?」

 

 アナスタシアが己の出自を語ると、マイクロトフの瞳がわずかに細まる。

 

 下層区、という言葉の意味がルグニカと同じであるなら、アナスタシアの地位は平民ということになる。あるいは最下層の語意が示す通り、もっと低い可能性も。

 そうなると、華美な彼女の今の服装は騎士であるユリウスに買い与えられたものだろうか? だが、屋敷での振る舞い、着こなしにある慣れ、そもそも賢人会など含めた国家の重鎮を前に物怖じしない胆力が腑に落ちなくなる。

 内心でそんな疑問符を浮かべる中、アナスタシアは向けられた鋭い視線に対して涼しい顔のままで小さく肩をすくめ、

 

「出身は最下層やけど、今はちゃんと都に屋敷を立ててます。他にも都市のいくつかに商店を構えさせてもらってます。ルグニカにも、その件でお邪魔しまして」

 

「ホーシン商会は彼女が会長を務める、飛躍的に大きくなり始めている商会です。カララギでの規模の拡大に伴い、ルグニカへの出店のお話も持ち込まれていました。私とアナスタシア様の接点も、初めはそれが切っ掛けです」

 

 アナスタシアの言葉をユリウスが補足する。それを聞き、マイクロトフは「なるほど」と納得の首肯をみせる。

 

「下層区の生まれでありながら、その商才で身を立てた若き商人というわけですか」

 

「ウチみたいな小娘にも機会が与えられるんがカララギのえーとこです」

 

 自慢げに自分の形のいい鼻に触れるアナスタシア。

まるで彼女の嗅覚がその機会を嗅ぎ当て、成功させたのだと言うように。

周囲――特に文官連中の間に動揺が広がるのがシャオンには見えた。

 アナスタシアが笑いながらひょいと飛び越えたであろう平民と貴族との壁は、厚く高かったはずだ。そう考えれば埒外の出来事だったのだろう。

 ざわめく王座の間で、そっと己の功績を控え目ながらも語り聞かせるアナスタシア。その彼女をさらに立てるよう、いまだ波紋の広がる文官たちにユリウスが前に出てたたみかける。

 

「ルグニカにおいても、アナスタシア様のホーシン商会はユークリウス家の協力を得て規模を拡大します。驚くべきは二国にまたがるこの商会の躍進が、アナスタシア様によりほんの数年で築き上げられた事実でしょう」

 

 アナスタシアの年齢は、シャオンとアリシアと離れておらず、おそらくは二十歳前後といったところだろう。

 彼女が自分の商才に気付いたのがいつの年齢かはわからないが、その事実と照らし合わせると、彼女が経済の世界でのバケモノであることが容易と知れる。

 

「アナスタシア様は商いの天才……いえ、鬼才といってもいい。その商才は見た目の美しさ……失礼、年齢に左右されない天賦のもの。機を見る目、人を動かす才、いずれも非才の我が身からは羨望にあまる限りです」

 

「それはそれは、最優の騎士がそこまで豪語されるとなると、よほどのことですな」

 

 謙遜に謙遜を重ねたユリウスの言に、マイクロトフが鷹揚に頷く。

 

「……気になっていたけど、ユリウスは副長じゃないんだ」

「うん。でも実力はマーコス団長に次いで高い、それは僕が保証するよ」

 

 中央に控えるマーコスを見やり、それからラインハルトは注目を浴びながら優雅に振舞うユリウスの背中を眺め、

 

「剣の腕にマナの扱い。家柄に実績と、ユリウスの騎士としての資質は申し分ない。文句なく、最優の騎士と呼ばれるに相応しい人だよ」

 

「でも、都の下町じゃ『騎士の中の騎士』って言えばお前のことだろ?」

 

確かにスバルが言った通り、ラインハルトは騎士の中の騎士と呼ばれている。知らない人などいないほどの有名人だ。

 

「その呼び名と実際の資質には色々と違いがあるんだよ。ただ、確かに剣の腕だけでいえば僕の方がユリウスより上だろう。僕より強い存在には会ったことがないから」

 

 さらっと最強発言が出たことにスバルは鼻白んだ様子だったが、一方で爆弾発言をしたラインハルトは涼しげな顔のまま誇るでもなく続ける。

 

「でも、世界は剣の腕が立てばそれだけで万事回るほど簡単じゃない。総合力で見た場合、僕はユリウスに大きく劣る……その点ではフェリスにも及ばないだろう」

 

「自己評価高いんだか低いんだかわかんねぇ話だな……」

 

ラインハルトの謙遜なのかどうかよくわからない話を聞いている間にも最優の騎士と賢人会頂点との対談は続いており、

 

「ユークリウス家とアナスタシア様との良好な関係はわかりました。ふぅむ、ならばアナスタシア様にお聞きしたい」

 

「やっとウチですね。ユリウスが出しゃばってくれる分、ウチの影が薄くて困りますもん。なんなりと、お答えします」

 

 雄弁なユリウスに場を任せていたアナスタシアがそう言って微笑むと、マイクロトフが好々爺的な微笑で返礼して頷く。

 ふと、そのマイクロトフの瞳がわずかに鋭さを増し、

 

「ではお聞きしますが――カララギ国民であるアナスタシア様は、このルグニカ王国にて何の目的をもって王を目指しなさるのか」

 

「あー、やっぱ気になりますか、ウチの出身」

 

 困った様子でアナスタシアは己の紫の髪の毛先をいじる。

 シャオンも気になっていたことがマイクロトフから告訊ねられる。

それは本籍が別にあるアナスタシアを自国の王に迎えるのにはなにかと問題がつきまとうのでは、という点だ。

 当たり前といえば当たり前の話だが、国がある以上はこの世界にも国家や民族による隔たりが存在する。その垣根がどの程度の高さかは不明だが、緊急事態とはいえ自国の頂点の座を、あっさりと他国からの来訪者に譲ることなどあり得ない。

 資格は確かめられた、その素姓もまた同様。ならば次に問題となるのは、彼女がどうして王を目指すのか――クルシュとプリシラが語り聞かせたように、アナスタシアにもそれが求められている。

 広間中が固唾を呑み、彼女の言葉の出かかりを待つ。そんな緊張感の高まる周囲に対してアナスタシアは薄く笑い、

 

「そうやって期待されると緊張します。生憎、ウチにはクルシュさんみたいな立派な思想の持ち合わせはないし、プリシラさんみたいに自分がそうなるべく選ばれたーなんて壮大な自信があるわけでもないですもん」

 

「ではまさか、竜殊に反応されたから成り行きで――などとは申しませんな?」

 

「あはは、流石にそれはないです。ここにきたんはもちろん、ウチにはウチなりの目的があってのことですよ」

 

 マイクロトフの言葉に苦笑し、それからアナスタシアは一呼吸置くと、

 

「――ウチ、実はちょっと他人より欲深なんです」

 

 舌を出すような気軽さで、アナスタシアはそんな言葉を言い放った。

 予想されていたものとだいぶ雰囲気を異なる発言に、会場の人間の大半が耳を疑うような顔をする。

 

「小さい頃から人並み外れて物欲が強い方やったと思います。こうして一端の商人(あきんど)として身を立てられたのも、お金に関する嗅覚以上に執着心が強かったからやと思ってます」

 

 最下層の出身、とアナスタシアは口にしていた。その言葉を信じるのならば、彼女の幼少時代はフェルト同様に毎日を生きるので精いっぱいな状況だったのだろう。

だが彼女の生き方はフェルトとは違いっている印象がある。

 

「欲っていうものはおっかないもので、上を見だすとキリがありません」

 

 指折り願い事を数えながら、徐々に徐々にその要求をつり上げるアナスタシア。

 

「最初は一杯分の水がほしかった。それを得たら今度は一食分のパンだけがほしかった。次はそれにスープやサラダ。それも最初は質なんて気にしてなかったのに今では高品質なものを求めてしまう。結果、自由になったつもりが不自由になってしまいました」

 

「……ふぅむ。それはどうして?」

 

「それが欲の恐ろしさいうことです。ようは目と手が届くところが増えてしまった分だけ、掴み取りたいもんが増えてしまったんです。アレが欲しい、コレが欲しい、ソレじゃ足りない、あれ? ドレも足りないやないか――で、気付いたらここです」

 

 にっこりと微笑み、アナスタシアは自分の足下を指差す。

 それが単なる足場確認でなく、王城を示しているのは明白だ。彼女はそれから候補者たちを手で示し、

 

「ウチは欲深やからなんでも欲しい。まさか、ここまでかと思ったけども満たされていないのだから、仕方ない……ウチはウチの国が欲しい」

 

「物欲の秤に王国を乗せて語りますか」

 

「それでウチの秤が壊れるか、それとも収まるか。勝負みたいなもんです。ウチ的には壊れた方がいいんですけどね、だってそれはうちが満たされたってことですから」

 

 たしなめるような意味合いを含んだマイクロトフの言葉を正面から受け止め、アナスタシアは笑顔で返す。

 彼女は王座を目指す理由を自らの『欲望』であるとはっきり断言し、その上で、

 

「でも、王国を手に入れてなお、ウチが満たされないんやとしたら……そのときは、王国をひっくるめてもっと高みを目指さないかんでしょうね」

 

「あなたにとって、手に入れたものが無価値であったとすればどうなります?」

 

 秤に乗せて、それでも彼女の秤を壊さないものだったら、というマイクロトフの問いかけに彼女はくつくつと笑い、

 

「言いましたやろ? ウチは欲深です。ですから、一度手に入れたもんはどうなろうとウチのもんです。そして手に入ったウチのものは、ウチのさらなる強欲を満たすために役立ってもらう」

 

 せやから、と彼女は息を継ぎ、広間の全員の顔を見渡しながら、

 

「――ウチはウチのものを見捨てない……安心して、ウチのものになったってくれてええよ?」

 

 はんなりと、この広間で最初に浮かばせた印象のままに彼女は温和に笑う。

ただ違うのは表明のまえでは穏やかさの下にうまく隠され見えなかった、狂気的なほどの渇望が見えただけだ。

 

「……強欲」

 

シャオンが無意識のうちに口にした言葉は彼女の行くであろう王の道を表すのに適したものだ。

 発想こそ俗なもので、だからこそ彼女の主張はシンプルだ。

 自らの欲のままに王座を欲しており、そして王座を手に入れた暁には王国の繁栄に全力を尽くすことを公約している。

 手に入れば必ず見捨てないし、手に入った以上はそれを高みに押し上げずにはいられない性分。

 そして、そんな彼女の主張が終われば、

 

「あい、わかりました。アナスタシア様の主張は十分です。では、騎士ユリウスはなにかありますか?」

 

 主の演説が終われば、あとは従者のアピールタイムだ。

 先の二人は純粋に主の精神性の強固さを説いたが、ユリウスは「そうですね」と前髪をいじりながら進み出て、

 

「アナスタシア様は欲と言い換えましたが、裏を返せばそれは向上心が深いことを表しております。その一方で、経営者としての観点から情に流されない、冷静な判断を下せるということもできる。為政者として、その資質は必要不可欠です」

 

「ふぅむ、なるほど確かに」

 

「付け加えて先ほども申しました通り、アナスタシア様の商才――この鬼才は今の王国には喉から手が出るほどほしいものです。先々代、そして先代と国王による戦費、浪費によりルグニカ王国の財政難は深刻です」

 

 ふいに国家の恥部に触れるユリウスの発言に場が色めき立つ。賢人会の老人のひとりも苦い顔をして、若い騎士を見下ろしながら、

 

「公の場で軽はずみに口にしていい内容ではないかと思いますが、騎士ユリウス」

 

「財政再建がここ数十年、国家の大事であることは周知の事実です。この場に集まっている人間の前で隠す必要を感じません」

 

「一介の騎士が畑違いの国政にまで口出しを……」

 

「もっとも」

 

 青筋を浮かべて反論しかける老人を遮り、ユリウスは立てた指を揺らしながら、

 

「我がユークリウス家は大きな影響を受けてはおりません。目を背けて誤魔化し続けていれば、私の代には目にしなくても済む問題であったでしょう。しかし、当家が無事であったとしても、仕える王家が困窮にあるとすれば見過ごすことはできない」

 

 ですから、とユリウスは傍らに立つアナスタシアの方へ意識を向けると、

 

「カララギで隆盛に極みにあったホーシン商会と接点を持ち、ルグニカに新たな風を呼び込もうとしていたのです。その途上でアナスタシア様に王の資質を見た。先ほどのラインハルトの言葉を借りるようですが、これはーー運命であるとも言えましょう」

 

 熱が入り始めたのか、語るユリウスの語調が高く、喋りは朗々と速度を増す。まるで演劇の役者のように、派手に動きをいれていく。

 

「天意が選んだとするならば、それはアナスタシア様に他なりません。私は私の王家への忠誠に、王国への忠義に誓って、アナスタシア様こそ王に相応しいと断言します。――ご清聴、感謝いたします」

 

 観衆が自分の演説に聞き入っていたのを見取り、彼は終わりを報せるようにそう締めの言葉を口にして一礼。

 それまで時の止まっていたような広間に空気が流れ始め、全員が我に返った顔で三番目の主従の主張を改めて受け止める

 そんな中でも、騎士団長のマーコスだけが動じない表情のまま、

 

「騎士ユリウス、もう十分と判断してもいいな」

 

 と、淡々と今の熱の入った弁舌を受け入れ、受け流していた。

 そんなすげない上司の反応にもユリウスは慣れているらしく、「はい、ありがとうございます」と優雅に応じて主の隣へ。

 

「ご立派でした、アナスタシア様。やはりあなたという花はこういう場でこそ美しく咲き誇る」

 

歯の浮くような、恥ずかしい台詞を口にするユリウスに、アナスタシアは照れたようすもなくむしろ呆れたように笑みを浮かべていた。

 

「けっきょくウチの出番もユリウスに持ってかれた気ぃがしてまうな」

「……あの二人は、どう感じたでしょう」

「さぁ? ウチとしては共感してもろて、陣営についてきてもらいたいんやけど」

 

 そうして笑い合いながら、主従が揃って候補者の列に戻る。

 こうして三番目の候補者陣営の主張が終了し、順番的に次にくるのが――。

 

「では、次の候補者である――エミリア様」

 

 しばしの沈黙を経て、これまで静謐を保ってきた銀色の少女の名前が呼ばれる。

 候補者の列の中でただひとり、騎士を連れていない少女。

 名前を呼ばれた彼女が顔を上げ、その白く美しい横顔に不安と、わずかな決意を抱き、

 

「はい」

 

 エミリアが前に出る。

 彼女の王選が今ーー始まる。

 




次回、ようやく少し話が動きます


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ピエロの演目

 名前を呼ばれ、緊張の色が濃い表情でエミリアが返事をした。

 そして、中央へ向かって歩き出す彼女の右手と右足が同じタイミングで前に出たのを見た瞬間――スバルは思った。

 緊張でカチコチになっているのが後ろから、それも数歩の段階で見てとれるほどの強張りっぷりであり、日常であればその愛らしさを賞賛せしめる場面なのだが、現状ではそれが正の方向に働く要素が見えない。

 どうにか中央へ辿り着く寸前で歩き方の齟齬に気付き、エミリアの手足が常人同様の形態に収まりつつ前へ――賢人会の視線を受ける、広間中央へ進み出た。

 

 ――エミリアたん、大丈夫かよ。

 

 内心の不安を持ち上げた手をさまよわせて隠し切れずにいたスバルに、ちらとこちらを横目にしながらラインハルトが声をかける。

 

「スバルは王城でエミリア様がどんな評価を受けているか知らないようだからね。――少なくとも、君が心配しているような侮られ方はしていない」

 

「気にしてくれてありがてぇけどよ。心を読むなよ、俺のプライバシーはどこに……」

 

ラインハルトに心を読まれ、驚きよりも力の抜けた笑いが出てきそうになる。

 さて、ラインハルトが心配するなとはいってもエミリア右手と右足が同時に出ていたのだ。これはド緊張した人間のお約束パターンもいいところである。その上口上を噛む、ついでに舌も噛む、赤面してしゃがみ込む、その連鎖まで続いてしまえばとても見てはいられない。

 もしもそうなったら、スバルは国の重鎮の集まるこの場面で、全員からの軽蔑と蔑視を一身に浴びるだけの醜態をさらして、彼女のミスを覆い隠す覚悟がある。

 エミリアが中央に到達すると、自然と場は静まり返る。

 残ったのは進み出たエミリアの他、靴音を高く鳴らしながら隣へと向かうひとりの長身――ロズワールの足音だけだ。その藍色の髪の長身がエミリアの隣に立つと、場の準備は整えられた。

 立ち並ぶ二人を見やり、議事進行役のマーコスが重い顔つきのまま顎を引く。それから彼は視線でスバルたちの方――特に先ほど頭の悪い風説を口にしていた輩の方を睨みつけ、背筋を正させてから、

 

「では、エミリア様。そしてロズワール・L・メイザース卿。お願いいたします」

「はーぁいはい。いんやぁ、こーぅして騎士勢が介添え人として続いたあとだと、私の場違い感がすごくて困りものだーぁよね?」

 

 あくまで軽々しい調子でロズワールが応じ、傍らのエミリアに「ねぇ?」と振り返る。それに対してエミリアは一切の反応を返さない、いや返せる余裕がないのだろう。

下を向き、ぶつぶつと小声で考えてきたであろう宣誓の言葉を吐き出している。

 ロズワールの空気の読めなさはスバルすら苛立つレベルだったが、そのことに関しての負感情は即座に置き去りにされた。

 なぜなら――、

 

「おはっ……お初にお目にかかります……! わ、私の名前は……エ、エミニア……エミリアです。かっ家名はありません……た……ただのただのエミリアと……お、お呼びくだしゃい……さい」

 

――ダメダメだ。

愛しい彼女の輝かしい王選の始まりは転けてしまった。流石に赤面してしゃがみこむなんて真似はしなかったが、赤点クラスの失態をおかしてしまったのだ。

 横を見るとラインハルトは珍しく口を開け、驚きの表情を隠せないでいる。

 アリシアは、見てられないと顔を覆い、フェリスは小さく笑い、アルは兜を軽くかき、ユリウスは僅かに目を細めている。

 唯一動じていないように見えるのはシャオンだけだが、彼も彼で何を考えているのかスバルには読み取れない。

周囲の反応を気にしていると、前方で動きがあった。

 

「そして、エミリア様の推薦人は不肖の身ながらロズワール・L・メイザース辺境伯が務めさせていただいております。賢人会の皆様方にはお時間を頂き、ありがたく」

 

「ふぅむ。近衛騎士でなく、推薦者は宮廷魔術師のあなたになりますか。そのあたりの経緯をお聞かせ願えますかな」

 

 ヒゲに触れながらおっとりと話の流れを提示し、それからマイクロトフの瞳が剣の鋭さを帯びて細まる。彼はその眼差しで静かにエミリアを射抜き、

 

「候補者であるエミリア様。彼女の素姓も含めて、お願いします」

 

「承りました」

 

 腰を折るロズワールは伸ばした手でエミリアを示し、彼女の首肯を受けると朗々とした声で彼女との出会いを語り始める。

 それはスバルも聞いたことのない内容であり、思わず身を固くするスバルはその一言一句を聞き逃すまいと耳を立て、

 

「まずは皆様もご周知のことと思いますが、エミリア様の出自の方からご説明させていただくとしましょーぉか。見目麗しい銀色の髪、透き通るような白い肌、見るものの心を捉える紫紺の瞳。エミリア様がエルフの血を引くことの証明です」

 

 ロズワールの言葉を受けて、広間の幾人もが息を呑んだのが伝わってくる。

 エルフ――エミリアの扱いからして周知されていただろう事実であり、こと王選においては隠し通すことなど不可能なレベルの他者との差異だ。

 エルフ族と人間族の間に横たわる溝は、どれぐらい深いものなのだろうか、この世界の歴史に未だ乏しいスバルには知り得ないことだ。

 

「半分は人間の血――つまり、ハーフエルフということであろう?」

 

 額に青筋すら浮かべてそう吐き捨て、老人は乱暴に手を振ってみせる。それはぞんざいにエミリアを遠ざける仕草であり、事実彼は、

 

「見ているだけでも胸が悪い。銀色の髪の半魔など、玉座の間に迎え入れることすら汚らわしい。そのことをわかっておるのか!? ロズワール!」

最初は冷静に努めようとしていたであろうボルドーの口調は熱を帯びたように激しい。

しかし対するロズワールの表情は変わらず、道化師のような他人をおちょくるような笑みを作っているだけだ。

それを見てボルドーの表情は険しさを増し、怒りをエミリアに向けようとしたその途端、マイクロトフが止めにはいった。

 

「ボルドー殿、口が過ぎませんかな?」

「当たり前です! マイクロトフ殿もおわかりであろう? 彼女は『嫉妬の魔女』の語り継がれる容姿そのものではないか!」

 

 だがたしなめるマイクロトフにすら声を荒げ、ボルドーと呼ばれた老人は立ち上がる。それから彼は階段を下ると中央、エミリアの前へつかつかと歩み寄り、

 

「かつて世界の半分を飲み干し、全ての生き物を絶望の混沌へ追いやった破滅。それを知らぬとは言わせぬぞ」

 

「――――」

 

「そなたの見た目と素姓だけで、震え上がるものがどれほどいると思う。そんな存在をあろうことか王座にだと? 考えられん。他国にも国民にも、狂ったかと言われるのが関の山だ。ましてやここは親竜王国ルグニカ――魔女の眠る国であるぞ!」

 

 両手を広げて足を踏み鳴らし、荒々しい口調と態度でがなるボルドー。その態度にエミリアは悲しそうに瞳を潤ませる。

スバルが怒鳴り込まないのは、理由がある。

彼女の表情は辛そうに、唇を噛み締めて堪えているようだ。しかし、なにも言い返さない。だから、スバルも口を出さないのだ。

といっても、限度がある。これ以上彼女が不当な謂れを受けたのならば、スバル自身何をしでかすかわからない。

 

「スバル、こらえて」

「べ、別に? お、俺はなんともないぜ?」

「そんなに力んだ状態で言われても、残念ながら説得力はないよ」

 

 ラインハルトに言われて鼻息も荒く、視線で射殺せればとばかりにボルドーの横顔を睨みつけていたことにスバルは気づく。思っていたよりも限界は近いようだ。

 

「ボルドー様、もうよーぉろしいですか?」

 

 ロズワールは普段通りのとぼけた態度のままで進み出て、ボルドーの視線を正面に受ける。高齢のわりには頑健な体つきの老人は、背丈が長身のロズワールとほとんど変わらない。互いに至近で視線を交換し合いながら、老人はロズワールのオッドアイを見据え、

 

「言葉を尽くしたか、という意味ならばまだまだ言い足りんほどだ。卿の行いはそれほどのものだぞ。わかっているのか、筆頭宮廷魔術師よ」

 

「わーぁかっていますとも。私のしている暴挙の意味も、賢人会の皆様の意見を代表してくださったボルドー様の計らいも、そしてエミリア様を見ることとなるであろう国民たちの感情の問題も」

 

 威圧するようなボルドーの物言いをさらりと受け止め、その上でロズワールは指を立てると、

 

「しーぃかーぁしーぃ、お忘れではないですか。ボルドー様が問題にしている部分はこと王選に関してはなんの意味も持たないことを」

 

「……どういう意味だ?」

 

「最初にプリシラ様が仰っていたじゃーぁないですか。形だけでも五人の候補者が揃えば王選が始まる、と。王選が始まりさえすれば、あとは竜歴石の条文に従って粛々と進めるのみ」

 

 ロズワールは身を乗り出してボルドーの視線から逃れると、その話の水を壇上の賢人会へ向ける。それを受け、マイクロトフは細めた片目をつむり、

 

「ふぅむ、つまり御身はこう言うわけですかな。エミリア様は竜殊に選ばれた存在であるという一点が重要であり、実際に王位に就くかは問題ではない、と」

 

「そーぉのとおりです。私は一刻も早く、王選を始めて終わらせて、国を元の正常な状態に戻したい。これでーぇも? 王宮に仕える魔術師ですから」

 

 あっさりと、エミリアの王位に就く可能性を切り捨ててみせるロズワール。その発言にはスバルも怒りを覚えるよりもまず先に呆然とするしかない。

 あれほどまでにエミリアが王を目指して努力しているのを知っていながら、それをサポートする立場であろう男がなにを口にするのかと。

 唖然と言葉を作ることもできないスバルを置き去りに、ロズワールは立てた指を楽しげに振りながらさらに続ける。

 

「当て馬、というと言葉が悪いですが、ひとつそーぉんな感じで考えてみてはいかがでしょう?」

 

「つまり五人の候補者からなる王選を、実質的に四人の争いにしようと?」

「その通りです、マイクロトフ様。それに賢人会の皆々様もどうです?」

 

 ロズワールの提案に思案顔のマイクロトフ。他の賢人会の老人たちも、「それならば」と口にする姿はその提案に少なからず乗り気な様子だ。

 エミリアを他の候補者の当て馬として抜擢し、王選を実質的な出来レースにしてまとめてしまおうという魂胆。

 メリットとデメリットを比較して、どちらに天秤が傾くと判断したのか、様子を見れば答えを聞く必要はなくーー

「ふざけてんじゃねぇ――!!」

 

――怒声が広間に響き渡り、反響するそれを皮切りにしんと室内が静まり返る。

 静寂が落ちた室内には、怒声を放ったスバルの荒い息遣いのみが残る。  

 その視線を受けてロズワールは片目をつむり、黄色の瞳だけでスバルを見ると、

 

「ここまで周りが見えていないとは思わなかった。今は君のような立場の人間が口を挟んでいい場面じゃーぁない。謝罪して、退室したまえ」

 

「俺の意見は伝えたぞ、ふざけんな。そんで続く。謝るのはお前らの方だってな」

 

「ますます驚きだ。――命がいらないだなんて」

 

 黄色の瞳を閉じて、代わりに青だけの瞳でロズワールがスバルを射抜く。

 彼を取り巻くのは見るものに戦慄を抱かせる圧倒的なまでの鬼気。ロズワールの周囲の大気が歪んでいるように錯覚するそれは、おそらくは彼の持つマナの膨大さが原因だ。素人であるスバルにもわかるほどの、量だ。

 その圧倒的な存在を眼前にしながら、歯噛みするスバルの脳裏を燃え上がる獣の亡骸たちがよぎる。

 魔獣の森でロズワールが腕を振るい、あれほど苦戦した魔獣達を一瞬にして黒焦げにしてみせた光景。

 あの魔法の精度を目にしていれば、この場からスバルのみを選んで蒸発させることなどそれ以上の気安さで行われることはわかる。

 

「今、この場ではいつくばって許しを請うならば外に出すだけで済まそう、。だが、それでもくだらない意地を張るというのならばーーナツキ・スバル、わかるね?」

 

あえてボカして恐怖感を煽ろうとしたのだろう。

それは生き長らえるため、最後の機会をくれた彼なりの優しさか、それともいつも通りの気紛れか。

 それを気にする余裕など、スバルの心には残っていない。

膨れ上がる剣呑な敵意の奔流を受け、スバルの膝が盛大に笑う。指先に、歯に震えが伝染し、噛みしめて堪えているはずなのに歯の根がカチカチと音を立ててみっともない。先ほどまで激情で満たされていた心はどこに消えたのだろう。

 心胆から震え上がるような感覚を覚え、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。

 ――だが、

 

「い、言ったぜ、俺は。謝るのは俺じゃなくて、お前らの方だってな!」

 

 声が震えていたし、上擦ってもいた。突きだした指はロズワールを指したはずだが震えのせいで上手く定まらなかった。

 だがしかし、それでもスバルは下を向くことだけはしなかった、目をそらすことはしなかった。

 ーーエミリアがこの場にいるのだ。

 そして今、彼女の願いは虐げられようとしている。それを目前にしていて、折れることなどできようはずがない。

 力がない。意思も弱い。だが、譲れない意地だけはスバルにもあった。

 出どころの知れないわけのわからない力だけがスバルを突き動かし、踏みしめる二本の足の膝を屈するような真似だけはさせない。

 そんなスバルの力のない、ただひたすらに我を通すだけの意地を前にロズワールはそのオッドアイをかすかに細めて、

 

「いーぃだろう。力なくばなにも通すことができない。その意味を、身を持って知ってみるといい。来世ではそれを活かせることを願うとも」

 

 最後通牒が告げられた瞬間、溢れ出ていた力の奔流が形となって具現化する。

 生まれたのは広間全体を煌々と照らす極光をまとう火球だ。掲げたロズワールの掌の上に生まれた炎の塊は人の頭ほどの大きさだが、小規模の太陽を生じさせたようなその高熱は離れた位置に立つスバルの肌すらも軽く炙る。

 明白なまでの害意の具現、臨戦態勢に入ったロズワールを前にボルドーを始め賢人会の老人が顔を歪めた。

比較的近くに立っていた候補者たちが身構え、候補者たちはそれぞれの騎士の背中側へ。

 そしてスバルの想い人エミリアはーー

「――アルゴーア」

 

 エミリアを見るよりも早く、酷薄に言い捨てて、ロズワールの掌がスバルの方へと向けられた。

 即ち、それは掌中にあった火球を投じる動き。火球はゆっくりと、しかし確実にスバルの身を焼き尽くさんと迫りくる。

 それを眼前に、スバルはとっさに体を横に飛ばして回避行動をとろうと思考。だが、動かない。肝心の足が震えているからか、恐怖で体が竦んでいるからか?

否、背後にはエミリアがいるからだ。

ロズワールの実力ならば、彼女に攻撃を当ててしまう心配はない。

それでも、スバルは避けない。何故なら避ければ彼女を裏切ることに繋がるからだ。

弱くても、スバルは彼女の前にたって彼女を守ると決めたのだ。だから、避けない。

 視界が異常なまでにゆっくりになり、スバルは目前に『死』が形作られ、口を開けて迫ってきているのを肌で感じ取る。

 久々の感覚、それをロズワールに向けられる可能性など、考えたくなかったことだ

 意識が現実を置き去りに、眼球は麻痺したように閉じることすら困難。

 故にスバルの視界には、眼前に迫る火球のみ、広がる。

だが、神様も、鬼ーーいや悪魔ではないのか。

スバルの氷のような膠着は溶け、ようやく背後にいる想い人の姿を見ることができた。

 エミリアの表情には確かな焦燥、そしてこちらに対しての憂慮の感情。

それらがあるのを見て、スバルは場違いな安堵感を得る。

 自らの命が脅かされている状況で、それを好意を寄せる少女が危ぶんで見ていてくれている。――その事実に安堵を得てしまうことがどれほど異常なのか、今のスバルには意識する時間すら与えられない。

 そして、太陽がスバルを飲み込むまでもうあとわずかとなったとき、

 

「ーーああ、まったく。見た目がふざけているだけでなく、思考も何もかもがふざけていたとは」

 

 響いたその声は聞き慣れたものであり、そして落ち着いていた。

 火球が衝突する瞬間、目前に迫る赤熱の死を前にスバルは瞬きすら忘れた。それ故にスバルの目は目の前で起きた出来事を詳細にとらえていた。

 火球は衝突の瞬間、スバルを焼き尽くさんと意思を持ったように動き、刹那、先んじてスバルの全身を覆うように青白い輝きを持つ、数枚に重なった盾が展開。

それは人体を一瞬で蒸発させるような熱量に対し、真っ向から火力を競い――結果、白い蒸気だけを残して相殺せしめてみせたのだ。

 その技量、その行いをあっさりとやってのけた存在はスバルの正面に、スバルに対して背を向けて立っていた。

 

「そんな人に弟子入りをしてしまったことを、若干ながら後悔しているよ。本当に」

 

 長髪を煩わしそうに払い、シャオンは――その目にかつてないほど冷たい感情を乗せ、言い放った。

 

 

白い蒸気が晴れ、代わりに場には驚きが生まれていた。

何故なら、先ほどまで火球があった場所に一人の男性がいたのだから。

 

「いつのまにそっちにいったんすか、シャオン」

「しゃ、シャオン?」

 

 そうして驚くアリシアとスバルとは別に、広間にいた人々の間にも別の動揺が広がっているのがわかった。

 

「ロズワール辺境伯の魔法を真っ向から相殺しただと……?」

「それもあの短時間で、無詠唱に近い状況で?」

 

 ざわめきの声をまるで無いものとしたように気にせずにシャオンとロズワールは問答を始める。

 

「なんのつもりだい? 我が弟子、ヒナヅキ・シャオン」

「そちらこそ、どういうおつもりで? ロズワール・L・メイザース卿」

 

 低い声で威圧しあう師と弟子。外からみれば互いの殺意が混ざりあい、実際にそのやり取りから外れているにも関わらず、あてられ気持ちが悪くなったのか口を押さえている人物もいる。

それをシャオンは一瞥し、すぐに視線を目の前に対峙する男へと戻した。

 

「ああ。もしや、エミリア様を巻き込んでーぇしまうことを恐れたのかーぁな? そうだったのなら流石に私を見くびりすぎではないかな?」

「貴方の実力ならば、エミリア嬢に被害を及ばさないことなど十分承知です。問題の核はそこではない」

 

シャオンは腹立たしいことだが、ロズワールを越える魔術師はいないと考えている。

これから先はまだわからないが、少なくとも今は一位の座は揺るぎない。そんな男が魔法の制御を誤ることなどあるわけがない。

 

「ーー確実にスバルを葬ろうとしましたね、俺にはそれが許せない」

「おやおや、由緒正しき王選の邪魔をした不届きものを処罰しよーぉとした私を攻めるのかい? 理知的で、正しい判断を下せる君らしくないじゃーぁないか」

「そも、スバルがこんな暴挙をしたのは貴方がエミリア嬢を裏切ったからじゃないですか」

「裏切る? なーぁんのことやら。私は国のためにただ、早く安寧を目指しただけだーぁよ。エミリア様のお陰で、ようやく王選が始まる、裏切るなんてするわけがーぁない。ただ? 私の意見も言わせてほしかっただけさ」

 

あくまでもロズワールは先ほどの言葉を否定しない。彼の言うことは事実ではあるが、彼女の努力を、王選に挑む権利を、彼女の意志を否定することは間違っている。

その旨を伝えようと、一歩前に足を踏み出した瞬間。

 

『ーーほお?』

 

空気を揺らし、声が響いた。そして文字通り空間の乱れが生まれ、中から姿を見せたのは、

 

『ニンゲン風情がボクの娘を目の前に、言いたい放題してくれたものだ』

 

 腕を組み、桃色の鼻を小さく鳴らして――灰色の体毛の小猫が、その黒目がちの瞳をかつてないほど冷たい感情で凍らせて言い放った。

 

 

突然のその存在の出現に、広間中の全ての人間が言葉を失っていた。

 宙に浮き、周囲を睥睨するのは掌に乗るサイズの手乗り小猫型精霊パックだ。

 普段のとぼけた態度、のほほんとした喋り方、どこまでもマイペースな性格、そんな彼の姿は影もない。

 

『わかっていないようだね、ロズワール・L・メイザース。以前にボクが君に対して譲歩してみせたのは、あくまでボクの娘がそれを望んだからだ』

 

 言いながら、パックの周囲をふいに風が巻き始める。

 それは肌に痛みを与えるほどの冷気を伴う風であり、パックの周囲だけを取り巻いていたそれは次第に広間全体へ広がり、列席する全ての人間にその冷気を存分に浴びせかける。自然、混乱が会場を埋め尽くし始める中、

 

「――お気を鎮めてくださいませんか、終焉の獣いや、永久凍土の大精霊様」

 

 壇上から事態の原因であるパックに向かって、しわがれた声が放たれる。

 声の主はマイクロトフだ。賢人会の面々にも少なからず動揺が広がる中、中央の席でひとりだけ姿勢を変えずに構える彼は理知的な輝きを瞳に灯し、聞いたこともない呼び方で語りかける。

 

『なんだ。少しは知識がある若造もいるじゃないか。もっともその名で呼ばれるのも久しいけどね』

 

「ふぅむ。この歳で若造扱いされるなど、貴重な体験をさせていただいておりますな」

 

 小さく声を漏らして笑うマイクロトフの姿はあまりに場違いであった。

 笑う彼にパックも、ロズワールも、そしてシャオンも静かな目を向け、その冷気を伴う視線を老体に集中させる。が、マイクロトフはそれを真っ向から見つめ返し、

 

「なるほど、心胆が縮み上がる思いですな。――あのロズワールにしては、面白い趣向を凝らしたものだと言っておきましょう」

 

 絶対零度の視線を受けながらも、マイクロトフの余裕の態度は崩れない。その上で意味のわからない発言、だがそれを聞いたロズワールの表情がにわかに変わる。

 先ほどまでの真剣な表情から一転、普段のとぼけた様子を取り戻した顔つきで、

 

「ありゃーぁ、ばーぁれちゃいました?」

「それなりによくできた台本だったと評しますな。大精霊様の演技には言葉もありませんし、恐らく弟子殿も謀られていたためか違和感はありませぬ。バレる要素としては少々、御身が調子に乗りすぎたことでありますかな」

 

 困惑する周囲を置き去りに、マイクロトフの評価にロズワールが額を叩く。そんな二人のやり取りを見ながら、浮遊するパックは持ち上げた長い尾を手でいじりながら、

 

『ほら見なよ、ロズワール。やっぱりやりすぎは良くないって言ったろう? ボクはともかく、君の場合は普段がみんなに知れ渡ってるんだから、演技するにしてももっとうまくやらなきゃ』

 

「耳が痛いいたーぁいですよ」

「……ま、さか?」

『ごめんねーシャオン。君の想像通りさ』

 

 頬を膨らませて不満を表現するロズワール。それをパックが吐息で流し、マイクロトフも疲れたように瞑目して無言の対応。

それを見てシャオンも気づいてしまう。いや、そもそも気づけるヒントはあったのだ。

特に、ロズワールがシャオンに教えていた詠唱なしの防御の魔法。

最低でもロズワールの火の魔法を打ち消せるほどに鍛えるようにと、そう具体的な指示を出された時点であやしいと思うべきだったのだ。

ただ、ロズワールの普段に慣れてしまったことで、気にするほどの違和感ではなくなっていただけのこと。

 

「本物のピエロですね、あんた」

「そりゃーぁね、私だって伊達や酔狂でこんな格好をしているわけないじゃない」

「それは嘘ですなぁ」

『うん、流石にそれを信じるのはボクでもできないよ』

 

 四者だけが納得する姿勢に待ったをかけたのは、パックから最もひやりとくるような視線を浴びせられた禿頭の老人――ボルドーだ。彼はわかりやすい困惑を皺で刻みながら、

 

「ま、待たれよ、マイクロトフ殿。いったい、なんの話をしておられる?」

 

「ふぅむ、一言でまとめるなら簡単な話――今こそが、エミリア様陣営の演説の形というわけですよ。それまでの候補者の方々とは趣が大きく異なりましたが」

 

 マイクロトフが片目をつむってロズワールに同意を求めると、ロズワールも両手を降参するように掲げて認める。

 その答えにとっさにボルドーは合点に至れない様子だったが、シャオンにとっては目の前に立っている藍色のクソヤロウの底意地の悪さに本気で腸が煮え繰り返る思いだった。

 つまりロズワールは今のやり取りで、

 

「王国の筆頭魔術師であるロズワール殿。そして彼の一撃をなんなく防いだ、同等の力を持つであろう彼の弟子。さらにその彼ら以上に渡り合える力を持つ大精霊」

 

それぞれに転々と視線を移し、エミリアで止める。彼女はわずかに肩を震わせたが、視線をはずすことはなく真っ向からそれを受けた。

 

「それを従えるエミリア様という図式を見せつけることで、彼女にそれなり以上の力量があることをこの場の全員に見せつけた」

 

 一から十まで懇切丁寧に説明してみせるマイクロトフの言葉に、ようやくといった形で広間に納得の感情が広がる。そうして今までのやり取りがある種の演技であると全員が納得したところで、続いてわき上がるのはロズワールの姦計に対する賞賛――ではなく、その人心を弄ぶような行為に対する怒気めいた感情が多かった。

 

「今のが演技……演技だと!? ロズワール、貴様、この場をなんだと心得ている!?」

 

 とりわけ激情に顔を赤くするのは、この場でもっとも恥をかかされた立場に近いボルドーだ。老人は額に青筋を浮かべつつも顔を真っ赤にし、明らかに心臓に負荷をかけながら唾を飛ばしそうな勢いでロズワールに詰め寄る。

 が、その勢いをせき止めたのは、ボルドーの顔のすぐ目の前に出現したパックだ。ボルドーは眼前に毛玉が現れ、それが先の冷気の根源だと気付くとすぐさま口を閉ざし、なにを言うべきか言いあぐねるように無音のまま口を開閉させる。

 パックはそんなボルドーの反応を見下ろしながら、小気味よく笑って、

 

『うんうん、怒るのは当然だ。謝るよ――でも、さっき言ったことは全部本当だよ』

 

 謝罪を口にしながらも、付け加える一言でボルドーの心臓を高鳴らせるパック。小猫は浮遊の高度を高めながらくるくると横に回り、

 

『ロズワールじゃボクの相手には荷が重いのは本当。ボクがこうしてなにもしないでただ存在するのはリアのお願いのおかげというのも本当の話』

 

 ゆっくりと言い含めるように言葉を作り、それから最後にパックは愛らしく微笑み、『だから』と前置きして、

 

『――今、君たちが凍りついていないのはエミリアの温情だ。それを忘れないでね』

 

 言い残し、パックの姿がふいに輪郭を失い、光の粒子となって消失する。

 緑の光を帯びた粒子はきらめきながら宙を漂い、それはゆっくりとエミリアの方へ。そのまま彼女の懐へと向かい、刹那のあとには視界から消え去っていた。

 おそらく、エミリアの懐の中にあるパックの依り代――緑色の結晶石へと戻っていったのだろう。

ただそれでも広間の凍った空気は戻らない。いったい、この空気はどうすればいいのかと、皆が様子を見ていると、壇上で声が上がった。

 

「ーーところで、そちらの彼はいったい? あなたの弟子とおっしゃいましたが」

 

静まり返った広場の空気を変えるためか、マイクロトフは新たな話題を提供し始めたのだ。しかし、急に話をを振られたシャオンはたまったものではない。

先ほどの魔法の打ち合いで目立った注目の火が、再び灯ってしまったではないか。

 

「あー、と。私はですねぇ」

「詳しい話を聞かせてもらいたいですなぁ……このまま、ロズワール辺境伯の思惑通りに進むのも癪ですからな」

 

 こっそりと呟いたつもりなのだろうが、なぜか今の言葉ははっきりと聞こえた。

つまりは謀られた仕返しをしようとでもいうのか、マイクロトフは詳しいシャオンの素性を問いただし始めた。

しかしシャオンはどうすればいいのかわからず、周囲を見る。

スバル達は何も言わずに、息を呑んで見守り、エミリアも訳がわからず混乱模様。

と、なると残された選択肢は一人ーーロズワールだ。

シャオンは先ほどまで毒づいていたことなど忘れ、縋る気持ちで自らの師を見る。

すると、

 

「ええ。彼は――」

 

ロズワールの口が歪な笑みを作り、シャオンの背後に嫌な汗が一滴ほど落ちる。

やはりアレに縋るなど間違いだった。失礼になろうが気にしていられない。慌てて彼の口を塞ごうとするが、間に合わず、彼の口から言葉は溢れ、

 

「私の弟子であり――私が推薦する、エミリア様の騎士。ヒナヅキ・シャオンです」

 

大きな爆弾を落としていったのだ。

 




関係ないですが、シャオンと王選候補者の相性は

アナスタシア>エミリア>プリシラ>フェルト>クルシュです。
騎士としての仲なら
スバル>ユリウス>ラインハルト>フェリス>アルです。


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騎士の卵と、銀髪の魔女

「どういうことだよ、シャオン」

「……ロズワールめ」

 

背後から聞こえてきたスバルの声に反応する余裕もないほどに、シャオンの心は焦っていた。

まさか、こんな場でそんなことを言うとは今の今まで予想できなかったのだから。

シャオンの心も荒れているが、それよりも場はもっと荒れ果てていた。

 

「ほぉ、エミリア様の騎士ですか」

「……なぜ、今になって出てきたのだ」

「彼には先ほどのやり取りを隠す必要がありましたからね」

 

ロズワールに非難の視線が集まるが、彼はそれすらも心地良いとでもいいたげに笑う。

 

「とにかく、ヒナヅキシャオン殿。前へ来てくださいますか」

 

マーコスに誘導され必然的にエミリアの隣に並び出る。

拒否すれば、エミリアの王選に影響は出よう。否定するにも前に出るしかあるまい。

 

「後で殴ってやる。その白粉を真っ赤に染めるぐらい」

 

 その剣幕に対して「怖い怖い」とおちょくるように逃げ去るロズワール。その尻を蹴り上げたい気持ちを抑え、一歩前に足をだす。

 

「では、どうぞ」

「えー、皆さま。私の紹介をさせてもらう前に一つ、訂正させてください」

 

 注目が集まり、シャオンは心の中でため息を吐く。今から口にすることを考えれば憂鬱に、そして反応を想像すれば鬱になりそうだ。

何もかも、ロズワールのせいだ。

だが、甘くみてもらっては困る。いつまでも操り人形になっているつもりはない。

誰が思い通りになるものかーー

 

「――私は、エミリア嬢の騎士ではない」

 

発せられた言葉は大小問わず、この場にいるすべての人間に動揺を与えた。

それもそのはずだ。先程ロズワールが口にしたことを、数刻もたたずに否定したのだから。

 

「静かに」

 

だが、それはすぐにマイクロトフの一喝で収められた。

 

「それはどういう?」

「確かに私は師、ロズワール様から騎士の推薦を受けたことはあります」

 

屋敷に来て間もないころ、風呂場で体を休めていたときに言われていたことだ。

シャオンには才能がある。鍛えれば鍛えたほど身につき、天才であると評された。そしてそれはエミリアにとって大きな力となると。

 

「ですが、その際には断らせていただきました」

「なっーー」

 

始めに起こったのは驚愕の声、そしてその勢いを失わせることなく騎士達、文官達は怒りで顔を歪める。

 

「ふざけているのか! 騎士に選ばれるというその誉れを、なんと心得ている!」

「その道を諦めたものがいるのに……その者の気持ちを考えたことはないのか!」

「やはり、魔女の騎士はーー」

 

罵倒に野次、流石に先ほどの一件から抑えられてはいるが酷いものだ。

だが、それはほとんどが事実でシャオンは否定をする気はない。

一通りの罵倒が出尽くされても、シャオンは一切の反応も見せない。ついには罵倒している側が黙ってしまう始末だ。

 

「……理由をお聞きになっても?」

「勿論」

 

沈黙を破り、会話を切り出したマイクロトフの配慮に感謝し、頷く。

 

「二つ、あります。一つは、私が”騎士”という名を背負えるほど実力、そして血筋を有していないからということです」

 

先ほどとかわりない、いやそれ以上の動揺が広間を埋め尽くした。

 

「確かに御身は……近衛騎士ではございませんな? プリシラ殿の騎士のように、傭兵業をやっている風貌でもないですし」

 

「私は少し前に、エミリア嬢に拾われた、一市民です」

 

「一市民?」

 

「ええ、詳しい話は時間の都合上省略させていただきます。本題ですが、ロズワール様は私には騎士の素質があるとおっしゃいました。確かに私は魔法の勉学を始めて、まだ日が浅い。ですが先ほどの攻防を見ていただければ、実力はお分かりでしょう」

 

実際は一度防いだだけで結構辛く、次もあのようにスムーズな防御ができるとはおもえないが、そんなこと外からじゃわからない。

下手に謙遜してはエミリアに迷惑をかけるだろう。だったら、あえて利用することにしたのだ。

 

「武に関しても、それなりには心得がございます」

「なーぁにがそれなりだい。あの腸狩りを撃退したこと、忘れてはいないかーぁな?」

 

割り込むように声を上げたのはロズワールだ。余計なことを口にする彼はまるでシャオンを困らせようとしているようにも見える。用意していた道筋から外れた行動をとられた仕返しとでも言うのだろうか。

 

「腸狩り……といいますと」

「人の腸を狙う……傭兵でしたかな」

 

賢人会の反応をみるに、どうやらエルザの存在はそこまで有名なものではなく、単なる悪趣味な傭兵という名で一部のものが知っている程度らしい。

もしもこれが全国指名手配のような、有名人だったらシャオンの評価は嫌なほどに向上するだろう。

 

「本題からそれましたが……騎士の皆様、一つ、聞きたいーー」

 

一度下を向いてわざとらしく溜めを作り、

 

「ーー魔法に優れていれば騎士になれるのか? 武に秀でていれば騎士になれるのですか?」

 

顔を上げ、シャオンは広間にいる騎士たちに問いかける。

 

「違う、それは本質ではない。騎士はそのようなものではないはずだ」

 

最初は唖然としていた騎士たちも、大小はあるが賛同を示すかのように頷きが見られる。そして、それは文官達にも伝導していっているのがわかった。

 

「血潮に流れる歴史、主に尽くす忠誠心。日々の怠らない鍛練に……上を目指す意志。それらこそが、そのような揺るぎない力が騎士を形成するものなのではないのか!?」

 

シャオンの高らかな声に、騎士の一人が「そうだ」と、声をあげる。

それをみてシャオンもただ頷くことで示す。

 

「私には、それがまだ足りない。だから私は騎士にはなれない……そしてもう一つは――私が、エミリア嬢について何も知らないからです」

 

「え?」

 

急に話題に参加させられ、エミリアは驚きの声をあげる。しかし周囲が彼女に注目をしていると知ると慌てて口を閉ざす。

 

「私は彼女の出生も、彼女の好きなものや嫌いなもの、そしてなにより――彼女が王選に参加した理由すら存じておりません」

「それで、よく騎士の推薦をしたな、ロズワール」

 

ボルドーに睨まれるロズワールはどこ吹く風。正論を言われた彼はむしろ愉快な演劇を見ているかのように楽しそうに笑っているほどだ。

「そもそも、私と彼女は出会ってからそれほど時間がたっておりません」

 

死に戻りのせいでシャオンとエミリアとは"実際"には 忠誠心を置くほどの年月は経ていないのだから。

 

「それで騎士を名乗る、そんなことは私にはできません。それで信を置くことなどできるものでしょうか。保証された血筋もなく、それをフォロー出来るほどの力もなければ、主との信頼関係も特別優れているわけでもない……これで、騎士を名乗ることなど侮辱に当たる」

 

シャオンの口にした言葉は多少の誇大はあっても、嘘ではない。全て、事実であり、本心である。

ーーまだシャオンは未熟者だ、これで騎士を名乗ることは騎士の歴史に泥を塗ることになる。だから、

「以上から私は騎士と名乗るには未熟であり、その名を背負うことなどできない。騎士としてふさわしい人物は他にいるでしょう……ただ、私はエミリア嬢の友人として一つ言わせていただきたい。マイクロトフ卿、この場をお借りして、よろしいですか」

「構いませぬよ」

 

個人的に場を作ることを了承した、マイクロトフに感謝してシャオンは、声を張る。

 

「彼女の演説を聞き、どのような感想を抱こうと咎めません。恐れても、共感しても、なにも感じなかったとしても私は責めません」

 

瞳に、強い光を宿らせ、語る。これだけは言いたいことだったのだ。

 

「彼女を真に見ず、あらぬ噂だけで彼女を評価しようとするならば私は許さない。ありとあらゆるものを使って、それこそこの命を使ってでもーー後悔させる」

 

底冷えするような声に、周囲の人間の表情は驚くほどにーー覚悟に満ちていた。

そこには怯えもなく、侮りも怒りもそこからは感じられない。ただ感じられるのは、対等なものを見ているという強い意思だ。

 

「騎士でもなく、傭兵でもない。ただの友人からのお願いです」

 

それをみて、伝えたいことは無事伝えられたと判断。あとはーー

 

「エミリア嬢。いえ、エミリア様」

「は、はい」

 

今だ自信なさげにしている彼女の前に片膝を付き、頭を垂れる。

エミリアの浮かべる表情は見えない。だが、返事から伝わるのは驚いていることだけだ。

 

「この未熟者である私ですら、自らの意見を表に出せました。だから、貴方様ならきっとできます、諦めずに努力を続けてきた貴方様なら。だから誇りをもって、胸を張り、王を目指す理由を、掲げる思想をお聞かせください」

「ーーーー」

 

ゆっくりと面を上げ、エミリアの表情を見る。

鳩が豆鉄砲を食らったようなという表現が適した表情を浮かべるエミリア。

それをからかうように笑い、

 

「まだ、緊張なさっていますか?」

「……ううん、ありがとうシャオン。それにロズワールとパックも」

「それでは、改めてお願いできますかな? エミリア様」

 

マイクロトフの問いかけに、エミリアは頬を軽く叩き、視線を彼に、そして賢人会へ向けた。

 

「ーーはい!」

 

その返事から分かるように、緊張していた彼女などすでにそこにはなく、いつものエミリアがそこにいた。

ーー銀髪のハーフエルフ、エミリア。

彼女の帰還を得て、今度こそ、彼女の王選が始まる。

 

「……くそ」

 

ーー誰かの心に陰りを残したまま。

 

 

「まずは欺くような行為をした非礼を謝罪します、賢人会の皆様」

 

「いえいえ、見抜けなんだはこちらの落ち度。少しばかり、老骨が蛮勇を振るって大精霊様の温情に与っただけのことです。それに事は王選に関わる……使える手立ては全て用いて、己を訴えかけねばなりませんからな」

 

器が広いマイクロトフは笑顔でエミリア陣営の、正確にはロズワールの行いを許した。

それを受けて、彼女は再び頭を下げる。

そして上げた顔が、紫紺の瞳が彼を、賢人会を見据え、

 

「私の生まれはルグニカの王都よりはるか東――エリオール大森林。通称『氷の森』でした」

 

「エリオール大森林……!」

 

 エミリアが口にした地名に、複数名の驚きが重なる。

 その驚きがまさに想定通りだったとばかりにロズワールは彼女に代わって補足する。

 

「そーぅ、エリオール大森林。約百余年前に突如として氷に覆われ、出るものも入るものも拒んだとされる氷結の結界。そして、侵食する永久凍土」

 

「確か凍てつく風が周囲を時間をかけて凍らせてゆき、その凍土とした範囲を年々拡大しているという曰くつきの地のはずでしたな」

 

「凍りついた大地、植物、大気、生き物――それはつーぅまり、白い終焉ですよ。なにもかもが永遠に誘われ、そーぉのまま永久の眠りより戻ってはこれない」

 

 手を叩き、ロズワールは開いた手でエミリアを、そして今は輝石にいるであろうパックを指す。

 

「その氷の森の奥地で、ひっそりと暮らしていたのが彼女と大精霊様というわーぁけです」

 

「つまりエリオール大森林の永久凍土は……」

「ふん! それで? 力があることを誇示し、忌まわしくもそれを使って脅迫。さすがの半魔としか言いようがないがな」

 

 静かに考えるマイクロトフとは違い、ボルドーは鼻息荒く邪推を口にする。が、結果としてみればボルドーの言には一理あり、否定し切ることはできない。

 力を見せつける、という目的を果たすことはできた。だがそれは反面、武力をひとつのカードとして用いることができる、と他者に知らしめた結果に他ならない。

 それは無力である、無害である、と判断されるよりもよほど、王選のスタートラインに立とうとするエミリアにとって不利な起点になりかねない情報だ。

 そんな不利な状況に対し、エミリアは、

 

「――そう、私はあなたたちを脅迫しています」

 

 はっきりと、向けられた邪推を真っ向から逆に肯定してみせた。

 息を呑み、二の句を継げなくなるボルドー。そんな老人を見上げたまま、エミリアはその眼差しの輝きを欠片も揺らがせることなく、

 

「改めて、賢人会の皆様に名乗ります。私の名前はエミリア」

 

上品にかつ、礼儀正しく名乗り上げるエミリア。

緊張で噛むこともなく、どもることも、赤面することもなく落ち着いた声色で改めて名を口にする。

 

「エリオール大森林の永久凍土の世界で長き時を過ごし、火のマナを司る大精霊パックを従える、銀色の髪のハーフエルフ私を見て、森近くの集落の人々はこう呼びます」

 

 凛とした声で、歌うようにエミリアは言葉を紡ぐ。

 聞き入る聴衆の前で、ひとり舞台に立つ彼女は一度言葉を切り、

 

「凍てつく森に生きる、『氷結の魔女』と」

 

 魔女、その単語が出た瞬間に広間の空気がさっと変わる。

 誰もが彼女の風貌にそれを意識していながら、しかしあえて追及するまいとしていた世界最悪の災厄、その特徴そのままの姿、その呼び名を口にしたのだ。

 当然、誰も彼女に答えることができない。先程までエミリアを恐れていた賢人会の歴々も同様だ。ただひとり、その胆力の作り方からして違うと言わざるを得ないマイクロトフを除いては。

 

「――では、その氷結の魔女殿は我々になにを脅迫なさるおつもりですかな」

 

「私の要求はたったひとつ――ただ、公平であることを」

 

「……公平」

 

 質問に静かに応じるエミリアに、マイクロトフは口の中でその要求を繰り返す。

 

「ハーフエルフであることも、自分の見た目が忌まわしい魔女と同じ特徴を持っていることも、全ては変えられない事実。でも、それで可能性の目を全て摘み取られるのは断固として拒否します」

 

「つまりエミリア様。御身はこの王選に対し、一候補者として対等に扱えと?」

 

「この場でそれ以上を求めることは、私が尊く思う公平さに対する侮辱に他なりません」

 

 彼女の過ごしてきた日々の中で、悪意にされされた記憶はどれほど多いのだろう。

 ボルドーのように謂れのない罵声を浴びせられることも、ハーフエルフであるという一点だけで迫害されたことも、きっとあったに違いない。

 故に、彼女はただひたすらに、公平な目で扱われることをこの場で望む。

 

「私の人生を通して、私にとって公平というものはそれほど大事な位置になりました。だから私があなたたちに求めることはたったひとつ、公平に扱ってもらうこと。そして私は契約した精霊を盾に、王座を奪い取ろうだなんて行いは絶対にしない」

 

 その選択を、選ぼうと思えばエミリアは選ぶことができるのだ。

 だが、そんな選択肢は端から消してかかり、あえて己の意図したところにとっては不利になるかもしれない状況を望んでいる。

 

「ーー私の努力が王座に見合うかはわかりません。でも、そうあるために努力し続ける気持ちは本物です。その思いだけは、他の候補者にだって負けたりしない、負けたくない」

 

 だから、と彼女は言葉を継ぎ、壇上のボルドーを真っ直ぐに見上げて、

 

「公平な目で、私を見てください。家名のない、ただのエミリアを。『氷結の魔女』でもなければ、銀の髪のハーフエルフでもない。私を、見てください」

 

 最後の呟きは懇願だ。

 しかし、そこに込められた気持ちの強さは決して揺るがない。

 他の候補者に当たり前に与えられたそれを、エミリアは自分にも求めている。

 同じ位置から始まることを、ただ望む。

謙虚であるように見えても、彼女にとっては譲ることが出来ないこと。それを国をも滅ぼせる力を盾に要求しているのだ。

 

「なるほど……」

 

 マイクロトフの言葉を最後にしばし、沈黙が広間を包み込んでいた。

 言葉を生み出すことができないのではない。エミリアの問いかけに対し、答えが出るのを全員が身を固くして待っているのだ。

 やがて、彼女を否定したボルドーが長い長い吐息をこぼし、

 

「私の意見は決して変わらん。『嫉妬の魔女』を思わせる、そなたの外見が国民に悪影響を及ぼすのは間違いない。王選に関して、不利な立場にあることは依然同じだ」

 

 低い声で、これまでのエミリアの主張に真っ向から異を唱える。しかしエミリアの表情に変化は見られない、アメジスト色の瞳は彼を見据えているままだ。

 

「だが――人心にまで干渉することは何者にも許されない領域だ。故に、そなたがどう思われるかをどうにかしてやることはできない。それでも、先ほどの私の非礼は詫びよう。――否、非礼を謝罪いたします、エミリア様」

 

 席を立ち、その場に膝を折って、敬意を示す最敬礼をとって見せるボルドー。

 その行いに驚きが拡散する。その中で彼は顔を上げ、

 

「あなたは意に沿わぬ私を氷漬けにすることができた。にも関わらず、それをなさらずに公平さを求めた。――それは、尊い行いだ」

 

 穏やかな顔つきでそう語る彼の表情は理知的で、今さらながらにこの老人が賢人会とされる国の重鎮であるのだと納得する。

 そんな人間に言われたエミリアの表情には自然と認められた喜びで、明るくなる。唇が弧を描き、花が咲いたような微笑が生まれる。

それをみてわずかに照れながらボルドーは早口で続けた。

 

「いずれにせよ、苦難の道が続くことはわかりきっている。それでもなお、王位を望まれるのか」

 

「平坦な道のりじゃないことなんて、最初のときからわかってる。それでも、私は必ず王座に座る。そうしなきゃいけない理由が、あるから」

 

 覚悟を問うボルドーの言葉に、エミリアはもはや迷いのない声で応じた。

 その答えを聞いてボルドーは満足げに頷くと席に戻り、視線を向けてくるマイクロトフに全てを預けるとばかりに掌を差し向けた。それを受け、マイクロトフは長いヒゲを梳きながら頷く。

 

「少々、波乱含みとなりましたが、もう十分といえるでしょう。エミリア様も、シャオン殿もロズワール辺境伯も、語り残したことはありませんな」

 

「はい」

「問題ございません」

「わーぁたしの場合は本当はまだまだ喋り足りないんだけど、この場合……」

「では、ありがとうございーー」

「ーーちょいとまったぁぁああああ!」

 

マイクロトフの言葉を遮り、大きな声が締めの言葉を言わせまいと轟いた。

声の主は勢いよく叫んだからか、喉を痛めたように咳払いを数回し、喉の調子を整えていた。

その人物はーー

 

「スバルっ!?」

 

「シャオン、お前の気持ちは十分にわかった。エミリアたんも待たせてごめん」

「まって、スバル。なにをーー」

シャオンの驚きの声も無視し、エミリアの制止を抜け出し、スバルは前に出る。

奇しくも先程のシャオンと同じように。

 

「はじめまして、賢人会の皆々様、ご機嫌麗しゅう。この度は、ご挨拶遅れまして誠に申し訳なく思い候!」

 

 腰を落とし、右手を背中へ、左手を掌を上にして前へ出し、古式的な礼法に則る。

 足を広げ、腰の角度を傾け、左手は傾けた腰に、右手は高く天井を指差すようにして華麗にポージング。

 そして、

 

「俺の名前はナツキ・スバル! ロズワール邸の下男にして、こちらにおわす王候補――エミリア様の一の騎士!」

 

 叫び、それから掲げていた右手を下ろして指を鳴らし、

 

「どうぞ、お見知りおきをば、よしなに」

 

 場違いなスバルの参戦が始まる。

ようやく纏まった空気を壊して。

 




次回、自称騎士登場


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孤独な自称騎士

前半シャオン、後半スバル視点です


スバルの登場に広間の空気は冷え込んでいた。

パックが現れたときよりもより冷たく、痛いほどに。

 

「あれ……? 俺的にはここで拍手大喝采の展開が予想されてたんですけど」

 

スバルは予想と違った反応を見せた周囲を見渡し、困惑の表情を浮かばせる。

そんな彼の背後に忍び寄る影がーー

 

「へぶっ!」

「なにしてんすか!」

 

文字通りスバルの体が床にめり込む。

犯人はアリシアだ。彼女が暴挙に出たスバルの頭を殴りぬいたのだ。

 

「ばっ! お前っ! ど、んだけ力入れてんだ!」

「大分加減したっすよ」

「お前の加減は当てにならんわっ! 三割程度の力っていってて、素手で薪割りしているお前の加減はなっ!」

 

起き上がったスバルの苦情にアリシアは悪びれもしない反応。それを見たエミリアは彼らに駆け寄る。

 

「アリシア! ダメでしょ! これ以上スバルがおかしくなったらどうするの!」

「妙な心配してくれてありがとう! でも根本的な問題はそこじゃないよね!」

 

焦っているからか、エミリアの言葉にも余裕がない。だから空気が読めず、今現在進行形で口論が続いているのだろう。

 

「あー、エミリア嬢にスバル……ついでにアリシア」

 

 腕を組んでそっぽを向くエミリアに、食い下がるように地団太を踏むスバル。それらをどうするべきか、再び頭を叩くべきか、素振りをしながら様子見しているアリシア。

 視線だけで三人がその声に応じると、彼は無言のままに仕草で広間全体を見渡すようなジェスチャーを行い、

 

「ぁぅ」

「ようやく気付いた?」

 

 そこまでしてようやく、広間の空気がかなりの困惑に満ちていることに気付いたようだ。

 アリシアとスバルはこのような空気になれているのか、そこまで動揺していないが、エミリアの表情の変化は著しいものだ。顔を青くさせ、どうすればいいのか判断できないようだ。

 

「大変お騒がせして、申し訳ありません」

「……っあ! 申し訳ありません!」

 

シャオンの謝罪で現実に戻ったエミリアもスバルの頭を無理矢理下げ、謝罪の言葉を口にする。

 

「この子のさっきの発言は忘れてください。えっと……彼は私の知己で、ロズワール辺境伯の従者ではありますけど、さっき言ったような……」

 

「待った待った待った! なかったことにされるのは困るって!」

 

 エミリアが混乱している場をどうにかまとめようとした話に、再度スバルが割り込んで止める。

 彼女はそろそろ本気で余裕のない眼差しをスバルに向けて睨む――いや、あれは懇願の視線だろう。

 

「お願いだから静かにしてて。バツが悪くて引っ込みがつかないのはわかってるから……」

 

「思ってもねぇこと口走って自棄になってるわけじゃねぇし、そもそもこんな場面で心にもない戯言ほざけるほど度胸座ってねぇよ!」

 

 先ほどの宣言の一切を信じてくれないエミリアに、スバルは声を大にして言い募る。さしものエミリアも、そのスバルの態度に頑なな姿勢でい続けることはできない。

 押し黙るエミリアの姿に会話の中断を見たのか、それまで沈黙を守り続けていた壇上――即ち、マイクロトフが小さく咳払いすると、

 

「そちらの御仁の意思は固いように思えますな。ふぅむ、ロズワール辺境伯の見解はどうなっておりますかな」

 

 今のやり取りにヒゲを整えながら、ロズワールへと矛先を向ける。向けられたロズワールは「そーぅですねえ」と胡散臭げに笑みながら、

 

「王候補の皆様にはそれぞれ、信を置く騎士がついていらっしゃる。私としては愛弟子を推薦したんですが……残念無念、ふられちゃいましてーぇね。それだったら、なーぁんて考えてもいいですが」

 

「だろだろでしょでしょ!」

「ロズワール!」

 

スバルをエミリアの騎士にすることに反対の意思を見せず、むしろ楽しげに、首肯しているロズワールへエミリアの激が飛ぶ。

しかし興奮したスバルは大袈裟な動きで指を高く掲げ、シャオンを指差し、その指をスバルは自身へと向けた。

 

「それに! シャオンもいってたろ! もっとふさわしい人がいるって! ズバリそれおれ! 俺それ!イェア!」

 

なぜかラップ調で説明するスバルをみて、シャオンは頭を抱えそうになる。

確かにシャオンはスバルがエミリアの騎士に相応しいと思っているし、なってほしいと思う。

 

ーーもっとふさわしい人がいる。

 

先程行った演説中で口にしたことではあるが、あの場ではスバルを矢面にたたせないためにあえて個人名を出さなかったのだ。

まぁたった今、スバルのせいでその配慮は無駄になったのだが……

それにスバルがエミリアの騎士にふさわしいと考えたのは今の話ではなく、未来の話だ。

いまのスバルには、足りない部分が多く、お世辞でも騎士だとは言えない。

現状、フォローは難しい。どうしたものか悩んでいると、

 

「ーー話の途中で失礼します。ですが、どうしてもそちらの彼に聞かなくてはならないことができてしまいました」

 

 彼、とユリウスが掌を向けるのはスバルだ。

 指名された側であるスバルはその横槍に顔をしかめ、優美な青年の仕草を迎え撃つ。

もとより、スバルは彼に対して良い印象を抱いていないようで、はっきり言うならば嫌いな相手なのだろう。

 気障ったらしい、漫画などでよくある嫌味な貴族――シャオンでもそんな印象を拭えない相手であるユリウスは、スバルの表情の悪変化すらなんともないように受け止め、

 

「そんなに警戒することはない。私が聞きたいことはひとつだけだし、それが済めば君は君の為すべきところを為すといい」

 

 口にした内容はスバルの心情を慮っているかのようであったが、それを語る彼の表情は酷く真剣味を帯びており、自然とスバルの表情もそれに負けじとばかりにきりりと引き締まる。

ユリウスは「その前に」と言葉を継ぎ、

 

「道化じみた芝居はこの場には不釣り合いだよ。君が真実、エミリア様の騎士を自称するのであればね」

 

「……あ?」

 

 片目をつむり、ユリウスはスバルの体を上から下まで眺めている。その視線から身をよじり、顔を歪める

 

「……悪いが察しのいい方じゃねぇんだ。明快に、噛み砕いて、言ってくれ」

 

 耳の穴をほじりながら、スバルは態度悪くユリウスに対して応じる。彼はスバルの不作法には触れず、ただこちらの癇に触るような優雅な仕草で己の前髪に触れ、

 

「わかっているのかい、君。君はたった今、自分が騎士であると表明したんだ。――恐れ多くも、ルグニカ王国の近衛騎士団が勢揃いしているこの場でだ」

 

 手を広げて、ユリウスは己の背後に立ち並んでいる騎士団を代表してそう語る。

 そのユリウスの言葉に、反応するかのように整列していた騎士たちが一斉に姿勢を正し、一糸乱れぬ動きで床を踏み鳴らし、剣を掲げて敬礼を捧げる。

 

「随分と練習したんだな、学芸会だったら優勝間違いなしだ」

「ガクゲイカイの意味は存じていないが、侮辱の言葉と受けとるよ……しかも、先程シャオンが言ったことをまるで理解していない」

「だーかーら! シャオンは俺のためにーー」

「ーー君も、本当は気づいているんじゃないのかい?」

「ぅ……」

 

スバルは声を張り上げ、ユリウスに力説しようとした

しかし、彼は更なる問いかけでその声を切り伏せた。

 

「本題に入ろう――君が騎士として相応しいか、我らの前でそう名乗るだけの資格があるのか、改めて問おう」

「……」

 

即答できず、沈黙が生まれる。

それこそがユリウスの問いの答えであり、隠せない真実だ。

スバルもそれがわかっているのだろう、彼の様子は先程と違い僅かに狼狽がみえる。

いまだに続く沈黙の間、数秒の間。

その間のあと、スバルはか細いながらも言葉を声にだした。

 

「……俺の実力が不足してんのは百も承知だ。俺は剣もろくに振れなきゃ、魔法だって手習い以下……騎士とはほど遠い」

 

 実力不足に色々不足、それらは全て承知の上。ダダをこねたところで現実が変わるわけではない。

 その答えを受け、ユリウスは端正な面持ちの中にわずかな当惑を覗かせる。

 当然だ。ようやく纏まった空気をぶち壊してまで名乗りを上げておいて、それをやらかした当人が自身の無能を高らかに謳い、明快な挑戦に対してあっさり白旗を上げたと思しき返答を返すのだから。

 

「けど、忠義だの忠誠心だのって話があったな。ああ、確かに俺の実力は全然足りねぇよ、たぶんここにいる誰よりも弱ぇ自信がある」

 

 スバルはユリウスから視線をはずし、背後に立っているエミリアの姿を見る。

シャオンもチラリと横を見るとエミリアはただ唇を引き結び、怒っているような、あるいは泣き出しそうにも見えるような顔つきで、スバルの次なる言葉を無言で待っている。

 

「忠誠心って言葉とは違う気がするけど、俺はエミリアた……エミリア様を、王にしたい。いや、王にする。他の誰でもない、俺の手で」

 

スバルは彼女を王にするといったのだ。

彼女と協力して(・・・・・・・)ではなく、スバルの手で彼女を、エミリアを王にするといったのだ。

それは、その答えはーー

 

「傲慢。そうは思わないのかな」

「……」

 

スバルの言葉に、ユリウスはまるで夢物語を聞かされたように嘆息し、

 

「実力不足を嘆いてもいて、あらゆる面で能力不足である点を自覚している――ならなぜ強くなろうとしない? 弱いことを認めるのは大切なことだ、だが、誇ることではない」

 

 「一つ教授しよう」とユリウスは指を立て、無言のスバルに言い聞かせるように続ける。

 

「人には生まれながらに分というものがある。器といってもいいかもしれない。人は自らの器を越えて、なにかを得ることはできない。また、求めることをしてはならない」

 

 ユリウスは自らの腰に備えつけた騎士剣を外すと、鞘の先端を床に打ちつけて音を立てる。鋭い音が広間に響き、刹那ほど遅れて音が続いていく。背後にいた騎士もユリウスに賛同するように

 

「騎士に求められるものは、先程も彼が説明したね。たしかにどちらも、騎士を名乗る上では決して欠かせまい。だが、私はその他にも大切なものがあると考える。わかるかい?」

 

「――――」

 

 問いかけるようなユリウスの言葉はスバルではなくシャオンへと向けられたものだ。

以前、ユリウスと話を交わしたことがある。だから、その問いの答えをシャオンは知っている。

知っているが、それをシャオンに口にさせるようにさせる辺り、ユリウスもいい性格をしている。無意識かもしれないが。

気は重いが、答えなければ話が進まないので、渋々先を述べた。

 

「……歴史だよ」

 

「そう、歴史だ。私はルグニカ王国に代々仕える伯爵家、ユークリウス家を背負っている身だ。爵位を持つ我らには、国を支え、守り続けてきたという自負がある」

 

 腕を振り、その速度で袖の破裂音を立てる彼は背後を示す。

 その彼の動作に後ろに並ぶ騎士たちが誇らしげに顔を上げ、賛同を示すように足を踏み鳴らす。

 

「近衛騎士団には出自の確かでないものは推薦されない。シャオンが言っただろう、出自の確かさが、血筋が王国に仕えてきた歴史の重みを語り、保証となる。積み重ねてきた歴史こそが、我らの騎士たる矜持を支えると」

 

 故に、と彼は言葉を継ぎ、

 

「このルグニカで、出自すら確かでない君やシャオン、そしてアルと名乗った人物を、私は騎士として認めてはいない」

 

「そんなもん、当人にどうにかできる問題じゃねぇだろ……!」

 

「そうだとも。故に私は言ったはずだよ。人には生まれながらに分があると。それは己の生家すらもそうだ。人は生まれながらに、平等足り得ない」

 

 絞り出すようなスバルの声に、いかにも貴族らしい断定でユリウスが応じる。

 

「だがそもそも、血筋の問題をなんとかしようと努力を積み、見合う力を持つものもいる」

 

シャオン、それに遠くで頭を抱えていたアルをみやりユリウスは演劇をしているかのような、声でーー

 

「『血筋問題は確かに大きな差となる。しかしそれは決して埋まらない差ではない、必ず埋められる差だ。だからこそ、人は努力をする』……なるほど、と。私はその意見を耳にしたときそう思ったよ」

 

シャオンがいつぞやに口にした言葉をスバルに告げ、ユリウスは瞳を鋭く尖らせ、改めて問いかけた。

 

「さて、それを踏まえてもう一度確認しよう。力も歴史もない君は、どうするのか」

 

ユリウスの言葉は全て事実だ。

くやしいが、本当に悔しいが、否定できない。

ナツキスバルは弱者で、この世界でも下から数えた方がいいぐらいの実力で、エミリアを守ることなどできずむしろ守られる側になってしまう。

だが、

 

「俺は、エミリアを王にする」

 

「――まだ言うのか。君にその立場は遠く高い。血の重みが足りなければ、力もない。騎士としての素質など何一つない」

 

 スバルの呟きをユリウスは呆れたように、いっそ鼻で笑うように受ける。

だが、それでも。

 

「それでも、俺はエミリアを王にするよ」

 

「君は――」

 

「騎士の資格がないってんなら、それはそうなんだろうよ。さっきも言った通り、俺は欠けてる部分が多い人間だ。騎士って名誉に値するかどうか以前に、そもそも人としてどうなのよって部分が多いのも自覚してる」

 

声にいつもの気楽さはない。

語っていることは本心であり、スバルが隠していたかったことの一つだ。

 

「それでも、俺はエミリアの力になりたい。一番の力でありたい。この場に立つのが従者って立場じゃ足りないのはわかってる。シャオンの方が騎士に向いているなんて俺だって重々わかってんだよ。ただ、この場に立って、顔を上げて、彼女の力になりたいと思うなら、『騎士』でなくちゃならないんだろう。なら」

 

 顔を上げて、スバルはユリウスを真っ直ぐに見つめる。

 整った顔立ちに勇壮な近衛制服、拵えの立派な騎士剣に堂々たる振舞い。

 まさしく、物語にて描かれる騎士像そのものだ。

対するスバルはあちこち這いずり回って薄汚れている感さえある使用人服、端正や精悍とは程遠い目つきの悪い人相。物語で言えば小物だ。

 あまりにも、望むべきところは遠い。だが、

 

「そうでなきゃ話にならないなら、俺は『騎士』をやる。騎士でなきゃ隣に立てないんなら騎士になる……俺の答えはそれで終わりだ」

 

「なぜ、そうまでしてそこに立つことを望むんだい?」

 

 もはや言葉で説き伏せることを諦めたのだろうか。

 ユリウスは瞑目し、小さく首を横に振りながらそのスバルの行動の原点に問いかけてくる。そうまでして、なにを望んでいるのかと。

 エミリアを見るために振り返りはしない。その勇気がない。

 ただ少なくとも存在を背中に感じられるから、スバルは躊躇いながらも、

 

「――彼女が、特別だからだ」

 

 そう答えた。

 その答えを受けて、ユリウスは小さく同じ言葉を口の中で呟く。そうして何がしかの結論を得たかのようにかすかに顎を引き、

 

「ちなみに、どういう意味かを聞いても?」

 

 などと聞いてきた。

 それに対するスバルの答えはひとつだ。

 

「――この場では、言いたくねぇ」

 

 そして、それを受けたユリウスの方はといえば、そんなスバルの明確でないが故に明確な答えに満足したように、あるいは諦めたように肩をすくめたかと思えば

 

「……君のその気持ちはーー」

「ーーそこまで」

 

スバルの目の前に黒い執事服を纏った男、シャオンが再び現れた。

 

「ユリウス、わるいけどそこまでにしてもらえないかな、これ以上は陣営同士の争いになる」

「……そうだね、私としたことが思っていたよりも熱くなっていたようだ」

 

前髪を書き上げながらユリウスは反省したように、詫びの言葉を口にして踵をかえす。

不完全燃焼で終わってしまったユリウスとのやり取り。そんな結果にさせたシャオンに文句を言おうと肩をつかんで振り向かせようとしたとき、

 

「ーーナツキスバル」

 

スバルは最初それが誰の声だったのか気づかなかった。

それほどまでに普段の彼の声とはかけ離れていた。

 

「本当に、エミリア様の騎士を目指すなら気づくべきだ……彼女の気持ちを」

シャオンの言葉は、棘がないが、スバルに大きな衝撃を与えた。

 スバルは悪寒じみたものすら感じて、背後の様子をおそるおそるうかがう。そこにはエミリアが立っていて、どんな顔をして今の話を聞いていたのかはわからない。

 ただ、振り返ることは恐ろしくてできなかった。無言の彼女の態度が、今のスバルの言葉をどんな心境で聞いていたのか、悪い想像ばかりを働かせていた。

 

「い、いい身分だな! シャオン‼ 上から見やがってよ! そ、それに騎士様も逃げやがってよ‼ 俺と舌戦で勝てる自信はないから逃げんだろ?」

 

 だから、スバルの口から次に出たのは、震えるような負け惜しみでしかない。

 それがわかり切っているからだろう。シャオンは振り返らず、遠ざかるユリウスの足も止まらない。だが、それでもスバルは自分を守るために薄っぺらい言葉を重ねていく。

 

「この場で最優の騎士だなんて持ち上げられちゃいるが、巷じゃ騎士の中の騎士って称号は別の奴のもんになってる。……その態度をみて納得だぜ」

 

「ナツキ・スバルと言ったかな。安易に他者を貶める言葉を口にすることは、己の価値だけでなく、君の周囲の人物の価値にすら傷を付けると知るべきだ」

 

 スバルの安易な挑発に、ユリウスは激昂するでもなく淡々と応じる、いやむしろスバルを哀れんでいるようにも感じられた。

 すでに彼の姿は候補者の列に戻り、主君であるアナスタシアの隣に収まっていた。

その姿はそこにあるのが当たり前、そう感じられるほどに違和感はない。

 その並び立つ姿を真っ向から見て、そして彼らの他にもそうしている候補者たちを見て、そしてスバルの背後にいるエミリアの姿を見て、そのとなりでスバルと違う、立派な騎士の立ち振舞いをしているシャオンの姿を幻視してーー不覚にもお似合いだと、そう思ってしまった。

 

「ナツキ・スバル。――それは、美しくない」

 

 それまでのスバルの言動、行動の全てを総括し、ユリウスがそう述べる。

 見れば、候補者の列からもスバルに向けられる白けたものを見る目。

 そのさらに背後に控える近衛騎士団の列からは、自分たちの代表者たるユリウスに対して無礼な発言を受けたからだろう。敵意に近い感情を向けるものが多い。

 それなのに、今のスバルは体を固くして、その場から身を動かすこともできない。

 世界中を敵に回すどころか、広間にいるほんの百にも届かない人数を敵に回しただけで、いとも簡単に決意の炎を揺らめかせてしまうのが今の自分。

 それがあまりに情けなく、あまりにもみっともなく、涙が出そうになる。

先程までエミリアのために覚悟していたことが、決意が、反転する。

彼女を守る息巻いていたが、いまでは彼女だけには守られたいと弱音じみたことを思う。

それでも、そんな状態でも、周りの全てが敵になってしまうような状況でも、それでもせめて、彼女だけが味方でいてくれたなら、そう願う。

 ――だが、その希望は、

 

「不要なお時間をとらせて申し訳ありません。すぐに下がらせます」

 

 スバルの袖を引きながら、そう言ってエミリアが賢人会へ頭を下げる

最初と違い、スバルはエミリアに抵抗しない。

 腕を引かれ、抵抗することもできずに舞台から引き下ろされるスバル。それに続いていくシャオンとアリシア。

スバルはこちらの腕を引いて前を行くエミリアの顔を、やはり見れない。

 ただ、頑ななまでにこちらを見ない彼女の態度から、怒りのような激情すら感じ取ることができないことが、自分の行いの無為さを証明しているようで辛かった。

 そんな背中に、

 

「有意義な時間、そう判断できる部分もありましたよ、エミリア様」

 

 壇上から、マイクロトフのしわがれた、しかし不思議と通る声が届く。

 足を止めない四人にマイクロトフは言葉を続ける。

 

「あなたが世に恐れられる、ハーフエルフとは違うのだと少なくとも彼は示した。シャオン殿とは別に――よい、従者をお持ちですな」

 

「――スバルは」

 

 ようやく足が止まった。先頭のエミリアが振り返る。

 彼女の視線の先は壇上の賢人会であり、傍らに立つスバルは視界の端にも入っていない。けれど、スバルには振り返った彼女の顔がはっきりと見えた。

 その顔は、感情の凍えた冷たい目をしていて、ばっさりとなにかを切り捨てるように、平坦な声音ではっきりと、

 

「私の、従者なんかじゃありません」

 

 はっきりと、先までのスバルの言葉を拒絶してみせたのだった。

 

歴史が動いたこの日、自信も、覚悟も、相棒も、そして守りたい彼女もスバルのもとから離れーー自称騎士は、一人になった。

 




こっからあとは下っていくだけ、番外編以外は暗いよ‼


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妬みは甘く、ゆったりと歪んで

すこし、難産でした


 ふらふらと、騎士に案内を受けながら広間の外の通路を歩き、スバルは途方に暮れていた

 エミリアの隣で、大勢の前で、無様をさらした後の自分がどんな風だったのかは覚えていない。ただ退室をマーコスに勧められて、エミリアが肯定も否定もせずにスバルに判断を委ねたことだけを覚えている。

 スバルが留まることを選んだとすれば、その選択を尊重もしてくれただろう。

 だからこそ、スバルはあの場所に立ち続けていることなどできなかった。

 自分がしでかした行為の愚かしさに、居た堪れない思いを堪えられないからではない。エミリアに対して、これ以上の迷惑を避けたいから――。

 

「いや、それも言い訳だな」

 

事の根本はもっとシンプルで救いようがない。ようは単純に、あれ以上、エミリアに冷たい目で見られることに耐えられなくなっただけのことだ。

 

「俺って馬鹿は、これじゃぁなにしに危ない橋まで渡ってこんなとこにきたんだ」

 

 方々に迷惑をかけて、豪運めいた出会いの妙にすら救われて、そんな思いまでして辿り着いた王城で、スバルがしたことは盛大なエミリアの道筋の邪魔者だ。

 それをするかもしれない輩から彼女を守るためにこの場にきたのに。意気込みだけは立派でありながら、結果は見るも無残、やらない方がマシという次第。

 自分で自分が嫌になる。わかり切っていた話ではあったが。

 

「橋なんてぇ、ありましたぁ?」

「いや、今のは比喩的な……え?」

 

 ひとりごとに反応があるとは思ってもおらず、驚いた表情で俯いていた顔を上げるとそこには眼鏡をかけた女性がいた。

 

「どうもぉ、目付きのワルーいおにーさん。お久しぶりですー」

 

 どこか間延びした声、そして揺れる胸。スバルは記憶をさかのぼり、数秒後その人物の名を思い出す。

 

「リーベンスさん、でしたっけ。なんでここに?」

「おしごとですよー! お菓子をお届けに参りましたー!」

「わっ!」

 

 急に、息を吸い込んで大声で答えるリーベンスにスバルの心臓が跳ね上がる。その様子を見ていたずらに成功した子供のように、悪い笑みを浮かべる。

 

「お元気がたりないようなので、私の元気を分けてあげましたー! おかげで私はひょろひょろのすけに」

 

 体をくねらせて元気を渡したということをアピールする彼女に、本当にスバルよりも年上なのかと、子持ちなのかと疑問を覚えてしまう。

 

「ぽや? 銀髪のおねーさんは一緒じゃないんです?」

 

 チクリ、とスバルの心のどこかが痛みを覚えた。だが、すぐにナツキスバルは鉄仮面をかぶり彼女にその苦痛を悟らせないようにする。

「あ、ああ。エミリアたんとはちょっと別行動っす」

「あらーそうなのですかぁ、残念です……」

「リーベンス殿。運んできた荷物は?」

 

 肩を落とす彼女だったが、騎士に声をかけられた瞬間人が変わったように素早い動きで懐から一つ袋を取り出し、騎士に渡す。

 

「ああ、こちらですよぉ。他にも持ってきてますがとりあえず、中身確認します?」

「い、いや。大丈夫です」

 

 両手で遠慮するということを示すように騎士はリーベンスの取り出した革袋を押し返す。そんな反応を見てスバルの好奇心センサーがビンビンに反応を示した。

 

「リーベンスさん、その中身なんだ?」

「気になります? 気になるならどうぞ――――貴方が本心から興味を持っているなら、無害なものです」

 

 袋のふたを広げ、スバルに向ける。中は見えない、音も変な臭いもしない。いたって普通の袋のはずだ。だが、ナツキスバルにはその中には財宝が入っているような想像が、スバルの望むものが入っているような気がして仕方なくなった。

 

「リーベンス殿っ!」

「――静かに」

 

 慌てて騎士が止めようとするが、リーベンスはそれを鋭い眼光で黙らせる。その反応にますますスバルは興味がわき、ゆっくりと右手を袋の中へ――

 

「――と、なんだ?」

 

 好奇心の趣くまま手を入れようとしたスバルだったが、ふとその伸びた手は止まった。

見れば前方、通路の角の向こうで複数名の強い声が飛び交っている。訝しげに眉を寄せるスバルを庇うように騎士が前に出て、

 

「念のためにお下がりください。何事もないとは思いますが」

 

「お、ああ、はい」

「あら、残念」

 

 こちらの身を案じる言葉に従い、壁際に寄ってスバルは息をひそめる。そしてその横にリーベンスがくっつき同じように呼吸を殺し、様子を見る。

 と、角を曲がって喧騒の原因が近づいてくる。

 それは六名ほどの集団だ。騎士甲冑をまとった青年が先導し、後方の集団を誘導している。後方の集団はどうやら中央の人物を拘束しているらしい。

 

「なにがあった?」

 

 急を要する事態でないと見たのか、スバルと同行していた騎士が先導する騎士に向かって声をかける。それを受け、こちらに気付いた騎士がやや強張った顔で、

 

「どうもこうも、城に忍び込もうとした不審人物だ。それも少し厄介な」

 

「不審人物……? それがどうして城内を連れ歩く? 大人しく兵舎の方に連れていった方が」

 

「厄介な相手、と言っただろう。とにかく、団長の指示を仰ぎたい」

 

 口早に会話を終わらせると、その騎士はスバルたちの方に一礼してから集団を先導する仕事に戻る。向かう先はどうやら先の王選の会場である広間――あちらも国家最大級の取り込み中であるはずだが、そこに割り込むほどの事態とはなんなのか。

 ちらと、聞こえていた会話内容を反芻しながらスバルは集団を見る。騎士たちに囲まれて、城に忍び込んだという人物が今まさに、スバルの目の前を通過する。

 一歩間違えれば、スバルがその人物と立場を同じにしていたのだと思うと、たいそれたことをやらかしたものだと自分で自分の行いの軽挙さが恐ろしい。

 もっとも、そんな感慨は即座に消し飛んだ。なぜなら、

 

「――あ?」

 

 呆然とするスバルの眼前、騎士四人に手足を拘束されて連れ歩かれるのは――共に死線をくぐったロム爺であったからだ。

 

「ロム……」

 

 とっさに、その名前を呼ぼうとスバルの唇が動きかけた。

 が、その動きを止めたのは、リーベンスだった。

 彼女はスバルがロム爺の姿を目にしないように、前に割り込み、そしてその体でスバルの声を無理やり消したのだ。行為の示すところは明白だった。

 城への不法侵入で捕まってしまったロム爺。そんな不審者であるところの自分と、知人である事実を口にしてはスバルの立場が悪くなる。勿論、近くにいるリーベンスの立場も同様にだ。

 彼女の行動でスバルは通り過ぎる一団に声をかけるタイミングを見失う。騎士に厳重な囲みを受けたまま、ロム爺の姿は通路の向こうへ消えていく。

 そのまま、広間へと引きずり出されて弾劾を受けるのだろうか。そうなってしまえば、誰かが彼を擁護してくれることはない。そのまま彼は糾弾の後に首を切り離され、この世からもおさらばだ。

 ロム爺が助けを求めているなど、スバルの妄想が形になっただけでしかないかもしれない。下手をすればロム爺はスバルのことすら気づいていないか、そもそも忘れているのかもしれないのだ。

 だが、もしも。本当にもしもの可能性ではあるが、ロム爺がスバルの存在に気付きさえすれば助けを請うかもしれないのだ――こんな自分でも誰かを救うほどの価値はあるのだ。

 

「待ってくれ!」

 

 踏ん切りがつくのに時間がかかったが、どうにかスバルの喉はそう叫べた。

 通路の向こうに消えかけた集団の足が止まり、怪訝にこちらを見る気配がする。

 リーベンスの体を押しよせ、制止することができた。最悪の状態ではあったが、最低以下になり下がるのは避けられた。あとの問題は、ここからどうするかだ。

 

「どうされましたか?」

「ちょっと今の爺さんに用が……」

 

 同行していた騎士の気遣う声に応じて、スバルは集団の方――拘束されるロム爺へと歩み寄る。

 一団は接近してくるスバルのことを、どう扱うべきかと決めかねている様子だが、すぐに騎士が王選候補者の関係者であることを話してくれ、警戒を解かれる。

 

「――――っ」

 

 手を伸ばせば届く位置にまで近づいて、スバルはなにを言うべきか言葉を見失った。

 行き当たりばったりはいつものことだが、今回の場合は事が簡単ではない。王城への不法侵入を見咎められたロム爺への言葉は、まかり間違えばスバルの不法侵入の自供に他ならない。

 故に慎重を期する必要があったのだが――またしても、ノープラン。

 見知った老人を前に手をこまねくしかない自身の状態に、スバルは自分が思いのほかその場しのぎで生きる人間であったのだと思い出した。

自分ではそれなりに後先考えて行動する冷静沈着なタイプだと勝手に思っていたのだが、今日の様々な行動の過程と結果を思えば、どの面下げてそれが言えるものかと笑い話だ。

 今にしても、なんと声をかけるべきか欠片も思い浮かばない……これがシャオンだったら何か別の策がでてきたのだろうか。

 

「――スバル殿?」

 

 唇を震わせて、なにも言葉を紡ぐことができないスバルを訝しむ声。それを聞いてスバルは自虐的な考えから抜け出すことが出きたが、問題は依然と目の前に立ちふさがっている。

 自然、周囲の騎士たちのスバルを見る視線が厳しいものになり始める。高まる警戒心が肌を刺激するのを感じ、スバルはなにか言わなくてはと頭を動かし、

 

「ふん、お貴族様とやらはずいぶんと趣味が悪いもんだの! ドジ踏んで捕まった老いぼれの間抜け面を見て笑おうとは、同じ血の通う生き物とは思えんわい!」

 

 そんなスバルの焦燥感は、通路の端から端まで響くような大声にかき消された。

 唾を飛ばし、ガラの悪い口調と顔つきでそう言い放ったのは、誰であろうロム爺だ。彼は拘束されたままの身をひねり、スバルの顔を真下から行儀悪く見上げると、

 

「こんな面で良ければたんと見ておくがいいわい。お前さんのような恵まれて育った若造にはとんと縁のない、貧民街の垢に塗れたジジイの顔をな!」

 

 唖然、呆然、とにかく衝撃で完全に思考が停止してしまった。

 聞くに堪えない罵声を浴びせかけるロム爺に、その矛先を向けられるスバル。周りの騎士たちもしばし硬直していたが、数秒の後に正気に戻った彼らは、

 

「――口を慎め!」

 

「ぐぅっ!」

 

 要人であるスバルに無礼な口を聞いた犯罪者に、拳の制裁が振り下ろされる。

 手枷をはめられ、身動きを封じられる老人にそれを防ぐ手立てはない。為す術もなく拳を振るわれ、今の身分を弁えない発言の代償を支払わされる。

 目の前で行われる過剰な制裁、それに驚きを隠せないまま、しかしとにかく止めなくてはとスバルは手を伸ばし、

 

「待て、そこまでする必要は……」

 

「お優しいことじゃな、若造が。ほぅら、どうした、騎士様共よ。お前さんたちの大好きな飼い主の命令じゃぞ、尻尾振って聞いたらどう……ぐっ」

 

「まだ言うのか、この浮浪者が!」

 

 だが、スバルの制止の言葉はまたしてもロム爺の罵声に遮られる。罵倒を上書きしたロム爺に対し、制裁はより苛烈さを増して襲いかかった。

 なぜ、と疑問が脳裏に滂沱と押し寄せ、そのまま口から出そうになる。が、寸前でスバルの言葉を押しとどめたのは、暴行を受けながらもひたすらにスバルの瞳から目をそらさない、ロム爺の理知的な双眸に意図を察したからだ。

 

 ――ロム爺はこの場においてなお、スバルを庇おうとしていた。

 

 問い詰められれば都合が悪い立場であることは自覚があり、それをまたロム爺も熟知している。それ故にロム爺は必要以上に悪態を叩いて不仲を演じ、自分とスバルの間にある接点を消そうとしているのだ。

 

「スバル殿、この場はもう」

「あ、ああ。いや……」

 

 立ち尽くすスバルの肩に触れて、騎士がこちらを気遣う声をかける。

 罵声を浴びせられ、スバルがショックに打ち震えていたのだと勘違いしたのだろう。スバルはその声に曖昧な応答を返し、それからロム爺の目を見つめ返す。

 

 ――どうにかして俺がこの場から。

 

 そんな思いを込めて。具体的な方法などなにも思いついていやしないけれど、それでも、やらなければならないのだからと義務感が押し寄せるままに。

 しかし、それが声という形になるよりも僅かに早く、別の声がスバルの声を覆い隠した。

 

「――早くつれてってくれません?」

 

リーベンスは先程までスバルと話していたときの、弛い雰囲気を見せず、眉を寄せて不機嫌だということを隠すこともなく顕にしていた。

 

「そこのドブネズミのようなお爺さん、不法侵入でしょう? 私だって入るのに一苦労したのに、それってずるくなぁい?」

「リーベンスさん! そんな――」

「スバルさん? この方とお知り合いなんですかぁ? この不審者と王選に関係するあなたになにか繋がりが?」

 

 リーベンスの豹変に押し黙るスバルの前で彼女は汚らわしいものを見るかのように抑えめに指を差し、騎士たちに訴える。

 騎士たちはスバルの方をうかがうような目を向けたが、当のスバルがなにも言えないまま俯いていること、リーベンスのこの反応。

その二つからどうする対処が正しいのかが決まったのか「失礼します」と一言告げロム爺の体を無理やり起こし、そのまま、ロム爺が連れていかれる。

 ちょうどその巨体がスバル達の横を通るその瞬間、

 

「――感謝するぞ」

「――いいえ、むしろ恨んでください。何もできませんでしたから」

 

 ロム爺から小さな声で告げられた感謝の言葉。それに対してリーベンスも小さな声で応答する。

 刹那のやり取り、騎士たちも見過ごすようなそれに気づくことができたのは唯一スバルの身に起きた幸運だったのだろう。

 要は彼女はロム爺の心意気を汲んで、一芝居乗ったという訳だ。

 その芝居は無事成功し、ロム爺はスバルとの仲を追及されず、こちらに不利なことは一切なくなったのだ。

 

「……ぁ」

 

 巨人族の大きな体を寂しく縮こませ、ロム爺の体は今度こそ廊下の先へと消え去った。思わず手を伸ばすがそれも彼は気づかない、いや気づいても知らぬふりをするだろう。

 

「スバル殿、行きましょう。あとのことは団長が判断してくださいます。リーベンス殿も、ご案内いたします」

「ほんとーに、困りますよぉ?」

 

 リーベンスはロム爺が見えなくなっても芝居を続け、不機嫌そうに引率役の別の騎士に連れられて行く。彼女も自身の仕事があるのだろうから。

 彼女と別れ控室に案内されながらスバルは一人、自身へと問いを投げ続ける。

 あれが、最善だったのだろうか? そうだろう、呼び止めたところでなにもできなかったではないか。 スバルの心の中で自らを守るための盾が構築されていく。

 ロム爺の配慮を慮る? このまま放置しておけば、ロム爺を待つのは広間の騎士団による糾弾と弾劾――その上で、どんな処罰が下されるかわかりはしない。

 少なくともこの場でスバルがロム爺の罪過について言及すれば、少なからず王選関係者としての立場を流用することはできたはずだ。

 

「巻き添えになっただけ、か……」

 

 ロム爺の思惑に乗らなければ、しどろもどろになったスバルにも嫌疑がかかったことは間違いない。その後の抗弁でロム爺を解放に導けるほど話術に長けていれば……いや、そもそもそうだったら広間から退室するような目にも遭わずに済んだだろう。

 

「俺は……」

 

 またしても、必要とされなかったのだ。

 エミリアに拒絶され、ロム爺にも拒絶され、伸ばした手は行く先を見失い、

 

「俺はどうして、こんなところに……」

 

 連れていかれた先で、ロム爺はどうなってしまうのだろうか。

 首を横に振り、スバルは嫌な想像を振り払う。広間にいる面子の顔を思い浮かべて、少なくともこの場でスバルが騒ぎ立てるよりはマシな状況になる、と自分を慰めるように言い訳を積み上げていた。

 あの場にいる人間で、ロム爺の顔を知る人物は数人。それも全員が王選の主役である候補者たちだ。その内のひとりにとって、ロム爺という人物がどれだけ大事な人物なのかをスバルは知っている。だから、悪いようにはきっとならない。

 きっとならない。ならない、だから、大丈夫なのだ。

――ナツキスバルの行いは責められるべきではないのだ。だが、それだったら、

 

「……俺はなんのために」

 

 その問いに答える人なんていない、答えなんてない、答えなんて、訊きたくなかった。

 

――自分のいないところで物語が動き出してしまったのをスバルが知ったのは、控室でうなだれる彼の下に、広間での集いが終わったラインハルトとフェリスがそれぞれに対極の感情を顔に浮かべて参じたのが切っ掛けだった。

 

「そんなわけで、めでたく王選の始まりってわけ。スバルきゅんってばエミリア様の騎士にゃわけでしょ? お互い、頑張っていこうよネ」

 

 広間でのスバルの言動と、その結果を見ていたにも関わらず、それらの一部始終を欠片も意識していない体で語るフェリス。

 そんな気楽な様子の彼の隣で、こちらを慮るような目を向けているのはラインハルトだ。彼はフェリスの態度を指摘するでもなく、座席に腰を下ろして気力の萎えた顔でいるスバルに笑いかけ、

 

「フェリスの言うほど簡単な問題じゃないと思うけど、互いに切磋琢磨し合う関係でいたいというのは同じ意見だ。スバル、正々堂々といこう」

 

「……あ、ああ」

 

 文字通り堂々とした言い方でラインハルトはスバルに宣戦布告をする。対するスバルの方は言葉を濁してそう応じるより他にない。彼らの言が示すところは明らかであり、スバルもまた本来ならば躍起になって今後の己の道筋に思考を走らせなくてはならないところだ。

 が、今のスバルにはそんな重大事すらも先送りにして、確認しなければならないことがあった。

 

「――――」

 

 なのに、自分でもそれがわかっているのに、肝心の言葉が出てこない。

 その言葉を告げたあと、どのような事実がスバルを襲うのだろう。そう考えただけでスバルの体は石のように硬くなり、動かなくなる。

 

――シャオンだったらどうしただろう。

 

 無意識にこの場にいない男の姿が頭によぎる。しかし、比較するのは意味がない、スバルと彼とでは何もかもが違いすぎるのだから。

 シャオンにできてもスバルにはできない、逆にスバルにできることはすべてシャオンにできる。

 それが自分で感じ取れるのが情けなくて、そしてそれを読み取られることが怖くてスバルの瞳はラインハルトもフェリスも、見上げることができずに泳いでいた。

 

「――スバル、あのご老人なら無事だよ。フェルト様の取り成しによって、その身柄の安全は確約された」

「――ッ!」

 

 口にしようとしてできなかった疑問の答えが赤毛の青年によってもたらされる。

 愕然と頬を強張らせ、見開いた目を向けるスバルに彼はひとつ頷き、

 

「広間との通路の関係上、君があのご老人と顔を合わせずに通り過ぎたというのは難しい話だ。ご老人とスバルに面識があるのを知っている僕からすれば、今の君の顔を曇らせている原因がなんなのか、察するのは容易なことだよ」

 

 スバルの言わんとするところをさらに先取りし、ラインハルトは指を立ててそうこぼす。

 だが、ラインハルトは本当の意味でスバルが

 あの瞬間、自分の力でロム爺を救い出すことを諦め、次善策があったとはいえ知人が危害を加えられるかもしれない場面を見過ごした浅ましさを。

 否、本当のところを言えばそれすら建前でしかない。

 本当のスバルの心は、その奥底は、もっともっと、救いようがない。

 

「よかったネ」

 

 俯き、目をそらすスバルに、こちらの顔を覗き込むようにしながらフェリスがそう微笑む。彼はその可憐な笑顔で下からスバルを見上げ、後ろ手に手を組みながら、

 

「ラインハルトとフェルト様のおかげだから感謝しなきゃ。――これで、スバルきゅんはなぁんにも言い訳しなくていいもんネ」

 

「――――ッ!」

 

 彼は猫の瞳を大きく見開き、頭部に生えた栗色の猫耳をピコピコ揺らして、その嗜虐的な笑みをさらに横へと引き裂いてみせた。

 その見目はまさしく、ネズミを爪でいたぶって遊ぶ猫の様相だ。

 その猫にスバルはまた言い訳を重ねようとするが――

 

「――フェリックス、アタシはアンタのことをいい友人だと思ってるっすよ。でも、弱い者同士の争いは見たくないっす。それ以上は、止めるっす」

「にゃーに? かるーい冗談じゃにゃい。むきになっちゃってー」

 

 風を切る音と共にフェリスの顔面の前に拳が付きつけられていた。

 知らぬまに背後にいたアリシアが拳を彼の前に突き出し、警告の言葉を告げたのだ。

 

「……アリシア」

「一応部外者であるアタシがあれ以上あの場にいても何もできないっすから」

 

 スバルの視線から何でここにいるのかという問いを読み取り応えるアリシア。確かに彼女は部外者ではある――自分と同じ、部外者ではあるはずなのだ。

 

「……しっかし、それが理由でフェルトの覚悟決まっちまった的な展開だと予想するけど、そのあたりはどんな感じよ、騎士ラインハルト」

 

「その通りだよ。あのご老人の登場は、いい意味でフェルト様の気持ちを固めてくれた。彼の意図したところとは反する結果になってしまったようなのは少し、申し訳ないけどね」

 

 顎に手を当て、わずかに思案げに眉を寄せる美丈夫。絵画の一枚としてすでに完成した佇まいにあるラインハルトの言葉は、広間での一連のやり取りを目にしていないスバルにはイマイチわからない。

 ただ、彼の口にした前後の文脈から広間での出来事を想像し、その情報を得た上でナツキ・スバルならばどう反応すべきかを正確にトレースするだけだ。

 

「なーる。とすると、俺はまんまと強力なライバル登場のお膳立てしちまったわけか。こりゃあとでエミリアたんに大目玉食らうかもわからねぇな」

 

「そうはならないと思うよ。エミリア様も、もちろん他の候補者の方々も、正道で競い合うことを望まれるはずだ。その相手が競うに足る相手であることを、歓迎こそすれ不服に思うようでは器が知れる」

 

 珍しく言葉に厳しさを残しながらラインハルトは言い切る。

 基本的に温厚的な彼だが、譲れない一点だったのだろう。

 そんな地雷原を掘るのが好きな男がナツキスバルだが、今のスバルにそこを突っ込むほどの余裕がないので話を変える。

 

「それはそれとして、話し合いが終わったってんなら他のみんなはどしたのよ」

 

「候補者の方々はもうちょこーっと細かいお話をしなくちゃいけないから広間にお残り。一応、騎士は自由にしていいってことになったから……」

 

「僕がスバルの様子を見てきたい、と言ったのにフェリスとアリシアが付き合ってくれてね。さっきの広間では、碌なフォローもできずにすまない」

 

 フェリスの言葉を引き取ってそう謝罪を口にするラインハルトに、スバルは「あー」と頭を掻いて罰の悪い顔で、

 

「いや、別にお前が悪いんじゃないし、むしろ忘れてくれるとこれ幸い。で、ラインハルトはともかく、お前だよネコミミ。フェリスはどうしてここにきたんだよ。ぶっちゃけた話、クルシュさんの側にいなくていいのか?」

 

 初対面――ロズワール邸の正門で、彼と交わした短いやり取りを思い出す。その際、彼はクルシュに対して片時も離れていたくはない的な発言をしていたはずだ。

 

「安全面の話なら問題ないかなー。だって、クルシュ様ってばフェリちゃんよりよっぽどお強い方だし?」

 

「軽々しく言うなよ……それでいいのか、近衛騎士団」

 

「フェリちゃんの売りはそれとは別のところにあるからいーの。それに、その売りってばスバルきゅんと無関係じゃにゃいんだしー」

 

 言いながら、フェリスはスバルの前で持ち上げた両手の指を二本立てる。と、その立てた人差し指の先端がふいに淡く輝き、

 

「う……なんか心なしか、肘・肩・腰の疲労が抜けていくような……?」

 

 じんわりと、体の端々から疲労が流れるように抜けていく感覚を味わい、スバルは身震いしながら肉体が癒されるのを実感する。

 

「ああ、そっか。そういえばフェリスってなんかすごい水の魔法の使い手なんだっけ」

 

「なんかすごい、なんて表現はバカっぽいし、そんな言葉だけで表現できないっすよ」

 

 脳裏に浮かんだ設定を思い出し、なんとなしに口にするスバルにアリシアが訂正を入れる。胡乱げに自分を見るスバルに頷きかけ、アリシアは顎の先でフェリスを指す。

 

「フェリスの水系統の魔法使いとしての才能は比肩する者のいない突出したもの。ルグニカではもちろん、大陸全土を見渡しても他に優れた使い手はみないっす」

 

アリシアの苦虫をかみつぶしたような表情での説明を受けながらスバルは感心した様にフェリスを見る。

 自身の才を惜しげもなく賞賛されたフェリスは、自慢げに腰に手を当てながら平らで当たり前な胸を張っている。

 

「アリィちゃんの説明じゃかなーりはしょったけど、つまりそういうことなわけ。そんなこんなでご大層な二つ名を与えられたフェリちゃんの予定表は、常に水の魔法の癒しを求める人々の願いに埋め尽くされているのでしたー」

 

 握りしめた拳を天に突きつけ、「頑張れ、フェリちゃん!」と言いながら満面の笑顔を作ってみせるフェリス。

 その説明に、スバルはつまりフェリスはこの世界における『超腕利きの名医』といった扱いなのだろうと当たりを付ける。王国の国民が五千万で、その隅々にまで彼の手が行き届いているとは思えないが、彼の手の恩恵に与れる立場にある人間たちだけで、容易に彼の日々の忙しなさが想像できるほどだった。

 引く手数多の引っ張りだこ。

 数々の数え切れないほどの人々から必要とされている。

 フェリスという人物をそう解釈してしまった時点で、スバルは自然とその存在と自分を比較せずにはいられない。大切で、もっとも必要としてほしい人から必要としてもらえなかった自分。ひどく、惨めになる。

 だから、

 

「でもぶっちゃけ、言うほどだよな」

「……にゃ?」

 

 挑発じみたスバルの言葉に、フェリスの顔から笑みが消え、真顔で固まる。

 好意的に接してくれている相手への劣等感が堪え切れなくて、こぼした発言だったがフェリスには聞き逃すことができなかったことのようだ。

 

「シャオンだったら一瞬で傷を治せるからさ、言うほど凄さを感じないっていうか」

「どういうこと?」

 

 思ったよりも食いついてくるフェリスに気を良くしたスバルは意気揚々とシャオンの能力を話そうとする。自分のことではないが己のことのように自慢げに話そうと口を開く。だが、

 

「癒しの拳っていう「オッラァ!」ゲビィ‼」

 

 腹部に抉りこまれた拳に内臓ごと押し戻されたかのような衝撃に、口から出そうだった言葉は無理やり押し戻される。

 当然拳を放ったのはアリシアだ。

 彼女は加減をしたのだろうが、それでも貧弱なナツキスバルの体は踏みとどまることができず、宙をわずかに浮き、そのまま重力に従いゆっくりと落ちた。 

 理不尽かと思われる暴力。だが、スバルに怒りはなく、自分がやろうとしていた愚かさに気付いていた。

 

「……わるい、うかつだったわ」

「ほんとっすよ。そもそもなんで、フェリスがスバルの治療を担当してんすか?」 

 

 スバルが話そうとしたのはシャオンの能力に関する情報だ。それを本人に断りなく、しかも他の陣営に話そうとしたのだから。それを無理やりにでも止めてくれたアリシアには感謝するしかない。

 

「……ゲートの不調の治療だよ、スバルきゅんたら無茶してたみたいだしねー」

 

 腑に落ちない表情ではあったがこれ以上の情報を得ることはできないと判断したのかフェリスは追及はせずにアリシアの疑問に答える。

 だがスバル自身、ゲートの不調といわれてもピンとくるものがない。『シャマク』の使用を禁じられた上で、確かに体の奥深くに消えない倦怠感のようなものが濁りながら残っているような感覚はあった。

 だがそれはケガの後遺症が若干あるからで、治ったら問題なくなると思うのだが。

 

「そうやって軽んじられるほど、ゲートの問題はささやかなものじゃないと思うけどネ。単に魔法が使えないだけって風に考えてるならダメだヨ?」

 

「違ぇの?」

 

「なぁんにもわかってにゃいんだから。いーい? ゲートは主に魔法を使うとき、外と内側をマナを通すために繋ぐ役割を持ってるっていうのが一般的な考え。だけど、実際にはゲートは魔法を使うときだけじゃなくて、普通に生活しているときにも内と外にマナを循環させて生命を維持してるの」

 

「呼吸と同じようなもんっす。スバルは一生呼吸できなくても生きていけるっすか?」

 

 アリシアの呆れた声にスバルはゲートの重要性について改めて納得がいく。思ったよりも重要な存在らしいゲートの不調にどこまでもついていない男だとスバルは嘆く。

 

「……このままだと、遠からずそうなるってか」

 

「で、スバルきゅんのゲートの状態だけど、色んな無理がたたってもうぐっちゃぐちゃになってるの。こうなるともうそんじょそこらの水の使い手じゃ治療もできない。付きっきりで魔法かけて、大切な場所は自然治癒に任せるのが関の山」

 

 スバルの状況が切迫している事実と同時に、フェリスは暗に自身が凡百の魔法使いとは違うという点を強調してくる。ただ、やっかむスバルの耳にそう聞こえてしまうだけかもしれないが。

 

「つまり早々にそんな危機的状況を抜け出すには……」

 

「フェリちゃんの力が必要不可欠ってこと。おーわーかーり?」

 

 左右に体を揺らしながらの問いかけに、スバルは気が進まないというのを眉間に皺を寄せることでアピール。が、そのやり取りを見るラインハルトが指を立て、

 

「俺ってばお前にそんな優遇されるほど絆深めた覚えねぇんだけど?」

 

 まともに名前の交換すらしていなかった初対面を含めて、フェリスと会うのは今日が二度目。広間と控室の遭遇をわけて考えても三回。その三回のどれもが彼と親睦を深められたとは思えないものだった。

 

「今回の召集の伝令をしに、フェリちゃんが辺境伯のお屋敷にいった日があったでしょ? ほーらー、フェリちゃんとスバルきゅんの運命の出会いの日」

 

 胸元で手を合わせ修道女のように神に感謝をする真似をするフェリス。だが、すぐに舌を出しからかうように笑う。

 

「ま、重要なのはスバルきゅんとの出会いじゃなく、屋敷でエミリア様にフェリちゃんがお願いされたってところだけどねー」

 

「……やっぱり、エミリアたんか」

 

「やっぱり、エミリア様なのでした」

 

 予想のついていた返答だけに、スバルの口調は苦々しく重い。

 あの屋敷でのフェリスとの初遭遇、そのときの会話内容と、もともとロズワールがスバルを王都へ同行させた理由を思い返せばすぐに理解が及ぼうというものだ。

 そしてその背景が理解できてしまうからこそ、スバルは胸の奥に重いものがわだかまっていくのを止めることができない。

 スバルの肉体を蝕む、マナ枯渇とやらの状態異常。それを治せるのは王都でも指折りの魔法使いであるフェリスだけであり、そのフェリスは王選での対抗馬となるクルシュの従者。そんな彼に自分の身内の治療を頼むなど、クルシュ陣営に王選が始まる以前から借りを作ってしまうことになる。

 もう一人の従者、シャオンも他の陣営であるアナスタシアの下に伺ってはいたが、なにか借りを作ることなどをしてしまった様子はなさそうだった。むしろ、友好的な関係を構築していたようにも見える。

 つまりスバルはここでもまた、自分だけがエミリアの足を引く結果を出していた。

それがわかってしまうから、

 

「なぁ、どうしても治療って受けなきゃダメか?」

 

相手方に無理解を示されるのがわかっていながら、そう口にしてしまっていた。

案の定、それを聞いたラインハルトは理解しがたいといった様子で眉を寄せる。が、一方でフェリスはスバルの返答を予想していたかのように微苦笑し、

 

「対価はもう払われているから。このままスバルきゅんの治療をしないなら、かえってエミリア様に無駄骨を折らせる結果になっちゃうかもよ?」

 

「対価ってなんだ? それが物理的なもんなら、返してくれればいいだけの……」

 

「それは物理的なものじゃにゃいし、知ってしまったからには返せない類の対価なんだよネ。だからスバルきゅんの申し出は、残念だけど通せないかナ」

 

にべもなく懇願を袖にされて、スバルは額に手を当てて俯くしかない。

フェリスは正しくスバルの心情を読み取っており、その上でこちらの提示する逃げ道をことごとく塞いできているのだ。

 それは彼なりに主であるクルシュを優位に立たせようとする打算であり、一方で対価を差し出してまでスバルの身を案じていたエミリアの想いを遂げさせようとする、そんな人間味のある義理人情もあったかもしれない。

 そのいずれの判断もが、スバルの浅はかで足りない思考を妨げていた。

 

「俺はどうして、こうも……」

「スバル……」

 

 エミリアの足かせになりたくないのに。王様になりたいと、そう望んで努力する彼女を知っているから。

 その高みに辿り着こうと、遠い王座を目指して上を向く彼女を知っているから。

 そしてそれを支えたいのに。どうして自分はこうも無力で、無知で、無能で、足手まといなのだろう。

 

「――それほど自身の無力さを嘆くのならば、もっと選ぶべき選択肢が君にはあると思うがね」

 

 静謐な声が控室の大気に響き、俯いていたスバルは顔を上げる。

 声は控室の中の人物ではなく、控室の扉側から届いていた。そちらに向けた視線の先、線の細い長身が開いた戸に背を預けてこちらを見ている。

 視線を受け、紫色の髪を撫でつける青年は気取った風に唇をゆるめ、

 

「そう嫌な顔をしないでもらいたいものだね。歓迎されるなどとは思っていなかったが、そのような態度を表に出しては」

 

「出したら、なんでしょうかね」

 

「一緒におられる方の品性が疑われる。努々、気を付けたまえ」

 

「ぐ……ッ」

 

 単なる口論に持ち込まれるのであれば、言いがかりだなんだと言い返すこともできたのだが、事を個人間の問題だけで収められないなら話は別だ。

 スバルは唇を曲げて不服の言葉を飲み込み、室内に悠然と踏み入ってくるユリウスを剣呑な視線で睨む。

 

「ユリウス、候補者の方々の話し合いは終わったのかい?」

 

 そんな穏やかならぬスバルの視界を遮るように、二人の視線の射線上に割り込むラインハルトがユリウスにそう尋ねる。

 それを受け、ユリウスは片目をつむったまま「いや」と小さく首を振り、

 

「話し合いは少し長引きそうな様子だ。現状の条件のまま王選が始まると、事が暗殺合戦になるのではとアナスタシア様が懸念されて」

 

 そのあたりの条件を詰めている、とユリウスはそう語る。

顔を背けつつも内容を耳に入れて、スバルは「なるほど」と納得を得ていた。

 王選参加者が五名で、どんな方法かはわからないが王位を争う状態だ。そんな状況下でもっとも簡単な王位の確保の仕方は、他の候補者を全て蹴落とすのが理に適っている。

 広間で見た候補者たちは、いずれも一本芯の通った人柄揃いに見えたが、本人の性質はともあれ周囲の意見もそうであるとは限らない。

 

「暗殺とは穏やかじゃないっすね」

「そんなことは起きないとは思いたいけどね、でも用心に越したことはない」

「そうだ、何があるかわからない。我々騎士は何があっても対処できるようにしておかねばならない」

「ま、そーだよネ。半年前の大事件以来、ここまで立て直すのにどれだけ苦労がいったか。もうあんなのはゴメンしてだもんネ」

 

 アリシアとラインハルトの言葉にユリウスが穏やかに反論し、それをフェリスが引き取って締める。彼の言葉に三人が頷き合うのを見ながら、スバルはここでも仲間外れにされているような感覚に疎外感を覚えていた。唯一味方だったアリシアすら敵に思えるほどに、スバルの心は歪んできていた。

 

「それでけっきょく、お前はなにをしにここにきたんだよ」

 

スバルはユリウスに対して非友好的な態度に出る。

疎外感の発生源である上、彼はスバルが広間を出るに至った経緯に少なからず関わった相手だ。恥をかかされたことについては自分の浅慮が原因だと自省しているが、それを鑑みても彼とは意見が相容れない。

 もはや隠しもしないスバルの敵愾心を浴び、ユリウスは涼しげな顔のままこちらへと歩みを進める。さりげなく進路をラインハルトが阻もうとするも、確固たる意思でスバルへ向かうその足を止めることは叶わない。

息が届きそうな距離で、スバルとユリウスが向かい合う。

日本人としておおよそ平均的な身長のスバルと比べて、長身痩躯のユリウスはおよそ頭半分ほども大きい。

 

「最も優れた騎士様とやらが、肝心な場面でお姫様の側にいなくていいのかよ。案外、この城の警備とかザルでホイホイ侵入者が忍び込んでっかもしんないぜ?」

 

「――王選の関係者が集まる現状、王城は国内でも最大級の要所だ。当然、衛兵の警備も相応の意識を持って挑んでいる。君に心配される謂れはない」

 

「……いや、その認識だとマジにヤバいと思うぜ。少なくとも、他の誰よりも俺に心配される謂れだけは確実にあると思うね」

 

 自信満々、といった様子のユリウスにそうこぼし、スバルは改めて王城の警戒網の緩さに嘆くしかない。

 特にこれといった技能も持たず、かといって特殊な訓練をしたわけでもないスバルでも忍び込めたのだ。専門家がきた際には、さもありなんといったところだろう。

 

「転ばぬ先の杖っていうことわざがあってな、ようはちゃんと用意しないと転んだ先の杖がのどに刺さるってことだ。ちゃんと準備できているつもりでできていないのなら、なおさら笑えねぇ」

 

「意味はよくわからないが、それが侮辱の言葉であるのは伝わるよ。――これで二度目だ」

 

 ユリウスは顔を背けると、そのままスバルの隣を素通りして部屋の奥へ向かう。その背を視線で追いかけ、ユリウスが控室の奥の窓際――ちょうど、城の裏手側が見下ろせる位置へ立つのを見た。

 

「さて、なんのためにここにきたのか、と君は私に聞いたね」

 

 窓から眼下、城外に視線を送ったまま、ユリウスは感情の読めない声で問う。それを見ていち早く反応したのはアリシアだった。

 彼女はスバルをかばうように前に出て、ユリウスの視線を受ける。

 

「ユリウス」

「アリシア、君も思うところがあるんじゃないかな。いや、あるはずだ真に”騎士”を目指す君ならば」

「――――」

 

ぴしゃり、と断言されアリシアは口を閉ざしてしまう。そしてユリウスはアリシアを優しくではあるが無理やり体をどかせ、スバルと向き合う。

 

「話を戻そう。ここにきた理由はもちろん、君に会いにきた。少し、付き合ってもらいたいところがあってね」

 

どうだろうか、と手を広げてユリウスはこちらの意思を問うてくる。

選択肢はこちらに与える、といった彼のスタンス。だが、こうも互いに刺々しい感情を交換している状態で、それが友好的な提案だとも思えず、

 

「女の子の誘いなら理由も聞かないで即OKだが、野郎が相手なら場所と目的がわからねぇとNOともいいえともお断りしますとも言えねぇよ」

 

「場所は練兵場、目的は……」

 

 軽口というには皮肉が過ぎるスバルの物言いに、ユリウスは率直に応じ、少しだけ考え込むように顎に指を当てながら、わざとらしく悪そうな笑みを作り、告げた。

 

「目的は――君に現実を教えてあげること、というのはどうだろうか?」

 




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嫉妬の楔

「シャオン?」

「……ん? どうしたよエミリア嬢」

 

 現在シャオンはロズワールに頼まれてエミリアの護衛兼、エミリアが騙されたりしない様に見守るために寄り添っていた。

 シャオンとしてはスバルの動向がわからないと不安だったのだがロズワールに「君になーぁにができるんだぁい?」と言われ、言いくるめられてしまったのだ。

 なので現在この部屋にいるのはエミリア含めた候補者に、アルとフェルトが王選参加を決めたきっかけとなったロム爺と、姿は消しているパックとエミリアの後ろに控えているシャオンだ。

 ラインハルト、ユリウス、フェリスの三人は外に出ている。

 

「スバル、大丈夫かしら。また、無茶してないかしら」

「どうだろうね、正直心配はしている。一応アリシアに何かあったら止めるように頼んだけど」

 

 といっても、どれだけ効果があるかわからないが。

 そんな考えはエミリアを心配にさせてしまうから口には出さずにいると、部屋の扉が乱暴に叩かれた。

 

「――マーコス団長、ご報告が」

 

 駆け込んできたのは衛兵。彼は自分の踏み込んだ場所に集まる顔ぶれに気付くと顔を青ざめさせ、自分の働いた無礼に肝を冷やしている。

 さっと音が聞こえそうなほど血の気が引く衛兵、その彼の無礼を室内の人々の視線から庇うようにマーコスは動き、

 

「部下が失礼をいたしました。私の指導不足です」

 

「話の区切りはよく、当人も反省が顔色に出ている。その上で上役の卿がそう言うのであれば、こちらが咎めることなどありはしない」

 

 謝意を示すマーコスに対し、部屋の面子を代表して寛大を示すのはクルシュだ。彼女は束ねた自身の長い緑髪を手で撫でつけると、「それより」と息を継ぎ、

 

「この場の事情を忘れて乗り込んでくるほどだ。よほどのことだろう?」

 

 首を傾けて問いを投げるクルシュに、衛兵は一も二もなく頷いてみせる。それから衛兵は口を開きかけ、その内容が広まるのを恐れるような顔つきになり、

 

「団長、内密にお伝えしたいことが」

 

「……皆様の前で、あまり感心しない態度だが」

 

「それでも、です」

 

 それとなくたしなめる言葉に食い下がられ、マーコスは部下の態度に直感的に『マズイ』事態が起きているものと判断する。それだけ感じ取り、室内の人々に断って外で報告を聞こうとマーコスは決断するが、

 

「部屋を出ること、まかりならんぞ、マーコス。妾が許さん」

 

 言葉を作るより先に、豪奢な椅子に腰掛けるプリシラが道を塞いできた。彼女はマーコスの思惑など知らずに、ただそうするのが面白いからとでも言いたげな嗜虐的な表情を浮かべたまま、

 

「場を乱した無礼は許そう。が、その原因を聞かんことには溜飲が下がらぬ。よって報告を聞かせよ。この場にいる全員に、聞こえる声でじゃ」

 

「お言葉ですが、プリシラ様。皆様のお耳に入れる必要のない内容も多々ございます。このこともその手合いで……」

 

「たかだか城に忍び込んだだけの老骨が、それまで腑抜けていただけの小娘に見栄を張る気概を与えた。――なれば、それも些細とは言えんかもしれんじゃろ?」

 

 扇子で口元を覆い、プリシラはちらりと部屋の対面に位置するフェルトへと流し目を送る。揶揄された形になったフェルトは唇をへの字に曲げている。

 というのも先ほど王城に侵入してきたロム爺が囚われの身で現れ、その結果王選参加に乗り気ではなかったフェルトが途端に参加することになったのだ。

 確かに言い方はアレだが、プリシラの言葉に間違いはない。

 

「姫さん、姫さん。まだまだ始まったばっかなんだから、あんまし敵とか作んのやめてくんねぇ? オレってばただでさえ腕が一本足りねぇんだから、人の倍働かねぇと帳尻合わない困ったさんなんだから」

 

「ふん、まあよい」

 

 なおもフェルト苛めを続ける姿勢でいたプリシラであったが、従者であるアルの進言によってその意思を渋々と収める。それから彼女は改めてマーコスに向き直り、

 

「が、そちらへの追及は終わらぬ。報告は妾たちにも聞こえるよう、大声で述べるがよい。妾が許す。否、それ以外を妾は許さぬ」

 

「……団長」

 

「やむを得ん。指示に従え」

 

 プリシラの傲岸不遜な命に対し、衛兵はマーコスの判断を求めたが、それに対するマーコスの答えは不本意のにじんだ声音で要求を受け入れるものだった。

 上司と、さらに国の今後を担うやもしれぬ人材からの命令――二つの指示を下された衛兵に、それを断るような胆力の持ち合わせはなかった。

 

 彼はその表情を強張らせ、瞳を戸惑いと焦りに揺らめかせたまま姿勢を正し、

 

「報告いたします。広間での会談の終了後、騎士ユリウスが練兵場の使用を申請。受諾した現在、練兵場にて騎士ユリウスと……」

 

 ちらと、報告の最中に衛兵の視線が部屋の隅――そこに所在なさげに立つ、エミリアの方へと向けられた。

 その視線を受け、エミリアはふいに話を振られたような唐突感に目を瞬かせる。

 そんな彼女の驚きが疑問に変わり、それが明確な言葉となって意味を結ぶ前に、正しい情報が衛兵によってもたらされる。

 

「――エミリア様の従者である、ナツキ・スバル殿が木剣にて模擬戦を行っております」

 

「……へぇ」

 

 背筋を伸ばし切り、衛兵は今まさに見てきたばかりの内容をここにぶちまける。

 それを聞き、顎に手を当てて感嘆の吐息を漏らすのはアルだった。他のものも多かれ少なかれ、困惑以外の感情を瞳に、あるいは表情に浮かべている。

 そんな中で、はっきりと当惑以外の感情を出しようがないのがエミリアだった。

 

「……え?」

 

 告げられた言葉の意味がわからず、エミリアは息の抜けるような声を漏らし、大きな紫紺の瞳をぱちくりさせて思考を停止させてしまう。

「ど、どうしてそんなことに……!?」

 

 理解の感情が浮かばず、エミリアは浮上してきた疑念をそのまま言葉にする。

だが、シャオンは、いや、この場にいるエミリアを除く面々はその模擬戦の起こった理由が想像ついているようだ。 

「……その模擬戦はどちらが申し込んだものです?」

「は! 騎士、ユリウスが申し込み、ナツキスバル殿が受けたとのことです」

 

予想通りの展開にシャオンは頭を抱えそうになるのを何とか堪え、平静を保つ。ここで動揺を露わにしてはエミリアにも伝わってしまう。

 

「とにかく、すぐに止めにいかなきゃ。その練兵場に案内して……」

 

「あー、それはどうかとウチは思うんやけど」

 

 急ぎ、現場に向かおうとするエミリアの言葉は、特徴的な口調、カララギ弁で遮られた。

 

「え?」

「もう一度いうで?――模擬戦がユリウスからの提案なら、ウチは止めるの反対やな」

 

 と、アナスタシアは自身の従者の判断を肯定する構えを見せ、

 息を呑むエミリアは、笑みを浮かべるアナスタシアに「どうして」と声を震わせながらも出す。

 

「あなたの騎士と私の知人がぶつかってるのよ? 心配にならないの?」

「なんの? ユリウスがやりすぎて、そちらさんのとこの子の治療費を払わなならんこと? それこそ訳が分からんやん。ヒナヅキくんがおるんやし」

 

 不思議そうに首を傾げるアナスタシアの答えに、エミリアは言葉を失う。

 その傍観の姿勢にエミリアは額に手を当て、紫紺の瞳に動揺をたたえながら、

 

「あ、あなた……他に、もっと言うことがあるんじゃないの?」

「あ、賭けでもしよか? あの、ナツキ・スバルくんやったっけ? あの子がユリウスとどれぐらい打ち合ってられるか」

 

 アナスタシアの目がシャオンをとらえる。それは完全に弱者を痛める強者の目だ。流石にこの場合の弱者がシャオンのことか、スバルのことかまではわからないが。

 

「……ふつう賭けだったら、勝ち負けを問うもんだと思うんですけど」

「そんなん賭けならんよ、ヒナヅキくん。それに、キミも止めるべきではないとおもてんやろ?」

 

 エミリアが驚きの視線でこちらを見る。だが、それにこたえるほどシャオンは剛胆ではない。といってもいつまでもだんまりという訳にはいかない。

 どうするか悩んでいると、

 

「……模擬戦の是非を問うのであれば、私も途中で止めるのは感心しないな」

 

 助け舟ではないが、腕を組み、それまで静観していたクルシュが仲裁に向かおうとするエミリアを相反する意見で引き止めた。

 

「これで決闘を申し入れたのがエミリア殿の従者であれば、エミリア殿が仲裁を申し出るのは正しいだろう。だが、申し入れたのが騎士ユリウスであり、受けたのが卿の従者であるのなら、卿が止めに入るのは筋違いだ」

 

「どうして? だって、スバルは……」

 

「それがわからないようなら、いくら説明したとてわかりはしない」

 

 強い口調で言い切られ、エミリアはそれ以上の追及をクルシュに行えない。クルシュもまた、エミリアに語るべきことはないとばかりに唇を固く結んでしまった。

 エミリアの追及がシャオンに来る前に僅かに話題を逸らす。

「……それで? なんでそんなに慌ててるんですか?」

「そうそう、別にやり合ってるだけなら報告は事後報告でいいわな。なんでまた、団長呼びにくるぐらい焦ってるわけよ?」

 

 シャオンに同調するようにアルが疑問を差し出す。それを受けて傍目にもはっきりわかるほど衛兵の顔色が悪くなる。彼は問いにどう応じるべきか、戸惑うように視線をさまよわせ、アルの隣で嫣然と微笑んでいるプリシラと目が合ってしまった。

 唇を横に裂き、愛らしい天使の笑顔に残虐性を入り混じらせる狂悦の表情。

 衛兵は最後にマーコスに救いを求める目を向けたが、その救いに対するマーコスの答えは無慈悲な首振りだけであった。

 

「自分が団長をお呼びに上がったのはその……騎士ユリウスとナツキ・スバル殿の模擬戦が……あまりに一方的過ぎるため、指示を仰ぎに参りました!」

 

 注目する視線を受け、衛兵は半ば自棄になったような声で背筋を正して言う。その内容を耳に入れて、珍しくマーコスは表情を怪訝そうなものに変え、

 

「……一方的、というのは?」

 

「騎士ユリウスも加減されているとは思うのですが、その……とても、見ていられなくなるほどで」

 

 言いづらそうに衛兵はエミリアに視線を送り、自分が見てきたばかりの凄惨な現場の情景を、図らずもその場にいる全員に想起させる。

 

「止めなきゃ……っ!」

「まって、エミリア嬢! すみません、失礼します!」

 

 焦燥感に彩られた呟きを漏らし、エミリアは扉の脇に立つ衛兵の横に飛びつくと、そのまま部屋を出て騎士団詰所――件の練兵場へ続く通路へと駆け出していく。

飛び出してしまったエミリアを追いかけてシャオンは走る。だが、心の奥底では――もう遅い、とも思っていた。

 

「おいおい、アイツまだやるのか?」

 

 木剣を叩きつけられ、槍のように突かれ、鞭のようにしなやかに打たれる。

それがもう何度も、何度も何度も何度も――続いていた。

 

「ぐぁっ!」

 

 また、吹き飛ばされた。

 そのたびにスバルは自分とユリウスとの実力差を実感させられる。

 傷ついていくのは体だけではない、その実力の差が、スバルの心を傷つけていくことがわかる。

 

「――ぺっ!」

 

 口の中に異物があるのを感じ、苛立ちを吐き出すかのように勢いをつけて飛ばす。

スバルの口から出てきたものは僅かに赤みが付いた白い小さな物体、歯だった。

 ユリウスの攻撃でぐらついていた歯が限界を迎え、スバルの元から離れたのだ。

 

「そろそろ、だとおもうのだけどね」

「……あ? いっ、たい……なにがぁ、だよ!」

 

 ユリウスの問いかけに、スバルは木剣を降り下ろすことで答える。

 負傷した状態で繰り出された攻撃にしては上々の一撃。しかし、ユリウスは最小限の動きで攻撃を回避。スバルの体は練兵場に倒れこみそうになる。

だが、

 

「君が、あの方のそばにいてはいけない、ということだよ」

 

「――ぐっ!」

 

目の前の騎士はそれすら許さずに、スバルの顎を打ち上げ、吹き飛ばす。スバルは回避することができずに地面に頭から落ちた。

 

「これ以上は命に関わるとおもうが?」

「いって……ろ、素人。こんなんじゃ死なねぇよ」

「その言いぶり、まるで君は素人ではないとでもいいたいようだね」

 

 いぶかしげな表情のユリウスにスバルは震えながらも中指を立てて答える。

 

「ああ、その道のベテランだよ、くそ」

 

意地でそういったものの、意識を手放すまではそうかからないはずだ。今のスバルは意地で立ち上がっているだけ、その意地ももう崩れかけてきている。

 だから、その前に奴の隙を見つけられれば――

 

「私に一撃を当てられる、そう考えているのかな?」

「っ!」

「君の中でこの決闘での勝利条件は私に一矢報いることだ。それが、私を打ち倒すのか、それとも一撃を当てるのかどちらを示しているのか」

 

 図星だ。

 ナツキスバルのこの模擬戦の勝利条件はユリウスを倒すことから、一撃当てることに変わってしまっていた。

 それがスバルにはわかっていたから、口にできない。するとユリウスは僅かに感心した様に笑みを浮かべた。

 

「流石に無様に言い訳を口にすることはないか。それはプライドからかい? 君にあっても意味のないものなのに?」

「てめぇ!」

「ナツキスバル。君は、なぜ君はこんな目に遭っているかわかるかい?」

 

 挑発に乗り、スバルは飛びかかるがそれをユリウスは一払いで防ぐ。

 

「一つは、騎士を侮辱したこと」

 

 指を折りながら、ユリウスはスバルに丁寧に説明をする。まるで不出来な教え子に優しく教える先生のように。

 

「由緒正しき歴史を持つ我々近衛騎士を、君のその浅慮な考えで発せられた言葉で傷をつけたからだ……もう一つは、君もわかっていることだよ」

 

 スバルは答えない。

 それはユリウスが言っている言葉がわからないのではなく、自分から口に出すことが怖いからだ。

 しかしユリウスはそんなスバルの弱い心を容赦なく、

 

「――君の努力が足りないからだ」

 

 一切の容赦なく断罪したのだ。

 

「君が騎士を目指すというならばそれ相応の努力をしてきたはずだ。怠惰に日々を過ごすことなく、上を目指して切磋琢磨してきたはずだろう。だが現実はこの有り様だ。君が、君の夢を叶えるために生きてきたのなら、少なくともこの惨状は生んでいないはず。つまり、そういうことだ」

 

 ユリウスは息を一息吸い、この場にいる全員に聞こえるように音を発した。

 

「――君は自ら、エミリア様の側を離れるべきであると」

「ふざ、けんな……てめぇに、なんの権利があってそんな……ッ」

「無論、私に君の処遇をどうするかの人事権などない。故に私が君の進退に対して口出しすることはできない……だが君の存在は、エミリア様に対して、王選に参加する彼女に対して大きな障害となる。それは君もわかっているだろう?」

 

 ユリウスの声が、今まで背けてきた真実と向き合うようにさせてくる。スバルが一番知りたくなかった直視したくなかった真実に。

 

「彼女は優しい、そして君はそれに甘えて生きてきた。いままではそれでもよかっただろう」

「だ、まれ」

 

――やめろ。

 

「だがこれから本格的に王を目指す彼女には君は邪魔となる。」

「……黙れ」

 

――やめてくれ。

 

「君は彼女の――エミリア様の側に、いるべきではない」

「黙れえぇぇえええええ!!」

 

 血を吐きながらもスバルは叫び、ユリウスに飛びかかる。

 挑発に乗り、図星を突かれ、ナツキスバルは感情のままに木剣による一撃を振り下ろす。

 

「――哀れだ」

 

 ユリウスはたった一言でそれを切り捨て、スバルの一撃を受け流し、逆に木刀をスバルの体にたたきつけた。もう見飽きた大空を再び見て、スバルは実感する。

 

――次で決まる。

 

 ゲームのように目に見える指標があるわけではない。ただ、単なる予想だ。

 だけど、この予想は外れない。そんな実感があった。恐らく次の攻防で、すべてが決まる。だったら、盛大にいこう。

 歪になった顔をさらに笑みで歪ませ、なんとか立ち上がる。

 ユリウスも次で決まると分かっているからか、真剣な目つきをさらにとがらせ、木剣を構える。  

 

「――――!!」

 

瞬間、声が聞こえた気がする。

音も聞こえない世界で、景色もなにもかも置き去りにしたはずの世界で、自分と殴るべき相手以外、なにも存在しないはずの世界で。

 声が聞こえた。

誰かの声が聞こえた。スバルの耳を、魂を震わせる愛しい声が。

 

「――――ル!」

 

 音になった。確かな音になった。

 意識が引きずられそうになる。なにもかも、赫怒で塗り潰して忘れさせてくれ。

 今は一点、目の前の存在へと向かうことだけがスバルの存在意義なのだ。

 

「――――バル!」

 

 鮮明になり始める。意味を持ち始める。

 それがはっきりと聞こえてしまったら、もはや取り返しがつかない。

 だからスバルは全てを振り切るように、すぐ側にまで迫ってきている圧倒的な恐怖から逃れるために、全身全霊を振り絞り――叫ぶ。すべて、自分(彼女)のために

 

「――スバルッ!」

「――シャマクッ!」

 

 止められていた魔法の発動、その祝詞を口にしたのだ。

 

 

 ゲートの不調を無視して魔法を使った結果、ナツキスバルの体はボロボロになるはずだった。

 魔法の発動と共に意識がなくなり、血泡を吹いて倒れる。それがスバルの覚悟していた展開だった。しかし実際には倒れることもなく、ただ体の中から何かがなくなる喪失感のみがあり、苦痛などは何も感じない。スバルはそれに感謝をし、暗闇を走る。

 視界は夜のように見えず、音はもともと聞き取る器官がなかったかのように静かだ。

 五感に頼れない状況、普通だったら怯えが混じるはずだ。

 だが、今のスバルはその感情すら憤怒という激情とようやく一撃当てられるという期待に塗りつぶされていたのだ。

 一撃をあて、あの綺麗な顔に傷をつけ、スバルの名誉を回復させる。そうすれば、騎士共を見返すことができ、シャオンではなく自分がエミリアの騎士になることができ、彼女の傍にいられることが――

 

「これが、君の切り札というわけか――」

 

 全てが闇に包み込まれた世界、

 次の瞬間、無理矢理引き裂かれた黒色の向こうから迫る刃をその身に受けて、スバルの体は激しく容赦なく、大地の上に叩き落とされていた。

 痛みがなかったわけではない、ただ痛みを上回るほどの驚きがスバルを襲ったのだ。

 膨大な量が噴出した黒雲が完全に霧散し、空に広がるのは先ほどからなにひとつ変わらない憎たらしいほどの晴天の空。

 仰向けに大の字になっているのだと、スバルはそれでようやく気付く。

 

「『陰』の系統魔法を使うというのは予想外だった。意表を突かれたのは認めよう」

 

 声が上から投げかけられる。

 

「だが、錬度が低すぎる。なにより、低級の『陰』魔法など自分より格下の相手か、あるいは知能のない獣でもない限りは通用しない。私にはもちろん、近衛騎士の誰ひとりにすら、この策は通じなかったことだろう」

 

 否定の言葉が降り注ぎ、スバルの心を貫く。受け止めてくれる盾は、もうない。

 

「切り札を切ってすら、これだ。もうわかっただろう」

 

 憐れむような声が投げられている。

 全てを諦めろと、スバルの心を殴りつける声が降り注いでいる。

 状況を変えられると思った。

 縋れるものに縋り、吐き出せるものを吐き出し、やれると思っていた。世界は、スバルのことを助けてくれると、そう信じていた。

 

 なのに――、

 

「君は無力で、救い難い。――あの方に、ふさわしくない」

 

 その言葉だけは否定したくて、スバルは軋む首だけを動かして視界を空から移動させる。どうにかこうにか、その果てに立つ男を睨みつけようとして、

 

「――――」

 

 ――銀色の髪の少女の、紫紺の瞳と視線が絡んだ。

 そして彼女の憐れむ視線に耐えきれず、目を横に逸らすとそこには――あの男がたっていた。

 それを見てぷつんと、自分の中でなにかの糸が切れるような音がしたのをスバルは聞いた。

 それを最後に、意識が一気に遠ざかり始める。

 それまで鮮明だった意識が切り離され、世界が急速に霞み始め、今度こそ本当の意味でなにもかもを置き去りに、スバルの意識は奈落の底へ落ちていき、

 

「――スバル」

 

 聞こえるはずのない呟きで呼ばれた気がして、なにもかもが消えた。

 

 暗闇が晴れ、そこには模擬戦の結果が横たわっていた。

 無傷で、汗一つかいていないユリウスと血だらけで、動かないスバル。どちらが勝者なのかは口にしなくてもわかるだろう。

 

「うっわぁ、これはひどい様」

 

 意識を手放したスバルにフェリスは治療をしようとかがみ込む。

 ユリウスのことだ、殺すようなことはしていないだろうし、言っては何だが”死に戻り”も発動していない。本当に意識がないだけだろう。

 だったら、何とかなる。問題は心のほうの傷だ。

 

「うん? シャオンきゅんどうしたの。悪いけど今から治療――」

「いえ、外傷の方は大丈夫です。任せてください」

 

 スバルに近づき、拳を掲げるシャオン。

 その行動に首をかしげるフェリスに説明をせずに、スバルの胸元に拳を突き立てる。

 フェリスをはじめ、シャオンの力を知らない者たちは驚き、一部のものは更なる惨劇が始まるのかと顔を手で覆っていた。

 だがそんなことは起きることがなく、白い光がスバルを包み、一瞬で傷を治していた。

 その様子に周囲は間抜け面ともいえるように口を大きく開けて驚いていた。

 シャオンは彼等か追及を受ける前に練兵場から出るために早口ながらユリウスに話しかける。

 

「取り合えず目を覚ますまでスバルをどこかに寝かせてあげたいんだけど」

「……ああ、それなら開いている部屋がある。案内を頼むよ」

 

 ユリウスが近くにいた騎士の一人に声をかける。

 騎士は最初はうろたえていたが、すぐに持ち直し了承する。

 

「エミリア嬢、行こう」

 

 スバルを持ち上げ、練兵場をあとにしようとする。

 エミリアは、スバルとユリウスを交互に見やり、そして首を縦に頷いた。

 

「すまない、これは私が勝手に行ったものだ、罰なら受けよう」

 

 背後から聞こえてきたのはユリウスの謝罪の声。だがシャオンはそれを聞いて、呆れた様に、力が入っていない笑みを浮かべ、

 

「いや、ありがとう。それに、こちらこそすまなかったね」

 

 振り返り、罵倒ではなく感謝の言葉を口にしたのだ。 その行動にユリウスは僅かに目を開き、驚きをあらわにした。周囲も、エミリアも驚く。ただ驚いていないのはこの模擬戦の意味を理解しているフェリスと他の王選参加者たちだ。

 知らない者にとってはユリウスは罵倒されてもおかしくないのだが、シャオンにとってはなぜ彼を責める必要があるのかわからない――彼がスバルのためにしたことであるのは事実なのだから。

 

 

「エミリア嬢は少し待っててくれないかな?」

「え、う、うん」

 

 今のスバルにエミリアといきなり話をさせるのはだめだろう。恐らく、話がこじれてしまう。落ち着かせることが必要だ。

 その役目をシャオンが担うことに不安は残るが、ほかにいないのだから仕方ない。意を決してシャオンはスバルの部屋をノックなしに入る。

 部屋の中にはベットの上で毛布にくるまっているスバルがいた。

 

「よぉ、スバル。起きているだろ?」

「……なんだよ」

 

 寝起きだからか、はたまた別の理由か。

 スバルは不機嫌を隠す様子もない声でシャオンの声に応じる。

 それに僅かに驚きながら、シャオンはスバルの寝ているベットの近くに座る。

 

「なんであんな無茶したんだ? お前らしくない。エミリア嬢、心配してたぞ」

 

 ”お前らしくない”という言葉にスバルの眉がわずかに上がった気がする。

 だがシャオンは気のせいだと考え言葉を紡いでいく。

 

「とにかく今回の一件は大丈夫だ、ちゃんと事情を話して、ユリウスに謝って、おとなしくしていれば何とかなる。勿論俺も手助けするからさ、だから――」

「――いい加減にしてくれ」

 

 それは小さくこぼされた声だった。

 シャオンが聞きこぼさなかったのは偶然か、それとも彼の、スバルの声が――怨嗟のこもったものだったからか。

 それすらわからないままスバルの語りは進んでいく。

 今までため込んできたものが限界迎え、溢れ出したかのように吐き捨てていく。

 

「ああ、お前はいいよな? 魔法の才能もあって? 喧嘩も俺より強いし、チート能力持ちだもんなぁ?」

 

 見ているこちらが辛く感じてしまうほどに顔を歪ませて、スバルの告白は続いていく。

 

「ああそうさ、それが周りの奴等はお前を認めて、俺のことは認めない理由だ。ロズワールの野郎も、俺を憐れんでいた騎士共も! そして――エミリアでさえお前のほうを取った理由さ!」

 

 スバルは自らの体に掌を添え、訴えかけるようにそう宣言する。

 その迫力に、怒声に、ぶつけられている対象であるシャオンは思わずひるんでしまう。

 

「……ふざけんなよ」

 

 スバルから歯を食いしばる音が聞こえ、力強く握る拳からは血が垂れているのが見えた。

 自らの体を傷つけるまでに力が籠められ、それほどまでにこちらに敵意を向けているのだ。

 

「俺だって努力してきただろ? なんで、なんでお前ばっかり……」

「スバル……」

 

 その声には怒りや悲しみよりも、悔しさが占められているようにシャオンには感じた。

――自分も命を削って尽くした、なのになぜ報われない? なぜ、シャオンばかり報われる?

 そんな、他者を妬むような、黒い気持ちで占められていた。

 

「……そもそもさ、なんでお前は俺に対してなんの自慢もしない? はっ! 強者の余裕ですってかぁ?」

「そんなことっ――」

「触んなっ!」

 

 否定の言葉と共に伸ばした手は軽く(つよく)、叩き落とされる。

 勢いに任せての行動だったのだろうが、彼の放った一撃は力が込められていなかった。

 だから、だから、痛くなどないはずなのに――

 

「……ス、スバル。誤解だ。落ち着いて、話し合えば、ちゃんと分かり合え――」

「お前に――」

 

 シャオンは喉を震わせ、何とか出すことができたかすれた声で引き留めようとする。

 だがスバルはそれを遮り、

 

「――お前に、俺の気持ちなんて……わかりゃしねぇよ」

 

 スバルはその言葉を最後に、頭から毛布をかぶり、現実から逃避する。

 何か、何か言わなければ彼は腐っていくだろう。

 わかっている。

 そんなことは、わかっているのだ。だけど――

 

「――――」

 

――シャオンには、何も言うことができなかった。

 




カーミラ「殺す」
スバル「」
カーミラ「殺す」


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番外編 いつか訪れるだろう化け物の願い

第3ヒロインであるエルザ誕生日記念です。短く雑ですがどうぞ。


腸狩りのエルザは、傭兵だ。家庭を持つわけでもないし、特定の場所に住まいを持つわけでもない。

ただ、隠れ家はいくつか持ってはいる。そのうちの一つでの出来事だ。

 

「ねぇ、シャルン。貴方、精霊なのよね?」

 

 シャルンと呼ばれた少女は白い髪の中に一房ほど赤紫色の髪が混じった少女だ。

それだけでも珍しい特徴ではあるが、他にも彼女には目を引くものがある。

 それは瞳だ。 

 誰もが持つその両眼が黒一色に染まっているのだ。捉えようによっては不気味でしかないものだが、腸にしか興味がないエルザでも珍しく、その混じりけのない黒色は気に入っている。

 呼びかけられた彼女は読んでいた書物を優しく閉じ、エルザにその特徴的な瞳を向けた。

 

「人工、という言葉が入ればその問いには肯定です」

「割いていいかしら?」

 

エルザの言葉の意味は別に特別な意味はない、ただそのままの意味で"腹を割いていいか"と聞いているのだ。

当然、彼女は腹を裂かれたくはないので不満そうにしている。

ただ事情がわかっていないようでもあるので詳しく話すことにする。

 

「私、今日誕生日なの」

「……それで? 誕生日だからといって、なぜ私が臓物を引き出さなくちゃいけないのですか?」

「バカねぇ、シャル。エルザが言いたいことは簡単――祝ってほしいのよ」

 

背後から抱き着きながら現れたのはメィリィだ。

馬鹿にしたように笑いながら、メィリィはシャルンの髪をいじり始める。

 

「バカはあなたですメーリー。エルザにそんな乙女思考はないです」

「わたしはメイリィ! そんなふうに間抜けにのばさないでよぉ!」

 

頬を膨らませて、メィリィはシャルンをこづく。しかしシャルンもやられっぱなしではない、メィリィの頬を引っ張ることでやり返す。

それを姉のような立場から見守りながら、話をつづける。

 

「メィリィの言う通り、祝ってほしいの」

 

エルザの言葉に、メィリィは得意気に笑い、予想が外れたシャルンは拗ねたように口をすぼめる。

 

「腸を見せてくれないなら、別の祝い品でもいいわ」

「それで? なにをご所望ですか? 生肉? ああ、好物はモツでしたっけ。それだったらメーリーの魔獣の肉を――」

「いいえ、星を読んでほしいの」

 

エルザの言葉にメィリィとシャルンは顔を見合わせるーー彼女らしくないと、驚きの感情を抱きながら。

 

 

『星読みのシャルン』

 グステコでの依頼で出会った傭兵の少女で、彼女はエルザがもつ祝福とは違う特殊な能力を持っている。

どうやら、星が見える場所だったら先のことを見れる、つまりは未来を見通せるのだ。

後は嘘か本当かわからないが”人工的”な精霊らしい。といってもエルザにとっては違いがよくわからないが腸も大きく違うなら興味はわくが。

 

「あの、男の子。メイリィが恋している男の子について調べてほしいの」

「もうっ! エルザったら! そんなことあるわけないでしょ! それにあの胡散臭いお兄さんはエルザもあっているでしょ! なに? 好きになっちゃったの?」

 

顔を赤くして年相応の反応を示すメィリィにエルザは微笑ましげな表情を浮かべるだけだ。

 

「お父様が幸せになるなら私はどうでもいいです」

 

これまた数奇な運命で、エルザがルグニカ対峙した少年とメィリィがアーラム村で対峙した少年。

彼はシャルンの父にあたるらしい。

精霊の彼女の父ということ精霊ではないのかとおもうが、そこは人工精霊。なにか事情があるのだろう。

 

「それで! どうだったのぉ」

「近いうちに、また依頼があります――その時にお父様が、賢者候補を連れて聖域に」

 

星を読み終わったのか、シャルンは台本を読むかのように声を出す。

 

「聖域? どこよぉ、それ」

「そこまではわかりません」

 

メィリィの言葉に、シャルンは機械的に答える。彼女の能力はそこまで詳しくわかるものではないらしい。

 

「ねぇ、その依頼の情報。詳しく教えてくれないかしら」

「――場所はアーラム村。時期は――大罪が一つ落ち、魔女との決別を経て。盟友と獅子と、愚者を引き連れお父様が参ります……そこで炎の中、エルザとお父様が――殺しあっています」

 

その予言を聞いて、メィリィは驚き、エルザは、笑う。普通だったら、そんな予言を聞いてはいい顔をしないだろう。だが、彼女らは普通ではないのだ。

 

「よかったわねぇ、エルザ。ようやく死ねるかもしれないわよぉ」

「――ええ、楽しみだわ」

 

 ペロリと、舌で唇を湿らす彼女の姿は淫靡で、蠱惑的でそれであって――恋する少女のようだった。




抜けや誤字があったらどうぞ。


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忘れないで

あの娘のためになんでもしてきた。

自らの時間を捧げ、自らの体を捧げ、自らの心を贄に捧げた。傷ついても心折れることなく貢献してきた。

全てはあの娘のために、全てはあの娘のためにーー全てはあの娘のために。

だが――いつからだろう。あの娘のためが、自分のためになったのは。

 

 

「だぁー! ちくしょーめぇ! なんなんすかあの目つき悪い男は! ナツキスバルだよ知ってるよっ!」

 

グラスをカウンターにたたきつけ、がなり散らすアリシア。勢いよくたたきつけたようだが、グラスに罅一つ入っていないことから加減はしていたようだ。

アリシアとシャオンがいるのはとある酒場だ。

というのもルツが奢るからと無理矢理連れてきたのだ。

スバルとの一件で落ち込んでいたシャオンを見てアリシアからルツに相談があって、気分転換に飲みに行こうという結論になったようだ。

 

「もう一杯!」 

「……アリシアはなんでこんなに荒れてんだよ」

 

 自らの娘が荒れているのを見て、呆れを抱きながらもシャオンに理由を尋ねてくるルツ。

 ユリウスとスバルのやり取りを聞いていないのか、そもそもスバルのことをルツは知らないのだろうか。

 

「お前らが王城に向かったとき俺は鉄の牙で仕事してたからな」

 

 アリシアから話は聞いたらしいが少しだけだったのだろう。ということはそもそも王間でのやり取りも把握していないのか。

 

「ああ、いい! 喋りにくいんだったら喋らなくて。お前さんの顔見ればなにか面倒なことが起きたのは察しがついた」

 

事情を話そうと口を開こうとしたシャオンに、ルツは手を振り喋るのを止めさせる。

 

「……まぁ、色々あって、それで俺の代わりに吐き出してくれてんですよ、この子は」

「シャオンもシャオンすよ! なんで言われっぱなしなんすか! 少なくともあんたは間違っていないでしょ!」

 

 シャオンの発言に反応したかのようにアリシアは赤ら顔でこちらにかみつく。絡み酒ではあるのだが、こちらを心配してのものだ、可愛い絡みとでもいうべきか。

 

「それで? 話は少し変わるが、これからどうすんだ」

「一応、エミリア嬢には待ってもらうように頼みました。アリシアも色々と準備が必要でしたし」

 

アリシアを軽く相手しながらルツにこれからの予定を説明する。

 もともとはすぐにロズワール邸に戻る予定ではあったがアリシアの準備が必要だったためもあり、もう一日アナスタシアの屋敷に留まることになったのだ。

「うー、もう一杯!」

「ほらよ」

 

まともに相手にされていないと気づいたのか、不満げにアリシアは酒を要求。

ルツから新たに中身の入ったコップを奪い取るようにもらい、アリシアは喉を鳴らしながら一気に自らの体に注ぎ込んだ。そして――

 

「――お茶じゃないっすか! コレ!」

 

律儀に中身を飲み干してから突っ込みをいれたのだ。

 

「うぇーい、くそぅ」

 

耳まで顔を赤くさせ、酒臭い息を吐きながらいまだに酒をのみ続けるアリシア。呂律も回っておらず、酔いが大分来ているのがわかる。

流石に不安になり保護者であるルツに判断を託そうとするが、

 

「あの、ルツさん。アリシア、やばくないっすか?」

「ああ、大丈夫だ。まだ鬼化してないから」

「その基準はどうかと思いますが!?」

 

吐いていないからセーフ。倒れていないからセーフのような判断をされても遅いのだ。ましてや鬼化していないから大丈夫というのは意味がわからない。

「冗談だよ、そろそろ潰れるはずだから安心しな」

 

ルツの言葉通り、アリシアの意識は結構朧気で、そしてついにはーー

 

「ふがっ」

 

顔面をカウンターに強打、彼女は動かない。

 

「大丈夫かー?」

「むにゃ……シャオぉん、おんぶー」

「はいはい、思う存分甘えてろ。それじゃあお会計にいくか。俺はまだ飲みに行くが、お前さんはアリシアを頼むわ」

 

心配していたルツだったがすぐに呆れ、突き放す。

そしてシャオンをみて「指名だ」と言いたげに指差す。仕方ないので彼女を背負い、この店を出ることにする。

軽い体だったので酒が入っていても無事に屋敷まで連れていけそうだ。

 

「とりあえず、明日ゆっくりしていきな。これからは敵同士になるんだ、今少しは仲良くやろうぜ」

 

会計で笑いながら彼は財布からお金をだし、釣り銭をもらわずに立ち去る。

その豪快さに、気前のよさに色々とあったが彼は悪い人間ではないのだと、認識を改めたシャオンだった。

 

 

「なるほどなぁ、それでアリィは二日酔いで寝てると。アホやないの?」

「ごもっともで」

 

笑いながらアナスタシアは駒を動かす。

現在シャオンはアナスタシアに呼ばれて彼女の部屋にいた。

なにか用事かと覚悟していたが、「暇ならやらへん?」という言葉で始まったこのシャトランジという遊技。

囲碁や将棋、チェスなどを合わせたようなこの遊技。癖はあるが、独特の楽しさがある。

そして素人ながらに善戦していると、彼女が口を開いた。

 

「あんな、ヒナヅキくん」

「はい?」

「ウチの陣営にこうへん?」

 

 ピタリ、と一瞬だが駒を持つシャオンの手が止まる。

しかしそれも刹那ほどの瞬間で、すぐに盤上に駒が置かれる。

 

「あのですね、アナスタシア嬢。何度も言いますが――」

「ヒナヅキくん」

 

 アナスタシアの強い呼掛け。仕方なくシャオンは頭ごなしの否定の言葉ではなく、理由を訊ねることにした。

 

「……貴女の陣営が人手不足というわけでもないでしょう」

「勿論、鉄の牙以外にも金をかければほかにも伝手はある。でも、それとは別にほしいんよ」

 

王を目指す理由が欲そのものである彼女らしく、ただほしいという願望でシャオンを勧誘している。そして、彼女はナツキスバルとのやり取りも知っているはずだ。

 

「弱っているときに狙うなんて、いい女ですね。この女狐」

「弱っている獲物に躊躇なんてせえへんやろ? それと同じこと……かわいいわぁ、兎みたいで」

 

皮肉を込めた言葉に、皮肉で返される。

だが即興での舌戦で勝てるほど甘い相手ではない

 

「ウチにつくなら望むもんは全財産以外だったらすべてあげてもええよ。勿論ーーウチをもらてもええよ」

 

襟を胸元が見えるようにさげ、僅かだったが薄い桃色の下着が見えた。

そして怪しげな光を瞳に宿らせこちらを見る彼女は妖艶で、シャオンもドキリとさせられてしまう。だが、頭を振り不埒な欲望を振り払う。

 

「なんでそこまで期待されてんですか」

「ウチの勘が言うてるんよ。ヒナヅキくんを手元におけば”必ず得する”って」

 

――勘。

たったそれだけで、自らの貞操を差し出そうと言うのか。

彼女のその剛胆に舌を巻くが、もっとその身を大事にして、周りにいる彼女を慕う者達の気持ちも考えてやってほしい。

だがその懇願は口に出さずに飲み込む。それは彼女の方針に口を出すことになる可能性がある。

 

「そんで? 答えは?」

 

ただ否定したところですんなりと納得される可能性は低い。だから、

 

「保留、ということでも」

「ええよ、ただ時期が長引くほどウチに来たときつろうなるよ?」

 

それは十分に承知の上だ。

アナスタシアに下るとなれば、今までエミリア陣営で得た情報を洗いざらい話す必要がある。そうすればシャオンの心は罪悪感に襲われる。

契約による口止めも考えられるがそれはそれでアナスタシア側に対しての罪悪感が湧くかもしれない。

話したいのに、話せない。

そんな状態になるのは勘弁してもらいたい。只でさえ"死に戻り"について言及出来ず辛い思いをしているのだから。

 

とにかくこの話はあまりしたくない。だから――

 

「――詰め、です。負けですよ、アナスタシア孃」

まずは話を変えるために、彼女との勝負を終わらせる。

敗北を告げられたアナスタシアは盤上とシャオンを交互に眺め、

 

「思いの外、ウチも緊張してたって、わけやな」

 

たはは、と。アナスタシアは僅かに染めた頬を照れ臭そうにかいたのだ。

 

アナスタシアとの対戦を終え、彼女は仕事をするために出ていき、シャオンは手持ちぶさただ。

縁側に似た場所でなにも考えずに外を見ているとこちらに近づく足音。

 

「なにやってるんすか」

「うん? うーん、瞑想?」

 

やって来たのはアリシア。ようやく目を覚ましたらしい。

 

「よくわかんないことしてるっすね」

 

隣に座るアリシア。彼女の顔色はいつも通りではあるが若干の隈が残っている。

 

「二日酔いは醒めたかい?」

「まぁまぁ。でも流石に組手を挑むほど万全じゃないっす」

 

恥ずかしそうにしている彼女は昨日荒れていた人物とは同じようには見えない。酒の力って怖い。

 

「荷作りも大分終わったので、気分転換に縁側で一服しようとしたら、悩みを抱えているおじいちゃんがいたっすから」

 

「おじいちゃんて」

 

だが、確かに端から見ればそう見えていても仕方ない。それほどまでに暗い雰囲気を醸し出していたのだろう。

 

「ほらほら、悩める若人よ。あたしに話してみるっすよー」

「ええい、暑苦しい」

 

まとわりつく彼女を無理矢理引き離すも、彼女の表情からは話すまで離さないと言いたげだ。

それを見てシャオンは仕方なく"本音"を話すことにした。

 

「俺が今までやってきたこと、スバルにとって迷惑だったのかな、と」

 

彼の言葉を、回想し、シャオンがポツリと溢す。

 

「前も似たようなことがあって、結局俺は学んでいないんだなぁって。やっぱり前に出すぎたのかな」

 

話の中心に入らず、外側から見守り手助けをする。主にならず、ただ寄り添う。

それがシャオンの行動指針であり、役割だと考えていた。

それを今回、ロズワールの思惑のせいではあるが破ってしまい、その結果が現在だ。

 

「ーーシャオン」

 

名を呼ばれ、顔を彼女の方へ向けると、

 

「ていっ」

「あたっ」

 

デコピンをされ、思わず仰け反る。

彼女の行動に文句を唱えるよりも早くアリシアは指を立て、

 

「確かにスバルにとっては、シャオンがやって来たことはいい顔できないと思うっすよ。彼の立場なくなっちゃったすから」

 

取り繕うことなく、彼女は自分の意見を口にする。

シャオンが不安に思っていることをあえて同意し、話を続ける。

 

「でも、シャオンがやってきたことで救われる人物もいる。確実に一人は」

 

胸元に手を当て、彼女は思い返すような仕草をしている。

内容はあの時のーールツとシャオンが戦ったときのことを思い出しているのだろう。

シャオンとしてはボロボロにされた恥ずかしい出来事ではあるが、彼女にとってはエミリア陣営につくことになった大事な出来事なのだろう。

 

「それを、忘れないで。ヒナヅキ・シャオン、貴方は私を救ったの」

 

真剣な表情でこちらを見つめる彼女に、思わず目をそらしそうになるが彼女はそれを許さず、こちらの顔を両手で押さえ若葉色の瞳がシャオンを真っ直ぐにとらえ続ける。

どれくらいたっただろうか、満足したのかアリシアは花笑みを浮かべてシャオンを離す。

 

「なぁに、スバルもすぐに機嫌をなおしてくれるっすよ! 」

 

「ーーそんなもんかねぇ」

「そんなもんすよ」

 

納得がいったような、いっていないようなそんな感覚。

だが、それでも心が僅かに軽くなったのは事実だった。

 

 

「きぃつけてや、最近は物騒やからな」

 

屋敷をたつ日、アナスタシア達が見送りに来てくれた。

 

「悪いっすね、竜車も貸してくれるなんて」

 

「構へんよ。親友」

 

申し訳なさそうにいうアリシアに対してアナスタシアは短く気にするなと言う旨を伝える。

そのやり取りを見て彼女らの仲の良さが十分にわかった。

二人を見ていると、袖を引っ張られた。

ちらりと見るとそこには小さな獣人の女の子と男の子。彼女達はルツとシャオンの決闘をみて、シャオンのファンになったのだ。

彼女達も見送りに来てくれたのだろう。

 

「サインありがとうございましたー!」

 

「お安いご用だよ。あ、ちょっと聞きたいんですけど、王都からだと屋敷までどれぐらいですかね?」

 

 記憶が確かならば、屋敷から王都までの道行にかかった時間はおおよそ七、八時間前後であったように記憶している。ともなれば、移動にかかる時間は長く見ても半日のはずだが、

 

「竜車を乗り継ぐことも考えると……二日、ないしは三日かかるはずやね」

 

「三日!?」

 

 それでは行きと帰りのかかる時間の差が大きすぎる。昼夜問わず走り続ければ、そこまでの差はつかないはずだ。

 しかし、シャオンの当然の疑問はアリシアの首振りに否定される。

 

「来る時に使えたリーファウス街道が今は使えないっす。時期悪く『霧』が発生する時期っすから遠回りすることを考えないと」

 

「霧?」

 

「――白鯨の霧。やっこさんに万一遭遇したら命がないやろ? 大人しく迂回しとき」

 

周囲はそれ以上語る必要はないと言うように口を閉ざす。

事情はわからないが、ここは合わせるようにした。

 

 

竜車を走らせて六時間はたった頃、二人は竜車を止めお昼をとり、用意されていたおにぎりを口にしながらこのあとの予定を話していた。

 

「このペースだと到着するまえに日が暮れちゃうっす。夜間の移動は夜盗や魔獣と遭遇する確率も高くなるから今日は近くの村で宿を取るべきだとおもうんすけど」

 

「近くの村……ってのは、ハヌマスとかって名前だったけど、その村か?」

 

 事前に教えてもらった村の名前を口にするが、アリシアはおにぎりを食べ終えてからゆっくりと首を横に振る。

 

「ハヌマスまで行くにはまだまだかかるっすね。もうすぐ見えるのはフルールって村っす」

 

 指についた米を舐めとり、アリシアは太陽を見る。

 

「残念っすけどここからハヌマスまで行くと到着するのが日付の変わる頃になるっす。そうすると宿が取れない。まぁ、どちらにせよ竜車の手配は夜中には難しいのでゆっくり行くっす」

 

「それもそうか。ハヌマスに着けば終了って話じゃない、か……ならフルールで泊まって竜車を休ませるのは?」

「あ、それいいっすね。朝イチで出れば明日中にはアーラム村に戻れるはずっす」

 

シャオンの提案にアリシアは首肯し、お茶を飲み干す。

 

「それじゃあ出発進行っ!」

 

アリシアが御者台に乗り、シャオンも乗り込む。そして勢いよく竜車を走らせようとしたその矢先。目の前に、正確には竜車を引く地竜の前になにかが現れた。

 

「ま、待ってくださーい!」

「うわっ、と!」

間一髪手綱を引き、接触前に地竜を止めることができた。

事故を起こすことがなく二人して安堵の息を吐く。下手すれば死人を出してしまっていたかもしれないのだ。とにかく止められて良かった。

 

「あ、あぶねぇっす! どこに目ぇつけてんですか!――って」

 

安心して、怒りが湧いてきたのか怒鳴るアリシアだったが、飛び込んできた人物を見ると怒りがどこかに消え、目を丸くして驚く。

 

「リーベンスさん、なにしてるんすか!?」

 

地竜の前にいたのはずり落ちそうになっている眼鏡を慌てて直す――リーベンスの姿だった。

 




前回の話のあと、スバルとエミリアはどうなったかというと、
①エミリアがスバルと話終わったシャオンを見て何かあったと気づく。
②エミリアがスバルに聞く、スバルはシャオンの気持ちをわかっていないとエミリアに言われる
③スバル激怒、エミリアとの原作よりも激しい口論。
となっております。

そして次回ついにーー


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始まりは唐突に、勤勉に

久しぶりの投稿。荒いので後で修正するかも


 宿に隣接する馬屋に地竜を繋ぎ、部屋を借りたシャオン達は少し早めの就寝に向けて動き出していた。

 夕食というには粗末すぎる食事を無理に詰め込み、軽く水浴びして垢を落としシャオンは明日の段取りを確認するために少し小さめの広間でアリシアと――途中で加わったリーベンスと話し合うことになった。

 ――昼間竜車の前に跳び出てきたリーベンス。当たり前だが彼女がそんな行動をしたのには訳があったのだ。

 

「たまったお休みをもらったので村に帰ろうなんて、いいことではあるけどもう少し計画性を持ちましょうよ」

 

「えへへ」

 

 照れたように笑う彼女は、ある程度お金がたまったのでお店を少し長めの休みとし、娘のルカに会いに村へ帰るというのだ。

 しかし、急に決めた休み。彼女は焦って移動手段を探したが白鯨の関係もあり、そう簡単に見つからない。

 悲しみに暮れる中、竜車に乗るシャオン達を見つけたので居ても立っても居られなくなり、あのような蛮行を行ったのだという。

 

「だからって走りだそうとした竜車の前に跳び出るとかやめてくださいっすよ」

 

 アリシアの言う通り、心臓に悪いのでやめてほしい。

 下手をすれば、せっかくのお休みが永久の休みになってしまったかもしれないのだから。

 

「まぁ、いいっす……ふぁ。アタシは部屋に戻ってるす。お二人も早く体を休めてくださいっすよー」

 

 あくびを一つしてアリシアは自分の寝室へと向かう。残されたのはシャオンとリーベンスのみ。店主もどこかへ行き、他の客も自室にいるのだろう。

 特別話すことは後はないので、シャオンも早く体を休めようとしたとき、

 

「――なにかありました?」 

 

「え?」

 

 いつの間にか頼んでいたホットミルクを口にしながらシャオンへ確信めいた視線をぶつけるリーベンスがいた。

 

「いい親であるとは思えませんが、これでも一児の母ですよぉ。若い子が何か抱え込んでいるっていうことくらいわかりますぅ」

 

 どや顔でこちらを見る彼女の表情には隠し事などなさそうに見える。

 しかし、もしものことがあれば大変だ、適当に話をはぐらかそうと考えた瞬間。

 

「話してみては? 抱え込んでるとパァン! と破裂しちゃいますよ」

 

――掌をたたき、大きな音を立てて楽しそうに笑う彼女を見て、深読みしすぎていたのだと考え直す。彼女に人をだますことなどできそうにない。

 ほんとうに、ロズワールの下についてから人を疑うことが多くて嫌になってくる。

 

「そう、ですねでは」 

 

 疑ってしまった罪悪感を晴らすかのようにシャオンは口を開いた。

 

「実は……友達と仲たがいをしまして」

 

 王選の情報を避け、スバルの情報すら避けてシャオンは今の悩みを打ち明ける。

 

「ふむふむふむ、むふふ。なるほど。それは大変でしたねぇ」

 

「はい、まぁ……俺が悪いんですけどね」

 

 スバルがエミリアを想っているのを知っていたのにあまりにも前に出過ぎた。

 スバルの役割をシャオンが食ってしまったのだ、すべてシャオンが悪いのだ。

 そう自己嫌悪の沼につかり始めた時リーベンスの口が開いた。

 

「うーんとですねぇ、少々きつい言い方になりますけどぉ」

 

 ミルクを一口飲み、リーベンスは眼鏡を置き、こちらを黒い瞳で射貫く。

 

「勿論、客観的に見ればそのお友達の方が悪いですよ。でも、貴方もわるぅい」

 

「それはわかって――」

 

「わかってませんよぅ、全然」

 

鼻先に指を突きつけられ、思わず鼻白む。そして彼女はそれを愉快だとでも言いたげに口を三日月のように歪め、笑う。

 

「だって、貴方何が悪いかこれっぽっちも理解していませんもの。思い込みで違うところを悪く思っているだけ……いえ、違いますね。あえて避けてる?」

 

 人が変わったように流暢な言葉で彼女はシャオンを糾弾する。

 

「貴方の悪いところは、『しっかりと意見を伝えていない』こと。貴方にも事情があったのでしょう? それを伝えようと――」

 

「しましたよ! でもっ!」

 

「――では、今このような状況に、そのような気持ちになることはないのでは?」

 

「っ!」

 

――見事に、見抜かれていた。

 それを自覚すると同時に熱が引き、浮かせていた腰を落とす。

 彼女は悪くない、当たってしまうのあまりにも失礼だろう。少し冷静になったからかもしれないが。すぐにその判断ができたのは僥倖と言えるだろう。

 

「ヒナヅキさん、いえシャオンくん。人生の先輩としての教えです」

 

 落ち着いたと判断したのかリーベンスは諭すような声色でシャオンに話しかけていく。 

 

「本当に伝えたいことは、腕がもげても、足が砕けても、それこそ心臓が破裂してでも――命に変えてでも伝えなさい。そうすれば後悔なんてしない。魂に濁りが混じることなどなくなる」

 

 歴戦の騎士のように鋭く、深い眼光にシャオンは思わず息を呑む。まるで、別人のような変わり方に驚きを通り越して恐怖を感じてしまいそうだ。

 そしてその様子を見た彼女は脅かしてしまったのかと思い、僅かに雰囲気をやわらげ、悲しそうな笑みを浮かべて次の言葉を聞こえるかどうかの声量でつぶやいた。

 

「……自分語りではありますけど、私も、亡き夫に……伝えたいことを伝えられませんでしたから」

 

「……え?」

 

「っと、らしくもなく話しすぎちゃいましたねぇ。明日のこともあるし、私も早く休みましょうか」

 

 追及を避けるようにすぐにリーベンスは席を立ち、彼女の部屋へと向かう。シャオンもこれ以上突っ込む気にはならなかったので幸いではあったが……。

 

「……魂に、濁りか」

 

 彼女に言われた言葉を繰り返す。

 その言葉の意味は分からないが、シャオンの胸の奥には確かにその言葉がくすぶっていた。

 

 

「ここまでなんにも問題なくこれてよかったすよ!」

 

「ええ、天気もいいですしねぇ」

 

 場所は山中、リーファウス街道を抜けて林道に入り、メイザース領の入口へと辿り着いたところであった。

 いくつかの森林地帯と丘を越えて、一時間もかからずに目的地に着くというところ、シャオンはあることに気づいた。

 

「……アリシア、一つ聞いていいか」

「なんすかー?」

 

 竜車を操りながら声だけで返事するアリシア。

 その走行スピードに影響が出ていないことを確認し、なるべく動揺させない様に意識をしてとあることを伝える。

 

「今日、今までに誰かと、いや生き物とすれ違ったか?」

「――――」

 

 僅かに竜車の走行に乱れが生じたが、すぐに元の安定した動きに戻る。

 だが、彼女の顔色は先ほどとは違って暗い。

 

「……まずい、っすか?」

「いや、わからない。だけど、偶然にしちゃおかしいだろう」

 

 人どころか動物、小鳥すら見当たらないのだ。怪しいと思う気持ちが生まれるのは必然だ。そして彼女もきな臭いと判断したのか、警戒心を強めている。

 

「どうかしたんですか?」

 

 話を聞いていなかったリーベンスに説明をしようとするよりも早く、

 

「――――ッ!」

 

 アリシアの前から鮮血と、甲高い叫び声があたりに響いた。しかしその血は彼女のものではなく、この荷台を引く地竜のものだ。

 

「シャオン! リーベンスさんを連れて外に出るっす!!」

 

「え?」

 

 状況がわからず、首をかしげるリーベンスの襟をシャオンは乱暴につかみ、竜車の扉を蹴破って飛び出る。

高速で走っていた竜車から飛び出たのだ、当然体は風に流され浮遊感を感じる間もなく地面へとたたきつけられようとしていた。

だが何の策もなく飛び出たのではない、こちらには魔法があるのだ。

 

「リーベンスさん捕まってて! フーラっ!」

 

 左手を地面にかざしシャオンは身を守るために風刃を生み出す。録に威力調整もせずに放ったそれは地面を削り取り、穴を開ける。

 しかしわずかながらに重力に逆らうことができ、刹那ほどの浮遊感を感じた。だがこれだけでは止まることはできない。覚悟を決めて地面に落ちることを決める。

 シャオンの体では彼女の体全てをかばうことは無理、だから頭を抱き込むようにかかえ、地面へと接触する。

 硬い土が、尖った石が肉を削るが急所は守っている。だがそれでも痛みと、飛び出る血液は止まらない。

 

「ぐぉ……いってぇ」

 

 全身を擦り、傷を負っても勢いは止まらず、ようやく止まったのは木にぶつかってのことだ。

 頭も打ったが意識はなんとか保っている。これぐらいの傷なら水魔法で十分に治療もできる。腕の中にいるリーベンスも傷はすくない。

  二人の無事を見届けアリシアも勢いよく飛び降りた。

 御者がいなくなった竜車は近くの岩に勢いよく衝突し、開花した花のように裂け、その命は潰える。

「状況説明!」

「地竜が襲われた、つまりは襲撃っすよ!」

 

 めぐるめく状況の変化の中、わかったことは単純だ。

 地竜への攻撃、移動手段の消滅。

 これだけでもきな臭いがやはりシャオンの頭の中に引っかかる要素は別にある。それは――

 

「道理で、誰ともすれ違わないと思ったんすよ。いずれ戦うことにはなると思ってたんすけどね」

 

 そう、アリシアの言う通り。誰とも会わなかったことだ。

 だが彼女とシャオンの認識は微妙に違うらしい。彼女の口振りではまるで、犯人がわかっているような言い方だ。

 その疑問を晴らそうとアリシアに声をかけようとしたが、彼女は近くに落ちていた拳サイズの石を手に取り、大きく振りかぶって近くの大木に向かって投げつけた。

 石は木にめり込むと同時に破裂し、貫通することはなかったが大きくえぐるという結果を残した。

 意味が分からない、下手をすれば気が触れたとも思えるような行動。

 その結果は、すぐに表れた。

 

「早すぎるっすよ――魔女教」

 

 苦虫を噛んだような、忌々しげに呟いたその言葉。

 その言葉に反応するかのように、石がめり込まれた木の裏から黒装束の男が姿を表したのだった。 

 

 

 魔女教徒。

 嫉妬の魔女を崇める集団。四百年前、いるかもわからない魔女が台頭してた頃から活動している筋金入りの狂信者たち。

 名前を出すだけでも人々は怯え、怒り、そして嫌悪の感情を隠さない。最悪の、問答無用で討伐されるべき存在。それが、魔女教徒。

 エミリアの王選参加が明るみに出た時点で覚悟はしていた一件だ。

 そして現在の状況はエミリア陣営であるシャオン達を殺めようとしているという訳で間違いないだろう。 

 

「リーベンスさん、貴女足腰に自信はあるっすか?」

 

「すいません、全然ですぅ」

 

「話が通じる相手、ってわけじゃないわな」

 

黒装束の人影が次々と湧き上がり、シャオン達と、走ることができなくなった竜車を十数名が取り囲む。

人影は倒れ伏した首の裂けた地竜を見やり、確実に絶命していることを確認し、視線をこちらへと戻す。

 黒装束たちは頭まですっぽりとフードを被っており、その顔も性別すらも判然としない。呼吸しているのかすら定かでない影たちは揺らめくような、滑るような動きであっという間にシャオンに近づいた。

 別に彼らの動きは特段素早いわけではなかった、ただあまりにも自然すぎて反応ができなかったのだ。

 思わず息をのみ、離れることすら出来ずにいると微かに聞こえてきたのは声だ。

 

「――導きを……」

 

「――ぅあ?」

 

 何とか聞き取れたその言葉の意味はわからない、わからないが聞き流すことはできない。そんな強制力をもった声色にシャオンは動けない。

耳を傾けようとしたとき骨が砕けるような音と、空気が押し出されたような音がシャオンの耳に届き、それと同時に目の前の黒装束の姿はどこにもなかった。

 

「なにぼさっとしてんすか。らしくない」

「あ、ああ悪い」

 

 拳を返り血で濡らしながらシャオンを嗜める彼女に若干引きながらも、感謝の言葉を伝える。

どうやら彼女の拳が魔女教徒を撃ち抜いたようだった。

 彼女は手の血を払い捨て、目を細めて周囲を見渡している。

 

「シャオン、二手に分かれるっていうのがいいと思うんすけど」

 

「その意味は?」

 

「リーベンスさんを庇って戦えるほど安い相手じゃないし、数も多い。だったら悪くないはず」

 

 確かに彼女の案はそこまで愚策というものではない。相手の戦力も、具体的な目的も不明。いや、わかっていることは一つある。それはエミリアが狙われているということだ。

 だったら目の前の敵は囮で、本命が別の場所からアーラム村に向かう可能性がある。

恐らくエミリアたちがいれば撃退はできるだろう。だが、村に一切の犠牲を出さないというのは厳しい。

だから最善策としては彼女の作戦にしたがい片方が残り、もう片方が村へ伝令。村を守るために村に戦闘要員を一人、そしてこちらへ一人応援を呼んできて貰うのがベストだろう。

 

「でも、殿役は俺のほうが」

「シャオンの力はすごいっすけど持久戦はそこまで強くないっすよね?」

 

 アリシアはシャオンの言葉を予想していたかのように流暢に説明をする。そして、それは図星を突いていたので何も言えない。

 魔法もマナ切れになってしまってはこの人数差では対応できない。能力も副作用があることを考えれば無駄打ちもできない。格闘戦に至っては普通の人間であるシャオンにとっては数で押されてしまっては数分も持たない。

 

「その点、アタシは鬼化すれば体力も持つし、衰えはない。足止め役には適していると思うんすけど」

 

「……お前がその鬼の力でリーベンスさんを村に届けてからもどってくればいいんじゃないか?」

 

「リーベンスさんの体がもたねぇっすよ」

 

 鬼の彼女が全力で走ったら一般人のリーベンスに対する負担は大きくなってしまう。そもそも加減して走ればいいと思うが、彼女の性格から無意識にでも加減してしまうから無理なのだろう。

 そもそもシャオンは別に彼女の実力を疑っているわけではない。

 村で起きた魔獣騒ぎから彼女が鬼化した際の戦闘力は聞いているし、実際に何度か手合わせをしたこともあるから保証はできる。

 ――ただ、それでもぬぐえない不安があるのだ。

 

「大丈夫っす、エミリア様やラムちゃんやベアトリス。ロズワール様が気づきさえすれば何とかなるはずっすから。だからそっちは村安全を確保してくださいっす」

 

彼女はこれ以上何を言っても引くことがないだろう、もしもこれ以上口論を続けるならばシャオンの意見を無視してでも足止めに徹するだろう。

 だったらこちらが言う言葉は一つだけだろう。

 

「――死ぬなよ」

「――善処はするっす」

 

 親指を立てて応えるアリシアではあったがその指はかすかながらに震えが見てとれた。 

 それは鬼としての本能からくる歓喜からか、それとも別の感情か。

 個人的には後者であってくれた方が嬉しいのだが、そのほうが女性らしいし。

 そんな思考を潰そうと、魔女教の一人が拳よりも二回りほど大きい火炎を投げだした。だが、シャオンは避けない、防御の姿勢も怯みもしない。なぜなら、彼女がいるのだから。

 

「こんなかわいい女の子いるのに無視なんてひどいっすね」

 

 アリシアは左腕を振り火球と相殺させる。

 いくら手甲をしているからと言って無傷で済むわけがない。爆音と肉の焼ける臭いがシャオンにも伝わってくる。

 

「ほら、さっさと行って援軍連れてくるっすよ」

 

 しっしっと言う手の仕草を見てシャオンは背を向け走り出す。

 勿論不安がなくなったわけでもない。だが、それでも振り返らない。だって、シャオンが知っている彼女だったらひるむ様子を微塵も見せずに―― 

 

「そんな扱いをしたんだから、覚悟してよ?」

 

 ――獰猛な笑みを浮かべているのだろうから。

 

 

「だ、大丈夫なんですか!? アリシアちゃん一人に任せて!」

 

「喋らないで!舌噛みますよっ!」

 

声を荒げるリーベンスを更に声を荒げて口を閉ざすように言う。すると僅かに視界が暗くなると同時に、上空から何かが飛来する音が聞こえた。

 シャオンは慌てて拳を上に突き出す。

「ぐっ!?」

 

 飛んできたのは鎖が付いた十字剣。それがシャオンの掌を貫いていた。

 この空中からの一撃に反応できたのは偶然だ。だから致命傷は防げても、無理矢理防いだことによる負傷はでかい。

 痛みをこらえながらもシャオンはリーベンスに叫ぶ。 

 

「リーベンスさん! 走れるなら急いで走って! 振り返らずに! 急いでっ! 屋敷の主に、銀髪の彼女に事情を話して!」

 

「――っ!」

 

 シャオンの剣幕から事態を把握したのか、リーベンスは僅かに迷った瞬間勢いよく走りだした。

 それを見て追いかけようとする魔女教徒の体を林の方へ投げ飛ばす。殺しはしていないだろうが、しばらくは起き上がってこないだろう。

 だが安心にはまだ早い様だ。

  

「おいおい、何人いんだよ」

 

 首をめぐらせ、魔女教徒の数を確認する。

 シャオンの言葉に応えるように次々と林道の各所にその黒い影が生えるように生まれる。その数は瞬く間に十を越え、二十に近い人数となる。

 その多さはもちろん、さらに異常なのは、意味のわからない出現をした彼らが姿を現したにも関わらず、延々と先と同じ静寂が続いている事実。

わずかな息遣いすら感じさせず、静かにこちらを観察する黒装束たち。

襲撃を受けたのだから当然彼らが友好的な存在でないことはわかる。だが、今何も動かないでいるのはなぜだろうか?

 

 ――うかつに動けない。

 

 ここまで理解できない状態が続くと簡単には動けない。だからシャオンは焦る気持ちを抑えて、様子を見ることにした。

 そうして睨み合いが続くこと、どれぐらいだったのだろうか。

 あまりに緊張感が張り詰め過ぎてしまい、時間の流れがひどく曖昧なものになってしまったのを感じていた。

 心臓が痛いくらいに鳴っているはずなのに、その心臓の鼓動が自分にすら聞こえないほどの、暴力的な静寂――そして、その均衡は始まりと同様にあまりにもあっさりと崩れ去る。

 それも――、

 

「――――」

「は?」

 

一斉に、黒装束たちはシャオンに向かって、恭しく頭を垂れて見せたのだ。

先ほどまで敵対していた連中が、意味のわからない敬意をこちらに払ったのだ。なんの言葉も発することができず、ただただ目の前の光景に唖然とするしかない。

 

「――試練を」

「試練を」

「導き手よ、試練の開始を」

「魔女を下ろす試練を」

 

 突如発せられた言葉は反響し、連鎖し、大きな声となっていく。

 意味の分からない単語で、意味の分からない状況を作られ僅かに思考に空白が生じる。

 そして――一斉に飛びかかってきた。

 

「っと!」

 

 完全に意表を突かれ、シャオンの体へと無数の刃が襲う。

 敬意を示したはずなのに打って変わって攻撃。そんな状況に訳が分からな過ぎて――

 

「――ああ、もういいや」

 

 頭の何かが切れた。

 考えることを諦めた途端に倦怠感と睡魔がシャオンを襲った。

 ――今すぐに眠りにつきたい。だが、それには煩わしすぎる。

 その声が、その心音が邪魔だ。だから、

 

「全員ここで潰す。それが最適解だ」

 

 ありったけのマナを、ありったけの力を振り絞りシャオンは、

 

「ふぅ、ああ……面倒臭い」

 

 ため息を吐くと同時に、見えない手を薙ぎ払った。

 

 

「シュッ!」

 

 アリシアの拳がまた一人、顔面にめり込みその衝撃から破裂する。

 血と肉が彼女の顔を濡らすがそれすら化粧だとでも言いたげに気にせずに、別の敵へと拳を振り下ろす。

 また一人と亡骸が地に落ちる。

 すると林から奇襲を仕掛けようと飛び出た一人がいた。

 予想外の攻撃。だが、鬼化したアリシアにとっては遅すぎる速さだ。体をひねって、逆に撃退しようとする。だが、

 

「――――」

「なっ!」

 

 なにかに足を取られ、回避ができずに十字剣が肩を深く裂く。

 激痛と共に熱を感じ、思わず目をつぶってしまう。だが、すぐに、

 

「ちっ! こんのっ!」

 

 十字剣が刺さったまま目の前の魔女教徒の腕をへし折り、流れるように首を無理やり引きちぎった。

 そして足が動かない理由を見るために、下を見る。するとそこには――腕があった。

 そして腕の持ち主は、先ほど殺した教徒のものだった。

 確実に仕留めたはずだったが、いや実際に頭を潰しているのだ。だが、それでも動く……まるで屍人と戦っているようだ。

 

「でもって、普通の人間であるっていうところがおっそろしい……」

 

 痛覚もあるだろう、感情もないはずがない、意思だって残っているはずなのだ。

 そこにはちゃんとした人間である機構が備わっているはずだ、だがそれを感じさせないほどの不気味さがある。

 

「……まぁ、それで止まる理由にはならないっす」

 

 進んで狂人への道に堕ちた奴らのことを思う余裕などない、こちとら明日を生きる生者なのだから。

 そう言い聞かせ足首を掴む手を、手甲から魔鉱石を打ち出して無理矢理切断する。当然足首も被害を受けるが鬼の力ですぐに治療された。あまり痛みになれてしまうことは嫌だがこれぐらいなら大丈夫だろう。

 

「……残り、十二くらい?。これは思ったよりも早く合流できそう……?」

 

 ざっと見渡す限りでは魔女教徒の数はそこまで多くはない。このままいけばとりあえず

 

「――おお、なんということデスか」

 

 嘆くような叫びとともにそれは現れた。

 一人の男。黒い装束の男たちに囲まれるその男は、自らも黒の法衣に身を包んでいる。

身長はアリシアよりも高く、深緑の前髪が目にかかる程度の長さに一切の乱れなく整えられている。

 それだけだったら几帳面な神父のようにも見えなくはない。

だがそうはならないような要因が彼にはあった。

 

「ワタシの指たちから連絡が途絶えたとおもえば……なんという有様、なんという惨状、なんという怠惰な結果デスか!」

 

 虫のような感情を微塵も読み取れない目と、痩せこけた頬。そして何よりも――吐き気がしそうなほどに漂う死臭がアリシアの本能に訴えかけてくる――こいつはほかの奴とは違う、と。

 

 警戒を十分に強めて、背中に流れる冷たい汗すら気にせずに問いかけた。

 

「誰よ、あんた?」

 

「ワタシは魔女教、大罪司教――」

 

 腰を折った姿勢のまま、器用に首をもたげて真っ直ぐアリシアを見つめ、

 

「『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 

 自らの素性を、腹が立つほどに礼儀正しく名乗ったのだ。

 



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決定的な違い

遅くなりましたー更新ですー


「大罪司教……!?」

 

 彼――ペテルギウスはこちらの驚きなど意に介していない様に黒装束の言葉に耳を貸している。

 どうやら報告を受けているらしい。

 

「左の小指と薬指は崩壊、デスか。でしたら残りは中指に合流。なぁに、まだまだまだまだまだまだまだ、指は8本もありマス。心配ありませんデスよ!」

 

「……アンタ、なんであたし達を狙うんすか?」

 

 恐る恐るではあるが、アリシアは会話を試みる。

 魔女教徒に会話が通じるとは思っていないし、何より生理的に拒否反応が出るので、お断りしたい。だが、今は仕方がない。時間を稼ぐためだ。

 彼女の言葉にようやくペテルギウスはこちらの存在を思い出したようで、彼の関心がこちらへと向かう。

 

「福音どおりに、ことを進めるためデス」

 

「福、音?」

 

 聞いたことがないその単語を復唱すると、ペテルギウスはその骸骨のような顔を歪ませ、大きく手を広げて笑った。

 

「そう! すべては福音通りに事を進めるため! すべては愛を! 私の勤勉さをもって! 魔女に対しての愛を示すため! すべては愛愛愛愛愛――――――愛のためなのデス」

 

 アリシアの疑問に、答えとなっていない答えを口にしている狂人。そんな狂人は首を直角に曲げ、

 

「しかしぃ? なぜ、貴女一人なのですか? 福音の記述通りならば彼の者もいるはずでは?」

 

 疑問を覚えている様子のペテルギウスに、一人の魔女教徒が近づき、耳元で何かを喋っている。聞き取ることはできないが恐らく報告を続けているのだろう。

 

「ふむ、ふむふむふむ。逃がしてしまったと。なるほどなるほど――アナタ、『怠惰』デスね?」

 

 一転する。

 ペテルギウスが纏う空気が、態度が、声が変わる。

 それを知覚できた瞬間、ペテルギウスに報告を伝えた魔女教徒の頭が地面へと叩きつけられるのを目撃することになった。

 

「試練を、前に、事が露見するという状況! それが! その事態が! それがそれがそれがそれがれがれがれがれが! 福音に対するアナタの真摯な報い方デスか!」

 

 叫ぶペテルギウスは何度も繰り返しその教徒を叩きつけ、そして仲間であろう一人が動かなくなるのを確認すると、ゴミを捨てるかのような動作で投げ捨て涙を流しながら身体をくねらせる。

 

「ワタシの指の怠惰はワタシの怠惰! あぁ、寵愛に報いれぬ、我が身の怠惰をお許しください! この身全て、全霊の勤勉さをもって、勤勉に償いまショウ!」

 

 仲間の血を顔に塗りたくり、自らの指に八つ当たりするかのように噛み、自傷行為に走るその姿はまさに狂っている。

 

「残った左手の指は引き続いて対処を。残りはワタシに続いて儀式の準備のために村へ」

「通すと思ってんすか!」

 

 村へ向かうということを示唆する言葉に、アリシアの意識が動くことをようやく許可した。

 より一層にいきりながら、ペテルギウスに殺意をぶつける。

 だが当の本人には全く効いていないようで、むしろアリシアが立ちふさがったことに感動、喜びを感じているかのように身を震わせ、

 

「福音書に刻まれし言葉が、愛を物語るそれが! ワタシに行動を決意させるのデス! 愛を貫くために、行いを貫徹するために、障害は不可欠! そして、その障害が貴女という訳デスか! ああ、ああ、ああああ! 実に素晴らしい! 実に勤勉で! 実に精勤で実に尊き魂の輝きを持っているのでデス! そのような者がワタシに対して試練を与えるとはなんという幸運!」

 

 痩せこけた頬に爪を立て、血を流し、狂人の妄言に熱が入っていく。

 

「だ・か・ら・こそ! 私の勤勉さが貴女を打ち破り! 貴女の怠惰を、貴女の命をもって償わせることで! 私の愛が魔女に届くのデスッ! ああ、ああ、あああああああああっ!――脳が震える」

 

 一拍の静寂。

 それが明けた瞬間に、周囲に血しぶきが広がり、殺し合いが始まった。

 

 

 シャオンは血で湿った髪を苛立たし気に払いながら殺戮を続けていた。

 

「ああ、面倒くさい」

 

 飛びかかってくる有象無象を文字通り”粉々”に粉砕し、シャオンは何度目かのため息と愚痴をこぼす。

 血肉すら残さずに消滅した仲間を見ても引かないその精神力に、これ以上力を使わせないでほしいと、睡魔と戦いながら文句を言いたくなった。

 どうしてそこまでして命を捨てるのだろう? どうしてそこまで無駄なことをするのだろう? どうしてそんなに疲れることをするのだろう?

 疑問は際限なく生まれるが答えの方はさっぱりだ。

 

「……あっちさね」

 

 シャオンは身体を引きずりながら、億劫そうにしながらも確実に足を進めていく。途中で襲い掛かってくる魔女教徒も血煙に変化させながら。

 その方向は先ほどまで向かっていた方向とは正反対の、来た方向に引き返すものになる。

 勿論引き返すなという気持ちもある、だがそれでも引き返すのは自らの中にある『ナニカ』が今来た道を引き返せと訴えかけている方が強い意志があるからだ。

 

「はぁ……難儀なもんさ」

 

 他人事のように言いながらも彼は、のそのそとその体を動かしていった。

 

 

「ッ、ルゥゥアアアアアアッ!!」

 

 聞いている方が体が揺らされるような雄たけびを上げながらアリシアは数体目の魔女教徒の首を拳で吹き飛ばし、続けて拳を下ろし縦に裂く。

 そんなことをしたのだから魔女教徒の血肉でアリシアの体は、角は赤く染まる。だがその様子は、常人が見ても『綺麗』だと思えるほどに似合っていた。

 そのアリシアの奮闘を気にした様子もなくペテルギウスは仲間から報告を受けていた。

 

「なんと、左手の包囲網が? 単独で? 素晴らしいじゃないデスか! 数に劣りながらも、抗うその姿、まさに魔女の”導き手”! ああ、ああ、試練を前にして彼の者に出会えるとは……これこそ試練を必ず成功させよという魔女の思召すことなのデスね!」

 

「導き、手?」

 

 アリシアの言葉にペテルギウスの動きがピタリと停止した。

 そして頭だけをこちらへ動かし、瞳を向ける。

 光沢のないその瞳はまるで死人のようで、底の見えない闇のようでアリシアに言い表すことができない恐怖を与えてくる。

 しかし、睨み返すことで怯えを感じさせない様に努めた。

 その姿に感動したのか、それとも馬鹿だと思ったのかはわからないが、ニタリとおぞましいほどに口を歪め、狂人は高らかに声を上げ笑う。

 

「そう! 彼の者こそがワタシの福音に記されている導き手なのデス!」

 

 そう叫んだペテルギウスは懐から一冊の黒い装丁が施された書物を取り出した。

 彼は本を傷つけないような丁寧な動作でめくり続け、ある場所で止まった。そして再び顔を上げ、アリシアを見る。

 

「あの寵愛の濃さ、そしてなにより、『シャオン』という名前が魔女の寵愛を受けている証拠なのデス。彼の者の協力がなければ、試練は遂行されることはなく! 魔女はお戻りになることが出来ないのデス!」

 

「魔女を、戻す」

 

「そう、半魔の身に降ろすことで――ようやく復活なさるのデス、それには彼が、彼の存在が必要なのデス!」

 

「死刑確定っ!」

 

 残りの魔女教徒を無視し、勢いに任せてペテルギウスへと飛びかかる。短慮だとは自分でも思う。だが、流石のアリシアも黙っていられなかったのだ。

 今の彼は精神的に少しばかり弱っている。そんな状態の彼へこんな奴を相手にさせるわけにはいかない。それに、エミリアのことを何とも思っていないような反応にもアリシアは怒りを覚えていた。

 魔女教徒がエミリアを狙う理由は諸説あるだろうが、どれも確信には至っていない。だが、魔女を降ろすためだけに襲うなど、一体彼女のことを何だと思っているのだろうかと、アリシアの感情が爆発する。

 その激情を形に起こし、ぶつけようと拳を下ろす。

 ペテルギウスはあまりの速さに動けていないのか何も行動を起こす様子はない。このまま確実に頭を潰すことが出来るだろう。そう、思っていた彼女の耳に聞こえたのは小さな言葉だった。

 

「怠惰なる権能。見えざる手、デス」

 

 ペテルギウスの頭部に届こうとした拳は止まる。いや、正確には止まるのではなく、止められたのだ(・・・・・・・)

 

「なっ、は?」

 

 依然ペテルギウスは一歩もその場から動いてはいない。それなのにアリシアの体は縛られたように動けない。

 ――見えない何かがそこにある。

 比喩でもなければ、アリシアが狂ったわけでもない。

 本当に見えないなにかがそこに実在し、彼女の身体を空中で固定しているのだ。

 

「これがワタシに与えられた唯一の権能、愛の証」

「ぐっ!」

 

 状況がわからないこちらに説明をするかのようにペテルギウスは口を開く。

 それと同時に全身に引き裂かれるような痛みが襲ってくる。まるで無理やり全身を複数の手(・・・・)に引っ張られているかのように。

 

「ああ、ああ、ああああ! 痛いでしょう? 泣き叫びたいでしょう? それはすべて貴女の油断! 怠慢! 即ち怠惰な行動の罰なのデス!」

 

 厭らしい笑みに、こちらを馬鹿にするような言動。

 だがそれがアリシアに絶対に叫ばないと決意をさせた。

 

「ああ、なんと勤勉なのでしょう。最期の瞬間になるまであきらめずに、貪欲に生へとしがみつくその姿勢はまさに勤勉な者の証! ああ、あああ、ああああッ! そのような勤勉で愛された者の生命を摘んでこそワタシの魔女への愛の、勤勉さがより一層に」

 

 唾をまき散らしながらペテルギウスの舌は回る。

 しかしそれを聞く前にアリシアの口から大量の血液があふれた。

 泡と一緒に出てきたそれは、内臓が痛めつけられたことと、鬼の力が弱まってきたことを表している。だが、おかげであることに気付けた。

――手だ。

 不可視の手がある。原理はわからないが確実に存在している。

 今まで見えていなかったその手はアリシアの血によって視認できるようになったのだ。それはまるで、あの少年と――

 

「……何故、貴女は笑っているのデスか?」

 

 ペテルギウスに言われ、アリシアは自らの口角が上がっていることに気付いた。

 

「べっつに? ただ、可哀想だなぁと」

 

「ワタシが、可哀想?」

 

 あの少年の技は目の前の狂人と似ている。

 だが、そこには譲れないほどの決定的な違いがある。

 それは彼は”あの能力”に頼ることをあまり好きではないということだ。

 情報を与えないためでもあるだろうが、それとは別に何か理由があるのだろう。

そうだ、確か、いつだったか訊いてみたこともあったはずだ。あの時彼は――

「――だって、ずるいじゃん。それ」

 

「は? なんでっすか?」

 

 ロズワール邸での魔獣事件の後、シャオンの能力『不可視の腕』というものについて、なぜ好んで使わないのか尋ねた時の返答がこれだ。

 

「俺もわかんないけどこの力は自分の努力で手に入れた物じゃないと思う」

 

 そういってシャオンは自らの腕を見ている。

 

「癒しの拳とかは誰かを傷つけるわけじゃないからまだいいけど、この力は確実に”傷つける”力だ。傷つけるのに、自分で得た能力を使わないなんて、ずるいじゃん。逃げだよ、それは」

 

 つまり彼は人を傷つけるなら、自分の力で得た物でやれという訳だ。

 その精神は尊敬できるものではあるが、綺麗すぎるものだとも思えた。そして、彼のその考え方が汚れていくのに、彼の心は耐えきれるのだろうか、と不安にも思えた。

 かといってそんな感情を口にできるほど剛胆ではないのでつまならそうな表情を張り付けてごまかす。

 

「ふーん」

 

「訊いておいてなんだその反応。まぁいいけど」

 

 彼がアリシアの心を読み取れたかはわからない。ただ、追及はしないでくれたのはありがたかった。

 

 

 彼は与えられた力で誰かを傷つけるのがずるいと言っていた。

 聞いた時は何を馬鹿な、と思っていたが比較対象を見つければここまで納得がいくこともあるまい。

 だがそれを気づかずに目の前の狂人は誇ったかのように扱っている。それだけで似ているなんて思っていた自分を笑うには十分だ。

 

「……アタシはここで死ぬ。だけどそれでもアタシは悔しくない。怒りはあるが、それよりもアンタを憐れむ感情のほうが、不思議と勝っている」

 

 頭は冷静になったが、いや冷静になったからこそ自らの命がもう長くないことに気付く。だが、それでも女の意地で無理やり言葉を発する。

 アリシアの言葉を理解できていないのかペテルギウスは何の反応も示さない。

 

「アンタは可哀想だ。なにが愛っすか。アンタがもらったはずの、アンタだけの愛、なんて……所詮この程度……浮気されてんじゃないの」

 

「なにを! 言って……言って、言って言ってってててっててって……脳が、脳が震えるるるるるるるるるっ!」

 

ようやく唇の端から泡をこぼし、ペテルギウスが激昂する反応を示した。

 それを見て溜飲がさがるのを感じ、激痛に悶えながらも、アリシアは精一杯の抵抗でペテルギウスを”憐れむ”。

「アンタの愛はまがい物だ……! 百歩譲って愛と認めても、そんな、もの。何の価値もない……!」

 

「ワタシの愛を、侮辱することは許さないのデス! ああ、決めた、決めたのデス! 貴女の身体は痛めつけて、魔女への手向けにするのデスッ!」

 

「アンタの愛は届かないのに?――虚しくない? それ」

 

「――――――ッ!」

 

 その言葉が決め手となったのかペテルギウスは聞き取れないほどの怒声を上げてこぶしを握った。

 呼応するかのようにこちらの体に今までとは比にならない力がかかり、なにか切れるような嫌な音が聞こえた。

 次に感じたのは浮遊感。そして彼女が最期に見たのは、赤黒い血とともに離れていく自らの下半身。そして怒りに燃えている狂人の姿だった。

 ゆっくりとなる視界の中、アリシアの心の中にはペテルギウスに伝えてやりたい言葉があった。

――ざまぁみろ、一矢報いたぞ、と。




ここから鬱が続くので早めに投稿したいですけど、リアルが…


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絶望をあなたへ

お久しぶりですリアルが忙しすぎて投稿できず、リアルで体調を崩してました!すいません!
今後はしばらく荒い文が続きますが頑張って投稿を再開していきます!


「頭……いてぇ」

 

 ズキズキと、熱があるときに感じるような頭痛を感じながらシャオンは歩みを進めていく。

 

「状況が、つかめない。これは……まずい」

 

 現在シャオンはアリシアに後方を任せてアーラム村へと向かっていたはずだ。しかし魔女教徒に襲われ、戦闘になってからの記憶がおぼろげ。

 なにかの魔法にかけられていたのだろうかとも考えたがそれなのにシャオンがこうして生きているのがおかしい。

 

「考えられるのは時間稼ぎ……本来なら急いで村に向かうべきなんだろうが――ぐっ!?」

 

 その思考に至るとこうして頭痛がシャオンを襲うのだ。まるで頭の中に見えない壁があり、それ以上進もうとすることを邪魔をするかのような人為的な壁が。

 こんな頭痛が続くようでは村に向かったところでまともに戦えない。

 仕方ないのでアリシアのいるであろう後方に戻ることにする。

 

 

「ああ、ああ、あああああ! なんということでしょう!」

 

戻ってこれたその場所は、鉄臭さと狂気の声がこだましていた。

声の主は涙を流し、怒りを露にするかのように拳を力強く握りしめている。

 

「ワタシの愛を冒とくした愚物が! この程度の罰でその身を終わらせるとは! ああ、なんと怠惰なことかっ!」

 

「――なぁ」

 

 怒りに震えている男を現実に戻したのはシャオンの無機質な声だった。小さなその声は目の前で喚く男には届かないと思っていたが、幸か不幸かしっかり届いていたらしく、男はゆっくりとその顔をこちらへと向けた。

 

「お前、なんだ? なにやってんだ? なんでアリシアが死んでんの?」

 

「おお、その身に纏う濃厚な香り! 貴方が、福音の記述の、『寄り添うもの』デスね!」

 

シャオンの質問攻めに、男は不快な顔をせず、それどころかむしろ笑顔を浮かべてすらいる。

 

「この者は儀式を邪魔する者デス。それだけならば何ら問題はありませんが、ワタシの! 魔女への愛を偽物だとっ! まがい物だとの賜ったことは許せない!だから――殺したのデス。ワタシの手で」

 

腕を広げ、肉の少ない、髑髏のような印象を与える男はなんの感慨もなく、なんの感情も感じさせないように無感情に殺したと言いきった。だから、

 

「そっか――死ね」

 

 目の前の男が何者かはシャオンは知らない。アリシアが奴になにを言いのけたのかなんて知る由もない。

 だが考えるよりも体が動き、思考や信念を置き去って神速のように不可視の腕が発動される。

当人ですら意識して行った行動なのか怪しいそれを、当然回避などできるわけもなく、

 

「は」

 

 そんな間抜けな声が聞こえたかと思うと男の体は文字通り縦に二つに分かれ、僅かに空気が漏れた音に遅れて男の身体から大量の血液が破裂した水風船のようにあふれ出た。

その血の雨がシャオンの体を濡らすことなく落ちきるとアリシアの遺体の方へ向き直る。

 

「おい」

 

返答はない。

 ーー別に彼女が特別だったわけではないだろう。きっとシャオンはスバルやエミリアが同じ目に合っていれば容赦なく能力を振るっていたはずだ。

 だが、彼等ではここまで激怒の感情を刺激されることはなかっただろう。

 その感情を抱いた原因は――

 

「なに、満足げに笑ってんだよ。馬鹿」

 

 苦悶の表情を浮かべることなく、何かをやり遂げたかのように笑みを浮かべたアリシアのせいなのだろう。

 これが無念に満ちた表情だったのならシャオンも感情を露わにしなかった、だが目の前の少女の亡骸はどう見ても後悔一つないように晴れやかだったのだ。

 叩くも、冷たい体は何の反応も見せなかった。

ただ、彼女の表情とは正反対に、無力感がシャオンの心を埋め尽くしていた。

 

 

 今は丁寧に墓を作る暇などない。せめてその死体を誰にも見せない様に上着を上からかぶせるというお座なりなものになってしまうが、我慢してもらおう。

 

「……行くか」

 

小さく、やるせない気持ちを出してしまうが、頭を切り替える。今は村人の安全が第一だ。

シャオンが村の方へと歩き出そうとした瞬間、地響きと共にとあるものが現れた、それはーー

 

「なん、だ? あれ」

 

しろい、白い壁だ。

あんなオブジェクトは当然アーラム村にはなかった。いや、それよりもつい先程までなかったはずだ。

唐突に現れた点を除いても、その異常性は遠目からでも感じられる。

 

「ーーぉ……にぃ……す……ぁる」

 

こちらの頭に直接語りかけてくるような不思議な声に驚き、さらに壁が声を発しているという事実に驚きが続く。

脈動しているかのようなその不気味さを感じさせる壁はどうやらただの壁ではないらしく、生きているようだった。

生き物だと認識した瞬間、それもこちらを認識し、白い壁から大きな穴が開き、一瞬の閃光が発生した。

 

「ーーえ?」

 

痛みと熱に襲われ、シャオンの存在は一瞬のように世界から消滅した。

悲鳴も、遺言もなく、シャオンの生命は終わりを告げ、残されたものは、ただの焼け焦げた肉の塊だった。

 

 

「久しぶり、ってほどじゃないわな」

 

シャオンと喧嘩別れにも近い別れ方をしてから、数日間スバルはクルシュ邸に厄介になっていた。

その後、腐っていたスバルにエミリアが危機に陥っているという朗報を聞き、レムと共に屋敷へ戻るということになった……なったのだが、途中の宿でレムに置いてかれ、半ばやけになった状態で商人の竜車にのせてもらってここまで来た。

スバルはまずは村の子供たちに会ったら何て話をしようかと考えていると村が見えてきたところだ。

 

「おいおい、こりゃどういうことだ」

 

 村の入口に駆け込んだとき、スバルが最初にしたのは――違和感に気付き、眉を寄せることだった。

入口は僅かな焦げ臭さと、何かの動物の肉だろうか、細切れになった肉が散らばっていた。

 それはおいておいて、一見、村にはなんらおかしなところはないように思えた。

 しかし、明らかにどこかがおかしい気がする。

 今度こそ、漠然としたものではない、はっきりした不安がスバルを包み込んだ。

 疲労とは別の理由で呼吸が早まり、心臓の鼓動が再び速度を上げ始める。それらの反応に急き立てられながら、スバルは溜まらず近くの民家の扉を乱暴に叩く。

 反応がない。嫌な予感に掻き立てられ、鍵すらかかっていないそれを乱暴に押し開いて中に押し入る。が、やはりそこももぬけの空だ。誰もいない。

 どれだけ走り回っても、喉が涸れるほどに人を呼んでも、子どもが悪戯で隠れていそうな場所を全てあらっても、誰ひとり見つけることはできなかった。

 静寂がここにもぽつんと落ちていて、スバルは世界に取り残されていた。

 どっかりと、力の抜けた体で地面に座り込み、スバルは長く深い息を吐く。

 意味がわからない状況に対してそこまで優れている訳でもない頭を振り絞って結論を出そうとする。ふいに鮮烈な痛みが頭蓋に響いた気がして、スバルはとっさに額に手を当てる。だが、その瞬間に痛みは消え、纏まりかけていた考えも共に消えてしまっていた。

 

「まさか、知恵熱というものが実在するとは」

 

 自分で言っていてだいぶ頭が馬鹿になっているな、と思う。

 それも当然だ。一昼夜以上、過酷な移動の中でほとんど睡眠を取っていない。途中で捕まえた商人のオットーという人物に分けてもらった非常食のような味気のないものを腹に入れたぐらいで、食事も十分であるとは言い難かった。付け加えれば、意識がある間はエミリアの安否を心配していたのだ、精神的にも余裕があるとは思えない。

 尻を払い、右手に付いた汚れを仕方なく壁に押し付けて取り払うと、体を回して再び村の中を捜索する。最後の悪足掻きだ。

 すでに何度目かわからないため息をこぼし、スバルは苛立たしげに地面を蹴る。ぬかるんだ地面を爪先が抉り、飛び散る泥がトドメを刺した。 

 積み重なる残骸の数は膨大でーー

 

「まったく、祭りかなにかやってるのか?」

 

 ーーそれらを見届けながらスバルは人影を探す。誰かが自分の名前を呼んでくれやしないかと、それだけを求めてひたすらに。

 しかし、村を何度巡っても、そのスバルの望みが叶うことはなかった。

 ここにはスバルの求めるものはなにもない。なら、さっさと屋敷へ続く道へ向かうべきだ。

 まったく、余計な寄り道をしてしまった。無駄な時間を浪費してしまった、無駄だった。全ては無駄だった。ここにあるものはスバルの役に立たない。

 

「……無駄足だったな」

 

 吐き捨てるようにそう呟きながら、ふらふらとした足取りでスバルは進む。と、村の外への道筋で、ふいにスバルは足をなにかに引っかけて転んでしまった。

 ずるり、と足下が滑ったことに気付いた瞬間にはもう遅かった。周りには転倒を防げるものはなにもなく、勢いあまって肩口から思い切り地面に落ちる。

 痛みが脳をつんざき、スバルは呻くような声を喉の奥で爆発させ、反射的に浮かんできた涙を瞳の端に溜めながら、転んだ原因を求めて足下を睨む。

 そこにあったのは――何かに引き殺されたかのようなムラオサの体だ。

 痛みとともにそれを嫌でも理解してしまってからは世界は切り替わる。

 青年団の若者は剣を手に戦ったのだろう。その剣は折れ、持ち主も同じように二つに折れていた。

 重なり合うように倒れていた男女は夫婦だった。夫が妻を庇うように上から抱きかかえ、そのまま二人まとめてなにか巨体に押し潰されたようだ。

 惨殺された死体があった。引き裂かれた死体があった。押し潰された死体があった。叩き潰された死体があった。死体ばかりがあった。死体しかなかった。

 死体ばかりが転がる村にはうっそうとした静寂が横たわっており、全てはスバルが到着するよりずっと前に終わってしまっていたということが嫌でもわかった。

 なにが、あったというのか。

 なにかが、あったのだ。なにか、とてつもないことが起きたのだ。

 息のあるものは誰もいない。生き残ったものはひとりもいない。頭が回らない。顔の穴という穴から、とめどなく液体が流れ出している。

 起きた事実は理解した。だが、理解はできない。

 なにが起きたのか、なにひとつわからない。なにひとつわからないが、わかっていることがひとつだけあった。

 それは、この悲劇がこの場所だけで終わっているはずがないという事実だ。

 遅すぎる理解に達したとき、スバルの全身をこれまでにない悪寒が襲った。

 それはこの世界に落ちてきて以来、命の危機を何度も乗り越えて、あるいは屈してきた中でも、最大級の恐怖をスバルにもたらしていた。

 涙を流し過ぎて痛みすら感じる瞳が明滅し、おぼつかない視界が空を見上げる。

息を吸うことすら困難になりかけているスバルを嘲笑うように空が雲ひとつなく、屋敷の上にいつものように在る。

 あれほど帰り着きたかった場所が、あれほど求め続けた場所が、目と鼻の先にまで迫ったその場所が、今はあまりにも恐ろしい場所に思えた。

 なにがあったのかわからない。

 なにかが起きたことは間違いない。

 そのなにかはきっと、その場所を見逃すようなことはしてくれていない。なぜなら彼女は特別なのだから。

 だがその可能性すら、考えたくなかった。その可能性を頭に思い浮かべてしまえば、ましてや口にしてしまえば、それが現実になってしまいそうで恐ろしかった。

 だからスバルは首を振り、その想像を振り払う。

そのために、ナツキスバルは最低の手段を使った。

 

「レム……は? レムは……どうしたんだ……?」

 

 自分より先に、この地へ辿り着いているはずの少女。その彼女の安否を確認する言葉を口にし、現実から意識を切り離そうとする。

 

「そうだ……レム……レム……レムは……」

 

 ふらふらと、立ち上がったスバルは力のない足取りで進み始めた。

 ゆっくりと村の出口へ――屋敷の方角へ向かって、亀の速度で進み続ける。

 

 その先に、なにが待っているのか、わからないまま。わかりたくないと思ったまま、わからなくてはならないと思っていながら、駆け出す勇気を持てないまま。

 引きずるように、縋りつくように、拠り所となる少女の名を呼びながら、スバルはゆっくりゆっくりと、坂道を上り、屋敷を目指して歩を進めていった。

 

 

 ようやくたどり着いたそこにはレムの姿はなく、代わりに――屋敷に貼り付けられているラムの姿があった。

 

その姿はまるで十字架に括られる罪人のように真横に手を伸ばされ、腕は剣で無理矢理固定され血があふれでていた。

遠目でもわかる、魂の欠如。確実な死。だが、それでも、

 

「ら、む」

 

 スバルに駆け寄らないという選択を選ぶことはできない。

 実はこれがロズワールやシャオン辺りが考えたドッキリで、焦って近づいたらラムが馬鹿にしたような笑みを浮かべ、背後からは先に別れたレムの姿がある。

 きっとそうなのだ、全く手の込んだいたずらで、悪趣味だ。

 村をあげてのドッキリ、なるほど一本とられた。だから素直にその道化役は受け入れよう。派手に驚いて、皆から笑われるのを堪え忍ぼう。だから、もうやめてくれ。

 

「……もう、ばれてんぞ? ラムちー」

 

懇願にも似た声でネタばらしをするように促す。彼女からの返答はない。

 

「さ、流石に懲りすぎだぜ? ラム」

 

 返答はない。

 聞こえていないのかもしれない。そう考えたスバルはさらに歩み寄る。そして、気づくだろう。ラムの下に一つの箱が置かれていることに。

元は白い箱だったのだろう、だが現在はラムの血液で赤く染まってしまっている。

 磔にされた少女からの反応はない、だから必然的にそちらへと注目してしまうことは仕方ないことだ。

 だから、スバルは気づいてしまった……その箱の底から、大量の血液が漏れていることを。

箱の上には小さなメッセージカードが備え付けられており、さらに注目してみるとそこにはこう記されていた。

 

『愛しのスバルくんヘ レムより』

 

 スバルにも読めるようにイ文字だけでかかれたそれを見て、目を見開き箱を手に取る。中身はそれなりの重量のものが入っているようだ。

 ――この中を見れば、村で何が起こったのか、あの惨劇の原因がわかるのだろうか?

恐怖はある、だがそれよりも好奇心と自分だけが知らないという孤独感から抜け出すため、震える手でゆっくりと包装をほどく。

 箱の中を見てしまった、見てしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――頭部だけになったレムを。

 



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狂気の痕

ずいぶんとお待たせしました。
かなーリ久しぶりの投稿になるのでプロットを見直し&描き方がだいぶ変化しているような気がしています。すいません!
これからはなるべく早く投稿できるように頑張りますが、3章は早足になってしまうかもしれません。


 目が覚めるとそこは白い部屋だった。

 部屋には大きなテーブルが一つと、それに合わせた様にいくつかの椅子が並べられていた。

 ここはどこだと辺りを見渡していると、声が聞こえた。

 

『やぁ、元気そうだね』

 

 気が付くと誰もいなかったはずだった、対面の席に一人の人間が座っていた。

 声の主はどこかの民族風な仮面をかぶり、表情は読み取れない。わかるのは白い長髪の、男性ということだけだろうか。

 この自身が置かれた状況に加え、目の前の異質な人物にいつものシャオンならば怪しむが、しかし、なぜか初めて聞く声にもかかわらず、その声は懐かしく、不思議と警戒心は抱けなかった。

 

――貴方は?

 

『ボクはボクさ。それ以外の何者でもないよ』

 

――なんじゃそりゃ

 

 答えになっているのかわからないような返答に、呆れていると。仮面の男も呆を含めた様に肩を落とす。

 

『その質問をするって言うことは……まだ、目覚めてないか。急いでくれよ?』

 

――急ぐ、とは?

 

『それじゃあまた今度話そう。なに、キミ(ボク)ならできるさ』

 

 目の前の男はシャオンの質問には答えず、ただ指を鳴らした。

 乾いた音ともに、白い部屋に罅が入っていく。

 待ってくれ、の一言を言うよりも早く世界が崩壊するような感覚と共に視界が暗転する。

 

『さぁ、大罪が動いた。キミ(ボク)の出番はまだまだ先だが仕事はある。最善を尽くしてね』

 

 一瞬だけ見えたもの、それに驚愕する。目の前の仮面の男の顔、意識が消える一瞬見えた仮面の奥の顔。

 それは――――自分と同じ顔だったのだ。

 

 

「……うあー?」

「なにがうあー?、すか可愛くないっすよ」

 

 わき腹を小突かれ、意識を取り戻す。

 まるで長時間の眠りから覚めたような感覚に、思わず変な声をこぼす。

 

「……ここは?」

「どしたんよ、急に。どこって言うならまぁ、ウチの屋敷やけど」

 

 おぼろげだった意識が徐々に覚醒し、朝の光と、黄色い髪をした少女アリシアの姿が目に入った。そして彼女の姿を目にすると同時に両肩を掴み、距離を詰める。

 

「な、なんすか? 」

「――体、大丈夫か?」

「はい?」

 

 怒られるとでも思っていたのか身構えていたアリシアは、シャオンの気遣う声に目を丸くした。

 そんな様子を無視して、シャオンはアリシアの様子を確認する。記憶に残ったボロボロの彼女はそこにはなく、健康的な姿が代わりにあった。

 安堵するとともに周りを見渡す。

 そこにいるのは驚いた顔のアナスタシアと、ルツ、そしてシャオンのファンになった獣人たちだ。

 それらを鑑みて今の状況をまとめ、確信する”スバルが死に戻った”と。

 

「あんな? いちゃつくんなら別のところでやってほしいんやけどな?」

 

「ははは、それはすいません。そしてもう一つ謝ることがありまして……この竜車を使うのもう少し待っていただけませんか?」

 

「別にかまわへんけど……なんでなん?」

 

 アナスタシアの疑問はまっとうなものだ。

 記憶が正しければシャオン達はこの竜車を使用し、今まさに屋敷へと向かおうとしたのだ。それを何のきっかけもなしに少し待ってほしいというのだから。いや、実際にはきっかけはあった、シャオンとスバル以外には感知が出来ないものだが。

 

――さて、どうしたものか。

 

 素直に話すことはもちろんできない、嘘を吐くならしっかりとしたものでなければ彼女の自身ら、しいてはエミリア陣営への不信感へとつながってしまうかもしれない。

 考えすぎといわれてしまえばそれまでだが、可能性があるのだったら軽々しく行動はできない。

 どうすべきかと内心悩んでいると、救いの手は意外なところから現れた。

 

「なんか事情があんのか?」

 

 声の主はアナスタシアの横で様子を見ていたルツのものだ。彼の表情は先ほどまでのモノとは違い、歴戦の戦士だということを思い出させるほどの圧力を含んでいた。

 その視線を真っ向から受け止め、小さく首を縦に振る。それを見て数秒の間を置いた後ルツは一度目を閉じると、いつもの人懐っこい笑みを浮かべアナスタシアへと向き直る。

 

「お嬢、事情はあまり訊かないでやってくれ」

 

「……別にえーよ。もともとそんな根掘り葉掘り聞くつもりはあらへんし」

 

「ってことだ。あまり長くはかからねぇんだろ? だったら事情は聞かねぇし」

 

 不機嫌そうに口をすぼめる彼女にルツはケラケラと笑う。

 

「ありがとうございます、ルツさん」

 

「いいってことよ、同じ酒を飲んだ仲。こまけぇことは気にしねぇ」

 

 胸板を強く叩き、豪快に笑うルツに心の底から感謝を述べる。

 正直今ここで膠着状態になるのは避けたかったのだ。

 

「な、なにがなんだか」

 

「事情は後で話す今はとりあえず――戻るぞ、スバルのところに」

 

「うぅえ!? 急すぎないっすか!? いったい何が」

 

 全く訳が分かっていないアリシアの手を無理やり取り、走り出す。

 確か、スバルは現在レムと共にクルシュの屋敷のはずだ。記憶にある限りだと、あの白い壁に殺され、シャオンの命は終わった。だが、こうして世界が再び始まったということはスバルも死んでしまったのだ。

 ならば、詳しい話、顛末を聞かねばならない。

 

「……せめて話くらいはしてくれよ?」

 

 喧嘩別れではあったがこの事態ではスバルもこちらと協力するだろう。

 不謹慎だと自分を叱りながらもシャオンはスバルとレムがいるクルシュ邸に向かうのだった。

 

「……レム嬢、状況説明」

 

「これはもう正直、お手上げって言うしかにゃいかなぁ……」

 

 シャオンの問いかけにレムが答える前に頬に指を当てながらフェリスはそう断言した。

 ネコミミを触りながら、栗色の髪の獣人は寝台に横たわるスバルを見たあと、ため息をつく。

 

「ほーんとっ! なにがあったのやら!」

 

 現在スバルはクルシュ邸のベットで横になっていた。

 眠っているわけではない。彼の目はしっかりと開かれ、じっと真上にある天井を真剣に見つめている。時折、思い出したようにひきつったような笑みを浮かべ、それが済むと突然に泣き出したりもする。不安定な状態が続いていた。その姿はまさに『廃人』といえるものであった。

 

「正午過ぎに王都の下層区を散策していた間は……いつもと変わりはありませんでした、なにか、切っ掛けがあったようには……」

  

スバルの様子が豹変した瞬間、レムが一番近くにいたのは間違いない。そして、今のスバルを一番気にかけていたのも勿論レムだ。そんな彼女がそういうのだ、恐らく間違いない。

 

「こんにゃこと言いたくないけど、どうするの?」

 

「原因がわからないことには対処のしようが……フェリックス様にはご迷惑を」

 

「んーん、それは別にいいんだけどネ」

 

 ほとんど無反応で、寝たきりのようなスバルを見下ろしながらフェリスは「でもでも」と言葉を継ぎ、

 

「治療、続けてもいいのかにゃって思って」

 

「……どういう、意味でしょうか」

 

 顔を上げ、スバルの無表情から視線を外すと、レムはようやくフェリスを見る。その視線を受け止め、フェリスは「怒らにゃいでほしいんだけど」と前置きして、

 

「スバルきゅんのゲートを治療するのって、この子が今後の日常生活に支障をきたさないようにしてあげるための計らいでしょ?」

 

「はい」

 

「もう、日常生活なんてまともに送れにゃいんだから、体だけ治しても仕方にゃいんじゃないかにゃーって」

 

「フェリス、言葉を選べよ?」

 

 シャオンの言葉に「こわいこわい」と冷やかすように体をよじらせるフェリス。しかしそんな態度を取りつつも声色は冷淡だった。

 

「でも事実でしょ? それともまだ終わってにゃいって言うの? この状態を見て? 本気で?」

 

 あくまでフェリスは疑わしげな態度を崩さない。彼のスバルを見下ろす視線には、はっきりそれとわかる侮蔑の感情があった。

 そんなフェリスの態度に押し黙るこちらにフェリスは「誤解しにゃいでほしいんだけど……」と苦笑して首を振り、

 

「別に、フェリちゃんはスバルきゅんが憎たらしかったり、殊更に嫌ったりしてるからこんな風なこと言ってるわけじゃにゃいからネ」

 

「嘘つくな」

 

「ウソじゃにゃいよー、正確にはスバルきゅんが嫌いなのは事実だけどね。でも今回の問題はスバルきゅん個人がどうこうって言うんじゃにゃいんだヨ?フェリちゃんはたーだ、純粋に『生きる意思』に欠けてる人間が嫌いにゃの」

 

 唇を尖らせ、フェリスはスバルを指差し、

 

「フェリちゃんが魔法でできるのは、傷を癒したりするぐらいのものだから。そんなフェリちゃんだけど、それなりに忙しく色んな人にこの手を使ってあげてるわけ。みんな生きるのに必死だし、その手伝いをするのは別にいいんじゃにゃい? 感謝されるの嫌いじゃにゃいし、偉い人に貸し作ってクルシュ様のお役にも立てるし?」

 

「――――」

 

「でも、生きようとしない人間の体を治すために力を使うにゃんてのは嫌。前に進もうともしない、向こうともしにゃい人間の命にゃんて終わっちゃいにゃよ。んーん、終わってしまってるの」

 

 ぴしゃりと、そう告げてフェリスはつんと顔を背ける。

言い方こそ軽薄さを装っていたが、それは彼がそれまでに見つめてきた生と死から学んだ、彼の中で確立された死生観なのだ。

 そして、そうした確固たるものがある人物に対し、考え方を変えさせることは難しいのだ。

 ちらりとスバルを見る。スバルは自分が話の中心になっていることにも気付かず、今は聞く者の心に引っ掻き傷を残すような、途切れ途切れの笑声をかすかに漏らしていた。

 

「馬鹿が、くそ」

 

 そんなスバルの額を軽く小突く。当然、反応はない。

 癒しの拳などというものを持っているのに、友人一人救えない、その歯がゆさに下唇をかみしめる。

 

「――少しばかり、フェリスの意見は厳しすぎるところがあるな」

 

 声は唐突に、気まずい沈黙が流れた室内に朗々と響いた。

 意識が思考に沈み、その人物の来訪に気付かなかったレムは弾かれたように顔を上げる。対し、ノックしてからの来室に気付いていたフェリスは涼しい顔だ。否、来訪者に彼が向ける瞳は、静かに熱を帯びた心棒者のものであったが。

 

「クルシュ様」

 

「弱さが罪である、とまで私は言わない。もっとも、弱いままでいることを是として、それを正さずに現状に甘んじることが罪である、ということには同意見だが」

 

 入室したクルシュは長い緑髪を揺らしながら寝台の横へ。そして、今も凶笑に歪むスバルの顔を見下ろし、

 

「なるほど。これは確かに由々しき事態だな。原因はわかっているのか?」

 

 クルシュの問いかけに、フェリスは「いーえ」と肩をすくめてお手上げと手を掲げる。

 

「北方の……呪術といったものの影響を受けた可能性は? 考え難い話ではあるが、グステコ側から王選関係者への干渉があった可能性がある。あるいは別の陣営の示威行為というのもあるか」

 

 その言葉にシャオンは首を横に振り答える。

 

「どっちも考え難いですね。仕掛けてくるには時期が悪すぎる」

 

 それに、その可能性は少ないのだ。いや、少ないというのは語弊があるだろうか、シャオンの頭の中では、確実にその示威行為である言う可能性はなくなっている。なぜなら――

 

「そもそもスバルきゅんを狙っても誰に得が? 関係者ならスバルきゅんの醜態っぷりは周知の事実ですし、そもそも呪術含めて魔法的干渉が見当たりません」

 

 言いづらそうにしているシャオンの気持ちを察してか、それともただ単純に嫌がらせなのか、こちらと同じ考えを口に出す。

 そう、スバルを狙う必要性、メリットが考え付かないのだ。

 示威行為を示すならばもう少し、殺して()がある人物を狙うのだ。それも、大々的に、痕跡を残すように。

 単純に騎士を愚弄したスバルに対する報復という線も考えられなくはないが、ユリウスによる決闘での顛末を見て更に追い詰めるような人物はいないと考えたい。それに、魔法に詳しいフェリスが干渉が見当たらないというのだ。示威行為の可能性は0と言いきって問題ないだろう。

 

「フェリスはこう言っている。そして、フェリスが力になれないのであれば、当家でナツキ・スバルの治療ができるものはいない。及ばず、すまない」

 

「――いいえ、こちらこそ寛大な処置に言葉もありません」

 

 屋敷の主人の謝罪に対して、レムは丁寧にお辞儀して応じる。

 事実、言葉を尽くしても礼を尽くしても、返し切れない温情を受けたのだ。

 フェリスが手を抜いたなどとは思わないし、クルシュが政治的な敵対者となるエミリアの関係者に恣意的な判断をしたということもない。

 フェリスの技術の高さも目にしている、その上でスバルの身に起きた異変にそれが意味を為さないこともわかっている。

 クルシュの人格についても、誠実で実直な人柄である点は疑いようもない。つまり、彼女らに落ち度など微塵もない。

 この現状はなるべくしてなったどうしようもない状況なのだ。だから今の段階では打つ手がないのは仕方ない、ただ――

 

「――魔女」

 

 そう、スバルに寄り添うレムの一言が、いやに頭に残った。

 




後日添削などを行いますが、誤字脱字、矛盾、質問があれば報告お願いします。久しぶりの投稿なので適宜見直して修正いたしますので。


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始まる2度目の絶望

駆け足&雑です


「当家にある長距離用の竜車はあれが最後。できるだけ立派にゃの用意したからクルシュ様に感謝してよネ。しかも普通の竜車とは違って”魔除け”の呪いもついてる優れもの」

 

「運が良かったっすね。多分これでリーファウス街道突っ切れば、まあ日付が変わるまでにはお屋敷に辿り着けるだろうし」

 

「ええ……ですが、シャオンくん達の分までは……」

「ああ、そっちは当てがあるから大丈夫」

 

 到着した竜車を見ながら、シャオンは高度を上げる太陽の輝きにその目を細める。

 時間は正午を目前としたところで、今から全力で竜車を走らせれば、確かに半日ほどで屋敷に着く。こちらもアナスタシアの元に行く必要があるが、そう時間はかからないだろう。

 

「なるほど、では問題ないですね。屋敷に近づければ、共感能力で姉様にある程度の意思を伝えることも可能です。そこからは……」

 

 そこからは、そこからはいったいどうなるのだろう。スバルの症状は魔術や呪いのものではない、腸狩りや魔獣騒ぎの時とは違って治す手段の見当がつかない。

 手掛かりは、一応ある。一つだけではあるが、あるのだ。

 ――死に戻りだ。それは今のスバルが陥っている状況に無関係ではないはずだ。ただ、それを相談することはできない。

 もしも死に戻りに関する事を口にしてしまえば少なくとも、シャオンは死ぬ。そうなってしまえば本末転倒だ。

 苛立ちに指の爪を食んでいると、ふとクルシュの瞳がこちらを射抜いていることに気づいた。

 

「……なにか?」

 

 八方塞がりの事態に、つい声色に棘を隠せなかった。

 当然それは相手にも伝わっていたらしく、フェリスの眉が僅かに動く。しかし当のクルシュは顔色ひとつ変えない、それどころか逆にこちらへと頭を下げた。

 

「いや、そちらの事情に対してあまり私が踏み込むものではない、か。気を害したなら謝罪しよう」

 

「……こちらこそ、ここまで見てもらって失礼な態度をとってしまい申し訳ない」

 

 そう返すように頭を下げると、クルシュは小さく笑う。

 

「なに、それほど卿の中でナツキスバルを大切な友だということだろう」

 

「そう、だといいです」

 

「違うのか?」

 

「俺だけがそう思っている、かもしれないです」

 

 あいまいな笑みを浮かべながら、答える。そして、その笑みスバルから受けた糾弾の言葉を思い出し、胸がチクリと痛む。

 

「卿は存外、生きにくい性格なのだな……できることならば、次合間見える際には卿らがまた肩を並べていることを願っている。”しっかり”とな」

 

 苦笑しながらも意味深にこちらに語る彼女。何と答えようかと考えていた際に、レムが話しかけてきた。

 

「すみません、そろそろでなければいけませんので、レムたちは先に向かいます」

 

「ああ、息災で」

 

「頑張ってねー」

 

 レムは見送られ、最後にもう一度だけ深々と頭を下げ、それからスバルの手を引くとカルステン邸をあとにする。門のところでヴィルヘルムから手綱を受け取ると、一言二言会話を交わしてから御者台に乗り込み、

 

「スバルくん、こちらへ」

 

「……ぅ、あ?」

 

 レムは腕を引き、御者台にスバルを座らせる。

 竜車から落ちないように片腕を彼の腰に回し、もう片方の手でしっかりと手綱を掴む。

 

「俺達もすぐに合流する。それまでスバルを頼む、レム嬢」

 

「……はい、お任せを。シャオンくん達も気を付けて」

 

「ああ……」

 

 シャオンの言葉にレムはいつものように笑う。

 普段ならば頼りになる彼女の笑みだったが、なぜかシャオンは一抹の不安が拭えなかった。 

 

 先に屋敷へ向かったレムたちの後を追うようにアリシアとシャオンは竜車を走らせる。だが、

 

「……あまりに静かすぎないっすか?」

 

 リーファウス街道を走る道行き、これまで一度も他の竜車とすれ違っていない。

 街道に沿って走っているとはいえ、屋敷への最短を目指してやや正道からは外れている。車輪が草を噛む感触を尻に感じながら、しかしアリシアは遮蔽物のない周囲に一切の他者の存在がないことを気にかけるべきだった。

 おかしな点はいくつもあった。

 まず第1に敵対者の存在が一切感じられなかったこと以前に、虫の鳴き声ひとつすら聞きとることのできない異常というものに。生き物たちが息をひそめる状況――つまりは本能的に、人知を越えた異変が起きる前兆であるのだから。

 そして、2つ目、これが決定的な違和感だ。

 

「それに……なんだか同じ場所を回っていないか?」

 

メイザース領に到着するまでは確かにまだかかる。だが、さすがに景色が変わらないことはないだろう。

 シャオンの記憶が正しければそろそろ見覚えがある景色が出てくるはずだ。しかし、先ほどからずっと変わらない景色が2人の視界には映る。

 疲労による気のせいだろうか?それとも――

 

「止まれッ!」

 

 思考はアリシアの怒声により、唐突に終わりを迎える。

 彼女は手綱を引くのが間に合わないと考え、言葉で地竜を止めた。荒業ではあるがその判断は正しかった。

 なぜならば今まで感じていた不安が爆発したかのように、地竜の首が、吹き飛び、宙を舞ったのだから。

 

 走る地竜の首が根本から吹き飛び、引かれる竜車は意思を失った巨体が崩れ落ちるのに従い、道を外れて大きく弾み、横転する。

 横倒しになった車体が派手に地面を削り、噴煙を巻き上げながら轟音を立てる。木材がへし折れ、倒れた地竜の肉体が車輪に巻き込まれると、血肉が引き千切られる不快な音と血煙までもがぶちまけられ、現場は一瞬で惨状へと様変わりした。

 いくつかの森林地帯と丘を越えて、二時間ほども走れば目的地に着いただろう。が、竜車はその途上で無残にも破壊され、空転する車輪の音だけが空しく事故現場にカラカラと響き渡っていた。

 肉塊となった地竜が横たわり、車両は残骸へと変わり果て、噴煙には土と血が入り混じって異様な臭気を漂わせる。

 幸いにもシャオンが意識を失っていたのは数秒だけで、なおかつ負傷はほとんどないものだった。その理由はアリシアの対応もあるだろうが、崩壊した竜車からはわずかに離れ、その体が落ちたのは林道を外れた草原の一角だったからだろう。

 緑が生い茂るそこは蔦が張り巡らされており、それらが落下の体を衝撃からいくらか守ったのだろう。あれほどの惨状の中心にいたにも関わらず、負った傷は奇跡的というしかないほど軽微なもので済んでいた。

 擦過傷といくつかの打撲。幸いにも骨折や大量出血を伴う傷などは生じなかったものの、【襲われた】という事態は解決していない。

 

「いったい何が……」

 

 状況を把握しようとした瞬間、シャオンは”影”に気づいた。

 

「――――」

それは瞬く間に次々と湧き上がり、竜車を十数名が取り囲む。

 人影は倒れ伏した首のない地竜を見分し、肉塊となったそれが確かに死んでいるのを確認すると、改めてシャオン達へと目を向けた。

 彼らは頭まですっぽりとフードを被っており、その顔も性別すらも判然としない。呼吸しているのかすら定かでない影、それらは軽く頭を下げた後、呟いた。

 

「導きを」

 

 ひとりがそうこぼすと、次に誰かが同じ単語を口にする。そうしている間に単語の連鎖は次々と流れ出し、取り囲む全員が巡るように囁き声を漏らす。

 虫の鳴き声も生き物の気配もまるでない世界に、風に枝葉の揺れる音と黒い影たちが呟く囁き――まるで、世界がそれだけで完結しているような歪な情景。

 そんな光景を見てシャオンは思考が固まる。

 そして、影の1人がゆっくりとこちらへと近づいてくるのが見える。

 その影が黒い手をこちらに伸ばし、触れそうになる瞬間、

 

「----ごちゃごちゃうるさいっす!」

 

 シャオンの好きな金色の髪が目に映るとともに、 そんな世界を砕くような怒声が聞こえ、遅れるように肉の弾ける音と、黒装束が鮮血に染まる光景がシャオンに届いた。

 虚を突いた一撃にシャオンに迫っていた黒装束の一人は回避すらできずに吹き飛び、動かなくなる。

それを見て一拍遅れた後に、シャオンは正気に戻る。

 

「悪い!呑まれてた!」

 

「謝る暇で戦闘準備っすよ! 魔女教徒相手なら容赦はする必要ないっす!」

 

「――――」

 

 仲間をやられたにもかかわらず黒装束たちの判断は早い。仲間の突然の即死から即座に意識を切り離すと、追撃を避けるように声もなくあたりに散開する。

 その際、黒装束たちが懐から抜き出したのは、十字架を象った刃だった。鈍い輝きのそれは先端に刃が備わった悪趣味な意匠のものであり、両手に一本ずつそれを構える黒装束たちは油断なく周囲を警戒する。

 

「勝率はどれくらい?」

 

「シャオンとあたしがいるなら、まぁ未知数?」

 

 危機的状態にもかかわらず、冗談を言える彼女が今は頼もしい。 

 

「行くぞっ!」

 

 多勢に無勢、勝率の低い戦いが始まった。

 

 

 敵の数は十一、対してこちらは二人のみ。互いに背中合わせで、背中をカバーできる位置に陣取り、死角を殺して奇襲に応じる態勢をとる。

 先に動いたのはアリシアだ。

 

「――しぃっ!」

 

 振り下ろされる鉄腕が、黒装束の頭部を真上から抉る。鈍い音とともに頭頂部から股下までを勢いよく裂かれ、そこから血と脳漿を溢れさせる影がぐらりと倒れる。

 その体を蹴りつけ、付近にいた黒装束の視界を塞いで少女は飛びずさる。しかし、仲間の死体を蹴りつけられた影も躊躇はない。突進し、向かってくる仲間の死体を正面から十字架で串刺しにすると、仲間の死体ごと下がる少女を貫きかかる。

 だがその影の凶刃が届くよりもシャオンのこぶしが早く、影の首を吹き飛ばした。

 

「いや、素手でそんな威力でるってやばいっすよね」

 

「訓練の成果だ、よっ! エルゴーア!」

 

 首がなくなった死体を蹴り飛ばしながら、同時に火球を放つ。肉が焼ける音が聞こえると同時に影が消える。

だが、まだまだ、数は多い。

 

「わんさかわんさか、ゴキブリかよ……」

 

 黒装束の一団を睨みつけると、憎悪に満たされた声でそう吐き捨てた。

 その言葉に反応するかのように、一人が十字剣を構えながらとびかかってくる。だが、

 

「甘いっ!!」

 

 先頭の黒装束の顎が、下から跳ね上がるシャオンの爪先にごっそり抉られた。

 いや、抉られたというよりも元からそうであったかのようなぐらいに綺麗に下顎を真下から刈り取られたのだ。

だが、

 

「――――」

 

 それは己の致命傷すら意に介さない動きでこちらへと掴みかかり、振り被る十字架を彼の胸に打ち込もうとする。その予想外の動きにシャオンの身体はついてこない。不可視の腕を払うにも、魔法を使うにも間に合わない。

 

「――ッ!!!」

 

 シャオンの息を呑むような声と共に、アリシアから大地が吹き飛ぶような蹴りがシャオンの胴目掛けて放たれる。

 

「謝罪は後で!2人きりの時に聞くっす!」

 

 骨が折れるような音ともに、何度か地面を跳ねる。飛びそうになる意識を意地で耐え、癒しの拳で即座に負傷を治す。

体から痛みが引くのを確認するとともに、顔を上げるとシャオンと入れ替わるようにアリシアが魔女教徒の前に立つ形になっていた。当然、攻撃をしたばかりの隙だらけの彼女に回避はできず、多くの十字架が容赦なく切り裂いた。

 

「ぐっ!」

 

 激痛から彼女の表情は歪み、小さく声が漏れる。

 そして、アリシアに行われるだろう殺戮を想像するとともに、それを防ごうとシャオンの身体は既に駆け出し、彼女へと近づく。

 

「離れて――!」

 

 彼女の静止の声にわずかに体が止まる。そして、瞬間、黒装束の体が内部から爆発し、直後に暗闇の森の中に真紅の輝きが連鎖する。

 高熱が吹き荒れ、木々を焼き払い、一面が焦土と化す熱量に世界が断末魔を上げ、

 ――焼け野原に、焼け残りが舞い落ち、刹那のあとに焼き消えた。

 文字通り、そこにはアリシアも、魔女教徒も、そしてシャオンすらも初めから誰もいなかったかのように、消えてしまった。



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幕間:サンタさんはシャオンくん

1時間で書き上げました!間に合いませんでした!ゆるして!頭空っぽにして読んでください


某日、とある場所で3人の人外が一つのミーティアに入っていた。

 ある人が見ればそれは『こたつ』というものだとわかるだろうが、生憎と今いるメンバーではその解答にはたどり着かない。

 ただ、わかることはこのミーティアは寒さを和らがせるものであることだ。

 そんなミーティアに入っている一人の女性がつぶやいた。

 

「世の中にはサンタ、というものがいるらしいね」

 

 混じりけのない白髪を軽く撫でながら、シャオンの目の前にいる女性、強欲の魔女エキドナが何の前触れもなくそう告げた。

 

「そうなんですか先生、驚きました」

 

「それならもう少し表情に出してもらいたい。眉一つ動いてない」

 

 対面に座るシャオンは彼女の言う通り眉一つ動かしていない。それどころか瞬きすらしていなかった。流石に相手の心を読むことが出来ないエキドナでも、驚いていないと即座に判断できるほどに、無表情だ。

 

「いや、先生がまだそういう存在を信じているとは本当に驚きました」

 

 人によっては煽りにも聞こえる発言。

 しかしエキドナはそれを聞いて、小さく肩を竦めるだけだった。長年の付き合いだからわかる、恐らく本心で言っているのだから。

 

「し、シャオンくん」

 

 エキドナの苦悩とは別に、シャオンの隣から小さな声が聞こえた。

 色欲の魔女、カーミラだ。

 物欲しげに、彼と、彼の向いた果物に目をやっている。

 

「ああ、はい。あーん」

 

「あむぅ」

 

 口を開けている彼女へとシャオンは果物を優しく食べさせる。

 

「おいしいかい?」

 

「う、うん。あ、しゃ、シャオンくんにもいま、むく、ね」

 

 お返しというようにカーミラはいそいそと果物の皮を剥き始める。

 彼女の本質を知るものであれば、本物かどうか疑うレベルの行為だが、シャオンに対してはその本質が適応されない例外なのだ。

 

「別に君にそういう感情はないだろうし、惚気てこちらを苛立たせる意図もないだろうけど。ねぇ、流石に人目を憚ってくれないかな?」

 

「はぁ……」

 

 遠まわしに『いちゃつくなら他所でお願いする』という旨を伝えたのだが、当の本人は首を傾げるのみ。もう一人に至っては照れ臭そうに笑うのみ。

 

 

「それで? 意味もなくそんな話をしたわけではないですよね?」

 

「ああ、どうせだったらサンタをやってみないかい?」

 

「……理由を尋ねても?」

 

「簡単だよ、知的好奇心さ。当然だろう?」

 

 せめて慌てふためく、もしくは困った表情を見せてくれるのならばそれで十分。そんな珍しい光景を識ることが出来るのならば今までの光景にすら感謝するだろう。

 だが、彼女に待っていたのは驚きと、裏切りだった。ただし、いい意味での。

 

「ではまずこれをどうぞ」

 

「これは?」

 

 彼がエキドナに渡したものは白い襟巻だ。どうやら狐をイメージしたようなものだが、

 

「僕らには必要ないものでしょうが、なんとなく、貴方には似合いそうなので」

 

「これは驚いた」

 

 エキドナの予想ではプレゼントなど用意していないはずだったのだ。そう、予想していたのだ。

 まさか、彼がエキドナ自身の予想を裏切るとは思っていなかったのだ。

 つまり、それは彼が彼女の想像を超えていたということだ。彼がなんとなくとはいえ他人に関心を持つようになったのだから。

 

「ふふっ、案外うれしいものだね」

 

「それならよかったです」

 

 彼女が喜んでいる理由はプレゼントをもらえたことではないのだが、そんなことすら露知らずにシャオンも微笑む。

 

「さて、そろそろいくよ。先生」

 

「それじゃ、応援しているよ。サンタさん?」

 

 他の魔女にはどのような贈り物を贈るのか気にはなるが、今追いかけるのはやめておこう――この喜びを隠しきれない表情は誰にも見せたくないのだから。

 

 

「いいのかい? カーミラ。あのミーティアから出てきて。寒いだろう?」

 

「う、うん。すこし、さむい……で、でも! そ、その、シャオンくんと一緒なら大丈夫」

 

「そっか、ならいいや」

 

 彼女の本心を読み取ることすらせずに、シャオンは目的地へと向かう。するとそこには、色がかった肩ぐらいまでの髪を、二つくくりにしている少女がいた。

 斜めに立った棺の中に入れられて、拘束されている少女。暴食のダフネだ。

 彼女は目隠しをされているにもかかわらず、しっかりとこちらへ向かって話しかけてきた。 

 

「あれぇ、ヤオヤオとミラミラじゃないですかぁ。なぁにかようですかぁ?」

 

「プレゼントだよ、勿論、普通のものじゃないけどね」

 

「……これはぁ、すごいですねぇ」

 

 そう言ってシャオンは彼女へ一つの植物が入った植木鉢を渡す。植物には7つほどの実がなっており、どれもきれいな色をしている。勿論、これもミーティアである。

 仕組みなどは省略して説明すると要は、【食べきらない限り決して実を絶やさない植物】である。

 

「はい、プレゼント。詳しくはエキドナ先生から聞けばわかるよ」

 

「ドナドナの話はぁ、興味ないですぅ。それよりぃ、ヤオヤオったらぁ、すごいですねぇ。さすがオド・ラグナの――」

 

「――――」

 

 途端、ダフネの口が閉ざされる。 

 そして珍しく、笑みが消え、警戒の色を出した。

 その原因はシャオンではなく、彼の付き人である、

 

「カーミラ」

 

「う、うん」

 

「びっくりしましたよぉ、ミラミラからこぉんな殺意を向けられるなぁんて」

 

 そう、色欲の魔女のカーミラによるものだったのだから。

 窮鼠猫を噛むというべきだろうか? 

 彼女の戦い方を知っているダフネにとって彼女本人からあそこまで鋭く、香ばしい殺意を向けられたのは初めてだったのだ。

 

「それで、ダフネ。ミネルヴァって……」

 

「はぁい。あぁ、そうでしたぁ。ネルネルならこの先にいますよぉ。といっても、そのサンタとやらに会うためにぃ、眠っていますけどぉ」

 

「……そっか」

 

 呆れたような、それとも彼女らしいとでも思っているのだろうか。だが、正直ダフネにとってはシャオンの考えなおっどうでもいい。それよりも――今はこの友人がわざわざ作ってくれた贈り物を堪能したいのだから。

 

 

「母上様と、テュフォンか、たぶん一緒にいるだろうね」

 

「そ、そうなの?」

 

「うん。そして僕の予想では、テュフォンは寝ているね」

 

 傲慢の魔女テュフオンと、怠惰の魔女セクメト。そしてシャオンは家族のようなつながりだ。

 似ても似つかないが、互いに想いやっていることは端から見てもわかる。見えない繋がりという奴だろうか。

 

「ふぅ、なんで、そこまで、はぁ予想できているのにぃ、この子が起きている間に、はぁ。会いに来なかったんだい?」

 

 僅かに苛立ちを含んでいるように語り掛けてきたのは怠惰の魔女、セクメトだ。赤紫の髪を尋常でなく伸ばした、気だるげな印象の彼女はじろりと視線をシャオンへと向ける。

 自身に向けられたものではないにもかかわらず、カーミラは思わず恐怖からシャオンの背へと身を隠す。

 それを見てシャオンはやれやれと笑いながら、答える。

 

「僕にはみんなが大切ですから」

 

 その返答にセクメトは思わず黙り込む。

 対するようにシャオンも何も口にしない。

 一体どれくらいたったのだろうか。恐らく数秒、数十秒くらいのはずだがそう感じさせないほどの沈黙の末、ため息交じりにセクメトが沈黙を破った。

 

「……はぁ、あとで。しっかりと、ふぅ。付き合ってやるんだよ」

 

「うん、そうしますよ母上様」

 

 その返答にわずかに笑みを浮かべたセクメトは再び惰眠へと向かう。そしてそんな彼女へゆっくりと近づき、

 

「どうぞ、親愛なる母上様へ」

 

 シャオンはそう告げ、温かそうな毛布を掛けてあげたのだった。

 

 

「こ、これで……み、みんなに、わたし、た、よね?」

 

「いや? まだだよ」

 

「はい、カーミラ」

 

「これ、は?」

 

「一応君に合いそうなものを選んだけど、どう?」

 

 渡されたのは白色の首飾り。

 ただし、それにカーミラが触ると色が桃色に変化した。

 いったいどんな仕組みなのかはわからないし、興味はない。ただ、”シャオンがカーミラにプレゼントをした”という事実だけで彼女の心音は高鳴り、そして――

 

「――――――!」

 

 限界を迎えてしまったのだろうか、顔を炎のように赤くしながら走り去っていくのだった。

 

「あにー」

 

「テュフォンか、起こしちゃった?」

 

「ドンカンかー?ウマにけられるぞー」

 

「どこでそんな言葉を覚えたんだか」

 

 質問から逃げるようにテュフォンは寝息を立てる。流石に起こしてまで詰問する気はない。どうせ自分の先生の仕業なのだろうから。それよりも、用意していた全てのプレゼントを配り終えた感想としては、

 

「サンタさんだっけ、うん。意外と大変なんだね」

 

――彼女たちの笑顔が見れたのだから、

 

「ふふっ、意外と大変で、楽しいものなんだね」

 

 珍しく見た目相応の笑みを浮かべるのだった。




エキドナ:襟巻
ダフネ:ミーティア
ミネルヴァ:綺麗なピアス(穴開ける必要なし)
セクメト;毛布
テュフォン;お兄さんに一つ言うことを利かせる券
カーミラ:首飾り

以上が渡したプレゼント。そしてそれぞれの行方は
エキドナ:5章
ダフネ:食べつくした
ミネルヴァ;殺された際に【割られた】
セクメト:大瀑布へ
テュフォン:4章
カーミラ:4章
でわかるよ!
……スランプがあるのでこうやって雑な文章でもあげていきますので、お許しを。4章ではしっかりと添削し、中身があるものを作りますので。



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襲撃者

皆様あけましておめでとうございます!
新年初投稿だぁ!(インフルでテンション崩壊)


 時刻は少しさかのぼる。 

 

「スバルくん、もっとこっちに」

「……ん、うぅ」

 

 警戒をするでもなくこちらの肩に頭を乗せて船をこいでいるスバルの様子を、レムは横目に見ながらかすかに唇を綻ばせていた。

 今のスバルが普段のスバルでなく、この状態が彼の本意でないことがレムにはわかっている。だが、 無防備に、無警戒に、こうして全身を預けてくれている事実が嬉しくあった。

 寝息がかかる距離にありながら、レムはさらにスバルの身を引いて体を密着させる。御者台の椅子は一人用のもので、二人で座るにはかなり無理をしなくてはならない。本来は小柄なレムの方がスバルに体重を預けるべきだが、今はそれをするとお互いの身が危なっかしい。

 竜車に乗ってからは大人しいスバルを膝の上に半身で乗せ、レムは手綱を握るのと反対の手で彼の腰を抱き、改めて座り直しながら手綱を引く。

 できるだけ、スバルに無理をさせない体勢を維持していた。そのため、御者台の大半の面積を明け渡すレムの体勢はかなり苦しい。そのまま半日近い時間をその姿勢で過ごすのだから、常人ならば途中で体力が尽きてもおかしくない。

 その点、レムは常人より肉体の強度の上ではるかに上をいく。その精神的な忍耐力も、じっと耐えるといった方向性においてはピカイチだ。

 

 「スバルくん、大丈夫ですからね」

 

 スバルとエミリアの間にどんなやり取りが交わされ、どんな歪みが生じてしまったのか、詳しい内容についてはレムは聞かされていない。

 王城で王選の開催が宣言されたあの日、ロズワールの指示でスバルの侵入をあえて見逃したレムは、戻ったエミリアの憔悴した様子にひどく驚かされた。

 彼女は消耗し切った様子で、城での出来事を大まかにレムに説明し、その上で城に残してきたスバルを迎えにいき、クルシュの邸宅へ出向くよう彼女に告げた。

  レムはただ静々とエミリアの命に従い、スバルを連れてカルステン家に入った。ロズワールとはその前に少し話があったが、その部分は誰にも内密の話だ。それに、もう意味がない話でもある。

 ともあれ、カルステン家に入ってスバルの治療が本格的に始まったのだった。だが、その結果は芳しいものではなく、治療を断念せざるを得なかった。

 瞼を閉じ、寝入ったままのスバルはその声に応じない。ただほんの少し、目尻の険が安らいだような気がして、レムは気を入れ直すと前を見る。

 夜を徹して屋敷を目指すつもりだったが、どこかで一度野営した方がいいかもしれない。クルシュの邸宅を出た時点で正午過ぎだった時間も、屋敷までの道のりを約半分としたところで雲に月がかかり出していた。

 予定よりだいぶペースが遅れている。それはレムがスバルに負担がかからないよう苦慮した結果であり、地竜に本来の速度よりかなり遅く走らせていたのが原因だ。 あと二、三時間で予定していた半日の移動になるが、屋敷まではこのペースのままならば辿り着くのは朝方になってしまうだろうか。だが、スバルの体を考慮せずに飛ばすことなどレムにはできない。

 

「そうなってしまうと、姉様と意思疎通も難しいですし」

 

 共感感覚はある程度の距離と、互いに覚醒状態にあることが使用の条件だ。

 特にレム側からラムに発する場合には、気力・距離ともに条件はかなり厳しい。少なくとも今の距離からラムに現状を報告することは不可能であるし、距離的にそれが可能になる頃には深夜になってしまうだろう。

 

 ――やっぱり、野営しよう。

 

 そう判断を下し、レムは手綱を操って地竜に止まるよう指示を出す。

 速度の乗っていた地竜はその意に従い、足をゆるめるとゆっくり立ち止まり、荒い鼻息をこぼしてこちらを見上げる。

 御者台にスバルを置き、レムはするりとそこから飛び下りると、街道の地に降り立って周囲を見回す。

 幸いにも雲が少ない今夜は月明かりで十分に周囲は明るい。レムはテキパキと毛布を重ね合わせて簡易な寝所を作り上げる。そして、

 

「スバルくん、失礼します」

 

 御者台で眠るスバルをお姫様だっこし、そのまま寝所の布団にくるんだ。

 座りっ放しの走りっ放しで疲れているだろうスバルを横にし、レムは軽く身を回して調子を確かめると、自身は車両の外へ出て、野営の見張りを行う。

 盗賊の心配はさほどしていないが、街道の夜には行き交う竜車の少なさに乗じて魔獣や野犬などが襲ってくることも少なくない。

 もっとも、

 

「今夜はあなたもいますから、あまり心配いらないと思いますけれど」

 

 手を伸ばし、レムは鼻先をこちらへ下げてくる地竜の顔を撫でる。

 半日、手綱越しにではあるが長い時間を繋がれていた相手だ。それなりに愛着も湧いていたし、初対面のレムの言うことを良く聞いてくれた。躾が正しく行われているあたり、さすがは公爵家の地竜であると賞賛しか出てこない。

 そもそも竜種の中では人に親しい地竜ではあるが、その種族としての質は当然ながら他の獣たちとは一線を画する。純粋に地竜に襲いかかる地力のわからない野生はほぼいない上に、地竜自体が非常に危険に鼻が利く習性を持っている。

 数が多い魔獣の群れ、あるいは盗賊の集団などでなければ地竜を襲わない上、それらの集団はほぼ事前に地竜が感知してくれる。

 故に、地竜を引き連れての野営にはそこまでの心配はない。

 

「ゆっくり、休んでください」

 

 地竜と自分、夜の警戒には十分すぎるほどの人員だ。

 レムはちらりと見上げた寝所にそう声をかけると、鼻を寄せてくる地竜を撫ぜて地面へと座らせる。そして座り込んだ地竜の固い肌に身を預け、運び出した毛布を体にかけると、意識を張り詰めて見張りに入った。

 朝方、日が昇り始めた頃合いを見計らって出発すれば、明日の午前中には屋敷に辿り着くことができるはずだ。

 スバルを連れ帰ることと、目的を達していないことの叱責は甘んじて受けるしかない。何故なら、

 

「スバルくんを元に戻せるとしたら……」

 

 彼の想い人、エミリアしかいないからだ。

 そのことが、レムには歯がゆく、自分がその立場にいないことに、ほんの少しだけ悔しさを覚える。

 レムにとって、エミリアという存在は非常に接するのが難しい相手だった。

 ロズワールが客分として迎え入れ、今では彼女は王候補として自分より上の存在のように扱っている。事実、レムとラムの二人にもそう扱うよう指示が出ていた。

 レムにとってエミリアに対しては嫌悪感を抱くことはない。だが、単純な嫌悪感とは違った、レムが抱く感情が複雑であるのは、彼女の出自を理由とする。

 ――エミリアがハーフエルフであること。つまりは、半魔である事実だ。

 頭では、彼女自身にはなんの咎もない、むしろ被害者であることをレムは理解している。ただ、それ以外の部分では納得できない自分がいるのも事実なのだ。

 エミリアが悪いわけではない。しかし、彼女の存在は軽視するには大きすぎる影響を及ぼした存在であった。

 好意的に接することも、悪意をもって接することも選び難い。結果、レムのエミリアへの接し方は簡潔的に、『客人と使用人』の立場を逸脱しないものであろうと固く決めていた。

 感情を排し、エミリアの指示にレムは機械のように応じる。エミリアもまたレムのそんな態度を感じ取っているのか、殊更に構うようなことは言わない。

 なのに今、レムのエミリアに対する感情は以前と一変してしまっていた。そのことが、ひどくレムの心をささくれ立たさせる。

 自身の感情を認められないほど子どもではないレムにとって、エミリアの頑なさはあらゆる意味で度し難かった。そして、エミリアにはそうなってしまう無理のない過去があることを知っていながら、そんな風に考える自分に嫌気が差す。

 それらの想いは渦を巻き、中心にひとりの少年を孕むと爆発しそうになる。自分の醜さに、辟易としながらレムは息を吐く。

 夜が長い。ひとりきりの夜は、どこまでも深く冷たく長い。

 ふと、背後に庇う車両の中に潜り込みたい衝動にレムは駆られる。

 いっそ、全て投げ出してそうしてしまってもいいのではないかと誘惑が湧く。このまま戻っても、彼を待つのは理想からかけ離れた苛烈な現実だ。

 逃げ出したほうがまだ未来があるようにも思える。だが、

 

「きっと、スバルくんは笑わないでしょうね」 

 

 目を閉じ、魔獣事件の後の彼との会話を思い返す。

 自身を責め、過去に縛られていたレムを助けてくれた英雄の姿を、思い返す。

 

『笑えよレム、笑いながら肩組んで、明日って未来の話をしよう』

 

 もう今となっては懐かしさを覚える、ただし色褪せることは決してない言葉に思わずレムは頬を緩ませる。

 今、スバルと共に逃げ出すことは簡単だ。

 でも彼が、ナツキスバルが笑いながら明日へ向かえない、そんな全てを蔑にする選択などレムにできるはずもない。

 だから、辛くなろうとも今は先が見えなくてもレムはスバルと共に屋敷へと向かう。そう、だって、

 

「スバルくんと一緒に明るい未来を見たいですからね」

 

誰にも聞こえない、聞こえていない彼女の想いは闇に溶けて、彼女の意識と共に消え去った。

 

 

 朝靄の大気の湿り気に前髪を揺らし、レムはゆっくりと顔を上げた。

 意識を半覚醒とでもいうべきか、睡眠と現の狭間に漂わせる感覚に酔いながら、レムはそろそろ出立する時間であると認識を新たにしていた。

 夜の間、目立った変化はなにも訪れず、魔獣や盗賊は気配すらも彼女らの前に現すことはなかった。とはいえ、レムも疲労していないわけではなかったらしい。変化らしい変化のない時間に耐えかね、意識が睡魔に負けかけるに至り、前述の半覚醒状態に意識を移行し、自身の休息にも時間を費やしていた。

 立ち上がり、朝の涼やかな空気の中で体を伸ばす。

 そして頬を軽くはたき、目を覚ます。

 

「――よし、行きましょう、スバルくん」

 

 まだ眠ったままのスバルを改めて抱き上げ、御者台に乗り込むとレムは地竜を起こす。目覚めた地竜に一声かけて、水を飲ませてから再出発。

 車輪が街道の地面を噛み、ゆっくりと速度を上げて移動を始める。

 

 道のりはおおよそ半分、時間にしてみれば七、八時間程度になるだろう。

 気力・体力ともに悲壮感だけを抱いて出発した昨日よりは充実している。深く寝入るスバルの横顔を眺め、レムは逸る気持ちを手綱に伝えて速度を上げた。

 

 竜車を走らせるレムがそのことに気付いたのは、寝苦しそうなスバルの頭を自分の膝の上に載せて、支えていた腕を彼の黒髪に差し込んで撫でていたときだった。

 昨晩、ゆっくりと考える時間があったせいかもしれない。

 

「あまりに静かすぎる……」

 

 リーファウス街道を走る道行き、これまで一度も他の竜車とすれ違っていない。

 街道に沿って走っているとはいえ、レムが地竜を走らせるのは屋敷への最短を目指してやや正道からは外れている。車輪が草を噛む感触を尻に感じながら、しかしレムは遮蔽物のない周囲に一切の他者の存在がないことを気にかけるべきだった。

 それに、後を追ってきているはずのシャオンたちの姿が一向に見えないのも気になる。野営をしていたのだからそろそろ姿が見えてもおかしくないはずだ。

 万が一レムたちの竜車を彼らが見逃したのなら、そこまで問題ではない。どうせ行き先は同じなのだから落ち合うことは可能だろう。だが、そうでなかったら?

 メイザース領が、屋敷への距離が縮まるにつれて強くなる不安、焦燥感。レムは内心の不安を手綱を握る手に込めて、すでに必死の速度で走る地竜をさらに急がせる。

 無理をさせていることは承知の上だが、今は一刻もこの不安の正体を確かめなくてはならない。杞憂であるのならそれで構わないのだ。スバルにも、地竜にも無理な旅路に付き合わせたことを謝罪し、改めて問題と向き合えばいい。

 だが、もしもこの胸に燻る不安が現実ならば――。

 

「――姉様?」

 

 ふいにレムの心に到来したのは、自分のものではない感情の紛糾であった。

 普段から表面上泰然としている姉は、実際に内心でも豪胆に構えている。基本的に動じるということと縁遠い彼女が動じるのは、主人絡みか僭越ながら妹であるレム絡みであること以外にはそうない。

 そんな彼女がレムに対して共感で伝わるほどの『不安』を抱いた。そしてすぐにそれが掻き消えたということは、レムに伝わらないよう自制したということだ。

 距離が離れていれば伝わらなかっただろうその不安が、王都からの帰還中であるレムには届いてしまった。

 そしてそれを受け取ったレムは、

 

「早く、戻らないと――!」

 

 急ぎ、さらに手綱を手が白くなるほど強く握りしめる。

 現状、予定通りに屋敷で事が進んでいた場合、あの場所にいるのは姉とエミリアしかいないはずなのだ。もしもそんな状態でなにか、二人の手には負えないような問題が発生したとしたら。そしてそれがこの不安と無関係でないなら――、

 竜車の速度をあげようとした途端、空間が裂けた(・・・・・・)

 咄嗟に手綱を離し、飛び出すことで 回避できたのは奇跡で、スバルを抱えて回避できたのは常に彼を気にかけていた彼女の献身の結果だろう。だが、その凶刃は容赦なく竜車と、地竜を真っ二つにし、臓物を散らばせる。宙に舞いながらみえたその光景に、その光景にあと一歩遅ければ、自分たちも混ざり、赤い鮮血をまき散らしながら死んでいただろう事実にぞっとする。

 

――どこからの一撃? 

 

 その惨状を見て驚愕したのは一瞬、むしろその脅威を見てレムは即座に戦闘態勢に意識を切り替える。

 着地の衝撃を地面へと逃がし、転がりながら態勢を整える。 

 状況を把握しようとして周囲を見ようとした瞬間、声が聞こえた。

 

「ざんねんですがぁ、それは無理ですよぉ」

 

 レムは油断をしていたわけではない、だから即座に振り向き、声の主を確かめる前に一撃を与えようとしたのだ。だが、拳を振るうよりも早くレムの体に複数の穴が開いた。

 レムがそれを認識したのは、自分の腹部から血液が飛び出ているのを見てようやくだった。

 改めて目の前の襲撃者の姿を目にする。 

 声色からは女性と判断できるが、顔は仮面をしているのでわからない、黒装束を纏った人物だ。

 

「あなたはぁ、ここで死ぬのですからぁね」

 

 何かを弾くような動作を見てレムは咄嗟に転がるように、直感的に距離を取る。

 その僅か数秒後に、先ほどまでレムが立っていた地面が大きく抉られた。 

 攻撃は見えなかった、何かを飛ばしたようにも見えたがその形跡は残っていない。だが、幸いにも動作と攻撃のタイミングには若干のズレがあるようで、回避することはそこまで難しいものではないようだ。

 それでも防戦一方の状態はあまり好ましいものではない。ただでさえ屋敷の方に急がねばならないのに、ここで時間をかけていられないのだ。

 焦りを隠せない状況の中、レムはあることに気付く。

 

 ――――スバルくんと距離を離してしまった。

 

 攻撃をよけた際にスバルを置いてしまっていた。

 今は敵は自分に関心が向かっているようだが、この後はどうなるかわからない。スバルが狙われてしまうことだってあり得るだろう。ならば彼女のとる道は一つのみだ。

 今起こそうとする行動は最善ではないだろう。だが、この事柄がレムにその方法を決断させた。

 

「無謀ですねぇ」

 

 頭部と心臓に当たる部分を庇いながら、目の前の仮面の襲撃者へと駆け寄る。 

 自身の体の丈夫さと、先ほどの攻撃を受けて少なくともあと一撃以上は持つと判断したうえでの特攻。 

 ケラケラ笑いながら仮面の襲撃者は先程と同様に何かをこちらへ向けて飛ばすような動作をする。その後レムの予想通りに、彼女の肉が抉られる。

 だが、歩みは止まらない。

 

「――っ!?」

「――っぁああ!」

 

 攻撃を受けても止まらないレムを見て小さく息を呑む襲撃者。それに対し、下から突き上げるように拳を振り抜く。

 まともに命中すれば首ごと弾け飛ぶことは避けられないほどの鬼の一撃。

 ただ運が悪かったのか、それとも先の一撃がレムの想像以上にダメージを与えていたのかわからないが、彼女の体制が命中する直前に崩れ、決死の一撃は僅かに相手の鼻先を掠めるだけで終わってしまう。

 

「危ない危ない。流石忌まわしい鬼の子ですねぇ、ここまで頑丈とはぁ」

 

 目の前の襲撃者は安堵の息をこぼしながらこちらから距離を取る。その隙にレムはスバルを抱えて、落ちていた自身の武器を拾い、構える。

 

「……おや、仮面が」

 

 鼻先をかすめただけに終わった一撃だが、鬼族による一撃。当然掠めただけでも無事では済まなかったようだ。

 身に着けていた仮面にひびが入り、割れ、その下の素顔が露わになる。

 

「ほんと、忌々しい」

 

 それは一人の女性だった。

 髪についている桃色の花飾り以外はアクセサリーというものは身に着けていない。所謂特徴のない女性。町中で見かけても大して記憶に残らないそんな印象の女性だ。

 

「まぁ、でも貴方はほかの亜人共とはぁ違うようなので安心ですぅ」 

 

 そんな女性が先ほどレムに放たれた一撃とは対極的な穏やかな声で語り掛けてくる。

 正直、どこからみても彼女からはなんの脅威も感じない、それこそ先の攻撃の実行犯が別にいると言ったほうが信憑性がありそうだ。

 だが誰でもない、レムにはわかる。レムにだからこそわかるこの臭いは、この、悪意と狂気が入り混じったような臭いは――

 

「――魔女教」

 

 おぼろげになっていた意識を、静かな怒りで繋ぎ止めてその呪いの言葉をつぶやく。

 その言葉を受けて、目の前の女性はにんまりと、猫のように口元をゆがませながら、笑う。

 

「名乗るのが遅れて、先に言われてしまいましたぁね。改めて――」

 

 まるで貴族のように丁寧にスカートの裾を持ち上げて一礼し、名乗りを上げる。

 

「リーベンス菓子屋店長、そして、魔女教大罪司教『憤怒』シリウス様の右腕、リーベンス・カルベニア。宜しくお願いしますねぇ、愛に生きるお嬢さん?」

 

 血で濡れた顔を拭うこともせず、笑みを浮かべる。

 そんな善も悪もすべてをぐちゃぐちゃに混ざったような、そんな狂人がレムの前にいた。




誤字脱字、アドバイス質問等あればお願いします。


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狂気

リゼロ2期おめでとう!
え?まだ3章?ほら、うん怠惰でして…


挨拶の返事とばかりにレムの鉄球が空気を裂きながら、リーベンスに振り下ろされる。

容赦のない一撃は、岩すら容易に砕く代物。だが、彼女はその一撃をまるで読んでいたかのように、ふらりと軽く身体を揺らしただけで躱す。

 

「もぅ、名乗りを上げて数秒も経たずに殺しに来ないでくださぁい」

「黙れ! 魔女教!」

「話が通じないのは亜人の特徴なんですかねぇ?ナツキさん。おーい?」

 

倒れ、呻き声のようなものを発しているスバルに近づき、軽く足で体を揺らす。

彼女にとっては単純にからかいの意味だったのかもしれないが、その行動に、いやそもそも近づいた時点でレムの視界が怒りで染まった。

 

「エルヒューマ!」

「危ない危ない、今の一撃は本当に危なかったです」

 

奇襲のように放たれた一撃を上体を揺らすだけでかわされ、歪な笑いと共に、

 

「お返し、どうぞぉ」

 

膝に穴が空く。

身体を支えていた力が弱まり、思わずレムは膝をつける。

 

「あぁ、ナツキさんは運んでいってくださいねぇ」

 

その言葉に痛みを忘れ、表をあげる。

その視線の先には、どこかに隠れていたのであろう黒装束が、スバルを乱雑に抱えている姿があった。

 

「スバルくんにッ、触るなぁ!」

 

 鞭のように唸りをあげて放たれた鎖は、彼女の感情を表しているかの様に空を裂き、地面を削りながらスバルを抱えている黒装束に向かう。

だが、

 

「追いたければ、私を倒す以外無理ですよぉ」

 

金属がすれる音ともにリーベンスが間に入り、素手で鎖の一撃を弾くことで防がれ、 さらに鎖が捕まれる。

その行動に驚く間も無くレムの体は宙に浮かされる。

 

「どっこいしょー」

 

引き上げられる感覚と共にレムは先の自分の迂闊さに舌打ちする。

鎖を離すことは間に合わず、近くの岩へと容赦なく叩きつけられた。

側頭部が岩肌を食らって鑢がけされ、痛みと衝撃で目がくらむ。視界の端が真っ赤に染まり、頭部への衝撃がレムから判断力を奪う。

 だが、本能からか肌が粟立つような感覚が前面に広がり、レムはとっさに血塗れの左手を正面に構え、

 

「ヒューマ!!」

 

 薄く形成された水の膜が盾となり、レムの前面に展開する。瞬間、飛来してきた何かが、衝突。衝撃が盾越しに伝わり、吹き飛ばされそうになるが足になけなしの力を込めてをなんとかこらえる。

 

「へぇ、何発保てますかねぇ?」

 

 軽い言葉とは裏腹に重い衝撃が氷の盾を次々に襲う。

 一発、二発と耐えていた盾は徐々に軋み始め、皹が入り始める。そんな氷の盾を見てレムは、もう持たないと判断。故に彼女は握った拳を振りかぶると、盾ごと躊躇なく勢いそのままに飛来してくる『なにか』へ叩き込んだ。

 

「――うぁぅ!」

 

 なにかを叩きつけ、落とす。

 それは小さな何かだった。まるで宝石、いや虫のようにも見えるそれは日の光に触れると煙を上げて消滅していく。

予想外の結果にレムの思考に空白が生まれる。だが、すぐさま空白を埋めるようにレムの体に連鎖的に穴が空き、痛みで支配される。

 勢いを殺せず中空錐揉み吹っ飛ぶレムの体が山に落ちる。レムは身体中を襲う鈍痛に苦鳴を漏らして顔を上げた。

 すでに体は数十箇所の穴があいている。右腕は風通しがよくなり向こう側を覗けるし、腹部など半分ないようなものだ。

 直ぐにでもフェリスと並ぶほど腕のいい魔法使いにかからなければ、命は助からないだろう。

 そんな重傷を押して立ち上がり、レムは現実へ意識を回帰して痛みを忘れる。苦鳴を噛み殺して逆に吠え猛り、自身を昂ぶらせるとともに自らの戦意が衰えていないことを敵へと知らしめる。

 だが、顔面の横を攻撃がかすめ、ぐらついた体は背後からの蹴りによって沈む。背骨が激しく軋み、小柄な体が大地をバウンドして吹き飛ばされる。

 

「――エルヒューマ!」

 

 詠唱に吐き出した血が凍りつき、純血の刃がリーベンスの腕を半ばまで切り裂く。

驚いたように彼女は目を見開き、当然レムはその隙を見逃さない。

 

「がぅるるるぅ!」

 

 地面を叩いて姿勢制御し、跳ねるレムは右手を伸ばして落とした鉄球の柄を掴む。同時に地面に落ちた鉄球を蹴り上げてリーベンスの背後へ飛ばし、首に鎖を回すと、万力の力を込めて引き絞る。

 悲鳴をあげる時間すら与えず、鎖が肉を引き絞る水気まじりの音が鳴り、脛骨ごと黒装束の首がねじ折られる。百八十度後ろを向いた顔がレムを見て、双眸が光を失う。

 沈むその体にようやく屠ったとレムはわずかに脱力する――その瞬間、

 

「――――ッ!!!」

 

 力を失ったはずのリーベンスの体が動き、すさまじい威力の蹴りがレムの胴体を薙ぎ払っていた。

 左脇に直撃した蹴りはレムの左側の肋骨を全損させ、左大腿部をもへし折って大地に叩きつける。

 

「うぅ、あぅ……」

 

 呻き、血を吐き、レムは腕を含めて言うことを聞かない左半身を叱咤しながら立ち上がる。

 恐らくではあるが彼女の攻撃の仕組みは理解できた、対処は難しいができなくもない。だが、今の震える体で、傷だらけの有様で、倒せるだろうか?

 首を振り、弱気を噛み殺して、レムは挫けそうになる自分を叱咤する。

 やれるかどうかではない。やらなければならないのだ。

 左半身が死んだからなんだというのか。まだ身体は動く。右腕がダメになれば足で踏み殺せばいいし、右足もダメになるなら噛み殺すまで。

 すでにこれほど大規模戦闘、おまけにメイザース領には入っているのだ。

 意識してはいないが、これだけ殺意に濡れた自分の感情が姉に伝わっていないはずがない。遠からず、姉はこの場所を突き止めてくれるだろう。それに、自身にできた友人たちが必ずこの事態に気付いてくれるはずだ。

 そのときに自分の命の有無は関係ない。スバルの命さえ守れれば、ここで使い潰すことになんの躊躇いがあるというのか。問題としては親愛する姉やスバル、友人であるシャオンやアリシアには怒られるだろう、だがそこは許してほしい。

 彼等のその姿を脳裏に思い浮かべ申し訳なさそうな笑みを浮かべる、できるならば謝罪の一言くらいは残しておきたかったがレムにはそれすら贅沢なことだろう。

 そう考えていたのもわずかなことで、その未練にも似た感情を捨て、決死の一撃を放とうとしたその瞬間、

 

「――――ぇ?」

 

 レムが、レムの体の内側から何かが無理やり外へ出た(・・・・・・・・・)のだ。

 心臓に当たる位置、そこに拳が入るくらいの穴が空き、蓋を失って血液が吹き出す。

 攻撃の動作はなかったし、急所への攻撃には用心していたはずだ。 

 だがそれでも今起きている事象は現実のもので、

 

「――すばるく、ん」

「さて、これで終了ですねぇ」

 

 愛しい人の名前をつぶやいて、レムの体は自身の血の海に沈んだ。

 

 

 黒装束の肩に担がれ、無抵抗に揺られながらスバルは涎を垂らしていた。

 竜車からの落下によってできた傷、それらの痛みはすでにほとんど感じない。感じていないわけではないのだが、それらがどうでもよくなるほどの痛みに意識が支配され、動く気力すら奪われて沈み込んでいるのだ。

 

「ふひへ、ひひはひ、へふへへ……」

 

 狂笑が唇の端から涎とともにこぼれ落ちる。

 森を掻き分け、獣道を飛ぶように黒装束は走る。

 特別、鍛え抜いているようにも見えない細身の体つきでありながら、脱力した人間を担いで風のように走る姿はあまりに現実離れしていた。

 それこそ、まるで日の光に従って動く影のように滑り、スバルを担いだ黒装束は山中を、目印もない獣道を我が物顔で駆け抜けた。

 そうして、十数分も走った頃だろうか。

 ようやく黒装束の歩みが止まったのは一つの洞窟の前だった。

 冷気が肌を刺す洞穴の中で、しかし黒装束は慌てる様子もなく、進み、虫が騒いでも足取りが乱れる素振りもない。

 と、薄闇は迷いなく進む影の前で、唐突に生じたぼんやりと白い輝きで払われる。ラグマイト鉱石の輝きだ。

 通路、と思しき壁面には等間隔に鉱石が設置されており、歩く影の道のりを先導するように次々と明りが点灯されていく。

 洞穴を奥へ奥へ、進まされる。

 血のにじむ肌が粟立つのは、寒さが原因かそれとも別の要因か。

 担がれたままのスバルは小さく身を震わせて、瞳の端から熱い涙をこぼしながら、へらへらへらへらと笑い続けていた。

 そして、その暗く冷たい岩肌の通路の終わりが見える。

 ラグマイト鉱石の輝きがわずかに強く、照明がしっかりと用意されたそこは洞穴の中では格段に大きく面積を取られた天然の広間だった。

 

 

 ――痩せぎすの男だった。

 黒い装束の男たちに囲まれるその男は、自らも黒の法衣に身を包んでいる。

 身長はスバルよりもやや高く、深緑の前髪が目にかかる程度の長さに整えられている。頬はこけており、骨に最低限の肉と皮を張りつけて人型の体裁を取っている、と表現するのが適当に思えるほど、生気が感じられない肉体の持ち主だ。

 ただし、その狂気的にぎらぎらと輝く双眸がなければの話ではあるが。

 男は身を傾けて、壁に拘束されて座り込むスバルをジッと観察している。曲げた腰の上でさらに首を九十度傾け、ぎょろついた目で無遠慮に眺める姿は常軌を逸した奇体さを露わにしており、事実その男の言動は常人と一線を画していた。

 

「なぁるぅほぉどぉ……こぉれはこれは、確かに、興味深いデスね」

 

 ひとしきり、舐めるようにスバルを上から下まで眺めた男は、納得したような頷きでもって周囲の男たちに賛同を示す。

 黒装束の人影は男の肯定に顎を引き、無言のまま男の言葉の続きを待つようだ。

 男は人影の沈黙を守る姿勢になんらリアクションせず、ひとり考え込むように右手で自分の左手を握りしめ――手首に生じている傷口に親指をねじ込み、血が滴るそれを意に介さず、自らの血肉を穿り返す。

 

「これはこれは、失礼をしておりました。ワタシとしたことが、まだご挨拶をしていないではないデスか」

 

 スバルの笑みに応じるように、男は色素の薄い唇をそっと横に裂き、禍々しく嗤うと、ゆっくり丁寧に腰を折り曲げ、

 

「ワタシは魔女教、大罪司教――」

 

 腰を折った姿勢のまま、器用に首をもたげて真っ直ぐスバルを見つめ、

 

「『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 

 狂気を模ったような男はケタケタと嗤った。

 




(2期開始前に4章は入らせます)


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愛の試練

遅くなりましたぁ!


 ケタケタと、嗤うペテルギウスはなにがそれほど面白かったのか、血が付着して赤く斑に染まった歯を剥き出して嗤い続けている。

 止めるものがいなければいつまでもそのままでいそうなペテルギウス。その奇態を前に、嗤われる対象とされたスバルは俯いて地面を睨みつけたままだ。

 スバルの身柄は広間の奥へ連れ込まれ、ぞんざいに放り出されて壁に拘束されている。鉄製の枷は手足を色が変わるほど強く締めつけており、スバルの力で脱出ができそうにないのは広がる痛みから想像できた。

 

「ふへ、ひひへ……」

 

「ああ、滑稽なりデスね! なかなかなかなかなかなかに、興が乗る光景と言えマスよ。実に、実に実に実に実にぃ、脳が震える……」

 

 手足が麻痺する感覚に、スバルは他の表現を知らないかのようにひきつった笑みを浮かべる。それを見て、ペテルギウスは共鳴するかのように手を叩き、笑い声を上げる。

 現実とは違う場所を見てへらへら笑うスバルと、純粋に狂気の世界に浸るペテルギウス。軽く現実感を損なう二人の狂笑が重なる空間に、ふいに影が湧き上がる。

 スバルを担ぎ、洞穴に連れてきたのとは違う人影だ。背の高い影は滑るような動きで音すら立てず、嗤うペテルギウスの傍らに身を寄せ、

 

「――――」

 

 ぼそり、と何事かを彼だけに届くような声量で呟く。

 と、それを聞いたペテルギウスはふいにそれまで頬を歪めていた凶笑を消し去り、ひょうきんにおどけていた仕草もぴたりと止めると、

 

「そう、デス、か! あぁ、それは、あぁ……脳が震えマス、ね!」

 

 先ほどの凶笑の皮切りとなったのと同じニュアンスで、しかし表情には背筋を悪寒が走りそうな禍々しい凶相を浮かべて、ペテルギウスは左の指の爪を噛む。

 噛み、噛み千切り、爪がめくれて血が流れ、それにも構わずに肉まで齧り、

 

「……あぁ、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。脳が、震える。やれ、と。進めと! 立ち止まる暇などないと! 叫ぶ! 呼ぶ! 脳が震えるのデスよ!!」

 

 腕を振り、爪を噛みちぎられた左手から血が洞穴の冷たい地に落ちる。

 それを無感情に黒影は見届け、わずかに腰を傾け――礼の素振りを見せながら、なおも狂態をさらすペテルギウスに囁きをかける。

 

「左薬指が壊滅!? あぁ、それはなんと甘美な試練デスか! これほどまでに勤勉に挑んでいるというのに……今日も世界はワタシに優しくないデスね!」

 

「――――」

 

「あぁ、それでいいデスよ。左薬指の残数は各々、隣の指に合流。なぁに、まだまだまだまだまだまだまだ、指は九本もありマス。心配ありませんデスよ!」

 

「――――」

 

「そう……デス! 試練! 試練! これは試練! 全てはワタシたちが御心に沿うための試練なのデス! 照らせ、輝けぇ……あぁ、脳が震える!」

 

 歓喜に唾を飛ばしながら嗤い、頭を抱えてその場でくるくると回るペテルギウス。

 黒装束の声はこもり、洞窟という閉鎖空間の中ですら聞きとること叶わない。故にまるでペテルギウスと黒影の会話は、ペテルギウスのひとり芝居のような滑稽さすら孕んでおり、彼の奇行と相まって気味の悪さに拍車をかけていた。

 腰を曲げて身を低くし、さらに体をよじってペテルギウスがスバルの方へ近寄る。ぐいと顔を近づけられ、どこか生臭い息を吐きかけられて、へらへら笑うスバルがその狂態を無感動の瞳で見上げた。

 その黒瞳と向かい合うペテルギウスは、己の灰色がかった双眸を飛び出そうなほど力を込めてぎょろつかせ、

 

「確かに、確かに確かに確かにかにかに、不思議ぃ、不穏ん、不可解ぃ……この局面で、試練を目前としてぇ、何故にアナタのような存在がぁ?」

 

 体をそらし、あわや頭が地面に着きそうなほどの柔軟性を見せるペテルギウス。そのまま恍惚の表情を浮かべる彼は、引き絞った弓のように反動で身を起こし、

 常人には理解できない狂気に興奮で顔を赤くし、ふいにペテルギウスの鼻孔から血が興奮を体現したように流れ出す。

 口にかかりそうなそれを舌で舐めとり、顔面を朱に染めるペテルギウスはうっとりと、陶然とした面持ちで頬をゆるめて、ペテルギウスは絶頂に身を震わせる。

 それから彼は法衣の袖で乱暴に鼻血を拭い、それまでの昂ぶっていた感情をどこへ投げ出したのかと思わせるほど冷徹に、

 

「……即座に現場の清掃を。来たる試練の日を前に、ワタシたちの存在が露見することは避けなくてはなりません。人払いは済んでいたはずデスから目撃者の心配はないはずデスが……同乗者は? ちゃんと殺しましたデスか?」

 

「その点で報告がありますぅ」

 

 どこかでみたような、けれども理解はしたくない本能が記憶を曇らせる。黒い影はゆらりゆらりとまるで陽炎のように蠢く。

 

「あぁ、聞きましょう。寛大に、雄大に、膨大な愛を込めて。アナタが、ワタシに対して真摯に!勤勉に!接するのならば――ワタシも応えましょう」

 

 両手を広げて、法衣の裾を揺らしながらペテルギウスは厳かに頷く。

 

「同乗者は一名、青い髪の亜人。彼の者を確保する際に戦闘に突入……まだ生きてます」

 

 報告を受け止めて、ペテルギウスは首を左右に振って骨を鳴らす。

 彼はそのまま考え込むように、時計の振子のように首を左右に振り、よじり、ひねり、回し、揺らし、最後にかくんと前に傾け、

 

「理由があるの…デスよね?試練を前に不確定要素を残す、それほどまでの!」

 

ギリギリと歯が砕けそうなほどに力を込めながら、まるで激情を抑えるように、体を押さえつける。

 そして、一度仰ぎ見、指を口に挟み込み、奥歯と奥歯の間で肉がすり潰され、乱暴に引き絞られる嫌悪感が沸く音が響く。ペテルギウスは爪を噛み、肉を咀嚼し、生じた血を口の中に溜め込み、それらを一緒くたにして吐き出し、真っ赤に染まった左手で陽炎の顔面を掴んだ。

 

「試練を、前に、事が露見しそうな状況! それが! それが! それがそれがそれがそれがれがれがれがれが! 福音に対するアナタの真摯な報い方デスか! あぁ、怠惰だ! 怠惰! 怠惰怠惰怠惰怠惰ぁ!」

 

 骨と皮だけの体のどこにそんな力があるのか、ペテルギウスの手は顔を掴んだ状態で右へ左へ振り回す。

 黒装束の顔に爪が入り込み、骨が軋む音がこちらにも聞こえる。

 そんな事を気にした様子もなく、乱暴に相手を振り乱すペテルギウスは、突然我に返ったかの様に、

 

「そして! ワタシの指の怠惰はワタシの怠惰! あぁ、寵愛に報いれぬ、我が身の怠惰をお許しください! この身全て、全霊の勤勉さをもって、福音に沿うよう生きることを、在ることを! お許しいただきたいのデス!」

 

 黒影から手を離し、跪いたペテルギウスは涙を滂沱と流し、血肉に染まる手を組むと祈るように、縋るように、そこになにかが見えているように懇願する。

 喜怒哀楽を見境なく、なんの兆候もなく、ころころころころと切り替えるペテルギウス。

 それを当たり前のように受け止めて、自身への暴行にすらなんら反応を見せない黒装束のまた異様。司教と名乗ったペテルギウスに従う姿ーー正しい意味での狂信者がそこにいた。

 

「愛だ! 愛に報いねばならないのデス! 怠惰であることは許されない! 福音に従わなければ! 与えられた愛に、愛することで返さなければ!」

 

「話は最後まで聞いていただけると幸いなのですがぁ、理由もありますよぉ」

 

 ぼろ雑巾のように扱われた女は何事もなく話を再開する。

 そんな様子にペテルギウスも特段気にしたようすはなく、ただふと我に返ったように耳を傾けた。

 

「ふむ、フムフムフムフムフム? ではなぜ少女を生かしているのでありますかぁ?」

 

 ペテルギウスはまるでそれこそ司教らしく、腕を広げ告白の内容を受け入れようとしている。ただし、一つ間違えた返答をすれば癇癪を起こし、すべてを破壊しつくすだろうという狂気も含まれているが。

 

「簡単なことですよぉ、司教」

 

 彼女がが初めて表情というものを――笑顔を見せた。

 視線を入り口に向け、ペテルギウスも、スバルもそれに倣う。

 そこには部下だろうか、別の黒装束が連れてきただろう1人の少女がいた。

 

「愛を試すのです」

 

 それは――息も絶え絶えのレムの姿だった。

 

 

「さて、さて、さてさてさてさてさてててててて……」

 

 跪いたまま、ペテルギウスが膝立ちの動きでスバルにすり寄る。

 固く、鋭い岩肌が覗いた地面に膝を擦りつける動きは、法衣の下の肌が悪戯に傷付けられるだけの自傷行為だ。

 それらの痛みを、傷を度外視した様子で彼はスバルを覗き込み、

 

「亜人によって愛を失った彼女が、行う愛の証明。本来ならば、試練を前に時間は惜しいものではありますが、愛を試すというのならば、ワタシは、静観しましょう。それに、アナタの正体もわかるかもしれませんし、ね!」

 

 血に濡れている歯をこちらに見せつけるように、狂気的な笑みを浮かべる。

 それをスバルは狂っていながらも、本能的嫌悪感から遠ざける。だが、彼は気にした様子もなくスバルを見つめ続ける。

「さて、これより試すのは一人の少女と、一人の少年の愛!」

 

 そんな嫌な熱視線を他所に声高らかに女は宣言する。

 ペテルギウスの興味は彼女に移り、子供が演劇でも見るような、期待の込めた眼差しを向けた。

 

「忌まわしき亜人の子であり、我が愛を冒涜する者!」

 

レムの動かない体を投げ捨て、頭を踏みつぶす。小さな呻き声すら上がらず、ただ何の抵抗もなくレムの頭が地面へと押し付けられすりつぶされる。

 

「ですが、ですが!それでも世界は愛で満ち溢れていると、神は、魔女様はおっしゃった! ならばその資格があるのか! それをいま試しましょう――あぁ、願わくば……アナタが怠惰ではなく、勤勉であることを」

 

 レムの体を蹴とばし、こちらに向かってくる。僅かに体が浮き、体に空いた穴から血が噴き出るがこの場にいる人物は誰も気にしない。

 そして、リーベンスがスバルの手枷を外そうと、触れた瞬間。

 

「……るな」

 

「はい?」

 

「その人に触るなと、言っている!!」

  

 すさまじい爆弾のような威力に女の身体は砕かれ、破壊される音が洞穴の冷たい空気を激しく揺らす。連鎖する音は固い地面を伝って、転がるスバルにも届いた。

 胴を破砕した彼女はそれで止まらず、うなる拳が女の頭部を貫き、壁へ叩きつけて赤いシミへと変えた。

 命を容易に奪った拳は血に染まり、地面を濡らしていく。しかしそれすら目に入らないほどの怒りを瞳に宿しながら、

 前に踏み出す少女は青かった髪をどす黒い色に染め上げ、それでもなお光を失わない眼差しを広間の中へ向け、倒れ伏す少年を見つける。

 唇が、愛おしげに、震えながら、小さく息を吸い、

 

「大丈夫ですか、スバルくん――」

 

 スバルの名を呼び、安堵したように肩の力を抜いた少女――レム。

 その姿はあまりにも凄惨で、壮絶を切り抜けたことがありありと表れていた。

 全身に血で濡れていない場所がない。髪はどす黒く血で固まり、焼き焦げたエプロンドレスは白い場所が欠片も残っていなかった。破れ、裂けたスカートから覗く両足には裂傷がいくつも刻まれ、なにより腕には穴が空き、その先がのぞける。

 割れた額から滴る血で左目を塞がれ、うっすら微笑むレムは血と死の香りを全身にまとい、満身創痍では足りない身を押してここまでやってきたのだ。

 ただ、スバルを守るために、動かないふりをして、奴らに一撃を与えるための機会を待っていたのだ。

 

「あぁ――なんと、素晴らしいことデスか!」

 

 そして、そんな彼女の凄絶な有様を前に、ペテルギウスが喝采を上げる。

 彼は自分の仲間が目の前で彼女に殺害された事実も忘れ、むしろそのことを自分を盛り上げるさらなる材料として、楽しげに踊り、

 

「少女が! ひとりの少女が! これだけ傷付いて、なお進むのデス! なんのためにか、この少年のためにデス! 魔女に、魔女に寵愛された少年を救い出すためにここまでするアナタも、また愛に恵まれ、愛に生きているのデス!」

 

「どうですぅ?亜人の少女と少年の愛……予定とは違いましたが」

 

「ええ、ええ、ええ!これは確かに愛の一つ! 勤勉なる少女の愛の行いいいいぃぃぃ!! 実に実に実にぃ!! 勤勉で、なんと愛おしいものか」

 

 確実に命を奪う一撃を受けても、平然としている女は、壁に埋もれたままくすくすと笑いながら、興奮しているペテルギウスに問いだす。

 レムはその様子をみて、スバルの盾になるように立ち、口の端に泡を作るほど快哉するペテルギウス、リーベンスに対して殺意を込めた視線を向ける。

 怒りに吠えたレムの体が跳ね、傷付いた身を酷使して宙を舞う。

 飛んだ彼女を追うように、リーベンスもまた宙へ駆け上がった。

 彼女は懐から十字架を模した刃を取り出し、一直線に跳躍するレムの体へ追いすがる。

 

「――――!」

 

 振りかざされた刃が真下からレムの胴体を串刺しにせんと狙う。が、彼女は下からの攻撃に対して左腕を――肘から先のない腕を振って身を回し、中空で体にかすめるように刃を避けると、

 

「るぁぁ!」

 

 右腕を振り、その動きに連動するように氷で作られた鉄球がリーベンスの顔面を抉る。同時に柄を握り締めた彼女の拳が追い打ちとでもいうばかりに顔面へと沈ませ、頭蓋を陥没させて叩き落とす。

 女の落下に伴い、レムの体は広間の中央に着地。そこは集まっていた狂信者たちの中心であり、判断ミスを犯したものと誰もが思った。

 事実、狂信者たちは刃を構えると、着地に膝を折る少女目掛けて殺到する。

 突き込まれる刃の数は少女の両手の指でも足らず、浴びれば致命の衝撃をもたらすことは避けられない。だが、

 

「――エル、ヒューマ!!」

 

 血を吐くようなレムの叫びに呼応して、。地面から伸び上がるように突き出した鮮血の槍が、不用意に駆け寄った黒影を逆に串刺しに仕立て上げる。氷結した血の槍は脆く、突き刺さると同時に根本からへし折れてその形を失うが、

 

「――あぁ!」

 

 足を止めた狂信者たちの頭部を、レムが吹き飛ばすだけの時間は十分に稼いだ。

 血が、脳漿が、頭蓋の一部が散乱し、洞穴の冷たい空気に湯気が立ち上る。死を量産するレムが腕を振るうたび、死体が生まれ、山が築かれていく。

 広間にいた黒装束の数はおおよそ十五名。すでにその大半がレムの攻撃の前に命を失い、残った数ではいきり立つ彼女を止められそうもない。

 残りはリーベンスとペテルギウス、残り数名の黒装束。レムの優位は疑いようがなかった。

 負傷し、腕を欠損し、それでもなお、彼女の強さは黒装束たちのそれを圧倒している。 それなのに、なぜだろうか。

 

「あぁ、あぁ、あぁ……」

 

 顔を押さえ、暴虐に沈む信者たちを見ながら、熱い吐息を漏らすペテルギウス。

 その姿が悲嘆に、恐怖に、不安に揺れているのではなく、純粋まじりけなしの昂奮からくるものであると伝わるほどに、不安が増大していくのは。

 わからない。わかりたくない。わかろうとしていない。

 けれど伝わってくるものがある。血を流し、傷を負い、それでも戦い続ける彼女の姿に、胸の内から湧き上がってくる衝動がある。

 その不安を口にすれば、あるいはそうしなくてはならない。

 だが、それをすれば自分で自分を見失いかねない。なにが正しくてなにが間違っていて、どうしてこうならなければならなかったのか悩まなくてはならない。

 それを恐れるがあまり、自分可愛さを優先するあまり、スバルは――。

 

「もう、何回殺されなきゃいけないんですかぁ」

 

 耳心地の悪い音を立てながらリーベンスは起き上がる。

 まるで先ほどの攻撃が効いていないかのような声の軽さと、そして確かに抉られていた部位が元通りになっている様子にレムは舌打ちをし、すぐに臨戦態勢を取る。

 

「あなた方の愛は――確かにあった。亜人であろうとそれは否定しない。だから、もう死んでいいのですよ?」

 

「黙りなさい! 虫ッ!」

 

 一瞬の溜めの後、レムは大きく飛翔しリーベンスの頭を潰そうと動いた。

 その速度は今まで見た中で一番早く、一番力強かった。

 だが、スバルの中で僅かに抱いた、不安が、掠れた声が喉の奥からわずかに這い出した。

 それは意味を持たない単語の破片で、伝えたい気持ちを微塵も乗せてくれない。けれど、喘ぎながら、顔を持ち上げながら、無感動だった瞳を大きく押し開き、

 

「……れむ」

 

 囁くような弱々しい声で、どれだけぶりにかその名を口にした。

 

「――あ」

 

 その声が、掻き消えてしまいそうな声が、彼女にだけは届いたのだろうか。

 その疑問の答えがスバルに与えられる前に、

 

『――捻じれろ』

 

 彼女の身体が捻じれ、上下二つに別れた。

 




次はもうできてるので早く出します!全裸待機していた方はバスタオルあげます!


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終わりと

 レムの胴体から吹き出る血が、地面を濡らすのを見て、スバルは声を失っていた。

 苦痛の声を上げる間もなく、レムの体は宙を漂い、落ちた。 

 そのレムの最期を呆然と見て、スバルは声もない。

 目を見開き、呼吸すら忘れて、自らが作り出した赤い海に埋もれる姿を、青髪の少女の最期を、再び受け入れ難い現実を前に意識が遠のき始めていた。

 

 だが、

 

「逃げることは、許されないのデス」

 

 前髪を掴み、乱暴に顔を上げさせるペテルギウスに逃避は遮られた。

 痛みと衝撃に顔をしかめるスバルに、ペテルギウスは顔を近づけて、その見開いて飛び出しそうな灰色の瞳をめまぐるしく動かし、

 

「見ろ、見なさい、見るのデス。少女は死んだのデス。愛に殉じたのデス。傷を押して戦い、恐怖に抗って前に出て、なにも果たせず終わったのデス」

 

「うぁ、あ……」

 

「見るのデス。焼きつけるのデス。アナタの、行いの結果を」

 

「――あ?」 

 

 思い切りに顔を前に引っ張り出し、逃れようとするスバルを地面に押しつけ、顔だけを両手で固定して、生臭い息を吐きかける。

 

「アナタの行いの結果デス。アナタはなにもせず、『怠惰』であった。それ故に少女は死んだのデス! アナタが、殺したのデス」

 

「……まえが」

 

「少女の命を賭した行いを!愛の末路を!」

 

 ぶつり、となにかが引き千切れる音がした。

 目の前、スバルの視界の中で、レムの体が大きく弾む。

 左腕が、肩から引き千切られていた。千切られた腕はまるでゴミのように放られ、洞窟の冷たい地面をさらされるように転がる。

 

「ぶらぁん、ぶらぁん、あらら。おててが回るぅ」

 

「……めろ」

 

 リーベンスがちゃちな効果音を口にし、そのたびにレムの体が破壊される。目に穴が空き、右の足首がねじ切られ、傷口を押し広げた。

目を逸らしたくなる光景、だが目の前の狂人はスバルにそれを許さない。 

 必然、見ることになる、レムが、蹂躙されている光景を、結末を。

 その尊厳が、目の前で、いとも容易く愉しげに、犯されている。

 それは、その光景は、目をそらすことすら浮かばないほどのその光景は、

 

 

「――ころすぅぅぅ!!!」

 

 

 現実を見ることを恐れていたスバルに、我を取り戻させるほどのもので。

 すぐ側の、その喉笛を噛み切ってやろうと首を伸ばす。が、手枷が邪魔をしてわずかに届かない。前のめりになり、勢いで顔面を地に落とす。そのスバルを見下ろし、ペテルギウスは愉快げに嗤い、

 

 

「殺す、殺してやる……殺す、殺す、お前は、お前らは殺す、絶対に殺す。殺してやる。殺してやる! 殺して、殺して……死ね、殺させろ、死ね、死ね、死ねよぉぉぉ!」

 

「生きるために誰かを憎む! あぁ、歪で素晴らしいデスよ。ワタシも、ワタシの指たちも、勤勉に励んだ甲斐があったというものデス」

 

 腕が千切れてもいい、足が千切れてもいい。

 今、この場で、枷を外して、目の前の男を殺せるのならばそれでいい。憎い、憎い、憎くてたまらない。死ぬべきだ。生かしておいてはならない。

 この男は、こいつらは確実に、今、この瞬間に、死んでいなければならないのだ。

 だがスバルの激情を無視するかのように

 

「ここもずいぶんと汚れてしまいましたし、そろそろお別れといきマスか」

 

 膝を叩き、ペテルギウスはふいにそれまでの狂笑を消して吐息を漏らす。

 激情でしきりに体を揺するスバルを意に介さず、彼は生き残った信者たちを手招きして集めると、 

 

「ここは放棄するとしマス。片付けるより早いデスから。試練の予定は明後日デスが、場所は右手の人差指が潜伏するあたりへ。残ったリーベンスは左手としての役目を追って遂行。ただし、五指集まって平等に人数を分けること、いいデスね」

 

「りょうかいですぅ」

 

「死ね! 死にやがれ! 死ね、死ね、死ねやぁ!」

 

 手早く指示を出し、ペテルギウスは手を叩く。と、信者たちはそれを合図に影と化し、洞穴のほの暗い闇へと還っていく。

 そうして生存者の数を大きく減らした洞穴の中を、ペテルギウスはゆっくり歩む。 

 ふと、足が止まり、気楽な態度でペテルギウスが振り返る。

 下から憎悪を込めてその顔を見上げるスバルに、ペテルギウスはひとつ頷き、

 

「アナタの立場デスが、本当にわかりません。なので、福音がもたらされるかどうかで判断しようかと思いマス」

 

 指を立てて、ペテルギウスは首を九十度傾けると陰惨に嗤い、

 

「手足を繋がれて、放置されるアナタを待つのは死だけデス。デスが、仮にこの場でアナタに福音がもたらされるとすれば、アナタは助かるでしょう」

 

「――――」

 

「片方だけ、外します。あとは貴方の覚悟しだいデス」

 

 名案、とでも言いたげにペテルギウスは朗らかに嗤い、今度こそスバルに背を向ける。遠ざかる背中に、スバルはなおも呪詛を投げかけ、言葉で、意思で、ペテルギウスを殺さんと憎悪の限りをぶつける。

 それら一切の影響を足取りに感じさせず、ペテルギウスは出口へ向かう。

 後を追うようにリーベンスがついていく。

 そして途中で、無残に破壊されたレムの死体の傍で足を止めると、

 

「ほら、貴女の愛なんて、こんなもの。ゴミにも劣る、ただのカス」 

 

 ぽつりとこぼし、彼女はレムの死体の前で笑う。

 

「少し、残念。ま、やはり亜人の絵空事か」

 

 これ以上ない形で、レムというひとりの少女の存在を侮辱していった。

 

「――――ッ!!!」

 

 咆哮が、絶叫が、洞穴の中に響き渡る。

 喉を塞ぐほどの怒りが、言葉にならないほどの激情が、血の涙が流れるほどの無念が、ナツキ・スバルに人ならざる声を上げさせていた。

 

 

 

――それからさらに、何時間が経過したのかスバルにはわからない。

 

「ひゅぅ、ひゅぅ……こ、ひゅぅ……す」

 

 意識は覚醒と、無意識の狭間を虚ろに漂っている。

 

叫びすぎて喉は枯れ、代り映えしない暗闇に精神は摩耗され、確実にスバルの精神と肉体はじわじわと衰弱していった。

 枷に挑み続けた肉体も、限界を越えて酷使された体は脳の指示を受け付けない。肉が裂け、骨まで削れた手首。足首はくるぶしのあたりまで赤黒い肉が露出し、地を擦れるたびに痙攣するような痛みが襲いかかってきていた。

 

 ――ころす、ころす、ころす、ころす、ころす。

 

 それでも、なおも、心の奥底の源泉からは、殺意だけが湧き続けている。

 体も、頭も言うことを聞かなくなった今、心だけが今のスバルを支えていた。

 置き去りにされ、孤独の世界に追いやられてからおおよそ丸一日。肉体と精神は限界に達していたが、スバルは意識を閉ざすことをしていなかった。

 今、ぷつりとこの意識が途絶してしまえば、もう目を覚ますことはできない。そして、この憎悪を忘れてしまえば、現実を認識し続けることもできない。

 憎悪だけが、殺意だけが、スバルの正気を証明してくれている。

 弱さに負けて怠惰に沈めば、それはあの男の言った通りの醜態をさらすことになる。それだけは絶対に受け入れられなかった。

 

 羅列されるのは、ペテルギウスが声高に叫んだ妄言の中で特徴的な単語。

 

 抜き出したそれらにどんな意味があるのか、死んだ頭に思い浮かべながら、スバルは少しでも、わずかでも、消えかける意識を繋ぐためにペテルギウスにまつわる記憶を掘り起こす。

 

 もっと鮮明に、もっと明確に、もっとはっきりと照らし出すように、あの男の顔を思い出さなくてはならない。声を、姿を、影を、歩き方を、話し方を、考え方を、触れ方を、愛しい愛しい人を思うように具体的に記憶から掘り起こし、魂に憎悪とともに焼きつけて、覚醒の燃料として燃やし続けなければならない。

 

 傍から見れば、すでにスバルのその精神は狂気の次元に到達していた。

 

 意識を保つことに、憎悪をたぎらせることに、なんの意味もないことに本人だけが気付けない。そして本人だけしか存在しない世界で、本人が気付けないことは永遠に理解できない問いかけが発されているのと同じことだ。

 

 精神が摩耗し、心が消失するのが先か。

 あるいは意識の覚醒に体が追いつけなくなり、肉体が衰弱するのが先か。

 ただただ、定められた終わりの終着点のどちらを選ぶか。

 意識を繋ぐことに、そんな意味しか本来ならば残されていないはずだった。

 その無駄で無為な悪足掻きに意味を持たせたのは、スバルの諦めの悪さではなく、

 

「――?」

 

 ふいに、漆黒の闇の中で、スバルは自分以外の誰かの気配を感じて息を詰めた。

 わずかに動かすのも億劫な首をもたげ、スバルは感じた気配の方を見やる。が、洞窟に満ちる闇の深さは目を凝らした程度でどうにかなるものではない。手近なところにラグマイト鉱石も見当たらず、闇を払う手段のないスバルは、突如として生じた気配に息を殺して身を小さくするしかない。

 仮にスバルを助けようと善意の第三者が現れたのであれば声をかけてくるはずで、それがなしで何者かが現れたのだとすればそれは怪しすぎる。

 息を止め、心臓の鼓動すら意識的に静めて、スバルはその気配を殺す。

 なのに、生じた気配はゆっくりと、本当にゆっくりと、少しずつ、這いずるような速度で、しかし確実にスバルの方へ忍び寄ってきていた。

 完全な暗闇で、気配を殺しているはずのスバルの方へ、まるでわかっているかのように気配は近寄ってくる。

 その存在に危機感を、焦燥感を、戦慄を覚える。

 が、すぐにそれらの感覚とは正反対の、別の感覚がスバルの脳裏を過った。

 

 ――そもそも、この気配はどこから生じた?

 

 誰かの気配を察する、というような訓練を受けた経験はスバルにはない。それ故にスバルが今、こうして闇の中に誰かの気配を感じているのは、それまで生じていなかった自分以外の存在による生物的な音を理由としている。

 そして、それらの音は距離的にかなり近く、少なくとも入口付近のような遠距離から届いているものではない。なにより、出だしがそちらではなかった。

 この音は突如、洞窟の中央付近から出現したのだ。

 そこまで考えて、スバルは信じられない気持ちで唇を震わせ、

 

「れ、れむ……?」

 

 そんなはずがないと、理性はスバルに訴えかけている。

 スバルが最後に、まだ洞窟の中に光源が残されているとき、目視したレムの姿は正視に堪えない無残な状態だった。

 手足を千切られ、耳を落とされ、片目は空洞だ。そして、何よりも腹から下がなかった。

 その状態で治療を受けることもできず、さらには体温を容赦なく奪う冷たい地面の上で、数十時間も放置されていたのだ。

 生きているはずがない。死んでいるのが当たり前だ。

 だが、だとすれば、他にどんな可能性があるというのか。レムが倒れていた場所から、這いずるような速度でスバルに迫るこの気配の正体が。

 

「レム、レム……?」

 

「――――」

 

 縋るような呼びかけには、しかし沈黙だけが戻ってくるばかりだ。

 それでも、気配はスバルの声に目的の確信を得たのか、ほんの少しだけ這いずるスピードが変わったように思える。それも、ほんのささやかな変化でしかないが。

 身を起こし、手枷と足枷を引き、鎖の音を立ててスバルは自身も動こうとする。だが壁の拘束は頑健で、十数時間も挑んだそれが唐突にそれをゆるめることなどない。せめて、片腕だけでもと思い、枷のない腕を伸ばし、そして――触れた。

 

「れ……」

 

 ついに、這い寄ってきていた気配がスバルの体の到達した。

 それを受け止め、歓喜をもって叫ぼうとしたスバルの喉が、凍りついた。

 その感触があまりに軽くて、冷たくて、生者のものとは思えなかったから。

 膝立ちに座るスバルの足下に、レムの体がうつ伏せに転がっている。小刻みに震える彼女の体はすでに血の温かみを失い、氷のように冷え切っていた。魂というものはすでになく、あるのはレムの外側だけ。そう思わせるのに十分なほどにレムの死は明らかだった。

だが、それでも彼女の体は動き、

 

「――うぅ!?」

 

 スバルの差し出した手がレムの体に掴まれ、地面に押しつけられる。

 前のめりに引き倒される形になったスバルは、その急なレムの挙動と想像を越えた力強さに唖然となり、その彼女の次のアクションにさらに驚愕する。

 地に置かれたスバルの両腕に、真上から大量の液体が降り注いだ。

 粘質で、鉄錆びの臭いがする冷たい水――その正体がレムが吐き出した血であるのだと、スバルが気付いたのは跳ねたそれが口に入って味を感じてからだ。

 他人の血を大量に浴びせられることの忌避感がスバルの背筋を粟立てたが、立て続けに起こった変化がその負感情を一瞬で消し去る

 

「ヒュー、マ」

 

 囁きは、ほんのわずかに大気を震わし、マナに干渉して効果を発した。

 

「――づぁっ」

 

 痛みが、手首を鋭い刃物に抉られるような激痛がスバルを襲った。

 思わず首をのけ反らせるほどの痛みは手首を始まりとして、二の腕や肩のあたりまでその勢力を広げていく。

 何事が起きたのかわからない。血を吐きかけられ、唐突に痛みが走り、このままでは腕が使い物にならなくなる――そんな戦慄が走った直後、音を立てて、内側からの圧迫に堪えかねた手枷が弾けるように割れた。

 金属が砕け、破片が落ちる軽やかな音が洞穴の床に響き渡った。

 スバルは急激に和らぐ痛みに荒い息を吐き、腕全体に広がった解放感と、肌を覆うような火傷じみた痛みを認識する。

 そして、理解した。

 

「レム、お前……」

 

 レムが吐き出した血を魔法で凍らせ、その圧力で手枷を破壊したのだ。

 

 当然、もろに魔法の影響を受けたスバルの腕も無事な状態ではない。が、それでも手首は回り、指はスバルの意思に従って動く。痛みさえ度外視すれば、意思の力で普段通りに動かすことは可能だろう。

 つまり、レムの目論見は成功したのだ。

 

「レム……待て、レム。待って……俺を」

 

 置いていかないで、と言いたかったのか。

 憎んでいるんじゃないか、と聞きたかったのか。

 そのどちらが真意だったとしても、自分本位な自分にスバルは絶望する。

 この期に及んでまだ、自分という弱い生き物を守ろうとする浅ましさに。

 レムが文字通り、死を覆してスバルを救ったというのに。

 それを最後に彼女の命の灯火は、今度こそ本当に消えていこうというのに。

 

「レム?」

 

 レムの唇が、死者の冷たい唇が、初めてなにか言葉を紡ごうとしていた。

 言葉ひとつ発することすら惜しんで、動かぬ体で地面を這って、朦朧とした意識で魔力を練って、己の目的を果たした少女が最後になにか残そうとしていた。

 

 それは、

 

「――――」

 

 音にならず、消えていった、

 

 ――――死んだ。

 

 今、レムが死んだ。

 確実に、魂が離れた感触。スバルが何度も経験した死の感触。

 最後に、彼女は何を言いたかったのだろうか、何を求めていたのだろうか。スバルにはそれはもうわからない。

 ただ、わかったのは自分の無力さの所為で――彼女は死んだのだ。

 

 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 スバルが足枷の束縛から逃れることができたのは、それからさらに数時間後だった

 両手が自由になったスバルは足枷の拘束範囲の中で手を伸ばし続け、レムとの戦いで死した黒装束の手から離れた十字架のひとつを掴むことに成功した。

 刃のへし折れたそれは刃物としては役に立たなかったが、かえってそれでよかったものと思う。仮にその刃が健在であったなら、スバルは自分の足首を切断するような暴挙に出ていたかもしれなかったから。

 

「……」

 

 肉の大部分が削がれ、骨まで見える足首を回して、痛みとともに動作確認。地を踏みしめるたびに意識が白くなるほどの激痛が走ることを無視すれば、歩くのに支障はどうやらなさそうだった。

 立ち上がったスバルの両腕には、レムの亡骸が抱きかかえられている。

 自由となった両腕の中で、半分になった彼女の体はあまりに小さく軽い。胸に掻き抱いてすっぽり包み隠せてしまうその小ささに、そんな小さな姿に命を救われた自分がひどく情けなくて、同時にひどく申し訳なかった。

 

 刃が不完全な状態だった十字架。その折れた刃元を慎重に、慎重に、足枷の金具の繋ぎ目に叩きつけ続けた。十字架の崩壊と足枷の破壊。刃が使い物にならなくなったのは、足枷が壊れるのと同時出会ったことは幸運だろう。

 外れた足枷を思い切り壁に投げつけ、ラグマイト鉱石が衝撃を受けて淡く青い輝きで洞穴を照らし出す。

 冷たい明かりがほの暗い洞窟を浮かび上がらせた。これほどか弱い光であっても、数十時間ぶりに見た光は眩くスバルの瞼に沁み入る。

 痛みに目の奥から涙が湧いてくるのを感じ、スバルはまだ自分の体の中に涙が残っていたのかと妙な感心をした。

 もう喉も嗄れ果てるほど、涙も流し尽くすほどに泣き喚いたと思ったのに。

 

「いこう、レム」

 

 衝撃を受けたラグマイト鉱石が輝いている内に、スバルは外を目指して歩き出した。

 一歩、また一歩と踏み出す足から痛みが駆け上がる。駆け上がった痛みが肩に伝わり、レムを抱き上げる腕にもまた甚大な被害が伝染する。

 体中、痛くない場所がない。血の出ていない場所がない。

 だが、もっとも痛みを強く感じる部分は、すでになにも感じていなかった。

 ゆっくりと、亀の歩みでスバルとレムは洞窟の冷たい地面を進んでいく。靴をなくした足裏には直接地べたの冷たさが伝わるが、腕の中のレムの体の方がもっとずっと冷たい。冷たさなど、それに比べれば何ほどでもなかった。

――それとも、もう自分の感情は死んでしまったのだろうか。

 

 

 

 思わず苦鳴が漏れるほどに、橙色の日差しは鮮烈な輝きをスバルに与えていた。

 森の彼方、丘の向こうへ沈みゆく夕焼けが水平線を埋め尽くし、一日の役割を終える最後の挨拶に、炎と同じ色に世界を染め上げていたのだ。

 長く、暗闇にいたスバルはしばし蹲り、瞳が光を受け入れるのを待ち構える。しばしの時間が経って立ち上がったスバルは、幾度かの瞬きを経て、光の影響がないのを確認してから周囲を見回した。

 見渡す限り、木々の群れが続くばかりの光景には当然ながら見覚えがない。

 四方を遠くまで見通してみても、林道や街道といった人の営みの片鱗が浮かぶ気配すらなかった。洞窟にこもっていた連中の性質を省みれば当然の話だが、完全に人里とは隔絶した幽閉場所であったらしい。

 

「でも、歩く……」

 

 目的の場所はどこかわからず、行き先は定まりようがない。

 それでも、腕の中の軽い重さに背中を押されるように、スバルは森を歩き出した。葉を踏み、根を越え、土を渡りながら、スバルは次第に暗くなる夜を進んだ。

 メイザース領――ロズワールの屋敷の近辺まできていることは、確かなのだ。

 意識が曖昧の淵にあった頃、レムはスバルを連れて屋敷を目指していたはず。竜車に揺られ、彼女の膝で安寧を得ながら、そうしていたのだと記憶を掘り返す。

 竜車が横転するトラブルがあり、それはあのリーベンス、『魔女教徒』とかいう連中の仕業であり、彼らの手でスバルの身柄が連れ去られ、レムはスバルを救うために命を燃やし尽くして、今スバルはこうしている。

 状況の整理のつもりが、思い出される記憶の欠片から憎悪までもが寄り集められ、スバルの内腑が底無しの炎によって焼き焦がされていく。

 レムのことを思い、感謝と申し訳なさで心が締めつけられるように痛む。

 奴らの蹂躙を思い出し、憎悪と怨嗟で体がはち切れそうな軋みを立てる。

 怒りが、悲しみが、憎悪が、親愛が、スバルを支え、突き動かしていた。

 行く道は定まらず、導くものもまたなにもない。

 それでもスバルの足は止まらず、意識は失われることなく抗い続ける。

 ――そして、それは彼の身に起こった奇跡だったのかもしれない。

 道しるべはなにもなく、頼れるものもなにもなく、ただ足を止めることだけを拒んで歩き続けたその先に、彼の求めたものが、辿り着きたかった場所があったのだ。

 この世界にきて以来、初めて世界はスバルに対して奇跡を賜わした。

 運命を司る神がいたとすれば、それは初めてスバルに微笑んでくれたのだ。

 そしてその微笑みは、奇跡は、

 

「――なん、でだよ」

 

 ――2度目はないものだった。

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 いつか見たものとまったく同じ地獄が、またしてもその村を蹂躙していた。

 焼け落ちた家々に、血に染まる村人。抵抗むなしく命を奪われた亡骸が、村の中央にぞんざいに集められ、死体の山を築いていた。

 刃で切り裂かれ、穿たれ、魔法で焼かれ、潰され、生存者を期待できるはずもない。

 以前と違うところがあるとすれば、それは村人の死体の損壊の度合いがよりひどくなっていることと、

 

 

「ペトラ。ルカ。ミルド。リュカ。メイーナ。カイン、ダイン……」

 

 子どもたちの無残な死体までもが、その悪辣なオブジェに組み込まれていることだった。

 レムを抱きかかえたまま、スバルの膝から力が抜ける。

 その場に崩れ落ち、腕の中の冷たい体を強く強く抱きしめて、嗚咽を漏らした。

 なにを、やっていたのだろうか。

 どうして、こうなるのを知っていて、見過ごしてしまったのだろうか。

 林道を抜け、村の方向から黒煙が上がっているのを見つけるまで、スバルはこの光景を、心を打ち砕いた地獄の風景を完全に脳から忘却していた。

 

 否、目をそらしていたのだ。レムの死に心を砕くふりをして、ペテルギウスへの尽きぬ憎悪を言い訳にして。

 子どもたちがここで死んでいるのは、前回ならば彼らを守ったはずのレムが、村に到着することができなかったからだ。スバルが生き残ってしまった代わりに、子どもたちは苦痛の果てに命を奪われる結果をもたらされた。

 唾棄すべき現実が、スバルの心を蝕んでいく。

 今、わかった。全て、わかった。

 魔女教徒だ。

 村人を殺し、子どもたちを殺し、レムを殺したのだ。

 一度ならず、二度までも、奴は、許されないことをしたのだ。

 方針は決まった。やらなければならないことがわかった。

 魔女教徒は、ペテルギウスは、そして、あの女、リーベンスは殺さなければならない。殺して、殺して、殺し尽くして、その細胞の一片まで焼き尽くして、存在を消し去らなければならない。

 そうしなければ、死に報いることができない。

 思考が憎悪一色に染まる。

 視界が真っ赤になり、足りない血のほとんどが頭の方へ上り詰め、鼻から溢れ出して伝うのがわかった。

 その鼻孔から滴る血を乱暴に拭い、レムを穢さないように抱き直し、立ち上がる。膝は震えて、足首はガタガタで、立てるのも歩けるのも不思議でならない。

 

 

「殺す、殺す、殺す、殺す、殺してやる……」

 

 けれど、歩けるのならば、進めるのならば、喉笛を噛み千切ってやる。

 殺意に塗り固められた意識を引きずり、スバルは屋敷の方へと向かう。村の地獄は見届けた。次は屋敷。屋敷で何が待ち受けていたのだったか。死ぬ直前、やり直すことになる直前、なにがあったのか記憶はささくれ立っていて判然としない。

 屋敷に辿り着き、決定的ななにかを見て、心が割れ砕けてしまったのだと思った。それがなんなのか、必死に思い出そうと脳神経を焼きつかせ、しかし、それがスバルの記憶に届く前に、声が響いた。

 

「――おや、お客様だ」

 

 その声は異質だった。

 高くもなく、かといって低くもない。どこか次元がずれたような、とでもいうべきだろうか。そんな異質な声色。怒りに満ちていたスバルの心に、地獄を歩んできたスバルにさえ、それらを一瞬忘れさせるような声が。

 

「生憎と簡易的なお茶しか出せないけど大丈夫かな、ベティに渡してしまったからね」

 

 恐らく男性であろう白髪の人間は申し訳なさそうに屋敷の前にいた。

 どこから取り寄せたのだろうスバルでも見たことがない椅子に座り、テーブルの上にある茶菓子をスバルのために取り分けていた。そして、まるで今いれたかのような二人分の紅茶が用意されていた。

 全てが異質――だが不思議と、恐怖は感じなかった。代わりに、スバルの思考には疑問しか残らなかった。

 

「お前、だれだ?」

 

 スバルの曖昧な質問に対して、目の前の男はクスリと笑い、長髪を軽く払い、自身の体に軽く手を添え、笑う。

 

「――シャオン」

 

 スバルはその名前に、びくりと体を震わせる。

 だが、そんなスバルの狼狽に目の前の、シャオンと、自らの親友と同じ名を名乗る男は気にした様子もなく、

 

「ボクはシャオン。ただの歴史の残り人だよ、選ばれし者よ。とりあえず、話をしようか。荷物はそこにおいていいよ」

 

 感情が読み取れない笑みを浮かべたのだ。

 




始まり


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英雄を救う鬼

短めです。


「さて、冷めてしまうよ?」

 

「まて、まてまてまて!」

 

 スバルの困惑を気にしないように目の前の男、暫定シャオンはスバルに対して紅茶のようなものが入ったカップを渡してくる。

 ゆっくりと湯気が上がるそれはスバルが見ている幻覚などではなく、現実のものであることを証明していた。

 周囲の地獄のような状況とは完全に隔離されたその雰囲気を見ながらも、スバルは混乱しながら問いかける。

 

「シャオン、だな? 雛月遮音、なんだな? お前は」

 

 雛月遮音。

 スバルの親友であり、唯一死に戻りを共有できて、そして、王都で別れた友人である。

 目の前の男が名乗った名前は確かにその名前である。だが、

 

「ちがうよ」

 

「あ……?」

 

「確かにボクはシャオンであり、ヒナヅキシャオンではないのさ」

 

「どういう意味だよ」

 

「さぁ? 答えを与えてしまうのは好きじゃないのさ。その者の価値が伸びないからね」

 

「ああ、そうかよ。ならアンタに用はない。そこで一人寂しく茶でも上品にすすってろ」

 

 からかうように笑う目の前の男は、スバルの問いに明確な答えを出さない。

 ならば、用はない。

 普段のスバルならばふざけたノリを含めて相手にするだろうが、今の自分にはそんな余裕はない。

 一刻も早く、屋敷へ向かわなければ、そうして、エミリアを助けて──

 

「おや、つれない。まあ、それが君の選択なら尊重しよう。ただ、荷物くらいは置いて行ったほうがいいんじゃないかな? 君のその体も限界だろう?」

 

「──二度とレムを荷物と言うな」

 

 無視して進もうとする気持ちは消えた。

 反射的に口に出た言葉は機械のように冷たく、スバルが驚くほどに鋭いものだった。

 だが、言われた当人は驚いた様子はなく、まるでこちらを見定めるような目で射抜く。

 思わず目を背けてしまいそうになりそうな威圧感をその視線から感じる。だが、スバルにだって譲れないものはある。

 震える足を、強張る身体を、腕の中にいる少女の尊厳の為に奮い立たせる。

 

「これは失礼。キミにとって彼女はそれほど価値があるものだったんだね」

 

 頭を下げてくる男、暫定シャオンが醸し出す空気にスバルは警戒を隠しきれない。

 レムに対する口振りを除いてもまるで、異質。完全に住む世界が違うものだ。

 

「まぁ、お詫びとは言わないけども」

 

「は?」

 

 パン、と手の叩く軽い音ともに、スバルの体から疲労感、痛みが消えていた。

 思わず自身の体を見下ろすと、先ほどまであった悲惨な傷はなく、腕に残っていた鉄枷さえも消え去っていた。

 即座に傷を治すのはシャオンが持つ『癒しの拳』がある。

 だが、今の目の前の男が使ったものはスバルの知るそれとは別なものだ。

 第一、奴はこちらに触れてすらいない。今も椅子に座ったままこちらを眺めているだけなのだ。

 それに、傷の治癒だけでなく鉄枷の消去すら行っている。そんなことスバルの知るシャオンにはできなかった。

 だから、スバルは即座に目の前の男が自分の知るシャオンとは別の存在だと切り替えた。

 

「お前、何をした?」

 

「傷を治しただけさ、ほら、何の用があるかはわからないけど。そんな無様な格好で行くのは主人公らしくないだろう?」

 

 クスクスと、少女のように笑うシャオン。

 彼の能力は、いや、存在はこの世界で出会った人物の中でもかなりの異質な存在だ。

 隠し切れない圧力はエルザ、いや下手をすればラインハルトにも及ぶかもしれない。

 そして、その超常的な存在を前にスバルは一つの希望を見出す。

 警戒をしながらも、ついに淡い希望にすがってしまう。

 

「なぁ、レムを、治せないか?」

 

 目の前の男が正直何者なのかは一旦置いておこう。少なくともこちらに危害を加える様子はないのだから。

 根拠が自身の傷を治してくれたことだけというのが不安ではあるが。

 だが、今のスバルには、地獄を経験したようなスバルにはその不安だけを判断材料に、この希望を捨てることはできない。

 

「ボクにとって治せるのは魂があるものだけだ、空になってしまってはなにもできない」

 

 申し訳ないけどね、と謝罪の言葉はストン、とスバルの心に落ちた。

 不思議とショックはなかった。なぜなら、この世界に、スバルに、希望の選択肢は与えさせない。そう、決まっているのだから。

 

「そう、か」

 

 わかっていたことなのに、さんざん身に染みたことなのに、スバルは俯く。

 

「さて、今度こそお詫びだ。面を上げて」

 

 ゆっくりと力なく、顔を上げる。

 そして、その途中で額に人差し指が付きつけられた。

 いつの間にかこちらに移動してきたシャオンの指がスバルの額に触れていたのだ。

 

「体の力を抜いて、意識を指先に集中して」

 

「は? なにを──」

 

「集中」

 

 理由を尋ねる口はその圧力で封じられ、逸らそうとするも彼の指がそれを防ぐ。

 まるですべてを見通しているような黒い瞳に、スバルの顔が映る。

 酷くやつれ、それが自分自身の顔だとは最初気づくことが出来なかった。

 王都でエミリアに見捨てられ、親友と仲違いし、レムをなくし、残されたのは魔女教徒への怒りのみ。ずいぶんと見ない間に、変わってしまったようだ。

 

 ──根本は変わらないのに。

 

 そんな考えは、不意に終わりを迎えた。

 

「ここ、は?」

 

 目の前に広がったのは草原だった。

 死体はなく、夕暮れは青空に代わり、緑が風に揺れる草原の中──風のそよぐ草原はどこまでも続き、四方のどこに目を凝らしても地平線の彼方までなにも見つけることができない。現実的に、ここまで空白的な土地が存在するかは別として、確かにいっそ幻想的な光景ではあった。

 そして、そこには、

 

「──スバルくん」

 

 レムがいた。

 

 ◇

 

 レムが、いた。

 正確にはスバルのよく見ていたレムの姿がそこにあった。

 焼け焦げた服はきれいな卸したての物と同じく、別れていた上半身と下半身は傷一つなく接続されていた。

 こんなことを今できるのは一人しかいない。あの男、シャオンだ。

 どういう意味だ。悪趣味なことはやめろと文句を言おうとシャオンの姿を探すが、その草原には彼の姿はない。ただ、声が響く。

 

『君の大切な存在、ボクには生き返らせることはできない。だから、代わりとはならないが残っていた想いを君に伝えよう』

 

 そんな声はしっかりと耳に入らない。言葉がスバルの耳をただ通り抜けていくばかりだ。

 先ほどまでそこにあった確かな怒りすら抜け落ち、スバルは目の前の存在を見る。

 

「スバルくん」

 

 レムの呼びかけに、スバルの体はびくつく。

 いったいどんな言葉で糾弾されてしまうのだろう。

 お前のせいで死んだ、もっとお前に力があれば、もっとお前が──努力をしていたのならばみんな救われていた。

 そんな恨み言を言われてしまうのだろうと、スバルは震えた。確かに彼女にはその言葉を口にする資格はある。

 彼女はスバルを助けようとその体を犠牲にしたのだから。

 ただ、それでもやはりスバルは怖かった。どれだけ体を痛めつけられようとも、どれだけ絶望を見せつけられても、彼女に、レムに見捨てられるのだけは、怖かった。

 そんな自分本位な思考に腹立たしさを感じながらも、スバルはレムの言葉を待つ、まるで、子供が親に叱られるときのように震えながら。

 しかし、

 

「──生きて」

 

 彼女の口から出たのは、怒りや恨みの言葉でなく、ただ、そんな願いだった。

 

「生きて、ください。レムの代わりに、スバルくんが生きてください」

 

「そんな、こと、いうなよ……俺は、一人じゃ何もできないんだ。だから、一緒に居てくれよ。一緒に、さ」

 

 もう、彼女が生きていないのはわかる。

 死に関してはなじみ深いスバルだからこそ、あの時の、いや先ほどまで抱えていた彼女は確実に『死体』だったのだから。

 だからこれはスバルの、ひ弱な自分の泣き言で、叶うことがない願いである。

 それをレムも当然わかっているからこそ、彼女は名残惜しそうに、しかし確実に「無理です」と答える。

 

「レムがいなくても、大丈夫です。スバルくんは、凄い方ですから」

 

「違う! それは、ちがうんだ……! お前が、見てるこの、俺は、そんな人間じゃねぇんだよ」

 

 声を絞り出し、感情を絞り尽くし、スバルは自身の無力さを訴える。

 涙声で、実際にも涙は流している。そして、何より励まそうとするレムをはねのけようとするその精神の醜さ。そんな情けなくて、救いようがなくて、どうしようもない自身を見せつけてようやくレムは、見捨ててくれるだろう。

 だが、スバルの目論見は外れることになる。

 どんなに言葉を重ねても、どれほど醜態をさらしても、

 

「いいえ、スバルくんは凄いお方です────スバルくんは、レムの英雄ですから」

 

 レムはスバルを否定しないのだった。




運命は変わった。


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Re

近いうち文章を校正します。


 レムはスバルを否定した。

 まるで、それが絶対に正しいことであるのだと、そう信じているかのようにはっきりと否定の言葉を口にする。

 

「スバルくんがどんなに辛い思いをしたのか、なにを知ってそんなに苦しんでいるのか、レムにはわかりません。わからないことだらけで、歯がゆい気持ちです。でも、それでも、レムにだってわかっていることがあります」

 

「────」

 

「スバルくんは、諦めが悪い人だってことです」

 

 目の前で悲嘆に暮れて、全て投げ出して、今まさに諦めを口にした男に対し、レムは恥じることなく、恐れることなく、揺らぐことなく言葉を紡ぐ。

 矛盾した言葉、だが彼女の目には揺れ一つもなく信じているのだ、スバルが英雄であることを。

 

「スバルくんは未来を望むとき、妥協をしない人です。自分自身が納得がいくまで、最善の結果を望むお方です」

 

「────」

 

「レムは知っています、そしてそれは」

 

「────」

 

「スバルくんも、知っています。あの夜、あの時にスバルくんが、レムに教えてくれたことですから」

 

 噛みしめるように、俯くスバルにレムはそう言い切る。

 彼女の瞳には真摯な輝きだけがあり、そこにはスバルのことを心底信じ切った色だけしか浮かんでいない。

 その激しく強い輝きにスバルは圧倒される。

 だって、それは彼女の思い違いでしかない。滑稽なほどの勘違い、スバルという人間を買い被りすぎた発言でしかないのだ。

 本物のスバルはそんな大層な人間であるはずがない。

 弱音を吐き、逆境に挫け、見るも無残な己の小ささを自覚し、敗北感に塗れて逃げ出そうとする──それが、ナツキ・スバルだ。

 

「……俺は、そんな人間じゃない……俺、は」

 

「スバルくんはみんなを……エミリア様も、姉様も、シャオンくんやアリシア、ロズワール様や他の人のことも、諦めてなんかいないはずです」

 

 強い語調で否定される。だが間違いだ。スバルは彼女らを投げ出した。

 

「諦めた、諦めたよ。全部拾うなんて、無理なことだった……何もしてこなかった俺の手には、当然なにも残らない……ッ」

 

「いいえ、そんなことはありません。スバルくんには──」

 

 どこまでも、どこまでも、彼女はスバルの諦めを否定してみせた。

 どうしてこうまで、ここまで醜態をさらしたスバルのことを、そのスバルの非を認めようとしないのか。彼女にはスバルがどう映っているのか。

 それがあまりにも不愉快で、耐え切れなくなって、

 

 ──お前が、どれほど、なにを言おうと。

 

「──お前に! 俺のなにが!! お前に俺のなにがわかるって言うんだ!?」

 

 激情が、胸に内側で燃えたぎる炎が、灼熱の赤が勢いよく噴き出す。

 怒声を張り上げ、スバルはすぐ脇の壁に拳を叩きつける。固い音、砕けた拳から血の赤が壁に散り、掌でそれを乱暴に広げ、

 

「俺はこの程度の男なんだよ! 期待なんてするんじゃねぇ! みじめな男なんだよ、できることなんてないのに無駄に足掻いて……!」

 

 誰にだって、なにかひとつぐらいは取り柄がある。

 そしてそのひとつの取り柄を伸ばして、相応の場所に誰もが行くのだ。

 ──だが、ナツキ・スバルにはそれすらない。それすらないのに、望みの場所の高さだけは分不相応に高すぎて。

 

「誰も、だれも言わねぇなら俺が言ってやる、俺は……っ! 俺は、俺が大嫌いだよ!!」

 

 へらへら笑って誤魔化して、おどけて囃し立てて逃げ続けて、真剣に向き合ってこなかった現実──それを前にして、スバルは初めて本音をさらす。

 ナツキ・スバルは自分のことが、誰よりも誰よりも、嫌いだった。

 

「いつだって口先ばっかりで! なにができるわけでもねぇのに偉そうで! 自分じゃなにもしねぇくせに、文句つけるときだけは一人前だ! 何様のつもりだ!? よくもまぁ、恥ずかしげもなく生きてられるもんだよなぁ! なあ!?」

 

 自分を高めることなんてできないから、相対的に他者を貶めて自分を高く見せようとする姑息さ。他者に劣っていることを認めたくないから、揚げ足を取るような真似をして自分の薄っぺらなプライドを守ろうとする卑賎さ。

 

「なにもないんだよ」

 

 異世界に落ちてくる前。

 元の世界で、何事も変わらない平凡で退屈な日々の中で、なにをしてきたか──。

 

「──なにも、ないんだ」

 

 怠惰を貪り、惰眠に沈み、努力とも研鑽とも無縁の日々を過ごしてきた。

 かといって自分を諦めているでもなく、なにかそのときがくれば本気を出してやろうじゃないか、チャンスがあればちゃんとできる、なんて都合のいいことばかり考えていて。

 

「なにもしてこなかった……なにひとつ、俺はやってこなかった! あれだけ時間があって! あれだけ自由があって! なんにもやってこなかった! その結果がこれだ! その結果が今の俺だ!」

 

 有り余る時間を有用に使えば、きっとスバルはなんにだってなれたはずだ。

 だが、現実のスバルは与えられた時間を大いに無駄に浪費し、結果としてなにかを得ることもなければ、なにかを生み出すことすらもなかった。

 だからいざ、なにかをしたいと心から思ったときに、それを成し遂げるための力も知恵も技術も、なにも身につけていないのだ。

 だからいざ、活躍できる機会では何も果たせないのだ。

 

「俺の無力も、無能も、全部が全部! 俺の……腐り切った性根が理由だ……ッ! なにもしてこなかったくせに、なにか成し遂げたいだなんて思い上がるにも限度があんだろうよ……だから俺が嫌いだ」

 

 救いようがない自分。どうしようもない自分。

 仮に生まれ直せたとしても、きっと自分は同じ道を通って、同じだけの時間を同じように浪費して、同じ心持ちでこの場所にきて、同じ後悔を得るだろう。

 腐り切った性根は変わらない。ナツキ・スバルという人間は、そんな底の浅い人間性しか持ち合わせていないのだ。その事実は、揺らがないのだ。

 

「そうさ、性根はなにも……この場所で生きてくことになったって、そう思ってもなにも変わっちゃいなかった。あの爺さんもそれを見透かしていた……!」

 

 王都に残り、クルシュの邸宅でスバルはヴィルヘルムに剣の師事を受けた。

 幾度も幾度も打ち倒される内、そうしてボロボロになりながら、なおも挑みかかるスバルの姿を見て、しかしあの老人はその真意を見抜いていた。

 

『強くなるつもりのない人間に、強くなるための心構えを説くことはあまり意味のないことではと思ったものですから――きっと私の友人もそう言います』

 

 修練の日々の中、打ち倒したスバルに剣を振るものの心構えを話し、彼の老人はそう首を振ったのだ。

 あのときはスバルはわからないと、なにを言っているのかわからないと、そう否定したが──本心では、それがどういう意味なのかはっきり悟っていた。

 

「強くなろうとしてたわけではねぇ……俺はただ、なにもやっていないわけじゃないんだって、努力しているんだって……努力しているけど身につかない、そうやって、わかりやすいポーズを取って、自分を正当化してただけだ……」

 

 王選の場でこれ以上ないほど惨めをさらして。

 そんな自分に向けられる周囲の目が、意識が耐えられなかったから、その視線に見えるように『努力している』風を装って、自分を守ろうとしたのだ。

 そうやって、妥協の理由を探して、あの行為に行き着いただけだ。

 変わろうとしていると、その考え自体がなにも変わっていないことの証明であったにも関わらず。

 

「しょうがないって言いたい! 仕方がないって言われたい! ただそれだけだ! ただそれだけのために、俺はああやって体を張ってるようなふりをしてたんだ! もう十分だって、頑張ったって言われたい! 俺の根っこは、自分可愛さで人の目ばっかり気にしてるような、小さくて卑怯で薄汚い俺の根っこはなにも! なにも、変わらねぇ……」

 

 剥がれ落ちていく、虚勢が。崩れ落ちていく、虚栄が。

 他者に悪く思われたくないという虚栄心が、自分は間違っていないのだと主張を通したがる利己心が、薄っぺらな殻を破って溢れ出してくる。

 

「……本当は、わかってたさ。全部、俺が悪いんだってことぐらい。シャオンの奴だって、何も悪くねぇ」

 

 誰かのせいにして、なにかを理由にして、それを声高に攻撃していれば楽だった。

 本当の自分を見ずに済むし、本当の自分を見せずに済むし、上辺だけ剥がれなければその内側になにを抱え込んでいるのかなんて見られずに済むし。

 親友を無駄に傷つけ、相手が言い返してこないことをいいことに、自分自身の身を護る。弱くて、身勝手で、喚くばかりのくせに愛されたい、そんな願望をかなえるために、スバルは彼と反発した。

 最低だと思う、屑だとも言われても仕方がない。だって、それを一番知っているのは──

 

「俺は、最低だ。……俺は、俺が大嫌いだよ」

 

 膝を抱え、座り込む。

 胸の中にある黒い感情を表に出して、ようやくほんの少し楽になれた、なんてことはない。

 だが、まだこの闇はスバルの中からは消えない、胸が悪くなるような感慨が消えることがない。溜め込んだものを吐き出したなら、少しは軽くなるのが道理ではないのか。

 欠片も楽にならない上に、言葉にしてようやく自覚した自らの愚かしさに、今すぐに死んでしまいたいほどの羞恥が覆いかぶさってきている。

 

 ──どれだけ自分優先なのだ、と泣きたくなる。

 

 結局、そんなものなのだ。

 自分の嫌な部分を、悪いところを、欠落した部分を認めて実感したところで、それがすぐに改善できるわけでもない。むしろ、目立った穴は途方もなく深く暗く、どうにかしようという気概さえ奪っていったのかもしれない。

 ぽっかりと空いた空虚の穴は、そのままナツキ・スバルという人間が足りない人間であることの証左だ。それを目の前に動き出す気が起きないこともまた、それを裏付ける消極的な堕落となるだろう。

 憐れまれる価値すらないスバル。

 そんな彼の心の底にこびりついていた、薄汚い『汚れ』を聞き、青い髪の少女すらとうとう──、

 

「──そんなものは、知りません」

 

「────」

 

「いえ、それよりもレムの中では、スバルくんがどんなに先の見えない暗闇の中でも、手を伸ばしてくれる勇気がある人だってことを」

 

 塞いでいた顔を上げると、優し気に笑う彼女がゆっくりと語る。

 そう、彼女はどれだけスバルの闇を見ても、

 

「レムの未来を笑って話せるようにしてくれた、英雄だってことが重要なんですから」

 

 

 ──それでもレムは、スバルを見限ってはくれなかった。

 

 

 

 絶対の親愛に、全幅の信頼に、スバルはかつてない焦燥感を得ていた。

 これだけ悪しざまに罵ったのに、あれだけ醜い本心をさらけ出したのに、正面切って全ては嘘偽りで、救いようのないクズなのだと告白したのに、

 

 ──どうして彼女は、そんな慈愛に満ちた目でスバルを見ているのか。

 

「スバルくんに、撫でられるのが好きです」

 

 静かに、訥々と、押し黙るスバルに彼女はふいにそうこぼし始める。

 

「スバルくんの声が好きです。言葉ひとつ聞くたびに、心が温かくなるのを感じるんです。スバルくんの目が好きです。普段の鋭い目も好きですが、誰かに優しくしようとしているとき、柔らかくなるその目が好きです」

 

 なにも言えないスバルにたたみかけるように、レムは続ける。

 その言葉に、彼女の本心に、スバルの心が、絶叫を上げていた。

 レムがそうやって言葉を繋げるたびに、スバルの胸に悲鳴が木霊していた。

 

「……どうして……」

 

 そんな言葉を、続けるのか。

 これだけ愚かしくて、なにもないスバルに、どうしてそんな言葉を投げ続けるのか。

 

「スバルくんが自分のことを嫌いだって、そう言うなら、スバルくんのいいところがこんなにあるって、レムが知ってるってことを知ってほしくなったんです」

 

「そんなものは……まやかしだ……ッ!」

 

 そうだ、それは勘違いであり、彼女の見ている妄想だ。幻想だ。

 本当のスバルはそんな人間じゃない。本当のスバルはもっと汚い。レムがそうして好意的に見てくれるのとは正反対の、もっと悪意に満ちたスバルがいるのだ。

 

「自分のことは、自分が一番よくわかってる!」

 

「なら! レムが見ているスバルくんのことを、スバルくんがどれだけ知っているんですか!?」

 

 反射的に声を荒げて、その声にさらに被せるようにレムが叫んだ。

 この場所にきて、初めて声を大にした彼女にスバルは驚く。驚いて、息を呑んで、努めて無表情を保とうとするレムの瞳に、大粒の涙が溜まっていることにようやく気付いた。

 

「スバルくんは、自分のことしか知らない」

 

 静かに、ただ確実に覚悟を宿した声だった。

 そうだ、スバルの言葉を受けて、彼女が傷付かなかったはずがない。

 スバルの自虐の限りを耳にして、心優しい彼女が胸を痛めなかったわけがない。

 それでも、彼女はスバルを信じているのだ。

 あれだけ悪しざまに語られた内面を知ってなお、レムはスバルを信じている。

 

「どうして……そんなに、俺を……。俺は弱くて、ちっぽけで……逃げて……ッ。前のときも同じで、逃げて、それでもどうして……」

 

 ──こんなに情けなくて、頼りにならなくて、自分の弱さに負けてばかりの俺を、どうしてそうまで信じてくれるんだ。俺自身が信じられない俺を、どうして信じてくれるんだ。

 

「──だって、スバルくんはレムの英雄なんです」

 

 無条件で、全幅の信頼を寄せるその言葉に、スバルの心は静かに震えた。

 そして、スバルは遅まきに失して、ようやく気付いた。勘違いをしていた。思い違いをしていた。

 彼女は、レムだけは、スバルの堕落をどこまでも許容してくれるのだと思い込んでいた。どんなに弱くて情けない醜態をさらしても、許してくれると勘違いしていた。

 それは違うのだ──レムだけは、スバルの甘えを絶対に許さない。

 なにもしなくていいと、大人しくしていろと、無駄なことをするなと、みんながスバルにそう言った。

 誰もがスバルに期待なんかせず、その行いが無為であるのだと言い続けた。

 

 ──レムだけは、そんなスバルの弱さを許さない。

 

 立ち上がれと、諦めるなと、全てを救えと、彼女だけは言い続ける。

 誰もスバルに期待しない。スバル自身すら見捨てたスバルを、彼女だけは絶対に見捨てないし、認めない。

 それは、ナツキ・スバルが彼女にかけた『呪い』だった。

 

「あの薄暗い森で、自我さえ曖昧になった世界で、ただただ暴れ回ること以外が考えられなかったレムを、助けにきてくれたこと、自分のことを囮にすべてを救ったことを」

 

「────」

 

「勝ち目なんてなくて、命だって本当に危なくて、それでも生き残って……温かいままで、レムの腕の中に戻ってきてくれたこと、目覚めて、微笑んで、レムが一番欲しかった言葉を、一番言ってほしかったときに、一番言ってほしかった人が言ってくれたこと」

 

 スバルが彼女にかけた『呪い』の数々が、彼女の口から語られる。

 その『呪い』は深く優しく、彼女の心を信頼という名の鎖で雁字搦めにして、今もこうして彼女を縛りつけている。

 

「ずっと、レムの時間は止まっていたんです。あの炎の夜に、姉様以外の全てを失ったあの夜から、レムの時間はずっと止まっていたんです。止まっていた時間を、凍りついていた心を、スバルくんが甘やかに溶かして、優しく動かしてくれたんです。あの瞬間に、あの朝に、レムがどれだけ救われたのか。レムがどんなに嬉しかったのか、きっとスバルくんにだってわかりません」

 

 だから、と胸に手を置くレムが言葉を継ぎ、

 

「──レムは信じています。どんなに辛い苦しいことがあって、スバルくんが負けそうになってしまっても。世界中の誰もスバルくんを信じなくなって、スバルくん自身も自分のことが信じられなくなったとしても──レムは、信じています」

 

 語り、一歩、レムが間合いを詰める。

 手の届く距離で両手を伸ばし、レムが俯いて動けないスバルの首に腕を回した。引き寄せる力は強くないのに、無抵抗のスバルは為す術なく彼女に抱きしめられる。

 身長差のあるレムの胸に頭を抱かれて、真上から声が降るのを聞きながら、

 

「レムを救ってくれたスバルくんが、本物の英雄なんだって」

 

 ──────

 ────

 ──

 

「──どれだけ頑張っても、誰も救えなかった」

 

「レムがいます。スバルくんが救ってくれたレムが、今ここにいます。これからも、います」

 

「なにもしてこなかった空っぽの俺だ。誰も、耳を貸してなんかくれない」

 

「レムがいます。スバルくんの言葉なら、なんだって聞きます。聞きたいんです」

 

「誰にも期待されちゃいない。誰も俺を信じちゃいない。……俺は、俺が大嫌いだ」

 

「レムは、スバルくんを愛しています」

 

 

 頬に触れる手が熱く、間近でスバルを見つめる瞳が潤んでいる。

 その姿が、彼女の在り方が、その言葉の真摯なまでの『本当』を肯定していたから、

 

「俺、なんかが……いいの、か……?」

 

 何度挑んでも、何度やり直しても、その都度全てを台無しにした。

 みんな死んだ。手が届かなかった。みんな死なせた。考えが足りなかった。

 空っぽで、無力で、頭が悪くて、行動すら遅くて、誰かを守りたいという気持ちすらもふらふら揺れる半端もので。

 そんな自分でも、いいのだろうか。

 

「スバルくんが、いいんです」

 

「────」

 

「スバルくんじゃなきゃ、ダメなんです」

 

 自分でも信じられない自分を、信じてくれる人がいるのなら。

 ナツキ・スバルは、戦ってもいいのだろうか。

 

 ──運命と戦うことを、諦めなくてもいいのか。

 

「スバルくん」

 

ゆっくりと顔を上げる。

 

「立ち上がってください」

 

「────」

 

「隣にはレムがいます。スバルくんが大きな荷物を持つなら分け合って、転びそうになったらレムが支えます。だから、特等席でかっこいいところを、見せてください。スバルくん」

 

「なにを……」

 

「スバルくんが、レムの英雄だということを、見せてください、証明してください」

 

 彼女に、消えることのない『呪い』をかけたのはスバル自身なのだから。

 スバルにはその責任を、果たす義務があるのだ。

 

「……レム」

 

「はい」

 

 呼びかけに、彼女は静かに応じる。

 顔を上げる。前を見る。レムの瞳を見つめる。穏やかで、優しげで、スバルの口にする答えを待っている。

 だからスバルは、彼女が愛してくれたナツキ・スバルでありたいから。

 

「──俺は、エミリアが好きだ」

 

「──はい」

 

「笑顔が見たい。未来の手助けがしたい。邪魔だって言われても、こないでって言われても……俺は、エミリアの隣にいたいよ」

 

 変わらないその気持ちを、レムの気持ちを受け取った今、再確認する。

 でも、その募る思いの感じ方は、以前のそれとは違っていて。

 

「わかって、もらえなくてもいい。今、俺はエミリアを助けたい。辛くて苦しい未来が待ってるエミリアを、みんなで笑っていられる未来に連れ出してやりたい」

 

 だから、

 

「手伝って、くれるか?」

 

 手を差し出して、すぐ傍にいるレムに問いかける。

 差し出された彼女の気持ちに、応じられないのだと答えておきながら、卑怯だとわかっていながら、彼女の想いを利用しているのだとわかっていながら、それでも大切な人の未来を諦められない自分を、彼女が愛してくれていたから。

 情けない、そんな自分を愛してくれる人がいると知ったから。

 

「スバルくんは、ひどい人です。振ったばっかりの相手に、そんなことを頼むんですか?」

 

「俺だってまさかここまで屑だとは思わなかったよ。でも、頼む」

 

 力なくスバルが笑い、レムが堪え切れないように小さく噴き出す。

 互いにひとしきり笑い合い、それからレムは姿勢を正し、優雅にスカートを摘まんでお辞儀をすると、

 

「謹んで、お受けします。それでスバルくんが──レムの英雄が、笑って未来を迎えられるのなら」

 

 その笑顔がゆっくりと消えていく。

 それを皮切りに体全体が空間に溶け込んでいく。

 ゆっくりと、透明になっていくのを見てスバルは察する。

 

「時間、か」

 

「そう、みたいですね」

 

 シャオンが起こした一時的な奇跡なのだ。

 もう、レムはすでに死んでいる。

 それを止める方法はない、スバルには今レムに手伝ってもらって立ち上がるので精いっぱいなのだから。

 だが、それでもスバルは差し出した手を彼女がとり、レムをスバルは引き寄せた。

 小さく「あ」とレムの声が漏れ、小柄な彼女の体はスバルの胸の中に収まった。その柔らかく、熱い、自分を好きでいてくれた女の子の存在に感謝して、

 

「……言い忘れてました」

 

「なにをだ?」

 

「──おかえりなさい。スバルくん」

 

「──ああ、ただいまだ、レム。そして、少しの間さよならだ」

 

 胸の内が、熱い。

 抱きしめたレムが、スバルの胸に顔を押しつけて、その表情を隠している。

 息遣いが熱い。擦りつけられる額が、頬が熱い。きっと、彼女の瞳から流れ出している涙が、一番熱い。

 そしてその熱はゆっくりと失い、スバルの腕の中で彼女の存在は消え去った。

 だが、彼女の残したものは、スバルに与えたものは心に大きく変化を与えたのだ。

 

 ──まだ、スバルは自分が好きにはなれない。嫌いなままだ。

 

 でも、そんなスバルを好きだと言ってくれた子がいるから。

 そんなスバルであっても、好きだと思ってもらいたい子がいるから。

 もう少し、もう少しだけ進んでみよう。

 

 ──彼女が見ている世界を、自分自身が笑顔でいられる世界にするために。

 

 ◇

 

「──世話になったな」

 

「もういいのかい?」

 

 スバルのつぶやきに反応したかのようにこの空間の持ち主、シャオンが姿を現す。

 相も変わらず椅子に座りながら、面白いものを見せてもらったとでも言いたげに笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 少しイラつく笑みだが、レムの最後の想いを伝えてくれたいわば恩人だ。多少は我慢しよう。

 

「ああ、十分だ、十二分なほど励まされた。というより変な姿を見せて悪い。引いただろう?」

 

「気にしなくていい、ボクとキミとの仲だろ?」

 

「その仲ついでに、もう一つお願いがあんだけど──俺を、殺してくれるか? 死に戻るために」

 

「ああ、いいよ」

 

 絶望したからではない、

 生きるために、ナツキスバルは死ぬのだ。

 そして、激情を、恨みを糧に、魔女教徒を確実に殺すために。

 いや、そんな言い方はしたくはない。

 笑顔でいられる未来のために、スバルの守りたいものを守るために、戻るのだ。

 

「どちらにしろ、もう終わるだろう。けど、キミとボクとの仲だ、叶えよう」

 

 意味深な発言を口にするシャオンだが、どうやら詳しくは話す気はないようだ。

 正直スバルもそれは助かる。

 これ以上スバルの知りえない情報を一度に渡されても整理はできないだろう。

 ただ、一つだけ聞きたいことがあった。

 

「ところでお前は雛月遮音なんだよな? あ、からかいはなしで答えてくれると助かる」

 

「さて、その答えを得るためにはまだ好感度が足りないようだ」

 

「おい」

 

「まぁ、どちらにしろ今は関係のないことであるが、まぁ、簡単に言うならボクと彼は違う」

 

 雛月遮音と目の前のシャオン。

 有する力は格段に違い、人間らしさも、考えも違う。

 似ているのは見た目くらいだろうか、髪の毛の色は白色で大きく違うが。

 

「だからボクのことを彼に聞いてもわからないよ、逆に彼のことをボクに聞いてもわからない」

 

「俺、お前のこと知らねぇんだけど、そんなマブだったの?」

 

「背中を預けるくらいは、ね。ふふ、それもいずれわかるさ。茶会でまた会おう、次のお茶菓子はキミが用意しておいてくれ」

 

 意味深に笑いながら、彼は手を軽くあげる。

 

「あ、まった」

 

「どうしたんだい? 怖気づいてしまったのなら子守唄でも」

 

「んなガキじゃねえよ。いや、ガキではあんだけどさ」

 

 スバルはそう言いながらすっかり冷めてしまった紅茶を手に取り、一気に飲み干す。

 不思議と味はしなかった。

 香り自体は良いものなのに、味がしないというのはどういうことだろうかと思いながらも口には出さず、空の容器をテーブルに叩きつける。

 

「ごっそさん!」

 

「……ふむ、自分の体液をそこまで警戒無しに呑まれるとは少し照れるな」

 

「マジかよ! おれ、野郎の体液摂取したのか! しかも一気!」

 

「ほら、世の中にはそんな性癖があるのだろう? ボクの知り合いにもいるよ二人くらい。一人は食欲からだけど」

 

「マジかよ、お前の知り合いってことは絶対まともじゃないと思っていたのに、それを聞いて確定したわ」

 

 自分にはそんな性癖はないが……ないが、レムやエミリアのモノならばと考えてしまう自分がいる。

 恐らく、そんな自分もレムならば受け入れてくれるのだろうが。

 

「あ、そうだ、スバル。ボクからも一つお願いがある」

 

「なんだ? 俺にできることなら、なんでも……できる範囲なら努力しよう」

 

 正直な話、できることは少ない。

 だが、目の前の彼にはお世話になったのだ、できる範囲でいいのならば、スバルは力になりたい。

 そのスバルの返事を聞いて目の前のシャオンは今までの笑みをなくし、真面目な表情で頼み込んできた。

 

「いずれ来る娘を、頼む。その子はきっと君らの運命に大きく関与するだろうからね」

 

「お前子持ちかよ……ただ、わかった。詳しい事情は、話せないんだろ?」

 

 ニッコリと笑みでごまかすシャオン。

 どうやら、その笑みを崩せるほどスバルの話術はすぐれていないし、聞き出すつもりも今はない。

 

「とりあえず、安心しろ。面倒は見てやるさ」

 

「安心した──なら、そろそろ」

 

「ああ、今度はこっちが頼む」

 

 シャオンはゆっくりと手を掲げ、そして、それを横へずらしていき、丁度スバルが彼の手の中に隠れた瞬間──

 

「──あ」

 

 文字通りナツキスバルの体はこの世界から消滅した。

 




ちなみにこの作品の令の所為へ気持ちはダフネとカーミラです。まぁ、理由は、ね?
最後のシャオンの技はSPECのセカイの能力をイメージすると分かりやすいかもです。

さて、これで、チュートリアルは終わり。

後は本編しかない。


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仲直りの一撃

「すまなかった!」

 

 二回目のループを終え、三度目の世界はそんな謝罪の言葉とスバルの土下座から始まりを迎えた。

 

「あー、と」

 

「……なんすか? いきなりなだれ込んできて」

 

 シャオンは困ったように頬をかきながら、アリシアは怒りを抑えきれない様に鋭い睨みを効かせながら目の前のスバルを見る。

 

「し! か! も! 舐めてんすか? あんなに暴言を吐いて、シャオンを傷つけて……!」

 

 アリシアの飛ばす激にもスバルは顔を上げず、頭を下げたままだ。その様子に思わず助け舟を出そうと彼女に声をかけたが、

 

「アリシア、俺は気にしていないよ」

 

「アタシが気に入らねぇんすよ! それを今更すまなかっただけで……!」

 

 犬歯をむき出しにしながらこちらにかみつきそうなほどに唸る彼女。怒りは収まら無さそうだ。

 そして思わず黙ってしまいそうになるその剣幕のなか、

 

「それは……わかっている、だから俺を殴ってくれ、気の済む「当然っす!」ぐぼらぁ!?」

 

 顔を上げたスバルが言い終わる前にアリシアの拳が彼の頬を撃ち抜く。

 きりもみ回転をしながら飛んでいくスバルを見てシャオンは苦笑いをする。

 そして倒れたスバルに馬乗りになってアリシアの憂さ晴らしが始まってしまった。

 

「いいのですか?」

 

 遠くでそのやり取りを見ていたシャオンに語り掛けてくるのはレムだ。

 きっと彼女の問いは、シャオンも殴らないのかというものではなく、スバルに何か言いたいことがあるのではないかという意味だろう。

 彼女の疑問もわかる。普通ならばあそこまで酷いことを言われ別れたのだから恨み言の一つ二つ言うくらい、アリシアのように手を出すくらいしても許されるだろう。

 だが、

 

「俺ならいいさ。本当に気にしてないからね」

 

「……そうですか」

 

「うん、それにアリシアがなんか充分なくらい殴ってくれそうだし」

 

 気にしていない、というのは嘘であり、真実でもある。

 スバルに言われた言葉はシャオンの中でいまだに残っている、だがそれは彼に対する怒りのものではなくあくまで自分を責めるような気持ちなのだ。

 だから自分がスバルを殴る理由はない、むしろ自分こそ殴られるべきなのだと思ってさえいる。だが話がうまくまとまりそうならば口には出さないでおこう。

 

「それにしても急にどうしたんだ、あの態度の変わり様」

 

「レムにもわかりません、でも。レムの知る、レムの好きなスバルくんが戻ってきてくれてうれしいです」

 

「そっか」

 

 前回のループでは気をやった彼だったが今の様子はシャオンが知るスバルそのものだ。

 強いて言うなら、少し成長しているような気はするが菜月昴そのものだ。

 別行動をした上にそのまま死に別れして戻ってきた今、彼が前回のループで何を経験したのかはくみ取れない。だが、彼の状態は恐らく悪くない。虚勢でも諦めでもなく、ぎらぎらと未来へ向かう野心の目を宿しているのだから。

 

「……でも大丈夫だろうか、その好きなスバルがおもったよりもぼこぼこにされているんだけど」

 

「あっはは! なんか楽しくなってきたっすよ!」

 

「ちょっと待て! お前鬼化しかけてないか!?」

 

「かもしれないっす! でもスバルが全力で殴っていいって言ったからね!」

 

 今も馬乗りになりながらも鈍い音を立ててスバルを殴打するアリシア。叫び声を出せる余裕があるのだから恐らく加減をしているのだろう。

 そもそも彼女自身はスバルに罵倒はされていないから怒る理由はなく、彼女からしてみれば今回の件は蚊帳の外に近い。それでも怒っているのは彼女の元々の性格によるものだからだろう。卑怯なことは嫌いだし、何よりも仲がいい人物同士が仲違いするのが嫌。それは彼女と彼女の父親がそうなってしまったからというのもあるだろう。 

 ただそれだけでここまで怒る彼女ではない。それなのに彼女が殴り続けているのは原因となったスバルがいきなり謝りに来たのだからだろう。

 彼女にとってみれば酷い別れ方をした、すぐ後にそんな態度を取られ、アリシアもどうすればいいのかわからなくなった状態だったのだろう。その状態でスバルからの気のすむまで殴れという申し出だ。当然、考えるのが苦手な彼女ならば怒りを晴らすように動くだろう。

 だが、それでいい。シャオンはスバルに対して怒りは感じていないし、スバルの抱えている罪悪感は彼女の憂さ晴らしにて晴らされるだろう。

 問題は彼を敬愛するレムがどう思うかだが、

 

「はい! もっとぼこぼこにしても大丈夫ですよ! レムがその分スバルくんを甘やかしますので!」

 

 笑顔で胸の前に両こぶしを握り、やる気満々のレムに呆れながらもどうやら問題がないと判断し、彼女の気が収まるのが先かそれともスバルの意識が飛ぶのが先かどうかを頭の中で賭けながら待つことにした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 場所を正門前から下層区の一角に移し、雑踏の壁に背を預けて四人はいる。

 

「レム。話さなきゃいけないことと、聞きたいことが何個かある」

 

「はい」

 

 レムに介抱されながらもスバルがぼこぼこになった状態で話を始める。

 さて、とスバルが彼女に情報を開示し始めるより前に、まず魔女の呪いに抵触しないだろう情報だけを選別し──、

 

「エミリアが王選に参戦するって話が周知されたのが原因で、魔女教が動き出す条件が整っちまった。奴らはわけのわからない理由でエミリアを……屋敷や村を狙って暴れようとしてるはずだ。俺はそれを止めたい」

 

「……魔女教が動く可能性、それについてはロズワール様も検討されていました。レムも詳細は知らされていませんが、対策は考えられているはずだと」

 

「でも、それだけじゃ足りない。あの人に限って無策はないだろうけどたぶん足りない」

 

 事実として、ロズワールが魔女教に対してなんの備えをしていたのかは不明だ。

 それが不発に終わったのか、あるいは発動しても届くに至らなかったのかは定かではない。が、結果的にその事前策が実を結ばず、地獄は展開される。

 その未来を知っている以上、シャオン達がするべきはロズワールに頼らない形での自衛力の確保であり、ひいては屋敷と村の人々の命を守り切る手段だ。

 

「魔女教は短期決戦を仕掛けてくるはずだ。レム、屋敷の戦力は?」

 

「ラムちゃんと、ベアトリスちゃん。あとはエミリア様もいるし、なによりロズワール様ってところっすか? 十分すぎると思うぐらいの戦力っすけど」

 

「……」

 

 明るい表情のアリシアとは対照的に顔を曇らせるレム。

 

「……言い難いことなんですけれど、今、ロズワール様はお屋敷におられない状況の可能性が高いんです。王都から戻られたあと、すぐに領内の有力者のところに足を運んでいる予定になっていたので」

 

 言葉を濁しつつ放ったレムの言葉は事実だろう。

 師匠である彼の実力を知っているシャオンから見れば、彼がいれば魔女教徒の襲撃など問題もなく解決できているのだから。

 それを聞き、やはり屋敷にはエミリアとラム。そしてベアトリスしかいないであろう事実を確認する。

 

「戦力としてはベアトリス様が……」

 

「いや、ベアトリス嬢に関しては、どうだろうな。彼女は正直自分が危険に陥らないと動こうとはしない気がする」

 

 彼女との屋敷での振る舞いを見ていれば基本スバルやシャオンが動かない限り彼女自身が禁書庫の扉の前から動くことはない。

 実際彼女自身の身に危険が迫ればというのも希望的観測であり、『扉渡り』で身を隠すほうが予想できる。

 スバルもそれを承知のようで苛立ったように頭を掻く。

 

「100%じゃねぇのは同意だな、あのチビッ子の真意はわかんねぇけど。俺の渾身の説得で心を動かす説も無きにしも非ずだが……ただ、今回は不安定要素はなるべく外してぇ……ってことでまとめると」

 

 スバルはシャオン、レム、アリシアを指差す。

 

「戦えるのは3人。俺らが戻っても、焼け石に水だな」

 

「本邸の戦力の大半は、ロズワール様個人の能力に依存している点が否めません。フレデリカが残ってくれていたら、まだ話は違ったかもしれませんけれど」

 

「あてにできない戦力を当てにする時間は悪いがねぇ。そしてそのフレデリカって人がいたとしても、ラインハルトみてぇに規格外じゃなければ戦況は大きく動かないだろう。やばいのが二人、いる」

 

「ペテルギウスと、リーベンスか。」

 

 魔女教大罪司教・ペテルギウス・ロマネコンティ。

 そして、自分たちの知り合いでもあったリーベンス・カルベニア。

 現状の脅威はこの二人だろう。

 スバルの話では他の魔女教徒ならまだしも先の二人の強さはレムをも上回るようなのだから。

 それにしても、貧民街で仲良く話した彼女がまさか魔女教徒だったとは想像もつかなかった。少々、いやかなり考えるところはあるが、

 

「落ち込む暇はねぇ、そもそもおかしい点はあった……後、シャオンが見た白い壁については保留だ。情報が少なすぎる上にわかんねぇ、だからそれを除いたうえでシャオン、お前ひとりでどこまでやれる?」

 

 前半部分をシャオンにしか聞こえない様に話すスバル。

 

――白い壁。

 アレは一体何だったのだろう。壁、とは言ったが実際は別のものだった気がするし何より生きていた気もする。彼の話では前回のループで記憶する限りそのようなものは見ていないらしい。

 大きな不安要素ではある、が対処できる方法がなさすぎるのは間違っていない。この件に関しては現状は置いておくという判断は間違っていないと思う。

 そして、スバルの問いかけについてだが、

 

「どれか一つなら何とかなるが……」

 

 全てを救い取るには今使える能力、魔法、体術すべてを使ってもやはり届かない。

 二つ前のループではペテルギウスを倒せはしたが、謎の白い壁にやられ、一つ前のループでは油断から魔女教徒の自爆により命を落とした。

 こちらも自爆特攻でもすれば少しは変わるだろうが。

 シャオンがそう分析をしているとスバルがせき込みながら、こちらを見る。

 

「どうした?」

 

「あー……もう一度聞く、お前も生きて帰れる条件を入れて、どこまでやれる?」

 

「……無理。そこを勘定に入れての評価がさっきのだ。悪い、力不足だ」

 

「お前がそれを言うんだったら俺は力不足以前に足手まといだっての……んだよそのニヤけ顔」

 

「別に?」

 

 自嘲気味に、しかしその発言はこちらを気遣うようなものだった。

 それにしても彼がシャオンを気遣うような発言をするとは思わなかったので、少々面を喰らったのだが指摘されるほどとは思わなかった。

 

 

「さて、長くなったうえに俺らの憶測もあるが、現状の脅威とやるべきことははこんなところだ……信じてくれるか? アリシア」

 

「なんでアタシなんすか……」

 

 彼女に確認を取るスバルの気持ちはわかる。

 彼を妄信するレムと、『死に戻り』について知っているシャオンは彼の考えを疑う必要はない。

 だから、残るのはアリシアだけだ。もしも彼女がスバルの言い分を信用できず、協力しないのであればただでさえ少ない戦力がだいぶ削れてしまう。

 だがそんな心配は彼女のため息で霧散した。

 

「そんな確信を持った目で言われてしまったら信じるしかないんじゃないっすかね」

 

「わりぃな、俺目つきの悪さは自信あるからよ、ちゃんとした理由を教えてほしい」

 

「……別に友人の言うことだったら基本信じてあげたいと思うのは当然だし、それにアタシの拳の痛みを十分味わった後なら嘘なんて吐けねぇはずっすからね」

 

 鼻息をフン、と鳴らし何を当たり前のことを言っているのだといいたいばかりなその態度に、思わずシャオンとスバルは吹き出してしまう。

 

「な、なんすか!」

 

「いや、お前らしいなって」

 

「ああ、殴られた痛みの所為で嘘は確かにつけねぇわ」

 

 二人のからかいにも似た様子に顔を赤くしながらもアリシアは顔をそむけながらも答える。

 

「とっ、とりあえず! そこまでの自信のある憶測については詳しくは追及はしないっす。どちらにしろアタシはもう『イチレンタクショウ』でいくつもりっすから」

 

「ものすごい片言だな、おい。まぁ俺が村のがきんちょどもに話したのを真似ただけだろうだから仕方ねぇんだけど……話を戻すが。簡単な話乗り越えなきゃならねぇ壁は細かいのがいくつかあるが大きいのは一つ。魔女教からエミリア含め村の連中を守ることだ」

 

「だが俺らに足りていないのは時間と戦力、ってところか。どうする、戦力のほうを底上げできるように動くか?」

 

「俺ら以外の人を頼るってことか? だとしてもだいぶ限られてくるぞ」

 

 確かにスバルの言う通り難しいだろう。なにせ敵が魔女教なのだから。

 魔女教徒の存在について口に出すのはいい顔はされない。

 そんな存在を討伐するのだから喜んで手を貸してくれるであろう輩は数少ない。それこそよほどの馬鹿か、名誉と命をはかりにかけられない馬鹿のどちらかだろうか。そしてそんな人物がいたとしても彼等を探すためには時間が足りない。

 屋敷での圧倒的な惨劇が起こるまでのリミットは五日間。──正味、四日半程度の時間なのが現実だ。その間の二日近くを移動に費やすとなると、実質的に使える時間は二日間。与えられた時間は短いのに、突破しなければならない壁は高く、厚い。

 ペテルギウスおよびリーベンスが率いる狂信者たちをどうにかして止めなければ、屋敷はもちろん村の住人は誰ひとりとして助からない。

 どうしたものかと考えているとスバルがポツリとつぶやいた。

 

「──可能性としては、あるか?」

 

 シャオンが言葉の真意を問い直す前に、スバルは真っ直ぐにレムの瞳を見つめる。

 そして、空気が変わったことを察したレムが顔を持ち上げるのを見やり、

 

「──レム、お前が王都でやるようにロズワールから命令されてること。それを俺に全部、教えてくれ」

 

 スバルの言葉は意味不明なものだろう。

 スバルが王都でやること、ロズワールが命令していたこと、そしてそんな話は今まで出てこなかったのだから。

 しかし、その言葉を聞いたレムは、レムだけは予想をことごとく裏切った反応をした。

 

「──はい。仰せの通りに」

 

 彼女はスバルの言葉に頷き、なにより心から嬉しそうな微笑を浮かべたのだった。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 広間には沈黙が、そして張り詰めた緊張感が満たされていた。

 その緊張感の理由は目の前にいる女性、クルシュ・カルステンだろう。

 

「ふむ、少し見ない間にずいぶんと風が変わったようだな」

 

「そうですかぁ? フェリちゃんは正直まだ眉唾にゃんですけどネ。あれだけへたれてた奴が──急にどうしたらあんな目をするようににゃるのかなって」

 

 座椅子に腰掛け、膝の上で手を組んだ男装の麗人──クルシュ・カルステンがその沈黙を破り、凛々しい面持ちに理解の色を浮かべてそう呟いた。

 口調と顔つきこそ冗談まじりを装っているが、言いながらスバルを見るフェリスの視線にも油断はない。こちらを狩りやすいカモではなく、確実な『敵』としてこちら側を警戒している。

 

「────」

 

 依然、主従の会話に混ざらずに沈黙を守るのはフェリスの反対、クルシュの左隣で背筋を伸ばすヴィルヘルムである。

 腰に帯剣し、瞑目する姿からは研ぎ澄まされた剣気だけが漂ってきており、好々爺めいた雰囲気は微塵も残っていない。今は公人として、主であるクルシュが持つ一振りの剣の役割に没頭しているのだ。

 場所は王都貴族街の中でも上層、そこに構えるカルステン家の王都滞在時に利用される別邸。主の意向に沿って極力、華美な装飾が控えられた邸内にあって、来客を出迎えるために相応の飾り立てが為された応接用の広間だ。

 その場に前述の三人、屋敷の関係者が並び合っているのは当然の流れ。そして、彼女らを除いた広間の中にいる顔ぶれといえば、

 

「そこまで言うなよ、まぁ前までの俺がかなりヘタレ野郎だったのは同意だが」

 

「こっちとしてもフェリスと同じ気持ちなんすけどね、一体何があったのやら」

 

「文字通り死ぬ思いで変わったんだろう。それより、そろそろ始めてもいいんじゃないかな。というより空気がつらい」

 

 スバルと、アリシア、そしてシャオンだ。

 

「だな。レムはちょいと頼まれ事をして別のところに向かってるからこの場には来ない。だから話し合いのメンツは揃ってるから……いや、話し合いじゃねぇな、交渉は何時でもできる」

 

 クルシュがかすかに笑い、フェリスは固く唇を引き結ぶ。ヴィルヘルムはひたすらに沈黙に徹して表情を変えず、

 その彼らの視線を一身に浴びながら、スバルはひとつ高く足を踏み鳴らし、己の気を高く引き締める。

 それに合わせシャオンも深呼吸をし、アリシアは自身の頬を叩いて身を引き締めている。

 

「ひとつ、確認したいところがある、ナツキ・スバル」

 

 各々が気合いを入れて前を向く中、指をひとつ立てたクルシュの声がスバルへかかった。彼女はその立てた指を左右に振り、スバルの視線を受け止めると、

 

「改めてこの集りの趣旨を。──卿の口から、な」

 

 肘掛けに腕を立て、その手の上に頬を預けてスバルを見やる怜悧な眼差し。

 すでに理解しているだろうに、スバルの口からそれを語らせる彼女の姿勢には一貫して甘さがない。

 思わず代わりにに応えようとしたこちらをスバルは手で制止し、いつも通りの凶悪な面持ちでクルシュの問いに答えた。

 

「そら、もちろん──」

 

 だからスバルは大きく腕を振り、クルシュの突き刺すような視線に呑まれないように己を維持しつつ、かつての失敗を繰り返さないように強気に笑うと、

 

「エミリア陣営とクルシュ陣営の、対等な条件での同盟──そのための、交渉の場面だ」

 

 立ちはだかる高い壁──障害を乗り越えるための、スバルがエミリアを助けるための最初の挑戦が、始まろうとしていた。

 




アリシアの心境は「仲がよかった友人達が喧嘩して悲しい」→「なんかすぐに謝ってきたけどあんな別れ片してそれはないんじゃないか?」→「よし殴っておじゃんにしよう!」という簡単な思考


来週には次と次の話書きますが、この世界のヴィル爺の話も描きたいけど上げるなら纏めてあげるべきか、白鯨戦に挟むか悩みどころ……


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机上の空論

「同盟……か」

 

 全員の視線を一身に受け、会談の目的を告げたスバルにクルシュがそう呟く。

 彼女は考え込むようにわずかに顎を引き、それからちらとシャオンの方へ視線を送る。その探るような眼差しの意味を察して首を横に降る。

 

「生憎と俺は関与していません、すべてスバルが気づいたことです」

 

「で、あろうな。卿はこちらで過ごしていないのだから気づく要素はない。まぁ、弟子だから事前に聞かされていた、というなら話は別だが……」

 

 自らが口にした言葉をそれはないかとかぶりを振り否定する。そして女は理解を浮かべた瞳を今度はスバルに向け、確認をとる。

 

「ならば、此度の交渉役は──ナツキ・スバル。卿に権限を委譲されたということだな? 

 

「ああ、そうなる。ロズワール……うちの主人も、底意地の悪い真似してくれたもんだと思うけどな」

 

 大仰に吐息を漏らすアクションを入れて、スバルは脳裏に浮かぶべているだろう道化師の嫌らしい笑みに舌を鳴らす。

 内々にレムにだけ下されていた王都での行動方針。しかもさらに厭らしいことにスバル自信が自ら気付かない限り、決して漏れ伝わらないように厳命されていたことだ。

 基本レムはスバルには甘いところがあるが、その実はスパルタそのもの。さらに自らの上司であるロズワールからの命令ならば逆らうことが出来ないのは当然だろう。

 普通では無理難題。だが、死に戻りを持つスバルは気づいた、ロズワールの思惑通りに。

 

「そもそも最初から引っかかるところがなかったわけじゃないんだよ。うちの陣営が慢性的な人手不足なのは自明の理なわけだしな」

 

 現時点で当たっている壁の一つにある通り、エミリア陣営の人手不足は重要な問題だ。それは魔女教に対する戦闘力に対しての問題もあるが、それよりも他の陣営に比べても大きく劣る訳だ。

 陣営の人数が少ないのは、支持されていないと同意義でもあるのだから。

 そんな状況下で、限定的な条件であるとはいえ、王都に残るスバルの下にレムを一緒に残したことは常に頭のどこかで違和感となって引っかかっていた。

 シャオンに関しても、アリシアに関しての問題を理由にアナスタシア陣営とのパイプ作りに利用されたのかもしれない。

 もちろん建前としては、自領の危機を救ったスバルに対し、治療とその他の形の賠償で報いるために、アリシアは実際に抱えていた問題を解決させるためという可能性も考えられる。だが、

 

「あの人がそんな善意だけでレム嬢を手放しておくとも思えない。頭は策略だらけだからね、と考えていくと」

 

「自然、もっとも会見の機会があった当家に白羽の矢が立つ、か」

 

 足を組み替えて、クルシュはこちらの言葉を引き継いで結論を述べる。その言葉を肯定するように頷き、スバルは「それに」と前置きして、

 

「夜な夜な、レムとクルシュさんが密会してるらしいのは聞いてたからな」

 

 スバルの話では屋敷にいた数日間、レムがいない空白の時間があったらしい。それが、密会とは思っても居なかったようだが。

 

「毎夜の会談の内容は同盟締結について。こっちから差し出してる条件に関しては……一通り、レムから聞いてる」

 

「エリオール大森林の魔鉱石、その採掘権の分譲が主な取引き材料だな」

 

 隠すことでもないとばかりに、うっすら匂わすだけで済まそうとしていたスバルの言葉にクルシュが被せる。

 

「鉱石の需要が高まりつつある、今なら交渉条件としては上々ですよね?」

 

「鉱石の需要が高まりつつある、というのは?」

 

「これから赤日を終えて黄日、そして青日になるっす。更に言えば今年は水のマナの影響が強く見込まれてるはずっすから、暖房設備への利用目的で需要が多いってことっす」

 

「おう、なるほど理解した……おまえ意外と頭いいんだなアリシア」

 

「馬鹿にしてんすか? 常識っすよ」

 

 指を立てて、スバルの質問に珍しく真面目な表情で答えるアリシア。

 簡単に言うと元いた世界で言う冬を前に暖房器具が売れ出すという考えがわかりやすいだろう。

 

「魔鉱石自体はマナを含有した純粋な魔力の結晶体。その後の加工次第で属性の指向性を付加し、用途に応じて使い分けることが可能。これほど扱いやすい商品もないでしょう」

 

「ああ、だがその代わりに絶対量が少ない。一度、指向性を付加したあとでのやり直しも利かない。しかも採掘場の多くは土地自体を王国に管理されていて、国と富裕層にしか出回っていない。正直商人ならば喉から手が出ても欲しいものだろう」

 

 言葉のわりにはクルシュは乗り気ではない。いや、正確には乗り気ではあるのだろうがそこまでのものではない。

 それは彼女がアナスタシアのような商人ではないからだろう。確かにこのままでは彼女の首を縦に頷かせるのは無理だ。

 

「だから、本題だ」

 

「ほう」

 

 それまであくまで会談の場を見定める体でいたクルシュが姿勢を正し、一度だけ静かに目を閉じると、ゆっくりとその鋭い眼光をスバルに浴びせたのだ。

 風が吹いた、と錯覚するほどの威圧を前に、思わず目を閉じてしまいそうになる。しかし、

 

「……上等」

 

 小さくこぼした言葉はシャオン以外には聞き取れなかっただろう。

 今までも暴力的な威圧感にならば、嫌になるほど触れさせられた。それに比べればクルシュの眼光には、こちらを怯え竦ませるような負の感情の一切がない。あるのは背筋を正させ、弛んだ思考を引き締めさせるような威光だけだ。

 

 ──なるほど、これは王選に選ばれるだけはある。

 

「認めよう、ナツキ・スバル。卿がメイザース卿の名代、並びにエミリアからの正式な使者であると。この交渉の場において、卿と私の間で交わした内容は、そのままエミリアと私の間で交わされたものであると」

 

 そんな考えはまるで関係がないとでもいうようにクルシュは続ける。

 クルシュは今、狙ってスバルを威圧しているわけではない。彼女は純粋に、それまでの私人としてのクルシュから、公人としてのクルシュ・カルステンへと意識を切り替えただけのこと。つまり、カルステン公爵家の当主が放つ威圧そのものが、これほどの力を持っていることの証左である。

 鳥肌が浮かぶような感嘆の中、佇むスバルの方へと手を差し伸べ、クルシュは始まりを告げた交渉の火蓋を自ら切ってみせる。

 

「すでに聞いているはずだが、改めて問うておこう。私とそちらの従者……レムとの間での交渉は、採掘権の分譲などを含めた上で合意には至っていない。その点は重々、承知しているはずだな?」

 

「……ああ」

 

 交渉が難航し、任されている権限だけでは合意に至っていないのはレムの口から聞いている。そして、今切れる手札が少ないのもわかっている。

 

「こっちも確かめておきたいが、実際、これまでの条件じゃ足りないわけだよな? 互いの陣営への過干渉なしに、エリオール大森林の採掘権の分譲。付け加えて採掘された魔鉱石自体の取り扱いの協定とかのまとめに関しても」

 

「草案はレムの方から提示されている。さすがはメイザース辺境伯、というべきだろうな」

 

 そのあたりの数字のやり取りに関してはシャオンたちが口を出すべきものではない。

 あくまでもこの世界でかつ経験が長いロズワールに任せるべきだろう。

 だからこちら側としては採掘権に関する細かな交渉内容に触れないようにしてもらいたいのだが、

 

「今回の場合は取引き相手の側への懸念が大きい。わかるな?」

 

 そんな祈りが通じたわけではないだろうが、言葉を切ったクルシュが口にしたのはその不安とは別の内容であった。

 とはいえ、歓迎すべき内容でないことは確かであり、

 

「ロズワールが信用できない……って、話じゃないんだろうな」

 

 それは希望的な見方でしかない。

 仮にロズワールが問題であるならば、解決策は楽だろうがクルシュが問題点として挙げているのはそちらではない。

 それは避けることができず、エミリアに延々と付きまとう問題であり、今後も壁となるものだ。

 

「王選の対立候補。ましてやハーフエルフ……半魔の誹りを受けるエミリアとの取引きだ。後々のことを考えても、慎重にならざるを得ない」

 

 低い声でそう述べる彼女に、正直シャオンは意外だと驚く。

 クルシュの王選の場面での姿勢は、言葉にすれば『威風堂々』と『誠実』といったあたりが相応しい。

 王選の場面ではまさしくその単語を体現するような姿勢と、発言を貫き通しただけに、今の彼女の風評を気にするような姿には違和感がある。まるで──。

 

「まさか、断りを入れる建前、か……?」

「スバルきゅーん? 大事な交渉の場面で、ポロっとそゆことこぼすのフェリちゃん良くにゃいにゃーなんて思ったり? 思ったり?」

 

 スバルが思わず漏らした言葉に、額に青筋を浮かべるフェリス。しかも怖い笑顔も同時に浮かべているため変な男性らしさを感じつつ、スバルが慌てて口を塞いで頭を下げる。

 と、そのやり取りを見ていたクルシュがかすかに口の端をゆるめて、

 

「あまりはっきり返されると、建前で応じた私の方が恥ずべき側に思えるな。これは勉強させてもらった。普段から接しているものばかりだと、こうした機会に恵まれることも稀だ」

 

 などと、冗談交じりに彼女は笑う。おそらく、見逃してもらってはいるのだろうがこの流れはあまり良くない。

 温情に縋ってばかりいるのは貸しを作るばかりになって、結果的にこちらの不利を招きかねない。

 だから話を進めようとシャオンは切り出す、

 

「つまり建前は建前で……本音の部分では、クルシュ嬢はエミリア嬢と、我らと同盟を結ぶこと自体への忌避感はないって考えても?」

 

「ヒナヅキ・シャオン、ひとつ考えを正そう」

 

 指を立てて、クルシュはその立てた指をこちらに突きつけると、

 

「そのものの価値は、魂の在り様と輝かせ方で決まるのだ。出自と環境がそのものの本質を定める決定的な要因にはならない」

 

「ですが、それ自体が要因になりえることを貴方はご存知でしょう」

 

「もちろん、エミリアの環境が、いやハーフエルフという存在がどのような理不尽を経験してきたのかも想像はできる。だが、それを踏まえて」

 

 クルシュはひとつ頷き、

 

「あの王選の場で、エミリアが語った言葉に虚実はなかった。そこに確かな覚悟と誇りがあったればこそ、私はエミリアを対立候補の一角であると認めている。つまり、エミリアがハーフエルフである、という点を私が同盟締結を断る根拠とすることはない。むしろ政策的に敵対しているわけでもないエミリアの存在は、私にとっては積極的に相対する必要のない相手であるともいえる。同盟も、吝かではない」

 

「それなら……」

 

「答えを焦るなよ、ナツキ・スバル。卿の申し出を受けるかどうかは、このあとの卿の答えに左右されるといっても過言ではないのだからな」

 

 好感触の返答に前のめりになるスバルを制し、クルシュは改めてこちらへ問う。

 つまりは、交渉権を譲られたスバルがなにを持ち出すのかを、だ。

 

「エリオール大森林の採掘権、大いにこちらに実りがある。だがその反面、私は王選の事態を急ぎ進める必要もないのでは、と感じている。期限は三年だ。あまり状況を動かすのを早めすぎるのも、後々に禍根を残すこととなろう」

 

「エミリアと同盟を結ぶことのメリットが、そのデメリットに届かないと?」

 

「少し違う、メリットとデメリットは打ち消し合っている。だが当家の考えとしては、あと一歩、押し出す口実が欲しいといったところだ」

 

 クルシュ自身の意思としては、同盟の締結には乗り気でいるように見える。

 一方、彼女の意向で全てが思うままに動かせるほど単純でないのが、公爵家という大きくなりすぎた立場のしがらみでもあるのだろう。

 だから彼女は求めているのだ。

 状況を動かし、周囲の声を黙らせるほどの『なにか』が、もたらされることを。

 

 

「────魔女教」

 

 スバルの言葉にぴくり、とクルシュの眉が動く。

 いや、正確にはクルシュだけではない、部屋全体の空気が重くなったのを感じる。だがスバルはそれに怯えずに続ける。

 

「近いうちに魔女教の怠惰、ペテルギウス・ロマネコンティが動き出して俺らの陣営を襲う。だが、ウチはあいにくと戦力が足りない、というよりも手が回らねぇ」

 

 事実、倒すこと自体は不可能ではないかもしれない、だがそれは犠牲を生んだうえでの成果だ。

 それは、シャオンたちが、スバルが望む未来ではない。

 

「だから、手を貸してほしい。勿論討伐で来たのなら討伐の名誉はすべてクルシュさんたちに渡す、これが追加の案だ」

 

「なるほど、それが卿の出す案か……ならば」

 

 スバルの言葉にクルシュは僅かに考え、そして落胆したかのように息を吐き、

 

「──要求は飲めないな」

 

 交渉の失敗を意味する言葉を口にした。

 

 ◇

 

 

「……単純に魔女教の脅威がそこまでじゃない、とかじゃねぇよな?」

 

「そんなことはない。奴らの行ってきた行為はそれこそ歴史に残るものだ、勿論最悪の意味でな。それを排除できたのならばなるほど、確かに条件としてはいいだろう」

 

 そう語るクルシュはおそらく自分たちよりも魔女教が行ってきた悪行について詳しいのだろう。なんならその場面に遭遇したこともあるかもしれない。

 十分メリットはあることは彼女もわかるはずだ、だがこちらの条件を飲まない理由。それは、

 

「魔女教が動くことはありえよう。奴らの教義と、これまでの活動からそれは明白だ。が、問題はその先だ」

 

「その先……?」

 

「簡単な話だ。なぜ、奴らが次にどこを狙うのか、卿に特定できる?」

 

 先の理由──それはつまり、クルシュがエミリアを助けない理由。

 

「答えは──卿の話に当家を動かすほどの信憑性がないから、だ」

 

 これまでの言葉が、前提が、ひっくり返るような発言で打ち抜いた。

 信憑性がない、の一言でこれまでのやり取りを切り捨てられる。

 だが、これは予想できていたことであり、そして外れてほしい、できれば気づかないでほしかった考えでもあった。

 そう、死に戻りだけが魔女教の行動計画を予見できるものであり、それを証明することはできない。所謂机上の空論というものに近いのだ。

 

「奴らの得体の知れなさは不可解なまでに徹底している。これまで、根絶やしにならずに四百年近くも存続してきたのがいい証左だ。そんな奴らの次なる愚行が、どうして卿に知り得たというのだ?」

 

「それは、魔女教の動きが昔からわかる──」

 

「嘘だな」

 

 スバルが思わず口にした言葉をクルシュは切り捨てる。その迷いのなさにおもわず言葉に詰まるスバルに、彼女は説明する。

 

「私は、相対している人間が嘘をついているかどうか、おおよそ見抜くことができる。昔から他者に欺かれる経験がないことが自慢でな」

 

 彼女は訝しげに瞳の色を変えるスバルの、その奥を覗き込んだまま、

 

「その経験から言ってしまうと、卿は『嘘』を口にしている。どこで嘘を吐いたのかまでは読み取れないが」

 

 ため息をこぼし、クルシュは鋭い眼光でスバルを、いやこちら全体を貫く。

 

「……奴らの情報網の薄暗さは歴史が証明している。掴んだのであれば、その根拠を示してもらう。それができないのならば、魔女教の討伐は交渉の場に出せない」

 

 それもそうだ、あちら側からすれば嘘の可能性も十分にあるのだ。

 もしもそうならば、クルシュの陣営はよくて無駄足、最悪魔女教の罠に嵌められてしまうこともあるからだろう。無論こちらが魔女教と通じているということがあったうえでだが。だからこそ彼女は求めているのだろう、確実性を。

 押し黙るスバルに代わり、クルシュがゆっくりと噛み含めるように、残念そうに、告げる。

 

「……どうやら、ここまでのようだ。申し訳ないとは思うがこちらも王選に挑む者として貪欲にいかなければならない、ホーシン商会ほどではなくともな。私は失礼させてもらう、このあとも仕事が溜まっているのでな」

 

「……わるいな、時間を使わせちまって」

 

「なに、存外悪くはなかった。卿の存在はエミリアを助けることになるだろう、そう実感させられたさ」

 

 クルシュは嫌味などではなく本心からの言葉でこちらへと称賛の言葉を贈る。

 確かに彼女からの評価は上がったのだろう。長い目で見ればそれだけでも前進だ、だが──エミリア陣営とクルシュ陣営との交渉は、エミリアを助けるための、数少ない方法は結局のところ失敗したのだ。

 

 ◇

 

「いい線は行っていたと思うんだが、やっぱ形があるものじゃなければ厳しいか」

 

 現在、シャオンたちはクルシュ邸の外、正確にはクルシュ邸よりも少し離れた場所にいる。

 流石に交渉が失敗した状態で厄介になるのは気まずいし、何より時間がないのだ。なるべく動くしかない。

 あとはもう一つの希望だったレムの帰りを待つためでもあったのだが、

 

「スバルくん、申し訳ありません。こちらも……」

 

 走ってきたレムの謝罪の言葉でその希望は潰えたことがわかる。

 レムに頼んでいたのはクルシュ陣営とは別の陣営、フェルトの陣営との同盟関係。更に言うならばラインハルトの助力を得られないかという考えだったのだが、結果はラインハルト含めフェルトたちが王都にいないというものだった。

 王都に戻ってもらおうにも、魔女教の襲撃までのタイムリミットには間に合わない。

 これで、数少ない方法がさらに少なくなった、だが

 

「立ち止まっている暇はねぇ、次の候補だ。シャオンとアリシアはアナスタシアさん所へ、俺とレムは──あの傲慢にあってくるよ」

 

「まじか」

 

 スバルの言う傲慢。その言葉が似合う人物は今のところ一人しかいない。

 傲岸不遜なる王選候補者、プリシラ・バーリエルだ。

 彼女自身の戦闘能力や勢力はわからないが、ただ者ではないことは明らかだろう。それは王選の場面を見ていただけで十分感じられた。

 そして、スバルと彼女は一応顔見知りではあるらしい、ならば確かにスバルがいくべきなのだろう。

 

「俺もついていったほうがいいんじゃないか?」

 

 レムもいるだろうがやはり不安が拭えない。

 下手をすればスバルが死んでしまうような、そんな予感と不安が胸を占める。

 だがシャオンとは対照的にスバルは鼻で笑い、

 

「アホか、お前がこっち来たらアナスタシアさんの所はどうすんだよ。俺がそっち言ったら尻の毛まで毟られて終わりだぜ?」

 

「それは、そうだが」

 

 確かにスバルの言う通り、彼女と交渉をするのならば自分たちのほうがいいだろう。

 理由としてはスバルと彼女の、騎士も含めて相性が最悪だろうというのもあるが、スバルがプリシラを担当する理由と同様にある程度交流があるシャオンとアリシアのほうが確率が上がるからだ。

 

「ま、そんなわけだから安心してこっちは任せて、大船に乗ったつもりでいてくれや」

 

 そう言いスバルは拳を突き出す。

 心配するなとでも言いたげだが、生憎とその拳は生まれたての羊のように震えていた。

 だが、あえてそれを指摘せずに、

 

「泥船じゃないことを祈るよ」

 

 震えている拳に、若干強めに拳をぶつけスバルを激励する。

 勿論、スバルだけではなくシャオン自身にも言い聞かせるように。

 

 プリシラ邸に向かうスバルとレムを見送り、シャオンとアリシアはアナスタシアがいる屋敷へと向かう。

 幸いにもそこまで距離が離れているわけではないので今からでも問題なく間に合うだろう。

 

「さて、行くぞアリシア」

 

「了解っす、っていっても、上手くいくんすかねぇ」

 

 その言葉は作戦の不安というよりも、アリシアがアナスタシアの『強さ』を知っているからの言葉だろう。

 それはシャオンが感じているものよりも濃く、深いものだ。ただ、それでも。

 

「でも、やるしかない。何かあれば助けてくれよ」

 

「……頼りにしてるんすか?」

 

 キョトンとしている彼女に呆れた顔を見せ、鼻先を指ではじく。

 

「あったりまえ」

 

「……ふふ、わかった。期待には応えるっすよ!」

 

 先ほどまでの不安はどこに行ったのやら、アリシアはまるで今にも走り出しそうなほどにやる気を見せていた。

 

 




そろそろあれが動きます。強化されたあれが


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拙い交渉、見える希望

「妾はこう見えて、意外と本が好きでな」

 

 豪奢な椅子に座り、肘掛けに片手を置いた少女がそう語る。

 置いた腕と反対の手には凝った装丁の本を開いており、すでに後半に差しかかっているそれに目を走らせる姿は、どこかそれまでの彼女の雰囲気と異なっていた。

 ネグリジェのような薄手の衣に袖を通し、肩に衣と同じ色の白い布をかけた姿。豊満な体の曲線が惜し気もなく目の前にさらされている状態だが、男の視線を前にしながらも少女にはそれを意識した様子はない。

 来客を出迎えているとは思えないほど自然に、本の世界に没頭していた。

 絨毯の敷かれた床をスニーカーで踏み、放置されるスバルは途方に暮れる。

 中に通されたはいいものの、肝心の部屋の主はスバルに興味を払っていない。強引に話を始めようとすれば、冒頭の一言が返ってきたのみ。

 まさか、もう少しで読み終わる本だから読み終わるのを待て、と言われているのではあるまいか。

 と、胸中に芽生えた考えは、ページをたおやかにめくる姿を見ていると否定ができない。

 事実、彼女がそんな理不尽を言いかねない人物であることをスバルは知っている。

 太陽を映したような橙色の髪に、目に映る全てを焼き尽くす炎のような紅の双眸。透き通る白い肌に女性的な起伏に富んだ肢体。

 口を開かず、静かに本に視線を傾ける姿の美しさは表現する言葉を他に持たない。

 女の名前はプリシラ・バーリエル。

 王選の候補者のひとりであり、スバルが協力を求めて足を運んだ、次なる人物でもあった。

 

 

 

「……面白い男よな」

 

読み終えたのか、本を閉じ、初めてスバルの方を見る。

 

 

「まるで別人かとみまちがうような目、あれほどの醜態をさらしたうえで生きている剛胆さにも驚くが……いったい何があった?」

 

「俺に惚れた女からの熱い喝をね、だが安心しろ。俺は変わってねぇ、変わらず情けない俺のままだよ」

 

だが、と区切り

 

「情けない俺でも見てくれる奴がいるってわかったら張り切るしかねぇだろ、男なんだからよ」

 

 ゆっくりと目を細めたのだった。

 

 ◇

 場所は初めてアナスタシア邸を訪れた際に使用した客間だ。

 前回とは違うのは場の空気の重さだろうか。

 アナスタシアのそばに控えるのは彼女の騎士、ユリウスではなく鉄の牙の副隊長を務めるルウのみだ。だが、部屋の外にはいくつかの気配がする。変な気を起こしたならばこの気配の発信者はシャオン達を襲うだろう。

 

「まぁとりあえず席に着いてええよ?」

 

 こちらが緊張しているのを読み取ったのか、アナスタシアが座るように促す。

 

 それに従い、用意された座布団に姿勢を正しながら座る。

 

「ごめんなぁ、一応護衛ということでルウを控えさせてもらうわ」

 

 話によればユリウスはスバルとの一件以降謹慎処分を受けているらしい。だから代理としてルウが来ているのだろう。

 いや、正確には控えているのはルウだけではない、この場所自体が、彼女の、アナスタシア陣営の本拠地なのだ、当然彼女の抱える戦力、戦略の全てがここにあり、そしてそれが考えすぎではないことを嫌になるくらいの敵意の視線が教えてくれていた。

 だが、シャオンはあえてそこに突っ込んだ。

 突っ込まざるを得ないのもあったが彼女の油断を誘えないかと考えた上の判断だが、結果はよくわからない。それほどまでにアナスタシアの様子は変わらないのだ。

 

「それで、世間話ちゅうわけやないんやろ?」

 

「それだったらもっと気軽に話しますよ、料理でもつまみながら」

 

「なら愛の告白? だったらアリィを連れているのは減点やなぁ」

 

「あのですね、こっちは真面目に」

 

「うん、ウチも冗談が過ぎたわぁ……でも、ヒナヅキくんもおなじやろ?──魔女教の討伐に手を貸してくれ、なんて妄言口にするなんて」

 

 ぞわり、と彼女の纏う雰囲気が変化したような気がした。

 

 □

 

「今回の王選が始まる際に魔女教が動くのは予想はできてたんよ、理由は聞かへんでもええよな?」

 

「エミリア嬢の参加、ですよね」

 

 こくりとアナスタシアは頷く。

 

「だから魔女教の討伐に関してはそこまで驚くことではあらへん。ヒナヅキくんのとこからのお話ならなおさらやな」

 

 ならば、妄言と口にした意味はなんなのだろうか。

 それを問おうとした瞬間に、アナスタシアは先を読んだように口を開いた。

 

「ウチが妄言っていうたのはヒナヅキくんがまるで魔女教の居場所が、更に言うなら今後やっこさんらが襲ってくる計画を詳しく知っているみたいな口ぶりをしていたんやもん」

 

「……それで? 情報の出所は?」

 

「とある筋から教えてもらった、といったら信じますか?」

 

「ふーん、それでとある筋っていうのを明かすわけにはいかへんちゅうわけやないよな?」

 

「守秘義務があります。この交渉を呑んでくださるのならば明らかにしましょう」

 

 焦る内心を言葉でごまかす。だが、それすら筒抜けだ。

 

「雑な交渉やなぁ、嫌やないけど。ま、ウチとアリィとの仲、ヒナヅキくんとの仲や、突っ込まんでもええよ。でもこっから先は別」

 

 呑んでいた湯飲みを置き、彼女の瞳は商人のものへと切り替わる。

 

「──当然、出せるものはあるんやろ?」

 

「エリオール大森林の魔鉱石、その採掘権の分譲が主な取引き材料です」

 

 クルシュにも提案した交渉の案をアナスタシアにも同じように出す。

 正直スバルの交渉相手は恐らく魔鉱石にはそこまで興味はないはずだ。だからこの手札を切るのは悪くない。なんなら少しくらい割増しにすることも可能だろう。

 実際に彼女の喰いつきは悪くない。

 この話題を口に出した瞬間に僅かではあるが確実に瞳に欲の光を見せていたのだから。

 

「へぇ、それは魅力的やなぁ……それから?」

 

「それから……」

 

「なんや、もしかしてそれだけでウチが力を貸すとでも思ったん? 確かに正直、手を貸してもええかなぁとは思う。でも、それだけの条件だけじゃ足りへんかなぁとも思う」

 

 そう言ってアナスタシアは舌なめずりをしながら、こちらの首筋を右手で優しく撫でる。

 

 その感触に思わず寒気を感じ払いのける。しかし彼女はそれを気にした様子もなく、いやそれどころかこの反応すら楽しんでいるようにも感じた。

 

「せっかくうちらが上にいるんや、欲は抑えんよ?」

 

 強欲。

 彼女があの場で口にしたこと、そして抱いた印象。それを改めて実感させられた。

 ただ彼女のもう少し条件の上乗せというのは、鉄の牙の被害を考えればわからなくもない。

 しかし、彼女のような商人ならばクルシュとは違って、魔鉱石の採掘権のみで飲んでくれると思っていたがやはり希望的観測だったか。

 

「エミリア陣営との同盟、はどうです?」

 

「それがヒナヅキくんがとれる最後の切り札ってことでええの?」

 

 沈黙を肯定と受け取り、何度か頷いたうえで答えを口にした。

 

「──なら、この交渉は無理やな」

「────」

「うん、ヒナヅキくんの考えとることはわかるよ? そしてその考えていることもあっとる」

 

 ならなぜ、という言葉は出なかった。

 それは驚きによるものか、はたまた心のどこかで予想していたことだったからなのか。

 

「──そもそも、その提案を受け入れるちゅうことは、王選の離脱を意味するけど、ええの? ヒナヅキくん?」

 

 沈黙に差し込まれた鋭い指摘にシャオンは珍しく口をぽかんと開ける。が、そのシャオンを見やるアナスタシアの視線は芸を見て楽しんでいるようなものを秘めていた。

 

「当然だろ。自分の領地の危機を余所の領主に丸投げするなど、王の器以前の問題だ。領民を守ることすらできないのにさらに巨大な国を背負って立つことなどできるか」

 

 ルツの言葉を継ぐようにアナスタシアは笑う。

 

「なにより、今目の前で一つの陣営が脱落しそうなのを見逃さない手はあらんやろ? 焦り過ぎや、ヒナヅキくん。今なら簡単食べられそうやわ」

 

「あ、う……」

 

言葉が出てこない。

覚悟はしていたことだ、だがアナスタシアの放つ圧力に呑まれ、ペースを握られてしまった。

それを好機と判断したのか、彼女はニヤリと笑い、

 

「勿論、ヒナヅキくんがウチのもんになるなら話は──」

 

 その言葉は轟音、アリシアがテーブルをたたき割った音によって遮られた。

 

「シャオン。ここまでっす。これ以上交渉材料がないならどうやってもアタシらは”完全に呑まれる”」

「あら残念、もぉすこしで貰えたのに……」

 

 クスクスと笑う女狐。結果は惨敗であり、我々が手に入れられたのはそんな笑い声だけだった。

 

 

 

 ◆

 待ち合わせの先にいたのはシャオンたちが先だった。

 さて、どうしたものかと考えている矢先、

 

「スバル、悪い。こっちは駄目……」

 

 こちらへ駆け寄るスバルに交渉失敗の情報を伝えようとしたその時、シャオンの目には予想外の人物が写った。

 彼女は、その燃えるような髪を払い、獅子の様に鋭い眼光をシャオンに浴びせ、つまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「ふん、なんじゃ? 妾の美貌に見惚れるのは当然のことであるが、許可なく見て良い理由にはならんぞ、人形」

「マジかよ」

「……俺も予想外だよ」

 

 そう言うスバルではあったがその表情に浮かんでいたのは明らかな喜びの色だ。

 プリシラ・バーリエル。

 特異な王選参加者の中でも、更に異質であり、印象には残っていた。

 傲慢とも思えるその立ち振る舞いは、彼女が持つであろう実力の裏付けだろう。事実、彼女は戦力だけで見れば王選参加者の中でも上位だろうとシャオンも感じていた。

 だから、助けになってくれるのはおもわぬ誤算であり、良い知らせではある。ただ、問題としてあげられるのは彼女の性格であり、信用性だ。

 彼女の気まぐれで裏切られる可能性もゼロではない。第一交渉に応じるメリットがないのだ。

 だが、彼女は応じ、実際にここまでやってきたのだ。こちらをぬか喜びさせるためだけにそうしたのならば悪趣味が過ぎるが。

 だから、当然スバルに問いかける。

 一体どんな手で、そんなありきたりの言葉が出る前にスバルはその証拠を見せた、というよりも”それ”を持つプリシラの姿を見せた。

 

「まさか、あれが役に立つのがこの場面だとは」

 

 そう、彼女が持つそのアイテムは、黒い光沢が鮮やかな小さな物──ケータイ電話だった。

 

 



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違和感

「なるほど、“ミーティア“を交渉材料にねぇ」

「はい! それにしてもスバルくんがミーティアを持っているなんて知りませんでした、凄いです!」

「おいおい、ほめるなよ……なんていうか、俺が作ったものでもねぇし素直に喜べねぇから」

 

 レムはニコニコと笑いスバルを称賛している。

 あのミーティアもといケータイ電話は元の世界にいてこそ役割を果たすもの。この世界では使い道などほとんどないだろう。強いて言うなら写真を取ったり時間の確認やアラームぐらいだろうか。

 それでもこの世界では再現が不可能なテクノロジーではある。売るのであれば少なくとも一年は過ごせるほどの大金を稼げるのだから、十分な価値ではあり、交渉にも役立てられるだろう。 

 ただ、交渉の相手がプリシラというのが不安要素だ。もしも興味があるのは今だけで、飽きたから交渉を無効とするというとんでもない事態もあり得ない話ではない。

 これだったら、アナスタシアかあるいはクルシュに対する交渉の一部で使ったほうがよかった気もする。 

 

「……次回、試してみるか。俺のほうにもあるしな」

「おい、そこの人形」

 

 考えこんでいると、件の彼女が視線に気付いたのか不快を隠さない表情でこちらを見つめ返してきた。

 

「そこにいる兜の置物よりも不快じゃぞ? その目を止めよ」

「無茶を言わないでくださいよ、プリシラ嬢。生まれつきでして」

「ならばアルのように兜を被れ、妾の屋敷には絶対入れないが、道端で道化としては十分勤めを果たせるであろうよ」

 

 そう告げ、彼女はケータイを手の中で弄りながら去っていく。

 彼女の毒舌にも慣れてしまった自分に苦笑いをしつつ、入れ替わるかのように一人の男性が近づいてくることに気付く。

 黒い鉄兜で覆っている怪しすぎる風体、その怪しさに磨きをかけているのはあるはずの場所にない、片腕の存在だろう。腰に青龍刀に似た刀を差し込んだ草履姿の男性。初見であればシャオンは不審者だと思い警戒していただろう。

 だが、彼のその異様な姿を見るのはシャオンは二度目だ。確か名前は、

 

「……どうも、えっと。アルデバランさんでしたっけ」

「ああ」

 

 アルデバラン

 プリシラの騎士であり、傭兵。ヴォラキア帝国で剣奴として扱われていたと話があったことをようやく思い出せる。

 直接話す機会はほとんどなかったが、確か最初の出会いはスバルが城に忍び込んんだ時だったろうか。

 そんな彼が一体何の用だろうと疑問に思っていると、その兜で隠れた口が開かれるよりも前に、スバルがからかうようにアルデバランへと近づく。

 

「どうしたよ、アル。腹でも痛いのか? それとも何かシャオンがしたか?」

「悩みになるくらい快便だよ。いや、悪い、いや本当に悪い。たぶん9対1で俺がわりぃわ」

 

 軽口で返す彼ではあるが、それでも身に纏う雰囲気は和らぐことはなくこちらを射貫いている。

 ただ、心当たりがないシャオンにはどう反応していいのかわからない。そのため、詳しく話を聞こうと近づいた瞬間、

 

「共闘の件は姫さんの決定だ、仕方なく納得はするがそれでも近づかないでくれ、嫌な臭いがするんでね、生ゴミみてぇな生理的に無理な奴みてぇな」

 

 彼は一歩後退り、拒絶の態度をあらわにする。そして兜越しからあふれ出る、いや隠そうとしない殺意がシャオンを襲ったのだ。

 それは気のせいではなく、近くにいたスバルすら慄くほどだ。

 

「ちょ、ちょっとまてよおい! いったいシャオンが何したってんだよ」

「何もしてねぇよ、だから言っただろ? 悪いって。ただ1割くらいはお前さんの責任でもある、だからこれが譲歩だ。ああ、安心しろ……姫さんとの交渉については俺はなんも口出しはしねぇよ……まぁ、魔女教徒やり合うってのは尻尾を巻いて逃げてぇがそれをしたら姫さんが真っ二つにしてくるだけだろうしな」

 

 アルはわずかに落ち着きを取り戻し、殺意を引っ込め敵意のみを残す。

 

「兄弟。これは最低限の決まりだ。こいつをなるべく俺の視界にいれるな、互いのためだ」

「……それを守れば共闘に異論はないんですね?」

「異論も何も姫さんが唱えさせてはくれねぇだろうさ、まぁ、これを呑むかどうかで俺のやる気には大きくかかわるわな」

 

 冗談のように言う彼ではあるがその声色は真剣そのもの、であればシャオンが取る行動は一つだろう。

 

「わかりました、いいでしょう。善処します」

「お、話が早いのは助かる。それじゃあな」

 

 こちらの了承を得ると、まるでその場から逃げるようにアルは去っていくだろう。その姿が見えなくなったあたりでスバルが小さく呟く。

 

「……いいのかよ」

「んー、まぁ生理的に無理って言うなら仕方ないんじゃないか。元の世界でもよく言われていたし」

 

 気遣うような言葉にシャオンは明るく応える。

 事実気にしてはいないのだ、申告があっただけまし、気に入らないから背後から襲うなどといった事態にならず助かったまである。

 こちらの真意を読み取ったのかそれともシャオンの明るい様子にスバルの顔もわずかにほころび軽口で答える。

 

「おいおいお前の俺のトラウマも抉られるような話ならやめてくれよ?」

「あはは、いつか話して今後のお前のためにメンタルをきたえてやらないといけないな」

「お、おてやわらかに頼むぞ? マジで」

 

 そう怯えるスバルを笑いながら、いつか元の世界での生活を互いに話し合えたらいいなと、思うのだった。

 

 プリシラとアルデバランには別の場所で一度待機してもらって、シャオンたちは行商人たちが集まっている飲食店へと足を運んでいた。

 今この場にいるのはレムとスバル、そしてシャオンだ。アリシアはもしも交渉が失敗してしまった場合の代案としてアナスタシアに竜車の交渉をしてもらっている。

 スバルの情報では、特別なことが起きていない場合、頼りになる行商人がここにいるとのうわさではあるが──

 

「ここにいる商人と竜車──足を金で売ってくれる奴は、全員俺に買われてくれ!」

 

 スバルの『商談』に顔を見合わせた行商人たちは、揃ってそれが冗談かなにかだとでも思ったのか、頬を厭味ったらしくゆるめてみせた。

 が、スバルの意思を体現するように、預けられていた路銀の入った袋を掲げ、その口を開けて中身を見えるように巡らせるレムの姿に全員の顔色が変わった。

 

「く、詳しく聞かせてもらっていいですか!?」

 

 そこからはスバルが話していた、オットーと呼ばれる少年を筆頭に、押し合いへし合いの立候補が始まる。

 結果として、その中継地点にいた十四名の行商人の内、十名がスバルたちに同行することが決まった。

 最初は話し合いも難航したが、オットーの提案でそれも綺麗に着地した。全員に損のないそのやり方は──、

 

「大型の竜車と車両を持つ四人に、それぞれの荷の運搬を委託。後日、アガリを分配、勿論組合を通した確実な分配……なるほど」

「ええ、これでだれも損せずに、一人だけが得をするということはないと思います」

 

 異なる主張を取りまとめたオットーに、その場にいた全員がホクホク顔で賛成を示す。

 ただ、提案者であるオットーが恐る恐ると言った様子で手をあげこちらに訊ねる。

 

「一つ聞きたいんですが、僕の油を買い取っていただけるのは嬉しいんですが、その他にも竜車の足が必要ってのはどんな理由なんです?」

 

「これから俺たちはメイザース領に戻るとこだ。一応、ロズワール辺境伯のとこで働いているって設定なんでな」

 

「ええ、存じ上げてますよ。『亜人趣味』のロズワール・L・メイザース辺境伯。爵位持ちのルグニカ貴族の中でも、かなり変わったお人とはうかがってますが」

 

「おいおい、言葉には気を付けろよ? ここにいたのがピンク色の髪をしたメイドだったら今すぐお前の顔も変わったものになっていたぞ」

 

 ひぇ、と声を上げるオットーに小さく笑いながらもスバルは続ける。

 

「……ま、否定はしねぇところだよ。変態なのは事実だ」

 

「その辺境伯のお使いなのは信じるとしまして……竜車がご入り用なのはどうしてです? 正味、辺境伯でしたら自前の竜車もお持ちでしょう?」

 

「そりゃ当然、質がいいものがあるさ。だが今は、質よりも数がいるんだよ。乗せるものの量が多いんで、できたら車両の中は空っぽなのが望ましい。……オットーの場合は油も買い取りだから仕方ないけどな」

 

「感謝してますって。それで、運ぶ品物っていうのは……」

 

 口元で笑い、手はこちらのご機嫌をうかがうようにすり合わされている、いわゆるごますりの状態だ。が、細めてゆるめた瞼の奥、その瞳は感情を凍えさせてこちらを覗き込んでいた。

 スバルの語った辺境伯の使い、という身分を頭から信じてくれているわけではないらしい。その上で、身分の真偽に関わらず、運ばされるものの危険度が気にかかる様子だ。

 それも当然の懸念といえるだろう。

 辺境伯の従者であるという身分が真実であれば、外部の人間を雇って持ち運ばなければならないようなものを運ばされる。

 逆に語った身分が偽りだとすれば、辺境伯の関係者を騙る連中の行いの片棒を担がされる羽目になる。最大限、彼が注意を払うのは当然だ。

 そして、そんな疑念が理由で話を断られてはたまらない。故に、スバルは彼らを雇った理由を包み隠さず話すことにした。

 

「運ぶ品物っていうのはだな、人だ。つまり、人間だ。辺境伯の屋敷の近くに村がある。小さい村で、村民は全部合わせても百人はいない。その人たちを乗っけて、移動したい」

「……生きた?」

「当たり前だ」

 

 死体を運ぶなんて事態想像したくもないし、させない。そのために今こうして竜車を借りようとしているのだから。

 そもそも当初、オットーたちと遭遇する前の、エミリアとの合流を焦るスバルは完全に村人たちの逃げ足のことを失念していた。

 これに気付くのが遅れていれば、最悪、エミリアを含めた屋敷の人間と、村の子どもたちだけを竜車に乗せて安全地帯へ運び、危険覚悟で複数回の往復を迫られたかもしれない。

 スバルの言葉に不信感が否めないのか、困惑に眉を寄せるオットー。

 

「魔女教、ですか?」

 

 苦虫を噛み潰したような、仕方なく口にしたとでもいいたげにオットーはその言葉を放つ。

 オットーの確信めいたようなその言葉にスバルは内心驚きもあるが、エミリアの置かれている境遇を考えれば必然的にぶつかる問題だと思い直し、改めて肯定の意を込めて顎を引き、神妙な顔つきを作る。

 

「ああ、まぁ。ただ、それ以外にも、魔獣の問題もあるんだ」

 

「魔女教がらみなのは否定しないんですね……そして、魔獣ですか」

 

「あのあたりは昔から魔獣、ウルガルムが生息しててな。これまでは結界を張って、人と魔獣とで住み分けしてどうにか過ごしてたんだが……先日、結界を越え、被害が出た。けっこうな騒ぎだ」

 

「それで、念のために移動という話ですか? しかし……魔獣ならまだしも魔女教徒なると……」

 

 渋るオットーの様子にスバルは聞こえないように舌を打つ。隠し事をしてしまい、後から露呈した場合の事態を考えた告白だったが、悪手だったかもしれない。

 これは魔女教の世間からの影響を甘く見ていたスバルのミスだ。明らかに渋い顔をするようになったオットーにどう説明したものか考えていると、後ろでで控えていたシャオンがスバルの前に出た。

 

「シャオン──?」

 

 一体何をするつもりだ、という言葉よりも先にシャオンの口が開き、いつかも感じた不思議な感覚と共にそれは起きた。

 

「”これ以上の説明はいらないでしょう? もう、疑問はないはずですが”」

 

 僅かな発光と共に、シャオンが言葉を放つ。

 それは脳を揺さぶられるような感覚。それは、まるで心臓を握られているような感覚。そんな嫌な感覚に陥る。

 思わず唖然とするスバルを他所に、事態は進んでいく。

 

「──そうですね、もう疑問はないです」

 

 先ほどまで渋っていたオットーの様子はシャオンの言葉を受けて反転した様に、変わる。その瞳は焦点があっているようであっていない、まるで酒に酔っているかのようにも見える。

 しかし、スバルにはどうしようもできない。

 そのままシャオンとオットーがいくつかの言葉を交わし、納得した様に離れていく。

 そこでようやくスバルはシャオンに話しかけることが出来た。

 

「おい、シャオン?」

 

 まるで、普段となんら変わらない様子で彼はスバルに向き直る。

 その様子にスバルは言いようのない寒気を覚え、喉の奥で小さく音のようなものがなる。

 

 ――目の前にいるのはヒナヅキシャオンなのだろうか?

 ふとそんな疑問がスバルの中によぎるが頭を振り、否定する。

 

「時間がないのもあるが、話がこじれてしまう恐れがあったからな。乱暴ではあったがこの方がスムーズだ」

 

 事実、魔女教の話を出した瞬間オットーの雰囲気が若干ではあるが変化した。あれ以上話を続けていけば最悪の場合この交渉もなかったことになるなんて展開もあっただろう。

 そうなってしまえばスバルに解決の策は思いつかない。起きるのは殺戮と、そして八方塞がりのループがまた始まる。だから、

 

「どうしたスバル? 何か間違っていたか?」

「──何でもねぇよシャオン、お前は、間違えてねぇ」

 

 だが、確実に何かが変わってきている。それを理解できているのは──

 

「いや、今は、目の前の問題だよな、そう」

 

 ──自身の手の小ささはもう十分にわかっているのだ。多く掴もうとすると溢れていくのも身に染みている。だが、

 

「だけど、諦めはしねぇ。確実に一つ一つ掴んでいくぞ」

 

 言い聞かせるようにスバルは拳を握りしめ、出発の準備をし始めた。

 




お久しぶりです!
2期のPVで再燃焼しました!始まる前に3章を終わらせたいなぁ


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遭遇

 交渉が終わってから小一時間が経過した頃、シャオンたちは竜車を使い、現在メイザース領へと向かっている最中だ。

 四台の竜車にそれぞれの積み荷を移し、荷台の軽くなった竜車と商人が九人。油を積んだままのオットーを加えて十人が同行者だ。スバルとレム、シャオンとアリシア、プリシラとアルデバランが乗る竜車を合わせて十三台――かなり窮屈になるが、村人全員を乗せることも可能であるはず。

 

「いいんすか? せっかく高価な竜車を借りれたのに譲って?」

「ん? まぁ俺はいいかとおもうけど」

 

 アリシアがアナスタシアから借りてきた竜車はロズワール邸にあるものと相違ない、いや若干ながら彼女の有する者のほうが上等だろう。

 機嫌を損なわせない様にプリシラたちへと譲ったわけだが「まぁまぁじゃな、乗ってやろう」という、恐らく悪くないであろう評価を得たわけだ。

 恐らくそれがアリシアにとって気に入らないのだろう、若干拗ねたように頬を膨らませている。

 

「シャオンがそれでいいなら別に強くはいわないすよ? ただ!あの乗り心地は一度体験してみたほうがいいっすよ?」

「おいおいやめろよ、乗れないんだから」

 

 不満げな目線を流しながら、今後の流れと現状を整理する。

 宿営地に残り、朝方になってから王都に向かうという残留組と別れ、竜車は夜半の内に街道を出立する。

 先陣はオットー、スバルとレム、それにシャオンとアリシアだ。ちなみに交渉相手であるプリシラたちは最後尾にいる。

 

「夜半の間も走り続けて、メイザース領に入るのは朝方過ぎってところですかね」 

 

 竜車で並走するオットーが、こちらを横目に見立てを伝えてくる。

 不思議なことにそれほど声を張っている様子がないのに、それでもこちらに声が届く。どうやら地竜が持つ風の加護とやらの効能らしい。風や揺れの影響を受けないということは、こういったことにまで干渉するのだろう。

 ある程度の効果範囲はもちろんあるだろうが、声を張る必要がないのは素直に助かる。

 頷き、「休憩なしで悪いな」とスバルが答えると、

 

「いいええ! 文句なんてありませんとも。在庫処分ができる上に、運賃も弾んでもらえるとなれば僕は無敵です。三日三晩、走り通したこともありますよ!」

 

「……交渉終わった後、倒れないでくださいよ?」

「もしもそうなったら俺らは無視しておいていくからな?」 

 

 シャオンとスバルのツッコミにオットーの体が一瞬びくりと跳ねる。

 

「ま、まっさかー!」

 

 目を四方八方に泳がせながら、うろたえるオットーに苦笑し、それからシャオンは手綱を握るアリシアの方へ声をかける。

 

「アリシアもきつくなったら変わるからな、正直に言えよ?」

「鬼族の体力をなめないでほしいっすね、まぁそうなったら勿論遠慮なく言うっすよ……それにしても」

「どうした?」

「んー、なんかシャオン優しくないっすか? 気味悪いっすよ?」

 

 何気ない言葉だったのだろう。だがシャオンは少なからずとも動揺し、思わず言葉に詰まってしまう。幸いにも彼女が前を向いて竜車の手綱を操っていたおかげでこの表情を見られなかったのだが、きっと面白い表情を浮かべているに違いないだろう、今のシャオンは。

 それは、たぶん前の世界での惨劇を、彼女の死を覚えていることに起因する。

 別世界の話、もう終わった、どうにもならない話だとシャオンの中で切り捨てていたこと。その切り捨てが甘く、きっとそれが出てしまったゆえの過保護さだ。

 だが、それをアリシアは気味悪いとは言うが感じ取ったのだ。

 だったら、シャオンが今とる行動は、

 

「OK、交代はなしって意思表明ありがとさん」

 

 小さく笑い、ごまかすことだ。決して悟られてはいけない、悟られてしまっては――

 

「ちょ! 冗談っすよ!? わー! 優しいシャオンさんがいいなー!」

「あはは、面白いお二人ですね……うん」

「ああ、ウチの屋敷でも有名なバカップルだ」

「レムとスバルくんも負けてませんよ?」

「張り合わないで、照れる!」

 

 そんな会話を聞いたオットーやスバルを含め、周囲の商人は楽し気に笑うだろう。

 まるで、この暗闇を吹き飛ばしてくれるような明るい雰囲気がそこにはあった。

 

 

 

「そろそろ、街道の分岐点に着くはずですが。明るければ間違えるはずのない道なんですけど、今は結晶灯の明かりだけが頼りなので」

 

 言いながらレムが指差すのは、今も一心不乱に地を蹴る地竜――その太い首下に取りつけられた、光を放つ結晶灯の灯火だ。

 外灯などの照明装置が存在しないこの世界において、夜の視界確保はラグマイト鉱石の輝きか原始的な松明などの炎の光。あるいはもっと自然的に月明かりといった頼りないものに委ねる他にない。

 夜目の利く地竜にとっては、そのラグマイト鉱石だけで十分に道を誤らずに走れるのだとは思うが、

 

「生憎、俺たちにはほとんど見えないも同然なんだよな。御者台にも小さいのがついてるっちゃついてるが、手元しか見えないし」

 

 竜車の車両内には専用のものがあるが、それも御者台にまで光を届かせるほどのものではない。ともあれ、

 

「それで、道がわからなくなったって話なのか?」

「いえ。道がわからなくなる前に、地図を確認したいんです。スバルくんの足下の荷の中に、地図が入れてあるので出してほしいんですけど」 

 

「足下、これかな」

 

 スバルは暗がりをごそごそと爪先で探り、足に当たったそれを手繰り寄せる。

 けっこうな重さのそれを膝の上に抱え上げ、中に手を突っ込んで物色してみるが、 

 

「暗くて自信がない……地図が見つかってもこの暗さだと見えないんじゃないか?」

「鬼の夜目は、親父だったらこれくらい平気なんすけど……レムちゃんやアタシは夜目に関しては別にそこまで自信があるわけじゃないっすからね……」

 

 どうしたものか、とレムが表情を曇らせる。と、ふいに暗がりの中でシャオンの頭に閃くものがあった。そういえば、

 

「スバル、これ使え。中にスマホがある」

 

 スバルに声をかけて、シャオンは自分の私物の入った方の小袋を持ち出す。

 中には日常品などが収納されているものだ、その中にあるであろう求める感触を探して手を掻き回し、

 

「見つけた」 

 

 抜き出したスバルの手の中にあるのは冷たく固い感触。

 持ち主であるシャオンを除いて取り出しても暗がりでそれを確認できないず、首を傾げるが、スバルはそれを手の中で慣れない操作ながら、電源ボタンを押し込んだ。

 

「おい、パスワードは?」

「4649だったかな」

「ひねりねぇな……お、ほんとだ」

 

 しばしの沈黙のあと、画面に浮かび上がる『起動』のエフェクト。それからきっかり一秒のあと、スバルの手元が眩い光によって一気に照らし出された。

 パッと明るくなる光景に、レムが驚いたように眉を上げて、

 

「スバルくん、それって?」

「んー、シャオンが持ってるもう一つのミーティア。価値はどっちが上なんだろうな」

 

 異世界召喚初日以来の起動に、切れかけの電源ながら携帯は眩く輝いていた。

 スバル同様、シャオンがこの世界に落ちてきたとき、持ち込めた元の世界の物品のひとつだ。使えるのは、バッテリーの持つ限りという限定条件付きだが。 

 

「まさか明かり扱いで役立つ日がくるとは思わなかったよ、プリシラ嬢との交渉でスバルが使ったことで思い出せたよ」

「本来だったらかなりの値が張るものなんだけどな、ほらレム。照らしておくから、地図見てみ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 本来とは異なる使い方で文明に感謝し、スバルは荷物の中を照らし出す。光を当てられた鞄の中、丸められた地図をすぐに見つけて取り出すと、スバルは地図をレムの膝に差し出して、上から照らす。

 

「シャオンさん、なんですか、それ。見たことありませんけど」

 

 裏返りそうな声を出し、スバルに渡したスマホに興味津津でいるのはオットーだ。

 持ち主であるシャオンに話を聞きたいのかこちらの竜車の左につけたオットーは、身を乗り出すようにして小声で話しかける、

 

「見たことない結晶灯……いえ、結晶じゃないような。というか、そもそも素材が見たことないんですが」

 

 普段ならば、彼らに丁寧に解説してもよかったが、話がこじれてしまうと困る。

 首を横に振り、説明を欲しがっているオットーにシャオンは「申し訳ないけど」と前置きし、

 

「辺境伯に持たされてる秘密の道具。詳しいことは聞かないでくれると助かる。顔見知りが死体となって再会する場面は見たくない」

「うわぁ、なんですか、そのお金の臭いしかしない裏事情は……詳しく――」

 

 そんな会話は「わかりました」と声を上げたレムに遮られる。

 彼女は地図から顔を上げると、進行方向の先を指差し、

 

「もう少し走った先に、フリューゲルの大樹があります。そこから北東に向かう街道に沿っていけば、メイザース領に入れるはずです」

「「フリューゲルの大樹?」」

 

 聞き覚えのない単語にスバルとシャオンが首を傾げると、アリシアが「知らないっすか?」と小ばかにしたように指を立てて、

 

「フリューゲルの大樹っていうのは、リーファウス街道の真ん中にそびえるとってもでかい木っす。なんでもかなーり前、フリューゲルって賢者が植えたって伝承が残ってらしいっす」 

「それでフリューゲルの大樹ね。なんで植えたのかとか、そのあたりの事情は伝わってないのかよ」

「数百年も前の話っすからね。それにフリューゲルも、樹を植えたって話以外になにをしたのかイマイチわからない人っすからね」

「それのどこが賢者……?」

「あはは、その時代の人間に聞かなきゃわからないですよ……ほら! みえてきましたよ!」

 

 オットーの言葉を受けて、次第にシャオンの目にもはっきりと、夜の向こうにそびえ立つ大きな樹木があるのが見えるようになってきた。

 

「なるほど……これは、すごい」

 

 『樹齢千年』クラスの大木がそれに匹敵するだろうか。そんな大木がこちらを見下ろしていた。この世界では元の世界と植物の成長速度に違いがあるのか、短い期間ながら彼らに匹敵する雄々しさが大樹にはある。

 見上げても頂点が見えないほどの高い幹。天に突き立つように伸びる枝の数は膨大で、生い茂る葉もそれに相応しい量を誇る。太くたくましい幹を支えるのは、のたくる大蛇のように地を這い、大地に沈む根の数々だ。

 大森林の中にあれば目立たないが、平原の中に一本だけ立っているのだから、目印としてこれほど目立つものはあるまい。

 

「ハチ公前みたいな感じだな」

「あー、確かに」

「なに訳わからないこと言ってるんすか、ほら、揺れるっすよ」

 

 その大きさに呆気に取られ雑な返事をしてしまうシャオンを横に、アリシアは手綱をさばいて竜車の進路をわずかに変える。

 これで地図通り、北東方面に走ってメイザース領へ入るのだろう。

 

「電池が残ってて、気持ちに余裕があったら写真残しておいたな。シャオン、使っていい?」

「やめとけ、無駄になるだろ」

 

 電池残量がひとつしか残っていないスマホ。写真を撮った瞬間に電源が落ちるなんてあり得るかもしれない。気持ちはわかるがスバルには諦めてもらおう。

――ふと、オットーの反応がないことに気付く。スマホの話題に真っ先に食いついてきそうな彼が沈黙を貫いているのだ。

 やはり夜中走らせるのは無茶だったのだろうか、もしそうだったら事故を起こされては貯まったものじゃない。

 変わろうかと、話かけようとした瞬間に、

  

「オットー、少しやす……たぁ!?」

「すいません! 一度止まります!」

 

 勢いよく、竜車が走行を止めた、いやオットーが止めさせたのだろう。

 続いて後続の竜車も続くように止まっていく。ぶつからずに済んだのは僥倖だ。

 一体何かトラブルがあったのかとでもオットーに聞こうとしたとき、先に彼が口を開いた。

 

「――――お、お二人とも。すいません、確認してもらいたいんですが」

 

 急に竜車を停止させたオットーは震える声で道の先を指差す。

 

「僕の目の前に、何がいますか?」

「はぁ? なにって――」

 

 何も、いない。

 そう口にしたかったのだが、オットーの様子がそれをさせなかった。

 顔は青ざめ、額からは粘っこい汗が垂れ堕ち、声になった子とも奇跡だというほどに歯はカチカチと音を立てていた。 

 明らかに冗談や、気の所為ではない。目を凝らすと、何かが見えた。

 

「――僕の前に、何かがいたとして、それは”生物”ですか? なんなら人間とか?」 

「……いや、人ではねぇよ、少なくとも」

「酷い、死臭がするな」

 

 それは暗闇に紛れてはいたが、確かに存在していた。そこに、潜んでいたのだ。

 シャオンにはわかる、この臭いを放つのは、人間ではない。化け物だ

 

「あらぁー、流石に人扱いされないのはぁ傷つきますねぇ」

 

 間延びした声は幼さを感じさせるが、近づいてくるに声の主は大人の女性だとわかる。

 珍しい黒色の髪を二つに分けて結び、ずれた眼鏡と、髪についている桃色の花飾り以外はアクセサリーというものは身に着けていない。

 薄縁眼鏡のレンズ越しに見える、眠そうな目蓋からは髪と同色の瞳がわずかに見えていた。

 

「どうもー、夜分遅くにこんばんはー」 

 

 ぞわり、と虫が蠢くような不快感を覚えるのは気のせいではないだろう。 

 彼女の放つ声は心が揺れるような、そんな独特な声色だった。 

 

「……おいおい、ランダムエンカウントとか聞いてねぇぞ」

「こんな大勢でどちらにー? あまり予定から外れてしまうと困るのですが―?」 

 

 リーベンス・カルベニア。

 魔女教の一人であり、ルカの母親でもあり、そして何よりシャオン達が超えるべき壁の一つがそこにいた。

 




ヒント:オットーが真っ先に気付いたのが、リーベンスの能力の鍵に……


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異形、3体

「魔女教徒……!」

「おや? ご存知ですかぁ、そうですよぉ私が――」

 

 それ以上の言葉は聞きたくないとでも言いたいのか、レムの右足がリーベンスの顔面を踏み抜いた。

 鬼の力を全力に振り絞って放たれた一撃は容赦なく彼女の体を遠くへと弾き飛ばす。

 止める気など毛頭なかったが、声をかけるスキすら与えてくれないほどの速さに、シャオンは思わず舌を巻く

 

「ちょ、まじっすか?」

「シャオンくん、スバルくんをお願いします」

「あ、ちょっと! 待ってくれっす!」

 

 駆け出すレムを追いかけようとアリシアも走り出す。

 シャオンも追いかけようとした瞬間、黒い外套の集団が行く手を遮った。

 もう何度その命を奪ったのだろう、忘れることはない、魔女教徒だ。奴らがシャオンに後を追わせないように動いた。 

 

「アリシア! レム嬢を……俺もあとから行く」

「合点承知の助! で、あってるんすか? 使い方」

 

 そんな言葉を口にしながら闇に消えていったレムを追いかけアリシアも姿を消す。

 現在この場にいるのは、シャオンとスバル、それに顔を青ざめ、しゃべることすら困難なオットーだ。

 後方にいるプリシラたちに事態を伝えたいが、魔女教徒はそれをさせない様に止めたこちらの竜車を取り囲んでいる。いずれ、彼女たちも事態に気付くだろうが、時間はあまりない。

 あのリーベンスは普通の魔女教徒とは違う。実際にシャオンは見てはいないが、スバルは前回の世界でその実力を見ているのだ、二人が負けるとは思いたくないができるのならば早く自分も加わって万全を期したいのだ。

 しかし、

 

「スバル、俺の傍から離れるなよ」

「ああ、情けないけどヒロインムーヴを見せつけてやるよ……頼むぞ」

 

 いま一時的にこの場を切り抜けてもこの魔女教徒にいつ狙われるかわからない危うい場所で、スバルとオットーを置いていくことになる、置いて行かなくても彼女との激戦の場に連れていってしまうことになるだろう。

 であれば、ある程度この場で引きつけて隙を見て後方にいるプリシラたちへと応援を頼みに行く。そうするのがきっと最善だろう。

 

「な、なんでこんな、ことに」

「……ほんと可哀想だけど命は保証するから耐えてくれよ」

 

 完全に巻き込んでしまったオットーに同情の意を示しながら、拳を握り、二人の前へと降り立った。

 

 弾き飛ばされた先、土で汚れた服を手ではたき落としながら女、リーベンスは不満げに言う。

 

「乱暴ですね、名乗っただけなのにいきなり蹴りを入れられるとは、常識ないんじゃないですかぁ?」

「お前らに対してそんなものは必要ない、魔女教め」」

 

 啖呵を切るレムではあったが目の前の女、リーベンスの様子に違和感は拭えない。

 レムの一撃により、つけていた眼鏡は壊れてはいるが、それ以外のダメージがないのだ。

 

「待つっすよ、レムちゃん!」

 

 遅れてきたアリシアの姿を見て、レムは彼女の傍へと下がる。

 そして、アリシアの姿を見たリーベンスは驚いたような表情を浮かべ、次いで優しそうな笑みを彼女へと向けた。

 

「あら、お久しぶりですねぇ、アリシアさん」

「……本当に魔女教なんすね、リーベンスさん」

「ええ、証拠でもお見せしましょうか?」

 

 そう言って彼女が懐から取り出したのは黒い装丁の本。

 アリシアでも話に聞いたことあるそれは”福音”というものだ。

 魔女の復活のための道標が記載されているとか、自然に記述が増えていくなどの噂があるがそんなことよりも今確定している事実は1つ。

 

――リーベンス・カルベニアは魔女教徒であることだ。

 

 その事実にもやはり納得ができずアリシアは叫んだ。

 

「なんでっすか!? リーベンスさん、貴方は優しい人だったはずっすよ! 少なくとも平気で人の命を奪えるような、そんな人間じゃ……」

「えぇ? アリシアさんとは仲良くはしていましたが、過ごした時間は一日にも満たないじゃないですかぁ? それでそんな評価されましてもぉ」

「る、ルカちゃんは、どうなるんすか。お母さんの帰りを待ってるんすよ……?」

「――どちらさまですぅ?」

 

 その言葉にアリシアの思考が完全に停止した。

 しかしリーベンスは思い出したかのように手を打ち、話を続けた。 

 

「あ、もしかしてこの体の持ち主のことですかねぇ。記憶は引き継げるから、娘さんの名前は利用させていただきましたぁ」

「どういう、こと」

「いやいや、潜入するためにちょうどいい体がなかったので拝借したんですよぉ。邪魔だったからもう”中身”は空っぽですけど。たまーに、記憶が残ってるのか引っ張っられるときはあるんですよねぇ……あ、最期まで娘の名前を叫んでましたねぇ、思い入れが強すぎると情が移っちゃうんですよね」

 

「そのほうが演技がばれにくくて好都合ですが」と、続ける彼女の言葉はアリシアの頭には入ってこない。

 

 レムが、拳を握りしめながらこちらへ語り掛ける。

 

「アリシアさん、こいつらはそういうものなんです……平気で人の人生を踏みにじり、あざ笑う。なによりたちが悪いのがそれを悪とも思わない。それが、魔女教徒なんです」

 

 レムの言う通り、アリシアは認識が誤っていた、噂通り、目の前で、アリシア自身が対面することで理解ができた。こいつらは、生きてはいけない存在だ。

 

「――殺す」

 

 呟きは小さく、ただ、氷のように冷たい殺意を抱きながらアリシアは手甲を打ち鳴らしたのだ。

 

 先手を切ったのはレムの鉄球だ。

 空気を切り、襲い掛かるその一撃は喰らえば弾き飛ぶほどの威力をもっているだろう。しかし、

 

「危ないですねぇ、では。巻き起これ旋風、疾風、黒い刃!」

 

 まるで指揮者のように指を振るいながらリーベンスは笑う。

 どこからか吹いた黒い暴風が鉄球を弾き、目の前の地面をカマイタチの様な後を残し、削り取る。

 その風に当たれば熟れた果実のように容易に自身の体はつぶれるだろうだが、指の動きと連動しているそれは避けるのはたやすい。

 さらに、鬼族であるレムとアリシアにとっては攻撃をする余裕すら生まれてくる。

 

「ヒューマ!」

「どこ狙っているんですかぁ?」 

 

 攻撃をかわし、レムの腕から放たれた氷のつぶてはリーベンスに当たることはなく、散らばる。

 ずさんな魔法を馬鹿にしたかのようにリーベンスは笑う。だが、

 

「いえ、狙い通りですよ。魔女教」

 

 返すように笑みを浮かべながら、レムは鉄球をリーベンスへと振るう。

 彼女は奇妙な動きで体を進ませ、その一撃を躱す、いや躱そうとした。

 

「おや?」

 

 リーベンスの体が硬直し、つんのめるような体制で止まった。

 自らの足を止めた原因は一体何かと、視線をそちらに向けると、足元が氷によって地面へと縫い付けられているのを目にした。

 レムは最初の一撃でリーベンスを直接狙うのではなく、まずは足を奪ったのだ。それを知らずに動いてしまった所為で、リーベンスの態勢は崩れ、いわゆる隙だらけの状態にある。彼女もそれを理解しているのか慌てて体を起こそうとしたが、すでに遅い。

 態勢が崩れたリーベンスの前に、アリシアがすかさず近づき、

 

「つぶれろっ!」

 

 そんな乱暴な言葉と共に彼女の顔面をアリシアの拳が下から撃ち抜く。

 溜めをしっかりと含んだ一撃はリーベンスの鼻頭を確実に削り取った、しかし。

 

「───吹き飛べ」

「っ!?」

「レムちゃん!?」

 

 瞬間、レムの体がまるで何かに殴り飛ばされたかのように遠くへ弾き飛ばされる。

 アリシアが思わずそちらへと顔を向けたときに、ぞわりとした嫌な予感を感じアリシアは今いる場所から飛びのこうとする。

 その瞬間、アリシアのいた場所に数本の黒い触手のような、腕が突き刺さっていた。

 

「女性の顔を殴るなんてひどくありませんかぁ?」

 

 獲物を捕らえられなかったのが気にいられなかったのか、伸びた黒ずんだ腕は休む間もなくアリシアを掴もうと伸びる。しかしその動きは彼女にとっては止まっているにも等しく、簡単に避けることが出来る。

 ただ、

 

「腕が伸び――っ!」

 

 いくら動きが遅くても、予想外の動きに対応ができるかどうかはまた別の話。伸びきった腕からまた別の腕が生えてきたのだ。

 確実に逃げきれたと思ったアリシアだったが、その黒い手に足首を掴まれ、額から地面へと叩きつけられる。

 人間にはできないその攻撃に驚きながらも、いまだ足首を掴む黒い腕を無理矢理引きちぎり、アリシアは距離を取りつつレムの元へと近づく。

 

「あらら、とれちゃいましたねぇ」

「……レムちゃん、大丈夫っすか?」

「なんとか、ただ今何をされたのかがわからないのが不気味です……」

「不気味ってぇ、そんな言い方されるとへこみますねぇ、よよよ」

 

 泣きまねをしながら、リーベンスが複数に分かれた腕を振り回し、こちらへと一気に距離を詰めてくる。

 レムを襲った正体不明の一撃、アレを解明するか、それか短時間で仕留めきるか。

 

「個人的には慎重にいきたいんすけど……」

 

 状況と相手が問題なのだ。

 リーベンスは魔女教徒。であるのならば自分たちを狙う理由は限られてくる――ハーフエルフであるエミリアの存在だ。

 魔女教の悪行は知っている、アリシア自身直接見たわけではないが、聞いた話だけで思わず吐き気を覚えたほどに記憶に残っている。

 奴らがエミリアと出会えば、いやアーラム村に入った時点で待っているのは屍と絶望の山。

 レム曰くロズワールはいま村にはおらず、戦力として数えられているのはラムとエミリアだ。決して弱くない二人ではあるが、魔女教徒と戦うならば数が足りなすぎる。早く応援に向かわねば魔女教には勝てないだろう

 

 ならば――こいつにかけられる時間は少ないほうがいい。

 

 そう判断したアリシアは、意識を集中させて周囲のマナに語り掛ける。いや、それは語り掛けるのではなく、無理矢理命令しているのだ。

 彼女の額から、金髪をかき分け二対の光る角が生え、空気が吠える。角を中心に周囲のマナをねじ伏せて従わせ、自らの戦闘力を大きく高める。空気が冷たくなり、普通の精神力の持ち主ならば踵を返して逃げ去るのだろう。しかし目の前にいるのは狂人、常識は通じない。レムもアリシアと同じ考えに至ったのか、共鳴するかのように鬼化を行う。

 高まるマナ、空気を震わす唸り声、立ちふさがる2頭の鬼、その様子を見て、リーベンスの表情がわずかながらに、狂喜に歪んだ。

 

 

「鬼、そう、そうか。鬼、鬼ねぇ……ああ――感謝します! このめぐりあわせ!」

 

 くつくつと喉を鳴らしながら笑うリーベンス。

 天を仰ぎ、目を見開いた感激の意を示す彼女。もう正気など残されていなかった彼女だが、今までとは明らかに違う。

 その様子にアリシアは何か言いようがない恐怖を感じ、行動をする前に駆け出し、拳を振るう。

 

「シッ!」

 

 抵抗も、回避もなく彼女の体へ届いた拳は彼女の態勢を崩し、地面へと倒れさせる。そして反撃の暇を与えさせない様に、拳を振るっていく。

 右の拳が女の胸を、左拳が女の脇腹を、それぞれ骨と肉のひしゃげる音を立てて貫いたのを感じる。

 耳元、目の前、上下左右、自分の咆哮、衝撃音、入り混じりすぎて音では世界を正しく認識できない。だが、確実に攻撃だけは当てていく。短く息を吸い、怒涛の攻撃をぶつける、ぶつけきる。女の左腕が動く前にこちらの腕が振られて、鈍い音が連鎖する。

 

「アリシアさん!」

 

 呼びかけられた言葉にアリシアは連撃を止め、勢いよく飛びのける。

 直後冷気がその場を支配し、轟音と共にレムの魔法が放たれた。

 

「アルヒューマ!」

 

 十分にためた魔力は数メートルにも及ぶほどの巨大氷柱を生み、その殺意の塊が動かないリーベンスの胴体を貫き、串刺しにする。

 威力の大きさからか、周囲は土煙が起き、様子はうかがえない。

 だが、あのタイミングでは回避はできないだろう。その推測を証明するかのように、先の一撃の後を最後に反応がない。

 

「おわった、んすかね?」

「いえ、わかりません。でも、警戒は怠らない様に」

「とりあえず竜車に――は?」

 

 最初に見たのは穴の開いた自分の身体。

 小さな穴が複数開き、栓をなくしたそこから止まることなく流れるのは赤い液体。

 レムとアリシアは遅れてくる激痛と共にようやく理解する、自分の体の中から、何かが飛び出したのだ、と。

 

「あら、あらあら、あらあらあら、素晴らしいですねぇ、その顔」

 

 間の抜けた声の主はリーベンスだ。

 巨大な氷柱から無理矢理抜け出したのか、胴体が辛うじてつながっているその姿は満身創痍そのものだ。

 しかし、すぐにその体の穴は埋まっていく。肉が盛り上がり、蠢き、元に戻るその姿は明らかに異形。亜人である自分らよりもよっぽど人間離れしており、恐怖を覚えた。

 

「驚愕、唖然、理解、苦痛。焦りに恐怖、ああ、いい表情の変化ですねぇ……」

「いったい、なにを」

「あなたたちはどうやら、私の通常の術では効果がなさそうなので……腹立たしいけれども卑怯な手を使いましたぁ……ああ、でも、勝敗は最初から決まっていたんですよぉ、ごめんね?」

「――っ!」

 

 何かの攻撃をされた、ならば攻撃の隙を与えない様に、速度重視で攻撃をする。

 そう考えた駆け出そうとしたアリシアの足を、鉄球を振るおうとしたレムの腕を何かが貫く。そして、腕が、足が、あり得ない方向に捻じ曲がる。

 体の中の臓腑がかき混ぜられ、”なにか”が自身の体の中で暴れまわっているのを感じる。

 

「がっ、あああああっ、ぁああ!!」

「んー、いい声……さぁ! せめて、せめてその汚い魂を試練のために捧げなさい! 司教様に、シリウス様に、魔女に、そして何より――」

 

 周囲に響く悲痛な叫び声を受け、高ぶる声に混ざる高揚感、そして顔を喜びに赤く染めてリーベンスは笑う。

 虫のは音にも似た笑い声、それが――

 

「何、より? 何のために?」

 

 ふいに止まった。波紋を作っていた水面が急に消えた様に、それは突然のように消えたのだ。

 それと同時に浮いていた二人の体が地面へと落とされる、それは叩きつけるようなものではなく滑り落ちたかのような、そんなものだ。

 

「な、なにが?」

「私はシリウス様のために、だからペテルギウス様の試練を手伝って? でも、あれ、私って」

 

 事態の把握のために顔をあげたアリシアは、ぶつぶつとつぶやくリーベンスを見る。

 その様子は今までの雰囲気とはまるで違い、明らかな動揺、混迷、そしてなにより泣きそうな表情を浮かべていたのだ。

 しかしそれもわずかな間だけ、すぐに瞳に狂気を宿す。

 

「何かもっと大切なものが……いえ、違いますね。そう、すべては試練のために、捧げましょう」

 

 アリシアとレムの体が、再びねじれ始める。

 今度は、先ほどまでの熱もなく、ただただ決められたシナリオ通りこなしていく。

 それはまるで、何か嫌なものから逃げるように、思考を続けない様な焦りを持った行動。だから、だからこそ近づいていた彼の存在に気付くことが出来なかった。

 

「え?」

「――何が汚い魂だよ」

 

 男性には珍しい長い髪をたなびかせながら、飛び込んできた勢いをそのままに、彼は拳を突き出す。

 意識外からの一撃を避けることは叶わず、骨の折れる音と共に真横へリーベンスの体が飛ばされる。

 一度、二度跳ね、転がりようやく止まり、先ほどまで二人を襲っていたねじれも治まった。

 

「十分綺麗すぎて試練にはもったいないっての、なぁ?」

「ほんとっすよ……てか余裕そうっすね、わざと遅れてきたとかないっすよね? なんていうか、狙っていたみたいで腹立つ」

「まさか、これでも急いでいたっつの」

 

 そう、タイミングよく現れた男、シャオンは小さく笑ったのだ。

 



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怪人の歌声

「さて、今ので倒せてはいない、気張ってくれよ二人とも」

「ありがとうございます……」

「ずいぶん余裕っすね、頼りにしてもいいんすか?」

 

 癒しの拳で二人の傷を治しながら、アリシアの軽口に割らないながら応える。

 

「いや、ごめん。正直虚仮だよ、結構きついから本当に気張ってくれ」

「スバルは今プリシラ嬢を起こしに行ってる、もう少しで来るとは思うけど」

「寝てるんすか……」

 

 呆れたアリシアが、ふと戦闘態勢を取る。

 その原因は、当然。

 

「――あたた、今のはききましたよぉ?」

 

 折れたはずの首の骨をそのままに、千鳥足のようなふらついた足取りで迫りくる狂人。

 だが次の瞬間、

 

「あー、あー、治れ……”なおれ”」

 

 彼女の言葉が発せられたと同時に折れ曲がっていた首がまるで何事もなかったかのように元の位置へと戻る。

 その治癒速度はフェリスよりも、そして自分の癒しの拳よりも早いものだ。

 

「治療魔術使えるのかよ……」

「いえいえ、そんな大層なことはできませんよぉ。今のは魔法というよりも、正確にはぁ、”言霊”の利用ですしぃ」

 

 言霊。

 声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると悪いことが起こるという。

 元の世界でも普通に存在するといわれていた事象、それが今目の前の存在の口から発せられた。それに少なからず動揺を覚えたが、そんなシャオンの動揺を知ることが出来るのはスバルくらいだろう。

 案の定リーベンスは気にせずに話を続けていく。

 

「私の出身地であるグステコでは呪術が盛んでしてぇ、魔法とは少し違う力についてはお手の物なのですよぉ」

「解説どーも、そんなにネタバラシして大丈夫ですか? それで負けたら恥ずかしいですよ」

「説明すれば説明する分強くなりますからねー、理解力に作用されるんでぇ。ほら、今ならこんなことが出来るんですよぉ」

 

 リーベンスは両手を下から上へと振上げ、呟く。

 

「抉れ、隆起せよ」

 

 声に呼応するように目の前の地面が大きくめくり上げられ、津波のように3人に襲い掛かる。

 

「何でもありかよ!」

 

 岩ごと押し上げて襲い掛かる土の波。巻き込まれてはただでは済まないだろう、迎撃してもすべては破壊できないだろう。

 3人はそれを即座に判断し、勢いよく飛びのく。

 

「ほらぁ? 串刺しですよぉ? 浮いた状態で躱せますかぁ?」

 

 まるで待っていたかとでも言いたげに、空中に数十本の黒い槍が生まれ、シャオンに襲い掛かる。

 

「舐めるなっ!」

 

 不可視の腕を発動し、槍を全て撃ち落とす。

 そして、その勢いのまま不可視の腕の勢いを使ったまま、地面を抉り、土煙を起こしながらリーベンスの視界を封じる。

 

「レム嬢!」

「エルヒューマ!」

 

 呼びかけでシャオンの狙いを理解したレムが、氷の破片を作り、殺意のこもった速度でリーベンスへと向かう。

 ただ視界が不確かな状態で放たれたレムの魔法は見当違いの方向で飛ばされる。 

 

「甘い! アルフーラ!」

 

 シャオンの放つ暴風がその氷の破片をリーベンスへと導く。

 変則的なその動きに流石のリーベンスも対応ができなかったのか、数本の氷柱がその胴を貫いた。だが、そのまるで痛みを感じていないのか突き刺さった氷柱を乱暴に抜き捨てた。

 

「あらら、ならお返しに――」

 

 何かをシャオンへ飛ばそうとした瞬間、初めてリーベンスの表情が驚きの色を見せた。

 滑り込むように、リーベンスの懐へアリシアが潜む。

 体制は崩れ、強い一撃は放てないだろう。だが、それでもいいのだ(・・・・・・・・)

 

「とった」

 

 アリシアは飛び上がり、手甲をリーベンスの顔面にぶつける、しかしその一撃は今までのように吹き飛ばすような一撃ではなく、触れる程度の物。

 瞬間、爆発音と共に赤く光るそれは、『火』のマナが込められた炸裂弾のようなものだ。それが――顔面で爆発。火の魔鉱石を使用した一撃だ、少なくとも、人間だったら無傷では済まないだろう。

 

「とっておきの魔鉱石を直接浴びたら、流石に効くっすよね?」

 

 閃光を直接見てしまったことにより若干目に痛みを覚えるが、なんとか気を保ち真正面を見る。

 火薬臭さが取れない煙が晴れ、そこにいたのは

 

「あはぁ、油断しましたぁ」

「────」

 

 その光景を見て、レムは、アリシアは、シャオンは絶句する。

 結果から言おう、リーベンスは生きている。 

 だが、無傷ではない。

 鼻より上が消滅し、その先の夜の風景がしっかりと見通せる。確実に攻撃は聞いたはずだ。

 しかし、その穴は彼女の言葉と共に、肉が盛り上がり塞がっていく。

 3人の組み合わせた攻撃は、一瞬でなかったことになったのだ。

 

「でもぉ、じり貧ですよねぇ。それはこちらとしても困るのでぇ」

 

 こちらの様子を気にせずに、リーベンスは大きく息を吸い込み

 

「これを使いましょうかぁ――」

 

 ――歌を歌った。

 

 

「歌……?」

 

 聴いたこともない歌詞に、今までとは違うような透明感がある歌声。

 今までとは違い不快感を感じないその声は、逆に不安を煽る。シャオンは二人に警戒をするように伝えようとして、

 

「避けてください! シャオンくん!」

 

 レムの悲鳴にも似た声色に半ば本能的な速さで体をひねる。直後、轟音と共に”何か”がシャオンの横を通り過ぎた。

 

 「え……」

 

 遅れて知覚する痛みと、熱。鋭い嗅覚でなくてもわかるほどの鉄の匂い

 シャオンの右耳がレムによって抉られたと理解するのに時間はかからなかった。しかし、その理由までは考えが追い付かない、というよりも追いつく前に事態は加速する。 

 

「……逃げて」

 

 目の前でかがみ込んでいるアリシアの姿を目にする。

 いや、違う。

 かがみ込んでいるのではない、これは、一撃を溜めて――

 

「ぐっ!」

 

 辛うじて両腕で拳の一撃を防ぐ。

 衝撃自体はどうにも響くほどの一撃、鬼の一撃を耐えたのは奇跡とでもいえるだろうし、そもそも反応ができたのは彼女との日々の訓練によって学んだ癖を読んでいたからだろう。

 だからこそわかる、アリシアの一撃は手加減を感じられない一撃だった。

 威力だけでもなく、彼女のの腕が変な方向に曲がっており、彼女の体の限界を超える一撃だったことがわかる。

 それを無理やり引き出されたのだ、アリシアの体には結構な負荷を負っているのだろう。、

 

「体が――」

 

 見えない糸で操られているかのような滑稽な動きで、レムとアリシアはシャオンへ近づいてくる。

 浮かべている表情は恐怖に、焦り、しかし身に宿る殺意は痛いほどに感じ取れている。

 

「亜人なんかを飼っているからですよぉ」 

 

 歌うのを止め、リーベンスが浮かべた粘着質な笑みから察する。今のこの状況は彼女の仕業によるものだ。

 推測にはなるが、彼女の言う言霊。その発展だろう。なぜ、シャオンに効果がないのかはわからないが、一つわかることはシャオンは今詰みかけている、ということだ。

 この状態、実質3対1だろう。

 しかも、こっちはレムとアリシアに下手に危害を加えることはできないのに対して向こうは常に全力の状態だ。現在はなんとか躱し躱しながら対応していっているが、時間の問題。

 いや、それ以前に回避を行うだけで彼女たちの体力は削られているのが目にわかる。

 どうする、どうする、どうする。

 焦りが、痛みが思考を止めそうになる。時間もない、切れる手札も半分が消失した。頼れる仲間も、敵に変わり大本はいまだ健全。

 

「さようならー」

「あっ……」

 

 リーベンスの黒い槍がシャオンの心臓へと向かう。その一撃は確実にその位置を抉り抜くだろう。

 回避は間に合わない、できることは僅かに狙いを逸らすことだろうが、変幻自在の一撃にそれは難易度が高い。

 つまるところ、万事休すだ。

 それが、命を刈り取る槍が、届く前に、シャオンの前に赤い光が走った。

 

「――見にくい顔よな、人形」

 

 その光は吐き捨てるように告げた。

 迫りくる、黒い腕が切断され、宙を舞う。

 それが地面へ落ちるのすら許さないとでも言いたいのか、炎が黒い腕を消滅させた。

 

「だが、貴様よりもあやつの醜悪さ、妾の視界以前に、同じ世界にいることすら許しがたい――特別だ、妾が直々に切り捨てよう」

 

 澱んだ空気を焼きながら、紅い髪の女性は吐き捨てるように言う。

――傲慢の姫、プリシラ・バーリエル。

 彼女が眠そうな顔をしながらシャオンの前に立っていた。

 



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決着

決着です


 赤いドレスを汚さない様に、地面に降り立った彼女はジロリと、シャオンを見る。

 その剣呑な様子に思わずひるむが、なんとか笑顔で話しかける。

 

「お、おきたのか? プリシラ嬢」

「ふん、凡骨が騒ぎだしてな。アレでは眠りにつくことなどできぬ」

 

 欠伸を手で隠しながら、イライラした様にプリシラは答える。

 凡骨とは恐らくスバルのことだろうか、もしかしたらオットーのことかもしれない。どちらにしろ、渡りに船だ。

 応援は素直にうれしい。それも、王選参加者である彼女ならば、十分な実力を有しているのだろう。

 その喜びの心情を他所に、追撃は止まらない。

 

「よけて……! ください!!」

 

 レムの伸ばした鎖が彼女の悲痛な叫びとは裏腹に、首を跳ねてしまいそうなほどの速度でプリシラへと襲い掛かる。

 だが、シャオンには見えた、プリシラがめんどくさそうな仕草で『空中から剣を抜き』そして流れるような仕草で鎖を断ち切ったのだ。

 もっと正確に言うと、光が手に集まり、剣となったという表現のほうがあっているのだろうか。

 

 

「あれが、妾の相手か……度し難い……陽剣の輝きに魅せられるがいい――」

 

 握る剣は、異様に美しい装飾で彩られた柄から刀身まで真っ赤な真紅の宝剣。

 僅かに目を引かれている隙に彼女はリーベンスの元へ優雅な足取りで近づいていく

 

「ふん、あやつ等を肉塊にしたくなければ死ぬ気で押さえよ、それが貴様の役割だ人形。妾は襲い掛かるものは容赦なく刈り取るのでな」

 

「それは重大な役割ですねぇ……!」

 

 プリシラは襲い掛かる二人を軽くいなし、シャオンへと押しつけるように動く。

 プリシラの性格から先ほどの発現は嘘ではないだろう。

 レムたちが操られているとしても、プリシラに害を与えるのであれば容赦なくあの剣で二人を殺すだろう。

 だが操り主を倒そうにも正直な話、今の状態ではシャオンはリーベンスには勝てないだろう。

 戦力的に劣っているのも事実だが、なにより相手のタネがわからない以上どうしようもないのだ。

 だから、

 

「でもそっちは任せましたよ!」

 

 王選参加者の1人、傲慢なその性格を裏付ける確固たる実力であれば彼女を倒せるかもしれない、そんな期待があるのだ。

 

 

「ああ、ああ。貴方様も知ってますよぉ」

 

 プリシラと相対したリーベンスは、にこやかに笑いながら歓迎するような仕草で向き合う。

 

「それに、その剣……ああ、貴方はもしやヴォラキアの――」

「その口は気色の悪い羽音以外にも余計なことを口にするのじゃな」

 

 音もなく振り抜いた剣が、リーベンスの腕を切断する。

 肉を焼く音と共に彼女の腕が宙を舞い、落ちた。

 それすら気にしないで、追撃しようとしたリーベンスは、とある事実に気付いた。 

 

「再生、しない?」

 

 炭のように消えていく自らの体をリーベンスは見つめ、切断された自身の腕に視線を移す。

 今までは即座に再生した自身の腕が、消滅したままだ。

 その表情は、理解ができないとでも言いたげな、疑問に満ちていた。

 

「どうした? 顔色がさらに悪くなったようじゃが…」

「これほどとは……しかもその剣に認められている……羨ましいですねぇ」

 

 煽るプリシラに対して、ため息をこぼしながら苛立ち気に瞳を細める。

 しかしそれも一瞬のこと、すぐに笑みを張り付け、プリシラへと向き直る。

 

「でも、切断面を塗り替えれば、意味ないですねぇ」

 

 再生しない腕を無理やり引きちぎる。

 その常軌を逸した行動は、新しく映えた腕を見て理解に至れる。

 プリシラの陽剣によって切られて再生ができないのなら、切られた部分だけを捨てれば問題がないのだ。

 まるで、トカゲの尻尾切りのような、人間らしさがない行動を前に、プリシラが嫌悪感を隠さずに問いかける。

 

「貴様、何体”それ”を飼っている?」

「少なくとも10万は」

 

 瞬間、リーベンスの身体が風船のように膨らみ、破裂し、中から何かが飛び出したのを目にした。

 辛うじて見えたのは牙のような刃がついた、数千匹の生物だ。プリシラはその生物を見て、舌打ちと共に回避後に剣先を地面へと向ける。

 途端、地面から炎の壁が立ち上がり、無数の生物がその炎に飲み込まれ、消滅した。

 

「さぁさぁまだまだおわらないですよぉ」 

 

 だがひるむことなく、リーベンスはプリシラへ向かって腕を振り上げる。すると、なにもなかったリーベンスの頭上に黒い渦が浮かび上がった。

 渦は細くなり片腕で一本ずつ、たとえるのならばの二本の黒槍へと姿を変える。そうだったものがリーベンスの動きに準じて、合わさり一本の強大な黒蛇へと姿を変える。

 一直線に腕が振り下ろされて、巨大な蛇が砂埃を巻き起こしながらプリシラへと一気に飛びかかる。彼女はそれをよけるのすらうっとおしいのか、陽剣を下から突き上げて、その剣先が大きさの違いすぎる蛇の頭を殴りつける。剣と鎖の激突とは思えない音がして、黒蛇の狙いが大きく逸れる。

 だが、プリシラもその威力に吹っ飛ばされて追撃は無理、地面に叩きつけられるのを華麗ともいえる動きで避ける。

 

「ほらほら踊りましょー」

 

 休む間も与えないとでも言いたげにリーベンスの追撃は続いていく。

 しかしプリシラも彼女は踊るように全て避けきり、返す刃で伸びてきた腕の半分を切り捨てた。

 ただ、あくまでも半分のみ。無数の鞭のような攻撃に彼女の豪奢なドレスに傷がつき、僅かに鮮血が飛び出る。

 攻撃がすべて躱せず、当たり始めたことにリーベンスは獰猛な笑みを浮かべる。それにたいして、プリシラは、

 

「つまらん――もう、幕引きじゃな」

「は?」 

 

 間の抜けた声と共に、リーベンスの身体が真っ二つに切断される。

 

 

「ッ!」

 

 レムはモーニングスターを縦横無尽に振り回し、シャオンの命を刈り取ろうとする。

 

「いや、味方なら頼もしいけど敵に回るとここまで怖いとは……」

 

 掠るだけで肉が持っていかれるほどの威力、鬼の怪力とはよく言ったものでまともに食らえばシャオンは死ぬだろう。

 そしてその後はプリシラに二人が襲い掛かり、待つのは全滅。プリシラが二人より強くても彼女らが死んでしまってはこちらの負けは確定となり、死に戻りの確定でもある。

 つまりはスバルの、死だ。それは避けなくてはならない。

 

「かといって、全力出したら2人が危ないのは依然変わらず……割とピンチだよな」

「があっ!!」

 

 シャオンの言葉に獣の如き唸り声で答えるレム。

 理性のない彼女の動きは恐ろしいが、読める。彼女の攻撃は殆どが一直線でフェイントなんて高度なことはできないようだ。

 恐らくリーベンスに操られているせいだろう、彼女の持つポテンシャルが十分に発揮できていないのだ。

 そして当然、レムだけでなくアリシアも同じく攻撃が予想しやすくただ時間を稼ぐのであれば問題はない、体力が持つまでは。

 

「とりあえず、死なない様にして、かつ殺さない様にか……言葉にするのは簡単だけど」

 

 鬼族と一般人であるシャオンとの肉体の差は大きい。その差は縮まることはなく離れていくばかりだ。

だから、シャオンが攻撃をすることが出来ない状態での勝利条件は――

 

「プリシラ嬢、早くしてくださいよ」

 

 傲慢な、彼女にかかっているのだ。

 そして、その彼女のほうにちらりと目を向けると、状況が大きく動いていた。

 

「なんだ、あれ」

 

 突然聞こえてきたのは無機質な声。

 プリシラが発したと気づくまでにだいぶ時間がかかった。そして、それを理解した瞬間に、始まった。

 切断されたリーベンスの肉片が地面に落ちる前に更に十字に切断、そしてそれらが動き出す前に仕舞とばかりに再度炎で焼き尽くす。

 残された彼女が行動を起こそうとしたが、それすら許さないとばかりに袈裟切りにし、更に首と胴を断ち、消滅させる。 

 僅かに残った肉片に対しても同じように白くすら見える炎で焼き尽くす。ここまで徹底すれば、さしもの怪物でもこの攻撃を受ければ生きてはいないはずだ。

 だが、炎の中からそれは出てきた。

 ただ、シャオンの予想に反してでてきたそれは、女性でも、いやそもそも人ではなかった。

 プリシラがまるで最初からお見通しだとばかりに、告げた。

 

「底が見えたぞ、怪物」

 

 そこにいたのは、それは――一匹の”蟲”だ。

 

 ぶーんというような羽音を奏でるそれは紛れもない一匹の蟲だ。

 よくよく見るのであれば数匹の蟲が集まった集団ではあるが、普通の蟲だ。

 ただ、

 

『ああ、肉体が崩れてしまいました』

 

 人の言葉を話す、という点を除けばだ。

 

「ふん、予想はしていたが醜悪でなにより小さいな」

『それにしても本当にひどいですねその太陽のような剣。おかげで半数が死んでしまってこの姿になってしまった』

 

 プリシラの言葉を無視するように、羽音を大きく立てて威嚇でもしているのか、リーベンスの声をした蟲は周囲を飛び回る。

 

「すでにその肉体は死に、”死体を食んだ虫に”魂を移動させた……そこまでしていきたいとは思えないものじゃが」

「プリシラ嬢!」

 

 レムとアリシアを抱えながら近づくとプリシラは僅かに頬を緩め、迎える。

 

「急に二人が崩れ落ちたんだけど、倒したってことでいいんです!?」

「ほう、どうやらそやつらを操る余裕はなくなったようじゃな。まぁ、妾を相手にしているのだから当然じゃが」

「……一体何があったんです? その蟲は?」

「この怪物はすでに死んでおる。そこにあるのはただの蟲の集合体と執念だけじゃ」

 

 断片的な情報のみで答えを出してくる彼女に、流石のシャオンも首をひねる。

 どうやらプリシラがリーベンスに優勢に立ち、レムたちを操る余力すらないほどに追い詰めていたようなのは確定らしい。

 ただ、リーベンスの声を上げる目の前の蟲の存在がよくわからない。

 

「えっと、つまり?」

「詳しい説明などすでに意味などない、事実はこやつは紛れもない怪物だということだ」

 

 陽剣がさした剣先には一匹の蟲だった。しかし、どこからかまるで磁石が引き合うように無数の蟲が集まってくるのがわかる。

 鳥肌が立ちそうなその光景を、思わず何もせずに見ていると、それは現れた。

 

「腕は、片腕分は再生できませんか……」

 

 そこに再び現れたのはリーベンスだ。

 ただ、プリシラの言う通り彼女はもう限界に近い様だ。

 驚異的な回復力はすでに底をつき、体は右腕が切断されたまま、よく見るのであればたまに体が霧のようにかすんで見える。

 いや、あれは霧ではない。先ほどの姿とプリシラの言葉を信じるならば、蟲の集合体があの霧の正体だ。

 

「ここまで追いつめられるとは思いませんでしたぁ」

 

 息を荒げながら、リーベンスは感心したような視線をプリシラへと向ける。

 虚勢でもなく、かといって余裕なんてない表情は本当に驚いているようだ。

 

「だからぁ、この方法は嫌だったんですがぁ、まぁ保険はしておいてよかったですぅ」

 

 彼女は懐から黒色をした箱を取り出す。

 光沢すらないその箱は小さく、まるで指輪を入れるくらいのサイズしかない。

 初めて見るその道具に警戒を高める、あの箱で一体、何をしようとするのだろうか

 あの箱は、なんなのか

 あの箱は、あの箱は――――懐かしいにおいがする。

 本能的にシャオンの身体が動いた。

 覚えていないはずの記憶が肉体を動かし、あの箱の、あの箱の中にいる脅威に対して先手を取ろうと動いたのだ。

 だが、シャオンが行動を起こす前に、事態は動いた。動いてしまった

 

「たまたまここの近くを通る予定でよかったですぅ、一定以上離れてしまうと使えないんですよぉ」

 

 プリシラも遅れながら、嫌な気配を感じたのか剣を振るう。

 陽剣がその箱を破壊しようと、触れるその瞬間――

 

「────おいで、白鯨」

 

 箱が内側から声に従うように開き、白い何かが飛び出た。

 それを一番最初に視認できたのはもっともリーベンスに近かったプリシラ嬢であり、

 

「は──?」

 

 ――狙われたのも彼女であった。

 

『い た だ き ま す』

 

 そんな子供のような声と共に、王選の候補者であり協力者、プリシラ・バーリエル。

 彼女は似合わない驚愕の顔を最後に、その美貌が、豊満な肉体が、上半身ごと消滅したのだ。

 

 残された彼女の下半身は僅かに痙攣し、無理矢理切断された上半身を追い求めるように動いた後、地面に落ちる。

 そしてそれは瞬く間に、紅い、小さな魚に貪られ、骨すら残さずに消滅した。

 

「……は?」

 

 思考が追い付かない中、プリシラを喰い尽し、満足したのか赤い魚は飛び出た白いそれの周辺に集まる。

 

『あ そ ぼ』

 

 それは白い壁だ。

 それは、白い大きな生物だ。

 それは――

 

『お と う さ ん』

 

 呆然とその光景を見ていたシャオンに向かってそう語り掛けてきたそれは――白い鯨だった。

 




あああああああああ!OPにカーミラがいる!泣いてる!かわいい

……はい


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白鯨

 不可視の手を無理やり使用し、レムとアリシアを抱えた自分を後方へと投げ飛ばすように飛び去る。

 全力の投擲に、体が軋むが堪え、2人に被害がいかない様に抱え込みながら地面を何度かはねる。衝撃に火花が散る視界の端、骨までも貪られたプリシラの亡骸だったそれを収めながら、悔しさに唇をかむ。

 ――自分たちと関わったばかりに王選参加者の一人が死んだ。

 だが、供養も後悔も今は置いて、生き残ることを考えるのだ。次に彼女のようになるのは自分たちなのかもしれないのだから。

 覚悟を決めると同時に、起き上がり、そして同時にそれを見た。

 

「やばっ――!」

 

 赤い波、血のように赤黒い津波がシャオンへと襲い掛かったのだ。

 その大きさはシャオンを容赦なく飲み込むほどに大きく、早い。

 いや、正確には津波ではない、それらすべてが赤い魚だ。あの白い巨大魚から生まれたであろう。

 

「――ッ!!」

 

 反射的に不可視の手でたたきつぶす。

 肉がつぶれるいやな音と、血が空気を汚す。

 

「あ、ぐっ」

 

 本日何度目かの不可視の手の使用に伴う副作用により、シャオンの体が倦怠感に襲われる。

 あと、何回まで使えるのかはわからない。しかしそれでもやらねばならない。自分の舌を噛み、痛みで目を覚まさせる。

 覚醒した意識で目の前を見ると赤い魚はシャオンの一撃に怯んだのか纏まったままどこかへと姿を消していた。

 今のうちに距離を取ろうとした瞬間、

 

「……なんで抱えられて――は?」

 

抱えていたアリシアとレムが目を覚ました。

 

「これは、いったい――!」

 

 だが、その困惑するアリシアとレムが周囲を見渡し状況を把握する。

 彼女達ははその顔を蒼白にして、歯の根を震わせながら叫ぶように、

 

「夜霧……!もしかして――白鯨」

「霧……」

 

 べたつくような感触に、シャオンはようやく周囲が黒い霧に包まれていることに気付く。

 周囲が、黒い霧に包まれ、視界が闇に呑まれているのだ。唯一見えるのはあの白い魚、白鯨の頭部が見えるだけだ。

 そしてそれは、今にもこちらへと飛びかかってきそうで、

 

「なんで、こんなタイミングで!! ああ、もう! あの女か!」

 

 アリシアの言う通り、この魚、白鯨はリーベンスが呼びだしたものに違いはない。

 支配をしているのか、それとも仲間なのかまではわからないが彼女が取り出した黒い箱からこの化物が出たのだ、無関係ではない。

 理不尽な事態に口を開き、鋭く尖った犬歯を覗かせるほどにアリシアが吠える。が、彼女のその裂帛の気合いですら、目の前の怪物の前では霞む。

 

「どちらにしろ――っ!」

 

 しかし、鼓膜に届かぬ叫びは大気に満ちるマナは聞き届けた。

 

「アルドーナ!」

「アルヒューマ!」

 

 吐き出すようなシャオンとレムの詠唱にマナが収束し、世界を作り変える魔法が発動する。

 まず発生したのは土の壁だ。

 三人を軽々と乗り越えるほどの高さもの土の壁、それが3つほど重なるように生まれ、盾の役目を生む。

 次いで生まれたのはの体格ほどもある氷の槍だ。それが瞬く間に三つ、中空で形作られて鋭い先端を闇へと構える。

 一瞬の停滞の後、その氷槍はすさまじい勢いで矢のように射出された。

 目で追うのがやっとの速度の氷杭は狙いを闇に定めて迸り、着弾――果てのないように見えた闇の、意外なほど近い終端に穂先が突き立つ。

 直後、

 

『く す ぐ っ た い よ』

「あぶないっ!」

 

 土壁を抜けてでてきたのは黄色い魚だ。それがシャオンへと襲い掛かる。完全に油断していたところへの一撃だったがなんとかレムが急いで庇う。

 右手から鮮血を吹き出しながらも、彼女はかみついた魚を引きはがし握りつぶそうと試みる。

 しかしその拳からぬるりと抜き出、その魚は親である白鯨の元へと戻っていく。

 

「レムちゃん、大丈夫っすか!?」

「――――」

 

 アリシアの言葉に応えようとしたレムだったが、口をパクパクとさせただけだ。

 いったいどうしたのかとみているとレムが驚いたように目を見開く。そして、喉元へと手を当て数度こちらを見やり、何かを理解したような表情を浮かべる。

 

「レムちゃん……?」

「喉をやられたのか?」

 

 急いでレムの喉へと手を当て癒しの拳を発動する。

 激戦の影響でこの能力もだいぶ頻発してしまっているせいか、体にふらつきが起こる。

 だが無事能力は発動ができたようだ、僅かに傷をつけられた喉元は元のきれいな姿へと変化する。

 しかし、依然レムは口を開かない。いや、声を出そうとしない。代わりに、震える手で地面へと文字を描く。

 地面へと書かれたその内容は、

 

『声がでません、というよりも、声の出し方がわからない、ような』

 

「「は?」」

 

 レムの描いた言葉の意味を理解できるよりも前に、遠くから声が聞こえた。

 

「美味しいね、美味しいねお姉ちゃんの声」

 

 恐らく、レムを襲った黄色の魚が”どこかで聞いたことがあるような”女性の声を上げる。

 いや、どこかで聞いたなんてものではない。これは――レムの声色だ。

 

 

「……つまり、あの黄色の魚に襲われると何かが奪われるということか」

『どうやらそのようです……幸いにも声だけならば戦闘に影響はそこまで』

 

 ただ、魔法の発動には多少の影響は出るだろう。それに、声が出ないことによる精神的なダメージも多いだろう

 恐らく、件の魚を倒せば元に戻るのだろうが……確証はないし、なにより、

 

「どれだ、奪った奴」

 

 黄色い魚は全部で7匹。

 レムの声を奪ったであろう魚は先程以降声を発していない。狙って倒すのは厳しいだろう。

 幸いなのは、今は白鯨が完全に霧へと紛れ姿を隠し、こちらに攻撃をしてこないことだろうか。考える余裕ができるのはありがたい

 

「それに、リーベンスは……いない」

 

 白鯨の登場に合わせて逃げたか、あるいは身を隠しているのだろう。

 どちらにしろ白鯨を何とかしないと彼女の元へは近づくことはできない。

 

「この白鯨を呼び出すのはだいぶ体力を使う必要があると」

 

 隠れているのは完全に操れていない可能性、あるいは彼女が白鯨と合わせて攻撃できる余裕がない、制限がないということが考えられる。

 つまり、この白鯨が出る状況になれば彼女は討伐できる可能性が高くなるかもしれない。

 そう思うと、口角が、希望の見えた未来に思わず上がっていくのを感じる。

 

「――なるほど、この情報は十分な価値がある。次回の()に役立てるな」

「シャオン……?」

 

 酔っているような、心ここにあらずのシャオンの思考を現実に戻したのは、

 

「ボーっとしてんじゃねぇ――!!」

「死にたくなければ飛び乗れ!」

 

 すぐ間近で、怒鳴りつける声があったからだ。

 3人は刹那、飛び上がり、近づくそれに転がる。

 体が受け身も取れずに固い床の上へと転がり落ちる。肩と腰に鈍い痛みが走りついで急旋回に付随する遠心力に振り回された。

 転がり、そのまま再び投げ出されそうになるのを、懐から取り出したククリナイフを突き刺し制止。一拍置き、顔を上げたシャオンは周りを見回し、自分がいるのがオットーの竜車の荷台であることに気付いた。

 

「危うく引いてしまいそうだったぜ……」

 

 奥から出てきたスバルが安堵の息を零す。

 どうやら竜車を全力で走らせ、シャオン達を迎え入れたようだ。

 

「悪い、呆けていた……この場所よくわかったな」

「魔法の光が見えたのと、プリシラがしばらく出ていってから結構立ったからな……状況を教えてくれ」

「ああ……実は」

「そんまえに、姫さんは――?」

 

 説明をする前に、アルデバランの問いかけがシャオンは言葉を止める。

 どう説明すべきかシャオンは考える。

 あの凄惨な死を、彼にどう伝えるべきだろうか。

 

「死んだよ、あれに喰われた……骨もない」

 

 考えた末、シャオンは素直にその最後を口にした。嘘を言っても意味がないし、なにより彼女の死はいずれ広がっていくのだろうから。

 騎士として主の死に何を想うのか、交流が少ない上に兜越しからはシャオンでも読み取ることが出来ない。

 ただ、少しの沈黙の後肩を竦めながらアルは小さく口にする。

 

「そうかい……なら、俺の命もこれまでかもな……”領域”もここじゃ発動できないだろうしな」

「領域?」

「何でもない。それより、どうするんだ? 迎え撃つって言うなら俺は降りるぜ?」

 

 聞いたたことがないような単語を耳にし、復唱するがアルデバランは舌打ちだけをし、内容は話そうとしない。

 それにシャオンも突っ込むことはしない、今は今後のことを考えなければいけないのだから。 

 どうするか全員に意見を聞こうとしたが、真っ先に手をあげたのは、

 

「引くっすよ、これは勝てない」

 

 意外にもアリシアが撤退の意思を示す。彼女のことだから撃退するという意見を言うとでも思ったのだが、その理由はすぐにわかった。、

 

「先代の剣聖ですら勝てない相手に、このメンバーがこれ以上欠けないで倒すのは無理。しかも、今ので……たぶんアタシの視界も持って行かれたっす……半分だけっすけど」

 

 アリシアの言葉にシャオンはようやく気付く。

 彼女の右目が焦点があっていないことに。

 ただ、外傷はなく、ただ視力だけ抜き取られたそんな現象。つまりは、

 

「視界が持っていかれたってどういうことだ? それに、レムもさっきから何で黙って――」

「その点も踏まえて、話をする。今は竜車で走りながらになるが興奮するなよ」

 

 前置きをしっかりと起きつつ、揺れる竜車の上でこの絶望的な戦力差を説明するのだった。

 

 

「まさか今時期のルグニカで……白鯨に、ぶつかる、なんて……ああ、龍よ、龍よ。救いたまえ、救いたまえ……」

 

 虚ろな目でぶつぶつと、念仏のように救いを口にするオットー。しかし命がかかっているのか意地になっているのか、彼の運転にぶれはない。

 ただ、完全に、戦意どころか生気を喪失した姿に、商人たちが白鯨を恐れるという言葉の真実味を実感する。

 ただ、彼の地竜は白鯨の存在を察知したことで恐慌状態になっており、体力の残りを度外視した速度で地を蹴り、速度を上げている。

 その揺れをダイレクトに全身で味わいながら、振り向き、闇へ目を凝らす。白鯨を求めて視線をさまよわせるが、光源を失った漆黒は完全に世界を閉ざしている。もともと闇深く、明かりなしでは手元すら危ういような夜だ。おまけに、

 霧まで出ているとなれば視界の確保は絶望的だ。実際、走る地竜の首下を照らす結晶灯の光も、夜霧に遮られてぼんやりとしたものになっており、その効力を半分ほども発揮できていない。

 左右、上、そしてまさかと思いつつも下へとシャオンは半ば祈る気持ちで見つけない様に魚影を探す。

 そんな中、スバルは説明された内容を受け、顔を青くしている。

 

「……レムの声が」

『すみません、スバルくん』

「いや、大丈夫だ、うん。それより文字をしっかり覚えていてよかったよ」

「スバル」

「大丈夫、優先順位はわかっている。わかっている」

 

 この状況の原因である、白鯨の姿が見えないことが恐怖をさらに加速させる。

 少ししかその体は見ていないが、あのプリシラを一口で食ったということは、白鯨はその名の通り、本当に鯨に匹敵する体格を持ち合わせているということになる。

 

「けど、こっちの攻撃も当たってるんだ。……向こうが引いた可能性が」

「楽観的すぎるな」

「お前は悲観的すぎるんだって……」

 

 レムの詠唱で打ち込まれた氷の槍の威力は、これまでに見た魔法の中でも上から数えた方が早いほどのものだ。

 いかな巨躯の持ち主といえど、深手を負えば怯みもしよう。だが、無駄だとも思う自分がいるのは事実だ。

 

「他の竜車は……」

「散らばって逃げています。霧が現れたときは即座に別れて逃げること。運が良ければ白鯨に追いつかれず、霧から出ることも叶うはず」

 

 それまでは後続として確かにいたはずの他の竜車たちは、そのマニュアルに従って方々散り散りになっているらしい。

 ――つまり、標的はシャオン達のみになるわけだ。

 

「悔やんでもしょうがねぇ。とにかく、とっとと霧を抜けて……」

 

 激しい揺れに内臓を掻き回される不快感を味わい、スバルと共には脱出したあとの問題に想いを馳せる。竜車が一台になってしまったのならば、エミリアたちを逃がしたあとで村人を逃がす方策を考える必要がある。余計な時間のロスも大きい。

 そうして、目先の窮地からもっと先のことへの視野を持った眼前、つまりは竜車の進路の先――、

 

「――――!!」

 

 ずらりと石臼のような強大な歯が並ぶ口腔が、竜車を丸呑みにせんと目の前から迫ってくるところだった。

 咆哮が轟き、その圧倒的な音の暴力と爆風に地竜が竦み上がる。足をもつれさせて地面を削り、車輪が浮いて竜車の荷台が大きく傾いた。油の入った壺が幌を破って吹き飛び、縁に掴まっていても危うく放り出されかける。

 必死で荷台に取り縋りながら、見える正面――闇の中にやけに、白鯨の口内の薄汚れた歯だけがはっきりと浮かび上がって見えた。

 己の認識が甘すぎたことに、遅すぎた後悔の中反省する。

 白鯨に遭遇し、深い夜霧の中をさまよう現状。それはすでに霧を抜けたあとのことに思いを向ける余裕などなく、今この瞬間をいかに生き延びるかという方へ問題をシフトしていたのだと。

 

 

「――るぁぁぁぁぁ!!」

 

 竜車を楽々と丸呑みにできるだけの顎が迫る瞬間、咆哮が炸裂し、衝撃とともに荷台の板張りの床が弾け飛んだ。

 蹴りつけ、前方へ弾丸のように跳躍したのはアリシアだ。暴風にたなびくホワイトプリムの下から、二対の巨大な角を露出させた鬼化状態。その彼女は下着が見えるのすら気にした様子もなく、高らかに足を掲げ、振り下ろした。

 

「吹き飛びなっ!」

 

 ミシリと骨が軋むような音共に彼女の一撃が決まる。

 勢いよく決まった踵落としに僅かに白鯨はたじろいだが、すぐにその巨体を振りアリシアを跳ね飛ばす。

 弾丸のように跳ね飛ばされたその体は竜車の進行方向とは異なる方向へと飛ばされる。あのままでは命が危ないだろう。だが、

 

「――右へ!! できるだけ近づけろ!」

「右!? どっち!?!!」

「――!!」

 

 シャオンの誘導通りに 竜車をアリシアの吹き飛ばされた付近へ近づかせる。直後、レムの放った長い鎖が竜車から伸び、彼女の胴に絡ませる。

 アリシアを引き上降ろした鉄球を右手に、空いた左手で御者台と荷台の連結部分を破壊したレムが、切り離されて遠ざかりかける荷台の端を掴み――瞬間、竜車を引く地竜が嘶くほどの荷重が発生し、雄叫び一閃、大型の貨物用車両がレムによって後方へと放り投げられた。

 小屋ひとつ投げるような超大型の質量弾が、通り過ぎた白鯨の横腹を直撃。木材が砕け散る破砕音が響き、身をよじる白鯨の尾が大地を爆散させ、土塊をまき散らす。

 ダメージがあったかどうかはわからない。だが、白鯨がいまだ健在であることは間違いない。なにより、宙を泳ぐその身を旋回し、こちらを睨みつけた事実も。

 

「や、や、やりましたか――!?」

「いや、まだだ!」

 

 なにが起きたか理解していないまでも、自分の竜車の大半が失われた事実を悟っているのだろう。それだけの犠牲を払ったことを理由に、問いを発するオットーの声にはヤケクソまじりの希望が上辺だけ張りつけられていた。

 轟く咆哮。収まることのない地鳴り。背後から迫る、絶望という名のプレッシャー。これらを前にして、それがなんの意味もない夢想であると知っていながら。

 依然として白鯨の脅威は背後に迫り、空を泳ぐその速度は地竜をしのぐ。荷車という重荷を捨てた地竜の走行でも、追いつかれるのは時間の問題だ。そしてもし仮に地竜を失えば、自力で走って逃げ切れる目などまったくない。

 

「しかた、ないか」

 

 シャオンは、そう呟き、息をこぼした。

 

 思考しなくてはならない。なにかないか、なにかないか、なにかないか。

 だが、打開策などなにも思い浮かばない。手当たり次第に方策を練ろうにも、広がる夜霧で足下すら不可視の状態ではヒントすら見つけられなかった。

 そして、スバルがまたしてもなにも選べないまま時間を無為に過ごす内に、彼等自ら決断してしまう。

 激しい揺れを受け、車体に縋るスバルにそっと歩み寄るレム。同じように衝撃を感じているだろう彼女はそれを感じさせない足取りでスバルに寄り添うと、優しく手を握る。

 

「大丈夫だ、きっといい策が」

 

 思いつくはず、

 するとシャオンもゆっくりとこちらへと歩み寄ってきた。

 

「スバル。これを」

「なんだ? なにか、この場をどうにかでき……」

 

 光明が見えたのか、とわずかに顔を上げたスバルの手の中に押し付けられたのは、ずっしりとした重みのある小袋だ。その重みに顔をしかめ、すぐに袋の外側からの感触でそれが金貨などの硬貨を収めた路銀袋であることを悟る。

 今、この場において、この金がなんの役に立つのか。

 路銀を押しつけるように渡してきたシャオン、優しく微笑むレムに悪寒が堪え切れず、スバルは昇ってきた笑みを頬に張りつけ、言葉を発しようとするが上手く出ない。

 

「アルデバランさん、オットー、アリシア。スバルを頼みます」

「あ?」

「スバル。俺らが大地に降り、迎撃する。その間に、三人と一緒に霧を離脱してください」

 

 はっきりと、決意をにじませる声音でシャオンはスバルにそう告げた。

 

「おい、おいレムと二人でランデブーってか、あ、アリシアが嫉妬するぜ?」

「スバル」

 

 渇いた軽口で場を流そうとしていたスバルだったが、シャオンの呼びかけひとつで、打ちのめされて押し黙る。

 

「改めて三人ともスバルをお願いします。約束の報酬は彼の手の中に。――霧から抜け出し、白鯨出現の報をお願いします」

「か、金……!? 今それどころでは、命あってのモノダネですよ!?」

「商人だったら受けた仕事はやりきるもんすよ……すくなくともアタシの親友ならやりきるっす」

 

 後ろのやり取りを聞いていなかったオットーの返答。それでも、彼が必死に竜車を走らせることだけは伝わってきて、シャオンが安堵に唇をゆるめるのをスバルは見た。

 そしてスバルは聞き逃していない。逃げることになるスバル達に、白鯨が出たことを報せろと告げるということは、

 

「お前、お前ら生きて戻るつもりがねぇってことじゃねぇのか!?」

 

 そのスバルの言葉に二人は沈黙で答える。

 思わずつかみかかろうとしたスバルを、アリシアが遮る。

 

「いいんすね、シャオン」

「ああ、できるだけ時間は稼ぐから安心して進んでくれ」

「わかったっす」

 

 アリシアの言葉にスバルは目の前が赤く染まったような感覚に陥る。

 彼女だったら、自分と同じく止める側に回ると思っていたのにと、理不尽な怒りがスバルを支配する。

 

「おい! アリシア、テメェいいのかよ!? レムが、何よりお前だってシャオンの奴が――」

「うるさいっ! よくないに決まってるでしょ!? でも仕方ないでしょ! アタシらが弱いんだからっ!」

 

 いつもの口調ではなく、普通のただの少女として彼女は叫ぶようにスバルへ応える。

 

「アンタの気持ちは死ぬほどわかる、アタシだって同じ立場だったら引き留めてる」

 

 彼女はスバルの首元を掴み、持ち上げる。その強大な力は下手なことを口にするのであれば今すぐ首をへし折るとでもいわんばかりだ。

 当然怖い、しかし、それよりも涙を流し、下唇を血が出るほどに噛み、耐えているその姿に思わずスバルは圧された。

 

「でも、でもね、ここで止めたって死ぬ人数が増えるだけ……だったらやるべきことはわかってる。竜車に私が残るべき意味もしっかりと分かるし、その役割を与えられたのならアタシはやり遂げなきゃいけない」

 

 スバルを掴んでいた拳を離し、アルデバラン、オットー、そして最後にシャオンとレムへと視線を向ける。

 

「でしょ、シャオン」

「以心伝心だな、助かる」

「――ばか、ばかシャオン」

 

 茶化すようなシャオンの言葉に、アリシアは小さく呟く。それ以降、彼女は口を開く様子はない。

 暗がりの世界には変わらず昏々と闇が落ちているのに、白い彼等の顔だけがなぜか今のスバルにはやけにはっきりと見えた。

 

「だ、ダメだ。それでも、行かせねぇぞ……お前らが生きていないなら俺の命に意味は――」

 

 震える体で、目の前に立つレムの腰を引き寄せた。

 小柄な体を腕の中に抱き、離れていこうとするその存在を繋ぎ止める。この手を離してしまえば、彼女は命すら振り切って飛び出してしまう。

 それだけは阻止しなくてはならない。そうでなければ、

 

「あ――」

 

 涙が出そうになる激情の中、抱擁を受けるレムが熱い吐息を漏らす。

 場にそぐわぬその陶然とした響きに視線を落とすと、スバルの腕の中でレムはこちらを見上げ、うっとりと微笑みながら、

「レムは今、このときのために生まれてきたんですね」と、出ないはずの声で彼女は口にした。

 

「さて、お別れだ」

「なにを……」

「”眠れ”」

 

 僅かに発光しながら小さくつぶやいたシャオンがスバルはシャオンの言葉を理解する。

 この技は、スバルも知っている『魅了の燐光』だ、自分がこれをしっかりと喰らうのは初めてだが、その威力にスバルは認識を改める。恐らく一番危険だ。

 ぐらつく体に半分既に飛んでいる意識の中、シャオンが申し訳なさそうに笑みを浮かべている。

 

「て、んめぇ……」

「恨んでいいよ、これは俺の力不足が原因だ」

 

 視界だけでなく意識まで揺らぎに揺らぎ、スバルは首を持ち上げていることすら困難になる中、必死で離さないようにシャオンへと、レムへと手を伸ばす。

 しかし、その手は僅かに届かず、スバルの意識は闇へと、後悔を抱きながら沈んでいった。

 



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再起、そして希望

可能であれば今日か明日にもう一話


「さて、啖呵を切ったはいいけどどうしたものか」

 

 レムと降り立った先に敵の姿はいない。

 白鯨の姿は先程の突撃以降即座に姿を消していた。

 この暗い霧の中、灯は僅かなものしかなく、完全に視界が開けているのではない。

 いくら白鯨が巨体とはいえ、その魚影すら見えていない状態でいつ襲われても仕方がない危うい状態だ。

 

「仕方ない……ジワルド!」

 

 光、陽魔法で僅かに周囲を照らす。

 相手にもシャオン達の居場所がばれてしまう可能性もあるが背に腹は代えられない。

 白鯨自身はシャオン達よりも五感がすぐれていたり、そもそもこの霧自体が白鯨自身のものだった場合、見えないのはこちら側だけの可能性がある。

 そして、その判断は浅慮なものではなかったと気づいたのは照らしたその直後だった。

 

「――上!」

 

 僅かに照らされた光によって、月明かりが僅かにシャオン達を照らす、照らしたはずだった(・・・・・・・・・)

 そして、すぐに月明かりが雲に遮られた、と思ったがそれは誤認だ。

 その雲があまりに大きな存在の、白鯨の下腹であることを理解し、僅かに反応が遅れる。しかし、

 

「――――っ!」

 

 レムが即座に上に魔法を放つ。

 氷柱の先端が固いものに押し潰される音が響き、しかし砕き切られる直前に先端が魔獣の腹にわずかに埋まり、傷口を押し広げて内部へ穿孔――血をぶちまける。

 白鯨の絶叫が平原に轟き渡り、鼓膜を痺れさせるような大気の震えを味わいながら、全く効いていないわけではないことにシャオンは一筋の希望が見える。

 ただ、それでも一筋だ。

 先ほどの、あの瞬間に動けていなければ、シャオンの体は白鯨によって空間ごと喰われていただろう。

 あの刹那の間こそが分水嶺。そして、そのほんのわずかな躊躇いが生死を分ける戦い。おそらく、シャオンがこちらの世界にやってきてから過去最大の、強敵。

 出し惜しみなどはできない、だが”不可視の腕”のデメリットを考えるとアレは使いどころを見極めなくてはいけない。

 ”魅了の燐光”や”癒しの拳”も残り使えるのは限られている。と、なれば、

 

「こいつはまだ作成途中だけど……名称はまだ未定、とりあえず喰らえっ!」

 

 シャオンの歌にも似た詠唱と共に、空気中に広がるマナが集まり、4属性すべての魔法が同時に放たれる。

 通常その一撃は顕現した魔法が相殺されてしまうが、今放たれているのはマナ自体をぶつけるようなもの。

 味方であるレムでさえ思わず息を呑むようなその一撃は、歪ながらも白い光を放ち、白鯨へと向かっていく。

 しかし、命中する直前に、

 

「ちっ! まだ安定しない――!」

 

 白鯨まであと僅かというところで、白い光が内側から5つに分離しそれぞれの魔法へと変化する。 

 だがそれでも炎が、氷が、土塊、風が刃に、槍に、槌に変わり、白鯨へと叩きつけられる。

 僅かについていた小さな傷口を大きく押し広げ、悶える巨躯から血霧が噴出し、どす黒い雨を降らせる。

 それと同時に

 

『―――ッッ!』

「無傷ってわけではなさそうだな、それにしても」

 

 霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、シャオンは改めてその姿を見る。 

 ひとつの白い岩山が、なんの冗談か空を悠々と泳いでいた。 

 白鯨――その異名で呼ばれるだけあって、その魔獣の姿は白に覆われていた。

 岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど知識にある鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。

 元の世界でも鯨は確かにいたが、少なくとも目視で見た白鯨の体躯は三十メートルを軽々と越えて、五十メートルに迫ろうかという規模の大きさだ。ここまでくると、それは生き物であるというよりはひとつの山に近い。

 

「スバルだったらもっと鯨の知識はあるだろうな……と、いうか壁みたいだと思ったのはこいつだったのか」

 

 いつかの世界のこと。

 魔女教徒に襲われ、惨殺されたとき。

 あの時も確か白い壁が村の前へと佇んでいたのを思い出す。

 その時は遠目ではあったが、今思うとあの時点でもリーベンスによって召喚されていたのかもしれない。

――あの時は?

 瞬間、体全体に鳥肌が粟立つ。

 嫌な予感が、現実へと近づき、いつかの光景へと重なっていく。

 白鯨の周囲が、熱で歪み始める。

 動くことが出来たのはシャオンにその時の記憶が残っていたからだろう。

 だが、今ここにいるのはシャオン一人ではない、

 

「避けろ――! レム!」

 

 白鯨の口から、閃光が迸る。

 ぐらり、と視界が傾き、直後に肉の焼ける嫌なにおいが鼻腔へと伝わっていく。

 血に濡れた地面へとシャオンの身体が崩れ、世界が終わっていく。

 その中、最期に見たのはシャオンの血液によって赤く染まるレムの姿だった。

 

――――――

――――

――

 

 

「おーい、大丈夫なん?」

「まぁいろいろショックなことがあったっすから……」

「……なんかすごい変な誤解されている気がする」

 

 おぼろげだった意識が徐々に覚醒し、朝の光と、黄色い髪をした少女アリシアの姿が目に入った。

 そして隣にいるのは白い服を纏った少女、アナスタシアだ。

 

「あ、反応があったっすね。大丈夫っすか?」

「あんま無理しちゃいかんよ? もう1日くらいなら泊まっいってもええしね」

 

 そう言うアナスタシアの目には若干の下心が宿ってはいそうだが、半分以上は厚意によるものだとシャオンは認識する。

 それをありがたく断って、現在の状況を頭の中にまとめ、確信する。また、ダメだったと。

 

「……個人的には戻ってこれて万歳って気持ちなんだが」

 

 シャオンの言葉にアナスタシアとアリシアは顔を見合わせて首を傾げる。

 当然だ、今のシャオンは竜車で屋敷へ向かおうとしていたのに、急に呆然としていた上に今の発現だ、頭がおかしいと捉えられても否定できない。

 若干の照れ臭さを覚え、それを隠すように咳ばらいを一つする。

 

「あー、とりあえず。仲直りしに行きますか」

「いや、意味わかんねぇっす」

 

 当たり前の反応にイラッとしながらも、同じ立場だったら同じ言葉を口にしていたかもしれない。

 そう思い、小突くのはやめて雑に頭を撫でることにとどめた。

 

 場所をアナスタシアの屋敷前から下層区の一角に移し、雑踏の壁に背を預けていると遅れてスバルとレムがやってきた。

 もしも死に戻った際の待ち合わせ場所にしていたところに無事来てくれて安堵する、前回の世界でも色々あったのだ忘れてしまうことだってあり得たかもしれない。

 そして、スバルとシャオンは喧嘩別れをしたことに一応この世界ではなっている。それを利用しレムとアリシアには男同士の話があると伝え、話を聞かないように頼み、いまは二人だけだ。

 作戦会議、というほどではないが、シャオンが死んだ後の流れを知るためではあるが無理な言い訳かもしれない。

 若干の不信感を抱いてはいたが、従ってくれたのは運がよかった。

 そして、息を一度大きく吸い、自身を落ち着かせてスバルは語りだす。

 

「さて、シャオン……あの後、俺はアルに裏切られた」

「あ?」

「正確には、囮にされたって言う方が正しい言い方だな」

 

 先に死んだシャオンにもわかりやすく説明を行うスバル。とはいってもスバル自身、あまり納得がいっては無さそうだった。

 そして、上手く口にできないのか順序立てて何があったのか話をすることにしたようだ。

 

「まず、お前たちが死んだあと白鯨は、今までとはけた違いのスピードで俺たちが乗っている竜車へと接近した……妙だとは思わないか? 複数ある中何でわざわざ俺らのものを?」

 

 オットーの話では複数の竜車がばらけながら霧を抜けようと画策していたはずだ。纏まっているところを全て潰されるのを防ぐためだろう。

 最初にシャオン達が襲われたのはリーベンスの指示や攻撃したからなどの要因だと思ったが、主に攻撃をしていたシャオンが死に、操っていたであろうリーベンスの姿もなくなったままスバル達を襲うのには違和感がある。

 しかし、彼には特別なものがある――  

 

「……残り香か」

 

 シャオンの半ば確信めいた、発言にコクリとスバルは頷く。

 ――魔女の残り香。

 彼が死に戻りを経験するたびに呪いのようについてくるそれは、魔獣、あるいはそれに類似する者に対して嫌悪感に似た何か、興奮剤にもなるかもしれないがそのようなものを出しているのだ。

 何故それが彼について回るのかはいまだにわからないが、白鯨も魔獣というのであればスバルの推測は当たっているのかもしれない。

 その残り香が魔獣騒ぎでは十分に役に立っていたが今回は大いに足を引っ張るほうに役立ってしまったということだ。 

 

「それで、その後はアリシアが時間を稼いだからその分で逃げ切れた……まぁ、とはいってもあとは俺を追ってきていると踏んだオットーとアルに竜車から落とされ……」

「死んだ、と」

「一応屋敷まではたどり着いた、死んじまったけどな……後は――」

 

 続く言葉をスバルは飲み込み、代わりに何でもないと口にした。

 どうやら全ては話そうとはしないらしい、だが問い詰めたところでどうしようもない、今はスバルの判断に任せる。

 

「ああ、そうだ。裏切られる前にある程度白鯨の情報も聞けた。白鯨についてだが消滅の霧という能力を持っているらしい」

「白鯨が体の中から生み出していた黒い霧のことか?」

 

 白鯨の登場と共にシャオン達の周りに生まれた霧。

 確かにあれは通常では有りえないほどに不自然なものではあった、あの魔獣の仕業である可能性も勿論あったので驚きはしない。ただ、

 

「ああ……アレに浴びると消滅する」

「……比喩ではなく?」

「そう。文字通り消滅だ、世界からな」

 

 スバルの言葉に絶句する。

 彼の言葉を信じるのなら文字通り、『霧』を浴びて消失した存在は、その存在ごと世界から消えるというのだ。

 誰が消失してしまったのか、事実は残っても誰の記憶にもそれは残っていない。

 ぞっとするその力に、冷や汗を流すシャオンを他所にスバルの話は続く。

 同行した行商人のオットー、アル、そしてアリシアが同業者の存在や足止めに残ったシャオン達の存在をころりと記憶から消し去ったというのだ。

 防衛本能により、都合の悪い記憶を消してしまったものとばかり思い込んでいたが、それが白鯨の『霧』の影響下にあった可能性がある。霧の力によって世界から消失したシャオン達のことが、誰の記憶からも消えたのだ。

 

「……屋敷に戻ったときは流石にきつかったぜ……エミリアも何よりもあのラムがレムを覚えていなかったからな」 

 

 恐らくレムと一番長く時を過ごしたであろう、ラムでさえ忘れてしまうほどの能力。

 それは確かに恐ろしいが、それほどの能力なのに、またしても、

 

「俺だけが、覚えていた……お前ももしかしたら覚えているのかもしれねぇが……」

「同じく”死に戻り”に関しては認識しているから可能性はありそうだけど、確定ではないか」

 

 その異常な事態に改めて、あの霧の魔獣が『魔女』と強い接点を持つ存在であることを意識する。

 この世界に二人を、正確にはスバルを縛りつける、黒い魔手もまた無関係ではないだろうことを。

 ただ、シャオンのことはスバルよりも大切に扱われてはいないかもしれない。

 というのも”死に戻り”についての暴露に対するデメリットの違いだ。

 スバルの場合は心臓を軽く触られる、あるいは軽く握られる程度で済んでいたが、こちらは心臓を握りつぶされ、命を落としているのだから明らかに差が出ている

 以上から、スバルとは違って、いざ霧に呑まれた人物がいてもシャオンは知覚できないかもしれない、それを頭に入れておかねばならない。

 

「あとは……白鯨とは別のあの小さな赤い魚と黄色い魚。アレに関しては情報は得られなかった……悪い」

「いや! 霧の方だけでも十分だよ! 頭上げろって」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるスバルに慌ててシャオンは頭をあげさせる。いくら人目を避けた場所にいるとはいえ全くの無人ではないのだ。

 大の男に頭を下げられている光景など嫌でも目立ってしまうだろう。話を逸らしたほうがよさそうだ。

 

「あー、とりあえず、纏めよう。あまり時間をかけ過ぎるとレム嬢が来る可能性がある」

 

 彼女達には無理がある言い訳で距離を取ってはいるが、過保護なレムのことだばれない様に近づいてくるかもしれない。

 もしもそれでこの話が聞かれてしまった場合、下手すればペナルティが発生するだろう。それは避けなければならない。

 そう考えて今後の方針についてスバルと考えをまとめることにした。

 

「現状、あの陣営は信用できない、という言い方は正しくはないが、少なくともミーティアを切ってまで得るべきではない」

「なら、どうするよ。残された陣営で交渉自体が可能なのは二つだけだぞ」

 

 傭兵などを雇うことは考えない、考えるのはそれなりに交友があり、力がある人物。尚且つ、シャオン達がすぐに交渉に行けるものと考えたら王選の参加者しかないだろう。

 戦力的に欲しいフェルトの陣営とは少なくとも連絡が取れないのは相も変わらずだ。魔女教の襲撃には間に合わないだろう。

 プリシラの陣営は先のとおり、いざとなれば保身に走る可能性がある上に、前回は全力で戦闘を行ったにもかかわらず倒しきれなかった。

 となれば、残るはアナスタシアとクルシュの陣営となる。しかし、彼女らとは一度交渉を持ち掛け見事に失敗もしているのだ。切り口は変えたうえで臨まなければならない。

 

「……実際にプリシラ嬢の戦闘を見ている限りでは、アナスタシア嬢の所の鉄の牙といい勝負はすると思う」

「ああ、俺のほうもまだクルシュさん自身の力は見ていないけど、騎士であるフェリスの魔法と、ヴィルヘルムさんは十分に戦力になると思う」

「やっぱあの人強いんだな……」 

 

 シャオン自体はクルシュの陣営との関わり合はスバルに比べて多くない。

 ヴィルヘルムという人物ともそこまで関わり合いはない、ただ前回の交渉の際にその姿を見ただけで、実力ははっきりと感じ取れた。

 

「戦力的には二つの陣営がそろえば、問題ない。リーベンスの奴を追い詰めることはできるだろうよ。だから、同盟を結ぶことさえできれば光は見える」

「問題はその交渉だけど……あと一押しって感じなんだけどな」 

「何か切れるカードが増えれば行けるかもしれない」

 

 とはいっても切れるカードは少ない。

 魔鉱石の採掘権。所謂資金の問題は十分に満たしている。後はこれに”エミリア陣営との同盟”という世間から見ればデメリットしかない要素を上塗りできるものを用意すればいいのだが。

 当然、思いつかない。交渉の基本としては相手が何を求めているかにあるが、そもそもシャオン達は商人ではないのだから難易度が高い。

 アナスタシアの陣営ならば、最悪シャオンの身を出せば行けなくもないが、戦力に若干の不安はよぎる。可能ならば2つの陣営といわゆる3同盟を組めればいいのだが、

 

「もしかして――」

 

 考えている中スバルが呟く。

 しかし、それ以降は何も言葉にせず、考え込むように黙る。

 

「スバル?」 

「なんとか……攻略法はつかめた」

「え?」

 

 思わぬ発言に目を丸くするがスバルは慌てた様に付け加えた。

 

「100じゃねぇけど、0でもねぇ。俺の予想がドンピシャだったら行けるかもって感じだ」

 

 そう言うスバルの言葉は僅かに不安を抱いているのか自身がなそうだ、

 しかし、同時に彼の目には確信めいたものを宿していた。

 

「可能性があるならやってみるべきだと思う、話してみてくれ」

「ああ……そうだな」

 

 そうしてスバルが語る内容は、あくまでも推測、確証はない。

 ただ、妄想や妄言と言いきるほどに不確かでもないそんなものだった。

 

「確かに筋は通っているし、可能性はだいぶ高いだろう。そして、その後の流れに関しても、まぁ俺次第ではあるけど不可能ではないだろう、”生物の集合体”だから効果は期待できる。やってみる価値は十分にあるよ、スバル」

「よしっ!」

 

 スバルはこちらの言葉に小さく拳を握る。

 自身がなかった声色にも張り出ており、賛同を得られたことに歓喜しているようだ。

 喧嘩別れした時とは大きく違ったスバルの反応を生暖かい目で見るとスバルは、顔を赤くする。

 そしてそれをごまかすように、

 

「ゴホン、なら動くぞ……討伐するぞ――白鯨を」

 

 スバルは高らかにそう宣言したのだ。

 




もう少しで3章終わります。恐らく10話くらいでしょうか。
4章に関しては5話ずつ書き溜め投稿するのでお待ちを


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怪物討伐戦

 広間には沈黙が、そして張り詰めた緊張感が満たされていた。

 その何度目かわからない緊張感を肌で味わいながら、スバルは渇いた唇を舌で湿らせ、まずは状況の第一段階を整えられたことに心の中で拳を握る。

 前提条件として、今この場に参ずる面子が揃うことが今のスバルには肝要だった。

 これまでの自身の軽い命を賭けて得た経験上、揃わない可能性はかなり低いものだったが世の中はそううまくいかないことをスバルは身をもって経験してきた。

 だから、今この場でこの状況を整えられたのはスバルの心にわずかながらに安堵を与えていた。

 

「通算何度目かわからねぇけど、慣れねぇもんだな」

「――――ほう、卿はこのような場面に何度も対面してきたのだな。なるほど、風格がある訳だ」

 

 座椅子に腰掛け、膝の上で手を組んだ男装の麗人――クルシュ・カルステンがその沈黙を破り、凛々しい面持ちに感心の色を浮かべた。

 その彼女の隣に立つ一の騎士は主の言葉にわずかに睨むように目を細め、纏う雰囲気にも冗談は混ざっていない。彼がスバルを見る目には、一切の油断がない。実力足りずとも、主を危機から遠ざけようという彼の気概だけは十分にそこから伝わってくる。

 そしてもう片方、クルシュの左隣で背筋を伸ばすのはヴィルヘルムだ。

 腰に帯剣し、瞑目する姿からは研ぎ澄まされた剣気だけが漂ってきており、今は、主であるクルシュが持つ懐刀としての役割に没頭しているのだ。

 場所は王都貴族街の中でも上層、そこに構えるカルステン家の王都滞在時に利用される別邸。来客を出迎えるために相応の飾り立てが為された応接用の広間だ。

 その場に前述の三人、屋敷の関係者が並び合っているのは当然の流れ。そして、彼女らを除いた広間の中にいる顔ぶれといえば、それとなく全員の顔に目を走らせていることに気付いたのだろう。スバルの横目を受けて笑うのは、くすんだ金髪にお洒落顎ヒゲが特徴的な優男、いわゆる成金風の人物だ。

 彼の名はラッセル・フェロー、商人だ。

 スバルの印象としては利に敏く、抜け目のない思考の現実主義者。いわゆる商人らしい商人であり、物事を基本的に損得勘定で判断し、多く利を得るという点にしか興味がない王都の商人組合のまとめ役であり、王都の商業全体の算盤を弾いている中心人物だ。

 この評価は他の人物からも似たり寄ったりで、スバルが利用できるうちは協力関係を継続できる、という損得で繋がっている悲しいが、安心できる協力者でもある。

 実は別の世界であってはいるが、その時にはほとんど世間話をした程度だったがあの時も、この屋敷に出歩いていたこと、そして彼が求めていることがスバルの予想通りならこの交渉に食いつき、更に、彼ほどの商人であるのならスバルの行う交渉の”保証人”へと姿を変えるだろう。

 その保証人はまだ始まらないのかとばかりに、目をこちらへ向けるがスバルは申し訳なさそうに頭を掻く。

 

「今、アリシアがもうひとりを呼びにいってるんで、もうちょっと待っててくれ。きてくれるか確実じゃないが……勝算は、90%、ある」

「お早い到着をお待ちしておりますよ。ちなみに、勝算の根拠をお伺いしても?」

 

 おおよそ、スバルの待ち人の素姓に目星が付いているのだろう。

 ラッセルの問いかけにスバルは「簡単な話さ」と首を横に振ってから、

 

「金の臭いをプンプン醸し出させたし、なにより親友からの呼び出しだ。それが本当なら必ず顔を出してくる」

 

「なにせアンタラこの臭いすきだろ?」と言うとラッセルは額に手を当てて、丸め込まれたとでも言いたげに振舞う。もちろん、お互いの手札がある程度透けているのを見越してのやり取りだ。

 額面通りの安心感など虚実に過ぎないだろうし、そもそもスバルの方にはそんな腹芸ができるほどの技術も余裕もありはしない。

 

「皆様、大変お待たせしたっ……しました」

 

 それからほんの数分後、広間の扉を開いて姿を見せたのは給仕服を身に纏った金髪の少女――アリシアだ。

 彼女はいつものノリでいようとしたが、流石に全員からの視線に、思わず一度怯む。

 その後室内にいる全員に見えるよう頭を下げ、それからスバル達の方へ視線を送ると、僅かに緊張を解いたようだ。

 

「無事問題なく了承は得られたっす。まぁ要求が要求だからで少し到着は遅れるそうですが、必ずくるよう取り付けたっす」

「そうか。よし、よくやってくれたぜ、アリシア」

 

 そう言いながら、彼女はスバルの近くへ歩み寄り、右手を軽く上げる。

 その報告とポーズに応えるように、スバルは同じく右手で迎え入れ、大きく音を鳴らすように打つ。所謂ハイタッチの形だ、ただ――

 

「いってぇ! 加減しろ! ばか!」

「ふん! これからやることがやることなんすから、これぐらい気合を入れたほうがいいって言う遠回しな応援っすよ」

 

 鬼族である彼女の、恐らく加減はしているだろうが一撃にスバルの掌は赤く腫れあがっていた。

 思わず涙をが出そうになるが、力では勝てない。だから言葉で勝とうと――

 

「……おまえ、アイツと同じ行動できなくて拗ねてる?」

「もう一発いくっすか?」

 

 ニッコリとした笑みにスバルは言葉で勝っても肉体の敗北が待っていることを察し、言葉を引っ込める。

 それをみたアリシアがため息を零し、その後照れ臭そうに小さな声で呟いた。

 

「……シャオンが大丈夫だって言うのなら、少なくともアタシは信じるっす。それにアタシにもやるべきことはあったようだし」

「……ああ、勿論お前もこれからの作戦には重要だ。さて」

 

 そう、誰一人かけてはいけないし、欠けさせない。

 これで、状況を最善に変える手立てをようやく1歩得たと頷く。それから待ちわびる面々を見渡し、

 

「最後の参加者は少し到着が遅れるって話だけど、とりあえず役者は揃ってる。これ以上待たせるのもなんだ。始めようか」

 

 スバルのその宣言に、各々が状況が変わるのを察してそれぞれの反応を見せる。

 クルシュがかすかに笑い、フェリスは固く唇を引き結ぶ。ヴィルヘルムはひたすらに沈黙に徹して表情を変えず、ラッセルはゆったりと椅子に腰を沈めた。

 その彼らの視線を一身に浴びながら、スバルはひとつ高く足を踏み鳴らし、己の気を高く引き締め

 心臓が高く、強く鳴るのを感じる。

 

「ひとつ、確認したいところがある、ナツキ・スバル」

 

 気合いを入れて前を向くスバルに、指をひとつ立てたクルシュの声がかかった。彼女はその立てた指を左右に振り、スバルの視線を受け止めると、

 

「卿のことを疑うつもりは微塵もない、その前提で確認させてもらう……これから行うのは戯れなどではなく、エミリア陣営(・・・・・・)としての行いだな?」

 

 肘掛けに腕を立て、その手の上に頬を預けてスバルを見やる怜悧な眼差し。

 すでに理解しているだろうに、スバルの口からそれを語らせる彼女の姿勢には一貫して甘さがない。

 話の始め方ひとつにとっても、すでに陣営同士の勝負は始まっているのだ。

 

「そら、もちろんだ。アイツではなく俺が音頭を切るのは心配だって言うのはわかる。でも冗談じゃねえよ」

 

 スバルの頭の中に思い浮かべるのは頼れる相棒の姿。

 いま彼はこの場には居ない、そして勿論スバルが彼の代わりになれるとは思わない。

 血が全身にめぐり、同時に大きな不安が首をもたげては目の前が暗くなりそうだ。己の行いでエミリアが、いやみんなの命運が文字通り決まるのだ。

 だが、

 

「スバルくん」

 

 そっと、隣に立つレムが不安でいるスバルを安心させるように袖に触れた。

 直接肌に触れず、衣服を介しての接触――なのにスバルはまるで、万の助勢を受けたかのような安心感をそれに抱いた。

 レムが見ている。ならば借り物の勇気でもいい、不敵に笑い、恐怖をその笑みの裏に隠して、スバルは最初の壁に挑む。針の穴を通すような条件を掻い潜り、ハッピーエンドを紡ぐために。

 自分を好きだと言ってくれた女の子が信じる、英雄に一歩でも近づくために。

 だからスバルは一度頬を大きく叩き、クルシュの突き刺すような視線に呑まれないように己を維持しつつ、

 

「これから行うのは、エミリア陣営とクルシュ陣営の、対等な条件での同盟――そのための、交渉の場面だ」

 

 かつての失敗を繰り返さないように強気に、自身の凶悪そうな顔を更に歪ませ、笑い、高らかに同盟交渉の宣言を行ったのだ。

 

「さてさて」

 

 リーベンスは外套を羽織り、福音に記載されているメイザース領へと向かっていた。

 その足取りは焦りが見えているのか、早くなっている。

 そもそも予定では今はまだメイザース領には向かう必要がない。

 しかし、王都内、また彼等の周辺に放っていた同士からの情報では、福音に記載のある導き手とその仲間がすでに動いているとのことだ。

 福音を確認するもそのような記載はなかった、だがこのような異常事態が発生しても、福音の記載と反するような事態は避けなければいけない。

 そのために魔女教が、自身がいるのだから。

 まずは福音書の内容に沿うように、導き手を拘束しなければならない。

 

「村にはいっぱい人間がいますよねぇ……楽しみ」

 

 逸る気持ちの他に体中の蟲達もしばらく長い間食事をとっていないためか、餌をよこせと騒ぎ立てている。

 適当な人間を捕まえて、食わせてもいいが、今優先すべきは導き手を追うことだ。

 そう、全ては司教様のためであり、そして何よりも――あの人の為(・・・・・)に。

 

「あぅ……」

 

 頭が痛み、動いていない心臓が激しく脈打つような錯覚を覚える。

 リーベンスの身体は生きたまま蟲に食われ、すでに死に至っている。この時の強い怨念が蟲に移り、今のリーベンスを生み出したのだ。身体は蟲の集合体であり、蟲の数は無限に、ネズミ算のように増やせるため、ほぼ不死身に近い。

 ただし、蟲達にも小さいが全て意思を有するために思考の偏りが生じてしまうのだ。だから、もう記憶などないはずなのに、油断すると余計なものがよみがえってくることがある。

 

『愛してるよ、だから必ず戻る』

『おかあさん、大丈夫?』

 

 よぎるのは自分の面影を宿す小さな少女と、優しく微笑む一人の男性。

 一体この記憶は誰のものだったか、思い出せない。何かが、記憶の鍵を開けるのを止めている。

 

「――リーベンス様」

「っ!?」

 

 ふと、背後からかけられた声によって、沈みかけていた意識が引っ張り上げられる。

 慌てて振り返るとフードを被った1人の、男性がいる。

 いったいいつから見ていたのか、演技をすべきかと考えていると、目の前の男は一つの本を取り出す。

 

「福音書、ですね。どうしてここに? 持ち場は?」

 

 福音書を取り出したのを見てリーベンスは警戒を解く。そしてその様子に彼は掲げていた福音書を仕舞い、リーベンスへと事情を説明をする。

 

「異常事態にどう動くか悩みました、しかし福音書の内容を参考すれば、この行動が正しいかと」

「ふーん」

 

 1人しかい動いていない、というのが怪しい。

 念のためしまった福音書を再度見せてもらうが、他の人物が所有する福音書の記載は読み取ることが出来ない。

 だが、それでも福音書が届いているのだから同士であることに違いはない。

 疑うべきは罰せずなんて言葉が、魔女教にもある。今はやるべきことをしなくてはいけない。

 

「それにしても、なんでばれたんですかねぇ。まぁ、急いで向かいましょうか」

「ええ」

 

 村へと向かおうとするリーベンスを追うように、男はこちらの後ろにつく。そしてふと「あ、そうそう。一言お伝えしたくて」と男が、思い出したかのような声を上げる。急がなくてはいけないと言っているのに、一体何を伝えるのだろうか。と不機嫌を隠さない様子でリーベンスは振り返る。

 

「――福音書にとらわれ過ぎだよ、バーカ」

「……は?」

 

 直後、リーベンスの身体が縦に裂かれた。

 恐らくは魔法の一種だろうが、詠唱無しの一撃は流石の彼女も予想できず、回避はできなかった。

 ただ、自身の体の特性上、この程度の一撃は致命傷などにはならない。即座に蟲達を総動員して、体の再構成行う。しかし彼は驚いた様子もなく、体の再生が完了するまで待っていた。

 

「疑問だらけだろ? 1つ1つ説明するよ」

 

 そして、指を一つたて、彼は口を開く。

 

「こっちにはある程度の金はあるんだ。それなりの報酬を払えば嘘の情報を流して回ってくれる奴は多い」

 

 できの悪い生徒に教えるようにシャオンはゆっくりと語り掛ける。まるで、此方の疑問をすべて解消するかのように。

 

「そして、その噂に引っかかる奴の動きなんて、すぐにわかる。挙動不審だからな……信用を得るためにこんな本も奪う必要があったけどな」

 

 触れているのでさえ嫌だとでもばかリに、彼は福音書を投げ捨て、踏みつける。

 その行為に一瞬だけ怒りを覚えるが、所詮は自分以外の物と考え直し、冷静さを取り戻させる。

 

「……それで?」

 

 リーベンスはくすくすと笑う。

 言い繕うことなど、もう意味がないと判断して敵意を露わにシャオンへと視線を向ける。

 

「確かに噂に踊らされたのは事実ですがねぇ、その後のことはどうするんですかぁ。まさか、私と戦うのに一人で十分だっていうんですかぁ?」

 

 周囲を見るに、シャオン以外の姿は見られない。増援は来ていないと思われる。まぁ、来たところで自分には大して影響はないが。

 ただ、一つ問題がある。

 

「導き手をここで倒すのはぁ少し違うんですがぁ、捕縛ならいいでしょう。素直についてきてくれるなら乱暴にはしませんよぉ」

 

 彼を殺すことは容易だが、それで福音の記載が狂ってしまっては困る。だから、互いの利益のためにと提案を出す。素直に応じるとは思っていない、反撃の一つ二つは覚悟している。だが、少し遊ぶ程度で戦力差はわかり観念することになるだろう。

 

「……」

 

 しかし、リーベンスの予想とは違い、目の前の男、ヒナヅキ・シャオンは一度手元へ視線を逸らしただけだった。まるで興味を持っていないとでもいうような態度に、僅かに苛立ちを覚える。だから、先に仕掛けることにした。

 

「余裕ですねぇ」

 

 数百近いさざめく音と共に、リーベンスの体から数本の黒い槍が生まれる。

 すべてが蟲でできたリーベンスの思うままに動く変幻自在の黒い槍。それがシャオンへと襲い掛かる。

 だが、彼は攻撃をせずに、大きく避け距離を取った。

 

「……!」

 

 その動きはまるで、こちらの攻撃を見たことがあるとでも言いたげなほどにスムーズで、リーベンスは思わず目を見開く。

 そして、遠ざかる彼の口元がわずかに動き、

 

「第一段階、終了」

 と小さな声が聞こえたような気がした。

 



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交渉戦

二話投稿です


「認めよう、ナツキ・スバル。卿がメイザース卿の名代、並びにエミリアからの正式な使者であると。この交渉の場において、卿と私の間で交わした内容は、そのままエミリアと私の間で交わされたものであると」

 

 その頭を掻きながらのスバルの言葉に、室内の空気が一変する。

 それまであくまで会談の場を見定める体でいたクルシュが姿勢を正し、一度だけ静かに目を閉じると、ゆっくりとその鋭い眼光をスバルに浴びせたのだ。

 

「──っ!」

 

 風が吹いた、と錯覚するほどの威圧を前に、僅かに脅えが生まれる。

 暴力的な威圧感にならば、嫌になるほど触れさせられた。

 それに比べればクルシュの眼光には、こちらを怯え竦ませるような負の感情の一切がない。あるのは背筋を正させ、弛んだ思考を引き締めさせるような威光だけだ。

 正面に立って臨むだけで、これほど人間は圧迫されるものなのだ。

 クルシュは今、狙ってスバルを威圧しているわけではない。彼女は純粋に、それまでの私人としてのクルシュから、公人としてのクルシュ・カルステンへと意識を切り替えただけのこと。つまり、カルステン公爵家の当主が放つ威圧そのものが、これほどの力を持っていることの証左である。

 これが、このルグニカ王国で今もっとも、王座に近い女傑の姿──。

 鳥肌が浮かぶような感嘆の中、佇むスバルの方へと手を差し伸べ、クルシュは始まりを告げた交渉の火蓋を自ら切ってみせる。

 

「すでに聞いているはずだが、改めて問おう。私とそちらの従者……レムとの間での交渉は、採掘権の分譲などを含めた上で合意には至っていない。その点は重々、承知しているはずだな?」

「……ああ。だいぶ難航しているってのは聞いてるよ。んで、条件自体も十分互いの利益になるものだってものも把握している」

「そうだ、ただこの取引自体の時期と、取引相手。この二つが絡むと事態は別物となる、特に今回の場合は取引き相手側の問題が大きい。王選の対立候補。ましてやハーフエルフ……半魔の誹りを受けるエミリアとの取引きだ。後々のことを考えても、慎重にならざるを得ない」

「────」

「……意外だな、怒りに身を任せて行動するかと覚悟はしていたが、少なくとも己の感情を律する術はあるようだ」

「ここにいるのが俺とアンタだったらそうだったかもしれねぇが、背負っているものがあるんだ、堪えるさ」

 

 精いっぱいの言葉でクルシュの言葉に応じる。

 今ここで無様に暴れるのは簡単だ。だがその先に未来はない。

 であれば、この怒りとエミリアへの想いは、スバルの心の中でとどめておくのが当たり前になる。

 

「では、改めて問おう卿は我らに対して何を切れる?」

「――――」

 

 言葉を吐き出そうとして、スバルは己の喉が詰まるような感覚にわずかに驚く。

 緊張と不安が胸中で膨らみ、踏み出そうとするスバルの喉を塞いだのだ。

 一度、息を吸い、改めてこれから口にしようとしている内容を反芻する。未だに見当違いの的外れ、そんな言葉である可能性すら否めない。

 だが、もう事態は動いている。止まることはできない。

 そう己に言い聞かせてスバルは、口にした。

 

「同盟締結に向けて、うちから差し出すのは採掘権と……とある情報だ」

「……情報?」

 

 それを耳にして、クルシュは自身の長い髪に触れながら言葉の先を促す。

 まだ、判断はされていない。ここからが、正念場。

 

「聞かせてもらおうか。卿の口にするそれが、こちらを動かせるものかどうか」

 

 髪に触れていた手をこちらへ差し出し、クルシュはスバルの言葉を待つ。

 自然、足と指にかすかな震えが生じた。武者震いなんてことは当然ない、普通の恐怖だ。

 だが、今の自分には、

 

「スバルくん」

 

 隣にはレムがいる。

 

「スバル」

 

 隣にはアリシアがいる。

 

『スバル』

 

 そして、自分が描く未来にはエミリアを見据えている。

 

『頼んだぞ、相棒』

 

 スバルを信じ、支えるシャオンが背後にいる。

 だから立っていられる。

 ナツキ・スバルは英雄でいられる、たとえそれが張りぼてで、一時的なものであろうとも。

 そう考えると、僅かばかりに、本当に少しではあるが心が軽くなり、言葉はすんなりと出てきた。

 

「──白鯨の出現場所と時間、それが俺が切れるカードだ」

 

 時刻は少しさかのぼる。

 スバルが白鯨の出現時間を正確に知ることができたのは、いくつもの偶然が積み重なった運命の悪戯によるものだった。

 基本的に運命の悪戯が引き起こす事態は、スバルにとっての致命的な状況を呼び起こす機会が多いのだが、今回に限ってはそれが良い方向へと働いた。

 

「クルシュ嬢が白鯨を討伐する、だからそのために白鯨の出現に関する時間と場所を交渉にか。そして信憑性を得るために携帯電話を魔獣探知機として扱って、ねぇ」

「有効なカードだ、切り時は今だと思う。それにそいつは今まで役には立たなかったが、俺の記憶が正しければ十分な効果を出してくれると思う」

 

 異世界というなかで、携帯電話が映し出す時間は純粋な意味で指標にはなり得ない。だが、今回ばかりは、それは大きな意味を持っているのだ。

 暗がりの竜車の御者台で地図を確認するために明かりを探し、見る機会を得たのは本当に運命の悪戯だと思う。

 

「……まぁ大幅なズレはないとは思う。それで、時間の問題はわかった、なら場所は?」

「あの巨体だ、霧が出てさえなけりゃ目に入らねぇってのはないと思う。フリューゲルの大樹周辺だろう」

 

 リーベンスの発言通りなら、確かに彼女と出会った周辺。つまりはフリューゲルの大樹の周りにいるのだろう。

 次に、

 

「クルシュ嬢が白鯨の討伐について考えている、所謂根拠はどこからだ?」

「最初に妙な感じを覚えたのは、鉄製品――つまるとこ、武具が高値で売買されてるって話を聞いたときだ」

「鉄製品」

 

 それは一度目の世界で、二度目の世界で、三度目の世界で知り得た情報の数々。

 それら小さな点と点が結ばれ、線になる。

 

「それまで二束三文だった武具やら防具やらを大量に集めてるところがある。それがクルシュさんのとこだってのは、行商人から聞ける」

「確かに俺も戦争の準備でもしているのか、なんて話は聞いたが」

 

 事実、クルシュは戦争の準備をしていたのだとスバルは読んでいる。

 その相手が人間ではなく、強大な魔獣である点が彼らとの考えの違いだ。

 

「自分の領地じゃなくて王都で武器をかき集めてる。なにかあるんじゃないかって、そう考えるのは必然だ。王国に対しての戦争するのかと思ったが、そんな暴挙に出る理由がねぇし、そんな人間じゃないことぐらい俺だってわかる」

「ああ、王城内で見た印象も同じだ」 

 

 向かい合う人が大きいのなら、それを見誤らない程度に見る目はあるつもりだ。

 クルシュほど、遠目から見ても人物像がぶれない人間もそういるまい。誠実、高潔、それらの単語を具現化したようなありように、そんな疑問など抱けるものか。

 

「王選でほぼ単独トップをひた走るクルシュさんなわけだが、その人気自体は全てのものからじゃない」

「アナスタシア嬢のところにいた時も話は聞いたよ、商人連中からの受けはそんなによくないって」

 

 資金はあるところから引っ張るのが一番利に適っているのだ、事実シャオンが同じ立場でも税収が重くかけるだろう。

 そうなれば必然商人からの受けは悪くなる。 

 

「そこで俺はこう考えた。クルシュさんはそういう人を上っ面だけで判断するような連中は好かないと思うが、そんな連中でも味方につけなきゃならないこともある。そうなると、そんな連中の評価を好転させるにはどうすりゃいいか……」

「人の上っ面の悪い話で判断するなら良い話で塗り替えろと。なるほどな」

 

 スバルの言葉の最後を引き取り、結論を述べる。

 

「改めてエミリアとクルシュの同盟に関して、エミリア陣営から差し出せるのはエリオール大森林の魔鉱石採掘権の分譲と、白鯨出現の時間と場所の情報だ。どう思う、シャオン」

 

 確かにスバルが述べた推測に近い考えが全て当たっているのであれば、同盟は成り立つかもしれない。

 だが、

 

「……問題は山ほどあるぞ。実際の討伐にかける戦力はどうする見たと思うが──あれの討伐にはリーベンス以上の戦力が必要だと思う。すると、必然あの女に対して割ける戦力は大幅に減るだろう」

 

 それではそもそも同盟を組む意味がなくなってしまうだろうし、なにより白鯨の討伐のみ力を貸すという話になりかねない。

 しかしシャオンの不安を読んでいたかのようにスバルは、

 

「お前の話を聞いたうえで判断すると、あの女自体はそこまで脅威ではないんだ、シャオン。おまえがいるならな」

 

 スバルはその根拠を口にする。

  

「―――――」

 

 その根拠を聞き、確かに、シャオンの持つ能力ならば可能かもしれないと考える。

 生物の塊である彼女にならばシャオンは確かに特攻として十分だろう。

 

「だが、たぶん俺の能力でも完全に仕留めきれはしないだろうし、そうなった場合は──白鯨がこっちに来る」

 

 追い詰めすぎればリーベンスは白鯨を呼び寄せる術がある。

 そうなればシャオンの死は避けられない物となる。その後の運命は今まで何度も見てきたとおりの惨劇にしかつながらない。

 魔女教に惨殺されるか、白鯨に消滅させられるかの違いぐらいだ。

 

「だから、リーベンスと俺らが一定の距離を取りつつ、かつ白鯨がそっちに向かう余裕がない事態にすればいいわけだ。つまり」

 

 スバルが遠まわしに告げる作戦。それはつまり、

 

「所謂、リーベンスに対しての囮になるってことか」

 

 何の気無しにシャオンがそう口にする。

 スバルは罰が悪そうに顔をしかめながらも、認めた。

 

「……ああ、そうだ。ついこの間やったばっかだろ」

「ごめんて」

 

 明らかな棘のある言葉は前回の世界でのやり取りが原因だろう。

 思い返したように謝罪をするもスバルのこめかみには青筋が浮かんでいる。

 

「絶対に許さねぇし、今回もお前を利用する俺が何より許せねぇ……今回のこの陽動で生きて帰ったらチャラにしてやる」

「はは怖い怖い……”アレ”を使うタイミングは?」

「時間に関しては大丈夫だろう? お前も俺と同郷って設定でなら持っていておかしくないアレを使えば」

「なるほど? タイマーでも使えばタイミングはつかめるはずだ」

「それで、肝心な応援だがあまり多いと勘付かれる可能性は高まる。少数精鋭が望ましいが」

「ああ、それに関しては安心しろ……互いに実力を保証する二人の応援が駆けつけるだろうからよ」

 

 忌々し気に言うスバルの様子はまるで、想像するのも嫌だとばかりに嫌悪感を表情に出している。

 その様子を見れば、応援というのがいったい誰を指すのかシャオンにも予想できた。

 

「なら、戦力としては十分だろう」

「ああ、お前は信じて、タイミングで合図をすればいい」

 

 そう言うスバルは親指を立てていつもの、いやいつもよりも自信に満ちた目でシャオンを見る。

 その様子にシャオンはポカンと口を開け、笑う。

 

「……スバル」

「あんだよ?」

「たくましくなったな、素直に、誇らしい」

「……まだまだだよ」

 

 僅かに耳を赤くしてそう答えたのだ。

 

 

 ──出所不明の携帯電話そのものが、交渉に有用な武器になり得る。

 事前に予想していた通りクルシュとの交渉はこの携帯電話もとい、ミーティアによって何とか続いている。

 白鯨に関する切り出し方も怪しい部分はあったが、打ち切られることはない。

 ただ、それでも綱渡りの交渉であることは変わらず、クルシュの目は警戒を解いていない。

 

「つまり、卿はこう言うわけだ。──このミーティアが白鯨の接近を報せる『警報石』のような役割を果たすのだと」

「まぁ、そんなものだ……警報石ってのは知らないけど」

 

 クルシュの問いかけに対してスバルは笑みを僅かに浮かべて応える。

 それを受け取ったクルシュは、少し考えた後にラッセルに対して目を向ける。

 

「白鯨の接近に際し、その存在を報せる魔法器……か。目利きはどうだ、ラッセル・フェロー」

「正直なところ、お手上げですね。魔法器に関しては個体差が大きく、同一のものが出土することも稀です。複製法まで確立されている対話鏡などは、あくまで例外の中の例外ですから。……したがって、この魔法器の使い道の真偽については難しい」

 

 自分の知識にない道具への判断を聞かれ、しかしラッセルは根拠のない推測を口にすること避ける。現状、ラッセルの立場はいまだスバル側にもクルシュ側にもよって立っているわけではなく、あくまで善意の第三者の立場にある。

 交渉の推移は彼自身の立ち位置にも大きく影響するのだ。自然、スバルとクルシュのどちらに与するのが自分の利になるのか、見極めの最中である彼の目は厳しい。

 

「そうなると、真偽のほどを確かめる手段は見当たらなくなるな。それでは卿の主張を鵜呑みにすることは難しい、だが────」

 

 彼女はそう言うと改めてスバルへと目線を向け直す。

 琥珀色の双眸が確かにこちらを射貫く、が決して目を逸らさない。

 ――もう、目は逸らさないのだ。

 

「にわかに信じがたいが──嘘は、言っていないな」

 

 と、クルシュはスバルに対して僅かに、本当にわずかではあるが顔を崩した。

 その彼女の言葉を聞き、スバルは露骨な安堵が表情に出ないよう苦慮しつつ、心の内では拳を固く握りしめてガッツポーズを取るのを堪えられない。

 ミーティアもとい携帯電話のその機能に関して、スバルが口にしたのは法螺だ。事実を知るものや、スバルと同じ世界出身のものから見れば妄想だと馬鹿にされて終わる、そんな法螺。

 しかしスバルはこの悪状況を、懸命な言葉選びと話題の誘導で誤魔化し切った。

 クルシュの質問に対し、スバルは一度たりとも確実な嘘偽りを述べていない。

 携帯は魔獣の存在に対して手当たり次第に鳴るような道具ではないし、メール機能すら無精していたスバルはその機能を使いこなせているわけでもない。

 嘘を言わずに切り抜けられない場面は沈黙と話題のすり替えで誤魔化した。

 

「ま、まるで相手が嘘言ったかどうかわかるみたいな言い方だな」

「クルシュ様には嘘が通用しないの。『風見の加護』がついているからね」

「……なんて?」

 

 かまをかけるつもりでのスバルの物言いに、本人ではなく彼女の騎士であるフェリスが得意げに答える。

 スバルはクルシュが以前の世界で口にした、『嘘を見抜く能力』に関して、あくまで彼女の眼力の確かさによるものであるとばかり思っていたのだが、どうやら別のものがあるらしい。

 

「風を見るということは、目には見えないものを判断材料とするということだ。自然、私の目には相手の取り巻く『風』が見える。嘘偽りを口にするものの下には、当然ながらそういう風が吹くものだ。――が、卿にはそれが一切なかった」

「へ、へえ、そうなんだ。それは知らなかったなー」

「動揺の風が吹いているぞ、ナツキ・スバル……交渉の場で私の風見の加護を知らないのは不公平も甚だしいからな」

 

 あっけらかんと言ってのけるクルシュの人の悪さに、スバルは内心の動揺を隠し切れないままひきつった笑みを浮かべる。

 相手の言葉の真偽を否応なく見抜ける加護、一種の反則技だ。

 スバル自身の死に戻りも一種の反則技ではあるが、この加護に関しては交渉という『言葉』で争う場面では死に戻りすらもある意味上回る極悪な手段となり得る。

 ともあれ、

 

「今の卿の態度はどうであれ、口にした内容に虚偽はない。少なくとも、卿が魔獣の脅威を事前に察する手段を持ち合わせている、という根拠にはなるだろう」

 

 高潔な相手に騙しを仕掛ける点にスバルは罪悪感を抱くが、表面上にその内心の痛みは微塵も出さない。根本的な部分で偽りをぶつけるつもりではない、というのが言い訳にもならないことを理解しているからだ。

 互いに立場を明確にし、交渉の場面で相対すると割り切ったのだ。

 ならば切れる手札を、相手に良く見えるよう切る方法を選ぶことに、罪悪感など持ってはならない。ましてや、『嘘』をつき切る覚悟もないなど無礼千万。

 

「ミーティアの効果に関して、信じてもらえるか?」

「同盟の成立も、それも早計だな。ことは王選の今後──ひいては、王国の未来を左右するかもしれない判断だ。軽率には行えまい」

 

 ここで口説き落とせれば、というスバルの目論見はさすがに流される。

 白鯨の出現情報──そこに最低限の信用は得たようだが、あくまで笑い飛ばさずに継続して話題に使ってもらえる程度のレベル。

 その信頼度を持ち上げ、スバルの望む答えを引き出すには──

 

「――なぁに辛気臭そうな顔しとるん?」

「ふぇ?」

 

 いつの間にかその女性は、アリシアの後ろにいた。

 彼女はアリシアの頬をこねくり回しながらも、その柔らかな面立ちを意地悪げにゆるめて笑っていた。

 

「アナ! いきなりなにしてんの! てかいつのまに!」

 

 怒鳴られ、仕方なく離れたその女性は己のウェーブがかった薄紫色の髪にそっと指を通した。

 腰まで届く柔らかな髪は綿毛のようで、おっとりとした顔立ちは自然と他者へ安らぎの感慨を与える、そんな彼女の名は――アナスタシアだ。

 

「呼んだのは自分やないの。それより笑顔笑顔、商人たるものそんな陰鬱そうな顔してたらあかんよ?」

「アタシは別に商人じゃないから!」

「なら訂正、女の子ならもっと笑顔を見せたほうがええよ? ほらなんならとっておきの……」

「やめよう、てかやめて? あれ話したらアタシもあれバラすからね? ダイスキヤキひっくり返し事件」

「おおこわいなぁ、なら胸かさまし事件を――」

「ぐっ!」

 

 ニッコリと笑うアナスタシアにアリシアはまだ何か言いたげだったが、渋々押し下がる。

 スバルが知らないだけで彼女達の間では見えない秘密、あるいは何かがあるのかもしれないが、スバルにも推し量れない。

 しかし、

 

「……はぁ、もういいっすよ。それで、空気をぶち壊して、遅れた登場して、どうするんすか」

「空気を入れ替えただけやないの? ほら、煮詰まってたみたいやし」

 

 アナスタシアの煮詰まっていた空気というのは間違っていない表現だ。

 あのままでは無駄に時間が過ぎていく、最悪交渉の打ち切りも考えられていたのだからこちらとしては助かるイベントだ。

 しかし、その空気をぶち壊してさらに剣呑な雰囲気へ昇華させたのも事実であり、特にそれが顕著に表れていたのは、

 

「何故、卿がいる──アナスタシア・ホーシン」

 

 クルシュの警戒心だ。

 スバルに向けていた威圧、本人は意識はしていないだろうがその圧よりも重いものがアナスタシアへと向けられる。

 しかし、彼女の視線を難なく受け流しアナスタシアは襟元を軽く触っているだけだ。

 そして、からかうように答えた。

 

「簡単な話やと思うけど? 親友に呼ばれたらすぐに向かうんは……ま、それは嘘なんやけど……商人として」

 

 そこにいるのは一人の商人。

 浮かべている笑みは変わっていない。しかしそれを形作る瞳の奥は油断ない輝を有している。

 外見は無害で誰にも安心を与えるような少女、対してその内側は強欲の化身。

 

「そのミーティアのお話、そして白鯨の討伐戦について、ウチも混ぜてもらってええ? って話」

 

 王選候補者が一人、アナスタシア・ホーシンがそこにいた。

 

 




書いてて思いましたがスバルってヒロインぽいですね


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意思を重ねるもの

二話投稿です。
もう一話前の話があります。


 アナスタシアの登場後、事前に想定していた内容の通りに事は進んで行く。

 一度スバルの情報を競らせるのかともめかけたが、そこは即座に誤解を解き、そこから話をスバルに有利に進めていった。

 そしてクルシュの周囲からの評価、そしてそれを解消するために企てていることも予想通りであった。

 途中ヴィルヘルムの事情や商人が白鯨に対する感情の予想がスバルの範疇内に収まらないといったイレギュラーも見えたが、おおむね予想通りに事は進む、そして、

 

「改めて言う。エミリアとクルシュの同盟に関して、エミリア陣営から差し出せるのはエリオール大森林の魔鉱石採掘権の分譲と、白鯨出現の時間と場所の情報。つまるところ、長いこと世界を騒がしてきた魔獣討伐――その栄誉だ!」

「――――」

「俺の言葉が的外れで、全然意に沿わないってんならばっさり切り捨ててくれ。無駄話の礼ってことで情報は渡す」

 

 この情報だけでも、この場にいる商人二人ならばうまく利益に繋げ、クルシュの面目を保つことはするだろう。王都の商人たちの見る目も、クルシュに対して好意的に変わる可能性は十分にある。

 だが、

 

「けど、もしもあんたの狙いと俺の望みがかち合うなら――」

 

 手を広げて前に差し出し、スバルはクルシュへと求める。

 同じ、障害を前にする者、そして何より未来を掴むための同士であることを望む。

 

「白鯨を、討伐しよう。――ひと狩りいこうぜ」

 

 あの異形の存在を、悪夢めいた強大な魔獣を。

 行商人たちにとっての災いの象徴を、スバル達にとって忌むべき存在を、霧の魔獣の討伐を、スバルはクルシュに提案する。

 

「ひとつ、最後の問いを発そう」

 

 差し出されたスバルの手を見下ろし、クルシュはこちらに指をひとつ立てた。

 その問いかけが、言葉通り、最後の確認だとスバルは理解する。

 ここまで、スバルは彼女の『風見の加護』の力を掻い潜ってきた。そしてその上で目的を、交渉の重要な場面を引き出すことに成功した。

 だから、ここを乗り越えれば、とスバルは唾をのむ。

 

「卿が――白鯨の出る時間と場所を知っているのは、確実か?」

「――ああ、本当だ。白鯨の出る時間と場所は俺が保障する。命、懸けてもいいぜ」

 

 文字通り、自分の命懸けで他人の命を支払って、今現在も消費して得た情報だ。

 その確実性に疑うところはないし、ここは引け腰になる場面でもない。自信をもって答える。

 これならば、加護は発動しないはずだ。

 そのスバルの希望が叶ったのか、クルシュは、

 

「なるほど、これはずいぶんと手ごわい人物が同盟相手に現れたものだ」

 

 小さく吐息し、観念したように目をつむってそう答える。

 その答えに最初、スバルは理解が追い付かなかった。が、その言葉がゆっくり脳に沁み込み、形を作るにつれて輪郭が明快になり、

 

「それじゃ……」

 

「疑問はある、疑念もある腑に落ちない点も多く即座に頷くのは難しい……だが――この状況を作った卿の意気と、この目を信じることにしよう」

 

 指し伸ばされた手を見て、ようやく、ようやく一歩進めたことに感動を覚えつつひっこめられる前にその手を掴む。

 交渉は、成立だ。

 その二人の交わす握手を見て、盛大に肩の力を抜いたものがひとり――ラッセルだ。彼は大げさに息をつくと、やれやれとばかりに首を振り、

 

「いくらかひやひやさせられましたが、成立したようでなによりです。スバル殿も、会談の前のお約束は確かに」

「ああ、悪かったな、ラッセルさん。白鯨の討伐が済んだら、約束通りにミーティアはあんたに譲るさ」

 

 握手する二人に頬をゆるめるラッセルに、スバルもまた人の悪い笑みで応じる。その会話を聞いて、眼前のクルシュは露骨に顔をしかめると、

 

「やはり、通じていたか」

「ええ、ですが私共としては不自然に肩入れはしていないつもりでしたよ。あくまで、同盟成立後を見据えての関係ですので」

 

 しれっと語るスバルとラッセルに、クルシュは瞑目して鼻を鳴らす。

 クルシュとの交渉前にスバルはその足でラッセルとの連絡を取った。話し合いが決裂し、彼がクルシュの邸宅を出て自宅へ戻るところを捕まえ、今回の話を持ちかけたというわけだ。

 携帯を利用しての、魔物警報機トークも事前打ち合わせ通り――もっとも、警報機の役割を果たさない点やらはラッセルにも報せていないが。

 それらの答えを受け、クルシュは今度はゆっくりとアナスタシアへ視線を向ける。

 

「ラッセル・フェローとナツキ・スバルの繋がりは理解した。だが、そうなると卿の立ち位置が不鮮明だ。何故、卿はここへ呼び出された?」

「まあ、ひとつは説得力の水増しやろね」

 

 楽しげに部屋の中を見回し、アナスタシアは襟巻きの毛に触れながら、

 

「王選の候補者が二人と、王都有数の商人がひとり。同盟交渉の場にそれだけの関係者を集めて、不用意な情報やら発言ができるもんやないもん。せやから、ウチがここにおるだけで、その子の言葉に重みが出るやろ?」

 

 違う? とアナスタシアはスバルの思惑を読み取って首を傾げる。

 内心、ほぼ的確に当てられ頬が引きつるのをスバルは感じる。

 

「ならば、別の理由はなんだ?」

「そっちはもっと簡単やん――親友があないな眼で頼みに来たら応じるのが人情ってもんやない?」

 

 そう照れずにいう彼女と対照的に親友――アリシアの頬は隠せないほどに赤みを帯びている。

 それを見て口元に手を当てて嫌らしく笑い、すこし彼女の元でからかった後に、アナスタシアは弾むように前へ出る。

 それからいまだ、手を取り合っているスバルとクルシュの手の上に自分の両手の掌もそっと被せると、

 

「でも、商人としては当然白鯨の討伐、大いに応援しますわ。ウチら商人にとって、白鯨の存在は死活問題。勿論うちの傭兵団も手ぇ貸すよ? みんな準備は万端やし」

「待て。卿らの話を聞くと、かなり時間の猶予がないようだが?」

「ああ、そこは話してへんの? なんでヒナヅキくんがいないのかも関わってくるのに」

 

 細めた流し目に見られながら、スバルはドキリとする。が、事ここに至って、これ以上に情報を隠匿するのも何かと不味い。

 士気に影響が出るかもしれなかったが、実害が出るよりはましだ。

 

「ああ、そうだ――ミーティアによると、白鯨が出るのは今から約三十一時間後、明日の夜だ。場所は……フリューゲルの大樹、その近辺だ」

「三十一時間、フリューゲルの大樹」

 

 クルシュが残り時間の少なさに驚く。

 そう、時間との勝負なのだ。白鯨の出現時間と場所の情報は、その存在が出現する寸前までしか価値を持たない。

 しかも、スバルが知るのは一度目のみだ。

 白鯨を討伐するのを目的とするならば、

 

「三十一時間以内にリーファウス街道に討伐隊を展開し、出現した直後の白鯨を一瞬で仕留めなければならない。そのために必要なものは……」

 

 素早く状況を呑み込んだクルシュにスバルが応じ、部屋の中の人員を見渡す。と、スバルの言葉を引き継ぐように前に出たのは老齢の剣士――ヴィルヘルムだ。

 彼はこれまでの沈黙を破り捨てると、

 

「まず討伐隊の編成。これ自体はすでに数日前より、滞りなく。そも、白鯨の出現時期に合わせての準備です。王選の開始とほぼ同時になったのは、クルシュ様の強運の為せる業だと思いますが」

「話が早いな! 白鯨の出る時期ってランダムだろ!?」

 

 パターンがあるのか、とスバルは驚きを口にする。

 以前までの世界で、オットーなどの口ぶりからすると、白鯨の出現は場所も時期も完全にランダムで、それ故に神出鬼没の怪物と恐れられているようであったが。

 

「ヴィル爺の執念の賜物にゃの。もう十四年も、そればっかり考えて色々とやってきてたんだからネ」

 

 言いながら、スバルの疑問の声に答えたのはフェリスだ。彼はヴィルヘルムの隣に並ぶと、その肩幅の広い老人の腕に触れて、

 

「ですが、いまだ武器や道具の準備は万全とは言えませんが……」

 

 フェリスの言葉にヴィルヘルムが頷く。が、老人はその鋭い瞳をスバルへ、それからアナスタシアとラッセルの二人へ向けると、

 

「そのための意味も合わせて、お二人の同席というわけでしょう。スバル殿」

「いやまぁ、こういうこともあろうかとってやつ?」

 

 頭を掻き、ヴィルヘルムの言葉に弱気ながら謙遜で答えるスバル。

 そのスバルの消極的な肯定の返事を受け取り、ラッセルが己の顎に触れて、

 

「すでに組合を動かし、準備を進めております。明日の昼過ぎまでには、王都中の商店から必要なものをかき集めてみせましょう」

「ホーシン商会も同じく、商機を見逃さんのが商人言うもんや。これがウチが呼び出しに応じた大きな理由……あぁ、ええなぁ」

 

 ラッセルに続き、アナスタシアも力強い協力を宣言。

 そしてアナスタシアに関しては興奮した表情で笑っており、紅潮した頬と可憐な容姿も相まって、それは非常に絵になる姿であるのだが、理由が理由だ、恐怖が勝る。

 

「今味方だからアレだけど、改めて聞くとマジおっかねぇな、この商人!」

「いや、親友ながらにそれは同意っす」

 

 悲鳴を上げるスバルに、応じるアリシア。

 しかしそれを受けても「ええやんええやん」とアナスタシアは上機嫌。

 

「なるほど。この場面において、覚悟が足りていなかったのは私の方だというわけか。感服したよ、ナツキ・スバル」

 

 交渉の第一段階、即ち、乗り越えなければならない壁のひとつの突破だ。

 事前に準備を張り巡らせた結果とはいえ、それでも紙一重の成立だとしか思えない。イレギュラーがスバルに味方したことも、反省点のひとつといえるだろう。

 それでも、

 

「なんとか、王都に残った面目は保てただろ、レム」

「――はい。さすが、スバルくんは素敵です」

 

 言って、クルシュたちに差し出すのとは反対の手を、握られっ放しだった方の手をやわらかに握り返して、交渉の勝利をレムと分かち合う。

 王都に残った当初、スバルに打ち明けられない彼女は孤独の中、クルシュとの交渉に臨んだはずだ。許された権限いっぱいで交渉に挑み、それでもなお同盟を維持することはできずにいた。 それが、すべて良い方向に解消して今のレムの笑顔が作られたのならばそうだったとしたら、今はそれだけがスバルには嬉しかった。

 そして――もう1人にもこの吉報を伝えたいものだ。

 

「そういえば、ヒナヅキ・シャオンがいない理由とはなんだ?」

「ちょうどその話題だ――これは、白鯨の件とは少しだけ話がずれる……白鯨を呼び出せるやつがいる」

「なに?」

 

 クルシュが眉をあげ、フェリスが眉をしかめ、ヴィルヘルムの目が細まる。その言葉に事情を知っている一部の人物を除いて明らかな動揺が生まれるのがわかる。

 怒り、困惑どれも似たような感情ではあるが、あまりいいものではない。

 だからスバルは慌てて言葉を付け足す。

 

「でも、安心してくれそいつの対処に関してはシャオンが、引きつけているんだ。それに関しては、俺らの白鯨討伐には絶対関わらせないはずだ」

「ふむ……」

 

 それでも心配なのか、あるいは信用ができないのかクルシュは考え込む。

 

「シャオンの実力はあの場にいた方々ならば把握しているはず、スバルの言葉は信憑性があると思うっす。それに」

「それに関してはウチからも保証しとこか、あの”竜砕き”に対していい勝負しとったからな」

 

 アリシアとアナスタシアがフォローするようにクルシュへと進言する。

 どうやらシャオン自身もアナスタシアのところで実力を見せていたらしい。それが実を結ぶとは予想できていなかったが、どうやらクルシュを納得させるのに十分なものでもあったらしい。

 

「ほう。であれば、問題はないが……ナツキ・スバル。何か言いたいことがあれば安心して口にして構わない。もう、同盟の破棄などといったことは行うつもりはないのでな」

 

 こちらの心を読んだかのようなクルシュの配慮に感謝をしつつ、スバルは口にする。

 今までとは違ったような、おどおどとした様子ではあるが、確実に。

 

「えっと、だから、白鯨は必ず、この機会で討伐してくれ。シャオンが……俺の親友も命を賭けてるんだ」

 

 白鯨の討伐に全力を尽くすのは当たり前のことだ。

 だがそれでも、スバルの中にあるのはこの場にいない、一人で戦うことになる男の姿を思い浮かべると口を開かずにはいられない。

 その言葉に呆気に取られている人物がいる中、

 

「色々と問いただしたいこともあるが、ナツキ・スバル」

 

 クルシュだけはしっかりとこちらの目を見据え、答える。

 

「卿のその想いに嘘はない様だ、であれば同盟相手として全力を尽くそう」

「――ありがとう」

 

 そしてその芯の通った声に、返事に、小さく、本当に小さな声ではあるがスバルは感謝の言葉を口にしたのだ。




原作とほぼ同じ部分はだいぶ割愛しております。
次回、戦闘。


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対白鯨

 白鯨を討つ――。

 事前交渉が終わり、その討伐の二文字が具体性を帯びてくれば、その後の関係者の動きは素早い。

 ラッセルとアナスタシアの商人二人は宣言通り、ありったけの武器や道具をかき集めに都を奔走し、クルシュもかねてから準備していた討伐隊の招集、および移動手段である竜車の確保にひた走る。

 その動きにスバルは以前までの世界で、三日以降の竜車の手配が困難になる経緯の理由を悟った。白鯨出現の報せが王都にも届き、クルシュが街道に隊を展開するために動き出すのがそのあたりの日取りになるわけだ。

 そうして次々にめまぐるしく人々が走り回るのを見ていると、もう夜更けも近い時間だというのにジッとはしていられない。

 

「俺も――」

「スバルくんにできることにゃんてもうほとんどないんじゃにゃい?」

 

 と、なにかしらの手伝いを申し出ようとしたスバルに先がけ、その意気をへし折る人物がいる。欠伸まじりの口元に手を当て、眦に涙を浮かべるフェリスだ。

 スバルがじと目でその女顔を睨みつけると、彼はその頭部の栗色の猫耳をぴくぴくとさせながら、

 

「物資の手配も討伐隊の編成とか、できる? 下手にかき回さずに、大人しくしてなきゃって思うけどネ」

「そんなわけにいくかよ。俺がやろうって言い出したせいで、みんながこんなに動き回ってんだぜ。その俺が……」

「ん!」

 

 スバルの口に指を突きつけ強制的に言葉を切られる。その行為にスバルが目を細めると、フェリスはそのまま唇に当てた指でこちらの鼻を弾き、

 

「その自分のせいって考え方、フェリちゃんあんまりっていうか、全然好きじゃにゃいかにゃー」

「なんでだよ。実際……」

 

 みんなが夜を徹して働きづくめになるのは、スバルの発言が発端ではないか。

 それをやらせ始めた張本人がぬけぬけと待っているなど――、

 

「クルシュ様が白鯨の討伐を決めたのは、ヴィル爺のためなんだよネ」

 

 ぼそり、と小さな声でフェリスは唐突に呟く。

 その内容にスバルは思わず「え?」と抜けた声で応じ、

 

「白鯨の討伐はヴィル爺の悲願なんだよ。先代の剣聖――ヴィル爺の奥さんが白鯨にやられたとき、ヴィル爺は傍にいられなかったらしくて」

「先代……」

「死に物狂いで白鯨の情報をかき集めた。時期、時間、天候、その他あらゆる条件を並べ立てて、ようやくかすかだけど法則性みたいなものを掴んだの。でも、誰もその話を聞き入れてあげなくて……」

 

 孤独に、ひとり書物に、文献に向かい合って血眼になるヴィルヘルム。妻を殺した怪物に復讐する機を狙い、その老剣士がいくつの夜を越えたのか。

 ――その執念が実り、ヴィルヘルムは白鯨の足取りにわずかながらの光明を得た。それが、

 

「剣聖を加えた討伐隊が壊滅するような相手に挑むなんて、そんな気概は王国にはもう残ってなかった。みんな、心が折れてたんだよねぇ」

 

 仇を討とうとしても、その憎き相手の足下にすら辿り着くことができない。

 その無力感が生む自分への絶望をスバルは知っている。弱さという罪は決して、自分を逃がしてはくれないのだから。

 

「全てをなげうって、ひとりで白鯨に挑むことも考えたみたいだネ。勝てないことより、戦えないことの方が恥だと思う、ばかだよネ。男って」

「そうですね」

 

 と、フェリスに同意を示したのはスバルの隣に立っていたレムだ。

 それまで無言で話に耳を傾けていた彼女は青い髪を揺らし、スバルの横顔をそっと見つめると胸に手を当て、

 

「愛した人には、レムはずっと元気でいてほしいです。たとえレムがいなくなったとしても、レムのことは笑顔で思い出してほしい」

「おい」

 

 感傷的なレムの言葉にたまらず、スバルは呼びかけ注意する。

 そのレムを想った叱咤に彼女は愛おしげに目を細めて、笑う。

 

「そのヴィルヘルム様に声をおかけになったのが――」

「クルシュ様、にゃんだよネ」

 

 ほう、とフェリスはそのときを思い返すように感嘆の吐息を漏らし、

 

「クルシュ様は本当にお優しいお方。絶望して、悲嘆して、それでも誰も見向きもしないような相手でも、クルシュ様は手を差し伸べてしまう」

 

 と、フェリスはどこか遠くを見て頬を赤くする。その様子を不思議なものを見る目で見ていたのに気づいたのか、あわてて咳ばらいをし、こちらの世界へと戻ってくる。

 

「つまり、にゃーにが言いたいのかっていうと、スバルきゅんのおかげってお話」

「俺の……?」

「横道それちゃったけど、最初はそういうお話だったでしょ?」

 

 ヴィルヘルムの過去に話が飛び、失念していた話題をスバルも思い出す。もともとは、白鯨討伐準備の慌ただしさの発端に関しての話だったのだ。

 

「『せい』じゃなくて『おかげ』ネ。この二つは似てるようで全然違うヨ? これでヴィル爺はやっと奥さんに報いることができるって感謝を……」

「フェリス」

 

 背後からの声に目の前の小さな猫が跳ね、ばつの悪い顔で振り返る正面、そこには後ろ手に手を組んだ老紳士が立っている。

 

「にゃはは……フェリちゃんは用事を思い出したかにゃー」

 

 彼は猫のように小さくなるフェリスを細めた目でジッと見つめていたが、その圧に負けたのか、フェリスは退散する。その背中を見送り、途端に室内に落ちる沈黙。

 意図せずしてヴィルヘルムの過去を聞いてしまい、スバルの方は猛烈に気まずくて仕方がない。フェリスのようにこの場を去りたいものだが、

 

「お聞き苦しいお話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。老骨のつまらない無為な時間のことです。お忘れください」

 

 空気を汲んだのかヴィルヘルムがそう告げる。苦々しい笑みが力なくその口元を飾るのを見て、スバルはその意思を尊重しようと心に決める。

 なにも聞くな、とそれが老人の意思だ。なにも聞くまい。

 

「――奥さんを、愛しているんですね」

 

 スバルの一言に空気が固まる。

 ブレイクダンスを決め、地雷原にいつもの癖でスバルが足を突っ込んだのだ。レムのおかげで少しはマシになったと思った野次馬根性はそう簡単には抜けず、この有様を引き起こした。

 スバルはどうすればこの空気をなかったことに、あるいは中和できるかを考えていたが、スバルのあたふた具合とは別に、ヴィルヘルムは僅かに方眉を上げてスバルを見ただけだ。

 

「ええ、妻を愛しております。なによりも、誰よりも、どれほど時間が過ぎようとも」

 

 老騎士の言葉には否定も謙遜もない。そこに込められた年月の分だけ、ヴィルヘルムの告白は重い。

 

「明日の準備がまだありますので、これで。お二人も、今夜はゆっくりとお休みください」

 

 押し黙る二人に背を向けて告げ、ヴィルヘルムの背中が遠ざかる。

 

「明日は――」

 

 その遠ざかる背に、スバルは思わず声をかけていた。

 足が止まり、振り返らない背中にスバルは、

 

「明日は俺も、レムも参戦しますから」

 

スバルのその言葉にヴィルヘルムは何も語らない。

 

「同盟相手が強敵と戦うってのに、黙って見過ごす奴がありますかよ。心配しなくてもレムは戦えるし……俺にだって、やれることがある」

 

 スバルはヴィルヘルムから否定の言葉が出るのを未然に遮る。そして、

 

「力合わせて、あのクジラ野郎をぶっちめてやりましょう!」

 

 サムズアップして歯を光らせ、スバルはヴィルヘルムとの共闘を誓う。その宣言にヴィルヘルムはしばし無言だったが、

 

「妻は、花を愛でるのが好きな女性でした」

 

 ぽつりと、それはスバルの誓いへの返答とは趣の異なる言葉で、

 

「剣を振ることを好まず、しかし誰よりも剣に愛された。剣に生きることしか許されず、妻もまたその運命を受け入れておりました」

 

 今代の剣聖であるラインハルトの実力を知れば、その加護が人の身に与えられるには余るものであることがようと知れる。

 それはその加護を与えられたものの未来まで、可能性まで限りなく狭めてしまうほど途方もないもので、才能のようなそれはスバルの想像できないほどに重い。

 この世界では命にかかわるものでもあるのだ重くて当然だ。

 

「その妻の剣を折り、剣聖の名を捨てさせたのが私だったのですよ」

 

 非才の身、とかつてヴィルヘルムは自身のことをスバルにそう語ったことがある。

 それ故に彼は今の領域に至るまでの半生を剣に捧げたとも。

 その悲願を達するまでの間に、この老人は何度挫折を味わい、何度心を挫かれたことだろうか。そして――、

 

「剣を捨て、ひとりの女性となった彼女を私は妻とした。それで全ては彼女を許したのだと、剣聖ではない彼女として生きられるのだと。――ですが、」

 

 剣を捨てたはずのその女性が、どうして白鯨の討伐隊に加わったのか。

 しかし、ヴィルヘルムの述懐はその点に触れず、

 

「スバル殿、感謝を」

 

 ひと息に、

 

「明日の戦いで、私は私の剣に答えを見つけられる。妻の墓前にも、やっと足を向けることができましょう。やっと、妻に会いにいくことができ、親友ともようやく仲直りが出来そうです」

「親友……ですか」

「ええ、変わった奴です。もうしばらく会っていませんが、私と妻の親友でした……今回の討伐には間に合わないようですが。名前はシャレン……彼女自身はサレンと呼ぶようにと言っていましたな」

 

 ヴィルヘルムはどこか遠くを見てそう語る。

 それは、どのような心境で語ったのかスバルには思いもつかないが、勝手に想像するのであれば、もう、戻ってこないだろうその親友と妻との思い出を夢想していたのかもしれない。

 

 翌朝、白鯨討伐までのタイムリミット――十七時間半。

 

「よぉ兄ちゃん!!」

 

 早朝の冷たい空気の残るクルシュ邸の庭園に、その陽気な声は大音量で響き渡る。

 広い屋敷の隅から隅まで届きそうな声だ。

 それを目の前で、至近距離から浴びせられたのだからスバルの方はたまったものではない。耳に手を当てて顔を盛大にしかめ、抗議を込めて睨みを利かせるが、

 

「お嬢から話は聞いとるわ! 兄ちゃんが今日の鯨狩りの立役者なんやろ?」

「ちょっ……力つよ!しかも声がでけぇよ!! 鼓膜ダメなるわ!?」

 

 豪風が吹きつけるような声で話しかけられ、対抗するスバルの声も思わず大きくなる。そのスバルの精いっぱいの発声を心地よさげに受け、その鋭い牙の並ぶ口を全開にして笑うのは犬の顔をした獣人だ。

 赤茶けた短い体毛で全身をびっしり覆い、やや色の濃い焦げ茶の毛がモヒカンのように縦長の頭部を飾っている。目つきは鋭く、口には刃のような犬歯がずらりと光っているが、目尻をゆるめてバカ笑いする姿には愛嬌があった。

 ただしその上背は軽く二メートルほどあり、筋骨隆々の肉体を革製と思しき黒の衣服に包む姿は野生と文明が殴り合いの果てに和解した感が溢れている。

 自称ではコボルト、と名乗っていたが、どう考えてもコボルトの体格ではない。だが、誰も否定しない当たり嘘ではないのだろう。

 

「ちょうどいい機会や、お嬢なんやけどな、ワイの雇い主やねんからもうちょい優しくしたってや!! 基本、誰相手でも銭勘定抜きで話せんから普通のお友達に飢えてんねや、今ならちょろいで! あ、シャオンの兄ちゃんとはもうかなり仲いいから取らんといてな」

「意味わかんねぇよ!」

「団長? 隠しごとに向かないんだから悪口は言わないほうがいいっすよ? ほら、アナ見てみなよ」

「うわめっちゃ笑顔、ほんまや! なんかワイ怒らせたかな!?」

 

 隣にいたアリシアの言葉に団長改め、リカードは遠くで笑顔を浮かべる雇い主アナスタシアを見てこちらから離れていく。

 常識、常人外れ――剛力とも思える力でで頭を振り回され、マジメに首の関節が限界を迎えていたので正直助かる。

 

「危ねぇ危ねぇ、決戦前なのに雑談してて負傷離脱とか笑えねぇよ。さしもの俺もこれだけ気分盛り上がっててそのオチは受け入れらんないぜ……!」

「団長なら悪気なくやりそうだから、笑えないっす」

 

「アタシもやられたなー」と笑うその顔は懐かしみを感じているような、どこか寂しさを感じているようなものにスバルは思えた。そこでスバルは気づく、

 

「……そういやお前元はあっちの陣営か、馴染み過ぎてて忘れてた……スパイとかないよな? ないな、アリシアだもんな。悪かった」

「反論の隙すら与えてくれなくて嬉しいやらなんとやらっす」

「……実際、どうだ?アナスタシアさん達とは、なんかこう溝が深まるとか、その」

「んーそういうのだったらここまで長続きはしないかな、抱えていた問題もシャオンが解決したっすし」

 

 ニヘラと笑う彼女のその笑顔に影はなく、嘘は無さそうだ。

 というよりも、そのヒマワリのような笑顔に思わずスバルもどきりとしてしまいそうだった。

 とそこへ、

 

「その様子を見ると、顔合わせは済んでいるようだな」

 

 言いながら、庭園へ降り立ったのは緑髪の麗人――クルシュ・カルステンだ。

 彼女は普段の礼装ではなく、装飾を極端に減らした薄手の甲冑姿である。各部関節部分が空き、動きやすさを重視したそれは防御力に不安がありそうだが、どうやら加護や魔法がかけられているらしく、スバルの心配は杞憂に変わる。

 

「なるほど。話には聞いていたが、噂以上の兵だな。あれがアナスタシア・ホーシンの……」

 

 いつか戦うことになるその相手を見るクルシュの目は、敵意などない。その目からは敵にすらならないのではなく、敵でも真っ正面から正しくぶつかるという彼女の意思が感じられた。視線に気づいたのか、

 彼女はスバルの方をちらと見ると、

 

「昨晩は休めたか?」

「おかげさまで、な。クルシュさんたちが動き回ってる中申し訳なさに苛まれてた感はあったけど」

「適材適所、だ。卿の仕事としては、昨晩に私やラッセル・フェロー、アナスタシア・ホーシンを集めて白鯨討伐を結論付けた時点で果たされている。もっとも、ここで終わりにするつもりもないようだがな」

 

 真正面からスバルを見つめるクルシュ。

 その真っ直ぐな視線に居心地悪く、スバルは身をすくめてみせるが、彼女は不思議そうに首を傾げる。

 

「ところで、討伐戦に参加する、とのことだが……卿は戦えるのか?」

「戦えねぇよ?」

「?」

 

 スバルは気を取り直すように額を掻きながら、「ただ」と前置きして、

 

「アレ……白鯨相手なら、俺って人間がわりと役に立つ……と思う」

「どういうことだ?」

「あんまし、俺自身も信じたくないんだが……どうも俺の体臭って、魔獣を引き寄せる性質があるっぽいんだよね」

 

 微妙にニュアンスを変えつつ、スバルは自分が参戦した際のプランを伝える。

 スバルの体から発される魔女の残り香――どういう経緯でそれがスバルの肉体に沁みついているのか不明だが、屋敷の時と同じでこれが白鯨を引きつける役割を果たすことは期待していいだろう。

 問題は白鯨の脅威は以前の獣たちと比較できないほど、大きく、かつスバル単独では白鯨の接近を回避することも、ましてや迎撃などもっての外という点だ。

 

「だから足の速い竜車かなんかに乗せてもらって、白鯨の鼻先を走り抜けまくって気を引く……って作戦だ」

 

 正直、自分で口にしていてどうかと思うプランである。

 戦力として期待できないけれど、生餌として役立つから戦場を振り回してくれ。と申し出ているのだ。自殺願望持ちも青ざめる役割分担だが、

 

「驚くべきことに、嘘の気配はないのだな」

 

 顎に手をやり、半信半疑といった眼差しだったクルシュが肩の力を抜く。『風見の加護』がスバルの発言の真偽を暴き、その作戦の有効性を考慮するに至ったのだろう。

 彼女はひとつ頷き、

 

「ならば、足の速さと持久力に優れた地竜を卿に使わせよう。レムと相乗りすれば移動に関しては問題ないだろうからな。ただし、基本は私の指示に従ってもらうぞ」

「了解了解、戦慣れはしてないからむしろ助かるぜ」

「では――来たか」

 

 その言葉を切っ掛けにしたように、庭園に次々と関係者が集まり始める。

 先頭を切り、姿を見せたのは戦着に衣を変えたヴィルヘルムだ。

 軽装備の老剣士は急所のみを守る最低限の防具だけを身につけ、腰には左右に計六本の細身の剣を携えての姿。

 後ろに続くフェリスは女性用と思しき曲線型の騎士甲冑に身を包み、武装はといえば短剣が腰に備えつけてあるのみ。自身の能力を鑑みて、後方支援に徹すると割り切っているからこその姿勢といえる。

 遅れて入ってきたのはくすんだ金髪の持ち主、ラッセルである。徹夜明けの表情には疲労があるが、双眸だけが爛々と輝いていて意気込みの程がうかがえよう。

 すでに先んじて庭園に到着していたアナスタシアとラッセルが合流し、なにがしかの会話を始めるのを横目に、巨躯を揺らすリカードが獰猛に口を歪めて笑う。

 主要の人物たちが揃い始めると、続々と続くのはスバルが名前を知らない歴戦の兵たちだ。クルシュが編成した討伐隊のメンバーなのだろう。主だった面子だけがここに呼び出されたのか、その人数は十名ほどとかなり少ない。それも、

 

「なんかずいぶん、若さの足りないメンバーに見えるな」

 

 ぼそり、と若干失礼かと思ったが、思い浮かんだ感想をそのまま口にするスバル。

 目の前、討伐隊のメンバーがずらりとヴィルヘルムの後ろに列を為しているのだが、その彼らの平均年齢がだいぶ高めに思えるのだ。筆頭のヴィルヘルムをして六十を越えているのだが、付き従う騎士たちも五十代を下回ってはいまい。

 

「全員、白鯨に縁のある方々だそうですよ」

「白鯨に縁ってことは……」

 

 過去の討伐隊、あるいは白鯨の霧によって被害があった人物たちだろう。

 

「一戦を退いている者も多いが、ヴィルヘルムの呼びかけで此度の討伐隊に加わった兵揃い。錬度も士気も、十分以上だ」

「なるほど」

 

 老兵達のシチェーションを考えると、どこか滾るものを感じながらも、スバルはクルシュを見やる。

 過去に白鯨との因縁を持つ彼らが今回の討伐隊に加わっていることも、ある種のクルシュの優しさだろう。それで作戦自体の雲行きが危うくなるなら本末転倒だろうが、彼女の性格からそれはないだろう。それにヴィルヘルムの執念もまた、足手まといを軽々しく戦場に連れ出すような生易しいものではないはずだ。場合によっては戦場に辿り着く前に、余計な足枷は間引くぐらいしかねない。そんな彼が何も言わないあたりは戦力としては十分なのだろう。

 

「考えてみたら、間引かれる可能性があるのは……!」

「えっと、あ! クルシュ様、今回の戦力はここにいるだけですべてでしょうか?」

「主だった顔ぶれは、だけだな、ここにきているのは。残りは街道への隊の展開のためすでに大樹へと発っている」

 

 慄然と唇を震わせるスバルをさて置き、話を変えるようにレムが口を開く。

 クルシュのその返答に、予定時刻が迫る中、現在集まっているこのメンバーが討伐隊の主要メンバーということになる。

 老兵たちが参列すると決起直前の機運が高まり、胸に緊張感が走る。

 

「そろそろ時間だな。卿らもこのまま広間にいてくれ」

 

 そう言ってクルシュは演説台のようなものへと昇る。この作戦を指揮する者として指揮を上げるための演説をするのだろう。

 そのスバルの予想は当たっていたようで彼女自身はスバルでさえ舌を巻くほどのものだった。

 それと同時ににスバルの脳内にはいつぞやの、シャオンの騎士たちへの演説をしていた姿がよぎる。

 あの時は嫉妬や恨み、恥からの負の感情が満ちていたが今思えば、心臓が痛くなるほどのトラウマ的黒歴史だ。

 今では、あの少年の姿に負の感情などない、そこにあるのは単純な希望を載せた願いのみだ。

 

「……頼むぞ、相棒」

 

 この場にいない糸目の少年の奮闘次第で彼らの想いも台無しになるのだ。

 クルシュの演説を聞きながらスバルはただそう願うのだった。

 

 幸い、行軍はトラブルなく予定通りに進められ、討伐隊がフリューゲルの大樹に到着したのは月が昇り始めたばかりの時刻――白鯨の出現までの時間をおよそ、六時間とした夜の始まりであった。

 前回は事情が事情だけにじっくり観察することもできなかったが、やはり元の世界での推定樹齢千年以上の大樹を凌駕するその幹の太さと高さは、根元に到達して見上げてみればみるほどにスバルの心に壮大さを訴えかけてくる。

 ――定刻が迫り、大樹の根元には戦前の張り詰めた緊迫感が満ち始めていた。

 交代で食事と仮眠をとり、場に集った討伐隊のコンディションは万全だ。

 長い行軍に付き合った地竜も十分な休息を得て、今は背に乗せる騎手の指示を今か今かと待ち構えている様子だった。

 息を殺し、心を落ち着けて、全員がその時を待っている。止める必要もないのに呼吸を止め、剣が鞘を走る音すらもなにかに影響を与えてしまうのではとばかりに、誰もが音を殺して時間が過ぎるのを待ち望む。

 リーファウス街道の空、風の強い今宵は雲の流れる動きが速い。

 月明かりの光源が雲に遮られるたび、まるで巨獣が光を閉ざしたのではと視線を上げるものが後を絶たない。それだけ、警戒心を呼び込んでいるのだ。

 

「定刻まで、あと数分だな」

 

 静かにそう呟き、クルシュは横に立つフェリスが小さく頷くのをちらと見る。

 張り詰めた緊張に呑まれている様子はない。彼は自分がこの討伐隊の一種の生命線であることを理解し、その役割に従事しようとしているのだ。

 彼の働きで、この戦における最終的な意味での勝者の数は変わるだろう。無論勝利を疑ってはいないが、犠牲なしに白鯨を討てると考えるほど自惚れてもいない。しかし、その生まれる必要な犠牲の数を、確実に少なくすることはできると考える程度には自信を持っている。

 ヴィルヘルムはすでに腰から二本の剣を抜き、両手に構えていつでも走り出せる準備を終えている。

 彼のまとう静かな剣気は研ぎ澄まされた領域にあり、悲願のときを迎えようとしているこの瞬間ですら洗練されたものだ。

 その純粋なまでの剣鬼のありように、クルシュは惚れ惚れするような感嘆を覚えることを止められない。

 ヴィルヘルムに並び、各々の表情に緊張を走らせる討伐隊の面々も士気は高い。

 じりじりと、心地の良い戦意が自分を焦がしていくのがわかる。

 刻限が近づき、死と火と血の香りが間近に迫るにつれて、クルシュは己の生きている感覚を実感し始めていた。

 そして、

 

「――――ッ!」

 

 唐突に、それは闇夜に沈む街道に響き渡った。

 軽やかな音が連鎖し、重なり合うそれは自然と音楽となって鼓膜を震わせる。

 音の発生源に目を向ければ、輝くミーティアを手にするスバルの姿が彼女からは見えた。その手元から、その音楽が流れ出していることも。

 つまり――、

 

「総員、警戒だ――」

 

 スバルの宣言によれば、音が鳴って一分以内に白鯨が出現するとのことだ。

 彼の言を信じるのであれば、今この瞬間にその巨体が空を泳ぎ始めても不思議ではない。場所も、正しいのだろう。

 疑う余地はいくらでもあるが、その疑いを生む理由がスバルにはない。自然、クルシュは神経を研ぎ澄ませ、その存在が現れるのを待ち構える。

 しかし、

 

「――――」

 

 静寂の中に、その強大な魔獣が現れる気配が一切感じられなかった。

 拍子抜けした、という表現は正しくないが、一分が経過してもなにも起こらない事実に、クルシュにとっては珍しく動揺の前兆を禁じ得ない。だが、

 

「――――っ」

 

 見上げ、クルシュはその自分の浅はかな考えを即座に呪った。

 月明かりが遮られ、影が落ちている。

 その光を遮断した雲霞がゆっくりと高度を下げ、目の前に迫る。

 それは、あまりにも大きな魚影を空に浮かべる魔獣であった。

 クルシュが息を呑んだのと同時、ほとんど全ての討伐隊の面々が同じ事実を察した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへと投げかけられる。

 ――先制攻撃、その命令を待っているのだ。

 

「――――」

 

 息を吸い、クルシュは最初の号令を発しようと心を決める。

 白鯨はいまだ、矮小なこちらの存在には気付いていない。静かに頭を巡らせて、まるで自分がどこにいるのかを確かめようとしているかのように、その動きは頼りなげで、なにより隙だらけであった。

 

「――全員」

 

 総攻撃、とそれを口にしようとして、

 

「――ぶちかませぇッ!!」

「――アル・ヒューマ!!」

 

 クルシュを乗り越えて号令が発され、同時に魔法の詠唱によりマナが展開。

 すさまじい密度で練り上げられた5mを超えるであろう氷柱が、立て続けに四本一斉に世界に顕現

 それら全てが白鯨の胴体に撃ち込まれ、一拍遅れて白鯨の絶叫と噴出した血が大地に降り注ぐ。

 慌てて見れば、そこには地竜に相乗りするスバルとレムが駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがガッツポーズし、此方へと見せつけてくる。

 その二人の先走り――もとい、先陣を切る姿に討伐隊が動揺し、クルシュを見る。。

 動揺はもちろんだ、自分の一声よりも早く動いたのだから、しかしクルシュは自分の口が大きく歪むのを堪えられない。むろん、笑いだ。

 

「全員――あの馬鹿共に続け!!」

 

 動揺をかき消すようなクルシュの号令がかかり、討伐隊の面々が反射的に応じて攻撃を開始する。

 ――白鯨討伐戦が満を持して、火蓋を切った。

 




人工精霊の名前
・シャロン
・シャルン
・シャレン

性格は
・無邪気
・全知全能天然
・ドクズツンデレです


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終幕

「さぁさぁ! どうしたんですかぁ!?」

 

 リーベンスの猛攻は、シャオンの体を確実に削っていく。

 通常の人間と戦うのとは違い、人体では不可能な、変幻自在の黒い腕の攻撃は何度目の戦いでもなれることはない。

 ロズワールによってだいぶ鍛えられたシャオンでも、苦戦を強いられている。

 そもそもこちらが学んだのは対人間用の戦闘方法だ、腕が伸びる相手との戦闘など想定していない。 

 

「ロズワールに文句の一つも言いたいところだけど……」 

 

 愉快に笑うあのピエロ顔にイラつきを覚えながらも、理不尽な怒りではある。

 まぁ、自身が教わったのは各党や魔法だけではなく、そもそも特殊な能力も持っているのだ。ならば、

 

「無駄遣いはできないけど――不可視の」

 

 発動のタイミング、その瞬間―――時が止まった。

 

 暖かな日差しの中、シャオンはいた。

 緑の匂いが鼻腔をくすぐり、小鳥のさえずりを聞きながら、いままでの暗闇とは打って変わったその場所で、シャオンは一人の存在を見つける。

 降り積もる雪原のように白い印象の少女だ。

 シャオンと同じように背中にかかるほどの長さの髪は、雪を映したような儚げな純白で、露出の少ない肌はまた透き通るほどに美しく、世界からは浮いているようなものだ。

 理知的な輝きを灯す双眸と、身にまとう簡素な衣装は漆黒。ドレス、というよりも喪服のようなどこか少し不気味さを覚える彼女だが、それすら気にならないほどの、誰もが見惚れてしまうほどの美貌。

 いや、見惚れていた、とは少し違う。

 どこかで、見たことがあるような、そんな引っ掛かりを覚えていただけだ。

 だが、元の世界にこのような女性がいたなら必ず記憶にその足跡を残すだろうし、こちらの世界でもその美貌を見たのならば目に焼きついてはいるはずだ。だから、彼女とは初対面のはず。だが、言いきれない、この感覚は一体なんなのだろうか。

 そんなシャオンの疑問は目の前の彼女に伝わる訳もない。彼女はゆっくりと口を開き、透き通るような声で語り掛けてきた。

 

『これは忠告だ、ボクとしては歓迎すべきことなんだけど、契約には従わないといけないからね』

 

 非常に残念だ、と肩を竦めて見せるその姿は、言葉とは裏腹にそれすらも楽しんでいるように、まるでこちらをからかっているように見える。

 だが纏う雰囲気は冗談ではないと暗にこちらに伝えてくるほどに真剣そのもの。

 

『まだ余裕はあるようだが、能力を使いすぎたことで、近いうち君は寄り添うものとして覚醒するだろう』

 

 ――寄り添うもの。聞いたことがない単語に頭をひねると、彼女は吹き出したように笑う。

 

『君のそんな仕草を見るのも久しぶりだね、正確な名称は違うだろうけど、キミが好きな呼び方だったから使わせてもらったよ』

 

 頭の中が沸騰しているかのような熱、そして割れそうになるほどの痛みに半ば怒鳴るように目の前の女性に訊ねる。

 

「――誰だよ、アンタ……! ここで、なにを、いや、魔女教は――」

『ボクの名前を伝えたところでキミは気づかないだろうね』

 

 シャオンの問いに僅かに悲しそうに瞳を揺らす。

 しかし、それも数秒のうちに先ほどのような空洞のような瞳へと戻る。

 光の一切ない、泥のような黒い瞳。

 思わずシャオンは恐怖におののき、身を反らすがそれすらも面白そうに彼女は口角をあげる。

 

『――――忠告はしたよ、いつかその日が来たら会おう』

 

 そう言って背を向く、彼女の姿は薄れていく。

 それを見てシャオンは、動かない時の中で、体は自然と動いていた。

 その手は、自然に伸び、彼女を掴む。女性は初めて、心の底から驚いたように目を見開きこちらを見た。

 

「まって、ください。あ、なたは、どこかで会ったことが」

 

 たどたどしくも口を開く。

 離れてほしくない、という意味も込めて、彼女の服の裾を掴む。

 ようやく会えた、という理解ができない感情が、体を動かす。

 恐らく幻覚であろう彼女は、驚くことに触れることが可能だった。彼女は、こちらが全て伝え終わるまできっちりと待ち、そして答えた。

 

『――やめてくれよ、君のそんな珍しい表情は、ボクの数少ない母性本能を擽るものがある』

 

 冗談なのか本気なのかわからない声色で目の前の女性は小さく笑う。そして、小さくかぶりを振り、こちらの唇へと指をつける。

 まるで、親が子供を嗜めるようなそんな優しさのこもったその仕草に思わずどきりと、心臓が跳ねる。

 

『駄目だ。知りたいのならば君自身が動かなくてはいけない――――知ることを恐れてはいけない』

 

 そう告げ、彼女はシャオンの頭を撫で、今度こそ背を向ける。

 

『じゃあね、シャオン。愛しきワタシの弟子』

 

 今度こそ振り返ることもなく、シャオンも動かない。

 彼女はそれこそ雪のようにどこかへ溶けるように消えていったのだ。

 

 

「――あ?」

 

 意識が覚醒する。

 目の前に広がったのは黒い腕だ。

 そして直後に、自身に迫ってきている存在、死を理解し不可視の手の使用を中止し、魔法を唱える。 

 

「アル・ヒューマ!」

 

 足元から生えた氷の柱が蟲の一撃をはじく。どうやら、戦闘中に意識を飛ばしていたらしい。

 先ほどの光景も気にはなるが今は目の前の戦闘に前意識を集中させなければならない、そもそも白鯨の討伐を勘付かせないためにいろいろと裏で工作をしているのだ。先ほどの幻覚の所為でそれが台無しになってしまっては笑い話にすらならないだろう。

 意識を集中し、確認する。

 現在風魔法で音をできる限りでかき消し、有効であろう炎の魔法は闇を晴らさせないように使用を避けている。こちらは両方続けられているようだ。

 ではこれからの動きについて再度作戦を勘上げる。

 マナの消費量を考慮するならばあまり魔法の頻発はできない。かといって不可視の手などの能力を使いすぎた際に起こるデメリットも無視はできないため、能力の過剰な使用は駄目だろう。先ほどの幻覚現象も起きる恐れがあれば、気を付けなければならない。

 ただ、シャオンは近づいてきたリーベンスの顔面に向けてえぐるような鋭い回し蹴りを放つ。

 

「ざぁんねん」

 

 蟲の集合体である彼女の体は、物理的な攻撃自体は効果が薄い。衝撃が伝わる前にその肉体を変化させて一撃を避ける。

 そして、彼女の頭部だった部分がかぎ爪のように変化し、シャオンの足を捕らえる。

 骨のきしむ音共に、肉体が裂かれる感覚を覚える。 

 このままでは折られるどころか切断されてしまう。そう考え、シャオンは自身の足を巻き込むつもりで、不可視の手を発動する。

 そっと拳を、掴まれた足へと当て、傷を癒す。

 浅慮な考えはいけない、結果的に追い込まれることになるのだから

 魔法は、効果なし、肉体による攻撃も意味がなし。で、あれば仕方ない。第二段階の決行、あの能力の使用だ、これでやられたのならば死を覚悟する必要がある。

 

「まぁ、もともと死は覚悟の物、死んでも超える覚悟って言う意味だけど」

「良い覚悟です。貴方の体はしっかりと、中身を食い尽くして、ちゃーんと使い切りますよぉ、ご安心を」

 

 言葉通り、口を三日月のように歪める。よだれを垂らしながら目をぎらつかせる、その様子は腹を空かしている獣そのものだ。

 その気になればシャオンの体を一口で食いつくすことなど造作でもないだろう。

 だがそれも覚悟の上、だ。

 

「そりゃどうも、ならついでに、これも喰らってくれ」

 

 息を吸い込み、集中する。

 瞬間、自身の体に熱がこもり、何かが抜け出ていく感覚を感じる。

 それを繋ぎ止め、発する。

 

「――――魅了の」

 

 視界にノイズが走る。

 そして一瞬映るのは桃色の髪をした女性の姿だった。

 見覚えはない、だが、どこかで見覚えはあると訴えてくる矛盾。

 この技は、この権能の名前は違ったはずだ。

 もっと、ふさわしい、本来の持ち主と同じ名称にするべきだ、いくら模倣とはいえ、素晴らしい価値がある技なのだ、敬意を払うべきだ。

 そう考え、シャオンはその技を、権能を宣言する。

 

「――無貌の花嫁」

 

 妙になじんだその言葉。

 その言葉を口にしたと同時に、ノイズは晴れる。

 一瞬、一人の少女の姿を目にした。

 桜のようにな淡い桃色の髪に、庇護欲を煽るであろう小柄な体。地面についてしまうほどの長さの緑色のマフラー。

 そんな特徴的な一人の少女が、口を開く。

 声は聞こえなかった、ただ唇のその動きで何を伝えたかはシャオンにもわかった。

 

『――待ってる』

 

 目元に涙を浮かべたその少女は、そして――消えた。

 

 

「無貌の花嫁」

 

 そんな言葉を目の前の少年はつぶやいた。

 聞いたこともない単語に、僅かに警戒を強める。

 先ほどの視認ができない一撃、傷がついてもすぐに回復できる能力。 

 それに加えてまだ隠していた技があるという。

 導き手である彼はやはり凡庸な存在ではない、叶うのならば生け捕りが望ましいが、場合によっては四肢をもぐなどの手荒な真似も考えねばならない。

 しかし、何も起きない。警戒をし過ぎたかと気を緩めたその瞬間、腕がボトリ、と落ちた。

 

「は?」

 

 身体を構築している蟲達が、リーベンスのいうことを効かない。

 自己が保てなくなる。地面へとついたもう片方の手は形が保てずに崩れかけていく。無くなっていた痛覚がよみがえるように、リーベンスの体を襲う。

 一体何が起きたのだろうか、わからない。

 態勢を整えなければいけない、だがそのためにどうすればいいのかが、策が、頭に入ってこない。

 混沌の中、男の声が妙にはっきりと聞こえた。

 

「賭けに勝ったようだな」

「なに、を」

「第二段階成功って、ことだよ……まぁ仕留めきれないのは予想外だが」

 

 第二段階、賭け。

 意味が分からない、わからないが、何かを仕掛けられたのはわかる、そうしてようやく気付いた――真に追い詰められたのは、追い詰めたのは、どちらなのかを。

 リーベンスの身体が崩壊していく様子を見ながら、シャオンは喜びの色を隠さずに口を歪める。

しかし急な自己の崩壊に理解が追い付いていない彼女は、こちらへ問いかける。

 簡単な話だ、これはシャオンの能力の効果によるものだ。

 シャオンの持つ能力のうちの一つ、魅了の燐光は簡単に言うならば生物を操るものだと、シャオンは理解している。

 彼女の体を構築する蟲の大多数はシャオンの能力によってリーベンスによる制御から無理矢理離れさせたのだ。

 贅沢を言うならば今の一撃で完全に無効化したかったようだが、既に死体である蟲達、命があるものではないから効果が薄かったのか、それとも彼女の執念がこちらの能力を上回ったのかはわからない。

 だが、目の前の怪物は、もう討伐可能なただの狂人だ。もちろん、そんな説明はしてやらないが、

 

「白鯨、白鯨、はくげい!」

 

 懐から取り出した小箱に、叫ぶその姿はいままで余裕を持っていた姿は跡形もなく、いっそ可哀想だという感情すら抱くほどに惨めなものだった。

 その視線にすら気づかないほど、必死で白鯨の名を叫び続ける。だが、いくら待っても彼女の求めるあの怪物は姿を現さない。

 それもそうだ、あっちはあっちでいま命がけの戦いをしているのだろうから。

 

「無理だぜ、リーベンス嬢。あの怪物はスバルが止めている」

「ば、ばかな! あの、魔女の遺産が、止められるものか!」

 

 シャオンの言葉にリーベンスは反論する。

 だが、いくら呼び出しても、待っても来ない状況に、信じたくない現実を認めたのかもしれない。

 しかし、目に宿る戦意は衰えていない。

 

「穿て!」

 

 とっさに放った一撃は今までの一撃の中でも遅く、単純で、首を傾けるだけで避けられるものだ。

 そして返す刃で掌底を鼻の頭へと放つ。

 今までと同じならばこの攻撃すら意味がないもの、すぐに蟲が衝撃を逸らしてしまうだろう。だが、

 

「が、ぁあ!?」

「ようやく、ようやく痛手を味合わせられたな」

 

 確かな手ごたえと共に、苦痛の声を上げる彼女の様子を見て、自身の攻撃が効いていると確信に至る。とはいっても彼女が抱えている蟲の数は膨大ですぐに新しく肉がつながり、元に戻る。

 以前と違うのはその速さが目に見えるほどに遅いことだろう。 

 

「おっと、そして――ゴーア」

 

 空高く、花火のように一つの火球が打ちあがる。それは小さなものではあったが注視していれば気付けるもの。

 目の前で唸っているリーベンスはその一撃を気にする余裕はなく、ただただ状況の把握に努めていたようだ。

 

「――気づけよ、二人とも」

 

 白鯨討伐を悟らせないのが第一段階、第二段階が魅了の燐光によるリーベンスの弱体化。

 あわよくば第二段階で終わってほしかったが、もしものことを考えて次の作戦も用意していて正解だった。

 そう、一瞬の花火を見上げ考えていると、背筋に氷柱を入れられたような、冷たい声が聞こえた。

 

「許さない」

 

 声の主はリーベンス、だろう。

 確証に至らないのは、その見た目がシャオンの知るそれとは大きくかけ離れたものへと変貌していたからだ。

 

「あの人を、待つために用意した体が、私達を崩しやがって、責任を、とれ」

 

 巨体、小柄、中肉中背と姿がパノラマ写真のように切り替わり、ブレていく。そして、それが落ち着く時には、

 シャオンを見下ろすほどの、文字通りの怪物になった。

 一匹の巨大な虫だ。

 蜘蛛のような複数の手足に、毒々しい蝶の羽、そしてすべてを切裂くことが出来るだろう鋭い鎌。

 そんな複数の蟲が合わさったような、魔獣が叫ぶ。

 

「お前の体をよこせぇぇぇぇえええええ!」

 

 その咆哮は、先ほどまでの余裕を吹き飛ばす。

 体中に震えが走り、鳥肌が立つ。

 だが、

 

「悪いね、自分自身の体には意外と執着があるもんで!」

 

 震える足に、喝を打ち、目の前の敵をただ見る。

 よく見るのならばなんてことはない存在だ。

 ようやく追い詰めたのだ、今までは姿すらはっきりと見えなかった絶望の存在が、姿を現しわめいている。

 希望は、明日はもう目の前なのだ。 

 

「そう簡単には、とられない」

 

 それだけで震えはもう止まっていた。

 

 

「ゴーア、ゴーア、エル・ゴーア!」

 

 こぶしよりも少し大きい火の玉がリーベンスへと直線的に向かっていく。

 当たれば文字通り溶けるだろうその一撃を、リーベンスは避けるそぶりを見せない。

 当然、火球の一撃は彼女の体を焼くが、それも一瞬だけだ。どうやら魅了の燐光による効果で制御が効かなくなっても、膨大な数の蟲は完全に動きを止めていない。

 蟲達の膨大なその数で炎が押しつぶされているのだ、効果は薄い。 

 

「わたしは、死なない。あの人を、またなきゃ」

 

 ぶつぶつとつぶやきながら彼女の体はぐにゃりと、変則的に形を変えていく。

 数本の手足を伸ばし、その先端には獲物を逃がさない様な鋭い爪が、鎌が備え付けられている。

 黒く光るその爪に当たってしまえば、ただでは済まないだろう。

 精度が落ちた彼女の一撃が当たれば、だが。

 

「待つにはこの体じゃダメ、もっとちゃんとした体じゃなきゃ……」

「エル・ヒューマ!」

 

 自身に言い聞かせるように呟いている彼女の顔面を、鋭い氷柱の先端が大きく抉る。

 本来であれば流れ出る血の代わりに、蟲の死骸が散らばる。

 だが空いた穴を埋めるように、すぐに蟲が集まりその肉体を再構成する。

 

「お宅の身体、もうだいぶ削ったのにまだまだ元気みたいだね……こうなればもっときつめのをお見舞いしたほうがよかったか?」

「減らず口を、たたくなぁ!」

 

 押し寄せてくる漆黒の掌、津波のように視界を覆い尽くすそれが、シャオンを丸ごと呑み込み、押し潰そうとする。

 文字通り蟲を払うように、不可視の腕を使えばこの程度の攻撃は対処ができる。

 そう思った瞬間、シャオンの行動が一瞬遅れた。理由は声だ、リーベンスのその声を聞いてしまったからだ。

 

「私は、私達は何も悪いことをしていなかったのに!」

 

 間延びしたような声でもなく、狂人のような声でもなく、一人の女性の、嘆きの声だ。

 シャオンが彼女に対して抱いていた感情は怒りや、憎しみ、理解が不能という恐怖だけだった。

 その印象を塗り替えるような、本当に普通の人間の叫びだったのだ。

 

「ただ、ただ幸せを祈って――」

 

 それがリーベンスの口から聞こえ、シャオンの動きを止めた。

 そして、

 

「――それでも、他人から奪う理由には決してならねぇよ、当たり前なことだ」

 

 言葉は驚くほどに落ちつき、はっきりと声に出せた。

 

「俺たちも、自分の幸せを守るために、アンタの幸せを奪う。悪く思え」

 

 不可視の手の使用を止める。

 諦め、ではない。

 ただ、信じていた――彼らの到着を、そしてそれが、実ったことを確信したのだ。

 

「――クラリスタ」

 

 虹色の輝きの一閃が、迫りくる黒を払う。

 煌めきが乱舞し、光の乱反射を浴びせながら刃の軌跡を輝きで描く。その軌跡の過程にあったはずの欲望は消失し、広がっていたはずの鮮血の結末もまたない。

 何が起こったのか理解できないリーベンスが、次の動作をするよりも前に、早く、虹の向こうから獅子のように駆けてきたその大男は割くように動く。

 

「――割星」

 

 空間に罅が入ったような音が聞こえた。かと思うとパン、という乾いた音ともにリーベンスの上半身のみが大きく後方へと吹き飛ぶ。

 泣き別れた下半身はわずかに動いた後空気中に霧散し、後には何もない。

 

「どうやら、間に合ったようだね」

 

 透き通るような声の主は、細身の剣を抜き放ち、悠然と駆けてきた地竜から降り立つ美丈夫。

 薄紫の髪を風に揺らし、近衛の制服の裾をたなびかせる姿はまさに物語に出てくる騎士そのもの。

 

「女の顔を殴るなんて正直趣味じゃねぇけど、怪物なら話は別だ」

 

 対して鼻息を一つ鳴らしながら、拳を打ち鳴らしたのは一人の男だ。

 シャオンにとって、あの拳の硬さと恐ろしさは身をもって味わっている。だが、敵であるときはあんなに恐ろしい存在だったが、味方になればどれほどの心強さになるかも同時に証明をしていたのだ。

 

「遅れてすまなかったね、シャオン」

「いや、十分だよ……まさかタイミングを待っていたとかはないよな?」

「おや、心外だね。合図を見て急いできたというのに」

 

 優雅に笑うその様子を見て変わらない。

 キザではあるがそれこそが彼にあっている、そんな振る舞いに思わず笑ってしまう。

 そして、そんなシャオンの頭を大男は乱暴に撫でる。

 

「つか、もっと大きな合図をしろよな、こう、でっかいやつ」

「はは、それに関してはすいません」

 

 最優の騎士、ユリウス・ユークリウス。

 竜砕き、ウルツァイト・パトロス。

 これがシャオンが、正確にはシャオンとスバルが用意した応援だ。

 前回の世界で、起こったレムとリーベンスが操られる現象、それを避けるための明確な条件はわからない。

 2人の共通点である鬼、つまりは人ではないことと、女性という条件は確実に外す必要があった。

 亜人ではなく、かつ女性ではない人物。クルシュの陣営は白鯨討伐があるため、必要以上に人員は割けない。そうなれば残るはアナスタシアと一般の傭兵から力を借りる必要がある。

 一般の傭兵ではこのような命を捨てるような仕事は受けないだろうし、何よりも戦力に不安がある。

 戦力は十分ではあるが、アナスタシアの鉄の牙は殆どが亜人で構成されている。

 手詰まりかと思った状況。そんな中本当に、運よく条件が合う人物を見繕うことが出来たのは、アナスタシアの陣営からこの二人の力を借りることが出来たのは奇跡だ。

 おかげで色々と後が怖いが、十分だ。交渉を担当したのはアリシアだ、無茶な代償は払わせないだろう。

 

「さて、軽口はお終いだ……まだ息があるんだろ」

「ええ……でも」

  

 ルツの言葉に吹き飛んだ彼女を見る。

 起き上がる力もないリーベンスではあるが、まだ動いてはいる。

 脅威は去ったが、確実にとどめを刺さなければならない。それほどまでに、油断はならない敵だ。

 

「……詰みだ、リーベンス嬢」

 

 もう、目の前の怪物に勝利の目はない。

 あとは、シャオンが息の根を、彼女の、人間の命を止めるだけだ。



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名前のない怪物と、怪物と、名前を奪う怪物

 ■■■■は、歴代続く呪術師の家系の一人だった。

 表向きの仕事は、お菓子やや仕立て屋など幅広くやっていたが、きな臭い仕事も当然行っていた。

 人を殺したことも直接的ではないが、ある。

 そんな血みどろの道から、呪術師である自分はどうせ逃げられないのだろう、とあきらめていた。そんな関わりも無くして普通の人間として、女性としての幸せも掴みたいとも思っていた。

 まぁ、それも夢の話、もう一般的な幸せを掴むことは無理だと諦めている中、出会いは起きた。

 あれは、いつの日だったか、いつも通りのお店での商い中。騎士である彼と、■■■■の夫となる騎士である彼と偶然出会った。

 一目ぼれ、というものだろう、それは互いに。そこからは流れるように進んで行く、交際に、結婚、1児の子供も授かった。

 幸せの絶頂だった。だった、のだ。だが、幸せはそう長く続くことはなかった。

 亜人戦争によって夫は戦争へと駆り出されることになる。

 ■■■■は祈った、呪術師でありながらも彼が生きて帰ることのみ祈る。だが、現実は甘くはない。

 願いは届かず、騎士の夫は、亜人たちによって容赦なく殺され、その無残な遺体は彼女の元へと届けられた。

 ■■■■は、騎士たちに問い詰めた。

――どうして、救ってくれなかったのか。貴方方騎士団ならば、救えたはずだ。

 八つ当たり、ではある。だがそうでもしないとこの怒りでどうにかなってしまいそうだったのだ。

 亜人共の相手をする必要がある騎士達は相手にする余裕がない。

 一度目は謝罪の言葉、二度目三度目となると、戦争の状況の悪さもあってか必然的に敵意と共に暴力を振るわれていく。

 そして、ついに、命にかかわる暴行を受け、乱雑にゴミ捨て場へと捨てられたとき、蟲に体を食べられながら死んでいくと思ったその時――怪人と出会った。

 

「――やあ、どうも。お休みの所よろしいですか。ごめんね」

 

 その人物は奇妙な出で立ちだった。かけられた声色はどこか、本能的な嫌悪感を覚える。

 ボロボロの体でも、その人物を無視することはできないほどの存在に目を向ける。

 

「ありがと。ほんの少しだけ、皆さんのお時間を拝借させてください」

 

 謝罪と感謝の言葉を口にしていながらも、謝意より己の意思を優先させるどこか独善的な声。

 震える声は裏返り、ひび割れ、耳にするものの心をひどくガムシャラに掻き毟るような不快感があった。

 そのおかしな感覚はおそらく、その人物の奇怪な外見の影響も多大に受けている。

 ――その人物は頭部を乱雑に巻いた包帯で覆い、わずかに露出したギラギラと輝く瞳でこちらを睥睨している。黒いコートで体をがっちりと包み、両腕には長く歪な鎖を縛り付けていた。

 その奇態から目を離せないでいる中、その人物は笑み――おそらく、笑みであろうと思わせるように、包帯で隠れた口元を陰惨に歪ませ、

 

「ごめんね。私は魔女教、大罪司教『憤怒』担当――シリウス・ロマネコンティと申します」

 

 正気であれば、恐れるべきその肩書を耳にしても、何も感じない。恐怖も、敵意すら、向けることすらどうでもいい。

 それを目の前の怪人は話を聞いてくれる気になったのかと解釈し、童女のようにはしゃぐ。

 

「ああ、話を聞いてくれるのは助かります。ありがと。では――」

「もう、どうでもいい」

 

 呟いた声は怪人に聞こえたらしく、彼女は今までの明るさからは一転、詰めるようにこちらを見て、唾をまき散らしながら、叫び始めた。

 

「あら、あら、あらあら。それはいけません。燃える情熱が、熱が、愛が足りていません」

 

 倒れているこちらの体を無理やり起こし、その血走った眼を無理やり合わせてくる。

 僅かに腕がちぎれるがそれすら気にした様子はなく、傲慢に怒りを伝えてくる。

 

「大事なのは知り合うこと。譲り合うこと。認め合うこと。許し合うこと。そうして一つになることこそが、『愛』のあるべき正しい形」

「……愛」

 

 ふと、近くに散らばる死骸の声が聞こえる。

――ここであきらめていいのか、と

 

「貴方の愛する人は必ず帰ってきますよ、待っていれば」

 

 ピクリと、僅かに体が反応する。

 ――愛する人、待っていれば、帰ってくる。

 

「だから、貴方はその人がいつ帰ってきてもいいように世界を整えませんか?」

 

 そこで、■■■は人間であることを止め、呪術を最大限に使い、体を繕う。起き上がったその体は腐食まみれな上に蟲に喰われていたため、醜悪なものであることは言わずもがなだ。

 だが、目の前の彼女はうっとりとした表情を、包帯の下に浮かべながら呟く。

 

「素晴らしい愛の形です」

 

 こうして、怪物は生まれたのだった。

 

 

「あの人は、必ず帰ってくる」

 

 焦点があってない。

 体の半分以上の蟲が失われ、戦闘を継続できない。だが、上半身だけで這い、目標へ近づく。

 数分、いや数秒後程度だろうか、目の前の男までたどり着き、見上げると男は静かにこちらを見下ろしてくる。

 

「だから、待たないと、あの人の帰る場所を、守らないと」

「――もう、お終いだよ」

 

 お終い、とはなんだろう、言葉の意味が分からない。

 始まる、いや始めないといけないのだ。あの人を待つ、あの人を迎えるために。

 

「待つのは、もう終わりなんだ」

 

 いつのまにか零れ落ちていた涙を、目の前の男は優しく拭う。

 騎士も、亜人も、司教もしなかった。夫であるあの人が、あの人だけがしてくれたことを目の前の男がする。

 僅かに、目の前の姿がブレ、あの人に重なる。そして、

 

「貴方が、会いに行ってあげるんだ」

「――――」

 

 その言葉に、■■■■は、心は折れる。そして何も言わず、炭のようになる体を見る。風によって、飛ばされ跡形もなくなるのだろう。

 死体をもてあそんだ呪術の代償、それは世界にその姿を残せないこと。

 

「ああ――」

 

 後悔はない。

 生きることの執着心も消え、消滅を受け入れる。

 そこには、もう何もなかった。名前すらわからないただの怪物は、もう存在しない。

 ――すでに死んだ愛する人間に会いに行ったのだ。

 

 世界に何も残さず消えたリーベンスの姿をシャオンは見送る。

 彼女の過去に何があったのかはわからない、怨嗟の声も理解はできない。だが、泣いていたのだ。

 彼女のやったことは許されるべきものではない、だがその涙を拭うことぐらいは、許されるだろう。

 

「……」

 

 肩を軽く叩かれる。

 振り返るとそこには、渋い顔をしていたルツがいた。

 

「あまり同情なんてするもんじゃねぇぞ、そいつらに」

「ですけど……」

「一人の手で救える数は限られてる……お前にだってやるべきこと、守るべきものがあんだろ? それならそいつらに分け与える余裕はねぇだろ?」

「……気を付けます」

 

 からかいの含まない、ルツの大人としてのアドバイスにシャオンは頷く。

 その目に宿る感情まではわからないが、歴戦の戦士である彼の実体験なのか、言葉に重みがあったこともあり、素直に従っておくべきだろう。

 それに、救える人間の数は、守れる”価値”は限られているのも事実なのだ。

 

「お、きたか」

 

 ふと、前を見るルツが遠い目をするのにシャオンは気付き、その視線の方向を追いかける。だが眼前に広がるのは、まだ夜の深い平原の闇であり、見つめているものがなんなのかはわからない。

 目を凝らして見えないのならば、嗅覚がある。

 鼻を1度スン、とならし遠く離れたその存在をたどる。

 これは、嗅いだことがある匂い。記憶の中にあるにおいの元を探り出して、声に出す。

 

「鉄の牙の応援、ですか?」

「本隊の半分だけどな……てかよくわかったな、なんだ夜目が効くのか?」

「あー、まぁそんなところです」

 

 感心、というよりも驚きの声を上げるルツの言葉に濁らせた解答をする。

 まさか臭いでわかりました、なんて言ってしまったらなんて目で見られるかわかったものではない。

 シャオンの反応を見た、ルツの視線が訝しげなものに変わる前に慌てて話を逸らす。

 

「それより、半分ですか?」

「あ、あーもともと、『鉄の牙』は白鯨の討伐に半分の人員しかだしてねぇんだ。残りの半分は半分で、やることがあったんでな」

「やること、というと」

「街道に他の人間が入り込み、戦いに巻き込まれては困る。だから半分は街道の向こうをあらかじめ封鎖しとく役割を担っていたんだ」

 

 ユリウスの説明に耳を傾けながらシャオンは納得に顎を引く。

 白鯨討伐に全力を傾けていなかった、ということではないだろう。当然、クルシュの白鯨討伐が全滅により失敗する可能性がありえる。その場合、貴重な戦力を全て失うことを避けたアナスタシアの判断も間違いではないだろう。

 

「じゃ、二人はその半分に合流するって形なのか」

「いや、正確には私がそちらに合流、ルツは白鯨の激動部隊へと向かう手筈だ」

「ティビーの補佐はユリウスが向いているし、逆に白鯨相手だと俺の馬鹿力のほうがユリウスより相性がいいだろうしな」

「なるほど、だったらルツさんと俺で向かう、と。それなら急ぎましょう、スバル達の方もぎりぎりの戦いだろうし」

「そうか、彼が……」

 

 ユリウスのつぶやいた言葉にシャオンは彼とスバルに、因縁があったことを思い出す。シャオンとしてはどちらもいい友人ではあるが、当人同士での譲れない部分が互いにぶつかり合っているのだろう。

 あまり突っ込むべきことではないのだろう、だが、これだけは言いたかった。

 

「ユリウス」

「なんだい?」

「スバルは、凄い奴だよ、俺よりも誰よりも……未熟だろうけど」

「――ああ、だろうね」

 

 シャオンの言葉に僅かに驚いたように目を見開くが、すぐにいつも通りの悠然とした微笑みを口の端に上らせる。

 彼がシャオンの伝えたいことを理解してくれたのかはわからない、だが今はそこを深堀する余裕はない。

 

「さて、悪いがお前さんの体具合を気にしてられない、だいぶ飛ばすがいいか?」

「勿論です、全力で、お願いします。早さ重視、俺のことは壊れにくい荷物だと思ってくれれば」

 

 こちらを気遣うルツの言葉を切り捨て、合流することを第一に移動をお願いする。

 疲労は僅かに残るが、大きなけがは癒しの拳で治せる

 その迷いのなさが気に入ったのかルツは獣のような笑顔を浮かべて、地竜の後ろへシャオンを無理やり投げ飛ばす。

 

「上等、急ぐぞ、捕まってろよ?」

「は、はい」

 

 僅かに先ほどの簡単な返事をしたことに後悔を覚えながらも、覚悟を決めてルツの胴に手を回す。

 その瞬間、音を置いて、地竜は走り出し、白鯨討伐へと向かうのだった。

 

 

――時刻は少しさかのぼり、白鯨討伐隊に移る。

 定刻通りに携帯電話のアラームが鳴り響き、宵闇のリーファウス街道に白鯨が現れる報を告げた。スバルの叫びに呼応して、レムがすでに練り始めていたマナに詠唱による指向性を与える。生み出される四本の長大な氷槍は大木を束ねたような凶悪さを誇り、それが風を穿つ勢いで巨体の胴体へと突き込まれる。氷柱の先端が固いものに押し潰される音が響き、しかし砕き切られる直前に先端が魔獣の腹にわずかに埋まり、傷口を押し広げて内部へ穿孔──血をぶちまける。

 白鯨の絶叫が平原に轟き渡り、鼓膜を痺れさせるような大気の震えを味わいながら、スバルとレムが乗る地竜が一気に駆け出していた。

 あの瞬間に動けていなければ、コンマでも動きが遅れていたのであれば、この先制攻撃は白鯨に悟られてしまっていたはずだ。

 くるものと、半ば確信的に考えていたとしても、事実が起きれば人の心には波紋が生まれる。波紋はささやかでも思考に歪みを生み、歪みは停滞を、そして停滞は敗北を招き寄せる──戦端は危うく、こちら不利で始まる寸前だった。

 それでもなお、スバルたちがそこに間に合ったのは一言でいえば信頼の差だ。

 事実、クルシュたちの判断がコンマ遅れた点には、ミーティアのその機能に対しての確実とまではいえない不信感が原因であった。

 姿を見せない魔獣に対する焦れ、大軍を率いるその不安もささやかながらに判断を鈍らせた。

 だが、レムはスバルの言葉を、スバルの言葉だからこそ、白鯨がこの瞬間に現れるという発言を、一点の曇りもなく、欠片も疑っていなかった。ゆえに最高のタイミングで自らが持てる最大火力の魔法を練り、白鯨の出現を確認したと同時に発することができた。

 故に、最初の一撃は問題なしだ、ここからは白鯨に対する脅威が自身達の予想したものとどれだけ離れているか、そして、予想通りであっても落とせるかは運になる。

 

「スバルくん、もっとしっかりしがみついてください。振り落とされます!」

 

 地竜の手綱を握るレムが叫ぶ。彼女の言葉は作戦の一部──先制攻撃炸裂後の、第二段階を示していた。

 

「全員──あの馬鹿共に続け!!」

 

 背後、駆け出すスバルたちに遅れること半歩、号令をかけるクルシュに応じて討伐隊が次々と砲筒に着火──込められた魔鉱石が射出され、中空で弾けるとそれが色に呼応した破壊の力へと変換され、白鯨の胴体へ立て続けに着弾する。

 悶える巨躯から血霧が噴出し、街道にどす黒い雨を降らせる。霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、地竜が機敏な動きで白鯨を大きく迂回するように背後を目指す。

 

「俺の存在を意識させて、討伐隊に基本背中を取らせるように立ち回る──! って自分で行っていて本当に頭おかしい作戦だよな!」

「闇払いの結晶が砕けます、目をつむってください!!」

 

 すでに戦闘状態に入り、レムの額には純白の角が覗いている。

 やけくそなツッコミをしつつもスバルはレムの言葉に従い、下を向いて目をつむり──次の瞬間、世界が瞬く。

 白光は空で爆発し、一瞬で世界を白い輝きで焼き尽くす。

 閉じた瞼すら貫き、眩暈を起こしそうになるほどの光の強さにスバルの喉が驚きに詰まる。そして数秒後、恐る恐る開いた眼を周りに向ければ、

 

「うおお、聞いてた通りだ。すげぇ」

 

 夜の闇が切り払われて、まるで真昼のように視界を確保された世界が展開されていた。

 頭上、すでに沈んだ太陽の代わりに輝くのは、白鯨への先制攻撃と同時に射出された『闇払いの結晶石』だ。闇を照らす効果を持つ結晶であり、本来ならば極々わずかな輝きで薄闇を照らす程度との話だが、そこはアナスタシアとラッセルの力、膨大な量のそれは照らすどころの話ではない。

 

「夜にもぐられては、白鯨の巨体であっても簡単には見つけ出せませんから。──さあ、ここからですよ!」

「────ッッッッ!!!」

 

 白日の下に晒し出されたことに怒りを覚えているのか、その巨大な口を開いて咆哮を上げる白鯨。発される轟音はすでに音の次元に留まらず、一種の破壊行為に近い。大気が鳴動し、訓練された地竜の野生にすら恐怖の感情を生む暴力的な雄叫び。

 それをもたらす異貌は巨躯のあちこちから血をこぼし、しかしその動きに一切の精彩さを欠かず、自分に挑みかかる人間たちを見下ろしていた。

 

「改めて、でかいな……」

 

 震わせるつもりのない喉が震えて、スバルは手足が痺れたように動かなくなる感覚を止められない。まるで巨大な建造物、それが自由に動き回っている。そう考えるとなおさら恐怖を感じる。。

 岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど知識にある鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。

 

「スバルくん、恐いですか?」

 

 怖気に従って歯の根が噛み合わず、指先が震え始めそうになるスバルを呼ぶ声。

 それはこちらに背中を向け、小さな体の腰にスバルを抱きつかせる少女のものだ。

 挑発、ではない。

 信頼ゆえに、呼びかけてくる。スバルならば、なんて答えるのかがわかっているであろう、信頼。それに応えようとぐっと、歯の根を噛んでスバルは口を強引にねじ曲げると、

 

「ああ、恐いね。──あれを倒して賞賛される、俺の未来の輝きっぷりが!」

 

 軽口を叩いて少女の期待に応じると、スバルは目の前の肩を後ろから叩き、

 

「俺の命は全部預ける! さあ、逃げまくってやろうぜ!」

「レムの命も、スバルくんのものです。──では、そうしましょう」

 

 サムズアップして勇ましく逃亡指示を出すスバルに、レムがそっと微笑むと手綱を打ち鳴らす。それに従って地竜が嘶き、異形を前にしても怖じることなく土煙を上げて大地を駆け抜ける。

 一路、スバルたちが向かうのはこちらを向く白鯨の右下──斜めに駆け抜け、尾の側へ回り込む狙いだ。

 先行し、最接近するスバルたちへ白鯨の巨大な瞳が向けられる。一軒家でも丸ごと呑み込みそうな顎が開かれ、石臼のような歯の並ぶ口腔が大気を吸い上げ、咆哮をこちらへと放とうとしている。

 先ほどこちらの出鼻をくじいた咆哮が再びくると、身構えるスバルたち──その頭上を、

 

「余所見とはずいぶんと、安く見られたものだ──!!」

 

 目には見えない刃が横薙ぎに一閃し、口を開いていた白鯨の頭部を真一文字に浅く切り裂いた。

 刃と岩の触れ合う擦過音すらせず、強固な岩肌を撫で切る斬撃に白鯨の巨体から再び血が噴出する。

 振り向き、刃の出所に視線を走らせれば、スバルたちに続いて討伐隊の先頭を走るのはクルシュの引く地竜だ。黒く洗練された地竜の背に立ち、勇ましい口上とともに斬撃を放ったらしき麗人──その振り切られた腕には、何もない。

 

「あれが、話に聞いていた百人一太刀……すごいな、本当に何も持っていない」

 

 あらかじめレムから聞かされてはいたが、スバルは驚愕を隠せない。

 彼女の口にした逸話に関しては寡聞にして知らないが、その字面だけでおおよそ事態は理解できる。無手に見えるクルシュの戦闘力の、その納得の高さも。

 目に見えない斬撃に初動を潰され、動きの停滞した白鯨へ追撃が入る。討伐隊の面々が続いて魔鉱石を放出、火力を集中された白鯨の巨体に次々と着弾によるダメージが通り、悶える巨体が高度を下げていく。

 それまで雲と同じ高さにあった白鯨の巨躯が沈み、その高度が首を真上に傾けるほどでなくなればそこは──、

 

 地竜が跳ねるように跳躍し、その巨体に見合わぬ軽やかさで空へと駆け上がる。それでもなお、強大さを誇る白鯨と比較すれば質量差は明白だ。鼻先に浮かぶ地竜の姿はまるで、白鯨からすればまさしく虫けらのようなものであったろうが、

 銀色が白い岩肌を易々と切り裂く光景に、轟音が鳴り響いていた戦場の音が確かに止まる。それは魔法でも、魔力を込められた鉱石によるものでも、形を持たない刃がもたらす破壊でもなく、形を持った鉄の塊が人の手によって振るわれた証。

 長きにわたる人生の、その大半を費やした人間の境地が、霧を生み世界を白く染め上げる魔獣の鼻先に確かに届いたという、その証だ。

 

「──十四年だ」

 

 割った鼻先に剣を突き立て、人影がしゃがみ込みながらぼそりと呟く。

 振り切ったのと反対の剣を突き立てて姿勢を維持し、斬撃を与えて刀身を濡らす血を払う鍛えられた背中──そこに、大気が歪むほど迸る剣気をまとい、

 

「ただひたすらに、この日を夢見てきた」

 

 背を伸ばす影に白鯨が身をよじる。自身の鼻の先端に乗るそれを振り落とそうとするように、中空で身をひねる白鯨の巨体が大気を薙ぎながらバレルロール。

 豪風が街道の空を吹き荒び、巨躯の遊泳の結果に誰もが息を呑んで目を見開く。

 だが、

 

「────!!」

 

 ひねった身を先の位置に戻した白鯨が痛みに喉を震わせ、尾を振り乱しながら鮮血をこぼす。先ほど縦に割られた傷には追加で横に一文字の傷が加えられ、十字の傷口を額に生んだ白鯨の背を、軽い足音を立てて影が踏む。

 ──剣鬼がにやりと、その皺の浮かぶ頬を酷薄に歪めた。

 

「ここで落ち、屍をさらせ。──肉塊風情が」

 

 言い捨てて、剣を両手に構えるヴィルヘルムの体が風を切る。

 頭部側から尾の方へ背中を駆け抜け、白鯨の岩肌を振り回される刃が削岩機のように削っていく。

 体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効打を持たない。軽やかに走る老剣士を振り落とさんと、再び颶風旋回で空を泳ぐも、その回転する寸前、短く跳躍するヴィルヘルムが剣を突き立てて身を浮かせる。と、その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走り、白鯨の体に大きく傷が増える。

 噴き出す血霧を半身に浴び、その体を斑の赤に染める剣鬼が笑う。笑い、老躯が両の剣を上に振り被って巨体の側部へ。振り下ろす刃が側面の岩肌を縦に削り、V字に振り切られると肉を削ぎ落す。

 空をつんざく絶叫が走り、落下するヴィルヘルムを白鯨の尾が横殴りに襲う。が、その直撃の寸前、駆け込んできたヴィルヘルムの地竜が老剣士を拾い上げ、その攻撃の範囲から滑るようにして逃れる。そして白鯨が怒りに任せてヴィルヘルムを追おうとすれば、

 

「無視すんなや!」

 

 リカードの放つ大ナタの一発が口腔内に侵入、白鯨の歯を根本から抉り、鈍い音を立てて黄色がかった奥歯が吹っ飛ぶ。

 そのまま白鯨の顔面を斜めに横断。地竜に比べて身軽と称されたライガーはその俊敏さを遺憾なく発揮し、背に主を乗せたまま上空を行く白鯨の体を駆け回る。

 

「そらそらそらッ!!!」

 

 走るライガーの背の上で、唾と罵声を飛ばすリカードの大ナタが振り下ろされる。岩盤を砕き、その下の肉を抉って血をまき散らす獣人。付き従うライガーもその牙を爪をふんだんに使い、生じた傷口を深く鋭く広げていく。

 そしてリカードの奮迅に続くように、

 

「そりゃー、いっくぞー!!」

 

 小型のライガーにまたがる子猫の獣人、双子の副団長が指示を出すと、獣人傭兵団のライガーが次々と白鯨の体に取りつき、その広大な肉体を駆け回り、蹂躙し始める。

 槍や剣が打ち振るわれ、大半が岩肌に弾かれながらも、確実にダメージが通っていく。その姿はまるで、毒虫に群がられる獣の有様だ。

 

「親父ほどじゃないっすけど――割れろ!」

 

 そして、ひときわ高くとんだアリシアが鬼の力を全力で込めて、蹴りを放つ。

 僅かに白鯨の体が沈み、標的が彼女へと変わることを占め打章に視線がそちらへと向く。それを狙ったように彼女の両腕の篭手から放たれた、魔鉱石はその効果を示すように光、白鯨の視界を焼き尽くす。

 

「──総員、離れろ!!」

 

 戦場を貫くクルシュの怒号がかかり、取りついていた傭兵団が一斉に白鯨の体から飛び退く。宙を行くライガーは軽やかに地に降り立ち、それを見た白鯨はそこから反撃に出ようと大きく旋回したが──遅い。

 所詮は獣、判断は誤りだ。

 

「横腹を、さらしたな──!」

 

 大上段からのクルシュの二撃目──袈裟切りに襲いかかる斬撃が白鯨の側面を斜めに切り裂き、その一太刀に遅れて追撃が再び加わる。

 ここまで攻撃に参加せず、ひたすらに魔法の詠唱に集中していた部隊の攻撃だ。

 

「────ッ!!」

 

 詠唱が重なり、生み出されるのは練り上げられたマナによる破壊の具現。現れたのは太陽だ。

 以前ロズワールが作り上げたものと相違ない、いやそれよりも数倍は大きいそれが火の魔法の火力を束ねたものだと理解してなお、高熱によって即座に炙られる世界の壮絶さから目を離すことができない。

 直径十メートル以上に及ぶ大火球は距離があっても肌を焼き、瞼の内にある眼球の水分を奪い尽くそうと燃え盛る。だが、しっかりと目を開く。

 一瞬の油断、よそ見が全滅へとつながるのだから。

 その火球がゆらりと揺らめき、初速は加速へ変わり、大火球が横腹を向ける白鯨の胴体へ直撃──生まれた傷口から肉を焼き、熱を通して内臓を沸騰させ、白鯨の絶叫と爆音が明るい夜空へと轟き渡る。

 砕け散った火球が燃える破片を平原に散らし、下を走る傭兵たちが慌てて避難。スバルとレムもそれに混じって遠ざかりながら、白い体毛を燃え上がらせる白鯨の姿を目で追い続ける。

 その圧倒的な戦果──これ以上ない奇襲の成功に、白鯨は反撃すらままならない。このまま、なにも手出しさせずに被害ゼロで切り抜けられるのではあるまいか。

 そんな余裕は前回の世界で既に捨てている。何故ならば、前回の世界で見たあの能力がいまだに姿を現していないからだ。

 そうして、スバルの予感は的中する。

 

「――来るぞ!」

 

 スバルの警告の声に僅かに遅れて赤い魚影が白鯨の巨体から生み出され、まるで翼のようにまとわりつく。

 そして、それ自体が鎧のように今まで受けてきた攻撃を弾き始めた。

 

「……落とせませんでしたね、あまり効果も見られてません」

 

 首を振るレムが悔しげに、空に浮かぶ燃えるケダモノを睨みつける。

 彼女の言通り、白鯨を観察。白い体毛に燃え移った炎で全身を炙られ、身をよじっているが鎮火の気配はない。全身の至るところに斬撃や魔鉱石による負傷が広がっており、血を滴らせる姿は目に見えて痛々しいものがあった。しかし

 

「ダメージはあった、けど高度は……ほとんど下がってねぇ」

 

 依然、白鯨の肉体は見上げた空の中にある。

 ライガーの跳躍で届かない距離ではないが、それでも単身人が挑むにははるか高み。なにより、地に引き落とさなくては次の作戦に移ることができない。

 それに、あの赤い大量の魚。あれによって白鯨への攻撃は上手く当てられない。状況は最悪ではないが、欲は決してない。

 

「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったった。それでも落ちんゆうなら、こら向こうのタフさが一枚上手やっちゅう話やな」

 

 大ナタを肩に担ぎ、返り血に体毛を濡らすリカードが隣にくる。

 彼は犬面の鼻を鳴らし、ヒゲを震わせて白鯨を見上げながら、

 

「ひと当たりしてみた感じやと、分厚い肌の下に攻撃通すんは楽やないな。ワイの獲物みたいに力ずくか、ヴィルはんぐらいの技量がないとじり貧や、ルツの奴がいれば相性がよかったんやろうけど……しゃあないわな」

「悪いっすね、親父の技術は引き継いでないもんで」

「がはは! 気にすんなや! お前さんはまだ成長途中やろ!」

 

 ポンポンと頭を撫でくり回されるアリシアはふてくされた顔で、スバルの隣へとリカードと共に降り立つ。

 その額にはレムと同様の輝きを放つ、二つの角。全力で戦っていることの証明になる鬼族の証があった。

 

「どうする、作戦を変えるか?」

「んー、どうやら火の魔法は体毛を焼いて、通ってるように見えるっす、全て焼いて、その下の炙った肌なら刃物で削れるんじゃないっすかね」

「つまり、文字通りの鱗剥ぎみたいな感じか……魚なんて捌いたことねぇぞ」

「だがやるしかないやろ! とりあえずさっきとおんなじ感じで余力削るわ! クルシュはんにも、要所であのでっかい一発ぶち込むよう頼んどいてなぁ!!」」

 

 アリシアの洞察にスバルが軽口で答える。

 リカードも獰猛に牙を剥いて同意。彼はそのまま大ナタを手に下げるとライガーの背を叩き、首をぐるりと巡らせて再び加速を得ながら最前線へ向かう。そのまま、

 身勝手な注文をつけて白鯨の下へ潜り込み、再び跳躍してその背を狙う。

 見れば、一度は距離を開けたはずのヴィルヘルムも尾の方から白鯨の上を目指しており、スバルたちと同じ結論に達した討伐隊も速やかに行動に移っている。

 即ち、総攻撃の継続だ。

 

「現状だと火力が集中してっから、近づいてくと逆に俺らが邪魔になるな。レム、魔法はぶち込めねぇのか?」

「さっきと同規模だと詠唱に時間がかかるのと……やっぱり、マナが散らされてレムの魔法ではダメージが通りません。あれ以下の威力ではそもそも火力不足ですから」

「アタシの魔石も結構強いのは使ったから、魔法じゃ厳しいっす……それでも全力で殴りに行くけど」

 

 先ほどのリカードの論にならえば、レムも最前線へ飛び込み、力ずくで岩盤じみた肉体に物理攻撃を加える方が可能性があるだろう。

 しかし、それをさせるにはスバルが枷となり、そしてこのあとのスバルの立案した作戦行動に沿うのであれば、ここでレムとスバルが分断されるわけにはいかない。

 

「とりあえず二人は作戦の要なんすから、耐えるっすよ!」

 

 割れるほどの衝撃と共にアリシアが、空へと飛び立つ。

 鬼族の力というのはすさまじいもので、あれが魔法の力や加護の力を使っていないのが驚きだ。

 それに対して地面にいるスバルは、何もできない。

  

「悔しいけど、動きがあるまで見てるしかねぇのか……!」

「歯がゆいのはこっちもおんにゃじにゃんだけどネ」

 

 言いながら、スローペースで走るスバルたちの地竜の隣に別の地竜が並ぶ。地竜用の装甲を装着し、重装備の地竜にまたがるのは軽装の騎士──フェリスだ。

 彼は悪戯に目を細めてスバルを見つめながら、

 

「攻撃手段に乏しいフェリちゃんは基本見てるだけだし? 慣れてるって言えば慣れてるんだけどー、歯がゆい気持ちはいつもあるよネ」

「その分、お前は回復特化の討伐隊の生命線だ。離脱したら他のみんなの離脱に繋がるんだ、頼むから気を付けてくれよ」

 

 そのスバルの答えにフェリスは少し驚いたように首を傾け、

 

「心境に変化とかあった感じがするネ、スバルきゅんてばなにがあったの?」

「へっ、少しばかり男を見せなきゃなって、な。自分の実力はしっかりと身に染みたし、やるべきこともしっかりとわかったんだよ」

 

 動く戦況に目を走らせながら、スバルは苦い思いを噛んで仏頂面で答える。フェリスはその答えに「ふーん」と唇に指を当てて頷き、

 

「……レムちゃん、大切にしてあげにゃよ?」

「察してくれてどうも! 一番わかってるからよ!」

 

 察しがよすぎる彼はに叫びつつも、当たり前だと、断言をする。

 そんな中、

 

「ヴィルヘルム様が──!!」

 

 レムの叫びに視線が慌てて前へ戻り、白鯨の背を走る老剣士の姿を捉える。

 剣を下に向けて縦に構えたヴィルヘルムが、その刃で白鯨の背を縦に裂いていく。尾から背にかけてを駆けるヴィルヘルムの影を、遅れて噴き出す鮮血がまるで噴水のように追いかけていくのが見えた。

 ヴィルヘルムの単身とは思えない斬撃の冴えに討伐隊の士気が高まり、連続する魔鉱石の投擲と傭兵団のライガーによる集団戦術が勢いを増す。

 中空で痛みに悶えて、途切れ途切れの鳴き声を上げる白鯨はまったくそれらに対応できていない。気合い一閃、ヴィルヘルムの剣撃が白鯨の頭部までを縦に割り、そのまま中空で身を回し、逆さとなる老人を、

 

「ほいさぁっ!!」

 

 真上に跳んでいたリカードが大ナタを振るう。

 峰を向ける旋風は白鯨ではなく、中空で逆さとなるヴィルヘルムを狙う。ヴィルヘルムはその打撃に対して足裏を合わせ、

 

「し──ッ!!」

 

 弾かれるようにヴィルヘルムの体が射出され、両に構えた剣が白鯨の顔の側面を抜ける際に荒れ狂う。鼻先から頬にかけてを無残に八つ裂きにされる白鯨。その傷と鮮血だけで満足せず、両手の剣を握り直したヴィルヘルムが刺突を放ち──、

 

「────ッ!!」

 

 白鯨の巨大な左目に深々と剣が埋まり、眼球の奥から水晶体が流れ出す。ヴィルヘルムは柄まで埋まったそれを即座に手放すと、腰の裏に回した両手で瞬時に別の二本を引き抜いて一閃──左右から迫る斬撃が眼球の上と下を真横に切り裂き、即翻る刃がその傷口の左右を縦に割る。結果、

 

 

「左目が落ちる──!」

 

 四角の斬撃に深々と抉られ、白鯨の左の目が切り落とされる。

 誰かが口にしたそれが現実になり、落下する目は赤い血と白い体液をぶちまけながら、すさまじい轟音を立てて地面を砕いて着弾する。

 半瞬遅れて、その地に落ちた眼球の真横にヴィルヘルムが着地。彼はそのまま転がる眼球に剣を突き立て、それを真上にいる白鯨に見えるよう持ち上げると、

 

「──獣でも目は惜しいか」

 

 と、鬼のような凄惨な笑みで一言を告げる。その壮絶な戦いぶりはまさに剣鬼。だが、その挑発行為は、白鯨にとってようやく食糧から敵へと昇華させることになる。

 真っ先にそれに気付けたのは、その光景を事前にスバルが知っていたからだろう。 

 

「よけろ! ヴィルヘルムさん!」

「スバルくん、頭を下げていてください──!!」

 

 その変化に気付いた瞬間、レムが地竜を加速させる。

 レムの言葉に従い、スバルは即座に頭を下げる。直後、上空を、黄色の何かが通り過ぎた。 

 

「────!!」

 

 咆哮を上げ、片目を抉られた怒りに残る隻眼が真っ赤に染まる。

 血色に染まった目で眼下を睥睨し、その狂態に慌てて距離を取り始める討伐隊の方へと体を傾ける白鯨。そして、白鯨の肉体に変化が生まれる。

 白鯨の口が、全身から生まれた無数の口が一斉に開く。

 

「────ッ!!」

 

 金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。

 その咆哮にその場にいる生物は背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませ、自然、無防備をさらす獲物へと変える。

 そして、それを逃すほど目の前の怪物は優しくない

 

「────ぁ」

 

 白鯨の全身の口という口から、世界を白に染め上げる『霧』、対象のすべてを貪り喰い、糧とする黄色い魚が放出される。

 それは瞬く間に見渡す限りの平原に降り注ぎ、確保したはずの光を世界から奪い、真っ白に塗り潰していく。

 ──そこで一度スバルの意識は途切れる。そして――

 



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霧の脅威

残り5,6話です


「――息があるものは声を上げよ!」

 

 クルシュの悲鳴にも、懇願にも似た叫びにスバルの意識は再度覚醒する。

 

「やべぇ、意識が飛んでた……ッ!」

「スバルくん! 気が付いたんですね!」

 

 レムの喜び交じりの声を受けながら、状況の変化を確認する。

 白鯨は金切り声を体全体から発しながら、同時に無数の口が『霧』を吐き散らしている。街道の広範囲にわたり、空から降り積もる霧の浸食が世界を侵し、その視界を徐々に徐々に白みがかったものへ塗り替えていくのだ。

 『霧』の魔獣の本領発揮だ。

 街道に霧が満ち、視界が覆われて個々の連携が噛み合わなくなる。なにより、その白い体は見上げるほどの巨躯でありながら、霧が生む白い海の中に溶け込むように消えていくのだ。

 

「――本当ならもう少し速度を落としたいんですけど、すみません」

 

 衝撃の隠業に喉を震わせるスバルの前で、身を前に傾けるレムが叫ぶ。スバルはそれに対する答えとして、前に座る彼女の腰に深々と身を沈めて抱き着いた。

 地竜がレムの素早い手綱さばきに従って身を回し、地を削りながら疾走を開始。先ほどまで隣にいたフェリスも同様に、鋭いターンを経て霧の内側へ地竜の頭を向ける。白鯨が戦闘状態に入ったとなれば反撃は必至。当然、負傷者が出ることは避けられない。そうなれば、そこにこそ『青』の名で呼ばれる彼の見せ場があり――、

 直後、

 

「――総員、退避!!!」

 

 霧の向こう側から怒号が響き、白い闇に飛び込もうとしていたこちらを牽制する。聞こえた声は聞き間違いようのないクルシュの声だ。なにを、とスバルが顔を上げようとするより早く、

 

「うお!?」

 

 一瞬の判断で地竜の進行方向を変え、遠心力に振り回される身が左へ移動。前方、同じように急旋回するフェリスの地竜は右へ。左右に別れた形になるスバルたちの進行、そのど真ん中を――濃密な質量を伴う霧が一気に吹き抜ける。

 押し寄せる霧の範囲は視界を覆うほどで、回避が一瞬でも遅れれば地竜もろともにスバルたちを呑み込んでいたことは間違いない。

 たかが霧を避けるのになにを大げさな、と目の前でそれを見ていなければ笑い飛ばせたかもしれないが、実際にその異質さを目にすれば軽口を発することも不可能だ。

 霧は撫でた平原の地面を溶かすように抉り、その進路上のものを根こそぎ腹に収めて文字通りに霧散している。

 もしもアレを浴びていれば、この世のどこでもないところへ消されていただろう。

 

「これがマジもんの『霧』……ッ」

 

 白鯨の恐ろしさについて、事前に討伐隊のブリーフィングで知らされた幾つかの内容。そのひとつが、この破壊を伴う『霧』の威力だ。

 白鯨の口腔より放出される霧は二種類あり、ひとつは純粋に視界を覆い、自身の行動範囲を拡大させるための拡散型の霧。そしてもうひとつが、たった今、目の前でごっそりと大地を消失させた消滅型の霧だ。

 攻撃手段として白鯨が利用するのが後者であり、その霧の恐ろしさは防ぎようのない威力と被害はもちろんだが、真の脅威は別のところにある。それは、

 

「――――せぇい!!」

 

 気合い一閃、勇ましい声が霧の彼方から届き、次の瞬間に視界を覆っていた霧が唐突に打ち払われる。

 見れば晴れた視界の向こう、地竜の背に立つクルシュが腕を振り切った姿勢だ。おそらくは見えない刃の応用で、充満した霧を切り裂いて視界を確保したのだ。

 彼女は汗の張り付いた額を乱暴に拭い、走る地竜の背に腰を落とすと周囲を見回す。その彼女を目印としたように、散り散りになっていた討伐隊が集まってくると、その先頭を走る面々にクルシュが口を開き、

 

「――何人がやられた?」

「我が隊の隊員数は十二名――三人、足りませぬ」

「……誰がやられた」

 

 クルシュの問いかけに年嵩の小隊長が応じ、続く問いかけに首を振る。そしてそれに続くように各隊の隊長からも同じように、悲惨な報告が続いていく。

 

「こちらは十四名、一名が脱落」

「我が隊は二名。同じく不明」

「三名……申し訳ありません!」

 

 同様の報告が次々と上がり、いずれの小隊長も消えた仲間の名前が出てこない。

 悔し涙を流しながらも続いていく報告は端から見れば意味の分からないものだ。隊を纏める長が、消失した事実は認識していながらも誰がいなくなったのかを把握していないのだから。

 その異常事態こそが、白鯨の操る『霧』の本当に恐ろしい部分になる。つまり、

 

「消滅の霧……!!」

 

 『霧』を浴びて消失した存在は、その存在ごと世界から消える。誰かが消えた、では誰が? の答えが返ってこない。それがこの恐るべき霧の能力。

  対策としてクルシュが討伐隊の各小隊を、ぴったり十五名ずつに揃えた真意はそこにある。『霧』を浴びて小隊が欠員した場合、誰がやられたのかすらもはやわからないのだ。その欠けた事実だけは認識するために、小隊の数は揃えられている。

 以前の世界でスバルが白鯨と遭遇したとき、奇妙な現象が起きたことがあった。

 それは――

 

「やっぱり、俺だけが、覚えてる……」

 

 呆然と、スバルはその疑いようのない現実を口にする。

 消えた行商人を、スバルを逃がすために犠牲になったレム、シャオンを、スバルがあのループの回に忘れなかったように、スバルだけは覚えている。

 クルシュの周囲に集まる各小隊の隊長を務める老兵たち――その十五人の顔ぶれがすでに二つ、違うものにすげ変わっている。

 『霧』を浴びて元々の小隊長が消失し、代わりの次席が小隊長であったという現実に認識がすり替わっているのだ。故にその突然の配置転換に誰も気付かない。

 その異常な事態に改めて、スバルはあの霧の魔獣が『魔女』と強い接点を持つ存在であることを意識する。

 そして、以前推測した通り、死に戻りを確実に認識で来ているシャオンも同様に霧の効果を無効化はできているはずだ。

 

「霧にもぐられた以上、どこからまた消しにかかられるかはわからない。密集しているのも下策だ。――散開し、霧払いの結晶石を使うぞ」

 

 集合する討伐隊の面々を見回し、クルシュが手短に話し合いを区切る。全員がそれに首肯するのを見届けながら、スバルはその場にヴィルヘルムやリカード、ミミ、アリシアの姿がないことに気付いて目を見張った。

 ――まさか、と嫌な予感が脳裏に走った瞬間。

 

「戻ったか、ヴィルヘルム」

 

 が、そんなスバルの内心の戦慄は、霧の向こうから姿を現した影に否定される。

 濃霧の奥からゆっくりと影を払うのは、地竜の背で血に濡れる剣を振るうヴィルヘルムだ。全身に返り血を浴びた壮絶な姿の彼は、顔に散るそれを袖で拭いながらこちらに合流し、

 

「先走り過ぎました。――被害の程は」

「合わせて二十一名……小隊約ひとつが消滅した形だ。倒れたものたちの名誉すら、もはや正しく守ることは叶わない」

 

 消失は文字通り、存在の抹消だ。

 ノートに書かれた文字を消しゴムで消すのと同じような簡単さで、それは発生する。

 誰の記憶にも残らないその人々が、そこにいたのだろうという空白だけが取り残される。

 そこにそれまであったはずの絆や想い、愛はどこへ消えるのだろうか。

 見れば、ヴィルヘルムの背後からライガーの群れが姿を見せ、その中には大型のライガーに乗るリカードや副団長の二人の姿もある。そしてライガーとは違った一つの影、地竜の上にはボロボロではあるが確かにそこにいるアリシアのその姿があった。

 どうやらヴィルヘルムと同様、白鯨に取りつくように戦っていた一団はかえって被害が少ないようだ。

 

「厄介な霧が出てしもたな。退魔石は希少品、数は心もとない。……使いどころ、間違ぅたら終わりやぞ」

「もう一度、同じだけの集中攻撃が通れば地に落ちるはずだ。姿を見失っている以上、奇襲を避ける意味でもここが使いどころだ。異論は」

 

 クルシュの言葉に全員が賛同し、彼女の視線がフェリスが率いる支援へ向く。

 

「フェリス。退魔石を打ち上げろ。二回分しかない。扱いは慎重に、だ」

「いつでも、ご命令とあらば」

 

 静かに胸を叩くフェリスにクルシュが顎を引いて応じ、彼女は改めて戦端が開かれる前に全員の顔を見渡すと、

 

「ここからが正念場だ! 白鯨に我らの攻撃が通じるのは卿らの手の中に残る手応えが証明している! 確かに奴は強大だ。得体が知れぬ。我らの死は最悪、誰の記憶にも残らぬかもしれぬ。だが!」

 

 無手の斬撃を放つ彼女には無用の長物であろう腰の剣――カルステン家の宝剣を抜き、空にかざすクルシュが声を高らかに、

 

「墓標に名を残せなかった死者のためにも、この先の世界で霧の脅威にさらされるだろう弱者のためにも、我らは犠牲を払おうとも奴を討つ――ついてこい!!」

「――――おお!!」

 

 各々が武器を空に掲げて、一斉に快哉を叫ぶ。

 すさまじい士気の高まりが霧を震わせ、沈みかけた戦意に着火して猛らせる。

 

「退魔石――打ち上げぇ!!」

 

 クルシュの号令に従って、フェリスの指揮下の面子が一斉に砲筒を上へ――直後、爆音とともに霧の向こうへ結晶石が打ち上がり、

 

「霧が、晴れる――!!」

 天上で砕け散った魔石の輝きが、視界を覆い尽くした霧を一気に掻き消す。もっとも、平原の四方を満たしていた霧全てを払うことができたわけではない。

 全体を薄れさせ、視界確保すら難儀にした状態を解消したに過ぎない。が、それだけでも十分な効果といえる。

 ――白鯨の放つ『霧』は、白鯨の持つマナが変異したものだ。

 可視化されたマナの散布が『霧』であり、それが白鯨によって指向性をもたらせているのだ。

 これに対して対応ができるのは、霧払いの結晶石――退魔石である。

 本来の効果は、周囲のマナを強制的に無色のマナという特殊な害のないものへと還元し、無効化する――いわば所持することで、魔法攻撃に対する防御アイテムのようなものだ。その魔石を複数、一斉に砕くことで今回のような効果を発揮する。それはこちらの魔法攻撃の威力すら減衰させる危険な賭けだが。残留する霧を見ている限りではその心配は杞憂に過ぎない様だ。

 

「霧全部を消すには足りない、か」

「代わりに、こちらの魔法にも影響はありません。レムも万全です」

 

 小さく頷くレムが、額の上にある角を光らせてそう答える。

 スバルの周囲に渦巻くマナの気配はレムが再び魔力を練り上げているということの証拠だ。

 

「――っしゃぁ! ビビってられねぇ。ここまでなんの役にも立ってねぇんだ。そろそろ俺らの出番といこうじゃねぇか!」

「はい! 行きます!」

 

 レムは地竜の手綱を巧みに操り、嘶きに合わせてスバルの体が弾む。

 走り出す地竜の背中でレムの腰に掴まり、霧の薄れた頭上に白鯨の姿を探し求める。

 クルシュが率いた先頭の討伐隊も、それぞれ散開しながら巨躯を探す。

 いつ再度、戦端が切られるかわからない緊張に喉の渇きを感じる。

 白鯨の出現は、見られない。それは戦いが始まる前の、深淵の闇の中で白鯨の出現を待ち構えていたときの感覚にも似ていて、

 

「――霧」

 

 ふいに、嫌な予感がスバルの脳裏を走った。

 特にこれと言った根拠があったわけではない。退魔石の効果や、その渦の中での魔法の運用。作戦前の話し合いの数々を思い出し、その不安は不意に降って湧いたのだ。

 

――大気に残留するのは、一体、なんだ?

 

 領域を拡大し、視界をかく乱する霧の魔獣。

 それが事前にスバルが知ることが出来た情報だ、だがそれの脅威は本当に視界撹乱、活動範囲の拡大のためだけなのだろうか?

 だが、その疑問が形となる前に、霧の薄まったリーファウス街道に、甲高い鳴き声が響き渡る方が早かった。

 

「――――ッ!!!」

「な、なんだなんだなんだ!?」

 

 軋るような嬌声は女の悲鳴にも似ていて、思わず耳をふさぎたくなるほどに深い。

 咆哮や、獰猛な鳴き声とは別次元のおぞましさは、平原中を霧を通して伝染させていく。

 

「あぁぁぁぁあああ――!?」

 

 最初に異変が生じたのは、隣を並走していた小隊だ。

 正気の人間が挙げる声とは思わない、その甲高い咆哮は小隊の人間が発していた。

 その奇声に肩を跳ねさせながらも振り向けば、次々と騎兵たちが地竜から振り落とされていく姿が目に入る。

 

「おい! どうした!?」

 

 スバルの叫びを聞き、異変に気付いたレムが地竜をUターンさせてそちらへ。騎手を失い、右往左往する地竜の中を抜けて、スバルは転落した男たちのところへ向かい、声をかけた。

 

「大丈夫か!? 落馬するとただのケガじゃ済まねぇって……」

 

 その負傷を心配したスバルは、思わず途中で声を途切れさせる。落ちた彼らの状態が、負傷の深度をうかがうといった次元になかったからだ。

 

「あー?うー?」

 

 泡を吹き、白目を剥いて痙攣している男がいる。呻き声を上げて涎を垂らし、必死に自分の腕を掻き毟って血を流す男がいる。痛みに耐えるように奥歯が砕けるまで食い縛り、頭を地面に打ち付ける男がいる。

 症状は一貫していないが、はっきりとわかることがある。

 

「これは……」

「さっきの声で、霧が、精神に、直接……マナ酔いに似ていますけど、ひどい……!」

「マナ酔い……?まさか、この霧の効果か……!?」

 

 レムの苦しげな声に、スバルは頭の中のピースがはまる感覚を覚えた。

 拡散型の霧が、獲物を囲み、その範囲内の存在に、回避不能の状態異常をもたらす罠。――絶大な威力は、目の前の光景を見れば一目瞭然だ。

 霧の被害を受けたのがスバルたちの周り数名であるとは思えない。事実、視界に届く限りを見渡せば、あちこちの一団も同じように足を止めており、味方の異常に対処するのが見えていた。

 

「この霧に耐性のある奴とない奴がいるのか……。俺はなにも感じねぇってのに」

「レムは、少し、落ち着きます」

 

 深呼吸をし始めるレムをしばし置き、スバルは地竜から降りると霧の影響下にある彼らの下へ。せめて、自傷行為だけでも止めさせようとするが、

 

「おい! それ以上はやめろ! 傷が……うお!」

「あああ! あひひひああああ! 寄るなよるなぁぁあぁあぁ!」

 

 混乱した男に手を払われ、二の腕あたりを手加減なしに引っ掻かれる。肉が浅く抉られる痛みに呻き、スバルはとっさに飛び退いて距離を取る。と、男はそれ以上追わずに再び自傷を始める。血が散り、すすり泣くような声が連鎖する。

 その顔面は血まみれになるほどに掻き毟られ、狂気を露わにしていた。

 

「……これはかなりヤバいんじゃねぇのか? 下手すると死ぬまで止まらねぇぞ!」

「スバルくん! 傷は!?」

「痛いけど大したことない! それより、これをどうにかしないとみんな自滅しちまう! どうにかならないか?」

 

 気を落ち着けたレムに聞き返すも、彼女は狂乱する騎士たちを見ると難しい顔で首を横に振り、

 

「残念ですが、レムの治療魔法では効果はどこまであるか……。肉体ではなく、ゲートを通して直接内側に、オドに干渉しています。ここまで強力なマナ汚染は、フェリックス様ぐらいじゃ……」

「そもそも、この精神汚染ってどれぐらいレジストできてんだ? こっちは俺とレム以外はほぼ全滅だぞ!?」

 

 スバルたちと同じ方向に向かっていた一隊はほぼ壊滅――無事な数名だけがスバルたちと同じように自傷する仲間を止めようと躍起になっている。

 

「肝心のフェリスが汚染食らってたら完全に詰みだぞ、どうする……」

 

 スバルに見える範囲だけでこれなのだから、他の小隊も同じ状態にあるとすれば絶望的でしかない。クルシュやヴィルヘルム、リカードやアリシアといった主力、フェリスのような支援の要が落ちてしまえばそれまで、敗戦まで秒読みとなる。

 

「動けるものは負傷者を大樹の根に! 多少の実力行使はやむを得ん!」

 

 だが、霧の向こうからまたしてもクルシュの声が聞こえ、応じる声も立て続けに連鎖して聞こえた。どうやら彼女は汚染の影響を受けていないらしいが、それでも事態を収めるのに懸命になっているのがわかる。

 ――全体攻撃の指示の直後の方針転換だ。彼女の歯がゆい感情が声ににじみ出ているのが伝わり、悪辣な白鯨のやり口にスバルも怒りを覚える。

 

「殺すよりケガ人出す方が戦力的にきついって聞いたことあるが……それを怪物がやるか……!?」

「フェリックス様は無事のようです。あの方の治療が全体に回れば、少なくとも汚染の効果は剥がせるはずですが……」

 

 口ごもるレムの言いたいことがスバルにもわかる。

 重要なのはそれでフェリスの手が塞がってしまうことと、負傷者を回収するために手が割かれること。そしてなにより――、

 

「時間が足りない。フェリスの治療が全員に回るまでの間、ずっと無防備じゃいられない」

「最悪、白鯨は集まったこちらを丸ごと霧で呑み込むかもしれません。そこまで知能があるとは思いたくありませんが……この状況を作ってきた以上、楽観は」

「本能でやらかしてきてる可能性もあるが……いや、どっちにしろ、野生の狩りのやり方は舐めてかかれねぇ」

 

目の前の怪物の狡賢い人間の手によって作られたものと思ってしまうほどにあくどい。

 危険覚悟でクルシュは討伐隊をまとめ、フェリスに治させる覚悟だろう。

 当然、負傷者にあの鯨を近づけないために、時間稼ぎを行う必要がある――量より質な餌を用意して。

 

「――ふぅ」

 

 息を深く吐き、肺の中を空っぽにする。

 限界まで酸素を体から取り除くと、自然と窮屈になる胸の中――心臓の鼓動がゆっくりと、確かなリズムを刻んでいるのが自分でわかった。

 意外なほど、落ち着いてる自分いスバルは思わに苦笑する。

 いつだって状況に流されるままで、目の前の事態翻弄されては、この心臓はスバルの心情を反映するかのように暴走を繰り返していたものだ。

 それがどうして今、決断を前にこれほど落ち着けているのか。

 

「……借り物でも、勇気は勇気ってことか」

 

 胸を叩き、スバルは大きく息を吸い込む。一度止めて、目をつむり、それから息を吐きだして目を開く。前を向く。正面、地竜に乗るレムがスバルを見下ろしている。

 スバルがなにを言うのか、なにを望むのか、ゆっくりと待ってくれている。

 

「レム、一番危ないところに付き合ってくれ」

「はい。――どこまででも」

 

 スバルの頼みにレムは躊躇なく、微笑みすら浮かべて受け入れる。

 それを受けてスバルは地竜に駆け寄り、その背に飛ぶようにまたがると、地に残って暴れる仲間たちを制する騎士たちへ、

 

「俺とレムが白鯨を引きつける。その間にあんたらはフェリスの治療を受けてくれ。大丈夫そうな奴らはフェリスに預けたあと、クルシュさんに合流してくれ!」

「引きつける!? いったい、どうやって……」

「こうやるんだよ」

 

 疑惑の声を上げる老兵に笑いかけ、スバルは息を吸い込んで喉を開け、スバルの全力の声が霧の平原に響き渡る。

 

「――聞こえる奴らは耳を塞げ!! それどころじゃない奴らはそのままで!!」

 

 そのスバルの怒号をレムは心地よさげに聞き、名残惜しそうに、両耳に手を当てる。近くにいた騎士たちも慌てて耳を塞ぎ、おそらくは声が届くところにいた討伐隊もそうしたはずだ。

 作戦前のブリーフィングで、スバルが頼み込んだ通りに。

 そして――、

 

「俺は『死に戻り』して――」

 

 それを口にする瞬間、湧き上がる恐怖がスバルの心胆を絡め取る。

 目論見が外れて、あの黒い魔手が周囲の仲間に、レムに手を伸ばすようなことがあれば。

 ――それは許さねぇ、俺の心臓ならくれてやるから、手ぇ貸せよ!!

 恐怖をねじ伏せて、どこかにいるだろう魔女に聞こえるように声を上げた。

 目を見開き、心中で叫ぶスバル――直後、それは訪れた。

 

『愛してる』

 

 それは耳元で囁きかけられるような、弱々しい小さなか細い声。

 しかし、そこに込められた胸を震わせるような、熱のこもった情はなんだ。

 愛おしさが全身を埋め尽くす圧倒的な熱の中、意識は真っ白に燃え上がり――、

 

「……戻った」

 

 刹那の邂逅で、スバルの意識は現実世界へ覚醒する。

 寸前までスバルの意識を支配していた感覚が遠ざかり、そこでどんな感慨を得ていたのかも思い出せなくなる。ただ、覚悟していたはずの激痛が訪れなかったような、そんな不可思議な感覚だけが残る。それでも、

 

「レム、どうだ。俺から魔女の臭いは……」

「はい、臭いです!」

「言い方ぁ!? でも、狙い通り!」

 

 レムの釈然としないお墨付きを受けて、目的は達したことを確認。

 魔女の正気を身に纏い、スバルは拳を固めて周りを見渡し、騎士達へと声を上げた。

 

「俺たちはすぐにここを離れる! なるべく大樹の近くには寄らないようにするから、クルシュさんたちとうまく落ち合ってくれ!」

「わ、わかった! 武運を祈る!」

「互いにな!」

 

 騎士たちに送り出され、スバルが肩を叩くとレムがそれを合図に地竜を走らせる。

 現状、スバルの体からは新鮮な魔女の残り香――字面で見ると矛盾に満ちた臭いが漂っているはずだ。問題はこれがどれほど白鯨に効果を持つか、だが。

 

「ウルガルムのときを思い出すと、森全体をカバーくらいの効果があったけど今回はどうだ……正直、未知数なんだが」

 

 前回の世界で白鯨と遭遇したとき、オットーの竜車に移ったスバルを白鯨は執拗に狙ってきた。あの時点でスバルが魔女関連の発言をしていないことを鑑みると、あのときより強い臭いを放つスバルは白鯨にとって格好の餌のはずだが――、

 と、思った直後だ。

 

「――!?」

 

 前進していた地竜がなにかに気付いたように鋭く首をもたげ、そのまま自身の判断で一気に旋回――遠心力に吹っ飛ばされそうになるスバルが「うげぇ!」と悲鳴を上げ、慌てて目の前のレムを縋るようにかき抱きしめる。

 

「何が……っ」

「白鯨です!!」

 

 密着するレムが叫ぶ真横を、ふいに霧を突き破り、巨大な大顎が姿を現した。間一髪、進路上から外れていたスバルたちを避け、わずかに左を滑るように白鯨の大口が大地を咀嚼し、途上にあった草原を丸呑みにしていく。

 岩肌のような頑健な外皮をかすめるように駆け抜け、魔獣の顎が地面をかみ砕く音をすぐそばで感じる。白鯨は口内に血肉の味がないことを気づくと、その巨体を翻すと、全力で遠ざかるスバルたちの方へとその首を向け、咆哮が追いかけてきた。

 

「うおおおおおお――!?」

 

 背後から迫ってくる圧倒的な質量によるプレッシャー。

 押し潰されそうな圧迫感に背を追われながら、叫ぶスバルを乗せた地竜が懸命に大地を蹴る。しかし、追い縋る白鯨の速度は尋常ではない。

 山のような巨体で空を泳がせ、風を追い越すような勢いで距離が一気に詰まる。

 ぐんぐんと、世界を呑み下す勢いで白鯨が近づく。

 その鼻面がすぐ間近に、息遣いが背中にまで届くような距離まできて、

 

「レム!!」

「ウル・ヒューマ!!」

 

 レムの詠唱に呼応して、三本の氷の槍が大地から一斉に突き出してくる。

 それは狙い違わず、スバルたちを追っていた白鯨を真下から穿ち、その下腹を串刺しにして動きを止めようとする。

 だが、

 

「止まらねぇ――――!!」

 

 槍百本を束ねたような太さの氷槍が根元からへし折られ、甲高い音を立てて結晶が砕け散る音が鳴り響く。破壊された氷槍はマナへと還元され、傷を塞ぐものを失った白鯨の傷口から血が噴出するが、その動きに影響はない。

 あれほど負傷し、血を流し、それでも精彩を欠かない耐久力の果てはどこにあるというのか。改めて、白鯨を落とすという難事のハードルの高さに戦慄する。

 そして、科の白鯨は赤い鮮血と共に、同じ色を舌小さな魚群を生み出し、スバル達の先方へと飛ばし始める。

 このままではぶつかることになる、だが、速度を緩めては背後の鯨に追いつかれることになる。

 絶体絶命の状況、しかし、

 

「あんときと違って、こっちゃタイマンじゃねぇんだよ!!」

「――――ッ!!」

 

 中指を立てて距離の開いた白鯨を挑発するスバル。その仕草の意味がわからずとも、白鯨は怒りを感じているかのように口を開いて咆哮を上げる。

 その巨体を横合いから、

 

「おらおらっ!」 

 

 飛びかかるアリシアの打撃が白鯨を襲う。白い岩がへこみ、そして一拍おくれた後にその頭が弾き飛ばされる。

 だが、それだけで攻撃は終わらず、アリシアは大きく息を吸い込み、再度拳と共に連撃が勢いよく吐き出された。

 

「オラオラオラオラオラオラぁッ!」

 

 怒涛の猛攻の対象は白鯨だけでなく進路を邪魔する赤い魚にも適応される。

 元々の大きさが小さい魚は即座に消滅、白鯨自体も思わず身をくねらせ、スキを突いて彼女の攻撃から逃げようとする。

 だが、それを彼女は許さない。

 

「ヴィルヘルムさん! いまっす!」

「りぁぁぁぁぁ――ッ!!」

 

 アリシアの背中を踏み台にして跳躍し、白鯨の横腹に刃を突き立て、ヴィルヘルムの斬撃が白鯨を縦に割った。

 立てられた刃が深々と肉を穿ち、開いた傷口から噴き出す鮮血が血霧を生むが、それすら気にせず駆け抜ける。

 そして、その血に濡れる白鯨の背の上を目指す二頭のライガー。その背に乗るのは子猫の姉弟だ。二人は顔を合わせ、

 

「お姉ちゃん、合わせて!」

「いっくぞぉー、ヘータロー!!」

 

 左右から交差するように背に上がったライガー、その背からミミとヘータローの二人が飛び下り、互いに手を取るとヴィルヘルムが作った傷口の上へ。そして、二人は顔を見合わせて同時に口を開くと、

 

「わ――!」「は――!!」

 

 二人の声が重なり、波状的に広がる音波が白鯨を襲う。

 全身の傷という傷から再度出血し、その巨体を激しく震わせて高度を一気に落とす。

 苦しげに悶え、痛みに堪えるような声を上げ、かろうじて墜落を逃れる白鯨。その背からライガーにまたがる双子が飛び下り、息を切らしながら、

 

「切り札シューリョー!」「団長、お願いします!!」

「おうおう、任せぃ! チビ共が頑張ったんなら、ワイもやらなあかんわなぁ!!」

 

 着地する双子と交代し、大型のライガーが尾の方から白鯨の体によじ登る。

 大鉈を振上げ、リカードは霧を生む無数の口を叩いて回った。ヴィルヘルムも同じように、邪魔な口へ斬撃をたたき込み、次から次へと黙らせていく。

 速度自体はかわせないほど速くはないが、なにより口の数だけ弾幕が開かれる。苦心するようにリカードのライガーが身をよじり、ヴィルヘルムも素早い身のこなしで霧を避け、大ナタの一撃と剣の斬撃が白鯨の背の上で踊り続ける。

 歪な哄笑を上げる口を縦の斬撃が切り潰し、大ナタが口腔の中を蹂躙して機能を叩き潰す。ライガーの爪も微力ながら攻撃を牽制しており、なにより追いついてきた獣人傭兵団の砲筒が、全身に再び魔鉱石による爆撃の攻勢をかけ始めた。

 討伐隊の攻撃力に再び押され始める白鯨。その巨体をよじり、口腔が霧を吐くための準備を始めたと見れば、

 

「レム!!」

 

 スバルの呼びかけよりも早く地竜を巡らせたレムにより、魔女の臭いを漂わせるスバルが白鯨の鼻先を駆け回る。と、それに集中力を乱された白鯨が反射的にスバルたちの方へと首を向け――斬撃に、その目論見を阻まれる

 

「――――ッ!!」

「余所見など、つれないことをしてくれるな。私は十四年前からついぞ、貴様に首ったけだというのに」

 

 刺突が白鯨の額に突き刺さり、固い部分にめり込む刃にヴィルヘルムの動きが止まる。が、彼は即に三本目の剣を見限ると、手放した剣の柄を思い切りに蹴りつけてさらに深々と刃を突き立て、抜き放った五本目の剣を右に持ち、両手の刃で白鯨の頭部を滅多切りにしながら背に向かう。

 途上にある口も次々と刃で文字通りに黙らせ、鬼の力で同じように潰しまわっているアリシアと合流。返り血で濡れながらも笑顔を浮かべたまま、笑顔を浮かべる。

 

「なんっすか、意外といけてる感じっす?」

「いや……少々、手応えがなさすぎる」

「……気になることでもあるっすか?」

 

 快哉を上げるアリシアに低く応じ、軽いステップを踏みながら背を刻み続けるヴィルヘルムが唇を噛む。

 血で濡れた髪をかき上げるアリシアが、渋い顔を浮かべるヴィルヘルムに訊ねる。 

 

「この程度の魔獣に妻が……剣聖が遅れを取ったとは考え難い。機先を制せたことや、最初の時点の霧で分断されなかったことを考慮しても……」

 

 ヴィルヘルムが刃を振りながら考察する最中、ふいに白鯨が大きく動く。

 それまで背に取りつくヴィルヘルムたちを引き剥がそうと、身悶えしていた動きが突如として変化。白鯨はその頭を上へ向けると、一気に高度を上げて空へ向かう。

 急激に傾く足場の中、ヴィルヘルムは、

 

「降りる前に、もうひとつ貰うぞ――!」

 

 身を回し、軽快な動きで老剣士が巨体の上を跳躍する。

 上へ昇る白鯨の体を、下へ飛び込むヴィルヘルムが逆さまに登っていくのだ。体重移動と、刃を突き立てる強引な姿勢制御。長年の経験の蓄積による体さばきで白鯨の体を駆け下り、ヴィルヘルムの斬撃が到達点で大きく縦に振られ――巨躯の終端で背びれの1つを根元から叩ききる。

 

「――――ッ!!」

 

 白鯨の絶叫を聞きながら、ヴィルヘルムが折れた背鰭をを蹴って地に向かう。

 超高高度からの落下は普通に考えれば落命必死の場面だが、地面に落ちる寸前で懐からなにかを抜いたヴィルヘルムが真下へそれを投擲――魔鉱石の小規模な爆風が真下から風を生み、ゆるやかな遅滞を得たヴィルヘルムを横から地竜がさらう。

 

「ヴィルヘルムさん!!」

「――――」

 

 無事を確認しようと声を上げるスバル。しかしヴィルヘルムはそれに取り合わず、彼の視線は首を真上に傾けて頭上へと向けられている。

 つられて上を見るスバルは、そのはるか上空を泳ぐ白鯨の尾を視界に捉える。

 切り取られた背びれの部分から滴る血が、暴力的な勢いを受けて雨のように降り注ぎ、平原の草を朱色に染める傍ら、無言のヴィルヘルムから戦意は衰えない。

 まさかスバルも、このまま白鯨が逃亡するものとは思わないが、上空へ向かった白鯨の狙いは今のところ不明だ。

 獣人傭兵団も各々が集まり出し、大樹の根元に集まる負傷者勢の状況が危ぶまれるところだが――。

 

「くる」

 

 小さく、空を見上げるヴィルヘルムが呟く。

 目を細めて、両手の剣を持ち直す老剣士の姿に全員の警戒心が一気に最大まで引き上げられた。そして、固唾を呑んで動きを待ち――後悔する。

 頭上に浮かぶ白鯨の行動など待たず、即座に散開すべきだったのだと。

 

「――霧が落ちてきやがるぞぉ!!」

 

 声の限りに叫び、もはや無言でレムが地竜を一気に反転させ、戦線を離脱する。

 周囲の地竜やライガーも同じように駆け出すが、もはや他のものの無事を確認するために顔を上げている余裕すらない。

 

 ――空を一面、覆うような勢いで膨れ上がる『消失の霧』が、こちらを目掛けて落ちてきている。

 

 雲そのものが落ちてくるような長大なそれは、回避するには範囲から逃れる以外にない。岩や木々を盾にしようと、それごと呑み込む破壊の前に抵抗は無力だ。

 駆け出し、間に合えと祈りながら走るしかない。

 頭上を見上げることすら恐ろしく、音のない終焉が真上から迫る圧迫感だけがある。

 懸命に地竜の背にしがみつき、姿勢を低くして限界まで駆け抜け――

 

「抜けたか!?」

 

 黒雲の下を抜けたような明るさが差し込み、背後に首を向けるスバルは見た。

 霧に押し潰される大地の上、間に合わずに呑まれる複数の影がある。

 懸命に、その形相に恐怖と怒りを刻み込んだ人間が、頭から霧に呑まれて消える。

 地竜ごと消失し、地面に落ちて霧散する後にはなにも残らない。誰の記憶にも、名前すらも残らない。ただ、スバルだけがその死を覚えているだけで。

 

「ぅ……あ」

 

 小さく呻き声を漏らすスバルの正面、霧で散り散りにばらけた面々が遠い。

 その数も明らかに、先の攻勢のときより数をずいぶん減らしてしまっている。討伐隊の面々はもちろん、獣人傭兵団も無傷とはいかない。

 せめて主力だけは、とスバルは視線を巡らせ、

 

「ヴィル……」

 

 かろうじて地竜の背に片手を引っかけ、霧の範囲から逃れていたヴィルヘルムを発見。その姿に声をかけようとして――気付いた。

 ――濃霧の向こう側から、大口を開いた魔獣がヴィルヘルムに迫るのを。

 

「逃げろ――!!」

「――」

 

 スバルの叫び、ヴィルヘルムの回避。それらはすべて間に合わない。

 目の前に映るのは黄色い魚。その魚群がヴィルヘルムの体を抉るその光景だ。

 あの黄色い魚に噛まれた場合、何かが奪われるのだ。そして、今奪ったのは聴覚か、あるいは足の感覚か。

 いずれにしろ、回避は不可能。接近した白鯨の口腔が、大地ごとヴィルヘルムとその地竜を呑み込む。

 地を削り、五メートル四方の地面が丸ごと抉られ、全て白鯨の口の中だ。

 

「あ……」

 

 その衝撃的な光景を前に、スバルだけでなくレムすらも驚きに声を失う。

 彼の老人の実力を、妻への想いと執念を知っていたが故に、その喪失感は尋常ではない。そして彼の喪失により状況は悪化の一途を辿り、

 

「ばかっ!!」

 

 と、今度はすぐ傍らで別の人物の声が上がった。

 その声に反応するより早く、スバルたちの地竜が横合いから猛烈な勢いでぶつかってきた地竜によって吹き飛ばされる。

 

「うおお!?」

 

 よろめく地竜から転落し、あちこち打ちつけて痛みに顔をしかめる。突然の暴挙の下手人は恐らくアリシアだが、その真意を問う前に、

 

「――――ぁ」

 

 バッと、目の前で赤い華が散るのをスバルは見た。

 

「え?」

 

 

 千切れ飛び、肉片を飛び散らせる地竜の無残な死骸が平原に転がる。そしてその上にまたがっていたはずの少女は、大量の鮮血を残して姿が消えた。

 そのアリシアの血を浴びる尾を機嫌よく振り、白鯨が巨体を揺らして低空を泳いでる。

 庇われた、であるとか、アリシアはどうなったか、とか色々な疑問が脳に浮かんだが、それよりも無視できない事実がスバルに訴えかける。

 目の前を泳ぐ、アリシアを尾で薙ぎ払った白鯨。そして、

 

「は……?」

 

 振り返り、ヴィルヘルムを地ごと呑み込んだ白鯨が咀嚼を始めているのが見える。

 正面と、背後――見上げた上空にはいまだ、空を陰らせる魚影があり、

 ――三体の白鯨がその全身の口を震わせ、哄笑を上げて絶望を掻き立てる。

 

 「分裂とか、ありかよ……!」

 

じわじわと、じわじわと悪夢が再び希望を塗りつぶすのをスバルは確実に感じていた。



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主役の座

 霧の蔓延する世界で、その巨体を揺らして遊泳する魚影が合わせて三つ。

 全身に歪な無数の口を開き、そこから甲高い鳴き声を発し続ける異形の存在。

 それらすべてに赤い色の魚が、まるで翼の様に全て纏わりつき、膨大な魚群は空を夕焼けかと見間違えるかのように赤く染めていた。

 ただの一匹ですら人々に絶望を与えるのに十分な脅威を持つそれは今、その魚影を三に増やして抗おうとする人間たちを嘲笑っていた

 

「終わりだ」

 

 誰かが、呟いた。

 見れば、討伐隊に参加していた騎士のひとりがぐったりと肩を落とし、下を向いて顔を覆いながら蹲っている。肩を震わせ、喉を嗚咽が駆け上がるのを誰にも止めることはできない。

 現状を正確に理解し、完全に、心が折れたのだ。

 人数を十分に揃え、万全の装備を持ち込み、機先を制して火力を叩き込み、これでもかと攻勢をかけた上での――この理不尽な状況だ。

 精神汚染による兵力の半減は深刻で、残った主戦力もまた新たに出現した白鯨の奇襲により粉砕されてしまった。

 残る力を結集しても、それは最初のこちらの戦力の半分にも満たない。その上で相手にしなくてはならない魔獣の数は三倍、勝ち目などあるはずがない。

 誰もが一瞬で悟った。自分たちの命が、目的が、奪われたものへの報いが、ここで潰えるのだと思い知らされた。

 魔獣の恐ろしさとおぞましさ。そしてその魔獣に奪われた大切な絆の重み。その絆に報いることのできない、自分たちの無力さに、どうしようもなく。

 

 ――誰が責めることができるだろうか。

 

 理不尽で、動かしようのない現実が迫るとき、誰に諦めを否定することができるだろうか。

 

「――諦めんじゃねぇ!!」

 

 ふいに、怒号が沈黙の落ちかけた平原に轟き渡る。

 声に思わず顔を上げれば、地を蹴って白鯨の一体に飛びかかる影――給仕服の裾を翻し、手に凶悪な棘付きの鉄球をしっかりと握りしめる少女の姿が見えた。豪風をまとい、唸る鉄球が動きを止めていた白鯨の鼻面を直撃。

 絶叫が上がり、首を持ち上げて空へ上がろうと尾を振る白鯨。その尾を地面から延びる氷が貫き、身をよじる胴体に旋回してくる鉄球が容赦なく殴打。

 

「腹に呑み込まれる前なら、まだなんとかなるはずだ――!」

 

 痛む肩を押さえて、額から血を流して叫んでいるのは少年だった。

 前に出て、鉄球を振るう少女に指示を出し、戦いに参戦することのできない己の無力さを歯がゆく思う気持ちで顔をしかめ、それでも彼は足を踏み出す。

 少年の傍らに地竜が立った。その背にゆっくりとまたがり、明らかに乗り慣れていない不格好な姿勢で、しかししっかり力強く手綱を握り締めて、

 

「まだだ!! ――まだ、なにも終わっちゃいない!! 何も始まってすらいねぇ!」

 

 諦めに支配された騎士たちの前で、己の心を奮い立たせるように、顔を上げて、歯を剥き出し、目を見開いて、白鯨を睨みつけて、少年は叫んだ。

 自身と大きすぎる敵の力量差は十分に認識している。だが、それでも心は折れてたまるかと叫ぶ。

 自分よりも弱く、若く、覚悟もなさそうな少年が叫ぶ。

 

「――このぐらいの絶望で、俺が止まると思うなよ!!」

「――よく言った! ナツキスバル!」

 

 少年の叫びに反応したかのように、いや実際に空中から声が返ってきたのだ。

 見上げれならばそこにいたのも一人の叫びを上げた青年、ナツキスバルとそう歳が離れていない青年は落ちながらも、地面へと手を掲げる。

 このままでは生まれるのは肉塊。しかしそのような惨劇は起きず、小さく何かをつぶやくと同時に、地面へと着地をする。

 砂煙でよく見えないが、うっすらと見えるのは二つの足でしっかりと立っている一つの影だ。そして、時間をかけて晴れた先にいたのは、

 

「おいおい、来るのが早すぎるぜ? シャオン。これから俺の大活躍だったのに」

 

 シャオンと呼ばれ、顔をあげたのはやはり一人の青年だ。

 髪を一つに束ね、糸目がちな目が僅かに開きこちらをみている。

 その顔には疲労の色が多少見え、それと等しく体中は傷だらけだ。だが、

 

「悪いね、主役の座は譲るから安心しな」

 

 クスリ、とそれらすべてを気にした様子すらなく、答えたのだ。

 

 

「てか、上空からくるとは聞いていなかったけどな」

「……まさか、投げてくるとは思わなかったな……! あの糞やろう……!」

 

 こめかみに筋を立てて投げてきた当人、ルツを睨む。遠くにいる彼にはこちらの様子はわからないが、念くらいは届いてほしいものだ。

 白鯨の姿が見えた瞬間、「先に行け」と呟き、こちらの了承を得ずに全力で白鯨のいる方向に投げ飛ばしたのだ。

 とっさに風魔法で流れを変え、衝撃を抑えたがそれでも無理はしたようで、身体の節々が痛い。

 ロズワールから飛行魔法は教えてもらっているが、まだまだ改良しなければならない。

 

「まぁ、その様子だと、あっちは無事に終わったんだな?」

「十分に、無傷とは言えないけどね」

 

 リーベンスを仕留め、スバルたちが全滅する前にこちらに合流できたことは幸いではある。しかし、ルツの投げ飛ばし云々は抜きにしてもシャオンの体は傷だらけだ。

 治療の時間が足りなかったのはもちろんだが、シャオン自身に襲い掛かる副作用を考えると、残りの使用できる『癒しの拳』はそう多くない。ならば使う相手はもっと『価値』がある相手に使うべきだと判断した。

 ゆえに、現在シャオンの体は治療が施されていない、万全ではない状態である。

 そして最良ではない状況に、目の前に広がる光景に思わず頭を抱えたくなる。

 

「それより、聞いてた話と違うな……3匹とは」

 

 見上げた空には一匹の白い鯨。

 そして、それらを囲むように浮遊する同等の大きな魚。事前に聞いていた情報、前回の世界で得た情報と現実は大きく違っているのだ。

 シャオンの言葉にスバルは苦虫をかみつぶしたような表情で説明をする。

 

「敵の隠し玉、ってやつみたいだ……今は、レムがなんとか噛み付いている」

 

 吠えたけるレムが白鯨に猛然と飛びかかり、右の拳を岩肌に突き刺して体をよじ登る。左腕が振り回す鉄球が激しい音を立てて削岩し、血飛沫をぶちまけ、白鯨が苦鳴を上げた。だが即座に振り落とされ、高所から落ちる光景も目に入る。

 上手く受け身を取りながらも、無傷ではなさそうだ。 

 

「ヴィルヘルムさんや、リカードさん、クルシュ嬢にアリシアは? 姿が見えないけど」

「リカードやクルシュさんはわかんねぇ。アリシアは、さっき俺らを庇って吹き飛ばされて、ヴィルヘルムさんは……今レムと戦っている奴に飲まれた」

 

 スバルが絞り出した言葉に息を呑む。最悪の可能性が過ぎったがすぐに頭を振り、脳内から追い出し前を向く。

 

「……さっきの叫びで察してはいたけど、そうか……! なら」

「ああ、でもまだだ。頭が潰れてなけりゃ、どうにか引っ張り出してやれる。急ぐぞ!」

 

 そしてスバルは手綱を引き白鯨へと向かう。

 地竜を操るのはレムでなくスバル本人だ。些か扱い方に不安を覚えたが、地竜の賢さにてカバーされ、今も振り落とされてはいないようだ。

 これならば事前に聞いていた、作戦、『魔女の残り香』を使った囮作戦でも十分に動き回ることが出来るだろう。

 

「行くぜ、命名パトラッシュ! 鯨の鼻先でくるくる回れ!」

 

 高らかに叫び、手綱を弾いて地竜を走らせる。応じるパトラッシュが前のめりに駆け出し、強大な白鯨目掛けて恐れを知らずに突っ込んでくれる。

 体に取りつくレムを振り落とそうと必死に身をよじっていた白鯨が、しかしスバルの接近を察知して首をこちらへ思わず向ける。

 その横っ面に、

 

「おいおい、新しい客も相手してくれよ――!」

 

 空気が振動し、シャオンの見えない手が白鯨を叩きつぶす。

 巨大な顔面がわずかにぶれ、そこに追撃の大気を押し退けて飛来――頬をぶち抜いて口内を蹂躙し、反対側の頬を数本の歯を巻き添えにして突き抜ける。

 黄色い体液と鮮血を大量に吹きこぼし、絶叫を上げる白鯨。その身がついに地に落ちると、まるで陸に上がった魚のように見境なしに暴れ回る。

 大地が抉られ、土塊が激しく散乱する。振り乱される尾が地を割り、風を薙ぎ、不意打ち気味にシャオンとスバルの二人を叩きつぶそうと真上へと接近――あわや直撃というところで、

 

「遅刻してくる客の相手は怪物でも見たくないってさ!」

「代わりにレム達がお相手します――!」

 

 金髪を揺らした鬼の少女が打撃の寸前に割り込み、命を刈り取ろうとした巨大な尾をはじき返し、できた隙を逃さないように青色の鬼の少女が全力を込めた一撃で、打ち付ける。

 息をつき、助けてくれた二人に礼を言う。

 

「アリシア! 無事だったか!?」

「鬼の耐久力に感謝したのは何度目っすかね……意識は飛んでいたっすけど。そりゃ、あんなの見せられたら……まぁ? 応えなきゃね、助かったよ正直」

 

 膨れながらもスバルに対してアリシアだが、今来たばかりのシャオンにも、なんなら当人のスバルでさえ首を傾げていた。

 それをみて、恥ずかしさを隠すかのように地団駄を踏み、スバルを指差す。

 

「だ・か・ら! 皆の心が折れていたのに一番早く立ち直ったっすよね? 腹立つけど、凄いと思う」

「あ、ああ。大したことじゃねぇよ。このぐらいで絶望なんて、してやれねぇってだけだ」

「……そ。まぁいいっす、シャオン! スバルの援護頼むっすよ!」

 

 そう言い残しアリシアは地竜を操り、再度白鯨へと向かう。

 そして地竜から飛び立ち、白鯨へとまた攻撃を開始している。それに続くように再度レムがまた、白鯨の腹部へと勢いを付けた鉄球を叩きつけている。

 たった二人、だがそれでも白鯨は満足に動けていない。

 

「とんだじゃじゃ馬め……」

「人の娘を悪く言うなよ、事実だけど」 

 

 突如、視界が揺れる。

 その答えは簡単だ、いつの間にか追いついていたルツが乱暴に頭を揺らしていたというものだからだ。

 器用にも地竜に乗りながらシャオンと、スバルの二人の頭を撫でていたのだから、驚きではあるが。 

 

「あ、頭撫でるなよ、地竜の扱いに慣れてねぇんだ、落ちる!」

「わりぃわりぃ! 手ごろでな……オマエがナツキスバルか」

 

 そう言うルツはスバルを見定めるように、目を細める。

 あまりいい気分がしないスバルではあったが、地竜の捜査に必死な彼には反論する余裕はなさそうだ。

 

「ふぅん、身体能力は中の下だが、心の強さはまぁまぁだな。合格、シャオンが褒めるわけだ」

「ルツさん? その前に俺に対して何かないですか? 主に投げ飛ばしたことに」

「男なら細かいこと気にすんなよ、いい男になれねぇぞ?」

 

 非難の眼差しを向けるもどこ吹く風、ルツは悪びれる様子もなく笑いながら投げ飛ばしたことを認める。

 その様子にシャオンはこれ以上は何を言っても駄目だ、と半ばあきらめる。

 

「てか、勝手にスバルの品定めをしないでくださいよ」

「はっ、そりゃ悪い。癖だ」

「いや、俺はまぁ、褒められて悪い気は――っ!」

 

「――――ッ!!」

 

 真っ直ぐに駆けるパトラッシュの正面、唐突に現れる魚影が大口を開く。

 喉の奥、赤黒いグロテスクな内臓まで見えそうな至近で、スバルはとっさの回避行動をとろうと身を傾ける。が、その行動よりも白鯨の口腔に充満する霧が噴き出される方がわずかに――、

 

「今話してんだろ!その汚い口を閉じろっ!」

「……すっげ」

 

 わずかに、ルツの拳が白鯨を貫く方が早い。

 離れていてもこちらの頬が切れるほどの一撃、いくら倍の体積がある白鯨でもひとたまりはないだろう。

 しかし、その攻撃のスキは大きく、いま襲われれば回避は間に合わないかもしれない。

 あの怪物もそれを理解しているのか、白鯨は吹き飛ばされながらも黄色い魚を生み出し、襲い掛かる。

 あの一撃が当たればルツの身体能力あるいは感覚が奪われ、戦いにおいて命にかかわることになるだろう。

 だが、彼の顔に焦りはない。

 彼ほどの豪傑なら気づいていないわけがない、だが動かない。

 慌ててシャオンが動き出そうとしたその瞬間、風が頬を通り抜けたのを感じた。

 

「遅い――!!」

 

 見えない刃が、横合いから黄色の魚を真っ二つに斬り下ろした。

 死体は駆ける三人の後方へと弾かれ、見えなくなる。代わりに、戦場の向こうから駆けてくるクルシュの姿があった。

 彼女は走るこちらに並ぶと、白鯨を忌々しげに見ながら、

 

「一見して、事態は最悪にあるな。ヴィルヘルムはどうした」

「あんたが覚えてるってことは、少なくとも霧にかき消されちゃいねぇ。……ウチの二人、と新しい応援次第だな」

 

 そこで初めてクルシュはシャオンとルツの姿を見やる。

 

「ヒナヅキ・シャオンに、竜砕きか。頼もしい応援だな」

 

 首をめぐらせ、反転してこちらを追おうとする白鯨を警戒しながらスバルは答える。それを受け、同じように視界をさまよわせるクルシュ。彼女の視線が止まった先にあるのは、地響きを立てて跳ねている白鯨と、その上で懸命に鉄球を振るって血の海を作り出しているレムとアリシアの姿だ。

 

「……応援を得ても状況は変わらない、がどう見る、ナツキ・スバル」

「どう見るってのは、どういう意味だ? 回りくどく言わないでハッキリってくれると助かる」

「すまないな、癖だ。――おかしいとは思わないか? 白鯨の数が三体に増えた。単純に見れば絶望的な状況にある。だが、もし仮に白鯨が群れを為す魔獣であるのだとすれば、いくらなんでもそのことが誰にも伝わっていないなどあるものか?」

「……仕組みがあると?」

「そうだ」

 

 シャオンの問いにはっきりと断言し、クルシュはその凛々しい面差しをスバルへ向ける。

 自然、その強い眼差しに射抜かれて、スバルは背筋を伸ばし、

 

「それを、見つけろってことか」

「時間稼ぎは卿の逃げ足と、それを援護する形で我々が行う。いずれにせよ、そう長くはもたない。なんとかするぞ――撤退など、もはや選択肢にないのだから」

 

 言い切り、クルシュの地竜が方向を変えてスバルから離れていく。

 彼女は大きく迂回し、睥睨する白鯨を回り込みながら、次々と散り散りになっていた討伐隊の各隊の下へとめぐり、指示を出していった。

 

「ま、そう難しく考えるな。簡単な話だ。俺らが全力で、命を賭けてお前を守るから、その間に答えを見つけろ」

 

 鋭くスバルを見るルツの視線は、冗談を言っているようには見えない。

 身を引き締めた、かと思うと、ルツは年には似合わない少年のような人懐っこい笑みを浮かべバシバシと背中をたたいた。

 

「なに、たどり着くのが遅かったら死ぬのはみんな同じだ。安心して、囮になれ」

「安心できねぇ……てか、いてぇ! 鬼だって忘れんな!」

「俺は鬼じゃねぇよ、愛する女房のほうが鬼だ、まぁ鬼可愛いんだが、いや、むしろ俺が鬼になるレベル」

「惚気んな! 若干シモも入ってるし!」

 

 叫ぶスバルにルツは再度笑みを浮かべて答える。

 

「ま、簡単な話だ、この中で一番弱いだろうお前さんが、今生きている。ってことはちゃんとみんなお前さんを見てるわけだ」

 

 そう、騎士たちはスバルの存在がこの白鯨を倒すキーパーソンになることを把握しているのだ。

 自身は二の次にしてスバルを守り、あの怪物を倒してくれるように、無念を晴らしてくれるように、祈っているのだ。 

 だから――

 

「安心して、無様に、大胆に、囮をやってくれ。お前たちにはあのでかい怪物に触れることはさせねぇ――『竜砕き』の名と、まぁ、じゃじゃ馬娘の父親ってことに懸けてな」

 

 応えなくてはいけない、散って言った命に応えるために。

 報いなければならない、この作戦に賛同したすべての仲間たちのために。

 

「――――頼むぜ、パトラッシュ。もっぺん、鼻先まで行って即離脱だ!」

 

 地竜が斜めに傾いで地を削り、鋭いターンを切って再度、白鯨目掛けて突貫する。

 シャオンも持ち主がいなくなった地竜を見つけ、飛び乗り即座に追いかける。

 追い越さず、おいてかれない様にしつつ、白鯨の一撃から守る。レムが今までやっていただろう役割をシャオンが受け継ぐ形だ。 

 眼前、体に取りつくアリシア達を振り落とそうと躍起になる白鯨に、クルシュと別れた混成小隊が援護の攻撃を入れている。騎士剣で火花を上げて白鯨の外皮を削り、距離をとりながら巨躯と並走する騎兵が魔鉱石による爆撃を加える。

 絶叫を上げ、地べたを白鯨がのたうち回る。その痛みに悶える挙動ですら、間近にいる人間にとっては避け難い暴力だ。

 背筋に寒気が走る。あの巨体に巻き込まれて死んだ仲間も、シャオンが見ていないだけで多くいただろう。

 だが、目をそらすことはできない。逃げずに、立ち向かうとスバルが決めたのだからそれに寄り添うのがシャオンの役目なのだ。

 

「――――ッ」

 

 暴れる白鯨が、こちらの接近を察して全身の口を開ける。

 ゾッと血の気が引く感覚を味わいながら、地竜の全力に信頼を預けて風を切る。――その真横を、無数の口から放たれる『消失の霧』がかすめていく。

 仮に指一本にでも触れれば、そこから掻き消されて終わりだ。全身を『死』とは異なる、喪失感に取り巻かれる想像が心胆を震え上がらせる。

 だが、

 

「アル・フーラ」

 

 ――それがどうした。

 風の魔法が霧を払い、それと同時に、氷のつぶてが白鯨に突き刺さる。そして、直後に騎士たちの援護で霧の弾幕がわずかに薄まる。それに合わせて地竜の動きは流動的に変化する。

 ふと横に目をやると、そこには慣れない地竜の操作に想像以上に体力を持っていかれているのか、息を荒げるスバル。その様子は下手をすれば落ちてしまいそうだ。頭を回す余裕はなさそうだ。で、あれば作戦を考えるのはシャオンの役目だ。だが、

 

「……くそ、なんで事前情報と違う。いや、それじゃない、なんで急に増えた?」

 

 三体の魔獣――白鯨について、無知なままだ。故に『霧』の脅威についても、その存在の長きにわたる歴史についても、この世界を生きてきた彼女らにはまったく追いついていない。

 しかし、今まで誰も『白鯨は複数存在する』というような致命的な情報を見落とすものだろうか。仮に知られていなかったとすれば、これまでの同時に出現するような状況はあり得なかったのだろうか。

 

「……もとから三匹、はない。幻影? いや、実態のある幻影はねぇ……」

 

 なにか、とっかかりが掴めそうな気がする。が、その前にパトラッシュの懸命な疾走が白鯨の嗅覚範囲に到達。

 宝剣の斬撃で下腹を切り裂くクルシュを追っていた白鯨の視線が、ぐるりと大きくめぐってスバルの方へと向けられる。同時、開かれた口腔に溜め込まれた濃霧が、大気を打ち破る咆哮とともに膨大な破壊となって吐き出された。

 それを風魔法で逸らし、逸らしきれなかった部分を氷の盾で弾く。

 戦力が減少し、減らした数をさらに二つに分けて抗っているのが現状の戦局だ。スバルによる撹乱の効果があるとはいえ、空に浮かぶ白鯨がどちらかの戦場に加勢すれば、それだけで戦局は一気に傾く。片方が食い破られれば、それで終わりだ。

 それなのに、あの白鯨がなにもしないわけは――。

 

「さっきの一撃」

 

 引っかかったのはシャオン達を襲った一撃。アリシアが一人ではじいたあの一撃だ。

――いくら鬼の力とはいえ、一人ではじくことができるのだろうか?

 地竜の揺れに身を預け、再び白鯨の鼻先を突っ切る。クルシュたちに取りつかれていた白鯨が口腔をこちらに向けるが、開いた口の中にクルシュの見えない斬撃が、魔鉱石が投げ込まれて血霧が飛び散る。

 騎士たちの雄叫びが上がる。ひとり、またひとりと確実に数を減らされながら、尽きることのない士気だけが今や戦線を支えていた。

 死を目前にしながらも、抗う覚悟を決めた人間はここまで強くなる――なんてことでは済ませられない。なにかがあると、シャオンは思い直し、故に、1つの考えに行き着いた。

 そして答え合わせをするように、上空を見上げる。次いで今まさにこちらを襲った白鯨、遠くで別の部隊に襲い掛かる白鯨の姿を見る。

 その決定的な違いは――

 

「スバル、一体、動いてない」

「……まさか」

 

 歯を噛み、行き着いてしまった可能性にシャオンの全身を震えが走る。

 スバルもこちらの言葉の意味を理解したのか、表情を変える。

 白鯨の頭部側へ回り込むと、スバルの接近に気付く魔獣が頭をこちらへ向けた。頭部の真横、目の下あたりに出現する複数の口が牙を剥き出し、涎を垂らしながら白い霧を噴出する。

 だが、明らかに遅く。牽制にもならないその一撃は地竜を上手く操り回避することも容易だ。

 

「――答えは簡単だ、白鯨は3匹いた、ではなく増えた! 分裂ってことだ」

「道理で、クルシュさんたちと戦った白鯨にも”左目”がなかったわけだ」

 

 スバルの言う通り、白鯨は今全員、左目がない状態にある。

 同じ傷を一匹だけでなく、他の二匹も共有している理由など、はっきりしている。空に浮かぶ一匹が分裂し、もう二匹を生み出したからに他ならない。

 

「一発が軽いのも、ある程度戦えちまってるのも、そういうカラクリだな!」

 

 不意打ちにも関わらず、尾の一撃でアリシアを殺し損ねたこと。

 あれほどの戦力で拮抗していたはずの白鯨が、兵力の激減した討伐隊である程度戦えてしまっていること。

 ――スバルから聞いた話が、一つの解へ、導く。

 『消失の霧』という一撃必殺を持つが故に、白鯨は耐久力を犠牲にして手数を優先した。数の暴力――その威容が増えたことで、討伐隊の心が折れるのであればそれで戦いそのものすら終わっていただろう。

 魔獣という存在が人間の機微を理解してそんな作戦を打ったとも考え難いが、事実としてそれだけの効果が『分裂』には存在した。

 現状、先ほどまでの討伐隊のメンバーは心が完全に折れていた、スバルの激が飛ばなければ、白鯨の予想通りの展開になっていただろう。 

 白鯨の人間の悪意の塊のような、厭らしさはまさに害獣。

 自然にできたというのならこの世界の仕組みに、造った人物がいるというのならその性質の悪さを想像し、恐ろしく思う。

 そんなことをを考えていると、事態がさらに動いた。

 突然、白鯨の胴体が大きくたわみ、くびれの生まれた白鯨の体内で圧迫感に耐えかねた内臓がいくつも押し潰される。硬質の外皮も歪み、亀裂が走り、傷口の至るところから再出血し、白鯨にこれまでで最大のダメージ――そして、

 

「――ずぁぁぁああああ!!」

 

 地面に擦りつけられていた下腹の一部が内側から膨らみ、血肉をぶちまけて切り開かれた。赤黒い体液が地面に濁流のように噴出する中、その流れに乗って外に吐き出されるのは――、

 

「ヴィルヘルムさん!?」

 

 スバルの叫びと共に出てきたのは、白鯨の顎にひと呑みにされ、そのまま生存が絶望視されていた老剣士の帰還だ。

 暴れる白鯨を討伐隊が押さえる中、駆け戻るスバルは倒れ込むヴィルヘルムの下へ。全身をおびただしい血で汚すヴィルヘルムは片膝を着き、突き立てた剣を支えに半身を起こしながら、

 

「……未熟。油断を、しました……」

「喋らなくていいって! ああ、クソ、どうしたらいいかわかんねぇけど、とにかく生きてんならなによりだ。シャオン、治療頼む」

 

 手を差し伸べようとして、スバルは剣を握る右腕と反対――ヴィルヘルムの左腕が、肩から先がほとんど千切れかけていることに気付いて、地竜の背を降りる。そのまま肩を貸してヴィルヘルムをパトラッシュへ乗せようとするが、

 

「ま、だ。まだまだ、私は……」

「言ってる場合かよ! 鯨の前にあんたが死ぬぞ! このぐらいじゃ死なねぇとか眠たいこと言うのも聞かねぇ! 生き死にに関しちゃ俺の方が先達だ!」

「いや、スバル。気持ちはわかるが」

 

 満身創痍でありながら、その双眸から戦意の灯火を消さないヴィルヘルム。その彼の無謀を一喝して黙らせるスバルをどかし、シャオンは拳を軽く当てる。

 すると、まばゆい光と共にヴィルヘルムの負傷が、まるで最初からなかったかのようにふさがっていく。それに反して――

 

「シャオン……お前、大丈夫か」

「び、みょう。案外これ、副作用が、重いんだよ……!」

 

 心臓の痛みと、鼻から流れる鉄臭さがこれ以上の使用は危険だと伝えてくる。それを無視して無理やり『癒しの拳』を使用する。

 ある程度傷が治るのを確認すると、シャオンは首を傾け、腹が裂けた白鯨を見る。腹の傷は深く、そこからとめどない体液の流出はあるものの、全身の口を開閉して淡い霧を生み出す魔獣の姿からは戦意が喪失する気配がない。

 

「……ヴィルヘルムさんも回復はしたし勝算は、あると思う。とりあえず、……レムとアリシアとルツさん、あとはクルシュさんか。リカードにも声をかけたいが仕方ねぇ……とりあえず主だった奴らに声をかけなきゃな」

 

 傍らのパトラッシュの背に飛ぶようにまたがり、スバルは顔を上げる。

 見上げた空、悠々と泳ぐ魚影を忌々しげに睨みつけて。

 

「カラクリは見つけた、あとは破る方法だ」

 

 ようやく見えた光明に、口角をあげながらそう呟いた。

 



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無謀な作戦

本日2回目の投稿です。


「白鯨が分裂している、か」

「ああ、間違いないと思う。傷の位置と、その強さがな。ぶっちゃけた話、多少なりとも直接やり合ってるそっちの方が感じてるだろ?」

「レムは無我夢中でしたけど……でも、確かにそうかもしれません」

「うん、あってる筈っす。確実に、肉が抉れ始めてるっす」

「確かに……今までの戦い方を見てると否定はできないな」

 

 合流した全員が、スバルの説明の前に首肯して納得を表明。

 白鯨二体との戦闘が討伐隊と獣人傭兵団に委ねられている状況だが、士気の高さと連携の妙、とヴィルヘルムの復帰がかろうじて補っている。

 数分――スバルが鼻先をうろつき回る撹乱を続行していれば、少なくとも作戦会議の時間ぐらいは稼げるだろう。

 

「奴が元の一体より弱っている、というのは同意だ。だが、それを理解したところでどうする。手負いで弱体化しているとはいえ、その脅威は依然こちらを上回っている。いかにフェリスの治療といえど、下がったものの戦線復帰は望めないぞ」

「ウチのシャオンも治療はもう限界にちけぇ、無茶は言えねぇよ。それは抜きで勝ちにかかるしかない」

「その状態で、三頭の白鯨を殺す。口で言うのは易いが、高い壁だ」

「「いいや」」

 

 ぴくり、とかぶる言葉にクルシュが眉を上げる。

 興味深げにスバルとシャオンを見る彼女に頷き返し、スバルは指を天に向ける。

 

「自分の分身の二匹にバシバシ戦わせて、高みの見物決め込んでやがるあの野郎は、いったいなにをしてやがるんだと思う?」

「加勢もしないで、傷を癒している……?」

 

 自信なさげなレムの答えに、シャオンは首を横に振る。

 

「いや、いくら魔獣でも流石に自動で治療するような術はないはず……だから」

 

 言葉を引き継ぎ、応えたのはクルシュだ。

 

「奴が本体、か」

 

 同じ結論に至った彼女にシャオンも同意を頷きで示す。

 はっきり言って、全ては想像に過ぎない。

 ただ、三頭の白鯨が一頭が分裂し、オリジナルが天上の一体であるのはもはや疑いようがない。

 

「あいつが降りてこないのは、どっちの自分にも加勢したりしてこないのは、自分がやられるわけにはいかねぇからだと俺は思う」

「道理には合っている。しかし、逆を言うなら……」

「下にいる二匹は、殺しても本体の痛手にならないかもしれねぇ」

 

 苦労して白鯨を倒したとしても、その屍が霧となって霧散し、すぐさまに新たな個体となって複製されないとも限らない。そうなれば終わりのない無限ループに突入、コンティニュー制限のない白鯨に対して、こちらが早々に音を上げるのは目に見えている。

 

「あれが降りてこない理由と、倒し方の部分は繋がったす。でも、それでどうするっす? あそこまで高いところに飛ばれると、攻撃する手段がないっすよ?」

 

 話を静かに聞いていたアリシアが若葉色の瞳を向け、問いかけてくる。クルシュも空に浮かぶ白鯨の姿を見上げ。

 

「加護を使った私の剣でも、あそこまで届かせることはできても威力に期待できない。一太刀ならばあるいはと思うが、それで落とせるなら苦労はない」

 

 上空へ逃れた白鯨の高度は、おおよそ雲と同じ高さまで達している。

 最初の出現時よりさらに高いその場所取りに、白鯨の性質の嫌らしさが表れているようでスバルは苦い顔を堪えられない。

 あの位置では魔鉱石の砲撃も、命中率を大きく下げるだろう。

 

「レム。あの野郎のすぐ近くに氷の山を浮かべるとか……」

「ごめんなさい。マナは手元から離れれば離れるほど、扱いが難しくなります。ロズワール様なら可能だと思いますけど、レムの腕では――」

 

 そうして彼女はチラリ、とシャオンを見る。

 言いたいことはわかる、ロズワールの弟子であるシャオンならば、といいたいのだろうが、

 

「期待しているところ悪いけど、流石にそこまで俺のマナも持たないよ、不可視の腕も……届かない」

 

 現状は手詰まりだ、だが――

 

「考えていた、作戦はある。シャオン、お前。俺と死ねるか?」

「――――無理だね」

 

 スバルの言葉に迷いなく答える、思わずスバルが言葉に詰まるが、即座にシャオンは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、

 

「死に物狂いで生き抜くなら、いいよ。全力でお供しよう」

「こいつめ――さて、博打はスキか?みんな」

 

 それは無粋な問いかけだ。

 この場にはせ参じた時点で、既に躊躇するような、そんな理性的な人物たちはいないのだから。

 

 ――はるか高空から、眼下の争いを白鯨は静かに見下ろしていた。

 戦場を左右に分けて観察するのであれば、平原を二つに割る戦いはちょうど、天を突くような大木を頂点に綺麗に分断されている。

 どちらの戦場においても、小さな人間たちが魔獣の巨躯に取りつき、その手に握った鋼を突き立て、炎を生み出す石を振りかざし、小賢しく抗っている。

 炎が立ち上り、魔獣の苦鳴が下から届くたびに、空を泳ぐ白鯨は白い霧を吐く。

 戦場に立ち込める霧は眼下の同位存在に味方し、争う小さな存在たちを確実に劣勢へと追いやっていた。

 ちょこまかと動き回る影は時間の経過につれて、ひとつ、またひとつと確実に数を減らしていく。『霧』の中に呑まれ、その存在を掻き消されることで。

 全てを呑み尽し、この無益な戦いが終わるのもそう遠いことではない。

 戦力バランスが崩れ出し、瓦解が始まるまで時間の問題だ。

 

「――――」

 

 霧を吐き、地上を白く染め上げていく。

 邪魔が入って中断しているが、霧を広げて眼下の世界を覆い尽くさなければならない。それもまた本能の指令であり、そうすることが生きる意味だ。

 そうして、眼下の光景から意識を切り離していた白鯨は、ふいにその巨大な隻眼をぎょろりと動かし、下に意識を向け直す。

 すさまじい勢いで収束するマナを感知し、その流れの根本を見たのだ。

 

「アル・ヒューマ」

 

 膨大なマナの渦、その中心に立つのは青い髪の少女であった。

 跪き、時間をかけて練り上げたマナに指向性を与える少女の傍らで、ゆっくりと構築されるのは鋭い先端を覗かせる長大な氷の槍だ。

 十メートル級の凍てつく凶器が、その鋭い穂先を白鯨の下腹へ向けている。

 その狙いは明らかで、そしてそれを目に見える形で行ったのは致命的な失敗だ。

 

「届いて――ッ!」

 

 少女の祈るような叫びを受けて、氷の槍が地上から空へ向けて打ち上げられる。

 穂先が狙うのは当然、宙を行く白鯨の胴体の中心だ。

 ぐんぐんと加速し、空を突き破る勢いで迫る氷の殺意――だが、それは加速を得るための距離と、発射の瞬間を見られていた失策により、呆気なく頓挫する。

 白鯨が尾を振り、風を薙ぎながら空を泳ぐ。

 それだけでその巨躯は氷の槍の射程から外れ、白鯨の体を外れた氷槍はすぐ横を通過し、その狙いをあっさりと取りこぼした。

 ゆえにすでに脅威ではないと判断した白鯨は、即座に視線を外す。今、やることは別にあるのだ。

 彼を探さなくてはならないのだ――この場所に父親がいるのは確実なのだから。

 ほんの少し前、僅かに感じたその感覚は明らかに自身を生み出した存在、その一片だ。

 間違いはない、確実にいる。だがここまで邪魔なものが多いとその人物を確定できない、だから直ぐに雑兵を蹴散らして――

 

「――よぉ。こうして間近で改めて見ると、超気持ち悪ぃな、お前」

 

 思考の最中に、癇に障る声が聞こえた。

 巨躯の岩肌に、あまりの軽い感触が圧し掛かる。

 頭部の先端に着地したそれの存在を感じ取るのと同時、白鯨は通り過ぎるはずだった氷柱が跡形もなく消失、マナの拡散する波動を嗅ぎ取った。

 ――ついで、切望していた父の臭いと共に、鼻先に浮かぶ、堪え難い悪臭の源にも。

 

「ついてこいや。――言っとくが、俺はシカトできねぇぐらい、ウザさに定評のある男だぜ?」

「自覚があるなら治そうぜ?」

 

 そうこぼすのを白鯨は聞き、白鯨の視界は嫌悪と怒りで黒く染まったのだ。

 

 レムが作り出した氷の槍に掴まって上空へ向かい、そこで退魔石を砕いて離脱――白鯨に取りつく、というのがスバルの立てた乱暴な作戦だ。

 レムの猛烈な反対を受けたものの、そこはシャオンも同行するというフォローもあり何とか押し通した。そうして切り札である退魔石の譲渡をクルシュから受けた。

 見え見えの大魔法ならば白鯨は避けるだろうと予測し、そこにスバルという本命の罠を仕掛けてのことだ。逆に白鯨が避けなかった場合、はシャオンも衝突の衝撃は何とかで来ただろうが、落下まではサポートできずに死んでいただろう。

 

「この状況も紙一重……ってか、マジ恐ぇぇぇ!!」

 

 白鯨の鼻先に必死にしがみつき、叫ぶスバル。

 それに構う余裕はシャオンにもあまりなく、ただ肌と体毛の感触を掌に味わいながら、魔獣の生臭さに顔をしかめていた。

 取りついたスバル――つまり、魔女の残り香を放つ存在に、白鯨の様子はみるみる変貌する。それまで静観を保っていたはずの魔獣は明らかに興奮状態に入り、全身の口から霧と涎、哄笑を垂れ流して荒々しくスバルを歓迎していた。

 もちろん、このまま白鯨に身を預けたまま、スバルがこの巨体を墜落させるための必殺技を放てるわけではない。覚悟ひとつで開眼できるほど現実は甘くないし、この場で身を削る覚悟でシャマクをぶちかましたところで、前後不覚になった間抜けが手を滑らせて墜落死するだけの話だ。

 だから、スバルが白鯨に取りついて、することは、

 

「んじゃま。――覚悟決めて、な」

 

 手を離し、白鯨の攻撃行動が始まるより前に、スバルの体が岩肌を滑り――自由落下の軌道に入った。それに少し遅れてシャオンも地上へ向けて墜落を始める。

 白鯨はその大がかりな自殺を行う二人の姿に首を向け、それを追いかけようとわずかに身を動かしたが、なにかを躊躇うようにその尾の動きを止める。

 このまま見過ごしてしまえば、自分に対して先ほどまでと同じアクションしか起こせないであろうことを、おそらくは本能で察しているのだ。

 だが、そうはさせない。

 

「この高さなら他に聞こえる心配がねぇ。大サービスだ、よく聞けや! てめぇのせいでレムが死んで、俺はすげぇトラウマ背負ったぞコラァ!!」

 

 言い切った瞬間、一瞬の間が空いた後、

 

「戻って……きたぁぁぁぁぁ!!」

「――――ッ!!」

 

 瞬間、大口を開いた白鯨が猛然と、スバル目掛けて直滑降してくる。

 恐らく例の告白によって増大した魔女の香りに誘われ、魔獣の本能がそれを上回る憎悪によって塗り替えられた。

 咆哮を上げ、もはや眼下の争いなど失念したかのように正気を逸した目で、白鯨はスバルの存在だけを消し去ろうとばかりに襲いくる。

 風を穿ち、間にあった距離をぐんぐんと埋めてくる白鯨。この突進をかわす術はスバルにはない。このままでは地面到達前に白鯨の顎に咀嚼されるだろう。

 このまま、では。

 

「――レム嬢!! 俺はいい! スバルを!」

「はい、スバルくん! こっちです」

 

 シャオンの言葉に、少女の声は応じた。

 同時、スバルだけに囚われた白鯨の横っ面に、真横から飛び出す氷柱が激突。顎の中を蹂躙し、幾本もの歯をへし折り、その動きに遅滞を生んだ。

 その隙を突き、自由落下の途上にあったスバルの体を、パトラッシュにまたがるレムがモーニングスターで絡め取る。

 腰あたりを鉄の鎖に締めつけられ、強引に軌道を変えられる感触に小さく悲鳴を上げる。

 鎖が手繰られ、スバルの体はいささか乱暴にパトラッシュの背中に落ちる。そこには当然騎乗していたレムがおり、スバルの体は彼女の胸の中に飛び込む形だ。

 

「助かった!」

「ごちそうさまです」

「なに言ってんの!?」

「二人とも、ふざけてないで! くるぞ!」

 

 不可視の腕を使い衝撃を軽減してシャオンは、無事着地ができて尚且つ呑気に惚気ている余裕がある二人にツッコミを浴びせる。

 そしてそのすぐ傍らを、白鯨の顔面が通り過ぎ――、

 

「――――ッ!!」

 

 勢いを殺し切れず、白鯨が頭部から地面に激突。轟音と土煙が爆砕された地面から立ち上り、その威力に大地が大きく弾むように揺れた。

 その揺れを背に受けながら、スバルはパトラッシュに指示して全力前進――その背後から、土煙をぶち破って白鯨が飛び出してくる。

 すさまじい威力にその頭部をぐしゃぐしゃにして、なおも白鯨は我を忘れた絶叫を上げながらスバルに追いすがる。

 完全に狙いはスバルだ。白鯨に対してシャオンにできることは、もうない。

 下手に攻撃しては本命の作戦に支障が出る、だから逃げ切ることをただ祈るしかない。

 白鯨は今までの悠然としていた泳ぎがむちゃくちゃになり、風を追い越すようだった速度は見る影もない。だが、気迫だけは圧倒的だ。

 地面を削り、尾で大地をはたきながら、猛然と白鯨が背後に迫る。それに対して、

 

「頼むぜ、パトラッシュ! ドラゴンなんだろ!? かっこいいとこ見せてくれ――!!」

「――――ッ!!」

 

 スバルの激が飛び、パトラッシュが嘶き、白鯨の咆哮が轟き、鼓膜が乱暴に揺すられて世界がぼやけるのがわかった。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ、ただひたすらに走り、走り、駆け抜ける。泳ぎ、泳ぎ、猛然とスバルを食らい尽くそうと迫りくる白鯨。

 そして――、

 

「食らい、やがれぇ――!!」

「――――ッ!!」

 

 轟音が二連発で鳴り響き、直後に続くのはなにかを引き剥がすような音の連鎖。無視できない音の間隔は狭まり、近づき、やがてそれは、強大な影を生み、真っ直ぐに白鯨へと――フリューゲルの大樹が倒れ込む。

 

「――――ッ!!!」

 

 魔鉱石、見えない刃、振動破砕――束ねた破壊の力に根本を抉られて、賢者の植えた大木が数百年の月日を経て、人に仇なす魔獣の巨躯を押し潰す。

 樹齢千年クラスを上回る大木の重量に、真っ直ぐ突っ込んだ白鯨が真上から叩き潰された。それまで受けた破壊とは根本的に異なる次元の威力に、その巨躯を覆う強靭な外皮すらも防御の意味を持たない。

 絶叫が上がり、すさまじい衝撃波がリーファウス街道を駆け抜け、霧を爆風が打ち払う。

 大樹の下敷きになり、身動きを封じられた白鯨の苦しげな雄叫びが尾を引く。しかし、それだけの威力を身に受けて、なおも命を潰えることのない生命力。

 もがき、超重量から逃れようとする白鯨、その鼻先に――。

 

「――我が妻、テレシア・ヴァン・アストレアに捧ぐ」

 

 主より借り受けた宝剣をかざし、ひとりの剣鬼が舞い降りていた。

 この生死を賭けた激闘と、十四年にわたる執念と、四百年にも及ぶ人と白鯨の争いの歴史に、幕を下ろす――そのために。




カーミラがヒロインの小説が見えてきている中、彼女の可愛さが広まる嬉しさと共に何とも言えない気持ちがある……
彼女を愛してるのは私だ! 反論も意義も認めます。


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言葉は時を超え

ヴィルヘルム回でもあり、人工精霊の一人に触れてもあり、100話でもある。
あ、本日3話目です。


――出会いは、不要だと進言するヴィルヘルムの意思を押し退け、無理やりに与えられた休暇の一日のことだ。

 剣鬼の名が広まり始めたころ、運命の歯車は廻り始めたと、言えるのだろう。

 

 嫌な奴に会ったのは、休暇をどう潰すか考え、王城内を歩いていた、そんな時だ。

 高い声で、響くようにその少女はヴィルヘルムに語り掛けてきた。

 

「あれあれ? こんなところにいるのは人生の落ちこぼれのヴィルヘルムさんじゃないですか~」

「……なんでお前がここにいるんだよ」

「偶然ですよ、偶然。あれー? 運命の出会いとか期待しちゃった口ですかぁ? かわいいところもありますね?」

 

 ぐるぐるとヴィルヘルムの周囲を回るのは一応同僚といえる少女だ。町中で見かけたら目を引かれる程度は可憐な少女。見たこともない生地でできた外套つきの黒服はきっと高価なのだろうと推測させる。大人しくしていればどこかの令嬢と見間違えても仕方ない。だが、それらを否定し、そんな服を台無しにしてるのはこれまた見たこともない奇妙な生物の刺繍を施されているからだろう。

 腰まで伸ばした黒い髪の中に、正反対の明るい白と桃色の色違いが混ざっているという特徴的な少女。

 彼女の名は、シャレン。本人はサレンのほうが気に入っているらしいが、知ったことではない。

 

「たたっきるぞ」

「いやん、こわーい!」

 

 脅しの言葉と剣気を向けるが、彼女は怯む様子はなく体をくねらせているだけだ。

 男ばかりの兵士の中、女性がいることも珍しいが、兵隊の決まりを無視したその特徴的な出で立ちが咎められていないのは、それを黙らせるほどの実力があるからだろう。怯まないのも納得だ。

 事実、ヴィルヘルムも彼女と戦った際には決着がつかなかったのだ。彼女もヴィルヘルムに傷一つつけられなかったが。

 そんな彼女が赤い瞳を爛々と輝かせ、まるですべてをあざ笑うかのような声色でヴィルヘルムをからかう。それに対して

 

「ちっ」

「うっわ。こんな美少女が暇そうにしている、剣しか取り柄がないあなたにかまってあげてるのに舌打ちで済ますとか処刑もんですよ」

「誰も頼んでねぇよ、そう言うのはグリムにでもやってやれ」

「いや、グリ坊にはなんかいい娘が見つかったぽいムードがあるんで、最近構ってないんですよ」

 

 グリ坊というのはヴィルヘルムの同期である、グリム・ファウゼンの愛称だ。

 どうやら彼女のからかい相手であった彼は今別の女の影があるようだ。

 そして、驚くことに目の前の少女には彼に配慮をする意識があるという訳だ。しわ寄せがこっちに来るのは困ったものだが。

 

「だ・か・ら。休日を暇している冴えないヴィルヘルムさんを美女美少女サレンちゃんが遊ぼうって誘ってるんです。泣いてよろこ……ばなくていいです。想像したらやべぇ」

 

――イラつく。

 相変わらず癇に障る振る舞いに思わず腰に差した愛剣を抜こうかと思ったほどだ。

 ボルドーには怒鳴られるだろうが、模擬試合をしてもいいだろう。

 しかし──予想外の人物が現れそんな事態には陥らなかった。

 

「ここにいた! サレン!」

「げっ! グリ坊」

 

 噂をすれば影、とはカララギの言葉だったか。

 廊下の影から狙ったように出てきたのは紫色の髪をした小柄な少年、グリムだ。

 彼は、目に見えないほどの速さでシャレンの背後に回り、逃げないように羽交い絞めにした。

 

「ほら、仕事があるでしょ! それに君は剣を扱えないんだから扱えるようにしないと」

「いや、私のこのパーフェクトボディはその剣を持つようにはできて――オーケーオーケー! わかったから首を掴まないで、締まるぅ」

「そのよくわからない言葉を言えるなら余裕がありそうだね、ほらいくよ。あ、ヴィルヘルム。またね」

 

 虫のようにわめくサレンをグリムは首の後ろを掴みながら問答無用で鍛錬場へと連れていく。

 彼女の力が弱いのか、グリムの力が思ったよりも強いのか抵抗はできていないようだ。

 

「あー、そうだ」

 

 観念したのか、無駄だとわかったのか抵抗をしなくなったシャレンは、思い出したかのようにこちらへ話しかける。

 

「どうしてもやることがないならおすすめの場所がありますよ? 一人になりたいならそこに向かうと吉です。もしかしたら、運命の出会いなんてあるかもです。場所は――」

 

 彼女の口から告げられた場所を聞き、ヴィルヘルムは眉を不快感でひそめる。

 それはま――ヴィルヘルムがいつも一人になりたいときに向かう場所だったからだ。

 兵舎を出て朝の冷気が残る城下へと向かう。

 大通りの警備に当たる衛兵の会釈に顎を引き、王都を一人で歩き始めた。

 王都の活気は、少し前から翳りを見せている。

 理由は簡単だ、現在起きている戦争は日に日に泥沼化する一方、いや戦線の拡大による被害の増加と、増えている敗戦の影響がルグニカをかつてない危機に落としつつあるのだ。

 『神龍』も王家の求めに耳を貸さない姿勢で、おかげで内戦は好転する兆しがなく、疲弊するだけの日々を国民は強いられている。

 シャレンに言われ、ヴィルヘルムが足を運んだ区画もそんな内戦のあおりを受けた場所だった。

 開発を途中で放り出された廃墟群が見えてくる

 内戦の終結が確定すれば開発は再開する、とは言っているが予定は予定。泥沼化している現状その未来はだいぶ、いや、はるか先になるだろう、あるいは来ないかもしれない。

 そんな廃墟の先にある広間。そこがヴィルヘルムの鍛錬によく使う場所だった。

 静かで、誰にも邪魔されずに鍛錬できるそこに――先客がいた。

 

「あら、ごめんなさい」

 

 ──美しい赤毛を長く伸ばした、震えるほど横顔の綺麗な少女だった。

 

「────」

 

 異分子は、燃える炎のような紅の長髪、それと反対の青い澄んだ瞳を持っていた。そしてそれは剣にしか興味がなかったヴィルヘルムからも目を奪われるほどに――綺麗だった。

 だがすぐに我に返り、意識を覚醒させる。

 

「こんな朝早くにここにくる人がいるのね。こんなところで──」

「────」

 

 少女はヴィルヘルムの方にうっすらと微笑みかけ、なにかしらの言葉を投げかけてきたが──ヴィルヘルムの返答はシンプルに、剣気を叩きつけるというものだった。

 だが、その少女はあろうことか、

 

「……どうかしたの? 恐い顔をして」

 

 あっさりと、まるでそよ風を受け流すような顔で少女が首を傾げる。

 苛立ちを感じ、ヴィルヘルムは舌打ちをする。

 剣気が通じない相手──それは即ち、武とまったく無関係の輩の場合だ。少なからず暴力の気配を知るものであれば、ヴィルヘルムの剣気にそれなりの反応を見せる。だが、それと無縁のものにとっては単なる威圧に他ならない。相手によってはその威圧すら、単に目を細めただけと見る場合もあるだろう。

 この目の前の人物の場合、まさしく後者の中の後者の手合いだ。

 

「女が、こんな朝っぱらからこんなとこでなにしてやがんだよ」

 

 依然、女の視線が顔から剥がれないことに吐息を漏らし、ヴィルヘルムはそう応じる。少女はそれに対して「うーん」と小さく喉を鳴らし、

 

「そっくりそのまま、とお返ししたいところだけど、それを言うのはちょっと意地悪すぎるわよね。冗談、通じなさそうな顔してるし」

「このあたりは物騒な奴らが多い。女のひとり歩きは感心しねえ」

「あら、心配してくれてるの? でも頼りになる護衛もいるから」

「どこにだよ」

「……本当にどこに行ったのかしらね、あの子」

 

 呑気に、困ったように笑う彼女に舌打ちを打つ。それが聞こえているのかいないのかわからないが、目の前の女はただただ笑っている。

 その様子に気が抜けてしまい、頭をガシガシと掻き毟る。朝から苛立ちが募ることばかりだ。

 

「……俺がその物騒な奴らの可能性もあるんだがな、わからないのか?」

「なら大丈夫ね、その格好お城の兵隊さんの制服ですもの」

 

 間違って着替えたのを面倒がり、そのまま制服でやってきたことが裏目に出た。

 翻弄されてしまうヴィルヘルムに少女はくすくすと笑う。

 少女はヴィルヘルムのそんな挙動に目も向けず、「これ」と傍らを指差す。

 段差に腰掛けた少女が指を向けたのは、区画の段差の向こう側だ。ヴィルヘルムの位置からは覗けず、眉間に皺を寄せると手招きされた。

 

「そこまでして見たいわけじゃねえんだが……」

「いいからいいから。おいでおいで」

 

 子どもをあやすよう態度に頬を引きつらせ、ヴィルヘルムは仕方なく少女の方へ。廃墟の段差に足をかけ、少女の指さす方をのぞき込んで――、

 

「────」

 

 一面、朝焼けの日差しに照らし出される黄色い花畑を目の当たりにして、息を呑んだ。

 

「開発が途中で止まったでしょう。誰もこないと思ったから、種をまいておいたの。その結果を見に、足を運んだわけです」

 

 言葉をなくしたヴィルヘルムに、少女は秘め事を告白するように声をひそめる。

 予想外の光景に圧倒されたのは、何も花畑に感激したからではなく、ずいぶんと長いこと、この場所に足を運んでいたはずだったが、この花畑の存在にヴィルヘルムは気付いていなかったこと、その間抜けさからだ。ほんの少しだけ背を伸ばせば、視界を広げるだけで見ることができたこの花畑に、世界の見落としに――。

 

「花は、好き?」

 

 いまだ口を開かないヴィルヘルムの横顔に、少女がそう問いかけてくる。

 その彼女の方へと顔を向け、ヴィルヘルムはささやかな微笑を作る少女の顔をジッと見つめる。それから──、

 

「いや、嫌いだな」

 

 微笑みが盛大に、不機嫌なものに変化するのをヴィルヘルムは見届けたのだった。

 

 また時間は過ぎる。

 少女と名前の交換をして、テレシアという名前を知った。

 剣を振るう意味を問われた。

 敗戦による悔しさも刻んだ。 

 勝利と共に湧き上がる高揚感はようやく感じ取れた。

 友と飲む酒の美味さは知るのが遅かったと悔やむほどだった。

 そんな中、ようやくヴィルヘルムが騎士と認められる。

 それが機転だった。立場を得て、軍内で接する人間が増えてくると、自然と情報も入り始める。

 王宮の魔術師から――自身の、トリアス家の領地に内戦の火が燃え移ったことが耳に入ったのも、広がり始めた交友関係の一端が無関係ではなかったことは間違いない。

 命令はなかった。与えられた騎士としての立場を、所属する王国軍に対する忠節を忘れていないのであれば、勝手な行動は許されなかった。

 だが、止めるものはいた。

 

「待ちなさい」

 

 王城の外、門の前には、普段通りの茶化したような空気は一切感じさせず、こちらへ冷えた視線を向けるシャレンがいた。

 纏う殺気から彼女の本気を感じ取れる。だが、こちらも引く気はない。

 戦場を共にしても、彼女の手の内はいまだに読めない。生き残っているのだから強いのはわかっている。

 正直、戦いたくはない、得体のしれない相手で、なによりグリムに次ぐ、親友とも思える人物だという事実が剣を鈍らせるかもしれない。

 だから、言葉で収めようとする。

 

「どけ、シャレン」

「どきません、ヴィルヘルム。立場を考えなさい」

 

 そう言う彼女はヴィルヘルムの胸元にある徽章を指差す。

 以前のような身勝手の許されない自覚の証だ。

 

「……なるほど」

 

 奥歯をかみ砕くほど、力み、そして、決断した。

 

「悪い」

 

 ――騎士の証を外し、シャレンへと投げ渡した。

 この決断は彼にとっても大きな決断だ。

 徽章はヴィルヘルムの存在を王国が認めたものだ。

 ただの悪ガキと影口を叩かれていた自分が、間違っていなかったのだと肯定された証だ。

 それを、王都で今まで得た物を全て投げ捨てたと等しい行為だ。無価値ではない、価値があると思っているからこそ、未練があるからこそ、悩んだゆえの決断だった。

 投げ渡された徽章を受け取り、彼女は感情の読めない瞳をヴィルヘルムへと向ける。そして、

 

「全てが終わっても、元通りにはなりませんよ?」

「知ってる」

「デウス・エクス・マキナはいないんです。現実はとことん苦くて、ほとんどの人間が暗い道を進む。でも、貴方は光を持っている、それをわざわざ手放すと?」

 

 相変わらずよくわからない単語ではあるが、意味は分かる。

 戦火を沈めても、全てが上手く終わることはないと、そう言いたいのだろう。

 

「それでも、進むと?」

 

 命令でもあるからだろうが、彼女がこうして自分の前に立ちふさがっているのは、自惚れでなければ友人として、ヴィルヘルムを想ってのことだ。

 だが、それでも、

 

「俺は、立ちふさがるのがお前でもグリムでも、ボルドーでも。切り伏せるぞ」

「──強情ですね」

 

 やれやれと肩を竦める彼女からは、いつもの雰囲気が戻っていた。

 だが、その直後にヴィルヘルムの背後から怒鳴り声が聞こえた。声の主は上司であるボルドーだ。

 部屋に残した置手紙を見て事情を察したのだろう、まさに鬼の形相でヴィルヘルムを止めようと駆け寄ってくる。

 その様子を見てシャレンが呟く。

 

「うわ、こわ。亜人みてぇ……」

「なんだと!?」

「あ、怖すぎて、うっかりシャマクが」

 

 そんなバカげた言葉と共に王宮内で、正確には野外ではあるが、闇が、靄が広がる。

 魔法に詳しくないヴィルヘルムでもわかる陰魔法の一種、それが彼女から放たれた。

 だが不思議なことに、ヴィルヘルムには効果がない。不発かと思ったが背後のボルドーは確かにこちらの姿を見失っているようだからそれはない。つまり――

 

「貸し一、です。今度美味しいディナーに連れてってください」

「――生きてたら、いつものところで何でも奢ってやるよ」

 

 ニシシ、と笑う声を後にヴィルヘルムは騎士としての立場を捨て、ただの剣鬼として、故郷へと駆けたのだ。

 

 駆けつけた懐かしの領地は、すでに敵方の侵攻に大半を奪い尽くされたあとだった。

 だが、それでも敵を切り倒し、屍を踏み越えて、喉が嗄れるほどに叫び、返り血を浴びる。

 多勢に無勢であった。援軍もなく、もともとの戦力も脆弱。

 積み上げた屍の上に自身もまた倒れ込み、それでも尽きることのない敵勢の前にその勢いは挫かれ、ヴィルヘルムは目前に死が迫るのを理解した。

 長い付き合いであった愛剣が傍らに落ち、指先の引っかかるそれを掴み上げる気力もない。瞼を閉じれば半生が思い出され、そこに剣を振り続けるばかりの己がいる。

 何もない人生――ではない。両親が、二人の兄が、領地で共に悪さした悪友が、王国軍で一緒に戦った同僚たちが、次々に思い出され──花を背にするテレシアが、最後に浮かんだ。

 

「死にたく、ない……」

 

 いつ死んでもよかった。

 自身は剣に生き、剣に死ぬのだ、と覚悟はしていたのにいざ死が近づくと零れたのは情けない言葉だ。

 かつての自分が聞いたら鼻で笑う、下手をすれば切り付けられるだろう。それほどまでに、ヴィルヘルムが戦いの中で得られたことは多く、変化も多かったのだ。

 ――今になって、命が惜しい。

 そんな掠れた最後の言葉を、多数の仲間を切り殺された敵兵は許しはしない。

 人並み外れて大きな体躯を持つ緑の鱗をした亜人が、手にした大剣をヴィルヘルム目掛けて容赦なく振り下ろす──。

 

「────」

 

 迸った斬撃の美しさは、目に焼き付いて永劫に忘れられまい。

 剣風が吹き荒び、そのたびに亜人族の手足が、首が、胴体が撫で切られる。

  

 ──あの剣の領域には生涯、永遠に届くことはないだろう。

 

 剣を振るものとしての生き方を、そう長くない人生の大半をそれこそ惜しみなく捧げて生きてきた。そんなヴィルヘルムであったればこそ、目の前で容赦なく振られる剣戟の高みがいかほどにあるのか、理解できた。

 それが非才の自身には、決して届かない領域であるという事実もまた。

『剣聖』の名前を聞かされたのは、王都に戻ってからのことだ。

『剣聖』──それは、かつて魔女を斬った伝説の存在。

 その今代の正体と、名前を。

 

 傷が癒えて、いつもの場所に足を運べたのは数日後のことだった。

 愛剣を握りしめて、ゆっくりと地を踏みしめながら、ヴィルヘルムはそこを目指す。

 おそらくはいるはずだ、という確信があった。そしてその確信した通り、テレシアは変わらない様子でその場所に座っていた。

 そこには一人ではなく、見慣れた友人の姿、シャレンも共にいた。

 驚きはない、簡単なことだ、彼女の護衛という名の付き人の一人が彼女だったのだ。

 つまり、最初から、分かって彼女は自分をからかっていたのだ。

 だが、それよりも今はやるべきことがある。

 こちらを彼女が振り向くより早く、鞘から剣を引き抜いて飛びかかっていた。

 唐竹割りに落ちる刃が彼女の頭を二つにする直前──指先二本で、剣先が挟み止められた。

 

「屈辱だ」

「──そう」

「俺を、笑っていたのか」

「────」

「答えろよ、テレシア……いや、剣聖!!」

 

 力任せに剣を取り上げ、再び斬りかかるも、髪ひとつ乱さない動きで避けられる。足を払われ、受け身も取れずに無残に倒された。

 どうしようもない壁が、途方もない差が、二人の間には存在していた。 

 

「テレシア様、そろそろ」

「そうね……もう、ここにはこないわ、行きましょう。シャレン」

 

 機械のような冷たい声でシャレンはテレシアを促す。

 ヴィルヘルムは何度も打ち倒され、愛剣はいつの間にか彼女の手の中に奪われており、刃の腹で打たれて息が詰まり、一歩も動くことができなくなっていた。

 

「そんな、顔をして……剣なんて、持ってるんじゃねえ」

「私は、剣聖だから。その理由がわからないでいたけど、わかったから」

「理由……」

「誰かを守るために剣を振る。それ、いいと思うわ」

 

 誰よりも強くて、誰よりも剣の届く距離の大きな彼女。

 ならば、自分が与えてしまった罪を清算するには──、

 

「待って、いろ、テレシア……」

「――――」

「俺が、お前から剣を奪ってやる。与えられた加護も役割も、知ったことか……剣を振ることを……刃の美しさを、舐めるなよ、剣聖」

 それきり、二人がこの場所で会うことは二度となかった。

 ――二年後の話だ。

 多くの者にとってはその二年の始まりは、剣聖の初陣から数えられるが、少数の人間からは数週間の後から数えられている。

 亜人連合、バルガ・クロムウェルの失脚後、新年を引き継ぐという名の復讐の残り火、敗北を認めたくないという惰性で抗い続けていたそれを剣聖が切り捨てたのだ。この日、テレシアを主役とした、内戦終結を祝して記念式典が催される。そしてその立役者である剣聖、テレシアの存在を希望の象徴として世に知らしめるのだ。

 美しく、なにより力強い剣聖への勲章の授与などがいくつも予定されたセレモニー。

 彼女の姿を一目見ようと、国中の人間が王都へ、王城へ足を運び、熱狂が戦争を終わらせた英雄であるひとりの少女を包み込む。

 ふらりと、その熱狂を断ち切るように剣鬼が舞い降りたのは、そのときだ。

 剣を抜いた不逞の輩を前に、衛兵たちは色めき立つ。が、それらを制して前に出たのは誰であろう、叙勲を目前に控えた剣聖であった。

 同じく剣を抜き放ち、侵入者と向かい合う少女の姿に誰もが息を呑む。

 その立ち姿の美しさは洗練されていて、言葉にすることすら躊躇われた。

 一方で、その少女と向かい合う人物のなんたる禍々しさか。

 壇上の王が剣聖に助勢しようとする騎士たちを止める。顎を引き、前に出る剣聖の剣戟が閃くのを、誰もが声を殺して見守り続けた。

 

――まるで劇をみているようだ。

 

 攻守がすさまじい勢いで入れ替わり、立ち位置を地に、宙に、壁に、空に置きながら二人の剣士が剣戟を重ねる。その姿に、気付けば涙を流すものすらいた。

 剣戟が交錯し、鍔迫り合い、切っ先が閃き、幾度も打ち合う。

 そしてついに、

 

「――――」

 

 赤茶けた刃が半ばでへし折れて、先端がくるくると宙を舞って飛んでいく。

 そして、剣聖が手にしていた儀礼用の剣が、飾り立てられた宝剣が音を立てて地に落ち、折れた剣の先端が剣聖の喉の寸前に迫る。

 

「俺の、勝ちだ」

 

 時が止まり、誰もがそれを知る。――剣聖の、敗北を。

 

「俺より弱いお前に、剣を持つ理由はもうない」

「私が、剣を持たないなら……誰が」

「お前が剣を振る理由は俺が継ぐ。お前は、俺が剣を振る理由になればいい」

 

 上着をはね上げ、テレシアを見るのはヴィルヘルム。

 相変わらずに傲慢なその態度に彼女は息を零す。

 

「……あなたの剣に、守られながら?」

「そうだ」

 

 迷いのない返答に、彼女は笑みを浮かべ、

 突きつけた剣の腹に手を当てて、テレシアが一歩前に出る。

 息遣いさえ届き合う距離に二人、顔を見合わせる。潤んだ瞳に溜まった涙が、テレシアの微笑みを伝って落ちていき、

 

「ねぇ、花は、好き?」

「嫌いじゃなくなった」

「どうして、剣を振るの?」

「お前を守るために」

 

 互いの顔が近づき、距離が縮まり、やがて消える。

 至近で触れた唇を離し、テレシアは頬を染めて、ヴィルヘルムを見上げ、

 

「私のことを、愛してる?」

「――わかれ」

 

 顔を背け、ぶっきらぼうに言い放つ。

 観衆の時間の静止が魔法のように解けて、衛兵がこちらへ大挙して押し寄せてくる。その中にいつか肩を並べていた面々がいるのが見えて、ヴィルヘルムは肩をすくめる。

 そんな彼のすげない態度にテレシアは頬を膨らませる。あの場所で二人、花畑を前に笑い合っていた日々の一枚のように。

 

「言葉にしてほしいことだってあるのよ」

「――いつか、気が向いたときにな」

 

初めて剣鬼が臆病風に吹かれた瞬間だった。

 

 

 ──煌めく宝剣が岩のような外皮を易々と切り裂き、風が走り抜ける。

 

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ──!!」

 

 雄叫びを上げながら駆ける老剣士のあとを追いかけるように、生じた刃の傷から噴出する血が空を朱色に染めていく。

 刃が走り、絶叫を上げて、悶える白鯨の身が激痛に打ち震える。

 大樹の下敷きになって身動きの取れない魔獣の背を、駆け抜ける剣鬼の刃に躊躇いはない。頭部の先端から入る刃が背を抜け、尾に至り、地に降り立つと再び頭を目指して下腹を裂きながら舞い戻る。

 跳躍し、動きの止まる白鯨の鼻先に再び剣鬼が降り立つ。

 血に濡れた刃を振り払い、剣鬼は自分をジッと見つめる白鯨の右目──片方だけ残るそちらに自身の姿を映しながら、何かを訴えたそうなその瞳を見つめ、

 

「────」

「眠れ。──永久に」

 

 最後に小さな嘶きを残し、白鯨の瞳から光が失われる。

 自然、その巨体からふいに力が抜け、落ちる体と滴る鮮血が地響きと朱色の濁流を作り出す。

 静寂がリーファウス街道に落ち、そして──、

 

「終わったぞ、テレシア。やっと……」

 

 動かなくなった白鯨の頭上で、ヴィルヘルムが空を仰ぐ。

 その手から宝剣を取り落とし、空いた手で顔を覆いながら、剣を失った剣鬼は震える声で、

 

「テレシア、私は……」

 

 掠れた声で、しかしそこには薄れることのない万感の愛が。

 

「俺は、お前を愛している──!!」

 

 白鯨の屍の上で、剣を取り落とした剣鬼が涙し、亡き妻への愛を叫んだ。

 そこに、どれほどの意味が込められたのか、シャオンにはわからない。だが、分かることはひとつ。

 

「──ここに、白鯨は沈んだ」

 

 ぽつりと、凛とした声音が平原の夜に静かに響く。

 

「四百年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣──剣鬼ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアが、討ち取ったり!!」

 

 高らかに勝利の宣告が主君から上がり、生き残った騎士たちが歓声を上げる。

 霧の晴れた平原に、再び夜の兆しが舞い戻る。月の光があまねく地上の人々を照らす、あるべき正しい夜の姿として。

 ──ここに数百年の時間をまたぎ、白鯨戦が終結した。



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終焉

――歓声が、月明かり満ちる平原に広がっていく。

 騎士たちの掲げる剣がその月光を映し、反射する光景は美しくすらあった。

 白鯨の巨躯がフリューゲルの大樹の下に横たわり、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。

 そんな中、強大な咆哮が二つ上がり、一時静まっていたリーファウス街道の大気を揺らす。

 討たれた白鯨とは別、本体を失った分身である二体の白鯨だ。地の上で巨躯をのたくらせ、まだ戦意があるのかと警戒するが、獰猛に猛るその身はどこか茫洋と薄れ始めている。

 本体からのマナの供給が途絶え、その肉体を維持できなくなりつつあるのだ。このまま放置しておいても、数分ともたずに消滅するだろう哀れな姿。それは何か言いたげに最後に鳴き、吹き散らされたマナが大気に溶け、その巨躯を完全に消失させた。

 今度こそ本当の意味で、白鯨の討伐戦は終わりを告げる。だが――、

 

「ようやく、中間地点ってとこだな」

「ああ、でもまぁ。少しは肩の荷が軽くなった感じだな」

 

 そう、白鯨の討伐はシャオン達にとって中間地点であり本当の終わりは『怠惰』の討伐に当たるのだ。

 まだまだこれからが本番、と再度身を引き締めた瞬間、

 

「無事か、ナツキ・スバルにヒナヅキ・シャオン」

 

 ――クルシュがゆったりと草を踏みながら現れる。

 血や泥で各所を汚しながらも、真っ直ぐに背筋を伸ばすクルシュの立ち姿は絵になるほどに美しい。

 

「どうにかこうにか、な。クルシュさんも無事そうでなによりだ」

「私はな。だが、討伐隊の方の損耗は決して少なくない。白鯨を討ってなお、消えたものたちは戻らないのだから」

 

 手を掲げて応じるスバルに顎を引き、しかしクルシュはその表情に沈痛なものを浮かべて首をめぐらせる。彼女の視線が向くのは、いまだ大樹の下敷きになったまま動かさずにある白鯨の屍だ。

 視線の先では生き残った討伐隊の、比較的負傷の少ない面々が寄り集まり、どうやらまず白鯨の上から大樹を退けようとしているようであった。

 

「なにをやってんだ、ありゃ」

「白鯨の屍を運び出さなくてはならない。作戦の犠牲になったフリューゲルの大樹に対しても、何かしらの処置は必要だ。忙しくなるのはある意味でこれからになる」

「運び出すって……あのどでかい死体を?」

 

 スバルは慌てて視線を白鯨に戻し、その全長五十メートルにも及ぼうかという巨躯を眺めて、小さくつぶやく。

 

「無理臭くね?」

「できない、では話にならないだろうね。クルシュ嬢の目的にも関係しているし」

「そう、か? いや、そうだよな」

 

 四百年、世界の空を泳ぎ続けた脅威だ。

 いつ、どんな時に現れるかわからない天災の終幕は、その屍という確かな証拠があってこそだ。

 言葉だけでは心に安寧をもたらさないだろう。

 それを除いても、もともと、白鯨の討伐はクルシュにとっては、王選における商人へのアピールの意味が大きい。

 王選の最有力として国民からの支持も高く、そして懸念されていた商人からの好感度をも稼いだとなれば、彼女の立ち位置は盤石であり――、

 

「あれ、ひょっとしてけっこうまずい後押ししてねぇ?」

「なにいまさら気づいたんすか」

「やべぇ! 好感度がガタ落ちに――てかお前も無事だったかアリシア」

「まぁ、だいぶボロボロっすけど」

 

 呆れた様にいうのはアリシアだ。

 彼女もフェリスの治療を受けていたようだがもうほとんど傷は癒えている。

 彼女の生存が確定したことで、こちらの陣営は全員無事ではある訳だ。

 それに安堵しつつも、今さらではあるが、他陣営への肩入れという点についてだが、確かに分自陣営の不利さに拍車をかけたものはある。

 だが、エミリアの性格を考えれば糾弾されることはないだろう。

 それに、

 

「――白鯨を落とした英雄の顔には見えん」

「エミリアたんに開口一番裏切り者って罵られ……え、今なんて言った?」

「白鯨を落とした英雄、だ。――卿の功績を、そのまま当家の手柄の全てにするほど恥知らずではありたくない」

 

 白鯨の方から視線をこちらに戻し、クルシュは剣のように鋭い眼差しでスバルを射抜く。姿勢を正されるような輝きに瞬きして、スバルもそれと向かい合った。

 そうするスバルにクルシュはゆっくりと、胸に手を当てると、

 

「此度の協力、感謝に堪えない。卿がいなければ白鯨の討伐はならず、私の道は半ばで潰えていたことだろう」

 

 そう言いながら、深々とスバルに対して礼の姿勢をとったのだ。

 

「い、いや……やめてくれって。俺、そんな大したことしてねぇし……」

「それでたいしたことなかったらアタシらは何も言えねぇっすよ?」

「そうそう、謙遜は美徳だけどすぎるとなんとやら、だ」

「白鯨の出現の時と場所を言い当て、討伐隊だけでは足りぬ戦力を整えるのに奔走し、士気が折れかけた騎士たちの覚悟を奮い立たせ、自らの身が危うくなる起死回生の献策をし、その上で見事にそれをやり遂げてみせた」

 

 途切れ途切れに言葉を返すスバルに、クルシュはこの戦いにおけるスバルの行動の結果を羅列してみせる。

 そうして整然と語られた行いの帰結を見ると、それはまさしく、

 

「そう考えると、我ながら頭おかしいとしか思えない活躍してんな……」

「ほんっと、人が変わったみたいっすよね。あんな酷いやり取りをした後なのに即座に持ち直すなんて……実は中身が変わってるとかないっすよね?」

「……笑えねぇよ」

 

 冗談めいたアリシアの言葉に、ひきつらせたように笑うスバル。その光景にシャオンも苦笑を隠せない。

 そう、彼女らにとってはこのスバルはあの喧嘩別れした状態、しかもクルシュや騎士達からすればユリウスに決闘で無残に敗れたすぐあとなのだ。

 それなのに、ここまでの振る舞いをしてみたのだ。中身が変わっているといわれた方が信憑性がある――実際に死んで、戻っているから的を外した言葉ではないわけだが。

 

「どちらにしろ、この戦いにおける立役者は間違いなく卿だ。卿の行いが軽んじられるのであれば、私は私の名誉に誓ってそれを正すだろう」

 

 こちらを真剣な目で射抜き、真っ直ぐな言葉を投げてくるクルシュの賞賛には一切の打算も躊躇もない。誠実、の二文字を体現したかのような人物だけに、その口が紡ぎ出す感謝の念には嘘の欠片もないだろう。

 彼女の性格から全ての成果を自陣営のものにするとは思えない、ここまでの感謝は予想外ではあるが。

 

「ずいぶんと、評価が改善されたみたいでなによりだよ」

「謙遜することはない。卿は、得難き幸いを運んできた。本来ならばその功績、当家に迎え入れて相応に報いたいところではあるが」

「そりゃ勘弁してくれ」

 

 目を細めて、低い声でスバルを誘うクルシュ。だが、スバルはそんな彼女の勧誘に、手をあげると即断で断った。

 

「忠誠とも忠義とも違うけど、俺の信頼はもう預けるべきところに預けてある。アンタは、その、いい奴だし、王様になってもきっとうまくやってけると思う」

 

 スバルの言う通りクルシュならばきっと、誰よりも高潔に民を導く王になれるだろう。

 それだけの器があり、人望、戦力どれも十分に備わっており、なにより人を導く、集める力は誰よりも高い。

 だが、スバルは――

 

「――俺は、エミリアを王にするよ」

 

 揺らぎない意志でそう告げる。

 

「誰のためでもなく、俺がしたいから、するんだ。そして、願わくばなんて言わない。俺が、それを見届けたいんだ」

「――それなりに堪えるものだな」

 

 スバルの答えを受け、クルシュはその唇を綻ばせると顎を引く。

 それから組んだ腕を解き、その白い指を拳の形に固めると、スバルに向けた。

 

「良いだろう。卿の功績には別の形で報いる。クルシュ・カルステンの名に誓い、その約束は果たされよう」

 

 厳かに言い切り、クルシュは握り固めた拳を解いて自分の掌を見る。

 それからわずかにその声の調子を落とし、

 

「思えばこれほど気持ちよく、誘いかけを断られるのは初めての経験だな。悩む素振りすら見せられないとは、いっそ清々しい敗北感だ」

「……お前は、すげぇ奴だと思うぜ。俺だってふらふら一人なら間違いなく、その手を支えにしようって思うだろうさ」

 

 寄る辺もない状態で、なにひとつ定まっていない状況で、クルシュ程の人物にそうやって手を差し伸べられたとしたら、きっと迷うことなく飛びついて、縋りついて、全てを委ねてしまうに違いない。

 だけど、今のスバルは手を伸ばして掴まっていたい相手がいて、ふらふらと揺れる背中を支えてくれる掌の持ち主がいて、その人物の期待に応えたいと、その人物の役に立ちたいと、そう願っているのだ――自身の気持ちと向き合って。

 

「……もう、大丈夫そうだな」

 

 小さくつぶやくシャオン。

 嫉妬の楔は解かれ、スバルの目にはできること、行うべきこと、やりたいことがしっかりと見えている。

 今の彼ならばきっと間違えた道を進むことはないだろう、シャオンの助言がなくても。

 ここまで育つとは、シャオンにとってもうれしい誤算だ。ゆえに、喜ばしいことなのだろうが、

 

「――あれ?」

 

 僅かに痛む胸を、副作用の所為だと言い聞かせ、スバルの成長を喜ぶことにする――心の奥に誰も気づかない翳りを残しながら。

 

 

「――どうしてですか!」

 

 周囲に強い語調で否定を発する声が響く。

 それは背後、スバルとクルシュのやり取りを横になりつつも見守っていたレムであり、半身を起こした彼女は恨めしい目で治療をしていたフェリスを睨みつけ、

 

「レムなら! レムなら大丈夫です。スバルくんがこれからまだ危ないところに向かうというのに、レムがいなくてどうして……」

「そうは言っても、体、動かないでしょ? アリィちゃんもいたけど、ほとんど単身で白鯨一匹を抑え込んで、レムちゃんはそれに加えて上級の魔法までの連発……レムちゃんのお体は今、限りなく消耗してスカスカ状態にゃの。治癒術師として、これ以上の無理をさせることはできませーん。おわかりかにゃ?」

 

 フェリスの言葉は口調こそふざけてはいたが、それでも折れない意思を感じる力強さを感じていた。

 それは長年多くの人を治療し、救ってきた経験と共に、同じくらい救えなかった人物のことを見てきた彼の経験からくる判断だろう。

 だが、それでもレムはひるまない。

 納得いかない、とばかりにレムは立ち上がって言い募ろうとする。が、起き上がろうと立てた腕に力が入らず、震える体を支え切れずにその場に倒れ込みそうになる。と、その崩れ落ちる彼女の体を駆け寄ったスバルが慌てて支え、

 

「危ねぇって……頼むからフェリスの言う通り、あんまし無茶すんなよ」

「でも! 嫌なんです、耐えられないんです」

 

 間近に迫ったスバルを見返し、レムはその瞳に大粒の涙をたたえていた。置き去りにされることよりもなによりも、彼女が恐れていることは――

 

「スバルくんが困っているとき、誰よりも先に手を差し伸べるのはレムでありたい。スバルくんが道に迷っているとき、背中を押してあげる存在でいたい。スバルくんがなにかに挑むとき、隣にいて震えを止めてあげたい。それだけがレムの、それだけがレムの望みなんです。ですから……」

「それなら心配なんか、いらねぇよ」

「え?」

 

 泣きそうな彼女の声に、その愛しさ募る言葉をぶつけられて、スバルは唇を緩め、

 

「手はいつだって繋いだままだし、背中なら何度も押してもらった。震えるのだって、お前を思うだけでどうとでもなる。――俺はお前にもう、ずっと救われてる」

「……ぁ」

「大丈夫だ、レム。俺はお前の英雄だ。その一歩を踏むと、そう決めたんだ。だから、なにも心配いらない、今だけは俺に任せろ」

「こ、これからも、レムを隣においてくれますか?」

「俺のほうから土下座で頼むよ」

 

 震える瞳がスバルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。そんな彼女にスバルは笑顔を向けて、歯を剥くように獰猛に笑い、

 

「――言質、頂きました……もう引っ込められませんよ?」

「当たり前だ。頼まれても引っ込めねぇ……鯨狩りもやってのけた。お前の英雄は超、鬼がかってんだからかっこ悪いことはできねぇ」

 

 込み上げてくるものが堪えられなくなったように、スバルを呼ぼうとしたレムの言葉が途中で途切れる。

 それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し、幾度も息を呑んだあと、抑えられなかった溢れるものを瞳の端からぽろぽろこぼし、

 

「――はい。レムの英雄は、世界一です」

 

 と、泣きながら微笑んだのだった。

 

「……さて、そろそろ向かおうか」

 

 レムや他の負傷者と、王都へ帰参するクルシュに護衛を半数残し、残る討伐隊を連れてスバルは一路、メイザース領を目指す。

 無論、目的は魔女教『怠惰』の討伐、かつ村人を含めたエミリア陣営の保護だ。

 時間も余裕もそこまでない、今すぐ向かう必要がある。そんな中、

 

「ん、にゃにしてるの? シャオンきゅん」

「え? 俺も準備を――」

 

 フェリスに背後から話かけられ、体を柔らかするためにしたストレッチ止める。

 その瞬間、背後から抱きしめ――否、これは。

 

「おわっ!」

「ハーイ、ストップ……どうみるっすか」

 

 アリシアに後ろから羽交い絞めにされ、暴れないようにされながらフェリスに体中を見られる。

 正確には体の内部を見られ、マナの具合等を見ているのだろう。その結果――

 

「んーマナが底をつきかけてる、それに持病? あるいは無茶のしすぎかわからにゃいけど……満身創痍? にゃね。少なくともフェリちゃんチェックは通らない程度に」

 

 フェリスはにっこりとそう告げる。

 つまりは、自分もレムと同様にここにとどまれということだろう。

 それにしてもばれない様にしていたのだが、なぜわかったのだろうか。

 その答えは――

 

「もう、アリィちゃんが言わなきゃ全く分からにゃかった!」

「いや、レムちゃんのさっきのやり取りから落ち着きがなかったすからね」

「ってわけだ、相棒。悪いが大人しくしてくれ」

 

 いつの間にか様子を見に来ていたスバルの目は、レムに向けていたのと同様に何があっても無茶は差せないとばかりに強い目だ。

 こんな目をするスバルには、何を言っても無駄だ。

 

「……はぁ、仕方ない。わかったわかった、争うだけ時間の無駄だからね」

「シャオンは意外とスバルに甘く、弱いってわかったっすからね。意外とレムちゃんと似てるっすよ」

「それは、あれだ、笑えない。てか、離してくれ、暴れないからその、いろいろ当たってる」

 

 密着したがゆえに当たる背中の二つの柔らかい感触があると、シャオンの言葉にアリシアはようやくその事実に気付く。

 小さく「ぁ……」とこぼし顔を赤くしながら距離を取り、沈黙する。

 その様子に何とも言えない空気が作られ、シャオンもつい黙ってしまう。すると、目に入ってきたのはニヤニヤしたスバルの顔だ。

 

「なんだよ」

「いや、べっつに? 相棒の春の到来に俺も頑張らなきゃな、って……それよりこっちは大丈夫だから、お前の方は無事白鯨を届けきってくれ」

「はいはい、承ったよ」

「うし、それじゃあメンバーは二十名少しと鉄の牙、そして主要メンバーはリカードさん、ルツさん、アリシア、ヴィルヘルムさんにフェリスか……本当はもう少し欲しかったけど」

「贅沢は言えないさ……あ」

「ん、どうしたよ」

 

 白鯨との戦闘で頭から抜け出ていたが、一つ重要なことが、スバルにとっては重要なことがあった。

――応援に来るユリウスの存在を伝え忘れていた。

 

「まぁ、あれだ。スバル」

 

 これから起こるであろう彼とのひと悶着、そして、なにより魔女教大罪司教『怠惰』のペテルギウスの討伐。

 それら含めて、更には自分を置いていくこと、先ほどのからかいへの若干の非難の意味も込めてこの言葉を贈る。

 

「――強く、生きろよ」

「すっげぇ久しぶりに効いたなその言葉!」



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悪意の顕現

本日2話目
さて、もう終盤です。
そしてとある人物の『多少のキャラ崩壊注意』です。


 ――街道を行く竜車の揺れに身を任せ、王都へ向かっていた。

 竜車の中に差し込む日差しの強さにその目をわずかに細めた。

 正面、彼女の視線の先にあるのは集団を先導するいくつかの竜車であり、そこには白鯨討伐戦に参加した負傷者が何人も担ぎ込まれている。

 全員が全員、最低限の応急処置を施されただけの状態での帰還であり、重傷者の数も少ないとはいえない。ただ、傷の痛みに顔をしかめながらも、その彼らの口元には長年の想いを遂げた達成感が刻まれている。

 彼らがずっと抱え続けてきた積年の想い。それが果たされた事実に比べれば、死なないで済んだ負傷など比べるべくもない。

 そんな中、シャオンとレム、それにクルシュが乗る竜車の中では沈黙が空気を支配していた。

 理由は簡単、レムだ。

 スバルと別れる際にはしっかりとしていたがやはり離れ、時間が立っていくと同時に心配する気持ちが強まってきたのだろう。落ち着きがない上に、顔が沈んでいる。

 

「……浮かない顔だね。レム嬢、やっぱ心配?」

「シャオンくん……ええ、どうしても」

 

 だが女性を励ます術はシャオンにはなく、気休めの励まししかできない。

 第一本当に彼女を励ますのならばそれこそスバルの力が必要だろう。それでも何も言わないよりはいいかと、

 

「ヴィルヘルムさんとフェリス、それにユリウスやルツさんも、同行した討伐隊の勇士も精鋭。鉄の牙の人たちも十分に手練れ……相手の戦力は不安要素だが、負ける要素は感じられないよ」

「それでも、もしもって可能性が頭の中から抜けなくて」

「まぁ、うん」

 

 その気持ちはシャオンにも十分にわかる。だが、今自分たちができることは何もない。無いから祈っているのだが――

 

「だが、どうしようもあるまい」

「クルシュ嬢……」

 

 そう言いのけたのは対面に座るクルシュだった。

 厳しい言い方だったと自覚があるのかすぐに彼女は「だが」と続ける。

 

「不安の種はいくら潰しても尽きぬものだ。それが己を起因とするものであるのなら、自らを研鑽するなり開き直るなりでどうとでもなるだろう。だが、相手方あってのこととなるとそれも難しい。――気休めを言うのは得意ではない。許せ」

 

 憂い顔を深めるこちらの様子に、クルシュは自分の失言を悟って目を伏せる。途端、それまで超然としていた女性から急に格式ばったところが抜けたように思えて、レムは思わず小さく口元を微笑の形にゆるめてしまった。

 その微笑みを見て、クルシュは「うむ、それでいい」と満足げに頷き、

 

「ナツキ・スバルも言っていた。レムには笑顔の方が似合う、とな。傍から聞けばとんだ惚気話と思ったものだが、存外馬鹿にしたものでもない」

「クルシュ様は……笑われると印象が変わりますね。普段は凛としていらっしゃるので……きっと微笑まれたら素敵だと思います」

「――そうだな、私は笑うのが下手な女だ。過去もそのせいで失敗をしている……そのことは後悔と共に永遠に残していくのだろう」

 

 レムの指摘に、クルシュが視線を逸らしてそう呟く。

 口元に刻まれるのは笑みではあるがそれは自嘲によるものだとシャオンにもわかった。

 そんな自己嫌悪の笑みは、常に勇壮で凛とした彼女の姿とつながらなく、少しばかり驚いた。

 そしてそれを追及されるのを避けるように彼女は話題を変えた。

 

「ナツキ・スバルが向かう先に待つのは魔女教。……エミリアの素姓を知ったときから予想されていたことではあるが、実態の見えない集団が相手となれば警戒は必須だ。メイザース卿もなにがしかの対策はしているはずだろう?」

「ははっ、どうでしょうねぇ……」

 

 ロズワール自身今回のことが予想できなかったわけではないはずだ。

 事実彼自身の助力はなく、村の警備もラムとエミリアだけに任せていた。スバルに任せたというのは聞こえがいいが、それだけでは博打に近い。

 今回ここまでこれたのは死に戻りという能力があったからであり、泣ければ無残にエミリア陣営の脱落という終わりを迎えていたのだ。

 

「主の考えの深淵まで、レムも知り得ているわけではありませんので。聞き出そうとしても、口には出せませんよ?」

「手厳しいな。今は同盟相手なのだから、少しは口を滑らせてもいいというのに。では、弟子である卿は」

「コメントは控えさせていただきます、あとで修業を厳しくされても困るので」

 

 考えが悪い方へ、暗い方へ向かわないよう気遣ってくれているのだろう。

 実際、そうしてクルシュが話を振ってくれるおかげで、二人の思考も深みへはまっていくことなく時間を過ごせている。

 クルシュの言い分はもっともであり、ロズワールならば此度の一件に対する善後策はなにか用意しているはずに違いない。スバルの行動は主のそれを助ける形になり、貶められたスバルの名誉もきっと回復する。

 否、すでに白鯨討伐への協力により、名誉は回復以前により高く響くはずだ。

 そうすれば、エミリアの騎士として推薦の声が上がり、彼も快くそれを受け取るだろう。問題はエミリアがスバルを騎士として認めてくれるかどうかだが、そこは今後サポートしていき、互いに話をする場を設けでもすれば解決しそうな問題だ。

 それであれば、今後はシャオンも楽にはなるだろう。

 

「いや……まだまだ、これからが忙しくなるって」

 

 口元に微笑を刻み、シャオンはスバルの未来とエミリアの紡ぐであろう未来を想像している。

 エミリアが抱える問題を、スバルが全員を連れて乗り越える未来はそれはとても輝かしいことだろう。

 ふと、目の前で小さく笑うクルシュが目に入る。

 思わずそちらに視線をやるとクルシュは照れた様、

 

「卿も笑うのだな、少し意外だった。気に障ったのなら謝ろう」

「いえ、別に。でも、酷いですね、クルシュ嬢。その言い方だと俺が冷血人間みたいじゃないですか」

 

 関わり合いは少ないが、そのような印象を抱かれるのはいささか心外ではある。

 それをレムも感じたのか少しからかうように、

 

「そうですよ、クルシュ様。シャオンくんは胡散臭い笑みを浮かべていますが、いたって普通の男の子ですよ? 特にアリシアと話す際は年相応の笑みを浮かべて……」

「レム嬢!?」

「ふふっ、意外な弱点があったものだな」

「もう、全く、早く王都に――」

 

 着かないかな、と続く言葉は閉ざされた。

 それは、シャオンが持つようになった異常な嗅覚が感じ取ったからだ、その臭いを――吐き気がするほどの、異臭を。

 

「――――止まれぇぇぇぇ!」

 

 シャオンの叫びと前方の竜車が崩壊していくのは同時だった。

 血霧が噴き上がり、竜車前方が突如として惨状へと変わる。

 地竜も、竜車も、その中にいた負傷者たちも、一切合切が根こそぎ、まったく容赦のない圧倒的な破壊によって粉微塵にされていた。

 

「――ッ! 敵襲!!」

 

 驚愕に喉を鳴らす停滞を一瞬で済ませ、クルシュの警戒を促す声が上がる。即座にクルシュを始めとして、周囲にいた他の竜車でも異変を察して戦闘準備の気配。

 レムもまた肉体の負傷と倦怠感を押し退けて、自身の武装である鉄球を手に取って立ち上がり――血霧の向こうに、人影を見た。

 どんな相手が、と警戒するレムの視界に、街道上に棒立ちする人物が見える。

 

「轢き殺せ!!」

 

 クルシュが怒鳴り、御者台に乗り込みながら御者へ指示を飛ばす。それを聞いた騎士は首肯する代わりに手綱をうならせ、嘶く地竜が竜車を加速させ突撃――勢いを増した竜車の突貫は、直撃する獲物を肉塊へ変える超質量の砲弾だ。

 それは狙い違わず、棒立ちする人物を真っ直ぐに捉える。相手は動く気配もない。そのまま接触し、細い体が衝撃に千切れて――。

 

「失礼しますっ――!」

 

 叫び、レムは真横にいたクルシュの腰を掴んで竜車から横っ跳びに飛び下りる。御者へ手を伸ばすのは間に合わず、レムは唇を噛んで地面へ着地。

 そして、その直後――それは起きた。

 地竜がその勢いを殺すことなく、その勢いのまま地竜の体が裂けたのだ。まるで強い壁にぶつかったとでも言うかのように、衝撃に耐えきれなかったのだ。

 

「ああ、ありがとう。おかげで必要以上の無駄な血が流れなくて済んだよ、無駄な、ね。それにしてもなにもしてないのに轢き殺せだなんて、とてもじゃないけど人間のすることだとは思えない」

 

 それは目の前で起きている事象とは無関係のような、敵意殺意の感じられない声音のようだった。昼下がりに散歩をしているとでもいうような、これ以上ないほど穏やかな状態の声音。

 そして血煙が晴れると同時にいたのは二人の人物だった。

 一人は顔が整った女性だった。

 こちらの世界では珍しく、そして忌むべきとされるハーフエルフの髪色と同じ銀髪(・・)を隠していない女性だった。

 ただ、彼女と正反対なところは、かすかに覗けるその表情、ただ立っているだけでもその振る舞いが、顔よりも実年齢は年上なのだろうかと感じさせる。

 そんな女性が三歩ほど下がり、もう一人の人物を立てるようにただただそこに控えていた。

 そしてもう一人、そちらは一見、なんの変哲もない人物だった。

 細身の体つきに、長くも短くもなければ奇天烈に整えられたわけでもない白髪。髪と同色の白を基調とした服装は特別華美でも貧相でもなく、顔にも目を引く特徴はない。いたって平凡で、街中で見かければほんの十数秒で記憶から消えてしまいそうな、そんな凡庸な見た目の男だった。

 だが事実、その男に接触した地竜は男を踏み殺そうとした体勢のまま、その勢いごと半分に千切られており、御者の騎士も四散した竜車ごと粉砕されて木片と肉片が混ざり合っている酷い惨状になっている。

 そしてなにが恐ろしいかといえば、その瞬間まで一度たりとも目をそらさなかったシャオンには、男がただ『立っていただけ』なのがわかってしまったことだ。

 特別なことはなにもせず、男はただ突っ立っているだけで超重量の竜車との衝突に打ち勝ち、平然と立ち尽くしているのだ。

 

「ありがとう、レム嬢……、助かった。だが……状況は改善されていないな」

 

 レムの腕から抱かれていたクルシュとシャオンが礼を言って立ち上がる。

 クルシュはとっさに掴んでいた騎士剣を鞘から抜き放ち、自分の指示通りに動いて命を散らした騎士の、もはや分別もできない死に様に痛ましげに目を細めると、

 

「……貴様、いったい何者だ」

 

 殺意に光る剣先を突きつけ、クルシュは男に鋭い声を投げる。

 男は彼女の問いを受け、自身の顎に手を当てるとそれこそ大げさなぐらいに頻りに頷く。

 

「なるほどなるほど。君は僕のことを知らないわけだ。でも、僕は君のことを知っている。あ、勘違いはしないでね、僕自身が君に興味を持っているわけじゃないし、その言ってしまうのもなんだけど君のような野蛮な女性は僕の琴線に触れる要素はなくてね。第一、僕のこの手はたった一人の手を握るのでふさがっているからさ」

 

 手持無沙汰に空っぽの手を揺らすと、その手がそっと横から包まれる。

 その手の持ち主は隣にいた一人の女性だ。

 男と同様の白い装束に身を包み、化粧を施していないのだろうがそれでも顔は整っている。ただ、そこに映る表情は人形のように冷たく、なにも読み取れない。喜びも、悲しみも、怒りも憂いも何も、ないのかと錯覚してしまうほどに。

 代わりにその手を握る男の頬が赤らみ、先ほどの状況を作り出したとは思えない、人間らしい感情に唖然としながら見ていると、「おっと」と僅かに恥ずかしそうに笑いながらこちらの存在を思い出したかのように再度語り続けた。

 

「話がそれたね、僕が君のことを知っている理由だったかな? それは簡単な話だよ、今や王都……いや、国中が君たちのことで盛り上がっているからね。なにせ次代の王様候補だ。世情とか肩書って言うの? 全く、これっぽっちも興味がないけど、それが途方もなく大きなものを背負おうとしているってことぐらいは想像がつくさ。大変そうだよね」

「ぺらぺらと無駄口を――質問に答えろ、次は斬る」

「ひどい言い分だなぁ。でも、それぐらい横柄でなきゃ国なんかとても背負えないのかもしれないよね。その感性は僕には欠片も理解できないけどさ。ま、好き好んで王様なんて重すぎる責任を背負い込もうなんて考えはどうやってもわからないけど。あ、安心して。理解できないからって否定したりしないよ。僕の方こそ、そんな横柄とは無縁でね。僕は君と違って……」

「――次は斬る、確かに警告はしたぞ」

 

 長々と、クルシュの要求を無視して男がよく滑る舌を回し続ける。

 だが、クルシュが冷酷に言い切るのと、彼女の腕が風の刃を振るったのは同時だった。

 クルシュの風の魔法と剣技を合わせた見えない斬撃――『百人一太刀』で有名な超射程の超級斬撃、それが斜め上から男の胴体を撫で切り、斬られた本人にすらその斬撃がどこからきたのか、誰が放ったのかすらわからないまま絶命させる。

 白鯨の固い皮膚すら切り裂き、その巨躯を落とすのに大きく貢献した斬撃の威力。あの魔獣の質量と比較すれば話にならない矮躯で、耐えられるはずもない。

 なのに、

 

「……人が気持ちよく喋ってる最中に攻撃だなんて、どんな教育を受けたの?」

 

 首を傾げて、斬撃を受けた体を軽くはたいて見せる男がそこにいた。

 彼の存在は白鯨を切り裂く剣撃を前に微動だにせず、その肉体には――否、肉体どころかその衣服にすらその剣の形跡が残っていない。

 斬撃が防がれたのとは、またまったく違う未知の現象。

 その現象を前に、常識の埒外の存在に身を固くする。そこで男は初めて小さく息をつき、「それにさぁ」と苛立たしげに声を低くすると、

 

「僕が防いだからよかったけど一歩間違えれば僕の妻も巻き込んでいたんだよ? そこのところ理解している? いくら君が剣の腕に自信があったとしても、万が一が有りえるじゃない? 無辜の民を巻き込むところだったって言っているんだよ? 第一、僕が喋ってるわけ。喋ってたでしょ? それを邪魔するっていうのはさ、ちょっと違うんじゃないかな。間違ってると思わない? え? 僕が間違ってるの? 違うよねぇ、そんな難しいことも言ってないと思うんだけど」

 

 流れるように出てくる言葉の羅列に、自然と怒りの感情が宿っていく。そしてそれは栓が抜けた様に止まる気配はなく、

 

「喋る権利が、だなんてものを主張したくはないけどさぁ、それでも喋ってる人がいたらそれを邪魔しないなんてことは一種の暗黙の了解ってものじゃない。それを真剣に聞くか聞かないかはそっちの自由だから文句は言わないけど、言わせないって判断するのはどうなのかなぁ。それにさっきも言ったけど君は次代の王になりうる存在だ、それがさ他人の言葉を無視して、しかも切り付けるなんてどうなの? 暴君の所業とは言わないけど王の資格ないんじゃないかな?」

 

 早口に言いながら、男は足で地面を叩いて不機嫌の意思を露わにする。

 そのまま彼は不気味さに押し黙るこちらを見て無視されたと判断したのか苛立ちをあらにするように、舌打ちを打つ。、

 

「正論を言ったら今度はダンマリ、それもどうなのかなぁ。聞いてるじゃん。聞いたわけじゃん。質問したじゃない。されたら答えるでしょ、そういうものでしょ、やり取りの基本は受け答えじゃない。それもしない。したくない。ああ、自由さ。それは君の、君たちの自由だとも。君たちからすれば僕は勝手に喋って斬られて、勝手に質問して無視されて、そういう風に見えるわけだ。それが君たちの自由の使い方なわけだ。いいよ、そうしなよ。でもさ、その考えってつまりこういうことだよね?」

 

 前のめりになって首を傾げ、男はその瞳の眼力を強くして、それから感情を、怒りを押し殺した声で言った。

 

「それは僕の権利を――数少ない私産を、蔑ろにするってことだよねぇ?」

 

 悪寒が、背中を駆け上がった次の瞬間、男が一歩前に踏み込む。だらりと無造作に下げられた腕が下から真上へ振られて、かすかな風が巻き起こる。

 直後、男の腕の直線上――大地が、大気が、世界が割れた。

 同時、くるくる、くるくると、肩で切断されたクルシュの左腕が宙を舞う。

 鞘を握ったままだった腕が血飛沫をまき散らして地面に落ち、衝撃に吹き飛ぶクルシュの体が地面に倒れ込んで、激しい痛みと出血に痙攣が始まる。

 

「クルシュ、嬢――」

 

 早すぎる、訳ではない。ただ、攻撃の動作には到底思えない、何気ない素振りだった。

 友人と偶然に出会った際に手をあげて挨拶をしたような、そんな何気ない動きで、クルシュという豪傑の片腕を吹き飛ばしたのだ。

 数秒、呆気にとられたシャオンはレム共に即座に飛び退くと倒れたクルシュの下へ。治療魔法を使うべきか一瞬迷ったが、クルシュの傷口の深さを見て『癒しの拳』の使用に切り替える。

 切断された腕の傷口は惚れ惚れするほどの鮮やかさでもって、彼女の左腕の肉、骨、神経、血管に至るまでを完璧に断ち切っていた。だが、それすらもシャオンの能力は即座に元通りに戻し、切断された腕は新しく、傷一つないものへと生え変わる。

 だが、目は覚めず、呼吸は深い。

 

「……命に別状はないみたいだ、意識は戻らないが」

「そりゃ当然だよ、慣れないけど手加減はしたんだ。僕だって無駄で無益な争いはしたくないからね。だってそんなことしたって誰も得しないだろう? 僕のように完璧で満たされている人間には理解できないけど、君達のように他人のために命を賭けようとするだろう義憤溢れるような馬鹿は、殺したら敵討ちだって迎え撃つんだろう? でもさ、それは結果の見えていることだから、時間の無駄なんだ。それよりもっと有意義に時間を使えばいいと思うよ」

 

 心外だとでも言いたげに目の前の男は肩を竦める。

 だが、そんな様子に反応する余裕はなく、今はただ眼前の男の凶行に目を光らせる。

 攻撃を防いだ手段も、今の一撃の正体もまったくわからない。予備動作をひとつも見落とさず、クルシュを連れて回避するより他に手立てがない。

 そも、おかしいのはこの状況だ。なぜ三人を残し、どうして他の面々はこの異常者の前に飛び出してこないのか。主君がこうして致命的な傷を負わされた場面で、あの白鯨と向き合った勇士たちが何故――。

 その疑問が解を得る前に、シャオンの嗅覚が先にそれを捕らえた――生ゴミを煮詰めたような醜悪な腐臭と嫌悪感、それが今隣に立つ彼女へと殺意となって襲い掛かろうとしていることを。

 

「レム嬢! 右後ろ!」

 

 シャオンの言葉にレムが動けたのは奇跡だった。

 ほぼ反射で振り回した鉄球が、彼女の首裏に近づいていた凶刃を弾き、火花が目の前で飛び散り視界が一瞬視界を奪う。

 だが、確実に目にすることが出来た。身軽な動きで鎖の上に立ち、攻撃の勢いを利用して距離を取る技術の高さを、そしてこの襲撃者の容姿を目にすることが出来た。

 

「あぁ! 良い判断、いい動きだッ! 今の一撃を防がれるとは思わなかった! やっぱり食事の礼儀は守らないといけないっていうことかな」

 

 着地と共に響いたそれは甲高い少年の声だった。

 眼前の男と同質の悪寒に、異臭を放つのは濃い茶色の髪を膝下まで伸ばした、背丈の低い少年だ。

 身長は低いぐらいで、年齢も二つか三つ下――屋敷の近くの村の子どもたちより、ほんの少しだけ年上なぐらいに思える。

 だがそのギラギラと煌く瞳は常人のものではない。

 そしてその少年から醸し出される殺意、悪意にようやく応援が来ない理由がわかる――前方の敵と相対するこちらとは別に、騎士たちも後方に出現した敵と対峙していたのだ。そしてその結果は、戦闘の気配を悟らせることすらできずに破れ去るというものだということに。

 

「ん?」

 

 ふとそのような存在が年相応に首を傾げる。

 視線の先にいるのは狙ったレムではなく、シャオンの方へと向けられていた。

 

「おにーさん、どこかであったことがある? どこかで嗅いだことがあるような臭いなんだよねぇ、僕じゃなくて、俺でも、なくて私も知らないけど……」

「生憎と、知り合いは少なくてね、新手のナンパならもっとうまくやってくれ……!」

 

 言葉通り、このような存在と知り合っていたことなどないはずだ。

 シャオンの存在が知られているとすれば王城で起きたひと悶着の時ぐらいだろうが、目の前の少年はあの場にいた騎士達とは程遠いものだ。

 

「あァ! あァ! そうか、そういうことか、そういうことだな? そういことだね、そういうことなんだ!」

 

 納得をしたように手を打ち、何が楽しいのかクルクルと踊りながら、少年は笑みをこぼす。

 

「嗅いだこともあるのは当然だよねェ! ルイと同じような匂いなんだ! 納得したよ、でもさァ、なんていうか少し違うんだよねェ、味付けが違うというか、まだ『未完成』の料理とでも言えばいいのかなァ? それでも香ばしい――」

 

 その饒舌な口元を狙ってシャオンは氷の槍を数発放つ。

 だが、少年は体をくねらせ、蛇のようなしなやかさで躱し、魔法を全て避けたことを確認すると不満げに、かつ思わぬ反撃を受けたことに喜びも混ざったように体を悶えさせながら叫ぶ。

 

「ひどいなぁ、こんな子供に不意打ち同然の一撃を当てようとするなんてさァ!」

「ペラペラしゃべってるからさ、当てられるかなと!」

 

 シャオンの一撃は加減が入っているものではなかった。

 目の前の少年の正体はわからない。だが、白鯨討伐隊の半数をこちらに気取られない様に殺した存在は、脅威度を高くして臨んでも間違いではないはずだ。

 そしてこちらの予想は当たっていたようで、少年は全力の攻撃をかすりもせずに凌ぐ実力者なのだ。

 

「あなた、たちは」

 

 その呟きは呆然としたレムの口から発せられた。

 理解ができない恐怖に唇を震わせながらもレムは、少しで状況を把握しようと問いを投げたのだ。

 その質問を投げかけられて、男と少年は互いに顔を見合わせた。

 それから示し合わせたように頷き合うと、どちらもひどく親しげで暴力的で悪魔のような笑みを浮かべて、名乗った。

 

「魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス」

「魔女教大罪司教『暴食』担当、ライ・バテンカイトス!」

 

――その、忌むべき名を、高らかに、誇らしげに。




はい、レグルスさんとバテンカイトスさんの登場ですが、片方は若干のキャラ崩壊してます。この世界では。

さて、他の皆さまはレムたちを助けてますが――ここはどうなるんでしょうね


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そして怪人は嗤う

 魔女教──それも大罪司教。

 その単語に込められた意味は、冗談でも、ハッタリにでさえ使われないものだ。

 だが、それを目の前の二人は勲章を見せびらかすかのように、宣言したのだ。

 

「──他の騎士達は、どうした?」

 

 シャオンの問いに反応したのは、目の前の少年、バテンカイトスだ。 

 彼はその味を思い出すかのようによだれを垂らしながら、その狂気を答え代わりに叫ぶ。

 

「あァ、まったく……久しぶりに豊作だった! 食って、食んで、噛んで、齧って、喰らって、喰らいついて、噛み千切って、噛み砕いて、舐めて、啜って、吸って、舐め尽くして、しゃぶり尽くして、暴飲! 暴食! あァ──ゴチソウサマでしたッ!」

 

 バテンカイトスは細い体をボロキレのような薄汚れた布でくるんだだけの服装をしており、かすかに覗く肌色は至るところが血で赤く染まっているのが見えた。

 その血はもちろん彼自身の血ではなく、騎士たちの者だろう。それが、目の前の少年があの猛者たちを一人で蹂躙したことの証明となる。

 

「やっぱり、こうして手ずから食べにくるっていうのもいいよなァ。最近はこういう気骨に満ちた喰いでのある奴らと会う機会がなかったから、久々に俺たちも飢餓が満たされるのを感じるッ! 流石、僕たちのペットを倒した英雄達、味にはまったく! これっぽッぽっちも問題がないッ!」

「正直な話、君のそういうところが僕には理解できないよね。どうして、今の自分に満足するってことができないのかね。いいかい? 人は二本の腕で持てる数、自分の掌に収まるものしか持てないんだよ? それがわかれば、自ずと我欲を律することもできるようになるんじゃないの?」

「説教は僕たちにはいらないし俺たちは嫌いだ。あんたの言うことが正しいか、間違ってるかなんて、興味もない。否定はしないけど。だって、僕たち俺たちはこの空腹感を満たすこと以外はどーォだっていいんだよ」

 

『暴食』のバテンカイトスが狂気的に笑い、『強欲』のレグルスがつまらなそうに肩をすくめる。

 そんな様子をシャオンは見ながら何とか状況を冷静に、整理し、打開策を考えていた。

 戦力的に、この場でこの二人を叩き潰すのは不可能だ。

 クルシュの意識が戻らない今、彼女を戦力として数えることはできない。竜車の崩壊に巻き込まれた騎士はもちろん、『暴食』を相手にしていただろう彼等も死亡しているのか負傷しているのか判断できず、少なくとも戦力には数えられない。

 レムのマナも白鯨との戦闘で大幅に費やしてしまった、シャオンだってマナは底を突きかけてるし、なにより『副作用』が体を蝕む中──この二人を前に、勝てるビジョンが浮かばない。

 

「────」

 

 ちらと周囲をうかがえば、ライガーの群れが引いていた竜車が見当たらない。獣人傭兵団の帰還者と負傷者──そして、持ち出すことに成功した白鯨の頭部のみを積載していたものだ。

 おそらくは騒ぎに乗じて逃走、王都の方へ全力で向かっているはずだ。そちらの指揮をしているのは傭兵団の副長でもあるヘータローだろう。利発的かつ常識的な判断力の持ち主だったはずなので、時間を稼げば援軍を率いて戻るかもしれない。

 で、あれば希望は少しはあるかもしれない。

 

「それで──」

 

 レムの呟きを聞きつけて、大罪司教が同時に首を傾げる。

 いくらか、時間稼ぎのための話の取っ掛かりは得たとレムはわずかに息を止め、その興味が薄れるのを避けるように口早に、

 

「白鯨の、敵討ちですか。貴方方がここに来たのは」

「あァ、それは勘違いだよ。僕たちが興味あったのは、死んだ白鯨のことより白鯨を殺した奴らさ。曲がりなりにも四百年、好き勝手してきたアレを殺したんだ。さぞ、熟れた食べ頃揃いだって期待してたんだけど……想像以上だったッ!」

 

 やけに鋭い歯をむき、バテンカイトスは激しい興奮に頭を上下に振り、長い長い髪を振り乱しながら唾を飛ばして少年は笑う。

 

「愛! 義侠心! 憎悪! 執念! 達成感! 長々と延々と溜め込んで溜め込んでぐっつぐつに煮込んで煮えたぎったそれが喉を通る満足感ッ! これに勝る美食がこの世に存在するかァ!? ないね、ないな、ないよ、ないさ、ないとも、ないだろうさ、ないだろうとも、ないだろうからこそ! 暴飲! 暴食! こんなにも! 僕たちの心は、俺たちの胃袋は、喜びと満腹感に震えてるんだからッ」

 

 言っている意味がわからない。

 タガが外れたような様子で、バテンカイトスは甲高い少年の声で笑い続ける。引きつったような声が響く中、それを視界にいれたくないという動きか、自然もう1人の大罪司教、レグルスに視線を向けた。

 彼はその視線に対して手を振り、

 

「安心しなよ。僕はそこの彼とは全然違うから。 僕がここにいるのはたまたまの偶然。僕は彼のように飢餓とか渇望っていうの? そういう、下種な我欲ってものは持ち合わせてないんだ。満たされない空腹感に常に苛まれてる憐れな彼と違って、僕はほら、今の自分ってものに限りなく満足をしているから」

 

 両手を広げて、レグルスは晴れやかな顔をする。

 クルシュの腕を切り落としたのと、同じだけのことができる両腕を大きく回して、彼は自分の存在を強く顕示するような仕草をし、

 

「争いとかさ、嫌なんだよね、僕としては。僕はこう、平々凡々とただただひたすら穏やかで安寧とした日々を享受できればそれで十分、それ以上は望まない。平穏無事で変わらない時間と自分、それが最善。僕の手はちっぽけで力もない。僕には僕という個人、そんな私財を守るのが精いっぱいのか弱い存在なんだから」

 

 拳を握り固めて、自分の演説に酔ってるレグルス。その腕の動かし方ひとつで、地竜と複数の命を、一人の女性の腕を切り落としておいて放たれたのは自己満足の言葉だけ、しかも驚くのは、それが嘘や謙遜がない本心からくるということだ。

 狂ったように笑い続けるバテンカイトスも、身勝手な持論を振りかざして自己満足に浸るレグルスも、総じて異常者だ。

 シャオンは深い呼吸に陥るクルシュを草原に寝かせると、震える足を酷使して立ち上がった。

 シャオンの動きに応えるように、隣に立つレムも手には鉄球、そしてなけなしのマナを振り絞って氷柱を体の周りに浮遊させる。

 それを見て、バテンカイトスとレグルスの表情が変わる。

 

「人の話、聞いてた? 僕はやりたくないって言ったんだぜ? それを聞いててその態度だっていうんなら、それはもう、僕の意見を無視するってことだ。僕の権利を侵害するってことだ。僕の僕に許されたちっぽけな僕という自我を、私財を、僕から奪おうってことだ。──それは、いかに無欲な僕でも許せないなぁ」

「どうせ、見逃さないんだろ?」

「そりゃね。でも立ち向かって無駄に痛みを伴って死ぬのと、覚悟を決めて楽にその命を終えるのならどっちがいいかなんて誰にでもわかるはずさ。それに──わざわざ他人の時間を余計に取るなんて行為、僕には恥ずかしくてできないね」

 

 呆れた様に言いのけるレグルスは理解できない物でも見るかのように、あるいは馬鹿にするようにこちらに言い捨てる。それを無視し、

 

「──レム嬢、暴食を、そっちは任せた。こっちの得体の知れなさは俺のほうがまだ対応ができるかもしれない」

「──はい。生きて、あいましょう」

 

 レムと必ず二人で帰ることを約束し、それぞれの敵へと向き直る。

 するとそのやりとりすら理解できないとでも言いたげに敵――レグルスはため息を零す。

 

「離れていてテネポラ。ああ、でも決して僕の戦いを見逃してはいけないよ」

「承知いたしました、レグルス様。瞳を閉じることは命に代えても」

 

 テネポラと呼ばれた女性は人形のような表情を崩さないまま数歩距離を取る。

 巻き込まれないほど距離を取ったことを確認し、レグルスは満足そうに頷き、改めてこちらを見る。

 

「さて、時間の無駄にはなるだろうけど──」

「そう、かよっ!」

 

 全力の『不可視の腕』の使用。

 その瞬間、倦怠感が錘となってシャオンを襲う。

 意識が、いやそれどころか、一度すべての器官が止まる感覚に陥る。そして僅かに遅れて痛みと共に止まっていたすべての器官が高速に動きを再開する。

 明らかに重くなっている副作用、それらすべてを無視して放たれた一撃は恐らくこちらの世界に来て一番の速さと威力を持ったものだろう。

 レグルスは避けるそぶりは見せない、それどころかこの一撃を認識することさえできていないのかもしれない──なのに、

 

「──マジ、か」

「少し驚いたね、さっきの彼女と同じように見えない一撃自体卑怯すぎて怒りを覚えるんだけどそれは置いておいて、君の見えない一撃はさ、似たようなものを味わっていてね。いや、技を味わうなんて馬鹿らしい。まぁ、受けてあげたんだけど、とにかくその技の持ち主を思い出して、同時に不快感も覚えた。あ、安心してね僕はその感情で暴れるような子供じゃないから」

 

 そこに、レグルスは変わらず立っていた。

 流れるような意味のない言葉の羅列を、変わらずに口から吐き出している。

 その現実を信じられないとでもばかりに1度だけでなく、2度、3度繰り返すが。

 

「なん、で」

 

 レグルスには傷一つ、服に汚れすらついていなかった。

 

「その疑問に答える義務ってさ、僕にあるの? 恐らく全力を出した一撃が破られてショックなのはわかるけどさ、人が気持ちよくしゃべっているのを邪魔したうえでお願いを聞くようなこと、する必要あるの? ──殴られたら殴り返す、やられたらやり返す、倍返し、なんて言葉はあるだろうけどさ。僕はそんな野蛮な主義はないんだ。だってさ、それって時間の無駄でしょ? おとなしく自身の幸福を満たす分だけ最低限のもので満足すればいいのに敵討ちやすべての人間に平等性を強いるような真似をするってことじゃない? それ滑稽だよ」

 

「うるせぇ、ここで諦めたらすべてが終わるんだよ、滑稽でも!」

「ふん、何を言っても理解できないようだね。まぁそれはそれで仕方ないか……でも、わざわざすべての攻撃を受けてあげた分の時間、僕とテネポラの蜜月を邪魔したことになる──数少ない権利を侵害した報いは受ける必要があるよねぇ?」

 

 レグルスは手を下から上へと振上げた。

 なにかを飛ばしてくるのだろうか、それともその動きが呼び動作となるもなのかはわからない。だが、攻撃には違いないと考え、シャオンは大きく回避を──

 

「遅いよ、さっきのが本気の一撃とでも?」

 

 ──する間もなく、文字通りシャオンの体は二つに別たれた。

 ゆっくりと、しかし確実に、地面へと倒れ込んでいき、自身の血でできた池に落ちた。

 僅かに動く瞳で見えたのは、鮮やかな断面だ。

 

「はい、お終い。呆気なかったね、でも人生なんてそう言うものだと思うよ? だから僕は短い人生を、自分が手に届く範囲の幸せで満たして生きていくんだ。『強欲』、とは言うけど実際僕は無欲だしね──あっちも終わったようだ、予想通りの結果、君たち何がしたかったの?」

 

 痛みよりも驚愕が先に届き、自らの血で体を濡らしながら

 レグルスの声が遠くに聞こえてくる。そして、別の声が混じる。

 

「ああ、ああ、ああ! いい、いい味だった! これなら『英雄』とやらもきっと期待できそうだァ!」

 

 レムが、倒れている。

 少年が、嗤っている。

 レグルスが、詰まら無さそうに息を零す。

 

「ああ──ゴチソウサマでした」

 

 ──その言葉を最後に耳に残し、シャオンの命は尽きた。

 

 ■ 

 

「シャオンくん?」

「──ああ、いや、なんだっけ」

 

 まず最初に感じたのは竜車の揺れだ。

 次にこちらを心配そうに除くレムとクルシュの姿を見て、意識は覚醒する。

 恐らく、いや確実に死に戻った、のだろう……スバルが死んでシャオンも引っ張られたということだろうか。

 だがスバルには悪いが正直助かった。死に戻りが起きたからこそシャオン達は今を生きているのだから。

 しかし、竜車は止まらない。死に戻ったのは奇跡、二度目はないだろうと割り切り早急に対策を考えなくてはいけない。

 だが、どうする。

 『強欲』に対しては全力の一撃を持っても傷一つ与えられなかった。防御されただけでない。なにか、カラクリがあるのだろうがそれを見破る時間もチャンスもないだろう。敵は、彼だけではないのだから。

 袋小路の迷路に悩んでいると、目の前に座る女性、クルシュが口を開いた。

 

「──話すといい」

「え?」

「急に深刻そうな顔を浮かべたのだ、何か気がかりなことがあるのだろう。共に死線を乗り越えた卿の言葉を軽んじたりはしない」

 

 彼女の言葉を受けて竜車内の視線がこちらへ集まっていることに気付く。

 それもそうだ、彼女達からすれば先ほどまで話し込んでいた相手が急に深刻そうな顔で黙るのだから心配にもなる。

 だが、話さなくてはいけない事項だ、気づいてくれたのならば話がしやすい。

 

「……信じてくれるかはわからないけど、俺の優れた嗅覚が今の進路だと、何か嫌な臭いを感じて、あと。勘が、その、進路を変えたほうがいいんじゃないか、と」

「嗅覚?」

「ほ、ほんとうですクルシュ様! 事実、シャオンくんはその獣のような――」

「――嘘、ではないな」

 

 正直に話してしまい、胡乱気な目で見られてしまうがそこはレムのカバーとクルシュ自身の加護で信用を得てもらい事なきを得た。

 素直にそのまま話すとは、どうやら、思ったよりシャオンは焦っているのかもしれない。

 

「では進路を変えよう。勘というものは馬鹿にできない。それは培った経験が見出すものでもあるからな」

「信じてくれるんですか?」

「なに、少し王都につく時間が変わるだけだ。それに、白鯨の敵を討とうと魔女教徒が来ない可能性がないわけではない――奴らにそのような仲間意識があるのかはわからないが」

「感謝を」

 

 魔女教徒は必ず来る。

 クルシュの予想とは違い、理由自体が自身の欲求を満たすためだけの、他人をどうとも考えていない酷いものではあるが。

 クルシュは騎手に進路を変えるように告げる、これで『強欲』との遭遇は避けられるかもしれない、と考えたその時。

 

「――あれェ、予想と違うなァ」

 

 声が、聞こえた。

 聞こえてきたのは竜車の上からだ。

 目があった。

 この世全てを憎み、恨み、そして狂気が宿るどす黒い瞳だ。

 直後竜車の屋根を突き破り、現れたのは一人の少年。

 ぼさぼさの長い焦げ茶の髪に、布を体に巻き付けただけのような粗雑な格好。そして幼い顔立ちと悪戯な笑みに、腐り切った目の輝きをしている少年。

 魔女教大罪司教、『暴食』のバテンカイトスだ。

 予定よりも早く、後続からこちらへ忍び寄り、そして、今の話を聞いて割り込んできたというわけだ。

 

「行き先を変えるなんてさァ、些細なことでも予定と違うようなことしないでほしいなァ」

「貴様は――」

「魔女教大罪――」

 

 クルシュの問いに、礼儀正しくバテンカイトスが名乗りを上げようとしたその時、その口が忌むべき名を吐き出す前に、それよりも早く――

 

「へ?」

 

 不可視の腕を使って、『暴食』バテンカイトスを掴み、投げ飛ばした。

 間抜けな声を上げたバテンカイトスは竜車の外に飛ばされ、地竜の加護から外れ地面へと落ちる。

 バテンカイトスの体が数度跳ね、止まり、動かなくなる。死んでしまったのかと思わず考えてしまうだろうが、シャオンにはわかる。

 死に戻りを、一度その戦いを見ているシャオンならばわかる。アレぐらいで沈む相手ではない、と。

 

「先に行け! 進路を変えて王都へ! 早く!」

「だが、卿は──」

「事情は生きてたら話す! あの子供はアレくらいじゃ死なない! だから抑える役目が必要なんだよッ! 必ず先に行く! だから今はさっき指示した進路で、王都へ!」

 

 鋭い剣幕にクルシュは僅かに怯むが、即座に凛とした表情を取り戻す。

 

「卿一人で押さえられるのか!?」

「――できる」

 

 僅かな逡巡を経て絞り出した言葉を受け、クルシュが何かを口にする前に、

 

「――だ、めです!」

 

 声を上げたのはレムだ。

 

「なにか、嫌な予感がするんです。シャオンくんをここで置いていくと、何か、嫌な……取り返しのつかない、何かが、起きて。シャオンくんだけじゃなくて、皆で応戦すれば――」

「――――」

 

 ――驚いた。

 レムはスバルを想うだけの人物だと思っていたが、そうではないようだ。

 初対面の時の彼女では考えられないだろう、いや、あるいはこれが彼女の本当の姿なのかもしれない。

 誰かを想い、奮闘する優しい少女。

 その存在は今後スバル達を支える大きなものになるだろう。だから、ここで散らせるわけにはいかない。

 

「『信じろ、俺を』」

 

 レムの言う通り大勢で囲めば効率的ではある、がそれでは犠牲が多く出てしまうし、下手をすればこの先にいるであろう『強欲』と挟み撃ちになりえるのだ。

 今行うべきは竜車を止めずに『強欲』との遭遇を避けて王都まで向かうこと、そして、竜車を追いかける『暴食』を止めることだ。 

 『強欲』の存在をクルシュたちは知らない、事情を説明してしまえばペナルティがあるかもしれないし、何より時間がない。

 だから『魅了の燐光』を使ったうえで放ったその言葉が決め手となったのかレムは、

 

「――ウソ、ついたら、許しませんからね」

 

 下唇を噛むほどに、何かに抗いつつも、了承をする。

 そうして、シャオンを置いて竜車は王都へ向かっていく。

 

「……我ながら悪党になっていくな」

 

 そう呟きながら『魅了の燐光』の使用は今後控えたほうがいいかもしれないと考え始める。

 最初はデメリットがでかいからと抑えていたがそれよりも他人の意思を自由に操りうるこれは使うたびに、――自分の何か、人間として大切なものが失われていくような気がする。

 だが、今はその人間性を捨ててでも、挑まなくてはいけない人物がいる。

 少し離れたところに、失神しているように横になっているバテンカイトス。それに対し、

 

「起きろよ、暴食。竜車から落ちたくらいじゃ死なないだろう?」

 

 確信めいた言葉を受け、大の字になっていたバテンカイトスは勢いよく飛び上がり、こちらを丸い目で見つめる。

 

「――おかしいなァ、お兄さんとは初対面のはずだけど? 何で僕たちのことを『暴食』だなんてわかるのサ」

「見れば、分かる。意地汚さそうだからね」

「ふぅん。ああ、置いて行ったんだ、薄情だねェ。でも、ちょうどいいやお兄さんが一番食べごたえがありそうだからさァ」

 

 遠くにかけていく竜車を名残惜しそうに見つめるバテンカイトスだったが即座にシャオンへと向き直り、その獰猛な牙をカチカチと鳴らし、敵意を向ける。

 当然、話し合いなどは通じ無さそうだし、シャオン自身も行うつもりはなった。

 目の前の存在は、許してはいけない存在なのだから。

 

「さぁ! さぁ! さぁ! 食事会を始めようじゃないかァ! きっちりと、ナイフとフォークをもって! ああ、ああ、暴飲! 暴食!」

 

 そしてその存在は知性を何も感じさせないような叫びと共に、大きく口を上げて、シャオンへと飛びかかってきた。

 

 両腕に装備した短剣がシャオンへと襲い掛かる。

 即座にこちらもククリナイフで応戦をする。

 刃と刃がぶつかり合い、金属が削れる音と共に火花が散る。

 弾き、弾かれ、躱し、躱されを繰り返すなか、シャオンは舌打ちを漏らす。

 実力は拮抗していると見えたが、無傷で猛攻を続けるバテンカイトスとは対照的にシャオンの体に傷は増えていく。

 

「遅い、鈍い、全然、速度が足りてぇなァい! そんなんじゃさ、僕たちの、俺たちの、私たち全ての空腹を、飢餓を満足させることなんてできやしないッ!」

「誰もそんなことしねぇっての!」

 

 涎をまき散らしながら戦いを楽しんでいるように嗤うバテンカイトスにシャオンは焦りのこもった声で反論をする。

 子供と戦うことに慣れていないのもあるが、それよりも格段に戦いにくい。

 獣のように素早く動き、攻撃を避けるために極端に体を低く屈めつつこちらへ短剣を振るう。

 知性のある獣というのが目の前の怪物に対する評価だろう。

 

「あら残念、なら勝手にイタダキマスッ!」

「舐めるなよっ!」

 

 噛みつこうとした、その顔面を殴り抜く。

 子供に対して拳を振るうことに罪悪感がないわけではない──それよりも恐怖が勝ったのだ。

 故にその一撃に加減など考慮はされず、本来であれば首の骨が折れるほどの威力を持った一撃だ。事実まともに当たったバテンカイトスの体は遠くへ吹き飛ぶ。

 だが、

 

「ひどいなァ、おにいさん。僕たちみたいなか弱い子供の顔を容赦なく殴るなんてさァ」

「……その台詞は攻撃が効いている奴が言うべきなんだよっ!」

 

 即座に立ち上がり、変わらずそこにバテンカイトスはいる。

 衝撃を逸らされた、のだろう。

 確信を持てないのはその動きが卓越過ぎたものであり、バテンカイトスの反応からの推測だ。

 手ごたえはあった、だが堪えていない。それはシャオンと彼との力の差が数段階あるということだ。

 

「どうしたのさ、どうしたのかな、どうしたんだよ! さっきの勢いは口だけかなァ!?」

「く、ちばかりまわって。ここからだよ!」

「さっすがだね! でもでもでも!? もうだいぶガタが来てるんじゃァないかな?」

 

 口ではそう言いのけるが、バテンカイトスの言う通り戦況はあまり良くない。

 数度の打ち合いでわかったことは、目の前のバテンカイトス。見た目は子供だが、動きに戦い方、何もかもがシャオンよりも上だ。

 ──だからこそ、引っかかる。

 天武の才、身体能力任せで戦う、のとは違う。この動きは長年培ってできたものだ。

 その卓越した戦闘技法については偽装しているものではないが、隠せない違和感はある。

 

「考え事はよくないなァ! 判断を鈍らせて寿命を縮めるからさァ!」

 

 バテンカイトスはその小さな体を更に縮ませ、シャオンの懐へと忍び込み、両腕を下から上へと振上げる。

 防御は間に合わないと判断し、即座にシャオンは背後へと飛びのく。彼の小さな体ではその攻撃は当たらないものだった。だが、その瞬間、バテンカイトスは小さくつぶやく。

 

「混刀」

「腕が伸び──!」

 

 直後、関節を無理やり外したかのような、嫌な音共にバテンカイトスの腕が伸びる。

 必然、回避できる一撃だったものが射程範囲内に入ってしまう。

 

「ぐっ!」

「惜しい惜しい! でも、驚いたでしょっ! それじゃダメだ、ダメよ、ダメなのさぁ! 戦いっていうのは何が起こるのか分からないんだからァ!」

 

 放たれた変幻自在の手刀は、シャオンの腹を軽く裂いた。

 僅かに回避行動が遅れただけなのにまるで刀で切られたような、その鋭い一撃に思わずシャオンの意識が揺らぐ。

 

「──ッ」

 

 ここでシャオンが倒れてしまったら目の前の暴食の怪物は、クルシュたちを追いかけて行くだろう。それは駄目だ。

 そうだ、シャオン以外の人間は生物はすべてが優れているのだから。優先するのだ何よりも。全てがシャオンにはないもので羨ましく、全てがシャオンにとって大切なものだ。守らなきゃいけないのだ。

 ──価値の守護、それがシャオンに与えられた意味だ。

 

「あァ! 今の一撃で倒れないんて流石は英雄ッ! でも、もうおしまいといこうか、他にもまだまだ、まだまだ食べごたえがある逸材があるからさァ!」

 

 なんとか意識を保ったのもつかの間、目の前の怪物は容赦なくこちらへと、放たれた矢のごとき速さで踏み込み、そっと優しくぺたり、とバテンカイトスはシャオンの胸元へと軽く触れる。

 そして壊れない様に優しく、呟いた。

 

「──シャオン」

 

 バテンカイトスは触れた手、シャオンの血で濡れたその掌をこれ見よがしに見せつけながら長い舌で舐める。

 まるでそこに、何か『大切なもの』があるように。

 それを愛おしむように舌の上に乗せて、ざらついた感触で愛撫し、隅々までこそぎ取るようにして味わい、胃袋に落として容赦なく咀嚼。だが、 

 

「イタダキマスッ──!」

 

 ──その言葉と共に、それは起きた。

 

『暴食』の権能が有する力は、他者から『記憶』を、『名前』を奪い取り、咀嚼する力だ。

 非常に強力な力だ、だがその権能を扱うには、食事を行うにはしっかりとした手順が、『暴食』の食事の手順がある──『記憶』を奪いたい相手の名前を呼んで、相手の肉体から『魂』の一部を剥離させ、それをいただく。

 つまり喰らう相手の名前を知り、肉体に触れ『魂』の一部を奪う必要がある。

 触れて『魂』の一部を剥離できなければまず食事はできないだけだが、偽名を掴まされた場合はそれだけでは済まない。

 ──その場合相手の『記憶』と『名前』は奪うことが出来ないだけでなく、

 

「う、げェ……ッ」

 

 ──強烈な吐き気、激痛に襲われることとなる。

 劇薬を口にしたように、バテンカイトスは体を震わせる。

 他人の名前と記憶を奪い、身勝手に人生を楽しもうとした冒涜者は食事のマナーが守れずに罰を受ける。

 そして、そのルールを破った天罰というものなのだろうか、バテンカイトスにとっての悲劇はこれで終わらない。

 

「──権能が発動されなかったのは僥倖、というべきだね」

 

 その言葉にバテンカイトスは思わず顔をあげ、驚愕に目を見開く。

 ――目の前の男の姿が変わっていた。

 たなびく黒い髪は灰色になり、纏う雰囲気が変わっていた。

 無理矢理この世界に現れたような存在、本来ではここにいないような異物。そのような存在に変容してた。

 

「ボク自身に名前というものはないから、ああいや訂正しよう。ボクの名前、一応あるけど君はそれを知らない、知っている人物はもう恐らく生きていないだろうから知る由もない」

 

 感情というものがないような平坦な声。

 だがその裏にあるのはバテンカイトスさえ、恐怖を覚えるほどの圧力。

 先ほどまではどう考えても優勢だったバテンカイトスが、思わず後退をしてしまうほどの力。それを有する存在へと姿を変えていたのだ。

 

「シャオン、という名前は大切なものだ、けど忌々しい本名とは違う。雛月沙音のほうで引っかかるかと思ったけども、どうやら彼の本名も別にあるようだ」

「だ、れだ」

 

 吐き気に襲われながらも絞り出したバテンカイトスの問いに、男は少し考えるように口元をさわり、

 

「雛月沙音、というよりは戻りかけてる今ならこっちのほうがいいか」

 

 大げさな動きで、手を広げ改めて名乗りを上げる。

 

「ボクの名前はシャオン。オド・ラグナの化身であり、この世の価値を見定め──賢人候補を導く存在さ」

 

 ──怪人が笑みを浮かべ、バテンカイトスの前にたたずんでいた。




実はシャオン、テンパると弱いタイプです


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再臨、蹂躙、そして降臨

シャオンの戦闘回、です。いちおう。 


 

「おっと、まずは体を整えよう」

 

 男――シャオンは、軽く自身の体に触れる。すると、まるで何もなかったかのように傷がすべて消え去っていく。

 その速度も、技術力も治療魔法などではない、そんなレベルのものではないモノで、治療がされたのだ。

 

「お兄さんさァ、いったい何者なのサ?」

「ふむ。ボクの名は残されていないようだね、少し残念ではあるが必然だ」

 

 言葉とは裏腹にくつくつと喉を鳴らして笑う目の前の男。彼は先ほどまでの男と、同じ存在だと思えないほどに、邪悪、かと思うと聖人のような慈愛に満ちた雰囲気を混ぜ合わせたような雰囲気を醸し出していた。

――気持ちが悪い。

 この世全ての悪と、この世全ての善をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせてできた、そのような怪物だ。

 それでも、怯まずにバテンカイトスは立ち向かう。そんな気持ちが悪い存在であろうとも、未知の存在と言うだけでバテンカイトスの食指は十分に動く。

 

「いやいや、僕たち相手に偽名を使うだけの小賢しさがあるだなんて思わなかった。すっかり騙されたよ、お兄さんそういうの苦手そうなのに……『名前』を暴くまでがっつくのは避けてたつもりだったんだけど……まァさか、それを逆手に取られるだなんてね」

「正確には偽名を使っているのじゃなくて、本名が嫌いだからなんだけどね」

「どっちだって構わないッ! 俺たち、僕たちにはただ美味しく食べきることだけが第一さァ! それに、『権能』の正体がわかったところでどうなのかな? お兄さんの名前を知っている人物を探すのは骨が折れそうだけど可能性は零じゃない。そうだ、そうだよ、そうしよう! そこまでしっかりと保管して、じっくりと熟成しよう!」

 

 まるで新しい料理のレシピを思い出したかのように、長い舌をだらりと垂らし、服が汚れるにも関わらず、血が混ざった涎をまき散らす。

 ただただ『食』のことのみを考えている、その様子はまさに『暴食』。そして、

 

「そうして、そうやって、じっくり、コトコトと煮込んだスープのように、時間をかければかけるほどに、食した時の感動が濃厚になる――ああ、それはそれはとっても楽しみだッ!」

 

 堪えきれないとばかりに、勢いよく吹き抜ける風のような速さでバテンカイトスはシャオンへと飛びかかる。

 対して、シャオンは腕を下から上へ振上げただけだ。男の手には武器は持っていない、先ほどまで所持していた武器は遠くに投げ飛ばされており、何も攻撃にはならない。

 だが、直後。

 

「がっ、ぐぉ!?」

「ふむ、不完全だね。今の一撃で片腕ぐらい吹き飛ばしたかったんだけど……”刀”も”宝玉”もないし、仕方ないか。娘たちに貸し与えたものを欲しがるのはどうかと思うし」

 

 バテンカイトスの体が何か、鞭ようなもので勢いよく弾かれる。

 防御すら意味がない、内部から破壊する(・・・・・・・・)ような一撃だ。

 その威力はバテンカイトスの首筋から胴にかけて黒い痣ができていたほどに強い。

 

「あ、ぐ――ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃとさァ! 意味の分からないことをべらべらとしゃべってもサァ! 僕たちには理解なんてしないんだよぉ!」

「おや、これは失礼。先生の癖が移ってしまったかな。でも、理解しないなんてもったいない、君達にだって可能性は――」

「エル・ヒューマッ!」

 

 話の最中に予備動作無く、バテンカイトスが放ったのは氷の魔法。

 今までの肉弾戦とは違った、魔法による不意打ちに近い一撃。

 鋭く、ギラリと煌く氷の刃が十本ほどバテンカイトスの周囲に浮かび、目にも見えない速さで飛び、そしてシャオンに当たる直前、

 

「――解」

「――――は?」

 

 一言、その呟きで霧散した。

 すべて同時に、砕かれるわけでもなく、溶かされるわけでもなく、消滅したのだ。  

 理解できない光景を目にしバテンカイトスは唖然とした表情を浮かべる。

 それを見て、クスクスと笑いながらシャオンは説明をする。

 まるで出来の悪い生徒に教える教師のように。いや、事実この男にとってバテンカイトスとの戦闘は殺し合いにすらなっていないのだ。

 

「驚くことではないよ、魔法の練度がボクの解析能力よりも低かっただけだからね」

 

 指をクルクルと回しながら説明するその男の声がバテンカイトスには酷く遠くに聞こえていた。それよりも、目の前の男が何を言っているのかが理解できなかった。

 魔法の練度? 解析? いったい何を口にしているのかが全く分からない。

 

「さて、君の名前はライ・バテンカイトスだったね。当代の、あー、魔女教大罪司教『暴食』か」

 

 名前を呼ばれた瞬間、視界に、対象にとられたその瞬間にバテンカイトスの体がびくりと跳ねる。

 その姿は先ほどまでの捕食者としての姿はなく、狩られるだけの獣だ。

 

「因子の適合はあるみたいだけど、ダフネの後を継ぐ価値があるのかどうかはわからないな――だから、天秤にかけよう。ボクとキミ、どちらがこの世界に残るべき価値があるのか。見せてくれるかい?」

 

 折れかけた心をつなぎ合わせ、迫りくる脅威になんとかバテンカイトスは改めて牙をむく。

 自身の権能を最大限に用いて、目の前の脅威に抗おうと試む、全ては食事を、飢餓を満たすために。

 

「『双剣の蛇』ッ!」

 

 わざと、一度地面に短剣を落とし、視線がそちらに移動した直後、その短剣を素早く足で蹴り上げ、身を翻してキャッチして斬撃の嵐を 浴びせる。

 その連撃は曲芸に近い始まりではあるが、威力は保証付きだ。本来ならば後退し、短剣に近づいてきたところを奇襲するように放つ連撃ではあるが、効果は十分、のはずだった。

 

「おっと」

「――はァ!?」

 

 バテンカイトスの一撃は、いや斬撃は短剣を指でつままれて止まってしまう。

 その刃は指二つだけで捕らえられているはずなのに、引くことも、押すことも何もできない。連撃は初激すら与えられずに止められ、バテンカイトスの体は拘束されてしまう。

 追撃が来ると覚悟をするも、驚いたことにシャオンはその刃を離し、ポンとバテンカイトスを軽く押しただけだ。

 気を抜いたところに予想外の行動を受け、思わず尻餅をつく。

 

「ほら、次を見せてごらん」

「ふざけるなよッ!」

「ふむ、では『双剣の蛇』」

 

 その言葉と共にバテンカイトスの先ほどはなった一撃と同様の技が放たれる。

 いや、同様であり、同等(・・)ではない。

 違うのは短剣ではなく、手刀であること。そして何よりも別の技だと思ってしまうほどに、それほどまでに威力が、速度が違い過ぎていた。

 それを浴びたバテンカイトスの肉体は裂ける。だが、それだけで攻撃は終わらず、突きの余波により空気が裂け、鎌鼬のような風の刃がさらなる傷をつける。

 傷は当然深い、だがそれよりもバテンカイトスには問いただす必要が出てきた。

 

「な、んで。『権能』が無いくせにその技をッ!」

「簡単な話さ、誰かにできることならば、ボクもできるんだ」

 

 自嘲気味に、驚くべき事実を口にする。

 

「模倣の加護、と名付けられたからそう言ってるけどね。ああ、安心して。加護だから因子による権能は取れないよ、でもそこで諦めるほどボクは無能ではない。その成果とは違うけど、権能でも、加護の能力でもない。”全く別のもの”が生まれる、この世に唯一無二の物が生まれる」

 

 愛おし気に、見えない何かを抱きしめる。

 届かない星を見つめる子供のように、純粋で、どこか悲しみを、宿している瞳、救いようがないほどに光のない闇を。

 バテンカイトスでさえ、思わずひるんでしまうようなその闇を垣間見て、止まる。だが、

 

「例えばそうだね、現状の『怠惰』の魔女因子は当代の者が有しているようだけど……『不可視の腕』」

 

 その言葉と共に、バテンカイトスの体が地面へと沈む。

 無理やり巨大な手が頭の上から抑えつけてくるかのように、バテンカイトスを潰し続ける。

 もうバテンカイトスは戦闘する力はないだろう。だがそれはシャオンにとって攻撃を終わらせる理由はなく、ただただ彼の身体は沈み続ける。骨が軋み、手足がひしゃげ、ねじれ、血肉の破壊が絶叫として生まれる。

 

「ガぁ!? ―――――ッ!」

 

 一度吐き出した空気を再び吸うことすらできないほどの重圧。

 痛みよりも、酸欠で気を失ってしまいそうになるほどの、奇妙な事態。

 肋骨が折れ、肺に刺さる嫌な感触とあふれ出る血を感じ、涙が零れ落ちる。

 

「おっと、ごめんね。『癒しの拳』」

 

 不可視の重圧から解放され、穴の開いた灰に急いで酸素を贈る。

 バテンカイトスの疲労と、負傷が癒される。癒されてしまう。

 それが意味することは――また惨劇が始まってしまうのだ。

 

「ひっ、あ、ぐぅ……――『跳躍者ドルケルの縮地』ィ!」

 

 その負の思考を放棄し、代わりにバテンカイトスは一瞬で、近い距離、それこそ離れた距離を詰める。

 まさに、瞬きの合間にだ。

 惨劇が始まることはない、先に殺し、奪い、喰らえば済むのだ、それで、終わるのだ。今までもそうやって乗り越えてきたのだから。

 自暴自棄にも似た行動ではあるが、驚くべき速さでシャオンの首筋に対して短剣を振るう。

 その刃は柔らかいのその首筋に触れ――短剣が砕けた

 

「――! 『流法』って、どこまで!」

 

 今シャオンが行ったのは――マナを扱う戦闘技法、『流法』だ。

 頑健な肉体を維持し、刃や打撃を通さない技術であり、魔法と異なるマナの使い方を模索した技術体系の一種だ。

 ただ、その精度は今まで見たことがないほどに、高く、バテンカイトスには破ることが出来なさそうなほどに頑強。

 

「次は――『拳王の掌』はどうかな?」

「『絶掌』!!」

 

 シャオンの宣言通りに、まさに拳王と言う名にふさわしい拳が放たれる。

 間一髪ではあるが、放たれた拳に対して胸の前で合わさった黒い掌が挟み込み、貫こうとした一撃を押し止める。

 拳の接触は免れたが、直後。

 

「ほら、油断しないで、アル・フーラ」

 

 バテンカイトスの耳に、嫌な音が響く。

 風の塊が、シャオンの右手から放たれる……バテンカイトスが止めてしまった右手から。

 皮肉にも突き手を防いだばかりに、躱すことが出来ないその一撃は、まるでそれが本命のものだというばかりに、重く、あまりの衝撃に、足が地面から離れ、視界の端が血で赤くなる。

 爆発にも似たその一撃はバテンカイトスの腹を蹂躙し、収まった。

 目の前の存在は、勝ち目がない、勝ち目を作ることが出来ない。それだけでなく、負けることすら許さない。

 傷がついたのなら治され、また傷をつけられる。その行為に悪意はなく、純粋に価値を判断するだけの行為。

 明らかに異質。魔女教の大罪司教だってここまで歪んでいない。そんな存在を前にバテンカイトスがとった行動は一つ、

 

「ああ、それはだめだ。それは価値がなくなる」

 

 ――逃げ出すことだ。

 福音書の記述など、頭の中から完全に抜け落ち、今はただ、生き残るために、生存本能に従ってただただ逃げる。

 その選択が、一番やってはいけないことだとバテンカイトスは知らなかった。

 戦闘から逃げ出すことは、シャオンにとってこの世界からバテンカイトスの価値がなくなったということにつながる。 

 そんな存在はこの世から消す必要がある、ゆえに、ゆっくりと手を掲げとどめを刺そうとしたその瞬間。

 

「おや?」

 

 上がった声は疑問の声。

 その原因は逃げていたバテンカイトスの足が――がぴたり、と止まったのだ。

 それだけでなく、その後ろ姿が変化していく。

 肉が一度盛り上がり、反対に何度か縮みそして落ち着いたころに、彼女はいた。

 

「……君の名前は?」

 

 シャオンの問いに目の前の少女は振り返る。

 細く華奢な肢体に、透き通るほどの金色の髪はまるで、今の今まで世界から隔離されていたかのように混ざりけがない。

 可憐で整った顔立ちには、反転して悪意に満ちた表情が浮かんでいる。

 無垢で、混じりけのない、純粋な存在。それは――

「アタシたちの名前は、魔女教大罪司教『暴食』担当、ルイ・アルネブ……あは、お兄さんに興味を持っちゃったから、お兄ちゃんの体を使って無理やり出てきちゃった」

 

 新しく名乗ったのだ、その名を、表情に隠す気のない悪意を載せて。

 




あ、ちなみに前回出ていたテネポラは感想欄でも触れてくださった方がいましたが
元ネタはデネボラ。しし座の恒星2等星。アラビア語で「獅子の尾」


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怪人は去り、ウサギが跳ねる

「えっと、オド・ラグナの化身だっけ? お兄さん。そんなこと口にしちゃったら、頭のおかしい人だと思われちゃうよ?」

 

 からかうように、いや彼女、ルイは恐らく本心からシャオンを心配して忠告しているのだろう。

 ――オド・ラグナ。

 世界の根源に存在するマナの貯蔵庫。世界そのものを一つの生き物だとしたときの中核、世界にとってのオド。

 所謂太陽のような存在だ。それの化身だと宣うのであれば信じるよりも頭の病気だと考えたほうがまだ可能性があるほどだ。

 ただ、この少女にとっては少し勝手が違う。

 

「確かに嘘じゃないよねェ、それ。オド・ラグナみたいに全てが眼中になくてサ、平等で公平で贔屓目なしの無関心」

 

 つまらなさそうに目を細め、ルイはシャオンの瞳を指し示すように指を伸ばす。

 

「お兄さんの目は、それとおんなじなのサ。私たち、僕たち、俺たちにはよくわかる目だからさァ。心は読めないけど、嘘はついていないのはわかっちゃった。狂人だったら別だけど」

「ふむ、よく言われることだけど、君は他のみんなと違って理解が少し先にあるようだ」

「それもそうサ。私たちは『記憶の回廊』に閉じ込められているんだから」

「で、キミはもう一人の暴食を介してこちらの世界へと干渉してこれるわけだ。今の現状を見るとその暴食を助けに?」

 

「いいや、違うねェ。私たちが出てきたのは単なる興味。ただ、少し話をしたいと思ったのサ、あのままだとただお兄ちゃんは死んじゃうだけだし、私たちは死なないけど」

 

 そこには兄弟を思いやるような気持ちはなく、自身が目の前の興味を果たす手段がなくなることが怖かっただけだ。

 

「それに、お兄さんの記憶を味わってみたい気持ちも出てきちゃった……食べられないけど」

 

 食欲の化身。

 なるほど、とシャオンは納得がいく。ダフネとは別ではあるが確かに彼女、いや彼らであれば因子に適合することが可能だろう。

 それに、シャオンの名前を食べることに失敗はし、痛い目を見たのに諦めない意識は評価を大きく変える。ゆえに、

 

「――へぇ、少し興味がわいた。なら、その好奇心のままに実演をすればいい」

「聞き逃しちゃったのかしらァ、お兄さんの名前が取れないの、それともなぁに? 名前を教えてくれるって言うの?」

「ボクの名前は――」

 

 静かに告げる。

 もうしばらく、何年も何十年も呼ばれていないその名を告げる。

 何気ない行為、その何気ない行為を目の前の、『暴食』に行うということは――

 

「――お兄さん、頭おかしいんじゃないの? 私たち、僕たちの権能については知っているはずだよねェ? それとも何かの罠?」

 

 空腹の猛獣の前へ自らの体を餌として差し出すことと同じであり、先ほどは行えなかった食事が可能だということだ。

 ルイも冗談で言っただけの言葉だけに、この行動には驚きを隠せない。

 目の前の少年、シャオンが嘘を吐いているようには思えないが、今までにない存在にルイも確定はできない。

 そう、警戒心を隠せずに動けないでいるとシャオンが先に動く。

 

「どう捉えてもらっても構わないよ、ボクの目的はすべての存在の価値を守ることだ。強いて言うならばボクを食べて、君の価値の向上を図る。勿論、恐怖心が好奇心に勝てないのであればそれはそれで構わない」

「私たちが食べたらお兄さんの存在はこの世界から消える、それでも?」

「それに関しては大丈夫だよ、ボクは食べられてもすぐに別の存在を作る」

 

 当たり前のように存在を増やすことを行うシャオンに、ルイはもう驚くことはない。

 蛇が出るか鬼が出るか、はカララギの言葉だっただろうか。どうでもいい。

 今は、食欲と好奇心と恐怖心。それぞれを天秤にかけ――傾いた。

 

 

「ふふっ、どこまでも規格外だねェ――――イタダキマス」

 

『名前』をつぶやき、喰らう。

 反動がなかったことに加え、『記憶』の強奪には成功している。目の前の怪人は嘘を吐くことはなかったようだ。

 で、あれば今は記憶を読み取ることに集中すべきだ。

 頭の中に生まれた一冊の本を読み解くように、ルイは新たな『記憶』の掘り起こしに夢中になる。

 

「――え」

 

 瞬間、ルイを打ち据えた衝撃の大きさを、なんと語ればいいのだろうか。

 ありえないモノを見た衝撃が、ルイの小さな体を貫いていた。

 それは――、

 

「なんで、死んだときの『記憶』があるの? ううん、それだけじゃない。それだけじゃないよ、お兄さん。死んだ『記憶』があるのはもちろんおかしい。十分変サ。だけど、おかしい。だって……」

 

 それは、異常なことだった。

 

「二つの記憶、がある? これは、一体いつの? プリステラ、テュフォン、エキドナ、セクメト、カーミラ、ダフネ、ミネルヴァに、そして――嫉妬の魔女? なんで」

 

 見たこともない、いや、感じたことはある感覚。

 映るのは沈む体、親し気に駆け寄ってくる一人の少女、遠くで見守っている桃色の髪の女性。

 いつも怒っている女性に、だるそうに体をよこにしている女性。楽しげに笑う白髪の女性に、ただ貪り尽す一人の子供、そして――銀髪のハーフエルフ。

 

「なんなの、これは!? どういうことなの、これって!? 『記憶』は、妄想とは違うんだよ!? 『魂』に付着した澱は、自分の好き勝手に捻じ曲げられない! お兄さんが、ナツキ・スバルを通してみていた光景だッ!」

 

 自分の長い髪に指を入れて、ルイは燃え上がる衝動を爆発させる。

 一秒だって、この衝動を吐き出さないで溜め込んでおけない。それをした途端、ルイ・アルネブは爆発する。爆発四散して、精神が粉々になる。

 

「新しい……新しい新しい新しい新しい新しい新しい新しい新しい! 新しい価値観ッ!」

 

 それとの出会いだった。

 ルイの知らない、見たことも考えたこともない、想像を超えた代物との出会い。

 全身を稲妻に貫かれ、それ以外のことが何も考えられなくなる。これを、運命と言わずしてなんと呼べばいい。この感情に、なんて名前を付ける。

 とんとんとんとん、指で自分のこめかみを叩いて、ルイは『記憶』を骨までしゃぶる。これを逃してはいけないと、本能が囁く。

 勢いとどまることなく噴き上がる感情、それに抗うことなく浸かっていたルイは、不意にその可能性に気付いた。――否、自分の内なる声に耳を傾けた。

 知らない景色を知っていることも、未知なる世界の生まれであることも、確かにルイの好奇心という空腹を満たしてくれる極上のフルコースだ。

 

「――『死』の記憶」

 

 あるはずのない。絶対にあってはならない、『死』のその先の記憶がある。

 事実として『魂』が砕け散り、命が千切れ、息の根が止まったから成立する事象。

 決して戻ってこられない、今生とあの世との境目、三途リバーの向こう側。それを泳ぐでも跨ぐでもなく、奪われたはずの命をやり直している『記憶』。

 幾度もの『死』の経験が記憶として蓄積し、本来なら一度として『記憶』に刻み付けることのできないそれを、確かなモノとして次の己へ引き継ぐ。

 そうして『彼』は試練を乗り越えてきたのだ。

 

「ああ、でもそうか。起点はナツキ・スバルなんだ。あくまでもお兄さんは引っ張られている存在、でも『死』の記憶は引き継がれてる! それにそれに、どうして、あたしたちが『記憶』を奪っても平気なの? ああ、そうかお兄さんって私たちに喰われても大丈夫ないようにもう一つ作っていたんだったね、用意周到!」

 

 それは決して、ルイが得られなかった感動だ。さらに言えば、尽きることなく死に続けることが、『死』を重ねることができる力が、羨望の的だ。

 

「――欲しい」

 

『死に戻り』の力が欲しい。

 それは『死』を繰り返せるから、ではない。無論、その新鮮な感動もルイを惹きつけてやまない要素ではあるが、それ以上に重要なのは『やり直せる』こと。

 ――ルイ・アルネブは最高の人生を探している。

 そして、様々な人生を貪ってきたルイの導き出した結論、最高の人生とは裕福であることでも、大勢に愛されることでも、高い地位に恵まれることでもない。

 最高の人生とは、『思い通りになる』人生のことだ。

 何もかも、自分の信じた通り、期待した通り、願った通りのことが起きる。

 どんな不具合もなく、どんな不完全もなく、どんな不条理もない、完璧な世界観。

 それを実現する方法をずっと探していた。その答えはルイの中で延々と生み出されない闇であったが、ようやく、わかった。

 

「――『死に戻り』だ」

 

 それが手に入れば、嫌なことを、失敗を、取り返すことができる。

 未来に何が起きるのかわかっていれば対処できる。どんな失敗をするのか、どんな不条理が待つのか、どんな不完全と出くわすのか、わかってさえいれば。

 

「私たちは、最高の人生を生きられる――! 」

「本当に――?」

「え?」

 

 興奮するルイに水を差すような言葉はシャオンから放たれたものだ。

 そして、理解がルイに襲い掛かる。

 

―――――――

――――

――

 

 

「ぃ、やあああああぁぁぁぁぁぁあああああぁぁああぁああぁぁぁぁ――ッ!!」

 

 ルイは口を開け、叫んだ。

 力の限り、可能な限り、全身全霊を尽くして叫んだ。

 喉が痛み、肺の中の空気を全てだした後も叫び続ける。それが声にならなくても、気にしない、気にする余裕がない。

 なぜならばそうでもしなければ、押し潰されてしまう。恐怖に、脅威に、絶望に。

 何度も何度も、『死』を繰り返して進み続ける、狂人の狂気に囚われる。

 

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だ! 嫌だぁッ!!」

 

 頭を振り、地べたに倒れ込んで、後ずさりしながらルイは必死に訴えた。

 『死の記憶』、記憶は所詮、記憶でしかない。その瞬間の、その刹那の、その時々の、新鮮な衝撃は、手に入らない。

 だから、それを渇望した。『死』がどんな味わいなのか、それを渇望した。

 たとえ、『死』がルイが期待したモノより鮮烈でなかったとしても、『死に戻り』という権能を使い、やり直しが可能な人生を歩める権利で十分にお釣りが出る。

 そう、思っていた。――自分が『死』を理解するまでは。

 

「あんなの……あんなの、耐えられるわけない! あんな苦しみ! 喪失感! 耐えられるはずがない! 無理! 無理無理! 絶対に無理! 嫌だぁ!あんなこと、耐えられるのは人間じゃない! 化け物よぉッ!」

 

 幸せに、なりたい。

 幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。

 幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりた――かった。

 幸せに、なりたかった。

 それが、ルイ・アルネブがずっとずっと、思い描き続けてきた願い。

 それが、崩れる。それよりも衝撃的な存在を、記憶を味わい、刻み込んでしまったから。

 幸せに、なりたかった。だが、今は、今の願いは、違う。そんな贅沢は言わない、だから、どうかお願い、

 

「死にたくない」

 

 死にたくない。

 死にたくない。死にたくない。

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――。

 

「大丈夫だよ」

 

 そっと、優しく抱きしめられる。

 発狂しそうになる心はその声によって、正気を取り戻す。

 目を開くと優しく微笑みかける少年の姿。確か、シャオンと名乗った少年。

 そんな彼がまるで泣きじゃくる子供を落ち着かせるように優しく抱擁をする。

 太陽のように温かく、僅かに香るのは新緑の匂い。

 

「お兄さん、近い」

「おっと、ごめんね。こうすれば落ち着くって教えてもらったからさ……君は死なない。だってあの能力はナツキ・スバルだけのものだ、直接死の瞬間を味わうことはできないだろう」

 

 実際に流れていた時間は数分にも満たなかっただろう。

 だが、ルイの頭の中に流れていたのは数年分、数十年分、いやあるいはそれよりもはるかに濃密なものだっただろう。

 それは瞬きすら忘れ、潤いを失った瞳の渇きによる痛みを覚えてしまうほどだった。

 

「――さて、世界の逆転についてはボクの力ではない、あくまでも彼に寄り添うだけさ。だけど、君が望むのなら、ボクの力を少し分けてあげようか」

「死んでも、いや死にたくはないけどお断り……」

「そうか、それは残念。でもこれは受け取ってもらおうかな、覚悟を見せた分の報酬だ。これをもって君がこの先”価値”を向上し、世界を良くしてほしいという願望も込めて」

「何をするのサ? 死なないのなら別に構わないけど。どちらにしろお兄さんならわかっているだろうけど、何かやってもらいたくても私たちは精神体で、『記憶の回廊』に閉じこもっているからそんな簡単に動くことはできないよ?」

 

『記憶の回廊』から出られないというとは兄の体を借りて動くことでしかシャオンの願いはかなえられない。

 そして、そんなことを繰り返していればいつか体の支配権は奪われてしまうだろう。

 そんなルイの思考を先読みしていたかのように目の前の少年は口角を三日月のように上げる。

 

「――言っただろう? 誰かにできることならば、ボクもできるんだ」

「――――は?」

 

 疑問の声を上げたと同時に足元に感じるのは軽い痛み。

 この痛みは覚えがある。なぜならばルイが初めて兄の体に入ったときに真っ先に感じたものと同じなのだから。

 裸足で立ったことによる痛みだ、おそらく小石を踏んでいるからだろう。

 だが、そんな痛みよりも衝撃が、優先される。なぜならば、今、この瞬間自身の足で立っているという事実がある。

 ふと横を見ると兄であるバテンカイトスの体は、すぐそばに転がっている。兄の体を借りているわけではないつまりは――ルイ・アルネブは、この世界に受肉したのだ。目の前のシャオンの手によって。

 

「こ、んなことして、お兄さん大丈夫なの?」

 

 魔女教大罪司教である自分は『暴食』の中でも精神体故に活動はそこまで多くはなかった、だがこの肉体を得たことで被害は大きく増えるだろう。

 誰にでもわかる簡単な事実。やってはいけないこと。そもそもまともな人間であるのならば、行わない行為だ。だが、

 

「君自身が言っただろう? ボクはすべてを愛して、平等で、ただただ価値を高めるための存在だ。魔女教徒でも、王国でもボクは求められたら応えるし、正義でも悪でもボクはそれを人の真実として見ない」

 

 まともではない。

 迷わず言い放ったその返答はどこまでも平等で、規格外で、異常で、極限の他人思いの自分勝手。

 それは――オド・ラグナのあり方と近く、そしてどこか遠い。

 その歪な正体はまるで神々しくも思い、ルイが事前に彼の記憶を堪能していなければ思わず飲み込まれてしまいそうなほどに邪悪。

 

「――あはっ」

 

 異常、異端、だが抱擁されたときの温かさは嘘ではない。

 それに記憶を除いた時に感じたもう一人のシャオンの存在。あれは可哀想で、守ってあげたい。

 その両方を想うと、熱を体全体に感じる。

 この気持ちは恋なのだろうか、もしくは権能を発動した際に引っ張られたのだろうか。

 いいや、違うだろう。――この気持ちは恋だ、心臓が高鳴りを訴えているのだから。恋以外であるはずがない。そんな新しい芽生えを他所に、

 

「さて、ボクはまだ覚醒まで足りない。少し眠るけど、この体をよろしく」

 

 そう言い残し、意中の怪人は倒れ、寝息を立て始めたのだ。

 

「――いくらなんでも警戒心ないでしょ」

 

 そう、獰猛な笑みを浮かべ暴食は――

 

「ちょっと、くすぐったい」

 

 もぞもぞと頭の下でなにかが動き、少女のような甲高い照れ臭げな声がすぐ傍で聞こえた。

 驚きに視線を上げ、目の前の光景にさらに驚きが重なって目を見開く。

 すぐ真上、それこそ顔と顔が触れ合いそうな近くにその顔がある。それは上下が反対に見えて、「ああ、自分が逆さになっているのか」とどこかぼんやりと遠い感慨が浮かび上がる。

 これは、膝枕だ。それはいい、そこまでは理解できた。問題は、対象が――

 

「起きた?お兄さん」

「――『暴食』ッ!」

 

 跳ねあがるように頭を上げ、即座に戦闘態勢を取るシャオン。だが対照的に両手を上げて降参の意を示すのは目の前の少女、『暴食』だ。

ただ、そこにいた姿はシャオンが戦っていたバテンカイトスと違い、黄金色に輝く長髪に白い服。そして、なにより女性である。

 

「おっとと、慌てないでよ。シャオンお兄さん」

「うるせぇ! 暴食! 何のつもりだっ!」

「確かに私たちは暴食だけど、それぞれ名前もあるし、趣味嗜好も違うんだ――ルイ、アルネブ。今は私たちの名前だけでも憶えていてね」

 

 ルイと名乗った少女は少しだけ不満そうに頬を膨らませる。

 笑えない冗談を口にしている、と牙をむこうとしたシャオンの目に映ったのは彼女の背中の人物。

 顔は見えないが、それは一人の少年、いや先ほどまでシャオンを痛めつけていたバテンカイトスだ。

 つまり、彼女の言う通り『暴食』が二人、いるのだ。

 

「人間らしさがあってさァ、私たちはそっちのほうが好みかな? じゃあね、雛月沙音さん? 次はもっともっと私たちが、ううん。”私”が満足するように待ってるからね? あ、このお兄ちゃんは連れていくから安心してね」 

「……何が目的だったんだよ」

「私たちは幸せになりたい、死にたくもないんだよ、今のお兄さんにはわからないけどね」

 

 とんちのような言葉でシャオンの問いに応える。

 その態度はふざけたようでいて、真剣そのもの。

 だからこそ、警戒は解けない。その様子すらも楽し気にルイは笑う。

 

「あ、そうだ。とっても大きなプレゼントくれたからサ、お礼」

 

 バテンカイトスを乱暴に放り投げ、ルイは僅かに体を沈める。

 そして、瞬きをした一瞬の隙を狙って、こちらへと飛びかかった。

 完全に意表を突かれ、懐に入ったルイは、その影はシャオンの影と重なり――

 

「――ッ!」

「――ぷはっ。美味しい」

 

 貪るようなキス。

 そして、まるで相手を刺激するかのような、舌を絡ませてくるような、吐き気がするほど厭らしい接吻。

 空気が恋しくなりそうなほどの後、ようやくその小さな体を突き放すことができた。

 

「て、めぇ」

「酷いなァ、互いに初めてでしょ? 私たちお肉は少ないけど見た目はいいほうなんだからサ、損ではないと思うけど」

 

 照れた様に笑う類ではあるがシャオンは、シャオンだからこそわかる。

 その奥に隠れている欲望と、獲物を狙う『暴食』の本質を。

 そんな心の内を他所に薬指でルイは自身の唇を優しくなぞる。

 そして、名残惜しそうにその果実のように柔らかい唇から指を離す。

 

「じゃあね、シャオンさん。私たちは貴方にゾッコンだからサ、私たちが貴方を全部食べるまで、しっかりと生き延びてね」

「逃がすとでも――」

「情熱的なのは嫌いじゃないけどねェ『蠱惑の口づけ』」

 

 直後、ぐらりとシャオンの身体は力が抜ける。

 まるで、酒に酔った時のような熱が体中を支配し、合わせて平衡感覚がなくなり、地面へと頭から転ぶ。

 痛みはない。ただあるのはマナドレインにも近い感覚。

 薄れゆく景色の中、確かな事実がシャオンの中に生まれ、世界へ刻まれた。

 大罪司教『暴食』――ルイ・アルネブは世界に解き放たれたということを。

 

 意識が眠りという海から浮上し、覚醒という水面を突き破って瞼が開く。

 日の光は目覚めの眼球にひどく沁みて、ぼやけた視界の中で、僅かな振動と共に揺れる風景が見れる。

 そうして自分が今竜車で運ばれているのだと気づいた。

 

「――驚いた、予想より早く目覚めたな」

「クルシュ嬢」

 

 近くでシャオンの目覚めを見届け、驚きの言葉を上げたのはクルシュだった。

 状況が理解できないでいると、彼女はこちらを安心させるように小さく笑うと、

 

「安心してほしい、もう敵はいない。それとすまない、ヒナヅキ・シャオン。救援が遅くなった」

「ああ、いや大丈夫。クルシュ嬢……目が覚めた時は?」

「誰も居なかった、あったのは恐らく卿と『暴食』が争った跡だ」

 

 そうなると事の経緯としては、ルイが去った後に入れ替わりでクルシュたちが来たということだ。

 ある意味、幸いだろうか。あの場に彼女たちがいたとして、万全の状態ならまだしも疲労が取れていない状態で暴食に勝てる可能性は高くない。

  

「しっかりと王都へ『白鯨』は運び終えた……いまは卿を運んでいる最中だ」

「スバル達は? 無事に、倒せたのか」

「――先ほど、無事大罪司教の『怠惰』を撃退し、エミリアたちを救ったそうだ。今は私の屋敷へ向かっていると聞いている」

 

 心の中でガッツポーズをする。

 だが、それもつかの間の喜びだ。今後『強欲』と『二人の暴食』の存在を伝えないといけない。

 でも、今はほんの少しだけ警戒を解いて休んでいいだろう、王都へ着くまでは少なくとも。

 

 

「そう言えばレム嬢が見えない――って、彼女のことだからスバルの方か……言っちゃなんだけど犬みたいだな」

 

 一番懐いているスバルの無事、しかも英雄としての役割を果たしたのならば、喜びのあまりそちらへ向かう気持ちはわかる。

 勿論こちらの無事を確認してから向かったのだろう、少し寂しいことだが、かといってこちらに彼女が寄ってくるとそれはそれでむず痒いものがある。

 

「ヒナヅキ・シャオン」

「ん?」

 

 そんな感情を考えていると、クルシュは小さく、こちらの名前を呼び、その事実を、伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――レムとは誰のことだ?」

 

 




初めてのキスはルイ・アルネブ〜
カーミラ「は?」
アリシア「は?」

はい、第4.いや、3ヒロインでした。
あ、前の話や今回の話で分かったかと思いますが、あのシャオン。結構クズです。自覚ない。
そして、次回三章、最終話。


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希望と絶望の波紋

3章最終話です。また、もう一つ更新があります。


 それは――怪人がこの世界に顕現したのと同時刻。

 竜車に乗るレムにかかっていた『魅了の燐光』が解けた、その時だ。

 彼女の頭の中で何かが割れる音共に、意識が覚醒する。

 おぼろげだった意識は即座に臨戦態勢を取るように働きかけるが、今いる場所は竜車の中。

 周囲にもクルシュや他の騎士たちがいるが、まだ覚醒はしていないようだ。いずれは目覚めるだろうが。

 

「シャオンくんの能力が、解けた……信じろとは言いましたが」

 

 彼が持つ洗脳に近い能力は一種の強化にも使える強力なもの。あくまでも、彼の意識がある間だけだが、その効果は絶大だ。

 それが解かれた、ということはシャオンの身に危険が迫っているわけだ。

 

「――やはり心配です」

 

 クルシュにはばれない様にレムは竜車から飛び降り、シャオンの元へ向かう。

 自分でも思い切った行動だとは思う。能力を受けていた反動なのかもしれない。

 だが、スバルの友人であるシャオンの身を守るのは、己の意思によるものだ。

 ――嫌な予感は何時でも的中する。過去何度もあったように、自身の里が焼かれたときもそうだった。

 そしてそれを体現したかのようにレムの向かう先から、ひたひたと、足音を立てて一人の人物が現れる。

 石を遊ぶように蹴り、進んでくるのは悪戯小僧のように笑みを浮かべた人物だ。

 一見、それは小さな子どもに見えた。

 体格が小さいのもあるし、見えた顔立ちは若い以前に幼いように思えたからだ。

 ただしその感慨も、その少年の目を見るまでの気の迷いに過ぎない。

 ぼさぼさの長い焦げ茶の髪に、布を体に巻き付けただけのような粗雑な格好。

 幼い顔立ちと悪戯な笑みに、この世に存在するあらゆる毒を煮詰めたような腐り切った目の輝き――それは、決してまともな人間のする目ではない。

 そしてなによりその姿は――

 

「さっきの――大罪司教!」 

 

 それは、シャオンが引き受けた『暴食』の大罪司教と瓜二つの存在だ。

 警戒を抱かない理由はない、だがあちらはそんな様子すら楽しむように、

 

「嬉しいな、嬉しいね、嬉しいさ、嬉しいとも、嬉しすぎるから、嬉しいと思えるから、嬉しいと感じられるからこそ! 暴飲! 暴食ッ! 待ち焦がれたものほど、腹を空かしておけばおくほど! 最初の一口がたまらなくうまくなるってもんさ!」

 

 心底楽しそうに、心底嬉しそうに、裸足の少年がひたひたとステップを踏む。

 ずいぶんと達者に回る口からは、少し長すぎる犬歯が覗いていた。その仕草と、態度と、そして自己主張の激しすぎる台詞に、レムの脳が沸騰する。

 この想像が、この煮え滾る感情が、確かであるのならば、こいつは――。

 

「あっははァ、お姉さん。苛立ってる顔してるね、でもそれと同時に冷静に分析もしている。初対面のはずなのに俺達の危険性を十分に理解しているって感じだァ。ひょっとしてライにでもあってる?」

 

 声を張り上げたくなるのを堪えて、レムはあくまで冷静さを保とうとする。

 そんな彼女の冷静さをおちょくる様に、目の前の少年は体を大きく伸ばし、叫ぶ。

 

「僕たちは魔女教大罪司教、『暴食』担当、ロイ・アルファルド」

 

 少年が『暴食』を名乗った瞬間、レムは弾かれたように鎖を鞭のように振るった。

 風を切り裂き、相対する敵の顔面を容赦なく打ち据える。当たれば切断されるであろうその一撃を、

 

「金属の味はもう満足するくらい喰らったんだ、少し趣向を変えてほしいなァ」

 

 鎖を歯で食い止めた『暴食』が、いけしゃあしゃあとそう告げたのだ。

 

「別に俺たちは来るつもりはなかったんだ。でも、福音書の記述には従うべきだと思ってね。そうすれば僕たち、俺たちの空腹は少しでも満たされることは今までで証明しているからサ」

 

 ゲラゲラとすべてを馬鹿にしているように少年は噛んでいた鎖を、つまらなさそうに吐き出す。

 その鎖を手元へ手繰り寄せ、レムは何時でも二撃目を放てる態勢を取る。

 しかし、目の前の大罪司教、ロイはあくまでも会話を楽しもうとしているのか、警戒すらしていない。

 

「先に向かったはずのライがどこにも見当たらないのは気になるし、ルイに至っては返事に応じない……いったい何が起こったのか知りたいんだけど、お姉さん教えてくれない?」

 

 聞いたこともない名前は恐らく同じ大罪司教だろう。

 つまりは、少なくとも目の前の暴食と同等の存在が、大罪司教の実力を持つような存在が近くに、最低でも2人いることだ。

 その事実に驚愕は隠せないが、表情には出さずに逆に挑発するような笑みを浮かべ、応じる。

 

「――お前たちの下種な仲間はレムの盟友が引き受け、今頃倒している」

「へぇ、そいつはいいね! いいさ! 最高に楽しみさッ! ライを倒すぐらいの存在ならきっとそれはそれは香ばしく、味わい深く、珍味なんだろうねぇ! 僕たち、俺たち、私たちは今すぐに貪りに行きたいところだよッ!」

 

 仲間がやられたことを楽しむように暴食は手を叩いて笑う。

 言葉通りに長い舌を伸ばし、地面へ涎をまき散らすその姿は理性を感じさせないほどに、獰猛だ。

 

「でも、まずは食事と行こうか。その盟友さんは見当たらないことだし」

 

 ロイは右手に持つ短剣をこちらへと向ける。

 途端、負の感情が噴き出始め、嫌悪感で思わずレムの体に鳥肌と、抑えていた恐怖心がまたその姿を表そうとしてきた。

 

「ああ、ライがいないのはわかったけど、ところでさ、食事(・・)を始める前に重要なことなんだけどサ、アンタは誰?」

 

 その問いかけに恐怖心はどこかへと消えていく。

 レムは、自分は、一体何なのだろうかなど簡単なことだ

 ロズワール・L・メイザース辺境伯が使用人筆頭、名誉なことだ。

 親愛なるラムの妹、誇らしいことだ。

 だが、今のレムがここに立つ理由はどれも正しくはあるがどれも間違いだ。

 瞼を閉じる。そこに映るのは愛しい英雄、その彼が笑顔で笑っているその姿だ。

 ならば、名乗る名など決まっている、堂々と名乗ればいい。

 今この瞬間だけは、本当に名乗りたいとそう願う名前を――。

 

「今はただのひとりの愛しい人。――いずれ英雄となる我が最愛の人、ナツキ・スバルの介添え人、レム」

 

 白い角が額から突き出し、大気に満ちるマナをかき集めてレムに活力を与える。

 全身に力がみなぎり、鉄球を握る腕が蠕動し、氷柱が今か今かと呼び声を待つ。

 目を見開き、世界を認識し、大気を感じて、ただただ脳裏に彼を描いた。 

 

「覚悟をしろ、大罪司教。――レムの英雄が、盟友と共に必ずお前たちを裁きにくる!!」 

「重い愛だね、お姉さん。好み的にはライが一番気に入りそうなんだけど、僕たち、俺たちはさ、食べられるのなら何でも食べるのサ! だってそれこそ暴飲ッ! 暴食ッ!」

 

 鉄球を振り上げ、氷柱が打ち出されるのと同時にレムの体が弾けるように飛ぶ。

 それを迎え撃つように、ロイはその牙だらけの口を大きく開き、迎え撃つ。

 

「いつかその英雄も味合わせてもらうサ――じゃァ、イタダキマスッ!」

 

 ぶつかる、ぶつかる、そしてその瞬間、思う。

 願わくば、自分が失われたことを知ったとき、彼の心にさざ波が起きますよう。

 ――それだけが、レムの最後の瞬間の願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――寝台に横たわる少女の顔は安らかで、ただ眠っているだけのように思えた。

 普段は意識して引き締めているのだろう表情も、寝顔になれば年相応の幼さが垣間見える。

 

「――本当に、起きないんだな、レム」

 

 その名前を呼んでも彼女からの返事はない――シャオンが、暴食を取り逃がしたせいだ。

 スバルは大罪司教の『怠惰』を倒し、最善を掴み取ったはずだった。誰も彼も救い出し、目的を果たし、辛いこと苦しいこと悲しいこと色んなことを乗り越えて、消えない傷を負ったりもしたけれどどうにかできたはずなのだ。

 それなのに――自分はどうだ。

 レムたちを巻き込ませない様に、自身の強さに驕りを持ち、結果力不足によって大切なものを失う。

 最善どころか及第点も与えられない。

 

「大丈夫、シャオンきゅん?」

 

 静かで動きのない部屋、そこで自責の念に駆られているシャオンに声が欠けられた。

 ゆっくり振り返れば、部屋の入り口に立つのは短いスカートを揺らし、騎士の装いから解放されたネコミミを揺らすフェリスだ。

 もう一人は紺色の礼装を身に着けた男装の女性、フェリスの主であるクルシュだ。

 フェリスとクルシュはそれぞれの足取りでこちらへ歩み寄ると、立ち止まる。

 

「フェリスと、クルシュ嬢」

「……心情は察するが、急ぎ行うことがある。時は止まってくれないものなのだからな」

 

 ただ、彼女のレムを見る瞳は明らかに暗い。

 彼女自身も思うことはあるのだろう。それを汲んでかはわからないが対照的にフェリスは極めて明るい様子で話しかける。

 

「クルシュ様、そろそろ。シャオンきゅん、談話室においで。エミリア様もヴィル爺も、スバルきゅんも、もうそこに集まってるからネ」

「……ああ」

 

 小さく絞り出した声だったが、フェリスはそれを気にも留めない。

 いや、あえて気に留めなかったのかもしれない、彼はクルシュと共に談話室の方へ足を向けた。

 息を吐き、シャオンは小さく唇を噛んで目をつむった。

 尖っている。誰に対しても、今はひどく荒んだ感情でしか向かい合えない。だが、それを表に出してしまっては最悪だ。

 

「気分を変えなきゃ」

 

 頬を軽く叩き、いつもの表情の仮面をつける。

 その後、二人に続いて歩き出し、談話室へと遅れて入る。

 視線が自分に集まる気配を感じながら、部屋の中をぐるりと見渡す。中にいるのは今はいってきた自分達を除いて四名――エミリアとヴィルヘルム。それにスバルと、アリシアだ。

 そこに先に入ったクルシュとフェリスを加えれば計6人だ。 

 シャオンでここへ集まる面子は最後なのだろう。それほどまでに、気を落ち着かせるのに時間をかけてしまったのかもしれない。

 多少の申し訳なさと共に扉を後ろ手に閉めて、スバルの隣に腰を下ろす。

 

「シャオン……大丈夫か?」

「そっちこそ、酷い顔だ」

「元からだ……大丈夫。もう落ち着いてるよ――俺は、大丈夫だ」

 

 気遣わしげなスバルの呼びかけに、皮肉を込めつつも、口元をゆるめて応じる。

 その表情を見て、シャオンは思わず視線を反らしてしまう、今、シャオンはスバルを真正面から捕らえられない。

 不思議がるスバルではあったが、今は気にする必要がないと判断したのか追及はせずにクルシュへと向き直る。

 

「クルシュさん、悪いけど音頭を取ってくれるか? 一番上手そうだ」

「任された――それでは、主立った顔ぶれも揃った。改めて話をしよう。まずは――状況の再確認、といこう」

 

 と、小さく微笑みながら誰もが求めている議事を進行し始めたのだった。

 

 ――レム達が見舞われた状況は至ってシンプル、魔女教の大罪司教による襲撃、という話だった。

 白鯨戦後、スバル達と別れ、その遺体を王都へ持ち帰る途中、負傷者共々凱旋中だったレムたちは大罪司教による襲撃を受けたのだ。

 

「多くの討伐隊に関してはヒナヅキ・シャオンが迅速な対応をしたおかげで被害は少ない」

 

 大罪司教『暴食』による竜車への奇襲。

 それに反応できたのはシャオンの能力と、死に戻りの恩恵によるものだろう。

 被害もほとんどなく、死傷者で言えば0となり、ほぼ五体満足であるのだ……レムという一人を除いて。

 人数だけで言えば十分な成果だと言うものもいるだろう。

 ただ、その一人の価値が、シャオンたちに、いや、スバルにとっては大きすぎる存在だったのだ。

 それを知って、いや、こちらの表情から読み取ったクルシュが唇を噛んで眉根を寄せる。

 その表情に浮かぶ苦悶は、自身の不甲斐なさに起因しているものだろう。

 レムに対する記憶がないのに、心の底からの悔やみは彼女自身の真面目さゆえだろう。

 

「レムのことを、誰も覚えていないのは」

「『暴食』の大罪司教――その権能と見て、間違いないでしょうな」

 

 静まる部屋の中重々しく頷くのはヴィルヘルムだ。老人は険しい顔つきの中、鋭い眼光でこちらを見つめる。

 その結論に至るのは必然といえるだろう。

 

「『怠惰』の大罪司教を片付けたと思ったら、すぐに『暴食』だにゃんてお話ににゃらないよネ。働き者にもほどがあるって話じゃにゃい。まーあ、魔女教徒がこれだけ一斉に動き出すにゃんて珍しいことも、こうしてエミリア様が台頭してくるような珍事あってのことのはずだけどネ」

「やっぱり、わたしのせいなのかな」

 

 ふいに名前を出されて、エミリアが微かに目を伏せる。その彼女のかすれた呟きを、フェリスは「そうですネ」とためらいなく肯定する。

 

「ハーフエルフであるエミリア様の存在を、魔女教の奴らが見逃すはずにゃいじゃにゃいですかぁ。いつもは不気味なぐらい静かに隠れてる奴らにゃのに、あいつらが大騒ぎするときは決まってそれ絡みにゃんですから」

「魔女教って、半魔を嫌って、傷つける人たち、よね?」

「認識が甘いな」

 

 エミリアの問いかけにクルシュが強い口調で答える。

 

「嫌っている、では止まらない。奴らはハーフエルフを根絶やしにすることに執着している。今回のことはそれのほんの片鱗だろう」

「片鱗……それでスバルやシャオンも傷ついて。……だったら二人とも私の――」

 

――ことを恨んでいるのか、と続けようとしたのだろう。

 そんな言葉はシャオンやスバルよりも、アリシアやヴィルヘルムよりも誰よりも早く否定したのは、クルシュだった。

 

「一つだけ、言おう。エミリア、卿が自責の念に駆られる必要はない。勿論、そこにいる卿等の顔を見れば語る必要はないことだが」

 

 堂々と言いきるクルシュはそう言いながらこちらへと目を向ける。

 それに出遅れた勢いを取り戻そうとスバルが胸をドンと叩きながら乗る。

 

「そ、そうだよ! エミリアは悪くねぇ、悪いのは徹頭徹尾、あのクズどもだ。な、シャオン!」

「――――え、ああ。そうだな、エミリア嬢の所為ではないさ」

「……大丈夫っすか? 心ここにあらずって感じだけど」

 

 怪訝そうにこちらを見るのは先ほどまで沈黙を貫いていたアリシアだ。

 彼女自身も何か考えていたのだろうか、普段とは違って口数は少なかったのだが、シャオンの様子には目ざとく反応を示した。

 その視線は明らかにこちらを心配するような視線で、どうも歯がゆい。

 

「あー、とりあえず、話を戻そう。まず、レム嬢の現状は『暴食』の権能の仕業と考える。事実、遭遇したしね」

「二人の『暴食』だな」

 

 ライ・バテンカイトスとルイ・アルネブ。

 戦闘をしたのはバテンカイトスのみだが、不気味さはルイの方が上回る。

 そもそもシャオンの記憶ではバテンカイトスを撃退することは叶わなかったのだが、次に目を覚ました時には彼女が昏倒していたバテンカイトスを担いでいたというよくわからない状況。

 さらに言えば彼女からは好意のようなものを向けられていたのだ、不気味と思わない方がおかしい。もしかすると彼女がバテンカイトスを倒したと考えたほうがいいのかもしれない、理由はわからないが。

  

「権能、か……ペテルギウスのは『見えざる手』だったけど『暴食』も厄介そうなのは変わりなさそうだ……フェリス、レムの体は」

「はっきり言って、異常なし――その結果が異常だけど。どうやっても起きないのに体自体は寝てるだけの状態。完全に『眠り姫』の症状だよ」

「なんだって?」

 

 突然の比喩表現にスバルが眉を上げる。が、その疑問に答えたのはヴィルヘルムだ。

 

「王国でも症状の少ない病です。眠り続けている間は歳もとらず、ありとあらゆる生理現象が止まる。また、目覚めた話は聞いたことがありません。記憶のことを除けば、症状は酷似しています」

 

 まるで見たことがあるかのように、いや、実際に彼はその長い人生の中で近しい人物がそれにかかったのを目にしていたことがあるのかもしれない。

 追及できるほど、余裕はないが。

 

「ともあれ、詳しくはその『暴食』から聞き出すしかないってことすよね? 覚悟はしていたっすけど、結局魔女教とぶつかることは避けられないって話っすね。全員倒せばきっと誰かがなんとかしてくれるっす」

「お前のポジティブさはほんと尊敬するわ」

「立ち止まっていても仕方ないっす! ぶつかる壁があるなら壁ごと進む。だって、エミリア様を王にするのであれば避けられない問題っすから」

「猪突猛進体現者だな」

 

 からかうようにシャオンが言うが、アリシアは気にした様子もなく、何なら炎が幻視するようなほどの熱をもって叫んでいる。

 女性としてはどうなのかと思うが、今は、その明るさがシャオンには救いだった。

 

 

「ふぅ」

 

 一通りの話し合いを終え、今はクルシュ邸の一室にいる。

 疲れもあるし、正直休むべきなのだろうが、今後のことを考える必要がある。

 現在クルシュ邸の前には複数の竜車があり、中にはペテルギウス率いる魔女教から王都へ避難してきたアーラム村の人々が乗り込んでいる。

 大罪司教の討伐は成し遂げられ、既に屋敷と村の安全は確保されている、ゆえにその一向にシャオン達を加え、明日にはなってしまうがが移動を抜けてロズワール邸へ、村へと帰還する予定だ。

 使用人レムの世界からの隔離、それは雇い主であるロズワールへ伝えなければいけないことでもあるし、なにより、姉であるラムへも伝える必要がある事項だ。

 ――もしかしたら、長い付き合いであるラムならば、という淡い希望もあるが、気は重い。必然、体の重さも比例していく感じがする。今すぐに、ベッドに横になってしまいたい気持ちに駆られてしまう。

 そんななか、それを妨げるように扉が軽く叩かれ、声がかけられた。

 

「シャオンきゅん、入ってもいい?」

「フェリスか? 大丈夫だけど」

 

 開けられた扉の先には当然、声の主であるフェリスがいた。

 彼はニヤニヤとした表情でこちらを見ており、ろくでもないような用事なのかと考えたが、部屋へ迎え入れた。

 

「よかった、お取込み中だったら5分ほど待っていたけど、大丈夫だった見たいだネ」

「余計なお世話ありがとう、下の話なら苦手だからやめてくれ。で、本題は?」

「あら、意外に初心……なら、本題に入ろっか――後程主からも感謝の言葉を告げられるとは思いますが、それとは別に、此度の貴方様の働き、まことに感謝いたします……クルシュ様を助けていただいたこと、そして多くの命を救っていただき、クルシュ様の騎士として感謝の意を」

 

 ふざけた声は成りを潜める。

 彼は片膝をつき姿勢を低く保ち、首を垂れるその姿は恐らく騎士として最上級の感謝の意味。それを主以外に行うことの重さはシャオンも知っている。

 

「やめてくれ……多くは守れた、たしかに感謝されるべきなんだろうけど、俺は――レムは、守れなかった」

「シャオンきゅん……」

 

 礼を言われることは、受け入れることはできない。

 なぜならば、あの時の判断が間違えていたのだ。

 一人で立ち向かえると奢ったシャオンの考えが、間違いだったのだ。

 あの時の最適解は大勢で立ち向かうこと、そうすれば犠牲は出てしまったかもしれないが、今とは違った結果を生んでいたのかもしれない。

 

「俺の、傲慢さが原因で――救えなかった、俺の弱さが、すべて」

 

 もっと、シャオンが強かったのなら。

 もっと、シャオンが利口だったのなら。

 いっそ――

 

「ずっと考えていた……あそこにいたのが俺じゃなかったら、きっとレム嬢は――」

「シャオンくん!」

 

 フェリスの怒鳴り声でシャオンは負の思考から浮上する。

 彼自身も想像以上に大きな声を出してしまったことに驚いたのか、思わず口を押えている。

 部屋の中を沈黙が包み、気まずさだけが残っていた。

 そして、その沈黙を破ったのは作りだしたフェリス自身だった。

 

「……大きな声出してゴメン」

「……いや、こっちも、悪い、だいぶ気分が沈んでいて」

「仕方にゃいよネ、気持ちは十分にわかるヨ。力が足りなくて、届かない気持ちは私にもよくわかるもん」

 

「でも、ううん。だからこそ」とフェリスは真面目な口調で、こちらの目をしっかりと捉え語る。

 実感のこもった声色は幾度となく彼自身が味わってきた挫折故の重さだろうか。

 

「――救えなかったものもあるけど、救えたものも多いって、考えて、進んで。それだけは、忘れないで」

「――そっか、ありがとうな。気を遣わせた」

「気にしにゃいでね、同盟なんだから。あ、ハンカチいる? フェリちゃんの発破で泣きそうに」

「なってないからいらん」

 

 からかうフェリスの様子は先ほどまでの真面目な様子はない。

 今そこにいる彼は、いつものお茶らけたクルシュの騎士であるフェリスだ。その明るさに考える時間を取られ、思わず安堵の息を零す。

 しかし、その所為でシャオンは聞き逃してしまう――部屋の前から遠ざかる少女の足音を。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――こうして、それぞれの心の中に、波紋を残しながら。事態は進んで行く。

 暴食は野に放たれ、王に最も近い女傑は変わらず、賢人候補は戻れない理由が生まれ、怪人はようやく姿を現し始めた。

 物語は――明らかな変化を迎えていた。

 




はい、という訳でいろいろ変わってきた3章、終了です。
次から4章に入っていきますが番外編なども挟みます。
また、4章本編は5話ずつの投稿になります。しばしお待ちを。
また、番外編は前書きやあとがき、活動報告などにも投稿したことを伝えますのでご確認を。ではでは――ここからが地獄だ。


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愛の物語
蛇足、魔女の想い


 オド・ラグナの化身であるシャオン。

 魔女とは違うが、彼も残したものは大きい。

 例えば人工精霊。例えばミーティア。例えば魔法。

 そのすべてが驚くべき効果を持つものだ。当然世界にそんな影響を与えた彼の遺骨は悪用しようと思えばできる代物。

 だから、妹と共に、彼の遺骨は水の中に――

 

 とある屋敷の一室。

 そこの豪奢なベッドに横たわるのは白髪の少年、シャオンだ。

 そして、その横で甲斐甲斐しく世話をしているのは金髪の少女、彼女の姉ともいえる人物。

 憤怒の魔女、ミネルヴァだった。

 

「……熱が下がらない」

 

 ミネルヴァが、悔し気に横たわるシャオンの額に手を当てる。

 彼はその熱によって意識を失っているのか小さく唸るだけだ。

 そもそも今こうなった原因ですら、彼女にはわからない。共に世界を回っていたと同時に、シャオンが倒れたのだから。

 最初は風邪かと思い、彼が以前助けた家族から屋敷を借り、寝かせたが一向に治る気配を見せない。

 もう数日も寝たきりだ。

 

「――起きてよ」

 

 何度目かわからないが、拳を振上げ、彼に落とそうとする。

 彼女の持つ権能ならば――いつかは、

 

「やめておいたほうがいいよ、無駄なことだからね。キミもわかっているだろう?」

 

 その拳を優しく止めたのは、強欲の魔女、エキドナだ。

 ミネルヴァは止められた拳を力なく垂らし、零れ落ちる涙を隠しもせずに彼女へと尋ねる。

 

「エキドナ、なんとかならないの? アタシでも癒せない、この状態。アンタなら――」

「そうだね、心当たりはある」

「なら!」

「同時にどうしようもないことだともわかっている」

 

 怒鳴り声を上げるミネルヴァを遮るように、エキドナは静かに絶望の言葉を口にする。

 その言葉にミネルヴァは憤怒の言葉を吐き出そうとする。だが、エキドナの

 

「――ッ! でも何もしないなんて、できるわけないじゃない! もうっ! もう!」

「そうか、止めはしないよ。奇跡、なんてことも起きるかもしれないしね」

「――心にも思っていないことを口にするんじゃないわよ、エキドナ」

 

 珍しく静かな怒りをエキドナにぶつけ、ミネルヴァは屋敷から勢いよく駆け出していく。

 きっと何か別の方法があるのかもしれないと、彼女なりにできることを探して動くのだろう。

 聡明なエキドナにはそれが徒労に終わるのが見えているが、止めたと事で止まらない彼女だ、やらせるだけやらせることにする。

 

「それにしても、心にも思っていないこと、か……確かに奇跡は起きないだろうね、だが起きてほしいと思っているのも事実だよ」

 

 それは、感情がない、理解できないエキドナでも僅かにある謎の気持ちだ。見る人が見ればそれが親ごころに似たものだというのかもしれないが、それを知る人物は今ここにはいない。

 彼女は、瞳を揺らしながら、己の弟子であるシャオンの、汗でべたついている髪を優しく撫でる。

 それは、彼の今の体力のなさと比例するように、力なく、細かった。

 

 シャオンが今このような状態にある原因は大きく分けて二つある。

 一つはシャオン自身が能力を過剰に使いすぎたことによる疲労。

 これだけならばオド・ラグナの化身ともいえる彼ならば時間をかけていけば回復するだろう。

 だが、

 

「……多分、君がシャオンを苦しめているのだろうね、ミネルヴァ」

「そうなのですか? 強欲」

 

 ひとり言に応えるのは、ベッドの下から現れた一人の少年だ。

 黒と白で統一された、いや統一というよりは黒と白、ちょうど二つの色のみで作られている一人の少年だ。

 右側が黒、反対側が白。肌と瞳の色さえも左右対称で色づけられたその存在は、知らない人が見れば気色悪さも覚えるだろう。

 エキドナも知り合いじゃなければ驚いて声を上げていたかもしれない。

 

「カロン、そこにいられるとさすがに驚くのだけどね」

「お気になさらずに、私も気にしないので」

 

 静かに抑揚のない声で答える彼の名前はカロン。シャオンが作り出した人工精霊の、失敗作だ。

 失敗の理由としては感情の欠如などがあるが、それよりももっと致命的な理由がある。

 だが、いまはそれよりも、

 

「君が気にしなくてもね……乙女の、しかも魔女の話を盗み聞くなんてどうなのかな?」

「失礼。どうせすぐ忘れます。それより、どういうことなのです? 憤怒の彼女が父上を苦しめているとは」

「簡単な話だよ、オド・ラグナの化身である彼は事実上の不死身。世界が終わらない限りは終わらない命だ」

 

 時間はかかるが彼の消費したマナは世界がある限り、補給される。それだけならば優劣はあるが誰にでもある能力。

 だがシャオンはそのマナの配分を自由に操ることができる、それが彼の持つ『本質』だ。

 『模倣の加護』というものに頼っているが、彼はその気になればそんなものに頼る必要などないのだ。

 ただ、それを使えないと権能に似た能力を使えないから頼っているだけ、というのは以前彼から聞いた話だ。

 

「さて、でもすべてのことに例外はある。今回はそれがミネルヴァだ。彼女の権能は知っているよね?」

「ええ、癒しの力、憤怒の魔女因子と言う名前とは真反対ですよね。矛盾」

「矛盾はしていないよ、その説明はしないけどね。さて、その癒しの力は無限ではない、必ず何かを代償に発動する。わかるかな?」

 

 無から有を生み出すことができない様に、必ず何かを消費して物は生み出される。

 人知を超えた魔女であろうとその縛りからは抜け出すことができない。彼女の驚異的な力はその大きさに比例して『あるもの』を代償としているのだ。

 そんなエキドナの問いにカロンは少し考えた後に呟いた。

 

「……マナ、ですか」

「そうだね、でもそれじゃあ50点だよ。具体的には――」

「世界、オド・ラグナから無理矢理強奪したマナを使っているわけですね。承知」

「100点だ」

 

 説明を遮るような態度はあまり好ましくないが満点の解答を導き出した彼に、笑顔を向ける。

 

「なるほど、であれば父上の天敵であるのですね。彼女は」

「そうともいえるね。彼女が生き方を曲げない限り彼は弱っていくだろう。第一……」

 

 あの彼女にこの事実を伝えたところで人々を癒すのを止めないだろう。

 魚に対して地上で生きろ、鳥に空を飛ぶな、人に呼吸をするなと言うようなことと同義。

 もしも彼女が聞き入れたところで、今度はシャオンが許さないだろう。

 彼はミネルヴァが癒すことを止めたのなら『価値』がなくなったと排除にかかるに違いない。

 どう転んでも、エキドナにとっては大切なものが失われるのだ。

 

「何故それを伝えないのです?」

「――伝える必要性はないだろう?」

 

 何か伝えれば変わるのかもしれない、だが伝えずに彼女と彼が知恵を振り絞れば見つかる打開策もあるかもしれない。

 前者のほうが治る可能性は高いが、後者のほうがエキドナにとっては好ましい結果になるかもしれない。

 

 ――とことん欲深い性格だとエキドナは心の中で笑う。 

 

「……ああ、そうですね。貴方はそう言う人でした。強欲……それは?」

「ミーティアだよ、シャオンが作った。空間をそのまま削り出し、残すものらしい」

 

 カロンが指差したのは1つの小さな箱。それをエキドナは見ていたのだ。

 見たこともない形に、触ればわかることだが恐らく今までにこの世になかったであろう材質。

 その箱の中央にあるのは1つの画だ。

 そこにあるのはいつかの光景。

 大罪の魔女と呼ばれる全員が、笑顔で笑っているものだ。

 緊張して強張っている者もいれば、怠そうに横になっている者もいる。

 だが、それでも各々の笑顔を浮かべながら、写っているのは事実だ。我が強い、あの魔女たちがだ。 

 驚くべきなのは、それを行わせた彼の人望だろうか。

 

「まぁ、このミーティアにはそれぐらいしか機能がないようなものだけどね」

 

 エキドナにとっては子供だましの代物だろう。

 きっと彼が長生きするのであればもっと改良して行けたのかもしれないが、恐らくそれは叶わない。

 もう、彼の命はそこまで長くない。

 

「――これが、彼が最後に作ったミーティアになるかもしれない。師匠としては大事に保管したいものだ」

 




ミネルヴァが直し続ける限りシャオンは苦しみ続けます。


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記憶の断片

いつかあった記憶の、物語の一部。
色欲の魔女は世界を愛で満たそうと、人あらざるものたちに感情を与えた。



 シャオンが倒れてから数日、カーミラは呼んでいたエキドナが来る前に残された仕事を終えようと、最後のマナを注入する。

 すると、赤と青い色の蝶の髪飾の色が僅かに混ざり、紫のような、桃色のようなものへと変化する。

 それを見てカーミラは疲労が混ざりつつも表情を明るくする。

 

「や、やっと作れた。すこし、疲れ、ちゃったけど、これなら」

「何ができたのかな? この忙しい時に人のことを呼んだんだきっと素晴らしい――」

「あ。え、エキドナちゃん。え、えっと、これ、は」

「――驚いた」

 

 彼女に呼ばれた場所を訪れたエキドナは目を丸くしつつ、カーミラの手に持つ髪飾りから目を離さない。

 それもそうだろう、きっと今自分が持つこの髪飾りは見る人が見れば目を剥くほどの『マナ』が込められているのだ。

 

「なるほど、マナの保管庫だね。それがあれば確かにシャオンは延命できるだろう」 

「う、うん。これがあれ、ば。ミネルヴァちゃんが、し、死ななくても、き、きっと大丈夫、だとおもう、よ」

 

 シャオンと出会ってから毎日込めていたマナの結晶。

 いつかもらった蝶の髪飾り。自分とシャオンの二人分、その二つにマナを、1日で入れられる限り注入したものだ。

 一体何日かけたのだろうか、眠らない日もあっただろう。そもそも髪飾りが壊れてしまうのではないかと、不安でもあっただろう。間に合わない、と悲観した日もあったに違いない。

 だがようやく、今この瞬間をもって、この髪飾りの許容ができる範囲でのマナを注入できた。

 おそらく、これは使い方を誤れば国1つ軽々しく滅ぼすことができるだろう。

 でも、そんな使い方をするつもりはない。

 

「それで、これから渡しに行くのかい?」

「う、うん。でも、もう一つは、シャオンくんが本来持っていたものはもう、マナが定着しているけど、わ、私の方の髪飾りは、まだ、かかるの。す、少し時間を置かないと、た、たぶんマナが、漏れちゃうか、ら。その」

「ふむ、でもその片方で十分に彼の命は救えそうに見えるけども?」

「た、たぶん。片方の、髪飾り、で十分だと、お、思うけど。も、もう一つのこの、か、髪飾りはね、保険、なの。え、えっとね。もしもの時、があればその、エキドナちゃんにお願いがあって、きてもらったの」

 

 その願いの内容は、驚くべきものだ。

 自分を中心とした考えの、全ての人間を嫌って、恐れ、愛した彼女が発したその願いはエキドナへまっすぐに向けられた視線と共に届かせる。

 ――これも、シャオンが与えた変化なのだろう。

 今までの彼女であれば、きっと起きえなかったこと。

 そもそも、すべてを平等に見るシャオンであれば嫌うことはないと踏んで二人を会わせたが、そんな彼に恋をするなんて、読めもしなかったことではある。ましてや、自身の命を削る(・・・・・・・)真似をするほどに入れ込むなど想像すらできなかったことだ。

 

「――わかった、数少ない友人である君の頼みだ。しっかりと果たそう」

 

 興味本位で彼女に会うように告げたのはエキドナ自身であったが、ここまで変化を与えるとは思わなかった。

 それで、あるならばきっと十分な見返りを与えても構わないだろう。強欲の魔女ですら読めなかった未知を見せてもらった礼としても、友人としても。

 

「必ず、来るべき時まで守られるよう、保管をしよう。キミが認めた人物が来るまで」

 

 そう――いつか、エキドナが作る『聖域』にて、本来の持ち主にわたるように。

 

 

「シャオンくん。えと、その。あの、お、起こしちゃった?」

「カーミラかな」

 

 視界がぼやける中、声だけで来訪者を当てる。

 どうやら彼女は見舞いに来てくれたらしい。

 体を起こそうとするも、骨がなるだけで動く気配はなく、呆れたように息を吐く。

 

「来てくれたところわるいけど――もう、長くないよ。ボクは」

 

 小さく笑うシャオンの様子に彼女は息を呑む。

 ここまで、弱っていたのかと。

 肌は死人のように土気色のように淀み、声は絞り出しているのがわかる解かれていた。

 目線も、定まってはいない。 

 

「ああ、これが死。なのか」

 

 僅かに開けていた瞳を閉じる。

 そこにあるのは、冷たく、暗く、何もない空間だ。

 いつか夢に見た完全な孤独の闇にシャオンは落ちようとしているのかもしれない。

 覚悟をしていた、なんていえない。

 正直に言うと、怖いのだろうか。  

 それすらわからないほどに、現実味がないのだ。

 ただ、ほんの少しだけ悲しみがある。みんなと会えなくなるという悲しみが。

 

「し、しなないよ。しゃ、シャオンくん」

「カーミラ?」

 

 その言葉の奥にあるのは確かな覚悟。

 気弱な彼女がたまに見せる、芯のある部分。

 こうなってしまえばテュフォンやミネルヴァでさえ超えているかもしれないほどの頑固さを持ってしまうことをシャオンは知っていた。

 

「大丈夫、大丈夫だから、わ、私が――絶対に助けるから」

 

 目を開けると、目じりに涙を浮かべているカーミラがそこにいる。

 彼女自身にも言い聞かせるように放たれたその言葉とともに、もう自らでは動かすことすら苦痛になるほどに、弱ったこちらの手をカーミラは握る。

 そして、そのまま彼女の胸の位置に持っていかれる。

 聞こえるのは確かな心音。ここにいる、一人ではない、と伝えるように優しく、奏でてくる音だ。

 

「――そっか、君がそう言うのか」

 

 その小さな手を握り返す。

 壊れそうなほどにもろく、けれど確かな温かさを持つその手は、握り返されるとは思っていなかったのか一度驚いたように震え、ただ、逃がさない、逃げてしまわない様に握り返してくれた。

 

「……なら、安心だ」

 

 本当に、少しだけではあるが。

 全てに平等で、全てに無関心だった自身の心が動いたような気がした。

 きっと、それは大きな変化ではないのかもしれない、だが、僅かに天秤は傾いた。

 

「カーミラ、少し話をしようか」

「う、うん。わ、わたしも。その、いろいろ、えっと、話がしたくて」

 

 自分に残された時間は少ないかもしれない。

 今、目を閉じ眠りについてしまえばもう目覚めることができないかもしれない。

 親愛なる魔女との別れになるのかもしれない、成長が楽しみな人工精霊たちとも会えないのかもしれない、なにより今この場にいる優しい彼女とも分かれてしまうかもしれない。

 だからこそ、できる限り、時間の許す限り話をしようと決めた。

 『他者愛』の塊である人形のシャオンは、カーミラに愛され、感情を得た。

 『自己愛』の塊である色欲の魔女カーミラは、人形であるシャオンに本当の恋をし、見返りに感情を与えた。 

――ようやく、彼は、彼らは人間になれたのだろう。 

 

 眠りについた愛しき彼を置いていくことに後ろ髪を引かれる思いで、部屋を出ていく。

 現在自分にできることは殆ど終えた、だがまだ残っていることもある。

 彼との、彼が笑う輝かしい未来のために、止まっていられない。

 

「――急がなきゃ」

 

 色欲の魔女は放浪する。

 発光する体質のせいでどこにいても目立ってしまう発光系薄幸少女。

 怯えた小動物のような態度はあらゆる男女の保護欲を、加虐心をくすぐり、色気を感じるはずもない貧相な肉体は容易く折れそうなか弱さを感じさせて喉を鳴らせる。

 彼女の持つ権能の前に、人は彼女以外の存在を意識することなどできない。彼女しか見えない。たとえ横から剣に串刺しにされようと。彼女しか存在しない。たとえ業火に焼かれる最中でも。もう彼女しか感じられない。本当の意味で呼吸すら、鼓動すら忘れてしまうほど。――彼女の前には、愛に溺れた幸せな死に顔ばかりが並ぶ。

 

「き、きっと、何か方法が、ある」

 

 彼女が出歩けば多くの人が死ぬだろう。だが、そんなことは彼女は気にしない。

 色欲の権能『無貌の花嫁』はカーミラの見た目、言葉を相手が求めるものへと魅せることが出来るものだ。彼女の意思など関係せずに、身勝手に。

 多くの人が幸福の中死んでいくだろう、だが彼女の本質を、本当の姿を、想いを気にしないのなら、カーミラが他を気にする必要もない。

 ただ気にするのは、心にあるのは一人の少年のみ。

 きっと、周りが見れば彼女が零す涙さえ美しく感じるだろう――その意味を知らない癖に。

 きっと、周りが見れば彼女が走る姿は保護欲を掻き立てるように、目に焼き付くだろう――愛する者のために傷ついた血だらけの裸足の足など誰も注目せずに。

 きっと、彼女は色欲の魔女、多くの国を堕落させ、崩壊させたと言い伝えられるだろう――そんな彼女の正体がただの恋した一人の少女などと、誰も思わない。

 きっと、彼女が、一人の少年のために命を懸けたことなど、誰も知らない。

 

 




次回から、本編です。質問等あればお答えします。


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ロズワール邸の変化

 揺れる竜車の中から見える空模様は曇天で、晴れる見込みはない。

 それが今のシャオンの、いやこちらの陣営の心情を表しているようだ。

 現在は街道を抜けて、村へ──ロズワール邸へ帰還する予定になっている。

 魔女教を退けてからも問題は山積みである。同盟の件も、今後の対応の件も、なによりレムの件もだ。

 クルシュたちには申し訳なかったが、あの屋敷にとどまっていても進展がないと判断しての行動でもあった。無論話に出していた村人の不安解消も兼ねているが。

 

「……」

「……」

 

 それにしても、空気が重い。

 ロズワール領へ戻る竜車の群れの中には、当然ながら行きの竜車で同乗していた村の子どもたちの乗る車両も含まれている。現在、子どもたちは親らと一緒の竜車へ乗っているはずであり、それらは聞かれては困る話もあるだろうと村人たちが率先して気遣ってくれた結果だ。その計らいがどうにも、裏目に出た感があるが。

 さて、どうしたものか──と珍しく解が出ないことに息を零し、視線を上げると、

 

「い、いやーそれにしてもスバルも欲がないっすね」

 

 空気に耐えきれなかったのかアリシアが恐る恐るではあるが話題を切り出す。

 それに気づいたのか、スバルもその話題の船に乗る。

 

「あ、なにがだよ割と強欲なたちだと思うぜ? 富、名声欲しいものは手に入れたい」

「アナが聞いていたら鼻で笑うっすね……その強欲の体現者が三大魔獣の内を一つ落としたのに、報酬として要求したのがその地竜なんて」

 

 白鯨の討伐に伴い多少の報酬を渡させてほしいと、クルシュに言われてスバルが選んだのは一頭の地竜だった。

 命名パトラッシュ、名付け親スバル。あの地竜は、白鯨との戦いから怠惰の討伐まで共にスバルと並んで戦っていた地竜らしい。

 その存在がなければ、きっと機動力のなさで何度か死んでいたかもしれないらしい、故に、

 

「命の恩竜っていえばいいのか? 付き合った時間は短くても死線を潜り抜けた仲だからな」

「腕が思い切り鱗で削られていたのは俺の幻覚か?」

「現実だよ、乗り越えなきゃいけねぇ……! 現実だ……パトラッシュも攻略ヒロインの一員だとは」

「ははっ、頑張ってくれっす」

「はは……」

「……」

 

 再び話題が、途切れる。

 どう新しく話の話題を出すべきか悩んでいると、

 

「なんだかひょっとして、話題がなくて困ってたりします? もうこの、重苦しい沈黙というかそういうのに僕耐えられないんですが」

「さらっと入ってきてなにを言い出すんだよ、お前。っていうか、いたの?」

「いや、誰っすか。アンタ」

「えぇ!? 説明してないんですかナツキさん! てか、一緒にいましたよね、説明受けてましたよねアリシアさん!」

「いや、アリシア。俺にも心当たりはねぇ、いつの間に乗り込んで……」

「ちげぇよ!」

「なるほど、意外と筋肉と度胸があるんだな、オットーもとい見知らぬ商人。なんのよう?」

「ヒナヅキさんに至ってはもう名前言ってるし! 商人だともわかってるし!」

 

 そう大げさに唾を飛ばし、ツッコミを放ちながら御者台との連絡口から顔をのぞかせた青年――魔女教との最後の戦いの協力者だったらしい行商人のオットー・スーウェンだ、

 帰路の御者を買って出て、ペテルギウスからの追撃を避けるのにも一役買ったらしい。油の購入やら色々と交渉もあったみたいだが、十分な取引だったと思う。

 だが、

 

「そもそも! ボクが何のためにナツキさんに協力したり魔女教に振り回されたりしたと思ってんですか!?」

「趣味とか?」

「ロズワール様に会わせてほしいとか……まぁ、趣味は人それぞれっすけど」

「そういう話じゃないはずなんですけどね! あんたら、僕のことなんだと思ってたりするんですかねえ!?」

「賑やかし系商人?」

「イロモノ」

「不幸の星に生まれた人」

「ひでぇ扱い!!」

 

 三者三様の反応を見て、ただ否定ができないのか、何とも言えない顔で目を剥くオットー。

 と、そんなやり取りを眺めていたエミリアは目を丸くして、

 

「なんだか……みんなすごーく仲良しなのね。びっくりしちゃった」

「おいおい、エミリアたんてばそんなのよしてよ。こんな金に飢えた亡者と一緒とか……俺は君からの愛にだけ飢えた亡者だよ」

「亡者じゃん! 亡者じゃん! っていうか、僕は亡者じゃないですけど!」

「オットー、うっさいす」

 

 騒ぎ出す行商人にため息をこぼして、アリシアは立ち上がるとつかつか前へ。そして連絡口の蓋を掴むと、

 

「あ、ちょっと、そうやってすぐに僕を邪魔者扱いして──」

「はい、シャットアウト!」

 

 アリシアに無理やりぴしゃりと音を立てて連絡口が閉ざされ、最後まで何事か叫んでいた顔が見えなくなる。

 手をはたいて一仕事を終えたアリシアの姿を見て、思わずシャオンを筆頭に、

 

「ぷっ」

「くっ」

「ふふっ」

「ひはは」

 

 互いに顔を見ているうちに、ふと噴き出して笑ってしまう。

 そのまま笑いの衝動に任せてしばらく笑声が弾け、それから静かにその声もフェードアウトしていく。そしてその笑声がやっと収まると、

 

「気まずい空気を読んで黙るとか、らしくなかったな」

「そうだな、スバルらしくない。こう、もっと空気を読まないで騒いでかき回す。それが俺の知ってるスバルだな」

「うん、私の知ってるスバルも、こうもっといつも元気で、無茶で、こっちの気持ちなんて全然関係ないぐらい気持ちよく騒がしい人だもん」

「カラ元気で空気が読めない奴っすね!」

「正確な翻訳ありがとう、聞きなれた言葉だから全く傷つかねぇぜ!」

 

 立ち上がり親指を立てて笑うスバルは先ほどまでのシリアスな様子はなく、いつものスバルだ。

 オットーの存在のおかげで場の空気がほぐれたのは事実だろう。

 本人も癪ではあるがそれを認めているのかオットーのいる方を数秒見つめている。口には出さないが、感謝しているのだろう。

 それから立ち上がったスバルは再び、当たり前のようにエミリアの隣に腰をかける。

 

「もうサッと、隣に座るよね、スバル」

「あれ、なんかおかしかった?」

「ううん。最初は恥ずかしかったけど、今はそうしてくれないと変な感じだから」

 

 好意のようなものをぶつけられて照れているのかスバルは照れたように頬を掻く。

 

「いやほら、いつもの俺でいこうと思うとついこういう発言が……しかしついに努力が実ったか……てか、俺だけでなくアリシアもシャオンの隣にほとんど座ってるだろ、同じ同じ」

「一緒にしないでほしいっすね」

「偶然だよ」

「そう、なの? だいぶ仲良しに見えるけど」

 

 言われてみれば彼女とは同僚でもあるが一緒に行動することが多い。指摘すると不機嫌にはなるが、でも離れようとしないのは何故なのか、とは言わない。

というか、尋ねたら一度「察してよ!」と怒られている。

 まぁ、確かに中は一番ではあるが、そんな仲ではきっとないのだろう。人を好きになったことなどないのだからわからないが。

 そんな思考の中、エミリアは「それより」スバルを逃がさない様に鋭く、それでいて落ち着いた口調で問いかける。 

 

「スバル――レムさん、レムのこと、気にしてるでしょ」

「たはは、ばれてるか」

 

 その視線に観念したスバルは苦笑し、寝台に眠るレムを見据えて、

 

「気にしてる。すっげぇ、気にしてる。どうにかしなきゃってずっと思ってるし、ずっと考え続けると思う。エミリアたんを一番に考えてたいとは思うけど……これは順番つけられることじゃねぇんだ。ごめん」

「そんなことで怒らない怒らない、私。そんな大事なことで怒ったりしないもの。……あの子がスバルにとって大事な人なの、見てればわかるから」

 

 スバルと同じく、眠るレムを見てエミリアが瞳を細める。それから彼女は唇を震えさせ、しばしの躊躇いのあとで、

 

「好きな子、なんでしょ?」

「大切、大好き。エミリアたんとおんなじぐらい大事」

「凄く勝手なこと言ってる自覚はあるか?」

「当たり前だ、正直最悪過ぎて死にそう。でも、嘘を吐きたくないくらいには本気の本気だ」

 

 シャオンの言葉にスバルは一切の迷いなく応える。

 きっとシャオンが知らない間にレムがスバルを支え、立ち直らせていたのだろう。

 最低と罵られても、レムの存在はスバルの中で大きくなりすぎてしまっているのだ、エミリアへの気持ちと同様なほどに大きく。

 

「わりと一途なつもりでいたはずなんだけど、あんだけ尽くされて心動かない奴ってもはや血も涙もないと思うんだよね」

「――きっと、見つかるはずよ。取り戻すための方法が」

「そう、だよな。いや、見つけるんだ」

 

 スバルの言葉に、シャオンも同意を込めて頷く。

 幸いにも命は失われていない、今はただ眠っているだけだ。

 だから、まだ届く。彼女を、救うことが出来る可能性は0ではなくなったのだ。

 

「――ねぇ、レムのことはスバルとシャオンなら覚えているのよね?」

「ああ」

「理由はわからないけどね」

 

 いくつか心当たりはある、だが確信はないし何より口にできるものではない。

 理由はわからないが、彼女の存在を覚えている人物がいるという事実が大事なのだと思う。

 その二人の言葉にエミリアは小さく頷き、

 

「なら、二人の口からレムの話を聞かせて。いやじゃなかったら、私も、きちんと知りたいの」

「あ! アタシも聞きたいっす! こう、どんなイチャイチャをしていたのかよ」

「今ので話す勇気が出なくなったんだが……あー、じゃぁちょっと長くなるけど聞いてくれ。エミリアたんと出会ってからの二か月と同じだけ、大切な思い出だから」

 

 そんな言葉の裏に隠して、スバルは二か月の日々のことを語りだす。

 シャオンもできる使用人同士しかわからない話を、スバルが知っていてシャオンが知らない話を。シャオンが知っていてスバルが知らない話を。

 それぞれが語りだす、彼女の存在は確かにいたのだと証明するために。

 ――明るい竜車の雰囲気とは裏腹に、シャオンの心は、深く沈んでいく。

 助けられなかった罪悪感と、無力感が締め付けてくる。

 誰も、それに気付けないまま竜車は走り続けていくのだった。

 

「──お二人とも、そろそろ目的地に到着しますよ」

 

 御者台のオットーからそう報告があったのは、王都を出率して半日後の夕方時だ。

 その連絡に一行は話を中断して窓の外に目を向ける。

 

「ほんとだ、思ったより早かったな」

「お話も弾んでたみたいですし、街道も快調に飛ばしましたからね。これで、暗くなる前に着けたから村の皆さんも一安心しているんじゃないでしょうか」

「いやー、村までにひと悶着起きなくて助かったっす。いっつも大抵何かあるっすからね」

「あ、おまえその発言でフラグが立ったぞ」

「フラグ?」

 

 コテン、と首を貸しげるアリシアにシャオンは頭を掻きながら説明をする。

 

「ま、口は禍の元ってこと。余計な想像は嫌なものを持ってくるんだ、口に出したらなおさら」

「でも結局起きるんだからあえて口にして臨んだ方がいいんじゃないっすかね」

「……お前のその前向きな姿勢は憧れるよ」

「褒めてもなんも出ないっすよ!」

 

 その小さな胸を張るアリシアに本気で感心と、呆れの視線を向けていると、

 

「みなさん──村に着きます……が様子が変です」

 

 オットーの不意の呼びかけに、慌てて視線をたどれば、道の先には目的の村が迫っている。

 見慣れた村の風景、人気のない村の様子は、住人たちを避難させたであろう直後の殺風景さそのものであり、更に言うならば、

 

「荒らされてもいない、ってことは村に、『聖域』に行ったはずのラム達が戻っていないと」

 

 竜車を降りて、村人たちと軽く村内を見て回った結論を口にする。

 

「ラムが言ってた『聖域』ってのは確か、こっから七、八時間の距離って話だったはずだが……王都で三日も居残ってた俺らより、帰りが遅いってどういうことだ?」

「魔女教を討伐できたっていう状況が把握できてないっすから、いまだに警戒してる可能性はないっすか?」

「領地見捨ててロズワールさんが? 俺の想定だと、『怠惰』くらいなら真正面からやり合ったら十中八九ロズワールさんが勝つ。戦わないしても……それにしたって、偵察ぐらいするだろ」

 

 或いは『千里眼』を使用できるラムがそばにいるはずだ、いなくても空すら飛べるロズワールなら、襲われた自領の偵察ぐらい簡単にできるはずだ。そして偵察する意思があれば、魔女教が一掃された屋敷周りの安全が確保されていることぐらいは確認できるはずだ。それがないということは、

 

「慎重策をとっている、とか……」

「『聖域』でなにか、問題でも起きてるか……? ロズワールがいないといけない理由、あるいは、出てこれない理由が」

 

 全員の意見が一致し、互いに顔を見合わせて頷き合う。いずれにせよ、『聖域』の状況を確認できなければ事情はわからないのだ。

 だが──

 

「……ちなみにエミリア嬢でも、誰でもいいんだけど、『聖域』の場所ってどこにあるかしってる? てか、どういうところなのかもわからないのだけど」

「俺に期待はしないでくれよ、名前しか聞いたことがねぇ、だがこっちにはエミリアたんがいる! ってことで解説ふくめよろしく!」

 

 スバルの言葉に自然エミリアへと注目が集まる。

 だが本人は、恥ずかしそうに視線を宙に彷徨わせながら、少しして申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「す、スバルがその、知っててくれるのかと。私も、名前しか知らなくて。秘密基地みたいなところだって、それに」

「それに?」

「……なんでもない、ごめんね、もう少し詳しく聞いておけば」

 

 

 矢や歯切れの悪いエミリアの謝罪に疑問を覚えるが、それよりも根本的な問題が目の前に転がり出ていた。

 肝心の『聖域』の所在地がわからないという、シンプルかつ大問題が、だ。

 最悪、屋敷中をひっくり返せば手掛かりがあるだろうか。

 

「いずれにしても、どうにかしなきゃだ。……とりあえず、屋敷の方に戻ろう。レムを落ち着かせてやりたいし。オットー、お前も泊まる場所ないだろうから屋敷だ」

「うええ!? へ、辺境伯のお屋敷に!? 竜車で寝泊まりする方がいっそ気楽なんですが!」

「うるせぇ、巻き込まれろ。もはや一蓮托生だ。死にかけるまで扱き使ってやるぜ」

 

 ぶつくさと文句を垂れるオットーを無視して、パトラッシュに指示を出すとスバルたちは村人と別れて屋敷へと向かう。

 自身も不安だらけなのに、彼らは気丈にもこちらを送り出してくれたことに感謝を示しながら、竜車を再び走らせること十分、街道の先に見えてくるのはもう何つかしさも感じるロズワール邸だ。

 

「つっても、やっぱ変化はなさそうだな。……ラムたちが戻ってる感じはないか」

「うぅ、もうあの荘厳さがボクの場違い感をだして……胃痛が」

「お前の胃痛より今は屋敷の状況だ」

「ひどい!」

「我慢してくれ。それにそこまでビビる必要はないよ、オットー。たぶんビビる相手もいないんだろうし」

「うぅ、確かに、そうかもしれませんが」

 

 凹むオットーをフォローしつつ、前庭に竜車をつけると玄関へ向かう。

 

「帰ってきたぜ、ロズワール邸。さあ、懐かしの我が家……」

 

 言いながら玄関の戸を押し開き、中を覗き込んだスバルの声が詰まる。

 その後ろからのぞくシャオンも同じだ。

 それははっきりと、予想したのとは別の形で出迎えられたことが原因だ。

 絨毯の敷き詰められた玄関ホール。上階へ向かう大きな階段の脇には高価そうな壺と、それを彩る花々が差し込まれている。天井からは結晶灯による照明が吊り下げられており、異世界風シャンデリアといっても問題はないだろう。

 その当たり前な光景が、予想していた光景とは違い――

 

「どうしたすか、二人とも……うぇ、綺麗に整えられてる!?」

 

 いつまでも進まない二人の様子を不思議に思ったアリシアが脇からのぞき、二人の心情を声に出して代弁した。

 そう、例えば絨毯は皺ひとつない形にピッシリと伸ばされ、階段脇の花瓶に差された花は瑞々しいまでの輝きを放ち、シャンデリアは丹念に舐めるように手入れされて結晶灯本来の美しさを増していた。

 その光景のあまりの違和に、言葉を失って立ち尽くす。

 あまりのことに度肝を抜かれたが故に、近くにいた人物の存在に気付くのが遅れてしまった。

 

「──おかえりなさいませ、エミリア様。お戻りになられるのをお待ちしておりました」

 

 即座に振り返るとそこにいたのは透明質な金色の髪を長く伸ばし、ピッシリと背筋を正した女性だ。

 年齢は二十歳前後くらいだろうか、長身をクラシックスタイルのメイド服に押し込み女性的な清楚さを体現しており、いかにも”メイド”という雰囲気を醸し出していた。

 見るものはその美貌に目を引かれるかもしれない。ただ、ただ一点、外からはっきりと見てとれるほどに鋭い牙の群れがなければ。

 更に言うならば緑色の瞳の瞳孔が獲物を狙い定めるネコ科の肉食獣のような輝きを宿していることも合わさって、プラスマイナス0、どちらかと言うとマイナス寄りになっている。

 だが、シャオンも世渡りは上手になった、そんなことを口に出すことはしない──

 

「顔怖ッ──!!」

 

 相棒はそうではないようだが。

 



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土下座とメイドと見えた希望

 ――土下座。

 それは、日本における謝罪の一つであり、一種の芸術でもある。

 その姿は見るものに思わず許してしまうような、そんな感情の変化を与えるような代物だ。

 ただし、これを会得するには恥を捨てる覚悟と、今後自身に向けられる視線がだいぶ酷いものになるリスクを背負わなくてはいけない、いわゆる諸刃の剣だ。それを、ナツキスバルはいま、目の前で行っているのだ――

 

「本当にっ! 申し訳ありませんでしたぁ!」

「えっと、なんでスバルは頭を地面とごっつんこさせてるの?」

「ごっつんこってきょうび聞かねぇな……いや、それは海よりも深くて山よりも高い理由が」

 

 そんな恐らくエミリアに伝わらない言い回しをするスバルにエミリアは捻っていた首を更なる疑問に首の角度を大きくする。

 それもそのはず、スバルの叫び声と共に入室した瞬間にその本人が頭を地面へとこすりつけているのだから。

 

「スバルがそこの女性に対していきなり顔を怖がってね、挙句の果てにそれを口にしたんだよ」

「……うん、それじゃスバルが悪いわね」

 

 エミリアは謝罪の対象である金髪のメイドと、スバルを比較し事情を把握したようで。

 エミリアは少し、いやスバルが謝罪はしているからだいぶ抑えているが怒りの感情を露わにはしている。

 当然、初対面の女性の容姿を『怖い』と言ってしまったのだから、失礼すぎるだろう。

 女性であるエミリアはシャオンよりもその気持ちはわかるのだろう、またすぐ後ろにいるもう一人の女性も。

 

「むしろそれくらいじゃ謝罪の気持ちが足りないんじゃないっすかね、ほら、めり込んでないし」

「なんかアリシアの俺に対する態度厳しくない? 一番仲のいいシャオンさんとこどう?」

「さっきからかったツケだっての、まぁ、初対面の女性に対してあの言い方はスバルが悪いのは事実だろうし」

「……さっきじっと見ていたシャオンも同罪っすけど」

「いや、そのそれはちげぇよ。うん、いや、わるかったけどさ」

 

 非難するような目線に思わずそっぽを向く。

 そこでようやく件のメイドが、エミリアとアリシアに苦笑しながら話かけた。

 

「お、おやめになってくださいまし、エミリア様。いいのですわ。わたくしが、わたくしが悪かったのでございます。お屋敷に呼び戻していただけたのがあまりに嬉しくて、調子に乗っていましたのですね。……自分が、人に好かれるような見た目でないことも忘れて」

「フレデリカ……」

 

 怒るエミリアの袖を引き、女性――フレデリカと呼ばれる彼女が顔を横に振る。彼女はエミリアを引くのとは反対の手で己の口元を隠す。

 その姿は亜人であること、その容姿で嫌な思いをしたことも慣れているのだろう。

 故に、改めて、

 

「初対面の初顔合わせで、いきなりひどいこと言ってすみません。寝起きだとか悪ふざけとか、女の人に許されないことしたと思います。煮るなり焼くなり……あんまり痛くはしないでくれると助かります」

「あー、うん。俺のほうも申し訳ないフレデリカ嬢。初対面の女性を値踏みするように見てしまったのは事実だ、本当に済まない」

 

 潔く、というにはやや弱気の目立つ態度でスバルと共に頭を下げる。

 互いに好印象とはいえないスタートを切ったのは事実。非は十分にこちらにある。

 言葉の通り、彼女の怒りが晴れるのならどんな処遇でも受け入れなくてはならない。できれば体の痛みはなしで、罵詈雑言で心抉られるぐらいにしてほしいが。

 だが、当人は。

 

「――ふふ、面白い方々ですわね」

 

 と、口に手を当てたまま笑顔を隠すフレデリカの微笑に押し流されてしまう。

 疑問符を浮かべる二人の前で、フレデリカはその透き通る金髪をいただく頭を下げて、同じような姿勢になると、

 

「わたくし、怒っていませんって言っておりますのに」

 

 袖で自分の口元を隠しながら、フレデリカは楽しげに笑って、こちらを許した。

 彼女は正座した足を崩すように、そして、

 

「いつまでも、事情を聞かずにいるのは無理がありますもの。私が呼び戻された詳しい理由も、旦那様の不在も」

「フレデリカ……そういえばちらっと聞いたことあったな。俺達が屋敷にくる少し前に辞めたメイドがいたって。屋敷きて一ヶ月だから……辞めて三ヶ月ぐらいか?」

「ああ、そうだね。スバルと体格も似ているって話だったけど。確かに」

「辞めた、というのは正確ではありませんわね。一身上の都合でお暇をいただいていただけですもの……思ったより早く戻ることになりましたわね」

 

 袖口で口を隠して笑うフレデリカ。そうして口元さえ隠してくれれば、美しい金髪にかろうじて凛々しいで通る眼差しも相まって麗しい女性そのものに思える。

 その要素も悪戯好きらしき性格と、牙の口がどうしても打ち消してしまうのだが。

 場所は変わらずロズワール邸のリビングで、今は名前以外の情報を簡単に交換したところだ。そうして、彼女の自己紹介を改めて聞くうち、その名前に聞き覚えがあったことを思い出したのである。

 

「呼ばれ、戻って屋敷にきてみればもぬけの殻でしたので驚きましたわ。幸い、旦那様の執務室に置き手紙がありましたので状況整理は容易に済みましたけれど」

「手紙?」

「ええ、ラムから。あの子から屋敷へくるよう呼び出しておきながら、ああして連絡業務を適当に……そこも、あの子らしいところだと思うのは甘やかし過ぎですわね」

 

 フレデリカの苦笑には年季の入ったものが感じられて、スバルは彼女とラムとの付き合いがけっこうな月日を刻んでいたのだろうと思う。それは同時に、きっと彼女の記憶からも消えているレムとも同じだけの月日を過ごしているはずで。

 

「そっか……」

「あー、ラム嬢がフレデリカ嬢を呼び戻したってのは? 魔女教に対しての緊急時の戦力ってのが妥当だけど」

 

 苦笑するフレデリカ。

 その笑みには年季に入った親しみがあって、彼女とラムの間にある信頼関係を感じる。つまりは、妹であるレムとも――というのがスバルの今の心情だろう。

 事実、シャオンもその考えに至ったのだ。

 先ほどようやくスバルが、いや全員が前向きな考え方をしていたのだ。で、あればまた暗くなることを避けて話を進めることは責められないだろう。

 つまりはラムはフレデリカを緊急時の戦力として呼び戻したと考えるのが妥当だろう。だが、

 

「――ラムの家事能力が壊滅的で、お屋敷がひどい有様になっていったから……よね。なんだか数日で、もうどんどん住める場所がなくなっていっちゃって」

「まって! さっきの妥当って発現訂正させて! なんか恥ずかしい!」

「そしてホントに口ほどにもねぇ……いや、あいつは自分じゃダメだって自己分析してた! 正しかったけど、少しは見返す努力しろよ!」

 

 深読み外れて恥ずかしさと、ラムの切実さに胸が張り裂けそうな理由だった。

 その様子とスバルの叫びにエミリアが苦笑し、それからリビングを――否、それを通して屋敷の全域を見通すように視線をめぐらせ、

 

「でも、フレデリカが戻ってくれたおかげでお屋敷が綺麗になってるじゃない。変な意地張って事情を悪くするより、できる人に任せるラムの判断は正しいと思うわ」

「エミリアたんにそんな気ないと思うけど胸に痛いよその台詞! そして、でもあいつが即行で諦める理由にはならないとも思うんだ!」

「ラムの評価はともかく、わたくしとしては久しぶりにやりがいのあるお仕事をさせていただきましたわ。幸い、皆様が留守にしていらしたので、お世話に回る時間の分も屋敷の清掃や片付けにあてられたんですもの」

 

 その働き者ぶりの片鱗を感じさせるフレデリカには凄みがある。そんな彼女の発するハウスヘルパーとしての実力に息を呑みながら、その一方で痛感せざるを得なかったのは『暴食』の権能がもたらす、レムの存在抹消による世界の埋め合わせの力だ。

 

「ラムひとりじゃ屋敷が回せないから、誰かを頼るのは当然の帰結……か」

 

 故に、ラムは辞職したフレデリカに連絡をとって屋敷へと再び呼び戻した。レムの存在なくして機能を維持できないロズワール邸を、それでも機能させるためにレムの代替品としてフレデリカを。

 何の疑問も覚えないまま、フレデリカは必要とされたことに応じ、ラムは何故急に彼女の力が必要になるほど自分と屋敷の間のキャパシティの違いがあるのかわからないまま。それだけの話だ。

 ……つまりはラムが、レムを覚えていないことにもつながる、が。

 そんな事情すら知らないフレデリカはこちらに「ところで」と声を落とし、

 

「屋敷の前に止めた竜車で、もう御者の方が一時間近く放っておかれていらっしゃいますけれど……よろしいんですの?」

「うん? ああ、オットーのことか。そうか、一時間も放置……うん、まぁ、いいんじゃない、別に。パトラッシュはちゃんと厩舎入れて休ませてやりたいけど、オットーの方はそんな気遣わなくても」

「死線を一緒にくぐった仲だったのに薄情もいいとこですねえ、ナツキさん! まさか僕ぁ地竜より優先度が下とは思いませんでしたよ!」

 

 言いながらリビングの扉を派手に開いたのは、今しがた話題に上がったオットーだった。肩を怒らせる彼はスバルの方を鼻息荒く睨み、不機嫌を露わにしている。

 そんな彼の出現にスバルはゆっくり立ち上がると、首を横に振って吐息をこぼし、

 

「違うな、間違ってるぞ、オットー」

「なにがですか。今さら、さっきの発言を撤回しようとかしても遅い……」

「地竜より優先度が下なんじゃない。地竜より優先度がずっと下なんだ」

「二番底じゃん! なお悪いじゃぁないですか!」

「ま、ま、スバルも照れてるだけだから……たぶん、おそらく、きっと」

「言いきってくれよ! 頼みますから!」

 

 フォローになっていないフォローに地団太を踏むオットー。

 その反応を見て、彼の存在はいじりがいがある弟のようなものだと改めて思う。実際の年齢はあちらの方が上かもしれないが、叩けば響く、ようなそんな性格。

 スバルもそれをわかっていたのか反応に満足して、窓の方へ視線を向ける。そっちが正門側で、つまりはパトラッシュ率いる竜車が止めてあるはずの場所だ。

 その視線のあとを追い、意図に気付いたオットーは渋い顔で、

 

「パトラッシュちゃんは厩舎に入れてありますよ。気位が高くて扱いづらい子ですけど、ナツキさんには迷惑かけたくないみたいで従順ですから」

「お前の口から聞くと『言霊』の加護の効力を疑うな。擬人化したらクーデレ系まっしぐらじゃねぇか、パトラッシュ。いつフラグ立ったんだ?」

「知りませんよ、んなこたぁ。それより……」

 

 真面目に尽くしてくれるパトラッシュの気持ちの発生源がわからず、首をひねるスバルにオットーが別の話題を振る。それは引き続き竜車の扱いのことであり、それはつまり――、

 

「中に寝かせてる女の子、どうします? 運ぶのは……お任せしたほうがよろしいでしょうし」

「――悪いな………ってかフレデリカにも説明しなきゃな。レムのことを」

 

 そう、スバルの口調は重くありつつもしっかりとしていた。

 ならば、彼に任せてもいいだろう。

 

「ま、話は道すがら。まずは竜車にいるレム嬢を部屋に、彼女の部屋へ寝かせてあげよう。まかせて、いいか?」

「わかりました、こちらへ」

「シャオンはどうするんだ? オットーがエミリアたんに何もしないのか見守ってくれるって言うのならぜひお願いしたいんだが」

「アリシアがいるから大丈夫だろうし、何よりスバルも彼がそんな度胸ないの分かるでしょ?」

「ああ、万が一があっても……いや、エミリアだったら大丈夫だな。んで、それじゃあどうするんだ? なにかやることでも」

「――ちょっと、魔法の専門家に聞きたいことがあってね」

 

 スバル達とは別の方向にシャオンは歩みを進める。 

 その間も思考は休めない。

 

「さて」

 

 スバルの話では屋敷からエミリアたちを避難させる前、クルシュの使者に持たせた親書は中身が白紙になっていた。あれは使者に同行していた魔女教徒がすり替えていたという説もあったが、魔女教がスバルたち一行の脅威を把握していたはずもなく、また親書をすり替えることによるエミリア陣営への不信感の植え付けなどと迂遠な手段を用いるとも思えない。相対してそんなまともな思考を持っている連中とは思えないのだ。

 なにより、それをするならば白紙であるより内容を改竄してしまう方がよっぽど効果的ではないか。

 ならばなぜ、親書は白紙になっていたのか。魔女教徒の手によるものでないとしたら、その答えはひとつだけだ。

 それが『暴食』の権能によって、記憶と名前を喰われた存在の辿る末路。

 世界からその存在を抹消されて、わけのわからない継ぎ接ぎだらけの世界が残る。意識しなければ気付けない違和感は、存在の抹消で意識することすらできない。

 その雑さは消滅自体が完璧なものでないことの証明、スバルやシャオンと言った例外を除いても知覚できる人物がいるかもしれないという可能性につながる。

 

「――例えば、世界から隔離された場所にいる人物なら」

 

――ゆっくりと、ドアノブをひねる瞬間にだけ息を止める。

 なんとなく、感覚があった。

 ふとひとつの扉だけがやけに意識に引っかかるようなことがあるのだ。

 

「どうなのか、と。思うんだけど。ベアトリス」

「主語がないのよ。それに――遅かったのかしら、いや早すぎたとでもいうべきなのよ」

 

 放たれた言葉は棘があり、彼女の性格を露わにしているようだ。

 だが、まるで、シャオンの入室が彼女の中で予想通りの展開であると裏付けるように、対面するように置かれた空席の椅子が一つに、白いテーブルの上には陶器のカップが二つ。

 その中に、今入れたばかりであることを証明する紅茶の湯気が、揺らいでいた。

 



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図星

まだまだ物語は動かない


 辿り着き、ドアノブに触れた瞬間に引っ掛かりは確信へと変わり、扉を押し開く瞬間にはなんの疑問もない。『ただ、そこにある』ことだけを受け止めて、部屋の中に足を踏み入れれば、

 

「さっさと入るのかしら、冷めるのよ」

 

 以前までとなにも変わっていない禁書庫が、その薄暗い部屋の主である少女もまた、変化のない姿でシャオンの正面――テーブルについて座るように促していた。

 

「……未来予知でもされてる気分」

「訳の分からないことをほざかないでほしいのかしら」

 

 ちらと視線を持ち上げ、彼女本人が淹れたであろう紅茶を口にしながら――ベアトリスがそう退屈そうに呟く。

 こちらのつまらない軽口にベアトリスは鼻を鳴らし、豪奢なドレスのスカートの中で足を組み替えるような仕草を見せる。それを目にしながら、ゆっくりと禁書庫内を彼女の方へ歩む。

 

「……ここしばらくの騒ぎは収まったと見ていいのかしら」

「ん、まぁ。一応」

 

 魔女教の襲撃、という一つの争いならば終了した。また新しい問題も起きてはいるが。

 シャオンのその答えに彼女は形のいい鼻を鳴らし、音を立てて本を閉じると椅子から立ち上がる。それから彼女は分厚い装丁の本を本棚に戻し、またすぐ隣の本を引き出そうと背伸びする。それを見て何の気無しに彼女に取ってあげる。

 

「はい、これでしょ」

「……生意気かしら」

「返すよ、そのまま」

 

 見てられないからの裏のない行動だったが、彼女のプライドが少し傷ついたようで、恨めがましい目を向けられる。

 それを右に流しながら手に取った本を渡すと、ベアトリスはそれを胸に抱えこみ、小さくつぶやいた。

 

「礼は、言わないかしら」

「はいはいどうも」

 

 少なくとも、礼を言うべき場面であると判断している時点で彼女の心優しさがうかがえる。

 魔女教やらなんやらと血なまぐさい輩を相手にしてきたこちらから見れば十分に癒しの存在だ。

 

「それで、なんのようかしら」

「紅茶を淹れて待ってくれていたんだ、言わなくてもわかってくれると助かるんだけど」

「お前の口から聞くことが重要なのよ」

 

――口の中が渇く感覚を覚える。

 シャオンの期待が外れようとも当たっていようともどちらでも構わない、強いて言うなら希望的観測でも当たってほしいのだが、もし違っていたらあるいは想定しているものよりも酷い結果が待っているとしたら。

 想像するだけで口が動かない、ここまで臆病だったのだろうか、自分は。

 いいや、隠さなくてもいい。レムを守れなかったことが響いているのだろう。

 だが、いまは動くべきだ――

 

「……ただ、その前にせっかく入れた紅茶を飲まないのは礼儀として最低なのかしら」

「あ、ああ。ちょうど喉が渇いていたんだ助かるよ」

 

 ベアトリスは非難するように湯気の立つカップとシャオンを交互に見、飲めと暗に訴えかけてくる。

 漂ってくる香りは心が休まるような温かさを感じさせる。

 このシャオンの様子に、対策であるような淹れられている紅茶。それすらも見通していたのだったら、恐ろしくすら覚える。

 シャオンの好みの甘さに調整されたそれはシャオンを落ち着かせ、勇気を与えてくれた。

 改めて、カップを置き、彼女を見据える。変わらずこちらをただ見ているだけでそれ以外の反応はない。

 

「ともかく、まずは改めて、無事でよかったよ。ベアトリス」

「それは、オマエの役割上の心配かしら?」

「――いいや、単純に友人として」

 

 その言葉に、それまで本に目を落としていたベアトリスの視線が持ち上がり、呆れたような声色でため息とともに言葉を吐き出す。

 

「オマエとはそんな関係にはなった記憶がないのよ……少しは勇気が出たかしら?」

「ああ、ありがとうね……ベアトリス、お前は……」

 

 息を呑み、目をつむり、心臓の鼓動に耳を傾ける。

 もしも、最悪の結果だったらということを考えるといまだに躊躇はしてしまう。

 だが、彼女にここまで御膳立てをされたのだ、いまさら吐いた言葉は止められない。

 だから、静かに、声を出した。

 

「レム嬢、彼女を覚えているか?」

 

 ――問いかけが音になり、引き返せない現実に弾けた。

 

 ベアトリスの禁書庫。

 それは所謂別世界であり、どこにもつながっていて繋がっていない場所だ。

 暴食が持つ権能が世界を書き換えるものであるならば、世界から離れていた場所にいるベアトリス、彼女ならば、権能が発動した際にこの場所にいたのであれば、レムのことを覚えているのかもしれない。

 

「答えてくれ。ベアトリス、否定でも肯定でも、それが真実なら受け止める」

 

 ベアトリスは静かにこちらの瞳を見ている。

 感情が宿らず、なにを考えているのか読み取ることができない。

 普段はあれほど、感情のわかりやすい少女なのに、今この瞬間だけはそれがまったく読み取れない。

 

「ベアトリス……?」

 

 なぜ、なにも言ってくれないのか。

 知っているでも、知らないでも、どう答えるにしても難しくない質問のはずだ。

 だから、彼女が沈黙を貫く理由がわからない。

 そして、疑問で頭を埋める中、ようやく彼女が小さな口を開き、

 

「――答えたく、ないのよ」

 

 ジッと見ていた視線をそらし、想像していない答えを返した。

 一瞬、思考が止まる。それから慌てて手を振り、

 

「ま、待て。答えたくないって……わからないってことか? 別にわからないことは恥ずかしいことじゃない、それが――」

「どういわれても、何があってもベティーの答えはそれこそ同じなのよ。答えたく、ない」

「なんだ、それ」

 

 腕を上から下へ振り下ろし、シャオンはベアトリスの前に一歩、強く踏み込む。

 椅子に座る少女はその激しい挙動にも目を向けず、固く唇を引き結んでいた。その頑なな態度に、焦燥感で焼かれていた心が燃え上がる。止まらない。

 だが、それに対して冷静に答える。

 

「お前が聞きたい言葉を、どうしてベティーが言ってやらなきゃならないのかしら。……あまり騒がないでほしいのよ。書庫が、乱れるかしら。第一――――オマエが本当に知りたいと思っていることじゃない」

 

 息が詰まった。

 想定外の答えを受けたから、ではなく、もっと別の理由で、シャオンの思考は止まり真っ白になる。

 それを見てベアトリスは一瞬申し訳ないように目を伏せ、詫びとでも言いたげに彼女は小さくつぶやいた。

 

「……お前の今の質問は、『暴食』に喰われた誰かのことを問い質す言葉なのよ」

「やっぱり――!」

「勘違いするんじゃないのよ、暴食の権能を知っていれば見当がつくかしら。ロズワールもにーちゃも……誰だって知っていることなのよ。それなりに生きているのならば知らない人がいないほどに、知られている恐ろしいことかしら」

「ロズ……!?」

 

 思わぬ名前が飛び出し、喉が思わず詰まる。

 ロズワールが暴食の権能を知っている――つまり、彼もまたレムを覚えている可能性があるということなのか。いや、それ以前に、

 

「……魔女教のことをどれだけ知ってるんだ? ロズワールも、エミリア嬢がハーフエルフだって知れ渡れば魔女教が動くってわかっていたはず。なのに、なにもなかったように見える」

「…………ベティーにはロズワールがどこまで考えていたのか計り知れないかしら。ただ、あれが……ロズワールがなにも手を打ってなかったってことはないと思うのよ」

「なら……魔女教の話だ。魔女教のことを知ってるってんなら、知ってることを洗いざらい話してくれ。今回のことで奴らとの戦いは必至となる。もちろん大罪司教のことも、『暴食』のこともそうだ。聞きたいことは山ほど……これのことだって」

 

 次から次へと、ベアトリスが知る立場にあるとわかれば聞きたいことが出てくる。

 だが、

 

「魔女教については、お前が知る必要はないのよ。それより、その白く染まりかけている髪の色。半端なところを見ると殺したのは、お前じゃなくて、あの人間ってことかしら。どちらにしろ、安心するといいのよ、魔女因子の移動は無事叶ったかしら」

「魔女、因子……?」

 

 ベアトリスの問いかけに、シャオンは眉間に皺を寄せて首を傾げる。

 その態度にベアトリスは怪訝な顔をして、こちらの感情を探し出そうとでもするように目を細めた。だが、心当たりはない。

 

「そんな単語初めて聞く、はず……それにこの髪は……」

「『導き手』のお前が知らないはずないのよ、それに知らないのだったら……なんでお前らは殺したのかしら」

「降りかかる火の粉を払っただけだよ、お前はなにが言いたいんだよ!」

 

 噛み合わない会話に痺れを切らし、声を荒げるシャオンだが、対照的にベアトリスの態度は静寂に近づき始めている。

 考え込むように唇に手の甲を当て、覚悟を決めた様に問いを投げてきた。

 

「オマエはどこまでわかって、いや。どこまで思い出せているのかしら?」

「――――」

 

 主語がない、だが、シャオンには何が言いたいのかわかる、わかってしまう。

 

「最初は気のせいだと思っていたのよ、でもその髪の変化、魂の、オドの変化、それに演じる必要がない、二人しかいないこの空間でここまで会話が成り立たないとなると、確信したかしら」

 

――違う。

 

「シャオン――オマエは」

「――違う!」

 

 その否定の声は今までで一番荒げたものだっただろう。

 その言葉を一つ出すだけで、心臓が痛み、呼吸が荒くなる。だが、彼女から続きを聞きたくないために、口早に二の言葉紡いでいく。

 

「何を言ってるのか、全く分からない。オド、魂の変化なんて、分からない。この髪は……無理をしたからだ、それか、暴食の……」

 

 能力の一つに違いない、と言いたい。

 混乱により、何もかもが抜け落ちた表情を浮かべるシャオンに、ベアトリスが憐れむ目線をこちらへ向ける。

 そして長く深く嘆息して、

 

「……今のお前が覚えているのかわからない。でも、これはあのバカと交わした契約の一つだから、教えるのよ。お前が本当に、全てを知りたいのだったら、その答えは『聖域』に向かうといいかしら」

「なに?」

「お前が忘れ……知りたいと思う場所。魔女因子の答えも、ロズワールの思惑も、全てがそこにあるのよ。欲しければ向かえばいい、場所は半獣のあの娘が導いてくれるかしら」

 

 なにひとつ、判然としない内容に縋りつくように言葉を振り絞ろうとする。だが、言葉を言い切る前に背後に違和感が生じた。

 ――それは、空間が超常的な力によってねじ曲げられる音だと、わかった。そう察せた理由はわからないままだったが、

 

「まだなにも聞けてないのに……」

「――ベティーは答えに至る道を示した。これ以上、ベティーに頼るのはやめるのよ」

 

 後ろ髪を引かれる――それは慣用句的な意味合いではなく、文字通りの物理的な力でもって肉体を背後へ引き倒そうとする。

 空間が歪む――首だけ後ろへ向けてみれば、いつの間にか閉じていたはずの扉が開かれて、こちらの身体を呑み込もうとしているのがわかった。

 風が吹いているわけでも、ましてや手足を引かれているわけでもない。

 だが、言葉にできない圧迫感が正面から全身に圧し掛かり、目には見えない引力が背後から手足を掻き抱くように連れ去ろうとする。

 

「俺は――」

 

 そのまま、背後の扉に吸い込まれるようにシャオンの体が扉を渡る。

 渡ってしまえば、禁書庫から追い出されてしまう。すんでのところで扉の端を掴み、半ば投げ出されながらも踏み止まった。

 息を吐き、歯を食い縛り、前を見る――正面に、悲しげな顔の少女がいて、

 

「もう一度だけ言うのよ、全ては『聖域』にある。お前の逃げたい真実も、犯した罪も、抱えた栄光も、ベティーとオマエの関係も」

 

 ベアトリスは目を伏せることでなにも応じない。

 そして、伸ばされる少女の指先が扉を掴むシャオンの指に優しくかかり――それを外した。

 吸い込まれる。投げ出される。締め出されてしまう。

 扉から、禁書庫から――ベアトリスという少女の、心から。

 

「――――」

 

 後ずさり、扉から吐き出されるように廊下へ飛び出す。

 追い出した扉が乱暴に閉まる。

 

「ベアトリス……」

 

 開いた扉の向こう側は禁書庫ではなく、使われていない客間の一室となっていた。

 ぐるりと視線を巡らせて邸内を見やるが、直感的にしばらくは会えないとわかってしまった。

 聞きたいことも、知りたいこともなにひとつ聞き出せず、なにも得られないで摘まみ出された。

 

「なんなんだよ……」

 

 答えを得られなかったこと、新たなる疑問に苛立ちを覚え、思わず壁を叩く。

 拳から血が滲み、痛みを覚えるが、それよりも、彼女の言葉を忘れてしまいたかった。

 

――――オマエが本当に知りたいと思っていることじゃない。

 

「――クソ」

 

 そんな、あり得ないこと、だが。図星を、突かれたのかもしれない、なんて思いたくなかった。




書き溜め分は終了…また溜めます


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彼女だからこその彼、彼だからこその彼女

 ベアトリスに追い出された後、シャオンは客間へと足を運んだ。

 そこには談笑しているエミリアとオットー、それを瀟洒に見ているフレデリカの姿があった。

 こちらの入室に気付いたのはオットーだ。彼は驚いたようにこちらを見て、心配そうに眉を下げた。

 

「あれ、ヒナヅキさん。どうしたんです、そんな疲れたような顔をして」

「君ほどじゃないよオットー、少し。ね」

「さりげなくあなたもボクに対する扱い酷いですよね……無茶はしないでくださいよ」

 

 そこまでに自分の表情は悪いものだろうか、と鏡を見るが確かに少しやつれているような気はする。

 どちらと言えば体よりも心の疲れではあるだろうが、やはり表面上にも出てきているようだ。 

 どこかでガス抜きでもできたらいいのかもしれない。

 

「ん、前向きに検討する。ところでスバルは? まだ戻ってきていないのか? アリシアもいないし」

「スバルは今ベアトリスのところに向かっているわ……私たちじゃ会うことが難しいのに、すごいよね」

「あー、なるほど」

 

 一度も彼の姿を見ていない、ということはわずかな差で行き違ったということだ。

 下手をすれば追い出した瞬間にスバルがベアトリスと出会っているのかもしれない、そうなると彼女の機嫌は最悪だろう。

 なにをするのかはわからないが、余計なことをしてしまったかもしれない。

 

「ちなみにアリシアさんはフレデリカさんに呼ばれてますね、メイドのお仕事がなんとやらって……あ、すいません。ボクはちょっとお手洗いに」

「あいよ、場所はわかる?」

「流石に文字は読めますよ」

 

 それもそうだ、と思いながらオットーを見送る。

 何か理由をつけて、彼を監視の意味も込めて共に行動しようとしたのだが、やめた。

 彼を完全に信用したわけではないが、今この場で何か盗みを行う、害をなすのはメリットとデメリットを天秤に掛ける必要もなく、どちらに傾くのかは予想できることだからだ。

 

「さて、と。私はお茶を入れますね」

 

 そう告げフレデリカはティーセットをもって部屋から出ていく。

 残されたのはエミリアとシャオンのみだ。

 さて、 

 

「……」

「……」

 

 気まずい空気がリビングに広がる。

 それもそのはず、シャオンとエミリアの仲は決して悪くはない、だが良くもない。

 友人の友人という関係が近いのかもしれない。

 その証拠にエミリアも何か話題を出そうとするも、思いつかないのか口を魚のようにパクパクさせている。

 

「え、っと髪の色、そのすごくなったね」

「あーうん、触れないでくれると助かる」

「ご、ごめん」

 

 きっと彼女も悪気はないはずだ。それどころかきっかけを出そうとしたまである。

 この髪についてはいろいろとわからないことも、何より先ほどのベアトリスとのやり取りの所為であまりいい感情を抱けていない。

 だから、語気が強くなってしまった気はある。

 全く関係ない彼女に当たってしまうような子供っぽさにイラつきながらも、一息。

 ちらりと横を見ると、先ほどのやりとりで彼女は委縮したのかもう口を開く様子はない。

 それでも何か、話題はないだろうかと考えていると共通するものが一つ。それは、

 

「――スバルは、凄かったかな?」

「え?」

 

 唐突な話題に、エミリアは鳩が豆鉄砲を食ったようなという表現が正しいような、間の抜けた顔を浮かべた。

 それをほほえましく見ながらもシャオンは話を続ける。

 

「俺の、友人のナツキスバル。王都で色々あったけどさ、どう?」

「――――うん、凄かった。びっくらぎょうてんに驚いちゃった」

 

 びっくらぎょうてん、なんてスバルがいたら「きょうび聞かねぇな」というツッコミが入りそうなセリフにシャオンも僅かに顔をほころばせる。

 それを見てエミリアも普段の調子を取り戻したのか、何度か会話の応答を繰り返す。

 最初は少なく、だが自然にリズムよく会話が続く。そんななか、ふと訊ねられた。

 

「そもそもスバルとシャオンってどんな関係なの?」

「簡単に言うと同郷の他人だよ、今だと俺から見たら友人だけどね」

 

 そう、ただの友人。

 もともとどんな生活をしていたかなんて、詳しく話すことはしなかった。

 その理由としてはいろいろあるが、帰る気持ちが強まってしまった場合のことを考えてだ。

 だが、少し落ち着いたら二人で腹を割って話してみるのもいいかもしれない。

 それで深まる中もあるかもしれないのだから――話題は、どうすべきだ、自分には――。

 

「シャオン?」

「あー、そうそう、でもスバルの性格だと巻き込んじゃうでしょ? 大丈夫?」

「あ、それ凄い分かる気がする。それもスバルの凄いところなのよね」

「そうそう、常に話題の中心にいるけどその話題を周りを巻き込んで大きくしていくところとかね」

「うん、今回の騒動もそうやって、多くの人と協力して解決しちゃうんだもん、すごいよね――私なんかに、もったいないくらい」

 

 エミリアが小さくこぼしたのは確かな弱音。

 本来ならば聞かせるつもりも、そもそも口に出したことすら気づかないものだろう。

 触れるべきではないのかもしれない、だが。

 

「――そんなことはないさ」

「え?」

「スバルの人を見る目は優れてるよ、きっと君に相応しいし、君も彼にふさわしいだろうよ。だから、互いに助け合っていって欲しい、あいつもあれはあれでまだまだ心配だからさ」

 

 シャオンは嘘を吐いていない。

 エミリアにはスバルと言う破天荒な少年が必要だし、スバルにはエミリアのような純粋な少女が必要だと思っている。

 二人であれば乗り越えるものも多いだろう、なによりその未来を、作る世界の『価値』をシャオンはみたいのだから。

 こちらの想いが伝わったのかわからないが、エミリアは少し考えた後言葉をかみしめるように何度か頷き、

 

「――うん、わかった。だったら頼って、頼られていく」

「その息だ、ってところで。だいぶ騒がしく戻ってきたな」

 

 ちらりと扉の先を見つめる。

 するとでてきたのは話題の主、といじられている憐れな商人。スバルとオットーだ。

 

「実際のとこ、なんでトイレから転がり出てきたんですか。隠し通路とかあったら怖いんですが」

「バーカ、そんなんじゃねぇよ。座敷牢はあるみたいだけどな、あ。こればらしたら首飛ぶから注意な」

「注意も何も何てことを教えるんですか!」

 

 話の内容から察するにベアトリスとの何らかの交渉を行い、失敗、あるいは同じように無理やりはじき出され、偶然トイレから出たオットーにぶつかりながら出た、と言ったところだろうか。

 だが、一応察していないようなふりをして、 

 

「お、スバルも一緒だったのか」

「ああ。ってお前がここにいるってことは」

「そ、行き違いだよ。んで、結果はこっちはあんまりよろしくない、そっちは……」

 

 首を横に振り、不満の意味を込めた視線でこちらを見るスバル。

 

「話はできたけど誰かさんのおかげでだいぶいイライラしていたみたいだぜ、あのドリルロリ」

「それはすまない、予定外だったんでね」

「だが、方針は決まった。内容を詰めようか、フレデリカ」

 

 

 

 

「……すみません、スバル様もご一緒だとは思わなかったので、すぐお茶の準備をいたしますわ」

 

 3人分の紅茶を持ったフレデリカは、スバルの目線をしっかりと受け止めて再びリビングへ戻っていくのだった。

 

「さて、今後の方針だけど、まずは聖域に向かう。これはやっぱり変わらない」

「うん、そうね。でもその場所が――」

「知っているだろ? フレデリカ」

 

 確信を持ったスバルの物言いはかまかけなどではなく、何らかの根拠があったものだ。

 それは、おそらくベアトリスとの会話で得たものだろう。

 確かにシャオンも先ほど――

 

「……」

 

 と、考えていた中フレデリカが貫くのは沈黙。

 だが、それで止まるほど自分たちは諦めがよくない。

 

「ネタはあがってるぜ……」

「話してくれると助かります……」

「え、えっと、んー!」

 

 三者三様の注目の視線を一心に受け、フレデリカは大きく肩を落とした後、降参とでも言いたげに両手を上げて首を横に振る。

 

「――――負けましたわ。皆様にそのような視線を向けられて断れるほど心が強くありませんもの……できるだけ口外は避けるように言いつけられているのですけど……」

「あのー、それじゃあ僕はこの場から失礼を――」

「皆様覚悟の上と見て話させていただきます」

「問答無用の覚悟!?」

 

 フレデリカとオットーとの漫談を他所に、フレデリカという女性が意外にも押しに弱いということがわかった。

 正直助かった、ここでごねられてしまってはあてずっぽうで聖域の場所を探すか、屋敷中を全てひっくり返して手掛かりを得る必要があっただろう。

 そうして、オットーも覚悟を決めた、決めさせた中、本題に入ろうとした時エミリアが「あ、その前に」と手を上げた。

 

「スバルにはお願いがあります」

「ちょちょちょ、タンマ! まさか、俺を置いてこうってんじゃないよね?」

「え?」

「あー」

 

 スバルの慌てぶりにシャオンは察した、というよりもいろいろ見てきたうえで過去と今が重なって見えたほどに覚えている。

 だが、ピンと来ていない当人は首をかしげる。

 

「エミリアたんがやる気になってるのもわかるし、その方針には俺も賛成だけど置いてけぼりは勘弁だよ。俺が非力で頭が悪いのはわかってるけど、それでもエミリアたんの傍で頑張れないのは嫌なんだって。わがままは承知してるけどさ!」

 

 必死で言い縋るスバルに、エミリアは目を丸くしている。

 紛れもない本心で、スバルはエミリアについていく。彼女の傍にいなくては、彼女を守れない。彼女のために動けない。

 自惚れでもなんでもなく、彼女を助けるために自分の存在が必要なはずだ。それは以前のように自分の価値の向上ではなく、ただ彼がしたいからという行動理念。

 

「止めたって無駄だぜ。俺はエミリアたんについていく。置いてけぼりはごめんだ。『聖域』だろうがロズワールが相手だろうが、俺の燃え上がる愛の前に障害は――」

「置いていくわけないじゃない。一緒にきて」

「ぶっちゃけ、置いてけぼりなんてやだいやだいやだい――今、なんてったの?」

 

 いよいよ床に寝転んで手足をばたつかせようかと思っていたスバルは、腰を落としかけた姿勢のままエミリアへ問いかける。

 それを受け、エミリアは口元に手を当て、わずかに顔を赤くしたまま、

 

「だから、一緒にきて。私ひとりじゃ、不安でたまらないから。さっきシャオンにも言われたんだけど、その、頼れるうちに、一番頼りになる人に寄りかかるべきだ、っておもったから」

「――――」

 

 その言葉にスバルが受けた衝撃は、凄かったようで、思わず口をぽかんと開けて押し黙っている。

 対するエミリアの表情には不安が走る。まるで子供のような表情だったが、その表情を彼女は、助けを求めるようにシャオンへと向けられた。

 

「えっと、その、どうしたの? 私、またなにか変なことを……」

「いいや、俺が予想したよりも100点満点の答えだったと思うよ」

 

 掌で顔を覆って、恐らく歓喜に震えているスバルもシャオンに同意を示しているのか、親指を立てるサインを行う。

 エミリアも以前見たことがあるサインだったのか、若干の困惑を残しながらも「よかった」と笑みを浮かべる。

 

「――お話は、まとまったようですわね」

「あ、ああニヤけた顔も元に戻った、とおもう」

「うん、元の三白眼だよ」

「うるせぇ糸目」

 

 と、話題を再開しようとするフレデリカに全員改めて向き直る。

 横でエミリアは疑問符を浮かべていたが、すぐに彼女も姿勢を正し、フレデリカを見つめる。

 その視線に首肯し、フレデリカはその翠の瞳で二人を見据えると、

 

「お伝えした通り皆様が『聖域』へ行かれることに異議はありませんわ。ただ、準備に少しばかりのジオ時間、二日ほどいただかなくてはなりませんの」

「準備って、ああ屋敷を開けるんだからそれくらい必要ですよね」

「いえ、わたくしは屋敷の管理がありますので同行はできませんわ。そもそも『聖域』へ向かわれるのは皆様のお役目で、私のものではありませんもの」

 

「おいおい、それじゃ一体にどうやって『聖域』にいけばいい?」

 

 まさかの同行拒否に唖然としていると、すぐそばで、自信満々に、腕を組んでふんぞり返るオットー・スーウェンの姿があった。

 

「ふっふっふ、察しが悪いですね、ナツキさん。そもそも――」

「なるほど、こんな大事な話の最中にオットーが同席していることがおかしい。つまりはオットーが案内役を担ってくれるわけだ。そして、魂胆はエミリア嬢と協力的に接して、後ろ盾のロズワールさんの印象を良くしたいと」

「ああ、確かに俺たちについてきた理由の本命はアイツとの接点作りのはずだしな」

 

 説明をしようとした出鼻を挫いた形でシャオンが手を叩いて納得する。それに追従する形にスバルも納得いったように、頷く。

 帽子がずれおちているオットーに、エミリアはこちらへ避難するような目を向ける。 

 

「ちょっと、二人ともオットーくんがそんなことをするわけないじゃないの」

「え、うぇ!? いえ、あの、そこまでこう清々しく腹の底を暴露されると……エミリア様の純真な目が痛い痛い! すみません! そんなところです! でも別に悪いこと起きないはずでして! 信じてくだされれば!」

 

 純真無垢なエミリアの眼差しに敗北し、開き直ろうとしても開き直れないオットーが自白をする。

 その態度にスバルはやれやれと首を振り、恐らくオットーへのフォロー半分疚しさ半分でエミリアの方を自発的にたたいた。

 

「ま、あんまりオットーを責めてやらないでよ。本当に心から善意で誰かのために行動するのって、エミリアたんは簡単にやるけど結構難しいんだ」

「そ、スバルみたいに誰かに尽くすのも下心が多いからね」

「オマエもな、シャオン。色々と策を講じて動いてるだろ」

「なんのことやら」

 

 肯定も否定もしない。

 商人のように割り切ることはできないが、少ない頭を回して動き、動かしているのもある。

 そもそも、スバルが言いたいことは、だ。

 相手によく思われたい。

 対人関係における行動は紐解けば、原点にそれがある。

 それがすべてではない、とは思いたいが言いきるほど長く人生を全うしてもいない。

 つまるところ、

 

「スバルが言いたいのは下心が見え見えのオットーの信頼度はだいぶ高いんだよ」

「おいおい、ばらすなよ、照れるぜ」

「本当ですか……? なんていうか釈然としないんですが」

 

 頭を掻いているオットーの顔には何とも言えない照れが浮かんでいる。

 どうやら、褒められ慣れていない、信用され慣れていないようだ。

 案外、スバルと反対の性格と思いきや心の底では同じなのかもしれない。

 

「オットーの協力了解。 今ここにいるメンバー、あっと。アリシアの奴も含めて話を聞きたいんだが」

「彼女は別のお仕事を頼んでおりまして、後程お話いたしますわ」

 

 フレデリカに連れられて行ったアリシアは現在別の場所で仕事を行っているようだ。

 彼女も戦力としては心強いものなので、聖域には来てほしいのだ。ぜひこの話し合いには参加してもらいたかったのだが、

 時間を見て話しに行き、叶うのであれば同行を願うことにしよう。

 と、考えているとフレデリカは咳を一つし、

 

「――時に、旦那様は『聖域』のことを皆様に何とお話しに?」

 

 ソファに並んで腰かけ、話を聞く姿勢になったシャオン達にフレデリカが問いを投げる。それを受け、全員が顔を見合わせると、

 

「ぶっちゃけ、ほとんど聞かされていない。断片情報だと、こっから少し距離がある秘密基地、だと」

「私は……いつか、私にとって必要になる場所って、前に一度」

「俺は……」

 

――全ては『聖域』にある。お前の逃げたい真実も、犯した罪も、抱えた栄光も、ベティーとオマエの関係も。

 

 禁書庫にいる彼女の言葉が、シャオンの思考を遮る。

 シャオンは、この世界の人間ではない。だから『聖域』の場所なんて知らない

 だが、『シャオン』自体がその『聖域』という場所にどこか引っかかりを覚えている。

 わからない、分かってはいけない。なによりも言語化できない、だから、

 

「――よくわからない」

 

 咄嗟に出た言葉は嘘ともホントとも取れないような霧の言葉。

 だが幸いにも周りからは追及されることなく流されていく。

 

「ま、シャオンは別行動だったからな。知らなくても仕方ねぇけど……エミリアたんのいつか必要になる場所って?」

 

 スバルの視線にエミリアは申し訳なさそうに目を伏せた。

 だが、スバルがそのことを問いただすよりも前に、

 

「旦那さまらしい、物いいですわね」

 

 微かに笑みをはらんだ口調でフレデリカは言い、目を閉じた。

 それから、彼女はその場でスカートを摘み、

 

「これよりお話ししますのは、口外無用の『クレマルディの聖域』の場所と入り方。そしてその『聖域』へ行くにあたって、忘れてはならない名前」

 

 この場にいる全員が彼女の語りに、息を呑む。

 それを受けてか、彼女はわずかに声の調子を落として、言った。

 

「――ガーフィールという人物にお気をつけてください。『聖域』において、お二人がもっとも注意して接しなくてはならないのが、その人物ですわ」

 

 開いた瞳に様々な感情を宿し、彼女はその名を口にしたのだった。

 



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吐露に喝を

フレデリカの宣言通り、『聖域』への出発はそれから二日後のこととなった。

 現状シャオン達ができることは出発までできることは少なく、久しぶりになるかもしれない、いやでも憶えた屋敷の仕事をこなしてその時を待つだけだった。

 そして今はアリシアともう一人と洗濯物を干している最中だ。

 スバルやエミリアも各々屋敷の仕事や勉学に励んでいることだろう。

 

「正直、今すぐ行きたいものだけど……」

「ま、ゆっくりと休めってことっすよ」

「お言葉に甘えて、って言いたいけどねぇ」

 

『クレマルディの迷い森……『聖域』はそこで特殊な結界に守られている。

 結界は部外者を遠ざけ、道を誤らせる。それ故の迷い森。その結界の影響を無力化するために、準備に二日かかるのだ、とは、フレデリカの弁だ。

 最初は『結界』の響きに物々しいものを覚えたが、その後のフレデリカの説明に理解と納得を得た。『聖域』という場所の、その特殊性を聞かされて。

 

「曰く付きの亜人族、その受け入れ先…… か」

 

 聞かされたままの特殊性を口にして、シャオンは空を見上げる。

 種族として、人間と亜人との間に溝があるのはよくある話で、ルグニカ王国にも亜人蔑視の習俗は少なからず存在している。

 その亜人蔑視――差別の最たるものが、ハーフエルフへの根深い敵愾心だろう。

 それでも、王都では融和政策か何かの一環なのか、商業街や貧民街ではかなり多数の亜人族を見かけることができた。ただし、貴族街、王城には見られず――

 

「歴史の本を読むと、『亜人戦争』なんて内戦が百年以内に起きたばかりだって」

「『剣鬼恋歌』っすね有名どころだと。ヴィルヘルムさんのことだけど詳しくは知らないっす……剣が握れないんで、こう聞くと辛いっすからアタシ」

「あー、うん……」

「その辺の話を聞きたいなら本人に聞くか、あとは……親父辺りも詳しいと思うっす」

 

 そう言う彼女の顔は渋い。

 親父は、当然ルツのことだろう。彼自身も結構な年で、かつ武闘派の血の気が多い男性だ。案外その手の英雄譚には詳しいかもしれない。

 そこで気づく。

 そうだ、今こうして話しているアリシアも亜人なのだ。

 だが差別をする気もないし、彼女を亜人だからと見下したことも、逆に評価をしていることもない。

 鬼族である彼女と自分が仲良くやっていけているのだから他のみんなもやってくれればいいのに、とはいかないのが現状なのだろう。

 でも、ハーフエルフであるエミリアが王様になれば、変わるのだろうか。彼女の、優しさを知れば、差別もなくなり、平等になるのだろうか。

 そんな答えの出ない考えに頭を悩ましていると、

 

「んしょ、シャオン様、アリシアおねぇちゃん。手が止まってるよ」

 

 と、少し不満げに赤髪を揺らす給仕姿の少女が立っていた。

 この二日間の屋敷の変化、その二つ目である。

 ルカと、彼女の姉貴分であるペトラがこの屋敷に仮雇用ではあるが、雇われたのだ。

 発端はフレデリカのみで屋敷を維持することに物理的な無理が生じたことを悟った彼女自身が、アーラム村に降りて協力者を募ったところに諸手を挙げて飛び込んできたのが彼女――ペトラ・レイテであったことだ。

 アーラム村の村民で、王都側避難者でもあった彼女は無事に村に戻っており、いまだ半分以上の村民が戻らない村にて不安な時間を過ごしていたはずだった。が、フレデリカの屋敷の新人メイド募集の報に即座に食いつき、そのやる気を気にいられ仮雇用として屋敷に入っている。

 ルカに関してはペトラという姉貴分と離れたくないから、という理由ではあったがもともと手先は器用な方でそれがフレデリカに気にいられ雇用された。

 

「それにしてもまだまだ小さいのによかったのかい?」

「えと、ペトラお姉ちゃんも頑張るって言うし、恋路も応援したい、から」

「あー」

 

 端から見るとペトラはスバルに対して好意を抱いているように見える。

 実際それが年上の異性に対する憧れによるものなのかはわからないが、確かにルカからすれば肉親のような彼女のことを応援したい気持ちはわからなくもない。

 現状その恋路はきっと難しいものとなるだろうが、実る可能性は0ではないかもしれない。頑張れ。

 と、ペトラの行く末を応援していると、

 

「は、図られた――!?」

 

 屋敷の中から外に聞こえるほどの大声が響く。

 こんな不憫そうな声はオットーによるものだろう。だが、一部分しか聞こえないので何があったのかはわからないが。

 

「何が図られたんすかね?」

「細かいことは気にしなくていいさ、どうせオットーの身に不幸が起きただけだろう」

「あ、扱いがひどく、なってる」

 

 三人とも彼の扱いに対してはこのような形でまとまっている。

 第一、オットーも本当に嫌がるのであれば彼はしっかりと口にするだろう。

 それができなかったとしても夜中に逃げ出すようなことはなかったし、何よりしっかりと彼自身の意思でこちらに貢献をしているのだから大丈夫だろう。彼自身にもきっと事情があり、抜け出せない理由があるのかもしれないが。

 

「あ」

「せ、洗濯バサミ、忘れちゃった」

「わ、わたし取ってくるね」

「ひとりで行けるかい?」

「う、うん。頑張る」

 

 そう言って彼女はトテトテと屋敷の物置にあるだろう洗濯バサミ取りに行く。

 その姿がしっかりと見えなくなったことを確認してから、アリシアは口を開いた。

 

「――いつ、話すんすか?」

「そう簡単に話していい内容じゃない、けど。話さないわけにもいかないよな」

 

 ルカ・カルベニア。

 そう。カルベニア(・・・・・)だ。

 魔女教との戦闘で苦しめられた要因の一つ、リーベンス・カルベニアの娘なのだ。

 あの時の戦いから察するに、正確にはシャオン達の前に立ちふさがったのはリーベンス本人ではない可能性があるが、どちらにしろすでに彼女の母親は死んでしまっている可能性は高い。

 そして、それを正直に伝える勇気はない。

 

「……アタシから話したほうがいいっすか? 慕われてるのはアタシの方っぽいし」

「ぬかせ。いいや、俺から話すよ……殺したのは俺だからな」

 

 気遣ってくれる彼女には悪いが真実はどうあれ彼女の母親の姿をしたものを殺したのは自分であり、自分たちが黙っていれば彼女は永遠に母親の死を知ることはないだろう。

 ましてやその死体が魔女教という狂人共に利用されていたなんて、最悪な真実は。

 だが、今は村のゴタゴタが解決していない。こんな中話されても彼女も理解できる時間も余裕もないだろう。

 だから、もう少し待つべきなのだ。

 そう結論つけて、シャオンは仕事に再度取り掛かろうと立ち上がろうとする。

 だが、それを妨げるようにアリシアがシャオンの裾を引っ張った。

 想定外の行動に思わずシャオンはそちらを見ると、彼女はその若葉色の瞳に覚悟を宿してこちらをみつめていたのだ。 

 

「どうしたよ」

「……シャオン、大丈夫なんすか?」

「……なにが」

「――隠せてないよ」

 

 普段のお茶らけた口調は抜け、まっすぐにこちらの目を見つめられる。

 こうなった彼女の追求から逃れることは容易ではない。

 アナスタシア邸にいた時にはこんな強固な目をする女性ではなかったはずなのに、いったい何が影響を与えたのだろうか。

 その原因に文句を言いたい気持ちを抑え、シャオンは仕方なしに腰を再度降ろし、アリシアと向き直る。

 すると彼女もゆっくりと語りだした。

 

「レムちゃんを守れなかったこと、だいぶ引きずってるでしょ。みんなが思っているより、なんなら、スバルよりもずっと」

「……ま、あな」

 

 たどたどしくも同意をする。

 おもったより、自分の心は弱かったらしい。

 屋敷に着くまでもずっと、レムを救えなかったこと、そして『強欲』と『暴食』の魔女教に手も足も出なかった事実に、苦しんでいる。

 

「ゴメン、フェリスと話してるの聞いちゃったけど、シャオンは十分役割を果たせたと思うよ」

「盗み聞き、悪いぞ」

「それについては謝ったから。それで、ね。少しは話せば楽になるかな、と思って」

 

 そう言う彼女の口調からは、少し照れつつもしっかりとこちらの役に立ちたいという意思が伝わってきた。

 シャオンは、どうすればいいのだろうか。彼女に、しっかりと話してもいいものだろうか。

 だが、このまま黙っていてもまた別の機会に問い詰められるかもしれない。なんだったら、縄で縛りつけて無理やり吐くように促すなんて暴挙もとるかもしれない。

 そう考えれば、今打ち明けるのが吉、だろう。

 

「確かに」

 

 口が渇き、心に痛みを覚えつつ、言葉にしていく。

 

「お前の言う通り――ずっと、考えてる。レムのことも、当然あの時に力があればなんて後悔はもちろん、でも、それよりも」

 

 それよりも、

 

「――スバルが、俺を恨んでいるんじゃないかってずっと、考えてる。そうじゃないのかもしれない、いや、そうじゃないんだろうなでもどちらにしろ――いっそ責められた方が気は楽なんだよ」

 

 自問自答で、答えがないまま終わっていくよりも。

 誰かに糾弾され、責任を追及された方が、シャオンには気が楽なのだ。

 そうでないと、まるで、気にしていないとでも言われているようで、辛い。

 

「俺は……スバルと違って何もできていない」

 

 彼は『死に戻り』という能力を使って、多くの人々を救った。

 災害ともいわれる白鯨を打倒し、魔女教の幹部であるペテルギウスも確実に葬り去った。

 あまりこんなことは言いたくないが、シャオンの持つ力よりも弱い力でその偉業を成し遂げていったのだ。

 そんななか、ふと思うことがある。

 

「俺のいる意味って、あるのかなって」

「――――」

 

 その言葉に隣にいたアリシアが息を呑んだのを感じ取った。そして、ふと彼女は立ち上がり、右手を大きく振上げる。

 

「アリシア?」

「歯は食いしばらなくていいよ、なんなら舌も噛め」

 

 そして、そのままシャオンの頭へ向けて勢いよくその拳を振り下ろした。

 ガチリ、という音共に彼女の言葉通り舌を噛む羽目にもなり、思わず閉じた瞳には暗闇に火花が散った錯覚すら感じたほどの痛みだ。

 

「いってぇ! なにすんだ!」

「喝入れたの。たぶん言ってもわからないだろうから、それにすこしイラついたのもある」

 

 堂々と言いのける彼女の拳は赤く腫れている。

 恐らく全力で殴ったのだろう。鬼化と篭手はつけていない分、今の彼女は普通の女性だ。

 そんな彼女が手を赤くするほど、先ほどの強い力を込めた一撃を出したのは本当にシャオン想って、それがどういう思いなのかは置いておいた、出された一撃なのだろう。

 怒り、とそれとは反対の慈愛に満ちた目。その矛盾した二つが混ざったものでシャオンを射貫き、彼女は続ける。

 

「耳をしっかりと広げて聞いて、あのね……どれだけ貴方の――」

 

 だが、彼女の言葉は紡がれることなく、驚いたように口を開けて固まった。

 その揺れる瞳の先はシャオンではなく、その背後に向けられているようでこちらもつられてそちらを見る。

 そこには、 

 

「ふ、ふたり、とも。け、喧嘩してるの?」

「おいおい、物騒だな」

 

 洗剤を持ってきたルカと、その隣で驚いたような表情をしつつ歩くスバル。ついでに、げんなりとした様子で歩くオットーに、それを励ますペトラの姿があった。

 だが、彼の様子から先ほどの話は聞こえておらず、アリシアに殴られているその姿を目にしただけだろう。

 

「す、スバルか。別に何でもないよ。それよりもなんでここに?」

「ルカが高所にある荷物を取れなくて困っていたから取ってやったんだよ。んでついでにお前らがいちゃラブしていないか見に来たわけだが、喧嘩か?……仲よくしてくれよ? ただでさえウチらエミリアたん親衛隊のメンバーは他に比べて少ないんだから」

「「エミリアたん親衛隊?」」

「そう! ま、いいかえるとエミリア派、エミリア陣営だな」

 

 胸を張って説明するスバルはの説明はこうだ。

 現状、王選におけるエミリアの立場はあまり良好とはいえない。彼女の騎士として関係者に認識されているスバルがいくらか活躍し、魔女教の撃退と白鯨の討伐という功績を立ててはいるが、それも彼女を取り巻く環境の悪さと比較するとどこまで効果があるかは疑問だ。 それに加え、後ろ盾であるロズワールも100%信用できるとは言えない。 

 そう考えると確かにこちらの陣営はだいぶ勢力が弱いわけだ。

 同盟を結んでいるクルシュの陣営ともいつかは戦う日が来るのだから、しっかりとエミリアを支援する陣営を増やしておくのは得策だろう、と。

 

「ついさっきオットーには見ちゃいけない資料を見られたからこいつもエミリアに協力してくれることになったから、まぁ順調に増えて言ってはいるんだが」

「アレ無理やり見せたのナツキさんですよねぇ!」

 

 故に、先ほどの大声かと納得がいった。

 彼も不憫ではある。

 

「……でも、僕そこまで役に立てませんよ?」

「味方が多いに越したことはない。なにができるかってのは問題じゃねぇんだ。その人のためになにをしたいか、なにができるようになっていくかってのが大事なんだよな。そもそも、できることの数の話したら俺だってひどいことになるし」

 

 メリットとデメリット、指折り数えていけばデメリットが勝るのはそれこそ口にしているスバルも自覚のあるところだ。それでも彼女の味方をしたいのだから、あるもの駆使してないものねだってやりくりしてやっていくしかない。

 開き直り、といわれれば否定のできない気持ちいい皮算用だ。

 

「まだまだ断然小さいけど、こっから頑張っていこうぜ。これが俺たちの、初期エミリア派のメンバーってことだ」

 

 握り拳を作って突き出し、スバルが宣言する。

 それを受けて、置いてけぼりのオットー、ペトラとルカ、シャオンとアリシアはその顔を互いに見合わせ、

 

「僕、その派閥に入るなんて一言も言ってませんからね? 勘違いしないでくださいね?」

「お姉ちゃんの味方はしたいけど、大事なところで私ってお姉ちゃんに負けたくないんだけどなぁ……」

「で、でもペトラお姉ちゃんのこと、応援するからね」

「だいぶ年齢層が偏るような……」

「中身が大事なんすよ、きっと……シャオン、さっきの話はまた今度」

「……了解」

 

 オットーが頭を掻いて呆れた様子で。ペトラが手を後ろで組んで、顔を俯かせてもじもじしながら、その姿を激励するルカに、誰も突っ込まなかった事実に踏み込むシャオンにそれを嗜めるアリシア。

 各々の想いはあるが、最後には拳を突き合わせたのだ。

 ――こうして、『聖域』へ向かうまでの二日間、ほんのわずかな前進ではあるが、確かなものを感じさせながら時間は過ぎていったのだった。



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不安な出だし

「わたくしは同行できませんが、どうぞ道中お気をつけてくださいまし。旦那様にも、フレデリカがお屋敷をお守りしているとお伝えいただければ」

 

 出発の朝、屋敷の正門前に竜車をつけたところで、見送りに出てきていたフレデリカがそう言って腰を折る。

 姿勢のいい彼女のお辞儀は惚れ惚れするほど美しく律されたものであり、向けられる側も自然と背筋を正してしまいそうになる威圧感がある。

 

「こっちこそ、慌ただしいときなのにごめんなさい。ロズワールがいないんだし、本当なら領主代行で私がいなくちゃいけないんだと思うけど……」

「なにせそのあたりの実務に関しちゃ俺もエミリアたんもからっきしだ。オットーにぶん投げて整理してもらったけど、それも焼け石に水だよなぁ……約1名出来ていた奴いたけど」

「……そんな期待に満ちた表情を向けられても、俺の体は1つしかないんだからやめてくれ」

 

 この二日間の成果を思い浮かべて、全員が全員苦笑いを浮かべる。

 雑然とした執務室で得られた情報は「責任者の説明なしじゃ無理」の一言で片付く成果でしかなかった。

 多少、フレデリカは心得があるようだったが、現場を離れていた数ヶ月の情報の齟齬を埋める時間も必要だろうし、なにより屋敷の維持の面でかかる負担を思えばこれ以上の作業を増やさせるわけにもいかなかった。

 いくつか、単純に処理できる類の案件をエミリアが細心の注意を払って処理し、あとのことは後回しにしたツケがいずれくるとわかっていながら耳を塞ぐ他にない。

 

「夏休みの宿題を全部やらないで登校日を迎えた気分だな。俺、なんだかんだで宿題未提出とかやらないタイプだったんだけど」

「よくはわからないけど、いいことなんじゃないの、それ? 逆に私は今、すごーく胸が苦しい。罪悪感じゃないんだけど、悪いことだってわかって放置してるなんて」

「そう思う気持ちは大丈夫だよ、エミリア嬢。でもその重さで止まったら元も子もないからね」

「――それをアンタが言うんすか……」

「――え?」

「……なんでもないっすよ、それより地竜の準備、おーけーす。ほら」

「そうですね、パトラッシュちゃんだいぶ賢い子ですよ。おかげで想定よりもだいぶ早く準備が終わりました」

 

 ふと、会話に混ざったのはそれまで竜車の御者台で二頭の地竜――パトラッシュとフルフーに声をかけていたオットーだ。

 『言霊』の加護はオットーにのみ働く加護であるので、傍目からだと地竜と言葉を交わす彼の姿は完全に関わりたくはない風体なのだが、そこには言及しない。

 異種間での翻訳を担当してくれる彼の存在は大変役に立つものだった。

 シャオン自体も異種族の感情などはわかってもそれを言語化はできないし、なによりこちらの想いは伝えることはできないのだ。

 つまるところは単純に一方通行の翻訳ということだ。

 だがオットーの言う通り黒い地竜、パトラッシュはスバルの姿を視界にいれると、その鼻先を伸ばし誰にでもわかるほどの懐きっぷりを見せてくる。

 

「ふふっ、パトラッシュちゃんとスバルったらほんと仲良しなのね。すこーし、やけちゃいそう」

「え! まじで!? エミリアたんが俺に妬ける日が来るなんて――ぎゃ! パトラッシュ! 皮膚が! 抉れる!」

「『話しているのに無視するなんてなっていないですわ』ですって、ナツキさん。モテる男はつらいですねぇ」

 

 普段の意趣返しなのか、オットーは意地悪そうな笑みでスバルを肘でつつく。

 それに対してスバルは彼の足を踏み抜く。ご丁寧にばれない様にエミリアにばれない様にだ。

 僅かにうめいたオットーに首を傾げつつもエミリアはフレデリカに向き直る。

 

「それじゃ、お屋敷のことはお願いね。レムとペトラ、ルカと、ベアトリスのことも」

「お任せ下さいまし。エミリア様も、道中お気をつけて。――それとこれを」

 

 それは首飾り――青く透き通る、輝石のはめ込まれた首飾りだ。

 

「これがあれば、森の結界を抜けて『聖域』へ入ることができますわ。あとは、お教えした通りの場所に、地竜が導いてくださるはず」

「これが、結界を通るための条件……これに時間をかけたんですか?」

 

 フレデリカの手にある奇跡をのぞき込み、素朴な疑問に首をひねる。

 珍しそうな輝石だが、この二日間外出していないはずの彼女がどこで入手したのか。

 そんな疑問にフレデリカは口元を隠して笑うと、

 

「厳密には、その準備に二日賭けたとは言えませんけれど、無縁ではありませんわね。とにかく、『場所』と『資格』は揃えました。後は覚悟と強い意志を」

「大仰な言い方、ちゃんと受け止めていくよ」

「ん、すごーく大事なのはわかったわ……フレデリカ?」

 

 真剣なフレデリカの言葉に深く頷くエミリアが眉を寄せた。

 理由は簡単。差し出された輝石を受け取ったエミリアの手をフレデリカが強く握りしめたからだ。

 刹那、色の違う視線同士が絡み合い、フレデリカの頬が緊張からか、それとも別の理由からか微かに強張る。ただ、その感情の起伏は目をつむるだけで薄れ、静かにエミリアの手を話すことで完全に消滅した。

 

「エミリア様、『聖域』をよろしくお願いします。それと」

「――ガーフィールに、気を付ける。絶対に」

「よろしい」

 

 重ねられる注意勧告を重く受け止め、エミリアは輝石を懐にしまい込む。

 そのやり取りを見届け、出発の準備が整ったところで――

 

「あの! スバル様……これ、受け取ってくれますか?」

 

 赤い顔で挙手したペトラが、スバルに何かを差し出してきた。

 フレデリカを真似したような流れで手渡されたのは無地のハンカチ。

 不意打ちの贈り物に「え?」とスバルは驚くが、シャオンはその意味を理解している。それは――

 

「見送りに白いハンカチを渡して、旅の最中にそれを最後に返す。今ではあまりされませんけれど。旅の無事を祈る風習ですわよ」

「なるほど、わかった。あんがとな、ペトラ。無事にちゃんと返すぜ」

 

 フレデリカから渡されたハンカチの意味を教わり、スバルはそれを自分の手首に巻く。

 ――たぶん、あれはわかっていないな、とシャオンは内心呆れてしまう。

 あの様子では彼女の恋の実りはやはりまだまだ遠いようだ。

 

「さて、『聖域』のあるクレマルディの迷い森は、夜になるほど危うい場所になりましてよ」

「わかった、わかったって。こっちはこっちで、村の人たちのことを頼んだぞ」

「ええ、そして重ねて、ご無事をお祈りしております。旦那様とラムにも、よろしくお伝えくださいまし」

「スバル様、お姉ちゃんをちゃんと守ってあげてね」

「しゃ、シャオン様も、お大事に、あ、アリィおねぇちゃんも、うるさい人も頑張って」

「うるさい人って僕のことですかね!? 評価酷くありません?」

 

 オットーの反応には触れず、フレデリカ達3人は静々とカーテーシーをし、所作は完璧に送り出す。

 その見送りのせ姿勢に背中を押されて、竜車は力強く出発する。

 

「ねぇ! まだ僕の話は――」

「出発!」

「だから! 話は!」

 

納得のいかないオットーを屋敷に残しながら竜車は進んで行くのだった。

 

「じゃ、やっぱりパックの奴はずっと顔出してないんだ」

「うん、そうなの。何度も声はかけてるし、結晶石にも存在は感じるんだけど……こんなに長く表に出てこないの初めてだから、ちょっと心配」

 

 快調に飛ばす竜車の中、エミリアの心配そうな声が車内に響く。

 『風除け』の加護の影響下にある竜車にあっては、風の音や外の騒音といった雑音系統も大概はシャットアウトされる。こうしてかなりの速度で走っているにも関わらず、揺れも最小限で音もしないとなれば一種の夢でも見ているような感覚だ。

 ともあれ、そうした静かな車内にあっては吐き出される言葉だけが確かな音である。

 そして、交わされる内容は迫る『聖域』への意気込み、ではなく――本来ならば常にエミリアの傍らにあり、守る父親役の小猫の不在が話題に上がっていた。

 

「思い返すと、しばらく顔出してないね。最後に見たのって……」

「……クルシュさんの屋敷にいた時だな、丁寧に暴食について教えてくれたよ」

 

 俯くエミリアは顔をスバルに見せないようにしながら自分の髪の先端を指で弄ぶ。ここ数日、彼女の髪型は銀色のそれを三つ編みにするのに固定されている。

 スバルがジッとそれを見ていると、彼女はその視線の意図を察したように「うん」と頷いて、

 

「パックがいなくなるのってたまにあることとなんすか?」

「えっと、私と契約する前は頻繁に、でも契約してからはすごーく頻度は減って、だから、その、今は少し不安かも」

 

 エミリアの語った、パックとの契約以前の話題に腕を組む。

 当然だが、エミリアとパックにも繋がりがない時期はある。初対面の時からともにいたのでシャオン達にとっては別行動しているのは違和感しかないが。

 

「そう、だなパックがいないのは戦力にも心もとないし……あれ、そう言えばこの中で一番弱いのってもしかして、俺?」

「まさか、十分な実力はあるよ……うん」

「目見て言ってくれます!? けど、『聖域』か。実際、どんなとこなんだろうな……それにガーフィールに気をつけろ、か」

「ここにいるみんなも会ったことってないのよね。私も、名前だけしか聞いたことなくて。フレデリカも詳しくは教えてくれなかったし」

 

 スバルの呟きに同乗する形で、エミリアも整った眉を不安げに寄せる。

 この二日間フレデリカの口から何度も聞かされた警戒すべき相手の名。しかしそれ以上の言及については拒まれ、全く分からない状態だ。

 

「やっぱ聞き出すべきだったよなぁ。危険人物だってわかってる相手のこと、名前しか知らないとか居直りすぎだと思うんだけど」

「仕方ないわ、誓約だもの。約定は神聖にして不可侵、決して侵すべからず。契約も盟約も誓約も、それらは重さは違えど固さは同じと扱うべし」

 

 立てた指を振りながら、エミリアはスバルに言い聞かせるようにそんなことを言う。

 

「好き勝手に誓いを破れ、とは言わないけど時と場合はあると思うんだよね」

「スバル~その言葉口にしていて痛くないんすか。で、あれば心臓が凄い硬いっすね」

「いや、あの、その節は本当にごめんなさいでした――ッ!!」

 

 アリシアにニヤニヤとした顔で言われてスバルは頭を思い切り下げ、床へ額を擦り付ける。

 それもそのはず、王都でのエミリアとスバルとの悶着は主にスバルの約束の不履行、いわばスバルの所為で起きたともいえるのだから。

 

「あ、ちがくてね。あの時はすごーく傷ついたけど、今は反省しているんだもん、してる、よね?」

「海よりも深く!」

「ならよろしい、ほら、頭を上げて」

 

 だが、彼女自身はスバルを責める気はなかったようで、慌ててスバルを起こす。

 なんというか、ここ最近すぐに土下座をするスバルもどうかと思うが、すぐに許す彼女もそれはそれで甘いなぁ、とおもったが言わないでおこう。

 

「――森に入ったみたい」

 

 と、思惟に没頭していたシャオンをふとエミリアがあたりを見回した声が引き戻した。

 窓の外に目を向け、そこから見える風景の変化で目的地が近いことを悟った様子だ。

――新緑の森深くに、特殊な結界で守られているとされる『聖域』。そこに、目下のところ腰をすえて話をしなければならないロズワールたちがいるはずだ。

 

「ま、ロズワールは横っ面を殴っても俺は許されると思うんだよね」

「ああ、弟子の俺もいいと思う」

「……うん、そうね」

「あれ、意外とエミリア様も乗り気っすね」

「仕方ないさ、お前抜きでどんだけ苦労したと思ってんだ! で口火を切って腹の底を根掘り葉掘り聞きだして、なんならピエロメイクの下の素顔ももう一度みてやる!」

「そういえばあの人お風呂以外メイクを剥がさないよね、こだわりでもあるのかな」

「……うん、そうね」

「……エミリア様? そろそろアタシもお給金を上げてもらってもいいと思うんすよ、エミリア様からもロズワール様に伝えてもらえないっすか?」

「……うん、そうね」

「エミリア嬢はスバルのことだい好きだよね?」

「ちょ、おま」

「……うん、そう――へ?」

 

 そこでエミリアは初めてこちらへ驚いたように顔を向ける。

 その様子にエミリアを除いた3人は顔を見合わせ、スバルが口火を切った。

 

「エミリアたん、ひょっとして緊張してたりする?」

「――! すごい、なんでわかったの?」

「いや、誰でもわかるっすよ。何なら今みんなの心が一つになってたっすよ」

 

 驚いた顔のエミリアにアリシアが苦笑しつつも自身の頬を指でグニグニにした。

 その仕草に、エミリアも習うように自身の頬に触れ、その表情が強張ったものになっていたと自覚をする。

 

「心配させて、ごめんね。もうすぐ『聖域』に……亜人族だけの村に着くって思うと」

「あ、そっか。ごめん、そこまで頭が回ってなかった」

 

 エミリアの緊張の原因を察して、スバルが気落ちする。

 フレデリカの説明では、『訳アリの亜人族』が暮らす集落なのだ、そこには、ハーフエルフもいるかもしれないのだ。

 だから、緊張も不安もあるだろう。

 でもシャオンとしてはそれとは別に、

 

「まぁ、気持ちはわかるよ。俺も、なんていうか、心がざわざわする」

 

 まるで森の木々もこちらに語り掛けてくるような錯覚を覚えるような不思議な感覚。

 そんな妙な感覚を感じつつも竜車は進んで行く。そこで――

 

「――っ! エミリア!?」

「え、あ、これ……!?」

 

 直後、車内に発生した異変にスバルとエミリアは同時に声を上げた。

 異変の起点は他でもない、慌てふためくエミリア。その胸元の内側から突然青い光が膨れ上がり、竜車の内装を包み込む。

 その光に驚き、エミリアは懐に手を入れ、発行の元である――青い輝石を引っ張り出した。

 

「石が光って……」

「嫌な予感がする! エミリア、借りるぞ」

 

 スバルは己の勘に従って、咄嗟にエミリアから石を奪った。そして、竜車の窓に駆け寄り――

 

「何もなければ後で拾う! 今は外へ――」

「――ぇ」

 

 投げ捨てる直前、かすかなうめき声と共に竜車の床にエミリアが力なく倒れ込む。

 うつぶせに、手足を投げ出して倒れたエミリアに意識はない。突然何の前触れもなく、

 

「いや、前触れはこれか!?」

「――ぁ」

 

 輝石が原因かと思い行動しようとした瞬間、エミリアの後を追うように倒れ込む少女がいた。

 

「アリシアもか!? 大丈夫か、おい!?」

 

 そうなると、この輝石が原因ではなく、別のものの可能性が高い。

 それか、輝石が全員に影響を及ぼしているのかもしれない、であればまずはこの輝石から距離を置く必要がある、ともう一人の同行者であるシャオンへと声をかけようとする。

 そこできづいた。

 

「――シャオン?」 

 

 返事もできない様子のエミリアとアリシア。

 苦しげではあるが、浅く早い呼吸と表情を除けば熱もないし汗も掻いていない。

 だが、シャオンは別だった。

 灰色だった髪が白髪に変わり、目、鼻、口から大量の血液を垂れ流しているのだ。

 

「一体、何が――」

 

 どうなっている、というような困惑のスバルの声を後にシャオンの意識は消えていく。

 深く、沼に使っていくように、母親の胎内に帰っていくような、あるべき場所に戻っていく感覚を最後に。

 

 目が覚めたのは優しい風がシャオンの長い髪を揺らしたからだ。

 灰色から白に移り変わった自分の髪に嫌な気持になりながらも、まずは状況を把握しようと周囲に意識を向ける。すると足元には緑が、頭上には僅かな雲とそれを覆うようなほどに広大な青空が広がり、シャオンはようやく竜車ではなくあるはずのない草原に立っていることに気付いた。

 見回しても、果てがないほどの空間、そこにシャオンは唯一の人工物であるテーブルと、椅子があった。

 ご丁寧に、淹れたてであろう紅茶も備えられている――ちょうどベアトリスと会った時のことをと重なるように。

 普段の自身では有りえないであろうほどに、無警戒でふらりと、テーブルに近づき、椅子を引いて静かに腰をかけた。

 

「――ここは」

「お目覚めですか、父上」

 

 返答がないはずの口から出た言葉に反応があり、思わず身構える。

 声の主はすぐそばにいた。

 それはテーブルの対面に座る一人の少年。だが。

 

「――――!」

 

 驚きで思わず立ち上がりかけてしまう。

 それもそのはず目の前に現れたのは黒と白のみ、ちょうど二つの色のみで作られている一人の少年だ。

 右側が黒、反対側が白。肌と瞳の色さえも左右対称で色づけられたその存在は、まるでこの世の存在ではない、言いようのない嫌悪感をシャオンへと感じさせた。

 その嫌悪感を払拭するように、装飾の多い派手な道化師の服装を身に纏っているが、それすらも白黒で気味が悪い。 

 そんな印象を抱いていることを知ってか知らずか、少年はガラス玉のような空虚な瞳をこちらへ向け、直後その場に正座で座り込み、深く礼をする。

 

「ご存知でしょうが、礼儀故。私の名前はカロン。貴方に作られた人工精霊――の失敗作です」

「お、れが。作った?」

 

 少年の言葉が頭に入ってこない。

 人工精霊という言葉ですら初めて聞くものなのに、それをシャオン自身が作ったというのだからなおさら理解の範疇を越えてしまっている。

 それに、今いるこの場所ですらはっきりとしないのだ。第一、他の、スバル達はどこへ行ったのだろうか。『聖域』には無事についたのだろうか。あるいは、ここが――

 そんな混乱の中、目の前の少年、カロンが首を傾げながら話しかける。

 

「……記憶がお戻りになられていないのですか? それなら納得。故に困惑」

「いや、記憶は普通にあるよ……ああ、ある。俺の名前は雛月沙音。今は『聖域』に向けて竜車を走らせて」

 

 森にかかった辺りで、そうして、気づいたらここにいた、のだ。

 意識が何かに引っ張られた感覚と共に、激痛が襲い、そして、本当に目が覚めたらここにいた。

 そうしか説明ができないのだ。

 

「何故、貴方は『聖域』に来たのですか? その様子ではここ以外の『欠片』はまだ集まり切っていないのに」

「いや、それは知りたいことを知っている奴がこの場にいるから……それより、ここはどこだ? 俺以外にも、竜車に乗っていた仲間がいたと思うんだけど。それに、意識も、急に」

 

 シャオンの説明にカロンは少し考えた後に長いため息を零す。

 まるで余計な仕事が増えたことに憂鬱になったような感じだ。

 だが、それでも聞かれたことにしっかり答える意思はあるようで、

 

「……『欠片』が急に入り込んだことによる拒絶反応でしょう。もう少しで馴染むのでお待ちを。そして、この場所は貴方が作られた場所です」

「は?」

 

――自分が、作った?

 

「ここには『二つの聖域』があります。彼女が作ったのを『表側』と称するのであれば、貴方が作ったのはここ。『裏側の聖域』です」

「だから俺は――」

「最後の質問ですが、他のお仲間さんは知りませんが。賢人候補は今不在です……本来ならば彼女も貴方と話をしたいでしょうがそこは彼女に招かれた順ということで。それで、追加の質問は?」

 

 言葉を遮るようにカロンは言いきる。

 彼としてはまずはシャオンが最初にした質問に答えを出しきってからこちらの文句や話を聞くつもりのようだ。

 確かに質問の連続では何時まで経っても話が進まない。逸る気持ちを何とか抑え、改めてカロンに訊ねる。

 

「誰に、何に招かれたんだ」

「――」

 

 そこでカロンは初めて感情をあらわにした。

 といってもそれはいい感情でないことはシャオンにもわかるほど暗いものだったが。

 いったい何をそんなに不快に思っているのかとシャオンは疑問に思ったが、その疑問は次の言葉ですぐに解消されることとなった。

 

「――――『強欲の魔女』の茶会ですよ。醜悪」

 

 そんな、最悪の名前が出てきたのだから。




シャオンの負の遺産の一つだよ! 失敗作? ソウダネ!


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獣との対話

オットー…アニメよかったよぉ!


 

――強欲の魔女。

 カロンが口にした言葉はを、シャオンは反芻する。

 魔女という言葉自体にいい思い出はないが、それはあくまで嫉妬の魔女についてだ。

 だが話題に出たのは嫉妬ではなく、

 

「……強欲?」

「ええ、まぁ魔女としては嫉妬のほうが有名なのでしょうが。強欲の魔女です」

 

 魔女と言う言葉は主に世界の半分を呑み込んだ『嫉妬の魔女』に使われる言葉だと思っていたが、彼の言葉から察するに他の魔女もいるわけだ。

 初めて知った事実に驚きを覚えていると、カロンはいつの間にか飲み始めていた紅茶の熱さに舌を出しながら小さくつぶやいた。

 

「彼女に関しては貴方もご存知――ではないのでしたね、今は」

「今は?」

「おっと、失礼この話題を続けることはよくない方向になってしまうでしょう。それよりも現状の確認をしたほうがよろしいのでは?」

「……竜車にいたはずの俺は、なぜここにいる。その、裏側の聖域とやらに何で転移を」

 

 わざとらしく口を押えるカロンは、どうやってもその話題を続ける気はない様だ。あるいは、面倒だからしないのかもしれないが。

 であればその問答に時間を割くのは得策ではないだろうと別の話題を、彼の露骨な話題の切り替えに乗ることとする。

 

「ああ、転移ではありません。貴方の体は確かに竜車の中に未だにあります――裏側の聖域に来るには条件を満たしているものが、意識を失うことで訪れる資格が得られます」

「意識を失うって言うのはさっきの欠片云々だろうけど……条件?」

「それは私の口からは話せません。契約です故」

 

 カロンからでてきたのは契約という言葉。

 契約の重要性についてはシャオンも重々承知だ。

 ましてや精霊、人工精霊と言う存在ならばそれに従わなければいけないことも理解している。

 だからその契約に触れない範囲で情報を収集しようとするのだが、 

 

「さっき話した俺が作ったというのは、なんだ?」

「話せません」

「人工精霊と言うのは」

「話せることはありません」

「『表側の聖域』に行くためには?」

「話したくありません」

「……契約をしている相手は?」

「話してみたい気持ちはあるのですが不可能ですね」

「君、話せることなくない?」

「その発言の所為で、急遽裁定の結果はでました、死刑です」

 

 ……これではひとり言と同様だ。

 紅茶はもう何杯飲んだのだろうか、その間にもご丁寧に不可能のニュアンスを変化させて、こちらを飽きさせないような配慮もされていることが腹が立つ。

 どうしたものかと考えていると、ふとシャオンの体が透けてきていることに気付く。

 

「おい、これは?」

「そろそろ、意識が戻りますね。意識してきたわけでないのだから時間が取れないのは道理ですが。残念」 

 

 いかにも残念そうに、大げさな身振りでアピールをするその姿は本当にそう思っているのか問い詰めたくなるようなものだった。

 いっそからかっているといわれた方が素直に納得できる。

 だが、時間がないのは本当のようで、シャオン自身消える体を見てそれを知覚できていた。

 ならば最後に、

 

「一つ、聞かせろ。契約で話せないならそれはそれでいい――俺が求めている、答えは、『聖域』で得られるのか?」

「――その答えは強欲の魔女が知っています」

 

 今までとは違いはっきりとカロンは断言をした。

 よっぽどその強欲の魔女が物知りなのか、あるいは別の理由があるのかはわからない。なんならその問いに対してだけ答えるように契約をしていた、なんてこともあるかもしれない。

 だが、

 

「結局は、その魔女に行き着くわけか……了解。お茶は美味しかったよ」

「……ここでの記憶はなくなります、ですが。またすぐに出会うことになるでしょう。その時に応対するのが『表側』か『裏側』か。私か、彼女かはわかりませんが」

 

 僅かに、名残惜しそうに目を細め、カロンは小さく笑う。

 人形のような今までの素振りがまるで嘘のように、人間らしく。

 

「『裏側』であることを期待しております。では、良い旅を」

 

 その言葉と共に、シャオンの体は完全に『裏側の聖域』から消滅したのだった。

 

「――――う、うわぁぁぁあああ!!?」

 

 意識の覚醒はそんな悲鳴が起因となった。

 

「……寝ていた? てか、今の悲鳴は」

 

 周囲を見回すと眠っているであろうアリシアとエミリアの姿を確認する。

 外傷はない、であれば先に悲鳴を上げたであろう人物の確認に移る。

 その悲鳴の出所は外、さらに声から察するにオットーのものだろう。 

 竜車から飛び移るように出ると、そこは、

 

「えっと」

 

 気付いた変化は二つ――まず、竜車が止まっていること。

 パトラッシュとフルフーの二頭は足を止めて、いや止められているようだ。

 それが、大きな変化の二つ目であり――、

 

「ひ、ヒナヅキさーん。よ、よく起きてくれました。欲を言うのならもう少し早く起きてくれたら助かったんですが」

「オットー? 一体何が、てかここは」

 

 竜車が止まっている場所、その正面にあったのは、一つの建物。石材を積んでくみ上げられたその建物は原始的な建築様式に則った遺跡だ。

 建物の半分が森に呑まれ、大部分が緑色の苔や、隠すように蔦に覆われている。

 神殿、という表現も正しいがその劣化具合も含めれば『墓場』と言う表現が正しいのかもしれない。

 そんな建物の次に目があったのは怯えた表情のオットー。彼はシャオンが起きてきたこに僅かに顔をほころばせる。それでも半分は恐怖に染まっているが。 

――そして、その恐怖の対象であろう人物。それは遺跡を守るようにいた。

 騎士とは程遠く、まさに獣とも思わせる印象の一人の男。

 その印象は正しく、竜車の前に仁王立ちする人物の見た目のそれも裏切らない。

 逆立った短い金髪に、額の白い傷跡が目立つ。鋭い目つきはここにいないスバルに負けず劣らず獰猛で、ネコ科の猛獣のような犬歯がやけに白い。猫背に丸めた背丈は男性にしては低く、だが小柄であることを他者に侮らせないぐらいには猛々しい鬼気が全身から漏れ出していた。

 

「どこの誰だか知らねェが、『突き抜ける杭ほど先細って脆い』ってやつだな」

「……はい?」

 

 聞いたことのない言い回しに呆けた声を出すと、それを聞いた相手はビビっているとでも判断したのか「はッ」と息を抜くように笑い、

 

「あァ? ビビってんなよ、おい。確かにてめェらは運が悪ィ。なにせ、忍び込もうとした場所が場所で、おまけに出会っちまったのが俺様だってんだからな」

 

 男は獰猛に笑い、牙を鳴らすように歯を噛み合わせると、己の拳を力強く重ねて身を低くし戦闘態勢。その姿勢のまま、言葉のないこちらを見上げ、

 

「このガーフィール様の前に出たのが運の尽きだ。『右へ左へ流れるバゾマゾ』みたいになっちまいな!」

「ちょ、待った! 話を! ガーフィール!? キミが!?」

「『めくってもめくってもカルランの青い肌』聞く耳はねぇよ!」

「意味が分から――」

 

 制止の声に聞く耳は持たず、牙をむく男が踏み込み、次の瞬間その姿がかき消える。

 踏み込みの衝撃に空気が揺れ、息を呑んだ瞬間。気づいた時には目の前の男はシャオンの前へと近づいていた。

 その獰猛な眼光と目にあった瞬間、足が浮いた。

 

「っ!」

 

 視界が逆さになり、強烈な浮遊感を堪能している中でようやく投げられたのだと理解する。

 そこからの行動は早かった。

 そのまま投げ飛ばされる前に、男の服に足をかけ、逆に投げようと力を利用する。

 だが、その引っ掛けた足をガーフィールは片手で掴み取る。

 

「おせぇ、飛んでいきやがれッ――!」

「――間抜け!」

 

 悪態を吐いた瞬間、掴んだ脚ごと(・・・・・・)男の手をシャオンの魔法が撃ち抜いたのだ。

 詠唱のない一撃であったこともあるが、なによりその自身の足すら貫くという攻撃方法に驚いたのか、男は掴んでいた足を離す。

 必然、重力に従ってシャオンの体は地面へ落下するが、その着地の瞬間に意識を切り替えた男の蹴りがこちらの顔面を捕らえる。

 間一髪左手の防御が間に合い、顔をえぐり取られることはなかった。かわりにその一撃に体が耐えきれず、転がっていくが男と距離を取れたのは腹中の幸いだ。だが。

 

――篭手の上から防いで、これか。

 

 受けた左手が衝撃で麻痺し、動きがだいぶ鈍ったのを感じる。

 これがあの男の小さな体から発せられたものだと考えると、苦笑いすら零れない。

 総合的には勝機はあるかもしれないが、体術的にはシャオンに不利があるかもしれない。

 相手もそれを感じているのか、何とか距離を詰めようとしてはいる。当然、それをさせないようにこちらも魔法を放つ構えをしているのだが。 

 戦闘は膠着をしている。だが、目の前の男、ガーフィールがしびれを切らして突っ込んで来たら敗れるのはシャオンかもしれない。

 故に、状況の整理から始め、どう動けばいいのか考えるべきだ。そのためには、

 

「オットー! スバルは?」

 

 竜車の陰に隠れているオットーに叫ぶように訊ねる。

 この事態にスバルが反応しないはずがない、『死に戻り』も起きた気配は無さそうだから彼の身は大丈夫だと信じたいが。

 するとオットーはハッとしたように目を開き、慌ててこちらの問いに答えた。 

 

「いや、ナツキさんはその、急に消えて――」

「は!? 気が狂ったこと言わないでくれ!」

「ほんとですよ! 後部席が騒がしくなったなと思ったらその男が竜車を止めて、今の現状です!」

 

 唾を飛ばしながら必死に訴える彼の表情には狂気が宿っている様子はない。ましてやからかう様子などは微塵も。

――ペテルギウスのような狂人を見ていたからわかることがあるとは。

 普通に生きていたら一生知ることがなかったであろうその見分け方は、予想外のことで役に立ったようだ。

 すでに死んだ、かの狂人に吐き捨てるように心の中で礼を言い、改めて状況の整理をオットーから聞き出す。

 

「なら行方知らずのスバルは一度置いておいて……エミリア嬢とアリシアは何で意識を失ってる?」

「それに関しては何とも……彼女たちと、それにヒナヅキさんも、気づいたら意識を失っていました。何が起こったのかは僕にもわかりません」

「それで?」

「ヒナヅキさんが一番最初に目を覚まして今の通りです。他の方はまだ意識が戻っていません。命に別状はないみたいですが……戦力の増援は期待できません」

「……オットー自身の戦力は?」

「少なくとも今の貴方方の戦闘に混ざることができるほどを期待されると……」

 

 「心許ないかと……」と消え入りそうな声で呟くオットーに気にするなと言葉を投げる。

 彼自身は戦闘力に特化したような商人ではない。下手にこの戦いに混ざればシャオンは彼を庇いながら戦う羽目になる。

 なら時間を稼ぐ必要もなく、油断をしている今、畳み掛けるしかない。

 

「了解、なら出し惜しみ無しで全力で行く!」

 

 膠着状態を解除させ、一撃で仕留める。

 幸いにもガーフィールは警戒はしているが未だこちらに対しての油断は拭えていないと見える。

 そこに、勝機が、あるいは逃げ道があるといえる。と、なればだ。

 

「ウル・ドーナ!」

 

 地面を隆起させ、土の波が正面からガーフィールへと襲い掛かる。

 また、逃げ場をなくすように同じように左右から土の壁も同時に生み出し、彼へと向かう。

 逃げるには後退、あるいは空を飛べるなら上空もあるが、流石にそれはできないだろう。

 もしもそんな真似ができるならば最初から飛んで襲ってきたはずだろう。だから残されたのは後退か、あるいは――

 

「やわらけぇ壁出して、舐めてんのかァ!?」

 

 男の震脚により、シャオンの放つ土石流は止められ、別方向から迫っていた土の壁は拳の振り抜きで一掃された。

 そして、魔法の残骸によって周囲に砂煙が上がる中、シャオンは自身の魔法が無残に敗れたことに表情を歪める――予想が的中したことを喜ぶように。

 

「破壊するだろうね。だから、土魔法を出した。そして、舐めていないさ、だから使うよ――『不可視の腕』」

 

 静かに放たれた言葉と共に男の側頭部へ向かうのは確実に迫る強烈な一撃。

 死にはしないだろうその一撃は当たれば目の前の男の意識を、戦闘能力を奪うことはできるだろう。

 ぐらつく頭、赤く染まる視界を気合で無視しながらシャオンはその魔手の一撃を放つ。

 

「――――っ!」

 

 何かに気付いたガーフィールは回避行動をしようと試みるが、不可能だ。

 確かに彼の戦力は強大だが見えない攻撃を回避するほどの力はない、あったとしてももうすでに回避は間に合わないほどに『不可視の腕』は男に近い。

 ――勝った、そんな慢心が、新たに迫る人物の存在を気づかせるのに遅らせたのだろう。

 

「やりすぎだぞーおとーさん」

 

 聞こえたのはソプラノボイスの高い声。

 子供のようなその声、はまさに子供の容姿をした一人の少女から発せられた。

 深紅の瞳を宿し、鮮やかな桃色の髪色の中に一房ほど緑色の髪が混じった少女。

 服装は動きやすそうな軽装で、彼女の性格を露わにしているだろう清潔感あふれる白色のワンピース。

 足先を見るのならばかわいらしい見た目相応の子供用のサンダルを履いている。

 容姿だけ見れば年は10歳にも満たないだろうか、村の子供達に混ざっていても何も違和感がないだろう。

 そんな子供がこの戦いの場に唐突にどこからか現れたことも驚きだが、それよりも驚くべきことは――

 

「――は?」

 

 『不可視の腕』が片手で止められているのだ。その、少女によって。

 今までこの一撃がまともに当たれば大抵の人間は大打撃を受けていた。今回は全力で放ったわけでもないが少なくとも片手で、ましてや少女に止められるほどの加減はしていない。

 第一、見えないその一撃をどうやって彼女は認識したのだろうか、今もなおその疑問を投げかけ続けるように彼女の手は確実に不可視の腕を握っている。

 理解できない光景に口を開けていると男は、こちらではなく今己の身を救ったであろう、その魔手を止めた少女に向かって激を飛ばした。

 

「テメェ! シャロ! 何でここに――」

「見回りと……ようやくおとーさんの気配を感じたからきたんだーそんなのもわからないのか、残念無念な頭だなーガーフィール」

 

 鼻を得意げにならす少女、シャロはガーフィールに対して姿勢を崩さずに足戦だけそちらに向け答える。

 その状態でも不可視の腕は固定されたまま動かない、動かせない。彼女の手からは全く逃げることができない。

 

「あァ? コイツが、か?」

「そう。それにすぐに暴力で解決するのはよくない癖だぞー、頭獣か? 体は獣だから―間違っていないんだろうけどーあと、おとーさんも手を下して。話をしたいんでしょー」

「……悪いけど、離した瞬間に二人で襲いに来られたりしたらまずいからね……」

「んー? おかしなことをいうんだなー」

 

 心の底から何を言っているのかわからない、と目を白黒させている。

 直後、吹き出したかのような笑いの後に、彼女は抑えていないもう片方の手を下へ向けた。

 瞬間、それは起きた。

 

「シャロが本気を出せばここにいる全員、殺すことくらい簡単にできるのにー?」

「――がっ!?」

 

 身体全身を何か重いものが抑えつけるようにのしかかる。

 唐突に起きたそれに思わずシャオンは不可視の腕を解除する羽目になる。

 だが、それだけでは済まないようでいまだに体にかかる重さはシャオンを襲う。

 軋む四肢に鞭を打ち、奥歯をかみしめ、なんとか片膝をつける程度で済む攻撃、それはシャオンだけではなく、周囲にも影響を与えたようだ。

 

「チッ!」

「――ッ!?」

 

 ガーフィールでさえ身動きができなさそうなこの重圧にオットーなどは耐えきれず、地面に頭から体を沈めている。

 パトラッシュも苦しそうにうめき声をあげている、存在を知られていないだろう中の二人には影響が出ていないかもしれないが、それも完全ではない。

 この感覚は、覚えがある――不可視の腕と、同様の、いやそれ以上に凶悪なものだ。

 それが広範囲に、襲い掛かっている。具体的には彼女の視界に入るもの、あるいは彼女が指定した任意の相手すべてに、だろうか。

 このまま押しつぶされて地面の染みとなるのだろうかと、考えた瞬間にシャロは大きく欠伸をして、

 

「まー、そんな殺戮やりたくないけどねー」

 

 間の抜けた彼女の言葉と共にその重圧から解放される。

 水中から地上へ出た時のような解放感と共に、息を大きく吸う。

 軽い体に安堵しながらも即座に起き上がり、距離を取る。

 背後には竜車と、オットー。何かあれば防げる配置だ。先ほどのようなものが連発されるのであればまた話は別だが。

 あちらに戦意は無さそうだが、油断はできない。以前状況は変わらず、いや悪化しているのだ。

 何か状況を打破する、新しい、誰も予想ができない一手を――そんなシャオンの願いが通じたのか、そこに新たな乱入者が現れた。

 

「オットー? オマエ、なんでこんなとこで……それよりエミリアは!? 他のみんなも大丈夫なのか!?」

 

 遺跡の中から出てきたのは一人の男。

 ガーフィールと同様な目つきの悪さに、急いで駆けつけたのか体中をすり傷だらけにしながら現れたその男、

 

「ありゃ、賢人候補も――だったらなおさら色々とまとめてはなしをしようねー。何回も話すのは―疲れるからー」

 

 ナツキ・スバル、別名間のいい男の参入で事態は変化を迎えたのだ。




現状体術のみではガーフィール>シャオン、魔術のみではシャオン>ガーフィール。
現段階で全体的に見ればガーフィール≧シャオン。
なおシャロ含めると体術はシャロ>>ガーフィール>シャオン。魔術はシャオン>ガーフィール>>シャロ。全体含めるとシャロ>>ガーフィール≧シャオン。
あとたぶん人工精霊ではカロンが一番デレてるのがわかるのが今回の話でした。


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墓場までの道のりで談笑を

 ひとまず落ち着く場所、ということでガーフィールを含め全員竜車の中へ移動する。

 寝ている二人の他に4人。合計6人が竜車にいる現状。狭苦しく感じるのは気のせいではないだろうが、竜車内の空気がより一層にそれを拡大化させているのだろう。

 だが、そこを気にしないで話に切り込むのはスバルだ。

 

「お前がガーフィールで、ロズワールの知り合いでいいんだよな? いきなりの接触でビビりはしたけど、今は敵対の意思とかなしってことでよろしいか!」

「ぴーすか騒ぐなよ、やかまっしい。んな慌てなくても取って食いやしねェよ」

「さっきまでのお前の凶暴な態度で誰がそれ信じるんだよ……?」

 

 耳に指を突っ込んで苛々した様子のガーフィールだが、スバルの訴えに「それもそうか」と納得の姿勢。イマイチ考えの読めない部分はあるが、話が通じないわけではないらしいことにどうにか安堵する。

 

「そ、だ……それどころじゃねぇ! 二人が急に倒れちまって目を覚まさないんだ。さっきまで普通に話してたってのに、てかシャオンも倒れていたのに、まだ起きていないんだ」

「倒れたって、そのハーフエルフと半鬼かよ。そら、当たり前だろが。ここがどこだと思ってやがんだ、慌てることかよ」

 

 苦しげな二人の身を案じると、しかしガーフィールは小馬鹿にしたような態度で肩をすくめただけだ。その訳知り顔にスバルが「どういうことだよ」と問いを発すると、彼は怪訝に眉根を寄せ、

 

「そこの男が早く起きた理由ははっきりわかんねぇが、ロズワールとフレデリカに、この場所がなんなのか聞いてっきたんだろ? んなら倒れるのはあって当たり前の」

「……いや」

「……まさか、知らねェのか?」

 

 説明に入る前置きの段階でシャオンが首を横に振ると、ガーフィールは忌々しげに舌打ちする。彼は口の中だけで「あの変態野郎……」と誰のことを言っているのかわかりやすい罵声を噛み殺し、

 

「フレデリカもなにも言ってねェってのか。あの性悪、しっばらく見ねェ間に飼い主の性格に似ちまったってことかよ。救えねェ」

 

 首を横に振って、ガーフィールは苛立ちを荒い鼻息に乗せて吐き出す。それから彼は問いたげなスバルの目に気付くと手を軽く持ち上げ「わかったわかった」と言い、

 

「具合悪そうに見えっけど、命に別条はねェよ。ただ、それ以上苦しそうな面が見たくねェってんならこっからとっとと離れろ。村までは案内してやっからよ」

「ここ離れたら、意識戻るのか?」

「だーっから、そう言ってんだろが。とっとと行くぜ、オラ」

 

 説明不足にもほどがある説明以上をする気がないらしく、ガーフィールは野卑な態度を隠しもせずに振り返り、御者台へ足を向けるとオットーの座席を蹴りつける。

 その蹴りを受け、いまだオットーは「あうっ」と苦鳴を上げ、

 

「御者だろ、村まではてめェが動かせよ。ウスノロはケツがへっ込むまで蹴っ飛ばすぞ」

「ってか、これどういう状況なんですかねえ!? 今の話の流れを聞く限り、完全に勘違いだったようですが!?」

 

 あんまりといえばあんまりな言い分にオットーが沸騰し、立ち上がってガーフィールに物申す。ついさっき行った戦闘を見ていたはずなのに、剛胆なものだ。

 それを目にしたガーフィールも同意見のようでこちらに振り返り、

 

「なァ。こいつ、いつもこんな元気な野郎なのか?」

「その人らに僕の評価聞いても正当な評価得られそうにないのでやめてほしいんですが!!」

「あァ!? てめェ、急に元気溌剌としてきやがって、俺様舐めてやがんのか!? 大目に見ろやァ!」

「お前ら二人ともうるせぇよ! エミリアたんがそうしてる間も苦しんでんだろうが、とっとと手綱握れ!」

「あーもう! 全員うるせぇよ! 俺も含めてな! ほら、オットーも仕事はする! ガーフィールも悪いと思ってんなら素直に謝れ!」

 

 男4人でギャースカ騒ぎながら、御者台の上で罵り合いが始まる。

 荷台に置かれ、いまだ原因不明の意識消失からエミリアとアリシアは目覚めない。しかし、彼女達は、

 

「……うるさぁい」

「……ふふっ」

 

 と、小さな声で寝言のように呟いたのだった。

 

 

「それで、改めて自己紹介だ。俺の名前はヒナヅキ・シャオン」

「あぁ、そうだな……俺様はガーフィール……ただのガーフィールでいいや。最強の男だ。よろしく頼むぜ」

「俺はナツキ・スバル……え? 今、なに? 最強って言った? 素面で?」

「いつものことだよー、シャロは、おとーさまの一番娘、シャロ。よろしくねー」

「「は?」」

 

 動き出した竜車の荷台で向かい合いながら、4人は自己紹介を交わす。

 改めて再確認という意味もあるのだが、予想外の出来事があったようだ。

 

「……んで? シャロ。本当にこの男がお前の言う父親なのかァ?」

「んー? なにかすれ違いがあるみたい―? ガーフィールに頭を打たれた? それなら面倒だけど仕置きするけど」

「おいおい、『ソムルの顔は言葉よりも重い』だぜ? 俺様は何もしてねぇよ。悔しいが、そいつも急所は避けていやがったからなァ」

「ソムルの顔どんなんだよ……まぁ、確かに頭とかは避けている」

 

 意識が混濁するような怪我は負っていないし、能力による副作用もそこまで重くない。

 あれ以上戦闘が続けばまた話は別だろうが。

 

「んで、狐顔。細かい事情は知らねぇけどまずは確認しておきてぇことがある……オマエ、腕は確かだけどッよぉ、故障中かァ?」

「きつ……そんなところかな」

「はん、完治したらまッさきに伝えやがれ。次はその顔面殴り抜いてやッからよォ」

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らし、乱暴に足を組む。

 明らかに歓迎していない態度、他のメンバーよりもそれが顕著に表れている。

 それはシャオンの気の所為ではなく、他のメンバーにもそれは伝わっているようだ。

 

「……なんでお前そんなに嫌われてんの?」

「さぁ?」

「簡単な話だとおもいますぞー」

 

 シャオンの膝に腰かけている少女、シャロが答えた。

 深紅の瞳をこちらに向けて、まるで出来の悪い弟のことを語るときのように楽しそうにわらい、

 

「ガーフィールは自分が最強だと思ってるからなー、おとーさまが思ったよりも強くて驚いているんだろー、胃の中のなんとやらってやつだー」

「それ蛙消化されない? 妙な言い回しで伝わってんな……」

「それより一番娘、ってどういうことだい? 俺はまだ子供を産んだ記憶はないんだけど」

「認知してねぇってことか――いてっ」

 

 本気なのかわからないトーンで冗談を言うスバルの頭を軽く小突く。

 生憎と純粋な女性関係は縁遠いシャオンにそれはない。

 

「んー、あー、そういうことかー。えぇ? そうなの? そうだよねー」

「一人で会話して納得していないで教えてくれねぇか? 今、ただでさえ俺らは解決しなきゃいけない問題が多すぎてパンク寸前なんだよ」

「ん。なら教えられるところだけ伝えましょー」

 

 スバルの言葉にシャロは少し考えるそぶりを見せ、言葉を吟味し始める。

 そして、最初に放たれた言葉は、

 

「私は『人工精霊』です。貴方に作られた」

「人工、精霊」

 

 今までとは違う、子供らしさが抜けたようなそんなはきはきとした口調。

 それに驚きつつも、言葉の意味を理解しやすくするように、復唱する。

 文字通り、人の手によって作られた精霊、ということなのだろう。

 それが、できるかどうかは置いておいて……シャロの言葉にはもっと追求しなければいけないことがある。

 

「おいおいまてよ、シャロ、だっけ? こいつはこの世界……あー、この国に来てからそんなに経っていない」

 

 それはスバルも、いや、スバルだからこそわかる事象だ。

 当然、シャオンと同様の疑問を持った彼はシャロにより詳しい説明を求める。

 

「そんな短期間でそんな大層なことできるわけがないと思う。いやそりゃ、こいつが無職のプー太郎で時間が余っているなら話は別だけど」

「おい」

「ふーん。だけど事実だぞー?」

 

 若干不機嫌になりながらもシャロはスバルを見る。

 その視線を受けたスバルはたじろぐが、事実を告げた彼は逆に開き直り、睨むように見つめ返す。

 シャロはその反応に表情を変えないままこちらへと顔を向けた。

 だが、こちらも答えは変わらない。彼女には申し訳ないが、

 

「――いや。ごめん、やっぱり記憶にない」

 

 シャオンの言葉にシャロは表情を変えない。

 それがむしろ不気味に感じたが彼女がそれを察したのかすら読み取れない。

 だが、シャロは少し考えた後に、

 

「そうですか……なら、その答えもこの『聖域』にあります。――そこで、明らかにしましょう、私と貴方の関係について」

 

 はっきりとした口調で、告げたのだ。

 

 竜車は順調に聖域へと進んで行く。

 竜車の中には眠っている二人の僅かな寝息と、ガーフィールの貧乏ゆすりによる振動だけが響いていた。

 今いるメンバーで談笑し合うような仲ではないが、会話が一切ないのはつらいところもある。

 だが、その静寂のおかげかスバルは気になることがあったことを思い出す。

 

「……」

 

――シャオンの娘。

 少し前の世界でスバルは『シャオン』と名乗る男にあっている。

 勿論、『雛月沙音』とは別人であろう。

 シャオンと同じくらいの髪を白髪に染めた男性。纏う雰囲気も、持つ威圧感も何もかもが違う存在。

 彼は去り際にスバルへ確かにこう告げていた。

 

『いずれ来る娘を、頼む。その子はきっと君らの運命に大きく関与するだろうからね』

 

 同じ名前の人物、娘、そしてそれがスバルの、いやこちらのシャオンの前に現れた。

 偶然、あるいは勘違いであるにして出来が過ぎ来ている。

 なにかが、あるのかもしれないがその考察をするには『沙音』の存在がすべてを否定する。

 

――同じ世界から来た存在であり、知識も有している。詳しくは見ていないが道具だって同じものを使っていた。

 

 この世界に関与する機会は、スバルがこちらに来たタイミング以降だけであり、それ以前は不可能なのだ。

 

「スバル?」

「なんでもね」

 

 彼自身嘘を吐いているようには見えないし、なにより同じ世界から来た仲間でもあり、『死に戻り』を共有できる唯一の仲間でもある。

 ただでさえ色々と負担をかけてしまっている彼に、これ以上確定じゃない情報を与えて重荷にさせたくはない。

 やはり伝わってこない言い回しに首を傾げるが、ガーフィールはそれを説明するつもりはないらしく、頭の裏で腕を組むと座席に体重を預けてリラックス体勢。どうにも話題が途切れて、スバルは小窓から外を眺めつつ、膝上に寝かせたエミリアの銀色の髪をどさくさ紛れに指で梳く。

 いまだ、目覚めないエミリアだが表情は先より安らかなものになっている。同様にシャオンに寄りかかるようにしているアリシアも先ほどよりは表情は柔らかくなっている。

 ガーフィールの主張通り距離を取ると影響は遠くなってくるようだ。

 と、そう考えて気にかかるのは、

 

「なぁ、さっきは聞きそびれちまったけど、お前はロズワールの知り合い……だよな」

「俺様の名前っぐらいは聞いたことあんじゃねェか? 一応って頭につけっけど、俺様はロズワールの関係者じゃぶっちぎりで最強だからよ」

「要領を得ねぇ……有力者とか、聞いてた覚えがあるけど」

 

 まさか武力持ちだから『有力者』などと呼ばれていたわけではあるまいか。だとしたらガーフィールとは、政治的な意味での協力者ではなく、脳筋的な意味での協力者ということになるのか。

 

「なんで、こう。俺らの周りには素直に政治的な意味での権力者、って言うか協力の当てがないんだろうか」

「そりゃ、おまえ。ロズワールが関わっているからだろう」

 

 シャオンの言葉にスバルは容赦ない事実を突きつける。

 頭を抱えるシャオンは滑稽ではあるが、確かに『聖域』を目前にして、警戒すべき相手と一応は友好的な接触ができたのは拾いものだが、頭痛の種が増えてしまったというのは悩みどころだ。

 

「結局『聖域』でロズワールに聞きたいことがまた増えちまった。問題解決するために動いてるはずなのに、問題が増えてる気配しかしねぇぞ、どうなってんの?」

 

 頭を抱えて、スバルは前途多難の難がさらに増えたことに表情を曇らせる。が、それを聞きつけたガーフィールは小さく舌を鳴らし、鋭い犬歯をそっと覗かせながら、

 

「『聖域』――ね」

 

 意味ありげな呟きにスバルが顔を上げると、ガーフィールは小さく手を振る。それから彼は立ち上がって進行方向――即ち、目的の『聖域』の方へ顔を向けると、

 

「ロズワールに言われたこと鵜呑みにしてやがっから、そんな呼び方してやがんだよな。知らねェってのはともかく、知らせてねェってのはクソのやるこった」

「俺も正直同意見だけど、いないとこで陰口とか性格悪いにもほどがあるからやめとこうぜ。……つか、なんか気に触ったか?」

 

 明らかに『聖域』という単語を耳にしたことで不機嫌になったガーフィール。スバルは失言があったかと様子をうかがうが、それに対する彼の反応は端的なものだ。

 即ち、似合わない皮肉げな笑みを口元に作り、

 

「そろっそろ、お姫様が目覚める頃だと思うぜ。結界からけっこう離れたっからよ」

「結界ってなにが……と、エミリアたん?」

 

 疑念の声を上げる前に、スバルは自分の膝の上で身じろぎするエミリアに気付いて声をかける。うっすらと瞳を開いた彼女は、ぼんやりとした眼で竜車の中を見回す。まだ意識が覚醒し切っていない中、その紫紺の瞳でスバルを見つめ、

 舗装されていない道を進んでいるにも関わらず、車内にその揺れが及ぼす影響はごくごく軽微。何度味わっても、実際に利用するに至ってもこの『加護』とやらは不可思議な効力を持っているものだと思う。

 

「あ、れ?_しゅばる?」

「寝起きも超絶可愛いけど、それどころじゃないぜ、エミリアたん。どっか調子おかしかったりとか、頭痛かったりしてない?」

「ぇっと、全然? なんにも変な感じしないけど……っ」

 

 受け答えの最中で意識が完全に覚醒したのか、勢いよく起き上がるエミリアにスバルが慌てて頭を後ろへ。危うくヘッドバッドを交換するところだった二人だが、エミリアはその間一髪に気付かない様子でスバルを振り返り、

 

「だ、大丈夫だった、スバル? 私、守るなんて言ってたのに倒れちゃって……ッ」

「そんな心配しなくてもどうにか切り抜けたよ! 対話によるコンタクトの成果が出た。人は言葉というコミュニケーションツールで繋がり合える、その第一歩をここにこうして踏み出せたんだよ。俺、コミュ障だけど」

 

 詰め寄ってくるエミリアの肩に触れて落ち着かせ、適当を言いながら彼女の様子を観察。立ち上がって歩けたところも、目の動きや顔色も、言葉が呂律が回っていなかったりすることもない。

 

「なァ? 言った通りだったじゃねェか。そこの女も、もうじき目が覚めんだろ」

「……むしろまだ寝てんのかこいつは」

 

 ガーフィールに顎で指されながらも、小さく寝息を立てているアリシアを軽く小突く。微塵も起きる気配はない。

 よほど疲れがたまっていたのか、眠りは深い様だ。

 その光景が面白かったのか、ガーフィールが笑い、そしてエミリアは初めてこの場に見知らぬ存在が増えていることに気付いた様子で驚き、すぐにスバルを背後に庇うような立ち位置で彼に向かい合い、

 

「――誰!? 言っておくけど、スバルには指一本触れさせないから」

「エミリアたん、大丈夫だから! あとお願いだから俺のヒロインポジ確立させるような発言重ねるのやめて! 俺のゲージはそろそろギリギリよ!」

「もうないようなものだよ、気にするな」

「気にするの! 男の子だもん!」

 

 スバルが後ろから取り縋ってエミリアの迎撃態勢をほどかせ、シャオンはガーフィールに向き直って彼を示す。

 

「彼はガーフィール。みんなが意識を失った時に竜車に入って……迎えってわけじゃないだろうけど、今は『聖域』まで同行中」

「ガーフィールって……この人が? フレデリカの言ってた人?」

「なんって言われてたのか気になっけど、それは後回しにしておくとしようぜ。そら、そろっそろ村に到着しちまうっからよ」

 

 先のスバルと同様の感慨を覚えるエミリアに対し、ガーフィールは状況を整理する時間も与えずに顎をしゃくる。その彼の示す通り、行く先にはどうやら森が開け、目的地である村の外観が見えてきたようで――。

 

「歓迎するぜ、エミリア様とその御付き共」

 

 敬称付き、だが言葉の節々、何より彼の表情からは敬意や好意などは含まれておらず、むしろ敵意すらあるほどの歓迎の言葉。

 そして、こちらの訝し気な視線に牙をカチ、と鳴らした。

 

「ロズワールの糞野郎は『聖域』なんてきれいな言葉で読んでいるが、そんな言葉とは程遠い、半端モノの寄せ集めが暮らす、行きつまりの実験場だ……俺様ァ、『強欲の魔女の墓場』って呼び方のほうが正しいと思ってけどなァ」

 

 忌々し気に、その最悪な名前を口にしたのだ。

 



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ボロボロピエロ

「強欲の魔女の墓場、ってどういう意味なの?」

 

 問いを発するエミリアの瞳は毅然としていたが、そっと見えないように伸ばされた指先がスバルの服の裾に甘く絡んでいるのが見える。

 やはり不安な部分もあるのだろう。だが、それでも彼女は真実を知ろうと口を開く。

 

「魔女――基本的に、『魔女』と名のつく存在は嫉妬の魔女のことって周知されてる。他の大罪を冠した魔女のことなんて、ほとんど知れ渡ってないもの」

「え、そうなの? でも、四百年前から有名な連中だったんじゃなかったけか?」

「エミリア様の言い分で間違いねェよ。あー、スバルでいいか。嫉妬の魔女が有名すぎて霞むとかじゃねェんだ。嫉妬の魔女に食われた他の魔女の記録は、ほっとんどどっこにも残っちゃァいねェ。けどま、例外もあるっちゃァある」

「ここがそう、だっていうことか?」

 

 スバルの疑問を引き継いだガーフィールが、シャオンのその問いに顎を引く。

 

「ま、まさか魔女教徒とかって各魔女ごとにいたりとかしないよね? 大罪司教のひとりぶっちめるだけでどんだけ苦労したと思ってんだ、勘弁してくれ」

 

 走った悪寒の理由はまさにこれで、無視できない要素であると考える。

 ペテルギウスは、嫉妬の魔女であるサテラを信奉する一派の幹部であったと考えていいだろう。『暴食』や『強欲』といった面子もまた、その同類のはずだ。

 が、もしも仮に他の魔女を信奉する一派も存在するのであれば――、

 

「おっかない話してますけど、その心配はいりませんよ、ナツキさん」

 

 だが、そんな背筋を駆け上がった悪寒を否定してくれたのは、手綱を握って前を向くままのオットーだった。そもそも魔女教に関して無知なエミリアや、イマイチ信用の置けないガーフィールと違い、オットーは信頼値と民間感覚において期待が持てる。オットーの知る知識は、おそらく市井のそれと判断していいだろうからだ。

 

「魔女教……なんてあまり口に出したくもありませんが、彼らが崇めるのは嫉妬の魔女だけです。他の魔女は嫉妬の魔女以上に口に出すのもはばかられるってなもんです」

「嫉妬の魔女より……? どゆこと? 嫉妬の魔女より性質が悪いってこと?」

「信奉する魔女以外の名前を聞いたとき、魔女教徒がなにをやらかすのかわからなくて恐ろしいってことですよ。南のヴォラキア帝国で、都市ひとつ壊滅した騒ぎをご存知ですか?」

 

 オットーの振ってきた話題に、スバルは以前に聞いたことのある話を思い出す。ペテルギウス討伐の際、魔女教徒の恐ろしさを語る上でヴィルヘルムがスバルに話してくれた内容だ。確かそれは、

 

「大罪司教がひとりで、そのなんちゃら帝国の都市を一個落としたって話だろ。英雄がいても止められなかったとかなんとか。確か――」

「『強欲』――レグルス・コルニアス」

 

 呟いた言葉に全員の視線がシャオンへと集まる。

 魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス。

 妻と呼ぶ一人の女性を戦場に連れ歩き、無傷ですべてを蹂躙する『怪物』だ。

 シャオンが持ちうる全力を出しても、傷一つつけられないどころか服に汚れ与えることすらできなかった存在。

 こちらの世界に来てから様々な人間に出会ったうえでの判断だが、戦闘力で言うならばラインハルト並ぶだろう。そんな驚異的な存在ならば、都市一つを落としたということが嘘や大げさに伝えられているわけではなく、文字通り『1人で滅ぼした』のだろう。

 

「……知っているの、シャオン?」

「少しの因縁がある相手だよ、深くは聞かないでくれ。ほんの少しの因縁があるだけであんまり知らないんだ」

「ご、ごめん」

「あ、いや。こっちこそ悪い、あんまりいい思い出がなくて」

 

 言葉の節々から感じたのであろう棘にエミリアが委縮してしまう。

 それを見てシャオンも随分と気が立っていたのだと気づき頭を下げるという互いに頭を交互に下げ続けるというどこか珍妙な光景が繰り広げられた。

 その妙な空気を感じたからか、何も考えていないのかはわからないがガーフィールが面倒くさそうに話題を逸らす。

 

「ま、細かいこたァ俺様も知らねェ。っけど、ここが強欲の魔女の墓場だってのはジジイババアが『聞いた端から爛れるペロミオ』ってぐらい繰り返すっから間違いねェ」

「なにが爛れてんのか興味は尽きねぇけど、お前も詳しく知ってるわけじゃないのな」

「俺様は俺様が最強ってことにしか興味ねェよ。詳しい話が聞きたきゃそれっこそロズワールの胸倉掴んで聞きやがれ……今、できるかは知らねェが」

「――? それは……」

「すみません。到着した様子なんですが、これそのまま中に入っても?」

 

 意味深なガーフィールを、エミリアが追及しようとしたが、それを確かめるより早く、前方の御者台からオットーが声をかけてくる方が早かった。

 その呼びかけに外を見ると、

 

「ここが、『聖域』」

 

囁くようなエミリアの声音に、全員が同じような吐息を零して目を細めた。

 そこは長く続いた深い森を抜け、開けた空間に存在するさびれた集落だ。

『聖域』の呼び名から受けたイメージとは正反対で神聖さよりも貧相さが目立っている。

集落の入り口には苔の生えた石が倒れたままになっており、点在している石造りの住居は蔦が巻き付き、古めかしいものだった。

 

「辛気臭い、って言うのは失礼か?」

「別に否定はしねぇよ。中にいる連中ももっと辛気臭ェぜ?」

「自分の住む集落だろう、容赦がないな」

 

 謙遜が自分の故郷を悪く言わせる場合もあるが、彼のそれは気遣いを感じられない。

 彼が本当にこの場所を、『聖域』を疎んでいることは事実。ともあれ、

 

「このまま、竜車で適当なところまで……」

「――戻ったの、ガーフ。ずいぶんとおそかったようね」

「「「あ」」」

 

 各人の『聖域』への印象は後回しに、集落の奥へ竜車を走らせようとしたところで、聞き覚えのある声に全員がそろって驚いた。

 声は竜車の進路、集落の奥から投げかけられたものだ。

 そちらから姿を見せたのは、凛と背筋を伸ばした少女。

 その少女の姿を見て、ガーフィールはさっそうと竜車から飛び降り、手を上げて笑いかけた。

 

「よォ、わざわざ出迎えなんざ珍しいじゃねェか、ラム」

「別にガーフを迎えには来ていないわ、思い上がりね」

 

 その悪態にガーフィールはやけに楽しんで接している。

 初めて少女を目にしたオットーは目を丸くしているがシャオン達は、

 

「――ラム!」

 

 人呼んで、ロズワール邸の働かない使用人、ラムとの数日ぶりの再会だった。

 

「だいぶ時間がかかっていたようだけど、道草を食べたいのならそう言いなさい。山ほど用意してあげるから」

「へいへい」

「……そこの見るに堪えないほどの表情で涎を垂らして眠りこけている後輩は大丈夫なの?」

「事実だけど毒舌だね、ラム嬢……大丈夫、眠っているだけ」

 

 寝言を言いつつも肩を涎で濡らしてくるアリシアはシャオンに担がれ今も夢の中。

 そこで、オットーが「あ」と口をひらく。

 

「そういえば、ぐっすりと眠っているアリシアさんはどうしましょう。起こしたほうが……起きなさそうですが、寝かせる部屋は?」

「……この周辺に空いている部屋は少ないわ、ガーフ。竜車と御者に合わせてダメな後輩を案内なさい。シャロ様、申し訳ありませんがお手伝いを」

「了解ッと。おい、御者野郎。案内すッからついてこいや」

「それぼくのことですか!? これまでで一番最悪の認識なんですが!」

「いくぞーぎょしゃやろー」

「シャロさんまで!」

 

 と名乗ったはずなのに御者野郎呼ばわり。

 そんなぞんざいな扱いを受けたオットーが救いを求めるようにこちらを見るが、

 

「強く、生きろよ」

「う、裏切り者ぉぉ――!」

 

 そんな絶叫と共にオットーは強引にガーフィールに連れていかれる。

 勿論、アリシアとシャロも合わせて乗り込む。正確には担がれて、だが。

 

「……中でロズワール様がお待ちです、エミリア様……とその他」

「扱いが雑だなァ!」

 

「黙ってついてきなさい……他」

「そのすら消えた!?」

 

 そんな騒がしいやり取りを行いながらラムに案内された先にあったのは――『聖域』では、最もまともな形を保った建物の一つだった。

 石材で組まれた建物の大きさは、元の世界基準で言うなら一戸建ての平屋相当。

 屋内は簡単な間取りによって部屋が区切られており、住み心地はそれなりだろう。

 ロズワール邸やアナスタシア邸などの豪華な屋敷ばかりを見てきたシャオンではあるが、住むには十分快適に住めるだろうと判断できるものだった。

 そんな感想を抱く中――

 

「やーぁ、エミリア様にスバルくん。それに我が弟子シャオンくん。ずーぅいぶんと、久々の再会な気がするねーぇ」

 

 相変わらずの胡散臭い笑みで来訪者の自分達に手を振るロズワールとの再会があった。

 だが、シャオンにとってはそれに返す余裕もなく、今目の前にいる彼のその姿の異物感に驚くだけだった。

 いや、正確には――『シャオンの知るロズワール』と『今目の前にいるロズワール』との差異が大きすぎたからだ。

 

「まずはエミリア様がご無事でなによりでしたよ。ラムから屋敷周辺に起こった問題に関しては聞いていましたかーぁらね。あなたの身になにかあっては困ると、生きた心地がしませんでしたよーぉ」

「そう思うならもうちょっとマシな準備が……いや、んなことより、お前の方こそなんだよ。これ、どういうことがあったんだよ」

 

 エミリアの無事に安堵している様子だが、相対するスバルたちは気が気でない。話したい内容の数々が、今のロズワールの前では霧散するよりなかった。

 寝台に横たわり、その体中に血のにじんだ包帯を巻く痛々しい姿で二人を出迎えたからだ。

 上半身は隙間なく包帯を巻かれ、重傷も重症。瀕死の状態といえる。

 その状態でも道化師の化粧は欠かさず、口を開くのもつらいだろうにそれすら感じさせないようにふるまっているのはむしろ恐怖すら与えている。

 その視線に、ロズワールはかろうじて負傷の少ない左腕で塞がった左目を眼帯の上から軽くなぞり、

 

「おーぉやおや。それを聞いちゃう? 私もこれでも一人の男なんだよーぅ? こうして醜態をさらしているだけでも本当はつらい。が、そっとしておいてほしい気持ちもわかってもらいたいものだーぁけどね」

「そんなわけにいかないでしょ。ホントにどうしたの、ロズワール。こんなにケガして……それも、あなたがなんて」

 

 誤魔化されるはずもない軽口にエミリアが反論し、彼女は震える指先を伸ばしかけるが、どこもかしこも傷だらけのロズワールに触れることをそのまま躊躇う。そんな彼女に苦笑し、ロズワールは右目を天井へ向けると「さて」と呟き、

 

「どこから話したものでしょう。まーぁ、私の負傷に関しては名誉の負傷であるとか、体面上仕方なくといった意味合いが強いとお答えしますが、ね」

「ごまかすのはよくないと思いますよ、エミリア嬢も、俺も、スバルも全員が真剣に聞いているのです。心配、していたのですから」

 

 その様子に僅かに片眉を上げ、いかにも驚いたような表情でこちらを見る。

 その様子にすらも若干苛立ちを覚えながらも、シャオンは呆れた様にロズワールを見つめ返す。

 

「なんです? 心配していたのがおかしいとでも?」

「いやいや、まーぁさか、嬉しいとも……だけど、どうやら君もエミリア様も虫の居所がよろしくないご様子。それも、この場所では仕方のないことかもしれませんけーぇどね」

 

 ロズワールの指摘にスバルが違和感を覚えるのと、同じタイミングで、その指摘にエミリアはわずかに眉を立てる。

 図星を突かれたシャオンも同じ表情をしているのかもしれない。

 

「……ざわざわって、心が落ち着かないの。ここっていったいなんなの? 『聖域』なんて呼び方をしてたけど、私には全然そう思えない。むしろ、それよりも……」

「魔女の墓場であると、そう呼んだ方がずーぅっと納得ができる?」

「――っ!」

 

 声の調子を落として放たれたロズワールの『聖域』の別名に、この場にいる全員が強く息を呑んだ。ガーフィール以外がその単語を口にしたことで、俄然その単語の意味が重くなったのだ。

 そして、重くなると同時にますます聞くべき情報が増えたことを意味するため――スバルが先に口を開く。

 

「待て、一度聞きたいことを整理しよう。今のままだと、話の方向がしっちゃかめっちゃか動いてまとまりゃしねぇ。結論が出なくなっちまう」

「おーぉや? 珍しくまともな提案だ。しばらく見ない間にずーぅいぶんと仕切りがうまくなったじゃーぁないの。スバルくん、なーぁにか心境の変化でもあったのかーぁな?」

「変化ってほどじゃねぇけどな、そのあたりを話し出すと長々と語ることになるから、その辺はこっちの聞きたいことが終わったらまとめて自慢するよ。あ、そうだ、一個だけ」

 

 茶化してくるロズワールに指を立てて、スバルは彼を睨みつけ、

 

「クルシュさんとの同盟は成ったぜ。ラムから聞いてるだろうけど、これで俺を置き去りにしたのには満足かよ」

「――満足だーぁとも。やーぁはり、君は待望の拾いものだった」

 

 口元を満足げにゆるめるロズワールに、スバルは嘆息して目をつむる。

 本音を言うと怒鳴り散らしたいところだが、彼の態度には上げた拳を下すしかないのだろう、勿論負傷しているという点もあるが。

 

「……まず、アーラム村の人たちだ。ラムに無事だとは聞いたけど、ほんとうにだいじょうぶなんだな?」

「安心したまえよ。この体たらくで信用がないかもしれないけど、わーぁたしも領主という立場だーぁからね。領民を守るために体を張るぐらいのことはさせてもらいましたとも。皆、この村の大聖堂で生活してもらっているよ」

「大聖堂、ね。そこの場所は後で聞くとして、そうすると次は……」

「この場所の話、聞かせて。ロズワールは『聖域』って呼んだ。でも、ガーフィールは『強欲の魔女の墓場』って呼んだ。どっちが本当なの?」

 

 スバルの進行に割り込み、エミリアが次なる話題にそれを選択する。

 順当に質問すべき内容の一つで、そのことに異論はない。むしろ、エミリアがしなければシャオンがしていた質問だ。だが、若干の硬い声で問いただす態度が彼女らしくないなと思った。

 その張り詰めた声に、ロズワールは薄く笑みを浮かべて応える。

 

「どちらも本当ですよ、エミリア様。意味も、何もかも言葉通りです。この場所はかつての『強欲の魔女』と呼ばれた存在――エキドナの最期の場所であり、私にとっては聖域と呼ぶべき土地です」

「――魔女」

「エキドナ……」

「――――?」

 

 問いかけに対する答えに、全員が同時に喉を詰まらせる。

 ロズワールは静かに、しかしこれまでの道化ぶりの一切が消えた声音で応じた。

 それと同時に、酷く胸を打たれるような情動が籠められたその呟きに、シャオンは――違和感を覚える。

 何故か、エキドナの名前におかしな感慨を覚えて、『知らないはずの彼女』の名にどこか懐かしさを覚えて、だ。

 そんな様子が表面にも出ていたのかスバルが心配そうにこちらへ視線を向ける。

 

「シャオン、大丈夫か?」

「いや、平気だ……それより。エキドナ、強欲の魔女、か」

「強欲の、魔女……嫉妬の魔女に滅ぼされたっていう、別の魔女のことよね」

「えーぇ、そうですとも。今や世界の歴史のいずこにも、彼女の名前は残されていない。わずかに、彼女その人を知るものたちの思い出の中以外には」

「待て待て待て、今の話はおかしいだろ」

 

 しんみりと語るロズワールの発言に、スバルは手を振って割り込んだ。片目だけの視線を細めてこちらを見るロズワールにわずかに気圧されながらスバルは、

 

「俺の記憶が確かなら、強欲の魔女……ってのが嫉妬の魔女にやられちまったのは四百年前だろうが。この場所が四百年前の魔女の最後の場所ってのは納得してもいいとして……お前がその本人を知ってるってのは、いくらなんでも」

「本人が知っているわけじゃない、だろう。たぶん、ロズワールさんの、あーメイザース家に伝わってきた何か……信仰みたいなものだと思う」

「聡い子で助かるよ。そう、これは代々メイザース家……ロズワールを継ぐものにのみ伝わる口伝のようなものだ」

 

 魔女との関係の空白部分をシャオンの指摘に従って埋めていく。その説明にエミリアが眉をひそめた。

 

「口伝って……それじゃ、メイザース家のずーっと古い頃の当主が、強欲の魔女と関わり合いがあったってこと?」

「――エキドナ」

「え?」

 

 ふっと、名前だけを差し込まれてエミリアが目を見開く。その彼女にロズワールは視線を向け、それから確かめるようにもう一度だけ「エキドナ」と繰り返すと、

 

「どーぅぞ、彼女を呼ぶときは名前を。『強欲の魔女』だなんて呼び名、いかにも邪悪な雰囲気がしてよくなーぁいでしょう? 長ったらしいですしね」

「えと、わかったわ。それで、そのエキドナの最期の土地がここで、彼女と付き合いのあったメイザース家がずーっと昔から管理してきた……そういうこと?」

「管理、というほど手がかかったわけではありませんがーぁね。エキドナの結界によって、迷い森は正式な手順を踏まない部外者を通さない。その上、結界は血の条件を満たすものには特殊な影響を与える……エミリア様も体感されたはずでは?」

 

 ロズワールの確信めいた問いにエミリアは、少し考えた後堂々と逆に聞き返した。

 

 

「結界に障って、気を失ったのはホントよ。でも、ガーフィールの話だと、あの結界に障って困るのは私みたいなハーフだけって……でもシャオンやアリシアにも影響が出ているのはどういうこと?」

「アリシアはハーフですよ。当人がいないのに勝手に話すのはどうかと思いますが」

「え、あ、そうなの?」

「ええ、親父さんから少し聞いたことがあります」

 

 彼女が結界を受けた理由は解決した。

 残る問題は――

 

「――君にも影響が出た、それは本当かいシャオンくん?」

「まぁ、はい。たぶん同じ現象が起きています。ちなみに、俺はハーフじゃないです」

「――――それは」

 

 今までとは違い、どこか別人のような神妙な顔で口元に手を当て考えるそぶりを見せている。瞳はこちらを見ているようでどこか遠く、別を見ているようで不気味だ。

そんな彼が次の言の葉を出す前にスバルが小さく手を上げた。

 

「あー、ついでに捕捉すると、俺も何もなかったわけじゃなくてな」

「え? それってどういうこと?」

 

 頬を掻くスバルの呟きに、エミリアが驚きで顔を上げる。

 結界の効果で意識を失い、状況がつかめていなかったが、シャオンが目を覚ました時には確かにスバルの姿は竜車の中にはなかった。

 そのことを聞き出すタイミングを逃したのもあるが、スバルが躊躇しているのはもう一つの要因が大きいだろう。

 何故なら、竜車の中で起きた出来事は輝石――それとフレデリカとの関係に触れずに話せないことだからだろう。

 一体何が起きたのかはわからない、だがあの輝石の反応などから託した彼女が何かを企んでいたことはあり得るのだろう。

 断定ができないのは彼女と接点を作ってしまたがゆえに、敵意のある相手とは思いたくない心情があるのだろう。だが――

 

「でも、なぁ」

「――スバル」

 

 決め手となったのはエミリアの真摯なまなざしと声だろう。

 その姿勢にようやく彼は観念して肩を落とす。それから懐の青い奇跡を取り出し、室内にいる全員に事情を明かす。

――結界で輝石が反応し、スバルだけが『聖域』とは別の場所へ転移したこと。そこで、とある少女と出会い、遺跡へと導かれ、中に入って意識をなくしたこと。その後はシャオンも知っている経緯を経て、今に至る、と。

 

「石は、出発前にフレデリカに渡されたもの。これが結界に反応して転移が起きたのは……間違いない」

「もともと石を持っていたのはエミリア嬢だ、本来の狙いは彼女だった可能性が高い、と」

 

 事情を語ったスバルに変わり、最後の部分を結び閉じる。

 その指摘にスバルは顎を引き、

 

「結界の力で意識を奪われたエミリアたんが、輝石によって転移。俺が五体満足なのはたぶん、本来の狙いとは違った奴が来たからなんだと思う」

「ええ、バルスとエミリア様じゃ比べるのすらおこがましいくらい正反対だもの。事前に情報さえ知っていれば考える間もなくわかることね」

「僥倖、と言ったところかーぁな? スバルくんも体に異常はないよーぉだしね?」

「ああ、無事だよ。少し擦ったけど文字通りかすり傷。少なくとも今のお前よりは健在だ」

 

 鼻を鳴らしながら応えるスバルは文字通り軽傷。

 ロズワールは苦笑いをしながらも重症のその姿では言い返せないらしい。

 そんなやり取りに呆れながらも、エミリアは脱線しかけていた話題を元に戻す。 

 

「フレデリカは、結界を通り抜けるために石が必要だって言ってたの。それで、その」

「エミリア嬢に石を持たせた。フレデリカ嬢の発言は本当ですか?ロズワールさん」

 

 心根の優しさからか、言いきれない彼女に変わりシャオンが訊ねる。

 この返答次第では、フレデリカが、彼女が―― 

 

「……いいや、結界を抜けるのに必要なのは正しい順路。道具ではない……つまーぁるところ彼女が何かを企んでいた証拠となるだろう」

 

 ロズワールの返答にエミリアは力なく肩を落とす。

 それも当然だ、今の話で彼女の謀反は殆ど確定的なことになったのだから。

 

「それにしてもしてやられたーぁね、長い付き合いだった彼女に裏切られるとは……だとすれば今の『聖域』の状態に深くかかわっているのも確実だ―ぁね」

「聖域の状況?」

 

 コテン、と小首をかしげるエミリアに、ロズワールは苦笑しながらも大げさに手を伸ばし、説明をする。

 

「エミリア様は不思議に思われませんでしたか? 『聖域』へ逃れた住人たちが、私どもも含めて屋敷に戻らずにいることを」

「それは、ロズワールの怪我が原因なのかなって?」

 

 ロズワールの投げかけた疑問、その答えにエミリアは彼の負傷を理由にする。

 実際、寝台に横たわるロズワールの傷は深い。屋敷に療養に戻ろうにも最低限の回復がなければ動かすこともままならないはずだ。

 だが、それは理由に当たらないと彼は横に首を振る。

 そして――

 

「――今、私たちは全員、この『聖域』から出ることはできない。いわば、軟禁状態だ。私も、ラムも、アーラム村の人間も……君達も、だ」

 

 と思いがけない爆弾発言を残したのだ。

 



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解放の為の試練

急いでかきあげですので誤字等あれば


 時刻は少しさかのぼり、場所も変わって竜車の中。

 オットーが竜車を止め、中をのぞき込んで一言話しかける。

 それは話しかけていいのか迷っているような声色で、小さく放たれた。

 

「……えっと、なんで寝たふりしているか聞いたほうがいいんですかねぇ」

「――そこは聞かないのがお約束っすよ」

 

 オットーの問いかけにパチリ、とアリシアは目を開ける。

 瞳に映ったのは竜車の天井とオットーだけだ。途中で声がしていたガーフィールとシャロはすでに姿を消している。

 彼等の役目は竜車を適切な場所へ、ついでに自分たちの寝泊まりする場所の案内だ。

 役割を終えたから去っていたのだろうが、表面上は寝ていたであろう起こすような真似はしないのはいささか扱いが雑ではないだろうか。

 あるいは、寝たふりなのを気づいていたのだろうか。現に彼らよりも戦闘力に劣るオットーにすら気づかれているのだから考えすぎではないだろう。

 自分の狸寝入りの下手さに呆れながらも、オットーの問いに答えるのならば、

 

「んー……今のシャオン、好きじゃないんすよ。なんていうか、不気味で」

「え? そうなんですか? 何か変わった様子も。あ! 流石は恋する乙女は変化に――あだだだ!」

 

 オットーの体が宙に浮く。アリシアの、勿論加減はした頭を掴んだ一撃、スバルが言うにはアイアンクローだったろうか。それを彼へと照れ隠し半分、残りは何となく放ったからだ。

 彼が掴んでいる腕を軽く叩き降参の意を示したのを見ると、ゆっくりと掴んでいた手のひらを開く。

 勿論手加減はしていたので後は引かないだろう。

 赤くはれた顔面を押さえながら彼は涙目交じりに抗議を上げる。

 

「もう! なにするんですか!? というか好きじゃないから寝たふりってどうなんですか!?」

「恋する乙女の秘密に足を突っ込んだ報いっす……それに途中まで意識がなくなっていたのは本当のことっす」

 

 噛み殺せない欠伸に苛立ちながら、アリシアは竜車の中で伸びをする。

 腕を回してみる限り体の不調はない。むしろ、絶好調といえるぐらいに持ち直せている。

 ただ、どこか頭がぼんやりとしているのが癪に障る。それもこれも夢の内容が、良いものではなかったからだろう。

 ゆっくりと思い返すその夢の内容。

 まず頭によぎるのは――広大な自然に、雲一つない青空。そこにはお茶を楽しむのにおあつらえ向きな、イスとテーブルがあった。

 その前にアリシアはただただ立っていたのだ。

 それだけならばまだ不思議な夢ではあるが、綺麗な景色に囲まれた、いい夢で終わるだろう。だが、そうはならなかったのだ。

 

『起き抜けに失礼だけど、伝えられそうなのは今くらいだからね――キミにも試練の権利はあるという事実を。裏側のだけれどね』

 

 妙に頭に響くその声は、先ほどまでの好印象な雰囲気を、台無しにするほどに、邪な存在から放たれた。

 吐き気を催すほどの、邪悪な存在が、黒い服を纏った女がテーブルに座ってこちらを眺めていたのだ。

 恐らく美人、という分類に価するであろうその女性、感情と言うものがまるで存在しないその存在は、どこか上から目線でアリシアに話しかけてきたのだ。

 初対面でもなるべくは穏やかな対応をする自分も、つい口調が荒くなってしまいそうになる、がその口がそもそも開かない。

 魚のようにパクパクと動かすだけだった。

 その滑稽さすら目の前の女は面白いのか、口元を手で押さえ、いかにも楽しんでいる『よう』に笑う。

 

『面白いその姿、もう少し見ていたいけど時間は少ない――君が次に来たら、お茶会話のタネにしておくよ。それに、私情だが話をしたい『魔女』もいるみたいだ……ご愁傷さま、彼を好きになったばかりにね』

 

 口にすることすら控えられる『魔女』の単語を軽々しく呼ぶこともだが、同情しているようなその言葉ですらどこか癇に障る。

 性格が根本的に合わないのだろう。彼女が水ならば自分は油。いや、どうせだったらこちらが水であちらが油のほうがいい。アリシアも女性、油扱いはされたくない。

 とにかく、相性が悪い相手だと互いにそう、初対面で認識をした。あちらはどう思っているかは知らないし、知りたくもないが。

 

『まぁ、ボクとしては彼と君は釣り合わないと思うよ。だって、君は過去に向き合うことすらできていないのだから――ホラ出ていった、その馬鹿力は嫌な奴を思い出すんだ』

 

 まるで最低限のことは伝えたのだから早く出ていけ、まるで役不足だとばかりにその夢のような空間から無理やりはじき出される。

 そして、現在へと至る訳だ。

 勝手に呼び出され、勝手になにか否定され、勝手に誰かと重ねられ、追い出された。

 そんな扱いをされたことに――

 

「……なんか腹立つ」

「え、それ僕のことです!?」

 

 呟いた言葉をオットーに拾われ、なおかつ勝手に面倒な誤解を抱いた彼に説明をしようと一度口を開くが、寝起きの気分が最悪だったこと、なにより説明する内容が彼女自身にもわかっていない。

 なので、至った結論は1つ。

 

「いや、あーもう。それでいいっす。謝れ、オットー」

「そんなぁ! てか、何もしていないのにこの扱いっていったい――」

 

 そう叫ぶオットーの言葉は恋する乙女の優しい蹴りによって消えていったのだ。

 

 

「軟禁とはまた……穏やかじゃない単語が出てきたな……」

 

 寝台に横たわるロズワールと向き合い、スバルは告げられた言葉を吟味しながらどうにか言葉を絞り出す。

 話の流れを鑑みて、場を和ませようとしているの

 

「それじゃまさか、ロズワールのそのケガは村の人たちに?」

 

 と、スバルと同じくその信憑性の大元に辿り着いたらしきエミリアが口にする。

 体中に包帯を巻き、うっすらと血のにじむ痛々しい姿でいるロズワール。それが冗談に聞こえない要因の大きな一つだ。

 だが、

 

「違います、ね。その傷、全て内側からのもの。」

 

 包帯の上からでは断定はできないが、ロズワールが現在負っている怪我、傷は外側から加えられたものではない。

 彼の負った傷は、ゲート、あるいはそれに類ずる何かを直接めちゃくちゃにかき回したようなものだ――自分がそれをわかる理由は、成長のおかげだと信じたい。

 それに、理由としてはロズワール・L・メイザースの存在は、非常に限られたレベルで優れた魔法使いという印象が強い。

 事実、ルグニカ王国における筆頭宮廷魔術師という立場にある彼の実力は、身をもって体験している。仕事に余裕があるときはボロボロになるまで鍛えられたものだ。

 その彼をして、この様にさせる存在は考えにくい。

 

「……驚きを隠せないねーぇ? 大分見方が変わって成長が実感できて師匠として誇らしーぃよ?」

「んで、その出来のいい弟子の成長を見れたのに満足なら、正直に話してほしいもので」

 

 そんなシャオンの推測にロズワールが感心半分、からかい半分の目でこちらを褒める。

 まさに弟子の成長を喜んでいる、という呑気な態度に、スバルが苛立ったように吠えた。

 

「……ってか、それってどういう意味だよ。さっきの話と食い違うぞ。お前、軟禁されてるって……」

「こうして負傷した私の身柄が拘束されてるわけだから、軟禁って言って間違いじゃなーぁいでしょ。軟禁目的でケガさせられたんじゃなくて、ケガした私が軟禁させられているってーぇこと。……詳しく話すと、それとも違うんだーぁけどね」

 

 回りくどいロズワールの物言いに、スバルの頭上に疑問符が飛び交う。噛み砕いて、どうにか落ち着けて文脈を整理してみるに、つまり、

 

「お前のケガに『聖域』の連中は無関係、ってことでいいのか?」

「厳密には無関係というわけじゃーぁないんだけど、ケガの直接的な原因が彼らかと問われれば違うと答える。つまり、そーぉゆぅこーぉと」

 

「つまり、間接的には関係あるってことだな」

 

 首を傾けていたロズワールが、スバルの指摘に鼻白むように瞬いた。それから彼は小さな吐息をこぼしつつ、「成長する子を見る気分だねぇ」と茶化す。

 その態度にスバルは核心の糸口に触れたと判断。追及の手をゆるめまいと、言葉を選んでロズワールへ問いを投げようとする。が、

 

「――バルス、少しはロズワール様を労わったらどうなの?」

 

 言いながら会話に割り込んだのは、これまでこの場面に参加していなかったラムだ。エプロンドレスの裾を揺らす少女は楚々とした足取りで部屋を横切り、その手に持った盆の上から湯気の立つ紅茶をテーブルへ並べる。

 かぐわしい香りが室内に立ち込め、嗅覚を刺激されたことでスバルは視野が狭くなっていた事実を思い知らされる。ついで、問い詰めようとしたロズワールの容態のパッと見のひどさにも。

 

「これだけ傷付いていらっしゃるロズワール様に詰め寄って、根掘り葉掘り聞き出して満足? 痛くて苦しくて、泣きそうなロズワール様がお労しい」

「反省させられたってのにする気なくなる言い方すんなぁ。そもそも、これが痛い苦しいで泣くような性質かよ、似合わねぇ」

「うぅ、痛いよーぅ、苦しいよーぅ。思いやりと気遣いの心に欠けた言葉が傷口に沁みちゃーぁうよぅ」

 

 ラムの文句に悪態で応じるスバル。そのスバルの台詞を揶揄するように、寝台の上でロズワールが小芝居を始める。苛立ちにスバルが眉根をひくつかせ始めるのと、咳払いしてエミリアが乱れた場の空気を揺り戻したのは同時。

 彼女は三人からの視線を集めながら、「とにかく」と前置きして、

 

「ロズワールの体調が思わしくないのは見ててもわかるから、なおさら早く話を終わらせましょう。治癒魔法はかけてないの?」

「治す方の魔法はラムは門外漢ですので……」

 

 無表情ながら悔しげなラムの答えに、エミリアは期待薄そうな目でロズワールを見る。その視線にロズワールは掲げた手をゆるゆると振り、

 

「同じく、破壊特化でしてーぇね。壊す、侵す、惑わすといった分野なら一通りなんでもこなせるんですが、こと癒す方面に関してはからっきしですよ」

「ひっでぇ話だな。攻めるより守る方の技術もちゃんと磨いとけっての」

「こういうので偏るんだよな、こういう技術――ほら、治しますよ」

「いーぃや、遠慮しておくよ。命に別状はないし、いまは他に優先すべきこともあーぁるしね。それに――これは、そうやすやすと治してはいけない傷だ」

 

そう言うロズワールはまるでその傷跡が宝物であるかのように愛おし気に、指先で触る。

きっと激痛が走るのにそれすらも感じさせない表情と、それをわかった様子で行う異端さに思わず引いてしまうほどだ。

 

「まァ、そこらにしとけーっつの。あんましケガ人に無理させるもんじゃァねェよ。『走りがけの斑クチバシがドス黒い』たァいえな」

「――っ」

 

 そんな中、どう聞き出そうかとしていると、不意の声に驚かされ、全員がその声の出所へと視線を向ける。

 そこに、部屋の入り口に現れたのはガーフィールだ。

 彼はぐるりと部屋を見回し、エミリアに対して口笛を吹く。

 

「おいおい、そんな殺気立つなよ、挨拶にしちゃァ乱暴だぜ?」

「さっきまでのお話で、一番危なく思えたのが貴方だったから、念のため」

 

 と、こちらを庇うように立つのはエミリアだ。

 その反応に楽し気に牙を鳴らすが―フィルにシャオンはここで一争いが起きるのかと内心ドキドキしつつも、ここで気づいたことがある。

 

「オットーと、アリシアはどうした? 一緒にいたよな」

「あァ? んなの考えりゃわかんだろ……?」

「雑な挑発はやめろよ、ガーフィール。キミにそんな度胸はないだろう?」

「――――ッ!」

 

 シャオンの放ったその言葉は、部屋の中の空気を換えるには十分なものだった。

 ガーフィールの瞳がより一層に鋭くなり、全員の背中な産毛までがぞわりと逆立った。 

 一触即発、両者の間に戦いは避けられない雰囲気が高まる。

 

「――いいぜ、ヤル気はなかったがご所望なら俺様が相手に……だはぁ!?」

「いいわけないでしょう。分別と場所と相手をわきまえなさい、馬鹿ガーフ」

 

 だが、その爆発寸前の空気は、鉄のお盆の強烈な打撃音に打ち壊された。容赦ない一撃で彼を轟沈させたのは、やり取りの間に彼の背後に回り込んだラムだ。

 悶える彼を見下ろし、ラムは嘆息する。

 

「エミリア様、シャオン、それについでにバルスも、早とちりはみっともないわ。さっきシャオンが言った通り、ロズワール様のお怪我にガーフは、外の存在は無関係」

「……そうなの?」

「俺の目を信じてくれるならそうだね」

「ご、ごめんなさい! わたしったら勘違いしちゃって、てっきり貴方が二人をその、食べちゃったかもって!」

「その発想はなかったよ!? エミリアたん?」

 

 命の危機、ぐらいまでは確かに疑ってはいたのだろう。そんな具体的かつ野性的な方法だとは想像していなかったのだろうが。

 あたふたしながら床に膝をつくガーフィールに駆け寄るエミリアに続き、スバルも少し離れて彼の様子をうかがう。シャオンは万が一でも二人を庇えるように態勢を整える。

 緊迫した空気が少しは緩和してもいまだに警戒は解けない。そんな中、危うく大惨事を引き起こすところを防いではくれた彼女に感謝をしようと視線を移す。

 

「にしても助かったよ、ラム嬢。あと少しで――お盆ボロボロ!」

「ガーフを止めるのに必要不可欠な損害よ。シャオンがお盆の代わりにボロボロにならない様に、次の一撃でお盆が壊れないように祈りなさい」

「……はぁい」

 

 暗に彼女から次の手助けはそこまで期待できないことを聞かされつつも、そんな彼女の態度を他所に、殴られた被害者であるガーフィールは部屋の片隅にある椅子に勢いよく腰を下ろした。

 そして、頭をさすりながら。

 

「ラム、悪ィと思ってんなら茶ァ」

「ちょっと外で落ち葉を拾ってくるから待ってなさい」

 

 そんな要求に鼻を鳴らし、ラムは本当に家の外に出ていった仕舞う。

 果たして、拾った落ち葉で彼女が何をするつもりなのかは、想像ができるがしたくない。

 どちらにしろこの後落ち葉を使ったお茶を味わう可能性があるガーフィールを見ると、舌打ちをしつつ話を本題へと戻す。

 

「で、さっきの反応からすっと、まぁだ肝心の話はしてねぇみたいだなァ……せめてエミリア様にゃァ話す責任があんだろォ」

「――私?」

 

 ラム不在の室内で、ガーフィールが貧乏ゆすりしながら話題の焦点を変える。

 彼の発言からエミリアが話題に出てくるも彼はその驚きに取り合わない。代わりに、険悪な目つきでロズワールを突き刺す。

 

「エミリア様が『聖域』に入った時点で、事の問題は俺様たちまで巻き込んでってことになんだよ。それをなんだァ? まだ肝心の話にすら入っちゃァいねェ。てめェら、ここに遊びにきたってのかよ」

 

 後半の怒りはロズワールだけでなく、押し黙るスバルたちにも向けられていた。特にエミリアを見る彼の視線に宿る激怒は只事ではなく、小さく肩を縮めた彼女を庇うようにスバルは前に立ち、

 

「待てって。お前が怒ってるってのはわかるけど、その怒り出した理由がこっちにゃ見当もついてない。わかってない相手と話しても苛立つばっかだろ?」

「それが気にいらねェって言ってんだろが。当事者がそんなんで……」

「その当事者蔑ろにして話進めてんのが君と、ロズワール。ちゃんとその問題に関わって悩んでどうにかしてほしいって思うんなら説明責任を果たしてくれ」

 

 スバルをサポートするようにシャオンも言葉を続ける。

 事実、彼の言い分は正しいこともあるが、多くは――

 

「――ちっ」

 

 そのまま黙って眼力の交換をし合っていると、先に視線を外したのはガーフィールの方だった。彼は舌打ちして背もたれに体重を預けると、その短い金髪に指を差し込んで乱暴に掻き毟り、

 

「あァっだよ! わァってんよ、今のはただの八つ当たりだ! カッとなっちまったんだよ、悪かったっつってんだろ、オイ!」

 

 感情的になって視野が狭まるわりに、すぐに客観的な部分を取り戻して非を認められる。それはひどく難儀な性格に思えて、スバルは憤慨より先に苦笑してしまう。

 それを受け、ガーフィールは「はァ」と似合わないため息をこぼし、

 

「だが、テメェらがどこまで想像がついているのかの確認は取りてェ。どこまで説明して、どこから教えなくていいのかァ知る必要があっかッラナぁ」

 

 その目線はシャオン、ではなくスバルだ。

 つまり彼が力を、スバルが持つ考えを話すように要求しているのだ。

 ならばシャオンの出番はない、と身を引く。

 スバルもそれはわかっているようで、彼も真っ先に口を開いた。

 

「まず、ロズワールの軟禁話と無関係じゃないのがその巻き込まれた事情ってやつだろ。んで、ロズワールの話じゃ軟禁は力ずくじゃない。それにシャオンの目が正しいってこと、ラムの言葉を信じるならロズワールの負傷は別、というよりも今は負傷そのものよりも」

 

 ぶつぶつと考えを口にしながらまとめていく。

 そうして、一度目を閉じ、ガーフィールに指を突き付ける。

 

「――軟禁への原因が負傷じゃなく、お前の腕力でもないなら、『聖域』を守るための特殊な術式だろ」

 

 確信めいた発言にガーフィールは僅かに眉を動かす。

 だが無言を突き通す彼に気にした様子はなくスバルは続けた。

 

「結界に触れて、3人は気絶した、ガーフィールの話じゃそれは3人だけじゃなくて――この聖域で暮らす、大半の奴がそうだ」

「つまり、スバルは結界の影響で、ロズワールたちは中に足止めされている」

「それで屋敷に戻りたくても出てこれなかった、ってことか」

 

 考察がかみ合い、スバルはエミリアとシャオンに喜んでハイタッチを求める。

 と言ってもこの行為の意味が伝わっているのはシャオンのみらしく、エミリアは首を傾げすごすごと手を下してガーフィールを見た。

 

「さて、正解は?」

「――こそ泥って評価から三下にあげてやらぁ」

 

 婉曲に肯定されたと受け取り、3人は、いやガーフィールを含めた4人はロズワールを見やる。

 すると、ロズワールは彼等の考察に片目を閉じ、黄色の瞳に歓喜を宿す。

 

「素晴らしいね、私も心を鬼にして、放任してきたかいがあるよ」

「その件については後程、山ほど話すことがある。拳を交えて、あー、交えないで一方的に」

「おーや、おーやぁ」

 

 ラムが聞いていたらスバルの顔が変形するくらい殴打されそうだが、彼女は生憎外。スバルもそれを承知でそんな軽口を言ったのかもしれないが。

 そんな様子に上機嫌で図に乗ったロズワールを庇うものはいない。

 それも当然、不在の間の魔女教対策、それについては後でしっかりと話を聞かせてもらうのだから。

 

「ただ、今だけは結界の話が最優先。反応からして、原因だな?」

「正確ではないけど、大筋は正しいとも。私が、私たちが『聖域』に足止めされている原因が、そこにあるのは事実だ―ぁね」

 

「結界に引っかかるのは混血……亜人とのハーフだけって、あー、でもシャオンの例外が」

「俺の例外は、気にしなくていいよ……『混じり』の意識を奪い、侵入者の存在を森に迷わせる力を持つ」

「すでに中に入った純潔には無害、なのに、結界が理由で足止めされているってのは」

 

「――そうだ、結界の影響を受ける側が、その邪魔をしているッ空に他にならねェ」

 

 疑問の答えは他でもない、当事者自身の口から堂々と明かされた。

 その猛々しい断言に振り向けば、金髪の『混じり』は鋭い翠の瞳でスバル達を睥睨する。

 

「ガーフィール」

「俺様の話は簡単だ。結界がある限り、俺様たちァこの『聖域』の外に出られねェ。テメェらには関係ねェ結界だが……そりゃチットばかし不公平だろォが」

「おいおい、とんだ我儘な話だな、確かに簡単ではあるが」

「言い方はなんとでも、だ。ッけど なァ、こいつァてめェにも他人事じゃねェぜ?」

「……俺たちも、同じ理由で外に出さないつもりだからか?」

「スバル、落ち着け、エミリア嬢もアリシアも、ここにいる人たちと同条件で『聖域』の外には出られないって話だ」

「あ……」

「ったく、つまんねェ勘違いしてんじゃねェよ。だから言ったろ、この『聖域』から出せねェ、んじゃねェ、でれねェんだよ」

 

そう吐き捨てるガーフィールの発言にスバルは絶句している。

だが、本当に、これはまずい状況だと、シャオンは唇をかむ。

『混じり』が触れることで、結界はその効果を発揮する。すでにそれは実証済みであり、彼女もまた『聖域』に囚われた一人だ。

『王選』を控えた身である彼女が身動きが取れなくなる――そんな事態になっていては事実上のリタイアと言っても過言じゃない。

 スバルもそのことに気付いたのか顔を青ざめながら、抜け穴を考えようとする。そして出た案は、

 

「それはなんとかならない、のか? 例えば……そうだ! 結界に触って気絶するってんなら、その人たちを結界の影響を受けないみんなで運び出すとか……」

「──愉快な提案じゃが、やめた方が無難じゃよ。ワシは魂の抜け殻にはなりとうない」

 

 それは本日何度目かの、第三者による会話への割り込みだ。

 聞き覚えのない声の参入に入口へと振り返る。

 そこにいたのは先ほどのガーフィールと同じく、小さな人影が立っていた。

――長い薄紅の髪に、人形のような整った美貌と明らかに人でないことを証明する尖った長い耳、

 その特徴は紛れもなく、『エルフ』で――

 

「君は、さっきの……って、あぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃ!?」

「ほら、バルス。お茶よ 入れたてほやほやの」

 

 その少女に声をかけようとしたスバルの、その頰に湯吞み押し付けられた。

 離れていても聞こえる肌の焼ける音、それを最も間近で聞いたであろう本人、スバルは痛みに絶叫しながら部屋を転がった。

 そんな彼の様子を、戻ってきた下手人のラムが嘲るように見下ろし、

 

「大げさね。男のくせにみっともないわよ」

「男もくそも関係なくない!?」

 

 情け容赦ない罵倒に勢いよく起き上がり、スバルは涙目で訴える、

 確かにラムの暴挙は今に始まったことではないが、たぶん、今のはここまでで最大の理不尽さだった。

 そのスバルの訴えに何か思うところがあったのかラムは面倒くさそうに、濡れた布巾をスバルの頬へ押し当て、

 

「――――」

「は?」

 

 何かを耳打ちをする。

 その内容はスバルにしか聞こえなかったようだが、ラムはそのあとすぐに何事もなかったかのようにガーフィールへ別の湯飲みを渡す。

 

「スバル?」

「あ、いやなんでもね。何でもなくはない現状だけど慣れてる」

「いや、その処遇になれてるのはどうなの?」

「ガー坊がまた外の人間を引き入れたとは聞いとったが……騒がしい坊じゃの」

 

 こちらのやり取りを眺めながらそう言って、先ほどのエルフの少女が目じりを下げた。

 その声と表情に、やけに老成した雰囲気を覚えさせた。

 

「えっと」

「ご挨拶が遅れました、エミリア様。ワシはリューズ・ビルマ。この集落の代表、という立場になっております。形だけではありますが、既にこの身は見ての通り老いぼれですので」

 

 一礼して名乗った少女――リューズの発言に、スバルとエミリア、恐らく自分も目を丸くする。

 十代前半の外見に、愛らしく整った容貌。白いローブをすっぽりとかぶった童女。

 いかにも老いぼれとは見えない。

 

「まさにロリババア……いや、なんでもねぇ。女性に失礼な口きいたのはフレデリカで懲りてる」

「ほっほ、気にせんよ」

「チッ、俺様の時はしつこく言いやがるのによォ」

 

 何故か機嫌を悪くしたガーフィールはリューズにかみつきながらラムが淹れた茶を飲み、文字通りの外にあった葉を入れただけのそのお茶を吐き出す。

 それをしり目に、シャオンはリューズの先ほどの言の意味を問い直す。

 

「魂の、抜け殻でしたっけ。リューズ嬢。言葉通りの意味とは取りたくはありませんが」

「おぬしの話は聞いておるよシャオン――いや、言葉通りの意味じゃよ、シャー坊。『混じり』が結界に触れれば意識を奪われる……正しくは『混じりは』結界に魂を弾かれるんじゃ」

「魂を、弾かれる……」

「それはつまり、結界をハーフが無理に超えようとすると、肉体と魂が分離する。で、魂が結界の中に残る羽目に……?」

「ほほーなかなか理解が早い坊じゃ。そう言うことじゃよ」

 

 纏めたスバルの答えにリューズが感心した顔で笑った。

 それを受け、エミリアも驚きに目を丸くしたままロズワールのほうを見て、

 

「で、でも、それとロズワールの怪我の関係は? 結界の力が混血意外に働かないなら、ロズワールの傷は別の……」

 

 シャオンも目から血を溢れさせるほどの負傷を負っていたわけだが、あれとはまた違うようなものだろう。

 事実、痛みはなかったし、即座に治っている。

 だったらあれは何だと言われてしまえば何もわからないのは事実なのだが、

 

「そいつの傷は、『試練』に拒否された結果だ」

 

 考え事をしている中、ガーフィールが乱暴に淡々と話を進める。

 

「『聖域』に魔女に結界。次は『試練』ね。問題が増えすぎだろ」

 

 新たな話題の数だけ問題も増える。

 こんがらがった糸がどんどん解くのが難しくなるような、事実に全員が嫌な顔を浮かべる。

 そんな中、ロズワールだけが小さく、

 

「でーぇも、増える情報はこれが多分最後。資格あるものが『試練』に挑み『聖域』を解放する権利を得る。ガーフィールの言う通り、私のこの傷は、その前提に背かれた証だーぁからね」

「『試練』の前提に、背かれた?」

「その前提は、結界に干渉しえる存在――つまり『混じり』であることだ。それ以外の存在が『試練』に挑めば――肉体は拒絶によって引き裂かれる」

 

 驚きにスバルとエミリアが同時に息を呑む。

 

「手っ取り早く、てめェらに俺様たちの要求を突き付けてやらァ」

 

 そう言って、ガーフィールは驚愕する、『エミリア』に指を突き付ける。

 この『聖域』を取り巻く事情、その解決にはエミリアこそが必要なのだと。

 

「この『聖域』を囲む結界を解け……二つの試練を越えてな」

「二つ?」

「ああ――結界を解く、そのための『試練』は『表』と『裏』の二つ。詳しい説明は後でしてやるが、それが解けなきゃ誰も外にゃァ出さねェ」

 

 命に代えてでも、という気迫でガーフィールはその鋭い牙でエミリアへと宣言をしたのだ。

 



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裏の聖域

お久しぶりです。のんびり更新していきます


「ったく、本当にめんどくせぇ」

「おいおい我慢しろよ、リューズさんにチクるぞ?」

「チッ、痛いところつきやがって」

「んで、ガーフィール。その『裏の聖域』って言うのはあとどれくらいなんだよ」

「急かすんじゃねェよ。もうすぐだ」

 

 そう舌打ちをするガーフィールと共に現在シャオン達は森の中、正確に言うのであればその中の獣道を進んでいた。

 この状況に陥ったことを説明するには、時間は少しさかのぼる。

 具体的にはガーフィールに要求を突き付けられたあたりだ。

 

 

 

「ああ――結界を解く、そのための『試練』は『表』と『裏』の二つ。詳しい説明は後でしてやるが、それが解けなきゃ誰も外にゃァ出さねェ」

「お、おい。いくらなんでも」

「さっきも話したがなァ、そもそもそこのエミリア様は結界を、『聖域』を超えることはできねェ。拒否権はねぇぞ」

「それは、確かにそうだが……まて、二つ?」

「あン?」

「いや、そもそも表と裏ってなんだ、ここはあー、『強欲の魔女』っていうエキドナの奴の墓なんだろ? そんな分けるようなことはねぇと思うんだが」

「同時期、魔女様と共に活動していた『怪人』がいたのじゃよ。とはいっても――わしも、実際に見たことはない。あくまで噂じゃよ、ただその存在を裏付ける証拠はいくつかある。世界を混乱に落とした『怪人』のな」

 

 リューズがガーフィールに変わって説明を行う。

 

「『裏の聖域』もその遺産の一つじゃ……もしも興味があるのならばガー坊を連れて行ってみるといい『裏の聖域』に。どちらにしろそちら側の『試練』も受ける必要はあるのじゃからな」

 

 そう彼女に言われ、ガーフィールも渋々その『裏の聖域』に案内を担当することになったのだ。

 実際あのまま話し合いを続けようとしても平行線ではあったし、エミリアが『表の試練』を受けるまでまだ時間は少しかかるそうだったから、見に行くにはちょうどいいという話になったのだ。

 勿論彼女に『試練』とやらを受けさせるのはどうかとスバルも悩んでいたようだが、当の本人が村の人々の役に立てるなら、とやる気を出している姿に黙ってしまっている。

 そんな事情の中、現在シャオン達は『裏の聖域』へと向かっているわけだ。

 

「っと、ついたな」

「ここが?」

 

 ガーフィールが案内し、止まった場所はただの道だ。

 それこそ言われないと通り過ぎてしまうほどのなんの変哲もない道。

 からかわれたのかと思っていると、

 

「隠してんだよ、下手に入られちゃまずいからな。ほら、この先だ」

 

 ガーフィールがかがみ、近くの茂みを掻き分けるた。すると、奥に続く道が見える。

 先は暗く、何があるかは見えない。 

 

「なーるほど、ようやくらしくなってきたじゃねぇか。隠れ家みてぇでいいな!」

「だろ?」

 

 呑気に少年心を輝かせているスバルとガーフィールを他所に、シャオンは周囲へ目線を巡らす。

 変わったところは何もない、ここがその『裏の聖域』、『試練』の場所に続く道だと判断できるのは長く住んでいるガーフィールならではか、あるいは別の何かがあるのか。

 しかしどこを見ても目印もなく、ガーフィールの案内がなければ気が付かないものだ。

 今後のことを考えて、シャオンは何とかこの場所を記憶に焼き付けていると、ガーフィールが一伸びする。

 

「んじゃ、俺様はここにいる。こッから先はテメェらだけで行きやがれ」

「おいおい、案内任されたってのに仕事放棄は感心しねぇぜ? サボりは俺みたくうまくやらなきゃな」

「ラム嬢やフレデリカ嬢にはバレバレだけどな」

「……ここまで来れば後は一本道だ。『マグローバは1つの道でようやく迷わない』ってことだ、テメェらも寄り道しなきゃ進めんだろ」

 

 先ほどまでの様子とは違い、バツが悪そうに顔を渋る。

 何故彼はここまで同行を拒むのだろうか。

 そこにあるのは単純なシャオン達への嫌悪だけでなく、別の何かが現れているような気がする。

 

「なにか、あるのか?」 

「『試練』だからな、一応。……居心地がわりィ上に気味のわりィ奴が管理してんだよ。こっから先はよォ」

 

 単純に合わない性格なのか、それともガーフィールでも勝てない相手がそこにいるのか。

 そんな心配が表情に浮かんでいたのか、ガーフィールは面倒くさそうに頭を掻きむしり、「仕方ねェ」と呟き、拳をこちらに突き出す。

 

「なに、『聖域』の解放の為だ、何かあれば叫びやがれ、最強の俺様が連れ出してやっからよ」

 

 自信満々にこちらを見送る視線を背に受けながらシャオンはスバルを連れて、隠された道を僅かな明かりで進んで行くのだった。

 

 

 道を観察しながら進んで行くと、草が乱雑に生い茂っていた道が明らかに人の手が加われたものへと変わっていく。

 1つの、小さな家へとたどり着いた。

 ロズワールが療養している家よりも小さく、かつ『聖域』で見た家々よりは上等な一つの家。

 人が住んでいる形跡はない、が、

 

「驚くほどに、汚れていないな。まるで、ここだけ時が止まっているようだ」

 

 その家を観察するほどにその言葉が冗談ではないかもしれないという気持ちが勝っていく。

 よくよく見れば家はかなり前に建てられたであろう設計方法、素材のはずなのに、風化の様子はない。

 また、周囲で先ほどまで聞こえていた虫の音や鳥のさえずりなどですらここでは聞こえない。

 まるで、生物たちがこの場所を恐れているのとすら思えるほどに、静寂。

 

「開けるぞ、なんか出たら頼む」

 

 スバルを先頭に扉を開ける。

 鍵はかかっておらず、眼前に出現したのは無機質な石造りの部屋、とその部屋の奥に更に続くであろう扉だ。

 外観からはそこまで長くない家のはずだが、という疑問は覚えるが僅かに何もないその部屋の様子に緊張が解ける。

 そして、

 

「んで、部屋の奥の扉を開けたら。たどり着いたのがこの『書架』と」

 

 眩暈がするほどの無数の書架が広がっていた。

 ――シャオンたちがいるのは、石造りで円筒形の部屋のど真ん中だ。

 目立った特徴のない、同じだけの広さの空間に所狭しと書架が並べられており、背の高い本棚には無数の本がぎっしりと詰め込まれている。

 比較する対象が少なくて何とも言えないが、それでも蔵書は気が遠くなるほど多い。

 

「――ベアトリスがいたら喜ぶかもね」

「ははっ、確かに……俺は頭がいてぇけど」

 

 ベアトリスの禁書庫も相当なものがあったが、単純に本の数だけでいえば物量ではこちらが圧倒しているだろう。

 その物量と、異常さに本当の意味で頭に痛みを覚える。眼前に出現したのは先程と同様の石造りの部屋、と文字通り『無数』の書架だ。

 テレビのザッピングを脳内に直接ぶつけられた気持ち悪さに二人してうめく。

 

「目的の本を見つける、検索コンピュータが欲しくなるな……司書さんとかいねぇのか」

「いや、この本の様子から……誰かが管理している、のは本当だな」

 

 本だけでなく、本棚にも埃が被っていないことから手入れはきちんとされているようだ。

 どうやらガーフィールの口にしていた言葉はシャオン達の面倒を見ることから逃げる口実ではなく、本当に管理をしている人物がいる証明だ。

 と、するとその管理者の性格も彼が評したものと同じものかもしれない。

 

「んー、普通の本……だな」

「てか、俺ら大分不用心だな。これが何かのトラップだったら……」

「いまさらだね、ただ……普通の本だ。別に触った瞬間に体が燃える、なんて仕掛けはないみたい」

「だな、本の材質は……なんだこれ。年代もわからない。中身は……?」

 

 次々と本に手を伸ばす。とはいえ、膨大な本の一冊二冊で全てが知れるほど、世の中簡単にはできていない。

 二人して中身、装丁などを確かめつつ、首をひねり合っている。

 

「ベア子がいればな……」

「彼女をひっぱり出せなかったのは俺等の力不足だろ。でも、ある程度はわかることもある。見たところ、本の規格は統一されている。タイトルは全部違う、筆者はなし……並べ方は無茶苦茶だ」

 

 スバルは本の背表紙を見ていて気付く。

 

「この本のタイトルだけど……ひょっとして、全部、人の名前か?」

「ん……と、そうみたい。でも知らない人ばっかだな」

 

 適当な本を手に取って中を見てみるが、羅列する文字は普通に『イ文字』や『ロ文字』に『ハ文字』など、この世界特有の言語だ。

 文字が細かすぎるせいか読んでも読んでも頭に内容が入ってこないだけで、いたって普通の本だ。

 

「途方に暮れるには早いか。木を隠すには森の中……ひょっとしたら『聖域』、『試練』に関する重大な情報の詰まった本が、この書架のどっかに埋まってるかもしれねぇとしたら嫌だなぁ」

「……誰だ!?」

 

 直後、部屋の隅で何かを踏む音が聞こえた。

 その方向へシャオンは『不可視の腕』を構える。

 だが、攻撃はまだしない。あくまでも、スバルとシャオンの身を守るための行動だ。

 いくらここが不気味な場所であっても姿形を確認しないで攻撃をするほどは追い詰められていない。

 そんな警戒の中、現れたのは――

 

「お客様、ですね」

  

 目の前に現れたのは黒と白のみ、ちょうど二つの色のみで作られている一人の少年だ。

 小柄な背丈の倍ほどにもある、杖で床を鳴らしながら現れた彼は特徴的だった。

 右側が黒、反対側が白。肌と瞳の色さえも左右対称で色づけられたその存在は、どこかで会ったかのような既視感を覚えさせた。

 派手なその装飾は一度見れば嫌でも記憶に残っているはずだが、心当たりはない。

 隣で驚いているスバルも同様のようだ。故に、この質問はすんなりと口に出せた。

 

「君は――だれだ?」

 

 その言葉に目の前の少年はガラス玉のような透明なその瞳を僅かに揺らし、かと思えば一切の感情が読めないほどに透き通った視線で返し、答えた。

 

「私の名前はカロン。ここの管理人です――『怪人』の弟子という肩書もありますが」

 

 

「『怪人』の弟子。『怪人本人』じゃないんだな」

「まぁ。『怪人』本人が生きていることはないと思っていたけどね、聞いていた話でもすでに故人だって聞いてたし」

 

 とはいえここは異世界。

 長寿で実は生きていたなんてこともありえたのだが。

 

「――ここはとある場所と擬似的に繋がってあります。師匠が言うには『ゆりかご』と言う場所に近いらしいですが」

「『ゆりかご』ってあの揺り籠? だとしたら全く揺り籠みがないんだが」

「……詳しく聞く前に師匠は死んでしまったので――うぅ」

 

 そう言って彼は顔を手で覆い隠し、いや、それだけでとどまらずに、体をふたつに折って両手の中に顔を埋めて泣く。

 その様子に思わずシャオンとスバルは慌てて彼に駆け寄り、慰めにかかる。

「だ、大丈夫か?」

「……悪い、つらいことを思い出させたな。それほど、いい師匠だったんだな。その人」

「いえ、それはそれ。少なくとも生物としては致命的に屑でしたね」

「は?」

 

 泣いていた少年、カロンはそれまでの涙がまるで嘘だったかのようにケロリ、とした様子だ。

 濡れた後がなければ泣いていたことすら気づかないほどに。

 

「死んだことも……残念半分、いや、3分の1、いや、うん。まぁ価値がなくなったのは至極残念。ま、ざまぁないと思う気持ちが大半を占めますが。弟子である私に厳しかったですし、はい」

「ねぇ! 俺達の謝罪返して!」

 

 そんなツッコミをしつつ、シャオンは逸れた話題を元へと戻す。

 

「その『怪人』様、あー。アンタの師匠は一体なんでここを作った」

「詳しくは知りません。ここにある知識を来るべき時に、『試練』を乗り越えた者に渡せと、だけ」

「『試練』を受けるための条件ってのは?」

「その前に、一つお願いが」

 

 カロンはそこで初めて、僅かに怒りをにじませたような言葉を口にだした。

 初対面でも感情が抜け落ちているのではないか、と思った彼がそんな感情を宿していたことにも驚きを覚えたが、それよりも――

 

「『怪人』ではなく――シャオンと、およびください」

 

 その内容が驚きだった。

 彼は小さくつぶやくように続ける。

 

「オド・ラグナの化身。『魔眼族』を滅ぼした狂人。世界の価値を計る『怪人』。どの異名もありますが、彼の名は――シャオンです」

 

 

 その名を聞いた時に、心臓が跳ねた。

 予想外の言葉、ではなかったはずだ。だが思いのほかに自身の心臓が跳ねたことにシャオンは息を呑む。

 

「――――同じ名前の別人、ってことでいいよな?」

「はい、貴方と師匠は全然違いますので。貴方のほうがまだ常識人ですね、むしろそれが気持ち悪いですから」

「酷い言いように流石のシャオンもだんまりだな、おい。……なら、シャロが父親と言っていたのはそっちの『怪人』のほうか……?」

 

 確かにスバルの言う通りなら辻褄は合う。

 この世界にいた同じ名前の人物がいた場所に、同じ名前の人物が訪れた。

 あり得るかどうかはわからないがそれが数年、いや数十、あるいは数百年前ならば可能性としては十分だ。 

 胸に突っかかっていた異物が取れたような安心感を感じつつも、ここに来た本来の目的を思い出し、ここで管理をしているというカロンへと尋ねる。

 

「で、さっきの質問だ。試練を受けるには、どうすればいい? 表と同じく『ハーフ』であるって言うなら引き返すが」

「ご安心を。こちらの試練を受ける場合は『ハーフ』であることは条件に入っておりません。」

「? ならロズワールやガーフィールが受けても――」

「――彼等は受けることはできないでしょうね。変わらないのであれば」

 

 妙な言葉に、シャオンは首をかしげる。

 

「試練を受けるためには『誰かを一番に想う気持ち』と『自身を思いやる気持ち』『変わろうとする気持ち』の3つが必要です」

「抽象的すぎてわからねぇ……」

「文句を言うのであれば師匠に言ってください。私はあくまで管理役です……『他者愛』『自己愛』そしてそれ以上に『今の自分じゃダメだ』という強い意志が必要なのです」

 

 ――なるほど、とシャオンは理解したと共にこの試練の難易度に頭を掻く。

 そして同時に彼らが試練を受けることができないという考えもシャオンには理解ができた。

 ガーフィールには『他者を思う気持ち』、ロズワールには『自身を思いやる気持ち』が欠けているような気はしていたのだ。

 

「『血筋』で試練を受けられないよりはだいぶ優しいと思いますが。死にはしないですし、今は受けられなくても今後は受けられる『可能性』があるのですから」

「……今は受けられても今後受けられない可能性だってあるんだろう?」

 

 シャオンの言葉に肯定を示すかのように僅かに首を引く。

 確かに優しいのだろう。ただ、先にあげたことともう一つ、問題がある。

 カロンがあげた『3つの条件』。それがどの程度備わっていないと『試練』の条件を満たさないのかはわからないことだ。

 

「そもそも誰が判断するんだよ、その条件に適しているかどうかって」

「『怪人』、師匠ですね」

「亡くなった奴の基準かよ……」

「それで――受けますか? 資格があるかどうかはわかりませんが」

 

 カロンの声色は変わらない。

 だが、話の内容が『試練』に触れたことで思わず、気が引き締まる。

 どうしたものか、と悩んでいるとスバルが自身の頬をきつけのために叩き、

 

「受けて、みる」

 

 そう勇気を出して呟いた。

 対してカロンは「そうですか」と無感情に呟き、

 

「では、あちらの扉へ」

 

 と手で行き先を示す。

 そこにあったのは木の扉だ。

 外観はいたって普通。強いて言うのならば石造りの部屋の中では違和感があるというぐらいだろうか。

 そして、一応は部屋中を探し回ったのだがその扉を見つけられなかったということはなにか魔術がかかっているのかもしれない。

 

「『試練』を受ける資格があれば扉の先は必然的のその場所へつながります。貴方方は知らないと思いますが擬似的な『扉渡り』というものです」

「……いーや、よく知ってるぜ」

「はい?」

「そしてその術は俺には効かねぇってな!」

 

 スバルはそう勢いよく、かっこいいポージングと共に扉を開ける。

 その先にあったのは白い石の――壁。行き止まりで、進むことはどうやっても無理そうだ。

 

「――はい?」

「はい。転移ができませんでしたので試練の資格有りません。かっこつけて挑んだのにこの結果、一昨日きやがれ」

「ひどくない!?」

「というか、スバル不用心だぞ。罠だったら」

「大丈夫大丈夫。いざとなれば――なんとかなる」

 

 暗に死に戻りで戻ることを手段と考えているという言い分にシャオンは思わず口を噤む。

 これはよくない兆候だと、扉の前出壁をペタペタと触っているスバルに指摘しようとした途端、カロンがシャオンの前へと進み出た。

 

「貴方も――受けるのですか? であれば扉は一度閉じなければいけませんが」

「……いや、やめておく」

「そうですか、では『試練』を受ける気がないのであれば退出を。あくまでここは『試練』を受ける者の為の空間ですので」

 

 これ以上は時間の無駄だとばかりにカロンは冷たい目で出口を指差す。

 確かに彼にとっては自分達は仕事を邪魔するだけの存在と同意なのだろう。

 そもそも今『試練』を受ける気はそこまでなかった、あくまで場所の確認などの意味が多い。

 そう言ったこともありシャオン達はカロンの言葉通りに素直に『裏の聖域』から出ていくのだった。

 

 

 日没後の『表の聖域』は日中のそれとは大きく雰囲気を一変させていた。

 元々、寂れた寒村も同然の集落だ。夜闇に対する明かりの備えは最低限であり、星明り以外に夜歩きを助けるものは家々の僅かな与よわしい光だけだろう。

 故に、集落中のかがり火を燃やし、墓所への道を照らす今夜は特別なものだ。

 

「……ちょっと話し合いしてそれが住んで迎えに来てくれるかと思えばこれですよ! 何か言うことあるんじゃないんですか!?」

「無事俺たちに合流できてよかったな! 炎様万歳! な、二人とも」

「ふざけんな!」

 

 そう怒鳴るのは怒りに顔を赤くしたオットーだ。隣には黄昏テイルアリシアの姿もある。

 彼は地団駄を踏み、その震える指をスバルにつきつける。

 ここから数時間は続きそうな小言だったが、そこに挟むのは少女の声。

 

「――スバル。ちょっといい? お取込み中なら大丈夫だけど」

「いいや、全然大丈夫! 暇も暇今行く!……文句は後で聞くからさ! じゃ、シャオン後は頼んだ」

「あいよー」

 

 エミリアに呼ばれたスバルはオットーの当然の文句を躱し、彼女の元へとかけていく。

 当然そんな事情を知らないオットーにはいつも通りからかわれたのだという思考に行き着くわけで。

 

「あいよー、じゃない! ほら、アリシアさんも何か言ってくださいよ……アリシアさん?」

「モシャモシャ、草のおいしさが空腹に染みわたる……ああ、アナの所を出てきた晩を思い出す――風味に土を少しかけるのがパトロス流」

「アリシアサン!?」

 

 死んだ目で遠くを見ながらアリシアは壮絶な過去の片鱗をつぶやく。

 よく見れば口元にも草がついている。食べたのだろうか。

 その悲惨な状況を前に一度息を吐き、「ほら」とあらかじめもらっていた食料を彼女と、オットーの前へと渡す。

 途端、二人は生気が宿り勢いよく起き上がる。

 

「わぁ……! ありがとうございます! じゃない! こんなんじゃ絆されませんからね!」

「ホントっすよ! 足りないっす! てか、完全に忘れていたっすよね!?」

「悪い悪い、後でちゃんと謝るから……今は集中すべきことはあるんだ」

 

 詰め寄るオットーの額を押し返し、苦笑しながら視線を別の方向へ。

 その視線をたどったオットーは広場の中心で淡い光に包まれるエミリアに目を細める。

 勿論スバルも邪魔をしない様に近くで控えている。

 あれは、以前も見たことがあった気がするが微精霊と対話をし、『試練』へ向けての気分を落ち着かせているのだろう。

 その気分を落ち着かせる効果に今ではそれにスバルの存在も加わっている。きっと上手く緊張をほぐしてくれるだろう。

 

「微精霊と、エミリア様、ですね。僕の知らない間に、一体どんな難題が?」

「んー、複雑な事情がありすぎて説明が難しいな。今回は彼女一人で解決しなきゃいけないってわけじゃないみたいだけど」

 

 そう言ってシャオンはアリシアを見る。

 彼女はきょとんとしながらも先ほど食べた物を口の周りにつけている。

 『表の試練』がどういったものかはわからないが、エミリア以外でもアリシアが挑戦できる。

 で、あれば完全に絶望的な状況ではない。『裏の試練』だってシャオンはまだ資格があるかわからないが挑戦できる可能性はある。

 スバルだって、これからの気の持ちようでは資格を所持できるかもしれない。

 そう考えると、意外と不味い状況ではないのかもしれない。

 ただ、『聖域』に『表、裏の試練』。亜人の問題に出られない結界。さらには自身と同じ名前を有する『怪人』。

 

「――はぁ、なんで謎を解決しようとしてるのに深みに入っていくんだろうなァ」

 

 そんな呟きは聖域の闇に消えていった。




※ヒント:6章


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強欲の魔女

「さて、と。準備の方はいいか? エミリア様よォ」

「うん。少し不安だけど、へっちゃら。これは私がやらなきゃいけないことだもん」

「ハッ、威勢のいいこった。期待してんぜ」

「ガーフィールと、リューズさん」

 

 声に振り向けば、広場の入り口から歩いてくるのは小柄な二つの影──青年と幼女。見た目からは想像ができないが確かに『聖域』の代表二人に違いなかった。

 また。ガーフィールたちの後ろにはラムも続いている。どうたら『試練』に移動芽みり愛の見届け人となるのはこれだけのようだ。

 

「これで観戦者全員ってのはちょいと寂しいな」

「アーラム村の人達は夜の外出は禁じているらしいよ、深夜は明かりがないし」

「それに、いらぬ騒ぎが起きても困るからの。カロンはあちらの聖域から出ることはないし、見届け人はこれだけじゃ」

 

 仕方のない事とはいえ、少しの寂しさを覚える。

 そんな寂しさを晴らすように、

 

「──墓所に、光が」

 

 呟きは誰のものだったろうか。

 だが、心情はその場全員が共有しているだろう。

 ここに集まる全員が見守り、エミリアが挑む墓所の壁面が、まるで挑戦者を歓迎するかのように光る。

 

「『試練』に挑む資格ありと、墓所がエミリア様を認めた証じゃよ」

 

 燐光に包まれる墓所を見上げ、リューズがその美しい光景の理由を言葉にする。

 シャオン達はそれを越えもなく見つめ、試練を受けるエミリアだけがためらうことなく階段を上る。

 そして階上に達し、一度だけ息を吸い込んだ彼女は、

 

「──いきます」

 

 小さな、僅かに震えた声で呟き暗く深い墓所の入り口、その先へエミリアの背中は消えていく。

 墓所全体を取り巻く燐光はそのままに、恐らく『試練』が始まるはずだ。

 

「大丈夫なんすかね、エミリア様。聞いた話だとロズワール様の体が弾けたらしいじゃないっすか

「安心せい。墓所はしっかりとエミリア様の存在を受け入れた。こうして光っておるのがその証拠じゃ。ロズ坊のように弾ける心配はないわい」

「笑えねぇ! ……いや、心配してくれたんです、よね」

「ほっほ、謝れるのはいい子じゃの。ガー坊なら逆に怒りをぶつけてきてたわい」

 

 弾けた表現をする彼女にせいぜい作れたのは苦笑いだった。

 どんなに御笑いのセンスがよくても今のに素直な笑顔を浮かべることは無理だったろう。

 言いながら彼女が横目に見るのは離れたところで墓所を見守るガーフィール。

 彼は口を閉じ、腕を組み、ただ待っている。いや、よくよく見れば落ち着かなげに地面につま先を打ち鳴らしている。機嫌はよくなさそうだ。

 

「そう言えば、ですけど」

「うん?」

「この墓所の、『表の試練』って、挑戦できるのは結界の影響を受ける『混じり』ですよね。それってリューズさんやガーフィール、アリシアも挑めるはずですよね」

「挑むだけならば、な。じゃが残念なことに『聖域』の解放はできん。それはこの地に綿々と受け継がれた、わしら『聖域』の住人への契約よ」

 

「契約、か」

 

 もう嫌になるほど聞いた言葉にスバルと共に嫌な表情を浮かべる。

 その様子にリューズは珍しく頬を緩めていると、

 

「──なに?」

 

 その変化を目の当たりにし、その場にいた全員が咄嗟に息を呑む。

 反射的に瞬きを繰り返したのは、それまであったはずの高原が失われたからだ。それは──墓所の、エミリアがいた場所に何かがあったことにつながる。

 

「『試練』が続く間は、墓所に光が途切れることはねェ……!」

「ってことはイレギュラーかよ、やっぱり一筋縄じゃねぇ! エミリア!」

「待てスバル!」

 

 咄嗟の異変に声を上げスバルは墓所へ駆け出していく。

 僅かの差で走り出すスバルを止められずシャオンの手は宙を掴み、つんのめる。

 

「ま、待つんじゃ、スー坊! 資格がないものが入ると……!」

「あァ? どういうこった!?」

 

 一度消えた墓所の光はスバルを歓迎するかのように再度明かりをともす。

 その光景に全員が驚く中スバルは歩みを止めない。

 

「理由は知らねぇ! でも願ったりかなったりだ。みんなは外にいろ!」

「あ、待つっす!」

 

 出遅れたせいもあって、シャオンとアリシアは墓所に入らずに待機している。

 どうすべきか考えているとオットーが言葉を投げかけてきた。

 

「どうするんですか? 素直に待っていますか?」

「まさか、こっちには資格を持っている奴がもう一人、確定じゃないけど可能性がある奴がもう一人いるんだから」

 

 自身の手と、そしてやる気満々のアリシアを見やり、墓所へと駆け出す。

 止めるオットー達の声は自身たちの足を止める理由にはならず、進んで行く。

 そして、それを歓迎するかのように墓所に光が宿る。

 もう、驚きはしないその光景に飛び込む。

 

「何かあれば、何かあったら声を上げる。何とかしてくれ、その時は」

「んな、いい加減な──」

「頼んだ! お前が頼りだオットー!」

「――ッ! ああもう! どうしてみんな話を――」

 

 その嬉しさ半分怒り半分の彼の声は墓所に入ると聞こえなくなった。

 

 シャオンの予想通り、『資格』は持っているようで、光が途絶えることはない。

 冷たく乾いた遺跡の空気、靴音が反響する通路は、外壁と同じく緑色の燐光がとりまいており、内部の様子がよく見通せる。

 一歩踏み込むたびに奇妙な感覚が胸をかきむしる。

 

「気味が、悪いだけじゃないっす、ね」

 

 遺跡の奥は空気が淀み、埃っぽい臭いに鼻と口内が侵される。

 呼吸一つするたびに肺の悪くなるような感覚は体にいい影響は与えないに違いない。

 長居はしたくない、奥へ、奥へ──。

 

「──部屋、か?」

 

 やがて通路の終端へ達するとシャオンは目の前に小部屋へ通じる扉を見る

 既に開かれて朽ちた石の扉はその本来の役目をなくし、中へとすんなり入り込めた。

 駆けこんだ部屋は、四方を石壁に覆われた狭い部屋だ。

 不思議とこの場所には蔦や苔の浸食がなく、経年劣化した遺跡がそのままであった。

 そして、さほど広さのない石室の奥には、恐らくさらに奥へと閉じた扉があり、その手前に──、

 

「──二人とも!」

 

 銀髪を床に広げた少女、エミリアと、それを助けようとしたのか傍で倒れているスバルの姿があった。

 その姿に緊急事態と判断し即座に部屋へ飛び込む。

 

『──おっと、まだ君には早いよ』

 

 次の瞬間、シャオンは耳元でささやかれるような声を聴き、息を呑む。

 そして、その声が何者なのかを考える日お間もなく、力が抜ける。

 アリシアがこちらを心配する声がどこか遠くに感じる。

 そして、シャオンも二人と同じように点灯し、その後もう一つ誰かが倒れ込むような音が聞こえたのだった。

 

 目が覚めたのは、新鮮な空気がシャオンを包んだからだろう。

 湿った墓所の中から急激に場所が変化したこともあるが、警戒していたシャオン自身の力もあるだろう。

 即座に眠っていた体を立ち上がらせ、見回しても、果てがないほどの空間、そこにシャオンは唯一の人工物であるテーブルと、椅子があった。

 既視感。

 それは、何故かこの『聖域の結界』に触れた時、意識を飛んでいた時にも経験した、あの感覚。

 忘れていたであろう『裏の聖域』だ。

 しかし、ここは少し前に訪れたあの『白い空間』とは似ても似つかない場所だ。

 カロンと言う少年に騙された、説はないだろう。その可能性を考えるのであればリューズ達のことも疑ってかからなければならなくなる。

 つまりは、この景色はあの開けなかった扉の先の光景、だろうか?

 

「思ったよりも、驚きは足りないようだね」

 

 その声を耳にしたとき、シャオンは確かな感動を覚えた。

 この感動は一体何なのだろうか。

 確かな、感動。意味不明な感激。

 気を緩めてしまえば涙すら零れてしまいそうなそんな激情を押え、声の主を確認する。

 

「あ、ある程度覚悟はしていました、事前に『裏』の聖域に訪れていたもんで。今の今まで忘れてましたが」

「少し残念、君の驚きの表情を見れるのも数少ない機会なのに」

 

 シャオンの言葉を受け、残念そうに笑うのは、口元に手の甲を当てて、眼前に立つ少女。

 可憐な花を思わせる美貌だが、その見た目に騙されることはない――油断をすれば彼女に呑まれてしまうことをこの身が知っているからだ。

 じりじりと力のこもる足はいつでも駆け出せるように、そして開閉を繰り返す掌は攻撃されても即座に対応が取れるようにする――そんな行為をすることがないのをこの心は知っているはずなのに。

 

「そのことも、今起きているこのことも、貴方の仕業で?」

「わかっていることをあえて聞くのは君の悪い癖だよ。ボクの答えなんて予想できているだろう。それとも、会話がなくなるのが怖いのかい?」

 

 焦りを出さずに質問で話をつづけようとするが、切り捨てられる。

 だが、知りたい内容であるのは事実であり、会話がなくなるのに僅かな恐怖があったのも事実だ。

 全てがお見通し、ならばいっそ開きなおって、

 

「ああ、ではこれだけは確認したいんです。もしも違っていたら、ただ、ひとり相撲を取っていただけなので」

 

 乾く唇を舌で湿らせ、震えないように努めた声で、尋ねた。

 

「──貴方が強欲の魔女、エキドナか?」

 

 確信をもって、訊ねる――魂が覚えている当たり前のことを。

 

「──そうだよ、ボクがその名を冠する魔女──ありとあらゆる叡智を求めて、死後の世界にすら未練を残した知識欲の権化――『強欲』の魔女、エキドナだ」

 

 優しく答えたのだ。

 

 目の前に座る女性は、白鯨などすら上回る圧迫感を放つ人物だ。それが『強欲の魔女』を名乗ったのだ、嘘ではないことだろうことはあきらかだ。

 そして、その存在が目の前にいるという事実は、彼女がシャオンを消し飛ばすことなど容易にできることも明らかであることにつながる。

 

「そう怯えられると傷つくな」

 

 そんな焦りを見抜くのは当然とばかりに目の前の女性、エキドナはわざとらしく悲しみを表情に浮かべる。

 だが、それは別世界の存在を悲しむような、第3視点で物事を見た上での態度だ。彼女にとってシャオンは、同じステージにすら立っていない。

 

「しかし、そんなに邪険にされると本当に傷付くな。見てくれの通り、ボクはか弱い女の子なんだよ? 男の子にそんな目で見られて、なにも思わないわけじゃない」

「それはどうも、生まれつき目つきは悪いのでね」

 

 この世界にきて以来、幾度も味わった『死』の体験から覚えた相対する人物の危険度、死の匂い。

 それが今までのどの人物よりも、エキドナと名乗った少女から漂ってくるのだ。

 

「警戒を解くために本来ならしっかりと話をしたいところだが、今は彼の『試練』の最中だ。あちらに集中したい」

「そうだ、スバルとエミリア! あいつらは今意識が――」

「試練の最中だからね。本来ならば試練は同時に行われることはない、が『君』が来たことで同時に行える状況になってしまったんだ」

 

 よくわからないが、墓所に入ることで資格がある人物は『試練』を受けることができる。

 本来ならば試練は同時に複数受けることはできない、がシャオンが入ったことで何故かできるようになった、と彼女は語る。

 そして今墓所に入り、恐らく『試練』の資格があり、受けているのはエミリア、スバル、そして――

 

「アリシアも、か」

「ああ、あの半鬼の子もだね。資格を持つもの故に、試練を受けているよ」

 

 つまり、いま『試練』を受けているのは4人ということになる。いや、自分は試練を受けられていないのならば3人か。

 

「……今の君に何を話しても信じられないだろう――それに、あまり君と話していると『彼女達』が嫉妬し、暴走してしまうだろうからね。『試練』のほうにも目を使っている今、下手をすれば主導権を奪われてしまう」

 

「だから」、と一つ置き、

 

「──『もうひとつの裏の聖域』においで」

 

 もう一つ、と前置きしたことで頭によぎるのはあの白い部屋だ。

 

「そして──ボクを見つけるんだ。『強欲の魔女』エキドナを」

 

 意味の分からない言葉でこちらをはぐらかしている、ようには見えない。

 彼女の目はいたって真剣そのもの。好奇心の光は宿っているがこちらに嘘を吐いている様子はない。

 信用してくれた、ということを読み取ったのか彼女は笑みを深くし、指を立てて続けた。

 

「この『表の聖域』には隠し通路がある。君とボク、あとはカロンにしかわからない、ね」

 

 白髪を撫でつけ、立ち上がるエキドナその白い指をシャオンの額へと伸ばす。

 そのゆっくりとした動きを身動きできずに見過ごしてしまった。

 拒めず、振り払えない。蛇のようにそれは滑り込んで、弾かれた

 

「――少し、返そう。久しぶりの再会だ、お土産も持たせてあげるのが師匠としての定めだろう」

「……俺と、貴方は知り合いなんですか?」

 

 ようやく出せた言葉を受けつつ、額を弾いた指をエキドナは自分の舌でそっと舐める。

 その艶めきにおどろくほどに、動揺はなかった。

 そんな魔女の異常性、彼女の性格であることもシャオンは知っているからだ、そして、なぜその答えを知っているかも――

 

「その答えも、そこにある。知りたいのならば臆するべきではないよ」

 

 何度も聞いた言葉を耳に残しながらシャオンはこの世界から文字通り弾き飛ばされたのだった。

 落ちていく、闇の中に。消えていく、光の中に。

 そして――意識が外で覚醒した。 

 目覚めた瞬間、シャオンが最初に感じたのは頬に当たる硬くざらついた感触だった。

 

「……ぁ、う」

 

 寝ぼけたような声で梅木、うつぶせに倒れていることを自覚する。

 何度か瞬きを繰り返し、意識と視界に現実を合わせ、数秒かけて覚醒させる。

 

「……おーい、アリシア。起きてくれ」

「……むぎぃ」

 

 周囲で同じように倒れているアリシアに呼びかける。柔らかい頬を餅のように引っ張っても起きない。

 よほど深い眠りについているのは偶然か、それともあの魔女の言う通り『試練』を──

 

「今はいい……入り口から右側に3歩。北西の方向にある印に近づく」

 

 なぜか頭の中にある道筋、これがエキドナから返してもらったものだろうか。

 記憶から抜け落ちないようにそれを口ずさみ、確かに3歩進む。

 そして、その位置を基準に北西の方へ視線を向けると僅かに鋭い何かでけずらろた、人工的な印があった。

 その印の前に立ち、記憶をたどり、口に出す。

 

「火のマナを注ぎ、渦を作る」

 

 イメージするのは飴を溶かす優しい炎。

 それを、ゆっくりと混ぜ、回転させ、壁へと注ぎ込む。

 するとまるでその行為自体が鍵を開けるのと同意義であるとばかりに解錠音のような音が鳴る。

 そして、目の前の何もない壁面に、一筋の罅が入。それは蜘蛛の巣上に分かれ、黒い壁が崩れ、1つの扉が現れる。

 それはこの薄暗い墓地には似合わない、白い扉。

 開けるのは本来戸惑う見知らぬ扉。だが、シャオンは何の気なしにその白い扉を捻る。

 なぜなら、その先にある場所を知っていたのだから。

 石造りで円筒形の部屋のど真ん中だ。

 目立った特徴のない、同じだけの広さの空間に所狭しと書架が並べられており、背の高い本棚には無数の本がぎっしりと詰め込まれている。

 それは記憶に新しい、

 

「……裏の聖域」

「そうですよ、ここが裏の聖域。表側からくるとは思いませんでしたが。」

 

 思わずつぶやいた言葉に、反応するのは一人の少年。

 屋敷であればベアトリスが座するような場所に座っている少年、カロンだ。

 そう、シャオンは裏の聖域に訪れることができたのだ、あの魔女の言う通りに。

 

 シャオンの登場に、彼は珍しく不満そうに息を吐き読んでいた本を閉じた。

 

「……さっきぶりになりますね。早すぎるのでは? 早漏」

「そ……!? えと、今回はちゃんと目的があるから……この部屋に」

 

 その言葉にカロンの目が薄まる。

 まるでにらんでいるかのようなその視線に僅かに怯みながらも用件を伝える。

 

「エキドナについて書かれた本はどこにある」

 

 なぜ、その本を探しているのかはわからない。

 だが、その本を探すことが、全てを知ること、自分について理解ができることにつながることを確信しているからだ。 

 シャオンの言葉にカロンは舌打ちしながらこたえる。

 

「……この部屋に確かにあります、あの魔女に関する本は。アレでもすでに故人ですから」

「故人?」

「ええ、この部屋にあるのはすべて『死者』の本です」

 

 平然と口にするカロンの言葉にシャオンは絶句する。

 それを見て彼はあからさまに頬を膨らませ抗議の視線を向ける。

 

「……前回訪れた時はそこまで突っ込んでくれませんでしたから」

「わ、悪い。そ、それで彼女の本どこにあるかおしえてくれないか、それか持ってきて――」

「――彼女は全てを観測したがりました、本も同じことでしょう」

「それはどういう」

「ヒントはあたえました、自分でご自由にお手に取りください」

 

 そうしてまた一度読んでいた本を読み進め直す。

 探すのならば自分でやれということだろう、カロンはそれ以上動こうとはしない。

 ヒントしかないが、だが、難しいことはない。

 改めて周囲を見渡す。

 全てを観測したがる、本も同じ、と言うことは――入口近くの本棚。そこからでは見えない本棚がある。

 床。同じく、全てをカバーできない。

 なら、残されたのは、

 

「……天井にある、って気づけるかよ」

 

 ヒントと彼女と一度対話することでないと気づくのに時間がかかる場所。

 蔵書の尾さに圧倒されて気づけない盲点。

 視線の先、天井にあるのは一冊の本。

 名前はここからでは読めないが、あの位置ならば確かに全てを視界に入れられれだろう。

 脚立などはないが、問題はない。マナを練り、氷の階段を作り、本に近づく。

 割れないように慎重に、ゆっくりと近づき汗ばむ手でその白い本を取ろうと伸ばす。

 触れようとしたその時、するりと、まるで避けるように本が距離をとった。

 ゆっくりと本が氷の階段の下へと落ちる。

 

「……」

 

 階段から飛び降り、風の魔法を使って衝撃を吸収。

 本を触ろうとする。

 だが、その本はするりと回転し離れていく。

 まるで、本に意志があるように――

 ふとあの性悪魔女の顔が頭によぎり、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 

「ああもう! アンタの知識が、アンタが欲しいんだから大人しく手に収まれ!」

 

 今までのストレスもあったのだろう、半ば叫びながら飛びつくと、本は今までの動きが嘘のようにぴたりと止まり、シャオンの手に収まる。その途端、

 

「……は?」

「あそこまで情熱的に求められたら、答えるのが淑女の礼儀さ」

 

 下あごに感じたのは床の感触ではなく、柔らかい芝の感触。

 もう何度目かの来訪に、いるであろうここの主へ覚悟をもって振り返る。

 すると、彼女は優雅に椅子に腰かけながら紅茶を飲み、

 

「おかえり、シャオン」

「……さっきぶり、エキドナさん」

 

 再開のあいさつを告げたのだ。

 



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茶会のお土産は熱をもって

ちなみにシャオンはボルカニカとレイドが嫌いです。
彼等はある意味いい影響を与えたかもしれませんが


「ようこそ、改めてボクのあー、うん。ボクの城へ。席に着きなよ」

 

 エキドナは丘の上――そこに置かれた白いテーブルを囲む椅子のひとつに腰掛け、正面の席を手で示してシャオンに勧めてくる。

 わけがわからず、シャオンは尻込みしながら彼女の正面へ。テーブルの上には湯気の立つティーカップが並べてあり、彼女は、

 

「別に危ないものは入っていないから安心しなよ。なんならボクが先に飲んでみせてもいい。魔女に毒が通じるものなのか、君が疑うならなんの証明にもならないけどね」

 

 エキドナの言葉に眉を寄せ、改めてあたりを見渡す。

 風のそよぐ草原はどこまでも続き、四方のどこに目を凝らしても地平線の彼方までなにも見つけることができない。現実的に、ここまで空白的な土地が存在するかは別として、確かにいっそ幻想的な光景ではあった。

 一度目の光景ではない、この場面に慣れ始めたからこそ、同時にこの空間を作った人物に恐怖を覚える。

 

「これほど待ち望んで、お茶の用意をするのは初めてだ。やはり、死んでもみるものだね。新しい発見はなおも尽きない」

「貴方ともはや会話が成立してんのかも怪しいよ。……それを飲んで、何かあれば一矢報いる実力はありますからね」

「それは楽しみだ」

 

 子供を相手にしている大人の対応に馬鹿らしくなり、シャオンはにテーブルの上のカップを警戒をしつつも飲み下す。

 水でも、お茶でも紅茶でもない、不可思議な味わい。不快ではない。

 いや、どこか懐かしさを――

 

「魔女の差し出したものを飲み干すなんて、ずいぶんと勇敢なんだな」

「覚悟は、決めてます」

 

 手を振り、飲み終わったカップをテーブルに置いて「ごちそうさま」と言葉を継ぎ、

 

「うまくもまずくもなかったけど、なんのお茶です? 紅茶には詳しいはずなんだけど」

「ボクの城で生成したものだからね。言ってしまえば、ボクの体液だ」

「ぶー!?」

 

 椅子を蹴るようにして立ち上がり、飲み込んだばかりの液体を吐き出そうと苦心する。が、彼女はそんな大仰な反応にくくくと笑い、

 

「心外だな。ボクは自分の見てくれはそんなに悪くないと思っているんだが。キミの好みじゃないだろうけど」

「絶世の美女の体液でも飲むのはやだよ! 性癖はノーマル!」

「おや、でも君はすでにカーミラとダフネに……ああ、なんでもない」

「こわっ!……クソ、吐けねぇ。――体に悪かったりとかそんなじゃないよな?」

「安心しなよ。限りなく体に吸収されやすい。なにせ体液だからね」

「上手くないよ! ついでに味もね!その顔やめろ!エキドヤァってか!?」

「ふふ、上手いね。キミも」

 

 ちょっと自慢げなエキドナの態度にシャオンは辟易とする。

 言い募るシャオンにも涼しげな顔でカップをさらに傾け、「それにしても」と言葉を継いで、

 

「新鮮な感覚だ。あのキミがここまで感情豊かになるとは……みんなはどう反応するんだろう」

「もともと感情は豊かな方で……うん、そうそのはず」

「さて――」

 

 と、そうして警戒を解けずにいるシャオンを見上げ、彼女は飲み干したカップをテーブルの上に置き、その縁を指でなぞりながら、

 

「こうして元気な君と話しているのもボクにとっては新鮮な喜びなんだが……君の方はそういうわけにもいかないだろう? 言いたいこと、聞きたいことがあるんじゃないかい?」

「……そう、だよ。そうです! 雰囲気に呑まれて完全に忘れてたけど、その通り。ここは、どこなんです? 裏側の聖域に、似てますが……確かまだあの書庫に俺はいたはずで」

「その答えは簡単。体はあの書庫に、精神は……ボクの城の中にある。言ってしまえば、ここは夢の中だよ」

「夢……? でも、俺は夢に見るほど貴方の顔に覚えはないですが」

「夢の中にいる、といっても別にその場所が君の夢の中である必要はないだろう。第一、君はカロンに一度招待を受けているはずだ。干渉は受けやすくなっているはずだ」

「そう、だ忘れていたけど。確かに、と言うよりもさっきの『表』で会った時も同じ風景で……」

 

 この聖域に来た時に一番最初に訪れた、カロンからの正体を受けた『裏』の聖域。

 そして試練でのイレギュラー対処に向かった際に訪れた『表』の聖域。

 『表』と『裏』、似ているのは当然なのだろうか。

 ……そもそも今ここは本当に『裏』の聖域なのだろうか、実は『表』の聖域の延長だったりしないのだろうか。

 そんな風に眉間に深く皺を寄せていると、彼女はそれを伸ばしてくる。

 

「な、なにを?」

「こんがらがるのも無理はない、けど受け入れないと進めないこともあるよ?」

「……では、まずは受け入れます。ちなみに退出方法は?」

 

 彼女の言う通り、話を進めるためには無理やりでも受け入れるしかないのだということだ。

 だが、それでも、もしもの退出方法を聞いておきたい。

 

「夢から覚める方法は起きようと思うか、外から起こされることだよ。もっとも、外から働きかけようとしてもボクの体はすでにないし、カロンも自発的に動かないだろう。他人の夢の中から自力で目覚めることは難しい。ボクが起こそうと思わなければ、起きられないんじゃないかな」

「――! じゃあ、まさか……」

 

 淡々としたエキドナの言葉にシャオン戦慄する。

 彼女の城、という意味がより如実に形を帯びた。そこに囚われた魂は今や彼女の掌の上だ。

 

「俺を、外に逃がさないつもりか……?」

 

 最大の警戒を払いながらも、魔女に対して致命的な亀裂が入るかもしれない言葉を投げかける。仮に彼女がその本性を露わにしたとしたら、決して敵わないと理解した上で。

 そして、そんなシャオンの問いかけに彼女は小さく吐息をこぼし、

 

「いや、別に。帰りたいなら帰してあげるけど? だってボクが呼んだわけじゃなく、君があんなに熱く求めたからだろう?」

「……あ、そう? そうなんです? なんか拍子抜け」

「さて、ここならばある程度の話をしても邪魔はされないし、なにより試練を続けていてももう一つのボクが見ていてくれている。そろそろ話をしよう、返すものもあるしね」

「……意味が分からない、がその答えも教えてくれるということでよろしいんですね?」

「ああ、勿論。だけどその前に──君はどこまで覚えている?」

「さっぱり」

 

 エキドナの問いに、正直に答える。

 含みがあるのかもしれないが、いったい何のことを聞かれているのかすら見当もつかない。

 いや、ある程度見当はついているが――考えたくない。

 そんなシャオンを見てエキドナは少し考えるそぶりを見せた後、

 

「であれば、今回の茶会は案外短くなるかもね。質問することが思い出せていないのだから」

「……その前に、一つお願い、いや『契約』を」

「うん?」

 

 まるでお預けを食らった犬のように、エキドナは僅かばかりに顔を変える。

 

「この空間において嘘はつかないでほしい、答えにくいことは沈黙かはぐらかしてもいい。これを両者に適応しよう、『真実しか話さない』こと」

 

 シャオンの申し出にエキドナの表情は読めない。

 今までの経験則上、子の魔女は相当のやり手。アナスタシアにさえまともに知能戦で勝てない自分が勝てるはずがない。

 だから今は最低でも出し抜くのではなく確実な情報を集めることに徹する。そのための契約だ。

 問題はこの契約を呑んでくれるか、だが。

 彼女はいまだ沈黙を保っているそして、息を、本当に息を大きく吐き出し、

 

「──そんなに信用がないかなぁ、ボク。いいよ、構わないさ結ぼう」

 

 テーブルに突っ伏し、拗ねたような口調で手を伸ばしてきた。

 これは、手を掴めということだろうか。

 そう考えているとエキドナは催促するように「ん!」と再度こちらに伸ばしてくる。

 仕方なく、慎重に手を伸ばし、彼女の手を取る。

 柔らかい、普通の少女の手。気を付けないと傷がついてしまいそうなその手を優しく握る。

 その瞬間、見た目は何も変化しないが、確かに『何か』が変化したように感じた。

 

「……こんな簡単なのか、契約って」

「内容が簡単だからね。複雑なものならもっと手順を踏むさ。それにキミの特性上──いや、それよりさて、まずは何から知りたい?」

「えーっと、貴方はエキドナ。『強欲の魔女』で、すでに故人。ここまではいいですか?」

「それで間違いないよ。ここはボクの夢の中で裏の聖域だ。今本来の管理者は留守だから管理しているのはボクだ。帰りたいときは一声かけてくれればいい」

「それはご配慮ありがとう。で……」

 

 顎に手を当てて、白髪の少女をじろじろと眺める。彼女はシャオンの不躾な視線を浴びながら、その透き通るような白い頬に手を当てて「なんだい?」と片目をつむった。

 

「故人……?」

「……ああ、なるほど。確かにその点についてはまったく説明していなかったね。ここまでその点にまるで触れなかった君も君だが、ボクもボクだった」

「ええ、墓場で幽霊、違和感はないけど、どうもその見た目と性格やら干渉具合から信じられなくて。あとあの部屋にある本がすべて死者について書いてあるとは言っていたし、それが真実ならまぁ、うん信じられるんでしょうけど」

「……幽霊、というのは否定しないね。肉体を失った精神体であることは事実だ。さて、ボクがこうしているのが何故なのかと言われると……そうだね。抑止力のため、というのがもっとも正確な答えになるだろう」

「抑止力……? なんの……いや、もしかして」

「鋭いね。魔女が出張るほどの者は限られているさ」

 

 シャオンの答えに満足そうに頷き、エキドナは小さく拍手してみせる。それから彼女は空を、作り物の青空を手で示すと、

 

「ボクをこうしてこの地に繋ぎ止めているのはボルカニカ──神龍ボルカニカだ。今の君でも聞いたことぐらいはあるんじゃないかな?」

「……確か、ルグニカ王国の王様とかと盟約を交わしてるっていうドラゴンのことですよね。王選の広間で、そんな名前を聞いた」

 

 何故だか胸がむかむかする。

 なんというか会う前から、名前を聞いただけでわかるくらいに相性が悪い気がする。

 

「ふふっ」

「なに笑ってるんです」

「いや、キミの好みは変わらないな、と。さて、ボルカニカで合っているよ。ボクはその龍の力でこの墓所へ封じられている。ボルカニカがそうした理由は君の推察通り、『嫉妬の魔女』への抑止力だ」

 

 穏やかで理知的な眼差しをしているエキドナだが、彼女の口から『嫉妬の魔女』の言葉が紡がれるたびに、その瞳に険しい感情が刹那だけ走る。

 それだけ、彼女と『嫉妬の魔女』との間に存在する溝が大きいということだろう。

 

「今も封魔石に封じられる『嫉妬の魔女』だが、彼女の封印は盤石ではない。ボルカニカの寿命とて永遠ではないし、なにかの拍子に封印が解かれないとも限らない。あれを信奉する存在も少なからずいるし、天変地異で封魔石の一部だけが破損しないとも言い切れない。──故に、ボルカニカはボクの存在を残している」

「『嫉妬の魔女』が復活したとき、それに対抗する戦力として……」

「もっとも、残った魔女がボクではボルカニカの期待に応えられるとは思えないがね。残すなら他の魔女を残すべきだったんだよ」

 

 「やれやれ」と首を振るエキドナになんと言っていいのかわからず押し黙るシャオン。そんな様子の前でエキドナは「ともあれ」と言葉を継ぎ、

 

「魔女であるボクと、神龍ボルカニカ。あとは『剣聖』と……賢者か。とりあえずそれだけ揃えば、仮に『嫉妬の魔女』が復活することがあったとしても対抗できるかもしれない。というのが、ボルカニカの儚い希望といったところか。」

「つまり、貴方をここに縛っているのはそのくそ竜が原因ってことでいいんですかね?」

「くそって……まぁ、正確にはボルカニカの意思をメイザースの術式が繋いでいるというところだ。こうしてここに足を運んだ以上、メイザースぐらいは知っているだろう? あるいはもうこの家名も残っていないかもしれないが……」

「いや、メイザースはまだ存命です。ロズワール・L・メイザースがこの墓所含めた一帯の領主です」

 

 シャオンはロズワールをどう説明したものかと頭を悩ませる。属性が多すぎて、という部分よりもシャオンが知らない要素が多すぎるからだ。

 が、そんなシャオンの迷いとは別に、エキドナはその形のいい眉をピクリと震わせて、「ロズワール?」と呟くと、

 

「すまないが今、ロズワールと言ったかい?」

「ええ。あれ、知ってる?」

「――知っていたら、おかしなことになるね。なにせボクは四百年ほど前の存在だ。同じ時代にその人物がいたとしたら、話が少しおかしくなってしまう」

 

 エキドナは「そうだな」と唇に指を当ててから、

 

「君の言うロズワールというのは、濃い灰色の髪を長く伸ばした人物だろうか。瞳の色は……確か黄色だったと思ったが」

「──いや、それなら違います。俺の知ってるロズワールさんは髪の毛の色が藍色で、目の色も片目ずつ青と黄色で色違いの目をしています」

 

 ロズワールはこの土地、『聖域』の管理について代々引き継いできたものであると話した。それはつまり、この墓所にエキドナを封じるボルカニカとの盟約も引き継いできたということになるだろう。

 一族が代々継いできた役割。だとすれば、

 

「ひょっとすると、ロズワールの名前も襲名式なのかもしれない」

「ロズワールを継ぐもの、か。だとすると、それはちょっとした悪夢だね」

 

 こちらの推論に納得したように頷き、それからエキドナはいくらかの疲れを覗かせながら肩をすくめた。らしくない態度に眉を寄せると、彼女は「いや」と言い、

 

「ボクの知るロズワールという人物は、少しばかり一途が過ぎる人柄をしていてね。ある目的のために一生を捧げかねない危うさがあった。仮に彼がボクの死後、なおも変わらないままであったなら……」

「自分の一生だけで飽き足らず、一族の時間までそれに捧げてるかもと?」

「そういうことだよ。いやはや、それは考えただけで恐ろしいことだ」

 

 その言いようのわりに、エキドナの口元には微笑が浮かんでいる。

 それはまるで、出来の悪い子どもを見守る親のようなものに見えたのは見間違いだろうか。いずれにせよ、

 

「貴方が墓所にいる理由と、それを誰がやってるかはわかった。そんな大層な理由があるとは思わなかったけど、もう満腹だよ」

「ふふっ、満足していただいて結構。……それで、他に質問は?」

「……次に聞きたいのは、試練だ。この墓所で行われるって聞いてる試練。それの内容を聞かせてほしい。あと、なにが突破になるのかも」

「出題者に問題文と一緒に答えを聞くなんて、無慈悲なことをするね、君」

「余裕がないからね」

 

 そんなシャオンの言葉にエキドナは考え込むように目をつむり、きっかり五秒後に瞳を開くと、

 

「試練、だったね」

「ああ、そう。今スバルとアリシア、エミリア嬢が挑んでいるそれをクリアできないと、『聖域』から出られなくなる。だから、教えてほしい」

 

 『聖域』の周囲に張り巡らされている結界のようなもの。それが彼女の出入りを拒むのであれば、弾かれないスバルもまた出入りするつもりはないだろう。

 と言うよりも現状が―フィルが説明した通り結界を解かないと話が進まないし、王選からの脱落も考慮に入るだろう。

 彼女が試練を突破し、全員一緒にその壁を通り抜ける。

 

「試練について、は黙秘しよう」

「知らない、訳ではないんですね。当然」

「観測しているからね、今こうしている間にも。ただ……裏の試練に関しては関与していないよ。だからそちらの試練については答えられない。むしろボクの方が試練について聞かせてもらいたいぐらいだよ。その内容、出題傾向、解答者の選別ともちろん問題の答えと、好奇心は尽きない」

 

 瞳を輝かせ、知識欲に瞳を輝かせ始める『強欲の魔女』。

 その欲求に素直な姿にため息をぶつけて、シャオンは『試練』に関してのこれ以上は話を引っ張っても仕方がないと判断。

 そうなると、

 

「あ、そういえば一個だけ思い出した」

「うん?」

「この墓所がある『聖域』の住人。ここを実験場とか呼んでいた。どうも『強欲の魔女』の実験場って意味らしいけど、ハーフ逃がさない結界があることといい、なんの実験をやってたのかとか……」

「言えない」

「聞かせてもらえたらって……」

 

 だが、その質問はばっさりと、表情を消したエキドナに切り捨てられていた。

 その取りつく島もない態度に思わず押し黙る。その反応を見て、エキドナは自分の言葉の切れ味に気付いたのか気まずそうな顔をして、

 

「言い方が悪くてすまない。だが、言えないこともある。ボクはその質問に答えることはできない。言えないんじゃなく、言いたくないんだ」

「……いい印象の言葉ではないけどそれは発言者の性格だと思っていましたが……実験場。でも、否定もしない」

「そこまでで止まってほしい。それ以上踏み込むのならば……君の心が死ぬ」

「そ、れはどういう? 遠まわしに殺す、と?」

「……」

 

 冗談めいた質問にも目を伏せ、エキドナはそれ以上の追及を拒んでいる。

 圧倒的な存在である魔女が、肩を小さくしてシャオンにそう懇願したのだ。それを聞いてしまえば、それ以上の追及は諦めざるをえなかった。

 

「後は、なんで俺と、スバルが『聖域』に、『表の試練』に挑めるんですか?」

「簡単さ、ボクが許可を出したからだ」」

 

 意外だとばかりに眉を僅かにあげるエキドナ。

 だが、こちらとしては当然の事だ。当たり前だ。とばかりに彼女は解を投げた。

 

「こっちはボクが作った試練だ、当然だろう? 整理すると『表の聖域』の試練はハーフであることと、強欲の魔女、ボク、エキドナが許可を与えたときだ。ちなみに『裏の聖域』はボクの許可のみで受けることはできない」

「作ったのが貴方ではないから、ですか」

 

 頷く彼女を視界の端で見つつもよくよく考えると道理は通っていることに気付く。

 製作者が任意に設定できないことはない、彼女に気にいられれば試練に挑めるし、嫌われれば弾かれる。

 つまりはこの魔女の掌の上ということにある訳だ。

 

「ところで――」

 

 かちゃり、とカップが音を立ててテーブルに置かれる。

 その音は静かな音、だが今のシャオンには妙に大きく聞こえ、

 

「──いつまで本当に知りたいことを避ける気だい?」

 

 咎めるような声が、ただただ広大な風景の中響いた。

 

 

 エキドナのこちらを見る視線は鋭い。知識欲と言う欲を押さえているシャオンに対して怒りを覚えている、ように思える。

 それは全てを欲した強欲の魔女ゆえのことだろうか。

 

「……」

 

 たしかに避けていた質問がある。

 だが、この質問をすることは、”雛月沙音”にとって、致命的なことを知ることになる。

 そんな、生存本能に近い予感が、シャオンの口を開かさないでいた。

 だが、

 

「知りたいのだろう? 欲望のままに、渇いたその隙間を埋めることは、誰にもとがめることはできない。」

 

 目の前の魔女は逃してくれない。

 

「もしも咎めるものがいても私が許そう。この『強欲の魔女』が」

 

 そっと、優しく背中を押され、口が開く。

 

「──ぼ、くは」

 

 声が、出ない。

 呼吸も、上手くできない。

 これ以上、言葉が、本能が拒否している。

 息が、出来ない。

 

「──っ」

「……今回はここまでのようだね」

 

 過呼吸になりかけていたこちらの背中をいつの間にか背後にいたエキドナが背中をさすってくれる。

 そのおかげもあって多少は空気を吸い込むことが出来、何とか落ち着ける。

 

「よっぽどだね、少し、想定外だ」

「……満面の笑みを浮かべて、い、言う台詞じゃないですよ」

「君のその顔を見るのは嫌いじゃない」

「……いい性格だよ」

 

 

 落ち着いたところで、どう言葉を繋ぐべきか。

 とりあえず素直に感謝の言葉を伝えるべきかと、とシャオンは視線を上げようとして、

 

 

「──ッあ!?」

 

 ふいに、腹の底で熱いものが存在を主張することに意識を奪われた。

 

「……ぉ、あ?」

 

 すさまじい熱量に胃袋を焼かれる感覚。シャオンは呻き声を上げながら腹部に手を当てて、その場でふらふらと足をさまよわせる。

 ふいにわいた苦痛は尋常ではない。腹痛などとは比較対象にならない謎の苦しみに口の端を涎が伝う。立っていられず、その場に膝をついて、すぐに横倒しになった。

 そんなシャオンに、

 

「ああ、やっと効いてきたようだね」

 

 と、冷たい瞳をたたえるエキドナが見下ろしていた。

 彼女はゆっくりと悶えるこちらに顔を近づけ、口をぱくぱくとさせているシャオンの顔を見て、

 

「……まさか、毒でも……」

「それこそまさか、だよ。第一君には効かないだろうしね。君が飲んだのはボクの体液だ。本来の君なら飲みなれたものだが、今の君はまだ未完成だから拒絶反応が起きるのだろう」

 

 目を見開き、シャオンはエキドナを睨みつける。先ほどまでの友好的な態度はどこへやら。いったい、彼女はなにを目的としてこんなことを──、

 

「誤解しないでほしいんだが、ボクはなにも君に敵意や悪意を持ってこんなことをしているわけじゃない。むしろ、ボクは君の存在を好ましく思っている。ボクの一部を飲ませたのも、そのためだよ」

「わ、かるように」

「簡単に説明するなら、君の中に眠る『ある物』を目覚めさせる手助けをした」

「ある、もの……?」

「君の成長に関わる、大きな問題だ。命にもかかる……ただ、いつ爆発するかわからない爆弾を、被害が大きくならないうちに爆発させておいてあげようという心遣い、のようなものかな。夢の中でそれが済むなら、外に出て爆発しない分だけゆとりが持てるんじゃないかな」

「……そんなものを抱えた覚えは」

「そうかい、でもあるんだよ。あとこの行為にはほかにも意味があってね――これで君は、表の墓所の試練を受ける資格を与えられた」

「──!?」

「これで、君も夜の墓所の試練を受けられる。すべてを知ることができる。受けるかどうかは君の自由だ。受けないのもできる──どうするかは、好きにするといい」

 

 あっけらかんと語られて、シャオンは意識が飛びそうになる苦しみに視界を明滅させる。

 苦痛が全身を焦がすのに意識が奪われたわけではない。いつまでも続くと思われた苦しみはわずかに安らいできており、終わりが見え始めていた。

 だが、この苦しみを克服するよりもどうやら、

 

「逢瀬の時間は終わり、のようだね」

 

 徐々に徐々に、視界の中で世界の輪郭がぼやけていく。

 青々とした空が、緑に覆われた草原の丘が。二人が囲んでいた白いテーブルと椅子が、その像を結べなくなり始めていた。

 

「貴方がが終わりに、しようとしなきゃ終わらないんじゃ……」

「現実の方の時間が限界に達したんだよ。誰かが君を起こそうとしている。その誰かは、目覚めてから確かめて文句を言うと言い」

 

 軽い口調で言って、エキドナは倒れ込むシャオンの髪を優しく撫でる。

 汗ばむその長い髪を、彼女は愛おしく撫で、唇で触れる。

 

「――本当に、惜しい。なんで君は――」

「……え?」

「――また会おう。次は試練の場で」

 

 最後に聞こえた確かな言葉。

 

――『嫉妬の魔女因子』を受け入れなかった。

 

 意味に分からない言葉を頭に巡らせる。そして、その意味が分かることもなく──、

 世界の崩落が始まり、足下が少しずつ闇に溶けていく。

 今度こそ本当に世界の終焉が近づいてきていた。




カーミラ「外でスタンバってました……」
エキドナ「……」

次回はシャオンの過去編(蛇足)ですが、たぶん蛇足なのでまとめて投稿します。
そうしたらお待たせ、真ヒロインの登場です。


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対話であり誓約

お久しぶりです。
もう一話出します。


 口内に溜まった涎と一緒に無意識にそれの形を舌先で味わい――土臭さと砂利っぽさを感じ取った瞬間に思い切り吐き出す。そして跳ねるように体を起こし、

 

「うぇげっ! ぺっぺ! 変な石が口の中に……おぇっ」

 

 えずきながら体の埃を叩き、シャオンは起きたての目を凝らしながら首を巡らせる。

 そこは、山ほどの本、つまり、

 

「そうだ、『試練』を受けようとして……」

 

――エキドナは外の世界で起こされた、と言っていた。

 ならば起こした人物はここの部屋の、

 

「なんで起こしたんだ?」

「騒がれるのは嫌です。貴方が理由になるならさっさと追い出します。生贄」

 

 ここの部屋の主である、カロン。彼の仕業だろう。

 案の定、原因は彼だったようだが、理由はまた別にあるようだ。

 

「それに――もう片方が目を覚ましたようです。迅速に動いたほうがいいのでは?」

 

 もう片方、と言うのは――

 

「スバル?」

 

 そう気づいた瞬間に体は動いていた。

 隠し道を通り、元いた墓所へ戻ると。

 

「エミリア!? おい、しっかり……エミリア!」

 

 抱き寄せた背をさすりながら、震えるエミリアの名前を必死で呼ぶスバルの姿があった。

 激しく痙攣するその様子は離れていてもわかるほどに明確であったが、彼の呼びかけの効果か、次第にその体の震えはゆっくりと収まり、

 

「ぁ……ちが……違う、あの、私、そんな……そんなつもり、じゃ……」

「エミリア?」

「私……私じゃ、ないの……違うの……っ。そ、そんなこと……して、ないっ……してないのに……違うって、言ってるのに……っ」

「エミリア。ちょっと、エミリア? 落ち着いて、なにを……」

「……やだ。そんな目で……わ、たしを……やだ、やだやだ……やだぁ、ちがうのぉ……私じゃ……なんで、私を一人に……しないでぇ……」

 

 スバルの呼びかけも耳を素通りし、エミリアは掌でその顔を覆うとその場に崩れ落ちてしまう。声には涙がまじり、嗚咽に震える銀鈴は聞くものの心に痛みすら感じさせる哀切に満ち満ちていた。

 床に崩れたエミリアの姿に、スバルは呆気にとられて言葉も出てこない。ただ、

 

「大丈夫。大丈夫だ。俺がついてる。俺がいる。君を一人にしない。大丈夫だ」

 

 ひたすらに、震えて涙する彼女を慰めるように、守るように、愛おしむように、体全体で彼女を抱きしめて、その背を優しく撫で続けるだけだった。

 その間も、エミリアはスバルの声など聞こえないように顔を掌で隠したまま、

 

「……あー、これはどういう」

「海よりも山よりも……どちらにしろ訳わかんねぇ」

 

 

「――今は落ち着かれてお休みになられているわ」

 

 部屋から出てきたラムに物問いたげな視線を向けるスバルに、密やかな声でそう告げる。

 背後の部屋を気遣う彼女の態度は、中の様子がそれほど大変だったことの表れだろうか。

 

「――あのエミリア様のご様子。よほどひどい扱いをしたのね、バルス。死になさい」

「濡れ衣だよ!……って言いたいが守れていないのは事実だ、すまねぇ」

「らしくないわね、バルス。普段からしまりのない顔をしているのに、そこに影まで落としたらますます見ていられなくなるわよ」

「しまりねぇとか余計なお世話だよ……悪いな、気ぃ遣わせてよ」

 

 そのスバルの言葉に、ラムは鼻を鳴らして歩き出す。

 その間にスバルは血がにじむほどに唇をかみしめている姿をシャオンは見た。

 力足らずを幾度も悔やんでも悔やみきれないのだろう。それは、勿論自分もだが――

 

「――おや、エミリア様のことはもう大丈夫だということなのかーぁね?」

 

 ラムを追いかけて建物の奥へ。最奥の部屋に入るのであれば寝台に横たわるロズワールの歓迎を受ける。

 場所は、ロズワールの療養する聖域内にある建物。本来は別の役割があるが、今は領主の療養先として選ばれているのだ。

 

「ああ、今は部屋で寝てる。ラムのおかげで悪夢を見ることはないし、もしも錯乱しても大丈夫なようにアリシアをつけている」

 

 ラムが用意した稿料の催眠作用によってエミリアは今は錯乱せずに眠りについている。

 パックがいない今、このような彼女に害を与えるようなものもすんなりと作用を受けるわけだ。

 だが、どれくらいの効能があるかわからないため、念のためアリシアを護衛兼見張りにつけているのが現状だ。

 アリシア自身も眠りから起こした時は少しの精神の動揺はあったが、あの墓場からエミリアを連れだす際には正気に戻っていた。試練に関してはやはり彼女にも触れられたくないのだろうか、詳しい話はせず、失敗したということしか言わない。

 

「……あいつが見張り勤まるかねぇ」

「あの子は意外とやる子よ。ラムの次の次の次に置いても考えるか悩むくらいには」

「結構遠くないかそれ!」

 

 この場にいないアリシアの扱いにスバルが叫ぶ。

 

「それに、不確定要素を入れたくないのでしょう?」

「それは――」

 

 すまし顔で言ってのけ、ラムはロズワールのすぐ横に控える。

 事実、これからする話は完全な陣営内の話になるのだ。

 アナスタシアとのやり取りを見ていたシャオンの視点からは別だが、スバルなどの懸念要素に入らない様に、念のため席をはずしている。勿論、護衛や見張りの役目がなければ連れてきていたが。

 

「ガーフィールはごねたが、リューズさんが説得してくれて助かったよ」

「年長者だからだろうね、道理は十分にわきまえていると思うよ」

 

 墓所で別れた二人の様子から、聖域の解放自体はガーフィールらの悲願。協力的であれば手を貸すが、非協力なら強硬手段に移るという。

 それは――

 

「ややこしいたちばだよなぁ」

「エミリア様がいらした時点で利害は一致している。無効としても、これまでのよーぉな頑なさはないはずさ。そう言えば、君には連れがいたと聞いたんだ―ぁけど」

「連れ……?」

「スバルスバル、オットーのことだよ……これからは陣営の内緒話なんですから、部外者の彼に参加はさせたくないので席を外してもらっています」

 

 本気で忘れているようなスバルに変わりシャオンがロズワールの問いに答える。現在は大聖堂に引っ込ませている。もともとの理由がロズワールに会いに来たはずなのだが、なかなか目的が達成できずにもどかしい思いだろう。

 それに、

 

「なるほど、懸命だ。友人を面倒ごとに巻きこみたくない、と言うわーぁけだね」

「……その隠していることを見抜くような態度、嫌いだわやっぱ」

 

 事情を語る前にかみ砕いて納得され不満半分照れ半分にスバルは文句を言う。

 だが、否定はせずに肩をすくめた後改めて、エミリアを欠いた形ではあるが――、

 

「――夜に先延ばしにされた内緒話といこうじゃねぇか」

 

 

 

「白鯨を落とし、さらには屋敷を狙った魔女教の大罪司教を撃退。候補者であるクルシュ様と同盟を結び、前述の戦いのどちらでも功績を上げた――ふーぅむ」

 

 心なしか寝台に預ける体重を増しながら、ロズワールが己の顎に触れて瞑目する。彼が口にしたのは、夜の間にすり合わせを行うべくスバルが語った、ロズワール不在の間に起こった事態の数々だ。

 話が脱線する自分の悪い癖を自覚的に押さえて、自慢話や苦労話を極力排除した客観的な内容説明だったと思う。そして改めて己の行いを振り返り、

 

「……はっきり言って、妄言の類を疑うような活躍ね。いつから冒険活劇の登場人物に鞍替えしたの、バルス?」

「お前に言われると微妙に癪に障るんだが……我ながらちょっとどうかと思う活躍ぶりだと思う。これ、自分評価でも他人評価でも軽くヤバい貢献度だよね?」

「望外の結果、という他になーぁいじゃないの。まーぁさかここまでやってくれるとは、私も……そう、誰も予想なんてできなかっただーぁろうしねぇ」

 

 自分の内側でそれらの驚きを消化し終えたのか、ロズワールが顎を引いて賞賛の言葉を口にする。彼は珍しくその表情を真剣なものに引き締めたまま、ベッドの前で椅子に腰掛けるこちらを左右色違いの瞳で見つめ、

 

「まーぁず、改めて感謝の言葉を伝えておこーぅか。――私の領地と、領民を守ってくれたことに感謝を。そして、エミリア様への多大な貢献に関しても、彼女の支援者である身として感謝に堪えない」

「お、おう。せやな。なんか、そんなかしこまって言われるとちょっとこっちも縮こまるもんがあるな。別にそんな言われるほど……」

「スバル。素直に受けておくべきだよ。文化の違いはあるけど、上の立場からの称賛を否定するのは本来なら失礼だ……その人が嘘を吐いているなら別だけども、嘘はついていないようだからね、ロズワールさんは」

 

 ロズワールは辺境伯の地位につき、ルグニカ王国の全権の一翼を担う――その人物からの感謝の言葉は、恐らくスバルの想像よりも、スバルを嗜めたシャオンの想像よりも重いものだろう。

 

「――――」

「……ロズワール様は立場上、目下のものに簡単に頭を下げるわけにも、感謝の言葉を与えるわけにもいかないの。それをされるということを、もっと弁えなさい」

「二人とも、すこーぉしばかり大げさにすぎる。私の言葉なんてものはそーぉんな価値があるほどのものでもない……まぁ私の立場からの感謝の大きさは別として、スバルくんがやってのけたことの大きさは誰の目にも明らか。そーぉして、それに見合った報酬を与えないことでわーぁたしに向けられる失望やら不平不満やらというものも簡単に想像できるわーぁけ」

「……つまり、どうしてくれるって?」

「見合った報酬を。――スバルくん、王選の広間でのことを覚えているかね?」

 

 喉を詰まらせるスバルを見て、ロズワールの双眸が薄く細まる。

 それだけでなく、シャオンも、その場の光景を見ていないはずのラムも僅かに体を膠着させている。

 

「覚えてるぜ。忘れるわけがねぇ。……忘れちゃいけねぇと、そう思う」

「ならば、私は君の功績に対してこう報いたいと思う。あの場での、君への言葉を本物のものにしよう。――無事、ここを出た暁には君を騎士に任命する」

 

 顔を上げる。かけられた言葉の意味が一瞬呑み込めず、動揺したまままばたきするスバルにロズワールは頷きかけ、

 

「公爵と共に白鯨の討伐に参戦し、魔女教の大罪司教の一人を討ち取る手柄を立てたものが無名であっていいはずがない。君の名は、『騎士』ナツキ・スバルの名は名誉あるものとして賞賛とともに国中で語られるべきだ。――そうなれば、あの広間で語った君の言葉を、もう誰にも笑うことなどできない」

 

 エミリアの一助になるのだと、なにも両手にない空っぽの若造が吠えた。

 夢見がちな若造は現実の前に幾度もへし折られ、絶望し、狂気に沈み、復讐心に駆られて全てを蔑にし、愛に救われ――今、ここにいる。

 その時間の全てが、ロズワールの口にした『名誉』によって、確かに価値があるものであったのだと証明される。

 それは傍で見ていたシャオンにとっても救いの一言だった――今は二人以外覚えていない彼女の存在を考えても、だ。

 

「……ありがたく、ちょうだいする。それで、あの戦いに意味が芽生えるんなら」

「誇るべき功績だ、誰にも馬鹿になどさせまい。エミリア様の隣で、胸を張って立つ権利を君は手にした。己の力で」

「……俺だけの力じゃ、ねぇさ」

 

 ロズワールの言葉に口の中だけの呟き。聞き取れなかったらしいロズワールがかすかに眉を寄せるのを見ながら、スバルは一度だけ瞑目して深呼吸。それから瞼を開き、軽薄に肩をすくめてみせると、

 

「真面目なやり取りだったな、おい。あんまり長々とキャラ崩壊してると、素に戻ったときが恥ずかしいから自重しようぜ。俺、もうすでに顔が熱くなってきたよ」

「そうかい? 私は何時だって真剣そのものだよ? 信用がないなら、あらためて宣言しようか――この時間は今度こそ、君と正面から向き合うと」

「君達、だろ? ここにいるシャオンも、それに本来いなきゃいけないエミリアも居ないんだ」

「いーぃや? 君、で間違いないさ」

 

 発言の訂正を訂正し、ロズワールは金色の左目だけをスバルへと向ける。

 

「それは……どういう意味ですか? 俺はまだしも、なんでわざわざ、エミリア嬢の存在を外すんですか?」

「君は私がラムを同席させていることに対するつり合いだよ。エミリア様については当然のことだ。悪だくみは信用のおける共犯者とのみ話し合うべき事柄さ。そこに信用にかける相手を同席はさせない」

「信用に、欠けるって……エミリアがか!?」

 

 寝台の背もたれに体を預け、泰然と言い放つロズワールにスバルは激昂する。

 当然だ、彼はこともあろうに、スバルの前で、エミリアを信用に値しないと言いきったのだから。

 

「ほかでもない、お前が、エミリアの後ろ盾である、お前がか!? なんで、だ、信用できないだなんて……っ」

「スバル」

「――わかってるよ、短気は損気。いやでも王都で味わったからな」

 

 怒りの前に詰め寄りそうになるスバルだったがシャオンの指摘以前に自信で血の上った頭を落ち着かせたようだ。

 そして、深呼吸を数回意識して行う。

 

「……順を、追って話そう。すべて、だ。共犯者って言うところからな」

「いいとも、そこについて合意がなされれば、疑問は解けるだろう」

 

 悠々とした態度を崩さないロズワールは改めて丁寧に説明を開始する。

 

「さて、まず私が君に持ちかけた共犯者と言う言葉の意味、だが簡単さ。キミにはこれまで同様にエミリア様を手助けして支えになってもらいたい」

「言われなくても、な。だが、お前はどうするんだよ」

「無論、同じさ。エミリア様が王選を勝ち抜き、この王国を統べる立場になられるのを全力で支援。ほら、君と私の目的は同じ、これは共犯者という関係性が一番合っているだろう?」

「協力者、ではなく共犯者」

 

 シャオンの呟きは噛みつきにも近い。

 それだけの穏当な理由で、ロズワールが『共犯者』などと言い出すとは思えない。何か別の思惑があると疑うのが当然だろう。

 それに――

 

「お前の言っていることは矛盾だらけだ。本気で、お前がエミリアを王座に着けたいのなら、そう思っているならここに来る前の手抜かりに対しての言い訳はどうする」

「手抜かり、ね」

「隠すなよ。魔女教だ、エミリアの王選参加が公になったら、アイツらが暴れ出すのは周知の事実だった! 全員、お前はそれに備えた対策をしているって、だがふたを開けたらどうだ! そんな対策、ありやしねぇ!」

 

 とぼけた態度にスバルの怒りがぶり返す。

 それは止まることすらできずに不満と共にあふれ出していく。

 

「そもそも、お前は魔女教についてあの子に何も教えていなかったな……! 自分の王選参加で何が起きるかあの子は自覚がなかった、知っていればあんな、あんな!」

 

 スバルが言い募る間に過るのは死に戻りの光景だろう。

 無論、シャオンも経験をしているのだ、当然あの地獄は何度も洗い流しても脳裏にこびりついて離れてくれない。

 

「なんで、おまえがいてくれなかった。あの時に、お前がいてくれれば――あんなことには」

「スバル……」

「お前が残って、皆を守ってくれれば」

「だが、不在の私に代わって、君が役目を果たした。騎士として申し分ない手柄を得たじゃないか」

「俺は! そんなものの為に――!」

「落ち着きなさい、バルス」

「……ラム」

 

 思わず、足が出たスバルの前に立ちふさがるのはラムだ。

 本来ならばシャオンが止めるべきだったが、『死に戻り』の一件を知っているからか、スバルの怒りに同調してしまい反応が遅れてしまった。

 空気が僅かに張り詰める。

 彼女は背後にロズワールを庇い、薄紅の瞳に静かな怒りを宿し、スバルを睨む。

 

「ロズワール様は負傷の身よ。それでもバルスを焼き尽くすのに指先一つで十分でしょうけど……乱暴を働くのを、ラムの前では許しはしない」

「お前は納得してんのかよ。捨て石みたいな扱いにされたってのはお前も一緒なんだぞ。あのとんでもねぇ連中が村にくるのを知ってて、その鉄火場から自分だけとんずらこいてやがったんだ。許せんのかよ」

「許すも許さないもないわ。ロズワール様のされる行いの全てをラムは許容する。ラムがどう扱われようと、どう切り捨てられようと、同じこと」

「お前――ッ!!」

 

 理解できないほどのラムの忠節に、スバルの喉が激情で塞がる。

 それでもとっさに暴力に訴えかけないのは、スバルの理性がどこかで眼前の二人のどちらにも敵わないと冷静に判断していたからか、あるいは――、

 

「……レムだって、そんなわけわかんねぇことのために犠牲になったんだぞ」

「――? 誰のことを言っているのかわからないけれど、他人の名前はラムにはなんの関係もないわ。ラムにとって、ロズワール様が全てで、それ以外は瑣末なこと」

 

 絞り出すようなスバルの嘆願は、ラムの心には欠片の響きももたらさない。

 わかっていたことだ。レムの存在を忘却した彼女に、それを訴えてもなんの意味もないことを。そして、同時に理解したことがある。

 元々、ラムのロズワールへの異常なまでの忠誠はわかっていたつもりだった、がここまでひどくはなかったはずだ。それが変容したのはやはりレムの存在だろうか。

 彼女が、彼女の妹がこの世界から、記憶から消えたことがここまで狂信的に仕えるように変えたのだろうか。

 レムにとっての世界の大半がラムで構成されていたように、ラムにとっての世界もまたレムとロズワールの二人で構成されていた。コンプレックスに一つの決着をつけ、その狭かった世界にスバルを始めとして様々な要素を迎え入れ始めたレムは変わろうとしていた。しかし、ラムの世界は依然、狭いままだったのだ。

 その器の半分を占めていた存在を文字通りの忘却し、今やラムの世界はロズワールただ一人で構成されている。

 過激ともいえる、ロズワールへの過剰な忠誠心の発露は、そこに原因があるのだ。

 

「ラム、下がりなさい。この話し合いは私と彼、二人だけのものだ」

「……はい。出過ぎた真似をして申し訳ありません」

「それに平気へーぇいき。でしょ、スバルくん。怒っているように見えるけど、君は激昂なんてしちゃーぁいない。我を忘れて殴りかかるなぁーんて、話し合いを無碍にする選択は取れないはずじゃーぁないかね」

「どういう、意味だよ……」

「簡単なことだーぁよ。以前までの君なら、これまでの話のどこかで激発し、怒鳴り散らして話し合い事態をおじゃんにしてしまっていたことだろう。それをせず、怒りを噛み殺しながらも議論を継続できる……大人になった、ということだーぁね」

 

 からかう言葉にスバルの拳が強く握られる。それを見てロズワールはクスリと笑い。

 

「さーぁて、これ以上、若人をいじめていても大人げがない。君が成長の兆しを見せてくれたかーぁらには、私の方からもちゃーぁんと大人の器量を示すべきだよね」

「……そうしてくれ。とにかく、さっきの質問の明確な答えだ。はぐらかすのは抜きで答えろ。お前はどうして、エミリアに魔女教のことを隠してた。どうして、魔女教がくるのがわかってて、最大戦力のお前が屋敷を離れた!」

 

「どちらの質問の答えも、一つで答えられるとも。――私が魔女教と相対することを避けるために、私はそれらを行った、それらの事態を誘導した」

「「は――?」」

 

 思わず声が重なる。

 静かな声音で整然と返され、呆然と立ち尽くす。

 噛み砕き、呑み込んで、脳で言葉を味わってから、その内容が沁み込み、

 

「意味が、わからねぇ。お前が魔女教と戦わないためって……なんのために? 生理的嫌悪感があいつらにあるとか、そんな話じゃねぇだろうな!? お前が……お前がいれば、あんな奴ら一網打尽だったんじゃないのか? 被害だって……」

「なるほど。たーぁしかに私がいれば、今回の騒動の被害はきーぃっと減らせたことだろうと思う。私は自分の力量を正しく理解しているつもりでいるし、この国で十指に入る実力者であることを自覚してもいる。断言しよう。私がいたならば、此度の魔女教の襲撃はあっさりと撃退せしめたことだろう」

「それがわかっててなんで――」

「だから、か」

 

 唾を飛ばすスバルとは対照的にシャオンは納得をする。納得をしてしまうことが彼と思考が似ていることに繋がってしまうのが癪だが、わかってしまう。

 だが、口にするのは彼自身の口からだ。その意味を込めて半ばにらみつけるように視線をロズワールへと向ける。彼は、その視線を真正面から受け止め、答えた。

 

「私が活躍してしまえば、それはエミリア様の手柄にも君の手柄にもならないだろう? それでは、意味がない」

「――――ぇ」

「効果は見てきただろう? 現に魔女教撃退以前と移行で、アーラム村の住民のエミリア様への態度は正反対。理解できない魔女の現身から自分たちの命を守るのにその身を使って貢献した恩人。まぁ、君への評価も似た様なものだろうね」

「おまえ、何言っているのかわかってんのか?」

「――? スバルくんがなにを問題にしているのかの方が、わーぁからないね。あれかな。アーラム村に出かけた被害であるとか、魔女教を撃退するために力を貸してくれた傭兵団やクルシュ様の私兵であるとか……そのあたりの損害に関して、どうにかできたんじゃないのかみたいな話がしたいのかな?」

「結果論、だろ。お前がなにを言いたいのかは、なんとなくわかる。魔女教の襲撃に対して、誰が指揮を執って誰が手柄を上げるかってのが王選に少なくない影響を与えるってのは理解できる。……ロズワールがそれをしちまったら、望んだ効果が得られないっていうのも。でも!」

 

 歯を剥き、スバルは大きく腕を振りながら、

 

「お前が不在で、なにも伝えなかったのが原因で何人死んだと思ってる!? 確かにでかい被害はなかった。なかったけど、ゼロじゃないんだ。人が死んだぞ。こっちだけじゃなく、魔女教の奴らだって……」

「私がいたところで、魔女教徒への対処はなにも変わらない。全員、ことごとく灰に帰すだけのこと。こちらに味方したものの損害への非難は受けるけど、敵対したものたちに対する恨み言は筋違いじゃーぁないかね」

「――ッ。それでも、もっと穏便に……違う、そんなことじゃない! なにもかも結果論だって話なんだよ! 確かにうまくいったさ。被害は少ない、相手は全滅させた。エミリアは無事だし、アーラム村の人たちだって無事に避難させられた。……でもそれもこれも、全部たまたまだ。本当だったら――」

 

 本当だったら、スバルがなにかをする前に村の人々も、屋敷も、エミリアも。

 

「死んでた、はずなんだ。今回みたいになんか、うまくいったりしないで……みんな無惨に、苦しめられて、辛い思いをして……殺されてたんだ」

 

 顔を覆い、スバルは涙まじりになりそうになる声を必死で押し殺す。

 塞いだ瞼の向こうに浮かべたのはきっと、かつて見た忘れられない地獄の光景だろう。

 焼け落ちる村。あちこちに散らばる屍。子どもたちの亡骸。そして屋敷の庭に打ち捨てられたレムの死体。凍りつき、終わっていく世界。

 ――全て、『死に戻り』できなければ覆せなかった世界だ。

 妄言――そう決めつけられてしまえば、言葉でそれを覆すことはできない。

 『死に戻り』のことを訴えかけることができない以上、現実的に『起きていない出来事』でロズワールを非難することはできないのだから。

 あの地獄を知っているのはシャオンとスバルだけであり、あの地獄の光景を生んだ責任をロズワールから消し去ってやったのもまた、自分達なのだから。

 

「……俺がなにもできないダメな奴のままだったら、お前はどうしてたんだよ。シャオンに彼女の手助けを頼んでいたか?」

「それも考えたが、すぐに不可能だと思いやめたよ。そもそも君はその下馬評をひっくり返してくれた。――それじゃ不満かね?」

「不満だよ。お前はそんな、不確定な要素に身を委ねるような奴に見えない」

「――信じていたんだよ、君のことを」

 

 スバルの再度の問いかけに、ロズワールが声の調子を落として応じる。

 その答えを聞き、スバルの口から思わず失笑が漏れた。

 

「真面目に答える気はねぇってことか」

「君が望む答えかは別として、私は真実を語っているよ? 今夜のこの場所で、君を欺くようなことはしないと決めている。言えないことには言えないと言い、都合の悪いことは口を噤んで語らない。だが、口にしたことが偽りでないことだけは誓おう」

 

 失望に彩られたスバルの言葉に、ロズワールは厳かな口調で言ってのける。だが、それもどこまで信用したものか。すでにここまでの話し合いでロズワールへの好感度を軒並み減らしたスバルに、額面通りに受け取るような余裕はない。

 三白眼の目つきをより鋭くするスバルに、ロズワールは首を回し、

 

「もう一度、言おう。――私が今回のような判断をしたのは、君を信じていたからだ。君ならばエミリア様の状況悪しと見れば、クルシュ様との同盟を成立させるために奔走し、その上で魔女教撃退に尽力して為し遂げ、功績を上げると信じていた」

「仮にそれが事実だとして、どうして俺なんぞを信じるなんて判断になるんだ! お前が俺のなにを知ってる! たった一ヶ月の付き合いで、そんな信用が置かれるほど俺がなにか成し遂げられる男に見えたのか?」

 

 いけしゃあしゃあと美辞麗句を並び立てるロズワールに、床を踏みつけてスバルは反論する。指を突きつけ、今の言葉を自ら否定するように首を振り、

 

「そんなわけがねぇな。お前と別れたとき、俺は正真正銘のクズだった。そのクズが多少なりともマシになったのは、その後のことがあったからだ。そしてその後のことは、俺の中以外のどこにも残ってない。――俺の、なにを信じたんだよ!」

 

 ロズワールが片目をつむる。黄色い瞳が、居心地悪くスバルを見ている。

 その視線を振り払うように、スバルは思い切りに床を蹴りつけ、

 

「話にならねぇ。今のままじゃお前、頭空っぽの馬鹿なガキが全部うまいことやってくれるって信じて、領民もなにもかもほっぽり出して遊んでたってことになんだぞ。自分の立場も未来も賭け金にするには、遊び心に溢れすぎてて言葉もねぇよ!」

「……どうやら、今日の話し合いはここまでのようだーぁね」

 

 怒りを露わにするスバルと対照的に、ロズワールの方は寂しげに呟く。

 その呟きを聞きつけたスバルは「ああ!」となおも尽きない苛立ちを舌に乗せ、

 

「お前がまともに話をする気がない以上、なにを言ったって無駄だろうよ。今の話し合いのあとでなに言われたって、もう信じる気になんてならねぇ」

「君の中で私の評価が大暴落したのが純粋に残念でなーぁらないとも。……確認は不要だと思うけど、今夜のことはエミリア様には」

「言うわけねぇだろ。内容そのままでも脚色したのでも、話して得られるメリットがありゃしねぇ。そこまで計算してるから、べらべら適当ほざいたんだろうが」

 

 ロズワールの真意がどこにあるにせよ、エミリアと彼との間に軋轢が生まれることは王選を続けていく上で望ましくない。ましてや、今はエミリアを代表にアーラム村民を含むロズワール陣営が一丸とならなくてはならない状況だ。

 ロズワールの思惑に乗るのが癪であるとはいえ、『試練』を乗り越えることで、挑むことでさえもエミリアの評価は相対的に上がる。――なにもかも、彼の掌の上の出来事として。

 

「なにもかも理解して、私への堪え難い怒りを抱えてなお……テーブルをひっくり返すような真似はできない。やーぁはり、君は私が見込んだ通りだったよ」

 

 歯軋りして口惜しさを堪えるスバルにロズワールの声。顔を上げるスバルに、ロズワールはその表情を実に嫌らしく歪めると、

 

「君こそまさしく、私の共犯者にふさわしい――とね」

「……てめぇ、碌な死に方しねぇぞ」

「知っているとも。私は間違いなく、地獄に落ちる。だからこそそれまでに、できる限りの横暴を現世で尽くしておかないといけないね」

 

 言い放つロズワールに鋭い一瞥を向けて、スバルは無言で背を向けると乱暴に部屋を出る。

 これ以上、会話を交わしても無駄になる。真意を語るつもりがない以上、そしてその思惑を破り捨ててやることができない以上、不毛なやり取りになるだけだ。

 そう判断してのことだろう。シャオンもその後を追っていこうとするが、

 

「――そうだ、シャオン。残りたまえ、少し話がしたい」

 

――ロズワールに止められた。

 

 スバルに断りを入れ、シャオンはロズワールと会話をする。ラムは勿論いるが、いない者と考えてくれと言われたのでそれはもう仕方ない。

 それに、何を話すか決まっていないのに出ていけとは言えないだろう。

 なので、彼の言葉の次を待っていると、意外な質問が来た。

 

「――君は、一体何だい?」

「はい?」

 

 いまさらではないだろうか、自分の身分について怪しいところがあるから明かしてほしいということだろうか。

 といっても真実を話しても信じてもらえる可能性は低い。

 なのでどうごまかそうかと悩んでいると、

 

「スバルくんにも聞くべきではあったが、『君』という不確定要素があるうえではうかつに動けなくてね。エミリア様とスバルくんを助けに、君は墓所の中に入った。何の因果か、墓所罰則は君達には働かなかったようだが……君は墓所で、誰かと出会わなかったかい?」

 

 頭に過るのは白髪の一人の女性。

 口に出すことすら憚れる異名を持つ一人の、怪物であり、故人。

 墓所で出会うというのであればある意味違和感はない存在、だ。

 問題は彼がこの答えで納得するかわからないが、先の問答ではこちらも納得はしていない。

 だから、正直に、彼が納得しないであろう答えを放つ。

 

「――エキドナ。強欲の魔女と出会った」

「――――」

「と言ったら笑いますか?」

 

 僅かな沈黙の後、からかうようにシャオンは笑う。

 ふざけた回答、態度にロズワールは怒りを――見せることなく、寧ろ口元を三日月のように歪め、

 

「いーぃや。その答えで君の扱いは十分に変わったよ。それに、役目も理解した……君は君の好きなようにやるといい」

「はぁ、癪ですが……言われなくても――好きにやりますよ。アンタと同じように」

「そうするといい、我が弟子、シャオン。導き手であるその役目を果たせるのは君だけだろうからね」

「……よくわかりませんね」

 

 そう、告げ扉を閉める。

 思わず力強くしまったのはきっと偶然だろう。

 




シャオンの過去はまとめて出したいのでお待ちを…今書きなおしているので…!


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一の試練.a

さて、導入


「んで、いまはスバルとエミリア様が密会と」

「んな楽しいことじゃねぇけどな」

 

 エミリアが休んでいる部屋の前、シャオンとアリシアが壁を背に話をする。

 ロズワールとの話の後、スバルはエミリアの様子が気になり部屋へ訪れていた。

 今の彼女には彼が必要だと考えての判断だ、それに、アリシアの様子も気にはなっていた。

 エミリアは目覚めていたが、案の定気分は沈んでおり、アリシアも普段の調子が出ないのか会話はなかったようだ。

 そこで、無駄に明るいスバルと交代、自分たちは外で待機と言う状態だ。

 

「……」

「……」

 

 待機、と言っても会話は何もない。

 明らかに落ち込んでいるアリシアになんて声をかければいいのかわからない。女性経験のなさがここに影響出るとは思わなかった。

 そう心の中で過去の自分を責めていると、

 

「――試練の内容は過去を振り返るものだったっす。エミリア様があそこまで怯えるのも無理ないっすね」

 

 ポツリと、アリシアが語りだす。

 沈黙に耐えかねたのか、それとも話すべきだと考えての話題なのかはわからない。

 

「過去、ね……」

 

 黙っているのも気まずいと思い、呟く。

 それが真実ならば、エミリアのあの様子も納得がいく。

 ハーフエルフである彼女の生い立ち、気丈にふるまう彼女の裏にある凄惨な迫害の過去は想像よりも重く、暗いものだろう。

 だが、それはエミリアだけでなく。

 

「ん、ああアタシのことっすか?」

「お前も受けたんだろう、試練」

 

 視線に気付いたのかアリシアは自身の頬を指差す。

 そう、アリシアだってハーフ、鬼の亜人だ。普通の人間よりも過去はつらいものであると想像できる。

 そのシャオンの予想に対して彼女は朗らかに笑い、

 

「いやー! アタシはエミリア様みたいにそこまで格が高いわけじゃないからそこまで、重い過去じゃなかったすよ! たぶん他の人から見れば笑って済ませる」

「……」

「あ、あはは……ごめん、嘘ついた。結構しんどい。……アタシの話が気になる? アタシは母さんに――」

「話さんでもいい」

 

 コツ、と軽く彼女の額を叩く。偶然角の部分に当たったのか僅かに痛みを覚えるが気にしない。

 それよりも照れ臭さが勝る。

 

「癪だけど、屋敷の生活で一番関わっている時間が長いのはお前だ。んで、気を許せるのも、まぁスバルと同じくらいには、心を開いている。癪だけど」

「二回言ったよ……」

「だから、その体の震えくらいは気づけるっての。お前もエミリア嬢ほどではないにしろ、だいぶ無理しているだろ」

 

 墓所に出てから彼女の様子が少しおかしい。

 妙に反応が鈍いというか、考え事をしているというか、上の空と言う言葉が正しいのだろうか。とにかく様子がおかしい。

 そこに気付けばあとはたまに震えているのに気づくのはすぐだった。先ほど口にしたが付き合いは長い方だ、時間的ではなく密度的にではあるが。

 

――意識しているのは事実なのだから、すぐにわかってしまった。

 

「でも、気になるんでしょう?」

「そりゃあね、気にならないと言えば嘘になるが……情報はスバルからも聞けるし、何より当人が話したくないなら無理に訊かないよ」

「そっか」

 

 彼女の心情は読めない。

 安心しているのか、それとも、残念がっているのかはわからない。だがそのどちらであれシャオンのやることは、口にする言葉は変わらない。

 

「その代わり、話さないと無理だったら気軽に話してくれ。俺か、スバル。エミリア嬢は厳しいが……オットーとかでも行けるだろう。話せば楽になる。もちろん、話したいならだけどね」

「……引かない?」

「知らん……けど、馬鹿にはするかもな。そんな簡単なことで悩んでいたのか! 親父さんが心配するのも納得だ! って」

「うぐ」

 

 思わず痛いところを、と言うよりも嫌なところを突かれたのか彼女は小さくうめく。

 その表情が面白くつい笑ってしまう。だから、お詫びとばかりに、

 

「冗談だ。どうあっても、俺はお前の味方でいるよ。馬鹿にせずに」

「――ぁ」

 

 無理矢理髪を撫でくり回す。

 意外にも細い髪の毛はアリシアが年頃の女性なのだと嫌でも認識させる。そして、それを知覚してことでシャオンは照れ隠しの為に僅かに乱暴に撫でつける。

 だが、彼女はそれを拒む様子はなく、ただ赤らめた頬で小さくつぶやく。

 

「――なら、頼んだ」

「うん、頼まれた」

「そもそもアタシの性格じゃそんな配慮できる気がしないっすからね! 勝手に心の中に踏み込んで、勝手に訊いて勝手に判断する! シャオンほど繊細なことできないっすからね! 覚悟しろよ! そっちに何かあれば拳で! 対話する!」

「おー怖い怖い」

 

 鬼の一撃で対話された場合は対話するというよりも、ぶちのめしてから聞き出す取り調べに近いのではないかとシャオンは思ったが口にしない。

 せっかく元気が出た彼女を沈めさせるわけにはいかないからだ。

 

「ま、もしもどうしようもなく、助ける声も上げられなかったその時は頼むよ」

 

 そう告げて、ようやく部屋の扉が開いた。

 中から出たのはスバルと、エミリアの姿。

 そして、

 

「今後の方針が決まった」

 

 そう語るスバルの表情と、エミリアの表情はあまり明るくはなかった。

 

 

「それにしても、よく説得できましたね。特にガーフィール」

 

 そう口にするのは竜車の状態を確かめるオットーの発言だ。

 こちらに背を向けた彼の言葉に、

 

「少し時間がかかったけどな……シャオンの能力も聞かなかったし」

「ま、しゃあなし。アレはあんまり使いたくない……彼は意外と道理が通れば話は聞いてくれるみたいだよ」

「……見立てが外れたなぁ」

「商人の才能ないのでは」

「自覚有りますよ! わざわざ言わんでくださいよ!」

 

 しみじみ呟くスバルの声に、裏返り気味のオットーの嫌味が重なる。

 ただ、嫌味が言いたくなる気持ちもわかる。

 元々、オットーが『聖域』へ同行したのは、スバルが彼とロズワールとを引き合わせる約束を果たすためだ。なのに、

 

「3日! いや、4日だ! 一度も会えず、あっちの村に逆戻りなんて……」

「あー、でも今の状態でロズワールさんと話すことはお勧めしたくないな……ピリピリしてる」

「強行するか?」

「ご冗談を!」

 

 妙なところでしり込みしている彼の様子に頬を掻き、そして、シャオンは自分たちの竜車の向こう――『聖域』入り口に集結した、アーラム村からの非難竜車の数々を見やる。

 総勢五十人の村人、および協力した行商人を運ぶ竜車は七台あり、結構な大所帯での移動になる。

 ――これから自分たちは彼等を連れ、アーラム村へ帰還する手はずなのだ。そのための本来の条件はまだ達成できていないが、

 

「エミリア様が結界の中に入った時点で、結界を説かず外に出るって選択肢はねェ。だぁから、人質の価値がなくなった連中は村に返せってなァ」

「――ガーフィール」

 

 金髪の凶暴な気配が近づき、思わず身構える。

 スバルは剣呑な目つきで返し、オットーは小さく悲鳴を上げ、すごすごと竜車の反対側に退散する。

 初対面のインパクトが凄すぎたのかずいぶんと強く苦手意識を植え付けられたものだ。

 

「けっ」

 

 鼻面に皺をよせ、ガーフィールはオットーのその様子に不機嫌そうに腕を組む。

 

「それより、後は俺様がここからは案内を引き受ける。狐顔、てめェは――試練を受けろ」

「はいはい……ってことだ、スバル。そっちは任せる」

 

 何故だかわからないが、シャオンは結界の外に、『聖域』の外に出ようとすると肌がピりつく感覚を覚える。

 嫌な感覚、予想でしかないが、自分もエミリアたちと同じ状況なのだろう。で、あれば抜け出すことはできない。

 結界の外に出て、以前話した通りに魂と肉体が分離されては困る。元に戻る方法は流石に知らないし、結界内に戻しても元通りになるという保証はないのだから。

 だから、村人を安心させることが出来、かつ外に出ることができる可能性が高いスバルが村に向かう役となった。

 

「エミリア嬢に期待はしたいんだが……無理はさせたくないのも事実だしね」

「――そもそも、本当に過去なんざ乗り越える必要があんのかよ。三日だぜ、三日。俺様もてめェらと一緒に墓所で、あのお姫様が『試練』を受けてぐっだぐだになるのは見届けてきてんだ。正直、もう見てらんねェよ」

「見て、られないってのは……」

「気負い過ぎの傷付きすぎだろ? やらなきゃやらなきゃって前のめりになって、それであの様で帰ってきちゃァできなかったのをうじうじと謝ってやがる。それでどうして、てめェらはまだあのお姫様に『試練』なんざ続けさせたがんだよ」

 

 ガーフィールが語るのは、ここ三日間の『試練』を受けたエミリアの姿だ。

 『試練』が始まった翌日の夜、再び『試練』に挑んだエミリアは、しかし再度の『過去』を前にそれを乗り越えることが叶わなかった。なにより、彼女の隣で同じく『試練』に臨もうとしたスバルは、『試練』を受けることさえ叶わなかったのだ。

 推測ではあるが、第二の『試練』は第一の『試練』を越えた先の間で行われる。

 墓所の中、第一の『試練』が行われる空間。四角い部屋の奥には閉ざされた扉があり、全ての『試練』を越えればその扉の向こうにいけるものと思っていたのだが――実際にはその先で第二の『試練』が待っており、そこに行く資格は第一の『試練』を乗り越えなくては得られないということだった。つまり、現状スバル単独でならば第二の『試練』に挑むこともできるのだ。それがわかっていてなお、これまでその先に一人で進まなかったのは――、

 

「エミリアは、必ず『試練』を乗り越えてくれる。だから俺たちは……」

「その期待ってやつが重たすぎっから、お姫様はあんなに苦しんでんじゃねェのかよ。あんな様になるまで傷付く記憶と、無理やりに向き合わせんのがてめェらの望みで、お姫様のやりてェことだってのか? 頭の悪ィ俺様にはわかんねェなァ」

「エミリアの……意思……」

 

 ガーフィールの頭を掻きながらの言葉――だがそれは、スバルにとっては寝起きの顔に冷水を浴びせられたような衝撃をもたらしていた。

 ことここに至るまで、スバルは『試練』に挑むエミリアの気概を尊重し、そんな彼女を誰よりも献身的に支えるつもりでいた。たとえどれほど苦しい道のりであろうと、彼女が膝を屈しない限りは手を差し伸べ続けようと思っていた。

 そうして立ち上がり続ける彼女の意思が、どこを向いているか確かめないまま。

 

『この未熟者である私ですら、自らの意見を表に出せました。だから、貴方様ならきっとできます、諦めずに努力を続けてきた貴方様なら。だから誇りをもって、胸を張り、王を目指す理由を、掲げる思想をお聞かせください』

 

 以前、王選の広間で話した内容だ。

 だがそれ以降は魔女教の所為で、エミリアがどうして王様になろうとしているからすらまだ知らない。

 王選の広間で聞いた彼女の宣言は、あくまで周囲に対して対等であろうとする意思の表明であり、彼女が王になろうとする理由では決してなかった。

 不当な扱いを、評価を受け続けてきた過去を感じさせるエミリアの生い立ち。その中で彼女はなにを思い、なにを感じ、なにを信じて――王位を目指すのか。

 そもそも、エミリアとロズワールはどうして出会った? ロズワールはなぜ、ハーフエルフである彼女を王にしようとする? 彼女に王の資格――龍の巫女である資格があることは徽章の宝珠が証明している。だが、ロズワールはどうしてそれを彼女の手に触れさせる切っ掛けを得た? エミリアとロズワールはどんな利害が一致したことで、協力関係にあるというのか――何一つ知らない。

 知らないまま、ここまできてしまった、もう、そろそろ進むべきなのだろうか。

 

「まっ、詳しい話はしねェ。興味はねぇしな」

 

 立ち尽くすこちらに肩をすくめて、ガーフィールの姿が朝焼けの森の中に消える。

 気付けばすでに夜の帳は降りきり、鬱蒼とした夜闇が森に満ちる。

 

「俺が見てたものは。俺は『過去』と向き合って、ケリつけて、それでよかったって思ってる。けど、エミリアは……」

 

 スバルの呟きが耳に残る。

 彼がどんな過去を乗り越えて、それで、その結論になったのかは知らない。

 だが、シャオンの心はもう決まっていた。

 

「スバル。今夜、俺は試練を受ける」

「ああ……」

「結果がどうあれ、受けてみる。そして、越えられそうならば――俺が超える。エミリア嬢を待たずに」

「……俺はエミリアを信じてる」

「俺も信じているよ、でも信じている間に事態は進んで行く。だから信じて待つことはできない」

「……わかってる」

 

 納得はいかない、が仕方ないと言った表情のスバル。

 そんな彼にかける言葉はなかった、どういっても誰も納得などできないのだろうから。

 

 目指す先は一つ、夜天に浮かぶ月に照らし出される、墓所の中だ。

 案の定、という言い方はしたくないがエミリアはやはり試練を乗り越えることはできなかった。

 だが、幸運なことは一日の間に試練に受けるのに制限がない事だろうか。そのおかげでこうしてシャオンが試練を受けることができるのだ。

 本来であればもう少し早く受ける予定だったのだが、エミリアの試練の突破を信じて待っていたため未だ試練を受けていない。

 なので、これがシャオンにとって本来の『第一の試練』だ。

 クリアしたスバルも、クリアできていない面々も全員が疲労困憊の姿をしていたのをシャオンは見ている。

 思わず、緊張に息が詰まる。

 墓所の中の冷気だけでは納得できないほどに、シャオンの体は震える。それでも、

 

「――悪いね、エミリア嬢」

 

 息を整えて、シャオンは既にに失敗し、別室で悪夢にうなされているエミリアに謝りを入れ、静かに気合いを入れると、墓所の奥へと足を踏み入れる。

 すでに今宵一度、挑戦者を受け入れた『試練』の間に入り、四角い空間を見回してシャオンは覚悟を決める。

 

「過去か……」

 

 墓所の冷たい空気が素肌を撫ぜ、それなのに額にじっとりと冷たい汗をかいているのが自分でもわかった。

 自分の向かい合うべき過去に何が来るか――予想できている。

 誰にも話していない、自身の過去。それを乗り越えられるかは正直な話、自信はない。

 だが、やるしかないのだ。

 そう、半ばやけの心は、閃光に邪魔される。

 

「――――」

 

 白い光が視界を犯し、真っ暗闇の世界が徐々に徐々に侵食されてゆく。

 気付けばひざまずいていた体が地面に横倒しになり、意識が現実を乖離して別世界へ引っ張られていくのがわかった。

 ――夢の城への招待が始まる。

 

「行くぞ……」

 

――まずは己の過去と向き合え。

 

 

 どこか遠くで自分の声でそう呟かれたのが聞こえた。

 

 

 

 黴臭い部屋の臭いが鼻につく。

 だが、それと同時に柔らかい羽毛布団が久しぶりに安らぎを与えてくれ、臭いなどもう気にならなくなっていた。

 そして、早く起きなくてはいけないと思う気持ちも気にならくなり、目覚ましを止め、二度寝をしようとした瞬間。

 部屋の扉は壊れそうなほどに勢いよく開かれた。

 

「あさだよー! おにいちゃぁん!」

 

 そう告げ、文字通りこちらへ飛び込んできたのは一人の女性。

 黒い髪を肩にかからない程度に切りそろえ、統一性のない髪留めをつけている変わった風貌の女性はこちらに布団越しではあるがその体重を全力でかけてくる。

 思わずうめき声をあげそうになるが、ここで上げてしまえばまたひと悶着が起きるだろうと思い、なんとか口内でそれを引き留める。

 

「へへっ、ナイスキャッチ」

「危ないから飛び込むのはやめなさい」

 

 そう軽くたしなめると、舌を軽く出して彼女は反省のポーズを取る。

 そして、改めて、挨拶をしてくるのだ。何事もなかったかのように。

 

「――おはよう、沙音(しゃおん)

「――おはよう、花音(かのん)お兄ちゃん」

 

 そう、告げた自分は、花音は、髪の長い、中性的な男性だった。

 



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一の試練.a-2

駆け足? わざとです。だって、蛇足になるものですから.
いや、卑下とかではなく『読まなくてもいい』ものです。


「珍しいね、お兄ちゃんが寝坊なんて」

「いや、長い夢を見ていたというか」

 

 頭に回る血の量が少ないような、淡い疼痛を感じながら瞼を揉み、それとなく首を巡らせると――見慣れた自分の部屋が視界に飛び込んでくる。

 何かの為になるような本の山、漫画とラノベも増え始めた本棚を始めとして、色々と散らかっている部屋だ。

 近くにあるのはダンベル、鍛えていたのだろうか。

 

――だろうか?

 

 まるで他人事のような感想に違和感を感じつつ。

 腹部に襲った衝撃が現実へと戻した。

 

「ちょわー!」

「うぐっ」

 

 妙な掛け声と共に沙音が飛び込んでくる。

 数年前は軽かった彼女も、今はいい年だ。重さのある体重がこちらを襲ったのだ。

 何とか彼女を抱きとめ、再びベットに倒れ込む。 

 

「ナーイスキャッチ……でも!妹に対する扱いがなっていないよ! 無視はねぇよ! それじゃあ失格だね! ぺけ!」

「いや、妹というより米俵の――あだだ!」

「乙女の体重をそんな扱いにするな! オラオラ!」

「や、やめて! 乙女の扱いを注意するなら男の子の扱いにも注意を!」

 

 そう言って絡んでくるのは『花音』の自慢の妹。『雛月沙音』だ。

 肩にかかる黒髪は毎日整えられているのか、輝きは衰えない。

 対する自分の髪はどうだ。男の癖に女性の様な長髪、しかも手入れは妹に任せきりだ。彼女と自分の髪が本来なら逆だったんじゃないかと言われてもうなづけるほどに、ちぐはぐだ。

 

「はーい、髪が長いお兄ちゃんは三つ編みの刑だ」

「あ、てめ」

 

 思考をしていても時は止まらない。既に彼女の手によって、こちらの髪の毛はすっかり三つ編みスタイル。見事に整えられてしまった。

 だが何度も言うように男性にする物ではない。

 抗議の意味を込めた視線を向けると、彼女は舌を軽く出し、

 

「長い髪をしている方が悪いんだよーっだ」

 

 そう答える。

 

――そう言えば、なんでそんなに髪を長くしているんだっけ。

 こんなことを続ける意味はない。

 髪を切れば済むはずなのに。まるで、切ってはいけない理由があるようだ。自分のことなのに、はっきりとしない。まるで、映画の登場人物を見て、評価しているような感覚に、気持ち悪さを覚える。

 沙音のため? 何故妹の為にそこまでする必要が――

 

「……兄貴? 遅れるよ? それとも具合わるい? 休もうか?」

「ああ、悪い……大丈夫だ」

 

 疑問に思うことはない。

 いつも時間通りに起きて、いつも余裕をもって妹に髪を整えてもらう。

 普通の日常だ、これが。

 

「じゃあ、仏壇にご飯を添えて――お母さんとは学校終わったあたり会いに行こうか」

「……気分が乗らない」

 

 すでに亡くなっている父の仏壇に食事を供え、もう一人の家族の話題をしたと同時に表情は曇る。

 雛月家は父親はすでに他界、母親はとある病気で現在も病院に入院中だ。

 父は尊敬しているが、母は尊敬していない。いや、正確には彼女が自分を毛嫌いしているとでも言えばいいのだろうか。

 この間は何か硬いものを投げ、罵倒されている。妹がその場にいなければ殺されていたのかもしれない。冗談抜きに。

 だから、気分が乗らないのが――

 

「そう言わずに! 私がついていくからさ!」

「頼もしい限りだよ」

 

 妹がいれば、何とかなるだろうか。最悪、彼女だけでも合わせれば、と考える。

 だが、いつも通りならば彼女はそれを許さずに自分も無理やり輪に入れてくるだろう。

 断れば泣かれる。迷惑、ではあるが数少ない肉親の笑顔の為だ、我慢するとしよう。

 

「あ、そろそろ出ようか」

「ああ……行ってきます」

 

 改めて父親に挨拶をしながら、家を出る。

 ――父の写真から責められた気がした。

 

 朝の通学路。

 特段変わった道ではないないのに妙に懐かしい気がする。

 普段あまり気にしていないからだろうか、何もかもが新鮮な光景に思える。

 鳥のさえずりに、朝の学生に気を付けて走る自動車。それらを横目に雛月花音と雛月沙音は学校へと進んで行く。

 これが物語なら可愛い女性とぶつかってイベントが起きるのだろうが……そんなことなど全くなく、本当に問題なく学校へとたどり着いた。

 

「おーい、おにいたん。しっかりしてよ? そんなきょろきょろしていたら変人ですぞ」

「それならそっちのキャラもしっかりしてくれ。兄としてはどう接するか困る」

「えぇ……我儘ボーイめ」

 

 しかし、まるで何か思いついたかのように、手を打ち、低い身長を更に沈め、こちらを覗き込むようにして笑う。

 

「――どうっすか! 先輩」

「――あ」

 

 頭に痛みが走る。

 

『――どうっすか、シャオン!』

 

 目の前の妹の姿がどこかの少女の姿と重なる。

 見覚えのない一人の少女、日本とは違う欧米特有の見た目をした一人の少女。

 親しく、自分の名前を呼ぶこの少女はいったい――

 

「後輩風でしたー、どうどう? 秘蔵のコレクションから更に選び抜いた趣味嗜好から男心をくすぐる」

 

 頭痛が走る。

 だが、妹を心配させない様に慌てて返答を考える。

 

「あーいや、普通」

「評価並み!! ひでぇ! アタシの恥じらいを返して!」

 

 全く恥じらいがないその様子にツッコミをしつつ、妙に高いテンションの妹をあしらいながら歩みは進めていく。

 そして、自身の通う校舎が見えてくるあたりで、

 

「んじゃ、アタシあっちだから」

「あ、ああ。それじゃあ、しっかり受けろよ」

 

 こちらに振り返らず、親指を掲げて走り去るその姿に一種の男らしさを感じつつも、転ばないか心配しつつ見守る。 

 そして、ようやく姿が見えなくなったところでこちらも歩みを進める。

 校門の前にはまばらながらもすでに生徒の姿がある。そんな中、

 

「おー相変わらずな髪の長さだな」

「いつか切りますよ……先生」

 

 声をかけてきたのは赤いジャージのガタイがいい男性。

 今時珍しいサンダルに、竹刀を掲げた『いかにも』な体育教師だ。

 強面の顔だが、手芸が趣味とか手先が器用であるとかそう言うギャップがあるのを自分は知っている。

 そんな彼は何かと自分に気をかけてくるのだが、今日もそのようだ。

 

 

「ま、”事情が事情だ”俺からは何も言わない……が、何かあれば相談しろよ」

「は、はぁ」

 

 よくわからない同情の視線と言葉に首を傾げつつも自身が通うクラスへ向かう。

 自身のクラスに向かう間に数人の友人と朝の挨拶をかわし、席へ着く。

 普通の日常が始まる。

 普通に授業を受けて、普通の友人に普通の会話をして、普通の部活の後に、妹と帰る。

 普通を繰り返す。

 人の生き死になどとは縁がない生活だ――どこか、違和感を覚えながら。

 

 

 いつもの通り授業は進んで行く。

 テストの範囲についての質問だとか宿題はやってきたのかだとかを生徒に説明している先生に、それらを全く聞いていない生徒。

 案外ウチの学校は真面目な高校ではないのかもしれない。

 

「……おーい、雛月」

 

 昼休み、弁当を食べ終えて眠りにつきそうなとき、肩をゆすられる。

 目を開けるとそこには……同じクラスの人間、だったはず。彼と関わり合いはないからか全く思い出せない。

 

「んあ」

「間抜け面め……まぁいいや。お前ってさ、一人暮らし?」

「いーや、妹がいる。父さんと母さんは別居だけど」

「あーそうか……いや、こう誰かの家に集まって勉強会でもしようかなと」

 

「……それで、なんで俺の家が一人暮らしかどうかが絡んでくるんだよ」

「……騒ぐつもりか」

「あっはは……さらば!」

 

 図星を突かれたのか、彼は陸上選手も見事だというレベルの速さでこちらから去っていく。

 別に構わないのだが、という言葉が彼に届くよりも早くすでに誰もいない。

 その様子に息を零し、ふと気づく。

 

「そう言えば俺、友人とか呼んでないな」

 

 その考えに至った瞬間に、もしかして自分には友達が少ないのではないか、と。

 正確には放課後遊びに行くほどの友人がいないという形だろうか、どちらにしろあまり交友関係に彩がないのかもしれないと思ってしまう。

 もともとの性格が引っ込み思案。物語であればモブやサポーターに徹する自分だ。だからだれか引っ張ってくれるような人物との相性はいいのだろう。

 例えば――

 

『それにしたってお前……そういや自己紹介してなかったな。俺の名前は菜月昴!後者無一文の高校生! よろしく!』

「――スバル」

 

 よぎったのは一人の少年、目つきの悪いジャージを纏った少年。勿論、見覚えはない。

 頭痛が走る。

 

「ってだれだ?」

 

 その疑問に答えてくれる人物はいない。代わりに、予鈴が鳴り響き、午後の授業が始まる。

 普通の、日常だ。

 

 放課後、雛月がいない場所で先ほどの男子高校生は恐らく友人である青年に呼ばれていた。

 そして言いづらそうにしながらも、

 

「雛月と絡むのはやめておけ」

「なんでだよ、アイツ見た目以外は良い奴だぞ? 成績もいいし」

 

 事実雛月は見た目は奇抜ではあるが成績優秀、運動神経も抜群であり、性格も悪くはない。

 むしろ困っている生徒や先生からの頼みごとに嫌な顔せず受け止めるほどに親切だ。

 

「それはわかるが……」

 

 彼もそれはわかっているのか、言いにくそうにしている。だが、意を決した様に一度息を呑み、言葉を発する。

 

「――だって、アイツの家族ほとんど死んでるぞ、数年前に。唯一生き残った母親も気が狂っちまってる」

「え? でも、さっき――」

「俺、アイツと小学校からの中だったから見てきたんだよ。現実逃避って奴か? いない妹をいるように思い込んでいるんだよ」

 

「どちらにしろ」と区切り、遠くにいる件の彼を可哀想なものを見るようにして、

 

「頭いかれてんだよ、ショックでな……間近で父と妹の血肉を身にかぶったんだ。無理もない」

「うわ……」

 

 想像しただけで気分が悪くなる。

 自分だったら発狂ものだ。いや、事実雛月も発狂しているみたいだが。

 

「残されたのは母親と……ああ、でもその母親も狂っちまってあいつを責め立てたり妹の名前で呼んだりしているんだ」

「色々と、大変なんだな」

「悪い奴ではないんだが……あんまりかかわるとろくなことにならないぞ」

 

 そう呟いたのだ。



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一の試練.a-3

ここまでが正直蛇足、読むに当たる部分じゃありません。
卑下するわけではありません。意味がない部分です。
一部飛んでいる部分も、中身がないのも意味があります。


「出ていけっ!」

 

 その叫ぶような声と共に投げられたのは小さな置時計。

 予想できていた、が避けられなかったその投擲物はこちらにぶつけられる。

 力いっぱい投げられたのか、一部が欠けている。当然、当てられたこちらも無事では済まない、頭部から熱いものが流れ落ちる感覚にもう慣れてしまっている。

 だが、案内を担当してくれた看護婦は慣れてはいないようでどうすればいいのか動揺して右往左往だ。

 とりあえず用意していたハンカチで新鮮な血をふき取る。

 

「俺だって来たくはなかったよ。でも、妹の頼みは断れない」

 

 現在雛月がいるのは病院だ。

 今朝話していた母親の見舞いに来たのだが、妹は調子が悪くなったのか自分一人で来ることになったのだ。

 その結果が、

 

「うるさいうるさいうるさい! あの人が死んだのも、あの子が死んだのもお前の所為だ!」

「知ってる」

 

 この半狂乱の母の相手だ。

 

「なんで、なんで、踏切に、飛び込んで」

「それは、アイツのおもちゃを拾おうとして」

 

 そう。父親が死んだのは妹が落としたおもちゃを取ろうと、踏切の中に飛び込み、その自分を救おうと――した結果だ。

 妹の為にかっこつけたかったのか、その結果がこの家族を崩壊させたのだ。

 だから、自分の所為だと言われたら否定する気はない。

 

「――――もう二度と来るな、偽物」

 

 そう冷たく告げられ、看護婦に半ば強制的に自分は母親の病室から連れ出される。

 偽物、とはまた的を射ている表現だと、どこか他人事のように思いながら、病室の扉が閉じられるのを見送った。

 

 

「どう……って聞くのは野暮だね」

「お前が来てくれたらまだましだったんだがね」

 

 病院を追い出され、時刻は夕方に変わる。

 今日の夕飯の物を買っていたらこの時間になってしまったのだ。

――夕日に照らされながら、二人は歩き、踏切の遮断機が下りたせいで、その足は止まってしまう。

 沈黙の中、ただただ、サイレンが響く。

 

「――お兄ちゃんって凄いよね」

「うん? どうしたよ」

 

 妹の急な称賛に戸惑いながらも理由を尋ねる。

 

「だって、何でもできるし、できないことがあってもすぐに覚えちゃうじゃない」

 

 唇を尖らせながら妬ましそうに半目でこちらをにらむ少女。

 

「それに加えて困っていたら人も動物も率先して助けに行くじゃない。聖人君子かっ!」

「はは、たいしたことないよ。俺はそこまでいい人間じゃない」

「うん、そうだね」

 

 謙遜の意味を込め、そういうと少女は感情のこもらない声で答える。

 

「……否定してもらわないと悲しいな」

 

 流石にそこで同意されるとは思わなかったので困り顔になる。その様子に少女は笑みを浮かべ、

 

「だって――」

 

 少女がこちらを見つめる。

 

「――お兄ちゃんはお父さんを殺したもんね」

 

――息が、詰まる。その言葉に、その声に喉が張り付く。

 辛うじて出せた声は枯れ果てたもので、ほとんど声になっていなかった。しかし、その少女はシャオンの言葉などどうでもよさそうに言葉を紡ぐ。

 

「お兄ちゃんがいなければ、お父さんは死ななかった。お母さんは狂わなかった。かっこつけて私のおもちゃを取ろうとして、お父さんと私が止めるのも聞かないで飛び込んで」

 

 その言葉とともに二つの影が少女の足元から生まれる。いや、影というよりは泥のようなそんな色をした人影だ。

 一つは男性、もう一つは女性だ。どちらも責め立てるようにこちらを見てくる。 

 

「代わりに二人が死んだ――お兄ちゃんさえいなければ――」

 

 あまりの苦しさに意識が保てなくなったころ、少女は小さくつぶやく。

 

「――こんなことにはならなかったのに」

 

 小さな声で発せられたその言葉は、なぜか今までの中で一番はっきり聞こえた。

 

「あ、ああ、そうだな」

 

 ふらつく頭を無理やり覚醒させ、小さくつぶやく。

 しかしその言葉は少女に、妹に、花音に届いたようだ。

 

「へぇ」

「俺がお前を殺したようなものだ、花音(・・)

「――認めるんだ」

 

 ケラケラと笑いながらこちらを煽るように顔面をのぞき込む。

 

「それで、開き直り? 認めたなら罪は償いなよ。ほら、踏切は近くにある、飛び込みなよ」

「おいおい、やめろよ。幻覚とはいえ似ていないぞ」

「は、何が――」

「いや、幻覚と言うよりは正確には俺の記憶か――全て思い出したんだよ」

 

 母親の一撃を受けてから違和感を覚えてはいたが、確信したのは今の妹の言葉だ。

 以前、どこかで夢で見たような光景。これは雛月沙音が隠したい、見たくないトラウマの内容だ。

 だが、ここまで酷いものではないはずだ。変に脚色が加えられている。

 そんなことをしたのは――

 

「攻め方が陰湿すぎる、俺の記憶の妹はそこまで性格が悪くない。ということはこの性悪さはお前の仕業だろ、エキドナ」

「――もっと、驚いてくれるものと思っていたんだけどね」

 

 踏切のサイレンが鳴り響く中、その声は妙に通った。

 

「――一応は君の記憶を再現したんだけどね」

 

 言葉の発信者は妹だ。

 しかし声も仕草も、持つ雰囲気も異なる。

 異なるだけで、その重圧さを持つ者の正体はわかる。そう、先ほども口にした魔女――エキドナだ。

 

「さて、結論としては?」

「――雛月沙音。いや、雛月花音はあの日死んでいる」

 

 雛月花音。

 それは雛月沙音の妹の名前だ。

 母の正気を保とうとごまかしていた、正確には母親を守るために死んだ妹の名前を借りてなり替わっていただけだ。

 もうそれすらも彼女には効かなかったようだが。

 長い髪は花音に自身以外の髪をいじりたいからと、頼まれていたから守っているだけだ。

 彼女が生きていた時は断っていたが、せめてもの償いか、それとも罪悪感からか女性のように今は長く伸び切っている。

 

「ああ。ここが魔女の試練で、そしてこれは俺の過去か」

「――そうだ、『表の第一の試練』。過去と向き合った結果。――自分の過去と向き合う時間は、君になにをもたらしたかな? 君は、どう選択する? トラウマに囚われるのか、それとも進んで行くのか」

 

 妹――いや、魔女。エキドナは楽し気に笑うのだ。

 

 いつの間にか伸びていた二つの影は消えていた。

 アレも自身の想像によるものなのか、それとも魔女の能力によるものなのだろうかはわからない。

 それよりも、今は。

 

「……この世界の完成度ってどれくらい? 妹が恨んでいたのって本当?」 

「雛月沙音。君の妹が抱いていた感情は実際の所ボクでもわからない。あくまでも知識と記憶だけを吸い上げて作り上げた虚構の世界だ。君が知らないことはわからないし、君がそう思うこと、考えていた推測に合うように作っているだけだ」

 

「本能的に考えないようにしていることも使ってね」と付け加える。

 そうなると花音は恨んでいた事実は沙音の妄想だった可能性もある訳だ。

 なんだ、気にし過ぎか、とは割り切れない。

 自身の所為で死んでしまったのは事実なのだ、気にしすぎることは当然のことだろう。

 

「改めて、答えを聞こうか。急かすようで申し訳ないけど『まだ続きがある』のでね」

「続き?」

「ああ、気にしなくていいこちらの話だ」

 

 エキドナが口を滑らせたかのようにわざとらしく口元を抑える。

 気にはなるが追及しても逃げられるだろう。ならば時間の無駄になる。だから、まずは求めている解答を告げる

 

「妹が恨んでいたのなら、その恨みは受ける。俺は、あの二人のことを忘れない……もう、本当の意味では手遅れかもしれないけど。俺は雛月沙音。花音は死んだ。もう、どこにもいない。それを受け入れる。そして、いつかあの二人も風化していく」

 

でも、

 

「――俺は、ここにいる。妹を覚えている、父さんを覚えている俺は生きている」

 

 元の世界には戻れないのかもしれないけれど、それだけは大事にしていく。

 少なくとも自身の大切な存在が生きていたことを覚えていることはしていきたい。

 

「……誰しも、過去に後悔を抱えている。日々を生きていれば、後悔を得ない存在などあるはずもない。今日は昨日のことを、昨日はさらに過去のことを、そして明日になればきっと今日のことを後悔している。――人には、後悔する機能があるからね」

「でもその後悔の積み重ねが必ず反省に繋がり、成功へとつながる」

 

 どこかで聞いた言葉を口にする。

 漫画やライトノベルからの引用だったのかもしれない、すんなりと口にはできた。少し恥ずかしいが。

 だが、エキドナはからかう様子もなく、ポカンという表現があっているように口を開けたまま固まっている。

 

「ん、なんだよ。変なこと言ったか?」

「いや、やはり中身は同じなんだな、と」

 

 クスリと一度笑い、改めて劇を再開するように、大げさに手を広げエキドナは続けた。

 

「そう仕方のないことなんだ。昨日の自分は、今日の自分より絶対に無知なのだから。今日の自分は、明日の自分より絶対的に知っている知識が少ないのだから。知識の総量、思い出の数一つであっても、過去は現在と未来に劣っている。故に過去と向き合ったとき、あるいは向き合うべき過去に出会ったとき、人は迷い、惑い、嘆き、苦しみ、悲嘆し、悲観し、その上で答えを出す。その上で出た答えであるのなら、ボクはどんな答えであっても肯定しよう。背を向けて出した答えでも、前のめりに手を伸ばして得た答えでも、過去を乗り越えた証には違いない」

「それが、この『試練』の目的」

 

 沙音の言葉に満足げに頷くエキドナ。

 気分が高揚しているのか花マルを宙で書くほどだ。

 

「なら、この試練の答えは決まっている。もう俺は前に進む」

「まったく……もう少し悩んでほしいもんだ」

 

 エキドナは諦めたように首を振って微笑し、手を伸ばしてくる。

 

「これは?」

「握手、だ。君の世界では頑張ったものに送るものでもあるのだろう? 本当の意味で『試練』の一つは終わりだ。君は魔女の魔の手をからくも逃れた」

「そりゃどうも……これで一つか、第二の試練もあるとか憂鬱だよ」

 

 握手に応じながらもこれから先、挑む必要である見たこともない試練を想像して項垂れる。

 そこでエキドナは、初めて楽しげに笑う。

 その様子に首をかしげると、

 

「勘違いをしている点が一つ――」

 

 エキドナがある言葉をつぶやく。

 

「――え?」

 

 その言葉の意味を聞く前に、向かう先、徐々に徐々に世界は白くなり、遠くなり、そして――。

 

「――ここは」

 

 広がるのは人がにぎわう町、のどこかの飲食店だ。

 飲食店と言うよりはおざなりなものだが、ルグニカや日本が進み過ぎていたのだろう。

 だが、それは重要でない。重要な情報ではない。

 

「――シャオン様、どう、なさいましたか」

 

 声をかけてくるのは近くに控えていた一人の少女。銀色に輝く瞳は今までに見たこともない部族の少女だとわかる。少なくとも日本では見たことはない。

 勿論、異世界、ルグニカでもだ。袖余りの官服を身にまとい、ボロボロであるが乱雑に扱われているのではなく大切に着続けられたことによるものだと推測できる。

 見覚えはない。

 

「ここ、ですか? バルバという街ですよ……ああ、忘れていても仕方ないです。疲れがたまっているんです。仕方ないですよ」

 

 彼女は笑顔を向けて励ましてくる。

 その太陽な笑みのおかげか、僅かに心に余裕が生まれる。

 そしてそのほんの少しの余裕を消費するように、改めてここがどこか訊ねようとすると、 

 

「えっと、『選定』はあとどれくらいですかね。これで3つの部族を消滅させましたが」

「しょう、めつ?」

「? ええ。『選定』ですよ? どうかなさいましたか?」

 

 繰り返す単語に意味が分からないという様子の少女。

 絶句していると、

 

「ベネト、シャオン様が気にしているのはそのことではない」

「ドゥーベ、それじゃあなんなのさ。消し残しがあったとか?」

 

 背後から現れた青年が、べネトと呼ばれた少女の頭を軽く叩いた。

 シャオンの倍近くはありそうな身長の青年は、こちらの頭を軽く握りつぶせそうなほどの大きさの掌を広げ、数を数えるようにして話す。

 

「3つの一族ではない。正確には九千五百四十二、の魂だ……お次は魔眼族ですが、その様子ならば、休憩を取りましょうか、シャオン様」

 

 そう口に知る青年。ドゥーベと呼ばれた青年は、こちらの気にしていることとは見当違いのことを口にしながらも、体調を気遣う。

 その仕草はこちらを思いやるものであり、本心からこちらを心配しているようだ。

 

「九千……?」

「はっ!? もしや数え間違いをしていましたか!? かくなる上は、役に立たないこの目を――」

「やめてやめて! そんなスプラッターな光景は私とシャオン様のいないところでやって! ついでに死んで!」

「なんだと! べネト! ついでに死ぬほど私の命は安いのか!?」

「安いよ!」

「そうか、そうなのか……」

「いや、冗談だからさ。そう、沈まないでよ」

 

 喜劇のようなやり取りをしつつもシャオンは頭が追い付かない。

 そこで気づく。いつの間にか周囲に人があつまり、「なんだいつものやりとりか」やら「シャオン様がつかれるなんて珍しい」だとかが話に上がる。

 そんなことにかまう余裕はない。先ほどできた余裕などでは足りないほどの理解不明が、心労が容赦なく、こちらを呑み込んだ。

 だから、

 

「――エキドナ」

 

 唯一この状況を知っているであろう魔女の名を口にする。

 返答はない、ないが、

 

「どういうことだよっ!!エキドナァア!」

 

 叫ぶことしか、無知なシャオンにはできない。

 いったいこれは何なのだろうか、今見ている、体験していることは何なのか、その答え――先ほど彼女がつぶやいた言葉を思い出す。

 

――試練はまだ続くよ、だって今のは『雛月沙音』の過去だ。これから起きるのは、『シャオン』の記憶だ、オド・ラグナの化身であり『魔眼族』を滅ぼす狂人であり、世界の価値を計る『怪人』。その罪と栄光の過去だ。

 

『頑張ってくれよ、私の可愛い弟子』

 

 そう、いつもと変わらない笑みを浮かんでいる魔女の表情と共に、シャオンは一度気を失うのだった。

 

 

 

 

 

――第一の試練、後半戦開始。




ここからが意味のある話です。
ここからが『シャオン』の過去です


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一の試練 b-1

今出ている言葉がわからない?新しい用語が多い? 仕方なし


「そしたらシャオンさまったら急に叫ぶんですよ! 『エキドナぁ!』って」

「おーこわ。疲れているのか変人ぶりがぶり返しているのか判断がつかないのがシャオン様の悪いところだよな」

 

 動揺はしている。

 だが、取り乱すことはしない、と言うよりもできないのだ。

 試練だからどこか精神が狂わないようなストッパーがされているような形だろうか。

 それに、今回はこれが『試練』だということを最初から認識している。

 先ほどの試練は最初のうちは試練であることを認識すらできていなかったのだ。これは大きな違いだろう。

 推測になるが、この記憶は自身――『雛月沙音』の記憶ではないからだろう。

 

――これから起きるのは、『シャオン』の記憶だ、オド・ラグナの化身であり『魔眼族』を滅ぼす狂人であり、世界の価値を計る『怪人』。その罪と栄光の過去だ。

 

 エキドナがつぶやいた言葉のとおりならば、これから目の前で起きていくのは過去の、すでに亡くなった人物。

『怪人』と呼ばれ、魔女たちと同系列に扱われる、自身と同じ名前を持つ人物の記憶だ。

 何かの間違いで彼の記憶が自身に見せられているのだろうか。同じ名前だからだろうか。試練を難なく突破したことの魔女からの意趣返しだろうか。

 あるいは――

 

「……本当に大丈夫です?」

「ああ、大丈夫。ありがとう、べネト」

 

 沈黙していたことが気にかかったのか少女、べネトは心配そうにこちらを覗き込む。

 彼女の記憶はない。面識も勿論ないが、不思議と知識としてはこちらにも流れ込んでくる。

 彼女の名前はべネト、姓はない。

 どうやらこの『シャオン』が以前助けた人物のようだ。

 他にも数人のメンバーがおり、少数のメンバーで世界を回っている際中、らしい。

 この旅団の名前は『アケロンの舟』という名前らしい。

 

「……聞いたことがないな」

 

 ロズワール邸にいた時も、王都に滞在していた際にも暇なときは本などを読み漁っていたシャオンだが、そのような旅団の名前は訊いたこともない。

 もっとも、過去の資料では『亜人戦争』や『剣鬼恋歌』なにより『嫉妬の魔女』に関する物が多すぎた。最後の資料に関しては殆ど役に立たないものだが。

 もしかするとそこまで有名な旅団ではないのかもしれない。

 と、そこまで簡単な分析を済ませた後にやはり疑問に残るのは何故自分がこの旅団にいるのか、百歩譲って過去の人物であるあの『怪人』シャオンの記憶が今の自分に流れ込んできているとしても、なぜ彼がこの旅団にいるのかだ。

 

「なにがです?」

「んー、なんでもないよ」

 

 特徴的な銀色の瞳を輝かせながら、いつの間にか頭にぶら下がってきたべネトを軽くいなしながらも考察は止まらない。

 現状、気になることは頑張れば口に出せるが基本的な主導権はこの体の持ち主『シャオン』のものだろう。

 先ほどのエキドナへの文句兼叫びのような感情の噴出ならば一時的に出せるようだが、それ以外はやはりこの体に引っ張られる、あるいは『変換』されるようだ。

 暴言に似た様な言葉を話せば、子供を叱る程度のものになり、空気がおかしくなる、雰囲気が悪くなりそうな言葉はそも発せられない。

 どうやら、この体の持ち主は生まれの良い、優等生だったようだ。

 そして一番気になる見た目だが――

 

「……鏡に映らないってのがねぇ」

 

 そう、自分の姿が鏡などに映らないのだ。

 水面にも映らない、容姿の特徴を聞いてもなぜか頭に入ってこない。一体どういうことなのだ、知られたら不都合な部分でもあるのだろうか。

 

「ケセラセラですよーシャオン様」

「……なにそれ」

「なんとかなるのことばですよー、前いっていたじゃないですか。いくら辛い旅でもケセラセラだって」

 

 そんな無責任のことを言っているのだろうかこの男は。

 

 

「幸いにも活気ついている街だからいいね」

 

 アケロンの舟は現在、東の方にある町『シアタ』を訪れているらしい。

 シアタは有体に言って寂れた宿場町だ。

 町の規模はそれなりではあるが、当然王都ルグニカとは比較にならないほど小さい。

 一番高い宿でとルグニカの安い宿を比較しても、ルグニカ側に軍配が上がるほどの差だ。

 だが、その分、

 

「やすいよやすいよ! ほらそこの兄ちゃん! 今朝取れたばかりの果実だ! 今なら1個おまけがつくぜ!」

「綺麗な布地です、どうです? これを使って衣服でも仕立てれば愛しきあの人の心はあっという間に」

「ひっひひ、占いはどうだい?」

「ほら! 遊びに行こうよ! みんな公園の前で待ってるよ!」

「うん!」

 

 人はずいぶんと生き生きしている。特に商人などは特に目を輝かせている。

 知り合いにも似たような目をした人物がいるが、こちらは利益を優先するよりもただただ物を売って交流したいという欲が強そうな、変わった形だ。

 街中では種族性別の差別なく、全員が楽しそうにしている。

 全員が他人の為を思って行動し、幸せに満ちた町だ。

 

「……変わってるなぁ」

「え、それをアンタが言うんですか?」

「ま、御大の変人ぶりは今に始まったわけじゃないからねぇ」

 

 意図せず呟いた言葉をメンバーに聞き取られてしまう。

 

 それが伝播していきメンバー全員がシャオンの変人ぶりを肯定する。

 どうなんだ、それは。

 一言文句でも言うのが正しいのかと考えていると、

 

「あ、シャオン様!」

 

 少女がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。

 ボロボロの衣服に、清潔さはない少女だったが浮かべている笑顔は心の底からの幸福を感じさせるほどに輝いていた。

 しかし、

 

「あ……」

 

 いざ近寄ってきたかと思うと我にかえったかのように固まり、そして、かしこまったようにお辞儀をする。

 それ以降は緊張しているのか話す気配はない。

 仕方ない、と

 

 

「気にすることはないよ、かしこまらないで」

 

 視線をわざわざ合わせて緊張を解くように、努めて優しく語り掛ける。

すると彼女は頬を林檎のように赤くして、どもりながらも話を続けようとする。

 だが何を話そうか飛んでしまったようで、唯一出た言葉が――

 

「ど、どうぞ!」

「これは……」

 

 そんな短い言葉と、小さな、花だ。

 贈り物としてしっかり包装されたものではなくそのままきれいだから抜いたであろう花。

 土すらついているそれを少女は満面の笑みでシャオンに渡してくる。

 それを、

 

「ありがとう、という言葉だけしか返せないけどね」

 

 予想通り、笑顔で受け取る。

 自分であっても同じことをしていたが、このシャオンも少女の想いを無下にしない程度の甲斐性はあったようだ。

 そして少女は限界とばかりに友人達だろうか、同年代の少女たちの元へ走り去っていく。その表情には照れと目的を達成できたからか笑顔が浮かんでいる。そしてからかわれたり、羨望の視線を受けているのだ。 子供だけでなく大人からも。

 感謝の言葉を投げかけただけでこの扱い。

 つまり、この国では英雄のような扱いを受けているわけだ、この『怪人』シャオンは。

 

「いやー、シャオン様がこの店を選んでくれるとは。感謝感激です! ささ、まだまだありますのでどうぞ!」

「あ、ははは」

 

 適当に入った店で昼食を取ろうとしたら、店主自らの案内に、頼んでもいないほどの御馳走が山ほど用意される。旅団の数はそこまで多くないが、全員食欲旺盛なようですぐになくなっていく料理をみつつ、シャオンも口に運んでいく。

 味は勿論、美味い。ここまで豪勢なのは久しぶりだろう、特に自身に対して用意されたものということを考えるとなおさらだ。

 ロズワール邸にいた時も豪華な食事は出ていたが、それはあくまでもロズワールやエミリアからのおこぼれをもらっていたようなもの。使用人である自身の立場でもほとんど変わらなかったがやはり気持ちの問題は違っていた。

 だが、今この場では自身が主演、自身のために用意されているのだ。

 いったいこれほどの歓迎は何をしたら受けるのだろうか――

 

「べネト、自分なにやったっけ」

「え? 忘れたんですか……はっ! これは私を試してますね! ピコリンと! 閃いちゃいましたよ!」

 

 案の定勝手に勘違いしてくれて、こちらに説明をしてくる。

 

「色々です!」

「あ、はい」

 

 そして、想定以上にこのべネト、頭が悪いようである。

 その様子を見ていたドゥーベと呼ばれた青年がため息を零しながら代わりに説明をする。

 

「この街ではシャオン様は流行り病にかかった人物の病を全て直しました」

「流行り病を」

「ええ、加護を使って……ミネルヴァ様が聞いたらそれこそ憤怒の目で貴方様を癒してくるでしょうね」

「あ、はは」

 

――誰だよ、と言いたいがこの『シャオン』はその人物を知っている。

 詳細はわからないが知っているという事実は嫌でも認識させてくる。

 

「次に、この町にいた盗賊や『モドキ』を追い払いました」

「それでここまで歓迎されるものなのかねぇ」

 

 確かにこの街の危機を救ってはいるん簿だろうが、そこまで感謝される事柄なのだろうか。

 比較できるにはシャオンには経験と知識がない。

 

 

「あの人と仲良くできる、正確にはあそこまで仲良く出来るシャオン様も凄いよな」

「シャオン様って誰とでも仲良くなれるよね。天才と言うか人たらしの」

「変わったことしていないんだけどねぇ」

「その調子でボルカニカ様とも仲よくすればよろしいのに」

「死ねよあの糞『竜』」

 

 今のは勝手に出た言葉だ。

 断じて自分が意図的に出した言葉ではない。

 今までの優等生ぶりとは思えない暴言に驚きつつも仲間たちはそうでもないようで、

 

「あ、はは。まぁ、シャオン様が本気で戦うなら我々もお供しますよ」

「やめてくれ、勝算が見えない」

「それこそケセラセラですよー」

 

 むしろやる気を出している次第だ。

 ボルカニカとは、確かルグニカを守護する『龍』だったはずだが、それに対して喧嘩を売ろうとしているのに平気なのだろうか。 

 勝算があるのか、それとも死んでもいいほどにこのシャオンに信頼を抱いているのか。

 このシャオンという人物、改めて考えてみてもわからない。一体彼はどんな人物だったのだろうか、もしかすると『怪人』なんて大層な名前はついているが、実は聖人のような人物なのだろうか。

 だとしたらこの試練の突破はなおさら難しいだろう。通常の人間と思考回路が違い過ぎて過去の振り返りなどできそうにない。

 

「シャオン様」

 

 見た目には出さないが頭を掲げていると、旅団の一人が声をかけてきた。

 

「ああ、そうだね。刻限だ。食事はこれくらいにしようか、店主さん。お支払いを」

「あら、もう行くので? まだまだごちそう出しますのに」

 

 そう言って立ち上がり代金を支払おうと懐に手を入れようとすると慌ててこの店の店主が止めに入ってきた。

 

「いやいや、病魔から多くの人々を救った貴方様からお金を取るなんて申し訳ない」

「あー、そういう訳にはいかない。誰にだって平等を信念としている身としては、自身が特別扱いされるのは嫌なんだ」

 

 何度か問答をしていると、店主側がついに折れたのか申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「そう言うことでしたら……ありがたく頂戴いたします。あ、そうだ――シャオン様」

 

 最後にまた呼び止められる。

 振り返ると店主とその奥さんだろうか若い女性が二人並び、丁寧に頭を下げてくる。

 

「この町を救ってくださってありがとうございました」

「うん、どういたしまして」

 

 

 何の感情もない声色で、そう答えたのだ。

 

 シアタの町から離れた場所。

 そこで旅団は野宿をするようだ。

 夜の寒い風に身を震わせていると、そんな中、べネトがつぶやく。

 

「なんだか寂しい感じですね。いい所だったからなおさら」

「お前は良い場所だったから採点を甘くするのか? 旅団失格だぞ?」

「……ううん、そんなことはないよ。甘かったら私の故郷も――」

 

 一体彼らの過去に何があったのかはこのシャオンが有する知識から出は読み取れない。

 何故ここまでついてきてくれるのかも、そもそもこの男が一体何を目指してこんな町を歩いているのかも何もわからない。

 そんな中、ようやく事態が動いた。

 

「――そろそろ始めよう。選定は成った、この町の魂は循環させる」

 

 その、自身から放たれた言葉は冷静で、冷徹で、平坦で、何より何も考えていないようなその言葉にシャオンは体中に鳥肌が立つ。

 まるで鑢で皮膚を削られたような、嫌な痛み、そして生暖かい風が吹いているようなそんな不気味な周囲の雰囲気。

 

 

「――さぁ、祈ろう」

 

 地獄が始まる。

 




次回、地獄


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試練b-2 中断

メインヒロイン登場……主人公は?


「祈りをここに」

 

 怪人はつぶやく。

 そして同調するように旅団も同じように呟き、祈祷の態勢を取る。

 祈りの先は、先の町『シアタ』だ。

 

「232名の魂を循環する」

 

 機械的に、意味の分からない。言葉がただ紡がれる。

 

「恨むといい、嘆くといい、縋ることは止めはしない。すべては一瞬のうちに行われる――我は正義ではない。我は悪ではない。故に、平等に審判を下すもの」

 

 

「全て、我が元、オド・ラグナへ還るといい」

 

 その呟きを最後に、『怪人』は腕を払う。

 まるで虫でも追い払うような直線的な動き。十字を切るようにも見えると思ったのはシャオンの気の所為だろうか。

 そして、

 

「アル・フォリス」

 

 小さくつぶやくその言葉と共に無数の魔法陣が町を覆い、空から光が『落ちた』

 

 その光が町を壊滅させるのに、いや、町という『存在』を消滅させるのには数秒もかからなかっただろう。

 そんな短時間の中。

 吐き気が止まらず、おもわず倒れ込んでしまう。

 恐らく、巻き込まれた、今命が失われた者の声が、シャオンに流れ込んでくる。

 魔法による副作用なのか、それともわからない。頭の中に流れ込んでくる。

 悲鳴、怒声、鳴き声、阿鼻叫喚。

 その中には昼まであった少女の声も、お世話になった店主の声も聞こえてくる。

 

「……いったい」

 

 小さくつぶやく。

 周囲にかまう余裕はない。と言うよりも誰も気にしていないようだ。

 吐瀉物にまみれながらも、シャオンは呟く。

 

「いったい、これをみせて、どうしろって言うんだよ……」

 

 うめく声は誰にも届かない。

 誰にもこの気持ちはわからない、この光景の意味のなさに、気づくことができない。

 そんな中、こちらに反応を示した人物がいた。

 それは――黒い服を着た女性。エキドナだ。

 そこでようやく気付く、周囲の時間が止まっていると。どうやら彼女が一時的にこの光景を止めたようだ。

 まるで、ビデオの一時停止のように。

 そんな感想を抱いていると、エキドナは興味深そうにうずくまるこちらの表情をのぞき込む。

 

「思ったよりも、堪えているじゃないか」

「あ、たりまえだ。当たり前だっ! なんで、こんな、こんな……」

 

 こんな――意味のない虐殺を、シャオンに見せてくるのだ。

 全く別人の、過去の、しかも別世界の人物の記憶を見せて何の意味があるのだろうか。

 苦しめるだけならばなるほど、魔女らしい。だが、この性悪魔女はそんなことすら考えている様子はないようでなおさら意味が分からない。

 

「これは、試練を行うための前準備さ」

「は?」

「君は少し特殊だからね」

 

 苦笑しながらもエキドナは続ける。

 

「シャオンが後悔する場面はこの少し先にある。とある女性との出会いだ」

 

「その場面について、君は答えを出さなければならない。どんな答えでも構わないけども必ず、ね」

「ただそのためには、『怪人』様がどんな人か知る必要がある、と」

 

 つまり、今この光景は『怪人』シャオンがどのような人物なのかを知るための、所謂『あらすじ』みたいなものなのだろうか。

 本筋には一切触れていない、試練はまだ始まってすらいないのだ。

 だが、そんな全く知らない人物の過去を見なければいけないのか、と抗議をしようとするよりも先にエキドナが口を開く。

 

「その通り。そのまま出してもよかったんだが……それを試練と出すためには今の君は不安定すぎる」

「そりゃそうだ、元の世界……あー、とある事情であの『シャオン』と俺が同一人物であることはないんだ。名前は同じでもね」

「それは――異世界から来ているからかい?」

「――――しって、いるのか?」

 

 自身の発した言葉の意味を、一文字ずつなぞるようにエキドナは唇に触れる。

 

「大変興味深いものだと思うよ。単なる夢物語で片づけられない。”もう一人”も同じ経験をしているのだから疑うつもりはないさ。でも問題はそこじゃない」

 

 エキドナは面白そうに微笑む。

 その脳裏に映るのはあの目つきの悪い少年のことだろう。あるいは、別の過去の被害者か。

 真相は彼女の心の中。わかることはない。だが、それよりも、 

 

「……何が言いたい」

 

 彼女が今自分に何を伝えたいのかわからない。

 異世界の存在については試練の最中で知った知識だろう。それを見せびらかすだけに現れるなんてことはこの魔女はしない、だろう。

 

「いや、一つ疑問があってね。それの解消さ」

「疑問?」

「――君は何故自分が異世界から来たと思っているんだい?」

 

 その言葉に、世界が止まった。

 

 

「は?」

 

「子供が物語に投影するのは仕方ないと思うが、君はそう言う年じゃないだろう?」

「そ、んなわけあるかっ!」

 

 考える間もなく馬鹿にされたとわかる言い方に、単調に言い返す。

 

「お前だって第一の試練で見ただろう!? あの、過去を」

「確かにアレは君が感じていた、経験した過去だろう。ただ、それが”真実”か”妄想”かはわからないが」

 

 絶句する。

 自身の見せた、思ったあの過去が、偽物である、とこの魔女はいっているのだろうか。

 

「ふざけるなよ」

「ふざけていないさ。あくまでボクが見せたのは君が見ていた、想像していた、感じていた『記憶』や『知識』を元に構築しただけだ。『真実』はない。故に、あの試練に出てくる人物がどのように思い、行動したのかはボクにも予想ができないのさ」

 

 殺意と共に静かに怒りを伝えるシャオンに対して屁でもない様に受け流すエキドナ。流石は歴戦の魔女、怯みもしない。

 

「だけど、あれが”妄想”であるなんて言いきれることはないだろ」

「なら、他にボクに話せる過去、思い出話はあるかい?」

「当たり前だ! 例えば――」

 

 例えば?

 例えば、何だろう。何かあったか? 確実に、自分がこの世界の人間でないことを伝えられる事実が。

 母親との思い出、思い出せない。

 父親との思い出、自身をもって言い出せない。

 妹との思い出、あれ以外に何もない。

 学生生活、はなんだろう?

 

『まぁいろいろあったのさ。もう少し好感度が高ければ固有イベントに入って教えてあげていたんろうけど』

 

 いつかスバルに話した言葉だ。

 そんな、色々なんてあったのか? 本当は何もなくて、話せなかっただけじゃないのか?

 それに、シャオンは、自分はスバルと違ってコンビニ帰りにこの世界に来たなんて記憶はない。

 ――いつの間にかこの世界にいただけだ。

 まるで、最初からいるのが当たり前の、そんな感覚。

 元の世界から抜け出たなんて感覚、シャオンにはない。

 

「そ、そうだ、ミーティアが、いや、スマホが――」

 

 ふと、思いついたのは一筋の希望のようなもの。

 アナスタシアとの交渉で用いたスマホ。

 白鯨の一件の後すぐに渡そうとしていたが、聖域の騒動で後回しになっていた。彼女自身も利子をつけて取り返そうとしている説があるのかもしれないが。

 今はそれが助かる。それがあれば、この世界にはない『スマホ』の存在が、それを持つシャオンの存在が異世界から来たことの証明に――

 そんな、大事なものがかたんと、音を立てて落ちる。

 それは

 

「――なんでお前がそれを」

「これがボク……ワタシのものだからね」

 

 目の前にいる女性、エキドナ。

 この世界の住人である彼女が自身と同じものを持っているのだ。

 自身が異世界から来たことを証明するためのものを。

 

「――君が”ワタシ”にくれたものだよ。試作品らしいけど」

「な、中身を見せてもらっても」

「構わないよ?」

 

 文字通り奪い取るようにエキドナからスマホ、もとい『ミーティア』を取る。

 そこに映るのはただの無機質なデジタルな表示だけだ。この世界にとってはオーバーテクノロージーには違いないが、シャオンが持つスマホとはレベルが違う。

 模造品、『この世界で集められるだけの知識を集合させて作ったこの世界の物』に違いない。

 安心して、自身のスマホを見る。見てしまう。

 

「どうしたんだい? まるで、見てはいけないものを見てしまったかのような表情を浮かべて」

 

 うるさい。それどころでないのだ。

 シャオンの持つスマホ。

 それはこの世界とは違う、スバルと同じ世界で作られたもの、シャオンがいた世界で作られたものだ。

 だが、その知識の集合体。無機質な塊は――表示だけだ。

 中身はほとんど何もない。

 圏外だからとかそう言うレベルではない。エキドナが持つ『スマホ』と自身の『スマホ』を比較すると全く変わらない。

 

「――――ぁ」

 

 もともとこのスマホは、ミーティアは『ガワ』だけだ。

 スバルもあくまで外側しか見ていなかった。だから気づかなかった。

 他のこの世界の住人は見てもそもそも違和感を持たない。

 なら、シャオンは、雛月沙音は、なぜそれを気づかなかった? いや、気づこうとしなかった?

 まるで、それを認めてしまうことで、何かが壊れてしまうのを恐れるように。

 まるで、真実を直視することで、もう一人の自分が出てくるのを恐れるように。

 魔法が、解ける。現実逃避と言う魔法が。

 同じ名前、『怪人』、魔法の適正、妙な能力、父と尊敬する人物、思い出せない過去。

 繋がりそうで繋がらなかった事実。それがすべて一つの真実によって解決する。

 

「あ、あぁ」

 

 まるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるで。

 まるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるで。

 

「あ、あ、あ」

 

――とうの昔に、自分は、『この世界の住人』であるということに、『怪人』であるということに気付きたくなかっただけじゃないか。

 

「あ。あっ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁアァ――――!」

 

 喉が痛くなるほどに叫ぶ。

 涙が出る。生理的現象だ。だが、とまらない、気を保つためにそれを止めてはならない。

 視界にひびが入る。血涙が出る。でも止められない。

 止めてはいけない。

 

「――――――ッ――――!」

 

 息が止まりそうになる。いいや、止めても構わない。

 この現実を認めるならば息を止めてでも――

 

――大丈夫だよ。シャオンくん。

 

悲鳴(さけび)の中、一人の女性の声がシャオンの頭に響く。

優しい陽だまりのような、心地よい声。ずっと耳を傾けていたくなるような声が、響く。

 

――これは悪い夢、今はゆっくり休んで。ね?

 

 悪い夢。

 そうか、これは悪い夢なのかもしれない

 唐突に投げられた言葉は、たった一言で、水面に溶けていくように広がっていく。

 彼女の言葉ならば、信じられる。彼女の言葉だったら身を任せてもいいかもしれない。

 そう彼女なら、彼女ならば――

 

「――カぁみら」

 

 枯れた声でつぶやく愛しい彼女の名前。

 呟くと同時に、まるでその場でずっと見ていたかのように。まるで、名前を呼んでくれるのを待っていてくれたかのように彼女はすぐそばにいた。

 淡い桃色に光る彼女。詳しくは今は思い出せない。が、大切な少女。

 その彼女が浮かばせた笑顔を最後に、雛月沙音の意識は途絶えた。

 

 エキドナはつまらなさそうに息を零す。

 目の前で倒れる『白髪』の少年だ。

 見た目は確実に『彼』、中身は目覚めてみないとわからない。

 こういうのを彼の言うところの『シュレディンガーの猫』と言うのだろうか。

 

「さて……どういうつもりだい?」

 

 隠せない不満の色。

 それをぶつけるのは、おどおどとこちらを見ようとしない同族の『魔女』だ。

 倒れ込んだ彼をいそいそと自身の膝にのせて頭を撫でている。

 その様子に満足げに鼻を鳴らしている彼女は貴重だろう。

 

「今、君が行ったことは彼の意思を無視した残虐極まりない行為だ。何をしたのかわかっているのかい? いや、わかっていないんだろうね。わかっているならば君ならそんな行動しない」

 

 なおも沈黙をしている彼女に珍しくエキドナは責め立てるように言葉をつなげていく。

 

「試練は失敗だよ。君の所為でね。何か申し開きはあるかい――『色欲の魔女』カーミラ」

 

『色欲の魔女』。

 そう呼ばれた彼女は薄紅の髪を揺らしながら、こちらを見る。

 たれ目が特徴の、気弱そうな雰囲気のある少女。しかし、油断はできない友人であり、魔女だ。

 そんな彼女がようやく、おどおどとした態度を崩さずに答える。

 

「え、えっとね。エキドナ、ちゃん。ま、まずね。試練な、んて、ね。どう、でもいいの。わ、私は」

 

「ただ」とそこだけは堂々とした態度で、

 

「――シャオンくんが苦しむのは見たくない。それ以外は、どうでもいいの」

 

 濁りのない真紅の瞳で、優しく想い人の頭を撫でる少女がいただけだ。

 

「彼は君の知る『彼』になれていないけども?」

「そうかもしれないね――――でも、それよりも、エキドナちゃん、は、シャオンくんを傷つけたよね? この、シャオンくんも」

「――ッ!」

 

 その瞬間。エキドナの腕は捻じ切れた。

 いや、正確にはエキドナ自身が無意識に腕をねじ切ったのだろう、彼女の持つ『権能』によって。

 

「なるほど、我が弟子は良くも悪くも素晴らしい使い方を学ばせたようだね」

 

 切断された腕から滴る血を止め、すぐ様にかわりの腕を生やす。ここが自身の管理する世界でなかった場合はまずかったが、不幸中の幸い、ここはエキドナの城だ。

 ある程度の無茶はきく。勿論、カーミラをこの場所からはじき出すことだって。

 しかし、それをする必要はない、とばかりにカーミラの意識はエキドナに向いていない。

 それに、世界がゆっくりと造形を崩していく。この試練の挑戦者の意識が目覚める傾向である証明だ。 

 

「だ、いじょうぶ。だよ? もう、シャオン、くん。起きるようだし。だから、私、も」

「……自然とこの場所からは出ていく、か。自己愛の塊と言うよりもわがままになっただけじゃないかい?」

 

 からかうように、意趣返しとでも言いたげにエキドナはカーミラにそう告げる。

 対して彼女はにっこりと笑みを浮かべて、

 

「――恋は、愛は平等に変えるんだよ」

 

 そう言い残し世界と共に消えた。

 残されたのは横になっているシャオンと。自身のみだ。

 

「――さて」

 

『怪人』と『寄り添うもの』。今、彼には二つの可能性、人格がある。

 カーミラの所為で今は確立されていないそれがどうなるのかわからない。ただ、この試練の場から出た時に片方の人格が現れるのは確実だろう。

 それほどまでに『怪人』の記憶と、エキドナが付きつけた事実、と言うよりも逃げていた現実を突きつけられたことは衝撃的だったのだろう。

 

「どちらが、目覚めるのかな」

 

 それを見届けられないのが残念だ、とエキドナは思い、試練の場を、城を閉じたのだった。




倒れ込んだ彼をいそいそと自身の膝にのせて頭を撫でている。
その様子に満足げに鼻を鳴らしている彼女は貴重だろう。


可愛いよね。カーミラ


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2つの災害、再来

 

 試練が行われ、光り輝く墓所を少し離れたところから見守る影が二つ、そこにはアリシアとガーフィールのみがいた。

 他のメンバーは、夜だからという理由で各々の住まいに戻っている。

 なので、現在はガーフィールと、それの見張りなのかアリシアがここにいるのだ。

 

「それにしても意外とかかってるっすね」

「あん?」

 

 無言が続いていた中、どうすべきか悩んでいたところ、アリシアが口を開く。

 目の前の女とはそこまで親しくはないが、そこまで嫌いでもないが故にどう扱えばいいのか悩んでいたのだ。

 特にこの女が好意を抱いている男とは一度揉めているのだ、気まずいと言ったらありゃしない。

 だが、それはあちらも同じだったのかもしれない。

 

「いや、『試練』。こんなもんなんすか? 中にいるアタシらじゃわかんなくて」

「……少なくとも、初日よりはなげぇよ」

 

 正確な時間はわからない。

 だが、試練に臨んでいる時間はエミリアと比較して長い。それが試練の突破に近づいていると安易に判断していいのかはわからないが。

 それを証明するように、墓所の光は急激に収束し、消え去る。

 もう見慣れた光景、試練の終了、いや、

 

「……失敗か」

「あれ、シャオン――」

 

 嘆きはしない。

 もしもの可能性がなくなっただけだと、言い聞かせているガーフィールも、アリシアの言葉に面を上げる。

 そこには試練を失敗して落胆の表情を――浮かべていない(・・・・・・・)、シャオンがいた。

 そして恐らく惚れている、その男の元へ駆け寄っていくアリシア。

 ――自然な流れに、それ故に反応が遅れた。

 

「あ、ぇ?」

 

 駆け寄った彼女の背中から突き出たのは一本の腕。

 それが何かを握っている。

 あれは、心臓だ、目の前の少女の、心臓。

 それが、握りつぶされ、周囲に鮮血が舞う。

 

「なん、で?」

「理由はないよ? あーでも。ほら、近づいてきたからが一番かな」

「――うそ、つき」

「――――」

 

 答えにくそうに口を開くシャオンの様子に、アリシアの腕はだらんと、垂れる。

 そして、返答を聞いて、ガーフィールはようやく事態を把握できたのだ。

 

「テメェ!」

 

 事態の把握に遅れた分を取り返すように、ガーフィールの動きは早かった。

 即座に目の前にいる男、シャオンの首元を狙った回し蹴り。

 その勢いに空気が裂け、まるでギロチンのような速さでシャオンに襲い掛かる。

 だが、

 

「――っ!?」

「危ないね。当たると大変なことになるよ、その一撃」

 

 避けるそぶりすら見せなかったその一撃は、シャオンに確実に命中した。

 だが、手ごたえがない。当たっているはずなのになにか見えない何か(・・・・・・)に阻まれている感覚だ。

 近くにいるアリシアを気にして威力が弱まったのかもしれない、そう思っているとまるで心でも読んだかのようにシャオンが、彼女を貫いていた手を引き抜き

 

「あぁ、彼女はもう死んだよ。ボクが殺した」

 

 優しく、少女の遺体を地面に置く。

 涙で濡れた顔を優しく撫で、再度向き直る。

 

「お前、何もンだ?」

 

 ガーフィールの疑問は正しいだろう。

 ほとんど過ごした時間はないが、それでも今目の前の男の性格と自身が知るシャオンの性格の差が違い過ぎている。

 だが、目の前の男は気軽に名乗る。

 

「――シャオン。っていってもねぇ、オド・ラグナと言ってもいいけど。ボクはこの名前が気に入っているから前者で」

「オド・ラグナだァ? 真面目に取り合う気はねェってことか」

 

 その様子に嘘を吐いている様子はない、だが、内容は子供でも揶揄っている様に理解できるほど。

 世界と同意義だとでも言いたいその言葉は、当然こちらの疑問に答える意思はないのだと判断できる。

 

「なら簡単な話だ……『多腕のケルビニアはすべての腕を縛れば話を聞く』ってことだ!」

「そうだね、力づくで来るといい――キミの価値を見定めよう」

 

 ガーフィールは、自身の奥にある怒りの感情をあらわにするように牙をカチカチと鳴らす。目の前の脅威、愛していたものを気軽に殺した邪悪さに、立ち向かうように自身を鼓舞するためでもある。

 そして、次の瞬間に、シャオンの懐に潜りこみ、拳を突き上げるように放つ。

 だが、

 

「ウソ、だろ」

「――上手くいけば、殺せるかもしれないぜ?」

 

 確実に当たった一撃。当たったのなら必殺の拳。

 それを受けて、ケラケラと笑いながら怪人は手を広げる。

――悪夢が始まる。

 

 

「ッルアアアアアアぁああああ!」

 

 獣の叫びに、森の木々はそれだけで揺れる。

 隠れ潜んでいる蟲達も羽音すら立てずに怯えている。

 その叫びをあげた持ち主は一方的に一人の男へ攻撃を放つ。

 蹴り、殴り、噛みつき、投げ飛ばす。どれもが必殺の一撃。当たればただでは済まない一撃であり、ガーフィールが以前戦っていたシャオンという男の戦闘力では回避は不可能、受け流しても立ち上がるほどの力はなくなるほどの一撃。 

 それらをすべて受け、

 

「いい一撃だ。いや、連撃?」

 

 平然と目の前の男は疑問を口にする。

 パーカー、という服には汚れすらついていない。

 唯一ついているのはアリシアを貫いた時の赤色だけだ。

 

「でも、それじゃあ『傲慢姫のドレス』は破れない」

 

 つまらなさそうに、いや、その感情すらないような彼の瞳にガーフィールは嫌悪感を通り越して恐怖を覚える。

 まるで、相手にされていない。普段の彼ならば怒りに燃えて闘志を焚きつけるものだが、この男には、それが湧かない。

 

「いいことを教えよう。いや、意味のあることだから聞いたほうがいいよ? 君の攻撃は一切届かない。その理由は――」

「ごちゃごちゃうるせェ!」

 

 言葉を遮るように顔面に拳を叩きつける。

 踏み込みも十分で、地面が陥没するほどの勢い。

 そして為に溜めた一撃、だが――

 

「――君に殺意がないからだ。殺す気持ちがない」

 

 当たった、が無傷。

 それどころかやはり汚れすらついていない。

 

「――ばけ、ものが」

「フフッ、このドレスの効果は、あー、見えないかな? まぁいいや。このドレスはボクが決めた『条件』を満たしたもの以外はボクに関与できない」

 

 それでも心は折れていないと目鋭い眼光を向けるが彼は笑いながら説明を告げる。

 まるで、これでは差がありすぎるから少しハンデをあげよう、というばかりに。

 

「今設定しているのは『殺意を持つ』だ。それ以外は、何も受け取らない、干渉できない。『剣聖』とか『龍』のような例外を除けばね?」

 

――――それでは。

 

「――――ッ! ふざけんじゃねぇ……」

 

 まるで、自分が命を殺めるのに怯えているみたいではないか――

 

「ああ、安心しなよ? このドレスの条件設定は再設定には時間がかかる。だから、君が殺す気でかかれば、ボクを殺せるよ?」

 

 そう告げる怪人には、一切の嘲りはなく、寧ろ自身を殺してほしいと。

 想像を超えてほしいと、見定めている『価値』を上回る結果を出してほしいと、子供のように目を輝かせていたのだ。

 

 時は遡る

 ――境界を抜け、森を出てからの道行きには特に大きな問題は生じなかった。

 『聖域』から屋敷までの道のりは邪魔さえ入らなければ八時間前後。途中で二度ほど休憩をはさんだものの、村人たちの村へ帰りたい気持ちが勝り、その休憩も早々に切り上げての無意味な強行路。

 そのかいもあって、スバルがアーラム村へ帰りついたのは八時間ジャスト。昼過ぎに出発し、世界に夜の帳が完全に落ちてから数時間というところだった。

 

「座りっ放しで尻が痛ぇ……けど、よかった」

 

 竜車から降りて腰を回しながら、スバルはそうして安堵の息を漏らす。

 周囲、夜の村のあちこちには再会を喜ぶ嬌声が響いており、中には涙を流して喜んでいるものまでいる状態だ。

 数日ぶりのアーラム村、そこに村人が戻ったことで、夜にも関わらず活気が戻ってきている。『聖域』では沈んだ顔の多かった村人たちも、今は一様に笑顔。

 迎える側の残留組も、無事に家人が戻ったことで一安心といったところか。

 

「ナツキさん、このまますぐにとんぼ返りですか?」

 

 と、そうして周囲の喧騒から離れたところで皆を見守るスバルに、きょろきょろとあたりを見回していたオットーが小走りで駆けてくる。

 息を弾ませるオットーにスバルは「んにゃ」と首を横に振り、

 

「さすがに性急すぎるし、小休止してからでいいだろ。それに屋敷に顔出して、フレデリカとペトラに事情も説明しなきゃいけねぇしな」

「確かにそうですね。なら、僕は僕でやることがあるので、何かあれば呼んでくださいね」

 

 そう告げ、手を叩き、大はしゃぎのオットーが行商人仲間たちの下へ。

 朗報を持ち帰ったオットーの凱旋に、商人たちの歓声が夜の村に響く。軽く、再会を喜ぶ村人たちの歓喜よりも大きめな声だった気がしたが、スバルはそのあたりのことに関しては意識的に無視することにして腰を上げる。

 とりあえず、村の皆に関しては問題はないだろう。

 ならば、後はこちらの問題だ。

 アーラム村から徒歩で十五分――そうして進んだ先に、ぽつんとあるのがロズワール邸だ。

 夜の闇の中、屋敷の灯りだけがぽっかりと影の中で存在を主張しており、こうして日が沈んでから遠目に見るとそれなりに妖しい、いや持ち主を思うと『怪しい』が正しいだろうか。まぁ、雰囲気があるものだと思う。

 門扉の前でそんな感慨を得ながら、なんとなしに屋敷を眺めると、当然だが屋敷の大部分の灯りは落とされており、光が浮かぶのは玄関ホールと使用人室。それと最上階近くの一室――確か、ロズワールの執務室だろうか。

 

「オットーが伝票処理はしてたけど、あれからの一週間でまたなにかしら増えてっだろうしなぁ」

 

 シャオン、ついでにアリシアが万能ぶりを発揮していた中、当然メイドの中のメイドであるフレデリカも負けてはいなかったことを思い出す。

 オットーに負けず劣らずの事務処理能力を持っていたが、彼女のやるべき仕事はそればかりでもない。ペトラを戦力に加えても屋敷全体を維持するにはかなりの労力が必要だ。

 こうして夜半まで、事務仕事に励んでいることを思うとその苦労がしのばれる。

 

「これはなんとしても、オットーの野郎を深みに引きずり込んで、エミリア陣営の事務処理マシーンとして牛馬のように働かせにゃならん。事務する機械になってもらおう」

 

 意外と用心深い彼をどうやって巧みに罠にかけてやろうかと思案しながら、スバルは門扉を押し開いて屋敷の敷地内へ。

 玄関へ向かいはた迷惑さ万歳の夜闇に甲高いノック音が響き、それから普段通りの適当な呼びかけ。

 言ってから、この世界の場合は火事・災害の場合はどういう対処が行われるのだろうと疑問を抱く。首を傾げてそんな益体もない思考に沈むスバル。だが、

 

「返事がねぇな」

 

 てっきり、フレデリカあたりならば風のような速度で応対があるものと思っていたものだから、この反応には肩すかしであった。

 それから少しだけ待ってみるが、誰も迎えにこないものと判断してスバルは待ちぼうけを放棄。いっそ堂々とドアを押し開き、

 

「うーい、帰ったぞーっと。飯! 風呂! 寝る!」

 

 と、亭主関白を気取って三つの命令をポージング付きで表明。が、これに対するリアクションもやはりゼロ。

 一人で滑っている感に懐かしい感覚を味わいながら、スバルはとりあえず上階――使用人室の方へ寄り、ペトラを探すことにする。

 

「執務室ならフレデリカがいんだろ。とりあえず、ペトラに会ってから……あと、ベア子も探さないとな」

 

 現状、屋敷に残っている三人が次々と脳裏に浮かぶ。

 おしゃまなペトラと慇懃無礼なフレデリカとの再会はともかく、あの縦ロールの少女との再会に際してはスバルもいくらか覚悟を決めなくてはならなかった。

 前回、彼女との別れ方が別れ方だ。

 何一つ、核心に至る問いの答えは聞き出せず、しかし涙声とくしゃくしゃになった顔で追い出されて、それきりになってしまっていた。

 

「謝る……ってのも変な話だけどな。悪いことした自覚がねぇから……」

 

 それでも、会って話をすればなにかが変わるものと思っていた。

 また一つ、過去と決別することで少しは前進できたつもりだ。今の心持ちならば、またなにか違った形で彼女と向き合えるような気がする。

 そのためにも、

 

「まずは前哨戦……って思ったんだけど」

 

 ノックして、それから驚かせようと勢いよくドアを開いてここでも肩すかし。

 嬉し恥ずかしの着替えタイムに遭遇――ということも少女が相手では期待していなかったが、どうやらそんな場面に出くわすこともなく不在の部屋。

 ペトラの趣味が反映された、可愛らしい小物などが飾られながらも整理整頓がなされた部屋――ただ、そこに部屋の主の姿は見当たらない。

 部屋の光に照らされた室内でスバルは首を傾げて、

 

「灯りつけたまま出るって、しっかり者のペトラらしくねぇけど……ここにいないってなると、ひょっとして執務室でお勉強中?」

 

 スパルタ風なフレデリカならばありえる話だ。

 メイドとしての給仕仕事の傍ら、事務仕事まで仕込んでペトラ万能メイド化を狙っているのかもしれない。それができるようになると非常に助かるが、すでに家事技能でペトラに対して遅れをとっているスバルはいよいよ立つ瀬がない。

 そう思いながら階段を二段飛ばしで駆け上がり、最上階――そのまま通路の真ん中、両開きの扉の前に到達すると、改めて咳払いしてからノックを打ち込む。

 固い音が響き、確実に室内にも届いたはず。しかし、やはり返答はなく、

 

「――――」

 

 いくらなんでもおかしい、とスバルはそこまで積み上げてきた警戒を一つさらに上げる。軽口を叩く風で誤魔化しつつも、スバルの視線は廊下の端から端へと走り、それから執務室の扉の中へ。戸に耳を当てて中の様子に耳を澄ませるが、分厚い扉越しに中から聞こえてくる音はない。外からこのまま、情報が得られる可能性は低い。

 

 ――ペトラの部屋は荒らされていなかった。整頓されたままの状態で、ベッドもこれから眠るつもりであるようにメイキングされたあと。

 屋敷の中も、ざっと見渡した限りではおかしなところはない。整然とフレデリカらしい密な仕事が行われたあとであり、窓枠に埃一つ残っていなかった。

 故にスバルの警戒は、彼女らの姿が見えないことに関してのみ高められていたのだが、

 

「――――ッ」

 

 戸にかすかに力を込めて、音を立てずに扉を開く。

 途端、室内から漏れ出す光が廊下に差し込み、その光を頼りに中の様子に目を走らせる。黒檀の机に皮張りの椅子。壁際の本棚に、吹き抜ける風――。窓は閉じている。冷たい風の吹き抜ける感覚。それはおかしいと直感する。

 部屋に滑るように忍び込み、スバルはその風の行方を追いかけ――気付いた。

 部屋の奥の棚が横滑りし、普段は隠されているはずの壁に通り抜けられるサイズの隠し扉が設置されている。それを抜けた先にはらせん状の階段が連なっており、その階段ははるか眼下まで長く長く続くもので――、

 

「そうだ。こんな隠し通路があったんだ。覚えてる、覚えてるよ」

 

 以前にあったループのときのことだ。

 アーラム村の村民が魔女教の手で皆殺しにされ、崩壊寸前の自我のままスバルはここに辿り着いた。そしてこの隠し通路を抜けて地下に入り、そこで――。

 

「パックに氷漬けにされた、んだと思うが」

 

 確証はない。ただ、おそらくは同じ通路を使って避難したエミリアたちを追ったと思しき魔女教の氷漬けの死体が並んでおり、スバルもそれらと同じ末路を迎えて『死に戻り』をしたことは記憶にあった。

 その後、重要視することもないと確認することすら忘れていた地下通路だったが、

 

「それがどうして今……」

 

 これを利用したということは、少なくとも避難の必要があったということだ。

 そして利用したのが誰なのかといえば、当然ながら屋敷にいてこの通路の存在を知っていそうな人物――フレデリカだろう。彼女がペトラを連れて、この通路からどこかへ脱したと考えるのが単純な結論。問題は、

 

「なにから、逃げるために?」

 

 聡明な彼女であれば、相応の根拠があったはずだ。

 屋敷内にしかし襲われた形跡がない以上、その迫った危険というものは事前に察知できたということ。それらの情報にスバルは魔女教という単語をちらりと思い浮かべるが、それを首を振って追い払い、

 

「それなら、フレデリカが書き置きの一つもしてないのが不自然すぎる。それにアーラム村の人たちはなにも気付いてなかったし……魔女教みたいな危なすぎる奴らがくるなら、村人を巻き込まないために行動を起こすはずだ」

 

 少なくとも、フレデリカはロズワールが組するエミリアをサポートすることに疑問を抱いてはいなかった。ならば彼女は彼女にできる範囲で、最善の対処をしているはずなのだ。村人がそれを知らないということは、魔女教ではない。

 とにかく、

 

「フレデリカとペトラはたぶん、屋敷を出てる。……それなら、俺は」

 

 一瞬、通路を抜けてフレデリカたちとの合流を目指そうと足を踏み出しかけ、そのスバルの足を止めたのはここまでの考えに名前の出てこない少女だった。

 もし仮にフレデリカがここを脱すると判断したとして、果たしてその逃亡にあの少女は同行してくれただろうか。

 

「俺の知ってるベアトリスは、そんな空気の読めるガキじゃねぇ」

 

 あの小生意気な縦ロールならば、きっとフレデリカの提案をはねのける。

 そうして自分だけの禁書庫に閉じこもり、なにが起きても平気と嘯いて、こちらの心配であるとか配慮であるとか、それら全てを蹴っ飛ばして、それで寂しそうな顔をするに違いないのだ。違いないから、

 

「引っ張り出してやる……!」

 

 誰が彼女を連れ出さなくても、スバルだけはそうしてやろうと考える。

 彼女が自分だけの城の中で、そこをどれだけ堅牢だと信じていようが関係ない。

 この場所に危険が迫っているとわかっていて、そこに小さな女の子を置き去りにするなど、できるはずがないのだから。

 

「そうと決まれば――!」

 

 隠し通路に背を向けて、スバルは息を鋭く吐くと執務室を飛び出す。

 ベアトリスを見つけ出すのに、もっとも確実なのは屋敷中の扉を片っ端から全て開けていくことだ。スバルならばその途中で、ベアトリスの禁書庫に繋がっていそうな扉が『なんとなく』わかる。それを頼りに、彼女を見つけ出せばいい。

 まずは最上階の扉を片っ端から――、

 

「―――――」

 

 一歩止まったのは奇跡だろうか。

 それともシャオンやアリシアから鍛えられていた成果が出たのかはわからない。

 だが、それが――スバルの命を僅かにつないだのだ。

 小さく、腹部に痛みと熱を感じる。底を見ると薄く、本当に薄くではあるが横一文字の傷ができていた。

 ただし、裂けていたのは服と薄皮のみだ。血を出すほどではない、止まらずに進んでいればこんな被害では済まなかっただろうが。

 

「――驚いた、確実に綺麗に裂いたと思ったのに」

 

 ふいに声が聞こえた。

 正面、態勢を立て直すスバルの前方から誰かが声を投げている。

 いいや、誰かなんて表現は適さない。自分はこの声の持ち主を知っている。忘れたくても忘れない、忌々し気な声。

 足音が波紋を生み、暗闇に慣れてようやく視認できる黒の装束。細身。黒い髪。こちらを愛おしげに見る、艶っぽい眼差し。

 懐かしさすら覚えてしまう、『第一の脅威』。

 スバルのある意味での初めてを奪った、最悪の女。

 

「なん、でここに」

「言ったはずよね?……次に会うときまで、腸を可愛がっておいてって」

 

 常軌を逸した愛の宣告。

 自分では一生できないその宣告を受けて、確定する。目の前にいる脅威、それは――

 

「――いやがんだっ!? エルザ・グランヒルテ!!」

 

『腸狩り』の再来だった。

 




今回の脅威
①シャオン?
②腸狩り
③?


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脅威3+1

お久しぶりです…


 腹を軽く裂かれつつも、スバルの目に闘志は灯ったままだ。

 それを見てエルザは恍惚な笑みを浮かべ、スバルの問いに答える。

 

「なんでここにいるのか、ね。流石に雇い主の情報を渡すほど甘くはないわ」

「そうかよ……最近は、いや今も昔も男に優しい女性のほうがモテるぜ?」

「あら、そうなの? でも安心してちょうだい。私、これでも優しいから」

「お前が優しいのは腸だけだろう――ッ」

 

 狂人と話をして時間を稼ぐ。まずは状況の整理――なんていうものは馬鹿げた思考、ぬるい考えだ。

 奴の脅威を知っているなら、行動原理が読めない奴に思考の余裕は割けない。だから、なぜ今、ここにエルザがいるのか。誰も知らないはずの隠し通路に、なぜ潜む。なぜわかる。全て後回し。

 疑問の追求は二の次に、今はただ頭を回転させるのだ。

 

「それにしてもよかったわ、メイリィが村から戻る前に標的を見つけられて」

「……村?」

 

 村、と言われて思いつくものは1つしかない。アーラム村だ、つまりここには複数の人物で来ている。そして、屋敷担当がエルザで、もう一人がそのメイリィと言う奴だろう。

 どちらにしろ、 急いで確認してこないといけない、だがそのためには目の前の敵を、エルザを突破する必要がある。

 だが、どうやって突破する。

 頼みにする戦力は今はない、スバルがいくら死んでも乗り越えるほどの覚悟を持ち合わせていても、戦闘力が上がったと勘違いするほどの馬鹿ではない。

 以前の自分なら過去を乗り越えて、なんて思ったかもしれないが。苦い現実はつい最近死ぬほど、いや死ぬたびに見てきたのだ。

 だから、自身ができることを選択肢として考え――一番確率が高いものを選んだ。

 

「――シャマァァァァァァァック!!」

 

 自身の不完全なゲートに無理やりマナを通し、あの暗闇をイメージし、地獄の一歩である魔法を放つ。

 咄嗟に前に突き出したスバルの右手からイメージ通りの煙幕が噴出し――通路を闇が覆う。

 完全な闇。だが、この闇は通過できるものだ、それこそ遮幕の意味しか持たないものだ。だが、今はこれで十分だし、これ以外にスバルができることはない。 

 

「ッッッ!!」

 

 闇を走り抜け、る前に、空気を読まずに激痛の猛攻がスバルを襲う。

 以前味わい、二度と味わいたくないと思っていたあの傷口に熱した刃を突き刺すような嫌な痛み。ゲートを酷使した結果訪れる体への負担が今になって襲ってきたのだ。

 だが、それは想像よりも重く、崩れそうになる。だが、その今にも崩れ落ちそうなそれを留めたのは鋭いなにかに肉を抉られる痛みだ。

 反射的にスバルは体を起こし、意識がはっきりとする。

 予想外の痛みの原因に目を向ければ、自身の背中に合計で四本の鋭い杭が突き刺さっていた。

 杭自体はそこまで長くないものだが、当たり所が悪ければ、死ぬかもしれない。ただ、彼女の性格ならばこれはあくまで足止めや、獲物の動きを鈍らせるものだろう。

 これに毒が塗られていればここでゲームオーバーだが……それよりも驚くべきことは、

 

「まさか、見えて……!?」

 

 切り札、とは言えるほどのものではないが、この決死の魔法を、暗闇を透視している。あるいはユリウス等のようにシャマクを無効化する能力もち、もしくは自身の魔法が予想よりもひどい出来だったのだろうか。

 様々な可能性を考えたうえで、それらのどれでもないと気付く。

 黒煙がなんらかの脅威であり、飛び込むことを危険を判断したエルザが、靄の向こうからこちらへ向けて狙いも付けずに投擲を打ち込んできたのだ。

 通路は狭く、適当に投げても、通路のど真ん中を狙えるコントロールがあればどこかに高い確率で命中する。

 後は当たれば、獲物は血痕を残すし、足は遅くなり、今は見失ってもすぐに見つけられるだろう。

 決死の、本当の意味で死を覚悟した策を簡単に対処された疲労と、ゲートの不調による痛み。それらが同時に襲ってきたこともあり、ほんの一瞬の攻防で、スバルは気力も体力も根こそぎ出し尽くしてしまった。

 このまま屋敷の外に戻れたところで、打開する手段がすぐに思い浮かぶわけではない。ただ目先の希望に縋るように、スバルは歯の根を噛み潰して走り続ける。

 そして、ようやく屋敷を抜け、外の空気を吸えたと同時に感じたのは、うなじを怖気が駆け上がったのは、幾度も『死』に触れたスバルだからこそ感じ取ることのできた臨死の感覚だったのかもしれない。

 

「――ひっ」

 

 間一髪しゃがみ、それを避ける。

 頭上を通ったのは刃だ。いや、正確には爪だ。それがスバルの首を確実に刈り取ろうとしていたのだ。避けれたのは本当に奇跡だっただろう。

 そして、スバルにとっては大差ないものだが、正確には爪。獣、”魔獣”の物だ。

 なぜ魔獣の物かを判断できた理由はたった一つ。目の前にいた人物の存在だ。

 

「――――お前は」

「もう! エルザったらまた遊んで、後で起こられても知らないわよ?」

 

 以前の魔獣騒動の際にシャオンが対応した、藍色の髪をお下げにした純朴な顔立ちの小柄な少女。『魔獣使い』だ。

 ペトラと同じ年頃に見えるその無邪気さは、いや、その無邪気さゆえに周りに従えている彼女と対比する気にすらなれないほどに巨大な魔獣のアンバランスさがスバルの危険度を助長させている。

 そして、もう一人。

 

「まーま。メイリィよ、姐さんも逃がしはしないだろう? 多少の遊びは許してやってもいいんじゃねぇか?」

「仕事に手を抜いてはいないわ、ヴェルク。貴方と違ってね。――その子は?」

 

 ヴェルクと呼ばれたのは、無精髭に前に垂れたくしゃくしゃの髪をした男性だ。軽薄そうな彼は、エルザの指摘に「へいへい」と軽く流している。

――そんなことはどうでもいい。それよりも重要なのは、その腕の中で抱えている1人の――

 

「兄ちゃんには気の毒だが、いつかは終わるから耐えてくれ。男だろ?」

 

――――青い、髪の、愛しき少女

 

「――レムにさわんじゃねぇっ!」

 

 勢いに、感情を乗せた拳は空を切る。

 そして触れられないスバルに対し、ヴェルクは皮肉気にレムを大事に抱えながら、こちらの鳩尾を蹴り抜く。

 体が僅かに浮き、骨が折れた音と共に視界が赤く染まる。

 

「あー、なるほど。この嬢ちゃんはアンタの所有物か。なら、仕方ないな」

「……れ、むを物扱いしてんじゃねぇ!」

 

 息をするのですら激痛を伴う中、スバルは叫び、立ち上がる。

 視界はまともに見えず、見えたところで満身創痍。

 だが、それでも、スバルがスバルであるために。彼女の望む英雄である為に、立ち上がる。

 

「あら、意外」

 

 エルザの冷やかす声すら届かない。

 先ほどまで冷静に物事を考えていた自分は既に消え去り、今は、ただ、今は目の前の男からレムをーー

 

「……はあ、暑苦しいね。兄ちゃん。嫌いなタイプだ」

 

 面倒くさそうにしつつ、ヴェルクは頭を掻く。

 そして、

 

「起動しろ、『ミーティア』」

 

 懐から出した、小さな杖。

 まるでそこらに落ちていた木の枝と間違えるほどの、小さなそれをヴェルクはスバルに向けた。そして――

 

「――――は?」

 

 目の前の空間が歪み、混ざり、弾けた。

 至近距離にいたスバルは避けることはおろか、何が起きたのかすら正確に把握できていない。だが、

 

「――あ」

 

 分離された頭と胴体、ないはずの視界がそれらを捉え、最期に聞こえないはずの聴覚から僅かに自身の亡骸が落ちた音だけは聞こえたのだ。

 

 『聖域』の中は異常な光景になっていた。

 姓名溢れる森は全て凍り付き、死の森へと変わっている。

 そんな中、一人の青年だけが、呑気に笑っていた。

 

「ふぅ、寒い寒い」

 

 震えを抑えるように腕をこすり、シャオンの吐き出した息が白くなる。

 

「こういう時は君のような毛皮持ちが羨ましいよ。寒さにも強いだろう? 生憎と『傲慢姫のドレス』は自然現象まで防げなくてね」

「……」

「羨ましい。ボク自身の力はそこまで『価値』のあるものじゃないよ」

 

 白い吐息と共に軽く笑い、シャオンはつぶやく。

 それもそのはず、目の前に広がっているのは、氷土だ。

 比喩、ではないのかもしれない。生き物達は死に、近くの空気も、マナすら凍りつく。

 

「キミが培ってきた努力や経験のほうが十分に価値がある。それは当然のことだけどね」

 

 話しかけたのは氷の槍。

 正確にはそこにいた人物、ガーフィールだ。

 氷の槍に肉体を貫かれ、拘束されたガーフィールに話しかけたのだ。

 中心に大きなものが1つ、それよりも小さなものだが鋭利なものが数本関節のあるであろう位置を貫いている。

 

「でも、価値っていうものは衰えていく。愛が減るようにね」

 

 誰かの真似をするように、シャオンは呟く。

 

「だから、その前に刈り取るのがボクの役割だ。勿論価値が衰えていない、ボクよりも強い、価値があるという証明ができれば刈り取ることはないけども……君は――残念だけど」

「そう、かよォ」

 

 血を吐き出しながらもガーフィールは敵意の目を向ける。

 満身創痍のその姿であっても、戦意は削がれていない。首だけになってもこちらにかみついてやる、というほどの熱を感じる。

 それを見て、シャオンは手を叩いて嬉しそうに笑った。

 

「凄いね。君の加護はもう使えないはずなのにその回復力。流石亜人か」

 

 加護はもう使えない、正確には封じられている。だが、シャオンが行ったことは単純。ガーフィールの触れる可能性のある地面全て(・・・・)を凍らせた、ただそれだけだ。

 直接触れられない様に、広く、砕かれることがないように硬く、ただ膜を張る様にすべてに氷を敷く。

 言葉にすれば簡単だが、その行動を実際に行うことに一体どれほどのマナを使う必要があるのだろうか、少なくともガーフィールにはわからない。

 ただ、わかることは1つ――この男には、自分では勝てない。

 

「――ああ、今回はここまでかな?」

 

 ガーフィールは自身の力不足に歯を噛み砕くほど力んでいると、ここではないどこか遠くを眺めながら、シャオンは呟く。

 何が何だかわからないが、まるでこちらに一切の興味を持っていないその様子に苛立ちを抱く。

 だが、その苛立ちをぶつけることすらできない自身の弱さに一番苛立ちを覚えているだろう。

 こちらの様子を見て、「ごめんごめん」とシャオンは笑い、ようやくこちらに焦点を当て直す。

 

「君のことを忘れていたわけではないんだ。ただ、一応まだ用事はあってね。時間が許すなら弟弟子に、会いに行こうかとおもってさ。たぶんあっちの方にいると思うんだけど、間に合うかな」

 

 見つめる先、その方角はあの忌々しい男が休んでいる――

 

「その必要はないよ」

 

 ガーフィールの苛立ちを加速させるような、本能からの嫌悪感を感じさせる男の声。

 その声の主は、ちょうどシャオンが見ていた方角から歩いてきた。

 いつものような道化師を思わせる服装に、背後には従者であり、愛しい女性を控えさせながら歩いてくる。

 

「はじめまして、だーぁね」

 

 顔だけは白粉を解いた、普通の人間としてのロズワールがそこにいた。

 隠しきれないほどの狂気と嫉妬心を宿しながら。

 

「ロズ、わーる」

「随分な様子だーぁね、ガーフィール。生きていたとは驚きだ」

 

 にらみを利かせるガーフィールをからかうように。いや、一種の憐れみを混ぜた視線を向ける。

 ただ、常人であるガーフィールが読み取れるのはそこまでで、その視線の中に含めているもの、瞳の奥にある暗さを読み取ることまではできない。 

 そんな中、もう一人の人外が動き出した。

 

「――ああ、君が先生の弟子、一応はキミが弟弟子かな? よろしく。」

 

 差し伸ばした手を黙って見つめながらロズワールが口を開く。

 

「……君は、ヒナヅキくん。でいいんだーぁね?」

「半分正解だよ」

「半分?」

 

 小さな驚きと僅かな苛立ちを含めた声を上げるロズワール。 

 シャオンとしてはこのような反応を見るのは久しぶりであり、内心楽しい。ただ、残された時間は少ない、早く用事を済ませる必要がある。

 だが、

 

「その前に――そちらの亜人さんは、大丈夫かい?」

 

 シャオンは目線でロズワールの後ろに控えるラムを指す。

 ロズワールに仕える、いわゆる右腕のような存在。桃色の髪をした彼女はいたって普通の様子だ。

 だが、わかる人物はわかるだろう、彼女に宿るその感情を。

 

「ずいぶんと殺気立っているようだけど、何かあったかな?」

「……」

 

 ラムは何も言わない。

 いや、何か言いたげにしつつも主であるロズワールの前だからなのか、それとも別の理由があるのか。

 ただ、目に宿る敵意はシャオンへと向けられており爆発寸前の爆弾とでも評するような危うさを表している。

 

「彼女のことは気にしないでくれたまーぁえ。わーぁたしがいるなら手は出させないからね」

「そ。ならいいか……結論から話そう。ボクは”器”の一つだ」

「器?」

 

「そう!」とシャオンは頷く。そして、大げさに手を広げ、まるで空から見ている誰かに説明するかのような立ち振る舞い。ラムは勿論、ロズワールでさえ怪訝そうな目を向ける。

ただ、それに気づいていないのか、それとも気づいていても気にしていないのかシャオンは続ける。

 

「いつかボクが、いや。シャオンが元に戻る際に用意した多くの依代、器のひとつ――それが雛月沙音さ」

 




そしてヴェルクさん2章に名前だけ登場


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削れていく魂

お久しぶりです、のんびり更新していきますー


「そもそも、ボクが一体何かと言う質問の答えを正確にだそう。手短にね」

 

 そう告げると、恐らく土属性の魔法を利用したものだろうか、何もない場所に椅子が生まれる。

 予想外のマナ操作、魔法の練度に驚く様子のラムを他所に、シャオンは気軽にその椅子へ腰かける。

 ロズワールもその腕に驚きはするが、話を早く聞くために動揺を出さずに先に進める。

 

「まず、シャオンという人物は400年前に死んだ。ただ、オド・ラグナと密接な関係があるからなのか、確実に死んだわけではないのさ。とはいっても、そのまま生き返っても植物のような状態だ」

 

 衝撃的な事実に、ロズワールは以外にも驚かなかった。自分も似た様なことをしているし、なにより敬愛する先生と同じような存在ならばそれくらいのことはできるのだろう、と想定していた体。

 ただ、代わりにラムの驚き、息を呑んだ様子が鮮明に耳に入る。

 

「だからボクは世界中に器を用意した。ボクが生き返ったときに動けるようにね。ああ、勿論、あの子たちにもいろいろと経験をさせようとはしているさ。でも、最終的にはボクが器に定着する――生き返るとでも言えばいいかな? そしてこの雛月沙音は、その中でも特別な一人」

「信じられないわ、そんなこと」

「もしも疑うのなら――あー、水門都市?だったかな、そこに『遺体』があるはずだ。ボクの妹と同じく支えになっている。その様子を見れば嫌でもわかるよ」

 

 ラムの言葉に、シャオンは答える。

 水門都市、おそらくプリステラのことだろう。あそこには確か――”傲慢の魔女”の遺骨があるはずだ。にわかには信じられないが、その魔女が彼の妹なのだろう。

 そして、その事実を語るシャオンの表情は初めて、本当に少しだけ悲しみがにじみ出ているようだった。

 しかしそれは幻覚なのだと思ってしまうほどに一瞬で、すぐに感情の読めない笑顔を張り付けてくる。

 

「話を戻そうか、えっとこの体は器の中でも特別製だってところまでは話したよね」

「特別、ねーぇ。異常なほどの成長能力、他の人物に好かれやすい体質というのは、その器が影響しているのかな?」

「半分正解かな。成長能力に関してはボクの『模倣の加護』の影響。好かれやすいのは、まぁ人徳じゃないかな?」

 

 心にもない事をシャオンは口にする。

 だが、ロズワールにとっては十分に知りたいことがわかった。正確には推測になるが、今の段階では十分なほどに。

 目の前の男は自分と同じように意識を、魂を別の近しい存在に移していっているのだ。それが子孫なのか、別の何かなのかはわからないが。 

 

「君の存在がほとんど残されていなかったのは?」

「ああ、ボクの熱狂的なファン? 言い方を変えるならば長い年月共にした旅団があってね、彼等にばれると色々と不味くてね」

 

 嬉しさ半分、迷惑半分と言った様子で頭を掻くシャオン。

 魔女や似た様な存在を信仰する集団は少ないが、確かに存在はする。魔女教が特にその一つだ、そして、この男にもそのような存在がいたのだろう。

 そして、それらが行う行為が彼にとって利を得ない物だったのだろう。だから、隠居の様なことをしていたのだ。

 業腹だが、それであればこの書に記載がないのも――

 

「なーぁるほど。合点がいった、君のことは『叡智の書』にも記載がほとんどなかったから、その情報だけでも十分な収穫だった」

「そりゃどうも。で、時間もないようだから自己紹介はここまで、ここからは未来の話だ――契約をしよう。ロズワール」

「契約?」

 

 想定外の単語に、思わずロズワールは間抜けな顔で呟く。

 

「強張らせなくていいよ。互いにメリットがある契約さ」

 

 自身には何もない、とこちらの警戒心を解くためなのか手を広げるシャオン。だが、それすら全て彼の作戦の一つなのではないかと疑いを抱いてしまう。

 だからけん制の意味も込めて――

 

「契約の内容次第だ、あまりにも突拍子な――」

「――――」

 

 突拍子な契約の内容であれば、話にならない。

 そう口にしようとしたロズワールは、別の意味で突拍子のない契約の内容を持ち出されたためか、思わず口を閉じる。

 

「……正気かい? 君はスバルくんと仲がよかったと思うけど」

「仲の良さと与える試練の重さは違うさ。なに、どんな結果になろうと彼ならば乗り越えてくれるさ。もしも乗り越えられないなら――価値がないだけだ」

 

 初めて、この男と対話をしていて初めてロズワールは恐怖を覚えた。

 それは考えが

 

 流石、自身が尊敬している人物と同類の人物、常識の外にいる存在だ。

 

「君の実力ならば私に頼る必要はない、なのにわざわざ魂を縛るような契約をしてまで?」

「理由は2つ。1つはこの器はまだ不完全だからね、契約による後押しが必要なんだ。もう1つは――一度契約をすれば”次”説明するのも楽だろう?」

 

 含みのある発言。

 その様子にロズワールは感情を押し切れず思わず奥歯に力が入り、舌打ちでもしそうなほどに、怒りを抱いていた。

 それを見てシャオンは、小さく笑う。

 

「さて――世界が終わる」

「”影”か、兎に覆われる前に。君はその激情を晴らしておいたほうがいいんじゃないかな?」

「……なんのことかーなぁ?」

 

 ロズワールの表情は変わらない、だが明らかに空気がピリつき、怒りの感情が伝わってくる。

 長年連れ添っているであろうラムでさえも、ここまでロズワールが感情を隠しきれていないのは初めて見る。

 

「隠す必要はないよ、というよりも、その抱く感情の大きさは隠せていないけども。ただ、同じ師匠を持つ仲……だからこそ君がボクにそれほどまで敵意を向ける理由がわからない」

「……簡単な話だ―ぁよ。私は君に『嫉妬』している。先生と親しい、私の知らない先生を知っている君をね」

 

 その呟きは小さく、ただ嘘偽りのない言葉だった。故に、シャオンは満足そうに頷く。

 

「恥ずかしい、未熟者、理解できない。なんて言われても構わない。でも、私は君の存在を許せないだろう」

 

 そしてロズワールは片手をこちらへ向ける。

 その手に集まるのは、マナだ、炎の、マナ。

 

「だから、お言葉通り激情を晴らさせてもらうよ? シャオンくん?」

 

 珍しく感情を表情に露骨に表しながら、ロズワールは――魔法を放つ。

 その魔法は業火だ。触れるだけで、触れた個所からその炎は全身に広がりすべてを、魂すら焼き尽くしてしまうかもしれない。

 それほどまでの威力をもった一撃を、たった一人にロズワールは放つ。それほどまでに、強い感情を抱いているのだと示すように。

 それを受けてシャオンは理解できない様に無表情で、そして僅かに笑い。

 

「――――悲しいね」

 

 誰に対して向けた言葉なのか、憐れみの言葉を一つ零す。

 そう、言い残し、シャオンはあえてその炎を、『嫉妬の炎』をその身に受け、消滅したのだ。

 

 

「――オン、おい!」

 

 呼ばれている、というよりは揺さぶられていることで目ざめから覚める。

 心地よい眠りを妨げるような存在に苛立ちと、それでもその呼びかける声に応えねばならないといけない使命感に、ゆっくりと目を開く。

 目の前にいるのは少年、目つきの悪い、自身の友人である菜月昴だ。

 

「シャオン!」

 

 目が覚めたことにスバルは不安の表情から一転し、安堵の笑みを浮かべる。

 そして、当たりを見回す。

 冷たい空気に生気を感じさせない空間。自分たち以外に生き物はいないと言われても有りえなくはないと思う雰囲気。

 ここは――

 

「……ここ、は墓所か? 一体何が――」

「エルザだ」

 

 こちらの声に応えるようにスバルは口を開く。

 だが、その答えは――

 

「エルザに――してやられた……殺された」

「――――」

「お前の方は――おい?」

 

――シャオンが求めているものではない。

 

「……おぼえて、いない。試練を受けようとして、意識が飛んで――気が付いたら今の状態だ」

 

 ”恐らく”死に戻りが起きたのだろう。

 スバルの言う通りならばあの狂気の暗殺者がスバルを殺して、ただ、その死に戻りの感覚が、以前は多少なりとも感じていた感覚が露にも感じない。

 シャオンの中では試練を受けて、そして今、目を覚ましただけなのだ。試練の最中の記憶も、何も残っていない。

 それがあらわすことは――

 

「――――」

 

 結論にたどり着くと同時に自身の迂闊さを呪いたい。

 唯一異世界で、”死に戻り”という異能を共有できるのはシャオンのみだ。

 それを、孤独を解消させてくれる存在の消失、死に戻りを共有できる人物の喪失は、

 

「……は?」

 

 隠すことができないほどの動揺を、スバルに与えたのだ。

 



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変化していく事情

 

「――――本当に、覚えていないんだな」

「ああ、試練を受けてからは一切の記憶がない、試練と同時にスバルが死んだのだったら話は別だが」

「……いや、俺が死んだのと少なくとも時間軸はずれているな。試練の記憶だけが持ち越されないとかだったら別だけども、というより……『死に戻り』の話はできるんだな」

「確かに、言われてみるとそうだな」

 

 

『死に戻り』の記憶はない。だが、『死に戻り』の存在は知っているし、その存在をスバルが口にしても所謂『ペナルティ』というものが発生していない。

そうなると、試練の記憶だけ本当に持ち越せていないだけなのかもしれない。

 

 

「……いまは、その話はいいや。死因についての話だ、いや、俺を殺した奴についてだ」

「あー、なんか嫌な名前が聞こえていたな」

 

 スバルの言葉にシャオンは避けていた現実に向き合う。

 

「エルザ、『腸狩り』エルザ・グランヒルテが、俺を殺した」

 

 そう呟き、額に手を当てて、嘆くように空を仰ぐスバル。

 気持ちはわかる。それほどまでにエルザと言う女は強烈な印象をシャオン達に与えたのだ。

 少なくとも異世界にきて、初めて命を奪った相手なのだから良い感情は抱けない。

 ともあれ、屋敷を襲った脅威がエルザであることはスバルの中で結論とされる。そうしてしまえば、問題となってくるのは――、

 

「エルザが屋敷にいた理由と、フレデリカたちがどうしたのか」

「そして、村自体を襲った別の襲撃者たち、『魔獣使い』とよくわからない男か」

「ああ」

 

 スバルが屋敷に到着したとき、夜の屋敷には生活感がわずかではあるが残されていた。ペトラの自室の灯りや、玄関ホールの照明などがそうだ。執務室は脱出路を利用するために使われたものであるから除外とするが、その二ヶ所の灯りから考えられるのは、

 

「少なくとも、到着した夜までは何事も起きてなかった……ってことか?」

 

 そう結論づけることも早まってはいないか考慮する。

 もしかすると、ペトラの部屋や玄関ホール、執務室などの照明は一日中付けっ放しになっていて、スバルがあの夜までは無事と勘違いしている可能性もある。

 ただ、その仮定を否定する要素として上げられるのは、照明の持続時間だ。たしかラグマイト鉱石と違って屋敷に使われている物はそこまで長くないはずだ。確か、約八十時間

 時間にして、およそ八十時間がスバルに残されたタイムリミット。

 その限られた時間を使ってスバルに課せられた今回の役割。それは、

 

「あの『腸狩り』に襲われた屋敷の防衛、もしくは屋敷の奴らの安全の確保」

 

 あの蛇のような、蜘蛛のような殺人鬼を前に、彼女らが無事に逃げおおせたかどうかは確証が持てない。あの逃げ道がどこに続いていたかはわからないが、屋敷から逃げたフレデリカたちが向かうとすれば、主であるロズワールとの合流を目指して『聖域』であるはずなのだ。

 なのに、自分たちは『聖域』の道筋の途中で遭遇していない。

 考えたくはないが、逃げ出すことが叶わなかったケース、だ。

 彼我の戦力差を考慮して、スバルは考えたくない後者の可能性の高さに眉を寄せる。

 だが現実、スバルの目にしたエルザの実力はそれほどの高みにあった。異世界で少なくない経験と、幾人もの実力者を目にしてきてなおそう思うのだ。

 あの殺人鬼は純粋に戦闘力という技量のみで計りにかければ、

 

「シャオン、エルザと戦って勝てたよな。俺が勝てる可能性は――」

「ないよ」

 

 スパっと言いきる。

 残酷な現実だがあの殺人鬼とスバルが戦えば100回戦っても、100回負けるだろう。

 そしてそれはスバルもわかっているようで、頭を振る。本題は、

 

「ですよねー。んで、お前が今エルザと戦って勝てる可能性は」

「――もちろんある、と言いたいが」

 

 以前倒した相手なのだ、勝てる可能性は十分にある。ただ、それは以前と同じ条件(・・・・・・・)ならばだ。

 スバルの話した内容の限りでは、こちらに不利すぎる条件であることは確実だ、そうなると、

 

「三人、下手すればそれ以上の相手と戦って勝てる自信がない。そもそも、俺は聖域から抜け出せるかわからない。勿論、それを試してもいいが……」

 

 もしもそれで体が裂けるなどの物理的な影響があるならば気軽に試すことはできないだろう。

 それか、以前リューズに言われた通り魂と体が分離されてしまう可能性もあるだろう。だから、シャオンがこの聖域の外に出ることは少なくとも今はできない。

 

「そも、エルザが屋敷にきた理由は……やっぱり、前回と同じで王選の妨害か。けっきょく、あいつは誰に雇われてエミリアの邪魔をしてやがんだ」

 

 王都でのフェルトによるエミリアの徽章盗難。

 その依頼主はエルザであり、さらにその裏にはエルザを雇った黒幕の存在がある。王選参加資格である徽章をエミリアから奪おうとした経緯を踏めば、他陣営に違いあるまいと踏んでいたのだが。

 

「……あの時に比べて情報量が違う、どう考えても他の陣営がそんな手を取るとは思えねぇ」

 

 白鯨討伐時に絡んだこともあり、好感度補正という物もあるかもしれないが、暗殺者を雇うという手を取るならば。その時点でクルシュが候補から外れる。共に命を懸けて戦ったからわかるが、彼女はそんなことをするような人間では決してないと断言できる。

 また、フェルトもエルザに殺されかけているため、当然候補から外れる。そもそも彼女が王選に参加するようになったのは徽章に関するもめ事の後だ。

 残るのはプリシラとアナスタシアの二人だけだが――、

 

「プリシラ……はねぇな。性格的にこんなこそこそ動かない。騎士であるアルが動くことはあり得るが……勝手に動いてプリシラの機嫌を損ねることはしないだろう」

「そうなるとアナスタシア嬢だが……」

 

 消去法で残されたのは紫髪の商人の女性。

 柔和な顔立ちの中にも、野生の動物のように鋭い目、そしてそれを刈る狩人としての勘があり、自身の立ち回りを意識して万全な対応が取れる。

 彼女であればあるいは、合理的に他者を蹴落とす方法を選択するかもしれない。金で外部の人間を雇う、というある種の禁じ手を嬉々として行う突飛な発想力にも長けているだろう。

 だが、

 

「ないな」

「随分と言いきるじゃねぇか、絆されているんじゃないよな?」

 

 スバルの訝しげな視線を横に流し、首を振る。

 

「アナスタシア嬢は殺すまではやらないだろう。それに何よりユリウスの奴がそれを見過ごすとも思えない」

 

 あるいは彼女の騎士であるユリウスに隠れてのことかもしれないが、彼の性格ならば絶対に暗殺者を派遣するなんてことは認めないだろう。アナスタシアも円満な主従関係に取り返しのつかない亀裂を入れてまでやることはないだろう。

 それに、

 

「後は……あの人がそんな手を使うとは思えない。屋敷に招かれて絆されている、って言うのはあるかもしれないけど。少なくとも、あの殺し屋を雇う性格はしていない」

「へぇ、だいぶ買っているんだな」

「まぁね。とにかく、彼女は――命を軽くは扱わないはずだ」

 

 あの屋敷での一日はそれを十分にシャオンに実感させたのだ。

 ルゥやリカード、ミミたちなど、彼女の仲間である彼らは乱暴ではあるがどこか優しい。それはアナスタシアの人柄もあらわしているのだろう。

 以上を含め独特な勘もあるが、スバルと意見をまとめた結果、アナスタシア陣営の関与も消極的に廃案となり、

 

「候補者から候補がいなくなる。ただ……それでも、考える余地はいくらでもあんだよな。エミリアの、扱われ方を考えると」

 

 王選候補者が依頼人でないのなら、純粋にエミリアを王選から排除したいと考える派閥の人間の可能性がある。ただ、ハーフエルフである彼女を忌み嫌うものがそこまでするだろうか。

 

「……仮にそういう性格の悪い奴が依頼したとして、事実上、依頼人の身元を暴くのは不可能になっちまうな。エルザ本人が吐いてくれない限りは」

 

 そして、それを吐かせるには力が足りない――堂々巡りである。

 けっきょく、エルザ来襲に対して対処できる可能性があるのは、

 

「俺はばっちりダメ、シャオンとアリシアは聖域から出られずそもそも対応ができない。オットーも数えるだけ無駄。エミリアたんは現在不良中。ラムは長期戦になる可能性を考慮するとスタミナに不安。ロズワールはケガ人で安定の役立たず。フレデリカがどれぐらいやれるのかわからないのと、ペトラやルカはも勿論論外…となると」

 

 打開策は少ない。

 一つは屋敷に舞い戻り最低限の人員を連れ出して『聖域』へ逃げ込み、エルザの襲撃を回避すること。

 そしてもう一つは、

 

「――こんなとこでなァにをうだうだやってやがんだよォ?」

 

 壁に背を預けて地面に座り込む二人を、外に出てきたガーフィールが見下ろしていた。

 

「ちょっと整理したいこととかがあってな、考えごとしてた。エミリアは?」

「お姫様ならまァだグースカと寝てやがんぜ」

 

 お姫様という言葉に込められた侮りに、わずかに苛立ちを覚えるが、立ち上がってガーフィールに向き直る。

 低い背丈、短い金髪。鋭い眼に額の白い傷跡。尖りすぎた犬歯と獰猛な獣じみた全身から放たれる鬼気――強者だけが持つ、自身への信頼。

 なによりシャオンは彼と戦ってその実力を身をもって知っている。そして、あれが全力でないことも薄々ではあるがわかっている。

 で、あるからこそエルザへの対処として浮かんだ二つの手段、そのもう一つが、この青年だ。

 『試練』を踏破して『聖域』を解放すれば、彼をこの場所から連れ出すことができる。そしてエルザへの対抗戦力として期待が持てる。逃走が一時しのぎでしかないことを考慮すれば、撃退あるいは討伐が望ましい。

 

「なぁ、ガーフィール」

「んっだよ」

「お前は最強、なんだよな。誰にも負けない自信がある、そうだろ?」

「あァ? ったりめェだろうが俺様がぶっ潰して、上に立ってやんよ」

 

 確認するようなこちらの問いかけに、意味が分からねぇとばかりの様子で応じるガーフィール。

 言い方はアレなものだがその言葉の裏にある自信は揺らがない。

 

「――この『聖域』から外に出たら、お前のその力が必要になるときがすぐにくると思うんだ。そうなったとき、お前の力に頼ることがあると思う」

「あんだと? なんでお前らにそんなことを――」

「その言葉嘘じゃないなら、証明してみせてくれよ。それが一番、頼りになりそうだ。それに、聖域から解放できれば俺らは恩人だろう?」

「――――」

 

 困惑顔のガーフィールの肩を叩き、それからリューズの家の中へ。

 戸を開けて入ってきたこちらに中の四人――ラム、リューズ、オットー、アリシアの視線が集まるが、そんな彼らの注視を浴びながらスバルはエミリアの眠る寝室の方へ足を向け、

 

「バルス、まだエミリア様は……」

「――エミリアたん、顔出しづらいんだろうけど、話をしようぜ。みんなもそれを待ってるからさ」

 

 扉越しに中へ呼びかけると、かすかな息遣いが向こう側から届いた。

 そして数秒の後におずおずとドアノブが回され、寝室から俯き加減にエミリアが姿を見せる。

 彼女は扉の正面に立つスバルを上目に唇を震わせて、

 

「その……迷惑ばっかりかけて、ごめんなさい。墓所の中でも、それに今も……」

「それらはすべて俺のやりたいことだから平気。それより、体調はどう?」

「う、うん、大丈夫よ。それより、中の……『試練』の話をしなくちゃだもの、ね」

 

 スバルの心配に対して喰い気味に答え、エミリアは部屋の中央へ進み出る。

 程なくガーフィールも家の中に入ってきて、エミリアを件の面子が囲む形に。

 そうして全員からの注視を浴びながら、エミリアが『試練』説明を行う。

 そして、

 

「それで、中に入ったナツキさんとヒナヅキさんの二人が無事だったのはなんでなんです?」

 

 そう、小さく手を上げるオットーが代表しての疑問の声。

 

「言ったろ? 『資格』をもらったから中に入るんだ、って。どこでもらったかって話をするなら、たぶん昼間の墓所でだ。それで、中に入ってどうなったかっていうと……俺もエミリアたんと同じ『試練』ってやつを受けた。結果は、通ったみたいだけどな」

「俺が資格をもらったのは『裏の聖域』だろうな。詳しくはカロンから聞いてくれ……結果は、まぁ残念だったが」

 

 シャオンの記憶ではあの白黒の少年の導きでエキドナに出会うことはできたのだ。そして、恐らくその時だろう、『資格』を得ることができたのは。

 そして、その二人の発言に室内を動揺が走る。

 中でも、同じく『試練』に挑み、スバルとは違い、失敗したエミリアの驚愕は一際大きい。

 

「前もって言っておくけど、別に俺の方が優秀だったから『試練』を抜けたとかってことじゃない。それだったらシャオンやエミリアたんが抜けられないのは納得がいかないからな。……『試練』は過去と向き合うことだった。そこそこ折り合い付けてた俺にとっちゃまだ楽だったわけだ」

「ふむ、スー坊が『試練』を越えたというのなら……驚くべきことじゃな」

「でも、さっきのエミリア様の話からすると、『試練』は一つで終わりではないのでしょう? まず、という言葉には続きがあることが予想できるから」

 

 リューズの受け入れとラムの言葉。それらに頷き返しながら、スバルはちらとエミリアの様子をうかがう。だが、彼女の困惑した様子に、答えさせるのは酷だと考え、

 

「俺が『試練』を攻略したときに聞いたんだが……『試練』への挑戦者が複数人同時に入ると、次の『試練』には進めないらしいんだ。日を改めなきゃ入れない」

「……えっと、それってどういうことっすか?」

「『試練』の優先度は一番最初の試練が高いってことだ。エミリアたんの『試練』が始まるばかりで俺は『試練』を……第二のそれが受けられないってわけだ」

「ちょちょ、待ってくださいよ、ナツキさん」

 

 スバルの言葉を中断させ、早口にオットーが割り込む。彼は胡乱げな自分に向けるスバルの視線に気付かず、その灰色がかった髪に手を差し込み、

 

「今の話の流れからすると、ナツキさんも『試練』に挑戦する腹積もりなわけですか? もともと、これはエミリア様の功績にするためのものなんじゃ……」

「馬鹿、オットー」

 

 焦り気味の言葉を舌に乗せるオットーに、シャオンはその名前を呼んで制止を呼びかけるが遅い。

 彼はその呼びかけで慌てて口を塞ぐ。だが、すでに内容は全員の耳に――一番聞かせてはならないエミリアの耳にも入ってしまった。

 気まずげなオットーと、そのオットーを蔑む目をするスバル。アリシアもため息を零し、ラムはいつも通りの、いや若干目がゴミ虫を見るかのように鋭い。

 

「今のって、どういうことなの?」

「エミリア、落ち着こう。今のはその……」

「ちゃんと教えて。――お願い、スバル」

 

 エミリアが縋りつくような目で、スバルに懇願してくる。

 様々な感情で揺らいでいるその瞳を向けられ、弱っている彼女の懇願を振り払うことができるほど、スバルは酷な人間ではない。

 だが、なるべく言葉を考えて、たどたどしくも答えた。

 

「君が『試練』をクリアすれば、アーラム村の人たちは人質から解放されるし、『聖域』の人たちもこの土地に縛られる生活からおさらばできる。『試練』が攻略できれば、その二つの陣営からの支持を得られるはず……ってのが、事の本当の目論見ってやつだったんだよ」

「……そんな、の。スバルは、知ってたの?」

「俺のほうはある程度想像はついていたよ。ただ想像の段階だからということで、スバルに話していなかった俺が悪いね」

「……まぁ、色々話してほしかったのはあるが、そう! 全く気づきもしなかった」

 

 動揺を隠せないエミリアの前で、シャオンがカバーに入る。

 打ち合わせのない行動だったが、それならば、といっそ胸を張って堂々と嘘をつく。

 そしてシャオンがスバルから引き継ぎ、

 

「全部、師匠。あー、ロズワールの思惑だね。ここまでくるとどこまでが演技なのか――」

「いくらロズワールでもそこまで……なんて、言い切れないのよね。今の状況を考えてみたら、それぐらいのことしかねいもの」

 

 戸惑い気味のエミリア。わずかに俯く彼女の前で腰を折り、スバルは下から見つめる。まるで子供に話しかけるように。

 

「スバル?」

 

「俺は君の力になりたい。試練で君がなにを見たのかわからない。でも、それで心が砕けそうになる辛さを味わうんなら……手を差し伸べてあげたい」

「……スバル」

「『試練』を受けて、『聖域』を解放するだけなら俺がやっても問題ないはずだ。その手柄が必要だってんなら、俺のものは全部君にあげる、俺にできることは少ないけどね――だから、せめて明日一日は俺に譲ってみてほしい。これだけ疲弊してる君を明日も墓所に連れていくことは、俺にはできない。なら、それなら二個目の『試練』を先に予習する意味でも、余裕のある俺が挑んでおくべきって考えなんだけど、どう?」

 

 端から見てもスバルの提案にエミリアが揺れているのがわかる。

 今の弱り切った彼女には救いの手に見えるだろう。だが、それは、彼女の弱さに漬け込む卑怯な手だ。

 それをスバルもわかっているのだろう、必死に表情を作っているが、どこか動きが硬い。

 だが、恐らくこれが最善手のはずだ、のんびりとしていては全員が――。

 

「黙って聞いてりゃァ、そうやって好き勝手に話進めてやがっけどよォ」

 

 その言葉は獣人特有の牙を鳴らしながら放たれた。

 

「俺様ァ、そのお姫様……エミリア様以外が『試練』を受けるのなんざ反対だ。少なくとも、てめェにだけは絶対の絶対の絶対に、解放してもらいたいたァ思わねェ」

「な――!?」

「いいか? 繰り返すぜ? 俺様ァ、エミリア様以外が『試練』を受けるのを認めねェ。この聖域にいる中で絶対に守ってもらう『ルール』って奴だ。おぼえとけ」

 

 そう、鼻面に皺を寄せて、不機嫌全開のガーフィールは吐き捨てたのだった。



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夜会を経て

「んな泣きそうな面ァしたって無駄だぜ? 俺様ァもう決めちまったからよォ。こうと決めたら動かねェ。『ドンモラキンは押されてもふんづまり』ってこったな」

「いや、なんでっすか? 確かに色々問題はある、かも、その、しれないっすけど」

 

 反射的に叫んだアリシアだったが、言葉の最後は殆ど声になっていなかった。

 ガーフィールの剣幕に圧されたからではない。どちらかといえば、エミリアのほうを気にして言いきれなかったのだろう。

 その彼女の優しさはともかく、流されてよい問題ではない。

 

「せめて、理由を聞かせろよ、ガーフィール」

「あァ?」

「当たり前だ、お前が嫌だからって言うのは道理が通らねぇだろうよ」

 

 スバルの言にガーフィールは面倒だとばかりに頭を掻き、ため息を零す。

 

「ババアの方針を全面的に肯定するっつんなら、てめェの提案を受けた方が効率がいいってェのはわかる話だぜ? ――だァが、絶対に嫌だ」

「だからその理由を……!」

「うるせぇ、俺が嫌だって言うんだから嫌だってんだ。それで納得しろォ」

 

 腕を組み、顔を背けるガーフィールの言葉はすべて感情論。スバルやシャオンが今まで相手してきた相手ならばまだ損得勘定を考えた交渉が出来たが、ここまで感情が理由となっている相手には相手が悪い。

 特に、このガーフィールという男は今までであって来た人物の中でもどこが感情の爆発に繋がるからうかつに踏み込めない。

 で、あればだ。

 

「リューズ嬢」

 

 取り合うつもりのないガーフィールでは話にならない、とシャオンは黙って状況を見守るこの中で最年長の人物へ声をかける。が、リューズはその手の先が出ないぶかぶかの袖を振りながら、

 

「ガー坊がこうなったら儂の話でももう動かん。力ずくで言うことを聞かせられこともシャー坊であればできるかもしれんが……できれば控えてほしいかの」

「ええ。こちらも”味方”で無駄な争いはしたくないんですよ」

 

 下手をすると死ぬか死なせてしまうような戦いはしたくないのだ。

 人が死ななかったのならばまだいいが、無傷では済まないだろう。

 もちろんリューズだって彼が傷つくのは嫌だろうし、その戦いによって余計こじれてしまうのは面倒だ。

 第一、ガーフィールの言い分を肯定するわけではないが、積極的にたしなめるでもないリューズも内心では彼の意見に賛成なのだろう。

 ここの管理者二人に否定されてしまっては旗色は悪い。人数の問題ではなく『信頼』の差でだ。

 それはスバルもわかっているようで、言葉にできない感情を握り込み、震えている。そんな彼を見上げ、心配げに声をかけてくるのはエミリアだ。

 彼女はいつも通りになる様に努めて明るい声で、スバルに話しかけた。

 

「わ、私が頑張るから、スバルは無理しなくて大丈夫よ。……そう、ちょっといきなりだったから驚いちゃっただけで、なにが起きるかわかってれば……それともスバルは――」

 

 何度か彼女は言葉を口の中で咀嚼し、ようやく絞り出す。

 

「スバルは……ううん、みんなは、私に任せられない?」

「……それは」

「私がダメなところ見せちゃったから、『試練』を任せられないって……そんな風に思ってるから、代わりに」

「違う。そうじゃないよ」

「ううん、不安に思うの、わかるもの。仕方ない、よね。あんな、あんな過去を乗り越えられない私なんて――」

 

 こちらの言葉にエミリアは首を横に振ってそれを受け入れない。それどころか試練の内容を思い出してしまったのか、彼女の瞳から光が消え、今にも泣きだしてしまいそうなほどに、顔が油案で行くのがわかる。

 肩も震え、唇も嫌な青色に染まっている。そんな彼女の様子を見て――

 

「思い出さなくていい――!」

「でも向かい合わなきゃ! そうじゃなきゃ……王様になれない。みんな、みんな救えないもの……」

 

 その両肩に触れて懸命に声をかけるが、首を振るエミリアは頑としてスバルの言葉を聞き入れない。

 それどころか、制止の言葉をかけられればかけられるほどにその意思は強固なものになってしまい、

 

「スバルに甘えてばっかりじゃ、いられない。いられないもの。みんな、みんな私のために頑張ってくれたのに……私、何もできていないのにまた、誰かに背負わせることなんて……」

「いいんだよ、それで。この『試練』に関しちゃ、俺の方が相性がいいんだ。俺よりすごいシャオンだってダメだった。俺よりすごいコイツがな? ただそれだけのことで、それ以上の意味なんてない。俺ができそうだから、俺がやった方が確実で早い。俺にできそうなことなんてそうそうあるもんじゃない。エミリアたんが、エミリアが頑張らなきゃいけない機会なんて、これからいくらでもまたある」

「――嫌なことから目を背けて、逃げ続けて……それで、私、どうなるの? 私は、私の意思はどうなるの? 私は、どうすればいいの?」

 

 子供のような瞳で、スバルに問いかけるエミリア。その瞳は今にも涙をこぼしてしまいそうで、下手な答えを出してしまえば、取り返しのつかないことになりかねない。

 スバルもそれがわかっているのか、何も答えられない。逃げてもいい、なんて言葉を簡単に話すことはできない。

 ――なぜならスバルも、シャオンも、彼女の過去、背負っている物をまだ知っていないのだから。

 しばらく沈黙が続き、息を零す。張り詰めた空気が破裂してしまう前に、手を打つ必要があった。

 

「――そこまで、今夜はここまでにしよう」

 

 短く、そう言ったのはシャオンだ。そして、小さく、歌でも歌うかのような息遣いの後、僅かに体が光り、そして――

 

「……ぁ」

 

 ふっと、力が抜けたようにエミリアの体がその場に崩れ落ちる。

 真正面で倒れるエミリアにとっさに手を伸ばし、転倒しかけた彼女を抱きとめてスバルはそっと安堵の吐息。それから、それをしたラムを見上げて、

 

「なにしたんだ?」

「落ち着かせるために手っ取り早い方法を……む、いや『魅了の燐光』の応用で、まぁ、安らぎのお香みたいなものだ」

 

 当たり前のように自身が行ったことの説明をするシャオン。周りは驚いた死線をこちらへ向けるが、自分でも驚いている。

 このような能力の使い方は初めてだったのに、自然と、まるで以前からできていた(・・・・・・・・)ことのように、すんなりとできたのだから。

 

「強引だったことには物申したいとこだが……最善だったと思う。悪ぃな、面倒かけちまって」

「当人が眠っちまったんなら、話ァここで終わりっだな」

 

 強制的に眠らされたエミリア。彼女を優しく抱き止めるスバルを見て、ガーフィールは鼻を鳴らすとそう吐き捨てる。

 

「お姫様は、明日、しっかりと話せるといいけどよォ」

 

 その言葉に、誰も言い返すことはできなかった。

 

 

「ふたりは本当に『聖域』の解放はエミリア嬢の手で行われるべきだと思いますか?」

 

 かがり火に照らされる夜の集落で、シャオンは前を行く人影にそう声をかけた。

 

「あぁ? まだなぁんか話があんのッかよォ」

 

 声に足を止め、振り返る人影は二つ、ガーフィールとリューズの二人だ。

 今にもこちらにその鋭い歯で噛みついてきそうなガーフィールと、表情の読めないリューズ。その二人に対してどう話を進めていくべきかと頬を掻くと、

 

「そんな喧嘩腰に構えるなって、質問があるだけだ」

 

 救世主とばかりにスバルがこちらの方に腕を回し、同じように声をかけた。

 驚いたようにスバルを見ると彼は慣れていないウインクをこちらへ飛ばす。

 

「スー坊もか……流石に二人も集まるなら無下にはできんの。もとより、答えられるなら答えるつもりじゃったが」

「それで、質問の解答を頂きたいのですが」

「そうじゃな、それがロズ坊の望みじゃからな」

「ロズワールの思惑、ねぇ。あいつの考えを支持するってことか」

「勘違いすんじゃねぇよ、野郎が嫌いなのは俺様も同じだ。ッけどな、話は簡単じゃねェんだよ」

「ワシも気持ちのいい話とは思わん。だが、集落の代表として、結界が解けた後の話も考えねばならないのじゃ」

 

 なるほど、とシャオンは頷く。だが、隣で聞いているスバルは頭に疑問符を浮かべているようだ。

 その様子に少し笑いながら、シャオンは説明をする。

 

「結界が解けた後、全く変わった暮らしが始まる。その世話を見るのはロズワールだ、だから」

 

「あぁ! 立場を悪くしたくないってことか、なるほど」

「スー坊らには悪いが、そういうことじゃ」

「まっ、そういうこった。こっちの要求は伝えたぜ。表の『試練』を受けるのはお姫様、資格があろうが、お姫様に資格があるなら他の奴が受けるのは俺様が認めねぇ」

「……さて、そろそろよいじゃろ? 年寄りには夜更かしはキツイ、続きは明日じゃ」

「その外見で言われると脳がバグるんですが、そうですね。リューズ嬢、ありがとうございます」

「てめぇら、墓所には近づくなよ?」

 

 眠たげなリューズ、刺々しいガーフィールを見送り、そしてスバルとシャオンは他に目立った人影がいないことを確認し、隠れているある青年に声をかける。

 

「で、部外者であるところのオットーはこの状況をどう見るよ」

「言い方が最悪過ぎでは!? それに居心地と先行きが最悪な感じすぎて黙ってやり過ごそうとしてる僕を引っ張り込むのやめてもらえませんかねぇ。……ただ、素直に話を聞いてた感想を言うなら、ガーフィールたちの言うことの方も正論だとは思いますよ」

 

 指を立て、話を振られたオットーは跪くスバルを見ながら何度か頷き、

 

「辺境伯の狙いもそうですし、エミリア様の王選候補者としての立場もある。確かにナツキさんが代わりに『試練』を代行しても、それはそれでエミリア様のお手柄ってことになるとは思いますが……後々にその話を聞く第三者はともかく、今この『聖域』に滞在する当事者たちの納得を、つまりは支持を得られますかね?」

「……そのへんの理屈は俺にだってわかってる。どう考えたって、エミリアが『聖域』を解放する方がずっと状況的にメリットがある。だけど……」

「エミリア様には、『試練』を乗り越えることができないと、スバルはそう思ってるっすね」

 

 口ごもるスバルの躊躇を蹴り破るように、あっさりとそう口にするのはアリシアだった。背後にはラムの姿もある。

 アリシアはエミリアの寝所をラムと整えていたはずだが。と、視線をラムへ向けると、

 

「この後輩にはもう少し仕事の質を上げてもらう必要があるわ。ラムが休むために……今のままでは手を出してしまいそう」

「えへ」

 

 珍しく疲れた様に恨み言を言うラムの様子からどうやらアリシアが整えた、寝床? は酷いものだったのがうかがえる。

 

「そこは教育係であるシャオンがやるとして……見た限り、短期間で結果を出すのは厳しいと思う。エミリアの過去になにがあったのか、具体的にわからないまま話してても仕方ない話だけど……そんなに時間をかけられる状況でもない」

「少なくとも、王選の決着を見る三年以内か」

「気が長すぎる話っすね……」

 

 軽口で出した言葉だったが、どうやら真面目にとらえられてしまったようだ。

 そして、少し考えていたオットーが口を開いた。

 

「避難してきた方々の負担、それに『聖域』の食糧事情なんかもありますからね。長期的な視野で見て、この人数を維持し続けるのは現実的じゃないかと」

「まぁ、そういうこった。ただでさえいきなりの避難生活でストレス溜まってるってのに、そこで食い物まで満足いかなくなったら人間すぐに不満が爆発するぜ」

「そうなる前にどうにかしたい、と。腹案は?」

「できれば、取り返しのつかない分裂が中で起きる前に解放したい」

 

 改めてスバルは人質解放案を提示する。

 前回は認められた提案だ。しかし、今回も同じように通るかはわからない。なぜなら前回、この提案が通った背景には色々と交渉したうえで成り立っているものがある。

 例えばスバル、シャオンといった可能性が高い人物が試練を受けることなどだ。だが、その条件を交渉相手から防がれてしまっているのだ、交渉はスムーズにはいかないだろう。

 

「共倒れは彼らも望まない、結界の性質上誰かが試練を終わらせなければいけないことにはエミリア様は外に出られない……提案条件は満たせていそうですね」

 

 スバルの提案を聞いて、説明不足の部分を自身の解釈で補完したオットーがうなずく、

 その様子にラムは感心した様に目を細め、アリシアも「ほぉ」と驚いている。

 当の本人であるオットーは二人の反応の意味が分からず、怯えている。

 

「な、なんですか? おふたり」

「驚いた、思った以上の拾い物をしてきたものね、バルス」

「アタシと同じく拾われた身でありながらもなんか負けた気がするっす」

「だいじょうぶだ、お前ら二人ともちゃんと役立っているよ。ほら、ちゃんと世話するのが条件で飼っていい?」

「ただでさえうちには騒がしいのがいるのだから、世話はしなさいよ」

「犬猫の世話をするような話を、僕らにあてはめないでくれませんかね!?」

 

 何度目かのオットーの叫びに全員の嘆息が重なる。

 

「墓所での『試練』と憔悴したエミリア様、役立たずのシャオン。どれも過酷な状況が続いているのには同情するすけど、大切な約束を忘れる理由にはならないわ」

「約、束?」

「トラウマになってんな、スバルよ」

「――『試練』のあと、ロズワール様が時間を作ってくださる」

 

 割と本気で不機嫌なラムの言葉にスバルは手を叩く。

 どうやら本当に忘れていたようだった。実際シャオンも少し忘れかけてはいた、それほどまでに怒涛の一日だったのだ。

 その様子にラムは深い息を零し、

 

「そこで、これまでの事情、今後のことを話し合う。そのはずでしょう?」

「あ、ああ。そうだった、別に忘れていたわけじゃないぜ。な、シャオン」

「ああ、勿論」

「……ふん。ただ、今回話し合いに出るのはバルスだけ」

「ん、なにかあるのか?」

 

 同室することに別に問題はないはずだが、何やら事情があるらしい。

 前回の話し合いの時は同室であっても問題はなかったはずなだけに少し気になったのだが、ラムは少しばかり目を反らし、

 

「そこまではラムの関与すべきことではないわ。ただ、『契約はもうすぐ履行される、忘れずに』とのことよ」

「……はぁ」

「確かに伝えたわ。ほら、バルス急ぎなさい、地竜のように……地竜に失礼だったわ」

「俺に失う礼は? ねぇ」

 

 全く身に覚えのない言伝を受け、頭に疑問符を浮かべながらシャオンはスバルとラムを見送り、疲れた体を休めに宿舎へと戻るのだった。

 



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裏への挑戦

二話投稿です


「――気に入らない状況だわ」

 

 明朝、集落の入り口にやってきたラムが開口一番、不機嫌な顔で語っていた。

 

「それを俺に言われても……」

「はっきり言って、気に入らない状況だわ」

「改めてか……」

 

 実に彼女らしい言い分に苦笑しながらも頭を掻く。文句を言われている当人であるスバルも苦笑、を越えて泣きそうになっている。

 どうやら昨晩の話し合いの結果スバルは一度屋敷に帰ること、そしてフレデリカへの対策、という名目でエルザへの対策としての護衛を要求したのだ。

 だが、聖域から出られないアリシアとシャオンは勿論、只の商人であるオットーは論外として戦力になるのは限られている。

 現実的に見るならば、用意できる戦力はラムしかいない、当然そのことに難色を示していた彼女だったのだが、一応は折れてくれたのだ。折れた後の愚痴や怒りがなくなる訳はないのだが。

 

「ロズワール様のお体が万全でない今、ラムがそばを離れるのは不安で仕方ないわね」

「……怪我の包帯巻いたのはガーフィールだったろ、お前」

「馬鹿馬鹿しい、適材適所よ。ラムがやってロズワール様の怪我が悪化したらどう責任取るのよバルス」

「えぇ……」

 

 自身の能力不足を堂々と隠さない彼女に呆れながらも、いつも通りの様子の彼女を見てどこか安心していることにシャオンは驚く。

 どうやら自分はこの聖域に入ってから、色々なことを気にしすぎているきらいがあるようだ。

 

「……とりあえず二人とも、無事でな」

「この男がラムに手を出す勇気があるとでも? エミリア様にも手を出せないこの男に?」

「あのなぁ……出す勇気がねぇのは事実だがだしたらただじゃ済まねぇし、する気はねぇよ」

「スバル」

 

 後回しにしていたことを、彼女(・・)のことを話すのなら今だろう。

 だが、それを行うのはシャオンではなく、彼だ。

 そう告げようとしたが、上手く口が回らない。そうしていると、スバルが優しく笑みを浮かべ、

 

「――ああ、気遣いありがとうよ。その役目は譲れねぇ」

「助かる」

 

 二人にしかわからないやり取り。

 それを見届けたラムは僅かに首を傾げながらも、地竜、パトラッシュにスバルと共に乗り、去っていく。

 その姿はあっという間に小さくなり、やがて見えなくなった。

 

「さてさて、どうしたものか」

 

 見送りを終え、現在シャオンがいるのは聖域の出口、つまりは結界の出口だ。

 こう見ると何も変わらない光景だ、まるで結界などないかと思うほどに。

 

「実は、抜けられたら話は簡単なんだが」

 

 思わず、シャオンは手をゆっくり伸ばす、そして、それが恐らく結界の淵にたどり着くその時、

 

「やめたほうがいいかなー? シャロ、おとーさまが抜け殻になるのいやだよー?」

 

 暗い雰囲気を明るくするような、ソプラノボイスがした。

 声のしたほうを見ると、鮮やかな桃色の髪を揺らし、ニコニコ笑う少女、シャロがいた。

 

「やっぱり、ダメなのか。この結界を抜けることは」

「だめじゃないよー? でもやめたほうがいいかなー、じしゅせいをそんちょうはするけどねー」

 

 シャロは遠まわしに危険であることと、その危険に飛び込むことを否定しない。

 間延びした声のため緊張感はないが、どうやら本気でこちらを心配しているようだ。それを受けてとりあえずは伸ばしていた手をゆっくりと降ろす。

 するとシャロもニッコリと笑みを浮かべ、

 

「よかったー、特に今のおとーさまだとまだむりだからねー? まざってるからねー」

「混ざってる?」

「うん」

「なにが……?」

「ん-? えへへ」

 

 何と何が混ざっているのかまでは教えてくれない彼女に、シャオンは思わず問いただすべきか考える。

 正直、何という回答が来るのか不安だったが勇気を出して口を開く。それと同時に、彼女も口を開いた。

 

「それにしてもー、なんでそんなにでたいのー? シャロもいるのに不自由があるー?」

「いや、屋敷で……いや、まてよ。君」

「シャロだよー」

 

 口調は変わらずとも隠し切れない圧力。

 口には出していないが自身を名前で呼べと、そう告げてくる。

 いくら他人の空似だとしても、自身を父と慕ってくる女性をどう扱えばいいのか悩んだが、その悩みを晴らすように頭を何度か掻き毟り、シャオンはあきらめる。

 

「……シャロ、嬢。君は強いよな?」

「うん。まほーは苦手だけど、喧嘩じゃ負けたことないよー。ガーフにも」

 

 名前を呼んでくれたことにわずかに口角を上げ、腕をグルグルと回し、彼女は質問に答える。

 

「……本当に?」

「あー、疑ってるーめせんだー。」

 

 唇を突き出して不機嫌を隠さないシャロ。だが、疑うのも仕方ないことだ、争いとは無縁そうな子供の見た目の彼女が、あのガーフィールにも勝る実力者とは思えない。

 思えないが、彼女は『人工精霊』と話していた。

 ならば屋敷にいる彼女と同じ実力を持つ可能性はある。その考えに至ると同時に、背後から声がかけられた。

 

「クソッたれだが、事実だよ。狐野郎」

「……ガーフィール」

 

獣のように牙をカチ鳴らし、こちらに近づいてきたのはガーフィルだ。

 

「ようやく見つけたと思えばこんなところで何だべってやがる」

 

 名前を呼ぶと、ガーフィールは舌打ちをしながらもシャロを見る。

 

「俺様は最強を認めるが、こと殴り合いの喧嘩に限って言えばシャロには勝ったことがねェ」

 

 言い訳もせずに、自身よりもシャロのほうが強いと伝えるガーフィール。自信の塊である彼のそんな行動に少し驚くが、それは彼なりの意地、というよりもプライドからくるものだと表現したほうがよいだろうか。

 それか、妙に素直な性格、根っからの悪人ではないのかもしれない。で、あれば何かきっかけがあればまだ話もつけられるかもしれない。

 だがそのきっかけが見当もつかない今、優先すべきことではないだろう。

 

「でも、シャロはにくたいとっか、まほーはむりなのだー」

「無理? 苦手ってこと?」

「苦手っていうものじゃねぇよ、致命的なほどにこいつは魔法に耐性がねぇ」

 

 魔法に耐性がない。

 普通に考えれば魔法が使えないということだが、どうやらそれだけではないようだ。

 

「どんなに弱い魔法であっても、それが魔法であるなら致命的な一撃になる。だから治療魔法も受けられない」

「正確には違うけど、まぁそんなかんじだねー、よくできましたー」

「さわんじゃねぇ!」 

 

 頭を撫でられるガーフィルだが、力づくでは離せていない。あるいは、離せないのだろうか。彼も小柄ではあるが、シャロはもっと小柄、身長差があるせいで愉快な光景が目の前で繰り広げられている。

 それを微笑ましく見ながら、つぶやく。

 

「……なら、だめか」

「んー?」

「いや、頼みたいことがあったんだが、そんな理由があるならやめておこう」

 

 恐らく魔法とは違う癒しの拳があれば、シャロの魔法耐性のなさもクリアできるかもしれない。

だが、恐らくの話だ。もしも最悪のケースを引く場合は……

 

「えー、きになるなー。いうだけ言ってみなよー」

 

 話すまで諦めない、という強い覚悟が瞳に宿っている。こうなると大抵の人物、特に女性は文字通り死ぬまであきらめないのを知っている、というよりアナスタシアに聞いたことがある。そんなときは早めに折れるのが大事だとも。

 だいぶ前にも思える彼女とのやり取りを思い出し、その成果を見せるようにシャオンは無駄な抵抗はせずに白状する。

 

「――聖域の外に出て、ある人たちを助けてほしい。その、戦力に君が欲しい」

 

 シャロは珍しく、というよりも初めて表情という物を見せた。

 だがその表情は明るいものではない。困っている、というよりも悲しみに近いものだろう。

 そして、その表情と同様の声色で彼女は手を合わせ、謝ってくる。

 

「ごめんねー、期待させておいてあれだけど、それだけは無理なんだー」

 

 

 改めて否定されると意外に響くものがある。

 というよりも、希望を抱いた分絶望がでかいというのはこのことだろうか。

 

「うん、まぁもともと君の体調を聞いてからは無理強いはする気はなかったんだけど……一応、理由は? ガーフィールたちと同じようにロズワールに賛成するって立場じゃないだろう?」

「んー、うん。ロズワールには興味がないよー、寧ろ可能だったら協力したいくらいー」

 

 であれば、別の理由。

 彼女自身では解決できないような内容の問題がある訳だ。

 今後の為に、聞いておいても損はないだろう。何かの交渉につかえるかもしれない。

 

「でもねー、シャロも外に出れないのー。ハーフだからー『魔女』同士の」

「……は?」

 

 魔女同士のハーフ。

 いや、そもそも『魔女』というのであれば女性だ。女性同士で、その、子供ができるのだろうか?

 真剣に考えるシャオンとは逆に、ガーフィールはため息を吐きながら説明をする。

 

「そいつのたわごとは本気にしねぇほうがいいぞ『ケニーの英雄譚は9割が嘘』って奴だ」

「その格言通りなら1割は本当なんだが……」

「むー! たわごとじゃないよー」

 

 地団駄を踏むシャロを馬鹿にするようにガーフィールは鼻で笑う。

 

「魔女同士のハーフなんてアタマがおかしいと思うのが正常だろうがァ。……実際の所、そいつも混ざりもので、聖域からは出られねぇからな」

「そうなの、だからシャロは役立たずなんだー。たはー」

 

 頭を軽く書きながら照れ臭そうに笑う。そんな彼女に嫌なことを話させてしまったことを申し訳なさそうに思っているとガーフィールが突然こちらに語り掛けてきた。

 

「……今までの話は聞かなかったことにしてやらぁ、代わりに俺様の頼みも聞きやがれ」

「いや、聞いたことにしていいから、一つ教えてほしい」

「あん? オマエ、主導権がどっちに「俺達は平等だろ、ガーフィル」……あん?」

「俺たちは平等なはずだ、少なくともいまこの聖域の中にいる間は」

 

 ガーフィールの圧に押されてはいけない、譲れない点。

 自分たちは互いに利用し合う関係で、仲の良し悪しを除けば自分たちは同じ位置にいることだ。

 それを彼もわかっているのか小さく「言ってみろ」とこぼした。

 

「お前のお姉さん、フレデリカ嬢について聞きたいことがある」

「……姉貴について?」

 

 完全に予想外、という表情を浮かべるガーフィールだったが、少し考えてこちらの質問には答えてくれた。

 

「……まぁ、俺にはかなわねぇよ。だが、少なくとも亜人だ。そんじょそこらの奴に負けるほどなまっちゃいねぇはず」

「なるほど……」

「……テメェ、何考えてる?」

「別に、ウチの陣営の戦力を考えているだけだよ」

 

 今行っている問答はフレデリカが戦力としてどれくらいのものなのかを明らかにするもので、その結果自体は頼りになる回答をもらえたが……もしも、彼女がフレデリカが、敵であった(・・・・・)場合は別だ。

 それは、絶体絶命を示しているのでは? 抜けていた考えが保管され、するりと背中に汗が伝う。

 

「……気を付けろよ、スバル」

 

 この場所から出られず、役に立てない自身に歯噛みしながら、屋敷に戻っている相棒の無事を想う。

 そんなシャオンの嫌な予感をあざ笑うかのように、空はただ青く、高いのだった。

 

「そう言えばガーフィルはなんでここに?」

 

 少なくとも気軽に雑談を交わすような仲ではないはずだ。それに喧嘩をふっかけに来たわけでもない。

と、なると決まっている。碌でもない仕事の話だ。

 

「テメェにしかできない仕事の呼び出しだ。……裏の聖域の試練、あれはテメェが受けろ、エミリア様には資格がなかった」

 

 乱暴に唾を吐き捨てながら、ガーフィールはようやくこの場に来た理由を告げ、シャオンは嫌な予想が当たったことに再度頭を抱え、空を仰いだのだ。

 

 

「……なるほど。で、お前は俺には資格があると」

「にわかには信じられねぇが、可能性は0じゃねぇ」

「自分でもそう思うよ……あの時試せばよかったな」

 

 ガーフィールとシャオン、それにいつの間にかシャオンに肩車をしてもらっているシャロの3人は歩きながらこれから向かう、いや、これから行うであろう試練についての話をしていた。

 勿論、エミリアについての話もだ。

 

「エミリア様はババアの提案で裏の試練に挑むことになった、んで資格がなかったから試練が始まらなかった。ただそれだけだ」

「……リューズ嬢の提案か、それまたなんで」

「気分転換も、とはいかねぇな。エミリア様も試練に行き詰っているからよ、何か進展が欲しいって話だ」

 

 なるほど、それなら合点がいく。

 第1の試練で躓き、聖域の空気もエミリアの体調も悪くなる中、気分転換というよりは新しい道を作るのは正しい判断だろう。問題だったのは、彼女にその資格がなく、結局のところ行き詰ったわけだが。

 スバルは資格がなかった、アリシアが受ける可能性もあるが信頼度を考えるとお株が回ってきたのがシャオンだということだ。

 

「納得はしてねぇ。俺様はテメェが試練を受けるのも、そもそも資格があるのかすら信じられねぇ」

「そりゃ随分な評価で」

「だが『ケンドリーの唯一の才能はムシと話すこと』って話だ。さっきも言ったがもしもの可能性もある、ってなると見逃せねぇ……ほら、ついたぞ」

 

 1つの、小さな家。いや、一度中に入ればその認識はガラリと変わる。

 最初に案内されたときと同様に、鍵はかかっておらず、眼前に出現したのは無機質な石造りの部屋、とその部屋の奥に更に続くであろう扉だ。

 そして、このタイミングでふと、前回と違うことがあることに気付く。

 

「今回はついてくるんだな、ガーフィール」

「もしも試練を受けることができるのに、できない、なんて嘘を吐かねぇのを確認するためだ」

 

 そんな事をしていったい何になるのだろうか、という疑問を口に出さなかったのは偉いと思う。

 下手に喧嘩の種を蒔く必要はないだろう。

 そう口の中でつぶやきながら、扉を開ける。すると、以前と同様の無数の書架が広がっていた。

 慣れることのない光景――シャオンたちがいるのは、石造りで円筒形の部屋中心だ。

 目立った特徴のない、同じだけの広さの空間に所狭しと書架が並べられており、背の高い本棚には無数の本がぎっしりと詰め込まれている。

 そして、その本棚の前に横になっている少年がいた、いや床に横になっている変な姿だ。

 

「今度は珍しいお仲間を連れてますね」

「君は……珍しい態勢でいるね、カロン」

 

 白黒で構成された奇妙な少年、カロンはその妙な風貌とは別に奇妙さを感じさせる体制のままこちらを見上げている。

 独特な目はこちらを覗き込んでいるように思え、慣れないと不気味だ。

 カロンはゆっくりと立ち上がり、背中に着いた埃を払って向き直る

 

「せっかく私が新たな視点からこの部屋を見ていたのに邪魔をするとは……憤怒」

「意味わかんねぇな、相変わらず」

「おー! カロン。相変わらず根暗だなー!」

「そちらは無駄に明るいですね、対極」

 

 ハイタッチをするシャロとカロンの様子を見て、どこかほほえましく思う中、ガーフィールが空気を読まずに舌打ちをし、事態は進んでいく。

 

「おい、試練を受けさせろ、蝙蝠野郎」

「おや、貴方には資格がないと思いましたが、獣風情」

「テメェ……」

「あ、資格がないと思った(・・・)のではないですね。ないです、はい。確定的」

 

 額に血管を浮かび上がらせながらもガーフィールは未だに拳を押さえている。

 それほどまでにカロンが実力者なのか、それともこの場所が『試練』の場所だから暴れることができないのか。

 どちらの理由にしろ、彼はカロンの煽りに言い返すことはなく押し黙る。

 それを見てカロンも得意げな笑みを珍しく浮かべ、話を続けだした。

 

「改めて説明を、試練を受けるためには『誰かを一番に想う気持ち』と『自身を思いやる気持ち』『変わろうとする気持ち』の3つが必要です。試練の内容は私からは口に出せません。どんなものがあるのか。簡単なのか、難解なものなのか、何も。完全な未知」

 

 脅しているようにも聞こえるカロンの声色は以前と同じく変わらず、まるで結末を知っている映画を見に行くかのように、冷めた目をしているのみ。だが、シャオンにはそんな彼の心情を考える余裕はない。

 今、裏の聖域で、試練を乗り越えたならばガーフィル達の評価も変わるかもしれない。

 エミリアが受けられなかったという事実は響くが、試練に失敗してダメだったという結果よりはマシだろう。

 だから、どんな試練があろうと、

 

「それでも――受けますか? 資格があるかどうかはわかりませんが」

「受けてみる」

 

 そう勇気を出して呟いた。

 対してカロンは「そうですか」と無感情に呟き、以前と同じく手で行き先を示す。

 そこにあったのは木の扉、だがそれは資格を有する者のみを通す門と同じ意味を持つ扉だ。

 

「『試練』を受ける資格があれば扉の先は必然的にその場所へつながります。後は、中の人物に従ってください」

 

 ガーフィールとシャロ、カロンに見守られながらシャオンは扉のノブに手をかける。

 そして、緊張する心情とは裏腹に、意外にもすんなりとノブは回り、扉は開かれた。

 

『――――自身と向き合い、打ち勝て。』

 

 そんな言葉と共に、自身以外を置き去り、シャオンの視界は広がる。

 そして、シャオンは自身が白い部屋にいることに気付く、ガーフィール達は見当たらない。

 部屋はまるで中に入ったものを逃がさないように、狭く、出入り口はない。

 歩みを進めると、体が重くなったような感覚を覚える。

 謀られた、という可能性に至る前に目の前に男性がいることに気付く。

 髪は白く、床につくほど長い。だが、どこか男性らしさもあるその姿をどこかで見たことがあるように思うのは気のせいだろうか。

 

「おや、予想よりも早い到達だね。シャオン」

 

 その声は異質だった。

 高くもなく、かといって低くもない。どこか次元がずれたような、とでもいうべきだろうか。そんな異質な声色。癪に触るような、虫の羽が擦れるような不快な音。

 初対面の人物に対する評価としては、シャオンにしては珍しく最悪だ。

だが、カロンは中の人物に従えと言っていた。

 前回資格のないスバルが挑もうとした時とは様子が違うことから資格はあったのだろう。

だからカロンの言葉に従い、目の前の男ととりあえず対話を試みることとする。

 

「おまえ、誰だ」

「――シャオン」

 

 男のふざけた解答に怒りを覚えることはなく、息を呑む。

 喉が渇き、変な音がなり、緊張が全身を包む。

 

「ボクはシャオン、今はただのシャオンだよ、ヒナヅキくん。あー、いや、正確には、ボクはアケロンの舟を管理していた頃のシャオンだ」

 

 アケロンの舟。

 聞いたことはない、ないはずなのにその単語に本能的な拒否反応を覚える。見たこともない光景、消滅する街、そして祈るーー

 

「――ッ」

 

 吐き気を気合いで堪え、なんとか倒れることは防ぐ。そして、この不快感を八つ当たりのように目の前の、自身と同じ名前を持つ男にぶつけた。

だが、目の前の男は薄く笑みを浮かべ、歓迎する様に告げた。

 

「さあ、試練を始めよう」

 

 



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ひとりぼっち

長文()があります。
お待たせしました絶望タイムです


 

「試練を開始する、といっても」

 

 目の前には男と、白い部屋。それ以外には何もない。

 当然、試験机のような物もなく――表の試練のように茶会用の場も開かれていない。本棚があった前の部屋とは違い、本当に無機質な部屋だ。

 

「……まだ試練の内容を聞いていないんですが……」

「確かにね」

 

 疑問はもっともだとばかりに、目の前の男は首を何度も縦に振る。そして申し訳なさそうに片目をつむり、手を合わせて謝罪の言葉を告げる。

 

「とはいっても試練の内容は大きく明かすことはできない。強いて言うなら、この部屋に入るときに何か声を聴いただろう? それが試練の内容さ」

「はぁ……」

「……不服のようだね、では代わりに気になることを答えよう。あ、試練以外のことね。これでもボクは長生きだ、あ、今のボクは死んでいるけど実質長生きで、死んだ後も長生きさ。2回目の人生というべきかな?」

「めんどくさっ! そこまでこだわっていませんから」

 

 思わずツッコミを入れるも、事実目の前の男に話を聞くしかないのだろう。

 カロンが話していた通りならば、中の人物の指示に従うとのことだったが、その彼が何でも答えるといったのだ、できる限り情報をもぎ取ろう。

 

「……なんでも、いいんですね?」

「どうぞ? 初恋の人とかは伝え――」

「まず……なんて呼べば? 俺もシャオンなんですが」

「ああ、なら――アケロンでいいさ。そこでの活動が一番長かったからね」

 

 シャオン――改めてアケロンは何がおかしいのかくつくつと喉を鳴らして笑う。

 

「なにか?」

「いや、ボクがその名前を名乗ることになるとは思わなくてね」

「はぁ……次にアケロン、さんはこの試練の管理人ですか?」

「さんはいらないよ、ボクらは同じ存在だろう?」

「はい?」

「まぁいいや、先に質問に答えよう。管理人は弟子であるカロン、試験管はボクだ、今回に限ってはね」

 

 今回、という言いぶりから時期によって変わるのかあるいは、試練を受ける人物によって変化するに違いない。

 今までこちら側の試練を受けられた人物が少ないため真意はわからないが、後者のような気がする。

 

「貴方は――以前怪人と呼ばれていた、あのシャオン、なのか?」

「――答えのわかっている質問をするのはどうかと思うよ?」

 

 目の前の男が、この聖域の中で何度も訊いた名前の一人、『怪人』シャオンだ。

 話しているだけで肌がひりつく感覚、エキドナと話をした時と同じような異形と対面している感覚。

 だが、それよりも自身だけがわかる直感という物が、目の前の男は『それ』なのだと実感させてくる。

 

「……薄々感じてはいたけど、やっぱり。でもなんで、俺にそれがわかるのかって言うのは――」

「ああ、それは君がその『怪人』の部品の一つだからね」

「部、品?」

 

 人に対して使うには相応しくない言葉、しかもそれが自身に向けられていることに眉を顰める。

 その視線が伝わったのか、目の前の男――アケロンはケラケラと笑いながら謝罪の言葉を口にした。

 

「ああ、ごめごめん。正確には部品というよりも台座だね」

「あんまり変わっていない気がするんだけど……俺にだけわかるのは」

「ヒナヅキ・シャオン。君は過去の”シャオン”に一番近づける存在だ」

 

 疑問に疑問を重ねてしまう前に、アケロンは話の流れを切る様に告げた。

 

「この世界にはボクが造った器が複数ある。君も会っただろう?」

「――シャロ」

 

 思わず浮かんだ人工精霊である彼女の存在を、名前を口にする。

 アケロンから返答はなかった、がその浮かべている笑みがすべてを物語っていた。だとすれば彼は、人工精霊を自身の”器”として作ったわけだ、人道的ではない。

 

「その中でも君は独自の”自我”という物を宿すことができていた。成功例さ。だから、ボクという存在を本当の意味で理解できる、本物だとね」

「まてまて、まってくれ!」

「うん?」

「話についていけない! 一体どういうことだよ! 伏線の回収だっていうなら順序良くやってくれ! シャロ嬢が人工精霊、で器って言うのはまだわかる。その、それがどういう物かはわからないけど、その後の”俺”もっていうのはどういうことだよ! そもそも――」

「ふむ、ならそうだな。まずは結論から話そうか」

 

 今まで抱えていた疑問を解消するようにマシンガンのように次々と質問を投げかける。

 それをしっかりと受け止め、アケロンは少し考えて――

 

「君は人間ではない。この世界に昔存在した『シャオン』という怪人、それがいつか蘇るために用意された器だ」

 

 蘇るための器。

 それが、自身――雛月沙音である、と。

 

「人工精霊に近い、けども正確には”人造人間”というのかな? 君だけは特別だからね」

「じゃあ、俺の雛月沙音としての記憶は……」

「さぁ? ボクは関与していないよ。ただ、推測を語ってもいいのならば――君の抱いた妄想、が一番可能性が近い」

「――そんな」

 

 ことは、ない、はずだ。だが、それを口に出すことができない。

 声が、出せずに変な音だけが漏れる。

 

「意外に驚きが少ない、という訳ではないね。ああ、エキドナ先生から、表の試練で見たのか」

 

――――

――頭が痛い。

 

「どの記憶を見たんだい? クローリサを建て直した頃かな? それともあのガキ大将のレイドに認められたときかな? アケロンの舟での活動のときかな? 糞『竜』との会話だったら最悪だし、魔女たち、ボクの友人や、カー……あー、恥ずかしい思い出をみたかな? それとも――『シアタ』の選定を行ったときかな?」

 

頭が痛い――声が響く。

悲鳴が響く、血が舞う、恨みの声が、消えない。

 

「――黙れ」

「おぉ、感情的に。痛いところを突かれたのかな?」

 

 アケロンが煽るように僅かに光る。

 まるで彼の感情と共鳴するかのように、クラゲのように点滅し、それを僅かにきれいだと感じてしまった自分を叱咤、改めてこの男に敵意を向ける。

 

『――――自身と向き合い、打ち勝て』

 

 これが試練の内容だ。

 この自身という奴が、目の前の男ならば――ちょうどいい

 

「つまり、お前をぶちのめせば、試練は突破できる訳だな」

「……ふむ、否定はしないよ。打ち勝て、だからね。ただ――おすすめはしないよ」

「ぬかせ」

 

 シャオンの纏う雰囲気が変わる。

 完全に、目の前の男を敵対対象、殺害しても問題ない者へと置き換えた。

 

「向き合う覚悟もないものに、負けるほどボクの価値は落ちぶれていないからね」

 

 空間がひび割れるほどの振動が起き、本当の意味で『試練』が始まった。

 

 

「どこからでもいいよ、年上の余裕があるからね。あ、この場所もよほどのことがないと壊れないから自由に」

「……ふざけやがって」

 

 足に力を溜め、完全に踏み込む体制を取る。

 それを見てアケロンも拳を構える。

 僅かな空白の時間の後、力が放たれ――同時に、溜めた力を使わず、つまりは相手の懐に踏み込まずに『不可視の腕』を使用。

 完全な奇襲、対応しようとしていたアケロンは意表をつかれたようで、振り抜いた拳は空を切っていた。

 

「ふむ、視認できない腕による攻撃か。いいね、特に奇襲を混ぜているあたり初見の相手には効果抜群だろう」

 

「でも」とつぶやきアケロンは呟き、マナを集める。そして、

 

「ヒューマ」

 

 吹雪が発生する。

 一番下級の水魔法それ自体がここまでの規模であることに驚くが、それでも威力自体は高くない。で、あれば不可視の腕は防御に使わず、そのまま振り下ろす。

 

「同じ様なものを使える身としては対処法は知っている」

「――え」

 

 膨大なマナの量を細かくし、周囲に氷の粒、霧状にまで変化させたそれが広がる。

 そして、不可視の腕の周囲だけがその霧が弾かれ、シャオンにしか見えない不可視の腕の造形が、これではっきりと見えるようになってしまった。

 これでは、不可視の腕は回避が可能なただの攻撃手段になり下がる。

 

「さ、まずは腕を封じた。次は何を見せる?」

「フーラぁ!」

「氷を、吹き飛ばすか、でもこれではキリがのはわかっているだろう? マナの総量ではボクのほうが上だ」

 

 再び氷の霧を広げるアケロン。息を零し、こちらを見る彼を無視して、シャオンは次の攻撃へと移る。

 僅かに生まれた相手のその隙を逃さないようにマナを凝縮させる。

 急激に自身のゲートに大量のマナを通したことで、僅かにふらつきが起きるがそれらをすべて無視し、顕現させる、イメージを。

 

「アル・ゴーア!」

 

 片手に炎を。

 

「アル・フーラ!」

 

 片手に旋風を、そして、それらを合わせる。

 

「合成魔法――フェイル・ゴーア!!」

「ほぉ、凄いね。流石に当たるとまずそう」

 

 詠唱に風が巻き起こり、渦巻く大気に朱色の火炎が混ざり込む。

 生じた炎の竜巻は一直線に男へと迫る。男が回避行動をするよりも早く、その先をシャオンは、

 

「――不可視の腕ぇぇぇええええ!」

 

 視認のできない、自身の能力を使った一撃で封じる。

 どれかは必ず当たる一撃であり、どれもが当たれば無事では済まない攻撃だ。

 目の前の男がどういった存在なのかは正直わからない、だが自身の中ではあのラインハルトと同レベルで危険な存在だと訴えかけてくる『何か』があった。

 だから殺す気で放った一撃は――

 

「――ウル・シャマク」

 

 その言葉と共に感じたのは、闇だった。

 気付いたとき、シャオンは闇の中にいた。

 

「――――?」

 

 否、気付いたのかどうか、それすらも意識は判然としていない。

 自分がどこにいるのか、立っているのか座っているのか、何もわからない。

 上下左右が、正面背後が曖昧だ。息を吸っているのか、吐いているのか、血は巡っているのか、鼓動は続いているのか、生きているのか、死んでいるのか。

 何もかもがわからない。何もかもに答えが出せない。

 影の中に自分が溶けてしまったように、自分がどこにいるのかもわからない。

 人の形を、自分がいまだにできているのかわからない。手の動かし方がわからないから、体に触れて確かめようもない。どこにいるのか確かめようにも、足の動かし方がわからないから歩き出せない。歩くってなんだ。確かめるってなんだ。

 ――そもそも、自分はいったい誰なんだ。

 自分と他人の境界線がぼやけていく。

 自分と世界の境界線がぼやけていく。

 考える力が溶けていく。なくなってしまう。消えてしまう。

 このまま、このまま、このまま――。

 

「魔法とは、マナとイメージ、君にはあまり関係ないがゲートの素養も大事だ」

 

 終わる命を繋ぎ止めるように声が聞こえた。

 

「大事だからこそ、どれか一つでもかければ魔法は霧散する」

 

 言葉と共に視界が明るくなる。

 そこにいたのは、

 

「発動しきっていたからできるかはわからなかったけど、君の精神を闇に飛ばし、いじらせて魔法を消滅させた。簡単に言うならば、君自身がボクへの攻撃を止めたのさ」

 

 無傷の、アケロンだった。

 汗一つすらかいていない、無傷の姿だった。

 

「魔法も、君の持つ能力も効かない。そうなると」

 

 滑り込み、鳩尾に向けて空気を震わせるほどの拳をたたき込もうとする。だが、それよりも早く、アケロンからの一撃が放たれた。

 

「肉弾戦だよね。『拳王の掌』」

 

 吹き飛ばすことすら許さないとばかりの、拳王という言葉にふさわしい一撃。

 骨が折れなかったのは、拳が当たる直前に不可視の腕を防御に回していたおかげだろう。

 だが、不可視の腕は霧散した、以前も大きな攻撃を受けて消え去ったことがある。

 完全に仕えなくなるわけではないが、しばらくは使えなかった。具体的には――3日ほど復活までにかかる。

 つまり、この相手には、もう使えない。

 あと、シャオンが行える攻撃方法は――

 

「『幽気の太刀』」

「――あ」

 

 目に見えない斬撃が、シャオンの身体を右上から裂く。

 鮮血が舞い、温かい命が漏れていく。

 だが、それが地面へ落ちる前に、空中で血を凍らせ、ナイフとして飛ばす。

 

「驚いた」

 

 その言葉が嘘でいないかのように、彼は初めて目を見開く。

 当たれば大人でも死ぬかもしれない一撃、速度で放たれたその斬撃は――

 

「でも、苦し紛れだ」

 

 届く前に、何かに撃ち落とされる。

 それを見て嫌でも感じてしまった――次元が違う。

 今まで戦ってきた相手の中でも格段に、違う。勝てる道筋を立てることができない

 

「――折れたね」

 

 空気が裂ける音を聞き、シャオンの身体は勢いよく地面へとたたきつけられた。

 

「試練は、失敗だ。君はここから逆転できない。なにより君がそれを自覚してしまった。ここからはお話タイムという奴だ”部品”くん」

 

「まず君の敗因だが”魅了の燐光”の耐性がない事だ」

「……あ?」

「気がつかなかったかい? 普段のキミだったらあんな短絡的な行動はしないだろう」

 

 あの時の点滅だろう。

 勿論、おかしい点はあった。

 だが、それを気にすることすらできないほどに、自身の感情が怒りで染まっていたのだ。それがあらわすことは――目の前の男の能力の使い方が上手すぎたということだ。

 

「特に今の状態であれば簡単に感情を揺さぶれた。具体的に言うならば性格に攻撃性を載せることができた、攻撃が単調になるようにね」

 

 反応しようと体を起こそうとするが、何か大きな生物に巻きつかれているかのように、まるで、子供が乱暴に玩具を持つかのように握りしめられている感覚。

 身動きは、取れない。息をするのですら謎の圧迫感によって骨が軋み、肺にうまく空気が入っていかず一苦労だ。

 

「それにしても流石に頑丈だ。加減してはいたけど、この”腕”で叩きつけられてまだ肉の形を保てるなんてね」

「っ、が、っ」

 

 抑えつけられている部分に手を伸ばし、跳ねのけようとするも、その抑えている物に触れることができない。

 自身の血や、砂煙などでその形を掴もうとするも、それすらもできない。シャオンの物とは違う、本当の意味での”不可視の腕”だ。

 

「無理だよ。その腕はボク以外には知覚できないし、ボクの意思でのみ実体化できる」

「ち、ちーとかよ」

「そもそも、君は『模倣の加護』というものを認識できていないね、しっかりと」

「模倣の加護……」

「自身が加護に対する認識もなかった、なんてことはやめてくれよ? 薄々実感はしていたはずだ」

 

 勿論そういうことはない。

 だが、異世界から来た特典、スバルの『死に戻り』と同様の能力だと思っていたのだが、違うようだ。

 それを見てアケロンは満足そうに笑う。

 

「よろしい。で、話だ。君の言うチート、『模倣の加護』は他の能力、加護、動きを真似ることができるものだ。達人の剣技、賢者の知恵、狂人の思考。どれも模倣の加護で自身の物にできる……種族特有のものと、もう一つ例外はあるけどね」

 

 アケロンは溜め、わざとらしく思えるように緊張感をつくり、ようやく話した。

 

「『模倣の加護』は『権能』を模倣できなかった」

「権、能」

「そう。権能と加護は相容れない。昔のボクは大切な人たちと同じものを手に入れることができず嫉妬し、自身の価値のなさに落胆した」

 

 以前ペテルギウスと戦った時に、シャオンは聞いたことがある、『怠惰なる権能』と。恐らくはそれと同じものなのだろうが……

 こちらの疑問を解消する気は目の前の男にはなく、話はひとりでに進んで行く。

 

「でもボクはあきらめられなかった、だから『権能』の本質は模倣せずに、能力だけを真似ることにした。客観的に見たものだけどね。すると、いわゆるバグが生まれたのさ。『権能』に近く、確実に遠い。歪な能力としてね。それが君の知識にある『不可視の腕』や『魅了の燐光』という能力だ」

「俺の……」

「『権能』は世界に干渉するもの、言わば権利だ。だが、ボクにその権利は与えられることはなかった、道理だね。加護を与える側の存在と強く結ばれているボクは舞台を変えられたり、台本を用意したり、演者を導くことはできても、世界と真の意味で寄り添うことはできない」

 

 そこで男は目を伏せ、小さな声でつぶやいたのをシャオンは聞き取れた。

 

「――観覧者に踊らされる存在なのさ、ボクは。彼女達とは違ってね」

 

 聞いているこちらが泣きそうになりそうなほどに消え入りそうな声。

 普段であれば励ましや、気遣うことができたかもしれないが目の前の子の男にそれができるほど自身に余裕はない。

 なにより、先ほどまで殺そうとしてきた相手にできるほど度量は広くない。むしろ――

 

「――仲間、外れか、可哀想になぁ……!」

「痛いところを突くように言葉を吐くじゃないか」

 

 こちらの挑発に乗るそぶりはなく、また無機質な声に戻る。

 

「そう、可哀想な存在なのかもしれない。でも、それも仕方ないことだと思うよ」

 

 そして、彼は初めて感情の乗った言葉で、語り掛ける。

 

「ボク達が持つ能力はただ模倣するだけだ、それだけの能力だ。他の誰かにできることを代わりに行うことになるだけの能力、なんて認識ならば、君は本当の意味で理解できていない。種族特有のものは模倣はできないが、それでも能力とその能力が起こす結果を模倣することはできる。他人の努力を、それまでに歩んできた道を容赦なくかすめ取るような所業を持つ能力だ。だって、そうだろう?ボク達はいかなる偉業でもそれを努力せずにマネすることができるのだから。そういう意味では今代の大罪司教の……暴食? だったかな、彼等と同じようなものだよ。質は今のところはボク達のほうが上なのだろうけどね。それに、この能力は本物を模倣するだけ、どれだけ努力をしても必ずその素晴らしい本物に追いつくことはできない。だって、『模倣』なのだから、超えることはできないよ。勿論、あることをすれば乗り越えることはできるかもしれないが、それをしたところでどうなるのかな?それで乗り越えたところでその人の”価値”を、世界の基準とすべき”価値”を下げるだけで何の意味がないんじゃないかなとボクは考えているよ。話がそれそうだから本題に戻すけれど……そう、そんなボクたちは可哀想な存在だといったね。そう、そうなんだ、その通りなんだよ、僕達はある意味で憐れみを受けるべき存在なのだろうさ。どれだけ努力をして、得るものがあっても本当にそれが自身の努力によるものなのか、『加護』による効果なのかが判断できないのだから。『何でもできる』は『何かができる』訳じゃないんだ。わかるかな? わからないよね、仕方ないよ。この考えを理解することお強要することなんてしない、する価値すらボクにはないからね。でも、これは忠告だ。君がボクの部品であるならこの問題はいつか通る物。それがたまたま今日だっただけだ、運がいいのか悪いかは知らないけどね。でもボクの個人的な意見を言わせてもらうならよかったことだと思うよ。だって、親しい友人や恋人なんて存在ができて、そんな彼等から称賛の言葉を受けても、それが自身に相応しくないということを自覚することは避けられない。そしてその言葉を放った人物は自身が持っていない独自の能力を持っていることに『嫉妬』し、それまでの関係を断ち切ることなど容易なほどに、狂う。改めて今回君に合えてよかったよ、早めにその事実を知って『諦めてしまう』ことができるのだからね。自分は何もできない、できても誰かの見様見真似の猿真似。歴史に新しく頁を刻むこともできない、しようとしたけども自分自身がどこか納得のいかない気持ちになる。そうして苦しめられるなんて未来が待っていたのだから。でも安心するといい、ボクという同じ境遇であり、というよりも同じ存在なのだから当たり前なのだけど同じ悩みを持つであろう者に出会えたのだからね。アドバイスとやらを送ることができる。簡単なことだ、他の者を導けばいい、彼らが辿る素晴らしき栄光の道にただ寄り添うだけでいい。苦難の道であろうとただ寄り添い、手伝い、自身はその栄光を味わえないとしても構わない『傍観者』になるといい。そしてそのうえで彼等が自身よりはるかに劣る存在であり、価値が世界を汚すものであると判断できるならば――間引くといい。君が、彼らの価値を間引き、引継ぎ、別のものに託せば良い。この世界で一番劣るボクに間引かれるならばその程度の価値だ。残すに当たらない物だろう。であればそんなものが世界に残っていることがひどく不快なものだと思わないかい? 自分が得ろうとしていたものを持っているのにその価値を理解せず、ただただ堕落していくのだからさ。自分は何が何でも欲しいのに、それは価値を下げて、ただただ消えていく。許せないよ、これほどまでに羨んでいるのに、ただただ消えていくのは悲しく、そして憤りを覚えてもいいことだと思う。さて、繰り返しになってしまうが、ボクは君の目的に対して、これから彼――ナツキスバルを導く存在としてその在り方を続けていくならば、この出会いは本当に有用なものだったと胸を張れる。あれほど痛めつけてはいるが君を殺していないのがその証拠だ、少しはしゃぎ過ぎたのもあるけど、感動していたんだよ。命を取っていないのが証拠だろう?試練の最中でも死ねば心臓は止まるからね。だから誤解はしないでほしい、ボクは君に怒りは覚えていない、ただ憐れに思っているわけでもない。同じ苦しみを味わう存在ではあるがあくまでもボクのスタンスは『平等』だ。必要以上に過干渉は起こさないよ、ボクはね。そんな価値もないからね、互いに。でも、今回の試練を受けて思ったのさ、このままではいつか詰まってしまうな、と。現状、すでにわかっている障害だけでどれだけ君の手に負えないものが乱立している。その難易度の高さは外の目、ボクの弟子から教えてもらっていたからね。それらを乗り越えようとする君の、君達の覚悟はボクとは違い、貴く、そしてあまりにも悲愴なものだ。君は第一の試練で止まり、ハーフエルフの彼女も、恐らく鬼族の彼女もそこで止まるだろう。そして、ナツキスバルは――第二の試練で詰まるだろう。でもきっとそれらの試練には意味がある。ここでの裏の試練を受けて得られた事実と同じように意味がある物だろう。きっとボクの師匠ならば『つらい現実に向き合うこと、それがどんな悲劇的な事実であったとしても尊く思いたい』というだろうね。それに関しては同意するよ。さて、長くなってしまったが結論を話そうか。『ボクたちは可哀想な存在』であり、『自分という物』がないような物だ。でも、ここで出会えたことはその可哀想な存在の中で唯一――失礼、珍しく幸せなことだということを認識してほしかったんだ」

 

 

 演説のような、こちらを説得する気もない独善的な言葉の羅列に、思わず――

 

「――狂ってる」

「そうだね――でも君は未だなぜその段階にいる? 狂えない?」

 

 つぶやいた言葉にも怒りは覚えていない。彼は、単純な疑問を持ってこちっらに問いかけているのだろう。

 狂うのは当たり前だ、その当たり前ができていない方が異常なのだ、と。

 

「いいかい、ボクらは踊らされる存在だ。この世界という舞台からは抜け出さない存在だ。でも舞台中では自由に動ける、自由に踊れる」

 

 クルクルと回りながら楽しそうに彼は話す。長い髪がふわりと回り、まるで女性そのものだ。

 そして、その白い傘を回しているかのような光景は、回転は止まり、ふと今気づいたかのように呟く。

 

 

「と、すると驚いた。君は役割を自覚してないのに彼を導いたのか、ここまで」

 

 すると今までの様に狂った目ではなく、賢者のように冷静な目でこちらを見据えている。

 そう、まるで『価値』を見定めるように。

 そして、まず彼の口が動いた。

 

「――『トガハクサビトナッテケッシテノガサズ』」

 

 何事か口走った直後、シャオンの体がわずかに軽くなった。一体何事かと思い、恐る恐る、自身の体を見下ろす。

 すると、パリン、といった軽い音共に足が膝の下までがガラス細工のように砕け散ったのだ。

 

「……は?」

「妹の能力でね、ある感情を君が抱いているならば効果が変わる能力、といえばいいかな」

 

 砕け散った足から痛みはない。出血もない。

 理解ができない。脳が、追いつけていけない。

 

「動揺はしないね、流石。……君は罪悪感を覚えているようだね、彼女のことかな?」

 

 頭によぎるのは水色の髪をした鬼の少女だ。

 

「彼女を救えなかった、あの場にいたのに、十分に力があったのに」

 

 親友の想い人であり、友人だった彼女を救えなず、仇を討てずにいる、そんな自分はのうのうと生きている。

 

「その事実がキミを咎人だと責め立てているわけだ」

「――ぅ、ふ、ぐ」

 

 隠して痛かった事実に、感情を言い当てられ、吐露され、涙が出そうになる。

 自分はここまで情けなかったのだろうか、自分はここまで弱かったのだろうか、自分は――

 

「それよりも――ああ、君は」

「わかったように、しゃべってんじゃねェぇえええええ!!」

 

 見えない腕に抑えられている身体を無理やり起こす。

 骨が砕ける感触、一瞬見えた死の光景を、脳が知覚しきる前に癒しの拳を叩きつけて治療。

 体が元に戻るよりも早く、目の前の男にかみつこうとするシャオン。

 だが勢い任せの動きではバランスが取れず、見当違いの方向へ倒れる。

 それを見て、目の前の男、アケロンはつまらなさそうに目線を向けていた。虫を見るように、道端に落ちている石を見つめるように。

 

「――いい根性だね。さて、その腕は邪魔かな……まぁ、もう『その両腕はない』から問題はないけども」

 

 その意味深な言葉の真意はわからない。だが、驚いたのは腕がなくなったのにその感覚に違和感を覚えないという事実だ。

 先ほどのように足が砕けたのとはまた違う、まるで最初からなかったかのように、『世界が書き換わった』と錯覚するほどに、自然だったのだ。

 そんな驚きに触れずにアケロンは話を続けた。

 

「これから価値を高めるために、これからキミに拷問のようなことを行う」

 

 顎を靴で持ち上げさせられ、視線すら逸らさせない様にさせられる。

 

「君が封印した記憶を呼び戻す、といよりボクの記憶を分ける――怪人としての業ともいえる記憶だ、常人でいるなら狂うだろうね」

 

 ――嫌だ。

 それだけは嫌だった、本能的に避けていた部分が、嫌悪感と共に命の危機だと警鐘を鳴らしている。

 その事実を知ってしまえばシャオンは、雛月沙音という存在は壊れてしまうだろう。

 そんな心情を知ってか、いや、この男ならば気にしないだろう。

 

「だが、勘違いするなよ? さっきも言ったけど、君にとっては避けられない問題だからね」

「――ぁ、ぁあぅ! あぐぅ! あぁ! めぇろ!」

 

 足掻く、虫のように。懇願をする、処刑を待つ罪人のように。

 涙を流しながら、いっそ舌でも噛んで死のうとするが、それすらできない。

 どうするべきか、どうすれば――どうもできない、のだろうか。

 

「どうなるかはわからない、わからないからこそ価値がある。未知は進化へつながるからね」

 

 思考の膠着と共にアケロンは優しく、シャオンの額に触れ――

 

「さ、思い出してみよう」

 

 

 

――――地獄だった。

多くの怨嗟の声、なんてものではない。

全てが、影だ。

恨み、妬み、怒り、悲しみ、狂気、そして、憐れみ。 

それらの負の感情がすべて体にまとわりつき、シャオンを、雛月沙音を飲み込み、咀嚼し、また生み出して、呑み込む。 

それを繰り返し、記憶に流されることで沙音という存在がろ過されていく。希薄になり、消えていく。

勿論雛月沙音はこれらの経験がない。

だが、経験はないのに記憶のどこかで否定できない要素がある。

それが、アケロンが――シャオンが言う、部品故なのだろう。

ここで、ようやく認めることになるわけだ。

自分は異世界から来た人物ではないこと、そして過去に大罪を犯した『怪物』であると。

 

『それじゃここじゃ邪魔になるし行こうか、異世界に来たお仲間さん?』 

 

「――なにが、お仲間だ」

 

 笑いがこみあげてくる。

 まるで道化そのものだ、自分が信じていたものがすべて崩れていく。砂の城のように簡単に。

 

「ふふ、あはは――あは、はは、ああはぁ! ははははは! なんだ、なんだよ、結局そういうことかよ」

 

 逃げていた現実に向き合い、確信に至る。

 

「――俺は、ひとりぼっちじゃないか、最初から」

 

 心のどこかが削れ、何かが入り込んでくる。

 そして、雛月沙音の意識は沈み――

 




アケロンもといこのシャオンの評価は『価値狂い』です。
ぶっちゃけると結構な野郎ですよ、彼


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獣と童女

 シャオンが裏の聖域に入り、試練を受けてから数分。

 シャロの鼻歌以外はなにも音という音がない場所だ。

 

「――ふぅ」

「あ?」

 

 そんな中、カロンが唐突に零したため息にガーフォールが目ざとく噛みつく。

 

「いやね、そんなに熱烈な目線を向けられると困るのですが。私は男なので。侮蔑」

「あ!? そんなつもりはねェよ!」

「では?」

 

 黙り込むガーフィール。

 確かにカロンに対して視線を送っていたのは事実だ、それを彼も自覚しているのだろう。

 仕方なく、彼は一度頭を掻き視線を向けていた意味を答え始めた。

 

「別に深い意味はねェよ……テメェと、いや、テメェ等とあの野郎の関係性がよくわかんねぇ、と思ッていただけだ」

 

 ガーフィールが知る限り、リューズと同じ時期位に聖域に訪れ、管理しているカロンとシャロ。詳細は詳しくは知らない、昔からいる奴らという印象しかない。

 だがそこはどうでもいい、今肝心なのは、その彼等と来たばかりのあのシャオンという男との関係性がつかめないことなのだ。

 少し前にシャロは『自身の父親を待っている』と語っていた。あの男は否定はしていたし、見た目も雰囲気も子を持つようなものではないことはいくらガーフィールでも気づいていた。

 それに、カロンに関しては全く分からない。

 本人は『怪人』であるシャオンの弟子だと宣っているが、それと同名のあの男を見て勘違いしているのだろうか。

 いくら考えても結論は出ない、だから細かく考えるより当人に訊いたのだが――

 

「珍しいですね、そこまで気にしてくるなんて。あの導き手――ナツキ・スバルに影響されましたか?」

「あ? あの三下に?」

 

 からかいを込めて躱すカロンに思わず青筋が立ったのを感じる。

 だが、すぐにかれは手を振り、謝罪する。

 

「侮辱ではありませんよ、でもそうですね。気を悪くしたなら謝ります。虚偽」

「おい」

「いえ、大したものではありませんよ。あの人は家族であり、師匠であり――器です。”僕”たちは」

「……」

 

 言葉の意味は分からない。

 語る表情からはそれがいい意味であるとは少なくともガーフォールには思えなかった。だが、それを指摘するほどの理由はない。

 気まずい空気に包まれる中、その沈黙は聖域の奥の扉から出てきた人物の姿を見て破られた。

 3人が視線をそこに向けるとその場にいたのは灰色の髪を伸ばした、シャオンだ。

 

「出てきたってことは――」

「期待に沿えなくて済まないが、試練は失敗したよ」

 

 ガーフィールの言葉は失敗の報告で遮られる。

 しかし、その声色には感情という物がまるで込められていなかった。

 

「彼は、ボクに呑まれた。雛月沙音の意識は奥深くに沈んでいる。そして、価値の見定めも済んだ。故に――救済を、この世界を終わらせることとする」

「――テメェ……アタマ、いかれちまったか? あァ?」

 

 あまりの突拍子もない発言に、思わずガーフィールの思考は一度停止する。

 しかし、冗談を語っている様子がない彼の姿を見てすぐに警戒の態勢を取る。

 目の前の男とは以前一度戦っている、故にその強さはガーフィールなりに知っているのだ。

 油断できない相手、最初から全力を出す必要がある。

 そう考えた彼の視界の端に、一人の少女が写る。

 それは先ほどまでにこやかに笑っていた少女――シャロだ。

 童女らしい笑みは消え、ただただ無感情にこちらを見る彼女にわずかに気圧されていると、彼女がその小さな口を開いた。

 

「ガーフ」

「うるせぇ! 止めんじゃねぇ、シャロ! いくらテメェでも――」

「控えなさい。ガーフィール・ティンゼル、既にこの世界はお終いなのです。お父様が関与しなくても」

 

 見た目とは合わない冷徹な声色で彼女は告げた。

 その様子に、目の前の少女が本当に己の知るシャロと同一人物なのか疑いたくなる。

 その混乱の中、

 

「シャロ、ここは頼むよ」

「……はい、仰せのままに」

 

 シャオンがそう命じ、既にこちらには興味がないとばかりに裏の聖域を出ようとする。対して、シャロは一度礼をした後にガーフォールに向き直る。

 そして、

 

「待ちやが――クソッ!!」

「――シッ」

 

 シャオンの向かった方向とは反対に蹴り飛ばされる。

 そしてそれを僅かに視線だけで見届け、今度はカロンがシャオンに訊ねる。

 

「父上、私は――」

「君は自由にするといい、君には役目はないだろうけどボクはやるべきことがあるからね」

「――――はい」

「……兎が来るまでの時間はまだあるが、それまでに――楔を打つ。彼が、雛月沙音がもう後戻りできないように、この体でね」

 

 子供らしい、楽しげな表情でそう告げ、聖域を後にするのだった。

 

 

 血の混じった唾を吐き出し、悪態をつく。

 

「――クソが」

 

 あの胡散臭い男にいったい何があったのかはわからない。わかったとしてもガーフィールには理解できないし納得もしないだろう。

 だが、あの男が聖域に、村人に良い影響を及ぼさないことは本能的に感じ取っていた。

 故に止める必要があるのだがそれには一つの障壁、先ほどまで仲良くしゃべっていた友人であるシャロを戦闘不能にするという障壁があるということだ。

 言葉での説得はできそうにない、出来たとしても時間がかかるだろうし、性に合わないだろう。

 ならば力づくで止める。止める方法がそれしかなければ、やるしかないのだ、自身にはそれができるだけの力がある、はずだ。

 だが、その自信は失われていく。ガーフィールは実力を見極められないほど馬鹿ではない。

 いくらガーフィールが奇襲されても、シャロの腕力が上回っていても培われた技術などで、その上で、シャロと戦っても己が勝つという自信があったのだ。

 それも、彼女の繰り出してくる一撃で打ち砕かれているのだが。

 

「グッーー」

 

 この矮小な体のどこに、己を刈り取るほどの一撃が出せるというのだろうか、固い骨に肉が打たれ、筋肉が弾けて血が滴る。

 風を切る、という表現すら生ぬるい、裂くでもまだ足りない。彼女の一撃はすべてが削り取るという表現が正しいという物だ。

 小さな拳の一撃に大げさな回避は必要ない、だが振るった拳の余波でガーフィールの身体は傷がつく。それほどまでにシャロは、この怪物の力は絶大なのだ。

 

「舐めてんじゃ、ねぇ!!」

 

 それでもガーフィールはただただやられているわけではない。彼女の攻撃を避けると同時に、鉈のように重く、鋭い一撃が放たれシャロの首元を襲う。

 だがその一撃はしゃがみ、なんなく躱されてしまう。

 ――やりにくい相手だ。

 ガーフィールは小柄な体躯で、必然的に戦う相手は自身よりも大きい体を持つ相手が多い。だが、目の前の少女は自分よりも一回りほど小さく、普段であれば当たる一撃は当たらない。勿論彼女の反射速度が速いのもあるが。

 一応、対応策はある。だが、それをすることは彼の矜持が――

 

「油断、大敵」

 

 その言葉と共に足元を軽く刈り取られ、ガーフィールの身体がわずかに宙に浮く。

 そう、足が地面から離れてしまった、唯一のシャロに対する利点である己の加護が効果をなさなくなってしまったという事実。

 後悔が追い付くよりも早く、その攻撃が放たれた。

 

「連撃”流星群”」

 

 軌跡が残るほどの速さで繰り出される突きの連打。

 ひゅご、という奇妙な音共に空気がうねりを上げ、まともに避けることを阻害させる。

 衝撃波で周囲の木々はねじ切れ、地面は抉れている。

 まるで竜巻が通ったかのような災害の後、僅かに血の混ざった土煙が晴れると、奇跡的にまだガーフィールは立っていた。

 だが、奇跡的だったのはそれだけだ。

 

「が、ぁっ」

「どきなさいガーフィール」

 

 立ち尽くすガーフィールの姿は、誰の目から見ても満身創痍であった。

 全身をおびただしい出血で赤く染めて、荒げた息で肩を上下に揺すっている。右半身は消し飛び、なぜ生きているのかわからないほどだ。

 いや、既に彼は死んでいて、それでも今彼を動かしているのは意地なのかもしれない。この理不尽に唐突に訪れた暴力に対して屈してなるものか、という。

 よたよたと動く無様な姿、意思だけは辛うじて強く瞳に籠められているのか鋭い。

 地霊の加護による回復はあっても断続的な苦鳴が続き、冷静にこちらを見るシャロに対してガーフィールが奏でるは血痰と吐瀉物の混ざる荒い呼吸の不協和音。

 殴り続けられた顔面は腫れ上がり、鼻血が顔の下半分を染めている。もう、視界も見えていないに等しい。

 

「――ごぁ!」

 

 血の泡を吐き出しながら、ガーフィールはシャロに噛みつく。

 

「――――優しいガーフ。貴方では勝てないわ」

「――ッ、ざっけんなァ!! 俺様はまだ、終わっていねぇ!」

「過去も乗り越えない時点で、フレデリカとの和解もできていない時点で、そして――その弱さですべてを守ろうとしているその傲慢さを捨てられていないのなら。先駆者が忠告するわ。貴方は、貴方の強さはここで打ち止めよ」

「―――――」

 

 殺す。

 ガーフィールの心はそれだけに染まりきる。

 恐らくあえて煽られたのだろう、冷静になればわかるはずだ。だが、踏み入れられたくない部分を雑に撫でられた感覚を許すことはいくら何でもできない。

 だから、殺す。殺す気で、潰すのだ、そのための手段はある。

 ――この体の内側に眠る、憎たらしく疎ましい獣の血がきっと何とかしてくれるはずだ。

 

「――ォォォォォ」

 

 自分の体を抱いて、ガーフィールが全身の血液が沸騰するような熱に身を焼かれる。

 そして、数秒もたたないうちに筋肉が膨れ上がり、体積が爆発的に大きくなる。

 手足が丸太のように太くなり、胴体が腰巻きを弾けさせるほどに膨張。金色の体毛が鋭く生え揃い、牙は騎士が持つ剣のように鋭く成長する。

 思考と視覚が点滅し、今ここにあったガーフィール・ティンゼルという個人はただの獣へとなり替わる。

 獣化の高揚感と、獣の本能に理性がかき消される感覚。

 意識が塗りつぶされ、消える。

 獣の本能が喝采を上げ、哀れな獲物を捻りつぶそうと、拳が振るわれ――初めてシャロの身体が吹き飛び、木々に衝突した。

 

「るぅ、ガァああああああああああああああああ!」

 

 獣の一撃はその程度では止まらない。

 シャロが起き上がる前に、ガーフィールは牙を立て、爪で裂き、拳を振るう。

 ありとあらゆる暴力で少女を蹂躙する。そして、それが止んだのは――数分後だった。

 

――木々の倒壊する音がこの場所まで届いている。

その騒音を煩わしく思いながら、カロンは一人、この聖域の中でも隠された場所で紅茶を飲んでいた。

 

「……ふぅ」

 

 湯気と共に息を零す。

 僅かに冷えている空気に、いよいよこの世界も終わるのだと嫌でも察してしまう。

 それでも周囲に広がる光景はいつもと変わらない。

 僅かに傷ついてはいるが十分に使うことができるテーブルとイスのみがあり、それ以外は殺風景な場所だ。生憎と茶器がないのでそれだけは自前だったが、お茶を楽しむにはそれだけで十分だった。

 ここは、かつて自身の生みの親であるシャオンが使っていた秘密の場所、のようだ。

 ようだというのは、本人から聞いたわけではなく『強欲の魔女』から聞かされていただけだからなのだが――嘘はついていないのだろう。

 それに、嘘だったとしてもどうでもいい。今はこの居心地のよい場所で世界が終わるまで心を癒したかったのだ。

 

「――何のために生きているのだろう」

 

 

 吐露したのは誰もが抱く疑問。ただカロンがつぶやく場合は意味が違う。

 大抵のものは己の人生への不安や期待から零れるものだが『人工精霊』という造られた存在が放つならば別物だ。

 

 『いつか来るその者への器』

 『いつか来るその者への知識』

 『いつか来るその者への心』

 

 自身の姉たちにはそれぞれが持つ役割があるのだ、全員納得しているわけではないだろうが。

 だが、失敗作である自身にはその役割がない。創造者であるシャオンに訊いても答えてはもらえず――期待もされていない。

 唯一与えられたのは『裏の聖域』という馬鹿らしい存在の墓守のような仕事だった。

 

「――何のために、生まれたのかな」

 

 カタン、と僅かにカップが音を鳴らし、カロンは再び目を閉じる。

 訪問者が来ることがなければ、もう、二度と起きないだろう。

 だが、それでいい。

 自身の存在意義を問いかけ続けることを辞めることができるのだから。

 

 ガーフィールは、いや獣が攻撃の手を止めたのはもう十分だったらではない。

 無意味だから、というのであればある意味あっているだろう。なぜならば目の前で無惨に亡骸をさらしているはずの少女、シャロは――無傷だった。

 僅かに服装を土で汚しただけで、健全な肉体がそこにあった。首と胴が離れていることもなければ四肢もしっかりとその肉体についている。

 まるで転んだだけのその少女の様子に獣は恐怖と、半ば鋭くなってしまった本能が危険を感じたため動きを止めたのだった。

 

「一張羅なんだから汚さないでほしかったのに」

 

 そして攻撃が止んだ瞬間を待っていたとばかりにシャロが文句を口にし、数度服の土を払う。

 それだけの動作でガーフィールは、僅かに後ずさってしまう。

 

「あー、私を傷つけることは通常の方法では困難だよ、この肉体は『剣聖』や『龍』に対抗するために作られている。人格、記憶の退行はあるし、致命的である弱点もあるけど、私に物理攻撃は効かないよ」

 

 ガーフィールはその言葉の意味が理解できたのかわからない。だが、目の前に立つ壁が高すぎる事実に息をのむ。

 そして、一瞬、僅かに訪れた瞬きの瞬間。暗闇が訪れたその隙にシャロはその小さな体をさらに丸め、ガーフィールの懐に滑り込んだ。

 そして、小さくつぶやき、

 

「――爆撃”超新星”」

 

 拳がが―フィルに触れ、彼の上半身が弾け、シャロの清潔感あふれる白色のワンピースを臓物が赤黒く汚す。

 流石に脳と心臓を潰されては亜人でも生き残れないだろう。

 しかし、奇妙なことに彼の下半身は未だ倒れずにそこにあった、まるで自身はまだやれるとばかりに。

 

「凄い意地。でも――殺意を持たない行動をとった時点で、私には勝てないよ」

 

 彼女はそれに対してわずかに哀憫の込めた目を向け、文字通り片手で粉砕する。これで、彼を形成していたものがすべて塵に帰り、何も残らない。

 ただただ寂し気に、佇む少女が残っているだけで、そしてその姿も――

 

「そう、私はお父様の為に、この身を捧げる。そーすれば、また、あえる――よね、ベティ」

 

 涙声にも似た言葉を僅かに残し、誰にも届かせずに消えたのだった。

 

 アリシアは目を覚ます。

 普段であればまだ眠っている時間帯、館の仕事もないのならばこのまま惰眠をむさぼる予定だったが僅かな揺れと共に目を覚ましてしまった。

 周囲を見渡し、何もない事を確認すると不満げに二度寝へとつなげようとする。

 だが、そこで気づいたのだ。

 

「……静かすぎる」

 

 朝にしては村の活気がない。

 すでに一部の村人は朝食の準備などを行ったり、各々の時間を過ごしているのだ。だが、その”生”の雰囲気がまるで感じられない。

 

「――――」

 

 なるべく音を立てずに立ち上がり、自身の篭手を身に着け、警戒を怠らずに寝床を出る。

 そこに広がっていたのは、凄惨なものではなく――一人の人間が歩いていただけだった。

 そう、それは、

 

「――シャオン?」

「やぁ、アリシア。こんばんは、それともはじめまして?」

 

 胡散臭い、いつもの笑みを浮かべる彼だったのだ。

 




シャオンの子供達は
①肉体系最強(例外あり)
②魔法系最強(例外あり)
③???
となっております


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白に埋もれる怒り

 アリシアにとってシャオンは憧れの存在だ。

 個人的な理由は控えるが、正直目指している強さの一つだろう。

 初めて会った時は黒髪だったが今は灰色になった少年。

 それがショックからなのか、何なのかわからないが王都の一件以降彼が心に大きな傷を負っているのは察していた。

 いつもより、ほんの少し、そう、少しだけ注意深く見ていた。決して惚れていたからとかではなく、本当に。

 だから、一番最初に気付けたのだろう――目の前の話かけてくる男は誰だ。

 

「……誰っすか、アンタ」

「誰って、おいおい。いくら寝起きでも――」

「――黙れッ!」

 

 シャオンのように軽口を叩こうとする目の前の存在。

 彼の尊厳が台無しにされているようなその光景が不快で、おもわず犬歯をむき出しにして叫ぶ。

 目の前の男の存在、違和感に、もしも気付けているとしたら仲のいいスバルか、勘のいいエミリアか、自分かだろう。

 だが、一度違和感を覚えると吐き気がするほどに目の前の存在は彼と違いすぎる。恐らく、他の2人も立場が同じならば相応の対応をしていたのかもしれない。

 それほどまでに、彼は大切な存在なのだ。

 

「思ったより信用を稼いでいたのか、この子」

 

 怒鳴る声に対して目の前の男は、今までのような優しい笑みではなく、感情の読めないような、いや、感情のない人形の様な表情に切り替わり、改めてこちらへと向き直る。

 

「シャオンの見た目をして、なにを――」

「ボクは嘘をついていないよ、ボクの名前はシャオン……だとややこしいかな? ならやはり、アケロン、そう名乗ろう――か、っと」

 

 アリシアの拳がシャオンーーアケロンの顔面に突き刺さる、寸前で片手で受け止められる。

だが彼女もそれに動じず、即座に篭手に籠められた魔鉱石を弾丸として放ち、アケロンの顔面を抉ろうと狙う。

 

「ふむ、そういう物もあったね」

 

 放たれた弾丸は彼に当たることもなく、首をひねるだけで躱す。

 アリシアも避けられて当然とばかりに放たれた勢いを利用して体制を無理やり整える。

 いつも、シャオンとやっている組手のような流れが、彼がシャオンと同じように感じられて苛立ちを覚える。

 

「シャオンをどこにやったっすか!?」

「好かれてるなぁ、安心しなよ。生きてはいる、というよりも彼の中にあるボクを呼び起こし、入れ替わっただけだよ」

 

 アケロンは優しく、愛おし気に自身の心臓へと手を重ねる。

 

「今、彼の意識はボクの中にいる、表と裏が入れ替わったとでも言えばいいかな?」

「――村の、『聖域』の住人は、どこに」

 

 アケロンの話す言葉はアリシアにとっては難しく、聞いたところで理解はできないだろう。それに、今彼女が知りたいのはそんな事情ではなく――村の静けさに対する回答だ。

 彼もそれを汲んだのか、少し考えた後口を開いた。

 

「全員殺したよ。その所為でシャオンが騒がしいけども、さっき最後の子供を殺したら静かになったかな」

 

 そう、気軽に口を開いたのだ。まるで、天気が悪くなったことを伝えるような気軽さで、命を奪ったことを、大切なものを踏みにじったことを、口にしたのだ。

 だが、まだ話は終わらない。

 

「殺して、食わせた。そうすることで彼等、シャオンとナツキ・スバルに楔を打つためにね」

「楔?」

「そう、言い方を変えようか。必死になってもらう為に、この光景を見せつけるのさ。ナツキ・スバルはいないけども効果は十分。いつかは見ることになるだろう」

「そのために、それだけのために?」

 

 村人を、殺したのか?

 まだ、自身よりも幼い子供もいたのに?

 

「そんな言い方は良くないよ。この行為で犠牲になった者たちへの侮辱になりかねない――この行為はいつか必ず役に立つだろうからね」

 

 こちらを煽るような言葉を放つアケロン。

 恐らく本人にその意図はないのだろうが、それがより一層こちらの怒りを増加させる。

 

「殺す」

 

 愛する存在のガワを被っていても、関係ない。

 アリシアにとっての地雷を踏んでいるのだから、もう関係ない。

 とりあえずはその顔面を殴り抜き、骨の何本かを粉砕して――それから話を聞く。

 その最中で死んでしまったのならば、仕方ない。自身も後を追う。

 

――その覚悟で、望むのだ

 

「おや」

 

 打ち出した魔鉱石を篭手から排出。新たに弾丸として魔鉱石を装填。

 敵対するはアケロン、自身よりも格上の存在だろう。

 で、あれば加減はできないだろう、全力で向かう必要がある。

 そう考えたアリシアは一瞬も迷わずに『鬼化』を実行。男の腕と同じほどの角が2本、額から突き出る。

 それを見たアケロンは、ため息を零し、空を一度見る。

 

「……ま、もうやることは済んだし。いいかな」

 

 そして、再度アリシアへ向き直り、手をかざし、

 

「君にも彼の心を折る役を担ってもらおうか」

 

 膨大なマナを放ち、開戦の合図がそれになった。

 

 鬼の種族といえば基本的には最強の一角だろう。

 強靭な肉体と扱えるマナの質、『森の王』とされる種族特性によって、比類ない戦闘力を誇る亜人族有数の強者。

 鬼化を一度すれば周囲のマナをねじ伏せて従わせ、自らの戦闘力を大きく高め、敵なしの存在となるだろう。

 だが、それでもアリシアはそのマナの操作精度に関して目の前の男に後れを取ってしまっている。

 彼女がねじ伏せたマナを、アケロンは器用にも必要な部分だけ抜き取り、魔法を放つ。いわば、こちらの強化を邪魔すると同時に攻撃に転じられている状況だ。

 それに、

 

「『傲慢姫のドレス』」

 

 つぶやくと同時に、周囲のマナが彼の周囲へと集まる。

 そう、まるでそれこそドレスのように、身に纏われたのだ。

 

「彼は愛されている、からこそキミらの攻撃はボクには届かない。いくら心にい聞かせても、本心では殺意を抱き切れていない。助ける余地があるなら助けようとする、殺意以外の感情も含まれている、不純なものだ」

 

 なにを言っているのかわからない。

 だが、彼の語る通りに自身の攻撃は何度か当てているもまるで効果がない。

 それこそドレスが防いでいるかのように、衝撃が吸収されているのだ。

 

「ようは殺意がない攻撃はボクには届かない――さて、どうする?」

「……その顔、むかつく」

 

 直後、アリシアは拳に溜めをつくり、振るう。

 アケロンは防御する姿勢すら見せない、まるでその攻撃は自身には届かない未来が見えているとばかりに余裕だ。

 そのことにも苛立ちを覚え、アリシアは振りかぶった拳を――彼の足元へと振り下ろした。

 鬼の全力に近い一撃は地面を砕き、土石流のように石、いや、地面がめくれる。

 勿論その衝撃の中心にいた者も無事ではない。

 アリシアは振るった腕が大きく裂け、石の礫で顔を切ったのか血まみれだ。

 だが、傷を負ったのは彼女だけではない、もう一人にも確実な傷が見えていた。

 

「驚いた」

 

 そう口にするアケロンは心の底から抱いていた驚愕の感情を口にしていた。

 『傲慢姫のドレス』は条件さえ守ればよほどのことがない限り危害を加えられないもの。その効能を疑う気はない。なのに、今彼の頬は切れ、腹部にも衝撃があったのか軽く押さえている。

 いったいなぜ、どうして、と痛みを置いて原因の究明へと思考を走らせ――すぐにたどり着いた。

 

「なるほど、確かに効果は『殺意がない攻撃は届かない』という物だったが――攻撃の余波はその対象外のようだね」

「――余裕じゃない、その様子」

「すぐに治せるからね。対して君は余裕がないようだね、語尾が素に戻っているよ?」

 

 額から血を流すアケロンは、傷を受けながらも感心した様に笑う。

 そして、彼は軽く自身の額を小突くとその傷は跡形もなく消えた。

 その光景にアリシアは驚かない、もうシャオンの段階で何度も見た光景だからだ――とはいっても絶望的な状況に心労は大きいが。

 

「しかし、困ったな。ドレスの再設定には時間がかかる。こんな攻撃ばかりされてはいくらボクでもまずいね」

 

 その言葉は冗談やからかいではないというのがアリシアにも伝わってきた。

 鬼化している今の彼女ならば微細なマナの動きも読み取れる。その結果、彼が傷をいやした時に膨大なマナが使用されていたのを感じ取れたのだ。

 ならば、あの治癒能力は気軽に使えないはずだ、と思う。傷の度合いにもよるができてあと2回ほどだろう。勿論、使うたびに相手はマナを使った攻撃も弱くなるだろう、オドの使用を除けば。

 そうなれば地力で飼っている鬼の自分が勝つだろう。マナの強化も弱くなるが、それでも大分有利になる。

 

「でも、まだまだ手はある。それこそ――見えない手だって」

 

 全身の毛が逆立つのを感じる。

 彼はなにも構えてすらいない、だが直感的に”それ”が来るのがわかった。

 大きくアリシアは飛び跳ねる。直後、彼女がいた場所が大きく陥没した。

 避けれたのは奇跡だろう、もしもあのままよけずにいた場合頭から文字通り潰されていたに違いない。

 そして、今の攻撃は――

 

「不可視の腕」

「――へぇ、避けたか」

 

 シャオンが得意としていた攻撃の一つ。

 見えない腕を振り回すかのような大きな攻撃。

 まともに食らったことはないが、これほどまでの威力だったのか、と息をのむ。

 

「鬼の勘ならこの攻撃もうまく当てられないかもしれない……なら手法を変えよう」

 

 彼は指を折り、数えるように口にしていく。

 

「怠惰、傲慢は無理だった。暴食、憤怒も向いていないし、色欲は――今のキミには効かないだろう、ならば後は強欲と嫉妬は論外で――虚飾か」

 

 忌々し気にそう呟くのだった。

 

 

「……?」

 

 アケロンは急に脱力し、こちらを眺めている。

 かと思えば手をゆっくりと、自身の片目を抑えるように動かし、”こちらの右半身が見えないようにして”呟く。

 

「『アリシアの右半分は存在しない。だって、見えていないのだから』」

 

 まるで台本を読むかのように男は意味の分からない言葉を紡ぐ。

 アリシアはそれに対して、警戒の態勢を解かずにいる、とそれは起きた。

 

「――え」

 

 零れたのは驚愕、崩れ落ちたのは自身の身体。

 まるで体の半分が消失したかのように軽くなり、バランスが取れずに倒れ込んでしまったのだ。

 いや、遠まわしな表現はよそう、”アリシアの右半分が消失した”のだ。

 男の言葉通りに、右半身だけがもともと存在していなかったかのように消えている。

 いつ、どのような速さ、手段でこれが行われたのかは想像がつかないが、何より恐ろしいのは痛みが感じないことと、”この現象が当たり前”であるとどこかで納得している自分がいることだ。

 

「これを使うのは嫌いなんだ。他人が望めばまだ別だけど、世界を書き換える能力なんて、ね」

「は、な、んで」

「それはっと――時間だね。わざわざ使う必要はなかったか」

 

 アケロンは崩れ落ちたこちらを見ていない、その先を見ていた。

 つい自分もそれを追ってみてみるとそこには白い物体があった。

 最初それは風に乗って転がってきた、小さな白い綿毛だと思った。

 何らかの植物が、自分たちの激闘の余波でここまで飛んできたのか、と。

 

「なに、あれ」

 

 その綿毛は、ゆっくりと転がり、自分達の前で止まり、小刻みに震え出し、長い二本の耳を立ててみせた。

 

「う、さぎ……?」

 

 長い二本の耳に、白くふわふわな毛並みを持つ小動物。赤い二つの丸い眼が特徴的で、それが自分達を捕らえていた。

 いつの間にか囲んでいたのか、数は同じような個体が数えられないほど。まるでその様子は雪景色と間違えてしまうほどに膨大だ。

 多い兎、と聞いて嫌な予感がアリシアの中で走る。奇しくもその予感は当たったようだが。

 

「大兎。三大魔獣の一つさ、有名だろう?」

「ここに……なん、で」

「ボクがさっき村人の処理の為に呼んだのさ、その後は――餌を求めてマナが多いここに集まってきたのかな? 彼等はここでボクらを食べるだろう」

「なにを呑気に―-」

 

 そんな場合じゃない、と怒鳴るよりも早く白い綿毛――『大兎』がアケロンにとびかかる。

 そして、それを彼は手を広げ受け入れた。

 

「今回はここまでのようだ」

 

 そう笑うアケロンの首は、白い兎、『大兎』によって削り取られ、雪崩のように次々と足、手、胴、心臓とむさぼられる。

 鮮血が飛び散り、周囲を、アリシアの顔を汚す。

 その光景に抑えていた恐怖心が再び再起し、アリシアを逃亡させるように訴えかける。

 だが、今の彼女は半身がない。必然的に地面を這って進むことになる。

 それでも今ならば逃げられるかもしれない、と行動に移ろうとしたその時――

 

『お姉ちゃん』

「――あ」

 

 聞こえてきた声、その声で確実な隙が生まれる。

 視線をそちらへ向けると、その声は背後の、こちらを見ている兎から発せられているようだ。

 どうやらアケロンを食べつくし、関心はこちらに向いているようで、声が連鎖のように響いていく。 

 

『アリシア様』『スバル様は、シャオン様はどこ?』『おかぁさん』『領主さまは』『痛いよ』『お腹が空いたよ』『喉が渇いたよ』『助けてよ』『死にたくない』『意識が』『寒いよ』『ナツキさんは』『これが』

 

 声に気を取られたアリシアの意識が現実に戻ると同時に、喉元が目の前の白い物体に噛み千切られる。

 白と赤に彩られた怪物からは声が止まない、そして同じように咀嚼は止まらない。

 なんとか視線だけを動かしてみると、同じような白い怪物が山ほどいる。そして、それらすべてが、同じように自身に助けを乞う声を発している。

 

「ご、ぇん」

 

 反響する声に、涙を流し謝罪する。血がこぼれ、空気が漏れてまともに言葉にはできないが、ただ謝る。

 自身が弱かったから起きたこの惨劇に。

 何もできずに死んでしまう自分に。

 それすらも食いつくされて――消えた。



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分水嶺

原作と変わらない部分はカットしていますが、要望があれば幕間で載せます(前回のスバル視点の最期など)


 ―――――世界は廻る。

 ぐるり、ぐるり、ぐるり、と渦が回る。

 記憶を運び、世界を戻し、また、回り、廻り、めぐる。

 

「――――」

 

 流れ込んでくる記憶の波、その量もさながら、内容もひどいものだった。

 シャオンは目を覚まし、それに耐えきれず、すべて吐き出した。

 胃からの吐しゃ物は、黄色く薄い膜に覆われて未消化のままの形で出てきた。

 込み上げてきた胃液が鼻に回って苦しいのに、吐き気は波が寄せるようにやってくる。

 無理やり吐き続け、涙が止まらない中、ようやく冷静に頭を働かせることができた。

 

「なん、だよ」

 

 隣に寝ているエミリアたちは目覚める気配はない、答えなど帰ってくるわけがない、苛立ち交じりの問いを投げる。

 思い出すことすら忌々しいが、今シャオンの記憶の中にあるのは惨劇だ。

 聖域に住む、いや、村人たちや大切なものを蹂躙する姿。

 それを――自分が行ったのだ。

 丁寧に、料理の下ごしらえをするかのように自らの手で、殺し、そして生きているままあの兎に喰わせ――

 

「ぅ、スバル……エミ、リア嬢。アリシア」

 

 喰わせた。

 なんの意味があるのかはわからない。

 記憶の中にある自分と同じ格好をした、いや、自分の身体を使ったアケロンという存在が行った猟奇的な行為を思い出し、再び吐き気がこみ上げた。

 しかし、もう体から出てくるものはない。強いて言うならば生理的な痛みと、精神的な苦しみからくる涙だけが零れ落ちた。

 

――自分の様な化け物が、彼らと共にいていいのだろうか?

 

「――――っ!」

 

 ふと、そんな考えが頭に過る。

 幸いにも『死に戻り』で無かったことになったようだが、そんな奇跡が続くわけがない。なにより、それを頼りにしてはいけない。

 あの存在が自分とは違う存在、だったとしても関係がないわけではない。

 アケロンが暴れているなか、意識だけは自分もしっかりと残っていた。大切なものを、『死に戻り』によってなくなるとはいえ、それでも手にかけた自分が。

 

――何もできなかった己は、そんざいしていいのか?

 

”あの時から”逃げていた問題に、シャオンは思わず立ち上がり、

 北西の方向にある印、いや、とにかく誰にも会わないような場所へと逃げ出したのだった。

 

 履物は途中から投げ出した。

『聖域』からここまではそんなに距離がなかったはず。

 だが、隠された場所であり、よっぽど用事がなければ来ない場所に、シャオンは走る。

 そう、

 

「ここなら……」

 

『裏の聖域』。

 少なくとも、自身と関わりがある大切な人物はいないはずだ。

 もし誰かがいるのであれば、それは、守り人である、彼だけだろう。

 そんな希望にも似た予想は、すぐ様に的中したのだった。

 

「お早いご到着。ついでにいうならば体調は最悪の御様子」

「カロン……!」

「はい、カロンです」

 

 復唱するその姿は、前の世界の彼とは変わらない。

 黒と白の不気味なその姿--前の世界で、あのアケロンと共にいた少年。

 

「それにしても何の用です? 試練を受ける気に?」

「お前は、お前は――知っていたのか? しって、いるのか?」

「何を?」

 

 無理やり問いをなげるが、カロンは気にした様子はない。

 首をコテン、と傾げるさまは人形そのもの。

 生物らしさを感じさせない動作に、普段であれば不気味に思うが、不思議と今は僅かに気が楽になる。

 

「俺が、俺が……あの」

 

 どもりながらも、言葉が出てこなくても、何とか絞り出す。

 今、自分に起きていることを知るために。

 

「シャオン、なのか? 『怪人』と言われていた、お前の師匠、なのか?」

 

――自分が、何者なのかを知るために。

 

 沈黙が続く。

 放った言葉は取り返せない。

 もとより、取り消すつもりはないが、可能であればそれを願う自身がいることに驚き、そこまで弱っている自身に自嘲気味に笑う。

 そして、沈黙を割く最初の音が、ゆっくりとカロンのその端整な口が開き――

 

「はあ」

 

 気の抜けた、理解ができないとばかりの言葉が返された。

 

「はあ、ってなんだよ。こっちは真剣に」

「そう言われても、少し前に、貴方と師匠は全然違うと答えたはずですが」

「うぐっ」

 

 抗議の言葉は正論によって断ち切られる。

 アレは裏の聖域に来た時のことだったか、確かに少しではあるが話題にはしていた。

 だが、忘れていたのは仕方ないだろう、あれからシャオンにとってはだいぶ時間がたっているようなものなのだから。

 ただ、それはあくまでもシャオンの話だ。カロンに文句を言うにも『死に戻り』を知らない彼にとっては1日ほど前の出来事。

 覚えていて当然のことだからだ。

 

「なら、俺は、誰なんだよ」

「いや、知らないですよ。貴方は貴方でしょう?」

 

 またもや返されるのは正論、思わずこちらも言葉に詰まってしまう。

 確かに、カロンの言う通りいきなり『自分は誰だ』などと話しても知らないとしか答えられないだろう。

 焦っていた気持ちが、彼の冷静な答え方に静まり、落ち着く。

 その様子を見て、ようやく話しができると思ったのか、カロンのほうから話しかけてきた。

 

「どうしても知りたいなら――方法はあります。『表の聖域』で――エキドナに問えば、答えは出るでしょう。貴方ならば資格は有しているでしょう」

 

 エキドナ。

 確かに、彼女であれば今の自分に対して的確な答えを与えてくれるだろう。勿論、対価は必要だろうが、確実に欲している答えをもらえることは、彼女の性格から保証できる。

 ただ、それを、その事実を、自身が何者なのかという、疑問を確定してしまう、確定させてしまうのが、怖い。

 だから、

 

「彼女ならば、貴方が傷つかない塩梅で答えを教えてくれる、どうです?」

「……少し、考える。その間、ここで匿ってくれ」

 

 逃げた。

 いや、ほんの少しでいいから時間が欲しかった。

 その解答に、カロンは珍しく目を少し開き驚いた様子を見せる。

 

「ほう、意外。それに匿うって……何かしたんですか? 興味」

「別に悪いことはして――いや、勇気がない。色々あるんだよ」

「そう、ですか。では時間がかかるならば紅茶を淹れましょう。シュガーの数は2つで?」

「……なんで俺の好みはこう、広まっているんだか。合っているよ」

 

 呆れた様に、少なくとも深く聞いてこなかったことに、若干の安堵を覚えながら笑うと、カロンもつられるように、僅かにうれしそうに笑い、紅茶の準備をし始める。

 その様子を見ていると小さくスキップもしているようで、ほほえましく思ってしまう。

 だからこそ、自身の記憶に残る前回の最期の彼の様子と今の姿が重ならない。

 あの時の彼は無機質な人形そのもの。アケロンの言う通りに事をなしていくだけの存在だった。だが、今は年相応の少年で、別人だと言われた方が信じられる。

 それに、彼だけでなくシャロも、普段とは様子が違っていた。

 最初にあったときにわずかに見せた大人びた言動で、ガーフィールと渡り合っていたのだ、普段は年相応の言葉遣いなのに。

 

「……なあ、お前は何なんだ」

「哲学的ですね」

 

 つい零れた言葉に、自分でもそう思う。

 だが、よほど答えが欲しがっていたのか、それとも気分がよかったのかカロンは答えてくれた。

 

「私は今は『裏の聖域』の守り人です。それ以外に話すことといえば、人工精霊というやつです」

「シャロ嬢と同じ、やつか」

「疑問。どうでしょうかね、私は失敗作ですから」

「失敗作?」

 

 そぐわない言葉に思わず繰り返す。

 

「私は他の3人と違って能力が劣っているのです」

 

 鼻歌と共に紅茶を茶菓子と共に置かれ、目線で飲むように促される。

 まるで、エキドナと対話している時のような感覚に、これから彼女の元に向かうことからは逃げられないのかもしれないという感じる。

 ただ、カロンはそんな気はないようで話を続ける。

 

「肉体が最強に近い存在、魔法が最強に近い存在、条件次第で最強な存在という能力が付与されて生まれています」

「それが、シャオンの娘たちって存在?」

「ええ……ですが、私だけは、僕だけは何もありません。同じく彼から作られた存在なのに、何もない。だから失敗作」

「何も、そんな卑下する発言「リューズ、リューズ・ビルマの正体については、ご存知でしょうか」」

 

 フォローなどいらないとばかりに、カロンはシャオンの言葉に口を挟む。

 

「えっと、あまり。長生きしていて、この場所で管理をしている人だってこと以外は」

「彼女と私は似た様な存在です……リューズ・ビルマはエキドナが知識を焼き付け繰り返す器として作った複製体です」

「――――は?」

 

 頭が痛い。

 遅れて、理解するが、話が数段階飛んでしまったかのように、理解が追い付かない。

 

「エキドナが嫉妬の魔女に滅ぼされたことで実験は中断され、器を生みだす仕組みだけが残った。その器の管理をリューズはしています」

「待て待て、どういうことだ!? 頭が、追いつかねぇ、複製体……繰り返す?」

 

 恐らく、複製体というのはそのままの意味で、コピー。クローンと言い換えてもいいだろう。だが、それが繰り返され、リューズがその存在で?

 なにより、その仕組みがまだ生きている、というのなら訳が分からない。

 

「なんの、ために」

「『強欲の魔女』エキドナは、自身の命が尽きるのを許せず、強欲にも不老不死を目指したのです。その不老不死を達成させるために、複製体は必要だった……理由は今は、それでいいでしょう。気になるなら、エキドナ本人に聞いてください。近いうち、向かうんでしょう?」

「……まぁ」

 

 痛いところを突かれ、黙ってしまう。

 

「さて、本題はそれではありませんね。彼女の話よりせっかくだから私の話をしましょう」

 

 こちらの気分とは正反対にウキウキしながら話を始める彼の様子を見て、今リューズの話に戻って気分を害して追い出されても困ってしまうと考え、黙って話を聞く体制を取る。

 

「なにも不老不死を目指したのはエキドナだけではありません、シャオンも、同じでした」

「……」

「私もシャオンが考えた不老不死の方法のひとつ、彼の作ったある人物の複製体です。まぁ、私が元になった人物はどのようなものだったのかはしりませんが、彼の弟子というのは同じことです」

 

 リューズと似た存在がカロン。

 その前置きから予想はついていたが、外れてほしかった。

 

「ですが、リューズとは違い私は増殖する複製体ではありません。複製体の増殖装置、とでも言えばいいのですかね。それはこの聖域にしかありませんから」

「そして、それはエキドナが所有しているような物。シャオンも手は出さなかった」

 

 言葉を継ぐように答えるとカロンは指を弾き、「正解」と答える。

 正解などしたくなかったのだが、彼にとっては嬉しいことなのだろうか、明らかに笑顔が見えている。

 

「増殖もしない、不老不死の器にもなれない、ただの精霊モドキ。ちなみに私は魔法を、というよりもマナをゲートに通すこともできませんし、精霊の特徴であるマナで体が覆われているわけでもありません。世界の外側にではなく内側に存在しています」

「だから、失敗作」

「ええ。精霊の短所と人間の短所が合わさった存在。それが私、カロンです。あちち」

 

 恐らく、嘘はついていない。

 正直、信用に値するかはわからない、だが、少なくとも、こちらに害をなす存在でもないはずだ。

 それゆえにこのような少年に『失敗作』といわせてしまうような運命に変えた存在、あるいは自分の存在を許すことはできない。

――目の前で、火傷した舌を冷ます少年は、無害なのだろう。だから、これは賭けでもある。

 

「頼みがある」

「……はい?」

「スバルに、ナツキ・スバルに伝えてほしい」

 

 これから、いつあのアケロンになり替わるかわからない。

 そんな不安定な存在は、スバルの傍に、エミリアの目指す王への道の妨げになる存在はいらない。だから、ここが、分水嶺なのだろう。

 自分が沙音なのか、シャオンなのか、それとも、あのアケロンなのかをはっきりとさせる、最後の機会。

 恐らく、これをはっきりとさせずに進んでいくことは、可能だろう。だが、

 

――限界は、見える。

 

 思ったよりも自分の心は弱っている。

 レムを救えなかったこと、自分の存在、全てが重荷になっている。

 だから、解決しないと、もうついていけなくなる。

 そう、悟ったのだった。

 

「……スバルは、大丈夫だろうか」

 

 夜、今シャオンがいる場所は『聖域』だ。

 『裏』ではなく『表』聖域にシャオンはいた。

 誰にも気づかれずに、静かに、忍び込む。

 人の気配を感じない『聖域』の様子を見て、どうやら、エミリアは試練を乗り越えることはできなかったのだと察する。今は、彼女は休んでいるのだろうか。

 そうなると、頼りになるのはスバルだが、今は彼も試練に挑んでいなかったことに安堵する。

 そう、今からシャオンは試練に挑むのではなく、『彼女』に会いに行くためだけに『聖域』を、墓所を利用するのだ。

 それにしても、

 

「……この『裏の聖域』もこのために用意されていたとかは、ないよな」

 

 裏から表の聖域がつながる道は、入口からは気づかれない、出来過ぎていると思うほどに。

 

「どう、おもう?」

 

 答えてくれる人物はいない。

 それは、明確に『解』を欲していないからだろう。

 

「――知りたい」

 

 時間もない、本題に入ろう。本当に知りたいことを知るために。

 

「――知る必要がある。俺が、何者なのか、シャオンとは何なのか」

 

『――それが、君にとって毒であっても?』

 

「ああ」

 

『――それが、君を殺すことになっても?』

 

「……ああ、今は――知る必要がある」

 

 頭に響く声に答えていく。

 そう、知る必要があるのだ。

 自分が何者なのか、その真実を。

 犯したであろう業を、それと向き合う必要が、あるのだろう。

 できる、かはわからない。

 でも、知ろうとしないことは駄目だろう。

 なにも動かないことは駄目だろう、それは、シャオンの、雛月沙音の価値を下げる行為だ。

 それだけは――できない。

 アケロンが話したこと、自身がシャオンの器であるということ、なぜなのかを知る。

 今はただ、それだけを、知りたい。

 

『――再び、君は資格を得た』

 

 世界が変わる。

 生気のない墓所から、明るい、青空が広がる草原に。

 その中にある、異質な存在。

 もう、いたるところで見た紅茶の用意。いや、あれは紅茶ではなく体液だったか。

 どちらにしろ、たどり着いたのだ。

 

「――招こう、魔女の茶会に」

 

 強欲の魔女の元に。




Q.シャオン知っていること忘れている?
A.一部は本能的に忘れています。今は

次回、メインヒロインと再会


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世界の価値を計る怪人

メインヒロイン登場といったな……アレは嘘だ。
本日3話投稿しますので


 シャオンは、世界が変わったことを認識すると、すぐに意識を切り替え、白髪の少女、エキドナの対面に座る。

 そして、自分に用意されたものであろう液体が入ったカップを傾け、口を火傷しながらもそれを飲み干す。

 

「勇気があるね、魔女の用意した飲食物をそう簡単に口にするなんて」

「そうしないと、話ができないですからね、エキドナ嬢」

 

 口を拭い、カップを戻すとエキドナは面白そうにこちらを見る。

 

「その呼び方はくすぐったいね」

「ここに来た用件は……『シャオン』に関するすべてを知り、元の場所に戻っても記憶を維持したい」

「ほぉ、それが茶会に参加するうえで得ようとしたものか」

 

 揶揄い交じりの言葉発せらた瞬間、流れを切る様に用件だけ伝える。

 あのままでは、エキドナのペースになってしまい、時間切れになることもあるからだ。

 

「以前、この場所で……試練を受けた時の記憶が、その、試練を終えてからの記憶が抜け落ちている」

「当然のことさ。人間、いやな記憶から遠ざける時には都合よく記憶を消してしまう。本能的にね」

「それだけじゃ、ないはず」

「どうしてそう思う? よくある話だろう?」

 

 人間の危機察知にも似た行動ならば、記憶を消すことはあるだろう。

 自己防衛、といえばいいのだろう。だが、シャオンにはそれだけではないという、違和感を覚えていた。

 その違和感は、

 

「記憶が消える前、声が、聞こえたんだ」

「声?」

 

 泣く子供をあやすような、陽の光のような、温かさを感じさせる優しい声。

 それしか覚えていないが、自分はその声の影響で、怪人シャオンの記憶を維持することができなくなったのだろう。

 ……本能的に、そのような能力があることを覚えている。

 そのようなあやふやな情報でも、エキドナに伝えてみると彼女はバカにする様子はなく、口元に手を当て、何かを考えているようだった。

 そして、

 

「……なるほどね、確かにその”声”も関係しているだろう」

「そして、その声の人物も」

「ああ、知っているよ……いいだろう、契約を結ぼう。だけど、対価は必要だ。何か用意はあるかい? なければこちらから希望を出すけど」

「生憎と今は出せるものが少なくてね。貴方はお金なんてのも興味はないだろうし……ないよね?」

「使い道が、ね。生きている頃ならまだ考えたけども」

 

 もしも強欲の魔女だからお金が大好き、なんて安直な考え方だったら助かるのだが、そもそも死人に銭は不要ということだろう。

 エキドナは少し考えた後、わざとらしく指を立てて提案をしてきた。

 

「なら、こちらから提案しよう――もしも、この先ナツキ・スバルがボクと契約することになったのなら、君もボクと契約してほしい」

「……? 意味が分からないが、いいのか、それ」

「複数の契約のことを心配しているなら、別に問題はないよ」

 

「尻が軽いと言われたら少し遺憾だけどね」と笑うエキドナに対して、シャオンは軽く流しながら彼女の意図を考える。

 というのも、契約の対価としては安すぎるのだ。

 屋敷にいる間、王都にいる間に契約という代物の重要性は身に染みて知っている。だから慎重にならざるを得ない。

 知識がなければ疑いもなく、契約を呑んでいたのだが。

 

「どうだい? 条件を変えるなら、キミが代案を出してくれると助かるのだけど」

「……」

 

 強欲の魔女という存在は、危険な存在だろう。

 魔女という時点で『嫉妬の魔女』の名がちらつくのだから。

 しかし、その危険性に合う能力はあるのだから、契約する相手は引く手数多のはず……今、は死人であったとしても、本来は対価はもっと高くあるべきだろう。

 だから、裏に何かあるのだろうが、それを見抜くほどに目が優れているわけでも、こういう手合いを得意になった覚えはない。

 これだったらアナスタシアの元でもう少し学んでおくべきだった、と後悔しつつも、シャオンは息を一つ吸い、

 

「呑もう。ただ、スバルが契約したという前提条件は絶対に守ってくれ」

「ああ、勿論。強欲の魔女の名を懸けて誓うよ」

 

 真剣そのものの表情に、嘘はない事を確認する。

 そもそも、ここで嘘を吐くことに何のメリットもない。だから、先を促そうとすると、エキドナが先に口を開いた。

 

「さて、キミの望みだったが『ここでの記憶の維持』と『怪人、シャオンに関するすべてを知りたい』だったね」

「ああ」

 

 改めて整理をしてくれたエキドナの語る通り、その二つがシャオンが知りたいことだった。

 ここで得た記憶を必ず持ち帰ること、そして、真実を知ること。

 最低でもこれを達成できなければ――ここに来た意味はない。

 

「ならこれは打算も何もない、只の親切だけど。すべてを知ることは避けた方がいい」

「それでは――」

「前回、キミはいきなりのことではあったが、彼のことを少し知っただけでショックを受けて気絶した。突然二人分の記憶が流れたのだから仕方がない事ではあるけども」

 

 意味がないのではという問いかけを潰すようにエキドナは話を続ける。

 確かに、この場所に来てからは鮮明に思い出せる。

 自身が、異世界から来た存在ではない、元からこの世界にいた存在であること、今までの記憶は自身が適当に作り上げた妄想であることも。

 思い出すだけでも、眩暈がしそうな事実だが、何とか耐えていると、エキドナが紅茶を注ぎ、飲むように促す。

 それに口をつけていると、

 

「今はそのボクの体液のおかげで、少しは鈍感になったと思うけども、それでもすべてを一度に知るならば、似た様なことが起きる可能性は高いだろう」

「体液のおかげ……なんていうか複雑な気分。別の言い方はないのか?」

「ふふ、ドナ茶と名付けよう……さて、ということでボクからの提案だ。君が知りたいことを尋ね、それに答える。それでいいかな?」

 

 つまり、情報を絞る訳ということだ、こちらの容量が耐えられる範囲に。

 

「あくまでも君が今用いる知識から出される質問にのみ答える。そうすることで、キミの精神が壊れないように配慮するわけだ」

 

「いいかな?」と確認を取る視線にシャオンは、素直に頷く。

 そういう事情があるのならば、仕方ない。むしろ、

 

「文句はない、というよりそこまで気にかけてもらって申し訳ないくらいだ……ただし」

「解答には嘘はつかないよ、安心するといい」

「……最近、疑り深くなって嫌だよ、本当」

「魔女と契約を結ぶんだ、それくらい慎重なのが正しいよ――さて、キミはまず、何を知りたい?」

 

 何を、と言われてしまうと悩むものがある。

 聞きたいことが多いと何を最初に問うべきなのか、迷う。

 膨大な量の本が収められている図書館を前に固まっているような感覚だ。

 だが、いつまでも考えているわけにはいかない、現実のほうでも時間は少ないだろう。

 だから、まずは確定させるべき質問を投げかけた。

 

「――俺は、過去にいた、怪人『シャオン』の、複製体、でいいんだな?」

 

 400年前に魔女と共に闊歩していた過去の住人。

 その存在の、クローンであることを確定させなければ話は進まない。

 せっかく嘘はつかないと言っている彼女がいるのだから、問いかけない理由はないだろう。

 できれば、違うと言ってほしいのだが、

 

「ああ、その認識でほとんど間違いないよ」

 

 こちらの覚悟とは正反対の軽さでエキドナはその事実を肯定したのだ。

 

「――っ、ふぅ」

 

 エキドナのその解答を聞き、シャオンは息を大きく吸い、吐く。

 

「おや、まだ一つ目の質問だけどもだいぶお疲れのようだ」

「うるさい……こちとら常識人なんだ、今までのアイデンティティを崩すような質問をして、正気を保っていることを褒めてくれ……」

「よしよし」

 

 頭を突っ伏している自身の髪を撫でるエキドナを振り払うほどの余裕はなく、改めて息を整える。

 そして、睨みつけるような視線と共にエキドナに先を促す。

 

「詳細、を」

「君は、ボクの弟子であり400年前にいた怪人シャオンの複製体、そのうちの一人だ」

「……弟子?」

「言ってなかったかな?」

 

 ……確かに話してはいなかったが、親しい関係性であることはカロンの話から察していた。

 だが、師弟関係だったのは初耳のはず、だ。

 

「複製体を作った理由については、不老不死を目指していたから?」

「どこでそれを、というのは野暮だね。カロンから聞いたのかい?」

「ああ、ついでに……アンタもそれを目指しているって言うのもね。師弟関係なら納得はいくよ」

「……軽蔑しなかったかい?」

「正直、した。けど、それをするってことは……っ、シャオンを、俺も軽蔑することになる」

 

 自身の欲望の為だけに、生命を作るという行為にいい顔はしない。

 そして、それを放置していることも。

 

「でも、理由はあるはずだから、まずはそれを――シャオンは、なぜそんなことを?」

「……」

 

 エキドナはこちらの問いに沈黙を作った。

 それも、もったいぶるという雰囲気ではなく、言葉を選んでいるという形で、だ。

 

「ボクは心を読むなんてことはできないから、彼の性格を元にした考察のような解答になるけども、いいかな?」

「強欲の魔女様の推測なら、ほぼ真実に近いんじゃないかな?」

「買いかぶりすぎだよ? お茶、お代わりいる?」

「表情にでてるよ……頂きます」

 

 露骨に笑顔に表情を変えたエキドナにカップを掲げ、お茶のお代わりを注いでもらう。

 そして、それに口をつける寸前に彼女は答えた。

 

「――彼は、不老不死になり、この世界の価値をあげようとしていたのだろう」

「価値?」

 

 価値。

 この聖域の中で何度も、というよりも『シャオン』について知ろうとすれば出てきた単語だ。

 日常の会話でほとんど使われることがないだろうその単語に、一体過去の怪人は何を抱いていたのだろうか。

 

「そう、価値だ……君は『シャオン』についてどこまで知っている?」

「えっと、オド・ラグナの化身って言われていて」

 

 改めて彼に関する現在持っている情報を口に出していく。

 主にカロンからの情報にはなるが、彼とシャオンは師弟関係だったから情報源としては十分だろう。

 

「『魔眼族』を滅ぼした狂人で――」

 

 そして、こうも呼ばれていた。

 

「――世界の価値を計る『怪人』」

 



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答え合わせ

本日2話目です


 

「世界の価値を計る、か。言い得て妙だね」

 

 自身が口にしたシャオンについての異名。

 それを聞き、エキドナはそれを咀嚼するように頷きを繰り返す。

 

「確かに彼は価値を優先していた、異常なほどにね」

「……それだけだと人間らしいというか」

「ああ、勘違いしないでほしい。その価値というのは彼にとっての利益、不利益というものではなく、彼から見た世界に対する価値だよ」

「えっと、よく、わからないんですが?」

 

 世界に対する価値というのは一体どういうことだろうか。

 

「そのままの意味だよ、世界にとってどれだけ有益かどうか、その価値を大事にしていた」

「……」

「劣るものがいるならば、世界の価値を下げると考えたのだろう。だから、世界の価値を上げるために色々なものを排除していた」

「その記憶は、覚えている」

 

 表側の試練で経験した、恐らく彼の記憶。

 知らない町の住人すべてを、消滅させた、恐ろしい記憶。

 その光景と、エキドナが話す内容を照らしあわせるならば、間違いはない。

 彼は、本当にその理由だけで、命を奪っていたのだ。

 そう、余計なものを濾過するように、純粋なものを、作るために、不純を省くように。

 

「だから、価値を計る怪人、か」

「彼自身は世界の価値を上げる行為を行う上で他の生命に”期待”していたんだろう」

「期待?」

「そう。彼は完全な他者愛でもあってね、自身より下になる存在はいないと信じていたのだろう」

 

 目を細め、彼を思い出そうとするエキドナ。

 そこに宿る感情は、読めない。

 ただ、憐れみのような、優しさのような、そんな優しい感情のように感じる。

 

「自分よりも下の存在がいてはいけない、自分以外が平等に素晴らしい価値を有するべきで――自分が、世界の最低基準になる、と。そう、彼は考えていたよ」

 

 つまりはシャオンは、世界に生きている存在の価値を、平等に上げるために間引きをしていたという訳だ。

 その行為の中で、彼自身が頂点に立つという欲はなく、むしろ最底辺に進んでいるというおかしな思考。

 変なところで卑屈、というのが今の彼に対する印象だ。

 

「彼のその卑屈さは嫌っていたがそれ以外はまぁ、十分に好ましいと思っていたよ。一緒に寝る……寝床を共にするくらいにはね」

「……はい?」

「ふふっ、彼は”そういった”欲は殆どなかったようだけどね」

 

 妙に暗くなった雰囲気を明るくしようとしたのか、エキドナはとんでもない爆弾発言を口にした。

 寝床を共にした、というのはそのままの意味だろう。

 目の前にいるエキドナという少女は、シャオンの目から見ても美形に当たるだろう。

 そんな彼女と共に寝ていたとして、間違いを起こさなかったのはありがたいが、そう言った欲がないというのは……朴念仁というよりも、植物のような存在だったのだろうか?

 あるいは、エキドナが、彼にとって母親のような存在だったのだろうか?

 妙な方向に考えを深めかけていると、エキドナが咳ばらいを一度する。

 

「この話を出したのはボクからだけども、その」

「あー、話を、戻そうか」

「彼はこの世界に長くとどまることで、その管理を、あるいは見届けようとしたのだろう」

「……不老不死のための器は、人工精霊ということでいいんだよな? それに関して確認したい」

「そうだね、人工精霊を彼は作り、複製体――器とした。」

「リューズ・ビルマと同じように?」

 

 その問いかけにエキドナは僅かに眉をあげるが、すぐに何事もないように答える。

 

「少し違う、ボクと彼では方法が違っていたからね……ボクはリューズ・ビルマーーリューズ・メイエルの複製体に魂を注ぎ込む様にしたが彼は違う」

「リューズ・メイエル?」

「ああ、オリジナルのことだよ……今はそれほど重要なことではないし、なにより契約外のことでもあるし、あまり話したくないかな」

 

 暗に拒否を告げられる。

 確かに、その話はシャオンに関する情報とは違うだろう、契約外だ。

 下手に踏み込んで機嫌を損ねてこの対話をなくしたくはない。

 

「……続けてくれ」

「ありがとう。彼は、一から生命を作ったのさ。人工精霊というね」

 

 シャロやカロンのことだろう、器として彼らは作られたのは既に知っている情報だ。

 

「人でなかったのは流石に彼でも難しかったことに加え、長く生きられる存在が都合がよかったのだろう。幸いにも人工精霊の作り方を彼は知っていたしね」

 

 道理だ。

 もしも彼の目的がただ長く生きるためだけならば、精霊のような寿命がないような存在を器とするのは当然の考えだろう。

 だが、それならば、疑問が一つ生じる。

 見逃してはいけない、大きな疑問、それは――

 

「待ってくれ、でも俺は精霊じゃない、はず。だよな? でも、俺も器って言うのは、どういうことだ?」

 

 雛月沙音が、シャオンの器であることは、事実だろう。

 だが、器は人工精霊のように、人工的に作られたものでなければ難しい。

 そして、精霊のような長寿の存在ではなく、普通の人間である自分が器と呼ばれているのは、どういうことだろうか。 

 

「君の存在は、正直よくわからない。人工的に作られた存在、複製体だとは思うが、精霊ではなく、人間だ」

「――――」

「でも君は間違いなく器だ。彼が持っていた”模倣の加護”も有しているし、なによりこの場所に来て一番実感しているだろうけど、君は彼の影響を一番受けているだろう? 器にしかその現象は起きない」

 

 そして、自身が覚えている範囲でも、器であることは確かに確信がいっていることだ。

 アケロン、もとい『シャオン』が自身と入れ替わり、暴れた。

 この現象は、要は自身という器に、『シャオン』が注がれたことに違いない。

 だが、それでもなぜ自身が器なのかはわからない。

 

「……肝心の部分がわからねぇのは痛い」

「申し訳ないね、彼の行動をすべて把握していたわけではないから。秘蔵っ子だったのかもしれないよ、君は?」

「笑えない」

 

 いったい何を考えて自身を器にしたのだろうか。

 過去の怪人、いくら自身と似ている者といっても、そんな狂人の考えは読めない。

 だが、それでも辿れるものはあるはずだ。

 例えば、

 

「……アケロンについて、教えてくれ」

「アケロン?」

 

 ここで初めてエキドナが、不思議そうに表情を変える。

 

「裏の聖域、裏の試練で会った、シャオンのこと。ややこしいからそう名乗ったみたいだけど」

 

 アケロンこと、過去のシャオン。

 恐らく自身の創造主とシャオンは会っている。だから、彼の情報をもらえることは、別の視点からのシャオンの情報を得ることに繋がる筈だろう。

 そう告げると、エキドナは納得がいったように手を打つ。

 そして申し訳なさそうに頬をかく。

 

「裏の試練か、であればボクからは何も話せないかな」

「……何でも話してくれるんじゃ」

「といってもね、試験官として、答えに近いことを教えることはできないよ」

「……確かに」

 

 それもそうだ。

 今の問いは、テストの最中に答えを聞いているようなものと同意義だ。 

 焦るばかりに、変なことを聞いてしまい、顔が熱くなる。

 それを見て憐れだと思ったのかエキドナは苦笑しながらもフォローをしてくれた。

 

「でもひとつ、アドバイス。恐らく彼はキミの前にしか現れないだろう」

「それは、どういう意味?」

「詳しくは言えないよ――だから、頑張るといい」

「? お、おう?」

 

 よくわからない助言をもらい、現状シャオンの情報を得ることはできないと判断し、落胆する。

 彼の持つ戦闘能力も気にはなるが、正直聞いたところで参考にならない。

 タネがわかったところでどうしようもないほどの強さを持っているのだから。

 と、なれば後聞くことができるものは。

 

「シャオンが犯した罪について、は彼が大勢を殺したことか。価値を守るために」

「恐らくそうだろうね。それに関しては他者からの評価、しかもボクが死んだ後の評価も交じっているから、確定はできないけども」

 

 大罪人とも呼ばれている彼の犯した罪。

 それは、自身が見た記憶が語っていることだろう。

 

「でも、真実はキミが直接見るといい。彼の残した爪痕は、魔女と同じように必ず、世界中に深く残っているからね」

「……」

 

 その機会があれば、見に行くことになるだろう。

 勿論、覚悟を持って。

 

「さて、そろそろ質問はお終いかな?」 

「――最後に、あの声について教えてほしい」

「……その前に、一度自分の姿を見てみたほうがいいよ。しっかりと認識してからなら、その声の人物のことも思い出せるだろうからね」

 

 エキドナはこちらを、正確には髪に当たる部分を指差す。

 それに合わせて視線を向けると、気づく。

 灰色に染まっていた髪が、白く生え変わっている。

 まるで、あの『シャオン』のように。

 

「記憶がほとんど戻ってきている、と同時に器としての役目を果たしているということだろう。君が、シャオンを知るということはそういうことだ」

「――」

「でも、恐れることはない。君は、君だ。だから、逃げずに――知るといい」

 

 そう、だ。

 逃げていては何も変わらない。

 だから、改めて己の姿を確認する。

 お茶――透明な液体の入ったカップ。

 そこに映る自分の姿を――

 

 

――自身がこの世界の生まれであることを思い出した。

 

 灰色に染まっていた、自身の長い髪が色素を失っていく。

 まるで、自身が記憶を思い出すごとに、今までの『雛月沙音』が消えていくように、色が抜け落ちていく。

 しかし、違和感はなく、その姿こそが本来の姿だと訴えかけてくるほどに似合っている。

 

――自身が今まで経験した記憶や、体験は妄想であることを思い出した。

 

 親友ともいえる、彼とは違うこの世界の生物。

 それは、彼に対する裏切りでもあり、今までの自我を崩すほどに強烈なもの。

 悔しいが納得は、できる。しなければならない。

 

――自身が、過去の人物を蘇らせるための器であることを思い出した。

 

 おぼろげになっていた記憶が、蘇っていく。

 アケロンの対話で得た『自身の子供』ともいえる人工精霊たちに関する知識。

 カロンとの会話で再び思い出した、その記憶。

 それと同様に、ただ一つの存在を蘇らせるために用意された存在が彼らであり、自身もその一つであることも。

 逃げていた記憶が、迫り、迫り、追いつく。

 

――自身が、過去に大勢を殺した大罪人であることを思い出した。

 

 認めたくない真実を、水で流し込む様に呑みこむ。

 それと同時に、シャオンの容姿が、変化していく。

 中途半端だった長髪は処女雪のように白く、神秘的に煌き、完全に染まりきる。

 糸目が特徴である、彼の奥に潜む瞳は光を失い、髪色とは正反対に、闇が宿る。

 それを確認し終えると、ぐいっと、カップの中身を飲み干し、静かに戻す。

 

「さて、話の途中だが……おかえり、というべきなのかな? シャオン?」

「……お久しぶりです、先生」

 

 そう呟く彼は、エキドナと同等の威圧感を持つ存在になっていた。



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愛しき貴方に藤の花を

メインヒロイン登場


 

「どうだい? その姿になれたということは、少しはキミの疑問が解決された成果だとボクは思うのだけど」

 

 改めて自身の身体を見下ろす。

 服装に変わりはない、ただそれ以外に無視できない変化が生じている。

 まず、灰色だった髪が完全に白色に染まっている。

 しかも、只の白髪ではなく、汚れることすら許されないとばかりの煌く、女性の様な髪だ。

 それに、瞳が濁っている。

 もともと目つきは良い方ではなかったが、これはこれでよくないだろう。

 そして、一番変化があったのは、記憶だろう。

 様々な食べ物をミキサーにかけているようなごちゃまぜ感。

 いい気持ではない。自分が自分ではない感覚、上手く言葉にするなら。

 

「……まるで、自分と似た主人公が活躍する物語に没入して、錯覚のような違和感がある、ありますエキドナ、先生」

「ふふっ、やはりその呼び名がしっくりくるよ。でも、話し方は好きにしていいさ」

 

 神の視点で、見ているような違和感。

 『シャオン』の記憶と、『雛月沙音』の記憶。

 その両方を同時に見ているような感覚だ。

 故に、エキドナへの呼び方も恐らく『シャオン』に引っ張られたものであり、この呼び方に違和感を感じていない自分がいる。

 でも、

 

「なら、いままで、通りで」

「それもいいだろう、新鮮だしね」

「……俺は、今、どっちなんだ?」

「まだ、何とも言えない。今までは君の『雛月沙音』として歩んできた記憶の重さ――『価値』が、過去の人物である『シャオン』の記憶の『価値』と釣り合っていた状態だった。ただ、ここに来る時時点で『シャオン』の方に傾いていたのだろうね、でも、その傾きは僅かなもの。だから、髪は半端で、記憶もおぼろげ。君が抱くことがない罪悪感も生み、裏の聖域で『アケロン』という存在が生まれた」

 

 ただ、エキドナとの会話を経て、それが変わったのだろう。

 

「そう、過去を知ったことでさらにボク達が知っている『シャオン』の方に傾いた」

「その結果が、この姿と、この、混ざっているよう記憶……うぇ」

 

 無理矢理脳をかき混ぜられている感覚に、軽い吐き気が襲ってくる。

 しかし、それを無理やり抑えつけていると、エキドナも心配そうにこちらを見る。

 

「……記憶の方も半端に戻っているだろうが、もしも『シャオン』の方に完全に傾けば、それも治るだろう……時間と覚悟の問題ですぐに傾くからこらえるといい」

「すぐに……」

 

 エキドナの言葉に、シャオンは考える。

 自身は、どちらを選べばいいのだろうか。

 真実を知るためにこの場所に来たが、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 『雛月沙音』と『シャオン』。どちらを受け入れるべきなのだろうか。

 

「悩んでいるのかい?」

「……」

「まぁ、仕方のない事か。ゆっくりと考えるといい。幸いにも、記憶は残る。ワタシとしては、どちらのキミも歓迎するよ」

 

 好奇心を隠す様子もなく、エキドナは楽し気に笑う。

 流石、知識欲の権化、どちらが示す未来でも楽しめるのだろう。

 恐らく、それが他人事であろうと自分のことであろうとも彼女は変わらないだろう。そう、この記憶が訴えている。

 そんな推測を立てていると「おっと」とエキドナは何かに気付いたような声をあげる。

 

「どうやら今のその姿で――ワタシ以外にも会いたい人物がいるようだからね、少し変わろう」

「え、ちょっと」

 

 そう告げ、エキドナの姿は霞のように薄くなり、空間に溶ける。

 それを見届ける前に、一度、シャオンは瞬きをする。

 再び開いたその視界の先、そこにいたのは、

 

「……あにー?」

 

 濃い緑髪を肩口で揃えて、熟した果実のような赤い頬をした少女。

 褐色の肌に、対応するような白のワンピースのような服装をしている、この草原を駆け回る姿が似合っているような、そんな印象を感じさせていた。

 そして、その幼さからか、どこかシャロに似た雰囲気を醸し出している。

 そんな少女がエキドナがいた場所に代わり、こちらを見上げていた。

 

 

「…………」

「……?」 

 

 濁りのない赤色の瞳と、自身の濁りしかない黒色の瞳が交差する。

 互いに何も言えず、片方は困惑の中、もう片方は何も読めない状態で沈黙だけが続く。

 そんな状態が永遠に続くのかと思った時、それは起きた。

 

「あにー!!」

「おっと」

 

 獲物に飛び掛かる猫のように、こちらに向かって全力で抱き着く少女。

 見た目通りのその軽さを、シャオンはしっかりと抱きとめ、幸いにも椅子から落ちるだけで済んだ。

 そしいて、少女は目を爛々と輝かせてこちらに語り掛ける。

 

「ひさしぶりだなー! げんきだったかー! こっちのあにもげんきだったけどしんぱいしてたんだぞー」

「あ、あに? えっと、君は」

 

 いったい誰なのか、という言葉は音を立てて揺らした『赤い首飾り』をみて止まる。

 その首飾りに見覚えはない、ないはずなのになぜか涙がこぼれそうになる。

 そんな僅かな感情の起伏を、目の前の少女は見逃さなかった。

 

「んー? あに、なきそうなのかー? なんでだー?」

「いや、その、大丈夫」

 

 こちらを覗き込むようにする彼女。

 見知らぬとはいえ、自分よりもだいぶ年下の少女に心配される申し訳なさと、泣き顔を見られてしまったというわずかな恥ずかしさを隠すために顔を背ける。

 しかし、そんな軽い気持ちはすぐに霧散した。

 

「――だれになかされたんだー?」

 

 平坦な声に、思わずシャオンの身体が固まる。

 視線を戻すと、彼女の持つ真紅の瞳がわずかに剣呑さを宿し、本能的に背中に汗をかく。

 彼女の中の何が地雷だったのかは、自分にはまだ理解できない。

 だが、このままでいることはまずいことだけはわかる。何か打開できるきっかけはないかと、焦りを隠せないままでいると、

 

「きっとドナだ。ドナ、またわるいことしたのかー? ドナ、アクニンかー?」

「ドナ、はエキドナ、のことか。いや、そこを断定するのは流石にどうかと思う。とにかく、大丈夫。ほら、泣いてない泣いてない」

 

 どうやら、彼女は自身が泣いていることが気に入らないらしい。それならば、無理矢理ではあるが、パーカーの袖で乱暴に涙をぬぐい取り、

 

「に、にこー」

「おー、えがお、かー? ウソじゃないなー?」

「ほ、ほんとうほんとう、悲しくないよ」

 

 無理矢理作った笑顔に、少女は疑問符を抱きながらも納得いったように頷いている。 

 胡散臭い笑顔なのは我慢してほしいが、どうやら無事ごまかせたようだ。

 

「えっと、君は」

「えー、おぼえていないのかー? あー、しかたないなー」

 

 不満そうに頬を膨らませる少女は、少し考えた後に肩を落とし、自己紹介を始めた。

 

「テュフォンは、『傲慢の魔女』で、あにのいもうとー。忘れちゃだめだぞー?」

「傲慢、の?」

 

 強欲の魔女に続いて、傲慢の魔女と来た。

 そもそも、この場所は強欲の魔女が管理する空間のはずだが、別の魔女が来るということはあるのだろうか。

 

「いったい、どういう……あぐ」

「んー?」

 

 頭痛がひどくなる。

 視界にひびが入っていくような嫌な感覚が、強くなるもすぐに消え去る。

 そして、目の前の少女を心配させたくないからか、笑顔を無理やり作り、

 

「だい、じょうぶ。記憶の、混濁が、すこし酷かっただけ。元気元気」

 

 シャオンとして過去に生きた記憶と、雛月沙音として今まで歩んできた記憶。

 その二つが、今も継続で頭の中で混ざっているのだろう。

 その感覚になれることはないが、このような痛みはやめてほしいものだ。

 

「ふーん、あ、ははがはなしたいってー」

「え、あっと」

「テュフォンももっとはなしがしたいけど、ははだったらしかたないかー」

 

 こちらの事情を考えずに、傲慢の魔女テュフォンは名残惜しそうにしながらも、姿が薄れていく。

 そして、シャオンはまばたきしただけだ。その間に世界の色は変わっていない。刹那の暗転、それなのに、

 

「はぁ、こりゃ酷い有様だね、ふぅ」

 

 今度も現れたのは女性だ。

 赤紫の髪を尋常でなく伸ばした、気だるげな印象の女。

 先ほどのテュフォンとは違い、病的に青白い肌と唇で、生きる気力に欠けているかのような枯れ木を印象させる、大人の女性だ。

 僅かに放たれた言葉だけで、周囲に鬱々とした雰囲気を振りまく。

 しかし、シャオンはその彼女の様子に驚くことはなく、語り掛ける

 

「……えっと、貴女は」

「……ふぅ、あたしらしくもない、けど」

 

 そう告げた女性は、気だるげな雰囲気のまま、僅かに体を動かし、

 

「わっ、ぷ」

「ふぅ、ああ、体を動かすのも怠い、辛い、もう一生分の、はぁ、動きをした、ふぅ、と思うよ」

 

 わしわしとこちらを気遣う様子のないような、雑に頭を撫でる。

 加えられた力は弱いが、それでも僅かな温かさに、思わず口角が上がってしまう。

 しかし、それも数秒のことで、すぐに彼女はだるそうに息を吐く。

 それを見て、つい謝罪の言葉が出る。

 

「えっと、なにかすいません」

「謝る必要はないよ。これはアタシが、ふぅ、自分でやりたいと思ったことさね」

「えっと、貴女は、貴女も魔女なんですよね?」

「……『怠惰の魔女』セクメトさ。ふぅ、一応、お前さんの、はぁ、『シャオン』の母親、さね」

 

 母親。

 そんな人物が魔女であることに驚きを隠せない、というのと、妙な嬉しさ、こちらは知らないという申し訳なさが今シャオンを襲っている。

 そんな気持ちを考えないように、話を変える。

 

「なんで、この場所に?」

「ふぅ、エキドナから教えてもらっていないのかい、はぁ。怠い」

 

 言葉を出すのですら辛そうに、まさに怠惰の魔女らしく、そのだらしなさを隠す様子はない。

 しかし、少し考えて言葉を絞り出してくれた。

 

「簡単に、話すなら、ふぅ。エキドナは、アタシたち魔女の魂を保管しているのさ、はぁ」

「魂を保管……」

「詳細は、ふぅ、本人に改めて訊ねるといい。いまは、はぁ、昔の魔女がこの空間に存在できる、程度でいいさ」

 

 説明するほどの余裕はないのか、それとも面倒なのかはわからない。

 ただ、確かにこの空間の主に訊いたの方が早いというのは道理だ。

 

「それよりも、はぁ、お前さんに、もっとも会いたい人物が、ふぅ、待ってる」

「……魔女に知り合いは、っと。そうか、この『シャオン』の知り合いならあり得るのか」

 

 しかし、そうなるとコミュニケーションはどうとるべきなのだろうか。

 一方的に知られているというのは、なんというか、やはり申し訳なさが勝るものがある。

 そんな心配を感じ取ったのかセクメトは、息を大きくこぼし、

 

「……アタシも、ミネルヴァと同じく複雑な、心境、はぁ、だけど。ふぅ、会うことを、避けるほど、はぁ、いやなものではないさ」

 

 「だから」と、告げセクメトの姿は消えかける。

 相変わらず怠惰な態度を崩さずに、それでも慈愛の気持ちを込めて、

 

「怖がらなくていいさ。それと――おかえりさね、シャオン」

「――あ」

 

 僅かな笑みと共にこちらを励ます言葉をかけた。

 それに答える前に、また世界が切り替わる。

 今度はすぐに姿は現れないが、セクメトの言葉通りならばまだ会いたい人物がいるのだろう。

 このシャオンも、意外と人望があったようだ、魔女に対してだが。

 

「いきなり、知らない友人が色々増えて、なんていうか」

 

 宝くじに当たると知らない友人や親せきが増えるというが、それに近い現象が生じているというか。

 しかも奇妙なのが、自身が彼女らに対して嫌な感覚を覚えていないことだろうか。

 次は一体どんな魔女が出てくるのかと覚悟を決めていると――声が、聞こえた。

 

「――――シャオンくん」

 

 優しい、控えめな小さな声が。

 

 心臓が、跳ねる。

 感動、とは言えない、けども――無意識に、涙がこぼれた。

 ゆっくりと、声が聞こえてきた方向へ視線を向ける。

 それは背後だ、背後に、彼女はいた。

 薄紅の髪を腰ほどまで伸ばした、化粧に印象を左右される平凡な顔立ちの少女。

 どのような化粧でも、きっと彼女には適しており、周りを魅了するのだろう。なのに装飾品は薄緑色のマフラーのみを纏っている。

 自分は、それを知っており、それが彼女の持つ『価値』であることを理解していると同時に、妙に心がイラついたことを覚えている。

 

――言葉が、出てこない。

 

 何を話せばいいのだろう。

 何を口にすれば良いのだろう。

 そう考えていると、ふと彼女の髪にある唯一の青を見る。

 先ほどは気づかなかったが、あれは、青色の蝶を模した髪飾りだ。

 いつか、自分が彼女に渡したものだ。律儀につけてくれていることに、少し心がざわつく。

 そして、自身が対になる赤色の蝶を模した髪飾りがないことを申し訳なく思う。

 そんな、色々な感情が、混ざった自身の思考を放棄し、ただただ、名前を呼ぶ。

 記憶に靄がかかっている、状態。

 ただ、必死に思い出そうと足掻く。

 彼女の名前は――

 

「――カーミラ?」

「うん、そう、だよ。カーミラ、だよ」

 

 唯一、自力で名前を思い出し、口に出す。

 名前を呼ばれて、彼女は、一度身体を震わせた。

そして、まるで、耐えきれないとばかりに、彼女はこちらに飛びついてくる。

 テュフォンの時と同じような行動をとった彼女に、驚きを覚えつつも、しっかりと掴み、離さないように、離れないように、掴む。

 草原に寝転ぶ形で、彼女を抱きかかえると、甘い香りが鼻腔をくすぐり、頬に彼女の涙が落ちる。

 そして、確かに感じる彼女の温かさを感じ、安堵の息を零し、そちらをみる。

 

「――おかえり、シャオンくん」

 

 淡く光る、彼女は、涙声交じりに、そして嬉しさを隠せない表情でこちらの胸に顔をうずめる。

 そして、自身の為に、命を落とすほどの危険を冒した彼女に。

 いつか死に怯えていた自身を、救ってくれた彼女に――

 

「――ただいま、カーミラ」

 

 しっかりと、正面からその言葉を返したのだ。

 




ある意味次回からキャラ崩壊?


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傾いた天秤

キャラ崩壊?あり
カーミラちゃん可愛いよ


「あの、エキドナ。いや、エキドナ先生」

「なんだい?」

 

 呼び方が引っ張られているような感覚に違和感を覚えながらも、エキドナに問いたいこと、もとい頼みたいことがあり呼びかける。

 それは、

 

「カーミラが離れてくれません。というよりも、なんで」

「え、へへ」

 

 あの再会の後、エキドナが再び現れて、残りの時間で最低限伝えるべきことを伝えると話になり、お茶会が再度開始されたのだが……照れ臭そうに笑うカーミラは、シャオンの膝の上から離れようとはしない。

 おまけに、

 

「ん-、あに。テュフォンもいるぞー」

「あっ、と。そうだね、ゴメン」

 

 カーミラに場所を取られているからなのか、それとももともとの定位置なのか、『傲慢の魔女』テュフォンは、シャオンの後頭部にしがみつく形で抱き着いている。

 そもそも、この場所ではエキドナが出現している場合は他の魔女は出てこられないのではなかったのだろうか。

 

「ああ、君が何を聞きたいのかわかった。――ワタシがこうしてこの場にいるのに、他の魔女が顕現しているのが不思議でならないんだね?」

「正直……エキドナ先生の代わりに現れることができるって認識だったから……」

「別に、一緒に出れないとは口にしていないさ。事実、魔女をこの場に呼び出すのは、負担もリスクも大きいことだ。場合によっては他の魔女にこの場の主導権を奪われる可能性があるし、そうでなくても彼女らのような強力な存在を形作るのにはけっこうな労力を必要とするからね」

 

 どうやらエキドナが言うには、死後、精神体となってなお世界の膨大な知識を身の中に収め、その中には彼女の友人であった『傲慢』『怠惰』『憤怒』『暴食』『色欲』の5人の大罪魔女の魂と生前の軌跡も余すところなく「蒐集」しているとのこと。

 そして、呼び出すことはエキドナが主導権を主に握っているが、今回のように自由に出てくることもあるらしい。

 魔女たちが我が強いのか、それともエキドナが甘いのかわからないが、それでいいのか?

 

「なんだい? なにか魔女たちがここまで揃うことに不満が? まぁ、正常な反応ではあるけども……ワタシも含め全員それなりに顔は整っていると思うけど」

「いや、不満はないですよ」

 

 こちらの疑問の根源が野暮な理由としてとらえられてしまうのは嫌だったので即座に否定する。エキドナも冗談だったのか、笑みを深くしただけだった。

 

「確かにみんな美人ではあると思いますけど」

「う、うん……そう、だよね。で、でも、わ、私は、シャオンくんなら、その……好かれてもいいから」

「あー、うん。でも、今はそれどころじゃ、なくて」

 

 そう、シャオンにとっては今、それどころではない、自分は今『雛月沙音』の部分と『シャオン』の部分でせめぎ合っているのだから。

 その影響で両方の知識が混ざっているのが現状……だが、あくまでも『知識』として知っている部分だけで、彼女らと関わり合いがあったシャオンが持っていた彼女らに対する感情や、彼女達から向けられていた詳細な感情までは把握できていない。

 要は内面までは知りえない、もしもそれをはっきりと知覚できるようになる時は、『雛月沙音』としての意識が完全に消えた時になるのだろう。

 だから、その、

 

「~♪」

 

 鼻歌を歌うカーミラと、テュフォン。その様子を見て笑うエキドナ……なんというべきだろうか、気まずい。

 なので、正面で優雅に紅茶を飲むエキドナに目線で訴えかける

 

――助けてください、この状況。

――仕方ない、任せたまえ。

 

 言葉に出さずとも伝わる仲。

 今の自分には知るよしもないが、きっと彼女はいい師匠だったに違いない、そう思う。

 そんな偉大な師匠様は、

 

「カーミラ」

「な、なに? エキドナちゃん」

「彼は今完全に戻っていない状態だ、その状態の自分が君達と仲よくしていてもよいのか不安がっている、雛月沙音と、シャオンの人格のせめぎ合いにあっている状態なのもあるが、大変不安定だ」

「う、うん」

「つまり――彼はワタシ達と過ごした記憶がない状態で、好意を向けられて申し訳ないと思っているのだろう。そこのところ、君はどうなんだい? カーミラ、なにか気まずさを感じていたりするかい?」

 

――師匠様、いきなり、ぶっこみすぎでは?

 

 そういう意味での視線を、敵意交じりにぶつけるがエキドナは笑顔で難なく受け止める。

 というよりも、妙にどや顔しているのが腹が立つ。

 しかし、その地雷のような発言は、不発に終わったようでカーミラは首を傾げながらエキドナの質問に答えた。

 

「え、と、その……シャオンくんは、シャオンくんだよ?」

「んー、そうだぞー。あにはあにーむずかしいはなしじゃないだろー?」

 

 カーミラはさも当たり前だとばかりに答え、同様にテュフォンも同じように、何を当たり前のことをという表情をしている。

 

「でも、俺は、君達との記憶は、ないぞ?」

「そ、それでも……わ、わたしが好きなのはシャオンくん、で、その、器とか難しい話は……わ、わからないけど」

 

 たどたどしく、気弱な声色の中、

 

「シャオンくんだったら、好き、大好き、うん」

 

 唯一そのことだけは誰にも否定されないように、しぉつかりとした意志で答えた。

 

「あー、どうも」

 

 愛の告白にも近い言葉を、頬を染めながら口にする。

 そして、我に返ったかのように長いマフラーで顔を覆う。

 

「そ、それに、今のシャオンくんは……やっぱり、わ、私の知ってるシャオンくんに……ち、ちかいもん。ふふ」

「さいですか……」

「君の場合は『無貌の花嫁』が通じていなかったのは『シャオン』だったから」

 

 一体彼女とはどんな仲だったのか、自分のことながらも好奇心満々になっていると、エキドナが意地悪そうな笑みを浮かべながら口を開く。

 

「しかし『雛月沙音』と混ざっている彼ならば、君の権能の餌食になるかもしれないよ? それでも構わないのかい?」

 

 カーミラの権能は『無貌の花嫁』という、人を魅了する、誤認させる能力だ。自分が持つ能力で言うと『魅了の燐光』に当たるだろう。

 というよりも実は先ほど、自身の能力の相談をエキドナにしたときに、カーミラが名前をお揃いにしようとしていたが、それでいいのだろうか魔女よ。

 そんな魔女のいい加減さにどこか懐かしさを覚えているとカーミラは、不満げにエキドナの質問に答えていた。

 

「そ、それは、すこし……嫌、だけど」

「異性の好みはダフネのように、君に無関心な人物だが、それでも愛を貫けるのかな?」

「それは、それ、だよ? 好きな人は、好き……『私の愛は霞まない』」

 

 力強い発言と共に、発光するその体。

 気弱な表情は消え、僅かな敵意をエキドナに向ける。

 思わず殺し合いでも始まってしまうのではないかと危惧していると、エキドナは「やれやれ」とばかりに肩をすくめた。

 

「と、いうことだよ、シャオン。君に関してはこの程度のからかいでも、ワタシに敵意を向けるくらいには君は愛されていたんだ。それは器であろうキミでも同じくらいにね」

「あー、実感しました」

「……今のキミは不安定だが、ワタシ達のことを気にする必要はない。それくらいで困るのなら、魔女を名乗れないさ」

 

 わかりずらいが、エキドナはこちらの心情を察して、心配はいらないということを伝えてくれたのだろうか。

 魔女のスケールというよりも、心の広さ? という物を実感しつつ、一応一般人である自身にはそのような生き方はできそうにないと思い、この問題は後回しにしておくこととする。

 そうなると、もう一つ疑問というほどではないが気になっていることが明るみになってくる。

 魔女として気まずくないのであれば、他の二人――知識にある二人がこの場にいない。

 

「……『憤怒の魔女』と『暴食の魔女』は……ミネルヴァ、とダフネ、だな」

 

 争いを嫌悪し、怒り、自身が恨まれても、傷ついていない振りをする、『憤怒の魔女』ミネルヴァ。

 世界の飢えを嘆き、自身が満たされるために、魔獣という本来存在しないものを生んだ『暴食の魔女』ダフネ。

 と、いうのが今のシャオンの中にある彼女たちの知識だ。

 それらの不在に対して訊ねると、

 

「ミネルヴァは、今のキミに会わせる顔がないと引きこもってるよ。ダフネはそもそも興味がない」

「なるほど……?」

 

 後者は、まぁある意味普通の反応だろう。むしろ会話した全員がここまで好意的なのがおかしいのではないだろうか?

 だが、それはそれとして、前者のミネルヴァという魔女に関しては一体どういうことなのだろうか

 

「理由に関しては流石に伏せさせてもらうよ? 下手に話して、彼女の常に突かれているような怒髪天を突くようなことはしたくないからね」

「えぇ……?」

 

 先回りするかのようにエキドナは、片手をこちらに向けてストップの意思表示をする。

 

「あ、ちなみにセクメトがあそこまで能動的に動いたのは久しぶりでね、その点は誇っていいかもしれないよ」

 

 赤紫色の毛玉と評してもおかしくない『怠惰の魔女』セクメト。どうやら母親代わりらしい彼女だったが、それでも性格には何があるらしく、自身に対してもその片鱗は見られたがまだましだったようだ。

 と、なるとやはり彼女からもそれなりに親愛はあるようで、改めて好意の度合いはあるが、全員に好かれていることに妙にむずがゆい気持ちになる。

 そこで、もうひとつ気づく、話題にしばらく出ていない、本来であれば真っ先に出るであろう有名な魔女の存在が欠片もない事を。

 

「嫉妬の魔女――サテラは?」

「――――」

 

 ――嫉妬の魔女。

 世界の半分を文字通りのみ込んだと呼ばれる、魔女が畏怖される存在となった原因。

 その魔女が、ここにはいない。

 先ほどのエキドナの説明にも大罪の名を冠する魔女の中で『嫉妬』だけがいなかった。

 その理由は、恐らく今も彼女が生きているからだと推測するが、ふと口から出た疑問だった。

 そんな軽いものだったのだが、明らかに空気が冷え込んだのをシャオンは感じる。

 エキドナは不機嫌に眉をしかめて口をへの字に曲げ、カーミラは恐怖から逃げるようにこちらに体重を預け、唯一何も変わらないテュフォンだけは二人の反応を見て首をかしげている。

 

「……失言だったか?」

「……いや、些細なことだよ。恐らく今現在進行形で有名な嫉妬の魔女、話題になるのは当然だろう」

 

 憎悪、にも似通ったその感情を含んだ声色。

 その声色を常に余裕綽々なエキドナが口にしたことに驚きながらも、続きを待つ。

 

「”アレ”を好んで呼び出すことはないよ、勝手に来ることは防げられないかもしれないが」

 

 名前すら呼ばないほどの嫌悪感。

 エキドナはそれを隠さずに、話を続ける。

 

「ワタシの境界を割ってここ、夢の城にまで無粋に足を踏み入れることはよっぽどじゃないとあり得ない。そして、そのよっぽどは――君では条件を満たせない」

 

――と、なると満たせる人物は。

 

 頭に過るのは目つきの悪い一人の少年。

 『死に戻り』があの魔女の影響であるならば、”よっぽど”のことを起こせるのも彼だけだろう。

 そんな事態は起こさないでほしいし、起きないことを祈っているが。

 

「さて、そろそろ時間だ……今現状で話せることも情報も十分得られただろう?」

 

 この場にいない少年の身を案じていると、エキドナが唐突に茶会の終わりを告げる。

 

「これ以上の情報を得るならば、それは」

「……雛月沙音としての意識はまた、薄れる」

「そういうこと。未だ決めかねている君にとってはここで小休止としたほうがいいと、ワタシは思うけど?」

「……気遣いどうも」

「『雛月沙音』」

「……はい」

「ワタシは、あちらの世界に戻ってから行うこと、君が考えていること、止めはしない。快いとはいわないが、否定しない。だが、ワタシとの契約も忘れないようにね」

「スバルと契約したら、って奴ですね」

 

 エキドナがスバルと契約を結ぶことになったら、シャオンも彼女と結ぶことになる。

 それが契約の内容だ、魔女との契約自体にデメリットがあるといえばそうだが、それ以外はこちらに利しかない契約に改めて疑問を抱いていると、腕の中にいたカーミラがつぶやいた。

 

「わ、わたしは、あのこ……嫌い、か、な」

「……アイツ会ってもいない魔女に嫌われているのか」

 

 それを言うならば恐らくあっていない魔女に好かれている自分もおかしいのだが。それに関しては今は考えないでおこう。

 考える時はきっと、自身がしっかりとどちらになるかを決めた時になる。

 それまではそこに思考を割くのは、足枷になるだろうから。

 

「それと、2つ警告がある」

 

 エキドナは傾けていたティーカップを置き、真剣な瞳でこちらを貫く。

 

「君が使用している能力は『模倣の加護』という加護によるもので、ワタシ達魔女の能力、『権能』を模倣して使用していると推測する。”不可視の腕”はセクメト、”魅了の燐光”はカーミラ、”癒しの拳”はミネルヴァだろう」

 

 それぞれの能力についてはエキドナに教えていた。それに対応する魔女の権能の力は初めて聞いたが。

 

「能力の本質すべてを模倣するのではなく、”結果”だけを模倣する加護は無限大に可能性がある、強力なものだ」

 

 例えば、シャオンから見て格段レベルが違う剣術の持ち主に、加護を使えば『剣術のみ』模倣することになり、体捌きやそれまでの経験などは真似できないだろう。

 だが、エキドナはそれだけでなく、シャオンの認識によって模倣する事象が変わる可能性があると言っているのだろう。

 目にも見えない速さで放つ斬撃を真似するならば、原理は不明だが、不可視の斬撃が、何もかも癒す能力があるならば、マナが持つ限りで何でも治せる力を得ることができる。

 要は、いいとこだけを取るだけの能力ではなく、都合のいい考え方をすることで、どう成長するのかわからない能力だということだ。

 

「下手をすれば、ワタシ達のもつ権能を上回るものも出てくるかもしれない。だからこそ、頻繁に使用はしない方がいい」

「それは、『雛月沙音』としての意識が薄れていくからですか?」

「もちろんそれもある、でもそれよりもその能力の使用は負担が大きい。完全に『シャオン』として生まれ変わるならばまだしも、今のキミが使用し続けるならば、オドに影響が出て――廃人になる、いや、下手をすれば消えるだろう」

 

 廃人、は予想で来ていても消滅は流石に想像できなかった。

 オドとは言わば魂、それに影響が出て消滅するのというのは、まるで精霊だ。

 だが、嘘ではないのだろう。いや、もしも嘘だったとしても――

 

「それでも、俺は、使う場面では、使う」

 

『模倣の加護』の存在はシャオンにとって大きな存在だ。

レムを守ることもできず、スバルを追い込み、全員を傷つけ、失望させた今、さらに力を落とすわけにはいかない。

そう、この先スバル達の元から離れてでも、影ながらサポートをする。そのためにはどんな力だって使う――――それが、今唯一残された自身の『価値』だから。

自身に言い聞かせるようにそう思っているとふと、手の甲がつねられた。

 

「――――?」

 

 といっても、痛みを感じるほどではなく、僅かに違和感を覚える程度の物。

 子供が注意を惹くために行うような行為で、その行為の主は、勿論膝の上座るカーミラだった。

 

「カーミラ?」

「じ、自分のことは、……大事に、ね?」

 

 嗜めるように、カーミラはこちらに問いかける。

 どうやら、自己犠牲が大きい思考が表情にまで出ていたのかもしれない。

 あるいは彼女がこちらをずっと気にしていただけかもしれないが。

 

「優しいんだな、えっと、うん。申し訳なさは消えないけど、この優しさは慣れている気がする」

「え、えへへ」

「ふふ、意外と好戦的な彼女でもこの様子……惚れたものが負けるというのは本当のようだ」

「で、でも。ま、万が一の準備はしていたよ? ま、マフラーや、髪飾りが……」

「カーミラ、申し訳ないけどその話はまた後で」

「……ぷぅ」

 

 不満げに頬を膨らませるカーミラの空気を指でつつき、抜いてやりながらも、シャオンは自身の意識が遠ざかるのを感じる。

 その中で、エキドナは「もう一つの警告は」と思い出したかのように伝え始める。

 

「君も、この茶会に招かれる権利は常にある。だが、その権利を行使続けることは――雛月沙音としての要素は削れることに、注意してほしい」

 

――――そうだろう、と思っていた。

 魔女と関われば、自分も心の中の何かが削れ、そちら側に天秤が傾くのだろうと、察してはいた。

 ただ、それでも必要とあれば、シャオンは訪れるだろう。

 

「でも、個人的にはまた来てほしいものだ。愛弟子に会うのは何時だって心躍るものだからね」

 

 そんな風に人の事情を考えていない魔女らしい笑みを瞼に映し、シャオンの意識は白く染まり、消えた。

 

 

 目を覚ますと、整えられていない石床のような場所に、顔を伏せていることに気付く。

 先ほどまでの春の訪れを感じさせるような草原はそこにはなく、反対に冬の様に冷え込む暗闇があった。

 

「……戻ってきたのか」

 

 エキドナから夢の城、と言っていたがその場所から戻され、今自身は表の聖域にいることを確認する。

 そして、目の前に垂れ下がる髪、その色が灰色から白色に変わっていること、そしてその理由についても、シャオンはしっかりと記憶に残っていることを確認する。

 やるべきことは、一つだけわかっている。

 正直、エキドナに話を聞くまでは、というよりも記憶に靄がかかった状態では感じられなかった使命感。

 その正体を知るには――ロズワールの場所に向かう必要がある。

 理由はわからないが、そうしなければいけないと心が、いやこの場合は魂と言い換えたほうがいいだろうか?

 この感覚には覚えがある、そうこれは――契約によるものだ。

 自分は恐らくロズワールと何らかの契約を交わし、その契約の内容の一部なのか、それとも別の理由があるのかはわからないが、その詳細を忘れているのだ。

 

「くそっ、前回の俺は一体何を契約したんだよ……」

 

 碌でもないことは確かだろう。

 記憶がない状態が契約の物でないのならば、可能性としてあるのは『シャオン』に切り替わった状態で行ったものだからだろう。

 前回の世界では幸い、といってはなんだがしっかりと記憶に残っていたがその前の記憶は断片的だ。

 だから可能性はゼロではない、であれば確かめにロズワールの元へと向かうことは最優先事項だろう。

 

「…………」

 

 誰にも伝えず、まるで、人と関わることを避けるように、矛盾した動きをしていく。

 今はまだ皆が知っているシャオンだが、それもいつ切り替わり、また惨劇を生むのかわからない。

 だから、一人で行動するのは間違っていないはずだ、行動すべきだ。

 そう――それが一番被害が少なくなるのだろうから。

 

ノックもなしに、扉を開けると、そこには、

 

「――そろそろ来る頃だーぁと、思っていたよ?」

「……ラムも席を立たせて、用意周到だな」

「おやおや、こわーぁい口調だ。ボクはキミに対してなーぁにもしていないはずなのに」

 

 宛がわれた部屋の寝台の上で、急なシャオンの来訪を迎えたロズワールはそう言って、いつもの道化メイクのまま楽しげに微笑んでいた。

 その”何も変わらない”様子が不気味で、寧ろシャオンにとっては冷静になれる要素でもあった。

 

「……もしも本当にそうなら、来る理由はないでしょう」

「そーぉだね。だから、ボクにはキミがこうしてここに訪れた理由が皆目見当もつかない。もしかして、ボロボロの身体をした師匠を慰めると? そーぉれはそれは恐ろしい」

「……契約の内容を、教えろ」

「ふむ、契約というと――」

「――エキドナと話をして、思い出せる範囲の物を思い出した」

「――――」

 

 埒が明かないと判断し、直球でロズワールに話をする。

 その効果があったのかロズワールの瞳がわずかに揺らぐのを確認した。

 

「だが、生憎と思い出せる範囲の物は限られているようでな、お前が何を考えていたのか、何をするのかをしっかりと理解するために、教えろ……少なくともアンタがスバルやエミリアに危害を加える真似はしないとは考えている、だから互いに認識の齟齬がないように、確認するんだ」

 

 好機とばかりに、一気に用件を告げる。

 『死に戻り』を除いて、知っていることを全て話しきり、それでも表情が変わらないロズワールを睨みつける。

 

「――お前は、俺と何を契約した」

「ふぅ……簡単なことだよ」

 

 大きなため息を吐きながら、ロズワールの表情から”道化”が剥がれ落ちる。

 白塗りの化粧も落ち、久しぶりに見る彼の素顔にはこちらに対して真摯に向き合うという気概が見られた。

 

「君が提案したことだ、君のことは書の記述にない、”いれぎゅらー”という奴だからね。だから驚いた」

「もったいぶらないでくれ、一体何を」

「――雪を降らせるんだ」

「は?」

 

 雪を降らせる。

 契約の内容がそれだけのこと、のはずがない。

 そんな天気を操るだけのはずがない、また揶揄っているのかと頭に血が上っていく感覚が伝わる。

 こちらには時間がないのだ、実力行使も辞さない、と詰め寄ろうとした。

 しかし、ロズワールから発せられた、続く言葉でシャオンの考えはひっくり返された。

 

「君がこの『聖域』で雪を降らせるんだ――大兎を呼ぶためにね」

 

 満足そうな笑みを浮かべるロズワールの表情は変わらない。

 ただ、この部屋の中で、彼の考えを表すように、暖炉の火だけが不気味に揺れ動いていた。




エキドナと話した内容は主にシャオンの現状、能力等です


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孤独の先

 大兎。

 それは暴食の魔女ダフネが生み出した三大魔獣のひとつ。

 握り拳サイズの白い兎で──すべての周囲の生物を喰らい尽くすと群ほどの大食漢。

 奴らは蝗害に近い存在で、群れで行動し、マナが集まる場所に──

 

「ウソだな、ロズワール、俺がそんなことをする筈がない」

「本当かい?」

「……何が言いたい」

「いーやぁ? キミが本当に心の中でそう思っているなら何も言わないが……ねぇ?」

「――ッ」

 

 心当たりはある。

 前回の世界で、シャオンが村人たちを殺した時の記憶。

 その記憶の中でシャオンは白い獣に村人たちを――

 

「――おぇ」

 

 忌々しい記憶を思い出しているとロズワールがニコニコした笑顔で、忠告をしてくる。

 

「ひとつ、いいことを教えよう。君が雛月沙音としていられる時間は、『やりなおす』ことで時間が減っていくと推測する」

「やり直す──」

 

 ──『死に戻り』を知っている。

 

 その発想に至った瞬間、ロズワールの発言がペナルティに当たらないかを危惧し、シャオンの背中に冷たい汗が流れる。

 しかし、いくら待っても心臓が締め付けられるような感覚や、黒い影が現れることはなかった。

 そして、こちらのその様子を見てロズワールは納得がいったように頷いている。

 

「その警戒は……なるほど。それが彼とアレとの契約。それに寄り添うように君も引っ張られていると」

「──気づいているのか」

 

 何故そのようなことを知っているのか、という問いを出す前に、ロズワールは一冊の本をこちらへ見せてみた。

 無地の表紙。厚手の造り、辞典ほどの大きさで、持ち運ぶのにやや難儀しそうな重量感のある見栄え。

 スバルに以前聞いた──福音書、魔女教徒が持つ、未来を記す、書物。

 なぜそれが今、この場にあるのか。

 

「その本は……」

「福音書ではないよ。これはそんな劣化品ではなく、たった2冊の本物、『叡智の書』だ」

「叡智の、書?」

「おや、そこまでは知らない。あるいは、思い出せていないのかな? この本は、未来を記す『叡智の書』」

 

 愛おしそうに、叡智の書を抱きかかえるロズワール。

 

「劣化品ではなく、たった2冊だけ存在する本物の片方だ」

「そして」

「――――ッ!!」

「そう、君が雪を降らすこともこの書物に記されていたことだ」

 

 まるで、それまでの怪我が嘘のように、平然と立ち上がり、こちらに迫る。

 まるで、怪我をしているこの男には勝てないと本能でわかっているかのように足が下がる。

 

「──もう逃げられないんだよ、雛月沙音?」

 

 それを逃がさないように、道化、ではなく狂人の笑みがこちらを追い詰めた。

 

 ──ナツキ・スバルが意識の端に最初に引っかかったのは、滴る水滴の連続する音だった。

 

「────」 

 

 等間隔で落ちる水滴がリズムを刻み、無音の空間に大音量で響く錯覚を思わせた。

 その錯覚によって眠っていた脳が活動を再開し、血が全身に行き渡るのを実感し、身をよじることが──できなかった。

 

「────ッ!?」

 

 身動きが取れないという状況に、途端、意識は即座に覚醒し、スバルは現実へと帰還する。

 舞い戻ってきた五感を頼りに周囲を探ろうとしてみれば、見えるはずの世界が見えず、動かせるはずの自身の手足が動かない不自然さを確認した。

 

 ──目と手足を潰された!? 

 

 最悪の想像が脳裏に過ったが、その結論に戦慄する前に顔に感じる圧迫感に気付く。

 両目をふさぐ感覚は目隠し、それもかなり、きつい。両手足が動かないのも同じようなものだろう。

 仕舞には口には猿轡。

 完全に抵抗ができない状態──というよりもこれは、監禁状態というやつだ。

 

「────」

 

 突然の事態に混乱しながらもスバルは自身に起きた状態を理解するために動かせる脳をフル活用する。

 一体、何があった? 自身は何があった? 

 今の自分の状態を整理。両目、塞がれている。手足、縛られている、外れそうにない。

 声は出せるが、大声はでない、だせたとしても縛った相手がくるのが関の山。

 

 ────縛った相手? 

 

 縛った相手は、誰だった? 

 痛む額を無視して記憶を呼び起こす。

 いや、むしろ側頭部の痛みを一度意識したことで、スバルは意識を失う直前に自分がどんな目に遭ったのかを思い出した。

 屋敷で抗戦むなしく、エルザたちに殺されて『死に戻り』、いるはずのシャオンがいないことに疑問を覚えつつも、彼のことを信用し、前回のループをなぞるようにことを進める。

 ロズワールとの約束の話し合いをする前に、ガーフィールに呼びかけられ、森に向かい、リューズを交えた今後の話し合い。

 スバルがエミリアに変わって、試練を乗り越えるという話し合い、その最中に──

 

「──運がいいな、ちょうど目が覚めたとこたァ」

 

 運が悪い、というのはスバルにとってだろう。

 頭上からタイミングよく振ってきた声の主は、自身を縛った男。ガーフィールの物だ。

 顔を上げ、目は見えないながらも声が届いたと思しき方向へ面を向ける。

 

「ぁーぃーる……」

「たぶん俺様の名前だろォが、何言ってんのか訳わっかんねェ……猿轡は外してやらァ。先に言っておくが、助けを呼んでも無駄だぜ」

 

 声が頭上から、スバルの耳元に近づく。

 そして、手がスバルの口元に触れ、猿轡を解いた瞬間──

 

「────誰かー!! 俺はここだ! 助け……」

「だァ!? 叫ぶんじゃねぇ!!」

 

 開放された瞬間、スバルの顎が力ずくで閉じられ、舌を大きく噛む。

 僅かに感じる血の味を懐かしみながら、ガーフィールへ語り掛けた。

 

「ば、かか。助けをよぶなって言われて呼ばない奴がいるかよ……この状況で」

「無駄だって言ってんだよ。この場所は『聖域』の誰もこれねぇ隠れ家。集落ともずっと離れている。叫び続けるのは勝手だが、テメェの喉が死ぬ方が先だ……それでも続けるか? あァ?」

 

 目隠しされたスバルと額を突き合わせての忠告。それを受け、スバルは想像した通り騒いでも助けは来ない物と息を呑む。

 

「けッ、その調子で黙っとけや、弱い者いじめはしたくねェからよォ」

 

 舌打ちするガーフィールから刺々しい敵意が突き刺さるが、スバルはひるまない。

 この程度の敵意で怯むならば、今のスバルはいないのだから。

 

「ひとまず、ここがどこか、詳しく教えてくれよ。逃げる時の参考にな」

「余裕だな、オイ。その度胸は勝ってやる」

「慌てても事態は好転しないって言うのはここ最近の経験談でな……俺はどのくらい寝てた?」

「半日だ、それくらいは教えてやるよ」

 

 経過時間は半日。

 これを信じるかどうかは微妙なところだが、信じるしかないので、少なくとも今は仮として考えていこう。

 だが、そうなると疑問が生じる。すでに外ではエミリアたちがスバルの不在に気付いているはずだが──、

 なにより、シャオンが気づかないはずがない、自分よりも優れている彼が。

 それらの疑問を解決するためにスバルは口を開く。 

 

「なかなか忘れられないキャラだと自負しているが、どう誤魔化してる? うちの陣営にはお前に負けないほどの奴もいたはずだが」

「あぁ、あの兄ちゃんについては知らねェ。どこかに隠れてんのか、俺様が知りてェ位だ。それより、テメェが気にする必要があるのは、また別のことじゃねぇか?」

 

 ガーフィールの声音に険が混じり、スバルは眉を寄せる。

 今のガーフィールの言葉には確信と、それゆえの違和感があった。

 彼はスバルに確信をもって問いただしているが、スバルにはそれに心当たりがない。

 だから、違和感に繋がったのだ。

 

「……死も怖がらねェ、頭がおかしい連中だが、とぼける頭はあるようだなァ?」

「ま、て。本気で話がつながらねぇ……何を」

「とぼけんじゃねェ!! そんだッけ、体の中から正気ばら撒きやがって、隠せるわけねェだろうがよォ!? 魔女教徒がァ!」

「────」

 

 叫びと共に、鋭い感触がスバルの喉にあてがわれ、薄く裂ける。

 だが、その痛みを気にするほどの余裕はスバルにはない。

 それ以上の驚きと衝撃が、スバルの理解を超えるものを脳に叩きこんでいた。

 

「墓所を出たとときッから、臭いがァ、濃くなってやがった。普通の奴でも濃い奴はいるが──テメェはちげぇ。目が、ちげぇ」

「……目?」

 

 目つきの悪さは自慢だが、そういうことではないだろう。

 となると、一体──

 

「自覚ねぇようだから教えてやんよォ! あれはな、俺様の一番嫌いな奴と同じ目なんだよ。自分の欲しいもの以外、切り捨てるそんな目、だ」

 

 いわれのない誤解だ。

 だが、それを叫ぶ前に過去に同じ状況を、経験していた事実がスバルを止めていた。

 

「お、れのからだから……魔女の瘴気?」

「知らぬ存ぜぬが通ッと思うな」

「墓所を、出て、から?」

 

 ──『死に戻り』したことが原因の変化。

 魔女の力で蘇るたび、スバルの存在を取り巻くそれは色を、臭いを濃くしていく。

 

「墓所に入って何がしてェ? 何を企んでる? よりにもよって魔女の墓場で、だ。どう考えても碌なことにならねェ」

 

 舞い戻る都度、変わるガーフィールの態度を気紛れだと決めつけていた。 違った。  

 ガーフィールの態度の変化は、スバルを取り巻く瘴気の濃度の変化を受けたもの。  

 だから初回、最も瘴気の薄かった頃のスバルには墓所の攻略を提案し、それ以降、瘴気の濃度が増したスバルには不信感を露わにしてきた。

 今回、監禁に至ったのもそれが理由。

 ──そしてこの事実は、猛烈にマズい状況を意味する。

 

「────」

 

『死に戻り』が原因な以上、回数を重ねるほどガーフィールとの関係は悪化する。

 付け加えれば、リスタートは墓所──関係改善を図る時間が圧倒的に足りない。

 出会った頃、同じように瘴気が理由でこちらを危険視していたレムは、それでも見極める猶予をくれた。

 だが、短気なガーフィールにはそれがない。  

 

「ま、て…… それなら、お前はどうして、俺を閉じ込めて……?」

「あァん?」

「俺を、異常だって……墓所に入れるのも危険って判断するなら、俺をこうやって……閉じ込めておくのはおかしい。なんで、始末しない……?」

「始末! ハッ! 簡単ッに言ってくれッやがる!」  

 

 スバルの疑問に鋭く息を吐き、ガーフィールは忌々しげに舌打ちした。

 

「俺様も、それができりゃァさっさとやってやりてェよ。だが、そォもいかねェ」

「でき ない……?」

「てめェがうまく、周りの奴らに取り入ってッやがッからだろォが。迂闊にてめェに手をだして暴発されッのァ御免だ」

 

 ガーフィールの恐れる暴発とは、スバルが無事でないことを知った人間からの『聖域』への反発のこと。  

 だが、それを危険視しているということは──

 

「案外、中の手綱が握れてねぇな……」

「小賢しい野郎だ。そォでもなきゃ、悪知恵も働ッかねェだろォがな」

 

 声が近付く。 スバルに、しゃがんだガーフィールが顔を近付けたか。

 その距離感のまま、ガーフィールはスバルの頭を摑んで続ける。

 握る手の力強さは、簡単にこちらの頭を握りつぶせるだろう、だがそれは先程ガーフィールが口にした理由からできないだろう。

 だから、今は焦る気持ちを落ち着かせて、情報を得ることに尽力する。

 

「……俺の、沙汰はどうなる」

「エミリア様次第、ってとこだ。ひとまず監禁は続ッける。死なせねェよォに扱ってやるが……結界が解けたあと、瘴気について話し合おうじゃねェか」  

 

 絶対に殺しはしない、と今の状態を継続するという宣言に、スバルは唾を吞む。

 なるほど、時間ばかり経つこの状況──かなりまずい。

 だが、スバルには頼れる相棒──『死に戻り』を共有できるシャオンがいる。

 姿が見えない今、不安ではあるが彼ならばきっと、

 そんな希望をガーフィール気に入らなかったのか、舌打ちをして、

 

「あー、お前の相棒であるあの胡散臭い男も連れてきてやらァ、手はかかりそうだがな」

「おいおい────捕まえるの、俺より苦労するぞ? お前の方が負ける可能性も十分にあると思うが」

「……へッ。テメェはテメェの心配をしてやがれ、姫様が『聖域』を解放できなきゃ──そん時はそん時だからよォ」

 

 こちらを不安がらせようとしている彼の発言に得意の減らず口をかます。

 それに対して、まるで百も承知だとガーフィールは笑い、用件は済んだとばかりにスバルを置いて出ていくのだった。

 

 ──ガーフィールが退室し、一人監禁部屋に残されるスバルは思考の海に沈んでいた。

 退室間際のガーフィールの残した言葉が頭から離れない。

 スバルの汚名をすすぐために、エミリアは奮起して『試練』に挑んでいるらしい。『聖域』の解放がなれば、その手柄でスバルの犯した不祥事を塗り潰すことができるだろうという考えらしい。

 

 そんなときに、自身は一体何をやっているんだ。

 猿轡にひとり言すら封じられ、スバルは涎を垂らしながら心中で自嘲する。

 スバルが解決しなくてはならない障害が山ほどある、スバルにしかできないことが、あるのに、自身は何もできずにいる。

 

 答えが欲しい。

 今、起きている事態の解法、その方法が欲しい。

 ロズワールへの不信、ベアトリスへの悔悟、ガーフィールへの怒り、エルザへの憎悪、シャオンへの不安、そして──エミリアへの愛情。

 それだけが蛇のようにとぐろを巻き、渦巻いている。

 考えは行き詰まり、行動は封じられ、自害も許されないスバルを焦燥感がむしばむ。

 そして、同時に──孤独がスバルの心を削っていく。

 一体どれほどの時間がたったのだろうか。世話係が用意する食事の回数で時間は何とかわかるが、それでも、無機質なその存在は何も話さない。孤独を埋める存在にはなれない。

 

 ──だれか、俺を殺して。

 

 ──だれか、そばにいて。

 

 そんな懇願の中、久しぶりに音を聞いた。

 音、ではないこれは声だ。

 

「あのー本当にここであっているんですよね?」

「今更じゃないです? 自分方向音痴なので保証はしません。浅慮」

「浅慮って! ……あ」

「これは──思った以上に厳しそうですね」

 

 一瞬、それが何なのかわからなかった。

 

「──ぁ」

「おっと、声はあげないでください。かなり危ない橋を渡ってきているので、ここで見張りに捕まるのはごめんです。お互い、諦めは悪いでしょう?」

「声をあげないといいつつ、ここで一番騒いでいるのは貴方ですよ?」

「誰の所為だと……!」

 

 騒がしい二人組の声だった。

 その声に対して、何と声をかけようかとすると、声の主はスバルの身体に何かする。

 軽い音がして、スバルは自分の手足の拘束が解かれたことを理解した。

 そして、

 

「猿轡、取りますよ。ついでに目隠しも」

「────」

 

 息苦しさの原因が外され、それと同時に解放感があり、涙で張り付く瞼を動かす。

 瞼をゆっくりと開くと、徐々に視界が慣れていく。

 そこには──

 

「何はともあれ、生きててくれてホっとしましたよ、ナツキさん」

「ええ、生きてくれないとすべてが台無しですからね。ホント、無駄足」

 

 ──そう言って、何百年かぶりにも感じる景色の中、オットー・スーウェンとカロンが笑っていた。

 

 



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友人

 

「なんですか、そのありえないものでも見たみたいな自分の脳みその働きが信じられない、みたいな素っ頓狂な顔は」

「……それな」

 

 腰に手を当て、やや憤慨した顔のオットーを見上げ、スバルは何とかそう呟く。

 

「……お前が来るのは、予想外オブ予想外。んで、お前たちが一緒にいるのは更にその外だ」

「おや」

「そんなあからさまに驚いた表情を向けてもなぁ……お前たち、知り合いだったか?」

 

 スバルの記憶が正しければカロンとオットーは知り合いではないはず、というよりもカロンの知り合いというのはほとんどいないはずだ、

 だからこそ、この組み合わせは意外だったのだが、スバルの知らない間に何かが大きく変わったのだろうか。

 

「いえ、僕もさっき知りあったばっかで……そのあたりの事情について、話をしたいのですが……とりあえずここから出る準備をしながら」

「――今何日たってる?」

「その質問が、ナツキさんが行方をくらましてからというなら、3日。あれから3日が過ぎて、今は夜……『試練』の時間です。」

「3日……それに、『試練』もまだ続けてんのか!?」

 

 質問の解答とそれに付随した情報にスバルが血相を変えて吠える。

 恐らく、三日後の夜。それは屋敷をエルザたちが襲うまでのタイムリミット、の半日後に控えた時間だ。

 そしてエミリアの『試練』への挑戦の継続は、『聖域』の状況とダイレクトにかかわる。

 その反応に、オットーはつかれた顔で首を横に振る。

 

「ナツキさんの気持ちもわかりますが、エミリア様もしっかりと考えてのことです。結界を解く必要があるのは変わっていませんし」

「……俺がいない間、何があったか聞かせてもらっていいか?」

「僕もあまり、詳しい話は――」

「――それよりも」

 

 オットーが経緯を話そうとしたその時、沈黙を貫いていたカロンが初めて口を開く。

 

「移動しながらのほうがいいかと、オットーが頼りにされてうれしいの気持ちはわかりますが」

「いや、あの。そ、そんなことは」

 

 図星を突かれたのか照れ臭そうに鼻をかくオットー。

 その様子に思わず気持ち悪さを覚えたが、そこでようやく気付く。

 

「まて、なんでそこまで急いでいるんだ?」

「……」

「ここには決まったタイミング以外じゃ人は来ない。外に大きな変化がなければガーフィールが来ることもないはず」

「あー、やっぱり気になりますよね。少し、言いづらいことなんですが」

「今更だ。むしろ今なら驚く報告が連続してるから、目立たないぞ? 貯金の残高とか」

「借金の帳面なら……」

「ごまかすな」

 

 軽口をたたいたのはスバルだが、それに乗じて逃げようとするのは許さない。

 スバルのその意図を察して、オットーは観念した風に嘆息すると、

 

「いえ、実はですね……ナツキさんと同じく、僕もガーフィールに目をつけられた……絶賛逃げ回っている最中で」

「――は?」

「ですから! ナツキさんが監禁されてた被害者なら、僕は追われる逃亡者! だいぶ追い詰められている状況なんです! 急ぎたくもなるでしょう!?」

 

 オットーの自棄になった叫びにスバルは改めてまじまじとオットーを見る。そこでようやく気付くのは、オットーのボロボロのその風貌だ。

 髪の毛はよれよれ、帽子はつぶれ、顔は汗と土で汚し、ひっかき傷も少なくない。

 

「そして、臭う。と」

「それは、俺にも適応されるから……逆になんでお前はそんなに汚れていないんだ?」

 

 悪臭漂わせる二人の中に清潔感あふれるカロンの様子。

 よくよく見るならば服装もほつれすらないその様子は、今この場に来る前に風呂にでも入ったのではないかとでも思える。

 

「精霊ですからね、人工とはいえ」

「ずっこいな」

「ええ、ずっこいでしょう。唯一の利点ですよ」

 

 胸を張るカロンにネガティブすぎるだろ、というツッコミをし、改めて状況を考える。

 その上で疑問が生まれてくる。

 

「……最後にもう2個だけいいか?」

「……なんなんですか、もう。本当にこれで最後にしてくださいよ? あまり時間がないのは本当なんですから」

「悪い悪い。……お前は、なんでガーフィールに追われているんだ、そもそも」

「――――僕がガーフィールに終われている理由。それは、ナツキさんのせいですよ」

「俺の……?」

「あの夜、僕はナツキさんとガーフィールが最後に会ったのを見てたじゃないですか。その後貴方が行方不明、当然彼を疑うのは当然で、目撃者を口封じするのも当然です」

「なるほど……で、なんでそんな危険な中、俺を助けに?」

「……貴方のことを喋らないように、取引は持ちかけられました。高価な魔石の類も見せてきて」

「なのに、それを断ったのか?」

 

 オットーを疑いたいわけではないが、腑に落ちない部分であるのは事実。実際、オットーにとってこの『聖域』を取り巻く問題は行き掛かり上の関わり合いだ。本来ならばこの場のいざこざはもちろん、王選絡みすらも彼には関係がない。

 スバルほどでないにせよ、彼にだって状況を打開する光明は見えないはずだ。

 それだけに、スバルには彼がこうまで危険を冒して味方してくれる理由がわからなかった。

 これだけ悪状況が積み重なった現在で、オットーのことにまで気を回さなくてはならない『なにか』があるはずがない、という逃避めいた信頼が。

 だが、もしも、仮に彼にすらスバルの信じられない裏があるのだとしたら、それはもう――。

 

「答えてくれよ、オットー。お前がどうして、こんな懸命に尽くすのか」

 

 懇願にも似た、静かな問いかけ。

 息を止めて、スバルはオットーの返答を待つ。

 

「あのですね、ナツキさん」

 

 スバルの問いかけを飲み込み、オットーは自分の灰色の髪の毛を撫でつける。

 そして、つぶれた帽子の形を直しながら、言った。

 

「――友人助けようとするってのは、そんなにおかしなことですかね?」

 

 ――一瞬、なにを言われたのかわからなくてスバルの中の時間が止まった。

 

 時間が動き出すまでに数秒。再起動にかかる時間でさらに数秒。

 しかし、動き出してからも混乱は止まない。言葉の意味が分からない

 ユージン? ユージンってなんだっけ? そんな人、でてきたか?

 

「な、なんでそんな驚き顔で固まってんですか、この人」

「友人の少ない人生だったんでしょう、悲惨」

「いや、突然に俺の知らない人物名が出たもんだから話についていけなくて。で、そのユージンさんってのは、えっと?」

「頭から尻まで間違ってますよ! ユージンじゃなくて友人! 友達!」

「トモダチ……誰と誰が!?」

「僕と! ナツキさんが!」

 

 地団駄を踏んで、オットーが自分とスバルを交互に指差す。

 だが、その行動にスバルはなおも信じられない、と目を見開く。

 痺れを切らしたように、彼は床を踏み鳴らしながら「いいですか」と手を振り、

 

「確かに! 僕がここに来たのは利害の一致がありますよ! 辺境伯と併せて頂くためだったり、その取引はエミリア様救出に協力したからだとか、そもそも魔女教徒に捕まったのをナツキサンが助けてくれたからだったり!」

「――――」

「それでも、そういう面倒な問題を取っ払ってしまえば、僕はナツキさんを友人だと思ってますよ。普段の扱いに対しては思うところもあるけど、それも距離感だから、って」

 

 途中から照れ臭くなったのか、頭を掻きながら視線をそらすオットー。

 そしてそのオットーの言葉を聞きながらスバルは無反応だった。

 

「――ぷは」

「はい?」

「わはははは! と、友達? 友達かぁ! ああ、そっかそっか。オットー、お前、俺と友達になりたかったのかよ!」

「なぁ――!?」

 

 堪え切れずに吹き出して、スバルは顔を赤くするオットーの肩を乱暴に叩く。それでもなお笑いの衝動は消えず、腹を抱えたままスバルは床を踏み、

 

「ぶはは、友達。ああ、チキショウ。オットー、てめぇ、この野郎」

「痛い痛い! なにすんですか! ああ、言った僕が馬鹿でしたよ! ナツキさんが笑うことぐらい!、読めてました! でも、いくらなんでもそこまで笑うこたあないでしょうよ!」

「いやいやいやいや、笑わずにいられるかってんだよ。お前がおかしいんじゃない。……自分の馬鹿さ加減がひどすぎて、呆れてんだ」

 

 ――何がオットーが理解できない、何を信じればいいのかわからない、だ。

 

 スバルを友人だと口にして、その身を心配して手助けにきてくれたオットー。彼の存在を前にして、その心根を信じるより先に疑いに走る自分の愚かしさ。

 状況に翻弄されるあまり、人を信じることができなくなっていた自分自身の哀れさよ。

 

 今、問いかける――そこまで、ナツキ・スバルは『傲慢』だったのか、と。

 

 ほんの数回の死を経て世界をやり直したぐらいで、全知全能を語る神様にでもなったつもりか。

 こんなに身近に自身を友と呼んでくれる存在がいたこと、命を懸けてまで助けてくれる存在を見落とすなど。

 スバルの自嘲と自戒、それがわからずにオットーはなおも疑問を顔に浮かべている。

 その彼にスバルはどこか晴れやかな気持ちで、

 

「悪かった。お前は俺の友達だよ、オットー。――助けにきてくれて、ありがとう」

 

 あらためて感謝の言葉を告げたのだ。

 

「あのー」

 

 友人認定され、笑みを隠せないオットーをからかいつつ、荒んだ心にわずかな癒しを感じる中、カロンがわざとらしく咳を一つし、視線を集めた。

 

「悪い悪い、お前を仲間はずれにしたわけじゃ」

「……いえ、そこで不機嫌になったわけではありません」

「そもそも、なんでお前がここにいるんだ?」

 

 カロンという人は、正直言って詳しくはわからない。

 唯一知っているのは『裏の聖域』『試練』の案内人のような人物だということだけだ。

 そんな人物が、なぜここにいるのかを推測するには彼自身の情報が少なすぎるのだ。

 

「――シャオンさんから頼まれたんですよ、はい」

 

 シャオンは、今この場にいない、スバルの相棒とも言える存在であり、ひそかに目標としている存在だ。

 そんな彼が関わり合いの少ないであろうカロンに頼みごとをしていたことも気になるが、それよりも、

 

「というより、アイツは一体今何をしているんだ? シャオンがいればここまでの事態にはなっていないだろう」

「……ヒナヅキさんの所在は僕もわかりません。ナツキさんが『試練』に挑んでから誰も見ていないそうで」

 

 シャオンの行方が分からなくなったのは、スバル『試練』を受けた時からだ。

 つまり、『死に戻り』の再スタート地点から、彼の存在が消えている。

 自分と同じように誰かに誘拐、幽閉されている説もないわけではないが――かなり薄いだろう。

 それ程までにあの男は強く、頼りになる存在だ。

 故に考えられるのは――彼自身が何かの考えがあって、身を潜めていることだろう。

 そうなれば、スバルには彼の思考を読むことができない、なので、

 

「って、ことで早いところ教えてくれると助かるんだが、最終目撃者」

「言い方が気に入らない」

「悪いな、俺は過程も大事にするが考えてもわからない場合は答えを真っ先に教えてもらいたくなるんだよ」

「褒められたものではないですね……」

「楽ができるところはとことん楽に、がモットーだよ……自嘲はするけどな」

 

 自分自身のモットーを告げるスバルに、呆れたように突っ込むオットー。

 長い間孤独を味わっていたからか、彼の叩けば響くような反応にわずかに口角が緩む。

 ああ、人との対話はここまで安心するものなのか。

 そんな感動を抱いているスバルを他所に、カロンは無表情のまま話し始めた。 

 

「ボクがここにいるのは彼が行方不明になった際、シャオンさんから頼まれたからです――ナツキスバルを手助けしろと」

「……どこであったんだ?」

「あー、そうか。それも知らなかったんですよね。『墓所』には抜け道があって、『裏の墓所』に繋がる経路があるんですよ」

「……なるほどな、それをシャオンが偶然見つけて……なんでお前に?」

「さぁ? 人望ですかね? それとも偶々裏の聖域にいた自分に頼ったとか……そらそうか、頼りになる要素ないですからね、偶然」

「凹むなよ……それで、アイツは今どこに?」

 

 シャオンが本人ではなくカロンを使いによこしてきたということは、何か事情があるのだろう。

 それにしても、スバルが幽閉されることを読んでここまで手配を済ませていたとは、頼もしさを越えた恐ろしさを覚えてしまう。

 なので、できればその恐ろしさが疑念に変わる前にはっきりと意図を把握したいので問いただしたのだが、

 

「さぁ?」

「さぁって……」

 

 首をカクリ、と傾けるその姿は人形そのものだ。

 ふざけた様子にも見えるが、真意は読めない。 

 

「ボクが頼まれたのは手助けをしてほしいということと、一つの言伝です。所在は知りません」

「言伝?」

「―ーもう、恐らく自分は手助けできないから、と」

 

 感情のこもらないカロンの言葉は、不思議とシャオンの姿と重なる。

 だからこそ真実味が、ある。いや、そうでなくても彼の放った言葉はナツキスバルの思考を止めるのには十分だった。

 

 オットーから細かな説明を聞いたうえで要約すると、いま『聖域』の状態はかなりまずい状態らしい。

 具体的に言うならばいつ爆発してもおかしくない爆弾。ほんのわずかな火花で引火しそうな花火のような、状態らしい。

 慣れない閉鎖空間に長期間閉じ込められているうえに、事情も分からず、ましてや解放されるタイミングも不明。ストレス過多になるのは当然だ。

 だが……それでも今までは問題がなかったのだ、まだ、ここまでひっ迫した状態にはなっていなかったのだが……スバルの行方不明が事態を加速させた。

 アーラム村の住人にとっては英雄視されているスバルが行方不明、下手をすれば誘拐されたなど知られれば暴動が起きるのは待ったなしだ。

 そこはオットーのおかげで未だ行方不明で済んでいるようだが……事態は思ったよりも本当に最悪だった。

 

「はぁ、しゃんとしなさい。わざわざラムが協力してあげるのだから」

「だとしても、出会い頭に頭を叩くかよ……」

 

 シャオンからの衝撃的な事実を告げられた後も、時間は過ぎていく。

 現在の状況を聞き、何とか頭を動かし、オットーが言うには『協力者』がいるらしいので、その者との合流場所に到着すれば、姿を現したのは見知らぬ誰かではなく、見知ったラムの姿だったのだ。

 その事実に動転し、ただでさえパンクしそうな頭を、ラムは軽く叩き、今に至る。

 

「最初はつけられていたのかと思った、オットーだしな」

「なんですかその評価は!?」

「腹立たしいけど、バルスの意見には同意するわ」

「どゆことです!?」

「オットー、うるさい」

「カロンさんまで! どこでも僕ってこの扱い何ですかっ!?」

 

 オットーの扱いはきっと生まれた星が間違っていたくらいなほどに、不幸ではあるが、これであっているのだろう。

 そんな慣れたやり取りを他所に、スバルはラムに確信めいた問いかけを投げる。

 

「ラム……お前がここにいるのはロズワールの指示、なんだな?」

「……手助けしろ、という指示よ。でも、現状の『聖域』でならバルスを外へ逃がすのが最善手なのはわかるでしょう?」

「まぁ、な。で、俺を、どうやって逃がす手はずだったんだ?」

 

 暴発寸前の火薬庫からスバルという火種をどう離れさせるのか、というスバルの問いかけに、ラムは「簡単よ」と前置きし、

 

「エミリア様が『試練』に挑む間、ガーフは墓所を離れられない。アレの目が外れている今、バルスはただ地竜を走らせて結界を抜ければいい」

「シンプルだな、もう少しデコイとかを」

「こういうのは単純な方がいいのよ」

 

 さっさと背を向け、ラムはスバルを逃がす方向へ先導しようとする。

 その指示に従い、早々に『聖域』を離脱するのが正当だ――それだけで解決するならば

 

「――ラム、計画変更。逃げる前に寄り道が必要だ」

「ナツキさん!?」

 

 悲鳴を上げるオットーとは裏腹に冷静にラムはスバルを見る。

 

「それは、なにをするつもり?」

 

 冷然とした声音がスバルの発言の意図を問う。

 そのまなざしに深く息を吐くと、スバルは口の端を歪めて答える。

 

「しっかりと、聞きださなくちゃいけないことがあったんだ。それを、やりに行く」

 

 

 

「――仲良く散歩の相談ッかよ。俺様も混ぜッちゃァくれねェか?」

 

――鋭い牙を噛み鳴らし、猛々しい鬼気を放ちながら笑みを浮かべる人影が、集落を照らす篝火によって浮かび出る。

 

途端、パトラッシュが低く唸り、ラムとオットーに緊張が走り、スバルは自身にやられた行いを思い出し身震いをする。

その様子に人影はますます楽し気に笑みを深める。

 

「ガーフィール……」

「何でここに、ッて質問はァ、下らねェな? 俺様ァ、この『聖域』を守る立場にあんだ。それがッ脅かされたとあっちゃァ……そりこっちを優先すんだろうよォ?」

 

オットーの話ではエミリアが試練を受けている間は彼が管理を果たすはずだ。だが、何らかの方法でこちらの動きを読み、今に至る訳だ。

 

「……随分と、目がいいもんだな。それとも、鼻か?」

「ハッ!『聖域の目』のことを知ってそれなら白々しいなァ、オイ?」

「『聖域の目』……?」

「あん? 教えてねェのか、義理かそれとも何か企んでやんのかよォ? カロン」

「あー、忘れてました」

「……チッ。で、テメェはこれッからどこに行くんだ、オイ」

 

 カロンに対して意味ありげな視線を向けるも肝心の彼は目を合わせようともしない

 その様子に気にくわなさそうに歯を鳴らすガーフィールは改めて、鼻面に皺をよせ、スバルの同行を問う。

 その質問にスバルは質問に答えるべきかためらった。

 だが、

 

「バルスは、これから、『聖域』の外へ逃がすわ。中にいられて迷惑なのは誰にとっても同じよ」

「……ラム」

「言っておくけど……これはガーフの手落ちよ。それをわざわざ代わりに処理してあげようって話なんだから、感謝してほしいぐらいね」

 

 胸を張り、ラムはいっそ挑発的にガーフィールに方針を伝える。

 事実、ラムの言い分は正しい。今、自身の存在はこの場で起爆寸前の爆弾でしかないのだから。

 

「……ロズワール様との対談は改めなさい」

「……仕方ねぇ、か」

 

先ほどのたくらみを見抜いていたラムに釘を刺される。

だが、いくら何でもこの状況から行くほど勇気もなく、無謀でもない。

今は、ただただこの場から抜け出すことが第一だ、このループでは。

ガーフィールはラムの言葉に頭を掻きむしると、

 

「こっちの腹ァお見通しってわけッかよ」

「当然よ、ラムだもの」

「なんだその理由……とにかく、俺たちを見逃すってことだと思っていいのか?」

 

 妙に説得感があるラムの根拠に、僅かに空気が和らぐ。

 嘆息とともに吐き出された言葉に、スバルは光明を見出して目を見張る。

 直後、

 

「――確かになァ、理にかなった提案ッだ。ただ『ホーシンのバナン落陽』って言い方もある」

 

 不機嫌に唸ったガーフィールが拳を振るうのと、カロンによって後ろに引っ張られたのは同時だった。

 僅かに鼻先を剛腕が掠り、肉が抉れる。

 痛みと共に熱を鼻先に感じるが、それどころではない。

 

「どういうつもりだ! ガーフィール!?」

「当然だろ、テメェみてェな得体の知れねェ野郎、外に出すわけにゃァいかねェ。管理するのが一番ッだろォが」

 

全員が警戒を露わにする中、ラムが視線を鋭くする。

 

「その判断、ロズワール様のご機嫌を損ねるかもしれないわよ? そこのバルスはロズワール様にとって――いえ、捨ててもいいわね」

「この状況で冗談は言わないでくださいな、姉さまよぉ」

 

途中までの庇い立てを即座に捨てるラムに、スバルは脱力する。

しかし、その発言に受けた印象が、ガーフィールの地雷を踏んだ。

 

「ロズワールの、機嫌が悪くなるだァ……?」

「――――」

 

瞬間、肌が粟立つ感覚にスバルは全身を緊張させた。

 

「野郎がどれだッけ、ここのことを、ババア達のことを考えてる? 野郎はこっちをしっかり見てやがんのかァ? あぁ?」

「ガーフィール、ロズワール様は」

「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、だまッりやがれェ!!」

 

癇癪を起した子供のようにガーフィールは、怒鳴り散らす。

そして、強く一歩踏み出し、猛々しい闘気を膨れ上げさせる。

 

「……アリシアはこっち側につかなかったのか?」

 

 目の前にいる怪物に現状対応できる存在は、シャオンとアリシアだろう。

 だが今二人とも行方知れず、ないものに縋るのは良くないが、どこにいるのか、無事なのかは知りたい。

 

「それがアリシアさんは……集落で寝ているらしくて」

「なんじゃそりゃ……」

「どうやらここに来てから体調がすぐれていないらしくて……嘘はついていないようでしたし」

「『結界』の影響か?」

「定かではありません……でも、わかることは一つ」

 

 声を潜めて、現状手詰まりであることを再確認する。

 どうしたものかと考えている中、怪物が吠えた。

 

「最後のッ、譲歩だァ!! そいつをよこせ! それでテメェ等は黙ってろ!」

「今この場を切り抜けるのが、何よりも優先ってことですよっ!」

 

 オットーのその悲痛な叫びと共に、ガーフィールという獣は牙を一度鳴らし、こちらへとびかかってきた。

 

オットーが、スバルの元に着く少し前のこと。

アリシアはあてがわれた部屋で目を覚ましていた。

外に出てみると既に日は落ちているが、もう慣れたものだ。

というのも、『聖域』に入ってから体調がすぐれない事態が多いのだ。

気分がいい時間もあれば、今みたいにずっと寝ていないとダメな時もある。

完全な不健康生活。

きっとここの問題が解決すればまた、ロズワール邸に戻り、仕事詰めの毎日になるだろう。

だったら、今のうちに堕落を満喫するのも悪くない。

幸か不幸かは知らないが、スバルやシャオンのように咎める人物はいないし、ラムのように罵倒してくる先輩もいないのだから。

そんなことを考えていると、一人の少女が、集落の中で泣いていることに気付く。

見覚えはなく、聖域に住んでいた子供だろう。

そう判断すると、少女もこちらに気づいたのか怯えた目を向けた。

 

「お、おねえちゃん」

「あー、どうしたっすか? 迷子っすか。いや、村の中で迷子って言うのも?」

「えっと、みんな、どこかに集まっているみたいで……」

「んー、でもアタシもその話は聴いていないしなぁ……」

 

 というよりも、自分だけに話されていなかった説もある。体調を気遣ってか、それとも別の理由かはわからない。

 だが、この状況はあまり良くない。まるで自身が子供を泣かしたように見える。

 

「仕方ない、任せるっす」

 

 鬼の感覚を活用し、どこに人が集まっているのかを探る。

 ラムのように『千里眼』という力はないが、自分にだって特殊な能力はあるのだ。

 角の探知能力、正確には今は角は出していないがアリシアはほんの少しだけ感知能力――所謂、勘がいいのだ。

 才能か、それとも自身に流れる『血』の影響なのかは定かではないが、活用しない手はない。

 頭に両手を当てていると、音が聞こえ始める、自分以外には聞こえていないのではたから見ると変人だが、確かに聞こえているのだ。

 ここから離れたところが、少し騒がしい。

 ……騒がしい?

 

「あっちの方から僅かに音が聞こえるし、そっちにみんないるかも」

「うぅ」

 

 不安そうな様子に、アリシアの中のどこかにある姉心を擽る。一人っ子だが。

 そんな庇護欲を煽る少女の為に一緒についていこうとしたが――

 

「──大丈夫、お姉ちゃんもすぐ行くから、先に行っててくれるかな?」

「え、で、でも」

「大丈夫! ほら、これあげるから……食べるとおいしいよ?」

 

 懐に持っていた木の実を渡し、頭を軽く撫でて半ば無理矢理に彼女を送り出す。

 急な態度の変化に違和感を覚えていながらも、少女はゆっくりと指示した方向に進みだす。

 心が痛いが、許してほしい――それよりも、優先すべき事項ができたのだから。

 

「……待っててくれてありがとうっす──シャロちゃん」

 

 背後から、血のように赤い髪色の少女が、目をぎらつかせながら現れる。

 シャロ。

 人工精霊であり、この村でもそれなりに立場がある人物だったはず。

 先ほどの感知の際にひときわ感じた殺意に似た物は背後から感じられたが、信じがたいがこの少女の者だろう。

 そう考えていると、シャロは凛とした声でつぶやく。

 

「驚かないのですね」

「その口調の変化のほうが驚いているっすけど、そっちが本心?」

 

 以前会った時のような子供らしさはなく、自分よりも年上のような振る舞いに警戒を隠さない。

 自分も、親友であるアナスタシアも同じように、本心を隠している人物がそれを表している時ほどろくなことにならないのだから。

 

「村の人たちがいないこと、知っているっすか?」

「……お父様の命令で、この村を壊滅せよとのこと」

 

 彼女の言う、お父様……思いつくのはシャオンだ。

 そう、雛月沙音。エミリアが『試練』に最初に挑んだ夜から行方知らずの彼。

 その、彼がそう命じた、と。

 

「残る村での脅威の一つは、貴方のみ」

「どういうことっす?」

「もう、終わりに進んでいるってこと」

 

 その言葉と共に、唐突にアリシアの身体は上から強い力で押しつぶされた。

 シャロが、助走どころか予備動作すらなく、こちらに近づき、拳を振り下ろしたのだ。

 

「お、防いだ」

「ぅ、おぁぁあぁあぁああああッ!!!」

 

 身体が沈み、地面がわずかに陥没する。

 歯と歯がぶつかり合い、軋み、血が流れる。

 

「よいしょ」

 

 軽い言葉と共に、胸部を襲う強い蹴り。

 純粋な暴力、力の塊のような存在。

 そんな存在に、アリシアは呑みこまれた。



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暴力と暴力

 蹴り飛ばされ、頬を泥で汚しながらも態勢を立て直す。

 二対の鬼の角を生やし、そして、即座に背後から感じた悪寒から逃げるように、首を下げた。

 直後、自身の髪の毛を数本巻き込み、下げた頭のすぐ上で風を切るような音と、シャロの放ったであろう蹴りが見えた。

 

「あぶッ!」

「勘はいい、でも宝の持ち腐れ、いや、なるほど。自覚がない、と。あれだよ、ほら、そのほら、ねぇ?」

「いや、全然わかんない! なに!?」

 

 馬鹿にしているようなシャロの言い分に怒鳴る様に叫ぶ。

 だが、彼女は言葉に困り、何とか、手を宙に浮かせながら、考えているようだ。

 

「力をせーぶしてるってやつ?」

「はぁ? これでも全力で……」

「『裏の試練』で解消してもらえばいいのに……ほら、試しに全力で殴ってみなよ」

「無駄口が、命取りにッ!」

 

 煽りに乗る形で、アリシアは鬼の力を使い、全力で拳を振るう。

 振るったはず、だ。だが、それに直撃したシャロには傷一つない。

 それどころか、拳を振るったこちらの方が、

 

「残念だけど、命を取れるほど、その拳は価値がないよ? それよりも腕、大丈夫?」

「────ッ!」

 

 指摘されるまでもない。

 殴った、こちらの腕の感覚がない。

 確実に折れている、しかも粉々にだ。

 だが、無理矢理マナを力で従わせ、治療を図る。

 勿論、それでも痛みがなくなるわけではなく。

 

「────ぁぁああああ!」

「おぉ」

 

 寧ろ急激な回復に激痛が走り、唸り声のように叫ぶ。 

 そして、元に戻った自身の腕を見て、歯を食いしばり、敵であるシャロを見据える。

 彼女はこちらの満身創痍な様子に手を叩きながら称賛の声をあげる。

 

「すごい、鬼の再生力」

 

 余裕からの言葉。

 単純な殴り合いでは勝てない。

 理屈などではなく、直感でわかるのだ、そもそも次元が違うのだと。

 だから、別の方法を考える必要がある

 

「でも、それだけじゃ、ダメだよ」

「──あぐっ!」

 

 頭に対してのかかと落とし、沈んだところに側頭部めがけての回し蹴り。

 何とか踏みとどまろうとした自身の身体はいとも簡単に宙に浮き、そのまま大木へとたたきつけられ、骨ごと木を裂いた。

 そして、脳が揺らされたことにより、意識が遠のき、立ち上がることすら不可能だ。

 

「再生力はあっても、意識をなくせば、おなじこと」

 

 その言葉の通り、アリシアの意識が、一度闇へと沈む。

 ゆっくりと、沼に入る様に。

 

 □

『アリシアの角は特別なんやでぇ?』

 

 金色の髪に、若葉色の瞳。

 どこか、自分に似た長身の女性は、間延びした声で、自身の頭、というよりも角を撫でていた。

 これは──昔の記憶で、今目の前にいる女性は……すでに亡くなった母だった。

 こんなのんびりとしているのに、剣を握るその姿には容赦がなく怖かった、そんな母親だ。

 

『普通の鬼族とはちがって、マナを溜める力強いさかい。まぁ、その分こまい調整はややこしいけど』

 

 何故今その記憶がよみがえっているのか、これは、本能によるものだろう。

 恐らく今自身に襲っている危機に対して本能的に記憶を思い出させているのだろう。

 前シャオンが言っていた、走馬灯という奴に近いのだろうか、とにかくそういうものだろう。

 懐かしい母の姿に、泣きそうになるが、この光景は今のものではない。

 幼いアリシアはただ母親の撫でる手の温かさと、大きさに心地よく目を細めていただけだった。

 その様子を同じく目を細めて笑い、母──メアリアはからかうように急にアリシアのおでこを指で軽くはじいた。

 

『だってわっちとおんなじ【竜人】の血も入ってるさかい……あ、内緒ね? ほとんどいないから』

 

 額に感じた衝撃と共に、記憶が呼び起こされる。

 竜人の力と鬼の力。

 特別な亜人と、鬼族という特別な亜人とのハーフ。

 それが自分、だからこんなこともできる。

 そう、もう少し我儘に──角にマナを回して──

 

『──思い切り放てるのんは気持ちがええよぉ?』

 

 ──放出した。

 

「さてさてー」

 

 首と胴を分けようと、アリシアの元に近づこうとする。

 いくら丈夫で、再生力が高い鬼でも確実に殺せば復活はしないだろう。

 

「お」

 

 そう考えていると、アリシアが、ふらりと立ち上がり、こちらを見た。

 しかし、こちらに向かってくる意思はなく、纏う闘志もない。

 それどころか、視線は定まっておらず、気絶に近い状態だろう。

 ならば、立ち上がったのは鬼の意地か、それとも何か理由があるのか、それを理解しようとアリシアの動きを観察していると、彼女の口が動いた。

 

「んー? 」

(ギャ)──」

 

 耳を傾け、彼女の言葉が最後まで音になる前に、初めてシャロは回避行動をとった。

 直後、シャロのいた場所を白い光の線が貫く。

 

「ッ────」

 

 遅れて、風が吹き、シャロの身体を薄く裂く。

 今の一撃によって、カマイタチが生まれたことによるものだろう。

 一撃の派生で、そこまでの代物。

 

「……」

 

 今、何が起こったのか状況を空中で確認する。

 光の線、その軌跡はアリシアからシャロに向けて伸びていた。

 であれば、新たな援軍ではなく、アリシアの仕業なのは確定。では、一体どうやったのか。

 手か、口か、それとも足か。

 どこが攻撃の発信元になっているのかは──すぐにわかった。

 

(なるほど)

 

 火花を出しながら、アリシアの角が長く伸び、黒く、怪しく煌いている。

 つまり、あの技の一撃は角から放たれたものだろう。そして、その攻撃の正体も、つかめてきた。

 マナを圧縮し、そのまま放出しているのだろう。

 鬼族の得意分野である、マナを肉体強化に回すことをやめ、角にのみ集中させて、放ったのだろう。

 簡単なことではあるが、効果は絶大なのは目の前の光景で十分にわかる。

 光の軌跡をみるに、地面が抉れる、という表現よりも、消滅したと思えるような一撃。

 木々をなぎ倒し、空間を裂き、カマイタチすら生まれるほどの鋭い光線。

 

「これは」

 

 シャロの中で、アリシアに対しての危険度が上がる。

 彼女の中でアリシアという存在はそこまで気にする物ではなかった。

 鬼族ではあるがハーフで、しかも才能自体はそこまで優れていない。

 鬼としての肉体強度は十分強いが、シャロにとっては関係ない。

 この聖域内で、殴り合いという部分でシャロに勝てるものはいないのだ。

 だから、低く見積もっていた彼女の、覚醒を見て、再度評価を改める。

 その結果、

 

「──まずい、か」

 

 先ほどの一撃を放てるのならば、まだ不完全ではあるが彼女はシャロを殺すことができるかもしれない。

 だが、

 

「──ッ、は、はっ、がぁ」

「消費が激しい、と」

 

 マナを急速に集め、爆発的に放つ技。

 もともと無理がある技だ、しかもアリシアの様子を見るに、この技は使いこなせていない代物。

 連発はできないだろうし、彼女もしばらくは動けないだろう。

 ならば、対策は単純。

 

「──っ!」

「隙があれば、それを突かない理由はない」

 

 シャロは、アリシアが体制を整わせるよりも前に、彼女の元に勢いよく近づき、その勢いのまま首を掴み大木に叩きつける。

 彼女が衝撃に息を零す中、シャロは躊躇なく、彼女の細い首をへし折ろうと力を籠める。

 腕が膨らみ、アリシアの首の骨が軋み、──頭部が、角がわずかにこちらに向けられた。

 

「──光り輝く角笛(ギャラルホルン)

 

 はっきりとした攻撃の宣言。

 直後、アリシアの角から放たれたマナの光線が、シャロの側頭部を僅かに貫く。

 アリシアの首を無理やり横にずらし、躱すことができた一撃。しかし、完璧に避けることはできなかった。

 ほんのわずかに、僅かにではあるが、光線が頬を裂いた。

 ほんの少しのかすり傷と火傷、だが──

 

「ぅ──おぇ」

 

 シャロにとって、マナというのは毒そのもの。

 日々の生活で存在しているマナならまだしも、ここまで高濃度のマナであればかすり傷でも命に係わる。

 その証拠に、シャロの体調は今、先ほどと打って変わって絶不調極まりない。

 体の中で熱が上がり、吐き気が止まらず、抑えることもできずにほとんどない胃の中身を外に出す。

 そして、頭痛と共に、視界が点滅し始める。

 重い風邪をひいた感覚と同じ、らしい。自分はそういったものとは無縁だったが、これが風邪というのだったら、これに付き合う人というものは大変だ。

 そんなどこか的外れな考えを抱きながら、立ち上がる、立ち上がる必要がある。

 なぜなら、シャロに、あの人は──父は、シャオンは託したのだから。

 それだけが、使命なのだから。

 

「ベティ……」

 

 弱気になった心を、友人の名前をつぶやき、叩きなおす。

 震える体を何とか起こし、アリシアへ向き直る。

 アリシアも、口から血を流し、こちらに拳を構える。

 今の状態であればアリシアの拳はこちらに届くだろう。

 だが、それが罠で、また光線を放つかもしれない。

 攻撃の読み合い、だが体の状態から時間がたつほどこちらが不利、鬼の再生力を持つアリシアにとっては有利に働くのだ。

 いつまでもこうしてはいられない、だが、下手に動くこともできない、どうするべきかと焦りが見え始めた時、

 

「────今のは」

 

 遠くで聞こえた、ガーフィールの咆哮。

 どうやら、彼も獣化するほど追い詰められているようだ。

 想定していたよりも状況の悪さに頭を痛ませるよりも早く、今目を離してしまった自分の迂闊さを叱責する。

 一瞬、シャロの意識が外れた数秒、アリシアの行動は早かった。

 小さなシャロの身体に、勢いをつけ、蹴りを放つ。

 衝撃を逃がすこともできずに、うめく彼女に追い打ちをかけようと、角にマナを込め──

 

『おねぇちゃん?』

「────」

 

 唐突に聞こえた声は──アリシアが隠れるように伝えた少女の声だ。

 それがわかるのもアリシア本人であり、戦闘に集中していた彼女の意識を逸らすのには十分なものだった。

 視線だけそちらへ向けると、声の主は少女ではなく、小さな、小さな兎の魔獣。

 その魔獣だけだった。

 

「──大兎……興覚め、ね」

 

 大兎。

 白鯨と並ぶ、三大魔獣の一つ。

 その存在がなぜここにいるのか、なぜ、少女の声を出しているのか、なぜ、口元が赤く染まっているのか。

 その疑問が解決することはない。

 

「お父様にしては、本当に悪趣味」

 

 静かに、放つ。

 その言葉に乗った感情は哀憫か、それとも別の何かか。

 アリシアにはそれを理解することが、時間ができない。

 なぜなら、起き上がったシャロの貫き手が、心臓の位置を貫いているのだから。

 先ほど生まれた互いの僅かな隙。

 条件は同じだったが、運だけが悪かっただけだった。

 僅かに引け目を感じるが、

 

「お父様の命令が、最優先だから」

 

 シャロの小さな手が、自身の身体から抜き取られる。

 血が流れ落ちていく。

 自分自身から、温かい何かがこぼれ落ちていく

 そして、それすらも──白い獣に顔面を食われ、感じられなくなった。




アリシアの父のあだ名「竜砕き」は妻を口説いたところから来てます。


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誰も貴方を

「いきなさい!!」

「おわぁ!?」

 

 ガーフィールが殺意を隠さずに、こちらにとびかかると同時に、ラムが突風で、スバルたちを彼から遠ざける。

 その状況を理解している間に、スバルの胴体にオットーとカロンの腕が回り、有無を言わせずスバルは担ぎ上げられ、

 

「パトラッシュ──!?」

「行きますよっ!」

 

 猛然と走り出したパトラッシュが、スバルとオットーを無理やり背に乗せる。

 予想外の展開に目をむくスバルを抱え、オットーは無理矢理手綱を握り、速度を上げるパトラッシュにしがみつき、獣との距離を飛び出すように離していく。

 

「てめぇ、三下ァ!!」

「余所見の暇は、ないわよ、ガーフ!」

「──ッ!? ラム、邪魔すんじゃねェ!!」

 

 背後でとどろく怒声、それに対抗するかのように吹き荒れる防風

 暴と暴がぶつかり合い、炸裂し、ようやく今の状態を理解できる。

 そのうえで、すぐ近くで頬を固くするオットーの胸倉をつかみ、声を上げた。

 

「ま、まてよ! オットー! あんなところに、ラムを残して」

「あれ以上はあなたが危険だった、僕とラムさんの判断です! 文句は聞けません!」

 

 声に怒鳴り返され、スバルは思わず口を閉じる。

 それを見て、カロンはため息をこぼしながら、

 

「とりあえず、今は逃げるべき。彼女が足止めしている間に、貴方が逃げることが大事。最優先」

 

 カロンの言葉に、スバルはどこか同意を示している感情があった。

 戦力を考えれば、これが最適解、という理屈に近いものだが。

 

「オットー、隠し玉は早めに切る方がいい」

「え、ですが……」

「商人の判断は?」

「──っ!! ええい」

 

「お前ら何を──!?」

 

 疑念と混乱に脳が錯綜する傍ら、鋭く甲高い音が鼓膜を揺らす。

 音の発生源はオットー、間近にいる彼からだ。

 己の指をくわえた彼は、高い指笛が夜の『聖域』に響き渡り、2度3度と繰り返される。

 なにかの符丁のように。

 

「今の指笛は」

「あまり使いたくなかった手段です……隠し玉で、使わずに済むならそれでよかった」

「でも切るなら早い方がいい、彼らの覚悟を考えれば」

 

 パトラッシュ、オットー、カロンの3人はスバルを助けるために結託し、逃げる算段を組み立てていたのだ。

 この期に及んで何を隠していたのかと、声を荒げるスバルはすぐにそれに気づいた。

 

「────ぁ」

 

 後ろではなく正面、地竜の疾走する進路が、次々と明るく、光がともっていく。

 結晶灯の白い光は、迷いの森を照らす道しるべで、それらを支えているのは──

 

「アーラム、村の……」

「────みんな、ナツキさんの為に、力になりたいんですよ」

「お前、みんなが知ったら、暴発するって……」

「実際、危険な賭けでしたよ。でも、賭けに勝ったうえで、貴方には、ナツキさんだけには黙っていることにしました」

「なんで!?」

「──わからないです?」

 

 静かに、どこか怒りを込めた言葉が、カロンからスバルへ放たれた。

 

「なにが!?」

「彼らが、貴方の足枷になりたくないということを」

「────」

 

 意味が分からない。

 村人たちの配慮は、意味が分からない。

 何のためにそんなことを。

 足枷? 誰が、誰の。

 そんな疑問の渦の中、パトラッシュが敬意を表すように、短く嘶き、発光する道を、速度を上げて風を追い越していく。

 

「なんで、こんなことを」

「この先、まっすぐ突っ切れば結界だそうです! そこまで逃げ切れば!」

「な、なんで、俺なんかを」

「……自己評価が低すぎるんですよ、ナツキさん」

 

 そうつぶやくオットーの言葉はどこか怒りを込められたような、あきれたようなものが混じっていた。

 しかし、その真意をスバルが聞き返すよりも前に、カロンがつぶやいた。

 

「あ、まずい」

 

 そのつぶやきと共に、

 

「────ッ!!!!」

 

 咆哮が森に轟き渡り、次の瞬間にスバルは激しい衝撃波に飲み込まれていた。

 

 □

 

 きん、と耳鳴りがして、スバルはゆっくりと目を開ける。

 ぐらりと大きく頭が揺れ、頬に感じる硬い感触を通じてようやく自身が地面に倒れていることに気付く。

 なおも、立てずに揺れ続ける世界にスバルは気持ち悪さを覚える。

 濛々と、土煙が司会を覆っていた。

 そして、それが晴れると同時に、自身が今までいた地面が、えぐれ、へし折れた大樹が転がっている。

 そして、それにうずくまる影があり──金色の猛虎が低い姿勢に構えながら、鋭い視線で周囲を睥睨していた。

 

「────」

 

 猛虎は身を低くかがめ、翡翠色の瞳で倒れるスバルを見下ろしている。

 体長はスバルを見下ろすほどに大きく、四肢は太くたくましく、閉じた口腔には収まりきらない牙が生えそろっている。

 一目で、存在そのものの脅威を視覚的に訴えてくる存在。

 それに飲まれていたスバルは、 

 

「あー、ここまで、ですか」

「か、カロン」

 

 のんきなカロンの声で引き戻された。

 

「どこか無事に済むと思う未来があると思ったのですが。絶望」

「み、みんなは……?」

 

 首を必死で巡らせ、周囲の状況を把握する。

 折れた多地涌の根本、すぐ近くに吹き飛ばされた若者たちが倒れている。

 先ほどまで話していたオットーの姿もある。

 パトラッシュの気配もある……が、誰もが苦痛の声を上げ、呻いている。

 

「かろうじて、誰も死んでいませんよ。必然」

「必然って……」

 

 スバルと同様にボロボロの姿をしたカロンが服についた汚れを払いながら、馬鹿にしたようにこちらを見る。

 

「気づきませんか、あの虎のことを考えれば必然でしょう」

 

 必然である。

 虎。

 そして、自身に敵意を持つ存在で、なによりも、

 

「がー、ふぃ……る」

 

 巨躯の下腹部に特徴的な色の布切れが引っ掛かっている。

 それが、ガーフィールの腰巻の一部だとすぐに気づけた。

 脳裏に獣化したフレデリカの姿。

 確かに──必然的に彼があの虎だといえるだろう。

 数秒でラムを無効化し、猛然と彼はこちらに迫ってきた。

 まるで爆弾が着弾したかのような勢いで、スバルたちを吹き飛ばしながら。

 人にはできないその存在、力の差に、スバルは潮時だ、と思った。

 これ以上は逃げられない。

 だが、一つだけ願いが叶うなら。

 

「全員が死なないようにする、は無理ですね」

「……それでも」

「今、彼と取引はできない。興奮状態な獣と対話を試みる? 無理」

 

カロンは淡々と事実だけを口にする。

スバルが、避けていた現実を叩きつけるように。

そう、全員助けることはできない。だったら、あの時に。

 

「第一そんな甘さなら、オットーの手を取らなければよかった。後悔?」

 

そう、そうすれば、死ぬのはスバルだけで済んでいた。

スバルだけならば、『死に戻り』がある自身ならば、その死はなくなり、誰も傷つかない。

そう、あの時に手を取らなければ――

 

「甘い」

「……あ?」

「甘いと言っている。お前は、もう、死に向かっても、周りが誰も放って行かないことに気付いていない」

「それは――」

「――あの人と同じで、誰も貴方を放っていかない」

「なん、でだよ」

「さぁ、ボクはあなたと過ごしていないし、貴方の価値も知らない」

 

そう、カロンはスバルの行ってきた行動を知らない。

アーラム村の人々が彼を慕う理由も何も知らない、それでもカロンは尊いものを見るように、眩しいものを見たかのように目を細め、

 

「でも、他者を思いやる気持ちは嫌いじゃない。人間らしい、愛しいもの」

 

優しく微笑んだ。

 

「”この世界”が終わるのは確定しているんです。それでもあがくあなたに祝福を」

 

 そうつぶやくと同時にカロンは手をかざす。

 するとスバルの身体が浮き始め、浮遊感を覚える。

 そんな飛行体験に驚愕を覚えているが、それよりも──

 

「この世界って、まさかお前──」

「しーっ。ただでさえ浮かせるのに命を使っているんだから、”彼女”の地雷を踏まないでください」

 

 それ以上は喋らせない、と浮いていたスバルの腹部を思い切り蹴り上げる。

 先ほど久しぶりに飲んだ食べ物、水が逆流し、酸味と、生理的反応で涙が飛び出る。

 と同時に、浮いていたスバルの身体は異常なまでの速度で後方に飛び上がっていく。

 いったい何をする、という行動の答えはすぐにわかった。

 そう、宙を舞いながら気づいたのだ、懐で何かが、光が瞬くのを。

 

「────」

 

 輝石。

 フレデリカの輝石。

 懐に入れていた石が、青く輝く。

 そう、カロン、彼はガーフィールの脅威が、届かぬ位置へ、連れて行ったのだ。

 

「さて、あとは頑張るのみ」

 

 そう告げたカロンの身体はスバルを追いかけ始めてきたガーフィールによって、真っ二つにされた。

 しかし、その肉片が地面につくことを見届けることはできず、瞬間、光が膨れ、ナツキスバルを包む。

 

「──ナツキスバル……あの人を、父上を、シャオン様を、頼みます」 

 

 ──転移が起きた。

 

 

 目が覚めた時、そこは一面の銀世界が広がっていた。

 吐く息が白く染まる中、スバルは無気力に歩みを続ける。

 絶望に染まる中、託された思いだけを胸に。

 そう、彼を探し、見つけることができた。

 

「――遅かったじゃないか、スバル」

「探したぞ、この野郎」

 

どこか、変わり果てた相棒の前に、ナツキスバルはようやく対面したのだ。



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砕けた心

「それにしても、なんだこのありさま。目を覚ましたらそこは雪国でした、ってか?」

「……」

「……シャオン、だよな?」

 

 軽口をたたくスバルだったが、目の前の男──推定シャオンは答えない。

 ”淡く光る”その姿からはどこか目をそらすことはできず、怪しい雰囲気をまとっている。

 だが、見た目はスバルにとっての相棒である彼そのものだ。今のスバルにとって、相対存在である一人、の。

 それに付け込んで、姿を変えている敵だったら、という可能性は考えたくはないが怖くなり馬鹿げた質問だが改めて尋ねた。

 

「──こっちにも事情があってね、いくらかボロボロなのは勘弁してほしいが、そうだよ」 

 

 数秒の間を置き、息を白くしながら、目の前の男、シャオンはスバルにいつも通りの様子で語り掛ける。

 よかった、スバルの知るいつもの彼だ。

 以前あった──レムの想いを伝えてくれた『あの男』とは違う、雛月沙音だ。

 

「……シャオン悪い、村の人々は──いや、そもそもお前は今までどこに?」

「村の人々は死んだんだね。”視ていた”からわかるよ。それに……聖域の人々も死んだ、この天気の所為でね」

「────」

「ちなみに、この天気は俺の所為だ」

「――は?」

 

 衝撃の事実ともいえる言葉に、スバルは震える声で言葉を絞り出す。

 

「じ、自分の意志でこんなことをしたのか?」

 

 それを受けて目の前の男、暫定シャオンは、口元に手を当て、考え抜いたかのように答えを出した。

 

「そうだよ……随分と遠回しな聞き方をするね、スバル。君の悪いところだ、真に知りたいことを避け、後回しにするところ」

「みんなを殺したのは、おまえか? シャオン」

「しつこいね、何度でも「お前がッ! 、殺したのか?」……正確には違う」

 

 叩きつけるようなスバルの三度目の言葉に、シャオンは息を吐き、観念した様に告げる。

 服が汚れるのを気にしないで、雪が積もった地面に座り、スバルを見上げる。 

 

「なんで、わかった?」

「そんな、泣きそうな顔で、弱々しい声色で絞り出した言葉を素直に信じるほど、鈍感じゃねぇ」

「はは、胡散臭さには自信があったから演技をしてみたんだけど、柄じゃないか」

「いいや、ずいぶんはまり役だったぜ……俺じゃなければ騙されていただろうよ」

 

 長い間過ごしてきた人物じゃないとわからないほどに些細ではあるが確かな違和感。

 それをスバルは確かに感じ取っていた。

 それを告げると彼は、照れ臭そうに頬を掻く。

 しかし、すぐにまた、冷たい表情へと戻り、

 

「……ロズワールと契約したんだ。俺は雪を降らして、スバルの邪魔をする、って」

「なんで、そんなことを」

「……それは、記憶にない。だけど、魂がわかっている。そんな契約をしたって」

 

 ウソを告げている様子はない、というよりもシャオン自身が詳しくわかっていないような表情だ。

 だが、大方の詳細を掴めている理由としてはシャオンはスバルよりも契約に詳しい、きっと、魂と契約の関係性もわかっているのだろう。

 

「天候を変える魔法を使って、その所為で、多くの生物が死んだ、村の人々も、聖域の人々もだ」

「そう、か」

 

 ウソではないだろう。

 きっとこの大雪の所為で多くの生物が死んだのだろう。

 だが、それはきっと彼の所為では、ない。

 いや、だとしても、だ。

 そんな諦めたようなシャオンの態度を見て──

 

「とりあえず──一発殴らせろ」

 

 怒りに任せてシャオンに掴みかかる。が、伸ばした腕は横に滑るような彼の動きに回避され、逆に足下を乱暴に払われて転ばされてしまう。

 スバルなりに不意を突いた一撃だったが、彼にとっては児戯に近いもの。

 それどころか、倒れ込んだこちらに追撃を加えていないだけ彼にとっては遊びですらないのかもしれない。

 

「……くそっ!」

「やめろよ、時間が無駄になるし……傷が増えるだけだ」

「いまさらッ、だろ!」

 

 その瞬間、スバルの視界は回り──勢い良く叩きつけられた。

 

「あ、がっ!」

「……」

 

 背中から地面に叩きつけられて、弾むスバルは衝撃と痛みに息が詰まる。

 投げられた場所は雪の降り積もる場所ではあったが、衝撃の全てが吸収されたわけではもちろんない。

 手足の先にまで痺れの走るような感覚があって、喘ぐスバルは立ち上がることもできない。

 そして、シャオンはちょうどスバルの身体の中心に足を載せ、動かさないように固定させた。

 

「仕方ない、このままの態勢で話をしよう」

「随分と、おぇ、見下してるな」

「我慢してくれ、殴られたくはないんだ」

 

 はは、と笑うシャオンは普段の様子とに何も変わらない。

 いや、変わらなさすぎる。まるで、仮面をかぶっているような笑みだ。

 そんな違和感を覚えていると、シャオンが小さくつぶやく。

 

「俺は、このループが最期だ」

「……どういうことだ? ……あきらめる、ってことか? このループを抜け出すことに」

「そう、早とちりするな、正確には表舞台から消えるだけだ」

 

 怒気を含んだスバルの言葉に、シャオンは薄ら笑いを浮かべて否定する。

 

「文字通り、俺はこの世界が終われば、影でサポートをする存在になる。もう、俺はお前たちと一緒にいられない。過去に多くの人間を殺し、今も多くの人間を殺した、そんな人間が一緒にいることなんて、できないだろう」

「過去……?」

「ああ、気にしないでくれ。どちらにしろ、俺のような存在がいなくてもきっと無事抜け出せるだろうし、俺も、そう。俺も、未練はない」

 

 そう告げるシャオンの言葉はいつも通りの笑顔。

 胡散臭い笑顔であり、どこか信頼できるという矛盾した表情。

 それを張り付けているシャオンの姿はいつも通り、だが。

 

「──らしくねぇ」

「うん?」

「──お前らしくねぇ」

「────」

 

 スバルの目は欺けない。

 スバルの言葉にシャオンの笑みが固まる。

 

「ロズワールに、してやられているままって言うのが、らしくねぇ。なにより」

「やめろよ、スバル」

 

 そう、スバルが知っているシャオンは、こんなに簡単に、あきらめる人間ではない。

 

「お前自身が、そんな、悔しそうに、悲しそうにしているのに、諦めてるのがらしくねぇ」

「……やめろ」

 

 スバルのその呟きに、今まで冷静だったシャオンの顔に動揺の色が浮かぶ。

 そして──

 

「────未練がないとか、そんな嘘ついてんじゃねぇ!! そんな、つまらない嘘で本心をごまかすんじゃねぇよ!」

「────何がわかるっ!! お前に、俺の何がッ!!」

 

 互いに、悲鳴にも似た、叫びが空間を揺らした。

 

 思わず出された言葉に、スバルは思わず体を一度震わせた、が己の感情を突き通すことを示すようにただでさえ鋭い瞳は依然棘を含んでいる。

 対して、シャオン、出した本人でさえ、ここまで感情が噴出したことに驚いているのか目をさまよわせている。

 だが、まるで、栓が抜けたかのように、言葉が、感情があふれ始めた。

 

「俺自身、わかってないのに、俺の何がわかるんだよ、スバル」

 

 足をどけ、シャオンはスバルの襟をつかみ、無理矢理立たせる。

 解放されたのは一瞬で、すぐにまた力強く掴まれることで息が詰まる。

 

「いきなり自分は複製体だ? 今までの記憶は嘘偽りだ? ふざけんじゃねぇ!」

「おま、えは何を」

「未練がない? そんなわけねぇだろッ!? 未練も、後悔も、何もかもがぐちゃぐちゃだよ! でも仕方ねぇだろ!? これが最善手なんだから!!」

 

 聞いたこともない事、事情にスバルの思考に困惑が埋め尽くされる。

 それを尋ねるよりも前に、シャオンのほうがこちらへ問いただしてきた。

 

「──なんで、責めなかった?」

「急に……なにを、だよ」

「なんで──レムを守れなかったとき、誰も責めなかった」

「────」

「お前は俺を信頼してレムたちに同行させた意味もあったはずだ」

 

 確かに、その意図がないと言えば嘘になる。

 あの時はレムと同様にシャオンの不調を気にしている面もあったが、護衛の意味も兼ねていた。

 きっと彼がいるならばクルシュを含め、レムたちも守れるだろう、と。

 そんな確証がない期待はあった、あったのだが。

 こちらの思考を読み取ったのか、シャオンは続ける。  

 

「だが、起きた結果は何だ?」

 

 レムは救えなかった。

 なぜならば、あの時の判断が間違えていたのだから。

 一人で立ち向かえると驕ったシャオンの考えが、間違いだったのだ。

 あの時の最適解は大勢で立ち向かうこと。それだけだった。

 

「俺の、傲慢さが原因で、救えなかった、俺の弱さが、すべて」

 

 もっと、シャオンが強かったのなら。

 もっと、シャオンが利口だったのなら。

 いっそ──

 

「──俺がいなければ、きっともっと良い結果に」

「そんなことは──」 

「言いきれないだろう!?」

 

 激昂の言葉は、拳に代わり、スバルの顔面を振り抜く。 

 口を切ったのか、血が白い雪景色を赤く染める。

 だが、それでも止まらない。

 何度も、何度も、何度も何度も殴り続ける。

 

「全員が、心の中で思ったはずだ──お前がいたのに、と」

「それは……それ、は!」

 

 完全に否定ができない。

 レムの状態を初めて聞いた時、スバルもシャオンがいたのに、と思ってしまったことがある。

 そんな、自分勝手な考えはすぐに捨てたはずなのに、どこかにはあったのだ。  

 彼を、彼の強さを信頼していたために。

 

「でも、誰も俺を責めない。それが、怖いんだよっ……!」

 

 スバルの胸ぐらをつかみ、持ち上げる。

 必然的に、息が苦しくなるがそれでも彼から目を離せない、離させない。

 離したらきっと彼の真意はもう掴めない気がしたから。

 

「……責めろ! 俺を、責めろよっ……!」

 

 感情のないような瞳から、初めてスバルは感情を読み取れた気がする。

 沼のような黒い瞳に、涙をため、瞼から筋を引いて涙がこぼれる。

 

「シャオン……」

「じゃないと……。そうじゃないと……駄目なんだよ……」

 

 掴んでいた手から力が抜け、シャオンは立っていられないとばかりに膝をつく。

 こちらに縋る様に叫ぶシャオンの様子は、懇願にも似たもので、贖罪を求める罪人の様で──

 

「────」

「……誰も、こんな俺よりも強い力を得る方がいいと考えるだろう」

 

 スバルは、初めて彼の姿が小さく、自分よりも小さく見えた。

 誰かが彼を責めれば、シャオンは、いや『雛月沙音』は迷わずに、自身の進路を決めていただろう。

 彼は今、『彼』でいることの瀬戸際にいる。そして、その最後の一線を誰かに委ねようとしているのだ。

 普段ではありえない彼の選択、言動に行動を経てようやく気付く、その遅さにスバルは自身を殴り飛ばしたいと思うほどだった。

 そう──シャオンの精神は等に限界を迎えていたのだ、と。

 そして、それと同時にスバルの中で湧き上がるのは──彼に対する怒りだ。

 彼が、彼自身の評価を低く見ていることに対する、『価値』を低くしていることに対する。

 

「……シャオン」

「……なんだよ」

 

 胡乱気な声と共に、顔をあげたシャオンの表情は、酷く衰弱していた、きっと彼なりに色々と考えることがあったのだろう。

 だが、そんなことを気にすることもなく──次の瞬間、鋭い衝撃が横っ面を打ち抜き、シャオンは地面に横倒しになっていた。

 受身も取れずにすっ転び、顔面から地面に落ち、目を回す。

 頭を振り、何が起きたのかと周囲を見回して、拳を振るスバルの姿を捉えて、殴られたのだと気付いた。

 

「歯、食いしばれ」

「──っう、当ててから言うなよ」

「当てる前に、話したら、当たんねぇだろ、お前」

 

 初めて当てた一撃はスバルのほうが痛かった。

 だが、それでも、気にする余裕はない。

 

「目、覚めたか?」

「なんのことだ?」

 

 王都にいたスバルと同じ、今の彼は腐りきっている。

 自暴自棄にも似た様子。あの時の自分にはレムという支えがあったが、今の彼は孤独だ。

 

「お前の言っていることは何もわからない」

 

 彼の抱える事情、彼だけがわかる真実、彼が犯した罪とやらはスバルにはちっともわからない。

 その代わり、

 

「でも、お前が今まで築いてきた絆や日々を否定することはやめろよ……頼むから」

 

 彼がスバルの為にしていた努力を、彼が誰かの役に立とうと身を削っていたことを、彼が誰よりも全員を好きだということを、スバルは誰よりも知っている。

 だからこそ、

 

「俺は! お前の力が、雛月沙音の力が、必要なんだよッ!」

 

 どんなに強い力よりも。

 どんなに頼りになる存在よりも。

 ただただ、自分の隣で歩み、目印のように前を歩き、後ろで、支えるように見ていてくれる友人である雛月沙音にいてほしいのだ。

 ナツキスバルという弱い人間に、雛月沙音という人間は、エミリアたちと同様に必要不可欠な存在なのだから。  

 そのためならば、自分は何度でもやり直そう。

 力が必要ならば、自身が知恵と工夫で乗り越えよう。

 そのために必要となる苦痛ならば甘んじて受けよう。

 だから、憧れである沙音に、離れてほしくなかった。

 

「スバル……でも」

 

 スバルの全ての感情が伝わったのかはわからない。

 だが無意味ではなかったはずだ。

 シャオンは、殴られた頬を抑え、そこに感じる熱を、スバルの叫びを感じる。

 

「でも、それじゃ、この先────」

 

 そこで言葉を止め、シャオンは周囲に視線を向け、釣られてスバルもそちらを見る。

 しかし、そこにあるのは雪景色だ。

 

「時間切れだ……よく目を凝らしてみるといい」

 

 改めて、スバルはゆっくりと目を細め、気づいた。

 雪景色が、明らかにおかしい動きをしていると。

 耳を澄ませていると、声も聞こえてきた。

 

『お兄ちゃん』

 

 その言葉と共にはっきりと認識した。

 雪景色と思っていた存在は、『兎』だ。

 大量の小柄な兎たちがこちらを囲って、見守っている。

 いや、見守っているという表現よりは、狙っているという表現が近いかもしれない。

 

「こいつは……」

「この兎は、食べた物の習性を真似る。感情もだ」

 

 兎──大兎。

 三大魔獣の一つ、そう思い立ったのはこの間討伐したばかりの白鯨の存在が大きいのだろうか。

 そんなことを呑んきに考えていると、シャオンは自嘲気味に笑う。

 

「我ながら恐ろしいものを作ったね」

「ど、どうするんだよ」

「終いだよ──今の俺には、強さが足りない。だから、元に戻る」

 

 その言葉と共に、視界がずれた。

 彼の手に持っているのは、氷で作られたナイフ。

 それが、赤く染まっている、それは、自分の血だろうか? 

 痛みを感じないのは、彼なりの優しさだろうか。

 

「雛月沙音は死に、『シャオン』が残る。そして──お前は今現状考えられる、最良のカードを手に入れることになる」

 

 皮肉げに笑う彼の姿は、どこか助けを求めているようで、どこか諦めているようで。

 

「じゃあな、ナツキ・スバル。友人だった男。最後の説教は、少し響いたし、頬は痛かったよ」

 

 何かを口にしようとするも、スバルの声は血の泡となって届かない。

 

 シャオンがあえてそうしたのかはわからない。

 だが、今の彼を逃してしまえばもう会うことは難しくなる、そう感じたのだ。

 だから、意地でも、痛みを無視してでも叫ぶ。

 友の名を。

 

「ゃ、ぉ」

「さよなら……初めて、友人から殴られる経験が最期というのは、どうなんだろうな」

 

 少し微笑みながら、シャオンは、雛月沙音は白い山のようになっている『大兎』の元に歩み出す。

 まるで、自身の子を愛する母親のように手を広げ、抱擁の格好を取りながら、ゆっくりと、すすみ、山が崩れ、鮮血が白を染めた。

 友人が白い兎たちにむさぼられていく姿を見届け──ることすらできずに。

 

「ばか、やろぉ……!」

 

 ──ナツキ・スバルは死を迎えた。

 



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欲の先

 なんの因果で、誰の謀で、こんな目に遭わなくてはならなかったのか。

『再び、君は資格を得た』

 小刻みに震えるスバルに対し、それは耳元で囁くような声だった。

 高く、弾むような声。今のスバルには聞こえても、意味を噛み砕くには至らない声。だがそれはひどく、今のスバルの内側にも響く声で──。

『招こう──魔女の茶会へ』

 次の瞬間、舞い戻ったばかりのスバルの意識は再び、現実感を喪失していった。

 

 青々とした草の生い茂る小高い丘には、春を思わせる涼やかな風が吹いていた。

 風はスバルの前髪と、背の高い緑の草を優しく揺らし、青い空の彼方へと駆け抜けていく。

 風にくすぐられた額に軽く指先で触れ、スバルは日差しの眩さに目を細めた。

 そして、ゆっくりと視線を下ろして前を見た。

 いつの間にか座らされている、白い椅子。同じように白い小さなテーブルを間に挟み、こちらの対面に同じような椅子に座って足を組むのは、白い髪と黒い服をまとった少女──否、その呼び方はふさわしくないのかもしれない。

 

「──強欲の、魔女」

「さすがに、前回のような態度はとれないようだね? ボクとしては少し残念だけど……」

「悪いが、そんなに余裕があるわけじゃなくてな、膝ガクブルしてる中こんな応対ができてるだけほめてくれ」

「おや、よほどあちらでひどい目にあったようだ」

 

 膝の上で拳を開閉し、スバルは苦々しい顔で空を仰ぎながらそうこぼす。

 それを聞いた魔女──エキドナは白いテーブルに頬杖をついて、スバルを観察するようにじっくりと上から下まで眺めながら、

 

「それで……このお茶会のお誘いは、どういう風の吹き回しだ?」

「ボクは『強欲の魔女』であり、求め、欲する心はボクにとって快いものであり、それが知りたいという欲求、何故と問いかけるものであるのならば最上だ」

 

 言いながら、彼女はテーブルの上の白いカップを口元に運ぶ。

 喉を鳴らしながらカップの中身を嚥下し、うっすらと微笑みながら、

 

「求めたのだろう? なぜと渇望したのだろう? だから、答えたんだ。君のその強欲に」

 

 手を振ってエキドナのもったいぶった言葉を切り捨て、スバルは身を前に乗り出す。眼前の白い美貌、それから目を離さないように睨むと、

 

「──シャオンは、雛月沙音は、なんなんだ」

「──勘違いしないでほしいな、ナツキ・スバル」

 

 悠長な態度に気がはやり、急かそうとしたスバルをエキドナが呼んだ。

 その声音は今までの彼女とは違い、逆らい難い力があった。

 

「確かにこのボクは強欲の魔女。知りたいことを求め続けた知識欲の権化ともいえるべき存在だ。でも……君の事情にその知識を分け与える、あるいは都合良く協力したり、助言したりするかは別問題なんだよ?」

「ぇ……」

 

 口をつぐむスバルの前で、エキドナは当然のことを口にした顔でいる。その彼女の思わぬ応対に、スバルはといえば困惑と落胆の色を隠せない。

 「あ」とも「う」ともつかない音を口から漏らし、視線をさまよわせ、項垂れた。

 

「ならなんで呼びかけに応えてくれたんだよ……」

「求める声を無視はしたくないさ、その後のことは応じて決めるよ」

 

 当たり前だろう?とばかりのエキドナの様子にスバルの視界が暗くなる。シャオンを、エミリアを、みんなを救うための手がかりは、スバル1人では知り得ない。

 そう、スバルが何も言えずにいると、エキドナは肩をすくめ、

 

「そんな見捨てられた子どものような顔をされると、ボクも困ってしまうよ。そんなに難しいことは要求していないつもりだけどね」

 

 言いながら、彼女は困った顔で首を傾けながら、伸ばした指で白いテーブルを弾くように三度叩く。つられてそちらへ視線を送ると、テーブルを叩いた彼女の指は一点を指し示している。――手のつけられていない、スバルに配膳されたカップを。

 

「君は魔女の茶会に招かれた。茶会の場で話し合いに花を咲かせるつもりがあるというのなら、まずは招待を受けた証を立てるべきじゃないかい?」

「……っ。わかり、づらいんだよ、お前」

「そうかい? 最低限『茶会』であるには必須だと思うけど」

「くそ、わかったよ!」

 

 テーブルの上のカップをひったくるように奪うと、中で揺れる琥珀色の液体を一気に喉に流し込む。

 味もわからないぐらいの一気飲み。やけどをしないのは魔女の秘密か、なんて考えながらスバルは口の端を伝う滴を乱暴に袖で拭い、

 

「さあ、飲み干したぞ。これで俺を、茶会の参加者として認める気になったか?」

「ボクの体液をそんなに勢いよく飲み干されると……流石に照れるね」

「うぉえっ、忘れてた――っ!」

 

 口に手を当てて嘔吐感を堪えるスバルを愉快げに流し見て、それからエキドナは「認めるよ」と精緻な美貌に微笑を刻み、

 

「君の何故という問いかけを資格に、茶会の扉は開かれた。そして、魔女の差し出した茶を口にした君は立派な参加者だ。茶会の主として、ボクには君を歓待する義務がある。――さあ、改めて言ってごらん」

 

 小さく手を叩き、エキドナはその双眸を好奇心に爛々と輝かせながら、こちらからの質問を待っている。

スバルはその様子を呆れ半分で見ながら、シンプルに尋ねた。

 

「シャオンについて、教えてほしい。400年前にお前らといたシャオンについて」

 

「ふむ……最近は彼に対する話をする機会が多いね。嬉しいことやら」

「なんだよ」

「こちらの話さ。まず、君の知るシャオンと、ボクがよく知るシャオンは別人だ」

「……よかったよ、それを聞いて今後のアイツとの接し方を考えなくて済む」

「彼はボク達魔女に近く、魔女とは永遠に遠い外の存在。オド・ラグナの化身だ」

「オド・ラグナってのは、あれだよな、マナの塊みたいな、世界の仕組みみたいな」

「まあ、今はその知識だけでいいよ」

 

知識不足の子供に話しかけたように小さく笑うエキドナにスバルは僅かに恥ずかしさを覚える。だが、魔法とは良い関係を作れなかったスバルには調べる気がないのは仕方ないのだ。

 

「化身については彼が語ったことだ、戯言の可能性もあったさ。ただ、実際に誰かがマナを大きく消費することで彼が大きく体調を崩すことが多々あった。それを見たボクからすると嘘と断じるよりも信じる方が簡単さ」

 

そう語るエキドナの表情は読めない。

悲しさを帯びているようにも見えるし、何も感じていないようにも見える。

ただでさスバルは他者の気持ちに疎いうえ、女性、さらには知り合ったばかりの女性ならば尚更だろう。

 

「だが、そんな彼も死んだ。ボク達魔女と同じ力を持っていながらもその摂理には抗えなかった」

 

そんなスバルの考えを他所に話は進んでいく。

 

「彼は死にたくなかった。元々責任感の強い彼のことだ。自身の使命が果たせていないことが気がかりだったのだろうーーそこで話に絡んでくるのがヒナヅキ・シャオンだ」

 

ようやくスバルの知るシャオンが話に出てきてスバルは思わず息を呑む。

 

「彼は過去に存在した『シャオン』の転生先だ。”器”と彼は称していたね」

「……続けてくれ」

 

 驚きはあった、だが今は話を全て聞くことが大事だ。そう思いスバルは努めて冷静を保つ。

 

「ありがとう。彼は、ヒナヅキ・シャオンを、器を、一から生命をつくろうとしたのさ、人工精霊という形でね」

「人工精霊……なんで、そんなことを」

 

スバルのつぶやきに、エキドナは首を傾げ、

 

「────そこまで意外ではないだろう? 誰だって長生きはしたいと思うのは」

「……」

 

 確かに道理だ。

 もしも彼の目的が長寿というなら寿命がないような存在を器とするのは当然の考えだろう。

 だが、もしもシャオンが精霊だとしたら、さらには本人が自覚をしていないというのだったら誰かが指摘するはず。

 特に屋敷に自分たちが訪れた最初の頃、信頼を得られていなかったあの時に屋敷の誰かが、少なくともパックやロズワールは問いただしているだろう。

 それがない、ということは。

 

「残念ながら彼は精霊ではない、そこは保証するよ。途中で計画を変えたのさ」

「だよ、な」

「うん。ただ、彼は人間でもない……正確には人工的に作られた人間という言葉が正しいだろう」

 

 エキドナはこちらの疑問を先回りするように答える

 精霊ではない。ただ、人工的に作られた人間、人造人間という奴だろうか。

 確かにどこか自分とは違う奴で、住む世界が違うとは思ったが、本当に違う存在だったのだ。

 

「シャオンはそれを知って、ショックを受けたわけだ」

「多分ね。ただ、彼の、人の心の中身は普通とは違うから、断定はできないよ」

 

 目を伏せてカップを傾けるエキドナの表情は相変わらず読めない。

 ただ、僅かに声色が沈んでいるように感じた。

 それを追求して、彼女とシャオンの関係性を調べる余裕は今のスバルにはない。

 だから、先に進む。

 

「エキドナ。今、あいつに何が起きている」

「──先祖返り、という言葉を知っているかな」

「先祖返りって……先祖さんがもっていた才能や、見た目が子供……子孫に現れるっていう奴だな?」

「博識だね、それに近い事象が起きていると考えればいい」

 

 元居た世界のラノベから得た知識程度だが十分だったようだ。

 

「でも、なんで急になんだよ。今までそんな素振りは……」

「原因はこの場所だろうね。この聖域は彼ともゆかりがある場所、そこに訪れたせいで先祖返り、もとい同化が発生している。このままならばヒナヅキ・シャオンがシャオンになるのは時間の問題だ」

 

エキドナの言葉にスバルは強く唇を噛む。

そんな状態になるまで真実を知らなかったこと、知ろうとしなかった自身に苛立ちを覚えたのだ。

そんな激情のなか、スバルに対してエキドナは意外そうに口を開いた。

 

「喜ばないんだね」

「当然だろ、あいつが苦しんでいる状態を──」

「でも、彼がシャオンとして覚醒すれば君が今陥っている状態を解決できる、といえば?」

「────」

 

 絶句するスバルを他所にエキドナは楽しそうに説明を始める。

 

「彼はボク達魔女と共に肩を並べる存在だ。実力も、その名も、性格ももちろんだけど。少なくとも彼が本来の姿になるのならば、例外を除いて君に降りかかる問題は解決できるだろう」

「そこまでなのかよ」

「誇張表現ではないよ、彼が本気を出すならば魔女の中でも”最終的な”強さは3番目になるだろうからね」

 

「さて、改めてだ。それを知って君はどうする?」

 

悪魔の囁きの如くエキドナはこちらに尋ねる。

どう答えるのか、彼女はスバルの選択を、葛藤を楽しんでいるのだろう。だが、侮るなよ魔女。

 

「──シャオンを、助けるにはどうすればいい?」

 

スバルの答えは変わらない。

助けられるなら助ける、それが困難な道であれ、ナツキスバルは『死に戻り』を繰り返して必ず達成させるのだ。

即断即決をしたスバルにエキドナはにこやかな笑顔のまま答える。

 

「色々方法はあるさ、一つの方法としては、彼が抱える悩みを解決すればいい」

「簡単に言うぜ……悩みの種もわからないってのに」

 

スバルの言葉にエキドナは少し考え、口に出した。

 

「……本来ならここまで急に同化の現象は起きない……なにか悩み事があったのじゃないかな? 彼の信念の根底を揺るがすような」

「……悩み」

 

『なんで──レムを守れなかったとき、誰も責めなかった』

 

 スバルの脳内に過るのは彼の言葉。

 レムを助けられなかった、シャオンの苦痛に満ちた、確かな叫びだ。

 おそらくあれが起因となっているのだろう。だが、ほかにもなにか理由があったのかもしれない。

 スバルの知りえない小さな悩み、それが積み重なって、爆発した可能性がある。

 

「これ以上はどうやっても推測の域を超えない。君の望みをかなえるのは──ボクでは不十分かもしれない」

 

 あきらめたようなエキドナの言葉にスバルは思わず縋るような目と声で彼女を見つめる。

 するとエキドナはくすりと笑い、

 

「求められる視線というのはいいものだね、特に君からというのは」

「……からかうな、何を考えてる」

「君は、ほかの魔女と対話する勇気はあるかい?」

「ほかの魔女」

「そう、ほかの魔女、だ。ボク以外に400年前のシャオンをよく知っているのは彼女たちだからね。今の彼の悩みにもたどり着けるかもしれない」

 

 ただ、とエキドナはスバルをまじめな表情で見つめ、

 

「”魔女”と対話する。その意味をもう一度考えて決断してほしい」

 

 大罪を関する魔女。

 それはスバルにとって、いや誰にとっても”災害”のようなものだ。

 それと対話をするという決断。

 それこそこのエキドナも同じ区分に入るのだろうが……

 

「────」

 

 彼女のように、こちらに友好的とは限らない。

 いったい何が起こるかわからない、この精神空間ともいえる場所で死ぬようなことがあったらどうなるかわからない。

 危険な賭けだ、得られるものも少ない。そんな賭け──

 

『────何がわかるっ!! お前に、俺の何がッ!!』

 

「……上等」

 

 泣きそうなほどに、絞り出された彼の声を思い出した。

 それだけで、覚悟は決まった。

 こめかみに当てた拳銃の、その引き金を自ら引く行為だ。だが、それでもスバルは彼を助けたい。

 自分が助かるために、そして、エミリアたちを含めて全員がハッピーエンドを迎えられるように。

 

「では、健闘を祈るよ?」

 

 エキドナはスバルの覚悟を見届け、満足そうに笑みを浮かべた後、その姿が霞のように薄くなる。

 まさに幽霊だな、という場違いな感想をスバルが抱き、瞬きを一つ。

 それだけで、エキドナという女性は目の前から消え、

 

「んー? おまえ、だれだー?」

「小さい、子供? か?」

 

 小さな子供が、代わりに鎮座していたのだ。



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傲慢なる妹と母なる怠惰

「なにを見てるんだー、おまえー?」

「……は?」

「じろじろ見てるんじゃーないぞー」

 

 そう言って足をばたつかせ、スバルの前で一人の少女が不満そうに頬を膨らませている。

 濃い緑髪を肩口で揃えて、リンゴのように赤い頬をした少女だ。

 褐色の肌に白のワンピース、髪に留めた青い花を模した髪留めに首元に着けられている赤い首飾りが特徴的だった。

 どこをどう見ても、無害で無邪気な少女──それが今、エキドナのいた場所に座ってスバルの方をジッと見つめていた。

 

「あ、え、お? ちょ、待って。え、エキドナは……? あいつ、どこ行った?」

「ドナ? ドナならどっかいったけどー、おまえはなんなんだよー」

「お、俺? 俺の名前はナツキ・スバル。エキドナとちょっとお茶というなの今後の進路について……」

「へー。じゃー、おまえはバルなー」

 

 敵意、というには可愛らしすぎるものを向けられながら、状況についていけないながらもスバルは素直に自己紹介。と、それを受けた少女はにへらと嬉しそうに笑い、こんな状況でなのにスバルの胸をほっこりとさせてくれた。

 状況は完全に混沌としているが、少なくとも目の前の少女は魔女ではなく、悪人でもないはずだ。ならばエキドナのほうで何らかの予想外の出来事があったのかもしれない。

 であれば今できることを、落ち着いて考えよう。

 

「よし、とにかくまずは状況整理という名の作戦会議だ、まずはお嬢ちゃんの名前を……」

「ところでバルさー、おまえってアクニンなのかー?」

「聞かせてもらうところからって……なに?」

 

 手を差し出し、歯を光らせようとしたところでスバルの眉が寄る。

 目の前で童女は地面に届かない足を揺らし、椅子を前後にがたがたさせながら「だーかーらー」と子どもらしい短気さで唇を尖らせて、

 

「アクニンなのか、そうじゃないのかーって聞いてるんだよー。どーなのー?」

「人にとって悪や善は変わるって……話じゃ分かんねーよな? とりあえず、不審者ではないんだが」

 

 スバルはこちらへ怪しげな視線を向ける少女に対して弁明をするがかえってそれが印象を悪くしているように感じる。

 

「どうしたもんかな……」

「んんー、聞いてもわかんないなー」

 

 首を傾げるスバルに、さらに深い角度で首を傾げる童女。

 一切理解できない状況にスバルはここの主であるエキドナを呼ぼうとした。

 だから、少女に対して意識を外し、彼女がこちらへ手を伸ばしていることに気付くことはできなかった。

 そして、”それ”が起きるよりも早く、

 

「ふぅ、テュフォン。いまは、はぁ、時間が、ふぅ、おしいさね。アクニンかどうかの判断は、はぁ、またべつにしてほしい、ふぅ。さね」

 

 気だるげな声が横から届き、体をびくつかせた。

 声の方向にいたのはテュフォンと呼ばれた少女とは正反対に成熟した美女だった。

 赤紫の髪を尋常でなく伸ばしており、病的に青白い肌と唇。伏せた目は眠たげというより生きる気力に欠けているかのように細められており、雰囲気にのまれるならばこちらの気分が暗くなりそうだ。

 

「いつのまに……」

 

 スバルは何もしていないし、何もされていない。

 何も理解できないのに進んでいくこの意味不明な状況にスバルは驚愕に喉を呻かせ、警戒を怠らないようにするのが精いっぱいだった。

 その様子を見て、赤紫の美女は不満げに息を大きく吐く。

 

「自分が呼んだのに、ふぅ、ずいぶんな態度なもんだ」

「呼んだ?」

「――エキドナに頼んだんだろう?」

 

 目の前の女性は億劫そうにスバルへ語る。

 その言葉にスバルは、息をのむ。

 

「ってことは、やっぱりアンタらが……魔女」

「そうだぞーテュフォンは『傲慢の魔女』だぞー」

「はぁ、あたしはセクメト。ふぅ、面倒だけど『怠惰の魔女』とか呼ばれてるとか呼ばれてないとか。はぁ、呼んでなんて頼んでないってのに迷惑なもんさね。ふぅ、喋るのだるいから黙ってていいかい?」

 

”傲慢”と”怠惰”の魔女。

 テュフォンに関しては傲慢というよりも幼いという印象しかない。これで彼女が傲慢というならばスバルのほうがその傲慢を語る方がしっくりくるほどに。

 セクメトに関しては……まさにその名の通り”怠惰”には違いない。

 というよりもここ最近”怠惰”を名乗った男とは正反対で、ありえないほどに合っている。

 声もないスバルを見下ろし、彼女はなおもアンニュイに吐息をこぼして、

 

「それで、ふぅ。気が狂っていないのであれば、はぁ。アタシらと話したいって、ふぅ。いうのは、大層な理由が、あるんじゃないかい?」

「狂ってるって、自分でいうのか、それ」

 

 だが、この世界で魔女と対話するという行動をするにはそれこそ狂人か、藁にも縋る願いがあるのだろう。もちろん、自分は後者だが。

 

「お前らは、雛月沙音……あー、シャオンと仲が良かったって、エキドナの奴から聞いている、だから――シャオンについて、教えてくれ。あんたたちが知っている過去のアイツのことを」

 

 400年前にいた魔女たち、そしてそれとともに活動していたシャオン。

 自分が知りえない彼の行いを、共に生きていた彼女たちならば知っているのだろう。

 その行いを、罪を、彼が抱えている苦悩を。

 果たして、自分は飲み込めるのだろうか、真実を知って、彼を今までの彼としてみることができるのだろうか。

 その覚悟をできないまま、追われるようにスバルは目の前にいる彼女たちに問いただした。

 そして、テュフォンはその小さな口を開き、

 

「んー、あにはあにだぞー?」

「あに?」

「うん」

「あー、それはどういう」

 

 首をかしげながら出てきた単語につながりを見つけられず僅かに思考が止まる。

 あに、兄、魔女と兄弟?

 疑問で埋め浮くされる中、

 

「ふぅ、言葉の通りさ」

 

 セクメトが怠そうに、テュフォンの言葉を補足する。

 

「アタシと、はぁ、テュフォンは──家族さ、血の繋がりはないけど」

 

「つまり、そこのテュフォンはシャオンの妹で、セクメトさん、だっけ? アンタは母親代わりをやっていたと」

「そうだぞー! テュフォンのあにはあにで、ははは、あにのははでもあるんだぞー」

「ややこしい! ……てか、シャオンってシャロとかカロンの生みの親だったりもしたよな、もしかして家系図かなり複雑ちゃんか? あいつ」

 

 シャオンはもともと自分のことに対して多くは語ることはなかったが、それは彼自身が知らなかったからだろう。

 だが、知っていてもここまで複雑かつ魔女と血縁であるという事実は話してはくれなかっただろう。

 

「あの子たちに関しては、ふぅ。また少し違う事情が、はぁ、あるんだけどね」

「ええい! 伏線ばかり重ねるな!」

 

 頭を押さえて天を仰ぐスバルの様子にセクメトは大きく息を吐き呆れ、テュフォンは何が楽しいのか笑顔で手をたたいてはしゃいでいる。

 一体シャオンにはどれほど秘密があるのか。というよりもスバルの脳内処理を超えない範囲で収まる範囲にあるのだろうか?

 

「あいつがなにをしていたか教えてくれないか、なんでもいい……あいにくと俺は歴史の勉強が苦手だったもんで、過去に何があったかとか知らねぇんだ」

 

 そうスバルが頭を下げるとテュフォンは、首をかしげながらも何かを考えている様で、唸り声をあげている。

 確かにアバウトな質問ではあるが、こちらとしても知っていることが少ないのだ、許してほしい。唯一知っているのが転生先として雛月沙音を生み出した奴ということだ。

正直スバルとしては勝手に生み出して、放置したクソ野郎の印象しかない、ないのだがあくまでもその印象はかろうじて得た情報を繋げて生み出されたもの。実際には真反対の人物かもしれないのだ。

 そして、思い出したかのように手を叩き、爛々とした声でスバルに応えた。

 

「んー、あにはよく”せんてい”しにでかけていたぞー?」

「せんてい……選定? 何か仕分けしていたってことか?」

「はぁ、その認識で、いいさね」

 

 つたないテュフォンの言葉を補足するかのようにセクメトは語る。

 

「”生物”の価値を、ふぅ、選別するために、各地を、はぁ、放浪していたのさ」

「生物の価値を選別って……」

「文字通りさね。ふぅ、世界にとって価値があるかどうかを判断して、はぁ、無ければ消していたのさ」

 

残念ながら、スバルの予想は最悪な方向に当たったようだ。

消していたというのは文字通りの意味だろう、生命を、存在を自己判断で消していたのだろう。

 

「そんなおかしな奴がシャオンと同化しかけているのか、最悪だ……」

「んー? おかしいことかー?」

「あ!? おかしいだろ、何の権利があってそんなことを」

「ふぅ、あたしら魔女に、はぁ、常識を求めるのは、ふぅ、おかしいことではあるさ。権利? そんなもの自分たちの、はぁ、信念を前に意味がないさ」

 

 そう言い切るセクメトは冗談を言っている様子はない。

 

「あの子にはあの子の、はぁ、信念が、ある、あったのさ。ふぅ、それが何かはアタシらは知りえない、はぁ、けどね、それを止める権利はない、もしも止めるなら互いにぶつかり合っていただろうね……ふぅ」

「――――っ、」

「はぁ、あたしが話せるのはこれくらいだろうさ。世界の事情なんて、ふぅ、気にするのも怠かったらね」

「う……」

 

少し話しただけだが、セクメトは世界に興味を抱いていない。つまりはこれ以上情報を引き出すのは時間がかかるか、無理だ。

幼いテュフォンも同じだ。

無駄足、とは少し違うが、スバルにとっては何も進展がない。

頭を抱え、どうしたものかと考えていると、

 

「――さて」

 

 優しく風が吹く。白い髪がその余波でなびき、黒い服の上に可憐に広がるのをスバルは見た。

 

「……求めた答えは得られそうにないようだね」

「……あいにくとな」

 

 言葉とは裏腹に、彼女はひどく楽しげにこちらを見るのだった。

 

「ボクが魂を保管しているのは後3人。つまりは3人の魔女と対話できるわけだけど」

 

エキドナにしては珍しく口籠る。

 

「憤怒の魔女ミネルヴァは彼の話はしたくないだろう。色欲の魔女カーミラは君を嫌っている……あとは暴食の魔女ダフネだけど、うーん」

「なんだよ、話が通じないとかならもう慣れてきたぞ?」

「いや、まあ、うん。でも彼女ならばボクと同じように正確な意見を出すだろう……ただ、ダフネは3大魔獣を生み出した魔女だ」

 

その言葉を聞いてまず頭によぎるのが白鯨だ。

クルシュ達と共に討伐に挑み、死にかけた記憶は新しい。

その母親、それと対話するのだ。

 

「君たちにとっては色々と言いたいことがある存在じゃないかな?」

「……まさかそいつは俺たちを恨んで、魔獣を生み出した、だから会うのは危険とかそう言う話か?

「恨むとかそれ以前のはなしだね。でもボクの考えだと、君とダフネは相性がすごく悪いと思う。カーミラよりはマシではあるけど、有用な話ができるとはとても……」

「俺の個人的感情は今はなし。んで、物は試しだ。試行錯誤、お前の好きそうな言葉だろ」

 

スバルの言葉にエキドナは「う……」と痛いところを突かれたような表情。そんな彼女にスバルは「それに、よ」と頭を掻きながら、

 

「本当にまずくなる前に、お前が引っ込めてくれると信じてる。頼むぜ、エキドナ」

 

 軽口めいた言葉で信頼を投げ渡し、スバルは歯を光らせながらサムズアップ。そのスバルのどこまでも軽薄な姿勢に、次第にエキドナの瞳から抵抗の色は失われていき、

 

「……わかった。ダフネと会わせてあげよう」

「おし、ありがとよ」

「ただ、これだけは言っておくけど。彼女の拘束を、絶対に解かないように。それから彼女に触れるのも禁止。できれば目を合わせるのも避けてほしい」

「それ全部守るの俺の心象最悪になるんじゃね!?」

 

 そもそも、いくつか無視できない単語が混じっていた。

 スバルがそれらを問い質そうと言葉を作る。──その前に、エキドナの準備の方が終わってしまう。

 前回のときもそうだったが、エキドナが魔女を下ろすときには予備動作というか、そういった予兆が一切ない。

 瞬きのあとには、彼女のいた空間に別の人物が存在している。

 そして、それは今回も同じことだった。

 だが──、

 

「おいおい……これは、いくらなんでも……」

 

 目の前に現れたその存在を前に、スバルは頬を引きつらせてそう呟く。

 眼前、スバルの前に『暴食』の魔女、ダフネがいる。

 ──棺の中に入れられて、拘束具に全身をがんじがらめにされた上に、その両目を固く固く黒の目隠しで封じられている、魔女の少女が。

 



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友は暴食の名を冠し

7魔女の中でのシャオンに対する理解度的には
エキドナ>セクメト>ダフネ>カーミラ>サテラ>テュフォン>ミネルヴァとなっております。
おい、メインヒロイン


「俺と相性悪いっていうか、この状態で相性が良い奴ってたぶん存在しねぇよ!」

 

 頰を引きつらせ、スバルはそれを前に震える声でそう漏らす。

 眼前に現れたそれが『暴食の魔女』だとしたら、それはあまりに無視し難い姿で。

 

「──ダフネにぃ、何が聞きたいんですかぁ、すばるーん?」

 

 甘ったるい声で、『暴食の魔女』──ダフネは、形のいい鼻を鳴らして言った──棺の中、鎖と拘束衣に雁字搦めにされ、両目を黒の眼帯に封じられた、魔女が。

 

「友人関係見直した方がいいぜ、シャオンさんよ」

 

 完全拘束状態の少女を前に、スバルはそう心からの突っ込みを繰り出した。

 スバルは目の前の魔女に対する態度を決めかねる、というのも現れた魔女が、想像以上に摑み所に困る外見をした魔女だったからだ。  

 棺──拷問器具に近い形をしているその中で、縦に起き上がる黒の棺に収まる魔女は、外見年齢は十三、四歳程度に見えた。  

 背中に届く灰色の髪を二つに括ったお下げにし、のほぼ裸といえる拘束衣の上から鎖で棺に固定されている。両目には、顔の中心で交差するように眼帯が巻かれており、その姿形の不穏さでいえば、これまででぶっちぎりに魔女らしい。

 

「ドナドナに言われて出てきましたけどぉ、気持ちよく寝てたのにぃ。……あんまりぃ、長く起きてたくないのでぇ、つまんない話しないでくださいねぇ」

「お、おお、わざわざ出てきてくれてありがとう……『暴食の魔女』、なんだよな?」  

「そうですよぉ?」

 

 とダフネは何を変なことを、とばかりに答える。

 見た目や動きならば暴食の魔女よりも怠惰の魔女に近いのだが。

 とりあえず、目隠しした相手だ、離れていては不自由もあるだろうと考えて、慎重に一歩だけ距離を詰めようとするが――

 

「……悪い、この距離で話す感じでいいか?」

 

 ――嫌な予感がした。

 まるで、腹をすかした肉食動物の前に裸で近づくような、そんな生物的本能からくる危険予知。

 スバルは失礼に当たるかもしれないが、少し離れた場所で話すことを提案する。

 するとダフネは気にした様子はなさそうで、

 

「あー、助かりますぅ。すばるんの傍にいるとぉ、ダフネは我慢できそうにぃ、ないんですよぉ。すばるんって、すごぉく、ダフネの好みなぁ、匂いなのでぇ」

「……お互い、長く話しても碌なことにならないってのはわかった。わかったから、早速だが質問タイムだ」

 

 むしろありがたがられてしまった。

 どこか調子が狂う彼女に対して、自身の直感が間違っていないことを祈りながら、スバルは本題に入る。

 

「――シャオンについて知っていることを教えてほしい。ああ、エキドナやテュフォン、セクメトさんからは聞いているからそれ以外の情報をくれ」

 

 単刀直入に、スバルは自身の知りたい情報を投げかける。

 色々と目の前の魔女に突っ込みたい話や、聞きたいことはあるが、それは後回しだ。

 スバルの幾度も超えてきた死線というやつかはわからないが、あまり、この魔女と長い間話し続けることは--命に係わると頭の中で警鐘を鳴らしているからだ。

 そんな緊張感を持った質問に対して、目の前の暴食の魔女、ダフネは、首傾げ、

 

「ふぅん? ヤオヤオについてぇ、ですかぁ? いいですよぉ?」

 

 と気軽に答えたのだった。

 

 

「……意外と友好的だよな、魔女たち」

「その認識はぁ、改めた方がいいかもですよぉ? まぁ、ヤオヤオについてならぁ、なんでそんなしりたいのかぁ、ダフネはわかりませんがぁ、別にかまいませんよぉ?」

 

 少し前まで魔女協、ペテルギウスのような狂人と関わっていたため、こちらと対話してくれることから少なくともスバル的には友好的に感じられるのだが。

 当の本人が忠告してくれているのだ、一応は肝に銘じておくことにする。

 

「そのシャオンっていうのは『選定』とやらをしていたようだが、なんでそんなことをした?」

「え、知りませんよぉ?」

「……なんかそんな予感はしていたよ」

 

 4人の魔女と話して分かったことがある、彼女らはそれぞれの分野、つまりは自身の信念に係わること以外については無頓着すぎるということだ。

 強欲の魔女は知識を得ること、傲慢の魔女は悪人かどうかを、怠惰の魔女は安寧を、そして暴食の魔女はおそらく食事以外には興味がないのだろう。

 これはもしかしたらどうしようもないのかもしれない、と何度目かわからない落胆の声を上げようとしたとき、ダフネは「あー」とつぶやき、

 

「でもヤオヤオのことだから考えることは予想できますよぉ?」

「本当か!?」

「簡単ですよぉ、えっとぉ、ヤオヤオ風に言うならぁ『価値の向上』じゃないですかねぇ?」

「価値の、向上?」

 

 こちらの反応にダフネは何度か目隠しの下にある目を動かすようなしぐさの後、彼女らしくかみ砕いて説明してくれた。

 

「摘果?間引きっていうんですかぁ? より良い世界を目指すために、悪い部分を刈り取っているんじゃないですかねぇ? ダフネならぁ、両方パクリとしちゃいますが」

「……つまり、シャオンは、本当に人類をより良くするために、そのためだけに人を殺していた……?」

「なんだぁ、わかってるじゃないですかぁ、すばるんったらぁ」

 

 ――狂っている。

 要は、世界という広い中の、人々の中で劣ったものを見定めて、そぎ落としていくのだ。

 理屈はわかる、世界が平等だなんて思えるほどスバルは素直ではない。どうあがいたって限られた資源の中で生きていくのだから不平等な分配というものが存在する。だから、不平不満が出るのも仕方ないと思う。

 しかし、それを判断する立場に立とうと思う思考が、命を選ぶ立場に立とうとする考え方そのものがスバルたちとは違うのだ。

 もちろん、それを実際に行使するほどの覚悟もない、自分と同じような存在を葬る覚悟などあってたまるか。

 きっと多くの人から恨みを抱かれただろう。きっと多くの生命が失われたのだろう。

 だが、それでもシャオンは止めなかった、その考えが、スバルには理解できない。

 そして、その理解できない感情、記憶がヒナヅキ・シャオンに突然流れ込んでしまったのだ。

 この『聖域』という場所に訪れたことと、レムを守れなかったことによる心の疲弊が重なったことによって、それが想像以上に今の彼には致命的で、過去のシャオンと同化するには効果的だったわけだ。

 だが、妙なことがある。

 

「そんな、馬鹿げたことをなんでしたんだよ、今まで聞いた評価で人を、世界を恨んでいるやつではないってのはわかるし、その、価値を上げてどうするかの目的が不明だ」

 

 魔女からの評価、シャロやカロンというかかわりが深い人物からしか話は聞けていないが、少なくとも救いようがない悪人ではないようだ。

 だからこそ、そのような人物が命を軽く見ている行いをすることに結びつかない。

 もしも信念だとかの話になるのだったらスバルにはどうしようもないが。

 

「さぁ? そもそもぉ、今話したのはダフネの推測ですしぃ……あー、でもそれがヤオヤオに与えられた使命だって話はいつかしましたねぇ」

「使命……」

 

 『信念』ではなく『使命』。

 つまりは、彼自身の意思ではない可能性がある、となれば、

 

「それは、シャオンがオド・ラグナの化身ってことと関係が?」

「さぁ、どうなんですかねぇ? そのことについてはぁ、ヤオヤオ本人くらいしか知らないんじゃないですかねぇ?」

 

 またも肝心なところはつかめない。

 というよりも、こればかりは本人に聞くしかわからないのかもしれない。

 

「まぁ、最期はミラミラの静止も聞かずにテュテュを助けに行って死んじゃったらしいですけどぉ。後悔はなかったんじゃないですかねぇ?」

「……わかったように語るもんだ」

「友人ですからぁ……でもぉ残念ながらぁドナドナもヤオヤオの魂は蒐集できなかったみたいでぇ、会えないんですよねぇ」

 

 そう告げるダフネは珍しく、声色を落とし、どこか寂し気に身をよじるのだった。

 

「あふぅ、さて、お話はもういいですかぁ? ダフネぇ、お腹すいてきちゃいそうで、眠りたいんですけどぉ」

「待て待て、もうひとつ話があんだよ!」

 

 話を終わらせて眠りにつきそうになるダフネを前に、思わず一歩彼女に近づいてしまう。

 と、その動きにダフネは棺の中で小鼻を鳴らし、「あー」と呟いて、

「──百足棺」

 呼びかけと、直後の光景にスバルの喉の奥で驚きが生まれる。

 スバルが縮めた距離を開くように、ダフネが背後に動いただけ。言葉にすればその程度だが、その動き方がスバルの想像を超えていたのだ。

 

「──っ」

 

 ダフネを拘束する棺の、丁度地面に接する部分がふいに浮き上がる。

 原因は簡単だ――棺から足が生え、浮いたのだ。

 蜘蛛かかにに似た動物風の足。その足で、棺が背後へ移動する。棺という無機物にはできない、生物的な動きだった。

 

「そ、れが……なにか、聞いても大丈夫か?」

「それってぇ、見えないダフネにもわかるようにお願いしますぅ」

「その……ものすごい、職人の魂が輝くというか、造形美がきらりと光る棺桶だよ。俺の狭い知識の中でも、棺桶って足はないし、虫みたいなスピードで動いたりしないんだが?」

 

 ぎちぎちと音を鳴らし、棺は移動先にゆっくりと着地し、吸い込まれるように再び蟹の足は棺の中へと消えていった。

 その光景に唾をのむスバルに、ダフネは納得したように頷き、

 

「あぁ、百足棺ならぁ、ダフネが動けなくて不自由したのでぇ、そのために作った子なんですよぅ。ダフネの汗とかおしっこでも動くので便利ですよぉ?」

「急にすげぇ聞きたくない暴露話を聞いた気がするが……ちょうどいい、その”作った子”に関しての話だ、俺が聞きたいのは」

 

 偶然にもスバルが聞きたいと思っていた内容に話の方向が向いた。

 そう、スバルが暴食の魔女に聞きたいことーーエキドナに事前に言われていた3大魔獣の生みの親である彼女に聞きたいことだ。

 一度深呼吸をして、なるべく怒りを抑えた声でスバルは問いかける。

 

「白鯨、黒蛇、大兎……3大魔獣と呼ばれるこいつら全部、お前がその棺桶みたいに、生み出したものだな……?」

「さんだいまじゅう……? んーふぅ……うん、懐かしい名前ばっかりですねぇ。そうですよぉ。鯨もぉ、蛇ちゃんもぉ、兎もぉ、ダフネが作った子たちですよぅ」

「なんでだ……?」

 

 スバルの怒りに対して、ダフネは棺の中で身をよじるだけだ。。

 怒気に顔を赤くして、スバルはダフネに指を突きつけると、

 

「なんで、そんな化け物を作りやがった……! そいつらが外の世界で、お前が死んだあとも四百年! どんだけ暴れ回ったかわかってんのか!? 何人、何十人、何百人がひでぇ目に遭ったか……!」

 

 なるべく怒りを抑えつつもスバルの脳裏に浮かぶのは、白鯨と激突したリーファウス街道の激戦。

 妻を殺されたヴィルヘルムの叫びと執念、そしてあの戦いに参列した騎士たちの嘆きと怒りの日々――その原因を生んだ魔女が生んだ悲劇だ。

 

「それに大兎もだ……! そいつらの所為で今俺たちがどんなに苦労を! なんのためにだ! お前は、なんのためにあんな化物を、作ったんだ!!」

「……? おっきぃ方が、食べがいがあるじゃないですかぁ?」

「――っ、あ?」

 

 勢いづくスバルの言葉をダフネは心底不思議そうな顔で受け止める。

 その態度にスバルは自身が抱いていた怒りが空回りしてしまう感覚に陥る。

 

「鯨……白鯨はおっきぃですよねぇ? あの子を食べると大勢が満足すると思いませんかぁ?」

「――――」

「兎ちゃんなんてぇ、最初に食べられた”核”を殺さない限りいくらでも増えるんですよぉ? あの子がいればぁ、誰もお腹が減ったりしませんよぉ、きっとぉ」

「その大兎に大勢喰われてるんだよ……!」

 

 ダフネの言い分は支離滅裂だ。 

 飢饉に苦しむ人々の為に魔獣を生み出したのならば、その飢饉よりも多くの人々が生み出された魔獣の所為で死んでいる。

 きっと、生まれないほうが多くの命が救えていたかもしれない。

 

「強くなりすぎたのはヤオヤオが手を加えたからですよぉ? 鯨は分裂能力なんてぇ、なかったですしぃ。大兎も本当はぁ核なんてない、ただの食欲だけで動く兎だったのに、知能も得たんですよぉ?」

 

 何のために、そのようなことをしたのかはもうスバルにもわかる。

 

「……人が、魔獣よりもより強くなるように、か?」

「ふふん」

 

 ダフネは正解だとばかりに笑い、唇を舌で舐める。

 その様子は友人のことをほめてもらったかのようにどこか嬉し気で、誇らしく思っているようだった。

 過去にいたシャオンの考えならば、強くなる魔獣に対応するほど、人々は強くなる。価値の向上を第一とする男ならば、そのような行動をしていても驚きはしない。

 

「”空腹は最高のスパイス”なんてぇ、話もしていましたねぇ」

「おまえらの! その見当違いな思いやりの所為で、いったい何人が死んだとおもっている!? どれほど無念を抱いた人々が、どれほど……」

「いったい何人死んだんですぅ? それに食べられた側の気持ちなんてぇ、そんなの知りませんよぉ。ダフネとしてはぁ、食べられるほうがぁ悪いと思うんですけどぉ」

「――――」

「相手を食べようとするのにぃ、自分が食べられる可能性を用意しないのはぁ、都合がよすぎませんかぁ?」

 

 微笑みながらダフネは苦い顔をしたスバルに当然のように言い放つ。

 その発言を経て、ようやく理解する。

 目の前の少女は魔女、その中でも動物の理屈を持つ存在に近い。

 見た目と、言葉が通じるだけで人同士の対話ではない。

 それを、今ここでようやく理解した。

 エキドナが話した危険性も、含め、魔女というものについて、スバルの認識が今まで浅かったことを思い知らされたのだ。

 だから、そんなダフネにこれ以上言葉を尽くしても無駄だろうと思ったが、

 

「その大兎、滅ぼすにはどうすりゃいい?」

「えぇー、兎ちゃん、滅ぼしたいんですかぁ? あの子なんて、弱いのに食べやすくて、簡単に増えるしで、ダフネの自信作なんですよぉ?」

「弱肉強食って考えを押し付けるんなら、生きるために相手を殺すっていう、生存本能ってやつも認めてほしいもんだな」

 

 常識の外で渋るダフネに屁理屈の延長線上の言葉をぶつけるスバル。

 本音では、すでにスバルはダフネから情報を引き出すことを半ば諦めている。彼女から有用な話を聞き出せそうもないということと、そもそも彼女とまともな会話が成立する兆しが見えないという点からだ。

 そう、土俵が違えば話し合いはできない、大きな価値観の差異を埋めることはできないだろう。

 しかし――

 

「――兎ちゃん、大兎はぁ、獲物を探すのにマナを頼りにしているんですよぉ」

「あ……?」

「そして、それができるのは実は”核”をもつ個体だけなんですよねぇ。その個体を見つけてぇ、なんとかすればほかの個体は気にする必要がないかもしれないですねぇ」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「――生きるために喰らう、生きるために殺す。両方を認めないとぉ、それは筋が通らないですよねぇ?」

 

 素直に大兎のことを語り出したダフネをスバルがいぶかしむ。

 どうやら先ほど屁理屈のように投げたスバルの言葉に、何か響いたものがあったのかもしれない。

 

「”核”は最後に食べたものの記憶やぁ、知識、マナを吸収しているのでぇ、わかる人が見ればすぐに見つけられますよぉ。ただぁ、ヤオヤオが無駄に知識を与えたのでぇ、そう簡単には捕まえられないでしょうしぃ……すばるんには手ごわいかもぉ?」

「……無限に増えるんじゃねぇのか? その”核”から離れて活動しているやつとかいるんじゃ」

「”核”以外にまともな知識はないですよぉ。実質意識は一個、それを薄くして群体が共有しているんですよぉ。核持ちから離れたらすぐに共食いを始めちゃってぇ、死んじゃうと思いますよぉ?」

 

「共食いをしないっていう、滅ぼされないための知恵はないですからぁ」と語るダフネは自身の子供のような存在である兎が滅ぼされるのを止めるどころか、良しとしている様子だ。

 先ほど語った筋を通すためだろうか。

 だが、今の情報は必ず役に立つものだ、光明は見えた。

 

「ふぁ、そろそろぉ、ダフネはいいですかぁ?」

「ああ……経過はともかく、参考になったよ、ありがとなーーそれと」

 

 言う必要がない言葉だ。

 行っても意味がない言葉だ、だが、スバルの、一方的に苦しめられた人間の意地という奴だ。

 魔女に届くかもわからない”宣戦布告”という矢を放つ。

 

「大兎の野郎は俺が滅ぼす。白鯨も、もう殺したあとだ……四百年、”お前達”が良かれと思ったのか、それすら思ってねぇのかはともかくもう十分だよ。――跡形もなく、消してやる」

 

 その矢が、言葉を受け、ダフネはこれまでにない反応を見せる。

 

「……たかだか、ニンゲンが--やれるものならぁ、やってみたらいいですよぉ」

 

 鋭すぎる歯が並ぶ口腔から、赤い舌を出して『暴食』の魔女が笑った。

 

「――――」

 

 強い風に吹かれ、スバルは思わず上げた腕で自分の視界を遮る。

 突風に草原が煽られ、風に巻かれて緑色の葉が舞う。それを目で思わず追いかけ光に飲み込まれ消えたのを見届けて、視線を戻した。

 そこには、

 

「無理言って悪かったな、エキドナ」

「礼はいらないさ。それより、十分な収穫は得られたかい?」

 

 エキドナの言葉にスバルは少し考え、絞り出す。

 

「……半々だな」

 

 これから壁となる大兎の情報は十分なほどに得られた。ただ、本来の目的であるシャオンについての情報はまだ半端だ。

 過去のシャオンという男の人物像は浮き彫りになってきたが、根本的な問題である今のシャオンの悩みを解決することにどうやっても結びつかない。

 それを知るには今のシャオンが抱えている悩みをもう少し深く知り、過去のシャオンがどのような心情で”選定”を行ったのかを知る必要があるのだが。

 親しいといった魔女たちでも、混み入った事情には踏み込まないのか、その部分を知っている様子はなかった。

 そこで、ふとスバルは疑問を一つ感じた。

 

「なぁ、シャオンとお前ら魔女の関係って、何なんだ?」

「今更だね……」

「ああ、本当に今更だけどオマエラが400年前に仲良く活動していたっていう情報以外は詳しくは知らねぇんだ」

「うーん、そうだねボクと彼は師弟関係といえばいいかな?」

 

 エキドナは照れ臭そうにそう答える。

 師弟関係、つまりはシャオンという男は強欲の魔女に師事していたわけだ。

 それの理由は、いったい何を求めてそのようなことをしていたのだろうか。

 

「ミネルヴァとダフネにとっては友人、セクメトとテュフォンは聞いていたね。あとはカーミラと……」

 

 エキドナは少し考えるそぶりをして、一度頷き、答える。

 

「カーミラとは、なんといえばいいんだろうね。恋人? に近いのかな?」

「恋人って……」

「まぁ、シャオンにそういう感情があるかはわからないけど、カーミラからは好かれていただろうし、シャオンも嫌ってはいなかったろうね」

 

 予想外の回答にスバルは目を丸くする。

 今までの話から聞くにシャオンという男はそのような感情とは程遠いものだと思っていたのだが……そこはスバルの勘違いだったのかもしれない。

 だが、それならば、

 

「カーミラ。色欲の魔女だったか――そいつに会わせてもらうことはできるか?」

 

 その提案にエキドナは沈黙する。

 正確には、こちらと目を合わせないようにしている風に見える。

 そして、その予想は正しかったようで、エキドナは渋々といった形で語り出す。

 

「確かに、ヒナヅキ・シャオンを救うためには彼女に話を聞くのが一番の近道だ」

「なら」

「なら、ボクがそれを知っていて今まで提案しなかったことを考えてほしいな」

 

 エキドナの目は真剣そのもので、今までのようにからかいやこちらを試すようなそぶりは露にもない。

 

「ダフネの時と違って注意すべきこともない、それ故にダフネの時よりも命の保証は--できない」

 

 ゴクリ、という音がスバルの耳の中で響く。

 無意識に唾をのみ、エキドナの警告に思わず、怯えを感じていることに気付く。

 ダフネと話している時に感じた恐怖、白鯨と向き合った時の恐怖、魔獣たちに襲われたときの恐怖といった”死”を濃厚に感じさせる感覚だ。

 

「君が彼女と対話するにあたって、何が地雷になるかわからない……でも知ろうとする欲を止める権利は誰にもない、君が望むのならばボクは断れない。だが、危険な道だということは伝える。それでもいいかい?」

「――ああ、それでもつかみ取れる手がかりがあるなら俺は手を伸ばす」

 

 おそらく今までの魔女たちの中で一番命が危うくなるかもしれない。

 だが、ここまで来たのだ、調べられるところまで調べよう。

 エキドナには話してはいないが、スバルには”死に戻り”という忌まわしき権能もある。

 いざとなれば――何とかなるかもしれない。

 

「俺の手でしっかりとつかめる物は、掴みに行くよ。それこそ命を懸けてでも」

 

 そんな歪な覚悟を持って答えると、エキドナは困ったように笑い、

 

「――随分と強欲なものだね」

 

 ゆっくりと風に吹かれた霞のように姿を消すのだった。

 

 

 砂が混じった突風に目を閉じ、ゆっくりと開くと今までとは違い、目の前には誰もいなかった。

 

「エキドナ?」

 

 そう呼びかけるも反応はない。

 ただ、明らかに無視できない気配が、後ろから感じる。

 今ならわかる。この重圧は、”魔女”によるものだ。

 それに気付いたスバルは警戒をしつつもゆっくりと振り返ろうとする。

 しかし、それよりも早く。

 

「――――死んで?」

 

 背後からその言葉が告げられた瞬間、スバルは自分の意思で首を絞め始めたのだ。

 




次回、スバル死す!


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やさしい人

 

「が、ぐ……」

 

 喉がとても苦しい。熱い塊にふさがれているようで、息を吸うことも吐くこともできない。

 

「あ、貴方の、せいで、し、シャオンくんが、く、苦しんでいる、の」

「お、え……」

 

 酸素が行き渡らなくなり、意識が飛びかける中、怨嗟の声をもとに、スバルは必死に現状を把握、打開策を生み出そうともがく。

 息ができない、のは首を絞められているからだ。

 誰が首を絞めている、という問いの答えは笑えるようだが、スバル自身だ。

 何故そんなことになっているのか、は当然この声の主の仕業だ。

 

「おれが、し、んだら──」

 

 一か八かの賭け。

 だが、今のスバルにできる確実な一手だ。

 外れたら、死ぬ。

 この世界で死んだ場合、どうなるのだろうか──だが、やるしかない。

 

「シャオンも、し、ぬぞ?」

 

 その言葉は命乞いにしては下の下だろう。

 今この場にいない人物の、生死など魔女たちにとってはどうでもいいものなのだから。

 博愛主義者ならばまだしも、彼女の放つ声は明確な怒りが宿った声色だった。

 だから、このままスバルの言い分を聞かずに、彼女は自分を殺すだろう──そう、ほかの魔女だったならば。

 

「そ、れは

 

 力が弱まり、ようやく自身の意思で絞めていた首を解放させる。

 急激に酸素が取り込まれ、えづきながら恐らくこの不思議な現象を生み出した犯人、その人物を見上げる形で目にする。

 

「そ、それは、だ、駄目だよ……ね」

 

 ──初対面の人物だった。

 薄紅の髪を背中の中ほどまで伸ばした、気弱そうな佇まいの少女だ。青色の、透明感のある大きな蝶の髪飾りと薄緑色のマフラー以外はオシャレというものをしていない。

 目鼻立ちはそれぞれ整っているが、エミリアやレムと言った飛び出た美貌ではなく、人並みに可愛らしい容姿といったところか。

 袖の長い白い服を着込んでいて、手首から先が外に出ていない手でそっと自分の頬を両方から挟み、おどおどとしながらスバルを見ている。

 

「お前は……色欲の魔女だな? 

「……カーミラ、だよ? はじ、はじめまして……ん」

 

 問いに応じた少女──カーミラの答えに、スバルは思わず息を呑む。

『色欲の魔女』と少女は名乗ったのだ。

 

「命拾いしたね、機転を利かせたいい判断だと思うよ?」

「────ッ!?」

 

 瞬間、スバルは耳元でささやかれるような声を聞いて思わず振り返る。

 すると、誰もいないはずのそこには、悪戯が成功した子供のように、無邪気な笑みを浮かべた女性、エキドナがいた。

 

「予想通りといえばその通りだけど……ここまでとはね。カーミラ、自重しろとは言わないけども……」

「わ、わたしは、悪くないもん」

 

 エキドナの登場にカーミラは驚かない。

 そう、この空間に二人の魔女が(・・・・・・)いることに、スバル以外が疑問を抱いていないのだ。

 

「なんで」

「ん?」

「なんで、お前がここにいる?」

 

 エキドナに対して、スバルは質問を投げる。

 彼女の方は最初は意味が分からないとばかりに首をかしげていたが、すぐに内容が理解できたらしく、軽く手を叩くと頷く。

 

 

「ああ、君が何を問題としているのかわかった。──他の魔女が顕現しているのに、ボクがここにいることが疑問なんだね」

「あ、ああ。そうだ、これまでも他の魔女と顔を合わせるときは一対一で……エキドナの代わりに、この場に現れるのがお約束だったじゃねぇか。それを……」

「別に、一緒に出れない理由はないよ。必要がなかっただけさ」

「……なんでそんなことを」

「あまり、ぽんぽんと他の魔女が顕現できるということがわかって、君を他の魔女に取られたくなかったんだよ」

「は、え?」

「君はボクにとって、本当に久しぶりの客人だ。話していてこれほど、心が躍ることは生前も死後もそうそうなかった。そんな君という存在を、せめてこの場でぐらいは独占したいと思うのを浅ましいと罵倒するかい?」

 

 人によってはときめく言葉だ。

 エキドナの見た目は、人離れているようなものではあるが、美しいほうだろう。

 スバルもこの世界に来た直後ならば簡単に騙され、異世界ハーレムきたぁ! と馬鹿みたいに喜んでいただろう。

 だが、スバルにはわかる、この世界はそこまで優しくないことも。

 そして、彼女が魔女であることも、十分にわかっている。

 

「────それ、嘘だろ」

「半分ね。もう半分はリスクの問題さ」

 

 騙していたことに悪びれる様子はない。

 いや、実際に悪いと思っていないのだろう、この魔女は。

 

「この空間で魔女と対面した君ならば、今さっきその片鱗を嫌でも味わった君ならわかるだろう? 魔女という存在のリスクを」

「うぐっ」

 

 文句の一つでも言おうとしたこちらを先回りし、エキドナは正当な理由を提示してくる。

 

「ボクだって魔女の中では強い方じゃない。たまたま、魂の管理に適しているからここの主をしているだけで、いざとなればほかの魔女たちに一捻りさ」

 

 確かに、エキドナとほかの魔女が戦って、彼女が勝てる保証はない。

 もしも負けたら、この空間はどうなるのだろうか。崩壊か、それとも管理する人物が変わるのだろうか。 

 それを考える余裕も、試す度胸もない。

 だが、彼女がそのリスクを抱えてでも現れたのだ、ならばそれを利用しない手はない。

 

「エキドナ」

「なんかあれば、頼むぜ」

「曖昧な頼み方だけれども──頼られるのは悪くないね」

 

 そう笑うエキドナをよそに、スバルは改めて目の前の、桃色の髪をした少女、カーミラへ向き直る。

 

「色欲の魔女、カーミラ」

「やめ、ぶ……ぶたない、で……」

「そんなことしねぇよ、聞きたいことがある……お前を呼んだのは、ほかの魔女に聞いた感じこの分野はお前が適任だと思ったからな」

 

 おびえる彼女にあきれながらもスバルは逃がさない、とばかりに視線を強くする。

 そう、スバルが聞きたいことは、

 

「シャオンの性格だ、それについて教えてくれ。できれば主観的な感じ方は除いてな」

 

 シャオンは、雛月沙音は衰弱しているが、馬鹿ではない、アイツなりにも考えがあるはずなのだ。

 その身が過去の人物の器であろうと知っても、自身が持っていたすべての記憶が偽りであったとしても、少なくとも、スバルがシャオンの持つ善性を信じるならば、よっぽどの人物でなければ体を明け渡さないだろう。

 いくら、自暴自棄になったとしても、だ。

 だから、過去のシャオンが、今のシャオンと入れ替わっても問題ないという理由が、どこかにあるはずだ。

 それを知るために今、最も交流があった彼女――カーミラに尋ねているのだが。

 当の彼女はスバルの問いの意味が分からず、首を傾げ、

 

「シャオンくんは優しい、よ?」

「……あ?」

 

 小さな声でそう答えた。

 

「そうじゃなくて」

「温かい日差しのように優しい声で、誰かの為に泣いてくれる、泣いてしまう、そんな人。自分よりも、周りが大切で、自身が傷つくことは気にしなくて、それで悲しむ人がいても、それを承知で、危険に飛び込んで、自身の命が危なくなっても周りが笑っていれば心から笑っていた」

 

 スバルの言葉など聞こえていないように彼女は語る、彼への思いを。

 

「空に浮かぶ月のように、きれいで、孤独で、誰よりも普通だった人、誰にも平等に光を与えて、笑顔にした温かい人、誰にも平等に闇を与えて、成長を促した、悲しい人」

 

 私的な表現を使うもカーミラは今までの臆病さを感じさせないほどにはっきりとした口調で語る。

 そして、照れ臭そうに頬を赤く染め、本当にただの少女のように優しい笑みを浮かべる。

 

「だから、私は、シャオンくんを愛している──そんな、そんな、優しい人、だよ?」

「お、おう。なんていうか、すごいんだな」

 

 愛の告白とばかりのカーミラからのシャオンへの評価。

 事前に聞いていたとはいえ、愛しすぎではないだろうか。

 

「……うーん」

 

 だが、これではあまりにも主観的要素が多すぎて役に立たない。

 思わずエキドナに捕捉を求めると、それを受けて彼女は肩をすくめながらも説明を始めた。

 

「恐らく、ボクが知る限りではあるけど、彼ほど世界に貢献した人物はいないだろうね。多くの生物から感謝され、恨まれながらも、他者を思いやり、生物の可能性を信じた怪人、それがシャオンだ」

 

「ただ」と、前置きしエキドナは目を細める。

 

「彼の根底にあるのは、見ているだけで泣きたくなるような”優しさ”だろう……恐ろしいほどに」

 

 優しさ。

 シャオンを語るうえで必ず出てくる単語。

 しかし、エキドナの口調からして、それはいいことではないようだった。

 

「功績について語るのであれば『流行り病の撲滅』『飢えの抑止』『国の立て直し』。数えきれないものだ……これだけ語るのは美学的だろう。もちろん、彼の中でも歪みはあった」

 

 エキドナは手を組み、まるで困ったかのように眉を顰める。

 

「他者の可能性を信じすぎるあまり、自身の評価が低くなりすぎたこと、そして、他者に求める理想が高すぎて――『進化』を期待して試練を与えたんだ」

「試練……」

「流行り病がなくなった街は、他者への思いやりをなくし。だから、彼は未知の病を街で流行らせ、再びその大切さを思い出させようとして──街は消えた」

 

 そのせいで、多くの希望は消えていったのだろう。

 

「飢えることがなくなった村は、生命の尊さをなくした。だから、彼はその村に永遠とも思える飢餓を与え、生命というものを考える時間を与えて──村には草一つ残らなかった」

 

 そのせいで、命の大切さを感じる暇がなかったのだろう。

 

「立て直された国では、権力を求めて争いばかり起き、民の重要性を理解できなくなった。だから、彼は一つ一つの民という重要性を思い出させるために、民を殺し──国を滅ぼした」

 

 そのせいで、多くの命が、亡くなったのだろう。

 

「これらが、彼を怪人である唯一の要素。彼は世界を良くしようとしすぎた。けど──彼の優しさは、世界には”厄災”だった」

 

 想像以上の、行いにスバルは自身が息をしていないことに気付かなかった。

 額から流れる汗が、自身の手に落ちることでようやく意識を現実に戻せたほどに、呑み込まれていた。

 そのプレッシャーの中、カーミラが口をはさむ。

 

「え、エキドナちゃんの、は、話は難しすぎてよく、わ、からないけど。シャオンくんは、いつも、誰かのために泣いて、いたよ? 唯一、それ以外で、泣いていたのは──疎外感を感じた時」

 

 そう語る彼女の様子は、悲し気に沈んでいる。

 まるで、自身がシャオンの気落ちを代弁しているように。

 

「自分がどうしても、私たちと同じ、存在になれないことに、嘆いていた、よ」

 

 力になれないことに、嘆いていた。

 その様子を見て、魔女に大きな影響を与え、世界にも大きな傷跡と共に、恩恵を与えた存在。

 

「──なるほど、よくわかったよ」

 

 彼は聖人の様で、優しく、なによりも――狂人でもあるのだと。

 確かに彼ならば、雛月沙音は、今の彼ならば体を譲ってもいいと考えるだろう。

 だが、それでも。

 

「もう一度、しっかりと話す必要があるな、あいつと」

 

 スバルは、彼は彼でいてほしいのだ。

 

 

「ん──」

 

 ふいに、スバルは椅子に座ったままでいる頭に眩暈を感じる。立ち眩みに似たそれはしばし連続してスバルの意識を揺らした。それは、

 

「どうやら、肉体の方の目覚めが近いようだね」

「今回の茶会も終わり、か……情報過多で頭がパンクしそうだ」

「前回はまさかの、聞きたいことなしという話だったからね。2回分の知識を摂取したと考えれば当然だろう?」

 

 語りたがりの教えたがりの喋りたがりの魔女からすれば、今回の茶会は大満足といったところか、どや顔をしている。

 正直その人懐っこい笑顔と、頼もしさに後ろ髪を引かれるが、肩入れしすぎるのは良くない。彼女は魔女で、おまけに死者だ。どっちがおまけか、わかったものではないが。

 だが、また頼る場面はあるかもしれない。

 

「ここにきたいとき、俺はどうしたらいいんだ?」

「茶会の条件かい? いやいやまったく、ダメだよ、あまりボクに頼り切りになるようじゃ」

「わかってるよ……てか、言葉とは裏腹はに体をくねらせて喜ぶな」

 

 久方ぶりの客、というだけで好感度がウナギ登りの現状をどう判断すべきか。

 頬に片手を当てて、ちらちらとこちらを見ているエキドナへの態度を決めかねていると、彼女は「ふふふっ」と口元を隠して笑い、

 

「そんなに困った顔をしないでおくれよ。ボクだって女の子なんだから、こんな風に少しぐらいは浮かれた会話をしたいときもあるんだよ。それだけのことじゃないか。魔女と人の間の溝ぐらい、弁えているよ」

「……エキドナ」

「茶会の条件だけど、墓所で心の底から『知りたい』という欲求を叫ぶことだよ。初回は問答無用で招けたけど、二回目以降は簡単にはいかない。三回目も……難しいんじゃないかな、と思う。上辺の叫びじゃ、ボクに届かないからね」

 

 早口に語られる内容に、スバルは招かれる直前のことを思い出す。

 信頼している友──シャオンの変化の理由を知りたいために、その真実を欲した。

 今回はそれを耳にしたエキドナに茶会に招かれた形だ。次にここにきたければ、それと同等かそれ以上の懸命さでなければならないという話だが。

 そう考えると、スバルはどれだけシャオンのことを気にかけていたのだろうか。

 

「どんだけ俺の中であいつに対するヒロイン度が上がってんだよ、男でよかったぜ……」

「え、と。し、しぬ?」

「やめろ、冗談だよ」

 

 苦笑いでスバルが放った言葉にカーミラは真顔で死の宣告を与えてくる。

 色欲の魔女なのに嫉妬の気持ちを押し出してくるカーミラ、冗談かどうかはわからないが、先ほどの一件があった今、うかつに笑い飛ばせる気はしない。

 

「……ボクと君が顔を合わせられるのはこれが最後かもしれない。もっとも、君が『試練』に挑むようならその限りじゃないけどね」

 

 第一の『試練』のときと同様、第二と第三の『試練』の場にも彼女は居合わせるらしい。スバルがエミリアに代わって『試練』に臨むのであれば、その再会は約束されたようなものだろう。

 つまりは、

 

「また『試練』の間で会おう、ってことか……そろそろ、消えるか……それじゃエキドナ、世話になったな。また会ったら……」

「その前に、いいかな?」

 

 自分の体の感覚がだいぶおぼろげになるのを感じて、スバルはエキドナに別れを告げようとする。が、それを止めたのはエキドナ自身だ。

 彼女は席を立つと、その喪服のスカートの裾を揺らしながらスバルへ歩み寄り、

 

「茶会に参加し、君にボクの知識の一部を譲渡したわけだけど……なにか、忘れていないかな?」

「忘れ物?」

「対価、だよ」

 

 目を細めて、エキドナは首を傾げるスバルに赤い舌を見せて言った。

 その言葉にスバルは目を見開き、「対価……」と口の中だけで呟く。その呟きにエキドナは「そう、対価」と頷き、

 

「前回も課したはずだけど、魔女との取引にはそれが付き物だ。前回の対価は前回のものとして、今回の対価はなにをいただこうか」

「しゅ、出世払いってのは駄目かな? 今、持ち札の少ない俺からすると、持ってかれたり条件が課されたりするのって厳しさが上がっちゃうんだけど」

「魔女と交渉するには、ちょっと魅力が足りないかな」

 

 椅子ごと後ずさるスバルを追い詰めて、エキドナは可愛い顔に嗜虐的な色を浮かべる。そのまま彼女はスバルの体を上から下まで眺めて、なにをいただこうかと思案中。

 魔女の対価──前回は、現実に戻ったときのエキドナの存在の忘却だった。今回もそれをされると、この茶会の内容事態が消えそうで攻略が遠のく。

 

「よし、決めたよ」

 

 どうなる、と身構えるスバルに対し、エキドナは上体を折ると顔を近づけてくる。あわやその唇がこちらを掠めかけるのにスバルが動揺すると、そのまま彼女の体はさらにスバルの下──胸の内へ進んだ。

 ふわりとなびく白髪、至近で身じろぎする魔女からはほのかに花の香りが漂い、スバルは久々に美少女に対する免疫力の弱さでどぎまぎする。

 

 と、エキドナはそんなスバルの内心を無視して、こちらの胸に触れて、

 

「──君が隠している秘密。それを、教えてもらおうか」

 

 触れた場所が、心臓が、大きく跳ねた。

 



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産声

「──君が隠している秘密。それを、教えてもらおうか」

 

 その言葉にスバルの喉がふいに凍る。

 だが、それは禁忌を口にしようとした際に訪れる、問答無用のペナルティが原因ではない。

 凍りつくスバルの前で、エキドナはただただこちらの言葉を待つように、風に白い髪を揺らしながら無言で待っている。

 それが魔女らしくない、思いやりめいたものであると感じれば感じるほどに、拍動は早まり、代わりに舌の滑りは重く遅くなる。

 スバルの声を凍らせたのは、原始的な一つの感情――即ち、恐怖である。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 これまでスバルは幾度も、その禁忌の言葉を口にする機会を得てきた。

 スバルの身に宿る、『死に戻り』の権能。

 権能と呼んでいいかどうかさえ判断の難しいそれは、他者へその事情を伝えようとすることを力ずくで妨害される。そしてその毒牙は一度、スバルの身だけでなく、エミリアにも降りかかった。そのときの喪失感と慟哭を、忘れることはないだろう。

 シャオンという唯一の例外はいたが、そもそも彼は共に『死に戻り』を知覚している存在だ。似たような存在が現れることは期待しない方がいいだろう。

 --あれほど死んでしまいたいと、消えてしまいたいと、そう思ったことは数少ない。

 恐い。

 この場でその情報を口にすることで、スバルだけではない誰かに、その黒い指先がかかるのではないかという可能性を考えるだけで、震えが止まらない。

 

「――――」

 

 腕の中で軽くなる、銀髪の少女の記憶がよみがえる。

 命が抜けていく、あの喪失感を、また味わうことになるとしたら、それは今度こそ耐え難い。

 故に恐怖がスバルを縛り付けて、この場でそれを口にすることを躊躇わせた。

 目の前にいるのは魔女エキドナ。はっきり言って、エミリアと比べることすらおこがましいぐらいの浅い関係だ。

 彼女の心臓が潰されたとて、スバルはあの瞬間ほどの絶望も喪失感も、味わいはしないだろうという、ひどく打算的な予想を立ててもいる。

 だが、スバルの中にある甘さが、その予想の結果を見ることを許可しない。

 

「試して、みるといい」

「――――!?」

 

 スバルの逡巡の結果、あるいはその被害が己に向くかもしれないことも知らず――否、そうではない。この魔女はおそらく、スバルの懸念している内容を見抜いている。

 そしてその結果が見えないことも、魔女自身わかっているのだ。

 それでもなお、彼女がそれをやれと口にできるのは、スバルを信じているから、なんてものではない。

 そんな乙女のような思考ではない。

 

 ――強欲。

 

 ただ、それだけだ。

 スバルの覚悟を知りたい。その覚悟を乗り越えた先に、禁忌を破った先に何が起こるのかを把握したい。そしてあわよくばその身で経験したい。

 すべてが、ただただ知りたいだけの、強欲だけがこの魔女を動かしているのだ。

 だが、それでも、スバルにとって彼女は手助けをしてくれているいわば友人のような存在だ。

 命にかかわることだ、そう簡単には踏み出せない。

 そしてその様子を見てエキドナは小さく笑い、背中を押すようにささやく。

 

「望みの結果を得るために、行動することは尊い。その考えは変わらない。そしてその行動に出るものにこそ、生きる価値があるとボクは思う」

「後悔する、暇もないかもしれないんだぜ……?」

「そうなったときは、ボクの亡骸の前で泣き崩れてくれることを期待しようか。ああ、供え物の花は甘い蜜が出るものを所望しよう」

「……はっ、贅沢だ。花摘みは似合わないんでな、用意しないことを祈ってるよ」

 

 あくまで気楽な態度で応じるエキドナ。

 それに対して軽口で答えられたのは、彼女のその態度のおかげだろうか。

 期待されているわけでも、願われているわけでもない。

 ただ可能性を、答えという可能性を欲する彼女の姿に、スバルは背中を押される。

 その強さに、惹かれ、

 

「エキドナ。俺は『死に戻り』をして――」

 

 そして、禁忌の言葉を口にする――。

 そのとき、世界は--

 

 

 

「……さて、これからどうしたものか」

 

 時間は少しさかのぼり、裏の聖域。”白い部屋”に雛月沙音はいた。正確には墓所で目が覚めて、移動してきたのだが。

 とりあえず、現段階でわかっていることは、シャオンはスバルよりも早く目覚めることだ。おそらくこれは確定だろう。

 つまり、シャオンが二度寝でもしない限り、少なくともこの場所に移動できるほど猶予はあるわけだ。

 もしくはまた、『死に戻り』の記憶がなくならない限りはだが、こちらは気にすることはない。というよりも、気にしても仕方がないといった方がいいだろうか。

 あの現象は、おそらくだが初めてこの”魔女”と強くかかわったことによる影響だと踏んでいる。雛月沙音という意識がブレたことによる、『死に戻りの共有』に多少のミスがあったに違いない。

 今のシャオンならば、同じ現状は起きない、はずだ。

 だから、気にする必要はない。それよりも大事なのは、これからのことで――

 

「どうしたもこうしたも、これからは裏から手助けをするのでは? 腰抜け」

「……ひどい言いようだ」

 

 そう冷たく言い放つのは推定自身の弟子兼、子供であるカロンだ。

 彼がここにいるのは部屋の主なのだから当然なのだが、少しは優しくしてもらいたいものだ。

 

「だけどな……カロン。お前には話はしているが、俺は”シャオン”ではない」

「はい、以前も全く違うと話はしましたが」

「……でも、”今は”だ。近いうちに俺は”シャオン”になるかもしれない」

 

 自身が”シャオン”に近づく要因は二つだ。

 1つは自身の精神が弱っていること。

 今のシャオンの精神、メンタルはかなり弱っていると自覚がある。

 レムを救えなかったことが、一番の傷だろ

 つまり、雛月沙音の心の弱さが、そのまま”シャオン”になり替わる可能性の高さにつながるわけだ。

 2つ目は”魔女との接触”。どちらかといえばこちらの方が重要だろう。

 1つ目の要因と、この”強欲の魔女の墓場”に訪れたことが雛月沙音としての自我を薄めているのだろう。

 ……おそらく、これからエミリアが、スバルが彼女を王様にしていくにあたって”魔女”の存在は避けて通れない問題だろう。

 嫉妬の魔女と同じ種族のエミリアの進む道には、今回のように必ず魔女が絡んでくる。嫉妬ではなく、ほかの大罪魔女の存在が。

 そして、その存在は雛月沙音よりも”シャオン”としての記憶を呼び起こす力になってしまう。

 そうなれば、今は雛月沙音としていられても、いつかは必ず自分の意識が消えていく事になるだろう。

 だから、今この場面で自分は裏に生きるのが最善手のはずだ。そう、はずなのだ。

 

「……はぁ、なんていうか、視野が狭いといいますか。臆病」

「うぐっ……」

 

 そのような事情を説明しても彼の言葉にはどこか棘がある。変にかしこまられるよりはいいのだが。

 自信がないまま決断したことを見抜かれ、カロンにため息を付かれる。 

 そして、彼は、部屋の入口に目をむけ、

 

「それで、この”裏の聖域”に隠れたのはまだいいとして--彼女を呼んだのはなぜです?」

 

 そこにいたのは、桃色の髪色が特徴の少女。

 魔女との記憶を取り戻しつつある自身にとっては、その姿がカーミラに似ているように感じるのは気のせいではないだろう。

 なぜならば、彼女は『人工精霊』であり、作られるには参考となる存在が必要だからだ、きっとほかの魔女を参考した精霊もいるだろう。

 

「おとーさま。なんのようだー?」

 

 そう、間延びした言い方でこちらに語り掛けるのは、件の少女、シャロだ。

 彼女に関しては、こちらが用事があって呼んだのだが、

 

「猫は被らなくていいぞ。大体察しているからね、君の本性」

「……本性って言い方はひどいと思います。これでも誓約に基づいた結果なんですから」

 

以前の世界でシャロの本来の性格はもう少し理知的なものだと知っている。

それをつつくと、彼女は不満そうにしながらも否定はしなかった。

 

「お父様と誓約した内容のうちに私の知識に制限を加えるというものがあったので」

「知識に制限」

「ええ。なので、日が出ているうちはほとんど頭が回りません。具体的に言うと、先ほど猫かぶっていた状態になります。逆に夕方当たり、まぁ今の時間程度であれば元の頭の回転にはなりそうですが」

 

 つまりはスバルが墓所から出るころには、彼女はこの性格だというわけだ。しかし、

 

「シャオンと君は誓約を結んでいたんだな、なんのために?」

「……」

「こういうのが空気を読めないというんですかね」

 

 カロンの言葉にシャオンは罰が悪そうに頭を掻く。

 それはそうだ、自身の知能を犠牲にするほどの約定、きっと彼女の中でも大切なものに触れる内容に違いない。

 それに気づかずに尋ねたのは、完全にこちらの落ち度だ。

 

「あー、話すのがきつければいい。むしろ悪かったな」

「いえ」

 

 カロンは耐えきれなかったのか、「あーあ」といい部屋の外に出てしまっていた。

 今は、この部屋にいるより、外に出て寒い聖域の森にいる方がマシということだろう。薄情者め。

 長い沈黙が狭い部屋を包む、流石に用件を言う前にこの空気はつらい。

 どうしたものかと考えていると、彼女がぽつりとしゃべりだした。

 

「――友人を救うためです」

「え?」

「私の短い人生の中で、唯一の友人、親友を助けてもらえるように頼んだのです」

 

 シャロはどこか遠くを見るように、少なくともこちらを見ていない様子で彼女は語る。

 だが、シャオンにとっては今、知らなければいけないことだ。

 

「いつになるかはわかりませんが、必ず救うように助力してもらえるように、私はお父様にこの身を、知恵をささげたのです」

「その友人の名前は--」

「貴方もご存じでしょう――ベアトリスという禁書庫にいる、精霊の名前は」

「……ここで絡んでくるのかよ、ベティ、いや、ベアトリス」

 

 

 

 

「君の知識を制限する理由が、その、正直わからない」

「私もお父様の考えを理解できておりません。ですが、『シャロのため』とだけを伝えられていました」

 

 シャロのため、というのはどういう意味だろうか。

 

 これではまるで、子供にあなたのためにやっていると言っている親と変わらないではないか。

 ……ひょっとすると、あのシャオンとこの娘たちの仲はそこまでいいわけではないのかもしれない。

 いや、悪いわけでもないのだろうが、その、互いに心の中まで信用し合っている感じが見られない。

 その結果、好感度の低下が自身にまで及んでいるのならば勘弁してほしいものだ。

 

「……救うっていうのは」

「ベアトリスの、ベティーの待ち人を必ず連れてくる、と」

「待ち人?」

「……何も知らないのですね、ああ、だからこんなにも質問が多いのですか」

 

 あきれたように肩をすくめるシャロに、何も言い返せないでいるとシャロはまるで本に記された文字を読むように、機械的に、感情を抑えた声で応えた。

 

「ベアトリスは強欲の魔女、エキドナが作った人工精霊。魔女は彼女に一つの役割を、人工的な命に生きる意味を与えたーーベアトリスは待ち人、『その人』がくるまでに禁書庫を守るという役割が、400年前に結んだ条約です」

 

400年。

言葉にするだけで、その長さに圧巻する。

その長い年月をたった一人で、禁書庫を守るためだけに、彼女は存在しているのだ。

そう、その人こと、待ち人が来るまで。

 

「その、待ち人っていうのは誰なんだ」

「……」

 

 シャオンの言葉に初めてシャロは口を閉じ、こちらの視線を避けるようにそっぽを向く。

 だが、それをさせないようにシャオンは彼女の頬を抑え、固定させる。

 

「…………教えてくれ、スバル達を救うには彼女の力が必要不可欠なんだ。何より、彼女も救いたいんだ……!」

「随分と勝手ですね……どちらにしろ、どんな理由があろうとダメです」

「確かに勝手だとは思う……お前の父親であるシャオンに恨みがあるからやらないというなら、すべて終われば俺を好きにしていい」

「あいにくと、私は妹と違い、お父様に怒りを覚えていません」

「だったら、なんでだよっ! ベアトリスを、助けたくないのか!?」

「――そんなわけ無いっ!!」

 

 こちらの手を振りはらい、あらわになった彼女の表情には大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 抑えていた感情が、こぼれていくように、涙も止まる様子はない。

 そして、シャロはこちらに向けて初めて、怒りの表情を向けた。

 

「助けたいに決まっているでしょう!? あの子は、私の、私たちの親友なんですよ! でもダメなんです、無理なんです!」

 

彼女はいままでダメ、無理とは言うが『嫌だ』とは口にしていない。

つまりは、彼女自身もベアトリスを救いたい気持ちはあるのだろう、だが、

 

 

「待ち人が誰か? そんなの、ベティを悲しませる大馬鹿者なんて、私が一番知りたいですよ」

「それって」

「誰も……ベティの待ち人を知る人は、いない。彼女が持つ福音書にも、答えが、ないんですよ」

 

助けられない、理由がある。

それが、『助ける方法がわからない』ということだろう。

 

「そりゃ、ないだろ……そうだ、エキドナ、彼女に聞けばーー」

 

 生みの親である彼女に詳しい話を聞くことができたのならば、きっと面倒な契約を結ばれるかもしれないが、きっとそれならば解決できる。

 そう、シャロに伝えようとした瞬間--意識が一瞬途切れた。

 

「――っあ?」

 

 合わないパズルのピースを無理やりはめ込んだ、そんな違和感と不快感、唐突にそれが現れた。

 視界に広がるノイズ、鼻が曲がりそうな瘴気に、立っていられずに、思わず片膝をつく。

 

「――大丈夫ですか?」

「ああ、いや、きつい。逆に、お前は大丈夫なのか?」

「? ええ、まぁ。というか、いったい何が?」

「あー、いい……嗅覚が鋭すぎるのも嫌なものだ」

 

 シャロに肩を借りながら立ち上がる。正直ベアトリスに関する話はまだ終わっていない。だが、こんな状態では、話をするどころではない。

 

「墓所、で。いや、聖域で何かがあったにーー」

 

 カロンと、いや、ここまでの事態になったのであれば様子を見て聖域にいる人々の避難を--そう考え、部屋から出ると、遠くにその姿は見えた。

 いや、遠くなどない、はずだ。

 

「……おい、なんでここにいる」

 

 絶対に存在してはいけない存在。

 その存在が、今この目の前にいる。

 そう、その存在の名前は、

 

「”嫉妬の魔女”」

 

 史上最悪の怪物が、シャオンの前で産声を上げていた。

 



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