運命は呪いを喚ぶ (ポリウー)
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――Prologue――
プロローグ:バッドエンドは突然に


 僕は呪われている。これはそんな呪われた僕の末路だ。


 「校舎の中で走ってはいけません」とは、凡そ学び舎に通う者達全ての魂に刻み込まれた格言である。今や全国的に形骸化している――クラスメイトの誰かさんに至っては積極的に破ろうとする――それを、これまで僕は人の目を気にして律儀に守ってきた。

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 それが今じゃ夜の校舎をひたすら走っている。優等生サマ形無しだけど、バレなきゃルール違反じゃないのだ。

 走る。走る。走る。

 何故走る? 逃げるために走る。

 何から逃げる? 鬼から逃げる。

 この現状は、まさに鬼ごっこと呼ぶに相応しいだろう。……思えば鬼ごっこなんてオトコノコの遊び、今まで片手で数えられるくらいしかやったことがなかった。遊ぶ彼らの姿を羨ましげに見つめていた僕の想いを汲みとって、神様がこの舞台(エクストリーム・鬼ごっこ)を用意してくれたなら、僕は感謝し(呪っ)ても(呪い)足りない。

 廊下に参加者二人分の足音が響き渡る。一つは僕の分、もう一つは――――

 

「……先輩っ、わたしは大丈夫です、からっ」

「駄目だよ! 桜も逃げないとっ!」

 

 力の抜けた後輩の柔らかい手を引いて僕は逃げる。後に続く彼女の顔は闇夜に溶けるように青白くなっていた。……当然だ、あんな現実離れした光景を目の当たりにしたんだから。

 

 

 今朝話題になっていた体育館から、不審な人影たちが出てくるのを見つけたのはついさっきのこと。引き止める桜をなだめて後を追ってみたところ、事件は現場で起こっていた。……校庭に辿り着いた彼らは、とてつもない何かを始めようとしていたのだ。そこにいた二人の人影が醸し出す気配は、僕のような部外者ですら感じ取れる異常なモノ。一触即発の空気に、僕の弱虫はすっかり怖気づいてしまった。

 そして結果がこの始末。好奇心に殺されるニャーの人が僕だった。

 

 

 ……非常口が視界に入る。瞬間、緊張が緩んでしまう。振り向けば後ろには桜しか居ない。

 

「ぅく、はぁっ………………ふぅ」

 

 安堵から思わず溜息が漏れる。僕たちはあの鬼から逃げることが――――

 

 

 

 

 

 

「脱走は串刺しの刑よ、子リス」

「――――え?」

 

 気付くと胸から槍が生えていた。

 ソレが貫いているのは僕の心臓。

 ソレで穿ったのは――――

 

「あら? この子リス、なかなか(アタシ)好みじゃない」

 

 鬼の正体は少女だった。可愛らしい女の子。平時にこの姿を見かけたなら心臓がドキリとするかもしれない。今は文字通り心を奪われていた。

 

「ネズミが熱を上げてたのも納得ね。アイツにはもったいないぐらいだったわ」

 

 僕の返り血を舐めあげるその顔は、容姿に見合わない妖艶さだ。

 

「――――――――ッ!」

 

 見上げれば傍らに佇む桜が、青ざめた顔でその唇をわなわなと震わせ何かを叫んでいる。生憎と僕の耳にもうその声は届かないけれど、僕は大事に思われていたんだな、なんて感慨が湧いた。

 …………意識が遠のいていく。けれど彼女の想いがあれば、こんな最期でも満足に逝くことが――――――できるわけないだろ。

 なんて理不尽だ。僕はただ桜の掃除を手伝っていただけなのに。

 何が悪かったんだろう。性格? 容姿? 運?

 ああまったく笑えない、だってたぶんソレら全部が正解だから。

 呪われている。

 全てが呪い、呪われている。

 世界はみんなに呪われている。

 もちろん僕も呪っている。

 

 

             ――――だから、ぼくは呪われている――――

 

 




はい。ゲーム起動時のアレもどきです。
それにしてもこの下手人、いったい誰ザベート・何トリーなんだ……!?
とまあ、この作品、安価スレか何かと見紛うくらい登場人物やら設定やらが変わっています。
そこら辺はご容赦を。


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――Side:凛――
1月31日:優雅なる一日


 学園一の優等生、演じるには荷が勝ちすぎると思う今日この頃。ズレた歯車は致命的なうっかりを引き起こした。


 幼いころ、わたしは英雄に会ったことがある。獣の耳と尻尾を生やしているのに不思議と上品な女の人。父に招かれた彼女だけれど、その英雄様はどうしてか父に辟易気味だった。曰く、あのように過度な誇りを持てばいざという時に足を掬われる、と。

 当然わたしは怒った。人生の大目標をバカにされた気がして、相手が人外だということも忘れて憤ったのだ。ところが彼女はわたしの様子を見て腹をたてるどころか、

 

「そうか、汝のような子供にとって親とは神に等しいのだったな。私の失言だ、許せ」

 

 と頭を下げたのだから、開いた口がふさがらなかった。

 英雄とはただ力が強いだけでは務まらない。その度量も含めてこその世界に名だたる英雄という存在なのだと、彼女の翠の眼に宿る父や母に似た暖かい何かを感じながら、わたしは漠然とそう思った。

 だからこそあの胡散臭い兄弟子と尊敬する我が父の無事を彼女に託せた。

 

「子供に乞われたならば仕方あるまい。仮令(たとえ)引き摺ってでも生きて帰すと誓おう」

 

 ああ、彼女ほどの女傑なら大丈夫だ、と安心して彼らの後ろ姿を見送った。

 ……結果、3人のうち誰も帰っては来なかった。それが10年前、第四次聖杯戦争における我が遠坂家の辿った敗退の記録である。

 

 

 

 

 

「…………ん」

 

 不意に快音がじりり、じりりと鳴り響く。まだ微睡みから抜け出たがらないわたしにとっては不快な音でしかなかったけれど。

 

「……うるっさいわねぇ。こちとら昨夜は徹夜だったのよ……」

 

 触媒の手配、父の遺言の解読と、為すべき課題のハードルは未だ若輩の我が身には高すぎた。それでもなんとか意地とかプライドとか克己心とかを総動員して、わたしは遂に成し遂げたのだ。だからこのベッドの感触はその報酬。せめて使用人が起こしに来るまでは是が非でも布団に張り付いて――――

 

「……そういえば、暇を出しちゃったのよね」

 

 冷静になって視線を目覚まし時計の針に向ければ、七時を指している。そして普段の起床時間は六時三十分。――――かくして逃げ道は塞がった。

 

「……起きよ」

 

 私室を出て居間に辿り着くまでに、こんな事態になった原因が二つ判明した。

 一つは冬の冬木にあるまじき気温の低さ。でも寒いだけなら暖房が点いていれば問題はなかった。

 そう、問題の二つ目は今、我が家からは使用人が出払っていること。部屋が暖まらなければベッドから抜け出る気力も湧かないというもの。

 無論こんな不便な思いをしてまで彼女達を追い出したのは、給与が支払えなくなった、なんて亡き父が聞けば勘当を言い渡されるような情けない理由からではない。――――もうすぐ、この冬木の地で戦争が始まるからだ。

 

 

 

 

 昨夜発掘したペンダントをお守り代わりに持ち、ちゃんと『鍵』を閉めてから我が家を出る。時刻は既に七時半。外は行き交う学生と社会人でごった返しに――――なっていない。どこか疑問に思いつつも、寝不足と寝起きのダブルパンチで頭が回らないから気にしないことにした。むしろ普段より綻びのある自分を知らない誰かに視られない分、都合がいいんじゃないだろうか。そんな思考の迷路に彷徨いながらうつらうつらと船を漕いでいると目的地に到着した。

 誰もいない。

 

「えー……」

 

 学園の校門周りには制服姿の生徒はわたし以外一人もいない。校庭にはジャージを着た運動部の姿がチラホラ。平日の登校時間にあるまじき風景だ。この事態を説明できる理由は二つ。

 

「おはよ、遠坂。こんな時間にここで立ち止まって、どうかしたの?」

 

 どこからやって来たのか、同じ2-Aのクラスメイト、美綴綾子がわたしに声を掛けてきた。……しかたない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言うし。

 

「おはよう、美綴さん。笑わないで聞いて欲しいのだけれど、今日は祝日だったかしら?」

 

 二つある爆弾の大きい方を処理することにした。これがヒットしたらそれこそお笑い種だ。一学期の衣替え以来の学校での大ポカになる。

 

「…………遠坂、いくらなんでも寝ぼけ過ぎじゃないの?」

「……平日か祝日のどちらかって聞いてるんだけど」

 

 こんな反応されるぐらいなら、いっそ笑ってくれたほうが良かったのに。

 

 

 

 

「……要するに、父さんの十年越しの悪戯にまんまと引っかかったってわけね」

 

 寒空に放り出されて凍えていた身体に熱い日本茶が染み渡る。綾子に連れてこられた道場で、先程の異変の正体についてひとりごちた。

 

「なんか言った?」

「そろそろいいヒトは見つかったかしら、綾子?」

 

 綾子が目を丸くする。わたしの方からこの話を振るなんて考えてもいなかったのだろう。さっきの仕打ちに対するささやかな仕返しだ。

 

「あと二ヶ月と少しでわたしたちも三年生。タイムリミットは刻一刻と迫っているわ。あんまりのんびりしてられないんじゃないかしら」

「……へぇ。言うじゃないの遠坂。アンタがそこまで言うってことは、もう相手がいるってことよね?」

 

 わたしの言葉の応酬に綾子はカウンターを打ってくる。……正直彼女の追求から逃げ切るのは難しい。とっとと白状するか。

 

「残念ながら……脈なしよ」

「そんなことだろうと思ったよ。ちなみに、あたしもピンと来る相手はだーれも」

「適当に誰か見繕って、彼氏です、って言い張ればいいじゃない。それこそ間桐くんでも弟くんでも」

「そんな情けない真似するわけないでしょ。あたしは試合にも勝負にも勝ちたいの。遠坂凛ってライバルにね」

 

 武道家らしい一本筋の通った言葉だ。これが美綴綾子という人間の魅力であり、並の男が手を出しに寄ってこない原因でもある。

 

「さすが穂群原三大美人様はおっしゃることが違いますのね」

「だまれ、同じく三大美人兼ミス穂群原V2。……ったく、この称号、いったい誰が言い始めたんだか」

「まあまあ、今までのに比べたらまだマシじゃない」

 

 『穂群原で敵に回してはいけない人物トップ3』だとか『穂群原三大仏敵』だとか、とかく物騒な呼び名が我が校には密かに広まっている。そして遺憾なことにわたしたちはその二つに名を連ねているのだ。だからそれらと違って美人と持て囃されるのに悪い気はしなかった。……単純に、容姿の整っていて学内で人気のある生徒が、まとめて同じクラスにいたから呼ばれるようになっただけだけど。

 

「その三大美人の三分の二が、こうして男日照りで駄弁ってるんだから世も末だな」

「大丈夫よ綾子。どうせ次のバレンタインデーには求めずとも向こうから寄ってくるから」

「女子がな! あはははは! ……てめえ、ナメたこと言いやがって」

「羨ましいわ、美綴さん。わたしって、ソッチの趣味があるような素敵な子とはとんと縁がないから」

「ああ、あたしも心底羨ましいね。男子にモテモテで、特にウチの副部長サマから執念深くアタックを繰り返される遠坂が」

 

 うふふふふ。カチンと来た。コイツめ、人が気にしていることをよくも……! 自分のことは一先ず棚に上げて、綾子に言い放つ。

 

「ふぅん、そう。そんなに欲しいならこの偶像(アイドル)という立場、譲って差し上げましょうか?」

「いらんわ! あたしらの歪んだ恋愛事情をドッキングさせるなんて、始める前から合体事故が目に見えるわ!」

 

 ちょっと想像してみる。男女問わず慕われ、あのキザな女たらしから熱烈なアプローチを受ける人物――――

 

「……それってまんま和久津じゃん」

「……ええ、わたしもその結論に至ったわ」

 

 それが穂群原が三大美人最後の一角、和久津智(わくつとも)というクラスメイトだった。文武両道、才色兼備、高嶺の花、深窓の令嬢、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、etc。これら美人を形容する言葉の数々は、この学園では一般的にわたしと彼女を指して使われる。そして言うまでもなく、普段のわたしは誇り高き遠坂の一人娘として大仰な猫の皮を被っているわけで。

 要するに、わたしの猫の皮は『和久津智』というお嬢様像を投影して鞣したモノなのだ。

 

 

 

 

「遠坂にしろ和久津にしろなんで運動系の部活に入らないんだ? 体力測定のコトとか思い返すたびにいっつも疑問に思うんだよ、あたしはさ」

「あら? 確か和久津さんは去年の体力測定、受けてなかったはずでは?」

「球技大会と体育祭があっただろ?」

「……ああ、確かセパタクローとホットドッグ早食い選手権だったかしら」

 

 話題はいつのまにかわたしたちの寒々しい恋愛戦争から、和久津さんについてのあれこれにシフトしている。互いの傷口に塩を塗りたくるよりも、こちらの方が面白いと現実逃避した結果だった。そして綾子が彼女の話をすると、決まって同じ流れに行き着くのだ。

 

「そうソレ! それまでは線の細い子だとしか思ってなかったけど、アレで印象がガラリと変わったね! そんで今でもウチの部に勧誘してるんだけど……」

「またそれね。で、色よい返事は返ってこない、と」

「そ、遠坂と一緒よ。一応、間桐兄妹の方面からもアプローチかけさせてるんだけどね」

 

 ……妹はともかく兄の方がマトモに勧誘するとは思えない。十中十九、告白紛いのナニカになっているはずだ。わたしと同じ経験をする羽目になる彼女に心から同情する。

 

「それ、人選ミスよ。早く諦めてしまいなさいな、彼女にもいい迷惑でしょう?」

「う~ん……でも、ありゃあ逸材だ。ああいう美人が武道をやるってのは、氷室風に言うと絵になるよな」

 

 もったいないもったいない、と綾子はしきりに呟く。『美人は武道をしていなければならない』という考えは大変結構だけど、それに付き合わされる身にもなってほしい。

 

「はいはい、新人獲得に意欲的なんて美綴さんは真面目な主将ですわね」

「おだてるな。アンタから褒められたら、かえってゾッとするわ」

「わたしだけの意見じゃないわよ、今の。だってあなた、藤村先生のお墨付きなんだから」

「そ、そうなの? ……じゃあ素直に受け取るしかないな。たかが二、三年の経験しかない若輩者だけど、他ならぬ藤村先生がそう言ってくれるなら、精一杯がんばらせていただきますか!」

 

 そう言って気合を入れ、立ち上がる綾子。時刻はもう七時を回っていた。

 

「あら、もうこんな時間。わたし、もうお暇するわね」

「なんだよ、少しぐらい見ていけばいいじゃない。それに今のあたしなら自分史上最高の射をアンタに見せつけられるはず……!」

「射る前から余計な雑念が入っているわよ。それじゃ邪魔にならないうちに」

 

 席を立つと同時に、他の部員も入ってくる。

 

「おはようございます、主将」

「おはよう間桐。で、今日の戦果は?」

「……糠に釘です」

「だよなぁ……ま、悪いのはアンタじゃないよ。全面的に兄が悪い」

 

 部外者が部の内情を勝手に知るのも不味い。さっさと立ち去ろう。

 

「失礼しました。美綴さん、頑張るのはいいけれど程々にね?」

「アンタに言われずともわかってるよ。後でね」

「……おつかれさまです、遠坂先輩」

「――――ありがと。桜もめげずに頑張りなさいね」

 

 

 

 

 道場を出ると、あまり会いたくない顔がいた。

 

「やあ、おはよう遠坂。こんな時間に訪れるなんて、もしかして誰かに会いに来たのかい?」

 

 間桐慎二だ。一応彼の名誉のために言っておくけど、ルックス()イケメンだ。

 

「おはよう間桐くん。今日はただ早起きしすぎて手持ち無沙汰になっただけよ」

「へえ、そうなんだ。でも道場から出てきたってことは……」

 

 続くセリフをもったいぶりながら、慎二がニタニタと笑みを浮かべて迫ってくる。

 

「もしかして、自惚れていいのかな、僕は」

「……はい?」

 

 普段から自惚れてるでしょ、と言わなかったわたしを褒めてあげたかった。そして彼はわたしが呆けているのをいいことに、次々と都合のいい根拠を捲し立てる。

 

「遠坂ってさ、別に弓道に興味があるわけじゃないんだろ?」

「あら、誰から聞いたのソレ?」

「美綴からだよ。彼女、君や和久津がウチに来ないのをいつも愚痴ってたからね」

 

 Uターンして、綾子に情報漏洩の迂闊さについて説教したくなってきた。

 

「だってのに、遠坂ったら放課後になると射の様子を遠くから眺めてたろう?」

「……目敏いのね、間桐くん」

「そりゃあ、残心の時にかぎって君とよく目が合ったからね」

 

 そして彼は一歩踏み出す。こういう手で他の女子達はコイツに引っかかるんだろうな、とわたしは思考をお空の遠くに飛ばしていた。

 

「要するにさ、遠坂。君がわざわざここに出向いたのは、僕に会いに来てくれたからじゃ」

「ないわ」

「……ないの?」

「ええ。まずあなたに興味が無いわ。だから残念なことに色よい返事は返せないの。そこのところは謝るわ、ごめんなさい。それじゃ、さよなら」

 

 制服のスカートを翻して、校舎へ向かう。別にコイツと話すことなんてない。だってのに、

 

「ま、待ってくれよっ。遠坂っ!」

 

 だなんて呼び止めてくる。仕方ない、もう一言ぐらいくれてやるか。

 

「そうそう、間桐くん。二兎を追う者、一兎をも得ずってことわざがあるわよね?」

「え? そ、それがどうかしたのかい?」

「別に。部員勧誘、がんばってね間桐くん」

 

 少なくとも、軽いノリの慎二に彼女が引っかかるとは思えないけれど、ね。

 

 

 

 

 七時を過ぎた。廊下を歩いても生徒の姿は見受けられない。その代わりに、一人の女性がうんうん唸っている。

 

「おはようございます、藤村先生」

「……あ、おはよう遠坂さん」

 

 ふと疑問が浮かぶ。

 目の前にいるのは藤村先生。快活な教師であり、みんなからは「冬木の虎」と呼ばれ、慕われている。だけどそんな普段の彼女とはいささか異なった、今のアンニュイさはいったい……? なんて考えてたら、藤村先生から質問が飛んできた。

 

「ねえ、遠坂さん。一つ参考までに聞きたいんだけど、いいかな?」

「ええ。わたしに答えられるのなら何でも」

「ありがとう、遠坂さん。……あのね、遠坂さんは卒業後の進路ってもう考えてる?」

「……英国の大学に留学するつもりです」

 

 嘘は言っていない。時計塔で学ぶために渡英するのは本当だし、そもそも書類上では一大学として処理されるのだから。そんなわたしのグレーな回答を聞いた藤村先生はというと、

 

「そうよねぇ。遠坂さんみたいに成績優秀な子は、やっぱり進学した方がいいわよねぇ……」

 

 などと言いながら、更に表情を曇らせた。

 

「……あの、何かご不満な点が?」

「あ、違うのよっ。遠坂さんのことじゃないの。ただ…………はぁ~」

 

 大きな溜息を吐きながら、弓道場へトボトボと歩いて行く。朝からローテンションな藤村先生なんて珍しいモノを目撃した。明日には槍が降るかもしれない。

 

 

 

 

 時刻はまもなく七時半。相変わらず校内に人気はない。少しは面白みのあるものが見つからないかと、廊下を散策していると、

 

「――――げ、遠坂」

 

 と、開口一番に轢かれたカエルみたいな声を上げる男子と遭遇した。

 

「あら柳洞くん。一生徒への挨拶としてソレはあんまりな物言いじゃないかしら」

「こんな時間から出没するとは思ってもいなかったのでな。それに、俺にはおまえにこういう態度で接する権利があると考えるのだが」

 

 あからさまに敵意の眼差しをわたしに向ける我らが生徒会長。……面白いから、ちょっと茶化してやろうかしら。

 

「なに間桐くんみたいなこと口走ってるのよ。まさかあなたまで……」

「たわけ。んなわけあるかっ! 会計の件だ、会計の。よりによってあの女怪と結託しおってからに……」

「元はといえば部下の手綱を握ってなかったあなたが悪いじゃない。そんなだから氷室さん達に付け込まれるのよ」

「う……」

 

 ()()()()という言葉に露骨に呻いている。何故だか知らないけど、彼女の存在はコイツのウィークポイントの一つだ。

 

「……まあいい。俺は仕事に戻る。おまえはとっとと教室に行くがいい」

「部室の見回り? 朝から一人で大変ね」

「なに、所詮俺は門外漢だからな。亡くなった備品にチェックを入れるだけの簡単な仕事さ」

 

 とはいえ校舎を駆けまわっていれば、始業まであっという間だろうに。ここは彼の言葉に大人しく従っておくか。

 

「それじゃあね、柳洞くん。文化系への肩入れも程々に」

「……相変わらず一言多いな、遠坂。もう少し慎みというものを持たんか。ちょうどおまえのクラスに良い見本がいるだろう?」

「……蒔寺さん?」

「それは悪い見本だ」

「じゃあ氷室さん?」

「違うわっ! あの陸上部三人組から名を挙げるなら、せめて三枝にしろっ」

「わかってるわよ、誰のことを指しているかなんて。からかって悪かったわね。それじゃ、ごきげんよう」

 

 残念ながら、彼女を見本にした結果が今のわたしだけど、そんなことを言えばあまりの模倣技術の低さに彼がショックで気絶しそうなので黙っておくことにした。

 

 

 

 

 教室に到着。当然2-Aの教室にはわたし一人。ホームルームまであと三十分。他のクラスメイトが来るまで大人しく予習して――――

 

「おはよー遠坂! 来月の休み、サメ映画見に行こうぜ、サメ映画!」

 

 しょうもないポスター片手にハイテンションで捲し立てるマキジ。ちょうど陸上部の朝練が終わったのだろうか。……『シャークラーケン』か。こんな低俗な映画でも、彼女と見に行くのは楽しいかもしれない。けれど……。

 

「おはようございます、蒔寺さん。でもごめんなさい、来月……というかしばらくは一緒に遊べそうになくて」

「な……! あのサメ映画だぞ!? 『シャークトパス』の続編だぞ!? サメのなにがいけないんだよーっ!」

「薪ちゃぁあぁあぁん!?」

 

 ショックで灰になる蒔寺。仕方ないけど、これ戦争のせいなのよね。すると、次は自分とばかりに今度は氷室さんが寄ってくる。

 

「バカだな蒔の字。遠坂嬢、ならばたまには私とどうだ? 甘味処で川瀬巴水の話でもしつつ――」

「だからごめんなさい、氷室さん。来月からはお付き合いも難しいんですよ」

「は、巴水だぞ……! 日本美術界の偉人ぞ……!?」

「鐘ちゃぁああぁあん!?」

 

 ショックで風になる氷室さん。戦争で無事勝ち残ったなら是非とも誘いに乗りたいけど、今は心を鬼にする。

 

「本当、ごめんなさいね」

 

 人から逸脱してしまった二人を三枝さんが必死にサルベージする。そして誘いに乗らなかったのは氷室のせいだ、薪のせいだと言い合っている。……原因は完全にわたしのせいなのに、それを伝えられないのが心苦しかった。そんな風にひとり悶々としていると、

 

「おはようございます、遠坂さん」

 

 と、わたしを呼びかける声がした。そちらに振り向いて挨拶を返す。

 

「おはようございます、和久津さん」

 

 すらりとした体躯、ロングのストレートヘア、透き通る花の(かんばせ)。清楚という言葉が嫌味なくらい似合う少女、それが和久津智だった。

 

「遊びのお誘い、お断りしていたようですけど」

「ええ、残念だけど家の事情でして。なんでしたら、代わりにあなたが彼女達に付き合ってあげればどうかしら?」

「いえ、僕も都合が合いそうにないので……」

 

 そんな彼女の変わった点を挙げてみよう。

 たとえば一人称。女性なのに「僕」という変わった言い方をする。綾子曰く「僕っ子」というもので、中性的で危うい感じを内包する萌えのジャンルのひとつだとかなんとか。……さっぱり意味がわからないけど、フェミニンな彼女がそれを用いる姿は、不思議と様になっていた。

 

「おはよう遠坂、和久津。二人とも、間桐が迷惑かけて悪いね」

 

 朝練の終わった綾子が会話に加わろうと挨拶してきた。そんな彼女の言葉に心あたりがあるのか、和久津さんは頬を膨らませて言葉を返す。

 

「おはようございます、美綴さん。……あの、そろそろ間桐くんのアレを止めて欲しいんですけど」

「ほぉ~。ということはようやく観念してウチに来るってことね」

「……なんで、そういう話に?」

「和久津。――――あんたがッ、弓道部に入るまで、間桐を止めないッ!」

「えぇぇぇ……」

 

 これはひどい。慎二をけしかけていると聞いた時は何事かと思ったけど、綾子ったらそこまで考えて……。和久津さんはといえば、彼女にしては珍しく頭を抱えて悩んでいる。その姿をもうちょっと見ていたい性悪なわたしもいるけれど、ここは助け舟を出してあげるか。

 

「あーうー」

「大丈夫よ、和久津さん。あんなの一度こっぴどくフッてしまえば、それまでなんですから」

「……そうしたいのは山々ですけど、なんだか嫌な予感がするので。それに……」

「それに?」

「間桐くんは人気者だから、その彼を恥ずかしい目に遭わせると皆さんから目の敵にされそうですし」

 

 和久津さんの変わった点、その2。

 これほどまでの美貌を持っているのに、彼女は謙虚に振る舞うことを怠らない。必要以上に誰かと親しくなることはなく、けれどその人柄から誰もが慕う。もちろんわたしも、その「誰か」のひとり。

 だって彼女は――――

 

「周りの目なんて気にせずに、いっそスッパリと言った方が楽じゃないかしら?」

「遠坂さんみたいに強くないですから。僕には、こんな生き方しかできません」

「……そう、難儀な性分ですね」

 

 わたしが目指し、憧れる理想の人間像そのものなのだから。

 

 

 

 

 4限終わりの昼休み、陸上部三人娘最後の難関、三枝さんが勝負を仕掛けてきた。

 

「あ、あの、遠坂さん! もしよければお昼ごはん、いっしょに食べませんか?」

 

 ほにゃっとした笑顔を浮かべ、弁当箱片手ににじり寄ってくる三枝さん。手強い。断りづらい。善意100%の誘惑、コレに比べたら慎二のナンパはカスみたいなモノだ。……まあ、本当は断る必要なんてない。先程の二人のお誘いを断った手前、これくらいは応じるのがマナーだろうし。問題はソレに応じたが最期、彼女の手によって身も心も絆されるかもしれないこと。あくまでわたしの身勝手な妄想だけど、三枝さんと接していると思わず素の私が出かかってしまうのだから、当たらずとも遠からずなのだろう。それになにより――――

 

「ごめんなさい、三枝さん。わたし、今朝は忙しかったからお弁当作れなかったんですよ」

 

 もちろん忙しくなかったからといって、弁当を作るわたしではない。そもそもわたしは朝に弱いのだ。だから普段は使用人が用意してくれる。それが今はいないだけのこと。

 

「あ、そうですか……。こっちこそ、ごめんなさい。そうとは知らないで……」

「いえ、三枝さんが謝ることではないわ。では、わたしは学食に行きますので。よろしければまたお誘いください」

 

 そう言って、教室を出る。

 ドアの向こうでは、落ち込んでいる三枝さんに和久津さんが声をかけていた。するとパァっと表情が明るくなる三枝さん。

 

「……そういえば和久津さん、普段はお弁当だったわね」

 

 以前中身を見せてもらった時は、女の子らしく趣向をこらしたランチだった。それに対してわたしは学食。……うう、あそこって味が濃いからどちらかと言うと男子向けなのよね。女子力の決定的な差を味わいながら、学食に向かう。

 

 

 

 

 少しだけ見栄を張った。手元には購買で買ったサンドイッチとホットドリンク。屋上で青空を背景にして優雅にランチ。

 

「……いや、これはさすがに優雅じゃないでしょ」

 

 かといって無様というほどではない、と思いたい。綾子みたいにカロリーを気にせずにガツガツ平らげるよりは、よっぽど女の子してるはず。

 

「……なんて、なっさけない考え方よね」

 

 仮にも遠坂たる者が、下と比べてどうするんだ。……そう、気を抜けばすぐそんな考えが頭を過ぎる。多分わたしの本性は、遠坂の家訓である優雅とは程遠いんだろう。それでもわたしはソレを演じ続けてきた。自分自身と一族の誇りのために。その甲斐あっての優等生、遠坂凛だ。でも、この学園においての優等生とはわたしのためだけの言葉じゃない。

 和久津智――彼女こそがホンモノ。そんなホンモノの和久津さんを、ニセモノのわたしが演じている。

 ……さっきから思考がループしていた。

 

「なんというか、打ちひしがれてるのかな。わたしったら……」

「おや。ということは辞退されるのですか?」

 

 わたしから漏れ出た弱気に思わぬ返事が返される。いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこには見慣れない白髪の男子生徒がひとり笑っていた。

 

「……なんの話かしら?」

「もちろん聖杯戦争です。どうやら未だサーヴァントは召喚してないご様子ですが」

 

 ――――いきなり何を口走ってるんだ、コイツは!

 彼は確か2-Cに属している――――いや、違う。

 あのクラス、それどころかこの学園には褐色の肌と白髪という分かりやすい記号を持った人間などいない。だというのに、それを誤認しかけた。……暗示、けれど簡単に抵抗(レジスト)可能。ともすれば他のマスターかとも思ったけど、サーヴァントの気配も感じない。見れば胸元には十字のアクセサリー。そして会話内容。

 要するに――――

 

「あなたが今回の()()()ってことね」

「ええ、その通りです。()()とお呼びください」

 

 「言峰」とは、なんとも因果な名だ。10年前、我が兄弟子、言峰綺礼は父の璃正神父共々帰らぬ人となった。それ以来、言峰教会は新たに派遣されたディーロ神父によって運営され、わたしも教会とは疎遠になる。だから昨今の教会事情は認知していないし、こんな奴が来たのも知らなかった。……顔つきはあの親子とは似ても似つかない。言峰という名は、あそこに配属されたから名乗っているだけの偽名なのだろう。

 

「へえ、言峰くんって言うの。ところで一つ質問があるんだけど」

「はい、何なりと仰ってください」

「なんでわざわざ監督役自身がこの学園に潜入してるのよ」

 

 確かに彼の姿は学生として違和感がまるでない。潜入自体は問題なく出来るだろう。でも、わざわざ何のために? 事態のもみ消しの為に忍ばせるなら、使えるスタッフなんていくらでもいるだろうに。そんなわたしの問いに、彼はいかにも真剣に考えました、ってフリをして答えた。

 

「久しぶりに帰ってきた母国の地で、勉学に励みたいという我儘ですよ」

「ウソおっしゃい」

「嘘ではありません。それに、これは必要なことですから」

「必要なこと、って?」

「こう見えても、腕力には自身があるんですよ」

 

 ……ああ、要はこの監督役は「代行者」でもあるわけか。で、そんな荒事が得意な人間がウチの学園にいる必要がある、ってことは――――

 

「……え、何? もしかしてわたし以外のマスターも、この学園にいるっていうの?」

「さあ? それよりも遠坂さん、サーヴァント召喚の準備は万全ですか? もしも棄権されるのなら、盟約に基づき貴女を我が教会で保護しますが……」

 

 などと言ってくる。遠坂の悲願、聖杯戦争から背を向けるならば遠慮無く手を取れ、と。

 ――――バカにするな。闘う覚悟も、手に取る武器も既に整えている。

 

「それこそ余計なお世話よ、監督役さん。サーヴァント、それも三騎士を喚ぶ触媒をすでに用意しているもの」

「それは何より。ならばどのクラスが埋まっているかを言うのも無粋ですね」

「聞いても教えてくれないくせに。……さよなら、言峰くん。もう直接顔を合わせることはないでしょう」

 

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。足早に彼から離れる。正直、コイツの顔はもう見たくない。……だって、彼の顔に張り付く笑顔は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな去りゆくわたしの背中に、彼は呪いじみた言葉を投げかけてきた。

 

「……いえ、また相まみえることになりますよ。遠坂さん」

 

 

 

 

「ではHRを終了する。日直は日誌と戸締りの確認を。部活動のない生徒は速やかに帰宅するように」

 

 担任の葛木が恒例の台詞を残して消える。相変わらず機械のような正確さだ。

 

「遠坂、もう帰んの?」

「ええ。また間桐くんに捕まるのも面倒だもの」

「いんや、しばらくは間桐もアンタに粉かけたりしないよ。()()()には、ね」

「……え? え?」

 

 綾子の眼が帰る支度をしていた和久津さんを捉えて、妖しく光る。困惑する彼女を尻目に綾子は告げた。

 

「いやあ、間桐ったら遠坂にフラれた時に変なスイッチ押されたみたいでね。まずは和久津から攻略してやる! ……とかなんとか」

「――――」

 

 和久津さんの顔色がみるみる土気色に変わっていく。許せない、一体誰がこんなことを!

 

「フラれた相手にターゲット絞れとか言われたら、そりゃあんなことにもなるさ」

「遠坂さああああん!!」

 

 はい、導火線に火を点けたのはわたしでした。

 

「まあまあ。逆に考えてみて、和久津さん。あの間桐くんだって、軟派な性根が改善されればイイ男でしょう?」

「そういう問題じゃないのぉ!」

「う~ん、仮に一皮剥けた間桐が無理となると……もしかして和久津ってソッチの気が?」

「ないですないです、ありません」

 

 美人を苛める二大仏敵の図。ぐぬぬと悶える和久津さんを見ていると、なんだかこっちがイケナイ気分になってしまいそう。

 

「……帰ります、最速で」

「そのほうがいいな。間桐にエンカウントしないのを祈るよ」

「ごきげんよう、和久津さん」

「はい。ごきげんよう、遠坂さん。美綴さん」

 

 はやる気持ちを抑えて、優雅に別れの挨拶を交わし下校する和久津さん。その姿を何とはなしに見つめて、綾子はとんでもないことをほざきはじめた。

 

「……あれでも化けの皮は剥がれないか」

「もしかして和久津さんのこと? ……何言ってるのよ、美綴さん。彼女にかぎって、そんな人なわけないでしょう」

「いーやっ。アレはアンタと同類のタヌキだね。何だったら遠坂の魂をかけてもいいね」

「……根拠は?」

「女の勘!」

 

 ……呆れた。女子力という言葉と縁のない綾子が、女の勘を持ち出すとは。

 

「あなたの眼って節穴なのかしら。いいわよ美綴さん。彼女が本物の淑女だということに、あなたの魂をかけましょう」

「……思ったんだけどさ、コレって勝ったほうが損しないか?」

「言い出したのはあなたでしょうに」

 

 ――――ああ、なんてくだらない戯れ合いだろう。思わず浸っていたくなるくらい。でも、そうはいかない。わたしにはこれから大仕事が待ち受けているんだから。

 

「わたしもそろそろ行くわ。ちょうど和久津さんがスケープゴートになってくれたし」

「まったく悪どいね、アンタったら。それじゃ、また明日」

 

 また明日、と返そうとして思い留まる。わたしは明日も今日と同じように学園に来れるのだろうか。明日からわたしの聖杯戦争は始まるのだから、それこそ明日死んでもおかしくない。……彼女相手に出来ない約束はしたくなかった。

 

「ごきげんよう、美綴さん」

 

 

 

 

 自宅の門を潜り、地下室へ直行する。飾り気の無い部屋。だが此処こそが遠坂邸の魔術工房たる心臓部なのだ。亡き父も十年前に、ここでサーヴァントを召喚したという。父の面影に想いを馳せながら瞑想すること数時間、時刻はまもなく深夜の二時を差し掛かる。草木も眠る丑三つ時、それがわたしの魔力のピークタイムなのだ。

 

「……さて、始めるとしますか」

 

 まずは魔法陣。消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲んだもの。実はサーヴァントの召喚に際して、複雑な儀式は必要ない。彼らの主たるマスターは依り代であり、召喚は聖杯というシステムがやってくれる。……でも、万が一の失敗も許されない。本来血で描く魔法陣も、今回は溶かした宝石を使う大盤振る舞い。

 次に触媒。魔法陣の中心にイヤリングを安置する。もちろん、このイヤリングは特別製。原初のルーンが刻まれた、『伝承保菌者(ゴッズホルダー)』である名門フラガ家伝来の値打ちモノだ。

 

「コレをものにするまで大変だったわね……」

 

 これまでの苦労が走馬灯のように頭を過ぎる。

 現当主であるバゼット・フラガ・マクレミッツ女史は強情であり、当初は協会枠のマスターとして、この触媒を携え、聖杯戦争に馳せ参じるつもりだったという。交渉は難航。そこでわたしは協会内の立場というカードを切った。

 かたや魔術特許を幾つも持つ遠坂の一人娘。

 かたやどの派閥にも靡かない腫れ物の執行者。

 ――――趨勢は決した。かくして彼女の家宝は我が手に。……ついでに彼女の恨みも我が手に。

 はてさて、そんな苦労をしてまで手に入れたコレがいったい誰を喚び出してくれるのか。

 答えはクー・フーリン――――アイルランドに名高き赤枝の騎士である。

 かのクランの猛犬から、まず第一に連想されるのは魔槍ゲイ・ボルクだろう。となれば充てがわれるクラスはランサーとなる確率が高い。また、他にもかの大英雄にはクルージーンという光の剣、マハとセングレンという二頭の名馬が牽くチャリオット、変わったものでは狂化の逸話など様々なモノが存在する。

 ようするに、クー・フーリンはセイバー、ランサー、ライダー、バーサーカーの中から一つのクラスを得て現界するのだ。

 もちろん第一希望は最優のクラス、セイバー。だがこれが叶わずとも第二希望のランサーも三騎士だし、宝具もゲイ・ボルクと間違いなく一級品だし、そもそもクー・フーリンといえば槍使いというイメージが一番強いから、このクラスが選ばれる可能性が最も高い、と文句なしである。残るライダー、バーサーカーは出てこないことを祈るしかないけど、それでも英雄としての地力とわたしの実力でなんとか優勝へとこぎつけてみせる。

 まったくこのような最高峰の触媒を授けてくれたミス・バゼットには感謝してもし足りない。……相応の財はくれてやったし、足りない分は買った恨みでチャラだけど。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 締めの詠唱。一字一句過たずに諳んじる。前述通り、ほとんどは聖杯が勝手にやってくれるのだから、途中で一節くらいトチっても問題ない事が過去の文献にも記されている。……まあ、そんないい加減な態度でこの儀に臨むのは、遠坂としての沽券に関わるのだけど。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 緊張感で冷や汗がどっと湧き出る。それでもわたしはナイフを容赦なく己の心臓に突き立てて、いつもの様に一言呟いた。

 

「――――Anfang(セット)

 

 自己暗示完了。イメージと一節によって人は魔術師へと組み替えられる。取り込む外気(マナ)の奔流に、わたしという我は為す術もなく陵辱されてしまう。

 

「――――――――」

 

 わたしを満たし、侵すソレが『遠坂凛』の力へと着色されていく。それに伴い、わたしという存在が人間から剥離していく。

 人としての肉体が軋みを上げる。

 魔術師としての肉体が歓喜を叫ぶ。

 そして板挟みとなって苦しむわたしを、左腕の魔術刻印がトドメとばかりに叩きのめした。

 一族の残した執念の象徴。こんなものを後生大事に聖痕扱いするんだから、魔術師という人種は案外呪われているのかもしれない。

 

「――――――――」

 

 痛みの中、そんな取り留めのないことを考えていると、ふと時計の針の進む音が聞こえた。燃料はもう満タン。始まったカウントダウン、わたしはスタートラインに立つ。

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 逆巻くエーテル。視界を塞ぐ暴力的な魔力を堪え、遂に最後の一節を紡ぐ。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 

 

 

 

 

 来た……! アルスター最強の勇士がわたしの元に!

 

「――――よう、お嬢ちゃん。オレがサーヴァント、クー・フーリンだ。アンタがオレのマスターかい?」

 

 地下室に飄々とした声が響く。前方から感じるのは圧倒的な神秘の具現。瞼を開けば、そこにいるのは――――

 

「ええ。わたしは遠坂凛。貴方のマス」

 

 ()を持った偉丈夫がひとり。

 杖。

 杖……。

 杖――――!?

 

「つ、つかぬことを聞くけれど……貴方のその得物って剣? 槍? それとも手綱?」

「あん? その目ん玉は飾りか、マスター? こんなのお前、どこからどう見ても杖だろ」

「……杖で殴る、バーサーカー?」

「このオレが狂戦士に見えたなら、狂ってるのはアンタの方だろうぜ」

 

 ……考えろ。

 考えろ遠坂凛……!

 クー・フーリンの英雄譚を思い返せ!

 クルージーン、マハとセングレン、狂化の逸話、そして師スカサハから与えられたルーン魔術とゲイ・ボルク――――ん?

 ()()()()()……?

 

「ま、まさかアンタ……! ()()()()()なの!? あのクー・フーリンなのに!?」

「……そうだ、悪いかよ。いや、オレだってどうせ喚ばれるなら()()()()が良かったが」

「いやいや、そう言うなら素直にランサーになってから出直して来なさいよ。チェンジ!」

「それが出来れば苦労しねえわ! まったく何が悪かったのやら……。ランサーのクラスが埋まってたのか? それとも……」

 

 クー・フーリン改めキャスターがわたしをジロジロと不躾に見る。

 

「な、なによ……?」

「なあマスター。なんで本調子じゃないってのにサーヴァント召喚になんて及んだんだ?」

「……はあ?」

 

 彼は何を言ってるのだろう。わたしの魔力が最も高まる時間は午前二時。そしてその時間の通りに召喚したんだから何の問題も――――ん?

 ()()……?

 

「……おーい、マスター? どうした、他に止むに止まれぬ事情があんのか?」

「……こんなの呪いよ。呪われてるわ、まったく……」

「そうか、呪いじゃ仕方ねえわな」

 

 そう。呪い以外の何者でもない。

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが遠坂家が魔導と共に脈々と受け継いできた血の宿命なのだ。……せっかく朝に時計が狂ってたの気付いたんだから、ちゃんと覚えておきなさいよ、わたし。

 

「それにしてもキャスターか……。わたし、籠城って趣味じゃないんだけど」

「同感だな。陣地に引き篭もってるより、敵を見つけ出して狩っていくほうが性に合ってるぜ? オレもアンタも」

「今のあんたじゃソレも難しいでしょーが。三騎士なんて()()()持ってるのよ? キャスターでどうしろってんのよ……」

「まあ落ち着けよ、マスター。何も対抗手段がないワケじゃねえ。オレのスキル、見えるか?」

 

 キャスターに促され、彼のステータスを覗いてみる。マスターにはこのようにサーヴァントの情報を垣間見る事ができる。見え方はマスターによって様々だけど、分かる情報に差はない。とりあえず、わたしには本をパラパラと眺めるイメージ。言われた通り保有スキルの項目を眺める。陣地作成:Bやルーン魔術:Aを見て考えるに、彼自身が言うほどクー・フーリンはキャスターに向いていないわけじゃないんだろう。

 

「違えよ。ソッチじゃなくて、矢避けの方だっつうの」

 

 ……あった。矢避けの加護:A。コレってようするに……。

 

「アーチャーに対して無敵ってこと?」

「正しくは投擲されたモノを捉えたなら、よっぽどの規格外でもない限り対処可能って優れモノさ」

「凄いじゃない、キャスター! ……でも、アーチャーの対魔力が高ければ千日手に成りかねないわね」

 

 そう、わたしがキャスターというクラスを忌避する一番の理由。それは三騎士、及びライダーがクラススキルによってデフォルトで持つ対魔力の存在である。ランクが高ければ高いほど魔術に対して抵抗力を得る特性上、魔術師とキャスターにとっては悪夢のようなスキルだ。下手に対魔力:Aのサーヴァントと対峙した場合、少なくともわたしの宝石魔術では傷一つ付けられない。彼のルーン魔術はAと神代の英霊に相応しいランクとなっているが、それでも分が悪いことには変わらないだろう。

 

「あのなぁ、そういう時のためにあんのが()()だろ?」

「……あるのね。対魔力を突破する手段が」

 

 わたしの言葉にキャスターは笑みを浮かべて頷く。……安心した。最初に魔術師のクラスと知った時は思わず卒倒しそうになったけど、この条件なら全然戦える。むしろ逆境に燃えてきたって感じ。

 

「おっ、イイ顔になってきたじゃねえか、マスター。はははっ! やっぱり女は気の強いのが一番だな!」

「言ってくれるじゃない、キャスター。こうなったら三騎士の一人でも倒さないと気が済まないんだから」

「応よっ! せっかく衣替えするハメになったんだ、たまには知的に攻めてみましょうかねぇ!」

 

 ……なんだかんだでこういう滑り出しも悪くないと思う。サーヴァントが圧倒的な力を持つよりも、これくらいの強さの方がかえってやりがいがあるし。それに何より相性。聖杯戦争を勝ち抜くためには、相棒であるサーヴァントとの連携が大事になっていくだろう。その点に関しては一切文句なし。なんというか凄いしっくり来る。これでクラスがセイバーかランサーだったら言うこと無しなんだけど……。

 

「あ、そういえば衣替えとか言ってたけど、セイバーとかランサーの場合どんな衣装になるの?」

「セイバーのオレは想像つかねえな。ランサーの場合はひとことで言うと……」

「ひとことで言うと?」

「全身青タイツ」

 

 目の前のケルティックな民族衣装に身を包んだ男を見る。その服装を青タイツに脳内変換してみた。

 ……うわぁ。

 

「……あんた、キャスターの方が似合ってるわよ」

「そうか? まあ、そう言ってくれるならこの姿で喚ばれた甲斐があったってもんよ」

 

 

 

 

 

 ――――かくして、今宵六人目のマスターが聖杯戦争という舞台に立った。

 聖杯戦争――――万能の願望機を巡る、魔術師達の血で血を洗う生存競争。

 残る一席、そこに据えられるマスターには如何な因果の糸が絡みついているのか。

 運命は呪い、未来は嗤う。

 ()()は最後のひとりを待ち続ける――――




なぜ、キャスニキなのか。
若奥様がいない最大の理由は、ルルブレの存在がギルティだからです。
他にも原作と比べ様々な描写の差異が見受けられます。
凛がわりかしリッチなのは某モジャ公が死んでるからだったり、
一成が一人でいるのは衛宮士郎がいないからだったり、と。
それにしても言峰神父、いったい■■シロウなんだ……!?


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2月1日:INVISIBLE WATCHER INVISIBLE UNREST

 未だ戦端は開かれない。けれど、不穏の足音は確実に忍び寄ってきている。


 起きた。時計を見る。左向きの直角三角形が出来上がっていた。

 

「九時過ぎ……サボり決定ね」

 

 さようなら仮初めの優等生像。

 

「随分遅いお目覚めだな、お姫サマよ」

 

 こんにちは聖杯戦争のマスター。

 

「まあ、無理もないかねえ。昨夜の召喚がよっぽど応えたんだろ。喚んでもらった身としては、文句は言えねぇさ」

 

 そう嘯く寝坊の元凶がわたしの目の前にひとり。こいつは……キャスター。第一志望の三騎士に見事落第した、哀れなわたしのサーヴァントだ。そんなのが今、わたしの部屋にいた。少しは乙女のプライバシーとか考慮してくれてもいいじゃない、と恨めしげに見やる。

 

「おいおい、ひっどい顔してんぜマスター。とっとと顔洗ってシャキッとしな」

 

 逆効果だった。朝はいつもひどい顔なのがわたしである。

 

 

 

 

 遅めの朝食、もといブランチを摂る。正直あまり食欲もなかったけど、それを無理やり食後の一杯で押し込んだ。

 

「本調子じゃなさそうだな、マスター。どうする、今日いっぱいは引き篭もってるかい?」

 

 ……確かに、今のわたしの魔力は普段の出力の半分くらいだ。こんな状態で敵マスターに襲われたら、ひとたまりもないだろう。

 

「戦闘はなしね。サーヴァント戦になりそうだったら、撤退しましょう」

「ほう? その言い方だと、別に出歩かないわけじゃないんだな?」

「ええ。 聖杯からの知識だけじゃ、土地勘は身につかないでしょう?」

 

 そう。襲撃のリスクを負ってでもすべきなのは、主だった戦場予定地の下見。地の利を制すれば、不利なセイバーやランサーにも一矢報いることが出来るかもしれない。

 

「確かにその通りだな、マスター。それでこれから出かけるってのか?」

「そ。早く支度なさい、キャスター」

「でもよ、もっと手っ取り早い方法があるぜ」

 

 そういって彼は居間においてある鏡の前に立つ。そして鏡面に指を添え、唱えた。

 

Kenaz(松明よ)

 

 刻まれたのはルーン魔術。すると鏡の中身は移す世界を変えた。

 

「……冬木市。俯瞰してるのね」

「『遠見』のルーンさ。これでこの街全域が見渡せる」

 

 さすがは魔術師の英霊。一工程(シングルアクション)でこれほどの効果を生み出すとは。現代の魔術師がやってもこうはいかない。精々深山町までが限度だろう。そんな面目躍如したキャスターは鏡相手に拡大と縮小を繰り返し、

 

「……飽きた。やっぱ外行こうぜ」

 

 唐突に映像を打ち切った。

 

「結局そうなるんじゃない。……でも、まさかその格好で出歩くつもり?」

 

 連れ出すとなれば、当然キャスターの姿も周囲に晒される。せめて、そのいかにも魔術師って感じのローブじゃなくて、現代風なファッションをしてほしい。

 

「はあ? アンタ何言ってんだ?」

「だって服の替え持ってなかったじゃ――――まさか、ここで全身青タイツが!?」

「昨夜からしつけえんだよ、そのネタはよぉ! ……そうじゃなくて、霊体化できんだよ、オレ達は」

 

 あ、そっか。サーヴァントはあくまで霊体。その肉体はマスターの魔力で維持してるんだ。

 

「そしてレイラインも繋がってるから、姿が視えずとも意思疎通は出来るのさ」

「へえ、便利なモノね、サーヴァントって」

「……ま、もっとも実体化して街を練り歩くのも悪かないがね。オレらの頃から随分様変わりしてんだろ、今の世は?」

 

 興味津々といった素振りを見せるキャスター。そりゃコイツがいた頃から二千年以上経ってんだから気にもなるか。……別に、着替えてくれるなら彼を伴って冬木を歩くのに問題はない。ないんだけど……。

 

「それは次の機会になさい。今日は出来るだけ魔力を温存するんだから」

「へいへい、っと。構わねえさ」

 

 こんな男と学園をサボってデートしていた、なんて噂が流れるのは優等生の沽券にかけて阻止したかった。

 

 

 

 

 冬木の街は主に開発地区の新都と、住宅街の深山町の二つから成り立っている。東の新都と西の深山町を二分するように未遠川という川が流れており、そこに二つの街を繋ぐ冬木大橋が架けられている。わたしが住んでいるのは深山町。古くに移住してきた外国人が多い南側に位置する。洋の趣が色濃いこちらと違って、北側は純和風の邸宅が多い。そして北と南に挟まれた中央の住宅街は和洋折衷(どっちつかず)。そこからわたしたちの通う穂群原学園や、柳洞くんが住む柳洞寺、新都へと続く冬木大橋に繋がっている。

 

「深山町はざっとこんな感じよ。とはいっても、さっき貴方が見た通りなんだけれど」

「確かに地理は頭に入ってるが、実際の雰囲気は足を運ばなきゃ判らんモンさ」

 

 次は新都を回ってみるか。

 

 

 

 

 橋を渡ると、景色がガラッと変わる。ある事件を境に発展してきたこの街には今や多くの高層ビルが建ち並んでいるのだ。ある事件、それはもう十年前の話になる。大火災。死者五百余名という悲劇を生み出したソレは人の営みを根絶やしにした。そのための再開発。今となっては当時の陰など視る由もない。

 ――――この場所を除いては。

 

「で、ここが冬木中央公園。キャスター、ここまでで何か質問は?」

「公園なんて名前のクセして、まったく一息つけそうな場所じゃねえな。……曰くつきなんだろ、ココ?」

「……ええ。ここは十年前の第四次聖杯戦争終結の地。聖杯が降臨したと()()()場所よ」

()()()だぁ? なら、実際のトコ、どうなんだよ?」

「知らないわよ、だって結局その聖杯を手に入れたという魔術師なんて現れなかったもの。わかってるのは、ここに聖杯の中身と思われる膨大な魔力の痕跡が残ってるコトだけ」

 

 当時の聖堂教会の残存スタッフから伝え聞いた数少ない情報である。まあ、そんなこと言われるまでもなく、この場所からは魔力の残滓をもりもり感じ取れるんだけども。でも問題は、魔術師ですらない一般人の目から見てもこの公園は一種異様に映るらしいこと。そんな場所をサーヴァントなんて規格外の存在が読み取れば当然――――

 

「……淀んでるどころの騒ぎじゃねえな。この分じゃあ、めったに人も寄り付かねえんだろ?」

「さすがにお見通しよね。キャスター、貴方の眼からはどう視える?」

「怨霊どもで満員御礼って感じだ。しっかしここまでヒデェのはめったに見れねえぜ。これも聖杯の御業、ってか?」

 

 聖杯。確かに残留する怨念と魔力を結びつければ、かの惨劇は聖杯が引き起こしたことになるかもしれない。……もしかして、聖杯ってロクでもない代物なんじゃ?

 

「ま、別にいいわよ。わたし、聖杯なんて使うつもりないし。危ないモノならさっさと捨てることにするわ」

「……ほう。いいのかい、マスター? 聖杯とやらは夢や願いをなんでも叶えてくれる、って触れ込みのはずだぜ?」

「そういうのは誰かに叶えてもらうんじゃなくて、自分でカタチにするのが筋ってモノでしょう?」

「なら、何のために? この闘いに臨むに至る目的は何とする?」

「決まってるじゃない。勝つためよ。目の前に戦いがある限り、わたしは勝って勝って勝ち続けるんだから」

 

 キャスターが目を丸くする。モノを知らない小娘の戯言と思われたのかもしれない。でもまあ、コレがわたしの信条。他の誰に言われたって、改める気は毛頭な――――

 

「――――は、ははははッ! イイねえ、アンタやっぱ最高の女だわ!」

 

 コイツ、人の誇りを盛大に笑い飛ばしやがった。

 

「し、しし失礼ね、笑うんじゃないわよっ! なら、そういうあんたは何のために戦うのかしら!」

「あん? んなの戦って、勝つ。この二つに決まってんだろうが」

 

 当たり前のようにキャスターは言った。あまりの荒唐無稽さに呆然として、直後理解する。

 

「キャスター。貴方最高のサーヴァントね」

「だろ?」

 

 わたしとの相性で召喚したわけでもないのに、ここまで噛みあうことってあるのだろうか? それとも古代ケルト人、それどころか名を遺した英雄様って皆こうなのかしら? 淀んだ空気に沈む心へと、心地よい一陣の風が吹いてくる。

 

「キャスター、そのクラスはともかくとして貴方を喚んだのは正か――――ッつ……!?」

 

 右腕、ひいては手の甲に違和感アリ。令呪がじくりじくりと警告を発している。

 ……敵マスターだろうか? 視える範囲に人影は……いない。

 

「……キャスター、敵かもしれない。貴方に見つけられるかしら?」

「任せな。――――Berkano(白樺よ)

 

 実体化したキャスターが足元の小石に『探索』のルーンを刻む。するとどこを目指しているのか、ひとりでに動き出す石ころ。急造の神秘を纏ったソレが辿り着いた先には、なんと目玉が転がっていた。

 

「遠隔視の術か? 人間の眼ってわけじゃあなさそうだが……どれ」

 

 キャスターが手に持とうとした瞬間、それはドロリと溶けて霧散した。

 

「……まずいわね。これじゃ一方的に情報を獲られたことになる。キャスター、まだ追える?」

「……いや、ちとキツイな。術者自身が対魔力じみたモノを持ってやがる。残滓程度からじゃ追えやしねえ」

 

 ……やられた。

 サーヴァントという兵器を使う聖杯戦争において、情報とは通常の戦争と同様に勝敗を決する重大な要素となる。たとえどんな大英雄を喚んだとしても、それがジークフリートやアキレウスと露見されれば、背中や踵を集中砲火されて敗退せざるを得なくなる。今相手にバレたのはルーンを扱うキャスタークラスのサーヴァントだということ。真名がバレてないから大丈夫、なんて楽観視は以ての外。少なくとも、敵サーヴァントは直接肉体にルーンを刻まれないよう立ち回ることになるだろうし、高い対魔力持ちならば早速こちらが宝具を開放するハメになる。……わりと致命的一歩手前。

 対してわたしが敵から得た情報は、相手は何かの目玉を媒介とする対魔力持ちの誰かだということ。さっきのは明らかに魔術。少なくとも三騎士や騎乗兵のような連中が片手間に行使するような術法ではなかった。だとすればキャスター……がありえないことは隣りにいる存在から先刻承知だ。ならば最後の選択肢、対魔力持ちのマスターか。

 ……もしかすると甘く見ていたのかもしれない。管理者(セカンドオーナー)たる遠坂が、他ならぬ冬木の地で負けるはずがないと。

 否。このザマを見よ。部外者相手にまんまと出し抜かれているではないか。井の中の蛙が激流に打たれているのがこの状況だ。

 

「……上等。来るんなら来てみなさいよ」

「おいおい、血気盛んなのは結構なことだが、今日は本調子じゃないんだろ?」

「ここまでされたら相手の面拝まなきゃ割に合わないじゃない!」

「やれやれ……まあいいさ、オレもしてやられて腹に据えかねてたんだ」

 

 今日一日、街中練り歩いて暴き立ててやるんだから――――!

 

 

 

 

 新都を巡り巡る。倉庫街や外人墓地などの当初の目的も兼ねた、いかにも戦端が開かれそうな場所から、ビル街やショッピングモール(ヴェルデ)といった普通の魔術師が近寄らなそうな場所まで。そして時刻は八時過ぎ。散々歩いて見つけたのは目当てのマスターではなく、意外な存在だった。

 

「……彼女、和久津さんかしら?」

 

 ヴェルデの出入り口付近に見知った人影。手には服でも買ったのか、買い物袋をぶら下げている。そんな彼女に伴って歩くのは――――

 

「……桜もいっしょなのね。なんだ、結構楽しそうじゃない」

「知り合いらしいな、マスター。なら、挨拶の一つでもしてくりゃどうだ?」

「いやよ。わたし、今日は学校サボっちゃったんだし、彼女たちに合わせる顔がないわ」

 

 お楽しみのところを邪魔するのも悪い。そろそろ河岸を変えるか、と思い立った時、二人のそばを一人の外国人の男が横切る。とても整った顔立ちだ。ともすればナンパか、とも思ったが彼の側は何のアクションも起こさず通りすぎようとする。

 そう、行動に至ったのは男の方ではなく――――

 

「……桜? どうしたのかしら……」

 

 あの一年生が外国人に詰め寄っていた。対する彼と和久津さんの表情には困惑しかない。……一応聞いておくか。

 

「キャスター。彼、人間?」

「見りゃわかんだろ。あんなモヤシがサーヴァントでたまるかよ」

 

 そりゃそうだ。キャスターにも感じるようなサーヴァント特有の濃密な気配を彼には全く感じなかった。一瞬アサシンなら、とも思ったけど実体化して姿を晒していたなら言われずとも判断がつくだろう。……心配のし過ぎだ、アレは本当にただの一般人。

 あちらの方は和久津さんが代わりに相手に頭を下げ、取り乱した後輩を連れて帰路に着いている。外国人の方は最後まで当惑気味で、けれど和久津さんの謝罪に対して柔和な笑みを見せていた。

 

 

 

 

 

 

 探索を終える。結果として大した成果を上げられなかったけれど、わたしとしてはさっきの摩訶不思議な光景の方が胸に引っかかっていた。

 

 

 

 ……ほんと、なんだったんだろ、アレ。




冬木市の位置関係の把握については、FGOのzeroイベントマップが大いに役立ってくれました。


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2月2日:開幕

 遂に始まるわたしの聖杯戦争。そんな一日の最後、わたしたちは予想外の場所へと辿り着いた。


 よし、魔力は万全。キャスターも昨日一日かけて地理はバッチリ。それじゃあ、打倒敵マスターに向けて!

 

「登校するわ、キャスター。ついてきて」

「マジかよ」

 

 マジもマジ、大マジである。昨日は不可抗力だったけど、学校には行けるなら行くべきだ。これをマスターになったからといって改めるつもりもないし、何より――――

 

「あの学園にマスターはいないはずだし、登校するのは朝と昼の間だけ。聖杯戦争とは無縁の安全地帯なのよ」

「どうしてマスターがいないと判るんだ?」

「わたし、管理者だもの。あそこにはマスターになれる生徒や教師はわたしを除いて一人もいないのはとっくに確認済み」

「……まあ、行って問題ないならいいさ。そこら辺の事情はマスターの方が詳しいだろうしな」

 

 わたしの言葉に納得した様子のキャスター。魔術師同士の闘争は夜に行うのが暗黙のルールだし、それまで肩肘張っても仕方ないだろう。……それに、昨夜のアレをどうしても聞き出したかったし。

 

「そろそろ二十分か。行きましょ、キャスター」

 

 

 

 

「嘘でしょ、キャスター……」

「……ああ。アンタの予想が外れるのは想定内だったが、コレは予想の斜め上だな」

 

 正門を潜った先に異変はあった。魔術の痕跡があっただとか、そういった方面のモノではない。なにやら近くの掲示板に生徒たちが群がっているではないか。野次馬たちを押しのけ、異変の正体を確認する。

 ――――ソレは一枚の乱雑に書き殴られたビラだった。

 

『ハンガリーから堂々来日! 期待の超新星アイドル、2月2日19時より穂群原学園体育館にて怒濤のゲリラライブ開催! この瞬間を見逃すな!!』

 

「……コレってなんなのかしら、柳洞くん?」

 

 いつの間にやら傍らにいた男に問い質す。

 

「知らん。だが、掲示許可がないのは明白だ。さっさと剥がして、コトの犯人を見つけ出さねばな」

 

 ビラが剥がれるのを名残惜しそうに見届ける野次馬たち。……人の口に戸は立てられない。噂になるだろうなぁ、コレ。

 

「……この時期にハンガリーから、ってどう考えてもそういうことよね?」

「ああ、だろうな」

「なんなの? マスターの脳みそがツルツルなの? それともサーヴァントってみんな頭沸いてるの?」

「ああ、かもな。……って、さり気なくオレまで貶してんじゃねえよ」

 

 

 

 

「……おはようございます」

 

 ガラガラと二日ぶりの教室に入る。ここでもさっきのアレが話題になっていた。神秘の秘匿が危ぶまれる。いざとなったら、あの監督役に責任を擦り付けようか。

 

「おはようございます、遠坂さんっ。……ところでその」

「おはようございます、三枝さん。どうかしましたか?」

「後ろの男の人は知り合いですか?」

 

 ……後ろ? 振り向いても誰もいない。当然だ、だってキャスターは霊体化してるんだから視えるわけ――――

 

「ちょっ、由紀っち!? 季節外れの怪談はもうお腹いっぱいだって!」

「こ、公園の時の天丼はよせ由紀香! 笑えん冗談だ!」

 

 本気で怖がる氷室さんとマキジ。

 その様子を不思議がる三枝さん。

 ――――思い至ったわたし。

 

「おい、マ」

“しばらく口を閉じてなさい、キャスター!”

 

 急いで念話で指示を飛ばす。

 

「あの、今しゃべ」

「しゅ、守護霊でもいるのかしら? わたしにはさっぱりだけど不思議な話ね」

「?」

 

 詠鳥庵(マキジの実家)の倉庫での一件を思い出す。三枝さんの霊感が強いのは知ってたけど、まさかマスターすら不可視の霊体化まで見抜けるとは思いやしなかった。幸いにも眼の力が強すぎるせいで、人間と霊体の差に無自覚なのが救いだけど。……もしかしたら、彼女の先祖にとんでもない魔術師がいたりして。隔世遺伝の可能性の方が突然変異よりも現実味を帯びる分、それこそ笑えない冗談だ。

 

“いい? 彼女の前では霊体でもピンチじゃないかぎりアクションを起こさないでちょうだい!”

 

 キャスターが頷く気配はない。いや、頷かれたら三枝さんに視られるのだから、それで正解だけど。

 

「おかしいなぁ……」

 

 首を傾げる三枝さんと戦々恐々の氷室さんと蒔寺。三人娘で唯一の常識人が一番「こちら」側に近いのだから、世の中とは不思議なものだ。

 

「和久津さんにもあのヒト、見えなかったですか?」

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」

 

 三枝さんの無茶振りに対し、両手を合わせて念仏を唱える和久津さん。……その右手には包帯が巻かれている。

 

「……和久津さん? その手、怪我でもしたのかしら?」

「あ、コレですか? それが僕も気付かないうちに痣が出来ていまして」

「痛みはしないかしら? 念のため病院へ行ったほうがいいわよ」

「だ、大丈夫ですから。心配いりませんからっ」

 

 まあ大事ないならこれ以上はお節介か。……ああ、思い出した。アレを聞かなくちゃ。

 

「そういえば和久津さん。昨夜あなたと桜がヴェルデを出るところでアレを目撃したんだけど……」

「……ああ、あの外国人ですか?」

「ええ、どうやら桜と一悶着あったらしいけど……どんな内容だったの?」

「うーん、彼女が言うには昔の知り合いにそっくりだったらしいけど……」

「男の方に見覚えはなかった、と?」

「はい、そうらしいです」

 

 ……ますます謎が深まった。あの引っ込み思案の権化があんな態度に出るなんてよっぽどのコトだ。でも、ただの一般外国人に彼女が深く関わることなんてないだろうし……。

 

「ありがとう、和久津さん。参考になりました」

「いえいえ。……でも、ちょっと意外」

「意外? なにがかしら?」

「アレを見たってことは、遠坂さんったら昨日は学園、ズル休みしちゃったんですね」

 

 ……恥ずかしながら、その通りです。

 彼女の言葉が告げられると同時に、HRの鐘がなる。さらに時同じくして葛木が教室に入る。いつも通りの2-Aが始まった。

 

 

 

 

 今日は土曜日。午前中で授業は終わり、残った生徒は部活動などに精を出す。わたしとしては例の下手人が現れるまで体育館付近で待機中。今の時刻は午後六時。部活を終えた生徒たちが退出していく。

 ……さて、そろそろか。体育館の四方を囲むように置いた宝石を起動する。

 

「――――Das schliesen(準備。).Vogelkafig,Mensch(退去、終了)

 

 人払いの結界。あんな馬鹿げたチラシでも、来てしまうような野次馬がいるかもしれない。でも、アレはわたしに対する挑戦状のはず。戦いに一般人を巻き込むなんてわたしのプライドが許さない。

 

 

 

 

 そして時が経ち、時計の短針が7を指した。すると突如照明が落ち、スポットライトが体育館の奥を照らす。……本格的だなあ。

 

「元気にしてたかしら? ブタ共、リス共? (アタシ)のためにブヒブヒ鳴く用意はよろしくて?」

 

 体育館中に勝ち気な少女の声が響く。声の質は文句ナシなのが無性に腹立つ。で、そんな美声の主が遂に正体を現した。

 

「さあ! 私を彩る華々しい初ステージの幕開けよっ!! ――――――――って、なんで誰もいないのよぉ!?」

「当たり前だろ、つかテメエバカだろ」

「そうねキャスター。ツルツルなのはサーヴァントの方だったわね」

「さ、さてはあなた達の仕業ね……! お肌ツルツルなんて褒めたところで許してあげないんだからっ!」

 

 ……とまあ口論したところで、改めてコイツの姿を見てみる。角が二本と尻尾が一尾。可愛らしい容姿も含めて、まさに小悪魔系といった出で立ちだ。……でも、コイツがサーヴァントだってことは明らか。見た目や言動に騙されたら痛い目を見ることになるはず。

 

「で、キャスター、だったかしら? はっ、よくそんな地味なクラスで私の前にノコノコ出てこれたわね」

「言うじゃねえか、小娘。なら、そういうテメエは何の英霊だい?」

「何の? ……そんなの決まってるじゃない。私は、アイドルのサーヴァント!」

「――――――――」

「アハハハハ、はは……え? あの、その目はいったいどういう意味かしら……?」

 

 わかった。コイツに人を騙す知能なんてない。正真正銘のダメサーヴァントだ。

 

「……で?」

「で、って何よ……?」

「実際のクラスは?」

「……だから、アイド」

「実際のクラスは?」

「いやあの」

「実際のクラスは?」

「ランサーよ! これで満足でしょ!」

「ふざけるなあっ!!」

「なによ! ちゃんと正直に答えたじゃないっ!」

 

 わたしとキャスターの声がハモる。そりゃ当然だ。どうしてあのクー・フーリンがキャスターで喚ばれて、こんな駄サーヴァントがランサーなんて強クラスなのか。世の理不尽を嘆いても致し方ないだろう。

 

「畜生、ふざけやがって! こんな槍の扱い方も知らないような小娘なんかに……!」

「怒鳴りたいのはコッチの方よ! もういいわ、とっとと贄になりなさいっ!」

 

 怒り心頭といった様子のランサーが、マイクスタンド(?)を振りかぶって襲い掛かってくる。

 

「――――バカが!」

 

 対するキャスターは迎撃のためにルーンを紡ぐ。

 ――――かくして今宵、此処に戦端は開かれた。……絵面がマヌケなのはご愛嬌ということで。

 

 

 

 

「ウソ……」

 

 駆けるランサーの速度に驚嘆する。本来槍兵のクラスは高い敏捷を持つと云われているけれど、こんな、こんな――――!

 

「遅えぞ小娘ッ! その脚でランサーってホントにナメてんのか!?」

 

 ランサーの動きは強化した視力があれば、わたしでもつぶさに把握できる。それがキャスターなら言わずもがな。(マイクスタンド)の穂先が触れるまでもなく、余裕を持って術者は己の力を行使した。

 

Thurisaz(茨よ)――――!」

 

 中空に出現した蔦は敵を拘束せんがため、ランサーへと殺到する。疾さではもちろんこちらの方が上。ランサーの反応を許さずに、茨は少女の柔肌に叩きつけられ――――傷つけることも敵わず、かき消された。

 

「対魔力……!?」

 

 そう、ランサーは三騎士。当然そのスキルも保有している。魔術によるダメージを減衰させるソレが、神代の魔術師であるキャスターのルーン魔術を無効化するということは――――

 

「気をつけて、キャスター! コイツの対魔力は、たぶんAランク相当!」

「オイオイ、マジかよ!? コイツ、このナリで実は大物だってのか!?」

「よそ見してんじゃないわ、よッ!!」

 

 技術を何も伴わない、純粋な力による振り下ろし。その身に纏う装飾も相まって、彼女からは英雄というよりもむしろ怪物という言葉が想起された。そして怪物を討つのは英雄である騎士の役目と相場が決まっている。がんばって、わたしの騎士サマ! ……今のあんたは騎士とは程遠い姿だけど。

 

「ああ、クソッ! やりづれえ……!」

 

 魔術が無意味と見るや、キャスターは己が杖で、襲い来る槍を巧みにいなし射程範囲外に離脱。さすがはケルトの大英雄、クー・フーリン。腐っても棒術はお手の物である。

 

「あら、キャスターのくせして接近戦の心得もあるのね? 私の槍を避けるなんて、まったく生意気なんだからっ」

「……うるせえ。オレの本職は槍使いだっつうの」

「あらら、ゴメンなさいね、元槍兵さん。私、あなたと違って今まで槍とか握ったことがなかったの。それなのにお役を奪うカタチになっちゃって!」

 

 キャスターのこめかみ辺りの血管がブチリと千切れた。客観的に見ても判るのだから、この時彼は内心どれくらいキテたのだろうか。

 

「……そーかい、そーかい。ならこのオレが直々にテメエをシゴき上げてやる! 覚悟しやがれッ!」

「それじゃお言葉に甘えて……イッくわよぉー!!」

 

 そう言ってランサーは自身の槍に跨る。……いったいアイツはほんと何がしたいんだろう。そう首を傾げた瞬間――――

 

「オイオイこんな滅茶苦茶なの最早槍でもなんでもねーだろ――――ッ!?」

 

 槍を駆って突進を仕掛けるランサー。見た目としては箒に跨るイメージ上の魔女に近い。ライダーかキャスターにでも転職した方がいいんじゃなかろうか。

 ……でも、コレでなかなか莫迦にできない。わたしの眼にはもうランサーの姿は映らない。初速を超えてグングンと迫るランサーは、速度という欠点を見事に克服していた。それに対するはキャスター。攻勢魔術が彼女に弾かれるのは既に明白だ。そんなことも判らないキャスターではない。ならば彼の取る対策とは――――

 

「――――Eihwaz(櫟よ)!」

 

 『硬化』のルーンが刻まれた杖が、突進するランサーの槍と交差する。いくらこちらの技術が上でも、筋力の差は覆せない。結果、反動を抑えきれずに壁際まで押し込まれてしまう。……けれど、彼は見事に耐え切った。

 

「甘いわよっ!」

 

 先程まで突進していたランサーが勢いのまま痩身を翻す。それに伴い振るわれる尻尾は殺人的なスピードだ。まさか、そのまま叩きつける気か……!

 わたしが危惧した通り、キャスターに迫る彼女の尾。当然キャスターも防ぐために杖を掲げる。

 

「――――アハッ」

 

 それを待っていた、とランサーが不敵に笑う。振るわれるはずだった尾は徐々に減速していき、その分の運動エネルギーが彼女の持つ槍へと転換される。

 単純なフェイント。しかしどちらの技も喰らえば耐久に乏しいキャスターでは危険で、判っていても防ぎきれない。そして、致命の一撃が放たれる。杖をあらぬ場所へ掲げるキャスターは隙だらけもいいところであった。

 

「キャスター……!」

 

 このままではキャスターがやられる。その運命を打破するにはランサーを妨害しなければ――――いったいどうやって? 標的であるランサーは知っての通り、対魔力:A。神代の魔術すら防ぐソレに、現代のちょっと優秀な程度の魔術師であるわたしがどうやって張り合えるというのだ。

 ……自分の無力さに打ちひしがれる。これが聖杯戦争。神代の再現であるこの舞台に、わたしのような人間が介入する余地なんて――――

 

「――――Ansuz(槍よ)!!」

 

 キャスターが『火』のルーンを放つ。狙うはランサー……ではなく頭上の巨大なバスケットゴール。壁と繋がっている支柱部分を容赦なく焼き払い、ソレは灼熱を纏いながら――――ランサーの頭上へと落下していく。だが、それでは間に合わない。単なる自重落下がサーヴァントの一撃に比肩するはずもない。いったい彼は何を――――

 

「――――マスターッ!!」

 

 キャスターの声が弱気になったわたしの心を呼び覚ます。それに含まれるのは信頼の証。そう、キャスターはわたしに頼っていた。

 ……ランサーを直接介さずに彼女を止める術、それは確かにあるはずだ。でなければキャスターはルーンを無駄撃ちしないし、第一わたしに声をかけたりしないだろう。

自身のサーヴァントからの謎解きにしこたま悩む。

 ――――そして、コンマ1秒後にようやく解答に辿り着いた。

 

Zehn(十番)! Gewicht(重圧、)vox Gott(戒律引用、) Es Atlas(重葬は地に還る……!)――――!」

 

 キャスターの口角が正解だ、とばかりに釣り上がる。重力付加の術を、秘蔵の宝石を介し手加減抜きで特大の火球と化した備品に叩き込む。結果、落下スピードが段違いになったソレは、ランサーの槍と競うように速度を上げていき――――

 

「痛ッたあ――――ッ!!」

 

 果たして、作戦は成功した。

 

 

 

 

 本来、サーヴァントには神秘の伴わない物理攻撃は通用しない。現代の銃や爆弾がどんなに高火力でも、サーヴァント相手には無力と化す。そして、このランサーは高い対魔力を持つ。わたしたちの魔術では、直接彼女を傷つけることは敵わない。ではこのサーヴァントにはどう対処すべきか。

 ――――答えは簡単、神秘を乗せて物理で殴ればいい。教会には現代火器を聖別して、対魔武装とする技術があるそうだが、要はそれと同じ要領である。

 狙いは見事的中。キャスターとわたしによって魔術兵器と化した元バスケットゴールは、ランサーの脳みそ空っぽの頭に直撃し、怯ませる程度の隙は作れた。

 

「マスター! 一先ずここから離脱するぞ!」

「ええ!」

 

 衝撃の余波を受け、脆くなった壁を踏み砕く。そして癇癪を起こしているランサーを尻目に体育館から脱出。コイツはとことんキャスターと相性の悪いサーヴァントだ。逃げるにしても、戦うにしても、距離を取らなければ始まらない。

 

 

 

 

 取り敢えずは校庭に辿り着いた。……後ろを振り向けば、ノロノロとランサーが後を追って歩いてくる。

 

「さっきはよくもやってくれたじゃない……! 許さないわ、こうなったらギッタンギッタンの串刺しにしてやるんだからっ!」

「ああ、もうしつこいったら……!」

 

 ……さて、どうしようかしら。いくらあの残念サーヴァントでも、流石に二度も同じ手は通用しないだろう。というかここ校庭だから、武器になりそうなモノなんて落ちているはずもないし。なら、このまま撤退するべきか。それとも――――

 

『あのなぁ、そういう時のためにあんのが()()だろ?』

『……あるのね。対魔力を突破する手段が』

 

 キャスターを召喚した直後の会話を思い出す。そう、キャスターには絶望的な相性の差を覆すほどの切り札があるはずなのだ。

 

「……ちょうどいいわ。キャスター、貴方の真の力を見せてちょうだい!」

「――――おう、任されたぜマスター」

 

 直後、キャスターの周囲の空間が一変した。宝具を使う前兆なのか、彼の纏う魔力の濃度が人智の及ばない領域まで深まっていく。後ろで眺めてるだけのわたしですら察知できたのだ。対峙しているランサーともなれば――――

 

「勝負に出るのね、キャスター。……いいわよ、なら私も――――!」

 

 ランサーが得物を構える。……彼女もわたしと同じ目論見か!

 

「キャスター! 競り負けたら承知しないんだからっ!」

「我が魔術は炎の檻、茨の如き緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める社――――」

 

 言葉を紡ぐたびに、キャスターの周囲のマナが濃密さを増していく。それにしてもこの宝具詠唱、ルーン魔術とは別の原理で存在するのだろうか。ならば生み出されるのは、今までのルーン魔術の次元を超えた、決戦兵器に違いない。

 

「――――とっておきのナンバーで魅せてあげる!!」

 

 キャスターの宝具に応えるためか、ランサーは自身の槍を地に突き刺す。――――そして、彼女の背から禍々しい翼が生える。……頭部の双角、爬虫類じみた強靭な尾、対魔力:A、そして今の翼。ここまで揃った推理材料が、彼女の正体の一端を明確に導き出した。

 

「――――まさか、竜種!?」

 

 竜種、それは幻想種の頂点。ランサーの見た目からして、彼女は純粋な竜種ではなく雑竜種(デミドラゴン)なのだろう。だが雑種と侮るなかれ、彼らを打倒するために歴史上多くの名も無き英雄が敗れ散っていったのだ。人類に立ち塞がった一つの到達点、それにキャスターが挑もうとしている。無謀だと止めるべきだろうか? ……いや。キャスターを、わたしのサーヴァントを信じろ――――!

 

「倒壊するは『灼き尽くす(ウィッカー)――――――ッ!?」

 

 

 

 

 

 キャスターが唐突に詠唱を中断して、わたしの目前に飛び退く。いったい何を、と怒鳴ろうとした瞬間――――彼ら二人の間に割り込むように、地表に突き刺さる一振りの剣。

 

「……え?」

 

 そして、それは爆発した。

 

「ナンデよぉぉぉぉッ!?」

 

 竜種自慢の肺活量が、溜め込んでいた鬱憤を爆発させるために夜空へと解き放たれた。

 

 

 

 

「……今日は厄日だわ。覚えてなさいよ……!」

 

 突然の横槍により手傷を追ったランサーが、捨て台詞を吐いてようやく撤退していく。

 

「……どうキャスター、追えそう?」

「いや、無理くせえな。『探索』のルーンをアレに掛けても弾かれるのがオチだ。それよりも――――」

 

 虚空を睨んだキャスターが新たに『探索』のルーンを刻む。

 

「邪魔してきやがったアーチャーの野郎に、お礼参りしてやろうじゃねえか」

「やっぱりアーチャーなの? 一瞬見えたのは剣だったけど……」

「剣士が自分の得物を投げつけて爆発させる、なんて真似するはずねえだろ。……よし、追えそうだ。あのランサーよか対魔力も低そうで何より」

 

 ……次なる相手はアーチャーか。さっきの狙撃を、キャスターは二日前の宣言通りキッチリ対処してみせた。ランサーの対魔力しかり、キャスターの矢避けの加護しかり、サーヴァント同士の戦いは相性と情報が何より大事なのだと、しっかり把握できた。ならば善は急げ。今日学んだ教訓は、アーチャー相手にたっぷりと復習させてもらおう。

 

 

 

 

 校庭と体育館という災害現場をそのまま残し、正門から出る。せっかく監督役自らが学園に出向いてるんだ、彼らの仕事を奪うのは失礼だろう。

 そんなことよりアーチャーの追跡だ。ルーンは深山町の北側を指し示している。和風建築の多いエリア。そこがアーチャーの拠点か、それとも――――

 

「――――ちょっと待った。ほんとにこの方角で合ってるの?」

「ああ、アーチャーはオレらより一足先にそこに到着したハズだ」

 

 わたしたちが歩く方向、その行き着く先には一軒の立派な武家屋敷が建っている。実際に足を運んだことはない。けれど、そこの住人をわたしはよく知っていた。

 

「……キャスター、急ぐわよ――――ッ!」

 

 アーチャーが何故そこに向かったのかはわからない。わたしはただ頭に浮かんでくる疑問を押し殺して、脚をひたすら動かした。

 ――――その屋敷の家主の名は、和久津智という。

 

 

 

 

 時刻は午後八時。確かに冬は日が沈むのが早い。だがここまで人通りがないのはいかがなものか。視界に映る「()()」の表札。ルーンは先程のアーチャーがここにいると告げている。中が今どんな状況なのかは判らない。けれど重要なのは、討つべき敵が少なくとも一人はいるということ。

 

「……アーチャーを狙いなさい、キャスター。もうひとりの方は、わたしが――――」

 

 “何とかする”――――と言い終わらないうちに、目の前の屋敷から感じる気配が二倍以上に膨れ上がった。

 

「――――」

 

 予想していない展開に、思わず言葉を失った。わたしが思考停止している間、剣戟の音が一つ、二つと響き渡る。そして決着がついたのか、這々の体で撤退する赤き外套の男。……でも、圧倒的な気配はまだ屋敷に残っている。

 

「――――どうやらおいでなすったようだぜ、マスター」

 

 そしてキャスターの言葉と共に現れる二つの影。

 一つは甲冑を身に付けた騎士。小柄ではあるが、放たれる威圧感はわたしに一切の油断を許さない。

 そしてもう一つ――――

 

 

 

 

 

「……和久津さん。あなたもマスターだったのね」

 

 右腕に令呪を宿した少女。伝説に謳われる騎士を伴うその姿は、まるでお姫様のように可憐だ――――と、わたしは場違いにも思ってしまった。




凛視点しゅーりょー。
戦闘描写を文章だけで表現するのって大変だな、とつくづく思いました。


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――Interlude――
■月■日:拝啓養父上様


                  拝啓、養父上さま

 

 おげんきですか。

 先日お寺を住処にしていたアライグマが、となり町の役場に連れられていきました。かのお話に影響されて真似をして飼ってみるという心理は理解できなくもないですがならば最後まで面倒を見きれないという結末を彼らは知っていたのでしょうか。自然と人間との融和の難しさを青春の淡い一頁に刻むのは大変結構ですが、屈強な外来種に我が国の脆弱な自然が蹂躙される未来にまで知恵が及ばなかったのでしょうか。三十年近く前の日本男子代表として、養父上さまには是非釈明の一つでも戴きたいところです。

 

 養父上さま、私は元気です。月も星も見えぬ闇夜なれど、夜道は街灯が照らしだしてくれます。なんとも欺瞞に満ちた台詞ですが、養父上さまのお言葉に応えられるほど私は終ぞ大成しませんでした。

 少年の大きな夢。かつて語られた時は黄色い救急車を呼ぼうかと思案いたしました。目標は大きければ大きいほど良い、とは様々な媒体から耳にする有り難いお題目ですが、中年の哀愁ただよう背中からあんな言葉が吐き出されるのですから、正気度がガリガリと音を立てて削れること請け合いです。とはいえ、恩があるのも事実。多少の無茶なら嫌々ながらも引き受けたでしょう。ええ、あくまで多少ならば、ですが。呪われた我が身の事情を多少なりとも存じあげていれば、この些か以上の無理難題に応えられないことをご理解いただきたいと愚考します。

 養父上さま、不義理な娘をお許し下さい。いえ、義理の娘ではありますが。

 

 さて、養父上さま。実は先日、新たに契約を取り交わしましたことをご報告いたします。保証人としての養父上さまに、ご許可をいただきたく、ここに一筆したためました。はい、養父上さまならよくご存知である()()()の世界の契約です。私がその道を歩まないことに胸を撫で下ろしていた養父上さまならば、何事かと猛り狂うことでしょう。ですがそれも詮なきこと。全ては不可抗力と我が望みが故でございます。この荒涼とした現代社会において、私のような存在が生存権を振りかざすには友情や努力ではなく勝利が必要なのです。そのための契約でした。ヘマをすればそちらに赴くこともあるやもしれません。その時は笑ってお出迎えください。長年温めてきた土産話を持って伺いましょう。

 

 養父上さま。これまで同様、この手紙は墓前にお供えしておきますので、ご自慢のオカルトチックな手法でご確認なさってください。

 では、新たに契約を取り交わしましたことをご報告いたします。

 私たちは主従契約を締結いたしました。

 

                                      養父上さまへ

                                         かしこ




るい智原作のシーン、「拝啓母上様」のオマージュです。
本物はもっと長いのですが、作者の技術ではこれ以上装飾過多な文章を書くことが難しいので、これで断念しました。


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――Side:智――
1月31日:嘘つき村のご当地ヒロイン


 学園随一のお嬢さま。そんな僕の一日が今日も始まる。


 ――――夢を視ている。

 

 夢の中の僕はまだ子供で、周りには見慣れない大人たちが笑いかけてくれていた。……保護されていた。一家殺人事件、唯一の生き残りとして。父も、母も、姉も、僕がおつかいに出ている間に三人まとめて帰らぬ人になった。当時は連続殺人鬼なんてのが街に出回っていたから、恐らくソイツの仕業なんだろう。それでも悲しみに暮れる暇はなかった。僕の心が強いから、なわけがない。今の僕の住処、冬木市が未曾有の大災害に覆われたからだ。悲しみをさらに強い衝撃で塗りつぶされて、呆然としていた僕の元に――――

 

「こんにちは。君が智ちゃんだね」

 

 ヨレヨレのスーツを着た胡乱な中年が現れた。

 

「率直に聞くけど。孤児院に預けられるのと、初めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな」

 

 年端もいかない女の子を胡散臭いオジサンが引き取る。今のご時世で見れば、アウトな絵面だ。親戚か、と訊けば、警察にはそういうことで話が通っている、なんて答えてきた。怪しさ大爆発だ。

 でも、何故だろう。確かに僕にとって見知らぬ人がたくさんいる孤児院は致命的なはずだけど、だからといってコイツについていくという選択肢はなかったはずだ。どうして僕はこの時、彼といっしょに行こうと決める気になったのか。

 

「そうか、良かった。なら早く身支度をすませよう。新しい家に、一日でも早く慣れなくっちゃいけないからね」

 

 そう言って、手続きに必要な書類を、アレでもないコレでもないと散らかしながら用意していく。不器用すぎて見ていられない。途中から子供である僕まで手伝った始末だ。そんな共同作業の終わりに、彼は言った。

 

「おっと、大切なコトを言い忘れた。うちに来る前に、一つだけ教えなくちゃいけないコトがある」

 

 会話のキャッチボールの締めに彼が投げたボールは、

 

「――――うん。初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ」

 

 安全ピンの抜かれたパイナップルだった。いい年したオッサンが何を言っているのだろう。そんな冗談にしか聞こえない言葉に僕は、

 

「――――なら、僕は呪われてるんです」

 

 本気の言葉で打ち返した。以来、彼は僕の新しい同居人となる。

 男の名は衛宮切嗣。

 僕の名は和久津智。

 家族のように、とは最期までいかなかった。

 

 

 

 

 

 ピピピ、ピピピと規則的な音が耳朶を打つ。枕から頭だけ動かして携帯の画面を見た。午前五時五十分。

 

「ねむねむ……」

 

 寝た。我が身にスヌーズ神の加護があらんことを。さっきから自己主張激しいアラームがようやく冬眠する。春の訪れは五分後、それまでベッドの感触を楽しんで――――

 

『ピンポーン』

 

 どうやら今年の冬は暖冬らしい。

 

 

 

 ガチャリ、ガラガラ。鍵を開けて戸を引くと、美少女がひとりぽつねんと佇んでいた。

 

「おはようございます、先輩。今朝はとくに寒いですねっ」

「ん~……おあよ、桜。……やっぱ冬眠してきていいかなあ?」

「はい、先輩は眠っていてください。その間にわたしが朝ごはんを用意するので」

「……わかったよっ、手伝うよっ」

 

 玄関を潜った桜を連れてキッチンへ。いくら後輩属性値が高くとも、亭主関白気取りはいただけない。

 

「それじゃ僕は着替えてくるから。先に始めちゃってて」

「はい、ご飯は残ってますか?」

「おひつには無いよ。冷蔵庫のやつ解凍しなきゃだね」

 

 あれこれ指示を出してから、自室へと舞い戻ってくる。この家は純和風造りの武家屋敷。学生が一人暮らしするには些か以上に大きい。だから、僕の根城である西側の洋室と居間以外の部屋の掃除はけっこうサボタージュ気味。でもそれは逆説的に僕の部屋の整理が隅々まで行き届いていることになる。……そう。どこのだれが見ても、完ッ璧にオンナノコの部屋だ。

 

「おきがえおきがえ、っと」

 

 部屋の鍵をちゃんと確認してから、着ているパジャマを脱いだ。姿見に映るのは華奢な身体。薄ら寒さで、つい反射的に胸元を掻き抱いた。気分がホッとしたり、ムズムズしたりでやるせない。

 誤魔化すように、ハンガーに掛かっている制服を手に取る。制服とは戦闘服だ。和久津智二等兵の主武装はシャツ、ブラウス、リボンタイ、そしてスカートから構成されている。

 

「僕はスカート、僕はスカート……」

 

“あなたは、スカートです”

 

 記憶の片隅にある亡き母の棚には、洗脳めいた胡乱な言葉がラベリングされていた。心のアルバムを開いても、帯にしっかりとレリーフ刻印されているから、その内母さんの事を思い返すたびに、条件反射でその言葉が口を衝いて出るようになるかもしれない。パブロフのスカートだ。こんな思いをするなら、いっそワンワンに生まれたかった。

 

「どんな悪いことしたら、畜生道に堕ちる羽目になるのやら」

 

 ささやかな愚痴も許されない、優等生の肩身の狭さを大いに味わう。そうしてブルーな気持ちに沈んでいると、二つ目のインターフォンが鳴った。いよいよ我が家の真の亭主のお出ましだ。制服はとっくのとうにバッチリ。さあ、さっさとあの肉食獣相手に、檻を開けて餌を与えてやらねば。

 

 

 

 今朝の献立は白米、長ネギの味噌汁、紅白膾、煮豆、ヒラメのムニエル。一汁三菜(無敵艦隊)の完成です。

 

「大豆、節分用に買いすぎちゃったんだよね」

 

 豆まきをやろうやろう、と急かしてきた元凶に意味ありげな視線を送りながら呟く。ちょっと反抗的な気分。

 

「もう、智ちゃんったらオッチョコチョイね。それでは、いっただきま~すっ!」

「……いただきます」

 

 後で食費の緊急徴収をしてやろうか。

 

「この煮豆、甘くないけど美味しいですね」

「醤油ベースで作ってみたの。ほら、二週間後には甘いイベントが控えてるわけだし……」

「あははっ、もうモテモテね、智ちゃん!」

 

 来たる14日には、日頃の感謝(恨み)を込めたプレゼント(テロ)トリュフ(カビた)チョコをくれてやろうか。

 

「桜の作ったムニエルもよく出来てるじゃない」

「あ、ありがとうございますっ。先輩にはまだまだ及びませんが……」

「おお、まるでヒラメが舌の上でシャッキリポンと踊っているようだわ……!」

「大河さん、さすがに焼き魚は踊らないよ」

 

 ごちそうさまでした。

 

 

 

 食後の皿洗い。僕と違って二人は部活動の朝練がある。そろそろ家から出ないと間に合わない時間だ。

 

「だから僕が一人でやっておくから大丈夫だって」

「いえいえ、これも後輩の務めですから」

 

 実に愛くるしいことを言ってくれる我が後輩。是非とも一家に一台欲しいところ。……手を動かしながら、なんとなく桜の肢体を眺めてしまう。最近ますます肉付きが良くなっている気がする。女性的な魅力に満ちた彼女の身体は、僕のソレとはあらゆる意味で正反対だ。目の毒なのは明らか。本能に生存欲求の力で抗っていると、

 

「そういえば先輩……まだ、弓道部に入ってくれる気にはなりませんか?」

 

 突然、新部員勧誘が始まった。シーズンからは二ヶ月くらいフライングしている。……まあ、彼女たちのコレは今に始まったことじゃないけど。

 

「前にも言ったでしょ? 僕はどの部活にも入る気はない、って」

「……その、わたしと一緒の部活はいやですか?」

 

 潤んだ眼で問い掛けてくる。先輩特攻持ちの攻撃は精神ダメージが深くなるから勘弁して欲しい。

 

「間桐は間桐でも、いやなのは間桐慎二くんの方」

「……あー、兄さん、ですか」

「捕まったら最期、シャバに帰ってこれなくなりそうで……」

「そう……ですね。ごめんなさい、兄がご迷惑をお掛けして……」

「……あの、ソコは否定してよ」

 

 本気で意気消沈している桜。……こんな時にこんな所でこんな姿になってほしくない。何故なら、僕の第六感が嵐の到来を予知したからだ。

 

「あーっ! 智ちゃんが桜ちゃんを泣かした! イーケないんだ、イケないんだぁ!」

「泣かしてませんっ! ……あの、泣いてないよね?」

 

 多分この人にはキッカケなんてなんでもいいんだろう。宣戦布告の合図とともに、前門の虎から波状攻撃が仕掛けられる。

 

「少しは桜ちゃんの頼みを聞いてあげたっていいじゃない。間桐くんなら、私もちゃんと見張っておくからさっ」

「部活はせめて文化系がいいのぉ!」

「どうやら悪魔文化部リーダーが酪農部の奥義、乳搾り(ハリ●ーンミキサー)を体験したいみたいね……」

「……あ、はい。僕、このまま帰宅部でいいや……」

「と・い・う・か! 智ちゃん! お姉ちゃんは不思議でなりませんっ!」

「……何が?」

「進路希望調査のコト! 葛木先生から訊いたわよ!」

「あー……」

 

 あの進路希望調査の紙、たしか就職希望って書いて提出したなぁ……。

 

「智ちゃんの成績なら上位の大学も狙えるでしょ? それに、お金のことなら遺産がバカみたいにあるんだから問題ないじゃない」

 

 勿体無い、と言わんばかりの大河さん。時として純然たる善意は、半端な悪意よりも人を傷つける。……だから、僕は傷跡に唾を付けて誤魔化した。

 

「……人より目立った生き方なんてしたくないんだ。どっかの事務員にでもなって周囲に埋没して暮らすのが、僕の夢」

「いやあ、ソレは無理があるでしょ」

「はい、先輩は美人さんですから」

「あーうー」

 

 人の夢と書いて儚い、とは誰から聞いた言葉だったか。天は二物を与えず。僕の人より恵まれた母親似の容姿は、僕を生かす才能であり、僕を縛る呪いとなっていた。サン(フ●ッ)キュー神さま。

 

 

 

「それではお邪魔しました、先輩」

「今日は夜も来るから、私たちより先に帰ってこれる?」

「万年帰宅部ですから、そこはご心配なく」

 

 六時半、弓道部に向かう二人を玄関で直接見送る。彼女たちはこの家の鍵を持ってないから、戸締まりは僕の役目だ。

 

「お弁当は持ったね。それじゃ、二人ともお達者で~」

「はい、先輩もまた後で」

「うう、智ちゃんってば意固地なんだから……」

 

 二人が屋敷から離れていく。いってらっしゃい、とは言わない。僕らは家族じゃないんだから、当たり前だ。僕と他人の間には超えてはならないラインがある。『KEEP OUT』のテープでぐるぐる巻きになっている物騒な境界線だ。

 誰もいなくなった玄関を、なんとはなしにツッカケを履いて外に出てみる。門を出て道の先を眺めてみれば、親指大の小さな人影が二つ。後ろを向いて表札を確認すれば、「衛宮」の二文字。

 ここの本来の家主は和久津智ではなく、衛宮切嗣だ。思えば僕同様、秘密の多い人だった。僕を引き取った時の魔法使い宣言は、哀れな三十路男の勲章という意味ではなく(というかあの時点ではギリギリ二十九歳だったからビックリ)、ほぼそのまま彼を言い表したものだった。

 正確には魔術師というらしい。色々お話を聞かせてもらった。僕のブルーブルーな事情を打破できる望みを託して。ま、ダメだったワケだけど。結果として残ったのは世界の裏側という日常生活に一切必要ない知識だけ。魔術そのものは最期まで習わなかった。彼自身僕を鍛えるのに乗り気ではなかったし、僕もそれ以上他人を踏み込ませるわけにはいかなかったからだ。

 養父――切嗣さん曰く、魔術師とは世間から隔絶された偏屈集団らしい。そう説いた切嗣さんも確かに中々のキワモノだった。でも、キワモノレベルで言えば少なくともレア度という点において、僕は彼以上だと自負する。

 魔術師はたとえ世間様に背を向けたキ印だとしても、徒党が組める。

 僕は違う。日常にも非日常にも溶け込めない純度100%の異物だ。

 この世界に、僕の同類はいない。

 

「僕の分のお弁当作ろ。……あと、お化粧も」

 

 

 

 ナイーブな思考と顔色はクリームファンデとパウダーにより隠蔽工作完了。胸元にはフローラル系のオードパルファム(香水)をさっと2、3プッシュ。これで何処に出しても恥ずかしくないオンナノコの完成だ。余暇に今朝の余り物でお弁当を用意したら、とうとう出荷のお時間です。

 家から学園まで三十分。走れば短縮できるけど、優等生サマはそんなはしたないことしないのだ。そんなこんなでぶらり登校徒歩の旅、放送時間を終えて無事校門に辿り着く。

 

「お、おはようございます、和久津先輩っ」

「おはよう、今日もいい天気だね」

 

 顔を紅潮させた見知らぬ生徒の挨拶に、思考停止のルーチンワーク。いい天気なもんか、なんだ今朝の気温の低さは、とは思うけど僕も相手も気に留めない。そんなことを男子にも女子にも数度繰り返して昇降口に。下駄箱を開けるとお手紙が四通。今日は平均より一つ多い。送り主は男子3:女子1。

 

「どっちでもうれしくない……」

 

 後で目立たないように捨てておこう。相手の心を鑑みれば、可哀想なコトをしてるかもしれない。でも、それよりもなによりも僕は自分の境遇が可哀想でならなかった。「憧れのお姉様」をわざわざ演じている身としてはツライところだ。

 

 

 

「お?」

 

 なにやら2-Aの教室が騒がしい。入る前に窓を覗くと〈探偵〉さんと〈パンサー〉さんが二人揃ってメタモルフォーゼしていた。すわ、何事かと訝しむ。さっそく教室に入ろう。

 

「さては遠坂嬢に何かやらかしたな、蒔! まさか彼女の目の前でストリップでも?」

「バッ……おま、フザケんな、メ鐘! あたしみたいな超絶美少女がそんなお色気攻撃したら、鉄の遠坂どころか金剛石の和久津ですら指先ひとつでダウンだろーが!」

 

 ……それはちょっと見てみた、ゲフンゲフン。事情を聞くにはヒートアップしている二人よりも、仲介役に徹している〈日だまり〉さんの方が相応しいか。

 

「おはようございます、三枝さん。そちらのお二人はいったいどうしたんですか?」

「あっ、おはようございます、和久津さん。……その、遠坂さんに遊びのお誘いを断られてしまって」

「は、はぁ……なるほど」

 

 この姦しい三人組に付けているアダ名は全部イメージ優先だ。

 氷室鐘は、探偵じみたマネをするから〈探偵〉さん。

 蒔寺楓は、「穂群の黒豹」と呼ばれ(たがっ)ているから〈パンサー〉さん。

 三枝由紀香は、ほんわかと暖かいから〈日だまり〉さん。

 実際に馴れ馴れしくそう呼んだりはしないけど、他にも印象深いクラスメイトには心のなかでアダ名を付けている。……もっとも、一人だけ例外がいるんだけども。

 

「おはようございます、遠坂さん」

 

 呼びかけに振り返る彼女。つられて揺れるツインテールが眩しい。

 

「おはようございます、和久津さん」

 

 美少女、遠坂凛。この学園におけるもう一人の「憧れのお姉様」だ。……正直、恐縮してしまう。僕なんかが、彼女と並び立って評されることに。

 

「遊びのお誘い、お断りしていたようですけど」

 

 話の取っ掛かりにと、先程の話題を持ってきてみる。確かに彼女はガードが固いほうだと思うけど、付き合いを全てあしらうような人ではなかったはずだから。

 

「ええ、残念だけど家の事情でして。なんでしたら、代わりにあなたが彼女達に付き合ってあげればどうかしら?」

「いえ、僕も都合が合いそうにないので……」

 

 まあ、ガード云々のことに関しては、僕も人の文句は一切言えないけど。

 

「おはよう遠坂、和久津。二人とも、間桐が迷惑かけて悪いね」

 

 と、そんなところへ割り込んで挨拶してきたのは〈女傑(美綴)〉さん。桜の兄、間桐慎二を僕に繰り出してくる弓道部主将(ワカメントレーナー)だ。

 

「おはようございます、美綴さん。……あの、そろそろ間桐くんのアレを止めて欲しいんですけど」

 

 ただでさえ他の生徒からのラブレターだの告白だのでまいってるのに、そこへあんな劇薬を投げ込んでくるのは本気で勘弁して欲しい。

 

「ほぉ~。ということはようやく観念してウチに来るってことね」

 

 ん? 会話が食い違っている気がする。

 

「……なんで、そういう話に?」

 

 疑問を投げかけると、〈女傑〉さんから返ってきたのは即死呪文だった。

 

「和久津。――――あんたがッ、弓道部に入るまで、間桐を止めないッ!」

 

 指差すその姿の背景に『ドォ――――ンッ!!』という文字を幻視する。

 

「えぇぇぇ……」

 

 そういう策略だったのか!? 見事に嵌められた! この鬼畜マユゲめ!

 

「あーうー」

 

 思わず呻き声をあげる。すると見ていられなくなったのか、遠坂さんがアドバイスをくれる。

 

「大丈夫よ、和久津さん。あんなの一度こっぴどくフッてしまえば、それまでなんですから」

「……そうしたいのは山々ですけど、なんだか嫌な予感がするので。それに……」

「それに?」

「間桐くんは人気者だから、その彼を恥ずかしい目に遭わせると皆さんから目の敵にされそうですし」

 

 正直何度言っても懲りないのだから、彼にはそろそろビンタの一発でもくれてやりたい。でも、それは僕の生存戦略に反する。“敵を作らず”、“誰とも必要以上に関わらない”。それが僕の優等生を演じている理由だ。

 

「周りの目なんて気にせずに、いっそスッパリと言った方が楽じゃないかしら?」

「遠坂さんみたいに強くないですから。僕には、こんな生き方しかできません」

「……そう、難儀な性分ですね」

 

 ……遠坂さんの言う通りだと思う。こんな生き方では将来肩こりと胃痛に悩まされるに違いない。

 そう。こういう目に遭う度、僕は彼女の何者にも侵されない強靭さに憧れを抱いてきた。

 

 

 

 

 お昼休み、〈日だまり〉さんが遠坂さんに特攻した。弁当箱片手に果敢に勝負を挑んでいる。

 

「うーん……たぶん無理だ。由紀っちは玉砕! かけてもいい」

「ならば私は成功するほうに美綴嬢の魂をかけよう! ……フフ、勝手すぎるかな?」

 

 横では〈パンサー〉さんと〈探偵〉さんが好き勝手言っている。とはいえ、これで下馬評は一対一。はてさて、結果は!

 

「あ! 玉砕したっぽい」

 

 残念でした。

 

「そもそも今の遠坂ん家は家政婦さん休んでるから弁当も持ってこないはずだぞ」

 

 家政婦(メイド)かぁ、さすがはお嬢様。なんとも優雅な暮らしっぷりに思いを馳せてみたりする。

 で、出鼻を挫かれ、トボトボと敗走してくる〈陽だまり〉さん。僕の目の前には、中身の詰まったお弁当。……なんだかなぁ。

 

「あの、三枝さん。 よろしければ、僕といっしょにお弁当を食べませんか?」

「……え? 和久津さん、いいんですかっ」

 

 パァっと顔が明るくなる〈日だまり〉さん。……うん、いっしょにお昼ごはんを囲うくらいなら問題無いだろう。

 

「オイオイ、思わぬ棚ボタだね、由紀っち。和久津ってば、飯時は救われなきゃダメ系女子だと思ってたから意外だよ」

「蒔、せっかく和久津嬢から誘ってくれたんだ。あまり失礼なことを言うでない。……まあ、珍しいのは確かだが」

「あ、あはは……。まあ、たまにはね」

 

 当然いつもの二人も寄ってくる。ただの気まぐれがこんな発展をするだなんて。

 

「それで、和久津嬢はどんな弁当を用意してきたんだ? 非常に興味が唆られるのだが」

「別に大したものじゃないですよ。朝のヒラメが余ってたので即席漬けにして……」

 

 それとライスに適当な葉物。後、大豆。今度はひじきと和えてみました。

 

「ほほう、手堅くまとまっているな。どれ、訊いたからには私も見せねばなるまい」

 

 そう言って〈探偵〉さんが最初に取り出したのは保温ポット。中を覗くと、温かいスープが入れてある。ランチボックスにはパンと野菜がオシャレに詰まっていた。

 

「わあ、キュイジーヌ」

「ポトフ、人参のグラッセ、バゲットといったところだ。……立派なのは見て呉れだけで、味は普通だがな」

 

 去年の調理実習を思い出す。確か〈探偵〉さんの得意分野はフレンチだったっけ。

 

「あ、悪魔風とかカエルとか脳みそじゃない……だと……!?」

「フランス料理の知識が一年前から凍結してやいまいか、蒔。そういう汝はどうなのだ?」

「栗ごはんにきんぴら、後はぶりの照り焼きだな。氷室と違って激ウマだぞ」

 

 そうそう、〈パンサー〉さんは実家が意外にも呉服屋なのも相まって、実は和の鉄人だったりする。ほんと、人は見かけによらないモノだとしみじみ思う。

 

「あっ、わたしはね、アジフライと切り干し大根を乗せたのり弁当だよ」

 

 対する〈日だまり〉さんは期待を裏切らない昭和テイスト。横に備えてある、魚を模したプラスチックの醤油差しも芸術点が高い。

 

「みなさん、今日はご自分でお弁当を用意したんですね。それに比べると今日の僕のモノは見劣りしてて……」

「なに、今日はたまたま私自身の手が空いていたから張り切っただけで、普段は母に頼りきりだ。一人暮らしなのに律儀に弁当を作る和久津嬢には及ばんさ」

「わたしも弟たちのお弁当作ってるけど、お料理も身だしなみもしっかり両立する和久津さんはすごいよね」

「ホント、由紀っちといい勝負だよ、和久津。それでいて垢抜けてるんだからオトコ共が寄ってくるのもやむなしってカンジ」

「……ありがとう、ございます」

 

 最後が余計です、〈パンサー〉さん。

 

 

 

「あーそうそう。さっき遠坂にも聞いたんだけどさ、和久津は今月空いてる日ある?」

 

 食後のクールタイム、〈パンサー〉さんが尋ねてきた。こういう時、返す言葉はいつも決まっている。

 

「……ごめんなさい、しばらく予定の空いている日はなくて」

「そ、そうだよね……こっちこそごめんなさい、和久津さん」

「ですよねー。ま、和久津の付き合いの悪さは、遠坂と違って今に始まったコトじゃないし」

「だから蒔の字、失礼な事は言うなと。……ああ、すまんな和久津嬢。コイツが余計な一言を言ってしまって」

「いえいえ、蒔寺さんの言うとおりですから……」

 

 そう、僕に他人とプライベートを共有するつもりは一切ない。だから申し訳無さでいっぱいになる。だって僕がこれから彼女たちに掛ける言葉は「もう誘うな」なんて刺々しいモノではなく、

 

「よかったら、またお声掛け下さいね」

 

 その気もないのに相手に期待だけさせるお茶濁しなのだから。

 

 

 

 

「ではHRを終了する。日直は日誌と戸締りの確認を。部活動のない生徒は速やかに帰宅するように」

 

 終業のチャイム音よりも無機質な葛木先生の声が教室に響き渡る。お気楽な我が校風だけど、それとは反りが合わなそうなこの教師に一目置く生徒は意外と多い。かくいう僕も、基本こちらへ不干渉の彼には大いに助かっている。

 

「遠坂、もう帰んの?」

「ええ。また間桐くんに捕まるのも面倒だもの」

 

 傍では言葉を交わす〈女傑〉さんと遠坂さん。どうやら遠坂さんも彼には悩まされているらしい。

 

「いんや、しばらくは間桐もアンタに粉かけたりしないよ。()()()には、ね」

「……え? え?」

 

 なんでそこで僕を見るんデスカ?

 

「いやあ、間桐ったら遠坂にフラれた時に変なスイッチ押されたみたいでね。まずは和久津から攻略してやる! ……とかなんとか」

「――――」

 

 あーあーあーあーあー。ショート寸前の脳がゲームのRTA走者がつける主人公の名前みたいな文字を出力していく。いったい何だってこんな目に――――

 

「フラれた相手にターゲット絞れとか言われたら、そりゃあんなことにもなるさ」

 

 下手人、特定完了。

 

「遠坂さああああん!!」

「まあまあ。逆に考えてみて、和久津さん。あの間桐くんだって、軟派な性根が改善されればイイ男でしょう?」

「そういう問題じゃないのぉ!」

 

 あんなのはデッドボールもいいところだ。よしんば性格がマシになったとしても最大の問題が残っている。

 

「う~ん、仮に一皮剥けた間桐が無理となると……もしかして和久津ってソッチの気が?」

「ないですないです、ありません」

 

 正真正銘、天地神明に誓って異性愛者です。

 

「……帰ります、最速で」

 

 送り狼には常に警戒度MAXなのが僕だ。

 

「そのほうがいいな。間桐にエンカウントしないのを祈るよ」

「ごきげんよう、和久津さん」

 

 恨み言の一つでも言ってやりたいけど、背に腹は代えられない。

 

「はい。ごきげんよう、遠坂さん。美綴さん」

 

 下手に走れば目立ってしまって逆効果だ。いざとなればダンボールを被るぐらいの覚悟で臨まなければ。

 

 

 

 三十分経過。周囲の標識には深山町北■丁目と書かれている。そして一人。ミッションコンプリート。

 

「こちら和久津智。敵を撒いた、これより帰還する」

 

 有名なゲームを真似てボソッと独り言。ダンディな声にならなくて悔しかったり。いや、なったらなったでオンナノコとして問題なんだけど。

 ひとり虚しい遊びを繰り広げる帰り道、その終着には和の邸宅に似つかわしくない者が立っていた。

 

「……あの、どうしたのかな? ここは僕の家なんだけど」

 

 銀髪と赤眼。なんとも現実離れした容姿を持つ女の子。そんなお人形さんの口が開く。

 

「お姉ちゃん。あなたも()()()なの?」

 

 表札を指差しながら問う彼女。そこには「衛宮」の二文字。

 

「ううん、違うよ。僕は和久津。和久津智っていうんだ」

 

 そう。僕の家族は十年前に死んだあの人たちだけ。僕には「衛宮」を名乗る気も資格もない。

 

「ふぅん……。ワクツトモ、っていうのね。わたしはイリヤ。あなたとは赤の他人よ」

「見ればわかります」

 

 なんだろう、若干電波のかほりが漂ってきた。早く親御さんに保護してもらいたい心境だ。

 

「お姉ちゃんじゃないの、ね……。そう、なら……」

「あのー大丈夫? 近くにお母さんかお父さんはいなかったりしない?」

 

 何事かブツブツと呟くイリヤちゃん(推定八、九歳)を見てますます不安になってくる。一刻も早くこの子を迎えに来て欲しい。

 

「いないよ。誰もいないの。トモもそうでしょう?」

「え、あ、うん」

 

 つい反射的に返してしまう。……いや、こんな小さな子を野放しって普通に考えてダメだろ。

 

「ふふっ、心配しなくても迎えなら来るよ。ほら」

「あっ……」

「お嬢様、お迎えに上がりました」

 

 イリヤの言葉と同時に、彼女に似た女性が現れた。たぶん親戚の保護者なのだろう。……それにしては仰々しい服装と言葉遣いだけど。

 そんなことを思っていると、件の女性に睨まれた。思考が顔に出てしまったのかもしれない。

 

「……お嬢様。その者は衛宮の娘ですか?」

「違うよ、セラ。彼女はワクツトモ。キリツグとは関係ないみたい」

「そう、ですか……。では和久津様、お嬢様がお世話になりました」

 

 セラと呼ばれた女性が、イリヤを連れて去っていく。帰り際にこちらに手をブンブン振るイリヤ。お返しに、と僕も手を振ってみる。すると顔を綻ばせるイリヤ。そんなやり取りをしていたら、いつの間にか姿が見えなくなってしまった。

 

「……なんだったんだろう」

 

 謎の少女、イリヤ。かわいい女の子だった。どうやら切嗣さんと関わりがあったみたいだけど、僕には検討もつかない。……当たり前か。僕たちは互いに一定の線引きをしていた。彼が僕の事情に踏み込まなかったように、僕も彼の内情をほとんど知らない。やっぱり僕らは家族でもなんでもない。今までだってそれは自覚していた。でも、他人からそれを指摘されるのは多少なりとも心に影を落とす。僕らの五年間はいったい何だったのか、と。

 

「てきとーにカレーでいいや……」

 

 今日の気分じゃオシャレな料理は作れそうにない。〈女傑〉さんお得意の大量生産料理にしよう。

 

 

 

 

「あー美味しかった! ごちそうさま~」

「ごちそうさまでした、先輩」

「うん、お粗末さまでした」

 

 じっくりコトコト一〇〇時間かけて煮込んだカレー(製作期間、二時間)を食べ終わる。大河さんの舌は騙し通せたみたいでなにより。

 

「それじゃあ僕はお風呂沸かすから、今日はお開きってことで」

「えー、お姉ちゃんもっとゆっくりしてたいなぁ~」

「ダメダメ、桜送っていくんだから遅くなっちゃマズイでしょ?」

「それだと帰りはひとりかぁ……。あっそうだ、智ちゃんもいっしょに送ってかないっ?」

「話、聞いてたの? お風呂見張ってなきゃだし、そもそも今の間桐くんに近づきたくないから」

「ブーブー」

 

 説き伏せが難航する。この虎、一休さんが縛ってくれたりしないだろうか。

 

「藤村先生、先輩もお困りのようですし早くお暇しましょう」

「う~ん、桜ちゃんがそう言うなら……」

 

 ようやく引き下がってくれる。強情な大河さんも、可愛がっている桜には逆らえないようだ。

 

 

 

「それでは先輩、おやすみなさい」

「またね~、智ちゃん」

「はい、二人ともおやすみなさい。気をつけてね」

 

 玄関で彼女たちを見送る。戸と鍵を閉めて、

 

「はぁふ……」

 

 ホッと溜息をひとつ。幸せが逃げていくと言われているけど、僕から逃げていくはずの幸せはとっくの昔にスッカラカンだから無問題。それよりもやっと一人きりになれたことの方が重要だ。誰かが家にいたんじゃ、おちおちお風呂に入ることもできやしない。居間からタイマーの音が聞こえてくる。どうやら沸いたらしい。

 

 

 

 脱衣場へ行く。誰もいないのを改めて確認してから服を脱ぎ始める。ブラウス、タイ、スカート、シャツの順にパージすれば着ているものはキャミソール、ショーツとそれを隠すために履いているブルマだけ。ブルマを脱ぐ。中身はかわいらしい女性下着、けれど中心部に違和感が見える。キャミを脱ぐ。ブラも付けていない胸は起伏なしのまっ平ら。だいたいこの辺りで他人に見られると人生終了だ。ショーツを脱ぐ。違和感が遂に白日の下に晒される。

 「和久津智」。性別は()()と各種公共機関に保証されている。どの書類を漁ろうと、ボロが出るなんてことはない。そう、誤魔化しきれないのは身体の方だ。鏡に映る華奢な姿。手足はほっそりとしているし、肩幅も狭い。髪を伸ばした僕の見た目は疑う余地なくオンナノコ、ある二点を除いては。無意識に胸と股間を隠していた腕を下ろす。

 胸。無い。何も無い。貧乳だとか無乳だとかAAAとかそういう次元じゃない。僕のはオッパイではなく胸板だ。

 股間。そこには本来あってはならないモノが揺れている。工事したとか生えただとかそういうファンタジーじゃない。100%天然産だ。

 これこそが優等生という仮面で覆っていた、死ぬまで隠し通さなければならない僕の呪い。

 

 

 

 

 

           ――――実は僕、男の子だったのです――――

 

 

 

 

 




はい、ようやく主人公視点です。
この子、士郎と比べて周囲との距離感ありまくりですが、原作の智ちん見たらまだコッチの方が人付き合いがある不思議。この辺りの描写は、書きたくて書きたくないジレンマに襲われました。


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2月1日:UNREST

 黒いのは、嫌いだ。


「黒いのが! 黒いのがいるよ!」

 

 とある街、とある一室で僕は何事か喚いていた。それが何時の話かはもはや定かではない。だって、眼に映る全ては僕の根源的恐怖そのものだから。

 

「あなた……この子、呪いを……!」

「智、しっかりしろ! 智!」

 

 そう、呪いだ。僕はその頃呪いを踏んだ。だからこれは当然の対価。

 黒。黒。黒。そこかしこから滲み出るソレが僕の視界を埋めていく。

 

「しっかりして智! もう大丈夫よ! 大丈夫だから!」

「この子に死なれるわけにはいかない」

 

 僕に呼びかける二つの懐かしい声色。安堵には程遠い。けれど、それでも必死に手を伸ばす。助けて欲しい、救って欲しいと想いを込めて。すると願いが聞き届けられたのか、僕の手が何かを掴んだ。

 

 

 

 

 ナニカ。それは、黒い――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

「黒いのがいるよ!」

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

「黒いのがぁぁぁっ!!!」

 

 

 

 

 

 ――――夢を視ていた。

 

「はぁ、はぁ…………!」

 

 今では思い返すことも少ない、当時のトラウマ。だってのに深層心理にしっかりと根付いているのだから困りものだ。

 

「……今、何時……?」

 

 携帯には午前五時三十二分と表記されている。アラームが鳴った形跡はない。こんな早くにセットしてないんだから当たり前だ。汗で張り付くパジャマが気持ち悪い。桜たちが来る前にシャワーだけでも浴びよう。

 

「……ん? なに、これ……?」

 

 

 

「おはようございます、先輩。今朝はどうしますか?」

 

 カラスの行水を済ませて迎え入れた桜に尋ねられる。

 

「昨日のカレーが残ってるよね。食べきっちゃおうか」

「ならわたしは付け合せにサラダでも作りますね」

「うん、お願い。僕はお皿並べとくから」

 

 食器棚から三人分のお皿を取り出し、ご飯を盛っていく。そうして桜の目の前に置いた時、彼女が気付いた。

 

「――――先輩、その右手……!」

「……あちゃー、やっぱ気が付いちゃうか」

 

 それは痣だ。右手を注視すれば確かに血が滲んだような痕がある。シャワーの前に見つけたけれど、いくらゴシゴシ擦っても消えない。これで右腕を晒す気が()()()()失せた。

 

「そん、な……先輩が、どうし、て――――」

「う~ん……寝てる間にどこかにぶつけたのかな。今朝は嫌な夢も見たし」

 

 ふと前を向くと、桜の顔がすっかり青ざめていた。そんなに痛々しく見えるだろうか。

 

「あっ、大丈夫だよ。痛みは全然ないし、こんなの湿布と包帯ですぐ治るから」

 

 心配のされすぎで病院に担ぎ込まれるのはなんとしてでも阻止するつもりだ。検診結果で性別がバレた、なんて冗談でも笑えない。

 

「だから、ね。騒ぎ立てるほどのモノじゃないし、気にしないで」

「……わかりました。先輩がそう言うなら……」

 

 その後の朝食、健啖家の桜にしては珍しく食事にほとんど手を付けなかった。何だかこっちまで申し訳ない気持ちになる。何か埋め合わせをしなければ。

 

 

 

 あっという間に時は過ぎ、放課後。こちらも珍しいことに遠坂さんがお休みした2-Aの教室では、いつもの三人組と〈女傑〉さんが遊びの予定を話し合っていた。

 

「映画の日か……。今日は帰りに何か見て帰るかね?」

「ハイハイ! 『シャークラーケン』がいいと思います!」

「無論却下だ。蒔の字はやはり当てにならんな。美綴嬢、何かオススメの一本はないだろうか?」

「それならエジソンの映画が来てるぞ」

「おお! 偉大な発明王の伝記物語か!」

「いや。発明品と電気魔法〈直流〉を駆使して、悪の天才ニコラ・テスラと戦うバトル巨編!」

「かなり、どうかと、思う」

 

 ガールズ(?)トークに花を咲かせる四人。このまま居残ったら巻き込まれてしまいかねない。さっさとお暇しよう。

 

「みなさん、ごきげんよう」

 

 返事がないくらい白熱している。注目されないのはいいことだ。では、このまま帰ろうか――――と考えて、歩む方向を変える。行き先は一年の教室。

 

 

 

「桜」

「先輩……?」

 

 果たして目当ての女の子は自身の教室に居た。一人きりで。

 

「やっぱり、元気ないね。今日は部活休んじゃう?」

「……大丈夫、です。あそこには兄さんがいますから」

「……間桐くん、か」

 

 兄を呼ぶ桜の顔が陰る。直接事情を訊いたことはないけど、さすがに兄弟の仲が良くないことくらいは察している。僕が彼を毛嫌いしている一番の理由は、僕が桜の味方側に立っているからだ。

 だから、プチ仕返し。

 

「ねえ桜」

「なんですか、先輩? わたし、そろそろ行かな」

「部活、サボっちゃお?」

「くちゃ……――――え?」

 

 口を可愛らしく開けて惚けた顔。そんな表情を見るのは一日ぶりだ。

 

「そろそろ春物を揃えたいんだけどさ、見ての通り怪我してるでしょ、今の僕。――――だから、桜には僕の荷物持ちを命じる!」

「え? ……えーーーっ!?」

「先輩の言うことは絶対! 問答無用っ!」

 

 そう言って包帯を巻いた右手で桜を引き摺る。春物も怪我も全部方便だ。落ち込んだ彼女を元気づけるには無理やり連れ回すくらいがちょうどいい。心のなかで〈女傑〉さんに詫びながら校舎を出る。あと、間桐くんにも一言こっそり告げておこう。

 

「あっかんべーっ、だ」

 

 思えば、僕たちが知り合った三年前もこんな感じだったな。

 

 

 

 

 学園からバスで新都に一直線。そこからヴェルデへ徒歩で。ショッピングモールであるここには、大抵の店が揃っている。とりあえずは宣言通り服屋さんへ。店先を冷やかしながら、気になったお店に入ってみる。当然進むのはレディースのエリア。お隣の紳士服売場が視界に入ると、何となくもにょる。

 

「先輩はどんなのにするつもりですか?」

「……フェミニン、かなあ」

「やっぱり。先輩はいつもそんなコーデですよね。すごく似合ってると思います」

「は、はは……ありがと」

 

 人を騙すにはまず第一印象から。性別を騙るにはまず髪型と服装を整えなければならない。生まれてこのかた伸ばし続けている自慢の長髪、女の子女の子なゆるふわ系ファッションで世間様の目から隠れる日々だ。穿くのは亡き母の言いつけ通りいつもスカート。パンツルックはよっぽどの事情がない限り選択肢にあがらない。とりあえず適当なトップスやフレアスカート、ワンピースを数着。出費を気にしなくていいのは唯一の救いだ。

 

「そうだ、せっかくだから桜にも何か買ってあげるよ」

「いえ、そんなっ。先輩に迷惑はかけられません」

「迷惑掛けたのは僕の方だし。ま、ここは一つお詫びってことで」

 

 そうして桜を着せ替え人形にしていく。僕と同じような清楚系ファッションが似合う桜。違う点といえば、やはり胸のボリュームか。

 

「桜って最近どんどん胸が大きくなるからいいよね。……僕と違って」

 

 セクハラにしか聞こえない言葉。男が女に言ったらアウトだけど、女同士で言えば単なる戯れだ。……いやまあ、僕らの関係は実際のところ前者なんだけど。

 

「だ、大丈夫ですよ! 先輩は今のままが一番ですから!」

「同情するなら胸肉をくれ!」

 

 正直、自分の胸のサイズとかどうでもいい。あくまでこれは「僕は貧乳で、そのことについてコンプレックスを持ってます」というアピールでしかない。ブラもパッドも付けない僕のささやかな矜持を守るために吐いている嘘だ。

 

「あ、これなんてどうかな。白のワンピース。ちょっと着てみて」

 

 目ぼしい服を取り、試着させてみる。カーテンを閉じた向こう側から聴こえる布の擦れる音が艶めかしい。数瞬後――――

 

「どう、ですか先輩? わたしは大丈夫だと思いますけど……」

「……いい。すごく似合ってるよ、桜」

 

 ロング丈の白いワンピースを身にまとった彼女からは、清楚で侵しがたい印象を受けた。やっぱり桜は美人さんだ。

 

 

 

「本当に、ありがとうございます。先輩っ」

「うんうん、やっぱり桜は笑ってるのが一番だね」

 

 元の制服に戻った彼女のはにかむ顔からは、さっきまでの暗い影が完全に拭い去られていた。互いに買い物袋をぶら下げて歩く夜。もう七時を過ぎているし、次は夕食を食べに行こうか。大河さんには今夜は留守だと連絡してあるから来ないだろうし、問題無いだろう。

 

「結構混んでるね。ピークタイムなのかな」

 

 チェーンのファミレスはかなり混雑していた。入り口に人が並んでない以上、入ることはできるだろうけど……。

 

「申し訳ありません。只今のお時間ですと、ご相席となりますがよろしいでしょうか?」

 

 案の定。桜に目を配ると頷き返される。店員さんに大丈夫だという旨を伝えて奥の席に案内されると、そこのテーブルにはターミ●ーターみたいな人がいた。

 

「――――」

 

 訂正。ター●ネーターがいた。

 

「お、お客様! 只今大変混み合っているので他のお客様とのご相席となりますがよろしいでしょうかっ」

「おう、構わねぇよ」

「お、お邪魔しますね……」

「ああ。お嬢さん方、俺のことはいないもんだと思って気にしないでくれ」

 

 ――――無理に決まってるだろッッッ!!!

 漆黒のサングラスとジャケットで身を固めた、ごつい図体の男。恐ろしく不似合いな笑顔を浮かべたスカーフェイスが眩しく輝いている。

 

「藤村組でもここまでスゴイ人はめったにいないかも……」

 

 大河さんのご実家、藤村組は市内で幅を利かせている某自由業社だ。以前一度お邪魔した時に危険なカンジの漢たちが沢山いたのを覚えているけど、目の前の漢は下手すればヘッドの雷画さんレベルの威圧感を放っている。店員さんがビビりまくりなのも納得だ。

 

「と、とりあえず何か注文しましょう先輩っ」

「そ、そうだねっ。僕はコレにしようかな。桜は何にする?」

 

 殺戮マシーン(仮)を視界から追い出して、二人でメニューをにらめっこする。桜がハンバーグセット、僕がアラビアータを注文して、メニューを店員さんに預けると、クリアになった視界にはHe is back(漢が戻る).

 

「……僕たちに、何か?」

「あ、いや悪い悪い。微笑ましい光景だもんで、つい見入っちまった」

 

 そう言って笑いかけてくる。見た目は著しく物騒だけど、案外気さくな人かもしれない。そんな風に認識を改めていると、どこからともなくバイブ音がする。僕のでもないし、桜のでもなさそうだ。ジャケットに手を突っ込む姿を見ると、どうやらこの人の携帯らしい。

 

「……あの野郎、何考えてやがる」

 

 着信画面を見て膠着している。携帯を持って一旦外に離脱しようにもこの人混みでは容易に抜け出せまい。

 

「あ、出ても大丈夫ですよ。気にしませんから」

「ああ、すまんな……ったく」

 

 逡巡から抜けだして通話ボタンをプッシュした。いったいどんな会話をするつもりなのか、少し気になって聞き耳を立ててみる。

 

「……おい、さっき呼んだのに無視しやがったな、お前。それどころかコッチの方に連絡寄越すとか何考えてんだ。俺の方はな、さっき重要な情報を……ああ、…………ああ、…………あ?」

 

『もうボク我慢できないよ! 早く来』

 

 

 

 携帯を閉じたその顔は、まさに修羅だ。というか修羅場だ。さっきの彼の言動といい、通話を切る間際に聴こえた女性の声といい、どう考えても……。

 

「あの……失礼ですけど、あまりふしだらな関係は控えた方が……」

「違ェよッ!? そんなんじゃねえよ! ああ、頭痛くなってきた……」

 

 「もしかしたらいい人かもしれない」度が急降下した。まあ、人間そんなものだろう。

 

 

 

 

 おっかない人のおかしな姿が記憶に新しい八時過ぎ、買うものもなくなったので連行作戦はお開きにする。

 

「それじゃ帰ろっか、桜」

「そうですね。これ以上遅くなったら、兄さんに更に怒られちゃいます」

 

 そう言っておどけてみせる桜。気力も十分に回復したようで何より。

 ヴェルデを出る。未だ照明の消えない街中では、いろんな国籍を含めた人が行き来している。外国人も冬木では珍しくない。例えば今目の前から歩いてくる白人の青年だって、ビジュアルが飛び抜けて良いこと以外はよくいる通行人だ。だから僕は気にも留めないで歩いた。

 

「――――どうして、あなたがいるんですか」

 

 桜には、どうやら違って見えたようだ。

 

「今更なんで出てきたんですか。わたしは、わたし、は――――」

「ちょっ、ちょっと桜? この人がどうかしたの?」

 

 桜の様子が明らかにおかしい。さっきまで活発な表情を見せていた顔は、今朝のようにまたもや青ざめている。発端はどう考えても目の前の外人だ。でも、そんな彼の反応は、

 

「だ、大丈夫ですか? 僕はいったいどんな失礼をしてしまったのでしょう?」

 

 落ち着かない桜を見て、心配そうに見つめていた。流暢な日本語を話す、見た目通りの好青年だ。少なくとも桜を泣かすような人格ではないだろう。

 

「……あの、この子のお知り合いですか?」

「いえ、初対面のはずですが……」

 

 困惑したまま話す青年。嘘を吐いてるようには見えない。……とりあえずこの場を取り繕っておかなくちゃ。

 

「すみません、彼女が失礼しましたっ」

 

 頭を下げて、混乱中の桜の手を握る。あまりこんな珍事を他人に見られたくない。相手が怒らないうちにさっさと帰宅しよう。

 

「いえ、お気になさらず。そこの彼女もお大事に」

 

 突然意味不明なコトを言われたにも関わらず、彼は嫌そうな顔ひとつせず、こちらに笑いかけてくる。こういう心優しい人間が出来たヒトを、世間では紳士と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

 

 結局、新都からのバスを降りて間桐のお家に辿り着くまで、桜の顔色は戻らなかった。

 

「昔の知り合いにそっくりで、つい驚いちゃったんです。先輩にはご迷惑をお掛けしました」

 

 別れ際にそう言って頭を下げる桜。もっと問い質そうと思ったら、間の悪いことに門の向こうから扉の開く音が聴こえてきた。

 

「それじゃ桜、また明日っ」

 

 返事も聞かずに飛び出す。やっぱり間桐くんには近づきたくない。

 

 

 

 

 家に着くと同時に、携帯に着信アリ。大河さんからだ。

 

「もしもし、今日は晩ごはん作れなくてごめんね」

『ううん、いいのよ智ちゃん。それに、明日もソッチに行けなくなりそうだし……』

「…………?」

 

 なんだかいつものうるさいくらいのテンションが行方不明だ。大河さんにしては珍しい。

 

「……何かあったの?」

『……う~ん、遅かれ早かれバレるんだし、いっか。ちょっとニュース点けてみて』

 

 言われた通り、居間のテレビを点けて、ニュース番組にチャンネルを合わせる。ちょうどローカルニュースの時間にシフトしていたその番組で、この地域お馴染みのキャスターが口を開いた。

 

『――――本日午後八時頃、冬木市にて指定暴力団藤村組の構成員■■■■氏が遺体で発見されました。遺体には刺し傷があり、現在県警が犯人を追って捜査中とのことです――――』

 

「大河さん、これって……」

『見た? そういうことよ。色々悪どいことに手を染めてたみたいだから、こんな目にあっても文句は言えない人だったけど、それでもウチの仲間だからね。忙しくて明日はたぶん顔出せないと思うわ』

「まさか大河さん、敵討ちに行くつもりじゃ……」

『ないわよっ。少なくとも私は葬儀の準備があるから違うわ!』

 

 それってつまり他の組の人は報復に……。

 

「まあ、わかったよ。大河さんならたぶん狙われても返り討ちにできると思うけど、一応夜道とかは気をつけてね」

『智ちゃんも気をつけるのよ。これから冬木も物騒になりそうだもの』

 

 通話を切る。原因の関係者が何を言っているんだと思うけど、彼女の言葉は否定できない。

 なんとなく、予感がする。非日常の到来を。呪いの足音を。

 せめて願う。僕のこれからの未来に――――

 

 

                “安息が訪れますように”

 

 

 誰かの声が聴こえた気がした。懐かしいようで聞き覚えのない不思議な声だった。




今回もいろんな要素をぶっこんでみました。桜の白いワンピースは映画のキービジュアルが元ネタです。


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2月2日:Fate/cursed one

 僕一人が呪われている。そういう運命だと悟ったつもりでいる。


「…………ぁぅ」

 

 また悪夢を視た。追いかけっこの最後に殺されるなんて、我ながらなんて夢のないオチだろう。そんなラストのインパクトのせいで、元がどんな夢だったか忘れてしまった。妙にリアルな光景だった気もするけど……。

 

「ま、いっか。起きよ起きよ」

 

 たしか今日は大河さん来れないんだっけ。

 いつも通りの癖で携帯を手繰ると、新着メールが一件。桜からだ。どうやら今週の土日は来れないらしい。そういえば本日は土曜日だ。ということは、今朝は一人で過ごすことになる。起きがけにバタバタする必要がない感覚は久々だ。寝ぼけて隙を晒す、なんてピンチの発生確率が0%なのは素直に素晴らしいと思う。

 緩慢な足運びでキッチンに向かいながら、ここにいない二人のことを思い返してみる。そもそも彼女たちが我が家に押し掛けるようになったのはいつ頃からだろう。

 大河さんは僕と切嗣さんがこの屋敷に住むようになってからすぐに入り浸っていた。彼女のご実家の伝手でここを貰い受けたのだから、それがキッカケだったのだろう。当時女子高生だった大河さんは、アラサーの危うい魅力にコロッといってしまったらしい。対する切嗣さんも彼女をよく甘やかしていた。理由を問えば、初恋の女性に似ていたからだという。彼に不似合いなセンチメンタリズムにププッと笑ってしまったのは、今思えば失礼だったろうか。

 桜の方は――――

 

「あっ、焼けたみたい」

 

 五年前から愛用しているポップアップトースターからパンが飛び出してくる。一人暮らしが始まるにあたって衝動買いした燻し銀のにくいヤツだ。ジャムを塗り、片手間に作ったハムエッグを添えて完成。人に食べてもらうモノでもないし、朝は簡素に済ませる。土曜は午前で授業が終わるからお弁当も必要なし。怠惰な週末を有意義に満喫しよう。

 

 

 

 余裕たっぷりに家を出て校門にたどり着いた七時四十五分。付近に設置されている掲示板では異様な光景が広がっていた。

 

『ハンガリーから堂々来日! 期待の超新星アイドル、2月2日19時より穂群原学園体育館にて怒濤のゲリラライブ開催! この瞬間を見逃すな!!』

 

「うわぁ……」

 

 アポとか取って……ないんだろうなぁ、コレ。何故異国からわざわざ日本の我が校にアイドルがやって来るというのか。所業を見るに偶像(アイドル)というより掟破りの馬鹿(ロックスター)って気がする。可愛らしいドラゴンが描かれたチラシ。十中八九イタズラだろうけど、それを踏まえてもなお多くの注目を集めていた。

 

 

 

 朝の教室。ここでも先程のアレが議論の的になっていた。ここまで話題になればイタズラの犯人さんも本望だろう。

 

「ハンガリーといえばバートリ・エルジェーベトが有名だな、リアル残虐超人として」

「蒔ちゃん、もうちょっと言い方変えようよ……。ほら、吸血鬼カーミラのモデルになったとかさ」

「科学の視点で見ると特にコンピュータの分野で知られている。後はたしかルービックキューブの開発元でもあったか。和久津嬢、他にも何か知らないかね?」

 

 〈パンサー〉さんが歴史、〈日だまり〉さんが文学、〈探偵〉さんが科学と、それぞれ得意分野のウンチクを語っている。次は僕の番だ。ここは趣味の料理関係で攻めてみよう。

 

「そうですね……三大珍味のフォアグラといえばフランスが挙げられるけど、実はハンガリーもフォアグラの消費量がフランスに次いで多いくらい伝統があるんですよ。最近では鳥インフルエンザの影響で、日本で食べられるフォアグラもハンガリー産にシフトしましたし」

「なるほど。そういえばフランス産のフォアグラも、実際は大半がハンガリーで飼育されたガチョウやカモから作られたモノだと聞いたことがあるな」

 

 フランス料理好きの〈探偵〉さんが食いつく。そんなこんなでオンナノコに相応しいお話に興じていると、

 

「……おはようございます」

 

 一昨日ぶりに遠坂さんが教室に入る。若干元気がないのを見ると、やはり昨日は体調が悪かったのだろうか、と訝しんでいると、

 

「おはようございます、遠坂さんっ。……ところでその」

「おはようございます、三枝さん。どうかしましたか?」

「後ろの男の人は知り合いですか?」

 

 〈日だまり〉さんが意味不明なコトを言い出した。だってそうだろう、彼女の後ろには誰も――――

 

「ちょっ、由紀っち!? 季節外れの怪談はもうお腹いっぱいだって!」

「こ、公園の時の天丼はよせ由紀香! 笑えん冗談だ!」

 

 え、なに、まさか――――そうなの? 〈日だまり〉さんってみえるひとなの?

 

「あの、今しゃべ」

「しゅ、守護霊でもいるのかしら? わたしにはさっぱりだけど不思議な話ね」

「?」

 

 遠坂さんが露骨にビビっている。もしやとは思うが、遠坂さんの不調の原因って、そういうよくないモノに憑かれてるからじゃ……。遠坂さんは見て分かる通り美人だ。付け加えて言うなら、言いたいことはキッパリと言うタイプの美人さんだ。善人なのは確かだけど、逆恨みの相手には事欠かないだろう。最近なら間桐くんの件とか。うっかり“そっち”の道に住む人種の恨みでも買って、呪いでもかけられたのかも。変な知識だけはあるくせに、僕にはどうすることも出来ない。こういうのを無用の長物と言うのだろう。

 

「おかしいなぁ……和久津さんにもあのヒト、見えなかったですか?」

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」

 

 結局僕に出来るのは対霊汎用呪文を唱えることだけ。どうか杞憂でありますように。そんな僕のカタチだけの念仏に遠坂さんが反応した。その眼が僕の右手に向けられる。包帯で巻かれたソレを見て、彼女は心配そうに言った。

 

「……和久津さん? その手、怪我でもしたのかしら?」

「あ、コレですか? それが僕も気付かないうちに痣が出来ていまして」

 

 昨日の朝、前触れもなく現れた痣だ。結局一夜経っても消えはしなかった。()()()ならまだしも、こうも見えやすい場所だとやはり人の視線が気になってしまう。早く引いてくれやしないだろうか。

 

「痛みはしないかしら? 念のため病院へ行ったほうがいいわよ」

「だ、大丈夫ですから。心配いりませんからっ」

 

 その選択肢こそ命に関わるので勘弁してください。僕が鉄壁の意思を貫くと、遠坂さんも話題を変えてくれた。

 

「そういえば和久津さん。昨夜あなたと桜がヴェルデを出るところでアレを目撃したんだけど……」

 

 “アレ”――――そう形容するようなモノなど一つしかない。

 

「……ああ、あの外国人ですか?」

「ええ、どうやら桜と一悶着あったらしいけど……どんな内容だったの?」

 

 どんな内容といっても、そんなモノは僕にも巻き込まれた彼にも判らない。真相を知っているのは桜だけだ。で、そんな彼女から訊いた話は本当かどうか正直怪しいところ。そんな情報としては三流な話だけど、訊かれたのだから一応話しておくべきか。

 

「うーん、彼女が言うには昔の知り合いにそっくりだったらしいけど……」

「男の方に見覚えはなかった、と?」

「はい、そうらしいです」

 

 遠坂さんが腕を組んで唸る。僕だってホントはそうしたい。いったい桜の身に何が起こったのか。……そういえば、遠坂さんは時折こんな風に桜の身を案じて、僕にそれとなく彼女のことを訊こうとする。僕の知らない繋がりがあったりするのかもしれない。と、ここまで考えて気付いた。

 

「ありがとう、和久津さん。参考になりました」

「いえいえ。……でも、ちょっと意外」

「意外? なにがかしら?」

「アレを見たってことは、遠坂さんったら昨日は学園、ズル休みしちゃったんですね」

 

 遠坂さんの顔がさっと赤く染まる。どうやら図星のようだ。彼女の意外な一面が見れて、なんとなくほっこりする。今日の学園は楽しく過ごせそうだ。

 

 

 

 四限目の授業が終わる。時刻は十二時。土曜日なので当然お昼休みではなく下校の時間だ。でも桜は部活で弓道場に向かうはず。追って昨日の続きを訊きに行こう。

 

「あれ、蒔ちゃんは?」

「ヤツなら正義を執行しに行った……」

 

 

 

「おかしいな……いないのかな……」

 

 もうすぐ一時になる。けれど道場には人っ子一人現れない。どういうわけか当てが外れたらしい。なら仕方ない、後日改めて――――

 

「おい、お前!」

「あ、はいっ。もしかして弓道部の――――ぉぉぉおっ!?」

 

 迫り来る高飛びのポールをすんでのところで避ける。奇襲を外されたことで舌打ちする容疑者は――――

 

「……あの、蒔寺さん。何やってござりますか?」

「おのれ間桐慎二! よりにもよって和久津に扮するとは卑怯なり!」

 

 大宇宙の深淵でも覗き込んだかのような狂気の発想だ。ぶっちゃけ正気の沙汰とは思えない。取り巻きの〈探偵〉さんと〈日だまり〉さんも、こんな時に限って何故か不在だ。

 

「だが姿や声を変えても行動だけは真似出来なかったようだな……。帰宅部の和久津が普通こんな場所に来るわけがないだろう!」

「いや、あの、僕は桜に会いに」

「言い訳は聞かん! さあ、遠坂と生徒会への好感度稼ぎのためにここで躯を晒すがいい!」

「お、お助けーーーっ!」

 

 〈穂群の黒豹(パンサー)〉改め〈穂群の猪(バカ)〉が猛進してくる。僕がとっさに反応できるような速度ではない。スプリンターの才能をこんなコトに発揮しないでほしい。どうにかしないと、と焦っていると救世主がやって来た。

 

「なんだい、和久津。桜に会いに来たのか?」

 

 縋った藁の正体は特徴的な髪型の男、間桐慎二だった。

 

「なに!? ふえる間桐だと!? あたしはいったいどっちを海にリリースすれば……?」

「はあ? なにワケのわかんないこと言ってんの、蒔寺。まあいいさ、桜ならここにはいないよ。今日は藤村がいないから、ついでにウチの部も休みなんだ」

 

 成る程、それは納得できる理由だ。彼女の今の身の上を考えれば、当然の帰結といえる。

 

「そ、そうなんだ~、ありがとうございます間桐くん。……じゃ、僕はこれで」

「待ちなよ、和久津。せっかく足を運んでくれたんだ、少しは僕に付き合ってくれてもいいじゃないか」

 

 笑みを浮かべる彼が一歩近づくたびに、心臓が早鐘を打つ。ドキドキ、ドキドキ。もちろん期待や好意とかそういったモノではなく、不快感や焦りからだ。〈女傑〉さんが煽るまでもない。コイツは僕を狙っている。それも三年も前から。

 

「別に間桐くんに用があったわけじゃ……」

「昨日は桜を連れて遊びに行ったんだろう? アイツをサボらせたコトは不問にするよ。だから、今日は僕とデートと洒落込もうぜ」

 

 よりにもよって桜を引き合いに出してきた。不快ゲージはとっくに振り切っている。……もう我慢できない。そのニヤケ面、引っ叩いて――――

 

 

 

 

 

 

「――――――――っ」

 

 唐突に、今朝の夢を思い出した。その衝撃で思わず出すはずの腕を引っ込める。

 

「おや。またぞろいつものナンパですか、慎二?」

 

 代わりに間桐くんの暴走を縫い止めたのは、見慣れない男子生徒の出現だった。

 

「……なんだよ、言峰。今いいところなんだ、邪魔しないでもらえるかな」

 

 苛立たしげに話すところを見るに、どうやら間桐くんはご存知らしい。でも、白髪で褐色の肌なんて判りやすい外見を持った生徒なんて、この学園にいただろうか?

 

「……ねえ、蒔寺さん。あの男子、誰だか判ります?」

「ふんっ、敵と話すことなぞ何もないわ!」

「……んっ」

 

 いい加減そのノリもうんざりだ。生徒手帳を突きつける。

 

「……和久津智。二年、女子……」

 

 三秒膠着。からの土下座。しっかりと礼儀を弁えた姿で汚名挽回を図る。あと、名誉は元々無いから返上出来ない。

 

「あの、もういいですから。さっきの質問に答えて」

「へっ? アイツですかい? ……あ~、確か2-Cの言峰だったかな」

 

 ……見覚えも聞き覚えもない。別のクラスだからと割り切るには印象に残りやすい姿だ。僕の知らない間にやって来た転校生なのかも。

 

「あーあ、何だか白けちゃったじゃないか……。お前のせいだぞ言峰、今度何か埋め合わせ用意しとけよ!」

 

 イイ雰囲気(少なくとも彼にとっては)を台無しにされた間桐くんが撤退していく。

 

「いつの世も、海藻類と悪の栄えたためしなし……」

「蒔寺さん。僕、アレと間違えられたコト一生忘れないから」

「ヒィーッ!? こ、ここは逃げの一手! 現行犯を防げば令状が無い限り捕まらんのだァッ!」

 

 散々好き勝手言ってくれた〈バカ〉さんも逃げ去っていく。二人とも呪われちゃえ。

 そして気付けばこの場には僕たち二人だけ。とりあえずお礼を言っておかなくちゃ。

 

「えと、言峰くん、でしたか? さっきはどうも、助かりました」

「いえ。和久津さんの助けになれたのなら、私としても鼻が高い」

「あ、僕の名前……」

「有名人ですから」

「あ、あはは……お恥ずかしい限りです」

 

 好きで目立ってるワケじゃないやい。

 

「ふむ、それにしても……」

 

 何やら顎に手を当て思案顔の言峰某。その眼は僕の顔に向けられている。

 

「……あの、何か?」

「失礼、つい見惚れてしまいました」

「うへぁ」

 

 一男去って、また一男。間桐くんとトレードした言峰くんが、真面目な少年から敵性生物に進化した。

 

「はいありがとうございまーす失礼しますねー」

 

 僕も先の二人に倣って、にげるコマンドを選択した。

 

「ええ、お困りでしたら何時でも教会に訪れてください」

 

 うまくにげきれた!

 

 

 

 ところ変わって商店街、マウント深山。お昼を適当に買い食いで済ませて、晩ごはんの為、いざ行かん食材の旅。お肉屋さんで合い挽き肉を買う。長い旅が終わりを告げた。思えば短い道程だった。隣を向けば、苦楽を共にした頼もしい仲間が――――

 

「あ、昨夜の……」

「こんにちは。またお会いするとは奇遇ですね」

 

 隣にはいつの間にか昨日の謎の中心人物が立っていた。美形なのに存在感が希薄な青年。羨ましい。爪の垢を煎じて飲めば先程の二人からステルスできるだろうか。

 

「昨日は連れが失礼しました。どうやら知り合いと間違えちゃったらしくて」

「……それは、僕と似ていた、という意味ですか?」

 

 彼の端正な顔が不快に歪む。あんな風に槍玉に挙げられる人物と間違えられたなら確かに良い気はしないだろう。

 

「似ているとは言ってましたが、なんでも昔の知り合いらしいのであなたとは別人だと思いますよ」

「そうですか! いや、よかった。昔の話なら僕とは無関係に違いないですから」

 

 ほっ、と安心した笑みを浮かべた青年。最近移住した外国人であれば、僕のフォローが功を奏したのだろう。とはいえ、この反応を信じるなら、少なくとも彼は桜とは無関係となる。本当に彼女の勘違いだったのだろうか。

 

「おうおうハリー、えらい美人さんやんけ。抜け駆けは許さへんで」

 

 話していた僕たち二人に割って入る白い影。

 

「違うよ、セイゲン。僕はそんなつもりで声を掛けたんじゃないんだ。といっても君は納得しないだろうけれど」

「あ、お知り合いの方ですか?」

「せや。この色男はハリー。そしてわいは時任次郎坊清玄や。よろしゅうな!」

 

 朗らかに右手を差し出してきた清玄さん。よく見るまでもなく特徴的な格好をしていた。白い法衣を着て、頭に小さな頭巾を乗せている。そして首には法螺貝。まるで天狗のコスプレだ。右目の眼帯と、袖を通してない左腕は……いや、これ以上の詮索は失礼か。

 

「僕は和久津智っていいます。よろしく」

 

 内側のよくない思考を紛らわせるように握手に応じる。所々に傷の走る逞しい手だ。ひょっとして修行僧だったりするのだろうか。

 

「へ~。素直に手ぇ握ってくれるなんて、智さんはええ子やなぁ」

「ちょっ……」

 

 さすりさすり。握っている右手で器用に擦りあげられる。急いで手を離した。

 

「……セクハラですよ、今の」

「なんやねん、人聞きの悪い。ケツやムネ触ったとかチューしたならまだしも、わいは握手しただけやで。コレをチカンっちゅうなら世の男はクズも坊主もまとめてブタ箱行きや」

「わかりました。生臭坊主でしょ、あなた」

 

 フレーフレー、フェミニスト。痴漢に負けるな、フェミニスト。宗教に負けるな、フェミニスト。

 

「言い訳がましいのはみっともないよ、セイゲン。ここは紳士としてトモさんに謝るべきだ」

「う~ん……紳士っちゅうんはガラやないんやがな。それにお山からは降りとるんやし、お天道様も見逃してくれるやろ」

「あ、もしかして柳洞寺のお坊さんですか?」

 

 近場で山といえば、まず柳洞寺が建っている円蔵山が思い浮かぶ。

 

「イエス……と言ったらどないする?」

「柳洞くんにチクります」

「ノー! 確かに住んどるけどノー! 堪忍してや、一成くんのお説教はもうウンザリなんや!」

「はい、ギルティ」

 

 お天道様が許しても、生徒会長が許さない。今度会ったら被害者度二割増で報告してやろう。

 

 

 

 さめざめと泣く女の敵を連れた英国紳士と帰り道に別れる。彼らが向かうのは柳洞寺。そこに住む柳洞くんや葛木先生とも同居しているのだろうか。彼らがいったいどんな生活を送っているのか気になる。制裁依頼ついでに柳洞くんに様子を伺うのもアリかも。

 

「ただいま〜、っと」

 

 そして僕も自宅に到着。当然返ってくる声はない。それが五年前からの我が家の常識だ。

 

「ふんふんふふーん、今日はハンバーグ♪」

 

 思えば独り言も増えた。ハンバーグ。切嗣さんがよく僕にせびっていた。健康のためにと豆腐ハンバーグを作ってあげたら、腹いせとばかりにケチャップをぶち撒けられた。甘いものとジャンクフードを好んで食べた切嗣さん。一度背伸びして西洋のコース料理にチャレンジしてみたら、死んだ目をして褒めてくれた。格式高いお料理にトラウマでもあったのだろうか。なんだか思い返してたら涙が出てきた。

 

「うっうぅぅ……」

 

 包丁を手放して冷凍庫をオープン。頭を突っ込んでお目目をアイシング。玉ねぎを切った時に出る涙への処方箋だ。涙腺が冷たさで引き締まる。お料理再開。時間の余裕もあるし、今夜は煮込みハンバーグにしようか。完成は七時を過ぎそうだ。

 

 

 

 今日は思い出すだけで気が滅入る一日だった。男に目をつけられるのは慣れているけど、濃口×3は流石に胃もたれする。こんなカッコだけど、もちろん僕は男の子。そしてソッチの気はない。いくら絶世の美男子のお誘いだろうとノーセンキュー。僕の青い欲求が向くのは女の子だ。身近な桜なんてまさに良い例。最近はキケンでアブナイ兆候だ、主にオトコノコ的な事情で。

 

「なんというか、目のやり場に困ります……」

 

 だから最後の一線を踏み越えないため、僕は予防線を張る。結局僕たちは他人同士だ。大河さんだって、桜だって、切嗣さんだって――――

 

「……一人分、余計に作っちゃったな」

 

 考え事をしながら鍋をコトコト煮込んでいると、今更ながら気付く。いつもの癖で多めに作ってしまったらしい。いっしょに食べる相手なんて誰もいないのに。

 

「あ、そうだっ」

 

 ちょうどハンバーグが食べたい人がいるじゃないか。ヘルシーをかなぐり捨てたハンバーグは彼の好物だ。今ぐらいはワガママを許してもいいかもしれない。付け合せのマッシュポテトをお皿二つに盛って、ケチャップ多めのデミグラスソースを用意する。そうしているうちにメインの完成だ。彼のいる部屋に行こう。

 

 

 

 

 

「……子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」

 

 そんなことを呟いたのは齢三十を超えた中年の男だ。老成したような枯れた姿。そんな彼はたまに容姿に見合わない子供っぽさを見せる。たぶんコレもその一つ。だけどその中でもとびきりブットンだ言葉だ。有り体に言ってドン引きした。

 

「ヒーローになる、だなんて夢か漫画の見過ぎでもあるまいし」

 

 もっと小さい頃、確かに僕もそういう夢を見たことがある。いっしょに公園で遊ぶ女の子がいた。秘密を隠しているのがもどかしくて、正体を打ち明けたのだ。――――結果、すべてが壊れた。逃げるように冬木の街に引っ越して来た。今となっては、あの女の子も、元いた街の名前も思い出せない。記憶に残っているのは、ただただ黒いノロイだけ。

 

「そうだね。だからスッパリと諦めればよかったんだ。それか夢を疑いもせずに追い続けるか。中途半端なのが一番救いがない」

 

 互いに苦笑い。半端モノ同士世を嫉む。ソレはきっと原初の呪いのカタチだ。世界は、呪われている。そんなのが僕たち二人の共通認識だというのが、救いの無さを如実に物語っている。

 

「うん、それなら僕は」

 

 “諦める”と口にしようとするも、先に彼の言葉を被せられた。

 

「夢を追ってくれ。たとえ芽が出なくても、君は歩き続けてくれ」

 

 暗い夜だった。月も星も一向に見えやしない。未来への展望なんてまるで無い。そんな道を、この男は前を向いて歩けというのか。

 

「切嗣さん、僕には――――」

「智ちゃん――――ごめんね」

 

 僕が続きを告げる前に、切嗣さんが眼を閉じた。それきり開けることはない。浮かべるのは苦悶の表情。安らかな眠りとは、口が裂けても言えなかった。

 

 

 

 

 

「いただきます」

 

 居間に虚しく響く声。聞いてくれるのは目の前に置いた写真立てだけ。切嗣さんの遺影を仏壇から持ってきたのだ。もちろん彼の分の夕食も用意している。散々食べたがっていたのだから、遠慮せずに食べてほしい。

 

「ま、後で冷蔵庫に入れるわけだけど」

「ふむ、それは実に勿体無い。では代わりに私がいただくことにしよう」

 

 それはありがたい。どうせなら出来立てを食べてもらったほうが、作った側としても――――

 

「……はい?」

 

 なんか目の前に知らない男が座っている。誰だ、コイツ。

 

「…………不審者サマ?」

「さて、どうかな? 少なくとも、君に対して敵意がないのは確かだが」

 

 この屋敷には実は結界が張ってある。敵意のある人間が近づくと警報がなる、らしい。切嗣さんから聞いた話だし、今まで作動したことなんてないから、実際にあるかどうか怪しいところだけど。

 

「……うむ、よく出来ているな。私も多少は腕に自信があるが、女性相手には分が悪かったか」

「あの、敵意がないからといって110番しない理由にはなりませんよ?」

 

 白髪で褐色という何処かで見た姿だ。もしかしたら言峰くんの兄とかかもしれない。でも、この和久津智、容赦せん。迷いなく携帯に手をかける。

 

「ああ、警察を呼ぶのは構わない。だが、せめて三点ほど私の質問に答えてくれないだろうか」

「…………」

 

 どうして、こんな男ばかり吸い寄せられるのか。呪われた我が身が恨めしい。渋々頷いてやる。毒を食らわば皿まで。彼が満足したら、パトカーでお帰りいただこう。

 

「ではまずは……そうだな、君は何者かね?」

「怪しい人に教える名前なんてありません。っていうか、僕のこと知らないのにここに来たの?」

 

 てっきりストーカーか何かと思っていた。

 

「ああ、私は君のことを何ひとつ知らない。表札には衛宮と記載されていたが、さて」

 

 昨日会ったイリヤという少女と似たようなことを聞かれる。もしかして彼も切嗣さんの知り合いだろうか。怪しい人脈満載の彼に恐怖する。

 

「切嗣さんが目当てなら、残念だけどもういないよ。横に遺影があるでしょ」

「……そうだな。ならば君は彼の娘、ということでいいのかな?」

「……違う。僕は彼に引き取られただけ。親子なんかじゃないよ」

 

 自分で自分の古傷を抉っているような感覚だ。どうやら通報する必要はなさそうだけど、精神衛生上早くお引き取り願いたい。

 

「では二つ目だ。彼は、衛宮切嗣はどんな最期だった?」

「……っ、それ、は――――」

 

 言葉が詰まる。脳裏には何の救いも与えられなかった彼の躯。何も残さず逝ってしまったちっぽけで哀れな最期。看取った僕にはどうすることも出来なかった。だから、この問いに答える資格など、ない。

 

「沈黙するか。まあいい、ならば最後の質問だ」

 

 そう言って近づく男。赤い外套を身に纏う彼の左手には一振りの黒い短剣が握られている。

 

「……何の、つもり?」

「無関係かとも思ったが、少々毛色が違うらしい。少女よ、問おう。――――剣を取る覚悟はあるか」

 

 

 

「はっ、はぁっ、くっ――――」

 

 追い立てられている。場所は今や勝手知ったる屋敷の庭。通り魔事件の被害者になる未来を防ぐために懸命に走っていたら、こんな場所に追い詰められた。ここには外に通ずる出口などなく、唯一あるのは――――

 

「どうした、ここには土蔵があるぞ。逃げ込まないのかね?」

 

 切っ先を土蔵に向けて尋ねてくる。未だソレの直撃は受けてないけど、不格好に避けていたせいで体中擦り傷だらけだ。

 

「だって……鍵、ないしっ」

「そんなもの、壊せばよかろう。そらッ」

 

 男の手から投擲された短剣が土蔵の扉を打ち破る。すごい。どんな馬鹿力だ。とはいえ土蔵には何も無いはず。自分から退路を断つなんて以ての外だ。ここはどうにかして目の前の彼を突破する手段を――――うん、無理。指し示された土蔵に走った。彼からの妨害はないので、問題なく蔵に入れる。中は埃だらけで薄暗い。役立ちそうなモノなんて、やっぱり用意されていなかった。

 

「ふむ、近年に使われた形跡は皆無、か。どうやら君は魔術師ではなかったらしい」

「魔術、師――――」

 

 やっぱりそうか。この男は非日常に生きる輩だったのだ。そして僕の反応を見た彼は、

 

「流石に教わってはいたか。徒労に終わらずに済みそうで何よりだ」

 

 先程放り投げた筈の短剣をまたどこからともなく手に取った。詰み、だ。今朝視た悪夢をもう一度繰り返そうとしている。次も夢オチ、なんて展開はもう期待できないだろう。ここまで来ても尚、警報は依然として鳴りはしない。やはり結界なんて眉唾だったのだろうか。それとも――――僕は彼に敵とすら認識されていないのか。

 

「……いい大人がいたいけな女の子虐めるなんて、ちょっと趣味が悪いんじゃないの?」

「まったくだ。女の子には優しくしろ、と常々説かれた筈なのだが」

 

 男が皮肉気な笑みを浮かべる。そこに含まれる感情なんて知ったこっちゃない。確かなのは、彼は僕を試すつもりにしろ、遊ぶつもりにしろ、今の今まで本気をこれっぽっちも出してないこと。手のひらの上で必死に踊らされていた。その手は誰が持ち主なのだろう。彼か、あるいは世界そのものかもしれない。

 

「まったく……呪われてる」

 

 それは無意識に零れた言葉。

 

「……ほう。君は何が呪われていると考える?」

 

 返ってくると思わなかった反応。彼にも思うところがあるのかもしれない。

 

「僕が、呪われている。今まで散々翻弄されてきた。良いことなしの人生だった」

「それはあくまで主観だろう。君の言葉を借りれば、私だって十分呪われていると自負している」

 

 不幸自慢はやめろと言いたげに、男が咎めてくる。そうか、なら――――

 

「なら、僕たちは運命に呪われてる。僕たちが呪った分だけ、運命は呪い返してくる」

 

 例えば、そう――――今みたいなカタチで。

 このまま屈せざるをえないのだろうか。それもいいかもしれない。待ち受ける絶望をこれ以上見なくて済む。そうだ、このまま諦めてしまおう。そう考えたら、途端に気が楽になった。

 問答はここまで、と言わんばかりに手にした刃を向けて歩いてくる男。その姿は処刑人めいていて、これから先の僕の運命をこの上なく暗示していた。すなわち敗北。死。

 

「やっつけてやる……」

 

 萎びた心に火が灯る。受け入れられない、と腐った性根が悪足掻きしている。その意志は僕のモノか、はたまた彼のモノか。関係ない。全部ごちゃまぜにして、叫びを上げた。

 

「呪われた運命を、やっつけてやる――――ッ!!」

 

 

 

 僕の声に呼応するように、周囲の空間が歪んだ。比喩ではない。錆びついた蛇口を無理やり捻ったような濁流が、僕を襲う。今までの常識を全て覆される感覚に必死に耐えながら、僕らは邂逅した。吹けば飛ぶような、儚い夜の幻。それは厳しい甲冑に身を包んだ小柄な騎士の姿をしていた。

 

「訊いてやる。お前がオレのマスターか」




ケリィはね、士郎を助けなかった場合はなんというか救われてちゃあダメなんだ。独りで、静かで……。
再臨とスキラゲで骨をしこたま要求された私怨じゃないよ。本当だよ。


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――Rebellion against Fate――
2月2日:穂群の陳宮


 厳ついフルフェイスヘルムにマスターとか呼ばれた。個人的には軍師ポジの方が性に合っていると思う。


「訊いてやる。お前がオレのマスターか」

 

 土蔵に凛と響く声。粗野で力強く、思いの外高い音色。状況を見るに、目の前の騎士から発されたようだ。

 

「……マス、タぁ? いったい何の――――うッ!?」

 

 問い質すより先に訪れる衝撃。右手が熱い。たまらず包帯を取ると、そこには以前に見つけた痣が明確なカタチを伴って刻印されていた。

 

「ちょっと……厨二病案件はもう間に合ってるんだけど」

 

 もう他人の目は誤魔化せない。明日からは手袋でもはめようか。そんな風に僕が戸惑っていると案の定見咎められた。

 

「よし、令呪はあるな。いや焦ったぞ。召喚されたのにマスターがいないなんてジョークとしちゃ三流だ」

「……あの、いったいなんの話で」

「話は目の前のヤロウをぶっ潰してからにしようぜ。なァ、サーヴァント」

 

 手にするきらびやかな宝剣を男に向ける騎士。肌がひりつくのは戦慄が僕を襲ったからだ。それは、殺意。日常に生きる僕でも感じ取れるくらい熾烈なソレが場を覆った。

 

「やれやれ、穏やかじゃないな。仮にも最優のクラスならばもっと余裕を持ったらどうかね、セイバー」

「お行儀のいい優等生がお望みなら他所をあたれ。もっとも、無事だったとはいえオレのマスターを害したんだ。当然此処で消える覚悟はあるんだろうな――――ッ!」

 

 砂塵が舞う。白銀の残光を残して騎士は消えた。そして後には――――

 

「――――うそ」

 

 数刻遅れて耳に届く轟音の元に目を向けると、そこには嵐が巻き起こっていた。白銀の宝剣と黒白の双剣が織り成す、剣戟のオーケストラ。視認することなど到底不可能な腕捌き。それでも、セイバーと呼ばれた白銀の騎士が赤い外套の男を圧していることは辛うじて理解できた。

 

「二流のクセに中々どうして粘るじゃねェかッ!」

 

 苛立たしげに放った一撃に、弾き飛ばされる双剣。好機と見るや否や、セイバーは追撃をお見舞いしようとする。受ける男は隙だらけ――――否。

 

「ダメ! アレを弾いても直ぐに手元に戻る!」

 

 土蔵に追い込まれた時のことを思い出す。僕の静止の声が届いたのか、慣性を無視して急停止するセイバー。対する男は予想通り再び双剣を手にしていた。

 

「……チッ、喰えねェ手品だ。それがテメエの能力か」

「手癖の悪さだけが取り柄でね。……おっと、そうこうしている内に新しい手合が招かれたようだぞ」

 

 後ずさった男の言葉。まさか、さらに新手の連中が来るというのだろうか。

 

「確かにそのようだが……おい、アーチャー」

「私の事か? 弓など手にはしていない筈だが」

「たとえ二流といえど、お前のその技量は並外れた鍛錬の賜だろう。そんなヤツが三騎士以外であってたまるか」

「君がどう思おうと勝手だが、視野狭窄は寿命を縮めると忠告しておこう。で、何かねセイバー」

「アレはお前の差し金か?」

 

 セイバーが門の外を指差す。そこには恐ろしいことに、更なる人外が待ち受けているらしい。男、アーチャーが答える。

 

「さてな。私を追う者が流れ着く先など、与り知らぬことだろう」

「……誘導したってことか。ますます気に食わねェ、何ならオレとその追跡者で挟み撃ちしてやってもいいんだぜ」

 

 闘志燃え滾るセイバーを余所に、アーチャーは僕に視線を向ける。何も映さない空虚な瞳に思わず怯んでしまう。

 

「それもいいだろう。だが、君のマスターの力量は低い。混戦にもなれば、流れ弾で脱落してもおかしくはないな」

「……フン」

 

 話の流れがイマイチ掴めない。判っているのは、魔術の存在を知る僕の目から見ても異常な力を彼らが振るって殺し合いをしていることと、どうやら僕の存在がソレの足手まといであることくらいだ。

 

「……いいぜ、今夜は見逃してやる」

 

 剣を下ろす。未知の相手への警戒が、彼への敵対心に勝ったらしい。

 

「感謝する。ではお礼に一つ良い事を教えてやろう。君が今から対峙するのはキャスターだ」

「オイオイ、いいのか? そんな重要な情報投げ売りしちまって」

「構わんよ。君にとっては私より彼の方が御し易いだろうし、私としてもアレとの対決は避けたい」

「っつーことは対魔力低いのか、お前。マスターの目からはヤツのステータス、どう見える?」

「え、えと? …………あ、なんか視えたかも」

 

 促されたので、目を凝らしてアーチャーを視てみるとイメージが浮かんでくる。ラベルの貼られた試験管。筋力とか耐久とかのゲーマーには馴染み深いモノは置いておき、言われた通り対魔力とやらに着目する。

 

「この薄さは……Dランクかな」

「三騎士の名が泣くぞ、アーチャー」

「そう言う君の対魔力は高そうで何よりだ。ではな」

「あっ、ちょっと待って、アーチャー!」

 

 去ろうとする背中を呼び止める。正直わけの判らない状況だけど、彼個人に訊きたいコトが残っている。

 

「僕は和久津智。十年前に切嗣さんに引き取られた女の子だ」

「それが一つ目の問いへの回答か」

「そう言うこと。で、僕が答えたからにはそっちも名乗るのが筋だと思うけど? もちろん、私はアーチャーです、終わり。なんてのはナシだよ」

 

 一片の嘘を織り交ぜながら、赤と黒の背中に問い質す。その広い背に何を負ってきたのか、僕には想像もできない。彼は暫く口を閉ざし、やがてポツリと呟いた。

 

「……私は最早何者でもない。私という存在の全てはこの世界では消失しているからな」

「…………はい?」

「和久津智、だったな。君は理解しなくていい。……私のことは、未練がましい亡霊だとでも思ってくれ」

 

 そう言い残して、今度こそ去っていくアーチャー。イマイチどころじゃない。彼らを取り巻く環境はまだしも、彼個人の話は一片たりとも理解できなかった。

 

「そんじゃマスター。立て続けで面倒だが、お次はキャスターだ。とっとと片付けてくるぜ」

「ストーップ! 話は後でもいいから、せめていっしょに行こうよっ」

 

 アーチャーが去ったかと思ったら、セイバーが屋敷の外に飛び出そうとする。マスターなんて呼ばれてるし、先程のアーチャーみたいに襲ってこないから、少なくとも敵ではないと思う。

 

「いいのか? さっきのアーチャーじゃないが、うっかり死んでも責任取れんぞ?」

「自分ちの前で切った張ったされるのを放っておく趣味はないんだ。それに、危険からは君が守ってくれるんでしょ、セイバーさん?」

「……オレに対して守れ、か。正直ガラじゃないんだが、やって出来ないことはねェ。いいぜマスター、ついてきてくれ」

 

 

 

 果たしてそこにいたのは魔術師然とした青いローブを身に纏う男。そして、

 

「……和久津さん。あなたもマスターだったのね」

 

 クラスメイトの遠坂さんがいた。“あなたも”と彼女は言う。ということは、遠坂さんも僕と同じマスターなのだろうか。傍らにいる男が口を開く。

 

「昨日見た女の片割れか。どうなってんだマスター、学校にはアンタ以外マスターになれる魔術師はいないんじゃなかったのかよ」

「そう、そのはずよ……。でも、まさか、いや、有り得るかも……」

「要は敵ってコトだろ? 相手はセイバー。ちぃとキツイが、倒せないワケじゃねェ」

 

 言葉と共に杖を構える偉丈夫。彼の言によれば、遠坂さんは魔術師だったらしい。驚きを顔の下に潜ませる。今は一触即発の場面。どうやらこちらを敵視している男をやすやすと刺激するわけにはいかない。この場で唯一明確な僕の味方、セイバーに目配せする。何かこの状況を打開する一手を打ってくれないだろうか。

 

「キャスター、ねぇ……。お前らが追っていた落第騎士ならまだしも、オレは魔術師風情には負けんぞ。だろ、マスター」

 

 火に油を注ぎやがった。挑発してどうする、僕はこの場を収めたいだけなのに!

 

「……そういうこと。和久津さん。あなたも、魔術師。それならあなたの今までの在り方にも合点がいくわ」

 

 遠坂さんの僕を見る眼が急激に冷えていく。アレは多分相手を敵と見定めた眼だ。僕は魔術師じゃないから見逃して、なんて弁明はもう無理っぽい。こちらの残ってるカードは隣に侍る猪武者とあと一枚。後者を切ることにする。

 

「その通りだよ、遠坂さん。それが判るなら、この屋敷の前にいつまでもいるコトの迂闊さにも当然気付いてるよね」

「……魔術工房か」

 

 この世に生を受けてから、今の今まで磨き続けた嘘つきスキル。幸い魔術に関する知識だけは教わっている。それらしい言葉を言えば、後は彼女が勝手に補完してくれるだろう。

 

「それに、僕のセイバーはアーチャーよりも強い。対魔力だってコッチの方が上。キャスターの分が悪いのは明らかだ」

「……さすがはセイバー、対魔力はAには届かなくてもBか。ステータスも最優のクラスに相応しく高水準ね」

 

 へ~、そうなんだ。苦虫を噛み潰した顔をして僕に情報提供してくれる遠坂さん。どうやら遠坂さんの中では、彼女たちが圧倒的に不利らしい。僕に至っては戦いの内容すら定かではないけれど、もちろんそんなのはおくびにも出さない。彼女を丸め込むために、提案という名の命令を下す。

 

「そこで相談だけど……遠坂さん、今夜は引く気はない?」

「……見逃してくれる、ってワケ? あなたの意図が読めないわ」

「遠坂さんなら判ってくれると思うけど」

 

 遠坂さんに無茶振りする。僕にはサッパリ判りません。心当たりがあるのか、彼女はあっさりと僕の言い訳を用意してくれた。

 

「……召喚直後。それもセイバーだもの、不調なのは当然よね」

「うん、そういうこと」

 

 どういうことだ。……ともかく用意は整った。後は持ち前の口先を使って穏便にお帰りいただこう――――と、考えていたらセイバーが口を挟んできた。

 

「もちろん只で帰すワケじゃねェ。そうだな……令呪一画。オレたちから逃げるために使ってもらおうか」

「……あんまり嘗めないでくれないかしら、セイバー」

「それはコッチの台詞だ。幾らマスターが力を振るえなくとも、他人の陣地にいるキャスターにオレが敗れる道理はない」

 

 遠坂さんの顔色がまた渋くなる。穏便よ、さらば。遠坂さんが自分の右手を見つめる。そこには僕と似たような(しるし)が刻まれていた。ひょっとしてコレが令呪なのだろうか。

 

「……背に腹は変えられない、か。仕方ない、まだ戦争が始まったばかりの段階で教会に保護されるわけにはいかないものね」

 

 ……戦争? 物騒な言葉を呟き、とうとう観念した様子の遠坂さん。右腕を掲げて、屈辱の言葉を告げる。

 

「キャスター。令呪によってあなたのマスターが命じるわ。……わたしを連れて離脱なさい」

「……了解。やっぱりキャスターらしく引き篭もることにするかねェ……」

 

 右手の令呪が光る。そしてキャスターが遠坂さんを抱えたかと思ったら、目にも止まらぬ速さで僕たちから遠のいていく。こうなってはセイバーでも追撃は無理だろう。そして、今や視界の端にいる彼女がこう呟いた気がした。

 

“覚えてなさい、和久津さん。この借りは必ず返すから”

 

 その場しのぎの代償は、憧れの人からの怨恨だ。やっぱり僕は呪われている。




Rebellion against Fate、略してRaF編のスタートです。直訳で運命への叛逆。果たして攻略されるのはセイバーと智ちんのどちらなのでしょう。


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2月2日:丘の上の教会

 何やら物騒なコトに巻き込まれたみたい。口は災いの元と言うけれど、素直に泣きつけばいいのだろうか。


「さっきのはファインプレーだったな、マスター。最初に見たときは何処ぞのお姫サマかと思ったが、中々太い肝をお持ちのようで」

 

 ようやく全ての危機が去り、争いの渦中にいた騎士が口を開く。なんだかんだあったけど、少なくともコイツは僕の味方らしい。

 

「とにかく、助かりました。僕は和久津智。君の名前は?」

「おう、オレはモー…………は?」

「“セイバー”って呼ばれてたけど、アレってRPGみたいな職業でしょ? 本当の名前は、えーっと……モー、さん?」

「……真名知らないっつーことは触媒もナシに? ……いや、この言い方はまさか…………」

 

 重厚な兜を俯かせて唸るモーさん(仮)。しばらく思案に暮れた後、僕に向かってまず第一に聞くべきだったことを問い掛けてきた。

 

「……マスター、“聖杯戦争”って知ってっか?」

「知らないよ。……あ、コレってマズイのかな」

「…………はああああぁぁぁぁ」

 

 一際大きな溜息。やっぱりマズイらしい。

 

「……なァ、マスター」

「智でいいよ。マスターってのもよく判らないし」

「じゃあトモ。言いたいコトは山ほどあるが、取り敢えず一つだけ言ってやる。お前、ペテン師の才能あるよ」

「あ、あはは……ドウモ」

 

 僕だって好きで嘘ついてるワケじゃないやい。

 

「なんつーかアレだ。一言で言えばお前は殺し合いに巻き込まれた」

「さすがにソレは察してるよ。魔術師同士の戦いなんでしょ、コレ」

 

 そうじゃないと説明できないSF(凄く不思議)がたくさんあったし、何よりキャスターと呼ばれた男や遠坂さん自身が魔術師について言及していた。

 

「物分りがいいな、トモ。てかお前素人ってワケじゃねえな?」

「うん。まぁコレにはやむにやまれぬ事情があると申しますか……。取り敢えず、僕自身は魔術師じゃないよ」

「……もしかしなくてもハズレ引いたか、コレ? まァ何にせよこれだけは訊かなくっちゃなあ……。トモ、お前自身に戦う気はあんのか?」

「そんなの、あるわけないじゃない」

 

 当たり前だ。ただでさえ危険が身近に存在するのに、好き好んで地雷に突っ込むバカが何処にいるというのだろう。

 

「そうなるわな。死にたくないんなら仕方ねェ。オレも無能のマスター抱えて戦場を練り歩くようなイカれた趣味はない。とっととトンズラこいちまいな」

「……この場合は、教会に逃げればいいのかな」

 

“まだ戦争が始まったばかりの段階で教会に保護されるわけにはいかないものね”

 

 遠坂さんが去る間際の台詞を思い返す。多分敗退したマスターとやらは、そこに行けばいいのだろう。

 

「割りと出来のいい頭してるのが勿体ねえが……まあいいさ、そこまでは護衛してやるよ」

「いいの? 別に見捨ててくれても構わないのに」

 

 多分マスターには戦う義務があるはずだ。それをコッチの都合で放棄するのだから、それこそ手のひら返されて斬り殺されてもおかしくない。

 

「あのなァ……仮にも守ると言った手前、最後まで面倒見なきゃ騎士の名折れだろうが」

「あ、うん……。ありがとう、モーさん」

「それ、やめろ。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ。オレのコトはセイバーと呼びな」

 

 鬱陶しいとばかりに頭を振るセイバー。混乱の真っ只中にいる僕だけど、一つ判ったことがある。コイツ、イイやつだ。

 

 

 

 結局、何事もなく教会の前まで辿り着いた。さっきまで姿を隠していたセイバーが真横に現れる。何やら透明になれるらしい。人目が気になる身の上としては羨ましいかぎりだ。

 

「ここまでありがとう。君のおかげで心強かったよ」

「心配して損したがな。ま、何はともあれここまでだ。達者でな、トモ」

 

 離れ行くセイバー。その後ろ姿を見送ろうとして、

 

「……ねえ、セイバー。一緒に入ってくれないかな?」

 

 思わず引き止めてしまった。

 

「何故だ? ココにいりゃ安全なんだろ?」

「えーと……勘!」

「ならイイぜ」

「いいの!?」

 

 僕は昔から勘が鋭い。それの恩恵で今まで屍を晒さなくて済んだと思っている。でも、他人にソレを信じてくれだなんて言うつもりはない。どこまでいっても勘は勘。信じる根拠なんてどこにもない。だというのに、セイバーは即決してくれた。

 

「オレも直感なんてスキルを持っている以上、耳を傾けるべきかと思っただけだ」

「まあ何だっていいや。それじゃもうちょっとお付き合いしてね」

「しょうがねェな……」

 

 甲冑に覆われた首元を擦りながら悪態をつくセイバー。でも、その足を僕に並べてくれた。では、行こう。意を決して扉を開く。そこにいたのは、

 

「随分と早い再会ですね、和久津さん」

 

 漆黒のカソックに身を包んだ僕の仇敵二号、言峰くんだった。

 

「なにやっとんのねん」

「見ての通り神父をやっております。別れ際に教会にいるとお伝えしたでしょう」

 

“ええ、お困りでしたら何時でも教会に訪れてください”

 

 ……ああ、そんなコトも言われた気がする。なにせ彼から逃げる最中だったし、濃すぎる一日のせいで今までスッカリ忘れていた。

 

「そして、横にいるのがあなたのサーヴァントですか」

 

 隣の時代錯誤な甲冑騎士にそんな問いを投げ掛けてくる。ということは、やはり彼も聖杯戦争の関係者なのだろう。……彼に関しては驚きよりも納得が強いけど。

 

「ああ。……とは言っても、もうすぐコイツのサーヴァントはやめるけどな」

「……む。それは辞退される、ということですか?」

「そういうことです。聖杯戦争なんて初耳だし、ほとんど事故で巻き込まれたみたいなものだから」

「なるほど、それは災難でしたね。一般人がこの儀式にマスターとして巻き込まれるケースなど、私も聞いたことがありません」

 

 苦笑いを浮かべ、安っぽい同情を聞き流す。と、あるフレーズが耳に引っかかった。

 

「……()()()? もしかしてその聖杯戦争って昔からやってるの?」

「ええ、二百年前から此度までで計五回行われております」

 

 二百年とか五回とか言われてもイマイチ実感が沸かない。何故なら僕はその戦争についての知識が全くないからだ。だからコレが魔術師の世界ではありふれた出来事なのか、彼らの中でも尚異端の事態なのか見当がつかない。

 

「ふふ。気になる、と顔に書いてますよ。なんでしたら聖杯戦争についてご教授しましょうか?」

「そりゃあ気にはなるけど……マスターを辞めるのに時間かかったら悪いし」

「それ自体は一瞬で済みますのでご心配なく。では語りましょうか。まずは魔術師についてですが……」

「あっ、その辺りは大丈夫。存在だけは知ってるよ」

「説明の手間が省けて何よりです。そう、聖杯戦争とは詰まるところ魔術師たちの決闘なのです」

 

 それもセイバーから聞いたから知っているけれど、あまり彼の会話のテンポを崩すのも悪いし黙っていることにした。

 

「もう少し詳しく言えば、七人の魔術師が聖杯を求める争奪戦です」

「聖杯って“最後の晩餐”とか“アーサー王伝説”に出てくるあの?」

「ええ。それの事です。……おや、どうなさいましたセイバー。私が彼女に聖杯戦争の説明をするのがお気に召しませんか?」

「……セイバー?」

 

 横にいるセイバーから物騒な気配が伝わってくる。彼の説明に地雷ワードでも含まれていたのだろうか。

 

「ああ、気に食わないね。お前が今からするのは飢えた馬の目の前に人参を吊るすようなモンだからな」

「それは心外ですね。……では、話を戻しましょう。その聖杯を手にするために、魔術師たちは特別な使い魔を召喚します。それがサーヴァント」

「例えばセイバー、みたいな?」

 

 使い魔と聞いて、納得半分、疑問半分といった具合になる。なるほど使い魔ならば人並外れ過ぎな戦闘力にもある程度理解できるかもしれない。けれど、セイバーや僕を襲ったアーチャーを見ると、使い魔なんて非人間的なモノとは到底思えない。彼らは間違いなく一個人の意思を持っている。

 

「ええ。全てで七クラスあり、内訳はセイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーとなります」

「そもそもサーヴァントって何なのさ?」

 

 さっきからの疑問点。恐らくそれを訊けば、普通の使い魔とサーヴァントとの違いを知ることができるのだろう。

 

「サーヴァントとは過去、現代、そして未来において偉業を成した英雄を召喚したものです。当然他の使い魔とは比較になりません」

「……そんなコト、できるの?」

 

 確かにそれは異端だ。となれば横にいるセイバーも何らかの英雄になるのだろう。それに遭遇したアーチャーやキャスターも。そしてまだ見ぬ四人のサーヴァントも。コレが異常な儀式だということは理解した。けれど次の疑問が噴出する。どうやって英雄という存在を喚び出すことができるのだろうか。少なくとも僕個人の力では不可能に決まっている。

 

「それを可能にするのが聖杯です。魔術師たちはそれを求めて殺し合いを繰り広げます」

「教会は動かないの? 聖杯って要するに聖遺物なんでしょ? だったら魔術師よりもよっぽど欲しがりそうなモノだと思うけど」

 

 切嗣さんから聞いた話によれば、神秘の世界には二つの巨大な組織があるらしい。一つは魔術師が集う魔術協会。どんな組織かは読んで字の如くだ。もう一つは聖堂教会。某一大宗教の裏側に巣くう狂信者集団だ(多分この辺り切嗣さんの偏見が入ってる)。二つは対立していて、理由さえあればいつでも小競り合いをしている。今回のコレにしたって、神父一人を派遣なんてせずに代行者とかいう戦闘集団を大量に連れてきて聖杯を強奪してもおかしくない。

 

「その点に関してはお気になさらず。教会は冬木に顕れる聖杯が神の血を受けぬ贋作だと確認しています。ですので魔術師たちを監視するための監督役を派遣するに留めているのです」

「その監督役が言峰くん、ってワケだね。でも、偽物ならなんでそれを欲しがる人がいるのさ?」

「無論強い力を有しているからです。それはサーヴァントなんて埒外な代物を召喚できる点からも明らかでしょう。魔術師にとっては真贋など考慮に値しません」

「なんか、腑に落ちたかも」

 

 聖杯という胡散臭いブツがあったとする。それがどういったモノか調査するのは科学者、偽物だと決めつけるのが宗教家、そしてあるなら使っちゃうのが現実主義者だ。魔術師が名前とは正反対のリアリストだというのを、僕は切嗣さんを通して知っている。

 

「ま、僕には関係ないよね。最後に聞かせてよ。聖杯がすごい力を持っているなら、それを欲しがる人たちは何をしたいの? ただのコレクションってワケじゃないんでしょ?」

「聖杯とは、願いを叶えるアーティファクトです」

「…………願い?」

「他の六人のマスターとサーヴァントを破った主従は聖杯を手にし、互いにどんな願いでも叶えることができます」

 

 七人のマスターとサーヴァント、願いを叶える聖杯。どこの超有名漫画だと言ってやりたい。でも、そんな有り得ない光景が今目の前に具現化している。僕が召喚したというセイバーだ。夢物語だと切って捨てることなど僕には出来なかった。

 

「願い……それってホントに何でもいいの? 誰かを生き返らせたいとか、不老不死になりたいとか、お金持ちになりたいとか、……呪いを解きたいとか」

 

 我ながら現金なヤツだと思う。セイバーの予言通り目の前に揺れるエサに飛びついてしまった。

 

「眼の色が変わりましたね。ですが聖杯を掴むのは容易ではありません。魔術師でないあなたには尚更です。それでも叶えたい願いがあると?」

「…………あるよ」

「では、参戦されるということでよろしいですね? いや、良かった。とにかくこれで漸く七人のマスターが揃いました」

 

 

 

 

 時刻は十時を過ぎている。その後も説明を聞いていたらもうこんな時間になってしまった。

 

「じゃあ僕、そろそろ帰るよ。行こ、セイバー」

「……ああ」

 

 結局、僕はこのまま戦うことにした。他人を傷つけるコトの恐れを無視して、我が身可愛さ故に。来た時と同じようにセイバーを伴って外に向かう。

 

「お世話になりました、言峰くん。……もう一回お世話になるかもだけど、その時はよろしくね」

「いえ、ご心配は無用です。あなたなら最後まで勝ち残るでしょう」

 

 そう言って笑みを浮かべる彼の顔。それは空っぽで見覚えのあるものだ。いつも鏡の前で見る顔。他人の前で浮かべる表情。僕も彼に倣って笑みを返した。

 

「ふふっ。ありがとう、お世辞でも嬉しいよ」

「世辞ではありませんが……まあいいでしょう。道中お気をつけて」

 

 見送られて外に出た。彼の姿が視界から消えた後に、セイバーが僕の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 

「……何すんのさ、セイバー」

「正気か、トモ……! 魔術師でもない素人のお前が殺し合いの世界に放り込まれて何ができるって言うんだ!」

「それは大丈夫だよ。言峰くんもマスターの方は必ずしも殺す必要はないって言ってたし」

「オレが危惧してるのが何か判ってはぐらかしてるんだよなァ、お前?」

 

 無論それが判らないほど僕は鈍くない。……でも。

 

「それでも……叶えたい願いがあるんだ」

「くだらねェ欲望じゃねえだろうな」

「大それたコトなんて望まないよ。僕はただ、呪いを解きたいだけ」

「呪いって?」

「詳しくは……言えない。でも、それがある限り、僕は幸せになれないんだ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 僕に課せられた呪いだ。コレのせいで僕は日々命懸けだ。それに後十数年もすれば魔法使いの汚名を免れない。……言ってくる相手なんていないだろうけど。

 

「……しゃあねェな」

 

 万力のように胸を締め付ける手が解ける。渋々納得してくれたみたいだ。

 

「トモ。お前アレだろ、頭が回るバカだろう。そう言うのはタダの無能よりもたちが悪いぞ」

「セイバーはそういうの、嫌い?」

「まさか」

 

 今度こそ、本当の笑みが溢れた。

 

「セイバーって、やっぱりイイやつだね」

「何言ってやがる」

「聖杯が願いを叶えるってコト、僕に隠してたんでしょ。素人が興味本位で戦いに参加しないように」

 

 だからこそ、戦う事を選んだ僕を叱ったんだろう。

 

「バーカ! あくまでオレのためだ、頼り甲斐のないマスターだと困るのはオレの方だからな! 勝手に妄想してろ!」

「うん、そうしてる」

 

 照れ隠しに姿が朧気になるセイバー。霊体化するらしい。……と思ったら、再び明確に像を結ぶ甲冑。

 

「……待て、トモ。周囲を見回してみろ」

「周囲って…………コレは!?」

 

 いつの間にか、僕たちのいる空間が変化していた。それは上下左右を石壁に囲まれた暗い空間。進む道は前後だけ。

 

「コレって迷宮……だよね? まさか……」

「ああ、間違いない……。敵サーヴァントだッ!」

 

 前方からわらわらと湧いてくるクリーチャーたち。そいつらに向かって突貫するセイバー。そして一閃。僕たちの聖杯戦争が遂に幕を開けた。




 ある昼下がりのこと。僕らはいつものように高架下に沈殿していた。社会の除け者、六人組。世間の冷たい風から身を隠すようにして寄り集まる僕たち。そんな連中が何をやっているかというと……。

「うう……。トモぉ、ごはん……」

 物乞いをしていた。ひもじさに思わず涙がよよよと零れる。

「るいさんや。お昼はさっき食べたでしょう?」
「だってぇ。せっかくトモが作ったハンバーグ、誰も食べずにそのままでしょー。そのままだともったいないから私が食べようかなー、って。……とうっ!」
「ちょっ……るい!?」

 フェンスを越えて川の水面に飛び込むるい。バシャバシャ。戻ってきた。

「ダメでじだ……ズルズル……」
「……馬鹿だ」
「馬鹿ね」
「バカですね~」
「いやはや、コレも暴食魔人のなせる技でしょうか。茜子さん感服しました」
「何やってるの、あなた! この時期でもびしょ濡れになったら風邪引いちゃうじゃない! も〜、子供じゃないんだから……」

 るいの今の暴走はまさに絵に描いたお餅に突っ込むが如しだ。僕も花鶏もこよりも大いに呆れる。茜子はいつものように無表情で棒読み。伊代はガミガミといいんちょっぷりを発揮した。

「それにしても納得いかないわね」
「清玄ってお兄さんがですか? でも、花鶏センパイならともセンパイに対していつもアレの百倍ヒドいセクハラしてますよね?」
「こよりちゃぁ〜ん? ……お股で大根をすり下ろしたいのかしら?」
「野菜で素股はイヤァ〜〜ッ!?」

 花鶏の百倍ヒドいセクハラの餌食にされるこよりん。なだらかな起伏のない胸と、脂肪の足りない太股へ指を這わせる性欲魔人の姿は確かに非道かった。

「大延髄チョップ!」
「げぶぅ」

 ずぶ濡れのるいが花鶏の息の根を止める。怪獣大決戦はるいゴンの勝利に終わった。

「待ってください。ロシアン落ちぶれ貴族めの言いたいことをこの茜子さんが当ててみせましょう。……赤いうっかりの人が金持ちなのが許せない!」
「茅場、おまえ絶対死なす」
「げ、復活した」
「わたしが気に入らないのはね! 目の前にカワイイ女の子が三人もいるのに手出しがまるでできないことよ!」
「三人って、僕とこよりと伊代のコト?」
「違うわよ。手どころか舌だって出し入れした仲じゃない」
「わたしとこの子はそこまでいってないわよ! ……まあ、あなたの方はご愁傷様だけど」
「あーうー」

 伊代の中途半端なフォローに涙する。思い浮かべるのはこの暴虐レズビアンとのファーストコンタクト。さめざめと泣いた。

「そうじゃなくて、凛って子と桜って子、そしてあっちの智よ」

 名前を列挙する花鶏。それらは僕らの世界にはない名前。水面に像を結んでいた幻の登場人物。そして僕。

「前の二人はいいとして、あっちの僕? それって今いる僕とどう違うの?」
「大違いよ! ……いいわ、智。わたしがあなたにその違いをグッチョリねっちょり指導してあげるからぁ〜〜ッ!!」
「ぎにゃーーーーッ!?」

 脱兎のごとく逃げ出す僕。とりあえず目の前にいる逃げ遅れた伊代をスケープゴートにする。

「待ちなさい、智〜っ! ……まあいいわ、今日はこのオッパイで勘弁してあげる」
「妥協で人にセクハラするな、この変態!」

 カウンターの伊代アッパーが豪快に決まる。花鶏、本日二度目の撃沈。

「あははっ」

 賑やかで変わらない日常。どうかずっと続きますように。


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2月2日:類との遭遇

 迷い込んだ迷路の先で、僕らは早くも再開した。


 戦いは一瞬で終わった。いや、彼我の力量差を考えればアレは戦いではなく狩りだった。まるでアクションゲームの光景を実際に目の前で見るような臨場感と呆気なさ。

 

「コレで命の危険がなければタダのアトラクションで済んだのに」

「いや、今のは正しくアトラクションだぜ」

「そりゃ、君にとってはそうだろうけどさ……」

 

 守られるお姫さまポジションの僕も少しは考慮してほしい。

 

「そういう意味じゃねえ、コイツらの狙いは別だ。直前までオレたちに注意を向けていなかった」

「だから簡単に倒せたの?」

「状況如何で雑兵相手に戦況が変わるほどオレはヤワじゃねェ。だがコレはどうしたものか……」

「……今のヤツらの目的は他にあって、僕らは巻き込まれただけ、とか?」

「もしそうなら、とんだ傍迷惑だ。どちらにせよこの迷宮の主にはお礼参りしてやらなくちゃな」

 

 

 

 

 歩いている。出口を求めてか、深部に辿り着くためか、目的意識は曖昧だ。通路が分岐すれば右に進むぞとセイバーが言う。右にすべきだと僕も頷く。それから延々と繰り返し。幸か不幸か最初の一件以来出会った相手はゼロだった。

 

「こうも代わり映えがないと気が滅入ってくるね……」

「恐らくはそれもこの迷宮の狙いだろう。魔術的なモンか概念的なモンか知らんが設計者は大した腕だ。さて、こんな宝具を持っている相手といえば……有名ドコロじゃダイダロスか?」

 

 僕らを待ち受ける迷宮の主が誰かを予想するセイバー。この聖杯戦争において、サーヴァントの真名という情報は勝敗を大きく左右すると聞いている。敵の情報が事前に判れば、どのような対策を取ればいいかも判るからだ。その辺りは僕も大いに理解できる。敵を知り、己を知れば百戦危うからずだ。そこまで考えて気付いた。

 

「セイバーさんセイバーさん」

「なんだ、トモ」

「僕、まだ君の名前聞いてないよね?」

「……あー、まだ言ってなかったな」

 

 いくら相手がまるわかりでも、自分の手札が判らないんじゃ勝負のしようがない。確かにさっきまでの僕は戦おうとすらしなかった。けれど今は違う。だったら訊く権利がある筈だ。

 

「今は駄目だ。後にしろ」

「えー、なんで?」

「相手がオレたちを何処から見張ってるか判ったモンじゃねえからな」

「……なら、ちゃんと後で教えてね」

「ああ、イイぜ。オレの真名漏らすほどお前もマヌケじゃあるまいし、オレ自身真名隠しの宝具があるからな。コレならオレの最後の宝具を開放しない限り――――」

「セイバー?」

「……剣戟の音だ。この先で誰かが戦っている!」

 

 走りだすセイバー。静止の声なんて掛ける暇も意味もない。だって駆けるセイバーは僕の手を握っていたから。気遣いが有り難いと思ったけれど、そんな温かい想いを消し飛ばす衝撃が僕を襲った。

 

「痛い! いたいいたいいたい! 腕ちぎれちゃうのお~~ッ!!」

 

 物理法則なんて知ったことかとばかりに急加速するセイバーに当然僕の脚はついていけずに縺れる。あまりの速度に引き摺られるどころか宙に放り出される僕の身体。空圧が、ヤバイ。

 

「うっせーな! なんなら襟掴んでやろうか!?」

「それ死ぬ! 冗談抜きで窒息死しちゃうから!」

 

 

 

 息も絶え絶え。三途の川で亡き家族と感動の対面を果たし、いざ船で渡ろうかというところで渡し守が身投げしたせいで海中分解。どうやら現実の僕は無事らしい。引き戻された意識を眼前に向ける。

 

「うぅぅ……う?」

 

 そこにいたのは四人。どいつもこいつも個性的な見た目だけど、その内の二人には見覚えがある。

 

「イリヤ……? それに、T-8○0のおじさんも……!」

「いや待て、お嬢さん。俺の名前は獅子劫界離だ! エルメロイんとこのメイドじみた渾名は止してくれ……」

 

 厳つい容姿にピッタリな猛々しい名前だ。……というか、そんなことを考えている場合じゃない。イリヤの後ろには鉄仮面を纏い双角を生やした大男。獅子劫さんの後ろには可愛らしい容姿の姫騎士。絵面的には好対照な組み合わせだ。そして、この状況でそんな時代錯誤な連中を従えている時点で二人の正体は自ずと判明する。

 

「……そう。イリヤも獅子劫さんもマスターなんだ」

「それはわたしの台詞よ、トモ。キリツグから魔術を教わっていたの?」

「まさか。僕と彼はそこまでの関係に至ってないよ」

「それを聞いて安心したわ。わたしだってあなたとは友達でいたいもの」

 

 ……未だイリヤと切嗣さんの関係が見えない。何か重大な間柄であることは確実。けれど彼女の容姿は完全なコーカソイドで、切嗣さんの日本人の血は一滴も流れてないように見える。だから親戚の線は多分ない。そうなれば後の可能性の推理材料など僕にはなかった。訊けば手っ取り早いだろうけど、誰だって地雷は踏みたくない。結局、この思考を外に追い出す。今は目の前の問題解決が重要だ。

 

「この迷宮は君のサーヴァントが?」

「うん、そうだよ。あなたたちの方は安全な道にしておいたの。感謝してね」

「えーっ! ずるーい! ボクたちの方はすごくすご~くタイヘンだったのにっ!」

 

 抗議の声を上げる獅子劫さんのサーヴァント。イリヤの言葉を信じれば、僕たちの道はベリーイージーで、獅子劫さんの道はベリーハードだったらしい。その証拠に、彼らの見た目は僕たちとは反対でボロボロだ。

 

「ま、なんにせよ時間切れね。合流される前にそこのライダーを仕留めたかったけど、それも叶わなかったし」

「オイオイ逃げんのかい、アインツベルン。ちったぁ自分のサーヴァントを信用しろよ」

「そちらこそ自分のサーヴァントは大事にすべきよ、魔術使い。だってソイツ、もう立っているのもやっとなんでしょ?」

「ナメてもらっちゃ困るなぁ。ボクだって英雄の端くれなんだ、怪物退治くらいやってやるぞっ!」

 

 痛々しくも微笑ましく、そして何よりも勇ましい聴く者の心を震わせる決意表明。その姿は正しく()()。では、其が対峙する()()の姿は――――

 

「……ぁぁあああ、ぼ、ぼ、ぼぼぼ、ぼくはぁ――――」

「……フン、成る程な。これほどの大迷宮、碌に喋れん狂戦士、そしてそのツラとアタマと来りゃあ正体は一つだ」

 

 セイバーは気付く。否、この場にいる者なら多かれ少なかれアレの正体に見当が付いている。迷宮の主たる怪物の名、それを声高らかにセイバーは告げた。

 

「お前、ミノタウロスだな」

 

 予想通りの名だ。ギリシャ神話における伝説の怪物。迷宮に潜む人喰いの牛鬼。それがバーサーカーたるサーヴァントだった。イリヤが嘆息する。その仕草が何よりも明確な答えだ。

 

「……せっかく、見逃してあげようと思ったのに」

「……え?」

 

 消え入るような呟き。それに疑問を挟む余地などない。後に響く咆哮は全てを掻き消した。

 

「ぁ――――あああああああぅッ!! ちが、ちがうぼ、ぼくは――――おれはぁ!!」

 

 万感の想いを込めて猛り狂うバーサーカー。たまらず竦み上がってしまうその光景は、怪物と呼ぶに相応しい怨嗟だった。そんな彼に唯一イリヤは怯えなかった。

 

「うん、わかってるよ。あなたはアステリオス。あなたのお父さまがつけてくれた立派な名前があるもの」

「い、りや……うん、そうぼくは、でも……でもぼくは!」

 

 怪物をあやす少女。それは一種異様であり、かえって神聖な印象を与えた。やがてイリヤが振り向く。その眼は真っ直ぐ僕たちを見据えていた。

 

「この子を、アステリオスを侮辱したわね」

「怪物に怪物と言ったまでだ。そこの雌犬じゃねえがオレもそんなヤツを見過ごす道理はねェからな。で、何が言いたい、ガキ」

「殺すわ」

 

 ――――瞬間、破砕音が轟く。それは石畳を在り得ざる馬力で踏み砕くバーサーカーの生み出した悲鳴だ。窮屈な視界を埋め尽くす巨体が僕たちを襲う。その手に握る双斧を振るい――――

 

「……クソッ! 馬鹿力ヤロウが!」

 

 セイバーが打ち返す。拮抗は一瞬。押し出されるように退く。マスターとしての眼を通せば、それは当然の結果だった。

 

「セイバー! そいつの筋力と耐久、なんかAの三倍はあるんだけど!?」

「ふざけんな!? それって一発一発が下手したら宝具並ってコトだろうが!」

 

 文句を垂れながらも尚立ち向かうセイバー。その姿は危なっかしくも心強い。掌中の宝剣にはいつしか赤雷が迸っていた。

 

雷属性付与(エンチャント・サンダー)ってやつ?」

「オウ、ちょい違ェけどな! そら――――ッ!」

 

 オトコ心くすぐる武器を手に斬りかかる。その力は確かに今までのセイバーとは段違いだ。けれど、それでもバーサーカーには遠く及ばない。再チャレンジも敢え無く失敗に終わろうとした時、背後から飛び出す影が一つ。

 

「助太刀するよ、セイバー! 怪物から女の子を守るのは騎士たる者の役目、ってね!」

 

 それはライダー。所々に見受けられる傷跡は、緒戦にバーサーカーから受けたものだろう。僕のセイバー以上にバーサーカーとの力の開きがある彼女が持つは馬上槍(ランス)。その突貫は正しく突風、けれどその一撃が届いたところで戦況を左右することはないはずだ。

 

「――――触れれば転倒(トラップ・オブ・アルガリア)!」

 

 そんな当たり前を覆し得るのがサーヴァントの持つ宝具なのだと、僕は暢気にもようやく理解した。

 

「……ぉ、う?」

 

 人間山めいた巨体が崩折れる。勿論倒したわけではない。ライダーの槍は軽く触れただけ、殺傷力など無きに等しかった。では、この現象はいったい……?

 

「さあ早く! 長くは続かないよ!」

 

 藻掻くバーサーカーの姿を見て理解する。膝から下が消失していた。結果だけ見れば破格の能力だ。けれどライダーは長続きしないと言った。ならばこの隙を打つしかない。と思ったはいいけど、混乱しても尚両手の斧を振り回し続けるバーサーカーに近づく余地などあるのだろうか。

 

「でかした! そんじゃあ喰らいなァッ!!」

 

 宝剣を敵目掛けて振りかざすセイバー。その切っ先から纏っていた赤雷が放出され、標的たるバーサーカーに過たず撃ち込まれた。その衝撃は落雷もかくやというもの。……それでも。

 

「ぅ、うぅぅ……ううううううううッ!!」

 

 バーサーカーは健在だ。いつの間にか再び生え揃った両足を軸に聳え立つ。どうやって倒せばいいのか想像できないほどの絶望感が僕を襲う。セイバーに宝具を使わせればいいんだろうか。でも、そもそも僕はセイバーがどんな宝具を持つか、イマイチ把握していない。コミュニケーション不足が招いた不幸だ。ぶっつけ本番はリスキーすぎる。ならばマスターを――――イリヤを?

 

「この様子だと切りがないな。……それなら、オラよ、っと!」

 

 思考が途切れている間に、獅子劫さんが懐から出した何かをバーサーカーの向こうに豪速球で投げ込んだ。微かに垣間見えた形状と今の状況を鑑みるに……手榴弾?

 

「ちょっ、獅子劫さん!? 容赦なさすぎじゃないの!?」

 

 咎めるも時既に遅し。爆弾はイリヤを巻き込むように着弾――――する前に、イリヤを取り巻く鳥型のナニカが発射した光弾により叩き落とされた。

 

「やっぱり魔術使いって現代兵器がお好きなのね」

「抵抗がないだけさ。……それに、今のはれっきとした死霊魔術だぜ」

 

 狙いの逸らされた爆弾が破裂する。そしてその中身――僕からは詳しく見えない――がイリヤを襲う。仮初めの鳥たちが彼女を庇うと、瞬く間に霧散した。そんな魔術師たちの攻防を見て、独りごちる。

 

「……僕には、何が出来るんだろう」

 

 この争いの渦中に僕はただただ圧倒されて身動き一つできないでいた。だって、僕以外の皆が自分の力で戦っているのだから。無力なのは僕一人だけ。傍から見ればヒーローに守られるヒロインでしかなかった。

 やがて打ち合いが止み、退いてくるセイバーとライダー。平気そうな前者と息の上がっている後者。対峙するバーサーカーには掠り傷が辛うじて見受けられる程度。つくづく驚異的なタフネスだ。

 

「……最初はただの弱いヤツだと思ってたけど、連携が得意なサーヴァントだったのね」

「えっへん!」

 

 誇らしげに無い胸を張るライダー。……でも、バトルロイヤル形式の聖杯戦争において、個人戦より集団戦が得意なのは褒められたことなのだろうか。

 

「このまま体力勝負するのも芸がないし……いいわ。今夜はここまでにしよ、アステリオス」

「いりや、でも……うん、わか、った」

 

 見た目からは想像もできないほど己がマスターに従順なバーサーカー。彼が頷くとともに周囲の石壁や石畳が幻のように消えていく。今僕たちがいるのは新都。迷宮に迷い込んだ時と同じ場所だ。

 

「なんだァ? 尻尾巻いて逃げんのかよ」

「そう見えるのなら追ってくれば? もういちど、迷宮の奥で待っていてあげる」

 

 嘲りの表情を隠しもせずにイリヤが言い放つ。これがブラフならたいした演技だろう。ただ彼女たちとこれ以上戦うのはこちらも得策ではない。ライダーの消耗が火を見るより明らかだからだ。不満気なライダー本人は別として、敵の撤退を止めるような者など僕たちにはいない。

 

「次に会ったら逃さないわ。だから、ね――――」

 

 イリヤの真紅の瞳が僕を射抜く。与えられたのは慈悲の忠告だった。

 

「トモ、死にたくなかったらそれまでに手を引くのよ」

 

 そんな言葉を残して二日前と同じように去っていくイリヤ。違うのは連れ立って歩くのがセラさんではなくて、怪物(ミノタウロス)ならぬ巨人(アステリオス)だということ。こうして、嵐が過ぎ去った。

 

 

 

「改めまして自己紹介をば。僕は和久津智といいます。獅子劫さんとは昨日お会いしましたよね」

 

 昨夜のレストランでの変わった一幕を思い出す。あの時の電話口の声の主は、そこにいる彼のサーヴァントだったのだろう。

 

「ああ、あん時はお前さんに恥ずかしいトコロ見られちまったな。で、アレの元凶がこの――――」

「シャルルマーニュが十二勇士、アストルフォさ! よろしくね、トモ!」

 

 マスターを差し置いてズイと前に出るアストルフォ。その勢いのまま僕の手を握ってブンブンと振る。突然何が何だか判らない衝撃が僕たち三人を襲う。最初に立ち直ったのは獅子劫さんだった。

 

「……オイオイオイ、ライダーさんよぉ。お前さ、勝つ気あんのか?」

「もちろんあるよ?」

「だったら何やってやがんだ、このポンコツサーヴァント! 唯でさえ非力なのに真名バラしちまったら勝ち目ゼロだろうが!」

「だってしょーがないじゃん! 一目惚れしちゃったんだモン!」

「は、はい?」

 

 次に思考再開したのは僕。近頃刻一刻と築かれていく悪夢の逆ハーレムを無に帰す清涼でユリンユリンな告白だった。

 

「あのバーサーカーに襲われても気丈に振る舞おうとしたんだ。その健気な姿を見て、僕の心に火が点いたのさ! この子を絶対に守ってあげなきゃ、ってね!」

「いや、そんな男の子みたいな――――あれ?」

 

 アストルフォ。シャルルマーニュ伝説の一つ、『狂えるオルランド』の登場人物。ローランを助けるために月に向かうエピソードが有名だけど、確か性別は男性だったんじゃ?

 

「……ねえ、セイバー。歴史上の男の英雄が、ホントは女だった! ってコト、ありえるの?」

「――――」

 

 無言のセイバー。どうやらまだ機能が復旧していないらしい。仕方ないから一人で考えてみる。最近では三国志や戦国武将が女体化したアニメやゲームなど日本では珍しくない。それどころか源義経や織田信長の女性説などブームが到来する遥か前から存在している。だからきっと、彼女もその一人――――

 

「みたい、じゃなくてボク、オトコノコだよ?」

 

 ――――時よ止まれ、お前は汚らわしい。

 

「……うわー、うわぁぁぁ……」

 

 運命の女神サマ、これが呪いですか。僕だって別にしたくてしてる女装じゃないのに、なんで同類を寄越して来やがりますか。ドちくせう。

 

「あー……もしかして、引いちゃった?」

「……そりゃ引くよ、女装した男とかナイワー……」

 

 目の前には涙目の変態一号。内心で血涙を流す変態二号。やっぱり僕は呪われている。主に運命の邪神から。

 そんな葛藤に苛まれていたから、僕にその呟きは聞き取れなかった。

 

「…………ふん、まあいいか」




“汝、隣人を愛せよ”

 死んでも嫌です。というか死にます。

「和久津さん、こんにちは」
「こ、こんにちは……」

 長身の男性。大陸系のアナーキーなテイスト溢れるイケメンさん。僕のお隣さんである。学園からの帰り道、偶然にも出くわしてしまう。そそくさと挨拶だけ交わして逃げ帰ろうとする。

「……アストルフォ、いいですね」
「……はい?」

 突然何を言い出すんだという驚きと、また始まったという呆れが交差する。このお隣さん、実は家の前に女装少年もののえっちい漫画――例えば『わ○い!』とか――をゴミ出しする僕の天敵なのだ。最近顔を合わせるようになったけど、内心いつもビクビクしている。で、そんな彼が言い出したのがアストルフォ。いったいどんな話を――――

「程よく引き締まった華奢な肢体。その中に密かに醸しだされる男らしい力強さ。男としての骨格をギリギリ逸脱せずにこれだけの可愛らしさを保っているのは最早芸術と言っても差し支え無いでしょう。生やしただけとか、女装しただけのモノなど比較対象にすらなりません。そしてそれに伴う精神性も見事の一言。嫌味のない天真爛漫さと、健気な英雄的思考が絶妙なハーモニーを奏でます。そしてそんな彼を知った俺は――――その下品ですが……フフ、勃」
「さよーならーーーーーーっ!!」

 脱兎の如く逃げ出した。アパートの自室に着いた。鍵を掛けた。チェーンロックも掛けた。シーツに包まった。今日は怪夢が見られそうだ。


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2月2日:未遠川サイドホテル

 衝撃的な告白に動揺していた僕は、そのまま彼らにホイホイと付いて行ってしまった。


「さて、そんじゃ場も整ったワケだしおっ始めようか」

「……あの、獅子刧さん」

「なんだい、お嬢さん」

「ここじゃなきゃダメなんですか……?」

「何処が相応しいかといえば此処が最適だな」

「おいトモ、ココはいったい何なんだ? 見たところ現代の宿泊施設のようだが……」

「うわー、いいお部屋だねマスター! 今度からココに泊まろうよ!」

 

 部屋に通されて、今まで霊体化していた二人が揃って実体化する。どうやらここがどんな場所か気になっている様子。聖杯サマもこんな知識は授けてくれなかったらしい。だから答えた。

 

「……ラブホ」

「ラブホって?」

「えと……その」

 

 聞き返さないでください。だって、僕には生涯縁のない場所だから気恥ずかしい。そんな様子を察してくれたのか、獅子刧さんから援護射撃が届く。

 

「一般的には男女が睦み合う場所だな」

「……はァ?」

「判りづらかったか? 要するに、セック」

「言わんでいい! つーか、ライダーのマスター! まさかお前、そういう目的でオレのマスターを連れこんだのか!?」

 

 セイバーが僕を庇うように前に出る。その行動は頼もしいけれど……。

 

「まァそう取られても仕方ないわな。だが一応言っておくが、俺はそんなつもりで来たわけじゃないぜ」

「あー、わかったよマスター! ボクとトモのために用意してくれたんだね! まったく気が利くなぁ、このこのー!」

「違ぇ」

「……話し合いの場を設けたかったから、でしょ?」

 

 

 

 時を遡ること三十分前。迷宮を抜け出して新都にいた僕らは、これからどうするべきか悩んでいた。時刻は十一時。日付が変わろうとしても尚明るい繁華街の中、獅子刧さんが閃いた。

 

『そうだ、ラブホに行こう』

 

 あれよあれよと連れ込まれて、いつの間にかフロント前。もちろんサーヴァントの二人は姿を隠しているから傍目には男女一組にしか見えない(二重の意味で)。受付の人が鋭い目で僕を見るのはきっと女子学生と中年男性というアブナイ組み合わせからだけど、僕にとってはジェンダーアイデンティティの危機で気が気でなかった。

 

『いやぁ智ちゃん。前のナース服もよかったけど制服姿も似合ってるねー』

『もうっ、オジサンったら変態なんだからー。制服だなんて僕の歳考えてよー、ウフフ☆』

 

 僕の体面を気遣ってか獅子刧さんが小芝居を打ち、僕もすかさず同調する。イメージするのはコスプレ嬢。受付からの視線が緩む。騙されてくれたらしい。こうして冒頭に至る。もちろん風俗嬢風の演技で死にたくなったのは言わずもがなである。

 

 

 

「こういった場所は足がつき難いからな。密会の場としては上等だ」

 

 僕の問いに肯定を返す獅子刧さん。いきなりどちらかの拠点に集まるより安全なのは確かに頷ける。

 

「……それにしたって、もう少しマシな場所があったんじゃ……」

「冬木ハイアットホテル、って知ってるか?」

「なんです、それ?」

「十年前に爆破テロで崩壊したホテルだ。そこの最上階スウィートルームには第四次のランサーのマスター、前代エルメロイが泊まっていたらしい」

「ここでいいです、ごめんなさい」

 

 すぐさま手のひらを返す。というかテロってなんだ。僕の聞いた限りでは魔術師同士の戦いだから一般人に被害は出ないはずではなかっただろうか。

 

「第四次のアインツベルンの雇われマスターの仕業さ。俺ら魔術使いの間では“魔術師殺し”なんて伝説と化している。もっとも、そいつの最盛期は二十年近く前だから、俺自身に面識はないがな」

 

 話を聞く限り報酬の振込先がスイス銀行の殺し屋みたいなとんでもない危険人物だ。

 

「もしかして前回の優勝者ってその人だったりするんですか?」

「さあな。そいつは戦争後行方知れずで、今回アインツベルンはあのバーサーカーのマスターを送り込んだんだ。そいつが答えじゃねえか?」

「……それが、イリヤ」

 

 二日前と今日にあどけなさと残忍さという異なる二つの顔を見せた人形めいた美少女。

 

「確かにイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと名乗っていたな。知り合いか?」

「いや、それが何故か知らないけど目を付けられてて……」

「可笑しな話だな。お前さん、魔術師ってワケじゃないんだろ? だってのに開戦早々御三家の一角に狙われてやがる」

「……あの、親身になって考えてくれるのは嬉しいんですけど。……いいの?」

 

 聖杯戦争がルール無用のサバイバルだと知った今、彼の行動は些かお節介に映る。“魔術師殺し”とやらの同類ならばいきなり殺されてもおかしくないはずなのに。

 

「いいんだよ。媚売ってるんだから」

「……正直が美徳だなんて信じてる風には見えませんけど」

「相手が俺以上のホラ吹き上手だからな。恥ずかしがらずにノッてくるのは俺も予想外だった」

「……うう」

 

 会計が自動精算じゃないのが呪わしい。

 

「……で、なんで僕に取り入るんですか? 獅子劫さんなら僕なんかよりずっと強そうなのに」

「逆に訊くが、お前さんは自分のサーヴァントがこのアンポンタンだったら生き残れると思うか?」

「…………う~~ん」

 

 傍らにいるライダーを指差す。仮にも密談という重要な場だというのにポカンと間の抜けた顔をしている。これが本物の女の子なら素直に可愛いと思えるのに……。

 

「ちょっと! マスターもトモもボクに失礼じゃないかなっ! ボクが弱いってのは認めるけども!」

「よく考えろライダー。これはお嬢さんと恋仲になるチャンスだぞ?」

「協力しよう、トモ! セイバー! キミたちが頼りだ!」

「即決!?」

 

 要するに。いくらブレイン(獅子劫さん)が優秀でも、手足(ライダー)が貧弱な上に勝手に動き出すから勝ち目がなく、それ故に優秀な武力を持つセイバー陣営(僕ら)を頼っているのだ。言い分は判る。けれど――――

 

「オレたちに何のメリットがあるんだ、ソレ?」

「……セイバー。お前の見解を訊こうか」

「まず初対面に等しい敵陣営を信用できん。先の“魔術師殺し”のように卑劣な手段をオレのマスターや無辜の民に用いないとは限らない。そして戦力についてだが……わざわざ説明がいるか? オレ一人いりゃ足りるだろ」

 

 セイバーの言に僕も頷く。こんなおっかない人を信じられるほど僕は能天気ではないし、セイバーの強さは僕が信じるに値するものだ。……単純に、ライダーなんて文字通りの地雷を傍に置きたくないのもあるけど。夜這いとか仕掛けるような性格ではなさそうだけど、好奇心の塊というのは実に厄介だ。まかり間違ってPCの隠しフォルダ(宝物)を漁られれば一発でお陀仏です。

 

「要は俺たちと組むにあたって、戦力増強というメリットが有らず、裏切られるというデメリットしかないってことだな?」

「自分たちの状況がよく判ってるな。切り捨てずに話を訊いて貰ってるだけ有り難いと思えよ」

「ああ、ありがたくて涙が出てくるね。聞いてくれるんならもう少し話を続けようか。……まず、俺がお前たちを裏切ることはない。そう思ってくれていい」

「何を根拠に言っている?」

「俺の不肖のサーヴァントだ」

「え、ボク?」

 

 名前を挙げられたライダーが首を傾げる。

 

「ライダー。俺がお嬢さんを殺せと言ったら従うか?」

「イヤだ!」

「俺がお嬢さんを殺そうとしたらどうする?」

「止めるよ!」

「……獅子劫さんが令呪で僕を殺せ、と命じたら?」

「コイツのステータスを視てみな」

 

 言われた通りライダー――アストルフォを注視する。僕に見つめられて頬が赤らめているのはこの際無視。流石に真名を知っているからか、先のアーチャーやバーサーカーよりも鮮明に情報が――――性別を示す染色体の判別結果のラベルに落書きがされている。XYのYの字に棒を一本足してXXにするというしょうもない情報撹乱。……いや、隠されているのは性別だけじゃない。触れれば転倒(トラップ・オブ・アルガリア)!やこの世ならざる幻馬(ヒポグリフ)などの多数の宝具を持っていることが判っても、その内容がチンプンカンプンだ。仕方なくそれらの解析を諦めて他のスキルを視れば、見つけたのは――――

 

「対魔力:A……?」

「……オイオイどういうこった? オレレベルでもBなんだぞ? Aなんて父上のような大物でもなきゃ……テメェ、どんなカラクリだ」

 

 イマイチその凄さが判らない僕よりも、セイバーが強く反応する。父上……このヤンチャな騎士の父親も英雄なんだろうか。そんな僕の明後日な方向に向いた興味を他所に、ライダーが種明かしする。

 

「ジャジャ~ン! この魔術万能攻略書(ルナ・ブレイクマニュアル)のおかげさ!」

 

 そう言って取り出したのは一冊の如何にもそれらしい本。というか果たしてその名前はどうなんだろう。……いや、聞いている身としては効果が容易に想像できるから助かるけど。

 

「成る程、その宝具の恩恵か。つくづくライダーのクラスに相応しい宝具頼りのモヤシ野郎だな。……んで、さっきの問いの答えは?」

「こいつの宝具の効果によって現代の魔術は尽く弾かれる。令呪も例外ではない、ってコトさ」

「そうかァ? そこまで強力なブツには視えねえが……。つーかお前、オレやライダーの目が届かない場所にいたらどうすんだよ?」

「決まっている。そんな状況に追いやられたお前の落ち度だ、セイバー」

「ハッ、違いねェ」

 

 いささかドライな感じが否めないけど、ある程度信用は出来そうなことが判った。

 

「だがまだ組む魅力を感じねえな。確かにその宝具があればキャスター相手には無敵かもしれんが、そもそもアレの相手はオレ一人で十分だ。あのバーサーカーだってオレの宝具を使えば――――」

「その宝具、使えるのか?」

「――――何?」

 

 兜越しに苛立ちを隠そうともしない声が響く。どうやら彼の言葉はセイバーの癇に障ったらしい。

 

「侮辱するか、魔術使い。我が必殺の一撃を」

「別に威力に関しちゃ心配してねえよ。訊いてるのはその宝具の真名開放にお前とお嬢さんが耐えられるか、だ」

「……僕?」

 

 獅子劫さんの弁解により、緊迫した空気が緩む。セイバーはどうやら納得したらしい。けれどどうしてそこで僕のことが挙げられるのだろう。

 

「魔術師じゃないんだよな?」

「さあ、どうでしょう」

「アインツベルンとの問答では魔術を習ってないそうだが?」

「……ブラフかもよ?」

「それなら魔術師じゃないと仮定して、だ。セイバー、お嬢さんからの魔力は十分に供給されているか?」

「それは……」

 

 マスターとサーヴァントの関係。サーヴァントが戦うために魔術師であるマスターは彼らのエンジンである魔力を与える。言うまでもなく僕は魔術師じゃない。ならばセイバーは遠からずガス欠を起こすことになる。そんな当然の帰結にどうして今まで気付けなかったのだろう。やっぱり僕は舞台に迷い込んだ場違いな子羊なのだろうか。

 

「魔力がないんじゃ戦うことも儘ならない。なら魂喰いでもするか?」

「莫迦言え。そんな手段に手を染めれば騎士の名折れだ。それに、心配せずともパスは構築されている。マスターからはキチンと魔力を貰ってるさ」

「――――え、うそ?」

 

 その言葉にこの場の誰よりも僕自身が驚く。魔力を生み出すには魔術回路が必要だ。それを持っているのは魔術師だけ。でも僕は普通に育ってきて――――

 

“僕も魔術を覚えれば呪いを解けるようになるかな?”

“さて、どうだろうね。なんにせよ僕の魔術の弟子になるのなら厳しい修行を受けなくちゃいけないよ”

 

 ――――最初は期待していた。超常の力には同じ超常の力をぶつければいいと楽観視していた。

 

“……困ったな。もう少し肌を晒してくれないと、君の適性を計れない”

“……それ、お巡りさんの目の前で言ったら手錠掛けられるよ?”

 

 ――――早くも躓いた。

 

“切嗣さん、この薬品はなに?”

“それはサキュバスの体液を含んだ検査薬さ。男性の血液や老廃物に反応する、ね”

 

 ――――関わるべきではない、と悟った。

 

“うん、そうだね。こんな血なまぐさい世界は智ちゃんみたいな女の子には似合わないよ”

 

 だから僕は普通に育ってきた。魔術と何の関わりもない世界で後ろめたさを隠しながら。

 

「本人も知らない、って顔だな。親が実は魔術師だったりするかもしれないぜ?」

「いや、それは……」

 

 僕の身に宿る呪いは母の血筋から受け継いだモノだ。和久津の家系には時折僕と同じ呪いを持つ人間が生まれる。だから僕は母さんに対処法を教われた。そんな唯でさえ厄い家が更に魔術師の家系だったとか笑えない冗談だ。そうじゃなければ父。いつも出掛けてばかりだったから、我ながら薄情だけど印象が薄い人。呪われた和久津の家に婿養子に入り、つい最近莫大な遺産を残していたことが判明した。どちらも叩けば埃が出そうだ。

 

「兄か姉がいるんだったらそれで正解だ。魔術の後継者に選ばれなかったヤツは碌に魔術を教わることが無いからな」

「……双子の姉なら、いました。母も、父も……」

「……そうか。悪いコト訊いちまったな……」

 

 そう。僕の家族は十年前に通り魔に殺されている。本当に魔術師だったのなら、ただの一般人に殺されるはずがない。だから僕の家族は魔術師ではなかったことになる。でも、それならどうして僕はマスターになれたのだろう。

 

「ま、詮索は止めにしようか。だがよ、たとえ素質があっても素人未満だったら危険なことに変わりはねえだろ? それにこんな一級サーヴァントを支えきれる魔力量がお前さんにあるとは到底思えん」

「ブーブー、何その言い方っ! マスターはボクを三流だと思ってるの?」

「劣悪な燃費に釣り合わないコスパに関しては間違いなく一流だ」

「そんなボクを問題なく運用できるマスターはボクと違って超一流だね!」

 

 歴戦の魔術使いであるはずの獅子劫さんでさえ、セイバーより力の劣るライダーに手を焼いている。ならば何の経験もない僕がセイバーと戦い抜くことができるだろうか。

 

「セイバー……」

 

 セイバーの意思を確認したくて、つい呼んでしまう。まだ本当の名前も知らない僕のサーヴァント。その表情は兜に隠れてまるで判らない。それでも、何となく察してしまう。お前に任せる、と言葉を発さずとも騎士は物語っていた。

 

「……よろしくお願いします。獅子劫さん、ライダー」

 

 

 

 

 その後、僕たちは連絡先を交換して別れた。

 

『やだやだ! トモのお家に行きたーいっ! もうあんなお墓はコリゴリだよ~!』

 

 別れ際に拠点に関する重大な情報をポロッと吐いたライダーをぶつ獅子劫さんの姿が印象深い。……それにしても、お墓が拠点って。なんでも死霊魔術師(ネクロマンサー)らしいから納得したけど。

 

「アレで良かったの? セイバー」

「ん? ああ……」

 

 ついさっきのアレが不安になり訊いてしまう。僕の勘違いだったとしたらどうしよう。

 

「問題はねえよ。あのゴツいオッサンを味方に付けるべきだとはオレも思ったからな」

「それも勘?」

「お前も大差ないんだろ?」

「まあね」

 

 我ながらなんていい加減な戦況判断だろう。でも、僕にはセイバーがいる。不確定な直感が肯定されているような気がした。

 

「あ、着いた。ただいま」

 

 なんて話をしながら歩き続けていたら我が家に着く。同時にセイバーが霊体化を解いた。

 

「……実体化には魔力を使うんじゃなかったっけ?」

「微々たるモノだ、許せ。地に足が着かなきゃ、どうも落ち着かなくてな」

 

 リビングに向かう。そこにはアーチャーに襲われて以降放置していたハンバーグがあった。でもセイバーはその付け合せに注視した。

 

「……げ、マッシュポテト」

「嫌いなの? マッシュポテト」

「忌々しいロリコンを思い出す」

「なにそれ?」

 

 苦笑交じりに料理を片付ける。結局殆ど手を付けなかったから冷蔵庫行きだ。

 

「あっそうだ。これ、セイバーは食べる?」

「オレは食わなくても支障はない。それよりお前はどうなんだ、トモ?」

「僕もいいよ。なんだか疲れちゃって食欲もないし、すごく眠い……」

 

 遠坂さんの言葉を思い出す。もしかしたらこれがサーヴァントを喚び出した反動なのかもしれない。そして気付けばいつの間にか着替えもせず、シャワーも浴びずに自室のベッドに倒れ込んでいた。

 

「いいのか? そのまんま寝ちまって」

 

 君の眼があるから服が脱げないのです。そんな反応を口の中に留める。黙っていると次第に泥のような眠気が襲ってきた。

 

「……セイバーは寝なくていいの?」

「サーヴァントに睡眠は不要だ。心配せずともキチンと見張っておいてやるさ」

「そういうことじゃないけど……その、ありがと」

 

 僕が心配したのはそんなことじゃない。けれど、そんな想いも睡眠欲が押し流した。最後に残ったのは一つだけ。

 

「……ねぇ、君の名前を教えて」

 

 戦略だとかそんなことどうでもよくて、ただ君のことが知りたいんだ。

 

「……ああ、約束だったな。いいぜ、その寝ぼけた頭によく刻みこんでおけ」

 

 しっかりと頷く。そしてセイバーの次の台詞を聴いた直後に意識を手放した。

 

「我が真名はモードレッド。偉大なる王に剣を向けた叛逆の騎士だ」




「あ、茜子……ホントに行くんだね」
「そう言ったでしょう。智さんも口では嫌々言いながら、期待に胸膨らませて、性欲に股間膨らませてますから、相変わらず素直じゃないですね」
「……もうっ」

 素肌の茜子と手を握りながら目の前に聳え立つ魔の城を臨む。

「……ラブホだね」
「そうですね」
「僕たち、一応女の子同士だよね」
「世間一般的には。まだ智さんは女子で通ってますね」

 呪いを解呪してから数ヶ月が経っていた。あの頃から僕らは恋人だ。男と女だからエッチなことも沢山した。でも、同盟の仲間以外にはまだ僕が男だとは言っていない。バレれば物理的にはセーフでも社会的に死ぬ。だからこんな冒険も本当はするべきではない。でも……

「……わくわくする」
「安心してください。路地裏のニャー共によればあのホテルは自動精算機があるので、人の目は気になりません」
「……なんで猫がそんなことを?」
「猫撫で声、ということです」
「ハハッ、こいつぅ~」

 その後、ひたすら茜子の猫撫で声を堪能した。


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2月3日:和久津家ノ食卓事情

 いつの間にか眠りについていた僕を、幾つもの衝撃が襲ってきた。


 深山町の欧風住宅街に建つ一際豪勢な屋敷、遠坂邸に家主である凛は舞い戻っていた。彼女の眼が自身の右腕に向けられる。そこに刻まれる三つの令呪の内、早くも一つ目の輝きが失われていた。

 

「よかったのかい、マスター。尻尾巻いて逃げるような真似しちまって」

「……仕方ないじゃない。唯でさえ厄介なセイバーがいた上に、実力が未知数な和久津さんもいたのよ」

「ああ、あのべっぴんな嬢ちゃんか」

 

 キャスターの脳裏につい先程の光景が浮かび上がる。あれこそまさに騎士を伴う姫君の姿。敵でもなければ口笛の一つも吹きたくなる一瞬だった。

 

「和久津智、だったな。学校にはマスターがいないはずだが、こりゃあ一体どういうことだマスター?」

 

 確かにそのはずだった、と凛は悩む。冬木の地に縁深い魔術師の家系など自身の属する遠坂、マキリ、アインツベルンしかない。これら御三家の出身ではない和久津智が魔術師だった。彼女の存在は第五次聖杯戦争の兆候が表れるより以前に確認している。ならば外来の魔術師ではなく、管理者の凛に面通しせずに勝手に彼女の家系が住み着いていたことになる。〈和久津〉という魔術師の家系など心当たりがまるでないことが気がかりだが。

 

「わたしにもさっぱりよ。でもこれだけは言えるわ。彼女――和久津さんは間違いなく強敵」

 

 己が領地に土足で足を踏み入れられていたというのに凛は不敵に笑みを浮かべる。そこに含まれるのは見知ったはずの憧れの存在がマスターだったことへの期待と強がり。思い返すのは先の邂逅。会話の主導権を完全に握られた結果が喪失した一画の令呪だ。あの時の和久津智は凛の知らないもう一つの顔、魔術師としての和久津智を見せた。優秀な存在だとは常々思っていたが、あれほど狡猾だとは思ってもいなかった。今まで彼女の正体の片鱗に気付きもしなかったのも頷ける。

 では、これから彼女たちにどう立ち向かうか。仕返しの予約は既に取っている。後は周到な準備が必要だ。

 

「だから、心を入れ替えましょう。好き嫌いなんて言いっこ無し、わたしたちがもっとも優位に立てる戦い方をしなくちゃ! ね、キャスター?」

 

 

 

 

 

 ――そこは燃え盛る戦場だった。

 視界の全ては積み重ねられた屍で埋まり、戦士の雄叫びと慟哭がこの地獄を彩っている。丘の頂点には目にも麗しき蒼と黄金の騎士。対峙するは猛々しき赫と白銀の騎士。その騎士の名はモードレッド。そして此処はカムランの丘。かのアーサー王伝説終焉の地だ。であれば結末も決まっていよう。モードレッドはアーサー王に致命傷を与えるも、王の持つ槍――ロンゴミニアド――によって事切れる。刺突の衝撃によって敗者の兜が真っ二つに割れた。それに今まで覆い隠されていたのは――――

 

 

 

「――――なさい」

 

 現実に呼び戻されていく。意識が判然としない。いつもだったらアラームが鳴るはずなのに、今日の僕を起こす役目はその声の主に譲られている。相手には見当がついていた。僕を守ってくれた騎士。その名も――――

 

「起きなさい、智ちゃんっ!」

「……あれ? 大河、さん?」

 

 それはいつもと些か違う、けれど日常の範疇にある風景だ。重厚なプレートメイルに身を包んだ騎士など何処にもおらず、代わりにいるのは吠え立てる虎だ。もしやアレらの出来事は全て夢だったのだろうか。だってそうだろう。この場にはお伽話に出てくる騎士や怪物は居らず、僕と大河さん、そして見知らぬ少女がいるだけなのだから。――待て。三番目からして既に非日常に足を突っ込んでいる気がする。

 

「訊きたいことがあったから来たんだけど、その前にもう一個尋ねるわ。あの子、だれ?」

 

 あの子――指さされた少女を見やる。サイズの合わないぶかぶかなワイシャツとパンツだけという大胆すぎる格好。刺激的すぎて思わず朝のオトコノコ事情に悩まされそうになるも、彼女の顔を見た瞬間その気は消し飛ぶ。

 

 

 

 それは夢で視たセイバーの正体そのものだった。

 

「モー……さん」

 

 思わず彼女の本当の名を口にしそうになり濁す。真名がバレるとマズイと昨夜話には聞いているし、部外者である大河さんから万が一にも漏れる可能性がないとは言い切れないからだ。

 

「モー? モーちゃん、っていうの? こんな友達、智ちゃんにいたっけ?」

 

 友達なんて元からいません。

 

「さっき来てみれば智ちゃんの代わりにこの子が出てきたのよ。どういうこと、って訊いてみれば、トモが説明する、って言っていたんだけど……」

 

 えぇー。

 大河さん越しにセイバーを見ると気まずそうな顔を向けてきた。だからいつもみたいに口から出任せを言うことにする。

 

「切嗣さんの知り合いのお子さんなんだ。急に来ることになっちゃって僕もびっくり」

 

 無理のない話、だと思う。生前の彼が健在な頃は頻繁にこの家を空けていたから何処に人脈を作っていてもおかしくない。

 

「へぇ~っ、そうなんだ! でも智ちゃん、この部屋に来るまでにところどころ変に散らかってたり、さらには窓ガラスが割れてたりするんだけど、どうして?」

 

 アーチャーから逃げた跡を消すのを失念していたことに内心舌打ちする。

 

「ちょっと喧嘩しちゃってね、それがどんどんヒートアップしてああなっちゃったんだ。彼女も服が台無しになったからこんな格好でして」

「あ~、なるほど。見るからに不良娘ってカンジの子だものねー、もしかして家出かしら」

「…………」

 

 視界の端ではセイバーがどんどん剣呑な顔つきになっていく。誤魔化すためとはいえ勝手に話を捏造されては確かに怒りもするだろうけど、その表情は単純な怒りではすまないくらい熱を帯びていた。

 

「――それで、モーちゃん!」

「…………ん?」

 

 くるりと振り返ってセイバーに顔を向ける大河さん。その動きを察知したのか、さっきまでの異様な雰囲気はすっかり霧散していた。……まだ若干不機嫌そうだけど。

 

「このお屋敷、広いのに智ちゃんだけしか住んでないから遠慮なく好きなだけ泊まっていっていいわよ! 彼女と仲良くしてあげてね!」

「……ああ」

「あーあ。モーちゃんといっしょ、ってことは昨夜のは勘違いだったのかなぁ……」

「それって本来訊きたかったこと?」

 

 なんとか異邦人の滞在を認めてもらうと、大河さんは次なる疑問に首を傾げた。恐らく今も大変であろう彼女がわざわざ訪ねてきたのは何故なのだろう。

 

「うん。ウチの組の人がね、智ちゃんとゴツい男の人が繁華街でいっしょにいるのを目撃したらしいんだけど……」

 

 ひでぶっ。

 

「き、気のせいだよ~っ。だって僕は昨日セ……モーさんと――」

 

 ――唐突に場違いな音楽が流れる。音源は僕のケータイだ。着信アリ。宛先は獅子刧さんだ。なんてバッドタイミング! ここで終話キーを押したら確実に怪しまれる!

 

「出ないの? まさか……」

「で、出るってば! ……もしもし」

『――よう、和久津。今電話大丈夫か?』

「大丈夫じゃないです。後でかけ直しますので」

 

 返事も待たずに通話を切る。獅子刧さんなら何も言わずとも察してくれるだろう。

 

「……ねぇ智ちゃん。やっぱり今のって――」

「ち、違うよ……?」

「大丈夫よ智ちゃん! お姉ちゃんが代わりにガツンと言ってあげるんだから!」

 

 言うが早いか僕の手にあるケータイが瞬く間にひったくられる。

 

「ちょ――――!」

 

 恐るべき速度だ。さすがは冬木の虎。僕なんかじゃ止められはしないし、止めてくれそうなセイバーはジト目で僕らを眺めていた。そんな余裕な顔してる場合じゃ――――

 

「もしもし!」

 

 ――ヤバイ。さてどうしよう。間違いなく話が面倒な方向に転がる。頭を抱えていると通話口から声が漏れ聞こえた。それは重厚な男のものではなく、軽快な少女のような声音だった。

 

『――もしもし! トモ……じゃないよね。キミはだあれ?』

「……あれ? ええと、私は藤村大河です……?」

『そうなんだ。ボクはアストルフォ、よろしくタイガ! ところでトモに代わってくれないかな!』

「ん、わかったわ。……智ちゃん、アストルフォちゃんって子が代わって、って」

 

 た、助かった。誰にでも明け透けすぎるライダーだけれど、今回は功を奏したようだ。大河さんからケータイを受け取る。

 

「もしもし、今日は四時くらいにアーネンエルベで待ち合わせはどうかな?」

『うん、楽しみに待ってるからね、トモ!』

 

 ――ケータイを閉じる。今後の戦略上不可欠なミーティングのアポは取れたし、さも友達と遊びに行くかのようにお誘いした。もう大河さんから疑惑の眼差しは消えている。

 

「ね、勘違いだったでしょ?」

 

 

 

 

「それじゃ智ちゃん。お友達とのお買い物、楽しんできてねっ!」

 

 それから数分もしない内に嵐は過ぎ去った。元々忙しい身の上だし、問題が解決したのだから居座る理由なんてなかったのだろう。大河さんがいたままではマトモに会話もできない僕たちにとっても都合が良かった。

 

「……ふぅ」

「おい、トモ」

 

 となりのセイバーを見て、すぐに目を逸らす。姿はさっきからずっとワイシャツパンティーのまま。甲冑を大河さんの前で着るわけにもいかず、僕より十センチくらい背の低い彼女に合う服など置いてないのだから仕方ないんだけれど、僕としては気まずさでいっぱいだ。女同士だからとこんな扇情的な格好を放置した大河さんの罪は重い。

 

「なにさ、モードレッド」

 

 頭の中の煩悩を悟られないようにお腹に力を入れて聞き返す。彼女の真名を呼んだのは、相手の内情を知りたいという僕の意思表示からだ。

 

「オレは大層ご立腹だ。何が原因か判るか?」

 

 唐突に問い掛けてくるセイバー。その表情は先程垣間見たときと同じ激憤に染まっている。アレは何が引き金になっていたのか。勝手に自分のことを悪し様に言われたから――ではないだろう。彼女の気持ちがチンプンカンプンなので、発想を転換して自分に当て嵌めて考えてみると自ずと理解できた。

 

「性別と家族、でしょ?」

「そうだ。口にはしていないはずだが、よく判ったな」

「脛に傷持つ間柄、ってことで」

「お前もワケありか。ま、呪いなんてモン背負っている以上仕方ないわな。……とりあえず、これから先の二つに関しては気をつけておけよ。二度目はねぇぞ」

 

 念入りに忠告してくる。それらが恐らく彼女の地雷なのだろう。言われなくても突っ込むつもりは僕にない。僕の持つ地雷も彼女と同じ、或いはそれ以上のモノだからだ。

 

「りょーかい、王子サマ」

「……お前なあ。確かに女扱いするな、ってことだが露骨に男扱いされんのも嫌だぞ、オレは」

 

 宙ぶらりんなジェンダーに悩む様はまさに思春期男女そのものだ。言ったら殺されるかもだし、僕自身人のことは一切言える立場ではないからお口にチャックしておく。代わりに口から出たのは懐柔の言葉だ。

 

「ごめんごめん。お詫びに昨日のハンバーグでもどうかな?」

「サーヴァントに食事の必要は――」

「食べたくないの?」

「バカ言え。食うぞ」

 

 

 

「……おい、どういうことだ。なんでマッシュポテトがこんなに美味いんだよ!?」

「え、そっち? ハンバーグの方は?」

「んなモン美味いに決まってんだろ、肉だからな! だがマッシュは納得できねえ! こんなのただの磨り潰した芋じゃねえか!」

「なにその蛮族的クッキング!? 普通は牛乳とかバターとか他にも色々入れるんだよ?」

「知らねぇぞ、んなレシピ! あーもう! あのクソッタレメシマズロリコン野郎が!! おかわり!!」

 

 こんな角度から自分の料理が褒められるとは、と感心していると、いつの間にかお皿の上の料理は丸々平らげられていた。ずいぶんな健啖家だ。もしも彼女のような人を支えるためにそのロリコンさんが料理を質から量に切り替えたのだとしたら、同情を禁じ得ない。元から味音痴のパワーファイターな方だったら小一時間説教してやる。とりあえず現在進行形で量より質に拘っている僕から、今の彼女に言える言葉は一つだけだ。

 

「おかわり? そんなもの、ウチにはないよ……」




「というわけで、今日は伊代と天ぷらを作ってみたよ」

 僕を含めたいつもの六人組の今日の集合場所は我が家だ。彼女らを家に招くにあたって、当然のごとく伊代との性生活の証拠は完全デリートしてある。残っているのは壁にかけられている二着のエプロンという夜の概念武装くらいだ。

「とりあえずるいにはちくわの天ぷら」
「あんがとー。トモ、とりあえずマヨネーズ貸して?」
「ちょーっと待った!」

 いつものようにちくマヨを作ろうとするるいを止める。

「実はそのちくわの衣、卵の代わりにマヨネーズを使ってるんだ。そのほうがカラッと仕上がるからね」
「おぉー! トモちん賢い! さっすが私の嫁!」
「ごっほん!」

 隣で露骨に咳払いする伊代を余所にちくわにがっつくるい。その期待に満ちた目は、しかし咀嚼する度に輝きを失っていく。

「……あれ? もしかして変な味になってた?」
「マヨネーズの味がしない……」

 グチグチ言いながら残ってるちくわの穴に余さずマヨネーズを詰めていく。カロリーを考えない暴挙にぐぬぬと伊代が悶えた。

「ま、まあいいや……。次はこよりん! 君にはハンバーグの天ぷらを作ってみました!」
「美味しいものプラス美味しいものイコールすごく美味しいものの法則ですね、ともセンパイ!」

 某チェーン店のポスターを見て思いついたわけでは断じてありません。

「デミグラスソースをかけて召し上がれ」
「いっただきま~す! モグモグ……オイシイです! ……ん? でも……」
「でも……?」
「これってメンチカツとあまり変わらない気がするであります……」

 字面のインパクトを追った結果、ありふれた料理になってしまった。料理に限らず、こういうことは多々としてあると思う。

「花鶏はパセリの天ぷらだよ」
「ふふ、よくわかってるじゃない智」

 満足気に頷く花鶏の後ろで引き気味の一同。彼女のパセリライスの餌食になった経験のあるるいと茜子は一層渋い顔をしている。

「パセリは天ぷらにすると苦味が全然気にならなくなるんだ。たぶんこよりだって食べられるんじゃないかな」
「どれどれ~。……ホントであります! 不肖鳴滝、これなら好き嫌いせずに済みそうです!」
「……わたしは逆に苦味がないのが物足りないわね」

 天ぷらにすると元々の食材の味とは結構変わるものがあったりする。例えばナスとか。僕は普通のナスより天ぷらのナスの方が好きだけど、世の中には逆の人もいるだろう。要はそんなありふれた意見の相違だった。

「では茜子さんの番ですね。ヴァイオレンスな天ぷらを期待してますよ」
「……茜子には、アイスの天ぷら」
「なんと」

 どうやってと疑問に思うだろう。高温に晒されればアイスなんて瞬く間に溶けてしまうのではないかと。答えは簡単、アイスを油に触れさせなければいいのだ。食パンでアイスを念入りに包んで揚げたら案外上手くいった。

「熱いようで冷たくてヴァイオレンスな味ですね」

 ご期待に添えたようで何よりです。

「じゃあ伊代。僕らはタラの芽の天ぷらでも食べようか」
「わたしには奇抜なモノは出さないのね」
「だって伊代だし。……それに、好きな人にはちゃんとしたものを食べてもらいたいから」
「……もう、あなたったら」

 天ぷらパーティはとりあえず成功に終わった。次はカレーパーティでも開いてみようかな?


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