人食い審神者と飲み取りの槍【人外女審神者+日本号】 (駒由李)
しおりを挟む

人食い審神者と飲み取りの槍

 酒なんてただのまずい水だ。至極つまらなそうにいうその顔は、嘗ての知己の打刀によく似ていた。実際、長谷部も戦や主の前以外では、愛想というものを懐にしまう刀だった。長谷部が主に染まったのか、主が長谷部に染まったのか。審神者は常に無愛想だった。不美人ではない、しかし愛嬌はない。何をするにも眉ひとつ動かさぬ。そういう主人の為なのか、日本号がやって来た時。他の刀剣達は苦笑いして審神者との接触を止めてきた。

「悪いヒトじゃないんだよ」

 俺なんて戦えればいいし、という言葉に蜻蛉切も肯いた。通された槍男士の部屋。奇しくも天下三名槍が揃ったこの戦、無骨な男達が額を合わせる。自身が土産に持ってきた酒を飲む、結城の槍は肩を竦めた。

「実際、采配も悪くないし、無茶な真似はさせてこない。ただ、今の主はヒトとの接し方を知らないんだよ」

「お前みたいな箱入りって訳か」

「日本号」

「俺よりもひどいんじゃないかな。少なくとも俺は一応戦に出た事があるし」

 明け透けのない日本号と、それを窘める蜻蛉切。しかし御手杵は気にした様子もない。酒を呷りながら飄々といったものだった。するめを頬張りながら御手杵はいう。

「主はよくやってくれてると思うぞ。ただ、他者との接し方がまるでわからないみたいだ。だから今はまだ、『敬して遠ざける』のが1番だと思うぞ。下手に接触するとお互い怪我を負いかねない」

 

 それがどんな類の怪我だとは、御手杵はいっていなかった。そもそも、ここの審神者の正体にすら、のちに「誰かから知らされていると思った」と告げられていなかったのだ。

 審神者によって、用のない刀剣男士の立ち入りを禁じられた本丸の1部区域。休憩がてら、酒を飲みながら気分良く散歩していたら踏み入れた領域。そこから漂ってくるにおいに気付かなかった自分も相当平和ボケしていたのだろう。ぽつんと建った掘っ立て小屋に、ほとんど躊躇いもなく顔を突っ込んだ。

「おぉい、なんか変なにおいがするが何を焼いてんだ」

「日本号、何か用か」

 刹那、固まったのは仕方ないと言い訳をさせて欲しい。だってまさか、片目だけを赤く赫く染めた主が、ソテーにしたと思しき人の手を皿に載せて食べている姿など想像できないではないか。よく見れば小屋の中には解体されたと思しき人肉が吊されており、大きな冷蔵庫と冷凍庫、三口のガスコンロや流し台で何が調理されていたかなど、この状況からは簡単に見て取れた。

 怪我を負った。1番の怪我は、この時の審神者がきょとんと戸口の日本号を見上げていた事だ。それだけで、この若い女性が人間でない事は痛い程に理解した。

 隻眼の喰種の審神者だった。

 

 

 

 

 自身が槍として活躍していた頃から、ヒトの共食いは存在した。しかし、彼らの存在もまた認知されていた。即ちヒトの姿をしてヒトを喰う「人食い」、戦後からは喰種と呼ばれ出した存在だ。

 23世紀では国内の治安の急激な悪化による日常的な抗争から、屍体はその辺りに転がっており、それを新鮮なうちに片付ける喰種の存在は寧ろ病を蔓延させないハイエナの役目のように認知されている。本来は天敵の彼らを取り締まるCCGも、この為に活動を事実上抑制されている程だ。勿論、生きている人間に手出しをする喰種に関しては取り締まられる。しかし正味なところ、海外からも流入する争いの種を鎮火する方に予算が割かれているのが実情だった。かくして、国内では一定数の喰種が黙認されるに至った。

 そのひとりが審神者の母親だったらしい。硬直して突っ立っていた日本号の前で「食事」を終えた審神者は、食器を流しに降ろすと外へ出るよう促した。そろそろ秋の気配が漂う空、閉ざされた扉の向こうのさながら猟奇殺人事件の犯人の家のような小屋の内容は今は見えない。傍の石に座るよう促された日本号は、「あんた、ぐーるって奴か」とつぶやいた。彼が現在所蔵されている福岡でも、その話は時折聞き及んだ。目の前に立つ女性は、いまだ左目の赫は治まらない。しかし特に気にした風情もなく、いつも通りの無表情で「正確にはハーフだな」と訂正した。癖毛がちの黒髪が風に揺れていた。ヒトの死体のにおいが、小屋から漂ってくる。この一帯が禁足地とされている理由はこれだけで察し得たが、自身の仕える主が「化けもの」とは――誰も日本号に説明していなかったらしいと察したらしい審神者は、腰に手を添えて説明をはじめる。

「こっちの界隈だと隻眼の喰種って呼ばれてる。結局はヒトを喰わないと生きていけないのは喰種と変わらないんだけどね。ヒトとの混血なんだよ」

「……生まれるもんなのか」

 日本号が口に手を当てつつ、唸るように尋ねる。頭の中では、仮初めの脳から23世紀までの常識を引き出していた。喰種と人間は、見た目こそ酷似しているがその食性は根本的に異なる。人間は人間を喰わなくても生きていける上に、余程限定的な条件でなければ食べる事はない。喰種は人間以外で栄養摂取が出来ない。その間で恋愛感情が発生する事はあっても、その食性の違いからたとえ子供が出来ても腹の中で死ぬのでは。日本号の指摘は尤もだったようで、腕を組んだ審神者は神妙そうに肯いてみせる。

「非常に生まれにくい。でも確率はゼロじゃない。過去には人間の女性が腹の中の子が死なないように人間を喰って産み落としたという実例もあるそうだ。ただ、例外は少ないからこそ目立っているんだ。あたしは母親が喰種だったそうでね。娼婦の真似事をしながら人間の男を誑し込んで食べるやり方で生きてたらしいんだけど、その中で偶々受精して、母親に栄養として吸収されずに何とか生まれ落ちたのがあたしだったそうだ」

「母親は、あんたを育てなかったのか」

「残念ながら、妊娠して更にうまく育っていると気付いた時点で政府に売ればいくらになるだろう、と考えていたようなヒトだったそうだから」

 考えるだに、ろくでもない。恐らく喰種の倫理観でも相容れないだろう。いつの間にか隣の石に腰掛けた審神者は、心なしか遠い目をしていた。そうしていると右目しか見えなかったので、ただの人間に見える。尤も、その半身はヒトに由来するものだから間違ってはいないのだろうが。膝に頬杖を突く審神者は溜息を吐いた。「そういえばお前には説明を忘れていたな」とぼやく彼女は、さも面倒そうに血腥い自己紹介を続ける。

「それで政府に売られて、珍しい例として生まれてこの方ずーっと政府の管理下に置かれていた訳。それで偶々審神者の適性が出たから、今は猫の手も借りたいという事で私も駆り出されて今に至るの。本来の喰種は大半はヒトを狩る戦闘技術も親に教えられるもんらしいけどね、勿論政府が敢えて戦う術を教えるような酔狂な真似をする訳がない。だから人間にも、お前ら刀剣にも簡単に殺されるよ。その点は安心して」

 何を安心しろというのか。少しだけ笑ったような審神者の表情は本当に珍しかったが、会話の内容が内容なのでその笑みを覚える事が出来なかった。ただの槍だった頃でさえこれ程狼狽した事はないだろう。酒が欲しい。酒瓶をどこかの縁側に置いてきてしまった事が今は心から悔やまれた。酒を飲んだ時の記憶は脳に刻まれるというが知った事か。日本号は何とか口の端を釣り上げて、返答を絞り出す。

「なんだ。俺らもあんたの食欲の対象だから、喰われそうになったら反撃していいって事か」

「喰う訳ないだろ、クソ不味い」

「喰った事があるのか!?」

 唾を吐きださんばかりの審神者の言葉に、今度こそ大声を上げてしまう。思わず後退った。危険だ。獅子身中の虫、本丸に敵がいる。ヒトの身体を持つ今は避けたい相手だ。しかしふと見れば、審神者は肩を竦めていた。微動だにせずに。

「食べた事があるのはお前らの『雛形』だよ。刀剣男士の体が何で出来てるか、頭にインプットされてる筈だけど」

「……エーテル体、とやらだったか」

「そう、指向性をつければあらゆる物質に形成されるモノ。医療技術に主に運用されてる。刀剣男士はその技術の結晶。ただ、エーテル体っていうのは、強いていえば『味のしないゼラチン』。政府がその危険性を考えないと思ったか。散々刀剣男士と同様ヒトの身体として形成されたエーテル体を喰わされたけど、顎が疲れるわ無闇に腹がいっぱいになるわおまけに栄養吸収されないわで、ダイエットには最適だけど味がしないのが最悪。多分『ヒト』としては根本的に何かを欠いているんだよ、お前らは」

 そういって、審神者は日本号の上腕を摘む。反射で退きそうになったが、直ぐにそれは止んだ。この時、既に審神者の赫眼は治まっており、「見た目は旨そうなんだがな」と不穏な事をいう彼女の声に情熱はない。強いていうなら、自分達は食品サンプルか――そして「ヒトとして欠けている」という言葉に苦笑してしまう。されるがままに上腕を揉ませながら、日本号はいう。

「そりゃ俺達は刀剣男士だからな。そもそもヒトじゃないもんとして作られてるだろ」

「それもそうだな。付喪神の訳だし。そもそも手入れで何でもかんでも治っちゃうんだからなぁ」

「しかし、わからんな。政府はなんだって野放しにするには危険なあんたを、わざわざ『食料』を配給してまで審神者として働かせてるんだ」

 ぴたり、上腕を揉む指が止まる。しかし、離される事はない。腕を掴んだまま、審神者は日本号を見上げる。じわり、左目に「赫」が寄ってきていた。警戒されている。それはそうだろう。彼女は「それ」についてはまだひと言も触れていなかった。だが日本号は、気迫に呑まれぬように見詰め返して笑っていう。捕まっていない手で、目の前の小屋を示した。ヒトの焼けるにおいは、少しおさまっていた。

「何であんたの『食料』が配給されたかをわかったか、って顔をしてんな。だって、じゃあこの小屋にぶら下がっていた人間の死体はどこから調達してきたっていうんだ。日々の任務で鍛刀された刀剣男士じゃないだろう、だって俺達は食えたものじゃないといっていた。じゃあ狩ってきたのか。あんたは狩る力がないといっていた。ましてや、あんたはそんな育ち方じゃ、ヒトの死体を調達してくるのも一苦労だろう。そして政府に育てられていたとくれば、答えはひとつだ。政府が『食料』を配給してるんだろう。そもそも、養われていたという時点でそうだろうとは思っていたが」

「……死刑囚の死体が、定期的に送られてくる。23世紀にいた頃からあまり変わらないな」

 心から面白くなさそうだ。眼を伏せ気味に睨んでくる。その素直さに噴き出しそうになるが、それを堪えて審神者の言葉を待った。審神者は、腕を摘むのに飽いたようで、手を離したかと思えば今度は彼のつなぎの袖を摘んだ。手遊びの癖が抜けない様は、子供のようだった。

「今は法務大臣の判子待ちの死刑囚が山程いるからな。ましてや死刑囚は健康管理もされているから、喰わせる分には十分だ。月に3度は死刑執行のサインがされてるよ。それで送られてきた『食料』は、この小屋の冷凍庫で保存してるって訳」

「重くないのか、死体なんて」

「何ならお前を今すぐお姫様抱っこして見せてもいいけど」

「遠慮する」

 持ち上げられて振り回されるのが本来の仕事だったが、ヒトの身体を得た以上、何かの矜持が、見た目は人間の女性の審神者に抱えられる事を拒んだ。そういえば脳にインプットされた知識に、「喰種はヒトの3倍以上の膂力を持つ」とあった。そういってのける審神者が腕力を有していないとはひとつも保証がない。恐らくこの比較的小柄な女性は、御手杵の槍や太郎太刀、岩融でさえ軽々と振り回してみせるだろう。技術はなくとも膂力があれば何とかなる事は意外と多いのだ。つなぎの汚れに気付いた審神者は洗濯に出しておくようにいいながら、呟くようにいった。

「あたし自身も、何であたしみたいなのを、脱走の危険がある本丸に据えて審神者をやらせてるかなんてわかんないんだよ。ただ、審神者っていうのがあたし達が思っているよりも人手不足で、たくさん必要らしいってのはわかってる。その為には超法規的措置を取る事も厭わない程度には、だいぶん危機的状況なんだろうな。内憂外患どころか、過去にまで手を伸ばさなくちゃいけないんだから今の時代は大変だ」

 世を憂う言葉。しかし、日本号は見ていた。その横顔を。空をぼんやりと見上げながら告げる言葉。声音が、とても乾いていた事を。

(他人事なんだな、主にとっちゃ)

 当然かも知れない。少しばかり粗雑な態度、自身を実験動物として扱われている事に慮る様子もなく説明する口調。頓着がなかった。生きる為にはヒトが必要だった。しかしそれは食料としてだ。混血の立場にある彼女は、余計にそれが際だっているのだろう。

 他者と接し方がわからないのではない。興味がないのだ、特に人間には。

 ――だが、刀剣男士に対してはどうなのだろう。不意に気になる。「食器を片付けるから」と立ち上がろうとした審神者に尋ねようとすれば、先んじて彼女は振り返った。思いついた様子で。

「そういえば、あたしとあんたらは似てるね」

「どこがだい」

「戦乱の世の方が生きやすい、あるいは使われやすいという点で」

「……」

「1番喰種が苦しかった時代は20世紀後半以降ぐらいから100年ほど。日本の人間にとっては1番平和なこの時期は、ヒトが死ねば目立つようになった。武器も、平和な時代じゃただの観賞物だ。なぁ、正三位の位持ち」

 ――今の時代は、喰種はうまく潜んでいる。ヒトの死体が転がっていても不自然ではなく、治安の悪い地域ではカニバリズムの殺人事件も起こり喰種の仕業かヒトの仕業か区別がつかない。本州最北端まで亜熱帯と化した現代で、病が流行らぬうちに死体を処理してくれる喰種は寧ろ歓迎され、CCGの活動も抑制されている。喰種側も敢えて生きたヒトを殺さない。その辺りに食料は転がっているから。

 狩衣を纏った彼女は、先程の赫眼は欠片もうかがわせずに、今度ははっきりと微笑んだ。

「ちょっと乱れている時代の方が、お互い丁度良いよな」

「……ま、事実だわな」

 少なくとも、今は飲み取られる心配はあるまい。そんな事を思いながら、日本号も立ち上がる。そろそろ内番に戻らねばなるまい。長谷部の怒声が轟いていた。

 酔いはすっかり醒めており、扉が開いた時に再びヒトの焼けるにおいがした。脂のにおいだった。

 

 

(得てして波乱の時代が丁度良い)

 

 

 

「あれ、あんたにいってなかったか」

 昼間に遭遇した件について、風呂上がりの御手杵と蜻蛉切に抗議すればけろりとしたものだった。

「悪いヒトではなかっただろう」

「あぁ、ヒトじゃあなかったな。喰種はよく知らんからあれが良いもんか悪いもんかもわからんがな」

「でも戦えりゃそれでいいだろ」

「……そうだな」

 同じ天下三名槍、戦馬鹿の槍男士同士でこの抗議は無意味だと日本号は早々に悟った。

 戦わせてくれるのだ。ましてや自分達を取って喰う事はないという。ならばそれでよいではないか。そういう思考に落ち着いた日本号も、やはり「刀剣男士」だった。

 この部隊に、「ヒト」はひとりも存在しなかった。

 

 

 

 

End.



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。