艦娘達の戦後 (雨守学)
しおりを挟む

1

――終戦宣言。

艦娘たちは人間に戻り、それぞれの家族の元へと帰っていった。

今でも覚えている。

大勢の艦娘が、それぞれの家族と抱き合い、涙し、歓喜に沸いている姿。

そして、その中で一人、ただ茫然と、それを見ている一人の女の子の背中。

 

「響?」

 

「司令官……」

 

「どうした? 家族はまだ来てないのか?」

 

「……うん」

 

「なに、じきに来るさ。一緒に待っていよう」

 

しかし、待てど待てど、響の親――親戚すらも、迎えに来ることはなかった。

 

 

 

「そうですか……はい……えぇ、また何か分かったら連絡ください……失礼します」

 

あれから一年。

未だに響の親と連絡が付かない。

探偵を雇ってみたが、無駄だったようだ。

 

「司令官」

 

「響。おはよう」

 

「電話、誰から……?」

 

「ん……昔の知人だ」

 

「そうか……」

 

きっと、親からの連絡を期待しているのだろう。

 

「朝ごはん出来ているぞ。顔洗ってこい」

 

「うん」

 

「…………」

 

響の親が見つかるまで、俺は響を引き取る事にした。

施設へ送る選択肢もあったが、そうはさせたくなかった。

何よりも、響が一人ぼっちになってしまうのを放ってはおけなかった。

 

 

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

朝食は鮭を焼いたものと、インスタントのみそ汁、サラダとヨーグルト。

どうしても簡単なものになってしまう。

 

「すまないな響。もっと料理が出来りゃいいんだが……」

 

「ううん……司令官には感謝してる。私の為にわざわざ料理してくれて……。あの、コンビニのお弁当とかでも大丈夫だから……」

 

「そういう訳にはいかないだろう。いつか、響の両親が来た時に、怒られちゃうからな」

 

「司令官……」

 

「今日は鳳翔に会ってくるんだ。何か料理の一つでも覚えてこようかと思う」

 

「鳳翔さん、今なにしてるの?」

 

「定食屋で働いているそうだ。その内、お店を持ちたいんだってさ」

 

「そっか……。立派だね」

 

「ああ。さて、そろそろ暁たちが来る頃だろう。あんまりのんびりしている時間はないぞ」

 

「うん」

 

 

 

「ハンカチ持ったか?」

 

「大丈夫。それじゃあ、行ってきます」

 

「ああ」

 

外で暁たちのあいさつする声が聞こえる。

元艦娘も人間と一緒で学校へ通うのだが、その学校に普通の人間はいない。

全員が元艦娘である。

勉強のレベルの問題もあるが、心のケアと言う部分でも、やはり普通の学校では難しいようだった。

 

「さて、俺も準備しないとな」

 

 

 

電車で二駅ほど。

そこに、小さな定食屋はあった。

 

「こんなところに定食屋なんてあったのか」

 

引き戸を開けると、中から油の跳ねる音と、まな板を叩く音がした。

 

「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 

「どうも」

 

店には、新聞を読んでいる爺さんや、作業服を着た若い兄ちゃん、老夫婦の三組しかいなかった。

と言うよりも、俺を含めて四組もあれば、この店は満席になってしまうほどの広さしかないのだ。

 

「コロッケ定食ください」

 

「はいよ。コロッケ一つ!」

 

鳳翔は厨房だろうか。

どちらかと言うと、こういう店よりも、一人店主の居酒屋の方が、あいつには合いそうだけれど。

 

「あ、やっぱり」

 

厨房の暖簾から鳳翔が顔を出した。

 

「ごめんなさい。ちょっと忙しいので、後で向かいの喫茶店で待ち合わせしましょう」

 

「ああ」と、返事を聞く前に、鳳翔は厨房へと戻っていった。

 

 

 

コロッケ定食は大変美味であった。

揚げ物が美味しいお店にハズレはない。

だから、ああいった店に行った時には、必ず揚げ物を食べてみるのだ。

 

「お待たせしました」

 

喫茶店のドア鈴が鳴ると同時に、鳳翔はいそいそとこちらへ向かってきた。

 

「すまないな。忙しいときに」

 

「いえ、お誘いしたのは私ですから。お久しぶりです、提督」

 

「本当に久しぶりだな、鳳翔」

 

艦娘であった頃の着物と違い、少し華やかな着物に身を包んだ鳳翔は、美人であった。

 

 

 

「そうか。じゃあ、しばらくあの定食屋で修業して、自分の店を?」

 

「はい。まだまだ勉強することはたくさんあります。お店を出すのだって、お金が必要ですし……」

 

鳳翔はハッとして、話題を変えた。

暗い話題を避けようとしたのかもしれない。

 

「それにしても、提督はやっぱりコロッケ定食なんですね。すぐに分かりました。コロッケ定食なんて、頼む人いないので」

 

「あれ、お前だろ、作ったの」

 

「え? どうして分かるんですか?」

 

「いつだったか、俺がコロッケ好きだって言った時、作ってくれただろ。それと同じ味がしたんだ」

 

「そんな事、覚えてくださっていたんですね」

 

鳳翔は照れくさそうに笑った。

 

「忘れられないさ。あんなに美味しいコロッケ」

 

「なんだか恥ずかしいです」

 

そう言って、恥ずかしそうに頬を抑えた左手がキラリと光った。

 

「鳳翔、お前、結婚したのか?」

 

「え? ああ、違います。これ、ケッコンカッコカリの指輪です」

 

「まだ持っていたのか。しかし、何故左手に」

 

「私にとって、大切な物ですし……それに……」

 

そこで言葉を切ると、鳳翔は窓の外に目をやった。

俺も同じように窓の外を見た。

空は雲一つなく、無限に広がるような青の中に、白い飛行船が浮かんでいた。

 

「いい天気ですね」

 

「ああ」

 

窓から零れた日差しが、鳳翔の顔を照らす。

白い肌が、ほんのりと赤くなっていた。

 

 

 

俺たちは時間を忘れ、昔話に花を咲かせた。

一年とは言え、忘れてしまった事も多々ある。

あの頃は、生きるのに必死だった。

思い出したくない事もある。

それでも、大切な思い出一つ一つは、決して忘れてはいなかった。

それは、鳳翔も同じだったようだ。

 

「また、みんなで集まれればいいですね」

 

「そうだな」

 

「そう言えば、提督は今、何をしてらっしゃるのですか?」

 

「まだ海軍だ。とは言っても、たまに顔を出して、若い連中を指導したりするだけだけどな。今は戦争の功績で、飯は食わしてもらっているよ」

 

「そうだったのですか。あの……その……提督はまだ……独身ですか?」

 

「ああ。響の親が見つかるまでは、独身でいようと思っていてな。見合いの話もあるのだが……」

 

「響……? 響って……響ちゃんのことですか?」

 

「そうだ。ああ、そうか。お前は知らなかったか。響と俺は一緒に住んでいるんだ」

 

「えぇ!? ど、どうして……」

 

「実は――」

 

俺が説明している間、鳳翔はずっと口を押えていた。

驚きを隠せないでいるようだ。

 

「そんな事が……」

 

「親が見つからなくても、俺は響が独り立ち出来るようになるまで、面倒を見てやろうと思う。共に戦った仲間でもあるし、何よりも、あいつには頼れる人が必要だと思った。一人で抱え込んじゃうような奴だからな……」

 

「提督……」

 

「こっちに引っ越してきたのも、暁たちがいるからなんだ。出来る事なら、一緒の学校の方がいいと思ってな」

 

「そうだったのですか……」

 

「ま、あいつも楽しそうだし、暗い話でもないんだ。そんな顔しないでくれ」

 

「あ、あの!」

 

「ん?」

 

「私に……出来る事はありませんか……?」

 

「え?」

 

「私も協力したいのです! 響ちゃんのご両親を見つける為に!」

 

「……ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」

 

「気持ちだけじゃありません!」

 

「!」

 

「私も共に戦った仲間です。辛いときも、悲しいときも、みんなで乗り越えてきたじゃないですか!」

 

「……そうだったな。分かった。じゃあ、一つお願いを聞いてもらってもいいか?」

 

「はい!」

 

 

 

空はすっかり夕焼けに染まっていた。

 

「じゃあ、ここで」

 

「はい。では、また連絡しますね」

 

「ああ、待ってる。仕事、無理するなよ」

 

「提督も」

 

「じゃあな」

 

そう言って駅の方へと向かった。

途中、振り向くと、鳳翔がずっと手を振っていた。

曲がり角で見えなくなるまで、ずっと。

 

 

 

家に帰ると、家の前で響が立っていた。

 

「あ、お帰り、司令官」

 

「ただいま。どうした? こんなところに突っ立って。カギでも忘れたか?」

 

「待ってたんだ。司令官が帰るのを」

 

「家で待っていればよかっただろう」

 

「…………」

 

響は家をちらりと見た。

俺も同じように家の方を見た。

明かりのついていない家は、とても暗く感じた。

空も藍色に染まりかけていて、水銀灯の電灯がヂヂヂと音を立てているのが聞こえるほど、静かであった。

 

「怖かったのか?」

 

響は静かに首を横に振った。

 

「じゃあ、なんだ?」

 

「…………」

 

昔から、本心を口に出す子ではなかった。

迷惑をかけちゃいけない。

自分は艦娘だから、しっかりしないといけない。

弱い自分を見せてはいけないと、思っていたからであろう。

 

「響」

 

「…………」

 

「俺は頼りないか?」

 

「え?」

 

「俺は、お前の気持ちを受け止められないほど、頼りない男か?」

 

「そ、そんな事ない! 司令官は立派で……」

 

「なら、もっと頼れ」

 

「!」

 

しゃがみ込み、響の手を握った。

小さくて、冷たい手だった。

 

「お前はもう普通の人間だ。艦娘などではないし、気を張る必要もないんだ」

 

「司令官……」

 

「それに、俺はもうお前の司令官じゃない。俺はお前の家族だ」

 

「家族……?」

 

「駄目か?」

 

「……いいの?」

 

「?」

 

「司令官の事……家族だと思っていいの?」

 

その時の響の顔は、今まで見たどの表情よりも、純粋で、子供らしいと思えた。

 

「馬鹿、俺はそう思って一年間過ごしてきたんだぞ。逆にショックだよ」

 

それを聞いた響は、俺の胸に飛び込んできた。

 

「私……ずっと寂しくて……我慢できてたんだけれど……家に帰ったら司令官がいなくて……急に寂しさが込み上げて来て……それで……それで……」

 

響は泣いていた。

艦娘の時ですら、一度も涙を見せなかった。

 

「もう我慢するな。一人で泣くな。誰にも涙を見せなくても、俺の前ではちゃんと泣いてくれ。俺はそれを受け止めてやる。俺とお前は、家族なんだから」

 

抱きしめてやると、響の体はとても小さかった。

艦娘だったとは言え、こんなにも小さな体のどこに、大きな不安を隠せたのだろう。

 

「ほら、家に入ろう。もう寂しくはないだろう?」

 

「――うん」

 

「それじゃあ……」

 

立ち上がろうとした時、響が俺の袖を掴んだ。

 

「響?」

 

「その……抱っこ……してもらってもいいかい……?」

 

「ああ、いいよ」

 

「誰も見ていない?」

 

「見てないよ。ほら、よっと!」

 

空はもうすっかり夜だった。

電車の中で見た一番星は、もうどれだか分からなくなっていた。

 

「司令官の胸の中は、あたたかいな」

 

「そうか」

 

水銀灯の光が、響の笑顔をより一層明るく照らした。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

あの出来事から数日。

お互いに家族として認識したけれど、何かが大きく変わる事もなく、平和な日々を過ごしていた。

少し変わったことと言えば、響が心を少しだけ開いてくれた……気がするくらいだ。

 

「司令官、疲れてないかい? 肩叩いてあげる」

 

「おう、ありがとう。頼むわ」

 

頼れと言った俺に気を遣っているのか、響からも何かしようと動くようになった。

響なりの感謝の示し方なんだろう。

本当、良く出来た奴だ。

 

「ありがとう。だいぶ良くなったよ。ほら、お駄賃だ」

 

「ありがとう」

 

これ目当てなのかもしれないけれどな。

 

 

 

「響~、風呂開いたぞ」

 

返事はない。

寝てしまったのか。

 

「響?」

 

「ひー……ふー……みー……」

 

居間を覗くと、響が小銭を数えていた。

あれは毎週やってる小遣いとお駄賃か。

 

「大分貯まったか?」

 

「わ! 司令官……」

 

響は恥ずかしそうに小銭を隠した。

 

「そんなに貯めて、何か買うのか?」

 

「うん……。でも、足りなくて……」

 

「結構やってるつもりなんだが、それでも足りないのか。一体、何を買おうってんだ?」

 

「実は……今度、学校で遠足があるんだ。だから、お弁当箱とか、リュックとか必要で……それで……」

 

「お前、それを全部自分で買おうとしてたのか?」

 

「うん……」

 

なんて奴だ。

俺ですら、駄々をこねてまでして、高いリュックを親に買わせたもんだ。

そうでないにしろ、普通、相談するだろう。

まだ、俺を頼る事に抵抗があるのか。

 

「響、すまん!」

 

「え?」

 

「いいか、そう言うのは普通、俺が買うもんなんだよ。確かに連絡帳に遠足と書いてあったが、そこまでは見抜けなかった……」

 

「し、司令官が悪いんじゃないよ。相談しなかった私が悪かったし……それに……お金がかかるから……。あの、お小遣い貯めてたのを使ってくれないか? 少しは足しになると思う……」

 

「馬鹿、全部俺が出すんだよ」

 

「でも……」

 

「前にも言ったろ。俺らは家族。そんなこと言ってたら、ご飯代も色々と出してもらうことになっちゃうぞ」

 

「そ、そうだ……」

 

響の顔が青くなっていくのを感じた。

そんな表情を見せてくれるようになったのに、まだこういうところは駄目か。

 

「とにかく、そう言うのが発生した場合は言え。その小遣いはお前の為に使うよう渡してるものだ。学校の為じゃない」

 

「司令官……」

 

「よし、今度の休日に、リュックとか諸々を買いに行くか! お出かけだ!」

 

「お出かけ……! いいのかい!?」

 

「ああ!」

 

そう言えば、ここ最近はどこにも行けてなかったな。

こんなに喜んでくれるなら、もっと色々連れてやればよかったな。

 

 

 

お出かけの前日。

響は学校から帰ってくるなり、自室から出てこなかった。

宿題はすぐに終わらせるだろうし、何かあったのだろうか。

 

「響、飯だぞ」

 

「うん、今行くよ」

 

 

 

夕食の時間。

いつもなら何か話してくれるのに、今日はいそいそと、黙々と飯を食う響。

 

「な、なあ。学校で何かあったのか?」

 

「何かって?」

 

「いや、その……嫌なこととかさ」

 

「別に」

 

「そ、そうか……」

 

「ごちそうさま」

 

食器を片すなり、また自室に篭ってしまった。

俺にも言えない事があるのだろうか……。

明日はお出かけなのに。

 

 

 

いつもならテレビを居間で一緒に見るのだが、今日は一人だ。

響の好きな番組の時間でも、響はずっと部屋から出てこない。

 

「流石に心配になってきたぞ……」

 

 

 

「響」

 

扉をノックしてみたが、返事がない。

 

「響、どうした? 何か心配事でもあるのか? 様子がおかしいぞ」

 

返事はない。

 

「……入るぞ」

 

響は何でも隠してしまう癖がある。

それは、家族になっても変わらなかったという訳か。

自分が情けない。

俺はそんなに頼りがいの無い人間なのか、はたまた――。

 

「響――……なっ!?」

 

部屋を埋め尽くさんばかりのティッシュの束。。

その中心で、響は倒れていた。

 

「響!」

 

「ん……司令官……?」

 

「ど、どうしたんだ!? これは一体……」

 

「あぁ……寝ちゃったのか……。実は、テルテル坊主を作ってたんだ」

 

「テルテル坊主?」

 

よく見ると、ティッシュの束だと思ってたものは、一つ一つがテルテル坊主の形をしていた。

 

「お前、なんでまた……」

 

「明日……晴れて欲しいから……。司令官とのお出かけ……楽しみだったから……」

 

響は恥ずかしそうに顔を背けた。

俺はそれを見て、なんだか安心して、腰が抜けてしまった。

 

「し、司令官!? どうしたんだい?」

 

「いや、すっごい心配しちゃってさ……。響になにかあったのかとか、俺を頼ってくれなかったとか……色々さ……」

 

「司令官……。私は大丈夫だよ。それに、何かあったら司令官を頼るって決めてるから。私たち、家族でしょ?」

 

「ああ、俺が心配し過ぎていただけみたいだ。そうだよな、悪かった」

 

「ううん。心配かけてごめんなさい」

 

「それにしても、明日は普通に晴れだぞ。天気予報見なかったのか?」

 

「それでも、何かあったら困るし……。せっかくのお出かけだから……絶対に晴れて貰わなきゃ困る……」

 

「珍しくはしゃいでるな」

 

「う……恥ずかしいよ……。司令官は楽しみじゃなかったかい?」

 

「楽しみだよ。ほれ」

 

そう言って、出かけ先の情報誌を見せた。

 

「俺だって色々考えてるんだぞ。色んな奴に電話して聞いたりもしたんだ」

 

「良かった……」

 

「さて」

 

「司令官?」

 

「俺も作るよ。テルテル坊主」

 

「ハラショー!」

 

俺たちは夢中になってテルテル坊主を作った。

なんだか嬉しいよ。

こんなに喜んでくれるなんて。

でも、同時に悲しくもある。

いつか、お前の親が見つかったら、もう――。

 

 

 

「ん……」

 

みそ汁の香りで目が覚めた。

窓の外はまだ明るみ始めた頃であったが、空は澄んでいて、快晴を思わせる。

 

 

 

「あ、司令官、おはよう」

 

「おはよう。何やってるんだ?」

 

「お味噌汁だよ。目が覚めると思って。お湯くらいなら沸かせるから、インスタントだけれど、どうぞ」

 

「……ありがとう」

 

本当、想像以上にはしゃいでるな。

こりゃ、今日のお出かけは相当いいものにしないと、逆にがっかりさせちゃうかもしれないな。

だが、今日のお出かけには秘密兵器――いや、もう兵器ではないのか。

響がそいつを喜んでくれるかは分からないが、俺よりも女の子の気持ちが分かるだろうし、いいのかもしれない。

 

「美味しいかい?」

 

「ああ、最高だよ」

 

「インスタントなのに?」

 

「響が作ったというなら、何でも美味しいよ」

 

「ハラショーだね」

 

「ハラショーだ」

 

そう言って、笑いあった。

 

 

 

駅までの道のりを響は小走りで駆けていた。

 

「おーい、そんなに急がなくても、逃げやしないぞ」

 

「少しでも早く行って、長い時間を過ごしたいんだ。司令官、早く」

 

「分かったよ。そら、競争だ」

 

大人の走りを見せてやる。

そら、追い抜いたぞ。

 

「そんなにはしゃいで、みっともないよ」

 

「おい」

 

 

 

駅に着くと、響が立ち止まった。

 

「鳳翔さん……?」

 

「響ちゃん!」

 

「司令官、鳳翔さんが!」

 

「ああ、知ってるよ。待たせたか?」

 

「いえ、今来たところです」

 

「どういうことだい?」

 

「俺が誘ったんだ。リュックとかを買うついでに、服も買おうかと思ってな。俺は女の子の服とか分からないから、鳳翔に頼んだのだ」

 

「そうだったんだ」

 

「響ちゃんに言ってなかったんですか? そうだったら、私が来ちゃまずかったかもしれませんね……。響ちゃん、楽しみにしてるって聞いてたから……」

 

「そんなことないよ。鳳翔さんが一緒なら、私も嬉しいよ」

 

「本当? ありがとう。もう、提督!」

 

「スマンスマン。サプライズだよ、サプライズ」

 

「もう……」

 

「楽しみがもう一つ増えたよ。ありがとう、司令官」

 

「おう」

 

「行こう、鳳翔さん」

 

「うん!」

 

ああしてみると、まるで親子だな。

なんて、言ったら失礼か。

 

 

 

そのまま電車で街へ繰り出した俺たちは、目的の物を買って、遊んで、食べて――とにかく、日が暮れるまで遊びつくした。

響も鳳翔も、何をするにも楽しそうだったし、笑顔も見れて良かった。

戦争中には決して見せないような顔が、そこにはあった。

俺を含めて。

改めて、この国は平和になったのだなと感じた。

 

 

 

「今日は疲れたな……」

 

「お疲れ様です」

 

帰りの電車には、俺たち以外に人はいなかった。

 

「響も楽しかったか?」

 

顔を覗くと、寝ていた。

 

「こいつ」

 

「あんなにはしゃいだ響ちゃん、初めて見ました。流石、提督ですね」

 

「お前のお陰だよ。今日はありがとう。鳳翔」

 

「いえ」

 

しばらくの静寂が続く。

信号の関係で電車は止まっていた。

 

「家族、なんですね」

 

「ん?」

 

「響ちゃんと。そう聞きました」

 

「ああ、その方がこいつも色々と俺を頼れると思ってさ」

 

「羨ましいです。私にも家族はいますけれど、響ちゃんと提督は……なんというか、もっと強いものを感じました」

 

「共に戦って来たって言うのもあるんだろうな」

 

「仲間以上の存在……ですね」

 

鳳翔は手を揉んでいた。

左手の指輪が、蛍光灯に反射して光っていた。

 

「私も……いつか……」

 

「え?」

 

その時、電車が動き出した。

遠くで遮断機の鳴る音がしている。

 

「……私、次の駅ですので。今日はありがとうございました」

 

「こちらこそ、ありがとう。途中まで送っていこうか?」

 

「いえ、駅から近いので」

 

「そうか。気をつけてな」

 

しばらくして、駅に電車が止まった。

ドアの近くまで見送る。

 

「響ちゃんによろしくお伝えください」

 

「ああ、分かった。また連絡する」

 

「えぇ」

 

発車ベルが駅に響き渡る。

鳳翔は、悲しそうな顔をした。

 

「楽しいのは……あっという間ですね」

 

「なに、また一緒に出掛けよう」

 

「提督……」

 

「じゃあ、またな」

 

電車のドアが閉まりかけた時、鳳翔が小さく何かを言っていた。

しかし、それはとても小さくて、何かは分からなかった。

電車が発車し、どんどん鳳翔が小さくなってゆく。

それでも、鳳翔はずっとそこに立っていた。

今度は手を振らずに、胸に手を当てて。

 

 

 

大荷物を持ち、響をおぶって家へと歩いた。

車でも買えばよかった。

今度、見にでも行ってこようか。

 

「司令官……?」

 

「おう、起きたか」

 

「鳳翔さんは?」

 

「もう別れたよ。今から家に帰るところだ」

 

「そうか……。降りるよ」

 

「大丈夫か?」

 

「うん。荷物も持つよ」

 

「じゃあ、これ頼む」

 

水銀灯の照らす道を二人して歩く。

ここいらは本当に暗い。

学校が遅くなったり、遊びで遅くなった日にゃ、迎えに行ってやらないとな。

 

「今日は楽しかったよ。ありがとう、司令官」

 

「なに、俺も楽しかったさ」

 

「でも、ちょっと――」

 

そう言って、響は言葉を切った。

 

「ちょっとなんだ?」

 

「何でもないよ。帰ったら、ファッションショーでもやろうかな。遠足用の洋服も買ったんだよ」

 

「そうだったのか。流石に女ものの服売り場には行けなかったから、鳳翔がいてよかった」

 

「鳳翔さんも楽しかったのかな?」

 

「楽しかったって言ってたぞ」

 

「また、一緒に遊びに行けたらいいね」

 

「そうだな」

 

楽しかった後の、この何とも言えない雰囲気。

寂しさのような。

鳳翔のあの表情も、響のその言葉も、きっと――。

 

 

 

家に帰ってからは、響のファッションショーに少し付き合ってやった。

 

「買った時は、鳳翔さんに褒められるがまま、私もノリノリで買ったけれど、ちょっと恥ずかしいな」

 

「そうか? 可愛いぞ」

 

「本当? 暁たちにも見せたいな」

 

「真のレディーを見せつけられて、暁もアワアワするだろうな」

 

「レディーだなんて、照れるな」

 

そんなことをやっている内に、もう夜も遅くなって、風呂に入って寝るように言い、俺は自室へ向かった。

 

 

 

「疲れたな~……」

 

だが、こういうのもたまにはいいな。

鳳翔も響も、あんなに喜んでくれるのなら、もっと遠くへ連れていってやりたい。

今度は泊まりで旅行なんかもいいかもしれないな。

だが、鳳翔は大丈夫だろうか。

響がいるとは言え、俺のような男と遊びに行って。

俺としてはいてくれるとありがたい。

料理は上手だし、響も鳳翔を信頼しているし、まるで母親のように女の子の事分かってるし。

もし、鳳翔と響と俺が家族だったら――。

 

「なんてな……」

 

考えるだけで、胸が痛くなる。

鳳翔もいつかはいい人を見つけるし、響は親と再開して離れてしまう。

 

「…………」

 

俺は、今が一番幸せなんだと気が付いた。

失いたくないと思ったのだ。

 

「家族……か……」

 

そうつぶやいた時、扉がノックされた。

 

「司令官、ちょっといいかい?」

 

「おう、いいぞ」

 

寝巻き姿に枕を持って、響はやって来た。

 

「どうした? なんか困ったことでもあったか?」

 

「その……一緒に寝ちゃダメかな……?」

 

「え?」

 

響は枕をぎゅっと抱きしめた。

不安そうな顔もしている。

 

「虫でもいたか? それとも、怖くなったか?」

 

「うん……怖いんだ……。不安なんだ……」

 

「不安?」

 

「私、今が一番幸せだと思うんだ……。だから、この幸せが無くなっちゃうと思うと……不安になっちゃって……」

 

「響……」

 

「いつか、親が見つかって、私と司令官は離れ離れになっちゃうのかな……。もし、親が見つかっても……そんなのは嫌だよ……」

 

俺と同じことを考えていたのか。

俺ですらも、そんなことを考えたら、心が押しつぶされそうになるのに、響、お前は――。

 

「もし親が見つかっても、俺はどこにも行かないよ。もう会えなくなるわけでもないしな」

 

「本当……?」

 

「ああ。だから、安心していいぞ」

 

「うん……」

 

「そろそろ寝るぞ。ほら、電気消すからな」

 

「オレンジのは残してほしい」

 

「分かった」

 

オレンジ色の弱い光が部屋を照らす。

 

「今日が終わっちゃうね……」

 

響が寂しそうに零した。

 

「何もこれが最後じゃないだろう。これからたくさんの思い出をつくろう。今日以上に楽しい思い出をさ」

 

「でも……これが最後になっちゃうかもしれない……。親が見つかったら……」

 

静寂。

遠くで犬が吠える声がした。

 

「私……もう親が見つからなくてもいい……」

 

「おい」

 

「だって……」

 

「もう二度とそんなこと言うな。確かに、俺はお前に家族だと言った。お前の親が見つかるまでだ」

 

「…………」

 

「……俺はな、響、お前と居るのが楽しくてしょうがない」

 

「!」

 

「俺だって、本音を言えば、これからだってずっと家族でいたいと思ってる。でも、それは無理なんだ」

 

「うん……」

 

「でも、家族じゃなく無くなったって、俺とお前が疎遠になるか? ならないだろう。家族じゃなくても、俺はお前といるし、お前もそうすればいい。それだけの話だ。家族だとかなんだとか言って、変に別れを意識させちまったけれど、それだけは確かなことだから、安心しろ」

 

「司令官……ありがとう……」

 

「俺も救われたよ。お前の気持ちが、俺と一緒で良かった。ありがとう……」

 

そうか。

俺が感じていた不安は、これだったんだ。

家族という言葉で、大きく意識した別れ。

だけれど、俺も響も同じだった。

家族で無くなるということは、別れではないんだ。

 

「安心したら眠くなってきたな。もう寝よう。お休み、響」

 

「うん、お休み、司令官」

 

そう言うと、響は手を握って来た。

俺も優しく握り返してやる。

その手には、別れなどないという事を意識させるような、安心するものがあった。

オレンジの光が少しだけ眩しかったけれど、いつもよりも安心して眠れた気がした。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

休日だったので、響と一緒に出掛けようと声をかけたが、どうやら用事があるらしい。

ならばと鳳翔を誘ってみたが、こちらも用事があるとの事。

仕方がない。

たまには一人で出かけてみるか。

そうだ、ついでに車を見に行こう。

響も鳳翔も乗れて、荷物がうんと詰めるやつを。

 

 

 

町は休日という事もあって賑わっていた。

路面電車も満員のようで、外側の手すりにぶら下がる輩がいるほどだ。

 

「ちょっとやめてよ!」

 

聞き覚えのある声。

声の方を向くと、ツインテールの少女が年老いた男に手を掴まれていた。

 

「やめねぇよ。お前、俺の靴をわざと踏んだだろう!?」

 

「満員だったからしょうがないじゃない! それに、わざとじゃないし……」

 

「うるせぇ! ちゃんと謝れ!」

 

「さっき謝ったでしょ!」

 

「それくらいにしておけ」

 

たまらず声をかけていた。

 

「なんだアンタ?」

 

「あ……」

 

少女の顔を見て、やっと分かった。

 

「瑞鶴……?」

 

「提督さん!?」

 

「あ?」

 

年老いた男が俺の顔を睨み付けた。

こちらも睨み返してやると、男は目を伏せた。

 

「友人が失礼を働いたのなら謝る。だが、彼女も反省しているのだ。許してはくれないか?」

 

「……チッ、気をつけろよ……」

 

そう吐くと、男は去っていった。

 

「大丈夫か、瑞鶴」

 

「う、うん。ありがとう、提督さん」

 

「久しいな。元気にしていたか?」

 

「見ればわかるでしょう? 絶好調よ!」

 

「助けなくても良かったかもな」

 

「何それ、ひどーい!」

 

瑞鶴の笑顔は、あの頃と比べて何一つ変わっていなかった。

 

 

 

お互いに急ぐ予定もなかったので、近くの喫茶店で話し込むことに。

 

「ここ、私のお気に入りなんだ」

 

「いい趣味しているな」

 

「でしょ?」

 

店内はアンティーク雑貨で溢れていて、セピア色の壁と、オレンジ色の白熱電球で、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。

 

「そう言えば、提督さんはコーヒー苦手だったよね」

 

「ああ」

 

「大人なのにコーヒー飲めないなんて……って、暁ちゃんに馬鹿にされててさー」

 

「元と言えば、お前が言いだしたんだぞ。鎮守府中に「子供提督」だって言いふらして」

 

「そうだったっけ? まーいいじゃない。どっちだって」

 

「お前なぁ……」

 

「にひひ」

 

瑞鶴は鎮守府の中でも、俺と冗談を言い合うほど仲が良かった。

友達のような、そんな存在。

提督と艦娘だったとはいえ、そんな事はお構いなしにズイズイくるのが瑞鶴だった。

 

「お前って奴は、全く変わらんな」

 

「でも、安心したでしょ?」

 

「ああ。安心したよ」

 

「私も安心した。提督さん、大変だって聞いてたから」

 

「大変?」

 

「響ちゃんの事、聞いたよ。まだ見つからないの?」

 

「ああ……」

 

「そっか……」

 

「でも、あいつも心を開いてきてくれている。もし見つからなかったとしても、俺があいつを独り立ちさせてやるって、決めたんだ」

 

「……提督さんは優しいね」

 

「そんな事はないさ」

 

沈黙。

変な空気になってしまった。

 

「そう言えば、お前はどうなんだ? 学校、行ってるんだろう?」

 

「うん……」

 

一瞬、瑞鶴の顔が暗くなった。

 

「学校、上手く行ってないのか……?」

 

「ううん。学校は順調よ。毎日が楽しいし……」

 

「じゃあ、何かあったのか?」

 

瑞鶴は、一間空いて返事をした。

 

「――何でもない。そうだ、車見に来たんでしょ? 私も見たいな。一緒に行っていい?」

 

「あ、あぁ」

 

「やったー!」

 

そう言って、コーヒーをグイッと飲み干した。

何か、隠している言葉と一緒に。

 

 

 

中古車販売店にずらりと並んでいる車は、中古とは思えないほどに綺麗だった。

 

「もっとボロボロだと思っていたが、そうでもないのだな」

 

「そりゃそうでしょ。中古車を何だと思ってたの?」

 

車の事はてんで分からない。

ずっと海軍であったし、車を運転する機会があっても、精々軍用車だった。

 

「車ってさ、十万キロ走ったら替え時って言うよね。長く乗る気があるなら、値段は高いけれど、距離を走ってないやつの方がいいんじゃない?」

 

「そうなのか?」

 

「提督さん、何も調べないで来たの?」

 

「あ、あぁ……」

 

「まあいいや。どんな目的で車を買うの?」

 

「響たちを旅行に連れていってやりたいんだ」

 

「レンタカーじゃダメなの?」

 

「レンタカー……そうか! レンタカーか!」

 

「……もしかして、今気が付いたの?」

 

「……スマン」

 

「ぷっ……あはは! 提督さん、マヌケ~」

 

「悪かったな……」

 

「あ、ごめんね。笑いすぎちゃった。でも、レンタカーでいいなら、わざわざ車買う必要もないね」

 

「そうだな」

 

「ね、まだ時間ある?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

「じゃあ、デートしよう?」

 

「デ、デート!?」

 

「何々? 意識しちゃった?」

 

「帰るぞ」

 

「あ、あぁ待って。ごめんなさい。お願い、せっかく再会したんだし、もうちょっと遊んでよ!」

 

「夕方までだぞ」

 

「やったー! にひひ、行きたいところあるんだ」

 

そう言うと、瑞鶴は町へと走り出した。

 

「提督さん、早くー!」

 

「そう急かすな」

 

こいつの笑顔を見ていると、なんだかこっちも元気になってくる。

戦争中も、よくこいつの笑顔に救われたっけか。

生意気な奴ではあるけれど、誰よりも元気だった。

そんなあいつが見せた、あの暗い顔。

あれは一体――。

 

 

 

「ほれ、買ってきてやったぞ」

 

「ありがとう。ここのアイス、高くて普段は食べられないのよね」

 

「これ見よがしに俺を利用するのだな」

 

「車代が浮いただけでも感謝してほしいのだけれど?」

 

「ちゃっかりしてるぜ、全く」

 

ベンチに座り、二人してアイスを食べた。

確かに、これは美味い。

響にも食べさせてやりたいな。

今度連れて来てやろうか。

 

「提督さん、なんだか優しい顔になったよね」

 

「ん、そうか?」

 

「うん。なんだかお父さんって感じ」

 

「お父さん……。なんだか複雑な心境だ」

 

「まだ若いもんね。ねぇ、私と提督さん、今、他の人から見たらどう思われてるかな?」

 

「どうってお前……」

 

「恋人かな?」

 

「兄妹だろ」

 

「じゃあ、こうしたら?」

 

そう言うと、瑞鶴はピタリと体を密着させてきた。

 

「おいおい」

 

「にひひ」

 

生意気だったとは言え、こんなに甘えてくるところを見ると、親からの愛情をしっかり受けているのだな。

艦娘は愛されることに疎い。

親から離れ、過酷な戦場を駆け、時として残酷な運命を見届ける。

愛から最も遠い場所にいたからこそ、今が幸せなのだろう。

 

「て、提督さん……?」

 

気が付くと、瑞鶴の頭を撫でていた。

 

「お、スマン。つい」

 

「そんなに撫でたいなら、もっと撫でていいよ。ほれほれ」

 

「いや、もう大丈夫だ」

 

「えー、撫でてよー」

 

「何なのだお前は……」

 

俺も、響に与えられるだろうか。

親にしか与えられない、深い愛情と言うものを。

 

 

 

それからは瑞鶴に引っ張られて色々な所を回った。

あれを食べたいやら、ゲームセンターへ行きたいやら。

もうヘトヘトだ。

だが、いい気分転換になった。

久しく、こういうのを忘れていた。

たまにはアクティブに遊ぶのもありかもしれないな。

 

「もうすっかり夕方だね。楽しい時間が過ぎるのは早いなぁ」

 

「そうだな」

 

「提督さんも楽しかった?」

 

「ああ、楽しかったよ」

 

「そっか……にひひ、良かった」

 

夕日に照らされた瑞鶴の顔は、笑ってはいたけれど、どこか寂しそうだった。

俺は、鳳翔のあの顔を思い出していた。

 

「また遊びに行こう。今度は響も一緒にさ」

 

「本当? また遊んでくれる?」

 

「ああ」

 

「えへへ……ありがとう、提督さん」

 

夕日が、かすれた雲をオレンジに染め上げた。

その隙間からのぞく空は青い。

 

「私ね……」

 

意を決したように、瑞鶴が口を開いた。

 

「今が幸せ。学校も楽しいし、親と一緒にいれるし。友達もたくさんできたし……。でもね、不安なんだ」

 

「不安?」

 

「将来の事。学校を卒業したら、私はどうしたいんだろうって……。今まで、戦いしかしてこなかったから……。それに、学校は元艦娘ばかりだからいいけれど、将来的には社会に出る。その時、一般の人とどうやって付き合えばいいのかなって……」

 

そうか。

ああは振る舞っていても、こいつも元艦娘なのだ。

其れ故の不安もある。

こいつだけではないにしろ、そうやって悩むのは意外だった。

 

「……なんて、私らしくないか」

 

「そうだな。だが、気持ちは分かる」

 

「え?」

 

「俺も、自分が将来、どうなるのか分からない。今は響の親を探して、あいつの親代わりになってやっているが、あいつの親が見つかったら、俺はどうなるのかなって」

 

「提督さんも同じなんだね……」

 

「でもな、今はそれでいいんだと思う。将来の事なんて、誰にも分からない。今の自分がどうしたいか、どうなりたいかが分からないなら、分からないままでもいいんじゃないかな」

 

「…………」

 

「いつか、俺もお前も、どうしたいのか見えてくる時が来るはずだ。それを待つのも、悪くないだろう」

 

「提督さん……」

 

「お前が俺にレンタカーという手段を思い出させてくれたように、お前もいつかは何かに気が付かされることがあるだろう。だから、今はお前らしく生きて見ろ。間違っていたら、誰かが教えてくれる。最初から間違っている事なんて何一つないんだ。一般の人間と付き合う事だって、艦娘だからってものじゃない。俺だって、他人と付き合う時に、どう振る舞えばいいのか分からない時がある。他人の事を考えるのは立派だ。だが、他人の心までは読めない。相手だって、同じだ。だからこそ、他人に自分を知ってもらう必要がある。私はこういう人間だってな。そうしたら、相手だって、きっと心を開いてくれるさ。人間も艦娘も同じだろう?」

 

「私らしく……」

 

「少なくとも、俺はお前のその素直な性格が好きだ。お前がそうやって心を開いてくれるから、俺もこうやって心を開けるんだ。お前には、他人の心を開かせる魅力があるよ」

 

「そうかな……」

 

瑞鶴は恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「そうさ。だから、心配するな」

 

そう言って頭を撫でてやる。

 

「えへへ……。ありがとう、提督さん。なんだか、スッキリした。私、自分らしく生きてみるよ」

 

「ああ」

 

夕日が沈むのと同時に、温かい風が瑞鶴の髪を揺らした。

 

 

 

すっかり遅くなってしまった。

響はまた不安になっていないだろうか。

急ぎ足で家へ向かうと、家の明かりがついていた。

なんだかいい匂いがしている。

 

「ただいま」

 

玄関には見知らぬ靴。

 

「お帰りなさい」

 

そう言って迎えてくれたのは鳳翔だった。

 

「ごめんなさい。お邪魔しています」

 

「あ、あぁ……それは構わないが……。どうしたのだ?」

 

「まずは上がってください」

 

「あぁ」

 

 

 

居間に行くと、そこには豪勢な料理が並んでいた。

真ん中には好物のコロッケが盛られている。

 

「これは一体……」

 

「おかえり司令官。待ってたんだよ」

 

「響。これは……」

 

「提督、今日は何の日かご存知ですか?」

 

「?」

 

「司令官」

 

響の方を向くと、何か包みを持っていた。

 

「いつもありがとう。お父さん」

 

カレンダーを見ると、父の日と書いてあった。

 

「本当のお父さんじゃないけれど、私にとって、司令官はお父さんのような存在だから」

 

「響ちゃん、今日の為に前から張り切っていたんですよ。今日だって、私と一緒に買い物に行ったりしたんだもんね」

 

「うん」

 

それで用事があると……。

 

「そのプレゼントも、自分のお小遣いで買ったんですよ」

 

「喜んでくれると、嬉しいな……」

 

自分の為に使えと言ったのに。

 

「司令官?」

 

「提督?」

 

俺は泣いていた。

自分でも驚いた。

どうして泣いているのか、自分でも分からない。

とにかく、嬉しかったことは事実だ。

だからって、泣く奴があるか。

戦争中ですら、こんなに泣くことはなかった。

 

「し、司令官……どうしたの? どこか痛い?」

 

「提督……」

 

鳳翔も涙ぐんでいた。

 

「響……ありがとう……。嬉しいよ……」

 

そう言って、響を強く抱きしめた。

 

「司令官、痛いよ……」

 

「スマン……」

 

「料理が冷めちゃうよ。鳳翔さんと一緒に作ったんだ。食べよう?」

 

「ああ」

 

料理は最高に美味かった。

俺の好物ばかりなのもそうだが、やはり愛情がこもっている料理は違うと、はっきり分かる。

 

「美味しい?」

 

「ああ、ありがとう。響、鳳翔」

 

「いえ、良かったね、響ちゃん」

 

「ハラショー!」

 

 

 

夜も遅くなったので、駅まで鳳翔を送る事に。

 

「今日はありがとう。鳳翔」

 

「いえ、喜んでくれてよかったです。響ちゃん、心配してたから。喜んでくれるかどうか」

 

「自分でもびっくりするくらい喜んじまったよ」

 

「提督が泣いているところなんて貴重でしたから、写真でも撮っておけば良かった」

 

「おいおい」

 

「なんて」

 

水銀灯が二人の影を伸ばしたかと思うと消え、また伸びては消えを繰り返した。

それを二人して見ていた。

――いや、と言うよりも、二人してうつむいていた。

なんだかこうして肩を並べて歩くのが、恥ずかしかったのだ。

 

「そう言えば、今日はどうしていたんですか?」

 

「ああ、実は瑞鶴に会ってな」

 

瑞鶴に会った経緯から、色々買わされたこと、悩みを聞いたところまで話した。

 

「そうだったのですか。あの子も意外と繊細ですからね」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ、よく相談を受けてました」

 

俺の知らないところでそんなことを。

戦時中は、心配をかけないように、明るく振る舞っていたのだろうか。

 

「でも……私も分かります。将来がどうなるのか不安です……」

 

「お前はいつか店を持つのだろう。立派な目標があるじゃないか」

 

「えぇ……でも、その気持ちも、最近は揺らいできてるんです……」

 

「ほう。やりたい事でもできたか?」

 

「私も女性ですから……。やっぱり……」

 

そう言って、鳳翔は自分の左手を握った。

俺にはその意味が分かった。

だが、あえて口にしなかった。

口にできなかった。

それもまた、鳳翔がどこかに行ってしまうという不安の為だった。

不安からの逃げだった。

 

「……そうだよな」

 

それからは、二人とも黙ってしまった。

 

 

 

「ここで大丈夫です」

 

「そうか。今日は本当にありがとう。気を付けてな」

 

「はい」

 

「また」

 

「また」

 

電車に乗るまで見送ろうすると、鳳翔はその場から動かなかった。

 

「どうした?」

 

「あ、見送ろうかなと思いまして」

 

「今日は俺が見送るよ」

 

「そんな、悪いですよ。見送らせてください」

 

「いやいや。それに、早く電車に乗らないといけないだろう」

 

そう言っても、鳳翔は動こうとしない。

 

「そんなに見送られるのが嫌か」

 

「え? そういう訳では……」

 

「では、何か特別な理由でもあるのか?」

 

「…………」

 

鳳翔がうつむく。

別れ際になると、いつもお前は悲しそうな顔をするな。

 

「提督が帰ってくれないと、私も帰れないんです……」

 

「?」

 

「帰る決心がつかないんです……」

 

「スマン……どういうことだ?」

 

そう言って顔を覗きこむと、鳳翔の顔は真っ赤になっていた。

 

「ど、どうした?」

 

「……お別れしたくないんです」

 

「え?」

 

「ずっと、一緒にいたいんです! お別れする決心がつかないから、提督が帰ってくれないと、帰れないんです!」

 

涙を浮かべながら、真っ赤な顔をして、そう言った。

 

「鳳翔……」

 

「は、早く帰ってください……。響ちゃんが待ってますよ……」

 

「あ、あぁ……しかし……」

 

「電車が行っちゃいますから!」

 

「わ、分かった……。気を付けてな」

 

そう言って、足早に駅を後にした。

振り向くと、鳳翔はまだうつむいていた。

 

 

 

家に帰ると響が居間で寝ていた。

 

「俺を待ってる間に寝ちゃったのか……」

 

この日の為に、色々考えてくれたのだろう。

一生懸命、プレゼントを選んで、料理をして、俺を喜ばせようと頑張ったのだろう。

 

「響……俺はお前のお父さんになれるのか心配だ……」

 

瑞鶴が、鳳翔が悩んでいたように、響もいつか、将来に不安を持つだろう。

そんな時、元司令官として、家族として、父親として、俺はこいつの為に何かできるだろうか。

 

「司令官……?」

 

「起こしちゃったか。部屋で寝ろ」

 

「……だっこ」

 

「はいよ」

 

響の体は温かくなっていて、もう完全におねむモードだった。

抱き上げると同時に、また眠ってしまった。

 

「ははは。こうしてると、本当に親父になった気分だ」

 

「お父さん……」

 

「!」

 

寝言か。

やはり、父親が恋しいのか。

 

「愛情は、本当の親にしか、与えられないのかもしれないな……」

 

ならば、俺にできる事は、早くこいつの親を見つけてやることだ。

それが、俺がこいつの将来の為にしてあげられる、唯一の事なのかもしれない。

 

「お休み……響……」

 

オレンジ色の光の中、眠る響の顔をずっと見ていた。

今なら、鳳翔のあの言葉の意味が、はっきりと分かる気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

あれから、鳳翔が俺を避けている気がする。

連絡をとっても、仕事が忙しいの一点張りだ。

俺がいないところで、響とは会っているらしい。

 

「鳳翔さん、司令官の事は一切話さないんだ。まるで避けているみたい」

 

「そうなのか……」

 

「何かあったの?」

 

「ああ、実は――」

 

 

 

「えー!? ほとんど告白だよそれ! ね、響ちゃん!?」

 

「そうだね」

 

「なのだろうか……と言うか、何故お前もいるのだ、瑞鶴……」

 

「にひひ。偶々、響ちゃんと町で会って。ねー?」

 

「ね」

 

「……まあいい。俺としては鳳翔と会って、ちゃんと話がしたいのだが……」

 

「何故か避けられてるって訳ね」

 

「私が鳳翔さんに話してもいいのだけれど……余計かな……」

 

「余計ではない。だが、これは俺とあいつの問題なのだ。どうして俺を避けているのかは分からないが、ちゃんと話さないといけない」

 

「提督さんはどうしたいの? 鳳翔さんの事、好きなの?」

 

「……好きとかそう言う問題なのだろうか?」

 

「そうだと思うよ? 鳳翔さん的には、提督さんに告白したようなもので、それで気まずく感じているんじゃない?」

 

告白。

恋とかそう言うのは全く分からない。

しかし、俺があいつに特別な感情を持っていたのも事実だ。

いつか訪れるであろう別れ。

それを考えると苦しかった。

 

「俺はどうしたらいいのだ……」

 

「司令官の気持ちを正直に話したらいいと思う」

 

「え?」

 

「鳳翔さん、司令官を避ける前は、司令官の事たくさん知りたがってた。本人に聞いた方がいい事もたくさんあったけれど、私に聞いて来たんだ」

 

鳳翔が俺の事を。

何故、俺に聞かないのだろう。

 

「司令官は、自分の事、あまり話さないよね。一緒に住んでる私でも、知らない事はたくさんだ」

 

「そう言えば提督さん、ミステリアスな部分ありすぎて、よく青葉に尾行されてたもんね」

 

「そうか?」

 

「鳳翔さんは司令官の事、もっと知りたいんだと思う。司令官からの気持ちを知りたいんだと思う」

 

「俺の気持ち……」

 

「なるほどね……。鳳翔さんは勇気を出して、そう言ったけれど、提督さんの気持ちは分からないもんね」

 

「だから、今は一番苦しいんだと思う。司令官、鳳翔さんに正直な気持ちを教えてあげて欲しい。私は、司令官が「家族でいい」と言ってくれたの、凄く嬉しかったよ。それは、司令官の気持ちを知れたのもあるんだ。だから……」

 

響の目が、本気で訴えかけてきている気がした。

それほどに、響にとって鳳翔は大切な人であるのだろう。

 

「本音を言えば、鳳翔さんの気持ちに対して、良い答えをしてくれたらとは思う。けれど、司令官も一人の男だ。誰の気持ちも気にせずに、自分に正直な答えを出して欲しい」

 

「響……」

 

「響ちゃん……」

 

「私は、司令官がどんな答えを出そうと、それを受け入れるよ」

 

「そうだね……。私も、提督さんがどんな答えを出そうと、いいと思うよ」

 

別に、響や瑞鶴の目を気にしたわけではない。

けれど、心の奥底で、将来に対するぼんやりとした不安があった。

そして、その将来に、必ず響は関わってくるのだ。

俺の手を離れようが、俺と共に生活していようが。

鳳翔に対する気持ちに嘘はない。

だが、響の背中を前に、立ち止まっている自分を認めたくなかった。

響のせいにしたくなかった。

だからこそ、俺は俺の気持ちのせいにしていた。

鳳翔に対する気持ちに、疑問を持っていると嘘をついた。

 

「お前たち……」

 

だから、嬉しかった。

響も瑞鶴も、俺の為に道を開けてくれた。

その先にいる鳳翔の背中を見せてくれた。

俺を、一人にしないでいてくれた。

 

「ありがとう二人とも。俺は、鳳翔に正直な気持ちを伝えてくる。どんな結末だろうが、俺を待っていてくれるか?」

 

「うん!」

 

「大丈夫だよ、提督さん!」

 

頼もしい二人の顔がそこにはあった。

分かっていたことじゃないか。

いつだって、俺を助けてくれたのはこいつらだった。

絶望の最中、一筋の光を与えてくれる存在。

それが艦娘だった。

それは、人間に戻っても、変わりはしないのだ。

 

 

 

小さな定食屋は、ランチを終えると同時に、暖簾を店にしまった。

次の開店は、夕方の四時頃らしい。

 

「お先に失礼します」

 

そう言って店から出てきた鳳翔は、俺の姿を見て固まった。

驚きを表した眉毛が、どんどん力を失って行き、悲しさを表していった。

 

「提督……」

 

「少し、歩かないか?」

 

 

 

曇天の空の下、大きな公園内を二人してゆっくりと歩いた。

湿った匂いが、雨を予感させる。

 

「洗濯物、大丈夫か?」

 

「え……? あ、今日は……干してませんので……」

 

「そうか……」

 

弾まぬ会話。

どう切り出せばいいのか分からなかった。

鳳翔は鳳翔で、俺を避けた事を悪いと思っているのか、黙ったままだ。

 

「……紫陽花」

 

「え?」

 

「そこです……」

 

鳳翔の指さす先に、色鮮やかな紫陽花が咲いていた。

 

「綺麗だな」

 

「はい……」

 

ふと、子供の頃に聞いた話を思い出した。

 

「紫陽花には色んな花言葉があるが、その見た目から、一家団欒という意味もあるらしい」

 

「一家団欒……」

 

「言われてみれば、そうも見えるよな」

 

「そう、ですね……」

 

鳳翔の顔が暗くなってゆく。

一家団欒という言葉の中に、お前は何を思うのだろうか。

 

「――俺は、将来が不安だった」

 

「え……?」

 

「いつか、響もお前も、どこかへ行ってしまう。そうなった時、俺はどうなるんだろうって……」

 

「…………」

 

「俺は響もお前も失いたくはない。だが、俺はどちらかを選ぶか、どっちも失うかしか無かったんだ……」

 

「どうして……ですか……?」

 

「お前の事が好きだからだ。愛しているからだ」

 

時が止まった気がした。

俺も鳳翔も、表情は変わらなかった。

 

「響のせいにしたくはないが……俺は響の背中の先に行けなかった……。その先にいる、お前の所へ行けなかった……」

 

「…………」

 

「俺は響の親だ……。だから、一人の男にはなれない……。そして、一人の男となってしまえば、響の親になれないのだ……」

 

「……分かりません。何故、そうなるのかが……」

 

「俺が……響の本当の親じゃないからだ……。本当の親ならば、あいつに無条件の愛を与えてやれるのかもしれない……。だけど、俺は他人だ……。あいつに与えられる愛は、一つしかない……。男としての愛、ただそれだけだ……。親の愛は、本当の親にしか与えられないんだよ……」

 

「提督……」

 

「それでも……あいつは道を開けてくれた。お前に、本当の気持ちを打ち明けて来いと言ってくれた。俺はそれに応えて、お前に気持ちを打ち明けに来た。でも、やはり迷いがあるのだろうな。その先が見えない。打ち明けたところで、不安は消えてはくれないのだ……」

 

その時だった。

鳳翔の小さな手のひらが、俺の頬を強く叩いた。

 

「鳳翔……?」

 

「響ちゃんだって……同じ気持ちです……! 貴方は本当の親じゃないから、自分のせいで苦しませたくないと、響ちゃんは思ってます……! 貴方が本当の親であるのなら、響ちゃんだってそんな事は言わなかったはずです……!」

 

いつの間にか、「提督」から「貴方」に変わっている。

気を遣わない本音を言う時、彼女はそう言うのだ。

 

「響ちゃんは分かっていたんです……貴方が一人の男として生きる意味を……。きっと、苦しい決断だったはずでしょう……。それでも、貴方の幸せを選んだのです……」

 

俺は、そんな事には気が付けなかった。

響が俺の気持ちを……?

俺は、単に鳳翔の事を思っているだけだと思っていた。

けれど、もし鳳翔の言うように、響も俺と同じ気持ちを持っていたのなら……。

 

「俺は……俺は……どうすれば……」

 

鳳翔の両手が、俺の手を掴んだ。

 

「……家族じゃ……駄目ですか?」

 

「え?」

 

「私が家族じゃ……駄目ですか……?」

 

鳳翔の目から、涙が溢れていた。

その意味が、最初は分からなかった。

 

「貴方の気持ちも、響ちゃんの気持ちも、私は受け入れられませんか……? 私じゃ、家族になれませんか……?」

 

「鳳翔……?」

 

「どちらかにしかなれないのなら、私と貴方が家族になれませんか……? そうすれば、響ちゃんを愛すことが出来るはずです……」

 

「家族……」

 

「恋人とか、好きとか、そう言うのじゃなくていい……。私は、貴方と響ちゃんと家族になりたい……。ずっと、三人でいたいんです……」

 

そうか……。

そうだったのか……。

 

「提……」

 

鳳翔の体を抱きしめた。

小さな小さな体だった。

 

「俺も……同じ気持ちだ……。お前と一緒に居たい……。家族として……未来にお前がいて欲しい……」

 

恋人だとか、好きだとか、そういう気持ちもある。

けれど、それ以上に、俺は鳳翔と一緒に居たかった。

響と一緒に居たかった。

三人で、一緒に居たかった。

家族に、なりたかった。

 

「提督……」

 

泣きなれていないのか、鳳翔は声を漏らしながら泣いた。

俺の胸の中で、たくさん泣いた。

 

 

 

鳳翔が落ち着くまで、俺たちはベンチに座り、寄り添っていた。

戦時中も傍にいたはずなのに、こんなにも近づいたことはない。

心も、体も。

 

「私、寂しかったのです……」

 

「寂しい……?」

 

「提督がどこかに行ってしまう気がして……。離れたくなかったんです……」

 

別れ際に見せる悲しそうな顔は、そういう意味だったのか。

 

「私も貴方が好きです……愛しています……。だからこそ、貴方の気持ちに寄り添っていたい……。貴方と居たい……」

 

「鳳翔……」

 

「だから、今が一番幸せです……。こうして、貴方と居られる……。貴方も同じ気持ちでいてくれる……」

 

俺の気持ちが分からないという事で悩んでいたことも間違いではなさそうだ。

 

「後は……響ちゃんが私を家族として受け入れてくれるか……ですね……」

 

「受け入れてくれるさ……。そうなったら、一緒に暮らそう……」

 

「一緒に……本当ですか……?」

 

「ああ、だって、家族だろう?」

 

「提督……」

 

そう言うと、また鳳翔は泣き出した。

 

「泣き虫だな、家のお母さんは」

 

曇天の空に、一筋の光が零れて、それがどんどん広がってゆく。

その先にある空は、温かいオレンジ色をしていた。

温かい風に吹かれた紫陽花が、小さく揺れた。

 

 

 

鳳翔を見送り、家に帰ると、もう瑞鶴はいなかった。

響はと言うと、居間で好きなテレビ番組を見ていた。

 

「ただいま」

 

「お帰り司令官」

 

響はテレビに夢中なのか、テレビに視線を向けたままだった。

そんな響の背中に話しかける。

 

「鳳翔に気持ちを伝えたよ。好きだ、愛しているって」

 

「そっか。鳳翔さん、何だって?」

 

「私も、だってさ」

 

「そうか」

 

テレビがCMに移っても、響はテレビから視線を離さなかった。

 

「響」

 

「なんだい?」

 

「こっちを見てくれないか?」

 

テレビの音がうるさく聞こえた。

 

「響、こっちを見ろ」

 

小さな背中が震えていた。

俺にはその意味が分かっていた。

 

「響」

 

瞬間、響は立ち上がり、自室へと走り出した。

 

「響!」

 

咄嗟に響の腕を掴んだ。

 

「放して……!」

 

「放すもんか!」

 

強引だが、腕を引っ張り、肩を掴んで正面を見た。

 

「……っ!」

 

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった響の顔が、そこにはあった。

鳳翔の言ってたことは正しかった。

 

「響……」

 

「ぅ……く……ぅ……」

 

きゅぅ……と言うような、子供特有の嗚咽。

それを堪えようとしているのか、顔が力んでいる。

 

「し、司令官……ぅ……鳳翔さん……っ……と……幸せに……なって……」

 

「…………」

 

「わ、私……は……大丈夫……だから……っ……」

 

「ああ……幸せになる……」

 

響は、あふれる涙を、服の裾でゴシゴシと拭いた。

 

「赤くなるぞ、やめておけ……」

 

「……ぅ……っ……」

 

「響、俺はな、お前の本当の親にはなれない」

 

「…………」

 

「でも、家族にはなれると思うんだ。艦隊にいた時だって、みな家族だったろう?」

 

「う……ん……」

 

「お前と俺、そして、鳳翔。瑞鶴が居たっていい。暁だろうが誰だろうか、居たっていい。ずっと一緒に居れれば、それはもう家族だ」

 

「…………」

 

「俺は鳳翔を愛している。鳳翔も俺を愛してくれる。そして、俺も鳳翔も、お前を愛している」

 

「司令官と……鳳翔さん……が……?」

 

「ああ。ずっと一緒に居たいと思っている。家族になりたいって、思っている」

 

「……!」

 

「ずっと一緒に居たいって言われた。家族になりたいって言われた。俺もそう思うし、一緒に住もうと言った。そこに、お前もいて欲しいと言われた。俺も、そう思った。三人で、住もうと言った。あいつも、そうしたいと言った」

 

響の顔が、先ほどと同じように崩れてゆく。

 

「お前さえよければ、三人で住まないか? 三人で、家族にならないか? ずっと、出来る限りずっと、一緒に居てくれないか?」

 

響は、今まで聞いたことないくらい大きな声で泣いた。

あの時見せた涙とは、比較にならないくらい、大粒の涙を流していた。

それが響の答えだった。

響の不安の全てだった。

俺の体がそれら全てを包み込むことが出来るのならば、平気で差し出そう。

それを頼ってくれる人が居る。

それだけで、俺は幸せになれる。

俺は本当の親でも、本当の家族でもないけれど、響が必要としてくれる限り、俺はそれらになることが出来る。

俺があって、響があって、鳳翔があって――。

それだけで、十分。

それだけで、家族になれるのだ。

 

「これからもよろしくな……響……」

 

「うん……司令官……。ありがとう……」

 

今日、俺には、家族が二人出来た。

よく泣く、泣き虫な家族が。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5

「……っと、こんなもんか」

 

梅雨には珍しく、空は快晴であった。

それでも、梅雨特有のジメジメとした空気が体にまとわりついてきて、掃除に追われる俺は、玉のような汗をいくつも床に落としては拭いていた。

 

「そろそろ物置が来る頃だな……」

 

倉庫として使っていた部屋は、もうすっかり何もなくなっていた。

代わりに、居間には大量の物が積んである。

何もなくなったこの部屋は、鳳翔の部屋となる予定だ。

 

「ちわーっす、物置お持ちしましたー」

 

「お、来た来た」

 

立ち上がった拍子に、また一滴、汗が畳を叩いた。

 

 

 

「司令官」

 

「ん……」

 

目が覚めると、響が俺の顔を覗きこんでいた。

 

「こんな所で寝てたら、風邪をひくよ」

 

窓の外はすっかり夕方だった。

庭の物置に荷物を運んだあと、疲れてそのまま眠ってしまったようだった。

 

「物置、来たんだね。部屋も綺麗だ。大変だったでしょ?」

 

「ああ、しばらく掃除もしていなかったしな……。もうクタクタだよ……。労ってくれ」

 

「いい子だね、司令官。撫でてあげよう」

 

「……おし! 元気出た。夕飯も頑張って作るぞ。今日はハンバーグでも作るか。手伝ってくれるか?」

 

「うん!」

 

 

 

「こう?」

 

「そうだ。それで、空気を抜くように両手でキャッチボールするんだ」

 

いっぱしに説明しているが、ハンバーグを作るのは初めてだ。

ずっと、響と俺の二人で生活するものだと思っていたから、少しでも料理をと思い、本を買って勉強したのだ。

しかし、その知識を発揮できるのも今日が最後になるかもしれない。

明日、鳳翔がこの家に来るのだ。

一緒に住むために。

 

「一生懸命勉強したのだけれどな。こうして俺が料理をするのも、滅多になくなるのだろうな」

 

「そんな事ないよ。鳳翔さんが来たら、皆で一緒に料理をするんだ。きっと楽しいよ」

 

「俺が鳳翔の邪魔にならなきゃいいけどな」

 

「大丈夫だよ、司令官。どんなに駄目な人間でも、お皿を並べたりは出来るだろうし」

 

「料理には参加できないのだな……」

 

鳳翔と響が料理をしている姿が頭に浮かぶ。

その背中を見つめている俺の顔は微笑んでいる事だろう。

 

「司令官、なんだか嬉しそうだね」

 

「ん? そうか? そういうお前だって」

 

「そうかな?」

 

そう言ってお互いに笑いあった。

最近の響はよく笑う。

それが嬉しくて、俺も笑う。

もしここに鳳翔が居たら、あいつも笑ってくれるのかな。

 

 

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

ちょっと形は崩れたが、美味しそうなハンバーグが出来た。

俺の皿に並んでいるのは響が焼いたもので、響の皿に並んでいるのが俺のだ。

 

「司令官が作ってくれたハンバーグ、やっぱり大きいね」

 

「響が作ってくれたのは小さいな」

 

「手が小さくて……ごめんね。交換する?」

 

「いや、せっかくハートマークにしてもらったんだ。こっちを頂くよ」

 

俺の口が大きいのか、響の作ったハンバーグが小さいのか、一口で食べてしまった。

 

「うん、美味いよ」

 

「良かった……。愛情だけは、たくさん込めたんだ」

 

「そのようだな」

 

「司令官が作ったのも美味しいよ。愛情がこもってる」

 

「俺のは特大の愛情だからな」

 

「残さずいただくよ」

 

「無理すんなよ」

 

「大丈夫」

 

料理なんて面倒だと思っていたが、こういう笑顔が見れるんだ。

捨てたもんじゃない。

こういうのも含めて、料理はいいものだと言えるのだろうな。

鳳翔はそれも知っていたのだろうか。

 

 

 

食事を終え、一息ついていると、鳳翔から電話が来た。

 

『明日ですが、10時頃にそちらに着く予定です。引っ越しの業者さんは11時頃に着くそうなので、それまでにお部屋のお掃除を致します』

 

「もう済んでいるよ」

 

『え!? ご、ごめんなさい……。本来ならこちらがする事なのに……』

 

「なに、迎えるのはこちらなんだ。それくらいはさせてもらうさ」

 

『すみません……』

 

「……明日から、一緒に住むのだな」

 

受話器の向こうで、一瞬の静寂。

 

『……はい』

 

「響がなんだかはしゃいでいるよ。無論、俺もだがな」

 

『ふふふ、私もですよ』

 

「じゃあ、明日」

 

『えぇ、明日』

 

そう言って、電話を切ろうとしたが、電話の向こうでまだ、鳳翔が動けずにいるような気がして、もう一度受話器を耳にあてた。

 

『…………』

 

「明日からはずっと一緒なんだ。名残惜しいことはないだろう?」

 

『お見通しですね』

 

「お前が切るまで、俺も切らないぞ」

 

『……そうですよね。もう、怖いこともないんですよね』

 

「明日で待ってる」

 

『はい。すぐに行きます』

 

そう言って、鳳翔は電話を切った。

明日で待ってる……か。

我ながら気障な。

振り返ると、お風呂上がりの響がこちらを見ていた。

 

「司令官、今のはさすがに……恥ずかしいかな」

 

「……言うな」

 

 

 

翌日。

今日は朝から雨が降っていた。

 

「今日は学校休みたいな」

 

「何言ってるんだ。雨だからって」

 

「そうじゃないよ。鳳翔さんが来るから迎えてあげたいんだ」

 

「俺が代わりにやっておくよ。だから、早く準備しろ」

 

「じゃあ、これ」

 

そう言うと、響はクラッカーを渡してきた。

 

「これは?」

 

「クラッカーだよ。鳳翔さんが来たら、鳴らしてあげて」

 

「大げさだな……。誕生日でもなしに」

 

そんなやり取りをしていると、外から響を呼ぶ声がした。

 

「ほら、暁たち来たぞ」

 

「司令官、絶対鳴らしてね。絶対だよ」

 

「はいよ」

 

そう言うと、響は、合羽に身を包み、家を飛び出していった。

 

「クラッカーなんて、わざわざ買って来たのか、あいつ」

 

なんだか鳴らすのが勿体無い気がして来た。

 

 

 

10時に近づくと、なんだかそわそわして落ち着かなくなった。

鳳翔が来る。

俺の家に。

しかも、遊びに来るのではない。

一緒に住むのだ。

 

「掃除は済んでいるし……洗濯物も大丈夫……。クラッカーもオッケー……」

 

響を迎える時より緊張する。

あの頃は、響を守っていかなければという事だけを考えていた。

学校の手続きもあったし、緊張している暇なんてなかった。

 

「…………」

 

机の上の写真立てを手に取る。

この家に引っ越してきたときに、響と一緒に撮った写真だ。

お互いに、表情が硬い。

あれから比べたら、今はもっと――。

 

「ごめんください」

 

玄関の方から鳳翔の声がして、我に返った。

咄嗟にクラッカーを手に取り、玄関へ向かう。

 

「提――」

 

パンッ!

と、いう音と共に、紙テープが鳳翔を包んだ。

 

「あー……なんだ。ようこそ、我が家へ……?」

 

「うふふ、大げさですね」

 

「響がどうしてもってな……」

 

「――これからお世話になります。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 

そう言って、深々と頭を下げた。

 

「こちらこそ。よろしくな」

 

顔を上げた鳳翔の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。

 

 

 

「ここがお前の部屋だ」

 

「立派なお部屋ですね。本当に私一人で?」

 

「ああ、家族とは言え、プライベートな空間も必要だろ」

 

「お気遣い感謝します」

 

「そう硬くなるな。もっと気楽に行こう」

 

「分かりました。他にも、洗濯場やお台所を見てもいいですか?」

 

「案内するよ」

 

流石は鳳翔だ。

トイレだとかお風呂だとか、そう言うのではなく、洗濯場に台所と来たか。

家事はやる気満々だな。

 

 

 

一通り案内し終わり、引っ越し業者が来るまで待つことになった。

 

「家事も料理も、提督が一人でやってらしたんですね」

 

「響と俺の分だけだから、そんなに大したことはないがな」

 

「今度からは私が全部やりますので、ご安心を」

 

「心強いよ。鎮守府にいた時も、大分世話になったしな」

 

「また、あの頃のようにご一緒出来て、嬉しいです」

 

「俺もだ」

 

昔を懐かしむように、二人して窓の外を眺めた。

雨は段々と弱まって来ていて、午後には晴れるのではないかと思われた。

 

「引っ越しの作業が終わったら、外に買い物でもいくか。きっと、その頃には晴れて――」

 

言葉に詰まったのは、鳳翔が俺の手を握って、寄り添って来たのに驚いたからだった。

 

「鳳翔?」

 

鳳翔は何も言わなかった。

さっきよりも一層顔を赤らめて、澄んだ瞳が、俺の顔を映していた。

 

「鳳翔……」

 

「提督……」

 

お互いの息遣いが聞こえるくらい、顔が近付いていた。

 

「こんちわー! 引っ越し屋っすー!」

 

その声に驚いて、お互いにさっと離れた。

そして、何事もなかったかのように、鳳翔は玄関へと小走りで向かった。

俺は動けず、ただ鳳翔がいた場所をじっと見つめていた。

 

 

 

引っ越しは驚くほど簡単に終わった。

段ボール三箱に桐箪笥が一つ。

布団にちゃぶ台。

たったそれだけだった。

 

「それだけか」

 

「えぇ。色々捨ててしまったのですが、元々そんなに物は持たなかったので」

 

「にしてもだな……」

 

「それに……これから沢山、思い出が出来るでしょうし……。さっきの、このクラッカーだって、捨てられない思い出の一つです」

 

「なるほどな」

 

「この部屋が沢山の思い出で溢れてくれればいいなって、そう思います。ね、提督」

 

「ああ、そうだな」

 

荷のほどかれていない段ボールが、すっかり晴れた空からの陽を浴びていた。

その光景が、鎮守府に着任したての頃の執務室によく似ていた。

 

「提督からの最初の思い出……いただいてもいいですか……?」

 

そう言って、鳳翔は俺を見つめた。

俺にはその意味がすぐに分かった。

陽が当たって部屋が暑くなったせいか、鳳翔のうなじにじんわりと汗がにじんでいた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……ただいま……」

 

走って来たのか、汗をだらだら流して響は帰って来た。

 

「鳳翔……はぁ……さん……っ……は……?」

 

「夕食を作ってるよ。それよりお前、早くお風呂に――」

 

俺の言葉を無視して、響は台所へと向かった。

 

「あ、おい」

 

「鳳翔さん!」

 

「あら、響ちゃん。お帰りなさい」

 

「た……ただいま!」

 

「こら響。早く風呂に入って来い。風邪ひくぞ」

 

「司令官、ちゃんとクラッカー鳴らしたかい?」

 

「鳴らしたよ。な、鳳翔」

 

「えぇ、嬉しかったわ。ありがとう、響ちゃん」

 

そう言って鳳翔は響を撫でてやった。

背中越しであったが、響の嬉しそうな顔が見えた気がした。

 

「お夕食の準備するから、その間にお風呂、済ましておきましょうね」

 

「うん、分かった」

 

響は素直にお風呂場へ向かった。

 

「全く……」

 

「喜んでくれているようで良かったです」

 

「あいつが一番楽しみにしていたからな」

 

「なんだか安心しました。私なんかが提督と響ちゃんの間に入って、邪魔じゃないかなって思ってたので……」

 

「むしろ歓迎してくれているさ。俺の方が邪魔になるかもしれないぞ」

 

「そうかもしれませんね」

 

「否定してくれよ……」

 

そう言うと、鳳翔はクスクスと笑った。

 

「ごめんなさい。なんだか楽しくて」

 

「はしゃぎすぎだ」

 

その笑顔を見て、俺もなんだか安心した。

 

 

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

三人で囲む食卓は、なんだか新鮮だ。

響と二人で食事していた時とは違い、華やかに感じる。

料理がちゃんとしているせいもあるけれど。

 

「鳳翔さんのご飯はやっぱりおいしいな」

 

「ありがとう。あら、ご飯粒がほっぺについてるわ。慌てて食べないで大丈夫よ。沢山あるからね」

 

「うん」

 

このやり取りだけでお腹がいっぱいになりそうだ。

 

「提督も、たくさん食べてくださいね」

 

「絶対残しちゃ駄目だよ、司令官」

 

「分かってるよ」

 

なんだか響が鳳翔贔屓になっている気がする。

鳳翔に懐いてくれているのはいいことだが、なんだか寂しいぞ。

 

 

 

飯が済むと、響は鳳翔に夢中になっていた。

鳳翔の膝の上に座り、会話をしたり、一緒にテレビを見たりしていた。

俺は蚊帳の外だ。

しかし、久しく見る響のはしゃぐ姿を見ているだけで、俺は嬉しかったし、退屈しなかった。

 

 

 

しばらくすると、響が静かになった。

鳳翔の膝の上で、ぼーっとテレビを見ていた。

 

「響ちゃん、眠いのかな?」

 

「ううん……大丈夫……」

 

鳳翔が俺の方をちらっと見た。

 

「響、歯を磨いてもう寝ろ。明日も学校あるんだから」

 

「まだ大丈夫だよ……。もうちょっと起きてる……。もうちょっと鳳翔さんとお話しする……」

 

そう言って、響は鳳翔の方を見た。

 

「明日もお話し出来るから、今日はもう寝ましょうね。大丈夫、私はどこにも行かないから。私と響ちゃんは、もう家族でしょう?」

 

「家族……。うん、そうだね。家族だ」

 

「じゃあ、歯を磨きに行きましょうね」

 

「うん」

 

「ちょっと行ってきますね」

 

「ああ、頼む」

 

「お休み、司令官」

 

「ああ、お休み」

 

さすが鳳翔だ。

やはり、女性にしかできない説得方法はあるのだな。

これから響が大きくなった時、俺一人じゃ解決出来ない事も出てくるだろう。

俺は父として、鳳翔は母として。

お互い、どちらかにしか出来ない事がたくさん起こるだろう。

それを共に乗り越えてゆくのが家族というものなのかもしれない。

 

「ただなぁ……」

 

俺に出来たことを鳳翔に取られてしまうってのは、なんと言うか――。

テレビの笑い声が、俺の心に寂しく響いた。

 

 

 

「響ちゃん、寝ちゃいましたよ」

 

鳳翔が静かに居間へと戻って来た。

 

「すまないな。あいつ、相当はしゃいでて……」

 

「いえ、私も嬉しくて、ちょっとはしゃいじゃいました」

 

「そうか」

 

「いいものですね。こうして一緒に暮らして、笑いあえるって言うのは。この時間は、いつも一人でしたから……」

 

「やはり寂しいものなのか?」

 

「一人暮らしも、半年もすれば慣れて、寂しくは無くなるんです。ですが、提督と再会してからは……」

 

俺は、鳳翔が一人で家にいる姿を思った。

桐箪笥とちゃぶ台、少しの小物に囲まれて、寂しく窓の外を見つめる、鳳翔の姿を。

 

「まさか、一緒に住むなんて……夢みたいです……」

 

本当にそう思っているのか、鳳翔は恥ずかしそうに俯いた。

 

「本当に夢かもしれないぞ」

 

「いじわる言わないでください」

 

「そりゃ意地悪もしたくなるさ。俺の響を独り占めしやがって」

 

「提督には私がいるからいいじゃないですか」

 

そう言うと俺が動揺するのを知っているのか、鳳翔は意地悪そうに笑った。

 

「ったく……」

 

「ふふふ」

 

鳳翔はそっと、俺の肩に頭を預けた。

 

「私、幸せですよ、提督」

 

「これからもっと幸せになるさ。三人で沢山の思い出を作ろう。これ以上ないってくらいに幸せな思い出を」

 

そう言って、昼間よりも優しく、口づけを交わした。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6

「見てみて電! 海が見えてきたわよ!」

 

「わー、本当なのです」

 

「ちょっと二人とも、静かにしなさいよね。レディーは車でもお淑やかにしないといけないわ」

 

「レディーかどうかは分からないけれど、静かにしておいた方がいいよ。司令官の為に、自分たちの命の為に……」

 

「提督さーん、まだ着かないのー? 退屈なんだけどー? 翔鶴姉も退屈そうだぞー?」

 

「こら瑞鶴、そんな事言っては駄目よ? すみません提督、私なんかもご一緒させていただいて……」

 

「そんな事ありませんよ。ですよね、提督?」

 

「お前らちょっと静かにしててくれないか? 死にたくなければさ」

 

第六駆逐隊、翔鶴と瑞鶴、鳳翔と俺。

合わせて8人は、俺の運転するレンタカーで、かつて所属していた鎮守府へと向かっていた。

 

「提督、大丈夫ですか?」

 

「なんせ久々の運転だからな……」

 

旅行を検討していた矢先に、海軍からの招待状が届いた。

戦後一年を記念して、所属していた鎮守府で同窓会(?)が組まれたのだ。

2泊3日と長めの同窓会。

かつての仲間たちとまた会えるとあって、皆ワクワクしているようだ。

 

「皆、元気にしているでしょうか?」

 

「来れる奴、来れない奴もあるだろうな。おそらく、それを考慮しての2泊3日なのだろう。海軍はこういうイベントには寛大だ」

 

右折すると、そこには見慣れた鎮守府の姿があった。

車内が沸く。

 

「あ、見て!」

 

瑞鶴の指す先に、かつての仲間たちが手を振っていた。

俺たちを待っていてくれたようだった。

 

 

 

車を降りると、すぐに囲まれた。

 

「司令官、お久しぶりです!」

 

「提督、ご無沙汰しております」

 

「ご主人様、遅いですよ! 皆もう待ってたんですよ!」

 

「悪い悪い。瑞鶴が遅れてな」

 

一同、瑞鶴にブーイングの嵐。

 

「しょうがないじゃない。目覚ましが鳴らなかったんだもん」

 

「まあいい。とりあえず、荷物をまとめさせてくれ。終わったら食堂へ行くから、そこで待っていてくれ。ちょっとした挨拶をさせてもらおうと思う」

 

そう言うと、食堂に向かう者と荷物運びを手伝う者に分かれた。

荷物運びを手伝う者は、我先に話したいのか、駆逐艦が多かった。

食堂へ向かう者は、瑞鶴や翔鶴、鳳翔を連れて食堂へと向かった。

思い出話に花を咲かせるつもりだろう。

 

 

 

駆逐艦たちにもみくちゃにされながらも、何とか荷物をまとめ、食堂へと向かった。

食堂はワイワイと賑やかな雰囲気に包まれていて、俺が食堂へ入ると、皆一斉にこちらへ向き、静かになった。

 

「皆、久しぶりだな。まず、このような機会を与えてくれた海軍に感謝したいと思う」

 

後ろで様子を伺っていた海軍連中に敬礼した。

元艦娘達も同じように。

 

「終戦からすでに一年経っているが、今の平和があるのは、お前たちの活躍があったからこそだと俺は思う。その事に関しても敬意を表したいと思う」

 

今度は元艦娘達に敬礼する。

同じく、海軍連中も。

 

「さて、堅苦しい挨拶はこれくらいにして、皆、それぞれ積もる話がある事だろうと思う。2泊3日と限られた時間ではあるが、存分に楽しんでくれ。以上だ!」

 

拍手に包まれて、食堂を後にした。

海軍連中と一言二言挨拶を交わし、執務室へと向かった。

 

 

 

執務室は当時のままだった。

机の配置から、小物の位置まで。

こまめに掃除をしてくれているのか、机も床もピカピカだった。

 

「凄いな。あの当時のままだ」

 

ふと、見慣れない箱が置かれていた。

中を見ると、当時の制服が入っていた。

 

「こういうサプライズ、結構好きだ」

 

制服に身を包むと、あの頃の記憶が戻って来た。

窓の外の景色は、少しだけ変わっていた。

お昼過ぎのこの時間は、演習風景が見れるはずだ。

当然、今日は誰も海へは出ていない。

潮風だけは、あの頃と同じではある。

食堂では、まだ皆が喋っている様子で、時々、他の部屋で笑い声がする。

部屋割りは自由にしているが、おそらく、当時のままで皆過ごすのだろう。

俺もこの執務室で寝るようにしよう。

 

 

 

しばらく執務室の懐かしい雰囲気に浸った後、鎮守府を周ろうと廊下を歩いていると、朝潮型が挨拶して来た。

思い出話を交えて、しばらく話し込んだ。

満潮なんかは、一年前と比べてよく笑うようになっていた。

今の環境にとても満足していると言っていたし、恥ずかしそうに感謝もしてくれた。

全く態度が変わらなかったのは――。

 

「クズ司令官! 相変わらず間抜けな顔してるわ。平和ボケして余計腑抜けて見えるわ。だらしないったらないわね!」

 

「霞、お前は相変わらずだな……」

 

「ふんっ……悪い?」

 

安心していいのか悪いのか。

こいつだけはあの頃と全く変わらない。

 

「また後でな」

 

そう言って頭を撫でてやると、ぎゃーぎゃー騒ぎながら、朝潮型の皆に引っ張られて、この場を去っていった。

 

 

 

それから、各場所で挨拶を済ませ、再び執務室に戻ると、響と鳳翔が待っていた。

二人とも、あの頃と同じ格好をしていた。

 

「司令官、お帰りなさい」

 

「お帰りなさい提督」

 

「お前らどうした? 皆の所で過ごさなくていいのか?」

 

「私は秘書艦だったので、懐かしくなって着てみたんです。あの頃の雰囲気を味わいたくて」

 

「私も、初めてMVPを取った時の事を思い出していたんだ。あの時、司令官と鳳翔さんがいたんだよね」

 

「よく覚えてるぞ。お前、緊張してガチガチだったのを覚えてるよ」

 

「そうだったかな……」

 

「私も覚えてます。それで、落ち着いてからって、羊羹を三人でいただいたんですよ」

 

「あー、そうだったそうだった。あの羊羹、まだあるのだろうか」

 

いつも、執務室専用の冷蔵庫に常備していた羊羹。

その事をふと思い出し、冷蔵庫を開けてみると、なんと羊羹が入っていた。

 

「ここまで再現されていると、なんだか怖くなってくるな」

 

「本当ですね。あ、お茶の位置まで同じですよ。ちゃんと茶葉が入ってます」

 

「再現するために、食べるか。鳳翔、お茶を用意してくれ」

 

「かしこまりました」

 

「ハラショー!」

 

 

 

羊羹の味もお茶の味も、あの頃と同じ。

 

「まさか、こうしてまた一緒に過ごしているとはな。しかも、家族として」

 

「私は意識していましたよ。いつか、こういう日が来るといいなって」

 

「私は……」

 

そこで、響の手と口が止まった。

なんとなく、響の気持ちが分かる。

 

「なに、これからだろう。まだ一年。人生は長いぞ」

 

「そうよ。一年でこんなに変わるのだもの」

 

「そうだよね。でも、この関係は終わらせたくないな……」

 

「響……」

 

「響ちゃん……」

 

「だから、今を楽しもうと思うんだ。こうして、何気ない事の一つとっても」

 

「そうだな」

 

「あの子達もそう思ってますよ」

 

鳳翔の指す先、執務室の扉の向こうで第六駆逐隊がこちらを覗いていた。

 

「みんな……」

 

「行ってやれ。今を大切にしたいなら」

 

「うん、ありがとう二人とも。じゃあ」

 

何もかもがあの頃と同じ。

響がMVP取った時も、第六駆逐隊は、ああして執務室を覗いていた。

響、お前には、俺たちがいるし、あいつらがいる。

この鎮守府に集まった奴らだっている。

目まぐるしく時は過ぎてゆくけれど、ここで過ごしたみんなは、またこうして集まっているんだ。

それはきっと、いつまでたっても変わらない事なのだろう。

 

 

 

夕食は大広間で振る舞われた。

酒なども用意されていて、宴会のような雰囲気にのまれた元艦娘達は、大いに騒いだ。

酒に酔った者、宴会の雰囲気に酔った者、それぞれが引っ切り無しに絡んでくる。

 

「提督も飲もうぜー!」

 

「相変わらずだな隼鷹。少しくらいならいいぞ」

 

「なら、この千歳が提督さんにお酌させていただきますね」

 

「千歳お姉がすることないって。はい、提督、自分で勝手に注いで!」

 

提督であった頃は特に感じなかったが、こうして男と女となった今となっては、なんだか変に意識してしまうものだ。

 

「提督の飲みっぷり、素敵ですよ」

 

「千歳お姉、酔ってるでしょ!? もう、提督も鼻の下伸ばさないの!」

 

「ひゃっはー!」

 

だが、この無茶苦茶な感じが、そんな垣根を忘れさせてくれる。

それに、今の俺には――。

 

 

 

完全に宴会とかした夕食会は、終わりそうになかった。

何名かは既に抜けていたりしている。

俺も隙を見て、執務室へと逃げた。

 

「元気だな、あいつら……」

 

響と生活してから、酒は断っているし、そもそもそんなに飲める方ではない。

艦娘であったから飲めるのだろうと思っていたが、全く関係なかったようだ。

 

「あっ……」

 

執務室の前には、霞がいた。

 

「霞」

 

「司令官……」

 

「どうした? 何か用か?」

 

「…………」

 

霞は黙ったままだ。

言いにくいことがあるのかもしれない。

 

「とりあえず、執務室に入れ」

 

「……うん」

 

 

 

執務室に入って早々、霞が口を開いた。

 

「ねぇ……昼間の事……怒ってる……?」

 

「昼間の事?」

 

「私が悪態ついたこと……。クソ司令官って……」

 

「今に始まったことじゃないだろ」

 

「私の事……嫌いになった……?」

 

何か様子がおかしい。

こんなしおらしい霞、初めて見た。

 

「霞、お前、何かあったのか?」

 

「…………」

 

霞は、あの時の響と同じような顔をしていた。

隠し事をするような、そんな顔。

 

「霞、何があったかは知らんが、俺がお前を嫌いになる事なんてないぞ」

 

「……本当?」

 

「ああ、むしろ、悪態をついてくる方がお前らしい」

 

「でも……」

 

「……この一年で、何かあったようだな。俺が相手で良ければ、話してはくれないか?」

 

霞は俺の顔をじっと見つめた。

様子を伺っているような、そんな顔。

 

「話したくなければそれでもいい。だが、俺が力になれるのならば、協力してやりたいと思っている」

 

そう言って、優しく微笑んでやると、霞は肩の力を抜いて、ゆっくりと話し始めた。

 

「学校でね……仲良くなった友達が出来たの……」

 

「他の鎮守府にいた艦娘か?」

 

「うん……。それでね……最初はよそよそしくて大丈夫だったんだけれど、段々仲良くなっていくうちに、この鎮守府で過ごした時と同じようなノリを取り戻せる気がして……」

 

「悪態をついてしまったのか……」

 

「それで、その子が怒っちゃって……。この鎮守府では、みんなが許してくれたから、私はなんとかやっていけたのであって、他じゃ私は悪い子なんだって、その時気が付いたの……」

 

確かに、この鎮守府では、霞の性格を理解してくれる者は多かった。

何よりも、それは、霞が真面目で、一生懸命であるが故の厳しさであると分かっていたからだ。

 

「だから、ちゃんといい子になろうって思ったの……。でも、久しぶりにみんなと、司令官と会って、また悪い子になっちゃったの……。ごめん……なさい……」

 

ここでの生活が幸せだったが故に、悩む者もいる。

霞がそうだったようだ。

 

「別にお前は悪い子ではないよ」

 

そう言って、頭を撫でてやる。

 

「司令官はそう言ってくれるかもしれないけれど……」

 

「俺だって、最初は悪い子だなって思った。けど、それがお前の性格であって、お前の良さでもあると気が付いてからは、ちゃんと受け入れることが出来た」

 

「良いところなんて……」

 

「お前がそう思うだけで、俺はちゃんと見ていたよ。お前のその厳しい態度は、時として必要となっていた。戦場を甘く見ていた駆逐艦が騒いで、敵に発見されて、危うく沈みそうになった話を聞いたお前は、真っ先に駆逐艦を叱ったな」

 

「……そんな事、良く覚えてるわね」

 

「俺はあいつらを甘やかしそうになった。けど、お前のその厳しい態度は、駆逐艦達に事の重大さを認識させた。悪意のある事を言ってしまう時もあるが、相手の事を思った言葉である事は確かだと思う。その事が分かれば、きっとその友達だって、お前と上手に付き合っていけるんじゃないかな。だから、お前はお前らしくていいと思う。少なくとも、俺はそんなお前が好きだ。もちろん、ここに集まった皆もな」

 

「司令官……」

 

「それでもいい子になりたいのなら、その友達の前でだけいい子にしてろ。悪い子になりたいなら、いつでも俺の所に来い。いくらでも厳しく当たっていいぞ。全部受け止めてやる」

 

そう言ってやると、霞は俺に近づいて、そっと寄り添った。

 

「……ありがとう」

 

そっと抱きしめてやると、霞は温もりを感じるように、静かに目を瞑った。

 

 

 

霞が執務室を出るのと同時に、鳳翔が部屋に入って来た。

 

「見てましたよ、提督」

 

「恥ずかしいところを見られたな」

 

「霞ちゃん、悩んでいたなんて分かりませんでした」

 

「お前にはあんな態度取らないからな」

 

「それだけ提督を信用している証拠ですよ」

 

「ただ悪態がつきやすいだけだと思うが……」

 

「うふふ。しかし、霞ちゃんの悩んでいることを引き出せたのはさすがだと思います」

 

それは、響と同じ表情をしていたからだ。

あいつとの生活が無ければ、もしかしたら霞の悩みに気が付いてやれなかったかもしれない。

 

「もう夜も更けてきましたね。宴会はまだ続いていますけれど、いかがいたしましょうか?」

 

窓の外を見ると、大広間の方ではまだ人の影が慌ただしく動いていた。

 

「お前はどうするんだ?」

 

「提督のお返事によりますね。でも、提督と楽しみたい子はたくさんいましたよ」

 

「……そう言えば、なんだかお前、酒臭いぞ」

 

「私もその一人という訳です」

 

そう言うと、鳳翔はごきげんにクスクスと笑った。

 

「最初からそう言え。全く」

 

「だって、「提督」ですから。貴方の命令を守るのが、私たち艦娘です」

 

「ふっ、そうだな」

 

そう言って、帽子を被る。

 

「今から大広間で飲むぞ。ついて来い、鳳翔」

 

「はい! 提督」

 

どんな形であれ、俺たちは変わらない。

変わる必要はない。

艦娘であろうが、人間であろうが、そいつはそいつなのだ。

そいつただ一人なのだ。

 

「お、提督様がお帰りだー!」

 

「司令官ー! こっちに座って!」

 

「クズ司令官、こ、こっちでもいいのよ?」

 

そして、それを大切に思ってくれている奴らがいる。

 

「順番に回らせてもらうよ」

 

だから、俺たちは自分らしく生きられるんだ。

自分を愛してくれるみんなを、愛することが出来る自分として。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7

目が覚めると、目の前に響の顔があった。

 

「うお!?」

 

「おはよう司令官」

 

「おはよう響。どうした? こんな朝早くに……」

 

「司令官がいつ起きるか見ていたんだ」

 

「なんだそりゃ……。って、これは……」

 

周りを見てみると、皆が雑魚寝していた。

 

「そうか……昨日、あんだけ騒いだ後、寝ちまったのか……」

 

「そのようだね。私はすぐに部屋で寝ちゃったけれど」

 

「こりゃ、起こさない方がいいな。顔洗ってくる。そしたら、食堂で飯でも食いに行くか」

 

「うん」

 

戦時中も、度々宴会はあったものの、こんなにもだらしなくしたことはなかった。

次の日にはシャキッと演習もこなしていたこいつ等も、今回ばかりは……。

 

「ま、もう戦時中ではないしな」

 

ただ、女の子なんだから、謹みは持ってほしいぞ。

 

 

 

鎮守府同窓会二日目の朝は、とても静かだった。

食堂には、俺ら以外に誰もいない。

朝食はバイキング方式になっていて、和洋中が混在している。

 

「みんな、まだ起きてこないね。鳳翔さんもぐっすりだ」

 

「あいつ、昨日は相当飲んでいたみたいだし、しばらくは起きてこないだろう」

 

「なら、今日は司令官を独り占めだ」

 

「いつも独り占めだろ」

 

「ここ(鎮守府)では貴重だよ。司令官と二人っきりになれるのは」

 

「だとすれば、お前と二人っきりになるのも貴重だな。いつもあいつら(第六駆逐隊)と一緒だったから」

 

「だね」

 

そう言うと、響はニッコリと笑った。

思えば、この鎮守府で響のこういった笑顔を見れるのは、それこそ貴重かもしれない。

 

「あんな無表情だった奴がな……」

 

「ん、なんだい?」

 

「いや。食後はちょっと散歩でもするか。行きたいところがあるんだ」

 

「行きたいところ? どこだろう?」

 

「多分、お前も知らないところだ」

 

 

 

朝食を済ませ、響と鎮守府を出た。

海岸とは逆の方を歩いて行くと、俺の腰ほどまでに生い茂った雑草が広がっており、目を凝らすと小さな道が見て取れる。

 

「司令官」

 

小さな道へ入ろうとすると、響が手を出してきた。

 

「なんだ?」

 

「手、繋いでいこう。はぐれないように」

 

「――そうだな」

 

そう言って、手を繋いでやる。

小さな道は一本道だ。

はぐれる事はない。

それは響も承知の上だろう。

 

「司令官?」

 

「ん、何でもない。行くか」

 

「うん」

 

もし、俺がその事を言ったら、響はどんな顔をするだろう。

一瞬、見てみたいなと思ったが、そんな意地悪は出来なかった。

何よりも、響が一番、この時間を楽しんでいるようだったからだ。

 

 

 

一本道を進んでゆくと、段々と傾斜が出てきて、登っている事に気が付く。

周りには木々が生い茂り始めていて、その隙間からは、海岸が見える。

登ってゆくに連れて、それらは小さくなっていった。

 

「司令官、鎮守府が見えるよ。だいぶ登って来たんだね」

 

「ああ」

 

響の手の平が汗ばんできている。

木陰を歩いているとは言え、蒸し暑い事に変わりはない。

土のにおいが、辺り一面に立ち込めている。

妙な湿り気と共に。

 

「大丈夫か?」

 

「平気だよ。それよりも、司令官の方が心配だな。昨日、お酒を飲んだんでしょ?」

 

「ちょっとだ。それに、俺は大人だぞ。お前よりも体力はあるつもりだ」

 

「じゃあ、走ろう。よーい、どん!」

 

そう言うと、響は走り出した。

 

「な……! ちょ……!」

 

「司令官、早く!」

 

元気だな。

俺が心配性なだけだったか。

――と言うか、はしゃぎ過ぎているくらいだ。

 

 

 

先にゴールしたのは響だった。

遅れて俺もゴール。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「司令官、だらしないよ。大人なのに」

 

「お前が元気すぎるんだよ……」

 

「それよりも、ここは?」

 

「ここは鎮守府近くの丘の上だよ」

 

「そんな遠くまで来てたんだ。鎮守府から見たことはあるけれど、登ったのは初めてだ」

 

「思ったよりも近いだろ。俺はよくここでさぼってたんだ」

 

「時々、司令官が居なくなるのはこういう事だったんだね」

 

「ここで寝ると気持ちいいし、何よりも、誰にも邪魔されないんだ」

 

「眺めもいいね。潮風が気持ちいいよ」

 

響の髪が、風で揺れると、汗ばんだ首元がちらりと見えた。

 

「まだこれからだってのに、もう汗かいてるじゃねぇか。拭いてやるよ」

 

ハンカチで響の汗を拭いてやる。

 

「くすぐったいよ」

 

「我慢しろ」

 

自分で拭けるだろうから、ハンカチを渡してやればいいものの、拭いてやりたくなるのは何故だろう。

さっき、こいつが手を繋ぎたがった理由と同じなのかもしれない。

 

「じゃあ、私は司令官の汗を拭いてあげるよ」

 

「頼む」

 

全く、こんな朝早くに丘に登って、何をやっているのだろう。

そんな馬鹿馬鹿しさが、何だか貴重で、価値のあるものに思える自分が居た。

 

 

 

しばらく芝生の上に座り込んで、無限に広がる海を二人してぼうっと眺めていた。

 

「ここはいいね。なんだか落ち着く」

 

「嫌なこととかあった日は、ここによく来ていた。何も考えないで居ると、嫌なことも忘れちまうんだ」

 

「嫌な事か……」

 

何やら意味ありげな含みを持たせたまま、響は黙ってしまった。

その瞳に映る空と海の向こうに、何を思っているのだろう。

 

「司令官は、どうして私を引き取ってくれたの……?」

 

「え?」

 

「いくら司令官だったとは言え、戦後まで私の面倒を見てくれるのは、どうしてだろうって……。施設に送ることだってできたんでしょう? 最近、学校の先生から聞いたんだ……」

 

「施設に送ってほしかったか?」

 

「そうじゃない! ただ……」

 

「別に大した理由はないさ。俺が響の両親を見つけるまで、一緒に居れたらって思っただけだ」

 

「どうしてそこまで私に……?」

 

「俺にも分からん。ただ、そう思ったのなら、そのようにするだけだ。俺はいつだってそうして来た。鳳翔に一緒に住もうって言ったのだって、深い理由なんてない。俺がそうしたいからそう言ったまでだ」

 

「…………」

 

「お前はどうなんだ? 無理やり俺に連れてかれて、一緒に暮らしてさ。施設に行けると分かった今、どうする?」

 

「施設に行こうかなって、その時は思った。このまま親が見つからなかったら、私は司令官に迷惑をかけ続ける事になるから……」

 

「…………」

 

「でも……本音は、ずっと一緒に居たいって思ってるよ。親が見つかっても、ずっと一緒に居たいって……」

 

「俺もだよ」

 

けれど、本当に親が見つかった時、響の反応は変わるだろう。

 

「司令官……」

 

響は、そっと俺に寄り添った。

今が一番幸せ。

そう鳳翔は言った。

俺もそう思ったし、響もそう思っただろう。

そう、今、なのだ。

今だけなのだ。

 

「もう少し、こうしているか」

 

「――うん」

 

海の向こうに何があるか分からないように、俺たちの未来も、まだ分からないままだ。

 

 

 

しばらくして鎮守府に戻ると、今朝の静けさが嘘のように、空気がざわついていた。

 

「あ、提督! どこに行かれていたのですか!?」

 

鳳翔が小走りで向かって来た。

 

「散歩だ。響も一緒にな」

 

「そうだったのですか……」

 

ほっとした顔を見る限り、ずっと俺達を探していたのだろう。

 

「心配をかけたようだな。声をかけてからにしようかと思ったのだが、気持ちよさそうに眠っていたのでな」

 

「あんなに気持ちよさそうに眠る鳳翔さん、初めて見たよ」

 

「やだ……恥ずかしい……。昨日はすみませんでした……」

 

「いや、羽を伸ばせているようで安心した」

 

鳳翔は少し照れた後、はっとしたように顔をあげた。

 

「そ、それよりも、大変なんです! 瑞鶴さんと加賀さんが!」

 

 

 

現場に駆けつけると、瑞鶴が今にも泣きそうな顔で加賀に何か叫んでいた。

 

「瑞鶴、加賀、お前らどうした!?」

 

「提督さん……」

 

「提督……」

 

「喧嘩か……? 何が原因だ?」

 

そう聞いた時、瑞鶴は堪えていたであろう涙があふれ出して、そのまま廊下を駆けていった。

 

「瑞鶴!」

 

追いかけようとしたが、今は事情を把握したほうがよさそうだと判断し、加賀の方へと向いた。

相変わらずのポーカーフェイスであったが、目は伏せられていた。

 

「とりあえず、執務室へ来い……」

 

「はい……」

 

 

 

集まっていた艦娘達を解散させ、加賀を執務室へといれた。

廊下では心配そうに赤城が待っていたようだが、鳳翔に連れられて、去っていった。

 

「お前、戦時中はよくMVP取って、この部屋を訪れていたのにな……」

 

「申し訳ございません……」

 

「俺はもうお前らの提督ではないから、説教するつもりはないが……事情を聞かせてはくれないか?」

 

「全て私が悪いのです。私の責任です」

 

「そういうことを聞いているのではなくてだな……」

 

瑞鶴と加賀の喧嘩は今に始まったことではない。

だが、ここまで大事になったことはない。

ましてや、あの瑞鶴が泣くまでとは……。

 

「経緯を説明してくれと言っているのだ。誰が悪いかなどとは聞いていない」

 

「…………」

 

加賀は黙ったまま床を見つめた。

何か言いたくない事でもあるのだろうか。

 

「お前が言えないのなら、瑞鶴に聞くぞ」

 

「……分かりました。説明します」

 

加賀が言うにはこうだ。

瑞鶴が、季節外れのマフラーを編んでいたのを見て、加賀が「備えるのが早すぎる」と言ったのが始まりらしい。

最初は良かったのだが、「下手」だの「間違っている」だの「色のセンスが悪い」だの、いつもの調子で加賀が茶化したところで、瑞鶴がキレたようだ。

つまり、しょうもない喧嘩であるらしかった。

 

「だから、言いたくなかったのです……」

 

「確かにな。しかし、それは瑞鶴も同じはずだ。一年経っているとは言え、しょうもない喧嘩はいつもの事だっただろう。もっと何かあるのではないか?」

 

「いえ……私も心当たりがないのです……。いつもの調子だったので……」

 

「ふむ……」

 

こりゃ、瑞鶴にも聞いた方がいいな。

加賀はそんなつもりなくても、瑞鶴には何か引っかかるポイントがあったのだろう。

 

「事情は分かった。もういいぞ」

 

「ご迷惑をおかけしました……。失礼します」

 

そう言って、加賀は部屋を後にした。

2泊3日の2日目という、一番時間があるこの日に、なんだか変な空気が流れている。

元とはいえ、俺は提督であったのだ。

この空気を何とかしなければなるまい。

 

 

 

色んな奴から聞いて、瑞鶴の居場所が分かったのは、事件から一時間ほどたった後だった。

 

「やっと見つけたぞ」

 

瑞鶴は堤防の上で黄昏ていた。

 

「提督さん……」

 

泣いていたのか、目の下が真っ赤だった。

 

「何? 説教しに来たの……?」

 

「そうじゃない。説教なんてする立場ではないからな」

 

「……聞いたの? 喧嘩の理由……」

 

「ああ」

 

「どう思った……?」

 

「しょうもないと思ったよ。いつもの事だって」

 

「…………」

 

「ただ、お前の怒りようがいつもと違うから、何かあるのだと思ってな。しょうもなくない、特別な理由がさ」

 

瑞鶴は膝を抱えて、そこに顔をうずめた。

 

「俺で良ければ、聞かせてくれないか? 怒った理由」

 

「……うん」

 

 

 

波は比較的穏やかだった。

テトラポットには、何匹ものフナ虫がくっついていて、それを狙っているのか、猫が別のテトラポットから身を潜めていた。

 

「昔ね……」

 

膝を抱え、遠い水平線を眺めながら、瑞鶴は口を開いた。

 

「冬の時期の出撃に、加賀さんと一緒になった事があったの。風が冷たくて、曇っていたから、凄く寒かった。出来る防寒と言えば、マフラーくらいだった。でも、海にマフラーを落としてしまって……」

 

そこまで聞いて、なんとなく状況がつかめてきた。

 

「凍えていたら、加賀さんが自分のマフラーを渡してくれたの。寒さに強いのかなって思った。でも、昨日の宴会で気が付いたの。クーラーが効いていたでしょ? 凄く寒そうにしてたの。後で赤城さんに聞いたら、加賀さんは誰よりも寒さに弱いんだって……」

 

確かに、加賀は誰よりも寒さに弱くて、時折、暖房の効いた執務室に入り浸っていたこともあった。

 

「それなのに、私にマフラーを渡してくれたんだって。思えば、加賀さんって、小うるさくはあったけれど、それだけ私の事を心配してくれてたのかなって……」

 

「どうでもいい奴や、嫌いな奴の事をうるさくは言わないからな」

 

「だから、お礼を込めて、あの時と同じようにマフラーでお返ししようかなって思ったの。でも、難しいね。一日でできるものだと思ってたけれど、何日もかかりそう。ましてや、下手で、間違っていて、色のセンスも悪いって……」

 

これから渡す人にそんなこと言われたら、俺も悲しくなるかもしれない。

 

「提督さんに言われて、自分らしくやってみたけれど、余計なお世話だったみたい。失敗を学んだ。いい勉強になったわ」

 

「そう言うのは、失敗って言っちゃいけないんじゃないか?」

 

「え……?」

 

「確かに、下手で、間違っていて、色のセンスは悪かったかもしれない。けれど、それはマフラーに対してだろう? お前の気持ちに対してじゃない」

 

「私の気持ち……?」

 

「お前が加賀に感謝している気持ちだよ。マフラーは時間がかかるかもしれないけれど、その気持ちを伝えるのはすぐにできるだろう」

 

遠くでウミネコが鳴いた。

テトラポットにいた猫は、もういなかった。

 

「お前の気持ちを伝えて来い。マフラーはその後でもいいだろ」

 

「――そうだよね。うん、そうだよ。まずはお礼を言わないとね」

 

「そうと決まれば、行って来い。後、ちゃんと仲直りして来い」

 

「うん! あ、提督さん……あの……」

 

「?」

 

「一緒に……来てくれる……?」

 

「ああ」

 

「――ありがとう、提督さん」

 

 

 

鎮守府に戻ると、加賀が入口で待っていた。

 

「加賀さん……」

 

「…………」

 

どちらも目を伏せたまま、黙ってしまった。

 

「瑞鶴」

 

声をかけてやると、瑞鶴は俺を見た後、小さくうなずいた。

 

「加賀さん……あの……」

 

「ごめんなさい……」

 

謝ったのは加賀だった。

 

「私……貴女と久しぶりに会って、凄く嬉しかった……。元気そうで安心した……。話しかけようと思ったのだけれど、恥ずかしくて……。だから、いつもの調子であんな事を言ってしまったの……ごめんなさい……」

 

加賀の謝る姿は、先ほど執務室で見せたものよりも、気持ちがこもっていた。

何よりも、声と表情が、それを物語っていた。

 

「瑞――」

 

瑞鶴の方を見ると、大粒の涙を流していた。

 

「違うの……っ……そうじゃないの……」

 

瑞鶴は嗚咽しながら、俺に話したのと同じように、怒ってしまった理由を説明した。

加賀はそれを静かに聞いていた。

 

「だから……私は……私は……」

 

そこまで言い終えると同時に、加賀が瑞鶴を抱きしめた。

その目には、うっすらと涙が溜まっていた。

 

「本当……私たちは不器用ね……」

 

「加賀さん……」

 

やれやれといった感じで、俺は静かにその場を後にした。

木陰で心配そうに見つめていた赤城と翔鶴と一緒に。

 

 

 

その夜も大広間で宴会が行われていた。

明日にはここを離れる。

なんだか悲しい気もするが、またこうして集まれると思うと、安心できた。

 

「失礼します」

 

執務室に入って来たのは瑞鶴だった。

 

「おう。宴会はどうした?」

 

「提督さんにお礼が言いたくて、抜けてきた」

 

「別にお礼されることなんてしてないさ」

 

「でも言わせて。提督さん、ありがとう。私、加賀さんと仲良くなれたんだ。連絡先も交換したわ」

 

「そりゃ良かったな」

 

瑞鶴はニッと笑った。

 

「お前は笑っていた方がいいよ」

 

「泣いてた顔も可愛いと思わなかった?」

 

「思ったよ」

 

「わー、変態さんだ」

 

「なんでだよ……」

 

「にひひ」

 

瑞鶴らしさ。

それは、素直な所だろう。

どんなに取繕うとも、自分の気持ちに嘘はつかない。

加賀も、そこに気が付いていたから、気にかけていたのだろう。

 

「加賀さんもお礼を言いたいんだって。行こう? 提督さん」

 

「ああ、分かったよ」

 

俺が居なくても、こいつは加賀と仲良くやって行けただろう。

どんなに時間がかかったとしても。

それほどに、お互いを想う力は強いものだった。

 

 

 

3日目はあってないようなもので、皆朝早くに荷物をまとめて帰っていった。

別れを惜しむ暇もなく、あっという間に鎮守府は空になった。

 

「俺たちも帰るか」

 

「帰るまでが遠足だものね!」

 

「ちょっと寂しいのです」

 

「あ、暁は……寂しくない……寂しくないんだから……!」

 

「また会えるから大丈夫だよ。そうだよね、司令官」

 

「ああ」

 

バックミラーに映る鎮守府がどんどん小さくなってゆき、やがて見えなくなった。

 

 

 

その夜。

響と鳳翔が一緒に風呂に入っている頃、一本の電話が入った。

海軍からだった。

 

「鎮守府同窓会の件、お世話になりました」

 

『いや、どうってことないさ。それよりも、響の親の件だが、新しい情報が入った』

 

「本当ですか!?」

 

『ああ。まだ定かではないがな』

 

「……その情報とは?」

 

『実は――』

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8

「響ちゃんのご両親が……ですか!?」

 

「厳密にいうと、両親ではないんだ。両親に繋がりはするのだろうがな……」

 

響が学校へ行っている間に、鳳翔に電話の事を話した。

響にはまだ言っていない。

言うかどうか悩んだ結果、鳳翔に相談することにしたのだ。

 

「それで、響ちゃんの両親に繋がる情報と言うのは?」

 

「まだ定かではないのだが、響の祖父母にあたる人がロシアにいるらしい。響の両親の行方について知っている可能性があるそうだ」

 

「ロシアですか……」

 

「確かに、国内で情報がないのなら、海外にいる可能性もあるな。もしかしたら、ロシアに響の両親も……」

 

「響ちゃんには……」

 

「言っていない。言うかどうか、迷っているのだ」

 

「情報が確実なものにならない限り、伏せておいた方が……」

 

「やはりそう思うか」

 

変な期待をさせるのも可哀想だ。

だからと言って、このまま隠し通せるものだろうか。

 

「とにかく、この事は二人だけの秘密にしてくれないか。俺は隠すのが下手だから、何とかフォローを頼む」

 

「分かりました」

 

響の両親が見つかるかもしれない。

良い事なのに、俺も鳳翔も素直に喜べないでいた。

 

「もし、ロシアに響ちゃんのご両親がいたら……」

 

会うことは、難しくなる。

下手したら、一生――。

 

「…………」

 

返事をする気にもなれなかった。

 

 

 

「ただいま司令官」

 

「おう、お帰り」

 

いつものように。

そう振る舞おうとすればするほど、不自然な動きになってしまう。

だから、俺は電話の件を忘れる事にした。

俺は何も知らない。

その方が、楽でもあった。

 

「ただいま鳳翔さん」

 

「え……? あ、お帰りなさい響ちゃん」

 

「大丈夫? ぼーっとしてたけれど」

 

「う、うん。ちょっとね……」

 

逆に鳳翔の方が意識しすぎているように感じた。

話さない方が良かったのかもしれない。

 

「響、手洗って来い」

 

「うん」

 

響が去ってから、鳳翔に近づく。

 

「大丈夫か?」

 

「えぇ……」

 

「響の事……意識させてすまない……」

 

「あ、そうじゃないんです。そうじゃなくて……」

 

そう言うと、鳳翔は俯いた。

どうやら響の件とは別に、何か思う事があるらしかった。

 

「鳳翔?」

 

俺の問いかけに、鳳翔は決意したように顔をあげた。

 

「後でお話があります……。響ちゃんも一緒に聞いてくれると嬉しいです……」

 

その目は、とても真剣なものであった。

 

 

 

夕食も済ませ、一段落してから、三人で居間のテーブルを囲んだ。

響は、何ごとかと心配そうに鳳翔の方を見ていた。

一間あった後、鳳翔は口を開いた。

 

「お二人にはお話ししておかなければならない事があります……」

 

「…………」

 

俺も響も顔を合わせた。

こんなに深刻そうな鳳翔の顔を今まで見たことが無かったのだ。

 

「実は、この生活の事を、私は両親に話してませんでした」

 

「……何故だ?」

 

「父です……。父は、私が一人で暮らす事にすら反対した人です。艦娘として戦いたいと言った時だって……」

 

「鳳翔さんはお父さんと仲が悪いの?」

 

「えぇ……。あの人は、私のする事のほとんどを否定して来た……。父から離れたい気持ちもあって艦娘になったし、一人で暮らしていたの」

 

「しかし、何故急にそんな事を……」

 

「実は……母にだけは、昨日電話で話したのです。母は私の良き理解者でしたから……。しかし、あまりよく受け取ってくれなくて……」

 

鳳翔の母親が具体的にどう良くないと思っているのかは、あえて聞かなかった。

鳳翔が話さないところを見ると、おそらくは――。

 

「父に理解されなくても、母には理解してほしいのです。なので――」

 

そう言うと、鳳翔は頭を下げた。

 

「どうか、私の両親と会ってくれませんか……?」

 

俺の答えは決まっていた。

響も同じようで、俺の顔を見て頷いた。

 

「当然だ。それに、近々挨拶をと思っていたところだ」

 

「鳳翔さんは私たちの家族だ。私に何が出来るか分からないけれど、少しでも力になりたい」

 

「ありがとうございます……提督、響ちゃん……」

 

いつまでも頭を下げ続ける鳳翔をなだめ、その日の話は終わった。

 

 

 

数日後。

前日に買った手土産を持って、俺たちは家を出た。

俺も響も、余所行きの服に身を包んで、身形を整えた。

 

「そこまでなさらなくても……」

 

「いや、少しでも誠意を見せれたらと思ってな。な、響」

 

「うん。私もいい子だって思われるように努力するよ」

 

「響ちゃんは普段からいい子よ。だから、あまり緊張しないでね」

 

「大丈夫」

 

そうは言っても、緊張はするものだ。

昨晩は、今日の事を考え過ぎて、あまり眠れなかった。

 

「すみません……。こんな事になってしまって……」

 

「気にするな」

 

重苦しい空気が流れる。

それを察してか、響は俺と鳳翔の手を取った。

 

「三人でのお出かけ、嬉しいな」

 

それは本心か、はたまた気を遣ったのか。

 

「だな」

 

「――そうね」

 

どちらにせよ、俺と鳳翔はその言葉に救われた。

 

 

 

列車に揺られて二時間ほどすると、田畑広がる田舎の風景が、車窓から望めた。

そんな景色に、響は夢中になっていた。

 

「いいところじゃないか」

 

「何もない田舎です。狭くて、世間知らずの集まる所なんです……」

 

「だが、お前はここで育ったのだろう? なら、いいところなんだろうと思うがな」

 

「過大評価ですよ」

 

そう言って俯く鳳翔。

これからの事が不安なのだろう。

返答が一々悲観的だ。

 

「大丈夫か?」

 

「えぇ……」

 

鳳翔は俺の手をそっと握った。

慰めの言葉もなく、俺は、それを握り返すことしか出来なかった。

 

 

 

駅からバスを乗り継いで、やっとのことで鳳翔の実家に着いた。

 

「…………」

 

家の敷地に入ろうとした時、鳳翔の足が止まった。

 

「鳳翔」

 

「鳳翔さん」

 

響と俺とで手を差し伸べてやった。

 

「……ありがとうございます。大丈夫です」

 

そう言って、鳳翔は俺たちを後ろに、玄関へ入っていった。

 

「――ただいま」

 

待っていましたと言わんばかりに、玄関から鳳翔の母親と思わしき人が駆けてきた。

 

「お母さん……」

 

鳳翔の母は、久しく見るであろう娘の顔を言葉なく眺めていた。

 

「――お帰りなさい」

 

そして、安堵の混じった声で、そう言った。

 

「電話でも話したけれど、紹介したい人が居るの。お父さんは……?」

 

「お父さんはまだ畑で仕事しているわ。とにかく、あがってちょうだい」

 

鳳翔の母親に促されるまま、俺たちは居間へと向かった。

 

 

 

居間の振り子時計は12時過ぎを指していた。

畳の居間には、丸いちゃぶ台が置かれていて、その上に稲荷ずしやら素麺やらが、蚊帳を被っていた。

縁側からの風を扇風機が運んでいる。

まさに田舎の風景そのものだった。

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

「いえ、ご挨拶が遅くなりまして……。これ、つまらぬものですが……」

 

「あらあら、わざわざすみません」

 

「この度は申し訳ございませんでした。ご両親の許可も得ずに、同棲を……」

 

「まあまあ、その話は後にしましょう。お嬢ちゃん、お腹すいたでしょう?」

 

そう言うと、響は小さく頷いた。

緊張しているようだ。

 

「お昼はまだでしょう? お口に合うか分かりませんが、どうぞ食べていってくださいな」

 

そう言うと、ちゃぶ台の上の蚊帳を外した。

 

「すみません。いただきます」

 

 

 

食事中は、他愛もない会話が続いた。

ここの地域の事や、昔の鳳翔の話など。

時折、響に対しても話しかけてくれて、お互いの緊張は徐々にほぐれていった。

 

「そう、響ちゃんって言うのね。貴女も艦娘だったのよね?」

 

「うん」

 

「通りでお利口だと思ったわ。さ、いっぱい食べてね」

 

「とても美味しいです。さすが、鳳翔さんのお母さんだ」

 

「あら、ありがとう」

 

対して、鳳翔の表情はずっと暗かった。

時折、縁側の方を見たりしている。

父親の事が気になるのだろう。

 

「鳳翔」

 

「あ……はい」

 

「母親譲りなんだな。お前の料理」

 

「えぇ、ずっと母と一緒に居たので……」

 

「お母さんっこだったのよ、この子」

 

「鳳翔さんのお母さんって、なんだか不思議だ。私にとって、鳳翔さんがお母さんだから」

 

「なら、私は響ちゃんのおばあちゃんかしら?」

 

鳳翔の母親がそう言うと、鳳翔も少しだけ笑った。

それでも、どこか不安を残した顔である事に変わりはなかった。

 

 

 

食事を済ませ、くつろいでいると、鳳翔の父親が帰って来た。

 

「あ……」

 

挨拶する間もなく、一目こちらを見ると、そのまま風呂場へ向かっていった。

 

「ちょっとアナタ。もう、ごめんなさいね。あの人、人見知りでね」

 

「いえ」

 

「ああ見えて、本当は心配性なんです。この子の事だって……」

 

「そんなんじゃないよ、お父さんは……。私の事なんて、なんにも考えてないんだから……」

 

鳳翔と父親の間に、一体どんな事があったのかはわからない。

けれど、俺が思うに、鳳翔の父親は不器用な人なのかもしれない。

 

「提督、まずは両親と私の三人で話しをさせてください」

 

「そうね」

 

「分かった。俺たちはしばらく外すことにしよう。響、少し出るか」

 

「うん」

 

「ごめんなさい……」

 

 

 

響を連れて、鳳翔の実家を出た。

田畑と、遠くに見える山しか、この辺りにはなかった。

所々に家はあるが、「お隣」というには距離がありすぎるほどに、点々としている。

 

「何もないね」

 

「人っ子一人いないな。さて、どうやって時間を潰すかな」

 

「司令官」

 

「なんだ?」

 

「肩車、してほしい」

 

「いいけど、急にどうした?」

 

「普段出来ない事をしようと思うんだ。ここには、私の知り合いはいないしね。人の目を気にしないで甘えられるかなって」

 

「普段から人の目なんて気にせず甘えていいんだぞ」

 

「恥ずかしいんだよ」

 

「恥ずかしい自覚があるのか」

 

それでも甘えてくるところを見ると、やはり子供なのだなと思う。

きっと、そのことを言ったら怒るだろうな。

 

「ほら、よっと!」

 

響を抱きかかえ、そのまま肩に乗せた。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

「うん」

 

そのまま田舎道を歩いた。

目的もなく、何も考えずに。

 

「鳳翔さんのお母さんのご飯、美味しかったね」

 

「ああ」

 

他愛の無い会話。

目的地の無い散歩。

何でもないような時間が、今の俺にはとても大事に思えた。

 

「やっぱり、鳳翔も人の子なんだな。ああいうところを見ると」

 

「司令官の両親は?」

 

「いないよ。俺が中学生くらいの時に死んじまった。親父は戦死で、母は病死だ」

 

「……すまない」

 

「なに、気にするな」

 

「司令官には、私がいるよ」

 

「――ああ。ありがとう」

 

心から喜べない自分が居た。

 

 

 

時間が大分経っていることに気が付いて、鳳翔の実家へと引き返した。

 

「もうそんなに経ったんだね」

 

「楽しい時間はあっという間だな」

 

「肩車して歩いてただけだけどね」

 

ここまで来る間、誰一人にも会わなかった。

店も無ければ、公園も無い。

車すら見ていない。

 

「まるで私たちだけの世界みたいだね」

 

「一緒に住み始めた時の事を思い出すな」

 

「……そうだね」

 

そう言うと、響は俺の頭に頬を乗せた。

 

「ねぇ司令官……」

 

「なんだ?」

 

「どうしたら……司令官とずっと一緒にいれるかな……?」

 

俺は何も答えなかった。

 

「鳳翔さんの実家、結構遠いところにあるね……。もし、私の両親が見つかって、住んでいるところがとても遠かったら、司令官とは滅多に会えなくなっちゃうのかな……」

 

「響」

 

「なんだい?」

 

「その話、もう止してくれないか?」

 

「え?」

 

「頼む」

 

俺の気持ちを察してか、響はそれっきりその事を話さなかった。

 

「降りるよ」

 

「そうか?」

 

降ろしてやると、今度は抱っこをせがんできた。

抱きかかえてやると、そのまま俺の首に手をまわして、頬を摺り寄せた。

 

「…………」

 

お互いに無言のまま、鳳翔の実家を目指した。

 

 

 

鳳翔の実家に帰ると、親子三人での話しは済んだようで、何とも言えない雰囲気になっていた。

鳳翔の父親が縁側で煙草をふかしていたので、その場で挨拶をすると、父親は小さく頷くだけだった。

 

「提督、お帰りなさい」

 

「ああ。どうだ?」

 

「とりあえず、状況は分かってくれたみたいです。お母さんは、悪い人じゃなさそうだし、安心したと……」

 

「……親父さんは?」

 

そう言うと、鳳翔は分の悪そうな顔をした。

 

「反対されたのか?」

 

「いえ……勝手にしろ……との事でした……」

 

「そうか……」

 

「……お父さんの事はもういいんです。お母さんに認めてもらえれば、それで……」

 

そうは言っているが、父親にも認めてもらいたかったのだろう。

鳳翔は横目で父親の背中を見た。

 

「こんにちは」

 

そんな父親に話しかけたのは響だった。

 

「……こんにちは」

 

怠そうな父親の声が返す。

 

「響って言います。鳳翔さんと一緒に住ませてもらってます」

 

それから響は、自分の事や、俺の事、鳳翔の事や、家族の事、何でも父親に話していた。

そんな響を、父親は静かに見守っていた。

時折、相槌を打ちながら。

 

「だから、私は両親が見つかるまで、お世話になっているんです」

 

そこまで言い終えた時、父親が重い口を開いた。

 

「響ちゃんは……今が幸せかい……?」

 

「うん。司令官が居て、鳳翔さんが居て……。二人は私にとっての家族……大切な人達です」

 

「そうか……」

 

煙草の火をもみ消すと、重そうに体を立たせて、俺の方へ向いた。

 

「帰ってきてばかりで悪いが……少し、歩かないか……?」

 

鳳翔が心配そうに俺の方を見た。

 

「はい」

 

「支度してくる……」

 

そう言うと、ゆっくりと居間を去っていった。

 

「提督……」

 

「大丈夫だ。行ってくる」

 

響に鳳翔と待っているように伝え、外で父親を待った。

 

 

 

日が傾き始めている。

空の色は段々とオレンジ色を含んできて、その中を悠然とトンビが飛んでいた。

 

「待たせたかな……」

 

「いえ」

 

そのまま、ゆっくりと歩き始めた。

昼間と同じように、目的地はない。

 

「君の事は、あの子から聞いた……。あの子の提督だったそうだな……」

 

「はい。娘さん、そして、響と共に戦いました」

 

「あの子は役に立っていたかね……」

 

「秘書艦として、私のサポートをしてくれました。もちろん、戦いにおいても優秀でした」

 

「そうか……」

 

その時の父親の顔は、どこか嬉しそうだった。

 

「昔から……よく頑張る子だった……。とても優しい子でね……」

 

それから、鳳翔に関する昔話を淡々と聞かされた。

まるで自分の自慢話でもするかのように、父親の顔は、どこか誇らしげに見えた。

 

「大事にされて来たのですね」

 

「だが、あの子は俺の事を嫌いなんだろうな。なんたって、厳しい事ばかり言って来たからな……」

 

「でも、それは、お義父さんが鳳翔の事を大事に思ってやったことじゃないんですか」

 

「本人がそれをよく思ってなかったのなら、私のしたことは無駄だったという事だ……」

 

「そんな事は……」

 

「……君は優しいね。私が持っていないものを、君は持っている」

 

俺を見るその瞳は、とても穏やかなものだった。

 

「あの子が君を連れてくると聞いた時、絶対に殴ってやろうと思っていた」

 

俺も、殴られるだろうと覚悟していた。

 

「しかし、あの子の話を聞いて、君がいい人なんだと分かった。私とは違う、いい人なんだと。それに、あの子は言っていた。「恋人なんかじゃなくていい。あの人達と家族になりたい」と……」

 

父親は天を仰いだ。

 

「あの子には、理想の家族像があるのだろう。幼い頃から夢見た、家族像が。君はそれを、あの子に与えられる。もちろん、響ちゃんにもな……」

 

「お義父さん……」

 

「あの子を……よろしくお願いします……」

 

深々と頭を下げた背中で、夕日が山の方へと沈んでいった。

 

 

 

夜も遅くなるといけないので、俺たちは早々に帰る支度をしていた。

父親は、鳳翔の顔も見ず、先ほどと同じように縁側で煙草をふかしていた。

 

「またゆっくり出来る時にいらしてください」

 

「はい、是非」

 

「またね、響ちゃん」

 

「うん!」

 

「貴女も、体に気を付けるのよ。困ったことがあったら相談しなさいね」

 

「えぇ、お母さんも。ありがとうね」

 

鳳翔がちらりと父親の背中を見た。

 

「いいのか?」

 

「……えぇ」

 

そのまま、鳳翔の実家を出た。

 

 

 

バス停に着き、バスの時刻を確認すると、幸いにもあと少しで来ることが分かった。

これを逃すと、もう二時間は来ることが無いようだ。

 

「鳳翔のお母さん、いい人だったね」

 

「私の目標だもの。私も、響ちゃんにいいお母さんって言われるように頑張るね」

 

「鳳翔さんはもういいお母さんだよ」

 

「ありがとう」

 

俺はずっと父親の事が気がかりだった。

これでいいのだろうか。

あの人は、俺以上に鳳翔の事を考えている。

あんなに優しい父親はいないだろう。

なのに、報われなくていいのか?

 

「鳳翔……あのさ……」

 

そう言いかけた時、息を切らしながら、父親がバス停へと走って来た。

 

「お父さん……?」

 

「はぁ……はぁ……」

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「あ、あぁ……」

 

父親の息が整うまで待った。

 

「もう大丈夫だ……」

 

「……どうしたの?」

 

鳳翔は目も合わせないで、冷たく聞いた。

 

「これ……」

 

そう言うと、幾分か分厚い封筒を鳳翔に手渡した。

 

「なに……これ……?」

 

「お前の為に貯めた金だ」

 

「え……?」

 

「いつか……こんな日が来ると思っていた……。親の元を離れて、自分の見つけた大切な人と家族となる日を……」

 

父親の目は、あの時の穏やかなものと同じ目をしていた。

 

「お前が子供の頃から、ずっとこの日を想い続けた。私は不器用だから、お前に沢山迷惑をかけてしまうと分かっていたんだ……。良き父親になれないと分かっていた……」

 

鳳翔は初めて父親に向き合った。

 

「だから……こんなことしか出来なかった……。ごめんな……こんな父親で……。こんな事しか……出来ない父親で……」

 

父親の目には、うっすらと涙が溜まっていた。

鳳翔が子供の頃から、コツコツと貯めてきたのだろう。

封筒はボロボロだった。

 

「……なんでよ」

 

封筒を持つ手が震えていた。

 

「なんでよ……。どうして……」

 

鳳翔の目から、一筋の涙が零れ落ちた。

それと同時に、バスが近づいて来た。

 

「バスが来たな……。どうか、この子をよろしくお願いします……」

 

そう言って、また俺に頭を下げた。

 

「響ちゃんも、またな……」

 

「……うん」

 

バスが俺たちの前にとまった。

 

「さ、早く行きなさい……」

 

「お父さん……私……」

 

「じゃあな……」

 

そう言って、父親は実家の方へと歩いて行った。

 

「お父さん……!」

 

追いかけようとする鳳翔の手を掴んだ。

 

「放してください……!」

 

俺は無言で首を振った。

鳳翔はそのまま大粒の涙を流して、項垂れるままバスへと乗った。

 

 

 

バスには俺たち以外に乗客はいなかった。

あれから鳳翔はずっと泣いている。

運転手が心配そうに、ミラー越しにこちらを見つめていた。

 

「……俺と話したときも言っていたよ。ずっと、お前の事を思っていたんだそうだ。自分はいい父親になれなかったと言っていたが、俺はあんな父親になりたいって、そう思ったよ。立派な父親を持ったな……鳳翔……」

 

「お父さん……」

 

泣き止まない鳳翔の肩を抱いて、目的地に着くまで寄り添ってやった。

 

 

 

帰りの電車で、泣き疲れた鳳翔は眠ってしまった。

 

「よく眠っているね」

 

「安心したのもあるのだろうな……」

 

「……やっぱり、本当の家族って、私たちには無いものを持ってるね」

 

「……そうだな」

 

改めて気づかされる、本当の家族の存在。

俺たちに無いもの。

本当の家族になるには、それが必要なのだろう。

 

「私たちも、あんな家族になれるかな?」

 

「なれるさ……きっと……」

 

それは、寝て見るような夢のように、儚い希望なのかもしれない。

だけれど、俺はそれに縋りたい気持ちでいっぱいだった。

 

「きっと……」

 

 

 

そんな希望も虚しく、別れの時は刻一刻と近づいていた。

 

 

 

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9

響の母親が見つかった。

ロシアにいた祖父母に尋ねた所、同じくロシアにいる事が分かった。

その母親が、日本に来ると言う。

響を迎えに。

 

 

 

急な知らせに、俺は恐ろしいほど冷静だった。

いつか訪れるであろうこの日を思うと、あんなにも苦しかったはずなのに。

だから、響への報告も、あっさりしたものとなった。

 

「お前の母親、ロシアで見つかったよ」

 

「――え?」

 

「日本に迎えに来るってさ。良かったな」

 

「お母さんが……?」

 

「ああ」

 

俺と違って、響は取り乱しているように見えた。

口を半開きにしたまま、焦点の定まらない目で、何もないところを見ていた。

 

「来週には来るそうだ。まあ、すぐに向こうへ行くって事はないのだろうけれどな。準備もあるだろうし」

 

「…………」

 

それからずっと、響は動かなかった。

 

 

 

「響ちゃんの母親が……!?」

 

「ああ」

 

「じゃあ……響ちゃんはロシアへ……?」

 

「そうなるだろうな。だが、すぐという訳でもないだろう」

 

「そんな……」

 

鳳翔も響と同じように、茫然としていた。

 

「……提督は、どうしてそんなに冷静なんですか?」

 

「どうしてと言われてもな……」

 

俺にも分からない。

けれど、なんというか、悲しいとか、嬉しいとか、そう言うものがまるで湧いてこないのだ。

 

「とにかく、そう言う事だ。来週には来るそうだから、迎える準備をしてやらないとな」

 

「……はい」

 

 

 

響の親が見つかった件は、他の者の耳にも広がり、学校ではちょっとした事件になっているようだった。

特に、第六駆逐隊の皆は大騒ぎだ。

毎日のように家に来ては、響との時間を大切に過ごすようにしている。

時折、電が涙を流すと、それにつられて皆泣いていた。

日本ならまだしも、ロシアだもんな。

滅多に会うことは出来ないだろう。

共に戦い、姉妹のようにいつも一緒にいたあいつらが、今度は3人になるなんて、想像できなかった。

 

 

 

響の母親が来日する日が近づくにつれ、響の夜泣きが酷くなっていった。

本人は隠しているようだが、朝は目を腫らしてくるし、夜中に部屋へ近づくと、スンスン泣くのが聞こえた。

その時の俺の心は、まるで空っぽだった。

何も感じなかったのだ。

慰めようとも――関わろうとすらしなかった。

映画を見ている時のような、そんな心持ち。

自分がそこにいないかのような、まるで現実味を帯びない。

一体、俺はどうしてしまったのだろう。

 

 

 

「提督、大丈夫ですか?」

 

「何がだ?」

 

「……なんというか、無理をしている感じがしまして……」

 

「無理?」

 

「響ちゃんの事……意識しないようにしているのではないかと思って……」

 

意識しないように。

確かにそうかもしれない。

だが、そうであるならば、俺も響と同じで、夜泣きをしてもおかしくはないだろう。

一人の時に、たくさん泣くであろう。

 

「隠さなくても良いと思います……。少なくとも、私の前では――」

 

「大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「それよりも、あいつがロシアに行けるように、何をしないといけないのか調べないとな。転校の手続きとか――」

 

「提督!」

 

鳳翔の目が厳しく俺を見ていた。

 

「どうしちゃったのですか……!? どうして……どうしてそんなに淡白なんですか……!?」

 

何故鳳翔が怒っているのか、俺には分からなかった。

それほどに、唐突に感じた。

少なくとも、この時は。

 

「鳳翔……?」

 

俺のキョトンとする顔に、鳳翔は一瞬不味い顔をした。

 

「……すみません。お買い物に行ってきますね……」

 

そう言えば、響の母親の件から、鳳翔の笑顔を見ていない事に気が付いた。

響もそうだ。

そして、俺も――。

 

「…………」

 

何かが、壊れてゆく。

見えない何かが。

 

 

 

それから、食事でも会話が少なくなった。

静かな食卓に、食器を叩く音だけが響いていた。

そして、そのまま時間だけが過ぎてゆき、ついにその時はやって来た。

 

 

 

学校には事情を説明し、響を休みにしてもらった。

鳳翔にも定食屋を休んでもらった。

 

「響ちゃんは、お母さんの事覚えているの?」

 

「ちょっとだけ。私がとても小さいころに離れ離れになったから……」

 

「そっか……」

 

俺はその会話を背中で聞いていた。

なんとなく、二人とは距離があるように感じた。

鳳翔の父親の気持ちが、今なら分かる。

どうしようもないこの気持ち。

 

「もうそろそろね……」

 

「うん……」

 

時計の針だけは、その音を絶やさなかった。

 

 

 

一台の車が、家の前に停まった。

響の母親が来たのだと、すぐに分かった。

 

「行こうか」

 

鳳翔に連れられ、響は玄関へ向かった。

俺も遅れて向かう。

 

「ごめんください」

 

その声に鳳翔は返事をし、ドアを開いた。

そこには、車いすに乗った若い女性と、それを押す中年の女性。

どちらも、ロシア人らしい顔立ちをしていた。

 

「響……?」

 

そう聞いたのは、車いすの女性だった。

 

「お母さん……?」

 

響の親は、響の顔を確認すると、目に涙を浮かべて、響が近づくのを静かに待っていた。

そして、手の届く距離まで来ると、そっと抱きしめた。

 

「響……。こんなに大きくなったのね……」

 

「お母さんの匂い……。お母さん……お母さんだ……」

 

「ごめんね……。遅くなって……ごめんね……」

 

二人は抱き合いながら、静かに泣いた。

それを見ていた鳳翔も、うっすら涙を浮かべていた。

中年の女性も同じく。

俺だけ。

俺だけだ。

何もせず、ただ茫然とその光景を見ていたのは。

 

 

 

玄関ではなんだと、そのまま家にあがってもらった。

響の親は足が悪いらしく、中年の女性と俺の二人で肩に抱き、居間へと案内した。

居間に着いて早々、響の親は頭を下げた。

 

「ご迷惑をおかけしました……」

 

「いえ……迷惑だなんて……」

 

「電話を頂いた時、驚きました。まさか、響が日本にいるなんて……」

 

「どういうことですか?」

 

「ロシアに行ったと聞いていたので、私も追ったのです。でも、そこで事故にあってしまって……」

 

そう言うと、響の母親は自分の足をさすった。

 

「意識が戻った頃には、既に戦争は終わっていました。私は響を探しました。でも、ロシアでは見つからなくて……」

 

「そうだったのですか……。失礼ですが、響の親父さんは……」

 

「夫は……亡くなりました……。響が艦娘として海軍へ行った一年後に……」

 

その言葉に、響は深く目を瞑った。

その背中を鳳翔は優しくさすってやった。

 

「戦後も育ててくださって、本当にありがとうございます。どうお礼をしたらよいか……」

 

「お礼なんて結構です。とにかく、見つかってよかった……」

 

「そういう訳には……。せめて、響にかかったお金だけでも……」

 

「いや、夫を亡くされては苦しいでしょう。その分を響に使ってやってください」

 

「そのことに関しましては大丈夫です。私の両親は不動産を営んでいまして、食べるには困っていません。私の後ろにいる彼女はメイドなのです。メイドを雇えるほどなのです」

 

裕福な家庭なのか。

最初は心配だったが、これなら響はひもじい思いをしなくて済みそうだ。

 

「それよりも、今後はどうなされるのですか?」

 

「響と一緒にロシアに帰ります。もちろん、準備もありますので、しばらくは日本にいるつもりですが……」

 

「そうですか……」

 

「なるべくご迷惑をおかけしないように、早めに対応するつもりです……。しばらくは響をよろしくお願いいたします……」

 

「分かりました」

 

しばらく話し込んでから、響の母親は家を後にした。

 

 

 

その日の夜は、とても蒸し暑くて眠れなかった。

涼もうと縁側に向かうと、途中、響と会った。

 

「眠れないのか?」

 

「うん……。蒸し暑くて……」

 

「そうか……」

 

そこからは会話はなかった。

ただ、二人して縁側に座り、時折吹く風を待っていた。

 

「司令官は……」

 

響が枯れた声で話し始めた。

 

「司令官は……私がロシアに帰る事……どう思う……?」

 

「母親と一緒にいれるのはいいことなんじゃないか? 向こうでは裕福に暮らせそうだし。ただ、第六駆逐隊と離れ離れになるのはな……」

 

「司令官はどうなの……?」

 

響の瞳が俺を見つめる。

潤んだ瞳の中に、淡白な顔をした俺の顔が映っていた。

その顔が、俺の冷たい部分を引き出す。

 

「二度と会えなくなるわけじゃないしな」

 

「もし……二度と会えなかったら……?」

 

「その時はその時だ……」

 

「司令官の事、忘れちゃうかもしれないよ……?」

 

「仕方のないことだ……」

 

そこまで言うと、響の顔が徐々に力みを帯びてきた。

 

「なんだか司令官……冷たいよ……」

 

「そうかな……」

 

月が雲に隠れて、少しだけ暗くなった。

 

「しかし、良かったな。母親が居て、裕福で……文句ないじゃないか。これからは好きなものをたくさん買ってもらって、何不自由なく暮らせるんだ。羨ましいよ。ここで住むのとは大違いだ」

 

「なんでそんな事言うの……?」

 

響の顔は、怒りと悲しみに包まれていた。

 

「響……?」

 

「確かに不自由ないかもしれない……。でも、それが幸せかどうかなんて分からないじゃないか……」

 

「幸せに決まってるだろ。母親も居て裕福で……」

 

「……司令官は、私がロシアで幸せになれると思っているの?」

 

「ああ」

 

「じゃあ……私がロシアに行っても構わないって……思っているの……?」

 

「――ああ」

 

その質問を答える時、一瞬ではあるが、俺の口は勝手に閉じた。

 

「……そうか。よく分かったよ……。司令官なら……止めてくれると思っていた……。ずっと一緒に住んでくれると思っていた……。例え、母親が見つかっても……」

 

「…………」

 

「……ごめんなさい。今まで迷惑かけて……。おやすみなさい……」

 

響は自室に戻っていった。

俺はそのまま縁側に座っていた。

これでいい。

これで、響の夜泣きは無くなるだろうし、母親の元へと後腐れなく帰ることが出来る。

そう思った。

 

 

 

いよいよもって、響との会話は無くなっていた。

目を合わせる事すらも。

そんな状況を鳳翔は心配そうに見つめていた。

しかし、その鳳翔ですら、俺に直接理由を聞いてくることは無くなった。

 

 

 

一人で町をふらふら歩いた。

必ず寄る雑貨屋も、あのカフェも、寄っていく気にはならない。

いつもは3人でワイワイ歩くこの道も、今日に限っては、とてもつまらなく感じる。

 

「提督さん……?」

 

声をかけてきたのは瑞鶴だった。

 

「どうしたの? そんな暗い顔をして……」

 

「いや……何でもない……」

 

「なんでもないわけないじゃん……。誰から見ても元気ないよ?」

 

「…………」

 

「……提督さん、これから時間ある? いつものカフェに行かない?」

 

「すまない……今は――」

 

瑞鶴は俺の言葉を遮るように、腕を強く引っ張った。

その顔は、見せたこともないくらいに真剣な顔をしていた。

 

「提督さん……」

 

「……分かったよ」

 

そのまま、引っ張られるようにカフェへと向かった。

 

 

 

カフェについて早々、質問攻めにあった。

響の事、鳳翔の事、何があったのかなど。

俺はやり過ごすように、淡々と答えた。

 

「なるほどね……」

 

「もういいか?」

 

「ダメ」

 

「なんなのだ……」

 

「提督さん、私に言ったよね。自分らしくって。じゃあ、今の提督さんは? 自分らしく出来ているの?」

 

「…………」

 

「私にそういうくらいなら、提督さんも自分らしくしないと、でしょ?」

 

「……俺は、自分らしくしているつもりなんだ。だけど、何かがおかしい……。何かが壊れてゆくんだ……」

 

「ちゃんと話してくれる? 私の力になってくれたように、私も提督さんの力になりたいから」

 

その優しさが、今の俺にはぐっと染みるものがあった。

 

「ああ、ありがとう……」

 

カフェは静寂に包まれた。

レコードの針が、盤を離れていた。

 

 

 

瑞鶴と話して分かった事がある。

 

「提督さんは、響ちゃんとの別れを覚悟していたから、いざ別れが来ても、辛くならないようにって、耐性がついちゃったんじゃない?」

 

「辛くないように……か……」

 

「聞いている限りだと、露骨すぎるくらいだけどね……」

 

確かに、別れを意識しすぎた感じはある。

辛くならなように、と。

其れゆえに、冷たいと言われるのも頷ける。

 

「だからと言って、別れを辛いという態度を取るのもって感じだよね」

 

「ああ。それに、「止めてくれると思っていた」と言われても、どうしようもないからな……」

 

「……提督さんはどうなの? 本当の気持ち……」

 

「…………」

 

俺が黙っていると、瑞鶴は優しく微笑んだ。

 

「そこに答えがあると私は思うんだけどなー。まあでも、提督さんの気持ちは凄く分かるよ。私も提督さんの立場だったら、同じこと考えるだろうし……」

 

「そうだよな……」

 

「でもね、提督さん。提督さんの立場じゃないからあえて言うけれど、私だったら――」

 

レコードが再び動き出し、静かな曲が流れ始めた。

 

「……なんてね、無神経だったかな。無理やり連れだしてごめんね。ここは私が払うからさ。じゃあね」

 

そう言うと、瑞鶴はカップの飲み物をズイッと飲み干し、店を出ていった。

 

 

 

家に帰り、自室に篭って考えていた。

これまでの事、これからの事。

響との一年間。

響との未来。

 

「俺は――」

 

 

 

「授業参観?」

 

「はい。響ちゃんのお母さんに参加してもらおうと思ってます」

 

「そうか……」

 

授業参観か。

そう言えば、響が学校で何しているのか、見たことなかったな。

 

「提督はお父さん役で行ってあげてください」

 

「俺がか? しかし……」

 

「行ってあげてください」

 

鳳翔の瞳が、強く訴えかけてきた。

 

「――分かったよ」

 

 

 

授業参観当日。

俺は響の母親を連れて、学校へ向かっていた。

 

「すみません。車いすを押していただいて……」

 

「いえ、これくらい。体調はいかがですか?」

 

「大丈夫です」

 

学校までの道のりは、車で行くには短すぎるし、歩くにはちょうどいい距離であった。

 

「……一年間、あの子はどうでしたか?」

 

「とてもいい子でしたよ。きっと、両親がいい人だったからなのだろうと思いました」

 

「いいえ、きっと、戦時中に成長したのだと思います。貴方が育てたようなものです」

 

「そんな事は……」

 

「あの子を家族として、育ててくださったんですってね。電話で鳳翔さんから聞きました」

 

「……えぇ」

 

「まるで本当の家族のように三人で幸せに暮らしていたのに、私が現れて、あの子も困惑した事でしょうね」

 

俺は何も言わなかった。

 

「あれからずっと考えていました。きっと、あの子には――」

 

「急ぎましょうか」

 

そう言って、響の母親の言葉を遮った。

 

 

 

教室は既に人で溢れていた。

それでも、車いすを見て気を遣ってくれたのか、真ん中を開けてくれた。

 

「起立! 礼!」

 

掛け声は暁だった。

聞けば委員長をやっているらしい。

立派だと思ったが、おそらく「レディーっぽい」という理由で引き受けたのだろう。

 

「響は……」

 

母親は車いすから身を乗り出して探した。

 

「真ん中の列の三番目ですよ」

 

響はちらりとこちらを見て、すぐに黒板へ視線を戻した。

俺が来たことにがっかりしているのかもしれない。

 

「はい、それではみなさん、宿題を出してくださいね」

 

先生がそう言うと、皆一斉に机の上に作文用紙を出した。

 

「作文のテーマは「私の家族」です。今日はみなさんのご両親が来てくださっているので、作文を発表して、ご両親に感想をいただきましょう」

 

親側がざわついた。

大人になっても、人前で何かを発表するのは恥ずかしいのか、困惑したような顔ばかりだった。

 

「それじゃあ、最初。朝潮さんから」

 

「はい!」

 

朝潮の発表が始まった。

流石は朝潮だ。

文章は硬いが、内容はしっかりしていて、親に感謝していることがしっかりと伝わる。

 

「以上です!」

 

拍手と共に、朝潮の両親が前に出てきた。

なんとまあ、きりっとしたお顔立ちをしてらっしゃる。

あの性格は親譲りという訳か。

 

 

 

それから皆の発表を聞いていた。

皆、それぞれが思い思い両親に感謝しているのが分かる。

幸せな生活をしているようで、安心した。

そして、響の番が回って来た。

 

「それじゃあ響さん、お願いします」

 

「はい……」

 

響が立ち上がると、第六駆逐隊たちが小さい声で声援を送った。

 

「私の家族……」

 

響の母は、それをじっと見守っていた。

 

「私には、二組の家族がいます。一つは本当の家族。お母さんと、亡くなったお父さんです」

 

親たちがざわつく。

事情を知る者、知らない者も。

 

「お静かにお願いします」

 

先生がそれを静め、響は続けた。

 

「もう一つは、司令官と鳳翔さんです。戦争が終わってから、私は――」

 

響は戦後からの事を話した。

俺に引き取られたこと。

一年間暮らしたこと。

鳳翔という新しい家族が出来たこと。

色々な事。

 

「――なので、私には家族が二組います。どちらも大切な家族には変わりありません。だから――」

 

響は読むのを止めてしまった。

再び親側がざわつく。

 

「響さん?」

 

「すみません……」

 

響は続けた。

 

「だから……離れ離れになるのは……辛いです……」

 

背中越しではあったが、響の表情が分かる気がした。

 

「私は本当の家族の元へ帰るために、ロシアに行かなければなりません。もう二度と、司令官たちに会うことが出来ないかもしれません……」

 

響の背中が小さく震えている。

 

「司令官は……私がロシアに帰っても問題ないと言ってました……。でも……それは……私が……私が……ロシアに行けるようにするための優しさだって……私は知っています……」

 

この気持ち。

無くなってしまったものだと思っていた気持ち。

それが、じわりじわりと、俺の中に戻ってきている。

 

「その気持ちに答えたくて……私も冷たくしてきたけれど……でも……でも……」

 

響の手から作文用紙が落ちた。

それに構わず、響はこちらを見た。

 

「やっぱり辛いよ……ずっと……一緒に居たいよ……」

 

その目からは涙が零れていた。

 

「やだよ……。離れたくないよ……。いい子にするから……。お小遣いもいらない……たくさんお手伝いもする……わがままも言わない……裕福じゃなくたっていいから……だから……」

 

この数日。

自分すらも騙して生きてきた。

悲しくなんてない。

響の両親を見つけるのが俺の仕事だ。

そう言い聞かせて、信じて、騙してきた。

けれど、本当の心はそうじゃない。

瑞鶴は言った。

「自分らしくと言うならば、自分こそ自分らしく」と。

俺らしく。

そうであるならば――そうでいて良いのならば――。

でも――。

 

「やっぱりそうなのね」

 

響の母親は、そう言って微笑んだ。

 

「ずっと考えていました。私以上に、貴女は、この人たちが好きなんだろうなって」

 

母親は俺の顔を見た。

 

「貴方もそうなんでしょう? 私に気を遣わなくてもいいわ。貴方の気持ちを、あの子に聞かせてあげて」

 

俺は響の顔を見た。

涙でぐしゃぐしゃになったその顔を見て、俺の頬にも涙が伝った。

 

「司令官……」

 

「響……」

 

答えは決まっている。

 

「俺だって……お前と一緒に居たいよ……。ずっと……ずっと一緒に居たい……。行くな……行くなよ……!」

 

響は俺の方へ走って、そのまま抱き着いた。

 

「司令官……司令官……」

 

「響……」

 

強く、とても強く抱きしめた。

離したくなかった。

一生このままでいい。

そうとまで思った。

 

「響」

 

響の母親が、響を優しく見つめた。

 

「お母さん……」

 

「それが、貴女たちの答えなのね」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくていいのよ。私もね、貴女の成長した姿を見て、「ああ、きっといい人に育てられたのね」って思った」

 

「…………」

 

「貴女には彼が必要で、彼も貴女を必要としている。ここに居る皆も、鳳翔さんもね」

 

そう言うと、母親は俺の顔を見た。

 

「貴方なら、響の本当の家族になれるって、そう思いました。どうか、響をよろしくお願いいたします」

 

母親に合わせるように、響も頭を下げた。

 

「はい……!」

 

力強く、そう返事をした。

 

 

 

響の授業参観が終わり、俺と母親は響の帰りを門の前で待っていた。

 

「良かったのですか……?」

 

「えぇ。それが、あの子にとって、一番いいことだと思います」

 

「…………」

 

「そんな顔しないで。さっきの返事は嘘だったの?」

 

「いえ……」

 

「なら、胸を張って。貴方は、響のお父さんなんですから」

 

「はい」

 

「たまに会いに来てもいいですか?」

 

「今度は俺たちから会いに行きます」

 

「あら、嬉しい」

 

その時、響が門の方へと走って来た。

 

「お母さん!」

 

「お帰りなさい響」

 

「私……」

 

「大丈夫よ。司令官さんに迷惑かけちゃだめよ?」

 

そう言って、響の頭を撫でた。

 

「……うん」

 

 

「今日はもう帰らせていただきます。ちょうど、お迎えも来たようですし」

 

そう言うと、一台の車が俺たちの前に停まった。

 

「あと数日、日本にいる予定です。響との思い出をいっぱい作らなきゃ。ね」

 

「うん!」

 

「じゃあ、失礼します」

 

 

 

響の母親を見送り、俺たちは家へと向かった。

 

「司令官……手、繋いでもいいかい?」

 

「ああ」

 

背中の夕日が、俺たち二人の影を伸ばしていた。

 

「良かったのか?」

 

「うん……」

 

「そうか……」

 

それ以上の理由は聞かなかった。

俺と一緒にいることを選んでくれただけで、俺は胸がいっぱいだった。

 

「嬉しかったよ……。行くなって……言ってくれた時……」

 

「俺だって嬉しかったさ……」

 

「ずっと……司令官との別れを考えると……苦しかった……。でも、もう苦しまなくていいんだよね……?」

 

「ああ……」

 

響が足を止めた。

 

「どうした?」

 

「司令官……」

 

「ん?」

 

「大好きだよ……」

 

遠く、一番星がきらりと光った。

それと同時に、その星がじわりと、紙の上に絵の具を垂らしたときのように、滲んだ。

 

「――ああ……ありがとう……」

 

俺は今日、響の父親になった。

 

 

 

それからしばらくして、響の母親は響との思い出をたくさん引っ提げて、ロシアへと帰っていった。

母親の乗った飛行機が空の彼方へ消えるまで、三人でじっと見守った。

 

「行っちゃいましたね……」

 

「ああ……」

 

「でも、これからは二人が私のお父さんとお母さんだから、寂しくないよ」

 

「そうだな」

 

「えぇ」

 

そう言うと、響はニッコリと笑った。

 

「そう言えばお前、俺と一緒に居れるならお小遣いいらないとか言ってたよな?」

 

「あら、そうなんですか?」

 

「い、いや……あれは……その……」

 

「お手伝いもするし、わがまま言わないとも言ったよな?」

 

「本当? 響ちゃん?」

 

「う……。司令官のいじわる……」

 

その拗ねたような顔を見て、俺も鳳翔も笑ってしまった。

 

「冗談だよ。ほら、帰るぞ」

 

「いじわる司令官なんて知らない! 鳳翔さん、行こう?」

 

「そうね。いじわるな提督は放っておきましょうね」

 

「お前はどっちの味方なんだよ鳳翔。分かったよ……俺が悪かった」

 

「お小遣いは?」

 

「……分かってるよ」

 

「……なんてね。帰ろう、司令官」

 

差し出された手を、しっかりと掴んだ。

 

「鳳翔さん、司令官」

 

「今度はなんだ?」

 

「これからも、ずっと一緒だよね?」

 

鳳翔も俺も、優しく微笑んだ。

 

「当然よ」

 

「愚問だな」

 

そう言ってやると、響は今まで見せたことないくらい、とびっきりの笑顔を見せた。

俺はこの笑顔を守ってやりたい、愛してやりたいと思った。

それが、俺がこいつの親父として出来る事の全てだった。

 

「ところで、「愚問」ってどういう意味だい?」

 

「お前、分からずに喜んでたのか……」

 

三人の影が、仲良く並んでいる。

小さい影は時折飛び跳ね、もう二つの影はそれを優しく見守っていた。

まぎれもない家族の形が、はっきりと、濃く、どこまでも伸びていた。

 

――続く。




お気に入り1000人になりました。
大変恐縮ですが、この場にてお礼を申し上げます。

いつも閲覧いただき、ありがとうございます!
これからも「艦娘達の戦後」並びに、雨守学をよろしくお願いいたします!

最終回っぽい雰囲気ですが、最終回ではありませんのでご注意を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10

閑さや

岩にしみ入る

蝉の声

 

松尾芭蕉の俳句が、幾度となく頭の中に浮かぶ。

蝉の鳴き声よりもうるさく。

 

「暑い……」

 

パラソルの下、海ではしゃぐ響と鳳翔を見ていた。

鳳翔の定食屋は、一週間の夏季休暇に入っており、響の学校も夏休みに突入していた。

せっかくだからどこかへ行こうという話になり、こうして海へとやって来たのだった。

 

「司令官~!」

 

手を振る響。

新しい水着は、今どきの子供に人気なのか、ちょっと大胆なものだった。

鳳翔も同じく。

 

「はしゃぎすぎるなよ」

 

「うん!」

 

変な奴に絡まれなきゃいいがな。

 

 

 

しばらくすると、響も鳳翔も戻って来た。

 

「ちょっと休憩しますね。はい、響ちゃん、お茶よ」

 

「ありがとう。ん、冷たいな」

 

遠くには、積乱雲がチラホラ。

海の向こうでは、雨が降ってたりするのだろうか。

 

「司令官は泳がないのかい?」

 

「荷物があるからな。それに、お前らが楽しんでいるのを見ているだけで、満足だ」

 

「本当は泳げないだけなんですよね、提督」

 

「おい」

 

「そっか、司令官、泳げないんだ」

 

「悪かったな」

 

海軍だからとは言え、海に入る事なんてない。

元々、船が好きで入ったのが始まりであるし。

 

「俺は荷物番か買い物係がお似合いだよ。ちょっとなんか買ってくる」

 

「行ってらっしゃい。うふふ、提督、拗ねてるわ」

 

「そうなの? 悪いことしたかな……」

 

そんな会話を後ろに、俺は海の家へと向かった。

 

 

 

海の家へ向かう途中、砂浜を歩く犬を見つけた。

首輪が付いているから、どこかの犬なのだろうが、飼い主らしき人はいなかった。

 

「迷子犬か」

 

その犬は俺をちらりと見ると、そのまま歩き出した。

時折、足を止めると、俺の方をちらりと見た。

俺がそれを追いかけると、歩き出し、止まると、犬も止まった。

 

「ついて来いって事か?」

 

もしかしたら、何かあるのかもしれない。

犬ってのは賢いから、人間に助けを求める事があると、どこかで聞いたことがある。

とりあえず、犬について行くことにした。

 

 

 

しばらくすると、人気のない入り江へと着いた。

 

「こんなところがあるのか」

 

混雑した向こうと違い、ここはちょっとした穴場かもしれない。

犬の方を見ると、岩の近くに座り込んでいた。

その岩には、女の子の服が綺麗に畳まれて置かれていた。

 

「ぷは……!」

 

その時、海から突然、女の子が出てきた。

 

「やったー! コロ、潜水新記録だよ!」

 

裸だった。

隠すものは何もない。

 

「コロ? あ……」

 

俺は咄嗟に目を伏せた。

 

「す、すまない……。人が居るとは知らなかったのだ……」

 

「…………」

 

女の子は、俺に近づくと、じっと俺を見つめた。

 

「提督……?」

 

「え?」

 

小麦色に焼けた肌。

髪を下ろしているから分からなかった。

この女の子は、しおい(伊401)だ。

 

「しおいか……?」

 

「そうだよ。やっぱり提督だ! 久しぶりだねー」

 

しおいは、この前の鎮守府同窓会には来ていなかった。

 

「えへへ、こんな所で会えるなんて、なんだかドキドキしちゃうね」

 

「ああ、それよりも、まず服を着てくれないか? 目のやり場に困る」

 

「あ、そうだよね。ごめんね、すぐ着替える」

 

そう言って、服がかけてある方へと走っていった。

 

 

 

しおいが着替えている間、犬は大人しく俺に撫でられた。

 

「お待たせー。もういいよ」

 

「人が居ないとはいえ、あまり裸で泳ぐもんじゃないぞ。俺だったから良かったものの……」

 

「うん、気を付けるね。えへへ」

 

怒られてもニコニコ笑ってるから、いつも気が抜けてしまう。

 

「全く」

 

「旅行で来たの? それとも、しおいに会いに来てくれたとか!?」

 

「旅行だよ。まさか、お前がいるとは思わなかったけどな」

 

俺は、響・鳳翔と暮らしていることから説明した。

しおいは知らなかったのか、大変驚いていた。

 

「艦娘と提督が家族かぁ……。いいなぁ、提督の家族。しおいもなりたいな」

 

「お前には家族がいるだろ。民宿か何かやってるんだっけか」

 

「そうだよ。ほら、あそこに見えるのがそう」

 

「あそこだったのか。今晩泊まるところだ」

 

「本当!? 嬉しいなぁ。それじゃあ、めいっぱいサービスしないとね! 楽しみだなぁ~えへへ」

 

本当に嬉しそうに笑う。

瑞鶴とは少しだけ違う素直さがある。

喜怒哀楽がはっきりしていて、分かりやすいのがしおいだ。

 

「そう言えば、響ちゃんたちは?」

 

「あ……」

 

すっかり話し込んでしまった。

 

「すまん、そろそろ行かないと……」

 

「うん、また後でね、提督」

 

「ああ」

 

そう言って、しおいと分かれた。

 

 

 

響たちのところへ帰ると、響が怒っていた。

 

「司令官、遅いよ」

 

「す、すまない……実はだな……」

 

しおいと会ったことを説明する。

 

「しおいちゃん、元気そうでしたか?」

 

「ああ。後で民宿で会えるよ。今晩泊まるところが、しおいの家らしいんだ」

 

「それは楽しみですね」

 

「ああ」

 

響の方を見ると、むすっとしていた。

 

「響?」

 

「しおいと話してたから遅くなったんだね……。そうか……ふーん……」

 

「なに拗ねてるんだ?」

 

「別に……」

 

「響ちゃん、提督と海で遊べるようにって、浮き輪を一生懸命ふくらまして待ってたんです。」

 

「俺の為にか?」

 

「えぇ」

 

「響、すまん!」

 

「しおいの方がいいんでしょ……。しおいと遊んできなよ……」

 

「提督」

 

鳳翔が小さく耳打ちした。

 

「響ちゃん、妬いてるんですよ。うふふ」

 

そう言えば、響のこんな顔、初めて見たかもしれない。

笑ったり泣いたりはあったけれど。

 

「響」

 

「なに……?」

 

「よっと」

 

そのまま響を横抱きした。

お姫様抱っことかいうのだったか。

 

「な……降ろして!」

 

「機嫌直してくれたら降ろしてやるよ」

 

「……ふん」

 

結構強情だ。

 

「鳳翔、悪いが荷物番頼む」

 

「分かりました」

 

「このまま海行くぞ」

 

「え……!? は、恥ずかしいよ……」

 

「なら、機嫌直してくれるか?」

 

「…………」

 

「響」

 

「司令官と遊びたかったんだ……なのに……」

 

「俺も響と遊びたかったよ。浮き輪、ありがとうな。これでお前と存分に遊べるよ」

 

「……降りるよ」

 

響を下ろしてやると、そっと手を握って来た。

 

「いっぱい遊んでくれる……?」

 

「ああ」

 

優しく笑ってやると、響も優しく笑い返した。

 

「行ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

鳳翔に見送られ、俺たちは海へと飛び込んだ。

 

 

 

「ごめんください」

 

民宿に着いた頃には、肌がヒリヒリするほどに焼けていた。

 

「あ、いらっしゃーい」

 

しおいが元気に迎えてくれた。

 

「鳳翔さん、響ちゃん、久しぶりー」

 

「しおいちゃん、元気そうで安心したわ」

 

「しおいはいつでも元気だよ」

 

「…………」

 

響はじっとしおいを見ていた。

まだ思うところがあるのかもしれない。

 

「お部屋へ案内するね。ついてきてー」

 

しおいに案内されるまま、荷物を持って二階へとあがった。

 

 

 

部屋は海が見渡せる良い部屋だった。

 

「良い部屋でしょー。私のお気に入りの部屋なんだ」

 

窓を開けると、冷たい潮風が入って来た。

 

「クーラーいらずだな」

 

風鈴も相まって、理想の夏がそこにはあった。

 

「お夕食の準備してるから、お風呂入って来なよ。海入って来たんでしょ?」

 

「そうしましょうか。響ちゃんも」

 

「うん」

 

「家のお風呂は露天風呂だよ。温泉じゃないんだけどね」

 

「それは楽しみだ」

 

「えへへ、ゆっくりしてってねー」

 

そう言うと、しおいは階段を元気よく下っていった。

 

「いいところですね」

 

「ああ」

 

「しおいもいるしね……」

 

「ん? 何か言ったか響?」

 

「別に……? 鳳翔さん、お風呂行こう」

 

「えぇ」

 

そう言うと、二人して風呂へ向かっていった。

 

「俺も行くか」

 

 

 

脱衣所は、レトロチックな作りになっていた。

こういう民宿の脱衣所って、なんだか好きだ。

 

「いてて……」

 

シャワーを浴びると、焼けた部分がヒリヒリとして痛かった。

体を洗うのは大変そうだ。

 

「洗ってあげる」

 

声の方を見ると、水着のしおいがいた。

 

「な……!?」

 

「えへへ、サービスだよ」

 

本当、こいつには恥じらいと言うものがないのか。

 

「お前な……」

 

「ちゃんと水着来てるから大丈夫だよ。提督もタオルで隠してね」

 

「あ、あぁ……」

 

「背中、流してあげるね」

 

そう言うと、背中を洗い出した。

 

「痛くないでしょ? あまり染みないボディーソープ使ってるんだ。家、海水客が多いから」

 

確かに痛くない。

垢すりのようなゴワゴワしているもので洗っているのではなく、スポンジのようなもので洗ってくれているようだ。

 

「提督の背中、大きいね」

 

「そうか?」

 

「戦時中も提督の背中、たくさん見てたよ。しおい、あまり提督とお話しできなかったから……」

 

潜水艦チームと関わる事は少なかった記憶がある。

俺が泳げないから、海中にいる潜水艦たちと関われなかったのが大きいかもしれない。

 

「同窓会も行けなかったなぁ。民宿が忙しかったんだ」

 

「そうだったのか」

 

「こうして提督と会えて嬉しいなぁ。えへへ」

 

「偶然とはあるものだな」

 

「今日はいっぱいしおいとお話ししてくれる?」

 

「ああ、いいよ」

 

「やったー! えへへ、約束だよ?」

 

背中を流し終わると、しおいは戻っていった。

あんなにはしゃいでるんだ。

本当はもっと同窓会で皆と話したかったのだろうな。

同窓会に来れなかった分、俺がたくさん話してやろう。

そう思った。

 

 

 

夕食の時も、しおいは食べるのも忘れて話した。

時折、母親に怒られたりもしたが、それでも止むことはなかった。

 

「お前は本当に楽しそうに話すな」

 

「だって楽しいもん。ね、もっともっとお話ししようよ」

 

「分かったよ。とりあえず、飯食ってからな」

 

「うん!」

 

まだまだ喋りたいことがたくさんあるのだろうな。

夏休みなんて、一番楽しい時期なのに、民宿は書き入れ時だから大変なんだろう。

だから、こうして楽しめることも少ないのだろうな。

 

 

 

食事を済ませ、部屋へ戻る。

 

「しおいちゃん、ずっとお話ししてましたね」

 

「たまにしか会えないだろうからな。楽しいのだろう」

 

「…………」

 

「響はまた拗ねてるのか?」

 

「ちょっとね……。でも、しおいの事を考えると、気持ちは分かるんだ」

 

「ほう」

 

「私も、しおいと同じ立場だったらって考えたら、なんだか寂しくなっちゃって……。司令官に会えない苦しみは、この前ので嫌と言うほど味わったから……」

 

「響……」

 

「だから、今回はしおいに譲るよ。私はいつでも司令官を独り占めできるしね」

 

「偉いわね、響ちゃん」

 

鳳翔が撫でてやると、響は恥ずかしそうに俯いた。

 

「みんなー!」

 

窓の外を見ると、しおいが大きく手を振っていた。

 

「花火やろうよー!」

 

庭には既に消火用バケツなどが並んでいた。

 

「行くか」

 

「うん!」

 

 

 

花火なんて何年ぶりだろう。

鎮守府で一回やったきりだったかな。

 

「見てみて~! 二本同時だよ!」

 

「あまりはしゃぐなよ。転んで怪我するぞ」

 

「あはは、ほら、響ちゃんもやろうよ!」

 

「うん。じゃあ、これ」

 

「あ、それは……」

 

響が火をつけたのはネズミ花火だった。

 

「わ!」

 

響がネズミ花火を放ると、そのまま俺の方へと向かって来た。

 

「おわ!?」

 

「あはは~提督、ネズミ花火に好かれてるね」

 

逃げても逃げても俺の方ばかり。

 

「なんで俺ばかり狙ってくるんだこいつは!?」

 

「ごめん司令官。でも、ちょっと面白いかも……」

 

鳳翔の方を見ると、明らかに笑いを堪えていた。

 

「おわー!」

 

 

 

最後は線香花火と打ち上げ花火をやって、花火は終わった。

 

「終わっちゃったね……」

 

「そうだな……」

 

「なんだか、寂しいかな……」

 

しおいは本当に寂しそうな顔をした。

本当に分かりやすいなこいつは。

響と鳳翔は、俺に何か伝えるようにニコッと笑って、そのまま部屋へ帰っていった。

しおいと俺は、そのまま縁側に座って、夜の虫の声に耳を澄ましていた。

 

「明日になったら、提督は帰っちゃうんだよね……」

 

「寂しくなるか?」

 

「うん……寂しい……。もっと提督と遊んでいたいな……」

 

その顔は、あの時の響の顔とそっくりだった。

 

「また遊びに来るさ。なんなら、俺んちに遊びに来い。書き入れ時が過ぎて、暇になったらさ」

 

「本当? また遊んでくれる?」

 

「ああ、その時まで、楽しみに待ってろ。寂しさよりも、次会う楽しみの方を大切にするんだ」

 

響との事があって学んだことだった。

 

「そっか……そうだよね。次があるもんね。えへへ、なんだか元気出てきた。ありがと、提督」

 

頭を撫でてやると、今日一番の笑顔を見せた。

 

「んじゃ、今日はもう寝るかな。お休み、しおい」

 

「うん。あ、提督」

 

「ん?」

 

俺が振り向くと同時に、しおいは俺の頬に小さくキスをした。

 

「えへへ、これもサービスだよ。お休み、提督」

 

そう言って、元気よく去っていった。

 

 

 

部屋へ帰ると、響はもう寝ていた。

 

「寝ちゃったか」

 

「部屋へ戻ってきたと同時にですよ。よっぽど疲れてたんでしょうね」

 

響の肌はほんのりと小麦色になっていた。

 

「提督」

 

鳳翔が珍しく、寄り添って来た。

 

「どうした?」

 

「私だって、響ちゃんと同じで妬いちゃうんですからね」

 

そう言うと、鳳翔は悪戯に笑った。

 

「案外子供なんだな」

 

「たまにはいいじゃないですか。ね……提督……」

 

そう言って、優しく口づけをした。

 

「新婚旅行みたいですね」

 

「そうだな」

 

鳳翔の左手には、まだケッコンカッコカリの指輪が光っていた。

いつか、その指輪を――。

 

「鳳翔?」

 

鳳翔は俺の肩で寝息をたてていた。

 

「そう言えば、お前もはしゃいでいたな」

 

窓からは相変わらず涼しい風が吹いていた。

風鈴は紐が抜かれていて、鳴っていなかった。

民宿の人が気を遣ってくれたのかもしれない。

 

「俺も寝るかな」

 

蚊取り線香の匂いがほんのりと香る中、鳳翔を寝かせて、俺も眠りについた。

 

 

 

翌日は朝食を頂いて、10時前には民宿を出た。

 

「また来てね。絶対だよ?」

 

「ああ。お前も、遊びに来いよ」

 

「うん! またね、提督。響ちゃんと鳳翔さんも!」

 

遠く、見えなくなるまで、しおいは俺たちに手を振り続けた。

 

 

 

帰りのバスの中、響はずっと俺の膝の上に座っていた。

 

「重いよ響」

 

「退かないよ。しおいに譲った分、私が司令官を独り占めするんだ」

 

「鳳翔」

 

鳳翔に助けを求めたが、鳳翔も俺の腕にしがみついた。

 

「私も提督を独り占めしたいんですよ。響ちゃんだけの提督じゃないのよ」

 

「む……鳳翔さんもライバルか……」

 

鳳翔はまたいたずらに笑った。

最近の鳳翔は、なんだかいじわるな感じだ。

でも、それがなんだか、娘に意地悪するお母さんみたいで、なんだか微笑ましかった。

 

「なに笑ってるの司令官?」

 

「いや、何でも」

 

「変なの」

 

車窓からはあの入り江が見えた。

しおいの泳いでいる姿が目に浮かぶ。

 

『潜水の新記録、また更新しちゃったよー』

 

そんな元気な声すらも、聞こえてくる気がした。

 

「良いところでしたね」

 

「ああ」

 

いつだって、遠く離れていたって、会いたいと願えば、必ず会える。

なんだかそんな気がして、遠ざかる海を横目に、次会える時が楽しみでしょうがない自分が居た。

それはきっと、しおいも同じなのだろう。

寂しくはない。

 

「来年もまた来ような」

 

「うん」  「えぇ」

 

トンネルに入ると、青い海は、遠く、遠く、小さな白い光となって、やがて見えなくなった。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.5

※今回は響視点です。


夏休み。

司令官に買ってもらった夏用の服を着て、私は少しだけご機嫌だった。

 

「暁と遊んでくる」

 

「おう、気を付けてな。門限までには帰ってくるんだぞ」

 

「分かった」

 

「はい、水筒よ。今日は熱いから、水分補給をしっかりね」

 

「ありがとう、鳳翔さん。行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 

暁とは公園で待ち合わせだ。

お小遣いを持って集合! って言われたけれど、一体何をするつもりなんだろう。

 

「あ、来たわね」

 

「おはよう暁。ラジオ体操、今日は来なかったんだね」

 

「ちょ、ちょっとね……。それよりも、ちゃんとお小遣い持ってきた?」

 

「持って来たけど……何するつもりだい?」

 

「ズバリ、向日葵を見に行くのよ!」

 

「向日葵? 向日葵なら、学校にも咲いてるけど……」

 

「あんなの咲いてるうちに入らないわ。昨日、テレビで見たの。一面に咲く向日葵……黄色い海をね……。はぁ……素敵だったわ……」

 

「向日葵畑か」

 

「そうそう、それ。でね、その向日葵畑、電車とバスで行けるのよ!」

 

「それでお小遣いか。でも、私たちだけで行っていいのかな……。電車とバスを使うんでしょ? 遠いんじゃないかな」

 

「大丈夫よ! 私たちは他の子供とは違って、艦娘なのよ? それに、レディじゃない? 電車もバスも乗れないなんてお子ちゃまよ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「ほら、行くわよ? 大丈夫、いざとなったらこの暁が守るわ!」

 

頼もしいんだか危なっかしいんだか。

暁に手を引かれながら、駅へと向かった。

 

 

 

駅で切符を買い、電車に乗った。

夏休みだと言うのに、車内はがらんとしていた。

 

「なんだかワクワクするわね。まるで冒険だわ」

 

「そうだね」

 

きっと、朝のラジオ体操に来なかったのは、寝過ごしたからだろう。

今日の事でワクワクして、眠れなかったとか、そう言う理由だろう。

 

「響のお洋服、可愛いわね」

 

「司令官が買ってくれたんだ」

 

「司令官と仲がいいのね。でも、喧嘩とかしないの?」

 

「喧嘩っぽくなったことはあるけれど……怒られたことはないかな」

 

「司令官が怒った所、見たこと無いものね」

 

他人の子だから怒れないのかなって最初は思ったけれど、よくよく考えれば、鎮守府でも怒ったの見たことないし、ただ優しいだけなのかもしれない。

 

 

 

電車とバスを乗り継いで行くと、段々と建物が少なくなってゆき、やがて野原や牧場が現れ始めた。

遠くには山も見える。

ずいぶん遠くへ来たようだ。

 

「こんなに遠くに来ちゃって大丈夫かな……」

 

「大丈夫よ。向日葵畑を見たら、すぐに帰るから」

 

「……そうだよね」

 

心の奥底に芽生える不安。

司令官と鳳翔さんの顔がちらつく。

 

「もうすぐ着くわ!」

 

 

 

バス停を降りると、向日葵畑までの案内板があった。

徒歩15分と書かれた看板の先は、少しだけ傾斜になっていて、鎮守近くの丘を思い出させる。

 

「もう少し歩くのね。響、大丈夫?」

 

「うん」

 

「危ないから、手を繋ぎましょう」

 

「そうだね」

 

暁の小さい手を繋ぐ。

危なっかしいところが多々あるけれど、暁型一番艦を務めただけあって、頼りになる。

 

「響の手、汗でぬるぬるじゃない」

 

「暁の手だってそうじゃないか」

 

「私のはクリーム! 保湿クリームよ」

 

「夏はいらないと思うけど」

 

「へ? なんで?」

 

「…………」

 

きっと、誰かがつけていて真似しただけなんだろう。

戦時中だって、見よう見真似で化粧して、とんでもないことになったっけ。

 

「ふふ」

 

「どうしたのよ?」

 

「なんでも。行こう」

 

「えぇ」

 

 

 

緩やかな坂を二人して登ってゆく。

 

「ふぇぇ……どうしてこんなに蚊がいるのよぉ……」

 

「虫よけスプレー、持ってくればよかった」

 

「って、どうして響は刺されてないのよ!?」

 

「それは……暁の血の方が美味しいとか……?」

 

「嬉しくないー!」

 

そんなやり取りをしている内に、遠くに黄色い畑が見えてきた。

 

「向日葵だわ!」

 

「もう少しだね」

 

お互いを励ましながら、少しづつ向日葵畑の方へと向かった。

 

 

 

「ついたわ!」

 

一面の向日葵畑。

黄色い海という表現は、本当に正しかった。

 

「凄い……」

 

「みんな同じ方を向いているわ」

 

「太陽の方を向いているんだ。だから、向日葵なんだ」

 

「し、知ってたわ。それくらい……」

 

「そっか」

 

しばらく、私たちは向日葵に見とれていた。

 

 

 

それから、自分達の身長よりも高い向日葵のトンネルを進んだり、花粉を集めるミツバチを見ていた。

 

「なんだか大きい蜂もいない?」

 

「あれはクマバチだね」

 

「え、ミツバチじゃないの? だ、大丈夫かしら……。刺されない?」

 

「刺す事はないと思うけど、刺激することは止した方がいいかも」

 

「そ、そうね……」

 

それから暁は静かになった。

刺激って、触ったりすることなんだけどな。

でも、ちょっと面白いから黙っておこうかな。

 

 

 

しばらく遊んでから、木陰で黄色い海を眺めていた。

 

「はい、暁。お茶だよ」

 

「ありがとう響。鳳翔さんが作ってくれたの?」

 

「そうだよ」

 

「いいなー。鳳翔さんのご飯を毎日食べれるなんて」

 

そうか。

鳳翔さんのご飯を毎日食べられるって、他の艦娘達からしたら羨ましい事なんだ。

 

「暁も今度おいでよ。鳳翔さんのご飯、一緒に食べよう」

 

「本当? 約束よ」

 

「うん」

 

「指切りげんまん」

 

「嘘ついたら」

 

「ハリセンボンのーます!」

 

「ハリセンボンじゃなくて、針千本だよ」

 

「え!? そうなの?」

 

「ちなみに、指切りは小指を切る事。げんまんは一万回殴る事。針千本はそのままの意味かな」

 

「そんな恐ろしい約束出来ないー!」

 

そんなやり取りをしている内に、いつしかぽかぽかとした陽気の中で、暁はウトウトし始めた。

 

「眠いのかい?」

 

「うん……」

 

「しばらくお休み。私が起こしてあげるから」

 

「でも……」

 

「ちょっとだけさ」

 

「でも……でも……」

 

そのまま暁は眠った。

私は、時折吹く風を感じながら、夏の音を目を瞑って聞いていた。

 

 

 

「ん……」

 

虫の鳴き声で目を覚ました。

黄色い海は、朱色に染まっていた。

 

「……――!」

 

一気に冷や汗が出た。

空はもう夕方だった。

 

「暁!」

 

「ん~……なによぉ……」

 

「もう夕方だよ! 寝過ごしちゃったんだ!」

 

「ふぇ……ふぇぇぇ!?」

 

「どうしよう……急いで帰らないと……」

 

「は、早くバス停まで行くわよ……!」

 

「うん……!」

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

来た道を走って戻る。

昼間と違い、暗くなった道は、より一層私たちを不安にさせた。

 

「うっ……!」

 

木の根に足をとられ、暁は転んだ。

 

「だ、大丈夫かい!?」

 

「うぅ……痛いよぉ……」

 

よく見ると、膝から血がにじんでいた。

 

「大変だ……」

 

周りを見渡すと、少し離れたところに小川があった。

 

「ちょっと待ってて」

 

暁を後ろに、小川へ向かった。

 

「…………」

 

少しためらった後、洋服の端を思いっきり破いた。

その布を水に浸し、暁の元へと戻った。

 

「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢して……」

 

傷口をそっと拭いてやる。

 

「うぅ……」

 

汚れが取れた後、もう一度洋服の端を破り、傷口に巻いた。

 

「これで大丈夫。歩けるかい?」

 

「うん……。ごめんなさい……お洋服……」

 

「いいんだ。さ、行こう。今度はゆっくり」

 

暁の手を握り、ゆっくりとバス停へと向かった。

 

 

 

太陽が山へと沈んでゆく。

辺りは暗くなって、街灯が私たちを照らしていた。

バスは一時間に二本しか来ないようで、幸いにも十分後には来るらしかった。

 

「ごめんね響……こんな事になるなんて……」

 

「ううん……私が悪いんだ。起こすから寝ていいだなんて……」

 

「私たち……帰れるのかな……。お父さんとお母さん……心配してるかも……」

 

「……そうだね」

 

今にも泣きだしそうな暁の手をぎゅっと握った。

正直、私も不安だった。

 

「足、痛むかい?」

 

「ちょっとだけ……。けど……そんな事より……」

 

そう言って、暁は破れた私の洋服を見た。

 

「司令官に買ってもらったお洋服なのに……ごめんなさい……」

 

暁は我慢できなくなったのか、ぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「暁……」

 

ぎゅっと抱きしめると、暁は声をあげて泣きだした。

私も泣きそうになったけれど、ぐっと涙を堪えた。

 

 

 

バスを降り、駅で電車を待っていた。

 

「お腹……空いたな……」

 

「うん……」

 

暁はハッと何かを思い出すように、バッグの中を探り始めた。

 

「金平糖があったわ。食べましょう?」

 

「ありがとう」

 

二人して金平糖を食べた。

 

「金平糖ってね、飴と違って、夏でもベトベトになりにくいんだって」

 

「そうなの?」

 

「テレビでやってたの。水分が少ないからなんだって」

 

そんな話をしている内に、段々と不安が和らいでいった。

お腹は膨らまなかったけれど、暁の金平糖はほんのりと甘くて、安心できる味だった。

 

 

 

電車に揺られながら、帰った時の事を思っていた。

帰りが遅くなった事、暁が怪我をしてる事、洋服を破いた事……司令官は許してくれるかな……。

 

「響……」

 

そんな私を心配してくれたのか、暁は手を握ってくれた。

 

「大丈夫……」

 

「そうよね……。司令官……優しいものね……」

 

「うん……」

 

そんな不安をよそに、電車は駅へと着こうとしていた。

 

 

 

電車を降りて、急ぎ足で家へと向かう。

 

「走れるかい?」

 

「うん、大丈夫」

 

その時だった。

 

「響!」

 

「響ちゃん!」

 

司令官と鳳翔さんがこちらへ向かって来た。

 

「司令官……」

 

「うわぁぁぁん……しれいかぁぁぁぁん……」

 

暁は真っ先に司令官の胸に飛び込んだ。

 

「馬鹿……心配かけさせやがって……」

 

「ごめんなさいぃぃ……」

 

「響ちゃん、大丈夫?」

 

「うん……ごめんなさい……」

 

「……とりあえず、家へ戻るぞ。暁のご両親にも連絡しないといけないからな……」

 

家へ向かう間、司令官は暁をおぶったまま、何もしゃべらなかった。

私の顔も見なかった。

怒ってるのだと、すぐに分かった。

 

 

 

帰ってすぐに、司令官は暁の傷の手当てをして、両親に電話した。

その間、私は鳳翔さんとお風呂へと向かった。

 

「響ちゃんは怪我してないのね」

 

「うん……。ごめんなさい……」

 

「ううん……無事でよかったわ。さ、頭洗っちゃいましょう」

 

いつも以上に、鳳翔さんは優しかった。

その優しさが、少しだけ心に染みる。

 

「……司令官、怒ってるよね……」

 

「少しだけね……」

 

そのニュアンスには、やはり優しさが残っていた。

 

「でも、響ちゃんが無事だったのだもの。提督も安心してると思うわ」

 

「…………」

 

「……大丈夫。私からも言ってあげるから」

 

「ううん……。ちゃんと自分で謝るよ……」

 

「そっか。偉いわね」

 

偉くなんかない。

皆に心配かけて、偉いわけがない。

でも、そんな事よりも、今はただ、司令官を怒らせちゃったことばかり考えていた。

 

 

 

お風呂を出ると、夕食が準備されていて、鳳翔さんに見守られながら、静かに食べた。

 

「美味しい?」

 

時折、私を安心させるように、鳳翔さんは笑顔を見せた。

 

「うん……。暁は?」

 

「ご両親がお迎えに来て、帰ったみたい」

 

「そっか……」

 

司令官は自室にいるようで、私が食事している間、出てくることはなかった。

 

 

 

夕食を済ませ、司令官の部屋を叩いた。

 

「入れ」

 

執務室の扉を叩いたときと、同じ返事だった。

扉をゆっくり開けて、中へと入った。

 

「…………」

 

司令官の厳しい目が、私を見ていた。

 

「まず言う事があるだろ……」

 

「……ごめんなさい」

 

「暁から聞いたよ……。行くのは構わない。だが、相談はしてほしかった」

 

「…………」

 

「夏だからって、少しはしゃぎすぎたな……」

 

私は泣きそうだった。

でも、それは、自分のしたことにじゃない。

司令官が怒っている事にだった。

 

「こっちへ来い、響」

 

俯きながら、司令官の傍に立った。

 

「お仕置きだ」

 

そう言うと、司令官は私の頭を優しく、拳骨で叩いた。

 

「…………」

 

「お仕置きはおしまいだ……」

 

「ごめんなさ――」

 

司令官はしゃがむと、そのまま私を抱きしめた。

体が震えている。

 

「馬鹿……俺がどれだけ心配したと思ってるんだ……」

 

「司令官……」

 

「無事でよかった……本当に……よかった……」

 

それを聞いて、私はとうとう泣いてしまった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい司令官……」

 

全ての不安が、涙となって流れて、その分だけ、私は司令官の胸の中で泣いた。

 

 

 

私が泣き止むのを待って、司令官は話し始めた。

 

「暁が凄く謝って来たんだ。響の洋服を破かせてしまったってな」

 

「私が悪いんだ……。せっかく買ってもらったのに……ごめんなさい……」

 

「服はまた買えばいいさ。お前の判断は間違っていない」

 

「司令官……」

 

また泣きそうな私をなだめるよう、司令官は私の手を握った。

 

「次気を付ければいいんだ。今日の事、忘れるなよ。俺との約束だ」

 

そう言うと、司令官は小指を出した。

 

「指切り、拳万、嘘ついたら針千本のーます」

 

随分と物騒な約束だけれど、それよりも何よりも、私は、司令官が怒るほうが怖いと思った。

愛想尽きる事が怖かった。

だから、心の中でそっと、「嘘ついたら司令官が愛想つーかす」と、唱えた。

 

 

 

司令官と部屋を出ると、鳳翔さんが不安そうな顔をしていた。

 

「もう大丈夫だ。ピリピリしてすまなかったな」

 

そう言うと、鳳翔さんはぽろぽろと涙を流した。

 

「よ、よかったですぅ……本当に……うぅぅ……」

 

私以上に、鳳翔さんの方が不安に思っていたようだった。

そんな鳳翔さんを司令官と二人でなだめた。

司令官が怒るのは怖いし、愛想尽かされるのはもっと怖い。

けれど、怒られている時、私はちょっぴり嬉しかった。

本当の子供のように、私を叱ってくれた。

他の子にはしない、私だけを。

 

「司令官、私が悪い子だったら、また叱ってね」

 

「ん? あ、あぁ……。変な奴だな……叱ってほしいのか?」

 

「ふふふ」

 

私たちは本当の家族になれたんだって、改めて感じた。

怒られるのも、たまには悪くないかな。

――なんてね。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11

「たまには二人でお出かけして来なよ。私は暁の家にお泊りするから」

 

9月も終わりに近づいた頃。

響の粋な計らいで、俺と鳳翔は一泊の小旅行へと出かける事となった。

 

「響をよろしくお願いいたします」

 

暁の親に挨拶をし、駅へと向かった。

 

 

 

「思えば、こうして二人っきりでどこかへ出かけるの、初めてですね」

 

人のまばらな車内で、鳳翔は小声でそう言った。

 

「そうだったな」

 

「響ちゃん、急にどうしたんでしょうね」

 

「気を遣ってくれたのだろう。家族とは言え、俺もお前も互いを……」

 

そこまで言って、周りの目に気が付き、口を結んだ。

そんな俺を見て、鳳翔は微笑みを見せた。

 

「えぇ、そうですね」

 

何がとは言わずも、分かっているようであった。

 

 

 

電車を降りると、早速硫黄の匂いが鼻を突いた。

 

「駅からもう温泉街なのですね」

 

「そのようだな」

 

街には温泉浴衣で歩く人々が大勢いた。

温泉街と言うよりも、テーマパークに来た錯覚を起こす。

 

「どこから周りましょうか」

 

「とりあえず歩いて見るか?」

 

「そうですね」

 

そう言って歩こうとした時、鳳翔がそっと俺の手を握った。

 

「人が……多いですから……」

 

それは、鳳翔の照れ隠しだった。

 

「ゆっくり行こう」

 

手を握り返してやると、小さく「はい」と返事をした。

 

 

 

道行くたびに、射的やら温泉まんじゅうやらの店が並んでいた。

どれもこれも似たり寄ったりで、パッとしないが、不思議と入りたくなるような魅力を感じる。

 

「提督、温泉卵ですって」

 

「何だこれは。黒いじゃないか」

 

「黒たまごって言うらしいです。一個食べるごとに7年寿命が延びるそうですよ」

 

7年。

 

「10個食ったら70年は確実に生きられるのか」

 

「10個も食べたら寿命が縮みそうですけどね……」

 

結局、5個入りを購入し、鳳翔は2個、俺は3個平らげた。

黒玉子とは言え、殻が黒いだけで、中身は真っ白だった。

 

「これで俺は21年。お前は14年寿命が延びたな」

 

なんて話しながら、笑いあった。

こうして二人っきりで笑いあう事は、鎮守府でも少なかった気がする。

戦時中は常にピリピリしていたし、こうした男女としての関わりではなかったから。

 

「うふふ」

 

「どうした?」

 

「いえ、なんだか楽しくて。提督は……楽しくなかったですか?」

 

「はしゃいでるよ」

 

「そうは見えませんけど」

 

「努力するよ」

 

「もう」

 

また、鳳翔が笑う。

その愛おしく、可愛らしい姿に、俺は自分の反応すらも忘れて、惚けていたのかもしれない。

 

 

 

何をするわけでもなく、ただ温泉街を歩いた。

鳳翔も俺も、温泉街よりも、お互いの事に夢中だったのかもしれない。

こうして二人っきり、水入らずで話していると、お互いがお互いを好きである事を思い出す。

家族として接している時は、そういう意識はあまりなかったけれど。

 

「そろそろ宿に行きませんか?」

 

そう言うと、鳳翔は近づき、体を寄せた。

小さな耳がほんのりと赤く染まっていた。

 

「もっと静かな場所で……お話ししたいんです……」

 

官能的な目が俺を見つめる。

或いは、子供の強請りのような。

 

「…………」

 

俺は返事もせず、片腕でそっと、鳳翔の肩を抱いた。

 

 

 

宿に着いた俺たちを、中年の女将が迎えてくれた。

鳳翔の左手の指輪を見て、夫婦と勘違いしたのか、馴れ初めや式の事など何でも聞いて来た。

一見すると失礼な女将に感じるだろうが、後で知ったところによると、この宿の名物女将と言われているそうだ。

確かに、悪気はなさそうだし、明るい性格なので、嫌な気はしない。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

そう言って、女将は下がった。

 

「色々聞かれたな」

 

「やっぱり、私たち夫婦に見えるんでしょうか?」

 

「旅館で一部屋。女は指輪をしている。俺でも勘違いするさ」

 

部屋はあまり大きくはないが、ここの宿の名物はそこに無い。

 

「提督、外に温泉がありますよ!」

 

障子を開けると、そこには檜の風呂があった。

そう、この宿の魅力は、部屋ごとに露天風呂がついているという点だ。

 

「こっちの方がゆっくりできると思ってな。まあ、大浴場の方を使ってもいいが」

 

「いえ、こちらを使わせてもらいます。せっかくですので」

 

鳳翔は子供のように目を輝かせた。

艦娘の頃は大浴場。

家では響と。

一人で満喫できる風呂となれば、鳳翔も喜ぶに違いないと考えて、ここを選んだのだ。

どうやらそれは当たったようだ。

 

「夕食まではまだ時間があるし、入ったらどうだ?」

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ。俺はちょっと外すから、ゆっくりしたらいい」

 

そう言って去ろうとした時、鳳翔が俺を呼び止めた。

 

「あの……提督は……入らないのですか?」

 

「俺は後で入るよ」

 

「今じゃ……駄目なんですか……?」

 

一瞬、本気で分からなかった。

しかし、すぐに理解した。

鳳翔が着物を脱いで行き、やがてその白い肌を露出させた。

 

「私は……いいですよ……」

 

ほんのりと赤かった顔が、徐々に真っ赤になってゆくのが分かる。

 

「案外、大胆だな」

 

そう言ってやると、さらに赤くなって、顔を伏せた。

 

 

 

軽く体を流し、風呂に浸かる。

お湯の温度はちょうどいい感じに仕上がっており、時折吹く風が心地よい。

 

「し、失礼します……」

 

体を流し終わった鳳翔が隣に座る。

 

「気持ちいいな」

 

「は、はい……」

 

鳳翔はどこか緊張しているように見えた。

 

「なんだか、ドキドキしますね……」

 

「そうだな」

 

「提督は嘘です。なんだか余裕に見えます……」

 

「そうでもないよ」

 

「本当ですか? 信じられません」

 

「俺は逆に、あんなに大胆な事言っておいて、しおらしいのが信じられないがな」

 

「意地悪ですね……」

 

そう言うと、鳳翔はそっと肌を密着させた。

 

「なら……お望み通り、大胆に……ね、提督……」

 

小さく膨らんだ乳房が腕に柔らかく当たった。

 

「私が越してきた時と同じように……家族としての思い出じゃなくて、私だけの思い出を……もう一度いただけませんか……?」

 

「鳳翔……」

 

まだ色の若い椛が、浴槽へと落ちた。

そしてまた、水の揺らぎによって、浴槽から流れていった。

 

 

 

温泉から出て、しばらく涼んでから、夕食までの時間を旅館内を回り過ごした。

卓球をしてみたり、マッサージ器を使ってみたり、まるで子供のようにはしゃいだ。

 

「満喫していただいているようで」

 

「女将さん」

 

「温泉はもう入られましたか?」

 

「えぇ、気持ちが良かったです。な、鳳翔」

 

「提督!」

 

そう言って、鳳翔は怒りながら俺の腕を軽く叩いた。

女将も俺も、何が何だか分からない顔をした。

 

「あ、やだ……」

 

鳳翔は俺たちの顔を見て、顔を真っ赤にした。

女将は何か察したようで、意地悪そうな顔をした。

 

「お若いですこと。どうぞ、ごゆっくりなさってくださいね」

 

ホホホと笑いながら、女将は去っていった。

それを見て、俺は悟った。

 

「――温泉が……って話だ……」

 

「で、ですよね……。ごめんなさい……」

 

それから鳳翔はずっと恥ずかしそうにしていた。

 

 

 

部屋に着くと、既に食事の準備が済んでいた。

 

「豪勢だな」

 

「こんなに高そうなもの、頂いちゃってもいいんでしょうか?」

 

「しょっちゅうは食わせてやれないがな」

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

鳳翔は料理一つ一つを、ゆっくりと味わって食べていた。

時折、家で作れないかしらと言うような顔をしたり、とても美味しかったのが分かるくらい、顔をほころばせていた。

 

「提督? 私の顔に何かついていますか?」

 

「いや、美味そうに食べるなと思ってな」

 

「とても美味しいです。でも、料理だけじゃなくて、提督と二人っきりで食べる食事ですから……なんて」

 

ここに来てからと言うもの、鳳翔がやけに積極的な気がする。

いや、或いは元々がそういう性格で、家族としてのこいつと、女としてのこいつは違うのかもしれないな。

 

「次は響ちゃんも一緒に来ましょう。三人で食べたら、きっともっと美味しいですよ」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 

夜も更け行き、明日に備えて寝る事にした。

時間は多くないが、出来るだけ二人っきりで過ごせるように、割と過密なスケジューリングをしている。

 

「静かですね」

 

「ああ」

 

「……そっちに行ってもいいですか?」

 

「……ああ」

 

鳳翔が布団に入って来た。

 

「まるで夢のようです……」

 

「夢?」

 

「私……今だから言いますけれど、ずっと提督の事が好きでした。でも、貴方と私は、提督と艦娘で、この指輪も……仮の物だった」

 

そう言って、鳳翔は指輪を見つめた。

 

「でも……今はこうしてお互いを想うような存在になっている。今が、かつて見た夢と同じなんです」

 

「そうだったのか……」

 

「提督は……そうは思ってなかったんですか?」

 

「俺は……」

 

俺は、ある艦娘の事を思い出していた。

提督と艦娘。

その関係を、戦時中にも関わらず、越えようとした艦娘の事を。

 

「――もう寝よう。明日も早いんだ」

 

「そうですね。おやすみなさい、提督」

 

「ああ、お休み」

 

頭を撫でてやると、恥ずかしそうに微笑んだ。

 

 

 

………「提督」

 

………「どうした、――?」

 

………「こんなに大きなお魚が釣れました。今日のご夕食で出しますね」

 

………「ああ、楽しみにしているよ」

 

………「はい! ――、頑張りますね」

 

 

 

「ん……」

 

目が覚めると、障子から柔らかい朝陽が射していた。

 

「夢か……」

 

忘れようとしていたあの記憶。

あいつは、元気でやっているだろうか。

 

「提督……?」

 

「おはよう、鳳翔」

 

「え……あ……そうでしたね。一緒に寝たんだった……。おはようございます、提督」

 

 

 

朝食を済ませ、電車とロープウェイを乗り継ぎ、温泉街の源泉湧き出る山へと登った。

所々に煙挙がっていて、濃い硫黄の匂いがする。

あまり嗅ぎすぎると危険なのではなかろうかと言うほどに。

 

「凄いですね」

 

「大丈夫か? 人によっては息苦しいらしいが」

 

「大丈夫です。それよりも、もっと上の方へ行ってみましょう」

 

ロープウェイの時もそうだったが、鳳翔は高いところが意外と好きなのかもしれない。

ここに来てからと言うもの、崖を覗いたりしてはしゃいでいる。

 

「子供の頃を思い出します。よく山に登りました」

 

そう言えば、実家がそういうところだったな。

高いところが好きなのも納得だ。

 

 

 

「玉子アイスって、黄色いだけで、あまり卵の味がしないな」

 

そう言う問いかけに、鳳翔は上の空だった。

 

「鳳翔」

 

「あ、はい!」

 

「大丈夫か?」

 

「いえ。響ちゃん、今頃どうしているかなって……」

 

「心配か?」

 

「そうじゃないんです。なんというか、私がこんなに幸せな思いしてていいのかなって」

 

「どういうことだ?」

 

「私は、提督と響ちゃんの家族になるために、一緒に住み始めましたよね。私たちはお互いに……その……好きではあるのですけれど、やっぱり家族ですから……提督を響ちゃんから奪ってしまったようで……なんだか……」

 

「その響がいいと言ったんだ。気を遣わせてしまっているのだろうが、あいつなりの感謝のしるしなんだと思うよ」

 

「感謝……ですか?」

 

「お前が俺と、男と女の仲である以上に、三人で家族になろうって言ってくれたことに対してのさ」

 

「!」

 

「嬉しかったんだと思うよ。あいつ、泣いてたから。そりゃもう、見たことないくらいにさ」

 

「そうだったんですか……」

 

「だから、ありがたく受け取っておこう。それが響の感謝に対する、俺たちの礼儀ってもんだろ」

 

「……そうですね。さすが提督ですね。響ちゃんの気持ち、分かってます」

 

「その響も、お前が来たことによって、奪われたけどな」

 

「うふふ」

 

「さて、そろそろ山を降りるか。夕方までに帰って、あいつを迎えてやろう」

 

「はい」

 

近くにあった土産屋で買い物をしてから、俺たちは自宅へとゆっくり向かった。

 

 

 

帰りの電車内は、相変わらず乗客がいなかった。

行きはあんなにもいたのに。

 

「響ちゃん、寂しくしてなければいいのですが……」

 

「暁の家にいたんだ。それはないだろう」

 

「だといいんですけど……」

 

ただ、まだ二人で住んでいた時に見せた悲しそうな顔を見せてくれたら、少しだけ嬉しいかな。

なんて、酷いか。

 

「もうすぐ着きますね」

 

そう言うと、鳳翔は軽く俺に口づけした。

 

「ありがとうございました。私と貴方だけのたくさんの思い出……嬉しいです……」

 

「俺もだ」

 

「駅に着いたら、また家族です。提督には、洗濯してもらいますからね」

 

「分かったよ」

 

駅に着くまで、俺たちは寄り添って車窓からの夕焼けを眺めていた。

 

 

 

駅に着くと、何故か暁がいた。

 

「司令官!」

 

暁が手を振る。

 

「おう、どうした? 迎えに来てくれたのか?」

 

「提督」

 

鳳翔が指さす先に、響がいた。

帽子を深く被り、佇んでいた。

 

「響ね、司令官たちが帰ってくるからって、ずっとここで待ってたのよ?」

 

「提督、行ってきてあげてください」

 

「ああ」

 

響の方へと近づく。

 

「おう、ただいま」

 

「お帰り司令官」

 

「俺がいなくて寂しかったか?」

 

「鳳翔さんがいなくて寂しかったよ」

 

「なんだ、可愛くないな」

 

「…………」

 

「帰るぞ」

 

抱き上げてやると、響はそのまま顔を隠すように、俺の胸の中に顔をうずめた。

 

「暁ちゃんも抱っこする?」

 

「レ、レディーはそんなこと……」

 

「おいで」

 

「……うん」

 

そのまま暁の家へと向かった。

 

「司令官……」

 

「なんだ?」

 

「本当は……寂しかったよ……」

 

その声は、俺にしか聞こえないくらい小さなものだった。

 

「――ありがとうな、響。来年は三人で行こうな」

 

そう言ってやると、響は小さく頷いた。

俺たちの目の前で、夕日が沈んでいった。

遠くの空には、きらりと光る一番星が顔を出していた。

 

 

 

 

 

 

………「この時間が永遠に続けばいいのに……って、駄目ですかね?」

 

………「お前、出撃したいんじゃなかったのか?」

 

………「えぇ、そのはずでした。でも、おかしいですね。今は――。ねぇ、提督……」

 

………「なんだ?」

 

………「艦娘が提督に恋をしたら……いけませんか……?」

 

 

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11.5

※提督の過去編です。


あれは、まだ俺が鎮守府に着任する前の話。

 

「自分が……でありますか?」

 

「そうだ。君にしか頼めない」

 

「しかし、自分はまだ未熟でありまして……」

 

「謙遜するな。我々は君を買っている。新たにできる鎮守府に君を着任させる計画もある」

 

「本当ですか!?」

 

「その為には、これは必要なことだ。くれぐれも慎重に頼む」

 

「はぁ……。しかし、この艦娘は一体……?」

 

「運用が難しい艦娘でね。所謂、大食いなんだ」

 

「燃料などの事ですね」

 

「ああ。中々出撃させられなくてね。だが、火力は群を抜いて高いのだ。その性能は、海軍の中でもごく一部の人間しか知らないほどだ」

 

「秘密兵器という訳ですか……。そんな艦娘を何故、自分に……」

 

「メンタルケアだ」

 

「メンタルケア……?」

 

「艦娘と言うのはね、とてもナイーブなんだ。日々を戦い抜き、時として残酷な運命を見届ける。いつ自分が沈むかを考えている」

 

「…………」

 

「今度君に任せる艦娘は、とある島に隠居させている。君はそこに向かい、彼女のケアを頼みたい」

 

「分かりました」

 

「艦娘としての使命を真っ当できない苦しみ。彼女はそれを一番知っている。どうか、その気持ちを理解して、彼女と接してあげて欲しい」

 

 

 

数週間して、俺はその島へと向かった。

彼女の情報は、名前とちょっとしたプロフィールくらいしか知らされなかった。

 

「艦娘か……」

 

演習などは何度か見たことはあるが、接したことはない。

話に聴く限りでは、艦娘というだけあって、全員女性らしい。

 

 

 

島に着き、俺を降ろすと、船はそのまま引き返していった。

 

「立派な島だな」

 

一見すると、リゾート地を思わせる。

この島には、その艦娘と俺以外いないらしい。

食料などは船が定期的に運んでくるらしいが、なんとも心細い。

 

「とにかく、挨拶だ」

 

施設のある方へと歩いて行った。

 

 

 

「ごめんください」

 

返事はない。

 

「失礼する」

 

勝手に上がり込む。

廊下には少量の砂が入り込んでいた。

 

「執務室を探さねばな……」

 

廊下のマップに沿って歩いて行く。

窓から潮風が入ってきて、心地よい。

波の音がここからでも良く聞こえるほど海が近い。

水面のきらめきが、壁に反射している。

 

「孤島と言う感じだな」

 

執務室を見つけ、中に入る。

使われている事は少ないようだが、綺麗に掃除されていた。

ここにいる艦娘がやっているのだろうか。

机の上には、提督と書かれた三角の文鎮が置かれていた。

 

「これも勉強だ」

 

深々と椅子に座ると、少しだけ偉くなった気がして気持ちが良い。

 

「ふふふ、良いものだな」

 

上官も言っていたが、いつか俺にも鎮守府を任せていただける日が来る。

そうなったら、こうして……。

 

「○○艦隊、出撃だ!」

 

なんてな。

少しはしゃぎすぎたかな。

 

「あの……」

 

「どわっ!?」

 

「盛り上がっている所すみません……」

 

そこには、すらっとした女性が立っていた。

 

「もしかして……お前が艦娘の……」

 

「はい、大和です。よろしくお願いいたします……」

 

この娘が艦娘……。

とても信じられない。

こんな美人も艦娘に……。

 

「あ、ああ……よろしく……大和」

 

握手をしようと手を出すと、大和はそれを無視するように後ろを向いた。

 

「施設を案内します……」

 

そう言ってつかつかと廊下へと出ていってしまった。

なんだか警戒されている気がする。

艦娘はナイーブだと聞いたが、ここまでとは。

しかし……これは試練だ。

俺の提督としての度量を試されているのだ。

こんなところで躓いては、提督にはなれない。

 

「どうしました……?」

 

「すまん、今行くよ」

 

 

 

「以上がこの施設の説明です……」

 

「分かった。ありがとう」

 

「では……」

 

「どこへ行くのだ?」

 

「案内が終わったので……自室へ向かおうと……」

 

「時間があるならば、少し話でもどうだ? さっきの食堂でコーヒーでも飲みながら――」

 

「遠慮しておきます」

 

「おいおい……」

 

「この際ですからはっきり申し上げておきます。大和は貴方と仕事以上に関わる事はしません」

 

「な……!?」

 

「今までの人もそうでした。出撃させないで、ずっとこんなところに幽閉するだけ……。そんな人たちと関わりたくはありません」

 

なるほど、言っていることは最もだ。

だが、俺だって簡単には引き下がれないんだ。

 

「なら、出撃出来れば俺と話してくれるのだな?」

 

「え……?」

 

「待ってろよ。今すぐに出撃させてやる」

 

そう言って、真っすぐ執務室へと向かった。

 

 

 

電話を取り、すぐに本部へと繋げてもらった。

 

「大和を出撃させてやってくれませんか? 簡単な任務でもいいので」

 

『駄目だ。大和の性能は機密であるし、その島に大和を出撃させるほどの資材はない』

 

「送ってください」

 

『君は立場を分かってるのかね。とにかく、駄目なものは駄目だ』

 

「メンタルケアに必要なんです!」

 

『仮にそうだとして、一回の出撃程度でメンタルが良くなるとは思えんがね。それに、逆に期待させるのもかわいそうだろう。一回きりなんて』

 

「う……」

 

『君の気持ちも分かる。だがね、焦ってはいけないよ。時間をかけて、ゆっくりと、彼女と関わってくれたまえ』

 

「……分かりました。自分が未熟でした……。ご無礼を……」

 

『分かればよい。健闘を祈る』

 

電話を切って、反省した。

確かに、焦りすぎた。

大和とのコミュニケーション方法は、まだあるはずだ。

ゆっくり考えればいい。

 

 

 

「大和」

 

「なんでしょう……」

 

けだるそうに大和は返事をした。

 

「出撃の件だが、すまない。無理だった」

 

「……でしょうね。期待なんてしてなかったですけれど……」

 

「だが、よい方法を思いついたのだ。出撃の準備をして、砂浜に集合だ」

 

「え?」

 

 

 

「良い方法って……」

 

「さあ、乗れ」

 

大和は怪訝そうな顔をしながら、ボートに乗った。

 

「あの……なんですか……? これ……」

 

「俺がボートを漕ぐ。お前はボートの上でバランスを取りながら、俺の言う方向へ砲台を向けろ」

 

「なんの意味があるんです?」

 

「訓練だ。海上ではバランスが大切だ。この不安定なボートの上で、しっかりと敵の方向へ向けなければ、出撃した時に役に立たんぞ」

 

「出撃した時って……。そんなの……」

 

「いつか来る。俺が保証する」

 

「…………」

 

「二時の方向!」

 

「え?」

 

「二時の方向に敵だ!」

 

大和は嫌そうに体を傾けた。

その拍子に、ボートが傾いた。

 

「きゃっ!?」

 

「おっ!?」

 

そのままボートはひっくり返り、俺たちは海へと放り出された。

 

「がはっ……!?」

 

必死にもがいて、ボートにしがみつこうとした。

そうだ……俺は泳げないんだった。

 

「…………」

 

その手を、大和は引っ張り上げてくれた。

 

「ここ、足つきますよ」

 

「あ……本当だな……」

 

「海軍なのに泳げないんですか?」

 

「あ、ああ……」

 

「それなのに、こんな訓練を?」

 

「……ああ」

 

俺はなんだか急に恥ずかしくなった。

 

「――ふふふ」

 

大和の方を見ると、笑っていた。

 

「海軍なのに泳げないなんて、初めて聞きました」

 

「わ、笑うな……。別に泳げなくても、指示は出来る」

 

「泳げる方が威厳があると思いますけど」

 

「う……悪かったな……」

 

「でも……今までこんな事してくれる人いなかったから、嬉しいです。出撃なんてないって人ばかりだったから……」

 

「大和……」

 

「貴方は他の人と違う気がします。さっきは冷たい態度とってごめんなさい。貴方を信用します。これからよろしくお願いします。提督」

 

「提督……俺が……」

 

大和はボートを戻した。

 

「もう一度、やってもいいですか? 今度は上手く出来るように頑張りますから」

 

「――ああ。次はもっと難しいぞ。俺を海に投げ出さないように頼んだぞ、大和」

 

「はい! 大和、出撃します!」

 

こうして、俺と大和の生活が始まった。

 

 

 

朝。

朝食を取る前に訓練をする。

例のボート訓練だ。

 

「6時の方向だ!」

 

「はい!」

 

ボートが揺れる。

それでも、前のように転覆することはなかった。

 

「よし、そろそろ朝食にするか。朝の訓練は終わりだ」

 

「ありがとうございました」

 

 

 

朝食は大和が用意してくれる。

交代で、との話をしたのだが、提督に作らせるわけにはいかないと、かって出てくれた。

 

「いかがですか?」

 

「美味い。まさか、こんな島でこんなに美味い料理が食えるとはな。インスタントを覚悟していたのだが」

 

「出撃しないので、こういうのばかり上手になっていくんです」

 

「その努力する精神が、艦娘をより強くさせる。お前はきっと凄い艦娘になるよ」

 

「だといいんですけど……」

 

「その時は、俺と共に戦ってくれ」

 

「是非!」

 

 

 

昼。

各個人、思い思いの時間を過ごす。

釣りをしたり、読書をしたり。

最初こそは、気を遣って、お互いに距離を取っていたが、日数が経つに連れて、二人で過ごすようになった。

話をしたり、釣りをしたり、読書をしたり。

一人で出来る事も、何でも二人でするようになった。

 

 

 

夜。

ボートでの訓練をした後、夕食を取り、各自部屋で過ごす。

俺は書類の処理。

大和は休養だ。

最初こそは、その通りだったが、やがて大和が手伝いをしてくれるようになった。

 

「秘書艦としての訓練ですよ」

 

「すまん……」

 

大和が手伝ってくれると、仕事が幾分か早く終わった。

そんな日には、海辺に出て、一緒に星を見た。

この島には明かりがほとんどないので、月が出ていない日には、満天の星空が広がった。

 

「綺麗だな」

 

「ずーっと一人でこの景色を見てました」

 

「流石に飽きるか?」

 

「えぇ。でも、提督がここに来てから、ちょっとだけこの星空が好きになりました」

 

「そうか。そいつは良かったな」

 

その言葉に深い意味を求めなかったが、この頃から少しずつ、大和の心に変化があったのかもしれない。

 

 

 

島に来てから一か月が経った。

この頃になると、俺と大和はもうすっかりお互いを信用していた。

 

「今日はここまでにしようか」

 

「はい……」

 

「どうした? なんだか元気がないようだが……」

 

「い、いえ……。あの……今日は……少しお休みを頂いてもいいですか?」

 

「構わないが……。具合でも悪いのか?」

 

「そうではないんです……ただ……」

 

大和の様子がおかしい。

 

「失礼します……」

 

そう言って、大和は自室へと戻っていった。

 

 

 

一人、釣りをして過ごした。

釣れなくても、釣り糸を垂らしているだけで、精神が落ち着く気がするのだ。

だが、今日に限っては違った。

大和の事が気がかりだった。

今まで、こんな事はなかった。

あいつが訓練を休みたいだなんて。

具合は悪くないと言っていたが、しかし……。

 

「ええい……」

 

釣竿を放って、施設へと戻った。

 

 

 

大和の部屋を訪れるのは、何気に初めてだった。

息を整え、静かにノックをした。

 

「大和」

 

返事はない。

 

「大和、大丈夫か?」

 

何度問いかけても、返事はなかった。

悪いと思いつつ、万が一の事も考え、そっとドアを開けた。

 

「大和……?」

 

目の下を赤くして、大和は眠っていた。

枕が濡れている。

泣いていたのだろうか。

 

「ん……提督……?」

 

目を擦りながら、大和は目を覚ました。

 

「すまん。様子が気になってな。ノックはしたんだぞ?」

 

「すみません……寝てまして……」

 

「……泣いていたのか?」

 

その問いかけに、大和は目を伏せた。

 

「何か、嫌なことでもあったか? 俺の訓練が悪かったか?」

 

「いえ……そうじゃないんです……」

 

「では……」

 

少しためらった後、観念したかのように、大和は話し始めた。

 

「実は……夢を見まして……」

 

「夢?」

 

「提督と……戦場に出る夢です……」

 

「良い夢じゃないか。それとも、俺じゃ不満だったか?」

 

「そうじゃないんです……。一緒に戦場に出て……戦って……そこまではいいんです……」

 

大和は思い出すのも嫌なのか、膝を抱えて座ってしまった。

 

「そこから……どうした?」

 

「私が弱いせいで……提督が……」

 

なんとなく話は見えた。

夢の中の俺は、おそらく――。

 

「所詮は夢じゃないか」

 

「でも……私……」

 

「精一杯頑張ってくれたんだろう? ありがとう、大和」

 

「提督……私……強くなりたいです……。戦場に出て……戦いたい……。貴方を守れるくらい……強く……」

 

「大和……」

 

震えるその体を、俺はそっと抱きしめてやった。

どうすればよいか分からなくて、ただそうした。

 

「俺もだ。俺も強くならねばならん。的確な指示をし、より安全に航路を切り開いていかなくてはならない。お前ひとりで戦うのではないんだ」

 

「提督……」

 

「俺はここにいる。次は、本当の戦場で、俺を守ってくれよ。俺も、お前を全力で守るからさ」

 

「……はい」

 

大和は頼もしい瞳を俺に向けた。

その瞳に、俺も真っすぐ気持ちを向けた。

 

「提督、訓練、お願いできますか?」

 

「よし来た。行くぞ!」

 

「はい!」

 

そして、さらに数か月が過ぎ、島は冬を迎えた。

 

 

 

「今日は冷えますね」

 

「そうだな」

 

ここでの生活もなれ、大和との関係もより一層深まっていた。

 

「提督との生活……いつまで続くのでしょうか?」

 

「嫌か?」

 

「いえ……そうじゃなくて……」

 

暖を取りながら、大和は呟いた。

 

「この時間が永遠に続けばいいのに……って、駄目ですかね?」

 

「お前、出撃したいんじゃなかったのか?」

 

「えぇ、そのはずでした。でも、おかしいですね。今は――」

 

そこまで言うと、大和は黙ってしまった。

俺は書類を処理しながら、大和の言葉を待っていた。

 

「ねぇ、提督……」

 

「なんだ?」

 

暖められ、赤くなった顔を――しかし、真剣な目をして、こちらへ向けていた。

 

「艦娘が……提督に恋をしたら……いけませんか……?」

 

時計の針が、とてもうるさく執務室に響いた。

 

「どういう意味だ?」

 

その問いかけに、大和は答えなかった。

 

「……もし仮にそんな事があったとしても、ここは戦場だ。それを忘れてはいけない」

 

「ですよね……」

 

それから大和は、しばらくストーブの炎を見つめていた。

何も言わずに、じっと。

 

 

 

翌日から、大和が少し余所余所しくなった。

訓練の時も、なんだかぎこちない動きを見せた。

 

「調子が悪いな。寒いからか?」

 

「かもしれませんね……」

 

「冬の訓練は、また別に考えないといけないな。風邪をひいたら元も子もないしな」

 

「そうですね……」

 

返事もどこか、浮ついている。

 

 

 

昼休憩も、夜の時間になっても、大和は自室から出てくることはなかった。

いつもなら、一緒に何かをしているはずなのに。

 

――「艦娘が提督に恋をしたらいけませんか?」

 

あれから、その言葉がずっと、胸の中でグルグルと渦巻いていた。

あれはどういう意味だったのだろうか?

大和自身が、そういう気持ちを持っているという事だろうか?

だとしたら、俺に対しての気持ち?

大和が、俺に恋をしているということなのだろうか?

 

「……ありえないな」

 

そう、口に出しては見たものの、その言葉から大和の態度が変わってしまったのも事実だ。

もし、俺に対しての気持ちであったのならば、俺は大和を傷つけてしまったのかもしれない。

だが、戦時中である事は事実だ。

その最中で、恋などと――。

 

「…………」

 

否定すればするほどに、大和の顔がちらついた。

大和に言われて気が付いたのだ。

俺も、大和の事が好きである、と。

 

「恋……」

 

大和への気持ち。

大和からの気持ち。

提督と艦娘。

戦争。

 

「駄目だ……。このままでは……」

 

俺たちは、深くかかわりすぎたのだ。

 

 

 

それから何日かして、俺はある決心をした。

 

 

 

「大和」

 

廊下を歩いている大和に声をかけた。

 

「なんですか?」

 

「話がある。執務室に来てくれ」

 

いつになく真剣な俺の表情に、大和は只ならぬものを感じたのか、何も言わずについて来た。

 

 

 

「話って何ですか?」

 

「この前の話……艦娘が提督に恋をしてはいけないか……と言うものについてだ」

 

「…………」

 

「あれは……お前の気持ちなのか……?」

 

「え……?」

 

「正直に言ってくれ」

 

大和は、少し驚いた様子を見せた後、弱弱しく笑って見せた。

 

「……はい、大和の気持ちです。なんだ……。提督、気づいてないのかと思ってました……」

 

「ずっと考えていたんだ。その意味を」

 

「すぐに分からないなんて……提督失格ですよ」

 

「すまない……」

 

謝る俺に、大和は静かに近づいた。

 

「もちろん……貴方に対してです……。大和は……貴方が好き……。貴方に……恋をしてしまったのです……」

 

まるで大切なもののように、慎重に、そして、丁寧に、そう口にした。

 

「貴方が好き……大好き……。恋人のように……ぎゅってしてほしい……。キスしてほしい……。大和の全てを……貴方の色に染めて欲しい……。貴方でいっぱいにしてほしい……」

 

「大和……」

 

「貴方に愛されれば……大和は艦娘でなくてもいいです……。永遠にここに幽閉されたっていい……。貴方さえ……いてくれれば……」

 

「…………」

 

「提督……」

 

近付く大和の肩を掴み、そっと放した。

 

「大和……俺とお前は提督と艦娘だ……。それ以上にも、それ以下にもなれない……」

 

「提督……?」

 

「すまない……」

 

その言葉に、大和は弱弱しく、お茶らけるように、笑った。

 

「あ、あはは……振られちゃいましたね……」

 

「…………」

 

「そうですよね……。えぇ……分かってました……。うん……この話は忘れてください。暗い空気だと、今後の訓練にも支障が出ちゃいますもんね。大和は大丈夫なので、明るく行きましょう!」

 

「…………」

 

「あはは……は……。提督……?」

 

心配そうに見つめる大和に、俺は意を決して言った。

 

「俺は……この島を出る……」

 

「え……」

 

時間が止まった気がした。

それほどに、長い静寂が続いた。

 

「どういう……ことですか……?」

 

「…………」

 

「あ……上層部に帰って来いって言われたんですか……?」

 

「違う……俺が自ら上層部に申し出た……」

 

「……!」

 

「…………」

 

「……どうして? なんでですか……!?」

 

「すまない……」

 

「提督っ!」

 

「俺たちは……!」

 

聞いたこともない俺の声に、大和は身を縮ませた。

 

「俺たちは……深くかかわりすぎたんだ……」

 

一瞬の静寂。

 

「……大和が……提督を好きになったからですか……?」

 

「…………」

 

「艦娘が……提督を好きになっちゃいけないんですか……? 恋をしちゃいけないんですか……!?」

 

「――ああ、いけない」

 

「……っ!」

 

俺は突き放すようにそう言った。

そうでなければ、きっと俺は――。

 

「……そうですか。よく分かりました……」

 

大和はそう言って、執務室を後にした。

それから、大和が俺の前に姿を現すことは無くなった。

 

 

 

船に揺られ、島を見ていた。

あの島には、まだ大和がいる。

なんだか、それが信じられなかった。

 

「大和……」

 

俺は、大和に申し訳ないことをしたと思っている。

それは、冷たく当たったことにではなく、恋をさせてしまった事に対してだ。

あいつは、艦娘として、出撃することを夢に見ていた。

俺は、その夢を奪ってしまったのだ。

艦娘としての存在を否定してしまったのだ。

 

「すまない……大和……」

 

遠ざかる島を、俺は、いつまでもいつまでも、見つめていた。

 

 

 

それから、鎮守府を持つことが決まり、俺は本当の提督になった。

夢中で戦い、自分を押し殺すようにして、生きた。

この鎮守府の艦娘達だけは、大和と同じ気持ちにはさせたくなかった。

それでも、月日は流れて行き、やがてそんな気持ちも和らいでいった。

そしていつしか、自分自身を取り戻すように、大和と出会う前のように、振る舞っていった。

あれからもう数年が経っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督、元上司を名乗る方からお電話ですよ」

 

「ありがとう、鳳翔」

 

「どうぞ」

 

「もしもし」

 

『おお、久しぶりだな。覚えているか』

 

「その声……! えぇ、覚えていますとも!」

 

それは、俺に鎮守府を任せるよう推薦してくれた元上官だった。

 

「どうしたんですか? びっくりしました」

 

『君の噂を聞いてね。ふと、声を聞きたくなったのだ』

 

それから、昔話に花を咲かせた。

時折、響と鳳翔が、こちらをのぞいていた。

俺が敬語で話しているのが珍しく思っているようだった。

 

『積もる話はあるな』

 

「えぇ、もっとゆっくり話したいです」

 

『そうだな。ところで……大和という艦娘を覚えているかね?』

 

大和……。

 

「……えぇ、覚えてます。忘れるわけありません」

 

『実は、彼女が君を探しているようなんだ』

 

大和が俺を……?

 

『私は君の気持ちを知っていたから、黙ってはいたんだがね……。もう年数も経っているだろう? どうだね、会ってみては……』

 

大和はなんの為に俺を探しているのだろうか。

俺は、大和に会っていいのだろうか。

そんな事ばかりが、頭をよぎった。

それと同時に、俺の中で、大和との思い出が、まるで走馬燈のように蘇って来た。

忘れようと、頭の片隅に置いたはずの記憶だった。

 

『君の気持ちもある。もし、会ってもいいと思ったら、私に連絡をくれないか?』

 

「……えぇ、分かりました」

 

それから少し、世間話をしてから電話を切った。

何を話したかは覚えていない。

 

「提督?」

 

電話が終わってから、鳳翔が心配そうな顔をして近づいて来た。

 

「大丈夫ですか? なんだか、途中から急に元気がなくなってましたが……」

 

「いや、大丈夫だ……」

 

大和の事は言えなかった。

 

「司令官が敬語で話すの、なんだか気持ちが悪かったよ」

 

「気持ち悪いって、お前な……」

 

響のお陰で、なんとか平生を取り戻した。

しかし、大和の事が頭から離れる事はなかった。

 

 

 

夜。

俺は考えていた。

会うべきか、会わざるべきか。

会って何を話せばいいのだろう。

大和は何故、俺を探しているのだろう。

よもや、昔話をするためでもなかろう。

 

「…………」

 

何よりも、俺は謝らないといけない。

冷たくした事、恋をさせてしまった事。

よく考えれば、ちゃんと謝ってはいなかった。

ただ、「すまない」「深くかかわりすぎた」とだけ言って、ちゃんとした理由を言わなかった。

もしかしたら、大和は、その理由を聞きたいのかもしれない。

過去の未練を、断ち切りたいのかもしれない。

 

「ならば、俺は――」

 

欠けた月が、吸い込まれそうな闇の中で、不気味に輝いていた。

 

 

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12

昼過ぎのカフェ。

平日という事もあって、先ほどまで休んでいたサラリーマンらしき人達は、もう、一人としていなかった。

 

「人を待っているのですか?」

 

紅茶のおかわりを持って、マスターは話しかけてきた。

 

「えぇ、昔の……」

 

「それなら、奥の席へどうぞ。ここの席、この時間は日が強く当たるんですよ」

 

夏も終わりとは言え、まだ暑い日が続いていた。

マスターの気遣いを受け、俺は奥の席へと移動した。

確かに、こちらの方が幾分か涼しかった。

 

「すみませ――」

 

そう言いかけた時、窓の外に懐かしい顔を見た。

そして、そいつはカフェに入ってくると、真っ先に俺を見つけた。

 

「――……」

 

言葉にならないのか、何かを話そうとするその唇が震えている。

 

「大和……」

 

席を立ち、迎えてやると、そのまま胸に飛び込んできた。

 

「提督……提督……」

 

「――久しぶりだな」

 

「ずっと……会いたいと思っていました……。よかった……本当に……」

 

大和は、再開を涙して喜んでくれた。

最初こそはめそめそと泣いていたが、やがて笑顔が戻って、涙も乾いていった。

 

 

 

「落ち着いたか?」

 

「はい……取り乱しました……。すみません……」

 

恥ずかしそうに、大和は、運ばれてきたメロンサイダーに口をつけた。

 

「改めて……お久しぶりです。提督」

 

「ああ……」

 

昔の事を思い出していた。

最後に別れた、あの日の事を。

 

「大和……その――」

 

「あの日の事は、大和が未熟でした」

 

「え?」

 

「あれから、ずっと考えていました。自分のなすべきことを。大和は艦娘……戦うためにここにいるんだって……。当たり前の事ですよね。でも、貴方と出会って、すっかり忘れていました」

 

「…………」

 

「だから、あれからずっと一人で訓練を続けていました。そして、やっと出撃出来たんです」

 

それは知っている。

大和の活躍は、風の噂で聞いていた。

 

「提督のお陰で目が覚めました。本当に感謝しています」

 

「いや……感謝されることなど……。むしろ……俺は……」

 

「分かってます……。提督の言いたい事……。でも、あの時、提督と恋仲になっていたら、今の自分は無いと思うのです」

 

「大和……」

 

「だから、そんな顔しないでください」

 

「……ありがとう」

 

胸の中にあった、どうしようもないモヤモヤが、少しだけ晴れた気がした。

 

「……結局、一緒に戦えませんでしたね」

 

「そうだな……。俺は駆逐艦と空母を主に担当していたからな……。戦艦はもっと腕のあるやつの所に持っていかれたよ」

 

「そうだったのですか……。でも、またこうして会えて、本当に嬉しいです」

 

そう言うと、大和は笑った。

あの時と同じように。

 

 

 

しばらく、あの頃の思い出話に華を咲かせた。

 

「懐かしいですね……。何もかも……」

 

「そうだな」

 

そう言うと、大和は俯き、ストローを弄り始めた。

 

「提督……」

 

「なんだ?」

 

「もし……もしですよ? もし……あの時、大和と貴方が、提督と艦娘という関係でなかったとしたら……大和の気持ちに……どう答えていましたか……?」

 

大和がこちらを見つめている。

その澄んだ瞳の中に、固まっている俺を見た。

 

「正直に……答えてくださいね……?」

 

俺と大和が、提督と艦娘でなかったら?

それは、恋仲になっていたかという事だろうか?

 

…………「俺とお前は提督と艦娘だ……。それ以上にも、それ以下にもなれない……」

 

あの時、そう俺は言っていた。

だったら、そうでないならば、俺はどうしていたのだろう。

改めて大和について考える。

大和と過ごした日々。

あの島の潮風。

満天の星空。

廊下に入り込んだ白い砂。

大和の笑顔。

大和の笑い声。

大和の瞳。

大和の作った飯の味。

大和の――。

全ての思い出に、大和がいた。

隣にはいつも、大和がいた。

思い出せば出すほど、その姿が濃く、はっきりと表れてゆく。

 

「提督……」

 

その声に、はっとした。

そして、改めて大和の瞳を見つめた。

あの時と同じだ。

あの時と同じ気持ちが、俺の中に呼び戻されてゆく。

 

「好きです……」

 

そう言ったのは、大和だった。

 

「大好きです……。今でも……大好きです……」

 

消えそうなほど細い声で、そう繰り返した。

それ以上は、言う必要が無いと言わんばかりに。

 

「大和……」

 

「いきなりこんな事言って、困りますよね……。でも、気持ちが変わってないって、知ってほしかったから……」

 

俺が動揺していると、大和は立ち上がった。

 

「今日は失礼します……。次会う時は……提督のお気持ちも……聞かせてくれると嬉しいです……」

 

そう言って、飲み物代を置いて、大和は店を出た。

俺は、その場から動くことが出来なかった。

 

 

 

帰り道。

俺は何も考えず、ただ上を向いて、電線が流れてゆくのを見ていた。

 

「提督」

 

前を向くと、鳳翔が買い物袋を提げて立っていた。

 

「鳳翔」

 

「奇遇ですね。買い物帰りだったんです。一緒に帰りましょう?」

 

「ああ」

 

そう言うと、鳳翔は俺の隣を歩き始めた。

 

「持つよ」

 

「すみません。ありがとうございます」

 

買い物袋の中には、野菜や肉が入っていた。

今夜はカレーだろうか。

 

「今日は、何処へ行っていたんですか?」

 

「ああ、ちょっと昔の友人と会っていてな」

 

嘘は言っていない。

しかし、何故か、罪悪感が俺を襲った。

 

「そうですか」

 

鳳翔は、何か言いたそうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。

チラリと覗いたその横顔には、いつもの微笑みが無かった。

――いや、それも全て、俺に後ろめたい気持ちがあるが故に見えた光景だったのかもしれない。

罪を犯した人間は、警察や他人の目が、自分を疑っているかのように見えると聞く。

それと似た感覚が、俺にはあった。

ただ、あいつに会っただけなのに。

 

 

 

夕食はやはりカレーだった。

鳳翔のカレーは鎮守府の中でも群を抜いて美味かったから、俺も響も鍋の中を空にするほどに食べた。

 

「あー食ったな」

 

「お腹いっぱいだね」

 

「こんなに食べっぷりがいいと、作った方としても嬉しいです」

 

鼻歌交じりに、鳳翔は皿洗いを始めた。

相当嬉しかったのだろうな。

 

「そうだ。ねぇ、司令官」

 

「ん? なんだ?」

 

「瑞鶴から聞いたんだけど、今日、女の人と会ってなかった?」

 

その問いに、俺は無意識に鳳翔の方を見た。

 

「司令官?」

 

「ん、あぁ。昔の友人だ」

 

「本当? 浮気じゃないかって、瑞鶴は言ってたよ」

 

「馬鹿。んなことあるか」

 

「怪しい……」

 

「馬鹿な事言ってないで、早く風呂に入ってきたらどうだ?」

 

「はーい」

 

そう言って、響は風呂場へ向かった。

浮気。

浮気な訳がないのだけれど、その事を言われた時、ドキッとした自分がいた。

昔の友人。

そう言えば、それを二人に詳しく説明できていない。

詳しく説明しようとしない自分がいた。

大和の存在を、隠そうとしている。

 

「響ちゃん、お風呂ですか?」

 

皿洗いを済ませ、鳳翔が居間へと戻って来た。

 

「ああ」

 

「そうですか」

 

一瞬の静寂。

俺にはなんとなく、次に何が起こるか、分かる気がした。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「その……先ほどお聞きした昔の友人のことですけど……」

 

やはりそうか。

鳳翔には聞こえていたのだろう。

俺と響の話す声が。

女の人と聞いて、気になったのだろう。

 

「ああ、そいつなんだが――」

 

「大和ちゃんですよね……?」

 

これは予想外だった。

鳳翔が大和を知っているという事にもそうだが、何故会った奴が大和だと知っているのかと言うところにも、俺は驚いていた。

 

「実は……悪いと思ったのですが、提督が深刻そうな顔をして出かけたので、心配になってついて行ってしまったのです」

 

「…………」

 

「そうしたら、喫茶店に入って、そこに大和ちゃんが……」

 

そんなに深刻な顔をしていたのか。

やはり、大和に会うと決めていてからは、隠せないものがあったのかもしれない。

 

「そうだったのか……。大和を知っているのか?」

 

「はい。実は、小さい頃にご近所さんとして仲良くさせてもらっていたんです。しばらくして、大和ちゃんは引っ越してしまったけれど、艦娘になったと聞いて、一度だけ会ったことがありまして……」

 

なんという運命。

なんという繋がり。

まるで、この時、この瞬間の為にあったかのようにすら感じる話だ。

 

「提督は戦艦を担当した事なんてありませんよね? なのに……どうして大和ちゃんと繋がりが……?」

 

無論、隠すつもりなどない。

だが、観念したかのように、俺は話し始めた。

大和との出会いから、別れ。

そして、再開までの話を。

大和が俺を好きだという事。

返事をしないといけない事。

全て。

 

「そう……だったのですか……」

 

「隠すつもりはなかった……。だが、何故だろう……はっきりとは言えなかった……」

 

俺の姿を見て、鳳翔は何を思うのか。

怒り?

悲しみ?

失望?

マイナスな事しか出てこない。

 

「それは……提督がまだ、大和ちゃんに気持ちがあるからだと思いますよ」

 

鳳翔の方を見る。

その目は、優しさに包まれていた。

 

「鳳翔……お前……どうしてそんな目をしてるんだ……? 怒りとか、失望とか……そういうものは沸いてこないのか……?」

 

「提督の気持ちが、お話を聞く限り、とても伝わってきて、分かるからです。私も同じ立場だったらって……」

 

「鳳翔……」

 

「それに……私はまだ、貴方の――」

 

左手のケッコンカッコカリの指輪を、鳳翔は見えないところで、小さく、指で撫でた。

 

「提督のお気持ちを大切になさってください。響ちゃんを呼び止めた時のように、正直な気持ちを、大和ちゃんにぶつけてあげてください」

 

鳳翔は、はっきりとは言わなかったが、自分の事は気にするなと言われている気がした。

 

「私もお風呂いただきますね」

 

そう言って、鳳翔は風呂場へ向かった。

しばらくすると、響と鳳翔のはしゃぐ声が聞こえてきた。

俺は、それを聞きながら、何もない場所を、ぼうっと眺めていた。

それしか出来なかった。

 

 

 

大和のあの問い。

提督と艦娘で無かったら。

今でも、それを考えると、心が震えるような気がした。

大和への気持ちと、鳳翔への気持ち。

どちらへの気持ちにも、嘘は無い。

ただ、どちらかを選ばないといけないのだ。

どちらか出ないといけないのだ。

 

「司令官」

 

俺の部屋の扉を響は叩いた。

 

「入っていいぞ」

 

響はパジャマ姿で部屋へ入って来た。

枕を持ってきてないところを見ると、一緒に寝に来たわけじゃなさそうだ。

 

「どうした?」

 

「さっきの話の続き……」

 

「さっきのって……」

 

「鳳翔さんがいると出来なかったんだ。もっと詳しい話だよ」

 

響の顔は、先ほどと違って真剣であった。

 

「瑞鶴が見たのは、司令官と女の人だけじゃないんだ……」

 

そこまで聞いて、何が言いたいかが分かった。

 

「鳳翔さんがそれを見ていたんだ……」

 

「…………」

 

「鳳翔さん……なんか凄く驚いていて、そして悲しそうだったって……」

 

もしかしたら、鳳翔は何かを察したのかもしれない。

だとしたら、さっきの優しい目は一体なんなのだろうか。

 

「司令官……浮気じゃないよね……? 鳳翔さん、なんで何も言わないのか心配なんだ……」

 

詳しく話した方がいいか、一瞬考えた。

だが、逆に心配を煽るような気がして、やめた。

 

「なるほどな。分かった。鳳翔と話してみるよ。きっと誤解してるんだ。俺が浮気なんてするわけないだろ」

 

「じゃあ……どうして隠すの……?」

 

「え?」

 

「その女の人の事だよ……。どうして詳しく話してくれないの……?」

 

普通の子供であるならば、ここで終わっていただろう。

改めて実感する。

響が、俺の娘となったことを。

俺が、響の父になったことを。

お互いがお互いの事を信頼してるが故に、終わらないのだ。

他人事でいれないのだ。

 

「司令官……」

 

「分かった……。お前にも話しておこう」

 

俺の話を、響は真剣に聞いていた。

鳳翔が聞いてきたことも、すべて話した。

 

「そう……だったんだ……」

 

「…………」

 

「でも……」

 

そこまで言って、響は黙った。

分かる。

お前の気持ち、分かるぞ。

「でも、鳳翔さんを選ぶんだよね?」と、お前は言いたいんだろう。

だが、言わないのは、鳳翔の気持ちを知っているからだろう。

そしてまた、お前も鳳翔と同じ気持ちであるからであろう。

 

「聞かなきゃ良かったか……?」

 

「…………」

 

俺は黙って響の頭を撫でた。

そして、そっと抱きしめた。

どうしようと言う訳ではない。

ただ、深い意味もなく、そうした。

 

 

 

翌日。

俺は瑞鶴を呼び出した。

 

「提督さーん!」

 

「おう」

 

「お待たせっ! 急にどうしたの?」

 

「鳳翔は仕事だし、響は学校だしな。お前は開校記念日で休日と聞いていたから、暇だと思って、遊ぼうかと」

 

「なにそれ!? 消去法で私ってこと!? 私だって暇じゃないんですけど?」

 

「それはすまなかったな。なら、今日はやめておくか?」

 

「え、あ……きょ、今日は暇だから大丈夫! 大丈夫だから!」

 

「なら、行くぞ」

 

「あ、ちょっと提督さん!」

 

 

 

二人でゲームセンターに来た。

 

「おりゃー!」

 

「お、上手いな瑞鶴。俺も……とりゃ!」

 

「なんのー!」

 

対戦型のゲームなんて初めてプレイしたが、案外面白いものだ。

 

「うおっ!? あー……俺の負けか……」

 

「にひひ、私に勝とうなんて百万年早いわ!」

 

「くそ……。よし、次はアレやるか」

 

「え? う、うん」

 

「次は負けないからな」

 

「…………」

 

 

 

それから遊びに遊び、俺たちは疲れて、近くの喫茶店で休憩することにした。

 

「いやぁ……こんなに遊んだの初めてかもしれないな」

 

「流石に私も疲れたなー」

 

「ゲームセンターも案外馬鹿に出来ないな」

 

そう笑う俺に反して、瑞鶴の顔はどこか不安そうなものだった。

 

「どうした? そんなに疲れたか?」

 

「ううん。そうじゃなくて……」

 

「なんだ?」

 

「なんだか提督さん……無理してる気がして……」

 

「――そうか?」

 

笑って見せたが、瑞鶴の表情は変わらなかった。

 

「提督さん、ゲームセンターで遊ぼうだなんて、いつもはちょっと嫌がるでしょ……? なのに、自ら行こうだなんて……」

 

「たまにはいいと思ってな」

 

「それに、いつも以上に笑顔が多いし、なんだか変だよ……。無理して笑ってるみたい……」

 

「…………」

 

俺の顔から笑顔が消えてゆく。

 

「何か……忘れたい事でもあるんじゃない……?」

 

鳳翔と言い、響と言い、こいつと言い、どうして皆俺の変化に気が付くのだろう。

或いは俺が下手くそなのかもしれないけれど。

 

「……何があったかは言わなくていいよ。でもね、提督さん。いくら無理して楽しもうとしても、残るのは虚しさだけだと思うよ」

 

「…………」

 

「今日、楽しくなかったでしょ? 分かるんだ」

 

そう言うと、瑞鶴は一瞬ためらいを見せた。

そして、それを振り切ったかのように、口を開いた。

 

「だって、私が楽しくなかったもん……」

 

その言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも、俺の心に響いた。

ぐっと胸が押し付けられるような、重い何かを感じた。

 

「……また元気になったら遊ぼう? ごめんね……元気にさせられなくて……」

 

そう言って、瑞鶴は喫茶店を出ていった。

瑞鶴の言うように、虚しさだけが残った。

 

 

 

何もかもが上手く行かない気すらして来た。

難しい海域を攻略する時ですら、ここまで苦難が続くことはなかった。

 

「…………」

 

空を見上げる回数が増えた。

どうしようもない。

お手上げの時に、よく出る癖だった。

戦時中のように、共に戦ってくれる者はいない。

一人になった途端、自分が何よりも弱く、小さいものに感じた。

 

――続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12.5

※鳳翔視点です。


提督が一週間の旅行に出た。

たった一人で。

どこに行くのかは聞かなかったけれど、きっと、自分の気持ちを考える時間が欲しかったのだと思う。

 

 

 

あの時。

私は言えなかった。

 

『私を選んで』

 

たったそれだけの事を。

自分の気持ちを。

 

「鳳翔さん」

 

皿洗いの手が止まった私を、響ちゃんは心配そうに見つめていた。

 

「大丈夫? なんだかぼーっとしてたけれど……」

 

「う、うん……大丈夫よ。ちょっと考え事をね……」

 

「…………」

 

「響ちゃん?」

 

「司令官の事……?」

 

「え?」

 

「司令官が……女の人に会ってたから……?」

 

「……知っていたの?」

 

「うん……。瑞鶴から聞いて……」

 

「……そっか」

 

響ちゃんは知っていることをすべて話した。

提督とも話していたらしくて、それが一番驚いた。

 

「私……言えなかったんだ……」

 

「何を……?」

 

「鳳翔さんを選んでくれって……」

 

同じなのね。

私と。

 

「私も言えなかったわ……。私を選んでって……」

 

「…………」

 

「そんな顔しないで。響ちゃんの気持ち……私も分かるわ。あの人の幸せを思ったのでしょう?」

 

「――私は、司令官の幸せはここにあるものだと思ってた……。でも……大和って人の気持ちに即答できなかったって聞いて……」

 

ずっと考えていた。

どうして、即答できなかったんだろうって。

 

『提督がまだ、大和ちゃんに気持ちがあるからだと思いますよ』

 

精一杯の強がりだった。

言った後、自分の言葉に、自分自身が傷ついた。

私は提督の何なのだろう。

艦娘であり、家族であり、あの人の――。

ケッコンカッコカリの指輪。

何度、これを眺めただろう。

これを見るたびに、あの人とのつながりを感じられた。

でも、それは艦娘と提督としてのだ。

家族として、あの人の女としてのつながりは、いくら距離を近づけても、この指輪以上のものは手に入らない気がした。

でも、本当は分かっていた。

あと一歩。

あと一歩で、それ以上の物が手に入るはずだって。

けれど、それが出来なかった。

出来ないから、あの人は行ってしまった。

たった一人で。

あの時、私が一歩を踏み出していれば。

あの時、自分の気持ちを言っていれば。

あの時――。

 

「ごめんね……ごめんね……響ちゃん……」

 

ただただ泣く私を、響ちゃんは優しく抱きしめてくれた。

 

 

 

提督がいなくなって四日が過ぎた頃、一本の電話が入った。

 

「もしもし?」

 

『鳳翔さん……?』

 

思わず息を飲んだ。

電話の向こうで私の返事を待っている姿が、あの日再会した姿と重なって、はっきりと見える気がした。

 

「大和ちゃん……?」

 

『……本当だったんだ』

 

その声は、何かを悟ったかのようなものだった。

 

 

 

大和ちゃんと提督を見かけた例の喫茶店。

待ち合わせはそこだった。

店に入ると、奥の席に大和ちゃんを見つけた。

 

「鳳翔さん……」

 

おもむろに立ち上がったその姿に、少しだけ驚いた。

子供の頃、あんなに小さくて泣き虫だった女の子が、私よりもはるかに大きくなっていた。

 

「再会した時よりも、また大きくなったのね」

 

精一杯の笑顔を見せた。

大和ちゃんも同じように笑って。

 

「はい、鳳翔さんよりも大きくなりました」

 

本当ならば、もっと喜ぶ場面だったのかもしれない。

けれど、素直に喜べない自分がいた。

大和ちゃんも、同じだろう。

 

 

 

しばらく、お互いに目も合わせられなかった。

もし、大和ちゃんが知らない女性だったら、私はもっと気さくに話せたかもしれない。

当たり障りのない会話をして、徐々に本題に入ったかもしれない。

どうして。

どうして大和ちゃんなのだろう。

もしこの世界に神様がいるのだとしたら、なんて残酷な事をしてくれたんだろう。

――いや、違う。

そうじゃないでしょう。

あの時、私が答えを出していれば、こうはならなかった。

それを今でも、私は他人のせいにしたいだけでしょう。

自分に腹が立つのと同時に、とんでもないことになってしまったと後悔した。

 

「提督の元上官が話してくれたんです……」

 

「え……?」

 

「あの人には……一緒に住んでいる女性がいるんだって……」

 

「…………」

 

「でも、まさか鳳翔さんだとは思わなかった……。電話してやっと信じられました……」

 

「私も……大和ちゃんだと思わなかった……」

 

数秒の沈黙。

 

「好き……なんですか……?」

 

お互い、聞きたいことは山ほどあるはずだった。

けれど、そこに全ての答えがあるかのように、大和ちゃんはそう言った。

 

「……好き。あの人が……好き……」

 

「大和もです……。でも、あの人は、大和も鳳翔さんも選ばず、一人で旅行に行ったみたいですね……」

 

「…………」

 

「どこに行ったか知ってますか……?」

 

「いいえ……」

 

「大和と過ごした島……そして……鳳翔さん……貴女と過ごした鎮守府……だそうですよ……」

 

「え……?」

 

「あの人は今でも悩んでいるんじゃないでしょうか……? 大和と鳳翔さん……どちらかを選ぶために……」

 

そういう旅なのだろうとは思っていた。

けれど、まさか原点にまで戻っているとは思わなかった。

 

「それほどに、この問題はあの人にとって大きなものなのだと思いますよ……」

 

大きな決断。

提督に選択を託したのは私だ。

けれど、きっと提督は私を選んでくれると思っていた。

心の奥底で。

だからこそ、今のこの状況に、私は動揺しているんだ。

後悔しているんだ。

大和ちゃんと私。

その二つを掛けた天秤が揺らいでいる。

私の一歩が無かったから。

たった1gの錘で傾いてしまいそうなほどに。

 

「……鳳翔さん」

 

「…………」

 

「大和は……少し自信があるんです……。あの人が……大和を選んでくれるって……」

 

「どういう……こと……?」

 

「一緒に住む貴女がいながら……一生を共にするかもしれない貴女と居ながら、大和はあの人の心を動かしたんです」

 

「……!」

 

「たった数か月……。それだけです……。それだけしか一緒に過ごしていない大和が、何年も一緒に戦って来た貴女と同等に考えてくださっているんです」

 

何も返せなかった。

それは事実だから。

 

「数か月で同じなら、鳳翔さんと同じくらい一緒に過ごしたら、きっと今以上に幸せになれるはずです……。大和を愛してくれるはずです」

 

「そうかもしれないわね……」

 

そう言った時、大和ちゃんの目が私をじっと見つめた。

その瞳の奥に、何か強い意志を感じる。

 

「そうやって……自分の気持ちから逃げて来たんじゃないんですか……?」

 

「え……?」

 

「鳳翔さんも分かってるんじゃないですか……? どうして大和なんかにって……。どうして大和を選ぼうとしているのかって……」

 

「…………」

 

「それは……鳳翔さんが自分の気持ちに逃げてきた結果です……。もし逃げなければ、大和はここに居なかった」

 

「違う……」

 

咄嗟に反論してしまった。

自分でも分かっているはずなのに。

ただ、本心は、認めたくはなかったのかもしれない。

 

「違いません。貴女が逃げなければ、きっと大和は選ばれなくて、この話もなかったと思ってます」

 

「……!」

 

「提督を迷わせたのは……貴女の決断が無かったからですよね……? 自分を選んでくれって……言わなかったんじゃないですか……?」

 

「確かに言わなかったわ……」

 

「どうして言わなかったんですか? もし言っていれば……」

 

「そんな事……分かってる……!」

 

「分かってるなら……!」

 

静かなカフェに、大和ちゃんの大きな声が響いた。

 

「分かってるなら……手を引いてください……」

 

「……っ!」

 

「あと一歩……踏み出していれば変わったんです……。でも、貴女はそうしなかった……。提督を迷わせた……」

 

怒り、悲しみ。

そんな感情が、どこにもぶつけられない感情が、涙となって溢れだした。

 

「あとは……時間の問題です……。もし、提督が鳳翔さんを選んだとしても、その先に幸せはないと思います……。貴女だって、分かっているでしょう……?」

 

「う……うぅ……」

 

「提督を幸せに出来るのは……提督に気持ちを伝えた大和だけです……」

 

そう言って、大和ちゃんは飲み物代を置いて席を立った。

 

「できれば……こんな事になりたくなかったです……。貴女とは……仲の良い幼馴染で居たかった……」

 

最後のその言葉が、私を責め立てている気がして、その場から動けず、ただただ泣いていた。

 

 

 

あの人も、響ちゃんも、大和ちゃんも。

私の一歩があれば、不幸になんてならなかった。

あの人と本当の家族になって、響ちゃんも悩まずに済んだ。

大和ちゃんとだって、笑って話せたかもしれない。

そして、私も――。

 

「…………」

 

全てがもう遅かった。

大和ちゃんに言われて、実感した。

時間が戻ってくれればいいのにと、幾度となく願った。

 

 

 

家に戻ると、家の前で響ちゃんと瑞鶴さんが待っていた。

 

「どうしたの二人とも?」

 

「鳳翔さん……大和さんって人に会って来たんじゃないですか?」

 

「どうしてそれを……」

 

「通学路なの……私のね……」

 

だからか……。

あの時瑞鶴さんが見かけたのは……。

 

「鳳翔さん……大和って人に何か言われたの……? 元気ないよ……」

 

「ううん……大丈夫よ響ちゃん……」

 

「大丈夫な訳ないよ……」

 

「…………」

 

「鳳翔さん……何があったか……教えてくれますか……?」

 

その顔を見て、私はまた泣きだしそうになった。

 

「……とりあえず、家に入ろう」

 

響ちゃんに背中を押されながら、家へと入った。

 

 

 

「そんな事があったんだ……」

 

「ごめんね……。私が一歩踏み出していれば……」

 

「鳳翔さん……」

 

「もう何もかも遅い……。私は……」

 

「遅くないですよ……!」

 

瑞鶴さんの目が、いつになく真剣に私を見ていた。

 

「大和って人に言われたからって、諦めるんですか……!? もう遅いからって、何もしないんですか!?」

 

「でも……」

 

「提督さんはまだどちらも選んでいません! それに……提督さんは……鳳翔さんを待っているんです……」

 

「……!」

 

「提督さん……ああいう性格だから、人の気持ちを考え過ぎちゃうんです……。響ちゃんの時だって、そのせいで喧嘩みたくなっちゃったんでしょう?」

 

「うん……」

 

「鳳翔さんと同じなんです……。提督さんも、鳳翔さんも、自分の気持ちを正直に出せない……」

 

「…………」

 

「今がその時なんじゃないんですか!? ここで何もしなかったら、また後悔しますよ……! それでいいんですか!?」

 

その言葉が、私の中で何度も反響した。

後悔。

後悔。

後悔。

逃げ。

逃げ。

逃げ。

その先にいる、泣いている自分。

嫌だ。

そんなの、嫌だ。

 

『鳳翔』

 

あの人の声が、私を呼んでいた。

それが遠ざかってゆく。

 

「鳳翔さん!」

 

「良くないわよっ!」

 

強く、今までにないくらい強く、そう言った。

 

「もう……後悔したくない……! あの人が好きだから……。ずっと……一緒にいたいから……! 響ちゃんとも……瑞鶴さんとも……大和ちゃんとも……!」

 

その言葉に、瑞鶴さんも響ちゃんも、優しく微笑んで応えてくれた。

 

「なら……行きましょうよ。私も一緒に行きますから」

 

「え……?」

 

「提督のところ」

 

瑞鶴さんがとった私の手を、響ちゃんの小さな手が包んだ。

 

「私も行くよ。私も、司令官に本当の気持ちを伝えてないから」

 

「瑞鶴さん……響ちゃん……」

 

私の中で、温かい何かが芽生えた。

提督を好きになった時と似ている。

気持ちを伝えた時と似ている。

 

「まだ間に合います! さぁ!」

 

「司令官が待ってる」

 

そうだ。

まだ、間に合うんだ。

今こそ、本当に一歩踏み出す時なんだ。

ここで踏み出さなければ、私は一生後悔することになる。

私を支えてくれるこの二人を裏切ってしまう。

 

「ありがとう……二人とも……」

 

あの時踏み出せなかった一歩を、私は今、大きく踏み出そうとしていた。

それを支えてくれる人が居る。

私を待っていてくれている人が居る。

泣いている場合じゃない。

もう逃げない。

あの人からも、自分の気持ちからも。

 

「行きましょう。鳳翔さん」「行こう。鳳翔さん」

 

「えぇ!」

 

この先に、どんな結果が待っていようとも――。

 

――続く。




次回、最終回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

END

「一週間の旅行に出る」

 

そう言った俺に、鳳翔は理由や行き先を求めなかった。

 

 

 

船に揺られながら、海を眺めていた。

 

「あん時のあんちゃんか」

 

船長が言う。

ぼんやりとした記憶ではあったが、確かに見覚えのある顔だ。

 

「覚えてねぇでしょうが、あっしは、あんちゃんが島ぁ行く時と、帰る時に、船を出した者なんよ」

 

そう言うと、船長はカラカラと笑った。

 

「よーく覚えてませぇ。あん時ゃ、まだあんちゃんも青く見えてよぉ。それが、帰る時んなって、一枚めぇも二枚めぇも男前んなってさ。女でも出来たみてぇによ」

 

船が大きく揺れた。

こんなにも揺れるものだったか。

 

 

 

船を見送り、あの日と同じように、島の砂を踏んだ。

 

「変わってないな……」

 

かつて、大和と過ごした島に、俺は来ていた。

 

 

 

施設には、やはり砂が入り込んでいた。

ここに滞在できるのは、今日と明日の夕方までだ。

それ以降になると、強風で海が荒れ、帰れなくなってしまうらしい。

 

「とりあえず、執務室だな」

 

 

 

執務室の扉を開けると、長年使われていないにも関わらず、とても綺麗に整った部屋が目の前に広がった。

あの時感じたワクワクが蘇る。

 

「ふふふ」

 

この椅子よりも上質な椅子に、幾度となく座って来た。

しかし、それ以上に、この椅子は特別な物に感じた。

 

「○○艦隊、出撃だ!」

 

そう叫んでも、今度は本当に誰も見ていなかった。

それでも、俺の目には、あの時の光景が、鮮明に映し出されていた。

 

 

 

「静かだ……」

 

執務室の窓を開けると、潮風と、波の音が入り込んできた。

それらに混じり、大和の笑い声が、段々と、大きくなって聞こえてくる。

 

『提督』

 

『もう、提督!』

 

『提督……』

 

『貴方が……』

 

『貴方が好き……』

 

この島に来た目的。

それは、提督で無くなった今だからこそ、どういう気持ちになるのかを確かめる為だった。

あいつの言葉を、この島で聞いてみたかったのだ。

 

「…………」

 

ここに来て、俺は初めて――いや、最初から気が付いていたことだったのかもしれない。

俺は、大和が好きだった。

ずっと、一緒に居たいと思っていたんだ。

 

「そうだ……」

 

一人の男として……。

 

 

 

ボートに乗り、海に出た。

大和の乗っていないボートは、幾分か漕ぎやすく感じた。

 

「これ、今思えば、役に立つ訓練とは思えんな」

 

よく大和も付き合ってくれたもんだ。

いくら出撃出来ないとはいえ、こんな事――。

 

「でも……」

 

楽しかった。

同じことの繰り返しで、退屈なはずなのに、俺たちの笑顔は絶えなかった。

きっと、どんなに意味の無い訓練であっても、俺たちがそれをやめる事はなかっただろう。

そうしていることに意味があったのだ。

一緒に笑いあう事に意味があったのだ。

そこまで考えて、はっとした。

 

「そうか……」

 

今なら分かる。

どうして大和が俺を好きになったのか。

提督としてではなく、一人の男として好きでいてくれたのか。

 

 

 

「ん……」

 

いつの間にか寝てしまっていたのか、俺はベッドに寝っ転がっていた。

窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。

 

「星……今日は見えるかな……」

 

 

 

海辺へ出ると、やはり満天の星空がそこに広がっていた。

 

「あの時と同じだ……」

 

「そうですね」

 

大和の声。

寝起きの俺には、はっきりと聞こえた。

目を擦り、伸びをすると、残った眠気は全て吹き飛んでいった。

それを思い知らせるように、冷たい風が吹いた。

 

「寒……」

 

この季節の夜は、もう肌寒いくらいになる。

 

「風邪ひきますよ」

 

また大和の声。

それと同時に、俺の体に羽織ものが被さった。

 

「?」

 

「目、まだ覚めてませんね」

 

振り向くと、大和がいた。

幻覚などではない。

本物の大和が、そこにいた。

 

「お前……!」

 

「さぁ、施設に戻りましょう。温かい食事を用意してますから」

 

そう言うと、大和は施設へと戻っていった。

俺は、頬をつねったりしてみたが、夢ではなさそうだった。

 

 

 

「どうぞ」

 

大和に勧められるがまま、食事を取った。

あの時と変わらない味に、少しだけ感動した。

 

「いかがですか?」

 

「美味い」

 

「良かった」

 

安心したのか、大和も食事に手を付け始めた。

 

「不思議ですか?」

 

「え?」

 

「どうして大和がここにいるのか」

 

「あ、あぁ……。まだ夢なんじゃないかと思ってるほどにな……」

 

「提督の元上官に聞いたんです。この島にいるって」

 

「それで追って来たのか?」

 

「えぇ。どうしても聞きたい事がありましたから」

 

「……返事の件か?」

 

お互いに、食事をする手が止まる。

 

「今の提督に返事が出来るとは思えません。それを見つける為にここに居るんだって、分かってますから」

 

「では……」

 

「一緒に住んでいる女性……提督の……大切な人のことです……」

 

大和の目が、徐々に真剣になっていった。

 

「聞きました……。提督には……一緒に住んでいる女性が居るって……」

 

「…………」

 

「どうして……大和が気持ちを伝えた時に言ってくれなかったんですか……? すぐに断ってくれればよかったのに……」

 

「隠すつもりはなかった……。だが、俺はそれを言えなかった……。分かっているんだろ……? だからここに居るって……」

 

大和は、少しだけ複雑そうな顔をした。

喜んでいいのか、いけないのか分からないような顔だった。

 

「美味い料理が冷めてしまう。食べよう」

 

それから、食べ終わるまで、俺たちは無言だった。

 

 

 

まだ夢の中にいるかのような感覚を残して、俺は執務室で過ごしていた。

大和はまだ皿洗いをしているのか、遠くで皿の重なる音がした。

 

「…………」

 

この島に来て、大和の気持ちに気が付いて、その後の俺に何が出来るんだろう。

だからどうなる?

本当は気が付いていた気持ちに、今更、改めて気が付いただけ。

俺の気持ち。

俺の決断はどうなる?

そう考えている内に、執務室の扉がノックされた。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

大和はそのまま、近くのソファーに座った。

 

「…………」

 

「…………」

 

耐えがたいほどの静寂が続いた。

 

「提督と一緒に住んでいる女性……」

 

大和は、目を伏せたまま、言った。

 

「鳳翔さん……ですよね……?」

 

 

 

窓の外で、風に揺られた木々が騒いでいた。

 

「提督の元上官に聞きました……。名前は言わなかったけれど、すぐに鳳翔さんの事だって分かりました……」

 

「そうか……」

 

「驚かないところを見ると……提督は知っているんですね。鳳翔さんと大和の関係……」

 

「ああ……。鳳翔には……お前の事を話したからな……」

 

それには流石の大和も驚いた様子を見せたが、すぐに平生を取り戻した。

 

「鳳翔さんはなんて……?」

 

「自分の気持ちを大切にして……とだけ……」

 

「自分の気持ち……」

 

鳳翔は俺に選択を迫った。

だが、自分を選んでほしいとは言わなかった。

それが、更に俺を迷わせた。

俺もあいつも、積極的に自分を売る事はしない。

相手の意見を尊重したいという気持ちと、自分から行った時に、傷つくのが怖いという気持ちがあるからだ。

分かってる。

分かってはいるけれど、あいつも俺も、即決出来なかった。

答えから、逃げた。

 

「それでも……提督は決断できなかった……」

 

「そうだ……」

 

「それは……大和が好きだからですか……? それとも……」

 

そこに、全ての答えがある気がした。

 

「……なんて、分からないからここに居るんですよね。でも……もし鳳翔さんが……自分を選んでって言ったら……提督は……迷わなかったんじゃないですか……?」

 

「!」

 

「もしそうなら……」

 

そう言って、大和は立ち上がり、俺の前に立った。

 

「大和と鳳翔さん……どちらが本当の愛を貴方に持っているのか……賭けませんか……?」

 

「賭け……?」

 

「もし……鳳翔さんがこのまま、提督に気持ちを伝えなかったら、大和の気持ちに応えてください」

 

「何を言って……」

 

「大和は……鳳翔さんに勝てないって分かってます……。でも、その鳳翔さんの気持ちが分からないから、提督は迷ってる……。大和の気持ちもあるけれど……」

 

「…………」

 

「鳳翔さんが提督に気持ちを伝えないなら……それが彼女の答えという事です……」

 

同意していいのか分からなかった。

しかし、俺の口は自然と動いていた。

 

「分かった」

 

自分でも驚いた。

こんな事、気軽に受けていい訳がないはずなのに。

 

「……潔いですね。きっと提督は――」

 

そこまで言って、大和は言葉を切った。

 

「――提督の気持ちも……考えてくださいね……」

 

「ああ……」

 

それっきり、船に乗り込むまで、大和と顔を合わせる事はなかった。。

 

 

 

翌日の夕方。

船に揺られ、遠くに見える夕日を眺めていた。

大和は、俺と目を合わせようとしなかった。

船長も空気を察したのか、黙って目的地を目指した。

 

 

 

船を降りると、大和が振り返り、やっと目を合わせた。

 

「提督はこれから……どうするんですか……?」

 

「俺は……元いた鎮守府へ行こうと思う……」

 

「鎮守府へ……?」

 

「お前の気持ちを考えるのと同じで、鳳翔の気持ちも考えたいんだ……」

 

「……そうですか」

 

「一週間の旅行としているから、残りは向こうで過ごすつもりだ」

 

「分かりました……。では……」

 

そう言って去る大和の背中に、何か悲しいものを見た。

 

「大和!」

 

大和は静かにこちらを向いた。

 

「何でしょう?」

 

何かを伝えたかったわけじゃなかった。

ただ、悲し気なその背中に、思わず声が出た。

 

「提督……?」

 

「――楽しかったよな。あの意味のない訓練」

 

自分でも訳の分からない事を言い出したと思った。

けれど、大和は少し驚いた顔をした後、笑ったのだ。

 

「えぇ、とても」

 

そうして、そのまま去っていった。

 

「やっぱり……」

 

お前もあの訓練……意味ないと思ってたんだな。

 

 

 

鎮守府に着いたのは、3日目の夜だった。

この時間は誰もいないらしく、消灯された廊下を月明かりを頼りに歩いた。

 

「夜中まで仕事していたことを思い出すな」

 

あの頃は仕事に手一杯で、艦娘達と関わる事が少なかった。

大和の件もあったし、そこまで重要視していなかったのもあるが。

 

「……懐かしいな」

 

執務室に着き、すぐ床に就いた。

船と、ここまでの移動に、心も体も疲れ切っていた。

 

 

 

その日、俺は夢を見た。

昔の夢を。

 

…………「提督、ちょっとよろしいですか?」

 

…………「なんだ? 鳳翔」

 

…………「実は、響ちゃんが初めてMVPを取ったんです。駆逐艦でMVPは快挙です」

 

…………「ほう」

 

…………「それでなんですが、提督から響ちゃんに労いの言葉をかけてあげられないかと思いまして」

 

…………「俺がか……?」

 

…………「いつも加賀さんに言ってあげてるじゃないですか」

 

…………「同じような言葉で良ければ良いが」

 

…………「頑張った駆逐艦に「よくやった。次回も期待する」だけですか?」

 

…………「俺はこういうのは苦手なんだ。それに、子供に笑顔を振る舞えるほど、俺は艦娘達と――」

 

…………「これを機に関わっていけばいいじゃないですか。提督、何故か避けてますよね。お祭りとかも来ませんし」

 

…………何も言えなかった。

…………過去の事を言いたくなかったし、忘れようとしていた。

…………それでも、鳳翔は何か分かっているかのように、俺を説得し続けた。

 

…………「分かったよ。響を連れて来い」

 

…………「はい!」

 

…………しばらくして、響が来た。

…………その顔は、酷く緊張している様子で、敬礼する手が震えていた。

 

…………「響ちゃん、どのように活躍したか、提督に報告しましょうね」

 

…………「う、うん……。あの……えと……こ、この前の作戦で……」

 

…………響の言葉は全く頭に入ってこなかった。

…………それほどに、目の前にいるこいつの事が心配になっていた。

…………尋常じゃないほどの冷や汗に、震えている体。

…………ちぐはぐの言葉に、合わない目線。

…………正常とは言い難いほどのに緊張をしていた。

 

…………「お、おい……。大丈夫か?」

 

…………「だ、大丈夫……」

 

…………「そんな訳ないだろう……」

 

…………「響ちゃん、緊張しちゃったのかな? 大丈夫よ、大丈夫」

 

…………鳳翔が撫でてやっても、響の緊張は取れなかった。

…………仕舞には、鳳翔すらも困った顔を見せた。

 

…………「…………」

 

…………いつもなら、このまま「下がれ」と言ってしまうところだ。

…………しかし、相手は子供。

…………いくら大和の事があったとは言え、流石にこの状況で冷徹でいられるほど、俺の心は腐ってなかった。

 

…………「一旦、緊張が解けるまで報告は中止だ」

 

…………「ご、ごめんなさい……」

 

…………「いや、いい。それよりも、お前、羊羹は好きか?」

 

…………「え? う、うん……」

 

…………「これは内緒なのだが……MVPを取ったお前には特別にやろう。ほら、提督にだけ支給される特製羊羹だ」

 

…………響は、特別と言う言葉に魅かれたのか、目を輝かせて羊羹を受け取った。

 

…………「鳳翔、お茶を用意してくれないか?」

 

…………「はい」

 

…………「それ食ったら、幾分か落ち着くだろう。ここで食っていけ」

 

…………「い、いいの……? 執務室で食べて……」

 

…………「特別だ。それに、他の者に見つかったら困るからな。俺とお前、二人の秘密だ」

 

…………「私もいますよ。提督」

 

…………「そうだったな。三人の秘密だ」

 

…………「秘密……」

 

…………それから、三人で羊羹を食べた。

…………最初こそは緊張していた響も、段々リラックスしてきて、やがて目を合わせて話してくれるようになった。

 

…………「美味いか?」

 

…………「うん、美味しい」

 

…………「そりゃよかったな」

 

…………気が付くと、微笑んでいた。

…………俺も響も、そして鳳翔も。

 

…………「提督、笑っている方が素敵ですよ」

 

…………「そ、そうか……?」

 

…………「響ちゃんもそう思うよね?」

 

…………「うん。あまり司令官の事知らなかったけれど、今日こうしてお話し出来て、凄く嬉しかった。皆も、もっと司令官の事知りたいと思ってるよ。だから、もっと私たちとお話ししてくれないかな?」

 

…………あまり乗り気ではなかった。

…………けれど、子供の頼みだと思い、「分かった」と返事をした。

 

 

 

…………報告が終わり、響は執務室を去っていった。

 

…………「お疲れ様です」

 

…………「馴れないな……」

 

…………「でも、あんなに嬉しそうな響ちゃん、久しぶりに見ました。やっぱり、提督は優しい人ですね」

 

…………やっぱり、か。

…………こいつは俺を優しい奴だと思ってたのか。

…………あんなに不愛想にしていたつもりなのに。

 

…………「それで、提督。さっきの事、もちろん実行するんですよね?」

 

…………「?」

 

…………「もっと艦娘達とお話しするって。分かったって、言いましたよね?」

 

…………「あれは……」

 

…………「子供だから、とりあえず適当に返事したんですか? そうだったら、響ちゃん、きっと悲しみますよ。大人に嘘をつかれたって。しかも、それが自分の提督だなんて……」

 

…………「……分かったよ。ちゃんと実行する」

 

…………「なら、今夜の食事ですが、いつもの執務室ではなく、食堂でいたしましょう。きっと、みんな驚きますよ」

 

…………「今日からか?」

 

…………「有言即実行。仕事の早い提督なら、分かりますよね?」

 

…………秘書艦が提督を追い詰めるとは。

…………だけど、俺がいくら逃げたところで、鳳翔はどこまでも俺を追いかけてくるだろう。

…………何故だか、そう思った。

 

…………「なら、夕食までに仕事を終わらせる。有言即実行だ。手伝ってくれるか?」

 

…………「はい!」

 

…………あの頃からだったな。

…………俺が徐々に自分を取り戻していったのは。

…………艦娘達と心から関われるようになったのは。

 

 

 

目を覚ますと、時計は10時を指していた。

戦時中のいつもの癖がまだ残っているのか、そのまま机へと向かい、椅子に座り込んだ。

 

「お茶を頼む」

 

それも癖だった。

当時、俺が起きると、鳳翔は既にお茶を準備していたのだ。

 

「…………」

 

自分でお茶をいれ、それを啜りながら、ふと机の上にある写真立てを見つめた。

着任した当時の写真。

まだ初々しい俺の隣に写っているのは、鳳翔だ。

思えば、戦時中はずっとこいつと一緒だった。

思い出一つ一つに、必ず鳳翔がいた。

あの時も、あの時も、あの時ですら――。

いつの間にか、一緒にいる事が当たり前になっていた。

こんな一杯のお茶ですら、あいつに頼るほどに。

 

 

 

それから昼も夕方も、ずっと執務室に篭りっきりだった。

あいつと二人でいたことを思い出そうとすると、場所は必ず執務室になる。

こんな狭い場所で、特別な事もなく、ただ仕事と、適当な日常会話を交わすくらいしかしなかった。

いや、それ以上はいらなかったのかもしれない。

特別なことなど無くても、俺たちは――。

 

「鳳翔……」

 

俺はあいつに会いたくなっていた。

失って初めて気が付く大切さ。

それと同じような気持ちが、俺にはあった。

ただそこにいるだけでいい。

それほどに、大切な存在であり、かけがえのない存在であった。

鳳翔があって、俺があるような気がするほどに。

 

「俺は――」

 

その時、執務室の扉がノックされた。

その音にはっとし、周りを見渡す。

昼頃からずっと考え事をしていたせいか、いつの間にか暗くなっているのを忘れていた。

それに気を取られている内に、執務室に誰かが入って来た。

俺は、窓から入り込んだ月明かりの中に居て、執務室に入って来た人物が誰かが分からないでいた。

 

「…………」

 

やがて、そいつは月明かりの中に入り込み、その姿を現した。

 

「明かりも点けずに、どうしたんですか?」

 

「鳳翔……!?」

 

大和をあの島で見かけた時と同じように、俺は夢ではないか確認した。

だが、やはり夢ではない。

 

「お前……」

 

「どうしても……提督に言わなくてはならない事がありまして……。急いで来たんです……」

 

どうしてここに居る事を知っているのか、何を伝えに来たのか。

俺が考えている内に、鳳翔はゆっくりと話し始めた。

 

「覚えてますか? ケッコンカッコカリした日の事」

 

「あ、あぁ……覚えてる。忘れるわけがない」

 

「あの時、どうして自分なんだろうって、思ったんです。加賀さんや赤城さんの方が、もっとふさわしいのにって……」

 

「…………」

 

「でも、嬉しかった。どんな理由であれ、私を選んでくださったんだって」

 

そう言うと、鳳翔は指輪を天にかざした。

 

「思えばあの時からでした。本気で貴方を好きになったのは」

 

鳳翔の目が、真っすぐと俺を見た。

 

「あの時から、私の気持ちは変わってません。だからこそ、ここに来ました」

 

「鳳翔……」

 

大きく深呼吸をした鳳翔は、まるで勇気を振り絞るかのように、拳を握りしめて、大きな声で言った。

 

「私を……私を選んでください……! もっと、もっと一緒にいたいんです……! 貴方に愛されたい……愛したい……! ずっと……ずっと……」

 

鳳翔の顔が、徐々に赤くなってゆく。

力んだ表情は、あふれる涙を止める事はなかった。

 

「ごめんなさい……。どうして泣いているんでしょうね……私……」

 

きっと、胸に秘めていたものが、声となり、涙となり、あふれ出したのだろう。

それほどに、抑え込んでいたものは、とても大きなものであったはずだ。

 

「鳳翔……ありがとう……」

 

「提督……」

 

「俺も、ここに来て気が付いたことがあるんだ。ずっと一緒にいたから、中々気が付けなかったけれど」

 

「…………」

 

「俺には、お前がいないと駄目なんだ。何をするにも、お前の顔がちらつく。お前がいなければ、俺は俺ではないと思うほどにな」

 

そう言って、俺は鳳翔の指輪を外した。

 

「提督……?」

 

「これを渡す時に、お前に言えなかったことがある」

 

「私に……?」

 

「あぁ……。加賀でも赤城でもないお前に、どうして指輪を渡したのか。その理由も、その言葉に全て集約されている」

 

本当は分かっていた。

「お前が条件を満たしている」という理由だけを伝えて、鳳翔に指輪を渡した。

でも、それならば、加賀や赤城などを待っても良かった。

鳳翔も、それが疑問であったのだろう。

本当の理由。

それは――。

 

「お前に……してほしかった……。ただそれだけだ……」

 

月が雲に隠れ、執務室は暗くなった。

 

「今も同じだ」

 

月明かりが再び執務室を照らす。

 

「大和がどうだとか、どっちがどうだとかではない。俺はお前と一緒にいたい。これからの人生の全てを、お前と歩みたい」

 

「提督……」

 

「結婚しよう……鳳翔……」

 

その時だった。

執務室の扉が大きな音と共に開き、聞きなれた声で「あー!」と言う声がした。

鳳翔が慌てて扉へと向かう。

俺は執務室の明かりを点けた。

 

「いてて……あ……」

 

「…………」

 

瑞鶴と響だった。

 

「お前ら……!」

 

「ご、ごめんなさい……。執務室に来たら、提督さんと鳳翔さんが話してるの聞こえて……。聞き耳を立ててたら……」

 

「扉が開いちゃったんだ。瑞鶴がノブに手をかけてたんだよ」

 

「だって、響ちゃんが乗っかってくるから……」

 

「二人とも、大丈夫? 怪我はない?」

 

「だ、大丈夫です。それよりも……邪魔しちゃった……よね……?」

 

「ごめんなさい……」

 

「い、いや……」

 

「そんな事は……ないわ……」

 

鳳翔も俺も、なんだか恥ずかしくなって、目を合わせることが出来なかった。

 

「えと……こんな雰囲気にして申し訳ないけれど……もう一度……どうぞ」

 

「もう一度って……お前な……」

 

「司令官」

 

「響、お前もか……」

 

鳳翔の方を見ると、俺と同じ気持ちのようで、気まずそうにしていた。

 

「提督さん」

 

「司令官」

 

困った挙句、俺は鳳翔に言った。

 

「鳳翔……」

 

「は、はい……」

 

瑞鶴も響も、固唾をのんで見守っている。

 

「月が……月が……綺麗だな……」

 

「へ?」

 

「え?」

 

一同、ポカーンとした顔をした。

しかし、鳳翔だけは気が付いたようで。

 

「私、死んでもいいわ」

 

そう言って、微笑んだ。

 

「え? 何々? なんで月の話ー?」

 

「???」

 

その光景が面白くて、俺と鳳翔はつい笑ってしまった。

 

「ありがとう、鳳翔」

 

「これからも、よろしくお願いいたします。提督」

 

「ああ」

 

「もー、何が何だか……ね、響ちゃん」

 

「よく分からないけれど、多分いい結果になったんだと思う。二人とも、泣きながら笑ってるから」

 

最後の最後まで、俺たちははっきりと物が言えなかったな。

けれど、それでも、分かり合えるのが俺たちだ。

二人で一つ。

俺はお前の為に。

お前は俺の為に。

お互いに支え合って生きていこう。

 

「えぇ、提督」

 

何も言わずとも、鳳翔はそう返事をした。

 

「というか、なんで瑞鶴までついて来たんだよ」

 

「なにそれヒドーイ! 私が居なければ、この状況は無かったんだよ? ね、鳳翔さん」

 

「そうね」

 

「ほれみれー」

 

「はいはい、ありがとう」

 

「もう! 全然気持ちがこもってないー!」

 

「響もありがとうな。これからは、もう何も心配しなくてもいいんだ。今まですまなかった」

 

そう言ってやると、響は胸に飛び込んで来た。

 

「良かった……本当に……良かった……」

 

鳳翔も響を抱きしめた。

 

「…………」

 

「瑞鶴も来るか?」

 

「え……私は……別に……」

 

「瑞鶴さんも」

 

「う……うん……」

 

3人で響を抱きしめた。

 

「なにこれ?」

 

「なんだか温かいだろう?」

 

「暑苦しくない? 響ちゃん、大丈夫?」

 

「ちょっと暑いかな……」

 

「ほらー」

 

「でも……ずっとこうしていたい。司令官も鳳翔さんも、瑞鶴も。ずっと皆でいれたら、嬉しいな」

 

「響ちゃん……」

 

「響……」

 

「よーし、なら、もう放さないぞー! ほれほれー」

 

「痛いよ瑞鶴……」

 

そうして、皆で笑いあった。

艦娘と提督。

越える事の出来ないその繋がりを越えて、俺たちは本当の意味での繋がりを手に入れた。

人としての繋がり。

ずっと変わらないであろう、繋がりを。

 

 

 

いつもの喫茶店。

俺はそこに、大和を呼び出した。

 

「待ちましたか?」

 

「いや、今来たところだ」

 

「答えが……出たんですね」

 

「あぁ……」

 

俺は大和に全てを話した。

 

「そうですか……。大和の負けですね……」

 

「…………」

 

「鳳翔さん、気持ちを伝えたんですね……。やっぱり、敵わないな……」

 

「どうしてだ?」

 

「え? だって、あんなに美人で料理も出来て――」

 

「そうじゃない。どうして、鳳翔に発破をかけたんだ?」

 

「…………」

 

「あいつから聞いたよ。帰った後、鳳翔に会ったんだろ?」

 

「……えぇ。でも、宣戦布告のつもりでしたし、諦めてくれたらって思ったんです。それが、焚き付けるきっかけになってしまった。あーあ、宣戦布告なんてするんじゃなかった」

 

「お前は嘘が下手だな」

 

「何を言って……」

 

「俺の知っているお前は、そんなは事しない。随分と鳳翔に言ったようだが、俺には、お前がこうなる事を知っていて、やったことだと思った」

 

「…………」

 

「どうしてだ……?」

 

「――私の好きな貴方が、そこにいたからです」

 

そう言うと、大和は窓の外を眺めた。

 

「元上官の人から話を聞いて、鳳翔さんと提督の姿が浮かびました。提督の笑顔。鳳翔さんの笑顔。全てが、鮮明に見える気がしました。大和はその幸せを崩したくなかった。大好きな提督と、大好きな鳳翔さんの笑顔を……」

 

「…………」

 

「貴方の事も、鳳翔さんの事も、大和はよく知っています。きっと、お互いの気持ちを伝えられないんじゃないかって。だから――」

 

そこまで言うと、大和は涙を流した。

 

「だから……大好きな二人に……幸せになってほしかったから……。大好きな二人であってほしかったから……」

 

「大和……」

 

「……もし、鳳翔さんと幸せにならなかったら許しませんからね。その時は、大和がもう一度、提督を奪いに行きます!」

 

「ああ……約束する。絶対幸せになってみせる」

 

「約束ですよ」

 

そう言って、指切りをした。

 

「これで、大和も前に進めます。ありがとう……提督……」

 

「お礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう、大和」

 

涙はもう引いていた。

 

「最後に、一つだけ聞いていいですか?」

 

「なんだ?」

 

「もしあの時、提督と大和が艦娘と提督じゃなかったら、どうお返事してくださったんですか?」

 

今度ははっきりと、こう答えた。

 

「もちろん、俺は――」

 

 

 

家に帰ると、響が出迎えてくれた。

 

「お帰り、司令官」

 

「ただいま。よっと」

 

響を抱き上げ、そのまま居間へと向かう。

台所では、鳳翔が夕食を作っていた。

 

「お帰りなさい、提督」

 

「ただいま」

 

「ねぇ、司令官。今日、テストで98点取ったんだ」

 

「お、どれどれ。ほう、凄いな」

 

「この漢字がちょっと跳ねてないだけで、2点減点だったんだ」

 

「実質100点だな。よくやったな、響」

 

撫でてやると、恥ずかしそうに笑った。

 

「お夕食、もう出来ますよ。お皿の準備お願いします」

 

「よし来た。行くぞ響」

 

「うん」

 

 

 

夕食は響の好物が並んでいた。

 

「テストでいい点を取ったお祝いです」

 

「ハラショー!」

 

「本当、よくやったな。だが、勝って兜の緒を締めよ、だぞ」

 

「何それ?」

 

「良い点数とっても、油断しちゃダメって事よ」

 

「大丈夫だよ。もっと勉強して、学校の先生になるんだ」

 

「学校の先生か。そりゃいいな」

 

「なら、苦手な物も食べられるようにならないとね。先生が好き嫌いあったらダメでしょう?」

 

そう言うと、鳳翔は、響の苦手な食べ物を皿に盛った。

 

「う……頑張るよ……」

 

「よし、それじゃ」

 

「「「いただきます」」」

 

 

 

夜。

響の強い要望で、三人で寝る事となった。

 

「何気に初めてじゃないか? こうして寝るの」

 

「そうですね。響ちゃん、急にどうしたの?」

 

「なんとなく」

 

特に理由はない。

そうしたいからそうする。

響も、俺たちと同じで、一歩進むことが出来たのだろうか。

 

「司令官、鳳翔さん」

 

「ん?」

 

「なぁに?」

 

「ずっと一緒に居てね。これからも、ずっとだよ」

 

鳳翔と顔を合わせる。

 

「ああ、もちろんだ」

 

「ずっと一緒にいるわ」

 

「ありがとう、二人とも。えへへ……」

 

これからも、何かが俺たちを引き離そうとしてくるだろう。

 

「手、握ってくれる?」

 

「いいわよ。はい」

 

「司令官も」

 

「はいよ」

 

その度に、悩み、苦しみ、そして、涙することもあるかもしれない。

 

「鳳翔さんの手、温かいね」

 

「響ちゃんの手も温かいわ」

 

「司令官の手は……なんだか汗ばんでない?」

 

「風呂、最後だったからなぁ」

 

それでも、俺たちは三人で乗り越えてゆく。

 

「さ、もう寝ましょう。明日はお出かけよ」

 

「お出かけ……! 本当?」

 

「ああ、ワクワクして眠れないとかないように、気をつけろよ?」

 

「ハラショー!」

 

それが、家族の形であると信じて。

 

「お休みなさい」

 

「うん、お休み」

 

「お休み」

 

これからの生活に想いを寄せる者。

今ある幸せを噛みしめている者。

明日のお出かけを楽しみにしている者。

それぞれの思いは違えど、その先にあるものは、幸福な家族像であった。

 

終わり。




無事完結できました。
こんなにもたくさんの人に見ていただいたのは初めてで、ちょっとビックリしています。
ここまで見てくださった皆さん、本当にありがとうございました。

次回作の参考にしたいので、もし「こういうのが見たい」というのがあれば、是非教えてください。

本当にありがとうございました。
次回作もよろしくお願いいたします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。