インスタント・HERO ~180秒で世界を救え!~ (トクサン)
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原初の約束

「かっちゃんスゲー!」

 

 学校の裏庭、僕らが秘密基地として好むそこは放課後になると人の気配が全くなくなる。時刻は夕刻、太陽が沈み始め薄暗い視界の中で、ぱっと光が生まれた。

 目の前で指先に炎が躍る、それは変幻自在に形を変えて時にはマッチの様に小さく、時には渦を巻く様に、時には動物の形になったりして僕を楽しませた。

 指に炎を灯らせた少年は、「凄い凄い」と騒ぎ立てる僕を見て、それはもう嬉しそうに笑う、そして最後に一際大きな炎を見せると、ぐっと拳を握って炎を消し去った。

 

「先生が言うには、えんねつ? 系の能力なんだってさ、上手く行けば『ゆーい能力者』っていうのにもなれるって」

「すげぇ! 良く分からないけど、かっこいいね!」

 

 小学生の時期。

 一番最初の全国一斉超能力発現検査―

 それによって能力を発現した、かっちゃんの姿。

 

 相変わらず、この頃の僕は語彙力に乏しかった。

 けれど僕なりに凄いって事を伝えたくて、少し大げさなくらいに喜んで、声を上げて、我が親友に笑いかけていた。その目の前の親友は、僕の喜びように頬を緩ませて満更でも無い笑みを浮かべる、そこには超能力を発現した嬉しさ以上に、僕との絆を強く感じられる笑みだった。

 能力は【炎熱】、単純に炎を操れる能力、個人差によって火力は異なるが、かっちゃんの場合は中の上と言った所だった、ギリギリ優位能力者に認定される熱量。けれど危険種と判断される程では無く、成人するまでは自由に進路を決める事が出来るとされていた。

 

「でも、超能力って、本当にあったんだね」

 

 自分でも驚きだよと、未だに信じられないと自分の掌を見下ろすかっちゃん。そんなかっちゃんに僕は、「いいなぁ、いいなぁ」と体を左右に揺らした。

 

「僕も欲しいよ、かっちゃんみたいなの」

「んー……でもさ、こんなの、お風呂沸かすとか、料理するとか、そんなのにしか使えないと思うよ?」

 

 小学生の考える火の使い方に、僕は「そうかー…」と考え込む。そしてふと、「どんな能力だったら、かっちゃんは嬉しい?」と問うてみた。

 

「そうだね、とー君と楽しく遊べる様な、そんな能力が良かったなぁ」

 

 炎は危なくて、あんまり使えないし。そう言ってかっちゃんは肩を落とす、僕は必死に「そんな事無いよ!」と先程の衝撃を体全体で表現した。この頃、純粋な炎など目にした事が無かった僕は、その美しさに見惚れていたと言っても良い。

 

「なら、あれだ、僕が能力を『はつげん』するよ!」

「とー君が?」

「うん! そうだなぁ……」

 

 かっちゃんを元気付ける為に、考えて考えて、思い立った僕は近くの古びた長椅子によじ登り、その上でテレビの向こう側と同じポーズを取った。口で「シャキーン!」と効果音も付けて、ぐっと顔は笑みを象る。

 

「【正義のヒーロー】になれる能力! とかどうかな!?」

 

 正義のヒーローになって、悪者をやっつける。そういう遊びを僕らは幾度となく繰り返して来た、悪者は僕らの想像の中、そんな奴らを蹴散らして僕らは世界で一番強く、カッコイイヒーロー。

 椅子の上に立ってポーズを決める僕を、かっちゃんはどこか眩しそうな、嬉しそうな目で見つめて、大きく「うん、良いね、それ!」と頷いた。

 

「待ってろよ、かっちゃん! すぐに能力が『はつげん』して、一緒に遊べるようになるから!」

「うん、待ってるよ! ずっと待ってる!」

 

 僕が変身ヒーローで、かっちゃんは『えんねつ』系ヒーロー。

 姿はどんなので、名前はこんな感じで、必殺技はどういうのが良いか。

 僕らはまだ見ぬ想いを馳せて、見回りの教師に見つかるまでずっと話し続けていた。

 

 

 

 それから九年、結局僕は能力を発現させる事が出来ず、かっちゃんは高校卒業と同時に『超能力犯罪捜査官』となった。

 

 炎熱系の能力を使って、超能力犯罪を少しでも減らすらしい。

 それが彼なりのヒーロー、【正義】への道だった。

 

 僕は超能力を発現させる事が出来なかったけれど、かっちゃんはそれでも僕と普通に接してくれた、ずっと親友で居てくれた。

 あの時の約束は既に色褪せてしまったけれど、彼は未だに諦めていない。

 

「待ってるから、とー君」

「……うん、待って、必ず、追いついて見せるから」

 

 能力が無いからなんだ、能力者だからなんだ。

 僕らはこうして、手を取り合って生きていける。

 何も正義を行うのに能力は絶対じゃない、僕は僕なりの道を、かっちゃんと一緒に歩ければそれで良いのだ。

 

 それで良いのだー

 




 プロローグとして挿入しました。
話に厚みがないとアドバイスを頂いたのでφ(..)


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能力を得た日

 


超能力というのは存外、僕らの身近に存在する。

最初超能力が発見された時は、誰もがアニメや漫画の中にあるトンデモ能力を期待した。瞬間移動したり念力で巨大な岩を持ち上げたり炎を操ったり、まぁそんなものだ。

 

 けれど実際の超能力はちょっと規模が違う、というのも瞬間移動や念力も使えるは使えるのだ。けれど瞬間移動出来ても数十歩の距離だったりとか、持ち上げられても自分の体重の一割未満だったりとか、指先からマッチの火レベルでしか出せないとか。

実際見せて貰うと「凄いのは凄いけど、何か思ったよりショボい」と言うのが真実である。だから数メートルの瞬間移動とか、自分の体重の三割より重い荷物を念力で運べるとか、そういう能力者は珍しい。そういう奴は何でも『優位能力者』と呼ばれて、国から保護されるらしい。この前テレビのニュースで十歳の男の子が【世にも珍しい完全透視能力者】として保護されたと言っていたのを思い出した。

見ようと思えばレントゲンみたいに人間を透視出来て、難病の早期発見に役立つとか何とか。結局能力者と言ってもピンからキリで、必要なのは運と才能か、なんて友人と肩を落としたのは記憶に新しかった。

 

 そんな僕に転機が訪れたのは大学一年生の夏、周りに合わせて普通に勉強して普通に入学した大学、その初めての夏休み直前。国が行っている『全国超能力者発現検査』にて、僕は遂に超能力の発現が認められた。

 最初は驚いて、そしてその次に期待した。

 僕の超能力はどんなモノだろう、腕から炎でも出るのか、空でも飛ぶのだろうか、それとも透視とか念力とか……等々、色んな想像をめぐらせた。

 僕だって人並みに超能力と言う奴に憧れていたのだ、小学校の頃、超能力が発現しただけでちょっとしたヒーローだったみたいに、そんな俗物的な思考だった。

 或は、かっちゃんとの約束を果たせるかもしれないと、そう思った。

 その後、僕は結果を聞いて落胆する事となる。

 

―【変身】

 

 それが僕の能力だ。

 何でも【自分の心から望むモノに変身できる能力】だそうだ。変身する対象は能力者のイメージに左右され、生物というカテゴリに限定される。もし無機物に変身出来れば優位能力者だったかもしれない、そう担当者に言われた。

 しかしまぁ、無機物に変身出来ようと余り嬉しくは無い、何はともあれ超能力、それも中々汎用性に富んだ能力ではないか。落胆した気持ちを持ち上げて、僕は帰宅後さっそく変身を試してみた。

 僕の頭の中にある変身のイメージは、メタモルフォーゼとか、自分を偽装する様なイメージだった。

 大学から徒歩十五分ほどの距離にあるアパート、背負ったバッグを投げ捨てて扉に鍵を閉める。それから「よし」と気合を入れてイメージした。

 

僕のイメージした対象は『正義のヒーロー』

 

 笑う事なかれ、これでも幼い頃より僕はヒーローという奴に憧れていたのだ。

 良いじゃないか、ヒーロー。

 こんな理不尽と糞に塗れた世界で、単純明快で、光そのもの。なれないから人は憧れるのだ、折角変身なんていうお誂え向きの能力を手に入れたのだから姿形だけでも真似てみたい。

 なにより、それが約束だった。

 だから例え外見だけとは言え、僕は嬉しくなる。

 

「……折角だからポーズでも取ってみるか」

 僕は形から入るタイプなのだ、やるからには拘ろう。

 そうして鏡の前で「こうか? それともこう?」とポーズを披露する事十五分、結局TVの某ライダーの様にベルトタイプ(と仮定した)ポーズになった。後は実際に変身するだけだ。

「いざ……」

 

 

― 変身

 

 

 瞬間、体が強烈な衝撃に襲われる。能力が僕のイメージを反映させ、肉体そのものを再構成、光が前面から押し寄せ体を覆った。部屋全体が光に包まれる、そしてー

 

「……すげぇ」

 

 再び目を開けた時、目の前に立っていたのは本物のヒーローだった。

 黒と赤をメインカラーにしたメカメカしいデザイン、どこか近代的な姿でありながら『ヒーロー』を体現するマスク、スーツ、何より首元で揺れる真っ赤なマフラー。見下ろせばソレを着こんでいるのは他でもない、僕自身で。

「ぉお……ぉおお!」

 テンションが上がった、コスプレ何て目じゃない、アニメや漫画で見る恰好そのままだ。そのまま鏡の前で色んなポーズを取り、体の感覚を確かめたり、衝動に流されるまま心ゆくまでヒーロー姿を堪能した。

 

 しかし、僕の能力には致命的な欠陥があったらしい。

 

「おぉ、おおぉ……お?」

 

 鏡の前で必殺技などを考案していると体から淡い光が発せられ、あっと言う間にヒーロースーツが消え去りいつもの見慣れた僕の姿へ変わった。途端、両肩に圧し掛かる疲労感。なにこれ凄く疲れる、というか戻るの早くない?

 時計を見ると、僕が鏡の前で変身してから凡そ三分。

 秒にして凡そ百八十秒。

 僕の脳裏に一つのイメージが湧く、そう言えば某巨人ヒーローは三分の時間制限付きだったなぁと。

 

「……マジか」

 

 どうやら僕の能力は、それも採用してしまっているらしい。使いどころが難しいというか、三分何て殆どあって無いようなモノじゃないか、殆ど誤差の範囲内だった。

 やはり担当者の言った通り、この能力は余り使えないモノなのかもしれない。

 盛り上がっていた胸の内が段々と萎んでく。何だか宝くじを買って当選したのに喜んでいたら、五等とか、とてもしょっぱい結果に終わった気分だった。

 けれどまぁ、費用要らずのちょっとした本格コスプレごっこが楽しめる能力だと思えば悪くない、日常に加わるちょっとしたスパイス、そういうものだと割り切れる。

 けれど折角手に入れた能力が、姿形だけを偽るモノだという事実に落胆は隠せない。

 確かに約束した形に近い能力ではあるけれど、それは中身を伴っていない虚像だ、だから僕は重く長い溜息を吐き出した。

 

「コンビニ、行くか」

 

 能力何て殆どオマケ、僕は別に大層な力が欲しい訳でも無い、ただ彼に追いつきたいだけだ。だからこれまでどおりの生活を送って、まぁ偶に能力を思い出してちょっと使う位が丁度良い。

 そう切り替えた僕はコンビニへと食料を調達に行く、丁度時刻は昼過ぎ、腹部も空腹感を訴えて鳴りやまない。冷麺でも買ってこようか、それとも敢えて夏にグラタン系で攻めるか。

最近は食生活が塩分過多の様な気もするけれど、まぁ大学生の一人暮らし何てそんなものだろう。

 そうして僕の超能力の確認は終わった。

 

 

 

 …本当の事を言うと、少しだけ期待していたのかもしれない。

 超能力と言う分かり易い非日常があれば、或はこんな生活の「何か」が変わるのかもしれないと。

 それは根拠も何もない、願望と言っても良い想いだったし、実際そんな事になら無い事は自分が一番良く分かっていた。優位能力者なら違ったのかもしれない、けれど僕の手に舞い込んだ小さな力は、【変身】という自身の姿を変えるだけの能力で―

 

 大学で友達相手に超能力を見せびらかして、話のタネにしたり、ちょっとしたドッキリに使ったりして。ほんの少し鼻を高くし、超能力者という枠組みに入った事を嬉しく思ったりしちゃって。

 そうやって僕の能力もまた、無難に周囲の友人と折り合いを付けて過ごして行くのだろう。パッと見は今までと変わらない一生徒で、ちょっとした時に「あぁ、そう言えば超能力者だったなぁ」なんて思い出す様な、そんな日々。

 

 超能力者だからなんだとか、異能を持っていないからなんだとか、そんな事は全然関係無くて、今まで通り何も変わらず、何も得られず、その代わり何も失わない、そんな日々を送るのだと思っていた。

 

 

 

 結局僕はその日、能力者と、ただの人である事の溝を思い知らされることになる。

 




続くかどうかも分からない作品をポンポン上げる私です(^v^)
昨日友人に「最近めっちゃ投稿されてるね」と言われました、何本か書いてはいるのですが続きそうにない奴はお蔵入りです。

 取り敢えず今日中に一杯投稿する予定です、初期の戦車これくしょんみたいな感じですね(`・ω・´)

 プロットとか無いのでお気をつけて、あとストックもないです、今から書きます
5/14 11:33

 ちょこっと加筆を行いました


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邂逅

 前回の内容が余りにも酷いと判断したため、話を一度削除し書き直しました。
今度は速筆なんて自分の実力に見合わない事はせず、じっくり書きました。
気に入って頂けると幸いです(´・ω・`)


 想えば僕は勘違いをしていたのかもしれない。

 超能力って言うのは人を幸せにする能力であって、それを犯罪に悪用するだなんて以ての外だと。

 超能力者というのは居るだけで凄い事であって、それは讃えられて然るべきなのだと。それが当然で、当たり前で、だからこそ力を持つ者は誰かを助けるべく手を差し伸べなければならない。

 

 ノブレス・オブリージュ

 持つ者の義務。

 

 だから超能力だとか、普通の人だとか、そういう括りは重要では無く、それらが手を取り合って高め合う事が大切なのだと、そう思っていた。

 だってそうだろう、超能力者、異能者だなんて呼ばれていたって。

 結局は、人間なのだから。

 

 

 

「アアァァアアァァ、あぁ……あぁァ……」

 

 人間が燃えていた。

 

 着火した部位からどんどん黒色が浸食し、炎に呑まれる姿は一瞬で黒一色と成り果てる。髪を振り回しながら全身を掻きむしる女性は、しかし数秒で糸の切れた人形の様に崩れ落ちた。パチパチと爆ぜるナニカ、立ち込める人間の焼けた匂い、殆ど炭になった女性は炎と共に周囲を照らす。倒れ伏した無機質なコンクリートに焼け跡が残った、この薄暗い視界の中で唯一の光源、それは淡い命の光。

 

「………は」

 

 声は出なかった、空気の抜ける様な音だった。

 座り込んだアスファルトの床が冷たい、その感覚がどこか遠くに感じられて呆然とする。女性の手が助けを求める様に伸ばされていて、僕の爪先までほんの数センチだった。

 

「異能者番号0928番― 綾辻理沙(あやつじりさ)の死亡を確認、カラード(首輪)も発動しています」

 

 狭い路地、帰宅途中の気軽な散歩の筈だった。コンビニに寄って飯を調達して、その帰りに何となく近道がしたくなって人気のない路地を歩く。そんな日常で誰もが行う事を選択した結果、馬鹿みたいに残酷な現場に出くわした。

 目の前で未だ燃え続ける女性の死骸、徐々に日が落ち暗くなった周囲に男の声が響く。ソイツは女性の死骸の近くに立ち、携帯を片手に燃え盛る様を見つめ続けていた。短髪に切り揃えられた髪、ドラマで見る様な黒スーツ、体格の良いスポーツマンの様な風貌。散らかったコンビニ弁当やら缶紅茶が炎に照らされて、自分でも知らない内に呼吸を止めていた。

 そして、不意に男が僕に視線を向ける事で、噎せる様に呼吸が再開する。

 

「民間人に目撃されました、人数は一人………えぇ、えぇ、そうです、周囲に人影は有りません、あぁスキャンですか、分かりました」

 

 肩で息をして忙しない眼球を一点に置く、自身の保持で精一杯になっているところ、「pi」という短い電子音が鳴った。そして見上げた先に居る男が、実に機械的な声でソレを読み上げる。

 

「……藤堂雪那(とうどうせつな)、御凪大学一年、十八歳、両親は母父共に存命、超能力発現検査は……ほう、能力者か、優位ではないが【変身】」

 

 興味深い。

 その言葉に鳥肌が立った。

 

「なっ、なんで!?」

 

 叫びながら立ち上がる、そして背を向けて走り出そうとした。こんなヤバい連中、もし関わったら大変な事になる。そんなのは火を見るよりも明らかだった。

 けれどそんな僕の行動は分かり易く、男は容易に僕の退路を断った。

 

「行かせる訳ないだろう、枢木」

「………」

 

 声は無かった、無かったけれど、何か囁く様な音がした。

― ドン、と 体が衝撃に崩れる。

 何を受けたとか、何かされたとか、そんな事実を認識する暇も無く、僕は気が付けば冷たく硬いアスファルトに這い蹲って呻いていた。体中が重い、全てが鉛へと変わってしまった様だ、力を入れる事も出来ず足掻くだけ。

 何だ、何が起きた。

 

「……上出来だ、そのまま拘束し続けろ、直ぐ輸送車が来る、死骸と一緒に乗せて貰おう」

 

 男がそんな事を言い、壁に背を預ける、そこからは余裕以上の雰囲気が感じられた。

 這い蹲った姿勢のまま首を僅かに動かす、見上げた視界の先に立ち塞がる人物が見えた。足は二本、僕たちと同じ人間、そして女性。長い金髪にノースリーブ、何より首元に輝く首輪が印象的だった。そしてその眼は酷く濁っている、真っ黒だ、その先には何も見えない。

 

「……の、う、力……者」

 

 彼女が僕に手を翳して、何かをしている。この地面に押し潰されそうな圧力は目の前の華奢な女性が放っているモノ、そう悟った。

 ミシミシと背骨が悲鳴を上げて、思わず「うぁアァ」と叫んでしまう。

 

「おい、余り力を入れすぎるな、優位能力者じゃない、プレーンタイプだ、殺したら懲罰房に叩き込むぞ」

「……ッ」

 

 男の言葉を聞いて目の前の女性が息を呑む、そして驚く程体が軽くなり、背中に圧し掛かっていた圧力が消え去った。それでも体は重く、自重が数倍にも感じられた。

 痛みに呻きながらも僕の冷静な部分が囁く、周囲に散乱していた筈の弁当や紅茶缶がペチャンコに潰れていた。

 

―アレは【重力制御】の能力だ。

 

 自身の周囲の重力を自在に操り、無重力にする事も、または更に重力を加える事も出来る万能の異能、よくよく顔を見れば何度かテレビで見た事もある様な顔だった。きっと発見当初は持て囃され、人生がバラ色に染まっていたに違いない。

 だが今その顔に笑顔は無く、死んだような目をするだけ。

 全国に二人と居ない、優位能力者の代表格みたいな力だ持った人物が、今目の前に居た。

 

「運が良かったな、ガキ」

 

 いつの間にか煙草を咥えて、煙を吹かした男が僕の傍に歩み寄る。高い視点から見降ろされ、パラパラと降って来る煙草の吸殻を視界の端に捉えながら、「何が、良いん、だよ」と声を絞り出した。

 

「一般人なら今ここで眉間を撃ち抜いてサヨナラだ、能力者だから今日を生き永らえる、明日がどうかは知らないがな、少なくとも変化形の能力だろう、優位じゃなくてもソコソコ使える」

 

 それのどこが良いのだろうか、全く以て理解出来ない。能力があるから生き永らえると男は言った、チラリと黒く濁った瞳のまま棒立ちの女性を見る、優位能力者を従えた一般人。

ならコイツらはー

 

「国家超能力研究所……」

 

 僕がそう呟くと、男がニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「流石難関大学に合格するだけはある、一通りのお勉強はしたってか」

 

 どこか小馬鹿にした物言いに腹が立つ、けれど今の僕は余りにも無力で地面を舐める事しか出来ない。それよりも余りに理不尽な現実に、僕は目の前の男を怒鳴りつけた。

 

「何で、何で国の超能力機関が、こんな人を殺してッ……僕みたいな一般人に危害を加えるのさッ?!」

 

 当然の疑問だった、国に雇われている人間って事は要するに公務員って事だろう、消防でも警察でも良い、そんな組織の人間が市民に手を出す何て、そんなの。

 

「何言っているんだ、お前?」

 

 けれど僕の叫びは、男の全く理解出来ないといった表情によって消し去られた。「ぁ……」と小さな声が僕の口から洩れる。

 

「聞けば当然答えが返って来ると思っているのは気に食わないが、さっきの言葉は撤回しよう、お前は夢見がちな坊ちゃんだ、こんな【化け物】相手にして綺麗ごとで済むと思っているのかよ」

 

 そう言って男が僕の頭を踏みつける、ゴリッと踵が頭を擦って一層強く地面に顔が食い込んだ。尖った石が皮膚を突き破って、鈍い痛みが走る。視界の先に短くなった煙草が落ちて来た。

 

「特別に答えてやるよ、国の超能力機関だからこそ、こんな事をしているんじゃないか」

 

 国の超能力機関だから?

 それ以降男が口を開く事は無い、少なくともペラペラと情報を喋ってくれるほど男は簡単な奴では無かった。半ば蹴飛ばす様な形で僕から離れ、棒立ちになっている女性の頭をグリグリと揺らす。それを僕は這い蹲って見ているしか出来ない。

 

「原理不明なトンデモ能力、瞬間移動に念動力、おまけに自分の姿を変えるやら毒素振りまくやら、人間辞めた奴が多い事、多い事、けれど才能と同じだ、選ばれた奴だけそういう力を手に入れて他の連中は見向きもされない、分かり易い形で差を見せつけてくれる超能力(コイツ)、頭のネジが飛んでる研究者が食い付かない筈がないだろう」

 

 説明はそこまでだった、けれどそれだけで十分だった。

 思わず、僕の近くで未だ燃え盛る死骸に目を向ける。じゃあ、この女性(ひと)はー

 

「研究所からの脱走者だ」

 

 僕の目線を追った男が応える。

 自分の中から、何か大切モノが抜け落ちた気がした。

 

 最早小さな炎しか残っていない死骸、それは全身が真っ黒に染まって凡そ人の死に方とは思えない姿だった。この人も能力者だからこうなったのだろう、優位能力者だったのか、そうじゃないかは分からない、けれど異能を持っていなければこうはならなかった筈だ。

 

― それは、かっちゃんも?

 

 超能力って言うのは有り触れたモノで、ちょっとした才能の上位互換みたいなモノで、それを持っただけで劇的に人生が変わるなんて考えていなかった。ましてや僕の能力なんて、ヒーローのコスプレをして満足するだけの、そんなしょうもない様な能力だから。

 だからー

 

 だから助かるとか、そういう事を、僕は思っているのか。

 

「ふぐぅッ!」

 

 両腕の筋肉が感じたことの無い熱を発した、それは自分の限界を超えた体重を持ち上げようとしているから。腰から、足から、全身の筋肉から熱が生まれる。骨が軋んで口から吐き出す吐息は熱を帯びる。

 

「……おいおい、やめとけよ」

 

 立ち上がろうと足掻き始めた僕を見て男は呆れたようにそう言った、まるで諦めの悪い出来損ないを窘める様に口を開く。

 

「ガキ、今お前の体重は五倍近い筈だ、仮に七十キロの体重だとしても単純計算で三百五十、下手をすると両腕が折れるぞ」

「う、るさ、い」

 

 男の忠告を一蹴、それは僕の執念にも似た想いだった。

 最初は宝くじに当たった様な感覚だったのだ、たまたま能力が発現して、優位能力者にはなれなかったけれど、この平々凡々とした日常に少しの刺激が出るんじゃないかって、あわよくば約束が果たされるんじゃないかって。

そんな俗物的で、馬鹿みたいで、頭空っぽな考えだったのだ。

 だけど超能力(ソレ)が、こんな辛くて、人として真っ当に生きる事も許されなくて、優れた能力を持ったって言うだけで、こんな惨い最期を迎えなければならないっていうのなら、そんなのは絶対ー

 

 僕は何でヒーローに憧れた?

 こんな理不尽と糞に塗れた世界で、単純明快で、光そのもので

 絶対に曲がらず、折れず、自分を貫き通し、そして最後には…

 最後には必ず皆を幸福にする。

 

 そんな、誰もなれない、格好良くて、優しくて、強くて

 誰もなれっこない超人だ

 なれないから憧れた

 でも今は、形だけでも、姿だけでもー

 

 

僕は、正義のヒーローになりたい。

 

 

― 待ってる

 

 僕を待ち続けている、親友(ともだち)を守りたい!

 

 

― 【変身】

 

 

「はっ?」

 重力を振り切った感覚だけが残った。

光に包まれた次の瞬間には足がアスファルトを踏み砕き、下から掬い上げる様に拳を振り抜く。空気の壁を貫いて、ボンッ! と手首から爆発にも似た音が鳴り響いた。否、それは確かに爆発だった、僕という感情の爆発を燃料に、蒸気を吹き上げた腕がロケット砲の如く男の顔面をぶち抜く。

 避ける事など許さない、認識する暇さえ与えない。

 男が理解する事は、自分の目の前に突如迫った鋼の様な拳と、自分の頭部を粉砕する暴力の味だけだ。

 

「アァァァアッ!」

 

 膂力にモノを言わせて振り抜いた拳は男の眼球、頭蓋、脳髄諸々を吹き飛ばしながら止まる。その風圧で近くに立っていた女性が思わず竦み、頭部を失った男の体が塵の様に転がった。暴力の嵐、腕の一振りで大の大人が一人、肉塊と成り果てた。

 呆然とした表情で僕を見る女性、後に残るのは地面に散らばった男だったモノと、拳を振り抜いたまま固まる僕。自分の拳に付着した血が、ねっとりと地面に垂れた。

 ただの変身する能力、その筈だった、その筈だった、だろう。

 

「僕はー」

 

 もう両肩に圧力は感じない、けれど足元を見てみれば、道端にあった石がパキリと割れた。

 

 僕はこの日、人としての一歩を踏み外した。

 

 そして、超能力者としての一歩を踏み出す。

 

 



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ヒーローの誕生

同じ題名の筈なのに、恐ろしく内容が変わってしまった。


 人を殴り殺した感触だけがリフレインした、拳の表面に付着した血と骨を砕く音、肉を打つ感覚。自分が死ぬとも知らずに迫り来る拳を呆然と眺める男の顔、間抜けな表情、数秒前の出来事が簡単に瞼の裏側に浮かぶ。

 けれど驚く程、僕の精神は安定していた。

 後悔の念も懺悔も無い、ただ自分の正しい事のみを成したという正義感だけがあった。自己満足だとしても構わない、これは僕だけの感情だ。

 突き出した拳をそっと戻して、自分の姿を見降ろす。数時間前に見たのと同じ、テレビの向こう側でポーズを決めているヒーロー衣装、既に消えかけの炎が照らす姿はヒーローと言うより、悪役に見えた。けれどそれでも構わないと思う、僕は正義のヒーローになりたいと願ったから。

 正義なんて曖昧だ、何が正しくて、何が正しくないか何て、人の立ち位置によって変わる。

 僕が殺したあの男もまた、彼なりの正義で動いていたのかもしれない。

 けれど。

 だとしても。

 僕がソレを、正義だとは認めたくない。

 夜空に向かって息を吐き出す、呆気ない、実に呆気ない線引きだ。

 これじゃ、とても正義のヒーローだなんて呼べない。

 正義とは何と苦く、人殺しとは何と容易い事か。

 

「あ……ぁ……」

 

 僕を呆然と見ていた重力制御の能力者が、その場にぺたんと座り込んでしまう。男の死に様が余りにも惨かったからか、僕にとっては炎に焼き殺される方が余程惨いと思うけれど。一瞬で死んだんだ、延々と痛みを感じる殺し方をされた、あの女性の方が、惨い。

 

『大丈夫ですか?』

 

 コンコンと、硬質な音を鳴らしながら女性に歩み寄る。けれど彼女は口をパクパクと動かすだけで、一向に何も喋らない。余程ショックを受けたのかと気の毒に思っていると、突然目からポロポロと涙を零し、小さな声で呟いた。

 

「いや、死にたく、ない……」

 

「えっ」

 

 

 

 

― 【(カラード)制御官からの安全装置延長パルスが途絶えました、これにより(カラード)の安全装置を解除、処分を執行します】

 

 

 

 

 ひゅっと。

 

 女性が息を飲み込んで。

 

 カッ、と何かが彼女の首輪から弾けて。

 

 その体が一瞬にして燃えだした。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁッァアアアアアア!!」

 

 ボウッ、と炎は一瞬で彼女の体を包み込んで、巨大な火だるまに変えてしまう。毛がみるみる内に焼け焦げて、体のあちこちが黒色に呑まれて行く、僕はそれをただ見て居る事しか出来なかった。

 

「いやあぁああやァあぁァアアッ、アッ、イ、ガ、ぁァアア、あ」

 

 全身を掻きむしって、地面を転がって、火の粉が足元に飛び散る。轟々と燃え続ける彼女はやがてプッツリと動かなくなり、そのまま炎だけが周囲を照らす。それは先程炎に呑まれた超能力者の女性と同じ末路で、僕はただ何も言えず、何も出来ず、立ち竦んでいた。  

やがて炎が勢いを弱めて、周囲に立っている人間は僕一人。

 そして擦れた声で、漸く紡ぐ。

 

「……何だよ、これ」

 

 それは、実に悲惨な光景だった。

 

 

 

 

 

「げぇえぇ」

 

 這う這うの体で帰宅した僕は、そのまま玄関に入るや否や吐いてしまう。胃の中身を全てぶちまけて、その中に血が混じっている事に気付いた。別に死体に当てられた訳では無いらしい、心当たりもある。

 

― 変身には24時間に一度だけ

 

 今日僕は、二度変身した。

 一度はこの家でコスプレごっこを楽しみ、そして先程男を殴り殺す際に変身している。体に負担が掛かり過ぎたのだ、一度目は精神的に疲れを感じるとか、疲労感が体に圧し掛かるとかその程度であったが、先程から寒気と嘔吐感が止まらない。血と胃液の混じった吐瀉物を撒き散らしながら、僕は床を這う。

「うっ、ぐっ……くそ、くそ、くそっ、くそぅ」

 涙目になって床に拳を叩き付ける、それは傍から見れば実に幼稚な光景だろう。けれど形振り構って居られるほど、僕は自分を保てていなかった。

 誰も助けられない、一人を殴り殺し、一人を目の前でみすみす殺された。

 

 少し考えれば分かった筈だ、あの首輪に何かあると、強力な能力者が自由に力を行使できる筈が無いのだと。枷があって当たり前、それがあの首輪、管理者が死亡乃至(ないし)反逆行為とみなせば、すぐさま炎が体を焼く。そうして死んだ、目の前で、最初に燃えていたあの女性も、重力制御の能力者もー

 

「げぇぇっ、うっ、え、むっ、が」

 

 えづき、吐き出し、そしてまた後悔する。地獄の様な苦しみだ、気絶する事も叶わず、断続的な痛みと嘔吐感が意識を嫌でも敏感にさせる、けれど業火に焼かれて死んだ彼女達に比べれば、生ぬるい。

 

「ぐっ、あ、ぅ、ぜったいに、すぐってやる、ぅ」

 

 ああいう事が平気で行われているのだ、今もどこかで、能力者だというだけで。昨日まで煌びやかだった能力者の世界は、その実酷く脆く、儚く、絶望的な世界だと気付く。知らなければ良かった事など星の数ほどあるけれど、これはとびきりだ。

 けれど、僕は。

 

― 待ってる

 

「ぜったいに」

 

 独り善がりな正義で構わない。

 能力者だというだけで惨い殺され方をする世界なんて、間違っている。

 優位能力者だからなんだ、異能者だから何だ、一般人だからなんだ。

 同じ人間じゃないか、同じ人じゃないか。

 それを正す事に正義を見出す訳じゃない。

 傍から見れば、僕だってただの悪者かもしれない。

 だけど僕にとっては正義だ。

 僕の信じる正義だ。

 

 その行動の先に、誰かが笑う未来があるなら、彼が救われるならー

 

 

 

 その後、僕の記憶はブッツリと切れている。 

 翌日、携帯に幾ら連絡をしても通じないからという理由で様子を見に来た幼馴染に、玄関先で倒れている所を発見される。彼女は甲斐甲斐しく世話を焼き、わざわざ大学を休んでまで看病をしてくれた。結局、一日に二度変身した負債は大きく、三日の回復期間を要した、これでは満足に動くことさえできない。

 

― 一日に【変身】は一回、時間は三分

 

 それ以上は体がもたない。

 

 上等だろう、何も無い訳じゃないんだ、三分、一日に百八十秒だけ僕は理想の姿になれる。

 それで十分だし十全。

 戦える力も、理由も、苦い正義も持ち合わせている。

 それで救うのだ、この世界から。

 

 

― この地獄の様な世界から

 




これが今の私の全力ですぅああああああ\(^o^)/


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逃亡者の邂逅

 その日から、僕は活動を始めた。

 

 大学を休みがちになり、その時間を国家超能力研究所を調べる時間に宛てたり、実際に逃亡した超能力者の捜索に費やした。研究所に収容されていた能力者を見分ける方法は簡単で、首に(カラード)と呼ばれる首輪をしているかどうかで分かる。

国家超能力研究所は表向き、能力者を保護し人権に則り義務教育の実施や超能力を社会に役立てる為の訓練をしているという事になっている。だから幾らインターネットで国家超能力研究所を調べたとしても、その裏側までは分からない。

だから僕は、手っ取り早くその研究所から逃走した能力者に逢う事にした。

 

 

 超能力犯罪は昨今の日本で最も多発している犯罪である、超能力を悪用し金品を盗んだり、人を殺したり、街に被害をだしたり。その種類は多岐に渡るが、それぞれ自分の能力を最大限生かせる方法で連中は犯罪を犯す。

 そしてソレが表沙汰になれば当然、報道陣が駆けつける。

 それは通常の犯罪と同じ。

 けれどニュースでは一般的に『超能力者が暴れた』とだけ報道し、具体的に誰がどうして暴れたなどかは全く報道しない。それに誰も異議を唱えないし、意識にも上らない。大人ですら抗いがたい超能力と言う魅力に、未熟で多感な子どもが抗える筈が無い。比較的超能力は若い世代に発現し易く、世間はそういう風に超能力者を見ていた。

 

 けれどそんなのは、真っ赤な嘘である。

 偏見報道によって植え付けられた偽りだ。

 

 真実はこうだ。

 

 国家超能力研究所から脱走した能力者が、街で殺されている。

 

 超能力研究所には全国から集められた優位能力者、或は希少性の高い能力者が数多く収監されていると聞く。国は『貴重な才能の保護』と謳っているが、それが幻想である事を僕は数日前に知っていた。

 (カラード)と呼ばれる首輪を嵌められ、裏切れば業火が身を焼き尽くす。

 そんな状況が嫌で、命辛々逃げ出した先で彼ら、彼女等は殺されるのだ。超能力を使用した犯罪者という烙印を押されて。事実、追い詰められた能力者が手当たり次第に周囲の公共物を破壊したり、市民を殺害、人質にとるというケースは多々ある。

 それらを国は『超能力犯罪』として祭り上げ、あたかもトチ狂った若人の過ちであるかのように国民に刷り込む。

 超能力犯罪の九割は、この研究所脱走者によって引き起こされていた。

 

 

 

「はぁ、はぁっ」

 

 僕の住む町から少し離れた郊外の住宅街、過疎化の進んだ寂れた街並みの中で、細い道で壁に背を預けて息を切らす女性が一人。シャッターの降りた店が周囲を囲み、彼女が居る場所もまた店の脇道で人目に付きにくい場所だった。

長く艶やかな髪に整った顔立ち、細く鋭い眼つきは対面する相手に威圧感を与えるが、しかしその表情は青白く体調が良さそうには見えない。

そして特徴的なのはその恰好と、首元に巻かれた首輪だった。

 恰好は病院の患者が着用する様な白い貫頭衣、そして首輪は言わずもがな、(カラード)である。

 

「あの、大丈夫ですか」

 

 そう声を掛けると、ばっとその女性は勢い良く振り向いた。そして僕に手を向けた状態で、ぎょっと目を見開く。それからゆっくりと息を吐き出し、目尻を下げた。次いでノロノロと手も下がる。

 

「はぁ、はぁ、なんだ、一般人か……」

 

 そう口にして胸を撫で下ろす女性。座り込んだまま肩を上下させる彼女の様子は病人のソレだ、僕は通りすがりの一般人を装ったまま彼女に一歩近づいた。

 

「体調が悪いみたいですけど、ソレ、病院の服ですよね……もしかして、抜け出してきたりとか」

「良いの、大丈夫だから、ありがとう……」

 

 僕に掌を向けてやんわりと断りながら、壁に凭れ掛かる。その姿は誰がどう見ても大丈夫では無く、僕は少しだけ強引に距離を詰めた。急に詰め寄って来た僕に、「ちょ、ちょっと」と戸惑い気味の声を上げるも、僕は善良な一市民を演じる。

 

「駄目ですよ、明らかに顔色が悪いです、病院に……いや、何か事情があるなら、せめて何処かで休んだ方が良い」

「け、けどソレだと、連中に……」

 

 どこか蒼褪めた顔で俯く女性、恐らく連中と言うのは国家超能力研究所の追手の事だろう。今でも彼女を探している筈だ、見る限り彼女は研究所から逃げ出したばかりと言う感じだった。

 

「良く分かりませんけど、人目の付かない場所なら良いんですか?」

「えっ……えぇ、でも」

 

 答えは聞かず、女性に押し付ける様に肩を貸す、身長は少しだけ僕の方が高かった、そのまま立ち上がって戸惑う女性に言った。

 

「こんなフラフラな人を放っておけません、人目に付かず休める場所に心当たりがあります、一先ずそこに行きましょう、このままだと貴女は倒れてしまう」

 

 有無を言わせず足を進め、覚束ない足取りの女性に肩を貸して歩く。勿論人目に付かない様表通りをなるべく避け、入り組んだ地形を上手く利用した。元々過疎化で人の余りいない地域だ、居たとしても昼間のこの時間帯に徘徊しているのは老人ばかり。

 

「ど、どうして助けてくれるの?」

 

 道中、僅かに震えた女性が僕を見上げながらそんな事を聞いて来る、その眼は僅かに恐怖を孕んでいて、何かに怯えている。それは彼女自身、人の厚意を感じた事が無かったからか、それとも単純にこのお節介に裏があるのではと疑っているのか。

 だから僕は、極めて本心に近い感情を吐露した。

 

「人を助けるのに、理由が必要なんですか」 

 

 そう言うと彼女は驚いた様に肩をビクリと震わせ、それからふっと俯いてしまう。

 嘘だと思われたか、それとも偽善だと怒っているのか。

 僕には判断がつかない。

 その耳が徐々に赤くなっていく様を見ていると、小さく「ありがとう」と声が聞こえた。

 

 

 

 彼女の脱走を知ったのは偶然だった、あの日から国家超能力研究所の情報に目を通し続けていた僕の目に、ある一件のネットニュースが飛び込んで来たのだ。

 曰く、S市H町に不審者が徘徊していると言うニュースだ、何やらその人物は超能力者で、超能力犯罪の疑いがあると言う事。立ち入り禁止にはなっていないが、警察関係が注意を呼び掛けている事が書かれていた。

 パッと見は額面通りに受け取れる、全く観覧数の上がらないそのニュース記事は単純に注意を呼び掛けているだけの様にも見えた。

 けれど僕は違う、超能力犯罪の疑い、不審者の徘徊、この二つを国家超能力研究所と結びつけた。

 

― 脱走者だ

 

 確信は無かったが、推測は出来た。

 後は行動あるのみ、幸いその町は僕の住んでいる場所からそう遠くは無く、準備を終えた僕は、善は急げとばかりに現地へ急行した。

 

 結果は大当たり。

 今僕の横で黙り込み、俯いたまま足を動かす彼女は明らかに国家超能力研究所の脱走者だった。その首に巻かれた(くさり)が動かぬ証拠である、後は彼女を安全な場所に匿う必要があった。

 幸いにして彼女を匿う場所に心当たりはある、後はどれだけ人に見られない様に彼女を目的の場所へと連れて行くことが出来るか。

 けれどその懸念は無事、近くの駐車場へと辿り着く事で杞憂となる。駐車場に止めてある車、SAIのロックを解除すると後部座席の扉を開ける。

 免許は元々取得していたし、車も今回の為にレンタルした。

 

「助手席だと、フロントガラスで貴女が見えるかもしれない、後ろはスモークガラスになっています、後部座席でなるべく顔を見せない様に、これから隠れられる場所に行きます」

 

 それだけ言って扉を閉めようとすると、中から「待って!」と制止の声が掛かった。寸での所で手を止め、「どうしましたか」と問いかける。中を覗き込むと、未だ不安が拭えないのだろう、戸惑う様な顔をした彼女が「一体、何処へ行くの…?」と聞いてきた。

 

「……ここから北に7キロ程離れた場所に僕の祖父が住んでいた家があります、3年程前に他界して、今は誰も使っていません、取り敢えずは其処に」

 

 これは本当の事だった。

 僕にはそれなりに裕福な祖父が居た、両親も優秀でうちの家庭は日本の平均的なソレと比べてかなり恵まれている。だから祖父が死んだ後も家は残ったままだった、今回祖父の家の近くー 少なくとも実家よりは近い ―大学に通う事になった為、両親より定期的な掃除を頼まれている。電気もガスも水道も、全て使える事は確認済みだった。

 

「……分かった」

 

 妙に現実性のある嘘だと思われたか、それとも本当の事だと信じてくれたのか。それは分からないけれど、結果として彼女は頷いてくれた。その事に内心安堵しつつ、運転席へと移動する。

 エンジンを掛けてギアをドライブへ、ハンドブレーキを解除した後、バックミラーで彼女の様子を伺った。後部座席とその背後を映すミラーにはシートに横たわった彼女が映る、恐らく一番見つかり難い姿勢だと思ったのだろう、もしくは余程疲れていたのかもしれない。

ミラー越しにその鋭い瞳と視線が重なり、僕は純粋に誰かを助けられる事を嬉しく思った。それが笑みとなってミラーに映る。

 

「十五分程のドライブです、少しですが休んで貰って構いません、けど何かあった時困るので、起きて貰えると嬉しいです」

「……大丈夫、起きているから」

「良かった」

 

 そして車が、ゆっくり動き出した。

 



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新しい家へ

 祖父の家は山の中腹に建っていた、所謂別荘と呼ばれる様な家で現役を退いた祖父が祖母と共に余生を謳歌した場所だ。

木々に囲まれた自然の中にポツンと存在している木材住宅、別荘だから別に小さいという訳でも無く、一般的な家と比較しても十分大きい。確か9LDK程あった筈だと思い出す。

 

「着きました、此処です」

 

 既に葉に埋もれ半ば見えなくなっている駐車場に来る前を止めると、悟られない様にそっと胸を撫で下ろした。途中検問や追手に見つかる事も無く此処まで来れた、一先ずその事に安心する。

 あのニュース記事と言い、検問が無かった事と言い、もしかしたら彼女はそこまで重要性の高い能力者では無いのかもしれない。本当に重要な能力者なら、連中は血眼になって探すだろう、態々(わざわざ)犯罪者が逃亡中だとも言わないはずだ。

 つまりは、そう、後回しにしているから念の為警告しているとも取れる。

 本気ならあの重力制御の能力者の様に、優位能力者を同伴させてでも捕まえようとする筈だからー

 

「……随分立派な家ね」

 

 恐る恐ると言った風に車の外から顔を出した女性が、ぽつりと呟く。その事に苦笑いを零しつつ、じゃあ行きましょうと手を差し出した。

 けれどそれを彼女は、「大丈夫、少しは回復したから、歩けるわ」と自分の足で(しっか)りと地面に立つ。出した手は行き場を失くし、そうですかと少し間を置いて引っ込める。

 少しだけ歩き、階段を上った先に玄関がある、鍵は既に用意していた。ガチャリと音を立てて解錠され、僅かな軋みを上げて扉が開いた。中から懐かしい匂いを感じ、思わず顔を綻ばせる。彼女が玄関を潜ったのを確認して扉を施錠、そのまま靴を脱いで上がる様勧めた。

 

「さぁ、どうぞ、すぐに休める場所を用意します」

「……ありが」

 

 彼女が感謝の言葉を口にしようとした瞬間、『きゅー』と可愛いらしい音が鳴る。それは聞き間違いでなければ、目の前の彼女のお腹から。

 

「………」

「………」

 

 無言、こういった場合のフォローに僕は慣れていない。見れば彼女は頬を染めて、口を一文字に結んでいる、手をお腹の前で組んでぎゅっと締め付けるその姿は羞恥に耐えている様にも見えた。

上を向き、下を向き、少し頭の中で言葉を考えてから、笑って言った。

 

「……取り敢えず、ご飯、食べますか?」

「……ありがとう」

 

 今度の「ありがとう」は、ちゃんと聞こえた。

 

 

 元々彼女から情報を聞いた後、放逐するつもりは微塵も無かった、長期的に匿う事を見越して車のトランクには大量に食材を積んでおいたのだ。飲み水は兎も角、保存食や日持ちするモノ、今日の内に食べてしまえるものなど段ボールにして三箱分。

 それを次々と家の中に運び込むと、目を丸くした彼女が「何でそんなに食べ物が…?」と問うてきた。馬鹿正直に「貴女を匿う為です」なんて言ったら、最初から目的があるとバレてしまう。

のでー

 

「いやぁ、実は僕、外に出るのってあんまり好きじゃなくて……一回の買い物で大量に買い込む癖があるんですよ」

 

 と、それっぽい嘘を吐いた。

 いかにもひょうきん者っぽく、けれど誤魔化すと言うは余りにも誠実に。

 続いて、「でも、そのお蔭で貴女を匿う事が出来そうだ」とも。

 そう言うと彼女は座っていたソファの影にすっと顔を埋めて、「……それは、そう……ね」と消え入りそうな声で答えた。

 

「何か食べたいモノはありますか? リクエスト、聞きますよ」

 

 そう言うと彼女はピクリと体を揺らし、すっとソファの裏から顔を出した。そして幾つか難しそうな表情をした後、小さな声で「か、カレーライス」と答えた。その頬は若干赤らんでいる。

 カレーライス、幸い材料はある、ルーも一パックだけ買ってあった。スーパーの商品棚から無造作に掴んで来たモノだけれど、あって良かった。

 

「分かりました、任せて下さい、料理、結構自信があるんですよ」

 

 そういって笑う僕に彼女は俯きながらも、口の端っこを少しだけ上げる様な。

 そんなぎこちない笑みを見せてくれた。

 

 

 

 料理に自信があると言うのは半分本当で、半分嘘である。

 と言うのも、大学に入学してすぐの頃は一人暮らしと言う新しい環境に自立心を掻き立てられ、毎日自炊し料理も作っていた。けれどそれが一ヵ月、二カ月と続く内に「別にコンビニの弁当でも良いのではないか」と怠惰な感情が現れ、気付けば自炊など殆どしなくなってしまったのだ。

 だから料理が全く出来ないという訳ではない、けれど自信を持って美味い料理を提供できるのかと言われると、そうでもない。結局のところ作ってみなければ分からないと言う奴であり、料理中、正直に言うとかなり緊張していた。

 カレーは誰が作っても一緒、いつか母はそんな事を言っていた気がする。確かに野菜を刻んで湯に入れルーをブッ込むだけではある、勿論その中に美味しくなるコツやら工夫やらを加えるのだろうけど、生憎とアレンジを加える段階まで僕は辿り着いていない。

 

「出来ました」

 

 コトリと、食事用のテーブルに腰かけた彼女の前にカレーライスを置く。調理器具が一通りあったのは助かった、大分長い間使われていなかったので念入りに洗浄した為少し時間が掛かったけれど。

 白米は炊飯器で一から炊くのは時間が掛かりすぎる為、レトルトのパック。肉も野菜も日持ちしないので余り数は買っていない、恐らくカレーはこれっきり、もう一度作るには買い出しに行かねばならない。

 

「………」

 

 彼女は目の前に置かれたカレーをじっと見つめ、ぼうっとしている。

 スプーンは手元にある、食べようと思えばいつでも食べられる筈だ。けれど彼女はカレーに手をつけようとしない。

 何かマズい事でもしたのだろうかと思い、「何か、ありましたか?」と問うと、不意に彼女がポロリと涙を零した。

 

「えっ」

 

 突然の涙に思わず戸惑う、そして僕の声で意識が戻ったのか、自分の両目から流れる涙に困惑しつつ「えっ、あっ、何で」と慌てて目元を拭った。けれど拭っても拭っても涙は零れる、僕は慌てて、「何処か、痛みでも?」と彼女の身を案じる。

 

「ちがっ、違うの……ただ、その」

 

 流れ出る涙を拭い真っ赤な目をしながら彼女は笑う、その笑顔は柔らかく、純粋な歓喜に満ち溢れていてーー

 

「手作りで、こんな温かい料理なんて、凄く………凄く久しぶりだったから」

「ッ」

 

 思わず、ぐっと拳を握りしめた。

 それは彼女の研究所での待遇を端的に現わした言葉だったから。

 エネルギー食のゼリーでも食わされていたのか、それとも冷や飯でも出され続けていたのか。少なくともこんな、素人に毛が生えた様な腕前の料理で涙を流すなんて、余程の事だろうと。

 

「……これからは毎日、こういうモノが食べられますよ」

 

 安い慰めだ、けれど言わずにはいられなかった。

 僕は彼女に笑いかける、それ以外の言葉が見つからなくて、見えない様に拳を握った。

 

「……ありがとう」

 

 嬉しそうに、そう、彼女は本当に嬉しそうに笑った。

 

「じゃ、じゃあ、頂きます」

 

 少し恥ずかしそうに、涙を拭った手でスプーンを手にとる。僕も対面する席に座って「頂きます」と礼。そしてカレーを口に運ぶ前に、じっと彼女の方に視線を向けた。

 恐る恐ると言った風に銀色をカレーの中に差し込み、ゆっくりと持ち上げる。出来立てのカレーの風味と湯気が食欲を刺激して、熱々の白の上にとろみのあるルーが滴った。

 ゴクリと彼女の喉が鳴る。

 少しだけ口を開けて一口、すっと白米とルーを頬張った彼女は熱さに「はふっ、ふっ」と慌てる。けれど、じわっと目尻に涙を溜めて、口の中のカレーをぐっと飲み込んだ後言った。

 

「美味しい!」

 

 あぁ、それは良かった。

 僕は独りでに安堵する、そして次々と口にカレーを放り込む彼女の姿を見て、どこか暖かい気持ちになった。

 あぁ、助けてよかったと、改めてそんな事を思う。

 僕もスプーンを手にとってカレーを一口、仄かな甘みと辛さ、ルーのとろみ加減、うん、悪く無い筈だ。そのまま彼女の食べっぷりを眺めつつ、密かにお代わりの用意をする。

その予想通り、彼女は二杯のお代わりを要求した。

 

 

 

 




文庫本一冊で約100,000字……
3,000字弱区切りで投稿しても3話で約10,000字、×10で漸く一冊分。
つまり3,000字弱の文字数で1話投稿するなら、30話分投稿する必要があると言う事……。

(´・ω・`)


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恋煩い

「……ごめんなさい、ちょっと食べすぎちゃったかも」 

「大丈夫ですか?」

 

 食後、彼女は用意されたベットに早速横たわっていた。

 一応洗濯したばかりのシーツと枕カバーを用意していた為特に問題は無い、仰向けに休息する彼女の姿は整った顔立ちも相まって正に眠り姫だ。

 流石に女物の服を事前に用意する事は出来なかったので、研究所で配給されたと思われる貫頭衣そのままだけれど。

食後にはお風呂でも沸かそうと思っていたが、どうやら後回しにした方が良さそうだ。

彼女の顔色は最初にあった時と比べれば大分良くなり、肌全体の血色も良くなっている。今グロッキーなのは、単に先程のカレーを食べ過ぎただけであって、別に疲労で倒れたという訳では無かった。

 

「大分胃袋が縮んでたみたい、一杯食べたから、きっと驚いちゃったの」

 

 どこか影のある笑みでそんな事を言う彼女、恐らく研究所での食事事情の事だろう。けれどうって変わって、天井を見る彼女の瞳はどこか幸せそうであった。僕は彼女の研究所暮らしを想像する事も出来ない、けれど命を握られる様な場所なのだ、マトモである筈が無い。

 彼女のベッドの傍に立つ僕は静かに深呼吸をして覚悟を決める。

部屋のドレッサー近くに置いてある椅子をベッドの傍に運んでくると、彼女と話しやすい様腰かける。

 そして彼女の横顔を見つめながら、問いかけた。

 

「お話……聞いても良いですか?」

 

 要求はまっすぐ。

 下手に探りを入れること無く、その一言を放つ。

 彼女は僕の言葉に驚きを見せる事無く、特に反応しないまま視線を寄越した。そこには先ほどまでの平穏な色は無く、どこか危うさを孕んだ鋭い視線だけがある。

 彼女はゆっくりと体を起こすとベッドの淵に腰かけ、小さく息を吐き出した。

 

「それは……私の身の上話、よね」

「そうなりますかね……どうにも、ただ事には見えないんです

 

 貴女の置かれた状況が。

 そう言うと彼女は姿勢を正しつつ、僕を真っ直ぐ見つめた。

 

「貴方には、とても感謝している」

 

 その眼はどこまでも真っ直ぐで、曇りが無い。

 鋭い視線は正面から僕を射抜く、そこに敵意や悪意などは感じられない、とても純粋な誠意しか見えなかった。

 

「私をこんなところまで連れて来てくれた事も、ご飯を御馳走してくれた事も、匿ってくれるって言った事も……本当に、返しきれない恩を感じている」

 

 けど、だからこそー 彼女はそう続けて、僕の目をじっと覗き込んだ。

 

「貴方を巻き込みたくない、恩があるからこそ、貴方には知らないでいて欲しい……」

 

 こんな事、私の我儘で、本当に失礼なのは分かっているのだけれど。

 そう言って俯く彼女に、僕は少しだけ内心で焦りを見せる。信頼される事は良い事だ、けれど僕は彼女の持っている情報が欲しかった。

彼女だけを救うのであれば別にそれでも構わないだろう、しかし現実には彼女の様に逃げ出した能力者がまだ存在している。

 こうしている間にも、世間には超能力犯罪として国に殺されている同胞が居る。だから彼女の持っている情報が、どうしても欲しい。

 

「……」

 

 一瞬の思考、どうすれば彼女から話を聞くことが出来るだろうという計算、恩人だから巻き込みたくないと言う彼女の厚意を踏みにじる行為だけれど、僕にだって譲れないモノがある。

 

「……貴方の様子を見るに、どうにも、病院から逃げ出したという感じでは無い」

 

 唐突に口を開いた僕の言葉に、ふっと彼女が顔を上げる。

 

「犯罪を犯して捕まった人の可能性もあるけれど、貴方はそんな悪人には見えない、だからきっと僕の考えるより大きな出来事に巻き込まれているのでしょう」

 

 彼女の恰好はかなり特殊だ、首の首輪も貫頭衣も。けれど国家超能力研究所と関連付ける事は、その裏側を僅かでも知っていなければ難しい。だから必然、その名前を出すと言う事は意図して彼女を助けた事を露呈させる事になる。

 それはきっと、彼女に不信感を抱かせるだろう。

 

「だから、僕も一つ貴女に言っておきたい事がある」

 

 だから、彼女に自分は最悪何があっても大丈夫だと、そう安心させる事が重要だ。

 そう考えた。

 

「僕は、超能力者なんです」

「えっ」

 

 超能力者という言葉に、一瞬ビクリと彼女の肩が跳ねた。

 空かさず、「あぁ、超能力者と言っても、優位能力者とかでは無いので」と僅かな笑みを浮かべて肩を落とす。あたかも、そうであったらどれ程良かったかと言いたげに。

 

「能力は【変身】って言って、自分のイメージしたモノに変身出来るって能力を持っています、生物限定で無機物にはなれませんけれど、結構色々応用が利くんですよ、三分の時間制限付きですが……」

 

 照れたようにはにかんで、乾いた声を漏らす。変身と言う自己変化能力、それは説明を聞いただけでは人を傷つける事は勿論、使い勝手の良い優秀な能力とは言い(がたい)

 能力者と言う言葉に彼女は未だ体を硬くしているけれど、能力の内容を聞いて少しだけ肩の力を抜くのが分かった。勿論全てを信じている訳ではあるまい、だが彼女の中では僕は一般市民。

 つまり、騙す理由が無い。

 

「最悪それを使って逃げたり、隠れたりする事は出来ます、だから貴女が何に困っているのか、教えて欲しい、何か出来る事があるなら言って欲しい、僕は貴女を助けたいんです」

 

 僕の言葉を聞いて僅かに彼女の表情が変わる、どうやら説得はそこそこ効果的だったらしい、指先を唇に触れさせて迷った様な素振りを見せていた。

恐らく本音を言えば打ち明けたいはずだ、研究所にずっと身柄を拘束されていた彼女に協力者という存在は得難い。ただですら困難な状況に差し伸ばされた手なのだ。

しかし ー

 

「……ねぇ、どうしてそこまでしてくれるの?」

 

 純粋な善意という形が、彼女に要らぬ不信感を与えてしまった。

 僅かな硬さを孕んだ彼女の声が耳に届く、僕を射抜く彼女の視線は揺れ動いている様に見えた。

 

「それはー」

「人を助けるのに理由は要らない……それはさっき聞いた、きっと貴方はとても優しい人なんでしょう、けれど私にとってはまだ金銭を要求された方が納得できるの」

 

 明確な下心、或は対価。

 それを最初から示されていた方が安心できると、彼女は暗にそう言っていた。

 別にお金が欲しい訳では無い、彼女に邪な気持ちを持っている訳でも無いし、強いて言うならば情報か。

 しかしそれを口にするにはリスクを伴う、僕を研究所の関係者だと思い込んでしまうかもしれない、迂闊な行動はとれなかった。

 

 

 いっその事、彼女に一目惚れでもした事にしてしまおうかー

 

 

 ふと、そんな事を考えた。

 明確な理由があった方が、少なくとも善意だとか正義感という不明瞭なモノよりはずっと信じて貰える。

 幸い彼女は美人である、サラリとした黒髪に整った顔立ち、髪は肩より少し伸びた位で目つきが鋭い、良く見れば泣き黒子が右目にあって中々チャーミングだ。

 一目惚れしたと言ってもおかしくは無い、それだけの理由が彼女の外見にはある。

 

 けれど一目惚れしたから匿うって、それは暗に体を差し出せと言っているのと同じではないだろうか?

 口に出す前に、そんな考えが脳裏を過る。

 それに、他の能力者を助けたりした場合、なんと言い訳すれば良いのだ。仮に男なんぞを助けてしまえば僕はホモになる、いや、彼女が居るからバイか。

 

「………」

 

 良い考えが浮かばない、このまま善意だけで助けたとゴリ押しする事も可能だろうか? 

 けれど彼女は明確な対価を欲している、抽象的な言葉を返せば堂々巡りだ。

 思考は回らない、こちらをじっと見つめる彼女との間には沈黙が降りる。善意だとごり押しするか、自己満足とでも言っておくか、それとも直球で情報が欲しいからと明かすか?

 散々思考が回って、回って回って、結局思い浮かばず。

 何度か開いては閉めてを繰り返していた口が、絞り出す様な声で僕の答えを紡いだ。

 

 

「ひ……一目惚れです」

 

「えっ?」

 

 

 




 この後どうしよう‥‥取り敢えず次回は説明回になりそうな予感(´・ω・`)

 渡る世間はヤンデレばかり、戦車これくしょん、ヤンデレFAもそうでしたけれど、ランキングに載ると一気に評価が増えて透明が色付きに……。

 嬉しさ\( 'ω')/


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表と裏

 

「………はぁ」

 

 時刻は夜、僕は玄関先の階段に腰かけて夜空を見上げていた。

 ポツポツと黒に染まった空に輝く星々、山の上だから良く見える、背の高い木々が良いアクセントになって月が栄えていた。

山の夜は騒がしい。

 虫が大合唱をし、川が近いと蛙も鳴く、周囲に家なんて無いから家の明かりに虫がどんどん集まって来る、虫よけスプレーは必需品と言って良い。そんな中で一人黄昏(たそがれ)ているのは単に、精神的な疲労を感じていたから。

 ポケットに手を入れて、小さな()()を取り出す。

 パッと見は試験管の様にも見える、細長い容器。従来の試験管を半分に切った様な大きさで、中身は無色透明、上部に押しボタンが存在し下部には無数の穴が空いている。

 

壊能液(かいのうえき)と、防壊液(ぼうかいえき)、か……」

 

 

― 結論から言うと、僕は彼女から情報を聞き出す事に成功した。

 

 

 あの後、「えっ、あっ、なっ……」と顔を真っ赤にして慌てふためき、視線を忙しなく動かしていた彼女― 村田幸奈(むらたゆきな)に懇切丁寧に、それはもう全く下心を(主に性的な意味で)持っていない事を説明し、何とか信用を得る事が出来た。

 結果、彼女の名前を知る事が出来たし、大雑把ではあるが国家超能力研究所の内情も把握した。

 (カラード)の役割や研究の内容、その一端が僕の手の中にある容器、シリンダーである。

 

 国家超能力研究所は全国から優位能力者を集め、義務教育や能力を社会に役立てる為の訓練を行っているというのが表向き。しかし幸奈曰く、行われているのは非人道的な能力強化訓練、或は能力者を無能力者が支配する為の条件付けであったそうだ。

 

 能力者は使用する能力によって幾つかのセクターに分けられ、同じセクターの中で「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ」の五段階評価で部屋を割り振られる。

 例えば【瞬間移動(テレポート)】の能力であれば、『移動能力セクター』に入れられ、何メートル移動できるのか、自分以外の物体を移動させられるか、重量制限はどの程度か、一度に移動させられる数は幾つか、などによってランクを付けられる。

 

 ちなみに幸奈の能力は【振動】

 自分に触れたモノを振動させるという、極めてシンプルな能力。

 ランクは『Ⅱ』で、それほど強いという訳では無い。しかし『Ⅰ』であっても世間では優位能力者と呼ばれる超能力、決して弱くは無い。

 水に手を突っ込んで振動させればお湯になり、人間に使えば脳味噌をシェイクする事だって出来る。殺す事は出来ないかもしれないが、十二分に脅威となるだろう。幸奈曰く、もしランクが『Ⅴ』であれば人工的に大震災を起こせただろうと言う。

 ランク『Ⅴ』とは全く以て、規格外な能力者の集まりらしい。

 

 個人的に疑問だった、どうやって国家超能力研究所から逃げ出したかという件については、そのランク『Ⅴ』が絡んでくる。どうやら内部で手助けしてくれている人間と、超能力者がいるらしい。

 その超能力者と言うのがランク『Ⅴ』、【超長距離瞬間移動(ジャンパー)】と呼ばれる能力を持つ女性。

 余りにも桁外れな移動距離を誇るらしく、その様な名前を付けられたのだとか。

 

 その瞬間移動可能範囲は、脅威の【1,500,000メートル】

 

 キロメートルに換算して凡そ【1,500キロ】、収監されている優位能力者ランク『Ⅰ』で、50メートルの瞬間移動の能力者と比較すると、雲泥の差だ。

 その女性が脱出の手引きをし研究所から数日に一人ずつ、能力者を外へと逃がしているらしい。

 能力者の能力を無効化する機器などは開発されておらず、それは現在能力を測る機器の劣悪な精度にも関係がある。どうやら能力者に関する機器の研究は急がれているらしく、もし能力を遮断する様なマシンが開発されれば一巻の終わりだと幸奈は言う。

仮に彼女が外へ能力者を逃がしていると露呈しても、研究所は彼女を殺す事が出来ない。それ程の能力を持った超能力者を殺すという事は、国益の損失に他ならないからだ。

 それと彼女がどうやって研究所から逃げ出した後、あの場所まで生き延びて来られたかが分かった。幸奈は既に三度、国家超能力研究所の追手と遭遇しており、その中にはランク『Ⅲ』の能力者が二人も同伴していた。

 能力は【念動力】と【加速】の二つ。

 ランク『Ⅱ』の【振動】では通常太刀打ち出来ない二人の能力者を相手に、大立ち回りをして何とか撃退し、落ち延びた。

 何故撃退できたのか?

 それが僕の手にある、壊能液(かいのうえき)の力である―

 

 シリンダーは注射器になっており、中の無色透明な液体は摂取した超能力者の能力を引き上げるモノだと言う、ランクで言うと一段階、相性が良ければ二段階程ランクアップが望める品物。

 幸奈は相性が良く、この壊能液を使用するとランク『Ⅳ』相当の能力を得る事が出来るとの事。

 ランクは一つ違えば能力の規模が変わる、ランク『Ⅳ』の幸奈は局地的な地震を起こし山崩れを発生させ生き延びたのだとか。

 隣の県との境で山崩れが起きたというニュースがあったが、どうやら幸奈の仕業らしかった。

 

 しかし、無論副作用がある。

 

 通常の能力より体への負担が大きく、しかも一度摂取した懐能液の効力は一生続く、身の丈に合わない能力の使用は破滅を招き、何もせずに能力を使い続ければ体が自分の能力によって崩壊してしまう。

 炎を扱う炎熱系の能力者ならば自らの炎で身を焼かれ、振動を扱う幸奈ならば体が液状化する。

 故に、そうなる前に『防壊液』を使用しなければならない。

 これは壊能液とは異なり、若干青みの掛かった液体、摂取すると壊液を中和し能力のランクを元へ戻してくれる。壊能液を使用した時の負担が消える訳では無いが、コレを使用しなければいずれか体が崩壊する。

 幸奈はコレを両足の根元にベルトを付け、各三本ずつ研究所より持ち出していた。

 既に一本ずつ消費され、残りは各二本

 内、壊能液は僕が一本持っている。

 あの時、幸奈が路地で辛そうにしていたのは壊能液の副作用によるモノだったらしい。

 

「……」

 

 目の前でプラプラと振り、中身の透明な液体が揺れる。

 これが国家超能力研究所の成果、超能力者に非道の限りを尽くし生み出された人類の英知と言う奴。

 この一本のシリンダーを作る為に、一体何人死んだのだろうか、そう思った。

 

― その内の一人が、かっちゃんだったら。

 

「ぞっとしないな」

 

 ぶるりと、肩が震えた。

 まだ僕は国家超能力研究所の全てを知っていない、時期尚早だ。だから耐える、今は時じゃない、そう言い聞かせる。

 研究所から逃げ出した超能力者には追手が差し向けられる、脱走者は日本各地に散らばり身を潜めているらしい。だから彼ら彼女らに協力を呼びかけよう、同胞を助ける為ならば力を貸してくれるかもしれない、そんな事を考える。

 しかし、もし失敗したら。

 僕はそれを想像する。

幸奈から聞いた話だが、逃走者に協力者がいた場合―

 

 殺すか、或は強制収監となる。

 

 それが、幸奈が国家超能力研究所の話を躊躇った理由。

 この場合、幸奈が捕まれば僕も道連れ、死ぬか連れて行かれるか、どちらにせよ地獄が待っている。

 殺されてその場で終わるのならば良いけれど、仮に僕の能力の委細がバレたらどうなるか。解剖か人体実験か、壊能液を飲まされて死ぬ瀬戸際まで能力を酷使させられるか。

 良い想像など一つも出来ない。

 僕はそういう世界に片足、いや、既に両足を埋めている。

 いよいよ、後戻りできない感じがして来た。

 

「あ、あの」

 

 シリンダーを握りしめて夜空を眺めていた僕の背に声が掛かる、振り向けば玄関から顔を出した幸奈が濡れた髪と赤らんだ頬を見せながら、「お、お風呂頂きました……」と報告。

 

「あぁ、分かりました、ありがとうございます」

「い、いえ……」

 

 じゃあ、僕も入りますかねと腰を上げる。幸奈は扉の間から僕をじっと覗き見て、頻繁に髪を弄っていた。その視線は定まらず、湯上りだからか全体的に赤らんでいる。というか彼女が引っ込んでくれないと僕が家の中に入れない、「どうかしましたか?」と問いかけると、「へっ、あっ、いや、えっとっ」と幸奈は慌てて顔を引っ込めた。

 何だか良く分からないけれど、今の内に入ってしまおうと扉に手を掛ける。けれど次の瞬間にはスッと、また幸奈が顔を出した。そして幾分か近付いた僕を見上げながら、かっと顔を真っ赤にして。

 

「お、お風呂、気持ち良かった……です」

 

 えっ、あ、はい。

 何と返せば良いのか、そんな間抜けな返事をしてしまった。

 そして今度こそ完全に幸奈の頭が見えなくなる。

 

「………」

 

 何で敬語になったんだろうとか、何か避けられている気がするとか、色々思う事はあるけれど。まぁ、別に良いだろうと、色々吹っ切れた。

 

 

 因みに、幸奈は十七歳だった。

 てっきり年上だと思っていた僕には衝撃の事実である。

 

 

 

 





 大学に行っていないから毎日投稿が出来ますが、恐らく連続投稿は来週で終わりを迎えます(´・ω・`)

 大分足が回復して来たので、そろそろ大学に行かねば……。


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救うべき人

 嘘とは言え一目惚れしたと伝えた女性が入浴した浴槽に体を沈めるのには勇気がいる、備蓄されていたシャンプーやリンス等は僕が使っているものと同じはずなのに、何となく常と違う匂いを感じる今日この頃。

 勿論、何をすると言う訳ではないけれど。

 

 

「じゃあ、少し失礼しますね」

「うっ……ど、どうぞ」

 

 湯上り、ドライヤーで乾かしたばかりの幸奈の髪を掻き分け、その首筋に顔を近づける。別にやましい事をしている訳では無く、単純に(カラード)を観察しているだけ。目の前で赤く染まるうなじとか、仄かに香る甘い匂いなどは極力意識しないようにする。

 

 (カラード)は完全に幸奈の首に固定されており、丁度背骨に沿う様な形で三つ固定具が体に埋め込まれていた、見ているだけ痛々しい。細いフレームがリングになって幸奈の首を一周し、無理矢理取り外す事は無理だと判断。

 

「今は、その、焼却処分される心配はないんだよね?」

 

 指先で(カラード)の感触を確かめながらそう問うと、幸奈は「えぇ……」と僅かに俯きながら答えた。その耳は驚く程真っ赤に染まっている。

 

「さっきも言ったけれど、研究所の外に出るときは(カラード)制御官っていう監視役の人がついて、(カラード)に自動焼却処分装置を取り付けるの、裏切りや逃走を確認次第制御官はその自動焼却処分装置の安全装置を解除する事が出来て、安全装置は鎖の焼却処分が起動しない様に止めている装置って聞いてる、一定時間制御官が延長要請をしないと勝手に発動する……えっと、します」

「……普段通り、ため口で良いんですよ?」

「じゃ、じゃあ、貴方も……その、敬語は無し、で」

「わかり……分かった」

 

 幸奈との垣根が一つ消えた、本来は相手の方が年下なので僕の方がタメ口なのだろうけど、何となく幸奈は大人っぽく見えて、自然と口調が丁寧になってしまう。

 

 目の前の(カラード)をもう一度観察する、研究所の外へ出る場合、鎖制御官なる監視役がつく、そして自動焼却処分装置とやらも。

恐らく、僕の目の前で絶望に顔を蒼褪め、死にたくないと呟いた重力制御の能力者はソレで焼け死んだ。

仮に制御官を殺害したとしても、安全装置の延長処置が取られなければ(カラード)を付けている能力者は死ぬ、そう言う事。彼女が今無事なのは、単に自動焼却処分装置を付けていないからだった。

 脱走者を連れ戻せないと判断した場合、人間と同じくシンプルに射殺、能力で殺害するかー

 

「これか……」

 

 背骨に沿う様な形で埋め込まれている固定具、円柱のソレは僅かに浮き上がっている。指で触れると体温が伝わっていて僅かに暖かく、多少押しても微動だにしない。

 

「【デッドボルト】、これを無理矢理取り外したり、破壊すると安全装置が解除されて焼却処分装置が発動するの」

 

 淡々とした口調でそんな事を言う幸奈、それは超能力者が何らかの形で逃げ出し、自動焼却処分装置も付けられなかった場合の最終手段。一般人が強大な力を持つ超能力者を殺害する方法。

 

「上から順番に計三つ、普通に素手じゃ壊す事は出来ないけれど、能力や硬いモノ……多分石とかで思い切り叩けば壊す事は簡単だと思う、外側は簡単に壊れない様にコーティングされているって聞いたけれど、中身は脆いって」

「……中には何が?」

 

 そう問いかけると、幸奈は「分からない」と肩を竦めた。

 けれど、どうせ碌なモノじゃないと、眉を顰めて吐き捨てる。

 

「研究所に入れられた人は一番最初に、この【デッドボルト】を埋め込まれるの、その後に(カラード)、私は小学六年生の時に能力を発現したから、埋め込まれたのは大体五年前位ね」

 

 子どもでも容赦はしない、そういう事か。

 掻き分けていた彼女の髪を元に戻し、髪で鎖を隠す。それさえ見えなければ彼女は普通の一般人で、ただ美しい女性だった。

 

「ありがとう、色々教えてくれて」

「いえ……でも、本当に良かったの?」

 

 振り向いた彼女が僕を見上げる、その瞳からは不安や後悔の念が感じられた。

 

「国家超能力研究所の裏側を知ってしまったら元の生活には戻れない、殺されるならまだ良い方、仮に捕まってしまったら酷い拷問と、非人道的な実験が待ってる、能力者なら尚更」

 

 そこまで口にして彼女は僕の手を握った、そして決意の籠った視線を寄越す。ぎゅっと握られた手からは温もりと、確かな力強さ、覚悟を感じた。

 

「けれど、貴方の場合はまだ間に合うわ、私を放って何も知らないフリをすれば……私も、捕まったとしても何も言わない、貴方の事、絶対に」

 

 それは僕を試しているのか、或は彼女の良心だったのかもしれない。

 僕を見上げて、不安そうに、どこか蒼褪めて、けれど瞳だけは決して揺れずにいる彼女を見て、そう感じた。

 こんな状態の女性、それも一歳とは言え年下の女の子を放り出して自分だけ素知らぬふりを決め込むなど出来る筈が無かった。そんなのは僕の正義に反する、仮に上手く誤魔化せて日常に戻れたとしても確実に『僕』という人間は一度死ぬ。

 肉体的では無い、信念を失くした僕として死ぬのだ。

 

「……それは出来ない、僕は貴女を助けると言った、どうかそれを最後まで貫かせて欲しい」

 

 彼女の手を握り返し、確かな決意を持って彼女の瞳を見る。最初からこうなる事を望んでいた、僕は望んで彼女を助けた、自らこの世界に足を踏み入れたのだ。

 それに今ここで幸奈を見捨てたら、幸奈の仲間はどうなるのか?

 幸奈は言っていた、明日(あす)、友人が一人研究所から抜け出す手筈になっていると。言っては何だが幸奈一人で友人と合流し、その後逃げ切れるとは思えない。隠れる場所も()も無い、そんな状態でどうやって逃げ延びるのだ。

 

「僕の手の届く範囲の脱走者は助けたい、助けられる力があるなら、そうするべきだ、例え偽善だと罵られても、僕は自分に嘘を吐きたくない」

 

 他人に嘘を吐いている身で、何を(うそぶ)くか。

 けれどこれは優先順位の問題なのだ、何を選んで何を捨てるか、全てを抱え込めるほど僕の両手は大きくない。

 かっちゃんとの約束、僕の正義、その闇が親友(かっちゃん)や僕、身近な人を飲み込む前に、消し去ってしまわなければならない。その為に必要な過程、勿論助けられるのならば助ける、それが赤の他人であっても、それは紛れも無い本心だ。

 嘘は悪である、けれど誰かを救える嘘ならば僕は肯定する。

 目の前で頬を赤らめ、どこか恍惚とした表情をする彼女。

 嘘で誰かを幸せに出来るなら、僕はそれを受け入れよう。

 

 僕が目指しているのは『万人のヒーロー(英雄)』じゃない。

 

 小学校の頃の僕ならば、万雷の喝采を浴びるヒーローを夢見ていただろう。

 けれど僕は完全なヒーローに非ず、悪を許せる器の広さも、全員を助ける強さも、あらゆる障害を乗り越える心の強さも持ち合わせていない、煌びやかな外見はその実、中身を全く持っていないハリボテのヒーローだ。

 不当な扱いをされている超能力者を救う、あわよくば国家超能力研究所の所業を暴き、これ以上被害者を生まない様にする。

 それが理想、僕の考える最上の結果。

 国家超能力研究所が機能を失えば、苦しんでいる超能力者は解放され僕の周りの友人、かっちゃん、僕自身に連中の魔の手が迫る事は無くなり、日々の安寧を得る事が出来る。

 けれどソレが難しい事は百も承知、だから僕の今出来る最善は、研究所から逃げ出して来た超能力者に隠れ家を提供し、力を蓄え、来る決起の日を待つ。

 

「……本当に、良いの?」

 

 泣き出しそうな表情で僕を見上げ、力の限り手を握りしめる幸奈。それは言葉の前に、「頼っても」と付きそうな弱々しさだった。僕は勿論肯定する、その手を強く握り返し「当たり前だ」と頷く。そこには不退転の意思だけを込めた。

 彼女の目から一筋、涙が零れて、泣き顔は見せまいと俯く。ぽたぽたと床に水滴が落ちる様を僕は黙って見つめた。

 

「……ありがとう」

 

 そう言って彼女は涙を拭い、少し大袈裟なくらい笑って見せる。

 その笑顔はこんな状況にも拘わらず、驚く程美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中、家の明かりは既に消えて月明かりだけが部屋を照らしている。虫の鳴き声が微かに聞こえ、僕はそっと上半身を起こした。

隣からは穏やかな寝息が聞こえて来て、視線を向ければ年相応のあどけない表情で幸奈が眠っている。閉じられた瞳からは鋭さを感じられず、寝顔だけ見れば愛嬌のある顔立ちだ。サラリと流れる黒髪に、どこか香る甘い匂い、それに愚息が反応しそうになる。

 この家にベッドは元々二つあるのだけれど、彼女がどうしてもと要望を押し通し、渋々寝床を一緒にしているのだった。寝間着にと渡した僕のTシャツがダボダボで隙間から色々見えそうな状態、何となく視姦している気分になってシーツを幸奈の体に被せる。

 そして静かにベッドから降りると、そのまま部屋を後にした。幸い彼女を起こす事なく抜け出す事に成功する。

 

「……よし」

 

 寝間着から動きやすい服装に着替え、顔を洗う。眠気を覚まして玄関に行くと、必要なモノを詰めたバッグを肩に掛け時計を確認した。

 午前一時丁度、時計は確かにその時刻を指している。

 幸奈の友人とやらが瞬間移動によって送られてくるのが午前一時十分、元々幸奈と合流する地点を決めていたらしいが、現在幸奈は僕が匿っている。だから代わりに、僕がその友人を回収してこなければならない。僕はその為に動こうとしていた。

 集合時刻は明日の朝八時、街の廃工場で待ち合わせするつもりだったと言っていたが、そんな時間まで放っておくのも忍びない。幸い瞬間移動の着地ポイントは聞いていたので、先にその地点で待ち伏せておこうと考えたのだ。

 最悪何らかのトラブルで朝までに帰ってこられなかった場合を想定し、幸奈宛の手紙と保存食をテーブルの上に置いて来た、抜かりはない。

 

「……後は、僕の能力次第かな」

 

 静かに扉を開けて外の世界へ、夏の夜は涼しく若干肌寒い位だが今の僕には丁度良い。鍵を閉めて、その場で軽く準備運動。

 現場に車で向かう事も考えたが、下手に国家超能力研究所の追手や超能力者と戦う羽目になった場合、車ごと破壊されかねない。あの、重力制御の能力者なら車を押し潰すなど造作も無いだろう、あのレベルの連中が僕らを襲って来るのだ、ぞっとしない。仮に破壊されなかったとしても、押収されれば僕という人間が関わっていると露呈するのは目に見えていた。

 

「ふぅ……」

 

 地図は既に頭の中にある、場所も分っている、後は僕の能力が上手い具合に働いてくれるかどうか。家の前にある階段を降りて砂利道に入ると、僕はぐっと両腕を腰の辺りで構えた。

 

 

「―変身」

 

 

 一瞬、僕の体を眩い光が包み込み、月明かりに負けない程の光量に視界が染まる。

目は見えないが、光が収まる前に僕は地面を蹴って走り出した、僕にとっては一秒が惜しい。

 最初は小走り、そこから徐々に速度を上げ全速力へ、砂利が弾け足跡を辿る様に小さな爆破が起きる。僕の足が唸りを上げて、風が周囲の木々を揺らした。

 

― 跳べッ!

 

 ぐっと、足に力が入り筋肉が膨張、爆発的な加速力を以て僕は夜の空へと跳躍した。足元の地面を踏み砕き、砂利が柱の様に聳え立つ。

 

 やった!

 

 僕の体が虚空へ投げ出され、夜の星々が周囲を包む。大小異なる星は青黒い世界の中で確かに輝き、雲一つない夜空に見惚れてしまう。宝石が散りばめられている様だとは言うが、正にその通りだ。

 町の窮屈な世界からは見る事の出来ない風景。

 何も遮るモノのない空は何と綺麗で、美しいのか。

正面に見える満月は僕を歓迎し、月明かりが僕の姿を照らした。

 

 けれど、その時間は長く続かない。

五十メートル近く跳躍した僕は一息に森を抜け、住宅町へと躍り出る。最高点に達した僕の体が徐々に高度を落とし、急速な落下感が僕を襲った。

慌てて落下地点を見極め路地に着地するよう微調整、そのまま急速落下しアスファルトの地面に両足を叩き付けた。

 ズンッ! と重苦しい音が周囲に響き、ビキビキと両足を中心に罅が入る。

 足の裏にピリピリとした刺激が走り、けれどその程度に済むことに安堵。

 間髪入れずに再度両足に力を籠め、跳躍。

 足元のアスファルトが弾け、破片が飛び散った。

 着地と跳躍、夜の空に包まれながら進む道中。

 時間にして凡そ三十秒程か、車で十数分の距離を僕は一息に『跳び』抜け、廃工場の敷地内へと着地した。なるべく音を立てない様に、両足での着地では無く四肢全体を使った着地を敢行。

 足で着地すると同時に上体を沈め、両腕で更に体の衝撃を逃がす。獣の様な着地は確かに成功し、アスファルトを砕く衝撃は砂利の地面を僅かに凹ませるだけに留まり、ブワッと周囲に風が巻き起こる。

 しかし、周囲に鳴り響く様な轟音は発生しなかった。

 

「ッ……変身、解除っ」

 

 変身する時と同じ、僕の中にある見えないスイッチを切る感覚。

 瞬間、ふっと身体中の力が抜け、僕の手は見慣れた人間のモノに戻っていた。

 

「ふっ、はぁ、はっ……成功だ」

 

 上がった息を整えつつ、僕は歓喜の念を覚える。

 僕は今日、能力の使い方を一つ理解した。

 僕の変身できる時間は一日で【三分間】、秒にして百八十秒。

 

 それを僕は分割して活用する方法を考えた。

 

 つまり、三分間通して変身するんじゃない。

 必要な時に変身して、一日で合計(トータル)三分になるよう調節する使い方。

 これが出来れば大分僕の能力は汎用性が高まり、何より体に掛かる負担が大きく減る。三分間ぶっ通しで変身するよりは、細かに何度かに分けた方が良いに決まっている。

 

「……よしっ」

 

 息を整え、僕はその場から立ち上がる。

 手に付着した砂を払って廃工場を見渡し、静かに足を進めた。人の気配のしない薄暗い世界、錆びた鉄と鋼の世界。剥き出しの鉄筋が見える屋内へと一歩一歩進み、僕は友人を探して、その薄暗い世界へ踏み出した。 

 

 

 






 文字数に惑わされず、書きたいところまで書くのが一番だと思いました(小並感)

 いやぁ、でも今まで強い主人公とか書いた事無かったので、何かこう、書いていて爽快感みたいなものを感じますね!(*´▽`*)

 読んでて感じるかどうかは微妙なところですが……(´・ω・`)

 はやくヤンデレ出したい‥‥ヤンデレが足りんねん、ヤンデレ、病みが、皆を幸せに
 ヽ(`Д´)ノアァァァァァアアアヤンデレェエアアレレエエエエヤンデレヤンデレェエエエエ!


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決断

「……時間だ」

 

 時計を見て立ち上がる、時刻は幸奈の言っていた一時十分を回る、砂と誇りに塗れた廃工場の片隅で待機していた僕は周囲に何か異変は無いか目を凝らした。

 錆びた発電機や割れた蛍光灯、切れたベルトコンベアと制御盤などを見回す。元々この工場は電気製品の部品を製造していた様で、足元には無数のプラスチック片や金属が散らばっている。小さく足を動かすと、パキンとプラスチックが割れた。

 

 廃工場に足を踏み入れてから五分間、周囲に誰も居ない事は確認済みだった。光の無い廃工場内は月明かりだけが頼り、隙間から差し込む明かりで舞った埃が視認出来る。

 十秒か、二十秒か、じっと息を殺して辺りを見回していると、何か錆びた扉が開く音が周囲に鳴り響いた。思わずその場に屈み、音の出所を探る。

 

 来たか?

 

 音は僕の来た方角と逆の方から、なるべく足音を立てない様に歩きそっと陰から様子を伺った。大きなコンテナの裏に隠れる形で身を乗り出し、出入り口だと思われる両開きの扉を確認する。僅かに開いた扉からは月明かりが差し込んでいる。

 同時に人影も。

 

「……誰も、居ない、よね?」

 

 そしてその扉に寄り添う様にして立つ、一人の少女を見つけた。

 月明かりでは薄暗く顔までは良く見えないが、光に反射する金髪と、僕の肩より小さい身長が見えた。そして幸奈が着ていた貫頭衣、間違いない、幸奈の友人だ。

 僕はその場で小さく深呼吸し、その場から立ち上がった。

 

神崎(かんざき)(エリー)澪奈(れいな)か?」

「ひゃっ!?」

 

 僕の声が廃工場に響き、ビクリと少女― 澪奈が肩を震わせた。

 どうやら暗い室内で僕を視認できないらしい、焦燥した様子で周囲を忙しなく見渡しながら叫んだ。

 

「だ、誰っ!?」

 

 僕はわざと足音を響かせながら彼女へ近づく。

 コンテナの影から分かり易い様に月明かりの元へ歩くと、途端に澪奈から警戒の視線を向けられた。僅かに震えた肩と、「ち、近付かないで下さい!」という心が抉られる台詞を叩き付けられ、僕は両手を挙げる。その表情には笑みを浮かべ、努めて警戒心を煽らない様に注意した。

 

「危害を加えるつもりは無いよ、僕は君を助けに来た」

「嘘っ、研究所の追手なのでしょう!? 此処に居るって事は、幸奈さんは……ッ!」

「その幸奈さんからの使いだよ、彼女は今僕が匿っている」

 

 そう言って一歩近づくと、「来ないで!」と一歩退かれる。

 下手をすると超能力で攻撃されそうな勢いだった。

 

「匿ってる……? 拷問して、此処を聞き出したんじゃないですかっ?」

「誤解だ、来て貰えれば分かる、彼女は今何不自由なく生活している」

 

 それでも彼女はジリジリと後退する、その様子から信じて貰えていないのは明らかだった。だから国家超能力研究所の関係者では無い最も分かり易い証明として、僕は手札を切る。

 

「僕も超能力者だ、君と同じ」

「えっ……?」

 

 その言葉に、ピタリと澪奈の後退が止まった。

 そして恐る恐ると言った風に僕の様子を伺う、効果は劇的だった。

 

 国家超能力研究所の関係者に超能力者は存在しない。

何故なら、国家超能力研究所とは超能力に対するコンプレックスの塊の様な組織だから。人類に等しく異能を、社会に役立てる超能力を、幸奈から聞いた話では国家超能力研究所の目的とは、既存の超能力を超える力の開発、一般人であっても超能力を扱える方法の模索、人工的な超能力者の生産だと聞いている。

つまりそこでは、超能力を発現した時点で【研究する側】(研究者)から【研究される側】(被検体)になる事を意味している。

 (カラード)をしていない超能力者で、国家超能力研究所の協力者など存在しない。

 

 僕は顎を上げて首を晒す、そこに(カラード)がないと気付いた澪奈は「えっ……あっ、本当に、超能力者?」と困惑した表情を見せる。

 

「嘘だと思うなら能力を見せよう、僕の超能力は【変身】、三分間だけあらゆる生物に変身出来る能力」

 

 そう言って素早く体のスイッチを入れ替え、カッと僕の体が光に包まれる。月明かりに勝る光量が廃工場を照らし、一瞬の眩さに澪奈が目を細める。

そして次視線を向けた時、彼女は驚きに目を見開いた。

 

「わ、私……」

 

 僕は最も変身しやすい対象として、目の前の少女を選んだ。実物が目の前に居るからイメージし易い事この上ない、本物よりは背が高く、若干声が低い気もするけれど。

 変身時間は凡そ五秒程度、ふっと変身を解いた僕に彼女は恐る恐る近付く。

 

「ほ、本当に、研究所の人じゃないんですよね……?」

「うん、僕は君を拘束する気もないし、何かを強制するつもりもない」

 

 そう言って手を差し伸べる、彼女を安心させる為に、僕は彼女自身に歩み寄って欲しかった。

その手を見て幸奈はびくりと肩を震わせた。

 涙ぐんだ瞳で僕を見て、そして手を見る。それを何度も繰り返し、一歩、また一歩とを歩を進めた。

澪奈はそっと手を伸ばそうとして一度引っ込め、何度も僕を見上げ、恐る恐るその手を取った。その手は暖かく、そして僅かに汗ばんでいる。

 安心させるように、僕はその手をしっかりと握り返した。

 

「研究所の奴らには、此処を知られていない?」

「えっ、あっ、はい、元々座標は立花さんと幸奈さんにしか伝えていないので……」

 

 慌ててそう口にする玲奈、立花さんとやらは恐らく、この場所に澪奈を転移させた例のランク『Ⅴ』だろう。兎にも角にも彼女の見立てではこの場所はまだ追っ手に露呈していない。少なくとも場所が最初から割れていたら、待ち伏せか何かを仕掛けられていても不思議じゃない。

 だからきっと、まだ知られていないというのは本当だろう。

 そう思った。

 

「よし、じゃあー」

 

 幸奈さんを匿っている場所に行こう、行動を開始する為に開いた口はしかし、甲高い足音によってかき消された。厚底でコンクリートを叩いた音、思わず澪奈を後ろに隠し身構える。

そしてその行動が正解だと理解した。

 

 

「逃がした民間人が一人、しかも能力者……貴方の事ですね?」

 

 

 廃工場の中、いつの間に侵入していたのか。

 先ほどまで僕が居た場所にそのそいつ等は居た。

 吹き抜けの天井から差し込む月明りでよく見える。黒いスーツに無感情な瞳、パッと見は町にいるOLとも見れる姿、けれどその雰囲気は冷徹とも剣呑とも取れる。長い髪をポニーテールにした黒服と、同じような恰好をした女が二人。

 右隣に立つ女は背が低く茶髪でくせっ毛、若干の童顔。左隣の女は背が高く、短く不揃いな長さで黒髪、表情は俯いていてよく見えない。

 けれど分かることは、その二人が超能力者であること。

 開かれた首元から(カラード)が見えていた。

 国家超能力研究所の追っ手、それも複数人。

 

「何で……」

「ふん、回収出来なかった民間人の保護と聞いていましたが、まさか脱走者まで釣れるとは……運が良い、これは一石二鳥という奴ですね」

 

 中央の女が僕と背後にいる澪奈を見つめながら言う、恐らくこの女が制御官、この二人を支配下に置いている張本人。

そして制御官が右手を挙げると、茶髪の超能力者が無言で一歩進み出た。

 

「やりなさい」

 

 その動作を見た僕の背筋に、氷柱を突っ込まれたと錯覚するほどの悪寒が走る。

 それは生存本能か、第六感か、あるいは虫の知らせという奴だった。

 判断は一瞬、茶髪の能力者が口を開く瞬間、澪奈を抱きかかえて真横へと飛んだ。

 

「【圧縮】」

 

 ボンッ! と何かが弾ける音。

 同時に先ほどまで僕らのいた場所か、何か巨大な獣に齧られた様に半円を描いて消失した。後には何ものこらない、綺麗な断面に月明かりが反射する。

硬いアスファルトに身を打ち付けながらその光景を目にした僕は蒼褪めた。

 

― 何だ、今のは

 

 空間が丸ごと消失した、いや削り取られたと言うべきか。

 何をされたのかも分からない、目に見えない恐怖というモノを実感した瞬間だ。見えない分、明確な恐怖である炎などより余程恐ろしく感じた。

 

「澪奈っ、下がっていろッ!」

 

 素早く立ち上がった僕は、未だ呆然としたまま座り込む澪奈を背に連中と対峙する。

 迷っている暇はない、迷えば僕らが肉塊と成り果てる。

 

「変身ッ!」

 

 その場で叫び茶髪の超能力者に駆け出す、光が体全体を覆い、廃工場に一瞬昼間の明るさが戻った。それを冷静な瞳で捉えながら、超能力者の手が僕に向けられる。澪奈がその数秒先の未来を幻視し、思わず顔を背けた。

 

「【圧縮】」

 

 正面にいた僕の体に、グンッ、と何かが当たる。

 それは体の一部を万力で千切られる様な痛みと圧力、そのまま力を加え続ければ絶命するだろうと容易に分かる力。保護と謳いながらその実、殆ど殺しにかかっている様なものだ。

けれどそれは一瞬の出来事でー

 僕が光から抜け出すと一変、体に感じた痛みも圧力も、すべて塵となって消えた。

 

「ッ」

 

 変身した瞬間にコンクリートを踏み砕いて接近、懐に潜り込んだ時、驚愕を張り付けた超能力者の顔が視界を埋める。相手からすれば突然目の前に現れた様に見えただろう、判断は刹那、殺さない様に極限まで手加減した掌打を脇腹に打ち付けた。

 そっと触れる様な気持ちで、軽く叩く力で、それでも変身した僕の腕は風を切り裂き、ズンッ! と重苦しい打撃音を鳴り響聞かせる。くの字に折れ曲がった超能力者が浮き上がり、一拍置いて硬い地面の上を転がった。

 

「あっがっ、いッ、あァアっ!」

 

 唾液を飛ばして涙を零しながらのたうち回る、腹を抱えて過呼吸気味に肩を上下する様を見て無力化に成功したと判断。

 

「なっ、何でッ、【圧縮】が効かないのッ!?」

 

 制御官が叫び、懐に手を入れる。こういう時に取り出すモノは想像出来た、ドラマでも映画でも一緒だ、手が内ポケットより拳銃を抜き出す前に、僕は姿の霞む速度で接近、その腕を軽く殴り付けた。僕としては最早撫でる感覚に近い、殴ると言うより触れるだ。

 それでも余程の衝撃らしく、何か硬いモノを砕いた感触と共に制御官の右腕があらぬ方向にねじ曲がった。拳銃は遥か遠くへ飛ばされて、ベルトコンベアの下へ潜り込んでしまう。

 

「いッっ、ぐぅぅッ、はッ、くぅ」

 

 腕をへし折られた制御官はその場に蹲って痛みに呻く、そして最後の超能力者へ目を向けた瞬間、背の高い超能力者は降参とばかりに両手を挙げた。

 その額に冷汗を掻きながら、「無理無理、勝てないってっ、降参、降参ですッ!」と叫ぶ。

 

「私の能力は【能力探知】! 超能力者の発生させる粒子を観測出来るだけで、戦闘能力は皆無なのっ!」

 

 先程までの無口さは何だったのか、顔を真っ白にして雄弁に命乞いを開始する超能力者。その場に伏せ、敵意は無いとばかりに両手を頭の上に組んだ。

一向に攻撃して来ない様子を見て、僕は澪奈に目配せする。未だ立ち上がれず、どこか呆然とした顔で座り込んだ澪奈は僕の視線を感じて慌てて立ち上がった。

 

「ソイツを見ていて貰えるかな」

「あっ、は、はい」

 

 僅かに蒼褪めた表情で、伏せた能力者に目を向ける澪奈。

 僕は一つ頷くと、未だに蹲る制御官の襟を無造作に掴んで壁に叩き付けた。強い衝撃に噎せ、そのままズルズルと座り込む制御官。僕は一度変身を解除し、人間状態のまま思い切り頬を殴りつける。

 肉を打つ音と悲鳴が重なり、僕は制御官の胸倉を掴んだ。

 

「自動焼却処分装置を取り外す方法を教えろ」

「うっ……ぐっ」

 

 痛みに涙を零しながら制御官は僕を見る。殴られた頬を赤くして睨めつける表情は僅かに僕の良心を刺激した、けれどそんな安い良心で助ける程僕も人間出来ていない。

 超能力者を塵の様に扱い、何の感慨も抱かず殺す連中に対し容赦はない、その牙が僕やかっちゃんを引き裂く前に、僕はやらなくちゃならない事をする。

 

「あの二人を助けたいの……?」

 

 折れ曲がった腕を抱えながら僕を睨めつけていた制御官は、まるで一筋の光明を得たかの様に笑みを浮かべる。脂汗に塗れ、涙で濡れた瞳で飾る笑みは歪だ、精一杯の虚勢を張って彼女は叫ぶ。

 

「っ、交換条件よッ、あの二人を殺されたくないのであれば、私にー!」

「勘違いするなよ、僕の目的は澪奈だ、僕らの命を脅かした超能力者が死のうと正直どうでも良い」

 

 制御官の言葉に被せ、僕は心底冷えた声を絞り出す、無論僕の本心ではない。

 助けられるのなら助けたい、この連中に強要されただけであってその意思は別だと僕は信じている。彼女達は自分の命を人質にされていたも同義なのだ、それでどうして責められよう。

 けれどそれを口にするのは、目の前の敵に弱点を晒す事と同じ。

 だから僕は冷徹漢を演じ、酷く無感情的である様に振る舞った。

 

「助けられるなら助ける、駄目なら諦める、それだけだ、それで知っているのか、知らないのか、五秒やる、ゆっくり考えろ」

 

 瞬間、僕はスイッチを切替え光に包まれる。

 制御官の目の前に現れるのは無論、ヒーロースーツを着用した僕。その姿を見た制御官が息を呑み、有無を言わさず残った左腕を捻り上げ、壁に叩き付けた。

 最初は羽を握る程の力で、しかし本当に少しずつ強く、握られた制御官の左腕がミシミシと悲鳴を上げる、その指は半ば肉に食い込み骨を締め付けていた。

 五秒以内で答えなければ、もう一本腕を貰う。

 言外に僕はそう言っていた。

 

「まっ、待ってッ! 言う、言うからぁっ、やめてっ!」

 

 最早恥も外聞もなく泣き叫び、制御官は嫌々と首を横に振った。僕は力を弱めず、「言え」と凄む。

 

「じ、自動焼却処分装置の外し方は知らないッ! 本当にっ、でも、彼女達を延命する事は出来るのッ! 私にしかっ、出来ないッ」

 

 締め上げていた腕を離し、一歩離れ変身を解く。ガクンと肩を落とした制御官が荒い息を吐き出し、涙をコンクリートの上に零した。捻り上げられた左腕の痛みに体を震わせながら、嗚咽(おえつ)を零す口で袖を引っ張る。

 露わになった細い腕に巻かれているのは一見腕時計に見える小型端末だった。

 タッチパネル式だと思われる端末には「1 : 34」の数字、それが一秒ごとに減少している。

 

「うぅ……安全装置の更新は五分毎、私の心拍音を感知して更新されるの、っぅ、……それと、六時間ごとに本部へ連絡っ、それが無いと、安全装置が解除される様になってる……」

 

 制御官はされだけ言って俯き、僕に見える様に腕の端末を突き出す。そのカウンターは(やが)て「0」になり、再び「5 : 00」に戻った。どうやら彼女の言っている事は本当らしい。

 

「……つまり、お前を生かしている間は二人は無事という訳だ」

「ふぅ、はっ……違う、わ、任務の期限はあと二日、いっ……ぅ、私が本部に戻らなければ、本部が勝手に安全装置を外すもの」

 

 どうやら期間を決められた延命処置らしい。言うべきことは言い切ったと黙り込む彼女は震える体をそのままに、涙を零す。

 僕は無力化した二人の超能力者を見た。

 腹を抱えて蹲り、必死に痛みに耐えながらも僕に縋る様な目を向ける茶髪の能力者。伏せたまま不安げな表情を見せる長身の能力者、どちらも本心は解放されたいと願っているのだろう。

 どうする、自動焼却処分装置を取り除かなければどちらにせよ彼女達は生きられない。けれどどうやって取り除くと言うのか、その実物すら目にしたことがないと言うのに。

 そんな事に頭を悩ませていると、「pipipipi」と電子音が鳴り響いた。音は俯く制御官のポケットから、びくりと体を震わせた制御官に目線だけで「動くな」と威圧する。下手に動かない様牽制しながら制御官に手を伸ばす、最も痛みで碌に動けないのだろうけれど。

上着のポケットから鳴り響くソレを抜き取ると、音の正体は携帯である事が分かった。

 

「これは……」

「本部から支給される、っ……定時報告用の携帯よ」

 

 どうやら丁度良く定時報告の時間になったらしい、内心舌打ちをしたい気分だったが、なってしまったものは仕方が無い。

電源を入れると液晶が明るくなるが、指紋認証の画面が表示される。

 携帯を制御官の方に向けると、少しばかり渋い顔をした後にそっと指を当てた。指先は大きく震えていて何度か認証に失敗したが、ポーンという軽快な音と共にロックが外れ『prrrr』と即電話が繋がる。

 電話の向こう側からオペレーターと思われる男性の声がした。

 

『こちらJQ(ジャン・キュリエ)、E―032班、定時報告の時刻になりました、異常はありませんか?』

 

 僕は制御官に電話を突きつけながら、じっとその顔を見つめる。

 これで彼女が「異常なし」と言えば、少なくともあと六時間は再度連絡が来る事はない。それを続ければ二日は確実に生き永らえる、楽観視は決して出来ないが絶望的という訳でも無い。

 

「こ、こちらE―032班、制御官の宇多弥生(うたやよい)です、い、異常は……」

 

 硬く、僅かに震えた声で応答する制御官― 弥生(やよい)。涙で充血し、僅かに腫れた唇を戦慄(わなな)かせながら僕を見上げる。その瞳を真正面から見つめ、僕は早くしろと促した。

 ごくりと彼女の喉が鳴り、少しだけ俯いた顔。数秒の沈黙が降り、僕が少し不信に思った瞬間、彼女は勢い良く顔を上げた。

 

 

「異能者番号0254番 斎藤未来(さいとうみき) 並びに0921番 高田江美(たかたえみ)、両名の超能力を使用した逃走をっ、確認しましたッ!」

 

 

 

 




 ヤンデレが遠い‥‥けどもう少し…ッ!(´・ω・`)
恐らく次話で主人公がヤンデレ生産に走ります(多分)(`・ω・´)

 やっとだぜイエェエエエヤンデレェエアアレレエエエエワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ
 

 主人公はもっとヒーローっぽく爽やかとイケメンで構成されている様な人間にしようと思ったのに、寧ろ何か病み落ち(誤字に非ず)した裏性格にしか見えなくなってきた今日この頃、どうしよこの人。

 けど良いんですよ、多分……ヤンデレに好かれる人がマトモだったらBADENDしか浮かばないので!(`・ω・´)
 共依存とか魅力的ですよね(白目

PS:5日か6日に渡り、週間オリジナルランキング1位に居座り続けています、作品が激しく入れ替わる中この作品がずっと居座り続け、とても嬉しく思います。
 ヤンデレ好きの皆様に少しでも良い作品をお届け出来るよう精進します!(/・ω・)/
 ヤンデレが好きじゃない方も、これを機にレッツヤンデレ入門!(`・ω・´)
 とにもかくにも、読者の皆様に感謝です!<(_ _)>
 


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命の価値

 

「っ、このッ!」

 

 遅かった。

 全てはその言葉に尽きた。

 電話の向こう側から息を呑むがするのと、僕が携帯を地面に叩きつける瞬間、それは殆ど同時だった。けれど制御官― 弥生(やよい)の言葉は既に伝えられ、無情にも世界は流れる。

 僕は携帯を思い切り踏みつけ、振り返った。

 振り返ってしまった。

 

 

― 【研究本部(ラボトリア)より着用者の離反信号を受信、これにより(カラード)の安全装置を解除、処分を執行します】

 

 

 どこかで聞いた声だった、身の毛もよだつ声だった。

 余りにも早い死刑宣告。

 弥生の報告を受けてから十秒も経っていなかった。

 

「嘘、嘘ウソうそッ!?」

 

 伏せていた黒髪長身の超能力者が自分の(カラード)を外そうと足掻き、しかし固定された(カラード)はびくともしない。

未だに痛みから抜け出せない茶髪くせっけの超能力者は、全てを諦めた様な瞳で僕を見ていた。その眼は酷く透明で、何の感情も見られず、ただ僕の土色の顔だけが映っている。

 突然の出来事に上手く反応出来ていない澪奈は、ただ茫然と二人を見つめ、自分の(カラード)に指を這わせていた。

 

 パンッ、と(カラード)が弾けて、その瞬間が来る。

 

 最初は黒髪長身の超能力者だった。

 着火は一瞬だ、首から火が噴く。瞬く間に赤色が世界を染め上げ、熱風が僕らの肌を焼いた。月明かりだけが支配していた廃工場は、朱色の明暗に分かれる。

 地面に伏せた彼女の全身を炎が包んだ。

 

「あぁァアあっぁあああァアアあアッ、嫌、いや、イヤダっ、あツ、いィた、いタぁあァア!!」

 

 炎は首から、顔面、胴体、腕、足へと隈なく広がって行く。そして全身を火だるまにして黒いシルエットを作り出すのだ、鼻を突く匂いは人間の焦げる臭い。悲鳴、絶叫、慟哭、最早言葉とも言えない叫びを上げて地面を転がる()()()

 そして、それを見ていた澪奈は余りの惨さに口元を抑え、震える膝に耐えきれず座り込む。

 もう一人、無感情な瞳で、今まさに同じ超能力者が焼失しようとしているのに、無感情で、イノセントで、どこか達観した様な瞳で僕を見る(超能力者)が一人。僕が何も出来ず、ただ燃え尽きていく人を見ていた時、その視線に気付いた。

 彼女は震える体を抱き締めて這ったまま、僕に向かって呟いた。

それは廃工場に響き渡る悲鳴に掻き消されてもおかしくない声量だったのに、確かに僕の耳に届いた。

 

「ありがとう」

 

 何の脈拍も無かった、感謝される覚えも無かった。

 何の感謝なのだと、問う事も出来ずに。

 無様にも口を開きかけた僕の目の前で、パンッと(カラード)が弾ける。それは焼失への合図、ボッと彼女の首元から炎が吹き上げた。

 そして炎に包まれるのだ、やめろと叫ぼうとした僕を目の前に、彼女は自ら死の淵に飛び込んだ。

 

 

「【圧縮】」

 

 

 炎が彼女を焼く前に、全身を焼失(ショウシツ)させてしまう前に。

 彼女は自ら消失(ショウシツ)する事を選んだ。

 ボンッ、と彼女の体と、接していたコンクリートごと全てが消える。半円型にくり抜かれ、獣に齧られた後に残るのは足が二本。能力の範囲外だった足首、綺麗な断面で残されたソレから血が滴って、くり抜かれたコンクリートの中に小さな血溜まりが生まれた。

 燃やされて死ぬくらいなら、自分で死んでやる。

 そんな気概が聞こえた気がした、そしてそれが唯一の救いであるとも。

 気が付けば黒く燃え盛っていた超能力者は横たわり、呻き声一つ上げなくなってしまった。轟々と燃え続ける炎に絶命し、黒い焦げ跡と同化し廃工場を照らす。

 僕がもう見たくないと思った光景だった、片やマトモな死体一つ残らず、片や地獄の苦しみの中もがいて死んだ。その黒い死体が僕の記憶から、あの日を思い出させる様だ。

 

― また死んだぞ

 

 救うって言ったくせに。

 

 

 

 

「こんンのォックソ野郎がぁァアアッッ!!」

 

 

 

 

 タールの様な黒い感情だけが残った。

 身体中の血が沸騰して溶けてしまいそうな錯覚、消失感を埋める様に怒りがぽっかりと空いた穴に湧き出た。けれどそれはもう怒りなんて生易しいモノじゃない、殺意だった、親の仇とばかりに嚇怒(かくど)した僕は二人を殺した弥生(やよい)に明確な殺意を抱いていた。

 ソレは僕自身を支配して、到底制御出来るモノでは無かった。

 あの時、かっちゃんや僕の命が脅かされると、超能力者であると言うだけで理不尽に殺されると、そう知った時と同じ。

 けれど、誰かを心の底から殺したいと思ったのは初めてだった。

 

 気付けば僕の姿は、ヒーローのソレになっていて。

 けれど光の代わりにどす黒い何かが噴き出、蒸気が体中から発生する。

 姿形はどうでも良かった、ただ振り返った先に突っ立ち、先程までどこかやり切った様な、そんな歪な笑みさえ浮かべていたこの女を殴り殺せればそれで良かった。

 

 振り返り、僕の叫びに身を竦ませた弥生が目を白黒させる。

 そして僕がその胸倉を捻り上げ、壁に押し付けた途端、全てを理解した様に目を細めて、顔を引き攣らせた。

 もう手加減なんて出来ない。

 

 その体、肉片一つ残さず消し飛ばしてやる。

 

 拳を引き、その憎い顔面に叩き込もうとする。

 そうして勢い良く振り抜かれようとした腕に、誰かが抱き着いた。

 体全体で止める様に、勿論そんな事で止まる筈も無い。

 けれど拳は、ほんの弥生の鼻先数センチ前で停止した。

 全力での拳は強い風圧を生む、廃工場全体を揺らす様な風が巻き起こり、弥生の体が壁に押し付けられた。

けれど、生きている。

 目をぎゅっと瞑って、何かを堪える様に、涙を零しながら生きていた。

 

「だ、駄目ですよぉっ……その人を殺したらっ、貴方まで、研究所の人と同じになっちゃう…っ、駄目ですっ、殺しちゃ駄目ですッ…」

 

 僕の右腕に抱き着いて、その拳を止めようとしたのは澪奈だった。

 ポロポロと涙を流して、顔を歪めて僕をその場に留めていた。「お願い、お願いします、ねぇ、やめようよぉ……」と懇願する、それを見て僕は拳から力を抜いた。応える様に変身が解け、僕の腕がだらんと下がる。

 目の前で人が死んだからか、それとも僕の怒りを見たからか、僕の腕にしがみ付く彼女の涙は止まらなかった。

 

何やっているんだよ、もう一人殺しているじゃないか。

二人も三人も、同じことだろう?

今更、何を善人ぶろうとしているんだ。

 

そんな声が自分の内側から聞こえて来る、僕はそれに答える術を持っていなかった。

 弥生の襟元を捻り上げていた手を離す、そして数歩後ろに下がった後に言い放った。

 

「……許す気は毛頭ない、僕はー ()は、アンタを死んだ方が良かったって、そう思う様な目にあわせてやる」

 

 目の前で震えていた弥生がうっすらと目を開けて、自分がまだ生きているのだと、そう確認する様に僕を見る。そして小さく口を開くと、そこから「はッ、かは」と呼吸を再開した。激しく上下する肩は、彼女が呼吸を忘れて死を覚悟していた事を現わしている。

 怒りが無くなった訳ではない、無論殺意も、けれど血が滲む様な我慢の果てにその感情を閉じ込める事に成功する。激しく燃え盛っていた黒い感情は、胸をジリジリと焦がす様な下火に姿を変えていた。

 

 未だ腕にしがみ付く澪奈を見る、嗚咽混じりに息を零し、涙を流しながら震え続ける彼女。その頭にそっと手を乗せて、あやす為に髪を撫でた。サラサラと流れる髪の感触に僅かな安堵を覚えながら呟く。

 

「帰ろう」

 

 こちらを見上げる澪奈の泣き顔、黒い感情を顔の下に埋めながら、小さく笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

「心配したのよ!?」

 

 帰宅して一番最初に直面したのは、怒りに顔を染めた幸奈の顔だった。

 時刻は既に三時を回っていて、一時十分の待ち合わせ時刻から大分時間が経過していた。しかし起きるには少々早すぎる時間帯、にも関わらず幸奈は起床し僕らの帰りを待ち続けていた。

 玄関で心配げに、それこそ蒼褪めた顔でじっと座り込んでいた彼女を見た時は本当に幽霊か何かだと思った。そして帰宅した僕を見て「心配した」の一声、詰め寄る彼女に戸惑い、視線を泳がす僕は堪らず背後の澪奈を引っ張り出した。

僕の背に小鴨(こがも)宜しく引っ付いていた彼女は、突然手を引かれ矢面に立たされた事に驚く。けれど澪奈を見た幸奈は、驚き、涙ぐんだ瞳を見せ文字通り飛びついて来た。

 背後に僕がいなければ倒れていただろう、華奢な澪奈と僕をまとめて抱きしめる様に、ぎゅっとその腕に力が籠った。間に挟まれた澪奈も最初は驚き、それから嬉しそうに幸奈の首元に顔を埋めた。

 

「あぁ、澪奈、澪奈、貴女なのね?」

「幸奈さんっ、あぁ本当だ、生きてたっ! 良かったぁ……」

 

 感動の再開、少なくとも二人にとって研究所から抜け出すのは死と隣り合わせだっただろう。生きて再開出来た事に二人は喜び、ひと時の安息を噛みしめる。それから、ばっと体を離した幸奈は次いで僕に厳しい目を向けた。

 

「何で一言も声を掛けてくれなかったの? それに、私も連れて行って欲しかったッ!」

 

 そう言って顔を近づける幸奈は怒っているのだろうか、いや怒っているのだろう。その瞳を正面から見返す事が出来ず、ふっと視線を横に逸らしながら「し、仕方なかったんだ」と弱々しく反論した。

 

「それに、どうして一人で行ったかは手紙にも書いてあっただろう……?」

「それは知ってる、だけど、澪奈は私のっー!」

 

 そこまで口にして、僕と幸奈に挟まれていた澪奈が「あ、あのっ」と声を上げた。

 幸奈が視線を澪奈に落とせば、どこか必死な顔をした澪奈が幸奈の服を引っ張る。

 

「あんまり、怒らないで下さい、この人に凄く助けられたんです、追手が廃工場に来て、それでー」

 

そこまで澪奈が口にして、被せる様に幸奈が「研究所の連中が来たの!?」と叫んだ。

 澪奈の言葉に驚愕する幸奈、「どうして……っ」とどこか焦燥した様に僕を見る、彼女の計画では何事も無く合流を果たす予定だったのだろう。

 

「……超能力者に【能力探知】を持っている奴がいた、どうやら研究所の秘密を知っている一般人、僕を探していたらしい」

「っ、それってー」

 

 息を呑み、蒼褪めた表情で僕を見る幸奈に「いや、安心して良い」と首を横に振った。今彼女が何を考えたのか、僕には分かる。

 

「顔は本部に知られていないし、制御官も超能力者も、もういない、能力者は焼却処分されて死んだ、一人は焼かれる前に自分の能力で……」

「……そう」

 

 蒼褪めた表情はしかし、僕の言葉によって血色が戻る。けれど超能力者達の末路を伝えると、どこか悲痛な面持ちで幸奈は俯いた。それから心配げな表情で「怪我とかはしないないのよね……?」と僕の体を見る。

 

「大丈夫、どこも怪我していないよ、仮に怪我をしても多少なら問題ないだろう」

 

 そう言って僕は澪奈の頭に手を置く、ピクリと動いた澪奈が僕を見上げ、僕は無言で彼女の頭を撫で続けた。

 

 ― 澪奈の超能力は【再生促進】

 

 傷付いた細胞などの再生を促し自然治癒能力を飛躍的に高める能力である。

 仮に怪我をして出血した場合、彼女の能力を使用すれば簡単に傷を治す事が出来る。血液が一瞬で凝固し、好中球やマクロファージが損傷部位の不要物を取り除く、同時に線維芽細胞がマクロファージより分泌され損傷した血管、組織を再生する。それらが彼女の能力によって一瞬で行われるのだ。

更に言うと、通常組織の強度はケガ以前のモノに比べて80%程の強度しか得られないが、澪奈の能力を使用した場合100%の強度回復が見込める。

治癒、医療系の能力は珍しい為ランクは『Ⅲ』、これでも治癒系能力者の中では最低ランクらしい、最初聞いた時に首を捻ったのは記憶に新しかった。ランク『Ⅴ』では四肢欠損を治す事すら可能なのだと聞き、漸く納得した程だ。

澪奈の場合は治せて骨折まで、失った体や明らかな重傷を完治させる事は難しい。

 この能力は攻撃にも転用可能で、健常者に使用すれば細胞を破壊する事も可能だとか。

 

「勿論、怪我をしない事が一番だけどね」

「何も無かったなら良かった……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす幸奈、そして僕に心配そうな、けれど無理して笑っている様な表情で、「お願いだから、余り無理をしないで」と言った。声は弱々しく、或はそれは懇願だったのかもしれない。

僕は曖昧に頷く、誰も好き好んで無理はしない。無理をしなければ死んでしまうし、誰も救えはしないのだ、特に僕の場合は。

 けれど僕には彼女のその表情が何よりの信頼の証に見えて、少しだけ嬉しく思った。

 そのやりとりをじっと見つめる瞳が二つ、無論僕らの間に挟まったままの澪奈である。

 

「幸奈さんと、その……雪那(せつな)さん、は昨日あったばかりなんですよ、ね?」

 

 どこか戸惑った様な口調でそんな事を言う、僕は首を傾げて「うん、そうだね、昨日であったばかりだ」と肯定した。

 

「それがどうかしたの?」

 

 不思議そうに幸奈が澪奈を覗き込む、するとどこか羨ましそうな、恥ずかしそうな顔をして彼女は口を開いた。

 

「その……何か、通じ合っているみたいで、良いなぁって思って」

 

 その言葉を聞いて、僕と幸奈は思わず顔を見合わせた。

僕も幸奈もきょとんとした顔で、お互いそんな事を言われるとは思ってもいなかったという表情だ。それから数秒後、かっと幸奈の顔が赤くなって、僕もどこか気恥ずかしく感じ視線を逸らす。

 澪奈はそれをじっと、やはり羨ましそうに見ていた。

 

「あ、あの、別に、そんな……そこまで親しいって事は……」

 

 確かに助けて貰ったし、返しきれない恩も一杯あるけど。

なんてぶつぶつ独り言を呟く幸奈を前に、僕は「まぁ、何だ」と澪奈に声を掛けた。

 

「これからは仲間なんだ、仲良くなる機会なんて、沢山あるよ」

 

 面と向かって言うには少々気恥ずかしすぎる言葉。

 思わず顔が熱くなる。

 かつてこんな台詞(セリフ)を女の子相手に口にした事など無かったから。

 

「……はいっ」

 

 けれど僕を見上げて、最初は驚いたように、その後本当に嬉しそうに笑う澪奈を見ると。

 こんな恥ずかしいセリフを口にするのも、まぁ、悪くないと思えるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋は薄暗かった。

 元々長い間使っていなかった為、所々には埃も見える。唯一の光源は天井にぶら下がる電球が一つ、リフォームの際もこの部屋だけは手つかずだったと言う、此処だけ妙に古臭く感じるのはソレが理由だ。

 四方をコンクリートで固めた地下室、ふらふらと揺れるオレンジ色の光がソイツを照らす。

 部屋へと続く鉄扉を開くと、キィと錆びた音が鳴った。

中に居た人影が音に気付き、ふっと顔を上げる。

 

「……話す気にはなったか?」

 

 声を掛けると、その人物― 宇多弥生(うたやよい)はふっと笑みを浮かべ、「そんな訳、ないじゃない」と言い放った。

 両手両足、目も封じられ、パイプ椅子に縛り付けられた彼女はこんな状況にも拘わらず国家超能力研究所の情報を守ろうとしている。けれどその体は小刻みに震えているし、浮かべる笑みは引き攣ったものだった。

 虚勢だと直ぐに分かる。

 

 あの後、澪奈の能力で治療を施した弥生をこの地下室に監禁した。

 殺しても良かったが、自分の中にある理性が彼女の持つ情報を欲していた。

 脱走者の知らない情報、つまり関係者のみが持つ国家超能力研究所の情報だ。

 

「……()はね、一人、研究所の人間を殺しているんだ」

 

 そう言うと、目の前の弥生の肩がピクリと跳ねる。「別に脅しのつもりじゃない」と俺は肩を竦め、彼女の目の前まで歩を進めた。近付く度に彼女の足が反応し、笑みを張り付けていた口元はきつく結ばれる。

 彼女に対する明確な恐怖、それが自分だった。

 

「誰も好き好んで人を殺しなんかしない、アンタ等がどうかは知らないけど、()は自分から喜んで人を殺す人間じゃないんだ、だからアンタに積極的に暴力を奮うつもりもない」

 

 ただー

 

「アンタを許した訳でもない、だから暴力を奮わず、手間も掛けず、全部勝手に終わる方法を考えた」

 

 そう前置きして、精一杯無感情に、冷徹な声で告げた。

 

 

「アンタが壊れて助けを乞うのが先か、勝手に死ぬのが先か、見守る事にするよ」

「えっ……?」

 

 

 反応は呆然とした声だった。

 

「アンタを此処に放置する、三日か、一週間か、一ヵ月か、一年か、アンタが根を上げるまで、まぁ、一ヵ月、一年も飲まず食わずで生きられるとは思わないけどな、情報を話さないなら勝手に死ね」

 

 それだけ言って部屋の唯一の出入り口まで歩を進める、背後から戸惑いの声が上がり「ちょ、ちょっと!」と切羽詰まった叫びが耳に届いた。

 

「こんなところに私一人でっ、な、なんでッ、拷問なら拷問らしくッ、ね、ねぇッ!」

 

 大きな音を立てて扉を開き、ガチャンと強く閉める。中の声は一層激しさを増したが、素知らぬ振り。

それから鍵を掛け上へと昇る階段に足を掛けた。扉越しに聞こえる声は酷く小さい、これで上の扉も閉めれば完全に声は聞こえなくなるだろう、幾らそこで叫んでも、誰にも聞こえはしない。

 

「澪奈には、内緒にしなきゃな……」

 

 そう独り口にして、二人の待つ部屋へと向かった。

 






 何かの番組で見たのですが、少女を誘拐して監禁し、犯人が食事を与え続けたところ、犯人に少女が依存し始めたそうです。(^v^)



 ………だそうです(^v^)


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暗転

 一週間、国家超能力研究所の裏側を知り追われる身となって七日、能力発現からの非日常とは打って変わって、実に平穏な日々を僕らは過ごしていた。誰かが死ぬことも無く、黒いスーツを着た怖い連中が扉を叩く訳でも無く、僕が今まで過ごして来た自堕落で平穏で平凡な日々そのものだった。一度裏側を知ったからこそ分かる、この平穏が何と心安らぎ求めていたものか。

 

 三人揃って過ごし始めた最初の日、澪奈はやはり久々の食事に涙を流して喜び、次はあれが食べてみたい、コレが食べたいと食に拘りを見せる様になった。これは腕の奮いどころだと僕はレシピなどをインターネットで調べる様になり、ここ最近の生き甲斐は澪奈の「美味しい!」を聞き、その笑顔に見惚れる事である。僕自身、こんな男の手料理で涙を流してくれるという事実に嬉しさを感じ、少し調子に乗っている自覚はある。

 けれど幸奈だって美味しそうに食べてくれるし、作った方が安上がりだ。

 あれだけ僕の周りを飾っていたコンビニ弁当は、気付けば全く目にしなくなっていた。

 

 幸奈は元々本を読む事が好きだったらしく、今はあまり手入れされていなかった祖父の書斎で本の虫になっている。どうやら研究所では娯楽はおろか、本すら限られたモノしか与えられなかった様で、初めて祖父の書斎を見た時は嬉しい悲鳴を上げていた。

では研究所で超能力者はどうやって過ごしていたのか幸奈に聞いてみた、幸奈は殆ど国語の教科書の様な本を読んでいるか、ぼうっとしているか、寝ているか、そのどれかだったらしい。何とも息の詰まりそうな環境だ、僕だったら一日で逃げ出したくなるだろう。最も、逃げ出したくなったからと言って、逃げられる訳じゃないけれど。

 一目惚れの件についてはあれ以来触れてきていない、けれどふと僕を見て頬を赤らめたり、何となく距離感が近くなった気がするので全く意識していないという訳でも無いのだろう。もし本気で迫られたらどうしようと偶に戦々恐々したりする、こちらから告白紛いの事をしておいてゴメンナサイなど出来る筈も無いのだから。

 けれどまぁ、そんな事はあり得ないだろうけど、と今日も高を括って生活していた。

 

 あの日、幸奈と澪奈をこの家に招いてから二人は久々の自由を謳歌している、二人とも五年以上研究所に囚われていたのだから当然と言えば当然だが、世界は彼女達を置いて進んでいた。

 当時好きだった漫画が既に完結し、自分達の知らない情報がテレビからは流れる、技術も何もかも進歩した世界に二人は戸惑っていた。

けれどその表情は悲観的では無い。それよりも自由と言う枷を外した今が楽しくて仕方ないと言った表情だった。

僕はそんな二人の姿を見て、あぁ、やはり僕は間違っていなかったと思う。

超能力者だから研究所に閉じ込めて、社会への貢献やら人類の進化やら、そんな大層な大義の為に個を磨り潰す何て間違っていると。こうして幸せそうに日々を過ごし、当たり前の日常を謳歌する二人の姿は同年代の人達と何ら変わらない。

彼女達も超能力がなければ、或は五年も無駄に浪費する事無く退屈だけど平穏で、何も失わない日々を送れていたかもしれない。

 そう思うとやはり、僕は国家超能力研究所の連中に嫌悪の感情を抱く。

 だから今日も僕はこの階段を降りる、彼女達の為に、或は僕の為に、そして親友(とも)の為に。

 

 

 扉を開くと金属の錆びた音がコンクリートで覆われた部屋に響き渡った、当初はその音に過剰な程反応し、鼓膜が破れると思う程騒ぎ立てていた弥生だが、既にその気力も尽き果てたか項垂れてピクリとも動かない。

 けれど微かな呼吸音は聞こえるし、胸も上下している。

 生きてはいる、僕にとってはそれで十分で、弥生の前に置いた椅子に腰かけながら「話す気になった?」と問いかける。けれど彼女はソレに答えず、ゆっくりと視線を僕に向けた。はらりと髪が一房垂れて、その口角を僅かに上げる。

 

「ぁ……来て、くれたんだ」

 

 未だに目隠しは取っていない、だから弥生に僕の姿は見えない。だから彼女は声だけで僕だと判断していた。

 その表情は既に青を通り越して真っ白だ、肌色は最悪、碌な食事も摂っていない為少し細くなった様な気もする。僕の方を見ながら弱々しく笑いかける彼女は、既に宇多弥生という一つの人格を失っていた。

 

 水は二日に一度、食事は栄養補給食品のゼリーを気紛れで四日目に一パック、彼女はそれだけを希望に生きて来た。

 最初は僕が部屋に来る度に怒鳴り散らし、何故自分がこんなにも理不尽な状況におかれなければならないのだと、不満を爆発させていた。体全体を揺らし、拘束を解けと有らん限りの力で叫ぶ。

 それに対し僕は淡々と「話す気にはなったか?」と問い返すだけだった、それが彼女の怒りを誘発し、結局彼女は数十分間僕を罵り続け、やがて怒鳴り声はすすり泣きに変わり、僕は席を立つ、背後から聞こえて来る引き留める言葉、懇願を無視し部屋を後にする。

そんな日々を送って一日が経ち、二日が経ち、三日経過する頃には彼女は今に近い状態になった。怒鳴りもせず、泣きもせず、ただ僕が来るのを粛々と待ち続ける。

 彼女にどんな心境の変化があったのかは分からない、数日前まで有らん限りの罵倒を僕に浴びせ「人殺し」とまで罵った彼女が、今は僕を前にして嬉しそうに微笑んですら居る。視界を奪われ、食事も水も満足に与えられず、自分をこんな環境に置く男を前にして笑うなど、どうにも狂ってしまったのかもしれない。

 まさか媚を売るって魂胆か? 最初はそうも思ったが、彼女の様子を見る限り本心でこんな事をしている様にも見える。人を見る目はあるつもりだった、これでも数少ない僕の誇れる点だから。

 

「……ごめんなさい、もう、話せる事はないの」

 

 僕の「話す気にはなったか」という問いに、弥生は申し訳無さそうに身を竦ませながらそんな事を言う。国家超能力研究所の情報については、弥生は既に粗方(あらかた)吐き出していた。

実動員として働く弥生は研究者と違って(カラード)や超能力者の扱いについて詳しく知っている訳ではない、けれど聞き出した情報は全て国家超能力研究所の裏側を証明するモノばかりだった、十二分に僕の目的を果たしてくれたと言って良い。

 

それでも尚、何故彼女を拘束しているのか。

 

彼女は五日目で情報を吐き出した、だからもう此処に拘束している意味など無い。

けれど、強いて言うならこの二日間は『予備期間』であった。もし彼女の反抗心が残っていて、重要な情報を漏らさずに居たのなら。そう考えて、僕は「まだ全てを話していないだろう」と突き放し、未だ弥生をこの部屋に閉じ込めていた。

五日間、時間にして凡そ百二十時間、椅子に縛られ動く事もままならず、孤独に過ごした彼女の精神は限界だっただろう。僕の言葉を聞いた彼女は、まるでこの世の終わりの様に項垂れ涙を零した、しめった目隠し布から漏れ出した一筋の涙を僕は確かに見たのだ。

それから二日、四十八時間、昨日も一度様子を見に来たが今日と同じだ、「ごめんなさい」と謝り、話せる事はもう無いのだと申し訳無さそうに言う。乾いた喉から出る声は擦れ、水分を欲しているのだろう、彼女は頻繁に喉を鳴らしていた。

ここまで来て、僕は(ようや)く「もう情報は残っていないのではないか」と思う様になった。もしこれが演技で、実は重要な情報を未だ隠し持っていたと言うのならば弥生の精神力に僕は敗北したという事になる。

けれど三日で殆ど狂いかけた様な人間が、それを超える七日間、情報を隠したままじっと耐える事が出来るのか? 僕は今の弥生を見て、それは無理だと判断した。

 例え話せば殺すと言われていても、放っておかれれば死ぬのだ、口約束の死よりも目前に迫った現実の死の方が余程恐ろしいに決まっている。それだけの事を僕は弥生にしているのだ。

 

「……口を開けろ」

 

 喉が渇いては話したくても話せまい、僕は足元に置いていたソレを手に取る。

 上から持参した500mlのペットボトル、中身は無味無臭の天然水。

 席から立ち上がってキャップを開くと、「あっ」と嬉しそうな声を上げた彼女が上を向き、大きく口を開けた。その姿は親鳥から餌を貰う(ひな)そのものだ。彼女に近寄ると強い匂いが鼻腔を突く、けれど別に耐えられない程ではない。

 ボトルの飲み口を唇に付け、ゆっくりと水を流していく。透明な液体が渇いた唇に潤いを与え、口の中に流れた水を舌が受け止めた。溢れた水が彼女の喉を伝って胸元に消える。

 

「んっ、んっ……ぐ、んくっ」

 

 少しずつ水を飲み下し、喉が鳴ってペットボルの中身の半分が消える。そこまで飲ませたところで一度口から離し、「まだ要るか?」と問いかける。すると彼女は大きく息をしながら、首を横に振った。

 

「出来れば、その……股に、掛けて貰えると」

 

 恥ずかしそうに足を擦りながら、そんな事を言う弥生。僕は極めて機械的に「あぁ」と答えると最初から持って来ていた二本目のペットボトルも開け、両ボトルの中身を弥生の下半身、主に股を中心に振り撒いた。

 当たり前だが、人間は排泄をする。

 固形物を与えていない為便は出ないが、水を与えれば当然尿は出る。透明なソレは水を掛けてしまえば余り分からないが、弥生から匂う強い女性の匂いと微かなアンモニア臭が全てを物語っていた。

 最初こそ羞恥に塗れながら僕に「鬼畜」やら「変態」やら罵倒を飛ばした弥生だが、今では当然の事の様に受け入れている。慣れたのか、それとも羞恥心を捨てたか、或はどこかしらおかしくなってしまったのか。

 対応する僕も感覚が麻痺してしまっていた。

 ボトルの水を全て使い終わると、キャップを閉めて椅子の足元に置く。「ありがとう」と頬を染めて礼を言う弥生を無視しながら、僕は彼女をどうするべきか決めかねていた。

 

 

 

 

 

 

 一日目は、それほど辛くは無かったと思う。

 目隠しをされて身動きも取れず、空腹と喉の渇きに耐えるだけであれば大丈夫だと、どこかそんな楽観的な考えを持っていた。私は、超能力者という存在を人間とは別のナニカだと見ていたから、最終的には私を助ける筈だと根拠のない自信を抱いていた。

 私の中で国家超能力研究所という存在は大きく、職場に対する盲目的な信頼もあった。あの環境は特殊で、普通の人間が超能力者というある種の才人を管理し、そこに長く入り浸っていた私は「超能力者は普通人に逆らえない」という刷り込みがなされていた。

 職業病だろうか、(カラード)を付けた超能力者を相手に卑屈になどなれば上から叱咤される、だから一種の仮面として尊大な態度を取り続けた。

それが正しいと信じて。

 実働員としてはマニュアル的態度だとしても、それを自覚するには余りに長く研究所に身を置き過ぎたのだ。

 だから私は暗闇と身動きの取れない状況に耐え、一日に一度足を運ぶあの男に有らん限りの罵声、罵倒を浴びせた。それによって今より状況が酷くなるなんて考えもしなかった、無論研究所の情報を漏らす何て論外だ。

 罵倒を浴びせ続け、そして男は私の叫びに耳を貸さず部屋を去る。男が去ると異様な寒気が私を襲った、何も見えず、自分の声しか聞こえず、動けないと言う事実は私を予想以上に苦しめた。何度叫んだかも分からないし、手首の皮膚が擦り切れてしまう程もがいた、けれど結局抜け出す事は出来なくて、いつしか私は声を出す事も億劫になってしまっていた。その頃になると時間の感覚が全くなくなり、今が何時で、何日目なのか分からなくなった。

 

 

 男が再度この部屋を訪れた時、私は気力だけで男を罵倒した。乾き擦れた声で精一杯罵声を上げたつもりだったが、前と同じく酷く機械的に「話す気にはなったか?」と問うてくる男。

私の声を気にも留めない。

それが何か血の通っていない機械を相手にしている様な気がして、ゾッとした。

 その日男は私に水を与えた、一応それなりの期間生かす気はあるのだろう、頭から水を掛けられた時は何事だと思ったが、水分だと気付いた時には無意識にソレを求めて口を開いていた。味は無く、匂いも無く、恐らく天然水か水道水か、どちらにせよ私にとっては随分久しぶりに感じる水分。ただの水がこれほど美味しく感じたのはいつ以来か、私は胃が水で満たされるほど口にし、僅かな幸福感に浸る。

「話す気にはなったか?」

 私はその日も、罵倒でその質問に答えた。

 

 

 三度目は殆ど朧げだ、正直半ば発狂していたと思う。

 自分の股を濡らす尿も、引っ付く服も、全て煩わしい。

 見えない視界、動かせない体、襲い来る飢餓、同じ姿勢で居る為体の節々から鈍痛が続いている、それがまた私の精神を突いて思考が狂う。

 けれど衝動に任せて喚き散らす事も、暴れる事も出来ない、それを行うだけの体力も精神力も底を着いていた。頭の中で回る思考は、何故自分がこんな目に遭わなければならないのか、自分はただ職務を全うしていただけなのに、全てあの男のせいだ、そんな事ばかり。

 そしていつも通り扉が開き、あの男がやって来る。

 最初はこんな女性を放置して、ましてやこんな羞恥を晒させる事に変態やら何やらと叫んだが、男は変わらず「話す気にはなったか?」と問いかけるだけであった。その事に、あぁもうこの人に何を言っても無駄なのだと、頭の片隅で理解した。

 それから男はいつも通り水を私に与え、部屋を後にする。事この空間に於いて私以外の存在は男だけであった。唯一この渇きを癒せるのも、この環境から脱する機会を与えるのも、会話をするのも、男だけ。

 

「嫌っ、待って、お願いッ、行かないで……っ!」

 

 この場に至って、私の罵倒は懇願に成り果てていた。

 もうこの環境を抜け出せるなら何でも良かった、例え自分をこんな場所に閉じ込め、ましてや苦痛を生み出している元凶だとしても。その水は私の喉を潤し、機械的であっても声が聞けた、この変わらない空間で男だけが救いだった。

 けれど無情にも男は去る、伸ばそうとした手は動かず、その事に絶望しながら私は再び項垂れるのだ。

 ただ、ただ、この苦痛に耐え続けて。

 

 

 私の世界は、殆ど私と男で完結していた。

 何も考えず、何も思わず、何も得ず、何も失わず、彼が来たことを純粋に喜び、与えられ、そしてまた時を待つ。

 四度目の際に口に入れられたゼリーの様なモノは、久々の栄養で、久しく感じていなかったモノを噛む感覚に涙が出そうになった。そんな事に幸福を感じる私自身を悲しく思うも、本心では既に彼への感謝すら抱き始めていた。

 少しの栄養源を得られた私は、僅かに取り戻した理性を使って彼へと吐露する、その内容は勿論『国家超能力研究所』について。

 もう私は、この情報を隠す事に意味を見出せなくなっていた。

 私の知っている全てを話した、研究員では無い為超能力者の詳しい待遇や(カラード)については話せなかったが、実働員としての任務内容、脱走者の分布、数、装備、構成員、内部情報など思いつく限りの事は話した。

 私が話す中、彼は特に口を離す事も促す事も無く、粛々と話を聞いていた。

 そして私が全てを語り終え、「これで、全部」と言うや否や、「そうか」とだけ言って席を立った。そして()()()()()部屋を退出しようとする、だから私は慌てて引き留めた。

 

「ね、ねぇ、私、もう全部話したよ? 知っている事は、全部……だ、だから」

 

もう解放して。

その言葉は、彼の放った一言で飲み込んだ。

 

「まだ全てを話していないだろう」

 

 さっと、私の中からが血が引いた。

 

「そ……んな、わ、私っ、本当に、もう何もッ」

 

 そう言い縋るが、硬質な扉が閉められる音が木霊する。それが意味するところは彼が去り、そして私は再び地獄の時間を味わう事になるという未来。

 その事実を目の前にして、私は最後の希望すら失われる音を聞いた。

 項垂れ、既に枯れ果てた筈の涙が一粒零れる。

 話せば全てが終わると思っていた、例え死んでも構わない、今の環境よりはずっとマシな筈だ。けれど結局は現状のままで、解放される事も死ぬことも出来ない。いや、或はこのまま緩やかに死を迎えるのかもしれない、ただ話す事さえも難しくなってきていた。

 このまま緩やかな死を迎えるとして、きっとその過程は酷く辛いモノになるのだろう。今よりずっと苦しくて、不快で、辛くて、考えるだけで自然と絶望してしまう様な。

 どうしてこんな事になったのだと、既に答えの出ていた筈の疑問が再び私の中に浮かび上がった。

 けれど、その答えは本当に正しいのか? 間違っているのは、私の方なのではないか?

 そんな事を思う。

 そう、正しいのは彼で、間違っているのは自分。

 そういう事ではないのか。

 彼はどうして私をこんな場所に閉じ込めるのか、情報が欲しいから? けれど、話せる情報なんて残っていない。じゃあ別な事を望んでいるの?

 分からない、それを考えるには余りにも私の頭は働かない。

 だから私は碌な思考もせず、考えも巡らせず、ただ単純な結果として今をあるがまま受け止め、結論付けた。

 私が間違っているから、こんな目に遭っているのだと。

 私が間違っていて、彼が正しい。

 でなければ、おかしい。

 私が今苦しんでいるのは間違っているから。

 誤っているから。

 なら正しい彼に従えば、許して貰えれば。

 私は楽になれるのだろうか。

 

 

 次に彼が来るまでの時間は、私には無限の様に感じられた。長かった、只管(ひたすら)に長かった。

 宇多弥生という人間の生きて来た人生が一度失われ、新しい私が生まれるまでに要した時間は酷く長く感じられた。いや、正直に言えば宇多弥生という人間の人格が死んだと、そういう実感は無かった。

 ただ、自分が間違っているのだと気付いただけであって、その結果生じる事象は当然であり疑問に思う事は無い。私は彼を待ち続け、この空腹感も、喉の渇きも、羞恥も、不快感も、鈍痛も、全てが全て彼が私に課した罰だと思った。

 罰を与えるという事は、つまり許される可能性があるという事。

 だから私は謹んで罰を引き受けた、すると不思議とその痛みが和らいだ気がした。或は感覚が麻痺してしまっているのかもしれない、けれどそれでも良かった、寧ろ好都合だ。

彼が再び部屋へやって来た時、再び問うた。

「話す気にはなったか?」と

 

「ごめんなさい、もう、話せる事はないの……」

 

 私はそれだけを口にして項垂れた、ただ申し訳無い気持ちで一杯だった。私が研究者であれば、もっと上位の情報開示権を持っていれば、彼の役にも立てただろうに。

 けれど彼はそんな私に水を飲ませ、ついでに汚れた私の体を洗い流してくれた。

 それだけ十分だった。

 

 

 

 

 

 

「えっ」

 

 その声は部屋の中に大きく木霊した、水分を得たばかりの喉は瑞々しい声を発する。声の主は弥生、僕は彼女の手を縛っていた紐を切っていた。ナイフはすんなりと彼女を拘束していた紐を断ち、パサリと紐がコンクリートの床に落ちる。

 後ろ手に回っていた手が戻り、久しぶりに動かした為か弥生は「いたっ」と声を上げた。続いて足を拘束していた紐も切断し、僕は未だ戸惑う弥生の目隠しを乱暴に取った。

 

「……いきなり目は開けるな、失明する、最初は光に慣れさせるんだ、慣れたらゆっくり開け」

 

 確かめる様に手を動かし、足を動かし、背を伸ばしてから電球へ目を向ける。

 その瞼は閉じたままで、たっぷり三十秒程瞼越しに光を眺めた弥生は、ゆっくりと目を見開いた。

 

「……見える」

 

 弥生の目には光が見えない、正確に言うのならばどこか(よど)んで見えた。

 恐らく長い間使われていなかったからだろう、そう結論付けて彼女の腕を掴む。

 

「来い、まずは汚れを何とかする」

 

 そう言って引っ張ると、弥生は慌てて「あっ、待っ」と声を上げた。しかし一拍遅く、僕に引っ張られた弥生の体が傾いて倒れそうになった。それを見て慌てて支えるが、弥生の足は震えて本来の役割を果たせていない。殆ど寄り掛かる様な形で弥生は立っていた。

 

「ご、ごめんなさい……まだ、歩くのは」

 

 そう言って目を伏せる弥生。

 どうやら思っていた以上に拘束の弊害は大きいらしい、僕は少し考えた後、無言で弥生に背を向ける。背後から戸惑う気配が感じられるが、「早く乗れ」と口にすると、恐る恐るといった風に弥生が背に負ぶさった。

 

「……ありがとう」

「別に、お前の為じゃない」

 

 監禁していた人間に感謝される、何とも妙な体験。

 ただ無感情を貫こうと、弥生を背負って部屋を後にした僕は。

 

 (つい)ぞ弥生が僕を見る目の黒さに、気付く事が出来なかった。

 

 

 

 





 書けば書く程長くなる~、ようやくそれらしいところまで来れたッ……!

 ヤンデレぱぅわぁーが発揮される事に期待!(`・ω・´)

 明日の私頑張れっ!\( 'ω')/


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安寧の味は無く

 弥生は汚れていた、だから汚れを落とす為に体を洗う必要がある。

 けれど彼女は一人で歩くことすらままならず、今に至っては一人で入浴する事すら困難である。必然、誰かが補助をする必要があった。

 幸奈か澪奈か、同性同士ならば問題も無い、けれど二人は僕が弥生をこんな状態になるまで監禁していた事を知らないし、知られてはいけない。

 結果、僕が弥生の補助をする事になるのは、当たり前と言えば当たり前だった。

 

弥生を浴室まで連れてきた僕は、服を脱がせて裸になった弥生に温めのシャワーを浴びせていた。目の前で弥生は浴槽用の椅子に腰かけ、ゴシゴシと体に泡を擦りつけている。年齢は二十五歳と聞いていたが全体的に肉感的な体は見ていて何かを掻き立てられる感覚があった、流石に手を出すつもりは無いが、こうも平然とされると男として負けた様な気がする。

 と言うよりも、付き添いで浴場に僕が居ると言うのに、弥生は羞恥の感情一つすら見せない。それは襲われる筈が無いというヘタレ認定をされているのか、或はそもそも発想自体が無いのか。

 

「……」

 

 無言でシャワーを浴びせ続ける(ぼう)になる、視線は極力天井へ。仄かに香る石鹸の匂いや水音等は思考から蹴飛ばし、無心でこれからの事を考える。これからの事というのはつまり、弥生の今後であった。

 有体に言ってしまえば、彼女を生かすか、殺すか。

 彼女を国家超能力研究所へ何の策もなしに帰すなんて事は、既にこの場所を知られている時点で不可能、かと言って抱き込むには余りにもリスクが大きすぎる。敵を抱えながら国家超能力研究所と事を構えられるほど自分を器用だとは思っていなかった。

 一番簡単な解決方法は殺してしまう事、後腐れ無く全てを終わらせる事が出来る。情報は聞き出した、弥生にもう生かしておく理由は無い。

 だからもし、僕が本当に正しい道を、あくまで損得だけで選ぶのであればソレが正解なのだ。口を封じ、この場所が漏れる事を事前に防ぎ、尚且つ余計なリスクを負わずに済む最善の方法。

 けれど損得で全てを決められるのなら苦労はしない、平常な思考を持ったまま人を殺せる程、僕は人間を辞めてはいなかった。好き好んで人を殺しなどしない、これは弥生に対して言った言葉だ。見殺しにすると言っておきながら水や栄養補給品を与えたのが良い証拠だろう。

 あれだけ怒りの矛先を向けていながら今では甲斐甲斐しく世話まで焼いている、そんな自分が信じられない。けれど目の前で呑気に体を洗っている女が超能力者を二人、虫けらの様に殺したのだと自分自身に言い聞かせても、嘗て身を焦がすほどに感じた怒りを再び纏う事は出来なかった。

 正直に言ってしまえば僕はあの怒りを、弥生を監禁し命を脅かす事で消費し切ってしまっていた。

 それは同情か、或は情けか、それとも粛々と僕を待ち続け、人が変わった様に大人しくなった弥生に改心の可能性を見出したのか。

 勿論すべての怒りが消え去って、宇多弥生という人間を完全に許した訳ではない。未だに目の前で死んだあの二人の能力者の顔は鮮明に覚えているし、あの時弥生が浮かべていた笑みすら思い出せる。

 ジクジクと下火の様に燃え続ける怒りは健在だ。

 けれどそれを爆発させる、圧倒的な怒りは既に消失していた。怒りはある、許す気もない、けれど『殺意』は消えてしまった。

 

 罪を犯した人間が許されるかどうか、殺人は無期懲役か、死罪か。

 この場合、あの二人の命は弥生の命を以って償うのがこの世界での命の重さ。

 けれど僕にはそれを実行するだけの『強さ』がなかった。

 これは弱さだ、僕自身の最も脆い部分だ。

今はっきりしている事は、恐らく僕に弥生は殺せないという事だけだった。

 

「……あの」

 

 体を洗っていた弥生が僕に声を掛ける、シャワーを手に持って天井を眺め、思考に没頭していた僕は一拍置いてから「何?」と問い返す。

 

「肩が、上がらなくて……出来れば、その、シャンプーとか」

 

 視線を弥生の方に戻すと、未だ縛られた後の残る腕を頑張って広げていた。

 けれど肩と水平にした辺りで腕が震え、弥生の表情が歪む。痛みが激しくて腕を上げられないと言ったところか。

僕は無言でシャワーを弥生に手渡すと、シャンプーを2プッシュ、手のひらに出した。

 

「……ほら、目は瞑って」

「あ、うん……ありがとう」

 

 ワッシャワッシャと、泡立った液体を髪に塗り込む様にして手を動かす。やはり大分汚れていた為、結局追加で何度か継ぎ足しながら弥生の髪を洗った。元々ポニーテールだった髪は風呂場に入るときに解いて、今はバラバラに広がっている。汚れたスーツと一緒に縛っていたゴムもごみ袋に詰め、後でまとめて捨ててしまうつもりだった。

 腰近くまで伸びている髪は変な癖もなく、男にはない(つや)を放っている。

 何をやっているのだろうと思った。

 殺しかけた女を連れ帰って、監禁して、情報を聞き出して、あれだけの啖呵を切っておきながら僕は今、その女の髪を洗っている。

 

「……阿呆(アホ)

 

 それは自分に向けた罵倒だった。

 

「……? えっと、何か」

「何でもない」

 

 シャワーの音に紛れて、辛うじて届かなかった言葉。

 僕は機械的に手を動かしながら、答えを出せずにいた。

 弥生の魅惑のくびれやら、きゅっと締まった腕や足、それらに男性的な部分を刺激されながら、あぁいっその事『ソウイウ関係』になれて、弥生が自分に倒錯した感情を抱いてくれたら―― なんて思った。

 そうすれば弥生は国家超能力研究所のスパイでも、普通に味方としても、きっと協力してくれるだろうにと。そんな馬鹿みたいな想像を頭の中で描く。

 

「あの」

 

 僕の思考は彼女の声に掻き消された。

 目を瞑って、僕の手に身を委ねている彼女が唐突に声を上げる。

 

「私って、もう、必要ないかな」

 

 思わず手を止めた。

 それは僕の心情を見透かした様な言葉で、一瞬だけ頭に空白が出来た。そして再起動を果たした口が勝手に言葉を紡ぐ。

 

「……そうだな」

「……」

 

 嘘は言わなかった、本心だけが漏れた。

 シャワーの音が室内に木霊し、沈黙が降りる。目の前で目を瞑り、何も口に出さない弥生はただ淡々と事実を確認している様にも見える。

 

「駄目……? もう、終わりなの?」

 

 駄目、終わり、それは暗に死んでしまう事を意味しているのか。

 僕はそこで言葉に詰まった、許す事も出来ず、殺す事も出来ず、行き詰った僕に返せる答えが無かったから。けれど二人を想うなら、澪奈と幸奈、そしてかっちゃんの事を考えるのならば肯定するべきなのだ。

 それを行う強さが無い。

 僕は何も言わず、何も言えず、ただ弥生の髪を洗う手を動かした。

 

「……本当のところを言えば、決めかねている」

 

 少しして、僕の口がポツリと本心を呟く。

 迷っているとは言わなかった。それは男としての意地か、もしくは宇多弥生という人間に弱みを見せたく無いという打算からだった。何を言うべきかも分からない状況で出たのは本心、けれど必要以上に僕と言う人間の中に踏み込まれるのも嫌だった、だから率直に弥生に問いかけた。

 

「アンタはどうしたい?」

 

 自分でも答えは分かり切っていると思った。そんなの、「解放されたい」と答えるに決まっているじゃないかと、内心で己を嘲笑った。

 けれど弥生から出た答えは、そんな単純なモノではなく。

 少しだけ考える素振りを見せた弥生は、僅かに下がっていた顔を上げて言う。

 

「私は、従うだけ」

 

 そう正面の鑑越しに、瞼を閉じたまま― まるで目が見えなかったこれまでを反芻(はんすう)する様に、大きく息を吸った後に(わら)った。

 

「だって、貴方(あなた)は間違えないから」

 

 その笑みに、息を呑んだ。

 間違えないとは、どういう事だろうか。

 最初は意味が理解出来なかった、弥生から感じる正体不明の信頼と言うべきか、ソレを感じて増々困惑する。僕は弥生にそんな信頼を寄せられる事をした覚えは微塵も無かった。ただ何か、背筋を舐める様な悪寒を覚えた。

 

「もし、我儘を言っても良いなら、どうか貴方の傍に置いて欲しい、間違った私を貴方が許してくれるまで、その為なら私は何でもやる、何でもやるから、だから――」

 

 それは懇願。

 あの地下室の中で口にしていた様に、彼女は僕に懇願する。

 ただあの状況と違うのは、別に彼女は監禁されている訳でも無く、僕が彼女に殺意を抱いている訳でも無く、そして弥生と僕の距離感が離れていない事だった。

 僕は弥生の持っていたシャワーを少し強引に取って、それを彼女の頭に掛ける。

 泡が全て流れて綺麗な黒髪が現れると、彼女は目元を手で拭ってからゆっくりと瞼を開けた。

 鑑越しに見る瞳は、酷く暗い。

 いや、黒いと表現するべきなのだろうか。

 それは光全てを飲み込んでしまいそうな、そんな暗闇だった。

 

「……()は――」

 

 弥生を信頼する事は出来ない、いつまた裏切るかも分からない存在を手元に置いておくなど、自分だけならまだしも、僕には守るべき仲間(幸奈、澪奈)がいる。

だから一つ、賭けを思い浮かべた。

 

「何でもするって、言ったよな」

「……うん」

 

 鑑越しに見える瞳を、僕はじっと見つめる。

 彼女の言う間違いとやらが何かも分からない、信頼もない、けれど仮に弥生という人間が『僕に対して何らかの正の感情を抱いているのならば』

 

「傍には置けない、けれど、一つ頼みがある」

 

 賭ける価値のある事だと思った。

 

 

 後になって想う。

 彼女が僕に抱いていた感情は、マトモな人間が計れるものでは無かったのだと。

彼女のソレは『改心』などと言う崇高なモノでは無く、もっと悍ましい狂気じみた依存に近いモノだった。それに気付けなかったのは、言ってしまえば僕が弥生の豹変を正しい意味で理解していなかったから。

 体の自由を奪われ、思考力も奪われ、食事も水も満足に得られない人間が行き着く先の事など何一つ知らなかったのだ。自己肯定、或は否定、つり橋効果やらストックホルム症候群、彼女のソレを理論的に証明する方法には明るくない。彼女がどのような思考をして、何故その様な結果に至ったのか僕に知る術は無い。

 けれど一つだけ、もしこの時の僕に助言を送れるのならば言ってやるだろう。

 彼女のソレは信頼でも恋でもなく、【依存】と【盲信】から来る行動なのだと。

 

 

 

 

 

 

「これ、美味しいです!」

 

 平穏な朝は、澪奈のそんな美味しさの爆発から始まる。手に持ったスプーンでオムライスを掬い、口に頬張りながら僕を見て笑う。それを幸奈が、「食べてから喋りなさい」と(たしな)め、僕は笑いながら「それは良かった」と嬉しい気持ちに浸る。 

 幸奈を匿い、澪奈を救い、生まれたこの空間は何とも居心地の良い場所だった。

 リビングでの食事は朝八時半、カーテンを全開にして差し込む朝日を感じながら三人で朝食、研究所の味気ない食事と違い、暖かい食事を朝一番で食べられる事に二人はいつも笑みを浮かべていた。

手元には力作のオムライス、トロトロの皮に炊き立てのご飯を味付けしてある。ケチャップはお好みで、スプーンで区切れば中から温かい蒸気が立ち昇る。一口食べると口の中で舌触りの良い卵が蕩け、白米と甘味が一杯に広がった。

噛むごとに旨みが増す、我ながら良い出来だった。

 

「何か雪那さん、ドンドンお料理が上手になっていますね」

「そりゃあ、毎日作れば上達もするよ」

 

 半ば趣味の域に達しつつある料理は、何だかんだ言って最近ちょっぴり誇れる事になっている。その腕もメキメキ上達しているし、澪奈や幸奈の嬉しそうな顔も見れる、良い事尽くめだった。

 

「でも、雪那のお祖父さんの書斎には料理系の本が無いわよね、レシピはどこから出て来るの?」

 

 スプーンを咥えた幸奈が、ふと疑問に思ったのだろう、そんな事を聞いて来る。

 

「まぁ、元々知っていたレシピもあるし、後はネットとか、テレビとかで」

「へぇ、便利ね」

 

 余りインターネットに触れた事が無いのだろう、幸奈はどこか未知のモノを見る様な顔をした。澪奈に至っては「インターネット?」と首を傾げている、物心つく前から研究所に入れられていた弊害だろう。インターネットが何であるかも知らない様子だった。

 

「インターネットは、そうだね、何でも知っている便利な本みたいなモノさ、このオムライスもそこで調べたんだ」

「そんなモノがあるのですか? ……外の世界は凄いですね」

 

 目を輝かせて僕を見る澪奈に、少しだけ胸を痛める。彼女の居た場所では本当に何も教えてくれなかったのだろう、外見通り、彼女は無垢な少女であり過ぎた。

けれどそんな表情も、オムライスを食べる事で崩れる。大きく口を開けて一口、途端に澪奈は満面の笑みを浮かべ「ん~」と頭上にハートを幻視する。

 目先の知識より、手元のご飯。

 何とも可愛らしいじゃないか。

 幸奈も似た様な事を思っていたのだろう、澪奈に向けていた目は僕と同じ色をしていた。僕が幸奈を見ていると彼女は視線に気付き、どこか恥ずかしそうに俯く。それから慌てて話題を逸らした。

 

「そ、そう言えば、雪那が言ってた事、結局杞憂だったのよね?」

「ん……あぁ、そうだね、どうやら考え過ぎていたみたいだ、悪かったよ、脅すような事を言ってしまって」

「ううん、全然、でも……杞憂で良かった」

 

 幸奈が僅かに(ぼか)して話す内容は、僕が五日前に「もしかしたら、国家超能力研究所に所在がバレるかもしれない」と言っておいた件だった。

 それは僕の賭けの結果、最悪この場所が敵方に露呈するから。

 けれど結果は杞憂に終わる、国家超能力研究所の連中にこの場所が露呈した様子は無い。もしかしたら今にも突入する準備に掛かっているのかもしれないが、三日程度で僕の捜索を開始した連中にしては動きが遅い。だからここまで何もなければ安全だと、僕もそう考えていた。

 勿論、万が一の為の準備は抜かりなし。 

 幾つか逃げる為の手段は考えてある。

 

「……んぐ、何の話ですか?」

「いや、何でもないよ」

 

 澪奈がオムライスを食べながら疑問符を浮かべる、それを僕は曖昧に笑って誤魔化した。

 この生活をもう少しだけ続けさせてあげたい、澪奈の笑顔を壊すのは出来るだけ避けておきたかったから。たとえ偽りだとしても、出来るだけ笑っていて欲しかった。

 首を傾げた澪奈は、しかし直ぐに興味を失せたのか目の前の食事に集中する。その姿に僕と幸奈は苦笑を浮かべながら、けれど何か温かいモノを胸に感じた。

 

 

― 『pipipipipi』

 

 

 そんな日常の一ページを裂く様に、テーブルの上に置いていた僕の携帯が震える。

 目の前で澪奈がビクリと身を震わせ、幸奈が表情を強張らせた。一瞬で空気が張り詰める、先程までの安穏とした空気は霧散し表情が曇った。今まで一度も鳴らなかった携帯の着信音は、僕らの不安を煽った。

 素早く画面に目を向ければ、番号は知らないモノ。

 けれど僕は直ぐに笑みを浮かべて、「あぁ、友達からの連絡だ」と軽々しく嘘を吐いた。その言葉に澪奈は「なんだ……良かった」と肩を落とし、幸奈も安堵する様に息を吐き出す。僕は二人の様子を確かめてから席を立って、「ちょっと電話して来るね」とリビングを後にした。後ろ手でリビングの扉を閉めた途端、顔に張り付けた笑みが崩れる。

 

― 誰だ?

 

 この時僕の頭の中には様々な可能性が浮かんでは消えた。

 まさかこの場所が研究所に露呈したのか? けれど何故僕の携帯に態々電話を掛ける?

 普通に間違い電話の可能性は、登録されていない友人か、それとも大学から? 

 考えても始まらない、即興勝負だ。

 そう腹をくくって家の外に出ると、僕はそっと通話ボタンを押した。

 

「……もしもし?」

 

 第一声は無し、ただ向こう側からは沈黙が降りる。一秒、二秒、三秒、電話の向こう側からは一向に声が無く、不審に思った僕は再度声を掛けようとして。

 

『藤堂雪那か?』

「ッ!?」

 

 息を呑んだ。

 名前が知られている。

 最悪のケースが脳裏を過った。

 声は女性のモノらしく、高い声。弥生の様に実働員の人間か、少なくとも名前を聞いた時点で友人関係も消えた。大学関連ならば最初に大学名を告げる、それでなくとも向こうの応答は異質すぎた。

つまりコレは裏からの電話――

 

「……アンタ、誰だ」

 

 否定も肯定もせず。

 しかし相手の素性を問う声は、僅かに震えていた。これは「はい、そうです」と言っている様なモノ。頭の中で今の家から別の潜伏場所に逃げる術を思い浮かべる中、向こうの人物は切羽詰まった声で言い放った。

 

 

『お前に頼みがある、どうか、私達を助けて欲しい』

 

 

 

 




 本文自体は三日前位に出来上がっていたのですが、急にランキングに載りPV
が跳ね上がって「うわぁ……」となっておりました。
 お陰様で日間2位の座を頂いて、大変嬉しく思います。
(余談ですが既に 戦車これくしょん のお気に入り数を上回りました)
 既に次話にも取り掛かっているのですが、休んでいた分のレポートやら課題が急に構ってちゃんになりはじめまして……レポートを構ってあげなかった場合、私の愛おしい「単位ちゃん」が崖の底に落ちてしまうのです。
 「また、助けられなかった……」にならない為にも少々ペースが落ちます。

 まぁ、そんな事よりヤンデレですよ! イェェヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノェェェェ!

 単位がもしヤンデレだったら向こうからやってくるんですけどね!("´_ゝ`)
「単位 病ませる 方法」とかググったら出て来ませんかね(真顔
 


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トロイの木馬

 彼を一言で表現するのならば、私は「仏が人間の皮を被って歩いている様な人」だと口にするだろう。いや、仏と呼ぶには少々俗に侵されている気もするが、兎に角それに近い表現で間違いない。

 人を助けるのに理由は要らない、というのが彼の弁であるが今時そんな言葉を有言実行できる人間がどれだけ居るだろうか? 研究所を抜け出してからの、余りに人らしい生活に私は未だ信じられない気持ちでいたりする。

 時たま頬を抓って、夢では無いと確認する癖まで付く程だ。

 私を匿い、衣食住の面倒を見てくれるどころか、澪奈との合流まで実現させ、研究所の追手さえ退ける男性。

 その余りの善人ぶりに、思わず「本当の目的は何だろう」と勘ぐってしまう、余りに自分の都合に良すぎる環境は何とも言えない疑念を生む。結果返ってきた答えは「一目惚れ」という、善人にしては少々俗に塗れた言葉ではあるが、彼は対価として何を要求する事無く日々を過ごしていた。

 

「あの、幸奈さん」

「ん?」

 

 昼間の二時頃、幸せな夕餉(ゆうげ)を済ませた私は雪那の祖父の書斎で読書に勤しんでいた。私の背丈の倍近い本棚、壁を埋め尽くす程の本に埋もれて過ごす時間は至福の時だ。差し込む太陽の光が優しく文字を照らし、ゆったりと流れる時計の針。研究所での生活が塵屑の様に思えるひと時、そんな中で【こゝろ】という本を手に窓際で読書をしていた澪奈に、ふと呼び掛けられる。

 読んでいた本から目線を上げると、澪奈の顔が視界に入った。

 

「雪那さんって、その、どういう人なんでしょうか?」

 

 どこか恥ずかしそうに突然問い掛けてくる澪奈、思わず私は面食らって「突然どうしたの?」と逆に問い返してしまう。澪奈は開いていた本をパタンと閉じ、嬉しさと悲しさが混じった様な声で答えた。

 

「私達が今こうしていられるのも、全部雪那さんのお蔭で、良い人なんだなぁって事は分かるんです、けれど、それが逆に怖くて」

「怖い……?」

 

 大凡(おおよそ)、先の言葉からは連想されない感情。

 私の言葉に澪奈は「はい」と頷いた。

 

「研究所では暖かいご飯なんて食べられませんし、こんなにのんびり過ごす事も出来ません、研究所の人は……正直に言うとあんまり好きではないんです、外の世界を知らなければ、もしかしたら諦めもついたかもしれませんが」

 

 その言葉私は思わず身を硬くする。

 太陽の光が雲に遮られ、一瞬部屋が陰った。

 あの地獄の様な環境を好きになれる人間など、きっと存在しない。未だ脳裏に存在する牢獄を思い浮かべれば自然と表情が強張った。

 

「初めてなんです、同じ(カラード)を付けていない人に、こんな、こんなに優しくされたのは……親切にされたのは」

 

 ぎゅっと本を胸に抱いて、辛そうな表情をする澪奈。

 それは研究所に閉じ込められ続け、初めて外の世界を知った彼女の見せる恐怖の感情だった。その感情に私も身に覚えがある、彼と出会ったばかりの時に抱いた感情だ。

 純粋な善意は時に、私達の精神を病ませる。

 

「それを、一度知ってしまった【今】を取り上げられるのが、何よりも怖い」

 

 そして、雪那さんが何を考えているのか、それが分からないんです。

 そう言って澪奈は酷く申し訳無さそうに体を縮こませる、そこには自分を助けてくれた恩人を疑うと言う罪悪感が滲み出ていた。他人から厚意を受ける事自体、殆ど経験の無い事なのだろう。そういう私だって、研究所では自分と同じ境遇の超能力者しか信じられない。時にはその同じ超能力者でさえも、我が身可愛さに裏切る事だってある。純粋な厚意、善意とは信じる事さえ難しいモノなのだ。

 それならば、まだ金銭や肉体を要求された方が安心できる、だってそれなら、それさえ差し出せば裏切られる事がないから――

 

私は読んでいた本に栞を挟み、静かに閉じる。

どんな事を言うべきか迷った、けれどそれは自然と思い浮かぶ。

 それからゆっくりと詰めていた息を吐き出した。

 

「私もね、澪奈、貴女と同じ事を考えていたの」

「えっ?」

 

 私の声は書斎にハッキリと響いた。

 勢い良く澪奈が顔を上げて、私を見る。その驚いた様な表情に何となく笑ってしまって、漏れた吐息が虚空に混ざった。

 

「何でそんなに優しくしてくれるのか、こんなに良くしてくれるのか、同じ研究所に入れられた訳でもないのに、全く見知らぬ他人が、何でここまで助けれくれるんだって、聞いたの」

 

 当然の疑問だった。

 彼の厚意は、人の善意を感じる事のない環境に長い間押し込められていた私達にとって、余りにも眩しすぎる。

 ソレを聞いた澪奈は「雪那さんに、ですか?」と恐る恐る訪ねた。

 私はゆっくりと頷く、すると身を乗り出した澪奈が「何て、何て言ったんですか?」と食い付いて来た。それは自分達を何故助けてくれるのか、純粋な疑問と彼への純粋な好意が見え隠れしている。

 一度息を吸い込み、けれど不意に言葉に詰まって。

 二度目でやっと口にした。

 

―― 人を助けるのに、理由が必要なんですか?

 

「そんな風に言われちゃったわ」

 

 私はそう言って笑う、当時の彼の様子が瞼の裏に焼き付いていた。

 私に肩を貸しながら、真っ直ぐ前を見て言い放つ雪那。その姿は格好良くて、真剣で、迷いがない。善行を当たり前だと思っている様な、そんな目だった。

澪奈は最初目を大きく開いて、どこか感極まった様な、泣き笑いしそうな顔で。ゆっくり肩を上下させ本を強く抱き寄せる、それは何か大きな感情を我慢するような動きだった。

 

「やっぱり、雪那さんは……とても、とっても良い人です」

 

 小さな声で、けれど力強く。

 澪奈は笑って呟いた。

 ソレは彼が裏切らないという確信を持ったからか。それとも、性根から信じられる善人だと思ったからか。

それとも ――

 

「えぇ、そうね」

 

 澪奈の微笑みに、あぁ、この笑顔を守れて良かったと心底思う。

 そして同時に、澪奈に対して半分嘘を()いてしまった罪悪感も。

 

― ひ……一目惚れです

 

 あの時とは違う、もう一つの顔。

 凛々しくもどこか垢抜けない顔立ち、瑞々しい唇から紡がれたあの言葉。

 今でも思い出すと顔が熱を帯びる、心臓が早鐘を打って嫌でも意識してしまう。何でも無い様に過ごしているし、彼と話すときも極力思い出さない様にしているが、今は無理だ。

 彼のアレは本心からだったのか、それとも私を助ける為の方便だったのか、それは分からない。どちらにせよ、彼が私を助けたかったというのは事実で、例え方便でも理由を付けてまで助けようとした事に好感を抱く。

 結局私は、あの時既にやられていたのだ。

 

「幸奈さん、どうかしたんですか?」

「……いえ、何でも無いわ」

 

俯き、思考を巡らせていた私に澪奈の声が届く。

私は慌てて顔を上げ、首を横に振った。

熱を帯びた吐息を隠す様に、口元を手で隠す。ついでにその想いも隠してしまう様に。

研究所では色恋沙汰(なん)て存在しなかった、私達は研究対象(モルモット)でしか無かったから。

でも本当の自由って言うのは、恋愛も含め、何にも縛られない事。

 

「私は―」

 

 呟きは誰にも聞こえない。

 表情には笑みを浮かべ、喜色に染まった澪奈を見ながら思う。

 けれどそれを口に出す事は出来ず。

 そっと誰にも見られない様に、拳を握った。

 

 澪奈と私、雪那が此処に住み始めて四日目の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

―― 電話の向こう側の女は、寺島秋(てらしまあき)と名乗った。

 

『突然の事で驚いていると思う、けれど、どうか聞いて欲しい、私達にも余裕がないんだ』

 

 慌ただしい声色でそんな事を言う秋に僕は困惑する、思わず「ちょっと待ってくれ」と一拍置いた。高鳴っていた心臓を抑えつけ、冷静にと自分に言い聞かせながら口を開く。気付かぬ内に舌が乾いていた。

 

「何故僕の名前を知っている、そもそも、君は一体何だ?」

 

 何であれ、相手の素性と何故僕の事を知っているか、それが問題だった。彼女の様子を見るに偶然という訳では無いだろう、どこかで僕の情報を聞いたのだ。それが表の顔か裏の顔かは知らないが。

 その情報源がどこか、僕には知る必要があった。

(アキ)は僕の問いに口を(つぐ)み、それか長い沈黙を守る。そこからは何か躊躇(ためら)う様な雰囲気が感じられた。

そして覚悟を決めたのか、ゆっくりと含むように言い放つ

 

『……三月(ミツキ)、イーリオスの完遂』

「ッ!」

 

 緊張は歓喜に変質する。

 その言葉だけで十分だった。

 【三月】は名前、【イーリオス】はトロイア戦争を指す。

 それの意味は。

 

 僕は賭けに勝った ――

 

「分かった」

 

 未だ交わした言葉は十に満たない、しかし僕は寺島秋という人間の素性を理解する、そして何故こんなにも切羽詰まった声色なのかも。それは僕が望んでいた状況そのものだった、幾つかの段階をすっ飛ばし、携帯を握りしめながら「状況は?」と尋ねた。

 すると電話の向こう側から『えっ』と間の抜けた声がする。

 それは、まさか本当に相手にしてくれるとは思っていなかったという声だった。

 

『っ、本当に、助けてくれるのか……?』

 

 おずおずと歯切れ悪く問う声には、驚愕と歓喜の念が感じられる。

 

「どうしようもなくなったから、僕に連絡を寄越したんだろう? 何とかする、だからそっちの状況を教えてくれ」

 

 そう言って説明を促すと、「あ、あぁ」と嬉しそうな声を上げ、出来得る限りの情報を提供してくれた。電話の向こう側から、何か歓喜が成分として伝わってきそうなほどだ、余程切羽詰まっていたらしい。

 

『場所はS市N町、人数は三人、今は隠れて襲撃に備えている、道はカルタ通りって言えば分かるか?』

 

 僕は秋の口から出た言葉に少し驚く、S市N町、大分近場だ。それにカルタ通りという名前にも聞き覚えがあった。そこそこ店の立ち並ぶ通り、平日の日中では流石にそれほど人は居ないだろうけど、休日は人通りもあって賑やかだった筈だ。

 

「あぁ……確か駅に近かったよな、というか僕の居る場所から存外近いぞ」

『そうなのか? だとすれば助かる!』

 

 秋の声に張りが出て来る、どうやら近場である事が彼女に勇気を与えているらしい。

 

『カルタ通りのタックスビルっていう建物に今は身を隠しているんだ、けれど向こうの能力者に居場所が割られた、すぐ実働員がビルにやってくる』

 

 僕は携帯を耳にあてながら腕時計に目をやる、時刻は朝八時五十分。

 僕の記憶が正しければ秋の居る場所は此処から電車で四駅分ほど、徒歩なら近いとは言えないが今の僕にすれば十分近場、県を跨がないだけ僥倖だろう。

 

「そのビルから離れて、別の場所に身を隠すっていうのは?」

 

 僕が時間稼ぎの為にそう提案すると、秋は少し黙り込み『それは駄目だ……』と弱々しく口にした。

 

『能力者探知の異能は能力再使用までの間隔が短いほど精度が高い、今回の能力者は三十秒に一度は能力を使用してくる、能力効果範囲は凡そ五百メートル……三十秒以内にその範囲から抜けるのは無理だ、こちらには怪我人がいる』

「怪我人? 何人だ」

『一人、懐能液を続けて二本使ったんだ、防壊液も摂取したけど、まだ歩ける様な状態じゃない』

 

 懐能液、その単語に思わず口を噤んだ。

 恐らく追手と戦闘になったのだろう、生きているという事は撃退したのだろうが、懐能液を続けて二本摂取したと言う。

 実際に使っている場面を見た訳では無いので何とも言えないが、もしかしなくてもかなり拙いのではないだろうか。一本使っただけでも幸奈は半日歩けなくなったと言う、ならば二本なら丸一日? 足し算では無く掛け算、累乗だったら更に笑えない。

 

『それに追っ手は研究所の連中だけじゃない』

「……どういう事だ?」

 

 研究所以外の追手?

 その言葉に懐能液で一杯だった思考が止まる、けれど少し考えれば思い当る節があった。研究所と繋がりがあり、尚且つこの様な事態に出張ってくる組織。

 

「警察か」

 

 超能力犯罪捜査官――

 その言葉が頭に浮かんだ。

 警察が持つ超能力者に対する対策班、超能力者には超能力者を。その理屈を体現した集団、詳細は知らないが凶悪な超能力犯罪者にも立ち向かえる精鋭が揃っていると聞いた事がある。優位能力者は根こそぎ国家超能力研究所が持っていくので、在籍しているのは【準・優位能力者】とも呼べる人員だが、対超能力者の経験豊富な連中が弱いハズなどない。

それが彼女達に迫っている。

 彼女の焦燥感が、着実に現実へと変わっていた。

 

『追手と戦う時に、市民が巻き込まれたんだ、何人か、幸い死傷者は出なかった、けれど大勢の人間が目撃した、もう裏の事としては済まされない』

 

 裏で処理出来なくなったから、警察も巻き込んで超能力犯罪として片を付けるつもりだろう、余程の超能力者ならば無理矢理揉み消すのだろうが、彼女達には当て嵌まらなかったらしい。

思わず携帯を握る手に力が入った。

研究所に続いて超能力犯罪捜査官まで動くとなると、救出は困難を極める。僕も一度に三人は運べない、能力の制限時間だってある。条件的にも、状況的にも良い事など一つもない、正に絶体絶命。

 僕は大きく息を吸う、幾分か頭がスッキリして思考がクリアになった。

それから心苦しく思うも、ハッキリと告げる。

 

「率直に聞こう、何分耐えられる?」

『………』

 

 返答は重苦しい雰囲気。

 電話越しでも感じる、その絶望感。悲観的な空気が目に見えて僕らを包んでいく様だ、けれど見捨てるという選択肢は無かった、どれだけ絶望的な状況であっても諦める事など出来ない。それをしてしまったら、僕は僕である事を放棄してしまう

 

『向こう次第……仮に連中が攻めて来たら、死ぬ気で耐えて――』

 

 五分

 

 非常にも、その言葉は僕の耳に届いた。

 ドクンと、心臓が一際大きく鳴り響く。

 五分。

 そうか、五分か。

 

「充分だ――」

 

 僕の出来る精一杯の強がり。

 電話の向こう側から驚きの声が上がった。

 

「守りを固めて、兎に角時間を稼ぐんだ、必ず助ける、だから待っていてくれ」

 

 そう言って僕は通話を切った。真っ黒になった携帯をポケットに突っ込んで、すぐさま(きびす)を返す。

 今は一分、一秒が惜しい。

 必要なモノは何だ、逃走経路は、警察と研究所の連中をどう相手取る?

 問題は山済みで、対する僕の持ち札は絶望的に少ない。けれど逃げる事は許されない、これは僕の望んだ状況で自ら作った危機なのだ。

 

「……今度こそ」

 

 僕の脳裏に浮かぶのは、あの廃工場での一件。

 恐らく今回も研究所の超能力者が僕らの前に立ちはだかるだろう。連中に容赦は存在しない、強要された超能力者は容易く僕らの命を奪う。あの【圧縮】の様に、即死してしまう能力ならば尚更。そこに躊躇(ちゅうちょ)を挟めば屍を晒すのは僕らだ。

 可能ならばどちらも救いたい、けれど両方救えると豪語できる程僕は強くも、勇敢でも無い。

だからもし、選ぶ時が来たら ――

 

 ぐっと拳を作る。

 優先するモノを間違えてはいけない。

 僕は自分にそう言い聞かせた。

 




 ヤンデレを読む時は、独りで、静かで、豊かで……何て言うか、救われていなきゃダメなんだ‥‥。

Ps
 皆様のお蔭で日間一位を頂きました!
 ありがとうございますワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ


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青年は飛翔する

―逃がすだけなら簡単だ。

 

 僕単身だけで乗り込むならば、恐らく最低二人は救出出来る、そう思っていた。

 敵の能力探知は三十秒に一度の間隔で発動し、その効果範囲は凡そ五百メートルと言う。能力者二人を抱えて跳躍を繰り返せば三十秒以内に探知範囲から逃れる事は容易い。

しかしその場合、確実に一人を救出し損ねる。

 僕が二人の能力者を安全地帯まで運んでいる内に、殺害されるか拘束されるのが山だ。

 それに僕自身の制限時間がある、三分以内に全てを終えられるかと聞かれれば、正直厳しいという他ない。

 だから本当の所を言うと、僕は詰みかけていた。

 

「………」

 

 玄関を開いて家の中に戻るとき、僕の頭の中は「どうするべきか」という答えの無い選択肢で埋め尽くされていた。俯き、焦燥の中で最善を模索する僕はさぞ陰鬱な表情をしていたに違いない。 

 だから一瞬、気付くのに遅れた。

 

「雪那」

 

 はっと顔を上げた時には、もう遅い。

 どこか怒ったような、悲しそうな、そんな表情をした幸奈が僕の目の前に立っていた。玄関先で僕を待っていたのだろう、その眼はまっすぐ僕を見る。

 しまったと、僕は後悔の念を覚える。

 けれど言い訳するには余りにも暗すぎる表情で、慌てて手で口元を覆うけれど、それが何の意味もない事を僕が一番分かっていた。

 

「……さっきの電話、友達からじゃないよね?」

「………」

 

 答えられない。

 幸奈の問いに僕は何も言い出せなかった、反論は愚か良い訳さえも。この口を開けば要らぬことを喋ってしまうと、そんな確信に似た予感があった。

 僕と幸奈の間に沈黙が降りる、僕は何も答えられず、幸奈は何かを堪えて口を(つぐ)んでいた。

 そして僕が絞り出せた一言は。

 

「……ごめん」

 

 友人からの電話でない事を認めた上で、謝る事だった。

そんな僕の態度に幸奈が一度面食らって、「何それ」と呟く。

次の瞬間には幸奈が目を吊り上げ、大股で詰め寄って来た。

 僕の目の前まで歩みを進めた幸奈は、僕の両肩を掴み、大きく揺さぶった。

 

「ねぇ、私って、そんなに頼りなく見えるの? 何で頼ってくれないの? 澪奈の時もそう、雪那は一人で何とかしようとする、どうして? 私にどうして何も言ってくれないの?」

 

 目の前で僕の肩を揺すり、一瞬たりとも僕から目を逸らさない幸奈。それは彼女の感情が爆発した瞬間だった。

僕は彼女に何か弁明しなくてはと口を開けるも、けれど直ぐに閉じてしまう。何を言えば良いか分からなかった、もし全てを話すのであれば弥生の事から説明しなければならない。

 それは駄目だ。

 その感情は幸奈に軽蔑されたくないとか、僕の醜い面を見て欲しくないとか、そういう自分自身の情けなさから来るモノもあったけれど。

 何より、彼女達にはそんな、裏の事情と関わって欲しく無かった。

 両肩に掛かった幸奈の手をそっと掴んで、「ごめん」と僕は再び謝罪する。それは彼女自身を巻き込んでしまった謝罪と、何も言えない事に対する償いだった。

 

「今は時間が無いんだ、少し出掛けて来るから、戸締りをちゃんとして留守番していてくれ、大丈夫、すぐ戻るから……」

 

 そう言って素早く幸奈の脇を通り抜けようとする、けれど通り過ぎる瞬間、幸奈が僕の腕を強く掴み「雪那っ!」と叫んだ。

 

「何で、何で!?  どうして頼ってくれないのっ、頼ってよ、私、まだ何も貴方に返していないッ!」

「幸奈」

「こんな幸せな毎日を送れるようになったのも、澪奈と一緒に笑って過ごせる様になったのも、美味しいご飯も、暖かい寝床も、何かに怯えなくても良い安寧(あんねい)も、全部全部貴方がッ――」 

「幸奈ッ!」

「っ!」

 

 顔を赤くして、今にも泣き出しそうな表情で叫ぶ幸奈に、僕は静止の声を上げる。振り返って視界に映った幸奈の表情は、今にも崩れてしまいそうな顔だった。ぽろぽろと涙が零れて、彼女の口がぎゅっと結ばれる。

 そっと幸奈の顔を挟む、その柔らかい頬を(てのひら)で包みながら、じっとその瞳を覗き込んだ。彼女は巻き込めない、二人を助けた時点で僕には彼女達を守る義務がある、それを(みずか)(おか)(なん)てのは。

 僕の【正義】に反する。

 

「僕は、死なない、捕まらない、絶対に……絶対に二人のいるこの場所に帰って来る、約束だ」

 

 ポロポロと涙を零して、今にも決壊しそうな彼女の堤防を修復する。こんな口先だけの男に何を想うか、そんなのは分からない。けれどこれは僕なりの誠意だ、何も話せず、明かせず、けれど信頼しろと、虫の良い事だとは分かっている。それに必要な時間を僕たちは共に過ごしていない。

 けれど、それでも連れて行くことは出来ない。

 

「約束」

「あぁ、約束だ」

 

 幸奈が呟く、僕はすかさず頷いた。

そして彼女の頬に添えていた手を放し、そっと背を向ける。

「あっ」と幸奈が声を上げ、僕に手を伸ばす。けれどその指先が背に触れるだけで、掴む事は叶わない。僕は幸奈に背を向け駆け出し、そのまま二階の自室へと飛び込んだ。木製の扉を強く閉め、鍵を掛ける。

 

「………」

 

 不甲斐ない。

 そう思った。

 

 自分のデスクの上に鎮座するショルダーバッグ、少し大きめのそれをひったくる様に持つ。必要なモノは全部この中にあった、賭けに勝った場合必要になるとこの一週間で密かに買い集めたのだ。

 そのまま窓を全開にして、縁に足を掛ける。

 

「―変身」

 

 光が僕の体を包み、そっと窓枠を壊さない力で飛び出す。それでも十分な跳躍は果たされ、一足跳びに木々の生い茂る場所まで跳んだ。着地は土と落ち葉によって軽減され、殆ど無音に近い。

 地面に接地した瞬間に葉が舞い上がり、頭上の葉傘が揺れる。僕はショルダーバッグを叩き付ける様に地面に下ろした。変身を解除して三秒、僕は己の中にある感情に蓋をする。

 自己嫌悪も、後悔も、申し訳なさも、幸奈や澪奈に関する感情全て。

 幸奈の泣き顔が瞼の裏から離れない、自分の胸をナイフで抉り、心臓を引き摺り出された気分だ。血の気が引き、深い深い後悔が足元から僕を呑み込んでしまう。けれどそれも、多大な労力を費やして鎖を掛ける。

 今の僕は藤堂雪那では無い。

 そう言い聞かせた。

 

「……やってやる」

 

 声を上げ、ショルダーバッグのジッパーを開ける。開いた口から覗くのは、不気味なペイントの施されたマスクと、フード付きのパーカー。僕が藤堂雪那である事を隠す為に必要な道具、そして――

 その下に隠された容器が二つ、試験管の様な細長い形。中身の液体はそれぞれ青色と無色。

 【懐能液】と【防壊液】

 幸奈から手渡されていた二本、それを頑丈に作られた保管ケースに入れ腰のベルトに固定する。最悪の場合を考えた保険、必要ならば使う事に躊躇は無い。マスクを被り後頭部を金具で固定、パーカーの中にプロテクターを着用する、膝や肘各所にも。フードを被れば僕はもう雪那だとは分からない。

フードを固定し口元まで隠す、ふと近くを見渡すと水溜りがあった。

 二日前に雨が降ったのを思い出す、空を見上げれば灰色が世界を覆い始めていた。

もう一雨来るかもしれない。

 落ち葉の浮かぶ水溜りに近付いて、そっと中を覗き込む。

 水面の波紋に(ゆが)められて(うつ)るのは、真っ白な色に(いびつ)な笑みを浮かべ、右半分に真っ赤な華が描かれたマスク。くり抜かれた目元からは、鋭い眼光が見え隠れしている。

 まるで犯罪者だ。

 いや、実際僕は今から犯罪を行うのだから、犯罪者で間違い無い。

 水溜りから目を逸らして僕は空を見上げ、それから時計に目を落とす。

 あの電話から五分と少し、そろそろ行かなければ突入が開始されるかもしれない。

 電話を切った直後に襲撃されているとは思わないけれど、早いに越したことは無いのだから。

指紋対策用に購入した手袋、それでマスクを一撫(ひとな)で。

大きく息を吐き出す、体内に籠った熱気が外に消えた。 

 

 覚悟は決めた、なけなしの勇気もある、苦い正義も、少しの力も。

 あとは、そう。

 

 実行するだけだ。

 

 

 

 

 

 

朱音(あかね)ッ!」

 

 声は響いた、けれど目の前で戦う友人には届かない。長く黒い髪を靡かせながら戦う友人――朱音は、耳から血を流して表情を強張らせていた。

 鼓膜(こまく)をやられたんだ。

 私は対峙する能力者を睨めつける、中肉中背の男。これと言った特徴は無く、私達と同じ(カラード)に繋がれた超能力者。恐らく能力は【音】に関するモノ、対峙する朱音の鼓膜が破られ、同時に朱音の放った【雷撃】が男の体を奔り抜けた。

 

「がグぁッ!?」

 

 バチィッ! と閃光が瞬き、男の体が大きく震える。朱音の電撃は男の体を麻痺させ、その眼がぐるんと白目を剥く。毛が逆立って倒れる様は酷くスローモーションに見えた。そして朱音も男と殆ど同時に膝を着く。

 

「朱音っ、大丈夫か!?」

 

 私は朱音の元に駆け付けると、その顔を覗き込む。朱音は脂汗を滲ませながらも、「だ、大丈夫」と頷いた。けれど耳から流れる血は如実(にょじつ)に負傷を訴えており、少しも大丈夫そうには見えない。

 

「左の耳をやられただけ……っ、右は、大丈夫、ただちょっと、三半規管を揺らされた、かも」

 

 フラフラと体を揺らす朱音の言う通り、どうにも立ち上がれないらしい。そして口元を抑え、吐き気を堪えていた。

 

「一端、部屋に戻ろう、あそこで籠城(ろうじょう)するしかない」

「駄目……それだと、由愛(ゆめ)が」

「馬鹿ッ、そんな事言っている場合じゃないっ」

 

 朱音に肩を貸して立ち上がる、平衡感覚の戻らない朱音は私に大半の体重を預けていた。どう強がっても足が笑っている、これで大丈夫な筈がない。私は周囲を注意深く見渡す、窓の外、隣接する建物、屋上、錆びた非常階段、見下ろせる小さな駐車場、人影は無い。侵入して来た音響使いの能力者を一瞥し、朱音と自分を対象に能力を発動した。

 

【迷彩】(クローク)

 

 粒子反転による完全迷彩効果。

 私の体が足元より消えて行く、実際には表面に薄い粒子を纏って姿を隠しているだけ。

 今私と朱音は、文字通り透明人間と化しているだろう。消える瞬間に注視していなければ其処いるとは気付けない、熱探知だろうが何だろうが遮断する。唯一の例外は能力探知による粒子視覚化、けれどその能力者以外に感知する事は不可能。

 探知能力者以外であれば目を(あざむ)くには十二分。

 しかし、たった今例外の一つが追加された。

 

そのまま寂れた廊下を進み慎重に歩を進める。何度か角を曲がり周囲に人が居ない事を確かめ、とある角部屋の前に立った。一度だけノックをして扉を開けて中に入ると、室内の張り詰めていた空気が霧散する。中は元々倉庫として使われていた為、埃を被った家具や本が積まれているが、比較的マシな部類だ。窓ガラスは使われていない陳列棚で蓋をし、その中央に寝そべる少女に目を向けた。

 

「お、お帰り、なさい」

 

 息が荒く、赤らんだ顔で笑う少女――由愛(ゆめ)

 薄い毛布の上に横たわって私達を出迎える彼女は、懐能液によって身動きすら出来なくなっていた。余りにも長く能力を使いすぎたのだ、その反動が今になって体を(むしば)んでいる。ノックは彼女の為、由愛はもし無抵抗のまま殺される位なら部屋ごと吹き飛ばしてやると息巻いていた。

 【迷彩】を解除すると、私と朱音の姿が露わになる。

 それを見た由愛が、どことなくホッとした表情を浮かべた。

 しかし朱音の負傷を見るや否や、表情が歪む。

 

「はぁ…ッ…朱音っ、ちゃん、その耳……」

「っ、ふふっ、大丈夫よ由愛、このくらい、ちょっと揺らされてフラフラするだけ、痛くも痒くもないわ」

 

 朱音を由愛の傍に座らせ、私は扉を閉める。そのまま入り口に長机を引っ張って来て、堤防とした。チラリと朱音と由愛を見るが、どちらも状態としては万全からほど遠い。由愛は勿論、朱音も暫くは休ませなければ。

 

「……由愛、体の方は?」

「はっ、はぁ……多分、能力は使えるよ、けど、動くのは……」

 

 申し訳無さそうな表情でそう言う由愛、無理をすれば能力は使える。けれど歩く事は出来ない、本来ならば能力を使う事さえ難しいというのに。ここで朱音の離脱は正直致命的だった、私の能力は直接攻撃出来るモノではない。能力者ならば背後からデッドボルドを狙えば何とかなるかもしれないが、相手には能力探知の異能者が居る。

奇襲は成立しない。

 

「くそっ……まさか、音響とは」

 

 私の【迷彩】が音響使いの能力者に看破されたという事実に、思わず舌打ちを零す。そこに体と言う物体が有る以上、音は反射するし、仮に吸収しても不自然に消失した音は能力者に物体の存在を知らせる。

 先制攻撃を許したのは、私が相手の能力を先に見抜けなかったからだ。

 

「秋、自分を責めないで……」

「いや、今だけは自分の愚かさが許せない、ここまで後悔したのは、研究所に収容された時以来だ」

 

 怒りに身を任せて叫んだり、拳を叩き付けたくなった。これは私のミスであり、今は朱音の言葉ですら自分を責める要因になりかねない。ここは私だけでも先行して、敵の能力を偵察した方が良いのではないか、ふとそんな事を考えた。

 朱音も由愛も既に戦える状態では無い、朱音は大丈夫だと言い張っているが超能力は精神にも強く左右される。みすみす友人を死地に送り込む事など、出来る筈が無い。

 私が単独で動こう、そんな覚悟を決めていた私の耳に【キィィィィ】と甲高い音が聞こえて来る。

 

「っ、来たか」

 

 周囲に木霊する高音、私が振り返るや否や物体を透過して浸透する粒子の波が現れる。それは超能力探知の異能者が放った粒子による探知行動、通常の能力者では見る事すら叶わず、粒子を作用させる能力者でなければ視認が不可能な光の輪。事実、朱音と由愛は顔を強張らせて身を竦ませるだけで、その粒子波に目を向ける事は無い。

 

粒子散布(ジャミング)

 

私は【迷彩】(クローク)の粒子反転を行い、この建物の広範囲に向けて粒子を放つ。

【迷彩】とは己の体を隠すだけの能力では無い、探知に対するジャミングもまた、私に課せられた役割の一つ。

散布された粒子に触れた粒子波は、触れた傍から消滅していく。

恐らくここら一帯に放った粒子波が、この周辺だけぽっかりと消失しているだろう。正直、この一帯が怪しいですよと叫んでいる様なモノだが、余り広範囲に粒子を散布出来ない私ではこれが限界。

仮にジャミングを行わなければピンポイントで私達の位置が割り出されてしまうのだ、ならば完全に場所を特定されないだけマシと思う他無い。

 

「秋、探知は……」

 

 朱音が不安げな顔で問いかけて来る。それに対し私は虚勢を張って頷いた。

 

「大丈夫、軸をずらして散布したから、まだバレないと思う」

 

 時間は刻一刻と過ぎて行く。今回は多分大丈夫だ、けれど最短で三十秒後にはまた粒子波が押し寄せて来る。次は誤魔化せるかもしれない、けれどその次は、またその次は?

 私達はこの場から動けない、幾ら軸をずらして誤魔化そうと数を重ねるごとに居場所の精度は上がっていく。先程の超能力者の様にこの建物に侵入してくる連中もいるのだ、既に半ば場所を割られていると言っても良い。

 倉庫内にある古びた時計に目を向ける、埃を被ってはいるがまだ動いていた。時間は彼に連絡してから八分と少し、このままズルズル時間が過ぎれば十分を経過する前に居場所が露呈するだろう。

使いきりの携帯電話を開けば、真っ黒な画面、既に電源は切れている。後はあの青年を待つだけ――

 

本当に助けなど来るのか?

 

そんな疑念が頭を過った。

 

「秋ちゃんッ!」

 

由愛が叫んだ、私は一瞬体を硬直させ、次いで何故大声で叫んだと怒りを覚える。しかし次の瞬間には後悔に変わった。

 甲高い破砕音、それは硝子がぶち破られ陳列棚が地面に倒れる音。振り向けば超能力犯罪捜査官の制服を着用した女が一人、部屋に飛び込んで来ていた。カーテンを引き裂きながら着地し、由愛のすぐ傍に転がる。

 

「朱音ッ」

「この……っ」

 

 突然の事に一瞬反応が遅れた朱音だが、座り込んだまま能力を発動させる。バチッ! と朱音と女の間に紫電が走る、けれど女が倒れる事は無かった。痙攣する事も、声を上げる事も無い。

 何故? 疑問が一気に頭を駆け抜ける、電撃を放った朱音も自身の攻撃か効かない事に驚きの表情で固まる。

それは余りにも致命的だった。

 

【護謨】(ゴム)

 

 地面に転がった女が朱音に手を伸ばす、朱音と女の距離は五メートル程離れていた。普通なら届かない、けれどその距離を一気に女は潰した。

グンッ、と腕が伸びて朱音の喉元を掴んだのだ。

凄まじい勢いで伸びた女の腕は朱音の首を掴み、そのまま壁に叩き付ける。

 

「がっ、あッ!?」

「朱音ッ! っ、【迷彩】(クローク)!」

 

 喉を絞められた朱音は呻き声を上げながら苦しそうに暴れる、能力によって雷撃を纏うも女は手を放さない。女の目が朱音から私と由愛に向き、まずい、そう思った。

次は私達を狙う気だ。

 その考えに至った瞬間、私は自分と由愛に【迷彩】を施した。一瞬で私達は風景と同化し、通常の方法では視覚化出来なくなる。

 

「ぉぉあぁァッ!」

 

 しかし、それでも女は行動を起こした。

 女が叫び、朱音を掴む逆の手が一気に伸びる。そして十二分に勢い付いた腕が部屋の中を薙ぎ払う様にして横断する、ソレを呆然と見ている事しか出来なかった私の体にグルンと腕が巻きついた。

 

「嘘ッ?!」

 

 勢い良く薙ぎ払われた腕は手という(おもり)によって勢い良く巻き付き、即席の拘束具となる。見れば女は手に鉄の球を握っていた、恐らくこういった使い方を想定していたのだろう。

 

「ぐっ!」

 

 女は腕を勢い良く引き、私は無様にも床に転がる。【護謨】(ゴム)の能力を持った異能者、体を自由に伸縮させ電気も通さない。朱音対策だろう、となれば先の【音響】は私への対策か。

 今に至って、私は(ようや)く連中が本気だと悟った。

 

「由愛っ、逃げろッ!」

 

 地面に這い蹲ったまま私が叫ぶのと、部屋の扉が破られるのは同時。

 扉の前に寄せていた長机が吹き飛び、反対側の壁にぶつかる。開け放たれた扉からは研究所の連中が三人現れた、制御官が一人と能力者が二人。

 制御官は若い男、能力者は男女が一人ずつ。

 制御官は部屋の中を素早く見渡すや否や、横たわった由愛を凝視した。

 

榊由愛(さかきゆめ)を逃がすなッ、拘束しろッ!」

 

制御官の声に反応し、能力者が二人由愛に飛び掛かる。

私は拘束から逃れようと足掻きながら叫んだ。

 

跳躍()べっ、早くッ! 逃げろッ、由愛ぇェッ!」

 

由愛の目が私に向く、一瞬の交差、その中に宿る感情は何か。

後悔、悲しみ、怒り、憎しみ、不安、焦燥、それらを一緒くたに纏めた色。けれど私はその色を見つめながら、無理矢理に笑みを張り付けた。

 

能力者の手が由愛に触れる寸前、彼女の体は忽然と姿を消す。

 由愛が跳躍した後には風だけが残り、空しく私の頬を撫でた。

 

「っ、クソ! 【跳躍】(ジャンプ)されたッ」

 

 制御官が叫び、「おい、探知急げッ!」と能力者に怒鳴り付ける。女性の能力者がその場に膝を着き、粒子波を生み出して周囲の探知を行った。数秒後、ゆっくりと首を横に振る。

 

「……能力効果圏内に粒子反応無し、既にかなりの距離を【跳躍】したものと思われます」

「役立たずがッ」

 

 制御官が悪態を吐き、その瞳が私を射抜く。ツカツカと歩み寄って来た制御官は、(おもむろ)に私の顔面を蹴り飛ばした。「ぶッ」と勢い良く顔が横に逸れる。頬に熱と痛みが走った。

 

「ちょ、何をしているんですかッ!」

 

 私を拘束していた【護謨】使いの捜査官が非難の声を上げる、しかしそれでも制御官は私の顔を蹴り続け、(あと)から続いて入って来た捜査官に無理矢理抑えられ、暴力はやっと止まった。

 

「落ち着いて下さいッ、伊藤制御官っ」

「世間様に迷惑を掛けた犯罪者に掛ける情けなど持ち合わせていませんねぇッ! 犯罪者を蹴飛ばして、何が悪いと言うのですかァ?」

「犯罪を行ったからと言って、蹴って良い道理はありません」

 

 羽交い締めにされて身動きの取れない制御官は、大きな溜息を一つ吐き出し。「わぁった、分かりましたよ」と両手を挙げた。それを見た捜査官は、じっとその表情を見ながら腕を外す。

 自由の身になった制御官は乱れたスーツを正し、私から数歩距離を取った。

 

「ッチ……一人逃げられました、例の超能力者です、ソイツはこっちで捜索するので、コイツ等を任せても良いですか?」 

 

 私と、既に気絶し壁に凭れ掛かっている朱音を指差して、そう口にする制御官。捜査官はどこか釈然としない表情をしながらもゆっくりと頷いた。

 

「それは構いませんが……【跳躍】使いなら人手が必要でしょう、何なら捜査官の中から何班か増援を――」

 

 「それには及びません」と言葉を遮る制御官。

 そこには警察に踏み込まれたくないという言外の威圧があった。

 

「所詮手負いです、そう遠くまでは行けない筈だ」

 

 それだけ言ってさっさと踵を返す制御官、最後に私を見下ろし、ポツリと呟いた。

 

「余計な手間を掛けてくれたな0862番、大人しくしていれば良いモノの」

 

―― 所詮、実験動物(モルモット)

 

「ッ、お、前っ!」

「それでは頼みましたよ、(とおる)捜査官」

 

 私の怒りを歯牙にもかけず、肩で風を切り部屋から退室する制御官。その後に二人の能力者が続き、私に(あわれ)みの視線を向けた後、扉の向こうに消えて行った。残ったのは四人の捜査官と私、そして朱音だけ。

 最後まで制御官と話していた捜査官―― 確か(とおる)と呼ばれていた男が後頭部を掻き、「何か、嫌な感じだなぁ」と呟いた。

 くるりと振り向き、私と朱音に目を向ける。そこには職務以上に、何か個人的な感情が含まれている様な気がした。

 

「取り敢えず護送車に、村上」

「はい」

 

 村上と呼ばれた女性が私に駆け寄って来る、その手にはシリンダー型の注射器を持っていた。中身は凡そ見当がつく、能力を使わせない様にするなら意識を奪うのが一番だ。ソレがゆっくりと私の首筋に当てられる。拘束された私に逃れる術は無かった。

 

 ここまでなのか?

 

 不意に涙が零れる、それは悲しさからでは無い、ただ悔しかった。

 自分に力が無い事が、仲間を守れない事が、何一つ成し遂げられない事が。

 

「由愛っ、朱音ッ」

 

 友の名を口にする。

 しかし無情にも、時は止まらない。

 私の目の前で朱音にシリンダーが押し当てられ、また私の皮膚を針が突き破――

 

 

「皆伏せッ」

 

 

 ボンッ、と。

 耳元で途轍もない音が響いた。

 それは爆音と表現すれば良いのか、音と共に凄まじい風圧が私の体を襲う。

続いて何か硬いモノを砕く音、壁に叩き付ける音、砂利を踏む音、人の呻き声が聞こえて来た。パラパラと天井から破片が降って来る。私は思わず身を竦ませて、目を瞑っていた。

 

 何が起きたのか?

 

 恐る恐る目を開いた私の視界に飛び込んだのは、散乱したコンクリート片と家具、粉砕された壁。先程まで光を嫌っていた室内は、しかし壁に空いた大きな穴によって部屋中に日光を受け入れていた。

 その光を背に受け、立つ人物が一人。

 先程の衝撃で皆が地面に伏せる中、ひとりだけ瓦礫を踏み砕き、佇む人型。

 

 その姿はテレビの中で見る様な英雄(ヒーロー)そのもので、近未来の強化外骨格(パワードスーツ)の様な、少年の考えたカッコ良さを具現化した様な、そんな姿で――

 

 

『助けに来た、後は任せろ』

 

 

 力強く、そう言った。

 

 

 




 


全然関係ないヤンデレ話



「ばっ……な、あッ……」

 好きです。

 その声は私の脳裏を一瞬にして焼き尽くしてしまった。
誰も居ない二人だけの空間、落ちて行く夕日に照らされて影がクッキリ伸びている。
私の目の前で頭を下げ、手を差し出す男の子が一人。
十七年間ずっと一緒に過ごして来た幼馴染、そんな彼が勇気を振り絞って私に告白を仕掛けて来た。
 校舎裏何てベタな場所だから半ば覚悟はしていたけれど、こうも簡単に変化の刻が訪れるなんて思っていなかった。
 だから思わず言葉に詰まる。

「…………」

 彼は何も言わない、手を差し出すだけ。
私は色んな事が頭に浮かんでは消えて、パクパクと口を開閉するだけだった。
胸中は、嬉しさで一杯だ。
歓喜を素直に現わせるならば、この場で跳び上がっているだろう。
けれど生来、私は自分の感情を素直に表現出来た事など片手の指で数えられる。
 
 本当ならば今すぐ「よろこんで!」とその手を取りたい。
けれど今も私は歓喜と一緒に、恥ずかしさを誤魔化したい衝動に駆られていた。
そして私はソレ抗う術を持っていない。

「ばッ、ばっかじゃないの!?」

 私は本当の気持ちと反対の言葉を叫んでいた。

「私が好きとか、そんなッ、あ、アンタと私じゃ、釣り合わないもの!」

 そんなの嘘だ。
 私は威勢よく言葉を吐き出しながらも、顔面を蒼白に染めて行く。
待って、止まって私の唇。
けれど止まらない、私は恥ずかしさを誤魔化そうと嘘の感情を吐露する。

 そうしている間に彼はそっと顔を上げて、小さく。

「……そっか」

 と、泣き笑いの表情を見せた。

「……あっ」

 さっと、私の中から血の気が引く。
無意識の内に組んでいた腕、その手にぐっと力が入った。
強烈に胸が痛む、私は何かを決定的に間違えた気がした。

「ごめん」

 そう言って踵を返す彼、此処で帰してしまったら誤解されたままだ。
引き留めて、早く。
そう私の感情が叫ぶけれど、体は動かない。その手に伸ばした手は無情にも虚空を掴んだ。彼との関係が終わってしまう。

「ま……」

 待って。

 その一言が出ない。
私は夕暮れの中、彼の背を見つめ続ける事しか出来なかった。


 翌日――


 朝は最悪だ。
起きてすぐ携帯を確認するけれど、メールも電話も通じない。
着信も無く、私は朝から陰鬱な気分になる。

「はぁ……行ってきます」


 玄関先。
いつも居る彼の姿が何処にもない、朝になれば律儀に家の前に佇み、「おはよう」と笑う彼が居ない。
それだけで私の心は強烈に後悔の念を覚えた。

「……よし」

 一晩考えた結果、私は彼に昨日の誤解を解こうと決めた。
昨日の事を謝って、私から彼に好意を伝えるのだ。
昨日とは違う、ちゃんと覚悟を決めた、だからきっと失敗はしない。
自分に気合を入れて学校まで歩く。
歩きながら、どう謝ろうかと考えたり、どうやって好きだと伝えようかと考えていた。

 そして不意に、見知った背中を見かける。

「あっ………」

 それは自分が今逢いたいと思っていた人物で、私の幼馴染で、今まさに頭の中を支配している人物で――

「と、藤――ッ!」

 叫ぼうとした声は、喉の奥に引っ込んだ。


 彼の隣に、知らない女子生徒が居た。


「えっ――」

 楽し気に会話する二人、片方は見知った幼馴染で、昨日私に告白して来た彼。
もう片方は後輩だろうか、2人は楽しそうに声を上げて笑いながら登校している。
その姿は仲睦まじいカップルにも見えた。
いや、カップルなのだろう。
二人仲良く、手など繋いでいる。

 その姿を見て、急速に私の中から失われて行く【ナニカ】

「なんで」

 知らず知らずの内に、ぎゅっと拳を握ってしまう。
あんな言葉を吐き出して、今更と思うか。
言い様の無い感情が蓄積する、自分からフッた癖にドロリとした黒い感情を覚えた。
胸の中に沸き出す感情は、嫉妬――

 私に告白したのに。

 昨日、私に、私に告白したのに!


 そこは、私の場所なのにッ―― !



 どうやって教室まで辿り着いたかは、覚えていない。






 幼馴染の事が好きで告白したけれど断られて、ショックで落ち込んでいたら部活の後輩が「先輩の為ならなんでもします、絶対に悲しませたりしません」と言って来て、言い寄られた結果付き合う事になって、ツンデレから告白を断った幼馴染が翌日謝ろうと思っていたら既に後輩と付き合っていた。

 みたいな小説が読みたいと思ったので自給自足しました。
 続きません。


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あの日の約束を僕は

 

 壁を打ち抜いた衝撃で、殆どの捜査官は地べたに横たわっていた。(つぶて)を額に受けて血を流す者、腹を抑えて(うずくま)る者、比較的軽傷だが突然の事に目を白黒させる者。

足元に散乱する瓦礫を踏み砕きながら室内を見渡す。目の前にはうつ伏せに倒れながら僕を見上げる女性が一人、首には(カラード)が見える、恐らく彼女が例の脱走者だろう。そしてもう一人、壁に寄り掛かって気を失っている女性が居た。彼女も(カラード)を付けている。

 立ち上がろうとした捜査官の男を蹴り飛ばし、壁に叩き付けた後、呆然と僕を見上げる女性に問うた。

 

『秋というのは、貴女か?』

 

 僕の言葉に女性はハッと表情を改め、「そ、そうだ」と頷く。どうやら彼女が電話の相手だった『秋』という女性らしい。その男勝りな話し方も一致している。

 

『此処を出る、その壁際の女性も仲間だな? 連れて逃げるぞ、時間が無い』

 

 横たわった彼女を抱え上げ、戸惑っている秋を他所に壁際の女性も回収する。二人を一度に抱える為、多少乱暴な持ち方になってしまうがそこは我慢して貰うしかない。床に横たわっている連中が起きてくる前に立ち去ろう。そうして部屋から飛び出そうとすると、秋が「ちょ、ちょっと待ってくれ!」と叫んだ。

 

『何だ? さっきも言ったけれど、本当に時間が――』

「もう一人居るんだ! 私達の仲間っ、榊由愛(さかきゆめ)、電話で言った怪我人だ!」

 

 その言葉に飛び出そうとした足が止まる、確かに電話では三人だと言われた。見た限りでは秋ともう一人、二人だけだ。この中に榊由愛とやらが見当たらない。

 

『ソイツは何処に?』

「追い詰められて、由愛だけ【跳躍】(ジャンプ)で逃げ出せた、今は何処にいるか分からない、けれどあの子は動けないんだ、見つかったら研究所に再収容されてしまう!」

 

 悲痛な声でそう口にする秋は、それだけ由愛とやらの身を案じているのだと分かる。出来る事なら助け出したい、彼女の口ぶりからその由愛が研究所にとって重要な人物であるとも理解出来た、恐らく時間が経てば経つほど救出は困難になる。

 僕は頭の中で幾つかの考えを巡らせ、それからゆっくり頷いた。

 

『分かった、けれどまずは二人の救出が先だ、安全地帯に送り届けてから僕が探し出す』

「……助かる」

 

 秋は思いのほか決断力のある女性だった、僅かな逡巡の後に頷く。

 それだけ言って僕は跳躍の為に腰を落とす、相手側には探知能力を持った奴もいる、出来れば一瞬で離脱し二人を安全地帯に送り届けたかった。「跳ぶぞ」と一言告げ、秋が何かを察したのか慌てて腕にしがみ付く。

 遠慮はしない、全力全開で跳び上がる。

 踏み込んだ足が床を砕き、足が床から離れる瞬間に地面が崩落する。跳躍の反動に耐えられなかったコンクリートは粉々になり、僕の体は宙へ打ち上げられた。空気の壁を突き破り、このまま空へ――

 しかし、それは直前で阻止される。

 

【四方封鎖】(ボックス)ッ!」

 

 建物の外、地上に立っていた捜査官の一人、ソイツが叫び、目前で手を強く叩き合わせる。

 途端、僕の跳び上がろうとした真上に透明な壁が出来上がった。突然の事に驚きながらも、僕は素早く周囲に目を這わせる。見ればかなり大きな四角い箱が周辺を囲んでいた、能力だという事は分かったが、何の能力かは皆目見当もつかない。

 

『ッ、おぉォオ!』

 

 跳び上がっていた僕は途中で勢いを殺す事が出来ず、そのまま壁に衝突する。しかしそのまま衝突しては勢いを殺されてしまう、だから僕は衝突の寸前に壁へ頭突きを繰り出した。首の力だけで額を透明な壁に叩きつけ、轟音が鳴り響く。

 全力で叩き付けた額は、しかし痛み一つ訴える事が無く、僕の頭突きは容易く壁を突き破った。

 

「ぐッ、マジかよ!?」

 

 下で捜査官が叫ぶ、だが勢いは結果として落ち、僕は回転しながら百メートル程跳んだ先の六階建てビルの屋上に着地した。思ったより距離は稼げなかった、けれど戦闘による被害を受けない程度の距離はあるだろう。着地と同時に秋ともう一人の女性を丁寧に下ろし、変身を解除する。

タイミング良く腕時計が『pipipipi』と甲高い電子音を鳴らした。

 ボタンを押し、電子音を解除する。

 

「……残り二分」

 

 電子音は一分毎に鳴るよう設定されている。

表示されるのは、僕の制限時間。

 

「お前……さっきの姿は」

 

 変身を解除した僕を凝視し、秋が呟く。

 

「僕の能力は【変身】、まぁ途轍もなく強くなれる能力だとでも思っていてくれ、時間制限付きだけどね」

 

 そう言って立ち上がり、ビルの屋上から捜査官達を探す。かなり遠方だが、ちゃんと視認できた。研究所の連中は見当たらず、青い制服を纏った捜査官が一人、二人、三人――

 

「六人か」

 

 多いか少ないか分からないけれど、あの屋内に居た連中に含めれば十人以上。超能力者であるという点を踏まえれば十二分な数だろう、まぁやる事に変わりはない。

本当ならばこのまま逃走して隠れ家へと逃げ込みたいが、思った以上に数が多い。この中に何らかの形で追尾する能力、或はそれに類する力を持っている奴が居たら最悪だ。僕らの隠れ家が露呈し、幸奈や澪奈も危険に晒す羽目になる。

本当なら捕捉される前に離脱、即撤退が理想だった。けれど連中は既に僕の姿を捉えているし、何らかの能力が発動されているという可能性もゼロではない。

ならば殲滅するのみ。

 

警察は研究所とは関係ないだろう、殺せるのか?

うるさい、此処にいる時点で同罪だ。

 

 振り返れば、何か意味ありげな視線を向ける秋、僕は彼女に視線を向けながら未だ目を開けない女性を指差す。

 

「その女性は大丈夫?」

「えっ、あぁ、朱音っ」

 

 僕が問いかければ、秋は朱音と呼ばれた女性に駆け寄って頬を叩く。ペチペチと頬を叩かれる朱音は、しかし全く起きる様子が無かった。けれど胸は上下しているし、血色も悪くない、恐らく気絶しているだけだろう。

 

「アンタ、超能力は?」

 

 僕がそう秋に問いかけると、僕を見上げた彼女は「わ、私か?」と顔を(しか)める。その手は休まず朱音の頬を叩いていた。

 

「私の能力は【迷彩】(クローク)と言って、能力探知の妨害や透明化にしか使えない、悪いが戦闘には……」

「いや、十分だ」

 

 それだけ言って片足をビルの外に踏み出す。背後から上がる戸惑いの気配には、気付かないフリをした。

 

「能力を使って隠れていてくれ、連中を残らず叩き伏せる」

 

―― 変身

 

 時計のタイマーをオンにし、ビルの(ふち)を蹴り砕いて加速する。背後の秋が瞬く間に小さくなって、大空に跳躍した僕の目の前に捜査官達の姿が迫った。皆一様に僕を見上げ、何かを叫んでいる。

その表情は驚愕と、しかし恐怖に打ち勝とうとする勇敢さを現わしていた。

 

「戻ってきやがったッ、【四方封鎖】(ボックス)っ!」

 

 先程僕を檻に閉じ込めようとした男が、再び超能力を行使する。何か肌がピリピリと刺激され、本能の赴くまま通過するビルの壁に拳を突き立てた。

易々とコンクリートを砕き、突き刺さった腕は僕の体を空中で急停止させる。

 

「何ッ!?」

 

 そして次の瞬間、僕の数メートル先に小さな四角形が閃光と共に生み出される。半透明のそれは人間一人が入るかどうかという大きさで、恐らく閉じ込める気だったのだろう。先程よりコンパクトな為か、強度も上がっている様に感じた。

 折角だ、足場に利用させて貰おう。

 ビルの壁を蹴って加速し、そのまま【四方封鎖】(ボックス)を蹴り飛ばして更に加速する。本気で蹴り飛ばしても全壊しなかった四角形は、僕の加速を最高のモノにしてくれた。

 空気を裂き、風を抜き、音すら置き去りにする。

 一秒先の未来で、僕は既に移動を終えていた。

 

 ズンッ、と僕がアスファルトを砕いて着地した時、皆はまだ空を見上げている。

 

『二撃』

 

 並んで仲良く空を見上げていた男二人、僕の踏み砕いたアスファルト破片が宙を舞う中、その顔がゆっくりと僕に向けられる。

その瞳が僕を捉える前に、勢い良く肩を突き飛ばした。

突き飛ばすと言っても、その威力は掌打に近い。肩を思い切り打ち据えられた二人は弾き跳び、磁石の様に真反対へと吹き飛んだ。

 顔面をアスファルトに殴打し、何度も縦回転しながらガードレールに突っ込む。爆音と砂煙が舞い上がって、ベコリと凹んだガードレールに逆立ちして突っ込んだ男はそのまま脱力する。逆方向の男は路駐されていた車のフロントガラスに突っ込み、激しく痙攣していた。

 盗難防止用のアラームが街中に響き渡る。

 

「隆敏っ、結城ッ!?」

「皆下がってッ、【守護盾】(アイギス)

 

 突き飛ばした二人の姿を確認し、僕は次の行動を起こす。僕に出来る事は単純にして単調だ。

『近付いて、殴って倒す』

 それしか出来ない。

 それで十分なのだ。

 僕の能力は自身の想像(イメージ)に左右される、だから僕が強いと思い込めば強いし、弱いと思えば弱くなる。言ってしまえば僕の想像力(創造力)によって強くもなるし弱くもなる、非常に不安定な能力。

 そして、そんな僕の根本にあるのは『ヒーロー(僕の正義)は絶対に負けない』と言う精神。

 

強烈な踏み込みによって一番近くに居た男の前に加速する、そんな僕の道を塞ぐようにして一枚の壁が姿を現した。空間に巨大な物質が出現し、風が隙間を埋め周囲の砂を巻き上げる。

 能力による防御、発動したのは二十メートル程離れた場所に居る女性捜査官、現れたのは神々しい光を放つ盾。透明なボックスとは違い、神話を象った様な形だ。恐らく僕と同じ幻想を現実に持ち込む超能力だろう、つまりそれは精神力に依存する力。

 加速をそのままに、ぐっと拳を強く握る。

 振り上げた僕の腕が、唸りを上げて放たれた。

 

―― 僕の正義(ヒーロー)が、こんな薄っぺらい(正義)に負ける訳ないだろ

 

握った拳から全身に至るまでの筋肉が躍動する、拳の先が空気を裂く感覚、爪先から頭の天辺に至るまでその一撃に注がれる。無駄な力など一切なく、拳は幻想の盾(アイギス)に叩き付けられた。

ビキリッ、と盾が割れる。

矛盾、最強の盾と矛。

どちらも最強だと思っていて、ならば最終的に測れるのは『想いの強さ』

なら、僕の方が強い。

 振り抜かれた拳は盾を砕き、男の頬に突き刺さった。粉々に砕けた盾が虚空に消えて、同時に男の顔面が弾け飛ぶ。「がふッ」と歯と血を吐き出しながら吹き飛んだ男は、後方にあった服屋にガードレール諸共突っ込んでいった。展示用のガラスをぶち破って、店内にダイナミックな入店を果たす。

 

「わ、私の【守護盾】(アイギス)が……」

 

 自身の能力を破られた捜査官は、呆然と男の突っ込んだ店の方に顔を向けながら顔を蒼褪めさせた。能力を破られたのは初めてだったのか、その衝撃はかなり大きいらしい、立ち直る気配がない。

 

「美智子っ、何やっているのッ!? 突っ立ってないで早く逃げてっ、【神風】(カミカゼ)っ!」

「クソッ、何なんだコイツの能力はっ!? 【土砂結合】(コネクト・アース)!」

 

 残ったのは三人、未だ呆然と突っ立っている盾の使い手と、男女の捜査官が各一名ずつ。男が地面に手を叩きつけると、道路を覆っていたコンクリートを突き抜けた土砂が僕を覆う様にドーム状に広がった。それは一瞬の出来事で、目の前に土砂の壁が現れたと思ったら瞬く間に僕と世界を隔離してしまう。これだけ大規模な能力、恐らく優位能力者だろう、それも研究所に収容されてもおかしくないレベルの。

 

『っ!』

 

 まぁ、壊してしまえば一緒だと腕を振り上げた所で、ふらりと足元が覚束なくなる。何か体が重くなって、耳に届く音が遠く感じた。

 一体何だと疑問に思い、そして気付く。

 封鎖されたドーム内の気圧が凄まじい速度で低下していた。

 恐らくもう一人の捜査官、【風】の能力者だろう、たしか【神風】と叫んでいたか。男が土砂で牢を作り、女が空気や風を利用してソレをより堅牢なモノとする。成程、相手を束縛する事に重点を置いた能力者達だ。

 拳を引き、土砂の壁に打ち付ける。

 轟音と共に容易く壁を吹き飛ばした拳は、しかしすぐ様再生する壁に拒まれた。殴った傍から再生する土砂の壁、硬くも無い、耐久性も無い、けれど修復力がとんでもない。このまま増援を待つハラだろうか、思わず舌打ちを零す。

 動きにくい環境下で両腕の連撃を叩き付ける、しかし壊れた傍から再生する壁は全壊する素振りを見せない。まるで水面を殴っている感覚、殴れど殴れど際限なく湧き出る土砂。しかも時間が経つ度に僅かにだけれど、強度が増している様にも感じる。

 そして不意に手元から電子音が鳴り響いた。

 変身中には時計を視認する事が出来ないが、音だけは耳に届く。

 

―― 残り一分

 

 最後のアラームだ。

 本格的に時間が無い、このままでは二人を抱えて帰れるかも怪しい、もう一人一人倒していく時間すら惜しかった。

町の被害や手加減を考えている暇は無い。

 

『諸共吹き飛ばす』

 

 思考する時間はなし。

 ならば単純な話だ、この土砂全てを一度に全て吹き飛ばせば良い。

 技も策も必要ない、今求めるのは圧倒的な力のみ。

 変身体型はそのまま、しかし想像(イメージ)を変える。万能型(オールマイティ)ではない、あらゆるモノを一撃で破壊し得る一点突破の力、想像するのはソレを行うに最適化された形。

 右腕が輝き、その構造が瞬く間に全て変わる。

 外装は分厚く、機械的で無骨なモノに、人造人間(サイボーグ)も真っ青な機械化。何層にも重ねられた鋼が緩慢な動作で稼働を始める、ヒーロー本人と言うよりは搭乗するロボットに備え付けられた腕と言っても良い。

 ぎゅっと拳を握れば呼応する様に全体から蒸気が噴き出した。

 

 古来より存在するヒーロー、その大型化に伴う絶対的な必殺技。

 決して外さず、躱されず、一撃で葬る拳。

 僕は人間だ、だから飛ばす事は出来ないけれど。

 

【超噴射】(ロケット)

 

 引いた腕の外装が畳まれ、中から剥き出しの噴出口が現れ火を噴く。緋色から青色へ、圧倒的な推進力を得た腕を無理矢理抑えながら、ぐっと上体を逸らす。まだだ、まだ全て出しきっていない。

 推進力は尚増す、炎は更に激しく燃え上がり、右腕の鋼鉄がうっすらと赤みを帯びた。じゃじゃ馬の様にガタガタと震え、今にも飛び出しそうな腕を抑える。まだ時では無い。

 そして最後の点火が終わり、長い長い尾を引いた炎が、僕の腕を撃ち出した。

ボンッ! と空気が弾ける。

初速で空気の壁を打ち抜き、拳は風を超える。

燃料は想像力、僕の信じるヒーローが放つ一撃。

 何よりも速く、何よりも鋭く、何よりも強く。

音を置き去りにし、時間すら置き去りにし、ロケット砲の如く放たれた一撃は赤い軌跡と共に土砂をぶち抜き、世界をぶち抜いた。

 

 

【剛掌】(パンチ)

 

 

 拳に押し出された大気が前方に集中・圧縮、音速の壁が出来上がる。それを突き破った瞬間、衝撃波(ソニックブーム)が放たれた。

 足元のアスファルトが跳ね上がり、周囲の景色が消し飛ぶ。

 ただの真空膜(風圧)が破壊の風に。硝子が割れてアスファルトが欠ける、ガードレールが舞い上がって人間が塵の様に宙を舞った。土砂の壁が霧となって霧散、風は既に僕の拳によって振り解かれた。

 路駐されていた車が百メートル先の銀行に突っ込み、捜査官が地面にグシャリと着地を決めた所で、僕は拳を引く。

後に残ったのは、津波に晒されたかの様な惨状。

衝撃波が空間を削りながら直進し、進路上の障害全てを薙ぎ払った。

 

【ロケットパンチ】

 

 ヒーローならば誰しもが持つ必殺技、その中の一つ。

 僕が再現したソレは単純そのもの。

 僕は腕を飛ばす事が出来ない、だから。

 途轍もなく速く殴って、衝撃波を飛ばし、ソレで殴る。

 

 変身を解き、犯罪者の恰好に戻った僕は振るった腕を(さす)る。奪った命が僕の拳に纏わりついている様な気がしたから。

 また殺した。

 目の前に落下した捜査官の死体、首が折れ曲がって服はズタズタ、露出した肌からは無数の切り傷と血が見えていた。顔面は血に塗れて誰かも分からない、徐々に広がる血の池が僕の足元を濡らす。

 ヒーローの技が治安を守るための警察に振るわれた事に、僕は少しだけ、引き攣る様な笑みを浮かべてしまった。

 変身時間は残り四十秒、余り猶予は無い。

 増援が来る前に秋達を連れて撤退しよう。

 引き攣った笑みをそのままに、僕は歩き出そうとする。

 

「おい」

 

 動き出した僕の背後から声が掛かった。

 生き残りがいたのか、もしくは隠れていたのか。

 もう何人も殺したんだ、今更もう一人増えたって。

 そう思いながら振り返った僕の目に飛び込んだのは――

 

【炎熱】(エンネツ)

 

 変身しようとして、僕はその動きを止めた。

 

 短く切り揃えられた短髪、あの時から変わらない顔立ち、約束を結んだ時からずっと輝き続ける瞳。

着込んだ制服は見慣れないモノ、だけど何でも着こなす彼には酷く似合っていた。

その腕には炎を纏い、爛々と周囲を照らすそれに校舎裏の光景が脳裏に浮かぶ。小さい頃よりもずっと大きな炎は、彼の顔をハッキリ映し出していて。

その凛々しく整った顔立ちは憤怒の色に。

 

 久しく合っていなかった。

 忘れた日などなかった。

 だって彼は――

 

 

「かっちゃ――」

 

 

「【爆砕】ッ!」

 

 ズンッ、と重い拳が生身の僕を貫き。

 

 炎が皮膚を焼き尽くした。

 

 







前回書いたヤンデレは時間があったら書き上げます……(´・ω・`)
ちょっとまた大学の方が忙しくなりそうで……。

因みに次回はヤンデレ回です。

主人公の身を案じた幸奈が内緒で現地に向かい、そこで見た光景とは‥‥。


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そうして私は

 誰かを心の底から信じられるほど、私は何を知っている訳では無い。

 

 

 想えば私の人生は、後悔と裏切りと、苦しみで出来ていた。

 生まれてから研究所に入所するまでは、平穏だった。

 好きな食べ物はハンバーグ、性格は至って温厚で、趣味は本を読む事。

 頭が良かった訳では無い、特段人格に優れていた訳でも無く、平凡とは言わないけれど、それなりに楽しくて、それなりに恵まれていて、それなりに笑っていられる人生だったと思う。

 厳しいけれど優しく温厚な父が居て、いつも微笑んで私を抱き締めてくれた母が居て、天真爛漫で時に喧嘩し、時に笑い合った友人達が居た。最低だと吐き捨てる環境では無く、今思えば十分すぎる程に恵まれた場所だった。

 私もまた、そんな環境に埋もれてしまう、世間一般から見て何の特色も無い少女だったに違いない。そんな何かに秀でていた訳でも無い私に降り掛かった災厄は、【超能力】という才能だった。

 

「おめでとうございます、貴女は優位能力者です」

 

 機械的な言葉だった事は憶えている、無感情で、無感動で、無色透明な顔色。

 小学校の時に行われた全国一斉超能力発現検査、その検査にて私は超能力の発現が認められた。白衣を来た男性の前で手を(かざ)し、ボールが左右に激しく揺れた時は自分でも驚いた。

 能力は【振動】

 触れた物体を振動させられるという能力らしいが、当時の私は正直そんなモノ何の役に立つのだと思ったのを覚えている。きっと私には想像もつかない、凄い使い方があるのだろうと、子供らしい大人への無条件の信頼で片付けていた。

 私の周りの仲間達は「幸奈ちゃん凄い!」と私を持ち上げ、担任の先生もどこか驚きの表情で私を称賛した。その日の検査で数人の能力発現が認められたけれど、優位能力者として認定されたのは私だけだった。

 それはそんなに喜ぶ事なのだろうか、私の心境を語るならば正に宝くじに当たった様な感じだった。それで褒められたって、なんだか釈然としない。

 

「貴方には研究所への入所が義務付けられます」

 

 研究所の関係者だと思われる男性は私にそう告げ、淡々と研究所への入所手続きを行う。発現してその日の内に書類を持って、彼らは私の家に押しかけて来た。黒服が数人と白衣の男性が一人、その時私は「何か、ドラマみたいだ」と少しだけ胸を高鳴らせた。

 当事者意識など欠片も無く、どこか他人事の様に思っていたから。

 自分の娘が優位能力者に認定される程の超能力を発現したという事実に、驚きを覚える両親。そして話されるのは私の待遇、超能力研究所の理念、研究内容、etc….

 私には何も理解出来ない言葉の羅列、少しだけ期待していた私は直ぐに飽きた。リビングのソファに座りながらテレビを眺める私は、いつまで話が続くんだろうと船を漕ぐ。テレビの内容は今流行の美少女魔法戦隊、友達が楽しいからと勧めてくれたDVD。部屋の中から聞こえてくるのは甲高い少女のアニメ声と、静かな大人達の交渉。

 時計の針が何周しただろうか?

 不意に父が怒鳴り声を上げた。

 

「ふざけるなッ!」

 

 それは厳しいけれど温厚な父の、初めて上げた怒声だった。

 思わずビクリと体が震えて、父の方に顔を向ける。酷く歪んだ表情に、ギラリと光る眼光は研究所の人を射抜いていた。対面する男は淡々と、「これは国の定めた法です」と答える。

 母が父を(なだ)め、私は一体何だと目を白黒させる。

 そうこうして成り行きを見守っていた私に、母と父は何か思いつめた様な視線を向けていた。

 正直、私は明日からも同じような日常が続いて行くんだと思っていたのだ。

 先程も言ったが、当事者意識など存在しない。

 朝起床して、眠い目を擦って登校して、友達と駄弁って、勉強して、運動して、帰り道にちょっと寄り道とかしながら。

 そんな平穏で、退屈で、楽しい毎日を、これからも続けて――

 

「娘を……宜しくお願いします」

 

 けれど私の人生はその日、確かに終わりを告げた。

 

 

 

 

「あァあぁァアあァぁあァあぁァああぁあァアッ!」

 

 振動する肉体、揺れる脳味噌、枯れてガラガラの声、出し尽くした涙、揺れる視界、零れる唾液、止まらない鼻血、私は立っている、立っているのだろうか、立っているに違いない、いや座っている、世界は平らだ、平、いや○、丸じゃない、たいら。

 

剪断(せんだん)応力の減少確認、砂粒子の液状化、目標達成》

 

 アナウンスが聞こえる、聞えるけれど聞こえない。私は立っていた、いや今は座っていて。両手の皮が擦り向けている、何度も能力を行使したからだ。頭が痛い、ガンガンと鈍痛を訴えて来る、揺れに慣れ過ぎた、今は揺れている、いや揺れていない。能力の強制発動は既に止まっていた、だから今は揺れていない、揺れていないだろう、揺れていないはずだ。

 

『基礎能力はセクタE【Ⅱ】相当ですけれど、投薬α(懐能液)との相性が素晴らしい、副作用の比較的抑えられるβ、或はγでも【Ⅳ】は超えるでしょう、Δ(原液)であれば【Ⅴ】入りも果たせますが、正直副作用で植物状態は免れません』

 

『βかγでの能力使用データが必要だ、管理局からの許可は出ている、α分の作用も見込んでβの使用が望ましいな、確か前日に【風力】の能力者にβを投与した筈だ、同じセクタEだったと記憶しているが』

 

『えぇ、えぇ、被検体E-0021ですね、彼には三日前にβを投薬し能力使用をモニターしました、詳細は情報局に送ってありますのでそちらを、基礎能力はセクタE【Ⅰ】でしたが、彼も中々素晴らしい、最終的にはβ投薬で【Ⅲ】のラインを超えました、竜巻の生成は出来ませんでしたが、【ダウンバースト(down burst)】を確認しましてね、広範囲型ではなく4km未満でしたので【マイクロバースト(micro burst)】ですが、並び立つ木々を容易く薙倒しましたよ』

 

『ほう、災害規模か、βにも期待が持てそうだ、しかし彼女の場合は【振動】だからな、人工的な地震発生は勿論津波による二次被害も期待出来る、これ以上ない兵器だ』

 

 私の頭上から声が聞こえる、あの男達だ。いつも私を見下ろして楽しそうに会話する、あいつ等。私は座ったまま拳を握る、頭上から聞こえて来る声。呑気で、忌々しい。

 この力をそのまま、あいつらにぶつけてやる。

 

《実験終了確認、被検体に投薬を開始します》

 

「あッ、ぐガッ」

 

 動き出そうとして、けれど私の首筋にプシュッと針が埋まる。その痛みを感じた瞬間に私の視界が白く染まった、思考が吹き飛ぶ、目が、頭が、私、ま、し。

 

『本当なら連続した投薬は肉体的な負担が大きいのですが……まぁ上限値も上がりますし、多少の無茶は若さで何とかなるでしょう、このままβを投与します、準備を―』

 

 揺れて、揺らして、溶けて、溶かして、痛くて、辛くて、気持ち悪くて、悲しくて、悔しくて、泣いて、怒られて、殴られて、怒鳴られて、意識を奪われて、何も出来なくて、寝て、起きて、絶望して、自殺しようとして、死ねなくて、回って、回して、流して、流されて、実験して、実験されて、食べて、吐いて、洗って、寝て、起きて、食べて、お父さんが居なくて、泣いて、実験して、食べて、寝て、洗って、お母さんが居なくて、痛くて、溶かして、溶かされて、痛くて、辛くて、悔しくて、誰もいなくて、流されて、回って、回されて、殴られて、怒られて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けてたす――

 

 何度も死にかけて。

 何度も死のうと思って。

 何度も生き残って。

 何度も狂いかけて。

 何度も壊れて。

 何度も治されて。

 何度も何度も何度も。

 

 

 何度も 人に、能力に、友に、父に、母に、私に、世界に裏切られて。

 

 

 

 

 そうして  私は此処(ここ)にいる。

 

 

 

 

 

 世界は色を失っていた。

 暗闇と灰色が支配する世界、音のする方へと駆けていた私が道路に飛び込んで見た光景。ビルに突き刺さった自動車、転がる捜査官の死体、首の折れ曲がった者、腕の無い者、潰れた者、下半身だけの者、その惨状の中心。

 澪奈は大丈夫だと言っていた、そう言って、けれど少しだけ不安そうで。私はその表情に言い表せない黒色を抱えていた。

 その漠然とした黒色は、的中した。

 

「雪、那……?」

 

 雨が降り始めていた。

 雪那が家を出た時から曇り気味だった世界は、今灰色一色に染まっている。

 アスファルトを叩く雨音は私を覆いつくして、瓦礫に塗れたこの場所を隠そうとする。 だから私は立ち尽くしたまま一歩前に出て、その光景を目に映す。私の声は雨音に掻き消されて彼に届いていない様だった。

 だから彼は倒れたまま答えない、だって聞こえていないのだから、仕方ない。

 

「雪那?」

 

 声を上げる。

 先程よりも大きな声だった。

 けれど返事は無い。

 まだ聞こえないのだろうか。

 雨音は先程よりも激しさを増している、ほんの少し先も見えない程強い雨だった。人の声など全然聞こえない、あぁこれでは彼に届かない。

 

「雪那……ッ!」

 

 声を上げた、強く。

 けれど彼は答えず、そのまま仰向けに転がっていた。

 内緒で追ってきた事に腹を立てているのだろうか? 

 ごめんなさい、貴方の能力の事は澪奈から聞いていた。

 けれどこの目で見るまでは信じられなかったのだ、だから、そう、どうか怒らないで返事をして欲しい。

 

「雪那ッ!」

 

 張り裂けそうな声だった。

 声を上げながら駆け出して、雪那の元に(ひざまず)いた。胸から立ち上がる煙は雨によって消火されている。服の胸部にはぽっかり穴が空いていて、そこから黒ずんだ肌が見えた。

 酷い火傷だ、いや、火傷なんて言葉じゃ済まされない。

 彼の胸は、殆ど炭と化していた。

 

雪那(セツナ)……?」

 

 雪那の前に佇んでいた男が、不意に声を上げた。

 その両腕に炎を灯して、私が姿を晒した時から警戒したまま、拳を構える。その熱量は触れた雨が一瞬で蒸発してしまう程、こうしているだけで汗が額に流れる。

 けれど私が彼の名を呼ぶと、どこか訝し気な顔をした。

 

「おい、お前は――」

 

「ねぇ、雪那、起きてよ、ねぇ、ねぇってばっ!」

 

 男を放って、私は一心に声を掛け続ける。

 忘れたとは言わせない。

 まだ一時間と経っていない。

 帰ってくると。

 死なないと。

 そう言ったのは貴方の筈だ。

 

「ねっ、ねぇ雪那、起きてよ、返事してってばぁ、雪那ぁッ」

 

 彼を揺する手が、力なく震える。

 これだけ大きな声で、雨音に負けない声で呼びかけていると言うのに、彼は全く答えてくれない。聞こえていない筈が無いのに、怒っている様子も見られないのに。

 彼は目も開けず、ただじっと空を仰ぐ。

 ずるりと、私の手が雪那の上から滑り落ちてしまった。

 そのまま冷たいアスファルトの上に落ちる手。

 揺すりたいのに、まるで体に力が入らなかった。

 どこか私の中でごっそりと、命の源が削り取られてしまったかのよう。

 アスファルトに落ちた手が、何かを触った。

 視線をそちらに向ければ雪那のベルトポーチから転がったのであろう、細長い筒が視界に入る。

 試験管の様な特徴的なフォルム、その中に入っている薬品は。

 無色透明で、見慣れた色で、既に何度となくこの身を流れた液体。

 

懐能液(かいのうえき)

 

 それが私の手の傍に転がっていた。

 雪那()は目を閉じている、起きる気配は無い。

 私は無意識の内に、ソレ(懐能液)を握りしめていた。

 既に冷め切った手で、彼を揺すっていた手で。

 

「……おい! 聞こえているんだろう!? お前は――」

 

 目の前の男が何かを言おうとする。

 けれど耳に入ってこない、入れたくも無い。今の私は抑えが効かないのだ、今はもう、もう、ダメだ。

 世界から音か遠ざかる、何も聞こえなくなる、段々と無音になる世界。私と彼以外は居ない、二人だけの甘美な世界。

 目の前には横たわった雪那。私を射抜いていた眼光も、優しい言葉を紡ぐ唇も、今も目にこびり付いている笑顔も、もうない。触れる(てのひら)は冷たくて、私の頬に触れていた温かみはない。雨に濡れて横たわる姿は退廃的で、人形みたいだと思った。

 そして人形となった彼は、鼓動すら止めてしまったかのようで。

 不意に涙が零れた。

 そして私は漠然と理解する。

 この抉られた命の源は、もう取り返しのつかない、彼という存在によって埋められたモノなのだと。

 そうか、私はこんなにも、こんなにも彼を、彼の事を――

 

 大切だと思っていたのか。 

 

 

「人を助けるのに、理由が必要なんですか」 

「ひ……一目惚れです」

「僕は貴女を助けると言った、どうかそれを最後まで貫かせて欲しい」

「これからは仲間なんだ、仲良くなる機会なんて、沢山あるよ」

「そりゃあ、毎日作れば上達もするよ」

「僕は、死なない、捕まらない、絶対に……絶対に二人のいるこの場所に帰って来る、約束だ」

 

 

「あぁ、約束だ」

 

 

 

 嘘つき。

 

 

 

「ねぇ」

 

 緩慢な動作で私は腕を掲げる。

 雨に濡れた服は不快感の塊だった、水を含んだ布が少しだけ重い。けれど今は、今はそんな感覚どうでも良い。

手は首筋へ、親指がプッシュボタンに掛かる。

 見上げた男の表情は、何と表現すべきか。

 恐怖、怒り、憎しみ、後悔、何とも言えない、そう、何とも言えない表情だった。雨に濡れた男の顔は酷いモノで、まるで狂人だ。

 けれど私も負けてはいないだろう。

 きっと酷い顔をしている筈だ。

 醜く、汚く、見るに()えない。

 泣きながら笑っている。

 狂人。

 そんな顔。

 

()()雪那を殺したんだから」

 

 親指がゆっくりとボタンを押し込む。

 瞬間、カシュと音が鳴って私の首に針が刺さった。

 そこから流れ込むアツイ何か。

 ぐんぐんと体中に広がって体温が上昇する、手から離れた注射器が甲高い音を立ててアスファルトを転がった。雨が私の皮膚を叩く、その雨粒が蒸発して私の体から蒸気が吹き上がった。暑い、熱い、とても、とてもアツイ。

 けれど慣れた感覚だ、今まで何度と来た道だ、能力者はこの程度では死なない、死ねない。指先が燃える様だ、頭が破裂する、眼球が飛び出てしまう、内臓が溶ける。

 けれどまだ、大丈夫。

 血管が浮き上がり目が充血する、五感が敏感になった。

 その果てに湧き上がる全能感、快感、巡る脳内麻薬(アドレナリン)。薬物が私の中の黒色を突き破り、能力を限界まで引き上げる。頭を巡るのは圧倒的快楽(エクスタシー)、既に懐能液に適応した体は痛みを快楽へと変換していた。

 痛みも苦痛も辛さも後悔も悲しみも、全てが飲み込まれる快楽。

 研究所で壊れる恐怖と痛みに逃げ出した、私の道。

 

 けれど今は。

 今だけは。

 何よりも感じてしまう。

 

 喪失感。

 

 

「絶対に殺す」

 

 





僕はホモじゃありません(真顔)





感想、評価頂けたら狂喜乱舞します。


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僕と俺の分岐点

 

 巨大な振動が街を直撃した。

 立っているのもやっとの超振動、下手をすれば建物が倒壊してしまってもおかしくない、体感で震度五、或は六か。それを引き起こしているのがたった一人の女性、それも十七歳の女の子だと知ったら、世界はどの様な顔をするだろうか。

 まさかと、鼻で笑うだろうか。

 けれど現実に、その少女はたった一人で世界を揺らしていた。

 

「【振動】」

 

 轟音が鳴り響いて、周囲の建物がガタガタと揺れる。看板が倒れ、硝子(ガラス)(ヒビ)が入り、電線がバチバチと断たれる。しかしそれら全ては余波であり、本命の一撃は既に()の人物に襲い掛かっていた。

 最初は私の豹変に驚き、次いで素早く距離を取った人物。その額に汗を掻きながら精一杯叫ぶ。

 

「【炎熱】ッ!」

 

 ボッ、と。

 捜査官の足元から大量の炎が姿を現す、広範囲に広がって渦巻くそれは、しかし数秒後には跡形も無く消し飛んだ。

 地底の底から響く重低音、捜査官の足元がドンッ! と一瞬にして陥没した。

体が何十にもブレて見え、周囲の振動が可愛く見える程の力が捜査官を襲った。空気の振動が恐ろしい爆音を打ち鳴らし、捜査官が痛みに呻く。思わずその場に崩れ落ち、胃の中身を路上に吐き出した。

 

「げぇッ……かはッ」

「粒子相殺? 器用ね、本当なら体の中身を地面にぶち撒けてあげようと思ったのに」

「ぅ……ぐぅぁ、お、オマエはッ……!」

 

 捜査官を襲った振動の力、それは人間一人を容易く肉塊に変える。

 しかし捜査官は生きていた、第六感(シックスセンス)が働いたのか、或は偶然か。自身の足元に能力を発動させ肉体に作用する能力値を僅かに減退させた、結果体を四散させる筈の【振動】は、胃の中身を吐き出すだけに留める。

 しかし完全に能力を殺す事は不可能だったらしい、捜査官の足はガクガクと揺れて視点も定まらない。脳を強く揺さぶられたのだ、既に能力を使うどころか立つ事すら出来ないであろう。

 

「無様ね」

 

 そう吐き捨てる。

 大きく両手を広げると、手のひらを中心に光が渦巻く。それは超能力者の使用する粒子が可視化したモノ、通常目に見えないソレが強大な能力行使に伴って一般人にも見える濃度に達していた。

 先程の一撃は全力からほど遠いと、そう言わんばかりの威圧。

ランク『Ⅳ』、否。

 既にランク『Ⅴ』の領域に足を踏み入れていると言っても良い。

 広げた腕を重ね、光を一本に練り上げる。周囲の振動が更に強くなり、周囲の空気がギチギチと音を立てた。能力の行使に世界が悲鳴を上げている、最早私以外、立っている事すら困難。

 

「這い蹲ったまま死ね」

 

 駆け出し、男に両腕を叩き付けようと二本の腕を突き出す。間接的な接触でも十分だが、直に触れて振動を流し込むのが一番強い。私は男の肉体を四散させるつもりだった。

 しかし寸での所で私の手は、別の物体に触れてしまう。

 

【守護盾】(アイギス)ッ!」

 

 私の目の前に現れたのは、お伽噺(とぎばなし)に出て来そうな巨大な盾。無駄に装飾の凝ったそれに私の手が叩き付けられる。見れば壊れかけのビルに背を預けて、満身創痍のまま能力を発動する女が一人。ソイツの能力だと直ぐに悟った。

 捜査官の身に降り注ぐ筈だった力は、幻想盾を粒子レベルで分解し、そのまま振動を貫通させる。

 

「ぐぅッ!?」

 

 空気を伝わって貫通した【振動】は、最早衝撃波と言い換えても良い。光の粒子となって消滅する【守護盾】(アイギス)を前に、捜査官は大きく弾き飛ばされた。背中からアスファルトに叩き付けられ、そのままゴロゴロと路上を転がる。砂に(まみ)れた捜査官はそのまま動かなくなり、私は舌打ちを零した。

 その肉体が未だ存在する事に、納得がいかなかったのだ。

 

「邪魔をしないでッ!」

 

 未だ動けず、ビルを背に荒い息を繰り返す女に向かって能力を発動する。顔を歪めた女が再度【守護盾】を発動するが、空中に存在している盾を無視し、私は地面を伝って間接的に女を揺らした。

 女の座り込んだ地面が一瞬で陥没する。

 

「アがッ」

 

 女の体が何重にもブレ、そのまま白目を剥いて項垂れる。強烈な振動は一瞬にして女の意識を奪った。瞬間、目の前に佇んでいた幻想盾が音も無く崩壊する、能力者が意識を失った為に能力が解除されたのだろう。

 邪魔者は片付けた、私は吹き飛ばされうつ伏せに倒れたまま動かない男に目を向ける。そして再度【振動】を叩き込むべく、歩みを進める。足元に転がっていたコンクリート片を踏み砕き、一歩ごとに憎悪と怒りを積み重ねた。

 雪那を殺したんだ。

 私の愛しい人を、私の大事な人を、私の唯一の拠り所を。

 その体、人の形で終われると思うな。

 

「【振動】……ッ」

 

 あと数歩の距離という場所まで歩み、その両腕を叩き付けようと動かす。

 しかしそれは、他ならぬ私自身によって拒まれた。

 突然ぐらりと視線が揺れて、全身から響く鈍痛、腹の底から湧き上がる異物感。

 

「ぐッ、グ、ゴホッ!」

 

 立ち止まり、その場に思わず崩れ落ちる。両手に集まっていた粒子が霧散し、私はアスファルトの上に咲いた鮮やかな赤色を見た。口元を何かが伝う感覚、震える手で口を押える。再度咳き込んだ時、指の隙間から鮮血が舞った。

 

―― 嘘

 

 思わず呟く、口から滴る血液。

 それは他でも無い私のモノ、再度咳き込んで赤い華が視界に咲く。ボタボタとアスファルトに血が垂れて、それは留まる事を知らない。私の命の源が消えて行く、どうしてと思う反面、どこか納得している自分もいた。

考えてみれば当たり前の事。

 私は研究所で何度投薬を行ったのか、既にこの体は苦痛を苦痛と認識出来ずに適応してしまっている。今の私は確かにランク『Ⅴ』に片足を踏み込んでいる、しかしその基礎能力値はランク『Ⅱ』相当でしかない。

 ランク『Ⅱ』の器しか持たない人間が、分不相応の力を奮い続ければどうなるか?

 懐能薬とはつまり、【水の割り増し】だ。

 水が能力値、バケツが能力者の容量、本来は三分目程まで埋まっている状態のバケツに懐能薬によって満杯まで水を注ぐ。その注がれる水は決して止まらず、防懐液を使用して(ようや)く止まる、そして増えた分の水を掬って廃棄する。

 けれど水を完全に取り除くことは不可能で、水嵩(みずかさ)が一ミリだけ増えているかもしれない。懐能薬を使い続けるとはつまり、そういう事なのだ。

 一度や二度なら騙せただろう、三度、四度でも大丈夫、しかし十、二十と回数が重なればどうなる。水嵩(みずかさ)はドンドン増えて行って、積み重なった量は再度投薬を行った時に『水が溢れる』可能性がある。

 私は既に覚えていない程の投薬を繰り返した、その果てに私の体は狂い、投薬を苦としなくなったのだから。けれど体の認識が狂ってしまう程の投薬に、私の体が無事である筈が無い。

 

「ぁ……」

 

 全身が震えていた。

 それは恐怖からの震えだとか、そういう類のモノでは無い。単純に【振動】していたのだ、私自身の能力で。

 懐能薬を使用し続けた者の末路――

 己の能力により身を滅ぼす、それは自分自身にそのまま能力が作用すると言う事。

 視界が霞む、指先が震え出す、私自身の能力によって体が崩壊する未来、それは明確な死のイメージ。

 嫌だと思った、このまま死にたくないと思った、雪那に縋りたいと強く想った。

 最後はせめて傍に、彼の隣で死を、安らかな、幸せな、そんな――

 

「ぃぎィッ」

 

 駄目だ。

 私はまだ全てを終えていないッ! 終わっていないっ!

 まだ生きているんだ、まだ届くんだ、まだ殺せる、まだ仇を討っていない!

 

「まだッ、おワ、らなぃ」

 

 終われない!

 

 足元から使わる振動、全身がグズグズになって溶けてしまうイメージ。それは遠くない未来、きっとこの身に起こる事。それは数秒後か、数分後か、或は今なのかもしれない。

 それでも私は――

 一歩進む、二歩進む、この情けなく震える足で進む。

 一歩進むごとに、何か体の中からごっそりと大切なモノを消えて行く。それはきっと皆が言う命だとか、生命力だとか、そういうモノだと思った。

 けれど。

 後たった数歩なのだ、たった数歩で私は、彼の仇が討てるのだ。

 両手に粒子を集める、死の瀬戸際、消える前の蝋燭(ろうそく)が放つ強い炎、死にかけだけれど今が私の絶頂期、今の私こそ一番強い。

 

「【振動】」

 

 両手に(おびただ)しい量の粒子が集う、それを地面に叩き付ければ恐らく町一つを崩壊させる事も出来るだろう。それを今から、たった一人の人間に叩き付ける。

 最後の一歩を踏み出す、捜査官が倒れ伏し、丁度真下に頭が来る。

 辿り着いた、やっと殺せる。

 もう体力が無い、殆ど目が見えなくなってしまった、体もまるで鉛が詰まっているみたいだ。呼吸一つするだけでも、辛い。

 私は満を持して、その体目掛けて両腕を振り下ろす。彼を殺した仇、コイツを殺せば、 きっと雪那も褒めてくれる、そう信じて。

 

 待っていて雪那、私もすぐソッチに逝くから。

 そうしたら、私の事を一杯、一杯―――

 

 

 

「【剛力(ゴウリキ)】」

 

 

 

 バツン、と。

 自分の体の中から何か、嫌な音が鳴り響いた。

 それは自分の皮膚を突き破り、筋肉を突き破り、骨を砕き、内臓を喰い散らかし、逆側から顔を覗かせる。

 

「ぁ、ぇ」

 

 それは自分のお腹の方から、見れば腕が一本、自分の腹部から生え出ている。真っ赤に濡れて細い腕が一本、私のお腹から。

 

「あぁ~……生け捕りが最善だけど、まぁ、別に殺しちゃっても良いでしょォ、元々今回の作戦目標じゃないし、犯罪者だし、死んで当然、寧ろ殺すべき、そうでしょう、そうに決まっている」

 

 ゆっくりと背後を見る。

 そこには、満面の笑みを浮かべた女が一人。三日月の様な目をした女だ、背の低い、私の肩ほどしかない身長。そんな少女とも言える女の腕が、私の腹を突き破っていた。

 (カラード)は確認出来た、だからきっと研究所の超能力者。けれど着用しているのは超能力捜査官の制服。

 

「能力は強力だけどさァ、ソレ、懐能薬(底上げ)だよね? 受け皿(容量)が小さいのに何度も使うからサ、ほら――」

 

 

 こうなる。

 

 

 グシャリと振るわれる腕、千切れる胴体と下半身。付き入れた腕を横に振るっただけだ、それだけで私の体は死を迎える。

 千切れた脇腹から内臓が見えた、辛うじて上半身と下半身は繋がっているけれど、千切れた断面から血が噴き出る。流れ出る凄まじい量の血、それを他人事の様に私は見ていた。

 ゴッ、と頭から鈍い音。

 気付けば私は地面に倒れていた、硬く冷たいアスファルトに横たわる体。動こうとして、けれど指一本動かす事すら叶わない。視界が薄まる、痛覚が無い、そうだよね、腹部を半分抉られたのだから。

 ポツポツと雨粒が頬に落ちる、それ以外に何も感じるモノがない。

 

 横に倒れた私の視界に彼の姿が映る、既に動かなくなったその姿に、私の腕が僅かに動いた。震える手を彼に伸ばす、届かないとは分かっているけれど、それでも。

 触れたいと願ってしまうのだ。

 

「せ……っ………な」

 

 悔しいとは思わなった、悲しいとも思えなかった。

 ただ少し嬉しかった。

 彼と同じ場所に行けるから。

 

 あぁ、でも、彼には褒めて貰えないな。

 あの捜査官を殺し損ねてしまった。

 彼は怒るだろうか。

 ごめんね雪那、私の力不足で。

 でも許して欲しい、どうかお願い。

 そうしたら、私は

 

 わたしは、あなたの――

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛みだけがあった、胸が痛い。

 まるで焼ける様だ、指一本動かせない、分かるのは自分を打つ雨粒だけ。酷く寒かった、今僕は何処にいる、何をしている、ゆっくりと目を開けるけれど灰色の世界が見えるだけ。あぁ、仰向けになっているのか、そう漠然と思った。

 

「あぁ、雪那さんッ、雪那さんっ!」

 

 誰かが僕の名を呼ぶ、ぼんやりとした視界では誰かも分からない。声もくぐもっている、けれど見覚えのあるシルエットだった。澪奈に良く似ている、けれど彼女がこんな場所に居る筈が無い。

 こんな場所……あれ、僕は、何を。

 

「だ、大丈夫、大丈夫です……っ、最後の一本、まだ、懐能薬があります、私のランクを上げれば、きっとその怪我もッ」

 

 目の前の人物が首に何かを押し当てる、それからプシュと空気の抜ける音がして「ぅっく」と目の前の人物が呻いた。それからポタポタと顔に何かが垂れた、雨粒と違って温かい。それは綺麗な赤色だった。

 

「だ、だいじょうぶ、何度も、使った、からっ、ふ、ぐっ、さ、【再生促進】ッ!」

「っ、が、ぃ!?」

 

 ビキビキと、自分の胸に何か凄まじい痛みが走る。それは自分の中から生え出る様な、新しい何かが構築される様な、そんな痛みだ。喉の奥から獣の様な唸りが漏れた、けれど暴れる事も出来ない、体が動かない。

 

「ご……ごめん、な、さいっ、け、げどッ、もう、ちょ、っと……ッ!」

 

 凄まじい痛みが続く、けれど代わりに自分の体が息を吹き返す。呼吸がとても楽になり、全身に巡る血液の温かさを感じた。十秒か、二十秒か、痛みに耐え目の前の人物が僕の上から手を引く。

 その吐息は酷く乱れ、未だにポタポタと赤色を垂らしていた。自分の体もそうだが、今は目の前の人物が無性に心配だった。

 

「はぁ、はっ……これ、で、大丈夫、です」

 

 僕の体に覆い被さる様にして、その人物が脱力する。その肌がとても暖かくて、心地よかった。

 

「っ、おい、アンタ! クソ、防壊薬はッ……」

「ま、まって……まだ、幸奈さん、がっ」

「無理だ! それ以上はアンタが死ぬぞッ!? それに、あの致命傷じゃもう……!」

「わ、私の、私の友人なんです、お願い、お願いします……」

 

 シルエットが増えた、随分と男勝りな話し方だ。僕の上に伏せるシルエットに対し、その声が荒々しく何かを叫ぶ。僕は静かに瞼を閉じた、目を開いているだけで酷く疲れたから。

 爆音と絶叫、何かの割れる音、怒号。

 どうにも周囲が騒がしい、まるで映画館の中に居るみたいだ。大きな音がそこら中で鳴り響いている。

 

「秋っ、増援が来たわ! これ以上はもう戦えないっ、【雷撃】ッ!」

「幸奈は乗せたっ、早くこっちへ!」

「ッ、もう良いだろ、幸奈はあの女の人が回収したんだっ! ほら、急げ!」

「ぅ……は、はい」

「この人は私が運ぶ、貴女は車へ!」

「分かったっ、ほら肩貸せッ、【迷彩】(クローク)

 

 閉じた視界の中で、誰かの影を見た気がした。そしてふっと、体が持ち上げられる。鼻腔を(くすぐ)る甘い匂い、どこかで嗅いだ事のある匂いだ。さらりと何かが頬に触れて、ちゅっと暖かいモノが触れた。

 

「遅くなって、ごめんなさい」

 

 耳元でそんな事を(ささや)かれる。

 誰だろう。

 その声を聞いた途端、僕は焦燥の感情を覚えた。

 

「逃がすかッ! 【空間固定】っ!」

「ぐッ!」

「朱音ッ!?」

 

 頭上から聞こえる吐息、揺れる体、遠ざかる意識。

 誰かの腕の中から、別の腕へ。僕の体を包んだのは随分と冷えた体だった。少しだけ目を開けると、灰色の世界が消えている。見れば車の中に居るのだろうか、随分と低い天井が見えた。

 運転席から閃光(マズルフラッシュ)が瞬く、乾いた銃声が鳴り響いた。向こう側に立っていた影が一人、仰向けに倒れる。

 

「これ以上は危険、囲まれる前に逃げなきゃ……っ!」

「待て、まだ朱音がッ!」

「っぅ、行って! 秋、私は良いからッ!」

「そんな訳ッ」

 

 声のする方に目を向ければ、車から数メートル離れた場所に誰かが立っている。不自然に固まったその体が、急に発光した。バキン! と金属音がして、揺ら揺らとオレンジ色が視界を染める。

 

「っ、ァ、あァァアッ!?」

「朱音ッ!? 朱音ェぇッ!」

「デッドボルトを壊された! もう無理、助からない!」

「放せッ! 朱音ぇ、朱音ぇえェッ!」

「ッ、このっ、車を出す! 何かに掴まって!」

 

 ぐんっ、と車が動き出して、スライド式のドアが閉められる。タイヤの擦れる音が鳴り響き、景色が一気に遠ざかった。

そして、僕の意識も。

 

「朱音――せ――だ!」

「―――さい! ――」

「もう―――!」

 

 あぁ、ダメだ、思考が回らない。

 目が閉じてしまう。

 何か、僕は成さなきゃならない事があったのに――

 約束……。

 そうだ、僕は。

 約束したんだ。

 生きて帰らなきゃ。

 生きて、生きて――

 

 幸奈に逢わなくちゃ。

 

 

 

 

 

 




現在の状況


雪那⇒重傷
かっちゃん⇒瀕死

幸奈⇒瀕死(死亡)
朱音⇒死亡(死因:デッドボルト破壊)
澪奈⇒健在
秋⇒健在
弥生⇒健在
由愛⇒不明


ヤンデレ書きたい。


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正義

 

「ねぇ雪那、私にお料理を教えてくれない?」

 

 昼下がり、木漏れ日が窓から差し込んで、少しだけ汗ばむ様な日。夏の始まりを感じる暑さと蝉でも鳴きだしそうな夏らしさに、僕が木製の廊下を清々しい気持ちで歩いていると、ふと声が掛かった。

 書斎から顔を出した幸奈、僕を見るなり「料理を教えて欲しい」と言ってくる。丁度トイレから部屋に戻ろうとしていた僕の足が止まって、扉から顔だけ出している幸奈を見る。気温は既に二十七度を超えており、着用したTシャツが汗を吸って湿っていた。

 

「料理? 別に良いけど……一体どうして?」

 

 幸奈は暇さえあれば読書に(いそ)しむ本の虫だ、そんな彼女が料理を習いたいと言い出した事に少なからず疑問を抱いた。

 僕が問いかけると、彼女は少しだけ頬を赤くして視線を彷徨わせる。「え、え~っと」と何か理由を絞り出そうとしている感じだ。そのまま数秒の沈黙、ふっと顔を上げた幸奈は唇を噛んで、恥ずかしそうに告げた。

 

「……えっと、私も雪那に美味しい物を食べさせたいなぁ、とか思ったりしちゃって」

 

 思わず言葉に詰まった。明らかな好意、少しだけ顔が熱くなる。そんな風にストレートな感情を向けられるとは思っていなくて、不意打ちに言葉が出ない。幸奈が顔を隠す様に本を顔の前に持ってくる、羞恥で耳は真っ赤だ。

 駄目かな?

 そう首を傾げる幸奈の髪がサラリと流れる。緩みそうになる頬を隠す為に口に手を当てて、僕は冷蔵庫の中身を考えているというポーズでしっかりと頷いた。ついでに、その顔の赤みを誤魔化す様に。

 駄目な筈が無い。

 

「勿論、任せて……と言っても教えられるほど料理が上手い訳じゃないけどね」

 

 料理は作れるが、美味しく作る自信は無い。こんな男料理しか作れない様な奴では不足だろうけど、そこはどうにか我慢して貰おう。

 そう言って頬を掻くと、幸奈は「そんな事ない」と大きく一歩踏み出す。その表情と気迫は、どこまでも本気だった。大股で一歩詰め寄った彼女からふわりと甘い匂いが漂う、少しだけ汗の混じった女性の香りだ。突然の事に驚いた僕が上半身を仰け反らせて、彼女が吐息を感じてしまう距離で言う。

 

「私は、その、雪那のお料理の味とか、暖かさとか、凄く好きだよ」

「……お、おう」

 

 真剣で、勢い良く放たれた言葉は、だからこそ僕の胸を射抜く。

 何と言うか、凄く照れる、とても照れる。

 思わず赤面して視線が泳いでしまう、恐らく誤魔化せないだろう程に。何と言い出せば良いのか分からなくて右往左往、それを見た幸奈が自分の言い放った言葉を省みたのか、「あっ」と声を上げて顔を真っ赤に。

 唇を一文字に結んで、カッと顔全体が赤みを帯びた。

 その後スーッと身を引いて、恐る恐る扉の向こう側に消える。

 パタンと扉が閉まって、沈黙が降りた。

 

「……御昼ご飯、今から作るけど、一緒に作る?」

 

 降りた沈黙を互いに守って十秒、頬の熱を冷ました僕は咳払いを一つ、彼女にそんな提案を持ちかける。扉の向こう側にいる彼女のリアクションを待っていると、数秒後、小さく音を立てて扉が開き――

 

「よ……(よろ)しくお願いします」

 

 なんて恥ずかしそうに扉の隙間から、幸奈が顔を覗かせた。

 

 

 良い記憶だ。

 

 楽しい記憶だ。

 

 まだ()()のままで、澪奈と幸奈と僕、この三人で過ごしていた頃の記憶だ。この頃はまだ弥生は地下室の中だったか。

 青空が何処までも広がって白い雲の良く見える、そう、夏の訪れを感じる日だったな。

 そろそろ(せみ)も鳴き始めて、近くの小川で水浴びなんかしたら気持ち良いだろう。

 そんな話を食卓でして――

 澪奈なんかもう食い付いて、今から待ち遠しい、そんな顔をしていたよな。じゃあ水着を買いに行かなくちゃと言ったら、二人に赤面されて居心地が悪かったのを覚えている。

 夏は暑いが風情がある。

 澄んだ風鈴の音、昼は蝉が鳴いて夕方は(ヒグラシ)、綺麗な青空に眩しい太陽、白い雲が影を作り出して、冷えた飲料水が一番美味しく感じる時期だ。

 そうだな、山登りなんかも楽しめただろう、山頂から見える景色はさぞ綺麗に違いない。朝日なんか見たら、きっと感動してくれただろう。

 少し遠出だが海に行っても良かった。ちょっと危険かもしれないが、行こうと思えば行けただろう?

 別に遠出じゃなくても良かったんだ、近場で良い、ただ歩くだけでも良い、ただ夏と言う季節を彼女達に感じて貰えればそれで良かった。

 幸奈も澪奈も人並みの幸せなんてのを味わえたのは、ほんの一週間足らずだ。

 夏の暑さも、光も、水の冷たさも、蝉の声も、緑の匂いも、何もかも。

 何もかもが不足していた。

 辛かったろうに、寂しかったろうに、悔しかったろうに。

 それを『僕』は消し去りたかった、彼女達に見せたかった。

 目に見える幸せを、彼女達の時間を取り戻したい、そう願った。

 

 なぁ、そうだろう、『僕』?

 

 

 

 

 

 

 お前は誰だ。

 

 見上げた天井はここ最近で見慣れたモノ。

 その木目の模様も、シミも、形も、全て僕の記憶と一致する。

 木製でどこか安心する匂い、肌に馴染んだシーツ、僕の寝床、ベッドの上、其処(そこ)に寝転がっている自分自身。ここは僕の部屋、そして僕らの家だ。心が落ち着く、住み慣れた環境に僕の体が自然と脱力した。

 けれどこの景色に見慣れない存在が一つ。

 僕の目の前にいる人物――『僕』

 少しだけ伸びた黒髪に口角の上がった口元、その瞳は爛々と輝いて僕を見ている。見慣れた顔だ、鑑を見るたびに突き合わせていた顔だから。

 だけれど、それは『僕』と言うは余りにも苛烈で、劇的で、熾烈な男だった。

 

「【俺】は【俺】さ、『僕』じゃない」

 

 男はそう言って否定する。

 意味が分からない。

 そう思った、けれど男はソレを馬鹿にする様に鼻で笑う。そして僕の傍に近寄って来て、横たわる僕を見降ろした。けれどその笑みは馬鹿にするようで、酷く慈愛に満ちている。それがどうしようもなく気味悪かった。

 起き上がろうとして、けれど体は動かない。指先一本、小指の先まで、まるで金縛りにあっているみたいに力が入らなかった。体の所有権が僕には無い、そう言われているみたいだ。

 

「なぁ、お前は結局、何がしたかったんだ?」

 

 男が僕に真っすぐな目で問うた。

 何をしたいのだと?

 僕は目の前の男の言う事が分からなかった。

 

「超能力者になって、国の闇を見て、理不尽に憤って、平穏を投げ捨てて、脱走者を助けて、超能力者として一緒に暮らして………結局さ、お前は何がしたかったんだ?」

 

 何を――?

 男の言葉を聞いて思考が回り始める、全ての始まりは国家超能力研究所の人間に襲われて、その理不尽を知った時。

 僕はその時から、何を想って動いてきたのか。

 そんなの。

 そんなの決まっている。

 正そうと思ったのだ、過ちを。

 超能力者が虐げられている、この現状を。

 理不尽な現在(いま)を。

 優位能力者だろうと無能力者だろうと、共に笑って過ごせる世界を願ったのだ。

 

「ふぅん……じゃあ研究所をぶっ壊して、超能力者の天下を作るのか?」

 

 僕は心の中で首を横に振る、違う、そんなのは望んでいない。

 そんなのは頭がすり替わっただけで、超能力者が全てを支配したって今度は逆の事が起こるに決まっている。

 僕は今の世の中を変えたいのだ。

 優秀な超能力者が虐げられ、人並みの幸せすら得られないこの現実を。

 超能力者だとか、超能力者じゃないとか、そんなのは関係無くて。

 互いに手を取り合って、足りない部分をそれぞれ補っていける世界。

 そんな世界を僕は望んでいる。

 だって超能力者で、人より優れているから虐げられるなんて、そんなのは絶対に間違っているじゃないか。

 僕が真剣な面持ちでそう答えれば、天井を見上げた男は頷く。

 

「幸奈と澪奈、後は秋って言ったか、あいつ等を助けたのもソレの一環か」

 

 その名前を聞いた途端、皆の顔が思い浮かぶ。幸奈と澪奈は共に過ごした一週間と少しの時間を、秋はあの助け出した瞬間を。確かに始まりはそうだった、けれどそこに困っている人がいるなら、助けを求めている人がいるなら手を差し伸べたい、それはこの道を往くと決めた時からずっと守ってきた事だ。

 救える人は救う、助けられるなら助けたい。

 お前だってそうだろう?

 僕は目の前の男に問いかけた。

 

「……さて、どうだろう」

 

 男は道化の様に肩を竦める、その表情には何か苦いモノが混じっていた。僕にはソレが何か分からない、けれど僕には無い《何か》を男は持っていた。それから男は、僕を見降ろしたまま笑顔で言う、そこには本心だけが含まれていた。

 

「お前は少し【助けすぎる】」

 

 僕はその言葉を咀嚼するのに、時間が掛かった。それは今まで言われたことの無い言葉だったから。助けすぎる、それは何とも含みのある言い方だ。

 何だ、それはと。

 助けて―― 人を助けて何が悪いと言うのか。

 最初に少しの怒りを覚えた、けれどその後に困惑する。

 男はまるで、その助ける事を悪の様に語ったから。僕が手を差し伸べる事を、余りにも憮然と否定したから。

 男は柔らかい笑みを浮かべて何度も頷く、それは称賛の様で称賛ではない、褒めている様で褒めていない、男はどこまでも道化だった。

 

「いや、良い人だ、善人だ、正に菩薩(ぼさつ)の様な人間だ、『僕』は本当に――」

 

 

【心が弱い】

 

 

 心が弱いと、男は『僕』をそう断じる。

 ぎゅっと、胸が痛んだ。それは肉体的な痛みでは無く、精神的な痛みだった。自分の胸に何かが引っかかる、その漠然とした何かが僕には分からない。だから恐怖を振り払うように僕は叫ぶしかない。

 心が弱いだと、何を言っているんだ、人を助けて、何故心が弱いと言える。

 人の善意は、正義だ。

 人が人を助けたいと言う想いは、強いものだろう。

 善意が悪であると言うのなら、それは余りにも悲しすぎる。それは僕の正義を否定する言葉だったから。

 

「いや、それは弱さだよ、お前のその優しさは弱さに他ならない」

 

 けれど男は否定する。僕自身の正義を、善意が強いものである事を。

 さもそれが真理の様に、事実の様に、僕の目を覗き込んで至近距離で謳う。

 男の目は濁ってなどいなかった、暗闇は無く、後ろめたさは無く、ただ絶対の自信と確かな根拠だけが宿っていた。自分が正しいと、絶対に正しいのだと、そう信じている目だった。その瞳が余りにも力強くで、僕の言葉は虚空に消えてしまう。

 

「一番最初の時もそうだったな、お前は自分を路上に叩き付けた【重力制御】の能力者を助けようとした、お前を一度は殺しかけたって言うのに、お前は救おうとした」

 

 男は淡々と事実を述べる、僕は男を正面から見つめながら答えた。

 あの人は制御官に命令されて動いていた、あの人自身の意思では無いと。

 救うべき人は救う、それが自身の意思でないのならば助けるべき人だ。それは違いない、それが僕の正義だから。

 

「そう……そうだな、アレは制御官に言われて動いていた、アイツに命令されてお前を殺そうとした、()()()()()() 他の人間に強要されたから、仕方なかったから、だから救ってやろうと言うのか? お前を殺そうとしたんだ、そこにどんな理由があろうと、誰の意思だろうと、お前は死にかけた、それが結果だ」

 

 男の目がしっかりと僕を捉える、その瞳に僕自身の顔が映った。

 凄まじい気迫だった、思わず頷いてしまいそうになる程の。けれど心の中で、かっちゃんとの約束が叫ぶ。それを認めてしまったら僕の正義も生き方も、全てが否定されてしまう。

 殺されそうになったから、助けちゃいけないと言うのか?

 約束は男に食って掛かった、そんなのは間違っていると。

 男は一歩だけ下がって首を横に振った。

 

「違う、そうじゃない、或はそれでも救うというのなら、それも選択肢の一つだ、けれど問題は、そう―― お前にそれだけの力が無い事だ」

 

 どこまでも力の籠った言葉だ、そして僕はソレを真っ正面から受け止めた。僕に力がない、能力だけを言うのであれば反論出来ただろう。けれど今の僕には出来なかった、それを余りにも実感していたから。

 思わず口を噤む。

 僕に力が、無い。

 男の目に『僕』の顔が映る、血色の悪い、酷い顔だった。

 

「澪奈の時もそう、襲ってきた二人をお前は手加減して叩き伏せた、結局その後は殺されてしまったけれど、もしあの時一思いにお前が殺していれば、少なくとも片方は炎に焼かれて絶叫する事は無かった」

 

「秋を救いに行った時も、お前が部屋に突入する時、或は全力で戦っていれば、あそこで全員殺していれば、結末は変わっていたかもしれないのに」

 

 男は朗々と謳う。

 僕の過ちを、最善の選択肢を選べたかもしれないIFを。

 爛々と輝く瞳で、曇りの無い信頼と、燃え上がる様な自信を伴って。そんなIFを耳にする度に僕の芯である筈の正義が揺らぐ、僕は本当に正しかったのかと心が問うのだ。

 

「そして、お前が【どちらも選ばなかった】結果、両方失った、守るべき人も、約束も」

 

 僕は思わず叫んだ。

 それは僕の最後の抵抗だったのかもしれない。

 何だそれは、どういう事だと。

 両方選ばなかった、両方失った、それが何を意味しているのか分からなかったから。

 

「あぁ、そうか、『僕』はまだ知らないのか」

 

 男が嗤う。

 嫌な笑みだ。

 不吉な笑みだ。

 そうして僕から顔を放した男は、すっと優しい表情を浮かべて言った。その声色はどこまでも慈愛に満ちていて、母の様に穏やかだった。けれど男の本質はそんな穏やかなモノではない、だからきっとソレもポーズでしかないのだと感じた、この仮面の下では黒い感情が(うごめい)ている。

 

「その眼で見ると良い、『僕』が何を選んで、何を失ったのか……自分の選んだ正義()が何を成したのか」

 

 静かに男が隣に退く、僕の目線はそのまま奥に向かった。男の向こう側に見慣れたベッドがあった、一番最初に幸奈が寝ていた場所だ、今はもう誰も使っていない筈の寝床。

 けれどそこに見慣れた顔があった。

 幸奈だ。

 幸奈が穏やかに眠っていた。

 綺麗な寝顔だ、穏やかで、何の苦しみのない、そんな表情だった。

 僕が最後に見た姿のまま、目を閉じている。

 

 

「………或は、彼女が【助かった】かもしれない」

 

 男の言葉に、僕は嫌な予感を覚える。男に視線を向けた、その表情は変わらない。何かを思い詰め、悔やんだ顔だった。

 今この男は、助かったかもしれないと言ったのか?

 ゾッとする、背筋に氷柱を突っ込まれた様な感覚、同時に焦燥感が胸を焼いた。ドクンドクンと鼓動が強く鳴り響き、額にじわりと汗が滲む。それは僕の意思とは関係無く、体を大きく震わせた。

 助かったかもしれない。

 待てよ、待ってくれよ、それではまるで……。

 僕は慌てて幸奈を凝視する。

 その寝顔は穏やかなものだ、いつも通り綺麗で、傷一つなくて、何も変わらない、何も――

 その視線を横に向ける。

 

 幸奈の脇腹に穴が開いていた。

 

 中から内臓と肋骨が見える、今にも零れて出てきてしまいそうな臓物、獣に食い千切られたかの様にズタズタの皮膚、その皮膚が赤黒く変色し血でシーツが赤を通り越して黒く滲んでいた。見ればその血は既に凝固していて、幸奈の胸は全く上下していない。

 

「澪奈の能力で外傷はある程度治っているんだ、これでもマシになった方さ、けれど少し遅かった、【死んでから治しても意味は無い】、彼女はもう死んでいる、幸奈という人間はもう、何処にもいない」

 

 呼吸が止まった、それは余りにも想像から離れた光景だったから。

 僕の中にある正義という芯が、音を立てて崩れた気がした。目の前に居る人は僕が守るべき人で、僕が選んだ人の筈だった。それが今や、物言わぬ屍に――?

 思考が、回らない。

 死んだ。

 誰が。

 幸奈が。

 幸奈……。

 幸奈が死んだ?

 信じたくなかった、信じられなかった、それだけは認められなかった。

 

 嘘だ。

 

「嘘じゃない」

 

 嘘に決まっている。

 

「認めろよ、お前の選んだ正義()だ」

 

 嘘だと言ってくれよ。

 

「お前が選んだんだ、他ならぬお前自身が」

 

 嘘だと言えよ!

 

「自身の選択から目を逸らすな」

 

 嘘だッ!

 

「お前の正義()だろうがァッ!!」

 

 怒号、男が僕の胸倉を掴んだ。

 そのまま勢いよく顔を寄せて額をぶつける、触れた先から凄まじい熱を感じた。怒りに 歪んだ表情を見せる男、その眼には『僕』に対する憎悪だけがあった。

 他ならぬ、僕に対する。

 

「正義の有無も、救うべき人の選別も、何かを選ぶ事すら出来やしないクソ野郎ッ! 万人を救う正義を振りかざして、全てを救う力も無いのに希望だけを持たせやがるッ!」

 

 男の言葉は深く僕の胸を穿った。選びもせず、正義だけを振りかざす、何を言っている。僕は救おうとしたんだ、彼女を、親友を、虐げられる超能力者を。

 僕は。

 

「自分を害す人間を救おうとすれば、それは自分と自分自身の仲間も危険に晒すんだッ、何故それが分からない!? 救う救うと(うそぶ)いて、『僕』は誰も救っていやしないのさ! お前のそれは『救い』なんかじゃないッ、どちらも得ようとして、どちらも失っている、ただの半端モノだッ!」

 

違う、違う違う! 僕はッ、僕の正義はッ!

男の額が強く僕の脳を打った、痛い、熱い、肉体的にも精神的にも。

僕は反駁(はんばく)しなければならない、嘯いてなどいない、救ったのだと。けれど、僕は確かに失った――

 

「違わないッ! お前が―― お前があの時、『守るべき人達』を選び、【かっちゃん(親友)】を切り捨てていれば、幸奈は死なずに済んだんだよッ! ()()()()()()() 他ならぬ『僕』が! 選ぶフリをしてどちらも見捨てた、お前がッ!」

 

 見捨てて何ていないッ、僕は二人を助けたかったんだッ!

 幸奈もかっちゃんも、僕にとっては大切な、大切な人だ!

 どちらか一方を選ぶなんて無理だッ!

 僕は―― 僕は二人を救いたかったッ!

 心からの言葉だ、僕の本心だ、これ以上飾れない、ありのままで何もない、それだけの。けれど剥き出しの心は容易く男に飲み込まれる、男の瞳は灼熱の炎の様だった。全てを飲み込む嵐の様だった。僕の言葉など届いていない、絶対的な意思の前に無意識の敗北を感じた。

 

「その結果が()なんだよッ! 両方を選んで気になって、今の今まで選ばなかったツケが回って来たんだっ! お前は幸奈とかっちゃんの両方を選んでいるようで、どちらも見捨てている!―― そんなのは『優しさ』(なん)かじゃない、お前の心が【弱い】だけだッ!」

 

 僕はっ……僕はッ!

 言葉が出なかった、何かを吐き出そうとすると『僕』という存在まで抜けてしまいそうだった。反論したい、違うと認めさせたい、けれど今僕の目の前に横たわる現実は男の言葉をそのまま現している様で、込み上げた言葉は行き所を失う。

 後に残るのは強烈な自己嫌悪と、強い後悔。死んでも死にきれない、そんな黒い黒い感情だけが空っぽの体に残る。

 僕のせいなのか? 僕が選ばなかったのだろうか、どちらも救うつもりで、どちらも見捨てていたのだろうか?

 男は僕から手を放して聞いてくる、穏やかに、静かに、僕という存在に問うてくる。その正義は何だと、お前は何を成したのだと、お前の選んだ道だろうと。僕は僕自身が、分からなくなっていた。

 

「なぁ、何でそんなに苦しそうなんだよ? 辛そうなんだよ? お前が選んだ結果だろうう? 満足の筈だろう? お前は親友も選び、幸奈も選び、結果どちらも失ったんだ、心の何処(どこ)かで分かっていただろう? 全員救うのは無理だって、そんなのは【本当の正義(ヒーロー)】じゃなきゃ無理だって―― 分かっていて選んだんだろう? その両方を失う可能性を、その正義()を!?」

 

 僕は―― 

 この正義()を選んだのか。

 大切な両方を一度に失ってしまう今を、選ばずに選んでしまったのか。

 救うと口にし、助けると口にし、守ると口にし、結局今に至って何一つ守れていない。 それは僕自身が選んだ未来で、他ならぬ僕が見捨ててしまったから。

 僕が【弱い】から。

 僕は………。

 

 

―― 僕は間違ったのか……?

 

 

「お前は【変身】(自分の力)について、何も、何も分っちゃいない」

 

 そう言って男は、僕の髪を掴んだ。

 頬を流れる滴、それが顎を伝ってシーツに染みを作る。

 僕は泣いていた、ただ悔しかった、悲しかった、情けなかった。僕自身が許せなくて、泣くことでしか自己を表現出来ずに居た。最早言葉は枯れ果て、何かを伝えられると思えない。

 男は僕の髪を引っ張って、その爛々と光る瞳を突きつける。

 

「ヒーローになれる能力? 想いによって強くなる力? 誰かを守る力? 

―― 笑わせんなよ、そんな崇高で大切で素晴らしい能力なら、()が生まれて来る筈がないんだ」

 

 自分の存在を『負』だと言い切る男、僕は涙を流しなら擦れた声で問いかける。

 じゃあ『僕』は。

 この力は。

 君は、一体何だって言うんだ。

 

「お前は変質するのが肉体だけだと思ってたのか? 体が丸ごと変わっちまうのに、精神的には何ら問題無いと、本気でそう思っていたのか?」

 

 怒りを滲ませて男は言う、そして何度も首を横に振った。

 

「甘いよ、甘い甘い、甘過ぎる、大丈夫な訳ねぇだろ、お前が変身する度に、肉体を変質させる度に、お前()と言う精神も変質するんだよ、お前の言う【誰もなれない、格好良くて、優しくて、強くて、超人】とやらに近付くんだ」

 

 男は言う、能力を使うたびに『僕』という存在も変質するのだと。その外見の変化に合わせて内面も変わる、変身する度に変質するのだ。そしてその精神は徐々に正義(ヒーロー)へと近付く。

 それが、その話が本当なら。

 『僕』の目の前にいる、この男は――

 

「そう、誰にもなれない、格好良くて、優しくて強くて、超人の【正義】(ヒーロー)

 

 僕の顔を覗き込んだまま男は笑う。その笑みは、後悔と憎悪と歓喜と悲しみを混ぜ合わせて、表情というキャンバスに撒き散らした様な――

 悲惨で、(おぞ)ましくて、惨い。

 だけれど、強い覚悟と信念を感じさせる顔だった。

 

 

「【俺】が、『僕』の願った、理想の正義(ヒーロー)だ」

 

 

 この男が。

 目の前の『()』が。

 僕の願った理想の正義(ヒーロー)

 認めたくは無かった、信じたくなかった、だってそれは余りにも約束とかけ離れたヒーローの姿だったから。けれど同時に、納得してしまった、その姿には確かに『僕』には無いモノがあったから。

 僕の能力から生まれた正義(ヒーロー)、本当の最強には程遠く、全てを守れる程の力を持たず、ならばその正義に必要なのは――

 誰を『救い』、誰を【見捨てる】かの選択。

 それを行うだけの強さが、目の前の正義(ヒーロー)にはある。

 

「『僕』はずっと逃げてきたんだ、選んで失う事を、どちらかを失う事を、だから選ばないという正義()を選んだ、研究所を悪と定めながら自分を殺そうとする人間を殺せない、そんな矛盾、全員に等しく情を持ってしまう【心の弱い】自分自身、かっちゃんだって知っていて超能力犯罪捜査官になったかもしれないのに、研究所の連中と手を組んでいたかもしれないのに、お前はそんな奴を信じて仲間を失ったんだ」

 

 男は掴んでいた髪を放し、僕は再び仰向けになる。目元からとめどなく涙が流れ、頬を伝って枕を濡らす。僕の理想の正義は、今の僕を【心が弱い】と称した。

 

「本当に守りたい人間が居るなら殺すべきだ、立ち塞がる全てを、能力者、無能力者問わず、選ぶ時が来たならどちらかを選び、どちらかを見捨てなければならない、そうしなければお前は、また大切なモノを同時に失う事になる……例えば、そう」

 

 男はふっと天井を見上げた後、無表情のままポツリと呟いた。小さな声だった、けれど僕の耳には確かに届き、その名は強く胸を打った。

 

「澪奈、とかな」

 

 思わずと言った風に体が反応する、その右腕が勢い良く跳ね上がり男の腕を掴んだ。動かなかった筈の体は、言葉への拒絶反応から独りでに動いた。弱々しい力だっただろう、振り解くのは簡単だっただろう。けれど男は何も動じる事も無く、僕を見降ろした。

 僕を見降ろす瞳は無感情で、ただ淡々と問うてきた。

 

「……お前がまた、選ぶ事を放棄すれば、今度はあの子が死ぬかもしれない」

 

 駄目だ。

 

「次また捜査官と戦う時、そう遠くない未来、かっちゃんと対峙しお前が選ばなければ、また死ぬぞ? お前の大切な人が、お前の身代わりとなって、或いは捕まって、或いはお前を助けようとして死ぬ」

 

 それだけは駄目だ。

 

「幸奈の様に殺されるかもしれない、研究所の連中に、その子飼いの超能力者に、または捜査官達に、無残に、悲惨に、惨めに」

 

 絶対に――

 

「そうなった時お前はまた嘆くのか、また守れなかったと、救うって言ったのにと、口だけで後悔し本質は欠片も変わらない、また誰かを救い、その誰かを自身の弱さによって殺す、身勝手で自分本位で希望だけを与え、救いは決して与えない、そんな上っ面だけの正義(ヒーロー)をまだ続けるのか?」

 

 男が僕を見降ろしている、感情の見えない瞳で、どこまでも見透かした様な透明色で。僕は涙を流しながら歯を食いしばった、僕がここで『選ばなければ』また同じ事を繰り返してしまう。それだけは―― それだけは絶対に嫌だった。

 

「嫌だ」

 

 言葉を口にした。

 久しく声を出していなかったかの様な、酷く枯れた声だった。

 けれどその声は、並々ならぬ覚悟を秘めていた。

 そう、まるで目の前の男の様に。

 

 無感情だった男が笑う、とても、とても嬉しそうに笑う。

 男の腕を掴んだ手に力が籠る、体が自由を取り戻し内側から強い力が生まれる。指先まで行き渡るその力は不快なモノでは無く、寧ろ絶妙な心地よさを孕んでいた。

 

「お前はまた、仲間を見捨てるのか?」

「見捨てない、今度は絶対に、間違えない」

 

 上体を起こし少しずつ男に近付く、『僕』の中の正義が変質する。より苛烈に、より劇的に、より熾烈に。

 

「選べるのか、お前に? 親友を見捨てる、或は誰かの命を奪う正義()を」

「選んでやる、例え親友(かっちゃん)を見捨てても、誰かを殺しても、進む正義()を」

 

 言葉に嘘は無かった、全てが僕の本心だった。

 例え恨まれようと、罵倒されようと、理解されなかろうと、僕は僕の大切な人を守るために選ぼう。大切な人を守るために、救うべき人の命を奪おう、例えその理由が何であれ立ち塞がるなら等しく戦おう。

 選び、見捨て、救い、今度こそ守る為に。

 

()が戦う、()が選び、()が守る、どちらか片方しか選べないのなら、躊躇わず切り捨てよう、その覚悟も、正義もある、()()だ―― もう【弱い()】じゃない」

 

 決断、そして正義は変質を終える。

 全てを救う力が無いのなら、手の届く範囲で守るしかない。自分の懐に入れた人を守る、是が非でも守る、何が何でも、誰を殺しても、何を見捨てても。

 

「―― ぁあ、良いね、最高だ」

 

 男が―いや、俺が笑う。

 男は俺で、俺は男だ。既に正義は等しく、男の正義は俺の正義となった。守る為に誰かの命を奪う覚悟も、救うべき人を見捨てる覚悟も、全ては正義が孕んでいる。

 人の常識から言えば、もうこの道は正義と呼べないのかもしれない。

 この道は犠牲によって成り立つ道だから。

 けれど、だとしても。

 俺はこの征く道を、正義と言い張るだろう。

 だって、誰かを守りたいと想うその気持は―― 絶対に、正しいモノ(感情)だと思うから。

 

――僕を待ち続けている、親友(ともだち)を守りたい!

 

 超能力者として歩み始めた、あの日と同じように。

 

「もう、(約束)から覚める時間だ」

 

 そう言って、()は最後の涙を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 外から聞こえる(ひぐらし)の声、額に張り付く髪、茜色に染まった部屋。時が止まったかのように、優しさと平穏を感じさせる空気、すっと深呼吸をすると嗅ぎ慣れた匂いが肺を満たす。ゆっくりと手を天井に向けて、霞んだ視界が光を得た。見慣れた天井、見慣れた木目、間違いなく僕の部屋。

 寝汗で僅かに湿ったシーツを退かして上体を起こす、痛みに思わず顔が歪むけれど、耐えられない程の痛みではない。窓の外に目を向けると丁度夕日が沈んでいくのが見えた、時刻は既に夕暮れらしい、壁に掛けてある時計を見ると六時を回っていた。

 

「……」

 

 空全体が赤く染まる様な夕暮れ、世界が茜色に染められる。山々が黒い影となり、雲は灰色のモザイクに変わる。その幻想が部屋の中まで入り込み、僕の影を濃くしていた。直視するには眩しすぎる世界、聞えるのは(ひぐらし)の声と自分の呼吸音、静かに流れる時間に赤色の世界が僕の胸を覆う。

 窓に向けていた視線を自分の手元に落とし、シーツをそっと握る。それから隣に目を向けた。

 そこには誰も使っていない、夕日に照らされた無人のベッドだけがあった。

 

「……」

 

 ベッドには僕の影が伸びて、濃い人影を映し出している。誰かが寝た痕跡も無い、綺麗に畳まれたシーツに枕。皴一つない、誰かが整えてくれたのだろう。

 

 何を想った訳ではない。

 何かを期待していた訳でも、何かを得たかった訳でも。

 

 ただ少しだけ、胸が痛かった。

 

「っ……雪那、さん!?」

 

 気が付くと、部屋の扉が開いていて、向こう側に澪奈が立っていた。手には水を入れた容器にタオルが一枚。どうやら()の看病に来てくれたらしい。起きていた俺の姿に驚き、その顔に喜びと少しの淋しさを滲ませて駆け寄って来た。

 

「か、体はっ、体は大丈夫なんですか?」

 

 駆け寄って来るなりベッドの上に乗り上がってペタペタと俺の体に触れる、何度も異常が無いか確かめていた。今更だけれど俺は何も着用しておらず、下着一枚だけ履いた状態だった、少しだけ澪奈の手が(くすぐ)ったい。俺はゆっくりと頷きながら澪奈に「もう大丈夫だ」と微笑んだ。

 瞬間、澪奈の目元にじわりと涙が浮かぶ。

 それらを拭いながら、澪奈は「良かった、良かったぁ」と何度も繰り返した。そんな姿を見ながら俺は、澪奈をそっと抱きしめた。突然の事に硬直する澪奈、その髪からふわりと甘く優しい匂いが香る。その体の柔らかさを確かめながら、(しっか)りと口にした。

 

「ありがとう」

「えっ……」

 

 何の感謝なのか、澪奈には分からなかったのだろう。看病の礼か、それとも単純に助けてくれた事に対する礼か。そのどちらでも無い、俺は単純に生きていてくれた事に感謝していた。澪奈が生きている、それだけでどうしようもなく嬉しかった。

 

「今度はもう、間違えない」

 

 見下ろせば、澪奈を抱きしめる胸元には酷い火傷が見える。半ばゲル状になった様な、醜く悲惨な傷跡だ。胸元から首にかけて、下手をすれば顎の辺りまで火傷の痕が残っているのかもしれない。けれどそれ程の傷から生き延びたのだ、恐らく能力で治療してくれたのだろう、だから別に傷跡が残る事に関しては何も思う事は無い。

 ただ、この傷を付けたのが己の親友で、遠い約束を交わした間柄である事が胸を締め付けた。

 あの男も言っていた、もしかしたらかっちゃんは研究所の連中と手を結んでいるのかもしれないと、だから情け容赦なく殺しに掛かったのだと。

だから俺も覚悟を持たなければならない。(かつ)ての親友と対峙する覚悟を―― かっちゃんの命を奪う覚悟を。

 それを遂さっき、済ませた。

 だからこの傷は戒めだ、俺が俺たる証。

 

「今度こそ、絶対、守るから」

 

 そう言うと、俺の胸元でじっと体を硬くしていた澪奈が恐る恐る俺を見上げる。その瞳は潤んでいて、今にも堤防が決壊し泣き出しそうだった。その瞳を真正面から見つめ、受け止める。悲しみや怒り、憎しみ、全部俺が受け止めよう。

 澪奈が震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「幸奈さんが、死んじゃいました」

「……うん」

 

 ぎゅっと俺の背に手が回る、それは誰でも無い澪奈の手。小さく、暖かく、こんな小さな女の子が今までずっと悪意に晒されて来たのだ。超能力という才を持っているというだけで。

 

「間に合い、ませんでした」

「……うん」

 

 それは懺悔(ざんげ)なのか、それともただの独白なのか。どちらにせよ、彼女の口から紡がれる言葉にはどうしようもない後悔と悲しみだけが宿っていた。俺を見上げる澪奈の瞳から、ポロリと涙が零れる。

 そこからはもう、止まらなかった。

 

「私の大切な人が、居なくなりました」

 

 ぐっと胸に頬を擦り付ける様に、澪奈がいやいやと首を振りながら抱きしめる力を強くする。行き場の無い怒りや悲しみを俺に当てていた、それで良い、俺は全てを受け入れるつもりだったから。

 澪奈が呟く様に言う、嗚咽の混じった痛ましい声だった。

 

「私には、もう、雪那(あなた)しかいないんです……」

 

 唯一の親友(とも)を失くし、己を知る人物は俺だけになってしまった。その孤独感は如何(いか)ほどか、俺には想像する事すら出来ない。けれど、親友(とも)を失った悲しみと痛みならば分かる。今の俺がそうだから。

 涙に濡れた頬を晒し、俺に顔を近づけた澪奈が懇願する。それは今まで見た事も無い、彼女の文字通り命懸けの願いだった。

 

「お願い、お願いします、もう、私を置いて行かないで下さいッ、もう嫌なの、独りは、独りになるのは嫌ですっ、多くは望みません、傍に居てくれるだけで良いのっ、だから、お願いします、お願い――ッ!」

 

 やっと手に入れた平穏は呆気なく終わる、大切な人の死と言う形で。

 俺は澪奈を強く抱き締める事を返事の代わりとする、元より離れるつもりなんてないから。彼女の口を塞ぎ、嗚咽を漏らしながら涙を零す守るべき人を抱きしめる。その胸に零れる涙は、やけに傷へと()みた。

 夕暮れ。

 赤色が空の向こう側へと沈んでいく。徐々に沈み行く太陽、その全てが向こう側に消えてしまえば後に来るのは暗い夜の世界、その暗闇が全てを隠してしまう。

 窓から差し込む赤色が消え去って、部屋から光が消える。

 それがまるで俺達の未来を示唆しているみたいで。

 俺はそっと、その眼を閉じた。

 その未来から目を背ける様に。

 

 

 

 




 感想欄が「敵は皆殺しジャア!」状態で戦々恐々。
あれ、そんな憎しみを煽る様な事書きましたっけ私……(;゚Д゚)
まぁ兎にも角にも主人公さん、漸く「敵絶対殺すマン」に変身出来る様になりました。

 恐らくインスタント・HEROを書き始めて一番力を入れた話です。
13618文字、約三話分をブッ込みました、長いね、せやね(´・ω・`)
分割しようと思ったけれど、なんか切ってしまうと勿体ないと言うか、何と言うか。

 まぁ兎にも角にも主人公の意識改革でここまで掛かるとは思っていませんでした。
いやぁ、此処まで長かった(くぅ~w 疲れました感)
 さて本題です、次話から漸く本格的にヤンデレヤンデレし始めると思います。
寧ろそのヤンデレヤンデレの為に書き始めたと言っても過言では無い。
やっとヤンデレキャラを書けると思うと心なしが心がワッショイし始めてハハハハ("´_ゝ`)
 
 さあ、澪奈や弥生さんとレッツヤンデレパライソ!

 因みに敵に対する報復行為は近い内に行われるかと思います(`・ω・´)
それまでに十分にヘイトを蓄積させなきゃ(使命感)
さぁ立ち上がれ主人公! 皆大好きゲリラ戦だ!

PS 最近感想欄でヤンデレ語を話す方が増えたので、ちょっと勉強してきます。


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生きる為に

 

 

俺が目覚めてから三日が過ぎた。

その三日間殆ど寝たきりで、今朝方ようやく自分で歩けるまでに回復した。

澪奈の能力はあくまでも本人の治癒能力を高める力である為、治療時に使用されるエネルギーなどは全て本人から差し引かれる。その為俺の体は衰弱しており、昏倒していた期間も含めると五日間は寝たきりだったらしい。その間澪奈は献身的に看病を続けてくれた。

歩ける様になってから一番最初に確認したのは、火傷の痕である。寝たきりだった時もしきりに手で触って確認していたが、どうにも喉元まで続いている様な気がする。歩ける様になって一階の洗面所で自分の姿を確認した時、その感触が正しかった事を知った。

皮膚がゲル状に溶け中々にグロテスクな焼け跡となったソレは、俺の思っていた通り首の半ばまで続いていた。澪奈曰く、もう少し長い間拳が皮膚に接触していたら、肺が焼かれて手遅れになっていたらしい。皮膚だけで済んだのは僥倖だったと言う事か、それでも骨は折れたし皮膚はもうボロボロだった。もし顔面まで続いていたら一生顔を隠す生活をする羽目になっただろう。

もう首が出るタイプの服は着て外を出歩けない、首をすっぽり覆うタイプの服を買って来なければならないだろう、この火傷痕で特定されてしまうなんてマヌケだから。

 

寝たきりの三日間、俺は澪奈や助け出した秋、そして俺の言う通りに動いてくれていた()()の三人から、それぞれ事の顛末、これからの事などを聞いていた。秋は逃走時仲間であった朱音を殺害され、憤っていた。もう一人の仲間である由愛も見つかっていないらしい、一人でも探しに行くと言っていたそうだが、弥生と澪奈が引き留めたとか。流石に今単独で動く事が自殺行為であると分かっているのか、すぐに冷静になり謝罪したと言う。

仲間を殺され、もう一人は行方不明。確かに、飛び出したくなる気持ちは分かる。

今は粛々と日々を過ごし、胸の内にある研究所や捜査官に対する憎悪を煮詰めていると言った所か。きっともう一度連中と対峙した時、それは爆発するだろう。そんな確信に近い予感が俺の中にはあった。俺と話す時、俺を気遣いながらも瞳の奥で燃えている憎悪が隠しきれていなかったから。それが俺に対するモノでなくとも、感じる身としては中々堪える物がある。ただし今の環境は大分気に入っているのだろう、澪奈から久々にインスタントカレーを作って昼食に出したら「美味ッ!?」と絶叫したと聞いている、研究所の粗悪な飯と比べればインスタントでも十二分に美味しいらしい。何だかんだ言いつつ久々の自由を全身で感じているのだろう、そこに影がある事を除けば普通の生活そのものだ。

 

弥生は俺が頼んだ通り、一度研究所に『()()うの体で生き延びた』と言う形で戻って貰い、集められるだけの情報、(カラード)の外し方、外すための機材などを持ち出して来て貰った。持ち出せる物は可能なら限り持ち出せと言っておいたが、まさかバンの後部座席を潰す量を盗み出してくるとは思っていなかった。彼女曰く『貴方に褒められたくて無茶をした』らしい、勿論痕跡を残す様なヘマはしていない。そのバンも研究所の所有物である、追跡装置(トレーサー)は既に取り外し普通の乗用車と変わりない。これで彼女も追われる身となったが、後悔はしていないらしい。両親は既に他界し親しい友も縁者も居ないと言う、一体どういう人生を送ってきたのか気になったが、そこには触れなかった。

澪奈や幸奈が俺の居た場所に急行出来た理由は、この弥生が原因だった。丁度俺が現場に向かった直後、必要なモノを掻き集められるだけ集めた弥生がバンに乘って帰還、そこに丁度幸奈が居合わせ、藤堂雪那の協力者だと口にした弥生に頼み込み現場に急行したと。澪奈は既に弥生が俺の説得によって改心したと思い込んでいる、彼女の働きは正しく俺達の味方そのもの。無論、地下での件は秘密であると弥生自身には言い含めてある。たとえ仲間であろうと、裏の事情まで知る必要はない。

弥生が持って来たモノはバンや(カラード)を取り外すための器具、取り外し方の情報など頼んだものは一通り、その他にも単純な金銭や基礎能力値を測定する為の機器、懐能薬や防壊薬なども含まれていた。取り敢えず役立ちそうなものは粗方持って来たという彼女、それを一日で実行してしまうのだから末恐ろしい。

何よりも驚いたのはアタッシュケースで札束を持って来られた時か、中には一万円札がギッチリと詰まっており総額三千万だと言っていた。元々セクタDの超能力者に投与する薬品の開発費用だったらしく、この金額でもまた一部でしかないらしい。秘密裏に政府より回されている金額は莫大な量であり、元よりこの金は表に出ない『存在しない金』、例え使っても咎めようの無い金だと言う。使った金で足が着かないかと不安に思ったが、そこは心配ないらしい。数日待って貰えれば、すぐに使える様にしますと言った彼女はとても良い笑顔だった。それが何に対する笑顔だったのか、俺は素知らぬ振りをする事にした。今更だが国家超能力研究所なんていう場所に務める人間だ、色々な意味で優秀なのだろう。

 

さて、高々一週間、いや既に二週間近いか、その程度の日数しか共に過ごしていないが、恐らくこの数日で澪奈と俺の関係は大きく変化した。俺自身の変化もあるが、恐らく澪奈の変化の方が大きいだろう。何よりまず、お互いの距離感が変わった。

何があろうと無かろうと、常に俺の傍を離れなくなったのだ。

寝起きだろうが朝ご飯の時だろうが弥生と今後を話すときだろうが、兎に角俺に引っ付いている。それはもう、見ている弥生の目が極寒になる程ベッタベタに。受け入れると決めた手前離れろと言う事は出来ないし、個人的にも言うつもりはない。それが彼女の希望ならば受け入れよう、それくらいしか俺には出来ないから。尚、一度少しの間で良いから離れていて欲しいと言ったら、この世の終わりばりの絶望顔をした。カタカタと震え出し無言で泣き出すさまは何処か気迫を感じた。

それ以来、少しでも距離を離す様な言動は慎んでいる。

しかし、そう、しかしである。

流石に風呂とトイレにまで付いて来ようとするのはマズい。

トイレは普通に羞恥心が勝るし、少女の前で用を足して喜ぶ性癖は持ち合わせていない。風呂に至っては「背中、流しますから」なんて言って突入してくる為、断るに断れない状況が出来つつある。突き返そうとすれば血の気が引き潤んだ瞳を向けて来る、この前など実際に泣かれてしまい秋に白い目で見られてしまった。女の涙は兵器だと言うが少女であれば尚更、これで断れと言うのが無理だ。最近では体を洗うという行為に慣れてきたのか段々と上手くなっている気がする、寝たきりの時も毎日澪奈が体を拭いてくれていたし、やはりコツなどがあるのだろうか、いや別に深い意味は無いけれど。風呂に突入して来る度、頬を赤くしてどこか息を荒くしているのは俺の気のせいだと思いたい。あと、何となく俺の体を洗う時の手つきが―― いや、きっと気のせいだ、そうに決まっている。

 

それと朝起きるといつの間にか布団に潜り込んでいるのも頂けない。

気が付けば、本当にいつの間にか隣に居るのだ。

俺とて男だ、夜の添い寝程度ならまだ千歩、いや一万歩譲って耐えられるが、朝起きたら隣に少女が寝ているなんて状況は心臓に悪い。この間など朝起きた瞬間目に飛び込んだ光景は、俺の股間を凝視する澪奈の横顔だ。

朝の生理現象をマジマジと見られながら起床する俺の気持ちを考えて欲しい。純粋な好奇心で見られると何とも複雑な気分になる。「ポケットに何か入れているんですか?」なんて聞かれたらもう、俺は何と答えれば良いのか。

澪奈は十二歳である、年齢的には中学一年生か、小学六年生と言ったところか。まだまだ身長は小さいし、物事を良く理解していない節がある。五年前に研究所へ入所したと聞いているが、そうなると七歳で親元から引き離されたことになる。まだ自己を確立する前に研究所で被検体とされたのだ、彼女は人に甘える方法も、自分を表現する方法も知らない。だからという訳ではないのかもしれないが、彼女は接触によってそれらを表現しようとする気がする。

背後をトコトコと付いて回り、服の裾を摘まんだまま守護霊の様に佇む。特に何かを話そうとしたり、何か俺からされる事を期待している訳でも無いので、時折振り向いた瞬間驚く事がある。背後に音も無く立たれればそれは驚くだろう、どこぞの暗殺者ではないのだ。しかし今の所は上手く付き合って行けていると思う、ちょっと、いやちょっとでは無いかもしれないが、寂しがり屋の女の子だと思えば可愛いものだ、多分。

 

まぁ色々あった、色々あって今がある。良くも悪くも俺達はその環境で生きて行かなければならない。問題は山積み、由愛の行方は分かっていないし、弥生の持ち帰った情報の整理もまだだ、後この場所を近々離れて新しい隠れ家を見つけなければならない。

俺達は少々派手に動き過ぎた、きっと研究所の連中はこの周辺に俺達が潜んでいるとアタリを付けたのだろう。弥生の報告によれば街に超能力犯罪捜査官の姿をチラホラ見かける様になったとか。先の一件で俺達は捜査官とも敵対してしまった、恐らくもう二度と平穏で退屈な学生生活に戻る事は出来ない。けれど別にソレは良い、一番最初にこの世界へと踏み入れた時から覚悟していたから。今更呑気に学生生活を送った所で、きっと俺は耐えられない。幸奈にも顔向けできなくなってしまう。

幸い金はある、適当にでっち上げた家族設定で遠く離れた場所に家を借りても良いだろう。見つからなければ問題無い、超能力研究所の連中を叩き潰す方法だってある、場所が変わる事に問題はない。ただ幾つかある懸念事項は――

幼馴染の美月と両親。

この土地から離れるに辺り、その二つがネックだった。

両親はまぁ、別に大丈夫だろうと楽観視。元々放任主義を極めた様な人達だ、自己責任が当たり前、半年や一年程度姿を消した位では動じないだろう。それに最悪敵側になってしまう人間だから。

問題は美月の方だ、彼女は俺と昔から付き合いのある幼馴染だが、事あるごとに俺の世話を焼く生粋の暇人だ。正直俺の母親よりよっぽど母親らしい、今回はソレが仇となった。

けれど、まだ時間的余裕はある。俺が少し活動範囲を増やして遠方で騒ぎを起こせば捜査範囲の攪乱も出来るだろう、だから別段今すぐ解決しなければならない問題ではない、俺達が住まいを移すまでに何とかすれば良い。

だから今は――

 

 

 

 

「………」

 

 今俺が立って居る場所には、小さな造花が一つ添えられている。不自然に盛り上がった土は他と色が異なり雨で固められた土砂が僅かに光沢を放っていた、俺はそれをただじっと見つめている。

家から五分程歩いた獣道の影にソレはある、普通に見るだけでは分からない、コレは『墓』だった。

何か騒ぎがあってはマズいと細心の注意を払い、火葬は見送ったらしい。俺が寝ている間に弥生と秋が掘ったそうだ、隣には山に咲いている野花が一輪だけ無造作に添えられていた。朱音と言ったか、あの超能力者の分かもしれない、二輪でない事に少しだけ秋の心の中を覗いた気がした。

 

「ごめん、幸奈、少し遅くなったね」

 

これは幸奈の墓だ。

この土の向こう側には幸奈の死体が埋まっている、既に意識の無い屍が。そんな実感は無かった、やはり墓石と対面する様な、どこか虚無感だけが湧き上がった。

何か話そうとして、けれど言葉が出てこない。助けられなかった事を謝るべきだろうか、それとも助けてくれた事に礼を言うべきだろうか、守れなかった事を悔やめば良いのか。どれも違う気がした、そんな事では彼女はきっと喜びはしない。

それを口にするのならば、言葉では無く行動で証明する他無い。

そもそも幸奈はこの世に存在しないのだ、だから全ての言葉は自分の自己満足でしかなかった。だから俺は自分の気持ちを確かめる様に、全てを吐き出す。

 

「もし死後の世界があるのなら、黄泉の国(天国)で見ていて欲しい」

 

小さく、墓と言うは簡素で何もない、ソレに埋まった幸奈へと手を合わせる。そしてふっと顔を上げると、緩く笑みを浮かべた。

 

()がきっと、何年、何十年掛かっても、地獄に落ちるその日までに――」

 

胸の内で言葉を綴る、全ては己の中で完結した。

周囲の葉が騒めき、風が頬を撫でる。そのまま幸奈の眠る墓に背を向けて―― ずっと俺の背後に佇んでいた弥生に目を向けた。

弥生の目は俺だけを見ている、その手には小さな端末を握っていた。そこには大きなマップと幾つかの赤いサークルが爛々と輝いている。

 

「郊外に捜査官が四人、どうやら私達が潜んでいると予想した場所を虱潰しに探すみたい……此処からは結構離れているけれど、どうする?」

 

捜査を攪乱する為に必要な戦闘、騒ぎを起こすなら隠れ家から遠ければ遠い方が良い。だから俺は「勿論、決まっているさ」を口にして、手を差し出した。それを見て弥生はふっと笑みを浮かべる。

 

「必要なら、新調するけれど」

「いや、それが良いんだ」

 

そう言うと、弥生はずっと後ろ手に持っていたのだろうマスクを差し出して来た。前の戦闘で炎が表面を焼き、すっかり右半分が真っ黒に焦げてしまったマスク。俺はそれを受け取って指で表面をなぞる、ザラザラと焦げた表面の塗装が剥げて何となく俺の内面の様だと笑った。

 

「能力で現地まで()んだら、どれくらい掛かるかな」

「三分以内には到着出来ると思う、だけど戦闘をするには心許(こころもと)ないよ」

「いや、変身時間は大丈夫、一つ試したい事がある」

「試したい事……?」

 

 弥生が首を捻り、俺は笑みを象ったまま「能力の効率的な使い方」とだけ答えた。後はマスクをそっと被り、山頂目指して歩き出す。柔らかな土と野草の感触が足裏を押し返し、木々の合間から見える空を見上げた。けれどふと、大切な事を思い出して、その場で再び弥生の名を呼ぶ。

 

「弥生」

「ん、何?」

 

振り返ると弥生はじっと此方を見たまま佇んでおり、俺は「澪奈に、十分以内に帰ってくるって伝えておいてくれ」とだけ伝えた。本当ならもっと早く帰って来るつもりだが、何が原因で遅くなるかも分からない。一応、出掛けて来るとは言っておいたが、最近の澪奈はやけに俺の姿が見えない事を怖がる。

 

「……分かった」

 

弥生は静かに頷き、そっと踵を返した。恐らく澪奈に伝えに行くのだろう、その行動は主に俺を主軸としている。俺の言葉ならどんな無茶でも押し通す危うさを感じた、実際その通りなのだろう、そこは俺も何となく理解している。だからと言って何を感じる訳ではない、弥生は内側に入っていない人間だから。

 

「よし―― 行くか」

 

マスクをしたまま、火傷の痕を隠す様に服を顎先まで引っ張る。

そして山頂で一気に駆け抜け、捜査官の捜査網を攪乱すべく行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

捜査官に降りた命令は、超能力者犯罪捜査課に多大な被害を与えた超能力者の捕縛、或は殺害。並びに同行している超能力者が居た場合は同じく対象の捕縛、殺害命令が下されていた。今回捜索する場所は前回戦闘があった町から大分離れた郊外にある廃墟、一応持ち主は居るらしいが管理が杜撰(ずさん)で今回超能力犯罪捜査課が連絡を取った時、ようやくその存在を思い出した程だった。各捜査官は公務車両にて現地入りし、目の前に聳え立つ建物を見上げる。三階建てのソレはちょっとした屋敷とも言えるが、外側に(ツタ)やら苔が生えており放置されていた事実をありありと示している。

四人の捜査官の内、若い男と女が重い溜息を吐いた。

 

「命令だから従うけれど……誰かが住んでいる気配(なん)て皆無よね?」

「言うな、一応候補地の一つなんだ、とっとと調べて帰ろう」

 

男が蔦の絡みついた玄関と思わしき扉に手を掛ける、しかし押せど引けどビクともせず、男が思わず舌打ちを零した。見れば縦横無尽に張り巡らされた蔦やら苔が扉を開けなくしている、流石に能力で壊す様な真似は他人の持ち物だから不可能、結果手持ちのナイフで蔦を一本一本切断する事となった。ベルトポーチから折り畳みのナイフを取り出し、太いモノから切っていく。

 

「おい、何をモタついているんだ?」

 

後ろで周囲を観察していた捜査官の中でも初老の男性が若い男へと問いかける。すると「これ、蔦が絡まって扉が開きません、かなりの期間放置されているみたいですよ、尋常じゃない位強く絡んでる」と若い男が首を横に振った。

 

「微調整効く様な能力持っている人、此処に居ませんし、地道に切っていくしかないでしょう」

水致(みずち)、お前の【発熱】で焼き切れないのか?」

「馬鹿言わないで下さい、私の上限温度知っていて言っていますか?」

 

 初老の男性が若い女性捜査官にそう問うが、にべもなく断られる。その様子を見ていたもうひとり、妙齢の女性捜査官が初老の男性に向かって言った。

 

「そこまで言うなら、悟郎の【空洞】で穴を空けた方が良いんじゃない?」

「それこそ馬鹿を言うな、扉ごと貫通しちまう」

「……ホント、極振りね」

 

呆れた様子を見せ、そのまま黙り込む女性。そうして若い男がせっせとナイフで蔦を切断する様子を見ながら三人はそれぞれこの任務への鬱憤を溜まらせていた。

そんな時――

 

「ねぇ、私も手伝――」

 

若い捜査官の手際の悪さに、妙齢の女性が声を上げた。しかしその声は途中で掻き消されてしまう。女性は何が起こったのかも分からなかっただろう、視界は突然真っ暗になり一瞬で命を落としたのだから。

隣に居た初老の捜査官が目を見開く、彼が見た光景は上空より何かが落下して来たと言う事だけ。下敷きになった妙齢の女性捜査官がミンチになり、骨や肉片、臓物、血液が宙に撒き散らされる。一体何が? その思考を最後に男の視界も黒く染まった。男の頬に拳が突き刺さって、その首を三回転させた。

ゴキュッ、と音が鳴り響き骨が砕かれる。()じれた首元から血が吹き上がり、初老の男性は白目を剥いて倒れ伏した。即死、ガクンと頸が垂れて屍になる。

そして轟音と砂塵に晒された残りの若い二人が、一拍遅れて呆然とその光景を眺める。凡そ数秒の出来事だ、たったそれだけで捜査官の中でもベテランの二人が死に絶えた。周囲には立ち上がる砂煙と、死体から噴き出る血が視界を覆う。

果たして、その血と砂利に塗れた姿で現れたのは――

 

「ッ、仮面(マスク)野郎ォッ!」

 

先の戦闘で計十二名の死傷者を出した超能力犯罪者だった。

その姿は悪魔の様だ、返り血に染まり赤黒く染まる服。そして顔面には顔を隠すための仮面。その半分は真っ黒に染まり、白と黒の不気味な仮面となっている、白い面に付着した血はペイントの様で実に狂気染みている。男はゆっくりと足を持ち上げると、グチャリと捜査官の臓物を踏み潰した。そして面を上げるや否や、二人の捜査官を見る。

ゾッと、二人の背筋を薄ら寒いモノが走った。

それは二人が感じたことの無い恐怖、男が放つ【殺してやる】という圧力。

それが物理的な重さを伴って二人の肩を押し潰した。相対している男の体が、何倍にも大きく見える。宛ら巨人を相手にしているのかと思ってしまう程。

 

「――まぁ、何て言うかさ」

 

男が声を上げる。低く、腹に響く声だ。

 

「運が悪いとか、無知が悪いとか、色々原因はあると思うんだけど、俺が思うに、そう、強いて言うなら」

 

 ただ―― 男がそう言葉を続けて、二人は息を呑んだ。

 

「【弱いのが悪い】」

 

 

 

 

――  変身

 

 

 





 書く度書く度、文字数が多くなる不思議。
そしてヤンデレ書きたいのに中々出番が回ってこないもっと不思議。
でもちょっとだけ描写出来たから少し幸せ。
でももっと書きたい不思議。

 感想はちゃんと読んでいるのですが、返信出来ず申し訳無い(´・ω・`)
ちょっとリアルがマッハでハチの巣にされていてヤバイです。


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苦い正義

 何て言うか、アイツは俺にとっての救いだったんだと思う。

 明るくて、生真面目で、真っ直ぐで、人一倍正義感に溢れる姿が眩しくて。どこかで俺はそれを羨んでいたのだろう。超能力なんてのは副産物みたいなモノで、そんなものがあったからと言って何が出来る訳でもない事を俺は知っている。だから本当の意味でアイツの隣に並ぶには、もっともっと頑張らないといけないのだと、そう思っていた。

 例え全てを焦がす熱を持っていたとしても、確実に、着実に―― 俺の手からは大切なモノが零れ落ちていたから。

 

「――さ、――きて、い――」

 

 声が聞こえる、どこから遠くから。

 それは必死で何かを訴えようと、叫んでいた。

 俺は今何をしているのだろう、とても心地よい空間に沈んでいる気がする。だからそう、もう少しだけ寝かせてくれないか?

 

「――い、か――さん、葛井(かつい)捜査官!」

「ッ!」

 

 覚醒した。

 微睡んでいた意識が一気に引き戻される、俺と言う肉体が息を吹き返した。

 意識が、同時に痛みも。目を開いた瞬間に胸部が強烈に痛んだ、思わず呻いて手で抑える。触れれば確かに感触があって、抉れている訳でも無い。口の中がやけに酸味で溢れていた、血の味もする。

 揺れる視界を頭上に向ければ、見知った顔が泣き出しそうな顔で俺を見下ろしていた。

 

「ふーッ、フッ、か、柏木、ふーっ、はっ、ぐッ」

「喋らないで下さい! フレイルチェスト(胸壁動揺)を起こしています! 肋骨が何本も折れているんです! 今治療出来る能力者を呼んでいますからッ」

「て、敵は……っ」

 

 記憶が逆流する、思い出した。俺が何をしていたのかも、何が起こったのかも。

 そうだ、俺はあの【振動】の能力者と対峙していた筈だ。あの能力は国家超能力研究所の脱走者リストにも載っていた女性、間違いない。恐ろしく強かった、強さは【Ⅱ】程度だと聞いていたが、あれは【Ⅳ】相当―― いや、下手すれば【Ⅴ】でもおかしくなかった。

 だから皆が無事かどうか、それだけが気になった。

 自分が気を失っている間に、皆は。

 

「班は、皆はッ―― ウぐッ」

「葛井さん、駄目です! お願いですから安静にしていて下さいッ!」

 

 少し息を吸っただけで胸に激痛が走る、最後に残っている記憶は【振動】の超能力者が襲い掛かる瞬間、目の前に現れた盾、体を突き抜ける衝撃。余波で俺は気を失ったのか、何と情けない。

 自分の姿を見下ろすと制服は擦り切れてボロボロ、見える肌からは血が滴っている。強い超能力を持つ犯罪者と対峙する為に強化線維で作られた高い防刃性、耐火性を誇る服がまるで紙切れの様だ。肩に張り付けたそのエンブレムも、既に半分吹き飛んでいる。

 

「遅くなりました、救護班です、すぐに治療を――」

「っ、お願いしますッ!」

 

 視界の向こう側で、柏木に代わって救護班の男性が現れる。マスクをして白い制服を纏った超能力救護班、既に何人もの負傷者を治療したのか額には汗を光らせている。男は俺の胸に手を翳して能力を行使した。何かつっかえた様に鋭い痛みと違和を感じさせたソレが段々と弱まっていく。それと同時に僅かに残っていた体力がごっそりと持っていかれた。

 やっと開いた瞼が徐々に閉じていく、ダメだと自分に言い聞かせても体は休息を求める。沼へと沈み行く様に、再び俺の意識は暗転した。

 その最後の瞬間、俺は自分の拳を打ち付けた相手を思い出す。

 白い仮面を血で染め、俺よりも少しだけ小柄だった男。彼を殴り倒した時、何か、俺は大きな痛みを感じた。それは自分の手で、大切なものを壊している様な。

 

―― いや、そんな筈はない。

 

 沈みゆく意識の中、俺の脳裏に浮かんだ人物は一人。

 幼い頃より正義を交わし、互いに認め合った唯一無二の親友。

 彼は俺の想像の中で、静かに笑っていた。

 

 あぁ、逢いたいな……とー君。

 

 何故か無性に、俺は親友(とも)(こい)しかった。

 

 

 

 

 

 

「葛井仁司(まさじ)次警(じけい)捜査官、貴殿を本警(ほんけい)捜査官へと任命する」

 

 負傷から三日、超能力救護課の持つ医療施設にて治療を終えた俺は、自分の右腕を包帯に巻いてぶら下げ超能力捜査課本部長室にて昇進通達を受けていた。首で支える右腕は残り一週間絶対安静で、正直立って歩くのでもかなり辛い。

 しかしそうも言っていられる状況では無く、万年人手不足の超能力捜査官が先の戦闘で多くの欠員を出してしまった。中には四肢切断にまで至った者もいる、五体満足で立っていられる自分はまだマシな方、だからこそベッドの上で休んでなどいられなかった。

「おめでとう」と言う言葉と共に送られる小さな箱、その中には【本警】を現わすルドベキアを模した階級章が入っている。

 ―― 花言葉は【正義】

 

「しかし、十九という若さで【本警】に昇進ですか、まだ創立されて間もない組織ではありますが、この最年少記録を塗り替える人材が今後現れる気がしませんねぇ……」

 

 そう言って笑う目の前の男性は超能力捜査官、その総本山である超能力捜査本部長、『柄同(がらどう)友禅(ゆうぜん)

 年齢は既に五十を超え、現在六十に届きつつあると言う。顔に刻まれた皴や威厳に反し温厚そうな見た目が老人然とした印象を見る者に与える。会話すると緊張と同時にどこか落ち着く、そんな矛盾した雰囲気を持つ人物だった。ピンと張った背筋や立ち振る舞いは紳士のソレだが、パッと見は品の良いご老人。

 現在日本で確認できる超能力者で、最も高齢の能力者である。

 

「いえ、私などまだまだ……」

「向上心に溢れる事は良いですが、君はもう少し足元を見た方が良い」

「……はっ」

 

 どこか窘める様な口調で話しかける友禅本部長に、返事だけは勢い良く返す。「良い返事だ、若人はそうでなくては」と頷く上司に俺は気付かれぬよう、静かに吐息を漏らした。

 

「はいはいはーい」

 

 待ち侘びたとばかりに俺の隣から先程の返事よりも大きな声が響く、どこか子供らしく無邪気で、それでいて場違いな声だ。

 

「葛井サンの次はワタシですよね! 昇進、昇進ですかぁ?」

 

 ワタシもまだまだ若人ですし、そう叫ぶ小柄な人物。俺の隣で騒がしく飛び跳ねる女性、いや少女と言った方が正しいかもしれない、その姿をゆっくり視界に収めた。

俺の肩より更に低い身長、支給された制服もかなり小さくオーダーメイドと聞く。髪は肩口でバラバラに切られ色は白、白髪を見れば高齢者かと思うが肌の艶は良い。その髪から覗く顔は童顔で、それだけ見ればランドセルを背負っていてもおかしくない歳に見えた。

 

「はいはい、大丈夫ですよ(かがり)捜査官、貴女にもご褒美は用意してあります」

「おぉふぅ! 待ってましたァ!」

 

 妙に高いテンションで喜びを表現する藤堂(とうどう)(かがり)本警捜査官。一応と言って良いか分からないが、俺と同期の人間である。ただし年齢は向こうの方が三つ上で、ちょっとワケ有の人間だ。首に括りつけてある鎖に着崩した制服、特徴はそれで十分、規律の厳しいこの場所でこれほど不真面目そうな人間は他に居ない。

 本部長はデスクの中からゴソゴソと袋を取り出すと、四角い木箱をデスクの上に置いた。

 

「はいコレ、京都の美味しいお菓子ですよ、京都支部の豪暫支部長に頂いた物ですが、美味しく食べて貰えるなら篝捜査官に差し上げましょう」

「おぉ、京都……響きが既に素晴らしい」

 

 篝捜査官はぴょんぴょん跳ねながらデスクの上に置かれた木箱を掻っ攫う、本部長はそれをニコニコと笑いながら見守っていた。昇進を望んでいる様に見えたのに、食い物で釣られてしまうところなど子供のソレだ。手のひらより大分大きいそれを開くと、篝捜査官はぴたりと動きを止める。そして首を少し捻った。

 

「……友禅サン、この、茶色の物体は何ですか」

「それは羊羹(ようかん)と言うのです、篝捜査官」

 

 ヨーカン、どこか音のズレた発音をしてから、「美味しいのですか、これ」と本部長に尋ねる。彼はずっと笑ったまま「えぇ、えぇ、程よい甘味が実に美味しいですよ、お茶と一緒に食べると尚良いです」と答えた。

 

「そうなンですか、じゃあお茶用意して食べてきます!」

 

 それだけ言って篝捜査官は退室礼も無しに部屋を飛び出してしまう、流石に礼儀に反すると呼び止めようと口を開くが、言葉を発する前に篝捜査官は退室してしまった。まるで風の様に速い、もしや能力を使ったのだろうか、いやそんな馬鹿な。

 

「ははは、篝捜査官は相変わらずですねぇ」

 

 笑い声を上げながら本部長はそんな事を言う。俺は二度目の溜息をそっと吐きながら、「本部長、流石にアレは」と言葉を濁した。

 

「良いんですよ、他の支部長や政府高官に対してはマズいですが、私相手ならばあれ位で丁度良いのです」

「しかし、本部長――」

「君もお堅いですねぇ」

 

 ニコニコと笑みを崩さない本部長に、俺はぐっと言葉を堪える。この人はいつもそうだ、確かな威厳を持ちながらもどこか気の抜けた遊び人の様な風格も持ち合わせる。そんな人に俺が何を言っても無駄だろう、「失礼しました」とだけ言って口を閉じた。

 本部長はそんな俺に困ったような顔をする。

 

「ふぅむ、元々私は形式ばかり気にした会話が苦手でしてね、本当ならここで雑談の一つや二つ入れたかったのだけれど、まぁ葛井捜査官なら構わないですか」

 

 本部長はそう言って椅子に深く腰掛け息を零す、それから何枚かの書類を広げ「さて」と俺を見上げた。その表情からは既に笑みが消え去っている。

 

「先の作戦で交戦した【仮面の男(マスクマン)】、研究所の方でも既に何人か殺されていると報告がありました、国家超能力研究所の出した予測能力値はランク『Ⅳ』、それも基礎能力値です、それに予測だから確定ではなく、最悪それ以上の可能性があります」

 

 面倒ですねぇ、そう言って頭を掻く本部長に俺は告げた。

 

「一応、生身の状態で一撃入れる事に成功しました、上手くいけば今頃は……」

「えぇ、その件は篝捜査官に聞きましたよ、戦闘不能にまで追い込んだと、ただ完全に殺害出来たかは不明ですね、その後回収されたと聞きますし……ただ、もう一人の能力者、篝捜査官の交戦した研究所の脱走者の名前、えぇと確か、そう、『幸奈』でしたか、彼女は死亡が確定しました、さすがに半分体が千切れれば回復は無理でしょう、ランク『Ⅴ』でもない限りは、一応県内の病院は全て監視していますし」

 

 仮面の男は生きている、本部長はそう考えているらしい。俺自身、完全に殺したとは思っていなかった。今回の昇進は仮面の男を一時的とは言え無力化した事と、欠員が多く出た事が理由だろう。

 

「また戦う羽目になるでしょうか……?」

「向こうも多くの命を奪いました、今更無罪放免とはいきません」

 

 良くて超能力者拘束施設(パノプティコン)送り、最悪は即刻死罪。

 

「それに能力は不明ですが、恐ろしく強い、君も含め交戦して生き残った捜査官からは【強化系】であると聞いています、であれば生け捕りは難しいでしょう」

「そう……ですか」

 

 本部長は憮然とした態度でそう話す、そこには事務的な会話を淡々と(こな)す上官の姿があった。

 話としては理解できる、当然だ、それだけの事をあの仮面はやった。そして重傷を負わせたのも、俺自身。けれど何か胸を叩く感情があった、自分の足を引っ張って呼びかける声があった。

 あの仮面の男は俺の仲間を殺したというのに。

幸いにして俺の班員は戦闘区域に到着していなかった、故に全員無事だ。けれど殺害された捜査官の中には顔見知りや友人が数人含まれていた。彼らを殺されて何一つ思わないほど俺は冷徹漢ではない。実際俺は現場で激高し仮面の男に殴りかかっているのだから。

 けれどそのシーンを思い浮かべると、いつも脳裏を過る――

 俺を見て動きを止める仮面の男、その見えない口からは聞き覚えのある呼び名が吐き出されるのだ。俺を呼ぶ、親友の――

 

「葛井捜査官」

 

 本部長の声にハッと意識を取り戻す、どうやらいつの間にか考え込んでいたらしい。俯いていた顔を慌てて上げると、本部長が俺に向かって木箱を突き出していた。確か篝捜査官が受け取ったモノと同じだ、どこか高級感溢れる梱包。

 

「実は幾らか同じ羊羹を頂いていてね、どうせなら篝捜査官と一緒に食べてくれませんか?」

「えっ、あの、自分は」

 

 突然の事に面食らう、というか脈拍が無さ過ぎる。何と答えたら良いかと考えていれば、「まぁまぁ、良いではありませんか、友好を深めると思って一つ、さぁさぁ動いた動いた」とグイグイ本部長が詰め寄って来た。

 

「ちょ、本部長!?」

 

 手に無理矢理羊羹入りの木箱を持たされ、そのまま肩を押され室外へと放り出される。俺が一歩本部長室から出ると、あっという間に扉が閉まってしまった。それからガチャンと鍵を閉めた様な音が辺りに響く、そこまでするのですか本部長、残されたのは茫然とする俺と木箱が一つ。俺は暫くぼうっと本部長室の扉を見つめ、それから羊羹に目線を落とす。これは上官命令になるのだろうか、それともただのお節介という奴だろうか。

 今の俺に急務はなく、本部内勤務という事で外回りのパトロールや戦闘行為は禁止されている。怪我が完治するまではデスクワークをしていろとお達しだ、幸いなことに時間は有り余っている。

 分かっていて、あんな事を言ったのだろう。

溜息を吐き出した。

 溜息はこれで、三度目だった。

 

 

 

「ンあ、どうしたんですか葛井サン?」

 

 篝捜査官はすぐに見つかった。

 本部内にある休憩エリアの一つ、余り人の寄り付かない第三棟の四階、ズラリと並んだ自販機から『彪鷹』というペットボトルのお茶を購入し、羊羹を片手に齧っていた。

 

「いえ……本部長から自分も羊羹を頂まして、篝捜査官と一緒に食べて来いと」

「ふぉう、それは良いですねぇ、どーぞドーゾ、あ、お茶いります?」

 

 お茶の苦みとヨーカンの甘さが丁度良いですねぇ~、何て言ってお茶をがぶ飲みする同僚。俺はその対面に座りながらも、周囲に他の捜査官が居ない事を確かめていた。飲み物は先ほど既に買ってきた、生憎と茶ではなくスポーツ飲料水だが。それから目の前で羊羹を頬張る見た目少女な同僚を何とも言えない目で眺める。

 この篝捜査官を一言で表現するのならば、『変人』である。

 いや、狂人と表現しても良いかもしれない。

 異質な見た目、頭の螺子が吹き飛んでいる言動、平気で人間を殺す精神、穴だらけの常識、強い超能力、etc…..

 俺と同時期に配属された篝捜査官だが、俺よりも半年前に本警捜査官に昇進していた。恐らく近い内に準特警捜査官に上がるだろう、早ければ今月にも。能力を含め捜査官としての力は凄まじい、だから本部長からは評価されている。しかし本部内の同僚、上官、後輩からの評価は余り高くない。

 人の命を軽く見る言動、行き過ぎた正義感、敵を屠る為なら味方すら顧みない行動。それらの積み重ねが篝という一人の人間を孤立させ、今では殆ど単独で行動する唯一の捜査官と言われている。捜査官はその職務上常に危険と隣り合わせの為、最低二人組(ツーマンセル)、本部からは四人組(フォーマンセル)が推奨されていた。その中で単独行動を行い続ける篝捜査官は異常だ、その任務の実績も含めて。

 

「……篝捜査官は、何故超能力犯罪捜査官になったのですか」

「んン~?」

 

 ぺリぺリと羊羹の梱包を剝がしながら、俺はそんな事を聞いていた。単に静寂を紛らわす為、特に他愛もない雑談のつもりで。

 羊羹を頬張りながら声を上げた篝捜査官は、俺をまんまるな瞳で見つめた後、「むん~」と唸りながら天井を見上げる。それから片手でペットボトルのキャップを弄り、口を開いた。

 

「何故と言われてもですね、それしか方法が無かったと言いますかァ、選択肢が用意されていなかったと言いますか~……」

「は、選択肢、ですか?」

「えぇ、はい、そうなンですよ」

 

 そう言って葛井捜査官は自分の首に嵌められた鎖を引っ張る。カチャカチャと音を鳴らす細いソレを見せびらかす様に指差し、「ワタシ、元々研究所のニンゲンでして」と屈託のない笑みを浮かべた。

「えぇ、それは存じています」そう言って俺は勝井捜査官に頷いて見せる、一応同期として仕事をする際に、一通りのことは聞いている。

 

「何でも能力の有用性を認められて捜査官配属になったとか、本人の強い希望もあると聞きました、ですから何故この仕事を希望したのかを――」

「ェは」

 

 再び問いかける声を前に、勝井捜査官が不気味な声をあげ、それから突然笑い出した。

 俺の言葉は途中で遮られ、目の前の少女が信じられない事を聞いたとばかりに吹き出し、笑う笑う。その半ば狂気じみた姿に言葉が引っ込み、俺は黙った。「いひ、はッ、はははは」と引き攣った笑いを続ける篝捜査官は、笑いを顔に浮かべたまま手をブンブンと横に振った。

 

「希望してない、希望なんてしてませンよぉワタシ、捜査官向きの能力なンて嘘ですし、もしかしてソレ、真に受けていたンですか?」

 

 あー、おかしい。

 そう言って腹を抱える篝捜査官に俺は困惑した。真に受けたも何も、上官から直々に伝えられた言葉である。初めて顔を見合わせた日に、目の前で。

 

「厄介払いですよ、厄介払い、ワタシあの場所が嫌いだったンです、一応アレコレ一通りは虐められたンですけどね、存外ワタシって頑丈に出来ているみたいで、日替わりで来る白衣の人に薬漬けにされて、暴れてを繰り返していたら、いい加減無理だと思われたみたいで、此処に飛ばされました」

 

 愕然とした。

 それは彼女の待遇についてもだが、何よりその事実に衝撃を隠せなかった。虐められ、薬漬けにされ……? 目の前の人物は確かに元々国家超能力研究所の人間だと知っていた。けれど、それでは余りにも――

 俺の表情を見た篝捜査官が、どこかキョトンとした顔をして、「あぁ」と何かに納得したように頷いた。

 

「勘違いして欲しくないンですけど、別にあの場所に恨みとかは持ってないですよ? 嫌いですけど、ワタシは納得してあの場所に居ましたし」

 

 羊羹を頬張りながらそんな事を口にする。俺に葉想像する事しか出来ないが、彼女の話が本当ならば恨みの一つや二つ抱いていてもおかしくない。篝捜査官の言葉を呑み込むのに時間が掛かった、受け止める心の準備も。それから唾を呑み込み、少しだけ乾いた舌で「何故……?」と言葉を紡いだ。

 すると、目の前の彼女はどこか懐かしそうに眼を細めて語る。

 

「……ワタシの家、結構貧乏だったンですよ、正直食べていくのも一杯一杯で、兄妹も沢山居ました、それでワタシに超能力が発現して、両親は喜んで国家超能力研究所にワタシを入所させました」

 

 その頃、ワタシは高校生だったンですけどね、正直高校辞めて働こうかと思っていました。

 そう言って篝捜査官は笑う、その笑みには屈託が無くて、何か出そうとした言葉が引っ込んでしまった。

 

「高校生ですから、ある程度の事は理解(わか)っていたンですよぉ、自分が何処に行くのか、何の為に行くのか、だから、マァ、何て言いますか、別に良いかなぁって」

 

 両手をテーブルの上に置いて、篝捜査官は少しだけ寂しそうに笑う。その表情は年相応に思える程穏やかで、けれど確かに哀愁が漂っていた。全てを諦めている様な、けれど諦めきれずに手を伸ばし、恋い焦がれている姿だった。

 

「国家超能力研究所が入所した超能力者に支払う金額、知っていますか?」

 

 篝捜査官が俺の目を見て問いかける。そこにはもう皆が「狂人」と呼ぶ彼女の姿は存在してなかった。俺は静かに首を横に振る。

 

「一人につき最低五千万、ランク『Ⅰ』でこの値段ですからぁ、人間一人に支払う金額としては十分でしょう?」

 

 人を買って、五千万。

 それが安いのか高いのか俺には分からない。臓器の値段だとか、生涯賃金だとか、そういう倫理観だとか道徳だとか殴り捨てて、客観的に見れば安いのか高いのかも判断がつくかもしれない。けれど俺はそれをしようとは思わなかった。

 

「ワタシは元々ランク『Ⅳ』でシたから、マァ、強化系は数が少ないですし、多分希少性とかも含めてこのランクだったンです、結果家族には一億円が支払われました、一億ですよ? 一億、一億円あれば何でも出来ます、あの貧乏だった生活ともオサラバです」

 

 随分と人並みの生活が許されて、家も買って、兄妹はちゃんと三食食べられて、学校にもちゃんと行けて、大学だって――

 

「ワタシが研究所に入所して、家族が幸せになりました、莫大なお金も貰いました、だからワタシはちゃんと義務は果たします、お金を貰って、ワタシは研究所で義務を果たす、当たり前です、だって研究所はワタシを買ったンですから」

 

―― だから、逃げ出す奴は殺されて当然です

 

 抑揚無く、篝捜査官はそう言い放つ。その眼には確かな意思と覚悟が存在していた。彼女の矜持と言うべきか、恐らく譲れない一線があるのだ。身を乗り出して俺を覗き込む瞳は黒く染まりながらも、確かな光を帯びている。

 

「どんな境遇でも、どんな人間でも、優位能力者で研究所に来た奴らは、皆金で買われて来たんです、そのお金は家族に、親族に、或は恋人でも良い、超能力者自身が指定して渡せます、誰もいないなら自分で持っていても良い、だと言うのに逃げ出す奴らがいる、確かに実験は辛いですし、痛いですし、気持ち悪いです、ケド、そういうのを全てひっくるめてのお金です、お金だけ貰って逃げるなんて、そんなの『平等』じゃないです」

 

 彼女なりの価値観、或は正義。平等という言葉に彼女は固執している様な気がした。けれどソレを指摘できる程、俺は肝が据わっていない。歪んでいる、そう思った。けれど安い同情も慰めの言葉も彼女は欲していない。

 椅子に深く座り直した篝捜査官は、黙って顔を強張らせる俺に笑い掛けながら言う。

 

「ワタシは自分が正しいとは思っていません、この仕事が正義だとも、けれどワタシの家族はどんな形であれ研究所に救われました、だからワタシは此処に居ます、研究所の件が信じられないのなら自分で調べてみると良いでしょう」

 

 最も、簡単に尻尾を出すとは思いませんが。

 そう言って再び羊羹に手を付ける、俺はその様子を見ながら何とも言えない感情に襲われた。それは自身の励んだ善行が全て報われていないと知らされ、正義の根本が崩れていく感覚だった。無論、目の前の篝捜査官が嘘を吐いているという可能性だってある、けれど彼女が嘘を吐いて得られるメリットは何だ? 変人だが、この人は悪戯で人をからかったり嘘を吐いて惑わせる様な真似はしない、それくらいの人となりは知っている。

 仮にその話が本当だとして、彼女自身は研究所を肯定していて、けれど他の超能力者はどうだ?

 まだ自己判断も出来ない年齢で入所した超能力者だって居るんじゃないか?

 研究所の脱走者が超能力犯罪を起こす事は頻繁にある、研究所側も脱走者を減らせる様対策を講じていると聞いたが、超能力には未知の部分が多々ある。超能力を打ち消す装置も、物理的な拘束も能力によっては意味を成さない。そうそう簡単に脱走を防ぐ事は出来ないのだろう。

 

 仮に。

 仮に彼女の話が本当だとして―― 

 

「……」

「うン? どうしたンですか、葛井サン」

 

 テーブルに両肘を着いて項垂れる俺に、篝捜査官は軽い口調で問う。俺の心境などまるで理解できないとばかりに、その表情に笑みさえ浮かべて。俺は血を吐く思いで口を開いた。

 

「……最近、どうにも分からなくなります」

 

 ぐるぐると回る思考、反して心は死んだよう。あの仮面の男もそうだ、あの【振動】を操る能力者だって、少しだけこの話を聞かなければ良かったと思った。

自分が此処に居る理由、隣に立つ親友、自身が積み重ねて来た全て、この手に握る力全て、それが全部偽物に見えて――

 

 正義って、何なんですかね。

 

 辛うじて呑み込んだ言葉は、まるで鉛の様に腹へと溜まった。

 

 

 

 

 





最近リアルがとても切羽詰まっております。
ヤンデレと攻防を繰り広げたり、人間関係でドロドロしたり、考査が近いので勉強したり、payなdayで銀行強盗したり………。
 一日40時間くらい欲しいです(´・ω・`)


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ここから始まる

いつもと比べて短いです、申し訳無い(凡そ4000字足らず)


「心配、したんです、とても」

 

 捜査官の四人組を殺害し捜査範囲の攪乱を終えた俺は隠れ家へと帰還した。一応即死する程度の力で容易く屠ってきたが、やはり効率を重視した分移動時間が増えた。結果、約束の時間から二分だけオーバーしてしまった。その俺を出迎えたのは、大粒の涙を零しながら淀んだ瞳で突っ立っていた澪奈。そしてその背後で鉄仮面を被ってピクリとも表情筋を動かさない弥生だった。

 

「お帰りなさい」

「あぁ、今戻った」

 

 弥生の言葉に頷きながら、こちらへと突っ込んで来た澪奈を受け止める。俺の胸にぐりぐりと額を擦りつけながら、強い力で俺を抱きしめる。俺は少しの罪悪感を持ちながら、「ごめん、二分遅れた」と口にした。

 

「二分じゃありません、二分と十三秒、です」

 

十三秒、足りません。随分と細かいところまで見られているモノだと思う、実際そう言われると返す言葉が無い、「……あぁ、ごめん」と口にして澪奈の髪をそっと撫でつけた。そのきめ細かく、甘い匂いのする髪を指で梳く。

その背後から弥生が一歩踏み出してくる、その瞳は真剣そのもの。 

 

「お疲れ様、首尾は?」

「捜査官を四人、確かに()()()、生き残りは居ない筈だ」

 

 念の為周囲も調べたが特に捜査官らしき影は無かった、無論超能力による自身の隠蔽や存在秘匿をされれば別だが。そう言った能力者が最初から身を潜めているとは考えにくい。

 今俺達が一番恐ろしいのは、俺の後を付けられ本拠地が敵に露呈する事。だからこそ、誰一人として逃がす事は許されない、どこからどんな情報が洩れるか分かったモノでは無いから。

 

「明日もこの作戦を続けよう、なるべく範囲を広げて、連中の網を攪乱する」

「分かった、情報は集めておくわ」

「頼んだ」

 

 自分の胸に頬を擦り付ける澪奈を強く抱き締め、その髪に鼻を埋める。息を吸い込むと優しく甘い匂いが鼻腔を擽った。胸元の澪奈が僅かに蠢き、熱い吐息が心臓に吹き付ける。とても落ち着く匂いだ、どこか幸奈と似た――

 脳裏に彼女の笑顔が浮かぶ、まだ生きていた頃の美しい幸奈。

 連中はこの子を見つければどうするだろうか、多分迷わず殺すのだろう。俺の前から幸奈を奪った時の様に。それは酷く独善的で、歪で、腐った理由(ワケ)

 

この弱い女の子を守る為に、この理不尽な世界から救うために。

「殺さなきゃ、殺されるんだ」

 

―― 容赦はしない

 

 

 

 その後も俺の捜査範囲の攪乱は続き、その策はある一定の効果を残したと思う。実際問題連中が俺達の潜伏場所に気付く事は無く、五日目を終えて計三十人近い捜査官を殺害した。その頃には捜査官側も攪乱を狙った捜査官狩りだと分かったのだろう、通常四人から三人行動の所を、倍近い六人から八人行動に変えた。

 何よりも驚いたのは、捜査官は研究所の超能力者と行動を共にし始めた事だった。超能力者犯罪の捜査は研究所の管轄では無い、あくまで脱走者を捕らえる事が優先される。そして一度研究所からの脱走者が表に出れば、後は捜査官達の仕事だ。本腰を上げたという事なのだろうか、それとも万全を期してか――

恐らく過去ここまで連中とやりあった奴が居なかったのだ、研究所の制御官が率いる超能力者は軒並み【Ⅲ】や【Ⅳ】の連中、通常の能力者では太刀打ちすら出来ない人材が揃っていた。初日に襲撃した捜査官は【Ⅰ】や【Ⅱ】の寄せ集め、随分と高く評価されたものだと独り笑う。

 

「この後は、どうするべきか……」

 

 一人天井を見上げ呟く、その木目を見ていると何となく気分が落ち着いた。場所はリビングのソファ。隣には体温の高い澪奈がぴったりと俺に引っ付いている。薄着で更に汗を掻いている為、色々と見えちゃいけないモノが見えてしまいそうだがそこは極力目を向けない様にする。

 この捜査攪乱は時間稼ぎが目的だった。時間を稼ぎ、後は連中の目の届かない場所へと住処を移す、其処で着実に力を蓄え連中を打倒する時を待つ、そういうシナリオだ。今日も捜査官を五人、この手で殺害した。俺は殺した人間の最後の顔を良く覚えている、恐怖と憎悪に支配された顔だ、べったりとタールの様にこびり付いた記憶。それを額の汗と一緒に手の甲で拭いとる、そして隣で船を漕ぐ澪奈を見た。

日に日に澪奈の密着度合いと拘束時間が長引いているのは心配故か、守ると決めた手前跳ね除けられないのが辛い所だ。無論、そんなつもりはないけれど。

 

「雪那」

 

 自分を呼ぶ声がした。声のしたリビング出入り口に顔を向ければ、弥生が端末を手に俺を見ていた。俺はそっと唇の前に指を立てる、澪奈を起こしてしまわない様に。隣で船を漕いでいる澪奈を見た弥生は―― 一瞬だけ眉を顰め、しかし直ぐに表情を消す。そのまま静かに俺の近くまで歩みを進めると、その端末画面を見せる。

 どうやら明日の捜査官達の捜査予測範囲らしい。その範囲にこの場所は含まれていない、成果は上々と言ったところか。

 

「次はどの連中を襲うのが良いと思う?」

「俺は、此処か……若しくはこっちだな、なるべく此処から離れている場所の方が良い、円型にならない様には気を付けるけど」

「なら、多分一番良いのは此処」

 

 弥生が指差した地点が拡大され、詳細がマップとして表示される。どうやら市外れの街道、その寂れた住宅街らしい。人目があるが問題無い、どうせ数分の出来事なのだ。

 

「よし、じゃあ次は其処だ、あとは――」

 

 言葉を続けようとして、弥生が異様に俺を見つめている事に気付く。思わず口を閉じて弥生を見上げた、その瞳は相変わらず光を持ちながらもどこか黒く淀んでいる。

 

「どうした……?」

 

 俺がそう問いかけるも、弥生は何も答えない。汗の張り付いた額と、フォーマルな格好を好む弥生はYシャツの上ボタンを二つ開けている。漂う色香に脳を揺すられながらも、俺は真っ直ぐ弥生を見つめた。

 

「……いえ、何も」

「……そうか」

 

 何か言いたげな弥生に俺は、しかし踏み込むことを躊躇う。弥生も特に何の反応を見せる事無く、「じゃあ、明日の準備はしておくから」と踵を返した。その背を見送りながら、俺は何とも言えない不安感を抱く。最後、リビングの扉の前に立った弥生は俺を振り返り、ふっと微笑んで見せた。

 

「雪那」

「……うん?」

 

 振り返った弥生の瞳を見る。

 そこには濁った黒と同時に、何かを信じる光が灯っていた。

 

「きっと、貴方は大丈夫、生きられるから」

 

 最初、彼女が何を言っているのか分からなかった。だから俺は怪訝な表情を浮かべる事しか出来ない。

 言葉は理解出来たが、その言葉の意味が理解出来なかったと言うべきか。

 弥生の笑みは美しいものだった。それは聖母の様に優しく全てを受け入れる慈愛に満ちた表情、けれど見方を変えれば全てを諦めた様な、そんな退廃的で、けれど寛容な、そんな微笑みだった。

 

「だって、貴方は正しいもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

「【Ⅴ】を動かすので?」

 

 白が全てを埋め尽くす世界、その中心で老人が笑っている。その表情はこれから何が起こるかをよく理解していて、その光景を待ち望んでいる人間の顔だった。皴が顔に緩急を作り、その瞳は三日月を描く。それは酷く歪な笑みで見る者に悍ましさを与えた。

しかし、目の前の人物はそんな老人の笑みを直視しても眉一つ動かさない。革張りの黒椅子に座る男は老人と比較して年若く、しかし対峙しているだけで肌が泡立つような威厳を纏った男だった。

 

「こういう時の為のランク【Ⅴ】だ、使()()のはセクタⅩの【予定調和】(完全予知)、解放の準備をしておけ」

 

 男がスチール製のデスクの上に一枚の書類を取り出す、其処には一人の少女の写真と詳細が書き込んである。それはセクタⅩに隔離されているランク【Ⅴ】、予定調和と呼ばれる能力者。

 

「ははぁ、あの少女ですか、これはまた大事になりますな」

 

書類を受け取った老人は言葉で面倒そうに、しかしその笑みは変わらず悍ましさを湛えて頷く。「大事にしない為のコレだ」と男がゆっくりと席を立ち、老人の隣へ歩みを進めるや否やその肩を叩く。表情はピクリとも動かさず、目は此処では無い遠いどこかを見つめている。老人はこの男の事を良く理解していた、だから男の心情は手に取る様に分かる。

 

「いい加減、警察側が煩くてな、連中存外やれるらしい、殉職する捜査官が増加の一途だそうだ」

「ほほほ、それは何とも、警察側には申し訳無い話ですが、是非拘束して弄り回してみたい能力者ですな」

 

 男がふっと笑みを浮かべ、老人もまた笑う。

 良き理解者だからこそ示せる証と言うべきか、男の目が老人の濁った瞳を射抜く。

 

「拘束出来ればそれが良い、きっと素晴らしい被検体になってくれるだろうさ」

「それは……可能であれば拘束せよとのお達しで?」

「解釈は任せる」

 

 それは言外の指揮権委任。

 「頼んだぞ」と一言だけ告げ、男はそのまま隣を抜ける。

 男が出口に向かい、その黒いスーツ姿が扉の向こう側へと消えた。老人は手にした資料にもう一度目を落とし、その笑みを更に深くした。その目線の先にあるのは予定調和の少女。この世に二つと存在しない特大級の能力保持者。

 

「楽しみですねぇ」

 

 目を細め、喜々としてその残酷な未来に想いを馳せる。

 その先にはきっと、自身の望む結末が待っていると信じて。

 

 

 

 




 この主人公は最強です、少なくともタイマンなら【Ⅴ】の能力者でも勝利します。
ただし三分という時間制限付きと、タイマンという条件ならば……です。




以下小説とは何も関係のない話 ※ヤンデレニウム含む

 前回後書きでヤンデレと攻防した件なのですが、気付いたら高校の同級生が彼女になっていました。
 何を言っているか分からないかもしれませんが私も何が起こったのか全然(ry

 あれは休日の昼頃でした……
 一人で黙々とゲームをしていたら、突然小学校から付き合いのある親友からlineが飛んで来まして。「なぁなぁ、〇〇さんって知ってる?」との事。その友人は大学が遠くの方になってしまって、最近ではあまり連絡も貰っていなかったので少し驚きました。

「〇〇さん‥‥?」

 私の脳内に浮かんだのは高校時代、ぶっちゃけリア充(DQNとも言う)の巣窟だったあの場所で静かに友人と話したり、本を読んだりしていたクラスメイトの姿でした。第一印象は大人しい、それでいて真面目、(主観的ですが)そこそこ可愛らしい容姿だったと覚えています。確か卒業間際は自分の席に近かったはず。覚えていると言えば覚えている、しかしその実その人とどんな事を話しただとか、どんな人だったとかは凄くぼんやりとしか覚えていない。
 結局どこか喉につっかえるものを感じながら、「あーっと、うん、一応知ってる、クラスメイト」と私は答えました。

 自分の学校は極端に男子の数が少なく、うちのクラスなどは男子四人に対し女子三十人とかだったので、正直もう女子生徒の名前とか覚えていませんでした。しかし辛うじて記憶の琴線に引っ掛かる位には印象的な人物だったのです。
 といっても、本当に辛うじてですか。

 ― マジか、実はそのクラスメイトさんからlineが来たんだけど

 なぬ?
 私は少しだけ戸惑いました、親友とそのクラスメイトには明らかに接点が見えなかったからです。同時に、何故私にそんな話を振ってきたのかと疑問にも思いました。そしてゲームをポチポチしながら次、ラインを開いたとき、その文が目に飛び込んできたのです。

 ― 何か、トクサンの彼女なんですけど、 とか言って来てるんですが。


「えっ、何それ知らない」


※この文章は七割の真実と二割の脚色、そして一割の「どうか本人の目にとりませんように」という願いで構成されております。


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『予定調和』

 やっとメインヒロイン出て来た(白目)


 人間なんてちっぽけな存在さと、吐き捨てたのは誰だったか。小学校の時の友人だった様な気もするし、高校の時の捻くれた先輩だったかもしれない。自分と言う矮小な存在を世界規模で見た時、その小ささに絶望する。それは俺にも良く分かる感覚だった。

 幾ら自分を変えようと、その本質は何ら変わらない。

 億単位の人間が国と言う集団を形成し、その中で幾ら一匹が泣き喚いたところで何も起きないし、どうにもならない。それを俺と言う存在は命を捧げてまでやろうとしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 真夜中。

 時計は既に二時を回っていた。虫の声で少しの風音、それと隣から聞こえて来る澪奈の寝息。既に慣れたもので、澪奈を隣にしても俺は心乱される事無く安眠出来た。香る甘い匂いも吐息も、既に安眠を得る要素の一つに過ぎない。

だから夜中に目を覚ますのは、本当に久しぶりだった。

 瞼を開けば暗闇にうっすらと浮かび上がる木目、月明かりだけが頼りの部屋は静謐に満ちている。隣から感じる体温、少しの寝汗。窓の外には明るい満月が闇夜を照らし、うっすらと自身の手を翳す。今日はやけに月明かりが明るく見えた。

 

「……何だ」

 

 特に何をしたわけでもないのに、やけに目が冴えた。まるで見えない何かに引っ張られる様に、俺は隣の澪奈を起こさない様細心の注意を払ってベッドを抜け出す。ギシリとベッドのスプリングが鳴って、足が冷たい床に引っ付く。それがまた俺の神経を刺激し、そのまま澪奈を残して寝室を後にした。

 

 階段を降りてリビングの前に差し掛かる、何故目が覚めたかは分からないが水の一杯でも飲めば落ち着くだろう。そう思っていたが、リビングに人の気配を感じた。それは馴染みのある気配で、恐らく弥生か秋だろうと考える。

 こんな夜中にどうしたのだろうか、もしかして自分と同じく眠れないのだろうか? そんな事を考えながらリビングの扉をそっと開く。何故か明かりは点いておらず、開かれたカーテンの隙間から淡い月明かりだけが差し込んでいた。それがフローリングに反射して幻想的に室内を照らす。

 

「秋? 弥生?」

 

 呼びかけながら室内へと一歩踏み出す、しかし返事は無く、その気配は一ヵ所に留まり続けていた。見ればリビングのソファに誰かが座っている、月明かりが足元だけを照らし太腿辺りまで視認出来た。そしてよく見れば、それが秋である事に気付く。

 もしかして、寝ているのだろうか? 俺は思わず笑みを浮かべてしまう。

 大方、俺と同じように眠れなくなってリビングに来たものの、ソファで寛いでいたところに睡魔が襲ってきたと言った感じだろう。確定ではないが、どこか子どもらしい行動に勝手に親近感を抱く。見ればテーブルには飲みかけの水が一杯、そのまま置かれていた。予想は確信へと変わる。

まぁ兎に角、こんな場所で眠っていたら冷えて風邪を引いてしまう。

 だから俺は秋に近付いて肩を揺すろうとした。

 

「おい、秋――」

 

 ぴちゃりと、自分の足に何か生暖かいモノが触れる。

 同時に水の跳ねる音が耳に届いた。

 

「何だ……?」

 

 裸足の足に絡みつく水っぽい何か、もしや白湯でも零したのかと足元に視線を落とす。暗闇で見えないが、それは妙に生暖かかった。床に零したらなら、掃除しなきゃまずいだろと内心秋に苦言を呈す。

 そうこうしている内に月へと掛かっていた雲が揺れ動き、月光がカーテンの隙間から少し伸びた。その範囲に俺の足元も含まれ、淡い銀色が俺の足元を晒す。

 

 

 

 破れた肝臓、眼球、砕けた骨、裂かれた胃、零れる胃液、爛れた皮膚、肉片、小指、僅かに動く心臓、引き抜かれた様な背骨、血、臓物、骨、血、臓物、骨、血、臓物――

 

 

 

「は」

 

 一瞬、俺は頭の中のすべてが吹き飛んだ。自分の足元に散らばるそれらが理解できない、臭いもせず、あるがままで、しかし秋の気配はそこにあると言うのに。

 そして動く月が、さらに照らす範囲を伸ばす。それは足元しか見えなかった秋の全容を俺に見せつけた。

 

 半分砕けた頭、伸びきった舌、引き裂かれた喉、空洞になった胴体、唯一綺麗なままの下半身、腕は存在せず、右腕は俺の足元にぐちゃぐちゃになって転がっている。肋骨が露出し、あるはずの臓物はなく、肺が無機質な標本の様にあるだけ。

 

「あ」

 

 唇が戦慄いた、何か形容し難い感情が自分の中で爆発的に増大する。心臓が早鐘を打って視界が赤く染まっていく。

 やばい。

 壊れる。

 自分という存在が、雪那という人間が。

 のろのろと俯いて、視界に入るのは自身の足。

 

 自分の足が濡れている。

 これは何だ。

 血だ―― 誰の?

 秋の。

 秋は。

 秋は、何で――

 

 

 何で死んでいるんだ?

 

 

「雪那」

 

 声がした、知っている人間の声が。

 素早く振り返って、その目に見たのは弥生の姿。いつも通りの寝間着で、いつも通りの表情で。その顔に少しの微笑みさえ携えて。

 

「や、弥生……?」

 

 声が震えていた。いや、ここに来て少なくとも仲間に近い存在が現れる事によって、俺は思わず感情を爆発させてしまった。

 

「あ、秋が、弥生ッ! 秋がッ!?」

「大丈夫、大丈夫だから、雪那」

 

 微笑みを絶やさず、弥生は大丈夫と繰り返す。俺は首を横に振った、何が大丈夫なものか、秋が死んでいると言うのに! 俺の頭は赤く染まりながらも思考を止めない、誰がやったのか、何故殺されたのか。答えなど分かりきっているのに、それを認めなくない自分が居る。

 

「大丈夫、大丈夫だよ、だって貴方は――」

 

 ふらりと弥生が揺れる、その表情を笑みで象ったまま。

 そして腹部からじわりと、赤色が広がった。それが何かを俺は本能的に理解する、遅れて鼻に届く鉄の匂い。ここ最近、嗅ぎなれた匂いだった。殺し、殺し、殺し続けて来たから。それが、何で弥生から、秋から全く感じなかったのに、だってそれは。

 

貴方は正しいもの

 

 

 

「ぶぁあああァアアアアんンゥンッ!」

 

 弥生の腹部から腕が生えた。骨を砕き、臓物を穿ち、皮膚を突き破る。勢いで飛び出した血液がピシャリと俺の頬に付着し、ついでに床も赤く染め上げる。比喩でも何でもなく、少女の様な細い腕が突き出てきた、それは真っ赤に染まったまま弥生を絶命に至らしめる。ガクンと弥生の体が力を失って、何度か痙攣した後に完全な脱力状態となる。その腕が引き抜かれると同時に床へと崩れ落ちた。瞳は閉じず、黒く濁ったまま俺を見る、まっすぐ、俺だけを。

 

「……弥生?」

 

 返事はない。死んでいるというより、眠っていると言った方が現実味があった。僅かに笑みを浮かべて、横たわっているだけ、そうだろう? なぁ。

 俺は倒れた弥生からのろのろと視線を上げる、そこに立っているのは捜査官の服を着崩し、その首に(カラード)を巻き付けた少女と言うべき年齢の人物。その片腕を真っ赤に染めながら、「イヤッホォ! 一発即死、ワタシはこれを【神の手】(ゴッドハンド)と名付けまぁす!」と(はしゃ)ぐ。

 

「いやでも、この人なんで超能力使って来なかったンですかね? ね、リューガイさん」

「……この女は能力を持ってない、元研究所の人間だって局長が言ってただろ」

 

 あれぇ、そうでしたっけ? なんて首を傾げながら、そいつ等はゾロゾロとリビングへと入ってくる。その数は十人以上。全員が首輪を身に着け、バラバラの恰好をしている。その唯一の共通点は、(カラード)

 研究所の連中だ、それだけは分かった。

 

「火傷の痕、コイツが捜査官殺しまくってる仮面(マスク)?」

「そうっぽいね、というか此処に居る時点で確定でしょう」

「……さっさと殺して終わろう」

「慌てんなよ、【予定調和】が崩れる事はない―― だろ?」

 

 小雪

 

 最後に一人、遅れてリビングへと入ってくる影が一つ。呆然と連中を眺めていた俺の目に、ソイツの姿が映る。連中と同じ(カラード)を身に着け、雪の様に白い肌、白い髪、整った容姿。月光に照らされたその姿は、神に愛されていると断言できるほど美しい。その女性と視線が交差し、彼女は俺を見るや否やゆっくりと笑みを作った。

 

「しかし、たった一人の為に【Ⅴ】を雑兵の如く使いやがって、今度局長に直談判してやる」

「いいじゃァないですか、ワタシなんて【Ⅳ】だから良いように使われてばっかりなンですよぉ?」

「捜査官になったのは流石に笑ったわ」

 

 和気藹々と雑談する目の前の連中、まるですべてが些事の様に。楽し気に、なんでもなく、平然と。

 

「お前ら」

 

 唇が、ようやく言葉を紡いだ。

 連中の雑音の中で俺の言葉はよく響く、俺の拳からは血が滴っていた。血が滴となって床に垂れ、秋の血液と混ざる。

 連中の瞳が一斉に俺を捉え、その中の一人、少女の様な外見をした奴が飛び上がって笑う。

 

「あ、お久ぶりですねェ、お兄サン、って言ってもワタシが一方的に知っているだけですケド、あのお姉さん、元気ですか~? ほら、あの、何て言いましたっけ、確か『幸奈』でしたっけ?」

 

 俺の目が発言者の姿を射抜く。

 捜査官の服を着ながら、その首に(カラード)をしたアンバランスなその少女―― いや、女。弥生を殺して真っ赤になった腕を振りながら、「あっ、違う、間違った」と自分の言葉を訂正する。

 

 その顔をぐにゃりと、歪に捻じ曲げながら。

 

 

 

「私が、殺したンでしたっけ、『幸奈サン』」

 

 

 

「おぉォマぇェエえェえエエええっッ!」

 

 もはや言葉ではなかった。

 憎悪を極限まで圧縮しぶち当てる様な、そんな絶叫。

 変身の韻を踏むことなく、俺の姿はヒーローへと形を変える。フローリングを踏み砕き、その女へと殴り掛かる。幸奈を殺したという()()に、弥生を目の前で殺した()に。最大限の怒りと憎しみを込めて。

 

【空間固定】(エリア・ロック)

【物質透過】(マテリアル・スルー)

 

 しかし俺の拳が女の顔面を砕く寸前、俺の体が急激に重くなる。全身に「動くな」と命令が行き渡っているかの様に、まるで水の中で拳を振るっている感覚。だがそれでも止まらない、拳はそれでも尚余りある破壊力で女の頬に突き刺さる。

 しかし、接触(インパクト)の瞬間、女の姿が目の前から消失し、俺の拳は宙を切った。そして拳が空振りした瞬間、女が再度出現する。

 

「コイツ、固定した空間の中で平然と動きやがるぞ」

「透過してなかった、アナタ死んでたわよ」

「うっひょォ、強いですねエ!」

 

 見れば連中の中の二人が、俺と女に手を翳している。どうやら能力を行使したらしい、けれどどんな能力だとか、どれだけの戦力差があるのだとか、そんなのを冷静に分析できる思考力が、今の俺にはない。目の前のコイツを殺す、何が何でも殺す、生きてきた事を後悔させてやる事しか、今の俺の頭にはない。

 

「殺すっ、殺す殺す殺すゥ、殺してやるッ、何度でも地獄を見るまで、お前のその顔面を砕いて、臓物引きずり出して殺してやるッ! 死ねッ、死にやがれッ! 死ねぇええエェエエッ!」

 

 水の中で腕を振るう、振るう、振るう。

 一発で鋼鉄を砕き余りある怪力、それらを何度となく女に叩き込むが、その度に女の姿は掻き消える。虚像を殴っている様な手ごたえ、だがそこに女は確実に存在しているのだ。俺が拳を振るう瞬間だけ、女は姿を消す。ならばもっと速く、女が消える前に拳を叩き込む。

 

「おい、ソイツ止めろ」

「はいはい……【厳罰禁則】(オール・ギルティ)

 

 殴る殴る殴る。けれど近くに居た童顔の男が能力を行使した瞬間、俺の拳が一ミリも動かなくなる。動かそうとしても、女を殴る寸前で腕が止まる。まるで女を殴る事が出来なくなったかのように。

 

「……この人、マジで人間? 【(カガリ)を傷つける事を禁ズ】って念じたのに、【拳で傷つける事を禁ズ】に書き換えられたんだけど」

「並みの精神力じゃねぇな」

 

 拳がダメなら足を使う。思考は素早かった、少なくとも女を殺すことに関しては。

 フローリングを砕き、轟ッ! と唸りを挙げて蹴りが女に迫る。だが最後の最後で、強力な能力が俺に行使された。

 

【指定加速】(アクセル)

 

 ズンッ! と自身の体が重くなる、それは嘗て味わった重力操作の加重すら凌ぐ、圧倒的重量。フローリングが砕けて、俺は半ば地面に埋まる形で動きを止めた。中途半端に足を振り上げた姿勢が災いした、そのまま微動だにしなくなる肉体。変身状態で完全に拘束されるなど、初めてだった。

 地面に這いつくばった俺を、連中が囲む。

 

「……君に掛かる重力を加速させた、今の君は一時間で掛かる重力を一秒に凝縮して味わっている、正直普通なら死んでるよ、君」

「ぐ……ぉォ、あァ、殺すッ、絶対にィ、何がッ、何でもぉォ!」

 

 手を伸ばす、だがそれすら叶わない。空間が固定され、重力による枷を付けられ、傷つける事を禁止された。【Ⅴ】の能力者が行使する異能は、全て今の俺に届き得るものばかり。一人だけならば殺せよう、だが数の暴力とは余りにも―― 惨い。

 

「クソ、くそっ、くそぉォオオ! 死ねッ、死ねよッ! 殺させろォッ、お前は、俺がッ、絶対に殺すッ! 殺す殺す殺すッ!」

 

 獣の様に喚き、爆発的な殺意だけを原料に体を動かそうとする。しかし、【Ⅴ】の能力多重行使は俺の能力と競合し、尚勝った。体に圧し掛かる重力、空間を凝縮し固定された状態、更に拳を禁じられ、正に雁字搦め。

 

「【Ⅳ】とか嘘でしょ、多分単独で戦ってたら死んでたよ、僕」

「【Ⅴ】の危険指定階級(エデンクラス)か、マジモンの化け物だぞコイツ」

 

 周囲を囲む雑多が何かを口にする、だが今の俺には届き得ない。怒りと悲しみ、後悔、殺意だけが全てを支配している。幸奈を殺した、弥生を殺した、秋も殺した。守ると違った人間が次々と、こうも容易く、易々と、簡単に。何が殺す覚悟だ、何が切り捨てる力だ、選ぶも何も、俺はまだ―― 

 

「――雪那?」

 

 声がした。

 場違いな、寝起きで、少し擦れた声だった。それは忘れもしない、聞き慣れた声だ。先程まで自分の隣で安らかに寝息を立てていた、澪奈の声だ。俺は素早くその方向を見た、澪奈がぼうっと立っていた、寝間着のまま俺を見ている。恐らく騒音で目が覚めたのだろう、だがそれは余りにも無防備だった。

 

「澪ッ――」

 

 澪奈、駄目だ、逃げろ。

 澪奈に戦う能力は無い、せめて彼女だけでも生き延びて欲しい。

 そう口にしようとした、口を開いた。

 けれど。

 

逃亡者(ハンザイシャ)、はっッけぇぇでぇェェすゥッ!!」

 

 それより早く、女が駆けた。弥生を殺した真っ赤な腕のまま、澪奈との距離を踏み潰した。澪奈の目には何も見えなかったに違いない、女は壁を蹴り、天井を駆け、そのまま澪奈の頭上に飛び出した。何も分からず、何も知らず、ただ俺を見ていた澪奈の首が――

 

「【剛力】イッパツッゥ!」

 

ゴキュッ、と音を立てて捻じ曲がった。圧倒的な怪力で、彼女の首が三百六十度回転したのだ。余りにも呆気ない最期だった、余りにも早すぎる動きだった。回転に耐えられなかった首が千切れ、首から骨が飛び出している。

 

「あ…ぇ?」

 

 捻じ曲がった首のまま、澪奈が声を上げる。けれど直ぐに瞳が濁り、飛び出した骨が血を噴き出した。そのままフラフラと体が揺れ、ゴトリとフローリングの上に横たわる澪奈。ジワリと血が広がって、もはや澪奈は物言わぬ屍になった。僅か数秒の出来事だった、その数秒で俺は、最も殺してはいけない人を、殺した。

 

「ぁ」

 

 言葉は無かった。

 最早枯れた。

 何を言おうとしても、喉が引き攣って、声が出なかった。

 

 幸奈が死んだ、秋が死んだ、弥生も死んだ、そして最後に―― 澪奈さえも、目の前で。

 守るべき人が、皆俺を置いて死んでしまった。余りにも呆気なく、そこにはドラマも、悲劇も、死ぬ意味すら無く、ただ淡々と無情に潰えた命だけがあった。それを回避する為に、それを実現させない為に、俺は、誓ったというのに。

切り捨てると覚悟したと言うのに、何を犠牲にしても生きて貰うと誓ったのに。その為に俺は、()でさえ切り捨てたと言うのに――

 

 違う。

 違う、そうじゃない、切り捨てるとか、切り捨てないとか、何を犠牲にするとか、そういう話じゃない。誓いだけでは変えられない、覚悟だけでも変えられない、内面が幾ら変質しようと、それは世界に何ら影響を与えない。与えられるのは()という極限られた世界(セカイ)だけ。

 簡単な話だ、幸奈が、秋が、弥生が、澪奈が死んだのは。

 俺は、俺が――

 

 

 【俺が弱いから死んだ】

 

 

 俺が全ての真実に気付いた時、時は無情にも百八十秒を数えた。

 

 瞬間、生身に戻った俺に圧倒的な重力が圧し掛かる。ただの人間には耐えられないソレは、容易く俺の脳を潰し、眼球を抉り、骨諸共臓物をフローリングと同化させた。痛みも何も感じる暇はない、ただ気付いた時には死んだ、それだけだった。

 

 余りにも呆気ない、正義を目指し、足掻いた一人の男の末路。

 

 

 最後に見た光景は、【予定調和】と呼ばれた【Ⅴ】の女が微笑む顔。

 そして、耳に届いた、最後の言葉。

 

 

『大丈夫です、此処で貴方が息絶える事すら』

 

 

 ―― 【予定調和】 ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かっちゃんスゲー!」

 

 学校の裏庭、僕らが秘密基地として好むそこは放課後になると人の気配が全くなくなる。時刻は夕刻、太陽が沈み始め薄暗い視界の中で、ぱっと光が生まれた。

 目の前で指先に炎が躍る、それは変幻自在に形を変えて時にはマッチの様に小さく、時には渦を巻く様に、時には動物の形になったりして僕を楽しませた。

 指に炎を灯らせた少年は、「凄い凄い」と騒ぎ立てる僕を見て、それはもう嬉しそうに笑う、そして最後に一際大きな炎を見せると、ぐっと拳を握って炎を消し去った。

 

「先生が言うには、えんねつ? 系の能力なんだってさ、上手く行けば『ゆーい能力者』っていうのにもなれるって」

「すげぇ! 良く分からないけど、かっこいいね!」

 

 小学生の時期。

 一番最初の全国一斉超能力発現検査―

 それによって能力を発現した、かっちゃんの姿。

 

 相変わらず、この頃の僕は語彙力に乏しかった。

 けれど僕なりに凄いって事を伝えたくて、少し大げさなくらいに喜んで、声を上げて、我が親友に笑いかけていた。その目の前の親友は、僕の喜びように頬を緩ませて満更でも無い笑みを浮かべる、そこには超能力を発現した嬉しさ以上に、僕との絆を強く感じられる笑みだった。

 能力は【炎熱】、単純に炎を操れる能力、個人差によって火力は異なるが、かっちゃんの場合は中の上と言った所だった、ギリギリ優位能力者に認定される熱量。けれど危険種と判断される程では無く、成人するまでは自由に進路を決める事が出来るとされていた。

 

「でも、超能力って、本当にあったんだね」

 

 自分でも驚きだよと、未だに信じられないと自分の掌を見下ろすかっちゃん。そんなかっちゃんに僕は、「いいなぁ、いいなぁ」と体を左右に揺らした。

 

「僕も欲しいよ、かっちゃんみたいなの」

「んー……でもさ、こんなの、お風呂沸かすとか、料理するとか、そんなのにしか使えないと思うよ?」

 

 小学生の考える火の使い方に、僕は「そうかー…」と考え込む。そしてふと、「どんな能力だったら、かっちゃんは嬉しい?」と問うてみた。

 

「そうだね、とー君と楽しく遊べる様な、そんな能力が良かったなぁ」

 

 炎は危なくて、あんまり使えないし。そう言ってかっちゃんは肩を落とす、僕は必死に「そんな事無いよ!」と先程の衝撃を体全体で表現した。この頃、純粋な炎など目にした事が無かった僕は、その美しさに見惚れていたと言っても良い。

 

「なら、あれだ、僕が能力を『はつげん』するよ!」

「とー君が?」

「うん! そうだなぁ……」

 

 かっちゃんを元気付ける為に、考えて考えて、思い立った僕は近くの古びた長椅子によじ登り、その上でテレビの向こう側と同じポーズを取った。口で「シャキーン!」と効果音も付けて、ぐっと顔は笑みを象る。

 

「【正義のヒーロー】になれる能力! とかどうかな!?」

 

 正義のヒーローになって、悪者をやっつける。そういう遊びを僕らは幾度となく繰り返して来た、悪者は僕らの想像の中、そんな奴らを蹴散らして僕らは世界で一番強く、カッコイイヒーロー。

 椅子の上に立ってポーズを決める僕を、かっちゃんはどこか眩しそうな、嬉しそうな目で見つめて、大きく「うん、良いね、それ!」と頷いた。

 

「待ってろよ、かっちゃん! すぐに能力が『はつげん』して、一緒に遊べるようになるから!」

「うん、待ってるよ! ずっと待ってる!」

 

 僕が変身ヒーローで、かっちゃんは『えんねつ』系ヒーロー。

 姿はどんなので、名前はこんな感じで、必殺技はどういうのが良いか。

 僕らはまだ見ぬ想いを馳せて、見回りの教師に見つかるまでずっと話し続けていた。

 

 

 

 それから九年、結局僕は能力を発現させる事が出来ず、かっちゃんは高校卒業と同時に『超能力犯罪捜査官』となった。

 

 炎熱系の能力を使って、超能力犯罪を少しでも減らすらしい。

 それが彼なりのヒーロー、【正義】への道だった。

 

 僕は超能力を発現させる事が出来なかったけれど、かっちゃんはそれでも僕と普通に接してくれた、ずっと親友で居てくれた。

 あの時の約束は既に色褪せてしまったけれど、彼は未だに諦めていない。

 

「待ってるから、とー君」

「……うん、待って、必ず、追いついて見せるから」

 

 能力が無いからなんだ、能力者だからなんだ。

 僕らはこうして、手を取り合って生きていける。

 何も正義を行うのに能力は絶対じゃない、僕は僕なりの道を、かっちゃんと一緒に歩ければそれで良いのだ。

 

 それで良いのだ―

 

 

 

 

 

 

 

 良いわけ、無いだろう。

 

 

 





【予定調和】

 別名『完全予知』
未来のあらゆる出来事を予知できる能力、それを覆す事は不可能。
予知された時点でその未来は『絶対不変』となる。
 仮に他の予知能力者等が、彼女の能力によって未来が改変した事を理解し、未来を改変した場合。
 正史に戻すため、時間が巻き戻る。
 その未来が『能力者が予知した通り』になるように、何度でも何度でも。

 故に【予定調和】

 現状、時間が巻き戻る事は能力者本人以外、誰も知らない。



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リフレイン

「正直ね、もうそろそろ、諦めても良いんじゃないかなぁって、私は思うの」

 

 目の前の女が語る。

 神に愛された容姿を持ち、雪の様な白を全身に持つ少女が、さながら友人に語り掛ける様に。世界は不変で、自身もまた変わらず、ただ少女だけが生きていた。見えないテーブルに肘を着き、少女はフラフラと頭部を揺らしながら自分を見ている。

 

「【予定調和】は正史に辿り着くまで、何度でも、何度でも時間を巻き戻す、その正史を決めるのは他でも無い、私、だから君が私を選んでくれないと、先には進めないの、いい加減さ、何回も何回も何回も何回も何回も何回も、痛い思いするのも嫌でしょう? 辛い思いするのも嫌でしょう? そろそろ、他の子にさ、目移りするのも、やめようよ」

 

 少女は言う、自分は何度も同じ場面を見てきたからと、未来を見通して尚、貴方は『間違った方向』に進み続けていると。そろそろ、正史に戻っても良いのではないかと。自分は何度も同じ道を逝ったのかと問いたくなった。けれどその問いの答えを既に自分は得ている。

 

「未来の恋人が、私以外の異性とイチャイチャするのもさ、見ていられないし」

 

 そう言って少女は屈託なく笑い、俺の目に指を突きつけた。本当なら死ぬのも見たくない、苦しんでいる姿も見たくない、けれどこれも、全て貴方が【選んだ】事。

 

「この台詞(セリフ)を言うのも、何回目か、もう私も覚えていないの、だからホラ、そろそろさ――」

 

 諦めようよ。

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中。

 時計は既に二時を回っていた。虫の声で少しの風音、それと隣から聞こえて来る澪奈の寝息。既に慣れたもので、澪奈を隣にしても俺は心乱される事無く安眠出来た。香る甘い匂いも吐息も、既に安眠を得る要素の一つに過ぎない。

だから夜中に目を覚ますのは、本当に久しぶりだった。

 瞼を開けば暗闇にうっすらと浮かび上がる木目、月明かりだけが頼りの部屋は静謐に満ちている。隣から感じる体温、少しの寝汗。窓の外には明るい満月が闇夜を照らし、うっすらと自身の手を翳す。今日はやけに月明かりが明るく見えた。

 

「……何だ」

 

 特に何をしたわけでもないのに、やけに目が冴えた。まるで見えない何かに引っ張られる様に、俺は隣の澪奈を起こさない様細心の注意を払ってベッドを抜け出す。ギシリとベッドのスプリングが鳴って、足が冷たい床に引っ付く。それがまた俺の神経を―― 

 

既視感。

 

何かが俺の思考を刺激する、俺では無い何かが、この光景を見た様な気がした。勢い良く振り返り、澪奈の姿を視界に収める。ゆっくりとした呼吸に、安らいだ表情。いつもと変わらない安寧、子供らしさの残る可愛い顔。

 

それが、無残にも散る姿を俺は知っている。

 

首を捩じ切られ、澪奈は死ぬ―― その未来を俺は知っている気がした。

夢だろうか? いや、夢にしては酷く現実的だった。既に澪奈が死んだと言う事実、その世界を見て来た、その死に顔も、死ぬ過程も、全て。それは夢と断言するには余りにも脳裏にびったりとこびり付いている。

途端、あらゆる既視感が自分の中に雪崩れ込んだ。これから起こる事、未来の出来事、自身の結末。そして、俺は訳も分からぬまま駆け出す。ただ一つ分かる事は、このまま進めば自分達は――

 

階段を駆け下り、リビングへと飛び出す。扉を開け放った先には、秋が驚いた顔で自分を見ていた。その姿はいつも通りで、決して物言わぬ屍などでは無い。緩い寝間着を身に纏いながら、秋が表情を崩す。突然リビングに飛び込んで来たから驚いたのだろう。

 

「どうしたんだ、そんなに慌てて、夢見でも悪かったのか……?」

 

手にしたコップを握りしめながら、秋はそんな風に笑う。だから俺は無言で秋の手を掴み、リビングを後にした。手にしたコップが零れ落ち、そのままフローリングに重い音を立てて転がる。中の白湯がゆっくりとカーペットに染みを作った。

 

「ちょ、何? どうしたの!?」

 

 秋が騒ぐが、今の俺に余裕は欠片も存在しなかった。階段の前まで来たところで、俺は振り返り秋の両肩を強く握る。当の秋は困惑と、若干の恐怖を瞳に宿していた。

 

「上に澪奈が寝ているから、裏の車まで運んでほしい、出来れば【迷彩】(クローク)を使って身を隠しながら、細心の注意を払って」

 

真剣な表情で秋に言い伝える。秋は一瞬驚きに目を見開いて、次にすっと表情を変えた。静かに「敵?」と聞いて来る、俺は一も無く頷いた。こういう時、彼女の闘争心は素晴らしいの一言だ、取り乱す事も無く、ただ淡々と事実を受け入れ行動する。後は流れるままに、「任せて」と呟いた秋が姿を消す。能力を使ったのだ、粒子を可視化できない俺は彼女を見つける事が出来ない。

俺は彼女を信頼し、背を向け走り出した。

 

 俺は弥生を探していた、彼女に割り当てた寝室は一階だが、そこに居るとは微塵も思っていない。自分が最後に彼女を見た時、既に致命傷を負っていた、あくまで記憶の話ではあるが。

であるなら、『あの女』が弥生と一緒に居る可能性が高い。嫌な記憶だが、確かに存在した『ナニカ』、そして俺は家の裏側へと飛び出す。

 

「っ、雪那!?」

 

裏口の扉を蹴り破って外に転がり出た俺は、弥生を見つけた。暗がりの中で、月明かりが彼女の存在を照らしている。周囲で騒めく木々が「此処に居るぞ」と伝えてくるようだ。ついでに、あの悍ましい怨敵の姿も。

弥生は手に消音付の拳銃を持ち、能力者と対峙していた。その能力者は、小柄で、髪が白く、童顔で、(カラード)を付けていて、ニマニマニマニマと笑みを浮かべているアイツ―― たった一度の邂逅(かいこう)でも、忘れられない存在。

女は俺を見つけて、少し驚いた顔をした後、再び満面の笑みを浮かべた。

 

「おぉぉオ!? これは、これは、藤ど――」

「変身」

 

口を開く前に、能力を行使した。理由は無かった、躊躇いも無かった、情も無かった。

女の姿を見た瞬間、俺の脳にあるかも分からない記憶が叫んだ、正確に言うのであれば記憶に含まれている俺の感情とでも言うべきか、それが凄まじい勢いで身体中を駆け巡った。ソレは【僕】の感情でもあった。

純粋な憤怒と憎悪。

黒く、黒く、余りにもどす黒い感情が世界を染める。

指先から爪先まで、一片たりとも漏れ出す事の無い感情の爆発。それは精神に左右される能力に多大な影響を与え、俺は知り得る限りの最速を以て変身し、女に殴りかかった。

女には何が起こったかも理解させない、女が見た光景は、俺が現れ、地面が爆発し、拳が己の顔面を撃ち抜く(さま)だけ。

怒りと言う燃料をぶち込んだ両足は凄まじい力で地面を踏み砕き、音速の壁すら突き破った。衝撃波(マッハコーン)が女の体を強かに打ち、次いで振りかぶった拳に力が籠る。それを己の持ち得る力全てで振るい、女の顔面にめり込ませた。

 

「ォあァあアアッ!」

 

ミシリ、と肩から腕にかけての筋肉が軋む。変身状態ですら体が悲鳴を上げる一撃、それは正に渾身、自身の耐久値を上回る攻撃。

今、俺の姿はただの黒色でしか無かった。外見を形作る力でさえ、たった一発、殴るだけの力に込められていた。拳が女の頬に突き刺さった瞬間、凄まじい衝撃と共に周囲の木々が捻じ曲がる。体ごとぶつかる様な拳は女を文字通り『ぶっ飛ばした』

 

 ボッ! という音がして、女の体が首を中心に吹き飛ぶ。何度も縦回転を繰り返し、打ち上げた女の体はあっと言う間に夜空の向こう側へと消えた。そして二つ隣の山頂辺りで、ドンッ、と小さな音。夜の蚊帳では土煙まで確認する事は出来ないが、確実に殺した手ごたえがあった。ゆっくりと月明かりで確認すれば、山の山頂が僅かに消えている。

 殺した。

 確かに殺した、俺が。

 殴り殺してやった。

 

「ッ、くっ、はッ」

 

 脳裏にこびりつく死の記憶、殴り掛かった右腕には女を殴り殺した感触が残っている。けれど内側の俺が言うのだ、まだ足りないと、記憶の中の俺が叫ぶのだ、こんなものじゃないと。

充嗣の能力が解除される気配はない、月明かりでも分かる程、今の自分は真っ黒だった。

 最早、【何に変身しているかすら分からない】

 

「雪那、何で――」

「弥生、澪奈と秋を連れて逃げてくれ、場所は前に話した物件だ、頼む」

 

 何か口にしようとした弥生に俺は言葉を叩きつけ、そのままトンと突き放す。肩を押された弥生はそのまま踏鞴を踏み、数歩下がるが、それでも尚、俺に何かを伝えようとした。

 

「けれど、相手はッ――」

【空間固定】(エリア・ロック)

 

 俺の視界に青白い粒子が光り、その場から素早く跳び上がる。瞬間その場所だけが全ての息を止め、時間を失った。空間を固定する能力、俺はこの異能を知っている。

 

「うっそ、マジで?」

「下手くそね」

 

 俺の背後からそんな呑気な声が聞こえて来る、見れば男と女が一人ずつ。それ以外の特徴など、知るに及ばず。手を突き出しているのは男、空間固定は男の異能らしい。

 

「げっ、あの火傷痕、仮面の男じゃないか?」

「バカ、ほら、だから一撃で仕留めた方が良いって――」

 

「死ねよクソが」

 

 一足飛びで間合いを潰した俺は、そのまま男の方に拳を振るう。ソイツは俺が目前に来た事を理解もせず、棒立ちで突っ立っていた。鋼鉄を容易く穿つ一撃が男の顔面を抉る、しかし接触(インパクト)の瞬間に男の体を拳がすり抜けた。

 風圧で背後の地面が抉られ、木々が捩じれる。

 

「うっぉ!? あっぶ――」

 

 男が俺の攻撃に気付き、慌てて後退る瞬間、隣の女の顔面がノータイムで弾けた。女の額を強かに打った裏拳。頭蓋を粉砕し、頬骨を抉り、上半身がまるで獣に食い荒らされたかのように千切れ飛ぶ。女の能力、【物質透過】(マテリアル・スルー)、俺はその異能を知っていた。この能力は同時に幾つもの物質を透過させる事は出来ない、指定できる物質対象は一つ。

 

「はッ!?」

 

 仲間が突然爆散した事に、男は呆気にとられる。そして再度拳を振り上げた時、慌てて異能を使用した。そして次の瞬間、全身に圧し掛かる無形の重力。まるで水の中で動いている様に、拳の動きが鈍る。

 けれど――

 

パンッ! と乾いた音と共に、男の首がグリンと捻じ曲がった。振り抜いた拳は男の頬を捉え、首を折り曲げた。この無形の圧力が自分を止められない事を、俺は知っている。例え異能を受けている状態でも、人間一人を殺す事は造作も無かった。

首が折れ曲がった男は、そのままブリッジをする様に倒れる、何度か体が痙攣し、そのままジワリと地面に赤色が広がった。

 

「弥生、行ってくれ、ここは俺が()()

「…………分かったわ」

 

 男の頭を踏み潰し、俺はゆっくりと弥生を見る。彼女は一瞬、何か言いたげな表情をした後、長い沈黙を守り、拳銃をベルトの間に挟んで背を向けた。走り出そうとした弥生は、数歩進んだところで声を上げる。

 

「……雪那、貴方は正しい、だから、きっと大丈夫」

 

 それだけ言って弥生は夜の蚊帳に溶ける。恐らく秋と澪奈を回収し、車で遠方まで逃げてくれるだろう。後は俺が精々派手に暴れて、敵を引きつければ良い。そこまで考えて、俺はゆっくりと口を開いた。

 

「……正しいもんか」

 

自分は常に誤っている。

何らかの選択を、或は己の全てを。

 もっと早くこの場所から逃げるべきだった。研究所が本腰を上げれば自分達を見つける事など造作も無いと、もっと早く気付くべきだった。あらゆる能力が存在するのであれば、予知能力や人探しに適した能力を持つ能力者が居る事だって、予想出来た筈なのに。

 

「そう、貴方は間違っていないわ、雪那」

 

 声が聞こえた、透き通る様な声だ。見上げれば白色が視界を彩る、まだ暑さは残るというのに雪の様に真っ白なそれ。彼女は二階のベランダに腰かけ、自分を見下ろしていた。全身を白色で包んだ神に愛されし女、【Ⅴ】の能力者。

風が彼女の髪を遊ばせ、白い着物は死に装束を彷彿させた。けれど彼女が着ればそれは、女神を想像させる美しさに昇華される。美しいその姿からは【Ⅴ】の超能力者だなんて微塵も考えられない。その首には、(カラード)すら存在していなかった。

 

「だって、貴方のこの行動ですら――」

 

 上から自分を見下ろす女は、ゆっくりと、ゆっくりと笑みを浮かべ、その口元は三日月を象った。

 

 

 【予定調和】 だもの。

 

 

「調和、調和調和調和、煩い、黙れよ、この意味不明な記憶も、全部全部、お前のせいか、【予定調和】?」

 

 俺は力強く地面を踏み締めながら、ぐっと腰を落とす。いつでも飛び掛かれるように、その綺麗な顔面を粉砕出来る様に。両の拳を固めて飛び掛かる機会を伺った。踏み締めた大地が僅かに軋み、殺意が周囲に充満する。女は上から上機嫌に笑い、「うんうん」と何度も頷いた。

 

「勿論、そうだよ、貴方のその記憶は全て『前の世界』のモノ、良い加減ね、私も疲れちゃって、そろそろ正史に進んで欲しいなぁって思って、本当なら雪那一人に頑張って欲しかったのだけれど、正史に辿り着く確率って0.0000001%らしいから、少しだけサービス、ね、嬉しい?」

 

 女がこてんと首を傾げ、三日月の笑みを浮かべたまま俺を見る。

 そこまでが限界だった、待つよりも殺意が勝った。

 

「死ね」

 

 だから俺は全力で地面を蹴り上げ、女の目の前に接近。有無を言わさず全力の拳を叩きつけた。拳は何にも拒まれる事無く女の頬に抉り込む。ゴリュッ、と生々しい音が響き、女の生首が血飛沫をあげ吹き飛――

 

 

 

 

「勿論、貴方のその記憶は全て『前の世界』のモノ、良い加減ね、私も疲れちゃって、そろそろ正史に進んで欲しいなぁって思って、本当なら雪那一人に頑張って欲しかったのだけれど、正史に辿り着く確率って0.0000001%らしいから、少しだけサービス、ね、嬉しい?」

 

女がこてんと首を傾げ、三日月の笑みを浮かべたまま俺を見る。

 

「……は?」

 

 俺は愕然とした。

 自分を見下ろせば、未だ変身したまま黒に塗れている。この状態で女を殴った、殴った筈だ、変身した、俺が。しかし見上げれば女は依然として生きており、その台詞は一度耳に届いたもの。殺した筈だ、確かに、けれど女は生きている、それがどうしても理解出来なかった。見下ろした拳に、血はこびり付いていない。

 

「ん~? どうしたの、そんな死人が生き返ったみたいな顔をして、そんな顔、雪那には似合わないな」

「……お前、何で」

 

 再度拳を構え、飛び掛かろうとした俺に、女が手を翳す。

 

「【予定調和】」

 

 その言葉が俺の両足を地面に縫い付けた。何か物理的な作用が働いたのではない、言葉に異様な威圧が籠っていたのだ。今また、この女を殴り殺しても無駄だと、自分の中の誰かが叫ぶのだ。

 女はそんな俺を見下ろしながら、出来の悪い生徒に言い聞かせる様に、ゆっくりと口を開いた。

 

「あのね雪那、ここで貴方が私を【殺す】って未来は、正史ではないの、だから何度ここで私を殺したって、何をしたって、それは【現実にならない】、私が望んでいないもの、だからその未来は受け入れられない、時間が私が死んだという事実を無かった事にしてくれる、巻き戻るの―― それに愛し合う人同士が争うなんて、不毛よ、そうでしょう?」

 

殺しても、現実にならない。

その事実は俺の意の中に、まるで鉛の様に重く沈んだ。

つまりそれは、女を殺した瞬間に時間が巻き戻ったという事なのだろうか。何度殺しても、何度繰り返しても、女が望まなければそれは現実になり得ない。

 

そんなの反則だろう。

 

重力を操る超能力、火炎を操る超能力、物質を転異させる超能力、様々な超能力が存在しているが、まさか時間を操る事が出来る超能力が存在するなんて。未来を予知する事が可能で、更に時間が巻き戻せる。それはつまり――

 

自分が納得する結末が得られるまで、世界を【やり直す】(リセット)出来る能力。

 

俺が女を信じられない目で見れば、笑みを深くした女は深く何度も頷く。その表情は歓喜に満ち満ちていた。三日月が深く、深くなる、ただただ歓喜の沼に嵌っていく様だ。

 

「良いよ、良いよ、やっぱり新鮮で良いね、今まで見た事が無い雪那だよ、こんな事なら、あと100,000,000くらい前に記憶の転写をすべきだったよ、ごめんなさい雪那、とても無駄な時間を過ごさせちゃったね」

「……無駄?」

 

 女は笑う、そして嬉しそうな表情を浮かべたまま「そうだ!」と声を上げた。その声は素晴らしい名案を思い付いたと、活力に溢れている。

 

「今なら忘れられない、ずっと覚えてくれる、だからそう、自己紹介、自己紹介をしましょう!」

 

 ベランダの手すりの上に立ち、女は月を背負って俺を見下ろす。白の髪が夜空に広がり、女の目が一際強く光った。とても綺麗なブルー、この星空にだって負けていない輝き、その色が俺を、夜の世界を射抜いた。

 

「小雪―― 笹津小雪(ささつこゆき)、にどめまして、雪那!」

 

 





 一万年と二千年前から愛してる~(真顔)


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