私立烏森学園生徒会長・墨村利守(中1) (駒由李)
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私立烏森学園生徒会長・墨村利守(中1)

 劇的なデビューは、小学校4年生の秋。その当時、当選したばかりの5年生の児童会長をリコールした事からはじまる。

『彼は児童会長に相応しくない』

 臨時に開かれた全校集会。その場で重箱の隅を突くようにその点を挙げ連ね、リコールに懐疑的だった児童達の勢いを自身の味方につけた。結果として、再選挙の後、会長に就任して3日と経たずに辞任に追い込まれた5年生の生徒は、よくも泣かなかったものだと語りぐさだ。そういった意味で、彼の精神的強さを評価する声もある。卒業後、烏森から離れた学校の生徒会長に就任したという話も伝わってきている。

 そして何よりその4年生の名を知らしめたのは、その再選挙の際に自身は決して立候補しようなどという気配を見せなかった事だ。三影山小学校の児童会の規約上、4年生以上であれば立候補は出来る。事実、その成熟しすぎた弁舌に、彼を推す声は大きかった。しかし決して彼は表に出ず、その会期に会長になったのは、辞任に追い込まれた会長の対抗馬だった生徒だった。彼はその後、1年後の選挙で辞任。そして、他薦という形で立候補した、5年生となった彼の補助演説を買って出た。その時、彼に対抗出来るような候補者はいなかったし、そもそも誰も立候補していなかった――墨村利守に対抗しようという者はいなかった。1年前のあまりに細かすぎる利守の指摘に、自身が晒された場合に耐えられる精神を持つ児童は、いなかったのだ。

 そして利守もまた、無事に児童会長を退任。その後、烏森学園に入学。ここでもまた彼の名は知られていた。何せ、彼が4年生の時。烏森学園は原因不明の事故で校舎が全壊。中等部は三影山小学校の校舎を間借り。その為、利守の名は自ずと当時の中等部の生徒の記憶に少しだけ残っていた。

 だから彼は、その記憶が出来るだけ新しいうちに行動しようとしたのだろう。そういう分析を自称情報通の田端ヒロムは行っている。利守は、烏森学園中等部に入学したその年の秋、生徒会長に立候補した。そして、高等部の対抗馬を押し退け、最も有力視されている候補者だった。

「利守は政治がうまいな。どこで覚えたんだ」

「正兄、お帰りなさい。良兄なら友達んちで勉強教わってるよ」

 長兄の質問に、答えになっていない挨拶を返す。暑気も冷めはじめた秋。縁側で夕暮れの涼風を楽しんでいると、久方ぶりに逢う長兄を見た。正守はいつもと変わらない墨染めの和装だ。夏場でも同じ格好をしているから、利守は実のところ熱中症に罹らないのが不思議でならない。玄関ではなく庭から回り込んできた正守は、3年前から見た目だけは変わらぬ様子で利守に微笑む。声が聞こえたらしく出迎えた父に西瓜を手渡すと、正守はごく自然に末弟の隣に腰掛けた。利守は自分の持っていたグラスを兄に押し付ける。

「暑かったでしょ。飲みなよ」

「有難う。利守は相変わらず優しいなぁ。……これ、マンタローか」

「舌が女子な正兄なら飲めるでしょ。いまだに堂々とパフェとか食べてるって春日さんから訊かされたよ。糖尿に気を付けなよ」

 黒々とした目を瞠る正守に、利守はストローを弄ぶ。そして一口を呷った兄に、利守はぽつりと呟く。

「……立候補の話は誰から?」

「今回は良守。あいつ、めちゃくちゃ戸惑ってたぞ。いまだに慣れないケータイで俺に相談してきたくらいだし」

「仲良くなったね」

「皮肉か」

「事実をいっただけだよ、僕は」

 苦笑する長兄に、利守は背をたわめて膝に頬杖を突くだけだ。その円らな目は生け垣の向こうに注がれている。手にはストローがあった。ストローから、炭酸で薄められたミント風味のシロップが垂れた。草の中に、そうして小さく沈む。

『利守、お前、そんな野望に溢れるタイプだったっけ』

 思い出すのは、小学校4年生。当時の児童会長をリコールした時、その話が当時、三影山小を間借りしていた中等部の一生徒だった次兄から苦言を呈された時。文字通りの夜の仕事がなくなった為に、その頃には少々昼間の眠気は取れていたらしく、しゃっきりとした顔をしていた覚えが利守にはある。帰りの途次、弟の変化に、良守は確かに戸惑っていた。その時も今も、利守は笑って答えたものだ。

『やれそうだったから、やってみただけ。駄目だったらそこでいいかなって。良兄だって、やらないで諦めるよりはやった方がいいっていうでしょ』

 そう答えた時の良守は一瞬、頷きかけた。しかし、直ぐに首を傾げ、曖昧な返事で留めた。

 あの時の次兄は、利守の言葉の真意を直感で掴んでいたのだろう。言葉にする事が出来なくても――そんな人だから正統継承者に選ばれ、そして、見事勤めを果たし終えた。利守は、そう考えている。3年間、ずっと。

 考えはじめたあの頃。利守は、だから手を挙げたのだ。

「政治がうまいっていうつもりはないけどね。ただ、こうしたらこうなるだろうな。こうなったらこう考えるだろうな。将棋みたいなもんだよ。色々な手を考えて、タイミングを見て最善の手を打つだけ。正兄も将棋は結構得意でしょ」

「……参ったな。本当に誰に似たんだお前は」

 正守は苦笑いを続ける。それは慣れないマンタローの味に戸惑っているだけではないようだ。彼はグラスを片手に顔をかいた。残暑の暑さによる汗のせいかも知れない。あとで風呂を沸かしておいてやろうか、いやもう父がやっているかも知れない。利守が気遣いを頭の中で回していると、正守がその横顔に尋ねる。利守のそれは、まだ幼さが強く残っていた。それなのにその中身は思わぬ才能を秘めていたようだから、人というのはわからないものだと彼は思う。

 同じ、正統継承者から除外された身としても、全く違うものなのだと。

「そうだな、質問を変えようか。利守。何で、『会長』っていう、その場その組織でのトップだったんだ。級長だって、お前の所属してた図書委員長だって構わなかっただろう。ましてや、烏森学園の生徒会長なんて、中高等部両方束ねるから結構な重責だぞ」

「だって、今1番いる場所で、1番責任のある立場でしょ」

 グラスの中で、氷が揺れる。利守は、同じぐらい黒々とした目で上の兄を見上げる。真っ直ぐな目だった。純粋な、子供の目だった。政治的な駆け引きとは縁遠そうな。

「責任ある立場ってどんなものかなって」

「責任?」

「正兄は色々裏会で揉めてたみたいだし、今も完全に盤石かっていうと多分違うでしょ」

「――」

「良兄も前は正統継承者っていう立場だったし。だから、2人とも、責任ってものがわかってるんだと思う。けど、僕は、今ひとつピンと来ないんだ」

 口を鎖す正守。けれど利守に拘る様子はない。手に持ったまま温くなるのを待つばかりだったグラスを奪い返すと、利守はそれにストローを突き刺した。喉が渇いたらしい。それを飲みながら、利守は横顔を晒した。淡々と、言葉を続ける。

「僕は、そういうのに縁がなかったから」

「……」

「ただ、どういうものなのかなって。会長は多分、正兄や良兄が感じた責任とは違うものだから、今ひとつピンと来ない。だから、烏森学園の生徒会長なら、それなりにわかる部分があるかなぁって」

 まるで、落選するつもりがない台詞だった。それは他の対抗馬が訊けば逆鱗に触れるレベルだったかも知れない。しかし、利守も、隣の実の兄も、ただそれきり、黙っていた。正守は口の中に残る、爽やかにも程がある風味を噛み締めた。汗が出て来たのはマンタローの発汗作用か、それとも冷や汗か。暑さによる疲れを癒す為のジュースを味わいながらも、正守は隣の弟を複雑な気持ちで見下ろした。

 甘やかしすぎたのかも知れない。か弱い生きものだと、護りすぎたのかも知れない。末の弟もまた、ひとりの人間だ。それなのに、あまりに蚊帳の外に置かれた為に、重大な何かを理解出来ないまま、しかし力だけは強く成長している――そんな危機感が、頭を擡げた。

(危ないな)

「正守ー、ジュース持ってきたよ。夏疲れを吹っ飛ばすマンタローだよ!」

「あぁ、有難う父さん」

「父さん、西瓜はいつ食べられる?」

「まだ冷えてないから晩ご飯のあとにしようね。今日は正守もいるから、等分しようね」

 縁側に乗り上げる父に食欲を見せる弟の姿は、無邪気な子供そのものだ。その姿と、良守や修史などから聞いた学校での様子のギャップを覚えざるを得ない。

『あの子、結構敵を平気で作ってるみたいだから……』

『利守、あいつドライさに磨きがかかってんだよな。しょっちゅう叱ってるけどよ』

(もう少し、俺も実家に帰ってきた方がいいだろうか。もしくは)

「利守。そういえばお前、さっきの言い方だと将棋はうまくなったみたいだな。メールで将棋でもするか」

「え、いいの? 面白そう」

「ちょっと、あんまり電話代無駄遣いしないようにね」

 黒い目を輝かせる末弟の顔は明るい。苦言を呈しながらも、長兄がこのところ思春期に差し掛かった為か扱いの難しくなってきた末の息子に構ってくれるというのならば嬉しいといった本音が透け見える修史。そんな父にこれまでかけてきた迷惑を覚えながら、正守は笑った。口の中のミントの爽やかさが、苦く感じた。

 

 ――それが公式に発足したのは、秋の生徒会選挙の後。彼は話題性もあり、当初の田端の予想通り圧倒的多数の得票を得て、はじめての中学1年での生徒会長に就任する。

 

End.



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