ルート2 ~インフィニット・ストラトス~ (葉月乃継)
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1、 鷹

 

 

 自分はどうなったんだろう。

 たしか友達と遊んだ帰り道、本屋によって今日、発売されたばかりの「IS」の8巻を買った。

 そこから少し小走り気味に、自分の家に向かっていたはずだった。

 背中が冷たい。頭が割れるように痛い。右目が見えない。視界の左が赤い。

 もう、意識を手放したい。

 血に濡れた世界の空に、一羽の鳥が飛んでいた。

 気高く雄々しく、自由に。

 いつだったっけ。家族と行った山登りで見た、本物の鷹の姿に酷く感動したのは。

 右手を伸ばそうとする。そこで、何もかもが崩れた。

 

 

 どうやら2回目の人生だ、と気付いたのは小学校に入ったときだ。

 この世界に生れてしばらく経ち、喋れるようになってからは、周囲はオレの発達に驚いていた。何せ新聞を読む、ネットの記事を貪る、中学校の教科書の中身を理解している。神童だ、と自然に囁かれるようになった。

 小学校に入ってからは、ことさら普通を心がけた。なぜなら自分の人生が、二回目だと気付いたからだ。二回目と気付けば、一回目の記憶が鮮明になってきた。一回目は単なる大学生で終えた。中学生レベルの問題ぐらいわかるはずだ。逆に言えば、それぐらいまでしか通用しないことも簡単に想像できた。ゆえに普通であろうと心がけ始めた。

 

 それから、地味に過ぎて行く『二回目』の人生だったが、たまに妙な人間や出来ごとに出会う。

 小学校1年ののとき、親の勧めで近くの剣道場に通った。そこに『織斑一夏』と『篠ノ之箒』がいた。

 織斑一夏と篠ノ之箒、と言えば、前の人生で好きだった本の登場人物だったと思う。

 そして篠ノ之箒の姉が開発したという『インフィニット・ストラトス』というマルチフォーム・スーツ。これもまた、同様にその本に登場する兵器だった。

 そのことに気付いて、オレは可能な限り、その本の内容を思い出すように心掛けていった。

 篠ノ之箒はやがて転校していった。記憶が確かなら、VIP保護プログラムによって、各地を転々としているはずだ。

 そして『ファン・リンイン』が転入してきた。彼女は織斑一夏や五反田弾と仲良く遊んでいた。オレは織斑一夏の幼馴染の一人だったので、自然と巻き込まれる形になっていった。

 ある日、織斑一夏がいなくなった。誘拐されたのだろう。時期的には、第二回モンドグロッソの決勝戦。これも記憶の通りだ。

 

 だが、そこからが違った。織斑一夏は、そのまま国外に転校していった。自分の記憶が正しければ、織斑一夏はそのまま中学に戻り、最終的には日本でIS操縦者の養成学校に入るはずだったのに。

 結局、一夏が日本に戻らぬまま、ファン・リンインも中国へと帰国していき、オレは弾や数馬たちとダラダラと過ごして中学生活を終えようとしていた。

 

 オレの今の名前は二瀬野鷹(フタセノ・ヨウ)。一夏たちはからは『ヨウ』とか『タカ』とか呼ばれていた。トンビが生んだ鷹になりますように、という親の願いらしい。分不相応の名前だと思う。

 いくら二回目の人生だからって、トンビから生まれた雛が鷹になるはずはない。事実、所詮はただの大学生が過ごす二回目の人生など、中学生の時分には普通の子供に紛れて見分けなどつかない。すぐにただのトンビに成り下がっていた。

 

 

 中学校三年の冬、オレは受験会場である市立の多目的ホールにいた。本来なら一夏が受験するはずだった藍越学園の受験会場だ。覚えてる通りなら、ここでIS学園の試験も行われているらしい。

 今、一夏はたまにメールをよこすぐらいだ。どうもヨーロッパの方にいるらしいとしかわからない。なので、彼がここでISに触れて動かすこともない。

 つまり、オレの覚えている「IS~インフィニット・ストラトス~」の世界からは大きくズレてしまった。

 

「ここか」

 一つの大きな扉の前に立つ。一夏が間違えて入るはずだった、入学試験用の『打鉄』が置いてある場所。

 オレが触れられる、最後の『IS世界』が、この中にいる。冷え切った鉄の扉を押し開けて、中に足を進めた。

 そこはおそらく市の劇団やダンス教室などに使うための部屋なのだろう。壁が全て鏡張りだった。反射光きらめく中央で、そいつは鎮座していた。

 初めて間近で見たインフィニット・ストラトスは、思ったよりも大きく、そして冷たい輝きを放つ『兵器』だった。

「こんなのに触ってみようとか、普通は思わねえだろ」

 自然と笑いがこみ上げる。

 どうして彼はこれに触れてしまったんだろう。触れなければ、きっと物語は始まらなかった。

 オレは恐る恐る足を踏み出した。

 一回目の人生で憧れていた世界、その中核を成す『インフィニット・ストラトス』。

 これに触れて、動かないことを確認しよう。そして、これからは『二回目』だということを忘れて、普通の人生を藍越学園で過ごしていこう。

 無力なトンビに出来るのは、トンビなりの人生だ。

 そんな諦観とわずかな希望を胸に、オレは、『インフィニット・ストラトス』に触れた。

 

 

 数ヵ月後、結果としてオレはIS学園の教室に席が設けられていた。

 目まぐるしい二カ月間だった。本当にもう色々な人がオレの元へ押しかけ、サラリーマンとパートアルバイターの両親はトンビが本当に鷹を産んだと大喜びだった。その笑顔もあって、オレは自分の進路を半回転ほど捻って、IS学園に入ることに決めた。

 織斑一夏と同じように、入るしかなかった、とも言う。

「では、みなさん、自己紹介をお願いしますねー」

 教壇には、山田真耶先生が笑顔で喋っている。

 ……うむ、本物は、デカい。

 何がといえばもちろん胸だが。

 凝視するのも男してどうかと思ったので、視線を変えて隣の席を見る。そこには『篠ノ之箒』がいた。

 その姿は美しく、幼い姿を覚えているオレは、キレイになるもんだなぁ、女の子って、という感想が心を占めていた。

 思わずジッと見つめていたせいか、視線に気づいて、篠ノ之箒がオレを睨む。

 軽く手を振って返すと、しばらくオレを見つめたあと、少し目を見開いた。どうやらやっと、オレが一夏の隣にいた幼馴染の一人だと思いだしたようだ。

「どこかで見た顔だと思えば、ひょっとして、タカか……?」

「おうよ。っていうか、本名は『ヨウ』だ。上杉鷹山の『ヨウ』」

「間近で見て、ようやく思いだしたぞ。本名など覚えてなかったが、まさか、剣道場で一緒だったお前がISを動かした男子だったとは」

「ひっでぇなー。ま、そういうわけで、改めて二瀬野鷹だ。よろしくな、篠ノ之さん」

「箒で良い。お前と一夏はそう呼んでたではないか」

 凛とした顔がわずかに綻んだのは、一夏のことを思い出したせいだと思う。

「次、篠ノ之さん、お願いしますね」

 山田先生がひそひそ声で話すオレたちに呼びかける。コホンと小さく咳払いしてから、箒が勢いよく立ちあがった。先ほどの少しだけ見せた柔らかい笑みはもうない。

「篠ノ之箒です。よろしくお願いします」

 短く、つっけんどんな自己紹介だ。それ以上話すことなどない、と言わんばかりにすぐさま着席してしまう。

 想像した以上だ。よくこんなのに『幼馴染だから』なんて理由で話しかけられたよな、主人公さん。

 山田先生が少し困ったように箒を見つめるが、その期待に答えるつもりはないようだ。

 すぐに隣の女子生徒がフォローするように立ち上がって自己紹介を始める。

 その一つ一つに拍手をしながら、出番を待った。

「次、フタセノ君、お願いします』

 呼ばれて、オレは立ちあがる。

 さすが唯一の男子とあって、教室中の注目が一気に集まった。

 軽く周囲を見回したあと、小さく頷く。

 ここから、オレの物語が始まる。本物の『鷹』になるためのストーリーが。

 精いっぱい考えた、自分なりのあいさつを、出来る限りの笑みを持って言い放つ。

「二瀬野 鷹です。この『IS学園』で、みなさんと一緒に頑張っていきたいと思います」

 

 その後のホームルームは、つつがなく終わった。本来の担任である織斑千冬が登場したところで教室がざわめいたが、オレと織斑千冬の直接関係はないに等しいので、イベントはない。

 正直、彼女は幼いころに見たことがあったし、以前の記憶があったとしても、高校一年のオレとしては『ただの怖い女の先生』だ。積極的に関わりたくはない存在である。

 いくつかの連絡事項が終わり、そのまま授業に突入。予習だけはに詰め込むだけ詰め込んできたので、『彼』のように全く理解できない、ということはなかった。

 一時間目が終わり、休み時間は遠い遠い男子トイレまでダッシュで終わる。本の中だけだな、男一人で羨ましいとか。実際はこういう細かい苦労が絶えまないんだろうし。

 そしてそのまま午前中の授業が終わり、昼飯になった。

 寮に男子用の空きはなく、オレはしばらく家から通うことになっているので、母さんが持たせてくれた弁当持参だ。

 高価な機械の塊だろうIS学園の机で食べていいものか悩んだが、とりあえずは食欲優先だ。包を開けて箸を取りだす。

「ちょっとアナタ」

 そこに、やや甲高い声が、頭上からかかった。

「ん?」

 顔を見上げる。

 やべえええええ、セシリア・オルコットだあああああ。

 一気にテンションが上がった。

 これは、オルコッ党じゃないオレでもテンション上がるだろうよ!

 さっき、自己紹介を見たときもちょっとテンション上がったけど、やはり間近で見る生オルコットは違う。その存在、輝き、美貌、もう一回ぐらい死んでもいい!

「ちょっといいかしら?」

「なんでございましょうか!?」

 勢いよく立ちあがったオレに、セシリアが驚いて仰け反る。

「い、いえ、そこまで謙らなくても……」

「あ、はい。すみません、少し興奮してしまって」

 おずおずと席に着く。

「あなた、本当にISが動かせるんですの?」

 きたー! イベントきたーーーーーーーー!

「あ、そのようです、ハイ」

「わたくし、そのことがどうしても疑問でして。男性には動かせないISのはずですのに」

「あ、そうみたいです、はい、すみません。でも動かせちゃいまして……」

「えーと、フタセノさんでしたわね」

「呼びにくいと思いますので、ヨウで結構です、ハイ」

「ヨウさん、ですね。よろしければ、練習を見て差し上げましょうか?」

「えええええ!? 良いんですか!?」

「え、ええ。興味もありましたし、それにわたくしは専よ」

「専用機持ちなんですよね! ブルーティアーズ! オレ、一番好きな機体なんです! なんといってもビット! ロマンですよね!」

 しまった、セシリア様がまた驚いて引いてしまった。

 どうもISを動かせてからというものの、それまでと違って解き放たれたようにテンションが上がってしまう気がする。まあ、それまでがいわゆる『二回目の人生』のくせに特別なことは全然なく、小さいころは神童と言われた反動で凡人扱いこの上ない陰鬱な人生だったおかげだろうか。

「こ、こほん。嬉しいことおっしゃってくださいますわね。で、でも、それとこれとは話が別ですわ」

「えー? と、言いますと?」

「とりあえず、あなたはわたくしが直々に指導して差し上げますわ」

 この申し出に、思わず『ありがとうございます!』と叫んだオレだったが、後で悔やむことになる。このときの彼女の不敵な挑戦状を、優しい微笑と勘違いしていたことに。

 具体的には翌日の放課後ぐらいに。

 

「あらヨウさん、男性ISパイロットというのは、大したことないんですのね」

 ホホホッと器用にISの腕で口元を隠しながら、彼女はからかうようにオレを笑った。

 思い出した、オレ、オルコッ党じゃなかったよ。あのアマ、泣かしてやる。

 とはいうものの、オレには白式に当たるものがまだ手元に無い。

 専用機はどうやらこの国の男政治家集団が四方八方と手を回して用意してくれているらしいが今、オレが装着しているのは練習用の『打鉄』だ。武装だって手に持ったブレードのみだ。

 で、結局は、彼女のブルーティアーズに翻弄されまくってるわけだ。そもそも、空さえ飛ぶのがおぼつかないオレでは、地上に鎮座するIS型の的以外の何物でもない。

「さて、これぐらいでやめましょうか?」

 始まって一分。

 オレのシールドエネルギー 残り300。パーセンテージで言うところの50%ぐらいだ。開始して空中に上がった彼女から、ビットの攻撃八発とライフルの一撃を食らったせいだ。

 空中に浮かぶセシリア・オルコットを見上げる。

 その様子は、たぶん、鷹を見上げるトンビみたいだろう。

 ふと、高笑いを浮かべていた彼女の顔が一瞬、曇ったように見えた。何かに失望したような目だった。

 ……そういや、セシリア・オルコットの父親は、妻に媚びる情けない男だったんだっけ。

 さて、気を取り直そう。舞い上がった気分もおしまいだ。この世界に、白式を装着した織斑一夏はいない。少なくとも今、ここには存在しない。

 そしてオレは、汎用のインフィニット・ストラトスである打鉄を装備した二瀬野鷹だ。

 なら、やらなきゃいけないことがあるはずだ。一ではなく二として。織斑一夏ではない二瀬野鷹として。

「まだ続ける」

「……なんですって?」

「まだ生きてる。オレは生きてる。アンタも満足してない。なら、続けよう」

「ですが、勝負にすらなりませんわ」

 あざ笑うわけではなく、まるで小さな子供の扱いに困るような顔。どことなくオロオロしているように見える。

 チクショウ、キレイな人だなホントに。

「勝負にならなくても、たぶん、見せないといけない姿があるんだ」

「え?」

「オレが思うに、誰かが、他の、そう例えばアンタの父親とか、ここにいないバカな主人公さんが見せなきゃいけなかった、男の姿ってやつ」

「……わたくしの父親? 主人公……?」

「じゃあ、行くぞ、真っ直ぐ行く。真っ直ぐ飛んで、アンタに切りかかる。それしか出来ることないしな」

 挑戦的なオレのセリフに、セシリアの顔が引き締まる。油断はない。

「そのようなことで、わたくしに勝てるとでも?」

「勝つわけじゃないよ、見せるんだ」

 頭に思い浮かべる。

 トンビじゃない。いつか見た、あの大空を雄々しく飛ぶ、鷹の姿を。

「行くぞ!」

 はるか上空に舞う青いISを見据え、オレは一直線に、ありったけのイメージを持って飛び上がる。

 セシリア・オルコットの持つライフルが、オレの打鉄に銃口を向けた。

「おおりゃああああ!!」

 引き金を引く前に、持っていたブレードを、力の限り投げつけた。

 セシリアの顔が一瞬だけ強張ったが、回転して襲いかかるそれを、わずかに横に避けてやり過ごす。

 そこに向けて、オレは拳を握って殴りかかった。

 すぐさま気づいた彼女は、間一髪、その拳を交わした。そのまま上空にオレは飛び上がり続ける。まっすぐしか飛べないんだから、当たり前だ。

「そんな幼稚な策で!」

 セシリア・オルコットが上空に上がったオレを見上げ、狙撃銃スターライトMK3を構えて狙いをつける。

「えっ!?」

 彼女の声が驚きに染まる。

 オレが空中で刀をキャッチして、投擲しようとした姿を捕えたからだろう。

 ……あーIS搭乗時間が長いのは、伊達じゃないなぁ。

 すでにビットがオレの背面に回り込み、狙いをつけていた。

 だが、これでいい。

 彼女のビットの攻撃の一発がおよそ5%ほど削り、最大で四機から二発ずつ、つまり40%削る。それにライフルの一撃が12%ほどだ。オレの現在のシールドエネルギーは48%だから、ライフルさえ防げば、生き残る。

 オレはもう一度、ブレードを投げつけると同時に襲いかかった。鷹になれるようにと祈りながら。

「くっ!」

 ブルーティアーズのビットがビームを放つ。オレの背中にぶち当たる。計八発分の衝撃が当たる。

 それでも真っ直ぐ飛ぶ。その衝撃さえも糧にして、先ほどよりも速く。

 避けられて地面にぶつかっても構わない。今、オレに出来るのは、可能な限り速く飛ぶことだけ。

 自らの名前のように、右足を伸ばして、まるで猛禽類が獲物を狙うがごとく、オレはセシリア・オルコットに襲いかかった。

 

 結果から言えば惨敗もいいところだ。

 結局、最後の飛び蹴りは回避され、オレは地面に突き刺さったんだから。

 地面に刺さった打鉄から何とか這い出て、土の上に腰を落とした。

「大丈夫ですの?」

 ISを解除したセシリアが、心配げな顔でオレを覗き込む。

「オレさ」

「はい?」

「二瀬野ヨウって言うんだ。ヨウは、日本語で『鷹』、つまりホークって意味なんだ」

「はあ……」

「鷹になりたいんだ。だからセシリアさん。飛ぶのが上手い貴方に、色々教えて欲しい」

 軽く頭を下げると、青色の優雅な貴婦人が、頬を緩めた。

「……高いですわよ?」

「何でもする。アンタと違って貧乏な家でお金はないけど、オレに出来ることなら」

 細い手を、オルッコット姫が差し伸べてくれる。オレはそっとそれを握り返した。

「時間があるときぐらいなら、それぐらいは付き合って差し上げてもよろしいですわ」

「それでいいよ、ありがとう」

 思ったよりも強い力で引き上げられるように立ち上がった。

 改めて、目の前に立つセシリア・オルコットという女性を見る。一回目の人生で思い描いたとおりの、自信に満ち溢れた美しい女の子だった。

 この自信満々の笑みが、織斑一夏の不在によって涙で曇らないように。

 それぐらいは頑張ろうと、オレには思えた。

 

 全寮制といえど男のオレに部屋は用意されてなかった。準備が整うまでは自宅通いらしい。痛む全身を引きずりながら、私服に着替えIS学園発のモノレールに乗る。街中を制服でうろつくなんて真似も、今のオレには許されていない。

 隣に電車を乗り継いで、自宅へと帰りつく。

 我が二瀬野邸はよくある20階建ての一室で、家族がローンを組んで購入したものだ。もう八年も住んでいる。すり減ったエレベーターのボタンを押して、自分の家のある階へと向かった。

 ドアが空いたと同時に、有名な引っ越し業者の働く姿が見える。時間はもう夜の八時だ。こんな時間に誰か引っ越しか? と怪訝な様子で足を進めた。

 引っ越しをしているのは、我が家だった。そんな話は初耳だ。

「なんでオレんちが……?」

 業者を押しのけるように、家へと駆け込む。片づけられたリビングの真ん中で、父さんと母さんが、誰かと話していた。

「あら、ヨウ君」

 母さんがオレに気付いて、優しい声をかける。メガネをかけ、くたびれたスーツを着た父さんが力なく笑った。

「どうしたの? これ、なんでオレの知らない間に引っ越しなんて」

 父さんには勿体ないレベルの美人である母さんが、困ったように手を頬に充ててオレを見る。

「重要人物保護プログラムって言うらしいの。政府からの命令でね」

「政府から? 何でだよ!?」

「それは……」

 母さんが言葉に詰まって、隣の父親を窺う。父さんがオレの肩に手を置いた。

「がんばれよ、ヨウ」

「意味わかんないこと言うなよ! なんで政府……まさか、オレがISを動かしたから!?」

「お前に責任はないよ。ただ、お前が私たちの息子で誇らしいだけだからな」

 精いっぱいの威厳を繕って、くたびれた中年が笑いかける。

 ……普段は酔っ払って帰って、休日は寝ているだけの親父が妙にかっこよく見えた。

 VIP保護プログラムの適用。おそらくはオレが世界で唯一、ISを動かせる男になったせいで、危害が及ぶ可能性がある両親を退避させるためだろう。おそらく名前を変え、勤め先を変えて他の土地を転々としていく人生のはずだ。

「ヨウ君、これを」

 母さんが両手をそっとオレに差し出す。そこには、小さな石があった。

「……これは?」

「アナタが生まれたときに、ベッドの上に落ちてたのよ。よくわからないけどキレイだから捨てられなくって、臍の尾と一緒に取ってあったの」

 大きさ三センチほどの、立方体の石だった。母さんの手からそれを受け取る。

「何でこんなものを?」

「急なことで、あなたに上げられるお守りも用意できなかったから、代わりにね」

「……母さん」

 母親がそっと手を伸ばして、オレに抱きついた。

「ケガしないようにね。お母さんはそれが一番、心配だから」

 二回目の人生だった。二人目の母親だった。でも、そんなこと関係なく、この人は二瀬野鷹が生れたときからずっと、オレの母さんだった。

「泣くなよヨウ。これからは、強く生きていかないとな。こんなオヤジみたいにショボくれるんじゃなく、ずっと空を目指して、鷹のように」

「父さん……」

「私たち二人の名前は変わるらしいが、二瀬野鷹は私たちの息子だからな」

 父さんがオレの頭を撫でる。

「二瀬野さん、時間です」

 外から黒いスーツの男が声をかけてきた。引っ越し業者ではなく、政府の使者だろう。

「元気でな。お前の活躍を、ずっと祈ってるぞ」

「ヨウ君、元気でね。ケガとか気をつけてね」

 

 マンションの下で、黒塗りの車の後部座席に乗った二人を見送った。

 もう、面と向かって会えるのは当分先だろう。ひょっとしたら、二度と両親とは会えないかもしれない。

 ……二回目の人生、二回目の両親。一回目は、別れの挨拶さえ告げられなかった。そう思えば上等だ。

 受験のとき、一回目の記憶に頼ってISに触れなければ、オレはあの二人と別れることはなかった。あの二人の子供のまま、平和な人生を謳歌していたんだろう。

 あの二人だって、ずっとこのマンションで老いていって、孫の顔も見れたのだろう。

 オレのせいだった。全ては、二回目の人生というものを舐めていたオレのせいだった。

「ばかやろおおおおおおおお」

 貰った石を握りしめ、大空に向かってオレは吠えた。

 神様が何のためにこの人生を与えたのかわからない。

 だけど、これは酷いだろ。

 夜空を見上げる。雲だらけで月さえ見えない、暗い闇だけが広がっていた。

 

 

 夜の11時に、オレはIS学園に戻ってきていた。誰もいなくなった部屋で一晩過ごすなんて、考えたくもなかった。

 母さんが用意してくれてた、オレの私物が入った二つの大きなカバンが肉に食い込んで痛い。学園駅のトイレで制服に着替えたのは、校内は寮以外での私服は禁止されているからだ。フラフラと歩いて校門前に辿り着く。

 政府から連絡が行っているかもしれないが、さすがに今日のうちから寮に部屋を準備するのは無理だろう。そもそもIS学園の寮は女子寮だ。織斑一夏ならいざ知らず、誰か女子の部屋にお世話になるなんてことはないと思う。

 それに今のオレは弱ってる。誰かに顔を見られたら泣いてしまうだろう。そんなことは女子の前では絶対に避けたい。

 疲れ果てて、座り込み校門にもたれかかった。背中には、国立IS操縦者養成高等学校の文字がある。

 今日はもう動く気力がない。とりあえずまだ夜は寒いし、私服を毛布代わりにして、ここで寝よう。

 そう思って、私服の詰まっているカバンを開けた。一番上に、ちょこんと弁当箱が入ってる。昼間食べたやつとは違う箱なのは、母さんが入れてくれたからだろう。

 そういや晩飯は何も食べてなかったな、と思い出し、青い包を開けた。

 いつもと変わらない弁当だ。パート先で特売で買った鶏肉のから揚げ、オレが好きだと言ったら、二回のうち一回は献立に入るようになったポテトサラダ。母親が自分で漬けた梅干し。萎びたレタス。添え物の煮干し。全てが十六年近くの間、ずっと食べてきた味だった。

 食べてる間に涙が出てきた。もう涙を飲み込んでるのか、弁当を食べてるのかもわからなくなってくる。

 もう会えないんだ。

 その事実を噛みしめる。

 食べ終わって、涙を袖で拭いた。白いIS学園の袖が少し汚れた。

 

 

「おいタカ、起きろ」

 ガッツンガッツンと誰かが堅い物で脇腹を突いてくる。

「いてぇなオイ!」

 撥ね退けて飛び起きると、目の前に剣道着を着た篠ノ之箒がいた。

「なぜこんな場所で寝てる?」

「起こすのに木刀でつつくな」

「学校前で寝るとは何事だと聞いているんだ」

「色々事情があるんだよ……っと、今何時だ?」

「6時半だが……」

「朝練か?」

「日課だ」

 剣道場にでも行って、木刀を振るつもりなのだろうか。そういや剣道で全国制覇してるんだっけ。

「遅ればせながら、全中優勝おめっとさん」

 全中とは、全国中学校剣道大会のことだ。ちなみにオレは予選落ちである。

「……なぜそれを」

「いやオレも剣道やってるし」

「ほほう。では、どれだけ腕が上がったか、今度見せてもらおうか」

「もうてめぇには泣かされねえぞ」

 そうだ、こいつには小さいころ、剣道の稽古で何回も泣かされたんだった。一夏のヤツはまともに打ち合ってたけど。

「その……一夏は」

「あいつは剣道やめちまったよ。何でかは知らん」

「……そうか」

「ちなみに今、どこにいるかも知らん。最後に聞いたのはヨーロッパ方面だってことぐらいだ」

「連絡は取ってるのか?」

「たまにな。良かったら今度、アドレス教えてやるよ」

「い、いいのか!?」

「あいつに黙ってアドレス売るのは楽しいからな」

「い、いくらだ!?」

「真に受けんなバカタレ。タダでやるよ。ケータイは持ってるか?」

「い、今は持ってない」

「んじゃ今日、教室でな」

「わ、わかった! 絶対だぞ!」

 オレに背中を向けると、箒は小さくガッツポーズをした。オレのが背が高いんだから見えるっての……。

 でもこいつ、小さいときからずっと、一夏のこと好きなわけなんだ。いや、前の人生で読んだ本でもそうだったけど。

 そこでふと思い出す。そういえば、こいつもVIP保護プログラムで両親と別れたわけだよな。しかもずっと幼いときに。

「箒」

「な、なんだ?」

「お前、すげぇ奴なんだな」

「は?」

「んじゃ、オレはアリーナ行ってシャワー浴びてくるわ」

「あ、ああ。約束、忘れるなよ!」

「りょーかいりょーかい」

 テキトーに返事をしながら、踵を返してバッグを持ちあげる。

 オレは何だかんだで、このIS学園で生きていくしかない。でも、せめて箒ぐらいは頑張れるようにやろう。

 そう決意して、オレは一歩、力強く足を踏み出し、IS学園に入っていった。

 

 

 

 



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2、U R

 

 

 IS学園に入学して数日、昼飯は学食で取るしか手がないので、そちらに向かってのんべんだらりと廊下を歩いている。そこにクラスの女子が声をかけてきた。

「二瀬野クン、今からご飯?」

「そうだよ。一緒行くか?」

「いいの? やったー」

 そう言って喜ぶのは、国津さんだ。ちょっと外側に跳ねた黒いストレートに、明るい表情を携えた可愛い子だった。てかこのクラス、可愛い子ばっかりなんですけどー?

「お、レミ、成功した?」

「大成功! てか逆ナンされた!」

「グッジョブグッジョブ!」

 背の低いメガネをかけた子が駆け寄ってくる。その後ろを背の高い大人しそうな子が歩いてきた。たしか岸原さんと四十院さんだ。てか逆ナンって逆じゃないか?

 大事なことを言うならば。

 オレは童貞ではない。

 中学校二年のときには付き合ってる子がいた。三年で受験で忙しくなってからフラれたが、致すことは致しました。なので童貞ではない。童貞ではない。

 いやだって二度目の人生だよ? それなりに女の子に耐性がつくってもんでしょ。精神的余裕もあるわけだし。なので、少なくとも一夏のように戸惑うことは少ない。少ないだけで、結構あるんだけどなっ!

「二瀬野君は、今日はお弁当じゃないんですか?」

 おっとりとした声で、背の高い四十院さんが問い掛けてくる。

「んー今日ぐらいから、家を出てどっかで暮らすつもり。親が引っ越すらしくてさー」

 何とか軽い調子で返すことが出来たようだ。三人とも少し小首を傾げる程度で、内容を正確には把握できなかったようだ。

 食堂につくと何人かの見知ったクラスメイトが先にいて、明るく手を振ってきたので、軽く振り返す。あの袖の余り具合は噂の布仏さんか。

 食券を買って、空いてる席に四人で座った。

「そういえば、二瀬野クンって、専用機貰えるんだって?」

 小さな口にハンバーグを詰め込みながら、女子(小)こと岸原さんが尋ねる。

「お? なんで知ってるんだ?」

「ふふふふーひみつの情報網さっ」

「やっぱり、唯一の男性操縦者だからなのかしら?」

 女子(大)こと四十院さんがサンドイッチから口を離して聞いてくる。

「そりゃそうだろうなあ。それ以外に理由とかないし……」

「二瀬野クン、世界中の男の期待の星だもんねーいいなー」

 女子(中)こと国津さんがスープを飲み込んでからオレに大きな目を向けた。

 緑茶を飲んでいた四十院さんが湯呑を置いてから、

「でも実験機を預ける方も大変なのよ、玲美」

 と友人に教える。

「え? 気に行った人に、はいどうぞって感じじゃないの?」

「メーカーとしては誰かに専用機として渡した方がデータだって一杯取れるし、そうなったらIS学園なんて専用機だらけになるわよ」

「あーそれはそうだね。なるほど」

「ISの専用機を預かる方には、思想チェックも含めて幾つものテストがあるし、それを満たした人でも、官僚と政治家含めた何人もの人が了承した人じゃないと渡せないわ」

「お国って、お仕事遅いもんね。誰か偉い人がポンっと押して『こいつだ』ってすればいいのに」

 それじゃ独裁だろと思ったが、まだ親しくないのでツッコミはよそう。その代わりに、

「ちなみにオレの専用機って、何なのか知ってる? なんか政府のオッサンが、楽しみにしとけって言ってたけど」

 と尋ねる。

 一夏なら、ここで白式なんていう規格外なISが貰えるんだろうけど、何をどうしたってオレは二瀬野鷹だ。あいつと同じように、白式が貰える保証なんて無い。それにオレは『篠ノ之束』との面識もない。

「うーん、明日ぐらいに届くって聞いてるから、それまで楽しみにしてたほうが良いんじゃないかな?」

「……明日か」

「頑張ってね、専用機持ちさん」

「あたし、整備科志望だから、色々触らせてね」

「期待しています」

 中小大の順番で言ってくる。

「りょーかいりょーかい。でもやっぱ、カッコいい機体がいいなぁ」

 今日の昼飯は、そんな和やかな感じで終わった。

 

 

 

 放課後になって、第六アリーナの格納庫にISスーツを着て来いと呼び出しを受ける。

 とうとう来たか、と胸が高鳴った。圧縮空気により分厚いドアが自動で開き、格納庫に入る。

 まっさきに目に入るのは、白いヴェールを被せられた、人と同じぐらいの高さの物体だ。あれが、オレの専用機か!

「失礼します! 二瀬野鷹、到着いたしました!」

 逸る気持ちを抑えつつ、姿勢を正して挨拶をする。

 現場には織斑千冬先生と山田先生、それと研究者と思える男女一組、スーツを着た中年の男、そしてなぜか女子(中)こと国津さんがいた。

「あれ、国津さん?」

「あ、二瀬野クン。早かったね」

「なんでここに?」

「いやーうちのパパとママが来てるもんで」

 と隣にいる白衣を着た二人を見上げた。

「やあこんにちは、どうも四十院IS研究所の国津です」

「四十院って……」

 思わず国津さんに視線を向ける。

「そうだよ、四十院って財閥の一部門。そこのお嬢様が四十院神楽こと、かぐちゃん」

 えへへと自慢げに国津さんが笑う。

 そこへ野太い咳払いが聞こえる。発生主は、スーツを着た中年の男だった。

「空自の岸原だ。よろしく頼む」

「……む、岸原というと」

 ふたたび国津さんに助けを求める。

「お察しの通り、理子のパパさん」

「な、なるほど」

 つまり今日、昼飯を一緒に食ってた三人は、オレの専用機の関係者ということらしい。

「二瀬野君!」

 ガシッと、岸原父がオレの手を掴む。

「は、はい」

「キミが我々の星なんだ! そのために四方八方と手を回して、このISを手に入れた! ぜひとも、ぜひともよろしく頼むよ!」

 岸原父は、四角い顔の熱い男だった。だが、嘘偽りのない期待の視線は、悪い気はしない。

「わかりました、可能な限り頑張ります」

 大きな手を力強く握り返す。その様子に、頼もしげに大きく頷いてくれたようだ。

「二瀬野」

 織斑先生のするどい声が飛ぶ。

「はい」

「ではさっそくフィッティングに入る。手順は読んできたな?」

「はい」

 全て頭の中に暗記している。

「では、ISを装着しろ」

「了解です」

 深呼吸をして、白い布を被せられた機体の前に立った。横に立つ国津さんのお父さんが、勢い良くヴェールを剥ぎ取る。

「テンペスタ……!」

 それはイタリア製の第二世代機だった。

「テンペスタ後期型、その高機動モデルをうちでカスタムした機体だよ。おそらく第三世代機を合わせても世界で最速が出せるんじゃないかな」

 穏やかな声で国津さんのお父さんが説明してくれる。

「正式名称は、テンペスタ・後期高機動型サイクロトロン共鳴加熱高機動加速装置採用試験機。うちじゃHAWCって呼んでるけど」

 少しでも速く飛ぶために作られた機体。空気を切り裂くために成形された、イタリア伝統の黒いスポーツカーデザイン。腰と背面に供えられた大型ウイングスラスター。

 イメージは一言で言えば猛禽類だ。

「まるで二瀬野クンの名前みたいだね。スペル違うけど」

 国津さんが、鷹のようだね、と言った。

「テンペスタ・ホーク。君の名にちなんで、そう呼ぶとしようじゃないか」

 岸原さんのお父さんが力強い声で提案する。

 第二世代機・テンペスタ・ホーク(岸原父命名)。

 それが、オレの専用機だった。

 

 

 

 もう上機嫌なオレだった。

 試乗したテンペスタ・ホークは、まるでオレを本物の鷹にしてくれたかのようだった。自由に空を舞い、空を切り裂いた。

 デフォルトの兵装こそ少ないけど、最大の武器はそのスピードだ。第6アリーナで練習していた先輩たちも度肝を抜かれたようだった。

 エネルギーが尽きて戻ってきたオレを、国津さんの両親と岸原さんの親父さんが嬉しそうな笑みで迎えてくれた。特に岸原さんの親父さんは、感激して熱い抱擁までくれた。

 試しに取ったデータは、四十院研究所に属するどの女性パイロットよりも速い最高速度を記録していたらしい。

 今は待機状態に戻っている。待機状態は、左足首に止まる金属の輪っかだった。いわゆるアンクレットだ。

 そんなこんなで、オレは超上機嫌で、夕ご飯を食べている。

「いやーまさか三人とも関係者だったなんてなあ」

 オレが話を振ると、国津さん岸原さん四十院さんが顔を見合わせて笑う。

「パパたちは、大学の飛行機部だったんだよ」

 国津さんが説明してくれる。

「そうそう。うちのオヤジも、あんな顔して、昔は戦闘機のパイロットだったんだから」

 岸原さんが笑うと、四十院さんが優しく微笑んだ。

「理子のお父さんは、昔っから、あんな感じよね」

「暑苦しいって言うんだよ、ホント。でもでも、帰り際に会ったとき、超嬉しそうだったよ! ありがとね!」

 岸原さんが親指を立てて、満面の笑みを向けてくれた。

「でも、オレが言うのも何だけど、はしゃぎ過ぎじゃないかな、お父さんたち」

「いいえ、うちの父も今日は来れませんでしたが、電話をしたら、すごく喜んでましたわ。夢が一歩、前に進んだんですから。」

 四十院さんが、やや下がった目尻をさらに落として、嬉しそうな笑みを作る。

「夢が第一歩?」

「ほら、今、空はISの独壇場でしょ?」

 国津さんが笑いながら答える。

「つまり、飛行機にかけたお父さんたちが、ISに奪われた空を取り戻そうっていうこと?」

「まーそんな大げさな話じゃないよ。理子のお父さんもパイロットになってブイブイ言わせてたところに、ISの登場だったからね。パイロットも辞めさせられて、ちょっと悔しい思いしてたんだよ」

「なるほどねー」

「今って、空は平等じゃないからね。ホントはISコアに頼らない、誰だって飛べる物を実現したいんだよ」

「誰だって飛べる……か」

「だから、男でISに乗れる君が、パパたちの第一歩ってこと」

 残念ながら、オレの登場まで、ISは女性しか操作できなかった。でもそうじゃなくて誰だってISのように自由に飛べるようなモノを作りたい。あの人たちは、オレが空を飛んだことが本当に嬉しそうだった。大学の飛行機部だったっていうぐらいだから、本当に空を飛ぶのが好きな人たちだったのかもしれない。

 やっぱり、知らず知らずのうちに、オレはいろんな人の期待を背負ってたようだ。

 こうなったら、精いっぱい活躍して、新聞とかに乗って、父さん母さんに立派な姿を見せてあげたい。一人前になれば、VIP保護プログラムも解けて、また会えるようになるかもしれない。

 結局のところ、オレは、このIS学園で頑張るしかない。

「国津さん、岸原さん、四十院さん。色々迷惑かけるかもしれないけど、よろしくお願いします」 

 立ち上がって、きちんとお辞儀をする。

 三人とも少し驚いたようだったが、すぐに顔を見合わせて笑う。

「改めてよろしくね。国津玲美。玲美でいいよ」

「岸原理子だよ。理子で充分!」

「四十院神楽です。神楽って呼んでください」

 三人の顔を見渡す。その後ろに彼女たちのお父さんたちの期待が見えた。

「んじゃあレミ、リコ、カグラ、よろしくな!」

「いきなり呼び捨てとか」

 玲美が少しためらいがちに笑う。

「あれ、ダメだった?」

「いいよ別に。でも、男の子に名前呼び捨てにされるのって、新鮮かも……。まさかIS学園に来てそんな経験するとは……」 

「まあ、何はともあれ、よろしく!」

「うん、こちらこそよろしくね。テンペスタ・ホークのパイロットさん」

 三人が、満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 夜、一人の部屋に帰って、昨日と今日のことを思い出す。 

 激動の数日間だった。

 ずっと一緒だった両親と別れ、新しい友達に会い、その親たちの期待を感じた。

 テンペスタ・ホーク。無限の成層圏の、嵐の中を飛ぶ鷹。

 ちなみに今は、IS学園の寮の1025室だ。女子ばかりの寮で一番奥の、少し隔離された部屋である。

「疲れたー……」

 机の引き出しを開けると、小さなお守りが入っていた。袋は篠ノ之神社まで行って買ってきたもので、中には母親から貰った小さな石が収めてある。何でもオレが生れるときに、病室のベッドに落ちていたらしい。

 間違いなくそこにあることを確認すると、引き出しを閉めて、ベッドに転がった。

 本来なら、織斑一夏がいるはずだった部屋。そこにはオレがいる。

 これから起こるであろう出来事に思いを馳せた。

 とりあえずは一つずつこなしていくしかない。

 それが、全ての人の期待に答える第一歩。二度目の人生、二度目の命。せめて今度は道端で命を落とすのでなく、誰かの期待に答えられるように。

 ゆっくりと、瞼を閉じる。

 疲れていたせいか、すぐに意識を失った。

 

 

 

 

 やあ、初めまして。どうだい? 新しい命は。

 そんな声が聞こえてくる。

 誰だ?

 楽しんでいるならいいんだよ。でも、努々忘れるなよ。キミはキャストじゃない。最初から本番に立つことのない、単なる代役だ。

 ……何の話だよ。

 いつかは消え去る存在。忘れるなよ。

 

 

 

 

 次の日の実習、貰ったばかりのテンペスタ・ホークは絶好調だった。

 セシリアと一緒に飛んだが、高機動タイプの第三世代機ブルーティアーズよりも速かった。停止こそまだ上手く行かないが、速さだけなら全く問題ない。

 そろそろ必殺技考えるか。ひき逃げアタック的な。

 そんな物騒なことを考える、オレこと二瀬野鷹だった。

 放課後、調子の乗ってたオレは、地面にめり込んでいた。

 模擬戦の相手をしてくれたのは、もちろんセシリア・オルコットだ。

 彼女はまるで闘牛士のようにオレのひき逃げアタックを回避し、最終的には地面にぶち当たった。

「はぁ……子供ですか」

 呆れたようにため息を吐かれる。

「す、すみません」

「ヨウさん、あなたのその『テンペスタ・ホーク』は確かに最大速度こそ速いですが、その速度を生かすことが出来ないのでは、お話になりませんわ」

「生かすことが出来てないっていうと……」

「つまり、速度差を出さなければ意味が無いということですわ。速く飛ぶだけでは、簡単に捕まってしまいますわよ」

「止まることと、加速をすること、この二つを使いこなせってことか」

「ええ。IS戦はスピードレースではありませんわ。確かにわたくしのブルーティアーズは速度も速いですが、制動距離も他の機体に比べて短いのですのよ」

「……ふむふむ」

 セシリアの言うことはいちいち尤もだった。専用機歴二日のオレにとっては、ありがたい話だ。

「まずは、機体角度を十二時三十五度に取り、その後コンマ35秒のちに右足を四十二度方向に突きだし、左足を十二時三十五度方向へ、そうして機体のバランスを取りつつ背面スラスターを」

 前言撤回。なんて理論的かつ、わけのわからん説明なんだ。

 そんなこんなで、オレは専用機持ちの先輩セシリア・オルコット師匠に付き合ってもらい、少しずつ速度の制御を覚えていった。

 

 

 

「はれ? そんな練習してたの?」

 外ハネ黒髪ストレートの玲美が、スプーンを咥えたまま、不思議そうな顔で小首を傾げる。今は夕飯時だ。

「何回地面に激突したやら……アリーナの地面、穴だらけにしちまったよ……犯人がオレだってバレませんように」

「足の制御スラスター使ってないの?」

「ナニソレ? マニュアルに載ってなかったぞ?」

「え? ああ、最後についたから載ってないのかな。足に逆噴射スラスターが六機ずつあって、それで機体バランスをオートで取りつつ、スピードを殺せるはずだけど? 言ってなかったっけ」

「おいぃ? 聞いてねえぞ?」

「あーごめんごめん、言ってなかったかも。お父さんに伝えるように言われてたのに」

 テヘっと舌を出してゴメンネっと謝る玲美。ちっ、可愛いじゃねーか。

「って騙されるかあああああ! 何度ぶつかったと思うんだよ地面に! 二十四回だぞ二十四回!」

「あ」

 唐突に玲美が目を逸らして知らん顔をする。

「ほほう、犯人はお前か、二瀬野」

 背中から絶対零度を感じさせる声がした。すぐに誰だかわかったが、振り向きたくはなかった。

 目の前の玲美は冷や汗を垂らしながら、必死に目線を逸らし、私は部外者ですとアピールしてやがる。ほとんど共犯者じゃねーか、てめぇは!

 ガシっと、後頭部を掴まれる。

「痛い痛い痛いなにこれ万力かなんかで掴まれてんのオレ!?」

「教師を無視するとは良い度胸だな、二瀬野」

「すみませんマジで痛いです離して下さい千冬さん久しぶりです昔篠ノ之道場で一緒だった二瀬野です覚えてないかもしれませんが一夏の幼馴染です許してください超いてぇ!」

 必死に頭を回転させ何とか逃れようとするが、頭を掴んだベアクローは一向に緩む気配がない。

「織斑先生だ」

「オレが第六アリーナの地面を穴だらけにした犯人です!」

「よし自白したな」

 そこでようやく後頭部の激痛から解放される。

 本気で頭を潰されるかと思った。どんな握力してんだこの人。

「何か文句でもあるのか」

「い、いえありません。どんな罰でも受けます」

「では反省文四枚提出、あと施設損害報告書と同時に修繕申請書、明日までに提出しとけよ」

「は、はひ」

 これでオレの夜の自由時間は潰れた。下手すれば睡眠時間も削らなければならない。おぼえとけよ玲美。

「あ」

 オレを見下ろす織斑千冬教員の後ろを、鼻歌交じりでセシリア・オルコット嬢が歩いていた。

「ふむ、共犯がいるようだな」

 しまった、すまんセシリア師匠。思わずあの人も仲間です、という目をしてしまった。それを織斑先生が敏感に察知する。

「へ?」

 急に絶対零度の視線を向けられ、硬直するセシリアさんでしたとさ。

 

 

 

 

 夜、自室で反省文の執筆作業をしていると、国津玲美、岸原理子、四十院神楽の三名が訪ねてきた。

「あれ、どうした?」

「いやーさすがに手伝おうかなぁと」

「マジか。超助かる」

 反省文は何だかんだでもうすぐ終わりそうだったが、施設損害報告書と修繕申請書がまだ手つかずだったのだ。

「おじゃましまーす」

 一番身長の小さな、メガネをかけた理子を先頭に、玲美も我がテリトリーへと気軽に侵入してくる。そして最後に一礼して優雅に神楽が入ってきた。

「そんな畏まらなくても」

「いあいあ、かぐちゃんは昔っからそうなんだよ。育ちがいいのさ」

 理子がカラカラと笑いながら、布団の敷いてない空いているベッドに腰掛ける。

「二人はイスにでも座っておいてくれ。今、お茶を出す」

「はーい。じゃあ私が損害報告書書くね。かぐちゃん、修繕申請書をお願い」

「わかったわ」

 二人とも手際よく机に空間投影ディスプレイとキーボードを映す。

「フォームはどこでしょうか?」

「クラスの共有フォルダに保存しといた」

「あ、これですね」

 何だかんだで手際よく作業を始める二人。

「で、理子、お前は?」

「アタシは応援だよー。手伝うことなさそうだし」

「……あ、そ」

 部屋の入り口にある簡易キッチンでお湯を沸かし始める。

 その間、三人を見つめていた。

 ……どういうキャラだったっけ、三人とも。

 そもそも三人の背後に、そういう背景があったなんて知る由もなかったわけだし、前の人生では本の中でその名前を見た記憶すらない。

 メガネにカチューシャ、小さな体にオーバーアクションの岸原理子。少し外ハネしている髪を気にしているのか、いつも手で押さえつける癖がある国津玲美。上品で優雅な仕草がいかにも大和撫子(この世界では死語だ)を思わせる四十院神楽。

 オレが知らないだけで、この『IS世界』のキャラクターたちも命があって、ちゃんと生きてるんだなと小学生並みの感想を思い浮かべる。

 理子が手に持った小さなケータイから、ホログラムで空中に何かを投射し始めた。それはテンペスタ・ホークの3D映像だった。

「ほらこれこれ。この足の部分」

「どれどれ」

 呼ばれて近づいて、3D映像を覗き込む。

「この足の部分に六機ずつの逆噴射スラスターが搭載されてるわけ。機体がオートで姿勢制御してくれるから、思いっきり足でブレーキを踏むイメージをすれば、スラスターが稼働するはずだよ」

「ほほー。これが玲美の言い忘れた機能かー。なるほどなー。これが玲美の言い忘れた」

「ぐ、ごめんって言ってるじゃないの。悪いと思ってるから、手伝いに来てるわけで……」

「でもこれ、逆噴射って、出力も半端ないよな? こんな密度で吹きだしたら」

「うん、結局、地面が抉れちゃうかもね?」

 玲美が画面から目をそらさずに答える。

「……結局、アリーナの地面を壊してたってことかよ」

 がっくりと肩を落とす。

 ピーっと電子音がお湯の沸騰を教えてくれた。慌てて駆け寄り、加熱を止める。

 用意してあった紙コップを四つ取り出した。

「全員、紅茶でいいか? ティーパックのだけど」

 オレが尋ねると、三人がハモりながら返事をする。

 仲良いねホント。弾や一夏や数馬のことを思い出すなあ。三バカだと中学校では有名だった。なぜ三人かってそりゃ『あ、一夏君は別だからね?』みたいな扱いだったからだ、コンチクショウ。

 取っ手つきの紙コップに紅茶を作り、お盆に乗せて運ぶ。

「手抜きで悪いけど」

「ありがとうございます」

 神楽が丁寧にお辞儀をして紙コップを受け取る。画面を覗けば、もうすでに申請書は出来上がっていた。

「速いなぁ。こういうの得意なんだ」

「ええまあ。研究所の事務方のお手伝いはしていましたから」

「高校生でもうこんぐらい出来るなんて、尊敬するぜ」

「そ、そうでしょうか」

 褒められたのが照れくさいのか、少し俯いて頬を染める神楽。くぅ、女尊社会にもいるんだなぁ、女神さまは。

「ほい玲美、理子も」

「ありがと。カグちゃんはほんと可愛いよね」

「ホントホント。アタシの嫁にしたいぐらい」

 二人が口々に褒め立てるので、神楽が一層と赤くなってしまう。

「で、二瀬野クンは、気になる女の子とかいないの?」

 理子が唐突にそんなことを言い出す。

 玲美が少し覗き込み気味に、

「し、篠ノ之さんとは知り合いなのかな?」

 と尋ねてきた。

「ん? いや、ありゃオレの友達に惚れてんの。ガキの頃からずっと。織斑先生の弟だけど」

「へ? 織斑先生の弟?」

「そうそう。幼馴染ってやつかな」

「へえー。篠ノ之さんって、あの篠ノ之さんだよね」

「あの、ってのがどういう意味かは知らんけど、篠ノ之束博士の妹って言う意味なら正解だよ。オレはご本人様と面識ないけど」

「そうなんだ……」

 玲美が少し考え込むように茶色の液体を口に含む。

「あの、セシリアさんと仲がよろしいようですけど……」

 遠慮気味に聞いてきたのは神楽だ。先ほどまでの余韻か、頬がまだ少し紅潮している。

「専用機持ちだから、師匠みたいなもんかなあ。色々教えてくれるし……。他意はないよ、いやホント。大体、オレなんかとは釣り合わないだろ」

 そう、それこそ織斑一夏レベルでないと。

「そ、そうですか」

「あ、彼女とかは?」

 理子が遠慮なしに聞いてくる。その質問に残りの二人の耳がピンと立った気がした。女の子ってこういう話好きだよねホント。

「あー、一年前ぐらいはいたけど、別れた。それぐらいかな」

「へー意外」

「どういう意味だ、失礼なやつだな」

「じゃあクラスに気になる子とかは?」

「うーん。まだ一週間も経ってないしな。強いて言うなら、今はこの三人かなぁ」

「ほえ?」

「いや、テンペスタ・ホークと関連のある三人じゃん。それに三人の親御さんには世話になるだろうしさ」

「あ、そ、そういう意味ね、なるほど」

 ……ふむ。三人とも恋愛に興味深々のようだ。そりゃそっか。いくらIS学園とはいえ、三人とも普通の女の子だ。

「まあ、何はともあれ、テンペスタ・ホーク組なんだ。四人で親御さんたちのために一緒に頑張ろうぜ」

 そう言って三人に笑顔を向け、乾杯の真似ごとのようにカップを軽く持ち上げる。

「おー!」

「うん!」

「はい!」

 三様の答えが返ってくる。言葉こそ違いはすれ、タイミングはバッチリ合っていた。

 

 

 

 

 その週の土曜日は月に一度の思想チェックの日だった。

 つまらない映画を見せられ、そのあとにいくつか質問を受け、最後は感想文を提出して終わる。専用機持ちの義務らしい。ただ、これは各国の監視下で行われるので、セシリアは三カ月に一度、自国に戻ったときに受けるとの話だ。他のIS学園の生徒も、三か月に一度、同様の物を受けるらしい。

 今日は延々と戦争映画を見せられた。タイトルも明かされずに色々な国の戦争が映し出される。おそらく一世紀近く前の記録映画だろうという物もあれば、最近作られたIS物(もちろんCG)もあった。

 土曜日の日中はコレで潰れた。時刻はもう夕方だ。早く終われば私物の買い出しにでも行こうかと思ってはいたが、あと二時間もすればメシ時だった。

 仕方なしに学校のアリーナまで出てきた。ずっとイスに座ってたせいか、体が鈍って仕方ない。

 ISスーツに着替え、軽く準備体操をしてから、目を閉じる。

 意識を集中させ、テンペスタ・ホークを呼び出した。

 視点が高くなる。すぐさま待機状態に戻した。そしてまたISの呼び出しを行う。

 熟練した操縦士はISの装着まで一秒とかからない、だっけ。

 今の自分では完全に展開して動作可能になるまで五秒はかかる。これではダメだ。専用機の訓練は、思ったよりも地味だ。これを自分の体と思えるようになるまでやれ。そう織斑先生にアドバイスをいただいたので、まずは第一目標として、二秒以内の装着を目指す。

 そういう訓練を続けてきて、段々とわかってきたことだが、自分は思ったよりも筋がよろしくない。

 セシリアの場合は全身展開から動作可能まで一秒ぐらいだ。話を聞けば、二秒以内の展開は三日ほどで可能になったとのことだ。自分も今日で三日目だが、未だ五秒。道は遠い。

 本音を言えば、テンペスタ・ホークを展開し続け、エネルギーが尽きるまで飛びまわっていたい。だが、そんなことを許されるほど、自分は進歩が早くないようだ。

 ちなみにIS適正はC。ランクは決して高くはない。地道な訓練も必要だ。

「お、今のはなかなか速かった気がする!」

 誰もいないアリーナの隅っこで、一人ではしゃぐ。

 女の子ばっかりのIS学園だが、その女の子たちもそれなりに忙しい。興味深げにオレの元に寄ってくる子も多いが、それだって四六時中というわけでもない。なので、今は一人ぼっちだ。寂しくなんかないやい。

 意識を集中、ISを装着。全身展開のイメージを終えて、動作可能になる。すぐに解除して、もう一度意識を集中。

 それを一時間ほど繰り返したあと、今度は背中の推進翼をグルグルと回す練習を始める。本当に飛ばずにグルグルと回すだけの練習だ。テンペスタ・ホークは大出力のスラスターを内蔵した羽根を動かすことによって、方向転換を行う。

 空を飛んで練習すればいいのに、と言われたこともあるが、空を飛ぶとどうしても滑空の時間が増え、羽根で方向を変える回数が減るのだ。目的はスラスターの向きを俊敏に変えることであり、空を飛ぶことじゃない。本音は飛びたいのだけど、それはグッと我慢し、目を閉じて、背中の推進翼に意識を集中させる。背中の装甲から生えたそれを折り畳んだり広げたり、横を向けたり縦に伸ばしたりを繰り返す。地味な練習だけど、こっちはセシリアにアドバイスを貰った練習だ。手を抜くわけには行かない。ただでさえ、彼女より圧倒的に筋が悪いのだから。

 そんなこんなで、世界で唯一の、男子IS操縦者の土曜日が虚しく終わる……。

 

 

 

 

 二時間後、エネルギーが尽きたのでメンテナンスルームに行って補充し、ジャージを羽織って自室に戻る。授業時と違い、休日のアリーナをたった一人の男子に裂く余裕はない。

 部屋でようやくISスーツを脱いで、軽くシャワーを浴び、タオル一枚を頭から被って、部屋に戻った。

 一人暮らしなので、誰かに気を使う必要はない。下着なんか持ってシャワーに行かないワイルドスタイルで、オレは部屋に戻ってバッグの中から肌着を漁る。

「おーっす」

 唐突にドアが開いた。

 そちらを振り向けば、そこには、玲美が立っている。

「げ」

「え」

 二人の体が止まる。オレは生尻をドアに向けて肌着を漁っていたところだった。

「ぎゃああああ」

 と、オレの叫び声が響いた。

 

 

「ったく、ノックぐらいして入ってこい。観覧料取るぞ」

「ご、ごめんなさい、つい女子寮のノリで」

 玲美が申し訳なさそうにうつむいて謝る。頬が少し赤くなってるのは、恥ずかしい思いをしたせいだろうか。いや、待て、こういう場合って、何で女の子が頬を染めるんだろう? 男なら興奮して、ということでわかるが。

「ここは今や女子寮でなく男女混合寮だ……覚えておくと、恥ずかしい思いをしなくていいぞ」

 主にオレが。

「で、何の用だったんだ?」

「あ、えっと、パスポート持ってるか聞いておけってパパに言われたから」

「パスポート? 外国に行くのか?」

「ゴールデンウィークに、アメリカの西海岸で行われる国際ISショーに来て欲しいんだって。テンペスタ・ホークの技術公開もあるらしくて」

「なるほどなー。パスポートなら持ってるぞ。確かIS適正試験の後に貰った。赤じゃないけど大丈夫だよな?」

「IS乗りは赤じゃないからね。菊の紋入ってるなら大丈夫だよ」

「なら大丈夫そうだ」

 申請もなしにポンとくれたのは、どういう理由だったんだろうか。まあ、貰って損ではないんだけど。

「おっけー。じゃあパパには大丈夫って言っておくね」

「頼むわ」

 そう言って、タオルをバッグの上に投げつけて、軽く首を鳴らす。

 ……おや、なんでコイツ、帰らないんだ?

 ドアが閉まらず、玲美が出て行く様子がない。

「……メシ食った?」

 とりあえず聞いてみる。

「あ、ううん、まだ! まだ食べてない!」

「おっけー。んじゃメシ食いに行こうぜ」

「うん!」

 実はそれが本題だったようだ。

 ……モテるなぁ、IS操縦者。

 

 

 

 

 他の二人、つまり小さな体の元気少女の理子とモデル体系の大和撫子である神楽も合流し、四人で円形のテーブルを囲む。

「そういえば、何でクラス代表、辞退したの?」

 小さな口にトマトスープのロールキャベツを頬張りながら、理子が尋ねる。

「いや、セシリアの方が強いじゃん。クラス代表マッチがあるんだし、強い奴の方がいいだろ」

「えー、男子が出た方が面白いじゃん。今からでもセシリアに変わってもらおうよ!」

「んなわけいくか」

 なおも食いつく理子をテキトーにあしらいながら、オレはオレで焼き肉定食を堪能している。

「やっぱり男の子はよく食べますねー」

 神楽が関心したようにオレを見ていた。

「いや、こんなもん、男子にゃ普通だろ。どっかの誰かみたいに、夜は抑えて朝ガッツリみたいな発想はないからな。成長期なんだから、いつだってモリモリ食うに限る」

「肉食系?」

「おう。お肉超好き」

 ワイルド系を目指してるわけじゃないが、昼間は運動量が半端じゃないので夜はやっぱり腹が減る。もちろん、この後は日課の食後の運動があるわけだが。

「そうそう、カグちゃん、理子、パパが今度、また集まって食事しようって話。今週の日曜にってさ」

 プチトマトをフォークに刺したまま、玲美が友人二人に呼びかける。彼女はかなりのパパ好きで、二言目にはパパという単語が出てくる気がする。まあ、如何にも学者的なカッコいいお父さんだったのは間違いないが。

「ちゃんと伝えておくわね」

「了解。うちのパパにも言っておくねー。二瀬野クンに会いたがってたし、ちょうど良いよね」

 理子のパパは職業軍人だ。元戦闘機パイロットらしい。

「ってなぜオレの名前が出る?」

「え? 二瀬野クンも呼べって」

 きょとんとした顔で玲美が小首を傾げる。

「いや、そういう大事なことは言えよ」

 この子は大事なことを言い忘れる癖があるに違いない。

「こ、来ないの?」

「行くよ。もちろん」

 ご両親方もテンペスタの話を聞きたいに違いない。ISログは送ってるが、口頭でのログも欲しいはずだ。

「そういや神楽のお父さんは来るの?」

「次は日曜日にいらっしゃる予定です」

「日曜か。りょーかいりょーかい。外出届出さないと」

 オレはご飯茶碗を持って立ち上がる。

「どこ行くの?」

「おかわり取ってくる」

「……男子ってよく食べるね」

 玲美が少し呆れたように言った。

 食堂のカウンターに向かって歩いていると、入口の方が騒がしいことに気付く。

 何やら、誰かが揉めているようだ。一人は金髪の女生徒で、麗しのセシリア師匠だ。相手は……あれ? もうそんな時期なんだ。やはり本の中の世界は、時系列が掴みにくいなあ。

「このわたくしを存じ上げないなんて、どこの山猿ですの?」

「だから、アンタなんか知らないっての。どこの国か知んないけど」

 セシリアより低い位置で、黄色いリボンで止められたツインテールがピョコピョコ動く。

「おーっす」

「あらヨウさん。貴方もこの山猿に一つ、わたくしの素晴らしさをご教授さしあげてくれませんこと?」

 鼻息荒く、お師匠様がオレに命令してくるが、さすがに昔馴染みの友人にそれは出来ない。

「ヨウ? なんでアンタここにいるのよ」

 その昔馴染みの友人は、ようやくオレに気付いたようだった。

「お前な。ほんと、一夏以外に興味ないのな」

「なっ!? 何言ってんのよ! アタシはあんなやつなんか」

「はいはい、ご馳走様ご馳走様。お前と一夏のために、オレと数馬がどんだけ頑張ったと思うんだ。そのくせに全然チャンスを物に出来ねえし」

「頼んだわけじゃないわよ、余計なお世話だっての!」

 砕けた様子で会話するオレと鈴に、セシリア含む女子連中がきょとんとした顔をする。ちなみに弾は妹に脅迫され、二人をくっつけることを拒否していた。

「えーっと、ヨウさん、こちらの方をお知り合いなんですの?」

「同じ中学だったんだよ。なあ、ファン・リンイン」

「まあね。あーひょっとして唯一の男性IS操縦者って、アンタなの、ヨウ」

「今頃かよ。結構、大々的に報道されたはずだぞ」

「いやだって、興味なかったし」

「ぜんっぜん、変わらないな、お前」

「一年やそこらで変わってたまりますかっての」

 鼻を鳴らしてそっぽを向く。いかにもコイツらしい態度だ。

「んでセシリアと何を揉めてたわけ?」

「ちょっとぶつかっただけよ。謝ったのに全然許そうとしないからさ、この金髪が」

「あんな態度で謝ったっていうんですの?」

 喧々諤々と再び言い争いを始める。

 どうやらセシリアに対し、鈴はかなりおざなりな態度で謝ったらしい。ふと地面を見ると、何ともカロリー高そうな色のケーキが地面に落ちて潰れていた。これは予測だが、セシリアはこれを食べるために、たぶん一日の大半を空腹で過ごしてたんだろう。

「あーちょっと待った待った。専用機持ち同士なんだし、クラス代表マッチで戦って決着つけろよ」

「は? 何でアタシが専用機持ってるって知ってんのよ?」

 しまった。これは前の世界の知識だった。

「あーいや、何だっていいだろ。オレだってIS操縦者の端くれなんだ。独自の情報網ぐらいある」

「ふーん……まあいいけど、でもアタシ、まだクラス代表じゃないんだけど」

「お前が普通の一般生徒で我慢するような女かよ。お国だって許さんだろ」

「よくわかってんじゃない。ま、いいわ。近々、クラス代表になって、そこで決着つけてあげようじゃない」

「ということだ。セシリア、それでいいか?」

 オレの確認に、金髪のお嬢様は腕を組んで考え込み、返事をしない。

「セシリア?」

 もう一度呼びかけるオレの顔を見て、我がクラスの代表様は小さく不敵に笑った。

「……まずは、そちらの方の実力を見極めさせていただきますわ」

「へ?」

「ヨウさん、貴方も一組の専用機持ちですわよね」

「おう?」

「そしてわたくしから教授を受ける身。いわば弟子ですわ」

「あ、はい」

 まだ一週間も経ってないし、教えてもらったのも数回ですけど……。

「では、ファンさんとおっしゃいましたわね」

「なによ?」

「最初にこちらの、わたくしの弟子と戦っていただきますわ。そこで苦戦しようものなら、わたくしと戦う価値なし、と判断いたします」

 なんですとぉー? って判断しようがしまいが、クラス対抗戦で当たれば一緒じゃん……。

「へー。んじゃヨウをぶっ飛ばして、アンタを倒せば一組も制覇ってわけね」

「出来るものなら、やってごらんなさい。一組は負けませんわ」

「はっはーん。わかったわ。んじゃヨウとアンタを倒して、一年最強は私ってことを周囲に認めさせてあげるわ」

 おーい。

 オレの知っている話の流れと違うぞ。いや、一夏がいない時点でもう違う話なんだけどさ。

「首を洗って待ってなさい、この高飛車金髪バカ!」

「ほほほほっ、まさか弟子ごときに負けませんよう、せいぜい頑張ってくださいまし」

 二人の後ろに、フェニックスとドラゴンが浮かんで見えるのはオレの幻覚か。

 どうしてこうなった!

 

 

 

 

 

 まあ、鈴と戦う直前に聞いた話なんだが、セシリア・オルコットお嬢様はクラス代表になった結果、一組を強くしたいと思ったらしい。自分が長を務めるのだから、その周囲も強くできないようでは貴族ではない。そういうノブリシなんとかに駆られた結果だった。その精神は素晴らしい。尊敬に値する物がある。

 だが、不肖の弟子としては、優秀な師匠の期待がつらい!

「ほらほら、逃げ回ってんじゃないわよ!」

「くそっ、見えないってのはこんなに厄介だったなんて!」

 アニメじゃ色がついて、視聴者にわかりやすくなってたんだぞ、あの龍砲は!

 月曜日の放課後、さっそくクラス代表に成り上がった鈴は、オレに決闘を申し込んできた。

 模擬戦とはいえ、第二グラウンドを貸し切った本番さながらの戦闘だ。

 鈴の操る甲龍は中国の第三世代機で、京劇に出てくる鎧のような赤いISだ。肩に浮かんだ丸い装甲の中心部から、空間に圧力をかけて打ちだす龍砲という見えない大砲が最大の武器で、当たれば酷いことになるのは目に見えている。

 対して、オレのテンペスタ・ホークは第二世代のスピード重視型。射撃武装なんかも用意されてるが、まだ実戦で使えるほど練習を積んでないし、セシリアに止められている。曰く、高機動タイプで素人が銃を使うと、反動でとんでもないことになると。ゆえに今は手に持つ合金製ブレードと機体だけが武器だ。

 必然と龍を中心に鷹がグルグルと回る形になる。

 最初はそのスピードにこそ驚いていた鈴だが、すぐに速度に慣れたようで、確実にオレの動きを読んできやがる。今はまだ当てられてはいないが、先ほどから狙いが正確になってきた。

 どうする、ジリ貧だぞ。このまま回避し続けても……だが、龍砲に阻まれて近づけない。

 何か手はないかと思案を始める。

 一瞬、オレの意識が鈴から離れてしまった。

 そんな失点を見逃すほど、代表候補生は甘くはない。

「そろそろ落ちなさいよ!」

 龍砲の空圧がわずか一メートル背後をかすめる。

「あぶねっ!?」

 そう思った瞬間に、目の前に影が差した。

「甘いのよ!」

 周囲に派手な衝突音が響く。

 オレのテンペスタ・ホークが地面に向かって落下し、激突して大穴を開けた。

 鈴は龍砲を撃つと同時にオレの軌道に回り込み、手に持った近接武装でオレを叩き落としたのだ。

「いてててっ」

 地面から、空を見上げる。太陽を背に、鈴がオレを見下ろしていた。

「降参する? アンタにゃいくつか借りがあるし、もうちょっと痛めつけて上げたら許してあげるけど?」

 どうするか。

 正直、オレには手がない。そもそも大した乗り手でもなく、専用機を手に入れてから大した訓練もしていない自分に、最初から勝ち目などない。セシリアも、たぶん、オレに経験を積ませるためにこの模擬戦を組んだのだろう。端から勝てるわけなどないのだから。

 その師匠の姿を探して、グラウンドの周りを見渡す。シールドに囲まれた観覧席に金髪のお嬢様が制服姿で立っていた。怒っている様子はない。オレの顔を見て、少し困ったような顔をしただけだ。

 やはりそんなものだろう。オレは織斑一夏じゃない。

 他の観客も皆、もう終わりか、という顔で見つめていた。

 その中に、玲美と理子、そして神楽の姿を発見する。あの三人だけは、揺るがない瞳でオレの姿を見つめていた。いや、オレじゃない、彼女の親たちが期待を込めた、このテンペスタ・ホークを。

「どうすんのよ、ヨウ」

 早く答えろ、と鈴が見下した態度で急かしてくる。

 オレは空を見上げた。

 青い、青い空だった。

 遠くで鳥が飛んでいる。オレは今、地べたに這い蹲っていた。

 それでいいのか転生者。たった一度きりの人生、という大前提さえ捨てて、二度目の人生を踏み切ったこの命。また路傍にひれ伏して死んでいくのか。

「……また飛べるよな、テンペスタ」

 独り言のように問いかけると、行けるさ、と声が返ってきた気がした。

 もう一度、あの三人を見る。立ちあがったオレを見て、安心したような笑みを見せていた。

「ヨウ?」

「まだ続ける。オレは死んじゃいない。告白も出来ない弱虫野郎に負けるわけにゃいかねえ」

「はんっ、良い度胸してんじゃないのよ!」

「行くぞ!」

 ふたたび、鷹は舞い上がる。

 最大速度、アクセル全開をイメージして再び龍の周囲を飛び回る。今度は逃げまどっている弱者ではなく、獲物を狙う猛禽類そのものだ。手には腰の後ろから取り出したブレードという武器があった。

 甲龍の肩から空間圧力砲が放たれる。狙いは正確で、さっきまでのオレなら当たったかもしれない。だが獲物を定めたオレにそんな速さじゃ当たらない。さらに加速して回避した。

「まだスピード上がるわけ?」

 そうは言いながらも彼女はオレから目線は外さない。ここが最大チャンスだ。こっちはまだ一つ、高出力加速を残している。

 背中に意識を集中し、推進翼の出力を爆発的に上げた。

「イグニッション・ブースト!?」

 それはエネルギーを排出しきらずに再度取り込み、推進装置内部で爆発的加速に変化させる機能、『瞬時加速』だ。

 鷹がさらに速く、今度は真っ直ぐ龍に襲いかかった。

 だが、向こうもさすがに手慣れてる。オレのブレードを手に持った青龍刀『双天牙月』で受け止め、背中の推力を全開にし十メートルほど押し込まれただけで踏み留まった。

「はん、甘いわよ」

 鈴の肩に浮かんだ二つの衝撃砲が起動する。零距離射撃でオレを吹っ飛ばそうという魂胆らしい。

「鈴、知ってるか」

オレはこいつのことをよく知ってる。わりと何でも努力なしで出来るがゆえに、他人を過小評価してしまいがちだ。

「何よ?」

「鷹の爪って、辛いんだぜ?」

 オレは両足を上げて、踵を鈴に向けた。足の裏にあった装甲が横にスライドし、急ブレーキ用の逆噴射ブーストが現れる。

「しまっ」

 鈴の声が、大出力スラスターの直撃に遮られ、甲龍はそのまま猛スピードで地面へと吹き飛ばされていった。

 何せ、おそらく世界最高のスピードを持つこのテンペスタ・ホークの最高速度を、一瞬で止めるために開発されたスラスターだ。食らえば一たまりもないだろう。

 反動を受け、空中でキレイに回転して姿勢を立て直し、オレはゆっくりと地面に降りて行く。

 ずっと信じてくれた三人の姿を見た。抱き合って嬉しそうに喜んでいる。その様子を見て、オレは諦めないで良かった、という気持ちになった。

 観覧席を見回し、最後にセシリアの姿に目を向けた。お師匠様はホッと胸を撫で下ろし、優しい頬笑みをオレに……あれ? なぜに驚いてんだ?

 小首を傾げながら、その視線の先を見た。

 その瞬間、オレの頭に強い衝撃が走る。地面に仰向けに倒れながら、オレは鈴がいる方向を見た。

 肩で息をし、ISも腕だけになった中国代表候補生が、二本の双天牙月を連結し、思いっきり投擲したようだった。そのままオレに向かって、したり顔で中指を突き立てる。

 あんのアマァ! 根性きたねえなっ!!

 消えていくシールドエネルギーを見ながら、オレも最後の力を振り絞ってブレードを投げつけた。

 咄嗟に両腕でガードした鈴だったが、そのまま地面に倒れていく。最後に残ってた腕部分も解除されていった。

 結局、中学の同級生同士の戦いは、ダブルKOという決着で終わる。

 観客席からの呆れたような溜息の合唱が聞きながら、オレは情けない気持ちで意識を失っていった。

 

 

 

 

 日曜日になって、四十院研究所に黒塗りの車で送り届けられた。

 今日の予定は、ここで機体のチェック、予備機との換装テスト、口頭でのフィードバック、オレの健康診断などをこなした後、玲美たちや研究所関係の人たちとバーベキューパーティだ。

 四十院研究所は都内の外れにある緑地再開発地区の一角を占めている。IS関連の研究所だけあって、警備は厚い。

 建物は巨大なドーム状の空間であり、母体である四十院財閥の財力の賜物と言えるだろう。

 ロビーで玲美たちと武装警備員にチェックを受け、ISの航空試験場に向かった。その野球とサッカーが同時に行えそうな広さの一角で、国津博士が何やら人型の機械をいじってた。

「パパー、もう着いちゃった」

 私服姿の玲美が駆け出して、白衣姿の父親に抱きつく。

「おや、早かったね。理子ちゃん、神楽ちゃん、二瀬野君、いらっしゃい」

 娘をぶら下げたまま、国津博士が軽く手を上げる。

「おじさん、こんにちは!」

「おじ様、今日もお願いします」

「こんにちは、国津博士。よろしくお願いします」

 それぞれが挨拶をしている。

「こらこら、俺にも挨拶せんか」

 と、近くにあった人型の機械の向こうから、笑うような声が聞こえた。

「あれ、パパ」

「よう、理子」

「なあに、その油まみれの格好。きたなぁい」

「何を? お前も父親に抱きついてこんか!」

 冗談を言って笑っているのは空自の岸原一佐だ。理子の父親であり、オレに専用機を渡すために色々動いてくれた恩人の一人である。

「国津博士、岸原一佐、この人型の機械、見たことないISですけど……」

 ISというよりは飛行機に手足をつけたようにしか見えないものが、金属の光を持って立っていた。

「はっはっはっ、二瀬野君、これはISではない、ただのパワードスーツだ」

 岸原さんがさも楽しそうに笑い飛ばす。その横で国津博士が、

「私たちの趣味だよ。君たちが来るまで時間があったから、ちょっといじってたのさ」

 と目を細める。

「パワードスーツ……って、もっと三メートルぐらいある、卵みたいな形のヤツじゃないんですか?」

「これはまあ最先端かな。なるべくISに近いようにしてるんだけどね。なかなか難しいよ」

「でも、何のために作ってるんです?」

 素朴な疑問だった。ISの兵装を作っている四十院の研究所の主席研究者であるお人が、空自の一佐ともあろうお方と、およそISに勝てそうにもないパワードスーツを作ってる意味が、オレには理解できなかった。

「趣味だよ趣味。本当に、ただの趣味さ。工具やパーツに至るまで自費で作ってるのさ。場所は借りてるけどね」

 本当に楽しそうに、国津博士が得意げな顔で笑った。まるで少年のようだ。

 がっしりとした体格の岸原さんが、

「これは空の奪還計画なのだ、秘密だぞ?」

 とお茶目な顔で笑いかけてくる。仕事中は怖い感じだが、今はただの気の良いオッサンにしか見えない。

 理子がパワードスーツの近くに駆け寄って、ふむふむと頷きながら触り始める。

「へー結構進んでるじゃん。前に見たときよりも足腰もしっかりしてるし。あ、翼は可変機構つけたんだ。本格的!」

「今日は今から試験飛行をしようと思ってたところだぞ」

 と、岸原一佐が頼もしげにパワードスーツの肩を叩く。

「やあ、遅れてすまないな。やっと本社の会議が終わったところなんだ」

 オレたちの後ろから、爽やかな顔つきの青年が近寄ってきた。

「お父様」

 神楽がそう呼ぶってことは、これが四十院研究所の所長か。若く見えるなあ。

「やあ神楽。元気してたかい? なかなか会えなくてすまないね」

 そう言いながら、娘の頭を軽く撫でる。少し恥ずかしそうにしながらも、神楽がされるがままになっていた。

「おいシジュ、さっさと準備運動しろよ。こっちは万端だぞ」

「待ちたまえよ岸原、ちゃんと挨拶をしないと」

「後回しでもよかろうに」

「そうはいくか。理子ちゃん、玲美ちゃん、久しぶりだね。二人とも可愛くなったなあ」

 なんて爽やかな褒め方なんだ。勉強になる。理子と玲美の二人がはにかんだ笑みでお辞儀をした。

 最後に所長はオレへと向きを変え、右手を差し出した。

「やあ、キミが二瀬野クンだね。ここの所長で神楽の父だ。よろしく頼むよ」

 年齢を感じさせない好青年っぷりだった。玲美のお父さんもカッコいいけど、こういう如何にもビジネスマン然とした人もカッコいいな。

「二瀬野鷹です。お世話になっています」

 意外に力強い手を握り返す。

「ああ、いいよいいよ、そんな堅くならないで。でもこんな早くから私たちの計画の見学かい?」

「いや、よくわかってないんですが、これ、何なんですか?」

「あっはっはっ、私たちもよくわかってないんだ。本当にただの趣味さ。私たちは空の奪還計画なんて呼んでるけどね」

 やはり楽しそうな四十院所長がスーツの上着を脱ぎながら、ネクタイを外す。神楽が近づいて手を出した。

「ありがとう、神楽」

 娘にお礼を言いながら脱いだ服を渡し、肩をぐるぐると回して、屈伸などの準備運動を開始する。

 その間に国津博士はパワードスーツに繋がった端末を操作し、岸原一佐が工具を持って色々いじり始めた。

「さて、今日は何メートル飛べるやら」

 笑いながら、所長がパワードスーツに近づく。国津博士が端末を操作すると、前面の装甲が前に倒れ、人が一人、何とか乗りこめるぐらいのスペースが覗く。ワイシャツ姿のパイロットが足と腕を通して、すっぽりと入りこんだのを確認すると、岸原一佐が前面装甲を持ち上げて、元の位置に戻した。

「まだマニュアル搭乗なの?」

 理子が呆れた様子で問いかけると、

「そこを自動にするとスペースが勿体ないからな。それにあれは、ただの蓋だ」

 とその父親が豪快に笑った。

「それじゃあみんな、ちょっと離れてね。あと耳塞いでて」

 と国津博士がパワードスーツから離れる。オレたちもそれに習って距離を取った。

 改めてその機械を見る。ISを太くしたような形状の、かろうじて人型をした機械で、どちらかといえば戦闘機に手足を生やしただけと言った方が正確なの形状だ。その無骨な腕がゆっくりと動く。テンペスタの滑らかさには程遠い。

 岸原さんが旗を持って、機体の遥か前方に立った。

「じゃあ行くぞ!」

 元戦闘機乗りらしい機敏な動作で旗を振る。それに合わせて、パワードスーツが前傾姿勢となり、戦闘機のような羽根が動いた。

「うわっ!」

 パワードスーツの背部スラスターから、とんでもない轟音が航空試験ドーム内に響く。

 その男たちの『計画』が、ゆっくりと斜め前方に飛び始めた。やがて十メートルほどの高さに上がると、ゆっくりとドーム上空を旋回し始めた。

「は、あははは、すげえー、ははははっ!」

 オレの口から自然と笑いが漏れる。バカにしてるのではない。純粋に楽しいんだ。なぜだかわかんないけど、アレが飛んでるだけで楽しさがこみ上げてくる。

「よーし、今日は新記録だー!」

 理子が腕を上げて応援する。

「がんばれー四十院のおじさん!」

 玲美が機体の音に負けまいと大声で声援を送った。

「ふぁ、ファイトです……!」

 父の上着を力いっぱい握りしめて、神楽が固唾を飲んで見守っている。

 娘たちに見守られて、男たちの夢が空中に舞っていた。

「あははは、がんばれ、いっけぇー!」

 オレも負けじと声援を送った。

 この世の中には『インフィニット・ストラトス』がある。だからって、それ以外が存在しないわけじゃない。

 事実、父親たちの『空の奪還計画』なんてある意味バカげた遊びを、ISパイロット候補の娘たちが応援しているのだ。こんなに愉快な光景を見たのは、この世界に生れて初めてだった。

 いろんな人が夢を追って、笑って楽しんで、そして生きている。

 そんな当たり前の実感が、オレには楽しくて仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 










*12/2 一部表記揺れを訂正


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3、国際ISショー

 

 

 アメリカの大地に立つ。それは長く険しい道のりだった。

 連休に入ったオレたちは、テンペスタ・ホークの開発元である四十院研究所に招かれ、カルフォルニアで行われる国際ISショーに出向くことになった。

 本当なら、財閥の一族である神楽の父親が用意してくれた、快適かつ高速な飛行機の旅を満喫するはずだった。

 だが、残念ながら専用機持ちのオレだけが、横須賀の米軍基地から軍用機の格納庫に荷物のように置かれて、長時間のフライトを味わった。いっそテンペスタで飛んで行きたかったが、もちろん許されるわけもなく、今時十時間以上もかけて何とか辿り着いたのだ。

 しかも基地からホテルまで三時間の道のりを、これまた荷物に挟まれて輸送車の荷台で過ごすという酷い扱いが最後に待っていた。

「太陽が……眩しい……」

 車から降りて、地面に立った瞬間にオレの気力は尽きた。膝から崩れ落ちる。

「ヨウ君! ヨウくーん!?」

 玲美の声が聞こえた気がしたが、もう立っていることが出来そうもなかった。

 

 

 

 

 次の日、オレは変装用のメガネをかけて、国際ISショーの現場となるカルフォルニア・アカデミーオブサイエンスの隣接会場に向けて歩いていた。

「すっげえ人の数……」

「そりゃそうだよ、なんせ世界最大のIS関連の展示博なんだから」

 右隣に位置取った玲美が得意げに答える。

 国際ISショー。IS関連の技術展示会。各種IS関連企業がブースを出し、各国からの来賓にアピールする年に一度の晴れ舞台だ。

 他のエレクトロニクスショーなどと違い、軍事色が濃いのが特色だが、それでも各企業ブースには、華やかなお姉ちゃんたちが水着でポーズを取っていた。たまにブーメランパンツの筋肉モリモリのお兄さんたちがいるのが、このご時世ならでは、というところか。

「……あそこ歩いてるお姉さん、すっげぇ水着だな……コンパニオンかな」

 思わず心の声が漏れる。ダイナマイツ。あ、鼻血出そう。

「いてぇ!」

 思わず叫んだのは、後ろに立っていた三人組から腕を思いっきり抓られたからだ。

「何すんだよ!」

「あんな格好のお姉さんたちより、私たちを見て言うことないの!?」

 玲美が怒り露わにオレに詰め寄る。今日は三人ともオシャレをしているらしい。それぞれのイメージに合った服装をしている。よく見れば、三人とも薄らと化粧をしているようだ。

「わーお、びゅーてぃほー!」

 アメリカナイズされた褒め言葉を送るが、火に油を注いだようだ。

「バカにしてるのかなっ!?」

 と詰め寄ってくるのが、装飾の多い白いワンピースを着て、長い外ハネ気味の黒髪を後ろでまとめている国津玲美だ。服装は流行りのスウェーデン風ってヤツだが、実際にスウェーデンにこんな格好のやつはいないって言われてる。目の大きなスタンダード美少女で、容姿に欠点はない、とオレは思ってる。

「ヨウ君のバーカ」

 腰に手を当てて怒ってるのが、肩までの髪にカチューシャをつけ、メガネをかけた岸原理子だ。濃い青色のカーディガンとそれに合わせた色のワンウェーブプリーツを履いてる。ちょっと小柄な元気ッ子という扱いだ。

「……まったくもう」

 最後に呆れたような声を出したのが四十院神楽。いつも以上に大人っぽく見せるためか、長い黒髪をアップにし、彼女だけが黒いシャツと明るいグレイのスーツを身につけている。この子は四十院財閥のお嬢様なので、その名代のためもあってのスーツ姿なのかもしれない。しかし実に大人っぽい。少し下がった目尻も合わせて、優しいお姉さん風だ(以前、人妻っぽいと形容したら怒られた)。

 ……どうも、この三人は最近、オレに対して独占欲が湧いてきたらしい。惚れてんのか、と思うこともあるが、言わぬが花、オレが通う学校は恋に恋する乙女多きIS学園だ。

 それにつけてもたった一人の男性IS操縦者なのだ。自覚を持って、その辺りは気をつけて生きて行きたい。

「あらあら、モテるのね、ヨウ君」

 傍に立っていた、青いスーツを着た金髪のお姉さんが笑いかける。

「な、ナターシャさぁん! い、いやそんなことないッスよ!」

「ハロー。今日は私が護衛を務めるわね」

 ナターシャ・ファイルス。米軍所属ISパイロットで、母性溢れた肉体を持つ年上のお姉さんだ。

 彼女が護衛についた理由は、もちろんオレが男性IS操縦者である、という一点に尽きる。そうでなければ、エース級パイロットである彼女が、日本から来た学生の護衛などにつく必要はない。

 オレは彼女が軍用の最新ISである『銀の福音』のパイロットであることを、以前の人生により知っていた。しかし一夏がIS学園にいないのだ。箒が嫉妬して紅椿を欲しがることもないし、そうなれば束博士が銀の福音を暴走させることもないと思う。ゆえに、この世界ではいわゆる『銀の福音事件』は起きないはずだ。

 そういわけで、その襟元から覗く白い谷間にオレの目は釘付けだ。

「よろしくおねがいします!」

 だから、何の憂いもなく、この金髪グラマーお姉さんの厄介になろう。

 直角に近い角度でお辞儀したとき、オレの尻が後ろの同級生三人から抓られた。

 

 

 

 

 インフィニット・ストラトス。

 主に軍事目的で作られるそれは、やはり莫大な利益をもたらす産業の一つである。まだ若い分野であるせいもあって、勢いもある。

 今までの量産可能な兵器と違うのは、467個という限られたISコアしかないということだ。なのでISごと購入するということはまずない。ISコアを持つ組織が、IS本体を作り上げる技術を持つ企業と契約するというのが一般的だ。そして成立すると、ISコアをリセットし、新たに各種装甲・武装をインストールし調整する。

 もちろん企業側もISコアを持っているが、それを販売しては今後の研究が行えなくなり商売が続けられなくなる。ゆえにIS本体を、展示会に持ちこむ意味はないし、そんなことをする企業はいない。

 ただ、大企業ともなればISコアを使わない展示用のモックアップを置いており、会場は十分に華やかだった。たまに単なるパワードスーツに装甲をつけてISっぽく見えるようにコスプレしたコンパニオンたちもいて、見てるだけでも十分に面白い。そこにISコアを持つ本体企業に対して、関連部品を売り込もうとする会社も参加しているので、IS学園五個分と聞いている会場には、所せましとブースがひしめき合っていた。

 今、オレたち五人が歩いているのは、IS本体関連の企業ブースが集まるメイン会場だ。

「お、デュノア社だ」

「気合い入ってるねー」

 一番大きな場所を陣取ってるのは、フランスのデュノア社だった。ブースの上には高い天井に届きそうなバルーンがいくつも浮かんでおり、そこにはラファール型のバルーンまであった。

「第三世代の開発が遅れてるって話ですから、今回のISショーに賭けるのもわかります」

 神楽が説明を付け加えてくれる。

「ラファールはいろんなところで正式採用されてるし、ライセンス生産までされてるから、まだまだ第二世代じゃトップグループじゃないの?」

 理子が尋ねると、ナターシャさんが笑いながら、

「だからよ。第三世代が出来てないからって、技術が劣ってるわけじゃないってアピールしないと、ラファールの契約も切られちゃうからね。特にイタリアのOM社は第三世代機のテンペスタIIの開発に成功してるし、今、OM社は株が急上昇中よ」

 と親切丁寧に答えてくれる。

 なるほどなー。企業って大変なんだ。ちなみに最初期のテンペスタはブレダ88の後継機とか言われバカにされてたもんだったが、イタリア人にしては珍しく頑張って改良したようだ(偏見)。今でもテンペスタの機体本体の評価は高い。

「なんでも、デュノアは今回のショーにIS本体を持ちこんでるらしいわよ」

「え? 本当ですか?」

「ええ。そうじゃなきゃ、この国際ショーで一番良い場所取れないわよ。アラスカ条約機構の主催って言ってもステイツが開催国なんだから、それぐらいしてもらわないとね」

 そう言ってナターシャさんが理子にウインクした。

 確かに開催国の企業を押しのけて、一番良い場所にバカでかいブースを作るんだ。何らかの密約があったって不思議じゃない。

「ヨウ君、ちょっと見て行く?」

 玲美が誘うので、みんなしてぞろぞろとブース内に入っていく。

 すでに大勢の来賓がごった返しており、おそらくデュノア社の社員と思われる、ポロシャツに身を包んだスタッフたちが応対に当たっていた。

 ちなみに今日は一般開放されていない関係者のみの日で、そうでなければ簡単な変装だけのオレが、こんなに堂々と歩いていられない。

「お、デュノア社のIS用純正ライフルだ。やたらと廃莢不良を起こすっていう」

 最近、けん制用にライフル系武装に興味が湧いてきたオレは、一丁の展示された銃の前で立ち止まった。

「同じフランスのFA-MASを参考に作った物ね。確かに評判はよくないけど」

 五人の中で一番小柄な理子もオレに釣られて笑う。メガネをかけた外見ゆえに、武装関連は詳しい。いや偏見だけど。

「よろしければ、ご案内しましょうか。こちらをどうぞ」

 トレイに飲み物を乗せて、オレンジのポロシャツを着た若い女の子が声を掛けてくる。

「ありがと、ちょうど喉が渇いてたんだ」

「日本の方ですか? ひょっとしてIS学園関連の」

「いやいや、単なる観光客ですよ、ちょっと伝手があって」

 と声をかけてきた女の子の方を向いた瞬間、オレは口に含んだ甘いオレンジジュースを吐きだしそうになった。

「どうかされましたか?」

 小首を傾げてオレを覗き込む金髪の女の子は、『シャルロット・デュノア』だった。

 ……やべえ超可愛い。

「いいい、いえ、何でもないっす」

「よろしければ、ご案内しましょうか? あ、ちなみにこちらのプルパップは改善されてますよ」

「だったら自社のラファールにも採用すればいいのに」

 理子が呆れたように肩をすくめた。

 なんでこんなところに、社長令嬢がいやがる。いや、彼女の立場的に仕方ないかもしれないけれど!

「に」

「に?」

「日本語、お上手ですね!」

 何言ってるんだオレは!

「お褒めいただきありがとうございます。友人に日本人がいまして」

「な、なるほど」

「よろしければ、少しお相手いただけませんか? ……まあここだけの話、ずっと年上のお相手ばかりでちょっと疲れちゃいまして」

 小さく舌を出して、悪戯っぽく笑う。少し少年っぽい美少女の可愛さに、オレの頬が思わず紅潮した。

 ぐあああああ、お持ち帰りしたいぐらいの可愛さだあああ。チクショウ! 一夏めえええええ、この子の裸を見ただとぉぉぉぉ?

 ここにいない友人の、この世界では体験していない不埒さに対して、オレは危うく血の涙を流しそうになった。

 

 

 シャルロット・デュノア。以前の人生で得た記憶の中では、IS学園に男装して転入してくるはずの女の子だ。デュノア社の社長の隠し子であり、同社の第二世代機ラファール・リヴァイブのカスタムモデルを扱うオール・トレイダー。この世界での彼女が、何ゆえ、こんな場所でスタッフとしているのだろうか。

 

 

 オレ、玲美、理子、神楽、ナターシャさんの五人は、デュノア社のブースの奥にあった区切られた個室に通される。

 どうやら現場での商談に使う用らしく、防音仕様らしかった。

「はい、こちらにどうぞ」

 シャルロットが黒い革張りのソファへと案内してくれる。六人で入っても十分な広さがあり、まるで一流企業の応接室のようだった。

「私の名前は、シャルロット・ファブレと申します。よろしくお願いしますね」

 そう言って、彼女はオレたち一人一人にネームカードを差し出してくる。

 ファブレ……偽名か、たぶん。もしくは母方のセカンドネームとか。

「お名前を窺ってもよろしいですか?」

「あ、えーっと」

 思わず年長者のナターシャさんの顔を窺う。目を細めて笑みを返してくるってことは、打ち合わせ通りにしろってことか。

「五反田弾と言います。知り合いがIS関連の企業に勤めてるので、今日はその伝手で」

 テキトーに決めた偽名を答える。

「ダンさん、ですね」

「岸原理子でーす」

「四十院神楽です、よろしくお願いいたします」

「国津玲美です」

 シャルロットと握手をしながら、それぞれ自己紹介をしていく。最後のナターシャさんは、

「ナターシャ・ファイルスよ。よろしくね」

 と握手をしたが、お互いそのまま手を離そうとしなかった。

「あなたが米軍のエースの」

「あら、ご存じだとは光栄ね」

「有名人ですからね」

「そんなに表に出たつもりはないのだけれど」

 笑いながらも全然和やかではない会話をしてから、二人は離れる。

「四十院さんは、四十院財閥の?」

「はい」

「と言うことは、IS学園の方ですね」

「はい」

「他の方も?」

 シャルロットの疑問に、理子と玲美が頷いて答える。別に三人は素性を隠す必要などない。

「ですが、まさかナターシャさんほどの方が付き添いでいらっしゃるなんて」

「四十院さんのお父様とは縁がありますからね。米軍でも『第三世代機』に四十院研究所の推進翼を採用してます」

 第三世代、というところを強調したのは、デュノア社への挑発だろうか。ナターシャさん超怖いっす。

「まあ弊社でも四十院の推進翼は採用していますからね」

「ありがとうございます」

 神楽が座ったまま、深くお辞儀をする。

「IS学園はどんな所ですか? 私も少し興味があって」

 シャルロットが玲美たちに尋ねる。

「良いところですよ。機会があれば、一度訪ねてきてください。ご案内しますよ」

 答えたのは神楽だ。彼女が一番、こういう事務的なやり取りが上手い。玲美と理子はシャルロットのビジネス然とした雰囲気に押されっぱなしのようだ。

「何でもイギリスのブルーティアーズと中国の甲龍も今はいるとか」

「第三世代機にやはり興味が?」

「ええまあ。ご存じかもしれませんが、弊社の最大の課題でもありますので。ところで、そちらの三人は、男性ISパイロットはお知り合いですか?」

「それは答えられません。彼に関する事項は、部外者には機密ですので」

「なるほど、それは失礼いたしました」

 そう言って、会話していた神楽ではなくオレに笑みを向ける。

 これはおそらく、バレてるんだろうな。

「何でもイタリアのテンペスタに乗ってるとか」

「機密です。答えられません」

「おっと失礼しました」

 なんか思ってたよりも全然食わせ者的なイメージだな、シャルロットは。

 何やら緊張した雰囲気の歓談が、ナターシャさん、神楽、シャルロットの三人で続けられていく。

 理子と玲美、そしてオレのバカ三人は、黙ってそれを見つめるだけだった。

 

 

 

 

「……何かすげー時間を無駄にした気がするな」

 思わぬ人物との会合だったが、嬉しかったのは最初だけだった。

 あとはビジネス会話をボーっと聞いてるだけで、全然楽しくなかった。

「まったくだよ。お腹減っちゃった」

 理子が呟くと、玲美が同意とばかりに大きく頷く。

「混雑する前に、早めに昼食でも取りましょうか?」

 とナターシャさんが提案してきた。

「ですね、そうしましょうか」

「ところで、ファブレさんを見たとき、妙に驚いてたけど、ヨウ君は彼女のことを知ってたの?」

「い、いや全然。可愛い子だったから、驚いただけですよ」

「ホントかなぁ?」

「いやホント」

 どうせ言っても信じてもらえないことは言わないことにしよう。

 ちなみに思わず可愛い子と言ってしまったせいか、女子連中の目線が痛い。そんなに嫉妬されると勘違いしちまうだろコラァ。

「でも、何か緊張している感じでしたね、彼女」

 主に彼女と会話していた神楽が感想を述べる。

「緊張?」

「ええ。強張ってるというか自然さがないというか」

「へー。全然わからなかった」

「ナターシャさんはどう思いました?」

「同じ感想ね。無理してるって感じを受けたわ。それに、どうもヨウ君に気付いてたみたいだしね」

「え? オレ?」

「そうよ。IS学園の生徒にISパイロットと一緒にいる男の子が、普通の子とは思わないでしょう」

「なるほど……」

 確かに他の四人の素性がバレてしまえば、ひょっとしたら、と思うかもしれない。気をつけないと。

「さ、早く行きましょ。美味しい店はすぐに埋まっちゃうからね」

 先導するナターシャさんがウインクした。

 オレはフラフラとそのお尻についていくだけだった。

「みんなは午後からは何か予定あるのかしら?」

 ナターシャさんが問いかけると、玲美が自分の顎に手を当てて、考え込むように、

「とりあえずメインの何社を回って、そのあと、ISスーツメーカーを見て回ろうかなぁ」

 と答える。

「だったら、少し時間があまりそうね。クラウス社のブースにも誘われてるし、そこを見たらちょうどいいぐらいかな。夕方の予定には」

 クラウス社はアメリカの銃器メーカーであり、多くの第二世代ISに採用されている有名メーカーだ。

「予定?」

「そう、うちのブースにね」

「うちって……米軍も出してるんですか?」

「ジョークよジョーク。まあここから少し行った場所に基地があって、そこにご招待の予定だったのよ。聞いてない?」  

 聞いてないぞ、と玲美を見ると、とたんに気まずそうに視線を逸らす。また大事なことを言い忘れてたな、こいつ。

 しかし、ちょっと興味がある。ナターシャさんみたいな、爆裂ボディの美人さんがISスーツを着て待ってるかもしれないし。

「ってイテぇ!?」

 また腕を思いっきり抓られた。犯人は玲美だった。

「何かえっちぃこと、考えてたでしょ」

「か、考えてませんよ?」

「ホントにぃ?」

「は、はひ!」

 周りを見渡せば、理子と神楽もジト目で睨んでいた。

 そんなやりとりに金髪の軍人さんが笑う。

「じゃあ決まりね。映画に出てくるような人はいるわよ。楽しみにしててネ」

 マジか。そんな美人がまだ控えてるのか。おそるべしアメリカ軍。

 

 

 

 

 まさに映画に出てくるような人物だった。

 ただし、刑事モノの、愉快な黒人の相棒役として。

「HAHAHAHA」

 白い歯をむき出しにして、身長2メートルはありそうな巨大な黒人のオッサンが、オレの肩をバシバシと楽しそうに叩いてくる。英語ばっかりで何を言ってるかわからんが、とりあえず、本気で痛いからやめてほしい。

 ナターシャさんの運転する車に乗せられ、2時間ほど走った場所に、その基地はあった。ナターシャさんは検問を顔パスで通り(網膜認証という意味だ)、様々なシャッター付きの建物の間を縫って、基地の中心にある整地された飛行場に辿り着いた。

「おや、玲美、理子ちゃん、神楽ちゃん。やっと来たのかい?」

「あ、パパ!」

 玲美が駆け出して、父親に抱きつく。ホントにパパ大好きなんだな。父親もまんざらでないのか、理知的なメガネの奥に笑みを浮かべ、娘の頭を撫でている。

「国津のオジサン、こんにちはー」

 理子が手を上げて気さくに挨拶をする。

「はい、こんにちは。理子ちゃん、可愛い格好してるね」

「えっへへー。さっすが国津のオジサン。わかってるぅ! うちのパパとは大違い!」

「おじ様、もう準備は済まされたんですね」

 黙って一礼したあと、神楽が尋ねる。

「そりゃ、今日の本題はこっちだからね。ショーのブースだって、このお披露目のついでに頼まれたから出してるようなものだし。二瀬野君に来てもらったのもそういうわけだよ」

 話を振られたが、オレは愉快な黒人にヘッドロックのごとき抱擁をされ、まともに挨拶すら出来ない。

「John」

 ナターシャさんが呆れたように名前を呼ぶと、舌うちをして残念そうな顔でジョンとかいう黒人が離れてくれた。それからナターシャに敬礼をし、スキップしながら大きなコンボイの荷台に入っていった。

「まったく。よっぽど楽しみにしてたのね、ジョンたら」

「アゴが砕かれるかと思った」

「ごめんね、悪い人じゃないんだけど」

「まあ歓迎されないよりは……マシなのかな?」

「気をつけてね。若い男の子が好きだから」

「へ?」

「モテモテねー、ヨウ君」

 カラカラと笑いながらナターシャさんがツンツンとオレの頬をつつく。その後ろで玲美たちが腹を抱えて笑っていた。

 チクショウ、覚えてろよ。

「二瀬野君、ISの準備にかかって欲しい。スーツはこっちで用意したから」

「へ? やっぱオレがやるんですか?」

「実は米軍の第三世代機に搭載する推進翼の新しいバージョンを見せたくてね。テンペスタ・ホークを彼らに披露して欲しいんだ」

「い、いいんですか?」

「許可は取ってるよ。そうだろ?」

 国津さんが神楽に問いかけると、彼女が小さく頷いて返す。

 神楽が良いっていうんなら、四十院の許可が出てるってことか。だけど国とかは良いんだろうか?

「大丈夫だよ、その辺りは全部クリアしてる。さすがに日本を敵に回すほど、あの国が嫌いなわけじゃないよ」

「あら、我が国はいつでもプロフェッサー国津を歓迎いたしますわよ?」

「それはありがとう。実に光栄だよ。あと米軍の男性にも『ホントに男の子が乗れる』ってのを見せてあげないとね」

 ふむ、そういうことなら、オレの一存で拒否も出来ないか。おそらく四十院の利益にも関わってくるはずだし、日米の軍事協力体制にも影響してくんのかな、これ。

 とりあえずは、言われたとおりにするかと腹をくくった。

 

 

 

 

 夕方の米軍基地。夕焼けが美しいこの時刻に、カルフォルニアベースのど真ん中に位置した飛行場で、オレはISスーツを着て立っていた。

 周囲を見渡せば、軍服を着たいろんな人間が、野次馬に来ている。こんなにお気楽でいいのか米軍。口笛吹いてるヤツとかいるぞ。

「さて、いいよ、二瀬野君」

 オレから少し離れた場所に計測器用機械を並べたテントが設置されていた。その中から国津さんが声をかけてくる。

 今、思ったことは、すばやくISを展開装着する練習をしといて良かったなーってことだ。

 来い、テンペスタ・ホーク。

 頭にイメージを描くと同時に、左足首のアンクレットが光を放ち、二秒ほどでオレの専用機が姿を現す。

「ホントに男が装着したぞ!」

「マジだったのか」

「うちのカミさんより細いけど、ホントに男か、あれ」

「さっき、さりげなくアレを触ってみたが、しっかりついてたから、間違いないと思うぜ」

 ベースの連中が英語で何やら会話をしているが、オレには内容がわからなかった。ただ、スラングでキン○マ的なことをジョンが言ってるのだけ理解したよファッキンUSA。

「さて、じゃあ基地の周囲を自由に飛び回ってみて」

 国津さんがマイクで話しかけてきたので、オレは大きく頷いてから、背後のウイングスラスターを垂直に立てて、まっすぐ上空へと飛び立った。

 まさか、アメリカの空を飛ぶようになるとは思わなかったな。

 ステータスが上空500メートルを差した辺りで、周囲を見渡す。

『そのまま、周囲をぐるっと加速しながら回ってくれるかな』

「了解です」

 言われた通り、推進翼に意識を集中し円を描くように飛びながら加速していく。

 気持ち良く最高速度の7割程度に達したところで、ISから警告音が鳴った。

 接近アラーム?

 360度をカバーするISの視野で、その相手を補足する。

「シルバリオ・ゴスペル?」

 ナターシャ・ファイルスのインフィニット・ストラトス『銀の福音』だった。

『ハーイ。ちょっとこの子と一緒に飛んでくれるかしら?』

 フルスキン型なので顔は見えないが、オープンチャンネルで聞こえてくる声は間違いなくナターシャさんだった。

「国津さん?」

『オーケーだ。テンペスタ・ホークの速さを見せてあげて欲しい』

「……イエッサ」

 本物を見る。初めて見るその羽根は、確かに四十院製の大型推進翼だ。ただし、オレのと少し形状が違うのは、バージョンがやや古いからだろうか。

「じゃあナターシャさん、先に飛びます」

『了解、追いかけるわね』

 再び翼を立て、スラスターを真っ直ぐ後ろに向ける。ここで少し悪戯心が湧いた。

「国津さん、アレはオッケーです?」

『好きにしていいよ。別に秘密ってほどじゃないから』

「ありがとございます!」

 許可も出たことだし、遠慮なく行こう。

 スラスターに意識を集中させる。エネルギーを排出すると同時に内部に取り込み、内部で圧縮して一気に加速させる加速方法。いわゆる瞬時加速(イグニッション・ブースト)だ。

 一気にトップスピードへ。真っ直ぐしか飛べないのが欠点だが、単純速度だけなら十分に速い。実はこれより速い加速方法もあるにはあるが、それは秘中の秘らしく、おいそれとは使えない。

 圧縮したエネルギーを放出しきったあと、羽根を傾け、大きく旋回していく。

『速いわねーさすが四十院』

 のんびりした声が聞こえる。ふと視界を後ろに向けてみると、銀色のISが少し離れた場所にぴったりとくっついてきた。

「んなバカな」

『ほら、追いかけるわよ? 頑張って逃げてね』

 そう言って、ナターシャさんの機体が加速を始める。スピード命のテンペスタ・ホークが追いつかれるわけにはいかない。意識を前方に向け、今度は通常加速で旋回しながら飛び回る。

『二瀬野君、ちゃんと旋回性能も披露してあげてね』

「了解!」

 チラリと右後方に意識を向ける。銀の福音はまだついてきている。

 再び可能な限りの加速をしながら、左右へ旋回、時には上下と飛び回る。だが、その全ての動きにナターシャさんは対応し、気を抜くと、いつのまにか後ろにいる。

 いくら銀の福音とはいえ、これは何かおかしいぞ? 

 IS学園の誇る(自称)スピードスターのテンペスタ・ホークがこうも簡単に追いつかれるのはおかしい。

 今度は出来るだけ意識を背面に持ちながら加速をする。ナターシャさんの動きを観察するためだ。

 銀の福音はやはり一瞬、離されている。だが、そのあとすぐに、最短のコースを選んで追いついてきていた。

 きたねぇ、大人ってきたねえ。ぴったりと後ろを付いてきてるのかと思ったら、実はショートカットかよ。

 と思ったが、考え直す。彼女は単純にドッグファイトが上手いんだ。

 オレはISの航空教本を思い出す。彼女はオレの動きに合わせバレルロール、ブレイキングスティフメイト、カウンテニングロー、ハイスピード・ヨーヨーなど、飛び方を選んで追いついてきているのだ。

 ……これが米軍のエースパイロットって奴かよ。

 前回の人生の知識を思い出す。銀の福音ってひょっとして、暴走するより彼女が動かした方が強いんじゃないのか。少なくとも一対一では。

 そんなことを思いながら、推進翼のコンペが終わった。

 

 

 

 

 ISを解除し、周囲を見渡す。先に着地していたナターシャさんを見つけた。彼女はISを待機状態に戻すのではなく、パーツを外して地面へと飛び降りたところだ。すぐにスタッフが駆け寄り、ISを専用カートに乗せる作業に入る。

「ふふ、おつかれさま」

 駆け寄るオレに気付き、ナターシャさんがほほ笑む。

「ありがとうございました! 勉強になりました!」

 思いっきり頭を下げる。

「あら、どうしたの?」

「自分が未熟者だってことが再確認できました!」 

 頭を上げるとナターシャさんが慈愛に満ちた笑みでオレの肩に手を置いた。

「これから色々と大変だと思うけど、頑張ってね」

「はい!」

 最大限の敬意を表して、直立不動で答える。

「ナターシャさんの機体はメンテですか?」

「いいえ、あなたのテンペスタ・ホークの性能に満足したらしいわ、上の人たちは。すぐに四十院の新しい推進翼に変えたいそうよ。まだ国際ショーの会期中だっていうのに」

 良かった、オレも何とか仕事は出来ていたようだった。

「……良い機体ですね、あの子」

 オレのセリフに、ナターシャ・ファイルスが少し目を丸くしたあと、先ほどよりもさらに慈愛に満ちた笑みを浮かべ、巨大なコンボイに収納されていくISを見つめる。

「ええ、本当に良い子よ、あの機体は。我が子のよう、と言ったらおかしいかもしれないけど、今まで乗ったどんなISよりも、私を優しい眼差しで見守ってくれる」

「……優しい眼差し、ですか」

「そんな気がするだけかもしれないけど」

「いえ、ナターシャさんが言うなら、本当にそうなのだと思います」

「ふふっ、キミも良い子ね」

 銀の福音のパイロットが握手を求めて、手を差し出す。オレはそれを握り返して、彼女を真っ直ぐ見詰めた。

「ナターシャさんに認めてもらえるようなパイロットになれるよう、頑張りたいと思います」

 自分の決意を告げる。

 カルフォルニアの国際ISショー、その一日目は、素晴らしい成果を得て終えることが出来た。

 

 

 

 

 次の日になり、今日は報道関係が会場に入るらしく、オレは立ち入り禁止を指示され、ホテル内をブラブラとするしかなかった。そして玲美、理子、神楽の三人はオレを置いて会場に行きやがりました。とはいうものの、神楽は半分仕事で、玲美と理子もその手伝いらしい。今日は四十院のブースの人出が足りないらしく、午前中いっぱいはブースに張り付きだそうだ。

 ヒマを持て余して、ホテルに隣接したショッピングモールにでも行こうと思ったが、どうも気が乗らない。そもそも通訳も無しじゃ、大した買い物も出来ないだろうし。

 午前中はネットに繋いでニュースサイトを駆け回る。最後にメールチェックをした。メールフォルダにはセシリア師匠から、クラス全員にお土産よろしくという悪魔のような一言だけが届けられていた。

 腹が減ったので、ホテルのロビーに降りる。さすが一流ホテルと言わんばかりの受付を通り、カフェテリアに向かった。

 まずはメシ、自主トレはそれからだ。テキトーに席に座り、メニューを眺める。

 テキトーに肉食おう肉。そう思い、ウェイターさんにチップを渡しながら、メニューを指さす。

「レアで」

 テキトーに日本語で言うと、外国人に慣れているのか、ウェイターさんは親指を立てて、戻って行った。なんてフランクなヤツなんだ。

 ガラス越しに外の風景を見つめる。

 父さんと母さん、元気かなぁ。家族旅行なんて国内の近場の温泉しか行った記憶ないけどね。

「ここ、良いですか?」

 日本語が聞こえてくる。声の主を見上げると、そこにはシャルロット・デュノアがいた。

 ……かわええ。天使か。

「シャルロットさんは今日はフリーですか?」

「食事したら出かけますよ。ダンさんは?」

「ダン?」

「はい? ダンさんですよね?」

「ああ、はいはい、ダンです、ダン。普段はバンダナつけてます」

「ふふっ、おかしな人ですね」

 偽名名乗ったのをすっかり忘れてた。気合い入れないと。

 彼女は流暢な英語でウェイトレスに注文をすると、オレに向き直る。

「奇遇ですね。今日は会場に行かないんですか?」

「いや、朝はちょっと気分が悪くて、人が多いのはそこまで好きじゃないんで」

「お連れのIS学園の方々は?」

「彼女たちは半分仕事ですよ」

「神楽さんでしたか。四十院財閥の方でしたね」

「他の子はそのお手伝いです」

 昨日と違い、朗らかに話しかけてくる。

「そういえば、ヨウさんは昨日はどこか見て回りました?」

「あークラウスとか、デュノアのブースの近くをぐるっと。あとはISスーツを見に。デュノア社はあちらにもブースを出されてんですね」

「ええ、まあ。IS関連はだいたい扱っていますから」

「そういえば、シャルロットさんは、アルバイトか何かなんです?」

 彼女のような存在を表に出してくるとは思えなかったので、ずっと疑問に思ってたのだ。

「私、パイロットの卵なんですよ。デュノア社所属の」

「へーそりゃすごいや」

 代表候補生のくせにとは思ったけど、何かの事情で黙ってるんだろうな。

「ところで昨日、会場の西にある米軍基地の上空、夕方にUFOが出たそうですよ」

「へ、へえ」

「ヨウさんはUFO信じます?」

「い、いや信じてないかな。そりゃいるなら見たかったけど。でも米軍基地には、昔っからほらUFOの噂とか多いじゃないですか」

「へー。そうなんですか。それは知らなかったなあ」

 あははははと笑うシャルロット。……この人、実はおっかない人なの? 昨日辺りから薄々と感じてたけど。

「で、なぜヨウさんは、ダンさんと名乗っているんです?」

 シャルロット・デュノアの目がキラリと光る。

「へ? え、えっと、何のことです?」

「いえいえ、隠さないでも結構ですよ。昨日の時点で気付いてましたから」

「……あ、そうですか」

 そうだろうよとは思ったけど、なんか悔しいと感じてしまうのは、オレが男の子だからか。そりゃ自分の隠し方が完璧だとは思わなかったけどさ。

「はじめまして、IS学園の男性ISパイロット、ヨウ・フタセノさん」

 ニコリとアルカイックスマイルを見せるシャルロット。何が目的かは知らないが、得体のしれない感じを覚える。前世の記憶で一方的に知っているから、可愛い美少女だとしか思ってなかったけど、どうにも一筋縄で行かないようだ。

「はじめまして、シャルロット・『デュノア』さん」

 カウンターでパンチを打っておく。これはナターシャさんすら知らない情報だ。

 ガタッとイスが揺れる。彼女腰を浮かして、いつでも動ける状態になったようだ。

「……何者ですか」

「さっき、アンタが言ったじゃないか。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「まさか、昨日の米軍が?」

「いいや、オレ独自の情報さ。彼女も知らないはずだよ」

「……よっぽど強力なバックがついてるようですね」

「実はそうでもないけど……で、率直に行こうよ。何が目的なんだ?」

 先ほどからオレはニコニコ笑っているが、実は背中に冷や汗が垂れている。そりゃ常人じゃないことぐらい知ってたけど、銃とか突きつけられたらどうしよう。

 じっと、オレを観察するシャルロット・デュノアだったが、やがて根が尽きたのか、ゆっくりと大きなため息を吐いて、イスに深く座りなおした。

「あははは、慣れないことはするものじゃないね」

 目の前のISパイロットはリラックスした表情で、苦笑いを浮かべる。

「お互いに。オレも実は今、すげー緊張してた」

「ちょっと気合いが入りすぎてたみたい。お互い、正体がバレたところで、改めてよろしくということでいいかな?」

 右手が差し伸べられる。オレもわずかに腰を浮かして、握り返した。

 うわ、手小さいなー。むっちゃ可愛いな~……昨日も同じこと思ったけど、アイドルとの握手とか、こんな気持ちなんだろうか。

「改めまして、二瀬野鷹だ。よろしく」

「シャルロット・デュノアです。よろしくね」

 ニコリ、と年頃の少女らしく笑う。

 ああ、溶けそう。その笑顔でオレ、溶けちゃいそう。

 二人が手を離したところに、ちょうどウェイターが料理を運んできた。

「とりあえずお腹減ったから、メシにしようか」

「うん、そうしよう」

 

 

 

 カチャカチャとナイフとフォークを動かしながら、シャルロットと和やかな会話を続ける。

「へー。じゃあ、ホントに男の子一人で頑張ってるんだ」

「まあね。色々と大変だけど、良い人ばっかりで助かってる」

「イギリスの代表候補生とかどうなの? なかなか不思議な人物像が伝わってきてるけど」

「まぁ、ちょっと気位が高いぐらいで、良い人だよ。オレにとっちゃ空中戦の師匠だし。クラス代表だから、よく他の生徒にも教えてるよ」

「本物の貴族の家系って聞いてたけど」

「その辺はよく知らないなあ。そういやシャルロットは、どうしてまたオレに近づいてきたんだ?」

「んー。四十院が来てるのは知ってたし、キミと知り合いになっておくには越したことないだろうと思ってね。あとは四十院の開発したスラスターがどうしても欲しくて」

「なるほどねー。あーシャルロット的には、今のうちに社内の立場を強くするためとか?」

「どこまで知ってるのかな、キミは。まあ、そんなところ。やっぱり手柄を持っておくに越したことはないしね。第三世代実験機に次々と採用されてる翼がどうしても欲しくて」

「そこまで上手く行ってないんだ、開発」

「うん、僕も開発じゃないから詳しく知らないけどね。ただ、昨日、米軍基地上空を飛んでたキミのテンペスタの加速度を見て、これはすごいなって思ったよ」

「やっぱ見てたんだ」

「キミたちが会場から車に乗ってどっかに行くの見かけたからね。キミの正体にも気づいてたわけだし」

「なるほどね。それで米軍基地に当たりをつけて、遠くから見張ってたってわけなんだ」

「そういうこと」

 シャルロットが水を飲み干してカップを置く。オレもちょうどステーキを食べ終わり、ナプキンで口元を拭いた。

「でも、よく国外に出れたね。大変だったんじゃない? 入ってきたなんて情報はなかったし」

「その辺は企業秘密さ」

 まさか荷物と一緒に運ばれたなどとは思うまい。

「そういえばキミ、中国の代表候補生と幼馴染なんだって?」

「お? どこでそれを?」

 幼馴染っていうか、小学校中学校と一緒だっただけなんだけど。

「これは企業秘密。どうだった? 戦ったんじゃないの? 結構、血の気の多い子って聞いてたけど」

「血の気が多い……うーん、まあ戦ったけどね。ダブルKOだった」

「情報通りだね。結構、相手は悔しがってたみたいだけどさ」

「そりゃプライドの高さで言えば、セシリアも鈴もどっちもどっちだよ。代表候補生ってのもあるけど、自分の実力で専用機までブン取ったって自負があるんだろうけどさ。あいつなー。昔っから意地っ張りっていうか、ツンデレっていうか」

「つんでれ?」

「普段はツンツンしてるくせに、好きな人の前ではデレデレするってこと。あー違うわやっぱ。あいつはツンツンだ。好きなヤツの前じゃ余計、ツンツンしてるわ」

「あはははは、素直に慣れないタイプなんだ」

「もうホント、オレとダチで結構、頑張ったんだぜ、もう一人のダチとくっつけようとしてさ。でも、お膳立ては全部、アイツ自身でパーにしやがった。まあ、相手も鈍感野郎だったけどさ」

 ……なんで鈴と一夏をくっつけようとしたか。

 それは苦い思い出がある。一夏が誰かと前もってくっつけば、オレの知らない未来がある気がした。

 あのときは、一夏がIS学園に入るだろうと思ってたし、そこで目の前のシャルロットやセシリアなんかとよろしくやるだろうとも思ってた。だが、それはオレが脇役の人生を送ることを意味する。良くてオレは友人Aとか、一夏の友人御手洗数馬、二瀬野鷹、みたいな感じで一行で説明されるだけのキャラになるはずだった。それは何か嫌だった。つまんない人生過ぎて……何とか変えたかったという気持ちがあった。

 だから、数馬と結託して、一夏と鈴をくっつけようとした。まあ、その目論見は見事に当の本人たちがご破算にしちゃったんだけどな!

「そういえば、一緒に来てた三人のうち、誰かが恋人なの?」

 シャルロットの何気ない一言に、口に含んだ水を吐き出しそうになる。

「だ、大丈夫?」

「ごほっ、ごほっ、あ、うん。ちょっとびっくりしただけ」

「そんな図星の話題だったんだ」

「あー、あいつらなあ。ほら、オレの機体って四十院研究所のカスタマイズじゃん。だからその縁でいつのまにか仲良くなったんだ」

「でも、あっちの三人はキミに気があるような気がしたけどぉ?」

 意地悪な笑みで問いかけてくるシャルロットさん。

「うーん、まあ、それはなんとなくわかる……とかは本人たちの前じゃ言えないけどさ」

「へー。でも、ちゃんと一人に絞った方がいいと思うよ」

 ……あなたも一夏ハーレムの一員ですけど、とツッコミたいけどね。

「まーそこはほれ、オレって、あれじゃん。男じゃん」

「なるほどね。うかつに相手を選べないってことなんだ」

「そうそう。相手にも迷惑かかるかもしらんし。オレにそういう気がないってわかれば、あっちもいつのまにか、適度な距離を作るだろ。別にオレだって、あいつらのことが嫌いなわけじゃないし、仲良くはしたいんだ」

「色々考えてるんだね。ちょっと見直しちゃったかも」

「ありがたいお言葉で。今まで、どういう目で見てたわけ?」

「軽薄そう」

「うはー、よく言われるんだよそれ。どうしてかなぁ」

「話しやすいからじゃないのかなあ、僕だってそんなに男の子と話した経験があるわけじゃないけど、キミは気さくだし会話しやすいと思う」

「お気楽主義なんだよ」

 二度めの人生だから他の人間より余裕があるせいだ、とは言えない。あと、一度目の人生よりは顔が良いのも気づいてたので、身だしなみには気をつけてる。

「さて、そろそろ僕もお仕事に戻らないと。ここは払っておくよ」

「マジかっ。いや、女の子に奢ってもらうとかそこは」

「いいのいいの。どうせ経費で落とすんだし。それじゃあね、バイバイ、ヨウ君」

「ありがとう。話せて嬉しかった」

 オレが背中に声をかけると、首だけで振りかって、小さく手を振ってくれた。

 打ち解けると、すごい気さくな良い子だった。あーオレ、シャルロッ党員になりそうだ。許してセシリア師匠。

 ……だけど、これからの彼女は、どういう人生を歩んでいくのだろうか。

 記憶通りなら、シャルロット・デュノアは、シャルル・デュノアとして男装してIS学園に入学してくるはずだ。だが、最大の問題はオレが織斑一夏ではないことだ。

 織斑一夏とオレの違いはいくつかある。まず、オレがクラス代表ではないこと。白式を専用機としていないこと。篠ノ之箒と同じ部屋でなかったこと。鈴とはクラス代表選でなく放課後の模擬戦で戦ったこと。それによって無人機の乱入がなかったこと。

 今、アメリカにいることも、織斑一夏のスケジュールでは存在しなかったことだ。

 ところどころで、織斑一夏ではないことが響いてきている。まあ、オレが一夏だったとして、それでどうなるって話でもないんだけどな。

 

 

 

 

 ホテルのプールでひとしきり運動したあと、オレは部屋に戻って昼寝をしていた。時差ボケのせいで夜が眠れなかったのと、水泳で疲れたせいだろう。いつのまにかウトウトとしていた。

 こういうときはいつも夢を見る。

 ……やあどうだい、気分は。

 暗い闇の中、一羽の鳥が見えた気がした。

 キミはルート2を歩き出した。

 そんな一言を告げて、闇夜に羽ばたいて消え去った。

 

 

 

 

 部屋の電話の音で目を覚ます。

 慌ててベッドサイドの電話を取ると、何やら英語が消こえてきた。

 やべ、マジわからん。どうしよう。

 戸惑っていると、誰かが電話を変わったようだ。

『ハロー、ヨウ君』

「あ、ナターシャさん」

『一緒にディナーに行きましょ』

 色っぽい声の金髪美人から、超嬉しいお誘いだった。

 

 

 

 

「騙された、超騙されたよ」

 車の助手席で、オレは項垂れていた。

「ごめんね、ヨウ君からかうと面白くって」

「へーへー。そりゃ良かったですねー」

 後ろを見ると、ナターシャさんの同僚の、少年好きの黒人男性ジョンがいた。キラキラした目でオレを見つめてきやがる。さっきから何やら英語で話しかけてくるが、無視だ無視。黙ってるとサワサワとゴツい手でオレの肩を触ってきたりするが、頑張ってスルーだスルー。

 オレが心底、嫌そうな顔をしていると、クスクス笑いながら、ナターシャさんがジョンに英語で何やら話しかける。ジョンはOh、とか言って肩をすくめ引き下がった。

「何て言ったんです?」

「日本人はシャイだから、積極的なのは嫌われるわよって」

「根本的解決になってないじゃないですか!」

 オレの抗議に、ナターシャさんは愉快そうな声で笑うだけだった。

「ところで、どこに行くんです?」

「プロフェッサー国津から、ブースの撤収を手伝って欲しいって言われてね。明日からの一般公開に用はないみたい」

「そんなホイホイ手伝って良いものなんです?」

「ホントは忙しいんだけど、四十院のブースで受け取らなきゃいけないものもあったしね」

「へー。何を受け取るんですか?」

「キミのテンペスタのISログ。もちろん出せるところだけね。今日は玲美ちゃんと理子ちゃんたちにブースの裏で、私たち向けにログを加工してもらってたの」

「で、何でジョンが?」

 またオレに触れようとしてくるジョンを睨む。

「ジョンは優秀な技術スタッフだから。現場で内容を確認してもらおうと思って」

「あ、そですか……」

「さて、そろそろ会場に着くわよ」

 ナターシャさんがハンドルを切る。関係者用の搬入口近くに車を止め、ドアを開けて降りた。現地時間十八時を過ぎた今は、会場の正面がもう閉まっているので、裏口から関係者パスで入るようだ。警備についている軍人たちが、ナターシャを見て敬礼をする。

「誰か!」

 女性の叫び声が聞こえた。

 銃声が響く。しかも単発ではなく、マシンガンだろう。

 ジョンが車の影にオレを引っ張り、ナターシャさんも銃を構えて反対側の車の影に隠れた。

「……何? 強盗?」

 オレたちが隠れている場所の横に、バカでかいトレーラーが走り込んでくる。駐車場のゲートもぶち壊して、背面を搬入口につけて、中から人が出てくる。それに混じって人型の機械がゆっくりと歩いて出てきた。

「あれは……IS……いや、単なるパワードスーツか」

 大きな卵に饅頭を乗せたような鈍重な外見といかにも機械然とした動きが、ISコアのない通常のパワードスーツである証拠だ。大きさもISの二倍はある。

「時代遅れ、とは言え、あんなもの引っ張り出して強盗? 狙いは今日公開してた、デュノアのISかしら」

「なるほど」

 IS強盗……また大胆な手に、とは思ったが、何せ世界でISコアは467個しかないんだ。危ない橋を渡っても手に入れる価値はあるだろう。

「さて、どうしたものかしら。目の前でISを奪われたなんて軍の名折れだけど、デュノア社の研究用ISコアが無くなったって、うちは痛くも痒くもないのよねえ」

「……ですよねぇ」

「とは言うものの、ISが盗まれるのを黙って見てるのは、気分の良いものじゃないわ」

 自分の『銀の福音』を人一倍大切にしているナターシャさんだ。そういう気持ちになるのも理解できる。何やらジョンに指示を出し、ナターシャさんは自分も携帯電話を取り出してコールを始める。オレはジョンの横で、車の影から会場の機材搬入口を覗き込んだ。

 今回、国際ISショーの会場となっている場所は、車の展示会などにも使われるらしく、後ろの搬入口もそれなり大きい。ISぐらい悠々と運び出せるだろう。事実、三メートルは高さのある鈍重なパワードスーツが中に入っていった。

 入れ替わりに、中からマシンガンを持った覆面の人間たちが出てくる。どうやら人質もいるようだ……。、

「って玲美? それにシャルロットまで」

 最悪だ、人質は二人。両方ともがオレの知りあいだった。

 ……シャルロット・デュノアはISパイロットとして、それなりの軍人とも戦える訓練を受けている。が、相手は多数で完全武装だ。うかつに手も出せないだろう。玲美にいたっては、IS学園でパイロットとしての基礎訓練を受けていると言っても、シャルロットよりさらに練度は落ちる。事実、銃を持った相手にビビりきっていた。

 そりゃそうだよな……普通の女の子だもんな、あいつ。

 どうする、どうする?

 仕掛けられるタイミングを待つか。いや、ISを奪ってトレーラーに乗り込んだら、人質は用無しだろう。どうせUSAだってISを奪われようというときに、他国人までカバーはしない。それはデュノアだって一緒だ。

 ……まずい、超まずい。

 横にいるナターシャさんと目が合う。

 彼女もそれを見てかなり焦っているようだった。銀の福音さえ彼女が持ってきていれば、また状況は違っただろうが、残念ながら今日はメンテ中だ。

「ナターシャさん」

「仕方ないわね……。今、ここにいる最大戦力は、おそらくヨウ君のテンペスタよ。私の名において許可します。責任は全て私が」

「良いんですか?」

「もちろんよ。ISもあの子たちも無事、取り返して見せる」

「ありがとうございます!」

「まずは逃走手段を潰して。あと、あの時代遅れのISもどきも処分しちゃいなさい。その間に私とジョンで、周囲の人間と協力して人質を助けるわ」

「了解しました!」

 待機状態のアンクレットからISを展開する。完全展開までの速度は、今までで一番の早さだった。

 第二世代インフィニット・ストラトス。テンペスタ・ホーク。頼むぞ!

 

 

 

 駐車場を滑走し、トレーラーに一気に近づく。運転席から銃撃を食らうが、そんなものがISのシールドに通用するわけもない。

 側面に取りついて一気に加速し、トレーラーを横倒しにする。

 これでもう車は動けまい。

 驚くテロリスト集団を横目に、そのまま滑走して、展示会場に突入する。

 中では犯人グループを取り囲むように軍人たちが銃を構えていたが、パワードスーツが盾になっており、また人質がいることもあって、中々有効な手段に出れていなかったようだ。

 四体のずんぐりとした体形のパワードスーツのうち、二体がオレンジのISを担ぎ上げようとしていた。

 あれは、ラファール・リヴァイヴ・カスタム! デュノアが持ち込んでたのはシャルロットの機体かよ?

 腰の後ろのホルダーから、ブレードを抜き取ると、オレはパワードスーツに向かって滑走する。こんだけ人がいる中で、さすがにスラスターを動かすわけにはいかない。だが、パワードスーツとISの性能差を考えれば、それでも十分だった。

 マスクをした集団が銃を向けてくるが、当たってもほとんどシールドエネルギーは減らない。

 脚部装甲のPICだけで滑走し、一体目のパワードスーツの足を叩き切る。そのまま横に立っていたパワードスーツの腕を叩き落とし、頭部分にハイキックを喰らわせた。簡単に頭部装甲が空中に舞って、壁に突き刺さる。

 残り二体。

 ブレードを投げて、一体の足を地面に縫い付けると、そのまま殴りかかる。打鉄にすらダメージを与えられないような出力だったが、それでも軽々とパワードスーツをへこませ、足払いをすれば、相手の足が吹き飛んで地面に崩れる。

 最後の一体が後ずさりながら、オレに手に持ったグレネードを向ける。即座に近づくと、銃を叩き落とし、手刀で両腕を肩から叩き切った。そしてパワードスーツの前面装甲に手を掛けると、無理やり引っ剥がす。中では男が一人、愕然とした顔で首をふるふると振っていた。

 全ては一瞬だった。我ながら素晴らしい手加減が出来たもんだ。誰も殺してない。

 視線をシャルロットたちに戻す。

 テロリスト集団は突如現れたインフィニット・ストラトスに驚いて、ただ銃を向けるばかりだった。

 その隙をシャルロットが見逃さなかった。後ろに立つ男の腹に肘打ちを決めて、そのままマシンガンを奪い取る。銃口をテロリストに向けて威圧した。

 それを合図に、ナターシャさんたちが飛び込んで行った。

 だが、玲美を人質にしたマスクの男が彼女を引きずりながら、逃げようとする。オレは軽くジャンプして、男と玲美に向かって飛びこんだ。

 震える手で引き金を引く男だが、オレ自身に届くはずもない。生身に見える部分も、ISによって皮膜装甲というバリアが張られているのだ。そのまま突進し、玲美を優しく右手に抱え、左手で男のベルトを掴み、空中に舞い上がる。男は足場のない空で銃を落としてしまったようだ。ようやく観念したのか、抵抗を見せる様子はない。

 それを確認して、右手に抱えた玲美の顔を見る。

「大丈夫か?」

 可能な限り、優しく声を掛けると、玲美が抱きついてくる。

「こ」

「こ?」

「こわかったよぉ!」

 可能な限りの弱い出力で抱きしめ返してやると、玲美は堰を切ったように泣き始めた。

「無事で良かった」

 やれやれ、一見落着か。

 周囲を見回すと、マスコミが集まってきていた。しまった、今日は報道が入る日だった。まだ閉会したばかりだったため、付近にいて騒ぎを聞きつけて寄ってきたようだ。

『二瀬野君、玲美は無事かい?』

 慌てた声の国津さんが通信をかけてくる。

『はい、ケガはありません』

『ホントに良かった! ナターシャさんに要請したから、そのまま犯人はその辺に放って、二人で昨日の基地まで飛んで行ってくれるかな。私たちもすぐ後で追いかけるよ』

『了解しました』

 通信を終え周囲を見渡すと、星条旗がはためくポールが見えた。左手でプランプランとさせていた犯人をそこに引っかけると、オレは両手で玲美を抱えなおす。

「ほれ、そろそろ泣きやめ」

 可能な限り、ゆっくりと飛ぶ。

「う、うん」

 鼻をすすりながら、玲美が顔を上げた。

「このまま昨日の基地に厄介になる。あーあ、お忍びでここまで来たのに、何の意味もなかったな。派手に暴れちまった」

 ISのセンサーを望遠モードにして、犯行現場を見る。犯人一味はどんどん捕まっているようだ。さらに拡大すると、シャルロットがこっちに向かって手を振っていた。

「……何で笑ってるの?」

 不機嫌そうな顔が間近にあった。

「え?」

「……今、シャルロットさん見てたでしょ」

 すげぇするどい。

「いや、みんなが無事で良かったって思っただけだよ」 

「ほんとにー?」

「ホントホント」

 腕の中の玲美が、じーっとオレの顔を覗き込む。苦笑いを返すと、彼女がぎゅっとオレの首に強く抱きついてきた。

「……助けてくれて、ありがと……」

「お前が人質になってるのを見たとき、生きた心地がしなかったよ」

「それと……その、カッコ良かった」

「そりゃどーも。んじゃ少し飛ばすぞ。しっかり捕まってろよ」

「うん」

 今日、初めて誰かを守れた気がする。累計三十四年の人生で初めて、この腕にある温もりを掴めた気がする。

 それを溢さないようにしっかりと抱きかかえて、オレとテンペスタ・ホークが北米大陸の空を飛んで行った。

 

 

 

 

 国際ISショーの会期も終わり、明後日から学校なので、オレたちはアメリカの大地を後にすることとなった。

「ふっ、アメリカの観光地の思い出が何にもねえ」

 そう、オレは強盗テロ事件の後も、そのまま米軍基地にいた。勝手に他国でISを動かしたせいでIS条約機構からの事情聴取も色々あったが、これはナターシャさん他、米軍が味方になってくれたおかげで一日だけの拘留で終わった。

 だがそれが終わっても、基地の周りがマスコミだらけで外に出ることが敵わなかった。何せ世界で唯一の男性IS操縦者がテロリストを鎮圧したのだ。噂が噂を呼び、結局、外出一つ許されず、二日間を米軍基地で過ごすことになった。

 その間、ナターシャさんに色々と教えてもらい、メンテの終わった『銀の福音』に遊んでもらっていたので、充実した日々ではあった。

 気づけば帰る予定日となった。

 ちなみにだ。帰りもまた米軍の輸送機の荷物と一緒に運ばれることに決まった。なにこの扱い。さらに玲美たちは一足先に、四十院が用意した豪華なファーストクラスで帰途についた。チクショウ。

 そういうわけで、オレは今、カルフォルニアベースの飛行場に立っている。

「それじゃ、みんな、また会おうぜ、シーユーアゲイン」

 色々と遊んでくれた米軍基地の大人たちに、知ってる英語で挨拶をして、輸送機に乗り込む。

 ジョンが本気で泣いてる気がしたが、無視だ無視。

 みんな、英語でなんか叫びながら手を振ってくれていた。言葉はわからんが良いヤツばっかりだ。あと最後に誰かスラングでキン○マ言っただろファッキンUSA。

 輸送機が飛び立つ。

 まだ荷物置き場に行かなくて良いらしく、オレは窓から外を眺めていた。

「お?」

 銀の福音が飛んできた。背中の2枚の推進翼が、オレのテンペスタ・ホークと同じ形の物に換装されている。

 窓に張り付いて、オレは手を振った。

 ナターシャさんが、フルスキンISのまま投げキッスを飛ばしてくれた。

 また会えるといいな。

 そんなことを思いながら、オレはいつまでも手を振っていた。

 

 

 

 ……あ、セシリアに頼まれたお土産、買うのすっかり忘れてた。

 

 

 

 

 

 



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4、白い幻影

 

 

 オレこと二瀬野鷹は、二度目の人生を歩んでいる最中である。

 一度目はおそらく交通事故に会って死に、『インフィニット・ストラトス』というマルチフォームド・スーツの存在する世界に生まれ変わった。二瀬野夫妻の子供として生まれ成長し、女性しか扱えないとされている『IS』を操縦できるただ一人の男として、IS学園に入学する。

 オレは、この世界で何を得て、何を見るのか……。

 

 

 

 そしてオレは今……キレイなお花畑が見える……ああ、川もある、あれぐらいテンペスタならひとっ飛びだぁ……。

「ヨウ君だめええ、それを跳び越しちゃだめええええ」

 玲美の叫ぶ声が聞こえる。

 ISの実習中、オレはセシリア・オルコットと並んで、飛行訓練の見本を見せてたはずだ。急降下と完全停止を要求され、セシリアに先んじて急降下をし、完全停止のために足を地面に向けようとして、そこで目が眩んだのだ。

 結果、飛び始めて100時間近く経つくせに、地面に激突、あまりの大ダメージにシールドエネルギーは全損、ISは解除され、自分の作った大穴の真ん中で気絶した。

 

 

 

 

「うーん、どうしてだろう」

 放課後、地面を整地しながら、首を傾げる。

 オレは失敗した罰として、グラウンドの端の盛り土を一輪車に乗せては、巨大な穴を埋める作業を繰り返していた。

「最近、調子悪そうだねー。寝っ転がって本とか見てるんじゃないの?」

 と、メガネをかけた岸原理子がからかうように声をかけてくる。

 ちなみに手伝うような素振りは一切見せない。

「おっかしいな。鷹の目と言われるこのオレが……」

 小首をかしげながらスコップで地面を均してると、

「鳥の目でしょ、アンタが言われたのは」

 と、声がかかる。振りかえると、甲龍を装備した鈴が立っていた。

「どうした? 練習か?」

「あんたが言われてたのは、鳥目でしょうが。暗くなると何にも見えなくなるって数馬と弾にからかわれたじゃないの」

「そうだっけ……」

「そんで、アンタは何してんのよ?」

「整地。穴開けたから直してんだよ」

「ふーん。そういやアンタ、ゴールデンウィークに派手にやらかしたんだって?」

「一週間遅れだぞ情報が」

「たまたま聞いただけだからね。で、アメリカ行って、ちっとは上手くなったわけ?」

「それなり。どっかのオチビさんと違う巨乳のお姉さんにみっちりしごかれてきた」

「ほほぅ、挑戦的なことを言うじゃないの」

 オレの個人的な感想を言えば、ファン・リンインは自分からは誰とも慣れ合おうとしない。強いていえば一夏ぐらいだろう。一夏の場合は、逆にそういうのが放っておけないようだったが。

 クラスに上手く溶け込めてるんだろうか。

「事実だろー? 小学校から変わってないくせに」

「か、変わってるわよ。ぶっ飛ばすわよ!?」

「テンペスタの逆噴射アタックでぶっ飛ばされたのはそっちだろうに」

「なんですって!?」

 やれやれ、無暗に突っかかってるところは変わらないなあ。一夏繋がりじゃなかったら、お友達にはなれなかったと思うわ、ホント。

 ……そういや、箒もそうだな。気づいたら一夏と箒は仲良くなってたし。そう考えると織斑君、マジで良いヤツだわ。パネェっす。

「んで、まさかわざわざISを着てまで、オレにちょっかいを掛けに来たんじゃないだろ?」

「そりゃそうよ。ちょっとクラスの子が操縦を教えてほしいって言うからさ」

「へー。珍しいこともあるもんだ」

「こう見えても、クラス代表ですからね」

 ふふん、と得意げにうっすい胸を張る鈴。

 お気楽なクラス副代表(セシリア指名)のオレと違って、自覚に満ち溢れてるってわけだ。だけど、それで誰かと仲良くなってるなら結果オーライだ。

 ここに織斑一夏がいなくとも、それぞれが生きている。

「ほら、さっさと整地終えなさいよ」

「へいへい」

 どうせもう終わるところだったので、オレは地面をスコップで叩いて作業を終える。なぜここまでアナログかと言われれば、罰ゲームだからだ。本来は整地用の機械を使って職員が一瞬で済ませてしまう仕事だ。

「んじゃ理子、オレたちも練習しようか」

「ほーい」

 こっちも元々は練習のつもりだったのだ。打鉄の使用許可も取ってあるし、練習に入ろう。

 専用機持ちは、率先して他の生徒の指導をしなければならない。これは、セシリア・オルコットが言い始めたことだ。いつのまにか二組にも四組にも浸透しており、放課後では四組の代表候補生の専用機『打鉄弐式』を見かけることも多い。

 本来ならこの時点で『打鉄弐式』は完成していない。倉持研究所が織斑一夏専用機の白式にかかりきりになるはずだったからだ。だが、この世界のIS学園には『織斑一夏』はいないので、前倒しで打鉄弐式は完成。生徒会長の妹である更識簪は入学してすぐに専用機を手にし、代表候補生の座に収まっている。ちなみにクラス代表同士が戦うクラス対抗戦は、更識簪の優勝で幕を閉じた。

 

 

 

 

 第二世代機、テンペスタ・ホーク。

 イタリア製のインフィニット・ストラトス『テンペスタ』をベースに、四十院財閥の研究所でスピード特化にカスタマイズされた機体だ。

 ノーマル機の最大の違いは、背面に位置する二枚の大きな推進翼、そして腰の辺りから斜めに伸びる尾翼だ。足もまた各種スラスターが内蔵されており、足首の辺りから踵までに六基のスラスターが配置してある。これは逆噴射で急ブレーキをかける機体制動が主な役目だが、垂直離陸時には補助動力の役目も兼ねる。あとたまに接近戦用の武器にもなる。

 後付け武装の充実した第二世代機らしく、インターフェースの共通した武装なら、容量の許す限り装備が出来る。もちろん、シャルロット・デュノアのラファール・リヴァイヴ・カスタムのように大容量バススロットがあるわけではないので、武装変更にはそれなりに手間がかかるが。

 なぜ四十院研究所では第三世代を作っていないのか、と尋ねたところ、本体企業ではないからという返答が返ってきた。各種兵装の実験をするには、ラファールやテンペスタのように『標準化』された機体が望ましいそうだ。逆にデュノアや倉持技研のようなIS本体企業は第三世代機の開発が命題でもあるし、そのために国から大規模な融資を受けているのだ。

 かといって、第三世代機が優秀かと言えば、そうでもない。

 第二世代機と第三世代機は、使い方次第の用途差ぐらいしか、今のところはない。

 第三世代機最大の特徴は、イメージングインターフェースを使用した特殊能力兵装群だ。代表的なのは、セシリア・オルコットの操る精神感応兵器(ビット)のブルーティアーズだ。鈴の龍砲もその一群に入る。オレは『まだ』会ったことはないが、ラウラ・ボーデヴィッヒのアクティヴ・イナーシャル・キャンセラーも同様で、いずれも機体とセットになった機能ばかりだ。

 逆に第二世代は、その完成された共通インターフェースを使った兵装換装が優秀だ。テンペスタ・ホークは、同じテンペスタシリーズの武器ならほとんどがインストール可能だし、イギリスのメイルシュトロームやフランスのラファール系の兵装も一部、流用可能だ。

 簡単に言うなら、不思議武器が第三世代で、いかにも軍事兵器という武装なら第二世代というわけだ。

 で、第二世代のテンペスタ後期高機動タイプのカスタム機であるH.a.w.cはというと、

「痛てえぇ……」

 またもや地面にぶつかっていたという。

 

 

 

 

 何なんだ、すげー体の調子が悪い。

「お風邪を召したんじゃありませんこと?」

 隣でグラタンを食ってるセシリアが弟子を気遣って声をかける。今は晩飯タイムである。

「んーそうかなぁ。今日は食後の運動はやめて、早めに寝るかあ」

「そうしてくださいまし。他の方に伝染さないように」

「りょーかい」

 食事もそこそこに、オレは食器を返却口に片付けて、ふらふらと自室へと歩いていった。

 

 

 

 

 今、すげー嫌な夢を見ている。

 前の人生を終えたときの夢だ。

 横殴りの衝撃を受け、空中に舞う。すぐに地面へと叩きつけられて、その上を重量のある物体が通り過ぎていった。

 右目が見えない。左目の視界が赤く染まっている。

 腰から下の感覚はない。べちゃ、という音が聞こえた。

 鳥が、青い空を飛んでいる。

 ……こんな都会に、何で鷹がいるんだろう。

 右手を伸ばそうとして、そこで意識が途絶える。

 

 

 

 

「うわあああああああああああ!!!!」

 飛び起きた。

 すぐ近くから聞こえる空気が抜ける音が、荒くなった自分の息だと気付く。

 頬に触れた。冷や汗をかいていた。

 右側の視界がぼんやりとしている。

「だ、大丈夫?」

 そのぼんやりとした視界の方向から、誰かの声が聞こえた。

 顔ごとそちらを向けて、左目の視野にその人物を入れると、そこには一人ではなく三人いた。玲美、理子、神楽だ。

 全員が心配そうにこちらを見つめている。玲美の手には、濡れたタオルがあった。

「あ、ああ……」

 視線を戻して、自分の手を見つめる。

 あれ、これって、実は右目の視力が落ちてるんじゃないのか?

 右手で顔の半分を隠すようにして、もう一度、テンペスタ・ホーク組の三人を見た。

「わりぃ、看病してくれてたのか」

「大丈夫ですか?」

 神楽が手に持ったスポーツドリンクのボトルを両手で差し出してくれる。

 ようやく、喉がカラカラだったと気付いた。

 砂漠で得た水のように一気に飲み干す。机のそばにあるゴミ箱に向かって、空のペットを投げた。大きく外れる。当たり前だ。目標が定まらないのだから。

「何やってんのよ、もう」

 理子が呆れたように拾って、ゴミ箱に入れてくれた。

「はい、タオル」

 よく絞ってから、玲美が冷たいタオルをオレに渡してくれた。

「さんきゅ」

 それを顔の右側に当てる。

「今、何時だ?」

 神楽に尋ねると、時計すら見ずに彼女が、

「まだ十時前ですよ」

 と答えてくれた。

「そっか……悪い、明日は休みだよな。オレの外出申請、代わりに出しておいてくれないか?」

「体調も悪いのにどちらに……?」

「あーえっと……病院行こうかなって。出来れば総合病院が良い」

「そういうことなら。伝手のあるところに予約も入れておきましょう」

 神楽はオレの机に座って、空間ディスプレイを立ち上げる。おっとりとした外見に見合わず有能な彼女は、あっという間に申請を出し終えてしまうだろう。

「私たちもついていくよ」

「だね。心配だし」

 玲美と理子が声をかけてくる。

 しまったな、黙ってコンタクトレンズでも入れるか、視力回復手術の手続きでもしようと思ったんだが……断る理由が思いつかない。

「わかった」

 しばらく考えてから、オレは頷いてベッドに横になる。よく考えたら、四十院研究所で肉体のチェックも行うんだ。バレないわけもないんだ。観念するか……。

「ヨウ君、予約を取るのに保険証の番号が必要みたいです。覚えてますか?」

 すでに診療の手続きまで入っていた神楽が聞いてくる。

「あー、なんだっけ。この間変わったから覚えてないや。その辺の引き出しにID入ってないか?」

「開けてもよいですか?」

「大したもんは入ってねえよ」

 エロ関連は全て、ベッドの下にあるセカンド端末の中だからな!

「あら、お守り?」

 神楽が見つけたのは、母さんから貰った石が入っている守りだった。

「石が入ってるんだ。親から貰った」

「石、ですか。珍しい風習ですね。袋は村松家行の流れをくむ伊勢神道傍流によくある形状ですけど、この場合は普通は内符なんですが」

「何でも詳しいのな、神楽って。袋は箒の実家で買った。中身の石はオレが生れたときに、病室のベッドに落ちてたんだとさ」

 神楽が手に持ったお守りを、玲美と理子がのしかかるように覗きこむ。

「開けてもいい?」

「壊すなよ」

「うん」

 玲美が返事をすると、神楽がゆっくりと紐を解いて、中の石を取り出した。

「うわぁ、キレーイ」

 理子が夢を見るように呟く。

「ホントだ、少し光ってるね」

「光ってる?」

「うん、ぼんやりと光ってるよ」

 そんな光るもんだったっけ。照明の加減で反射するのかな。

「ちゃんと仕舞っておいてくれよな」

 目を閉じて神楽にお願いする。そのまま、再びゆっくりと闇に落ちていった。

 

 

 

 

「……似合わんな」

 月曜日、箒が朝一で失礼なことを言いやがった。

「自覚はある。玲美からはスケベメガネと呼ばれた」

「普通はメガネをかけたら、真面目に見えるのだが……タカは何故か軽薄さに磨きがかかるようだ」

「……おう、自覚はある」

 細いフレームの、縦に狭いスクエア系メガネは、細面のオレを真面目系男子にはしてくれなかった。

 ちなみに呆れた表情の箒の後ろで、セシリアが大爆笑をしている。 

 病院で検査した結果、視力は落ちていたのは間違いなかったが、精密検査をすると眼球の調節機能に異常はなかったのだ。結局、原因はわからずじまい。

 ゆえに視力回復の手術はおろか、眼球に接触するコンタクトもやめておこうということになり、メガネになったのだ。

 どうせISに乗れば、自動で視界が調節されるのだ。すぐに取り外せるメガネの方が良い。……良いのだが、店員さんオススメのフレームをメガネ屋でつけた瞬間、理子と玲美はおろか神楽まで笑い始め、他のにしようと思ったのだが、三人の強引な説得の結果、今かけてるモデルに決められたのだ。

「皆さんに朝の愉快なひと時を提供できて、恐悦至極でござりますよ……」

 肩を落として、席につく。

 チャイムが鳴って、教室のドアが空いた。織斑先生が入ってくる。いつも通りの仏頂面だったが、オレと目が合って小さく吹き出しやがった。

 ……なんでメガネ一つでここまで笑われなきゃならんのだ……。

 こうしていつも通りの一日が始まる。

 

 

 

 

 放課後、なぜか絶好調だった。

 週末の体調の悪さが嘘のように、ISがしっくりと来る。

 地面に立ったまま、推進翼の動作を確認し、空も飛ばずにスラスターの向きを変える訓練を続けた。

 いつもより早く出来ている。これは間違いない。今日なら、あの技が出来ると思う。後で挑戦してみよう。

 そう思いながらも、やはりオレは背中の推進翼に動かすだけの地味な練習を続けるのであった。

 

 

 

 

「はあ?」

「だーかーら、倉持とのコンペだって」

「なんで?」

「翼の売り込みに決まってるじゃない」

「はぁ……」

 という玲美との会話の末に、オレこと二瀬野鷹はIS学園と同じ市にある巨大競技場施設、通称『ISアリーナ』にやってきていた。

 メガネをかけ始めて何とか慣れてきた週末の土曜日に、何でも自衛隊の機体に新採用する兵装のコンペが開催されるとのことだ。今回の参加企業は二社。倉持技術研究所と我らが四十院研究所だ。

「でもなんでまた、オレなんだ?」

 ISスーツに着替えたオレは、まだ準備中のアリーナを見下ろせる観客席に立っていた。隣には理子、玲美、神楽がいる。

「それはもちろん、テンペスタ・ホークの推進翼が最新型ですから」

 神楽が事務的に答える。ちなみに今日は全員、グレーのサマースーツだ。

「でもこういうコンペって、倉持は四十院に見せないんじゃないの?」 

 理子に尋ねたのは、自衛隊所属のパパから何か聞いてないかと思ったからだ。

「いや何でも相手からの申し出なんだって。ぜひとも、自社の技術を四十院さんに見せたいとか何とか」

「……うわ、自信過剰」

「ほら、先日のクラス対抗戦で倉持の打鉄弐式が優勝したじゃない? それに比べてテンペスタ後期高機動カスタムは出場すらしてないから」

「いやだって代表決めるとき、その倉持の打鉄しか無かったじゃん」

「そんな事情も知らずに結果だけ見て余裕ぶっこいてんでしょー。ヨウ君、もうぶっちぎってやってよ」

「そういうことなら、お世話になってる四十院のために頑張りますか」

 理子が右拳を差し出すので、オレもそこに軽く拳を合わせる。

「で、今から倉持の番が始まるわけだ。オレたちもここで見てていいわけ?」

 研究所の主席研究員であるパパから何か聞いてないかという意味を込めて、今度は玲美に尋ねる。

「私たちIS学園の生徒だから、余計に見せたいんでしょ」

 ヤレヤレと肩をすくめる。どうやら見て良いということらしいので、このまま観客席の最前列に座る。理子が手に持ったお菓子を差し出してきた。全員がそれを受け取って、ポリポリと音を立て始める。

「お菓子とか食ってて良いのかねえ」

「珍しくパパがくれたんだよ。これでも食って、余裕を見せろってことじゃないの」

「いや、理子のパパって自衛隊だから中立の立場じゃないのかよ」

「パパは倉持嫌いだからね。ほら、打鉄って空戦向けじゃないじゃん。そんな機体をIS学園に無理やり売り込んだのが頭に来たみたいよ」

「元パイロットだから、拘りがあるのかなあ……。もうちょっとくれ」

「ジャイアントタイプもあるよ」

 と、手元のビニール袋から長さ三十センチはある大きな棒状のお菓子を取りだした。

「くれ。腹減った」

 貰った直径三センチの巨大な棒状スナック菓子を、まるでハムスターのようにカリカリと端から咥えて食べて行く。

「あ、私も私も。かぐちゃんは?」

「えっと、私はさすがに……そちらの小さい方で」

「もう、かぐちゃんってば恥ずかしがり屋なんだからー。あ、飲み物持ってきてる?」

「あるわよ」

 わいわいとお菓子を食べ始める。もはや遠足のノリであった。

「お、誰か出てきた。あれ、四組の更識さんじゃない?」

「はれ?」

 無暗やたらとデカいお菓子を頬張りながら、アリーナに目を向ける。西側の登場口から、メガネをかけた小柄な女の子が出てきた。

 ホントだ、更識簪だ。

 何でも日本の暗部を司る更識家の次女で、生徒会長の更識盾無の妹。一年四組クラス代表にして日本の代表候補生。専用機は第二世代機、打鉄弐式だ。

「ってことは、打鉄弐式なのかな?」

「いやーあれはブルーティアーズと同じぐらいしかスピード出ないはずだよ。うちのテンペちゃんの足元にも及ばないって」

 玲美の疑問を理子が笑い飛ばす。ただし向こうのマルチロックミサイルとは滅法相性が悪いんだけどな。

「あら、別のISみたいよ。キャリーが出てきたわ」

 簪の後ろから、白衣を着た男たちが自走キャリーに乗って出てくる。

「あれは……白式!?」

 なんでそんなところにあるんだ!?

 第三世代型第四世代機、とでも言えば良いのだろうか。本来、織斑一夏が乗るはずだったインフィニット・ストラトス『白式』。スペック上はブルーティアーズよりも速度が出る機体だ。

 ……たしか放置されてた機体を篠ノ之束がいじったんだよな。しかしこの世界での白式パイロットは一夏ではないのだ。だとしたら、あそこにある機体は、篠ノ之束がいじっていない可能性が高い。

「ヨウ君、知ってるの? あれ」

 左隣に座る玲美が小首を傾げながら尋ねてくる。

「……いや、知らん。テキトーに知ってるっぽく言ってみただけだ」

「なにそれ。マンガの見過ぎ? だから目が悪くなっちゃうのよ」

 呆れたような声の抗議をスルーし、オレはメガネを正して、簪が白式を装着する姿を凝視していた。

 

 

 

 

 コンペが始まった。簪を収めた白式が空中を舞う。

 目で追えないこともないスピードだ。そんなに速くはない。スペックを生かせてないのか?

「なんか妙な機体だね」

 理子がストローで紅茶を飲みながら、そんな感想を漏らす。

 確かに妙な機体だ。さっきからフラフラとしている。加速性能自体は悪くないが、それでもブルーティアーズ以下だ。アリーナ内を周回し、ストレートで瞬時加速を見せたりしているが、コーナリング時などは、微妙に機体がフラついたりしている。

「安定してないのかな。それとも更識さんと相性が悪いとか?」

「それぐらいはチェックしてるだろ……でも」

「でも?」

「……迷子みたいだ、あのIS」

 オレの感想に、三人がきょとんとした顔を見せる。

 誰かを探してさ迷うような印象を見せる。それを簪が無理やり押さえつけて飛ばしてるようなイメージだ。

 ……そうか。織斑一夏を探してるのか、白式は。もしくは織斑千冬を。確か白式に使われてるISのコアは、織斑先生の使ってたISのコアを使ってたよな。

「そろそろ終わりそうだ」

 簪がスピードを緩めて、開始位置に戻る。えらく疲労困憊している様子だった。

「あれが私たちに見せたかったもの?」

 理子がつまんないとばかりに言葉を捨てる。

「何だか拍子抜けだね」

「そうよね。倉持はどういうつもりなのかしら」

 オレは意味を考える。

 ……なぜ、あんな未完成の機体をライバルに見せたのだろう。あれではコンペ以前の問題だ。

 意味があるのか、ないのか。

「それより二瀬野君、お願いしますね」

「おう?」

「コンペですよ、コ・ン・ペ」

 珍しく神楽が青筋を立てている。実は倉持に挑発紛いのコンペを挑まれて、腹が立ってたのかもしれない。なおかつ相手はあの体たらくだからなぁ。

「合コンなら喜んで! だったんだけどな」

 場を和やかにするためにアメリカIS部隊仕込みのジョークを飛ばす。

 三人が全員、オレのスネを蹴り飛ばした。

「このスケベメガネ!」

 玲美の怒声がアリーナ全体に響いていった。

 

 

 

 

『じゃあ、スケベメガネ君、よろしく頼むよ』

「勘弁してくださいよ国津さん……」

『あっはっはっは。でも、あの様子じゃ倉持技研さんに負けることはないし、気楽にね』

「何のつもりだったんでしょうね」

『調整不足にも程があったね、あの白いISは。向こうの思惑は私にも測りかねるよ』

「で、どうします?」

『こっちは倉持さんに内容を見せないし、あれ、出しちゃって』

「お、いいんですか?」

『四十院の技術力、見せてあげなさい』

「了解!」

 アリーナの真ん中まで歩き、周囲を見渡す。観客席の上に飛び出た構造物が見える。おそらくあれがVIPルームで、あそこに自衛隊のお偉いさん方がいるんだろう。

 さて、行きますか。

「来い、テンペスタ!」

 一瞬でISを展開する。毎日三十分の展開練習のおかげで、一秒程度で全部位を具現化し終わった。

 息を大きく吸う。これは、オレのコンペでもあるのだ。このIS世界で、オレが戦えることを日本の武力を統率する皆さんに示さないといけない。これからもこの『テンペスタ・ホーク』に乗り続けるために。

 イメージのアクセルをゆっくり踏み込み、垂直上昇を行う。アリーナの観客席と同じ高さになると、玲美と視線があった。親指を立てて、笑みを見せる。

 ギアをトップに入れ、一気にトップスピードにまで加速していった。

 そして二周めに入ろうとしたとき、大きな衝撃音がアリーナに響いた。

「接近警報?」

 ISが近づいてくる、という警告がテンペスタから聞こえる。

 視界に捕えた機体は、誰も乗っていない白式だった。

 人すら乗せずに、白式がオレに襲いかかる。武装も持っていないようで、ひたすらオレに突撃を繰り返してくるだけだ。

「国津さん!」

 相手の突撃を回避しながら、指示を仰いだ。

『何が起きてるんだ、これは?』

「どうします?」

『……倉持は何のつもりだ』

「人すら乗ってないんですよ。おそらくISの暴走です」

『そうだと思うが、しかし……』

「どうします?」

『抑えられるかい?』

「了解です、やってみます」

『頼むよ』

 加速して距離を離す。やはりスピードは圧倒的に、このテンペスタ・ホークが上だ。今の白式相手では負ける気がしない。

 なぜ動いてるかもわからないが、とりあえずここはこいつを落とすしかない。

「ってイグニッション・ブースト?」

 油断した隙をついて、無人の白式が手を広げてオレに突っ込んでくる。尾翼を操作し、軽く高度を上げて回避した。

「……探してるのか、そこに収まるべき人物を」

 なんとなく、そう感じた。白式は、自分の中に収めるべき織斑一夏を探してる。

 ナターシャさんは『銀の福音』が優しい眼差しで見つめてくれる気がする、と言っていた。オレも何となくそれはわかる。

 悪いな、アイツじゃなくて。

 心の中が謝ってから、白い機体を見据えた。

「行くぞ、テンペスタ・ホーク!」

 オレの相棒はお前だ、とISに告げて、イメージ内のアクセルを踏み瞬時加速をかける。白式もオレに向かって両手を広げて瞬時加速で駆けてきた。

 ここだ!

 尾翼を立て、二枚の推進翼を折りたたむ。毎日一時間を割いている、ただ羽根をグルグルと回す練習がここで生きた。

 本来、真っ直ぐしか飛ぶことの出来ない『イグニッション・ブースト』。だが、このスピードスターは、三枚の翼と脚部装甲のスラスターにより、無軌道化することが出来る。

 平たく言えば、最高速度で自由に飛ぶことが出来るのだ。もちろんエネルギー消費は半端じゃないが。

 白式の腕を掻い潜って真っ直ぐ上昇し、一気に急下降する。そのまま、鷹の爪が獲物を狙うがごとく、無防備な白式の背部に襲いかかった。

 押さえつけるようにして勢いそのままに地面に激突する。大きな土煙りを巻き上げた。

「これでどうだ?」

 足元に埋まっている無人の白式を見る。まだ動いていた。その手を伸ばしてオレを掴もうとする。

「……くっ」

 テンペスタ・ホークの脚部装甲から逆噴射スラスターを解放、一気にエネルギーを放出し、白式の肩に浮くスラスター内蔵装甲を吹き飛ばした。

 オレはその勢いで上昇し、クルッと宙返りを決めてから空中で静止する。そのまま地面を見下ろした。

 地面に埋もれ、白い英雄の鎧が、沈黙している。

「……ごめんな、白式……」

 せめてあの白式が回収され、誰かと共に歩めますように。

 心の中で祈ることしか、オレに出来ることはなかった。  

 

 

 

 

「無軌道瞬時加速、すごかったね」

 更衣室で着替え、出てきたオレを三人が出迎える。声をかけてきたのは、玲美だ。

「いや、お前のパパ曰く機体にかかる負担が凄いらしいってさ。あと、エネルギー消耗は半端ない。短期決戦ならいざ知らず、おいそれと出せるモノじゃないなあ、やっぱり」

 四人で連れだって、競技場内の通路を出口に向かって歩く。

「この後、どうする? せっかくここまで出てきたんだし、どっかでお茶してく?」

 理子が先頭で振りかえって訪ねてくる。

「おう、そうするか」

「いいですね」

「賛成賛成」

 三様の答えで返した。

 外が見えてきた。冷房の利いたエントランスを出て、空を見上げる。

 今日は五月二十五日。汗ばむような陽気だった。

「そろそろ梅雨入りすんのかな」

「夏には臨海学校あるし、色々楽しみだよねー」

「その前に期末試験あるだろ」

「うわー……そうだった」

 学生らしい会話をしながら、アリーナの外を歩く。

 ……やっぱり、世はこともなし、とは行かないもんだ。

 搬送される白式を思い出しながら、三人とゆっくりと歩いて行く。

 どう足掻いたって、オレは織斑一夏ではなく、二瀬野鷹だ。

 専用機は第二世代機テンペスタ・ホーク。周囲には篠ノ之箒がいたり、セシリア・オルコット、ファン・リンインがいたりするが、一夏みたいに惚れられるわけではない。

 そもそもオレは織斑一夏じゃない。

 前方を歩く三人組の背中を見つめる。大中小と揃った身長と、それぞれの髪が見える。

 三人が立ち止まって、オレの方を振り向いた。

「どうしたの? また体の調子が悪いとか?」

 と玲美が不安げな顔をする。

「お腹いっぱいで飛んだから、吐きそうとか?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべているのは、理子だ。

「あの、調子が悪いようでしたら、このまま帰っても……」

 神楽がなぜか申し訳なさそうに提案してきた。

 自嘲するような笑みが零れる。

「何でもない。さ、行こうぜ」

 少し足を早めて、三人に並んだ。

 空を見上げる。どこまでも続く青い空は、きっとどの世界だって変わらない。だったら、この世界を飛びたい。

 そんなことを思いながら、ゆっくりと地面を歩くオレであった。

 

 

 

 

 翌日の日曜日は珍しくフリーの日だった。

 例によって四十院のSP部隊に守られて研究所まで行き、テンペスタを預けてきた。何でも一日かけてメンテをするそうで、今はISの待機状態であるアンクレットはない。

 私服姿に帽子を被って軽い変装をし生れ故郷まで戻って、隠れ名店『五反田食堂』の二階にある弾の部屋でゲームをしてた。タイトルは世界中でヒットしているIS格闘ゲーム『IS/VS』だ。

「で、何人の子をいただいたわけ?」

「死ね」

 弾の失礼な質問を一言でぶった切る。

「もうIS学園に入って二ヶ月近くだろ。お前のことだから、一人や二人や三人や四人や十人ぐらいペロっと」

「出来るわけねーだろ! あの女子しかいない場所でそんなことしたら、生きていけねーっての。ちょっとでも反感食らったらもう、ボッチ生活決定だぞ」

「またまたー。ってかお前、メイル使いじゃなかった?」

 メイルとはイギリスのメイルシュトロームの通称だ。

「だってテンペ強えし。数馬は?」

「午後から来るってよ」

「アラクネうぜええええ! トリッキー過ぎるだろナンダコレ」

 クモのような多脚式ISが画面の中でオレのテンペを一方的に蹂躙していく。

「最近目覚めたんだよ。触手に勝るものはないってな」

「その性癖はまずいぞ弾。あとそれは触手じゃねえ」

 下らない会話をしながら、休暇を友人と楽しむ。

 中学二年まではここに一夏が混ざり、五反田家か織斑家で遊んでいた。真剣にゲームするなら弾の家、トランプとかしながらグダグダするなら一夏の家という感じだ。残念ながらオレの家だった二瀬野家と数馬んちは狭いマンションだったので除外だ。

「そいや鈴来たぞ」

「マジか。何年ぶりだ?」

「一年ぶりぐらいじゃね?」

「何しに?」

「いやIS学園に。中国の代表候補生だってよ」

「はあ? あ、まあアイツなら有り得るか」

 弾が渋い表情をする。主に負の思い出が脳裏を駆け巡っているんだろう。

 ファン・リンインはオレたちにとってはある意味、恐怖の名前だ。何せヤツは何でも出来る。勉強も学校でトップクラスだったしスポーツも得意で、長距離走なんかはオレたちよりよっぽど速い。ただまあ……女子同士の友人関係というのが苦手らしくオレたち、というよりは一夏にくっついてることが多かった。何でも一夏一夏とまとわりついてくるので、つい弾や数馬がからかってしまうのだが、そのたびにコテンパンにされていたのだ。口でも敵わないし、手こそこちらからは出さなかったが、何度も殴られている。

 理不尽大王、鈴。オレたちの中学の間では有名人物だった。

 弾の部屋のドアが勢い良く開いた。そちらを振り向くと、弾の妹の蘭が前蹴りでオープンしたようだった。

「おにいーご飯ーって、あれヨウ先輩。おひさー」

「おーっす」

 気軽な様子で挨拶を交わす。オレにとっては勝手知ったる五反田家だ。

「もう、ちゃんと亜子とかシイとかとメールしといてよ」

「悪い、夜寝るのが早くてなー。謝っといてくれ」

 亜子ちゃんとシイちゃんは名門女子中の生徒で蘭の友達だ。前に一度遊んでメアド交換をしてから、少し交流がある。

「てか、うわーなにそのメガネ、かっこわる」

「うっせえ」

「ナンパな顔に磨きがかかってる」

「知ってるよわかってるよ言うなよチクショウ」

「先輩も食べてくよね? 何にする?」 

「業火」

「はいはい。んじゃ二人とも、さっさと降りてきてよね」

 返事すら待たずに階段を降りて行った。

「一夏いなくなってから、ガサツさに輪がかかってきたんじゃ?」

 弾に聞くと、非常に困ったような顔で、

「……まあ、他の男の前じゃ、女ってあんなもんだよな」

 と諦めたような声が漏れてきた。

「あんなもんあんなもん」

「だよなーそうだよなあ。だが、もうちょっとお淑やかに……」

「聞こえたら殺されるぞ」

「おっとやべえ」

 慌てて口をつぐむ。聞こえていないだろうな、と蘭がいた方向を見て、何も音がしないことを確認するとホッと息を吐いた。

「さて、これで最後にして、メシ食おうぜ」

「ぶらじゃー」

 テキトーに返事をしながらゲーム画面に向き直って、二人で最後の一戦を始める。

「またテンペかよ」

「またアラクネかよ」

 今日も平和で世はこともなし。

 織斑一夏はここにいない。それでも世の中は回っている。

 誰がいなくても、誰が増えても世界は続く。前の人生の記憶があろうと、オレは弾のダチで数馬のダチで、一夏のダチだ。

 画面の中でテンペスタが飛びまわっていた。

 先日の白式事件を思い出す。

 記憶を辿れば、織斑一夏は確か夢うつつの中で、謎の少女と出会っていた。あれが何なのかはまだ判明しないままに、オレは前回の命を終えている。前の世界の読者たちは、ISコアの中に宿ってる意識みたいなものだろうという予想だった。シュヴァルェア・レーゲンが暴走したときも確か搭乗者に誰か話しかけてたよな。

 ひょっとしたら、ISにはわかるんだろうか。

 ナターシャ・ファイルスは、その専用機『銀の福音』が優しい眼差しをしていると言った。

 ISが意識を持ってる、なんて眉唾者だけど、ISコアは独自のネットワーク網を敷いて相互情報交換を行っているらしいし、非限定情報共有(シェアリング)という機能によって自己進化をしているらしい。ということは、IS意識を持つような結果があってもおかしくないわけだ。なにせ全容は誰も知らないんだ。

 迷子のようなIS、白式。あの中にいる白い少女は、オレを恨んでいるかもしれない。

 だけど今、ここにいるのはテンペスタ・ホークのパイロット、二瀬野鷹だ。残念ながらこの世界は二つ目のルートを進んでいる。とりあえずは目の前のアラクネをぶっ飛ばして、五反田食堂名物の業火定食を食べよう。

 闖入者だって生きてるんだ。

「行くぜ、超必殺!」

 コントローラーを握る手が熱くなる。

 ゲーム画面の中で、『嵐』の名を持つISが舞い踊っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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5、世界の片隅の小さなお話

 

 

 オレ、二瀬野鷹と国津玲美、岸原理子、そして四十院神楽は、IS学園で四研組とか鷹組とか呼ばれるようになっていた。唯一の男性IS操縦者を中心に、その専用機に縁が深い三人であり、二ヶ月経った今では、学校はおろか寮でもよく一緒に行動している。

 校内でのオレの呼び名は、二瀬野、ヨウ、タカ、そしてスケベメガネだ。

 ……メガネ変えようかな、マジで。

 もちろん、表立ってスケベ! と呼ばれる行為をした記憶はない。間違って女子の更衣室に乱入したこともなければ、週に一度だけある大浴場の男子開放日を間違えたこともない。誰かにぶつかって転んだ拍子に胸を揉んだりスカートの中に頭を突っ込んだこともなければ、着替え中の女子の部屋のドアを開けたこともない。

「おい、落としたぞ」

 寮の廊下に落ちた布切れを拾い上げる。

「え? ……あれ?」

「ほれ」

 ぽいっと布切れを投げる。

「いやん、もう二瀬野クンってばぁ」

 洗濯物の塊を抱えたクラスの女子が、しなを作ってわざとらしく笑う。

「パンツくらいで、からかおうとすんな」

「えー、二瀬野クンって、こういうプレイはお嫌い?」

「どんなプレイだよ。あ、でも黒いヒモパン買ったらぜひ見せてくれ」

「えー? どうしよっかなぁ?」

「頼むわ、割とマジで。オレの憧れなんだ」

「でも玲美に怒られちゃうから、やめとくよ、ありがとねー」

「おー。おやすみー」

 とまあ、これぐらいのお気楽な出来ごとがあるぐらいだ。可愛げがないとはよく言われている。

 ……洗った後かな、今のパンツ。

 やれやれ、と向きを変えて、自室に戻ろうとした。目の前に玲美が腕を組んで立っている。あからさまに不機嫌そうな表情で、オレを睨んでた。

「スケベメガネ……」

「いやいやいや、今のは親切心だろ? 落し物拾ったんだし」

「ヒモパンのリクエストはいらないよね!」

 プンプンという効果音を発しながら、腕を組んでオレを睨んでいる。

 玲美は、最近は輪をかけて、こういう態度が増えてしまった。

 国津玲美。自然とゆるく外に広がっていく細く長い黒髪、大きな黒眼、小さな口は桃色で、整った顔つきをしている。表情がまだ子供っぽいことが多いが、国津のパパさんママさん曰く自慢の娘なんだそうだ。

 まあ客観的に見て、可愛い子だよな。

「ヨウ君、聞いてるの?」

 ジト目でオレの顔を見上げてくる。身長はオレより頭一つ低い。

 同じ鷹組の理子や神楽は良いのだが、それ以外の女子と仲良くしていると、たまに物凄い嫉妬を態度に出す。

 ……これはどう考えても惚れられてるんだろうなあ。

「んじゃ、部屋に戻るぜ、おやすみ」

 ポンと肩を叩いて、フラフラと歩き出す。

「ベーッだ!」

 玲美はオレの背中に向けて、思いっきり舌を出しているようだった。

 やれやれ。

 

 部屋に戻ってシャワーを浴び、パンツ一丁でタオルを頭に乗せる。冷蔵庫から冷たい水を取り出して、足でそのドアを閉めた。

 机に座ってメガネをかける。空間ディスプレイが立ちあがり、そこをタッチしていくとメールフォルダが開かれる。

 神楽からメールが届いていた。四十院研究所関係のスケジュールが自動でオレのカレンダーに刻まれていく。ToDoリストも同様だ。

「相変わらず手際の良いこと」

 四十院神楽は四十院財閥の縁者で、関連企業である四十院研究所所長の娘だ。モデル体系にタレ目で、周囲の生徒より大人びて見える。髪をアップにしてスーツを着ているときなんかは、まるっきり社会人だ。さらに今時の女の子には珍しいおしとやかな態度は、関係各部署では評判が良い。

 また、幼いころから事務方の手伝いをしてたらしく、仕事に関しては恐ろしいほど手際が良い。もちろん、学校の成績も良いときたもんだ。

 はっきり言って、すごい頼りになるマネージャーである。

 空間ディスプレイの右隅に、着信を知らせる吹き出しが浮き上がった。音声オンリー、というボタンを押すと、

「こんばんは、今、よろしいでしょうか?」

 と神楽の声が聞こえてくる。

「どうぞ。何か緊急な用事?」

「明日のメニューですが」

 Tシャツに頭を通したところで、オレの体が硬直する。

「く、訓練の?」

「いいえ、食事のメニューです。新しいメニュ-を考えつきましたので、試食をお願いします」

「りょ、了解だ」

「今度は自信があります。コロンビアの奥地に伝わる伝説の未開の地で取れた植物を発酵させた調味料で、現地の部族の族長ですら食べたことがないという逸品です」

「それってオレが世界で初めて口にする実験台という意味ですよね?」

「おめでとうございます」

「世界初が何でも名誉だと思うなよこのヤロウ」

 彼女はいわゆるメシマズキャラなのだ。セシリアと一緒に料理をしているのを見たとき、この世に地獄が出現したのかと思った。

 本人はオレに会うまでその自覚がなかったらしい。ある日、彼女が作ってきたという弁当を一口食べた後、オレが率直に『美味くない』と言ってしまったせいで、火が点いたようだ。

「では、明日は楽しみにしていてください」

「……りょうかいした」

「おやすみなさい」

「オヤスミ」

 音声オンリーのチャットウインドウが落ちる。

 美味くないと言った責任は取らなければなるまい。まあセシリアと違い彼女は料理の成分をしっかりと分析しているので、体に悪いということはない。……凄く苦いとか、甘酸っぱいのにどこか辛いとか、そういう不思議な味がすることを除けば、体には無害だ。というか成分分析って普通、料理のときにはしないよな。

 とりあえず、明日は覚悟をして昼休みに臨もう。

 オレは憂鬱な気持ちを体ごとベッドに投げ込んだ。

 

「おっはよー!」

 朝一番で元気な挨拶をして入ってきたのは、花丸元気なメガネッ子、岸原理子だ。  

「理子おはよー」

「理子ちゃんおはよう」

「理子理子、ちょっと聞いてー」

 とたんにいろんな女子が寄ってくる。少し低めの身長な彼は、あっという間に女子生徒に埋もれて行く。しばらく談笑した後、自分の机に座る。

「箒ちゃんおはよー」

「ああ、おはよう」

 武士かお前は。

 そんな無口な箒の顔を覗き込んで、理子がニヤニヤとし始めた。

「あれれ、何か良いことあったぁ?」

「そ、そんなことはないぞ」

「あ、噂の彼からメールが届いたんだ」

「ど、どうしてそれを……」

「へーへー、なんて何て?」

 と普通に会話を始める。

 アイツは誰に対しても遠慮がないせいか、無口な女子であろうと気にせずに話しかける。ムードメーカーというほどでもないが、クラスの円滑剤だ。率先してみんなを引っ張るとかそういうことはしないが、彼女がいるおかげで一年一組が平和だと思うのは、オレの買いかぶりだろうか。

 しかし、箒が女子トークをしてるぞ。

 幼いとき、いやそれよりもっと前から一方的に知っている身としては、新鮮過ぎた。ときには顔を赤らめ、少し怒った風に見せ、それに対し理子が小さな体でオーバーアクション気味に反応する。メガネの奥にある大きな目が嘘偽りのない感情を表現するので、対人関係に不安のある人間でも安心して会話できるのだろう。

 そして理子と箒が会話してると、セシリアも近づいていく。話に興味があったようで、『まあ!』とか『すごいですわ!』とか相槌を打ってる。彼女も彼女で性格上問題があると思われ、箒と二人だとそこまで会話が長続きしない。なのに間に理子が入ると、女子トーク全開になるのだ。

 すげえなあ、と思う。

 クラス中が和やかな会話で満たされていく。誰も理子のおかげだと思ってないかもしれないが、理子のおかげで一年の中では一番、穏やかな雰囲気を持つクラスだとオレは思ってる。

 チャイムが一つ、学校中に響く。ショートホームルームが近づいてきた証拠だ。軽く挨拶をして、それぞれが席に戻っていった。

 織斑先生と山田先生が前方のドアから入室してくる。

 今日も、IS学園の一日が始まった。

 

 

 最近、気になる子がいる。

 クラスメイトの一人だ。

 表だって声をかけたりはしないが、その子の姿を自然と追ってしまう。

 理由は単純だ。彼女はIS操縦の成績が良くない。いや、正確には、急激に落ちたのだ。

 元々、彼女のIS適正はC。IS学園に在籍する多くは、CからBランクが多い。IS適正のランクは本人の資質の一つだが、これはIS学園にいる限り上昇していくことが多い。CからBになる子もざらだ。A以上はなかなか難しいが、それでも落ちるということは珍しい。

 どこでもいる中肉中背の、普通の女の子で、クラスで浮いてるわけでもなく、仲の良い数人の友人といつも一緒にいる感じだ。

 彼女が成績が急激に落ちた理由は、どうもIS操作に失敗して急降下し地面に激突したのが原因らしい。

 友人数人と放課後の自主訓練中で、クラス代表のセシリアもオレも現場にはいなかった。

 もちろんISに乗ってたおかげでケガ一つなく、地面に落ちた直後は本人も笑っていたぐらいらしい。友人たちもホッと胸を撫で下ろして、何事もなかったかのように一日を終えた。

 次の日のIS実習は、基礎的な飛行訓練だった。

 彼女は飛べなかった。

 ISを空へと羽ばたかせようとすると、体がすくみ、動けなくなるらしい。

 それから、彼女の成績は急降下していった。

 今の彼女のIS適正はランクはD。

 それは、IS学園に在籍し続けるための、ギリギリのランクだった。

 

 放課後の教室で、セシリアがかなり落ち込んでいた。自分の席で項を垂れている。

「……何か手は……」

 クラス代表として、かなり責任を感じているようだった。

「無理やりに飛ばしちまうか」

「荒療治ですか……。それも考えましたが、最悪、地上歩行すら出来なくなるかもしれませんわ」

「だよな……」

「毎年、数人がIS学園から転出していくとは聞いていましたが、まさか自分のクラスから出るなんて……わが身の不甲斐なさを覚えますわ……」

 まったく同じ心境だった。

 件のクラスメイトは今、鷹組三人を初めとするクラスメイト数人で、ISの自主訓練をしている。主に歩行と地上での各種動作の反復練習をすると聞いていた。

 歩くだけ、腕を振るうだけなら彼女も出来るのだ。だが、飛ぶことが出来ない。これは致命的だ。

「二年になれば、整備クラスが出来ると聞いてるけど……」

「それも、IS操縦が一通り出来るのが大前提ですわ」

「そっか……」

 良いアイディアが浮かばない。窓際に立って、空を見上げる。梅雨に入ったせいか、今にも雨が落ちてきそうな空だった。

 二人しかいない教室に、沈黙が流れる。

 

 結局、何も思いつかないまま、オレはグラウンドに出てきた。隠れるようにしてヘッドパーツだけを部分展開し、遠目にクラスメイトたちの練習を眺める。

 二台の打鉄を交代しつつ、六人で練習しているようだ。走ったり、じゃれあうように剣を撃ち合ったりしている。決して、誰も飛びはしない。

「タカ、何をしている? 覗きか?」

 声をかけられて後ろを見ると、制服姿の箒が立っていた。

「……覗きだ。良い趣味だろ?」

「頭の中までスケベメガネになったか」

「うっせぇ」

 それっきり何も喋らずに、オレはじっとみんなの練習を見つめる。

 何か良い手はないだろうか。

「……出て行かないのか?」

「出て行って何すんだよオレが。今はISスーツの女子を見てハァハァする時間なんだ。邪魔すんならどっか行け」

「そうか。では失礼しよう。国津に見つからないようにな」

 呆れたようにそれだけ言って、箒は踵を返してオレたちから離れていった。国津とは、国津玲美のことだ。

 箒もおそらくは、クラスメイトが一人、IS学園に残れるか否かの瀬戸際だということは知っているんだろう。そうじゃなきゃ、制服姿のまま見には来ない。

 ……そういや箒はちょうど、あの子と逆の立場か。

 篠ノ之箒の姉は、篠ノ之束である。

 篠ノ之束博士こそがインフィニット・ストラトスの開発者であり、おそらく世界最高の天才だ。そんな姉を持つがゆえに、彼女の人生は普通ではなかった。

 このIS学園に入学してきたのも、日本政府に言われて仕方なく、だと聞いている。それまではオレの両親と同じようにVIP保護プログラムによって、各地を転々としていた。これは前の人生で得た知識だが。

 もし織斑一夏がいるならば、彼女は少なくともここに居続ける動機があっただろうし、モチベーションも保持できたと思う。だけど、あのバカは今ここにいない。

 IS学園に残りたい人間と可能なら入りたくもなかった女の子。

 何を思い、どう行動すれば良いか、オレにはさっぱり思いつかなかった。

 

 その日は飛行実習だった。ホログラムで空中に表示されたコース通りに飛び、全員がタイムを図る。よくあるIS訓練だ。

 だが、一組のメンバーは全員、緊張していた。

 飛べなくなった『あの子』が今、打鉄を装着して、スタート位置に立っていた。

 白いジャージ姿の織斑先生が厳しい顔をしている。実習担当の教師であると同時に、彼女はうちのクラスの担任でもあるのだ。あの子が飛べなくなった理由もよく知っている。

「では、次の組、始めるぞ」

 かと言って、特別に扱うことは出来ない。そんなことをすれば、このIS学園に入るために幼い頃から勉強し、なおかつ入学することが出来なかった全ての人間に対する冒涜に値する。

 ここはIS操縦者育成特殊国立高等学校。日本の税金を使い運営されている機関だ。ISを動かせない、または将来性のない者に分け与える予算はない。

 打鉄に乗った三人のクラスメイトたちが足を踏み出す。腰を落として、空に舞う準備をした。

 オレと隣にいるセシリアが目を合わせ、頷き合う。同じような事故が起きないように、落下する素振りを見せれば、専用機を展開して受け止めると事前に決めていた。

「位置についたな。ではカウント開始」

 副担任である山田先生が手に持った四角い機器からホログラムを投射し、カウントダウンが表示される。

 3。

 みんながハラハラした目で、件のクラスメイトを見つめる。

 2。

 箒もその中で、真剣な目を向けていた。

 1。

 その子にとって、運命の数秒間が始まる。

 0。

 三機のインフィニット・ストラトスが、空中に向かって飛び立った。

 

 

 結果から言うと、ダメだった。

 彼女は飛び立った。他の二人の子たちについて、ホログラムで示されたコースを回ろうとした。

 スタートから三秒後、彼女の機体は急に不安定になり、地面に向けて急降下を始めた。

 セシリア・オルコットがISを展開し急加速する。激突スレスレで抱き止めて、ゆっくりと地面に降ろした。

 打鉄から降ろされ、青ざめた顔の彼女の肩に対し、織斑先生の手が乗せられる。

 オレたちに聞こえないような声で、何かを言った。

 近くに立っていたセシリアが泣きそうな顔をし、件の女の子はそれ以上、何も喋らなかった。彼女はそのままセシリアに肩を貸してもらい、医務室へと向かって行った。

 これが一部始終であり、それ以上、オレたちには語れることはない。

 

 一組全員がそれぞれの夜を過ごす。総じて共通していたのは、笑顔がないことだった。

 

 次の日、彼女は学校に来なかった。

 さらにその翌日、朝のショートホームルームで、その女の子が転校することが告げられる。今は荷造りをしているそうで、学校には出てこないらしい。

 昼休み、いつもの三人と一緒に食堂でボーっとメシを食っていると、箒が声をかけてきた。

「今日の放課後、打鉄を二台、予約できるか?」

 神楽に対して言っているのだろう。オレたち四人の中で、そんな手際を見せることが出来るのは彼女だけだ。

「……今からでしょうか?」

「ああ。お願いだ。私か、私が姉にお願い出来ることで良ければ、何でもすると約束する。叶えられるかはわからないが」

 箒がそんなことを言うなんて、オレには驚きだった。四十院の人間でなくともIS関係者なら飛びつく内容だ。

「わかりました。そこまで言うなんて、よっぽどの用件なのでしょう。代価は結構です」

「ありがとう。恩に着る」

 意外な神楽の答えだったが、箒は表情を変えずに頷き、踵を返してオレたちの元から離れて行った。

 誰も何の感想も言わなかった。

 

 放課後、第六アリーナに二台の打鉄が立っていた。

 一人は篠ノ之箒、一人は、明日からIS学園の生徒ではなくなる女の子だ。

 打鉄を装着し、ブレードを構えて向き合う。

 第6アリーナはかなりの広さを誇る人気スポットであり、本来なら上級生や専用機持ちが優先して使うべき場所だ。IS学園内の競技会の場所となることも多い。

 そんな場所がどうして急に借りられたのかと言えば、オレやセシリアが生徒会や上級生に頼み込んで貸し切りにしてもらったのだ。オレに至っては、しばらく上級生の整備組の実験体となることが決まっているぐらいの無理はした。

 一組の全員と、合同授業で一緒になることの多い二組の何人かが客席にいる。生徒会長の姿も見えた。もちろん、担任である織斑先生と副担任の山田先生もいる。

「では、参るぞ」

 箒が気合いを込めて叫ぶ。

 女の子は無言で剣を構え、攻撃に備えた。

 空を飛ばずに、箒は地面を蹴って、上段からブレードを振り下ろす。

 金属同士がぶつかる衝撃音だけが、アリーナに響いていく。

 何回かのぶつかり合いの後、女の子が上段の構えから、精いっぱいの力を持って剣を振り下ろした。箒が無言の気合いから、ブレードを振り上げる。

 今までで一番大きな音が響いた。

 思わず一瞬の間、目を閉じてしまう。ゆっくりと瞼を開けると、剣を持ったままの箒と、両手に何も掴んでいないあの子の姿が見えた。

 試合はそれで終わった。箒がゆっくりとISの足を動かし、落ちていた剣を拾う。そして、あの子へ剣を差し出した。

 お互い、口を開かなかった。ただ頷き合い、剣の受け渡しが終わる。

 開始時点まで戻り、インフィニット・ストラトスを装着したまま、彼女たちは一礼した。

 織斑先生が一番最初に拍手を始める。全員がそれに習って、アリーナから拍手を飛ばし始めた。

 その観客に答えるように、彼女は周囲を見渡し、一度、空を仰ぐ。それから、クラスメイトたちの方を見て、泣きそうな笑みを浮かべた。

 

 IS学園の寮の玄関で、女の子たちがそれぞれに別れを挨拶をしていた。箒は何も言わずに、じっと黙っていた。

「おつかれさまでした」

 セシリアが握手を求める。その横に立ったオレも、

「ありがとな」

 と声をかけた。

 大きなバックを持った女の子が、オレに向かって口を開く。

「黒いヒモパン、見せる機会なくなっちゃったね」

 一週間ほど前、このIS学園の一年専用寮の廊下で、彼女とかわした他愛のない会話のことを言っているのだろう。

「まったくもって残念だ。購入したら、彼氏に見せるよりも前に写真に撮ってオレに送れ」

「あははは、玲美に怒られるからやめとくよ」

 そう言って、彼女がオレに手を差し出す。そっと握り返し、手を離した。

「じゃあみんな、今までありがとう」

 綺麗な姿勢でお辞儀をしてから、彼女は踵を返した。

 IS学園一年一組の女の子たちがが泣き出した。背中を向けてる彼女もおそらく、泣いているのだろう。

 それ以上の言葉を残さず、大きなバッグを抱えて、その子はゆっくりと扉を出て行った。

 彼女はもう、ここに戻ってくることはない。

 

 IS学園の夜の食堂で、オレは一人でテーブルに肘をついてボーっとしていた。いつも美味しい食事を作ってくれるオバチャンは自宅に帰り、飯時は騒がしいこの場所も、今は最低限の明かりがついてるだけだ。そろそろ寮全体の消灯時間も近く、自室やら友達の部屋に行っている奴ばかりだろう。実際、ここにいるのはオレだけだった。

 そこに、一人の女子が入ってきた。

「箒、どうした?」

 オレが声をかけると、

「水を切らしていたのでな。取りに来たのだ」

 と無愛想な顔で返答する。風呂に入った後なので、部屋着に使っている和服を纏っていた。

「そういや何で、お前が試合したんだ?」

 今さらながらに思いついた質問を出す。

 すると彼女は無料の給水機の水を入れたペットボトルを手に、少し困ったような笑みを浮かべた。

「この学園で、最初に話しかけてくれたのが彼女だったのだ」

「……そっか」

「同じ剣道部で、彼女はいつも一生懸命で真っ直ぐな剣をしていた。だから最後に相手をしてもらおう、と思ったのだ」

「なるほど」

「ではな、おやすみ」

 しっかりと理由だけ述べて、彼女は自室に向かって戻っていく。

「おやすみ」

 小さく声をかけて、オレもイスから立ち上がった。

 彼女の顔と声を思い出す。

 その名前を、オレは一回目の人生で見かけたことはないと思う。事実、彼女はどこにでもいる、名前の無い普通の女の子だ。

 だけど間違いなく、彼女はIS学園の一年一組にに存在していた。

 最後にもう一度、心の中で別れを告げて、この一人の少女の話を終えようと思う。

 ありがとな、バイバイ。

 

 

 

 

 



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6、ドイツ人来日

 

 

 山田真耶先生は意外に忙しい人だ。何故なら、織斑千冬先生がそれに輪をかけて忙しい人だからだ。

 山田先生は織斑先生に代わって通常の授業を受け持ったりホームルームを行ったり、イベントがあればオペレーター役をやってたりする。それに付け加え、山田先生は織斑先生と違って親しみやすいせいか生徒からの信頼も厚く、放課後は指導をお願いされるときがある。

 しかも、普段のおっとりした姿から想像もつかないが、元代表候補生であり、IS操縦の腕はオレたちを遥かに凌ぐ腕前の持ち主だ。こういう表層だけ見れば、山田先生はIS操縦者の一つの終着点に立つお人であり、スーパーエリートである。

 が、オレたちからしてみれば、

「真耶ちゃん、一緒にランチいかない?」

 というただの近所のお姉ちゃん扱いだ。ちなみに声をかけたのはオレではなく理子である。

「ごめんね、ちょっと急なお仕事があって。人を迎えに行かないといけないんです」

 丁寧かつ優しい口調と童顔に巨乳、さらにメガネとドジっ子。あんたはいくつ属性を抱えるつもりか。おそるべしIS学園教師陣。

「人?」

「ええ。ドイツから来るんですが、どうしても自分一人で来ると言って聞かなくてですね……」

 ドイツ。ドイツっていうとラウラ・ボーデヴィッヒだ。第三世代IS『シュヴァルツェア・レーゲン』のパイロットで、実験部隊の隊長で、銀髪のロリっ子軍人。

 前の人生の記憶を思い出す。そうか、夏の臨海学校より前にツーマンセル・トーナメントがあったから、転入してくるならそろそろなのか。

「代わりに迎えに行きましょうか?」

 意外な人間の申し出だったのかもしれない。少し戸惑ったような顔をして、

「え? いやそういうわけには」

 と返答がある。だがここは少しでも早く本人を見たい。

「山田先生も忙しいだろうし、オレが行ってくるよ」

「えーっと、どうしようかな。でも……」

「他に用事もあるんでしょ。ドイツ人っていうなら、すぐわかるよ」

 ちなみにワタクシ二瀬野鷹は、学園では優等生だ。先生方の信頼は厚い。容姿で誤解されがちで他クラスの子には意外と言われるが、余計なお世話だチクショウ。

「うーん、そうですね。じゃあお願いしようかな」

「んじゃ、そういうことで、待ち合わせはここの駅? 時間は?」

「十二時半に、IS学園駅です」

 左腕の時計を確認する。結構、時間が差し迫ってきていた。

「あ、ヨウ君、私たちも一緒にー」

 玲美が呼びかけてくる。

「いや、お前らはメシ食ってろ。オレもすぐ後で行く」

 と返して、オレは踵を返して走りだした。

 ラウラ・ボーデヴィッヒか。可愛いんだろうな……ちょっとワクワクしてきた。

 笑いが漏れ出るのが抑えきれない。

 オレは後で思い出す。ここでちゃんと山田先生に詳細を聞いておくんだった、と。

 

 

 

 

 IS学園と市の中央部を繋ぐモノレールの駅で、オレは待っていた。時間は十二時三十五分だ。

 キョロキョロと周囲を見回す。銀髪の小柄な少女の姿は見えない。

 学園関係者が主な利用者であるこの駅は、昼間は閑散としている。だからすぐに見つかると思ったんだけど、おかしいな。

 何度も周囲を見回したが、Tシャツにジーパンを履いた外人ぐらいしか見当たらない。乗る電車を間違えて途方にくれているのだろうか。てか、手に持った有名オタク系マンガ書店の袋は何なんだ。

 時間があれば相手も出来るだろうが、今はあいにく、人との待ち合わせ中だ。ごめんよ。

 次の電車がやってくる。これにも乗っていない。

 おっかしいなあ。やっぱり一人じゃ来れなかったのかなあ。

 銀髪を探して周囲を見渡してると、先ほどのTシャツを着た外人が近寄ってきた。……何でTシャツが少女漫画のプリントなんだろう。外国のオタクか?

「おいキサマ」

 顔を見れば、鋭い眼差しがあり、シャープな顔立ちと相まって、一層と厳しいものに見える。いや、格好はオタクスタイルなんだけどな。って、左目に眼帯をしてる。海外じゃそういうルックスが流行ってるんだろうか。

「あ」

 オレは思わず呻いてしまった。

 ドイツ人。そうだ、こいつもドイツ人だった。すっかり忘れていた。

「IS学園の生徒だな。男、ということはフタセノ・ヨウか」

「は、はい! 申し遅れました、フタセノ・ヨウであります」

 軍人然とした威圧感に思わず直立不動を取ってしまう。

 硬直したオレの態度に、少し満足したのか、少女マンガのTシャツを着て、左目を眼帯で隠した黒い髪の女性が敬礼をする。

「クラリッサ・ハルフォーフ大尉だ。出迎えご苦労」

 ……そう。ラウラ・ボーデヴィッヒはドイツ人であり、その部下もまたドイツ人だ。

 だから、このお方だって、ドイツ人には間違いない。

「なぜ、そのように落ち込んでいる? 私に何か不服があるのか」

「いえ、滅相もありません」

「なら良い。では案内をしたまえ」

「了解であります」

 略式の敬礼をして、オレは踵を返す。

 物凄い肩すかしという感想しか抱けない、まさかのカンチガイ外人の登場だった。

 

 

 

 

 クラリッサ・ハルフォーフ大尉。

 ドイツのIS配備特殊部隊の所属で、部隊を実質的に牽引する人望厚い副隊長様である。前回の人生の記憶を辿れば、ラウラ・ボーデヴィッヒの部下であり、彼女に勘違いした知識を吹きこんだ少女漫画愛好家だ。

 一人でIS学園まで来たのは、途中で日本の『まんだ○け』で少女マンガを買うためか。

 顔だけ見れば、鋭い顔つきの美人である。だが、最近覚えたオレの脳内ライブラリーに、彼女にぴったりな言葉があった。そう、残念美人という言葉が。

「先に着替えますか? そのまま職員室に行かれますか?」

 後ろを歩く大尉殿に尋ねる。さすがに少女マンガのプリントされたTシャツ姿では、職員室には入れまい。

「どこか着替える場所があるなら、そうさせてもらおう」

「では、アリーナの更衣室を使いましょう。今は昼休みですので、まだ空いていると思います」

「わかった。案内したま……そこのセキュリティは万全か?」

「は?」

「安全面では大丈夫なのか、と聞いている」

 さすが軍人。いつでもそういうことを気にしてるのか。

「少なくとも、今までそこで事件が起きたことはありません」

「ふむ、では男子が間違えて入ってくる、という最悪の出会い的な場面は起きないのだな」

 いや、そっちの心配かよ。少女漫画菌に脳でも侵されてんのか。

「てか、男子はオレしかいません」

「ではキサマが?」

「ご要望には答えませんよ?」

「まさか私が着替えてる最中に入ってくるというのか!? さすが日本……」

「ちげぇよ!」

 会って二十分で心が折れそうだった。

 腕を組んで身を隠すようにしているクラリッサに、オレはコホンと咳払いをした後、

「そういえば、大尉はなぜIS学園に?」

 と尋ねた。

「私が入るわけではないぞ」

(思ってねーよ)

「残念だったな、遅刻しそうな私と出会いがしらに衝突するようなことが起きなくて」

「思ってねーよ!」

 しまった、つい心の叫びが口から出た。さすがにオレの口調に少し頭に来たのか、大尉殿の顔が厳しい表情になる。

「キサマ、先ほどから上官に対してその言葉づかいは何だ!」

「オレの上官ではないんですけど……」

 思わず苦笑いで反抗すると、意外にもすぐに表情が戻った。代わりに疑問を携えた顔になる。

「む、そういえばそうだったな。これは失礼した。だが、階級が関係ないとしても私は年上であり、そういう態度は日本では好ましくないのだと思っていたが?」

「いえ、つい心の声が出てしまいました、申し訳ありません」

 もう段々とヤケっぱちになってきたオレがいる。

「そうか、では仕方ないな」

(仕方ねえで済んじゃうのかよ、良かった)

「日本では心の声も他者に見えるからな」

「マンガの見過ぎだよ! リアルにフキダシとかねえよ!」

 あのラウラ・ボーデヴィッヒにして、この部下ありなのか、はたまた逆なのか。

 ああ、貧乏くじ引いた。

 

 

 

 

 軍服に着替えたお笑いドイツ軍人を無事に職員室へと連行し、オレは教室に戻ってきた。

 机に突っ伏し、主に精神的な疲れでぐったりしているオレのところに、玲美が近寄ってくる。 

「どうしたの? 何か疲れてるみたいだけど」

「聞くな……あーもうメシ食う時間ねえし」

「もう、中々帰ってこないから、心配したよー」

 笑いながら、手に持ったオニギリをくれる。ラップで包まれた可愛い大きさのオニギリが三つあった。

「……くれるの?」

「欲しいの?」

「欲しい。超欲しい」

「どれくらい?」

 オレを試すような笑みを浮かべて、玲美がオレに問いかけてくる。何か面白いこと言えって前振りなのかコレは。

「無人島でお前とオニギリどっちかしか選べない状況になったら、迷わずオニギリを持ったお前を取るぐらい」

「……えーっと」

 あれ、赤くなってる……今のセリフのどこに嬉しがる要素がどこにあったというのだろうか。迷わず無人島をテンペスタで脱走してコンビニに駆け込むぐらいの方が良かったか。いや、それだと間違いなく怒るだろうしなあ。

「し、仕方ないなぁ」

 俯きながら、遠慮がちにオニギリを差し出した。恥ずかしがってるのか、異常に遠かったので精いっぱい腕を伸ばして、オリギリを鷲掴みにする。中身を取り出して、そのまま一口で頬張った。

「美味い」

「そ、そう? 食堂のメニューをおばちゃんに頼んで包んでもらったんだけど。あ、お茶いる?」

「くれくれ」

 むぐむぐと咀嚼し、貰ったペットボトルのお茶で流し込む。あっという前に二つ食べてしまい、残り一個を掴んで透明な包を解いていった。最後の一個だけ妙に歪んでる気がしたが、米は米だ。

「具は昆布と梅干し。最後は何かなっと」

「ふふーん。最後はスペシャルだよー」

 楽しげな玲美の顔を眺めながら、ぽいっとオニギリを口に入れる。

「何スペシャル?」

「セシリアスペシャル」

「ぶほっ!?」

 思わずオニギリを吐き出しそうになるのを、何とかこらえた。あやうく玲美の顔が米粒と唾液まみれになるところだった。

「うそうそ。さすがにそれは準備できなかったよ、あの短時間じゃ」

「時間さえあれば用意したのかよ……ってこれ」

「ん?」

「……いや、何でもない」

「どうしたの?」

「いや、何でもない。美味いなこれ。三つの中で一番美味い」

「そ、そっか。良かったぁ」

 その安堵に染まった笑みを見て、作ったのはお前だろとは言えない。具が入ってなかったから、いつも大事なことを言い忘れる玲美が作ったんじゃないかと思った、とも言えない。

 塩味だけのオニギリをゆっくり咀嚼し、お茶を飲み干したタイミングで電子音のチャイムが鳴り響く。

「何とか食べれたな。サンキュー」

「いえいえ、どういたしまして」

 はにかんだ笑みを浮かべたまま、少し離れた自分の席へ彼女が戻っていく。

「女たらしめ。昔と変わらんな」

 左後方から呆れたような声が聞こえる。

「少しは一夏を見習えってか? あいつも大概だぞ。天然だけど」

 からかうような調子で、声の主である箒に返すと、途端ににムッとした顔になる。

「ふ、ふん、あんなやつ、もう知らん!」

「どした? またメールが返って来なかったのか?」

「ち、違うぞ、そんなことで怒るような私では。そ、それに忙しくなると、この前メールにあったからな!」

「何でメールなんだよ。電話とかすればいいじゃん。テレビ電話なら顔も見れるし。見たくないわけ?」

「それは……」

 急に元気がなくなって俯く。あれ、ホントにどうしたんだコイツ。

「そいやオレもアイツの顔、見てねえわ」

「お、お前もそうなのか」

「言われてみて気付いた。転校していってから、思いついたときにメール送ったりするだけだからな」

「そ、そうかそうか。なら良い。い、忙しいなら仕方ないしな」

「そうだな。って、あの足音は」

「山田先生だな」

 機嫌の治った箒から視線を映し、真っ直ぐ前を見る。何だかんだで山田先生の授業は面白い。本人の実体験を混ぜてポイントを抑えて教えてくれるので、人気のある授業だ。

 教室の前の自動ドアが開き、山田先生がが入ってきた。その後ろからクラリッサ・ハルフォーフが入ってくる。今は『黒兎隊』仕様の軍服に着替えていた。

「さて、授業の前に軽く紹介しておきますね。大尉、お願いします」

 織斑先生がクラリッサに目で合図すると、小さく頷いてから、彼女は敬礼する。その威圧感にオレたち全員は背筋を伸ばした。

「クラリッサ・ハルフォーフだ。今日と明日、諸君らの授業を見学させてもらう。よろしく頼む」

 その完璧な軍人的挨拶に、皆が言葉を失う。それからクラス中の一人一人の顔を見回していった。視線を向けられた生徒たちも息を飲みながら耐える。

 最後にオレと目が合った瞬間に、フッと笑みを浮かべる。

「ふ、二瀬野クン、何か失礼なことをしたりしました?」

 山田先生が慌てた様子でオレに問いかけるが、オレにそんな記憶は……いや、だいぶ失礼な言葉遣いはしたかもしれない。だが、言い訳させてもらおう。あれはツッコミをせざるをえないボケだった、と。

「いえ、彼には親切にしていただきました、山田先生」

 クラリッサがフォローをしてくれた。

「そ、そうですか、良かったぁ。彼も悪い子じゃないんですけど」

 人を問題児みたいに言うのをやめてくれ。あと背後から棘のある視線を飛ばすのをやめろ玲美と理子と神楽。

「で、では授業を始めますね」

「山田先生」

「は、はい、なんでしょう?」

「私の席は彼の隣でしょうか?」

「はい?」

「いえ、こういう場合、事前の面識のある男子の隣に座る、と思っていたのですが」

 なんでそこだけ少女マンガのノリなの。

「あ、えーっと、大尉は見学ですので、一番後ろにイスを用意しておきました。そちらでゆっくりとご見学してください」

「……了解です」

 残念がるなよ大尉!

 それだけ言って、彼女は教室の真ん中を歩いていく。妙に足元を注意している気がするのは……おそらく誰か女生徒が足を引っ掛けてくるのでは、とか思ってるんだろうな、うん。

 もちろん、そんな不届き者は我がクラスにはいないので、何事もなく一番後ろまでたどり着き、踵を返して正面を向く。再び残念そうな顔をしたのはオレの気のせいだろう。

「では授業を始めますね」

 のんびりした山田先生の声が響き、午後の授業が始まった。

 

 

 

 

 今日はIS乗りが患う病気についてだった。皆、自分に関わることなので、真剣に聞いていた。

 インフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド症候群という疾患がある。通称IWSと呼ばれるこれは、ISパイロット特有の病気と呼ばれるものだ。

 ISのもたらす感覚フィードバックが、日常生活でも続くというもので、ISから少し離れればすぐに治るらしい。ただ、日常的にISに乗る人間は症状が長続きしてしまうことが多く、企業・軍に所属する専用機持ちが多く患うらしい。IS学園でも年に数人ほどかかると山田先生に聞いたことがある。

 主症状は、感覚異常だ。これが曲者で、例えば自分の歩行幅が脳で感じるものと違い、日常的に事故に合いやすくなる。階段から落ちたり、酷いものでは、交通事故にあったりしてしまう。IS学園の保健室にも『IWSかな? と思ったらすぐ相談』などのポスターが張ってあるぐらいだ。 

 他にも慢性的な頭痛や生理不順(オレには関係ないが)など、多数の症状がある。

 ほとんどの場合が、自覚症状を感じた当人の訴えにより解決するが、たまに異常に悪化し、生活に支障をきたしたまま、ISパイロットから引退せざるをえない場合がある。

 実はこれは難しい問題もあるようだ。例えば専用機持ちや企業や軍の試験機選任担当などは、中々言いだせないのだ。それはそうだ。ISに乗れなくなれば、その間に他のパイロットが自分のISを使う可能性が高い。その間に自分より良い成績が出せてしまうと、自分は補欠に逆戻りだ。

 ISコアは467個しかない。IS乗りを目指す女性は、それこそ星の数ほどいる。

「でも皆さんの命に関わる問題ですので、自覚症状があったら、すぐに先生に相談してくださいね」

 と、山田先生がぐるりと周囲を見回すと、生徒たちも「はーい」と元気に返事をした。

「はい、先生!」

 相川さんが元気良く手を上げた。

「質問ですか?」

「先生はかかったことがあるんですか?」

「私ですか? えーっと、それっぽい症状になったことはありますねー。ほら、ISって手が長い機体が多いじゃないですか。だからドリンクを取ろうとしたとき、取り損ねたりとか」

 それは先生がドジなだけじゃないだろうか。

「へー。そういう症状もあるんですね」

「色々ありますから、異常を感じたら、些細なことでも良いので先生たちに相談してくださいね」

 そこでチャイムが鳴って、授業が終わる。

 時間計算しているのだろうか、山田先生の授業はいつもぴったり終わることが多い。

「ではここまでです。おつかれさまでした」

「起立!」

 セシリアの号令が響くとともに、生徒が全員立ち上がり、礼とともに授業が終わった。

 

 

 

「フタセノ、今、良いか」

 授業が終わり、そのまま残っていたクラリッサ大尉が声をかけてくる。

「なんでしょうか、大尉殿」

 思わず身構える。主にツッコミの構えだ。

「メガネをかけている、という情報は無かったが、いつからかけるようになった?」

 詰問するような口調に、思わず周囲が緊張に固まる。

「いえ、入学してからです」

「伊達か?」

「答える義務はありますでしょうか?」

 オレの返答に、クラリッサは少し考え込んだ後、

「ないな」

 と不敵に短く言い放った。

 全くもってオレには答える義理はないし、ドイツにオレの身体状況を教えてやる義務もない。

「質問は以上でしょうか?」

「では、外してもらっても良いだろうか」

「それは構いません」

 目だけを囲むような四角いフレームのメガネを外して、オレはクラリッサを見つめる。相変わらず右側が見えないに等しい。

 ドイツの大尉殿はふむとオレの顔に近づいて、マジマジと観察する。鋭い目つきと鋭利なラインの顔つきが、まるで勇ましい肉食動物を思わせる。

「な、何か? あの、近過ぎる気がするんですけど」

 左目でまつ毛の一本まで確認できるぐらいの距離だった。そして、その向こうにはオレを睨む玲美のむくれた顔があった。

「おっと、すまない」

 顔を引き、再び考え込む。それから残念そうに、こう呟いた。

「何だ、メガネを外しても目が数字の『3』の字にならないではないか」

「ならねーよ!」

 オレの怒声がクラスに響いた。

 

 

 

 

 

 放課後になり、もはやホームとも言える第2グラウンドで、クラスのみんなと自主練習に励む。みんなが打鉄の準備をしている間、オレはISの全身展開の練習に励む。毎日三十分はこれに費やしてるだけあって、平均タイムは一秒未満になってきた。

 続いて、地面に立ったまま推進翼を展開し、羽根を折りたたんだり開いたり、角度を変えたりするだけの練習を始めた。最初よりかなり思った通りに羽根の角度をつけられるようになってきた。

「地味な練習だな」

 声がかかった方向に視線を向けると、そこには緑の迷彩塗装のラファール・リヴァイヴを装着したクラリッサ大尉が得意げな顔で立っている。隣には困った顔の山田先生が居場所なさげにしていた。

「兵器を動かす練習なんて、実際は地味なもんでしょ。それより大尉、どうしたんです? ISを装着なんかして」

「キサマの実力を見たい」

「オレ? いやそう言われても」

 チラッと山田先生を見ると、

「織斑先生が許可を出しました……」

 と疲れたような返答が返ってくる。クラリッサと一緒にいて疲弊したんだろうか、気持ちはわかるよ真耶ちゃん……。

「そういうわけで、少し遊んでもらおうか」

 クラリッサ大尉がラファールの腕を伸ばし、手にライフルを構えて、オレを狙う。

「そういうことなら」

 意識をイメージの世界へと飛ばす。一瞬で自分のISであるテンペスタ・ホークを展開完了した。山田先生が巻き込まれないように数歩下がる。

「いつでも良いぞ」

 ドイツ軍人の言葉に、オレは不敵な笑みを返した。

 背中の推進翼を持ちあげ、まるで羽ばたくように垂直上昇を決める。

「速い!?」

 遥か下から、驚く声が聞こえた。

 

 

 

 最初こそ加速で突き放したが、さすが副隊長殿。段々と借り物のラファールに慣れてきたのか、オレの行く手を銃撃で防ぎ始める。

 ブレードで切りかかるオレの攻撃を回避し、上手に距離を稼ぎながら、的確に弾丸を撃ち込んでくる。

「スピードは驚愕すべきだが、まだまだ甘いな!」

 一筋縄ではいかないな、と相手の隙を窺うように、クラリッサを中心に飛び回る。

「飛び回り過ぎだ!」

 手に持ち替えたマシンガンで次々とテンペスタの道を阻もうとした。それぐらいならと、オレも機体を横に回転させて回避しながら飛ぶ。

「そろそろ行くぜ、大尉!」

 さらに加速し、一気にラファールの背後まで回る。それに銃口を合わせようとする瞬間、テンペスタの推進翼が瞬時加速を発動させた。

「ちっ」

 クラリッサは左手でナイフを取り出し、オレのブレードを受け止めようとする。だが、加速とはすなわち力だ。テンペスタが軽々とナイフごとラファールを弾き飛ばした。

 だが、敵も第三世代機を運用する精鋭部隊の副隊長だ。地面に飛ばされる機体を立て直しながら、右手のマシンガンでけん制の弾丸をバラまく。

「食らうかっ、トドメだ!」

 らせん状に回避しながら、背中から地面に激突していくラファールを追いかける。辿り着くと同時にその首を右手で掴むと、さらに尾翼で加速を追加して勢い良く地面にぶつけようとした。

「捕まえたぞ」

 大尉はニヤリと不敵な笑みと共に、自分の首を掴んだオレの手を引きつけ、片側のスラスターだけ動かして体勢をクルリと反転させる。つまり、オレが地面側になってしまったのだ。そして抱きつくような体勢で完全にロックされた。

 んなバカな!?

 すごい精密操作だ。オレの力に逆らわずに見事にテンペスタの力を自分の加速に変えたのだ。

 地面まであとコンマ2秒もない。

 迷ってる暇さえなく、オレも足の逆噴射スラスターを全開放し、相手のロックを外しにかかる。

 そして、二人で地面に激突した。

 轟音とともに土煙りを巻き上げられる。

「くっそぉー」

 頭側にクラリッサを押しのけようとした瞬間に地面に激突したようだ。

 ゆっくりと目を開けるが暗い。

「やん」

 どこかくぐもった可愛い悲鳴が聞こえるが、目の前は真っ暗だ。

 ……まさかオレは両目とも見えなくなっちまったのか?

 いや、柔らかい感触が顔の上に乗っている。つまりコレが邪魔で見えないだけだ。

 何とか這いでようと顔を動かす。

「こ、こらバカ、動くな!」

 慌てた様子のクラリッサの声が聞こえた。頭を振って少し体勢をずらすと、ようやく視界が開ける。

 ……目の前に広がるのは、女子用ISスーツの股部分だろう。

 つまり、オレの顔面にクラリッサのケツが乗ってたのだ。

「おわあああっ!?」

 慌てて声を出すが、テンペスタの羽根が埋まってるせいか、上手く動けない。

「や、やぁ、ば、バカ! こっちは動けな……ぁん」

 なんだこの色っぽい声は。クラリッサの声なのか。

「って興奮してる場合じゃねえ!」

 足のスラスターを駆動させ、ISの腕でクラリッサの胴を抱きあげて持ち上げる。ラファールは落下の衝撃でエネルギーが尽き、動けなくなっているようだ。専用機ではないので、アクセサリには戻らず、そのままの形で固まっているのだろう。

 背中の羽根で体勢を立て直して、ゆっくりと相手を地面に降ろす。オレもISを解除して地面に足をつけた。

「大丈夫ですか!?」

 山田先生がクラリッサに駆け寄るが、相手は魂が抜けたような声で、

「ふふふふふ」

 と俯いて笑うだけだった。

「あ、あの、大尉?」

「山田先生、解除を」

「あ、はい」

 手伝ってもらいながら、ラファールから抜け出る。

 そして、きつい眼差しの顔を上げた。あ、いや、半泣きだ。眼帯のしてない方の目が潤んでる。

「す、すいませんでした、大尉!」

「く、キサマ、私にこんな少女漫画のような辱めを……」

 お前が言うか、という反論はグッと飲み込む。

「い、いや悪かったけど、事故だし、ちょっと体が密着したぐらい」

「ちょっとだと!?」

「いや、かなりだけどさ。大尉も良い大人なんだしって、ああ、そういうことか」

「む?」

 激怒してる理由がわかった。超閃いた。

「ひょっとして処女なの?」

「この、痴れ者があああああ!」

 力のこもった正拳での懲罰を顔面で受けたオレは、スケート選手さながらの空中三回転を決めながら吹っ飛んで行った。ただし着地は失敗で芸術点は零点だろう。

「わ、わざとじゃねえだろ!?」

「上官を侮辱したなキサマ!」

「オレの上官じゃねえし!」

 上体だけ起こして抗議をするが、相手はまだ半泣きのままだ。って、ふと山田先生を見ると、すんごい恨みがましい目線でオレを睨んでた。

 ……一つの言葉で二人を侮辱してしまったようだ……すいません。

 立ち上がろうとしたオレの顔の上に影が差す。

「玲美?」

「ふふふふ、ヨウ君、何してるのかなぁ?」

 うわぁ、超笑ってねえよ。顔は笑ってるけど、全然笑ってねえよ。

「……ちょっと肉体接触しただけ?」

「ヨウ君のバカァ!」

 玲美が拳を振り上げて、いや、足まで振り上げて、全身の力でオレを殴ろうとした。

 だが、それは見事にオレの手前を素通りしていく。

「へ?」

「あれ?」

 体勢を崩し、玲美が尻持ちをついてたオレの上に倒れ込んだ。

「いててて、大丈夫か、玲美」

「あれれ、目測謝ったかな……」

 と照れ笑いをしながら、胸の中で玲美が顔を見上げる。わずか十センチの前で目が合った。

「どした?」

 彼女の顔が一瞬で真っ赤に染まり、そして何を思ったのか、思いっきりオレにビンタをかました。

 これが見事にオレの顎の先端にクリーンヒットする。先ほどのクラリッサパンチで若干グロッキー状態だったオレの脳に、トドメを刺すには十分な一撃だ。

 オレの本日の記憶はここまでだった。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、真っ暗な自室だった。ベッドサイドの携帯端末を操作すると、時刻は十二時を回っていた。気絶したオレを誰かがここに運んでくれたのだろう。体はISスーツを着たままだ。

 起き上って軽く首の骨を鳴らし、背伸びをして体の異常を確かめるが、問題はなさそうだ。

 冷静に今日のことを思い出す。

「……まさかのラッキースケベとか」

 気分が憂鬱になる。

 正直、これだけはすごい気をつけてた事項だ。

 ひとつ、間違って女子の着替えに遭遇しないこと。

 ひとつ、女子とぶつからないこと。

 ひとつ、何もない場所で足が絡まって倒れこまないこと。

 以上三つが、女子率約100%の中で男が暮らすコツだ。間違ってラッキースケベ……カッコ笑いなどに遭遇しようものなら、オレは女子の目の敵にされかねない。

 あくまでクールに過ごす。女子に性的なことでうろたえた様子を見せない。

「く、相手のアホ体質に巻き込まれたか……」

 思いだすだけで足の力が抜け、床に膝をついてしまう。体はどこも悪くないが、肩の上に重い気分がのしかかってくる気がした。

 しかしだ。

「とりあえずクラリッサには謝らないとな」

 失礼なことをしでかしたのは間違いない。テンパって言い訳なんぞしたせいで、余計なセリフまで吐いてしまったんだ。間違ってたのはオレで、謝罪すべきもオレだろう。

 喉が乾いたので、起き上って冷蔵庫を開ける。中に見覚えのない皿があった。

「なんだこりゃ」

 取り出して見ると、そこには小さなオニギリが5個ほど並べられていた。その間に綺麗に折りたたまれた紙切れを発見する。取り出して開いていくと、中に文字が書いてった。

「バーカ、とゴメンネ、か」

 最初の単語の後には、アッカンベーの顔文字が、そして右下に小さく書き添えられた二つ目の言葉の後には、泣き顔が付け足してあった。

 これは玲美の仕業か。

 そういや昼飯に三つほどオニギリ食っただけだったな。

 ホントはこのまま着替えて、空腹のまま寝るつもりだったが、せっかくだし、食べておこう。

 部屋の明かりを付け、手を洗ってからイスに座る。

「いただきます」

 手を合わせてから、オニギリ一つ一つ持ち上げて観賞し、ゆっくり味わいながら咀嚼していく。

 うん、美味い。

 白一色だった昼間と違って、今回はバラエティーに富んでおり、チキンライスやチャーハンを固めたものもある。オレはあっという間に四つを食べ終わった。

 最後の一つはどうやら炊き込みご飯のオニギリのようだ。造形は見事で、見た目に文句はない。

 ありがたい気持ちでオレは大口を開けてオニギリを齧った。

 ……しまった、まさかのトラップだ。

 背中と顔から、冷や汗が一気に噴き出し始める。

 最後の一個は国津玲美製ではなく、セシリアスペシャルだった。

 なんてこったい。

 

 

 

 

 こそこそと朝一番に登校し、廊下の影で隠れて件の人物を待つ。

 クラス代表の仕事なのか、セシリアがクラリッサを引き連れて教室へ歩いてきた。

「お、おはようございます」

 うわ、声がうわずったし、噛んだ。

 セシリアが少し呆れたように笑い、ため息を吐いて、

「お加減はいかが?」

 と尋ねてくる。

「大丈夫だ、問題ない。オニギリありがとさん」

「ふふふ、上手く出来てましたでしょう?」

 得意げな笑みを浮かべる彼女は美しい。その手で作られる料理も、見かけだけは美しい。

「うん、凄い味だった」

「機会があれば、また作って差し上げますわ」

 全力で遠慮したい。

 って、そんなことより、用件はセシリアの後ろでオレを睨んでいる大尉殿だ。

「何だ?」

 ギラリと殺意の込められた視線を向けられる。あまりの恐さに怯んで逃げ出したくなるが、悪いのはオレだ。

「大尉殿! 昨日は失礼いたしました!」

 腰を九十度に曲げて、謝罪を叫ぶ。

「ふむ?」

「上官に対し、失礼な態度をして申し訳ありませんでした!」

「……キサマは私の部下ではないが?」

「ですが、ISパイロットとしての先輩であります!」

 そうだ、冷静に考えれば自分が今、発した言葉通りだ。アメリカであったナターシャさんも、このクラリッサも同じISパイロットの先輩である。

 何より昨日の最後で見せた空中での体勢入れ替えは、今のオレには到底、真似できるものではない。それも借り物のラファールで行ったことを考えると、彼女はオレより数段優れた人間だ。

「白々しいな」

 信用してもらえてないのか、ジロッとオレの方を見る。

 上げかけていた頭をもう一度下げた。

「言い訳はありません!」

 こうなったら、許しをいただくまで謝罪を続けるのみだ。

「ぷっ」

 吹き出したのは、セシリアだった。そのまま微笑を含んだ言葉を紡ぐ。

「まあ大尉さん、よろしいではありませんか。先ほども彼を褒めていましたのに」

「へ?」

「ヨウさん、彼女はあなたを高く買ったようですわよ」

 ウソだぁと思いながら、クラリッサの顔を下から覗き込む。

「まあ、筋は悪そうだが、ISの展開スピードと、上空に飛び上がるときの推進翼の動きは良かった。よほど地味な反復練習を毎日こなしてるのだろうと話していたのだ」

 そっぽを向きながらも、少し照れたような顔でクラリッサが喋った。

 正直、ちょっと……いや、結構な嬉しさだった。かなり地味な訓練を毎日繰り返している部分であり、そこに自信は持っていたが、褒められたことはなかったのだ。

 そっか、昨日、『速い』と驚いてたのは、テンペスタのスピードじゃなくて、そんな普通は目にもつかない部分だったのか。

「クラリッサ大尉……」

「ええい、そんな感動したような目で見るな。時には部下を褒めるのも上官の仕事だ」

「ありがとうございます!」

 今度は謝罪ではなく、感謝を込めて頭を下げる。

「頭を上げろ」

「は、はい!」

 いつもの鋭い目つきが、柔らかく微笑む。

「私が昔、教官に言われたことを伝えよう。キサマには才能はない。だが、今までと同じように頑張れるな?」

「はい!」

「よろしい。では、昨日のことは不問とする」

「ありがとうございました!」

 また、心の上官が増えた。

 セシリア・オルコット、ナターシャ・ファイルス、そしてクラリッサ・ハルフォーフ大尉。

 あれ、オレって外人好きなのか? という疑問は置いておいて、教えてもらったことは心に刻んでいこう。

 

 

 

 

 今日は織斑先生のIS実習だった。

 いつもサポートしてくれる山田先生の代わりに、クラリッサが昨日と同じラファール・リヴァイヴで教えてくれることになった。

 一組二組合同の授業ということで専用機持ちが三人いる。そこにクラリッサが入り、数人ずつのグループを作っての組み手を行うことになった。

 足を折った状態の打鉄に一人ずつ乗り込んで、違うグループの打鉄とアドバイスを受けながら簡単な組み手を行っていく。

「次は玲美か」

「うん、頑張るね」

「おう。それと昨日はありがとな。美味かった」

「そ、そう? また作って欲しい?」

「機会があればな。出来ればスペシャルなしで」

「あははは。でもホントに昨日はごめんね」

「いいよ。気にしてない。オレもいろんな人に失礼なことしたし、罰を受けたつもりでいるよ」

「……素直だよね、ヨウ君って」

「そうか? だいぶ捻くれて育ってるつもりなんだけどな」

 少なくとも一度目の人生は、そうだった。

「ハイハイ」

「ほら、相手は準備出来てるぞ。乗った乗った」

「はーい」

 返事をしながら、玲美が打鉄の脚部に手をかけようとした。だがISの装甲を掴めずに手が空を切り、前のめりに躓いた。

「何やってんだ……」

「あれ? 失敗失敗」

 恥ずかしそうに笑いながら、もう一度、打鉄に乗ろうとする。

「待て!」

 鋭い声が響く。振りかえると、クラリッサが鬼の形相をしていた。

「た、大尉?」

「そこの女子、キサマ、自覚症状はあるな?」

「え?」

「IWSの自覚症状はあるのか、と聞いてるのだ」

 その言葉に、玲美が顔を青くする。

 IWS。インフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド症候群。元の病名は不思議の国のアリス症候群という認識障害から来ているらしい。ISパイロットがかかる感覚障害で、ISを降りてもISの操作感覚が離れなくなる病だ。

「キサマ、昨日もフタセノを殴ろうとして、空中を殴っていたな。典型的初期症状だ」

「それは……でもこれぐらい軽度なら……」

「バカか、キサマ!」

 貫禄のある怒鳴り声がグラウンドに響く。

 横目で織斑先生を見ると、彼女も大尉と似たような厳しい表情をしていた。

 青ざめる玲美は何も喋らない。そこにクラリッサが言葉をかける。

「名前は?」

「く、国津、玲美です」

「レミか。いいかレミ。感覚がズレるということは、非常に危険なことなのだ。階段を踏み外すぐらいならまだ良い。最悪、自分の体がどこにあるかもわからなくなるぞ」

 実感の籠った言葉、と感じたのはオレだけではないだろう。

 クラリッサの言うとおり、IWSというIS乗り独特の疾患は、最後は感覚が自分の体から離れてしまったようになるらしい。末期症状は酷いもので、手の平が一メートル先に、自分の顔より高い位置に口が、そして足が常に中に浮いている、などの自己認識障害が消えなくなるそうだ。そうなれば、日常生活すら困難になる。

「でも……それじゃ置いていかれちゃう」

 膝をついた玲美がオレの顔を見上げた。そこにISから飛び降りて、クラリッサが歩み寄り、膝をついて女生徒に語りかけ始める。

「その心意気は大事だ。だがな、周囲を悲しませるな。お前にはお前の仲間がいるだろう」

 クラリッサの熱の籠った言葉を聞いて、オレは玲美に頷いて見せた。

「オレも玲美がケガしたら、悲しむよ。理子だって神楽だって、セシリアに他のみんなだってそうだ。お前のパパとママなんて、相当に心配するぞ」

「……それは」

 下を向いてしまう。両親を出したのは卑怯だったかもしれないが、嘘は言っていない。

 ドイツから来た大尉が、玲美の手を取った。

「レミ、お前はISという力を持つことが出来る。だが考えてほしい。その力の使い道は何なのか、と」

 そうだ、決して自分の愛する人々を悲しませるための力にしてはいけない。

 オレも自分の両親を思い出す。あの両親を悲しませるようなことをするために、IS学園に来たわけじゃ……いや、二度目の人生を始めたわけじゃない。

 ……勝てないなぁ、この大尉には。面倒見が良くて部下に慕われている、という話は覚えていたが、これじゃ慕われない方がおかしいぐらいだ。

「わかりました……」

 玲美が小さく頷く。それに我が心の上官殿は微笑みを返した。

「よし、ではヨウ。今日は彼女を休ませろ。織斑教官、良いですね?」

 クラリッサが立ちあがって織斑先生に尋ねる。そういやクラリッサも織斑教官の教え子だったっけ。

「許可する。国津はこのまま早退して、医務室で検査を受けろ。まだ症状が軽いようだし数日乗らなければ、すぐに治るだろう。二瀬野、連れていってやれ」

 その言葉にオレも頷いて返す。

「玲美、立てるか?」

「うん」

 手を差し伸べると、彼女がそれに捕まるようにして立ち上がった。それからクラリッサの方を向き、勢い良くお辞儀をする。

「大尉、ありがとうございました」

「ああ、大事にしろ」

「はい!」

 少し元気を取り戻したようだ。これなら大丈夫そうかな。

「では大尉、織斑先生、失礼します」

 オレもそれだけ言って、玲美と歩き出した。

「ほら、授業に戻るぞ。次は誰だ?」

 テキパキとドイツIS特殊部隊の副隊長殿が指示を出し始める。

 かっけえな。

 その声を背中で聞きながら、オレと玲美の速度に合わせてゆっくりと歩いていった。

 無言でしばらく歩いた後、玲美がオレの腕に急にしがみついてきた。

「っと、どうした?」

「……ダメ?」

 どうやら憑き物が落ちて、誰かに甘えたくなったようだ。仕方ないな。

「更衣室までな」

「覗くなよー?」

「覗かねえよ、アホ」

「ちぇ」

「女の子が舌打ちするんじゃありません」

「ヨウ君って女の子に夢持ってるタイプ?」

「そう見えるかよ」

「全然。そんなタイプには見えない」

「デスヨネ」

 軽薄そうなスケベメガネ様だからな、オレは。

「お前って、いっつも大事なこと言い忘れるよな」

「うん、ごめんね……」

 左腕に玲美をくっつけたまま、オレはIS学園の地面を歩いていく。数十メートルほど無言で歩いたあと、

「私ね、あのテンペスタに乗ったことあるんだ」

 と、そんなことを彼女が漏らした。

「へ? ホークに?」

「うん。って言っても、歩かせるだけだったけどね。IS学園来る前に、研究所で」

「パパに我が儘言ったのか」

「試験勉強のつもりもあったからね」

「なるほどな。IS学園の試験は、教官との軽い模擬戦もあるもんな」

 ちなみにオレは見事に負けたが。

「で、初めて動かしたときのヨウ君よりも、全然上手かったと思うんだ」

「ははっ、最初のころのオレより下手な奴なんて、なかなか存在しねえよ。スピード出すだけだったしな。今もあんまり変わらないけど」

「今もヨウ君に負けてるつもりはないけどネ」

「お前、操縦上手いもんな。適正B+だっけ」

「うん。でも、ヨウ君ってすごい地味な訓練好きじゃない? 外見と違って」

「失礼なヤツだな。分をわきまえてるんだよ」

「で、この間の無軌道瞬時加速。あれを見たとき、毎日やってる羽根を動かすだけの訓練が、ああいう風に結びつくんだって思ったらさ、自分がすごくサボってた気がして」

 無軌道瞬時加速は本来、直線しか勧めないイグニッションブーストを、テンペスタ・ホークの推進力で無理やり軌道を曲げる技だ。自由に進むためには、翼の動きの正確さが重要になってくる。

「……まあ、専用機を預かった身だしな。毎日、努力ぐらいしないと」

「だから、自分も努力しなきゃーって思って」

「それで自覚症状あったのに無理したのか。バカたれ」

 玲美がぎゅっと力を込めて抱きついてくる。正直、ISスーツ越しの胸の感覚が悩ましい。

「へへっ、でも、それでパパとママを悲しませちゃ意味ないよね」

 それ以上は喋らずに、無言で歩いていく。

 オレたちIS乗りってのは、それなりに大変だ。努力しなけりゃすぐに置いていかれるし、下手したらISに乗る機会すら失われる。

 オレだって唯一の男だからって、サボってはいられない。VIP保護プログラムの下で名前すら変えていくことを、オレのために黙って受け入れた両親。テンペスタ・ホークの操縦者として期待をかけてくれる四十院研究所の人たち。時間があれば練習を見てくれるクラス代表のセシリアや、アメリカで色々と教えてくれたナターシャさん。それに、オレの努力を褒めてくれたクラリッサ大尉。

 たった467個しかないISコア。稼働しているISの数はさらに少ない。卒業してからISに乗れるかすら分からない。

 それでもオレたちはIS学園に入ってきた。

 人生の意味すらわからないが、とりあえずは、身近な人々に誇れるよう毎日を生きていくしかない。

 二度目の人生は、何とか精いっぱいやってる。

 

 

 

 

 放課後になり、二日間だけの滞在だったクラリッサが帰国の途に着く。オレと玲美とセシリアが代表して、彼女を駅まで送ることになった。

 モノレールがホームに入ってくる。

「では、世話になった」

 私服に戻ったクラリッサが敬礼をする。……少女漫画のプリントTシャツにジーパンというセンスが敬礼とすげぇミスマッチだ。

「こちらこそお世話になりました!」

 元気を取り戻した玲美がお辞儀をする。

「レミ、しっかり休めよ、すぐに治る」

「はい!」

「セシリアも世話になった。欧州で会うことがあれば、よろしく頼む」

「ええ、大尉もお元気で」

 セシリアと握手を交わした後、クラリッサがオレの方を見た。

「ヨウ、これを」

 紙切れを渡してくる。

「何ですか、これ」

「後で開けろ。中にある指示は必ず実行しろ」

 ドイツ式の訓練か何かかな。

「とりあえず、お世話になりました」

「ああ。頑張れよ」

 モノレールのドアが開き、クラリッサが荷物を持って乗りこんだ。

「では、次は私の上官が来ると思うので、よろしく頼む。良くしてやって欲しい」

「上官?」

 セシリアと玲美が顔を見合わせて小首を傾げた。

 やっぱり近日中にラウラ・ボーデヴィッヒが来るのか。でも、クラリッサ・ハルフォーフと出会えて本当に良かった。

 ドアが閉まる。律義にクラリッサが中から敬礼をしていた。オレと玲美は見よう見まねで同じように敬礼をして返す。

 彼女の乗ったモノレールが走り去って行った。名残惜しそうに三人でそれを見送るが、すぐに見えなくなっていく。

「で、なんでしたの、その紙は」

「さあ? 訓練メニューかな」

 貰ったばかりの紙を開いて、中身を確認した。

「なんだこれ」

 見覚えのない文字列ばかりが並んでいる。

「どれどれ? あ、これって」

「知ってるのか玲美」

「古い少女マンガのタイトルだね。一番下に『全部探して送ってこい』って書いてあるよ」

 つまり、この紙に書いてる三十ほどの単語は全て、電子書籍化すらされていない骨董品の少女漫画らしい。

 プルプルと自分の体が震えることが自覚できた。これは怒りに震えているのだ。

「あんの少女漫画オタクの馬鹿ジャーマン!!!」

 オレの怒号がIS学園駅のホームに響く。

 新しい心の上官殿は、最後までオレに怒りのツッコミをさせて、日本を去って行った。

 

 

 

 

 

 



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7、その始まり。

 

 

 男性IS操縦者の朝は早い。六時に起きると、Tシャツとジャージ姿で剣道場に向かう。オレは朝からいちいち道着になるほど真面目ではない。

「おっす」

「おはよう」

 そこで道着姿の真面目な篠ノ之箒と短い挨拶をかわし、並んで二人で素振りを始める。特に会話はない。時折、チラリと横の箒を見て、自分のフォームが間違ってないか確認したりする。何せ、篠ノ之流の師範の娘で、本人も優秀な剣術家だ。見て盗めるところは盗むに限る。あと、こいつは教えるのが非常に下手なので、ご教授などは期待していません。

 一時間ほど素振りや型の確認をした後、

「んじゃお先」

 と告げてジョギングがてら走って寮に戻る。

 自室に戻ると、軽くシャワーを浴びて制服に着替え、身だしなみを整えた。メガネをかけて準備完了だ。部屋を出て食事に向かっていると、理子と玲美がいたので誘って朝飯に向かう。

 三人で思い思いの朝食を口にしながら、軽く会話をしていた。

「今週末、研究所だって」

 玲美が紅茶を飲みながら、教えてくれる。

「了解。時間はいつも通り?」

「うん。迎えが来るから」

 迎えというのは、四十院財閥のSP部隊だ。無暗やたらと気を使われてる気がするが、神楽の親父様の厚意も無碍には出来ない。

 食パンをかじりながら、メガネ仲間の理子が

「そいやあの記事見た?」

 と尋ねてくる。

「どれ?」

「噂の男性IS操縦者を撮影!」

「おー。見た見た。あれ、オレじゃねえぞ」

「私も笑っちゃった。どこで取ったんだろね。背中からだったけど、髪型全然違うし」

 三流雑誌のネット記事で見かけた写真は、どうみてもオレじゃなかった。というか、どうしてオレだと思ったのだ、という後ろ姿だった。

「そいえば『インフィニット・ストライプス』と『蒼風』から、取材依頼が研究所に来てたよ」

 玲美が上げた名前は、どちらも業界紙である。

 インフィニット・ストライプスは国家代表やその候補生を主体にした、どっちかというと軟派な作りで、ファッション紙と区別がつかない表紙のときもある。

 それに対して蒼風は、主に機体に焦点を当てた硬派な作りで、昔ながらのミリタリー雑誌的な作りをしていた。日本のIS関係者はどちらも購読しているのが当たり前だが、発行部数はIS紙の方が上だ。半分アイドル紙みたいになってるから一般受けも良い。ちなみにそうは言っても『蒼風』だって発行部数は百万部を超えている。

「ストライプスはまたパイロット目当て?」

「みたいだね。こっちはパス。蒼風は試験機の取材だけ」

「ああ、もう一個あるテンペスタか」

「そうそう」

 四十院研究所にはもう一機、テンペスタがある。青色のカラーリングの予備実験機で、玲美もたまにテストパイロットをしているらしい。ちなみにISコアを民間の企業が二つを持てることなど、滅多にない。おそらく遥か昔から政府や自衛隊と繋がりがあるおかげだろう。ちなみに秋口に第三世代機であるテンペスタIIに換装予定だ。欧州統合軍のコンペが近いからだろう。

「ってことは、お前も取材受けるの?」

「まさかぁ。機体だけだよ。装着したところは、他の人が見せるし。だいたい、取材は平日だしね」

「そりゃそっか」

 トーストを食べ終わった理子が席を立つ。 

「そろそろ時間だよー」

「やべ、もうそんな時間か」

「おっさきー」

 パタパタと小さな体で理子が走り去っていく。

「んじゃ私もー」

 温くなった紅茶を一気飲みして、玲美は理子を追いかけていく。

 オレはまだ焼き魚と白メシが半分ずつ残っていた。

「チクショウ」

 慌ててかきこむ。一度部屋に戻って歯磨きをすることを考えたら、時間はかなり厳しい。焦ったオレの喉に、魚の小骨が刺さった。

 

 

 

 

 授業が終わり、また地味なISの展開練習と推進翼の方向指定練習を始める。もはや日課であり準備運動みたいなものだ。最初はもっと派手なことをしろと言っていた女子連中も、段々と何も言わなくなっていった。まあおそらくセシリアが何か言ったんだろう。

「そろそろ終わりまして?」

 第二グラウンドの隅にいたオレの元へ、セシリア・オルコットが滑走してくる。

「うん、もう終わる」

「それでは、そろそろ射撃をしてみませんと」

「え? いいの?」

「まずは慣れですわ。持ってきてはいますの?」

「ああ」

「では、あちらに」

 セシリアが先導して、グラウンドの逆側で広く開いている場所に向かう。流れ弾が他人に当たらないよう、壁に向かって距離を置いた場所に位置を取る。

「しかし何でまた射撃を?」

「そろそろよろしいかと思いまして。あと気になることが一つ」

「気になること?」

「もう一人の男性操縦者が現れた、という噂が欧州連合の一部でありましたわ」

「ほほぅ」

 ……シャルロット・デュノアか。先週、クラリッサ大尉が上官、つまりラウラ・ボーデヴィッヒをよろしくと言っていた。『前回の記憶』を辿れば、二人がやってくるのは同時期だ。そして記憶通りに事が進むなら、シャルロットはシャルルという男の姿で、このIS学園にやってくるはずだ。

「で、もう一人の男ってのと射撃練習の何の関係が?」

「それはもちろん決まっておりますわ。このセシリア・オルコットの教えた人間が、銃一つ撃てない半端者、と思われても困るということですわ」

 ふふん、と鼻息荒く胸を張る。

 お師匠様は何だかんだで、自分の弟子が不甲斐ないと思われるのがお嫌いらしい。

「射撃の経験は?」

「『射的屋台のワイルド・ビル』と呼ばれてたぜ」

 ちなみに『夜祭のジェシー・ジェームス』の異名を持つ男は弾だった。一夏はどうも射撃に向いていなかったと判明したが、ただし型抜きは超一流で、異名は『木台の上の籐四郎』だった。おそるべし主人公。ちなみに籐四郎は鎌倉時代の陶器の名工だ。一心不乱に型を抜く姿を見て『……真剣な一夏、カッコいい』とか呟いてた鈴の思考がさっぱり理解できなかった十二歳の夏の思い出。

「はぁ……何のことやらさっぱりわかりませんが、準備はよろしいですの?」

 セシリアがISの指で、空間ディスプレイをタッチして、四角い電子ターゲットを空中に映し出す。

「まずは地面で、慣れてきましたら空へと」

「了解したミストレス」

 腰の後ろにあるウェポンホルダーから、IS用の自動式拳銃を取り出す。

「イタリア製ですわね」

「伊達男なんだよ」

「ピースメーカーでも出てくるのかと思いましたわ」

「いつの時代の西部劇(マカロニ・ウェスタン)だよ。てかIS用のシングル・アクション・リボルバーなんてあんのか」

「少なくとも、わたくしは見たことありませんわね。では、あちらのターゲットを狙ってくださいまし」

「了解」

 黒い無骨なオートマチック・ピストルを両手で構える。引き金を引くとほぼ同時に、ターゲットの中央が撃ち抜かれ、次のターゲットが左側に現れる。

 込められていた九発を使い果たしたところで、ゆっくりと銃口を下げた。

「……意外ですわね」

「だろ」

「どこかで練習でも?」

「研究所での機体テストでさ。腕と頭だけ部分展開して、光線銃でターゲットを連続捕捉するバイザースコープ試験があったんだ。おかげで、狙って撃つだけなら飛ばなきゃ出来る」

「ちなみに回数は?」

「思い出したくない。五ケタ以下だと思いたいね」

「試験機はお互い、大変ですわね……」

 セシリアのブルーティアーズも、第三世代のテスト機であり、おそらく退屈なテストは山ほどあったのだろう。かく言うオレだって、土日は山ほど機体試験をしなければならない。

「目玉だけずっと動かし続けるヤツよりはマシだった」

「あれは本当にキツいですわね……それで、飛行射撃は?」

「もちろん、言いつけ通りやってない」

「ふふっ、よろしい。真面目ですわね」

「師匠の言うことは聞くよ。教えてもらってんだ、当たり前だろ」

「では、段階を飛ばして、飛行射撃に入りましょうか」

「オーライ。マニュアル制御飛行は得意な方だ」

 実践はしてないとはいえ、飛行射撃にの知識に関しては予習をしている。IS乗りとしては当たり前の話だけどさ。

「では、参りますわよ」

 セシリアのブルーティアーズが飛び上がるのを、ゆっくりとした飛行で追いかけた。

 

 

 

 

「拳銃でも結構流されるんだな。鈴、お前、どうやって制御してんの?」

「はぁ? 何となく出来るでしょ、あんなもん」

「そうだったそうだった。お前は昔から何となくで何でもやる女だったわ」

 グラウンドから一年専用寮に戻る帰り道、たまたま鈴を見かけたのでコツを聞いてみたのだが、さっぱり参考にならなかった。

「それよりアンタ、最近、一夏と連絡取ってんの?」

「そいやこの間送ったメール、返ってきてねえな。また忙しいのかな。なんかやってんのかね」

「ったく、あいつってば、ホントに唐変木ね」

「お前も大概だけどな、バカツンデレ」

「ツンデレって何よツンデレって!」

「あー、デレたことねえし、ツンだな、ただのバカツン」

「で、デレるぐらい出来るわよ、アタシだって!」

「いや、出来るとか出来ないの問題じゃねーし」

「うっさいわね、この女ったらし」

「てめぇがそんなこと言うから、ホントに女ったらしみたいな噂が流れただろうが、中学で」

「ざまあないわね」

「オレは一夏の方が女ったらしだったと思うけど」

「……それは否定はしないわ。天然だったけど」

 軽口を叩き合いながら歩いていると、すぐに寮へと辿り着く。

「んじゃな」

「んじゃね」

 友人同士とは気軽なものだ。

 特に深い思いもなく適当に喋って時間を共有し、それであっさりと別れて終わる。

 織斑一夏というヤツがいた。正義感が強く、基本的に善人で、シスコンで、困ったヤツが放っておけなくて、後先考えない行動派で、そしてシスコン。

 彼は何を思って今、どこにいるんだろうか。相変わらずのままでいるんだろうか。

 

 

 

 

 部屋に戻り、シャワーを浴びて着替える。夕飯の時間になったので、ドアを開けて、食堂へと向かいゆっくりと歩き始めた。

 寮の廊下でクラスの女子とすれ違う。特に挨拶はないが、軽く手を上げると、向こうも軽く手を振り返して、すれ違って行く。

 ここはIS操縦者育成特殊国立高等学校。インフィニット・ストラトス操縦者を育て上げる専門校だ。

 オレの名前は二瀬野鷹。タカと書いてヨウと読む。今まで女性しか扱えなかったISを、世界で初めて動かした男子であり、現在十五歳だ。

 身長176センチ、体重65キロ、やや細面の顔にメガネをかけた姿の印象は、軽薄そのものらしい。最新のニックネームはスケベメガネだチクショウ。

 今は凡人そのものだが、幼いときは神童と呼ばれていた。

 それは何故か、生れてくる前に他の人間として生きていた記憶を持っているからだ。そのときは、このISが存在する世界を『本の中の物語』として認識していた。

 そして、その物語の登場人物たちが、本物の人間として、『今の』オレの前に現れている。

 織斑一夏を初めとする人間。篠ノ之箒、凰 鈴音、セシリア・オルコット、シャルロット・デュノアという主要登場人物たち。そしてIS『銀の福音』操縦者ナターシャ・ファイルスや黒兎部隊の副隊長クラリッサ・ハルフォーフ、担任の織斑千冬と副担任の山田真耶。友人である五反田弾とその妹の蘭。

 知識の中でしか知らなかった、様々な人たちと出会ってきた。

 さらに、この世界でIS学園に来るまで知らなかった人間たちもいる。

 国津玲美、岸原理子、四十院神楽。そしてその親たち。クラスメイトのみんな、一緒に授業をすることもある二組の生徒や、寮の廊下ですれ違う同じ一年の子たち。剣道部の先輩。腐れ縁の友人二号の御手洗数馬やカルフォルニア基地の技術担当士官のジョン、篠ノ之箒の親で剣術の道場師範であった柳韻師匠などもそうだ。

 もはや、以前の人生の記憶の方が薄れてきていた。

 オレはこのIS学園で、ISパイロットを目指して頑張っている。

「やっほー、ヨウ君ご飯?」

 玲美が手を振ってた。隣には理子と神楽もいる。

「おう。三人とも一緒に行くか?」

「行こうぜー」

「真似すんな、バーカ」

「へへっ」

 三人の顔を見る。

「どうしたの?」

 理子が小首を傾げた。

「いや、何でもねえし。腹減ったー」 

 オレの名前は二瀬野鷹。タカと書いてヨウと読む。

 織斑一夏ではないし、専用機も白式じゃない。

 だけどこの世界で、ここで生きて行く。精いっぱいに。

 

 

 

 

 大好物である焼き肉定食サラダ大盛りを食ってると、周囲の女子たちが騒がしくなってきた。どうも中心はうちのクラスらしい。その一人である相川さんと谷本さんがオレたち四人の座るテーブルに駆け寄ってくる。

「ねえねえ理子、聞いた聞いた?」

「ほ? 何を?」

「明日、一組に転入生が来るんだって!」

「えー!?」

「そ、れ、も」

 谷本さんがオレを見て、ニヤリと笑う。

 ……そっか。とうとう、シャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒがやってくるのか。そろそろツーマンセル・トーナメントもあと一カ月を切ったしな。

「男が来るのか」

 余裕の表情のオレの回答に、相川さんと谷本さんが驚いた顔をする。

「何で知ってるの!?」

「極秘情報だったのに!」

 ヤレヤレだ。残念ながら、やってくるのは男の恰好をしたシャルロットっていう天使のような女の子ですよーだ。

「ってまずい!」

 シャルロット・デュノアが男装してやってくるってことは、オレと相部屋か! 今さら気付くなんて、バカかオレは。

 ……どうする、超どうするよ!?

 男装した、実は女である子と相部屋。うらやましいと思うのが普通だろうが、実際はそうではない。

 何が起きるかわからないのだ。

 オレは織斑一夏ではない。一夏みたいに惚れてもらえるとは限らないし、もし裸なんぞ見てしまった日には、不可抗力であったとしてもクラスで孤立するかもしれない。

 仮にシャルロットが悪いとしよう。だがそれでも結果的にオレは『誰か』を裏切ることになる。いや、誰かってのはすんげぇ身近な人物なんだけど、口に出すのが憚れるぐらいには恥ずかしい。

 しかも女子ってのは、感情が伝染する生物だ。一人が嫌えば、あっという間に噂が広まっていく。鈴のおかげで女ったらし扱いされた中学時代を思い出すと、ロクな記憶がない。

 オレのIS学園生活は、可能な限り空気に紛れるという細心の注意によって成り立っているというのに……。

「どうしたんですか?」

 冷や汗がダラダラ垂れてるオレを心配して、神楽が声をかけてくる。

「……い、いや、なんでもありましぇん」

「噛んでますよ?」

 玲美が怪訝な顔つきで見つめてくる。

 く、こうなっては、臨機応変に対応していくべきだ。

 男装したシャルロット・デュノアと同室になるとは決まっていないんだし、もしそうなっても話し合って解決しよう。というか、そうするしかない。

「い、いやーいいヤツだといいよなー男かーそっかー」

 あははははーと笑うが、どう考えても作り笑いにしか見えないよな、きっと。

 こうなったら後は野となれ山となれだ。

 

 

 

 

 夜、また嫌な夢を見る。

 車に吹き飛ばされ、地面に激突し、右目が見えず、左の視界は赤く染められ、手足はまともに動かず、頭が割れるように痛い。

 高い青空を、一羽の鳥が飛んでいた。それに手を伸ばそうする。

 いつもなら、ここで目を覚ますはずだ。だが、今日は違った。

 仰向けに横たわる『前回』のオレの顔を、誰かが覗きこんでくる。

 無様だな。

 嘲るような男の声だ。

 さっさとくたばれ。

 そう言って、男は足を上げ、オレの頭に振り下ろした。

 

 

 

 

 翌日、IS学園一年一組の、朝のショートホームルームの時間に、その一大事件が起きた。

「えーっと、みなさんに今日から同じクラスのお友達が増えます!」

 山田先生が小さく拍手を始めた。

 ちなみにアニメ版だと別の日に転入してくる二人だが、小説版だと同じ日に転入してくることになっている。

 で、今回はどうなんだ。

「では、入ってきてください」

 全員が期待の眼差しを教室の前の入口に向ける。すぐに圧縮空気で動く自動ドアが開いて、二人の少女が入ってきた。

「え? 女の子じゃん」

 誰かが呟いた。

 そう、ラウラ・ボーデヴィッヒとシャルロット・デュノアの二人という予想は合っていた。だが、オレの考えていた予想と違う点が一つ。

「フランスから来たシャルロット・デュノアです、仲良くしてくださいね」

 シャルロットは、ミニスカートタイプの女子の制服を着ていたのだ。

「うわーすごいかわいい子だね」

 その感想は同感だ。

 何だ、オレの心配は杞憂だったようだ。

 教壇に立つシャルロットがぐるっと教室を見回す。オレと目が合うと小さく手を振ってくれた。天使か。

 そしてもう一人の女生徒が鋭い眼差しで前方を見る。長い銀髪と小さな体に、鋭い目つきと左目を隠す眼帯が印象的な、刃物のような輝きを持った少女だ。

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ。先日は部下のクラリッサが世話になったと聞く。私も同様によろしく頼む」

 そう言ってお辞儀をした。

 あれ、何か思ってたより全然柔らかいな。

 覚えてる前回の人生の記憶では、織斑先生に促されるまで挨拶すらせず、一夏を見つけると同時に顔を叩いていた。

 だが今、自己紹介をした少女は、たしかに鋭いイメージこそ損なっていないが、自己紹介は常識的だ。むしろ口調を除けば好感が持てるとも言える。

 二人の言葉を聞き終えて、笑顔の山田先生が小さく胸の前でポンと手を叩いた。

「みなさん、これから同じクラスの仲間です。仲良くしてくださいね」

 クラスの全員が、元気に返事をした。相変わらずの仲良しクラスである。

 はぁ。何はともあれ、波乱はなさそうだ。

 一気に気が抜けて、オレは机に突っ伏す。

「えーっと、そろそろ最後の一人が」

 そんな突拍子もないことを山田先生が言い始めた。

「一度に三人も?」

 クラス中がざわめき始める。

 どういうこった、誰が来る? もう心当たりはないぞ。箒、鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ。これで全員揃ったはずだ。

 混乱するオレの耳に、

「い、いてえよ千冬姉」

 という聞き覚えのある声が届いた。

 ……なんだと。

「ほら、さっさと入れ。それと、ここでは織斑先生だ」

「は、はい、織斑先生」

 廊下からそんな姉弟のやり取りが聞こえてくる。

 入口のドアが開いた。

 一人の男が入ってくる。IS学園の、オレと似たような男子の制服を着た人間だ。

「さあほら、さっさと自己紹介をしろ」

 姉に急かされ、『彼』がラウラの隣に立つ。

「えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」

 相変わらずの、しっかりと響き渡るくせに、どことなく間の抜けた声。

「い、一夏!?」

 箒が思わず立ち上がった。

 そこに立つ男は、何故か左目にラウラと同じ眼帯をした織斑一夏、その人であった。

 

 

 ……何がどうなってるんだ。

 

 

 

 

 そこにラウラが一歩前に出て、一夏の腕を引っ張って抱きかかえると高らかに、

「こいつは私の嫁だ、手を出すなよ」

 と叫んだ。

「ラウラってば、もう……」

 シャルロットが困ったような笑みでため息を吐く。

「い、一夏ぁ!?」

 なぜか隣の教室から鈴が走り込んできた。一夏の顔を見て驚くと同時に、織斑先生に殴られる。

 

 ……ああ、もうわけわからん。

 

 

 

 

 

 



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8、その昔。

 何かが変わるかもしれない。何かを変えたい。

 そう思い始めたのは、中学校二年の夏が終わって長袖に変わったころだ。

 中学校生活も半分を終え、進路希望というものが出てきた。いよいよ高校進学、という経路が見えてきたせいで、オレはそれまで以上に焦燥感と失望感に囚われていた。いよいよタイムリミットが迫ってきている。

 だが結局、普通の男子でしかないオレは、一夏と同じ藍越学園を志望することにした。地元企業への就職が強い高校だ。

「いつまでも千冬姉に迷惑かけてられないからな。少しでも早く独り立ちしなきゃ」

 学校の帰り道、彼は真面目な顔で呟いた。

 こいつはこいつなりに、真剣に考えている。ずっと姉に世話になって育ってきたその恩に報いるために、早く一人前になろうとしている。

 幼いときは、たまにメシに誘ったりしたが、最近は鈴の家の中華屋か弾の家の定食屋でメシを食ってることが多い。それでも千冬さんが帰ってきているときは、自分で作るし鍋パーティを開いたときも一夏が鍋奉行……いや、この話はやめよう。嫌な思い出しかない。ガクブルな思い出すぎるチクショウ。

 ともかくオレが鈴と一夏を何とかくっつけようと行動したのも中学校二年のときだし、あの事件が起きたのも中学校二年のときで、織斑一夏を最後に見たのも、中学校二年の秋のときだった。

「最近、どうしたんだお前」

 隣を歩く一夏が、呆れた様子で声をかけてくる。

「何でもねえよ」

「なんかピリピリしてんだけど。あとキョロキョロしすぎだろ」

「最近、殺し屋に狙われてる気がするだけだ。気にすんな」

「何言ってんだ、お前。剣道部はいいのか?」

「自主休業だ」

「んじゃあ何で竹刀持ってんだよ」

「殺し屋対策だ」

 オレの知る通りなら今日か明日、一夏は『亡国機業』に誘拐される。

 だけどそれがもし防げたなら? 

 自分だけが知る事象、自分だけが知る未来を初めて有効活用できるときが来た。

 かと言って、味方はオレしかいない。一夏が誘拐されるかもしれない、なんて誰にも言っても信じなかった。そりゃそうだ。

 オレの心配のし過ぎだと思うだろう。モンドグロッソはIS関連とはいえ、世間の感覚じゃオリンピックみたいなもんだ。欧米ならサッカー賭博で選手の身内が誘拐されて八百長試合とかはあるが、日本人にはピンと来ない事象だろう。

「お前って昔から時々、意味不明な行動するよなあ」

「ん?」

「ISの勉強も何でしてるかは知らんけど、白騎士事件より前から調べてたりしてたし」

「……ふっ、実はオレ、未来人なんだ」

「んじゃ今日の決勝戦の行方はわかるか?」

 一夏が笑いながら尋ねる。明日の決勝戦、というのはつまりモンドグロッソの総合優勝が決まる戦いのことだ。

「勝負は最後までわかんねえよ」

「未来、見えてねえじゃん」

「うっせえ。そんなことより近道は今日はやめようぜ。あっちに美味いタイ焼き屋台がある。奢るぞ」

「マジか」

「超マジ」

 さりげなく人通りの多い道を選んで、一夏を誘導していく。昔ながらの商店街に入った。古い建物の店が立ち並んでいるが、活気はあって夕方は人が多い。

「ほれ」

「さんきゅ」

 タイ焼きを買って、二人で食べながら歩いた。

 この後はどうする? どのみち一夏の家には誰もいない。かといってうちに連れ込んで両親を巻き込むわけにもいかない。警察か。ここをもうも少し真っ直ぐ行けば、この街で一番大きな警察署がある。そこに立ち寄って粘るか、それとも少しでも早く家に帰るべきか。

 こんなことなら金でも貯めてモンドグロッソを見に行くんだった。現地に行けば、少なくとも控室に入れればセキュリティは万全だ。そんなことを言っても今さらか。

 商店街を抜けて警察署まで一キロぐらいだ。車は増えるが、人通りは少なくなる。

「悪い一夏、ちょっと警察に付き合ってくれねえか」

「警察?」

「落し物したんだ」

「ふーん、まあいいぜ、タイ焼き奢ってもらったしな」

 この際、警察で暴れて一夏ごと勾留所にぶち込んでもらうべきか。父さん母さんには悪いが……いや待て、最悪、千冬さんが決勝を棄権して迎えに来るかもしれない。そうすると結果は一緒だし、一夏は警察に捕まって姉を棄権させた最悪の弟としてレッテルを貼られてしまう。それはマズイ。

 ……味方がいないってのは、こういうことか。何も手がない。この先の展開を知っていようとも、ただの一般人に生まれてしまえばこんなものだ。

 商店街を出て、警察署に続く道に入る。片側二車線の道路の横をタイ焼き片手に二人で歩く。

 電気モーター独特のカン高い加速音が背後から聞こえる。振り向けば、オレたちの後方から、黒塗りの車が猛スピードで走ってきていた。

「一夏! 逃げろ! 警察署に走れ!」

「え?」

「急げ!」

 黒塗りの車がオレたちの視線の先から、猛スピードで近づいてくる。

 オレは持っていた竹刀袋から木刀を抜く。武器なんてこれぐらいしかない。

「何やってんだ! 早く逃げろ! 狙いはお前だ!」

「え、いやお前何言ってるんだよ」

 一夏がきょとんとした顔でタイ焼きの尻尾を咥えていた。

 ああ、クソ! 何で話が通じない、何でオレを信じない! 

 急ブレーキとともに、ドアが開いて車の中から黒づくめにサングラスをした男たちが降りてくる。

「な、なんだアンタたち!?」

 五人の男たちが一夏を取り囲んだ。

「一夏!」

 オレは木刀を振り被って、そのうちの一人を狙う。そこへ小さな乾いた破裂音が鳴る。

「動くな」

 男の手には拳銃があった。

「おい、待てよ、なんだってんだ!?」

 一夏が必死に抵抗しているが、多勢に無勢だ。あっという間に手足を掴まれ、車に乗せられそうになる。

「一夏!」

 ……情けない話だが、拳銃が怖くて足が動かない。あれに当たれば、非力なオレは死んでしまうかもしれない。

 荒っぽくドアが閉まる音がした。一夏が車の後部座席に押し込まれたようだ。

「出せ」

 オレに拳銃を向けていた男が助手席に乗りながら短く命令をした。

 銃口がオレから外れた。今だ!

 木刀を持って突撃しようとする。

 だがそこにもう一発、銃声が響いた。ただの空に向かっての威嚇射撃だ。しかしたったそれだけの恐怖で、オレは動けなくなる。

 助手席のドアが閉まり、黒塗りの車が発進した。あっという間に、へたり込んだオレから遠ざかっていく。

 織斑一夏はモンドグロッソ決勝戦の当日、亡国機業によって誘拐された。

 その事実を変える力が、オレにはなかったのだ。

 この後、事実を知った鈴に無言で殴られ、弾と数馬は黙ってオレに同情してくれた。

 一夏はドイツ軍の情報によって場所を突き止めた姉により助け出され、織斑千冬はIS世界大会決勝を棄権。事件は秘匿とされ、この事件を知る者は少ない。

 しかし、本来ならまた普段通りに学校に通うはずの一夏が、そのままオレたちと会わずに海外へ転校していった。理由はこれ以上オレたちを、今回みたいな事件に巻き込まないためだ。

 ドイツ軍に借りを返すために教官として赴任する千冬さんと一緒に、アイツはヨーロッパに渡って行った。そして千冬さんの赴任機関の一年が経っても、一夏は戻って来なかった。

 結論から言えば、オレの知っている展開と違うものになった。

 未来は変わったか、と尋ねられたなら、イエスだろう。

 未来を変えられたのか、と聞かれたら、答えはノーだった。オレは何も出来てない。むしろオレが危険な目に遭ったことにより一夏はヨーロッパに渡り、『彼の物語』の邪魔をしただけになった。

 だったら、これ以上は出しゃばらず脇役は脇役としての人生を生きるべきだ。

 飛べない豚はただの豚だって、ポルコ・ロッソが言っていた。じゃあ、飛べない鷹は本来の機能すら無いのだから、それ以下だろう。

 

 だから一夏の代わりにISに触れてみた。ISが動かせるとわかってからは、自分なりに努力し続けた。

 結果論から言えば、一夏もオレもISパイロットとなり、一夏もIS学園に合流してきた。

 でも、一夏は本来なら必要のない苦労をしている。

 これからのオレは、一夏の代わりを目指す必要もない。だったら、今度は一夏の支えとなるように頑張り続けるしか、懺悔の方法はないんだろう。

 

 

 IS学園に転入してきた一夏、ラウラ、シャルロットと、オレは校舎の屋上でメシを食っていた。遠目からチラチラと見ていた箒と鈴も誘っておいた。

「んで、お前、そこの二人とはどういう関係なわけ?」

 そこの二人とは、もちろんフランス人とドイツ人のことである。

「あー話せば長くなるんだけど、まずオレ、ドイツ軍の基地にある食堂でバイトしてたんだ。千冬姉が教官してたから、その伝手でさ。そこで黒兎部隊にコーヒーを届けに行ったら」

「あのときは驚いたぞ。どうやって入ったかもわからんが、ISが男に反応しているのだからな」

 ラウラがBLTサンドを齧りながら、呆れたような口調で言う。

「そんであれやこれやで黒兎部隊に仮入隊させられて、ISを一から教えられたってわけさ」

「それ、いつ頃の話?」

「千冬姉だけが日本に戻ってから、しばらく経ったあとかな。今年の二月」

 それはつまり、オレが打鉄を機動させた時期であり、本来のストーリーで一夏がISと初接触した時期だろう。

「んで、そこから黒兎部隊ってわけか」

「まあ、すっかりこの少佐殿とは打ち解けてるけど、最初はすっげー冷たかったんだぜ。織斑教官がモンドグロッソで優勝できなかったのは、お前のせいだって」

 左目に眼帯をつけた一夏が笑いながら、隣のラウラを指さす。当の本人は少し居心地が悪そうに、

「ふ、ふん、昔のことなど忘れた」

 とそっぽを向く。

「んで、そっちのシャルロットとは?」

「あ、あー、シャルロットはな、フランスに旅行行ったときに出会ったんだよ」

 少し歯切れの悪い返答は、たぶん何か隠し事があるんだろう。こいつは昔っからバカ正直に、超をつけてもいいぐらいウソが下手だった。

「それってゴールデンウィーク前か?」

 チラリとシャルロットを見ると、オレの意を汲み取って、

「そうだよ、ヨウ君と会うほんのちょっと前」

 と朗らかに種明かしをしてくれる。

「で、ドイツとフランスを行き来してて、一区切り着いたから、日本に戻ってきたってわけ」

 ふむ、と一夏の話を総合して、前回の人生の知識と擦り合わせる。つまりコイツは、ラウラとシャルロットのイベントを先にこなしたっていうことになるのか。

 結局、こいつはどこに行っても主人公だった。

 セシリアが聞きつけていたヨーロッパに現れた男性IS操縦者、これはオレが勝手にシャルロットと思い込んでただけで、本当は織斑一夏だった。

「あー、なるほどな。国際ISショーでシャルロットが妙に鈴のこと詳しかったのは、一夏に聞いたわけか」

 すげえ納得した。……今から思えば、三流ニュースサイトに載ってた男性ISパイロットの後ろ姿って一夏だったのか?

「そういうこと。色々ヨウ君に聞いて、一夏へのお土産話にしてあげようかなって」

「言ってくれれば良かったのにって言えるわけねえか」

「ドイツ軍でも一応は秘密だったし、うちの会社もやっぱり公開はしたくなかったしね」

 シャルロットが少し言いづらそうにしているのは、やっぱり自分の親の会社だからだろうか。

「しっかしヨウ、久しぶりだな。箒も鈴も。元気してたか? メールだけだと二人ともよくわかんねえからなあ」

 一夏が幼馴染に話しかけると、

「ま、まあな。キサマこそ連絡ぐらいすぐ返せ」

「ま、まったくよ。アンタってわりと自分勝手よね!」

 そこにシャルロットが一夏の袖をツンツンと引っ張る。

「そっちの二人もちゃんと紹介してほしいかな。話は聞いてたけど、初対面だしね」

「何度か話したことあるけど、これが幼馴染の二人なんだ」

 一夏が言うと、箒と鈴が顔を見合わせ、

『二人!?』

 とお互いの顔を指さす。

「ど、どういうことよ? こいつって、篠ノ之箒よね?」

「そっか、ちょうど二人は入れ替わりだったっけ。鈴に言ったことなかったか。箒がファースト幼馴染、鈴がセカンド幼馴染ってわけ」

 一夏が唐変木発言をする。

 オレは頭を抱えたくなった。聞いたことある発言だったとはいえ、間近で聞くとこれは本当に胃が痛くなる。一気にムードが険悪になっていくのが手に取るようにわかった。

「んで、ヨウが一番長い幼馴染だな。小学校二年のときから六年間一緒だったし」

「お、おう」

 箒と鈴の殺意の矛先がオレに向かう。何でだよ!?

「しっかし皆、久しぶりだよなー変わってなくて良かったぜ。でもお前、メガネかけるほど目が悪かったっけ? 昔から本ばっか読んでたけど」

「本はそこまで好きじゃねーよ。IS関連だけだ。目が悪くなったのも最近の話。お前こそ眼帯、似合ってねえぞ」

「そっか? 割と気にいってるんだけど。ラウラとお揃いだしな」

 一夏が件の黒い布地を触りながら答えると、隣のラウラがちょっとそっぽを向いて、

「ふ、ふん、私が強制したわけではないぞ」

 とおっしゃった。ただし顔が少し赤い。

「そ、それでいいいい、一夏!」

 箒がぐぐっと身を乗り出す。

「なんだ?」

「そっちの二人とおおおおお前は、そのつつつ付き合っ、ゴホン、えっとその」

 うわ、篠ノ之さん、顔が超真っ赤。

 それ以上は恥ずかしくて言葉に出せないようで、黙りこむ。一夏が全くわけがわからないのか、首を傾げていた。

 あー仕方ねえ。

「そっちの二人のうちどっちかと付き合ってるわけ? もしくは付き合ってないけど秒読み段階とか?」

 代わりにオレが聞くと、シャルロットが顔を少し赤くして、期待を込めた目で一夏の顔を覗き見る。だがしかし、一夏の返答は、

「いや別に? 友達だけど」

 という無慈悲なものだった。

 シャルロットが物凄い暗い表情で落ち込んだ。代わりに箒が安堵の表情を浮かべる。

「まあ、一夏は私の嫁だがな」

 ラウラ様が胸を張っておっしゃると、今度は鈴が体を乗り出してきて、

「あ、朝も言ってたけど、一体、どういうことなのよ! まさかアンタ、結婚してるとか?」

 うわ、返答次第で一夏を殺しそうな目をしている。いや年齢的に結婚できるわけねえだろ。

「あーコイツ、ちょっと勘違いしてるんだよ。日本じゃ気にいってる人間を自分の嫁と呼ぶらしいって、副官に教えてもらっててさ」

「そ、そういうことね。なあんだ」

 ホッと胸を撫で下ろすが、鈴さんよ、ラウラさんが一夏に対して告白しているので一歩リードしてるんだぜ? とは言い出せないオレはチキンだ、鷹だけに。言ったらとばっちりで殺されそうだからな。こいつは照れ隠しのために、一夏だけじゃなくてオレと弾と数馬も殺そうとするから厄介だ。それだけ遠慮がない関係ってこともあるだろうけど。

「まーそういうわけで、鷹、箒、鈴、またよろしくな!」

 織斑一夏がオレ達に向けて笑顔で親指を立てる。

 オレを含めた三人の表情はいずれも「仕方ないなあ」という顔だった。全員が、幼馴染が相変わらずで安心していた。

 

 

 放課後はいつも通りの練習だ。

 最近ではISの全身展開まで一秒とかからない。だがセシリア曰く、それだけを練習するバカはいないということだった。

 オレの三か月は全くの徒労ってことか……と思うが、いつか役に立つ日も来るだろう。

 今日も今日とて飛びもせずに翼を稼働させる。最近では部分展開で翼だけ展開し、右翼左翼尾翼をバラバラに起動させたりしている。

「よっ、こんなところにいたのか」

 ISスーツに着替えた一夏が声をかけてくる。

「どうした? 新しいクラスメイトと交流を深めておけよ」

「いや、専用機を受け取ったところ。どうだ、一戦やらないか? 全力演習」

「全力演習とか軍人みたいな言い方するなお前は。悪いな、普段はほとんど模擬戦やらないんだ」

 会話しながらも翼をバタつかせる。

「羽根を動かすだけの訓練か? 相変わらずっていうか何ていうか、お前って顔のわりに地味だよな」

「うっせ」

「うーん、じゃあちょっと飛ぶだけでもしてくるか」

「向こうだと何に乗ってたんだ?」

「ドイツだと軍で余ってた古い機体。良い機体だった」

「今は?」

「これさ」

 一夏が右腕を見せる。

「白式……」

「何で知ってるんだ?」

「い、いや、コンペしたんだよ、それと」

「コンペ?」

「陸自の新型につける推進翼のコンペ。そんときの相手が、その機体だったんだ」

「へー、んじゃあ結構最近の話か。それよりどうよガントレット、かっこいいだろ?」

 冗談めかして一夏が笑う。

 青いISスーツに白い腕輪、左目こそ眼帯で隠れてるが、これが織斑一夏だ。

「はははっ」

 思わず笑いが込みあがる。

 見たかった物、見たくなかった物が同時にココにある。

「どうした?」

「何でもねえよ、んじゃヒーロー、飛んでこい。落ちそうになったら拾ってやる」

「落ちるほどバカじゃねーって」

 そう言って、一夏が目を閉じる。

「来い、白式!」

 左手で右手のガントレットを掴んで頭上に持ち上げた。

 白い装甲が現れて、最後に肩に浮かんだフロート推進部が現れる。

「行ってくる」

 織斑一夏が空に舞い上がる。オレはそれを見上げた。

 太陽を背に、気持ちよさそうに白式が飛んでいる。

 それは紛うことなく、主人公の帰還だった。

 

 

 三人も転入してきたとはいえ、IS学園での生活はそうそう変わらない。

「ねえ織斑君って、ヨウ君の友達なんだよね」

「おうよ」

 一年専用寮の食堂で、食事中に玲美が聞いてきた。

 一夏は今日は家に戻ると言って、織斑先生と一緒に家に帰っていった。久しぶりに姉弟水入らずで過ごすんだろう。さすがに邪魔をしようという輩はいなかった。

「不思議なこともあるよね。友達同士が世界で二人だけの男性IS操縦者なんて」

 夕飯を寮の食堂で食ってると、隣に座ってた玲美がそんなことを言い出した。

「……そうだな」

 違う。オレは闖入者で、一夏が動かせるのは不思議でも何でもない。だってアイツはこの世界の主人公なんだから。

「どんな人だったの?」

「一言で言うと、ヒーローだな」

「ヒーロー?」

「そうそう。筋の通ってないことは大嫌い、ケンカも強くて男前。頭の回転も速いしな」

「へー。じゃあモテたんでしょ?」

「そりゃモテたよ。ホントに昔っから。ほら、前に箒がオレのダチに惚れてるって話をし、いてぇ!?」

 会話の途中で後頭部を殴られたので、後ろを振り向けば、そこには青筋を立てた箒が立っていた。

「お前はペラペラと……」

「あ、うん、惚れてない惚れてない。箒さん全然惚れてない」

「わ、わかればよろしい」

「そう一夏にも言っておく」

「余計なことは言わんでいい!」

 怒鳴りながら箒がオレの反対側に座る。手に持ったトレイには、まるで精進料理のような和定食が乗っていた。

「一夏は家に帰ったぞ。明日からオレと同室だ。乗りこんでくんなよ、ドア壊すなよ」

「知ってるわかってる、するかそんなこと」

「えー……?」

「疑り深いヤツだな」

「ちょっと玲美、聞いてよコイツ、昔、一夏が他の女の子と話してるとさあ」

「タカ! 余計なことは言うな! 国津もコイツの言うことを聞くな!」

「あ、うん。どうせヨウ君の冗談でしょ」

 アハハハと玲美が笑う。

「まあ、箒の話は置いておいて、もう一人、ライバルがいるからなあ。アイツはホント、自爆王だったな」

 玲美がサンドイッチを加えたまま小首を傾げる。

「自爆王?」

「こっちが気を利かせて二人にしてやっても、アタフタしてテンパって失敗すんだよな」

「へー。誰の話なの?」

「お国柄なのかねーあの爆発癖は」

 そこで再び、後頭部を殴られた。

「いてぇ!?」

「誰が自爆王よ誰が」

「今度は鈴かよ……お前ら、人の頭をポンポン殴るんじゃねえ。そういうのは一夏の役目だろ」

「ったく」

 ラーメンを持った鈴が箒の隣に座る。食べ始める前に、玲美の視線に気づいて、

「違うからね!」

 と大声で否定した。

「あ、はい」

 びっくりして思わずコクリと頷く。

「あんまり脅すなよ、お前らと違ってコイツは大人しいんだからな」

「お前らと違って?」

「目つきが怖えよ箒、人殺しそうな目をしてるぞ」

「ふん。失礼なことを言うからだ」

 オレと玲美は目を合わせて肩を竦める。

「そんなことより鈴は来月のトーナメント、タッグ戦になるって話だけど、誰と組むんだ?」

「うーん、クラスの子かなぁ」

「一夏の隣は狙わないのか」

 何気なく尋ねた内容に箒と鈴の二人ともが、ビクンと震える。

「……しまった、そうか」

「くっ、その手があったか」

 二人とも携帯電話を取り出して、素早く操作し始める。

「もう二人ともご飯中に、はしたないよ?」

 玲美が窘めるが、

「か、火急の用件なのだ」

「そうよ! これは至急を要するの!」

 と必死にメールを打ち続ける。

 二人とも同時に打ち終わって、ホッと胸を撫で下ろしたが、すぐに隣のライバルに視線を移した。

「お前は二組だろう。二組は二組らしく同じクラスと交流を深めた方が良いのではないか?」

「アンタこそ専用機持ってないじゃん。専用機持ちは専用機持ち同士組んだ方が良いと思うんだけど?」

「ふっ、自分の腕を刀の良し悪しで決めるなど、未熟者のすることだ」

「一流は武器にも拘るのよ」

 二人の睨み合いが始まる。どうにも昼間のファースト&セカンド幼馴染発言が効いたようで、急にライバル意識を持ち始めたようだ。

 そこにピロリンと高い電子音が鳴った。二人ともが自分への返信だと思って携帯電話を見るが、

「あ、オレだ」

 音の出所はオレのケツのポケットからだ。

「このスケベメガネが。紛らわしい」

「メシ時にケータイ見てるなんて、女々しいヤツよねアンタって」

 すげえ言われよう。隣の玲美が優しく肩を叩いて慰めてくれる。わかってくれるのはお前だけだよマジで。

「んじゃメシも食い終わったし、戻るわ。二人とも仲良く食えよ」

 オレと玲美が立ちあがると、二人して顔を見合わせた後、勢い良くそっぽを向く。

 何ともまあ。女の子って大変だよねえ。

 ヤレヤレとため息を吐いた後にケータイを取り出すと、一件のメールが届いていた。

「……マジか」

 そこには政府のエージェントから短い内容が記載されてあった。

「どうしたの?」

「んや、来月のトーナメント、うちの親が見に来るってさ」

 もちろん偽名のままで会うことは出来ないとあった。ただ、観覧席に席を用意したとのことだ。

 これは頑張らねばなるまい。

 本当を言えば堂々と会いたいが、今はそんな自由すらない。ただ、自分が元気にやってる姿を間近で見せることが出来るだけでも、すげえ嬉しい出来事だった。

「何か嬉しそうだね」

「嬉しいよ、ホントに。本当に嬉しいんだ」

 週末のたびに研究所に勤める両親と会っている国津玲美にはわからない感覚かもしれない。

「そっか。じゃあ、がんばらないとね!」

 玲美がポンとオレの肩を叩く。

 オレにだって頑張るだけの理由がある。

 だったら、やれるだけやってみる。闖入者がどこまでいけるか、頑張ってみようと思う。

 このIS学園で。

 

 

 一夏と再会したせいだろうか、懐かしい夢を見ていた。十四歳の春ぐらいの思い出だ。

 中学に入っても、織斑一夏はいつもオレたちの中心だった。

 オレたちの通ってた小学校では、クラス変えは二年ごとで、一夏とは三年から六年まで一緒だった。その後の中学校一年のときだけは別のクラスで、二年のときはまた同じクラスになった。

 ガキどもが色恋に目覚める中学校の時分には、一夏に惚れている女子の数は両手じゃ足りなかった。同級生だけじゃなく下級生や上級生の中にも、彼に惚れているヤツが何人もいた。

 まあ、だがしかし、一夏は極度の恋愛音痴かつ、自分に魅力がないと思い込んでた唐変木だった。あと一本義な性格ゆえか、好きじゃない女の子とは付き合えないという妙な持論も持っていた。

 中学校二年になったばかりの頃、放課後の教室でいつもの連中、つまり一夏、鈴、弾、数馬、そしてオレの五人でダラダラと雑談をしていた。

「一夏も一度、誰かと付き合ってみればいいじゃん」

 弾が突拍子もなくそんなことを言う。古めかしいセーラー服を着た鈴の耳がピンと立った気がした。

「いや、オレはそんな余裕もないしなあ。それに好きになった女の子とじゃないと」

 詰襟の制服を着た一夏が、少し困ったような顔で言う。今は一夏が自分の席に座り、他の人間がそれを囲んでる形だった。オレはそのとき、窓際で腕を組んで、ペラペラと本を読んでいた。

「そ、そうよ、そうじゃないと相手にも失礼ってもんでしょ!」

 鈴が必死に予防線を張る。

「だよなあ。それに千冬姉に迷惑をかけないようになってからだ」

 机に肘をついた一夏が、真面目な顔で言う。

「でもよ、千冬さんは気にすんなって言ってるんだろ。普通に学生しろっていてぇな鈴!」

 一夏に助言をしてる最中に、鈴が思いっきりオレの足を踏んできやがった。そして殺気の込められた目線で、『余計なこと言うな』というアイサインを送ってきた。

 いや、それだとお前の恋も成就しないんだが。

「ヨウ、お前またISの本を読んでんのか」

 数馬が呆れたように言うと、鈴が鼻を鳴らし、

「男がそんなもん読んでも無駄だっての」

 と小馬鹿にしてきた。

「好きなんだよコレ」

 そう、ISが世間で認められて世界を席巻し、あっという間に世の中を変えていってしまった。今じゃ書店にIS関連書籍の棚があり、IS学園に入るための赤本まであるぐらいだ。

「残念ね、男は操縦できないんだから。そんな本読んでも無駄無駄」

「うっせ。いつか男が操縦できるようになるかもしれないだろうが」

「来ないわよ、ぜぇーったいに! アンタ、今年も全然ダメだったらしいじゃない」

 来るんだよ、オレじゃないけど、そこにいる織斑一夏が操縦できる日が。

 残念だけどオレはたぶん、ISを操縦できない。女子連中が受けるIS適性試験。実は希望者は男だってお情けのように受けさせてもらえる。女性優先の社会ならではの『男』に差し伸べられる機会の平等ってヤツだ。

 オレも何度か受けて見たが、IS適正はランク外。計測器はピクリとも動かなかったし、もちろん周りからは笑い物にされた。一夏はIS適正試験を希望することさえしなかったので、この時点での『主人公』の実力はオレにもわからなかった。

 そんなことを思ってるうちに、自然と一夏の顔をマジマジと見てしまっていた。

「どうしたんだ?」

 一夏がオレの視線に気付いて、顔にクエスチョンマークを浮かべる。

「何でもねえよ、ヒーローさん」

 わざとからかうような声で肩を竦める。

「だからヒーローって呼ぶなよ。オレのどこがヒーローなんだよ」

 相手はちょっとムっとした顔をしたが、決して本気では怒っていない。

 オレにとっては、織斑一夏はヒーロー以外の何物でもない。正義感があって、クラスの人気者で、曲がったことは大嫌いで、誰にだって平等に接して、目の前に困ったヤツがいれば手を差し伸べる。今でさえ中学校で一番モテるヤツで、あと二年もすれば、世界でたった一人の主人公として誰もが注目する男になる。

「ヒーローみたいなもんだろ」

 そして、オレは登場人物ですらない。

 この頃のオレは、たぶん屈折していた。IS適正はなく、触れることすら許されない。

 前回の人生の記憶を持って生まれたとしても、今じゃ学力だって他の中学生と変わらない。せいぜい精神的余裕があって大人っぽいとか言われるぐらいだ。そんなヤツ、その辺にゴロゴロといる。事実、剣道だって続けてはいるものの、精いっぱいやっても毎回予選落ちレベルだ。

 目の前には主人公がいて、自分はただの脇役だ。一夏と出会って六年。痛いほど味わってきた。

 決して、織斑一夏が嫌いなわけじゃない。むしろ嫌うには良いヤツすぎて、自分が嫌になってくるぐらいだ。

 色々とIS関連の書籍を読み漁り、IS条約なんて一言一句間違えずに暗唱できる。ISの知識ならIS学園を志望している女子にも負けない。

 でもISはきっと動かない。

 中学校二年の思い出の大半は、そんな暗い物だった。

 

 

 ……なんか音がする。

 ぼやけた頭を左右に振って、眠気を覚まそうとした。

「ん? IS反応?」

 誰かがISを展開してるのか? こんな深夜に。

 時計を見れば深夜二時だ。自室の布団を撥ね退けて起き上る。

 視界のみを部分展開して、周囲を探る。今、この一年専用寮には専用機が六機ある。セシリアのブルーティアーズ、鈴の甲龍、シャルロットのラファール・リヴァイヴ、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲン、更識簪の打鉄弐式、そしてオレのテンペスタ・ホークだ。一夏は実家に帰ってるから、今日はこれだけのはず。一夏は実家に帰ってるから、今日はこれだけのはず。

 IS同士はそれぞれの位置をおおざっぱに把握する機能がある。ゆえに個体数ぐらいはざっとわかった。遠いところに二機、その間に距離を取って二機、そしてオレの反応だ。だがどれも待機状態で展開はされていない。

「いや待て、すぐ近くに一機か? 部屋の中?」

 慌てて部屋内を見回す。だが人の姿はない。もちろん一夏の姿はない。

 ISの右手と頭部インターフェースだけを部分展開し、周囲をセンサーで窺う。

「引き出し?」

 オレの机の引き出しから発しているようだ。

 そっと中を取り出す。母親から貰った、『オレ』が生れたときに病室に落ちていたという石が、お守り袋の中で緑色の光を放っているようだ。

「なんでコレが」

 そっとお守り袋から中身を取り出す。綺麗な立方体の物質だ。

 ……そいや、これ、何なんだ?

 ただの石だと思っていた。前に取り出したときはもっと鈍い光だった。オレは照明が反射してるだけかと思っていた。

「いやこれって」

 オレはこれを見たことがある。大きさが違うから気付かなかったけど、光っている様子で初めて思い当たるものが一つあった。

 そうだ、ISコアだ。

「何でだ。なんでISコアがこんなところに、いや待て、時代が合わないぞ」

 インフィニット・ストラトスが世に出たのはオレが小学生の頃だ。生まれたときなら、それより前だぞ。

「どういうことだよ……」

 机の端末を操作し、ホログラムディスプレイを浮かび上がらせる。アドレス帳から一つの電話番号を押してコールした。

『はい、四十院です。こんな夜中にどうされたんですか?』

「緊急の相談がある」

『緊急?』

「……何が何やらわからないけど至急、オレの部屋に来てくれ」

 

 

 真夜中の四十院研究所で、オレと四十院神楽は国津博士の研究室で一息を吐いていた。

「またとんでも無い物を持ちこんでくれたね」

 苦笑いを浮かべて、玲美のお父さんである国津博士がコーヒーを差し出してくれる。小さくお礼を言って一口だけ口に飲み、オレは背筋を正した。

「やっぱりあれ、ISコアなんですか?」

「おそらくは、としか言えないね」

「どういうことですか?」

「うん、ISコアと同等の機能を持っている物体、と推測される何か。まず予想されるのは、第二形態以降のISに使われていたISコアかなってこと。だけど少し小さい」

「ですよね……」

「ISコア自体がかなりの謎に包まれてる物体だから、何とも言えないけど。あと一つ、すごい謎な部分があるんだけど聞くかい?」

「謎?」

「正直、僕は息が止まるかと思ったよ。誇張表現でも何でもない」

 隣の神楽と顔を見合わせる。

「どういうことなんですか、おじ様。私は国内有数の研究開発者である国津のおじ様が驚くような事態、ということが想像できません」

「そう評価してもらえるのは嬉しいけどね。でもIS研究には何をどうしたって篠ノ之束博士がいるから、どんな科学者だって彼女の手の平の上さ」

 軽く肩を竦めて、オレたちに背中を向けた。

 よく見れば、その足が震えているように見える。

 国津博士はIS用推進翼の第一人者で、この人の作った部品は国内外問わず多く採用されている。つまり歴史の短いIS関連兵装の中ではトップクラスの研究者だってことだ。

 そんな人がここまで驚く事態ってなんだ。

「とりあえず、あのISコアは明日、神楽ちゃんのお父さんと相談して、IS兵装をインストールして一機のISに特急で仕立てあげるよ。そしてステルスモードにして、完全に隠しておく必要がある」

「えっと、どういう意味でしょうか?」

「絶対に見つかっちゃいけないISコアだってことさ」

「……その理由は?」

「ナンバー、聞くかい?」

 ナンバーってのは、ISコアの内部にデータ的に刻まれてる数字のことだ。ISコアは世界で467個しかないので、数字だってもちろん467までになる。

「二瀬野クンが持ってきたISコアっぽい何かだけどね。もしISコアだったとしたら、そのナンバーは」

 国津博士の真剣な眼差しに、オレと神楽は思わず息を飲む。

「四桁、2237番、という数字になるんだ」

 

 

 

 





少し短めですが、『西の地にて』と関連する場所なので、上げました。


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9、メテオブレイカー(チャイニーズ・レッド)

 

 

 食堂で朝食を取りつつ、左手の小型端末でニュースサイトを読んでいた。

「おーっす」

 制服姿の一夏がオレの反対側に座った。テーブルに置いたトレイには、朝からがっつり食うらしく、うどん定食が乗っている。

「おう、おかえり」

「今日の夜からよろしく頼むな」

「……おう」

 相変わらずの爽やかな笑顔で言われるが、こっちの脳内はそんな気分じゃない。

 正直、今は昨晩のISコアのことで頭がいっぱいだった。ネットのニュースも手持無沙汰でスクロールしてるだけで、頭にはちっとも入ってこない。

「何か面白いニュースでもあったか? あんまり最近の日本のこと知らなくてさ」

「うーん、まああんまり変わらんぞ。どこぞの芸能人が不倫したやら、どこぞの政党が法案出したとか、どこぞの自衛隊が新鋭機を導入予定でそれに反対する団体が抗議デモとか、どこぞの」

「どこぞのばっかじゃねえかよ」

「だってよく知らんもん。あと、どこぞの星に小型隕石が落ちそうとか」

「どこぞの星って地球じゃねえかよ」

「そうとも言うな。現状、自衛隊とUS、あとKRとTWに珍しくCHも同時作戦展開中だな」

 ニュースサイトに上がってる情報から、掻い摘んで一夏に教えていくと、載っていたかき揚げを汁に浸しながら、

「なんでそんな大規模なんだよ? 小隕石ぐらいで」

 と尋ねてくる。

「国際宇宙ステーション配備のラファールとメイルシュトロームじゃ対応できなくて、アラスカ条約機構が作戦を立案して、一時的に連合軍を作ったみたいだぜ」

 ちなみに宇宙ステーション配備の機体は二機だけの、アラスカ条約機構所属の機体である。

「危険なヤツなのか? すげえデカいとか」

「だったら今頃パニックになってるだろ。アマチュア天文家の話じゃ、30メートル級の隕石らしいぞ」

「それで、どれくらいの威力なんだ、隕石落ちると」

「さあ。でもそれなりの作戦は立ててるだろ。情報統制かかってて世間にゃ内緒の話だけど、IS学園の上級生も何人か出張るらしいぜ」

「ふーん、俺たちは留守番ってことか」

「そういうこと。でも計20機以上の大作戦になるらしいから、ぜひとも見てみたいんだけどな」

「20機かー。編隊飛行でもしてくれたら、壮観だろうな。俺も見てみたい」

 気付けば、オレはさっきまでの陰鬱な気分を忘れて、一夏と隕石談義に興じていた。

 こいつは聞き上手だ。普段は相槌を打ち返答しながら話を聞いてくれる。主張するときは主張する。わからないものはわからないという。まったくもって主人公然とした人間だ。

 そういう部分に惹かれてるヤツが多いのも確かだ。整った外見やら機転の回る地頭やらは置いておいても、世間一般のカシマシイ女性群というのは、意外にこういうのに弱いらしい。

「とはいえ、小隕石じゃあな。各国とも、自国に落ちそうな物を撃墜していくだけじゃねえかと思ってる」

「だよなー。もうちょっとみんな、協力しあえばいいだろうに」

「無茶言うなよ、自国の領空にISなんか入れたら、下手したら秘密な施設とかまで見つかっちまう」

 その手の施設は、今じゃ地下にみんな移設し始めてるってのはホントかね。

 ずずっと日本人らしい音を立てて味噌汁を啜ってると、一夏の背中の向こうに、金髪と銀髪が見えた。

「おはよう一夏」

 シャルロットが控え目な量の朝食を持って、一夏の隣に座る。

 ラウラは嫁と同じ主義なのか、朝からカツレツを持ってきていた。しばし悩んだあと、仕方なさそうにオレの隣に座ろうとしたので、オレは座ったまま位置をずらして、一夏の正面を譲ってやる。少し不思議そうな顔をしたあと、ラウラは何やら頷いてから遠慮なしに座った。

「おはようさん、二人とも」

「うん、ヨウ君もおはよう」

「ああ」

 それぞれに返事を返して、まずはと二人ともコーヒーに口をつける。

「一夏、今日は随分早く帰ってきたんだね」

「ん? 俺? さっき帰ってきたばかりだぞ」

「え? だって、ねえ?」

 シャルロットがラウラに問いかけると、ラウラも怪訝そうな顔で

「お前の部屋の方でISの反応があったぞ」

 と一夏に尋ねた。

「ヨウじゃねえの?」

 その質問が来るのは想定済みだ。

「さあ。オレは昨日はぐっすり眠ってたから、よくわからん」

 何食わぬ顔でお茶を飲む。

 二人して不思議そうな顔で小首を傾げてた。内心は冷や汗かきながら、オレは素知らぬ振りを続ける。

「ごちそうさま。先行くぜ」

「お、おう」

 一夏たち欧州組を置いて、オレは立ち上がってトレイを片付けに行く。

 2237番目のISコアが反応した、なんて言えるわけがない。現状は四十院研究所に預けるしか出来ないので、黙っているしかなかった。

 

 

 

 

 今日はISの実習が主な授業だ。

 そうなると、注目は一夏、ラウラ、シャルロットの新参組に自然と集まっていく。

 特に一夏は全員が注目しているようだ。

 ジャージ姿の織斑先生が前に立つ。

「ふん、すっかり注目の的だな」

 先生がチラリと実習用グラウンドの入り口を見たのは、そちらに暇な教員たちが集まっているからだろう。みんな、新しい専用機持ちが気になるようだ。

 目を凝らして面子を確かめれば、その中に生徒会長の更識さんの姿も見える。普段はカリキュラムも寮も違うので、一年の前に姿を現すことはかなり少ない。オレだって見るのは2回目ぐらいだ。

「では本日から航空戦技の実習に入る。そうだな、せっかくだ、デュノア、前に出ろ」

「はい」

「もう一人は……ふむ、二瀬野」

「へ?」

「お前の返事はそれか」

「は、はい!」

 オレかよ。それはちょっと予想してなかった。

「空中で軽く撃ち合って見せろ」

 その指示に従い、オレとシャルロットが前に出る。並んだ生徒から充分に距離を取ると、視線を交わした。

「お手柔らかに頼むわ」

「ふふっ、こちらこそ」

 二人同時にISを展開し、PICを使って軽く上昇したあと、スラスターで本格的な飛行に入る。

 高度計が50メートルになったところで停止し、直線距離で30メートルほど距離を取り、お互いの武器を構える。オレは片手で持てるレーザーライフル、向こうはサブマシンガンだ。

『では、30秒ほどの簡単な模擬戦と思え』

 グラウンドの隅に設置されたスピーカーから、織斑先生の指示が聞こえた。

 長ぇよ……。思わず不満を零しそうになる。

『では、3、2、1、開始!』

「行くよ!」

 シャルロットのラファール・リヴァイヴ・カスタムが軽く引き金を引いた。

 背部のスラスターを左右に揺らし、なるべく最小限の動きで回避、そのままこっちも軽く引き金を引いてから、また横に飛ぶ。

 向こうは手慣れているのか、こっちの逃げる先に数発の弾丸を撃ち込んできた。今度は腰から伸びている尾翼スラスターを操作し、軽く上昇して弾丸をやり過ごす。そのまま数秒の反撃をして、流れるように横に飛んだ。

 高速戦闘用のバイザーをつけた視界に、シャルロットの怪訝な顔が映る。

 どうしたんだ?

 方向転換の反動をいなすように翼を動かしながら、引き金を引いては回避して飛び続ける。

 お互いに一発たりとも当たらずに30秒ほどが過ぎた。そろそろ終わりだろう。

 チラリと足元の遥か下にいる織斑先生の顔を見る。こちらも怪訝な顔をしていた。

 なんでだ?

 目線をラファールに戻すと、武装が変わっていた。弾速の速いライフルだ。

 あれがラピッドスイッチ! 目を離した時間は一秒もなかったぞ?

 武器がこんだけ速く変更されると、弾の速度差だけで翻弄されてしまう。知ってた機能とはいえ、実際に目の当たりにすると、かなりの脅威だと実感できる。

 そうは言っても簡単に当たるわけにもいかないので、再び推進翼を左右に振って回避した。

『それまで』

 30秒はとっくに過ぎてたと思うんだけどな。

 安堵のため息を吐いてから、武装を腰の後ろのホルダーに戻す。

 シャルロットがすぐ横に接近してきた。速度を合わせて二人でゆっくりと降りていく。

「変わった動きだね」

「そうか? まあ四十院のカスタムだし。てか前にも見ただろ?」

「あれは遠目でまっすぐ飛んでるのを見ただけだからね。実際に見ると推進翼の方向転換がすごい速くて、ちょっと驚いちゃった。機体を左右に振るだけでかわすとは思ってなかったな」

 まあ、それだけしかしてなかったからな……。

 地面に降りてからISを解除し、生徒の列に戻っていく。

「では、専用機持ちをリーダーに、班を作って別れろ」

 織斑先生の号令とともに別れていく。

 専用機持ちたちは悔しそうに一夏の班を見詰め、一夏の班はキャッキャッと騒ぎ立てている。どっかで見たシーンだ。

 意外だったのが、ラウラの班だ。的確な指示の元に、一番早く実習を進めている。オレの記憶じゃ、一言も喋らずに実習すらまともに進んでない様子だったはずだ。

「人気者だねー織斑君」

 小柄な体躯にメガネをかけた岸原理子がオレに問いかけてくる。

「まあなー。あの男前だしな」

「うんうん、さすが織斑先生の弟さんっていうか」

「……んだな」

「そういえばさっきの武装、初めてみたかも」

「ああ、シータレーザーライフル? 実弾の反動制御に困ってたら、国津博士が提案してくれたんだ」

「へぇー。第二世代機なのにレーザーなんてあるんだ?」

「そりゃ一応はある。偏見だ。まあ無反動で威力は高いんだけど、照射可能時間が少なくてなー。ちなみに距離200メートルの対象相手に、20回も撃てない」

「うはっ、最大射程4キロを一発撃つと終わりってこと? なにその残念兵器。やっぱブルーティアーズには勝てないってことだねー」

「実弾射撃をまともに出来るようになるまでの代替なんだ、文句はねえよ」

「実はパイロットの腕が問題だったんだ……」

「うっせ。次は理子か。ほら、さっさとやるぞー」

「了解了解」

 テキトーに答えながら、理子は打鉄に手足を通していく。こいつも四十院の研究所で何回もISに乗ってるから、特に問題ないだろ。

 とはいうものの、班長なのでそれでもミスがないか注意深く見守りながら、授業を進めていった。

 ……なんだろ、織斑先生の視線が痛いな。気のせいか?

 

 

 

 

 ことが起きたのは、放課後だった。

 いつもどおりに自主練に励んでいると、グラウンドの中心当たりで言い争ってる様子が見えた。

 セシリアと鈴に、ラウラか?

 PICと尾翼の推力だけで飛び、ISを仕舞って駆け寄る。

「何を言い争ってんだ?」

「ヨウさん、このラウラさんという方が!」

 随分怒り心頭のご様子だ。鈴も不機嫌そうに腕を組んでいる。

「私はお前たちの実力が見たい、と言っているのだ」

「実力見せるだけなら良いんじゃないのか?」

 思わず首を傾げてしまう。

「このわたくしが、新参のドイツ人から、2対1でかかってこいと言われてますのよ?」

 うわー……。いやでも、オレの記憶だとその条件でも負けてるしなぁ、鈴とセシリア……。

「私はBT実験機とも対戦し勝利したことがある。スペックはわかっているので、問題はないと言っているのだ」

 ん……BT実験機ってブルーティアーズ2号機のことか? 話が要領を得ないな。オレの知らない実験でもあったのか?

 お怒りのセシリアと鈴に反し、ラウラ自身はまったく悪気がないように思える。むしろ妙な威厳が備わっていて、オレなら思わず『お願いしまっす!』と言ってしまいそうだ。

「どうしたんだ、ラウラ?」

 ちょうど良いタイミングで一夏がやってきた。

「お、ヒーロー様、何とかしてくれよ」

「お前、その呼び名やめろよ……んで、何睨み合ってんだ?」

「お前んとこの隊長が訓練つけてやるって言うんだけど、セシリアと鈴は2対1じゃプライドが許せないらしくてさ」

「ラウラ、相当強いけどなぁ」

 一夏が何の悪気もなく呟くと、鈴がギラリと睨む。

「アンタは黙ってなさい、それよりアンタからボコボコにしてやろうかしら、色々と言いたいこともあるし!」

 その迫力に思わず一夏の後ろに隠れてしまう。むっちゃこええ。

 あ、閃いた。

「一夏とラウラ、それにセシリアと鈴で良いんじゃないか?」

「お?」

「ん?」

「は?」

 一夏、ラウラ、鈴の順番でオレの方を見る。唯一セシリアだけが、

「良いアイディアですわね。ドイツの黒兎隊とやらの実力を見せていただけるチャンスですわ」

 と乗り気になった。

「なんでアタシがこの高飛車ロンドン塔女と組まなきゃいけないのよ、そこも問題なんだっての!」

 えー、じゃあどうしろって言うんだよ……。

「んじゃ、ヨウとオルコットさんだっけ。それに俺とラウラでどうだ?」

「一組隊黒兎隊か。まあ、たまには良いかな。どうだ、セシリア。日頃の指導の結果を確認する意味もあるだろうし」

「むしろ、そちらがベストですわね。わたくしも、二組の方と組むよりは」

 四人納得しそうになったときに、鈴が、

「ちょ、ちょっと待ってよ、アタシを置いて話を進めるんじゃないわよ!」

 と慌てて割り込んできた。

 オレ、二瀬野鷹は今の人生を2度目だと自覚している。前回の人生では、ここにいるヤツらを物語の登場人物と認識していた。当然、ある程度のストーリーを把握している。ここはオレが持ってる、この異形の知識をフル動員して、最適な言葉で返すとしよう。

「二組は帰れ」

「殺すわよ!?」

「じゃーどうしろって言うんだよ、なあ一夏?」

「う、うーん。ま、まあ鈴、ここは俺の顔に免じて、な?」

「何でアンタの眼帯ヅラに免じてあげなきゃいけないのよ?」

 話が紛糾してきたぞ。ラウラは何でもいいから早くしろと言いたげに、腕を組んで苛立たしげなリズムを指で刻んでいる。

 あーめんどくせ。なんで自習の模擬戦の組み合わせぐらいでここまで紛糾せにゃならんのだ。

 ……しゃあないな。

「よく考えたら、わざわざクラス代表に出てもらうほどじゃないよな。新参者の腕試しにセシリアの手を煩わせるほどじゃない」

「ま、まあそうですわね」

 鈴が自分もクラス代表だって叫んでるが無視だ。

「ここは我が麗しのクラス代表様の前に、オレと戦ってもらおうか? オレに苦戦するようじゃセシリア・オルコット様の足元には到底、及びつかないぜ?」

「ほ、ほほほ、その通りですわ!」

「我が組の象徴たる美しくも強きブルーティアーズに謁見したくば、このオレを倒してからにしてもらおうか!?」

 こんなところか……。チラっと一夏の顔を見ると、急に何言ってんだコイツみたいな顔をしてた。

 ふっ、これが一組のやり方なんだよ……チクショウ、覚えてろよ。

「ま、まあいいでしょう。そこまでヨウさんがわたくしの露払いをしたいというならば、ここはお任せいたしましょうか」

 よし、チョロい。

 思わず小さくガッツポーズをしてしまった。

「んじゃ、アタシとヨウね。足引っ張んないでよ?」

「うっせ。引き分け同士なんだ、実力は一緒ぐらいだろ」

「あんときはたまたまよ、たまたま。奇跡的に起きたアタシの隙をアンタがマグレで突いて、偶然にダブルKOになったようなもんでしょ」

「どんだけ確率低いんだよオレの引き分け」

 さて、とりあえずは勝負だ。

「お前とISで戦うときが来るなんてな」

 一夏が少し目を細めて呟いた。

 ……その感慨は、お互い様だ。

 

 

 

 セシリアの立ち会いの元、オレと鈴、一夏とラウラで対峙する。

「鈴、耳貸せ」

「何よ」

「一夏をまず落とす。ラウラは正直、オレたち二人でも厳しい」

 ヒソヒソと小さな声で提案した。

「はぁ? あんな焦げたジャーマンポテトに私が負けるわけないでしょ」

「バカ、冷静になれよ、あの年で少佐だぞ。弱いわけねえだろ」

 なるべく諭すように伝える。オレの覚えてる記憶じゃ、鈴とセシリアの二人でボロ負けしてる相手だ。

 だが、鈴は逆にわざと大声で、

「そんだけドイツのレベルが低いってことでしょ?」

 と挑発紛いの発言を言ってのける。

「ほう、土地の広さと数しか取り得のない国がよく吠える」

 さすがにラウラもカチンと来たようだ。

「あたしの甲龍で墨同然にまで焼き上げてあげるわよ」

「やれるものなら、やってみるがいい、ハリボテの虎が!」

「ハリボテかどうかはすぐわかるわよ!」

 中国の第三世代機が開始の口火を切る。肩に浮いた衝撃砲が一夏とラウラのいた場所を打ち抜いた。二人は別々の場所に飛んで回避する。

「いきなりかよ!」

 焦ったような声を出しながらも、一夏は武装を抜いた。

 雪片弐型……か。

 鈴が二本の青龍刀を抜いて、ラウラへと襲いかかる。だが相手はひらりとかわし、右の拳で甲龍を吹き飛ばす。

「鈴!」

 追撃をしようとするラウラへと、オレは加速を始める。

「させるか!」

 そこに一夏が立ち塞がった。

「チッ!?」

 こちらもブレードを抜き出して切りかかる。白式の独自かつ最大の威力を誇る『零落白夜』が発動してない状態なら、こちらのシールドエネルギーも気にせずにやれる。

「篠ノ之流同士、いっちょやろうぜ!」

 一夏が加速と同時に上段から切り落としにかかる。こちらは下段から撃ち返しつつ、尾翼の推力を上げた。鍔迫り合いになるが、機体自体を押し出す力は、オレのテンペスタの方が上のようだ。徐々に押し返し始める。

「おい鈴、生きてんのか? おいバカツン!」

「誰がバカツンよ!」

 大声で返答が返ってきた。地面から空中に向かって龍砲を連射し始める。ラウラはそれを悠々と回避しながら、肩からワイヤーを打ち出した。

 鈴はハッとした顔で打ち返すが、体勢を崩したところにシュヴァルツェア・レーゲン本体が襲いかかる。

 グラウンドに衝撃が走り、土埃が舞い上がった。

 AICすら使ってないってのに、ラウラの強さは圧倒的だった。

 ……いや、鈴の動きがいつもより単調なんだ。あいつはバカだけど弱くない。

「よそ見してたら危ねえぞ!」

「へ?」

 一夏の剣にかかる力が急に緩む。岩に当たった水流のような動きで切り返された雪片の刃が、今度は袈裟切りでオレに打ち降ろされた。そして追撃の鋭い蹴りが打ち出される。

「くそっ!」

 背中の翼を必死に操作し、地面への激突は回避した。

 すっかり忘れてたが、幼い頃の一夏の剣術はオレより数段は強かった。

 ……一夏のISのキャリアは今年の2月からで、黒兎隊でみっちりやってるはずだ。なおかつ本人の身体能力はかなり高い。

 弱いイメージが先行してたが、冷静に考えれば戦力としてはオレより上だ。

 女子の方を見れば、空中に悠々と腕を組んだラウラが、土埃の中を見下ろしている。

 鈴はあの調子、こっちは一夏と良い勝負以下。

「戦力差ってヤツか……。さすがに少佐殿と第三世代機相手に分析間違ったかな。レーゲンも完成度が高い上にAICすら使ってねえ」

 思わず大きなため息が零れる。

 こりゃギブアップだな。まあ実力差がわかっただけでも良いか。

 武装を仕舞おうとしたとき、

「ふざけんじゃないわよ!」

 と怒声が響き渡った。

 全員が鈴の方を見る。

 ゆっくりと立ち上がりながら、ラウラではなく一夏を見据えていた。

「急に姿を消したと思ったら、ドイツの軍人とか調子こいちゃって! それで今度はIS乗りなんて、ふざけんじゃないわよ」

 怒りに塗れた鈴の声に、一夏が目を細める。

 ラウラが怪訝そうな顔で、ヤツの顔を見詰めていた。

 ……思い違いだったのかもしれない。

 オレが余計なことをしたせいで一夏はドイツに渡り、黒兎隊に入隊後、無事に日本へと戻ってきた。あいつの受難はオレのせいで、本来ならする必要のなかった苦労をしている。

 そう思ってたが違ったのかもしれない。オレが本当に奪ったのは、絆だったんだ。

 余計なことをしなければ、鈴が転校するまで一緒にいて、幼い約束のために美味しい酢豚を作れるように練習して、4月に転入してきた鈴と一夏が一緒にゴーレムを倒して、なんてことない毎日で育むはずだったヒーローとヒロインの絆。

「一夏、オレさ」

「ん?」

「最初は鈴のこと、好きじゃなかったんだよ」

 能力高くて苦労なしに何でも出来て、物語の登場人物で上から目線で。そんなイヤなヤツだった。

「そんな感じだったな」

「気づいてたか?」

「何となくな」

「でも今初めて、本気でアイツの力になりたいって思ったわ」

 中学の頃、鈴を一夏とくっつけるために起こした数々の行動は、オレが未来を変えたいと思ったためのエゴだった。

「よし、んじゃかかってこい、黒兎隊は強いぜ?」

 眼帯をつけた一夏がオレに向けて剣を構える。

 何が贖罪かもわからない。だがとりあえず鈴が本気で勝ちたいと思ってるなら、オレの持てる力を振り絞るだけだ。

「行くぜ」

 背中に生えた三枚の推進翼に意識を回す。オレに出来ることは、これだけだ。

 鈴が二本の青龍刀の柄を合わせて合体させ、ラウラへと向かって真っ直ぐ飛び上がった。

 レーゲンがゆっくりと右手を伸ばす。甲龍が激突すると思った瞬間、二機の周辺にある空気が歪んだ。

 アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。意識した対象の慣性を停止するドイツ第三世代機の特殊機能だ。

 押してみ引いてもビクともしない状態に、鈴の顔が驚愕で歪む。

 こっからが勝負だ。

 一夏へとブレードを構えて、背中の推力を全開にし、イグニッション・ブーストを作動させる。持てる最大の加速で白式へと襲いかかった。

「速い!?」

 だが一夏の反応も速い。剣を構えてオレの攻撃を迎撃しようとした。

「甘えよ!」

 二枚の推進翼を横に倒し、瞬時加速のまま方向転換する。オレの最大の武器は加速だ。そしてテンペスタ・ホークの推進翼は速度を落とさずに方向転換することを可能にする。

「ラウラ!」

 眼帯の男が隊長に向かって叫ぶ。

 一夏を置き去りにし、甲龍に意識を集中していたラウラへと襲いかかった。

「なんだと!?」

 AICの弱点は、対象に意識を集中してなければいけないこと。複数を相手するには向いてない。

 一瞬で間を詰めて、攻撃を仕掛けるが、ラウラは咄嗟に反応しAICを解いて鈴を蹴りとばし、その反動で逃れようとした。

 それでもオレの機体は最大風速のまま追いすがる。

 ラウラが右手を伸ばす。AICを使う気だろう。

 さらに翼を動かす。エネルギーがバカみたいに減ってるが、構ってる場合じゃねえ。

 直角に上昇し、ブレードを投げつけた。慣性停止結界により刃が止まった瞬間に、さらに直角に曲がりレーザーライフルを取り出してトリガーを小刻みに引き続けた。

「ぐ、なんだこの機体……!」

「鈴!」

「わーってるわよ!」

 オレへ意識が集中している間に、体勢を立て直した鈴がラウラへと切りかかった。

Scheisse(クソッ)!」

 シュバルツェア・レーゲンに確実にダメージを与えたようだ。右肩の装甲が破壊され煙を吹いている。

「鈴、トドメ!」

 そう言いながらオレも加速してラウラへと追撃しようとしたとき、

「おおおおおぉぉぉぉぉ!」

 と雄たけびが聞こえた。次の瞬間、衝撃を受けて吹き飛ばされる。シールドエネルギーががっつり減っていた。

 壁に激突する瞬間、一夏が零落白夜で切りかかってきたのだと気付いた。あの距離が一瞬で詰められたのは、あいつもイグニッション・ブーストを使ったからだろう。

「一夏ぁ!」

 無茶な攻撃で体勢を崩した一夏へと、鈴が切りかかり、トドメと言わんばかりに第三世代兵器の龍砲を連射して撃ち込んだ。

「がっ!?」

 鈍い悲鳴を上げて、一夏も吹き飛ばされて地面へと激突した。土煙が張れると、ISを解除した一夏がいた。リタイアらしい。そしてオレもここでリタイアだ。

「バカ一夏め! ざまぁみなさいっての!」

 得意げな顔で勝ち名乗りを上げるところへ、ラウラが襲いかかる。

 その不意打ちへも瞬時に反応し、鈴は合体させていた青龍刀の片刃でプラズマ手刀を受け止め、反対側の刃で打ち返す。そしてすぐさま龍砲を連射した。やや体勢を崩されたラウラだったが、回避しつつも加速して鈴へと肉薄する。右手を伸ばしAICを起動させようとしていた。

「なっ!?」

 爆発音と驚きの声が響く。

 ラウラの背中のスラスターが煙を吹いていた。

「上手ぇ!」

「上手い!」

 思わず一夏とハモる。

 鈴は相手のプラズマ手刀を打ち返した瞬間に青龍刀を投擲をしていたのだ。相手の視線がズレている間に龍砲を連射したのも、本命から目を逸らすためだろう。そしてブーメランのように帰ってきたそれがラウラの背中に刺さったというわけだ。

 落下していくラウラを見下ろし、鈴が得意げな顔をしていた。

 だが、相手はさらに一枚上手だった。二本のワイヤーを伸ばして鈴を掴みにかかる。近接武器がなくなっていた鈴は一つを撃ち漏らし、胴にワイヤーが巻きついた。

 上手く着地したラウラがワイヤーを上手く操って全力で鈴を投げつける。

 長いドップラー効果付きの悲鳴が響いた後、今日一番の衝撃が地面に轟いた。

「それまで!」

 セシリアが試合終了を告げる。

 最後に立っていたのはラウラ・ボーデヴィッヒだった。

 

 

 

 全員がISを解除して、グラウンドの中心に集まる。

 勝てなかった。

 そんなものだろう。むしろよくここまで健闘したもんだと思った。

 鈴は悔しがってるのかと思えば、

「一夏にしては、頑張ってるじゃない」

 と得意げに話しかけていた。どうやら一夏をぶっ飛ばして少しは気が晴れたらしい。

 小さく安堵のため息を吐いて、オレは立ち上がった。

「正直、驚いたぞ」

 いつのまにか傍にはラウラがいた。

「何が?」

「下手だな、驚くぐらい。細部の動作など一夏以下だ。あの銃撃はなんだ、もう少し練習しろ」

「あ、そですか……」

 わざわざ言うなよ、傷つくだろ……。

「だが、機体性能を生かしてはいる。あの無軌道に動くイグニッション・ブーストはAICにとっては天敵のようだ。気を付けるとしよう」

「そりゃどうも。っと」

 オレは手を差し出す。

「む?」

「遅ればせながら、二瀬野鷹だ。よろしく」

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ。クラリッサが喜んでたぞ」

 小さな手で力強く握り返してくる。

「頑張って古い少女マンガを集めた甲斐があったもんだ」

「私が頼まれた際には、お前に協力してもらうとしよう」

「了解。お付き合いしますよ、少佐殿」

 手を離し、ぎゃいぎゃいと騒いでいる一夏と鈴に視線を移した。まあ主に一夏が鈴に怒られてるんだが。

 もし過去に遡れるなら、きっとオレはオレを止めるだろう。

 チラリとラウラを見る。呆れたような顔でため息を吐いていた。

 オレは、失わせた物を取り戻すことが出来るんだろうか。

 

 

 

 

 鈴と一夏の組み合わせを見ると、必ず思い出す出来事がある。

 昔から一夏は苦手なことが少なくて、大抵のことはすぐ出来るようになる。曲がったことが嫌いな素直な性格は皆に好かれた。困難がのしかかってきても全て退けて、世界最強の弟として生まれ、世界最高からの贔屓を受け、彼はやがて世界の中心に立つ。

 そして、こいつの一番ズルいところは、放っておけないところだ。

 基本的に無茶をする。その動機が間違ってなさすぎて、オレは仕方なしにフォローに回る。

「なあ、どうしてもアイツを助けたい」

 小学校五年のときは、アイツとオレは同じクラスだった。誰もいなくなった教室で、小学生の一夏が小学生のオレに決意を告げた。

「でもありゃ女子にいじめられても仕方ないんじゃないか」

 オレは事実を告げる。

 アイツってのは鈴のことだ。二ヶ月ほど前に転校してきたばかりのファン・リンインは、クラスに馴染めていない。あの性格である。何でも努力なしに感覚でやってのけ、才能のないやつのことがわからない。同級生より少し幼いがそれでも可愛いと多くの男子が囁くほどだ。おかげさまで最近は、一部の女子連中にいじめられるようになっていた。そして他の女子たちには腫れ物のように扱われていた。

「そういう部分もあるかもしれないけど、でもそうじゃない部分だってあるだろ。アイツだって最初は自分から話しかけていってたじゃないか」

「言いたいことはわかるけどな。歩み寄った結果として、そういう結論なら仕方ないんじゃないの」

 やれやれ、とため息をつくオレに、一夏はこう言った。

「お前はいつも、小難しい言葉を使って諦める」

 ……いつも痛いところを突いてくるんだ、こいつは。

「オレを責めても何にも変わらねえぞ。んで正義のヒーロー織斑君はどうするんだよ」

「イジメをやめろってみんなに言う」

「やめろバカ」

 一夏が女子連中に面と向かってイジメをやめろ、とかコイツに手を出すヤツはオレが許さねぇと言っても、一夏に見つからないよう今より陰険なイジメに変わるだけだ。

 織斑一夏の最大の欠点は、鈍感なことである。どうにも自分が女子に好かれてるとか思いつきもしないらしく、そのせいで起きる面倒事も少なくはない。しかも小学校五年ともなれば、早熟な女の子たちが色めき始める頃だ。

 この主人公様も、普段ならもっと頭を使った手に出るんだが、女の子が絡むと途端にこうだ。

「バカって何だよバカって」

「それで収まると思ってんのか」

「何で収まらないんだよ……」

「なにこの唐変木?」

 殴っていい? ねえ、殴っていい?

「何か良いアイデアないのか?」

「……ったく。うちの女子連中って前より仲良いよな? あの転入生を除いて」

「おう」

「それはあの転入生が敵になってるからだ」

「つまり、目的があるとみんながまとまるってことか。ってことは」

 相変わらず飲み込みの良いヤツだ。小学校5年とは思えん。

「違う敵を作ってやればいい。それこそ、優秀なあの転入生の力を借りなきゃダメなほどの」

「あとは敵を誰にするか、だよな。うーん、俺がみんなに嫌われるようにするとか?」

「やめとけ。向いてない。お前、学校に迷い込んだ犬の飼い主探して張り紙作っちゃうタイプだし」

「ぐ、そ、そうかもしれねえけど」

「今度、クラス対抗のドッジボール大会あるよな。たぶん優勝候補は隣のクラスだけど、お前も負けたくないよな?」

「あったりまえだろ。あ、なるほど。それが敵か」

「そうそう。いつもなら別に練習とかしないけど、お前が絶対に優勝したいから、みんなに協力して欲しいって言えば良い。隣のクラスに絶対に勝つために練習する。あと一番頑張ったヤツに特典をつける」

「特典?」

「織斑一夏君が一週間、何でも言うこと聞く。これでどうだ?」

「えー? そんなんでみんな、喜ぶかな」

 クラスの半数は喜ぶし、女子が張りきってたら男子も仕方なしに頑張るだろうよ、と言っても無駄だろうしな。

「誰だろうと男子を一人、言うこと聞かせられるんだ。お前の気持ちを見せるためにも良いだろ。あとな、この一番頑張ったヤツには絶対にあの転入生を選ぶなよ」

「……ふむふむ。あのファンって子、運動できるから絶対に活躍するよな。確かに他のヤツは特典をもらったら、アイツに感謝するわけか」

「そういうこった。お前一人の犠牲で何とかなるんだ。良い案だろ」

「おう! サンキュー、これでやってみる!」

「頑張れよ」

「……いや、手伝えよ」

「この案のどこに、オレの手伝う要素があるってんだ。影から盛り上げ役はやってやるよ」

「わかった!」

 大きく頷くこの織斑一夏君だが、ドッジボール大会優勝後にオレの提案を最後で蹴りやがったんだ。

 曰く、一番頑張ったのは鈴だから、賞品は鈴にやると。

 確かに負けず嫌いのファン・リンインは獅子奮迅の働きだったけど、それじゃ全てが台無しだ。オレはそう思って大きく項を垂れた。

 そこに鈴が、こんなものいらないとか言い出して、オレ特製『織斑一夏を一週間だけ自由に出来る券』を破りやがったんだ。さらに台無しだった。

 だけど、そのあとの鈴のセリフを今でも覚えてる。

「これで女子全員分になったわね」

 そう、一夏が拾って数えると、確かに女子全員分に破られてた。

「こ、こんなバラバラになったのは無効だろ!?」

 さすがの織斑一夏君も慌ててた。なにせこのままじゃ五年生の残りが全て、女子に命令を聞かされながら生きるハメになる。

「破られたらダメって書いてないじゃん」

「書いてねえけど、お金だってバラバラになったら価値なくなるじゃねえか」

「これお金じゃないしー?」

「そ、そうだけど!」

「でも、このままじゃアンタが可哀そうだし、この紙を持ってるヤツは一日だけ言うことを聞かせられるってのでどう? アンタの落ち度なんだから、それぐらいは出来るわよね?」

 鈴の提案に、一夏が渋々と頷いた。

「そ、それなら何とか」

 クラスの女子連中が色めき立つ。

 こうして織斑一夏の約三週間を犠牲にして、鈴はクラスに馴染んでいき、どんどん頼りにされるようになっていった。元々、練習や試合では少しずつ女子と会話するようになっていったおかげもあるだろう。

 なんだ、オレなんかいらなかったんじゃん。つまるところ結論はこれだった。

 確かに案を出したのはオレだけど、最終的にはオレの意図を無視した結果が、最高の形に収まったんだ。主人公どころかヒロインさえ半端ねえよ。

 物語ってのは残酷だ。主人公が際立てば、周りが霞む。

 だから、その脇役として、主人公たちの邪魔をしたオレの罪ってヤツは、きっと許されるもんじゃないんだろうな。

 

 

 

 

 着替えてから食堂に戻ると、何やら騒がしい。先に戻っていた一夏が、新聞部に取材を受けてるようだ。

 騒動から離れた場所で、国津玲美が手を振ってた。その周囲には理子や神楽もいる。

 同じテーブルに座った。玲美が一夏たちの方を見ながら、

「すごい人気だね、織斑君」

 と感心を現してた。

「だな。男前が来ると違うわ」

 朝に一夏が食ってたうどん定食を頼んだものの、これじゃ何か足りない気がするなー。

「おやおやおや、拗ねてるのかなー?」

 理子がオレの顔を覗きこんでくる。

「拗ねてる?」

「いや、何か昨日からずっと暗いしさー。ひょっとして女の子たちの興味が全部、あっちに行っちゃったから拗ねてるのかなーって」

 カラカラカラと笑う。

「いやちょっとまて、そもそもオレはそんなに興味を持たれた記憶がねえぞ……言ってて悲しくなってきた」

 この間まで世界でただ一人の男性IS操縦者だったが、そのときでも中学時代とあんまり扱いが変わった気がしてなかった。

「ま、まあ、ほら、男は顔じゃないからさ」

「うんうん、男は年収の高さと安定さだよ」

 玲美と理子が慰めてくれるが、ちっとも慰めになってねえよ……。

 ふと神楽を見ると、珍しくデザートのような物を食べてた。透明な器の中にはカットフルーツがゼリーっぽい何かと和えてある。

「なにそれ、そんなメニューあったっけ」

「これですか?」

「うん、美味そうだな。新メニュー?」

「いいえ、自分で作りましたけど……今回は手を抜いて、出来上がりの物を組み合わせてみました」

 彼女の業務能力は信用してるが、味覚がちっとも信用ならない。

「少しも欲しくないけど、何それ」

「旬のフルーツのウィダーイン●リー和えです」

 ……Oh。

 10秒チャージが売りの簡易食料にあえて一手間加えるなんて、反骨精神ハンパねぇ。

「美味しいですよ?」

「あ、うん、そうだね、美味しそうだけど、今は遠慮しとくよ」

 確かに味はまずくなさそうだけど、あれを食したら、オレは何かに負ける気がする。

「何を騒いでいるか、馬鹿者ども!」

 ジャージ姿の織斑千冬先生が食堂に現れた。

 途端に全員が姿勢を正して、口を噤む。

「黙って食えとは言わんが、あまりに騒ぐなら、こっちも色々と考えがあるぞ。あと新聞部、さっさと自分の寮に戻れ」

「は、はい!」

 新聞部のメガネをかけた先輩が慌てて駆け出す。

「それと専用機持ちは全員、寮のミーティングルームに集合しろ、すぐにだ。以上!」

 一気に言ってのけると、織斑先生が踵を返して食堂を出ていく。

「なんだろ、とりあえず行ってくるわ」

「行ってらっしゃい、うどんどうするの?」

「ぐあっ、そうだった」

 こいつらに食べてもらおうにも、夜はほとんど炭水化物取らないしな。

 もったいないお化けが嫌いなので、我慢して一気に飲む。うどんは飲み物だ、そうに違いないと自分を騙せ。

「ぐぼっ!?」

「み、水! はい、水!」

 結論、うどんは飲み物じゃない。

 玲美から水を受け取って喉に流し込む。

 ……てかウィダーインゼ●ーは、飲み物だよな? 食い物? どっち?

 

 

 

 IS学園は、各学年寮にもミーティングルームがあり、簡単なブリーフィングも行える作りになってる。

 というか、この学園には至る所に端末と巨大ディスプレイを備えた小さな部屋がいくつかあるのだ。理由は、IS関連は機密が多く、おいそれと廊下で立ち話も出来ないからだろう。

 席には、一年の専用機持ちが揃っていた。この縛りになると、オレの知ってる話と違い打鉄弐式がすでに完成しているため、四組の更識簪も入ってくることになる。しかし居心地がかなり悪そうだ。そして現在の専用機持ちの中に、篠ノ之箒はいない。

 前の教壇側に織斑先生と山田先生が立っている。

 織斑先生が空間投影ディスプレイを表示された。

「さて、最近のニュースで話題になっている小隕石落下阻止懸案だが、みんな、知っているな?」

 全員が頷く中、鈴だけが焦ってる顔してるが、あいつニュース見てねえな?

「本来はお前たちが参加する予定はなかったのだが、念のためということもあり、一番後ろのバックアップに付くこととなった」

 山田先生が手元の端末を操作する。

 ディスプレイ上に大きな文字が現れた。

「メテオブレイカー作戦」

 それが、オレたちの最初の共同作戦の名前だった。

「みなさんの端末に配布した資料が作戦概要になります。目を通して置いて下さい。今から、私がまとめた資料で説明しますね」

 手書きで書いたのか、小学生低学年向けの絵本のような図柄が、前面のホログラムウィンドウに表示される。

 ……振り仮名まで打ってくれてるのは嬉しいけど、オレたち高校生です、真耶ちゃん……。

 全員の苦笑に気付かなかったのか、そのままレーザーポインターを使いながら、説明を開始してくれた。

「現在、地球軌道に接近している隕石のサイズは28メートル。これを国際宇宙ステーションの粒子加速装置を利用した大型荷電粒子砲で破壊します」

 どかーんって手書きのエフェクトが入ったんだが、大丈夫なのか、この人……自分が高校教師だって自覚あんのかな?

「82%以上の確率で、隕石は地表に到達しない大きさに砕かれるか、もしくは地球進入コースから外れます。どちらにしても、この場合は私達に出番はありませんので、そのまま帰投です」

「山田先生」

「はい、オルコットさん」

「ではわたくしたちの仕事は、何ですの? まさか見学ですかしら?」

「だと気楽で良いんですけどね。第一段階が上手く行かず、もし地表に影響のあるサイズの隕石が進入してきた場合が問題ですね。この場合、私達は成層圏内で落下コース沿いに陣取り、長距離射程武器で可能な限り攻撃し、爆発を早めることです」

「爆発を早めるというのは、どういう意味ですの?」

「予測としては、一番大きな破片が15メートル程度になるみたいです。これぐらいの隕石なら鋭角で進入してきても地表にぶつかる前に大気圧で自壊しちゃいます。ですが、ここからが問題で」

 こほん、とわざとらしい咳払いのあと、いんせきらっかよそうず、の映像が変わる。

「成層圏から気流圏の狭間ぐらいで大気圧差に耐えられなくなり、隕石は爆発すると予測が立てられていますが、このときの爆発が」

 昔のアニメのようなアニメーションで、どかーんと爆発が表現された。

 やべぇ、図柄が子供の絵本過ぎて、内容が全く脳内に入ってこねぇ。うわぁ……という顔をしている一夏とオレに気付かず、先生はそのまま説明を続けるようだ。

「おそらくTNT火薬換算で500キロトン以上ですね。この爆発の衝撃波の影響で死者が出る可能性もあります。ですが逆に言えば、気流圏に到達する前に爆発することが出来れば、それだけ被害も少なくなります」

「山田先生、被害予測地点はどこなんですか? ニュースではまだ不明とされていましたけど」

 手を上げて尋ねたのはシャルロットだ。さすが優等生。

「コースが予定通りなら、タイのバンコク郊外ですね。あまり大きな街はありませんが、それでも無人ではありません。一応、避難はするとのことです」

 ならまあ安心なのかな……。衝撃波で窓ガラスが割れたり、弱い建物が倒れたりするって話もあるみたいだから、手放しで喜んだりもできないんだろうけど。

「はーい、せんせー」

「はい、ファンさんどうぞ」

「アタシたちの射撃でコースが変わったりは心配しなくて良いんですか?」

「大丈夫ですよ、なにせ相手はマッハ50以上で質量10トン近くの物体です」

 思わず隣の一夏と顔を見合わせる。

 そりゃ確かにオレたちの武装ぐらいじゃコースは変わらないよな……。少しでもダメージを与えて大気圧による自壊を待つって作戦目的の理由はそれか。

「ちなみに、何もせずに最初の大きさ、つまり30メートルのまま隕石を落としたらどうなるんですか?」

「半径200メートルぐらいのクレーターが開いて、甚大な被害が出ます」

「え、マジで? 意外に厳しい作戦なの?」

「まあ、その場合でも落下予測地点は中国と東南アジアの国境地帯の鉱山地帯で、避難も完了してます」

「じゃあ何にもしない方が安全なんじゃ?」

「色々あるんですよ」

 ちょっと含みのある答えだった。避難自体は簡単だが、鉱山資源にどんな影響が出るかもわからないってところだろうな。それで破壊することでコースを変え、なおかつ被害規模を抑えようという姿勢を見せることで、被害を被る国の理解を得ようってことか……オレに想像できるのはこんぐらいだ。

 場にいたほとんどの人間がそれで納得したようだ。理解してないのは鈴と一夏ぐらいか。あと更識簪はよくわからん。

 結局は、色んな人間の思惑が重なって、今回の作戦が出来上がったってことか。それはどんな世界も変わらないな。

「IS学園一年生、つまりここにいる皆さんが担当する場所は三か所です。最後方なので、それまでに作戦完了している可能性が高いですけど」

 つまるところ、後詰の後詰。参加することが主な目的っぽいな。超高高度訓練の一環ってことか。

「班分けを発表しますね。作戦中はコードネームで呼ばれることになります。コードネームは班単位で共通、名称は自分達で考えて報告してください」

 

 

 ブリーフィングルームから織斑先生と山田先生が去ると、弛緩した空気に包まれる。

「作戦名に捻りがねえ」

 思わず口から零れた感想はそれだった。

「捻りいるのか?」

「いやいるだろ、やっぱり」

「例えば?」

「えっと……スターゲイザー……とか?」

「なんだそりゃ。ゲイザーしてないだろゲイザーは」

 以上、これが男子高校生同士が行う頭の悪い会話の代表例である。

「さて、これが班分けなわけだが」

 目の前にセシリアと一夏がいる。

「高機動チーム、というわけですわね」

「そうだな。主な役割は撃ち漏らした小型隕石の破壊か」

 他のチームは、シャルロットと更識簪のチームと、鈴・ラウラのチームだ。

 作戦的には、成層圏で待機してるだけになりそうだ。

「そもそも20機以上のISが小隕石ごときを撃ち漏らすかね」

「何とも言えませんわ。しかし、わたくしのブルーティアーズの活躍の場があるに越したことはありませんわ」

 ほほほっと高飛車に笑うが、一夏は肩を竦めて、

「来ないに越したことはない、だろ、普通」

 と苦笑いを浮かべた。

 途端にクラス代表様の機嫌が悪くなるが、一夏の方が正論かなと思う。

「そ、それはそうですけど! ……まあいいですわ。どちらにしても落ちてくるつもりで構えておくべきですわ」

「それは間違いないな。うん、セシリアの言うとおりだ」

 個人的な感想を言わせてもらえれば、今回の作戦は好きだ。いかにもISらしい作戦だと思ってる。

 ちなみに我がIS学園では、一時的なコードネームを使うとき、インフィニット・ストラトスにちなんで頭文字が「I」で統一するのが慣例らしい。NATOの場合だと爆撃機がボマーのBだったり戦闘機がファイターのFで始まったりするので、その流れだろうな。

「Iで始まる単語か。ってか先生たちも勝手に決めてくれりゃいいのに」

 一夏がボヤく。

 こういうところだけ、妙に普通の学校らしいっていうか。

 班単位のコードネームってことは、仮に『フロッカー』に決まったら、『フロッカー1』とか『フロッカー2』とか呼称することになる。

 今回のコードネームの意義は、数機ずつに分かれて、かなり距離を置いて配置されることになるから、どこにいるかをわかりやすくするためだろう。

 あとはまあ、お前ら少しでも会話して親睦を深めろっていう意図もあるんだろうな、コレ……高校生かっつーの。いや高校生だった。

「私は名前などどうでもいい」

 ラウラが呆れたようにため息を吐く。

 一夏がピンときたようだ。

「んじゃラウラはイモな。Imo。芋」

「殺すぞ!?」

「何でも良くねえじゃん……ドイツ料理じゃ欠かせないんだけどな」

「アンタ、私もいるんだし、もうちょっとマシな名前をつけなさいよ!」

 鈴も激怒のご様子。

 だがこちとら、男子高校生だ。

「そうだぞ一夏、鈴に『こちらImo1、状況はどう?』なんて言われたら、笑って仕事にならんだろうが」

 ギャハハハと一夏と笑い合う。以上、男子高校生による頭の悪い日常会話例その二である。

 ちなみに、

「ぶふぅー」

 と端っこで吹き出したのは、更識簪だ。いたのか……。突っ伏して顔が見えないようにはしてるが、ツボだったらしく肩が震えてんぞ。

「もちろん、高貴なわたくしのいる班は『インペリアル』ですわね」

 セシリアが胸を張って答える。

「うわー……自分で言うとか引くわー……」

 ドン引きしてるのが鈴だ。

「な、鈴さん、わたくしのセンスにクレームをつけるつもりですの?」

「いやクレームっていうかさー……何て言うか、アホっぽいっていうか?」

 激しく同意だ。

「まあオレと一夏もいるし、インペリアルって感じじゃないよな」

「そうだな」

「そ、そんなことでは困りますわ! 貴方がたもわたくしのチームの一員として誇り高い任務に着く名誉を誇ってくださいまし!」

『いや無理だろ』

 思わず一夏と反応が被る。

「シャルロットは何かないか? こういうのってセンス必要そうだし、シャルロット決めてくれよ」

 一夏が金髪の相棒に尋ねると、彼女は顎に人差し指を当てて、可愛らしく小首を傾げて考え込んだあと、

「一夏にはIdiot(バカ)とかどうかな?」

 と花が咲くような笑顔で答えた。

 黒い、黒いよこの子。

 部屋にいた全員が苦笑いをしていた。

「おまえ、何かあの子、怒らせたのか?」

「い、いや、さっきの新聞部の取材のときから怒ってんだよ……」

「絶対にお前のせいだろ」

 断言してもいい。

 一夏がポンと一つ手を叩いた。また何か思いついたらしい。

「ラウラと鈴のチームのコードネームなんだけど」

「また下らないものじゃないでしょうね?」

「今度は地名だ」

「地名か、まだマシなのかしら」

 鈴がうーんと考え込む。

「Idaho(アイダホ)」

「ポテトって言いたいわけ? イモ繋がりでしょ? 絶対にイモ繋がりでしょ!?」

「そ、そんなことねえよ?」

「いいから、イモから離れなさい!」

 一夏の首が鈴に絞められていたが、自業自得だ。

 てか、名前三つぐらい決まらないのか、この面子だと……。

 仕方ない、正直このまま続けてたらもっと面白いことになりそうだったけど、一夏の顔が酸欠で青いから、さっさと決めておこう。

「あー、んじゃ独断と偏見で決めるけど、いいよな? 文句があれば明日までに自分達で決めてくれ」

 全員がこっちを見る。

「シャルロットと更識な。こっちは火力重視だから、Ignis(イグニス)な。火の神様」

 その提案に金髪のフランス人が関心したように頷いていた。

「中二くさい」

 更識がぽそっと文句を言ってきたが無視だ無視。っていたのかよ、喋れよ。文句言うなよ。

「僕たちイグニスチームは、実弾兵器が主兵装だから、神様なんておこがましいかな、威力もあんまり期待できないし」

 控え目な方の金髪美少女がちょっと申し訳なさそうに苦笑していた。控え目じゃない方がもちろんイギリス人だ。それに対して主人公が、

「あ、そうだよな。相手も衝撃波を飛ばしながら落ちてくるんだし」

 と今さら気付いたとばかりにポンと手を叩く。

「一夏……音速を超えたときに出る衝撃波って、物体の前方には飛ばないんだよ?」

「え? そうなのか?」

「常識だよ。一夏の機体が音速を超えたとき、前方にいる物体が吹き飛ぶとでも思ってるの? 今はとりあえず、高速飛行する物体の衝撃波はいつも機体の前方以外に飛んで行くって覚えてて」

「そ、そうなのか、知らなかった」

 知らないことを知らないと言える織斑君は、正直で良いと思います。だってファン・リンインさんは、ア、アタシは知ってたわよ、と小声で呟いて視線を逸らしましたから。衝撃砲使うお前がそれでいいのか。

「理屈は今度、みっちり教え込むからね、そ、その、二人きりで」

「おう、頼む。で、どうするんだ?」

「え、いいの?」

「何がだ?」

「え?」

「ん?」

「あ、えっと、うん、落下する音速以上の物体への攻撃方法だよね。予測した軌道上に爆発物をバラまいて、タイミングよく爆破するしかないね」

「はぁー、なるほどなぁ。前方からなら、衝撃波で邪魔されることはないってことか」

 シャルロット先生の嬉し恥ずかし音速衝撃波講座が終わったところで、オレは何度か手を叩いて注目を集める。

「次、ラウラと鈴。impresario(インプレサリオ)。オペラとかの監督な。少佐もいるし中間で見守る役だからちょうど良いだろ」

「ふむ、悪くないな」

「まあ、それで我慢してあげるわ」

「そりゃありがたいことで。んで最後、オレらのチームは」

 一夏の顔を見る。

「ま、illuminant(イルミナント)だろ。光源とかそんなの」

「悪くありませんわね」

「そうだろそうだろ。セシリア殿下のご威光でぜひともオレ達愚民二人を引っ張ってくれ」

 もう投げやり。超投げやり。

「文句ないなら、これで提出しとくぞ」

 全員の顔を見渡すが、文句はなさそうだ。

「よし、じゃあそれで行こうぜ、ありがとな、ヨウ」

 一夏が場を絞めた。

 面倒事ぐらいは引き受けるさ。

 さて、明日からの数日間は、イルミナント3として頑張りますか。

 

 

 

 

 

 

 






メテオブレイカー(前篇)。
コードネームは実際のNATOでは兵器そのものにつけますが、ルート2内のIS学園では、作戦限定のチーム名みたいな扱いです。


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10、メテオブレイカー(ブリティッシュ・ブルー)

 

 

 

 メテオブレイカー作戦を控え、セシリアと一夏とオレの三人は、第二グラウンドの隅っこでメテオブレイカー作戦に向けての打ち合わせを行っていた。

「ほれ、このシータレーザー・ライフルを他機使用認証しといたから、白式でも撃てるはず」

 腕だけを部分展開し、汎用インターフェース仕様のライフル型レーザー銃を白式装着済みの一夏に渡す。

「サンキュ。お前は大丈夫なのか?」

「もう一丁あるからな」

「そっか。白式、照準補助ついてないんだよなー……でもこのライフルいいな。無反動か」

「対象との距離が開くとその分、エネルギーを食うし、最長射程4キロを切り取って撃ち出すイメージだって覚えておけよ。20メートルなら200回撃てるけど、2キロなら2回ってことだ。まあ今回は4キロを一発撃つぐらいしかヒマないけどな」

「なるほどなー。色々欠点があるのか」

「あと照射時間と比例して威力が増すタイプだ。要するに当たってる時間が長いほど強いってことだ」

「ふむふむ、なんかゲーム機の銃型コントローラーみたいだなコレ」

「ふざけんな、ガンマレーザーライフルの系統を継ぐ由緒正しいライフルだぞ、敬って大事に扱えよ」

 レーザーライフルを構える一夏の横で、セシリアが大きなため息を吐いた。

「まさか近距離装備しかない機体とは……」

 やれやれと頭を振る気持ちはわかる。

 今回の作戦目標『隕石』は、近寄って剣でぶった切るなんて真似が出来る相手じゃない。なにせ落下スピードはISなんて目じゃないマッハ50以上だ。

 まあ、そのために汎用レーザー装備があるテンペスタとチームを組ませたんだろうな。シャルロットの実弾兵器だと反動計算も加わって扱いが難しくなるし、第三世代の機体だと、まともに貸し借りできる武装なんかないし。

 とは言いつつも、そんな事態が起こる可能性は2割もないんだけど。

「インストールするわけじゃないから、オレの近くじゃないと撃てない。距離には気をつけろよ」

「了解だ。しかし他人の装備をこうやって流用できるなんてなあ」

 一番広い第6アリーナは上級生のチームが使ってるので、オレたち1年の専用機持ち達はチームに分かれて、練習をしている次第だ。

 そんなこんなで、オレとセシリアは、一夏の射撃練習を並んで眺めている。

 電子ターゲットに向け20回程度引き金が引かれたあと、

「んじゃ、軽く復習するぞ一夏」

 と声をかけた。

「頼む」

 携帯端末からホログラムウィンドウを大画面モードにして起動させる。

「今回の作戦は、フェーズ1とフェーズ2に分かれる。フェーズ1は、作戦限定航宙軍が行うから、オレたちにはほとんど関係ねえ」

「ふむふむ」

 セシリアは復習する必要もないだろうが、それでも見守るように一夏の後ろに立って画面を見ていた。

「今、画面に出してるのが、隕石の落下予測コースな。通称『ミーティア・ライン』だ。地球をグルっと回って太平洋を斜めに走って、バンコク郊外に向かってるのがわかるだろ」

「フェーズ1が成功した場合は、関係ないんだろ?」

「ちゃんと覚えてたか。フェーズ1が成功した場合、小隕石群『だけ』が落ちてくる。これは全部が大気圧で爆発して無くなる予測だ。この場合はミーティア・ラインから離れて帰投」

「燃え尽きる前の隕石に当たらないように気をつけろってことだよな」

「あと衝撃波な。透明な壁が飛んでくるようなもんだ」

「オッケー、だいたいわかった。フェーズ1が失敗した場合は落ちてくるんだよな、デカいの」

「そうだ。その場合はフェーズ2に以降。この場合は、ミーティア・ラインを小隕石群と15メートルの隕石が一個、マッハ50で落ちてくる」

「それを狙い撃って、高高度での爆散を狙うってことだよな」

「そのまま落ちると、大気圧差で気流圏到達後、TNT500キロトンクラスの爆発が起きる予測になってる。そうは言っても、真耶ちゃん曰く影響のある場所は全て退避済みだ」

「無理はしなくて良いってことか。でもまあ落とせるに越したことはないよな……」

「そういうこと。んで、我々はミーティア・ライン沿いから、充分に距離を取って15メートルの隕石を狙撃するのが役目ってことだ。アーユーオーケー?」

「お前、英語の発音下手だなぁ……」

「うっせ。まあ安全のため、ミーティア・ラインのほぼ真横からの狙撃になる。お前は狙撃補助がねえから、タイミングと狙いの指示はセシリアが出す。それに従って引き金を引け」

「超音速の的にあてるクレー射撃みたいなもんか」

「理解早くて助かるわ」

「……すまん、実は俺って役立たずなのか?」

 おそるおそる一夏が尋ねてくるので、オレも冗談めかして泣き真似しながら、

「……オレの口からは……」

 とわざとらしく言葉を濁した。

「……ぐ……」

「とは言うものの、そのレーザーライフル、照射時間が短いと威力あんま出ないから、オレも似たようなもんだ」

「だと真横から撃ったら、ますます照射時間が減るんじゃねえの?」

「まあなー。マッハ50に横から光当てても、大した威力にゃならん」

 その点、セシリアのBT兵器は超優秀な光線系兵器だと言える。第三世代だけあってよくわからん理論の不思議レーザーだ。かなりの国家機密だけあって原理は不明だが、第二世代用の残念レーザーと違い、一瞬の照射で最大威力を発揮するし、射程も長い。

「効果があるのは、ラファールと打鉄弐式の時限信管ミサイル、レーゲンのレールガン、そんでセシリアのBT兵器群だな。お前、鈴、オレが役立たず順だ。鈴は射程が短いからな」

「んじゃなんで鈴がラウラと組んでるんだ?」

「盾としては鈴が一番優秀だからだ。衝撃砲は射程こそ短いが連射も効くし、小隕石から飛んでくる衝撃波が届いても、充分に打ち消せる」

「ということは……」

「つまり、オレとお前が役立たずのツートップってことだ。アッハッハッハッハッ」

「アッハッハッハッハッ……って笑ってる場合か!」

「織斑君が隕石の真正面から零落白夜でぶった切ってくれたら、一番ありがたいんだけどなー?」

「さすがに死ぬぞ! それだったらお前も真正面からレーザー撃てよ! 照射可能時間伸びるだろ!?」

「殺す気か!?」

「お互い様だ!」

「あ、でも絶対防御が発動して生き残ったり?」

「やめといた方が良いんじゃないか……絶対防御は『搭乗者を生存させる』機能だからな。これに頼るなってのは、黒兎隊でよく言われた」

「発動しても最悪、『生きてるだけ』って状態になるってことか。よし一夏、頼んだ!」

「いやいや、ここはヨウに譲るぞ」

 とまあ、IS学園男子のレベルはこんなものである。

 おかげさまでセシリアがすげぇ深いため息を吐くはめになるわけで、

「そちらの二機に狙撃能力を期待してはおりませんわ……」

 とボヤきたくなる気持ちもわからんでもない。すんません。

 話が脱線し始めたので、コホンと咳払いをし、再びホログラムウィンドウを指さす。

「というわけで、オレたちは15メートル級の隕石が落ちてきた場合のみ、ミーティア・ライン沿いに立ってクレー射撃だ」

「オッケー。再確認できた。ありがとな、ヨウ」

「どういたしまして。んじゃ次、細かい打ち合わせを、セシリア」

 二人してISを解除し、オレは携帯端末を腰のホルダーにかける。

「わかりましたわ。では、こちらを」

 今度はセシリアが自分の携帯端末からホログラムウィンドウを表示した。

 うわ、ホントにこまけぇ。数字ばっかで背面の図が見えねぇ。

「うわ……」

 まだセシリアの性格が掴めてない一夏が、悪気なく声を漏らしてしまう。おいバカやめろ……。

「な、なんですの織斑さん?」

 ISスーツの淑女のこめかみに青筋が浮かんでいた。

「あ、わ、悪い。続けてくれ。その資料は後で貰えるんだよな?」

「これぐらい覚えて欲しいですわ」

 セシリアが不満げに胸に落ちた髪を撥ね退ける。

 視線で一夏が助けを求めてきたので、ジェスチャーと口パクで『後で渡す』と返すと、ホッとした安堵のため息を吐いた。

「とりあえず了解」

「織斑さんもよろしいですの?」

「ヤー」

「なにそれドイツ軍人?」

「いや今でもドイツ軍人のつもりなんだが」

「マジか。ドイツ軍って今でもハイル何とか言ってるの?」

「今のドイツでそれ言ってたら大変なことになるぞ」

「え、みんな戦争好きだったりしないの?」

「しねえよ、てかヨーロッパの軍は一通り回ったけど、どこも似たようなもんだったぞ」

「あ、イタリアって超デカい軍用パスタ鍋があるってホントか?」

「ねえよ、あったら捗ったけど、なかったぞ」

 あ、やべぇ、思いっきりセシリアの話の腰を折っちまった。

 何だかんだで一夏が戻ってきたせいか、弛んでるようだ。色々あったが付き合い自体は本当に長い。一回目二回目合わせても、ここまで一緒に過ごしたヤツは他にいない。なのでつい無駄口を叩いてしまう。

 チラリとセシリアを窺った。

 うわーこめかみの血管が、さっきの倍の速度でピクピクしてるわ……。

「真面目に聞いてますの?」

『う、うぃ』

 あまりの迫力に、二人とも声が上ずってしまう。

「まったく! 貴方といい、あのラウラさんという方といい、常にビールでも飲んでますのかしら! それとも頭の中身がソーセージと同じなんですの?」

 お前は脳みその代わりに豚のミンチでも入ってんのか……とは中々の暴言である。外人ってこういう言い回し好きだよなーお国柄をバカにしたりとか。

「そういうわけじゃないんだけど……つか俺もラウラも飲まないし」

 眼帯を装着した隊員が、眉間に皺を寄せて隊長を庇う。

 ふーむ……?

「未成年だしな」

「貴方もですわ、ヨウさん!?」

「いやホント誠に申し訳ない、セシリア師匠。真面目にやります」

 こっからは真面目モードだ。気を引き締めていこう。後詰のさらに後詰で出番があるかどうかもわからないとはいえ、ヘラヘラやってて良いわけでもない。

 隣の一夏に、真面目にやろうぜと声を掛けようとしたが、表情がちょっと不満げだ。

「俺への悪口は良いけど、ラウラの悪口は止めてくれ。本人も悪気があるわけじゃないし真面目なんだ。昨日のだって、本当にみんなのことを考えた結果なんだ」

 昨日のってのは、セシリアと鈴の二人と、ラウラ一人で戦おうとした件だろう。

 予想外の発言だ。一夏の中ではラウラの株が相当高いらしい。

「そんなこと頼んでおりませんわ」

「頼んでなくたって考えるもんだ。アンタだって学園の一クラスとはいえ代表なんだろ?」

「こちらだって、クラスのことぐらいしっかり考えてますわ!? 何ですの、一体?」

 気高きクラス代表の表情がどんどん険しくなっていく。

 何か雰囲気がやばい。

 セシリアはセシリアで、何やら色々と真面目に考えてクラスを牽引しているのは事実だ。オレの記憶と違い、一夏が日本にいなかったせいで彼女は自然とクラス代表になり、役職に責任とプライドを持っている。ここまで頑張ってるクラス代表は、他に知らない。

 うちのクラスから脱落者が出たとき、セシリアは本当に悔しそうだった。自分の力不足だと嘆いていた。オレはその姿を知っている。

 彼女にだって一組で過ごしてきた思い出がある。そこを横から偉そうに口出しされては、確かに腹も立つだろう。

「俺が見るかぎり、やっぱり昨日だってラウラが一番際立ってた。アンタがどれだけ強いか知らないけど、ラウラにそこまで偉そうな口を聞けるとは思えないんだけどな」

 一夏は一夏で、やっぱり部隊の隊長としてラウラを高く買ってるようだし、その腕前を尊敬してるんだろう。オレが知らないだけで、それなりの修羅場も一緒にくぐってきたのかもしれない。そしてこの真っ直ぐな性分だ。

 ……これも結局は、オレが悪いってことか。

「昨日も言いましたが、ヨウさんは私の露払いですわ。そのヨウさんにあそこまで追い詰められるような方が強いなどと、とても思えませんわ」

「そんなのやってみなきゃわかんないだろ? 今度は俺がラウラの露払いとして、アンタとやっても良いんだぜ?」

 売り言葉に買い言葉。双方、引けないプライドがあるようだ。

 いやマジでどうしたら良いんだコレ……。

 オレが戸惑っているうちに、一夏はセシリアを真っ直ぐ見据えて、

「せっかくだ、親睦の意味も込めて、今から全力演習やってみようぜ」

 と宣戦布告を放った。

「わかりましたわ。所詮は井の中の蛙だと思い知らせて差し上げますわ」

 今にも手袋を投げつけそうな勢いで、セシリアも受けて立つ。いや手袋してないけどさ。

「ちょっと冷静になれよ、二人とも」

「お前は黙っててくれよ。これは俺にとって譲れないんだ」

 対戦相手から目も逸らさずに、一夏がオレに答えた。

「ヨウさん、止めないでくださいな。ここまで愚弄されては、さすがに許せませんわ」

 セシリアも同様に言い放つ。

 ……結局、この二人は一度は戦う運命なのかもしれない。

 とりあえず、この戦いを止める力は今のオレにはないようだった。

 

 

 

 結論から言えば、一夏VSセシリア戦は、一分ほどでセシリアの勝利に終わった。

 一夏は決して弱くなかった。むしろオレよりは数段ぐらい強いだろう。

 白式も初期セットアップ状態でなく、零落白夜の使いどころも間違えたりはしなかった。良いところがないわけじゃなかったし、むしろよく攻めたとも言える。

 だが、肉薄してきた一夏を、セシリアが全て軽くあしらったのだ。まるで詰将棋のように、接近してきた一夏にビットからの攻撃を当てていく様が見事だった。

 理由もよく考えれば推測できる。

 セシリアは男との対戦が初ではなく侮らずに初撃から全力で襲いかかった。そして、スペック上はブルーティアーズより白式の方が速度が上とはいえ、普段からオレの最高速度に慣れている彼女は、ロックオンに苦労することもなかったようだ。

 それでもオレはこの結果が酷くショックだった。

 主人公がこんな風に負けるなんて。

 良いところまで攻めてエネルギー切れで落ちた、ならまだわかる。実力を出し切れずに完全敗北、でも不思議には思わなかった。

 しかし一夏は実力を出し切って負けたのだ。

 どういうことだよ……。

 

 

 

 疲労のせいか、地面に座り込んでいる一夏の息が少し荒い。

「さて、何かおっしゃいたいことはありますか? 織斑さん」

 超ドヤ顔のセシリア・オルコット様が腕を組んで、一夏を見下ろしてた。

「いや、何もない。俺の負けだ。完敗」

「それだけですか?」

「……正直、ここまでやるなんて思ってなかった。すまん」

「わかれば結構ですわ。貴方も一組なのですから、わたくしの指示に従っていただきます。よろしいですわね?」

「了解だ。でも……ラウラへの暴言は謝ってくれ」

「は?」

「ラウラを悪く言ったことと俺が負けたことは関係ないだろ。謝ってくれ」

 頑固で真っ直ぐ、信じたことは決して曲げない。

「……まったく。ヨウさん、貴方のご友人はとても強情な方ですわね」

 セシリアが横目で不愉快そうに、オレに視線を送る。お前も何か言えってことだろう。

 だがオレはどっちの味方も出来ない。

 4月から一足先にIS学園一年一組に所属してたオレとしては、セシリアにはすごい世話になっている。

 一夏に関しては、言わずもがなだ。

「……一夏、悪い。オレたちはラウラ・ボーデヴィッヒを知らないんだ」

「知らなきゃ暴言も許されるわけはないだろ」

「正論だな。それにラウラとお前の……なんつーの、絆が強いっていうか、それもわかる。でもな……オレだって……セシリアとは4月から一緒にやってきたんだ。大して上手くもないオレを、セシリアは根気よく色々と教えてくれた。お前にとってのラウラが、オレにとってのセシリアなんだ」

「だけど、ラウラは別に暴言を吐いたわけじゃない。あくまで自分達の実力と相手のスペックを見て言っただけだ。間違ってるとは思えないぜ?」

「それじゃあ、本人に悪気が無けりゃ許されるってのかよ!」

 オレに悪気が無かったら、オレのせいでお前が無駄な苦労を負ったことが許されるのかよ、とは言えなかった。悪気がなけりゃ、『彼女たち』が作れるはずだった思い出が存在しなくなったことも、許されるのかよ……。

 顔を上げると、一夏とセシリアが少し驚いている。思ったより荒い調子で叫んでたらしい。

「悪い。ちょっと気が立ってたみたいだ」

 ばつの悪い謝罪を最後に、三人が黙り込んだ。

 オレと一夏を何度か見比べた後、セシリアが大きくため息を吐く。

「ともかく、織斑さんはわたくしをこの班のリーダーとは、認めていただけますわね?」

「あ、ああ。それに異論はないよ」

「私情は置いておきましょう。わたくしたちがやらなければならないことを優先に。いいですわね?」

 メテオブレイカー作戦、コードネーム『イルミナント1』ことセシリア・オルコットがオレたちに向けて諭すような口調で言う。

「では、陣形と位置取りの打ち合わせを行いますわ」

 

 

 

 

 寮の部屋に戻り、楽なジャージとTシャツに着替え、二人して食堂に向かっていた。

「はぁ……なんでセシリアの説明はいつも正確でわかりにくいんだ……」

 思わずボヤキも出ようものだ。あの後二時間ずっと、位置を経度緯度で説明され陣形を角度で話され続けたのだ。

 まあおかげで妙な雰囲気も無くなっていた、というか、それどころではないぐらい疲弊していた。

「……あの子っていつもあんな感じなのか」

「変わってるだろ」

「……ま、まあな」

 途中、廊下で大きめのバックを持った仲良し三人組を見つける。

「あ、ヨウ君、織斑君」

「おー。玲美、理子と神楽まで、どっか行くのか?」

「うん、例の作戦で明日から臨時休校でしょ。だから研究所のお手伝い」

「今から出るのか?」

「うん、何でも横須賀から洋上のラボに行くんだって。相模湾沖にあるやつ」

 洋上のラボは、より大規模な実験を行うためのラボだ。推進翼の実験をするなら、より広い場所の方が都合が良いときが多い。ただ、現地に行くためには船かヘリぐらいしか交通手段がなくて、ちょっと時間がかかる。

 ……どう考えても、あのISコア『ナンバー2237』絡みだよな。洋上ラボの方が他人の目も気にしなくていいしな。

 チラリと神楽と視線をかわす。彼女も小さく頷いて返してくれた。

「そっか。ま、頑張れよ」

「うん、そっちも。お迎え来てるから、もう行くね。ばいばーい」

「ばーいばーい」

「失礼します」

 泊り込みの荷物を持ってパタパタと駆け出す三人を見送る。その姿が見えなくなったあと、一夏が、

「彼女か?」

 といきなり聞いてきやがった。

「ち、ちげぇ」

「お前、中学のときの子はどうした?」

「あ、あー。お前がドイツ行った後に別れた」

「可愛い子だったのに、仲良かったじゃん」

「仲良くても別れることだってあろうさ」

「ま、そりゃそうだ」

 グダグダと会話しながら歩いていると、曲がり角から突然、人影が現れた。

「い、一夏!」

 ちょっとキツい目つきと長い髪をポニーテールでまとめた女の子、篠ノ之箒だ。腰の前で交差させた手をモジモジとさせて、一夏の顔を窺っている。

「おう箒。どうしたんだ?」

「こ、これから食堂に向かうのか?」

「さすがに腹減ったからなぁ」

 冗談っぽく一夏が自分の腹をさする。

 箒がチラリとオレを見た。あーへいへい、そういうことですね。

 ため息をこぼしてから、

「すまん一夏、ちょっと忘れ物したから、箒と先に行っててくれ」

 と救いの手を差し出す。

「そうか、わかった。んじゃ箒、一緒に食うか?」

「い、いや、ま、まあ、お前が私と食べたいって言うなら、付き合ってやらんこともないが!」

「ゆっくり話す機会もなかったし、一緒に食おうぜ」

「わ、わかった! 仕方ないな!」

 話はついたようだ。

 で、オレはこれから可能な限り暇を潰してから食堂に向かわなきゃならんということだ。

 腹減ったなぁ……。

 部屋に戻って、今日の復習でもするか……。

 

 

 

 

 時間潰しに自分の機体のデータを再確認する。

 テンペスタ・ホーク。三枚の推進翼と脚部の大出力スラスターを持つスピード特化の機体だ。

 最近教えてもらったことだが、推進翼は他のISと一線を画す出来らしいが、脚部スラスターは原理的には他のISの推進翼と同じらしい。ということはそれも加速に使えるということだ。

 今回の武装はシータレーザーライフル。人間が携行可能なガンマレーザーの発展形で、無反動で大出力が可能だが、いかんせんエネルギー容量が少なすぎて照射可能時間が短い。

 そして持ちこんでいる2丁のうち一丁を、今回は一夏に貸すことになった。他機使用許可認証を白式のために行ったので、距離が離れなければ一夏でも撃てる。と言っても、あくまで引き金が引けるというレベルだ。そもそも白式には照準補助機能すらついてない。

 今さらながら思うが、本当に特殊な機体だよな、白式って。ピーキーにも程がある。

 ポチポチとディスプレイをタッチしながら、ISのログを確認する。異常・違和感は見当たらない。

 明日は見学で終わる可能性大だが、こういう確認も一応やっておいて損はない。

 ……そろそろメシを食いに行ってもよかろうか。

 時計をチラリと見る。三十分は過ぎているので、もう大丈夫だよな……。

 ゆっくりと歩いて食堂に入る。メテオブレイカー作戦の余波で、IS学園は臨時休校だ。普通の休暇と思ってるヤツも多いせいか、食堂も人が少ない。

 だからすぐわかった。

 一夏が箒に殴られている姿が……。

「ごふっ」

 ヤツの肺から空気が漏れる。良いパンチだ……。何をしたか知らんが、まあ唐変木発言したんだろうな、うん。

 出来ればアイツらが作るはずだった数か月分の思い出を何らかの形で取り戻してやりたい。

 だが、まあ……ほら、あれじゃん。

「この馬鹿者め!」

 箒の怒声が食堂の壁と柱を揺らす。すげぇ衝撃波だぜ。メテオレベル。

 アイツら、本当にアレだからな……うん……。

 

 

 

 

 翌朝7時に、IS学園の校門前で欠伸をしていた。

 1年の専用機持ち達が、護送車のようなバスに乗り込んでいく。このまま自衛隊基地まで運ばれ、そこからXC-2輸送機改に乗り込み、指定位置で空中投下される予定だ。

 まず最初に女子連中が乗り込んでいく。最後にオレと一夏が乗り込もうとした。

「い、一夏!」

 呼び止められて、一夏は声の主の方向を振り向いた。

「箒?」

 制服を着た篠ノ之箒が立っていた。あいつは現時点で専用機を持ってないので、他の生徒同様に留守番である。

 手には何やら包を持っていた。たぶんサイズ的に弁当箱だろうな。

「お先」

 一夏を置いてバスに入る。

 一番前の窓際に陣取って、その様子を眺めていた。会話は聞こえないが、箒が心配している様子が伝わってくる。

 時折、暗い表情で下を向いたり怒ったりしていたが、最終的には何とか笑顔で一夏を送り出したようだ……それが作り笑顔か本当の笑みかはオレにはわからないが。

 色男がバスに乗り込んでくる。ぶっちゃけ、後方にいる女子連中の表情は見たくないぜ!

「お待たせしました」

 一夏がオレの隣に乗り込んできて腰を下ろした。手には何も持ってない。

「おろ? 弁当は?」

「弁当?」

「貰ったんじゃないのか?」

「何の話だ?」

 怪訝な顔でオレに視線を返す。何言ってんだコイツみたいな表情をしてやがる。

 ……ああ、くそ、もうコイツらは!

「どけ、便所行ってくる!」

 驚く一夏の横をすり抜けて、閉まりかけのドアを押し開け外に出た。

「ふ、二瀬野君?」

 山田先生が驚いた様子だ。

「すぐ戻ります!」

 見送らずにトボトボと寮の方へと向かうポニーテールを見つけた。

「おいバカ!」

「ん? ……なんだヨウか」

「ほら、さっさとよこせ、オレが渡しといてやる」

「な、何の話だ?」

「急いでんだよ、このバカ。素直に渡すもの出しやがれ」

「わ、私は別に何も」

「睡眠不足ですって目しやがって。いいから出せ!」

「だ、だから別に……」

「ちゃんと渡すのは次の機会に頑張れ。今はオレが渡しといてやる。ホレ!」

 オレの勢いに押され、渋々と可愛らしい布に包まれた弁当箱をようやく前に出した。

「……すまん」

「次はちゃんと自分でやれよ?」

 奪い取るように受け取って、なるべく揺らさないように走り出す。

 ……偉そうに怒れた立場じゃないのはわかってるけど、やっぱりこの通じ合わない関係を見てるとイラっとしてくる。

 ったく、朝も早くから走らせやがって。

「すいません、お待たせしました!」

 バスに走り込んで、自分の席に戻った。

「ほれ、バカタレ」

「なんだこれ? 弁当か? お前が作ったのか?」

「そんなわけあるか! あったとしても何で男に渡さにゃならん!?」

「だよなー。そんな趣味なかった気がしたからさ」

「これはお前を応援してる女の子からだ。本人は大変ツンデ……奥ゆかしい女の子なのでオレが受け取ってきた。ありがたく食えよ?」

「そ、そっか。女の子の名前は? お返ししなきゃな」

「匿名希望さんだ。次はちゃんと自分で渡すってよ」

「よくわからんが、ありがとな、ヨウ」

「どういたしましてだ、このバカやろう」

 思わず大きなため息が漏れてしまった。

 ラブコメなんて外から見てるに限るな。特に主人公の悪友なんて、本当につまらない役柄だろう。それだけは間違いない。

 

 

 

 

 輸送機の後部ハッチが開く。

 高度40キロというのは初体験のゾーンだ。

 すでに先行して他機は発進済みで、輸送機内にはオレたちしかいない。

「そいやお前、眼帯どうした?」

「ラウラに今回は外せって言われた。まあ当たり前だな」

 そしてようやく最後にオレたちイルミナント1・2・3の順番になった。

「イルミナント1、セシリア・オルコット。参りますわ」

「イルミナント2、織斑一夏、行きます」

「イルミナント3、二瀬野鷹、発進します」

 大空の彼方、無限に広がる成層圏へと、オレたちのISが躍り出る。輸送機と充分に距離がある高度まで落ちた後、翼を広げて先行するセシリアを追いかけた。

 眼下に広がる景色を見下ろすと、ここまで来れば地球の丸さがはっきりと感じられた。太平洋のど真ん中だが、透明な紺色の奥には日本列島の形も見て取れる。

「すげえな」

「ああ……ずっとここにいても良い気分だ」

「観光気分はほどほどに」

「イエッサ」

「ヤー」

 そのまま風景に見とれながらも、真っ直ぐ飛んでいく。

「北緯28度12分30秒、東経136度8分6秒、高度42キロ320メートル、ポイントはここですわ」

 太平洋上のど真ん中だが、一応、日本国内だ。

「スラスターは切ってPICをオートに、偏東風の影響は入力済みですわね。数値設定、風速35m、かなり強いですから流されないように。国際宇宙ステーションからの映像、視界に表示を忘れないように」

 セシリアの矢継ぎ早な指示が通信で飛んできた。

「イルミナント2、スラスターオフ、PICオート。風速設定35メートル偏東風。国際宇宙ステーション映像、接続」

「イルミナント3、スラスターオフ、PICオート。風速設定35メートル偏東風。国際宇宙ステーション映像、接続」

「こちらイルミナント1、インプレサリオ1、聞こえますか?」

『インプレサリオ1、指定位置についたのを確認した。イグニス1、どうだ?』

『イグニス1、イグニス2ともに指定位置到達』

『インプレサリオ1了解。ベース1へ報告、準備完了しました』

『ベース1、了解だ。メテオブレイカー作戦発動まであと2分。全機体、位置を維持しつつ待機』

 ちなみにベース1は輸送機に乗ってる織斑先生と山田先生が担当している。今回の作戦では、最初から参加していた上級生たちは自衛隊下に入ってるので、ベース1は一年専用機持ちの本部だ。

 セシリアの通信が終わり、ホッとため息を吐く。

 空を見上げれば、地表側と近い、暗く引き込まれるような宇宙の欠片が見えた。視界の右端に太陽が輝いていた。

「一夏、今さ」

「ああ、言いたいことはわかるぜ」

「……IS乗りになれて本当に良かったって思ってる。こんな景色が見れるなんて」

「俺もだ。本当に色々あったけどさ……作戦の一環とはいえ、感動してる」

 横を見ると、同じタイミングで振り向いた一夏と目が合った。

 理由はわからないけど、思わず小さな笑いが込み上がってきた。向こうも同じようで、二人して無邪気に笑い合ってしまう。

「お二人とも、そろそろ気を引き締めてくださいますか? 子供のように笑ってる場合ではありませんわ」

 セシリアの呆れたような声に、思わず姿勢を正す。

「作戦発動時間か。んじゃ一夏、地球を守るために頑張りますか」

「そうだな。と言っても、出番があるかはわからないけどな」

 視界に映った国際宇宙ステーションからの映像に意識を集中した。

 捕えられた隕石の映像が流れてきた。これだけみれば、ただの岩にしか見えん。成分分析は95%が岩石で5%が不明ね。未知の金属でも入ってたりして。

「……男性、というのは不思議なものですわね」

「セシリア?」

「なんでもありませんわ。作戦発動カウント、きましてよ」

 カウントが20からどんどん減って行く。

『メテオブレイカー作戦発動しました』

 厳かな声の主は、おそらくアラスカ条約機構作戦限定軍か国際宇宙ステーションのどちらのスタッフだろう。

 静かなスタートだ。

 映像の中では、四機のISが戦艦の主砲ぐらいはありそうなサイズの砲身を支えている。銃口の反対側から石油のパイプラインみたいな物が伸びていて、それが国際宇宙ステーションに繋がっていた。

「なあ、もっと地球から離れた場所で撃墜できないのか? こんな地球の近くじゃなくて」

 一夏が尋ねてくる。素朴な疑問だろう。オレが答える前に、セシリアが短距離通信を開いた。

「ISでそこまで外に行った者はおりませんわ」

 こうやって答えてやるセシリアって、割と律義だよな。

「いないって?」

「宇宙で活動したISはほんの一握り。実際にISで月まで行く計画は立てられましたが、残念ながら実行はされませんでしたわ」

「どうしてなんだ?」

「まだ歴史が浅いこともありますが、どの国も万が一の事故でISコアも失いたくない、というエゴですわね」

 どこまでも続く無限の成層圏(インフィニット・ストラトスフィア)とはよく皮肉ったもんだ。篠ノ之束のセンスに脱帽だ。元々は宇宙用マルチフォームスーツと開発されながら、現在はほとんどのISが大気圏内戦闘用として配備されている。

「さて、そろそろ超望遠レンズで隕石を捕えるところですわね」

 時間を見る。スケジュールも同時に表示されているので、間違えようがない。

「しかし、超大型荷電粒子砲か。今の国際宇宙ステーションの電力状況って良いんだな。粒子加速器も国際宇宙ステーションのヤツを使うってことか。あのパイプラインもそのため?」

「ですわね」

「でも大気圏外でまっすぐ飛ぶのかね。ま、太陽風とかその辺の影響は計算済みか」

「さっきの話ではありませんが、ISのおかげで宇宙での船外作業も格段に進歩し、国際宇宙ステーションの設備も相当に増強されているらしいですわ。おそらく大丈夫でしょう」

「地球に近い範囲ならISを出すのもまだ大丈夫ってことか。まあ宇宙開発だって大切だからなぁ」

 いつもながら、セシリアとの会話はわりと弾む。彼女が勉強家で何でも詳しいせいだろうな。これが感覚派の鈴なんかだと、まるで話にならんから。

「ヨウが詳しいのは知ってたけど、セシリアもやっぱり詳しいんだな。さすがイギリス代表候補生」

 感心したような一夏の声が聞こえてくる。

「あ、当たり前ですわ、これぐらい常識です……そういえばヨウさんは色々と詳しいですわね。2月までISに関係するところにはいなかったはずなのに」

「こいつ、何でか知らんが、IS発表当時から色々調べてたんだよ」

「白騎士事件前からということですの? でしたら相当変人ですわね」

 ……ま、オレの境遇の場合は当たり前の流れなんだけどな。

「そろそろ撃つらしいな。トリガーカウント始まった」

「無事に終わることを祈りましょう」

「そうだな。それが一番良い」

 再び無言になり、全員で食い入るように流れてくる映像を見ていた。

 カウントが減っていく。

 おそらく今、陽電子が国際宇宙ステーションの粒子加速器内で、亜光速まで加速されているんだろう。

 残り3秒、2秒、1秒。

『トリガー、引きます』

 聞き覚えのない声とともに、荷電粒子砲から隕石まで眩い光のラインが伸びた。

「……どうだ」

 全員が固唾を飲んで、次の通信を待つ。

『荷電粒子砲、命中。破砕を確認、小型の破片が落ちる可能性あり、ただし地表到達までに燃え尽きる予測。直径約15メートルの破片が残ったが、こちらはコースを外れた』

「よっしゃ!」

「よっし!」

「まだ安心してはいけませんわ。小型の隕石群は近くを通るだけでも衝撃波を撒き散らしますわ。イルミナント2、3、ともに高度を落としつつミーティア・ラインから離れましょう」

「了解だ」

「ヤー」

「イルミナント全機、合流ポイント目指して下降開始します」

 スラスターに火を入れて、3人で速度を合わせながら降下していく。

 成層圏の光景に見とれながら、しばらく北上し続けた。眼下に広がる雲の大きさに驚いたり、一夏と無駄口を叩きながらと、至って呑気なもんだ。

 だが、セシリアだけがずっと何か考え込んでいる。 

「……気になりますわね、破壊して残った隕石のコースが予測より少しズレてますわ」

 心配そうな声が聞こえてきた。一夏が軽く手を振って、

「でもまあ、地球に入るコース外れたなら問題ないよな」

 と能天気に返す。

 確かに一番大きな欠片の動きが、事前の予測とややズレてはいる。しかし国際宇宙ステーションから送られてくるデータ上では、地球に落ちてくるコースに入ってないのも事実だ。

「ま、一夏の言うとおりだわな。とりあえず一安心だ。せっかくだし、ハワイ辺りまで飛んで行きてぇ」

「そろそろ夏だしな。またバーベキューしようぜ、いつもの川原で。シャルロットと約束してんだよ」

「お、いいねえ。網将軍の一夏様がまた見れるわけか」

「何だよ網将軍って。鍋奉行みたいなもんか」

 ケラケラと笑いながら飛んでいく。

 だが突然に、視界の隅が赤く点滅し、けたたましいアラームが鳴り響いた。

『メテオブレイカー、フェーズ2作戦発動』

「は?」

『最大級の破片がふたたび突入コースに進入、各部隊、次の任務に移れ!』

「ヨウ、どういうことだ? 何が起きた? コース外れたんじゃなかったのかよ!? ヨウ?」

「聞いてるっつーの。オレも意味わからん、解説求めんな」

 視界に表示されたウィンドウを目の動きで操作していく。本隊もだいぶ混乱してるようで、目的の情報が送られてこない。

「何やってんだよ、上は! ベース1、こちらイルミナント3、落下予測まだですか!?」

『こちらベース1、情報統合中だ、もう出る……出た、イルミナント、インプレサリオ、イグニス各機、隕石落下予想線(ミーティア・ライン)が変更された、確認しろ、ここから場所は近い、だが無理はするな!』

「伝達受信中、変更されたミーティア・ライン、来ましたわ! 15メートルの破片が大気圏内に突入コースへ、推定最高速度マッハ50、進入角度20度、すぐ来ますわ。先行して落ちてくる小型の破片は無視、全て地表到達までに燃え尽きる予測、ただし当たらないように!」

「南西方向から北北東……相模湾沖上空にて爆散予測……衝撃波が関東一体を襲う可能性が……いや、高波が起きる可能性もあるか……被害は未知数ってことかよ」

 一夏が独り言のように呟く中にも、相当な焦りが混じってた。

 三機ともが無言で飛び続ける。おそらく他の専用機持ちも同様だろう。

 オレも視界に浮いたウィンドウで落下コースと被害予測ポイントを確認する。

 このまま最大級の隕石の欠片が落ち大気圧によりで爆発した場合、一番被害を受ける場所は相模湾沖だ。海岸線の街もかなりの影響を受けるかもしれない。

 って、相模湾…………マジか!?

「四十院の洋上ラボの真上じゃねえかよ!」

 ISコアナンバー2237の件もあり今、研究所のメンツはほとんどあそこに集まってる。しかも今日は玲美や理子、神楽も到着してるはずだ。

 意図的な何かを感じるが、悠長に考えてる場合じゃねえ。

「織斑先生、四十院の洋上ラボに避難勧告を!」

『すでに送ったが……間に合うかどうかは難しいところだ』

 ……いきなりコースが変わったんだ。そりゃ間に合うわけがねえ。

「上級生と各国の軍は?」

 尋ねてきた一夏の声もかなり強張ってる。

「USは出張ってる、ただ変更されたミーティア・ラインが出てから、他国の軍の動きが遅い!」

 クソっ、クソックソックソッ! どんな世界でも変わらねえのかよコレは!

「自分の家に落ちなきゃテキトーにやるってか!」

『こちらベース1、各機、変更されたミーティア・ラインに沿って配置、出来るだけ隕石を削れ! 隕石に傷がつけば、その分だけ地表の安全が確保される!』

 織斑先生の焦った声が全機に拾われる。

『イグニス1、先行して行くよ! リモート起爆ミサイルをコース上へ全投下』

『イグニス2……同じく』

『インプレサリオ1、レールガン準備に入る!』

『インプレサリオ2、インプレサリオ1の防御へ入るわ!』

 こっから先は、何でもいいから当てて、少しでも隕石を削るしかない。

 サイズが小さくなれば隕石が地表までに燃え尽きる可能性が高くなるし、大きさが変わらなくても損傷によっては、もっと早く爆発する可能性が高くなる。

 ただし相手はマッハ50で、単純にテンペスタの最高速の20倍以上だ。徒歩が時速5キロぐらいだから、向こうは100キロぐらいで暴走する車って感じか……!

「一夏、AICとかで止まったりしねえの!?」

「そんな危ない目に合わせられるかよ!」

「……だな!」

『インプレサリオ1からイルミナント3へ、先行して落ちてくる小隕石群が邪魔で近づけん。ショットガンの嵐の中で大砲の弾を止めに行くようなものだ』

「了解、出来たらやってるよな、悪い!」

 視界に表示されるウィンドウにミーティア・ラインと各ISの配置図が表示されている。

 コースは最終的に、南アメリカ西側から太平洋上を斜めに通って相模湾沖へ向かうようだ。

 隕石は地表に近付くと、気流圏の濃い大気に阻まれ急ブレーキがかかる。そのときに気圧差によって隕石は爆発し、TNT500キロトン相当の爆発が起きる。もちろんその破片だって周囲に落ちてくはずだ。

 そしてこれに一番被害を受けるのは、相模湾沖に浮いている四十院研究所の洋上ラボだ。

 先行して落ちてくる小型の隕石群が接近中だとアラームが鳴る。

 これらは大気圧による圧縮熱で段々と崩壊し燃え尽きるはずだ。かといっても、自壊するまでは隕石であることに違いない。これ以上ミーティア・ラインに近づくのは危険らしい。

 イルミナント部隊三機ともが、隕石のコース沿いで停止する。ここが音速を超える小隕石群の放つ衝撃波の影響が、ISに影響を与えないギリギリの位置だ。これ以上近づけば、いくらISといえど危険な状況に陥る。

「……危機的状況じゃなきゃ、記念撮影するところだな!」

 発熱し発光する物体が目線の先を次々と流れていく。

 その間もオレたちは隕石の余波に耐えなければならない。それは空気の壁が襲いかかってくるようなもので、油断したら吹き飛ばされるし、もし隕石にぶち当たったときの想像なんかしたくもない。

『こちらベース1、先頭のUS軍の前を通過、有効な打撃を確認できず』

「やばいな」

 オレの機体は、元が汎用機のテンペスタだけあって、それなりの武装がある。今回は定点防衛だったから汎用装備のレーザーを2丁持ってきていた。これなら反動を気にすることもないし、どのみちチャンスは一発、だったら最大遠距離火力を叩きこむだけだ。

 セシリアのブルーティアーズも元は遠距離特化装備だし、いかに相手が高速で落ちていく物体とはいえコースが分かっているなら、一発当てるぐらいは余裕だろう。

 問題は一夏。こいつは借り物のレーザーライフルしかねえし、照準補助装置もない。

「一夏、お前は下がってろ」

「……武器がないからか」

「照準装置もないお前が撃つより、オレが二丁撃った方がマシだ」

 オレの言える事実はこれだけだ。……白式はピーキーな機体すぎて、今の状況じゃ役に立たない。

『こちらベース1、自衛隊機、有効な打撃を確認できず、コース・大気圧差による爆発予測位置、変わらず!』

 山田先生の悲痛な声が通信回線を通してIS学園全機に届く。

 それまで黙っていた一夏が、真っ直ぐな視線でオレを見詰めた。

「なあ、ヨウ、正面に近ければ近いほど、破壊しやすくなるんだったよな」

「それが何だっつーんだ。隕石の正面側に行くってのは、ミーティア・ラインに超接近するってことだぞ! 衝撃波と一緒に隕石が飛んでくる。最初に小さいのが、最後にデカいのが」

「俺が守る」

「は?」

「……俺が守る、だからお前は思いっきり落下コース近づいて、ぶっ放せ」

 正気かよ。オレたちのヒーローさんは、盾になるから近づけと言いやがる。

「一夏、そんなことは……」

 できるわけがない、と言おうとしたオレの言葉を一夏が遮る。

「あの子たちが危ないんだろ? だったら俺たちでやるしかねえよ」

「できるか、玲美たちがいる場所は危険だけど、だからってお前が」

「大丈夫だ、今度は俺も戦う。一緒に」

 今度っていうのは、前回とは違うってことだろう。そして前回っていうのは、コイツが誘拐されとき、オレがコイツを守ろうとして逆に足を引っ張った話のことだ。

 だからって一夏と玲美たちを天秤にかけることなんて出来ない。

 そして時間もない。

「織斑さんは、防御には自信があるんですの?」

 世間話みたく問いかけるセシリアに一夏が力強く頷いた。

「銃を撃つより盾になる方がよっぽど得意だ」

「わかりましたわ。では、わたくしの盾になってください」

 さらりととんでもないことを言いやがる。

「待てよセシリア!」

「言い争ってる時間ではありませんわ。状況が掴めませんが、落下コースから考えると国津さんたちが危ない。でしたら、わたくしが行く意味と意義があります。それに同じ超接近するなら、ブルーティアーズのビットも射出し、わたくしの全火力で迎え撃つ方が良いですわ」

 胸の前に垂れた長い金髪を、ISの腕で器用に撥ね退けて、セシリア・オルコットが得意げに自分の責務を告げる。

 確かに、オレのシータレーザーライフルは威力が照射時間と比例する。だがブルーティアーズのBT兵器は最初っから最大威力だ。

「では織斑さん」

「一夏でいいよ、セシリア」

「……わかりましたわ、一夏さん、参りましょう。ブルーティアーズで最も効果を発揮できる位置を算出、指定座標送りますわ」

「受け取り確認した。かなり接近するんだな。小隕石群の落下コースも考えて、角度は隕石のコースに対して45度ぐらいか」

「ビットも射出して全火力集中するならば、これぐらいは接近が必要ですわ。わたくしたちの機体での離脱を考えて、限界地点を算出いたしました」

「了解だ。一発撃つのを確認したら、そのままセシリアを安全な位置へと押し出す」

「お気づかいは結構ですわ、当てることをま……」

「大丈夫だ、お前もみんなも、俺が守る」

「……で、では参りますわ」

「了解だ、クラス代表殿!」

 オレなんか最初から存在しないかのように、白式とブルーティアーズが加速し始める。

 そしてテンペスタ・ホークは動けない。

 ただの闖入者たるオレに、ヒーローとヒロインの活躍を、どうして遮ることが出来るというのだろうか。

 

 

 結局、身動き一つ出来ずに、離れていく二人の背中を見送る。

 ……何やってんだ、オレは……。半分は隕石見学だと浮かれて、大した実力もないくせに……。

『IS学園、ベース1へ、こちら更識、多少の傷をつけたけど、状況にはおそらく変わりなし!』

 生徒会長の声が通信で流れてくる。

 USに続き、IS学園の上級生が配置されている場所も突破し、15メートルの隕石が成層圏を疾走し続けていた。

 このままだと相模湾沖上空にて、気流圏と成層圏との大気圧差により爆発し、TNT500キロトン分の衝撃波が周囲に撒き散らされる予測だ。隕石の欠片が落ちてくる可能性も高い。そして最も近くにある施設は、四十院研究所の洋上ラボだ。

 こうやってボーっとしている間にも、状況は悪化していく。

 出来ることはなんだ。

『イルミナント1、2、位置変更、近づいて最大火力で迎え撃つ!』

 一夏の報告が聞こえた。アイツらがいる場所が先行して落ちてくる小隕石の衝撃波が襲いかかる危険な場所だ。それでも一夏とセシリアは、隕石にダメージを与えるために、そこへと躍り出た。

「ここでやるしかねえのかよ」

 2丁のレーザーライフルを構える。微力だろうが何だろうが、オレはオレのやり方でやるしかない。

 視界に移るウィンドウを目線だけで操作し、隕石の落下コースと速度を入力、自分の武装へとフィードバックし再計算、そしてトリガータイミングの算出に入る。

 持ってきたシータレーザーライフルは、横から撃ったって大した威力にもならない。この武装は照射時間と威力が比例し、それが短ければ短いほど威力が落ちるわけだ。マッハ50で通り過ぎていく物体なら、レーザー照射可能時間なんて瞬き以下の時間だ。

 つまりある程度の威力を発揮するには、真正面から迎え撃つしかない。それでも照射時間が倍になるぐらいで、なおかつ15メートルの隕石の体当たりを食らうことになる。

 その場合、ひょっとしたら搭乗者保護機能『絶対防御』が発動するかもしれないが、それでも本当に『生きてるだけ』の状態になるだろうな……。

 奥歯が軋む音が自分の耳に聞こえた。

 何やってんだよオレは本当に……。

『ヨウ君!』

 唐突に通信ウィンドウが立ち上がる。ISコアネットワークを使った直通だ。

「って、玲美!?」

『やっと繋がった!』

「お前、洋上ラボにいるんだろ、いいから早く逃」

『逃げて、早く!』

 オレの言葉を遮ったのは、同じ内容の言葉だった。

『位置は把握できてるから! こっちはみんな大丈夫だから、気にしないで!』

 ……危ねえのはそっちだっての。

「避難は?」

『下手に逃げるよりは、どのみちラボに籠った方が安全だし、大丈夫、大丈夫だから』

 大丈夫なわけねえだろ。遥か上空とはいえ、TNT500キロトン級の爆発の衝撃だぞ。洋上ラボ自体も危ないし、衝撃で起きた高波が襲ってくるかもしれない。燃え尽きなかった小さな欠片だって降ってくるかもしれない。

 それにお前の声、震えてるじゃん。

「玲美、ありがとな」

『え?』

「足だけは速いんだ。あと、研究所のみんなに、すんませんって伝えてくれ。以上だ、通信切るぞ」

『ちょ、ちょっとヨウ君?』

 通信を切ると同時に、視線を動かして操作を始める。

 テンペスタ・ホークには三つの推進翼があり、それぞれが瞬時加速を可能な、他のISとは一線を画す出力装置だ。

 これとは別に足にも急停止用のスラスターが装備してあり、こちらは爆発的な瞬時加速に対するブレーキが主な役目だ。だが実はこの脚部大型スラスターは他のISの背部スラスターと同様の機能があり、瞬時加速が可能なだけの性能を持っている。

 おそらく世界最高と思われる速度のインフィニット・ストラトス『テンペスタ・ホーク』。

 手に持ってるのは、照射時間に比例して威力が増す強力な無反動レーザーライフル。

 そして真正面から撃てば、隕石に与えられるダメージは増える。

 なんだ、条件は揃ってるじゃねえか。

 全5機のスラスターに出力を集中させていく。どうせ飛ぶしか脳がない。

 ゆっくりと加速を始めた。

 弾丸よりも速く、星よりも強く。

 二瀬野鷹として生まれた人生だ。ヒーローはオレじゃない。

 だけどオレのヒロインぐらいは、自分で決めるさ。

 

 

 視界に連結された仮想ウィンドウに、イグニス1から送られた映像が映る。すでに突破されたようだ。

 次に移された画像はインプレサリオ2からだ。ターゲットスコープに映し出されたタイミングに合わせて砲撃が放たれた。

 映像の中では、次第に燃え尽きていく小型隕石群の通った後を、ISの10倍近くある隕石が恐ろしいスピードで通過していった。

 それは本当に、徒歩の人間の横を暴走していく車のようで、一つの始まりが思い出された。

 前回の人生の最後、ぼんやりと歩いていたオレは、暴走したトラックに跳ねられ吹き飛ばされて死んだ。

 気づけば違う人間として生まれ変わり、物語上の人物と同じ現実を生きていた。

『こちらインプレサリオ1、一夏、無理はするな! 戻れ!』

『無理はしないけど、やれることはやっておきたい、すまん!』

『こちらイルミナント1、申し訳ありませんが、彗星観測のベストボジションはいただきましたわ』

『クッ、っと、大丈夫かセシリア!?』

『問題ありません、一夏さん。ビットの射出開始しますわ』

『大丈夫か?』

『何をおっしゃってるんですの、こちらイルミナント1、セシリア・オルコット。イギリスの代表候補生にしてIS学園一年一組クラス代表ですわよ!』

『よし、じゃあ任せた、俺が必ず守る!』

『……せ、せいぜい頑張ってくださいな!』

 バイザーに新しいウィンドウが浮き上がる。イルミナント2、一夏の白式から映し出される映像だ。

 冷や汗が吹き出しそうな領域だった。

 ミーティア・ラインをすぐ間近にし、燃え尽きる寸前の小隕石群が放つ衝撃波を体全体で受け止めていく。だが、それでもセシリアを背中に回したアイツは揺るがない。

『来るぞ、セシリア、頼んだ!』

『ブルーティアーズ、トリガータイミング、システム同調、行きますわ!』

 ウィンドウ上が眩しく光る。ブルーティアーズの全力射撃だ。同時に映像が一瞬だけブレる。次に眼前にセシリアの顔が映されたのは、アイツが自分を盾にしながらイグニッションブーストで危険区域を離脱してるからだろう。

『どうだ!?』

 わずかばかりの沈黙のあと、再び回線にセシリアの声が流れる。

『全砲撃命中、ただし状況に変化は!』

『失敗か!?』

 そしてオレは羽ばたき始めた。

『ヨウ!?』

 聞こえてきたのは、この世界に生まれてくる前から知ってるヤツの声だ。

 燃え尽きていくミーティア・ラインを逆走しながら、落下してくる星を目指し、テンペスタ・ホークの全ての推進力を撃ち出して、無限の成層圏を螺旋状に駆け抜ける。

 隕石に当たりに行くわけじゃない。2本のレーザーの威力を上げるため真正面からぶっ放し、衝突直前で全スラスターを全開にし回避するつもりだ。

『イルミナント3! 戻れ! 何をやってる!? 二瀬野!』

『死ぬ気ですの!?』

『バカ、何やってんのよ、ヨウ!』

 高速飛行用のバイザーが映すスローの世界ですら、この恐怖だ。

 それでも、脳裏に浮かぶ人たちの姿が勇気をくれる。実際に会うまでは見たことも聞いたこともない、それでもこの世界に生きてる人たちだ。

 算出された指定位置で脚部スラスターを前方に向け、完全停止する。そのまま2丁のレーザーライフルを構えた。

 隕石はここへ真っ直ぐ落ちてくる。

 相手は時速100キロで暴走して突っ込んでくるトラックでオレはただの人間。そう思えば気も楽だ。すでに一回は体験してるのだから。

「オオオオオオォォォォォぉぉぉぉ!」

 恐怖を撃ち払うように雄たけびを上げて、引き金を引いた。

 

 

 

 真っ直ぐ海面に向かって落下しながら、望遠モードの倍率を最大にして隕石の行く末を観察する。

 手応えはあった。真正面から大出力レーザーを二発撃ち込んだのだ。これ以上の攻撃はないと自分ですら思う。

 成層圏を疾走していく隕石は、損傷した体躯が大気圧と自分の加速による質量増加に耐えられず、ひび割れ爆発した。高度計測の結果がオレの目的が達成されたことを表していた。

 やれることはやって今出来る最高の結果を出した。

 ただし、超接近していたオレの機体は、TNT火薬500キロトンクラスの爆発による衝撃波から、マッハ3の回避速度を持ってしても完全には逃れられなかった。

 推進翼をやられ、脚部スラスターも損傷し、真っ直ぐと海面へと落ちていく。

 ぶっちゃけ、隕石の欠片が直撃しなかったのが、人生全部の運を使いきったんじゃないかってぐらいの奇跡だ。

 速度計の値が増加し、高度計の値が減少していった。

 シールドエネルギーはほとんどない。PICを起動させようにも、ウンともスンとも言わねえ。

 クルクルと錐揉み状態で回転しながら、オレは地球へと落下していく。

 今回の人生は、まだ生きていたい理由があるんだ。ちゃんと絶対防御が発動しますように。

 そう祈りながら、オレは気を失っていった。

 

 

 

 酷く長い夢を見ていた。

 山道を誰かに手を引っ張ってもらいながら歩いてた。

 疲れた、足が痛い、荷物が重い。

 心の中には弱音が溢れてたけど、握ってくれる手に遠慮して何も言い出せなかった。

 大丈夫か? と尋ねてくる優しい男の声に、ますます委縮してしまう小さなオレ。

 そろそろ休憩しましょうか、と頭に届く女の声に、素直に頷けなかった。

 空を見上げる。翼を広げて、高い空を飛ぶ何かがいた。

 見てごらん、まだ生きてる鳥がいるよ。鷹かな。

 男が足を止めて大きめの岩の上に腰掛けた。足が痛かったから恐る恐る隣に座る。

 その男は、大人だっていうのに子供みたいな笑顔で、オレの頭を優しく撫でてくれた。

 よく頑張ったなって、褒めてくれた。

 

 

 

 

 オレが目を覚ましたのは、IS学園の医務室のベッドの上だった。二日も日付が変わっていたことに一番驚いた。

 どうやらISの操縦者保護機能、通称『絶対防御』のおかげで命に別状はなかったが、ずっと昏睡状態に落ちていたらしい。

「どこか痛いところとかある?」

「左腕が痺れっぱなしで感覚がないッス。動きはするんだけど」

「いつのまにか下敷きにして寝てたのかな? 他には?」

 白衣を着た女の先生が、オレに当てていた聴診器を自分の首に掛け直す。

「いや、全然ないです、いやもう元気元気」

「それは良かった。念のため、もう一日安静にして明日の朝、検査しましょ。問題なければ夕方には戻っていいよ」

「アザーッス」

 オレのテキトーな返事に苦笑いを浮かべながら、お医者さんはベッドを囲むカーテンを開けて、同室内の自席へと戻って行ったようだ。

 枕元に置いてあった携帯端末のスイッチを入れて、テレビのチャンネルをポチポチと変えていく。

 太平洋日本沿岸で起きた高高度隕石爆発事件は、まだまだ世間の話題の中心にあるようだ。病室のテレビに映るコメンテーターが、事件についての見解を求められている。おかげで面白い番組は見当たらない。まあ平日の昼間だしな。テレビモードを落として、端末でポチポチとメールチェックを始める。

 ケガ人だというのに、容赦なく学園からの課題や研究所と空自に提出する書類作成などが貯まってきてるようだ。

「失礼しまーす」

 爽やかだが、どこか間の抜けた男の声が聞こえた。すぐにベッドを囲むカーテンが開かれる。

「ヨウ、やっと起きたのか。大丈夫か?」

 白い制服を着て左目に眼帯をつけた一夏が、手に持ってたリンゴを投げてくる。受け取った赤いフルーツはよく磨かれてるみたいで、表面が光を反射してた。

「おかげさまで」

「ったく無茶するな、お前」

「そりゃお互い様だろ、なんだあの作戦」

「お前のなんて、ただの特攻だろ?」

「返す言葉がねえ」

 貰ったリンゴを齧る。うん、甘い。

「国津さん達が後で来るってさ」

「おう、そっか」

「好きなのか?」

「ぶほっ!?」

「うわ、きったねえ! 人がせっかく貰ってきたのに!」

 リンゴの欠片が呼吸器官側に入ったようで、むっちゃ胸が苦しい。ベッドサイドに置いてあったティッシュで吐き出したリンゴを片付けながら、何とか平静を取り戻す。

「……んで、誰がなんだって? リンゴの話? リンゴは好きだぞ?」

「いや、国津さんのこと、好きなのか? って」

「ストレートにも程がありすぎるだろ? 何お前、天然なの? 剛速球投手なの? 何勝する気?」

「だって何か気になるだろ? あの子、何度もお見舞いに来てたし」

「ねえなんでお前は他人には敏感なの? 自分だけ鈍感なの? あ、こいつ、オレのこと好きなのかなとか思ったりしないの? バカなの? それとも大馬鹿なの?」

「ば、バカは余計だろバカは! てか大馬鹿いうなよ!」

 ちょっとムキになって反論してくる姿に、思わず大きなため息が零れる。ケガ人に心労かけるなよチクショウ。

「まあいいや、それでこそ織斑一夏だしな」

「ひょっとしてバカにしてるのか?」

「してねえよ」

 シャリと音を立ててリンゴを咀嚼する。

「失礼します」

 医務室のドアが開いて、楽器のような声の主が入ってくる。

「あ、あら一夏さん、ここにいらしたんですの?」

 一夏の姿を見つけた途端に頬が紅潮し、声が弾み始める……えっとこれって。

「おうセシリア、お見舞いか」

「え、ええ、クラス代表としてヨウさんの様子が気になりましたので」

「さすがセシリア、優しいな」

 やらしい、の間違いじゃないだろうか。

「い、いえ、当たり前ですわ! クラスの他の誰かが同じことになったら、すぐに駆けつけますわ。そ、その一夏さんの場合なら、それこそ寝ずのか……んびょうを……」

 ……よしチョロい。驚きのチョロさだ。

 一夏への態度が緩和しているのを見るに、あの作戦を通して何か思うことがあったっていうか、惚れてもうたっていうか、いやチョロすぎじゃね?

「ん? なんだって?」

 そして安定のコレである。自分が剛速球投手なのに、相手の緩いど真ん中ストレートは見逃し三振ってどういうことなわけ……。

「ななな、なんでもありませんわ!」

「そ、そうか。まあでも、さすがクラス代表だよな。尊敬する」

 ケガ人そっちのけで会話をする二人に、思うことは色々あるが、いやもう寝てもいいかな、オレ。

「それで、ヨウさんのお加減はいかがですの?」

「あ、オレの存在、一応覚えてたんだ」

 てっきりラブコメ空間が発生して、オレは存在を亡き者にしたのかと思ってたよ。

「はい?」

「いや何でもない。大丈夫だ、わざわざサンキューな。明日検査して、たぶん来週から復帰する」

「なら結構ですわ。そろそろ学年別トーナメントも近づいてきましたし」

「了解。また一組の副代表として頑張るよ。んじゃ、そろそろ眠くなってきたし寝かせてくれ」

「ではお大事に。一夏さん、では参りましょう」

 セシリアが一夏の腕を取って歩き出す。

 一夏に向かって喋るときだけ、語尾にハートマークとか音符マークがついてるな、ありゃ。

「お、ちょ、ちょっと急に引っ張らないでくれ。っとヨウ、バーベキュー決定だからな、時期未定だけど。おやすみ」

「おう、了解した。んじゃな」

 オレがベッドに倒れこむと同時にドアが閉まる。

 何はともあれ、世はこともなし。

 セシリアが一夏に惚れたっていうなら、それがベストな結果だ。一夏がドイツに行っても一夏であり続けたように、物語は物語としてあり続けるんだろう。

「失礼しまーす」

 目を閉じた瞬間に医務室のドアが開いた。聞き慣れた声が耳に届く。それはたぶん、IS学園に入る前は見たことも聞いたこともなく、入学した後はいつもオレを見てくれてた女の子だ。

 とりあえずは寝た振りをして意地悪をしてみよう。

 そんな子供じみた悪戯を思い浮かべながら、オレはその子がベッドに近づくのを待っていた。

 

 

 

 オレこと二瀬野鷹は、一度目の人生を終え、その記憶を持って二回目の人生を歩んでいる。

 現在は世界に二人しかいないインフィニット・ストラトスの男性操縦者の一人で、IS学園の一年だ。

 沢山の人に迷惑をかけ、様々な人に教えられ、多くの人に支えられて、ここで生きている。

 やらなければならないことも山ほどあるし、償わなければならない罪も増えた。いっそ生まれて来なければ良かったと思うこともある。

 だけど今、この瞬間だけは生きていることを感謝して、また明日から頑張ろう。

 

 

 

 

 

 








メテオブレイカー(後篇)
第一部完!みたいな感じです。


隕石落下関連については、可能な限り調べて書きましたが、科学的検証・考証はこれが限界……。
概要は先日のチェリャビンスク隕石落下事件を参考に作ってますが……。
物語的都合による造語・ねつ造もいくつかあります。


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11、マイト イズ ライト(ジャパニーズ・クリムゾン)

 

 

 金曜日の夜、部屋の人口密度がすごかった。

 オレと一夏まではいい。部屋に住んでるんだから。

 ここに鈴、ラウラ、シャルロット、セシリアまでがいる。狭い、あと女子特有の匂いが充満してて、何かクラクラする。

 一夏のベッドに鈴とラウラがけん制しあいながら寝転がっており、シャルロットはその淵に行儀よく座っていた。セシリアは不満げな顔で一夏のイスに腰掛けていた。そんで主人公君は仕方なしにオレのベッドに席を置いている。オレのベッド人気無さ過ぎだろ……。

 このメンツになると、オレはあんまり喋ることが無くなる。ていうかお邪魔ですよね、すみません……いやホントごめんね……。

 最初こそ月曜日までに提出しなけりゃならない課題や書類をいじっていたんだが、10分前ぐらいからMIG25のプラモを手で弄んでいた。プラモも飛行機もあんまり詳しくないが、マッハ3近くで飛行する飛行機の構造に興味が湧いたので、少し前に買って作ってみたのだ。今じゃ意外に気に入ってる。

 そして現在は、子供みたいに『ぶーん』って飛ばす真似をしてドアから出て行きたいぐらいには、部屋の空気がギスギスしていた。

「一夏、明日は暇なのか?」

 口火を切ったのはラウラだ。

 その一言に、他の三人の目線がギラついた。紛争地帯の偵察部隊並だよ・・・・・・。

「ん? 暇だけどどうした?」

「こちらで行動するための私服が少ない。付き合え」

「おう、そういうことか。わかっ」

「アタシも行くわよ、ちょうど服を買いに行きたかったし!」

 返事が終わる前に鈴が割り込んでくる。鈴とラウラの目線が火花を散らした。ネコ同士の争いにも見えるよな、鈴とラウラの場合。

「お前は邪魔だ、私は一夏と二人で行きたいのだ」

 ラウラのAICが発動! あまりに堂々とした拒絶具合に鈴が一瞬、動けなくなった!

「……ぐ、べ、別にアンタが決めることじゃないでしょ!? ねえ一夏?」

 鈴のスキル『根性』が発動!

「ま、まあそうだけど、じゃあ一緒に」

「一夏、この間の課題、終わったの?」

 シャルロットがイグニッションブーストで話に割り込んだ! 

「あ、あー……千冬姉に出された課題か……まだ終わってないんだよな。土日にやろうと思ってたんだけど」

「先にそっちを仕上げた方がいいよね? その方があとでゆっくりできるしお買い物もゆっくり出来るしね。僕が見てあげるよ」

 おーっと、パイルバンカーが連続ヒット、鈴とラウラが悔しげだ!

「んー、そうだな。じゃあ鈴とラウラには悪いけど、課題を先に」

「一夏さん」

「ん? セシリアどうした?」

「わたくしとテニスをする約束でしたわね?」

 ブルーティアーズの遠距離狙撃が炸裂!

「そ、そうだけど、それは日程を決めてなかったような」

「わたくしの日程が今週の土曜日しか開いておりませんの」

「じゃ、じゃあ、また今度という」

「一夏さん? 今週を逃せば、もう二ヶ月以上先になってしまいますわ」

 さて、今日もまた『一夏杯専用機持ち選手権』が始まってしまった。これじゃ収拾がつくまで時間がかかりそうだ。部屋が壊されないことを祈ろう。

 さすがに観念して作業を諦め、ホログラムディスプレイの電源を落とし接続していた携帯端末を取り出す。

「ヨウ、どっか行くのか?」

「ん? まあな」

 お前らがうるさいから課題ができないので、静かな場所を探して徘徊します、と言える度胸をオレに下さい。

「ごめんね……」

 唯一シャルロットだけが気づいたのか、オレに小さく手を合わせて謝る。他の三人はギャーギャーと今にも取っ組み合いを始めそうだ。

「ほいじゃ、オレが戻るまでに決着つけといてくれ……」

 ヒラヒラと手を振りながら、ドアノブに手を掛けようとして気づく。

 ……さっき、こいつらが部屋に入ろうとしたときの一悶着で破壊されたんだった。今は穴だらけになったドアだった物体が立てかけてあるだけだ。

 行き先を失った右手で頭をかく。

 ……一夏との同室がこんなにツラいとは。

 最初は織斑先生に報告して、女子が接近するのを禁止してもらおうかと思った。

 だがまあ、オレにも負い目がある。オレのせいでアイツらが作れなかった思い出があるんだ。だからこれぐらいは耐えるしかない。

 まあ耐えられなくて脱出するんですけどね……。

 

 

 

 誰もいない暗い食堂の隅っこで、携帯端末からホログラムウィンドウを立ちあげて、投影式キーボードで課題を進めていく。指が痛くなるからあんまり好きじゃないんだけど、この際好き嫌いは言ってられない。

 今やっつけてる書類はIS学園からの物ではなく、四十院研究所と航空自衛隊へ送る物だ。メテオブレイカー事件で壊したテンペスタの自己修復経過報告書である。

 IS学園からの宿題も別にあるのだが、研究所と航空自衛隊に提出する方は一応、企業秘密で国家機密だ。あれだけ他国人がいるところじゃおいそれと開けない。逆に言えば誰もいない今だからこそ、ようやく手をつけられる物もあるのだ。

 ……つまり、これが終わってもIS学園の宿題は残ってるってことなんだが。

「あ、またここなんだ」

「おう」

 青いパジャマ姿の玲美がやってきた。少し外に広がってる長い黒髪は、風呂上がりなのか後ろでまとめてある。ほんのりと紅潮した笑顔が……うん、アレだな、うん……。

「大変だねー……やっぱり織斑先生に言った方が良いんじゃ」

「良いよ別に。仲良くやってるなら、それに越したことねえし」

「んー……。なんか私が納得いかないんだけど」

 少しだけ不満げに言いながらオレの反対側に腰掛ける。

「気にすんな、大したことねえよ」

「なんか織斑君に甘いよね、ヨウ君って」

「そうか? 男に甘いってことはねえと思うけど……」

 ちょっとズリ落ちてきたメガネを右手でかけなおし、会話しながらも一心不乱にキーボードを叩き続ける。

 自己修復経過報告書に必要なデータ自体は昼間にISからアウトプットしてるので、それを集計してグラフ化し、オレの見解を付け加える必要がある。

「真面目だねー。かぐちゃんに手伝ってもらえば良いのに」

 かぐちゃんってのは、四十院神楽のことだ。四十院研究所の所長の娘で四十院財閥のご令嬢。良いとこのお嬢様のくせに、昔から研究所のことを手伝ってきたせいか、事務作業はオレの数倍速い。

「自分でぶっ壊したからな……しかもあんな無謀なやり方で……」

 メテオブレイカー作戦。

 地球に落ちてくる隕石を、総勢20機近くのISで撃破した、短いIS史の中でも最大規模の作戦だった。

 その最終局面で隕石の真正面に立ってレーザーライフルをぶっ放したオレを迎えていたのは、賞賛3割、問題視7割の査問だった。

 絶対防御の昏睡から復帰した後、オレは拘束され思想チェックをいつもの倍の時間ぐらいさせられた。あんな真似して、頭おかしいんじゃないのかコイツ、というのが大方の意見ってことだ。

 催眠セラピーとかまでやられなかっただけマシってもんかな……アレをやられると、オレはだいぶオカシイ人になっちゃうからな……。

 はぁ……と大きなため息が零れる。喉が渇いたので一息ついて、メガネを置いて立ち上がった。相変わらず片目の視界がボヤけてるが、もう慣れてきたもんだ。

「何か飲むか? 水? ミネラルウォーター? おひや?」

「ぜんぶ一緒だし……」

「んじゃミネラルウォーターな」

 食堂の隅っこにあるウォーターサーバーから二人分の水をゲットし、テーブルに戻る。

「ありがと」

 水を一口、口に含んでからテーブルの上に両手を投げ出す。そのまま天井を見上げて、右手で眉間の皺を解した。

 さて、続きをっと。

「きゃっ」

 玲美が短い悲鳴を上げた。

「お?」

「あ、ううん、ちょっとヨウ君の……その……左手を触ってたのに急に引っ張られたから」

「す、すまん、気付かなかった」

「……ひょっとして、左手の痺れ治ってないの?」

 メテオブレイカー作戦の後から、左腕の感覚がかなり薄い。動かすのには全く問題がないんだが、触られたりしても気づきにくい。

「そのうち治るだろ。医者だって問題は見当たらないって言ってるんだ」

 見つけられない、とも言うけどな。

 メガネをかけてから、キーボードを数秒叩き、

「ほら、ちゃんと動いてるだろ?」

 と、問題がないことをアピールをしてみた。そんなオレに玲美は子供の心配をする母親のような目を向ける。

「なら良いんだけど……」

「そんなことより、体冷やす前に部屋戻れよ。こっちはまだかかる」

「ううん、終わるまで見てるよ、大丈夫」

「本当にキーボード打ってるだけだぞ、てか珍獣扱いとかじゃねえよな?」

「なんで? そんなこと思ってないけど・・・・・・どうしちゃったの? 理子も言ってたけど最近妙にネガってるっていうか」

「……そんなことはねえつもりだけど」

 まあ色々と隠してることはあるし、喋れないことも多い。いつか全てを話すときが来て、それを信じてもらえるときが来るんだろうか。

 チラリと目の前の女の子へと視線を向ける。頬杖を突いてニコニコとこちらを見ていた。

 少し照れ臭くなってすぐに画面へ視界を映す。

 色々と問題はあって山積みだけど、時々はこういう風に男子高校生してたりもする……。

 

 

 

「んじゃおやすみ」

「おやすみ、明日は朝から研究所だから寝坊しないようにね」

「オレが遅刻したことあったかよ。んじゃな」

「ばいばーい」

 玲美と別れ、タラタラと自室に向け廊下を歩く。就寝時間も近いせいか、廊下に人はいない。角を曲がれば、すぐに自分の部屋だ。

「っと、すまん」

 誰もいないと思って油断してたせいか、女の子とぶつかってしまう。

「こちらこそ……っとタカか」

「箒か。どうした? 一夏に会いに来たんじゃねえの?」

 そういやさっき、部屋にはいなかったな。他のヒロインズはいたんだけど。

 まだ制服着てるってことは、風呂も入ってねえのか?

「……あ、ああ。いや、べ、別に一夏に用事はない、うん」

「強がりは良くねえと思うぞ?」

「べ、別に強がってなどはいない!」

 握り拳を作って力説されるが、全く説得力のない表情だ。ツンデレばっかでマジ困る。

「はぁ……そうですか」

「なんだその疑り深い目は! ほ、本当だぞ」

「いや、まあ良いんですけどね、ハイ。んで、どうした? 早く一夏のところに行かないと、あいつの土日が別の奴らで埋まっちまうぞ」

「な!? それは……いや……」

 オレの言葉を聴いた瞬間は怒に表情が傾いたが、何故かすぐに哀へと落ちて行く。普段はこれぐらいからかうと、箒の顔はしばらく赤くなったままのはず……羞恥か怒りかはケースバイケースだが。

「どした? いやホントにどうしたんだ?」

「その……ああ、ここじゃ」

「ん? 一夏絡みで相談か?」

「……別に何でもない。ではな」

 踵を返してオレと一夏の部屋とは反対側へ歩き出す。

 さすがに、何でもないってセリフを真に受けるほどバカじゃない。

「おい箒、ちょっと話がある」

「ん? 何だ?」

「就寝まであんま時間ないけど、食堂行こうぜ」

「あ、ああ」

 

 

 

「ほら水だ」

 箒をさっきまでオレが座ってた席に座らせ、さっきと同じように水を差し出す。オレは近くの柱にもたれかかって、自分の水に口をつけた。

「すまん……。それで話というのは何だ?」

「大した話じゃないんだが、最近、クラスの様子はどうだ?」

 もちろん、この話題は本題に入る前の世間話だ。こいつは自分の悩みを簡単に口したりしないだろうな。そういうタイプだ。

「クラスの……? ふむ……その、浮ついている気がするが」

「だよなぁ。どうしたもんか」

「それがどうしたんだ?」

「まあ原因は一夏っていうのもわかるんだが、ほれ、セシリアもあれだろ?」

 あれっていうのは、まあ一夏の周りでハートマークを飛ばしながらウロチョロしてる状態のことだ。

「……ああ」

 あの女狐め、グギギギギぐらいは言うかと思ったんだけどな……。偏見だけど。

「乗ってこないな。どうしたんだ、ホントに」

「先日の……あの作戦以降だな、特に浮つき始めたのは。一夏が来てからもそういう傾向だったが、セシリアが歯止めになっていた。だが作戦以降は」

「防波堤が自ら流れ込んでるからなぁ」

 やれやれと肩を竦める演技をして見せた。

 箒が少し呆れたように笑う。だがすぐに思い詰めたように下を向いた。

 そのまましばらく沈黙する。一分近くそうしてたと思えば、力無く首を横に振った。

「タカ……あの作戦は、危険なものだったんだろう?」

「いや作戦自体は危険じゃなかったんだが」

「私はその件を詳しくは知らん。良ければ、教えてくれないか?」

「いや構わんが……作戦内容自体は大した機密もないしな」

「頼む」

 箒が頭を下げると、ピョコンとポニーテールが揺れる。

「でも、知りたいのはそれか?」

 そう尋ねた瞬間、頭を下げたまま、箒の体が目に見えてわかるほどビクッと跳ねた。

 大した機密じゃないってことは、学園内のデータベースでそれなりの情報も見れるってことだ。さすがに見てないってことはないだろう。だから知りたいのはそれじゃない気がする。

 目の前の乙女は、ゆっくりと頭を上げる。だが、視線は足元を向いたままで、拳は強く握られていた。

「……一夏は、危険な目に遭ったのか?」

 やっぱり聞きたいのは一夏のことかよ。

 オレとは普通に会話するくせに、オレ達の部屋に乗り込んで来ないってことは、一夏に対して何か思うことがあったってことだろうし。

「遭ってないとは言わんが……まあ、本人の意思だな。自分で飛び込んでった」

「やはり本当なんだな」

 言葉を噛み締めるように呟いて、うつむいてしまう。

「やはり? 誰かから聞いたのか?」

「……姉からだ」

「は? 篠ノ之束から?」

「ああ」

 どういうことだ? 篠ノ之束が箒に接触してくるのは、もう少し先だったはず。たしか学年別タッグトーナメントの後か。

「……んで、姉ちゃんは何て?」

「どこから手に入れたのか、あの人のすることはよくわからんが、一夏の……白式の視界録画映像を送ってきた」

「おい、さすがにそれは機密事項に抵触するぞ」

 エジソンが電話を発明したからって、地球上の全ての電話を好きにされちゃ困る。とはいうものの、ISコア自体を作れるのが篠ノ之束だけなので、全員が従わざるを得ないのが実情だ。そこを苦々しく思ってる人間が多いのも間違いない。

「私は見せられただけだから、何も言えん。データも消した。だが……正直、戦慄した。一夏の見てきた世界に」

「まあ、そりゃそうだろうな。隕石群のすぐ間近で、セシリアの盾になってたんだからな」

「……ああ。そして、そこに私はいなかった」

 篠ノ之箒は現在、専用機持ちではない。ゆえにメテオブレイカーに作戦参加はしていない。

「仕方ねえだろ」

「タカ、お前は中学時代、剣道部だったな。私の試合は見たことあるか?」

「全中の?」

「ああ」

「テレビで見たよ。それが何か?」

「あのときの私は……ただ相手を叩きのめしたいだけで、己の力を振るっていたのだ」

 ……ん、そんなエピソードも『記憶』にある。

「オレは達人じゃないからな。正直、そんな剣に込められた思いまではわからん」

「傍目にはわからくとも、私自身はわかっていた。だが一夏は、あの状況でも揺るがずに、背中のセシリアを守っていたのだと聞いた」

 一夏と同じところに立っていないという負い目、か。だから一夏に近づきたくても、部屋の近くで立ち往生してたってことか。

 まあ、この間のメテオブレイカー作戦は突発的とはいえ、確かに危険な目には遭った。だから専用機持ち達の間で妙な連帯感は出来上がっているかもしれない。少なくとも同じ部屋にいることぐらいは許容できてるようだ。……激しくオレだけが除外されてる気がするが。

「気にしすぎだと思うぜ。少なくとも一夏は気にしないし、そんなんで幼馴染に避けられたほうが、あいつは悲しむと思うぞ」

「だが!」

「お前の気が済まないってのもわかるけどな。でも、もっと自信を持てよ。何はともあれお前が一番最初に一夏と出会ってるんだ。そうだろ? ファースト幼馴染」

 正直、かけられる言葉が思い浮かばん。

 案の定、オレの言葉には何の力もなく、箒はそのまま押し黙ってしまう。

 どうするべきか、と一瞬考えたところで、思わずため息が出てしまった。

 土曜日は課題をやるとか言ってたな、アイツ。

「箒、日曜あたり暇だろ?」

「あ、ああ。休日は寮にいるだけだからな」

「んじゃ、玲美や理子と神楽の買い物に付き合え。お前、神楽に貸しがあったろ」

 貸し、というのは前に一度、箒が緊急にアリーナを借りたいと神楽に力を借りたときの話だ。

「ま、まあそうだが……」

「お前が来たほうがアイツらも喜ぶし。あと制服で来るなよ、女の子らしい格好で来いよ?」

「な? お、女の子らしいと言われても……」

 やっぱ渋るなー……。こいつ、こういう友達付き合いに全然乗って来ないからな。一言目で拒絶しないだけ成長してるのかもしれんけど……。

「頼むわ。正直、オレだけじゃ女の子三人の相手はきつい。何にもわからんからな。だったら何にもわからん仲間もいた方が良いし、あと、あー」

「し、しかしだな」

「あと、あれだ。そう、あれ、素振り用の木刀選びにも付き合ってくれ。こういうのは達人に教えてもらった方が良いに決まってる。それにお前の愚痴に付き合ってやったんだし、とにかくあれだ、日曜は時間を空けておいてくれ」

 とりあえず早口で思いつく限りのウソと建前を並び立てる。

「……仕方ないな、そういうことなら」

「時間は追って連絡する。んじゃな、おやすみ」

 やれやれ、一夏の予定が埋まってないと良いんだけど。

 空になった紙コップを潰してゴミ箱に投げる。よし、ナイスシュート。

「んじゃ寝るわ、おやすみ」

「あ、ああ。おやすみ」

 

 

 

 箒と別れ、駆け足で廊下を駆け抜けて、自室のドアを……そういやドア壊れてたわ。

「おい一夏! ……って何ぃ!?」

 部屋の中のいたるところで物が破壊され、一夏は半裸でボロボロになって床に顔面から突っ込んでいた。そして全員がプイッと顔を逸らしている。

 がぁああ、オレの作りかけのMIG-25がああああ! 胴体が真ん中から折れて再起不能に……くそ、どっかに亡命させておくんだった、MIGだけに……。

「お、おう、おかえり」

「おい一夏、オレのミグが壊れてんだけど……」

「わ、悪い、それはセシリアが……」

「い、一夏さんが悪いんですわ!」

「と言ってるぞ? おい被告人」

「す、すまん、よくわからんが……」

 く、くそぉ。プラモなんて作ったことないオレが、暇を見つけて頑張ったいうのに。

 だが、口実としてはちょうど良い。

「よし一夏、日曜日、プラモ買いに行くの手伝え」

「え? 日曜?」

「何か予定があんの?」

「い、いやまだ埋まってない」

 一夏が体を起こしながら息も絶え絶えに答える。

「ちょ、ちょっと一夏!? 何言ってんのよ!」

 鈴が慌てて割り込もうとする。そしてセシリア、ラウラ、シャルロットも続けて何か文句を言おうとした。

「シャラーップ。へい、エブリバディ、ここは誰の部屋でしょう?。はい、ラウラさん」

「一夏の部屋だ」

「ブブー! 正解は一夏とオレの部屋でした。第二問、ではこの部屋の惨状の責任は誰が取りますか? はいセシリアさん」

「そ、それは全て一夏さんが悪いんですわ!」

「はい正解!」

 クククッ、ひっかかったなセシリアめ。お前なら絶対にムキになって否定してくると思ったぜ。

「はい?」

「んじゃ全て一夏が悪いってことで、一夏は日曜日、オレと買い物に出かけること。全員、異論はないな?」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよヨウ」

「んだよ鈴。オレは今からこの部屋片付けるんだぞ。それとも何か? この部屋の惨状はお前らが悪いってか? んじゃ織斑先生呼ぼうか?」

「ぐ、お、覚えてなさいよ!」

 最初に、悔しそうな顔で鈴が撤退していく。

「ご、ごめんね、おやすみ!」

 次に、さすがにばつが悪いのか、シャルロットがいそいそと部屋から出て行った。

「くっ、覚えてらっしゃい、ヨウさん!」

 続いて、捨て台詞とともにセシリアが部屋から退出していく。

「……さすがに織斑教官を呼ばれると厳しいな……作戦もなしに挑んでは瞬殺されてしまう」

 最後に、ブツブツ言いながらラウラが悠々と歩き去っていった。

 全員が出ていったのを確認し、オレは蝶番から外れて立て懸けてあったドアを持ちあげる。斜めに置いてりゃ、まあ、何とか……。

「は、はぁ……助かった、ヨウ」

「ったく。とりあえず部屋片付けるぞ。あと日曜、朝10時な。昼飯も外で食うぞ。お前のオゴリな。金持ってこいよ」

「げ、マジか。……仕方ないか」

 Tシャツに袖を通す織斑君が大きくため息を吐く。

「んじゃとりあえず寝られるようにするぞ」

「おう」

 作業に取り掛かる前に、箒にメールを打つ。日曜の朝10時にモノレールの駅にて、と。

 あとは当日の直前に、『ごめん、代わりを行かせたから』とか言って一夏を送り込めば完璧。

 咄嗟の機転とはいえオレ、マジで冴えてるわ。

「なんだよ変な笑い浮かべて」

「うっせ。んじゃ片づけるぞ」

「さっきからやってるっての。でもホントにすまん、部屋を滅茶苦茶にして……」

「覚悟はしてたからな。気にすんな」

 ……こんぐらいは我慢するさ。大したことじゃない。

 箒に負い目があるように、オレにも負い目がある。一夏に謝られるようなことじゃないし、そもそもオレがこの部屋にいること自体が間違いなんだ。

 だから大丈夫だ。

 正直、部屋をボロボロにされたのはかなり腹が立っていたが、怒れる立場じゃないしな。

 

 

 

 

 土曜日は朝一番から、四十院研究所での仕事だ。メテオブレイカー作戦後は、初めてここに来ることになる。

 一通りの検査を終えたあと、オレは今まで来たことのない通路を歩いていた。金属むき出しの冷たい廊下を先導しているのは、国津博士だ。他に神楽、玲美がついてきている。

「……こんなスペースあったんですね」

「最深部だからね。地下30メートルだよ、ここ」

 重苦しいドアがあり、中央にテンキーがついていた。左右にもカードスロットがついている。

「それじゃ、玲美、神楽ちゃん頼むよ」

「はい」

「はーい」

 国津博士が中央のキーを叩き、神楽と玲美が左右のカードスロットにカードを通す。

 短い電子音の後、重い金属音が開いた。圧縮空気が解放され、厚さ一メートルぐらいある金属製のドアが開く。

 何もない合金の壁に囲まれた部屋の奥、そこに一体のISが台座に立てかけられていた。フルスキン型だ。薄暗い照明が天井からそれを照らしていた。

「……これがコアナンバー2237の?」

「うん、そうだよ。テンペスタⅡの予備パーツをベースに作られてはいるんだけど、困ったことになってね」

 困惑したような声で肩を竦める。

「どうしたんですか?」

「洋上ラボで玲美にフィッティングをしてもらおうとしたら、急に装甲が変化して。この形に落ち着いたんだ」

「……公開されてるデータのテンペスタⅡと全然違いますね」

「うん。スペックは内緒にしておくよ。使うことはないだろうと思うし。見つかっても良いものじゃない」

 黒い装甲、巨大な推進翼、シャープな流線形の装甲、フェイス部分は鋭い顔つきと眼差しをしている。

 思わずゴクリと息を飲む。

 最初の印象は、黒い白式。細部こそ違うが、翼を広げればフォルムが似てるかもしれない。だが、次に思い当たった機体は、もうこの世にはないアレだ。

「黒い……『白騎士』」

「やっぱりそう思うかい?」

「ええ……」

「あの事件の機体にフォルムが似過ぎている。テンペスタⅡとはまったく別物だ」

 映像で見たことのあるだけの、世界で初めてのインフィニット・ストラトスに良く似ていた。

「ヨウ君、あのね」

 それまで押し黙ってた玲美がオレの傍まで来て口を開く。

「ん?」

「私が起動したときに、視界にウィンドウが浮き上がってきたの。文字の意味がわからなくて、ひょっとしたらヨウ君ならって」

「なんて文字?」

「『ルート2、進行中』……って」

 思い当たる単語がオレの記憶には無い。前世でこの世界の成り行きと行く末を、一部とはいえ深いところまで知ってるオレだが、引っかかる物がない。

 ただそれとは別に最近、どこかで聞いた気もする。

「すまん、オレにもわからん」

「そっか……なんかすごい嫌な単語だなって、思って」

「嫌な単語?」

「ううん、何でもない」

「何だよ……気にかかるじゃねえかよ……」

「ホントに何でもないから、うん」

 その言葉は、オレではなく自分に言い聞かせているかのように思えた。手を振る玲美の表情が、これ以上聞かないでと物語っている。無理強いは出来ないな、それじゃ。

「国津博士、こいつ、名前とかつけたんです?」

 話題を変えるように、わざと明るく尋ねてみた。

「一応、所長がつけるって。ベース自体はテンペスタⅡだし」

「何て名前なんです?」

「神楽ちゃん、結局、所長は何にしたんだい?」

 博士自体も知らないらしく、首を捻って入口に立っていた神楽に尋ねる。ここの所長は神楽の父親だから、先に聞いてるようだ。

「はい、玲美が見た『ルート2』という単語にしようかと思ったみたいですけど結局、あちらの方に」

「あちら?」

「イタリアの機体なので、イタリアに関連した言葉で」

「ってことは、あんまり良い名前じゃないね」

「ええ」

 訳知り顔で国津博士が苦笑いを浮かべる。それ以上は喋る気は無いようで、少し困ったような目で黒いISを見上げていた。

「神楽、何て名前になったんだ?」

 とりあえず、名前ぐらいは知っておきたい。何せオレの持ち込んだ謎のISコアを使って作った機体だ。

「便宜上ですが、この機体は……」

「うん」

 神楽が一つ息を飲み込み、少し間を取ってからゆっくりと口を開いた。

「テンペスタⅡ・ディアブロ、と呼ぶことに決まりました」

 

 

 

 日曜日の朝、四十院研究所の近くにあるホテルのロビーにあるソファーでメールを打っていた。

 送信先は一夏である。急な仕事で行けないから、箒の相手をよろしくと送る。

 あと素振り用の木刀とプラモを買うためのデジタルギフトカードのIDナンバーも付け加えておいた。一夏の収入源は謎であるが、オレは一応、研究所から幾ばくかのお手当を頂いてる身だ。これぐらいの出費は何ともない。

 しかし、一夏と箒で出かけるのか……。

「うわ、すっげぇ不安になってきた!」

 思わず頭を抱える。悪い予想しか浮いてこねえ。一夏のヤツ、買ったばっかの木刀で殴られたりしねえよな……。

 一応、様子を覗きに行きたいところだけど、オレは今日は元々、予定が詰まってるしなぁ……。

「おはよー、どうしたの? 朝から頭抱えて」

 顔を上げると、理子と玲美が立っていた。二人ともラフなジーンズ姿である。

「世界の行く末が真っ暗だって思い知ってたところだ。おはようさん」

「あははっ、なにそれ」

「はよーん」

「んじゃメシ食うかー」

 三人で連れ添って、ホテルの一階にあるガラス張りのカフェに入る。

「神楽は朝も早くからお客様対応か。誰が来てるか知ってる?」

 朝食はバイキング形式らしく、トレイに皿を乗せて、三人で思い思いの朝食を作っていく。

「うん、知ってるよ。デュノアの人らしいけど」

 全種類持っていくんじゃないかって勢いで、理子のトレイにパンが乗って行く。バイキング用の小さなパンとはいえ、そりゃ食い過ぎじゃあるまいか……。

「デュノア? 何でまた」

 玲美は玲美で、朝からフルーツ盛り沢山だ。

「推進翼関連だよ。社長自ら来てるみたい」

 三人とも朝食の準備が出来たので、窓際のテーブルに座って食事を口にし始める。

「やっぱり、メテオブレイカー事件が効いてるみたいだよ」

 理子がパンを千切りながらオレに言う。

「効いてる?」

「あれ、マッハ3を超えちゃったからね、テンペスタ。色々なところで噂になってるみたい」

「へぇー……」

「しっかしよくあんなの制御出来たね。ログデータ見てて、あたし、びっくりしたよ。推進翼の制動速度コンマ二千分の一以下だったし」

「う、ううむ。もう一回やれと言われたら、出来ない気がするぜ……」

 まあでも、オレが頑張って、それがお世話になってる四十院の商売に結び付くなら、悪いことじゃない。

 ……現在、オレが頑張って、256ページの反省文を書いてるのだって、その礎になるのなら、悪いことじゃない……。

「でもデュノアってことは、シャルロットのお父さんとか来てるのか?」

「へ?」

「いや、社長令嬢だろ、あの子」

 少なくともオレの記憶じゃそうなんだけど……。

 だが、理子はオレに小馬鹿にしたような表情を向ける。

「情報遅れすぎてるんじゃなーい?」

「うわ、その顔すげぇムカつく。遅れてるって何がだよ?」

「デュノアはフランス国内のファンドに買収されて、今はヨーロッパ資本の財閥の傘下だよ。前社長のデュノア氏は諸々の事情で更迭」

「ま、マジか……。初耳だわ……。じゃあシャルロットは結構、危うい立場なんだ」

「どーだろ。まあ色々とやらされてるみたいだけどね。あ、そうだ」

 理子が急に席を立って、カフェのレジ近くにあったブックスタンドから雑誌を持ってくる。

「今日発売のストライプス。載ってるよん」

 IS専門誌『インフィニット・ストライプス』だ。機体よりはパイロットに光を当てた、半分ぐらいアイドル雑誌みたいな紙面作りをしている。

「ほら、このページ。宣伝塔としては働きはじめたみたいだねー」

「どれどれ」

 カラー見開きのページには、可愛らしいミニスカート姿のシャルロットがポーズを撮っていた。

「……可愛いな」

 うむ、可愛いぞコレ。なんだ天使か。

「……あ、そ」

 玲美の目が超冷たい。

「い、いやほら、グラビアとして可愛いという意味だぞ。別に深い意味はない。そもそも毎日会ってるだろ、うん」

「へぇー」

「お、こ、こっちはセシリアまで載ってるな、新世代特集かー、お、鈴だ。あいつも普通にしてりゃ可愛いのにな」

 他にも他国の代表候補生が何人か映っていた。みんな、可愛らしい格好をして、笑顔でポーズを決めている。

 ……おのれ一夏め。昔、弾や数馬と結成した五反田しっと団を思い出すぜ……。

 箒を始め、鈴やセシリア、シャルロットにラウラ。まあついでに更識姉妹もだけど、かなり可愛くてすごく美人だ。

 とはいうものの、オレの中で女の子として意識することがない。そこにいるのに存在している気がしないのだ。たぶん、オレの出生というか境遇がそうさせるんだろう。

 ジーっと目の前の玲美を見つめる。

 こいつや隣にいる理子、それに神楽なんかも可愛くて美人だが、一夏の周りにいるヒロインズと違って普通の女の子として意識できる。不思議なものだ。

「そんなに見つめても許しません!」

「何をだよ……」

「何でも!」

 ふと小さな笑いが零れてしまう。

 意外にも普通の高校生をやっている自分がいる。二回目の人生だというのに。最近じゃたまにしか一回目の人生しか思い出さない。

 今やオレは二瀬野鷹として生きている。

 だから、二瀬野鷹としての責任もある。

「さて、研究所の方に行くか」

「ふーんだ。一人で行けば?」

 怒っちゃったよ……。

 こんな感じで、本当にIS学園で高校生をやっている。

 だから一夏と箒もまあ、今日ぐらいは高校生やっててくれると嬉しいんだけどな。

 

 

 

 

 夜、寮に戻ってきて、自分の部屋に向かって歩いていた。

 さて、プラモと木刀はどうなったかな、と……。

 一夏と箒のデートが無事済んだか、という意味でもプラモと木刀の行方は気になる。

 曲がり角を曲がって、自分の部屋の前に辿り着いた。

「お……おおおおぉぉぉぉ!?」

 真新しい光沢の木刀が、直したばかりのドアに、垂直に刺さっていた。

「どうなってんだ、これはぁぁぁぁ!? おい一夏ぁぁぁぁ!!!」

 勢い任せに木刀を抜いて、ドアを勢いよく空けた。

「よ、ヨウ」

 床に倒れ込んだ一夏が、苦しげに手を伸ばす。

「一夏……?」

「す、すまん、俺は……もうダメだ……」

「おい、一夏! 一夏、しっかりしろ、一夏!」

 駆け寄って体を抱き起こすが、目に力がない。

「く、くそ」

「言うな、わかってる、オレはわかってる」

「……俺が……悪いのか?」

 ふるふると首を横に振る一夏。

 とまあ、小芝居はここまでにしといて。

「まあもちろん、お前が悪いってことになってるんだけど」

「……納得いかねえ」

 勢い良く一夏が立ち上がった。顔には拳の跡がついている。

「箒にやられたのか?」

「おう……」

「二人で買い物に行ったんじゃないのか?」

「あ、ああ……ちゃんと買い物はしてきたんだけどな……なんでか部屋についたところで、急に怒り始めて」

「何て言ったんだ?」

「いや、なんか元気なかったから、ちょっと部屋でお茶でも飲まないかって誘ったんだよ。心配だったからな」

「ほうほう」

「そして部屋に着いたんだけどな、あれ」

「あれ?」

 一夏に促されて、コイツが使っているベッドに目を向けた。

 ラウラ・ボーデヴィッヒが寝てた。シーツを被って気持ち良さそうに、寝息を立てている。

「あー、うん。一夏、確かにお前は悪くないけど、お前が悪い」

「そ、そうなるのか?」

「同情すべきところは多数あるけど、なんつーか、おつかれ」

「お、おう」

 とりあえずオレは大きなため息を吐いて、部屋から出て行こうとする。

「どこ行くんだ?」

「とりあえず、そいつを起こせ。あと、この部屋にはもう一人男がいることをちゃんと理解させろ、いいな?」

「悪いな……なんか迷惑ばっかかけて」

「気にすんな」

 だって、シーツで隠れてるけど、あれ、どう見ても裸だもんな……。その辺に服落ちてるし。

 面倒事になる前に逃げよう。さすがに女の子の裸を確信犯で見ようと思うような信条はない。

 ドアを閉め、木刀を肩に担いで食堂に向かう。晩飯はまだだった。

「ら、ラウラ! なんで裸なんだよ!」

 一夏の悲鳴に似た抗議の声が聞こえた。

 ……なんで気付かないかなぁ。あいつ、裸が見たいために、わざと気付いてない振りしてるんじゃねえだろうな……。

 

 

 

 

 次の日の朝、目を覚ますとそこは廊下だった。

「なんでオレ、こんなところで寝てるんだ?」

 キョロキョロと見回したあと、自室のドアノブを握る。その瞬間、中から、

「ら、ラウラ! だから俺のベッドに裸で潜り込むな!」

 と泣きそうな叫びが聞こえてくる。

「なぜだ? お前は私の嫁だぞ。本国でも言っただろう、男の腕の中で寝るとよく眠れると聞いた、と」

「だからそれはお前の勘違いで、それにヨウもいるんだぞ? 昨日も言っただろ?」

「大丈夫だ、二瀬野は服を脱ぐ前に廊下に捨ててきた」

「おい!?」

 そろそろ怒っていいのかな、オレ。

 廊下の窓から外を見上げれば、空は清々しいほど青かった。だというのに、朝から大きなため息が漏れる。

 とりあえず食堂に行こう。携帯端末は中だし、腕時計もないから時間すらわからん。

 欠伸を噛み殺しながら、二度寝するかどうか悩みつつ重い足を食堂へと進める。

 今日もIS学園の一日が始まった。

 

 

 

 授業を終え、ISの自主練習のために操縦専用のスーツに着替え、ロッカーを閉める。

「もう慣れたか? この学校」

 隣で同じようにロッカーを閉める幼馴染とやらに尋ねる。

「まあな。ちょっと女子ばっかりってのがやっぱりツラいな」

「黒兎隊も女ばっかりだったんだろ?」

 二人してゆっくりと歩きながらグラウンドへ向かう。授業のときはダッシュで走ってるが、今は放課後なので走る必要はない。

 左目についた眼帯に触れながら、一夏が苦笑いを浮かべた。

「あそこは仮にも軍隊だしなあ。ここまで女子校みたいなノリは……いや、あったかも」

「あ、そう……」

 こんな感じで世間話をしながら5分ほど歩き、ようやくグラウンドに辿り着く。

 何か様子がおかしい。

 いつもどおりなら、打鉄を借りている生徒たちが、それぞれの邪魔にならないように散らばって鍛練に励んでるはずだ。しかし今日はグラウンドの真ん中に人だかりが出来ている。

「どうしたんだ?」

「さあ?」

 一夏も不審に思ったのか、人だかりまで小走りで近づく。

 そしてその最後尾に辿り着くや否や、聞き慣れない声がオレたちのところまで届いた。

「やあやあ、いっくん、久しぶりだねー、一カ月ぶりぐらい?」

 能天気な、間延びした口調の言葉を合図に、声の主とオレたちの間にいた女子が道を開ける。

「た、束さん?」

 篠ノ之束。インフィニット・ストラトス開発者にしてISコアを製造できる唯一の人間。そして、篠ノ之箒の実の姉だ。

 長い髪と大きな垂れ目が特徴的な、見た目だけは優しそうな女の人である。頭の上には兎の耳を模した機械が乗っていた。

「どうしたんです? こんなところに……」

「いやいやいや、なーんか、IS同士の試合があるんでしょー? だから可愛い妹のために、束さんお手製のISを持ってきて上げたのさー」

「へ?」

 よく見れば、ISスーツを着た箒がキャリーに乗せられた赤い物体の前に立っている。

 チラリと一夏の方を見たが、すぐにばつが悪そうに視線をISへと戻す。

 ……アレがそうなのか。箒の専用機として生まれた、展開装甲とエネルギー増幅機能を持つ最強の一角。他のISもそうだが、実際に見るとどれも大きく感じる。

「束さんお手製って、わざわざ作ったんです?」

「そうそう。愛しの箒ちゃんのために、お姉ちゃん頑張っちゃったんだー。もう愛のなせる技だね、ブイブイ!」

「へー……」

「これの特徴はリアルタイム・マルチロール・アクトレス、もう何でも出来ちゃうすっごい機体なんだ! 色々と新しい技術を詰め込んだ第四世代なんだよね! どうどう?」

「えっ!?」

 篠ノ之束の言葉に、集まっていた生徒全員の息が止まる。

 ISは、各国が全力を持って作っているもので、現状では第三世代機すらまともに運用できてないのが実情だ。だからみんな、驚いてるんだろう。

 しかし、何かオレの知ってる話よりだいぶ前倒しで進んでる気がする……。いや、オレがいる時点でもうおかしいんだけどさ。

「さあさあ、いっくんも近づいてミソラシド! これが束さんお手製第四世代機」

 篠ノ之束のバカバカしい口上に、いつのまにか全員が飲みこまれていた。芝居がかった間の後に、IS開発者の口元が邪悪に歪む。

「白と並び立つ者、その名も、紅椿」

 

 

 

 

 

 







*どうでもいい解説
鷹「亡命させておくんだった……MIGだけに」
          →ベレンコ中尉亡命事件


私のもう一つの作品『西の地にて』を読んでると、ちょっとだけ面白さが増えるかも(宣伝)


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12、イン・ザ・デプス

 

 

 その出会いは、今でも覚えている。まだ小学校のときだ。親の勧めもあってオレは篠ノ之道場に通い始めていた。

 同じく小学生だった一夏と箒に興味があったし、剣術にも興味があったからちょうど良かった。

「二瀬野さんの家の子か。ここに通い始めたんだな」

 道場の外で一人、素振りをしていたとき、年上の女の人に声をかけられたことがあった。剣道着を着た織斑千冬だった。

 オレはその姿を何度かその道場で見かけたことがあった。

「えっと、こんにちは。いつも一夏君にはお世話になってます。二瀬野鷹です」

 ペコリと頭を下げた。何度も姿を目にしてはいたものの、話しかけられたのは初めてだった。

「ふふっ、しっかりしてるな。こっちこそ一夏がいつも世話になってる。これからも、よろしく頼むな」

 そう言って、まだ幼いオレの頭を撫でた。凛々しい顔つきに優しい笑みを浮かべていた。

「は、はい!」

 思わず背筋をピンと伸ばしてお辞儀をした記憶がある。

 いつも、というのはうちの母親が織斑姉弟を気にかけていた節があったからだ。たぶん単純に不憫に思ったんだろう。織斑千冬が忙しいとき、まだ小学生だった一夏は箒の家かオレの家でメシを食ってたりしてた。そのあとで織斑千冬がわざわざ弟をうちまで迎えに来ていたというわけだ。

「先ほどの剣の振りはあまり良くなかったな、少し見せてみろ」

 そう言って、織斑千冬がオレの手を取ったとき、遠くからのんびりとした声がかかった。

「あ、ちーちゃん、来てるなら教えてよー」

 とたんにパタパタと走ってくる一人の女性の姿が見えた。

「お前に会いに来たわけじゃない」

「もう、ちーちゃんのツンデレさん!」

 ニコニコと笑顔を浮かべて千冬さんに話しかけていた。

 オレはこの女を出会う前から知っている。

 篠ノ之束。『インフィニット・ストラトス』を作り出した天才。このときはすでにISを発表した後だが、世間にその兵器としての価値を認められていない時期だ。

「ほら束、挨拶しろ」

 千冬さんがジャレつく篠ノ之束を押しのけながら、オレに向けて顎で促した。

「何の話?」

 彼女には、オレの姿すら見えていないようだ。

「お前な……箒の友達だぞ」

 呆れたような声を出す千冬さんの腕を、お構いなしに引っ張っていく。

「ほらちーちゃん、そんなことより、こっちこっち。すっごい良いこと思いついたんだ。詳しく説明するからさー」

「あ、待てこら」

 そのままズルズルと連れ去られていく千冬さんが、道場から出る際に、

「ま、またな! 二人と仲良くしてやってくれ!」

 と声をかけてくれた。

 オレは何とかペコリと頭を下げる。そのまましばらくの間、頭を上げられなかった。体は震えていて、言うことを聞かない。

 なぜ震えていたかっていうのは簡単だ。

 篠ノ之束にオレは認識されていない。

 彼女はインフィニット・ストラトスの開発者で、この世界のキーパーソンだ。そして彼女の目に入るのは、この世界の中心たる主人公たちだけだ。

 思い上がってた。何故か一回目の人生の記憶を持って生まれたこの身だ。九歳には似つかわしくない聡明さと頭の良さ、それと一度目のの人生経験から来る精神的余裕。そして『物語』の先を知るというアドバンテージ。

 これらが揃っているがゆえに、いつのまにか自分を特別な存在だと思い込んでた。

 だが、そうじゃない。オレは篠ノ之束に認識されない。

 この先、もうすぐ先の話だ。彼女の作りだしたISが世界を変え、女性しか動かせないその兵器が全てを染め上げる。

 それは知ってる。だが、知ってるだけだ。

 織斑一夏は特別だ。彼は主人公として、ISを動かせることがおそらく決まっている。ならオレは? なにせオレは男で普通ならISを操縦できない。オレはどうなるんだ。ただ外から眺めるだけなんだろうか。

 次の日、ハッキングされた世界中の弾道ミサイルが、一体のマルチフォーム・スーツにより全て撃墜された。

 世界が変わったというのに、オレは小学校で退屈な授業を受けていた。

 そういう思い出だった。

 

 

 

 

 というわけで。

 篠ノ之束は、織斑先生に襟首を掴まれて、引っ張られるように強制連行されていきましたとさ。

 終わり。

「あああぁぁぁぁ、ちーちゃん、ひどいぃぃぃ」

 終わってくれないかな。篠ノ之束、嫌いなんだよ……。

 いつのまにか紅椿の周りに専用機持ち、一組、他のクラスという順番で円が出来ていた。

 超高速でフィッティングが終え、一連の武装を試した後だ。生徒全員が興味津々でドーナツ状に囲っていた。

 オレもISを扱えるようになったからわかる。

 ふざけた威力を持った二本の遠近両用武装、展開装甲を持ったビット、そして兵装変更なしにバランス調整できる推進装置。確かに別格の機体だ。

 それに加えて絢爛舞踏というエネルギーを増幅するワンオフアビリティもあるはずだ。

「箒、大丈夫か?」

 少し心配した様子で声をかける一夏を、武装を収めた箒が見下ろす。

「ああ、これは素晴らしいな!」

 昨日までのローテンションとは違い、今はかなり気分が昂揚しているようだ。

 当たり前か。専用機が無かったがゆえに、一夏と並び立つことも近づくことも出来なかったんだから。

「でもすげぇなー、さすがあの束さんだ。第四世代か……。でも白式まで実は第四世代だったなんてなー」

 一夏の専用機、白式のメインウェポンである雪片弐型、その最大駆動時は確かに装甲が変形する。これもやっぱり篠ノ之束が仕込んだらしい。ゆえに第四世代型だと言える。

「ふふっ、そうだな、だが今はお前と戦っても負ける気はしないがな!」

「お、言ったな?」

 第四世代機持ち同士が目線を合わせ、不敵な視線を交わす。

 だがオレたち第二、第三世代を自機とする連中の心中は複雑だ。

 ISの開発は、各国で最高の頭脳が集まって躍起になっている分野だ。最新鋭機である第三世代でさえ、まだテスト機としか言えない。そういう技術レベルなのだが、篠ノ之束は全く別次元にいるということだ。

 オレがお世話になっている四十院は、部品メーカーだからまだいい。IS本体がそこまで重要じゃないからな。

 チラリとデュノアの元社長令嬢、BT実験機のパイロット、そして黒兎隊の隊長に目を向けた。

 全員が真剣な眼差しで紅椿を見つめている……いや、睨んでいると言っても良い。それはそうだ。目の前に突然現れたのは一足飛びの最新鋭機なのだ。そして、飛び越えられたのは、自分たちだ。

「そ、そうだ一夏、お前は今度の学年別トーナメント、タッグパートナーは決めたか?」

 天才の妹が主人公に尋ねる。

「いや、まだだけど」

「どうせなら、第四世代機同士で組まないか?」

 その言葉に、場にいた全員がざわつく。

「待て一夏、それは私と組むべきだろう」

 真っ先に反対したのは、一夏とお揃いの眼帯を付けた銀髪の少佐だ。

「ラウラ?」

「お前はうちの隊員だ。私と組むのが当たり前の話だろう」

 至って筋の通った話だ。一夏はドイツに渡っている間、黒兎隊で世話になっている。いつもお揃いの眼帯を身に着けてるってことは、今でも黒兎隊のつもりなんだろう。

「ま、まあそうだよな……」

 苦笑いで一夏が返答しようとすると、そこに箒が、

「それはドイツでの話だろう? ここは日本だ、黙っててもらおうか?」

 と割り込んでくる。

 う、うん、筋が通ってねえ。ここはIS学園で治外法権に近い場所だ。建前上は国籍など関係なく『IS学園の生徒』だ。もちろん各人、それなりに所属があったりもするが。

「あら、そういう理由でしたら、一年一組のクラス代表であるわたくしが、一夏さんと組んでも問題ありませんわね」

 セシリアが一歩前に出て、不敵に言い放つ。

「だからここは日本だと」

「反論いたしますが、IS学園は国籍で縛ることを良しとはしておりませんわ。そしてここは日本にあるIS学園ですわ」

 箒の拙い理論を遮って、セシリアが正論を言い放った。

 三者が一夏を間に挟んで睨み合う。

 ちなみに鈴は二組なのでいない。今は二組関係ないけど。

 最後に腹黒さ、もとい器用さに定評のあるシャルロットはというと、珍しく割り込まずにいる。ずっと箒ではなく紅椿を見つめていた。

 何か考えたあと、スッとオレの横に寄ってくる。

「どう思う?」

「どうって? 紅椿?」

「うん、第四世代機って言ってるけど……」

 同じく第二世代を専用機にするオレに意見を求めてるんだろう。

「特徴がいまいちわからんな」

 前から持ってた知識がなければ、さっぱり意味のわからん機体であることには間違いない。

「だよね。もちろん、篠ノ之博士が第四世代と定義したんだから、第四世代なんだろうけど」

「うーん、タッグパートナーか。ぶっちゃけた話をしていいか?」

「うん」

「一夏と組ませた方が良いな」

「……同じ意見だね」

「その心は?」

「一夏が一番、落としやすいから。そうすれば紅椿の性能をじっくりと確かめられる」

 黒い、黒いよ……一応、一夏のこと好きなんだよね、キミ……。

 同じこと考えてたけど、それでも軽く引いちゃうぜ。

 思わず腰が引けるオレの横で、シャルロットが急に頭を抱えて悩み始める。

「でもねー……そうするとタッグの練習をする相手が箒になっちゃうわけでしょ……一緒の時間が……」

 半分涙目でフルフルと首を横に振り始めた。

 デュノア社パイロットと恋する乙女の狭間で悩んでるってことか。

 オレにも色々と負い目があるし、誰かの味方というのも簡単には出来ない。

 だが、先日の悩み方を思い出すに、今は箒の方についてやりたいという気持ちもある。それに、オレのせいで一夏と箒は同室になって甘酸っぱい思い出を作る暇もなかったんだしな。

 さて、トーナメントのタッグか。どうしたらこの場を丸く収められるか。

 頭の中でピコンと電球が灯る。閃いた。

「なあ一夏、誰と組むんだ?」

 ギャーギャーとわめき合う専用機持ちの横をすり抜けて、一夏に問いかける。

「い、いや、どうしたらいいんだよ、ヨウ……」

「良いアイディアがある。聞くか?」

 全員の視線がオレの方に集まった。

 クラスメイト連中も含めて、ぐるっと半周、視界を回したあと、

「一夏と箒が組む。そしてタッグトーナメントに優勝したヤツらは一夏を三日間、好きに出来る。これでどうだ?」

 と提案する。いつぞやの作戦のリサイクルだ。

 場が一瞬、沈黙したが、すぐに女子連中が声を揃えて、『えーっ!?』と驚きを上げた。

 ラウラがチラリとシャルロットと視線を交わす。

 さすが隊長殿だ。オレの思惑にすぐ気付いたらしい。

 ぶっちゃけた話、箒はそこまでISが上手い方じゃない。政府に無理やり入学させられたせいか、授業などは真面目にこなしても、放課後までISの練習していることなど滅多にない。剣を振って本を読んでいる程度だ。

 その箒が操る紅椿と、遠距離武装のない白式を操る一夏との組み合わせ。

 どっちかと言えば織斑・篠ノ之組には勝てる要素が少なく、なおかつ一夏を先に落とせば、邪魔も入らず紅椿と戦うことが出来る。

 さらにその上で箒は、タッグパートナーとして練習を一緒にできる。優勝できる見込みはかなり少ないが。

 全員が一つプラスで一つマイナスだ。

「な、なあヨウ、オレの意見は……」

 間違った、一人だけ損しかしてないヤツがいた。

「え? 箒と組むのが嫌なのか?」

「そういうわけじゃないけどな……あと、問題はそこじゃないけどな」

「とか言ってるけど、篠ノ之さん?」

 わざとらしく一夏の注意を箒の方へと向けてやる。目尻にうっすらと水滴を浮かべながら、顔を紅潮させて一夏を睨んでいた。

「い、一夏は私と組むのが嫌だというんだな! それならこっちからお断りだ!」

「そ、そういうわけじゃない! わ、わかった、わかったよ、みんながそれで良いなら、そうするって!」

 みんなの憧れ、正義のヒーロー様が投げやりになりがら叫んだところで、全員から喝采が起きる。まあ、みんな目標も出来ただろうし、良いことづくめだよな。一夏に興味がない生徒だって、紅椿には興味があるだろうし。

「ちょっと、何騒いでんのよ、アンタたち。なにこれ新型?」

 そして今頃、鈴がテコテコと歩いてやってきた。あーお前の意見聞くの忘れてたわゴメンネ。

 と口にする度胸もなく、オレは鈴をシカトして紅椿に歩み寄る。

 色々あるものの、一人のIS操縦者として、やっぱり第四世代機ってのは気になる。

「ふーん……これがねえ」

 その名の通り濃い赤色に染め抜かれたISにもう一歩近づこうとした。

 突如、悪寒が走る。

 金属同士が激しくぶつかる音がグラウンドに響いた。

「……何のつもりだよ、箒」

 咄嗟に部分展開したテンペスタの左腕に、岩ぐらい軽くふっ飛ばしそうな勢いで紅椿の右腕がぶつかったのだ。オレの頭を狙ったような動きだった。

「え、あ、な、何が?」

 当の操縦者本人も何が起きたかわからず、青ざめた表情で紅椿の腕をオレから離す。

「……暴走か?」

「い、いや、わからん、そ、その、急にお前に向かって紅椿が」

 自然と表情が厳しくなってしまう。

「だ、大丈夫か、ヨウ!」

 ようやく我に返った一夏が駆け寄ってきた。その後ろから玲美が慌てて近づいてくる様子が見える。集まっていた人間たちがざわめき始めた。

「……ISを展開するだけの訓練、毎日やっといて良かったわ……」

「は?」

「こっちの話だ。それより一夏」

「あ、ああ。箒、とりあえずISを解除しろ」

「し、しかし」

「今日はもう終わりだ。訓練は明日からやろう」

 念を押すように、一夏が一言一言をゆっくりと言い聞かせる。

 紅椿が解除されると同時に、場にいた全員が安堵のため息を零した。

 ……死ぬかと思った。

 というより、専用機持ちじゃなかったら確実に死んでたし、専用機持ちでも対応が遅れていたら、絶対防御が発動する云々よりも先に、首から上が吹っ飛んでいたかもしれない。

 首が吹っ飛んでも絶対防御で生きてるとか、首を吹っ飛ばす前に絶対防御が発動するとか誰も試したことないから、結果として生きてたかどうかはわからない。だが、死ぬかと思ったのは間違いない。

 箒もそれがわかっているのか、顔面蒼白のまま一夏に支えられている。

「ヨウ君、大丈夫?」

 心配げに近寄ってきた玲美がオレを見上げる。

「……おう」

「何が起きたの? なにあれ?」

 玲美は憤慨した様子で、肩を怒らせて箒の方へ向かおうとしたので、腕を掴んで止める。

「まあまあ、本人は慣れてないんだろ。気にすんなって」

「で、でも!」

「そんなことより、オレたちも対策考えようぜ。あれのデータ、欲しいだろ」

 適当に喋りながら、クラスの輪の中に固まっていた理子と神楽の元へ向かう。二人とも心配げな顔をしていた。

 腰が抜けそうになるのを必死に我慢しながら、わざと余裕ぶって肩を竦めた。

 ナターシャさんは、自身のISである銀の福音の言うことがなんとなく理解できると言っていた。オレもその意見には賛成だ。

 だから本物なんだろう。紅椿から向けられた、オレに対する殺意と憎悪は。

 いつのまにか垂れていた冷や汗がメガネに零れる。邪魔な水滴を弾こうとメガネを外し、一息つくように校舎の方に視線を向けた。

 ん? 何だ? 

 そこで違和感に気付いた。5月に落ちた右目の視力が、なぜか正常に戻ってる。

 不思議に思いながら、視力を試すように遠くへと焦点を合わせた。

 グラウンドを囲む外壁の上に、一人の女の影を捕える。織斑先生に連れていかれたはずの篠ノ之束だ。

 向こうもオレを見ていたようで、彼女は唇の動きだけでこう告げた。

 残念、と。

 その天才の目と口は、底の見えない亀裂のように、全てが真っ黒だった。

 

 

 

「大丈夫か? 何か顔色悪いぞ」

 更衣室内のベンチででぐったりしているオレに、一夏が心配そうな声をかけてきた。

「いや……ちょっと色々あって疲れてるだけだ。箒はどうした?」

「とりあえずシャルロットに頼んで着替えさせて、保健室の方へ連れていった。かなり参ってたけどな……」

「そっか……」

 本人が意図してないとはいえ、危うくオレを殺すところだったのだ。いくら箒といえど、精神的に応えたんだろう。

「お前も大丈夫か? 保健室行くか?」

「いや、とりあえずは良い。歩けるし」

 手の平を見つめる。目の視力は再びぼんやりとした世界へと落ちていた。

「篠ノ之束、だったんだよな」

「ん?」

「い、いや何でもない」

 幼い頃見かけた彼女とも違う。気持ち悪い化け物のような目を持った人間だった。そして、明らかにオレに視線を向けていたのも、幼い頃と違う。

「とりあえず着替えたらどうだ?」

「そうだな」

 立ち上がって自分のロッカーを開け、ISスーツを脱いで制服に着替え、メガネをかける。上着を着るのは面倒だったから羽織るだけにしておいた。

「そういう格好してると、昔の不良みたいだな」

「うるせー」

 顔立ちがナンパなせいか、昔っから不良っぽいと言われたもんだ。メガネをかけるとスケベに見えるらしいけどな……。

「とりあえず部屋に戻って、また箒のところ行ってくるわ」

「りょーかい。オレの方は全然気にしてないって伝えておいてくれ」

「わかった。悪いな」

「おう」

 更衣室を出て通路を歩く。時々すれ違う女子と軽い挨拶をしながら寮へと向かっていると、四十院神楽が立っていた。姿勢正しくこちらにお辞儀をしてくる。

「こんにちは、ヨウさん、織斑さん」

「ちは、四十院さん」

「おっす。どうしたんだ、こんなところで」

「ええ、ヨウさんを待ってました」

 そう言って、チラリと一夏を見る。その視線だけで察したようで、一夏は軽く手を上げ、

「んじゃ先に戻ってるぞ」

 とオレたちを置いて歩き出した。その背中をしばらく見送り、声が届かないぐらいの距離になると、神楽が口を開く。

「ディアブロが、勝手に起動しました」

「は?」

「先ほど、研究所から報告がありました。幸い、起動して一メートルほど動いただけで止まりましたが」

「……正確にはいつ頃の話?」

「私たちがグラウンドにいた時間帯ですね」

「ふぅん……」

 あの紅椿の暴走と関係あるのか、もしくは、あの黒の……。

 思い出して再び背筋に悪寒が走る。この世界じゃありえない黒く染まった目が、まるでオレを引きこもうとしているように思えた。

「あの」

「ん?」

「ヨウさんは、私たちに何か隠し事をしてませんか?」

 おっとりと形容される顔が、今は少し困惑しているようだ。

「隠し事……」

 ありすぎて何を言っていいのかわからん。

 前の人生の記憶を持っているのが、たぶん最大の秘密だろう。

 う、うーん。信じてもらえるわけがないし、どうしたものか。信じてもらえたとしても、それはそれで頭のおかしいヤツだしな、オレ。

 とりあえず、オレがみんなに言えることは、

「何も隠してないよ、少なくとも、みんなに言えることは全部話してる」

 ということだけだ。

「……そうですか。では、言えないこともあるんですね」

「そりゃそうだ。例えばおねしょを何歳までしてたかなんて、恥ずかしくて言えないだろ」

 ここで話は打ち切り。再び寮の方へとゆっくり歩き出す。

「あ……」

 神楽も何か言いたげな表情だったが、次の言葉を吐くことはなかった。遅めのスピードで歩くオレに、小走りで追いついてきた。

 二人で速度を合わせて、夕日の中、短い帰路を無言で辿る。

 いつだって言えないことだらけだ。

 でも、そういう風に生まれついたのだから、仕方ないだろう。

 

 

 

 

 今日は退避先として、珍しく女子の部屋にお邪魔になっていた。

 ここは玲美と神楽の部屋だ。ピンクを基調としたベッドのシーツやカーテンと、所々に置かれたぬいぐるみが正に女の子の部屋だと感じる。

 今はシャワーを浴びてから結構経っているらしく、パジャマではあるが髪は濡れてない。同居人の神楽も同様だ。今日の大浴場は男湯仕様なので、二人とも手早く済ませたようだ。ちなみにオレはここでの用事が済んだら行く予定である。

 しかし、ただまあ、何て言うかさ。どこに視線を置いていいか困るよな……女の子の部屋って。特に湯上りとか、無駄にドキドキしちゃうんですけど。

 そんな男子高校生の心の呟きなど察することもなく、ベッドに寝転んで枕を抱えたパジャマ姿の玲美がプンプンと怒っていた。

「なんかもう、なんていうか、もう!」

「まだ怒ってんのか」

「だって、ヨウ君死んじゃうところだったんだよ?」

 夕方の件で彼女はまだ怒ってるらしい。ふと隣の机を見れば、もう一人の部屋主である神楽も眉間に皺を寄せている。

「第四世代機、紅椿、ですか」

「あんな風に暴走しちゃうなんて、何が第四世代っていうのよ、ホントにもう!」

「世間は騒然としていますね。他の生徒たちも、所属がある子は色々と呼び出しをされているようです」

「へーんだ。あんな機体にうちのホークちゃんが負けるわけないし!」

 もちろん四十院の方も色々と騒いでるようだ。

 貰ったお茶に口をつけてから、ため息を一つ吐き出す。

「突如現れた第四世代機。パイロットはISを開発した天才の妹。まあ騒ぐわな」

「いいえ、問題はかなり複雑化しています」

「複雑化? そんな複雑な問題か? 技術的な注目だけじゃ?」

「まず第四世代機を凍結して差し出せ、という案が国際IS委員会で出ているみたいですね」

「ま、そりゃそうだわな」

「あと学園の通信情報網が一時的にランクD警戒に上がっています。情報漏洩を防ぐためでしょうね。今は外に出るとき検閲されていますし、生徒たちも迂闊なことは出来ません。生徒所有の携帯電話なども監視されているでしょうね」

「そこまでやってんの?」

「入学するまでのハードルが低いですからね、IS学園は。だから逆に」

「でも入試とか難しいだろ? 男ってだけで放り込まれたオレが言えた義理じゃねえけど」

「勉強してバックボーンと思想のチェックを受ければ、最新の軍事技術が溢れる場所に誰でも入れる、ということです」

「確かに四十院と空自のチェックの方がよっぽど厳しいよな」

「なおかつ生徒は比較的自由に外出まで出来ますからね。名目上は専修高校なのですから仕方ありませんけど」

 基本的に制服を来て外出届を出せば、外に買い物ぐらいは自由に行ける。

 オレはかなり行動の制限が多い上にアウトドア派ではないから、自由を謳歌したことはないが。

 でも通販あるとあんまり困らないんだよなぁ……IS学園メシ上手いし。

「あ、玲美、アレの件、来てるわよ」

「え? ホント!?」

 玲美がベッドから降りて神楽の端末を覗きこむ。

「やっぱり紅椿の件が効いてるみたいね」

「そういう意味では、紅椿様々なのかなぁ……ちょっと複雑」

 二人でピコピコと端末を操作し始める。

「何の話?」

「ふふふ、聞いて驚けヨウ君。なんと私、今日から専用機持ちです!」

「はぁ?」

「と言っても期間限定なんだけどね。トーナメントにテンペスタⅡで出場することが決まりました!」

「ってディアブロ!?」

「そんなわけないじゃん!」

「だ、だよな」

 あんな紅椿以上に意味不明の機体、表に出せるわけがない。……そういやアイツも勝手に動いたとか言ってたな。

「あ、あっちのテンペスタⅡか。もう一個のコアを使った。換装するとか言ってたよな」

「うん、最終調整と試験飛行が残ってたんだけど、色々とあったでしょ? それで先延ばしになってて。今日、ようやく終わったんだって」

「はー。でもテンペスタⅡ持ち出したら、研究所からISコアなくならないか?」

 四十院研究所が持っている正式なISコアは二つだ。それが二機ともIS学園入りしては、出来ることが少なくなるだろう。もちろんコアナンバー2237は持っていることすら機密である。

 その辺りの事情に詳しそうな神楽が、

「今日の午前中に、デュノアから連絡があり、ラファール・リヴァイヴの高機動カスタム機を作ることになりました。ISコアは向こうの持ち込みです」

 と自分も加わった商談の結果を教えてくれた。

「土日にやってたヤツか。えらく急だな」

「デュノアは第三世代が開発できていませんからね。先のメテオブレイカー作戦で高機動汎用機の有用性が高まりましたし、経営者も交代しましたから」

「金になるかわからない第三世代よりは、第二世代のシェアを拡大化して稼いでいくつもりってことか。まあそれも有りな経営方針だな」

「会社って大変だねーヨウ君」

「だなぁ」

 経営に一切携わってない身としては、半分以上は他人事だ。かといって社会の動きに鈍感で許されるほどISのパイロットってのは甘くないけど。

「ISを作るなんて、本来はバクチ的なモノなんですよ、やっぱり。でも国家や軍としては威信をかけてやらなきゃいけない一大新規事業ですからね。うちみたいな兵装開発企業が一番、得をします。IS本体を作らなくて良いんですから。あ、そうそう」

「ん?」

「臨時ボーナスが出ますよ、ヨウさん」

「え? なんで?」

「メテオブレイカー作戦、無謀とはいえ機体速度の最高値をマークし、うちの推進翼の有用性が増しましたからね。おかげで一件商談がまとまりましたし、追加で2件ほど案件が来ています」

「おー。ボーナスか……あんまり使い道ないけど」

「研究所からの感謝の気持ちですよ、些少ですが。ご両親に何か買ってあげてはいかがですか?」

 神楽が微笑みながらオレに言う。

 そういやオレの親の境遇までは知らないんだっけ。

 二瀬野鷹の両親は、政府のVIP保護プログラムによって、名前を変え新しい土地で暮らしている。息子であるオレでさえ会うことはおろか、連絡を取ることすら出来やしない。本人たちの身の危険に繋がるからだ。

「まーそうするかなー」

 タッグトーナメントに来賓として見に来るらしいが、オレの姿を見せられるかどうかすら怪しい。

 でもま、わざわざ話すことでもないしな。

「で、タッグはオレと組むんだよな? 玲美」

 感情を悟られないように、続けて玲美に質問を振る。

「えー? どうしよっかなぁ。私とタッグ組みたいのー?」

 ニヤニヤ笑いながら問いかけてくるが、からかってんのか。

「んじゃお仕事繋がりにシャルロット辺りに頼んでみるか」

「ちょ、ちょっと待って待って。組まないとか言ってないし! ていうか組もうよ、組むしかないんだから!」

「えー? どうしようかなぁ?」

 ニヤニヤ、と。

 二人でふざけ合ってると、神楽がコホンと咳を吐く。

「残念ですけど、二人は別々に出てもらいますから」

「えーっ!?」

「それはそうでしょ。トーナメントなんだから、少しでも紅椿と当たる可能性を高くしないと」

「そんなぁ」

 玲美が情けない声を上げる。

「んじゃ誰と組むんだ?」

「玲美は理子と。いい?」

「んー……はぁい」

 玲美は肩を落として、ふらふらとベッドに倒れこんだ。そのまま枕を抱いて何も喋らなくなる。スポンサーの意向なら仕方ないし、普段も神楽に逆らうことはあんまりないしなあ、オレたち全員。

「で、ヨウさんはシャルロットさんと組んでいただきます。これは先方も承知済みです」

「え? マジか」

「先だって明日から、試験型の推進翼をシャルロットさんの機体に装着、データ取りを行います。その推進翼の指導をお願いしますね」

「……お仕事ってわけか。それじゃあ仕方ないか」

 正直、シャルロットを初め、ラウラや鈴、セシリアや更識簪辺りとは組みたくなかったんだけどな。

「オーケー。了解した。ビジネスライクにやるよ」

 ベッドで『の』の字を書いている玲美を見て、

「ぜひ、そうしてくださいね」

 と神楽が苦笑した。

 

 

 

 

「しっかし、篠ノ之束か」

 久しぶりの大浴場開放日だ。このだだっ広い場所を今は一夏と二人で貸し切りである。

 プラスチックの桶を置く音が反響し、昔行ったことのある銭湯を思い出した。

「お前、束さんと面識なかったっけ? 道場通ってたのに」

「面識って意味じゃ知らんな。見かけたことはある」

 なにせ認識されてなかったからな。

「……あの人もホント、変わらないな」

「そういうヤツだろ、あの女」

 オレの吐き捨てるような言葉に、一夏は苦笑するだけで何も言わなかった。

 体を洗い終わり、二人して湯船に肩まで浸かった。深く漏らした息が大浴場内に反響していった。

「やっぱ風呂は日本だなあ」

 感慨深く呟いた一夏も、今はさすがに眼帯を外していた。

「でも千冬姉は前から知ってただろ? IS学園に来てから、オレのこととか何か話したりしなかったのか?」

「小さいときは何度か会話したことはあるけどな。こっち来てからプライベートな会話はしてねえ。向こうもなんとなく覚えてるってレベルじゃねえの」

「いや、絶対に覚えていると思うぞ。オレも小さい頃はお前んちで何度もメシご馳走になったし、迎えにも来てくれてたんだし」

「そういやそうだっけか」

 十代そこらの女の子が、弟を育てるなんてのは無謀にも程がある。小学校高学年までは、危なくて一人で家には置いておけなかったみたいだしな。

 実際の話、うちの母さんも人が良いので、幼い姉弟のことを気にかけてたみたいだ。何だかんだで一夏のこともお気に入りだったんだろうし、織斑先生も学生の頃から礼儀正しい人だったしな。

 しかし織斑先生の女子校生時代とか、ラウラが見たら鼻血出すんじゃね?

「箒が転校していったぐらいだっけ。お前がオレんち来なくなったの」

「ん、まあな。さすがにある程度、家事ができるようになってたし。箒んちも引っ越しちゃったし、いつまでも他人に頼りっぱなしじゃあ申し訳ないかなって。あ、でもお前んちのおばさんには感謝してる。色々と教えてくれたし」

「洗濯の仕方とかな」

 幼い頃の思い出を振り返れば、笑いが込み上げてくる。うちに来なくなったのは、少しでも早く一人前になりたかったからだろうな。

「そ、その話は忘れろよ!」

「ヘイヘイ」

 適当に返事しながら、さらに腰を落として首まで浸かる。

 良い湯だなぁっと。普段は女子が一杯な風呂だと思うと、余計に……っとか考えてたら殺されそうだ。

「家には帰ってるのか?」

「オレ?」

「土日は寮にいないだろ」

「う、うーん……まあ、そうだな。忙しかったりもするからな」

「なるべく家に帰ってやれよ?」

 まあ、悪気はないんだろうし、オレが悪いんだし、こいつに話すことでもないしな。話題変えるか。

「そんなことより、バーベキューいつにすんだよ」

「あーそうだな。お前、いつ空いてるんだよ。土日いっつもいねえし」

「夏休みまではスケジュール一杯だわ。神楽いるだろ、四十院神楽」

「ああ、財閥のお嬢さんとかいう。お前の機体もそこのなんだろ?」

「スケジュールお任せしてんだけど、容赦ないんだわマジで。最初は手加減してくれてたみたいだけど、最近はもうテストテストの嵐でなー。そうだ、夏の合宿はどうだ?」

「ん? 合宿?」

「おう、海に行くやつ。相模湾に出来たプライベートビーチだっけ」

「メテオブレイカー、頑張って良かったな」

「まったくだ。女子の水着姿は無事に守れた。たぶん昼飯は現地だから、真耶ちゃんに言ってバーベキューにしようぜ」

「いいな。クラス皆でやるか」

 鈴は二組だ、ざまあみろ。つっても勝手に混ざってくるんだろうな……。

「お前らヨーロッパ組の歓迎会もやってないしな。そこに焦点を合わせようぜ」

「でも、機材とか食材、どうやって持っていくんだよ?」

「現地調達?」

「そんなの許されるのか? 魚でも取るとか?」

「たぶんアレだよ、クーラーボックスごと海から流れ着くから大丈夫だ」

「なんだそりゃ」

「ほらIS関連の機材かと思って空けてみたらバーベキューセットだった! とかあるだろ」

「ねえよ……」

 男子高校生の会話ってのは、本当にテキトーである。

「手は考えておくわ」

「頼む。こっちは準備しておくから」

「おう」

「先上がるぞ」

 そう言って一夏が風呂から出て行く。デカい大浴場で一人、大きくため息を零した。

 相模湾でバーベキューね。

 ……メテオブレイカー事件、なんであの破片の軌道、途中で変わったんだろうな。

 事件中に湧いてでた素朴な疑問を思い出した。

 本来なら、国際宇宙ステーションの大型荷電粒子砲によって破砕され、最大級の破片は地球から離れるはずだった。そして何事もなく成層圏での流星見学をして帰るのが本来の作戦内容だった。

 だが実際は、ナンバー2237使用のISが作られてた相模湾沖の洋上ラボへ、隕石が狙ったように軌道修正されて落ちてきたのだ。

 事前調査では、隕石の成分は95%が岩石で残り5%は不明だった。オレたちでぶっ壊したから、破片で地上まで落下したものはない。ゆえに回収された物もなく最後の5%は最後まで不明だった。

 ……いや、まさかな。

 他の隕石と干渉しあってたまたま落ちてきた。そう考えるのが妥当だろう。

 だから『慣性に干渉する装置』、例えばPICがあらかじめ隕石に積んであった、なんてのは荒唐無稽すぎる予想だ。

 そんな想像をしてしまうほど、篠ノ之束が得体のしれない存在だってことだろうな。

 それにあの女がもう登場したってことは、こっちも色々と考えなきゃいけない。

 紅椿を送り込んできたってことは、そのデビューを狙ってるはずだ。それも盛大に、インパクトのある手でだ。

 持っている記憶を辿る。

 考えられる手は無人IS『ゴーレム』、そしてナターシャさんの『銀の福音』の暴走。

 どちらの手で来るか。

 オレはまだゴーレムを見ていない。来るならこっちが先か? 

 篠ノ之束はIS学園にある何かを探ってるんだよな、確か。暮桜だっけ……。

 ってことは銀の福音は考えにくいか。あれは強力なISとはいえ、電子戦の装備を積んでるわけじゃなさそうだ。でもオレもあの機体のことなんて、上辺しか知らないしな。

 正直、シルバリオ・ゴスペルとは戦いたくない。どんな理由があろうとも、ナターシャさんがあれだけ愛情を注いでいる機体を、篠ノ之束のせいで破壊しなければならないなんて、絶対に嫌だ。

 ゴーレムの場合はどうか。『記憶』の糸を手繰れば、確か鈴と一夏の戦いに乱入したときは一機だったはず。なら今回も一機か? 

 ダメだ。相手の考えることがわからん。

 ただ一つ言えることは、何が乱入してこようと、乱入があった時点で学年別タッグトーナメントは終わる。

 つまり、試合順次第でオレの晴れ姿を見せることが出来なくなる可能性も高い。

 ……せっかくオヤジと母さんが来るっていうのにな。

 それでも何が出来るかを考え続けた。乱入があっても、可能な限り来賓や一夏に危害が少なく済む方法はないのか。

 もちろん、そう簡単には思いつかない。

 全てを話す? 誰が信じるんだ、オレがこの先を『知っている』なんてことを。

 下手すりゃ頭がおかしい人間扱いされ、ISを剥奪される可能性も高い。それだけは避けたい。今回を防げても、次もその次も事件は起こり得るんだから。

 結局は、あの誘拐事件の巻き直し。

 オレ自身の力なんて所詮はこんなもの。だけど今度は、失敗するわけにはいかない。

 お湯を掬い目を閉じて顔を拭う。

 もう一度、あの女の姿を思い出した。今日、二つのアイツを見た。

 ひとつは昔と変わらない篠ノ之束、オレが嫌いなヤツだ。

 そしてもうひとつは、底の見えない地割れのような眼差しを持った『篠ノ之束』。……あれは何だったんだ。

 紅椿の調整が終わったあと、織斑先生がヤツを連れていった。それが何で、グラウンドの外壁に立っていた?

 先生から逃げた? いやそんなすぐ逃がすようなら、そもそも連れていかないだろ。

 紅椿の暴走よりも、あの暗い目の方が強烈に脳裏に焼き付いていた。今思い出しても寒気が走る。

 ……あれは、本当に篠ノ之束だったんだろうか?

 

 

 

 

 









第13話は数日中に。


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13、パーティング・ライン

 

 

「えへへー、この新装備、私が考案してたんだー。採用してもらえて良かったー」

 放課後の第二グラウンドの中央で、岸原一佐の娘でクラスメイトの理子が得意げに胸を張った。ちょっと小さな体躯とオーバーアクションが可愛らしい小動物のような印象だ。

 昼間にISを格納庫に預けている間、四十院の人たちがインストール作業を行ってくれたそうだ。説明に関しては全部、この理子がやってくれるって話だ。一応、整備希望って話だったしな。

「しかしこれ……新装備……」

「うん、新装備!」

 今現在、部分展開してるテンペスタの腕で掴んでいるのが、どうやら新装備とのことだ。

「これ、棒じゃね? ただの金属の棒じゃねえ!?」

「そう、斬新でしょ!」

 そして発案者の岸原理子様が得意げに薄い胸を張っていらっしゃる。薄いとか言ったら殺されるが。

 しかし用途が全然わからん新装備だ。どう見てもただの合金製の棒にしか見えん。

「あー、あれか、これで殴ると電撃が流れるとか!」

「流れないよ?」

「じゃああれか、展開装甲か。これ、戦うときには変形するんだ。やったね、一気に第四世代機だね!」

「そんなわけないじゃん」

 何度見ても、ISの身長と同じぐらいの高さの棒に、垂直に持ち手をつけただけにしか見えない。直径は10センチぐらいか。色々と視界ウィンドウから内部データベースを探ってみたり、手でペタペタと触ってみたが、やはり棒以外の情報を手に入れられなかった。

「……え? ホントに棒?」

「うん、棒」

「そっかー……ただの棒かぁ……」

 そうじゃないかなーって思ってたんだよなー。

「ってホントに棒かよ!」

 思わず地面に叩きつけてしまった。

「だからそう言ってるじゃん。取っ手をつけて、前に突き刺しやすいようにした棒だって」

「ローコストにも程があんだろ!?」

「なんせ金属ブレードの十分の一の容量で済んだからねー。おかげでラピッドスイッチ並の速度で出せるよ、ラッキーでしょ。成型も安く済んだし、四十院のオジサンに褒められちゃった」

「なにこれ、オレに棒術でも覚えろっての?」

「ううん、使い方は簡単だよ。前に向けて突撃するの。細かい動作が苦手がヨウ君にもぴったり! ばっちし! やったね!」

「簡単すぎるだろ! いやオレでも使えるけれど、そうだけど!」

「着想は、あれからだねー」

 理子が指差した方向を見れば、ISスーツを着たシャルロットがこちらに歩いてきていた。今日から会社命令でのタッグパートナーだ。

「でもなんでシャルロットから着想を? ラファール・リヴァイヴってことか? どういう意味だよ?」

「これでも危ないから、先っぽも丸くしたんだよね」

「なあ理子、話聞いてくれてますか? 意外に超威力なのか?」

「ううん、これ自体には何の威力もないけど? だって棒だし」

「ああもう、ホントにまったく意味がわからん……」

 のんびりとした速度でオレたちの元に辿り着いたシャルロットが、

「どうしたの? 二人して」

 と可愛らしく小首を傾げながら尋ねてくる。

「理子が考案したっていう新兵装がさ、ただの棒で困ってるところだ」

「もー、ヨウ君察しが悪いなー。シャルロットならわかるよね。これはヨウ君しか真価を発揮できない棒なんだよ」

 いやいや、いくらシャルロットでもわからんだろ、だって棒だぜ?

「あー、なるほど」

「え? わかんの?」

「うん、何となくね。これって着眼点は僕の装備と一緒だよね?」

 訳知り顔で理子に尋ねると、相手は嬉しそうにウンウンと頷いて返答する。

「お、さっすがー! そっからアイデア盗みました!」

「あはは、お役に立てて良かったかな。でも、随分と威力を落としたんだね。まあ確かに危なそうだけど」

「ホントは先っちょを尖らせて大きくしてあげようかなって思ったんだけどね。まあこれぐらいで良いかなって」

「素材は?」

「WBN(ウルツ鉱型窒化ホウ素)」

「う、うわぁ……さすが財閥……」

「ロンズデーライトはさすがに無理だった。ISだから持てるって感じかなあ」

 うん、二人が何を話してるかさっぱりだ。

「そろそろ種明かししてくれよ理子」

「えー? 仕方ないなあー。今度、何か奢ってね?」

「お、オーケー。食べ物で頼む」

「デル・レイのチョコ食べたい」

「……何個食う気だ?」

「20個は行きたい」

「6000円コースじゃねーかよ……ま、まあいい。とりあえずは用途を教えろ」

「商談成立! それじゃ教えてあげるね。これはパイルバンカーだよ」

「はっ?」

 思わず手元の棒を見上げる。いや、何回見ても、どこにも射出装置がついてないんだが……。

「ヨウ君のテンペスタが最高速度でマッハを超えてるってことは、もう弾丸みたいなものだからね。だから、もう撃っちゃえ的な?」

「オレ自身がこれを持って突っ込め、と……」

「そういうことー。世界最高速のIS型パイルバンカー二瀬野鷹君ってわけ。名前はレクレスにしといたから」

 理子が含み笑いを浮かべる。それを聞いたシャルロットも隣で口を押さえて笑いを堪えていた。

「レクレス? どういう意味だっけ」

「秘密ー。でも使い方次第だと思うから、大事に使ってね」

「使い方も何もあったもんじゃねえけどな。了解した。ありがとな、理子」

 レクレスという名の突撃兵器(ただの棒)を量子化して仕舞う。とりあえず練習とかは必要なさそうだしな……。

「どういたしまして。じゃあアタシは行くね。シャルロットも試験型推進翼のテスト、頑張ってねーん」

「うん、ありがとう」

 意気揚々と歩き去っていく理子を見送った後、隣のシャルロットと視線を合わせる。

「んじゃ今日からしばらくの間、よろしくな」

「うん、こちらこそ」

 軽く握手をしてから、周囲を見回あ。タッグトーナメントが近づいてるせいで放課後は混雑しているが、練習する場所ぐらいは確保できそうだ。

「ラファリヴァ用の試験型推進翼は?」

「変わった省略の仕方だね……今日の朝一から、デュノアと四十院のスタッフが入ってやってくれたよ。国津さんのお母さんは美人だね」

「ママ博士か。頭良くて美人だし、この間は弁当作ってきてたんだけど、食わせてもらったら超上手かった」

「優しそうな人だよね」

「んだな。あれでミスると手厳しく指示が飛んでくるから、オレにとっちゃ頭の上がらない人の一人だわ」

 肩をすくめながらオレが言うと、爽やかな笑いが返ってくる。その雰囲気はやはりどこか中性的で、確かに女っぽい顔立ちの小さな男の子と言えなくもない。

「それじゃちょっと出してみるね」

「了解」

 ISの展開はすぐ近くにいると危ないので、少しシャルロットから距離を取る。

 一瞬でオレンジ色のラファール・リヴァイヴ・カスタムが現れた。その展開の手際は、さすが代表候補生ってところだ。

「あれ、推進翼は?」

「今出すよ」

 再び光が漏れて、ISの背中に二つの推進翼が現れる。よく見れば肩にあるデフォルトの推進装置は外してあった。

「インストール型かぁ」

「一応、元からデチューンした物を汎用パッケージでも開発してたみたいだね」

「さすが第二世代機としか言いようがないな。んでどうする?」

「いつもはどういう練習してるの?」

「オレは飛ばずに動かしてる」

「え? 飛ばないの?」

「だって飛んだら帰って来ない自信あるし」

「あははっ、そういうことね。じゃあちょっとお手本見せてくれるかな?」

「おっけ」

 オレも同様に腕と足のみの部分展開状態から、フル装着状態へと移行し、同時に背中の推進翼を後ろ上方へと跳ねあげる。

「へぇ……あれ、ちょっと形変わった?」

「少しだけな。出力上げたらしい」

「マッハ3記録したのに、まだ上げるんだ」

「オレもそんな必要ないと思うんだけどな。あのときは無我夢中だったし」

「普段の練習は?」

「こんな感じ」

 促されて、オレは突っ立ったまま、推進翼と尾翼をバラバラに動かしたり、お互いが干渉しないようにグルグルと回してみたりする。

「……すごいね」

「何が?」

「前に授業で戦ったときも思ったんだけど……よくそんなに動くよね」

 そういえば何か怪訝な顔してたな、あのときは。

「まあ、これだけしかしてないからな。普通の動きをすると、誰からも『下手くそ』ってなじられるんだが……」

「う、うん、それはちょっと思ってるけど」

「や、やっぱりか」

「……ね、IWSの症状とか出てないの?」

 IWSってのは、IS乗りがかかる職業病みたいなもので、ISを外しても装着したままの感覚が残ってる病気だ。ISと人間では足の長さが違うので階段を踏み外したりなど、意外に危険な症状が起こる。正式名称は『不思議の国のIS症候群』だ。

「オレ? 全くないけど」

「そうなんだ……」

「なんで?」

 深刻そうに考え込む姿に、一抹の不安を覚える。なんでIWSと思ったのか。オレの日常生活といえば、右目の視力がほとんど無いことと、左腕の触覚がほとんど無いぐらいで……あれ、意外に問題ありだな……。

「ヨウ君、人間に翼は無いんだよ」

「そりゃそうだろ」

 何を言いたいんだろうか……頭が良すぎる人の言うことは、ときに凡人にはわかりづらくて困る。

「それで、どうやって動かしてるの、それ」

「だから、こうやって」

 バサバサと鳥が羽ばたく真似ごとをしてみる。

「ブルーティアーズのビットみたいな感覚なのかな……ううん、そんなはずはないよね。だってイメージインターフェースを利用した武器が搭載されてない第二世代型なんだし」

 ブツブツと呟き始めるフランス代表候補生。

「うーん、やってみれば意外にシャルロットも出来るんじゃないか? オレよりは筋良いだろ」

「そうかなぁ。ちょっと自信ないかも」

「シャルロットに自信ないとか言われると、ちょっとオレが天才なんじゃね? って勘違いしちゃうだろ。やってみようぜ」

「じゃあ了解、やってみるね」

 今度はシャルロットがラファールの背中に生えた翼を左右に開閉し始める。

「いや、普通に出来てるじゃん」

「腕は動かしてないからね。でもまあ、これぐらい出来れば良いのかな。通常装備の推進翼もこれぐらいしか動かないし」

 よし、オレがやっぱりボンクラだと理解できたぞ。何を教えろっていうんだ、この天才に。

「んじゃ飛んでみるか?」

「そうだね、せっかくだし」

「オレはここで見てるよ」

「うん、じゃあ行ってくるね」

 シャルロットの推進翼に火が入る。青い粒子をまき散らしながら、上方へ飛び上がった。一瞬だけバランスを崩したが、すぐに体勢を立て直し、上空を旋回し始める。

「初めてなのに綺麗に飛ぶもんだ」

 グラウンド上空を高速で旋回しながら飛び回る姿は、まさに『疾風』だ。

 何でも出来るヤツは良いよな、と他愛のないことを考えてしまう。

 一方のオレはというと、いつもどおりに地面で長い翼をバタつかせている。好きでやってることとはいえ、地味にも程がある。

 周囲を見渡せば、いくつかのグループが打鉄を借りて、交代で乗り換えながら練習していた。みんな、タッグトーナメントに向けて、気合いを入れているようだ。

 オレたち専用機持ちはいい。いつだって練習できる。だが他の生徒たちはそれなりの手順を踏んで順番待ちをしてようやくISの自主練習が出来るのだ。限られた時間を使ってやるしかない。

 世の中が平等だったことはない、とヤツは言う。それはそうだろう、間違っていない。平等じゃないから、オレはここにいることが出来ている。

 だからって、他人の努力をわざわざ踏みにじる権利が誰にあるってんだ。

 興味本位でオレたちの努力の結晶を砕きに来るゴーレム。それを事前に察知し、打ち砕けるのはオレだけだ。

 出来ればタッグトーナメントだけでも継続できるように、何か手を考えないとな。

 

 

 ……後で調べたんだが、レクレスって『無謀』って意味じゃねーかよ、理子め……。

 

 

 

 

「どしたんだ一夏?」

「いや……」

 練習を終え、寮の廊下を歩いていると、一夏が自分の部屋じゃない扉の前で困ったように考え込んでいた。まだ制服から着替えてないところを見ると、ずっとここにいたらしい

「誰の部屋?」

「……箒の部屋だ」

「そういや今日、学校を休んでたな。なにアイツ、引きこもってんの?」

「返事もないんだよなぁ」

 一夏が困ったなぁと頭をかく。

 ……そこまでオレを殺しかけた件を気にしてんのか。いや、まあ普通は気にするか。

「オレが気にしてないのに、何でそこまで気にしてんだよ、アイツ。構ってちゃんか」

「たぶん、自分を許せないんだろ。……オレも気持ちはわかる」

 一夏がそう呟いて、左目の黒い眼帯を正す。

 オレと一夏の分岐点。

 誘拐事件と、それを事前に知っていて阻止しようとしたが、失敗したオレ。

 一夏がドイツから戻ってきてからも、お互いまだそのことには触れていない。立ち入り禁止区域を遠回りにするように、オレたちは会話に上げていなかった。

 黙ったままオレが突っ立っている横で、一夏は言葉を続ける。

「……でも結果がどうあれ、戦いたいって思った気持ちは否定しちゃいけないんだ」

 その答えが どの設問を語っているのかはわからない。

 きっと、こいつがドイツに行って手に入れた回答なんだろう。

「ヨウ、悪いけどメシをここに持ってきてくれ。待つよ、出てくるまで。パートナーだしな」

「……待つのか」

「ああ。きっと、色々と聞きたいことはあるんだけどな。でも、オレには質問の仕方がわからないんだ、まだ」

 誰に対しての質問なのか。

 いや、こいつのことだから、今は箒のことで頭が一杯なんだろう。だから、オレへの問いじゃない。

「二人分でいいか?」

「頼む」

「わかった。んじゃテキトーに持ってくるわ」

 そのまま一夏を置いて歩き出す。角を曲がる前に一度だけ、一夏の方を見た。扉とは反対側の壁にもたれかかって座っている。長期戦覚悟なんだろう。

 仕方ないので、食事を三人分持ってくることにした。

 オレも大概、付き合いが良いよな、ホント。

 

 

 というわけで。

 箒の部屋の前でプチ宴会が始まりました! わーぱちぱちぱちぱち!

 参加者はオレ、一夏、鈴、シャルロット、ラウラ、セシリア、玲美、あと遠くで更識簪が見守っていた。いる意味あんのかよお前。

 オレや一夏はそのまま床に座り、女子連中のためには寮の倉庫にあったシートを持ってきてやった。誰かが花見でもしたんだろうか。

「あ、織斑君の、ちょっと良いとこ見てみたい」

「待て待て待て、500ミリとはいえコーラの一気飲みは無理だ、無理無理無理」

「えー? 黒兎隊はこれくらい余裕だよなー? ねえ少佐殿?」

「ああ、黒兎隊の一員である一夏なら、これぐらいはやってくれるに違いない。信頼してるぞ一夏」

「そんな信頼いらねぇ!?」

「ほら一夏、さっさとやんなさいよー」

「織斑君頑張って!」

「クソっ、ヨウ、ラウラ、覚えてろよ!」

「はーい、腰に手を当てて! いっき! いっき! いっき!」

 オレと鈴と玲美の手拍子に急かされ、一夏がダイエットコーラの蓋を開ける。プシューっと勢い良く炭酸が吹き出す。

 慌てて一夏が口をつけ、腰に手を当てて、喉仏を鳴らしながら飲んで行く。シャルロット、ラウラ、セシリアの三人は、そこに釘付けだ。

 ごふっ、という不吉な音と共に一夏がペットボトルを外しそうになるが、鈴が咄嗟に察知し、

「ほら、そこまで行ったなら最後まで行きなさいよ!」

 と無理やりペットボトルを抑える。

「うわ、鈴、鬼だな!」

 と言いつつも、オレもゲラゲラと笑っていた。

 顔を青くしながらも、一夏は何とかコーラを飲みほしてペットボトルを口から外す。

「さすが一夏だ」

 ラウラがうんうんと頷きながら賞賛している。

 セシリアはノリについていけないのか、半分ぽかーんとしていながらも、立ち上がる様子はない。

「うっ、生まれる」

 そんなセリフを吐きながら、一夏が遠くまで走っていった。20メートルぐらいまで距離を取ってから、明後日の方向を向いて盛大にげっぷを吐く。

「一夏、きたなーい!」

 鈴とオレが指差してゲラゲラゲラと笑いものにすると、一夏が恨めしそうにこっちを見て、

「く、くそ、お前ら、手加減しろよ」

 と呟いた。ざまぁみやがれ。

「織斑君、おっとこまえー!」

 玲美も悪乗りしてパチパチと拍手している。

「こ、これが日本のパーティですの……?」

 上流階級育ちが、信じられないと首をふるふると横に振っていた。その隣のシャルロットは苦笑いをしているが、二人ともどこかに移動する気はないらしい。

 口元を袖で吹きながら、一夏がフラフラと戻ってくる。

「ったく、お前らは変わらねえなあ」

 文句を言ってるが、どことなく顔は嬉しそうだ。そのまま同じ位置にドカッと勢い良く床に座る。

「そういや一夏ってばさー、小学校の頃さー」

 思いついた昔話というか笑い話を披露しようとすると、当の本人以外がグッと擦り寄ってきた。

「おいヨウ、何を話す気だ?」

「いや、織斑君の恥ずかしい話をだな」

「待て待て待て。どれだ、どの話をする気だ?」

「どれがいい?」

「どれもやめろ!」

「じゃあ一個だけ。いくつか候補を上げるから、どれを聞きたいか、みんなの多数決で決めるわ」

「おまえ、オレの話聞いてる?」

「いや聞いてない。んじゃ選択肢を言ってくぜー、一番、小学校の授業中に織斑君が先生を『お姉ちゃん』って間違えて呼んじゃった事件」

「選択肢で概要を全部話してるじゃねえか!」

 冗談めかしてオレの襟首を掴んでくる。

「一夏ってば、かわいー」

 シャルロットがほんわかと笑っている。

「ふむ、私は今でも織斑先生を間違えて教官と呼んでしまうな」

 そういう話じゃねーから。微妙にズレてるから。

「ま、まて、それぐらい誰にだってあるだろ?」

「あるあるー」

 一夏の抗弁に一般的な日本人の玲美が笑いながら同意する。だが、次はどうかな!?

「二番、織斑君がウチの母親を尋ねてきて、『お、女の人の下着ってどうやって洗えば良いんですか!?』って聞いちゃった事件!」

「待て待て待て待て、ホントにやめてくれ、マジでやめてくれ!」

 途端に全員が一夏から、少し身を遠ざける。

「おいみんな、違うんだ、ち、千冬姉のを洗濯をしようとしてだな、さっぱりわかんなかったから、とりあえずヨウのお母さんにだな」

「そ、そうなんだ」

「生温かい目をするのをやめろ鈴!」

「じゃあ三番!」

「ヨウ! 頼むからやめろ、やめてください!」

「こ、これがジャパニーズ・ドゲザですの……なんて男らしい」

 まあ男のプライドが賭けられているからな。

「でも意外だね、一夏にもそんな可愛い頃があったなんて」

「ですわね……その頃に会いたかったですわ……」

 ほぅ、とここではないどこかへ思いを馳せるシャルロット嬢とセシリア嬢。

「まあ、あたしは結構昔から知り合いだし、写真ぐらい持ってるわよ」

 薄い胸を得意げに逸らす鈴に、ラウラたちが恨めしそうな視線を向けた。

「小さい頃の写真あるぜ? データは部屋のサーバにあるし。この携帯で呼び出せ」

 と言い終わる前にラウラに端末を奪われた。

「どれだ?」

 勝手に端末を操作し始めるので、奪い返す。

「どれだ、じゃねーよ、返せ、あとでちゃんと渡すわ。一人一枚な」

 オレの声に外人組の顔がぱぁっと明るくなった。

 納得行ってなさそうな一夏の顔が見えるが、こんぐらいは渡してやっても構わないだろ。

「しゃ、写真くらいなら、まあ……」

 本人も渋々と許可を出してくれた。

「んじゃ三番の事件に関連した写真をだな」

「待って、やめてくれ、ホントに。何でも言うこと聞くから」

 本気で泣きそうになりながら一夏が止めてくる。

「あ、ねえねえ織斑君、ヨウ君は何か無いの?」

 オレの隣に座っていた玲美が、興味津々に尋ねた。

「え、コイツ? コイツは……なんか本読んでた」

「へー、ってそれだけ?」

「うーん、意外に恥ずかしい話無いな、言われてみたら。鈴、なんかあるか?」

「あたし? そういえばヨウの恥ずかしい話って無いわね」

 まあ二回目の人生だしな。そうそう隙のある話はないぜ。小学校で脱糞するときは職員用を使ってたからな!

「今思い出してみれば、暗いヤツだったわね。本読んでばっかりだったし」

「うっせ」

「そいやアンタ、オタクっぽかったわ。しかも男のくせにIS関連ばっか読んでたし。小学校のときから小難しい本持ってて」

「マジでうっせー」

「つまんない男よね、アンタって」

「うっせー。お前の恥ずかしい話もバラすぞ?」

「ちょ、待ちなさいよ。ま、まあ、あたしは油断も隙もない女だから? 恥ずかしい話はないはずだけど?」

 腕を組んでそっぽを向く。いや油断も隙もないの使い方、間違ってるだろ。

「本当はどうなんですの?」

 セシリアが意地悪そうな笑みでオレの話の乗ってくる。

「あれは小学校6年のときだったかな」

「ちょっと待ちなさいよ!」

「おい苦しい、ギブギブ!」

 オレが鈴に首を絞められている横で、一夏がポンと手を叩く。

「六年のときって、あの話か」

「い、一夏ぁ!?」

「あれは笑ったなあ」

「待って、待ちなさいよ!」

 こんな感じで実に騒がしく、箒の部屋の前でしばらく騒いでいると、ドアがガチャリと開く音がした。

 全員が音の方を向く。

 そこには制服姿の箒が立っていた。

 が、全員がスルーして、

「鈴の話聞かせてほしいなー」

「お猿さんのような方ですもの、その生態に興味がありますわ」

「ふむ、他の代表候補生の過去というものは面白そうだな」

「鈴ちゃんって、昔っから可愛かったんでしょー?」

「いや、小生意気っつーか」

「ヨウ、アンタ殺す、絶対に殺す」

「鈴の恥ずかしい話か。オレも結構知ってるかも」

「一夏を殺して私も死ぬ!」

 と盛り上がり続けていた。

「む、無視をするな!」

 たまりかねた様子で箒が怒鳴り声を上げる。

「ん? どした箒」

「タカ、お前か、またお前の小細工か!」

「いや、普通に盛り上がってしまって」

 ゴメンネ、と舌を出す。

 全くもって嘘はついてない。オレと一夏が昔話をしながら廊下でメシを食ってると、色々と人が集まってしまっただけだ。

「天岩戸でもあるまいし!」

「だよなーアマテラスってほど後光もないしな、お前。どっちかつーとヤマタノオロチ?」

 オレの言葉に、一夏がプッと吹き出す。怒りで髪の毛が逆立ってるところなんてマジでオロチ。あと酒に弱い。

「と、とにかく私を部屋から連れ出そうとしたんだろう?」

「いや? なあ一夏」

「悪い、正直、最初の目的は忘れて普通に盛り上がってた。すまん」

 男らしくペコリと頭を下げる。うん、素直でよろしい。

「キ、キサマら!」

「あ、そういえば箒といえばさー、小学校三年のときにさ」

「お、あの話か」

「待て一夏、何の話だ」

 慌てて一歩踏み出してくる箒の体は、完全に岩戸……じゃねえ、部屋の外に出ていた。

「お前がガキのくせに突きの練習してて、間違えて近所のオジサンのケツを」

「やめろ、本当にやめろ!」

「オジサン泣いてたぞ」

 一夏がうんうんと感慨深そうに頷く。

「痔だったらしいぞ、あのオジサン」

 この実にどうでも良い情報はオレのだ。

「私はちゃんと謝ったぞ! いや、本当に申し訳ないことをしたと今でもたまに思い出して反省してる次第だ」

「オジサンのケツを思い出して?」

「思い出すか! このバカ鳥!」

 バカ鳥ってのは、小さいころに箒に呼ばれたあだ名みたいなものだ。

「どっちだよ」

「ええい、どっちでもないわ!」

「忘れるとかオジサン可哀そうだろ」

「そ、それはそうだが、だから、からかうな! そういう場合ではなくてだな」

「力に振り回された結果、オジサンが犠牲に……グスン……」

「ふ、ふざけるな!」

「真面目に哀悼の意を示してるオレに、なんて失礼なことを言うんだ!」

「そ、そうなのか、すまん……って、違うわ!」

「おお、ノリツッコミ」

 パチパチパチと一夏・玲美・オレの日本人勢が拍手で称える。鈴は二組なので中国人だ。もう意味わからん。

 肩で息をしながら、箒が何か言いたげに一夏を睨む。彼はとぼけた表情のまま、何かを考えた後に口を開く。

「あのオジサン、昔、アイスの差し入れしてくれたよな」

 彼奴が披露したのは、本当にどうでも良すぎる情報だった。

 

 

 結局、箒を混ぜてしばらく宴は続いた。女子連中が大浴場が閉まる時間に気付き、慌てて風呂に向かったところでお開きになった。

 今は廊下に散らばったゴミをオレと一夏で片付けている最中だ。

「なんか妙に盛り上がったな」

 一夏が几帳面にゴミを分別しながら、ポツリと呟く。

「面白かったな」

「久しぶりに腹の底から笑った気がする」

「最後は箒も笑ってたから、良いんじゃねえの」

「悪かったな、変な策を」

「いや、ホントに策なんか練ってねえから。マジで流れだったから。お前ら、どういう目でオレを見てるわけ?」

 そいや玲美も何も言わなかったな。箒に対して結構怒ってたはずなのに。

「すまん、つい。でも面白かったよ。一つ、目標が達成できたし」

 一夏が妙なことを言い出した。

「目標?」

 ゴミ袋を持ったまま、一夏が背筋を伸ばすような仕草をする。

「まあ、またお前と笑えるような関係になるってことかな」

 その言葉は、オレが即答できる範囲を超えた重さだった。

 何のことを言っているかはわかる。

 一夏は一夏で、あの事件のことをずっと気にしてるんだろう。

 だが、コイツがどういう風に思ってるかまではわからないし、あの事件について掘り返す勇気も今のオレにはない。結局は二人にとって、まだ立ち入り禁止区域なのだ。

「……一夏、それは」

「オレの自己満足だよ、気にすんなって」

 それだけ言って、一夏はゴミ袋を担いで歩き出した。

 結局は全て、自己満足だ。オレが取り戻さなきゃならないモノ、例えばあるべきはずの思い出だったり絆だったり。

 それだってオレが知っているだけの話で、ここに今を生きてる一夏たちには関係のない話なのかもしれない。

 全ては過去に戻らない。

 もし仮に、この世界にオレと同じような存在がいたとして、そいつがこの世界の思い出や絆を蹂躙したとする。きっと今のオレだったら、そいつと戦いに行くだろう。絶対に許せない存在だということには違いない。

 だから、自分を許すことはないのだ。自分とは戦えないからこそ、許すことすら出来ない。

 ひょっとしたら『自分を許さない』ということすら、自己満足なのかもしれないけどな。

 

 

 

 

「セシリアとラウラとか強力すぎんだろ……本気で勝ちに来やがって」

 一夏ががっくりと項垂れて呟いた。

 どうやら一夏の三日間拘束券のために結託したのか……。

 学年別タッグトーナメントを数日後に控え、今は授業終わりのショートホームルーム後だ。これから部活やら自主練習やらが始まるわけだが、今日はまだ全員が教室に残っている。

 オレは一夏の机の前に立ち、発表になったばかりの出場タッグと日程を一緒に見ていた。

 上級生は整備志望が不参加なせいか一日ずつで終わるようだが、一年は全員が強制参加なので二日間の日程になっている。まあ一回戦だけで60試合ぐらいあるからな……。

 ちなみに組み合わせ発表は当日とのことだ。今は出場タッグの名簿しか配られていない。

「どう考えても、優勝候補筆頭だよなぁ」

 一夏が困ったように呟く。

 AICで動きを止められてビットを含めた全力射撃なんぞ食らった日には、シールドエネルギーがフルからゼロまで一瞬だろうし。

「んで、シャルロットはヨウとか」

「第二世代コンビだ。旧型だからって舐めるなよ?」

「オレがこの間まで乗ってきた機体は第二世代最初期型だったんだぞ。舐めるわけがないだろ」

「ドイツってことは、メッサー?」

「おう。良い機体だったけどな」

「黎明期にも程があるだろ……」

 まだ動いてる機体があったってだけでも驚きだぞ。第二世代の初期も初期、第二世代未満って言っても良いような性能だったはず。

「それでオレと箒の第四世代型か。あとは国津さんがテンペスタⅡだっけ?」

「んだな。四十院からの借り物。期間限定の専用機」

「緑色?」

「いや赤。トリコローレ・イタリアーノの赤だな。テンペスタⅡ・リベラーレ。イタリアの国旗の赤は自由・平等・博愛の象徴らしいから」

「リベラーレ……自由だっけ。オレが見たのは緑色だったな。装備って何があるんだ?」

「よく知らん。ロールアウトしたばっかの機体だし」

「うーん。でもまあ見たことあるし、ラウラに対策とか聞いておけば、何とかなるかなぁ」

 一夏が腕を組んで考え込む。

「なんか勘違いしてるかもしれんが」

「ん?」

「四十院組、つまりオレ、玲美、理子、神楽だけどな」

「仲良いよな、いっつも一緒にいるし」

「オレ、研究所の模擬戦で、いっつもあの三人にボコボコにされてるんだぞ?」

 

 

 放課後にお披露目されたテンペスタⅡ・リベラーレは、その圧倒的スピードで全員を驚かせていた。

「なにあれ……、フランスで見たのと完成度が全然違う……」

 オレの隣にいたシャルロットが呻く。

「速度だけなら、このホークより下だけど、その代わり各部のパワーが段違いらしいからな」

「各装甲や関節へのイメージ伝達が改善されてるし……、それに何より」

 グラウンド上空を飛ぶ数機のISの隙間を縫って飛ぶ姿に、その場にいた全員が呆気にとられていた。

「言いたいことはわかる」

「うん……国津さんってすごく上手いの?」

「期間限定とはいえ専用機持ちだぞ。それにあいつは小さいころから親元でISに触れてる。国家代表とか除けば、搭乗時間は日本国内でも有数じゃないか?」

 赤いリベラーレが空中で一旦制止する。それから、姿勢を入れ替え頭部を地面に向けて背中の翼で自分の体を抱き、まるで弾丸のような姿でこちらに急降下してきた。

「って、あぶねえ!?」

 慌ててISを展開して回避しようとする。だが地面にぶつかる直前で翼を大きく広げ、再び正位置でイチゼロ停止をしてPICでの浮遊状態に一瞬で変更した。

「どーだ!」

 ブイっと、テンペスタⅡを装着した玲美がこっちに向かって得意げにピースをしてきた。リベラーレ(自由)にも程があんだろ……。

 シャルロットは少し呆気に取られている。今の無茶苦茶なストップなんて、代表候補生でも中々出来ないだろう。

「はいはい、すごいすごい」

「うふふー、もしヨウ君と当たっても手加減してあげるからねー?」

「当たらないことを祈る……。研究所での組み手みたいにボコボコにされたくない」

 そう、国津玲美・岸原理子・四十院神楽の三人は、同条件ならオレより圧倒的に強い。

 というより、オレより弱いクラスメイトなんていない。

 そもそもテンペスタ・ホークの試験パイロットの一人は、この子だ。

 オレなんてホークを貰って、その練習に特化してるがゆえに飛ぶことだけは半人前ってだけで、他は五流ぐらいだろうし。

「身近なところから、こんな強敵が現れるなんてね」

 シャルロットが困ったような微笑みを浮かべている。

「へへーんだ。国家代表候補だからって、そう簡単に負ける気はないからね!」

「お手柔らかにお願いするね」

 日本はISが生れた土地であり、初期からIS研究に携わっている企業が多い。四十院なんてその最たるものの一つだ。元々が財閥で国家との繋がりも強く、独自でISコアを二つ持てる力を有している。IS本体を作ってないというだけで、その技術力は世界トップレベルだ。

 そこで幼いころからISに触れている三人の少女は、国家代表候補の一歩手前と言っても過言じゃない。

 他にもIS学園に入る前から企業に囲われている子なんて、一年の段階でもそれなりにいるものだ。

 専用機持ちだからって強いってわけじゃない。代表例はオレ。あと一夏と箒。

「日本でも優秀な人材は、IS学園の受験勉強を名目に各社が青田刈りしてるからな」

「アオタガリ?」

 フランス人には馴染みのない言葉だったようだ。

「小麦が成長しきる前に、良さそうなのは収穫して自分の物にしちまうってこと」

「なるほど、やっぱりどこだって考えることは一緒ってことだね」

 勘違いしてはならない。

 天才や秀才なんて、どこの世にもゴロゴロいる。ただ『物語』には登場しないだけだ。そして登場しないヤツが弱いってことはない。それに登場するヤツが絶対に強いってわけでもない。

 だからまあ、一夏だってよく負けるわけで……。

 グラウンド全体に轟音が響く。音の発生源を見れば、白式が勢いよく地面に突っ込んでいた。

 ISを解除した箒が慌ててクレーターに駆け寄って行く。どうやら二人で模擬戦をしてたらしい。

「あっちは難航してそうだな」

「う、うーん」

 思わずシャルロットと二人してため息を零してしまう。

 こういうときは、よっぽどのことがなければ、IS学園の生徒同士で手助けはしない。

 そもそも一夏を中心に専用機持ち同士が集まって、協力しあっている状態の方が異常なのだ。オレたちは生徒同士でありながらライバルでもあり、本来は所属組織すら違うのだから。

「ふーん」

 どことなく黒い声で玲美が呟く。PICを解除し、補助動力でゆっくりとクレーターの方へ歩いていった。

「玲美?」

「ちょっとテストしてくる」

 そのままポーンとひとっ飛びして、クレーターの淵に綺麗に着地した。

「うわっ」

 思わず声が出る。何気ない動作で行ったが、超高等技術だ。他にはラウラぐらいだろうか、あれが出来るのは。

 足の補助動力と推進翼をタイミング良く切り替えて操作し、着地時にはPICを一瞬だけ入れて、音も無く土埃も立てずに降り立ったのだ。オレが真似ごとをすれば、地面に尻もちをつくこと受け合いである。

「篠ノ之さん、上手くいってないみたいだね」

「く、国津か。いや、一夏がだな」

「そんなので大丈夫?」

 言葉にかなり棘がある。

 その雰囲気に気付いたのか、箒が眉間に皺を寄せて睨んだ。

「どういう意味だ?」

「また暴走しちゃ困るってこと」

「あ、あれは……」

 痛いところを突かれ、箒は言葉を上手く返せない。

「織斑君、シールドエネルギー減ってるだろうし、ちょっと休んでて」

「へ? 国津さん?」

「私がそっちの機体の相手をしてあげる」

 腕を組んで片目を瞑って箒を見下ろす。

「……どういう意味だ?」

「その第四世代とかいう機体が、ホントにトーナメントで他人に迷惑かけないか、テストパイロット歴が長い私が見てあげるって言ってるの」

 いつもどおりの少し幼さが残る声に、今は刺々しさが込められていた。

「国津……」

「いっつもやる気なかった篠ノ之さんが、急にやる気出して得意げになったって、そういうの良くないよ?」

「……そこまで言われて、受けて立たないわけにはいかないな」

「それじゃやろっか。お互い、シールドエネルギーが三割切るまでね」

「二割でいい」

「……あっそ。じゃあ二割で。ゲージのシンクロ、出来るの?」

「バカにするな」

 ゲージのシンクロっていうのは、お互いのシールドエネルギー残量を見ることが出来る通信モードだ。これがなければ模擬戦なんて怖くて出来ない。

 ちなみに生徒だけで模擬戦をするときは、普通は三割だ。公式試合だとゼロになるまでやるが、普段は滅多に行わない。

「それじゃ、一本勝負ってことで。かかってきなさい、ルーキーさん」

 

 

 同じ場所で練習していた打鉄たちが退避し、生徒は全員、グラウンドを周む三段だけの観客席へと移動する。

「……国津さん、まだ怒ってるんだな」

 いつのまにか隣に来てた一夏が呟く。

「みたいだな。昨日はオレたちに合わせてくれたみたいだ」

 昨日ってのは、引きこもった箒の部屋の前で、オレたちが宴会まがいのことをしていた件だ。玲美も一緒にいて笑っていた記憶がある。

「箒、大丈夫かな?」

「どうだろうな……玲美、強えぇからな。何度か研究所でボコボコにされた」

「うわー……」

 生徒がどんどん集まってきている。やはりみんな、紅椿の性能が気になるんだ。カメラを持ってる生徒も沢山いる。後で分析に使うんだろうな。その辺に抜かりのあるヤツはいない。

「じゃあ行くよ」

 審判を買って出てくれたシャルロットが、一夏の横で端末を操作して、グラウンド北側の巨大ホログラムウィンドウにカウントを表示する。

 三秒後、それがゼロになったと同時に、二人の機体が加速を始めた。

 玲美の機体は、赤を貴重に白と緑のラインが随所に入ったIS、テンペスタⅡ・リベラーレ。推進翼で名を馳せる四十院のカスタム機だけあって加速性能は段違い。

 聞いた話によれば、テンペスタⅡはイメージインターフェースを全身の稼働関節の制御に回しているらしい。言うなれば『より思い通りに動く』機体を目指しているということだ。

 それは推進翼も同様で、自分の思ったとおりに加速方向を変化させることができるのが、四十院製リベラーレの売りらしい。

 しかし第三世代という枠組であり武装は少なく、今はホークのヤツをいくつか、他機使用許可認証を行って貸し出している状態だ。

「玲美、すごーい!」

 周りにいたクラスメイトたちから、驚嘆の声が上がる。

 オレが基本的に直線と直角で飛ぶのに対し、玲美は曲線を描きながら飛ぶクセがある。そのせいかオレより優雅に見えた。

「ビットか。多彩だな」

 一夏の前に立っていたラウラが呟いた。

 紅椿がその腰から、四機の遠隔砲台を射出する。ブルーティアーズより巨大なそれは、おそらく盾代わりにもなるんだろう。

「ああもう、ただ追いかけてるだけでは、意味がありませんわ!」

 その拙い動きに、セシリアが憤慨していた。まあ、その手の装置には一日の長があるからな。

 だがオレの見る限り四機の赤いビットは、思ったよりも動いている。打鉄よりかなり速度の出るリベラーレに対し、追いすがるようにエネルギー弾を打ち続けていた。

 でも相手が悪い……。

「ビット操作に集中しすぎ!」

 玲美は急速な後方宙返りで追いすがってきたビットの背後を取り、その一つを手に持っていたブレードで叩き落とした。そのまま空中で跳ねるようにジャンプしてから再び高速飛行を始める。

「うはっ、すげぇ、超高速バーティカルリバース」

 思わずオレも声を漏らしてしまう。

 開始三十秒でいきなりビット一機を失った箒は、手に一本の刀を取りだす。紅椿の標準武装、エネルギーの刃を飛ばす『空裂』だ。

「はっ!」

 掛け声とともに、縦横に刀が降られた。光る刃が十字を描いて飛んで行く。だがリベラーレは一瞬で加速を止め、赤いラインを描きながら上空へと回避した。

「なんだありゃ……」

 一夏が残念そうに呟いた。

「どした?」

「あんな刀の振り方、篠ノ之流にはないだろ?」

「そうだっけか? よく覚えてんな、お前」

「ダメだ、機体性能に箒がついていけてない」

 一夏が左目の眼帯を正す。そういやコイツ、ドイツでも違う機体に乗って、ラウラにみっちり鍛えられてるんだっけ。

 クラスメイトたちだって同様だ。お気楽に見える人間ばっかりだが、お気楽に見えるぐらい優秀なだけであって、全員がそれなりに努力を積んでいる。加えて玲美・理子・神楽の三人はIS学園に入る前からISに触れているのだ。

 それに対し、箒は望みすらせずにIS学園にいた。忌避すらしていた。一番操作技術が伸びるこの時期にである。

 一夏が最初からいれば、それも変わったのかもしれない。

 オレたちが会話している間にも、もちろん模擬戦は継続されていた。

 今はすでに紅椿のビットが全て撃墜され、そのシールドエネルギーは半分ぐらいにまで減っていた。

 距離を取って対峙する二人の顔色は対照的だ。

「第四世代機ね。そんなんじゃ、うちのパパたちが趣味で作ってるパワードスーツにも勝てないんじゃない?」

 玲美は空中でモデルのようなポーズを取る余裕がある。本人が普段から公言している通り、オレなんかは足元にも及ばない強さだ。

「このぉぉぉぉ!」

 箒が空裂を振り上げて、リベラーレに向かい突進する。こっちは破れかぶれにしか見えない。

 もちろん、受け止めもせずにあっさりと回避し、逆にブレードで上空から地面に向けて撃ち落した。

 小さな地響きが起こり、観客席に短い悲鳴が走る。

「うん、決めた」

 一夏が小さく、だがしっかりとした口調で呟いた。

「何を?」

「箒は打鉄で出場させる」

「はぁ?」

「あいつの持ち味が台無しだ。使い慣れない遠距離兵装なんか使って、自分が何をしたら良いのかもわかってない」

 ヒーロー様がとんでもないこと言い放つ。だが、顔はもう決心がついた、と口をしっかりと結んでいた。

「い、いやでもせっかくの専用機だぞ? あいつだって、連絡を取りたくもない姉ちゃんにわざわざ」

「使わなきゃいけない状況じゃないだろ、別に」

「そりゃそうだけど!」

「ヨウ、この試合、箒が打鉄使ってたら、どうなってたと思うか?」

 確信めいた質問の仕方は、答えが一夏の中で出てるってことだろう。

 だが、オレも少し想像してみる。

 IS学園の打鉄に標準遠距離兵装はない。合金製の刀一本で打ちあうことになる。

「あれ? 不思議ともうちょい善戦してる気がするな」

「だろ?」

 IS学園の寮のドアってのは意外に堅い。あれに木刀を使って真っ直ぐ何度も突き立てられるなんて、割と達人技だ。

「確かに、普段の箒ならリベラーレの高速機動相手でも、相手の動きを見切って攻撃を当てられそうだ」

 剣の道だけは裏切りたくないのか、あいつはISでの剣も強い。剣速が尋常じゃないし、正確さも普通じゃない。

「だから、あの機体を使うのはやめさせる。それでいいよな、ラウラ」

 すぐ前でほとんど喋らずに見学をしていたラウラが振り向く。

「お前がそういうなら、そうしたら良い。本音を言えば、もう少し紅椿を見たかったところだ。これでは四十院の一人勝ちだ」

 確かに一夏の言うとおりにすれば、当面の間、交戦経験があるのがテンペスタⅡ・リベラーレだけになってしまう。

「すまん、だけどオレはこれが良いと思う」

「まあそうだな」

 ヤレヤレとため息を吐いて、ラウラは視線をグラウンドに戻した。

 模擬戦はもう終わりそうだ。両機にリンクしたグラウンドのウィンドウのゲージが、それを明確に告げている。

 赤を基調としたトリコロールのISのゲージはほぼ100%、それに対し紅椿はすでに四割を切っている。

「シャルロット」

 一夏が名前を呼ぶと、少し残念そうに金髪の美少女がため息を吐いた。

「わかったよ」

 そう言って、端末を操作する。

 ブザーが鳴り響いて、模擬戦が終了とされた。

 結局、紅椿は大した性能も発揮できないままだった。

 

 

「どうして止めた!」

 グラウンドに降りた一夏に、箒が食ってかかる。

「負けは見えてたろ」

 返した一夏の声は、冷たかった。どこかラウラに似ている気もしてる。

「勝負は最後までわからん!!」

「もう見えてたよ。それに何だよ、あの太刀筋。先生に、親父さんに恥ずかしくないのか」

「なっ!?」

 本家師範の娘の顔が紅潮していく。

「これ以上やるっていうなら、オレが相手になるぞ?」

「一夏、キサマ!」

「紅椿を降りろ、打鉄で出るんだ箒」

「……え?」

「まだお前には過ぎた武器だと思う」

「だが……」

「オレはお前と組みたいけど、紅椿と組みたいわけじゃないぞ。切れすぎる刀を持ったって、ケガするだけだ」

 渋る箒に対し、一夏ははっきりと物怖じせずに言い放った。

 やだナニコレ織斑君カッコいいわ……。

 冗談はさておき、相手のことをここまで思って言えるなんて、よっぽどのことじゃない限り出来ない。

 箒が下を向いて黙ってしまった。だが、その拳は爪が肉に食い込まんばかりに力強く握られている。こいつはこいつで、一夏に直接言われたのが悔しいのかもしれない。

「織斑君、私は別に紅椿でもいいと思うけど?」

 赤にトリコロールの線が引かれたリベラーレが、一歩前に出た。

「国津さん……」

「だって、そんな機体に頼らないとダメなほど、篠ノ之さんの剣術って弱いんでしょ? さっきの戦い方を見るかぎり、ヨウ君の方がよっぽどマシだもん」

 その挑発めいた言葉で、箒の目に火が宿る。というかオレは常に最低ラインの比較用なのか……切ねぇ。

「そんなわけはない、さっきまでのは本調子ではなかった。ま、まだロールアウトしたばかりの」

「こっちもそうだけど? というか今日が初乗り」

 条件は一緒だ。逃げ道すら潰されてしまう。

 再び黙ってしまったクラスメイトに対し、玲美は真っ直ぐ目線を向ける。

「篠ノ之さん、私ね」

「何だ……」

「あのときの、あの子がIS学園をやめたときの試合、感動した。それじゃね」

 ISを解除し、ふわりと地面に降りた玲美は、そのまま踵を返して立ち去って行く。

 ……やだなにこれ、玲美さんカッコいい。惚れ直したわ……。

 玲美が言ってるのは、一夏たちが来る前、ISで事故を起こして空を飛べなくなった女の子の話だ。

 彼女が学園をやめると決まったとき、箒が最後にと打鉄同士で剣を打ち合った。ほんの数合だけだったが、あのときの二人の太刀筋は、率直に言って美しかった。さっきまでの箒と比べるまでもない素直さを秘めた剣だった。

 真っ直ぐと相手に向かって振り下ろし、それを受け止め、切り返す。それだけの話なのにオレだって感動した。

 その頃はまだ学園にいなかった一夏やラウラ、シャルロットは話がわからないだろうが、ここにいる他の生徒全員の胸に残ってるんじゃないかと思う。

 玲美や一夏の言わんとしたことがわかったんだろうか。少しの間、ぽかーんとしていた箒だったが、黙って目を閉じ、空を仰ぐ。

 その姿に、去って行った女の子を幻視した。

 あの子も最後の試合の後、同じように空を仰いでいたんだ。

 長い黒髪が揺れる。再び視線を地面に戻し、箒がいきなり自分の頬を強く叩いた。

「よし!」

 いきなりの行動に一夏が戸惑いの表情を見せる。

「ほ、箒?」

「気合いが入った。では、練習を続けるぞ」

「え?」

「まずは剣を正す。一夏、付き合え!」

「あ、あいえすは?」

「何か言ったか?」

「……はぁ」

 一夏が小さくため息を漏らした後、

「了解だ。今日は素振りをするか」

 と爽やかな笑顔を返す。

 オレの周りは面白いヤツらばっかりだ、ホント。

 

 

 今日も今日とて、部屋がうるさい。

 この部屋に来る主人公目当ての人間がさらに一人増えてしまったから、息を吐く暇すらねえ。

 というわけで今は箒さんが初参戦を果たし、頑張ってる次第であります。

「一夏、そこに直れ!」

 オレの木刀を勝手に掴み、正座した一夏に木刀を突きつける篠ノ之箒さん十五歳。まじ恐い。

「ま、待て箒、誤解だ。ただ、セシリアにマッサージをだな。テニスに付き合えなかった代わりにって!」

「マッサージだと!? どうせ卑猥なことをしようとしたんだろう!」

 周囲を吹き飛ばさんばかりの威圧感で、一夏を怒鳴りつけていた。

 でもまあ、生き生きとはしてる、かな?

「してねえよ、するつもりもねえって! なあ、セシリア!」

 必死に同意を求めるが、ベッドの上に座り込み、頬を少し紅潮させたパツキンのお嬢様は、感嘆のため息を吐いて、

「もう、一夏さんたら、強引なんですもの……」

 と不穏な発言を口にした。

「な、なななななっ、い、一夏!」

「ちょっと待て、本当にただのマッサージだ、それにヨウだってずっとそこにいたんだぞ!」

「言い訳をする気か!」

「言い訳じゃねえよ弁明だ真実だ! 聞いてみればいいだろ、なあヨウ?」

 うーん、セシリアが来てからは、ノイズキャンセラーのイヤホンを最大音量にして音楽聞きながら、画面見てキーボード叩いてただけだしなぁ。箒が怒鳴り声を上げるまで、全く見てなかったし。つか気付いたの怒鳴り声の衝撃波だったし、マジおっかねえ。

 机に頬杖を突いて、一夏と箒を見比べる。小さいときは名前だけが同じガキだったが、今じゃ確かに『織斑一夏』と『篠ノ之箒』だ。

「どうなんだ?」

 横目でオレに発言を促すヒロイン様と、その傍でオレに縋るような目つきを向けるヒーロー様。

 やれやれ、と思いつつも悪戯心がひょこっとオレの中に顔を出す。

「なんか良い雰囲気だったぜ。部屋から出て行こうか悩んだくらいだ」

「おい、ヨウ!?」

「ふふふ、一夏、これで証人も揃ったわけだが」

「弁護人を要求する!」

「却下だ! 天誅!」

 木刀が真っ直ぐ振り下ろされ、一夏がギリギリで回避した。おお、すげえ。

「一時撤退!!」

 そう叫びながら逃避行動に入った。ドアを開けて廊下へと駆け出していく。

「待て、一夏あああ!」

 IS学園の制服を着た箒が、木刀を持って追いかける。

 今日も今日とて、世はこともなし。どこぞの追いかけっこするネズミとネコかよ。

 あと……一夏出て行ったんで、頬を染めてないでセシリアさんも帰ってくれませんかねぇ……。

 

 

 やれやれ、と思いながらも、暗い食堂で天井を見上げていた。最近は、就寝前はここがベストプレイスになってしまっている。

 今日は何か呆けたままのセシリアが一夏のベッドから動かなくなったので、オレが出てきたってわけだ。セシリアと二人になるってのは、何だか居心地が悪いしな。

 端末を片手で操作して、既読済メールにもう一度、目を通した。

 政府から曰く、うちの親が来るのは二日目。つまり元気な姿を親に見せたければ初日の一回戦は絶対に突破しろ、ということらしい。

 ……まあ二日目だろうが何だろうが、乱入があればその時点でトーナメントは終了だ。試合の組み合わせ発表はまだだが、乱入がオレの試合より前なら、ISを着たオレの姿をオヤジと母さんに見せることは出来ないだろう。

 自然と大きなため息が零れていた。

 だが、やらなければならない。オレだけに出来ること、オレの償いはきっとこれからだ。

 手元に置いてあったアイスティーを一杯、口に含む。喉を超えると同時に、再び大きなため息が漏れてしまった。

 しかし紅椿はしばらく封印か。

 もちろん、そんなことに気付かないわけがない篠ノ之束じゃない。これで紅椿のデビューはもう少し先だろう。何せ織斑先生が紅椿を封印したんだから、お許しが出るまでは蔵出しはないはずだ。

 だとすると、タッグトーナメントに乱入があった場合、ゴーレムの可能性が高いってことになるな。

「一夏、こんなところに……っと、なんだ二瀬野か。一夏を見なかったか?」

 声がかかった方を向くとラウラが立っていた。光沢を放つ銀髪を三つ編みにし、七分丈で少し大きめのTシャツと動きやすそうなチノ素材のハーフパンツを身に着けている。

 何かオレの持ってたイメージと違うんだが……。こういうときでも軍服か制服着てるのかと思った。一夏の恰好を真似てんのかな。

「箒に追い回されてなかったか?」

「箒はいたんだが、どうも一夏はどこかに隠れたみたいだな」

「部屋に戻ったんじゃないか?」

「さっき行ってみたが、姿は見えなかったな」

「じゃあオレにもわからん」

「そうか。済まないな」

「そいやラウラ」

 ラウラには二つほど聞いておかないといけないことがある。

「なんだ?」

「ヴァルキリートレースシステムって知ってるか?」

「……VTシステム?」

「ああ。アラスカ条約機構で使用開発研究全てが禁止になったヤツ」

 オレの知っている知識じゃ、タッグトーナメントでレーゲンに仕込まれていた機能だ。今のラウラが起動させるような事態に陥るような精神状態とは思えないが、これのせいでトーナメントが中止になる可能性は有り得る。

「モンドグロッソ部門優勝者の動きをトレースして、というものだな。もちろん知っている」

「実際に見たことあるか?」

「珍しいことを聞くな。なぜそんなことを?」

 興味が湧いたのか、ラウラはオレの反対側に座って、腕を組んだ。

「ちょっと単語を目にして。ヨーロッパの方で研究されてたシステムなんだろ? ラウラなら何か知ってるかと思ってさ」

「……ふむ。まあ知ってはいるな」

「例えば、なんだけど。ああいうのって搭乗者の知らないうちに機体に仕込まれていたら、気付かないものなのか?」

「システムの深い階層に仕込むものだ。整備班でもなかなか気付かないだろう。それこそISを組み立てた人間ぐらいしかわからん」

 淡々と律義に答えてくれる様子はどこか頼もしい感じだ。

 さて、ここからが本題である。

「ラウラは自分の機体に仕込まれていたら、気づけるか?」

「それはないが、それもない」

 日本語がまだ不自由なのか、変わった返答をされた。

「ん? どういう意味だ? それとそれって?」

「ああ、気づけることはないだろうが、仕込まれていることもない。先日、ヨーロッパで問題に上がり、我が隊の機体もフルチェックをかけたからだ」

 それ以上は答えない、とラウラは自分の顎に手を触れて、じっとオレを見つめた。

「そっか。オレも一応、調べてみるかな。四十院じゃ無さそうだけど」

 一つ、懸案事項が消えてホッとした。

 ラウラの機体に搭載されていないなら、VTシステム関連は解決したも同然だろう。

 ヨーロッパで問題に上がった件というのには興味が湧いたが、もう一つ聞きたいことがある今じゃ、余計な質問は避けた方が良いな。

「話は以上か?」

「悪い、あと一つ。参考までに聞かせて欲しいんだけど、もしIS学園に敵が攻めてきたらどうする?」

 仮にも少佐殿だし、色々と教えてもらえるかもしれん。

「敵? どういう規模だ?」

「ISで単機を想定した場合、とか?」

 こういう話題になると、グッと乗りだして聞こうとする姿勢は、やっぱり職業軍人という体質のせいだろうか。

「事前に予測は出来ているか?」

「ああ」

「IS学園のどこに?」

「……そうだな。例えば、だけど、第六アリーナ。拠点防衛の場合だ」

「ふむ……IS単機か。来るのがわかっているなら、相手が到達する前に迎え撃つしかないな。もちろんこちらの戦力は複数機なんだろう?」

「いや、こっちも単機だな」

「なぜだ? IS学園だぞ。戦力は相当数を有している」

「ま、まあ仮定の話だ。拠点防衛ってのに興味があってな」

「相手はIS学園の破壊が目的か?」

「うーん、目的は不明、じゃダメか?」

「こちらの被害を考慮する敵ではない場合なら、高高度で戦うか、海に放り出すしかないな。ここは三方は海に囲まれている。ISが建物内で戦えば、必ず被害は増えるからな」

「だよな」

「敵の装備は?」

「うーん、例えばエネルギー系の強力な遠距離武装を有しているという場合は?」

 なるべく自然を装ってゴーレムの情報を出してみる。だが、ラウラの眉が確かにピクリと動いた。

「……ほう。ブルーティアーズか?」

「まあ、そんなところかな、想定は。ただし機動力は高くないと思う」

「どちらにしても、なるべく学園と離れて戦うしかないな。それかエネルギーシールドで隔離された空間、例えばアリーナやグラウンドなどのIS教習施設に閉じ込める」

「なるほど」

「相手が近距離兵装を得意としてないなら、それが良いだろう。こちらの戦力はお前だけか?」

「……ま、そうだな。オレだと想定してだ」

「武器がないからな、お前は。速度でかく乱しつつ、応援を待つのがベストだろう」

「なるほど。おっけーわかった。参考になる。さすが一部隊を率いる少佐殿だな。クラリッサさんも良い上司を持った」

 掛け値なしの賞賛だ。プロの軍人から見て、自分がやろうとしていることが、オレの新武装名じゃないが、レクレス(無謀)ってことはよくわかった。

「そうだろう、そうだろう」

 ちょっと嬉しそうにしているのが、可愛らしかった。眼帯以外は年頃の女の子みたいな格好をしているだけに、余計にそう感じた。

「一夏も良い上官に恵まれたな」

「全くだ。あいつはもう少し自覚を持って私に接するべきだ! わざわざドイツから一緒に来た夫に対し、あの態度は何だ!」

 言葉の内容はともかく、頬を膨らまして怒っている様子なんて、ホントに年頃の女子にしか見えなかった。思ったよりもコロコロと表情が変わり、言葉の端々にあらわれる親愛の情を感じ、本当に一夏のことが好きなんだなぁと思った。

 つい、笑顔が零れてしまう。

「む、私は妙なことを言ったか?」

「いいえ、少佐殿は至って普通の人間でございますよ」

「バカにしてるのか? 訳知り顔で笑ったりするところは一夏と同じだな」

「えー? あいつに似てると言われると」

「む、今度は嫁をバカにしてるのか?」

「いやいやいや、ラウラの嫁ほどオレは魅力的じゃないってことだよ」

 ちょっと怒った顔を見せたので、慌てて訂正する。でも好きな人を馬鹿にされてストレートに怒るところなんて、好感が持てるな。

 そんな他愛のないことを考えていると、対面の少女が自分の顎に手を添えて、オレをジロジロと観察し始めた。

「……ふむ」

「どした?」

「やはりどことなく似ているな」

「誰にだよ。一夏にか?」

「付き合いが長いんだろう? それで言葉使いが確かに似てるときがあるが……それとは別に、いや、失礼なことだな。すまん」

「言いかけて止める方が気になるだろ……輪郭が誰かに似てるとか? 芸能人……は詳しくなさそうだしな。目と鼻と口がついてるヤツなら、だいたい似てる自信がある。ああ、一夏と体格は似てるかもしれん」

「先ほど見間違えたのも体格のせいだったがな。間近で見れば、性別が似てるというレベルだ。全く似てないぞ、安心しろ」

 まくし立てた軽口に、眼帯の女の子が呆れたようにちょっと肩を竦めて笑う。それは見たことのない表情だ。

「ま、そうだな。じゃあ誰に似てると思ったんだ?」

「もちろん顔が、というわけではないが。雰囲気か……そう、雰囲気だな。気を悪くするなよ、率直な感想だ。含むところがあるわけではない」

「わかった、気にしないから言ってみ。ラウラに苛められたとか一夏に報告したりしないから」

 ちょっと投げやりに促すと、ラウラは目を下に向けて、口を閉じた。

 しばらく何も喋らずに、もう一度、オレをチラリと見る。

 気になってオレがもう一度促そうとする寸前で、ようやく言葉を発した。

「篠ノ之束と、雰囲気が似ている。そう思ったのだ」

 

 

 

 

 

 










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14、タッグトーナメント① (才悩人応援歌)

 

 

 待ちに待たなかった学年別タッグトーナメント当日。

 開会セレモニーを終え、アリーナの控室に戻る。すでに熱気が渦巻いており、試合内容が映し出される画面にみんな釘付けだった。

「しっかし、ホント試合数多いな」

「だねー。それでも今日中に一年の一回戦終わらせるって言うんだから、無茶苦茶だよね」

 隣にいた玲美が呆れたように同意をした。

 今日はタッグトーナメント初日、一年の一回戦全試合が行われる。一年は整備組がいないので、原則として全員出場だ。

「やっぱり代表候補勢が優勝候補か。注目はラウラ、シャルロット、セシリア、鈴か。後はクラス代表マッチ優勝の更識か」

 専用機持ちは上手い具合にベスト8まで当たらないように分かれている。

 一夏、ラウラ、シャルロット、セシリア、鈴、更識簪、オレ、玲美が専用機持ちになる。最も玲美は今大会限定だが。

「でも今回は、来賓多いってのは、やっぱ専用機の多さが関係してるんだろうな」

 カメラの映像が来賓席をグルっと映している。各国のお偉いさんやアラスカ条約機構関係者、IS関連企業の重役や軍関係の人間もいるって聞いてる。一瞬だが四十院所長が見えた。金髪のオッサンと何やら談笑している。デュノアの新社長かな。

 二日間の予定で、うちの両親は明日来る。今日が無事に終わらなければオレは明日、試合会場に立つことはない。

 さて。

「どこ行くの?」

「ちょっとな」

 一夏の試合は午前中だ。篠ノ之束の手引きで乱入が送り込まれるなら、この試合のタイミングだろう。そしてオレの試合は午後の終盤だ。

「お昼ごはん、どうするの?」

「あー、テキトーに食ってるわ。んじゃな」

 背中を向けて、歩き去ろうとした。だが何かに引っ張られて体がガクンと傾く。何が起きたかわからず、踏ん張る間もなく床に尻もちをついた。さらにその上に何かが覆いかぶさる。

「ってぇー……何だ?」

「いたたた……ごめん、大丈夫?」

「なんだー? 何が起きた?」

 床に腰を落とすオレの太ももの上に、玲美が乗っかっていた。

「わ、わぁ!?」

 ピョコンっと勢い良く玲美が起き上る。

「何だ? オレ、何にひっかかった?」

「え、えっと、その」

 背中を剥ける玲美がしどろもどろで何も答えてくれない。

 周囲を見渡しても、足元に引っかかる物は無いし……そもそも足には何の感触もなかったし。

「ああ……」

 左腕を引っ張られたけど感覚が薄くて気付かなかったってことか。

「悪い」

「う、ううん、ごめんね、まだ治ってないって知ってたのに」

 覗き込むように謝ってくる玲美から体を離すように立ち上がる。

「いいよ別にケガしたわけじゃないし。んじゃ、また後でな」

「……ホントにどこ行くの?」

「ちょっとな、今回は気合い入ってるんだ。集中して戦闘に挑みたい」

「試合、午後からでしょ? 今からは早すぎると思うんだけど」

「ま、早すぎるぐらいがオレにはちょうど良いんだ。みんな頑張ってるんだし、オレも専用機持ちだからって油断は出来ないよ、むしろオレがボロボロにされる可能性が高そうなのに」

 そう言って、控室にいるメンツを見渡す。名前を知らない子もいたが、それでも何となく見覚えのある生徒ばかりだ。

 ふざけた話だ。

 オレたちだって生きてる。

 何も知らずに頑張ってるヤツらだっているんだ。何も持たずに何も知らずにIS学園に入って、ISパイロットになるためだけに頑張ってるヤツらだっているんだ。

 その最初の集大成が、この学年別タッグトーナメントだ。これにターゲットを合わせて努力してきた人間だっている。

 箒だって恥を忍んで姉に頼んだ紅椿に乗らず、自分の力で一夏と共に戦おうとしてる。一夏だって箒の力になろうとしている。

 それを、たった一人の思惑でぶち壊される。そんなのはゴメンだ。

 それにアリーナに乱入されたら、来賓だって危ない。全てがオレの知識通りに行くわけじゃないんだ。明日に乱入された場合はオレの親だっている。

 だったら、どうしたらいい? トーナメントが中止になる可能性を低くし、なおかつ被害が少ない方法はなんだ?

 結論は一つだ。アリーナの教師陣に悟られる前に、オレが離れた場所でたった一人で撃ち落とせばいい。

 無人機なんて発表さえ出来ないし、織斑先生に渡せばきっと内々に処理して済ませるはずだ。ことを荒立たせないようにするに決まってる。

 付け加えるなら、オレが失敗して負けたとしても、相手に傷を追わせることが出来た分だけ、一夏たちが簡単に勝てる可能性が高くなる。アリーナにいる人間の危険性だって減るんだ。

 最大の問題点は戦力。相手は強力無比の無人機で、こっちはたった一人のルーキー。

 応援を呼べば、トーナメントは中止になる可能性が高い。だから、鈴と一夏の二人で苦戦してセシリアの手を借りても完全に破壊できなかった相手を、オレ一人でやるんだ。

 損傷の度合いによってはオレが試合に出ることが出来なくなるし、無傷で終わる可能性も低い。

 ISは一定以上の損傷を受けた状態で起動させると、機体に悪影響が出る。その場合は、専用機だろうが何だろうがISを動かしてはならない。つまり、一定以上の損傷を負えば、試合は棄権だ。

 ……一人で戦うしかなく、勝ってもトーナメントが中止になるかもしれない。トーナメントが中止にならなくても損傷が多ければ棄権。そしてオレだけで襲来する敵機に無傷で勝つことなど、あり得ない。

 戦う前から条件は最低。だけど、これが自分に出来る最善だって思うんだから自嘲の笑みが零れるのも仕方ないだろ?

 そしてオレは敵が来ないことを心の底から祈って、外へと歩き出す。こんな知識全て忘れてしまえたら、とも思った。

 色んな物を投げ捨てて、自分の過去を拾いに行く。

 部屋を出る寸前に、肩越しに画面を見つめた。

 何もかもが遠い世界の出来事のように思えた。

 

 

 

 

 ISスーツの上に制服の上着を羽織り、スポーツドリンクを片手に会場の外へ出る。

「どこ行くの?」

 太陽の光を浴びた瞬間に、少し遠くから声がかかる。

「シャルロットか」

 オレとは違い、タッグパートナーはまだ制服を着たままだった。試合は午後からだが、それでも専用機持ちらしい余裕の表れだろうか。

「どうしたの? 何かずっと考え込んでたみたいだけど」

「まあ、下手クソだからな、足を引っ張らないように、色々と考えてたんだよ。試合までには戻るよ」

 試合があれば、だけど。

「うーん、ラウラが言ってたけど、ヨウ君ってやっぱりちょっと変わってるよね」

「オレが? 篠ノ之束に似てるって話か?」

「え? ラウラってばそんなこと言ったの? 失礼だなぁ……」

 腕を組んで困惑をしたような苦笑いを浮かべていた。

「それより何か用か?」

「外に行くのを見かけたからね。タッグパートナーがどこに行くのかは気になったんだ」

「大した用事じゃないって。少し外の空気に当たりたかっただけだ」

 頑張って笑みを浮かべる。

「じゃあ僕もお付き合いしようかな」

「一夏の試合、近くで見なくていいのか?」

「んー……まあ大丈夫だと思う。見たくないって言ったらウソになるけど、今はいいかな」

 そう言って、軽くウインクをしてくれた。余裕のなさそうなオレの気持ちを、解してしてくれようとしてるんだろうか。

「そっか。でも、悪いな、オレは一人でいたいんだ」

「そんな顔はしてないけど?」

 なんだコイツ。お前、そういうキャラだっけ?

「恐い顔してもダメだよ、ヨウ君」

「元からこんな顔だ。あとビジネスパートナーなんだから、気にしなくていいぞ。試合はしっかりやる」

 撥ね退けるように突きつけた言葉だったと我ながら思う。こんなに機嫌が悪いのも珍しい。

「タッグパートナー、でしょ?」

「そうとも言うな。んじゃな」

 背中を向けて、早くこの場所から立ち去ろうとした。

 だが、同じスピードで追いかけてくる足音が聞こえる。

 肩越しに後ろを見れば、シャルロットがニコニコと笑顔を浮かべたまま、オレと少し距離を取ってついてきていた。

「どうかした?」

「何でついてくるんだ?」

「僕は散歩してるだけなんだけど?」

「……あっそ」

 一緒について来るってのは想定外だ。一夏の傍にいるもんだと思ってたし。

 しかし優先事項は撃退だ。

 とりあえず、当たりをつけていた防衛陣地を目指す。といってもただの芝生なんだが……。

 アリーナの上空が見渡せる場所をはわかっている。そこで待機して、来訪者を超望遠バイザーで探知、来れば海か上空へと追い出す。離れた場所で戦えば、誰も危険な目には遭わない。応援が来るまでオレが戦っていればいいだけの話だ。敵は海中から来ようとも、一度は上空に舞い上がる必要があるしな。

 早めに察知できれば、タッグトーナメントが継続できるかもしれない。

 熱戦で盛り上がるアリーナからゆっくりと離れて行く。

 目的地の芝生をみつけて、ゆっくりと腰を下ろした。ここなら寝転がって上空を見渡すことが出来る。

「へー、こんな良い場所があるんだ」

 オレの後ろ側で感心したような言葉を呟きながら、そのヒロインが少し距離を取って離れた芝生の上に座る。

「何でまだいるんだ?」

「ん? 一夏に言われたってのもあるけど」

「一夏に?」

「オレのダチを頼むって」

 その言葉に一夏自身を幻視して、思わず鼻で笑ってしまった。喋り方がアイツにそっくりだ。

 ゆっくりと大の字になって、空を見上げる。大きく息を吸ってから吐き出した。

「良い天気だね。日本って今は雨期なんだと思ってた」

 のんびりとした声がした方を見れば、シャルロットも同じように大の字になって空を見上げていた。

「今年は空梅雨だ。隕石のせいだとかいうヤツもいるけどな。そんなんで天候変わるんだったら、誰も苦労しないっつの」

「へー。やっぱり色々知ってるんだね、ヨウ君って」

「どうだろな。どんなに本を読んだって、どんなに知識を得たって、本番で失敗したんじゃ意味がねえ」

「そういう考え方もあるのかな。よいしょっと」

 可愛らしい掛け声とともに、シャルロットは仰向けになって鎌首をもたげ、芝生に頬杖をついた。こっちをジッと見つめている。

「なんだよ。そろそろ一夏の試合、始まるぞ」

「知ってるよ。端末持ってる?」

 制服のポケットから取り出して、スイッチを入れる。学内のチャンネルで流れているトーナメントの試合の様子が映っていた。

「一夏のところに戻れよ」

「どうして?」

「どうしてって……お前、他の男の近くにいるよりは、アイツの傍にいるべきだって思う」

 それが当たり前の光景だ。

 だが、シャルロットは一瞬だけ目を丸くしたあと、眉間に皺を寄せてこっちを少し睨んだ。

「うーん……ラウラの言うことが当たってる気がしてきた」

「はぁ?」

「篠ノ之束博士に似てるって話。うん、似てるかも」

「……顔とかちっとも似てねえぞ、頭の中身も性別も。強いていえば、人間だってことが似てるぐらいだ」

「それなら人類みんな兄弟だよね。でも、そうじゃないから、色々と起こるんだ」

「兄弟でだって諍いやすれ違いは起きるぞ。つまり人間は争い続けるって意味の言葉だろ、『人類みな兄弟』って」

「カインとアベルでさえ争ったんだからね」

 投げ捨てるような言葉さえ拾って、シャルロットは母性を含んだ笑みを浮かべていた。だからなんなんだよコイツ。

「そういうこった。でもホントにいいのか? 試合が終わった後にタオルを持って迎えるとか、スポーツドリンクをさり気なく渡すとか、そういう積み重ねって大事だぞ」

「う、うーん……それは魅力的な提案かも」

「だろ。ほれ、さっさと行け」

「でも、今はこっちが大事だから」

 オレを気遣うように爽やかに笑いかけてくる姿に、申し訳なくなる。オレのタッグパートナーってことは、試合自体も棄権になるかもしれないってことだから。

「ここに大事なモノとかねえよ」

 気遣って貰ってるのに、嫌な言い方だ。シャルロットに悪いところなんて何もない。ただ、この間からずっとオレ自身がイラついているだけなのに。

 何が篠ノ之束だ。これから起こる騒ぎの元凶とそっくりだなんて、誰が嬉しい。

 もし仮に、この世界にオレと同じような存在がいたとして、そいつがこの世界の思い出や絆を蹂躙したとする。きっと今のオレだったら、そいつと戦いに行くだろう。絶対に許せない存在だということには違いない。

 だから、篠ノ之束は嫌いだ。許せない。

 そうは思うものの、ラウラの素直な感想は的を射ていた。オレと篠ノ之束の雰囲気が似てる理由はすぐに思い当たったからだ。

 オレは前回の人生の知識を持って、二瀬野鷹として生まれてきた。

 一夏や箒、鈴にセシリア、ラウラ、更識姉妹、織斑先生、山田先生、そして、ここにいるシャルロットもそうだ。みんなを物語上の人物として認識していた。

 

 

 それは、人を『人』として認識しない篠ノ之束と何が違うというのだろうか。

 彼と彼女たちから見れば、間違いなくソレと似ているんだろう、雰囲気が。 

 

 

 中学のとき、鈴と一夏をくっつけようとしたのだって、自分が未来を変えたいためだった。鈴のためじゃない。

 箒が教室で一人でいたって、オレからは話しかけない。あいつは一夏のファースト幼馴染だ。

 シャルロットやラウラがやってきても、用事がなければ絶対にコンタクトを取ることがない。

 セシリアが一夏に熱を上げれば、やっと当たり前に戻ったと安堵する。クラスの方はオレに任せて、一夏の傍にいたら良いと思ってる。

 織斑先生とは昔馴染みであるくせに、まともに会話しない。

 オレの部屋で誰かが騒いでても、やはりどこか他人事だ。

 誘拐事件から一夏を助けようとしたんだって、オレのためで一夏のためじゃないんだ。

 

 

「一夏の試合、始まるね」

 画面に映っているのは白式と打鉄だ。対戦相手は3組の子らしい。

 自分の足首にあるアンクレットに自然と視線が行く。ここが今日の山場だ。

 端末を地面に置いて、青い空を見上げる。

「どうしたの? 見ないの?」

 不思議そうに小首を傾げるシャルロットから距離を取って、制服を地面に脱ぎ捨てISスーツだけになる。

 やれることは一つだけ。

 来い、テンペスタ・ホーク。

「え? え? ホントにどうしたの? ヨウ君? ここでの展開は禁止されてるんだよ?」

 装着されたのを確認すると同時にバイザーを超望遠モードに設定、早速、アリーナ上空の雲の切れ間に未確認飛行物体を発見した。IS学園の周囲は飛行禁止区域なので、一般の航空機が飛ぶことはない。

 それにISコア反応はないことから考えても、相手がロクでもないヤツだってわかる。

 焦点を合わせて、PICで軽く飛び上がった。

「ちょ、ちょっと待って、どこに行くの!?」

 高度が30メートルを超えると同時に、推進翼に火を入れる。

 加速に加速を重ねて、空へ空へと上昇していった。

 

 

 

 足元にあったIS学園が遠く小さくなっていく。

 衝撃波をまき散らしているのは、音速を超えているからだろう。

 雲を突き破り、上へ上へとスピードを上げ続ける。

 上空2400メートルでターゲットを捕えた。

 異様に巨大な腕部装甲を持つフルスキン型IS、あれが篠ノ之束の送り込んできたゴーレムか。これからアリーナに落下していくのだろう。

「レクレス!」

 インストールされたばかりの兵装を取り出す。『無謀』と名付けられたオレの武器。取り得は堅いだけっていう、ただの細長い金属だ。でもこれが今回は一番使い勝手が良さそうだ。

「てめえが無人機だなんて、種が割れてんだよ!」

 ゆっくりと降下してくるゴーレムを、最高速度で下から迎え撃つ。

 相手がようやくこちらを捕捉したようだ。こちらに向けて腕を伸ばした。無数にある丸い穴、おそらくレーザー用の砲口が開く。

「遅ぇよ!」

 砲撃が始まるよりも早く、その異形の中心をレクレスが貫いた。

 確かな手応えをISからのフィードバックで感じ取る。

 しかしこいつは人間じゃない、ただの人に似た何かだ。だから腹から首の後ろまで貫いても、まだ動きを止めなかった。

 その顔に生えた三つのモノアイが光る。

「ぐっ!」

 オレの頭部にハンマーで殴られたような衝撃を感じた。モノアイと思っていたのは、エネルギーレーザーの発射口だったらしい。

 右手のポールウェポンで刺し貫いたまま、左手で腰のホルダーからレーザーライフルを引き抜いた。

 連射モードに設定してあるそれを相手の腹部に当て、引き金を引き続ける。コンマ単位で連射されるレーザーが無人機を撃ち抜いていった。

 10秒ぐらい撃ち続けて、ようやく動きが止まる。

「……終わりか?」

 小さくため息を零そうとした。

 その瞬間に、巨大な異形の腕が推進翼ごとオレを抱きしめる。

「ぐ、クソッ……」

 強烈な力でベアハッグを食らっているせいで、急速にシールドエネルギーが減っていく。

 尾翼が煙を上げた。右推進翼が動作を止める。

「さっさと落ちろ、エアヘッド野郎!」

 力の限り手に持ったレクレスをねじりながら押し込む。

 ゴーレムの体がビクン、と大きく跳ねた。

 レーザーライフルを至近距離で相手の顎に下から押し当てる。バイザー内に浮かんだウィンドウを視線だけで操作し、連射モードから最大出力モードに変更する。

「トドメだ、この人でなしが!」

 今度は引き金を力強く引き絞った。

 相手の頭部を貫いて、白い光が上空へと延びていった。

 

 

 

 ゆっくりと高度を下げて行く。推進翼が破壊されたので、脚部スラスターで速度制御しながら落ちていくしかない。

 肩に担いだ金属の棒には、動かなくなったゴーレムがぶら下がっていた。

「……ダメージチェック。C判定か」

 C判定ってことは、早いうちに自己修復モードに変更する必要がある。そしてしばらくは機体を動かすことは出来ない。

 つまり、オレの学年別タッグトーナメントは、ここで終了になったということだ。

 ふん、上出来だろ。アリーナじゃ試合は続いてるようだし。

 っと、ため息を吐く前に。

「あー、テステス。山田先生、聞こえますか?」

 アリーナのどこかで試合を観戦しているはずの真耶ちゃんにコールする。

 しばらく間があった後、

『山田です。もう! 二瀬野クン、どこにいるんですか? 外でISを動かしてるでしょう?』

 とちょっと怒ったような声で返答がきた。

「すんません。ちょっと野暮用というか準備運動というか、オレの本戦っていうか」

『二瀬野クンがこんなことするなんて、初めてじゃないですか? ですけど、初犯でも覚悟しておいてくださいね! 織斑先生が探してますから!』

「ちょうど良かった。オレも織斑先生を探してるんです。そうだな、今のスケジュールなら……第二グラウンドの地下搬入路、そこで待ってます」

『え? どうしたんです?』

「大事な用事です。なるべくそこに来るのを見られないように、あとISを運べるキャリーなんかがあると良いです。それじゃ」

『ちょ、ちょっと、二瀬野クン? 二瀬』

 問いかけを無視して回線をカットした。

 そろそろ眼下にIS学園が近づいてくる。目を凝らせば、そこで生きている人たちが見えるだろう。

 ようやくため息を吐ける。安堵なのか、諦観なのか、自分でもわからない。

 このまま担いで、第二グラウンドの方へと飛んでいかないとな……。脚部スラスターと左推進翼だけで上手く方向転換できるかな。

 無感動にぼんやりと考えていると、視界の隅で警告ウインドウが立ち上がる。

 接近警報、シャルロットか。すっかり忘れてたな……。

 数秒も経たずにオレンジ色のラファール・リヴァイヴが近づいてくる。背中の推進翼は四十院の汎用パッケージモデルだ。

「ヨウ君……それ」

 いつもは爽やかで優しげな声が、今は細やかに震えていた。

「デカい得物だろ。近づいてたから叩き落とした。今度のバーベキューの鉄板ぐらいにゃ使えるだろ」

 こんなに無表情で軽口を叩いたことなんてない。

「どうして、気付いたの?」

 訝しげな視線がオレを責めているように感じているのは、単にオレの思い違いだろうな。

「何が?」

「おかしいよ! だって!」

 ステルスモードになっているISを事前に察知するなんて、誰にも出来ない。それこそ相手が来ることがわかっていなければ無理な所業だ。

「オレから話せることはないよ。それはまあ、シャルロットがシャルルだったとか、一人称が『僕』なのは、その名残だったりするのと同じことだ」

 話す気すら無かった言葉が、口からツラツラと吐き出てくる。なんかもう、どうでも良かった。

「……なっ!? どうしてソレを!」

「未来人なんだよ、オレ。何でも知ってるジョン・タイター様さ」

 あのときもこんな風に同じようなウソ吐いたな。

 軽口を叩きながらも、ゆっくりと目的地を目指して降下していく。

 ラファールのパイロットも何か喋ろうとしたが、結局言葉を発せずにオレの後ろから付いてきただけだった。

 眼下に第二グラウンドが見える。IS学園の人間のほとんどが、今はアリーナのタッグトーナメントに夢中になっているはずだ。もちろん実習授業は行われていないので、周辺には人影が見えない。一応スキャンをかけてみるが、問題なさそうだ。

「……一夏はキミのこと、知ってるの?」

「知らんだろ。オレが勝手にやってることだし、一夏には何の関係もない話だし」

 そう、これはたぶん自己満足ってヤツだ。いや違うか。オレすらも満足してねえんだし。

 地面が近づき、周囲に人影がないことを確認する。そのまま第二グラウンドの地下へと続く通路へ、PICの作用だけで滑っていった。

 地下搬入路の内部はコンクリートの壁に囲まれた寒々しい場所だった。センサーをチェックするが、まだ織斑先生たちは着いてないらしい。

 肩に担いだ棒から手を離す。音を立てて黒い無人機が落ち、アスファルトがその人型に凹んだ。

「悪かったな、シャルロット」

「え?」

「ダメージがC判定を超えちまった」

 もう戦えない、と投げやりに伝える。

 テンペスタ・ホークが誇る背中の翼はボロボロで、装甲だって剥げ落ちていた。

「……棄権ってことだよね。それはいいよ別に。ISにアクシデントは付き物だし、ペアを組んだのも推進翼の習熟訓練が目的だったし」

 二人ともPICを切って、地面へとゆっくり降り立つ。

「ヨウ君……僕、君のことを高く評価しすぎてたみたい」

 ISをまとった金髪の美少女が、オレへと大きな目を失望に染めていた。

「そうか。でもオレって、よく期待に答えられないんだ。許しといてくれ」

「まさか、こんな……バカなことをするなんて」

 ああもう、そういう視線を向けないでくれ。

「ホントに悪い。でも仕方なかったんだ。これでも想定した中じゃベストな結果に終わった。埋め合わせはオレから一夏に頼ん」

「これがベスト!? そんなわけないよ!」

 言葉が遮られる。シャルロットって、こんな感じで怒るんだな。知らなかった。ニコニコしてるか恥ずかしがってるイメージしか持ってなかった。

 そこまで考えて、ふと気付いてしまった。

 思えばオレってこいつらを偏見でしか見てないな、いっつも。オレは本当に『彼女たち』を人間として認識してなかったんだな、最悪だ。

「……悪いけど、何も話せないんだ。でも、ベストな結果だ」

 無人機の到来を予知していた理由は話せないし、これが誰の差し金かってのも証明する手段はない。証明できたとしても犯人はオレじゃ手が届かない相手だ。

 そんな中、我ながら上手くやった。無人機に最初から大ダメージを与えられた。

 前回の人生での知識のおかげで空中戦で先手を打てた。メテオブレイカーでの高高度戦闘経験も役に立った。理子が考案したっていう新しい兵装だって単純明快でオレにはぴったりだった。

 テンペスタは大きく損傷したとはいえ、他には全く被害もなくコイツを仕留められたんだ。

 つまり、この虚しい結果がオレの集大成でありベストだ。

「もちろん事情は知らないし……ああもう、あのときの一夏って、こんな気持ちだったのかな、ホント……」

 もどかしさを堪えているのか、彼女は険しい眼差しのまま、俯いて小さな拳を硬く握る。

 あのときってのが、オレには何の話かはわからない。ひょっとして、ここから遠い遥か西の地での、一夏とシャルロットの出会いの話なのかもしれない。

「悪いが、おそらく織斑先生が緘口令を敷くことになると思う。シャルロット、これ以上は何も喋れない」

「キミが何か人に話せない事情で、色々と知っていることはわかったよ。それについては今は言及しないけど」

「助かる」

「でも、どうして誰にも相談しなかったの?」

「どうやってだよ。何も言えないんだぞ」

 誰も信じない、が正解か。

「違うよ、そういうことじゃなくて、もう! ホントにそっくりだよ……あのときの僕に」

「何の話かは知らないけど、そっくりなら、わかるだろ」

「わかるよ、わかるから怒ってるの!」

「どうしろって言うんだよ」

 シャルロットの言いたいことがさっぱり理解できん。

 襲来する敵を事前に察知し、叩き落とした。そして誰にも知られずに処理をしている。オレに出来るベストだったろ、これ。

「キミが僕たちのことをどう思ってるかはわからないけど、でもこんなこと知ったら、一夏が悲しむよ……どうして一夏に言わなかったの!?」

「どうやって? 何も喋れないってのは、さっき言ったろ」

 どうせ誰も信じやしない。オレがこの『物語』の先を、ある程度まで知ってるなんて。

「一夏は昨日、知ったよ」

 普段は可愛らしく優しげな美少女が、今はオレに糾弾の目を向けている。これ、ホントつらいな。

「何を?」

「キミのご両親がVIP保護プログラムで名前を変え生きる土地を変え、キミとはもう会えないってこと」

 その言葉に心臓が大きく跳ねた。肋骨を突き破るかと思った。ずっと黙ってたのに。

 脳裏を真っ白な空白が埋めて行く。何も考えられない。

「……それは箒だって一緒だろ」

「そのご両親が明日、極秘で来賓として見に来るっていうのも。直接は会えなくても自分の姿を見て欲しかったんだよね、ホントは!」

 暗いアスファルトだらけの空間で、見たこともない表情のシャルロットがオレに怒鳴りつけた。

 誰が喋った、それを。玲美たちは知らないはずだ。同じ境遇の箒にだって言ってない。

「だとしても、オレのせいだし、関係ないだろ、一夏にも……お前にも」

「やっぱりそうだ、本当は言いたくないけど言うよ。キミは一夏を信じてないんだね」

「信じる? 話題のすり替えをするなよ。言えないのはオレの事情だし、親の話だってオレの事情だ」

「話題は変わってないよ。だって一夏はきっと、ヨウ君を助けたから。だって、ずっと気にしてたんだよ、あのことを!」

 オレと一夏のターニングポイントである誘拐事件のことか。

 ……そんなことまで喋ってたんだな、一夏。それだけ、シャルロットを信用してるってことか。オレとは大違いだ。

「無理だろ、誰も信じないってのは、そのときに体験したことだしな」

「それでも、今度こそ一夏は信じたよ」

「どうしてわかる?」

 あれか、愛ってヤツか。

「どうして、わかってあげようとしないの?」

 その大きな瞳がオレを憐れんでいた。

 まあ、憐れみたくもなるわな。シャルロットから見れば勝手に無茶して、勝手に機体を壊して棄権するんだから。

 相手から向けられる視線が痛くて、オレは目を逸らす。

 そのタイミングで、視界のウィンドウが周辺サーチ結果を報告してきた。

「話はまた今度な。織斑先生が来たみたいだ」

 チラリとだけシャルロットを見れば、まだオレを睨んでいたままだった。

 ISキャリーを積んだトラックを運転していたのは山田先生だった。助手席には渋い顔をした織斑先生が座っている。

 車から降りて、こちらに近づいてきた二人が、それぞれに驚きと困惑の入り混じった表情を浮かべた。

 それから、訝しげな視線とともに、織斑先生が、

「これは何だ、二瀬野」

 と鋭く問い質してきた。

「無人機、ですよ、織斑先生」

「無人機?」

「調べればわかります。アリーナの上空2400メートル付近で接敵しました。障害となると判断し、独断で排除しました」

 淡々と事実だけを報告するだけに留める。余計なことは喋りたくない。

「……何を言っている、二瀬野。お前が言っていることは矛盾だらけだぞ」

 射抜くような眼差しがオレに刺さる。

「オレが話せることは少ないです。これを発見して撃退した。中身は無人機だったから、百舌の早贄みたいにしときました」

 肩を竦めて、わざとらしくため息を吐いた。

「わかるように話せ。このISは?」

「とりあえずこの件は緘口令を敷くことを提案します。と言っても知ってるのはオレたちだけですけどね」

「……確かにこれがお前の言うとおり無人機だとして、お前はどうやってそれを知った?」

「秘密です。男にゃ謎があるんですよ、先生。あとこれISです。早急にコアナンバーを調べた方がいいですよ。わかりますよね、意味」

 オレの言葉に、いつもから厳しい顔つきが、益々きついものになる。

「何が言いたい?」

「これ以上は喋りませんし喋れません。とりあえずコレ、乗せますね」

 それだけ言ってゴーレムを担ぎあげると、先生たちが乗ってきたトラックのキャリーに移した。

「小僧、何を言ってるのかわかってるのか?」

「言いたいことはわかります。でも、本当に話せないんです。話せない理由すら話せない」

「無理やり口を割ってやろうか?」

「割ってもいいですけど、どうせ誰も信じないです」

 テンペスタを解除すると、その武装でもあるレクレスも量子化してゴーレムの中から消え去った。

 織斑先生がしばらくジッとオレを睨んでいたが、目を閉じて呆れたようにため息を吐く。

「……ったく。明日の件もあるから今日は勘弁してやる。さっきのテンペスタの損傷を見たかぎり、試合は棄権だな」

「異議はありません」

「よろしい。いいか、明日の朝一、スケジュールを開けておけよ」

「了解です、先生」

「山田君、二瀬野・デュノア組は棄権だ。会場にそう連絡を」

「あ、は、はい」

「デュノアも異論はないな?」

 腕を組んだ織斑先生がシャルロットに尋ねるが、返答はない。オレに対する非難の視線を向けたまま黙り込んでいた。

 やれやれと前髪をかき上げて、織斑先生が再びため息を吐く。

「とにかく明朝、私のところに来い。いいな、二瀬野」

「はい」

 それだけ告げると、二人の先生は車に乗り込んでゴーレムを連れ去って行った。

「……先、戻るね」

 ようやくISを解除したシャルロットが、速足で歩き去っていく。

「おう」

 その後ろ姿が見えなくなるのを見送ってから、そっと小さなため息を吐いた。

 オレは棄権になったが、タッグトーナメントは継続。

 シャルロットには悪いことをしたが、ベストの結果だ。

 だが、それでも、オレには何の達成感も感じられなかった。

 目を閉じて小さく息を吸い込む。

 大きく息を吐こうとし、まぶたを開いた瞬間、左目の視界が赤く染まった。気が遠くなる。

 なんだ、酸素欠乏か?

 誰もいない地下駐車場に膝をつく。何とか立ち上がろうとしたが、頭がフラフラして力が入らない。

 なんだこれ……。

 そのまま前のめりに倒れ込む。

 動け、動け……。

 地面に突っ伏したまま目を閉じて、急速に荒くなった息を、何とか整えようと肺を動かした。

 そうしているうちに段々と頭が冴えてくる。

 何とか腕を動かして寝がえりをうち、大の字になった。仰向けになって、暗いコンクリートの天井を見上げる。

 気付けば視界も赤ではなく普通の色に戻ってる。

 飛行機乗りに起こるレッドアウトってヤツか……? ISに乗ってて?

 もう何も悪いところはない。右目と左腕は異常ありのままだったが、こっちは今始まった話じゃないし、もう慣れた。

 ……右目? 左腕? レッドアウト?

 まさかな。

 頭に思い浮かんだ嫌な想像をかき消すように、ハンドスプリングで起き上った。綺麗に着地、よし、10点満点。

 足も動くし、問題ない。

 これで足が動かなかったら……思い出してゾッとする。

 足が動かず、左腕の感覚がなくて、右目が見えなくて、左の視界が赤く染まってるヤツなんて、アイツしか思い出せない。

 それは『前回のオレ』の死体そのものだから。

 

 

 

 制服とメガネと端末を拾いに戻るため、校内をゆっくりと歩いていた。みんな第六アリーナに集まってるせいか、人影はまばらだ。

 テンペスタは自己修復モードに入ってしばらく動かせないし、本当にすることがなくなった。

 ……玲美たちに何て言うかな。全くもって足も気も進まん……。

 つってもクラスメイトたちの試合もあるし、見れる分は見て応援するしよう。

 みんなに心配させないように、テンション上げて、空元気出していこう。

 

 

 

「……え?」

「だから、棄権するんだって」

 控室でオレが告げた言葉に、クラスメイトたちが集まってくる。今や控室はどよめきの嵐だ。

「ど、どうして?」

 玲美が茫然としていた。他のクラスメイトたちもそうだ。

 そしてそのクラスメイトには、もちろん一夏たちも含まれる。まあついでに言うと、二組なのに同じ控室にいた鈴は、腕を組んでオレを睨んでいた。いや控室はクラスで分かれてないんだけど。

「こけた。まあ外で練習してたら自爆して、ISのダメージがC判定超えたから棄権ってわけだ」

「……うそ、だよね?」

「ホント。なんならIS調べるか?」

 あー……そいやログ消さないとな、後で。調べられたらバレちまう。

 オレへ向けられる視線の内容はそれぞれだが、みんな、不可解な物を見ているという点は共通していた。

 セシリア、ラウラ、一夏、箒、玲美、理子、神楽も当然ここにいた。シャルロットはふくれっ面で一夏の隣に立って、こっちに非難の目を向けている。

「ヨウ」

 オレの名前を呼び捨てにするのは、今じゃ一夏ぐらいなもんだ。箒はいまだにタカ呼ばわりで鈴は主にバカ呼ばわりだ。

「悪いな、シャルロットも巻き込んじまった。すまんが埋め合わせ頼むわ。一日でいいから、シャルロットに付き合ってくれ」

「……お前」

「どした? そんな恐い顔して」

「……いや、何でもない。オレが言える義理でもないしな」

 それだけ言って、一夏は黙って背中を向けて試合の画面に目を移した。

 まだクラスメイトの視線がオレに集まったままだった。

「ほらほら、みんな、オレに構ってる場合じゃないだろ。暇になったから手伝って欲しいことあったら言ってくれ。着替えとか着替えとか、ああ、割と下着の洗濯も得意。手洗いでねちっこく洗うのとか」

 アッハッハッとわざとらしく笑うと、皆が困ったように苦笑いを浮かべていた。思いっきり疑われているんだろう。

 残念ながら、オレはクラスメイトからの信頼が無駄に高い。男手が必要になったときに断ったことがないからだと思う。さすが男子!

「ほら、自分のことに戻った戻った」

 そうは言っても、問い質されたって喋れないんだ。大きく手を叩いて無理やり促すと、渋々ながらみんなオレから離れていった。みんな、自分のことで忙しいしな。

 もういっそ嫌われてりゃ良かったと思うけど、嫌われるのって意外にエネルギーと勇気がいるから、オレにゃ無理だ。

 ともあれ、オレの学年別タッグトーナメントは、自分に出来るベストな結果を残して終わった、というわけだ。

 

 

 

 

「ラウラとセシリアの強さは圧倒的だなぁ。相手も対策を練って頑張ったけど、機体性能差ってヤツか」

 夜、寮の自室のベッドで、録画してた試合を見返していた。もう試合がないとはいえ、こういうデータ収集なんかは大切だしな。

 今日は珍しく女子連中が押し寄せてきていない。シャルロットやセシリアなんかはオレの顔を見たくないのかもしらん。またベストプレイスに退避するかな……。

 一夏も端末に向かって何やら作業をしている様子だった。おかげさまで返事がなく、さっきからずっと、二人いるのに独り言状態だ。

「織斑君、話聞いてますかー?」

「ああ」

「一回戦、箒の粘りがすごかったな。二体から集中攻撃をかけられても、冷静に捌ききったしな」

「そうだな」

 お前は倦怠期の旦那か。それとも退職した熟年夫婦がテレビ見てるときの会話か。

 やれやれだ、部屋の空気が重い……。

「ちょっと飲み物買ってくる」

 そうしてオレはいつもどおり、誰もいない暗い食堂へと向かうのであった。

 

 

 

「ありゃヨウ君。おいっすー」

 少しブカブカなパジャマ姿の理子が、スリッパをパタパタさせながら走ってきた。珍しく他に誰もいないご様子だ。

「おいっすー。ねえ彼女、今ひとりー?」

「いつの時代のナンパですかー? そういう軽薄なのってすごい似合ってるよね」

「うっせ」

「どこ行くの?」

「ちょっと、この世の安らぎを求めて彷徨ってたわけさ」

「玲美はお風呂だよ?」

「……いや探してないよ?」

「そう言っとくね!」

「探してる、超探してる。でも風呂なら仕方ないよな、うん!」

「あたしは飲み物ゲットしに行こうかなーってところ。お風呂で喉乾いたし、冷たいのが美味しい季節だし!」

「奇遇だなー。んじゃ一緒行くか」

「おー!」

 二人でペコペコと履物の音を鳴らし、ゆっくりと廊下を歩いていく。

「今日はお部屋でゆっくり出来てる?」

「そういや誰も来てないな」

「織斑君が先生に言って、夜は女子出入り禁止にしてもらったんだって」

「へ?」

「何でもー何だったかな。くろうさ? 何とか隊の一員だからラウラが部屋に来れるようにはしておきたかったみたい」

「黒兎隊な」

「それそれ。でもクラスの一員でもあるから、ラウラだけ特別扱い出来ないじゃない? で、ほら専用機持ちたちがそれに気付かずに織斑君のところに毎晩押し寄せてたってわけ」

「……なるほど。気にしなくていいのにな。オレはすでにベストプレイスを手に入れたし!」

 拳を握って力説してみた。居場所が暗闇! オレってマジでダークヒーローじゃね? 照度的な話で。

 でもちょっと織斑先生に言って解除してもらうか。明日、呼び出されてたしな。

「んー?」

 冗談めかしたセリフだったのに、理子は少し考え込むように首を傾げていた。

 そうこうしているうちに暗い食堂で灯りを残しているドリンクサーバーコーナーへと辿り着く。

 二人して飲み物を手に入れて目的は達成。

「んじゃ、オレちょっとここにいるから」

「ありゃ。部屋に戻らないの?」

「すっかりここが気に入ったんだよ」

 織斑君が冷たくて帰りづらいです、とは言えない……。

 オレはいつもの定位置に座った。小さな間接照明だけが照らす安らぎの場所だ。

「よいしょっと」

 なぜか理子がオレの反対側に座る。

「お?」

「ちょっとお話しよー。玲美もかぐちゃんもまだお風呂だし」

「どした? あの二人、帰るの遅かったのか?」

「専用機のチェックやら何やらでね。そいえば、何で下手こいたん? 一回戦から棄権なんて」

「下手こいたって……。まあ下手だから下手こいたんだよ」

「みんな、心配してたよ」

「みんな?」

「クラスの子たち。あと二組の子たちも。授業とか一緒だし、ヨウ君、信頼厚いからねー」

「初めて聞いたぞ、その評価。そうなら普段からキャーキャー褒め称えてくれよ」

「えー? だってヨウ君、可愛げないし……」

「悪かったな」

 確かに寮で女子が際どい格好してても、一夏なら赤面して慌てるが、オレなら逆に褒めちゃうからな。むしろ推奨しちゃう。

「織斑君はあんなに男前なのに可愛げだらけだから、人気あるのもわかるけど」

「可愛げ……どこで売ってるん? 売店?」

「売ってはないと思うよ……。でもヨウ君だって最初はキャーキャー言われてたじゃん」

「最初だけな、最初だけ。つか女子校に一人、普通の男子が紛れ込んだぐらいで、女子がいつまでもキャーキャー言うかよ。普通はへー、男子いるんだーってぐらいだろ。違うクラスとかなら尚更だっつーの、よっぽど男前でもない限り」

 事実だけど、自分で言ってて悲しくなってきた。なんでオレは自分が男前じゃないことを強調してんの?

「まーそうだけど、ヨウ君はホレ、可愛げないし目立とうとしないしね。でも今は密かに人気あるのに、気づいてなかったの?」

「え? マジで?」

「ちょっと外見がエロ悪そうなのに、中身がすごい地味だし」

「地味言うな、ほっとけ! ギャップ狙いなんだよ! エロ悪いって何だよチクショウ!」

「専用機持ちとか派手な子たちは織斑派、ちょっと大人しい真面目な子たちは二瀬野派、みたいなことになってるかな」

 つまりそれは、オレが半ば無意識に『以前の記憶』に残っている子たちを避けてるってことだろうな。実際、のほほんさん辺りなんて、ほとんど会話しねえ。

「そこだよそこ。みんな、ホントは見てるよ、ヨウ君のこと」

 ちょっと気恥ずかしくなって、顔を隠すようにコップを口につけた。だが理子は気にした様子もなく言葉を続ける。

「まあアレだ、うん、地味な努力を見てもらえてるって思えば、悪い気も、しないな、うん」

 ちょっとしどろもどろになってしまった自分が情けない……。 

 だがそこで、今までカラカラ笑いながら喋っていた理子が、急に暗い表情で下を向いた。

「だから、心配してる」

 短く静かに、そう教えてくれる。

「……悪かったよ」

「悪くはないよ、大丈夫。空元気だってのもバレてるし、みんなが心配してるってことと、思ったよりヨウ君は見られてるってこと、覚えておいてね」

 珍しく気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら、オレに大事なことを教えてくれた。

 理子は分け隔てなくクラスメイトに接するような性格なので、女子からの人望は厚い。あの箒にすら物怖じせずに恋愛話を振るような子だ。

 そんな理子が言うのだから、たぶん本当なんだろうな。

「じゃあ、あたしは部屋に戻るね」

「おう、おやすみ」

 パタパタと小走りで駆けて行く後ろ姿を見送って、誰もいなくなった食堂の天井を見上げる。

 ……タッグトーナメントが中止にならなくて良かったな。

 ぼんやりと、そんなことを考えてみたりもした。

 

 

 

 

 翌日、朝になって制服に着替え、職員室に出頭した。織斑先生にそう言われてたからだ。

「織斑先生、来ました」

「ああ、じゃあ行くぞ」

「どこにですか?」

「第六アリーナだ。誰も来ないVIPルームを確保してある」

 VIPルームで尋問ッスか……オレって実は重要人物だったんだなー……。

「ついてこい」

 カツカツと足音を立てて進む背中を、遅れないように歩いていく。

 校舎を抜け、トーナメントのためか慌ただしく走る人波を、十戒がごとくかき分けて、アリーナ内に辿り着いた。

 織斑先生が先導して辿り着いたのは、ひんやりとした人気のない通路だ。どうやら来賓席の近くになるようだ。

 やがて行き止まりに辿り着く。そこにはエレベータがあった。

「ここからは、普通の人間は入れん」

 短く言うと、織斑先生がスーツのポケットから鍵を取り出した。階数を選ぶボタンの下から、指紋と網膜認証用の窓が開く。

「……何も喋りませんよ」

「それは困るな。相手も」

「相手?」

「ついてからのお楽しみだ」

 そう言って、織斑先生が含み笑いをする。いや恐いよ……。どうか拷問とかじゃありませんように……。あと催眠セラピーもお断り。そうなったら人権問題にしてやるぞチクショウ。

 ホログラムで浮いていた階数表示が消えて何階かもわからなくなる。

 こんな場所あんのかよ。マジこええ。悲鳴とか外に届くのかな……。そのくせ目的の階に止まるときに安っぽいベルの音が鳴るのは誰の趣味だよ。チーンって何だよチーンて。それにエレベーターガールが織斑先生とか、すでに拷問だろコレ。

 ドアが開いて通路に出ると、今度は絨毯が敷かれた豪奢な雰囲気だった。

「ほら、ついてこい」

「あ、はい」

 今度はすぐにドアに行き当たった。ピッと短い電子音の後にゆっくりと開いて、中が見える。

 さすがVIPルームと言わんばかりの、大理石で囲まれ高そうな花瓶に花が活けてある豪華仕様だ。画面もホログラムじゃなくて液晶パネルを用意してある。年配の人なんかはホログラムディスプレイが苦手らしいからな。

 奥のソファーに座っていた誰かが立ち上がる。二人いるようだ。

「……鷹なの?」

「へ?」

「ああ、鷹!」

「オヤジ? 母さん!?」

 スーツを着たご婦人と紳士は、オレの両親だった。二人とも駆け寄ってきて、母さんがオレを抱き締めオヤジが頭をグリグリと撫でる。

「元気だった? ケガとかしてない? ちゃんとご飯食べてる?」

「鷹、元気そうだな、ちゃんとやってるか?」

「は? え? なんで?」

 オヤジと母さんは政府のVIP保護プログラムによって、名前と住む土地を変え、オレとは接触を禁じられている。それが本人たちの身の安全のためだからだ。だから、来賓として来ていてもオレと会えるわけがない。そう聞いていた。

「え、ええ、千冬ちゃんが内緒で手配してくれたのよ」

「はえ?」

 ドアの傍に立っていた織斑先生が深々と頭を下げる。

「お久しぶりです、その節は大変、お世話になりました」

「千冬ちゃんも立派になってまあ……一夏君は元気?」

「元気ですよ、鷹君のルームメイトとして、お世話になっています」

「そう! それなら安心ね!」

 ……いまいち、何が起きてるか掴めない。

 泳ぐ視線で織斑先生を見ると、彼女は腕を組んでちょっと不満げな顔を浮かべ、

「バカモノ、私は最初、お前がすっかり忘れているのかと思ったぞ」

 と暖かい声で叱ってくれた。

 織斑千冬がまだ学生の頃、弟の一夏はよくウチに来て晩飯を食ったりしていた。学生の身で弟を育てている織斑先生をうちの母が不憫に思ったんだろう。そして織斑先生は一夏を迎えに、うちの狭いマンションまで来ていた。

 いかに織斑千冬とはいえ、幼い弟を遅くまで面倒を見てくれるウチの家を、頼もしくありがたく感じてたのかもしれない。

 だから今日、オレたちが会える時間をわざわざ手配してくれたんだ。おそらくかなり苦労したと思う。政府にもバレないように、色々手を回したはずだ。だからこんな場所なんだろう。

 しかしそんな苦労すらおくびにも出さず、呆れたように肩を竦める。

「お前は一夏と違って、周りに人がいないと近寄ってすら来ないし、さすがに他人の目があっては何も言えん」

「先生……」

「ったく。ガキが遠慮をするな。困ったことがあったら大人に相談しろ」

 そう言って、織斑千冬が小さく微笑んでくれた。

「では二瀬野さん、私はこれで。また別の者が迎えに上がります」

 ふたたび頭を下げて、立ち去ろうとする。

「千冬ちゃん、本当にありがとうね、一夏君にもよろしくね」

「ええ、言っておきます」

 織斑先生は柔らかい声で短く返答して、ドアを開けて出て行った。親子三人で頭を下げて見送る。

 ……普通のお姉さんだな、ありゃ。

 そんなことを感じてしまった。

 弟を大事に思っていて、幼い頃にお世話になった名も無き人に感謝を忘れず、そしてオレと親が会えるようにまで手配をしてくれた。人間じゃなきゃ出来ない。

 オレは織斑千冬を、鉄面皮の鬼教官で何を考えているかもわからない登場人物だとずっと思っていた

 だがオレに対して笑いかけた姿は、正しく『友達のお姉さん』だった。

「さあ鷹、こっちに座って」

 母さんがソファーの方へと促す。

「あ、ああ。二人とも元気してた?」

「ええ、新しい土地にも慣れたわ」

「オヤジは相変わらず?」

 小さく笑いかけると、

「最近、健康診断の値が悪くてなあ」

 といかにも中年みたいなセリフを吐きやがる。

「ったく、まだまだ生きてもらわにゃ困るし、高い保険もかけてないんだろ、母さん?」

「おい、鷹、何を言うんだ!」

 かくして学年別タッグトーメント二日目、IS学園第六アリーナのVIP用控室にて、本当に大したことのない中流家庭の会話が始まる。

 

 

 

 ここは、オレが出会う前から知っていた登場人物たちと、出会う前まで知らなかった人たちが織りなす世界だ。

 誰もがたぶん、等しく多様な人生を送っているんだろう。それをちゃんと認識出来ているか、オレ自身がまだわかっていない。

 だけど今日、この時間に起きたことを、オレはずっと忘れない。

 

 

 

 

 

 










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15、タッグトーナメント② エレクトロワールド1

 

 

 アリーナの隠れた区域にある豪奢なVIPルームでしばらく過ごしていた。両親と他愛のない会話をしていたが、二人とも何一つ、泣きごとも恨みごとも言わなかった。それが余計につらかったけど、気持ちは嬉しかった。

「そういえば母さん」

 和やかな雰囲気の中、時間は過ぎて行く。だが一つだけ、どうしても両親に聞いておきたいことがあった。

「何かしら?」

「オレが生まれたときって、どんな感じだった?」

「え?」

「ほら、石が落ちてたって、くれただろ?」

 石っていうのは、言わずとしれたナンバー2237のISコアである。

「え、ええ……ちょっと変な石だったけど」

「大事に保管してるよ。他に変わったことあったりした?」

「そうね……夢を見たって話はしたかしら?」

「夢?」

「そう、あなたがなんで『ヨウ』なのか」

 そう言って、オヤジと母さんが目を合わせて笑い合う。

「お前、本当は生まれる前に死んでたんだぞ」

 オヤジのセリフは、意外な物だった。心臓が跳ね上がる。

「は?」

「死にかけで生まれてきたんだ、本当に大変だったんだぞ、母さんに感謝しろよ」

「あ、ああ。死産ってこと?」

「そういうことだ。出てきても心臓が動いてなくて、お医者さんが頑張って蘇生してて、だけどもうダメかと思ったんだけどな。何とか生き返ったんだ」

 ……ちょっとオレって死にすぎだろ。だけどまあ、生まれたときに心臓が止まってるなんてよくある話だよな、たぶん。

「それでね、前の日に夢を見てたのよ、縁起の良い夢」

「縁起の良い?」

「鷹が飛んでたの」

 若作りしてる母さんが、弾むような調子で嬉しそうに答える。

「……縁起良いの? それ」

「ほら、一富士二鷹三なすびって言うじゃない?」

「それ初夢だから、正月に見ると縁起が良いっていうアレだから」

 うちの母親はたまにちょっとアレです。オヤジだって苦笑いです。

「それにうちって、二瀬野じゃない? だから縁起が良いなぁって!」

 ていうか名字に三がついたら、名前はなすびだったのかよ。

「勿体ぶったわりには、大した理由じゃなかった……縁起の問題なのかよ。いや変な名前より良いけどさ」

 箒とか簪とか盾無とか。鈴は中国人のくせに普通の日本人っぽいってどういうことなわけ。山田真耶が一番悪意を感じるけどな。

「変わった夢だったわぁ。何にも無い土地でね、山登りしてたのかしら。男の人が子供の頭を撫でてて、空を鷹が飛んでいる夢だったわ」

「は?」

「あ、でも最後に『繋がった』って言ってたんだわ。だから『つなぐ』にしようか悩んだんだけど、縁起が良いから鷹にしちゃった」

 ……なんで母さんがオレと同じ夢を見てるんだ?

 それはたぶん、メテオブレイカーで昏睡しているときにオレが見た夢だ。だけどオレのときは『繋がった』なんて言葉はなかった。

 どういうこった?

「鷹?」

「あ、いや何でもない。他には何も言ってなかった? その夢」

「うーん、他は別に。で、朝起きたら、あの石が転がってたの。最初はお父さんが持ってきたのかと思ったんだけど」

「俺じゃないな」

 オヤジが即答する。

「誰が置いて行ったのかは全然わからなかったのよ、結局。意外に鷹が持ってきたのかもしれないわね」

 アハハハと母さんが笑う。それに釣られるように笑いながらも、頭は別のことを考えていた。

 今までずっと、オレはどこか他の世界から、記憶を持って生まれてきた変わり種だと思っていた。

 でも、ひょっとしたら、何かに仕組まれていたのか? こう考えると鷹って名前も必然的な印象を受ける。

 そんな思索を打ち切るかのように、密閉されていたドアが開く。

「申し訳ありません、そろそろ時間が」

 やってきたのは、真耶ちゃんだった。

 もうかなりの時間が経っていたようだ。

「……そっか」

「ごめんなさい、二瀬野君、これが怪しまれない限界だと思うから……」

「いえ、本当にありがとうございました」

 頭を下げてから、オヤジと母さんを見る。

 オレを育ててくれた人たちは、目に涙を浮かべている。オレもちょっと目が潤んでしまった。

「それじゃあ、鷹、元気でやれよ」

 オヤジがオレの頭を強く撫でる。

「無理はしないようにね」

 母さんがもう一度、オレを強く抱きしめる。不思議な暖かさだ。どうにもオレは二瀬野夫妻の息子らしい。

「二瀬野君は30分ほどしたらお昼休みなので、それまでここで待っていてください。時間が来たら出て行って良いですよ」

「はい」

 名残惜しそうに、オヤジと母さんがオレを見つめている。

 山田先生が優しい声で、

「お約束はできませんが、またこういう時間が取れるようにいたしますので。織斑もそう申していました」

 と勇気づけてくれる。

「お願いします」

 母さんが目元をハンカチで押さえながら、頭を下げる。

 こんなに泣く人だったんだな、母さん。もう化粧がボロボロだ。

「では、参りましょう」

 三人が扉の向こうに行き、オレも扉の側まで送りに出た。

「じゃあ、またな、二人とも」

「頑張れよ、鷹」

「無理しないようにね、鷹」

 その言葉を最後に、重い合金製のドアが閉まる。

 しばらくそのまま、扉を見つめていたが、そんなものを見ていてもどうしようもないと気付いて、そっと溜息を吐いた。

 ……今は考えるのは止めよう。どうせ答えは出ない。

 とりあえずオヤジと母さんに久しぶりに会えてよかった。二人とも少し痩せているみたいだったけど、大丈夫なんだろうか。

 でも戦っている姿こそ見せられなかったけど元気な姿で会えた。これは感謝しても良いだろ、たぶん。

 

 

 

 

「箒! 一夏! がんばれー!!」

 客席から大声で呼びかける。一回戦で敗退したクラスメイトたちと応援に徹していた。何せオレはもう試合が無い。

 時間は正午を超え、今はすでに準々決勝になっていた。専用機持ちたちは全員、無事にベスト8入りしている。

「あれ、何かちょっと元気出た?」

 隣にいた同じクラスの子が声をかけてきた。

「おうよ、いつまでも落ち込んでいられねえし! ほら、声出していこうぜ!」

「了解! 織斑君ファイトー! 篠ノ之さんも頑張ってー!」

 アリーナの中央で、一夏と箒が相手を向かい合う。相手は鈴とティナの同室コンビだ。ティナはアメリカ産の乳牛……いやナイスバディの持ち主である。

『試合開始!』

 その合図とともに、一夏が鈴と、箒がティナと近接戦闘を開始した。

「うわ、あの子、やっぱり上手いな」

 箒がブレードで二発三発と打ちこんで行くのを、右手に持った剣と左の拳で受け流していく。さすがの剣術娘も相手の捌き具合に驚いたような目を向けた。

「ティナ、強いなー、確か格闘技か何かの大会の優勝者だったような」

「なるほど……。つまり箒と同格ってことか……。道理で普段から動きが早いわけだ」

「二瀬野君、知ってたの?」

「いや、打鉄で何回も拳食らった。あと負けたこともある」

「せ、専用機持ちなのに……」

「ふはははっ、舐めんなよオレの勝率」

 少し、いや、かなり低い。

「あ、攻撃に移った!」

 ティナはブレードで攻撃を受け止めた瞬間、その場で回転して反動をつけ、左の掌底を箒の腹に叩きこもうとする。まるで中国拳法のような動きだ。

 だが箒もさすがだ。剣の柄で攻撃の方向をずらし、肩を相手にぶつける。接近した二人の顔が、お互いが少し嬉しそうな笑みを浮かべた。ライバルとして認めた的な感じだ。

 その攻防に、ISであそこまで精密な動きが出来るのか、と軽く驚いてしまう。

 一方、一夏と鈴も近接で互角の戦いを見せていた。

 二つの青龍刀から繰り出される連撃を、一夏は雪片弐型で受け止め、受け流し、そして反撃を繰り出す。鈴もそれを受け止めては、再び連続で攻撃を繰り出していく。鈴の軽い三回に対し一夏の重い一回、という格好だ。

 戦闘する二組が最後に重い一撃を撃ち合って距離を取った。

「ここまでは小手調べって感じですね」

「あれ、山田先生。おかえりなさい。ありがとうございました。二人は?」

「無事、学園の外までお送りしましたよ。頑張ってくださいね」

「うっす。とりあえず今は応援を頑張ります」

「ちょうど織斑君と篠ノ之さんのペアですか。篠ノ之さんも一時はどうなるかと思いましたけど、素晴らしい動きをしていますね」

「相手の上手さが引き出してる感じですね」

「ええ、織斑君もさすがドイツで揉まれているだけあって、良い動きをしています」

「お、次の動きが」

 再び四人が切りかかる。金属同士が弾き合う独特の音がアリーナに何度も響いた。

「相手を変えましたね」

「今度は専用機対練習機……スペック差は厳しいけど」

「どっちの専用機がより早く、打鉄を使っている方を落とせるか、という形ですが」

 今度は一夏とティナが切り結ぶ。

 数回、刃を合わせたのち、打鉄のティナがいきなりブレードを投げつけた。驚きながらも冷静に弾き飛ばした一夏だったが、驚愕はそこからだった。

 突進してくるティナに対し、一夏が斜め上から斬り降ろす。それを半身で回避すると同時に右の拳を撃ち込んだ。そのまま回転して左のバックブローを食らわせる。

 面食らってたたらを踏んだ一夏だったが、すぐに間合いを取り直そうと距離を取る。

 いくら接近戦しかない白式とはいえ、素手の打鉄で圧倒するなんて。

「すげ……」

「これは思い違いだったかもしれません……ファンさんのチームは、本気で織斑君を落としに来ましたね」

「自信があったってことかあ」

 ふむ、ここは応援して力を送らねば。何せ今のオレは応援団長だからな。

 よし、腹から声を出して、

「りーーーん、しねえぇぇぇーーー」

 とありったけの力で叫ぶ。

『アンタからぶっ殺すわよ!? って痛ぁ!?』

 よそ見してるからだ、バカめ。どうやら試合中の会話は、通信回線を通してオレたちにも聞こえる仕様らしい。

 そうこうしているうちにも、一夏とティナの戦いは進んで行く。

 ティナは一夏の死角、つまり眼帯をしている左の方へ周り込みながら、打撃を撃ち込み続けていた。一夏も両手で持った雪片弐型で防御し続けるが、密着した状態ならティナの方が圧倒的に手数が多い。

 一夏も距離を取ってから仕切り直しをしようとするが、ティナが鈴の加勢に行く振りを見せると、近接武器しかない一夏は急いでティナを止めざるを得ない。

 対して箒も飛び道具がない分、中距離からの衝撃砲に圧倒されている。ただでさえ不可視の砲弾なのだ。あれだけ回避し続けている箒が素晴らしいが、逆に言えば近づくことも出来ていない。

『そろそろ行くわよ!』

 二本の青龍刀、双天牙月を合体させ箒へと投擲した。回転しながらフリスビーのように弧を描いて箒へと遅いかかる。

『くっ』

 砲撃の合間に訪れたリズムを崩すような攻撃に、箒の迎撃体勢が間に合わない。

『なっ!?』

「外れた?」

 だが双天牙月はそのまま箒の横を素通りしていった。

 呆気に取られていた箒だが、すぐさま、その真の狙いに気付いた。

『一夏!』

 打撃によって誘導された一夏の死角へと双天牙月が襲いかかる。

 寸前で狙いに気付いた一夏も回避しようとするが、そこへティナが狙い澄ましたように掌底での連撃を食らわした。そして同時に鈴の本命である刃が一夏に炸裂する。

 ISを吹っ飛ばすのには充分な投擲を食らい、一夏は宙に待って地面に落ちた。

『今助けるぞ!』

『させないわよ!』

 相棒の窮地に走り出そうとする箒の前に、鈴が立ちふさがる。速射される見えない弾丸が箒の周囲に土煙りを巻き起こした。

「何も見えん」

「いえ、もう一人が飛び込んでいきましたね。動きを止めたことで目標を事前に固定しつつ、相手の視界を断ちました。断然有利な状況です」

 ティナが拳を握って、箒のいる方向へと飛びかかる。

 地面を揺らさんばかりに力強く足を踏み込んだ。

「勝負あったか!?」

 アリーナの北側に表示された大画面ディスプレイのゲージが、いきなりガクンと減った。

 それも、ティナのゲージが、だ。

『甘い!』

 箒は刀を正眼に構えたままで、しっかりと相手を見据えていた。強烈な一撃を受けたのはティナの方だったようで、驚きを隠せぬ顔色のままバックステップで逃れようとする。

「あの状況でカウンターかよ……すげえ」

 箒がそのままティナへと猛攻を開始する。

『くっ、ティナ、そっちから落とすわよ!』

 鈴が肩の砲台を箒へと向ける。目に見えない砲弾が連射され、打鉄の剣士へと襲いかかった。

『慣れてしまえば、見えないことぐらい、どうということはない!』

 なんか無茶苦茶なことを言いながら、箒は確実にその攻撃を回避し始めた。そこへ体勢を立て直したティナが、拳を握って左側から殴りつけようとする。

 しかし箒は放たれた打撃の先に突きを合わせ、相手を弾き飛ばした。そのまま大上段から踏み込みつつ剣を振り下ろす。上体を逸らしたスウェーで冷や汗を垂らしながら回避するティナに、追いすがるように箒が右から左からブレードを振り続けた。

「うっは、なにそれ、そんなこと出来るのISって」

「よほど自分の技に自信を持っているんでしょうね。二瀬野君も同じでしょう?」

 山田先生がオレに対してニッコリと微笑む。

 確かに他の人間が色々と他の練習をしている間、オレが最も時間を費やしてるのは、地面に立ったまま翼を動かすだけの練習だ。

 残念ながら、狭ければ狭いほどオレの機体は役に立たない。逆に何にもない空間だったら、ラウラ相手でもそれなりに戦える……気がするんだけど、これが罠だったりする。

 結局、相手に攻撃を仕掛けるには、接近をするしかないのだ。レーザーライフルは確かに良い武器だが、照射時間と威力が比例する。ゆえに止まっている相手ならともかく、動くISにはけん制以外の効果がない。最終的に近寄って突撃してダメージを与える必要が生じるんだが、接近戦がオレより上手な相手だと、よく見切られる。

 上手くやれば、セシリア・鈴には良い勝負が出来る。ただセシリアの射撃は正確無比だし、鈴は中距離砲撃の得意な機体を使っているが、センスが良いのか野生のカンみたいなもんで見切ってくる。

 ……よし、オレのボンクラっぷりが半端ねえ。

「そんなに卑下することはありませんよ二瀬野君」

 あからさまにがっくりと肩を落としたオレに、山田先生が励ましの言葉をくれる。

「卑下してるわけじゃないっつーか、その、得意分野がいまいち役に立たないっていうか」

「二瀬野君の努力する姿勢、先生は好きですよ」

 姿勢を好かれても結果は出ないわけだが……。

 まあ思ったより先生は見ていたということで、小さくため息を零しつつオレは視線を試合に戻す。

 アリーナの中央では箒一人に対して、鈴とティナが苦戦を強いられていた。

 長いポニーテールを振り回しながら、次から次へと剣劇を踊る箒に、会場中が目を奪われている。まさに神楽舞がごとき流れるような動きに、紅椿をまとっていた箒の弱い姿はない。

 龍砲をかわす動きがそのままティナへの攻撃に結びついていく。

『せいっ!』

 再び大きな踏み込みから、今度は左への薙ぎ払いが走った。ティナが回避したその後ろに、鈴が丁度重なってしまう。

『って、ティナ、どいて!』

『遅い!』

 視界を遮られた鈴へ向けて、箒が戸惑うティナの肩へ手をかけ飛び越していく。長い黒髪を絞る白いリボンが流れ星のように赤い大地へと落ちていった。

 箒の大きな振り下ろしが決まる。大きな破砕音が響くと同時に遠くまで爆発音が轟いて、鈴の右肩に浮かぶ龍砲が撃破された。

 障害物レースのように飛びこされたティナが、慌てて箒の背中を拳で貫こうとする。だが箒はそれを右に回転しながら回避すると、逆にティナの背中に左手を当て、鈴の方へと力一杯押し出した。同室コンビの二人がぶつかり、バランスを崩して重なって倒れ込む。

『一夏!』

 相棒の名を叫ぶと同時に、箒が一足飛びで後ろへと大きく下がって距離を取る。

『おう!』

 それまで姿の見えなかった一夏が、今は上空へと浮いていた。左手を真っ直ぐと鈴たちへ伸ばしている。

 その左腕部装甲が光とともに姿を変えて行った。

「あれは……荷電粒子砲!!」

 手の平だった部分に砲口が現れ、一周り大きくなった装甲の間のラインに、光が高速で走り始める。甲高い電子音を唸らせて、光る陽電子が解き放たれた。

『へ?』

 鈴が間抜けな驚きを上げると同時に、大きな爆発が起きて土煙りが巻き籠る。

 表示されていた鈴とティナのゲージが0%になり、試合終了のブザーが響く。

 視界が晴れると、爆心地に鈴とティナが折り重なるように倒れ込んでいた。

 オレのレーザーライフルを撃った経験とメテオブレイカーで目撃した大型荷電粒子砲から、白式が自分で装備を組みあげたのか? 思ったより武装の進化が早い。つかどういう原理であれは荷電粒子砲してるんだ? 静電気を取りこんでるわけ? ……謎過ぎるだろ第四世代。

「さて二瀬野君」

「はい?」

「あの凹んだ部分、直すの手伝ってくれますよね?」

 ニコニコとした笑顔で真耶ちゃんが尋ねてきた。

「え、オレ?」

「得意でしょう?」

「う、うっす」」

 一時期、よく地面に穴を開けていたので、悲しいことに整地する機械を操縦するのは得意になっていた。

「じゃあ行きますよー」

 パタパタプルンプルンと腕と胸を振りながら走り出す山田先生を、慌てて追いかける。

 

 

 

 ゴルフ場にあるカートに特殊な整地用キャリアーを繋げた、IS学園特製の整地マシンを運転していた。基本は土を被せて上から押しつぶしてラインを引き直すだけだ。何か凄いテクノロジーを使ってるらしいが、さすがに整地用マシンまでは詳しく調べたことがない。

 まだ退場していなかった鈴とティナがすぐそばにいた。ようやく打鉄の回収が終わって、今から退場するところらしい。一夏たちはすでに反対側のゲートから控室に向かって行った。

「ほれ、鈴、邪魔だ」

「ぐぐぐ、くっそぉー」

 地団駄を何度も踏みながら、鈴が本気で悔しがっている。

「ティナもおつかれ」

「はいはい。二瀬野氏も残念だったね」

「お互いな」

「ナターシャさんから、次は頑張ってネ、はぁと、だって」

「……知り合いなわけ?」

「一応ね。海兵隊のIS練習で教えてもらったことがあるぐらいだけど」

「そっか。んじゃ次は頑張りますって伝えておいて」

「ラジャー。ほら鈴、行くよ。あーお腹減ったなー」

 ティナに促されて、ようやく鈴がトボトボと歩き出す。

 さて、こっちもお仕事お仕事。

 右手でハンドル握ってアクセル踏みながら、左手で車載タッチパネルを操作して整地を始めた。

 思わぬところで繋がってるもんだなぁ、人って。

 空を見上げれば、今日は快晴。梅雨はどこに行ったのやら。熱中症になりそうな暑さの六月終わり、夏の匂いを漂わせた太陽がオレたちを照らしていた。

 というわけで、あれだけ熱望していた学年別タッグトーナメントの場に出ることが出来ました。

 整地係として!

 なんだこのオチ……。

 

 

 

 熱戦に次ぐ熱戦である。

 ベスト4に上ったのは、一夏・箒組のチーム元第四世代、ラウラ・セシリアの英独休戦協定、更識簪とそのクラスメイトの無口なヤツら、そして玲美と理子のチーム四十院だ。

 そして今、圧倒的な破壊力を誇るラウラ・セシリア組が、簪とそのクラスメイトのチームを破ったところである。

「……全部の試合が一分以内で決着するとか、バランス的にどうなの……」

 今回は整地の必要がなかったので、席に座ったまま愚痴を零していた。そのオレの横に神楽が座る。手に持っていたスポーツドリンクをねぎらいの言葉と一緒にくれた。

「向かうところ敵なしですね」

 声援に答えるように回りながら手を振るセシリアに対し、さっさと立ち去るラウラという組み合わせだが、今のところは上手く噛み合っているらしい。

 そして隣にいる神楽もまた、二回戦で英独組に敗北していた。

「今から一夏・箒と玲美・理子の一組対決か」

「どっちを応援します?」

「もちろん玲美と理子」

「良い解答です」

 雇い主のお嬢様が合格点をくれたので、調子に乗って、

「男なんぞ応援するか」

 と付け加えた。

「女なら誰でも応援するって言っておきますね」

「おいバカ、玲美さんと理子さんだから応援するんです」

 隣で堪えるように笑う神楽に、ちょっとばつが悪くなる。

「本当に元気は出たようですね」

「とっくにな」

「何をしたかったんですか? 言えないことは言わなくて良いですけど」

 真顔に戻った神楽が、物凄く曖昧な質問を投げてきた。目的を問うているのではなく、願望を尋ねているんだろうな。

 具体的には浮かんでくるんだが、こう聞かれると逆に困る。

「……うーん。色々、だな。何個かある」

「色々?」

「頑張ってるヤツらを知ってて、その頑張りが無駄になるのは、どうにもな」

 足を組んで背もたれに体重を預ける。

 クラスメイトたちが頑張っていたのは知ってる。専用機持ちだけがIS学園にいるわけじゃないんだ。その努力の最初の集大成がこの学年別タッグトーナメント。それが中止になるなんて許せなかった。

「……それは……」

「ん?」

「いえ、少し腹が立ちますが、他には?」

「もしタイミングが悪ければ、事故が起きたかもしれない」

 無人機の乱入によって、何らかの事故が起きるかもしれない。結果的には昨日だったから親がいるときではなかったけども。それにこの会場にはたくさんの人間が集まってる。逃げるときの押し合いへし合いでケガをする人間だっているかもしれない。

 そして、無人機の流れ弾が観客席との間を阻むシールドバリアーを突破しないとは限らない。そもそも相手はIS学園に配慮するような敵ではないのだから。

 予想外の侵入で起こり得るリスクなんて、挙げれば切りがない。

「事故を未然に防いだ、と」

「んなところ。最後は……嫌いなヤツがいるんだよ」

「嫌いなヤツ……」

 なぜか神楽は目を丸くし、その後に眉間に皺を寄せた。

「意外です」

 ぽつりと、そんな感想を漏らしたことが意外だった。

「え?」

「ヨウさんが誰かを嫌いなんて言うのは」

 返す言葉がない。事実、オレが嫌いなんて思うのは、篠ノ之束だけである。そして篠ノ之束の話題なんて、そうそう出て来ない。

 ウマが合わない人間もそりゃいることはいるが、そんなのは軽くかわせる。さすがに人生二回目ともなれば、同じ高校生ぐらいなら余裕を持って接することが出来るのも当たり前って話だしな。

「でも、それじゃあ仕方ありませんね」

 上手く返答できないオレだったが、神楽は密やかに柔らかな笑みを向けてくれた。

 理解してもらった、とは思わない。大事なことは何一つ話してない。

 この四十院神楽や、アリーナの中央で深呼吸をしている岸原理子と国津玲美とは、それなりに付き合いも長くなってきた。平日も休みも一緒にいることが多い。これほど信用できるヤツらはいないと思う。

 でも、オレが信じることと、オレが信じてもらうことはまた別の話だ。

 根本的に『自分を信じてもらえることなんて、信じていない』のだろう。

「始まりますね」

 その言葉で我に帰り、視線を会場の中央へと向けた。一番大きな画面に、カウントダウンが走る。

「キーは打鉄の理子か」

「正直、厳しい局面ですね。篠ノ之さんはここまでずっと素晴らしい動きをしています。紅椿を操縦していたパイロットとは思えません」

「だな。……しかし玲美と理子の作戦」

 試合が開始されると同時に爆発と驚きと、そして箒の怒号が飛び交い始めていた。

 隣の神楽がヤレヤレと頭を横に振っている。オレも同様の気分だった。

「専用機と組んでいるから、とはいえ」

「酷い……」

 オレも思わず苦笑いを浮かべてしまう。

『そぉれ』

 理子ののんびりとした声の後に爆発音が連続で響いた。

 玲美は、リベラーレの得物として、基本武装の合金製ブレードの他にグレネード他多数の爆弾が入ったバッグ二つを持ち込んでいた。グレネードは持ち手のダイヤルを回すと爆発までの時間が変わるタイプで、それを試合開始と同時に全て理子に渡したのだ。

 つまり、今の理子は打鉄のくせに、多量の爆発物を装備していると同様だった。

「たしかにテンペスタⅡはテンペスタの後継機だけあって、いくつかの兵器を流用できるのが特徴ですが」

 苦々しいというか、呆れたような声で神楽が説明してくれる。

「他機使用認証の使い方が酷い……確かにレギュレーションにゃ無かったけどさ……でもお前のパパ、すげえ笑ってるぞ」

 ちらりと来賓席の方を見れば、最前列でいかにもやり手ビジネスマン風の格好をした四十院所長が、腹を抱えて膝を叩きながら笑っていた。

「お父様はそういう方なのです」

 その娘がアリーナ中央まで届かんばかりの深いため息を零す。

『箒!』

『おっと、そっちには行かせないよーん』

 箒を助けに行こうとする一夏の白式を、玲美のテンペスタⅡ・リベラーレが行く手を塞ぐ。

『く、このっ!』

 雪片弐型で斬りかかるが、地面にいながらもリベラレーレは推進翼を小刻みに吹かし、打ちあうことなく右へ左へ滑走して回避し続ける。

 やがて業を煮やした一夏が、大きく横へ薙ぎ払おうとした。だがそれを待っていたのか、玲美は前方宙返りで上空へと舞い、相手の背後へと着地する。一夏もそれを狙い澄ましたかのように、刃を切り返してもう一度、雪片弐型を大きく振り回す。

 だが背中を向けたままリベラーレが、柔軟運動のように足を広げてペタリを地面へと上体をくっつける。

 予想外の回避方法に一夏の体勢が大きく流れた。狙い澄ましたようにそのまま推進翼を点火させ、ブレイクダンスのように回転し、一夏の顔面へとハンドスプリングで蹴りを見舞った。

 会場中から驚きと拍手が溢れる。外人の来賓なんて口笛を吹いて絶賛していた。

「どんだけリベラーレ(自由)なんだよアイツの動き」

「往年のカンフー映画のようでしたね」

「カンフー映画とかよく知らんが、リベラーレに乗ってる推進翼の、動作の繊細さはすごいな」

「デモとしては大成功ですね」

「全くだ。もちろん玲美も凄いけど。でも理子も地味に頑張ってるな」

 箒と理子の戦いは、実に騒々しいものになっていた。様々なタイミングで爆発するグレネードを回避しながら、箒が斬りかかる。

『このぉぉぉぉ! く、に、逃げるな、卑怯だぞ』

『こっちおいでー。ポイポイっと』

 理子は舌を出して相手をおちょくりながら爆弾を振りまいていた。

 こちらは打鉄同士の戦いゆえにスペック差はない。当然、逃げ回られると追いつけないのだ。箒が上手く回りこもうとしても、そこにグレネードを爆発されて距離を開けられてしまう。

「でも妙だな。あれじゃ両方ともが時間稼ぎをしてるようなもんだ」

「はい?」

「玲美も理子も基本は逃げ回ってるだけで、積極的に攻めに転じてない。これじゃグレネードが尽きてジリ貧だぞ」

「そのことですか。もちろん考えてると思いますよ。あと篠ノ之さんを最大限に警戒してるんですよ二人とも」

「ほう?」

「何だかんだで彼女のセンスは素晴らしいです。逆に織斑君は新しい兵装を見せたとはいえ、基本が大雑把です」

「先に箒を落としに行くって?」

「ええ、間違いないでしょう。ほら、篠ノ之さんが慣れてきたようですよ」

 逃げながらバックハンドで投げつけられたグレネードを、箒が踏み込んでから刀の腹で撃ち払った。箒にダメージを与えるはずの投擲物が、二人から離れた場所で爆発された。

 どうやらグレネードの爆発タイミングを、打鉄がダイヤルを回す動きで読み切ったようだ。

『見切った!』

「サムライか」

 思わず突っ込んでしまうが、まあその姿は確かにサムライがごとしだ。

『ありゃ』

 理子が立ち止まって、腰に巻いた大きなバッグの中を漁る。しかし、一つしか出て来なかったグレネードを見て、がっくりと肩を落とした。

『ふ、散々弄ばれたが、ここまでのようだな!』

 切っ先を理子に向け、見栄を切る。

『ここまでかぁ……玲美、あとよろしく』

『ちょっと理子ぉ!?』

 白式と空中戦を繰り広げていた玲美が、焦ったような声を上げる。

 ヤレヤレだ。

「まったくです」

「心読むなよ」

「でもわかってるんでしょう?」

「もちろん。付き合いも長くなってきたからな。つか何なの、あの小芝居」

 アリーナでは、剣を大きく上段に構えた箒が、気合いの雄たけびと共に一足飛びで踏み込んでいく。

 そして肩を落としたままの理子へと、まっすぐ刃が落ちると思った瞬間、理子がニヤリと笑った。

『へ?』

 箒の間抜けな声が妙に鮮明に聞こえる。

 理子がよりにもよって、グレネードで刃を受け止めたのだ。

 今までで一番大きな爆発が起きた。最高威力をここに持ってきたのか……。

「でもまあ、作戦成功のようですね」

 北側に浮いている大画面ホログラムディスプレイに表示されたゲージが、ダブルKOを示していた。

「……ひょっとしてこの作戦って、発案は研究所?」

「具体案は理子と玲美に任されてました。これで一対一。余計な邪魔は入らないというわけです」

 神楽が髪を耳にかけながら、さらっと言う。

「対第四世代へのアピールか」

「最初から負けるつもりもありませんが」

「さすが敏腕所長だよな」

「ええ。理子も乗り気だった、という点が一番重要ですけど」

「あいつはまあ、面白いこと大好きだからな……」

 とは言いつつも、頭を抱えたくなった。

 すごい楽しそうにやってたからなぁ。最後の笑みなんて、まさにほくそ笑んでた、という表現がぴったりだ。

「さて、ここからはリベラーレ対白式ですか。どう見ます?」

「7対3でリベラーレ」

「思ったより白式の評価が高いですね」

 これでも低めにつけたんだけど、神楽さん厳しいですね……。

「意外性がなぁ。零落白夜と荷電粒子砲の威力もバカにならんし」

 オレの予想に、神楽はすこし考え込んでから、

「そうですね。スペック自体も第三世代より高い機体ですし」

 と少し残念そうに口を開いた。

「一夏も結構、鍛えられてる」

「そうでしょうか?」

「それにアイツの恐ろしいところは、対応力と機転だからなぁ」

「つまり、この試合中にリベラーレを見切る、と」

「そこまで言わんけど、返す刀が零落白夜だったら、一撃でも食らうと大ピンチだ」

「玲美とリベラーレの回避力も侮れないと思いますが」

「ただし武器がブレード一本。実際、白式のゲージはまだ結構残ってる」

 赤を基調にトリコロールカラーのラインを入れたテンペスタⅡ・リベラーレと、純白の機体が空中戦を繰り広げている。

 戦いは玲美が急速方向転換と抜きんでたスピードを武器に襲いかかり、白式が耐える形になっていた。

 迫ってくるリベラーレに、攻撃を合わせようとする一夏だったが、相手はそれすらもひらりと回避して、連続で攻撃を仕掛けてくる。

「まずいですね」

「え?」

「玲美の攻撃が単調になってます」

「言われてみれば、そうだな……」

 考えてみれば簡単だ。玲美にはそれしか攻撃はない。先手を仕掛け迎撃をかわして、その隙に攻撃を行う。二人の戦闘では基本パターンがそれしかないのだ。お互いの後手を回避出来るかが勝負の分かれ目だ。

『行くよ!』

 赤い推進翼を立ててブレードを横に構え、一気に加速して白式に突撃していく。今までで一番の速度だ。

『来い!』

 対して雪片を正眼に構え、一夏は相手の攻撃に備えた。

 リベラーレの機動が赤いラインとなり、白い星へと延びて行く。

 その攻撃に合わせるように雪片弐型が振り下ろされる。だが玲美は急速方向転換で上方へ回避してから急降下をし、白式へと突きを繰り出そうとした。

 だが、一夏の最初の一撃はフェイントだ。コンパクトに刃を返し、今度は下から上へ素早く振り上げる。

「って、なんだってぇ!?」

 意図せず驚愕が口をつく。ってか、オレはスポーツの実況席で驚くアナウンサーか。

 玲美はブレードを手放し、雪片の刃を上体を逸らしてすり抜け、一夏の手首を右手で掴んで翼を立て、白式を鉄棒に見立て片手大車輪のようにグルリと回る。そして倒立上体で止まると、目が点になったままの一夏の頭をリベラーレの足で掴み、推進翼の力で無理やり回転して、白式を逆さまにしてしまう。

 玲美はそのまま、真っ直ぐ地面へと加速しながら一夏を頭頂部から突き刺した。

 軽い地響きがアリーナを揺らす。

 一瞬の沈黙の後、驚きと喝采が会場中から送られた。

 オレも拍手を送る。すげえ動きだった。

「ルチャ・リブレとか、そういうのを見てるみたいだな。リブレがスペイン語でリベラーレと同じ意味だっけ」

「るちゃ・りぶれ?」

「メキシカンプロレスだよ。空中技が多くて、今みたいに相手の体を中心にグルグル回って反動でマットに叩きつける技とかある」

 手放したブレードを地面で華麗にキャッチした玲美は、後方宙返りを決めてから見栄を切り、こちらに向かってウィンクをした。

 ……まあ、可愛らしいことで。

「ああ、小さいころ、玲美がプロレスの映像を見てたような……」

「見た目は派手で面白いからな。ってマジで実況席っぽくなってきたな、この席」

 ふと周囲を見れば、クラスメイトたちがオレの解説を、感心したような顔で耳を傾けていた。

「今のすごいところは、翼を細やかに動作させ、相手を混乱させつつ上下を逆さまにしたところだろうな。これはPICで浮遊しているISだからこその弱点だ。重力に従わないということは、天地を見失いやすいということになるからな。自分がどっちに向かっているかわからない。ほら、海の中に落ちてどっちが海面かわからないとかあるだろ?」

「なるほど。咄嗟に上下を把握して推進装置を下方へ向けることが出来なければ、相手の思う方向へ落とされてしまうというわけですね」

「そういうことだな」

「さすが初代テンペスタマスク」

「いや何そのリングネーム? 冷静な顔で言わないでくれる?」

 そして二代目は初代より強いのだ、きっと……。

「ただ、まあこれが実質的な二位決定戦だな」

「ですね。決勝で待つのがブルーティアーズとレーゲンでは……」

「大人げねえよなぁ」

 オレたちがため息を吐く中、アリーナでは、次の局面が始まっていた。

 残りヒットポイントというかゲージが半分程度になった白式と再び空中戦を始める。

 加速された刃と刃がぶつけ合っては距離を取り、お互いに向かって再び突撃していく。繰り返すたびにお互いの加速が増していった。

「スピード自体は互角ってところか……」

「加えて威力は白式、細やかな動作ではリベラーレですね」

 そしてアリーナの端と端へと離れた両機が、刃を構える。

 一夏が雪片を構えて一度、大きく深呼吸をした。それから優しげな目で相手を見据える。

『国津さん』

『……なに?』

『ありがとう、アイツを見ててくれて』

 そのセリフに、玲美は小さく驚いて目を丸くしたあと、

『どういたしまして! これからも、だけどね!』

 と笑顔で元気良く返事をした。

 玲美のリベラーレが赤い機体にトリコロールカラーのラインを走らせた第三世代機が、推進翼を立てる。

『行くよ、リベラーレ!』

 それに対峙する一夏も、小さく笑ってから剣を十字に振るう。そして再び正眼に構え、真剣な顔つきになった。

『零落白夜!』

 掛け声とともに、白式の刀から白い炎のようにエネルギーが放出されて、周囲に光をまき散らす。

『これで』

『決める!』

 掛け声とともに、二機が相手に向けてイグニッション・ブーストを仕掛けた。

 一秒にも満たない沈黙を挟み、二機が激突した。

 加重されたリベラーレの刃を、白式が刀ではなく左手で受け止める。大きく亀裂が入り、その白い装甲が破砕音を立てて凹んだ。

 同時に右手の零落白夜が振り下ろされる。

 予想外の迎撃方法に、リベラーレは身を翻そうとしても間に合わない。

 シールドを引き裂かれ、玲美は背中側から地面へと叩き落とされた。

 再び地響きがアリーナを揺らし、土煙りが舞い上がった。

 数秒の沈黙の後、会場中が割れんばかりの喝采に包まれる。今の攻防に、会場中が湧き立っていた。

「大丈夫か、玲美……。ゲージはまだギリギリ残ってるけど」

「完全に意表を突かれましたね。肉を切らせて骨を断つを地で行くというか」

「クソ度胸の持ち主だけどな、昔っから。だけど白式もかなりダメージを食らったな。零落白夜を使ったせいもあって、動けるのはあとわずかってところか」

「で?」

「で?」

「その前の会話に思うところは?」

 意地悪さを含んだ笑みを浮かべ、神楽がオレに尋ねてきた。

「……アザーッスとしか」

 いやまあ……心配されてる会話って、なんか自分がやんちゃ坊主に思えて気恥ずかしいよね……。

 膝をついて、玲美が起き上る。

 本人にもちろんダメージはないが、柔らかくて白い頬を伝わる汗は、決して体温のためだけじゃないだろう。

 一夏は逆に少し余裕がある。左腕を破壊されているとはいえ、今ので精神的優位に立った。何をされても斬り返せる、という形で明暗がついたんだろう。

「ヨウさん」

「言われなくてもわかってるっつーの」

 今のオレがやれることは応援だけだ。

 オレは一夏に負い目がある。アイツはオレのせいでしなくて良い苦労を負ってしまった。

 だけど、今の自分が応援したいのは、あの少女だ。

 イスから立ち上がって、客席の最前列まで走る。落下防止用の手すりから上半身を突き出して、大きく息を吸い込んだ。

「玲美! がんばれ! そこのバカなんか捻ってやれー!」

 腹から力を込めて横隔膜を振るわせる。これが自分の精いっぱいだ。

 いつだって、このIS学園に入ってからはいつだって、自分の精いっぱいをやってきた。

 出来ないことだらけでも出来ることはある。

「眼帯つけたスカした野郎なんて、ぶっ飛ばしちまえー!」

 オレの声が届いたのか、玲美は背中を向けて、後ろ手で親指を立てた。その向こうに見える一夏は苦笑いを浮かべている。

『さて、今度こそホントに最後! 行くよ、織斑君!』

『よし、望むところだ、来い!』

 二人ともが最後の力を振り絞って、地面と並行に直進飛行する。

 先ほどの焼き直しのように、リベラーレのブレードが一夏の死角側から襲いかかる。

 それを予期していたかのように、砕けた左腕で防いだ白式が、同時に右腕の雪片弐型を斜めに振り上げた。

 ここからはさらに進化したパターンだ。玲美はブレードを手放し、上半身だけでスウェーを行い紙一重の差でノーダメージの回避を成功させる。そのまま後方に宙返りをしながらキックを食らわせる。いわゆるサマーソルトだ。

『ぐっ!?』

 食らいながらも一夏は剣を引き、突きを構える。そのまま真っ直ぐ、リベラーレの背中に切っ先を伸ばした。

 赤い翼の左側だけが推力を放つ。羽根の一部を削り取られながらも、天地逆さまのままコマのように横に回転して、威力の乗ったキックを相手の左側部へと放った。

 すでに装甲の役目を果たしていない左腕で白式が防ぐ。

 跳ね返った反動そのままに、リベラーレはさらに回転を強め、逆側からの後ろ回し蹴りを見舞った。

 確実に当たるかと思ったそれを、今度は一夏がしゃがんで回避し、相手の体勢が崩れたところで下段から渾身の力で雪片弐型を振り上げる。

 玲美も翼の推力でかわそうとするが、先ほど食らった突きのせいか、一瞬だけ反応が遅れた。

 鈍く低い打撃音が、会場全体を振るわせるように響く。

「……負けか」

 試合終了のブザーが鳴った。

 一夏のゲージがわずかに残り、玲美のゲージがゼロになっている。

 大画面ホログラムに、勝者は織斑・篠ノ之組と表示されていた。

「悔しいなあ」

 素直な感情がついポロっと口から零れ出る。

 戦いぶりから見れば、おそらく十回戦えば八回以上は玲美の勝ちだろう。慣れない機体でよくあそこまでアクロバティックな動きを見せたと思う。

 だが一夏は、その少ない勝利の確率をこの戦闘にピタリと合わせてきた。

 つまり、そういうことなんだろう。

 でも、予想以上に悔しい。思ったより玲美が負けたことが悔しかった。こんなことなら、最初っから声を張り上げて応援してれば良かった。

 二人の健闘に、生徒と来賓から惜しみの無い拍手が送られている。アリーナの中央では、二人が握手をしながら会話をしているようだ。その声は通信に乗ってないようで、客席のオレたちには聞こえない。

 動いて体温が上がったせいだろうか、玲美の顔がちょっと赤く染まっているように見えた。

 感情を制御するように、自分の両頬を挟むようにパチンと叩く。

『IS学園より、決勝についてお知らせいたします』

 オレが顔を上げた瞬間に、会場中にアナウンスが入った。この声は織斑先生か。

『織斑・篠ノ之組の損傷が激しく、この後の決勝を行うことが不可能と判断いたしました。よって、優勝者はオルコット・ボーデヴィッヒ組に決定いたしました』

 会場中がどよめきと不満の声でざわつく。

 まあ、当たり前の判断だろう。白式の左腕部はリベラーレによって原型が見えないぐらいに砕けている。他の部位も損傷が激しそうだ。だったら、ここで無理をする意味はない。

 ただでさえ虎の子の第四世代だ。大事を取るに越したことはないしな。

『もう一度繰り返します』

 客席を黙らせるように、織斑先生が少し声色を低くして、同じ内容を伝える。

 その場で座り込んで深くため息を吐く。

 冴えない終わり方だが、まあ、全員頑張ったし。

 IS学園に入って、最初の全員参加イベントだ。IS乗りとしての初めての本格的な試合だったヤツも多いだろう。これを機に頑張るヤツだって増えるに違いない。オレだって、テンペスタが治ったら、また頑張ろう。

 何はともあれ、学年別タッグトーナメントが無事に終わって良かった。

 腰を上げて、空を見上げる。

 高い位置にある太陽が、夏の匂いを送ってきていた。

 

 

 

「二瀬野」

 荷物を抱えてアリーナを出ようとしていると、ラウラが声をかけてきた。

「おう、優勝おめでとさん」

「少し顔を貸せ」

「ん? 何だよ」

「いいから、こっちだ」

 そう言って、ラウラがアリーナの中へと戻っていく。

 体育館裏に来いってヤツか? だけどさすがにラウラにまで恨みを買うようなことをした覚えはないぞ。

 無機質な合金製の廊下は、すでに熱気が失われていた。玲美たちの試合から結構な時間が経っている。オレは最後まで整地を手伝っていたので、生徒の中じゃ一番後に出たはずだ。

「どこに行くんだ?」

「お前の友人が呼んでいる」

「は? 誰?」

 尋ねても返答はなし。まあ一夏だろうな。長い銀髪を垂らした小さな背中を、少し距離を取って追いかける。

 二人の足音だけが鳴り響いていった。

 数分ほど歩いた場所はアリーナの中央、試合が行われていた場所に繋がるゲートの一つだった。二枚の巨大な金属板で左右から閉じられた、ISも使う出入り口だ。

「ISは?」

「自己修復中。機体は上級生の整備班に預けてる」

 その上級生というのも、卒業後は四十院関係の会社に就職が決まっている人たちだ。たまにこうしてホークの面倒も見てくれている。

「では、中に入れ」

 そう言って、ラウラがゲートの扉のスイッチを押した。低いモーター音とともに、ゆっくりと左右に扉が開いていく。

 時間はもう夕方だ。西日がオレの目に飛び込んでくる。

 その眩しさに目を隠しながら、整地したばかりの競技場内に出た。

「来たか」

 その真ん中には、眼帯をつけ白式ではなく、打鉄を身に着けたヒーローこと織斑一夏が立っていた。アイツも愛機は自己修復中か。

 そして、一夏を中心にして、八の字状にISが並んでいる。

 一夏の左側には、ブルーティアーズ、ラファール・リヴァイヴ・カスタム、右側には甲龍、テンペスタⅡ・リベラーレが立っている。

 他にも数機の打鉄が並んでいた。箒や神楽や理子だけじゃなく、ハンドボール部の相川さんや、のほほんさんもいる。二組のメンツも混ざっていた。ISを装着してない子たちは制服姿のまま、外側を囲むようにしている。

「みんなして、なんだ?」

 意図がわからん。

 全員でオレをボコる? そんなことはないよな、たぶん。

 神妙な顔の一夏が、一歩前に出る。

「二瀬野鷹」

「どした、改まって」

「お前に試合を申し込む」

「なんでだよ?」

「俺が、お前と戦いたいからだ」

 無感情にそう言い放って、合金製のブレードの切っ先をオレに向けた。

 みんなの顔を見回すと、全員が無言で頷く。

「意味がわからん。オレとお前が戦う理由とかないだろ」

「お前、昔っから俺のこと、ずっとヒーローって呼んでたよな」

「んあ? それがどした」

 事実としてヒーローなんだし。

「じゃあ脇役なんだろお前」

 ……わざとだろうな、その挑発するような言い草は。

 そんなのに乗るほど、オレは『若くない』。

「脇役なんてのは、ずっとわかってる。それと今の状況に何の関係があるんだ?」

「国津さん」

 一夏の呼びかけに、リベラーレを身にまとった玲美がスッと前に出た。

「私がお願いしたの、試合の後に」

 そういや、握手して何か話してたな、二人で。

「何の意味があるんだよ、みんな疲れてるだろ? こういうときは、さっさと寮に戻ってパッと食堂で騒ぐに限るって」

 頑張ってヘラヘラ笑いながら言ってのけ、踵を返す。

 オレの試合は、始まる前に終わったんだ。ここで一夏と戦う意味がない。

「ヨウさん」

 セシリアが手に持っていたスターライトMKⅡの砲身を地面と垂直に立てる。

「セシリア、これはクラス代表公認の行事か?」

「なぜ、何も喋らないんですの?」

「何の話だよ」

「棄権のことです」

「言う必要あんの? 自爆して機体が壊れただけだぞ」

「……なぜ、わたくしと向き合ってくださらないのですか、あなたは」

「何の話だよ」

「失望いたしましたわ。わたくしが勝手に任命したクラス副代表ですが、ここまで信用をされていないなんて」

「失望されるのは、結構よくあることなんだ、気にすんな」

「失望したのは、わたくし自身に、ですわ。何かにつけ、一緒にクラスを盛り上げるよう頑張ってきたつもりでしたのに、何の信頼も得られていなかったなんて」

 目尻をいつも以上に落として悲しそうに笑う、その姿と言葉が痛い。いつも自信満々で、ともすればよく空転するセシリアが、そこまで言うなんて。

「ヨウ」

 鋭い声でオレに呼びかけたのは、甲龍を着た鈴だ。右肩は試合で損傷したままである。

「なんだよ鈴。さっさとISしまって自己修復させろよ。変なクセつくぞ」

「逃げんの?」

「逃げる? なにこれ、オレに対する裁判か何かなわけ? 裁かれるような罪状が思い浮かばねえな」

「一夏は、帰ってきたわよ」

「……どういう意味だ?」

 オレが問い返すが、鈴はそれ以上答えずに、ずっとオレを睨んだままだ。

 答えがないんじゃ仕方ない。再びゲートの方を向いて、立ち去ろうとした。

「戦え」

 短く、命令口調で告げてきたのは、ゲートの横の壁に腕を組んで寄りかかっていたラウラだった。

「だから、何でだよ。仮にも準優勝者で、オレが勝てない玲美に勝ったヤツだぞ。意味あんのか、これに」

「ドイツで私が出会ったときから、一夏はずっと自身の不甲斐なさを悔いていた」

「……それがどうした。気に病むことなんてないぞ。オレが勝手に失敗しただけだ」

「恐いのか、一夏に負けるのが」

「恐い? 負けっぱなしの人生だぞ? それにタッグ戦でなら、すでに負けてんだ」

「差がわかるのが、恐いんだろう」

「見えてんだろ。この立ち位置がオレとアイツの差だ」

 もう一度、一夏を中心にして放射線状に並ぶ人間たちを見回した。

 アイツを中心に世界が広がり、オレは一人、蚊帳の外にいる。

 この陣形に何の意味があるかは知らないが、オレだけが独り、ポツンと外れて立っていた。

 元々は、オレがいなくても回る世界だ。

 ……わかっていても寂しいもんだな。

「でもまあ、そこまでみんなで戦えって言うなら、意固地になってまで戦わない理由がないな」

 上着を脱いで、荷物の入ったバッグと一緒に壁際へ放り投げた。

 なんかもう、どうでもいいや。

 玲美ですらあっちにいる。理子や神楽でさえもだ。

「じゃあみんな、見てろよ。タッグトーナメントに出場するまでもなかったオレの実力、二瀬野鷹の負けっぷりってヤツを」

 

 

 

 靴と靴下を脱いで、制服のズボンとTシャツのまま、インフィニット・ストラトス『打鉄』に手足を通す。

 ISスーツがないと効率が悪いが、それでも動かすこと自体に問題はない。どうせ勝てる気もしないんだし。

 しかし、すげえ久しぶりに打鉄を身に付けたな。こんなに感覚が違うのか。背中に翼がなくて、頼りないにもほどがある。

「さて、やるか」

 みんなは壁際に寄っている。打鉄同士なら飛び道具もないし、危険もそんなにないか。

 その中にいる玲美に一瞬だけ視線を向けたが、すぐに逸らしてしまった。その表情を確認する勇気がない。

 玲美は良くも悪くも真っ直ぐな子だ。常に冷静でポーカーフェイスが得意な神楽や、賢しい頭で色々と企む理子と違って、感情が顔に出やすい。だから今日の試合中に打った変な小芝居も、すぐに看過できたわけだ。

 昔話を思い出す。オレこと二瀬野鷹が経験した話だ。

 中学校二年のとき、付き合ってる子がいた。一夏がいなくなってから程なくして別れたんだが、別れ際に言われたセリフが、もうホントに酷い。

『私、ホントは織斑君のことがずっと好きだったの……』

 ああそうですか、としか返せなかった。それっきり会話もしなかったし顔も見たくなかった。体中の温度が心ごと冷めていくように感じた。

 今も似たような気持ちだ。

 そういやセシリアも戦ったあとに一夏に惚れたんだっけか。

 合金製の太刀を持って、軽く振り回す。

「さて、やるかヒーロー」

 片手で持った刃の切っ先を、一夏相手に突きつけた。

「……来いよ」

 無表情に言い放つ主人公に、思うところはもう何もない。

 ガシャンガシャンと機械の関節を鳴らし、一夏へ上段から打ち降ろした。

 金属同士が弾け合う。

 そのまま、お互いに刀を狙って何度か打ち合った。

 打鉄ってこんな感じだったっけ。重いなぁ。ホントにPIC効いてんのコレ?

 ぼんやりとそんなことを考えながら、試合を続ける。今のオレを外から見れば、心ここにあらず、と言った感じだろう。

 我ながら酷い打ち筋だ。剣道を七年間もやってた人間には思えない。案の定、たまたま視界に入った箒の顔がすんげえ渋い。

 一夏が打ち降ろしてきたのを、緩慢な動作で受け止める。オレは打ち返すことが出来ずに、そのまま鍔迫り合いに持ち込まれてしまった。

「なんだよ……コレ」

 ポツリと、目の前の男が漏らす。

「あん?」

「お前、何やってんだよ」

「何言ってんだお前」

「何やってたんだよ、お前」

「成長してねえってか? お前と一緒にすんなよ、オレは要領が悪いの」

「そうじゃねえよ!」

「叫ぶなよ、うるせえな」

「オレはまだ弱いっていうのかよ、ヨウ!」

 なんか主人公様が意味のわからんことを言い出した。

「何言ってんの、お前」

 近距離で会話するのが面倒になって、軽く押し返してから再び刀を叩く。そうやって距離を取るのが篠ノ之流の稽古だった記憶があった。

 再び正眼に構えを戻して、相手の剣を見据えようとした。だが一夏の持つ刃が地面を向いている。

「ヨウ、どうして、オレを見てくれないんだ」

「はあ?」

「これでも、ちょっとは強くなったんだぞ、オレ! ドイツでISに触れてから、ラウラに教えてもらいながら!」

 何で必死に叫んでんだ、コイツ。

「いや充分強いだろ。オレより強いし、今日だってオレが勝てない玲美に勝ったんだし。そんなの充分に認めてるぞ」

 努めて冷静に、なるべく声を荒げないように答えを返していく。

「だったら何で、オレに何も言わないで、誰にも助けを乞わないで、一人で傷ついてんだよ!」

「しょうがないだろ。言ったって誰も信じないことはあるし、信じてくれなきゃ動かないし、言ったら言ったでそれなりに大変なことにだな」

 未来を知ってるとか言ったら、頭がおかしいヤツだと思われてISに乗れなくなったりするかもしれんし。

「何も言わなくても、オレは信じる!」

「いや信じなかっただろ、オレは散々言ったぜ、お前がもしかしたら誘拐されるような事態が起きるかもって。それが実績だ」

 自分でも驚くぐらい冷たい声色で言葉が溢れ出た。

 攻めるような口調だったせいか、一夏が黙り込んでしまう。

 オレたちが話題にしているのは、一夏がドイツに行くことになった原因となった事件についてだ。亡国機業にコイツが誘拐される事件の前、オレはその可能性があるって色んな人に協力を願った。本人へも気をつけるように忠告した。

 だが信じたヤツはゼロだった。

「いや、お前が悪いって言ってるんじゃないぞ、すまん」

 一夏が何も喋らずに下を向いていたままだったので、つい謝ってしまう。

 南米のサッカーの試合なんかじゃ裏で賭博をやってて、選手の家族を誘拐して八百長を強要したりってこともあるらしい。けど平和な日本じゃ想像しにくいし、それは仕方ない話だと思ってる。

 なのに一夏は俯いたまま、動かなくなっていた。

「ほれ、試合続けるぞ」

 からかうように剣をクルクルと回転させてから、屈伸運動をしてみせる。

「……悪かったって思ってるわよ」

 その言葉は、目の前からじゃなくて外野から聞こえてきた。

 声の主を探してみれば、どうやら鈴のようだった。

「なんだって?」

「だから、悪かったって思ってるわよ」

「いや悪いのはお前じゃなくてオレだって。一夏を助けられなかったし、別れの挨拶も出来ずに中国に帰ることになって、ホントに悪かった」

「なんで……なのよ、アンタは!」

「ああもう二人揃って、意味のわからんことで叫ぶなよ、めんどくさくなるだろ」

 実際、ISを動かすことすら面倒になってきている。

「食らえ、このバカ!」

 鈴が手に持っていた双天牙月を一本に合体させ、オレに向かって投擲してきやがった。

「あぶねっ」

 唐突すぎて上手く動けず、尻餅をついてしまったが、鈴の攻撃は座り込んだオレのちょうど上を通り過ぎて、地面に刺さる。

「次は絶対にアンタを信じるわよ。てかヨウ、アンタね、あたしがあのとき殴った意味、まだ理解してないわけ?」

「そういや無言で殴られたな。助けられなくて悪いって謝ってんのに殴るとか、お前どういう神経を」

「あたしはアンタが、自分も危ない目にあってんのに、そういう態度だから頭に来て殴ったのよ!」

 文節ごとに区切りをつけて強調しながら、セカンド幼馴染様が怒りをオレにぶつけてきた。

 それは新説だな。まさか鈴がオレなんかを心配してた、なんて。そんな素振りは一つたりとも見えなかったってのに。

「それは気付かなかったよ、悪い。だけど、余計なお世話だ」

「なんですって!?」

「オレより心配しなきゃいけないヤツがいるだろ、そこに」

「一夏の心配? どうしてよ?」

「なあ一夏」

 一言も喋らずに地面を見つめている主人公へ、なるべく優しく声をかけた。気を抜くと言葉が鋭くなってしまう。

「何だよ?」

「なんでお前、ドイツに行ったんだ?」

「……それは、千冬姉がドイツに行くって言うから」

「織斑先生が日本に戻るとき、なんで一緒に帰って来なかった?」

 昨日の晩飯の内容を聞くぐらいの気軽な感じで、立ち入り禁止区域に踏み込んでいく。人間、ヤケになりゃ何でも出来るもんだ。

 オレの言葉に、主人公様が刀を握る打鉄の手に力を込めた。

「帰る自信がなかった。また同じようなことがあったときに、誰かを巻き込んでしまうんじゃないかって思った。だから強くなりたかった。守れるようになりたかった」

 振り絞るような言葉が返ってくる。それが一夏がずっと悩んでいたことだった。まあ予想はついてたけど。

 鈴が言っていた『一夏は帰ってきた』ってセリフは、おそらく一夏がドイツで答えを出してきたという意味だったんだろう。

 だがオレは最初から答えを持っているのだ。ずっとそれを抱えて生きてきたんだから。

「ほらな、鈴、答えは出ただろ。全部、一夏が知ってた」

 思わずため息が出る。

 何でオレは、自分でこんなことを言わなきゃいけないんだ。

「ヨウ、アンタ、この期に及んで何言ってんのよ。全然意味がわかんないんだけど」

「お前やっぱりバカだな。じゃあ教えてやる」

 そう言って、周囲にいる人間を見渡した。

 IS学園でオレに関わりのある連中を集めて、こんなことを言わなくちゃいけないなんて、神様は何て意地悪なヤツなんだ。

「なあ一夏」

「……ああ」

「知らない子も多いだろうから、話すぞ」

「わかった」

「二年前のモンドグロッソ、総合優勝決定戦の前日、織斑一夏は何者かに誘拐された。その可能性があることを知っていたオレは、周囲に危険性を伝えたんだが、もちろん誰も信じなかった。誘拐されたとき、オレは一夏と一緒にいた。ここまでは間違いないな?」

「間違ってない」

「今の一夏の話と総合すると、一夏の誘拐を防ごうとしたオレが、犯人たちによって危険な目にあった。だから一夏は自分が許せなくて、教官としてドイツに渡る姉についていった。織斑先生が仕事の任期を終えて日本に戻るときも、一緒に帰ってこようとはしなかった」

「……そうだ」

「鈴、箒、それにセシリア、これってさ」

 4月からIS学園に揃っていたヒロインズの顔を見渡す。

 全員が何も言わずに、不安げで不満げな顔をして、オレの次の言葉を待っていた。

 でもみんな、ホントは気付いてるんじゃないのか。

「オレが存在してなかったら、一夏は日本に残ったままだったってことじゃないのか? お前らはオレなんて、いない方が良かったって理解してるだろ?」

 そう言って、オレは小さく鼻で笑った。

 存在しなかった方が良い存在という、独自の個性(オリジナル・キャラクター)を持っているのが、オレことフタセノ・ヨウだ。

 誰も何も答えない。これだけの数のキャラクターがいるのに、誰も何も答えてくれなかった。

 まあ沈黙は肯定の場合が多いしな。

「そんな、こと、ねえ、だろ」

「あるだろ。証明終了だ。なんか反論あるか?」

「お前は、お前は何が言いたいんだ?」

「何をってそりゃお前、オレが棄権したことを気に病む必要全くねえってことを伝えたいだけだ。今回はお前、関係ないんだし」

 手に持った刀を再び正眼に構える。

 だが、ここまで言っても、一夏は剣を構えようとしないし、何も言おうとしなかった。

「さあ、やるって言うならやろうぜ。お前が自分のこと弱いって思ってるなら、オレがその勘違いを正してやるよ」

 セリフは我ながらカッコいいが、内容はオレが負けるっていう予告なのが悲しいところだ。

 一夏が顔を上げ、小さく深呼吸をしてから、強張った微笑みを浮かべる。

「なあ、オレもドイツやフランスで得た答えがあるんだ。聞いてくれるか?」

「おう、どんとこい」

「会ったばかりの頃、ラウラはオレが千冬姉の経歴に汚点をつけた存在だって言ってた。事実、その通りだと思う。だけど、千冬姉がオレを助けようと思った気持ちを否定しちゃダメだって思ったんだ」

「気持ちって?」

「オレを助けたいと思った、その気持ちだよ」

「それが、お前が西の地で見つけた答えってわけか」

「失敗しても、お前がオレを助けようと思ったことまで否定しちゃダメだって、オレは思う。だから、お前がいらない存在だなんて、自分で自分を否定するなよ」

 優しく子供に問いかけるような口調で、一夏がオレを諭そうとした。

 本当に主人公らしい回答だ。真っ直ぐで人に優しくて、誰も否定しない正しい答えだと思う。これを持つことで、一夏は日本に戻る自信がついたんだろう。

 だけど、オレは拒否できる。

「いや違うぞ、オレはお前を助けようと思ったわけじゃない」

「……え?」

「オレは、お前を助けようなんて、これっぽっちも思ってなかった。ただ、脇役で終わりそうな人生を変えようと思って、その手段がお前の誘拐事件を防ぐことだったんだ」

「だけど、それでもお前はオレを」

「手段だ。お前を助けようとしたことは目的でもなく欲求でもない。だから、お前がドイツやフランスで得た答えは間違いなんだ」

 結局、一夏はケンカを吹っかけてきておきながら、剣を構えようとしない。

「……間違い……?」

「もういいだろ。これ以上、オレを苛めんな」

 自分の汚さと惨めさを再確認するだけの話だ。

 視界に浮かぶウィンドウを目線で操作して、打鉄をスリープモードに移す。

 低い電子音が短く唸りを上げた後、駆動しなくなった機体から足と腕を抜き、地面へと飛び降りた。

 皺のついたズボンを軽くはたくと、すぐに真っ直ぐな元の姿へと戻った。さすが最新素材を使ったIS学園の制服だぜ。

 そんな凄い制服が勿体ないけど、明日にゃ学校辞めるか。

 これ以上ここにいたって、みんながつらいだけだ。岸原一佐に頼んで空自に入れてもらうか、それこそ米軍にでも行くか。ティナが連絡取れるとか言ってたっけ。

 織斑一夏が目を丸くして驚いたまま、オレを見つめている。唇は震えていた。

 コイツがIS学園に来るまで、オレは何も知らずに、一夏の代わりを務められるよう自分なりに頑張ってた。

 一夏が戻ってきて、白式を装着して空を飛んだとき、見たかった物、見たくなかった物が同時にココにあると思った。やっと本当の世界が戻ってくるとホッとした。だけど次の瞬間には居場所が取られると感じたんだ。

 オレに才能はない。みんなに言われてきた言葉だ。アイツみたいに何回か練習したら何でも出来るようになるわけじゃない。だからせめて名前負けしないように、毎日をどうしようもない反復練習に費やした。

 二瀬野鷹は誰からも好かれるわけじゃない。アイツみたいに色んな人を引き寄せて愛されて、世界の中心に立てるわけじゃない。それでも一人ぐらいには愛されるようにって願ってた。

 今日、この集まりが何のためだったのか未だにわからないが、とりあえず結論は出したんだ。

 一夏が戻ってきて、端っこにいたオレは外へと押し出されたってことだ。

 久しぶりに裸足で踏んだ地面が、足の裏を刺激して気持ち良い。

「じゃあな、みんな。一足先にリタイアだ」

 後ろ手で軽く手を振って、新しい一歩を歩き出す。

 たった今、オレはオレの全てを否定した。馴染んでいた場所を去るには未練ばっかりだけど、心が冷めてしまった。

 まずは私物の整理か。先に退学届出した方が良いのか? ああ、あと岸原さんや四十院所長や国津さんに連絡しないとな。

 そんな算段を指折り数えていると、

「それでも」

 と聞き覚えない声が耳に届いた。

 声の主を探そうとして足を止めるけど、誰のものかすら見当がつかない。

「それでも、二瀬野君にいて欲しいって思います」

 きっと二組の誰かだと思う。ここにいて、オレが声を覚えてないってことは、消去法的に言ってそうなる。

「わ、わたしも」

 震えるような声で言ったのは、クラスメイトの夜竹さんだ。あんまり目立つ方じゃないけど、放課後の教室で自習してたりする真面目な子だ。

「あたしだって、二瀬野君が必要ないとか、思わない」

 はっきりと通る声で言ったのは、二組の椎名さんだ。何度か授業で話したことがある。手足のバランスを取るのが上手くて、確か柔道の黒帯だって言ってた。試しに投げてくれって言ったら、踏ん張ってたところに巴投げ食らった。

 だからって、止まるわけにはいかない。一夏が戻ってきたってことは、もうオレはいらないってことだから。

「タカ」

 その幼い呼び名で呼ぶのは、もはや箒だけだ。今までずっと喋らずにいた篠ノ之箒が、初めて口を開いた。

「んだよ?」

「お前はそれで満足か?」

「ああ、満足だね、これで満足だ」

「剣は、そんなことを言ってなかったぞ」

 まるで剣術の師匠がごとき口ぶりで、箒がオレの持つ合金製のブレードを見つめた。まあ、師匠ってのもあながち嘘じゃないか。毎朝、コイツの隣で素振りをしていた。お互いに挨拶以外は無言だったが、それでも綺麗なフォームを持つ師範の娘を参考にはしていたから。

「前にも言ったろ。オレは達人じゃない。剣に込められた思いなんてわからねえ」

 さっき振った剣に、心なんて込められていない。

「お前は……私などよりずっと頑張っていたではないか」

「そうさ、頑張ってたさ。バカはバカなりに、出来そこないは出来そこないなりに、頑張ってきた」

 今までずっと、一じゃなく二として頑張ってきたけど、それももう終わりだ。

 玲美がディアブロを装着したときに見たという文字、『ルート2』。上手いこと言ったもんだな。2の平方根、つまり√2は1じゃない。1.41なんたらと続く終わりの見えない数字だ。決して1にはならない。オレが持ってきた謎のISコアでさえわかってたってことだ。

 壁際に置いてあった自分の荷物と靴を見つけ、そっちにゆっくりと歩いていく。

「どこに行くの?」

 この集まりで、今まで何一つ喋らなかったシャルロットが、ラファールを装着したままオレの前に立ち塞がる。

「帰るんだよ」

「行かせない」

「どうやって? ISで殴るか? それとも発砲するか? オレのホークは預けてあるから、絶対防御すら発動しないぞ」

「そんなことしないよ。でももう一度だけ、チャンスをくれないかな?」

「チャンス? 何の?」

「今の勝負はキミの勝ちだよヨウ君。一夏は完全に心が折れちゃった」

「また立ち上がるに決まってる。織斑一夏だぞ」

 確信を持って呟く。オレに躓いたぐらいが何だ。主人公様だぞ。

「無理だと思う。きっと」

「お前がそんなこと言うなよ、最後まで信じてやれよ」

「だってボクの心も今、一夏と一緒に折れちゃった。ラウラも同じ気持ちだと思うよ」

 シャルロットが悲しそうに呟いた。

「折れても治る。断言してもいい。大体、なんでお前の心まで折れるんだ?」

「だって、一夏の言った言葉は、ボクの答えでもあったんだ。それを根本から否定されたんだよ? フランスで一夏が教えてくれた、一夏が生み出した答えが実は不正解だったなんて、酷い話だと思う」

「知るかよ。違う答えを出せばいいだけだろ。お前らならそれが出来るぞ」

 吐き捨てるように言い放って、オレはラファールの横を通り過ぎる。

 裸足で歩くと痛いな、地面って。

 さて、荷物荷物っと。どっかで足洗わないと、靴も履けないな。

 ゲート側にあった自分の制服とカバンを持ちあげようとしたが、手に触れる寸前でかっさらわれた。

「ヨウ君」

「玲美……」

 荷物をオレから隠すように抱きかかえて、玲美がこっちを見ていた。強張った笑みを浮かべている。

「もう一回だけ、チャンスをちょうだい」

「……なんだよ、お前まで一夏の味方かよ」

「味方とかそんなんじゃなくて、あれじゃ可哀そうじゃない?」

「……うるせえ」

「え?」

「うるせえって言ったんだよ、さっさと荷物返せよバカ」

 初めてだった。

 初めて、IS学園の女子に心の底から暴言を吐いた。鈴や箒相手に軽口を叩くことはあった。でも、よりにもよって、今まで一緒にいてくれた女の子に言ってしまった。

 そんな自分がショックだったし、こんなことを言うほどにショックを受けていた自分が情けなかった。

「ちょ、ちょっと二瀬野君! 玲美に向かってそんな言い方ないでしょ! 玲美はただ二瀬野君と織斑君のことを思って!」

 近くにいた相川さんがオレに抗議してくる。他の子たちも少し怯えた目でオレを遠巻きに見つめていた。

「どいつもこいつも一夏一夏イチカいちかってうるせえんだよ」

「そういうことじゃなくて、ね、聞いてよ二瀬野君」

 それでもなお追いすがってくる相川さんだって、少し怯え始めていた。

「お前らこそ全員、わかってんのか、アイツ一人のトラウマを治すために、弱いオレを晒しモノにしてんだぞ!?」

 そんなことを叫んでしまった。

「ふた……せのクン?」

 だって、ひでぇじゃねえか。

 オレは自分に出来る最善を尽くし、みんながタッグトーナメントを無事に終えられるよう、一人でやり遂げた。結果、シャルロットには悪いが棄権になった。

 その出来事を過去のトラウマに重ね合わせて、落ち込んでしまった人物がいる。織斑一夏だ。

 そりゃ一夏はみんなに好かれる主人公だ。アイツが落ち込んでたら、何とかしてやりたいと思うんだろう。

 だから、一夏がオレと戦いたいという提案に、みんなで乗った。オレも試合を棄権していたから丁度良かったんだろう。

 でもさ……これじゃあ単なる踏み台じゃねえかよ、一夏が成長するためだけのワンステップだ。たぶん、これからもずっとコレの繰り返しに違いない。

 みんなは一夏のために行動し、オレは弾き出された。このままここにいても、オレの思いなど無視されて何もかもがヤツを中心に回っていくだろう。

「ああもう、荷物いらねえわ。じゃあな」

 結局、裸足のままで入退場ゲートをくぐろうとした。

「ごめんなさい」

 ポツリと泣き声が聞こえる。

 振り向けば、玲美がしゃがみ込んで泣いていた。

「……悪かったよ、怒鳴ったりして。でも、もういい。オレに構うな。こんな疎外感はうんざりだ」

「そんなつもり……じゃ」

「じゃあどういうつもりだってんだ」

「みんな……ヨウ君と織斑君に仲直りしてもらいたくて……」

 嗚咽につっかえながら玲美が答える。最初からそんな気はしてたよ。お前は良いヤツだから。

「それで試合か。自分に勝った相手に、オレが打鉄で勝てるとでも思ったのかよ」

「だって……そうするのが一番だからって、織斑君が」

「また織斑君かよ」

 踵を返して一夏の方を向き直る。まだ一歩も動けていなかった。硬直したように動作を止めている。

「おい織斑一夏」

「……ああ」

「言葉はねえのかよお前らは。昔の少年マンガかテメエは」

「返す言葉もねえよ」

「他人の前で傷口広げんな、カッコ悪いだろ」

「……知ってもらいたいと思ったんだ、仲間には、それに国津さんには」

「全てを知って、それで何が起きるってんだ、このバカ。それにオレはまだ言ってないこと沢山あるぞ。でも絶対に言わない。どうせ誰も、オレを、信じない」

「そんなことねえ!」

 拒絶の宣言を跳ねのけようと一夏が腹の底から声を出して叫ぶ。

「あるぞ、実績だ。実際にそうだったろ」

「……それでも」

「ああ?」

「次は違う」

「じゃあ大事なこと言うぞ、信じろよ?」

「ああ」

「オレは未来人だ」

「……前に言ってたな、そんなこと」

 誘拐事件のとき、オレはこいつに未来人だと告げていた。もちろん比喩表現で正確じゃないが、未来を知っているという意味では同じだ。

「ほらな、今まで信じてなかっただろ? また実績を重ねたな」

 これで終わりだ。

 オレの全てが終わりに向かって加速し始める。

 もう死んでしまいたい。消えてしまいたい。誰か殺してくれねえかな、痛みもないように一瞬でお願いします。

 信じるとか言っても、所詮は人間だからな、そんなもんだろ。

 口先だけの野郎と蔑むつもりはない。オレだって何も達成できてない口だけ野郎だしな。

 そんな感傷を持った瞬間に気付いた。今、初めてオレは織斑一夏を人間として正しく認識したんだな。

 弱くて人を信じ切れず、人並みに悩みを重ねて、苦悩しているアイツの姿こそ、正しく人間だ。

 だから今、不甲斐なさが悔しくて、歯を食いしばって右眼からポロポロと水滴を落としている織斑一夏も、また織斑一夏の側面なんだろう。

「これは何の騒ぎだ、バカモノども」

 呆れた声を発しながら、織斑先生が目の前に現れた。訝しげな顔の山田先生も横にいる。

「いつまで経っても、誰も寮に戻ってこないと思ったら、こんなところでバカ騒ぎか」

 アリーナ内を見回す中、一瞬だけ中央にいる一夏で視線を止めた。

 だが、すぐに視線をセシリアに向ける。

「オルコット、何をしていた?」

「え、えーっと、これは」

「クラス代表だろう。ファンと協力して、さっさと指示して片付けろ、打鉄は早くメンテルームに回せ。あと二瀬野」

「はい」

「一緒に来い。いいな?」

「了解です」

 踵を返してアリーナから出て行こうとする織斑先生を追う。

 これで終わりだ。

 一夏の代わりになろうとしたオレも、一夏に対して償いをしようとしたオレも、全て遠くへ投げ捨てた。

 どちらも最後まで貫き通せず、中途半端のままで終わった。

 オレにぴったりの終幕だった。

 

 

 

 

「どうして裸足なんですか?」

 IS学園の校舎の奥深く、暗い通路を歩いている最中に山田先生が尋ねてくる。

「なんでなんでしょうね、ホント」

 結局、玲美から荷物を返してもらうことは諦めたので、上着と靴がない。ゆえに裸足でペタンペタンと音を立てているわけだ。

「はぁ……何があったんですか、さっきのは」

「青春群像劇です。若さってヤツです」

「は、はぁ……」

 苦笑いを浮かべた山田先生が、申し訳なさそうにオレを覗きこむ。

「ごめんなさいね、二瀬野君。でもやっぱり、あの件を聞かないといけなくて」

「いや、覚悟は決めてましたから」

 辿り着いたのは、計測器だらけの部屋だった。真ん中の寝台に、オレが破壊したゴーレムが乗せられている。

 織斑先生がイスを回して勢い良く座り足を組む。その傍らで山田先生がインスタントコーヒーの準備をし始めた。

 ……ホントにあるんだ、砂糖の横に塩。なんでコーヒーセットに塩が……。

「とりあえず二瀬野」

「はい」

「さっきは何の騒ぎだ?」

「えっと……青春群像劇?」

「内容を聞いているんだ、バカモノ」

 まあそりゃそうだよな。でも、何をどう説明したら良いもんか。

「あー、とりあえずですね、IS学園を退学しても良いっすか?」

 三秒ほど考えた結果、結論だけを言うことにした。

「はあ?」

 珍しく織斑先生が目を丸くして驚いていた。

「ふ、二瀬野君? 何か悩みが? え、うちのクラスって良い子たちばかりで、それに成績だって二瀬野君は悪くないというか、むしろ二月までISに関わってなかったのに、座学がどうしてこんなに良いのかなぁって不思議に思うぐらいなんですけど」

 コーヒーの準備中だったら山田先生が、慌てた様子でまくし立てる。

「いいから、説明をしろ説明を」

 こめかみに浮いた血管を指で解しながら、織斑先生が冷静になろうとしている感じの声で尋ねてきた。

「えっと、人間関係に疲れた?」

「お前は中年サラリーマンか」

「じゃあアレだ、入ってみたものの、やりたいことと違う」

「お前は研修を終えて部署に配属されたばかりの新入社員か」

「えっと、好きな人にフられて、同じ空間に居づらい!」

「お前はOLか」

 織斑先生が床に届かんばかりの大きなため息を吐いた。

「じゃあアレだ。男子が掃除を真面目にしてくれない!」

「小学校か。まあ、あの様子では小学校とどっこいどっこいだがな。……あれが泣いているところなぞ、何年ぶりに見たか」

「イジメッ子とかがいるんじゃないすか、うちのクラス」

「ったく」

「あ、心配なんすね」

「……とりあえず、退学を希望する理由を教えろ」

「そもそも入学したのが間違いだった! とか?」

「……バカかキサマは」

 すげえ呆れられた。そろそろため息が床を貫通しそうだ。

 オロオロしていた山田先生だったが、少し落ち着いたのか、紙コップにインスタントコーヒーを注いでいく。

「真耶ちゃん、今入れたの、塩です塩」

 全然落ち着いてなかった。

「え、ああ、ご、ごめんなさい。どうしてこんなところに塩が・・・・・・こ、これどうしましょう?」

 残念ながら、ここには簡易的なキッチンなんかない。

「あとで捨てればいいんじゃないすか」

「あ、そうですね、上で捨てます」

 そう言いながら山田先生が、代わりにもう一つインスタントコーヒーを入れてから、オレたちに渡してくれた。そして織斑先生と違って行儀良く女性らしい座り方で自分もイスに座る。

 コーヒーを一口、口につけてから、織斑先生が足を組み直した。

「さて二瀬野」

「なんでしょうか」

 その迫力に思わず腕を後ろに回して軍隊みたいな姿勢を取ってしまう。

「この機体、お前の言ったとおりに無人機だったが、どこでそれを知った?」

「……戦ってる間に気づきました」

「そうか。では、こいつが襲撃してくることをどこで知った?」

「アリーナの外で空を見上げてたら気づきました」

「舐めてるのか小僧」

 ギラリと眼光が鋭く光るが、別に怖くはない。ただの脅しってわかってるし。

「舐めてねえッス。言っても信じないことは、二度と言わないって決めました、さっき」

「さっき? アリーナで集まっていた件か。何をしていたんだ、キサマらは」

「何だったんでしょうね、ホント」

「まあ大方、棄権したお前に、形だけでもトーナメントを経験させてやりたかったとか、そういうことだろうが・・・・・・」

「あ、ああ、そういう解釈もできるのか。てっきりイジメられてるもんだと思った」

「イジメ?」

「あ、大丈夫ッス。我が校にイジメはありません。じゃれ合いです」

「結果的に、誰が誰をいじめたことになるんだか・・・・・・」

 まったくもって、謎の結果に終わったイベントだった。

「それで話を戻すが、これが何なのか、お前は知っているんだな?」

 織斑先生が、寝かせられている黒いISを顎で示しながら尋ねてくる。 

「ISコアを作れるのなんて、一人だけだ。これは、登録されていたコアでしたか?」

「……お見通しか」

「何で知ってるかとか、聞かないでくださいね。オレも何で知ってるのかわからねえッスから」

「この間の、寮で確認されたISコアと関係はあるのか?」

「この間?」

「一夏がお前の部屋に来る前の夜だ。お前の部屋からISコア反応が二つあったことは知っている」

 コアナンバー2237の件か。さすがにバレてたってことね。ただ、あの日の織斑先生は弟と一緒に自宅に帰っていたから、運が良かったってことか。

「関係はありません。別件です。自分の認識ではそうです」

「嘘はないな?」

「話せないことだらけですが、嘘はありません」

 うむ、まさにオレを象徴するような回答だな。

「しかし、こいつを落とすとはな」

 織斑先生は空になった紙コップを山田先生に渡して立ち上がり、ISに近寄って見下ろした。

「何か問題が?」

「調べてみてわかったが、スペックはかなり高い機体だ」

「無人機だから弱いんだと思います。ISは人間が乗ってこそ、という話を覚えています」

「……また妙なことを言い始めたな」

「はい? 何かおかしなことを言いました?」

「人間の乗っていないISなど今まで存在したことがない。逆説的に言えば、無人のISが強いか弱いかなど誰も知らん」

「……なるほど。うかつでした」

「その知識はどこで手に入れた?」

「言いません」

「……強情、というわけではないようだな」

「理解が早くて助かります」

 姿勢を正して頭を下げながら、わざと人を食ったような答えを返した。その態度を鼻で笑ったのが実に織斑先生らしい。

「まあいい。話は以上だ」

 彼女はいかつい無表情に戻り、ISの寝かされた台から離れて、扉に向かおうとした。

「おり……いえ、千冬さん」

「学校では織斑先生だ」

「一夏のお姉さんに、お話があります」

「……プライベートな話か」

「えっと」

 ちらりと山田先生を見ると、彼女はオレの意図を察知して、

「ちょっと外に忘れ物をしたので、取ってきますね」

 と笑顔を浮かべたあと、パタパタと部屋から出て行った。

 それを見送った後、織斑先生は姿勢を崩して背もたれに体重を預けた。

「で、何の話だ?」

「アイツ、ヨーロッパでどうでした?」

 あくまで近所のお姉さんと話すように、問いかけてみた。その意図を理解したのか、珍しく織斑先生が肩を竦める。

「あのままだ。変わったようで変わってない」

「悩んでました? あの件」

「あの件……ああ、誘拐事件か。友達を危ない目に遭わせたことを後悔していたな。だがまあ、お前は気にするな」

「そうッスか……」

「さっきの件は、その話か?」

「うっす」

「……教師に向かってそのテキトーな話し方はどうにかならんのか」 

 眉間に寄った皺を解すように指を当てて、千冬さんがうめくように呟いた。

「いや今は友達の姉ちゃんに話してるんで」

「……そうか。なら仕方ないな。アイツは馬鹿だからな。失礼なことをしたら教えてくれよ。何せ恩人のお子さんでもある」

「恩人って。うちの母はまあ、アレだけど、そこまで気にしなくても」

「気にはかけるさ。お前と同じ年ぐらいの頃は、それなりのメンタルだったんだぞ、私も」

「え、マジで? 意外ですわー……」

「あん?」

 ギラリと睨まれた。まあ明らかにジョークっぽい睨み方だけど。

「いや何でもねえっす。でも、オレの年で確かに弟を育てるってのは考えられないとは思ってます」

「そう言ってくれると助かる。事実、お前のご両親には本当にお世話になった」

「いや、今日はホントありがとうございました」

「すまんな、あれぐらいしか時間が取れなくて」

「そんなことないですよ、でもホントすみません」

「本当に退学を希望するのか? お前の場合は退学しても自由には」

「いやまあ、希望としては自衛隊あたりにお世話になろうかなって」

「……ふむ。答えられるなら教えてくれ」

「ヘイ」

 可能な限りふざけた調子で答えた。織斑先生がまた呆れたようにため息を零す。まあテンション上げていかないと、色々と崩れちゃいそうだしな。

「ったく……。何があったんだ、さっきは。アイツが泣いているところなんて、凄く久しぶりだぞ」

「慰めてやった方がいいんじゃ?」

「高校生だぞ?」

「ま、慰めるのは周りに沢山いるか」

「……甚だ不本意だがな」

「あれ、弟を取られちゃった的な?」

「そんなわけあるか。ただまあ、結果的には状況がよろしくない」

「よろしくないって?」

「お前はほら、世界で最初の男のIS操縦者だったが、さっさと周囲を決めてしまっただろう?」

 その何気ない言葉に、胸がずきりと痛んだ。

「ま、まあそうっすね。可能な限り女の子と接触しないように、とはしました。そう考えると四十院のメンツはぴったりでしたから」

「仕事上の関係というわけか」

「これなら仲良くしてても変じゃないし、適度にガードにはなる。もちろん国津さん、岸原さん、四十院さんには良くしてもらって、感謝しきれないぐらいです」

「だが逆に一夏は、決められない」

「決められない?」

「大事な物が多すぎる、ということさ」

「ああ、器が大きいから、中に色々入っちゃうってことか」

 何気なく言ったオレのセリフに、千冬さんが肩を竦めた。

「アイツの器は、長細いんだ。上から順番にしか取り出せん」

「……なるほど」

 目の前のお姉ちゃんが、呆れているというか、申し訳なさそうな顔というか、色々と複雑そうな表情で目を閉じて小さくため息を吐いていた。

「でも千冬さん」

「ん?」

「それだけ目の前のことに集中できるのは、良いことなんじゃないですか?」

「悪いとは言っていない。ただ、目の前のことしか見えずに周囲がおざなりだ。隙が多すぎる」

「ははー……目の前のことを片付けたら、次に入れた物にかかりっきりってことか」

「そういうことだ」

 箒の問題が起きればそれに、鈴が突っかかってくればそれを、シャルロットが困っていればそっちに、セシリアが寄りかかってくれば支えに、ラウラが圧し掛かってくれば下敷きに、会長がうつむいてたら笑わせに、簪が泣いていたらそれを止めるために戦うだろう。

 だがそれは、その場その場に懸命で、他のことは後回しということだ。

「結果的に目の前のことだけ処理して、何も選べない。まあヒーローっぽくて良いんじゃないスか」

「ヒーロー? あんなにボロボロ泣くヒーローなどいるか。逆に言えばだ、二瀬野」

「うぇい?」

「お、お前なあ」

 オレのテキトーすぎる返事に、織斑先生は体勢を崩してしまったが、咳払いをして元に戻る。

「お前がアイツにとっては、最初のヒーローだった」

 なんたる真実。そんなこと初めて知ったぞ。

「はぁ? 目標低すぎでしょ。バカなのアイツ?」

「お前な……」

「いや失礼。センセの弟さんでしたね」

「まあいい。ともかく、私から見ても、当時のお前は大人びていたからな。お前の家から帰ってきても、ずっとお前のことばっか話してたぞ」

「バカとかアホとか?」

「まあ最初はそんなことも言ってたかもしれんが」

「くそ、一夏め」

「お前のことを……兄のように思っていたのかもしれんな」

「兄? いやだなぁ、それだと千冬さんがお姉さんってことでしょ?」

「おい」

「うそですジョークです。お姉さん大歓迎」

「まったく。お前、そんなテキトーなヤツだったか? 真面目なヤツだと思っていたが」

「わりと投げやりなんですよ今。死ねと言われたら、『あ、逝ってきます』って言うぐらい」

「一夏が何かやらかしたのか?」

「いいえ。あいつは真っ直ぐぶつかってきただけですよ、正直にアイツらしく自分の思ったことを投げてきたんですよ」

「それを打ち返したというわけか」

「違います。オレは客席にいただけですよ。そもそも立っている場所が違いすぎた。甲子園投手が観客に勝負を申し込んだとしても、観客にとっちゃ迷惑なだけです」

「棄権したお前と戦おうとした、ということか。まあ、姉だからというわけでもなく、お前と一夏が打鉄同士では勝ち目はないだろう」

 そういうことじゃないけど、オレはもう信じてもらえないことは言わないことにした。

「イエス、晒し者ですよ。あんだけ人の目がある状態じゃあね。他に意図があって、まあセンセが言ったとおり試合を体験させたかったのかもしれないけど、結果的には弱い物イジメでしょ、あれ。ただでさえテンペスタ・ホークのみに特化しているオレに打鉄なんて。負けた方は惨めなもんでしょ」

「比較対象はお互いしかいないわけだからな」

「男は二人だけですからね。アイツは男女分け隔てないから、逆にそれが思いつかない」

「……しかしだ」

「なんスか」

「お前は何か隠している、そうだろ?」

「ええ。隠しまくってます」

「私に話す気はないか?」

「話したい気はありました、さっきまでは」

「今は?」

「一夏が信じられなかったことを、他の人が先に信じちゃったら、可哀そうでしょ」

「……なるほど。つまるところ、お前は一夏をどう思ってるんだ?」

「そうッスね。まあ色々と思うところはありますが」

 織斑一夏に対する思い。

 世界の中心、たった一人の男性IS操縦者、何をしたって上手くいく。主人公補正の真っただ中の男。

 ただ、それらを抜いて織斑一夏を思い出せば、

「友達っスかね、まあオレが思ってるだけかもしれないけど」

 それぐらいしか形容する言葉がなかった。結局、一緒にいた時間はすげえ長い。

 恨むところは何もない。オレとアイツの思いはすれ違い、去るべき者は去る。これ以上一緒の場所にいても、オレとアイツがIS操縦者である限り、上手くは行かないだろう。

 お互いの成長を待って、それから再会すれば、きっと過去も洗い流せているに違いない。

 だけど、それまでは、敵になる可能性だってあり得る。

 次に起きる出来事は、おそらく銀の福音の暴走。

 オレは篠ノ之束によって起こされるコレを許さない。

 何か手立てを探して、銀の福音を助けたい。そうすることで、ナターシャさんに悲しい思いをさせなくても済むだろう。

 IS学園を離れる自分に何が出来るかはわからない。でも最悪の場合は、IS学園の専用機持ちたちと敵対することだって考えられる。

 (テンペスタ)は近い。

「話は以上ッス。これからはどうしたらいいッスか?」

「まずは私から岸原一佐に連絡を入れておく。退学の件はこちらで処理しよう。日程はおそらく二日後だろう。四十院へは自分で連絡を入れろ、いいな?」

 他の子がやめたときも同じような日程で動いてたな。それなりに退学者が出るIS学園では、慣れた作業なのかもしれない。

「ええ、わかりました。ありがとうございます、織斑先生」

「少し早いが、達者でな」

「はい」

 そう言って踵を返し、扉を開けて部屋から出る。すぐ側で壁にもたれかかって待っていた山田先生にもお辞儀をする。

「ほ、本当にやめちゃうんですか? 考えなおしたりは」

「いえ、決めたことです。いつかはこうなるって思ってました。山田先生、短い間ですが、ありがとうございました」

「……残念です。私は二瀬野君の頑張る姿、好きでしたよ」

「ええ、オレも先生の授業、わかりやすくて楽しかったです。それじゃあ」

 もう一度だけ頭を下げて、山田先生にも別れを告げた。

 

 

 

 諸々の処理手続きは終わり、タッグトーナメントの翌々日になっていた。今日の夕方にはIS学園を出るように、と言われている。

 あの後、まず岸原一佐から連絡が入り、すごい渋い声で怒られたので謝り倒した。

『とりあえず空自のIS部隊で一度、面倒を見ることになる』

 そういうことらしい。

 次に四十院所長から珍しく直電が入り、

『まー仕方ないね。私としては残って欲しかったけど、神楽曰く、色々あったって言うなら仕方ない」

 と爽やかに言われた。

 最後に国津博士だったが、渋々ながら、

『……男が決めたことなら、仕方ないね。ホークはキミの専用機のまま、空自に持っていけるよう処理はしておくよ。岸原もそう言ってたし』

 と了承してくれた。

 タッグトーナメントの日からは、寝泊まりは教職員用の余った部屋を使わせてもらっていた。生徒とは顔を合わせていないので気楽なモノだ。

 昼間は授業には出ず、私物をまとめ、捨てるモノは捨てた。MIGも捨てた。他の生徒たちが授業をやっている最中にやったので、これまた誰とも顔を合わせていない。事務室で配送の手続きをし、自分の荷物が無くなった部屋を見回す。

 三か月、たったの三か月だったけど色々なことがあった。

 ISの待機状態であるアンクレットがしゃらりと音を立てる。

「さて、行くか」

 手荷物一つを持ちあげて、私服姿のまま歩き出した。IS学園の制服も先ほど、事務室に返したところだ。一夏のスペアにでもするんだろう。

 授業中だけあって、誰ともすれ違わない。元々いなかった人間が出て行くだけだし、挨拶はいらない。

 IS学園の寮を出ると、黒塗りの車が待っていた。中からスーツ姿の岸原一佐が出てくる。相変わらずいかついオッサンだ。

「送り出す人間もおらんとは」

 少し憤慨した様子でIS学園の校舎を睨む。

「いや、何も言ってないんですよ。お嬢さんには、よろしくお伝えください」

「む、ううむ……また娘に怒鳴られそうだな、これは」

 心底怯えた目をしている中年の紳士がそこにはいた。オレからの視線に気づいて、ゴホンと咳払いをして誤魔化し、

「では、今から君はIS学園の生徒ではなく、アラスカ条約機構極東理事会所属運営のIS部隊に配属になる」

 と新しい行き先を教えてくれた。

「あら? 空自所属って聞いてましたけど?」

「日本は色々とあるんだよ。それはまあ車の中で説明する。では行こうか」

 そう言って、一佐がドアを開けてくれた。

 お辞儀をして、中に乗り込む。岸原一佐が隣に座ってドアが閉まると、車が走り出した。

 久しぶりに携帯端末の電源を入れ、タッチパネルを指で操作していく。電話帳を開き、IS学園と区分けされた部分を丸ごと着信拒否に設定した。これでオッケーだ。

 

 

 振り返ることもなく去っていくことだけが、オレの意地だ。

 これからのオレは、オレの道を行く。誰が敵であろうとも誰が味方であろうとも、迷うことはない。

 ただ一言だけ心の中で、さようならと告げて、オレこと二瀬野鷹はIS学園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 








第二部終了。

二話分以上ある長さだけど、上手く分けられなかった。
賛否あるかもしれませんが、『二瀬野鷹』のIS学園編は終了です。



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16、新しい日々、置いていかれた少女

 

 

 迷彩服である。

 自分がこんなものを着るとは思ってなかったが、迷彩服である。

「に、似合わねえ」

 横須賀にある基地の中の独身寮の一室で、オレは姿見をで確認して項を垂れていた。

 そんなこんなで、今日からアラスカ条約機構・極東理事会所属・極東飛行試験IS分隊所属の二瀬野鷹だ。身分自体は空自にあるが、アラスカ条約機構の管理下で作られた新しい試験分隊であるらしい。

 軽く前髪を正して、支給品の編み上げブーツを履いて部屋から出る。

 IS学園の朝のような慌ただしさはない。あそこは尋常じゃない女の子の数だから、朝は戦場みたいに騒がしかったし。

 普通のアパートみたいな寮から外に出ると、本当にだだっ広い空間だった。

 ISショーのときにお世話になった米軍基地ぐらいの広さだけど、あちらほど建物がない。この寮と敷地を囲む金網の一角にある検問兼守衛室と、どうやら基地っぽい黒い建物だ。シャッターがついた格納庫と隣接している。

 金網の外まで視界を移せば、ほとんど何もない海辺の埋め立て地だった。

 ただもう一つだけ、海側にある巨大な桟橋のような建造物が気になった。長さが二キロぐらいありそうだ。

「……つか、ここどこ?」

 横須賀って聞いてたけど、どっちだ? 相模湾? 横須賀港? 場所もわからないまま到着したときは夜だったので、周囲を確認してる暇はなかった。そのまま荷ほどきしつつ、色々と作業して寝たから、いまいち状況が掴めていない。

 大きくため息を吐くと、降りてきたばかりのアパートの階段から誰かが降りてきた。

「おはようございマす」

「おはようございます」

 ちょっと変わったイントネーションの挨拶が聞こえてたので、反射的に挨拶を返しながら振り返ると、そこには赤毛の若い女性士官が立っていた。年の頃はオレと同じぐらいか?

「……ってあなた、誰?」

「いや、こっちのセリフなんですが……って眼帯? なんでシュバルツェ・ハーゼがいるんだ?」

 白い半袖のワイシャツを着た彼女は、胸元に兎の隊章を縫い付けていて、左目には黒い眼帯をつけていた。

「あれ、何で知ってるの?」

 可愛らしく小首を傾げる女の子の動作がどこか少女マンガ臭いのは、副隊長の影響か。

「そんな珍妙奇天烈な眼帯してるモノ好きな軍人は、黒兎隊しか知らん」

「そ、そう。チ、チンミョウ?」

「素敵なデザインですねと言ってるんだ」

「ま、まあ話がわかるじゃない。あなたがヨウ・フタセノ?」

「相手が部隊所属を明かすまで名乗るなって命令されてるんだ、悪いな」

 背中を向けてヒラヒラを手を振って、歩き出す。

 IS学園から離れていきなりコレかよ。

「ちょ、ちょっと待ってよ、何で階級が下のアンタに私が先に名乗るの?」

「特殊事情だ」

 これは岸原一佐に言われている話なので、本当のことである。

「わ、わかりました、名乗るから! あんた、一夏より扱いにくいわね!」

 文句を言いながらもビシっと姿勢を正して、敬礼をする。さすがクラリッサさんの部下だけあって、その姿はバッチリ決まっていた。

「ドイツから来たリア・エルメラインヒです。アラスカ条約機構の要請により、昨日から極東飛行試験IS分隊でお世話になっています」

「あっそ。じゃ、そういうことで」

 気合いを入れた自己紹介に対して申し訳ないが、オレは力の限りスルーして歩き出す。ドイツ人に関わりたい気分じゃねえ。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! アンタも名乗りなさいよ!」

「オレがドイツ人に名乗らなきゃいかん理由を教えてくれ」

「お、同じ部隊じゃない! 私はドイツから出向してきてるけど、階級は上だよ!?」

「ドイツ人のくせに?」

「なんなのよ、ドイツ人が何をしたっていうのよ!」

「ビールを暖めたり、豚の腸にミンチを詰めたり」

「何がいけないのよ!」

 つか、何でドイツ人がいるんだよ、こんなところに。日本だぞ。IS学園から離れてもコレだよ。超めんどくせえ。

 7月7日、つまり銀の福音事件はもう来週末だ。

 めんどくさいことに構ってる暇はない。

 後ろで何か色々叫んでるドイツ人はシカトして、オレはスタスタと歩き出した。

 

 

 

「二瀬野鷹です。よろしくお願いします」

 IS学園の寮と同じような、十人も座れば一杯のブリーフィングルームで挨拶をする。席には7人ほどの女性が座っていた。その中には赤髪のドイツ人やらピンク色の迷彩服やらもいた。……ピンク色? なぜピンク……。どこに隠れるつもりだ、渋谷か?

 軽い拍手を貰い、オレは頭を下げる。

 事前に受けた説明では、アラスカ条約と日本の取引により新設された、日本主体で各加盟国から人を受け入れて技術交流を行う分隊であるらしい。

 岸原一佐曰く、IS学園のせいだとも言っていた。第四世代やらを隠し持っていて、治外法権をいいことにコントロールが効かなくなってきていた。ゆえにより言うことを聞かせやすい試験部隊を新しく作りたいらしい。

 今は分隊だが、後々はアラスカ条約機構主体の、IS学園に対抗する試験部隊にまで大きくするそうだ。

 そういうことで、放流された男性IS操縦者の行き先にはピッタリだった、というわけだ。

 一人の女性がタブレットを片手に、オレの横に立つ。着崩したシャツの胸元にある階級章は少尉のようで、この場にいる中では一番高い。

「んじゃ昨日入ったリアともども、みんなヨロシク!」

 前面に出て女性をパンツスーツに白いワイシャツを着た、ヤンキーみたいな金髪の人が隊長らしい。ちなみに発音は夜露死苦! みたいな感じだった。

「んじゃ二瀬野クン、私が隊長の宇佐つくみだ。他のメンバーはまた紹介するよ。戻っていいぞー」

 中身もどうやら田舎のヤンキーみたいなお姉さんのようだ。オレは宇佐隊長に軽く会釈をして、リアの隣に戻った。

「さて、では本日の予定だが、カンナギは電子戦装備に関する調整、アズマ、グレイス両名はカンナギのサポート。悠美は新人2名に色々教えてやれ」

 部屋の前面に出て端末の情報を読み上げていく。

「出来たばかりで色々忙しいけど、まあテキトーによろしく。では解散」

 

 

 

「さすがメテオブレイカーだね」

 軽く上空を飛行したあと、着地してISを解除する。声を掛けられたので振り向くと、ISスーツの上にピンク色の迷彩服を羽織った隊員が、親しみの湧く笑顔を浮かべていた。どこにでもいそうな庶民派的な雰囲気なのに、顔立ちはすげえ可愛い。

 その大きな黒目がオレを覗きこんでくる。

「あ、自己紹介まだだったね。サラシキ・ユミよ。よろしくね」

「ど、どうも、えっと、サラシキ? サラシキってあの?」

「あれ、知ってるの?」

「あ、ええ、一応。更識ってIS学園の会長だし」

「あー。まあ一応分家なのよ、字は違うわ。沙良双樹の沙良に色で沙良色。本業とはあんまり関係ないから」

 ……IS学園を離れてもコレだよ。誰か監視してんの、オレのこと。

 と思ったが、冷静に考えて監視の目ぐらいはあるだろうな。

「あ、そっすか」

「え、なに超冷たい。何かダメだった?」

「てか、ピンクの迷彩服とかアリなんですか?」

「大丈夫! 私、アイドルだから!」

 と妙なことを言って、大きな胸を……大きな胸を張った。デカい。確かに超可愛いがアイドルって何だ?

「言われてみれば最近、ストライプスで見たことあるような」

 インフィニット・ストライプスはIS専門誌でパイロットに焦点を当てた半分アイドル紙みたいな作りだ。

「でしょでしょ。IS学園卒業してからだから、まだあんまり有名じゃないけど、これでもチャートとかに曲が載り始めたし、もうこれからって感じ!」

「……ってことは十九歳?」

「ん? 二十歳だけど」

 二十歳でアイドルか……低年齢化の進む業界に、いくらIS乗りだとはいえ打ち勝っていけるのだろうか……。

 そんなオレの考えを察知したのか、アイドルさんはプイっと顔を逸らし、横目でオレを睨みつける。

「は、二十歳で何が悪い! まだ若い子には負けないよ! これからなんだから! てか歌メインのアイドルなんだし! 当方はオバサンになっても歌う覚悟アリだから!」

 ぷんすかと頬を膨らませて怒りる姿も確かに愛らしい。

 その姿に誰かを幻視して、胸がズキリと痛む。振り払うようにため息を吐いた。

「で、アイドルさん、いかがでした?」

「うん、上手だと思うよ。加速し始めてからトップスピードまでが速い。方向転換のスピードもトップレベル。機体の特徴を良く掴んでる。キミ、弱いって聞いてたんだけど」

「弱いですよ。実際、まともに戦えないし」

「ふーん、IS学園だからかな。あそこ、織斑先生が入ってから接近戦思考に磨きがかかってるし。今の楯無もあんなのだし」

 確かに世界大会を制覇した超人が教員にいるのだ。生徒の志向も次第にそちらに向かっていくのかもしれない。練習機も打鉄で遠距離飛行もロクに出来ない機体だしな。

「生徒会長がどうかは知りませんが、弱いのは間違いないですよ。専用機持ちどころか汎用機にも負ける」

「打鉄相手にってこと? 戦闘機同士が殴り合ってどうすんのって感じだけどね、私は」

 悠美さんがヤレヤレと肩を竦める。

「でも、IS学園じゃそれが強くないと評価されないし、モンドグロッソでもそうでしょう?」

「まあそうだけど……じゃあキミ、聞くけど」

「はい?」

「キャノンボールファストでキミに勝てるヤツ、いるの?」

 キャノンボールファストは、IS学園で9月の終わりに開催される妨害ありのスピードレースである。まあオレが出ることはないが。

「……ま、ぶっちぎりでしょうね」

 オレのテンペスタ・ホークの巡航速度は、他のISの倍だ。いくら妨害をしようとしても、よほどのことがなければ他のヤツが勝てるわけがない。元々は最高速度はマッハを悠々と超える機体だ。後継機で第三世代のテンペスタⅡでさえ追いつけまい。

「大体、あの楯無もそうだけど、ちょっと接近戦に強いからって調子に乗り過ぎ」

 胸の下で腕を組んだのは、胸が大きいからデスカ。ポヨンと乗ってるぞチクショウ、目が吸い寄せられる。

「えらく楯無さんとやらに拘りますね」

「ふん、あんな女。ちょっと可愛くて何でも出来るからって調子に乗って!」

 どうにもこちらの沙良色さんは更識楯無に良い感情を持っていないようだ。まあ同世代のIS乗りとして、何かと比較されてきているのかもしれない。

 何でも出来る超人と、それに劣る才能という構図に対して憤るのは、意識せずとも親近感が湧く。

「ちょっと、私を無視しないでよ」

 視線を感じて、悠美さん(沙良色とは呼びたくない)の隣を見れば、眼帯をつけた赤毛の女がオレを睨んでいた。

「悪い、気付かなかった」

「ふん、一夏の友達って言うから話しかけてあげたってのに」

「頼んでねえよ」

 どうにも朝の件を根に持ってるらしい。ドイツ人ってのは後を引く性格してんのかな。

「まあまあリアちゃん。で、リアちゃんはどう思った?」

「……下手くそです」

 そう言ってプイっと顔を逸らす。

「あれ、そう? 私はそんなこと思わなかったけどなあ」

「ユミさんは目が悪いんですか? 着地するときの動きなんてPICに頼りっぱなしで、まともにクッション出来てませんでしたよ」

「PICあってのISだから良いんじゃない?」

「そういう細かいところが出来てないとダメです。少なくともウチの隊ではそうです」

 まあ確かにラウラは上手いしな。そういう細かい点を突かれてもオレは何も反論しない。事実だし。

「黒兎隊かー。クラリッサ・ハルフォーフぐらいしか知らないなあ」

「副隊長は名手ですからね」

 得意げな顔をしてリアが腕を組む。だが悠美さんは人差し指を口元に当てて小首を傾げ、

「それでもたぶん、隕石は落とせないと思うよ」

 と考えるように言った。

「い、隕石なんて滅多に落ちて来ないから良いんです!」

 少し慌てた風に早口でまくし立てるリアを見て、悠美さんは幼い子供を見守るかのように笑う。だがすぐ視線を落として、暗い顔になった。

「私、あの場にいたからね。あの無力感は今でも覚えてる」

「悠美さんは、メテオブレイカーに参加してたんですか?」

「うん、ここに来る直前だったけどね。……ご当主がいたから、すごく嫌だったけど」

「そういえば空自はIS学園の上級生と合同作戦でしたね」

「そうそう。で、私たちはあの巨大な物体がマッハ50で落ちて行くのを、何も出来ずに見送っちゃったわけ。それで、もうダメだーと思ったら、まさかIS学園の一年生が撃墜したって言うじゃない」

「まあ、運が良かっただけですけど。それに悠美さんたちが頑張ってくれたおかげで、オレは最後の一押しだけでしたよ」

「そう謙遜しなくていいよって。私、最初は噂の織斑なんとか君かと思ってたんだ。でも違った。データ見たよ。キミはすごいんだから、もっと自信を持った方がいいかなっ?」

 そう言ってオレの額を突いてからウインクをする。いちいち可愛いな動作をする人だな。

 実際にオレが凄いなら、IS学園を出てここにいたりはしないんだけど、まあ、あまり卑屈になって否定するのも悪いか。

「そう言ってもらえると、頑張った甲斐があります。ありがとうございます」

「うん、素直でよろしー! 褒めてつかわすぞっ!」

 得意げに胸を……そう胸を張る横で貧乳が不満げな顔つきをしていた。まあムシだ無視。

「で、悠美さんの機体は?」

「これこれ」

 そう言って、自分の首ある黒いチョーカーを指さす。

「はれ、専用機?」

「そうだよ、打鉄・推進翼カスタム。倉持の打鉄に四十院の翼をつけた純日本製ハイブリッド仕様。それじゃ飛んでみよー!」

 悠美さんは降ろしていた長い茶髪をピンク色のヘアクリップでまとめ、小さく深呼吸をする。ホント胸でけぇな。顔も可愛いし。

「ん? どうしたの、見惚れちゃった?」

「う、うっす」

 からかうような冗談っぽい言い草だったのに、思わず生返事で返してしまう。

「この、正直者め!」

 そう言ってオレの頬を指でグリグリとつつく。そう言いながらも本人の顔が少し紅潮しているのは、褒められ慣れてないからだろうか。無理やりお姉さんぶってるというか、そういう感じが余計に可愛らしく感じる。ホントにアイドルしてんの、この人。

「じゃ、私に合わせて飛んでみて」

 そう言って、彼女のISが展開される。

 日本甲冑のような機体から肩部装甲が外され、スカート装甲も短くなっている。背中には二関節式の鳥の羽根のような推進翼がついていた。色は純白にピンクのラインが入っている。

 ……うーん、確かにこうやって見ると、アレだな。

「アイドルの衣装みたいッスね」

「でしょー? 結構可愛いと思ってるんだー」

 嬉しそうにISの両手でVの字を作る。面白い人だ。

 専用機持ちってことは、たぶん代表候補なんだろうけど。しかしこんな可愛い人がそこまで表に出てきてないってのは、不思議な話な気がする。アイドルしてるって言うなら、尚更疑問に思ってしまう。

「じゃ、いーくよっ」

 まるで兎のようにぴょんと飛び上がって、推進翼に点火し急上昇していく。思ったより各部動作と加速が速い。もう小さな点になっていた。

 すぐにISを展開して真っ直ぐ追いかける。そのまま少し後ろを飛ぶ形でランデヴーを開始した。

 ……いいケツしてますね。スカート装甲がIS学園仕様より短いので、後ろにつくと丸見えです。

 とは言えずに無言で後ろからついて飛びまわっていた。

 

 

 

 

 夜になり、自室でキーボードを叩いていた。

 新しい住処は普通のアパートの1DKのような作りで、生活に必要な家具なんかは初めから揃っている。

 しかし、晩飯がまずかった。IS学園の食堂に馴らされていたせいだろうか、インスタントのカレーがあんなに不味いとは思わなかった。食事は士気に関わるってのはホントだな。安い油が胃に残ってるようで、腹が重い。

 メガネを置いて、目を閉じる。寮の一階で買った缶コーヒーに口をつけ、大きなため息を吐いた。

 ウダウダやってる暇はない。何か手を考えなければいけないんだ。

 まずは地理の確認。この基地の位置的には、IS学園が合宿を行う場所からそう遠くはない。オレのテンペスタ・ホークならひとっ飛びだ。ただ、残念ながら一瞬というわけにもいかない。

 さらに言えば、音速を超えると衝撃波をまき散らす。低空飛行をする場合、船舶の航路なんかを考慮しなければ、転覆してしまう可能性だってある。理想は上空まで舞い上がってからの、高高度からの落下だ。それこそ流れ星のように落ちてくるのが理想だろう。

 ただ、上下に飛ぶというのは、それだけ距離が延びるってことだ。時間は算出しなければならないし、エネルギーの減りだって変わる。

 重力に逆らって飛ぶってのは、意外に骨だ。慣性をカットできるISとは言え、推進翼で加速しているときはその恩恵を得るわけにもいかない。

 可能な限り近くまで行けると良いんだけど、オレに外出の自由がないのが痛手だ。

 ……そういやあれ、マスドライバーか?

 朝にだだっぴろい基地の端っこに桟橋みたいな建造物があった。明日、誰かに聞いてみよう。あれがIS用マスドライバーだったなら、加速時にエネルギーを使わなくても良い。

 次に日時。

 7月7日。確か箒の誕生日に事件が起きるはず。

 この知識だけがオレの武器だ。

 最大の課題は、暴走するシルバリオ・ゴスペルを止めなければならない。それも可能な限り無傷で。

 専用機5機でも落とせない機体を、その全てに劣るオレがやる。無謀ってレベルじゃねえ。

 ただ、これに成功しても、シルバリオ・ゴスペルという機体の維持が確定しないのだ。記憶を遡れば、確か機体は封印されてしまうはずだ。

 そして、IS学園の専用機持ちたちに任せると、確実にナターシャさんが悲しむ結果になる。

 何か手を考えなければならないが、簡単に思いつくわけがない。

 ……そういや詳しそうなヤツがここにいたな。

 メガネをかけ携帯電話とカギを持って立ち上がると、オレは部屋から出た。

 ここはごく普通の三階建てアパートのような作りの寮で、一番上の奥がオレの部屋だ。そして、その隣がリア・エルメラインヒの部屋だ。表札が出ているから、間違いようがない。手書きの平仮名だけど、自分で書いたのか。ドイツ語も一応併記してあるけど。

 ドアのインターホンを鳴らして数秒間待つ。部屋の中でバタバタとした音がして、インターホンのスピーカーにスイッチが入った。

『はい』

「二瀬野だけど、ちょっと時間くれないか?」

『もう寝るんだけど。時差ボケできつい』

 不機嫌な様子で声が返ってくるが、そんなの気にしてる場合じゃない。

「ホンの少しだけだ。頼む」

『明日じゃダメなの?』

「頼む」

 もう一回だけ短くはっきりとした発音で念を押すと、スピーカーの向こうでドイツ語っぽい会話が聞こえた。それからゆっくりとドアが開く。首だけ出して、オレに問いかけてきた。

「何よ」

 眼帯をしてない青い両目は不機嫌そのものだ。

「ちょっと技術的質問があるんだ」

「……明日じゃダメなの?」

「早い方が良い」

「ったく、何なの日本の男は。電話も出ないし!」

 怒りの言葉と共に、勢い良くドアが大きく開いた。昼間のかっちりとした軍服と違い、今はゆったりとしたTシャツとホットパンツ姿だ。

「ここじゃ何だから、オレの部屋で良いか?」

 周囲を見回してから尋ねると、リアの頬が赤く染まって、少し慌てたような表情になる。

「な、なんなの、いきなり自分の部屋に誘うとか。……日本の男は奥手だって聞いてたんだけど……」

「アホか。一夏の女に興味ねえよ。あまり他人に聞かれたくねえ話なんだ」

 何なんだコイツは。オレってそんな節操なしに見えるのか。……まあ、そう見えるから困るんだけどな、オレの顔って。

「だからって男の部屋に行く気はしないんだけど」

「ドアの側にいればいい。オレは中にいる。そうすりゃいつでも逃げれるだろ」

「……立ち話じゃダメなの?」

「人に聞かれちゃまずいってほどじゃないけどな」

「じゃあここでお願い」

「わかった」

 ここは折れることにしよう。

 ホントは入ったばかりの部隊で、妙な動きをしたくはなかったんだけどな。廊下で会話してれば、同じ階にいる隊員にも聞かれるかもしれない。

 それを聞かれて即座にどうなるってわけじゃないが、怪しまれたりするよりはよっぽど良い。

 つっても、最優先事項は、コイツの参考意見を聞くことだ。

「ISをハックすることって出来るか?」

「はぁ?」

 オレの質問にリアが目を丸くする。

「そうだな。例えば、搭乗しているパイロットを強制的に眠らせ、自動状態で動かしてISの判断能力を奪い、周囲を全て敵に見せかけるような暴走とか」

「な、何を言ってるのよ貴方。そんなの出来るわけないじゃない。そもそもISの判断能力って何よ」

「そうだな、無人機なんて物を作れたりすると思うか?」

 オレの問いかけに、リアの顔が一瞬で強張る。その後、急に腰を落としてオレに対して警戒するような体勢を取った。

「あなた……何者?」

「オレは只者だ」

 即答してしまったが、ホントに只者だから何も出来なくて困ってる。

「どうしてそれを知ってるの?」

「それ?」

「……知らないのね?」

「何の話かすらわからん。ただの可能性の話を、技術的に可能かどうかだけ、聞きたいんだ」

 とぼけたように肩を竦めてため息を吐くが、リアは警戒を緩めない。そのままオレを観察するように下から上へと睨みつけるような視線を動かしていた。

 しかし無人機という単語を出した途端に、急に態度を固くしたな。こいつは無人機を知ってるのか?

「日本に誘われたと思ったら、その辺りを聞きたかったのかな、アラスカは」

 前髪をかきあげながら、リアが小さなため息を吐いた。本当に呆れたような感じだったが、何に呆れたかはわからない。

「……何の話かわからん。お前が何を考えてるは知らないけど、オレは専用機持ちだぞ。お前を取り抑えたいなら、さっさとやってる」

「それは、そうだけど」

「答えられる範囲で教えてくれ。まず有人状態で、搭乗者の意識と関係なく動かすことは可能か不可能か」

「……不可能、と言いたいところだけど」

 呟くように言ってから、ようやく普通の体勢に戻って腕を組んだ。

「不可能じゃないのか」

「まず搭乗者を強制的に眠らせる。これは絶対防御の発動とかね」

「ふむ……まあ確かにあのときは意識がないな」

「そして、ISコアをネットワークから切断させる」

「切断? 可能なのか?」

「出来ないわよ。出来たら、ということね」

「でもなんでコアネットを切断する必要があるんだ?」

「簡単よ。467のコアは常時繋がっていて独自のネットワークを形成している。繋がってるってことは認識してるってことだから、周囲の状態ぐらいは把握可能だわ」

「……なるほどな。コアネットの切断ってのが実は重要なことなのか」

「でも、その方法が分からない限りは無理よ。そして切断できないから、ある意味平和なのかもしれないわ」

 そうか、無人機はコアネット上に存在しないがゆえに無人機なのか。

 オレが考え込んでいると、リアの部屋のさらに向こう側のドアが開いた。

「宇佐隊長」

 そこは宇佐つくみ隊長の部屋だったようだ。ダラッとしたスウェットとヨレヨレのTシャツを着た、田舎ヤンキーのような人である。

「面白い話をしているな、キミらは。特に二瀬野、四十院所長がキミは誰よりも特別だって言ってたわけはソレか」

「聞いてたんですか」

「便秘気味でね」

 スウェットの腰を正しながら言う隊長に、オレとリアは思わず目を合わせて苦笑いをしてしまう。つまりドアの近くにあるトイレに籠ってたってことか。豪快っつーか下品つうか。見た目通りの人だな、この人。

「隊長は何か知ってるんですか?」

「さあ。私はただの公務員だしなぁ。ただ四十院所長からはよくよく仰せつかってるわけさ。で、何の話だ? 無人機か」

 その言葉にオレたち若年組がビクっとする。その態度を見て小さく鼻で笑ったあと、

「ま、私の部屋に来てみな」

 と手招きをした。

 再び目を合わせたあと、結局二人とも隊長の部屋にお邪魔することにした。

 

 

 

「ま、ゆるりとしていきな」

 電子タバコを口に加え、メンソールの水煙を吐き出す隊長は、まさにヤンキーだった。あと化粧を落としてるせいで眉毛が薄くて、ホントに田舎の不良にしか見えん。

「無人機の話、隊長はご存じなんですか?」

 おそるおそる畳の上に腰を下ろしたリアが、小さなちゃぶ台の反対側に座る隊長に尋ねる。

 オレが座る場所が見当たらず、仕方なしにクローゼットの扉にもたれかかって、腕を組んだ。

「ん、まあな。フランスの件は伝わっている。二瀬野、専用機持ちにそんな格好されると落ち着かん。座れ」

「いや、どこに座れっつーんですか。すげえ汚いし」

 オレと同じ1DKであるはずの隊長の部屋は、足の踏み場がないぐらい雑誌と端末と書類が積まれていた。隊長とリアがいる場所以外に座れる場所は、もうベッドぐらいしかない。そのベッドも脱ぎ散らかした服やら下着やらで一杯だった。

「女に向かって部屋が汚いとは何だ汚いとは。これでも整理してる方だぞ。何せさっきまで寝る場所がなかった」

「あ、そうですか……。ま、ここで勘弁してください」

「ふん、覚えておけよガキんちょ」

「ヘーイ」

「ともかく、昨日から忙しくて大して話す暇がなくて悪かったな。どう、不便はねえか?」

 まるで子分に尋ねる番長のような態度で、宇佐隊長がオレたちに尋ねる。リアがどこか不安げにオレを見上げたので、小さく頷き返してやると、隊長の方に向き直った。

「いえ、今のところは大丈夫です」

「メシは?」

「沙良色曹長からレーションをいただきました」

 そんなもの食ってたのか。いや不味くはねえだろうけどさ。

「おい二瀬野」

「はい?」

「お前は異国から来た不安げな女を、メシに誘うぐらいの甲斐性はねえのか」

「……いや、オレも今日、到着したばっかりなんですが。あとコンビニとか敷地内にありませんし、自分には外出の自由はありません」

「そこを何とかするのが男だろうが」

「無茶苦茶言わないでくださいよ」

 何で怒られてるんだよ……。不安なのはこっちだっての。

「ふむ……そうだな。二瀬野、お前はリアと二人の場合のみ、半径10キロの外出を許可する。コンビニとスーパーと牛丼屋ぐらいはあるぞ。あとアタシが着てる服ぐらいも売ってる」

 それって某薄利多売の安売り衣料品店ですよね、田舎ヤンキー御用達の。

「いえ、結構です。出る気ありませんし」

「お前がなくともリアが困るだろうが。専用機持ちなんだ。それぐらいの気合いを見せろ」

「何を理不尽な……」

 さすが軍隊とでも思えば良いんだろうか。まあ確かに今までの女子校生活とは違う。

「責任は取りませんよ?」

「安心しろ、私も取らねえ。あと周囲20キロは、許可証がなければ立ち入りが出来ない区域だ。地元住民と関係者しかいねえ」

 そこまで言われたなら、オレも表向きは了承せざるを得ない。ま、実際に出かけなきゃ良いだけだしな。

「了解しました。リアが希望すれば」

「お前は明日、昼からセラピーだろ。明日の午前中は休みをやる。リアと二人で必要なモノを買ってこい。これはお願いじゃねえぞ」

 しかしオレの思惑はすぐに看破されてしまったのか、命令の形で言い渡されてしまう。

 ちなみにセラピーというのは思想チェックのことだ。例の一件があるせいか、すんげえ気が重い。

 件のドイツ人をチラっと見ると、向こうもオレを見ていたせいか、目が合った。なんでIS学園を出てまで一夏の女を面倒みなきゃいかんのだ、とは思うものの、命令なら仕方ない。

「了解しました。明朝、リアを連れて買い物に出かけます」

「よろしい。で、無人機だっけ」

 ボリボリとケツをかきながら、隊長がオレたちに質問を放り投げてきた。その態度に思わずオレもリアも苦笑いを浮かべてしまう。

「宇佐隊長は無人機をご存じなのですか?」

「フランスの件だろう。もちろん聞いてるさ。私はアラスカ直轄の士官だぞ。回収された機体だって見ている。無人機について知りたいんだったな」

「いえ、私が知りたいわけじゃありませんけど……」

 赤髪のドイツ人がチラリとオレを見上げる。

「オレが技術的興味を持ってリアに尋ねたんです。フランスの件ってのは何ですか?」

「フランスの欧州統合軍次期採用機のコンペ会場が、その無人機に襲われたんだよ。会場の施設もハッキングされて。ちょうどそこに居合わせた黒兎隊の活躍で事なきを得たがな。そうだろ、リア」

「は、はい」

「そこで回収された機体には人は乗っていなかった。これはアラスカ条約理事国の全てが知っている。そして、ドイツが事前に何らかの情報を掴んでいたこともな」

 そう言って、電子タバコを持つ手で隊長がリアを指差した。指摘された黒兎隊員が顔を強張らせる。

「……決して事前に襲撃を知っていたわけではありませんが」

「ドイツもそう言ってたよ。ただ肝心なところは濁す代わりに、極東理事会主催の部隊に人員を貸し出す密約が交わされたというわけだ。状況は理解したかい?」

 隊長がニヤリと得意げに笑う。

 話を総合すると、フランスのコンペ会場が無人機に襲われて、黒兎隊が主体になって撃退した。ただ、その手際の良さから関与が疑われたので、リアを期間限定で差し出してきたってことか。

 おそらくこれは『本来の話』での、クラス代表マッチに乱入してきた無人機の代わりか? 何の目的があって篠ノ之束がそんなことをやったんだ?

「状況は理解しているつもりです。ただ、私もそこまで詳しくはありません」

「オッケー、それで良い。こっちも無理強いをするつもりはない。ただ優秀な人材が来てくれたのは大変ありがたいってことさ。織斑教官殿には感謝だ」

 最後に気さくな上司らしい笑みを浮かべ、隊長がオレたちに激励をくれた。

 部隊のことが聞けたのは良いが、それが本題じゃない。

「隊長、例えばですが」

「おお、本題からズレてたな。わりぃわりぃ。無人機をどうしたいんだ?」

「無人機を止めることは可能でしょうか?」

「可能だろ、強制的に落とせば良いんだし、中に人はいないんだ。実際に黒兎隊がやってるんだしな」

「いえ、そうではなくて……」

 はっきり言っても良いものだろうか。オレがISに乗れなくなる可能性だってある。

「どした?」

「……はっきり言います」

 とりあえず、七月七日までが勝負だ。そっから先のことは、なるようになればいい。どのみち不穏な発言ならIS学園に残してきたんだ。今さら気にすることか。

 一つ咳払いしてから、隊長の顔を見つめる。

「非常に強力な軍用ISが有人状態、もしくは無人状態で暴走した場合、対処する方法はあるでしょうか?」

「ん? 意味わからん前提だな。なぜそんなことを聞く?」

「その可能性があるからです」

「その根拠は?」

「秘密です」

「秘密? 二瀬野ちゃん、舐めてる?」

 宇佐隊長が楽しそうな表情で問いかけてくるが、目が全く笑ってない。

「いえ、至って真剣です」

 念押しのように、姿勢を正して問い直した。

 化粧の落ちた細い目で睨む隊長とオレの間を、リアの視線がウロウロとしていた。どうやら戸惑っているようだ。意外に良いヤツなのかもしれないな、こいつ。

「……未来人ねえ」

「何の話でしょうか?」

「いや、聞いた話だ。お前、未来人なんだって?」

 含み笑いを嫌らしく立てて、オレを小馬鹿にしたようなセリフを吐く。

 すでにIS学園での出来事を知っているらしい。もちろん相手は冗談だと思っているようだ。

「あの隊長」

「ん、どうしたリア」

「とりあえず技術的な可能性だけでも、教えてあげるわけには行きませんか?」

 おずおずとリアが手を上げて、隊長に恐る恐る提案をした。

 その様子に小首を傾げるように考えたあと、キツネのような隊長が小さく鼻で笑った。

「ま、いいだろう。おそらく可能だ」

「可能?」

「汎用電子戦装備ってのがある。IS同士が接続できるのは知っているか?」

「エネルギーバイパスの話でしょうか?」

 IS同士でエネルギーを受け渡し出来る、特殊な通信方法がある。ただ、接続は非常に困難なチューニングを行う必要があり、センスを要求されるって話だ。

「それもあるが、IS同士じゃなくても、メンテなんかで普通の端末を繋げることが可能だろ?」

「そうですね、そうじゃないとコアの状態やら機体情報がわかりませんから」

「それをISで肩代わりするんだよ。わかるか?」

「は? いや、まあ理屈はわかりますけど……」

 確かにISの組み立てから起動やある程度の命令なんかは、専用の機材をISに繋いで行う。

「ISをチェックする機械の代用品に、数が限られてるISを使うなんてのは、バカげてるよな。だが敢えてそれを行うんだ」

「えっと、メリットは何でしょう?」

「IS同士のハッキングさ。ISコアの処理能力は、現状のどの演算処理装置よりも速い。巨大なスーパーコンピュータみたいなもんだ」

「それを可能にするインターフェースが電子戦装備ですか?」

「そういうことだ。まあ、まだ研究中なんだがな。うちの部隊での課題の一つさ」

 電子タバコを大きく吹かしてから、オレを指さして隊長が得意げに言った。

 そういえば朝のブリーフィングで電子戦装備がどうのとか言ってたな。

 少し光明が見えてきた気がする。

「それで、その装備は完成してるんですか?」

「半分ってところだ。残りが異常に難しい」

「半分?」

「IS自体に簡単な命令を送るのは、専用機材でやれてたことだからな。それをパッケージ化してISにインストールしてやればいい」

「確かにその通りですね。あ、半分ってのは」

「そう、どうやってIS同士を繋ぐのかってのが、技術的問題さ。暴れまわるISに直接ケーブルを接続して、電子戦を仕掛けるなんてのは、無茶にも程がある。コアネットワークを使ってやれたら良いんだが、あのネットワーク自体がよくわからん代物だ。走ってるプロトコルすらわからん。もちろんIS側のセキュリティだって生半可な物じゃない。つまりは、理論上は可能で半分は完成してるが、何らかのブレイクスルーを待っている状態なのさ」

 つまり、現状では手がない、と研究してる部隊の隊長に言われたわけだ。

「……ありがとうございました」

「おう。また何かあったら聞きたまえよ少年」

 何か違う手を考えなきゃダメだな。

「明日、リアとの買い物を忘れるなよ」

 肩を落としてドアノブを掴んだときに、背中から声をかけられる。

「了解です、覚えてますよ」

 後ろ手で手を振って答え、オレはドアを開けて出て行った。

 

 

 

 翌日の朝になり、寮の外で軽いランニングと木刀の素振りを終えて、自室に戻ろうとしていた。

 今の時刻は七時だ。いつのまにかIS学園でのスケジュールと同じ時間に目が覚めていたので、同じように行動したというわけだ。

 夏の朝ゆえに、日はすでに高い。寮の入り口にあった自販機で飲み物を買って水分を補給し、階段を上って廊下を進む。

 ドアノブを握った瞬間に、隣の部屋のドアが開く。赤毛の女の子が大あくびをしながら出てきた。

「あ」

 口を開けたままオレに気付いたのが恥ずかしかったようで、ちょっとばつが悪そうに頬を染めて頭を垂れた。

「おっす」

「グーテ……おはよう」

 思わずドイツ語で挨拶しようとしたんだろうか、ちょっと寝ぐせの残っているリアが慌てて日本語で言い直した。

「昨日はありがとな。助かった」

「あ、うん。なら良かった。飲み物、ここに売ってる?」

「一階の自販機があるだろ。小銭か日本で使えるICマネーあるか?」

「あ、いくらか日本円に両替してるから、大丈夫」

「なら良かった。宇佐隊長に命令された買い物の件、九時半出発でいいよな?」

「了解。結構時間あるわね」

「その間に足を探しとくよ」

「アシ?」

「移動手段ってこと。この暑さで歩きたくないだろ?」

「あ、うん。そうね、了解。またね」

 しどろもどろな感じで返答していくリアは、まだ意識が通常駆動になっていないのか、目がちゃんと開いてない。小さく欠伸を繰り返しながら、下の階へ向かおうと歩き出した。

 ふーむ、これは予想外の事態だな。

「リア・エルメラインヒ」

「あ、え、何?」

「昨日の夜は暑かったな」

「そうね。ちょっと日本を舐めてたかも。時差ボケのせいもあって、何度も起きちゃった」

「……ま、だったら寝ぼけて下着姿のまま出てくるってのもわかるか」

「へ?」

「また後ほど」

 短く告げて、オレは自室のドアを閉めた。

 あまりの暑さのせいで寝ボケてて、下がパンツ丸出しになってしまったんだろう。気付かずに起きて、喉が渇いてたので、そのまま飲み物を探して部屋から出たと。

 オレが部屋に上がってTシャツを脱いだぐらいに、ようやく廊下からつんざくような悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

「ったく、早く言いなさいよ! てかジロジロ見るなんて!」

「ジロジロは見てないだろ。つか極めて冷静に対処したぞ、オレは」

「それはそれで、何か腹立つわね! うちの弟みたいなこと言って!」

 自転車の後部座席でオレの背中の肉を抓る。あまりの痛みにフラフラとハンドルが揺れた。

「いてぇ! おい倒れるだろうが!」

「ふんだ!」

 買い物に行けという隊長命令のせいで、午前中からサイクリングである。

 なにせオレこと二瀬野鷹は15歳なので免許がない。リアも本国ならいざ知らず日本では同様で、結局のところ荷台のあるチャリンコにクッションを縛り付け、即席の後部座席にリアを乗せることになってしまった。この辺りは軍関係者か地元住民しかいないので、二人乗りで捕まることはないだろうとのことだ。

 おかげで出発10分で汗だくである。埋め立て地のせいか厳しい坂道がないのが救いだ。

「とりあえず服ね。日本の蒸し暑さを舐めてたわ」

「そうだな。涼しい寝巻き買わなきゃな」

「さっさと忘れてよ、このバカ!」

「殴るな! いてぇ!」

 またフラフラと曲がる自転車のバランスを立て直し、足に力を入れる。

 しかし、自転車に乗るのなんて、すげえ久しぶりだ。最近はほとんどの移動が車か徒歩だった。公共交通機関すら乗ってないぞオレ。

「ねえ、隊長とか元気してた?」

 背中から質問が飛んでくる。声色が少し暗いのは気のせいか。

 隊長って言うのは、うちの宇佐隊長ではなく、ラウラのことだな。

「まあ元気なんじゃねえの」

「ふーん、なら良いんだけど」

「会ってねえの?」

「一昨日に来たばっかりだし、まだ連絡取れてない。日本に来たことは知ってるはずだよ、二人とも」

 二人ってのは、ラウラと一夏の二人だろう。

 海岸線の道で、目的地目指してペダルを漕ぐ。二人して口を噤めば、潮騒の音が耳にうるさい。

「やっぱ一夏のことが好きなわけ?」

「なっ!? いきなり何言うのよ!」

「いや、オレの周りは大体の女の子がそうだったからな」

 小学校の頃からモテまくりだった男だ。今は余計に酷くなってる。あれはもう何かの吸引装置なのだろうか。

「……ねえ」

「ん?」

「やっぱり一夏って日本でも女の子に人気あるの?」

「わかってるだろ?」

「……そっか」

「まあ気にすんな。本人はあの通りの唐変木だ。そうそう誰かとくっつきはしないぞ」

「トウヘンボク?」

「致命的に男女の機微に鈍いってことだ」

 背中に座るリアが我慢しきれずに笑いを吹き出した後、小さく肩を揺らし続けていた。致命的というのは、いつか死に至るんじゃないかという意味で的確な表現だと、我ながら思う。

「さすが友達ね」

「おう。付き合いは長いからな」

 いきさつはどうあれ、織斑一夏は二瀬野鷹の友達である。オレが勝手に思ってるだけかもしれないが、この事実は変わらないだろ。

「隊長とはどうだった?」

「仲は良かったぞ。ただ、やっぱ上官と部下って感じのときが多い」

「うーん、あんまり進展してないのかな。シャルロットとは?」

「シャルロットとは、仲の良い友達って感じだな。特に男女間の何かがあるわけじゃないと思う」

「……そっかぁ」

 ちょっと安心したような声が聞こえてくる。

「そうだ。まだチャンスありだ」

「も、もう! 私は隊長を応援してるの!」

「へいへい、あーそうですか」

 恋する乙女は大変ですなーと思いながらペダルを漕ぐ。何も考えないよう、何も思いつかないよう、足の回転だけに意識を向ける。

「……そう、応援してるんだから」

 同じセリフをもう一度、オレにさえ聞こえないぐらい小さく呟いてから、リアはオレの背中に額を当ててきた。人は誰かに寄りかかりたい気分のときがあるからな。

 オレはリア・エルメラインヒという少女を知らない。

 たぶん年齢はオレより一つ二つ上だと思う。ISパイロットをしているというなら、かなり優秀な人材のはずだ。そして同じ部隊の後輩である一夏は、ドイツで彼女に世話になってはいたんだろう。

 だが、この二瀬野鷹がリア・エルメラインヒを『知らない』ということなら、それは一夏の周りには存在することが許されなかったということだ。

 事実、一夏と一緒にIS学園へと行ったのはラウラであり、彼女ではない。

「風」

「なに?」

「気持ち良いな、潮風」

「そう?」

「ああ。朝より涼しいくらいだ」

「……そうだね」

 ドイツから来た女の子を後ろに乗せて、海沿いの道を自転車で走って行く。

 IS学園を出ても色々あるし、考えなきゃいけないことだって沢山ある。

 だけど今はまあ、後ろにいる女の子の服を買いに行くことに集中して、ペダルを漕ぎ続けるしか出来ない。

 

 

 

 

「大きく息を吸って、吐いてください」

 医者の指示に従って、オレは大きく深呼吸をする。

 リアと買い物に行った後、二人は宇佐隊長の付き添いの元、自衛隊病院での健康診断に来ていた。

 外国人のリアと違い、オレだけは思想チェックもあるので少し待たせる形になるが、意外にもリアは嫌な顔せずに了承してくれた。

 しかし思想チェックか。あの話が妙な風に広まってないと良いんだけどな……。

 薄い青色の検査衣に着替えさせられ、フルフェイスのヘルメットみたいな機械を被せられ、診察台の上に寝かされている。IS学園の頃だと、映画を見て感想を書いたりぐらいだったんだが、外に出ると思想チェックの内容も変わるんだろうか。逆行催眠とかではありませんように。

「ゆっくり、目を閉じて、眠るように息を整えてください」

 辛うじて口と鼻の穴だけ開いている仕様なので、医者の声以外は何も聞こえず視界は真っ暗で、自由なのは呼吸と喋ることぐらいだ。

「では自分の名前を」

「フタセノ・ヨウ」

「年齢は?」

「十五」

 淡々と喋る女の声に返答をしていく。

 その後も、親の名前やら生年月日やら卒業した学校やら現在の所属やら、簡単な質問が続いていく。

「好きな食べ物は」

「硬くないもの」

 考える必要すらない質問ばかりで、気もそぞろになっていた。気分が不思議なくらい落ち着いていて、答えを自分で考えている気がしない。

「昨日食べたものは」

「カレー」

 すでに百ぐらいの問いに回答しただろうか。いや、もっと少ないような、多いような気もする。

「次に好きな小説を三つ上げてください」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 めんどくさいな、早く終わらないかな。

「では、好きなマンガを三つ上げてください」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 帰って調べなきゃいけないことが沢山ある。何か手がないか、また考え直さないと。

「次に、好きなテレビ番組は」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 そうだ、リアにも相談に乗ってもらおう。晩飯はコンビニ寄ったときに色々買ったから、リアと一緒に食うか。

 そこで初めて質問が滞る。

 何だろう。オレは妙な答えを送ったのか。もう自分が何を答えたのかすら覚えていない。

「好きな映画は?」

「映画が何かわからない」

「好きなビデオゲームは」

「ゲームが何かわからない」

 再開された質問に答えていく。

 半分意識が薄れていく中、オレは自分の意思に寄らず、言われるがまま質問に答えていった。

 

 

 

 

 

 






登場人物紹介:リア・エルメラインヒ 「インフィニット・ストラトス 西の地にて」で一夏の世話を焼いていた女の子(宣伝)。黒兎隊所属のオリキャラ。




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17、絶望からのアプローチ

 

 

「あ、やっと終わったの。長かったね」

 待合室で日本語の学習本を読んでいたリアが、歩いてきたオレに気付いて声をかけてくる。

「途中、寝てた」

 ボーっとする頭を抱えながら、黒い眼帯をつけた赤い髪の少女の横に座った。

「おつか……寝てた?」

 ここは自衛隊病院で、リアとの買い物がおわった後に、定期健診のためにやって来たのだ。そして最後に思想チェックがあったんだが、大した内容じゃなかった。

「よく眠れたか?」

 今日の引率の先生こと、バッチリ化粧をしているヤンキー隊長の宇佐さんが、オレの頭をグリグリと撫でる。濃紺のパンツスーツを着た様は、夜のお姉さんに見えないこともない。

 しっかし、なんか違和感があるなぁ。

「ったく、内容は覚えてるの?」

 本と閉じたリアが、眼帯をつけていない右目で呆れたように笑う。

「覚えちゃいるんだけどな。身体チェックは終わって最後の思想チェックでちょっと眠ったみたいだ。起こされてからはちゃんと受けた」

「ふーん……」

「リアの方は?」

「私は一時間ぐらい早く終わったわよ。体はちょっと疲労が見えるけど異常なしだって」

「思想とか大丈夫か?」

「それは私の頭がおかしくないかと聞いてるの?」

 こめかみに血管を浮かせ、赤毛のドイツ人が怒りを含んだ笑顔を浮かべていた。

「そういえばリア、あとで二瀬野のカルテについて、二つ三つ尋ねても良いか?」

「私ですか?」

 隊長の要請に、リアが少し訝しげな顔をする。確かに彼女はISのパイロット候補生であって、医療班ではない。

「そうだ。織斑一夏の面倒を見ていたのはお前なんだろう?」

「はい」

「何か気付く点があったら教えて欲しい。IS学園とドイツ以外では、初の男性IS操縦者だからな」

「了解しました」

「では帰るか」

 歩き出す隊長を二人で追いかける。

 同じようなことでも、IS学園と外とじゃ、少しずつ変わってきている。

 そういうことの積み重ねが、きっと人を変えるんだろうな。

 チラリと横を歩くリアを見た。

「ん? なに?」

「いや何でも」

 軍人らしく姿勢正しい行進は、同じ場所で教育された一夏やラウラと似ている。

「……そういえば」

「ん?」

「珍妙も奇天烈も褒め言葉じゃないし!」

 リアがそう言って、手に持っていた日本語の学習本を突き出す。

 そういや昨日、初対面のとき黒兎隊の恰好を、珍妙奇天烈とか言った記憶があるな。

「え? そうなの?」

「あ、あれ? 知らなかったの? でもこの本には」

 少し驚きながら、彼女はページを捲って一生懸命、目的の単語を探し出し初める。

「悪い悪い。知ってたけど、わざと言ったんだ。悪気はなかった、いやホントすまん」

「あ、そうなの。じゃあ仕方ないわね、うん……って、悪気しかないじゃない!」

 危うく納得しかけたリアが、途中で気付いて頬を膨らませる。

「おう」

「おう、じゃないわよ、このバカ! うちの隊をバカにしたら許さないからね!」

 キーッと動物が威嚇するような声を出し、リアがオレの右腕を抓った。

「ってぇえ!!!」

「ふんだ、ホント、一夏と大違いね!」

「ぐあぁぁぁ、すげえ痣になってる……」

「大体、貴方だって人のこと言えないじゃない。そのメガネもセンス悪いし!」

「うっせ。これは他人に選んでもらったん……」

 そういやそっか。これは玲美たちに強制的に選ばれたメガネだったっけ。

 急に言葉を止めたオレを、リアは怪訝な顔で見つめる。

「どうしたの?」

「……まあ、いっか」

 どうせISに乗れば視覚補助が入るから外すんだし、どんなメガネだろうと関係ない。

 気にしすぎる方がカッコ悪いってもんだよな、たぶん。

 外に出ると、黒塗りの高級車が待ち構えていた。SPっぽい男の人が、後部座席を開けてくれる。宇佐隊長はその男と軽く目配せをして、中に入っていった。リアとオレもそれに続いて中に入る。ドアが閉められ、男の人が助手席に乗り込むと同時に車が静かに発進された。

「しっかし、さすが男性操縦者がいるとVIP扱いだねえ」

「良かったら代わりましょうか?」

「ちっともなりたくねえな、男なんて」

 隊長が小さく鼻で笑う。相変わらずの田舎ヤンキー口調全開だ。

「それより二瀬野、明日は四十院研究所だ。ISで飛んで行って良いぞ」

 IS学園から出ても、専用機はテンペスタ・ホークのままだし、使われているISコアも四十院の所有物だ。だから定期的にメンテに行くのはわかる話だけど、いつもは黒塗りの車がお迎えに来てくれていた。

「飛んで行くって……あそこは郊外とはいえ、一応は市街地ですよ」

「いや所長曰く、洋上ラボの方らしい。場所も近いし海の上を真っ直ぐ飛べば、すぐ着くだろ」

「……はぁ」

「なんだ、気が進まねえのか」

「まあ、仕事なんで行きます」

 気が進まない理由は、元クラスメイトの三人と会う確率が最も高い場所であるがゆえだ。

 しかし、四十院の機体に乗り続けるためには、いずれ会うのは間違いない。なにせ玲美も理子も神楽も父親が四十院研究所に関係していて、オレもその親御さんたちにかなりお世話になっている。そして三人は頻繁に研究所を訪れているのだ。

 そのまま無言になり、車はしばらく走り続けていた。

 ちらりと横を見れば、リアはずっと日本語の本を読み耽っている。彼女も彼女で真剣なようだ。

 それを邪魔するような会話も思いつかないので、ドアに肘をついてスモーク越しの風景を眺めていた。

 

 

 

 

 翌朝、テンペスタ・ホークを装着して、海の上を飛び続ける。と言っても今は大して速度を出しておらず、せいぜい高速船と並走できるレベルだ。

 しっかしこんなに長距離を飛ぶなんて、メテオブレイカー以来か。そもそもISで長距離飛行なんて、滅多にないしな。

 視界ウィンドウに航海図を表示して、船舶の影などがないかを気にしながら飛ぶ。事前に航路における船舶の航行予定図を貰ってコース選びをしているけど、それも絶対というわけじゃないからな。業者ではなく民間の釣り船なんて把握しようもないし、それこそ密漁船なんてのもいるかもしれん。

 ……密漁船か。

 自分の思考から、記憶を紡ぎ出していく。

 7月7日、確か銀の福音と一夏たちのファーストコンタクトは、巻き込まれそうになった密漁船を見捨てることが出来なくて、一夏が落ちたんだよな。時刻は確か11時半か。

 これは放置するか否か。オレの記憶通りに行くなら、きっと一夏は落ちる。

 だが、変わっている点を挙げて再検証すべきだ。

 まず紅椿がどうなるか。コイツの封印が解けなければ、銀の福音が暴走させられる意味はない。つまり、銀の福音の暴走イコール紅椿のデビュー戦で、この二つは必ずセットのはず。ということは、銀の福音が暴走するならば、必ず紅椿がいることになる。

 次に一夏の修練度が違う。黒兎隊で2月から第二世代機に乗っていたという一夏は、かなりの成長度合いを見せている。接近戦ならオレは相手にならないし、鈴相手でも対等にやり合っている。

 これに加えて、白式の左腕にはすでに荷電粒子砲が備わっていた。テンペスタのレーザーライフルを撃った経験と、おそらくは宇宙に浮かぶ超大型荷電粒子砲の観測、この二つの事象によって作り出されているはずだ。照準の精度がどうかはわからないが、武装として脅威なのは間違いない。

 あとは箒の精神状態か。今の箒なら紅椿を使っても、そのスペックに振り回されることはないかもしれない。そして多分、これが一番マズい。打鉄であれだけの試合をやってのけたパイロットに、最高スペックの機体を備わることになる。

 二機の性能を考えるに、いくらナターシャさんのIS『シルバリオ・ゴスペル』といえど、この二機相手では少しツラいだろう。ナターシャさんが操縦しているなら、また勝負は変わるというか、むしろ一夏と箒なんて相手にならない気がする。だけど、今回は無人機状態だし、彼女の経験と腕が生かされることはない。

 端的な結論を言えば、テンペスタ・ホークとオレでは、勝てる可能性なんか無いに等しい。

 ……そうだな。何を正々堂々と戦おうとしてるんだ、これはIS学園での試合じゃない。ここで踏ん張らなければ、オレはもう生まれてきた意味すら持てない。

 7月7日、午前十一時半。この時間をもう一度、頭に刻み込む。

 付け加えて最大の問題点は、勝っても助けたことにはならないという点だ。ここは国津博士に聞いてみるか。

 色々と考えながら低空飛行を続けていると、やがて海のド真ん中に、高層ビルの屋上に足を生やしたような建造物を見つける。オレは初めて来るが、あれが四十院研究所が誇る洋上ラボらしい。

 上はヘリポートになっていて、そこへ目がけて降下を始めた。推進翼へのエネルギーを送るのを止め、PICだけでゆっくりと真ん中に降り立つ。

 周囲を見渡せば、本当に海のど真ん中だ。大きさは200メートル四方って感じか。

 ISを解除すると同時に、端っこにある階段から人が昇ってくる。

「こんにちは。ようこそ四十院研究所、洋上ラボラトリーへ」

 灰色のスーツを着た彼女の名前は四十院神楽。この前までクラスメイトだった女の子だった。

「アラスカ条約機構極東理事会、試験飛行IS分隊の二瀬野鷹です」

 慣れない敬礼をする。

 二人して黙ってしばらく視線を交わした後、同じタイミングで笑いを吹き出した。

「似合いませんね」

「だろ。オレもそう思う。元気だった?」

「まだ一週間も経ってませんよ」

 四十院研究所のロゴが入った上着をオレに両手で差し出してきた。それを受け取って羽織り、ISスーツの首元に挟んでいたメガネをかける。

「そうだな。ここは初めて来るんだけど、どこに行けばいい?」

「こちらへ」

「了解。学校はどした? 平日だぞ」

「少しお休みをいただいています」

「合宿は?」

「参加するつもりです」

「んじゃ、案内よろしく」

 我ながら自然に出来た。昨日の夜に何度もシミュレーションしたおかげだ。しかし神楽だけで良かったな。理子と玲美がいたら、さすがに今みたいなやりとりは難しかったかもしれない。

 何も思わないよう、何も聞かないように心がけ、元クラスメイトの後ろをついて歩き出した。

 

 

 

 通された部屋は、ガラス張りの部屋だった。

 中には内部が剥き出しになった機体がある。まだ未完成なのか、装甲がつけられておらず、周囲にあるいくつもの端末とケーブルで接続されていた。オレと同じジャケットを羽織った数人の所員たちが、それを囲むように慌ただしく作業をしている。

「おや、いらっしゃい」

 その中で唯一、白衣を着ていた国津博士がオレに気付いて、挨拶をしてくる。

「おはようございます」

 頭を下げてから、部屋の中に入っていく。

「今日はホークの性能試験を色々やってもらおうかなって。フラグメントマップがどれくらい成長したかも気になるし」

「了解です。可能な限り協力するよう、上官に言われてます」

「岸原みたいな喋り方、止めた方がいいよ、女の子にモテなくなるから」

「げ、マジですか」

 優しく冗談をかけてくる国津博士とオレのやりとりに、周囲にいた数人の研究員たちも小さく吹き出して笑う。

「あ、神楽ちゃんは所長を呼んできて」

「わかりました」

 深く頭を下げてから、秘書のような格好をした神楽が部屋から出て行く。ガラス越しにそれを見送ってから、オレは国津博士にもう一度、頭を下げる。

「この度はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 オレの謝罪に、国津博士が目を丸くした後、オレの右肩に軽く手を添えてくる。

「男が決めたことだよね。じゃあ仕方ないよ」

「……そんな大したことじゃないんですけど」

「いいよ。私はキミに賛成さ。それもまた道だね」

 そう背中を後押しして、小さく微笑んでくれた。

「そうそう。二瀬野君は二瀬野君の好きにして良いんだよ」

 部屋の入り口から、若々しくハキハキとした男の声がかかる。振り向けば、神楽を後ろに従わせた四十院所長が立っていた。

 こうして所長と会うのは久しぶりだ。いかにもビジネスマン風の装いをしたこの人は、四十院という財閥の御曹司である。今はその一部門である、四十院研究所の所長職についている。研究者ではなく、あくまで研究所という企業の社長だ。

「シジュ、仮眠してたのかい? ボサボサだよ、頭」

「ああ、悪い悪い。近頃、ずっと忙しくてね。今日は搬送ついでに逃げてきてたってわけさ」

 半笑いで回答しながら、所長は部屋の端っこにあった机の上に腰掛ける。オレは小走りで近寄ると、所長の前で頭を下げた。

「この度はご迷惑をおかけしました」

「いいよいいよ。こっちも都合良かったし」

 二人して、神楽が入れたコーヒーを受け取って一口飲み込んだ。

「都合が良いというのは……?」

「今、織斑千冬先生の下に預けておくのも、あんまりよろしくないってこと」

「はい? 織斑先生が何か? ひょっとして第四世代機という謎のISが、篠ノ之束博士から妹に供与された件ですか?」

「大体は当たり」

 所長が音を立ててコーヒーを飲む。隣にいる神楽は何も喋ろうとはせず、黙ってオレたちの傍に控えているだけだ。

「大体というのは?」

「IS学園の理事長はまあ、国際IS委員会直下の運営組織であるアラスカ条約機構のお人だけど、その副理事長が彼女の旦那で、実質的に取り仕切ってるわけでしょ。こりゃマズいよ」

「すみません、最初からよくわからなくなったんですが……確かに副理事長が色々と実務的なことをやってるのは知ってますけど」

「閉鎖性の話をしてるのさ。理事長と副理事長が夫婦ってのは、普通の私立教育機関ならよくあることだけど、IS学園は普通じゃないでしょ。で、その二人が織斑千冬先生を頼ってるわけ」

「はぁ、わかる理屈ではありますが、それこそ理事たちは国際IS委員会が指名した人材ではないでしょうか」

「組織が一枚岩なことなんて滅多にないよ。それも今、一番ホットな話題を取り扱う場所で、さらに多様な国家が参加してる機関だよ」

「……なるほど。対抗勢力からしたら面白くない場所ということですか」

「それと篠ノ之博士が妹に供与した機体、えっと、椿姫?」

「紅椿ですね、第四世代機、紅椿」

「そう、それそれ。それと白式という二体を独占して、情報を一切上げてこない組織。そんなのを対抗勢力がいつまでも許しておくわけないでしょ、普通。で、それを取り仕切ったのが織斑千冬先生というわけさ。そりゃ立場も悪くなるよ」

 所長はやり手ビジネスマンらしく、まるで営業成績の説明のように、さらさらと色々な説明をしてくれる。

「アラスカ内でも、IS学園を敵視する勢力が、織斑先生をやり玉に上げてるってことですか」

「それで私は紅椿の情報を、アラスカに売ったわけさ」

 いきなり言われたトンデモナイ内容に、オレはコーヒーを吹き出しそうになった。

「情報って、リベラーレが戦ったデータ……ですよね?」

 学年別タッグトーナメントが始まる前、玲美が箒のひと悶着の末に紅椿は一時的に封印された。

 つまり現段階では、紅椿との戦闘データを持っているのは、封印される前に少しだけタッグの練習をしていた白式と、ここから期間限定専用機として持ち出していたテンペスタⅡ・リベラーレしかない。そのリベラーレのログから作ったデータをアラスカ条約機構に渡した、と言っているのだ。

「そうそう。ラッキーだったよ。そこから類推できるスペック値だけでも、かなり驚きの値だったわけだし。で、そんな数字を見たアラスカ内のIS学園を良く思ってない勢力が、さらに憤るわけだ。やはりけしからん、とね」

「なるほど……それで再びIS学園と織斑先生に矛先が向けられたわけですか」

「篠ノ之束博士には、この世の全員がひれ伏すしかないからね。一番がダメなら、二番目をやり玉にってのが、この世の常さ。会ったことあるけど悪い子じゃないよね」

 まるで親戚の子を評するような感想だが、まあ確かに所長は織斑先生よりかなり年上だし、そう評価しても不思議じゃない。そして自分の娘の担任でもあるわけだから、会ったことがあってもおかしくはない。

「ですが、篠ノ之束……博士がそのままにしておきますかね。例えば織斑先生が旧友に実情を話すとか」

「話すわけないよ。だってそうなると、三番目四番目が責められちゃうだけだし」

 責任感の強い織斑千冬という人は、おそらく無用な苦労を他の人間に放り投げるような真似はしない。

 そこまで話し終えて、四十院所長は残りのコーヒーを飲み終えて、大あくびを吐く。

 オレ、この人のこと苦手かもしれない。

 この四十院所長という人間はおそらく、アラスカに入った亀裂をグリグリと大きくするために、紅椿の類推スペックデータを売ったのだ。ビジネスマンゆえに、そこに利益を見出したということだろう。

 思わず不満げな気持ちが顔に出てしまったのか、所長はオレを見て小さく笑う。

「ま、急にどうのこうのじゃないよ。ただ何か失敗があったら、ますます織斑先生とIS学園の理事会面々は立場が辛くなるよって話。それでなくとも彼女は弟の一夏君だっけ。彼のことで色々と無茶してるしね」

 嫌な情報だった。

 オレがこれから起こすかもしれない事態は、決して織斑千冬先生に対して風向きが良い物じゃない。むしろ悪化する。

 付け加えるなら織斑先生は、IS学園の生徒にとっては強力な庇護者である。ここが破られたなら、立場が悪くなる人間も多い。

 世界は主人公を中心に回っている。

 だが、右に回転させるか左に動かすか、それを決めるのは別の者である可能性だってある。

「所長は、その、何が目的なんですか?」

 恐る恐る尋ねるオレに、疲れた表情でコーヒーを飲んでいたIS業界のトップランナーが苦笑する。

「もちろん利益さ。私は企業人だからね」

 同等の二つの組織を作り上げることは対立構造を生みだし、東西冷戦構造時代の軍需産業のように、それによって利益を得る人間が多数現れる。自分はその一人なのだ、と所長は言っているんだ。

 世界は二つに割れ始めた。

 アラスカ条約機構内の対立がIS学園に対する試験飛行分隊を生み出し、四十院はデュノアや他のIS企業と組みし、オレと一夏は分かたれた。更に言うなら、篠ノ之束とそれ以外の世界は、ずっと冷戦を続けている。

 国家、企業、人。ISに関する概念は、どちらかに着かざるを得ないのかもしれない。

 

 

 

 研究所での幾多のテストを終えた昼休み、ランチ代わりのサンドイッチを頂いた後、オレは風に当たるため洋上ラボの屋上へと出た。

 ヘリポートを囲んだ柵に寄りかかり、ボーっと海を見ている。日差しが強いが、潮風も気持ち良く、本土よりかなり涼しく感じる。

「こちらでしたか」

 後ろからかかってきた声は、聞き慣れた元クラスメイトのものだ。

「おう、おつかれ」

 首だけ向けて挨拶をすると、オレは再び太平洋へと視線を戻す。ここは相模湾のど真ん中だから、右手に見えるのが三原山のある大島か。

 神楽も特に喋らずに、オレと同じ方向を見つめていた。おっとりとした大和撫子風の彼女だが、体形が大人びているせいか、ビジネススーツを着てると所長秘書にしか見えない。

「合宿、この近くだな」

 世間話のように、その話題を切り出した。一応、行き先が変わってないかを確認しておきたかった。

「そうですね。と言っても海の向こうですが」

「そういや」

 さらにもう一つ、聞かなきゃいけないことがある。

「何でしょうか?」

「紅椿の封印、解かれたか?」

「あの第四世代機ですか。篠ノ之さんのお話では、合宿にはあの機体で参加するそうです」

「……そうか」

 やっぱりそうなるか。これでもう決まったような物だ。あの件は起きる。自然と気分が昂揚していくのを感じる。

 結局、何をどう変えようと、あるべきことは起きてしまうんだろうな。

 これはオレにとって最後の決戦だ。今度こそ自分の力で未来を変える。

「おそらく、お父様が紅椿の推測スペックを、アラスカに送った件が効いています。おかげで条約加盟国の関係企業から突き上げも多く、要請にIS学園理事側が耐えられなかったようですね」

「何者だよ、あの人」

 思わず嘆息のため息が出る。

 神楽も財閥のご令嬢らしからぬ人間で、この歳で事務仕事や商談までこなすハイスペックだが、その父親も企業家としてはかなりの切れ者のようだ。あれが世界を動かす人間なのか。

 その辺りは素直に感心してしまうが、基本的に今のオレには関係ないことだ。欲しい情報が貰えればそれでいい。これ以上、オレから彼女に尋ねることもない。神楽が知っていることで、オレが知りたいことは全て教えてもらった。

 視線を再び海へと戻す。ラボの周囲に魚群がいるのか、カモメが忙しく水面のスレスレを飛び交っていた。

 少し離れた場所で鉄柵に手を添えている神楽も、それ以上は喋ることがないようだ。

「そういえば、一つだけ」

「なんでしょう?」

「一夏に謝っといてくれ。バーベキュー参加できなくてすまんって。あと、アイツが用意で困ってたら協力してもらってもいいか?」

「……バーベキューですか」

「ちょっと前にな、合宿でやるって約束してたんだよ」

 なんてことない約束をふと思い出してしまった。もうIS学園の生徒ではないオレには、手伝うことすら出来ない。

 主人公としての一夏はどうあれ、ダチとの約束をそのまま放置ってのも、何か気持ち悪い。

 横目で神楽を見れば、長い黒髪が潮風に揺られている。こちらを見ずに、オレと同じようにずっと先を見ていた。

「それも」

「ん?」

「未来であったことですか?」

 唐突に、そんなことを言い出した。少し驚いたが、オレは視線を海面へと戻す。

「いや、一夏がバーベキューをしたなんて記録はねえな」

 意外に平静な気持ちで返答することが出来た。まあ、玲美や理子、神楽と会っても感情を制御できるよう、心構えしておいた甲斐があったってもんだ。

「そうですか」

「なんでそんなことを聞くんだ?」

「ISコア2237」

「……それか」

「貴方が未来人と言ったとき、真っ先にアレが思い浮かびました。テンペスタⅡ・ディアブロのことが」

「言われてみれば、四ケタのナンバーと未来人ってのを組み合わせは、それっぽく見えるな」

「はい」

「悪いけど、オレはあのコアのことを知らないんだ。なんでオレが生まれたときに病室にあったのかも知らん。それに未来人ってのは比喩表現で、実際に未来人ってわけじゃない。って何言ってんだろな。いるわけねえだろ未来人なんて」

 つらつらと説明していく自分に対し、思わず自嘲の笑みが込み上げてくる。

「未来を知っているわけではない、と?」

「勝負は最後までわからねえよ」

 冗談めかして、あのときに一夏に言ったセリフと同じ言葉を返す。

「未来人というのは、嘘だったんですか?」

「さあな。言ったって信じないだろ」

 胸の高さの柵に体重を預けて、頬杖をついた。なるべく神楽を見ないように、オレは海だけを見ている。

 だというのに、神楽は真っ直ぐこっちを見て、深く頭を下げてきた。

「申し訳ありませんでした……」

「何が?」

「先日の件です」

 少し震えている声がオレの耳に届く。だからといって、オレはそっちを見る気はしない。見ればきっと、オレとあちらの境界線を幻視していまうだけだ。

「気にしてねえよ、っていうか、悪かったな。勝手に棄権して、勝手に怒って、勝手に出て行って」

「それは」

「言うな触るなもうこれ以上は良いんだ。気にするな忘れろ、みんなにもそう伝えてくれ。IS学園の男性操縦者は、織斑一夏ただ一人だ。それがこの世界の理で、お前らはその日常に戻ればいいんだ」

 早口でまくし立てて、神楽を黙らせようとする。段々と声が荒くなっていくのを抑えるように小さな呼吸で、感情を抑えようと目を閉じた。

「玲美が……」

「どした」

「あの部屋に入り浸ってます」

「知るか、クソッタレ!」

 その事実を知った瞬間に、怒りにまかせて金属の柵を叩く。冷静に対処してたのが台無しだ。

 怒りに震えながら神楽を見れば、怯えるように驚いていた。

「アイツがどの部屋にいようが何を思おうが、オレはもうIS学園の男性操縦者じゃねえ!」

 潮風が二人の間を通り過ぎて行く。遠くでカモメが叫んでいて、洋上ラボに寄せては返す波が水音を立てる。

 吐き出した息は整えた意味がないほど、あっという間に荒くなっていた。怯えて震える神楽から目を逸らす。

「……申し訳ありません」

 泣きそうな声に、これ以上ぶつける言葉が湧いてこなかった。ただ、可能な限り声を抑えて、

「7月7日、合宿の日」

 と日付を切り出す。

「え?」

「たぶん会いに行く。IS学園の連中に、お前たちに」

 お前らを陥れる敵となっていても、会いに行く。

 約束は投げつけた。

 先ほどの所長の話、そしてオレの記憶を合わせて考える。

 銀の福音の暴走が起きるなら、今は立場の悪い織斑先生が責任者となる。失敗は許されない作戦に、オレが妨害へと現れる可能性が高い。

 ISを統括するアラスカは割れ、降ろされたシャッターの外と内に二瀬野鷹とIS学園は分かれたのだ。

「……そう、伝えておきます」

「ああ」

 深く頭を下げたままの神楽に背を向けて、踵を返しラボの中へと戻っていく。

 オレにとって、7月7日以降の時間は存在しないも同然だ。

 色々と聞かされた裏で走る事実も、彼女たちの感情も、自分には関係ないと思い込ませる。

 本当はとっくに気付いている真実さえも心に仕舞い込み、賢明に忘れようと自分の心を湧き立たせるだけだ。

 今は、未来に訪れるナターシャさんの涙を止めるだけに、自分の身はそのためだけにあったのだと思い込ませて、他の全ては投げ捨てるだけだ。

 二瀬野鷹にとっては、7月7日が最後である。

 ISの待機状態である足首のアンクレットがしゃらりと鳴ったが、その音はすぐに潮騒にかき消されていった。

 

 

 

 今日の予定を終えて、そろそろ分隊の基地に帰る時間になった。

「では、これで失礼します」

 夕焼けの中、洋上ラボの屋上にあるヘリポートで、見送りに出てきてくれた国津博士や神楽、四十院所長に敬礼を送る。

「まだぎこちないねえ。若い時の岸原みたいだよ」

 所長が軽く笑うと、同級生である国津博士も愉快そうに笑っていた。オレも苦笑いを浮かべるしかない。あのオッサンは良い人だけど、似てると言われるとちょっと凹む。

 このまま帰れば、IS学園を出たことを除けば、いつも通りの研究所でのメンテだ。

 だが飛び立つ前に、最後まで聞けていなかった質問を、意を決して口に出す。

「国津博士、最後に一つ、聞いても良いですか?」

「何だい?」

 小さく唇を噛んでから、なるべく感情を込めないよう心がけて口を開く。

「例えば無人機のようなISがあったとして、それを止めて正常に戻す術があると思いますか?」

 その言葉に、国津博士が眉をしかめ、所長がアメリカナイズに小さく口笛を吹いた。

「いいね、それを聞いて来るか。まあ二瀬野君はうちの広告塔だし、答えられることは答えよう」

「お願いします」

「国津、教えてあげなよ。あのISのこと」

 隣にいた親友に所長が問いかけると、深いため息が聞こえてきた。

「いいかい、二瀬野君。ISのログデータ、完璧に消したつもりでも僕たちにはわかるんだよ」

「……それは」

「良い腕だったよ。よく自分の専用機を理解してる。僕らが常に取っているバックアップもほとんど消されていた。でも実は君に言ってないだけでもう一つ、暗号分散化して違う場所に保存してる物があるんだ」

 つまり、オレが無人機と戦ったことは、博士と所長はすでに知っているようだ。どうにも、この大人たちは抜け目がない。

 確かにタッグトーナメントでの出来事が終わった後、授業中で生徒が出払っている間に、無人機に関連するログデータは全て消した。しかし完璧だと思ったアリバイ工作は実は筒抜けだったようだ。

 事情を知らない神楽だけが、不安げに国津博士とオレを交互に見やっていた。

 そんな中、四十院所長が笑顔で近づいてきて、オレの肩に手を置く。

「知らない振りをしようと思ったけど、聞いてくるなら答えるよ。今日、ラボに一機のISがあったでしょ」

「はい。分解されてましたね」

「あれ、フランスで事件を起こした機体なんだ。私が紅椿のデータと引き換えに、ちょっと前にアラスカから借りてきたんだよ」

 フランスの事件ってのは一昨日、所長が言っていた欧州統合コンペでの襲撃事件だろう。

「……どうしてそんなことを」

「実は、その現場にいてね。非常に興味が湧いたから次の事業の足しにしようと思ってたんだ。で、最近はここで研究してたわけ。そんな危ない物を本土でやるわけにはいかないからね」

 この人は何者なんだろうか。何でも知っていそうで本当に恐い。

 少し離れた場所にいる国津博士が、腕を組んで困ったような顔でオレを見ていた。

「所長に頼まれて色々と研究した結果、ISコアを覆うように張り付いた非常に複雑なプログラムがあった。これを剥がすのは意外に簡単だったけど、そのプログラム自体は、剥がされると自壊してしまうようだね。結局のところ、何にもわからなかったよ」

 国津博士の言葉に、思わず小さなガッツポーズを作ってしまう。

 光明が見えてきた。

 やはりIS業界の先頭を走っている人たちは違う。篠ノ之束という超越して超然とした天才がいようとも、それに腐らず地道にISを作ってきた人たちだけはある。

「ありがとうございます。参考になりました!」

「これだけで良いのかい?」

「はい!」

 久しぶりに元気良く返事をした気がする。

 だが、お辞儀しようとしたとき、すぐ眼前の四十院所長が意味ありげに笑っていた。その意味がわからなかったが、どうにもオレが何かを言い出すのを待っているようだ。

 ……そうだな、この人は多分、受け入れて駒にするだろう。

 彼にだけ聞こえるように、オレは声を潜める。

「似たような機体、持ってきたら助かりますか?」

 その申し出に、利益という供物を目にした獰猛な獣が不敵に笑った。

 おそらく、朝方に所長自らがオレに色々と教えてくれたのは、共犯者に仕立てるためだったんだろう。

「いいね、さすがだ。次はIS学園なんかに渡さずに持ってきてくれよ」

 この人の目的は、やっぱりそれだったんだ。今だって誰にも聞かれない会話をするために、オレに近づいてきたんだろう。

「それが例えば、既存のISだとしても?」

「ここなら誰にもバレないよ。大丈夫、私を信じて」

 これ以上ないぐらい胡散臭い言葉で、ビジネスマンが笑う。

 確約が取れたわけではないが、やはり利益という繋がりは強い。

「では、これで失礼します」

 頭を下げてから、距離を取る。

 棚からボタ餅だが、大きな問題が解決しそうだ。見えてきた希望に自然と胸が高鳴る。

 オレはお世話になっている四十院研究所の面々に背中を向け、ISを展開して洋上ラボから飛び去った。

 

 

 

 分隊の基地のど真ん中、アスファルトで覆われたIS用の訓練場にオレは帰ってきた。時刻は夕方を過ぎていて、敷地内は闇に閉ざされている。空の端っこに赤い夕焼けがあるぐらいだ。

「ああ、ヨウおかえり」

「おかえり、二瀬野クン」

 オレが降り立った場所のすぐ近くで、夏仕様の黒兎隊制服を着たリアと、ISスーツを着ていた悠美さんが声をかけてきた。

「ただいま戻りました」

 傍にはテントが設営してあり、その中には多種の機材が設営してあった。他の隊員もそこに集まっているようだ。

「どうかしたの?」

 長い髪をヘアクリップで止めた悠美さんがオレの顔を覗きこんでくる。少し眉間に皺を寄せて、心配するような眼差しを向けていた。

「ちょっと疲れただけですよ」

 辛うじて作れた苦笑いに近い表情を浮かべ、小さく手を振って誤魔化す。

「そう? なら良いんだけど」

 不思議そうに小首を傾げたあと、同じく怪訝な様子でこちらを見ているリアのところに戻ってきた。

「それじゃやろっか、リアちゃん」

「はぁ……」

 元気いっぱいの悠美さんに対し、理由はわからんがリアは思いっきり呆れているようだ。

 周囲を見渡せば、やたらと照明器具が置いてあることに気付いた。カラフルなレーザー光を発したりするヤツだ。よく見れば、オレの背丈と同じぐらいのサイズのスピーカーなんかも置いてある。

「何するんです?」

「新装備のテストだよ」

 得意げに小鼻を膨らませて、悠美さんが仁王立ちをしていた。

 その横では、リアがノートサイズの端末を片手に、物凄く呆れた顔をしている。

「こんな装備を思いつくなんて、ここの上層部と技術研究部は、なんてバカなの……」

「何の装備?」

「見ればわかるわよ。こっちに退避して」

 赤毛のドイツッ子が歩き出すので、それについてテントの方へと向かう。

「おかえり」

「おかえりなさいませ」

「おっかえりー」

 テントの中にある机に向かっていた三人の隊員が、こちらに声をかけてくる。どうやらキツネ隊長こと宇佐中尉はいないようだ。

「ただ今戻りました。何が始まるんです?」

「面白いことだよー」

 下側だけ赤い縁のついたメガネの人が、含み笑いでオレに教えてくれる。

 何が起きるのかさっぱりわからんが、とりあえずテントの方から、ISを展開して立っている悠美さんを見る。

 彼女が目を瞑ると同時に、頭部に青い光が現れて、何かの兵装が具現化する。

 ……いわゆるヘッドセットだよな、あれ。マイクとヘッドホンが一体になったヤツ。

『あー、あー、テステス。グレイス、おっけー?』

「おっけー、いつでもカモン」

『んじゃ、しとやかに夕焼けに似合うバラードから、いってみようやってみよー!』

 元気に声と手を上げると、グレイスと呼ばれたツナギを着た隊員が目の前にある機械に触れた。

 ……つか、これ、どう見てもライブとかで使う音響用のミキサーだし。

「えっとリア、これまさか」

「そうよ、アイドル専用ライブ装備。ISと周囲のレーザー光装置やらスピーカーやらを連動させる、アホみたいな装備よ。私が作ったんじゃないからね!」

 オレに怒りをぶつけるように声を上げてから、鼻息荒く腕を組んで悠美さんに視線を戻す。手にある端末にいくつかのグラフが表示されていた。どうやら新兵装(笑)と連動しているようだ。

『じゃあ、行くよー!』

 悠美さんがマイク越しに最後の合図を送ると、ゆっくりとしたしとやかなメロディーがスピーカーから流れてくる。同時に淡く青いレーザー光が、夕闇に沈む彼女を照らし出す。

 正にアイドルの衣装と言わんばかりの白とピンクのISで、緩やかなダンスとともに、操縦者がしっとりバラードを歌い上げていた。

 特徴のある声じゃないけど、濁りのない澄んだ音色の、どこまでも届きそうな響きだった。

「……上手いな」

「そ、そうね。初めて聞いたけど」

「さすが自称アイドル」

「自称とかつけてたら、怒られるわよ」

「悠美さんなら怒られたいわー」

 今起きてることにオレとリア二人とも呆れているんだが、悠美さんの歌自体は聞き惚れるぐらいに上手かったので、感心してもいた。

 何とも言えない複雑な心境で、オレは目の前のアイドル・オン・ステージを眺めている。

 まあ……これも試験飛行分隊の宣伝活動なのか……?

 とりあえず、終わったら感想を求められることは間違いないので、オレは耳と目を悠美さんに傾けて美声に集中することにした。

 

 

 

 次の日の朝、朝の体力作りから自室に戻ろうとしたとき、隣からリアが欠伸をしながら出てきた。今日はちゃんとパンツの上にハーフパンツを履いている。

「オハヨ」

「うぃっす」

 お互いに軽い挨拶をを交わす。

 今日は履いてるのかと、リアに対して怪訝な視線を向けてしまう。

「な、なによ? 今日はちゃんと履いてるでしょ?」

「ん、それじゃなくてな」

「なに?」

「いくら壁が厚い部屋と言っても、普通のマンションみたいな作りだからな、ここ」

「ん? それが何なの?」

「夜中に大声で歌うと、ベランダ越しに聞こえるぞ」

 どうやら悠美さんの歌に触発されたようだ。

 昨夜に聞こえてきたリア・エルメラインヒのワンマンショーに対して忠告を送ると、途端に真っ赤にゆで上がったリアが、

「うるさい、バカ、死ね!」

 と叫んでから走り去って行った。

 廊下に轟く大声に、耳がキーンとする。……声、デカいんだよ、お前……。

 

 

 

 午前中は基地内の電算室でログデータのチェックをしていた。二十台ほどあるデータ端末を使っているのは、オレぐらいだ。

 このメインベースは、白い合金製の素材で出来ていて、かなりの広さがある。隣接した格納庫はIS用輸送機を二台置いてもまだ余るぐらいだが、ここもそれと同等の面積みたいだ。

 しかし出来たばかりなせいか、それだけ広い建物も今のところ空室も多い。人員もISパイロットがオレを含めて7人で、その他の技術系スタッフが10人ほど、それに警備担当の兵士が30人程度というぐらいだ。

 ちなみにISパイロットだけが基地内の寮に部屋を貰っているらしい。まだ空き部屋もあるから、これから人が増えていくのかもしれない。

 ログデータ整理を終え、端末から四十院の国津博士に送信し、次の作業に移る。

 内部のデータベースにあるISの情報をディスプレイに表示していく。自分が閲覧可能なデータなど限られてはいるが、それでもアラスカ条約機構直下の組織であり、IS学園に引けを取らないぐらいの量はありそうだ。

 そんな中から、ISの機体データを漁って行く。見慣れたIS学園の専用機はパス。探してるのはコレじゃない。

 ホログラムウィンドウに映る情報を右から左へと流しながら、目的を探す。

 やっぱり銀の福音のデータが見当たらない。参ったな。スペックデータぐらいは欲しかったんだけどな。

「お? ここにいたのか。何をしてる?」

 開けっぱなしになっていた部屋の入り口から声がかかる。振り向けば、くすんだ金髪の宇佐つくみ隊長が立っていた。

「少しISのことを勉強していました」

「感心感心。で、何が知りたかったんだ?」

「銀の福音、シルバリオ・ゴスペルです」

「ほう」

 マスカラで大きく見せていた目が細くなる。

 米軍所属第三世代機・銀の福音。超長距離を巡航可能かつ、強力なエネルギー武装を持った強襲用ISだ。

「隊長はご存じですか?」

「もちろん。米軍のエースパイロット、ナターシャ・ファイルスの専用機で、アメリカとイスラエルで共同研究を行っている機体だろ。ああ、四十院も噛んでたっけか」

「ですね。オレのと同系統の推進翼が使われている機体です」

「なんでまた?」

「オレが知ってる、最強の機体の一つですから、興味が湧きました」

「ふーん、最強ねえ。まあ向上心があるのは良いことなんだがなあ」

 入口にもたれかかり、腕を組んで足でリズムを刻む。たっぷり三十秒ほど間を開けたあと、宇佐隊長が人差し指の動きでオレを招いた。

「ちょっとツラ貸せ。今からお前の身体測定をやる」

 

 

 

「ISを出せ」

 格納庫の一角で、オレは言われた通りにテンペスタ・ホークを出す。

 周囲には、数人の技術スタッフと警備スタッフの他に、リアや悠美さんと言った隊員たちも控えている。リアが少し不安げな顔をしているが、何だ?

 近くには、ISを立て懸けるためのキャリーが置いてある。垂直に立てられた十字架の合金にISをかけるタイプだ。この辺りはまだ国際規格が固まってなく、メーカーや場所によって、形状がまちまちだ。

 やがて一人の技術スタッフが近づいてきて、何本ものケーブルをテンペスタに差し込んでいく。

「ちょっと羽根だけ動かしてみせろ。可能な限り速くな」

 技術スタッフが作業を終えた後、宇佐隊長に言われた通りに、オレは三枚の推進翼をバラバラに動かした。

「これで良いですか?」

「同時に腕も動かしてみせろ。そうだな、右手と左手でジャンケンをしてみるんだ。必ず右手が勝つようにな」

 何の意味があるのかわからず、オレは言われたとおりに翼を動かしながら、ISの手を動かしてジャンケンを始める。

「器用だな」

 宇佐隊長が自分の胸に落ちていた、錆びた黄色の髪束を背中に投げる。

 隣にいた技術スタッフがノート端末とスピードガンのような物を抱えて、オレの動きを計測していた。

 隊長たちとは反対側に控えていた悠美さんは感心したような声を出して、小さく拍手をしている。

 ただ、リアの不安げな顔だけが、先ほどより深刻さを増していた。

「歩いてみせろ。今の動作と同時にな。翼をスタッフにぶつけるなよ」

「はい」

 これも言われた通りにこなす。歩きながらジャンケンをして、翼を動かしている姿は、ちょっと間抜けすぎるだろ……。悠美さんがちょっと笑ってるし。

 軽く前後に三メートルほど進んだあと、

「もういいぞ。ISは軽くメンテを行う。キャリーに立てかけろ」

 と鋭い口調の命令が飛んだ。

 技術スタッフが何やら隊長に耳打ちをし始めた。なんだ?

「昨日、四十院で診てもらったばかりですが」

「ヨンケンだけがメンテ担当じゃねえぞ。ほら、さっさとしろ」

 そんな略し方初めて聞いた、と思いながらも命令通りに動く。

 十字架状のスタンドに、推進翼と尾翼が当たらないように少しズラして背中を預けた。同時に肩と足がキャリーに固定されたので、オレは視界に浮かんだウィンドウを操作し、スリープモードに落とす。

 拘束されていた手足と胸部装甲が外れ、オレは合金製の床へと飛び降りた。

 同時に、警備スタッフが携行用の小型マシンガンを持って、オレに近づいてくる。

 クセのある金属音がいくつも同時に鳴り、全ての銃口がオレに向けられていた。

 突然のことに事態が把握できないが、うかつに動けないことだけは理解できる。他の人間は全員、これを知っていたようだが、悠美さんだけが何も聞いてなかったのか、驚いて目を丸くしていた。

 もちろん、一番驚いてるのはオレ自身だ。

「な……んですか、コレ!」

 血の上ったままの頭で、思わず隊長を睨んで叫ぶ。だが、相手は腕を組んで眉間に皺を寄せ、

「二瀬野、お前にはしばらく療養してもらう」

 と冷徹に宣告をしてきた。

「何言ってんです? ちょっと意味がわからねえよ、このヤンキー!?」

「リア、言ってやれ」

 隊長が顎の動きだけで部下を促す。ドイツから来た少女は、先ほどのスピードガンを持っていた技術スタッフから端末を受け取り、その画面をオレに向けた。

「今日、貴方がいない間に色々と調べたの」

「調べたって、何を」

「貴方は異常よ、フタセノ・ヨウ」

「おいリア、何言ってやがんだ、ホントに意味がわかんねえぞ」

「人間に翼はないのよ」

「はあ? 何言ってやがんだ、当たり前だろ。オレが天使にでも見えんのか」

「そして貴方の推進翼の制御速度、メテオブレイカーのときより上がってるのよ」

「だからどうした?」

「大丈夫よ、一カ月も離れていれば、自然と治るものだから。これは貴方がIS乗りを続けていくために、必要な処置だから」

「だから! 何を話してんだよリア!」

「貴方の病名はIWS。インフィニットストラトス・イン・ワンダーランド・シンドロームの可能性が高いわ」

 冷たい口調で、そんな病名を告げる。

 IWSは、IS乗りがかかる職業病のようなもので、ISに乗っている感覚が降りても戻らないという感覚異常の病だ。だがもちろん、オレにはその自覚症状がない。

 周囲をグルリと見回す。銃口を向けているのは、オレが暴れたときのためか……どんだけ危険人物に思われてんだ、オレはまともだろ……!

「待てよ、自覚症状すらないんだぞ! どうしてそんな診断が出るんだよ!」

「第二世代機で推進翼を、自分に生えた翼のように動かす人間の、どこか異常でないというのよ」

「いや、オレはずっとそれを練習してたから、当たり前だろ!」

「メテオブレイカー作戦、貴方が最後に隕石を破壊して離脱したとき、その制御速度は火事場の馬鹿力、と呼ぶのかな、それと同じようなものと判断されていた。全てのパイロットの記録を大幅に塗り替えるぐらいだったから。でも今、計測したら、そのときよりも反応速度が上がってる。つまり、あの異常なデータは貴方にとって通常だったということよ」

「意味がわかんねえぞ、リア!」

「これが手足ならまだ理解できたわ。でも本来は人間にない器官なのよ、翼は」

「た、確かシャルロットも同じようなことを言っていたな。いや、でもアイツだって同じように扱ってたぞ!」

「それを再確認するためのチェックよ。手足を通常起動させながら、異常な速度で翼を動かす貴方は普通じゃない。昨日、ラウラ隊長たちに連絡して確認したわ。隊長がシャルロットに聞いたみたいよ。貴方、あの子とタッグ組んでたんでしょ」

「あ、ああ」

「シャルロットは同じ疑問を持ってたみたいよ。あの子は腕を使わずにはなら同じ真似が出来たみたいだけど。貴方のように手足と同時に三枚の推進翼を別々に動かすなんて異常すぎるのよ」

 ……ここでアイツらの名前が出てくんのか! IS学園を離れてまで! クソ、なんだコレ!

 苛立ちが内燃し、奥歯がギリっと鳴る。

「それに貴方、入学時より右眼の視力落ちてるでしょ」

 突然、慣れ切った事実を再確認させられる。もう当たり前になっていたので、オレ本人ですら気にしてなかった。

「ああ。だけどそれが何だってんだ。大した異常じゃねえ!」

「左腕の触覚がかなり鈍いという報告もあるわ。これらが感覚異常でなくて何だというの?」

 憤るオレの言葉を、リアが理詰めで塞いでいく。血の昇った頭では、それらに上手く反論できない。

 確かに左腕は明らかに感覚異常だ。IWSと結びつけたことはなかったが、腕の触覚がないというのは、装甲で覆われたISと同じと言えなくもない。

「だ、だけど、IS学園でも四十院でもそんな診断なかった! オレはおかしくねえ! こじつけだろ、自覚症状もねえんだぞ!」

「落ち着いて、ヨウ・フタセノ。貴方は今、半分ぐらい現実に生きてないの」

 胸の中に仕舞っていたものへ直接、サクリとナイフを入れられた気がした。

「現実に生きていない? いや、生きてるだろ、オレは! ここで、この足で!」

 抗うように叫んだオレに対し、宇佐つくみ隊長が一歩だけ前に出て威嚇するように睨む。

「お前のセラピー、一昨日は簡易催眠チェックを行わせてもらった。こちらは大問題だ」

 は……? 催眠チェック?

 背筋が凍る思いだった。実質的には自白剤を使われたのと一緒だ。

「……人権侵害ですよ、それ」

 オレが最も恐れていた件だ。道理であの思想チェックの最中に寝ていたわけだ。

 二瀬野鷹を名乗るオレは、通常の人間とは違う記憶を持っている。ゆえに記憶を覗き見られるのを一番恐れていた。普通の人が二瀬野鷹の記憶を覗き見れば、単なる妄想癖か異常者にしか見えない。そんな人間を強力な兵器であるISを任せておくなんて、あり得ない話だ。

「この分隊の重要性は理解しているな? 男であるお前という人材は貴重だが、不穏な言動が他でもあったという報告もあるからな」

 ……うかつに未来人なんて喋ったツケか。おそらく無人機について隊長に話した件も効いているんだろう。

 確かに最近のオレは、7月7日のことばかり考えていて、不審に思われない言動については大分おろそかになっていた。それさえ越してしまえば、後はどうなっても良いと思っていたし、そんなに早く何らかの対処がされるとも思っていなかった。

 だが、どうにも目の前の隊長殿は、ヤンキーみたいな見かけに寄らず慎重派のようだ。

「お前はしばらく専用機を剥奪する」

「……了承できません。オレは普通です」

「しばらくの間、専用機のテンペスタはこちらで預かる。これは今朝方、四十院にも話を通した。だが貴重な男性IS操縦者ということもあるので、追ってデータ計測用のスケジュールを伝える。明日は計測器が届くぞ。良いな?」

 有無を言わせぬ口調と、それを後押しをする銃火器に、オレはこれ以上の反論が出来ない。

 足から力が抜け、膝が崩れる。

「ヨウ、大丈夫だから、一カ月後に再検査するころには、治ってると思うから」

 気付けば近くに寄ってきていたリアが、まるで家族にでも話しかけるように優しく教えてくれる。

 しかしオレの感情が、差し伸べられた手を勝手に跳ねのけていた。

「……てめえも結局、アイツらの仲間ってことか」

 そんな怨念が口から洩れる。

 

 

 

 こうして、週末にあるIS学園の合宿、つまり銀の福音事件を控え、オレは専用機であるテンペスタ・ホークすら奪われた。

 一つ希望が見えてきた次の日には、自分の全てを剥ぎ取られ、鍛えてきた翼ですら、それは病だと罵られた。

 いつもこうだ。

 二瀬野鷹の人生は、いつだって、何をやっても、大事なことだけは上手くいった試しがない。

 

 

 

 

 





少し遅れました。
次週は作者取材のためお休みをいただきます。18話は8/17夜の予定です。



今まで出てきた試験分隊のオリキャラ。
宇佐 つくみ:くすんだ金髪の試験分隊隊長。通称ヤンキー隊長
沙良色 悠美:アイドルパイロット。キラッ☆とかしない。
グレイス 竜王:パイロットだが整備畑の人
日田 東:ヒタ・アズマ。まだ名前だけ。


自分の出身がバレるなこりゃ。



*12/2 一部表記揺れを訂正


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18、独自の個性(オリジナル・キャラクター)

 

 

 IWS。正式名称はインフィニット・ストラトス・イン・ワンダーランド・シンドローム。

 この病が発見されたのは、ほんの4年前だ。当時、各国のIS乗りたちから『ISの万能感が降りても続く』という申告が上がっていた。しかし開発者たちも医療関係者も軍部も、単なる精神疲労だと思い、大して重要視をしていなかった。

 だがそうしているうちに、数人のIS乗りが日常生活の事故で立て続けに亡くなったのだ。そして、そのいずれもが先述の症状を申告していたという共通点を持っていた。それを重要視した数人のIS乗りたちの自主研究により、現在のIWSが病気として立証されていった。

 主症状は感覚異常で、他にも慢性的な頭痛や生理不順などもあるらしい。実際にはどれがISの長時間搭乗に起因するものなのか、まだまだ研究の余地があるそうだ。

 そしてオレには、大脳基底核の閉鎖回路における運動系ループの異常という長ったらしい症状名がつけられた。

 要するに、脳内の四肢の運動をコントロールしている場所に異常があり、このままでは神経変性疾患における運動障害を起こすという診断だ。

 普通の人間なら運動に関する神経伝達は、自分の肉体にのみ作用する。だがオレの場合は翼を動かす、という肉体にない器官の動作がISによって異常発達されており、このままでは手足がまともに動かなくなるかもしれないそうだ。

 医師たちによって、視力が落ちていたり左腕の痛覚麻痺は全てこれに起因するのではないか、という推測が立てられたと聞いている。

 そんなことはないとオレは思っているが、説得力はお医者様方の方が圧倒的に上だ。

 なおかつオレは世界に二人しかいない男性IS操縦者であり、心身の健康は何より重要視される。

 リアが昨日、隊長に相談されていた件はコレだったということだ。

 さらにセラピーという名の思想チェックは異常ありだ。どう考えたって専用機を渡して良い人材ではない。

 この、クソどうでもいい長ったらしい説明を理解したのは、専用機剥奪の数時間後だった。

「落ち着いた?」

 部屋の天井に仕込まれたスピーカーから、リアの声が聞こえてくる。

「おかげさまでな」

 オレがいるのは、白く病的なまでに清潔な合金で囲まれた部屋だ。ただし通路側だけが分厚く透明な強化ガラスになっていた。まるで博物館の展示物を置くガラスケースのような場所だ。

 ここはたぶん、IS用の研究室になる予定の部屋だろう。その証拠に、ど真ん中にISが寝かせられるサイズの寝台が一つ置いてあった。出入り口であるである重そうなデカい扉もISを搬入出来るサイズだ。ただし、営倉代わりに使うためか、端っこにはカーテンに仕切られた仮設トイレが設置してあった。ありがたいことだ。

「随分、暴れてくれたわね」

 ガラスの向こう側から、赤髪に眼帯のリア・エルメラインヒがマイク越しに話しかけてくる。

「悪かったな」

 素っ気なく言い放ってそっぽを向いた。

 ISを取り上げられた後、リアを跳ね除けてテンペスタへと向かい走り、取り押さえられ、無理やり睡眠薬を打たれた結果が、この独房まがいの真っ白な研究室だ。

「これからしばらくは監視がつくわ。専用機はすでに封印済みよ」

「封印?」

「この基地で全ての機能をロック済み。解除コードは隊長しか知らないわ」

「四十院には?」

「抗議が何回も来てるわね」

「話が違うじゃねえか。四十院には連絡が行ってたはずだぞ」

「ええ、でも別口から抗議が来てるみたいよ。研究所ではなく四十院の持ち株会社名で来てるわ。確かシジュウイン・カグラという子ね」

 神楽か。さすが事務仕事が得意なだけはある。どうやら研究所本体とは別に抗議を出してきてるみたいだ。ってことは、アイツも知らなかった事態か。

「今は何時だ?」

「22時よ」

「7月3日か?」

「ええ。いい? こっちの指示に従えば一カ月もすればまた元に戻るわ」

 元の状態に戻るのが一ヶ月後では遅すぎる。オレの戦闘は7月7日だ。

「IWS」

「なに?」

「数字を見せろ。根拠がうさんくせえ」

 オレの言葉を受けて、リアが手に持っていた10インチサイズのタブレットをガラスにくっつける。

 そこには、

「一昨日の精密検査の数字があるわ。貴方の脳から指先への無髄神経伝達速度が他の人より遅い。逆に脳脊髄神経が異常に速い。典型的IWS症状よ」

「……神経伝達速度か。だけどそれも、他の患者に見られる傾向が多いって話だろ?」

「仮想アームによる四肢の反応速度も、やっぱりズレてるわ」

「推進翼操作の件は?」

「診断の通りよ」

「大脳基底核の閉鎖回路における運動系ループの異常、だっけ」

「詳細は検査中だけど、脳幹細胞に……いえ、そうね。簡単に言うわ。貴方の脳内にある貴方の体には翼が生えてるわ」

「実はオレ、天使だったのか」

 しかも脳内だけって、どんだけ暗いヤツなんだ。

 そんな自嘲混じりの笑いを喉で鳴らすオレに対し、リアは眉間に皺を寄せて渋い顔をしていた。

「にしても、これはホントにオレの数字か?」

 ここまで自覚症状がなければ、疑わしいにもほどがある。

 オレの怪訝な様子に、リアは肩を竦めてから口を開いた。

「もちろんよ。何なら貴方の前で精密検査をしてみせましょうか?」

「精密検査なんてする前に、自覚症状と通常の検査で気付くものだからな、普通は」

「思ったより冷静なのね」

「ああ、頭は冴えてきた。だけど、この数字でオレが通常に動いてたってことは、治すと逆にズレるんじゃないのか?」

「貴方の場合はズレてるんじゃないの、生えてるの。それに……セラピーの結果も悪かったから」

「セラピーの結果は聞いてねえぞ」

「貴方は妄想家の類ね。貴方はこの世界に生きていない。催眠中の貴方はこう言っていたそうよ」

「なんて?」

「この世界は物語の中だと」

 事実、その通りだろうが。

 しかし、これはミスった。IWSの件はともかく頭の方は何度やろうが、催眠状態のオレは同じ回答をするだろう。そして一度、異常が見つかってしまえば、毎回同じ内容の思想チェックになるに決まってる。

 催眠に対して耐性をつけたり出来るんだろうか……。

「オッケー。現状は理解した。いつ、ここから出られる?」

「それは宇佐隊長が総合的に判断するそうよ」

 チラリとリアに視線を向けると、視界にもう一つ、人影が差した。

「元気か、二瀬野」

 閉鎖されていた重い合金製のドアが開き、三人の警備スタッフという名の軍人を連れて、責任者が入ってくる。

 丁度、名前が挙がっていたくすんだ金髪の女、宇佐つくみ隊長だ。

「ええ、もうすっかり」

「ふん、ならいい。あと数日はここで過ごしてもらうぞ」

「へいへい」

「ったく、だから向いてねえんだよ。面倒事ばっか起きやがる」

 心底疲れたようにため息を吐きながら、パンプスの音を立てて隊長が近づいてくる。

 乱暴にオレの髪を掴み、自分の方へと引っ張った。

 そのまましばらく、隊長と睨み合う。

「大人しくしてろよ。てめえはガキだが不思議と嫌いじゃねえ」

 オレにしか聞こえないような声が聞こえた。

 眼前の顔は、獲物を狙う獣のような印象を与える。切れ長の目がまるで蛇のようだ。そして普通に目を開いていれば、美人な部類に入るだろう。くすんだ金髪は明らかに染髪したもので、この人の元の色じゃない。

 改めて観察して、初めて気付いた事実があった。

 ……ああ、本当に銀の福音事件以外の何も見えていなかったようだ。違和感を覚えた正体はコレか。

 オレは以前の知識でこいつを知っていたのに、全く気付いてなかった。

 この隊長の正体は、亡国機業の一員。

 多脚式IS『アラクネ』のパイロット、確か名前は、オータム。

「何を笑ってやがる?」

 力ない笑みを零すオレの髪を、オータムが苛立たしげに突き放した。

「いや、何でもねえっす。失礼しました、隊長殿」

 存在感がなくて、すっかりその存在を忘れていたが、いたなぁ、そういうヤツらも。

 こいつは八方塞かもしれない。詰み具合がハンパじゃねえ。

 力のない自嘲の笑みが腹の底から自然と込み上げる。

 この秘密組織が何様なのか知らないが、こんなところまで入り込んでるなんて、普通じゃない。

 本来のストーリーなら、巻紙礼子と偽って一夏の白式まで強奪しようとしていたような奴らだ。全容がどんな存在なのかはわからないが、隊長に収まってるなんて、よっぽどの力があるんだろう。

 そして一夏を誘拐しようとした事件の首謀者が、こいつらだ。

 そうなるとだ。

 岸原一佐もグルか。国津博士や四十院所長まで亡国機業と手を組んでいる可能性も高い。

 その娘たちまで全て知ってるとは思わないけど、もう、これじゃ何にも信じられねえじゃねえか。

 目的がわからないが、この基地は普通じゃないってことだ。

 割と本気で、オレの人生は詰んでるよな。IS学園を出て亡国機業の懐に飛び込んでるなんて。

「どうした?」

 顔を離した宇佐つくみ隊長、いやオータムが怪訝な表情を浮かべる。

 うすら笑いを浮かべたままのオレは、

「いえ、以降、宇佐隊長の指示に従います」

 と力なく答えるしか出来なかった。

 

 

 

 7月4日の朝、昨日と同じ部屋で目覚めた。分厚い防弾のクリアガラスに囲まれた研究室にいると、まるで博物館の展示物のようだ。

 ひょっとして、この先の人生は男性IS操縦者として、こんな客寄せパンダか実験体一号みたいな感じで生きて行くんだろうか。死ねば剥製になったりしてな。

 そんなパンダに誘われて、一人の女性が部屋を訪れる。

「おっはよー」

「一人で入って良いんですか?」

「え? なんで? ただの病気なんでしょ?」

 のんびりと話しかけてくるのは、ピンクの迷彩を羽織った沙良色悠美さんだ。

 専用機持ちゆえに、こんなに堂々と一人で入って来れるんだろうな。ISの専用機を持つってのは、個人で世界最高ランクの強さを持つってことだし。だからオレは専用機持ちから外されたわけでもあるんだけどな。

「はい、朝食。こんなものしかないけど」

 コンビニのビニール袋から、サンドイッチ二袋と缶コーヒーが一つ、オレに差し出された。

「あざーっす」

 一つ手を合わせて、ビニールを破いて卵サンドを取り出す。

「何か納得いかないなー。どうしてなんだろ」

 悠美さんはオレの寝ていたベッドに腰掛け、腕を組んで首を傾げながら唸っていた。

「納得済みですよ。オレみたいなのがあんなに操縦出来てたのがおかしかったんです」

 なるべく事を荒立てるようなことは言わないのがベストだ。

 この人が何をどこまで知っているかまではわからないけど、それでもうかつなことは喋らない方が吉と思う。この人が白でも、他の誰に聞かれてるかもわからないし。

「確かに精密検査と身体測定の結果を見ると、IWS患者のようにも見えるんだけど……」

「そういえば、悠美さんの打鉄だと推進翼って汎用パッケージですよね。どういう操縦方法なんです?」

「私? 普通だよ。肩甲骨と僧帽筋の延長って意識かな。ラファールにもちょっと乗ったことあるけど、あれのデフォルト装備も、そんな感じだった」

 それだけ聞いてもオレとは全然違う。テンペスタ・ホークの推進装置は本当に背中に生えた翼だ。羽ばたいて、そこに意識を集中するだけで加速が行える。

 いや、本来は肩甲骨や背中の筋肉の延長で操作すべき項目を、オレが翼として誤認していただけなのかもしれない。

「なるほど、勉強になります。やっぱキャリアが違いますね」

「こら、私が年寄りだと言いたいのかっ」

 冗談めかした怒った顔で、ツンと頬を突かれる。その可愛らしさに思わず頬が緩んでしまった。

「いえいえ、純粋に褒めてるんですよ」

「でも、鷹君が下手だって言われてるの、実はIWSのせいだったりして」

「へ? でもIWSって主症状はISに乗った感覚が降りても続くって病気でしょう? 最もオレは自覚症状がないですけど」

「私も専門家じゃないけどね。IWSって謎の病だから」

「まあ、謎って言えば謎ですよね。原因がISに乗ってるということだけで」

「あれって結局、長時間乗ることでIS側に体が適正化されるだけでしょ。まあ確かに日常生活じゃ危ないかもしれないけど」

「……ああ、そういう考え方もあるんですね」

 つまりオレの体こそが、いつのまにかISの部品として最適化されていってたんだろう。

「私も何人か見てきたしね。あ、さすがキャリアが長いとか言ったら怒るからね?」

「いえ、もう言いません。でも確かにISが人間に適正化するように、人間がISに適正化していく。つまり、オレはテンペスタ・ホークに同化しすぎたってことか」

「でも、おっかしいなあ。IS学園はともかく、普通なら四十院の検査で気付くはずだけど」

 ……四十院か。今となっちゃ、信じるに値しねえな。

「見落とすこともありますよ。何を考えてたかまでは、オレにはわかりませんけどね」

「フラグメントマップの伸びはどうだったの?」

「見事に推進翼特化でしたよ」

 肩を竦めるオレに、紙パックのイチゴミルクを飲んでいた悠美さんが困ったように微笑む。

「だったら気付き難かったのかな。IWS患者は異常部位におけるフラグマップ上の神経伝達速度関係が、爆発的に伸びるときが多いみたいだしね」

「あれも何でなんでしょうね?」

「うーん。よくわからないなぁ、その辺は。さすがに専門家じゃないとね」

「世の中、謎だらけってことですね」

「まあ、今は療養に精を出してね。みんなの話じゃ、一カ月ぐらいだろうってことだし」

 ただしそれは病状に関してだけであり、思想がおかしいと判断された件については、解決する見込みは少ない。

「それじゃ、私は行くね。昼ごはん、持ってくるから。他に欲しいものある?」

「いや、特には」

「暇だったら、IS関連の教本とか持ってきて上げるよ。真面目なところ見せておいた方がいいかもだし。紙の本しかダメだろうけど」

「ですね、お願いします。どうせ、することなくて手持無沙汰だし、整備関連のことでも勉強しておきます。本読んでたら嫌なことも忘れられるし」

「おっけー。グレイスが良いの持ってた気がするから、借りてくるよー。ここの設備関連もいくつかあるから、持ってくるね」

 グレイスってのは、この隊にいる整備・開発畑のISパイロットだ。フルネームはグレイス竜王っていう厳つい感じだが、東南アジア系ハーフの美人さんである。

「お願いします」

「それじゃ、また後でね」

 裏のなさそうな笑顔で手を振って、悠美さんが部屋から出て行く。同時に重い金属が落ちる音がした。たぶんドアがロックされた音だろう。

 悠美さんは、確か日本の暗部を司る更識の分家と言っていた。オレの記憶通りなら、更識と亡国機業の繋がりはないはずだ。昨日も何も知らない風だったもんな。

 だけど、それが信じるに値するかと言えば、また別の話だ。

 ここは隊長が亡国機業のIS乗りなのだ。本家と分家で動きが違う可能性もある。

 八方塞がりってのはこのことか。

 オレ自身が疑心暗鬼になっているのもあるだろうが、それでも信じるに値するものが、ここには何一つない。

 四十院所長の言葉だってそうだ。

 似たような機体があれば洋上ラボに持ってくるといいと言っていたが、それに従って銀の福音をオレが持っていくと、亡国機業に接収されてしまうかもしれない。アイツらはイギリスから盗んだBT実験機すら自分達で使っていたぐらいだ。

 状況を整理すればするほど、自分の巡り合わせの悪さに泣けてくる。

 今のオレは唯一無二の相棒ですら取り上げられ、体はこの部屋から出ることすら出来ない。

 愛する人たちからは心も体も遠く離れ、今までの努力は病だと断じられ、周囲は何も信じられず、時は無為に進んで行く。

 オレは見世物用の檻の中で、誰からも顔が見えないように膝を抱えた。

 ……ああ、本当に、そろそろ泣いても良いんじゃないだろうか。

 ごめんなさい。

 すみません。

 本当に、申し訳ありません。

 生温かい涙が、ほとんど見えない右目から零れ落ちた。

 

 

 

 

 7月5日の朝。

 今日も悠美さんが朝食を持ってきてくれた。昨日と同じようなメニューだが、缶コーヒーがビッグサイズなアルミ缶のコーラになっていた。

 しかし朝からこの量の炭酸とは……。この人、やっぱ天然さんなのかねえ。

「炭酸飲みたいかなぁって。私もビール飲みたくなるときあるし」

「いや、二十歳の大人と一緒にしないで下さいよ」

「あー! また歳のこと言った!」

 IS用の寝台にいたオレの隣に、悠美さんが軽くジャンプして腰掛ける。うお、胸揺れた。

「気にするような年齢じゃないでしょ、まだ」

「気になるの! 他のアイドルやってる子って、みんな若いんだから!」

「いや、そりゃそうでしょうけど。でもほら悠美さん綺麗で可愛いし、大丈夫ですって」

 サンドイッチを食いながらテキトーに褒めておいた。

 我ながらすごい投げやりな感じだったんだが、なぜか悠美さんは顔を赤くして、指をもじもじさせている。

「も、もう、口が上手なんだから」

「……悠美さんて」

「な、何かな?」

「褒められ慣れてないの?」

「ぐ、う、うん。実は……、それに男の子と話すのも珍しい」

 言い返そうとしたが、すぐにガックリと肩を落として小さなため息を吐いた。

「それでよくアイドルやろうと思いましたね」

「今でも結構大変……現場は男の人ばっかりだし。話が来た時は、何も考えずに飛び乗ったんだけどねー……昔っからの夢だったし」

「最初からアイドルになろうとしなかったんですか?」

「うーん、ほら、普通の人は知らないけど、うちの家ってアレじゃない?」

「ああ、アレですね」

 悠美さんは古来から日本の暗部に根を生やす更識家の分家出身らしい。暗部というからには、マスメディアに出るようなことは、簡単には許されないんだろうな。

「表に出るなんて、絶対にダメー! みたいな感じで諦めてたんだけど、言われた通りIS乗りになったら、ある程度名前が知られてきてさ。そしたらもう関係ないでしょ。でも今さらアイドルになりたいなんてなーって思ってたときに」

「やってみないかって話が来たんですね」

「そうそう! もう有頂天になってさ、ハイハイハーイ! って手を上げて!」

 いちいちアクションをつけて説明してくれる姿に、自然と頬が緩んでしまう。この人、癒し系だなあ。

「でも、夢が叶って良かったじゃないですか」

 それだけは、手放しで称賛できる。チャンスが転がってきたとはいえ、夢を叶えて頑張ってる人がいる。

「まだまだ途中だけどね! 夢は私の踊りとか歌を、親戚の子が真似しちゃう感じ!」

「ああ、そういう子だったんですね、悠美さん」

「うん、もうテレビの前で歌ったり踊ったり! あー……簪ちゃんが不思議そうな顔で見てたの思い出しちゃったわー……」

「簪とも知り合いなんです?」

「あの子のお姉ちゃんよりは断然仲良いよ。IS学園に入る前は勉強見て上げたりもしたし。私、問題出したりするの好きだから楽しかったなぁ。今もたまにメールするし、テレビ出たら感想くれたりするんだー。私の方がアレより断然、簪ちゃんのお姉ちゃんっぽい気がする!」

 照れ笑いを浮かべながら、ちょっと嬉しそうに小さくブイの字を作る。

 オレは更識簪のことを会う前から知っていた。とは言っても四組のクラス代表で無口な引っ込み思案な、打鉄弐式のパイロットってぐらいだ。あとはヒーロー物が好きだったかな。

 それでも、悠美さんと簪は繋がっていて、会話をしている。

 いつも思うが、人は不思議なところで繋がっていて、それが組み合わさって世界が作られているよな。

「さて、そろそろ行くね、訓練始まるし、昼からは外でお仕事だ!」

「ありがとうございました。ここから出たら、サイン下さい」

「いいよ、まかしといて! ISスーツに書こうか?」

「い、いや普通に色紙で……」

「ちぇー……。でもちょっと元気出た?」

「へ?」

「ほら、私ってアイドルだし、人に元気あげないとね!」

 ちょっと照れながら胸を張って、得意げな顔をしている。

「……ええ。気を使わせて申し訳ありません」

「それじゃね、またお昼に!」

 手を振ってドアから出て行く姿を見送りながら、オレはアルミ缶のプルトップを開ける。炭酸が勢い良く吹き出して中身が零れそうになったので、慌てて口をつけた。

 あの人、炭酸の入ったビニールをブラブラと振りながら持ってきたな……。

 だけど、夢、か。

 銀の福音を救うことに失敗し、もう何もない。

 オレの頭の中身はバレてしまったので、自由にISに乗り続けるのも難しいだろう。

 そして、ISに乗っても役立たずだ。オレの翼は病であり、治ってしまえば以前と同じようには飛べないだろう。以前のように飛べるようになっても、それは病の再発以外の何ものでもない。

 こうなると最悪、実験体扱いだろうな。男でISを扱えるがゆえに、その謎を解くために都合良く使われる可能性だってある。

 一夏とは、雲泥の差になっちまったな。

 今日は7月5日か。

 笑える。笑えて仕方がない。

 7月7日を待たずにゲームオーバーという情けなさが、いかにも二瀬野鷹らしくて素晴らしい。

 悠美さんは悪い人じゃないが、残念ながらそのお家柄と、ここにいる亡国機業のおかげで信用に値しない。

 それは四十院研究所も、この隊に関連する岸原一佐もだ。

 今までやってきた自分の努力さえ信じられないのだから、何一つ信じられないよな、マジで。

 

 

 

 

 ガラスの外にある廊下は消灯されていた。ということは23時を回っているようだ。

 することもないので、人間には不釣り合いなIS用の寝台に寝転がって、悠美さんが差し入れてくれたISの整備関連の本を捲っていた。

 何か手を考えなければ、と思いながらも、信じて頼れる人間が誰一人としていない状況だ。

 絶望的な状況の想定しか出来ず、ボーっとした頭でペラペラと紙を弄んでいる。

 この手の本格的な本は通常の書店じゃ手に入らない。一部の関係者だけが持っているような物ばかりだ。2月の末に貰ったIS学園時代の教本は一年までの内容だから、整備関連の項目がかなり少ない。しかも三月には全て読み終わってしまった。事前に暗記しとけと言われていた電話帳みたいな厚さの本も、よく読めば概論と規則関連ばかりで、大した内容じゃなかったしな。

 その点、ここの隊員であるグレイスさんが持ってたという本は、そういう項目もかなり詳細に乗っている。内容自体は第二世代機の初期に作られたマニュアルを元にしているようで、汎用装備のインストールや機体のフィッティング、それに専用機用のパーソナライズの手続きなんてのも載っていたりした。

 興味深い項目ばかりで、つい夢中になってしまう。

 だがパーソナライズ関連のページを読み終わり、ページを捲った瞬間に我に帰った。

 ……どんだけIS好きなんだ、オレ。

 大きくため息を吐いた。

 生まれる前からインフィニット・ストラトスを知っていたオレは、関連書籍が出始めると同時に買い漁り読み耽って育った。

 中学校に入ってからは、男でも動かせる方法がないか必死に探していた。女しか反応しないISを、自分の手で動かしたい。それをずっと考えていた。

 それが今や、この状況だ。

 動かしたって、ロクなもんじゃなかった。

 だが、男が動かしたという事実がある以上、オレはISから離れることは出来ない。

 オレと一夏という二例が見つかってから、IS操縦者適正試験は、男も受けるようになっているらしいが、今のところ見つかっていない。おそらく奇跡みたいな確率を頼って、オレと一夏以外の男性操縦者が山ほど出てくるのまでは、この身に自由などないと思う。

 ゆえに、銀の福音事件で何も出来なかったという事実は、心に刻まれたままになるんだろう。

 

 

 

 7月6日の昼。

 予定通りなら、IS学園の合宿は始まっている。

 オレは相変わらずの、この狭い独房暮らしだった。

 飯時になると、必ず悠美さんがメシを持ってきてくれて、他愛のない会話をしてくれる。

 今日になって、久しぶりにリアがやってきた。コイツは専用機持ちじゃないから、後ろにはマシンガン付の警備スタッフがいる。

「しばらくISを離れてたわけだけど、何か変わったところある?」

「いや全然。何が通常かもわからん」

「それはそうよね……」

「そんなことよりシャワー浴びたい」

「ボディウォッシュペーパーはあるでしょ」

「髪洗いたい。悠美さんに匂いがうつっちまう」

「そ、それはまずいわね。今日の夜ぐらいには、何とかしてあげるわ。っていうか隊長もいつまでここに閉じ込めておくつもりなの」

「オレが知るか」

 そっけないオレの態度に、リアが小さくため息を吐く。

「いい加減、機嫌を直したら? いい? 貴方は病気だけど、それは普通に治るの。そんな態度じゃ治るものも治らないわよ」

 おそらくコイツは自分の弟にも、こんな口調で諭すんだろうと思った。

「だったら、ここから出せよ。ちょっと暴れたからって、いくら何でも長すぎだろう」

「それは私も思うけどね。でも貴方の場合は、頭の方も問題ありだから」

「……そうだな」

 ひょっとして、オレは生まれ変わったと思い込んでるだけで、本当はただの頭が狂った人間なのかもしれない。

 そんな他愛のないことを考えていると、思わず大きなため息が床に届いてしまう。

 そのまま無言でいると、リアが一歩近寄ってきた。

「……あと一つ、いい? 落ち着いて聞いてね」

「ああ」

「四十院研究所製のテンペスタ・後期高機動実験機だけど」

 その長ったらしい正式名称は、オレの愛機であり現在は封印されているテンペスタのものだ。

「ホークがどうした?」

 膝に置いていたオレの手を、リアがそっと包むように小さな両手で握る。

「……宇佐隊長の専用機になることが決まったわ」

 

 

 

 7月6日の夜。

 テンペスタ・ホークを思い出す。ずっとオレの傍にいてくれた機体だ。

 三枚の推進翼と脚部大出力スラスターを備えた、マッハ3を超える超高速機動インフィニット・ストラトス。世界最高の速度記録を持つ、イタリア伝統の黒いスポーツカーデザインのIS。

 4月に出会って、三か月程度の付き合いだとはいえ、ずっと一緒に戦ってきた。

「え? ヨウ君のテンペスタが?」

 隣に腰掛けていた悠美さんの声が上ずっていた。その事実をやはり知らなかったようだ。

「らしいですよ」

 自分のことを他人事のように言うのは慣れている。

「……やっぱりそっか」

 隣の専用機持ちは腕を組んで爪を甘噛みしながら、何か考え込み始めた。

「知ってたんですか?」

「今日の昼、隊長が中心になって封印を解除して色々いじってたのは見たわ。内容は教えてくれなかったけど、専用機用のパーソナライズだったのね、あれは。グレイスも関わってなかったし」

「パーソナライズまで終わっているってことは、もう待機状態で隊長が持ってるってことですよね」

 そう、つまりテンペスタ・ホークはBT二号機と同様に、亡国機業によって奪われたのだ。

「……うん、そうなるね。でもアレ、鷹君以外に操縦できるの?」

「出来るでしょう。ただの第二世代機なんだし」

「グレイスに聞いたけど、あれの推進翼、かなり特殊な成長してるみたいよ? それこそIWS患者にしか操縦できないと思うけど」

「フラグメントマップごとリセットして、汎用のインターフェースに馴染むようにすれば、それこそ悠美さんの機体と同じように操縦できるはずです」

「詳しいねー」

 オレの説明に、悠美さんが感嘆の息を吐きながら褒めてくれる。

「借りた本にあった記述から推測しました」

「すごいなー。私より全然詳しそう」

 どうやらこの人はパイロット技能専攻型らしい。

 パイロットも人それぞれで、腕が良いだけの人もいれば、整備関連もばっちり行えるタイプの人もいる。一夏や箒、鈴と玲美はパイロット技能専攻型だ。反対にオレやシャルロット、ラウラやセシリアはバランス良く覚えている方である。理子や神楽も整備・開発希望だったはず。ちなみに世間の流行りはバランスタイプ。就職先が広がるからな。

「そっか……」

「ISコアの数は限られてるんだし、搭乗者は優秀な方がいい。そして数少ない男性操縦者なんて希少種はISに乗せているより、それこそ色んな検査を受けさせてデータ取りに回した方が良いでしょう」

 貰った弁当を口にかきこみながら、思いつく事実を挙げていく。

「……大丈夫?」

 最後まで取って置いた魚フライを味わっていると、すぐ隣に座っていた悠美さんが、心配げな顔でオレの表情を窺っていた。

「ちょっとヤサぐれてるだけですよ。正常です」

 オレは基本がヤサぐれている。表に出さないだけで、ずっとネガティブ思考だ。

「ごちそうさまでした」

 手を叩いて、お礼を言う。

「おそまつさまでした。ごめんね、いつもコンビニ弁当なんかで」

「気にしてないっすよ。メシ持ってきてもらえるだけでありがたいです。あと悠美さんがいてくれるだけで、ありがたいッス」

「も、もう! 口が上手だね、この子ったら!」

 頬を染めながら、軽くとオレの肩を叩いて来る姿が可愛いらしい。

「年上っぽく振舞おうとしてるんでしょうけど、なんかオバサン臭いですよ、その口調」

「何か言った?」

 ……うわ、一転してすげえ睨んできた。

「いいえ、聞き間違えではないでしょうか」

「もー! あ、そうだ。明日は何がいい?」

「ハンバーグとか食べたいです」

「りょーかいです! この補給班にお任せください!」

 冗談めかして、小さく敬礼をしてくる。自衛隊の募集ポスターに乗っていても不思議じゃない可愛さだ。つか、次はこの人を採用してくれないかな、盗んで部屋に張るから。

「でも、あのドイツから来たISをリセットして換装するのかと思ってた」

「ドイツから?」

「メッサーシュミットだっけ。古い第二世代機。まあ、ちょっと笑っちゃったけど」

「ああ、迷彩色の宇宙服みたいな」

「違うの違うの。だって、下半身と左腕しかなかったんだよ?」

「え、それでISなんですか?」

「壊れてたコアのリセットしたんだけど、予算がつかなくて改修出来てないんだって。それで無理やり余ってたパーツをつけたんだけど、パーツ自体がそんなに余ってなかったみたいだよ」

「あー。計測器が届くって、そういう意味か。たぶんオレのデータ取り用じゃないですか。色々とテストするとか言ってたし」

 自分で言ってから、自らの言葉に納得してしまった。専用機を剥奪されたときに、そんなことをオータムこと宇佐隊長が言ってたな。

「腐ってもISだけどね。でも確かにそれじゃデータ取りぐらいにしか役に立たないかも」

「ですね」

 たぶん男性IS操縦者ゆえのISのデータ計測特化だろう。世界に二人ってのは、それだけの価値がある。

 それに左腕と腰と脚だけのISなんて、まともに戦える機体なわけがない。おそらく脚も歩行テスト用についてるだけだ。つまり、この分隊が、いや世間がオレを戦わせる気がない。

 翼を奪われたどころの騒ぎじゃねえ。オレのパートナーは今後、計測器が務めてくれるらしい。

「じゃ、そろそろ行くね。ゴミ、明日には回収するから、まとめといてねー」

「ありがとうございました」

 ヒラヒラと手を振りながら出て行くピンクの迷彩服を見送って、オレはIS用のベッドの上に寝転がった。

 目を閉じて、小さくため息を吐く。

 今日は7月6日だ。

 紅椿の封印は解かれ、このままでは銀の福音暴走事件は起きる。

 あと12時間ちょいもすれば、ナターシャさんの愛機は暴走するだろう。

 7月7日、午前11時半過ぎに白式と紅椿は、暴走した軍用ISと会敵する。

 オレの知っている話では、戦場に紛れ込んだ密漁船を庇おうとした一夏と、無視しようとして窘められた箒は、銀の福音によって落とされる。

 一夏は絶対防御により昏睡に入り、箒は自信を失いISから離れようとし、鈴たちに窘められるはずだ。

 そして一夏を除いた5人で再度、銀の福音に挑み、撃破されそうになったところへ、一夏が駆けつける。最後には進化した白式の武装『雪羅』と発現した紅椿のワンオフアビリティ『絢爛舞踏』により、銀の福音は停止する。

 まさにヒロインとヒーローの所業だ。

 だが、結果として銀の福音は暴走の理由が不明のまま封印されるのだ。

 これが、オレの知る銀の福音事件の始まりから終わりである。

 せめて誰かに伝えるべきなんだろうか。

 一番止めることが出来る可能性が高いのは、現場近くに基地がありIS三機を保有する、この試験飛行IS分隊だろう。

 だが、ここは亡国機業の巣窟だ。

 そして、銀の福音を救えるかもしれない四十院研究所は、この分隊に深く噛んでいる。

 つまり、このIS分隊に頼る時点で、亡国機業に銀の福音を差し出すようなものだ。だったら、言わない方がまだマシだ。

 次にIS学園か。

 IS学園の整備班なら、オレが国津博士に貰ったヒントを伝えれば、もしかして何とか出来るかもしれない。

 だがこちらも問題ありだ。織斑先生の立場が悪い。

 撃破した軍事機密満載の機体を持ち帰って、通常状態に戻すなんてことをすれば大問題だ。国際IS委員会に対する反逆と言っても良い。

 一夏が知っているかどうかはわからないが、織斑先生の立場はかなり悪いようだ。ここで勝手なことをすれば、アラスカ条約機構の反IS学園派に付け込む隙を与える。

 そして、それが推測できないラウラとシャルロットじゃない。アイツらはオレなんかよりずっと賢くて優秀だ。しかもラウラにとって織斑千冬は恩師であり、愛する一夏の姉である。シャルロットだって同様に一夏のために動くだろう。

 オレがラウラなら、IS学園を退学した生徒に銀の福音を助けてくれと頼まれていても、織斑先生のために銀の福音を破壊する。

 古巣に頼れるわけがない。

 一夏はどうだろう。

 ……論外だな。アイツが大事な姉に迷惑をかけるとは思えない。

 これじゃアイツらに話しても話さなくても、何にも変わらん。

 結局、オレ一人でどうにかするしかない。

 そして、どうにか出来るほどの力がオレには無い。テンペスタ・ホークすらも剥がされた。今は監禁状態で部屋から出ることすら出来ない。

 羊代わりに絶望を数えたって、眠れやしない。

 自分の運の悪さと不甲斐なさに、身が震える。

 全てを投げ捨ててIS学園を出てみれば、この有様だ。

 この後は何にも出来ずに朽ち果てて、希少種である男性IS操縦者として単なる見本検体(サンプル)として毎日を過ごすんだろう。

 悔しい。

 横になったまま膝を抱えて、自分の足に爪を立てる。

 一つ、小さな嗚咽が込み上げてきた。

 

 

 

 二瀬野鷹は、前回の人生の記憶を持って、今の体を動かしている。

 物語として認識していたはずの世界で、登場人物たちと出会い、正しく現実を認識せずにいた。そして、全てを放り投げて、一つの願いに自分の生きている意味を賭けたというのに、今のオレには何も力も無い。

 自分が一体、何をしたというんだろう。

 いや、きっと少しずつ、この世の中を歪めてきた。

 生まれてきたことで両親の人生を、未来を変えようとして一夏と登場人物たちの人生を、オレが生きていることで周囲の人生を、本来ある形から歪めてきた。

 多分、その帳尻合わせが、今のオレの有様なんだろう。

 この先はずっと心を閉じて、せめて一夏の身代わりに捧げられた生贄がごとく、男性操縦者のサンプルとして生きていくべきだ。そう思えば諦めることも出来ようってもんだ。

 それでも悔しい。

 何でこんなに悔しいんだ。

 止めることなく涙を流して、歯を食いしばる。もうカッコつける相手すら周囲にはいない。

 タッグトーナメント辺りから、オレの精神力はガリガリと削られっぱなしだ。

 崩れていきそうな心に、知っている人間たちの姿を思い浮かべていく。

 最初に、この人生が始まる前から知っていた連中が出てくる。次に、それまでは名前ぐらいしか知らなかった人たちだ。さらに、この人生が始まってから知った名前が思い浮かんでは消えていく。

 その中で、IS開発者の能天気な姿を幻視した。

 オレを無視した篠ノ之束。幼いオレの自尊心を破壊した篠ノ之束。オレが嫌いな篠ノ之束。

 本当はわかっていた事実を、心の奥底に閉じ込めていた箱から取り出して行く。

 タッグトーナメントのとき、無人機を落とす前に思ったことがある。

 もし仮に、この世界にオレと同じような存在がいたとして、そいつがこの世界の思い出や絆を蹂躙したとする。きっと今のオレだったら、そいつと戦いに行くだろう。絶対に許せない存在だということには違いない。

 だから、篠ノ之束は嫌いだ。許せない。

 でもホントは最初から気づいてた。

 これは自分を騙すためのウソだ。

 篠ノ之束すらも正しく『登場人物』であり、オレと同じような存在じゃない。

 オレは、自分が世界に必要な存在だと信じるために、自分にウソを吐いた。

 本来通り進む銀の福音事件という出来事を破壊しようとする二瀬野鷹だけが、この世界の異物で許されない存在なのに。

 ナターシャさんが愛機を失い涙を流すのだって、本来の運命だ。それを止めようとするのこともまたオレのエゴでしかない。

 もう諦めろ。終わってしまえば変えようのない事実が残るだけだ。

 小学校二年のときに出会った一夏と箒は、ちゃんとヒーローとヒロインになった。

 鈴だってIS学園に来て、セシリアも一夏に惚れて、シャルロットとラウラも揃った。物語の7月7日時点としては完璧だ。

 ウソを自分で暴いてしまえば、自分の存在理由すら残らない。

 後は脇役は脇役らしく、主人公の邪魔にならないよう、そっといなくなるだけ。思い出は沢山貰ったし、もうフェードアウトしていっても良いだろう。

 色々あったが、ここで二瀬野鷹の物語はもう終わりだ。

 これは失敗だ。

 終わりなんだ。

 二つめの道なんてなかった。1になれない者(ルート2)が消えていくだけなんだ。

 今度はそう思い込もうとした。

 それでも悔しさだけが消えてくれない。

 悔しい。

 自分がヘマをしたのはわかる。オレが他人の未来を邪魔してきたのもわかる。

 それでも悔しい。

 何も出来ない自分も悔しいし、狭いこの部屋だって憎い。自分を除け者にして廻る世界だって嫌いだ。

 悔しい。

 眼帯をつけた男が、オレに『助けようと思った心だけは否定しちゃいけない』と言った。

 じゃあ、それ以外の気持ちは否定していいのか。この悔しいって気持ちは否定しなきゃいけないのか。

 あのアリーナで、一夏との間を取り持とうとして、オレを否定しにきた気持ちを、綺麗だと思わなくちゃいけないのか。

 人を守ろう助けようとする気持ちだけが美しくて、悔しくて世界を恨む気持ちは汚いのか。

 そんなことはない。

 どっちもオレの気持ちだ。

 世の中がオレの心を否定しに来るなら、戦うまでだ。

 結果が伴わなくとも、無為に死んでやることなんてしない。決まり切った未来の邪魔をして、せめて誰か一人にでもオレと同じ悔しさを味あわせてやる。

 絶対に、こんな檻の中で生きてなんかやらない。

 そんな暗い決意を心に灯せば、不思議と元気が湧いてくる。

 オレはどこまで行っても根が暗い男らしい。

 いつだってネガティブな心でポジティブに生きてきた。

 二瀬野鷹は織斑一夏じゃない。だったらどこまでも二瀬野鷹らしく、意地汚く間違った努力をしてやろう。

 だから、どんな手段を使ってでも銀の福音を助けて、この場所にオレの生きた爪跡をつけてやる。

 

 

 

 起き上って涙を拭き、大きく深呼吸をした。

 ベッドから飛び下りて、部屋の中をウロウロと歩きながら頭の中で試行錯誤を繰り返す。

 考えろ。まだ考えることだけは出来るんだ。

 思い浮かぶだけの人物像を捻り出しては検討していくが、簡単には良い案が出て来ない。今までだって散々考えたことなんだから。

 だが今回は、それまで考えつきもしなかったアイディアが挙がってきた。たぶんさっき、その人物のことを考えたからだろう。

 それはすなわち、篠ノ之束に銀の福音の復元を頼むということだ。

 最高のアイディアで、最低の手段に違いない。

 前提から考えると、事件を起こさせないよう頼んで、ヤツが聞くだろうか。

 オレの思いつく限りでは難しい。

 アイツの目的は紅椿のデビューと進化である。

 事前に言ってしまえば、アイツはオレの口を封じてくるかもしれない。もし交渉に成功しても今回が起きないだけで、再び銀の福音を使った事件を起こす可能性だってある。それだけ強力なISであり、紅椿のデビューと進化にはもってこいの相手だ。

 そうすると確実なのは、起こした後に交渉するべきだろう。同じ機体を二度も暴走させるわけがない。

 オレの勝利は、この先もナターシャさんの元に銀の福音があることだ。

 だが交渉するにしても、ヤツにとってのオレは、路傍の石以下の存在というネックがある。

 ならば作れる交渉材料は、実際に起こした事件の真相を一夏や箒にバラすと脅すことか。起きた事象は無かったことには出来ないんだ。

 無人機の件で脅す? いやドイツがフランスでの事件前に知ってたってことは、一夏は戦ったことがあるのかもしれない。そうなると一夏はどうか知らないが、ラウラはそれとなく犯人に気付いているはずだし、篠ノ之束だってお見通しで対策を打ってる可能性だってある。

 やはり確実なのは、これから起きる銀の福音事件しかない。

 そうすると証拠を提示する必要がある。それはもちろん銀の福音そのものだ。

 だとすればやはりオレは、IS学園を出し抜いて銀の福音を回収しなければならない。IS学園に回収されたなら、そのままアメリカへ返され封印されてしまう。通常の状態に戻してから引き渡さなければ意味がない。

 今までの思考をまとめた、新作戦のガイドラインは以下の通りだ。

 銀の福音が暴走すると同時にここから抜け出し、事件が起きたあとにIS学園から対象をかっさらい、篠ノ之束と交渉して復元させる。

 上手くいく可能性は皆無に近い。そもそも篠ノ之束という人外の天才相手に交渉出来るんだろうか? 希望的観測を多く含む作戦で、ぶっちゃけて言えば、やらない方がマシなアイディアだ。

 それに成功したとしても誰も得はしない。

 IS学園のヤツらは、銀の福音をかっさらって作戦を失敗させ、織斑先生の立場を危うくさせるオレを憎むだろう。

 そしてオレはここを抜け出したことで追われ、捕まれば実験体へと戻るだけだ。

 それでも銀の福音がナターシャさんの元に残るよう、チャレンジしてみる価値はある。失う物はこれ以上何もないんだから。

 

 

 

 最初にここを抜け出す算段を考えろ。可能ならISを盗み出せ。

 オレの武器は知識だ。

 抜け出すチャンスは、おそらく銀の福音が暴走した直後だ。この基地にも連絡が来るはずだし、そうなれば内部は慌ただしくなる。

 銀の福音に対して、ここの基地のIS部隊が先に出張ることがあるか? いや無いな。実質的に動ける機体は、悠美さんの打鉄カスタムだけだ。テンペスタで本格的戦闘をするには調整不足だろう。他は未完成の機体と、計測器があるだけだ。

 ブツブツと呟きながら考え込んでいると、部屋の入り口である重い合金製のドアが開いた。

「ったく、ほら持ってきてあげたわよ」

 三人ばかりのセキュリティを連れて、リアが透明なビニール袋を持って近寄ってくる。

「なんだ?」

「なんだとは何よ。貴方が髪を洗いたいって言ってたんでしょ」

「お、おう」

「これ、置いていくから。水無しで洗えるシャンプー」

「サンキュ」

「それじゃ、おやすみ」

 ビニールをベッドに置いて、ドアへ向かって歩いていこうとする。

 その手を素早く取って、オレはリアを自分の胸の中に抱きすくめた。

「え、あ、え? ちょっと!」

 サブマシンガンを持った軍人たちが銃口をこちらに向けてくる。

 驚いたせいか動きが鈍っている。オレを押しのけようとするリアの手に力がない。

 その耳元にそっと、他には聞こえないような小さな声で、

「一夏を助けたい」

 と呟いた。

 コイツはこれで落ちる。

 腕の中にある女の子の体がビクリと震えて固まった。

 よし。

「ちょっと男女の時間にしてくれないか? アンタらだって、それぐらいは見過ごしてくれるだろ。それとも見ていくかよ?」

 オレの言葉に、三人のセキュリティが顔を見合わせ合う。こいつらは所詮、ただの警備兵だ。事情なんて深く知らない。オレがここに閉じ込められているのは、病気であるとしか知らないだろう。

 ダメ押しに、兵士たちにも見えるように、小さく震える耳元へ軽く口づけをしてやった。

「ひぅ! あ、え、ちょ、うん。貴方たちはドアの外で待っていて」

 ようやく喋るようになったリアが、慌てた様子で三人の兵士へ指示を出す。

 ISパイロットは伝統的に士官のはずだ。外から来ているとはいえ、階級が一番上であるリアには従うしかあるまい。

 ニヤニヤと笑いながら敬礼をして、警備兵たちが出て行く。

「さ、さあ、離れて」

「このまま」

「ちょっと」

「聞かれたくない話をする」

 傍から見れば恋人同士の抱擁のように見えるだろう。だけど話す内容はもっと虚偽に満ちた話だ。まあ恋人同士の会話も虚偽に満ちてる場合があるけど。

「……わかったわ。それで一夏が何なの?」

「明日、一夏たちが強力なISと戦うことになる。確定条項だ」

「どうやってそれを信じろと言うのよ」

「いいから信じろ。相手はかなり強力だ。助けに行きたい」

「だから貴方、やっぱり頭が」

「信じろ。冗談で言ってるんじゃない。四十院のオレのシンパからの情報だ」

「……本気で言ってるの?」

「ああ。ホーク剥奪の件でも、別口から抗議があっただろ?」

 これは研究所とは別に、神楽が違う会社名義で送ってきた抗議文の話だ。もちろんあっちはオレの意図なんか知らないだろうが、利用できる事実は利用するに限る。有能な元クラスメイトに感謝だ。

「……確かにあったわね」

「終われば必ず戻ってくる。お前の負担にならないように、独自でやる。ただ手助けをしてほしい」

「……無理よ、貴方は病気なのよ」

「それは、本当の話か?」

「ええ、これは誓って本当」

「わかった。じゃあお前を信じる。お前は良いヤツっぽいからな」

 信頼してるかどうかは別にして、信頼しているように見せる必要はある。

「それはどうも。で、貴方の話を信じる根拠は?」

「ハワイ沖、おそらく極秘任務中の機体がいる。アメリカ・イスラエル共同開発のシルバリオ・ゴスペル。こいつを使った作戦だと思う。アラスカ経由で調べればわかる。ここなら何か伝手があるだろ。レーゲンなんかじゃ相手にならないスペックだ。パイロットはナターシャ・ファイルス」

「……本気で言ってるのね?」

「ああ。オレは一夏の友達だ。だから信じろ。お前だって一夏を見捨てたくないだろ?」

 相手の心をくすぐるための言葉を選んでは、耳元で囁いていく。

 だが、ここまで言っても中々、色良い返事が貰えない。

 体が密着しているせいか、相手の戸惑う様子が手に取るようにわかる。

 何かを悩んでる? 何だ……。

 こいつ、まさか。

 意を決して、その単語を口にする。

「亡国機業」

 傍目でもわかるほどに、体が大きく跳ねた。相手の脈拍が速い。

 そういうことか。こいつもまた亡国機業に関わっている。

 はっ、笑わせてくれるぜ。ラウラよ、お前の部下はスパイってことだ。

「一夏とラウラとクラリッサさんには黙っておいてやる」

「……貴方、何者?」

「そんなことはどうだっていい。知ってたか?」

「何よ」

「二年近く前に一夏が誘拐された事件、あれは亡国機業の仕業だ。知り合いに聞いてみればいい。オータム……か。スコール・ミューゼルでもいいぞ」

 腕に収まった震え続ける体を、オレは力強く抱きしめてやった。

「お前がどんな間違いで、そこにいるかは知らない。だけど、お前が抜けたいって言うなら手伝ってやる」

「出来るの?」

「ここまで調べがついてるんだ。大丈夫だろう」

 コイツのことなんて知らない。悪いヤツじゃないのはわかっているから、何か事情があって亡国機業に協力してるのかもしれない。

 だが、コイツがどうなろうと、今のオレには知ったことじゃない。

「……わかったわ。何をすれば良い?」

「まず聞きたい。IWSの話は本当か?」

「それは本当よ」

「オレからISを剥奪するためのウソじゃないのか?」

「いいえ。これは本当よ」

 ここで否定しないってことは、間違いなく本当なんだろう。

 ……だったら、ここを抜け出すことは出来そうだな。テンペスタ・ホークはオレと同じ性能を出せないはずだ。

「了解だ。ISは何が残ってる?」

「2機。ただ、知ってると思うけど電子戦用ISのメイルストラム・クラケンはまだ未完成。貴方の計測用に用意されたメッサーシュミット・アハトしかないわ」

「メッサーの武装は?」

「辛うじてPICと皮膜装甲が動く程度。腕は……たぶん昔の機能にすぐ戻せると思う。だけど、脚はただの板みたいなものだし、腰のスラスターは姿勢制御レベル。もちろん武器は無し」

 PIC(パッシヴ・イナーシャル・キャンセラー)と若干のスラスターさえあれば、かなりの低速ではあるが空を飛ぶことも出来る。皮膜装甲(スキンシールド)があれば、剥き出しの部分もシールドで包まれるな。

「……それで良い。贅沢は言わない。明日の朝、十一時頃にオレはここを抜け出す。格納庫に準備しておいてくれ」

「わかったわ。可能な限り調整はしておいてあげる」

「助かる」

 交渉が終わり、小さくため息を吐いた。

「ひゃぅ!」

「お?」

「ちょ、ちょっと、耳に息吹きかけないでよ!」

「ああ、悪い悪い」

 そう言ってようやくリアの体を離す。

 さっきまで抱きすくめていた少女は、そっぽを向いて髪を整えていた。

「シャンプー、ありがとな、助かる」

「お礼はグレイスさんに」

「持ってきてくれたのがお前で良かったよ」

「……ったく。でも、その、どういたしまして……頼むわね」

「任せろ。じゃあな」

 酷く最低の気分で、リアが出て行く姿を見送る。

 正直に言えば出来れば何かしてやりたい気持ちもあるが、亡国機業の協力者を今のオレがどうこう出来るとも思わないし、そんな余裕もないし、優先事項でもない。

 とりあえず体を清めとくか。

 明日はデートだからな。

 

 

 

 7月7日の朝、いつも通りに悠美さんが朝食を持ってきてくれた。

 オレが食べている姿を、横でニコニコと笑顔で見つめている。

「……ああ、そうだ悠美さん」

「ん? なあに?」

「今ってここの会話、聞かれてます?」

「ううん。私が入るときはオフにしてる」

 だったら、この人だけにはお礼を言っておきたい。

「オレ、ここを出ますね。短い間でしたけど、ありがとうございました」

「あれれ? ちょ、ちょっと待って、まだ」

 悠美さんが目を丸くして慌て始める。

「今日、やらなきゃいけないことがあるんです」

「ど、どうしても今日?」

「はい」

「う、うーん、止めたいんだけど……何も手伝えないし」

「それでも、行きます」

「そ、そっかあ……」

 悠美さんがガックリと大きく肩を落とす。

「ありがとうございました」

「決意は変わらないの? ホントに私、何も出来ないよ?」

「今日じゃなきゃ、ダメなんです」

「……こ、これが男らしさって言うヤツかぁ」

 頬を赤く染めて困ったような顔で、何故か照れたように笑った。

 その様子が可愛らしくて、思わず笑みが零れてしまう。

「でっかいコーラでしたね」

「ふふ、お得だったでしょ。あーあ……手はずは整ってないんだけど」

「悠美さんはどうするんです?」

「私は色々とやらなきゃいけないんですよーん。これでもサラシキだからね。めんどくさいけど、こればっかりは仕方ないよ」

 やれやれと首を振りながらも、その顔は決して自分を貶めるような表情を浮かべていない。

「お世話になりました」

「大丈夫?」

「ええ。でも悠美さんみたいな可愛い人と会えて良かったです」

「も、もう! またそんな軽口叩いて!」

 そう言って頬を赤くしながら、思い切りオレの肩を叩いてくる。

「……それは素なんですね」

「あったり前! あっちと一緒にしないでよ! ホントに男の子と話したことなんて、ほとんどないんだから!」

「生徒会長が嫌いなのも素だったんですね」

「私、嘘吐くの苦手だからねー」

 照れたように笑うこの人は、確かに暗部なんてのは似合ってなさそうだ。アイドルやってるのが一番かもしれない。

「じゃあ最後に一つだけ」

 急に改まった態度で、オレの方に体を向け、柔らかい笑みを浮かべる。

「はい?」

「鷹君は、思ったより皆に見られてるよ。だから覚えておいてね。キミが歩いてきた道は、思ったよりちゃんと道になってるよ。ISパイロットとしてキミがこの三カ月で為し得たことは、他の誰にも出来なかったこと。私たち空自のIS乗りは、キミのことをすごいヤツだと思ってるし、私のISだってキミのおかげで完成したの」

「単なる病人ですよ」

「それはキミが真っ直ぐ努力してきたことだから。それをキミが否定したがったって、私は否定してあげない」

 最後に音符がつきそうなぐらいの口調で、舌をべーっと出してから悠美さんが飛び降りる。

「じゃあね、また会おうね。絶対に」

「はい。お元気で」

「うん。ライブ、来れることがあったら来てね。ISスーツにサインしちゃうよ?」

「勘弁して下さい……」

「あはっ、じゃあ、またね!」

 手を振ってから、沙良色悠美さんが立ち去っていく。

 問題を出すのが好き、か。

 たぶんもう少しで、事件は始まる。

 未来すらも投げ捨てて、二瀬野鷹の最後の戦いを始めよう。

 

 

 

 

 部屋の壁にかけられた時計を見る。

 時刻は11時を過ぎた。

 そろそろだな。

 トイレの横から武器を取り出す。悠美さんがずっと持ってきてくれたコーラのアルミ缶を、手で千切って束ねて固め、尖らせたものだ。昨日、トイレを囲うカーテンの中で作った。本当に頼りない武器だけど、ないよりはずっと良い。

 廊下が慌ただしくなり始める。スタッフたちが今までで一番と言っていいほど焦っていた。館内放送が基地内のIS関係者を呼び集めようとしている。

 始まったんだな、とうとう。

 この騒ぎは、おそらく銀の福音がハワイ沖で暴走して、日本の方へと飛んできているためだろう。

 タイミングはここしかない。

 オレはおもむろに手に持ったアルミのナイフで、左の手首を傷つける。

 感覚が鈍いおかげで、痛みはほとんどないが、出血量はそれなりだ。

 ちょっと切り過ぎたか、と思ったが、そんなに深く切ったつもりはないのでこんなもんだろ。やってしまったものは仕方ない。

 透明な壁を叩いて、外へと知らせる。

 慌ただしく走っていた整備スタッフの一人が、オレの様子に気付いた。真っ赤になった左手で壁を叩いている囚人を見て、ぎょっとした顔をする。すぐに近くを走っていた警備スタッフを呼び寄せて、中に入ってきた。

「ふ、二瀬野くん、大丈夫?」

 この女の人の顔に見覚えがある。技術スタッフの人だ。

「ぐ、クソ……誰かが、この部屋に……たぶんベッドの裏に……」

「え? え?」

 女性スタッフの顔に恐怖の色が見える。

 警備スタッフがサブマシンガンの銃口を、巨大なIS用寝台の方へと向けた。

 その顔は緊張した様子だが、オレから見える背中がガラ空きだ。思いっきり体当たりをして、硬い合金製の寝台にぶつけてやる。

「ぐ、くそっ」

 何とか体勢を立て直そうとした警備兵の顔を、血塗れの左手で掴んだ。同時に相手の手に向けてアルミのナイフを突き立てる。それだけで武器が曲がってしまったがが、相手に痛みを与えるのには充分だ。

 さらにもう一度、頭に向けて頭突きをかます。顎の骨が折れるような音が聞こえたが、気にしても仕方ねえ。

 血だらけになった口元を押さえる警備スタッフから銃を奪い取った。

「やれば出来るもんだ。ああ、すみません、白衣下さい」

「え?」

 女の人から無理やり白衣を剥ぎ取り、包帯代わりに左腕に巻いた。それからマシンガンの引き金を引く真似をすると、喉の奥に籠るような悲鳴が二つ聞こえてくる。

 なんだ、ISと大して変わらねえな。

 踵を返して、オレをずっと閉じ込めていた檻の中から悠々と歩き出した。

 

 

 

 メインベース内はかなり騒然としている。

 それでも元々のスタッフが少ないせいか、足音が聞こえるたびに隠れたらやり過ごせる。

 駆け足で移動して、天井の高い格納庫内に辿り着いた。

 リアが準備をしてくれていたらしい。

 左腕と下半身だけのISが、キャリーに立てかけてある。

 包帯代わりに巻いていた白衣を剥いで、左腕と足をISの中に通した。

「止まれ! 動くな!」

 格納庫の入り口に銃を持った数人の軍人が立っていた。どいつもこいつも厳めしいツラをオレに向けてやがる。

「おいおい、こっちは世界に二人しかいない男性IS操縦者だぜ。うかつに死んだらどうする? 誰か責任取れんの?」

 挑発するように言い放ちながら、右手で近くにあった端末に触れる。

 人質は、オレという世界に二人しかいない人材だ。貴重すぎて涙が出る。

 思ったとおり、軍人たちはオレに対して有効な手段を打てやしない。だからずっとあそこに閉じ込めていたんだろうな。

 おそらく悠美さんは出て来ないだろう。だけどオータムは出てくるかもしれないが……そこは賭けだな。勝てる相手じゃない。電子戦装備の実験機であるもう一機は、まだ未完成で動きそうもないはずだ。

 ……そして、最低の賭けを一つする。勝ってら最悪、負けたらラッキーって感じのものがある。

 色々と頭で考えながらも、右手はスムーズに端末を叩き続けていた。

 さすがリア。事前準備は終えていたようだ。

 あとは悠美さんが持ってきてくれた教本通りにフィッテングとパーソナライズを開始し、起動させる。

 これでこの頼りないISは、オレの専用機だ。

 下半身を囲んでいた装甲が変形し、左腕の装甲が形を変え、幾分かスリムな形になった。

 視界内に仮想ウィンドウが浮き上がってくる。

 機体名はメッサーシュミット・アハト。

 オッケー、とんでもないオンボロだ。エネルギー総量がテンペスタの三割ちょいぐらいしかねえ。

 ただPICは動く。全身を包む皮膜装甲も作動してる。腰の横にある姿勢制御スラスターも大丈夫そうだ。この辺もリアがちゃんと調整してくれたみたいだな。

 即座に待機モードに移すと、それは腰に巻きつく壊れかけの変身ベルトへと変化した。

 その姿にダサいと悪態を吐きながらも、近くにあったIS用キャリーが接続された車に飛び乗った。

 IS学園の整地用車両によく乗ってたからな。これぐらいの車なら、余裕で運転できる。それにこのメッサーよりは足が速そうだ。

 同時に右手でマシンガンを構え直し、固まっていた軍人たちの足元に向けて引き金を引いてからエンジンをかける。誰かの足にちょっとかすったみたいだけど、運の悪さを恨んでくれよ。こっちは急いでるんだ。

 アクセルを全開にして、閉まりかけていた格納庫の扉から飛び出した。サイドミラーに映った軍人の一人が引き金を引こうとしたが、他の隊員に止められる。

 そうそう、こっちにはオレっていう人質がいるんだから、うかつなことをするなよ?

「あばよ、くそったれの軍人ども!」

 吐き捨ててから、直射日光に照らされたアスファルトの上をキャリーで走る。

 目指すはマスドライバー射出機だ。こっちの操作方法も、悠美さんの持ってきてくれた施設関連の教本に書いてあった。

 ホント、至れりつくせりだ。

 そう、たぶん悠美さんはオレがここを抜け出す算段をつけてくれていたのだ。アルミ缶のコーラしかり、ISの教本しかり、マスドライバーの操作方法しかり。

 そして残念ながら彼女の準備が終わる前に、オレは飛び出してしまったというわけだ。

 簪の話題あたりで気付いて、彼女の発言を思い出していけば、不自然なところは結構あった。

 本当に頭が上がらない。可愛くて歌が上手くて気配り上手だ。5つも年上な点を除けば、嫁に欲しいぐらいだ。

 敷地の端にある全長2キロぐらいありそうな、クソ長い鉄橋と繋がった建造物に辿り着く。

 見上げた先に格納庫と同じぐらいの建物が、マスドライバーの制御室だ。

 ここの内部でセッティングして、レールの根元にある小さなステルス戦闘機みたいなカイトの上に乗れば、マスドライバーを利用できるらしい。

 キャリーから飛び降りて、マスドライバー制御室に繋がる、ジグザグに折れ曲がった階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 全長2キロ近くあるマスドライバーカタパルトの根元で、左腕と下半身だけのISを展開してから、レール上の黒いカイトに飛び乗る。

 IS一機がようやく乗れるサイズか。うつ伏せになれば丁度、頭を隠すような形になる。これはエアフローを考慮した空力学的デザインなんだろ、たぶん。手元にはバイクのハンドルのような物がある。これで多少のコントロールは効くってことか。

 このマスドライバーは、専用のカイトにISを乗せて、ローレンツ力で射出し一気に加速を得るタイプらしい。つまりはレールガンの代わりにISを打ち出すみたいなもんで、それなりの初速が期待できるし、エネルギーの節約も出来るだろう。

 灯りの少ない空間に、ホログラムディスプレイがカウントダウンを映し出す。

 カイトの下のレールが発光し始めた。それが外の方へと段々と点火されていく。

 マスドライバーによる有人飛行は、ISが登場するまでは諦められていた。何十何百とかかるGに人体が耐えられないためだ。

 だが、ISは人体にかかる加速度を無視できる。

 おかげさまで、こんなマスドライバー射出機が使えるってわけだ。

 こんな技術を飛行機に流用できたら良いんだけど、なぜそうしないかは、篠ノ之束に会ったときにでも聞いてやろう。

 カウントが10、9、8と下っていく。

『二瀬野! てめえ、待ちやがれ! 建物ごとぶっ飛ばすぞ!』

 施設の外からオープンチャンネルで叫ぶ声が聞こえる。

 ようやくオータム様のお出ましらしい。悠美さんが時間稼ぎでもしたのか? グレイスさんって、のほほんさんと同じお付きの人なのかね。

 このマスドライバーの初速はマッハ2に満たない。そしてテンペスタ・ホークの最高速度はマッハ3以上だ。

 さて、オレは賭けに勝てるか否か。

 まあ、大丈夫だろうな、悲しいことに。リアが嘘を吐いてるとは思えなかったし。

「よっしゃ、行くぜ」

 カウントが0に達すると同時に、甲高い電子音の警報が耳をつんざく。

 オレの乗った硬いカイトが急加速を始める。

 仮想ウィンドウ内の速度計があっという間にマッハを超えた。

 カイトのハンドルをしっかりと握って、頭をつける。

 あっという間に桟橋を渡り切って、空中へ躍り出た。

 コースオッケー。目指す地点は決まっている。

 ISの後方視界モニターに、テンペスタ・ホークを身に付けたオータムが見える。

 ……複雑だな、他人が装着したホークを見るなんて。

 一気に加速して、オレを追いかけて来ようとするだろう。

 こっからは賭けだが、まあ、追いつくのは無理だろう。

 ホークの翼は特別製だ。アイツらの言うIWSとやらを患っていない限り、自由に動けない。もちろんマッハを超えるなんて不可能だ。

 世間で言うところのメテオブレイカーが誇る最速の翼は、オレの努力とアイツの性能で出来ていた。

 いくら優れたIS乗りでも、病的な翼など持ってはいない。

 つまり、オータムがこのマスドライバーに追いつけるほどの性能を発揮できないことと、オレのIWSが嘘ではないことはイコールである。

 どんどんと差がついていく。

『クソ、全然スピードが出ねえ!』

 オータムの悪態が聞こえてきた。

 賭けには勝った。つまりオレはやはりIWSを患っており、それゆえにあの性能を出し得たという病人だったわけだ。

 それでも、マッハすら出ていないテンペスタ・ホークが憐れだった。

 今までサンキュー、それとごめんな、ホーク。また機会があったら、きっとお前と飛ぶから。

 オレはテンペスタを置き去りにし、左腕と下半身しかないISに乗って、衝撃波をまき散らしながら目的地を目指した。

 

 

 

 

 

 



















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19、その手を汚して

 

 

 マスドライバーから射出されたカイトに乗り、ステルスモードのまま周囲をサーチする。

 周囲に船影は限りなく少ない。

 元々、合宿をしている近海は事前に近づけないようになっているはずだ。合宿用にどっかの国が用意したっぽい強襲揚陸艦を見つけたが、これも外洋に向けて進んでる。まあ暴走するISが突撃してくるんじゃ、コースに入らないようにするのが正解だしな。

 さらに銀の福音の侵入コースは、海保か海自の通達により漁船なんかは立ち去っているはず。

 その船影の数から、戦闘区域の割り出しにかかる。

 よし、目的を発見した。

 ステルス戦闘機を小型にしたようなカイトのハンドルを握って、航路を変える。

 同時に装着しているISの再チェックにかかる。

 このメッサーシュミット八番機は、本当にボロボロの機体だ。

 腰にあるスラスターの出力はホークの1%にも満たず、近距離移動ぐらいしか出来ない。

 ただ、左腕のパワーだけは目を見張るものがある。おそらく第三世代機でもここまでパワーがある機体はないと思う。たぶん、これに関してはリアが調整してくれたんだろうな。計測器には必要がないパワーだし。

 しかし、武器は本当にそれだけで、他は色々と問題ありだ。シールドエネルギー上限がホークの三割もないし、武器は遠近含めて何一つ持っていない。足も装甲があるが、ただの板みたいなもので歩く以外は何もできない。

 四十院に預けているテンペスタⅡ・ディアブロを奪いに行くことも考えたが、あれは内陸部にある四十院研究所の地下30メートルの機密格納庫に置き去りだ。

 ディアブロがまともに動く保証もないが、一番大きな問題点は取りに行く時間は無いことだろうな。

 そろそろマスドライバーカイトの推力も落ちてきている。これじゃ到底、四十院研究所には辿りつかない。ホークでもあれば別だが、オレが現在装着しているISでは、腰に小さなスラスターがある程度だ。それにディアブロが仮にテンペスタⅡと同じ性能だとしたら、往路に時間がかかり過ぎて戻ってきたときには終わっている。

 つまり、今のオレに出来る攻撃は、このオンボロ複葉機みたいなISの左腕で殴ることだけ。

 そこを起点に戦術を組み立てて行くしかない。

 勝てる見込みとか、勝率とかは捨てておいて、とりあえずは、アイツらが悔しがるように頑張るとしよう。

 作戦の確認だ。

 まずは一回目の戦闘、銀の福音を確実に逃がす必要がある。間違っても紅椿と白式に勝たせるわけにはいかない。

 次に、二回目の戦闘。専用機持ち全機で銀の福音に当たるはずだ。

 その留守を狙い、IS学園の宿泊所を襲って打鉄を奪取し、同時に生徒一名を人質に取る。可能な限りオレと関係ない子が良い。

 そして人質を盾にアイツらが持って帰った銀の福音との交換を要求する。なおかつ箒か織斑先生に篠ノ之束を呼び出すように指示し、銀の福音を復元するよう交渉させる。

 よし、最高の作戦だ。成功が見えねえぞ。自嘲の笑みしか出てこねえ。

 でも、やろう。

 もう決めたんだ。誰がどうなろうと知ったことじゃない。オレがやりたいことをやる。失敗しようと成功しようと誰も喜ばない。誰も知らない未来が人知れず変わる、たったそれだけの話だ。

 戦力はオンボロ一機と三流パイロット。敵は主人公たち。

 最高のシチュエーションだよな。

 

 

 

 準備を終えて現場に辿り着いたのは、11時半過ぎだった。間に合ったようだ。

 さて。

 大きく深呼吸をして、潮風混じりの空気で胚を満たす。

 マスドライバーカイトは乗り捨てていた。今は最初の戦術行動開始タイミングを待っているだけだ。

 ISを待機モードにしたまま、空を見上げる。青い空の端に、三機の光る物体を見つけた。

 すぐ近くで、見知らぬ男たちが騒ぎ始める。

 視覚野だけを展開し、望遠モードで目標を捕捉する。

 白式と紅椿が、銀の福音と交戦していた。

 ……やっぱり思ったより白式と紅椿が押している。パイロットと機体がオレの知っている事実より進化してるせいか。

 ただ、必死ではあるのか、こちらにまだ気付いていないようだ。どんどんオレのいる場所へと近づいてきている。

 オレは基地から持ち出したマシンガンを、近くの男に突きつける。それだけで指示を理解したようで、こちらも接近を開始した。

 再び視界を戦闘に戻す。

 もちろん、オレには気づいていない。気付くはずもないだろうな。

 念のために、右隣にいた男から麦わら帽子を奪って頭に被る。

 やがて、戦闘が肉眼でも見えるほどに近づいた。

 暴走したISと交戦しているのは、想定通り白式と紅椿の二機だ。

 銀の福音は対象に当たると爆発するビーム兵器を、恐るべき速度で連射し続ける。それを回避しながら白式と紅椿が遠距離武装で牽制し続けていた。

 やはり荷電粒子砲が強力すぎるな。無人操縦状態である銀の福音には、荷が重い相手だ。

 それに箒の動きが良い。一夏の零落白夜で落とす作戦だったっけ。それをサポートするように二本の刀とビットを上手く使い、空中で銀の福音を翻弄している。

 そして零落白夜の一撃が、銀の福音の推進翼にかすった。それだけで対象は一気に減速し、動きが鈍り始める。

 やっぱり、このままじゃ銀の福音がここで捕えられてしまう。オレの狙いは合宿所から戦闘可能なISが無くなることだ。紅椿と白式にここで作戦終了してもらうわけにはいかない。

 さあ、オレの戦いの始まりだ。

 もう一度、マシンガンを隣の男に突きつけると、オレの足元が一気に加速する。

 戦況の不利を悟り、何とか離脱して逃げようとする銀の福音と、追いすがる二機の第四世代IS。

 だが、白式を駆る一夏が、ようやく周囲の異常に気付いた。

 船籍不明の船が一艘、戦闘区域を航行している。もちろん密漁船だ。

『そこの船、逃げろ、ここは危険だ!』

 箒がオープンチャンネルで呼び掛け始める。

『くそ、言葉が通じないのか!』

 一夏の焦った様子の声も聞こえた。

『箒、そっちを守ってやってくれ!

『だ、だが、あれはおそらく密漁船……』

『それでも見捨てるなんて出来ない!』

『わ、わかった。任せろ!』

 オープンチャンネルのまま会話してんじゃねえよ、ヘタクソども。

 だが、こっちとしては状況がわかりやすくてありがたい。

 紅椿が密漁船を守ろうと、銀の福音との間に立ち塞がる。

『そこの船、早くこの海域を離れろ! クソ、言葉が通じないのか!?』

 さっさとテンプレの警告文を呼び出せよ。それとも第四世代機にはそんな標準機能すら乗ってねえのか?

 まあ警告文ぐらいで逃げては行かないんだけどな。

『なッ!? クソ!』

『一夏!?』

 逃げ出そうと暴れる銀の福音が、近距離での速射ビーム砲を白式に食らわせる。肩部スラスターへの一発を含め、数回の爆発が白式の装甲を抉る。かなりの損傷が起きたようだ。

 その事態に慌てた紅椿のパイロットが、密漁船に背中を向けた。

 ここだ。

 オレは麦わら帽子を投げ捨てて、ISを展開する。

 密漁船に潜んでて正解だったな!

 紅椿は軽く飛び上がるだけで辿り着く高度で、オレに背中を向けている。

 その機体から伸びたスラスターを左手で抱き抱えた。

「よう、元気してたか!?」

「タカ!?」

 久しぶりに会った幼馴染に問いかけると同時に、全力でスラスターを握りつぶす。このIS、古臭いくせに力だけは大したもんだ。

 破砕音が聞こえ、左のスラスターが破壊されたのを確認すると同時に解放し、自由になった左腕で逆のスラスターを殴り飛ばした。

「きゃあああぁぁぁ!?」

 悲鳴を上げながら、紅椿が回転しながら海面へと落ちて行く。

『箒!? ……ガッ!? クソッ!』

 焦った一夏が目を逸らした瞬間に、銀の福音が再び速射砲を食らわせ、隙をついて高速でこの海域から離脱した。おそらく少し離れた海域で、自己修復を待つはずだ。

 そして二機とも推進装置に損傷を抱えた状態では、とてもアレには追いつけまい。

 ともあれ、一回目の遭遇で落とされる危険は無くなった。

 後はどうにかして、白式と紅椿から逃げるだけだ。

「ど、どうして……タカ……」

 箒が信じられない、という目つきと震える言葉をオレに投げかける。

「……ヨウ、お前!」

 雪片弐型を構えた一夏が、オレを見下ろして睨んでいた。

「久しぶりだな、二人とも。元気してたか」

 思ったより挨拶が気さくになってしまった。やけっぱちって怖いね、ホント。

「勝手にいなくなったと思ったら、なんで邪魔をしに来た!?」

 怒りに溢れた声で、ヒーローが叫ぶ。

「何でって……言っても信じないだろ」

 挑発するようにヘラヘラと笑うと、一夏が歯軋りを鳴らす。

「これに失敗すると、千冬姉がヤバいんだ! 邪魔しないでくれ!」

 IS学園側は、織斑先生を取り巻く状況を理解しているらしい。ラウラ辺りの入れ知恵か。

「知ってて邪魔しに来たんだよ」

「なんでだよ、なんでまた何も言わないんだ! 言ってくれよ!」

 一方の箒はどうしたら良いのかわからない、という顔でオレと一夏を交互に見ていた。

 オレはその様子を鼻で笑って、小さくため息を吐く。

「そうだな、ちょっと話し合うか。妥協点があるかもしれないしな」

 構えていた手を下ろして肩を竦める。箒だけが安堵の息を吐いた。一夏はまだ警戒しているようだ。

「ちょっと一夏は冷静さを欠いてるようだ。箒」

「あ、ああ。タカ、ずっと心配してたんだぞ。連絡もつかなかった」

「悪いな、黙って出て行って。ちょっと事情がありだったんだ。オレにも色々あってな」

「じ、事情とは何だ?」

「あんまり大声じゃ言えないんだよ。ただまあ、お前らなら話しても良いか」

 出来る限りの笑顔で、オレは箒に手招きをする。まだ警戒したままの強張った笑みだったが、それでも箒がオレに近寄ってくる。

 多分、贖罪か何かのつもりなんだろう。乱暴者の箒ではあるが、基本が良いヤツ過ぎる。

 一方の織斑君はといえば、怒ったような顔でオレを睨んでいた。こっちは近づく様子がない。

「紅椿、封印解けたんだな」

「ああ、こっちも事情ありだ。色々と」

「そういや、誕生日だな」

 なるべく声を抑えて、内緒話をするかのようにヒソヒソと箒に話しかける。

「あ、ああ。よく覚えてたな」

 オレがこの日を忘れるわけがない。

「一夏に誕生日プレゼント、貰ったか?」

「い、一夏に!?」

 思わず大声を出した箒が、赤面したまま思い人の顔を見上げたあと、オレに近寄ってくる。その顔はすでに友達と会話している女子高校生だ。

「よ、用意などしてるわけがないだろう?」

「いや、アイツはああ見えて、友達にはマメだぜ。ましてやお前はファースト幼馴染だ。自信持っていいと思うぜ」

 チラチラと一夏を見ながら、段々と声を潜めて行く。その音量に合わせて、箒がさらに近寄ってきた。

「そ、そうか?」

「ああ。タッグトーナメントだってずっと一緒だし、他のヤツらにも一歩リードしてるって」

 なるべく警戒を解かせようと、表情豊かに笑いかけながら、IS学園にいた頃のように話を続ける。

「い、いや、私は別に」

「まあ照れなさんなって。あ、そうだ、忘れてた」

「ん?」

「オレからも、ハッピーバースデーだ!」

 密着した状態から、思いっきり箒にボディーブローを叩きこむ。

 声もなく紅椿の体が『く』の字に曲がった。

「ヨウ! てめえ!」

 ヒーローが怒気に塗れた叫びを上げた。

 すでに推進装置が壊れかかっている。それでも出来るだけのスピードで、オレへと零落白夜を振り下ろしてきた。

「おっと!」

 切りかかる一夏に対し、紅椿の後ろに回るように回避した。箒を盾にしたことで一夏の動きが止まる。

 そこで渾身の力を込めて、赤い機体へと左腕を振り降ろした。

「きゃあああ!」

 女の子っぽい悲鳴を上げて、紅椿が白式に向けて吹き飛ばされた。虚を突かれたせいで箒を上手に受け止められず、押し出されるように一夏が海面へと吹き飛んでいく。

 まるっきり小悪党だな、オレ。油断を誘って、女の子を利用して。

 もはや笑いしか出てこねえ。

 だが、こうでもしないと、左腕しか武器がないこのISじゃ勝てやしない。脚なんてただの板みたいなもんで蹴りすら出来ねえ。

 とにかく、ここは逃げ切る必要がある。スラスターが損傷しているとはいえ、第四世代機のパワーは伊達じゃない。特に紅椿の全身展開装甲は、何が出来るかさっぱりわからないからな。

 ついでに白式も落としておかなければ。大型スラスターが破壊されているとはいえ、このままじゃ追いかけられてしまうし、捕まれば終わりだ。

 何の確実性もない作戦に自嘲の笑みを浮かべ、体勢が崩れたままの二機へと空中を駆ける。

 次の狙いは白式。紅椿を狙えば、カバーしようとして一夏が攻撃を食らうだろう。

 奥歯を噛みしめて、腰のスラスターとハートに火を点けた。

 その瞬間、接近警報が鳴る。

 もう一機!? どこだ!? 

 センサーを確認しながら周囲を見回した瞬間、横から強い力を受けて吹き飛ばされた。

「ヨウ君、もうやめて!!!」

 頭から海面へと落ちる寸前にPICへの入力値を入れ替えて、何とか踏み留まる。

「もう……もうやめてよ、ヨウ君!」

 体勢を整えて、攻撃してきた機体を見据えた。

「……玲美」

 オレを吹き飛ばしたのは、テンペスタⅡ・リベラーレだった。

 久しぶりに見た、赤を基調にトリコロールラインの入った機体。パイロットは、外ハネしてる長い黒髪と大きな目をした、可愛らしい女の子だ。

 貸し出しはタッグトーナメントまでだと思ってたが、まだ玲美が装備してたのか。

 それで専用機持ちとして今回の作戦に参加したと。第四世代機と一緒に来れないまでも、高機動タイプだから後から追いかけてきたんだろう。

 そうなるとセシリアも近いか? シャルロットも推進翼が高機動型に変わってたな。状況がまずい。

「私、ずっと待ってた! 今日、会いに来るってカグちゃんに言ってくれたよね!」

 状況確認を思索していたはずの思考が、玲美の泣き声一つで目の前に叩き戻される。

 自分のバカバカしさに心中で自嘲の笑みを浮かべた。だが外面では呼吸を整えるようにわざとらしく、

「……ちゃんと会いに来ただろ、お前らに」

 と大きなため息のように告げる。

 同時に目の片隅でダメージチェックを開始した。どうやら玲美の攻撃はオレを吹き飛ばすだけが目的だったようで、損傷自体はほとんどない。さすがの腕前だ。

「だったら、何でこんなことをしてるの……理由を教えてよ……」

 再び感情が目の前に引き戻された。

 ったく、オレってヤツは。

 気を引き締めて相手を見据えようとしたが、涙を浮かべて歪んだ目に、思わず視線を逸らしてしまう。

 こんな汚い姿を見られるなんて、思っていなかった。

 左腕と下半身しかないISで、アイツらの人の良さにつけこんで、自分のエゴを押し通そうとしてる。そんなオレを見られるなんて、最悪だ。

 少し前までは国津玲美は、オレがカッコつけたい相手だった。その意識がまだ抜けてないらしい。

「ヨウ」

 呼びかけられた方を向けば、ぐったりとした箒を抱えた一夏がいる。紅椿はさっきの攻撃で上手くノックアウトしたらしい。中々に強力だったようだな、この左腕。

 気絶してるヒロインを見ながら色々と思考していると、一夏が再度、一段と低い声で、

「ヨウ」

 とオレの名前を呼んだ。

「なんだよ?」

「……お前は、どうしてそうなんだ」

「あん?」

「どうして何も言わない! いや、俺に言わなくてもいい。ただ、自分を思ってくれる子には、ちゃんと向き合えよ!」

 至極真っ当な正論を、一夏から投げつけられた。

 ただ、まあ言い返させてもらおう。ちょっとその言い草は頭に来たし。

「てめえが言ってんじゃねえよ。お互い様だろう」

 オレも真っ当な意見を低い声で返す。

「俺は関係ねえだろ!」

「お前、自分がどんだけ周りに好かれてると思ってんだよ! それに気付いてない振りか!? それともホントに気付いてねえのか! 情けねえやつだな、オイ!」

「それを言うならお前だってそうだ。どんだけ周りに尊敬されてたか知ってるのか! ずっと皆が憧れてた! どんなことだって腐らず真面目で!」

「知るか! 知らねえよ! オレぐらいがいなくなったって、大した影響なんかねえんだよ、世の中には!」

「自分を低く評価して逃げようとするなよ! お前が出て行った後、どうなったか知ってるか、IS学園!」

「IS学園? どうもこうもねえだろ、お前を中心にまとまってたんじゃねえのかよ」

「なんでそんなことを思うんだ。全くの逆だよ、俺たちは孤立した。お前を慕う他のクラスの子や上級生たちから、言葉と無言で責められた!」

「そんなの知るか! てめえらが起こして、オレが決めたことだろ!」

「お前と仲が良かった子たちだって、事情を知らない人間たちから責められ続けた!」

「……てめえが」

「俺がどうした!?」

「てめえとオレがエゴで巻き起こしたことだろうがよ!」

「そうだよ! 俺のエゴだ! 俺がお前に近づきたいと思ってやったことだ!」

「だったらテメエらで受け止めやがれ!」

「俺だけが責められるなら、それで良い! だけど他の子たちまで責められる必要はねえだろ!」

「じゃあ、あそこにいた他のヤツらに責任がねえとか思ってんのか!」

「責任はねえだろ!」

「ふざけんな、他人にも責任を負わせろ! お前だけが生きてるんじゃねえんだよ! 気づけよこのバカ! お前の周りのヤツらだって生きてる! お前の知らないヤツらだって生きてるんだ! だったら失敗して、悔んで責められて前に進むチャンスを与えろ! お前が背負い込んで、それが他人のためなのかよ!」

「それでも俺のせいだろ! 二瀬野鷹! 他人が自分のせいで苦しんで、俺の思いつきで傷ついて、それを見捨てて生きるような生き様が正しいっていうのかよ! それで何かが守れるっていうのかよ! せめて俺が力になって一緒に悩んで解決していくべき話だろ!」

「その瞬間だけ解決して、その先を放り出すんなら最初っから自分で解決させた方が正しいだろ。それが力だ! オレはずっとそうしてきた!」

「違う! せめて手の届く範囲だけでも、一緒にいる間だけでも俺は力になりたい! 俺はこれからもそうしていく! だからお前は連れ戻す!」

 力の限り叫び合う。

 オレとアイツじゃ、こういうところで意見が合わないようだ。そりゃ当然か。ヒーローと脇役じゃ思考が違う。

 これ以上は言葉と心とISのエネルギーの無駄遣いだ。

 左腕の拳を打ち抜くために、構えをつける。推進翼もヘッドギアも右腕もないISじゃ、カッコ悪いにも程がある。

 だけどオレにはもう、カッコつける相手がいない。

「も、もう止めようよ! ヨウ君、ね、一緒に帰ろう?」

 鮮やかな赤にトリコロールラインの走るISが、両手を広げてこっちに近寄ろうとしてきた。

「来るなよ!」

「一緒に帰ろうよ! またIS学園で一緒にご飯食べようよ!」

「オレはもうIS学園の人間じゃねえんだ! もう戻れないんだよ!」

 今の二瀬野鷹は、試験分隊からISを奪った脱走兵だ。国によっちゃ極刑にされたっておかしくない罪を犯している。

 もうIS学園には戻れない。

「理子とかぐちゃんと四人で……また一緒に研究所に行って、帰り道に運転手さんに我が儘言って寄り道したり……」

 今のオレは亡国機業と四十院の繋がりを知ってしまった。

 もう四十院にはもう戻れない。

「遅いんだ……何も戻らないんだ、『国津さん』」

 突き放すように、会ったばかりの頃の呼び方で、可能な限り声の震えを抑えて言葉を紡ぐ。

「……そんな呼び方、やめてよ……遠いよ……何度だって謝るから……」

 さっきからホロホロと玲美が涙を零していた。

「謝るとかそういう問題じゃない。オレが選んだ道で、お前らの歩く道とぶつかったってだけだ」

「遠いよ……ずっと遠かったよ……」

「遠くはねえよ、わかりあえないだけだ。元々、ISの男性操縦者は一人しかいない。それがこの世界の大前提だ」

「いるよ、目の前に! 私にとっては!」

「もう、いなくなる。安心しろ」

「せめて、何が、何を……どうしたいの? あの機体に乗ってるナターシャさんだって、私たちが助けられるんだよ!?」

「助けるって言葉の意味が、オレとお前らじゃ違うんだよ」

 こいつらは銀の福音が異常な機体と判断され封印される未来を知らない。

 まあ、知っててもどうしようもない話だな。こいつらは銀の福音を倒し、その後はすぐに米軍に引き渡して作戦完了だ。

 言うならば、踏み台だ。ナターシャさんと銀の福音は、篠ノ之束によって用意された、ヒーローとヒロインに対する踏み台に過ぎないんだ。

「成長するって凄いよな」

 思わず考えていた言葉が口から漏れてしまった。

「え?」

「時間か、他人か、物資か。何かを犠牲にしなければ出来ない。だから無意識に成長して強くなっていくお前たちを見て、オレは素晴らしいと思わない。何かを犠牲にした証拠だからな。前回はオレが、今回はナターシャさんがその犠牲だ」

 何を言っているのかわからないって顔だな、二人とも。

 もう向き合う時間は終わりだ。

 人間と人間が分かり合うことなんて無いんだ。オレが人生で一番深く関わり合ったこの二人ですら、分かり合えないんだから。

 ISが解除され気絶している箒を抱えたまま、一夏が玲美に近づく。

「箒を頼む」

「織斑君?」

「アイツを力づくでも連れて帰ろう。下がっててくれ、玲美」

 一夏がその単語を口にした瞬間に、体中の血液が一瞬で沸騰した気がした。

「てめえが玲美とか呼んでんじゃねえよ!!!」

 作戦すらも忘れて、左腕を振り被ってISで殴りかかる。

 それを一夏が雪片弐型で受け止めた。

「その左腕……まさかと思ってたけど……」

「ああ、てめえはドイツでメッサー乗ってたって言ったっけな。ドイツに転がってた、ぶっ壊れたISに予備パーツをくっつけただけの、クソッタレなISだよ、このメッサーシュミット・アハトは!」

「まだ……残ってたのかよ。てっきり違うISに換装されたもんだと……」

「知りもしなかったんだろうが……今のドイツの上院じゃ軍縮派が多くて予算はつかねえよ。そんでリアと一緒にやってきたってわけだ。今じゃ計測器扱いだ」

「リアと……日本に来てるって聞いてたけど」

「お前はいつも振り向かねえのな、前だけ見て。今はたまたまオレが目の前にいるだけだ。それを乗り越えたら、お前は次の目標を目指す」

「……耳が痛てえよ。でもそれを言うなら、今のお前だってそうだろ! 見えない振りして振り向こうとせずに、前だけを見て!」

「オレをお前と一緒に扱うんじゃねえよ、オレのいる場所は、お前の遥か後方なんだよ、舐めんな!」

 左腕に力を込めて、圧力の弱まった一夏を押し返す。

 弾き飛ばされて体勢が崩れたヒーローに、オレは再び拳で襲いかかった。

 だが所詮は左腕しかないISだ。一夏は自慢の白式を細やかに操作し、再び刀で受け止める。

「だけどなヨウ。言い返させてもらう。俺だって、精いっぱいなんだ。頭が悪くて、目先のことしかわからないんだよ! 俺だって生きてるんだ!」

 絞り出すような叫びと共に、一夏が押し返してくる。

 おい、メッサーシュミット、生きてるんなら力を出せ! お前を置いてきぼりにしたご主人さまをぶっ飛ばす力を、オレに寄こせ! お前の面倒見てたリアだって置き去りにされてんだぞ!

 心に恨みと妬みと嫉みを重ねて、こっちもあらん限りの力を振り絞って白式を押し返す。このIS、パワーだけは第四世代にも負けてねえ!

 そして力が拮抗し、お互いの体の真ん中で拳と刃が止まる。

「ヨウ、帰って来い! まだお前の場所はあるんだ。お前がいないIS学園は何か違うんだ!」

「一夏、もう戻れねえんだよ! IS学園にオレがいたことが間違ってたんだ!」

「俺と一緒に千冬姉を守ってくれよ! お願いだ! 俺はあの人にずっと守られてきた! だから今度は俺が守る番なんだ! 俺は千冬姉と千冬姉の帰る場所を守りたいんだ!」

「何かを守ってみたいってか!? じゃあお前はオレが守りたい人を守れるのかよ! オレが守りたいモノとお前が守りたい人は相容れねえんだ!」

 そう叫んだ瞬間、オレは力を抜いて一夏の体を自分の後方へと流した。

「クッ!?」

 体勢の崩れた一夏を置き去りにして、玲美が抱える気絶した箒へと殴りかかる。

 どんな最低の手段だって使ってみせる。オレはそう決めた。

 玲美が右手に持ったブレードで、箒に当たる前で器用に受け止めた。さすがオレと比べるもなくIS操縦の精度が高い。

「ヨウ君!?」

「ヨウ、お前そこまで!!!」

 白式のパイロットが背後から、零落白夜を発動して襲いかかる。

「それを待ってた!」

 翼が無くなった背中で空気の流れを感じる。

 玲美に密着して抱き抱え、ブレードを構えた右腕を巻き取って、その先にある刃を背中から襲いかかる白式へと突き刺した。

「なっ!?」

 言葉にならない驚きとともに、一夏の左肩へと吸い込まれる。

 最高のタイミングで決まったが、玲美と箒に零落白夜が当たらないよう配慮したせいで、こっちも無傷とはいえない。

 かすっただけで、シールドエネルギーが残り一割を切った。そのせいでオレは玲美へとのしかかったままだ。こういう細かいヘマをしてしまうのは、オレのIS操縦技術が未熟なせいだろう。

 だがそれでも、一夏へのダメージはかなり酷いようだ。徐々に意識が遠のいていっているのか、傷を抑えたままふらふらと空中を漂った後、ゆっくりと海面方向へと落ちていく。ISも具現意地限界を向かえ、光の粒子となって消えていった。

「玲美」

「あ……あ……え……」

「一夏を拾って帰れ。オレを追うな」

 それだけ言って、オレは彼女を突き離し、よろよろとPICで浮遊する。

「よ、ヨウ君」

「早くしろ!」

 叫んでから、オレは別方向へとスラスターを吹かした。

 ……ったく。泣き虫め。泣きそうなのはオレだっつーの。

 俊敏な動きが売りのリベラーレが、海面ギリギリで何とか一夏の手を取った。

 それを確認して、オレは海中へと沈んで行く。さすがに二人の負傷者を抱えてたら、すぐに旅館へ戻るしか出来ねえだろ。

 

 

 徹頭徹尾、酷い作戦で酷い戦術だらけだった。それに一夏と言い合ってエネルギーを消耗する必要なんて全くなかったってのに。

 大したスピードが出ないスラスターを動かして、オレはこの海域を離脱していく。

 遠い、か。

 オレから見れば、そっちに行くのが遠くて仕方ねえ。まるで透明な分厚いガラスで遮られてるみたいだ。

 でも今は全部忘れて、次の行動へと移ろう。

 

 

 

 誰もいない砂浜で、落ちて行く夕日を見上げていた。

 もう何も考えたくないと思いながらも、考えなければならないことが沢山ある。

 銀の福音の場所は捕捉していた。動きがないことから、少し離れた海域で自己修復モードに入っているようだ。

 大きくため息を吐く。

 このオンボロISで、一夏と箒は落とした。オレ史上最大の戦果だ。

 だがタッグトーナメントで無人機を落としたときと同様に、満足感など少しもない。

 織斑千冬のために、ラウラは残存兵力で挑むはずだ。オレが覚えている通りなら、一夏はおそらく搭乗者修復なんて奇跡の機能で再び戦場に赴く。

 銀の福音と戦う戦力は、白式、レーゲン、ラファール、ブルーティアーズ、打鉄弐式、甲龍、そしてリベラーレ。

 紅椿はたぶん絶対防御と機体修復のために居残りだろう。

 そろそろだな。

 オレが目標としている場所は、ISの反応が1体ある。

 ……どういうことだ? 何が残っている? 実習用の汎用機はステルスモードか?

 いや、いずれにしても問題ないな。残ってる機体が白式だろうが紅椿だろうが、戦闘不能だから残っているんだ。旅館が手薄であることは間違いない。実習用の機体にしたって、旅館の敷地内に置いてある。いくら老舗の旅館だろうと広さは知れてるだろうしな。

 海に落ちて行く夕焼けを背に、オレは砂浜を歩く。細かい粒子の砂を踏み鳴らして音を立てていた。

 今からやることを確認する。

 IS学園の一年生が泊っている場所は、ただの旅館だ。多少の警備があるかもしれないが、仮にもISを装備しているオレの敵ではない。実習用の機体さえ押さえてしまえば終わりだ。

 加えて専用機持ち以外の生徒たちは全員、部屋に待機するよう指示が出ているはずだ。

 まず汎用機の打鉄を奪取し、他を破壊。同時に生徒を一名、人質に取る。

 そしてアイツらが持って帰った銀の福音との交換を要求する。

 なおかつ箒か織斑先生に篠ノ之束を呼び出してもらい、銀の福音の復元を要求する。

 行動予定を指折り数えながら、砂浜から防波堤を超え道路を渡り、その旅館を目指す。

 左腕に傷を負ったまま戦闘して海を泳いだのが効いているようだ。血液が結構失われたのかもしれない。

 周囲の空気はまだ昼間の余熱を保っているはずなのに、体の芯が冷え切っている。心なしか、頭もボーっとしてきた。

 一歩、また一歩と足を進める。

 やがて、目的の旅館が見えてきた。大きな平屋建ての建物は静まり返っている。旅館の門にはちょうちんがかけてあり、ぼんやりと周囲の闇に火を灯している。

 さて、やるか。

 対象を見上げて、ISを展開しようとした瞬間に、

「ホントに来るなんてね」

 と呆れたような調子の言葉が聞こえてきた。

 ピンク色のISスーツを着た女子が、門の影から姿を見せる。

「鈴か」

「久しぶりね」

 中国代表候補生、IS学園一年二組クラス代表、IS『甲龍』を専用機として持つエリートパイロット。そういった多様な肩書を持つオレの昔馴染みが、うっすい胸を張って、見下ろすような視線を向けてくる。

「晩飯食わしてくれねえ? みんなは中か?」

「残念ね。専用機持ちと千冬さん以外は、みんな帰ってもらったわよ。今頃、高速のサービスエリアでご飯でもしてんじゃない?」

 ……最悪だ。

 いや、考えてみれば当たり前か。

 予想外の侵入者がいて作戦の妨害をしてきた。その近くでいつまでも生徒を宿泊させておく意味はない。その当たり前を、当然のように行うってのは司令官が冷静なんだろうな。

「相変わらず舐めたヤツよね、アンタって」

 内容のわりに抑揚のない調子で言葉が続く。

 ってことは、紅椿と白式は戦場にいるのか……まあいい。問題はそっちじゃねえ。

「相変わらずのぼっちなのか。友達増えたか?」

「うっさいわね。アンタに言われたくないわよ、精神的ぼっち」

「うっせ。物理的ぼっちのてめえに言われたくねえよ」

「まあいいわ。数少ない友達であるアタシがアンタに引導を渡してあげるわよ」

「そりゃありがたいこって。でもダチが少ねえのはてめえであって、オレはそれなりにダチ多いぞ」

 顔を合わせれば悪態を吐き合う関係は、小学校中学校と一緒にいたときから変わらない。

 一分ほどだろうか、二人して無言のまま視線を交わし合う。

 その間にも色々と作戦を立てるが、分が悪すぎて勝てる見込みがない。こっちは零落白夜を食らったせいで、シールドエネルギーが残り1割もないんだ。

 深呼吸我割に大きなため息を吐いてから、鈴へ敵意を込めた目を向けた。

「どうしてわかった?」

「アンタがいるってわかったからね。念のために一人、旅館に残しておこうってラウラが」

「良い読みだ、さすが部隊長様は違う」

 強がって吐き捨てるが、作戦失敗にも程がある。

 ここで専用機持ちが出てくるなんて、勝てるわけがない。昼間の戦闘の話を聞いていれば、油断なんてするわけもないだろうし。

 それでも諦めるわけにはいかない。

 やるしかない。相手の心情に訴えかけて隙を作って、一撃で仕留めるよう臨機応変に行く。

 引き返せないなら、突っ走るだけだ。

「ここじゃ旅館を巻き込む。場所を変えようぜ」

「いいわよ」

「砂浜に行くか」

「ええ」

 オレが先導する形で来た道を戻る。

「左腕から血が流れてるけど、大丈夫なわけ?」

「問題ねえよ。どうせ感覚はねえし」

 左腕を抑えながら歩くが、ポタリポタリと血が落ち続けていた。塞がったと思った傷が開いたようだ。

「今度は何がしたいわけ?」

「別にお前にゃ関係ねえだろ」

「内容によっては、協力しないでもないわよ。アンタには借りがあるし」

「貸した覚えがねえよバーカ」

 距離を開けて、二人で暗いアスファルトの上を歩く。左手には防波堤があり、その向こうには砂浜がある。アスファルトの切れ目が見え、そこにある階段を下りたら決闘の地である。

 足の進みが我ながら遅い。出血のためか勝ち目のない戦いで気が重いせいかか、まだどこかに迷いがあるためか。

 それでも、オレがやることは変わらない。間違っているとわかってても、進むだけだ。

 フラリと足元がもたつく。

 かなりマズい状況だ。

 だが、まだ手はある。

 決意した瞬間に、オレはアスファルトの上に倒れ込んだ。

 慌てた様子で鈴が駆け寄ってくる。

「何やってんのよ!」

 鈴が前のめりに倒れているオレの顔を覗き込んでくる。

「……どうにも限界らしい」

「何がしたいのよ、アンタは!」

「うっせ、てめえにゃ関係ねえよ」

 悪態を吐きながら、防波堤に寄りかかって何とか立ち上がる。やばい、演技のつもりで倒れたのに、本当に下半身に力が入らない。

 前のめりに倒れ込みそうになるオレを、鈴が体で支えてくれる。

「何よこれ、アンタ、体が冷たいにも程があるわよ!」

「てめえの体はあったけえな、子供かよ」

「バカ言う暇があったら、休みなさいよ!」

 声を荒げながらも、心配げな様子を隠せないでいた。

 何だかんだで優しいヤツだ。傍若無人で口と同時に手が出てくるバカだが、根はただのツンデレだ。

 だから、その優しさが命取りになる。

 右手で鈴を突き飛ばした。

 小柄ゆえに簡単に押し出され、たたらを踏みながらも体勢を立て直そうとする。

 これ以上の言葉はない。

 戸惑いながらもオレを心配げに見つめる、少し子供っぽい顔の友人を見据えた。

 ISの左腕部装甲を部分展開。

 そして、ISを展開すらしていないその体に向けて、ボディブローを叩きこもうとする。

「ヨウ!?」

 だが、オレの最後の武器は、虚しく空を切っただけだった。

「チッ、野性児が」

 思わず悪態を吐いてしまう。

 昔っからどんなことも直感で何とかしてしまう女だった。

 殺さないように可能な限り力を抑えたのが災いし、オレの拳は大したスピードが出ていなかったのもあるだろう。

 結論として、下を向いた鈴の腹にオレの攻撃は刺さらなかった。

 後ろに飛び退った回避した鈴が、視線を落とし、

「そういうこと……ね」

 と暗さを持った言葉で声帯を振るわせる。

 赤い光の粒子が集まり、一瞬で鈴のISが展開された。肩に浮いた球形の武装が特徴的な、中国の京劇にでも出てきそうな鎧を模した機体『甲龍』。それが、オレの前に立ち塞がったのだ。

 はっきり言って勝ち目はない。今の攻撃が最後のチャンスだった。

 うつむいたままの鈴が右手を伸ばす。そこに現れたのは青龍刀、銘を双天牙月と呼ばれる兵装の片割れだ。

「引導を渡してあげるわよ、二瀬野鷹」

 

 

 

 

 咄嗟に残りの部分も展開させて防波堤を飛び越え、PICを起動させ砂浜に飛び降りた。

「逃がさないわよ!」

 同じように鈴が飛び越えて追いかけてくる。

 万全の状態である甲龍と、砂浜で向き合った。

「さて、どうしてあげようかしら」

 二本の青龍刀を持った赤いISが、悠々とした足取りで歩いてくる。

「逃がしてくれねえか?」

「そんなわけないでしょ」

「だよな」

 刃の届く位置まで来た鈴が、右腕をオレに向けて振り下ろす。

 咄嗟にバックステップをして回避するが、相手もそれに追いすがってきた。

 今度は左腕の青龍刀を横に振るう。

 後方に飛んで逃げようとするが、動作が間に合わず攻撃がオレの右足に直撃した。それだけでオレは横に十メートルほど吹き飛ばされて砂の上に落下する。

 脚部装甲というには脆すぎるただの金属板が砕け散っていた。

 しかし幸いというか、側面だけだったのでまだ立つことは出来ている。

「いつかは引き分けだったっけ」

 青龍刀を肩に担ぎ、赤いISのパイロットが幼い声で嘲笑った。

「お前はバカだからな」

「お互い様、でしょ!」

 言葉と同時に砂を踏みしめて、鈴が飛び込んでくる。

 まともに戦える武器は左腕だけの状態で、攻撃を捌き切るなんて無理だ。

 右側から振ってきた青龍刀、双天牙月を左手で受け止める。だが一瞬遅れて振り払われた左からの攻撃が、オレを吹き飛ばした。

 何とかたたらを踏んで持ちこたえて、前を見据えた。

 シールドエネルギーは2%以下だ。相手を殴れば、その反動でISが解除されるかもしれないレベルである。

「あの羽付きはどうしたわけ?」

「テンペスタはもうねえよ」

「ああ、取られちゃったの」

 いつもの興味なさげ声で、冷たく事実を確認してくる。

「興味ねえなら、最初っから聞くなよバカツン」

「……ったく、憎まれ口ばっかの男よね、アンタって」

「IS学園じゃお前だけだよ感謝して安心しろ」

 実際の話、ここまで憎まれ口を叩くのは、鈴ぐらいのものだ。一夏とは会話になるし、弾や数馬だって普通に話をする。

「会ったときは、全然会話しなかったくせに」

「お前のこと、嫌いだったからな」

 事実、最初は鈴のことが嫌いだったが、今はもう慣れた。

「そりゃ初耳だわ。一夏は一夏でお節介ばっかり焼くし」

「思い出話か。いいねえ、一昼夜語りつくせそうだわ。セカンド幼馴染さん」

 軽口を叩いて自分を鼓舞する。こういうときこそテンションが上げていかないと、くじけてしまいそうだ。

 そんなオレに対し、鈴が怪訝な目つきをしたあと、ぷいっと目を逸らした。

「あの後、不思議に思ったのよね。どう考えても、アタシはサードでしょ」

「何の話だよ?」

「箒がファーストなら、アンタがセカンドでしょ?」

 一夏と出会った時期から言えば、箒と鈴とオレの中では、確かに二番目だ。確かにオレがセカンド幼馴染でもおかしくはない。以前の知識で凝り固まった頭じゃ、全く気付かなかった。

「言われてみりゃそうだな。アイツ、オレのことなんて眼中になかったのか、実は」

「アンタは一夏にとって、幼馴染じゃないのよ。残念だったわね」

「みたいだな。オレは友達と思ってたんだけど」

「今でも?」

「今でもだ。色々と事情があるけど、友達ってのは別に敵味方に分かれてても良いだろ」

「じゃ、今でもアタシと友達なわけだ」

「……えー……? お前とー?」

「何でそこで渋るのよ!」

「だってお前ガサツだし」

「ガサツとか言うなっての! 充分女らしいでしょうが!」

「どこがだよ……。酢豚ぐらい作れるようになったのかよ、中華料理屋の娘」

「……何でアタシが酢豚を練習してること知ってんのよ。またお得意の何でもお見通しってやつ?」

 鈴が疑わしげに眉間に皺を寄せる。

 この世界では、織斑一夏が鈴と交わすはずだった約束が存在しない。何故なら鈴が転校していくより前に、一夏は何も言わずにドイツへと渡っていったからだ。

「カンだよバァカ。どうせ一夏が昔、美味いって食ってたのでも思い出したんだろ。そういや昔、お前んちでテレビ見ながら食ってたな酢豚」

 時間を稼いで油断を誘おうと、思いつく限りの思い出を口にしていく。

「ああ、店のちっこいテレビを子供で占領してたヤツね。そういや紅の豚見て泣いてたアンタが傑作だったわ」

「初めて見たんだよ。良い話じゃねえか。あとアレだ、夏休みの昼前に、ネズミとネコが追いかけっこするヤツも見てたよな」

「一夏がアタシとアンタみたいだとか言ったヤツね。失礼なヤツよね、アイツは」

「アイツは基本が朴念仁で唐変木だ。知ってるだろ」

 会話してるうちに意識がハッキリしてきた。時間稼ぎにゃなったな、思い出話も。

「さて、そろそろ終わらせて、アタシもあっちを追いかけないと」

「オレを置いて行っても良いぜ。もう戦えねえ」

「残念だけど、それは出来ない相談ね。アンタを簀巻きにして玲美に渡すって約束したし」

「余計なことを」

 さて。

 この状態ならIS使った方が逆効果だな。

 ISへ送られる搭乗者の健康状態のフィードバックが一定値を下回れば、おそらく絶対防御が発動する。そうすれば眠りこけてしまい、ゲームオーバーだ。

 視界に浮いたウィンドウを操り、あと一回だけ目線を動かせばISから手足が抜けるようにセットした。残念ながら自爆機能とかがないのがツラいところだ。

 ったく、男ならつけとけよな、自爆機能。ロマンだろ。

「何やってんのよ」

 ISから手足を抜いて地面に降りる。一瞬ふらついたが、軽く足を叩くと感覚が戻ってきた。

「んじゃな」

 軽く手を挙げてから、それこそネコから逃げるネズミのように、オレは砂浜を駆けだして寮へと向かおうとする。

「逃がすかっての!」

 一気に加速した甲龍が、オレの前の数メートル先に立ち塞がった。

 地面から砂を一握り掴んで、前方へと投げつける。

「そんな眼つぶし、効くわけが」

「勢い余ってオレを殺すなよ!? 今はISつけてねえぞ!」

 もちろん、視界を遮ってもセンサーで捕捉できるのはわかっている。

 だが目的は鈴が微妙な手加減をできない状況に落とすことだ。つまり、アイツはオレを殺すことが出来ないがゆえに、見逃すしかない。

 人質は自分自身だ。相手は思い出話ができる友人を、殺すことができるようなヤツじゃねえ。

 作戦が成功したかに見え、一気に鈴の横を駆け抜けようとしたときだった。

「甘いわよバカ」

 冷たい声とともに、オレの体が空中に舞った。

「んな!?」

 驚いて眼下を見下ろせば、鈴の龍砲が地面を向いている。自分を中心に足元の砂に向けて圧力砲を打ち出して、着弾の爆風でオレを吹き飛ばしたようだ。

 そしてISの右腕で空中に舞ったオレをキャッチする。

「はい終わりよ」

「……クソッ」

 オレの体はまるで洗濯物のように甲龍の右腕にぶら下がっっていた。さっきの衝撃が効いたせいか指先ぐらいしか動かせねえ。

「何をしたかったのか、教えてくれるわけ?」

「言ったって何も変わらねえ」

 気が遠くなっていく。ぶら下がった左腕は、傷が盛大に広がったせいか血が止めどなく滴り続けていた。

「ふーん。ま、とりあえずケガの治療ね。このままじゃアンタ死ぬわよ?」

 大きなため息とともに呟きながら、鈴がISをゆっくりと空中へと飛ばせる。

「命とか、いらねえよ。すでに一回、死ん……でるから、な」

 そんな短い言葉すら、まともに吐き出せない。息も絶え絶えってのはこのことか。

 ……何か手を考えないと……。

「残念だけど、死んで欲しくないから」

「だけどな鈴」

「……もう喋んないでよ」

「どうせもう、死んだ方がマシな人生だ」

 決してカッコ良い意味じゃないのが二瀬野クオリティだ。

 なにせオレは世間的に見て頭がおかしいヤツだし、ISの強奪という重罪を犯し、なおかつ脱走兵でもある。どうやったってまともに生きられるわけがない。

 オレはこの先ずっと、檻の中で暮らしていくような生活を強いられることが確定しているようなもんだ。

 ああ、チップはまだ一つあるじゃねえか。それなら今から交渉をしよう。

「鈴」

「何よ」

「頼みがある」

「嫌よ」

「んじゃ……別にいい」

 ボロ雑巾のようにぶら下がった体で、最後の力を振り絞る。高さ3メートルほどを飛ぶISから飛び降りた。

「ちょっと!」

 慌てた様子でも、オレの体が地上に落ちる寸前で拾い上げたのはさすがだと思う。オレじゃそこまで正確な動きは出来ない。

「バカ! 何してんのよ! 死ぬわよ、本気で!」

「死ぬ気だったんだよ」

「何で死のうとすんのよ! 意味わかんないわよ!」

 今度は離さないようにするつもりか、鈴はISの両腕でしっかりとオレを抱きかかえる。

「交渉だ」

「交渉? 何言ってんの?」

「オレの命」

「はぁ?」

「今から言うオレの言葉を聞かなければ、オレは自殺する」

「……なに馬鹿なこと言ってんのよ」

 呆れたようにため息を吐きながら、鈴が砂浜にISを着地させた。

「いいか、よく……聞けよ。オレを見逃せ」

「嫌よ」

「残念だけどな、オレはこれに賭けてる。死んでもいいと思ってる。だから、ここで足止め食らうぐらいなら、死んだ方がマシだ」

「残念だけど、自殺なんてさせないわよ」

「ここでしなくても、終わったら自殺する。何があろうとも絶対にオレは自殺する。別に恨みつらみは言わねえ」

 朦朧とする意識をはっきりさせるように、大きく息を吸い込む。

 信じられないという鈴の顔を見据えて、オレは最低なことを口にした。

「なあ鈴、友達を、自殺させたくないだろ?」

「……アンタ」

 小さな口から歯軋りが漏れる。

 ま、そりゃ怒るわな、普通。

「こちらとしても、そいつに自殺してもらっちゃ困るんだけどなぁ」

 オレたちが睨み合う中、あざ笑うような女の声が響いてきた。

 暗闇の中、至近距離で沈黙して睨み合うオレたちの前に突如、二機のISが現れる。

 ……チッ、こんなところまで追いかけてきやがった。

「どうも、宇佐隊長」

「おう、脱走兵。覚悟は出来てるよなぁ?」

 腕を組んで、オレと鈴を見下ろしているのは、亡国機業のパイロット、オータムだ。

 予想外の事態に、おかげさまで頭が冴えてきた。

 ただし、装着しているのはテンペスタじゃない。見たこともない鈍い銀色のISだ。随分と角ばった形で、装甲の各所にコネクタ状の穴があった。あれ、電子戦用のメイルストラム・クラケンか?

 そしてもう一機のISが暗闇から姿を現す。

 鈴が目を細めて、

「ブルーティアーズ?」

 と尋ねてきた。

 よりにもよって、アイツかよ。

「いや、BT実験タイプ二号機、サイレント・ゼフィルスだ」

「ってことは、相手はイギリスの代表? 候補? アンタ、一体どこにいたわけ?」

「違う。イギリスは関係ない。おそらく盗まれた機体だ」

「はぁ?」

 クソッ、状況が最悪すぎる。

「鈴、いいか? 逃げろ。絶対に勝てる相手じゃない」

 黒いバイザーをつけたままのBT二号機のパイロットが無表情のまま突っ立っている。年頃はおそらくオレたちと同じぐらいだが、隠されている顔は、織斑千冬と同じものだろうな。

 ……あれが亡国機業のM、織斑マドカか。

「ハッ、中国の第三世代機か。大したことなさそうだなぁ。そいつも徴収していっちまうか」

 宇佐隊長様殿が腹を抱えてケタケタと笑う。美人が台無しだな。

「オータム、私は何をすればいい?」

「そっちの男を抑えてろ。殺すなよ」

「了解」

 興味なさそうに返事をしてから、織斑マドカがライフルを片手でオレに向ける。

 鈴がゆっくりと地面に降りて、オレを手放す。

「あれ、敵?」

「……敵かどうかはわからん。だけど鈴、お前じゃ無理だ」

「言ってくれるわね。でも逃がしてくれそうにないけど?」

 そう言って、唇の渇きを潤すように舌で舐める。その表情はやる気満々だ。

「戦うな、最悪、ISを剥がされるぞ」

 なるべく相手に聞こえないように小さな声で呟く。

「何言ってんの?」

「……リムーバーっていう、ISを強制的に剥がす武器がある。気をつけろ」

「そんなもんがあるの? でも、逃がしてくれないんじゃ仕方ないわよね。あっちの青いのは、セシリアと同じぐらい?」

「段違いだ、話にならねえ。ビームが曲がる」

「曲がる?」

「BT兵器ってのは元々、ビームを低速化させる代わりに偏向射撃が出来るようになっているんだ。セシリアじゃ稼働率が低くて無理なんだが、あっちのパイロットは平気でやってくる」

「何でアンタがそんなこと知ってんのよ」

「何でもお見通しっつったのはお前だろうが」

「ま、それがわかってりゃ充分よ。アンタは逃げなさい」

「狙いはオレだ。一機なら逃げられるか?」

「アタシが二機相手にして勝ってあげるわよ」

「無理だ、おいバカ!」

「いいからさっさと逃げろっての!」

 鈴がオレを置き去りにし、空中に舞い上がりながら、龍砲を撃ち始める。

「お、やる気じゃねえか」

 オータムが馬鹿にしたような笑いで嘲る。

 甲龍から放たれる不可視の弾丸を、亡国機業の二人は軽々と回避し、次の行動に移り始めた。

 つまらなそうに鼻で笑いながら、織斑マドカがビットを展開して射撃を始める。まずは小手調べなのか、偏向射撃を使う様子はない。

 それよりも……オータムのISは何だ? アラクネでもホークでもねえ。メイルストラム・クラケンはまだ未完成のはずだぞ。突貫工事で持ってきたとしても、何でそんな未完成の電子戦用ISを持ち出してきた? 

 オレは置き去りにしていたメッサーシュミットに乗り込みながら、相手を観察する。

「オラッ、行くぜ!」

 オータムが装着している角ばった装甲の、各所にあるコネクタ状の穴からホタルのように光る物体が溢れ出した。

 なんだ、あの光? 

 全身に開いた穴から、それこそ生きている虫のごとく群体を形成しながら甲龍へと襲いかかる。鈴も咄嗟に回避しようと、上空へ回転しながら舞い上がっていった。

「ハハハハッ、どうだ、このバァル・ゼブルはよ!」

 蝿の王と名付けられたISは文字通り、小蝿がごとき極小の光を、無尽蔵に放出し続けていた。

「くぅっ!?」

「鈴!」

 光る虫の大群に襲われ、鈴の着けている装甲がガリガリと削られていく。右肩の龍砲が爆発した。

 電子戦用のメイルストラムじゃねえ……まだあんな機体隠し持ってたのかよ! なんだ、あの武装……。極小の実弾ビットなのか? 

「アンタはさっさと逃げなさいよ!」

 虫を振り払うように二本の青龍刀を振り回すが、無軌道に動いてまとわりつく小さな虫が次々と小爆発を起こしていった。

 どうする……!?

「動くな」

 すぐ近くに浮いていたゼフィルスが、オレにライフルとビットの銃口が向けている。

「……Mか」

「ふん、色々と事情通らしいな」

「お姉ちゃんは近くにいるぜ? 会いに行かなくていいのかよ」

 挑発するように軽口を叩いた瞬間に、一つのビットがオレの足元を狙い撃った。

「喋るな。殺すなとしか言われていない」

 冷たい声音で短く告げられる。

「クソッ」

 何とか隙を探そうとするが、周囲を完全にBTビットで囲まれていて、動ける場所がない。

「キャッ!?」

 鈴の短い悲鳴が聞こえる。煙を挙げながら、甲龍が砂の上に落ちた。

「ふん、下らねえ。機体が勿体ねえな、てめえには」

 甲龍の動きがない。IS自体は展開されてるからエネルギーは残ってるんだろうけど、機体は明らかに満身創痍だ。二門の龍砲は破壊され、装甲の至るところに虫食いされたような傷跡が残っていた。あの爆発する極小ビットが原因か……。

「さて、赤いのを奪って、脱走兵を連れて帰るか。M、てめえがついてきた意味はなかったな」

 つまらなそうに吐き捨てながら、オータムが倒れ伏している鈴に近づいていく。

 砂浜に突っ伏していた鈴が、地面に落ちていた双天牙月を拾おうとするが、その手をオータムが踏みにじった。

「い、痛いわね……」

「おうおう、ガキんちょが。粋がっちゃってまあ。こちとら慣れない管理職までやっててストレスが貯まってんだ。あんまり余計なことをすると」

 不愉快げに唾を吐き捨てた後、足へと体重を大きく乗せる。その下にあった甲龍の手甲が破壊された。

「殺すぞ?」

 短い悲鳴を上げる鈴に対し冷徹に、だが明確な殺意を持って言い放つ。

 クソ、どうする……このままじゃ鈴が……。

「オータム、こっちは?」

 織斑マドカが興味なさげに事務的な問いかけを投げる。

「ISは破壊してもいいが、コアは残せよ。死なない程度に思い知らせておけ。ああ、あんまり目立つ傷はつけるなよ。私が疑われるからなあ」

「わかった」

 Mのサイレント・ゼフィルスの引き金を引こうとする。同時にビットにも光が充填されていった。

「ヨウ君!」

 女の子の声が響く。

 その瞬間に、全てのビットが破壊された。

「理子っ!?」

「早く!」

 空中高くに桜色のラファール・リヴァイヴが一機、浮いていた。あれはたぶん、デュノアからコアを借りて四十院が作ってた機体だ。実弾の狙撃ライフルを持ち、数機のミサイルポッドを脚部につけているようだ。

 理子が腰から数本のグレネードを取り出して投げつける。

「ふん」

 Mが興味なさそうに片手で銃を持ちあげて、引き金を引いた。その一回のビームが弧を描き、全てのグレネードが空中で爆発する。

「うそっ!? 何そのビーム!?」

 驚いた様子で理子が再びグレネードを投げつけた。

 ……ったく。

「何だ? 二瀬野のオンナか?」

 オータムが空を見上げると同時に、IS『バァル・ゼブル』の各部に供えられた超小型ビット射出口が開いて、中から光る虫の大群が、まるで巨大な蛇のようにうねりながら理子のラファールに向かう。

 理子の狙いはわかった。アイツは別に勝つ気で来てない。

 その証拠に、オレたちのいる砂浜に向けて、ガソリンエンジンの唸る音が近づいてくる。

「鈴! IS解除! 目を閉じろ!」

 同時にオレもISを待機モードにして走り出す。

 バァル・ゼブルの極小ビットが、投げられたグレネードに接触すると同時に、網膜を焼き尽くすほどの閃光を放った。

「対ISバイザー閃光弾だと!?」

 ったく、演技がわざとらしいんだよ、理子め。

 いくつかのセンサーに焼き付けを数秒間起こすだけの、大した意味のない兵器だ。ちなみに国際IS委員会認定の競技種目では使用禁止されているレア物である。

 だが、人間を捕捉できなくするにはちょうど良い。

「ヨウさん!」

 オレを呼ぶ少しだけ懐かしい声と、ガソリンエンジンの音が聞こえる方へ、目を閉じたまま走り抜けていく。

 ようやく止み始めた閃光に背中を向けて、目を開ければ、そこには軍用の黒いゴーグルをつけ、バイクにまたがった神楽がいた。

「二輪免許なんて持ってたのかよ」

「食材の貸し出しに便利なんです」

「マジかよ、地獄の使者だな、このストファイ」

 彼女は味覚障害があるんじゃないかってぐらい、不味いメシを作る。IS学園にいたころは何度、その被害にあったことやら。

 オレはその後部座席に飛び乗り、神楽に密着して後部座席にわずかな空間を作った。

「鈴!」

「はいよ!」

 それこそ上海雑技団の軽業師のように鈴がジャンプして、オレと背中合わせになるように飛び乗った。

「行きます!」

 バイクが唸りを上げて走り出す。

「理子は!? アイツが勝てる相手じゃねえぞ?」

「もう一機、応援が来ます。ある程度時間を稼いだら、逃げる手はずです」

「誰だ?」

「接近が確認できました。さっきの閃光弾で場所も伝えられたはずです。向こうから直接コンタクトがあり協力したいとのことでした」

 戦場から遠ざかっていく中、理子は各種グレネードを投擲しながら逃げ回っていた。

 だが、相手が悪すぎる。曲がるビームと極小ビットであっという間に追い詰められていた。たぶんこっちはすぐに追いつくと思って放置しているんだろう。

 そんな絶望的状況に落ちた夕闇の戦場に、やってきちゃいけない人がやってきた。

『ばーん! 頼れる女、IS学園最強、更識楯無、ただいま参上!』

 空中に現れた青いヴェールをまとった女の人は、古巣の生徒会長様だった。

『いきなりクリアパッション!』

 楽しそうな声と共に、砂浜側で巨大な爆発が起きた。

「だ、大丈夫なの!? あれ!」

 背中から不安げな鈴の声が聞こえる。

「まあ、戦況を見誤ったりはしねえだろ。仮にもIS学園最強でロシアの代表だ。それより神楽、助かった」

「これぐらい、なんてことありません」

「悪いんだけど、少し離れたら下ろしてくれ。やらなきゃいけないことが」

「何をするんですか?」

「……言っても仕方ねえ」

「もう少し走ったら、下ろします。それまでは狭いですが我慢を」

「わかった、すまねえ」

 理子のグレネードと生徒会長の起こす爆発が遠くなっていく。

 オレたちを乗せた定員オーバーのバイクは、沿岸の道を走り抜けていった。

 

 

 

 海岸線を五分も走ったところにある崖の傍で、神楽がバイクを止めた。

「助かる」

 後部座席から鈴が飛び降りたのを確認して、オレと神楽も地面に足を下ろす。

 さっきまでオレたちがいた場所は、まだ戦闘中のようだ。理子、大丈夫か……?

 ゴーグルを外した神楽はIS学園の制服のままだった。いつもどおり淑やかな動作で、髪を軽く整える。

 ……こいつらが何をしたいのか、わからないが、やることは変わらん。

「悪いんだけど、神楽」

「はい」

「人質になってくれないか?」

「……はい?」

 呆気に取られた神楽と共に、隣に立っていた鈴が目を細める。

「何言ってんの、このバカ」

「色々と事情ありだ」

「ったく。結局、何がしたいわけ?」

「言っても信じないし、協力も期待してねえよ」

 吐き捨てるように言ったオレに対し、鈴が鋭く睨みつける。だが、それ以上何も言う気はないのか、小さくため息を吐いた。

 代わりに神楽が悲しそうに微笑みながら、

「何をしたいのかは、何となくわかります。理由はわかりませんが」

 と答えてくれる。

「ま、お前は賢いからな。ただ、オレはもう四十院を信じる気はねえ」

「もちろん信じてくださいなんて、口が裂けても言えません。私自身、少し疑いを持ってますから」

「は?」

「テンペスタ・ホークの件といい、父たちが何を考えているかわかりません。それよりも」

「ん?」

「狙いは、ナターシャさんというより銀の福音、ですよね」

「……さすがだな。正解だ」

「米軍のIS用揚陸艇も横須賀沖に停泊中、作戦が終わり次第、海上で銀の福音を回収予定です」

「……んだと?」

 クソッ、ここに着いたときに見えた揚陸艇か。銀の福音をそのまま回収されると、交渉どころじゃねえ。米軍に持ちかえれば即封印だ。

「玲美が今、頑張っています」

「玲美が? いや頑張ってもらっちゃ困るんだが」

 アイツは今、ラウラたちと一緒に、銀の福音と戦っているはずだ。

「玲美がIS学園のみんなに、あの機体を渡さないように戦っているはずです」

「んだと!? 他の専用機と? 自殺行為だぞ! てか意味ねえだろ!」

 一緒に行っている機体の数は、6機だ。6対1なんて馬鹿げてる。

「さらに篠ノ之束博士が作戦に同行しています」

「はぁ?」

 白式と紅椿も、篠ノ之束に修復されたおかげで、戦闘に直行したってわけかよ。

「黒いISを三機、夜竹さんと相川さん、それと谷本さんに装着させ、作戦に同行していると玲美から通信がありました」

「どういうこった!? 意味がわかんねえぞ!?」

 なんだその動きは。知らない、オレは知らねえぞ。どういうつもりで……。

「どうしろってんだって、9対1じゃねえかよ、あのバカ!」

「それでもやる、と」

「な……んでだよ、なんでそんなことを!」

 無理に決まってるし、玲美が銀の福音を渡さないようにする意味だってない。

 ここで余計な行動をしたら、銀の福音を守れても守れなくても、玲美は圧倒的に立場が悪くなる。やる意味なんて全くない。

 ……ああ、やる意味ないよな、オレがやろうとしてること自体が。玲美に人のことを言えた義理じゃない。

 それでもやると決めたらやる。誰が喜ばなくとも、自分のエゴのために動く。

「私たち三人には、これしか出来ません。私たちの行いの償いを。どんな理由であれ、今は貴方を信じて……いえ」

 そう言って神楽がもう一歩、近づいてくる。

「神楽?」

 目の前の女の子が、柔らかい唇をオレの頬につけた。

「今は信用を失っていると思いますが」

「……って」

「今は、貴方を……いえ、どんな過去と秘密があろうとも、今は二瀬野鷹という人と過ごした三か月を信じて」

 ゆっくりと優しい声で、四十院神楽が三人を代表して、オレに思いを告げてくれた。

 だが、オレには返す言葉がない。

 もう一度、信じて良いというのだろうか。

 この三人だって、どこまで行ってもIS学園の生徒で、四十院研究所の関係者だ。

「これを」

 神楽がポケットから和紙で包まれた何かを取り出す。そっと開いて見せてくれた中身には、黒く長い髪の毛が一房、納めてあった。

「……これは」

「玲美のです」

 言われなくても見ればわかる。

 何度も撫でてきた、柔らかく艶やかで、いつも本人が癖を気にして押さえつけてた、長い髪だ。

 おずおずと手を出して、それに触れた。指先に伝わる感触が懐かしい。

「ったく。いい加減にするわよ!」

 鈴がオレの背中を大きく叩いた。

「ってぇな!」

「今度はアンタに協力してあげるわ。千冬さんには申し訳ないけど」

「鈴?」

「アンタには借りもあるし付き合いは長いしね。一夏には悪いけど、今のアンタを見ない振りしてIS学園で何も無かったのように生きてくとか、アタシらしくないわ」

 薄い胸を張って、鼻息荒く得意げに言い放つ。

 それを聞いて、神楽が、

「鈴さん、ISは?」

 と問いかけた。

「低空ならある程度のスピードで飛べるぐらいね。戦闘は無理」

「では、四十院の洋上ラボへ、私とヨウさんを連れて行って下さい」

 玲美の髪を丁寧に和紙へと納めながら、神楽がそんなことを言い出した。

「洋上ラボ? 何しに?」

「ヨウさん」

「なに?」

「『悪魔』を、お返しします」

「……あれは内陸の研究所にあるんじゃねえの?」

「この間、洋上ラボへと搬入したんです。私がいたのも、そのためです」

「なるほどな……でも厳重なロックとか」

「キーは全て把握しています。おそらくお父様たちも警戒はしていますが、鈴さんがいるなら」

「……いいんだな? 後戻りは出来ねえぞ」

「若さゆえの過ち、とお父様たちには言っておきます」

「若さゆえって……」

 ちっとも見かけが高校生っぽくねえくせに、よく言いやがる。

「わかった。鈴、頼む」

「了解」

 ボロボロになった赤いISが現れる。軽く調子を確かめるように屈伸運動をした後、

「落ちないようにね。拾わないわよ」

 と鈴が膝をついた。少し笑ってるようにも見える。

 差し出された両腕にそれぞれが腰掛けてしがみつくと、甲龍が地面からゆっくりと飛び立った。

「それでは、参りましょう」

「座標指示よろしく」

 オレたちを振り落とさないように注意しながらも、鈴がスピードを上げて海面ギリギリを飛んでいく。

 テンペスタⅡ・ディアブロ。

 この二瀬野鷹と因縁のあるISコア2237、それを乗せたインフィニット・ストラトス。

 ディアブロがどんな性能を持ってるかなんてわからないけど、スペックは所詮、乗ったこともないテンペスタⅡに過ぎないだろう。

 これに賭けるしかないのか……。

 いや、篠ノ之束が三機、持ってきたっつってたな。

「神楽、電話持ってるか?」

「はい、ありますが……」

「オレのいた分隊の基地に繋げてくれ。リア・エルメラインヒを呼び出して欲しい。」

 ポケットから取り出されたケータイを操作し始める。

 せっかくだ、逆手に取ってやる。

 敵は9機。白式、ラファール・リヴァイヴ・カスタム、ブルーティアーズ、シュヴァルツェア・レーゲン、打鉄弐式、紅椿。そして篠ノ之束が持ってきた、クラスメイトの乗る三機。

 こっちは、性能すらわからないオレのディアブロ一機のみ。甲龍は戦闘不可、理子のラファールはおそらく離脱中、生徒会長はもちろん参加するはずがない。たぶん、局所的に介入してきただけだ。

 だったら。

 アイツらにとって最悪の敵となってやろう。

「ヨウさん、リア・エルメラインヒさんに繋がりました」

「さんきゅ」

 電話を受け取ると、回線の向こうから、

『何やってんのよ、今』

 といら立った声が聞こえてきた。

「悪い。ちょっと伝言があって」

『伝言? てか今、何やってんの? 隊長は貴方を追って』

「急ぎなんだ。オレもやることがある。んで、その隊長に伝えて欲しいんだ、至急」

『なに?』

「篠ノ之束お手製のISが三機、欲しくないかって。あと、同行してるMってヤツに伝えて欲しい」

『M? 誰?』

「向こうは知ってる」

『それで何て伝えれば?』

「兄弟と戦わせてやるってな」

 

 

 

 

 

 










次話は、国津玲美視点で時間が少し巻き戻ってからになります。


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20、私とワルツを

 

 

 私こと国津玲美は、これといって特徴のない子だ。

 明るく振舞っても子供っぽく、研究者の両親の元に生まれた割に頭が悪くて、大人っぽくしようと髪を伸ばせば癖っ毛で広がっちゃう。

 ISの操縦だけは得意なつもりだったけど、私より上手い人はたくさんいる。

 その点、幼い頃から一緒にいる二人はすごい。

 理子はいつだって明るい人気者で、みんなを楽しい気持ちにさせてくれる。ISの知識だって凄いし、あの年で研究所のみんなと対等に話してる。

 かぐちゃんこと神楽は、財閥のお姫様で大人っぽくて理知的で仕事も出来る。気配りも聞いて、色んなことに詳しい。

 私はISが上手いだけで、その操縦だって私より上手い子なんていくらでもいる。すぐ落ち込むし子供っぽいし、容姿だって普通だ。理子と一緒にいなかったら友達なんて出来なかっただろうし、かぐちゃんと一緒にいなかったらISにすら乗れてない。

 すぐバラバラになる長い癖っ毛を首の後ろで押さえつけながら、夜空を見上げた。

 梅雨になったら切ろうと思ってたけど、せっかく伸ばした長い髪だし、なかなか踏ん切りがつかないままで夏になった。

 そもそも、何で髪を伸ばしたかと言えば、子供っぽさを無くしたかったから。

 いっつもパパやママにくっついていたら、甘えんぼだと言われた。だから大人っぽくなりたくて、初めて髪を肩から下まで伸ばしてみた。思ったより癖っ毛だったみたいで、想像してたみたいに真っ直ぐは伸びてくれなかった。よく考えれば、最初からわかってたことなのに。

 やっぱり少し頭が足りないらしい。

 私は、私が嫌いだ。いつも失敗してばかりで、何だって自分から転んで台無しにする。

 髪も伸ばしてみたら、癖っ毛で綺麗にまとまらない。

 ISに真剣に打ち込んでみれば、病気にかかって強制ストップ。

 大好きな人の役に立とうとすれば、その人自身を追い詰めただけになった。

 国津玲美の人生は、大事なことばかり、いつだって失敗する。

 

 

 

 

「玲美! どうなってるんだ!」

 織斑君と篠ノ之さんを寝かせた和室の外で、ラウラが私に食ってかかってきた。

「……わかんない」

「どうしてIS学園を出て行った二瀬野が邪魔をするんだ! しかもアハトだと言ってたんだな!?」

「うん、メッサーシュミット・アハトだって言ってたよ」

「クソッ、何でそんな機体で……ワンオフアビリティを発動させたからか? 誰が持ち出した!」

「知らないよ、そんなこと」

 そう吐き捨てると、ラウラが私の上着の襟を締め上げる。その右眼が赤い怒りに震えてた

 だけど、それを見れば見るほど、私は冷めていく。

「ラウラ、やめて!」

 シャルロットが止めに入って、ラウラと私を引き剥がした。それでもラウラは怒りが収まらないようで、

「二瀬野はなぜ、邪魔をしに来た! キサマら四十院は何か知ってるんじゃないのか!」

 と叫んだ。

「知らないよ、何にも」

 言葉に感情が何にも籠らないのが自分でもわかった。

 そう、私は何にも知らない。

「……あの、どうするの? これから」

 四組代表の更識さんが申し訳なさそうに小さく手を上げながら、みんなに尋ねてくる。

 セシリアが手を頬に当てて考え込みながら、

「織斑先生の指示では作戦は失敗、これ以上は何もせずに待機、ただし専用機持ち以外はバスでIS学園に帰等、でしたわね」

 と先ほど受けた指示内容を確認した。

「専用機持ちはなんで残るの?」

 それまで黙っていた鈴ちゃんが小首を傾げて尋ねる。

「銀の福音がおそらく近くにいるからですかしら。一夏さんと箒さんを追いかけてくる可能性もありますわ。旅館の人間も一時退去ですわね」

「ふーん」

「……それにおそらく、ヨウさんがISをつけて、一夏さんと箒さんを狙ってきたということは」

「ああ、目的がわかんないIS操縦者が近くで何かを狙っているってことね。ま、IS同士の戦闘なら海の上の方がマシだし、一夏と箒のことをもう一回狙ってくるかもだし」

「ですわね。専用機持ちだけで迎え撃つということか……迎え撃つという表現が何ともしっくりきませんが……」

 そんなことはしないと思うけど、別に根拠もないし、私は黙って聞いてた。

「ねえ玲美」

 ボーっと話を聞いてた私の肩に、シャルロットが両手を置いた。

「なに?」

「ホントにヨウ君のこと、何も知らないの?」

「知らない」

「……新しく出来た試験分隊に行ってるんだよね?」

「だから私は! 何も知らないの!」

 ついカッとなってその手を跳ね除けてしまう。

 ヨウ君が何であんなことをしたのかも、何を思ってるのかも、何にも知らない。

 鈴ちゃんが肩を竦める。

「ま、アタシたちが追い出したようなもんだし、アイツの行動理由をあれこれ玲美に聞いたって仕方ないでしょ」

 その言葉に全員が押し黙る。

 そこに小さな電子音が鳴った。

「あ、ごめんなさい……わたし」

 携帯電話を取りだした更識さんが画面を見て、すごく驚いた顔をしてた。そのまま少し離れて通話し始めたようだ。

「ど、どうしたの? う、うん、え? うん……そう……それは言えな……わかったよ、うん、ありがと」

 元から小さな声の子なので、ほとんど内容が聞こえて来ない。

 通話を終えるまで、みんな黙り込んで、何か考え込んでいるようだった。

「ご、ごめんなさい……あ、の、その、情報が一つあって」

「何ですの?」

「二瀬野鷹君は……ISを奪って逃走中、だそうです」

「え?」

 みんなの視線が一斉に更識さんに集まった。人の注目を集めるのに慣れてないのか、そのまま縮こまっていく。

「もし、そのこっちに来たら、保護して欲しいって要請が……」

 さらに声が小さくなっていったのは、ラウラの怒りが目に見えて膨らんでいったからだと思う。

「保護だと!? ふざけるな!」

 感情任せで近くの柱を殴る。

「ご、ごめんなさい……」

「相手は誰だ!?」

「それは……言え……なくて」

「クソッ、ふざけるな、と伝えておけ!」

 もう一度、強く拳を柱に叩きつけて、ラウラはどこか行ってしまった。

「アタシもとりあえず部屋に戻るわね」

 鈴ちゃんも冷たく言って、歩いて行った。

 そこからはみんな、バラバラに無言で去っていく。

 誰もいなくなった廊下から、旅館の日本庭園が見えた。私一人が縁側に座って、柱にもたれかかる。

 ヨウ君……どうして、あんなことをしたの?

 私は何も知らない。

 ヨウ君は篠ノ之さんと織斑君を、絶対防御発動まで左腕一本で追い込んで、そのままどこかに飛んでいった。

 ナターシャさんを助けに来たんだと思った。でも、ナターシャさんを助けるだけなら、私たちの邪魔をする意味はないし。

 膝を抱える。

「……ヨウ君」

 何も考えられない。

 さっき海の上で会った、好きな人の顔を思い出した。

 どうして、あんなことをしちゃったんだろ、私たちは。

 後悔しても、何も変わらない。

 ヨウ君がいなくなってから、ずっと泣いてばかりだ。

 涙の水源がなかなか枯れてくれない。

 ヨウ君は、今度も何も教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 タッグトーナメントのときもそうだった。何も教えてくれなかった。

 あの日、真剣な顔で控室から出ていこうとする彼の手を思わず掴んでしまった。今まで見たこともない悲壮な顔をしてたから。

「どこに行くの?」

「ちょっとな。今回は気合いが入ってるんだ」

 誤魔化すように笑ってるつもりなんだろうけど、私にはヨウ君が自分自身を卑下してるようにしか見えなかった。

「みんな頑張ってるんだし」

 そんなことを言わないで欲しい。 

 確かにみんなが、このタッグトーナメントを最初の目標として頑張ってた。

 それはヨウ君だって一緒のはずなのに、なんでそんなに他人事のように言うんだろう。

 すごく不安になった。

 ヨウ君はそれから控室にいるみんなを見回してから、今後は優しく微笑んだ。

 まるで、遠くではしゃぐ他人の子供を見るように。

 そして彼が戻ってきたときに言ったのは、

「オレ、機体損傷が激しくて棄権するわ」

 というセリフと、わざとらしい笑みだった。

 誰がそんなことを信じるんだろう。思ったとおり誰も信じなかった。

 織斑君は怖い顔で、シャルロットは不満げに、セシリアは困惑した様子で、そして鈴ちゃんは怒ってた。

 きっと私も怒ってたと思う。他のみんなも困惑してた。

 どんなことに怒ってたのか自分でもわからなかったけど、とにかく怒ってて、そして悲しくなった。

 メテオブレイカー作戦の後、私と彼は気持ちが通じ合えたと思ったのに。そんな勝手なことを考えてた。

 

 

 

 タッグトーナメントの準決勝で織斑君と戦った後、大勢のの拍手の中で握手をしながら一つ、彼にお願いをした。

「ヨウ君と仲直りできないかな?」

「……ヨウとは別にケンカしてるわけじゃないよ」

「私じゃダメだった。それでも織斑君なら」

「そっか……。ホントにヨウのこと、好きなんだな」

 面と向かって、そんな恥ずかしいことを言える織斑君がスゴいって思った。

「一度、ぶつかってみるよ。声を上げて体ごとさ」

 

 

 

 タッグトーナメントが終わった後、ヨウ君に関係してる子たちが、自然と控室に集まってた。

「ヨウと試合しようと思う」

 織斑君が、みんなの前で言った。

 ラウラが少しため息を吐いた後、

「お前がドイツにいた頃から気にかけてたんだからな」

 と苦笑いを浮かべる。

「ああ。大事な親友……ずっとオレの憧れだったんだ」

「憧れ?」

「そうだ。オレにとって二番目のヒーローだ。最初は千冬姉だけどさ。いつもオレのワガママを聞いて、何とかしてくれるのがヨウだったんだ」

「そうか」

「だから今度こそヨウに近づきたい。ヨウと本気でぶつかり合いたい。そうするのが一番早いと思う」

 織斑君の真剣な言葉を聞いて、セシリアが思いついたとばかりに、一つ手を叩いた。

「では、タッグトーナメントと同じ試合形式でいかがですか?」

「いいな。お互いの機体も損傷してるし、打鉄同士を使えば同じ条件だし」

 そこまで腕を組んで壁に背を預けていた篠ノ之さんが、小さく手を上げた。

「私が立会いたい。門下生二人の試合だからな」

 たしかヨウ君も篠ノ之さんの家の道場で習ってたって言ってた。

 腕を組んで聞いてた鈴ちゃんが、

「アタシも付き合うわよ。二人とも付き合い長いしね」

 と小さく肩をすくめながら参加を表明する。

「ではわたくしも、クラス代表として、二人の試合を見届けますわ」

 セシリアも真剣な顔で申し出た。

「僕もいいかな?」

 シャルロットがまだ憮然とした顔のまま、真っ直ぐ手を上げて言う。

「じゃあどうせだし、気になる人はみんな、見届けようよ。二瀬野君のこと、気になるもん、私も」

 控室のどこかで声が上がった。

「あたしも気になる」 

「観客がないってのも、トーナメントらしくないしね」

「じゃあ全力で迎え入れようよ。二瀬野君のこと、こんなにみんな、気にかけてるんだよって」

 あちこちから声が上がって、一つのイベントが出来上がって行く。

 ちょっと嬉しかった。みんな、やっぱりヨウ君のことを見ててくれたんだって。

 でも隣にいた理子だけが、少し首を傾げてた。

「どうしたの?」

「……ううん、何でもない」

「そう……」

 口ではそう言いながらも、空気に敏感な理子は何かを思案してるようだった。

 少し気になったけど、理子も上手く言葉に出来ないみたいで、それ以上は何も言わなかった。

 ヨウ君はいつも織斑君のことを気にかけてた。本人は意識してないみたいだけど、心配するように目で追いかけてるときが多い。織斑君もさっき言ったみたいに、ヨウ君を尊敬してて気にかけてるみたい。

 二人には、他の人に入り込めない空気みたいなものを感じてて、ラウラやシャルロットもそれをどうにかしたいって思ってる。

 声を上げてぶつかり合うってのは、私にはよくわからないコミュニケーションなのだけど、誰よりも付き合いの長い織斑君がそうしたいって言うなら、間違ってないんだと思う。

 結果として、二人が仲直りしてくれたら、素敵なことだ。私だってかぐちゃんや理子とケンカしたままだったら、悲しいし。

 そうして私たちは深く考えず無自覚に、あの悪夢のイベントを作り上げた。

 

 

 

 

 その二日後の夜、ヨウ君は授業にも出て来なかった。帰ってないかと思って部屋を尋ねたら、ドアが開いたままだった。

「ヨウ……君?」

 恐る恐る中を覗くと、灯りのない部屋の中には、同居人の織斑君だけがいた。ベッドの上で項垂れてる。

 まだ帰って来てない、と思って自分の部屋に戻ろうとしたとき、私はようやく気付いた。

 荷物がない。

 慌てて中に駆け込んで見回すと、ヨウ君の荷物だけが無くなってた。

「……ど、どういうこと?」

「あ、ああ、国津さんか」

 顔を上げた織斑君の顔は疲れ切ってた。

「ね、ねえ! ヨウ君は!? ヨウ君の荷物は!!」

 私が尋ねても、織斑君は小さく首を横に振るだけだった。

 ケータイを取り出して、ヨウ君にコールする。

 だけど流れてくるメッセージは、お客様のご希望によりお繋ぎ出来ませんというメッセージだけ。

「織斑」

 開きっぱなしのドアがノックされて、振り向くと織斑先生がいた。

「ち、千冬姉?」

「織斑先生だ。ほら」

 織斑先生がビニールに入ったIS学園の制服をベッドに投げる。

「お前の予備に使え」

「え? これ……」

「体格はさほど変わらんだろう」

 それだけ言って、歩き去ろうとする。慌てて立ち塞がって

「お、織斑先生、ヨウ君は!?」

 と詰め寄った。

「二瀬野か?」

「は、はい!」

「本人の強い希望により、本日付で退学を受理した。もう退寮済みだ」

「え……え?」

「行き先は機密事項に当たるため、私からは言うことが出来ん。以上だ」

 抑揚なく事実だけを告げて、私の横をすり抜け歩き去っていく。

 私はそのまま、廊下の上に崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 

 その噂はあっという間にIS学園中を駆け巡った。

 あの出来事とともに、知らない人がいない事実になってしまった。

 何も考えずに寮の廊下を歩いていると、誰かの肩がぶつかった。

「……ごめんなさい」

 謝りながら顔を上げると、ぼんやりと記憶にある子だった。他にも三人ぐらい連れている。

「なにその顔」

「え?」

「二瀬野君を追い出したんでしょ、アンタたち!」

 肩を掴まれて、壁に押し付けられる。

「痛っ……」

「酷いことするわね。そんなに織斑君が良かったってわけ!? あんな眼帯男に乗り換えるんだ、アンタたち!」

 強い語気で次々と言葉を投げつけられる。髪を掴まれて引っ張られた。

「……なにを」

「あれだけ二瀬野君に良くしてもらっておいて、何なのよ!」

 ああ、思い出した。ヨウ君と何度か話してた三組の子だ。目に涙を浮かべてる。

「何をしている!」

 誰かが声を上げながら走ってきた。

「ああ、篠ノ之さんだっけ。アンタも織斑君と一緒になって、邪魔な二瀬野君を追い出したんでしょ!」

「な、何を言っている!」

「お姉ちゃんに専用機まで貰って、今度は成績の良い二瀬野君を追い出して、織斑と篠ノ之でIS学園を乗っ取ろうっての!?」

「そんなわけがないだろう!」

「じゃあ二瀬野君を連れ戻しなさいよ!!」

 大きな声が廊下に響き渡った。

 篠ノ之さんも、私も何も言えなかった。だって、相手だって泣いてるんだもん。後ろにいる子も泣いてたり怒ってたり。

 騒ぎを聞きつけて、色んな人たちが私たちの近くに寄ってくる。

「絶対、許さないから!」

 私の肩をもう一度壁に叩きつけて、その子たちは去って行った。

 そのまま、ずりずりと床に腰を落とす。

「国津、大丈夫か?」

「え? ああ、うん」

「……すまない」

「別に謝られることじゃないよ」

 私だって共犯者で、あの子も気持ちがすごくわかった。だって、私も同じぐらい怒って泣いたと思うし。

 ヨウ君は人気があった。

 だって、優しくて気さくでISにも詳しくて努力家で前向きで、死ぬような目に遭ってまでみんなを守ってくれるヒーローなんだもん。

 その彼を、私たちが追い出した。そういう構図がIS学園に出来あがってた。

 でも私たちは何も反論がない。だって、その通りだから。

 

 

 

 IS学園は荒れてた。

 寮では一組・二組の子と、その他のクラスの子たちに分かれていた。食堂だって、みんな離れて座ってた。

 色々と意地悪をされた。さすがに表立って暴力を振るってくる子はいないけど、それでも色々とあった。ときには上級生までが私たちに疎ましそうな視線と言葉を向けてきた。

 特に私はあること無いこと言われてるみたい。歩いてるだけで、ヒソヒソと周りが喋ってる。

 でも、何も言えなかった。

 今日も学校が終わって、ヨウ君の部屋のベッドの上で、彼の残した制服を抱きしめて、彼の帰りを待つ。

 いつのまにか眠っていて、起きたら自分の部屋のベッドだった。

 同室のかぐちゃんが、少しだけお小言を言ってくるけど、よく耳に入って来ない。

 食欲もないけど、理子が無理やり口にねじ込んでくるパンを飲み込む。

 促されて立ち上がって着替えさせられて、校舎に向かう。

 教室に入って授業が始まってもヨウ君の席だけが、埋まってくれない。

 

 

 

 それから数日経っても、私はボーっとしてた。

 彼がいるはずだった部屋で、彼の残り香が残っていたベッドの上で膝を抱えて、彼の残していった制服を抱きかかえたままだった。

 何もする気がしない。

 彼が私たちの前から去っていった事実が受け入れられない。

 何度も電話して、何回もメールを送ってみたけども、何の返事もなかった。

 パパたちにヨウ君の行き先を聞いても、誰も教えてくれなかった。かぐちゃんは何か知ってるみたいだけど、どうせ会わせてもらえないからと何も言ってくれない。

 ケータイをベッドの上に置いて、操作するでもなくボーっと見つめていた。

「……国津さん、そろそろ消灯だから」

 誰かの声が聞こえるけど、声を返すのも面倒だった。そのままコテンと横になって、目を閉じる。

 どうして、私たちはあんなことをしてしまったんだろう。

 未来人。

 そんな言葉を残して消えた二瀬野君は、ひょっとしたら本当に私たちと違う存在だったのかもしれない。

 思い出せば、変なこともあった。

 シャルロットと初めて会ったときも、不自然なぐらい驚いてた。

 彼は織斑君の専用機である白式をずっと前から知ってたみたいだった。倉持と四十院のコンペのとき、まだ未発表だった機体だったのに、その名称を呟いてた。

 そしてコアナンバー2237、テンペスタⅡ・ディアブロ。

 ステルス機能を動かすために、私は一度だけその機体に乗った。

 ……思い出したくもない機体だった。

 メテオブレイカーの日、私が試験パイロットとなって完成した機体のセットアップをしてたとき、不思議なことが起きた。

 いきなり眼前を埋め尽くしたエラーウィンドウ群。強制的に形状を変えて行く装甲と推進翼。

 ルート2進行中という文字。2番目の道を進んでるってどういう意味?

 そして隕石の接近を聞いてヨウ君に伝えなきゃ、と思った瞬間だった。何もしていないのにコアネットワークでヨウ君との直結回路を開いたウインドウがあった。

 フタセノ・ヨウという人は、一体何者なんだろうって、その後に思った。

 それを聞く勇気も持てないままに、その姿を見ることさえできなくなった。

 大事なのは何者かじゃなくて、彼が何を思ってたかだったのに。

 

 

 

 

「玲美、もうあの部屋に行くのはやめてと言ったでしょう?」

 何も考えずに寮の廊下をボーっと歩いてた私に、かぐちゃんが怖い顔で言ってきた。

「帰ってくるかもしれないし」

「帰って来ないのよ」

 かぐちゃんが、今までにないぐらい怖い顔をしてた。

「帰ってくるもん。あの部屋、ヨウ君の部屋なんだし」

「……会ったわ」

「え?」

「ヨウさんに会ったのよ。今日。洋上ラボに来てたから」

「ホントに!?」

「7月7日、合宿の日、私たちに会いに来るって」

「ほ、他には?」

「他は特に。でも、元気そうだったわ」

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心が軽くなった。

「部屋に帰りましょう」

 優しく諭すかぐちゃんの後ろをついて歩く。

 周囲から、ひそひそと噂をする声が聞こえた。

 まただ。たぶん、他のクラスの子。

 ヨウ君がIS学園を辞めた日から、一組と二組の子は、他のクラスや学年から色々と言われてる。私たちは何も言い返せなかった。言い返しても自分たちを正当化するだけだったし、そんなのは悲しいだけだった。

 でも今日は違った。

 なにあの子、二瀬野君と付き合ってたんじゃないの? 今度は織斑君目当てで入り浸ってるんだって。

 そんな言葉が聞こえてきた。

 そっか、そんな風に思われてたんだ。

 正直、あの部屋にいるときは織斑君のことなんて頭になかった。消えて行く残り香を心に留めるので精いっぱいだった。

 毎日、目が覚めたら自分の部屋にいたから、理子とかぐちゃんが連れて帰ってくれてたんだと思う。

 ……バカだなぁ、私って。まだ甘えんぼだったみたい。

 でも本当にヨウ君が会いに来てくれるなら、何度でも謝って、そして本当に好きなんだってもう一回伝えたい。

 例えヨウ君が許してくれなくても。

 

 

 

「今11時でーす。今日は夕方まで自由行動ですけど、時間に遅れないように旅館に戻ってきてくださいねー」

 山田先生の声が聞こえる。

 私は岸辺から少し離れた場所にパラソルを立てて、頭にタオルをかけて膝を抱えていた。水着も着ずにTシャツとホットパンツのままだった。

 ヨウ君がいなくなってから一週間以上経って、私たちのクラスも表面上は落ち着きを取り戻し始めてる。

 ふと砂浜の一角が騒がしくなってたので、そちらを見れば、今からバーベキューを始めるようだ。

「ラウラ、火を起こしてくれ」

「任せろ」

「おい待てって、なんでISを部分展開する」

「この半分に切ったドラム缶の炭に火を点ければ良いのだろう?」

「いやそうだけど、ISはいらないだろ。得意のサバイバル技術でどうにかしてくれよ」

「仕方ないな」

 どうやら織斑君が陣頭指揮を取ってるようだった。

「一夏、これは?」

「ザックリ切ってくれればいいよ。おい鈴、キャベツ切るのにどうして甲龍がいるんだ」

「え? いや華麗な私の技を見せて上げようかなって」

「そういうのいらねえから。普通に切ってくれ。箒、ちょっと鈴と一緒に頼む」

「わ、わかった、任せろ」

「刀を使うのは無しな」

「わ、わかっている!」

 専用機持ちの子たちが中心になって、どんどんと準備が進んでいく。

「一夏! ちょっと火の勢いが強過ぎるんじゃない!? 炭多過ぎ!」

 向こうではシャルロットが慌てた様子で声を上げてた。

 バーベキュー用に用意したドラム缶を半分に切っただけのコンロから、黒い炭が溢れだしてる。

「わ、悪い。ボーっとしてた!」

「とりあえず燃えてないのから取り出そ?」

「お、おう」

 織斑君もやっぱり本調子じゃないみたい。

「玲美は行かないの?」

 紺色の競泳水着を着たかぐちゃんが私の隣に座る。

「そんな気分じゃないし。かぐちゃんは?」

「私は食材を提供したわ。ヨウさんからバーベキューの準備を代わりに手伝って欲しいと言われたから」

「そう……さすがヨウ君だね」

 あれだけのことをされて出て行ったというのに、織斑君のことを気にかけてる。

 きっと織斑君もそれがわかってるから、バーベキューをしてるんだろうな。約束とか言ってたし。

 だけど、それに私が参加したいかは別。

「ねえテンペスタ・ホークが」

「言わないで」

 かぐちゃんが洋上ラボでヨウ君と会った次の日、私はママからテンペスタ・ホークが封印されたって知った。

 原因は、搭乗者の心身の健康状態に問題ありだった。

 信じられなかった。パパに聞こうにも連絡が取れない。ママも居所を知らないみたい。

 パパだけじゃなくって、岸原のおじさんや四十院のおじさんもいなくなったらしい。

 何か変だ。

「あっついなー」

 黄色のセパレートの水着を着た理子が私たちのところに戻ってくる。

「おかえり」

「おかえりなさい」

「ただいま」

 そう言って、理子はかぐちゃんから差し出されたスポーツドリンクに口をつける。

「ぷはっ、生き返るー」

「どこ行ってたの?」

「バーベキューの食材を積んで流れてきたボートを隠しにね。あとはリベラーレの装備受け取りを」

 IS学園の合宿は基本的に部外者参加が禁止だけど、専用機の装備だけは色んな陣営が海から無人で送ってくる。理子はそれの受け取りに行ってたみたい。カートごと旅館の方に詰み込むから、人手はいらないし。

 ドリンクを半分ぐらい一気飲みしてから、理子は私を挟んでかぐちゃんの反対側に座る。

「ねえ、かぐちゃん」

「なにかしら?」

「研究所の方、何で誰もいないの? お休み?」

 研究所っていうのは、郊外の丘陵地帯にある四十院研究所本社のことだ。

「ええ。今はラファールも洋上ラボに行ってるから、余剰人員は有給を取ってもらったわ」

「洋上ラボは動いてるんだ」

「そうよ」

「あー、うちのオヤジ様もどこ行ったんだか。くそぅ、とっちめてやろうと思ったのに。玲美のおばさんも知らないんだよね?」

「うん、知らないって。ママも呆れてた。でも大学時代はよくあったらしいよ、ママ曰く」

 うちのママもパパと同じIS研究者で同じ職場だけど、パパと連絡が取れなくて困ってた。

 何かが起きてるのはわかる。でも、私たち子供には何にもわからなくて、すごく気持ち悪い。

 ヨウ君、大丈夫かな……絶対に落ち込んでるよね。

 そう思えば、私たち三人は誰もはしゃぐ気にはなれない。

 神楽も理子もそれぞれ端末を操作しながら、色々と仕事をしてるみたい。理子なんて胡坐をかいて、頭をガシガシとかきながら眉間に皺を寄せて、端末を荒っぽくタッチしてる。

 こういうときは、ISに乗るしか脳がない私は出来ることがほとんどない。

 仕方なくボーっと海を見てる。

「はい」

 目の前に櫛に刺さったお肉と野菜が差し出された。

 顔を見上げると、鈴ちゃんだった。

「ありがと」

「玲美、で良いんだっけ」

「うん」

「……ったく、あのバカ、どこで何してるのやら」

 鈴ちゃんなりに気を使ってくれたみたいだった。

 ブツブツと呟きながら、またバーベキューコーナーに戻って行く。

 明日は7月7日。

 ヨウ君が会いに来るって言ってた。

 今日はよく寝よう。明日、ちゃんと彼を見ることが出来るように。

 そう思いながら、少しコゲたタマネギに噛みついた。

 

 

 

 

 7月7日、11時過ぎ。

 一年の専用機持ちが緊急招集され、旅館の一角にある広めの客室に集まっていた。

 畳の部屋の真ん中には携帯端末からホログラムディスプレイが映し出される。全員がISスーツのまま、それを囲んでた。

 銀の福音、つまりアメリカで会ったナターシャさんの機体が暴走したらしい。中にはナターシャさんが乗ったままみたい。

 よりにもよって、こんな日に……。

「衛星軌道上のアラスカ条約機構宇宙軍のISにより、機体を超望遠レンズで捕捉、コースを算出した結果、ここから数キロ先をかすめて紀伊半島上空を通過し、関西から中部地方を通りぬけ、最終的には中国南部方面へ向かう可能性が高い。そこで我々に出された指令は、この暴走ISを可能なら撃墜、可能でなくとも本土に上陸させないようにすることだ」

 無茶苦茶な指示だと思った。

 ラウラと織斑君が視線を交わして、頷き合う。二人は何か知ってるみたい。

「作戦としては、高機動機による一撃離脱。無理はしなくていい。失敗しても、後詰に横須賀に新設された国際IS委員会の試験分隊がいる」 

 その言葉に、思わず反応してしまう。

 かぐちゃんから聞いた、ヨウ君のいる部隊だ。

 ヨウ君が出てくる? ううん、ヨウ君はホークがないから、出て来れないはずだし。

 私があれこれ考えているうちに、詳細は詰められていってるようだ。手に持ってた端末に、銀の福音のデータも送られてた。

「では、作戦の担当は」

 織斑先生が私たち専用機持ちを見回す。

 それから、少し低いトーンで、

「作戦は織斑と……国津、二人が先行する」

 と私の名前も告げた。

「……どうして私が?」

「お前のテンペスタⅡが、この中で一番速度が出るからだ。テンペスタⅡにより予定ポイントまで搬送、ランデブーと同時に白式の零落白夜で攻撃し離脱」

 確かにヨウ君がいない今では、同じ系統の推進翼を使ってる私かシャルロットが適任かもしれない。

 でも、それでもヨウ君のように軽々とマッハを超えることが出来るわけじゃなくて、充分な加速からのイグニッションブーストで、やっとマッハに届くか届かないぐらいだ。

「セシリアかシャルロットではダメでしょうか?」

「不服なら、オルコットにやらせる」

「じゃあオルコットさんでお願いします」

 ヨウ君が来るかもしれないのに、ここを離れる気なんてしない。

「では国津は二人に同行して近くで待機、二機がエネルギーを使い果たした場合は、回収して戻って来い」

「私は正式な専用機持ちではないので、辞退したいんですけど」

 借り物をしてる時間が延長してるだけで、代表候補でもないし。

「やる気がないなら構わん。出て行け。あとデータは消せ」

「了解です」

 織斑先生の言葉に従って端末を操作してから、障子を開けて出て行こうとする。

「国津」

 ラウラが声をかけてきた。

「なに?」

「二瀬野の代わりに参加してもらう、というわけには行かないか」

「ヨウ君の? どういうこと?」

「今回の作戦は失敗するわけにはいかない」

 そう言って、チラリと織斑先生を見るけど、先生は何も表情を変えなかった。

「残念だけど」

「……本来なら、誰よりも速いあの男がいれば良いんだが、我々はこの様だ」

 でもそれは、私たちで犯した間違いだ。不利益があるなら被るべきも私たち。

「やる気がない人が参加するよりはマシ」

「聞けば、お前は銀の福音も見たことがあるという」

 確かにナターシャさんの機体はアメリカで見たことがある。外から見ただけでもすごい機体ってわかったし、パイロットの腕もすごかった。あれに勝てるのは、世界でもそんなにいないと思う。

「それが? 実際にその機体と模擬戦を行ったのはヨウ君だけだし、私たちは見てただけ。何の役にも立たないと思うけど?」

 ヨウ君がいれば、この作戦だって成功確率が上がったと思う。でも無い物ねだり。

「今回の作戦は、どうしても失敗するわけにはいかない」

 織斑君が立ち上がった。

「どうして? 試験分隊がいるんだよね?」

「そこに任せるわけにはいかないんだ」

 何を言ってるかわかんない。他の人がやってくれるっていうなら、そっちに任せちゃえば良いのに。

 私と織斑君が無言の視線を交わしていると、ガタガタって音が天井から聞こえてきた。

「とう!」

 いきなり天井の板が外れて、女の人が降りてくる。

「やあやあやあやあ、ちーちゃんお困りだね、困ってるね、コマンタレブーだね?」

「……誰か、摘まみ出してくれ」

 呆れたような困ったような顔の織斑先生に、篠ノ之束博士がすがりついてた。

「待って待って待って、ちーちゃん待って! ちょっとこっちも時間ないから、色々と! で、高機動機体が欲しいんだよね?」

「どこから聞いてた?」

「いやもう最初っからさー、わかってるくせにーウリウリ」

「時間がない。用がないなら出て行け、用があっても出て行け」

「ひどい! って、そんなことしてる場合じゃなかった。紅椿の展開装甲をちょいちょいといじれば、マッハ2ぐらいまでは大丈夫さー」

 全員が驚いてるけど、私からしてみたら今さらマッハ2でどうとか……。ISの世界最高速は、テンペスタ・ホークがメテオブレイカー作戦でマークしたマッハ3オーバーだし。

 冷めた目線で見つめる私をよそに、みんなは部屋から出て、中庭で色々と作業し始めた。

 どうにも篠ノ之さんの紅椿をいじったら、簡単に高機動機になるらしい。IS自体に興味がないわけじゃないけど、私が出なくて良いなら別に何でもいいや。

 みんなを尻目に、廊下を歩いて自分の部屋に戻ろうとしたところに、またラウラと織斑君が近づいてきた。

「さっきの話の続きだが」

 立ち塞がる小さなラウラ。

「紅椿で送るんでしょ? 私は必要ないと思うけど」

「先ほどと同じように、二番目の部隊として同行して欲しい」

「だから、何で私?」

「……正直、苦戦は免れないと思うからだ」

「だったらセシリアかシャルロットだけでいいじゃない」

「オルコットはまだ良いが正直、高機動戦になると我々だけでは厳しい。相手もマッハ2で航行可能な機体だ。その点、四十院の高機動機体になれているお前なら、確実に戦力になる」

「別に逃がしたって、他の部隊がいるんでしょ?」

「どうしても我々が作戦を成功させなければ、マズい。織斑教官はああ言ったが、かなり状況が……」

 詳しくは話せないのかな。ラウラがどんどん言葉を濁し始める。

 そこへ織斑君が、

「お願いだ。協力して欲しい」

 と近寄ってくる。

「もちろん俺も成功できるよう頑張るけど、確率は少しでも上げたいんだ」

 そう言って、チラリと織斑先生の方を見る。

「言いたいことはそういうこと?」

「……この作戦だけは絶対に成功させたい。そのために、国津さんの力が必要なんだ。こんなこと言える義理じゃないのはわかってる」

 真剣な顔つきの織斑君の横で、ラウラも似たような顔をしてた。二つの目が私にすがるような目をしている。

「ラウラ」

「何だ?」

「どういうこと?」

 私だってそこまでバカじゃない。広域せん滅用の強力なISと戦うのに、何も知らずにというわけにもいかない。

「……国際IS委員会が二つに割れている。簡単に説明すれば、IS学園側と新しい試験分隊側だ。今まで色々と無理なことを通してきたせいで、織斑教官はかなり矢面に立たされている。失敗すればいくら織斑教官と言えど理事長副理事長ともに解任、IS学園もどうなるかわからん」

「で、その心は?」

「……わかった。正直に話そう。四十院はどちらかといえば試験分隊側だ。だからこそ、今ここでIS学園側で結束して事態の収拾に当たりたい」

 IS学園は今、二つに割れている。例のヨウ君の退学問題を発端としてるみたい。

 織斑先生もその監督責任を取らされていると思う。他にも色々と政治的問題が絡んでるって、かぐちゃんも言ってた。

「でもそれだって全部、私たちの責任じゃないかな?」

 自分の声と思えないぐらい冷たい声だった気がする。

 織斑君は私の言葉を聞いて頭を垂れた。だけどすぐに顔を上げ、

「アイツがいつでも帰って来られる場所にしておきたい」

 と真剣な目をする。

 それを言われたら、私の心も揺らいでしまう。

「千冬姉を守りたい。ここで千冬姉を守ることが、今までのIS学園を守ることにも繋がるんだ。だから、この作戦は可能な限り成功率を高めた状態で挑みたい。時間もないんだ」

 ラウラが私の手を取って小さくて白い両手で握ってきた。

「国津……いや玲美、お前もIS学園の、同じクラスの一員として、我々の仲間として作戦に当たって欲しい。せめて私たちがIS学園を守らねばならない」

 今日は二瀬野君が会いに来ると言った日だけど、どのみちこの事態が収拾されないと、この旅館にも近づけないだろうし……。

 嫌なことは早く終わらせたい。

 試験分隊に対しては、いきなり何も言わずにヨウ君からホークを奪ったパパたちへの反抗心もある。

 何よりヨウ君のいたIS学園を守るという言葉は、私を動かすエネルギーになってしまった。

「……わかったよ」

「いいのか!?」

「うん……その、出来ることは少ないかもしれないけど」

 自信なさげに言う私の空いていた手を、織斑君が握って持ちあげた。

「ありがとう! 本当に! 国津さんの実力がわかってるし、頼りになる!」

「あ、う、うん……」

 ラウラがジロリと織斑君を睨むと、慌てて私の手を離した。

「えっと、あ、ご、ごめん」

「ったく。まあいい。私からも感謝を。玲美」

「わかったよ、頑張る」

 私は少しだけ笑顔を浮かべた。

「えっと国津さん、ありがとう」

 ばつが悪そうにお礼を繰り返してくる織斑君に、ラウラが大きなため息を吐いた。

「仲間なのだ。ファーストネームで良いだろう。お前は近しい人間をファーストネームで呼ぶ癖があるしな」

「わかった。じゃあ玲美……さん。よろしく!」

 さん付けは正直、背筋がムズムズする。そんなふうに呼ぶ人なんて、ほとんどいない。

「呼び捨てで良いよ。ヨウ君だっていきなり呼び捨てしてきたし」

「わかった、よろしく! 玲美!」

 

 

 このときの私は、本当にバカなんじゃないかな。

 自分のやったこともわからずに、何も疑わずに、全部が元に戻るときが来るって、信じてた。

 でも、変わってしまった物は、元に戻るなんて有り得ないって、三十分後には思い知らされることになる。

 

 

 シャルロットとセシリアの三人で、先行した二人にかなり遅れて戦闘区域に向かっていた。

 戦況はまずいみたい。ファーストアタックに失敗し、そのまま戦闘になったらしい。

 作戦に参加してる全員が、通信チャンネルを共通化してる。それで、二人の様子はわかった。

 焦っている二人の声が流れてくる回線から、信じられない言葉が聞こえた。

『タカ!?』

 篠ノ之さんがタカと呼ぶのは、この世界でただ一人、ヨウ君だけだ。耳を疑い、声を潜めて次の言葉を待つ。

 破砕音が聞こえ、篠ノ之さんの悲鳴が流れてくる。

「箒さん!? どうしたんですの!?」

「一夏! 一夏!?」

 横の二人が慌てて通信を求めるけど、向こうの二人はそれどころじゃないみたいだった。

『ど、どうして……タカ……』

 もう一度、その名前が呼ばれた。

『……ヨウ、お前!』

 織斑君がその名前を叫んだ。

 次の瞬間、私の推進翼が加速を始めていた。

「玲美さん!? お待ちに!」

 制止する声を置き去りにして音速を超え、衝撃波をまき散らし、愛しい人の元へ少しでも速く。

 会って何を言うか。

 言葉より今は、その顔が見たい。

 

 

 そう、ヨウ君は約束を守ったんだ。

 7月7日の七夕に、海の上で好きな人と再会した。

 彼は翼さえ奪われて、左腕と脚しかないISを装備して、私たちの元へと会いに来た。

 私たちに敵対する形で。

 

 

 

 

 

 作戦は失敗に終わった。

 織斑君と篠ノ之さんはヨウ君によって絶対防御発動まで追い詰められ、今は昏睡状態だった。

 しばらくボーっとしてた私だったけど、もう作戦が終わったなら、ここにいる意味もない。

 更識さんの話からして、あのボロボロのISは奪ったものみたい。ということは、彼は犯罪者なんだ。

 ヨウ君だって、ここに来るわけじゃない。

 帰ろう。

 のそのそと立ち上がって、フラフラと廊下を歩く。

「玲美?」

 声をかけられて声を上げると、理子とかぐちゃんが立っていた。

「どうしたの? 酷い顔」

 理子が駆け寄ってきた。

「ヨウ君が……」

「え? ど、どうしたのよ?」

 見慣れた顔を見た瞬間に、目が潤んでしまった。

 私より小さな体に思わず抱きついてしまう。

 そして、ヨウ君が姿を消してから初めて、大声を上げて泣いた。

 

 

 変わってしまったのは、私たちのせい。

 もう戻らない。

 私たちはヨウ君を追い出して一人にし、彼は罪を犯して戻れない場所まで行ってしまった。

 だから、もうあの楽しかった頃には戻れない。

 

 

 旅館の自室に帰って、ISスーツのまま布団の上で横になってた。

 ちらりと時計を見れば、あれから二時間ぐらい経ってる。

 同じ部屋で、理子とかぐちゃんがバタバタと動いてた。

 私は目を閉じて、せめてこれだけは変わらないようにと、一番幸せだったときを思い出を瞼に浮かべる。

 

 

 

 

 今から数週間前、メテオブレイカー作戦がギリギリの成功に終わった後の話。

 私こと国津玲美は、IS学園の医務室に運びこまれた彼の元へ、お見舞いに訪れていた。

 洋上ラボにいた私たちに向かって落ちてきた隕石。それを破壊して全てを守ったヒーロー『二瀬野鷹』は、医務室のベッドで静かな寝息を立てていた。

 どこにもケガは残ってなさそうで、ホッとした。絶対防御が発動するほどのケガを負ったと聞いて、気が気じゃなかったけど、無事で本当に良かった。

 思わず零れ落ちそうになる涙を拭ってから、そっと彼の眠るベッドに腰掛ける。

 恐る恐る頬に触れてみた。少しくすぐったそうにした彼を見て、思わず笑みが零れ落ちる。

「ありがとう、ヨウ君。大好きだよ」

 小さく呟いてから、彼の頬をもう一度撫でる。その暖かい肌が気持ちよくて、思わず何度も撫でてしまった。

「さすがに触り過ぎだろ」

 いきなりパチリと目を開けて、彼が笑いながら上体を起こす。

「って、起きてるし!」

「そりゃ起きるだろ」

 うわー……すごい恥ずかしい……。

「ど、どっから起きてたの?」

「……悪い、最初っから」

「も、もう! 起きてるなら言ってよね!」

 照れ隠しに怒ってから、思わずプイッと顔を逸らしてしまう。それでもチラリと彼の顔を横眼で見ると、優しげな眼で、

「みんな、無事だったか?」

 と尋ねてくる。

「う、うん。洋上ラボには被害なし。みんな、すごい感謝してたよ」

「国津博士の機体のおかげだな。それに、作戦に参加してた他のみんなも頑張ったよ」

 こともなげに謙遜しながら、ヨウ君が大あくびをして背筋を伸ばしていた。

「う、うん。感謝だね」

 そんなに謙遜しなくても良いのに、と思った。

 パパ曰く、テンペスタのレーザー射撃がなければ甚大な被害が出て、私たちも生きてなかっただろうって話だった。

 もう二回も命を救って貰っているヒーロー、それが私の中の二瀬野鷹君だ。

「それに、お前が無事で良かったよ、本当に」

 彼はそう言って、私の頭をポンポンと撫でてくれる。そして少しだけ、髪をすくように指を動かしてから手を離した。

「え、えっと私の髪、あんまり綺麗じゃないし、その」

「そんなことねえよ。オレは好きだぜ。お前、いっつも気にして押さえつけてるけど、似合ってるし」

「で、でもかぐちゃんとか、その、篠ノ之さんとかみたいに真っ直ぐで綺麗な髪だったら」

「神楽はわかるが、何で箒……だから箒は一夏のことが好きなんだっつーの。オレは何とも思ってねーって」

「だ、だってヨウ君、結構気にかけてるし……」

「そりゃまあ昔馴染みだけど、深い意味はねえよ。アイツはぼっちで悪目立ちしてるから気になるだけだって」

「む、むぅー」

「変な声出すな」

 私たちを見る目はいつも優しくて、私は彼が大好きだった。

 でも時々、遠い目をして篠ノ之さんや鈴ちゃんなんかを見てるときがあるし、セシリアやシャルロットなんかにも同じような目を向けてる。外人好きっぽいしなぁ……。

「あ、あのね、ヨウ君」

「ん?」

「え、えっとね、前のISショーのときもそうだったし、今回も助けてもらって、ホントに感謝してるんだ」

「おう、どういたしまして。でもまあ、気にすんなよ」

「気にします! だって命の恩人だよ!?」

「まあ……無事で良かったよ。研究所のみんなも」

「うー……体は大丈夫?」

「何ともねえよ。良く眠って絶好調だ」

 絶対防御を発動するほどの事態だったのに……。

「え、えっとね、ヨウ君。あんまり無茶しないでね」

「無茶できるほどの技能がねえ……」

 ガックリと肩を落とすヨウ君は、確かにIS操縦が上手くない。

 だけど、推進翼関連の操縦だけは別格だった。彼とテンペスタ・ホークは本当に鷹みたいに空を飛ぶ。

「……え、えーっと」

「ん?」

「あの、その」

「おう?」

「え、えっと、何でもありません」

 自分でも何を言おうと思ったのかよくわからず、赤面してうつむいてしまった。

 ベッドに腰掛けて背中を向けてる姿勢だから、彼からは紅潮した頬は見られてないはず……。

「それじゃ、もうちょっと寝るわ」

 大あくびをしながら、彼がベッドに倒れ込んだ。

「うん、それじゃあね。おやすみ」

「おう、おやすみ」

 彼が目を瞑ったのを確認してから、私はベッドから降りる。

 もう、ヨウ君ってば、起きてるなら最初っから言ってくれれば良いのに。

 ……うん? 最初っから?

「ってヨウ君!?」

「おう!?」

 びっくりした様子で彼が飛び起きた。

 というか、ビックリしたのはこっちだよ!

「な、何か聞こえた!?」

「何がだよ?」

「え、えっと、私が言ったこと」

「……何の話だ」

 気まずそうに布団の中に戻って、わざとらしく寝返りをうって背中を向けてきた。

 その態度でわかってしまった。

 絶対に聞かれてた! 大好きだよって言っちゃったの、絶対に聞かれちゃってる!

 う、うわー……。

 思わず両手で頬を隠そうとしたけど、頬どころか顔中が真っ赤だよね、今!

「ね、寝てたから、お、起きてたのウソだから、で、だ、大丈夫」

 カミカミで答えてくるヨウ君の態度で、恥ずかしさが増してしまう。

 心臓が飛び出そうなくらい脈打ってるのがわかる。

 く、くぬ、ここで言うつもりはなかったのに……。

「よ、ヨウ君!」

「へ、へい」

「こっち向いて!」

「へ、へい……」

 恐る恐るといった感じでこっちへ顔を向ける彼は、マズいことしたー! って顔をしてた。

 正直な話をすれば。

 私は二瀬野鷹君のことが大好きすぎて、独占したい。

 会ってから三カ月も経ってないけど、こんなにパパママ以外を好きになると思ってなかった。

 でも、彼は世界にたった二人しかいない男性操縦者で、私がどうにか出来る人じゃない。

 いつもは気さくで普通の高校生で、ちょっと大人びてて優しい普通の男の子だけど、彼は普通じゃない。私なんかが独占できる相手じゃない、みんなのヒーローなのだ。

 そんなことを今さらながら思い出して、顔の熱が冷めていく。

 私だけじゃなくって、色んな子がヨウ君を好きだって知ってる。

 理子は何でも詳しくて、元気で気が利く楽しい子だ。

 かぐちゃんこと神楽は、大人びていてスタイルも良くて仕事も出来る優しい子だし。

 だけど私こと国津玲美は、どこにでもいる平凡な女の子でしかない。特技もISの操縦がちょっと上手いだけで、そのIS操縦だって、もっと上手い子が沢山いる。

 他の二人が彼のことを好きなのかは確認したことないけど、周囲を見回しただけでも自分よりステキな女の子が二人もいる。

 そう、自分は彼と釣り合わない普通の女の子でしかないんだ。

 だから、ずっと黙ってた。でも今日はつい漏らしてしまった。

 沈黙が長くなるたびに、私はどんどん落ち込んでいってしまう。

「今は、誰かと付き合ったりできないんだ」

 ヨウ君がゆっくりと起き上って、小さな声で呟いた。

 やっぱり断られた。

 そうだよね……やっぱり。

「でも」

 彼は言葉を続けてくれる。

「メテオブレイカー、最後にお前の声を聞いて頑張れた。だから、もし誰かと付き合えるようになったら、お前が良いな、とは思う」

 驚いて顔を上げると、そこにはちょっと恥ずかしそうに笑っているヨウ君の顔があった。

「え? え?」

「悪いな、こんな返事しか出来なくて。もしそのときが来たら、オレからもう一度、言うよ」

「よ、ヨウ君!?」

「ま、まあそういうことで。寝るわ。あ、そんときに他に好きなヤツ出来てたら、断ってくれていいから」

 最後は早口でまくし立てながら、彼は再び布団を被って私に背中を向けた。

 え、えーっと。

 どうしたら、えっと、どんなことを言えば……。

「と、とりあえず、ありがとう?」

「お、おう。おやすみ」

「えっと、おや……すみ」

 私の言葉が切れると、彼はわざとらしい大きないびきをかきはじめた。

 その様子につい笑ってしまった。

 よくわからないうちに保留されちゃった気もするけど、すっごく良い返事がもらえた気がする!

 とりあえず、あれがが私たちの精いっぱいだった。

 

 

 

 

 あのときの幸せな気持ちをもう感じることは出来ない。そう思って体が震えた。

 会いたい、という気持ちが積み上がって行く。

「玲美、あんまり寝てると髪の毛に変な癖つくわよ」

 かぐちゃんがし優しげな声で注意してくれる。

 元々は大人っぽいかぐちゃんに憧れて伸ばし始めた髪だった。

「ねえ、かぐちゃん」

「なあに?」

「ヨウ君は、何で……あんなことしたのかな」

「……それはさすがにわからないわ」

「ナターシャさんを助けに来たなら、一緒に戦えば良いのに」

「だったら、そうじゃないんでしょう」

 かぐちゃんも困惑してるようだった。

 目的が何もわからない。

 まるでこんな出来事が起こるって知ってたみたいに、ヨウ君は7月7日を指定してきたんだ。最初から、私たちと敵対するために。

「玲美、ヨウさんは、ボロボロのISで来たのね? どうだった? 性能とか」

「……うん。メッサーシュミット・アハトっていうやつ。左腕と脚しかなかったし、スラスターは腰に小さいのがあるだけ。でもパワーはすごかった」

「すごいわね、そんなISで二機も。大戦果じゃない」

「……そうだね」

 かぐちゃんは少し考えた後、手に持った端末を操作し始めた。

 その様子をボーっと眺めてるだけで、私の体からは何も力が湧かない。

 このまま消えてしまいたい。

 時間が戻ってくれたら、絶対にあのときの私を止めに行くのに。

 変わってしまったのものは、もう戻らないんだ。

「未来を、変えに来たのかもしれないわね」

 かぐちゃんがポソリとそんなことを呟いた。

 ストンと、何かが胸に落ちた気がした。

 今まで何にも気にとめてなかった、ヨウ君の言葉『未来人』。

 未来人かぁ。

 小さな笑いが零れ落ちる。

「どうしたの?」

「だって、未来人なのに、あんなにあたふたしたり、IS下手だったりして、もう少しスマートにさ」

「出来ないのがヨウさんらしさかもしれないわね」

「そうだね。真面目だし、頑張り屋で……」

 もちろん、そんな言葉を本気で信じてるわけじゃない。

 でも、ヨウ君は私を二度も助けてくれた。

「ねえかぐちゃん」

「なあに?」

「ヨウ君のこと、好き?」

「ええ好きよ」

「……やっぱそっか。ねー理子ぉー」

 少し離れた場所で荷物を漁ってた理子に呼びかける。

「なにー?」

「ヨウ君のこと、好きー?」

「そりゃ好きだよ。愛してるって言ってもいいネ」

 声を上げて、あっけらかんと笑う。

 何だかんだで結局みんな、彼のことが好きなんだ。

「ヨウ君の良いところゲーム、いぇーい」

 低いテンションのまま、リズム良く言ってしまう。

「なにそれ」

「じゃあ私からー。変なメガネが似合う」

 私の回答に、理子が笑いながら、

「次あたしねー。言葉使いが昔の不良っぽい」

 と乗ってくる。

 それを聞いて、私も笑ってしまった。

「はい、次かぐちゃん」

「んー、そうね。じゃあ、ついポロリと本音を漏らしてしまうところ」

「あー料理事件かー」

「まだヨウさんには実験台になってもらわないと。不味いとまで言われたのだし」

 私たちは遠慮して言えなかったけど、かぐちゃんの作る料理はどっかおかしい。味覚の守備範囲が広すぎる気がする。その上で普段は食べられない味を組み立てるから、普通の人には有り得ない味になるんだと思う。

「次、玲美ー」

「んー、器用な振りして、実は不器用なところー」

「じゃ、あたしね。あんな外見なのに義理堅い」

「あるわね。じゃあ私よね。えーっと、意外とため息が多い」

「あ、私も思ってた!」

「あたしも!」

「次、玲美ね」

「んー、カッコいい?」

「はいダウトー」

「それはちょっと……」

「え、カッコいいよね?」

「んー。雰囲気イケメン? 玲美のパパの方がカッコいいと思うけど?」

 理子が失礼なことを言う。本人が聞いたら『うっせ』とか言って拗ねちゃいそう。

 おっかしいなー、私はカッコいいと思うのに。

 ……そうだよね。

 ヨウ君はカッコ良かった。アメリカでIS強盗に捕まったときも、真面目に練習してるときも、ずっと。

 そして、思い出せばついさっきも。

「……やっぱりカッコいいや。好きだ」

 結局、女の子なんてこんなもの。

 もう一度、髪を撫でて欲しい。

 ヨウ君のカッコいいところを見たい。

 会えないから余計に、今まで手に入ってたものが恋しくなる。

 やっぱり甘えんぼの乙女なのだ、私は。

「盛り上がってるところ悪いんだけど、カッコ良くはないでしょ?」

 私たち以外の声が聞こえてきたので振り返ると、鈴ちゃんが障子を開けて入ってくる。

「えー? カッコいいよー」

「目が悪いの、アンタ……」

「あ、鈴ちゃんは織斑君大好きだもんね」

「ちょ、べ、別にアタシはあんなヤツ……」

「赤くなったー!」

「う、うっさい。段々ヨウに似てきたわよ、アンタ! ってそんなことをしてる場合じゃなかった。ラウラが呼んでる。ついてきて」

「ラウラが? 何だろ? ちょっと行ってくるね」

 立ち上がって、鈴ちゃんについていく。

 よし。

 どこにいるかわからないけど、ヨウ君に会いに行こう。

 何をするか知らないけど、ヨウ君がカッコいいなら、それでいいや。

 元に戻らないものを嘆いても無駄だ。だけど私が頑張れば、もう一回ぐらいはカッコいいヨウ君を見れる。

 もうちょっと頑張れば、二回ぐらいは行ける。

 仕方ない。会いたい気持ちは、止まらない。

 

 

 

 ラウラが泊っている部屋に集まった私たちが、お互いの顔を見合わせる。

「これで全員だな」

 呼び出した本人が、部屋にいる子たちの顔を見回す。

 織斑君と篠ノ之さん以外の専用機持ち全員が集まっていた。織斑先生と真耶ちゃんはいないみたい。

「私から頼みがある。これから、銀の福音を倒しに行くのを手伝って欲しい」

「え? それは」

「織斑教官には内緒でだ。許していただけるはずがない。ましてや、教官本人のためなど聞けば、殴り倒してでも止めに来る」

 そう言ってシニカルにラウラが笑った。

「これは、これからのIS学園を守るための戦いだ」

 少佐っぽい感じで、ゆっくりと喋り始める。

「失敗すれば、世界的なIS情勢は一気に傾く可能性もある。おそらく織斑教官と理事長たちは更迭され、IS学園は必要のないものとされ、新設された試験分隊が先導していく形になるだろう。かなり強力な部隊を作るつもりらしいからな。だが」

 そこでちょっと間を取ったあと、隣に座っていたシャルロットと視線を合わせた。

「このままだと、僕たちだってIS学園から外されちゃうかもしれない」

 その言葉に、セシリアが神妙な顔で頷く。

「ですわね。男性操縦者が分かれ、必ずしもIS学園にいる必要が出てくるわけではありませんもの」

 私はシャルロットたちの言い分を聞いて、おかしくて思わず笑みが零れてしまった。

「どうしたんですの?」

 自分のことをバカにされたと思ったのか、セシリアが少し不満げに怪訝な目を向けてきた。

「だって、なんでそんな遠まわしに言うのかなって。織斑君と離れたくないから頑張るって言えば良いのに」

「なっ!?」

「隠し事はナシナシ。別に良いと思うよ、それで。私たちは乙女なのです」

 シャルロットとセシリアの頬が赤くなっていく。わっかりやすいなぁ。

「で、関係なさそうな更識さんは?」

「みんなが行くっていうなら……ちょっと気になることも……ある」

 申し訳なさそうに、語尾が消えていく。

「鈴ちゃんは?」

「アタシ? うーん。別に付き合っても良いんだけど」

 あぐらをかいてた鈴ちゃんが、腕を組んで言い淀んだ。

「あれ? どうしたの?」

「ううん、正直、IS学園がどうなるかって言われると困るんだけど……本国よりは日本にいる方が性に合ってるし。まあ参加はするわ」

 それを聞いて、ラウラが眼帯を正してから頷いた。

 まあ、みんなそれぞれに考えがあるなら、思ったとおりに動けば良いんだと思う。

 でもま、私は織斑ガールズというわけでもないし、好きなようにさせてもらおう。とりあえずかぐちゃんと理子に相談かな。

「目標の位置は私の方で捕捉済みだ。鈴」

「ん? なあに?」

「お前は旅館に残ってもらって良いか?」

「アタシ?」

「二瀬野が来てる。何をしでかすかわからん。念のため、旅館に残る教官と一夏たちの護衛に残ってほしい」

「いいわよ」

 意外にもあっさり了承した。そういう地味なことは断るかと思ったけど。

「では私と部隊側で考えた作戦概要をそれぞれの端末に送る。15分後、旅館の入り口に集合で良いな? くれぐれも織斑教官や他の生徒に悟られるなよ」

 ラウラの言葉に、全員が神妙に頷いた。

「置いてきぼりはないぜ、ラウラ」

 男の子の声ってことは、織斑君かな。振り向くと、障子を開けて、篠ノ之さんに肩を貸してもらいながら入ってきた。

「一夏! 大丈夫なのか!? それに箒も!」

 ラウラとシャルロット、それにセシリアが包帯だらけの上半身を晒した織斑君に駆け寄る。

「私は大丈夫だが、一夏が」

「寝てた方が良いよ!」

「そ、そうですわ! ここはわたくしたちに任せて」

 心配する女の子たちを押しのけて、織斑君がラウラと向かい合う。

「ラウラ、俺も行く」

「負傷兵など邪魔だ。そもそも、機体の調子はどうなんだ?」

「スラスター以外は行ける」

「では無理だな。相手は高機動機。動けない機体などいても邪魔なだけだ」

「だけどラウラ!」

「箒は?」

「私か。正直、きついな。体に問題はないが、同じくスラスターの破損が酷い。自己修復も追いついていない」

 なるほど、ヨウ君はそこを徹底的に狙ったのかな? 確かにあのボロボロなISだとすぐ追いつかれそうだし。さすが考えてるなぁ、そういうところもカッコいいなぁ。

 いつのまにか私と更識さんを残して、他の子たちが織斑君の周りに固まっていた。

「ふーん、機体を治せば良いんだよね、二人とも」

 急に新しい声が聞こえてくる。

「姉さん?」

「束さん!?」

 部屋の真ん中に、篠ノ之束博士が急に現れた。本当に何もない場所から、まるでISの武装を展開するときみたいに粒子をまき散らしながら現れた。

「やあやあやあ、久しぶりだね二人とも」

「先程、会ったばかりではないか。それより姉さん、機体を!」

「いいよ、治してあげる。それと紅椿は一つ、バージョンアップをしよう」

 感情なく笑顔を浮かべて、まるでPICで浮いてるISみたいに、篠ノ之博士が篠ノ之さんに近寄る。

「姉さん?」

「紅椿は第四世代機として、白式のルート3・零落白夜のように、ルート1・絢爛舞踏というワンオフアビリティがあるんだよ」

 え? なに?

 ルート3? ルート1? え? え? 何それ?

 なんで、そんな単語が……?

「ルート1・絢爛舞踏?」

「エネルギー増幅機能、ということになっているけどね。紅椿は兵装にエネルギーを使い過ぎるから、このルート1・絢爛舞踏を使わなければ本領を発揮できない。まあ発動すれば、他の機体にも簡単にエネルギーを受け渡せるから、白式のルート3・零落白夜も有効活用できる」

 淡々と、張り付いた笑みのまま篠ノ之博士が説明していく。

 ……何か、変だ。まるで、さっきの作戦開始前に見た篠ノ之博士とは別人っていうか。他の人は変に思わないのかな。隣の更識さんは私と同じ感想なのか、小さな顔に疑問を浮かべていた。

 ルート2という単語は、私がディアブロの中で見た言葉。

 じゃあ、ルート2はワンオフアビリティのことなの? なんで起動したばかりの第三世代のテンペスタⅡに、ワンオフアビリティが?

「姉さん、そんな機能があるなんて……どうして今頃?」

「封印されてなければ、順当に発動してたはずだけど、まあ仕方ない。じゃあ修理と一緒に作業を始めよっか。15分だっけ。それだけあれば余裕か」

 篠ノ之博士の言葉に、ラウラが、

「お願いします」

 と声をかける。

「束さん、ありがとうございます!」

 織斑君も頭を下げる。

「ここじゃISを展開するには狭いから、外で。織斑教官には見つからないようにやろう」

 ラウラが先導して、部屋を出て行く。

 状況についていけないのか、織斑君と篠ノ之さんとラウラ以外の四人だけが部屋に残される。

「とりあえず、それぞれ機体を最終チェックして、抜かりないようにいきますわよ」

「うん」

「……了解」

 私も立ち上がって、速足で部屋を出て行く。

 とりあえず、かぐちゃんと理子に相談しなきゃ。

 

 

 

 部屋に戻ると、かぐちゃんと理子も他の子と同じように旅館から帰る用意をしてた。

 織斑先生からの指示で、今からバスで全員がここから離れてIS学園に帰ることになってるからだ。

 ちなみに安全のためか、旅館やこの近くに住んでる人たちも退避することになっていて、先生たちも全員、そっちの方にかかりっきりになってる。

「どうしたの? 顔青いよ?」

 理子が駆け寄ってくる。

「ちょっと話があるの。理子、かぐちゃん、時間いい?」

 

 

 

 廊下の一角の、人のいない場所で、私たち三人は声を潜めていた。

「ルート1と3?」

 メガネの奥で、理子が怪訝な目つきをしていた。

「そう、ディアブロはルート2だったよね?」

「う、うーん。そんな機能は聞いたことないけど……。白式の零落白夜だって、元は織斑先生の暮桜のワンオフと同じ名称だし、それだってルート3なんて呼び方、されたことないよ」

「ちょっとわかんないなぁ」

「そっかぁ。理子でもわからないとなると」

「ヨウ君なら、って、ヨウ君も知らないって言ってたっけ」

「うん」

 ヨウ君が知らないって言うんだから、ホントに知らないんだと思う。

 かぐちゃんが手を頬に当てて、

「それよりも、これから、どうするの?」

 と聞いてきた。

「もちろん、行くよ、ラウラの作戦に」

「そう……いいの?」

「うん。ねえ、かぐちゃんはヨウ君の目的ってわかる?」

「そうね……ヨウさんは織斑さんに、守りたい物が違うって言ったのよね?」

「人と物って言ってた」

「ひょっとしてだけど、銀の福音も含まれてるんじゃないかしら」

「ISが?」

「ヨウさんが私たちの作戦に協力せずに妨害してきた理由、何なのかは正確にはわからないけど、でも」

「……そうだよね。ISを奪って脱走してきてまで、ナターシャさんを傷つけようとするわけないもん」

 ヨウ君はたぶん、アメリカで会ったナターシャさんをかなり尊敬してると思う。

 でも不思議なところもある人だし、ディアブロのコアナンバーも考えたら、未来人っていうのも、ウソじゃないかもしれない。

 そっか。

「ヨウ君が何を考えてるかわかんないけど、やっぱり未来人、かな」

 理子がポツリと言う。

「理子、どういうこと?」

「まあちょっと面白いけど、未来人っていうなら、未来を変えに来たんじゃない?」

「ふむふむ、ということは、ヨウ君は知ってる未来を変えに頑張ってると」

 私たちだって、本当にヨウ君が未来人だって信じてるわけじゃない。

「そうね……まあもし、本当に未来人だとして、ひょっとして銀の福音がIS学園に渡ったらいけないのかもしれないわ」

 かぐちゃんが自分の言葉を確認するように、ゆっくりと喋る。

「どういうこと?」

「まずヨウさんは銀の福音が不利になるまで、出て来なかったのよね?」

「戦況から考えてそうかな」

「じゃあ、銀の福音を無傷で、というのは達成目標じゃないと思うわ」

「ふむふむ」

「ただ単に邪魔をしに来たって考えることも出来るけど」

「そこまで無駄なことするかなぁ。だって脱走してきたんだよ? IS奪って」

「そうよね。やっぱり銀の福音をIS学園に渡したくない、が正解だと思うわ。最終的に米軍に返すにしても、一度でもIS学園側に渡したくない、もしくはそれに近い目的があるんだと思う。それに、前に暴走する機体を元に戻すにはどうしたら良いか、と国津のおじ様に尋ねてたわ」

「とりあえずヨウ君は、銀の福音自体を守りたいんだよね、たぶん」

「それは直接聞いてみないことには」

「かぐちゃん、それだけわかれば充分だよ。ってことは銀の福音についてれば、ヨウ君がいつか来るわけだ」

「それはそう……だけど」

「じゃ、銀の福音を逃がしちゃおう」

 私の言葉に、理子とかぐちゃんが目を丸くして顔を合わせる。

「ちょっと玲美……」

「それじゃあラウラたちと全然別の……」

 呆れたような、心配したような表情を浮かべて、私を止めようとしてきた。

「うん、ラウラたちには悪いけど、銀の福音を逃がしちゃう。それからヨウ君と一緒に追いかけて捕まえれば良いでしょ」

「たしかにリベラーレはテンペスタⅡっていう高機動機だけど……」

「やるよ。邪魔な子は落ちてもらうことになるけど、でもお互い様だよね。ヨウ君だってよく部屋を追い出されてたんだし」

「玲美……」

「やるって言ったら、やる。だって、そうじゃなきゃもう、ヨウ君に会えないかもしれないでしょ。会えるなら会う。だってヨウ君、カッコいいし」

 私はカッコいい彼に憧れたから、どこまでも彼のファンでいたい。ライブにも行かずに家でアイドルが尋ねてくるのを待ってるファンなんていない。

 それなのに、自分達で追い出して、あまつさえIS学園でぬくぬくと待ち呆けてた。

 気付いてしまえば簡単だ。もしここから先の未来を変えるなら、ヨウ君を追いかける自分でありたい。他の誰よりも鮮烈な、彼のファンでいたいんだ。だって、恋する乙女なんてそんなものでしょ。

 得意げな笑みを二人に向けると、心底呆れたような顔をしてた。

「なにその顔……協力しないのー?」

「ったく。わかったわかりました」

 理子が降参とばかりに手を上げる。

「困ったものね、幼馴染というのも。犯罪ほう助になるかもしれないのよ?」

 かぐちゃんが大きなため息を吐いた。

「私たちは三人で一人なのです、だから仕方ないのです! それにかぐちゃんが何とかしてくれるんでしょ?」

 含み笑いをしながら、大財閥のお嬢様に問いかける。

 やれやれと困った顔で、

「最近はヨウさんに良く見せようとしてたみたいだけど、貴方が甘えんぼだってこと忘れてたわ、玲美」

 とため息を吐く。

「知ってたら諦めようよ」

「でも、まあいいわ。上手い逃げ道がありそう。その辺りは任せておいて」

 この宣言に、理子が含み笑いをし始めた。何か楽しいことを企んでる顔だ。

「おっけー。ちょっとあたし、ラファール取ってくる」

「ラファール?」

「洋上ラボ。うちのオヤジ様たち連絡取れないし、勝手に借りちゃおう。かぐちゃん、出来る?」

 理子が両手を腰に当てて笑うと、かぐちゃんは指折り算段を立てていた。

「ええ、たぶん大丈夫そうね。洋上ラボにいる人たちは何とか言いくるめるわ。移動手段は?」

「昨日、浜でボート隠してたでしょ。こんなこともあろうかと!」

 理子が超得意げな顔をして言った。

「抜かりないわね。では、私たちは作戦を立てましょ。理子はラファールを使ってヨウさんを捜索。捕まえたらとりあえず洋上ラボへ連行」

「連行って……なんで洋上ラボ? ラファール以外もあるの?」

「相手がルート1と3を持ち出すなら、ルート2を使いましょう」

 思わず理子と顔を見合わせてしまう。

「ディアブロが、なんでそんな場所にあるの!?」

「こんなこともあろうかと……というのは嘘だけれど先日、運び込んだのよ、お父様の命令で。あそこは半潜水式プラットフォームで、真ん中に長いバランサーがあるの。その一番下、水深50メートルにある格納庫であって、そこで眠ってるわ」

「ふむふむ。それでヨウ君に渡すつもり?」

「返すのよ。それにあの人に、翼のない機体は」

「似合わないね、うん」

 欲を言えばホークがいいけど、あれはどこにあるかもわかんないし。

 それにディアブロは元々、ヨウ君が生れたときから持ってたコアを使ったIS。それを返すときが来たんだと思う。

「でもいいの? 玲美」

「ん? 何が?」

「話を総合すると、6機を相手にしなきゃいけないかもしれないのよ」

「かーぐちゃーん。やるって言ったらやるの」

「それに……IS学園にはもう戻れないかもしれないわよ?」

「ふふん、気付いたんだ、私」

「何かしら」

「私と理子とかぐちゃんがいてヨウ君がいれば、そこが私にとってのIS学園だし。問題なし!」

 そう、IS学園に入ってから、いっつも四人で行動してた。だから彼の戻らないIS学園に私がいたって、意味がない。

 かぐちゃんと理子が諦めたように、でも優しく笑う。

「さすが玲美ね」

「バカは強いわー……」

 優しくなかった、呆れてた。

「相手が6機だろうと10機だろうと100機だろうとやるよ。ヨウ君なんて、あんなISで第四世代を二機落としたんだよ。じゃあ、私がやらなくてどうするのって話だし。知ってると思うけど、ヨウ君より私の方が強いんだよ?」

「はぁ……一週間以上アンニュイになってた子とは思えないわー」

「わかったわ。詳細な作戦なんかはデータを直接、リベラーレに送るわね」

 さてと。

「理子、ハサミ持ってる?」

「ハサミ? 工具箱にあるけど」

「ちょっと取ってきて」

「うん、何に使うの?」

「髪切ろうかなって」

「へ?」

「もしヨウ君が私たちを信じてくれなかったら、切った髪を見せて欲しいの。だってヨウ君が私の髪のこと、好きだって言ってくれたから」

「ちょ、ちょっと玲美!?」

 かぐちゃんが今日一番の慌てた顔を見せた。そんな顔見せるなんて珍しいなぁ。

 男の子っぽい手で撫でてくれた、癖っ毛の長い黒髪。少しでも大人っぽくなれるようにって、かぐちゃんに憧れて伸ばしてたものだけど。

「いいのいいの。だって言葉だけじゃ信じてもらえないでしょ。だったら行動で示さないと。他にヨウ君に渡せる物なんてないし。髪は女の命って言うでしょ?」

 私たちに出来ることなんて、ホントに大したことはない。100機だろうとやるって言ったけど、正直に言えば、他の専用機持ちが一機でも厳しい。

 それにヨウ君だって駆けつけてくれるとは限らない。私たちはあんなことをしてしまったんだから。

 だったら乙女らしく、乙女の武器を使ってヨウ君をおびき出してやる!

 そしてまたカッコいいところを見せてもらうんだ。

 

 

 

 

 太陽が傾き始めた時刻、私は旅館の前に立っていた。他の専用機持ちたちも揃ってる。

 織斑君と篠ノ之さんに支えられて、ゆっくりと歩いてくる。

 合計7人が揃った。

「みんな、協力してもらってありがとう」

 織斑君が篠ノ之さんから離れながら、私たちにお礼を言う。

「これはオレたちの居場所を守る戦いだと思ってる」

 その言葉は私にとっても異論はない。ただ、立ってる場所が違うだけ。

 この場に集まった誰もが喋らずに、織斑君の言葉に耳を傾けている。

「最後まで仲間を信じて、頑張ろう」

 残念だけど、私は貴方達を裏切ることになる。

 でも発端は、私たちがヨウ君を裏切ったことだから仕方ないよね。

「さあ、行こう」

 ISを展開して、織斑君が飛び出した。それに続いてラウラ、シャルロット、篠ノ之さん、更識さん、セシリアと飛び立っていく。

 私もISを展開して空に飛ぼうとしたとき、居残りになる鈴ちゃんが、

「髪、どうしたの?」

 と微笑みながら聞いてきた。

「ちょっと気合い入れようと思って」

「ふーん。それでヨウがこっち来たらどうする?」

「簀巻きにして、私のところに持ってきて」

 私の言葉に、鈴ちゃんが吹き出した。

「りょーかい。そのアイディアは乗ったわ。頑張りなさいよ」

「はーい。じゃあね」

 軽く手を振ってから、装着しなれてきたテンペスタⅡを使って、空に浮かぶ。

 ちょっと出遅れたけど、どうせ私が一番速い。この中で私より速いのは、ヨウ君だけだもん。

 ここからの私はリベラーレ。

 自由という名を元に、空へと舞うのだ。

 

 

 

 

 先行してるラウラたちの反応を目指して追いかけてると、みんなが空中に止まってた。

 見たことのない三機のISと女の人が空中に止まってた。篠ノ之博士だ。

 ……あれ?

「どうしたの?」

 更識さんに近づいて尋ねると、彼女は小さな声で、

「……篠ノ之博士がその、あの三機を連れてきて、助けてくれるって……」

「あの三機?」

 見たこともない黒いISだった。三角形と三角錐を集めて装甲にしたような、刺々しいフォルム。背中には妙な六角形の黒い板状の推進装置が乗っていた。

 フルスキンタイプだけど、どうやら口元だけが空いてる。でも、表情が全然ない。

 あれって……。

「なんで夜竹さんが……それに相川さんと谷本さんまで」

 織斑君がその名前を口にする。

 ……夜竹って、さゆか? それに清香にゆっこ? どういうこと? うちのクラスメイトがなんで?

「まあまあ、いいじゃない。この三人は非常に協力的だし、もちろん私が無茶をしないようにバックアップするよ、ぜひ一緒に行こうよ」

 織斑君の問いかけを、篠ノ之博士が遮る。

 能面のような張り付いた笑みだった。

 正直、人間らしさがない。ホントの天才ってこんな感じなのかな。

「だけど……」

「IS学園を守るんでしょ? それにこんなところで時間を食ってる場合じゃないと思うけど?」

「……わかった。束さん、お願いします」

 正体不明の物体を連れて、私たちは再び飛び始める。

 わざと遅れるようにして距離を取り、かぐちゃんに回線を繋いだ。

『はい、何か変化があったの?』

『何か変。篠ノ之博士がさゆかと清香とゆっこをISに乗せて、同行してきた』

『なんですって?』

『とりあえず、このまま行くよ。チャンスを見て、奪うから』

『ま、待って、待ちなさい、玲美。ということは相手は9機なの?』

『たぶん大丈夫だよ、かぐちゃん。そっちはどう?』

『たぶんって……無理はしないで。ヨウさんは捕捉済み。とりあえずこちらは貴方のお母様が協力してくれたおかげで、色々と捗ったわ』

『そっか、さすがママ。それでパパたちは?』

『いまだ行方不明よ。今回はあの人たちだって変だわ』

『了解。見つけたら三人とも正座させなきゃ。ここから先は連絡を控えるね。傍受されても嫌だし』

『わかったわ。気を付けて』

 回線を切り、再びみんなを後ろから追いかけることに集中する。自然と見慣れない黒いISが目に付いた。

 ……あのIS、どんな性能なんだろう。背中に背負ってる六角形のやつ、推進装置なのかな……。脚部が異常に太いけど、腕とか胴周りは装甲が薄そう。

 さゆかたち、大丈夫かな……でも、さゆかたちなら、戦わなくても良さそうだし。

 とりあえず銀の福音の推進装置が潰される前には、何とかしないと。

 指折り算段を立てながら飛ぶ。みんなで速度を合わせてるせいか、かなり時間がかかってるけど、こっちとしては好都合だ。

『玲美、どうした?』

 少し遅れてる私を心配してか、篠ノ之さんが声をかけてくる。

「ううん、何でもない。ちょっと緊張してるだけ」

『全員でかかれば、負ける相手ではない。確実に行こう』

「ありがと」

 まあ、速度を落として足を引っ張ってるのは、わざとなんだけどネ。

『目標発見、少し場所がズレているな。これより戦闘を仕掛ける』

 ラウラの声が通信で流れてきた。

 視界を望遠モードにして、座標を合わせる。確かに銀の福音だ。まるであの部屋でヨウ君を待ってた私のように、膝を抱えていた。たぶん自己修復をしてるんだと思う。

 だけど、こっちの接近に気付いてたか、顔を上げて推進翼を広げた。

『零落白夜!』

 織斑君がブレードを抜いて、ワンオフアビリティを発動させる。そして肩に浮いた推進翼を立てて、イグニッションブーストで突進した。

 だけど相手は完全にこちらを捕捉してる。

 ……織斑君は結構、焦ってるのかな。

 銀の福音は飛び上がりながら、手のビームバルカンを白式に向けて連射し始める。

『くっ』

『一夏以外の全員、牽制に回れ、簪、上方からミサイルで押さえつけろ、シャルロットとセシリアと私は狙撃しつつヤツの先手を抑える。玲美と箒一夏に先行して、隙を見つけ次第攻撃をしかけて足を完全に止めろ。一夏は最後だ、エネルギーを無駄に使うな!』

 ラウラからの指示が矢継ぎ早に飛んでくるけど、みんなそれどころじゃない。

 何せ相手は広域せん滅用かつ、初めての実戦だ。模擬戦じゃなくて、相手は電子の殺意を持って攻撃を仕掛けてくる。

 海面すれすれを飛ぶ銀の福音に対し、更識さんの放ったミサイルが上から追いすがる。さらにその先手を抑えるように、シャルロットが実弾をばら撒いた。

 だけど相手はその全てを回避しつつ、何とか海域から逃げようとしてるのか、超高速で蛇行しながら動き回る。

 私はチラリと視界の隅のウィンドウで相手の速度を計った。

 マッハを超えようとしてる。そろそろ衝撃波にも気をつけなきゃいけない。

 でもさすが四十院の推進翼、しかも唯一、ホークの正当後継型を積んでるだけある。他の機体ならイグニッションブーストと同じぐらいのスピードなのに、ふらつく様子も一切ない。

『速い!?』

 二丁のマシンガンで牽制するシャルロットが、焦りの声を上げてる

 みんな、ヨウ君のこと好き勝手に下手だの弱いだの言ってくれたけど、所詮はこんなものだ。勝てるはずがない。

 空を飛ぶISを篭に入れて戦わせて、何の順位を競ってるんだろう。

 さて、お仕事お仕事。

 セシリアのビットが銀色の機体の前に立ち塞がる。

『これ以上は自由にさせませんわ!』

 手に持った青色のライフルと、空中に浮かんだ精神感応兵器からクロスするようにレーザーが放たれて、セシリアらしい幾何学模様を描く。相手は急旋回しながらギリギリでかわしていた。

『巻き込まれるなよ!』

 ラウラの方を振り向けば、少し離れた岩礁に陣取って、踵のストッパーを岩に突き立て砲撃体勢に入ってた。右肩のレールカノンが電光を漏らしてる。

 発射された一撃が銀の福音へとクリーンヒットし、目標の上半身が仰け反った。ガードした手ごと吹き飛ばされていく。

 だけど相手は空中でスラスターを小刻みに吹かして体勢を整え、同時にラウラの方に体を向けた。

 背中の推進翼を立てて、イグニッションブーストの体勢に入り、そのまま動けないラウラを狙いに行く。

『くっ』

 砲撃を繰り返すけど、今度は相手も食らう気がないみたい。機械ゆえの正確さでバレルロールを繰り返し、弾丸をかすめながら回避してラウラへと追いすがる。

『ラウラ!』

 そこへ紅椿が両手に刀を持って割り込んだ。相手の爪と鍔迫り合いをして、ラウラのいる岩礁の手前で踏みとどまる。

『玲美!』

 ラウラが私の名前を呼ぶ。

 やっと出番だ。ここからが、私の見せ場。

 一気に加速し、手に合金製のブレードを構え、銀の福音を目指して飛んで行く。

『一夏、玲美が抑えたら勝負だ!』

 篠ノ之さんが叫んだ。

 やっぱりまずは司令塔だよね。

 私は銀の福音の横を通り過ぎ、ラウラ・ボーデヴィッヒへとスピードを乗せた攻撃を振り下ろした。

『え?』

 誰かの驚きと、ラウラの右肩の爆砕音が同時だった。

 返す刀で左肩のフロート推進装置を叩き落とす。さらに上下へ振りまわして、ラウラの機体を削る。最後に足で蹴り上げ、空中にゆっくり浮き上がったレーゲンへと、後ろ回し蹴りを振り下ろし気味に叩き込んだ。

 我ながら、こういう動きはほんと上手いなぁ。ヨウ君に負ける気がしないや。

 たぶん、みんなが呆気に取られてるはず。

 チャンスはここしかない。

 海中へと落ちて行くラウラを尻目に、銀の福音へとイグニッションブーストをかけて突撃してきた織斑君へ、こっちも同じ速度の加速で切りかかる。

 次は武器。狙いは白式の右腕。

「玲美!?」

 間近で織斑君の驚く肉声が聞こえた。だけど驚きながらも、織斑君が手に持った雪片弐型で私の攻撃を受け止めようと身構える。

 そして私は、その力強さに憧れて嫉妬し、見惚れた物を思い出す。IWSにかかるぐらいに練習してきた、一つの必殺技を使うために、推進翼に意識を集中させる。

『無軌道瞬時加速!?』

 ヨウ君の必殺技。ISの最大加速を保ちながら、自由に動き回る。それこそ獲物を狙うタカのような動きを、今だけは完全に再現できた。

 彼ほど自由に動けるわけじゃないけど、二回ぐらいの方向転換なら私にだって出来るんだ。

 左から後方に周り、振り返ろうとしているその右腕を思いっきりブレードで叩いた。

 破砕音と手応えを感じながら、さらに前方宙返りを決めてもう一度攻撃を当てる。

 その右腕は完全に破壊した。第四世代型兵装雪片弐型が海面へと落ちて行く。

『一夏! 国津!? ぐっ、うわぁっ!?』

 銀の福音が自らを抑えてた紅椿へ、腕のビームカノンを撃ったみたい。篠ノ之さんが煙を上げる左腕を抑えながら後退して、攻撃をかわそうとしている。

『玲美ぃぃぃ!!!!』

 これはシャルロットの声。さすが反応が速いなぁ。

 だけど、まだ落とされるわけにもいかない。

 目的は銀の福音をここから逃がすこと。その後で追いかける。ヨウ君だって合流しやすいはず。

 右腕を抱えたまま茫然としている織斑君と顔を突き合わせる。

「やっぱり呼び方は、国津さんでお願いしまぁす」

「え?」

 クスクスと笑いながら、その後ろへと周り込む。

『一夏、どいて!』

 得意の銃撃を使うわけにいかなくなったラファールが、左腕を引きながら私たちに肉薄してくる。

 だから私は、動きの止まっている織斑君の背中を、イグニッションブーストで押し出した。

『えっ!? きゃあっ!』

 たっぷりと加速した二機がぶつかり合う。私は加速した勢いを殺さずに回り込み、目標を見失ったシャルロットへと上空から切りかかる。

 それを盾で受け止めたのはさすがだと思う。

 でも。

 私は再度加速して、今度は織斑君の左肩の推進翼へとブレードを突き刺した。

『一夏!!!』

 信じられない、という顔つきのまま、織斑君は海面へと落ちて行く。

『このぉ!』

 咄嗟に二丁のサブマシンガンを取り出して、私へと引き金を引いた。

 でも、こちとら鷹に恋する乙女である。そんな弾に当たるようなスピードをしちゃいないのだ。

 もう理論も何もなく、根性と直感だけで動きまくる。

 セシリアと更識さんは動かないはず。チラリとそちらを向けば、二人とも呆けたまま成り行きを見てるだけ。何となくだけど、そんな気がしてた。

 紅椿は銀の福音が相手をしてる。

 問題は篠ノ之博士だけど、少し離れた場所に三機とともに待機して、こっちを窺ってるだけ。

 なら、今はシャルロットだけを落とす! もうエネルギーは少ないけど、ここが勝負の分かれ目!

 推進翼に火を込めて、楕円を描きながらラファールへと迫って行く。

 そしてここから直角に加速!

 イグニッションブーストを操りながら、シャルロットの右からブレードを振り被って襲いかかった。

『それはさっき見たよ!』

 シャルロットも瞬時加速を使い回避しようとする。

 だったらもう一回曲がる!

『このぉぉ!』

 相手はサブマシンガンをばら撒きながら逃げて行く。だけど被弾も気にしてられない。

 そしてコンマ数秒の後、シャルロットへと追いついた、と思ったとき、

『こっちも同じ四十院製だよ!』

 とラファールが目の前から消える。

『なっ!?』

『二回は無理でも一回ぐらいなら出来るから!』

 慌てて視界を横に戻したときには、すでにシャルロットが手に持ったグレネードランチャーの引き金を引いてた。

 咄嗟に両腕をクロスして防御しようとするけど、私の機体に弾頭が着弾した瞬間、爆風と破片で吹き飛ばされる。

「くぅぅ!」

 それでも視界に浮いたウィンドウの情報を頼りに、PICとスラスターで天地を確認し、相手を捕捉しようとした。

「もらったよ!」

 肉声が聞こえる距離に、ラファール・リヴァイヴ・カスタムが肉薄してる。

 オレンジ色のシールドに包まれた左腕が、私のお腹へと突き出された。

 全てがスローに見える。

 炸薬により撃ち出される金属製の杭は、シャルロットの機体の中でも必殺の威力のはず。

「こんんんのぉぉぉぉ!!!」

 今まで出したことないような声を上げて、私は右側の推進翼だけに火を入れて身をよじる。

 絶大な威力を誇るって言っても、結局は火薬によって撃ち出される大きな弾丸のようなもの。

 ライフル弾だって、マッハ3を超えるか超えないかって理子が言ってた。

 私はそれと同じ速度で飛ぶ人を知っている。

 その場で超スピードで回転し、杭打ち機の先端から逃れながら、後ろ回し蹴りをオレンジ色の機体へと叩き込んだ。

 テンペスタⅡ・リベラーレの足が、ラファールの左肩へめりこむ。そして斜め下へと吹き飛ばした。物凄い水柱を立てて、海中へと落ちる。

 ……やった!?

『シャルロット! くそ、こいつめ!』

 篠ノ之さんの焦る声が聞こえる。

 だけど同時に銀の福音から放たれた攻撃で爆発が起きる。

 そして銀の福音が両手を組んで、ハンマーのように腕を振り下ろす。

『ぐッ!?』

 同時に推進翼を吹かして、銀色の機体が海域から飛び去って行こうとしていた。

 後は、あれを追いかけつつ、ヨウ君と合流するだけ。

 そこからは、私のヒーローに頑張ってもらって、カッコいいところを見せてもらおう。

 そう思って銀の福音を追いかけようとしたとき、

『……まさかな。身内から裏切られるとは』

 とラウラの苦笑交じりの声が聞こえた。

 私の体が海面方向へと引っ張られる。見れば、足に光るワイヤーが巻きついていた。

 慌ててブレードでそれを切ろうとした瞬間、さらにもう一本が伸びてきて右腕の自由を奪う。

「仕留め損ねたかー……」

 ワイヤーは確かシュヴァルツェア・レーゲンの武装だったはず。

 とりあえずはいい。私は行けなくても、銀の福音だけでも逃げれば、ヨウ君が何とかしてくれるはず。間近でその姿を見れなくなったのは……すごい残念。

 そう思って、離脱していく目標に視線を戻したときだった。

「逃がしてもつまらないな」

 誰のものかもわからない、冷たい機械みたいな声が私の鼓膜を揺らす。

 篠ノ之博士の周りにいた黒い三機のISが追いかけていた。

「って、速い!」

 思わず声が出る。

 背中の六角形の板みたいなのは、やっぱり推進装置だったみたいだ。

「さゆか! 清香! ゆっこ! お願い、その子を逃がして上げて!」

 声を張り上げて呼びかけるけど、聞こえないのか届かないのか、まだスピードを上げきっていなかった目標へと、あっという間に追いついてしまった。

 そして真っ直ぐ銀の福音へと襲いかかる。

 相手も気づいたのか、振り返りながら、右腕に備えたビームバルカンを三機に向ける。

「危ない!」

 思わず声を上げたとき、黒いISの背中にあった六角形の板が真ん中から割れて変形していった。そして、背中に生えた翼になる。

 光る粒子をまき散らし、さらに加速しながら、軌道を変えて襲いかかる。

「無軌道瞬時加速!?」

 篠ノ之束博士が用意した三体は、テンペスタ・ホーク並みの加速性能を備えているみたいだった。

 それぞれが俊敏に曲がる蜂のように銀の福音に取りつく。

 驚くことに、一瞬で二機が銀色のISの背中を取り、両腕を捕まえた。

 何とか逃げようと暴れる機体に、残りの一機が真っ直ぐ突撃していく。

 凄い激突音が聞こえた。

 一発で頭部を包んでいた銀色の装甲が剥げ落ちる。

 後ろの二機が、掴んでいた両腕を強引に、曲がらない方向へと曲げた。

 鈍い音が響いて来る。骨が折れた音だと思う。

 甲高い電子音が大きく鳴り響いた。耳をつんざくその音は、銀の福音の悲鳴なのかもしれない。

「あ、あ、あ……」

 言葉にならない声が漏れたのは、たぶん、私の口だ。

「さゆか! 清香! ゆっこ! それは人が乗ってるんだよ! やめて! もうやめて!!!」

 精いっぱい声を上げるけど、向こうの三機は振り向くどころか、手を休める様子さえなかった。

 銀の福音の前に立つ一機が、拳を振り被って何度も何度も殴りつける。そのたびに装甲が剥げ落ちていった。

 ナターシャさんの顔が覗き見える。気絶してるのか、目を閉じたままだ。

 全員が息を飲んでいた。

 私を捕まえていたラウラでさえ、言葉を失っている。

 右腕に巻きついてたワイヤーが緩み始めてた。ブレードをお手玉のように投げて左手に持ち替え、二本の光る線を切断し、銀の福音の前に入り込む。そして殴りつけている機体へとしがみついた。

「さゆか! もうやめて、さゆか!」

 これに乗ってる夜竹さゆかは、大人しくて真面目な子だ。こんなことをするなんて信じられない。

 振り被っていた右腕に抱きついて、止めようとする。

 まるでなめらかな滑車のような動きで、その首が私の方を向いた。

「さゆか?」

 声をかけると、動きが止まった。

 ホッと安堵のため息を吐く私の顔へ、影が差した。

 いつのまにか、さゆかの機体の後ろに篠ノ之博士がいた。まるでPICを使っているISのように浮いている。

 位置関係から、その表情は私からしか見えない。

 だから、その目と口が、まるで底のない穴のような黒い物だったとしても、私にしか見えなかった。

 全身に鳥肌が走る。

 これ、人間じゃない!!

「これ以上邪魔をされても困るな。やれ」

 私だけに聞こえるような声で、さゆかたちに命令が下される。

 目の前の黒いISが空いていた左腕を振り下ろした。

 一撃で私の翼が破壊される。

 そしてもう一回、背中に衝撃を感じた。左の推進翼を、清香の乗る機体が殴りつけていた。

 振り向こうとした私の腹部へ、打撃が加えられる。

 体がくの字に折れ曲がった。

 そしてもう一度、背中に強烈な打撃を受ける。

 痛い、なんで痛いのこれ!?

 スキンシールドは!? エネルギーはまだあるのに? まさか衝撃が貫通してるの!? なんで?

 わけがわからない。

 頭が混乱していく。

 視界の端に、ゆっこの機体が銀の福音をぶら下げて浮いてる姿が見えた。ナターシャさんの綺麗な金髪が、頭の装甲の隙間から漏れてた。

 とりあえず、二人から離れなきゃ。

 力を込めて腕を振り回して、近寄ってくる機体から逃げようとする。

 その右腕の装甲を、さゆかの機体が掴んだ。

 そして、力任せに握り潰す。

「ああアアアぁぁぁぁぁぁ!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い! 痛い! 痛い!

 どうして痛いの!? なんで!? これは何!? 何が起きてるの!?

 悲鳴以外の声が上がらない。

「姉さん! 何をしてるんだ姉さん!! 夜竹たちもやめるんだ!」

 篠ノ之さんの声が聞こえる。

「んー? 悪い子にお仕置きをしてただけだけど?」

「それ以上はやめるんだ、どうしてこんなことをする!?」

「もちろん、ちーちゃんのためだよー? そうだよね、いっくん?」

「た、束さん、もうやめてくれ、銀の福音は止まったんだろ? もういいだろ?」

「だって、まだ邪魔する気かもしれないじゃない? ほらほら人間って何するかわかんないし」

 指をパチンと鳴らす音が聞こえた。

 そして、私の右腕がさらに深く握り潰される。

「ああぁぁぁぁぁぁァァァァァァァ!!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 

 どうして痛いの!? なんで? ISが? どうして? 

「姉さん!!」

「はいはい。まあこれぐらいでいいでしょ。それより、銀の福音を吸い取っちゃいましょー」

「は? え? い、いやそんなことより国津を離すんだ、姉さん!!」

「紅椿ならそれが出来るからだよ。ルート1なら、相手のエネルギーを吸い取れるし」

 言葉にならない鈍くて重い痛みが右腕を焼いている。

 悲鳴を上げたせいか、口から涎が垂れてる気がする。

 思考がまとまらない。

 目が銀色のISを捕えた。

 ……なんで、あれを逃がそうとしてたんだっけ。

 考えがまとまらない。

 万力で押しつぶされるような、重いハンマーですりつぶされるような痛みが続いて、気が遠くなっていく。

 心が動かない。

 暗くなっていく。

 夕闇の海の上で、私の意識が消えて行く。

 それでも、私の左腕が勝手に動いた。

 まだブレードを持ってたことに気付いく。それが時計の秒針ぐらいのスピードでゆっくりと、上から下に振り下ろされた。

 カン、と軽い音がして、攻撃が弾かれた。誰に当たったのかもわからない。

 まだ戦うの? 私。

 

 

 

 私は一つの失敗をして、好きだった人の心を傷つけた。

 全ては私たちが何も考えずに起こした、無知と無邪気の罪だ。

 再会した彼は変わり果ててたけど、それでも、カッコいいままだった。

 それを取り戻すんじゃなくて、そこまで追いかけるために、私は周囲を傷つけた。

 好きだと言われた髪さえ切った決意は、心の中で燻っている。

 

 

 だから、もう一回だけ、左腕を動かそう。

 手には刃しか持ってないけど、どこにいるかもわからない人へと手を伸ばそう。

 カン、と小さな音色を立てる。

 

「殺すか」

 

 まるで合成音を調整しただけのような声が届いた。

 でも欲しいのは貴方の殺意じゃない。

 そしてもう一度、左腕を何かわからない相手へと、力なく振った。

 

「死ね」

 

 風圧を感じる。

 ああ、もう一度だけ、せめて、ごめんなさいと、ありがとうだけを伝えさせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼はやってきた。

「てめえが」

 悪魔のようなISを着ていた。

「死ね」

 怨念を抱いて、私の周りを全て吹き飛ばした。

 

 

 誰かが私を両腕で抱えている。

「ヨウ君……?」

 ようやく名前を呼べた。

「おう」

「助けてくれて……ありがと」

「お前がそんな姿になってるのを見たとき、生きた心地がしなかったよ」

 そう言って大きなため息を吐く。

 前に助けてくれたときも、同じようなことを言ってた。

 やっぱりカッコいいなぁって思って、頬が緩む。

「言いたいことは色々あるけどな、玲美」

「ん……?」

「もうちょい綺麗に髪の毛切れよ。似合ってねえぞ」

 そんな本音を漏らした。

「……ばぁか。でも、さすが私の……ヒーローだね」

「ヒーロー言うな」

 ちょっと憮然とした顔をしてそっぽを向いた。

「でも、ありがとう、それと……ごめんね」

 

 

 

 

 私こと国津玲美は、どこにでもいる女の子だ。

 何をしたって平凡で、得意なIS操縦だって私より上手い子が沢山いる。

 やらなければならないことも山ほどあるし、償わなければならない罪も増えた。

 今も何かを取り戻せたとか、罪を償ったとか、そんな気は全くしない。

 だけど、ヒーローにまた会えたことを感謝したいと思います。

 

 

 

 

 

 










誰得3万6千字。


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21、混戦

 

 

 オータムとM宛の伝言をリア経由で残した後、鈴の甲龍に捕まって海上を飛び続けていた。

 状況は良くない。

 IS学園の一年の専用機と篠ノ之束が用意したクラスメイトの乗る機体、合わせて九機。それを玲美がどうにかすると言ってるのだ。

 一夏たちはまだ良いが、篠ノ之束はおそらく容赦しないだろう。

 玲美が無茶してないと良いんだけどな……。

 色々と思索しているうちに、気付けば四十院の洋上ラボ上空に到着していた。かなり壊れていたと言っても、甲龍は思ったより速く飛んでくれたようだ。鈴も無理をしてくれたんだと思う。

 甲龍が洋上ラボの屋上にあるヘリポートに着地してから、その腕から飛び降りた。

「申し訳ありません、ファンさんはここまでで」

「おっけ、その方がお互いのためね。一応、ここで待ってるわ」

「後でスタッフをよこします」

「ありがと」

 礼儀正しくお辞儀してから、神楽が走り出す。

「んじゃな、鈴。最悪の乗り心地だった、さんきゅ」

「荷物にしちゃ最低のバランスだったわ。せいぜい頑張んなさいよ」

 友人同士ならではの、気易い軽口の言い合いで別れ、先行した神楽を追いかけて洋上ラボの金属の階段を下りる。

 青緑の合成樹脂を塗装された廊下を走り、目的地へと急いだ。

 途中で何人かのスタッフとすれ違ったが、驚いている人もいれば笑顔で手を振ってくれる人もいた。

 通路の奥に、丘の研究所と同じような黒い大きな扉がある。

 その前に、白衣を着た女の人が立っていた。

「いらっしゃい、二瀬野君」

「お久しぶりです、ママ博士」

 玲美のお母さんで国津博士の奥さんだ。娘とそっくりなその姿は、理知的なメガネの奥には優しい笑みを携えている。

「じゃあ行くわよ」

 ぽちっとボタンを押しただけで、黒い合金製の重厚な扉が開いていく。中はエレベーターらしい。

 中に乗ると同時に神楽がボタンを押し、三人を乗せて下へ下へと降りて行く。

「これはメインシャフト?」

「バランサーが主な役目です。この研究所は海上に浮いてますからね。一番下に秘密の格納庫があるというわけですよ」

 神楽の説明を聞いてるうちに、目的の階に到着し扉が開いた。

 20メートル四方の部屋を包む天井と壁には、光る幾何学模様のラインが走っている。

 そしてその中央に、黒光りを放つインフィニット・ストラトスが十字架のようなスタンドにかけられていた。それこそまるで、どこぞの神様みたいに磔にされている。その周囲を、いくつもの青いホログラムディスプレイが囲んでいた。

「ディアブロ、か」

 自分と共に生まれたISを見上げる。

 フルスキンタイプだったはずのボディは、背中と腰だけを残して綺麗さっぱり無くなっている。

 ……また形態変化してるのか。気持ち悪いにも程があるよな。

 胴の前面に装甲はなく、後ろから横だけに密着したボディスーツのような形状に近い。

 鋭利な刃物のような鋭さを持つ四肢の装甲と、猛禽類を思わせる10本の指。そこにかかっているリングは、おそらく頭部のヘッドドレスだ。白式と同じリングタイプ、ただし顎のラインから後頭部を包むガードがついてる。

 最大の特徴は背中に生えた二枚二組、合計四枚の推進翼だ。

 ホークのときにあった尾翼が二枚になった感じか。肩甲骨を包む装甲の上に巨大な翼と、その内側やや下側に少し小さな翼が二枚ついている。大きい方は軽くISを包みこめるぐらいだろう。それにフレキシブルなフレームを使ってるのか、まるで鳥のように翼の骨が曲がる仕組みっぽい。

「推進翼がデカすぎる。何を飛ばす気だ、この機体」

「勝手に変形していくんだから、止めようがないわよ」

 ママ博士が呆れたように笑いながら、ホログラムで立体投影されたのボタンを一つ押す。閉じていた脚部と腕部の入り口が、オレの手足を入れるために開いた。肉体を包む場所は青い合皮製か。

「何なんですかね、この機体」

「未知のISであることは間違いないわ。そしておそらく、篠ノ之博士の手が触れていない、初めてのISコア」

「そんなもん、あるんですかね」

「元々、持ってきたのはキミじゃない、二瀬野君」

「そーでした」

 近くに浮いていた画面に触れて、横にスライドさせた。その動作に連動して、他のディスプレイも道を開ける。

 足元に置いてあった小さな脚立を足で引き寄せて、ISの足の真ん中に置いて登った。

 脚を脚部装甲に通したところで、一枚のホログラムディスプレイが近寄ってくる。

 少し離れた場所でキーボードを叩いている神楽とママ博士が、オレを見て頷いた。

 大きく深呼吸し、ディスプレイの中に表示されていたキーボードのエンターキーを押し、腕を十字架に張り付けられていたISに通す。

「ルート2、という機能」

 ホログラムウィンドウを軽やかにタッチしながら、ママ博士が独り言のように呟いた。

「それって、玲美が見たっていう」

「おそらく、イメージインターフェースの進化系なんだと思うわ」

「はぁ?」

「外部からイメージインターフェースの反応を確認すると、必ずこのルート2という機能が返答してくるわ。もちろんイメージインターフェース自体も、テンペスタⅡとして作ったときにあったはずなんだけど、これはもう存在していないのよ」

 イメージインターフェースは、搭乗者の思ったとおりにISを動かすための入出力装置で、ISコアと密接に関係している機関だ。

「……意味がわかりません」

「当然よ、私たちだってわからないもの。このISコア2237は、現在のISコアに似た何かとしか言いようがない」

 考えながらも、右手では絶え間なく投影型キーボードを叩く。

「あの」

 神楽が申し訳なさそうに声をかけてきた。

「ん?」

「玲美が言ってたのですが、篠ノ之束博士が、ルート1とルート3、そういう単語を発したそうです」

「篠ノ之束が? ルート1?」

「ルート1は確か、けんらんぶとう、と」

「絢爛舞踏? いや紅椿のワンオフアビだけど」

 オレの言葉に神楽が少し眉間をしかめる。

「やはりご存じだったんですね」

「絢爛舞踏がワンオフってことだけだ。エネルギー増幅機能って聞いてるけどな」

 会話しながらも、お互いに空間に映し出されたキーボードを叩きながら、作業を次へ次へと進めていく。

「本当に未来から来たんですね」

 まるで高山に咲く小さな白い花のように、優しく微笑みかけてきた。

「正確には違う。似たようなもんであることは間違いないけど。んで、ルート3は?」

「あ、はい。ルート3は零落白夜のことだと」

「……ってことは、ルート2もワンオフアビリティのことなのか? 発現してりゃいいだろうけど。つかイメージンターフェースがワンオフ? 意味わかんねえ。っと、ママ博士、パイロット側、終わりました」

 オレが終了を呼び掛けるが、ママ博士は何かを考え込むように手を止めていた。

「ママ博士?」

「あ……うん、ごめんね。調子はどう? 異常があったら、すぐに強制終了した方がいいわ。テストパイロットを乗せたことはないけれど、勝手に動いて陸の研究所の重要機密格納庫をボロボロにしてしまったのだから」

「いや、動くのはこれしかないんだし、行きます……玲美が危ないかもしれないんで」

「まあ、あの子のことだから、きっとよく考えずに行動してたと思うのだけど」

「でも、行きます」

「……お願いするわ。かぐちゃん、上を開いて」

「はい」

 神楽が壁にあったテンキーを叩くと、何かを巻き取るような重い音が鳴り初め、天井の一部が開いていく。見上げる限り、ヘリポートの直下だったようだ。50メートルぐらい上に、切り取られたような漂う雲と暮れて行く濃紺の空が見える。

「ヨウ君はフィッティングを」

「了解っす」

 ホログラムウィンドウを横に投げて、作業していた手もISへと入れる。

「装着開始」

 手にかかっていたリンク状の頭部パーツが空中に浮き、オレの頭に密着した。顎のラインにも細い装甲が張り付いていく。

 同時に視界にいくつものウィンドウが浮いては自動で消えていった。

「搭乗者登録開始」

「搭乗者登録開始、フィッティング、パイロット情報送信」

「あれ、そこも自分で出来るの?」

「分隊で覚えました」

「じゃあその調子で、私は内部データのフィードバックチェックをやるわ」

「了解です」

 合計で七百以上のウィンドウが浮いてくるはずだが、これは全て高速で消えていく。

 そして最後に大きなウィンドウがオレの眼前に出てきた。

「Welcome back、You……ね」

 誰とも知れない『貴方』を歓迎しているのか、それとも『オレ(ヨウ)』の帰還を祝ってるのか。小さくため息を吐いて、いつまでも消えない仮想ウィンドウを消すために、視線を動かそうとした。

 その瞬間、オレの意識が強制的にスイッチオフされた。

 

 

 

 懐かしい部屋にいる。

 オレが生れる前、いや死ぬ前に過ごしてた自分の部屋だ。

 机があってイスがあってPCがあって、テレビがあってベッドがあって、木製の大きな本棚がある。

 並んでいる本は全てインフィニット・ストラトスと書かれた小説。もしくはそれに関連すると思われる書籍ばかりだ。

 テレビの画面が勝手に表示される。その中で動く一夏たちがいた。

 こんな部屋に用事はないし、こんな過去にも用事はない。

 足を踏み出して、ドアを開ける。

 板張りの廊下を踏み鳴らして玄関へと向かった。

 誰もいない家だ。

 革靴を履いてドアを出る。

 トラックばかりが走ってる道路沿いを歩いた。

 そうだ、友達の家に行こう。

 ゆっくり歩き出すが、友達の名前も顔も思い出せない。

 仕方ない本屋に行こう。ISの八巻買わないとな。

 気付けば、郊外にある大きな本屋とレンタルビデオ屋にいた。駐車場に車はあるが、中に客はおろか店員すらいない。どこ行ってんだ?

 仕方なしに店内を歩く。

 書籍コーナーにあるものは全てがインフィニット・ストラトスと書かれた本だ。1巻から7巻までばかり。

 おかしいな。もっと他に本はないのか? 

 DVDはどうだ?

 こっちもそうだな。インフィニット・ストラトスばかりだ。

 なんで、この世界にはインフィニット・ストラトスしかないんだ?

 ……そういやそもそも、オレの家族とかどうした?

 

 

 

「ヨウさん?」

「ん? ああ」

「どうしたんですか?」

 神楽が目の前で、心配そうな顔で見つめている。

「あ、あれ? 気絶してたのか?」

「い、いえ、ボーっとして目を閉じていったので」

「悪い。血が流れ過ぎたのか……」

 体調が悪いとかそんな感覚は、いつのまにか消えてんな。体がハイになってるからか……?

「あまり調子が良ろしくないのなら……」

「気にしてる場合じゃねえ。それよりフィッティングとフォーマットは」

 視界内のウィンドウを目で操作して作業進捗を確認する。

「よし終わってるみたいだ。離れてろ」

「は、はい」

 操作マニュアルを探すが、もちろん入ってない。

 武装リストのチェックを開始……ルート2がワンオフアビリティってなら、ここに挙がってくるはずだけど、何もねえ。右手と左手しかない。

「結局、ワンオフは無しか。ったく、我ながら意味わからん。玲美の座標は?」

「座標位置、ディアブロに送ります」

「状況は?」

「……よろしくありません」

「わかった。それじゃあママ博士、ありがとうございました」

「あっ、待った。ちょっとこれだけ見て」

「何でしょう?」

 ママ博士が投影キーボードに触れると、オレの視界に一つのウィンドウが浮いて来る。コマンドラインが上から下へとゆっくり流れていった。

「データ……たぶんISコア制御系に当てるパッチなんだけど、うちの旦那が残していったのよ。二瀬野君へって」

 送られてきたデータの内容を速やかに確認する。タイトルは対自動操縦ISコア用パッチ、って書いてあるな。なんだ、四十院所長には内緒でってメモ書きは。

「……たぶん、オレが欲しかった物だと思います」

 これが本当に欲しい内容なのか、確信はない。だけど、試す価値はありそうだ。

 そもそも四十院の男たちは何をやってるんだ?

「なら良かった。……えっとヨウ君」

「はい?」

「……頑張ってね。応援してる」

 その眼差しは、娘に本当に似ていた。

「ありがとうございました。んじゃ神楽」

「はい、お気をつけて」

 神楽が律義に頭を下げる。なんか懐かしくて、つい笑みが零れた。

 手足を確認、指先を一本ずつ動かしてみる。

 とりあえずはホーク並みには思ったとおりに動く。ってことは、手足の繊細な操作は期待できそうにないな。

「準備完了、行けます」

「了解。ISスタンド解除、キャリーオフ」

 神楽の声と同時に、背後にある十字架型のスタンドが自走して離れて行く。自分の足で数歩進んで、頭上に伸びる通路の下へと立った。

「自足歩行、確認、推進翼の動作……チェックアウト」

「腕部脚部、推進翼1番から4番、ヘッドドレス動作、フィードバック、いずれも数値正常、行けるわ」

 ママ博士の声に頷きを返す。少し離れた場所で心配そうな顔をしている神楽にも、右手を上げて親指を立てた。

 上を見上げる。空まで続く道に、光る線が走っていく。

「テンペスタⅡ・ディアブロ、二瀬野鷹、行きます」

 そのまま一気に上空まで、一回の羽ばたきで駆け上がった。

 

 

 

「クソ速ぇ」

 上空200メートルまで一瞬で駆け上がった。ホークと同じつもりじゃダメだな、これ。出力が高すぎる。

「ちょっと、ヨウ!」

 すぐ近くに甲龍が浮いてて、オレに非難の目を向けていた。

「おう、行ってくるわ」

「それが新しいヤツ? 変わってるわね」

「詳しい説明はまた今度な。あっと、鈴」

「何よ?」

「ありがとな」

「……ふん。まあ一夏たちにボコボコにされたらいいのよ。でも」

「ん?」

「ごめん」

「気にすんな。またな」

 しおらしい鈴の顔なんて見たくもねえ。

 そのまま座標を確認し、方向を確定する。

 じゃあ、行くとするか。

 背中の推進翼に意識を集中した。

 黒い四枚の翼がバラバラに動く。オレの病気は今だ健在のようだ。だけどそれでいい。今までの努力も含めて今の二瀬野鷹だ。

 スラスターが白く光る粒子を吸い込んだあと、一気に加速した。

 ディアブロの瞬時加速は、一瞬でマッハ3を超えた。

 確かに速いが、感動してる場合じゃない。

 エネルギー総量はそれなりだ。

 問題は兵装か。

 テンペスタⅡは元々、イメージインターフェースから手足へのフィードバックを強化した機体だ。それゆえに他の第三世代のような特殊機能がない。代わりに玲美のような繊細かつアクロバティックな操作が可能になる。

 細かい操作が苦手なオレが、この機体についていけるのか。

『ヨウさん』

「神楽か。何だ?」

『宇佐つくみ隊長という方から伝言です』

「何て?」

『お前が元の仲間をぶっ飛ばしたら、手助けしてやらんでもない、だそうです』

 信じるに値するか態度で示せってことか。

「上等だ」

 そりゃ簡単に信じられるわけがない。だったら行動で示すだけだ。

「こう返しとけ。ご期待に添えますので、デートに遅刻しないよう、よろしくお願いしますってな」

『わかりました。玲美をお願いします』

 通信回線が切れる。

 超望遠モードでISを11機ロック。敵機は9機、友軍機はリベラーレと銀の福音の2機で設定。

 現状は友軍機が捕まってる。

 さあ加速しろ、ここからはスピードの世界だ。

 玲美の右腕が掴まれていた。赤い機体のあちこちが損傷している。

 よし、オレの、戦いを始めよう。

「死ね」

 その女の唇が、確かにそう開いた。

 イメージインターフェース『ルート2』進行中。

 オレ自身は玲美を捕まえている機体をロック。

 怨念を吐け。脇役から世界の中心たちへ、万感の思いを込めて宣言してやる。

「てめぇが、死ね」

 お前らを邪魔しにきたと。

 

 

 

 

 黒い機体を吹き飛ばし、両腕で玲美をそっと抱きかかえる。

 間近で見たテンペスタⅡ・リベラーレは、至る所が損傷していて、まともに動ける様子じゃない。特に右腕の損傷がかなり激しく、完全に握りつぶされていた。推進翼もダメそうだ。

 敵機の損壊具合を確認する。

 白式は右腕とスラスター、ラファールは右側面を重点的に、レーゲンは中破と言ってもいいかもしれん。

「頑張ったな」

 腕の中の少女にオレが笑いかけると、弱々しい笑みで小さくブイの字を作ってきた。表情がかなり辛そうで、頬と口元に体液の這った後がある。呼吸もかなり浅くて荒い。

 短くなった髪をマジマジと見る。時間がない中、ハサミでバッサリやったんだろう。本人が嫌がってた柔らかい癖っ毛は、首の後ろまでしかなくなっていた。

 思わず小さな笑みが零れる。似合ってないけど、ちゃんと切れば可愛くなりそうだ。

 オレの視線と意味に気づいたのか、プイッと顔を逸らすが、その動きが体に響いたのか、苦痛に顔をしかめた。

「大丈夫か?」

「う、うん……もうちょっと休めば、うごけ、ると思う。痛いだけ……だし」

 そう強がりはしているものの、砕けている右腕の装甲の隙間から、血が少しずつ漏れ出していた。

 折れてる、ってレベルなら良いんだけどな……。

 さて。

 緊張した様子でオレに対して身構える連中を尻目に、走るぐらいの速度で飛んで、打鉄弐式を装備している、ショートカットにメガネ女子の前に立った。自信なさそうな振る舞いをしているこの子の名前は更識簪。四組のクラス代表で、その家柄は確か対暗部用の対策組織とか何とか言ってたはずだ。

「オッス、久しぶり」

「あ、……うん。こ、こんにちは」

「悪いんだけど、これ預かってくれないか? ちょっと息も絶え絶えっぽくて」

「え、っと、わ、わかりました」

「さんきゅ」

 残念そうな顔を見せる玲美を無視して、更識にゆっくりとISを装着したままの玲美を受け渡す。

 よし、これで一人封印した。

 我ながら姑息すぎるが、少なくとも更識は傍観してた一人のようだし、ケガ人を抱えたままじゃ積極的に攻撃をしかけられないだろう。

 ゆっくりと他の機体を見回す。

 目を細めて悲痛な表情を浮かべているセシリアは、戦闘には不参加だったようだ。セシリアは何だかんだで情に厚い博愛主義者だしな。箒に至っては武装すら抜いていない。

 つまりヨーロッパ組だけが戦闘に参加したってことか。

「んで、どうするよ? オレとしては後は銀の福音さえ渡してくれれば良いんだけど」

「そんなこと出来るわけがない! お前こそ何が目的だ!」

 ラウラが他の二人を抑えながら、張りつめた声で問いかけてくる。

「不正の阻止だ。こう見えてもオレ、真面目なんだぜ。間違ってることは許せない性質なんでな」

「どの口がぬけぬけと……」

 軽口で会話しながらも、視線を悟られないようにして、視界ウィンドウ内でスペックの再確認を続ける。

 大体わかった。

 こいつはホークより基本スペックがちょっと上ってだけだ。後は変わった機能はない。そして武器すらねえ。

 あとはなぜかイメージインターフェースがなくて、代わりに『ルート2』という謎のインターフェースが搭載してあり、そいつが代わりを担ってるってことだ。意味は不明で動くなら問題はねえけど、何なんだよこのルート2ってのは。単語からしてマジうぜえ。

 チェックを終えて、意識を前方に戻した瞬間だった。

 目の前に黒い拳がある。

「おわっ!?」

 全力で腰を後ろに曲げてスウェーをし、突き出された拳をかわした。

 どうやら夜竹さんの機体が襲いかかってきたようだ。

 回転しながら飛び上がり、距離を取ろうとするが、相手も追いかけてくる。

「意外に速いな……」

 何か言いたそうで何も言わない一夏たちを置いて、空中戦を始める。

 相手は二機。螺旋状に飛び上がりながら、

「夜竹さんに相川さん、聞こえるか!?」

 と問いかけてみるが、やっぱり返事がない。

 絶対に篠ノ之束が何か仕掛けてやがる。銀の福音と同じか? いや、あれは周囲のISが全て敵に見えるんだっけか。

 どうするか、と考えていたとき、前方に相川さんの機体が立ち塞がっていた。

 いつも元気な笑顔の相川清香さん。ハンドボール部だっけか。

 IS学園で見た笑顔の様子など微塵も無く、口元以外隠されたISの左手を目の前に突き出して、オレの正面からこっちに突進してきた。さっきよりスピードが少し遅い。

 なんだ? と訝しみながら、ギリギリをすれ違おうとした瞬間に、オレの機体が完全制止した。

 動かねえ! AIC(慣性停止結界)かよ!?

 周囲の空間が歪んで見える。振り解こうとしても、ビクともしない。

 ラウラから食らったことはなかったけど、こんな厄介な機能だったのかよ!

 360度視界を確保できる視覚センサーで、背後から迫る敵を認識する。夜竹さんの機体が、左腕を構えていた。

 その場所に光の粒子が集まっていく。そして姿を現したのは、巨大なシールドと炸薬点火式パイルバンカーだった。

「反則だろ!」

 相手が密着した状態でパイルバンカーを撃ち出す。

 推進翼のちょうど間、背中のど真ん中に強烈な打撃を食らい、衝撃が体の内部を揺らした。

 クソ痛ぇ!

 吹き飛ばされたところを再び相川さんのAICで確保される。インパクトの瞬間だけ解除されたのか。そりゃそうだ。あれの効果範囲にいたら金属の杭が撃ち出せない。

 もう一度、背中の真ん中をパイルバンカーで殴打された。

 吐血しそうだが、気合いの入れどころはココだろ。

 食らった瞬間に翼を寝かして瞬時加速を発動させる。

 吹き飛ばされながらも軌道をずらし、何とかAICから逃れることが出来た。

 距離を取ったと安心した瞬間に、胚から血が溢れて口から零れる。

「くそっ」

 反則気味だ。何だっけ、対IS用ISとか、そんな感じの機体か。さすが篠ノ之束製だけはある。

 しかもそれが三機。勝てる見込みがねえ。

「つっても、やるしかねえよな」

 本当なら、さっさと一夏たちを攻撃して、オータムたち亡国機業に態度を表明し、その助力を呼び込みたい。

 そんなことをしようものなら、一夏たちも全員で迎撃してくるだろう。一夏とシャルロット、ラウラは機体の損傷で戦えない。しかしそこを狙えば、セシリアたちも積極的に迎撃に来る可能性が高いだろう。

 そしてセシリアたちに苦戦している間に、クラスメイトの三機に落とされる。それじゃ意味がねえ。

 さて、どうする……。

 口元を左腕の装甲で拭ってから、迫ってくる二機から距離を取るように加速を始める。

 高度計チェック、上空200メートルか。

 さらに急上昇しようとした瞬間に、敵が推進翼を広げて猛スピードで迫ってきた。

 咄嗟に回避して旋回しながら、隙を窺おうとした瞬間、足元をレーザーがかすめていった。

 発射元を確認もせずに飛び退りながら、再び上空へと舞い上がって見下ろして状況を確認する。

 右手に銀の福音をぶら下げていた谷本さんの機体が、左手に銀の福音と同じビームマシンガンを装着している。

「もう何でもありだなチクショウ!」

 しかし妙だな。

 どうして銀の福音をこの海域近くにまで接近してるアメリカの船に渡さない? 一夏たちの目的はそれで完了のはずだろ。他の目的があるのか?

 空中で制止していたオレと同じ高さへ、AICを装着した相川さんと、シールドピアースを備えた夜竹さんが浮き上がってくる。

 その顔を見据える。

 唯一空いている口元から、漏れる呼吸がかなり荒い。あの機体、絶対にパイロットの体に良くないだろ。

 そりゃそうだ。たぶん意識はないんだろうけど、ISを動かしてるってことは体も全力で動いてる。体力の消耗だって激しいはずだし、慣れていない機体で無理やり動かされてるんだ。しかも本人の限界を超えようが、篠ノ之束には関係ない。

 まずいな、早く止めないと。と言っても、オレだって落とされるわけにはいかない。

 ……これは逆手に取れるか。

 チラリと篠ノ之束の顔を一瞥し舌舐めずりをしてから、背中を向けて再び逃げ始める。

「おいセシリア!」

『は、はい!』

 急に呼びかけられて、動揺しながらも返事を返してくる。

「夜竹さんたちは限界だ、下げさせろ!」

『し、しかし!』

「しかしもクソもあるか。クラス代表だろ! 息が荒いのが見えないのか! 限界だ!」

 オレの呼びかけに戸惑ったような表情ながらも、セシリアは恐る恐る篠ノ之束に話しかける。

『し、篠ノ之博士、夜竹さんたちはもう限界です、代わりにわたくしたちが」

 甘い……そいつは周囲を人間として認識できないクズ野郎だぜ? 他人のことは言えねえけど。

「うーん? 何の話? 限界? 人間の限界なんか知らないけど、っていうかキミ、誰さ。私に命令なんて」

 よし来た!

「篠ノ之博士!」

「ああもうウルサイな、黙ってなよ」

 自分にたかる虫を追い払うような仕草をセシリアに向ける。

 青い貴婦人が絶望に唇を噛む。すぐに何かを決意したように顔を見上げた。

「下げる気はねえってか!」

「当たり前さ。お前だけは、絶対にここで殺す。ロクなことにならないからな」

 ……なんかオレにだけ口調が強くないか? ま、上等だ。

「おい、織斑一夏! 篠ノ之箒、何をボサっと見てやがる! 夜竹さんたちを止めろ! もう限界だ!」

 全力で上空を旋回しつつ、この場にいる主人公へと呼びかける。

 ハッと我に返ったような一夏が、

「た、束さん! 俺たちがやる! いいから、あの子たちを下げてくれ」

「えー? いっくんたちはボロボロだし、面倒だからこっちでやるよ」

「そうだ姉さん、私たちがやる、タカのことは任せろ!」

「箒ちゃんにはアレとあんまり戦って欲しくないんだよねー。大事を取りたいっていうか。紅椿を今、損傷したくないっていうか。ま、いいからお姉さんに任せておきなってば」

 能面のような笑みを浮かべて、自分の家族たちに優しく提案していた。

 目論見通りだ。

 オレがこう問いかければ、一夏たちはクラスメイトを救うために、何らかのアクションを起こさざるを得ない。

 仮に黒い三機が下がって一夏たちがきても、この厄介な三機が下がるなら問題ない。こっちとしては好都合だ。

 逆に下げなくても、今度は一夏たちが黒い三機を止めざるを得ない。オレが逃げ回るなら、力づくで止めないと夜竹さんたちがヤバいからだ。何故なら、オレは一夏たちの味方じゃない。

「チッ、オレじゃ勝てねえから、逃げ回らせてもらうぞ、夜竹さんたちには悪いけど!」

 今、この現状で生きてる高機動機は、セシリアのブルーティアーズと紅椿だけだ。そして自爆しそうなクラスメイトを見捨てられるほど、セシリア・オルコットと篠ノ之箒は下劣じゃない。

「くっ、夜竹さん、相川さん、おやめになって!」

 セシリアが腰にビットをつけたまま、高速機動し始める。

 まだオレを攻撃して良いか判断に悩んでいるセシリアなら、クラスメイトを止めに行くはず。

「理由はわからんが、聞こえてないみたいだ。こうなったら可能な限り穏便に止めるぞセシリア! 相川さんを任せる」

「え、ええ。ではヨウさんは夜竹さんを!」

「了解だ、クラス代表殿!」

 心の中でガッツポーズを決める。

 チョロいぜオルコットさん。

 あともう一機欲しいところだな。

「おい箒、ヒマならセシリアを手伝え、早く止めないと、息がかなり上がってるぞ!」

「く、姉さん! 早く止めるんだ!」

「そいつが普通じゃねえのは、妹のお前が一番知ってるだろ! 早くしろ!」

 そう言ってチラリと姉を見た後、箒は唇を噛んでから、武器を持たずにISを動かし始めた。

「ならば、私たちで止める!」

 姉の言葉を無視して、一夏以外には正義感の強い箒がセシリアと共に相川さんの機体へと向かう。

 人を唆すのが悪魔の仕事ってね。

 そうして、状況はまた変化していく。

 

 

 

 オレを追いかけて飛翔するのは、シールドピアースを装備した夜竹さんの機体だ。ホークと比べても、遜色ないスピードが出てる。

 だがその口元を見る限り、搭乗者の体調はホントに良くなさそうで、呼吸の感覚がかなり短い。

 ……冗談抜きで早く止めてやらないとな。

 夜竹さんは大人しくて真面目で優しい子だ。わからないことがあったら、とことんまで理解しないと気が済まない性格らしく、無駄に知識の広いオレのところへ質問をしに来るぐらいだった。

 決して、こんなわけのわからない騒動に巻き込まれて良い子じゃない。

 だけど、どうやって止める?

 速度を落として、背後を振り返った。

 そこには、オレに向かってイグニッションブーストを仕掛けてきた黒いISがいる。

「女の子を無理やり抱き締める趣味はねえけど!」

 こっちもイグニッションブーストを仕掛けて、相手を上回る速度で飛びかかった。

 ぶつかる寸前で推進翼を寝かし、再び加速をかけて背後に回る。

 そしてその無防備な背中にしがみつこうとした瞬間、相手の背中にある推進翼が膨大な粒子を吐き出して、横方向へと加速して曲がり、体が目の前から消えた。

「クソッ、無軌道瞬時加速まで使いやがるのか! って上!」

 影が差した方向を咄嗟に見上げる。

 シールドピアースがない?

 こちらに超加速してくる夜竹さんの機体が、右腕を真横に伸ばして手を開く。そこに粒子集まり一本の棒が現れた。

 なんてことのない、十手を逆にしただけのような、何の変哲のない棒だ。

「レクレスかよ!」

 あれはアホみたいに堅いテンペスタ・ホークの武装だ。オレはあのレクレスを使って、一撃で無人機を串刺しにした。

 つまり猛スピードで加速して、堅くて細い物で突っ込んでくる物は超危険ってことだ。

「くっ!」

 必死にフレキシブルな推進翼を羽ばたかせて飛び退いた。

 オレの眼前を夜竹さんの機体が通り過ぎていき、音速を超えたゆえの衝撃波が遅れて訪れる。

 ひょっとしてベースはテンペスタ・ホークなのか?

 夜竹さんの機体が海面すれすれで静止して、オレの方を見上げていた。そして背中にある二枚の推進翼を立てる。

 来るっ!

 まさに巨大な砲弾だ。しかもISのシールドを易々と突破してくる篠ノ之束仕様なら、レクレスを食らったらオレは一撃でオダブツだろう。

 こちらも上から下へと急上昇して回避をし、通り過ぎていった機体を見上げる。

 何か手はないのか。クソ、実はテンペスタ・ホークってすげえ厄介な機体だったのかよ。

 どうする? ギリギリで受け止める? 

 正直、細かい操作は苦手だ。

 だが、機体側は繊細な動作が可能なテンペスタⅡである。

 背部外側上方大型二枚、下方中型二枚、合計四枚の推進翼はオッケー。

 手足も順番に動かしてみるが、テンペスタ・ホークのときと大して変わらない。翼以外は思ったとおりに動かないもどかしさを覚える。

 超スピードで戦うインフィニット・ストラトスにとって、この違和感が全ての命取りだ。こんな繊細な動作を求められる場面なら尚更だろう。

 クソッ、どうする?

 超望遠レンズで相手を捕捉する。夜竹さんの機体は遥か上空で方向転換してかれ制止し、こちらをロックしてレクレスを構えていた。

 自然と体調を確認するかのように、その口元がズームになる。

 荒い呼吸を続けていた唇が、小さく何かの言葉を発する。

 助けて。

 そう動いたように見えた。

 まだIS学園にいた頃、忘れ物を取りに戻った教室で、驚いたような顔をして振り向く夜竹さゆかを幻視した。

 チクショウ。

 オレは何を思う? あのとき、アリーナでオレを囲んでいたクラスメイトを、どう思えば良い?

 悪気がないことぐらいわかってる。それで許されるなら、オレが一夏をドイツへと追いやったことだって、罪にはなっていない。

 それでも、あの大人しい彼女が、あの場でオレにいて欲しいって声を上げたんだ。

「叶えることはもう出来ないけど」

 一瞬だけ目を閉じて呼吸を整える。

 エネルギー不足になるまで飛ばせるか? いやそれじゃいつ止まるかもわからないし、オレのエネルギーも減っていく。

 可能な限り速やかに止める方法を探せ。

 横目で海域をグルリと見渡して、何かないかと考える。

 いや、いるじゃねえか。なるべく人体に傷つけず、シールドエネルギーをごっそりと減らせる武器を持ったヤツが。

「おい一夏!」

『あ? え?』

「いつまでもボーっとしてんな。そっち持ってくぞ!」

『何をするつもりだよ!?』

「お前の零落白夜で無理やり止める。左腕に同じ機能あんだろうが。雪羅を出せ! 収束クローモードにしろ!」

『……どうしてそれを』

「答えてる暇はねえ! 行くぞ!」

『あ……ああ、来い!』

 まるで隕石のように、相手が真っ直ぐオレに向けて重力を味方にしながら加速と加重をしてくる。

 内側の推進翼を立て、外側の大きな推進翼を寝かす。

 推進翼に送られているエネルギーのゲージが、視界の隅で一気に上昇した。

 音速同士の戦いだ。失敗したらオレだけが死ぬ。

 分が悪い賭けは慣れっこだ。

 でもこの一瞬だけは、玲美が言ったとおりになってやる。

 ヒーローってヤツに。

 

 

 

 急下降してくる夜竹さんの機体と鋭角で当たるように角度を調整し、真っ直ぐ最大出力で駆け昇る。

 機体同士で正面衝突するわけにはいかない。

 レクレスの先端が外れたとしても、ぶつかった衝撃で相手にかなりのダメージを負わせてしまうし、当たりどころが悪ければ腕や足なんかぶっ飛ぶ。そして、それはこっちも一緒だ。

 運が良ければ生命に異常があるだろうし、運が悪ければ生命に異常がない。つまり、絶対防御が発動するとは限らないのだ。

 オレがしてきたことは何だ、と自分に問いかけて鼓舞していく。

 一刻も早く止めてあげないと。

 黒い線と線が交差しようとしていた。

 ここだ。

 内側下方の小さい推進翼を横に曲げる

 高度1500メートルで機体同士がぶつかる一秒前に、オレだけが直角に上昇した。

 四枚の翼であるからこそ出来る、最高速の無軌道瞬時加速の最高点。手足の細かい動作が苦手でも、推進翼の動作だけなら得意なんだ。

 通り過ぎた彼女の背中を捕捉した。

 意識を背中にある四枚の翼に集中し、連続でイグニッションブーストを発動、速度計は一瞬でマッハ4に近づいた。

 相手の背中に追いつくと同時に、背中に伸びた推進翼を両腕で掴んで、翼をはばたかせて相手のスピードを殺す。

 さらにこれ以上は動けないように、相手の無機質な黒い翼を引きちぎった。

 誰の悲鳴なのか、電子音の甲高い共鳴が周囲を振るわせた。

 肉食の鳥でも、より強い鳥により駆逐されることだってあるんだ。

 このディアブロは多分、力だけならアハトレベル、スピードならホークより上。つまりオレの集大成たる機体だ。

 速度を殺された夜竹さんの機体が、重力だけに従い真っ直ぐ回転しながら墜落していく。

「一夏!」

『おう!』

 海面ぎりぎりの獲物をさらうように、夜竹さんの機体を背中から抱き締めて、同じ高さで左腕の光る爪を構えた白式へと向かう。 

 そういや何だかんだで、ISじゃ初めてのコンビネーションだよな。

 そんな下らないことを思いながら、200メートル先の一夏の顔を見た。

 向こうも同じことを考えているのか、一瞬だけ困ったように笑ってから、真剣な顔で迎え撃つために構える。

 よし、上等だ。

 手足を振って暴れる機体をしっかりと掴み、当てやすいように速度を落としながら、スラスターの壊れた白式へと夜竹さんを届けようとする。

「これ以上は好きにさせるか!」

 そう叫んで二人の間に立ちはだかったのは、ドイツの特殊部隊の少佐ラウラ・ボーデヴィッヒだった。

 右腕に残っていたプラズマ手刀で、オレを迎え撃つ。

 回避が間に合うわけがない。

 この瞬間は完全に一夏を信じ切っていたのだから。

 

 

 

 水面を跳ねる石のように何度も転がり、ようやく止まったときは、一夏たちの姿が500メートル先に見えたときだった。

「ラウラ!!」

「黙れ!!!」

 何が……どうなった?

 機体ごと徐々に海面へと沈んでいく中、混乱している頭を整理しようとフル回転させる。

 外側の大きい推進翼から漏電しているようだ。

 ラウラに切られたのか。

 事実を確認して少しだけ冷静になった。

 PICで海上2メートルまで浮き上がる。

 夜竹さんはどうなった?

 反応を探すとシャルロットが抱えているようだ。ぐったりしていて動く様子はない。口元を確認する限り、不規則ながらもしっかりと呼吸をしていた。

 あの状況の中、一夏はしっかりと仕事をしたようだ。

 ホッと安堵のため息を零してから周囲を見回す。

 先ほどまでセシリアと交戦していた相川さんの機体は、戦闘行動を止めて停止しているようだ。そういや篠ノ之束が紅椿を傷つけたくないって言ってたな。箒が参戦した結果か。

 何やら篠ノ之束に対し、箒が抗議の声を上げている。ただ、姉は妹に対し聞く耳を持たないのか、残る二体がISを解除する様子はない。

 さて問題は、あっちか。

「二瀬野君……」

 気付けば玲美を抱えた更識がオレの近くに寄って来ていた。どうやら面倒を見ていたケガ人に、オレのとこへ行けって命令されたらしい。

「ヨ……ウ君、大……丈夫?」

 玲美も苦痛に顔を歪ませながら、ゆっくりと震える手を伸ばしてくる。

「ああ」

 返事をしてから、ラウラ・ボーデヴィッヒたちの方を見据えた。

『ラウラ、どうして邪魔をした! なんであのタイミングでヨウを切った!』

『黙れ黙れ黙れ! アイツが何もしてこないとも限らないではないか! 事実、お前たちは昼間の戦いで、アイツに何度も騙され墜とされたんだぞ! どこまでお人好しなのだ、キサマらは!』

 食ってかかる一夏を、ラウラがそれ以上の勢いで撥ね退けながら叫び付ける。

「ま、待ってよ二人とも。今はこんなことしてる場合じゃ」

 困惑してる様子のシャルロットが、口論する二人の間に入ろうとする。だがラウラは、

『邪魔だ! 今は一夏に言って聞かせなければ始まらん!』

 とシャルロットを押し退ける。

『シャルロット、下がっててくれ。ラウラ、あの瞬間は夜竹さんを止めようとしてただろ!』

『本当にそう思っていたのかはわからん! 事実、アイツは、お前が誘拐されようとしたのも、助けようと思ったからではないと告げたではないか! それに目的は果たした! 夜竹の機体は止まっている!』

 憤る一夏に対し、ラウラは今にも泣きそうな顔で怒鳴り散らしていた。

 アイツも多分、悩んだ末にオレを攻撃したんだろう。それが織斑千冬の教え子であり一夏の上官であるボーデヴィッヒ少佐の責任だと思ったのかもしれない。

 ……ああ、気持ちはわかるぜ、ラウラ。すげえ同感だ。

 今、警戒すべきは闖入者だ。自分の機体は損傷していてまともに戦えない。だが、そいつが隙を見せる一瞬があるなら、オレだって狙う。

『だけど、アイツは守ろうとしたんだ、オレと目を合わせて、夜竹さんを!』

『もう私たちに後はない! 国際IS委員会のオーダーは、銀の福音の日本上陸を防ぎ機体を米国に渡すこと。それさえ守れれば織斑教官の、いやIS学園の面子は守れる! そのために教官の命令に反したのだ!』

『そんなことはわかってる! それでも今のは許せないぞ!』

『許せない!? どうしろと言うのだ。玲美とアイツによってボロボロにされた我々で、篠ノ之博士の協力すら断るなど、有り得ないだろうが!』

『それでもダメだ! 苦しんでるクラスメイトを助けようって……オレたちがあんなことをしたヨウがあの子を助けようとしてるのに、それを信じないなんて、オレには許せない!』

『黙れ! 過去に何があろうとも、戦闘中は目の前の戦闘行動に集中しろ!』

 二人は周囲をそっちのけで言い合いを続けていた。

 ……ああもう、滅茶苦茶だ。いっそ、このまま戦闘を終えて帰ってくれないかな。

 ラウラの気持ちはすげえわかる。だが正直、頭に血が上って、ラウラを許せそうにない。

 一夏が器用に夜竹さんの機体だけ狙い落としたから良かったものの、失敗してたらどうなった? 荒い息を漏らすクラスメイトに無理をさせ続け、オレを倒して万歳ってか。

 立場が違っていても気持ちがわかるが、それだけは許せねえ。

 メインキャラクターたちが、モブキャラを蹂躙していく様を黙って見ていられるほど、脇役歴は短くない。

 これはこの世界を物語の中と認識していたオレの業なんだろう。

『一夏、なぜわからない! 今、この場で最も危険なのは、二瀬野鷹だ!』

『それでも! オレは守るために戦ってるんだ! さっきだけは、よくわかんねえけど、通じ合えた気がしたんだ!』

『そんなのは錯覚だ。一夏! 黒兎隊の一員なら、その眼帯に誇りがあるなら、私の命令に従え!』

『……ラウラ、ああ、わかったよ、わかりましたよ少佐殿! それが黒兎隊っていうなら、オレはこんなものいらねえ! こんなの黒兎隊じゃねえ!』

 そう言って、一夏が眼帯を剥ぎ取って、海に投げ捨てる。

『い、ちか?』

 一瞬でラウラの顔が硬直した。それでも一夏は言葉を止めない。

『そうじゃなかっただろ! オレたちが、オレたちがドイツで誓ったことは……思ったことはそうじゃなかっただろ! オレたちが憧れた千冬姉は、そんなんじゃなかった。ヨウはさっき、夜竹さんを守りたいって思ったはずだ! それを否定したらオレたちは、始まらなかったはずだ!』

 そうさ、主人公が言ってることは正しい。オレはさっきの瞬間、何も考えずに一夏と二人で、夜竹さんを止めようとした。

 茫然と一夏を見つめるラウラの焦点は合っていなそうだ。

 その二人を正面に見据え、推進翼を立て、腰を落として海面に手をつける。 

「更識、離れてろ。玲美、更識にしっかりと、しがみついておけよ」

 自分の声が冷たくなった気がした。

 一部から破壊されバチバチと火花を漏らす推進翼を立てた。まだ無理をすれば動きそうだ。そして四枚のうち下方内側の二枚は無事である。

 さあ、ラウラ・ボーデヴィッヒ。オレがお前の正しさを証明してやる。

 一瞬だけ目を閉じて、浅い深呼吸をした。

「さあ、ディアブロ、行くぜ」

 二枚の翼でイグニッションブーストをかけた瞬間に、さらに残り二枚で同じ動作をかける。

 合計四枚の黒い翼が、オレを一発の弾丸へと変化させた。

 スタートから音速を超え、掴み合う二人へと左手の爪を突き立てようと、500メートルの距離を波を吹き飛ばしながら突進する。

『一夏!』

『ラウラさん、逃げてくださいまし!』

 そして声より速く、二人の眼前へと迫っていた。

『ラウラ!』

 一夏が茫然としていたラウラを無理やり射線外へと押し出す。

 その瞬間、ディアブロの爪が一夏へとぶち当たった。

 刹那たりとも止まることなく、白い機体を木の葉のように舞わせる。

 手応えを受けてから、PICで慣性をゆっくりとブレーキをかけ、静止してから振り向いた。その瞬間に上部二枚の推進翼が勢いよく爆発する。

「クソッ、限界かよ」

 だが、ダメージを負った中で、よくあれだけの加速を見せた。嫌いだけど悪い機体じゃねえな。

『一夏!』

『一夏さん!』

『大丈夫か!? 一夏!』

 ヒロインたちが主人公の名前を叫ぶ。

 体を包む白式は光る粒子になって消えていき、一夏は海中へと沈んでいった。

『いち……か?』

 長い銀髪の少女が、うわごとのように思い人の名前を呟いた。

 真っ先に箒が海中へと飛び込んで、一夏を抱えて浮上してくる。

『一夏、しっかりしろ一夏!』

 真っ青な表情の箒が、一夏を揺らす。本人も意識がまだあるのか、咳き込んで飲み込んでいた海水を吐き出した。

 何かうわごとのように呟いているが、ISを展開していない人間の声はさすがに聞こえてこない。

 ラウラ以外の全員が安堵のため息を漏らした。

 そしてセシリアがオレを睨む。

『ヨウさん……そこまで』

「あん? ちゃんとラウラの言葉の正しさを証明してやったろ。油断すんじゃねえよ」

『さ、先ほどはクラスメイトを助けようと』

「助けようとしたさ。だが、邪魔をしたのはラウラだろ?」

 肩を竦めるオレの言葉にセシリアが唇を噛む。

『それは……そうですが!』

 何か言いたそうな顔をしているが、それ以上は言葉が出て来ないようだった。

 ふぅっとため息を吐いて周囲を見回した。

 四枚あるうち、二枚の推進翼は動かなくなり、長所であるスピード半減以下、武器は無し。

 撃墜した機体は白式と夜竹さんの機体のみ。レーゲンは戦闘続行不能だろうし、打鉄弐式はたぶん戦えないだろ。あと敵機の残りは、ブルーティアーズと紅椿、それに黒いIS二機が無傷、ラファールが小破ってところか。

 まあ、でもオーダーは果たしたかな。

「ほらほら、もう私は手を出さないから、箒ちゃんたちでソイツを落としちゃってよ。相手はもう限界っぽいし、それなら紅椿もケガしないだろうしさ。それともまた私の機体でやろうか?」

 無表情な笑みの篠ノ之束が、全員へ攻撃を促した。

 天を仰いだ箒が目を瞑って深呼吸した後、何かを決意したかのように瞳を見開いた。

『ああ、ではやろう』

『箒さん?』

『一夏も落とされた。タカは作戦の邪魔をしてくる。単純な構図だろう。異論はないな? タカ』

 ようやく戦う決意をしたのか、ラウラの近くにある海面から姿を出していた岩礁に、一夏をそっと寝かせる。

『一夏、しばらく我慢していてくれ』

 一夏が何かを言ったが、優しく笑みを作った箒が首を横に振って、こちらを見上げる。

「ああ、そこのオレンジ色の、その子は放っておいて良いよ」

 篠ノ之束が指を鳴らすと、PICが自動で動作したのか、夜竹さんの機体がゆっくりと浮遊してシャルロットの手を離れる。そのまま一夏と同じ岩礁の上に寝かされた。

 紅椿が敵意を込め、敵機を落とす殺意を携えて、二本の刀を構える。

『覚悟を……決めましたわ』

 ブルーティアーズのパイロットが、出会ったころに見た鋭い眼差しをオレに向ける。

 おそらく、セシリアはまだオレが一夏たちを襲ったことを、心の底では信じてなかったのかもしれない。何かの間違いじゃないかと思ってた部分があったんだろう。

 今、目の前で堂々と白式をぶっ飛ばす姿を見て、ようやく確信したようだ。

 セシリアとシャルロットが互いに見つめ合い、大きく頷いてから、それぞれの銃口をオレへと向けた。

 その意思を受け止めて、オレも身構える。

 出力が半分以下になった機体で、どこまでやれるか。

 そう思ったときに、視界内に仮想ウィンドウが立ち上がった。通信のようだ。

 内容を確認したとき、自然と唇に自嘲の笑みが零れる。

『さあ、行くぞタカ!』

 箒がグッと腰を下ろして飛び立とうした瞬間だった。

 青白いレーザー光が天から降り注ぎ、オレと敵対しようとした三機の武器を撃ち落とした。

『誰ですの!?』

『援軍?』

 金髪の二人が上空を見上げる。

 青いISがライフルの引き金を引きながら、真っ直ぐ急降下してきた。

 箒たち三人が咄嗟に回避し、空中へと逃げる。

『よう二瀬野、仲間はちゃんとぶっ飛ばしたようだな。見ててやったぞ』

 本当に愉快げに笑う声が、通信回線を通してオレの耳だけに届いた。

「どうも宇佐隊長。デートには遅刻ですよこのクソアマ」

『はっ、口の悪いヤツだな、てめえは。女の誘いなら、二年は現地待機してろっつーんだ』

「モンドグロッソっかっつーの。おかげでMには悪いことしましたよ。一夏は落としちまった」

『おかげで大層機嫌が悪いがな。ま、とりあえず』

「なんでしょ?」

『獲物をいただきに来たぜ、この亡国機業がな』

 

 

 

 始まったのは、一方的な蹂躙だった。

『あれは……まさかBT二号機、サイレント・ゼフィルスですの!?』

 セシリアが驚愕の声を上げながら回避行動を取る。

 戦闘が始まった。Mことマドカの操る機体は、紅椿とラファール・リヴァイヴ・カスタム、そしてブルーティアーズの三機を相手にした状態でも、全く苦戦する気配がない。むしろ相手を圧倒している。

『くっ、なんだこの機体は!』

 箒が相手のスピードに焦りながらも、手に持った日本刀からエネルギーの刃を飛ばす。だがゼフィルスから展開されたビットが、光る傘のようなフィールドを展開して防いだ。どうやらシールド機能を持つ個体らしい。

『なに!? うわあっ!』

 同時にライフルから放たれたレーザーが、紅椿の胸部に着弾して機体を吹き飛ばす。

『このっ!』

 スラスターが壊れ半ば固定砲台となったシャルロットは、手に持ったアサルトライフル二丁で、接近する機体をけん制する。

 だが、本体に気を取られていた隙に、展開されていた二機のレーザービットが、無防備になっていた背中を後ろから狙い撃った。

『くっ』

 持ち前の器用さで体をよじってかわすが、すでに目の前には青い機体が迫っている。

 左手によって鋭いアッパーカットが放たれ、さらにローリングソバットを放って吹き飛ばす。その上で近距離からライフルを連射でぶっ放した。

 シャルロット咄嗟にシールドで光学兵器だけを防ぐが、威力に耐えられなかったのか、焼き切られるようにシールドがパイルバンカーごと真っ二つになった。爆発するかと思った瞬間にシールドを外し、本体が逃げ切っただけでも、さすがだなと感じる。

『シャルロットさん! こ、この』

 同じBT実験機を持つセシリアが、落とされたライフルを拾い上げて、引き金を引き続ける。

 だが、相手はその全てをシールドビットのエネルギーフィールドで防ぐと、一回だけ明後日の方向へとレーザーを撃ち放った。

『どこを狙っていますの!?』

 しかし、発射されたエネルギーは、大きな曲線を描いてセシリアの背後に着弾する。

 セシリアが悲鳴を上げて、落下していった。

 圧倒的だった。

 ただ本人はつまらなそうに、ライフルを肩に担ぎ、損傷を抱えて海面に漂う三機を見下ろす。

『ヨウさん……これは……どういうことですの?』

 わなわなと唇を震わせながら、オレに鋭い口調で問いかけをしてくる。

「いや、よく知らん」

 ハリウッド映画の黒人のようにわざとらしく肩を竦め、とぼけてみせた。

 オレの言葉にブルーティアーズのパイロットが唇を噛む。

『わかりました……何はどうあれ、そのサイレント・ゼフィルスはこちらで対処いたしますわ』

「おう、頑張れ、超応援してる」

『くっ、あとで覚えておくように!』

 懐かしい怒りの言葉とともに、再びセシリアがMに向かって攻撃を仕掛け始めた。箒とシャルロットもそれに続く。

 さて、あっちは平気そうだな。

『あれが……亡国機業……行かなきゃ……。ご、ごめんなさい、国津さん、一人で大丈夫?』

 それまで戸惑いながら静観していた更識が、対暗部用暗部という肩書の元に動き出す。

 抱きかかえられていた玲美も、それまでは状況に驚いて目を丸くしていたが、更識の言葉にそっと離れた。

 オレは玲美と目配せを交わす。

 更識が背中を向けた瞬間、玲美が生きていた左腕のブレードをその背中に思いっきり振り下ろした。それだけの動作で、攻撃した玲美の顔が苦痛に歪む。

 玲美がそれまで全く動かなかったせいか、油断していたんだろう。完全に虚を突かれた攻撃を受けて、打鉄弐式の背中が反り上がる。

 今だ。

 驚き戦慄いて振り向こうとした更識簪の操るISに向け、オレは生き残ってた推進翼二枚に火を入れて突撃した。

「く、国津さ……きゃあああぁぁぁぁ」

 爪の一撃で肩の上に浮いている推進装置を叩き壊すと、もう一度、曲線を描きながら上昇し、急降下して蹴りを無防備な背中へと叩きこんだ。

 ここで逃がすつもりはない。

 戦場で敵味方を判別できないヤツなんて邪魔なだけだ。それにコイツはクラス代表マッチで優勝してるからな。

「くっ、させない!」

 打鉄弐式の薙刀を抜き打ちながら、肩に浮いたミサイルランチャーから四発が撃ち出される。

 チッ、本来のスピードが出ないなら、誘導ミサイルとは相性が悪い!

 咄嗟に推進翼を寝かして旋回し、突き離そうとする。しかしさすがに追いつかれそうだ。

 旋回して回避しようとするが、さすが無人の誘導弾だ。簡単に離れちゃくれない。

 思い切って海中に飛び込む。

 ミサイル自体にはPICがついてない。ならばISほどの機動性を海中で発揮できないはずだ。

 センサーで後方を確認すると、どういう原理をしてるのかわからないが、ミサイルは海中を追って来やがる。ただしスピードは差が付き始めていた。

 だったら!

 目的を探す。……ビンゴ。

 水中から空中へと飛び上がり、目的の機体を後ろから捕獲した。

「なっ? 二瀬野!?」

 一夏が墜ち、茫然としていたラウラを持ち上げ、追いかけてきたミサイルへの盾とする。

 ぶつかった瞬間に間近で四発の爆発音が聞こえた。

 オレ自身は激突する瞬間に、レーゲンを蹴り出して無傷で終わった。

 完全にISを破壊され、具現限界を超えたラウラ・ボーデヴィッヒが海中へと沈んでいく。

『ラウラ!』

 シャルロットが戦場を離脱して、助けに行こうとした瞬間、その眼前を青いレーザーが薙ぎ払う。

 助けに行かせまいと、Mが攻撃を仕掛けたのだ。目と鼻はバイザーで隠されているが、その口元がわずかに愉悦の表情を浮かべている。

『くっ』

 更識の焦りが聞こえてきた。

 荒い呼吸音を立てながら、玲美がブレードで打鉄弐式の薙刀と打ち合っている。

「おい二瀬野、貰って良いのはこの黒いヤツか?」

 いつのまにか一夏と夜竹さんが寝かされていた岩礁に、オータムが赤いセパレートのISスーツを着て立っていた。なんつーかハイレグでTバックっすね。あと胸元の切れ込みスゲぇ。

「そいつが篠ノ之束製だ。頼む」

「てめえが命令してんじゃねえよ」

 手に持った大きさ四十センチほどの、円筒形の箱にに四本の足がついたような機械を取り出した。それを夜竹さんの機体に近づける。

 あれがリムーバーか。ISを強制的に解除して、奪うことが出来るらしい。

 電気がショートするような音を立てて、寝ていた彼女の体が大きく跳ねる。だがすぐに収まり、オータムの手には球形のISコアが乗っていた。

 夜竹さんの胸がしっかりと上下して呼吸をしている。大丈夫そうだな。

「さて、まず一機と。こっちで寝てる男は織斑一夏か。ついでにこっちも奪っちまうか」

「好きにしろ。ただしあと二機もあるぞ」

 吐き捨ててからオレは玲美と更識の方へと向かう。

剥離剤(リムーバー)か。あんなものまで持ち出して……」

 篠ノ之束の舌打ちに合わせ、静観を宣言されていた相川さんの機体が、推進翼から粒子をまき散らしてオータムへと突進してくる。

「ハハハハハッ、来たぜ来たぜ羽虫が。このバァル・ゼブルに勝てると思うなよ!」

「あんまり傷つけんなよ! さっさとリムーバーで奪え!」

「どうだろうな、調子が良過ぎてわかんねえぞ、止めたけりゃてめえがかかってこい、二瀬野!」

 上機嫌のオータムが銀色の機体を装着して迎え撃つ。極小型ビットを搭載し、甲龍をあっという間に葬り去った機体だ。

 そこで初めて、篠ノ之束の眉間に皺が寄った。

「……あの機体がもう完成してるとはな。誰が作った……?」

 まるでうわごとのように漏らした、憎々しげな呟きがオレの耳に届いた。

 

 

 

「ご、ごめん、でも、邪魔をしないで国津さん!」

 超振動する刃を持った薙刀を、更識が玲美へと鋭く振り下ろす。

「くっ」

 咄嗟に身を翻し、横へと回避するが、体に残る激痛のためか動きに繊細さがない。回避された刃は即座に横へと切り返され、痛みで動きが一瞬止まったテンペスタⅡ・リベラーレへと迫る。

「させるか!」

 加速したオレの一撃が、更識の機体を弾き飛ばした。ISの装甲を易々と切り裂く刃が、玲美の鼻先をかすめる。

「ご……ごめんね」

「全身痛むんだろ、無理させて悪かった……」

 玲美の前に立ち塞がりながら、体勢を立て直した相手を見据える。

「ちょっと……休ん……だから、平気」

 そう笑みを浮かべて腕をぶんぶんと振っているが、無理してるようにしか見えねえ。

「こっから先は休んどけ」

「で、出来るよ、大丈夫!」

 そう叫ぶ顔に汗が伝ってる。たぶん、痛みによる冷や汗だろうな。

 さっき食らってわかったが、篠ノ之束製ISの攻撃はおそろしく痛い。ISの各種シールドを突破して衝撃を伝えてくる。斬突兵器なら傷がつくどころでは済まない。それをISがここまで損傷するほど食らっているのだ。満身創痍に近いだろう。

 オレがすでに痛くねえのは、たぶんアドレナリン出まくってるからか。それとも、ディアブロの装甲が異常に堅いのかもしれない。

「そうかい、んじゃ無茶すんなよ」

「うん!」

 翼を破壊された玲美から標的を外すように、二枚だけ残った翼で無軌道に飛び回る。

「悪いけど、更識、ここで落ちてもらう!」

 自らを鼓舞するように叫んで、真っ直ぐ相手の機体へと襲いかかろうとした。

 

 

「さて、それはどうかな? ふったせのクーン?」

 歌うような声とからかうような調子で、さらなる乱入者が現れる。

 オレの機体が横殴りの衝撃を受けて、吹き飛ばされた。

『お姉ちゃん!?』

 咄嗟に体勢を立て直し、その姿を捕えた。亡国機業を追いかけてきたってわけか。

『簪ちゃん、大丈夫? でもお姉ちゃんが助けに来たから、安心して!』

 水色のヴェールを纏ったIS、ミステリアス・レイディのパイロットがそう言ってブイの字を作る。

 自他称ともにIS学園最強、ロシア正代表、更識楯無。

 よりにもよって、最悪のパターンで登場しやがった。

 何か策はないかと周囲を見渡す。

 サイレント・ゼフィルスは相変わらず遊ぶように、紅椿とラファール・リヴァイヴ・カスタム、そしてブルーティアーズの三機を相手にしていた。

 オータムの操る銀色のIS、バァル・ゼブルは相川さんの乗る機体に対し、虫の大群のような極小ビットを放っていた。

 目的である銀の福音は谷本さんが捕獲されたままだ。

 一夏とラウラはISを解除され戦線離脱している。

 負傷している玲美と四枚のうち二枚の翼を奪われたオレは、IS学園を代表する専用機持ち姉妹を前にしていた。

 事態はさらに混迷していく。

 

 

 

 

 

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは海中に沈んでいった。

 自分には力がない。そんな自責の念に囚われていた。

 全てはあの乱入者、二瀬野鷹と国津玲美によって打ち砕かれてしまった。

 果てには一夏と戦闘中に口論し、一夏が眼帯を捨て去った。

 自分は間違ってなかったはずだ。

 自機であるシュヴァルツェア・レーゲンは玲美によって大きく損傷させられ、まともに飛べなくなっていた。

 つまり二瀬野鷹がクラスメイトの機体を掴み、無防備に突っ込んできたときは、最高のチャンスだったのだ。だから攻撃を仕掛けた。

 こうなったのは全ては自分に力がないせいだ。

 嫁である一夏を守る力も、尊敬する教官を守ることが出来る力もない。

 眼帯を締める革ひもが自然と緩んで、海の中へ流れて行った。金色に光る左目が露わになる。

 力が欲しい。

 そう思いながら、暗い海底へと沈んでいく。

 夢現の境さえ定かにならないラウラの目の前に、鉄面皮の笑みを浮かべた人間のような物が立っていた。

「そこのヤツ」

 何だ?

「力が欲しいか?」

 まるで廃棄される鉄クズでも見るかのような目線で、ラウラを見下ろしていた。

 欲しい。全てを守れる力が欲しい。

「願うか? 今より圧倒的に強い力が欲しいか?」

 ……ああ、くれるなら寄こせ。今すぐ一夏と教官を守れる力を、この私に。誰にも負けない最強の力を、このラウラ・ボーデヴィッヒによこせ!!

「ならば、くれてやろう。お前なら丁度良い」

 そうして、ラウラ・ボーデヴィッヒは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 










遅れまして申し訳ありません。次回は日曜か月曜日に投稿する予定です。
(次回から、遅れる旨は活動報告を使ってみます)


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22、努力の価値は

 

 

 相手にしている更識姉妹は、ヤバイぐらい強い。

 ナノマシンにより水を操るIS、ミステリアス・レイディを駆る姉は学園最強の専用機持ちでロシア正代表。

 独立稼働型誘導ミサイルを多数装備したIS、打鉄弐式を装着した妹は、一年四組のクラス代表で、ラウラたちがいなかったとはいえ、一年では暫定最強。

 つまり、この姉妹はIS学園で一番強いのだ。

「キミとは一度、戦ってみたかったんだよねー。ワクワクしてる」

 姉である更識楯無が手に持ったランスを構える。

「こっちはゾクゾクしてますよ、絶対に戦いたくねえ相手が来たんですから」

「あはっ、つれないの。でもちょっと私とダンスして欲しいかな」

 上品に左手で口元を隠しながら、愉快そうに笑う。

「踊るの下手なんですよ。……さっきは何で助けた?」

「そりゃ分家から情報があったからよ。でも、今は別」

「副理事長の要請か」

「ありゃ、詳しいのね」

「IS学園の実務責任者って言えば、あのオジサンしかいねえし」

 副理事長である轡木十蔵氏は、理事長である妻を支える事実上の運営責任者である。国際IS委員会でもその手腕を認められていたはずだ。

「それでどうするのかな? 大人しく手伝ってくれる?」

「いや無理」

「何がしたいのかな? 元生徒だし、出来る限りその要望は聞いてあげたいんだけどね」

「……泣いてる人……いや、未来で泣くだろう人がいて、その涙を止めたい」

「不思議な言い回しだね。で、誰が泣くのかな」

「ナターシャ・ファイルス」

「それって、あのパイロットだよねー? どうして泣くの? 私たちは助けてあげようとしてるんだけど」

「それじゃ本当に助かったことにはならない。守りたいのは未来のあの人だ。今じゃない」

「ふむふむ、でも私たちも未来のIS学園のために頑張ってるんだけど?」

「じゃあこれ以上邪魔しないから、何日かかるかわからないけど、オレに銀の福音を貸しといてくれ」

「はいって言える状況だと思う?」

 むふふと訳知り顔で笑う生徒会長。

「出来ないことぐらい知ってるよ。だから言っても信じてもらえねえことは言いたくねえ」

 結局は、一夏が誘拐されたときの焼き直しだ。オレが未来について語っても、信じる奴もいなけりゃ協力するやつもいねえ。

「随分とヤサぐれてるけど、私の答えはノーだよ。別にキミが未来を知ってるなんてステキだと思うし、信じても害はないでしょ」

「害がない……そんな発想はなかったな」

「で、どうするの? 私はこの状況を打破して、あの亡国機業をとっ捕まえて、まあ可能な限りあのISを速やかに米軍に渡したいんだけど」

「最後のは、アンタの希望?」

「そうだよん。轡木さんを今、IS学園から無くすわけにはいかない。世界は割れかけてるし」

「知ったことかよ。世界とか」

 オレの吐き捨てるような言葉を聞いても、更識楯無は愛犬の粗相でも見てるぐらいの笑顔のままだった。

「世界が気に食わなかったら、私たちの生きてる場所、でもいいけど」

「それこそ知ったことかよ。オレはIS学園の生徒じゃねえんだし」

「じゃあ取引をしましょ? 私が出来得る限りの力を使って、キミを助けてあげる。ISを奪った脱走兵で、男性IS操縦者検体である二瀬野鷹君を」

「何だよ検体って。人を人体パーツ呼ばわりしてんじゃねえよ」

「私が呼んでるんじゃなくて、キミのいた部隊が呼んでるみたいだけどね。それでどうする?」

「乗ると思ったかよ」

「どうして? 悪い取引じゃないでしょ?」

「何の確約もねえし」

 いくら更識楯無といえども、その力には限界があるだろうしな。

 オレが疑いの目を向けていると、相手は得意げに胸を張って、

「確約はなくとも、この更識楯無が保証してあげる」

 とはっきり断言した。

「……なるほどね」

「良い取引でしょ」

 少し考え込む振りをしてから、オレは両手を広げて、戦意がないことを示す。

「助けてくれるって言うんなら、乗ってもいい。可能な限りの自由を、オレにくれ」

「可能の範囲が、人によって違うと思うけど、まあコンビニに行けるぐらいなら」

「そりゃ重畳だ。コンビニ限定のデザートで好きなヤツがあるんだ」

 PICを操作して、ゆっくりと更識楯無に近づく。

 そしてゆっくりと右手を差し出した。

「じゃあ、商談成立ってことで良いのかな?」

「ああ」

 相手がランスを左手に持ち替えて、差し出された手を握り返そうとした。

 ここしかねえだろ!

 右手で差しだされた腕を掴み、左腕で相手の顔面へ、思いっきりパンチをぶつけた。

 だが、柔らかいクッションにぶつかったような感触しか帰って来ない。

「ハイ、ざんねーん」

 可愛らしくペロッと舌を出して、目の前の女がウインクをする。

「水!?」

「IS学園じゃ、それぐらいの不意打ちは日常茶飯事だよ、知らないかもしれないけど」

 オレの拳が生徒会長の眼前三センチで静止していた。それ以上はどれだけ押し込もうとしても、ビクともしない。

 自ら組み上げたという愛機ミステリアス・レイディの周囲を、水のヴェールが取り囲んでいた。

「ナノマシンかよ……」

「そういうこと。よくご存じで」

 それ以上は何もしてこないので、スラスターを吹かして、一気に距離を取る。

 まずいな、勝てる見込みが……っといつものことかコレは。

「さて、これで私には勝てないことぐらい、理解したかな?」

「最初から理解してるっての。オレの実技成績ぐらい把握してんだろ」

「そりゃあね。ただ、不思議なところはあるから、警戒はさせてもらうわ」

「あん?」

 チラリと銀の福音を見る。まだ谷本さんのISに捕獲されていて、動く様子がない。

 ナターシャさんが動く気配もないな……大丈夫か?

「キミの実技実習成績、5月に急に上がったよね?」

「何の話だよ」

「特に翼の動きあたりの俊敏さが段違いに上がってる。無軌道瞬時加速が世界で初めて実現されたのも、その頃」

「何が言いたいんだ?」

 チラリと玲美と簪の方を窺う。

 こっちも二人して、お互いのパートナーの状況を窺ったまま、動く様子がない。

 玲美の呼吸がかなり荒いな……限界か。早く帰してやりたいんだが……。

「今のキミの動き、とてもISに乗って半年足らずの人間とは思えない。全体的な実力は、同じ男性操縦者の一夏君の方が早いかなぁと思うけど、キミの推進翼捌きは別次元に達し始めてる」

「病気なんだとよ。IWS」

「それは悠美ちゃんから聞いたけどね」

「ってことは、さっき助けたのは、悠美さんからのお願いか」

「そうそう」

「そりゃ悪いことしたな。あの人、アンタが嫌いらしいけど」

「えー? 私は大好きだけどなぁ。で、話を戻すと、急に成長したときの間に何があったかなぁと思ったのよ。そうしたら、メテオブレイカーと無人機撃墜の件があったわけ」

 ……無人機の件はやっぱり知ってやがったのか。まあそりゃそうだよな。あんときの上級生は試合なかったし、勘の良い専用機持ちなら、気付いててもおかしくない。それに副理事長と懇意なら、学園内の機密施設に収容されている機体も把握してておかしくない。

「私の観察から見るに、三段階かな。無軌道瞬時加速、メテオブレイカーでのマッハ3、そしてあの無人機の撃墜はキミとISのスペック以上をマークしてた」

「何が言いたいんですか? 更識会長」

「たっちゃん」

「は?」

「たっちゃんで呼んでくれると嬉しいなぁ」

「誰が呼ぶかよ」

 何言ってんだコイツ、と思わず大きなため息が零れてしまった。

「んー。残念。で、何が言いたいかって話だっけ」

「そうだ」

「それはね、私が全力でキミを警戒してるって話よ!」

 そう言いながら更識会長が右腕を勢い良く振り上げる。その動作に連動して、オレの足元にあった海の一部が盛り上がった。

「なっ!?」

「水を操るってわかってるのに、どうして海中を警戒してなかったのかなぁ?」

 企みが成功した悪戯っ子のように含み笑いをする。

 海中から盛り上がった水が、無防備なオレの背中に巻き付いた。粘着力と剛性があるのか、翼を動かしてもビクともしない。

「クソッ、会話が長いのは、ナノマシンの入った水を移動させてたからか!」

「あったりー! さすがに海水全部を操るなんてのは無理だけど、最初にぶつかったとき、ナノマシンを落としておいて、その周囲の水を移動させたわけ」

 周囲を見渡せば、霧が漂い始める。

「クリアパッションかよ!」

 それは確かナノマシンによる水蒸気爆発を行う技だったはず。爆発の効果範囲は限られてるが、翼を封じられてるオレでは、逃げ切れないどころかPICでゆっくり動くことしか出来ない。

「チクショウ、セコい真似しやがって!」

「あらら、自分のことを棚に上げちゃって。このまま連れて帰っても良いんだけど……でもそれじゃあね」

 腕を組んで考え込むような真似を見せる。余裕見せやがって、どうせ結論は出てるんだろうに。

「ヨウ君!」

 玲美が慌ててこちらに向かおうとするが、更識妹が立ちはだかる。

 何とか隙を見つけようとしているリベラーレだったが、両機ともスラスターが破壊されている状態では、射撃兵器の充実した打鉄弐式の方が圧倒的有利だ。二人ともそれがわかっているせいか、玲美は動けずにいて、簪は攻撃をしかけずに超振動薙刀を構えて威嚇するだけだった。

 ……何か手はないのか。 

「わかった。どこでも行く。ISだって解除する。だから、玲美には手を出すなよ」

「もちろん。あの子はIS学園の生徒だし」

 手、か。

 翼を封じられたオレが出来ることは何だ……。

「いい? 絶対に悪いようにはしない。キミがアイツらと繋がってないのだって知ってる。それはこの私の誇りにかけて、誓うわ」

 それまでと打って変わって、真剣な顔で更識楯無がオレに言う。

 どことなく優しさを持った眼差しが一夏に似てる気もする。たぶん、本当に相手のことを考えているときの人はみんな、ああいう目をするんだろうな。

「あの事件のことだって知ってる。キミが出て行った気持ちは少しわかるよ。悠美ちゃんがどう思ってるかは知らないけど、私だってずっと、あの人と比べられてきた。裏表のない、暗部に相応しくない人。アイドルになるって聞いて心から喜んだわ。夢だって知ってたから」

「……アンタは、何がしたいんだ生徒会長」

「もちろん、生徒会長として学園を守るだけ。そして私の中でキミも、まだIS学園一年一組の生徒」

 普段は水のように捕え所のない生徒会長が、今だけははっきりとした強さを見せていた。

 強い光を持った眼差しのまま、オレの方へ手を開いて伸ばす。

 それを受けたオレは、目を閉じてため息を吐いた。

 コイツのことは知識の中でしか知らない。

 もっと早くオレから話しかけていれば、ひょっとしたら良い先輩としてオレを導いてくれたのかもしれない。そして、IS学園を去る前に何か一言を告げ、彼女によって何か未来が変わっていたのかもしれない。

 ゆっくりとPICを動かして、歩くぐらいの速度で近づいていく。

 その動きに合わせて、オレの翼を捕えていた水が解かれ、霧も引いていった。

 爆発はさせない、だから近寄ってこの手を取れ。そして帰ろう。

 目の前の女性はそう告げてるのだ。

 優しい笑みがもう目の前に見える。

 夜の帳が降りて行く海の上、オレの黒く染まったISの手が、青く透き通った水色の手を握った。

 その姿を見て、簪が安堵したように微笑んでいた。

 目の前の生徒会長も、優しく包み込むような笑みを浮かべている。

 だから、オレは。

 その手を握りつぶした。

 破砕音を立てながら、相手の指が砕けていく。

「そう」

 目の前の女の子の顔が、氷のような冷たい無表情に変わる。

「ああ」

「それがキミの答え」

「オレの求めている物が、あんたのところにはない」

 結局、銀の福音を元通りにすることが出来ないなら、オレが行く意味はないんだ。

「では、力づくでも良いかな?」

「良いよ、あんたは充分過ぎる誠意を見せた」

「良い殺し文句だね。キライじゃないかな」

 困った悪戯っ子でも見るように優しく微笑んだ。

 今、やることはなんだ。

 後ろを見れば、こちらに駆けつけようと様子を窺う玲美と、隙を見せまいと立ち塞がる簪がいた。

 覚悟を決めて、動かなくなった翼を引きちぎった。大きさだけは片翼でISを包み込むぐらいある。所々漏電し煙を上げていて、もう使い道なんてない。

 デカい羽根ペンを持ってるようでカッコ悪いが、今は何でも良いから得物が欲しい。

 その二つを更識楯無へと投げつけた。

「あらら、自慢の翼だったはずなのに」

 少し悲しげに微笑みながらも、体を包む水のヴェールで弾き飛ばされた。

 だが、デカいだけはあって、視界は一瞬塞がったはずである。

 そのまま背中を向けて、簪の方へとイグニッションブーストで駆けた。

 何はともあれ、まずは弱い方を落とす。

 だが、何かに足を引っ張らられてスピードが落ちる。

 見れば、脚に刃のついたムチのようなものが巻きついてる。

「残念、お見通し!」

 良く見ればミステリアス・レイディの蛇腹剣ラスティーネイルだ。完全にオレを止めることは出来なくても、スピードは大きく殺がれてしまう。

 そこへ、振り向いた妹の打鉄弐式から、多数のミサイルが打ち出される。

 咄嗟に両腕で顔を隠して防御態勢を取った。脚を掴まれたまま合計12発のミサイルを避けることなんて出来ない。

 その全てが着弾して、オレのISのシールドエネルギーが減っていった。爆発が起き装甲も削られている。狙ったのだろうか、背後からも回り込むように撃ち込まれたミサイルが残り二枚の推進翼さえ破壊し尽くしていく。

 そのまま頭から海面へと落下していった。

「ヨウ君!!」

 この混戦の中、たった一人だけいる無条件な味方が叫んでた。

 こうして、誰も見たことのない涙を止めるという、オレのワガママで始まった騒乱は終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 気付けば、どこまでも続く荒野の真ん中に立っていた。目を凝らしても草木一本見当たらない、乾いてひび割れた地面が広がっている。空は闇夜のごとく暗く、空気の澄んだ場所のように星空が見える。

 ここは……?

 夢でも見てるのか、と思ったがたぶん違う。ISが見せる夢の中にいるのか、オレは。

 暗闇の中に立つオレの周囲を、様々な場面がいくつものホログラムウインドウに表示されて、回転していた。最近の走馬灯ってのは、やっぱりデジタルなんだな。

 二回目の人生というアドバンテージで偉そうにしていた幼い頃のオレ。

 一夏と箒と出会い、この世界が何処なのか知ったとき。

 弾や鈴と出会い、徐々に普通の少年として埋もれていった。

 誘拐事件を防ごうとして、逆に足を引っ張って、一夏がドイツへ渡った話。

 最後に諦めようとして……いや結局は諦めきれなくて、高校の試験会場でISに触れたこと。

 セシリアとの模擬戦であっさりと負けた。

 両親がVIP保護プログラムにより名前を変え違う土地で別人として暮らすはめになった件。

 理子や神楽、それに玲美と出会い、テンペスタ・ホークを貰った。

 アメリカに渡り、ナターシャさんに指導をしてもらい、初めて心の底から人を尊敬した。

 ドイツからきたクラリッサに、凡人としての心構えを叩きこまれた。

 帰ってきた一夏と、ラウラやシャルロットとともにIS学園で過ごしていた。

 空から落ちてくる隕石を破壊したこと。

 タッグトーナメントが中止になるのを防ごうと、一人で戦った。

 篠ノ之束に似ていると言われ、自分がとんでもないクズだと思い知る。

 その後にみんなとの境界線を確認した。

 IS学園を出て試験分隊に入り、オータムや悠美さん、それにリアと知り合った。

 自分の頭がおかしいとバレ、病気と診断されて専用機を剥奪された。

 悔しさだけで、ISを奪って戦いを挑んでいる。

 自分の道程を振りかえれば、本当にオレは酷いヤツだ。

 鼻で笑って、いつのまにか着ていたIS学園指定ズボンのポケットに手を突っ込み、全てのウィンドウから目を背ける。

 それでもしつこくオレの目の前に現れたのは、文字だけを映した画面だった。

『ルート2進行中。現在のレベルは3、進行状況は右眼、左腕です』

 何かふざけたことを言ってやがる。

 全ての文字が消えて、一つの大きな設問が現れた。

『力を欲しますか?』

 それはおそらく、一夏が本来の歴史で見たはずの言葉だ。その下には、イエスとノーのボタンが表示されていた。

 力か。欲しいな。

「こんばんは」

 後ろから声をかけられて振り向くと、見知った顔があった。えっと、誰だっけ、この女の人……すごい最近見たことある気がするんだけど……。

「なんでこんなところに?」

 思い出せないことを気付かれないように、誤魔化すような笑みで問いかけた。

「ちょっと特殊な方法を使ってるの。コアネットワークという経路を使ってね。それでキミは力が欲しい?」

「そりゃ欲しいですよ。努力してきて、何とか頑張ったけど、これだけじゃ足りない」

 両手を強く握る。

 この世界が何処なのか気付いてから、ずっと頑張ってきたけど、オレが持ってる力じゃ足りない。

「そっか……じゃあ、今からキミに残酷なことを言うかもしれないけど、いい?」

 すごい申し訳なさそうな声音で、目の前の女性がおずおずと尋ねてくる。

「なんでしょ?」

「キミが強くなったのは、努力したからじゃないの」

 唐突に言われた言葉で、思考回路が停止した。

「は?」

「自分の努力が実を結んだとか、そういうのは間違い。キミだって、ホントは理解してるんじゃないのかな?」

「……何を?」

「たかだか三か月ちょっとしかISに触れていないキミが、他の子たちと同等に戦えること」

 寒くもないのに、膝や唇がが震えていた。思ってもいなかった事実を打ち出され、ハンマーで殴られたかのように体がグラグラと揺れている気がした。

「ど、同等じゃねえし。何言ってんだ、オレは自分で努力して、自分で……!」

 オレは頑張ってきた。それこそ才能がないゆえに、誰よりも頑張ろうとして、朝から夜まで色々と休みもなく頑張ってきた。

 朝は6時に起きて剣道の素振りから始まって、授業が終わればずっとISの展開練習と推進翼の動作訓練、終われば筋トレ。土日はずっと缶詰で研究所に入り浸り。夜は毎日書類作りで、それこそ何とかやってるってレベルだった。

 でも弱音は吐かずにやり続けてきた努力だ。それが今、オレのオレを形作ってるはずだ。そうじゃなきゃ……。

「他の子だって努力してる。そんな中、キミだけが伸びて行くわけがないの」

「そ、そりゃそうかもしれないけど!」

 オレより才能のあるヤツだってみんな努力してる。確かにオレは推進翼特化でアリーナじゃよく負けてたけど、今さっきだって特技を生かして戦えてたはずだ。

「その認識を変えなければ、キミは新しい力を得ることが出来ない」

「認識って、他に強くなれる理由があるってのかよ!?」

 知らず声が上ずっていく。

 実力の内訳に、努力と才能以外の何があるってんだ。才能がなけりゃ努力に費やすしかねえだろ!

「キミの体は少し特殊で、犠牲を払うたびに強くなる」

 言葉を続ける人物の名前すら思い出せずに、睨みつけていた。

「……どういうことだよ?」

「事実を挙げていくね。右眼の視力をほとんど失った後、キミは無軌道瞬時加速が可能になった。左腕の感覚を失って、メテオブレイカーでマッハ3を実現した。無人機を一人で撃退した後に、一時的に下半身と左目を失った。このときの力はすぐに失われたけどね」

 愕然とする。

 なんでそれを知ってる? どうして、そんな事実を知ってるんだ?

「でも、偶然だって……そうだ、偶然……偶然だ、たまたまだろ!」

 だが、目の前の女の人は悲しそうに首を振るだけだ。

「キミのような普通の人として生まれた体では、今みたいな性能を出すことは出来ないの」

「だ、だからって……そんな不思議な力で強くなりました、なんて認められるかよ。おかしいだろ?」

「でも、ホントにそうなんだ」

「ど、努力ぐらい、努力で手にした力ぐらい、オレのものだって認めてくれよ!」

 思わず食ってかかるように大声で叫んだ。

 だけどその人物は、もう一度だけ悲しそうに首を横に振った。

「お医者様にもわからない原因不明の症状が二か所も続いていて、それでいつのまにか強くなっていて、偶然というなら、それでも良いけど」

「……何が言いたいんですか」

「努力で何とかなる戦いに、いるのかな?」

 トン、とオレの胸の中心を指で軽く突かれた。

 確かに、この人の言うタイミングでオレの実力は上がっていった。

 それでも周囲には敵わないヤツらだらけで、だからこそ努力をし続けた。そんな地道な毎日が、オレのアイデンティティの一つだと言っても良い。

 それが強くなったのは努力じゃなくて、自分の体を犠牲にしたからだった?

「ふざけんじゃねえよ。だったら、今すぐ強くしてくれるのかよ!」

「私が強くするんじゃないよ。強い形に戻るの」

「意味わかんねえ言葉で、オレを惑わすのはやめてくれ! そ、そうだ。こんな場所でボーっとしてる場合じゃない! 早く戻らないと!」

 突きつけられた事実を振り払うように、早口で言葉を紡いで目を逸らす。

 でも、心から相手の言葉が張り付いて離れない。

 思い出せば、右眼がほとんど見えなくなるぐらい視力が落ちたあと、なぜか体が軽くなった気がして無軌道瞬時加速が出来る気がした。

 確かにそうだ。オレの実力はあの日、大幅にレベルアップしていた。

「キミは犠牲を払う? これ以上進めば、左目の視界は赤く染まり下半身も動かなくなる」

 それを信じるなら、オレの力は右眼と左腕を犠牲に差し出して、ようやくアイツらと互角以下だったってことだ。

 何もないひび割れた荒野に、下品な笑い声が響き渡る。

 どれくらい笑い続けてたんだろうか。時間の感覚が薄い場所だ。

 それでも相手は根気良く、黙って待ち続けていた。

「……アンタの言葉なんて信じられない。強くなるなんてウソだろ」

「強かった状態に変化するって言うのが正しいみたいだけど」

「だったら、やってみれば良い。変わらなければ、オレは自分の努力で強くなったってことだ」

 ぽつりと、自分で呟いて確認する。

 翼が病気だと断定されるだけに飽き足らず、とうとう自分が費やした時間にすら裏切られんのかよ。

「その結果、左目は赤く染まり、キミは……フタセノ・ヨウは歩けなくなる。それでもいい?」

「了解だ。歩けなくなってもいい。見えなくなってもいい。それで強くなれるのがホントだってんなら、オレに力をくれ」

「じゃあ、その画面にタッチして」

 目の前に浮かぶイエスとノーのボタンを見つめる。

 これは今までの努力を全て否定するためのスイッチだ。毎日毎日、努力が実を結ぶと信じて頑張って踊ってた道化師がオレってわけか。

「ブラジャー」

 やけっぱちに返事をしながら、オレは目の前に浮いていたホログラムウインドウにタッチして、イエスを選択する。

「誰だか知りませんが、余計なお節介をありがとうございます」

 お礼を言いながら顔を見上げるが、そこにはすでに誰もいなかった。

 えっと、誰がいたんだっけ……。

 考えていると、オレの下半身が力を失っていき、前のめりに倒れ込む。左目の視界が赤く染まっていった。

 こうして、二瀬野鷹はゆっくりと死んだときの体に近づいていく。

 

 

 

「さて、あとは亡国機業を追い払って終わりかな。これが一番大変そうだけど。簪ちゃん、大丈夫?」

「う、うん……国津さんは、その」

「じゃあちょっと二瀬野クンを抱えてもらおうかな」

 そんな姉妹の会話が聞こえた。

 犠牲は払った。

 視界の左側は血を薄めたような赤色透明になっている。下半身が自分の体に繋がっている気がしない。

 オレの体から黒い光が伸びて行く。

「な、なに!?」

「これは……?」

 掴んでいた手を振り払って、オレは顔を上げた。

 剥き出しになっていた部分を、黒い装甲が蔦のように伸びて覆う。

「フルスキン……タイプに……」

 ISが作りかえられていく。

 生身の左腕の骨が折れる音を立て、肉をすり潰しながら装甲が変化していった。左腕の感覚が無くて良かったよ。普通じゃ痛みで気絶してた。

 気付けば下半身も同様だ。特に膝から下が酷い。何の感覚もねえ。

「セカンド……シフト?」

「このタイミングで!? って離れて! 膨大なエネルギー反応!」

 剥き出しだった部分が全て装甲で覆われた瞬間に、テンペスタⅡ・ディアブロが吠えた。甲高い電子音の唸りを響かせて、周囲の大気を振るわせる。

 視界内の仮想ウィンドウに表示されていた自機の3D映像が、エラーを吐き出しながら作り変わっていった。

 巨大な翼を取り戻し、獰猛な爪と牙を生やし、装甲を鋭い刃のような形に変え、まさに悪魔と言わんばかりの姿に生まれ変わる。

 膝から下の脚部装甲は、もはや人体が収まる太さをしておらず、まるで有蹄類の足みたいだ。そして右腕よりも異常に細く長い左腕は、重ね合わせた日本刀の先に五本の爪を生やしたような形に変化していた。

「きゃっ!」

「くっ、簪ちゃん、一度離れて!」

 水のヴェールで妹を守りながら後退していく生徒会長の姿が見えた。

 咆哮が終わらない。オレの体が勝手に自分だけの生誕を祝っているようだ。

 兵装リストが更新されていく。右手、左手と表示されていたものに翼が追加される。

 ルート2進行中。

 その文字が最後に浮き上がって、すぐに消えた。

 周囲を見回せば、IS学園の連中も、亡国機業も驚愕して沈黙していた。

 呼吸が苦しい。そりゃそうだ。今は下半身も左腕も出血どころの騒ぎじゃないはずだ。よく生きてんな、オレ。

「よ、ヨウ君?」

 そっと寄り添うように近づいてくる姿があった。唇がわなわなと震えていた。

「大丈夫だ、生きてる」

 そんぐらいしか言える言葉がねえ。

「そ、その形じゃ……」

「わかってる」

 ISを解除すれば、オレはもう歩けないだろうし、左腕もまともに動かないだろう。視覚だって右眼はISによって補助されてるが、左側は真っ赤なセロハンフィルターをかけたみたいだ。

 だが、信じられないぐらい体にISが馴染んでいた。ホークのときに感じていた妙なもどかしさもない。これこそがオレの体と言わんばかりだ。

「も、もうダメだよ、そ、そんなの!」

 すがりついてでも止めようとする手を、優しく払い退けながら、

「良いんだ。笑っちゃうよな」

 と独り言を呟いた。

「え?」

「オレの努力、まるっきり無駄で意味がないんだってさ」

 腹の底から、自嘲の笑みが込み上げてきた。堪えられなくなり、腹を抱えて笑ってしまう。

「ヨウ君……?」

「いや、大丈夫だ。面白かっただけだから」

 バカ笑いが収まってから、玲美に優しく微笑んだが、フルスキンタイプになってるオレの顔は見えないだろうな。

「続きをやる」

 獲物を探すように周囲を見渡した。

 まるで化物でも見るような視線を、オレに全員が向けていた。そりゃそうだろうな。このISは普通の人体では装着不可能だ。脚部装甲と左腕部装甲は人体より明らかに細い。

「ちょ、ちょっと待ちなさい、待って二瀬野クン!」

 焦った声が近くで聞こえてきた。

「なんスか会長」

「それ……もう……」

「わかるでしょ、IS組んだことあるなら」

「組んだこと無くてもわかるわよ!」

「まだ戦います?」

「た、戦えるわけないでしょ! 私はキミを殺したいわけでもないの! 早く止まりなさい、ISを解除して!」

「嫌です」

「き、聞き分けのないことを言わないで、ほら!」

「じゃあ、力づくで来てください」

 背中に生えた大小二組の翼を広げる。これまた異常に細くなっていて、外側の二枚など背中に片刃の巨大な剣が生えてるかのようだった。

「何がそこまで!」

 必死になってオレを説得しようと声を上げる。

 やっぱ良い人なんだな、この人。本気でオレの身を案じてやがる。大して話したこともないってのに。

『おい二瀬野、なんだそりゃ』

 通信を通して声をかけてきたのは、岩礁の上で相川さんの機体を踏みにじっているオータムだった。ISが強いのか本人が強いのか知らないが、あの黒い無人機をあっという間に抑え込んだのか。手にはリムーバーを持っていて、ISの強制解除をしようとしている。

「オレのIS、ディアブロだ。やらねえぞ?」

『そんな人間の入らないISはいらねえ』

「そりゃそうだ。どうする?」

『用事は篠ノ之束製のISだけだ。そろそろ帰る』

「ごきげんよう、ヤンキーバカ」

『死ね、クソッタレ』

 悪態を吐いてから、オータムは手のリムーバーを動作させて、相川さんからISを剥ぎ取った。

 残りはあと一機、銀の福音をぶら下げた谷本さんの機体だけだ。

「箒ちゃん、一度逃げよう、アレはなるべく戦いたくない」

『姉さん?』

「見てわかるでしょ、あれに乗ってるのは人間じゃないの。こっちは銀の福音を手に入れて万々歳さ。さっさと帰るべきだよ」

 その言葉に反応して、谷本さんのISが背中を向けて飛び退ろうとした。

 逃がすかよ。

 まだ人間の形を残している右腕を突き出して、イグニッションブーストをかける。

 300メートルはあった距離を一瞬で詰めて、その首根っこを後ろから右手で掴んだ。

 そのまま横に薙ぎ払った左手の一振りで、背中の推進装置を打ち砕き、銀の福音を掴んでいた右手を握りつぶした。

 黒いISから甲高い電子音の悲鳴が上がる。

 構わずに銀の福音を拾い上げて、胸の前で抱えた。

 あれだけ苦労した相手が、こんなに簡単に倒せるなんて、機体もオレもスペックも上がってるみたいだな。

 ……ああ、確かにこんな残酷なことはないな。色々な努力をしてきても、それがこんなに無意味だというのだから。

「ちっ、奪われたか! これだから人間未満は!」

 篠ノ之束の……いや、その姿を真似た何かが舌打ちをした。

 腕の中でぐったりとしている銀の福音を見つめる。損傷は沢山あるが、破損した頭部装甲の隙間から見えるナターシャさんの呼吸は規則正しいものだった。

 落とした機体を見ようとすれば、すでにサイレント・ゼフィルスが掴んでいて、オータムの元でリムーバーを作動させようとしている。

「抜け目ねえな」

『こっちは事前に聞いてたとおりだからな』

「事前に?」

『国津博士にな。撤退させてもらうぞ』

「……まあいい。じゃあな」

『さっさと帰って来いよ、せっかく作った独房が台無しだアホ』

 リムーバーが発動し、丸いISコアが剥がれて谷本さんの体が見える。他のクラスメイトが折り重なるように、岩礁の上に寝かせてやっていた。なにアイツ、優しい人なの?

『ま、待ちなさい!』

 我に返ったセシリアが、BTライフルを構える。

 だが、Mはバイザーの下にある口元でせせら笑ってから、展開していたビットからの偏向射撃でそのライフルを撃ち落とした。

 そして三つのISコアを持ったオータムと一緒に、加速して戦域を離脱していく。

『くっ、逃がしませんわ』

『セシリア、今の僕たちじゃあのパイロットに勝てない。先にラウラを!』

 シャルロットがセシリアを声で押し留める。その言葉に頷いて、セシリアが水中に飛び込んだ。先ほどまで救援を邪魔していたMがいなくなったのだ。まずはそれが最優先だろう。

 そして残りの箒とシャルロット、簪と更識楯無がオレの方へと視線を向けた。

 これで残ったのは、オレたちとIS学園だけだ。

「じゃ、これで撤退させてもらうわ。追いかけてくんなよ」

 そう言って背中を向けるオレに、生徒会長が、

「キミは残って、二瀬野クン」

 と声をかけた。

「ん?」

「キミはすぐに治療を受けなさい」

「嫌です」

「国津さんがまだ飛べるなら、銀の福音を持っていけばいいよ」

 心配げに咎めつつ、信じられない言葉を放つ。

 その信じられない言葉に、全員が更識楯無の方を振り向いた。

「誰にも文句は言わせない。IS学園の生徒会長、更識楯無が許可します」

「……良いんですか?」

「もちろんキミが今すぐ、そのISを降りて治療を受けることが大前提だよ?」

 優しく問いかける言葉を信じて良いのか……。

 玲美がオレの横に寄ってくる。

「……私と……しても、生徒会長さんの言葉に賛成だけど……」

 喋りかけてくる声がかなりつらそうだ。頬を伝わる汗の量が尋常じゃなく息もかなり荒い。

 オレよりも、こいつが限界だ。よくもここまで頑張ってくれたと感謝の気持ちでいっぱいだ。

「玲美もこのISも送って、ここに戻ってきます」

「……わかった。でも、私もついてくね。それで良いかな?」

 正直、このISでどこまで生徒会長と戦えるかは未知数だ。オレはミステリアス・レイディの機体性能を知らないし、更識家当主の実力も把握していない。

「了解です」

「ということよ。全員、良いよね?」

 残っていたメンツが神妙な顔で頷く。生徒会長はそれを確認してから、最後に篠ノ之束を見上げた。

「よろしいでしょうか? 篠ノ之博士。これが現状でのIS学園の総意といたします。責任はこの私が全て取ります」

 その言葉に、篠ノ之束は反応を返さない。張り付いた笑顔のまま、何も喋らずにジッとオレを見下ろしていた。

「ね、姉さん! いい加減にしろ! 返事をしないか!」

「ん? ああごめんネ箒ちゃん。それは聞けない相談かなぁ」

「……何だと」

「ここで銀の福音を食っておかないと、後々が厳しくなる」

 篠ノ之束が妙な言葉とともに笑う。いや、多分アイツは篠ノ之束の形をした何か別の物だ。

「……何を言っている? 姉さん……いい加減にしないと」

「んー? どうするのかなぁ? 私に全員でかかってきちゃう? いいよ、全然問題ナッシィング。その紅椿を傷つけるのはホントに不本意だけど、いい加減、しつけをした方が良いかなってお姉ちゃん思ったりするんだよね」

「しつけ? 今さらそんなことを……」

「それに」

 意味ありげに言葉を止めて、篠ノ之束が指をパチンと鳴らす。

「納得できてない子もいるみたいだしね」

 水面が盛り上がって、慌てた様子でセシリアが海中から逃げるように飛び上がってきた。

「全員、退避を!」

 その警告の後に、海中から閃光が伸びた。

 

 

 

「くっ!」

 咄嗟に横へと旋回して、何の攻撃かもわからない光を回避する。

「な、何? セシリア、ラウラは!?」

 シャルロットの声に、セシリアが震える声で、

「おそらく……あれがラウラさんですわ」

 と答えた。

 黒い影が海中に見えた。ゆっくりと海面を押し上げて、銀色の物体が姿を現す。

 背中に多数の砲身を生やした天使像、と言えば良いんだろうか。翼のように広がる砲台は全て、レーゲンで使われていたレールガンと同型だ

「VT……システム? いや、ラウラはレーゲンに乗っていないって」

 確かタッグトーナメントの前日にそう教えてくれたはずだ。だったら、あの状態はなんだ?

「簪ちゃん、それに他の子も、まず最初に一夏君たちをここから離して!」

 会長の指示に、全員がハッとして海面に飛び出た岩礁に向かう。簪、セシリア、箒、シャルロットがそれぞれ一人ずつを抱え、離脱しようとした。

「玲美も早く逃げろ。あとコレを頼む」

 隣にいた玲美に銀の福音を渡す。

「よ、ヨウ君は?」

 受け取った玲美が、怪訝な顔つきでオレを見上げた。

「アイツを止めるよ。たぶんラストバトルだ」

 そう、オレにとってはこれが最終戦だ。

 どうせこの先、こんな体じゃまともにIS操縦者なんてやっていけないだろうしな。それに努力したって無駄なら、何をしても仕方ねえよ。

「だ、ダメだよ、ヨウ君もそんな体じゃ!」

「良いんだ、これがオレにとっちゃベストだってよ」

「え?」

「それに、誰かが止めないとな。頼む玲美。ナターシャさんとその子を頼めるのは、お前しかいない」

 右手を肩に添えて、ゆっくり押し出す。

 そこへ、天使像から一発の砲弾が撃ちこまれた。玲美の盾になるように長い左腕を突き出して、その攻撃を受け止める。

「早く!」

「う、うん!」

 シールドエネルギーが大幅に削られたが、全てを受け止められた。

 ちらりと周囲を窺う。スラスターが壊れている機体ばかりで動作が遅いが、今のところ無事に逃げだせそうだ。

 そして、この場に残るのは、生徒会長とオレだけになる感じか。

「ほら、キミも早く逃げて」

「逃げたら、アレが追ってくるでしょ。それより会長も逃げた方が良いんでは?」

「そんなIS装着してる子を置いていけるわけないでしょ!」

 そう言いながらも、二人とも背中合わせで、離脱していくヤツらを見守る。

「逃がすわけがない」

 篠ノ之束が呟くと同時に、天使像が両腕を大きく横に広げた。

 その動作と同時に、離れて行こうとしていたISの中で、一夏を担いだ箒と玲美の機体が、空中で完全静止する。二機の周囲の空気が歪んで見えた。

「AIC!? んな、遠隔で!」

「くっ! 離しなさい、ラウラちゃん!」

 更識さんが左手の蛇腹剣を伸ばして、天使像ISの左腕に巻きつける。

「他のヤツらはケガ人を連れて離脱しろ! ここは何とかする!」

 その言葉に、シャルロットが戸惑う。だが、スラスターの生きてるセシリアが無理やりに腕を掴んで、離脱を開始した。簪も心配げにこちらを見たが、そのまま一直線に飛び去って行こうとする。

「ごめんね、ラウラちゃん!」

 水色のIS、ミステリアス・レイディが力を込めると同時に、敵の左手首から先が切り落とされた。

 甲高い電子音の悲鳴が周囲に轟く。

 その攻撃によって箒の方は自由になったようだが、玲美の方がまだ動けていない。手から発動させてるのは、レーゲンと変わらないのか。

「そういうことなら!」

 加速をかけて、AICの発生源である右手を狙おうとするが、背中にあるレールガン合計8門がこちらを向いて、一斉射撃を始める。

 撃ち出された砲弾を上昇しながら回避するが、狙いが正確すぎて飛び回るのが精いっぱいだ。

 こっちのスピード自体はかなり上がっているのに、あの天使像ISのスペックが高すぎる。

 どうする? と考え始めたときに突然、オレの視界の隅に浮いていた速度計が一気にゼロへと変わった。

「また遠隔AICかよ!」

 玲美の方が解除された代わりにオレの周囲が慣性停止結界に包まれていた。

 止まると同時に相手の背中に生えた全砲身が、こちらへゆっくりと狙いをつける。

 溢れ出るエネルギーを漏電させながら、全ての砲口から銀の弾丸が放たれた。

 AICの弱点は、実弾兵器と同時に行使できないこと。逃げられるタイミングはまだある。

 切れるタイミングで前方宙返りで回避しようとするが、時間差で絶え間なく撃たれる八発はキツい。

 結局、そのうちの二つから逃れられずに、銃弾が長い翼と左腕にぶち当たり爆発を起こした。

「ヨウ君!」

 玲美の叫ぶ声が聞こえる。

「バカ、早く逃げろ!」

 体勢を立て直しながら声を上げるが、すでにレールガン8台が玲美へと狙いをつけていた。その銃身から電流が漏れる。まるで雷を放つ神の御使いが如しだ。

 スラスターすら動かなくなった玲美と銀の福音へと、神の怒りのような砲弾が射出された。

「くそ、間に合え!」

 世界そのものがスローモーションに見えた。

 距離が遠過ぎる。マッハを超えても、なお遥か彼方にしか感じない。さっきの砲撃から逃げるときに、玲美に当たらないよう距離を離したことが、明らかに裏目に出ていた。

「くぅっ!」

 玲美が背中を向けて、銀の福音を守ろうとする。

 なんでそこで律義に自分を盾にしようとするかな、チクショウ!

 届け届け届け!

 体でも何でもくれてやるから、もう一回動けよディアブロ!

 必死に悪魔に祈るが、加速が増すような奇跡は起きない。

 間に合わねえ!

 そして、砲弾と玲美の間に、生徒会長が立ち塞がった。

 仕方ないなぁと苦笑しながら、水のヴェールを多重に展開して玲美たちの盾になる。

 強烈な八発の砲弾が直撃し、抉り取るように水鏡の盾を貫通していった。

 その流麗な水のごときISが、引き寄せられるように海面へと落ちて行く。

 

 

 

『あ、あ……お、お姉ちゃん……』

 簪の呻くような声がオープンチャンネルで聞こえた。

 ぐったりとした様子で、更識楯無が墜ちて行く。

 ISが光の粒子になって消え去っていった。

 その体を、間一髪で抱き上げて、天使像ISから距離を取る。

 絶対防御が発動しているのか、間近で見た生徒会長の意識はなさそうだ。

 一気に加速して急停止し、近くにいた簪へと半ば放り投げるようにして渡した。元から抱えていた谷本さんを肩に担ぐようにして、姉の体を受け取った。

「逃げてくれ、頼む。あと、ありがとうって!」

 それだけ言って、一気に天使像ISへと加速して舞い戻る。

 更識さんが墜ちたからと言って、別にこの異形のISは、動きを止めたわけじゃない。

 まずはこの厄介な8本のレールガンを止めなければならない。貫通力も段違いなら、その連射速度も半端ない。

 そんなオレの狙いを察してか、天使像ISの背中から光るワイヤーが飛び出して、オレを絡め取ろうとする。

「チッ! ワイヤーも健在かよ!」

 基本はレーゲンそのままだが、妙なパワーアップが拵えてある。全ては篠ノ之束のせいか。

 こっちは他に武器ねえのかよ。何だよ兵装リストにあるのは右手と左手と翼ってよ! パワーアップしても基本スペック以外ほとんど変わってねえし!

 心の中で悪態を吐きながら、縦横無尽に触手のごとく襲いかかるワイヤーをかわし続ける。

 さらにワイヤーの数が増えて、オレの細長い脚部装甲を掴んだ。

 引っ張られるようにスピードが落ちた瞬間に、他のワイヤーも残った手足に巻きついて行く。

 完全に止められたと同時にワイヤーが巻き取られ、天使像ISの眼前に引きずり出された。

「クソッタレ!」

 数十センチ先に、銀色の顔があった。よく見れば、千冬さんのような顔つきをしている。金属でつくられた不気味な面が、少し悲しげに見えるのは気のせいか。

 歯車同士が擦り合わせるよな音が聞こえる。背中にあった八門のレールガンが、全てオレへと向けられていた。

 何かねえのかよ!

 必死に視線でウィンドウを動かし続けるが、兵装リストに変化はない。相変わらず手と翼だけだ。

 そもそも、最初に食らった砲撃でシールドエネルギーもだいぶ減らされているのだ。ミステリアス・レイディを水のヴェールごと貫いた砲弾が至近距離で全弾なんて、この細長く頼りないISで耐えられるのか。ただでさえすでに被弾してんのに。

 電流が全砲門から漏れて、バチバチと音を立てる。

 武器は両手と翼って、どうしろっつーんだ……。

 その瞬間、四枚の推進装置のうち、巨大な片刃の剣にも見える外側の翼が、背中から外れて落ちた。

 オレ自身が呆気に取られているのに、空中で回転し、狙ったように手足に巻きついていたワイヤーを全て断ち切る。

 何だか知らんが、今だ!

 そのまま残った二枚の翼で急上昇した刹那に、オレがいた場所近くの海面が八発の弾丸により巨大な水柱を上げた。

 舞い上がって落ちてくる水しぶきの中、体勢を立て直したオレの横に、二本の巨大な剣のごとき翼が静止する。

「……ソードビットだったとは」

 こんなドがつくマイナー兵器いらねえ……もっとマシなもんよこせよ、ディアブロ……。

 オレから離れて浮かぶ二枚の推進翼に対し、視界内の仮想ウィンドウが『Danzatore di spada』と表示を示した。英語でソードダンサーってところか。そういうダサい名前もいらねえ。てかデフォでイタリア語仕様なのかよ。

 そう心の中で悪態を吐くものの、無いよりはマシだ。

 IS並みの大きさを持つ刃が空中でクルクルと回転し、切っ先を天使像ISに向けて止まる。

 意図した通りに動きはするみたいだ。

 そりゃそうか。オレはそもそも、自分の推進翼だけは思うがままに稼働出来たのだ。それは自分の体を離れても、あまり変わらないのかもしれない。

 ただし、あの翼をビットとして使ってる最中は、本体の推進力がかなり落ちてる。一長一短にも程があるだろ。

「んでもまあ、やってやる!」

 これで便宜上は三体みたいなもんだ。

 相手の様子を見るに、AICは手の数と同じ二か所のみ同時使用可能みたいだ。元々、手の先でしか発動しなかった制約があるのかもしれない。

 会長が左手を落としてくれたおかげで、残り1だが、こっちの攻撃はソードビットのおかげで三か所同時にやれる。

 キリキリと音を立てながら、レールガンの砲門がオレへと向いた。

 右手をオレへと向けて、遠隔AICが発動する。

 だが同時に二本のソードビットに加速をかけた。

 つか、元々はオレの翼だよな、あれ。だったら!

 意識を集中させて、心の中でシフトチェンジをかける。

 ソードビット自体がイグニッションブーストを起こした。

 超加速をかけて、背中のレールガンを二本の剣が串刺しにする。その威力から見るに、ビット単体としての重量もそこそこあるようだ。

「やれば出来るじゃねえかよ!」

 天使像の背中で爆発を起こしながら、ソードビットが遠隔AICを起動させている右手の先を叩き切った。

 まとわりつくような空気が消え去り、オレは一気に急上昇すると、推進翼であったソードビットも追いついてきた。そして元々くっついていた背中へと戻る。

 相手の武器はほとんど封じた。あとはワイヤーだけか。充分に加速すれば、あれで掴まれることはなさそうだ。

 そして上へ上へとさらに上昇し、高度が一キロを超えた時点で動きを止めて、四枚の翼を広げた。

 右腕の二倍はある長さの左腕を突き出して、自分自身をまるで巨大な刺突剣のように伸ばし、敵へ向けて落下を始める。

 ようやく終わるんだ。

 そう思いながら、背中の推進装置へ点火、大小二組の翼が交互にイグニッションブーストをかけ、加速に次ぐ加速を始めた。

 速度計がマッハ5を示す。衝撃波をまき散らしながら、海面近くでオレを見上げる異形の天使へと、悪魔の左手で襲いかかる。

 目を見開いて、残り200メートルを駆け抜けようとした瞬間だった。

 暴走ISの腹部の装甲が、まるで銀髪の少女のような形に盛り上がって空を見上げる。小さな手を重ね合わせたその先に、全長10メートルはあろうかという光る剣が現出した。

 そして光る剣が粒子をまき散らしながら、回転を始めた。

 最初の謎のビームは、このプラズマか!

 咄嗟に最高速からの無軌道瞬時加速をかけようとするが、もう間に合わない。

 回避しきれずに、その光る剣先がオレの左腕の、肘から先全てを貫いてもぎ取っていった。

 

 

 

 

 何が起こった。

 混乱する頭を整理しようとする。

 油断した。まだレーゲンにはプラズマ手刀があった。それを巨大化させて、超加速して落下してくるオレへと攻撃を繰り出したのだ。

 勢いを殺しきれず、かなりの距離を飛んでしまったようだ。

 左腕を見れば、見事に肘までしかない。焼き切れているせいか、ボトボトと血が垂れるだけで、盛大に噴出することはなさそうだ。

 ああもうホント、神経通ってなくて良かった。よく生きてんなオレ。

 フルスキン装甲の中で苦笑いを浮かべているうちに、頭が少しだけ冴えてきた。

 望遠レンズで天使像ISを捕える。

 本体の腹部から流体となって溢れ出た金属が、女型の上半身の形を取って、まるで本体への攻撃を受け止めるかのように手を広げていた。

 ああ……そういうことか。

 尊敬する教官の姿をした本体を、ラウラの姿をした装甲が守ったのだ。

 ……つまり、オレが自分のワガママで踏みにじろうとした姿が、異形となって存在している。

 自嘲の笑いが込み上げてきた。

 結局は、自分に返ってくるってことだ。

 少女の形のモニュメントは再び流体に戻り、本体の中へと消えて行った。

 代わりに切断されていた手首から先が両方ともに元の形へと戻り、レールガン8門も修復されていく。

 敵までの距離を測れば、500メートルと表示された。このディアブロなら一瞬の距離だが、手が修復されたってことは、またあの遠隔AICが来る。

 距離を取ればレールガンがあり、中距離ではAIC、至近距離だとワイヤーとプラズマ手刀。万全じゃねえか。

 まだ玲美は逃げ切れていない。箒相手にも何の目的があるかわからないが、あのISによって足止めをされていた。

 結局は、あのラウラ・ボーデヴィッヒの暴走を止めなければ、次へは進めないみたいだ。

 

 

 

 

 

 篠ノ之箒は、常識を超えた目の前の光景に戸惑っていた。

 まるで天使のような形に生まれ変わった仲間のISが、幼馴染の左腕を千切るように切断した。

 吹き飛ばされて距離を開けた悪魔のような機体は、左腕を無くしたままでも闘志を失わず、再び天使像のようなISへと加速して襲いかかっている。

 何がそこまで彼を駆り立てるのか、箒には理解できないでいた。

 そして、あの姉は、何だろうか。

 小学校で家族バラバラになって以来、数回しか会っていない身内とはいえ、ここまで感じる違和感は何だ。

 外見は間違いなく姉である束だ。だが、言動がコロコロ変わったり……いやこれは元々かと思い直す。

 それを除外しても、どこか生命を感じなかった。

 自分たちはひょっとして、考えているよりも大きな企みに巻き込まれているのではないか、という思いが駆け巡っていた。

「ほ、箒……」

 ISの腕で抱えていた一夏が、箒の顔を見上げる。

「い、一夏! しっかりしろ!」

「どうなって……る?」

「あ、ああ。私にもよくわからん。姉さんが連れてきた夜竹たちはISを敵に解除され、セシリアたちが連れて離脱している」

「敵?」

「タカの知り合いらしいが……どうにもよくわからん。どのみち撤退した」

「目標は?」

「玲美が抱えて離脱しようとしたが、ラウラの機体が……」

「あれが……ラウラ? まるでVTシステムの暴走だ」

 うわごとのように呟いた瞬間に、一夏が辛そうに顔を歪めた。

「だ、大丈夫か? ケガは」

「いや、大丈夫だ。意識がハッキリしてきた。思ったよりケガもないみたいだ。強烈な打撃による、ちょっとしたショック症状みたいな感じか。あの黒いISは? 束さんの無人機か?」

 異形化したラウラと立ち回っているISの方を見て、一夏が呟いた。

 確かに無人機とでも思うかもしれない。箒の目から見ても、左腕と脚部の装甲が細すぎて、どう見ても人体が収まらないからだ。

 その真実を、まだ知らない一夏に言って良いものか、一瞬思い悩んで言葉が出ない。

「ヨウは?」

「……一夏」

 何とか出せた言葉はたったそれだけだったが、少年は少女の辛そうな表情で、すぐさま事実に気付いたようだ。

「まさ……か、あのIS、ヨウのなのか!?」

「そうだ……生徒会長に落とされ、その後に形が変わって……」

「ば、バカ、あんなの、人間が乗れる形を」

「だが! 本当にタカなのだ。あれの中に、二瀬野鷹が……私たちの幼馴染がいる」

 一夏が紅椿の腕の中でうつむいた。

 守る。そう決めた決意が偽物だったわけじゃない。

 織斑一夏はそう思った。

 ことの起こりは全て、あの誘拐事件からだ。

 友人である二瀬野鷹は、一夏とその周囲に対して、誘拐が起きる可能性が高いと伝えた。だから気を付けるべきだと何度も告げた。だが平和な日本で、それまで何一つ危険のない暮らしをしてきた一夏たちは、誰一人として本気にしなかった。

 結果、単独で一夏を守ろうとした鷹は、銃口を向けられて危険な目にあってしまったのだ。

 そして、自分の誘拐された場所の情報に対する見返りに、姉である千冬が教官としてドイツへと渡る。自分もそれについていった。友人に合わせる顔がなかったし、もう一度、あんな目に遭わせてしまったらどうしようと悩んでいた。

 一年以上を悶々と悩んで暮らし、今年の二月にはISをドイツで起動してしまい、日本に帰る勇気も持てないまま黒兎隊に籍を置くことになった。その存在を世間に公表しないままに。

 二人目の男性IS操縦者である、という事実を隠し続けることなど、並大抵の根回しで出来るわけがない。

 だが彼の姉である千冬は、弟にそんな苦労を何一つ話さなかった。いつもの仏頂面で、大したことじゃないと答えるだけだったからだ。

 一夏自身は、姉である千冬だから何でも出来るといつのまにか思っていたところがあった。迷惑をこれ以上かけたくないと思ってたが、どうしても偉大な姉を無自覚に信頼しきっていたのだった。

 幼馴染である二瀬野鷹に対しても、同様だった。

 小学校中学校と、いつも自分の無茶を影で支えていてくれた。そんなコンビでいるのが当たり前だと信頼しきっていた。

 要するに織斑一夏は、無意識に甘えていたのだ。

 反吐が出る。結局、一人じゃ何も出来ていない。

 心の中で自分に悪態を吐いて、織斑一夏は顔を上げた。

 自分が頭の良い方だとは思ってはいない。だが、手で触れて目で見て感じたことが全てではないことぐらいは理解していた。

 守ってみたいと思ったのはウソじゃない。

 なぜ守ってみたいと思ったのか。

 彼こと織斑一夏にとって「守る者」とはヒーローという存在であり、純粋にその恰好良さに憧れていたからだった。

 最初のヒーローは彼にとって一番身近な姉、次は幼馴染の友達だ。

 でも、彼ら彼女らだって辛いことぐらいある。表に出ないから、それが見えないから無視していいのか。そして尊敬していたヒーローたちの、裏にあることを知らずに無視して出来た結果が、今の異形だ。

『ラウラァァァァァ!!』

 悪魔のごときISを駆る男が、少女の名前を叫んだ。剣を舞わせながら、片腕のソードダンサーが宙を駆け巡る。それを見上げる天使像が空間を止め、弾丸を放ち、相手を断罪しようと迫っていた。

 ラウラはどんな気持ちだったんだと考える。

 あの銀髪の小さな少女は、自分と良く似ていると思っている。姉を尊敬し、守りたいと願ってたはずと思い出す。同時に責任感が強く真面目な上官が、自分のことも守りたいと思ってたんんじゃないか、とようやく自覚できたのだった。

 どれだけ葛藤して、二瀬野鷹を断つために剣を振るったのか。ラウラは悩んだ末に『順番』をつけたのだ。

 一夏は瞼を閉じて、三人の姿を思い浮かべていった。

 姉が自分という弟を選んだように、幼馴染が譲れない何かを守ろうとしているように、ラウラが部下と尊敬する教官を守ろうとしたように、自分も順番をつけると決めた。

 残った一つは、つい先日の心残り。そして命だ。

 左腕と、そしておそらく両足を失ってまで戦い続けるヒーローの命は、ここでしか守れない。自分がどれだけ姉の汚点だったとしても、姉が自分を守ろうとした気持ちを否定することは許さない。だから、守ろうとする気持ちだけは絶対にして不可侵であり、友人の命を守ろうとする気持ちは何事にも優先され始めていた。

 これだけはこの瞬間だけにしか取り戻せないだろうと、一夏は確信した。

 俺という器にある狭い入口で取り出せるものが一つなら、今だけは、他の人には後で謝罪するとして、まあなんだ。ラウラ、千冬姉、それにIS学園の他のみんな、色々ごめんだけど、今は一番の親友を助けにいく。

 生きてさえいれば、取り戻せる。取り戻すことに生き延びた命を燃やせば良い。

 人生はたぶん、そんなことの繰り返しなのだろうと、織斑一夏はこの先の未来を見定めた。

「来い、白式!」

 何にしたって、選ばれるのは、いつも一番だけ。

「い、一夏?」

 自分を優しく抱き抱える幼馴染から離れながら、ISを呼び出す。

 エネルギーがなかったはずのISは、まるで自分に呼応するかのようにしっかりと復活していた。装甲もいくらか形状が変わってはいるものの、損傷が修復されていて充分に動けそうだ。

 ただ、どうしてもエネルギーが自分の必殺技を使う分だけない。

「エネルギー……さえあれば。まあ動くだけマシか」

「い、一夏、何をする気だ!?」

 飛び立とうする男の手を、箒は慌てて掴む。

「箒、今やらなきゃいけないことが、ようやく選べたんだ」

「な、何を言っている! アイツと戦う気なら、やめるんだ!」

「戦うのは、タカじゃない」

 箒がそう呼んでいたように、一夏自身も幼いころはタカと呼んでいた。

「どうするつもりだ?」

「ラウラを止めるのさ」

「い、いいのか?」

「ああ。それに、放っておけないだろ」

 織斑一夏が篠ノ之箒に、まるで子供のときのような無邪気な笑みを向けた。

 止めなければならないとわかっている彼女だが、懐かしさが溢れ出て頬が緩んでしまう。何も考えずに、三人で並んで剣術道場の外で竹刀を振るっていた懐かしい思い出が、脳裏に蘇っていた。

 二瀬野鷹は、クラスでも孤立しがちだった自分を気にかけてくれていた。それは昔も今もそうだった。そんな気の良い幼馴染を放っておこうとしたなど、自分の剣と目はどこまで鈍っていたのか。

 だから、一夏とともに、もう一人を助けにいく。

 その思った瞬間に、自分の体から見えない糸のようなものが伸びて、目の前の一夏と繋がった気がした。まるでIS同士が絡み合って一枚の布になるような感覚を覚えている。

 優しい光が紅椿の機体から溢れ出し、白式の体を包んでいた。

「……これは?」

 箒は視界に浮かぶウィンドウを見つめる。

「ルート1・絢爛舞踏発動……?」

 ハッとした顔で目の前の思い人を見上げた。自分の中に残っていた力が、彼に注ぎこまれていく。

 一夏は自分の機体の残り少なかったエネルギーが、一気に満タンになったことを仮想ウィンドウから知らされる。

「ルート3・零落白夜……」

 彼はいつのまにか手に携えていた自分の愛刀を、正眼に構えた。

 目を閉じ小さく呼吸をした後、瞳を見開いて力を込める。

 今まで感じたことないほどの、大きな光が手の中の雪片弐型から溢れ出て、ISの背丈を超えるほどの大きなエネルギーの刃を形作った。

「じゃあ、行ってくる」

 そう言ってもう一度、笑みを作った後、白式のパイロットは戦場に駆け出していった。

 誰もが等しく悩みを持って、皆がこの世界で生きている。そんな心の糸が斑模様に交わって、布のように織り込まれて一つの世界が形を成していく。

 

 

 

 

「そうではない、そうではないのだ、マスター!!」

 視界の隅で、篠ノ之束が暗い瞳を見開いて、泣き叫んでいる姿が見えた。

 何を言ってやがる?

 ……まさか、アイツ。

「なぜマスターすら私を裏切る! 神は我ぞ! 我は神ぞ! 何をもって、この世界で我を裏切る! お母様すら封印したこの我を、何故マスターが裏切るのだ! そうではないのだ、マスター!! なぜ分け与える? なぜ奪わない!?」

 戦場が凍りついていた。

 天使像のような暴走ISすらも動きを止め、静止したような世界で、子供のように泣き叫んでいた。

「ね……姉さんではないのか、やはり!」

 箒が二本の刀を構えて、目の前に迫る姉の姿をした何かに備える。

 ふらりと幽霊のように近づいたソレが、箒へと両腕を伸ばした。手の先から肘までがISの装甲へと変わっていく。

 それはまさしく、紅椿と同形状の腕だった。

「なっ!? どういうことだ!」

「マスター、何故あなたは死んでしまう、なぜ、永遠にならない!」

「くっ、離せ! 偽物!」

「偽物ではない、我が本物の神ぞ。時を超えた神ぞ!」

 もうその瞳と本性を隠す気が無いのか、隠す余裕がないのか、見開いた目はどこまでも暗く深い悲しみを表していた。

 篠ノ之箒をマスターと呼ぶなんて、一つしかない。

 ひょっとして紅椿か、アイツは。

 ……時を超えた?

「箒!」

 零落白夜を構えた一夏が、箒の方へと駆け寄ろうとした。

「こちらは大丈夫だ!」

 だが箒は一夏を押し留める。

「だけど!」

「今はラウラを止めろ、そう決めたのだろう? 一夏!」

「……ああ!」

 頷き合う二人の視線には、お互いを信じ合う強さが見えた。

 そして一夏は、光り輝く巨大な剣を携えて、天使像ISとの戦闘区域にやってくる。

 急に動き出したラウラの天使像から、レールガンの砲撃が連射され始めた。

「何しに来やがった!?」

 抉り取るように回転て襲いかかる凶弾を回避しつつ、寄ってくる一夏へと質問を投げかけた。

「助けにきた!」

「どっちをだ?」

「お前だ」

「バカか!」

「おう、バカだ!」

「テメエはラウラ側だろ! 銀の福音を連れて帰らなきゃ、千冬さんがヤバいってのはわかってんだろ!」

「後で謝るし、何とかする!」

「はぁ!?」

 一夏が言ってる言葉が頭で理解できず、頭と体が思わず静止してしまう。

 そこへ天使像ISが右手を向けてきた。オレの周囲に対して遠隔AICが発動する。

「クソッたれ!」

 避け続けてきた最も危険な技に、隙を見せたせいで捕まってしまった。

「タカ!」

 懐かしい呼び名とともに、一夏がオレの方へ、身の丈以上の数倍はある零落白夜を振り下ろす。

 思わず目を閉じてしまった。

 だが、衝撃が落ちて来ない。

 恐る恐る目を開けると、AICにより歪んでいた空気が切り裂かれ、体が自由になっている。

「どういうことだよ……?」

 どうやら長さを増した零落白夜の刃で、器用にAICのフィールドだけを切り取ったようだ。オレの持っている『以前の知識』なら腕ごと止められていた零落白夜だったが、エネルギーだけを伸ばすことで解決したようだ。

 いつのまにかオレとラウラの間に立ち塞がっていた白式が、刃を振りながら雄弁に語る。

「さっき言った! 俺の手が小さくて、選べるものが今は一つだけみたいだ」

 オレへと向けて撃ち出された八発の砲弾を、零落白夜を薙ぎ払って全て撃ち落とした。

「さっきって……いいのかよ?」

「いい。とりあえず、そのISを降りる気はないんだろ、お前」

「あったり前だ。アイツを落として、玲美と銀の福音を連れて帰る」

「んじゃ、さっさと降りてもらうために、とっととケリをつける」

 何かカッコいい言葉を吐く一夏を、オレは細長い足で大きく蹴り飛ばした。

「ってぇな!」

 抗議の声を上げる一夏とオレの間を、時間差で撃ち出されていた弾丸がすり抜けていった。

「感謝しろよ!」

「するかバカ! 自分で落とせたぞ!」

 子供のように罵り合ってから、左右に分かれて飛ぶ。

 離れていた推進翼兼ビットを、背中へと接続して本来の役目へと戻した。

 空気を切り裂いて、回転しながら空中へと螺旋状へ舞い上がった。

 さっきのやり直しだ。

 望遠モードで束モドキをチラリと見る。暗い瞳から慟哭の黒い涙をあふれさせ、憎々しげにこちらを見上げて睨んでいた。

 悔しそうだな。ざまあみろ。

「ラスト!」

 オープンチャンネルで叫んでから、二組の推進翼を交互に点火させ、加速に加速を重ねて音速の域へと到達する。

 今度は左手がないが、右腕で突っ込めば良いだろ。なにせ悪魔の右腕様だ。

 見上げるように、背中に生えた八門のレールガンがオレへと向けられた。

「させるか!」

 一夏が零落白夜を振り上げて、その全てを叩き切る。だが今度は相手の背中から伸びたワイヤーに、巻き取られそうになっていた。一夏は必死に回避しながら、それでもいくつもの触手を切断していく。

 白式の相手をしながらも、天使は両手をこちらへと向けた。オレの行き先を予測し、空間座標に対して慣性停止結界を発動させるようだ。

「動けよ、ディアブロ!」

 装甲で覆われた中、オレは切り取られた左腕に命令する。

 海中へと落ちていた刃のような装甲が飛び上がり、相手の右手を掴み取って握り潰す。

「このぉぉぉ!」

 自分に迫っていた束モドキを押し退けて、箒が残っていた左手を切り落とした。

 そして最後に腹部から、少女の形をした流体金属が盛り上がり、恵みの雨を喜ぶように掌を天へと向けた。

 ISの全長を大きく超える、巨大なドリルのような光る刃が現出して、粒子を撒き散らしながら回転を始める。

「ラウラ、もう良いんだ。二人でまた頑張ろうぜ」

 一夏が、その少女を優しく抱き締めていた。銀色の液体が左目から、まるで涙のように零れ落ちる。一度はオレの左腕を切断したプラズマ手刀が、粒子となって空気へと消えて行った。

 衝撃波を撒き散らしながら、空気の壁を突破しつつ、天使像ISの元へと辿り着く。

 そしてディアブロが、天使の頭を叩き潰すように着弾して、夜の海に大きな水柱を上げた。

 

 

 

 

 

 



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23、幼年期の終わり

 

 

 夏休みのある日、電動車いすを走らせて、オレは篠ノ之神社の境内を進んでいた。

 あの横須賀沖騒乱から、一カ月近くが経っていた。

 今日は篠ノ之神社で行われる祭りの日だ。本殿へと続く道には、様々な屋台が出店されていて、家族連れやらデートの中学生やらで賑わっている。

 至る所に灯された提灯の明かりの下を、低い電子音を唸らせて進んでいると、待ち合わせ場所が見えてきた。

 すでに相手は来ているようだ。

「おっす」

 オレが声をかけると、白地の浴衣を着た箒が振り向く。

「タカか。遅いぞ」

 うちわを持った箒が、立ち上がってオレの元へしずしずと歩いて来る。その姿だけは大和撫子はまだいたんだ、という感じだが、中身がアレだからなぁ。

「久しぶりだな、ヨウ」

 浴衣を着て左眼に黒い眼帯をつけた一夏が、ベンチに座ったまま手を上げた。手にはたこ焼きを持っていて、口元にはソースがべったりとついている。

 その姿の間抜けさに、思わずオレは噴き出してしまった。

 

 

 

 ベンチの横に車いすを止めて、二人に並んだ。

「……その体」

 一夏が恐る恐る尋ねてくる。

「無理だったわ。生きてるだけラッキーって感じだ」

 それ以上は何も言わないでおいた。

 オレの左腕と両膝から先はすでに存在しない。何の機能もないマネキンのような義足をつけているだけだ。今はジーンズに長袖のTシャツを着てるので、形を整える意味しかない。

 右眼の視力は相変わらず見えないに近く、左目は赤いフィルターをかけたような症状が取れないままだ。今はISを展開してないので、件のスケベメガネをかけたままである。

 戦闘の後、ディアブロを解除したオレの体は酷い状態で、自分ですら見るに耐えない状況だった。

 よく生きてますね、というのが医者の感想だが、オレも全くもって同感だった。

 オレが何も喋らずに花火を見上げていると、二人ともそれに習って黙ったまま空を眺め始めた。

 久しぶりに見た花火だったが、今の視界では左側が全て赤い色にしか見えないのが、非常に残念だ。

「何から話したもんかな」

 話を切り出そうとすると、真ん中に座っていた一夏がオレにタコ焼きを差し出してきた。

 つまようじを掴んで、べったりとソースの塗られた一つを口に含む。

「うまいな、こういうジャンクなヤツも」

「ジャンク言うなよ。日本の伝統料理だぞ」

 飲み込んでから、ホッと一息吐いた。

「えーっと、まずな、銀の福音だけど先日、アメリカに返した」

「そうか。どうなった?」

 膝の上に手を置いて、女らしく座っていた箒が一夏の向こうから声をかけてきた。

 見上げていた先に大きな火種が上がって、空で輝く花が開く。

「かなり大変だったけどな、とりあえず出来ることはした。アメリカが乗り込んできたりして大変だった。オレはお尋ね者になるかと思ったぞ。いやお尋ね者だったんだけど」

 オレは早口でバーっとまくしたてた。そもそもは一夏たちが手に入れてアメリカへ即座に引き渡すはずだったものだ。望んでやったこととはいえ、やはりどこか気まずい。

 だが、箒は団扇片手に優しく微笑んで、

「良かったな」

 とだけ感想を教えてくれた。

 すっかり大人っぽくなったなぁと感慨深い。昔は髪が長いだけのクソガキだったのに。お兄ちゃん嬉しいよ。兄じゃねえけど。

「国津さんは?」

 そう尋ねてきたのは、一夏だった。

「玲美はどっかその辺。右腕がまだ治ってないけど、神楽や理子と一緒に屋台回ってるはず」

「傷の具合は?」

「色んな箇所に打撲やら亀裂骨折やらで大変だったが、もう大丈夫っぽい。右腕も神経が思ったより傷ついてなくて助かったみたいだ。そこだけは肌に傷がちょっとだけ残ったけど、後で消せるっぽい」

「なら良かった。IS学園から出て行ったから、様子がわからなくてさ。お前が面倒見るんだろ?」

「はぁ?」

「違うのか」

「相変わらずの唐変木だな。面倒見られてるのはオレだぞ。一人じゃロクに行動出来んからな」

「今はそっちに?」

「ああ。試験分隊の訓練校に入る準備をしてる」

「新しく出来たヤツか」

 オレがいた極東飛行試験IS分隊は、ここ一カ月の間に人数が増えて部隊へと格上げになり、教育の一環として専属の訓練校を立ち上げることになった。

「おう。二学期から本格始動するらしいぞ」

 それに合わせて、IS学園の一年から、人数の半分が転校してくる手はずになっているらしい。

「IS学園にもライバルが出来たってわけか。ちょっと寂しいけど、残ったヤツらで頑張るしかねえな」

 小さく笑ってから、一夏は昔懐かしいビンのサイダーを器用に飲み始める。ガラス瓶の中で透明な玉が音を立てた。

 そこからは、三人とも何も喋らずに花火を見上げていた。

 出会ったばかりの頃も、同じようなことがあった気がする。普段はやかましいガキだった二人も、花火だけは黙って見上げていた記憶を覚えていた。

「あ、いたいた」

 声がして振り返れば、そこにはシャルロットとラウラ、セシリアに鈴がいた。

「こんにちは。久しぶり」

「……ふん」

「お久しぶりですわ」

「あ、生きてたわけ」

 全員が色取り取りの浴衣を着ていた。これだけ美人が並んでいると華やか過ぎるな。

「おっす。元気そうだな。あと鈴は黙れ」

「何よ、失礼なヤツね」

「お前が言うな。んで今日は一夏に誘われたのか?」

「まあね」

 鈴が一夏の手からサイダーを奪って口をつける。

「あ、おい!」

「いいじゃない。ケチケチするなっての」

 そう言って、一気に飲み干した。その様子を、シャルロットとセシリアが悔しそうに見つめている。

 ああ、間接キスとか言うヤツですね、わかりやすい。

 まあ例によって、織斑ガールズが揃ったってことか。例によってワイワイキャーキャーとウルサイことだ。花火が上がった瞬間だけはみんな黙って、じっとオレたちと同じように夜空に上がる花火を見上げていた。

 自分で起こしたこととはいえ、色々とやらかしたことに申し訳ない気持ちが無い、といえば嘘になる。

 それでもIS学園にいたときより、居心地が悪くない気がするな、こいつらに交じっても。

 花火が止まると途端に、いつも通りギャーギャーと騒ぎ始める連中を見て、ちょっと笑ってしまった。

「どうした?」

 珍しく混ざらずに呆れた顔で眺めていた箒が、オレの笑い声を聞いて覗きこんでくる。

「相変わらず、やかましいヤツらだ」

 せっかく目の前から奪っていったのに、思ったより悔しがってくれていなくて残念だが、なんか妙に嬉しいような気がしてむずがゆい。

「全くだ」

 したり顔でため息を吐く箒に、内心でお前が言うなとツッコミを入れておいた。

 

 

 

 

 花火見物が一段落ついたあと、車いすを一夏に押してもらい、祭りの会場である境内をゆっくりと回ることにした。

 電動だから押さなくても良いって言うのに、本人はどうしても押したいというので、任せてやった。手で押すと結構重いんだけどな、これ。

「何か食べたいものはありますの?」

 機体と同じ配色の青地に白い花を咲かせた浴衣の、セシリア・オルコット嬢がオレに尋ねてくる。

「林檎飴」

「かしこまりました」

「わかんの?」

「ええ、先ほど鈴さんが食していましたので」

 そう言って、セシリアが屋台に言って、店員さんに注文している。何やら少し談笑したあと、何故か二本貰っていた。

「こちらをどうぞ」

「さんきゅ。って二本目は何だよ?」

「わたくしの美しさに、オマケをいただきましたわ」

 ふふん、と得意げに笑うその姿は、いつも通りでちょっと懐かしい。

「金渡す」

「結構ですわ。これぐらい」

「んじゃ遠慮なく……」

 久しぶりに口にした味が甘くて懐かしい。ずっと病院食だったからなぁ。

「セシリアはどうすんだ?」

 どうすんだ、とは試験部隊の訓練校に来るのか、IS学園に残留するのかどっちだ、という問いだ。

「わたくしは今のところ、IS学園に残りますわ。本国からの指示です」

 少し悩んだ後に、覚悟を決めた様子で、はむっと小さな口でカブりついた。その味がお気に召したようで、咀嚼しながら嬉しそうにしている。

「そっか。まあ一組のクラス代表だからな。頑張ってもらわにゃ困る」

「お任せになってくださいな」

 花壇に咲く大輪の花のように、美しく華やかに笑った。その姿が本当に綺麗だなって思った。

 

 

 

「ほい」

「んだよ、この不味そうなジュース」

 鈴が差し出してきたのは、謎のスイカサイダーレモン味だった。どっちだよ。

「さっきネタで買っては見たけど、どうしても飲む勇気が出なくてさー」

 赤地の浴衣で元気良く動き回っていたのは、鈴ことファン・リンインだ。

「だから、てめえは一夏とオレにそういうのを押し付け過ぎだっての」

「いいじゃないの。お金はアタシが出してんだからさ!」

「良くねえっつの。絶対にオレたちが、マズッて顔をしてるの楽しんでるだろ」

「そ、そんなことないわよ。このアタシが、貧しいアンタらに恵んであげてるだけじゃない」

「貧しくはねえよ……んで、お前はお咎めなしだって?」

「だってアタシ、千冬さんの指示通り旅館に待機したあと、正体不明の敵が来たから逃げただけだもん」

「あ、そういう解釈もありなのね」

「そもそも、アンタんところの神楽がそう口裏を合わせたんだから、仕方ないでしょ」

 少し不機嫌そうに言ってから、遠慮なくオレの車いすの左のアームバーにドカっと腰を落とした。

「鈴、重い!」

 一夏が抗議の声を上げるが、どこ行く風で、

「ほら、がんば、一夏!」

 と楽しそうに笑う。

「おら一夏、止まってんぞ」

 調子を合わせてオレが発破をかけると、一夏は腕まくりのジェスチャーをしてから、

「見てろよ、お前ら!」

 と勢い良く車いすを押し出す。

 だが、歩くよりスピードが出ない。むしろさっきよりも遅い。

「おいヨウ」

「何だ」

「お前、ブレーキ押してるだろ」

「気付いたか」

「当たり前だ!」

 叫んでから大きくため息を吐き、

「ったくお前らは……」

 と一夏が項垂れた。

 その様子を見て、すぐ間近の鈴と顔を合わせ無邪気に笑い合った。

 

 

 

「一夏、あれは何?」

 橙色の浴衣を羽織った金髪のシャルロットが、一夏の袖をクイクイっと引っ張る。

「ああ、型抜きだよ。あらかじめ掘ってある通りに、周りを削って、その美しさを競うんだ」

 美しさを競うってのは語弊がある気がするよな、とオレは思わず小首を傾げる。

 まあ昔から射的がダメなくせに、これだけは異常な情熱を燃やしてたからな、一夏のヤツ。

「ねえねえ、一夏、ワタアメ? 食べてみたい」

 糸になった砂糖がグルグルと回る機械を指差した。

「いいな。買ってきてくれ。ヨウは?」

「オレも少しだけくれ」

 男二人が賛同すると、シャルロットは元気良く頷いてから、パタパタと屋台へと駆け出した。

 何やら屋台のオジサンと楽しそうに話している。そして戻ってきたときは、少し赤面していた。

「どうした? シャルロット」

 一夏が心配して覗きこむように問いかけるが、

「う、ううん、何でもないよ!」

 と手を振って否定する。

 ああ、オジサンに、あっちにいるのが彼氏かとか聞かれたわけね。

 恥ずかしさを誤魔化すように、少し慌てた様子でシャルロットがアニメ絵柄の包装を剥がして中身を取り出す。

「うわぁ、ふわふわ」

 楽しそうにパクっとカブりつく姿に……あー、超可愛い。天使か。

「はい、一夏」

 自分が口をつけたところを、少し赤面しながら差し出すとは、中々の策士ですな。

「さんきゅ」

 もちろん我らが織斑君は気付かずに、そこに大きく口を開けて、かぶりついた。

「うまい。ここの祭りは、相変わらず何でも美味いな」

 一夏が嬉しそうに口を動かす。

 そしてシャルロットがわたあめの一部を千切ってから、オレに差し出した。あ、やっぱり、オレはそうですよねー。

 首を伸ばして、分けてくれた塊をパクリと唇で摘まむ。

「シャルロットも残留?」

 オレが尋ねると、少し困ったように笑って、

「うーん、まだわかんない。本社の動き次第かなぁ」

 と教えてくれた。

「そりゃ悪いことしたな」

「う、ううん。もう気にしてないし、お互い様っていうかこっちの方が」

 慌てて手を振って否定しながら、表情が少し暗いものになっていく。

「いや、もうその辺の責任論はなしにしようぜ。未来を語ろう未来を」

「そ、そうだね。うん。未来かぁ」

 シャルロットはそう呟いて、チラリと隣で車いすを押す一夏を見上げた。

「もうちょっと、頑張りたいかな」

 一夏が独り言のように口を開く。

「本、読み終わったか?」

 オレが尋ねると、

「多過ぎだ。何だよあの山」

 と眉をしかめた。

 リアに頼んで、持っていたIS関連書籍を全て一夏の部屋に送りつけてやった。ぜひ二瀬野文庫とか名付けて欲しいもんだ。何でも最近の一夏は、暇をみつけてはそれを読み耽っているらしい。

「そりゃそうだろ。オレが小学校のときから読んでるんだぞ」

「お前はもういいのか?」

「オレはもういらね」

 そもそも読み終わった本だし、努力すら裏切るってわかったオレは、ただいまヤサグレモードだ。勉強とかする気もしねえ。

「ま、ありがたく頂戴するわ」

「せいぜい頑張んな」

 オレがからかうように言うと、シャルロットが、

「う、うん、一夏は最近、凄く頑張ってるよ!」

 と拳を握って力強く断言してくれた。

「へー。一夏が」

「勉強もそうだし、前も頑張ってなかったわけじゃないけど、今は前よりずっと」

「ふーん。一夏がねえ。ま、頑張る織斑君がってわけデスネ」

 意味ありげに流し目をシャルロットに送ると、また気恥ずかしそうに手をモジモジとさせて、俯いてしまった。

「どうしたんだ、シャルロット。具合が悪いなら」

 だがさすがは織斑君だ。赤面する様子に気づくことなく、心配げに唐変木発言をぶっ放した。

 途端に機嫌が悪くなった可愛い金髪女子が、一夏のバカって呟きながら歩いていった。

「変なヤツだな」

 ポリポリと頬をかきながら、一夏が呟く。

「そりゃお前だ」

「何でだよ?」

 不思議そうに問い直してくるイケメン様に、思わずオレがガックリと肩を落としてしまった。

 そこで一つ、気になってた点を思い出す。

「んなことより、たぶんシャルロットはちょっと不安なんだと思うぞ」

「は?」

「これから先、どうなるかわからんし。ま、オレのせいだけどさ。だからなんつーか、友達なり仲間なりとして、ちょっと形が欲しいんじゃないのか」

「形?」

「そうだな。例えばシャルロットだと長いから、ニックネームみたいなのをつけてやれば? 二人だけの」

「ふーん……ロッテとか?」

「あ、外国だとそっちなのか。この西洋かぶれめ」

「普通はそう呼ぶな、シャルロットだと。つか何だよ西洋かぶれって」

 目の前にいる男は二年近く外国で暮らしていたせいか、英語ドイツ語フランス語に堪能であり、向こうの暮らしにも詳しい。っていうか何? モテ男に磨きがかかってね?

「まあ日本だし、もうちょっと日本っぽい感じで考えてやるといいぞ」

「何かよくわからんが、わかった」

「なんだそりゃ」

「お前がそう言うんなら、そうした方がいいのかなぁって」

 そう断言してから、一夏がシャルロとかシャーレとかを口に出して呟き始める。早速、ちゃんと考えてるらしい。上手く『シャル』に当たると良いんだが……。つか、シャーレって何だよ、理科室かよ。

 

 

 

 一夏がトイレに行くというので、オレはその近くで待機していた。他の奴らとは、はぐれてしまったようで、周囲に影が見当たらない。

 暇を明かして周囲を見回していると、一人の少女が浴衣に合わない大股で歩いて来る。黒地に赤い花が咲いた浴衣を着て、銀髪を頭頂部で綺麗にまとめたラウラだった。黒い眼帯をつけてるせいか、どこかコスプレの域を出ないな。まあ小さな体躯ゆえか、逆にそれが可愛らしいんだけど。

「一夏は?」

「しょんべん」

「……その下品な言い草は、本当にそっくりだな」

 呆れたように首を振ったが、すぐに真面目な顔に戻った。

「今さらだが、久しぶりだな」

「おう。元気だったか」

「元気なわけがないだろう」

 苦笑いを浮かべた少佐殿は、どっか威厳があるよな。

「まあ屋台で美味い物でも食って頑張れ」

 あえて他人事のように振舞って、オレは一夏の帰りを待つ。結構な人数が並んでるせいか、なかなか戻ってこない。

 オレが悪い部分も多いが、ここで謝っては意味がない気もする。ラウラもオレも自分の立ち位置に殉じたのだ。

「まったく。お前の方はどうなのだ?」

 わざとらしくそわそわとしていたオレの空気を読み切らず、ラウラが堂々と尋ねてくる。

「病人兼囚人兼自由人」

「どういうことだ?」

「何か特殊な身分と、変な偽名がついてくるらしい。表向きは囚人で自由に出来ないが、裏はな。色々と重要な研究対象だし、オレ」

 肩を竦めると、ラウラは小さく頷いてから、

「クラリッサも心配していたぞ」

 と教えてくれた。

「少女マンガのか」

「違う」

「ジョークだ。ご心配をおかけしておりますと伝えておいてくれ」

「ああ。リアは?」

「元気にやってる。……そういや、気づいてるか知らんが、アイツ、亡国き」

「それ以上は言うな」

 ラウラが鋭い口調で、オレの言葉を遮った。難しい問題なんだろうな。

「ブラジャー」

 なのでテキトーに返事をすることにした。

「なんだそれは……」

「乳バンドだ。お前にゃ必要ねえだろうが」

「……最近はどこの軍隊でもセクハラには、かなりうるさくなってきてるぞ」

「そりゃすまんこって」

「お前は一夏と違う意味でデリカシーがないな」

「一緒にすんな、あれは重症患者だぞ」

「ならば一緒ではないか。ついでに一つ、謝罪をしておこう」

 ラウラが姿勢を正して真っ直ぐ立つと、オレに頭を下げた。

「謝るなよ。お互い様ってわけでもないが、それぞれによくやっただろ、オレたち。だから謝らねえぞ」

 立場が違うがゆえに、ぶつかった。今日は誰もオレを責めないが、きっとそれぞれに思うところがあるはずだ。

 それでも目の前の少佐殿なら、わかってくれると信じてる。軍人だし、敵味方なんて状況で変わるってのが戦争の歴史だ。

「私も理解はしている。それより前に篠ノ之束に似ている、と言ったことだ。お前が思い悩んでいたとシャルロットから聞いた」

「あ、ああ、それか」

 タッグトーナメントの前、オレはラウラから篠ノ之束に似ていると告げられた。それはおそらく、目の前にいるキャラクターを人として見ていないがゆえの印象だったんだろう。

「侮辱する意図がなかったとはいえ、悪かった」

「ん、まあ気にすんなよ。オレはもう気にしてない」

 それ以上の言葉が思いつかない。

 ラウラは頭を上げてから、小さく、

「お互い、難しい立場になったな」

 と呟いた。

「んだな。ま、気楽にやろうぜ」

 本当にお気楽にいってのけると、ラウラが今度は年頃の少女のように楽しそう顔をする。

「一夏がな」

「ん?」

「もう一度、最初から頑張ると。そのために私が必要だと言ってくれたのだ」

 ああ、なるほど。確かにラウラの生い立ちから考えるに、必要だという言葉は何物にも代えがたいのかもしれない。

「そりゃオメデトさん」

「だから、今は前を見ると決めたのだ」

「おう。頑張れよ、色々と」

 そう笑い合ったときに、一夏がトイレから出てきた。

「ラウラか。美味い物でも見つけたか?」

「ったく。お前たちは本当にそっくりだな」

 呆れたように、眼帯をつけた少女がヤレヤレと首を横に振った。

「準備が終わったので、お前たちを呼びにきたのだ」

 

 

 

 

「んで、オレはどこに連れていかれてるわけ?」

「まあちょっとな」

「ん?」

 段々と開けた場所に誘導された。気付けば、昔は道場として使われていた場所の庭に来ていた。

「あ、やっと来たー」

 手を三角巾で釣った玲美が、大きな声をかけてくる。他にも理子や神楽もいた。三人とも思い思いの浴衣を着ている。

 よく見れば、花火セットがいくつも置いてあった。バケツやライターもある。

「今日は祭だからな。バーベキューの約束はまた今度として」

 そう笑って、一夏がグッと親指を立てた。

「久しぶりに花火でもやろうぜ」

 

 

 

「そういやさ、ヨウ」

「ん?」

 女の子連中がキャッキャウフフと花火をして楽しんでるのを、遠巻きに男二人で眺めていた。

「未来ってどんなとこだ?」

 唐突に聞かれた言葉に、思わず眉間が堅くなる。

「知らん。よく覚えてねえ」

「ふーん。まあ、ガキのときにこっちに来たんだろうしな。俺もそこにいたのか? どんなヤツだったかは覚えてるか?」

「今と変わんねえよ。ただまあ、オレはいなかったな」

 渡された缶コーラのプルタブを開けて、オレは口に含む。

 隣の一夏が、夜空を見上げて、

「……そりゃ嫌な世界だ」

 と呟いた。

「んなことねえよ。いないものはいないものとして、世界は回る」

「自分がいない世界ってのは嫌だなって話さ」

 ああ、そういうことならよく理解できる。

「だから……その」

「言うなよ、その先は。もう忘れようぜ。今のオレにゃ、どうでも良い話だ」

「……わかった」

「夜竹さんたちは?」

「ああ。体調に問題はないけど、あの束さんモドキに声をかけられてから、どうにも記憶がないらしい」

「まあ、ナターシャさんは覚えてたみたいだけど……それとは違うのかね」

「わからん。でもちょっと気になったんだけどな。本を読んでたとか、映画館に居たとか、テレビを見てたとか、そんな感じらしい」

 一夏が指折り数えるように教えてくれるが、

「はぁ……すまん、もうちょっと日本語で頼む」

 と素直に切り返してしまう。

「えーっと、つまり記憶はないんだが、夢の中なのかなぁ。そこでずっと本を読んでたりって話らしい」

「あん?」

「お前なら何かわかるか?」

「……いや、正確にはわからん」

 どっかで聞いた話だぞ。どうにも最近は自分の存在意義が曖昧で困る。

「ホントか?」

「わかるんだが、こう……確信が持てんというか証拠がねえ」

「そうか。まあ、何かわかったら教えてくれ」

 シャルロットが花火片手に、楽しそうな笑顔で一夏へと手を振っていた。

 セシリアと鈴は、何やら戦争まがいのことを始めて、ラウラは座りこんで興味深げに蛇花火を観察している。

 玲美と理子は大きな打ち上げ花火を点火し始め、神楽は少し離れた場所にある大きな石に腰かけて、友人二人を優しげに眺めていた。

 半分赤色に染まった目で、少女たちの姿を確認した後、

「アイツ、束モドキはどこ行った?」

 と、IS学園の男性操縦者に気になっていたことを尋ねた。

「わからん。戦闘が終わったときに気付けばいなくなってたよな」

 一夏は少し考えた後に、一言ずつ確かめるように返答し始める。

 銀の福音を巡る戦闘の最終局面、オレがラウラの天使像ISをぶっ壊して海面に上がったあと、すでに姿は見えなくなっていた。

「箒も束さんと連絡が取れないらしい。アイツは、結局……」

 一夏が手に持っていたビンのサイダーを口に含んだ。

 簡単な推測を立てると、アイツは紅椿だろう。箒をマスターと呼び、お母様を封印したと言うなら、その存在はひとつしかない。

 だが、ISが自我を持つことなんてあるのか? ……思い当たる節がないわけでもないけど……。

「なあ、まあ戯言なんだが」

 オレもコーラを一口、喉に流し込んだ。

「ん?」

「神様っていると思うか?」

 その問いかけに、一夏は外人みたいに肩を竦めて、

「わからん。いるかもしれないし、いないかもしれないだろ。少なくとも見たことはないぞ」

 とシニカルに笑った。

「神に一番近いものって、現代だと何だと思う?」

「神……さあ。神様って人じゃ出来ない奇跡を起こしたりするんだろ。うーん、単純に考えれば、昔ならその時代に合わない技術とかあったのかもしれないし、それこそ手品師だったのかもしれないし……ああ、言いたいことはそういうことか」

 一夏が納得とばかりにポンと手を叩く。

「インフィニット・ストラトス。その進化系が、まあ神様みたいなものかと思うわけだ」

「量子化した武装が目の前に突然現れたり、マッハを超える速度で空を飛んだり、傷を修復したり自己進化したり、人の命を守ったり奪ったり」

「後は強力な演算能力か」

「量子コンピュータとコアネットワークの可能性って論文があったな。お前から借りた本の中にあった」

「いずれ神と並ぶ者が現れるかもしれない、と結んであるヤツな」

「俺も気になったから、よく覚えてる。IS自体が自我を持つ可能性と、一部のパイロットが見たっていうISの中にいる少女か。俺も見たことあるけど」

「まあ、ぶっちゃけて言うと、オレもだ」

「……あの束さんモドキか」

 一夏が見る視線の先には、線香花火を一人で楽しむ箒の姿があった。常にぼっちになってるよなアイツ。

「紅椿」

 ボソリと呟いた言葉に、隣の男が腕を組んで考え込む。

「……そうだろうな。あの時の、我を失ったときの言葉といい」

「時間を超えたって言葉がホントかどうかは知らんけどな。たぶん、未来からやってきた紅椿が何か色々と企んでるんだろ。そう考えることで、紅椿が同時に二体あることも説明つくし」

「だとすると、お前が未来人っていうのも納得できる理屈なわけだ」

 口調が少し堅かったのは、その言葉を口にするのに決意が必要だったからだろうな。

「オレもそう考えたんだけどなぁ。それだと一つ、説明できないことがあって」

「ん?」

「この二瀬野鷹の体は間違いなく、オレの親の子供なんだよ。遺伝子的に」

 これはすでにDNA鑑定済みの事項で、オレが二瀬野夫妻の息子、二瀬野鷹であることは確定している。

「確かにそれだと説明がつかないな」

「タイムパラドクスやら何やらは、まあIS神様のお力で何とかするとしても、これだけはなあ」

 二人してうーんと首を捻る。

 しばらく色々と考えてみるが、結局何にも新しい考えが出て来ない。

 一夏が急に、プッと笑いを吹き出す。

「どした?」

「何だよアイエスシンサマって。どこぞのサイヤ人漫画か」

「うっせ。人のセンスにケチつけるなよ。なんだよサイヤ人って」

「まあISが神様だったら、変な宗教が出てきそうだな」

「事実、あるみたいだぞ」

「ホントか?」

「東欧の方にな」

「色々と考えるもんだな、人間って」

 他意なく感心したように一夏が頷いていた。

「全くだ。とりあえず一夏、あの暗い目の篠ノ之束には気をつけろよ。アイツの言葉を信じるなら、本物はいないみたいだし」

「お互い様だ。何かあれば、コアネットワークで連絡を」

「いや、それはマズいだろ。相手が未来の紅椿だって言うんなら、傍受される可能性だってある。なんせIS神様だぞ」

「だから、それやめろって。笑っちゃうだろ」

「うっせ」

 失礼なヤツだな、全く。

「まあ、半分以上は妄想に近いことだし、あの姿は束さん以外と認識出来んし、それに」

 ひとしきり笑った後、一夏がスイカサイダーレモン味のビンをいじりながら、独り言のように口を開いた。

「ん?」

「ISを提供できる科学力があれば、それは世間で言うところの篠ノ之束だ。もちろん俺や箒、千冬姉にとっては違うんだが」

 一夏が妙に穿ったことを言うが、言われてみれば確かにその通りだ。

 あのIS神様が、この間のようにISを用意できるなら、世界は篠ノ之束として扱うだろう。

「IS学園の方は任せろ、とまでは言わねえけど、俺なりに精いっぱい頑張る。最近は更識さんも俺を鍛えてくれてる。この間の戦闘で思うところがあったみたいだ」

「生徒会長か。なんか羨まイヤらしいことされてないか?」

 からかうように笑うと、一夏が真顔で頬を赤くして押し黙った。

 そこは変わらねえんだな、オレの知識と。

「い、いや俺からは何にもしてないんだが……」

「まあ頑張れや」

 そんぐらいしか言えることがねえな……。

 一夏から視線を女の子たちの方へと戻す。白い浴衣姿の玲美がオレの視線に気づいて、笑顔で小さく手を振ってくる。ショートカットになった髪がよく似合っていた。少し大人っぽく見える。

「ま、オレ様こと二瀬野鷹は、ここでリタイアだな」

「え?」

「色々とやってきたせいでな。正直、外に出られるのはこれが最後だろ」

「……そんな」

 痛ましい表情の幼馴染が、オレを見つめていた。

「今日だって、実は勝手に病院から脱走してきたからな。玲美たちには内緒だぞ」

「ヨウ……」

「ISはまだ装着してるっつーか、何を使おうがエラーを吐き出してオレから離れん。ただ、親が人質みたいな形になってやがる」

「どうにか出来ないのか?」

「親がどこにいるかもわからんからな。今は大人しくしてるわ」

 そしてもうやる気もねえ。努力しても無駄なら、頑張る意味がねえんだし。

 毎日、独房でのんべんだらりと過ごすのが、お似合いかもしれないな。世捨て人みたいでオレかっこいい。

「何かわかれば」

「それ以上は余計なこと言うなよ。気にすんな、と言っても気にするだろうけどな」

「そりゃそうだろ……」

「応援してるわ。輪の外から」

「ヨウ……」

「さってと。オレにも出来る花火を見つくろってくれよ」

 カラカラと笑いながら、電動車いすを動かして玲美の元に向かって行く。

「……なあ」

「ん?」

 思いつめた声が背中から聞こえたので、車輪を止めて振り向いた。

「俺、今まで以上に強くなって、きっと」

「そうだな。じゃあ、頼むわ」

 最後まで言葉にさせずに遮った。今は出来るだけ軽い口約束をしておくことにしよう。

 こいつも色んなものを、この間の戦いで失ったのだ。

 それでも、オレとこうして笑顔で会話して、色々と心配してくれてる。今日だって、オレや玲美たちをここに呼んだのはコイツだ。

 こいつは本当に底抜けのお人好しなんだ。

「任せろ」

 力強く断言する姿は、紛うことなくヒーロー・織斑一夏のものだった。

 

 

 

 

 

 花火大会の翌日、異常に増えた警備スタッフが見守る中、オレは都内某所にある病院の秘密の一室にいた。

 痛みは全くないが、オレの体は重症者そのものなので、ここから出ることは出来ない。ただの車イスに座り、ボーっと天井を見上げていた。

 ちなみに退院後のオレの処遇に関しては、色々と上で紛糾してるらしい。まあ勝手にやってくれや。

 オータムは分隊から部隊に格上げになったのに、まだ隊長として居座ってやがる。Mに関しては少なくとも誰からも情報を聞いたことがない。。

 午後三時前になって、圧縮空気が抜ける音がして重いドアが開き、誰かが入ってくる。

「リアか」

 赤いショートカットにちょっとキツい目つきのドイツ人、リア・エルメラインヒがタブレット端末片手に入ってきた。部屋にいた警備スタッフと敬礼を交わしてから、オレの横へと歩いて来る。

「何よ、その顔は。レミじゃなくて不満?」

「んなことねえよ、超嬉しいよ。んで、どした?」

「相変わらず生気のない顔ね。貴方も気になる情報があるんじゃないかって思って」

 そう言って、手に持ったタブレットの画面をオレに見せる。そこには動画がフルサイズで表示されていた。

 映しだされているのはどうやら、何かの記者会見の会場らしい。

「何これ?」

「IS学園の新人事の発表よ。ネット限定みたい」

「ほー」

 リアとオレは寄り添うようにくっついて、一つの画面に見入ってた。

 出て行った場所とはいえ、自分のやったことがどんな影響を及ぼしたのかが気にはなる。

 画面の中が慌ただしいフラッシュで一杯になった。丁度今から、会見が始まるようだ。

 司会らしき人物が、会見場の前方にある白いテーブルに、一人ずつ人を呼び込み始める。そのたびに拍手が聞こえてきた。

「知らないヤツばっかだな」

「そうね……今のところ有名人はいないけど。織斑教官の人事がまだ発表されてないわ」

「うーん……どうなるんだろ」

 オレたちが耳と目を傾けていると、司会の男が、

『続いて、IS学園の副理事長に就任していただきます方をお呼びしたいと思います」

 と告げた。

 その後に画面に入ってきた男性の顔に、自分の目を疑ってしまう。

「んな……四十院所長……?」

 今までずっと姿を隠していた人が、そこにいた。

『ご紹介に預かりました、四十院総司です。本日付で、このIS学園の副理事長職を拝命いたしました。ここからは、私がご紹介させていただきたいと思います』

 相変わらずの、ビジネスマン然とした聞こえやすい口調だった。

「え? これがヨンケンの?」

「あ、ああ。何で……って、おい」

 画面の中の四十院所長に呼びこまれて入ってきたのは、岸原一佐と国津博士だった。

『岸原大輔氏には、緊急時におけるIS運用の最高責任者を務めていただきます』

 それは確か千冬さんが務めていた役職だったはずだ。つまり、IS学園の軍事力の全権を担う重要職である。

『続いて、国津幹久氏には、IS学園における研究職の責任者を務めていただきます。私を含めた三人の経歴に関しては後ほど、報道各社宛に送付いたします』

 こっちは整備班および開発局を束ねる責任者だ。

 要するに、あの三人のオッサンどもは、IS学園における全権を握ったことになる。

 銀の福音事件の前からずっと姿を消してたのは、これのためか? 玲美たちは知らなかったんだろうか?

 そして拍手の音が鳴り終わった後に、四十院所長が一つ、小さな咳払いをする。

『現在のIS業界は、ISコアの数が限定されていたことによって、その力に振り回され、コントロール出来ないでいました。また有望な若者に対しても充分な訓練とチャンスを与えることが出来ず、業界は縮小化の一途を歩んでいました』

 急に勿体ぶった演説が始まる。

 その意図がさっぱりわからないまま、オレは画面に見入られていた。

 絶対に何かがある。無駄なことをする人じゃない気がする。

『その状況を打破すべく、我々はこの方をIS学園の理事長としてお招きすることとなりました。これにより世界は再び、光が差す方へと進むことが出来るでしょう』

 オーバージェスチャーで滔々と語る四十院副理事長に対し、画面の中では失笑のような声が少しずつ起き始める。

 だが、本人はそれすらも予想通りと笑みを浮かべた。

『この方に関しては、おそらくその経歴に説明はいらないかと思われます。それではお呼びいたしましょう』

 会場の前方にあるドアが開かれ、一人の女性が入ってくる。大きなどよめきが会場中を包んでいた。

 その姿がアップで映し出された瞬間、オレは心臓が止まるかと思った。隣にいるリアも驚愕に目を丸くしている。

 小さなタブレット越しに、四十院所長がこう紹介した。

『この度、IS学園の新理事長にご就任された、インフィニット・ストラトスの開発者にして稀代の天才、篠ノ之束氏です』

 

 

 

 

 そして、オレの直感がレッドアラートを脳内に鳴り響かせる。

 こいつは、未来から来た紅椿だと。

 

 

 

 

 

 






第三部完。これで前半戦終了です。次回投稿は、十月最初の土日ぐらいだと思います。


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24、ブルーリーデイズ デッドスイッチ

 

 

 

 八月の中頃、織斑一夏と二瀬野鷹が久々に再会した日の翌日、四十院研究所の所長室では一人の女性がキーボードを叩き続けていた。メカニカルスイッチ式の打鍵音がカタカタと部屋に響く。

 メガネをかけ、スーツの上に白衣を羽織り、長い髪を後ろで束ねている女性らしい優しげな顔つきの持ち主だ。仕事仲間からは三十を超えたぐらいにしか見えないと言われているが、実年齢は四十に近い。

 彼女が見ている画面の横には、家族で取った写真が飾ってあった。その中では彼女もさらに若く、夫が抱き上げている娘は三歳程度だろうか。

 胸元には首から長いストラップで垂らされたネームプレートがある。そこには「Ph.D.Miyako Kunitsu」と表示されていた。

 彼女はこの研究所ではママ博士と呼ばれている。主席研究員の一人だったが、一カ月ほど前から所長代理も務めていた。理由は、もう一人の主席研究員と所長が揃って行方を眩ませたからだ。

「ママ!」

 部屋の扉が勢いよく開けられ、三人の少女たちが入ってくる。一人は彼女の娘、残り二人も友人たちの娘であった。三人ともがカーキ色のワイシャツにお揃いの白いズボンを履いていた。それが極東IS飛行試験部隊の制服だと知っている人間は、今はまだ少ない。

「玲美……ノックをしなさい」

 メガネをかけ直しながら、娘を叱りつける。だが、娘はそれどころではないようで、

「そんなこと言ってる場合じゃないよ、ママ!」

 と小走りで真っ直ぐ彼女の元へ向かってきた。

「どうしたの?」

 大きな背もたれのイスから立ち上がりながら、彼女は画面に表示されていたデータウィンドウをそっと閉じる。

「パパたちが、IS学園に!」

 大きなマホガニーの事務机を、彼女の娘がドンと両手で叩いた。その顔は驚きと不満げな色を隠そうとしていない。

「ええ、知ってるわよ」

「え?」

「さっき、会見の前にパパから連絡があったわ。全く、何を考えているのかしら」

 彼女は呆れたように言って、かけていたメガネを外し、白衣のポケットに右手を入れた。

 今度は一緒に来た女の子のうち、小さな体に大きな丸いメガネをかけた方が、

「ママ博士、うちのオヤジがなんか企んでるみたいなんだけど」

 と不機嫌そうに問い詰めてくる。

「お父様も、何もおっしゃらずに、こんなことを……」

 さらに最後の一人、少し大人びた優しい顔つきの子は困惑した表情で、ぽつりと呟いた。

「全く、あの三人にも困ったものね。何の目的でこんなことをしでかしたのやら」

「ママ、でもあの篠ノ之博士って!」

「どうしたの?」

「ほら、ヨウ君が言ってた!」

「あの博士が何であれ、ISコアを提供できるのなら、それは篠ノ之博士よ」

「え? でも!」

「玲美」

 反論しようとする娘を、睨みつけるようにして黙らせる。彼女は娘が昔からこの視線に弱いことを良く知っていた。

「そういうことにしておきなさい。良いわね?」

「う、うん」

 有無を言わせぬ言葉の圧力に、三人が黙り込む。

「それと、四十院総司、国津幹久は四十院研究所とは無関係になりました。正式な人事が降りるまで、今まで通り私が所長代理を務めます。これも良いわね?」

 彼女が髪の長いおっとりとした雰囲気の少女に念を押す。その少女はスポンサーである四十院財閥の娘であり、この研究所自体が、その企業グループの一員でしかない。

「了承しました。ですが、無関係というのは」

「とりあえず、あの三人は完全にIS学園の人間ってことよ」

 彼女は娘たちにわざとらしく、やれやれと肩を竦めてみせた。それからすぐに真面目な顔に戻る。

「詳しいことは、それぞれ直接、パパたちに聞いてちょうだい。私にもよくはわからないわ。それより話を変えるけどいい?」

 所長代理を務める女性は、白衣のポケットから、一枚のプラスチック状の小さな板を取り出した。

「ここに一枚のメモリカードがあるわ。この中身をうちの金庫に置いておくから、覚えておいて」

「中身はなに?」

「ISの設計図。と言っても、そんなに大事なものじゃなくて、もう開発は終わっているもの。一応、何かあったときに使えるようにって」

 三人娘が小首を傾げる。

「ごめんママ、ホントにどうしたの?」

「これから大変になるし、四十院研究所は手薄でしょ。貴方達にも色々、将来に向けてお勉強してもらわなくちゃって」

「えー? 私、整備とか開発とか嫌い」

 ISパイロット候補生である娘だけが、不満げに頬を膨らませる。他の二人はそれほど不得意分野ではないのか、特に文句はないようだ。

「我が儘言わないの。いつか必要になるでしょ。いい? これはディアブロを元に開発されたもの、と覚えておいて」

「ディ、ディアブロから?」

「ええ。一機はすでにロールアウト済みのバァル・ゼブル。三人とも見たでしょ? 銀色の細身のISよ」

「あ、あれか。あれって四十院製なんだ」

「ええ。あと二機種あるわ。まあ、これを四十院が開発したことは内緒よ。誰にもよ。特にパパたちには、この設計図は渡さないこと、話題にも上げないこと」

「なんで?」

「あの篠ノ之束博士に気付かれるわけにはいかないの。パパたちの周りなんて監視されてるかもしれないでしょ」

 念押しをすると、三人ともが神妙な顔で頷いた。

「機体名はバァル・ゼブル、アスタロト、そしてルシファー」

「なにそれダサい」

「うるさいわよ理子」

 所長代理が苦笑いで窘めると、わざとらしく舌を出して、ごめんなさーいと謝る。

「ま、何はともあれ、今は好きにしていいわよ。とりあえずは訓練校、頑張ってね、三人とも。ケガしないように。特に玲美、アンタはまだケガが治ってないでしょ」

「う、うん」

「勝手に三角巾外して」

「だ、だって邪魔だし」

「ちゃんと吊っておきなさい。あんまり我が儘言うと怒るわよ?」 

「は、はい……」

 母に叱られ、しゅんとした顔で小さくなる。

「ほら、三人とも、二瀬野君のところに行く予定でしょ。暇なんだから、相手してあげなさい」

「そ、そうだった。びっくりして忘れてた! 行ってきます。じゃあね、ママ!」

「車に気をつけるのよ。理子、それに神楽もあの子をよろしくね」

「りょーかいりょーかい。まっかせておいて、ママ博士」

 所長代理の言葉に、理子と呼ばれた女の子が後ろ手を振りながら退出していく。

「では失礼いたします」

 残った神楽が丁寧にお辞儀をしていってから退出する。その姿を笑顔で見送ってから、彼女はディスプレイに作業途中だったウィンドウを再度、立ち上げた。

 そこに表示されているタイトルは、『空の奪還計画について』という報告書であった。

「全く、良い大人が雁首揃えて、趣味のパワードスーツを作ってるわけないと思ってたら……」

 ママ博士と呼ばれた彼女は、夫と友人たちが研究所の場所を借り私費を投じて、ISではないパワードスーツ作りを行っていたことは知っていた。所詮はお遊びで息抜きだと思い気にしていなかったが、これが三人で集まるための口実だった、と気付いたのは最近だ。

「でも、ただの口実なのかしら」

 ふと湧いて出た疑問が口から漏れる。

 使途不明金も多く、単なる趣味の領域を大きく超えていた。主に四十院総司という財閥御曹司のポケットマネーから捻出されているようだと、目の前の報告書が教えてくれていた。

 何がしたいのだ、あの三人は。さっぱり目的が見えてこない。こんなことは以前はなかったと彼女は小さくため息を吐く。

 国津三弥子と名乗っている彼女だが、IS学園の中枢を牛耳った三人の男たちとは古い知り合いでもある。ただ、彼らが昔から三人で色々と悪だくみをしては、周囲を困らせていたことも覚えていた。すっかり大人になったと思えば、実はそうでもなかったようだ。

「まったく……これだから男の子は」

 画面に映るウィンドウの一つから、男性IS操縦者・二瀬野鷹の報告書を最前面に持ってくる。そこに移った堅い笑顔の写真を、彼女は指先でそっと優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 八月三十日の夕方、オレはベッドで装飾用義手をつけていた。外見を整えるだけの機能しかない物だけど、その変わりに見た目は本物に近く、すぐには義肢と気付きにくい出来だ。接続部に特殊なモノが何一つ必要ないって特徴もある。正直、つけない方が楽なんだが、少しは慣れた方が良いだろうと思って、時々は装着するようにしていた。

 まあつまるところ、オレこと二瀬野鷹は、ぶっちゃけ暇だった。

 現状としては、ISを奪って基地から逃走して捕まった容疑者、という身分だ。ただし重症患者というところで、沢山のゴツいお兄さんたちに囲まれた生活を強いられている。

 ただし、これは名目上の話で、オレはあの件から何故かISを体から外すことが出来なくなってしまった。待機状態としてネックレスにはなるんだけど、オレの体から離そうとした瞬間に、フルスキンタイプの装甲が全身展開されてしまうという困った症状が出ているのだ。

 というわけで、政府のお偉いさんの話によると、今はうちの親がVIP保護プログラムから、さらに一歩進んだ保護状態になっていると伝えられた。それって人質じゃねえ? と聞いてみたが、話を濁されたところを見ると、当たりだったらしい。ただ、念押しのように「親御さんにご心配をかけないようにね?」と何回も繰り返し言われたのが記憶に残っている。

 まあ端的に言えば、オレがここに監禁状態なのは、お偉い皆々様方が扱いに困っている、ということだろう。

 それで今、何かすることがあるかといえば、何にもない。

 ついでにいえば、何にもやる気がない。

「こんちはー」

 元気良く入ってきたのは、玲美である。一応、訓練校の生徒としてやっているのか、カーキ色のシャツとズボンを身につけている。ショートカットになった髪の毛は、それでも外に広がる柔らかい癖を抑えるためか、何か所かヘアピンで止めてあった。そこまで気にしなくて良いと思うんだけどなあ。

 ちなみに毎日来るのはコイツぐらいだ。面会には複雑な手続きがあるようだが、なんか色々と裏技でスキップしてるらしい。もちろん他にも理子や神楽、それにアイドル兼ISパイロットの悠美さんとかも暇を見つけては来てくれる。あとは玲美のママぐらいか。着替えとか用意してくれたのは、全部ママ博士だったし。

「お前、訓練校は良いのかよ」

「うん。別に今の優先事項じゃないし」

 手に持ったビニール袋から何か取り出し、オレのベッドに腰掛ける。

「どした?」

「耳かきしてあげようかなって」

 玲美は笑いながら、手に持った耳かき棒で空中をカリカリと掻いてみせた。

「いいよ。汚いし。自分で……いや、膝枕?」

「え? そのつもりだけど……って、改めて言われると何か恥ずかしいな……」

「よし、来い!」

 今の自分で出来る最速の動きで体を起こし、場所を開ける。

「なんでそんな気合い入ってるの……」

 ちょっと苦笑いをしてから靴を脱いで、ベッドの上に正座する。

「えっと……は、はいどうぞ!」

「うっす、いただきます!」

「いただいてどうするの……」

 赤面しながらも少し呆れたように呟く。

 だが、そんなことは無視だ。目測を計り、メガネを投げ捨てるように放り出して、柔らかい膝の上に頭を収めて右耳を差し出す。

 くそう、長ズボンという訓練校の制服が腹立たしい。

「じゃ、じゃあ痛かったら言ってね」

「おう」

「……ヨウ君」

「おう?」

「さらっと足を撫でないでもらえるかな?」

「悪い。わざとだ」

「もう……動かないでね。慣れてないから傷つけちゃいそう」

「りょーかい」

 オレが大人しくなった途端に耳の奥でカリッと優しく引っ掻かれる。しばらくされるがままにしていた。

 最初は緊張した様子で表面をカリカリと突くような感じだったが、すぐに慣れてきたのか、段々と良い感じで耳の垢を解し始める。

「ホーク」

「ん?」

「私が使って良いかな?」

「オレの許可なんぞいらんだろ」

 確かに前はオレの専用機だったが、所有権がオレにあったわけじゃない。

「受け取る前に聞いておきたかったの」

「律義だな」

「もう……動かないの、足を撫でないの!」

「へーい」

 怒られたので、再び仕方なく右手をだらんとベッドに放り投げて、じっとする。

「コア、一応リセットかけるみたい」

「そっか」

「機体調整も一から始まるみたい」

「……そっか」

「……ごめんね……あ、大きいの取れた」

 何を謝っているかがわかるだけに、少し胸が痛い。

「見せろ見せろ。うわ、汚ねっ!」

「みんな、こんなものだよ」

 楽しそうに笑ってから、再びオレの耳に竹製の棒を差しいれる。

 玲美はオレが今まで動かしてきた経験と努力が消えることを、謝っているのだ。コアをリセットしてしまえば、またゼロから育て直しだ。だが仕方ない。オレみたいなIWSを患っている人間しか動かせない機体では、意味がない。

「謝ることじゃねえだろ。オレの物じゃねえんだ、元々」

「でも……」

「手、止まってるぞ」

「……でも」

「前にも言ったろ。どういう理由か知らんが、オレは体の一部を犠牲にすることで強く上手くなっていってたんだ。努力のせいじゃない。無駄だった物を大事にしてどうすんだ」

「……でも、私は」

「どした?」

「好きだったよ」

「……何が」

「頑張る、キミの姿」

 そう言われて、オレが返す言葉が何かあるだろうか。

 別にオレの考えを変えろとか、そんなことを言ってるわけじゃなく、ただ過去のオレが好きだったと言われただけだ。

 だからオレは小さな世界の中でそっぽを向いて、

「手、止まってるぞ」

 と教えてやるだけだ。

「あ、うん」

「ほら、さっさと続けろ。そうじゃないと今度はケツ触るぞ」

 無理やりに笑みを作って、手をわきわきと動かす。

「ダーメ、人が見てるし」

 チラリと護衛兼監視のお兄さんズに目を向ければ、目を逸らして少し憎たらしげな顔をしていた。羨ましいのか。

「オレは、今のところ満足してるよ」

「ん?」

「胸、意外とあるよな。うむ、義手だったら触れても問題ねえと思うんだが……」

 横目で見上げれば、豊かな二つの膨らみが間近にある。確かに神楽とか悠美さんとか、あとは千冬さんとか箒とか凶悪なデカさを誇る連中に比べれば小ぶりだが、平均よりは少し上な気がする。てか、みんながデカすぎるんだよ。持て余すだろ、色々。

「……ヨウ君」

「んあ? いててて」

 思いっきり頬っぺたを抓られた。

「……もう! 人前でエッチなことを言うのは禁止です!」

 玲美がプイッと横を向いて胸を隠すように腕を組む。

 人前じゃなかったら良いのかよ、と言おうと思ったが、オレはおそらくずっと監視付きの生活を強いられるだろう。今はオレという存在を色々な人間が持て余している。ゆえにここでの軟禁生活だ。

 世界でたった二体しかいない男性IS操縦者の一人がオレなのだ。右手しかなくなったとはいえ、研究する価値がなくなったわけじゃない。その上、オレは色々と特殊な事情がある。さらに軍隊からISを奪い、アラスカ条約機構の作戦を妨害した犯罪者でもあるのだ。

 しかも外すことが出来ない特殊なISなせいか、いまだに専用機を持ったままだ。ただ、VIP保護プログラムによって両親が政府の世話になっているので、脱走することも出来ない。

 ゆえに自由なんてない。

 まあ、考えても仕方ねえか。

「そういや、国津博士とか岸原一佐とか、連絡取れたか?」

「パパとオジサン?」

「所長……今は元所長か。四十院さんは元々、あんまり連絡が取れる人じゃないっぽいからさ」

「パパなんか知らない!」

「知らないて……」

「だって、なーんにも話してくれないんだよ。男同士の約束だって!」

「なにそれ……あんな優男なのに……でもそういや、オレがIS学園を出るときも、男が決めたことなら仕方ないって言ってくれたな」

「昔っから義理堅いんだよね、パパって。約束とか絶対に守るの。でも心配だなー。四十院のオジサンはともかく、岸原のオジサンとかパパとか運なさそうだから」

「まあ、幸薄そうだよな……」

 特にあの岸原一佐とか、最後まで艦橋に残って乗組員を逃がしてから死ぬタイプだと思うわ……。

「小さいころ、みんなで旅行に出かけて、交通事故に遭ったんだけど、あの二人だけ大ケガだったんだから。私たちとかママは平気だったのに」

「ほー。あー、なんかわかるわ。あの二人が貧乏くじ引いて、所長だけが無傷な様子が」

「ホントにそうだから、心配なんだよね」

 玲美がついた大きなため息が、オレの耳へと入り込んでくる。かなりこそばゆい。

「おい、耳に息を吹きかけんな。感じちゃうだろ」

「感じ……って何言ってるの! そ、そそそんなつもりは! だ、だから人前は」

「いや、ジョークだから、マジメに受け取られても困るんだが」

「え? じょーく?」

「イッツアメリカンジョーク」

 アメリカといえばナターシャさん元気かなぁ。

「もう!」

「ってぇ!」

 耳たぶを強めに抓られる。

「意外にスケベだよね、ヨウ君って!」

「あたたた……てか普通だろ、男子高校生だぞ、元だけど」

「え、えー? 男の子ってそんなことばっかり考えてるわけじゃないでしょ? うちのパパなんて」

「そりゃパパは見せないだろ。まあママ博士もいつもは仕事仲間って感じだしなあ」

 いや、意外にああいう知的な理系カップルに限って激しいのかもしれない、とか言ったら殺されるよね、うん。

「なんか変なこと考えてるでしょ」

「い、いいや、何にも!」

「まったく! はい、反対向いて!」

「う、うぃ」

 もぞもぞと動いて、左の耳を見せる。

「よし、やるぞ」

「おう、任せた」

「だーからー、足を撫でないの!」

「チッ」

 何はともあれ、今のところは平和である。

 結局、世の中で起こることに積極的に介入しない限りは、何も変わらないのだ。

 一夏の誘拐事件に始まって、銀の福音に終わるまで、色々と変えてしまったオレが言うのだから、聞く人が聞けば含蓄があるだろう。たぶん。

 ただ今はずっと変わらないように祈りながら、頬っぺたで柔らかい太ももを堪能するのみだ。

「だーからー、もぞもぞしないの!」

「チッ」

 そう、平和が何よりだ。

 

 

 

 

 

 八月の末日、IS学園の校舎内にある豪華な応接室で、IS学園生徒会長である更識楯無は副理事長と対峙していた。

 彼女とガラスのテーブルを挟んで座っている男が、メガネを正して足を組み変える。

「しかしまあ、久しぶりだね、楯無さん」

「ええ、お久しぶりですね。このような形でお会いすることがあるとは思いませんでした。四十院総司様」

「様とか止めてくれよ。妹さんとは相変わらず仲良しかい?」

「息災ですが」

「堅いなぁ。どうしたんだい? 昔は結構、仲良くしてくれたと思うんだけどな」

 如何にもビジネスマンというスタイルの男の名は、四十院総司という。実年齢は四十歳ぐらいなのだが、三十路過ぎにしか見えない若々しい男性である。

 更識楯無にとっては十年以上に渡る旧知の間柄だ。お互いに古い家柄をまとめる立場にあり、楯無が幼い頃から良くしてもらっている。

「打鉄弐式への資金援助、ありがとうございました」

「なに、簪ちゃんへの入学祝いさ。どうせ完成間近だったと思うけどね」

「技術援助の件も」

「なに、気にすることはないよ。こっちは部品メーカーだったからね。意外に倉持さんもあっさり受け入れてくれたから。白式には触らせてもれなかったけど」

 楯無は心の中で舌打ちをする。もちろん、表面上は笑顔のままだ。

 更識家当主として裏の事情にも精通している彼女は、倉持技研というISメーカーに多額の資金援助をしているのが、この四十院総司の手によるものだと把握はしていた。だが、それも本人が言うような厚意だったとは、今では思えなくなっていた。

 昔から、その手腕を高く評価されている男だったが、ここにきてIS学園の副理事長に納まっていることが納得いかない。

「単刀直入に申し上げましょうか、総司さん」

「何かな」

「どういうおつもりですか」

「どういうおつもり?」

「まさか轡木さんたちを追い出すように策略を働かせ、二瀬野クンを動かして作戦を失敗させ、副理事長の座に収まることを画策していたとは。その手腕にしてやられました」

 IS学園最強の生徒会長が、笑顔を消して無表情な視線を目の前の男へと向ける。

「怖いなぁ。さすが更識家ご当主」

 メガネを正しながら、男が笑う。

 IS学園に入ってから再会したとき、自分に向ける視線が気になった。まるで人を人として見ていない。全ては自分のコマだと言わんばかりの目つきだった。幼いころから何度も会っていたが、その頃はまるで気付かなかった。

「新理事長を引き入れることを条件に、副理事長の座に納まったと聞き及んでおりますが」

 今の理事長である篠ノ之束は偽物であると楯無は知っている。だが、それを目の前の男へと報告する気はなかった。その事実は迂闊に使えないジョーカーだ。

「よくご存じで。アラスカ条約機構の連中には、それを条件に納得させたんだよ」

「しばらく姿を消していたのは、その工作を秘密裏に行う必要があったからですか。何が目的でしょうか?」

「今日、楯無さんをここに呼んだこと? それとも……この四十院総司が副理事長になったこと?」

「両方です」

「うーん。まず最初の用件を済ませようか。篠ノ之博士が理事長になって、非常に協力的なったおかげで、IS学園に新しいISが配備される。最初に言っておこうと思ってね」

 ……やはり来たか。楯無は心の中で舌打ちをする。予想されていた事態ではあったからだ。

「何機でしょうか?」

「30機」

「さんじゅ……」

 楯無は咄嗟に扇子を開いて口元を隠した。鼻から下を見せなかったのは、舌打ちを隠しきれなかったからだ。

 あの偽物が用意するということは、おそらく一年生三人の意思を奪い自由に操った機体だろうと推測できた。七月の横須賀沖騒乱では亡国機業に奪われたが、偽物の指示通りに動いていたのは、彼女自身も確認しているので間違いない。

 それが三十機など、楯無にとっては戦慄すべき事態だった。世界にはISの中心となるISコアが470程度しかない。なのに、新しいISが30機もいきなり与えられるというのだ。しかも、自分が見た機体と同等性能なら、恐るべき事態だ。

「それはとてもありがたいお話ですね」

 内心ではかなり動揺していた彼女だったが、得意の作り笑顔で表面上だけでも賞賛できたのが、さすが裏世界でもその名を轟かせる更識家当主であると言えるかもしれない。

「本当はもっと欲しいんだけどね。それで、私が来た理由……だっけ」

「そうです」

「もちろん、利益があるからだよ」

 楯無には、ニヤリと笑う目の前の男が、全く人間に見えてこない。無言で睨んでも、どこ行く風でニコニコと笑うだけだ。

 そのことがさらに楯無を腹立たせていた。お互いに笑みを浮かべてはいるものの、二人しかいない部屋の空気が緊迫したものになっていた。

 そこへ、副理事長室のドアがノックされる。

「はいどうぞ」

 副理事長が返事をすると、

「失礼します……」

「失礼します」

 と二人の女の子が入ってくる。

「簪ちゃん? それに箒ちゃんまで!」

 思わず腰を浮かして驚く。入室してきたのは、自分の妹と、一年の専用機持ちで篠ノ之博士の妹という重要人物だったからだ。

「やあやあ、簪さん、久しぶりだね。篠ノ之さんもどうぞ、そちらにおかけになってください」

「お、おじさん、その……お久しぶりです。ありがとうございました」

「打鉄弐式の件だね? いいよいいよ。さっきもお姉さんからお礼をいただいたばかりさ。何か飲むかい?」

「あ、いえ、大丈夫……です」

 二人ともが小さくお辞儀をしてから、楯無の隣に座る。

「簪ちゃん、どうしたの?」

「えっと、総司おじさんに……呼ばれて」

 少し緊張している様子を見せているのは、もちろん更識の娘としてある程度の事情を把握しているからだろう。姉妹にとっては今回のことがなければ、昔から付き合いのある『気前の良いオジサン』でしかなかったのだが。

「さて、更識簪代表候補生殿と呼んだ方が良いのかな」

「あの……昔通りで良いです」

「じゃあ簪さんにお願いがあってね。しばらく篠ノ之箒さんの護衛について欲しいんだ」

 簪が驚き、楯無は無表情のまま、口元を隠して足を組みかえる。

 アイデア自体に意義はない。むしろ楯無としては願ったり叶ったりだ。重要人物を堂々と護衛できるなら、それに越したことはない。

 だが、当の箒が眉間に皺を寄せながら、

「私には護衛など必要はありません」

 と力強く断言する。

「ああ、腕に不満があるとか、自分の身を自分で守れないとか、そんなことは全然疑ってないんだ」

「それなら」

「いや、そもそも専用機を持ってる子に護衛とかいるのかなって話になってしまう。そういうことじゃなくてね、まあ見た目上の話?」

「見た目?」

「こっちも色々あるんだ。国際IS委員会から強く言われててね。キミが受けてくれないと、私と楯無さんと簪ちゃんが怒られちゃうんだ」

「必要ないとお伝えください」

「うーん……」

 にべもない箒の返答に、四十院総司が困ったように苦笑いを浮かべる。それから意味ありげに楯無を一瞥したあと、

「それじゃあ簪ちゃん、申し訳ないけど、織斑君の護衛についてもらえるかな?」

 と笑いかけた。

「え……」

「ごめんね、そういうことだから……ああ、もちろん恥ずかしいとは思うけど、ここは一つ、お仕事だと思って……」

 手を合わせて謝る姿が、ひどくわざとらしいのだが、箒の方はそれよりも新しい提案が酷く気にかかるようだ。

「ま、待ってください、護衛というと」

「まあ、あの部屋に一緒に住んでもらうのが一番かなぁ」

「それは……いや、そういうことなら、私が一夏の護衛に」

「護衛対象をまとめておくつもりはないよ。いくら幼馴染でもね」

「ぐ、し、しかし、男女七歳にして同衾せずという、に、日本古来の!」

「そうは言うけど、この場合はお仕事なんだ。キミはご存じないかもしれないけど、そういう立場にいるんだよ。あー、簪ちゃんには大変申し訳ないとは思ってるんだよ。篠ノ之さんが断ったばかりに、こんな仕事を押し付けてしまって。断ったばかりに、四六時中、織斑君についてもらわなければいけないなんて」

 今度はわざとらしく天井を仰いでいる。

 相手の狙いは何だとその頭脳を回転させ始めた。楯無側としては、全く問題のない提案だからだ。

 あの偽物が何者であれ、報告を受けた話では、どうやら篠ノ之箒にかなりの執着を持っているとのことだった。それにもし本物が帰ってくれば、箒の元に連絡が来る可能性が高い。

 楯無自身としてはIS学園から外へ出しておきたいのだが、篠ノ之束が偽物であることを隠さなければならないため、現状維持のまま警戒するしかない。

 もちろん、楯無は事情を知っている一年の専用機持ちと信用できる一部の人間に、別の指示を出してはいる。

 それとは別に一番の重要人物の可能性が高い篠ノ之箒を堂々とガードできるなら、それに越したことはないのだ。

 仕方なく、ここは相手の策に乗ろうと、楯無は決意した。

「あ、簪ちゃん、ここはぐいぐい行っちゃって良いよ。一夏君は良い子だし、ここは一つ」

「ぐ、ぐいぐい?」

 姉がからかっている内容を察してか、妹の頬はどんどん赤みを帯びていく。

「そう! もちろん、何か楽しいことするときは、お姉ちゃんも混ぜてね!」

 こちらも四十院総司にならって、わざとらしく怪しい笑みを浮かべた。

「さあ、どうするのかな、箒ちゃん?」

 パチンと音を立てて扇子を畳み、腰を浮かせていた箒を見上げる。

 酷く納得の言ってない表情をしているが、そっぽを向き渋々と、

「そ、そういうことならば……更識の、その、護衛を受けます。こ、これは男女七歳にして同衾せずという日本古来より伝わる教えを守らせるためであって、決して」

「あーはいはい。箒ちゃんは偉いねー。じゃあ副理事長、そういうことで」

 軽くあしらいながら、目線を副理事長に戻す。そこで楯無は思わず眉間に皺を寄せてしまった。

 その男が優しい笑みを浮かべていたからだ。先ほどまでとは打って変わった態度だ。

「副理事長?」

「おっけー、じゃあ話はここまでだ。三人ともありがとう。それじゃあよろしくね」

 声をかけられるよりも早く、作り笑顔に戻っていた。

 どういう意味の笑みだったのか。

 幼い頃を思い出せば、確かに昔から子供たちをああいう目で見ていた記憶がある。

 更識楯無は四十院総司を警戒せねばならない立場だ。それが自分のIS学園生徒会長としての役目であると思っている。

 しかし、どうにも目の前の男を心底から疑うことが出来ない。付き合いが古いからだろうか、と彼女は自己嫌悪してしまう。昔から公私ともにいくつか借りがあるせいもあるだろう。それとも、今しがたに見せた笑みのせいだろうか。

 自分も甘いな、と心中で苦笑いを浮かべてしまっていた。

 

 

 

 

 

 今日は八月三十一日ということで、世間では夏休み最終日だ。かといって夏休みの宿題があるわけでもないし、提出するレポートがあるわけでもない。

 暇を明かして世情を探ろうとしようにも、そもそもがネット接続すら許されない身である。

「もー飽きたー! 超飽きたー!」

 と部屋の真ん中にあるベッドの上でゴロゴロ喚いてみるものの、病室で監視をしてくれてるゴツいお兄さんたちは何も反応してくれない。

 ホントにすることがねえ。早く身の振り方を決めて欲しいものだ。

 トイレも部屋の中に個室があるので、それこそ一秒たりとも病室を出ることがない。

 ぶっちゃけ、色々と気になることがありすぎるんだが、そもそも情報すら入って来ないオレに何が出来るのか、という話だ。

 束モドキの紅椿が、何の目的があってこの世界にいるのかは不明だが、オレが何かしなきゃいけない問題かと問われるとかなり悩む。

 アイツの目的は何なのか、さっぱりわからない。十中八九、ロクでもないことだとは思うんだが、如何せん、オレには戦う理由がない。

 IS自体はオレにくっついたまま離れないのだが、親がマジで人質状態なので脱走してコンビニに行くことすら出来ない。つか、行っても金がない。

 そういうわけで、目的も理由も何もかもを失ったオレは、暇なのである。

 玲美とか来ないかなあ。でもアイツも明日から訓練校とか言ってたしなぁ。そもそも今のオレにゃ連絡手段すらねえし。

 オレがいた極東飛行試験IS分隊は、このたび人数が増えて部隊に昇格し、その育成の一環として訓練校が出来たらしい。IS学園の一年の半分が、そこに移ってるとは聞いてるが、オレには関係ない場所になってしまったので、会いに行くことすら出来ない。もっとも、外出さえ許されず、この姿を見せる気も起きないので問題はないけど。

 雑誌も内容検閲済みの、ホントに無害なものしか読ませてくれないし。

 今まであんまり読んだことねえけど、マンガとか頼んでみるかなぁ。

 今日も今日とて、時計の針の進みが遅い。

 ああ……暇だ。

「失礼しまーす」

「悠美さん!」

 友達の家に来るような気軽さで入ってきたのは、沙良色悠美さんだった。試験部隊のISパイロットでアイドル活動中の巨乳美人だ。カーキ色のワイシャツにパリっとした白いズボンを履き、背中の半分ぐらいまである髪を後ろで緩く束ねている。胸元にはいくつかの勲章がついていた。

 相変わらず胸の盛り上がりが凄過ぎて、一番上までボタンを止められないみたいですね。軍隊でもタイ無しはクールビズって言うのか? さっきからチラチラとゴツいお兄さんたちが見つめています。気持ちはわかる。女子平均値の高いIS学園で揉まれたオレですら、こんな可愛い巨乳女子がいるのかと感慨深いぐらいだ。

 予想外の訪問者に上半身を起こす。二週間ぶりぐらいか。

「やっほー。元気してたー? また暇そうだね」

 そんな様子に気づいてか気づかずか、笑顔で手を振りながら、オレの元へ歩いて来る。

 軽くジャンプしながらオレのベッドに座り、

「チーズケーキ食べられるー?」

 とケーキの箱を開けながら尋ねてくる。

「オッス、いただきます」

「良かったー。一応、お医者さんにオッケーか聞いておいたけど、本人が嫌いだったらどうしようかと思っちゃった」

「ヤダなぁ。オレが悠美さんのお誘いを断るわけないじゃないですか。それこそウィダーイン●リーのフルーツ和えですら食べますよ」

「なにそれ、料理?」

 楽しそうに笑いながら、オレに小さなチーズケーキを差し出してくる。

 唯一無事だった右手でそれを受け取って、口に入れた。

「美味い。最高っす」

「それは良かった。あ、そこのキミ、ジュース買ってきてー。アイスレモンティー。ヨウ君はコーヒーでいいよね」

 悠美さんは何食わぬ顔で、入口横に立っていたゴツいお兄さんAに指示を出す。

 いや、職権乱用じゃないすか? と思ったのは相手も同じらしい。

 少し戸惑った様子のお兄さんAに対して、悠美さんは可愛らしく目の前で手を合わせて、

「お・ね・がい」

 と、ハートマークがつきそうな口調で念押しした。自然と押し上げられた胸がすげえ。

 少しあざとい気もするが、その可愛らしさに負け、お兄さんAはニヤケ面で敬礼をしてから部屋から出て行く。

「なんか女っぽくなりましたね」

 悪い意味で。

「え? そ、そうかな?」

 この夏に何かありましたか? と尋ねる勇気がなく、嬉しそうに照れてる悠美さんに曖昧な笑みを返すしか出来なかった。

「これ、美味いっすね。どこの店のですか?」

「知らない。簪ちゃんに貰ったの」

 そう言いながらも、持ってきた紙の箱を持ち上げてロゴを見つめて首を傾げる。

「あら。更識からの差し入れですか」

「うん。私がちょいちょい会いに行ってるって言ったら、直接は会えないからって、コレを」

「へー。ありがとって伝えておいてください」

 確かにこの病室に入って来られる人は限られてる。IS学園の一生徒では無理だろうし、簪はまだお家の力でどうこう出来る人間じゃないのかもしれない。いや、そもそも、別に会いたくはないが義理は果たした的な感じだったりするのかもしれん。

「あ、ヨウ君、ちょっと待って」

 そう言って悠美さんが恐る恐るオレの顔へと手を伸ばしてくる。

「え、えっと何スか?」

「ストップ。あ、取れた」

 そう言って、手でつまんだチーズケーキの欠片をオレに見せた。

「あ、すいません」

「えーっと……」

 手に持った欠片とオレの顔へ交互に視線を動かす。

 それから、少し赤面した顔で、

「えいっ」

 とその欠片を口に入れた。その喉が艶めかしく動いた後、再び照れたように笑う。

「食べちゃった」

 その頬がかなり赤く染まっていて、何この人、五つも上なのに何でこんなに可愛いの? とか思っちゃうわけなんだが。

「沙良色さん」

 いつのまにか、ジュースを持ったお兄さんAが帰って来ていた。その顔が少し悔しそうだ。

「ありがとー。お金渡すね」

 そう言って財布を取り出そうとしていたら、

「いえ、お金はその……こちらのお嬢さんが払ってくれまして」

 と横へ避ける。

 そこには、悠美さんと同じ服装の国津玲美が頬を膨らませて立っていた。ショートカットになったとはいえ、相変わらずの柔らかい癖っ毛を抑えるためか、ちょっとヘアピン多めだ。

「ヨウ君……」

 プルプルと震えて怒りを露わにしている玲美を見て、ちょっとディアブロを部分展開して逃げようか本気で悩んでしまう。

「あ、あら玲美ちゃん。こんにちは」

「悠美さんこんにちは!」

 半ば怒鳴るように声を上げてから、悠美さんとは反対側にドカッと勢い良く腰を下ろす。腕の三角巾が取れたってことは、完治したというお墨付きを貰ったのか。

「お、おっす。腕は治ったんだな。おめでと」

「ありがと! まったく、ちょっと隙を見せたら、すぐ女の人といちゃいちゃして!」

 湯気が出そうなほど怒ってるが、言われなき中傷につい、

「そんなキャラだっけ、オレ」

 とボヤいてしまう。

 そして悩んだ振りをして腕を組もうとしたが、左腕がなくてスカってしまい、右腕が太ももの上に落ちる。さらにバランスを崩して倒れそうになってしまった。

「あっ」

 玲美が咄嗟に背中に回って抱えてくれた。

 ……ああ、そういや無かったな、左腕。

 慣れてきたつもりだが、ふとした瞬間に、無意識的に失敗をしてしまう。

 その様子を見て、二人が痛ましい表情をしていた。玲美なんかは目尻に水滴まで溜めてやがる。

 ラウラに切り落とされて、傷口が焼き切れたような感じだったせいか、くっつかなかった。まあその前に変形したディアブロでグシャグシャにされていたから、あとは壊死するだけだったし、ラウラにはむしろ先にやってくれてアリガトウとしか言えない。あと、脚部装甲がついていた膝から下は壊死寸前だったので、医者に切り取られた。

 何かわざとらしい軽口を叩こうとしたが、面白い言葉が出て来なくて、押し黙る形になってしまう。

 痛みはないし、気にしてもない。後悔もない。

 だけどまあ、二瀬野鷹には膝から先と左腕がないことが、今の事実だった。

 慣れなきゃな。どのみち、自分がやってきたことのツケなんだ。

 そう思って心にウソを吐く。

「ねえ、お散歩行こっか」

 悠美さんがポンと手を叩いて、笑顔で提案してくれた。

 

 

 

 

「暑いね」

 玲美が車椅子を押し、悠美さんがオレの横を大きな日傘を差して歩く。病院の敷地内とはいえ電動車椅子は貸してもらえず、動力なしの物を使って散歩を楽しんでいた。

「まあ夏ですからね」

 病院の中庭に生い茂った木々の下を、夏の残り香を味わうようにゆっくりと進む。オレたち三人の後ろと前には、しっかりと監視のお兄さんたちがくっついてきていた。

 今日は風が吹いていて、木陰ならかなり涼しいぐらいだ。ただ、視界の左側が赤く染まっているせいか、メガネをかけていても生い茂った緑を完全に味わうことが出来ない。

「こんにちは」

 悠美さんが行き交う他の患者さんたちに笑顔を振りまき、ちょっとした世間話なんかをしている。あの人、ホントにそういうところがアイドルっぽくねえよな。

 今話している相手は、銀髪の女の子だった。目が見えないのか、細い棒を持って探るように歩いている。格好もオレみたいな検査着ではなく、袖や襟もとにフリルのついた清潔感のある白いワイシャツと、紺色のフレアスカートを着ている。まるで古い洋画のお嬢様みたいな服装だ。

 つか、どっかで見たことあるな……ラウラに似てるのか? いや、あれって、確か、クーとか言う……確か篠ノ之束の助手か娘か、確かそんなのだったような。

「ねえ、そこのキミ」

 オレも思いきって声をかけてみる。

「はい?」

 目が見えない少女が、器用に呼びかけたオレの方を察知して振り向いた。

「ここに入院してるの?」

「はい」

「オレは二瀬野鷹。キミは?」

 オレが問いかけると、目を閉じたままの少女が眉間に皺を寄せる。

「名前が、わからないのです」

「へ?」

「いわゆる記憶喪失、というものらしく」

「そうか……お互い、大変だな」

「私の髪が銀色なので、クロムとここでは呼ばれています。ここの人たちにはよくしてもらっています。それでは」

 そう言ってペコリと頭を下げ、盲目の少女は一人で器用に歩き去って行く。

 こっちの付き添いの女の子二人は、相手の目が見えないとわかっているのに、律義に笑顔で手を振って見送っていた。

「ヨウ君、どうしたの?」

 笑顔のまま、悠美さんが尋ねてくる。

 どうするか。

 いや、この事実は彼女には話せない。何がどこで繋がっているかもわからないし、そもそも悠美さんは新しいIS学園理事長が偽物であると知らないはなずだ。

「……いえ、何でもありません」

「そう? それじゃ、そろそろ戻りましょうか」

「はーい」

 悠美さんの言葉に、玲美が頷いてから病棟の入り口へと車椅子を押し始める。

 ……記憶喪失、ここで保護されている? どういうこった?

 どうにもオレ自身がどう思うかは別にして、いつのまにか巻き込まれているようだ。

 運命、ってヤツかね。

 

 

 

 

 最近はよく夢を見る。たぶん昼寝が多くて、睡眠が浅いせいだろう。

 今見ているのは、以前の人生の記憶だ。大学生を満喫していた。毎日、下らない会話を友人を交わし、ダラダラと冴えない人生を暮らしていた。

 だがある日、友人の家からの帰り道だ。本屋に寄り道してインフィニット・ストラトスの八巻を買って、本屋から出た。

 そして、暴走してきたトラックに横断歩道のど真ん中で轢かれた。

 死亡する。

 空を飛んでいる鳥がいる。鷹か。

 目を覚ませば、オレは自分の部屋にいた。部屋の中でずっとインフィニット・ストラトスの本やDVDを見ている。PCを立ちあげて、メカニカルキーボードを叩き、お気に入りの掲示板を巡る。今日もISについて、読者や視聴者たちが活発な議論を交わしていた。

 どれだけ時間が経ったかわからないが、オレはふと思い立って部屋の外へ出る。そうだ、友達の家に行くんだ。

 毎日が同じような出来事の繰り返しである。

「……これは」

 初めてだった。

 隣を見れば銀髪の少女が立っている。誰だっけ、コイツ。

「ワールドパージ? いや似てるだけ?」

「誰だ?」

「私がわからない? ……そういうこと」

「えっと」

「これはもう終わった事象……なるほど。ただの記憶」

「何の話だ?」

「謎ばかり……何故、もう一機の紅椿がラボを襲ったのか。束様をどこにやったのか……」

「何?」

「起きて」

 

 

 

 

 目を覚ますと、オレを覗きこむ少女がいた。目は閉じたままなので、ホントに覗きこんでるかはわからないが、顔はすぐ目の前にあった。

「っと、くーだっけ」

「クロエ・クロニクル。束様のお手伝いをしている」

「娘とか呼ばれてるんだっけ」

「なぜそれを?」

 あからさまに怪訝な顔つきをオレに向けてきた。

「知ってるんだよ、オレは」

 右手一本で上半身を起こす。時計を見れば、夜中の二時だ。

 部屋を見渡せば、監視役のお兄ちゃんズが入口付近には壁にもたれかかって眠りこけていた。幸せな夢を見ているようだ。

「貴方が何者か、話して」

 まるで見えているかのように少女はベッドの横にあった丸イスに腰掛ける。

 清楚な服装で、外国映画に出てくる名門女子校の制服みたいなのを着ていた。

 何者か、と問われて言葉に詰まる。

 正直、銀の福音事件ぐらいから、どうにも自分のアイデンティティが揺らいでいた。

「私も聞きたいものだな」

 声を聞いて、初めて闇の中で壁にもたれかかっている女性の姿を認識した。

「織斑先生!?」

「久しぶりだな」

 そこに立っているのは、一夏の姉ちゃんで、元IS学園教員の織斑千冬だった。IS界では暫定最強の称号を持つお人で、意外に謎が多い。あと、生身で異常に強い。

 IS学園から解任されたとは聞いてたが、何でここにいるんだ?

「織斑……千冬」

 クロエと名乗った少女が即座に立ち上がり、自分の体を守るように両手に持った杖を構える。

「そろそろ答えてもらおうか、あの日、何が起きたのか」

 悠々とこちらに向けて歩いてくる千冬さんに、少女が距離を取ろうとした。

「ここで捕まるわけには」

「逃げられると思うなよ。私から」

 言葉が真実かどうかは別にして、本当だと思わせる迫力があった。

「……わかりました。織斑千冬。貴方は束様の友人と聞いています」

「二瀬野、こいつを娘と言っていたが」

 急に話を振られ、思わず眉間に力が入る。

「間違いない、と言いたいところですけどね。オレが知ってるのは、そいつが篠ノ之束のラボで一緒に暮らしてたっぽいことだけです。あと娘と呼んでいただけってことか」

「ふむ。まあいい。とりあえず私から話すか」

 そう言って、千冬さんはオレにブラックの缶コーヒーを投げてきた。

「夜は長いからな。これで目を覚ましておけ」

 えーっと……。

「何でここにいるんだという素朴な疑問が」

「他にもこの病院に用事がある。ここを通りかかったのはたまたま……何だ、その目は」

「いや疑ってねえッスよ?」

「ふん……まあいい。コーヒーは?」

「あざーっす」

 千冬さんがプルタブを片手で開けてから、オレに渡してくれる。意外にこういう細かい気遣いが効く人なんだよな、この人。

「まずは私から話そうか。あの日、何があったのかを」

 

 

 

 

「最初の作戦、つまり銀の福音とのファーストコンタクトのときだ。突然、私の元に束から連絡が入ったのだ。その直前に会っていたからな。様子が少しおかしかったのは気付いていたが、こちらもそれどころではなかったし、あの束をどうにか出来る戦力がいるはずもない」

 壁にもたれかかっていた千冬さんがジャケットを脱いで、腕を組む。クロエはベッドの横に置いてあったイスにちょこんと行儀良く座っていた。

「ま、確かにそうですね」

 篠ノ之束はISを提供できる科学力を持った人間であり、その気になれば世界相手に余裕で勝ってしまう軍事力を用意できる。

「と思っていたのだが、作戦中に回線へ割り込みをかけてきて、妙に慌てた様子で喋り出した」

「慌てた?」

「古い付き合いだが、本気で慌てた声を聞いたのは初めてだった」

「で、何だったんです?」

「自分ではどうにもならない事態が訪れた。あとよろしく」

「……戦慄の言葉ですね」

 篠ノ之束でどうにもならない事態、というのはつまり、世界で一番の力を持った人間より強い何かが現れた、そう告げられたのだ。

「ああ。そこでぷっつりと回線が切れてしまい、以降、連絡が取れなくなった」

 自分用のコーヒーを一口飲んでから、オレの方をチラリと見る。

 仕方ねえ。ため息が出るぜチクショウ。

「まあ一夏とラウラから報告は聞いてるでしょうけど、偽物の篠ノ之束が現れました」

「未来から来た、などとふざけたことを言ってたが」

「自分の弟がウソを言ってるとも思ってないんでしょ」

 からかうように笑いかけると、気まずそうに視線を逸らし、

「……あのバカ、誤魔化しはするが嘘はつかないからな」

 と少し恥ずかしそうに呟いた。

「どうにも、紅椿らしいということしかわかってないです」

「お前と関係があるみたいに言ってたが」

「さっぱり。オレ自身もわかりません。ああ、嘘は言ってませんよ。投げやりモードなんで」

「ふむ……で、お前自身はどう思っているんだ?」

「オレ?」

 改めて聞かれると困るな。

 色々と整理できてない事柄が多すぎるし、何よりオレ自身がどうでもいいやと思ってるからなぁ。

「どうにも普通の人間じゃねえみたいですね」

「ほう」

「テキトーに掻い摘んで話すと、オレの来歴はどうにもオレが思ったようなもんじゃないらしく」

「来歴……? お前は間違いなく二瀬野さんちの息子だと思うが」

「あー。ざーっくりと話すと、オレはある程度の未来を知ってるんです」

 オレの言葉に、二人が眉間に皺を寄せる。

「そういう反応はわかってたんですけど、まあ、オレの話は知ってますよね、織斑先生」

「もう先生ではないがな」

「んじゃ千冬さん。オレが知ってる、いや正確には知っていたって表現が正しいかな。オレが知っていたのは、オレがいないこの世界です」

「どういうことだ?」

「とりあえず違う世界、で良いのかな。そこでオレはこの世界を物語の中の物だと認識してました。で、ある程度の未来を知っていた。そんなオレが動いた結果が今の世界情勢です。それこそブラジルでの蝶の羽ばたきが、アメリカで竜巻になるように、色々と変わっていった。あ、責めるなら責めてもらって結構ですよ」

 その言葉に、織斑先生が鼻で笑う。

「バカか。そんな姿になった結果を自分で責めるな。そんなことで何かが許されたり無かったことになったりはしないぞ」

「ま、そりゃそうだ」

「それは私も同じだからな。私がもしあの時……いや、何でもない」

 渋い顔でコーヒーと一緒に自分の言葉を飲みこんで黙り込む。

 言いたかったのはおそらく白騎士事件のことだろう。あれによって世界は大きく変遷したのだ。

 未来を変えた、という点ではオレも千冬さんも同じで、そしておそらく、篠ノ之束も同じような自覚があるんだろう。悔やんでいるかどうかは人それぞれだろうが。

「まあ、オレは違う世界から来たと思ってたんだけど、どうもそれは違って、未来から来たみたいなんです。オレがISを外せないの、知ってますよね?」

「ディアブロ、という名称か」

「そうです。このISのコアナンバーは、2237。つまり今現在、ここには存在しないISコアです」

 クロエが息を飲んだ。

 ISコアは、ISを作る中心となる物体だ。その中身は完全にブラックボックスであり、生成できる人間は篠ノ之束のみ。

 そのコアには固有のナンバーが刻まれており、コアの総数は表向き467個となっている。つまりコアナンバーは467とプラスアルファまでしかない。四ケタというコアナンバーは異常なのだ。

「未来から来た、か。それはつまり、あの束も」

「オレたちは見て聞きました。自分を神と言い、時を越えたと自称し、そして箒をマスターと呼びました」

「紅椿か」

 それ以上は話すこともなく、オレはこの場を仕切る千冬さんの言葉を待つ。

 一分ぐらい熟考した後だろうか、ゆっくりと、

「クロエと言ったな。お前はどうなんだ? 何があった?」

 と尋ねた。 

「……それは」

「話してみろ」

 珍しく優しい声色で問いかける。意外に生徒以外には優しいのかもしれないな、この人。そういや小さいときもそうだったっけ。

「……私にもよくわからない。言えるのはラボを強襲され、フルスキン型の……おそらく紅椿が現れ、空間に突然、穴のような物が開けて、束様がそこに吸い込まれたとだけ」

「さっぱりわからん。日本語で頼む」

「私にもわからない。束様は何かご存じみたいだ。直前で、とうとう来たか、と。あとは私をISに押し込んで自動モードで射出した。そのISの中にデータがあった」

「そのデータの中身は?」

「……正直、意味がわからない。貴方のデータもあった。こいつが怪しいとあったが」

「オレが怪しいのかよ」

 つか、オレのこと知ってたのか。意外だ。

「だが、貴方は普通の人間のようだ」

「至って普通じゃねえよ。相当に頭のおかしい人だぞオレは」

「あとは、貴方に助けを求めろと」

「はぁ?」

 思わず大声で問い返してしまう。

「……正直、意味がわからん」

 千冬さんも呻くように呟いた。

「ねえ千冬さん」

「なんだ」

「オレ、篠ノ之束に無視されましたよね」

「……覚えてたのか?」

 申し訳なさそうに、千冬さんが問い返してくる。

「そりゃ強烈な体験だったんで。なんで今さら、オレに?」

 つい言葉に棘が生えてしまい、クロエを睨んでしまった。

「わからない。私にもわからないことだらけだ。ただ、束様とは連絡が取れない」

「いやさ、だからオレなわけ? オレは確かにちょっと頭がおかしいが、篠ノ之束とは面識もねえ」

 間近で見たことがあるが、あれは面識と呼ばないだろうな。向こうは認識してなかったんだから。

「私も別に貴方を頼りたいわけではない。ただ、少し前から貴方を調べていたのは間違いない」

「あん? どうしてオレをだ?」

 思わず食ってかかろうとしてしまうが、体のバランスが上手く取れなくて、ベッドから落ちそうになる。千冬さんが慌てて支えてくれた。

「落ち着け二瀬野」

「い、いやだって、今さら篠ノ之束が助けてくれだって!? ふざけんなって話ですよ」

「だから落ち着け。何も、お前が受けなければならない話ではないだろう?」

 自由に動けないオレの体をベッドに戻しながら、諭すように問いかける。

「そ、そりゃそうですけど! でも、何で今さら」

 幼い頃のオレを無視した世紀の天才を助けろなんて、意味不明にもほどがある。

「とりあえず二瀬野、それとクロエだったな。この件は私が預かる。二瀬野は別に何もしなくて良い。今はゆっくり休め」

「言われなくてもそうしますよ」

 吐き捨てるような言葉に、クロエが不満げな顔をしていた。

 もしオレが一夏のように、幼い頃から篠ノ之束に認識され、せめても知り合いとして関係を構築していたなら、話は変わってきただろう。

 だがこの二瀬野鷹は、篠ノ之束に認識すらされなかった。

 助ける義理がねえし恩もねえ。

 ふざけてやがる。

「いいかクロエ、オレは決して篠ノ之束を助けねえからな。んじゃさっさと自分の部屋に帰れ」

 それだけ明確に告げて、オレはベッドで不貞寝を始めた。

 千冬さんの口からため息のような音が漏れてくる。

 それ以上の会話はなく、納得いってなさそうなクロエを千冬さんが連れて行くようにして、二人が無言で部屋からいなくなった。

 そうだ、オレは篠ノ之束のために何かをするつもりはない。

 動機ってのは大切だ。

 玲美が同じような目に会えば死んでも助ける。理子や神楽、それに悠美さんだって同じだ。一夏や箒や鈴の場合でも一緒だし、セシリアが敵に捕まったってんなら、微力な死力を尽くしてやる。シャルロットとラウラの場合はちょっと微妙だが、それでも一夏が助けるってんなら、なるべく頑張ってやろう。場合によっちゃオータムだって助けるつもりだ。義理があるからな。

 だが、篠ノ之束だけは別だ。

 オレはヒーローじゃない。だから何でもかんでも守ったりしないし助けたりはしない。

 銀の福音の暴走も、その前の無人機強襲だって、アイツのせいだ。

 良い気味だ。オレが自由もなく生きて行くなら、あいつだってどこかもわからない場所で朽ちていけばいい。

 それで初めて同等だ。オレたちは、似た者同士なんだからな。

 だから、二瀬野鷹は、動かない。

 

 

 

 

 九月三日、車で輸送され辿り着いたのは、如何にもデザイナーが設計しましたといわんばかりの建物だった。

「どこスか、ここ」

 付き添いにも答えてくれる人間がおらず、不揃いのスーツなのに同じような無機質の印象を受ける男たちに押され、自動ドアをくぐる。

 ガラス張りのエントランスの中は白衣を羽織った人間が多いように思えた。

 何かの研究所かな、と思ったがさっぱりわからん。金属プレートの案内板も大した内容が書いていない。

「行くぞ」

 車椅子を押す男の声が堅い気がした。

 

 

 エレベータから降りて辿り着いたのは、診察室みたいな場所だった。

 ドアを開ければ、机の上のノートPCに向かってひたすら端末を打つ女性がいた。歳は五十歳過ぎぐらいだろうか。あまり外見に頓着がないタイプなのが、白髪交じりの髪をばっさりと顎のラインで切りそろえ、大きな丸いメガネをかけていた。彫が深い顔つきを見るに、日本人じゃなさそうだ。

「おや、到着したいかい?」

 イスを回転させて、オレの方へと向かう。

「私たちはこれで」

 付き添いたちが頭を下げて部屋から出て行く。

「はいよ」

 白衣を着た女性が手で追い払うようなジェスチャーをした。どこの国の人間かは不明だが、日本語は随分と流暢なようだ。つか、オレの知ってる外人はみんな、日本語が堪能だ。逆にオレは外国語が苦手である。翻訳サイトの使い方は一流な気もするんだけど。論文とか読めるし。

「あの」

「ああ失礼。自己紹介がまだだったね。私の名前は……まあドクターとでも呼んでくれ」

「はぁ……、二瀬野鷹です。よろしくおねがいします」

「うんうん、中々に礼儀正しくて良いね。まずは診察から行おうか。上着は一人で脱げるかい?」

「了解です」

 メガネを膝の上に置き、右手一本でTシャツを脱いで、体を露わにする。

 ドクターと名乗った女性は首にかけていた聴診器を摘まみ上げ、オレの胸へとつけた。

「ふーん。生きてるねえ」

 珍しい生物でも見つけた学者みたいに、しげしげとオレの体を観察しながら診察を続けていた。

「はぁ……まあ、そのつもりです」

「ふむ、じゃあちょっとこれを見てくれるかい?」

 少し楽しそうにノートPCの画面をオレへと差し出す。

 仕方なしにメガネをかけ直して、表示されているものに目を向けた。

「……ん?」

 どっかのマンションの一室が映し出されている。監視カメラの映像か何かみたいだけど、よくわからん。そこには何か大人が二人写ってた。二人とも休日なのか、リラックスした様子でテレビを眺めて、お菓子をつまんでいる。

 何か見覚えのある光景だ。

「……ってこれ」

「そうだよ、キミのご両親さ」

 目の前のドクターが、愉快気な表情を隠し切れずに喉の奥で笑う。

 映っているのは、オレのオヤジと母さんだった。日本政府によるVIP保護プログラムにより、名前と職場を変え、オレも知らない場所で暮らしている。今はさらに一歩進んだ保護プログラムに入っている、と政府の人間に言われていたが、平日の昼間からオヤジもいるってことは、軟禁状態ってことか? よくわからん。

「これが何ですか?」

「いいかい? 見てなよ、このボタンを押すと」

 そう言って、ドクターがエンターキーを叩く。

 その瞬間に、画面の中で爆発が起きた。

「は!?」

「ああ、残念。これで自由かい。良かったねえ」

「なに……が」

「死んだよ、キミのせいで。ああ残念だねえ。惜しい人を亡くしたねえ。まだまだ研究してない個体だったんだけどねえ」

「てめえ!!!」

 瞬時にISを部分展開し、右腕で目の前の女の襟を掴んだ。

「何のつもりだ!!」

「ギブギブ。待ちたまえよ検体M1、いや二瀬野クン。今のはただの加工映像さ。その証拠にほら」

 宙ぶらりんになったドクターが地面に落ちたノートPCを指さす。

 切り替わった映像は、平和な夫婦の光景の続きのままだった。

「……どういうこった」

 手を離すと、クソ女が地面にドンと落ちる。尻をさすりながらメガネをかけなおし、ゆっくりと立ち上がる。

「いたたたた。年寄りはもっと丁寧に扱いたまえよ」

「そうして欲しいなら、そういう誠意を見せろよ。どういうこった?」

「いやいや、日本政府がキミの扱いに困っててね。だから、私たちで引き受けてあげたんだよねえ」

「あん?」

「それでまず、キミが今、どういう状況下にあるか教えてあげたんだよ」

「んなこたぁ充分に知ってる」

「わかってなかったから、気ままに外へ遊びに出たんだろう?」

 それは多分、一夏たちと篠ノ之神社での祭りに出かけたことを言ってるんだろう。確かにISを使って、勝手に外出し大問題になっていたようだ。だがそれ以降は部屋でじっとしていたし、護衛の兄ちゃんたちにすら迷惑をかけていない。変わったことと言えば、昨日のクロエの件ぐらいだ。

「……ここはどこだ?」

「ここ? ああ、私たちのことかい?」

「そうだ! 今すぐここをぶっ壊してやってもいいんだぞ、オレは!」

「さっきみたいにキミのご両親を始末するためのボタンは、ここだけじゃないよ。全部で八か所の機関で握ってるんだよねえ」

「このババァ!」

 オレが凄んでも、どこ吹く風かイスにかけなおして襟元を正し、バカにするような笑みを浮かべている。

「さあ状況はわかっただろう? ISを解除して座りなおしたまえよ。今日からキミは遺伝子提供検体M1だ。そう呼ばれたら返事するんだよ、M1」

 ……なんだコイツは。

 遺伝子提供検体? 何かの研究所なのか? それにしても状況が特殊すぎる。目の前のコイツも、真っ当な人間にゃ見えねえ。

「これからキミは一カ月か一年か、それとも一生か。私たちの研究の礎になって世の役に立つんだ。大丈夫、殺しはしないよ。躾けには慣れてるし、キミもすぐに慣れるよ。そして、そう努力をするんだ。いいかい?」

 楽しそうに舌舐めずりをして、検査着を着たオレの襟首をグッと掴み上げる。そこにある笑みが気持ち悪くて仕方ない。

 ……とうとうやってきたのか。オレのやってきたことに対するツケが、ここでまとめて請求されようとしている。

「てめえは、何者だ?」

 オレの問いに、目の前のドクターは鼻で笑う。その顔つきは、まるで狡猾なヘビのようだ。

「教えても大したことないだろうし、まあ私たちは昔から、こう名乗ってるよ」

 メガネの奥が狂気と愉悦に満ちた光を灯す。

「遺伝子強化試験体研究所、と」

 

 

 

 

 

 










後半戦開始。


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25、トゥルース・ライズ・アット・ザ・ボトム

 

 

 朝、目を覚まし、枕元に置いてあったメガネをかける。

 真っ白な部屋に時計はないが、ISから提供される情報ウィンドウで時間を確認した。

 銀の福音事件後に気付いたことだが、ディアブロは異常に燃料効率が良い。おそらくホークの五十倍ぐらいは持つ計算だ。それだけ機体性能が現在のスタンダードと違うんだろう。

 今日はここに来て二日目だ。

 右手一本でベッドサイドに置いてあった車椅子へと降りる。動力も何もない車輪を右手一本で進ませるのは、中々に疲れる。それに上手に動かさないと、すぐ左に曲がってしまうのだ。なので壁際をぶつかりながら進むしか手がない。それでも十メートル進むだけでかなりの苦労を強いられる。

『M1、今すぐ診察室へ来なさい』

 天井に埋め込まれたスピーカーから、威圧的な女の声が聞こえてくる。昨日会ったドクターとかいうババアだろう。

 すぐって言われてもな。

 めんどくさくなって、ISの脚部を部分展開する。天井の高さはそれなりにあるので、真っ直ぐ立っても余裕だ。全身展開で翼を広げないかぎりは大丈夫だろう。

 部屋の隅にある洗面台へと歩き、屈みこんで自分の顔を見る。

 酷いツラをしてやがる。

 右手だけで顔を洗い、検査着の裾で顔を拭いた。体を起こそうとしたとき、脇腹が痛む。

 派手にやりやがって。

 舌打ちしてから、車椅子を右手で担ぎ、ISの足で歩き出す。本当の足こそなくなったが、ファントムペインとでも言えば良いんだろうか、オレは今までと変わらずに動かせる。

 昨日は両親が人質だと再確認された。あの加工された爆破映像には、脅し以外の意味は本当に何もないんだろうな。オレなら二人もいるとしたら別々にやるし、そんぐらいは考えてるだろうし。

 この世界に生まれて、ずっとオレを育ててきてくれたオヤジに母さん。

 取り立てて凄い人たちってわけでもない。ただ毎日働いて金を稼ぎ料理を作って洗濯と掃除して、家に帰れば、ただいまとおかえりを交わし、お互いに文句を言って笑い合う。

 そういう普通の家庭が二瀬野家だったのを、壊したのもオレなのに、二人は喜んでくれた。

 男がISを動かす、という意味は酷く重い物だった。

 生まれからずっと意味不明な人生だけど、あの両親の愛は、偽物のオレに似つかわしくないほどに本物なんだろう。

 

 

 

 

 

「ですから! 二瀬野鷹クンがいなくなったんです!」

 沙良色悠美が宇佐つくみの机を叩いた。

 ここは極東試験飛行IS部隊のオフィスで、隊員たちが事務仕事を処理するときに使う部屋だ。今は三十ほどの机が六個ずつグループになって配置されている。

 その中で一番右奥にあるグループの上に、第一IS小隊という真新しいプレートが天井からかけられていた。

「知るか。うちの隊員でもあるまいし」

「その重要性ぐらい理解してますよね!」

「それぐらいは知ってる。それで私にどうしろっつーんだ。さっさと仕事しろ」

 宇佐つくみことオータムは、怒りに震えて迫る隊員をしっしっと撥ね退けた。本来の身分は亡国機業という裏稼業の人間だが、ここに隊長として派遣されている間は彼女も事務仕事をしなければならないときがある。向いてはいないことも本人は自覚しているが。

「仕事って……どうせ部隊化での人員と機材の受け入ればっかじゃないですか! そんなことより!」

「私だってこんな事務仕事はしたくねえんだ。だけどなあ沙良色、やんねえと終わらねえだろ」

「だったら尚更、そんな事務仕事より、さっさと探しに行くべきです」

 相手の剣幕を最初は聞き流していた宇佐つくみだったが、段々と腹が立ってきたせいか、イスから立ち上がって机を挟んで睨み合う。

「だーかーら、うちの隊員でもねえ犯罪者に、私らがどうしろっつーんだよ」

「犯罪者じゃありません、容疑者です。彼に関する権利と保護義務はまだウチの隊にあります! ここで動かなくてどうするんですか!」

「どう権利と保護義務を主張しろっつーんだ。それこそ、お家の力でどうにかしろってんだ。お前んちは、そういうの得意なんだろ!」

「それで見つかったら苦労してません! もういいです、今から有給取ります!」

「誰が許可するか! こっちだって慣れない事務仕事ばっかで頭キテてんだ! てめえも日頃はひらひらと歌って踊ってるだけで基地にいないんだから、こういうときぐらい働け!」

「アイドル活動は部隊公認の宣伝活動です!」

 喧々諤々と言い合う二人を遠目に、他の隊員たちは事務机に突っ伏して嵐が過ぎ去るのを待っているだけだった。

 分隊創設時から配属されている東南アジア系ハーフのグレイス竜王と副隊長で専用機持ちであるメガネ美女の湯屋かんなぎは、顔を見合わせたあと、くわばらくわばらと逃げ出そうとしていた。

 その彼女たちがオフィスのドアを開けようとしたとき、反対側から人が入ってくる。

「面白そうなお話ですね」

 柔和な笑みを浮かべた金髪の女性が二人に軽く敬礼をしてから、真っ直ぐオータムの元へと向かっていった。

「んだ、てめえは。部外者立ち入り禁止だ」

「いいえ、今日から関係者です」

 意味ありげに笑いながら、紺色のスーツを着た長い金髪の女性が近づいてくる。

「あなたは?」

 怪訝な表情の悠美が尋ねると、

「新たに創設される第二小隊の隊長を務めるナターシャ・ファイルス中尉です」

 と軽い態度で敬礼をする。

「ってことは、てめえが銀の福音のパイロットか」

 宇佐つくみという仮面を被っているオータムが、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。

「そういうことです。これからよろしくお願いしますね、第一小隊の宇佐隊長殿」

「チッ、暴走機体に乗ってたヤツが偉そうに」

「あら? 機体は治ってますけど? それとも得体の知れない前歴の持ち主にはお気に召さなかったようですね」

 敵意丸出しの嘲るような言葉を、ナターシャは挑発するような笑みで弾き返す。

「ほら沙良色、仕事だ。ナターシャ隊長殿を案内しろ」

「え? で、でも! って、話は終わってません!」

「うっせ。話は終わりだ。仕事しろ仕事。じゃなきゃ今日も帰れねえぞ」

 不機嫌そうにドカッと椅子へ腰を下ろし、オータムは頬杖とついてから、ポチポチと人差し指一本でキーボードをめんどくさそうに叩き始める。

「貴方は?」

 その様子を愉快気に笑った後、ナターシャが悠美へと視線を移す。

「沙良色悠美です。第一小隊で打鉄のパイロットを務めています」

 悠美も咄嗟に軍人の顔へと戻り、敬礼を返した。

「ありがとう、よろしくね、ユミ」

「よろしくお願いします」

 気さくに握手を求める上官に戸惑いながらも、悠美はその手を握る。

「では悠美、さっきの話も気になるところだし、案内をお願いね」

「はっ! 了解しました。ではこちらへ!」

 さっきの話というところを把握し、悠美はナターシャを先導して部屋から出ていく。

 部屋からの脱走に失敗したグレイスが、悠美とナターシャの胸部を交互に見たあと、

「でんじゃらす」

 と呟いた。

「おらグレイスに湯屋! さっさと仕事しろ。あのデカパイ女はもう役に立たねえぞ!」

「は、はい!」

 怒声に姿勢をピンと正したあと、仕方なしに二人は事務仕事へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 白髪混じりのボブカットに白衣を着たババアが、車椅子に座るオレの前髪を掴んで、思いっきり引っ張られた。

「勝手にISを展開するんじゃないよ」

「……オレの勝手だろ」

「アンタにゃ勝手とか自由なんてものはないんだ。わかんないなら、今日からきちんと思い知らせてやるよ」

 投げつけるように車椅子へと押し戻される。

「ってぇな」

「私はこう見えても、足癖が悪いんだ」

 不機嫌そうに言った瞬間に、オレの腹へ踵を思いっきりぶつけてきた。

 車椅子ごと後ろへ倒れる。

 後頭部としたたかに打ちつけて倒れたままのオレの腹へ、そのまま右足を乗せて思いっきり体重をかけてくる。

「処遇に困った日本政府から、殺さなきゃなんでもいいって言われてるんだ。もっともISを装着してるあんたを殺すことなんて、私らにゃ出来ないけどねえ」

 パンプスの踵に鳩尾を踏みにじられ、痛みで声が上がらない。

「ってことはだよ。あんたは何したって死なないってことだから、こっちも遠慮いらないよねえ?」

 

 

 

 

 

「あの横須賀沖の事件後、ナターシャ中尉はどうされてたんですか?」

 基地内の案内の途中、沙良色悠美とナターシャ・ファイルスが、出来たばかりの食堂でテーブルを挟んで座っている。まだ正午には少し遠いせいか、人影は彼女たち以外に見当たらない。

「ハワイのベースで帰ってきた銀の福音と遊んでたわ。それで一週間前、アラスカ条約機構と米軍の取引で、ここへ飛ばされたってわけ」

 紺色のスーツを着たナターシャが、足を組み変え、両手で頬杖をつき顎を乗せる。

「ここに来たのは、四十院との関係があったからですか」

「その通りよ。日本語が話せて以前より四十院との関係があったというのが、選抜の決め手だったと思うわ」

 やれやれとため息を吐くと、悠美は腕を組んで口を尖らせた。

「正直、よくわかんないんですよね。四十院のおじ様……えっと総司さんが副理事長になった流れとか」

「あら、彼とは知り合いなの?」

「ええ、まあ。昔っからの知り合いで、色々と良くしてくれました。途切れていた一族同士の交流を繋ぎ合わせてくれたのも、おじ様ですし」

「ソウジ・シジュウイン。何者なのかしら」

 視線を落とし、ナターシャが深く考え込むような仕草を見せる。

「気の良くてカッコいいオジサンだと思ってましたけど、なーんか、いまいち納得がいかないっていうか」

「まあ、貴方にこんなことを話しても、えーっと、祖母に卵の吸い方を教えるようなものなのだけど」

「日本だと釈迦に説法っていう諺ですね。キリストに聖書の教えを説くと言えば良いのかな?」

「そういう意味合いで合ってるわ。そもそも、現在のIS業界で何故、四十院がそこまで力を持っているのか、という話よね」

「推進翼メーカーとして、ISメーカー各社と強いパイプがありつつ、早期からIS業界に貢献してきたおかげでアラスカにも口が効く。デュノア社なんて、今や四十院の言いなりみたいなもんですし。元々、あそこは占い師なんですよ」

「ウラナイ?」

「えーっと、シジュウインってのは四つの獣の印って意味なんですよ、元々。四獣印は紀元前に大陸から渡ってきた星読みの一族で……って関係ないか。そういう意味で昔から先見の明を持った一族とでも言えば良いんでしょうか。未来を予測するのが得意な人たちなんです」

「未来を予測……そうとしか言えないぐらいわね、確かに」

「世間じゃ四十院がとうとう篠ノ之束まで抑えたのかって言われてますけど」

「実際は逆よね。世界は篠ノ之束に反旗を翻したがってる。たった一人の若い女性に、世界は変えられたのだし」

「企業側は四十院総司に接触を持ちたがっていて、各国の軍隊は四十院を敵視し始めてるなんて」

 やれやれと肩を竦める。

 沙良色悠美は日本の旧家の出であり、今でこそアイドル兼ISパイロットを務めているが、本来は諜報関係にも強い家柄だ。本人の性格上、全く向いていないので誰も当主に担ぎあげたりはしないのだが。

 それでも悠美はある程度の情報網を家の方で抱えている。これは本家である更識家との連携で十年前より強化されていた。なので立場上、色々と情報が手に入る。

「でも、誰がトスカーナなんてものが担ぎ出してきたの?」

 トスカーナは一部の関係者が使う亡国機業を意味する隠語だ。トスカーナはイタリア中部のフィレンツェを中心とした地域の名称だが、ここでは十九世紀頃に亡くなった北イタリア地方の国家で、大富豪メディチ家により作られたトスカーナ大公国の方から来ている。

「ちょ、ナターシャさん、ここじゃそれは」

「いいじゃない。大体みんな、知ってるわよ。トスカーナでわからない人は最初から何の話か理解できないでしょうけど。結局のところ、いつのまにかアラスカと四十院が決別してるわけよね」

「いいえ、それは違います」

「どういうことかしら?」

「アラスカ条約機構は、本当は四十院総司、つまり今の副理事長が篠ノ之束を連れてくることが出来るとは、思っていなかったんです」

「つまり?」

「四十院総司から出たIS学園の新人事を選出させろという話に、アラスカ条約機構側が出した条件が、新理事長が相応しい人物かどうかをアラスカ側で見極めるということだったのです」

「なるほど。つまり誰を持ってこようとアラスカ側は四十院総司の提案を蹴ることが出来たはずだった。だけど、連れてきた人物が」

「文句のつけようがないほどの、ISの第一人者だった」

 ナターシャが紙コップの中のコーヒーへと視線を落とす。彼女なりに愛機の暴走事件を通じて、新理事長である篠ノ之束について思うところがある。

「四十院の財力や権力を使って、IS学園側の勢力を追い出したまでは良かったんだけど、四十院に牛耳られるわけにもいかなかったってことかしら」

「だから、アラスカ条約機構の人たちは焦ってるんです。このままじゃ本当にIS業界が四十院に乗っ取られてしまうって。なにせ世界最高の技術を持った女性ですから」

「それに四十院は元々、部品メーカーとして各国とは伝手があったし技術力も高かった。それに」

 意味ありげにナターシャが言葉を止めると、悠美は少し表情を崩して笑い、

「ええ。ISの最高速度がマッハ3を超えた件ですね」

 と続きを返した。

「世間の流行りが、あの隕石落下事件で変わってしまった。それと第四世代の登場に伴い、第三世代の開発を一時中止する国が増え始めた」

「より速い機体で遠くから近づいて、防衛体制を整えられる前に重要拠点を一気に制圧する方向へと変わっていきましたからね。今や各国が第二世代機に強力な推進翼をつけることに躍起になってますし」

「防衛する側も、そのスピードに対応しなくてはいけないのよね。これもISの数が限られてるから、全ての基地や拠点に充分な数のISを配置することが出来ないわけだし」

 ため息を吐いたナターシャを見て、

「まさか音速どころかマッハ3まで超える子が出てきちゃうなんて、困りものですよね」

 と悠美が苦笑いを浮かべる。

「全くよね。ISの腕に関しては、見どころがそんなにある方だとは思わなかったけれど、その一点だけで世界を変えちゃうなんて」

 二人ともが同じ少年の顔を思い出して、笑い合う。

 だがナターシャはすぐに真剣な表情に戻った。

「しかし、そうなると四十院総司という男が、最初から全て仕組んでいたんじゃないか、という気分になるわね」

「と言いますと?」

「だって、織斑君だったかしら。あの子の専用機は、クラモチで扱いに困ってた機体なわけでしょう?」

「噂の第四世代機、白式ですね。私もそう聞いています」

「別に四十院はテンペスタ・ホークの扱いに困っていたわけじゃないのよ」

「……言われてみればそうですね。部品メーカーとして顧客を抱えていた四十院が、二つしかないコアを貸し出す必要なんてなかったはずです」

「少し妄想が入るような話だけれど、もしもよ、ユミ」

「はい」

「IS学園の新副理事長は、自分が今の立場にのし上がるために、最初から準備をしていたとしたら?」

 相手の言葉に、悠美が美しいカーブを描く眉を歪めた。

「最初とは、どこからでしょうか」

「テンペスタ・ホークの開発時点からよ。世間は第三世代機に湧いているところに、四十院はずっと推進翼だけを作り続けていたのよ。あそこの技術力から考えたら、おかしいじゃない?」

「四十院製のテスト機であるテンペスタⅡ・リベラーレの話ですね。それまで他の欧州コンペ機同様に技術的欠点を多く抱えていたはずのテンペスタⅡが、なぜか完成に近い形で現れた」

「それだけ技術力の高いメーカーだから、最初からIS界の最高速度を塗り替えるのを狙っていたんじゃないか、と思ってしまうのも無理ないわ」

 ナターシャの話を悠美は反芻する。

 確かに四十院は不審な点が多いと思っている。

 だが、それに気付いたのもつい最近の話であり、彼女の元来の所属である日本の裏側を牛耳る名家・更識家ですら、その動きに気付いていなかった。むしろ、四十院を信用し盟友ぐらいに思っていた節がある。

「で、日本のサラシキに聞きたいのだけど」

「な、なんでしょう?」

 急に改まった雰囲気で聞かれて、悠美は緊張した様子で唾を飲み込む。

「日本はどういうつもりなのかしら? ヨウ君のこと」

 美貌の白人パイロットは表情こそ微笑んでいるものの、瞳の奥が全く笑っていなかった。これが米軍のエースか、と悠美の背筋に寒いものが走る。

「おそらく、ですけど、二瀬野君の処遇に困った一部の官僚辺りが、他に黙ってどこかに搬送したのでしょう」

「元々、ヨウ君の国籍を米国に変える予定で動いてたのだけど?」

「か、考えるに、日本の手元に置いて、手駒の一つにしたいという目論見があったんじゃないかなぁって。ほ、ほら、日本政府って今の世界の動きに置いてきぼりになってきてて……ですね、それで」

 自分が悪いことをしたわけではないのに、相手からの圧力で思わず腰が引けてしまう。

 悠美は冷や汗を垂らしていた。柔らかい母性溢れる物腰に見えていたが、内心では、それこそ子供を取られた母親のように怒り狂っているようだったからだ。

 悠美自身も二瀬野鷹という少年が、かなりのお気に入りだ。

 メテオブレイカー作戦のときに、当時は自衛隊員だった悠美たちが為さなければならなかったことを、身を犠牲にして助けてもらったという恩もある。それに加えて、ちょっと拗ねた感じの人柄も悠美にとっては新鮮だった。彼女もまた母性が強いタイプである。

 そして目の前のナターシャ・ファイルスも同様の感情を持っているようだ。

「せっかくアメリカまで連れて帰るつもりでここまで来たっていうのに」

 ミシッと音を立ててテーブルが軋む。

「いやちょっと待ってください」

「何かしら?」

 空になっていた紙コップが、ナターシャに握りつぶされる。

「うわー……この人、超怒ってるよ。えっとそうじゃなくて、おそらくは米国からの引き渡し要求が後押しになったんではないかと」

「あら、日本政府にアメリカからの要求を跳ね除けるような強さがあったのかしら」

「ま、まあ一応いるんですよ。アメリカに従ってばかりじゃ嫌って人も。本人たちは強かに立ち回ってるつもりなんでしょうけど」

「困ったものね。別に他のことなら良いのだけど、一人の男の子よ。それを手籠めにしようだなんて」

「手籠めじゃなくて、手駒です。チェスとかで使う方です」

 それじゃあ違う意味じゃないと思った悠美だったが、目の前の女性は、二瀬野鷹をある意味、手籠めにしようとしているのかもしれないと思い直した。

「で、悠美はヨウ君がどこの誰が首謀者か、検討はついてるの?」

「おそらくはIS学園とも、このFEFIS(極東飛行試験IS部隊)とも関係がない一部の官僚だと思います。ただ、ですね」

「ただ?」

「何でここまで執拗に隠しているのかが、わからないんですよ」

「バレてはマズいから隠している、というわけではないのね」

「正直、日本政府がヨウ君の行った先をここまで厳密に隠している理由がわからないんです。ヨウ君関連で、何か非常にマズい秘密を抱えているのかもしれません」

 ナターシャが腕を組んで、ふむと一つ考え込む。何か気付いたようだったが、口を開かずに手元の端末をいくつか操作し始めた。

「どうしたんですか?」

「少しね。定時連絡を。連れ去った連中はわかってるの?」

「帝国海軍の艦隊派から続く自衛隊内での軍閥じゃないかなって話です。昔から強硬派ですし、今の流れに置いていかれている強迫観念でもあったんでしょう」

「了解したわ。こっちも報告して、全力で探させてもらうから」

「え?」

「ステイツに対して舐めた真似をしたらどうなるか、思い知らせてやらないとね」

 金髪と豊かな肉体を士官服に包んだ女性が、目を細めて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 緑色のルノリウムの床の上を、右手一本で車椅子のハンドリムを回して進む。自走式の車椅子は両方のタイヤを均等に回さなければ真っ直ぐ進まない。つまり右手一本しかないオレでは、直進することがかなり難しい。壁に車体をぶつけながらゆっくりと進んでいくしか方法が思いつかなかった。

 汗が止まらないぐらい疲れる労働だが、あと三十メートルほど進まなければ、あてがわれた自室へ辿りつけない。ISを展開して歩いていきたいところだが、バレたら、またあの折檻が待っていやがる。

 ここは関東のどっかにある遺伝子強化試験体研究所。名前から推測するに、ラウラが生まれた施設に関連する場所か。

 幅四メートルぐらいの廊下の右側を前進していると、反対側から白衣のオッサンやオバサンが歩いてきた。一人はあのドクターとかいうヤツだ。他の人間もどうやら日本人っぽくない。

 何か話しかけられても厄介だ。無視して自室に戻ろう。

 そう思いながらすれ違った瞬間、白衣のオッサンが、車椅子のオレの前に立って、前蹴りを腹に食らわしてきた。

 悲鳴さえ上げられず、オレは後ろ向きに車椅子ごと倒れた。

「おやおや、シカトしてるんじゃないよ」

 今度はドクターがオレの胸にパンプスを乗せて、体重をかけてくる。

「き……づかなかったんだよ」

「私たちスタッフが通れば、道を譲って頭を下げろと教えられただろう?」

 さらに大きく体を圧し掛かられ、呻き以外何も出ない。

「返事も出来ないのかい? アジアの子ザルは頭がおかしいんじゃないかねえ」

「んだと……てめえ」

「おやおや、まだそんな口が聞こえるのかい? 押しちゃうよ? 爆弾のボタン」

 右手一本で何とか足を押しのけようとしていると、オッサンの方がオレの横に立ち、思いっきり横っ腹にトゥーキックを食らわせた。

 呼吸が止まる。

「がはっ……ゴホッ、ぐ」

 痛てぇ……超イテェ……よ、なんだこりゃ。

 腹を抱えて、廊下の上をのたうち回る。

「ほら、さっさと自分の犬小屋に戻りな。明日は色々と検査をさせてもらうよ」

 最後にもう一発、腹に蹴りを食らわせてから、二人が去って行く。さも愉快気に嘲笑を上げていた。

 立ち上がることも出来ねえ。

 体に力が入らない。

「くそっ」

 呪詛のように呟いても、相手には何にも届かない。

 こんな日々がすでに三日目だ。

 チクショウ。チクショウチクショウ。

 なんだってんだ、これは。躾? ふざけてんじゃねえぞ。

 IS展開して、全員ぶっ殺してやろうか。

 そう思って右手に力を入れた瞬間に、両親の顔が脳裏に思い浮かぶ。

 軟禁状態のオヤジと母さんの近くに爆弾が仕掛けられている。殺そうと思えば一瞬だ。もちろん、ただの脅しだって可能性もある。本当なら二人をバラバラに軟禁した方が良いに決まってるし、その方がオレに対してのストッパーになるからだ。一人殺しても……というところまで考えて、自分の思考に吐き気を催す。何が一人だ。オレにとってはどっちも等しく大事な存在なんだ。

 ……チクショウチクショウチクショウ。

 倒れたまま、蹴られた腹を抑えているオレの上に、ふと影が差す。

 見上げれば、さっきとは別の、中年のスタッフが立っていた。白髪混じりの金髪をオールバックに撫でつけた白人だ。

 そしてこれ見よがしに、足を振り上げて蹴ろうとした。

 思わず小さな悲鳴を上げて、体を丸める。

 しかし、次の虐待が落ちてこない。恐る恐る顔を上げると、その男はオレの顔を覗き込み、バカにしたような笑みを浮かべていた。

「……んだテメエ」

 日本語がわからないのか、軽く肩を竦めた後、大きく楽しそうに笑いながら歩き去って行く。明らかに侮蔑の意味が込められている声だった。

 無様だ。

 たった三日だ。たった三日で、手を振り上げられたり蹴られる真似をされたら、体が硬直して反抗できなくなっている。

 情けないことに、すでに躾という名の調教は、如実に効果が出てきていた。

 クソッ。

 がちゃん、という音がしたので振り向いてみれば、検査着を着た小さな少女が、オレの車椅子を立て直していた。年頃は十歳ぐらいか。黒く長い髪をポニーテールにしている。

「……ん?」

 車椅子を押して、オレの元へと近づいてきた。

「大丈夫?」

 幼い声に聞き覚えがある気がした。

 しかしそれより気になることが一つある。

 目元全体を隠すように、黒い革のマスクがつけられているのだ。これのおかげで丸っきり顔立ちがわからない。空いている口と鼻を見る限り、それなりに可愛い子のような気がするんだが。

「乗れる?」

「悪い、車椅子の背もたれを壁につけてくれ」

「こう?」

「さんきゅ」

 しっかりと壁に固定された車椅子に、右手一本でよじ登る。くそっ、脇腹が超いてぇ。

「押す」

 女の子がオレの車椅子を後ろから押し始める。痩せてるように見えるけど、思ったより力があるな。

「助かる」

「最近、来た?」

 少女は抑揚のない声で、ポツリポツリと喋り始めた。

「ああ……」

「痛そう」

「いてえよ。えっと、お前はずっといるのか?」

「うん」

「痛い思いはしてないか?」

「あんまり。成長に良くないから」

「なるほどね。えーっと、ああ、そこの部屋だ」

「開ける」

 少女がポニーテールを揺らしながら走って、横開きのドアを開けてくれる。

「ありがとな、送ってくれて」

「中まで」

 戻ってきた少女が、オレの車椅子を押してくれた。

 しっかし、ベッドと鉄格子付きの窓一つしかない部屋がホントにあるとは。

 やけに天井が高い部屋をあてがわれたのは、オレがISを展開しても壊れないようにか。

 もっとも、ISを展開する余裕なんてない。両親を人質に取られ、こっちは本気だと脅しをかけられた。今までこの平和な日本なんだから、と調子に乗ってたかもしれないな。

 空気を読んで、とりあえず大人しくしておこうと思ったが、初日から向こうは本気だ。

 いきなりサドッ気たっぷりのメガネのオッサンに殴られるわ蹴られるわ。そもそも論としてオレを二度と表に出す気がないのか、ただの躾なのか。

「ここ?」

「さんきゅ」

 少女が車椅子をベッド横につけてくれたので、よじ登ってから寝転がる。

 くそっ、マジでいてぇ。呼吸がまだ荒い。

 っと、ぶつくさ言う前に。

 オレは起き上ってから、ベッドサイドでオレを見上げている少女の頭を撫でた。

「ホントにありがとな。助かった」

「ありがと?」

 オレの単語を繰り返して小首を傾げる。

「ありがとうだよ。意味がわからないのか?」

「感謝の言葉」

「そうそう。わかってるじゃん」

「ありがとう……ってなに?」

「意味は知ってるのか……」

「感謝、という言葉がわからない」

「……感謝するようなことがねえか、ここじゃ。ありがとうは、んー、まあ他人に何かしてもらって、嬉しいときに言うお礼の言葉、かな?」

「嬉しいとき」

「そう、嬉しいとき」

「ありがとう」

「ん?」

「今、嬉しいから」

「おう」

 全くと言って良いぐらい表情が出にくい女の子なので、いまいち喜怒哀楽が読みづらい。それでも言葉はストレートなのがギャップがあって面白くはある。

「ヨウは、嬉しい?」

「オレ?」

 ここは決して嬉しい環境ではない。先が見えず、罵倒され殴打され火を押し付けられ電流を流される日々だ。

「まあ、お前と会えたのは嬉しいよ」

「私も」

 ナニコレ、ラブコメ?

 でも、こんな場所で幼女と傷を舐め合ってるオレがどうなの……。

「これ」

「ん?」

「気持ち良い」

「どれだ?」

「頭」

「ああ、撫でられるのがか」

 マスクから覗く目を細めて嬉しそうにしているのがわかった。なので、オレはそのまま頭を撫でて続けてやった。

「って、キリねえな。今日はここまでな」

 最後にポンと軽く頭を叩いてやると、少女は神妙な顔で小さく頷いた。

「オレは二瀬野鷹。ヨウでいいぞ。それかお兄さんでも大丈夫だ」

「お兄さん……」

「お前の名前は?」

「私? 私の名前は……確か」

 少女が小首を傾げて少し考えた後、

「エスツー」

「S2? 変わった名前だな」

「ヨウも変な名前」

「いや呼び方は普通だと思うが……。まあ普通がわからないのか」

 何せ頭を撫でられたことがないという女の子だ。

「それじゃあ、よろしくな、エスツー」

 そう言って、もう一回だけその黒髪を撫でてやった。絹糸のような柔らかい髪が、オレの指の間を流れる。

 このマスクをつけた少女との出会いが、オレにとって一つの大きな転機だったと、かなり後になって気付くことになる。

 

 

 

 

 

「極東に強襲揚陸艇が二艇……これは米軍か」

「なかなか豪気なことだね、あそこも」

 ここはIS学園の電算室だ。無数の小型ホログラムディスプレイが光る暗い部屋で、いくつものスーパーコンピュータによって制御されているIS学園の中枢システムをコントロール出来る場所である。

 生徒たちが使うことはなく、基本は教員のみしか触れることはない。それも遠隔で操作できるので、電算室に足を運ぶ人間など皆無と言えた。

 そんな人気の少ない場所で、男二人が一つの液晶モニタを同時に覗き込んでいた。

「資材や建材関連の搬入はどうだい?」

「追加分はなるべく秘密裏に行ってはいるがな。そのせいで少し遅れが出来ている。しかし出来るのか、あんなことが」

 鍛えられた骨太な体躯を伸ばしているのは、岸原大輔という男だった。元々は航空自衛隊の一佐であったが、夏の初めに退職し今はIS学園に所属している。

「何せ新理事長はとんでもない科学力だからね。設計図通りに作ればおそらく。OSはISコアが代わりに行うみたいだし」

 白衣を着た線の細い柔らかな物腰の男の名は、国津幹久。先日まで四十院研究所の主席研究員だった人間だ。今はIS学園開発局に籍を置いている。

「つくづく、恐ろしいもんだな、ISってのは」

「怖いのはコアさ」

「幹久、大丈夫なのか、シジュは」

「シジュのことだから、如才ないとは思うけどね、岸原こそどうなんだい?」

「指示系統の練り直しは終わった。今までは専用機持ちだけが表に出ていれば良かったが、これからは機体の数だけは大量にあるのだ」

「ああ、機動風紀とかいう」

「女の子にしちゃあ骨のある連中だよ。戦術訓練を行っても、こっちの話をバカにすることなく、しっかり聞いている。今時、珍しいぞ。それにあの風紀委員長」

「えっと、ルカ早乙女君だっけ。スイス傭兵の家柄らしいよね。適正も高いし。でも、極東IS部隊の動きが気になるね。ナターシャ中尉まで来るとは」

「彼女だけではないぞ。続々と戦力が集まってきている。アメリカを中心にアラスカ条約加盟国が続々と戦力を送りつけている。体の良い実験場だ」

「それより岸原、あの話、聞いたかい?」

「何の話だ?」

「アラスカ条約のIS軍事利用協定の破棄」

「……本当か?」

「知り合いの伝手でね。ISを軍事行動に使わないっていう協定を破棄する可能性が高くなっているそうだ。ただ、協定撤廃に関しては抵抗する勢力も多いから、何かトリガーがないとね」

「きっかけか。しかしそれがあれば、一気に戦争まで進む可能性があるってことか……シジュはこれも見越してたのかね」

 岸原がやれやれと首の骨を鳴らす。

「彼の先見の明は大したものだよ。まさか、二瀬野君に専用機を渡したときから、全て始まってたなんてね」

 国津は肩を竦めて苦笑した。

「いやいや、それよりもっと前かもしれんな」

「大学のときは、ボーっとしてるときが多かったのにねえ。夢想家の類が権力と実行力を持ったら、こうなるのかも」

「仮にも財閥の御曹司だからな。しかし、お前のところの細君は何も言ってこないのかい?」

「彼女は冷めたものだよ。好きにしたら、とさ」

「あの人もあれで、どこか浮世離れしたところがあるからな。元々はシジュの遠戚だったか。それよりルシファーは?」

「もう完成するよ。コアが手に入ったからね。洗浄済さ」

「超高火力支援機体か」

「支援どころか、前線ごと焼き払うかもしれないけどね。BTからパルスレーザーまで何でもござれに、マルチプルロック搭載さ。機動力は第二世代初期型以下だけど」

「誰が乗るんだ?」

「それはわかんないね。シジュはシャルロット・デュノアかラウラ・ボーデヴィッヒに渡したいみたいだけど、BT適正次第かなあ」

「恐ろしい時代だな……あともう一点。バアル・ゼブルを完成させたのは誰だ?」

「わからない。シジュが裏で、と思ったらしいけど」

「……もう一勢力噛んでくるかもしれんってことか。亡国機業と組んだ国際IS委員会、それにIS学園側か。本音を言えば昔に戻りたいぞ俺は」

「まったくだよ。僕だって大学のときみたいに、飛行機作ることだけ考えていたときに戻りたいさ」

「四人でダラダラとしてたときの方が幸せだったな」

「ま、男同士の約束さ。空の奪還計画だろ」

「仕方ない、と割り切れないところが俺の弱さかねえ」

 ボリボリと頭を掻きながら、岸原がため息を吐いた。

「ボヤかないボヤかない。理子ちゃんに怒鳴られてもやり通すんだろ?」

「アイツはあれで心配しているからな。だがまあ、やるしかないだろう。あの子たちのためにも」

「そうだね。僕も玲美のために」

「では、職務に戻る」

 笑いながら敬礼して、岸原が電算室の出入り口へと向かう。

 だが、その途中で立ち止まり、

「……戦争か」

 と重苦しい吐息とともに呟いた。

「おや生粋の軍人としては、嬉しい事態なんじゃないのかい」

「幹久……失言だぞ。平和を求めるのが軍人だ。それこそ、騒乱を求めるのが科学者じゃないのか」

「そっちこそ失言だね。でも、分野や目的によるよ。どのみち、誰かがトリガーを引かなければ、始まらないさ」

「さっきも言ってたトリガーか。誰が引くと思う? 四十院総司か、極東IS部隊か、それともあの偽物か」

「あるいは……二瀬野君か」

「……かもしれないな。じゃあな、頑張れよ、そっちも」

「そっちも頑張ってくれ」

 それを見送ってから、国津はケータイを取り出して画面に一枚の写真を映し出す。彼らが大学生の頃に取った写真で、若いころの四十院総司、岸原大輔、それに自分の妻が写っていた。

 国津は優しい外見とは裏腹に、義理堅いと評判の男だった。だが四十院総司の企みに協力しているのには、義理だけではなく他にも色々と理由がある。

 その中でも大きな理由は、単なる意地だった。

 大学の頃の妻が、四十院総司に惹かれていたことも知っていた。今は自分を愛してくれていると言う妻だが、それだけに自分が四十院総司に引けを取らない人間だと示さなければ、自我が保てない。ゆえにいつまでも四十院総司の背中を追いかけていた。

 国津幹久の知る四十院総司は、結婚するまではただの金持ちのお坊ちゃんだった。だが子供が生まれてしばらく経ったぐらいから、急にその頭角を現してきた。

 娘たちに良いところを見せたいだけだ、という笑う男は、恐るべき才覚でIS業界のトップに躍り出ていた。

 負けるわけにはいかない。自分が自分であるために。

 

 

 

 

 

 四日目。今日も今日とて実験動物だ。殴られたり蹴られたりした回数は、もう覚えきれないぐらいになった。

 ここでのオレの正式呼称は遺伝子提供検体M1らしい。

「ほらM1、検査が終わったなら、さっさと帰りな」

 ドクターに車椅子を軽く蹴り飛ばされ、オレは無言で車椅子を動かす。

「ああそれとエスツーと仲良くするのは構わんが、マスクは取るなよ。いいかい、躾するのも面倒なんだから」

 そう言って、手に持ったコーヒーカップをオレへとぶちまけた。

 ぬるくなっていたので火傷の心配はないが、それでも屈辱感がハンパない。

「失礼します」

 なんとか絞り出すように言って、オレはタイヤを回して検査室を後にする。

 

 

 

 

 

「資材の量?」

 IS学園の第二グラウンドで自主練習に励んでいた鈴は、模擬戦の相手をしていたセシリアの言葉に眉間を歪ませた。

「ええ、資材の量ですわ」

 ブルーティアーズが肩にライフルを担いだ。

「なにそれどういうこと?」

「わたくしの家が関連している企業に、IS学園から大量発注がありましたの」

「IS関連の会社?」

 鈴はISを解除してから、グラウンドの端に置いてあったドリンクを手に取る。

「いいえ、違いますわ。少し特殊な建材を取り扱っている会社でして」

「建材ねえ。IS学園って何か新しい施設作ってたっけ?」

 自分が飲んだあと、鈴がセシリアに差し出す。ISを解除しながら首を横に振って辞退し、セシリアは自分のタオルを首にかけた。

 二人は並んでグラウンドに接続された通路へと入る。目指す先は更衣室だ。

「もちろん、そんな話はありませんわ。それで気になりまして、少し調べておりましたの。すると」

「シッ!」

 鈴がセシリアの言葉を遮る。通路の向こう側から、目元を隠すバイザーをつけた青紫に染め上げた制服の集団が歩いてくる。機動風紀と呼ばれている、新設の委員会だった。何でも理事長直下の部隊らしいとセシリアも鈴も聞き及んでいた。

 すれ違うとき、その中の一人が、通路の端に避けた二人に、

「練習は終わりましたか? よろしければ、私と一戦行いませんか?」

 と声をかけてきた。

「結構ですわ、機動風紀の先輩方。申し出は光栄ですが、わたくしたちは今しがた、訓練を終えたところですので」

 セシリアが丁寧な口調と冷たい声で断る。

「残念です。一年の専用機持ちの実力を知っておきたかったんですけどね」

 一瞬たりとも笑わずに、足を止めていた集団が去っていった。

 その姿が見えなくなったのを確認した後、鈴は、

「何なのよ、急に偉そうにしちゃって」

 と悪態を吐いた。

「仕方ありませんわ。相手は理事長直下ですもの」

「ねえ、あの話ホントなの? 専用機が配られるって」

「生徒会長が副理事長から聞いた話ですわ。おそらく本当かと」

「ったく。調子に乗っちゃってまあ。ISに操られる人間ってのはどうなのよ」

「言っても仕方ありませんわ。本人たちは、あれが本物だとしか思っていませんもの」

 揃って大きなため息を吐いてから、鈴とセシリアは再び通路を歩き始めた。

「そんなことより鈴さん」

「なに?」

「鈴さんだけに、先にお話をしておきますわ」

「なによ改まって、気持ち悪い」

「わたくしはIS学園を離れることになりそうです」

「はぁ!?」

 鈴は驚いて足を止める。

「申し訳ありませんが、一組のクラス代表をお願いいたします」

 現在のIS学園の一年は、その半数が極東IS部隊の訓練校に転校したため、二つのクラスを一つにまとめて運営されていた。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、どういうことよ?」

「本国から打診がありましたわ」

「……断れないってこと?」

 鈴もセシリア同様に一国の機体を預かる代表候補生で専用機持ちだ。本国からの打診の意味はよく理解できる。

「残念ながら。実は夏休みに帰省したとき、何度も言われていましたの。ですが、今回が最終通告だと」

 自分から視線を逸らすセシリアの顔が、本当に申し訳なさそうで、鈴はそれ以上何も言えずにそっぽを向いた。

「ったく」

「こんなときに……とはわかっておりますが」

「別に、アンタなんかいなくても大丈夫よ。元々、クラス代表にはアタシの方が相応しかったんだし」

 笑いながら言う鈴に、セシリアは神妙な顔つきで、

「申し訳ありません」

 と謝罪を告げてくる。

 普段ならムキになって言い返してくるはずのセシリアが、しおらしく頭を下げたので、調子の狂った鈴は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。

「はいはい、りょーかいしたわ。ま、アタシに任しておきなさいよ。ほら」

 鈴が軽く拳を前に突き出したが、セシリアは意味がわからず小首を傾げる。

「なんですの?」

「意味はないわよ。拳を軽くあわせんのよ、こういうときは」

「はぁ……」

 鈴の言葉に困惑した顔を浮かべながらも、セシリアは恐る恐る手を伸ばす。

 コツンと二つの小さな拳がぶつかった。

「ま、せいぜい頑張りなさいよ、セシリア・オルコット」

「貴方こそ、あのクセの強い一組の方々に振り回されないよう、お気をつけ遊ばせ。ファン・リンインさん」

 数秒ほど見つめ合ったあと、それ以上喋らずに二人はまた並んで歩き出した。

 

 

 

 

 

 ここに来て五日目。

 検査と称した虐待だろこれは。

「こんぐらいで死にゃしないよ」

「注射下手すぎん……ぞ、クソが」

「というか、何で生きてるんだか。アンタ、ホントに人間かい?」

 ドクターの診察室で触診を受けたあと、ぶっとい注射針を刺され、血を大量に採取されていた。

「採血なんて手首切ったって出来るんだ。あんたらIS乗りはいざとなれば絶対防御があるんだし、大丈夫さね」

 もちろん、針跡のケアなんてものはない。消毒液の中身を頭からぶっかけられ、

「ほら、綺麗になったろ」

 と笑われるだけだ。反抗しても無駄だとわかってきたオレは、黙ってされるがままになっていた。

 それを見たドクターがつまらなそうな顔になる。

「ったく、意味わかんない生き物だね、あんたは。ほら、さっさと出て行きな」

 ガンと車椅子を蹴り飛ばされ、ムカついて睨み返すが、今度は手に持ったビンを投げつけられる。見事に頭にヒットして、眉間に切り傷が出来た。

 ドクターはそれ以上、何も喋らず机に向かって作業を始める。

 新しく出来た傷にアルコール液が沁みて痛むが、右手一本しかないオレでは、車椅子を動かしながら頭を押さえたり出来ない。

 右の車輪を少し動かし、すぐに反対側を回す。右手一本じゃ、そういうやり方でヨロヨロとしか進めない。

 ドアを開けて外に出れば、廊下にはエスツーが壁にもたれかかってオレを待っていた。

「終わった?」

「ああ」

「びしょぬれ」

「おう」

「押す」

「助かる」

 エタノールまみれになった髪をかき上げて、背もたれに体を預けた。ゆっくりと車椅子が動き始める。

「体」

「ん?」

「どうしたの?」

「どれの話だ?」

「あなたには膝から下と左腕がない」

「お前にゃ、ちゃんとあるな。まあ、色々と事情があるわけだ」

「そう」

「興味なしかよ」

「あるけど、聞かない」

「いい子だ。あとで頭撫でてやるからな」

「……うん」

 少しだけ声が弾んだようになっていた。

 ここに来て五日目。すでにオレの体のあちこちに青あざがついていた。無事な個所を探す方が無理なくらいだ。検査着から見える場所に跡が残っていないのは、そういう規則だからか。

 もっとも、体より心の摩耗が激しい。

 何かあれば殴られ蹴られ、なぎ倒されて、嘲笑と罵声が飛び交う。

 たかだかハイティーン程度のメンタルしかないオレの精神では、限界に近い。

「ついた」

 いつのまにか、自室の前まで運ばれていたようだ。そもそも、この研究所は世から隠れているためか、そんなに大きくない。おそらく都心のどっかにあるビルをまるまる一階だけ貸し切ってる形だ。

 エスツーが甲斐甲斐しくドアを開けて、オレをベッドの側まで送ってくれる。

 一昨日出会ってから昨日今日と、この子はオレの用事が終わるまで待ってくれて、自室のベッド横まで車椅子を押してくれていた。

 多くは語らない少女であれど、優しくしてくれるのは、かなりありがたいことだった。今のオレには、この少女と過ごす時間だけが癒しだ。

 同時に、この子がなんで、こんな場所にいるのかという疑問が大きくなっていく。

 あと、この妙に記憶に引っかかる違和感は何だ。オレはこいつをどっかで見たことあんのか?

「どうしたの?」

 革の仮面をつけた少女が小首を傾げる。

「いや、何でもねえよ。今日もありがとうな」

 軽く頭を撫でてから、ベッドに右手一本でよじ登る。

 体が少しスースーとするが、エタノールは元々揮発性が高いし、もうほとんど残っていなさそうだ。

「ん」

 エスツーの声がしたので振り向いてみれば、頭の上をオレに向けて背伸びをしていた。

「どした?」

「足りない」

「……何が?」

「撫でるの」

 少しだけ不機嫌そうな声色だった。よく見れば、頬が不満げに膨らんでいた。

 確かに今日はちょっとおざなりだったか。

「悪かったな。ほれ」

「うん」

 オレが再び頭を撫でると、小鼻を少し膨らませて、マスクの奥にある目を細めていた。

 短い文節ばかりで喋る妙な子供だが、こういうところは小さなガキそのものだな。

 たっぷり一分ほど撫でてから、オレが右手を下ろす。いつもなら満足して部屋から出ていくんだが、今日はぴょんとジャンプして、オレの横に腰掛けた。

「ふはー」

 なんか妙な息を吐いたぞ。

 足をブラブラとさせながら、ちらちらっと肩越しにオレを見上げたりしている。

「なんかしたいことがあるのか」

「お話」

「お話?」

「ヨウともっとお話したい」

「そういうことか。確かにまだ寝るには早いか。つっても話か」

 子供に聞かせるような話が咄嗟には思いつかない。

「ヨウは、どんな子供だったの?」

「オレ? オレがガキの頃かあ」

 正直、一番話しづらいな。今と大してメンタルも変わってないし。そんな恥ずかしい思い出もねえしな。

 オレが首を傾げて唸っていると、エスツーが靴を脱いで体ごとベットに上ってくる。

「どうしたの?」

「悪いな、面白い話がなくて……」

「別に面白くなくていい」

「おお」

「ん?」

「さっきからセリフが長い」

「むー」

「悪い。からかってるわけじゃないんだ。思いつかなくて」

「あ」

「ん?」

「血」

 エスツーがオレの額を指さした。さっきビンを投げつけられたときに出来た傷だ。痛みは他に比べれば気にならない程度だから、すっかり忘れてた。

「唾つけときゃ治る。それにさっき、消毒を頭からぶっかけられたしな」

「唾?」

「おう」

 エスツーが膝立ちでオレの元へ近づいてくる。

「どした?」

 オレの前髪を上げて、そこに出来た傷へとそっと口づけをした。

「唾つけた」

 それだと違う意味にならねえか、と思ったが、子供相手に説明しても仕方ねえし……。

「ありがとな、エスツー」

 お礼を言って頭を撫でると、エスツーは今まで見せたことのない、確かな笑みを見せた。

 オレは、こいつをどこで見たんだろうか。

 顔につけたマスクのせいか、思い出せそうで思い出せない。

 ただ、一つだけ決意したことがある。もしオレがここを出ることがあれば、必ずこいつを一緒に連れ出そうと。

 

 

 

 

 

「ん……コアネットワーク……? 直通?」

 ISから送られてくるコール音で、織斑一夏は目を覚ました。寝ぼけ眼でISを操作し、回線を開く。

『一夏、手短に行くぞ』

「ヨウか……? どうした、これはなるべく使わないんじゃ」

 体を起こして時計を見れば、まだ夜中の三時だ。

『悪いがオレの親を助けてくれ。以上だ』

「おい、ちょっと待て、どうした!? ……繋がんねえ」

 一方的に話を切られ、一夏は首を傾げて考え込む。

 半分寝ている頭を起こすために立ち上がり、顔を洗って軽くストレッチをする。

 それからベッドサイドに置いていた一夏は自分の携帯端末から、一つの番号に連絡を始めた。

「ヒア・シュブヒリト・イチカ。リア?」

『Hier、一夏、どうしたの?』

「夜遅くに悪いな。ヨウがどこにいるか知ってるか?」

『ヨウ? 病院にいるんじゃないの? ……ああ。そういえばユミさんが何か騒いでたのは、その件かな』

「ちょっと気になることがあるんだ。何か変わったことがあったら、教えてくれ。っていうか起きてたのか」

『最初に聞くべき事柄だったわね、それ。最近、ちょっと忙しくて。ま、機密事項だから話せないけど』

「そっか。無理すんなよ」

『そっちこそ。それじゃね』

「グーテ・ナハト」

 ドイツ語での電話を切ってから、ため息を吐く。声の調子から言って本当に何も知らないようだと確信していた。

「千冬姉、出るかな?」

 タッチパネルを操作して、電話帳の一番最初にある番号をコールし始める。

『なんだ?』

「いきなり何だはないだろ千冬姉。今、どこにいるんだ?」

『今は忙しい。用事があるなら、また明日、いや今日か。今日の夕方ぐらいにかけろ』

「もしかして、ヨウの件?」

『……どうした、連絡があったのか?』

「やっぱりそれか。アイツから連絡があって、親を助けてくれって……どういうことだ?」

『どこかに連れていかれた。外部の病院にしばらく検査入院ということだが、どうにもきな臭くてな。色々と手を回しているところだ』

「そうか……」

『しかし親か。なるほどな』

「何かマズイ事態だよな……アイツがこうもストレートにお願いしてくるなんて」

『お前がそう思うなら、本当にマズいんだろうな。こちらも、もう少し探ってみる。お前はそこそこにして寝ろ』

「わかってるよ。千冬姉も無理すんなよ」

『お前に心配されるようでは、私も落ちたもんだな』

「俺はいつだって千冬姉を心配してるよ……」

『他人の心配など、もう少し大人になってからしろ。ではな』

 最後は早口でまくしたてられ、一方的に回線を切られる。

 本当に忙しかったのか、と申し訳ない気分になりながらも、次の番号をコールし始めた。

『もしもしー……ふぁあ……なぁに、一夏君、夜這いのお誘い?』

「電話かけてるんだから、違いますよ……更識さん、二瀬野鷹の行方を知っていますか?」

『ん? どうしたの?』

 それまでの気だるい雰囲気から一転して、更識楯無の声音が鋭いものに変わる。

「気になる電話がありまして。知らないなら……申し訳ないですけど、ちょっと調べてもらえませんか? 確かそういうのも詳しいんですよね?」

『お家柄ね。ああ、分家が騒いでたって、この件か……ちょっと色々と探してみる。用件はそれだけ? そっちに行こうか?』

「え? いや、夜中ですし」

『いやね、夜中だからこそよ。もう、一夏君ってば』

「だから夜這いのお誘いじゃないですって……」

『あら、私は夜這いなんてハシタナイ単語使ってないけれど?』

「思いっきり言ってたじゃないですか。えっと、申し訳ないけど、よろしくお願いします」

『うん、わかったわ。任せておいて』

 大きくため息を吐いた瞬間に、小さな欠伸が出た。

 もう伝手はないか、と一夏は考えてみたが、織斑一夏の色々な情報の基盤は、主に欧州の方である。日本人として日本で育ったとはいえ、日本にいたときは普通の学生だったので、同級生ぐらいしか縁がない。

 それでも何か思いつかないかと、端末の電話帳をグルグルとスクロールしていた。

 その中で、一つの名前が目に止まった。さきほどコアネットワークで連絡をしてきた二瀬野鷹の名前だ。

 短い言葉でも助けを求めてきただけ凄い進歩だな、と不謹慎とは思いながらも一夏は微笑んでしまった。

 しかしすぐに顔を引き締めて、部屋に備え付けてある冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して喉に流し込む。

 彼はもう眠る気はない。

 やらなければならないことが出来たのだ。どのみち、最近の彼は五時には起床していることが多い。あと二時間程度なら一緒だ、とペットボトルをキッチンに置いて、一夏はシャワールームへと向かった。

 

 

 

 

「ママ、まだ終わらないの? もう六日も経ってるんだけど」

 青い空と海の間、四十院研究所の海上ラボのヘリポートで、国津玲美はISの右腕部装甲だけを装着し、その指先を順番に何度も動かしていた。装甲の隙間からは何本もの配線が伸びていて、周囲にある長机に置かれた計測器と繋がっていた。

「二瀬野君には連絡しているから大丈夫よ。頑張ってこいって言ってたわ」

「……なら良いんだけど」

 釈然としない顔で、玲美は母親をジッと見つめる。

「玲美、右手一番から五番まで再チェック」

 ママと呼ばれた女性はタブレット端末を片手に、タッチペンを指揮棒のように動かして娘に指示を出し、サングラスをかけ直した。

「えー……もう二十四回目なんだけど」

「フィードバックのスピードがコンマ3遅れてる。ホーク本来の性能まで達していないわ。やり直しよ。それにしても暑いわね。もう九月だっていうのに」

「うえー……日焼けしちゃう……中じゃダメなの?」

「文句言わない。終わったら歩行に入るんだから、この方が良いの」

「ママはパラソルの下なのに」

 四十院研究所の所長代理は、計測器の側に、大きなパラソルを設置し、ビーチチェアーに座ってトロピカルジュースを飲んでいた。白衣の下はタンクトップにホットパンツというラフなスタイルだ。その容姿はとても十五歳の娘を持つ母親には見えない。

「それぐらいで染みが出来るような肌じゃないから心配しないの。今度は少し日焼けして、ISスーツのあとをチラリと見せれば二瀬野君も喜ぶわよ。ほらスタート」

「訓練校休んで何しろって言うかと思えば、海上ラボにこもりっぱなしなんて……」

「玲美」

「はいはいはいはい! わかりました!」

 青いISスーツを身につけた少女はやけっぱちに返事をしてから、伸ばした右腕部装甲の先にある指を順番に動かす。

 それを眺めていた所長代理の眉がピクリと動いた。

「玲美」

「ママ、接近警報!」

「ええ」

 玲美が部分展開のまま身構えて、上空を見つめる。

「速度マッハ4……!? 来る!」

 娘は咄嗟に母を庇うように抱きしめた。二人の視線の先、上空500メートルを青紫の飛行物体が通り過ぎて行く。

 音速を超えたときに出る衝撃波がパラソルやテーブルをなぎ倒していった。トロピカルジュースのグラスが地面に落ちて中身がぶちまけられる。

 その影響が無くなったのを確認して、二人は立ち上がった。

「行ったわね。まったく」

 白衣を叩きながら、所長代理が立ち上がる。

「ISなのかな、今の」

「コア反応は?」

「あったよ」

「じゃあISでしょ。形状に一定の規則があるわけでもないし、人が乗らなくてもISなら、その定義はISコアを使った兵装群としか言いようがないわ」

 四十院研究所の現主席研究者であり、所長代理でもある彼女は、もちろん無人機の存在を知っていた。

「でも……人が入らないんじゃないかな、あれ。飛行機型っていうか三角形っていうか。脚部装甲もなかったし」

「だったら無人機なんでしょう。そして無人機ということは、IS学園製の機体よ、おそらくね」

 テーブルとイスとパラソルを立て直し、ヘリポートに転がるグラスを拾い上げる。

「ママ、どこ行くの?」

「とりあえず極東IS部隊に連絡してくるわ。あと、これのおかわり」

「はーい。理子とかぐちゃんによろしくね」

「さっさと続き済ませておきなさい」

「はーい……」

 げんなりとした様子の娘を置いて、国津所長代理は海上ラボの中へ続く階段を下りていく。

「マルアハ級二型か。とうとう動き出したのね、紅椿。ここを偵察に来たのかしら」

 独り言のように呟いてから、サングラスを外してシャツの胸元に引っかけた。

 そしてポケットから携帯電話を取り出してコールを始める。

「もしもしミューゼル? 何か飛んでるわよ。捕捉してる? 行き先は……そう、まだ見つけてないのね。コアネットワークは使わないよう気をつけてね。傍受されるわよ」

 

 

 

 

 

「遺伝子強化試験体研究所?」

「ああ」

 二瀬野鷹から織斑一夏へ連絡があってから十七時間ほど経過していた。

 一夏の自室を尋ねてきたラウラ・ボーデヴィッヒから聞いた言葉は、聞き慣れない単語の羅列だった。

「私がデザイナーズ・チャイルドだという話はしたな?」

 ここはIS学園一年専用寮の端っこにある1025室。かつて二瀬野鷹が住んでいて、今は織斑一夏のみとなった部屋だ。

「ああ。フランスのときに聞いた。それがさっきの何とか研究所の話か?」

 同じ形状の黒い眼帯を左眼につけた二人が向かい合う。ラウラはベッドに座り、一夏は机に向かっていた。つい今まで、欧州の知り合いと情報収集のためにメールのやりとりをしていたところだった。

「とっくに解体されたと思っていたんだがな。旧東ドイツの軍需産業の流れを組む研究機関でな。その残党がどうやら日本に渡っていたらしい」

「なるほどな……で、それが何か悪さをしてるのか?」

「先ほど聞いたばかりで、本当は言うまいと思ったのだが……」

「どうした? 歯切れが悪いな」

「二瀬野が、そこに収容されている」

「……なんだって」

 自分が探していた情報が、意外な場所から提供され一夏は大きく驚いていた。

「言い方が悪いかもしれないが、残党はかなり性質の悪い連中が集まっている。表立って行えない非合法な研究を、スポンサーの要求通りに仕上げる機関だ」

「性質が悪いってのは」

「何でもありだ。私は軍人として早く出たからな。それでもまあ、ロクでもない場所だ。暴力によるマインドコントロールなどお手の物だろうな」

 ラウラが一夏は立ち上がって、寝る用意をしていた服装から着替えを始めようとする。手に取ったのは、彼がドイツにいたとき使っていた軍服だ。

「場所はわかるか?」

「わかるが、待て一夏。問題はそこだけではない」

「待てるかよ。今すぐにでも」

「二瀬野がなぜ動かないかという要因を排除しなければ、始まらん」

「わかってるよ。アイツの親の件だろ」

「アイツの親が日本政府のVIP保護プログラムを実施されているのは知っているな?」

「ああ」

「曰く、一歩進んだ保護プログラムに入った、という話らしい」

「……そういや、アイツ、親が人質になってるとか言ってたな」

 それであの真夜中の通信か、と一夏は舌打ちする。

 その不機嫌な姿にラウラは少し驚いた。自分の部下でもある少年が、ここまで苛立たしげにするのを初めて見たからだ。彼女は彼と半年ほどの付き合いだが、怒ることはあっても、そういう表情を見せたことがほとんど記憶になかった。

「ラウラ、今日の朝言ったとおり、ヨウんちのオジサンとオバサン……ご両親を探そう。問題はそこからだ」

「平日は学園の外に出られないのが辛いところだな。見つけたらどうする?」

「申し訳ないけど、国内にいてもらっちゃ困るな。ヨウをそんなところに押し込んだってことは、元々は日本政府が依頼したんだろうし。目的はヨウの処遇に困ってか」

「では二瀬野の親を保護した後は亡命させるか」

「簡単じゃないとは思うけどな。でもそれしか手はないだろ」

「だが、そこの安全さえ確保出来れば、あとは二瀬野自身が何とかするか」

「ああ」

「玲美たちへの連絡はどうする?」

「千冬姉の話じゃ、外部の病院に検査入院しているって話らしい。まだ伝えるのはやめておこう。国津さんは一途過ぎる。ISを九機相手に立ち回ったんだぞ。ヨウの行き先がわかれば、それこそIS持ち出して乗り込むかもしれない」

 一夏が苦笑いを浮かべる。彼は七月に起きた事件で、友人に思いを寄せる少女にしてやられた記憶があった。居合わせていたラウラも同じ目にあったので、お互いに苦笑いを交わし合う。

「一応、四十院にだけは伝えておこう。ああ、娘の方だ」

「わかった。まあ、あの子なら上手く立ち回るだろうし、何か情報を手に入れるかもしれないしな」

「そうだな。しかし、次から次へと色々起こるものだな。ここ二ヶ月月ほど表向きは平和だったとはいえ」

「ラウラ、楯無さんからの課題は?」

「生徒会長からの指示は問題ない。IS学園の構造は全て把握した。いざというときの脱出経路も大丈夫だ。ただ、気になることもいくつかある」

「気になること?」

「開発部の施設がいくつか閉鎖されていること、それに地下で何かの工事が行われていること、あとは機動風紀たちか」

「……あのおっかない先輩たちか」

 はぁ……と一夏は大きくため息を吐いた。

 その瞬間にドアをノックする音が聞こえる。一夏は人差し指を立てて、ラウラに黙るようジェスチャーで告げると、

「はい、どちらさまでしょうか」

 とドアに近づいて尋ねた。

「機動風紀の早乙女ですが」

 その単語を聞いた瞬間、辟易した顔になった。

「なんでしょう?」

 ノブを回して開けると、黒紫に染め上げたIS学園の制服を着て、目元をバイザーで隠した女生徒が立っていた。

「そろそろ就寝時刻ですが、こちらにラウラ・ボーデヴィッヒが訪れているという報告がありました」

 通常のIS学園の制服を染め上げた上着を着て、腰から下は動きやすいように一夏と同じようなズボンを履いている。

「帰しますよ。用件はそれだけでしょうか?」

「ならば結構です。この部屋に女生徒を連れ込まないように」

「そういった規則はないはずですが」

 一夏は自分から六月に言い出して、女子入室禁止の規則を当時の担任に作ってもらったが、それは学内の正式な規則というわけではない。ゆえに今、従う意味もないとわかっている。

「風紀が乱れます」

「曖昧な理由で指導されては困ります。消灯時刻には戻らせます。以上ですか?」

「わかりました。それと明日の十七時から、第六アリーナを開けてあります。私と戦っていただけませんか?」

 あくまで平坦に冷静な調子で、その機動風紀の生徒が申し出てきた。その声に挑発するような様子は一切ない。そのことが逆に、一夏に不気味な印象を与えた。

「お断りします」

「予定が何かあるのでしょうか?」

「放課後は友人との練習に当てていますので」

「セシリアさんにもすげなくお断りされました。明日は私たち機動風紀専用のIS『マルアハ』がロールアウトされます。ぜひ一戦いかがでしょうか?」

 丁寧な調子で提案された内容に、一夏の目元がピクリと動く。

 彼としては、かなり気になる内容だ。機動風紀は新理事長直下の組織であり、一夏たちはその新理事長に対して大きな疑いの目を持っている。

 その配下に配属されるISが気にならないわけがない。

 ドイツ時代からの上官であるラウラと目配せを交わしたあと、

「そういうことなら了解しました。明日十七時、第六アリーナにお伺いいたします」

 と提案に乗った。

「ありがとうございます。では、これにて失礼いたします」

 上級生であるはずの機動風紀の少女は、下級生である一夏に丁寧にお辞儀をしてから足早に去って行く。

 それを見送ってから、一夏はドアを閉めて大きなため息を吐いた。

「まあ相手の機体を知っておくに越したことはないけどな……ったく、なんなんだ、あの機動風紀委員会ってのは。すげえ目をつけられている気がするぞ」

 眉間に寄った皺を解しながら、勢い良くイスに腰掛ける。

 IS学園の機動風紀委員会というのは、現在の新体制になってから発足した理事長直轄の委員会らしい。男子生徒の入学で乱れがちな風紀を正すと言われたら謝るしかない一夏だが、それでも一日に十回以上も声をかけられていれば、段々と腹が立ってくるものである。

「ゲシュタポか」

 一夏が口汚い愚痴を漏らすと、ラウラは苦笑いを浮かべ、

「おい我々が言うと洒落にならないぞ」

 と軽く窘める。

 ゲシュタポはナチスドイツ下での秘密警察の通称だ。ドイツ人としては簡単に口には出せない名前である。

「だけどなあ、ラウラ」

「気持ちはわかる。ただでさえお前は目立つからな。しかし人選が上手い」

「人選? 優秀な三年生から募ったんじゃないのか?」

「いや、隊員の共通点から推測すると、選考理由は卒業後の進路が不確定で成績がトップクラスではなく、整備科でもない者だ。おそらくな」

「どういうことだ?」

「機動風紀委員会の人間は、専用機が貰える予定だからな。そのままIS学園に就職内定だ。意味はわかるな?」

「……忠誠心ってことか」

「下手に優秀な生徒は、IS学園に拘る理由がないからな。それに三年まで行ってその成績ということは、普通なら劣等感の一つや二つもあるだろう。つまり、そういうことだ」

 IS操縦者を育てる学校に入って、IS関連に就職できないのは屈辱である。しかしどうしても才能というもので左右される面もあり、企業や研究機関、それに軍隊に採用されなければ、ただの一般人になる。

 もちろん通常の教養課程も含まれているIS学園ではあるので、高校卒業資格も手に入る。しかしそこは、一度はISパイロットを目指して入ってきた人間たちだ。自身の将来のために、ニンジンを目の前にぶら下げられた馬のようになるのも仕方ない、とラウラは言っているのだ。

「だから士気も高いっていうか、いちいち小うるさいというか……まあいいや、こっちはこっちで気をつけながら、他のことも進めていくしかない」

「しかし、さっきのが機動風紀の委員長、ルカ早乙女か」

「有名なのか、ラウラ」

「名前はな。スイスと日本人のハーフだ」

「真面目そうな人だったけど、そういうところがさっきの忠誠心の話なのか」

 ため息を吐きながらイスに座り、憮然とした顔で頬杖をつく。

「違うぞ、あれは座学がさっぱりらしい」

「はあ?」

 一夏は思わず目を丸くしてしまった。

 先ほど、一夏が相対した女生徒は、青みがかったブルネットの真面目そうな顔つきだった。表情も変えることなく、下級生である一夏に馬鹿丁寧な言葉使いをしていた。少なくとも一夏は、不真面目な印象を持つ隙がない。

「スイスの傭兵一家に生まれた女で、座学は全くだ。その代わり生粋の戦闘マニアらしいぞ。おかげで成績もいまいちというわけだ」

「スイスか。まああそこの輸出産業の一つだったっけ、傭兵は。今はどうだか知らないけど」

 バチカンの衛兵は確かスイス傭兵だったな、と一夏はヨーロッパを回っていたときのことを思い出していた。もっとも、EU加盟国ではないスイスに一夏が足を踏み入れたことはなかったが。

「新ISと戦闘を行えるというのはありがたい話だがな、一応、気をつけろよ」

「ヤーヴォール」

 ドイツ語で了解、と返してから、一夏は考え込み始める。

 やらないことが沢山ある。

 更識からの指示に、訓練と自習。何が起こるかわからない今後に備えて、少しでも強くならなければならない。

 それに加えて、友人からの依頼。まずはこれが優先事項だと理解しているが、なかなか難しいところがある。そもそも論として、一夏の情報基盤は欧州である。日本では遠く及ばないことが多い。

 それでも細い糸を自分で束ね合わせて、手繰り寄せていこうとしていた。

 

 

 

 

 

 七日目。

 一夏からの連絡はまだない。

 昨日の今日だし、何の手掛かりもないところから、オレの親を探すなんて無茶だろうし、時間がかかるのは仕方ない。そんなのはわかってる。

 むしろ、オレのこれまでの所業を考えれば、探していないことだってあり得る。

 ……まあ、そういうヤツじゃないか。

 玲美に話せば、また暴走するだろうし。他の専用機を持ってない人間には連絡手段がない。

 何はともあれ、一夏次第だ。今さらながら迷惑かけっぱなしってのが、情けねえなぁ

「さて、今日は大した検査もないし、少し散歩でもしようかい」

 白髪混じりのボブカットをした初老のドクターが、しゃがれた声でオレに提案してきた。

「散歩?」

「押してあげるよ」

 珍しく、何の手出しもされずに車椅子を押し始めた。

 診察室を出て、エレベーターで一つ上の階に下りて、見たことのない場所を進む。

 後ろで無言のまま車椅子を押すドクターを警戒していたが、本当に何も手出しをしてくる気配がない。

 やがて、一つの大きなガラス窓に辿り着いた。そこは、まるで実験動物を観察するためのケージのような部屋だった。

 真っ白い壁の中に、マスクをつけた十歳ぐらいの少女がいる。

「エスツー?」

「そう、S2だよ。最近、随分と仲良くしてるみたいじゃないか」

「ガキにゃ不思議と懐かれるんだ」

 軽口を叩いてはみるが、本当はそんな記憶はない。

「あーそうかい。見てな」

 検査着を着た少女が、部屋の真ん中でイスに座り、立方体の装置に向かっていた。どうやら一部の科学者が使う多面体キーボードらしく、彼女が両手で触れるたびに、天井から伸びたマシンアームが細かく動いていた。

 今はちょうど、その機械の腕が、人型の装置を作り上げているところだった。

「あれは……IS?」

「そう、ISを作ってるのさ、あの子は」

「……んだと。十歳ぐらいだろ」

「もう少し幼いよ。だが体は天才なのさ。天才ゆえに、私らで教育をしてる」

「まさか、あんな小さな子に」

「いいや、あんたみたいな育ち切ったヤツを教育するのと違って、ガキの頃から育てるなら、大した暴力は必要ないよ」

 オレたちが会話している間にも、マシンアームによって、どんどんISが完成に近づいていく。

「ラファール……?」

「いや、無人機さ。あれは無人機を作ってる」

「……ああ」

 そういうことか。

 気付いてしまった。とうとう、オレは気付いてしまった。

 唇が震える。

「さすがにあれはまだISコアの再現までは行けないけどねえ。でも、いくつか作った中では優秀な方だ」

「いくつか?」

「そう。失敗ばっかりで困ったもんさ。受精から培養、成長まで結構な手間がかかるから、見込みのないのはさっさと処分するんだよ。わかるかい?」

 横に立ったババアが愉快気に口元だけを歪ませる。

 処分ってのはつまり、殺すってことだ。

「てめぇ……」

「今無き物が、未来もないとは限らない。これから、あの少女はお前が守ってやんな。いいかい、専用機持ち?」

「……断る」

「断るとは思ってないねえ。もうだいぶ懐かれちまったし、情も湧いただろう?」

 喉の奥を鳴らして、ドクターが笑う。

 悔しいが言うとおりだ。オレはエスツーという少女を大事に思ってしまった。

 こちらに気付いていないのか、作業中に邪魔になったようで、少女がマスクを額の上へと引っ張り上げる。

 一心不乱に球体キーボードを叩くその横顔を、オレは知っていた。

「あの子の正式名称は、特殊遺伝子試験体S2。篠ノ之束と、計らずともたまたま非常によく似た遺伝子を持ってしまった天才さ。覚えときな」

 偶然の代名詞ををわざとらしく並べなくても、ただの建前だってわかってる。

 作ろうとしているのか。ISコアを作れないのなら、作れる存在を。

 それ以上は何も喋らずに茫然と、作業を続ける横顔を眺めるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 夜になり、小さな窓から白い部屋の片隅へ月明かりが差す。

 オレと同じベッドで小さな少女が寝息を立てていた。

 上半身を起こし、黒い前髪をそっと撫でる。十歳ぐらいかと思ったが、もう少し年下なのか。

 篠ノ之束と非常によく似た遺伝子を持つ少女。これがクローンなのか姉妹なのかはわからない。

 そもそもどうやってDNAマップを手に入れたのか。オレの親と同様に、箒の両親もVIP保護プログラムによって行方を掴めない。そこからか、遺伝子を手に入れたのは。失敗ばっかりってのは、つまり何度か作ったんだろうか。へその緒は確か子供の遺伝子を持ってるんだったっけ……。あの先生たちなら、子供のへその緒とか持ってそうだしな……。

 だけどDNAを手に入れたとしても、発現の仕方が違えば、違う形になるってのも聞いたことがある。だから何度も失敗したと言っていたのか。

 そもそも育ちが違えば、人は別人になるはずだ。

 色々と考えてみれば、この子が篠ノ之束と同じになるとは限らない。だから、篠ノ之束ではないんだ。

 鼻から上を覆うマスクを、起こさないようにそっと外す。

 ああ、本当に篠ノ之束を幼くしたような顔の少女だ。

 オレが嫌いな、オレを無視した篠ノ之束。

 だけどオレがあのとき、前もって知っていた先入観に左右されず、たった一度で諦めずに何度も話しかけていたら、どうなっただろう?

 それこそ、この少女と接するように出来ていたら、そして自分の持っている知識を彼女に伝えたなら、それは違う未来を迎えたんだろうか。それでオレはアイツを嫌いにならずに、アイツもオレを知って、ひょっとしたら銀の福音の暴走自体を止めることが出来たんだろうか。色んな人が幸せになったんだろうか。

 今から思えば、あのときに立ち竦むしか出来なかったオレが、全ての元凶なんじゃないのか。

 この少女に会って気付いてしまった。

 そうだ。二瀬野鷹は未来を知っていたのに、何もしなかった。

 先入観に左右されて二度目の接触を計らずに、自分も忌避して嫌いだからと思い込んで、流れに飲み込まれていった。

 何が脇役だ。何が主人公だ。

 あの時点でオレがナターシャ・ファイルスが涙を流すことを知っていたのに、何もしなかった。

 自分のことばかり考えて、たった一度の遭遇で諦めて、色んな人を巻き込んで不幸にしていった。

 この世界で一番必要のない存在は、オレだけだろう。

 真実は自分の底に存在していた。

 そして、過去は変えることが出来ない。現在で努力して取り戻そうとしても、今度はそこから先の未来を変えてしまうだけだ。

「ヨ……ウ?」

 少女が寝ぼけ眼でオレの名前を呼んで見上げる。

「悪い、起こしたか」

「大丈夫……寝ないの?」

「寝るよ。ほら、二人きりならマスクを外しても大丈夫だ。許可を貰った」

「ホント?」

「ああ。苦しかっただろ?」

「うん。ヨウがとてもよく見える」

「そっか。オレもエスツーがよく見えるよ」

「嬉しい」

「嬉しいのは好きか」

「うん」

「じゃあ、他人も嬉しくなるように出来たら、良いよな」

「……うん」

 オレが軽く頭を撫でてやると、それ以上は喋らずに目を閉じる。すぐにスヤスヤと寝息が漏れてきた。

 

 

 

 いっそ、ここが本当に物語の世界なら良かった。

 そしたら、全てが他人事のように外側から眺めていられたのに。

 

 

 

 

 












段々と一話が長くなる傾向にあるので、修正していきたいところです。
しばらく三人称が混ざってしまいますが、ご容赦を。


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26、リヴ・エンド・レット・リヴ










 

 

「相手は天使様か」

 IS学園の第六アリーナに通じる格納庫には、一年の専用機持ちが集まっていた。今から理事長直下組織の機動風紀と彼らの仲間が模擬戦を行うからだ。

 青いISスーツを着て黒い眼帯をつけた織斑一夏が、白式を装着する。

「何の話? 中二病?」

 鈴が小首を傾げると、一夏は右腕部装甲の先にある五指マニュピュレータを一番から五番まで順番に動かし始める。

「なんで中二病なんだよ。ヨウとそんな話をしてたんだ。神様ってのがいるとしたら、この時代なら自立思考型ISのことなんじゃないのかって」

「うわ、男同士揃って、そんなバカっぽい会話してたんだ。気持ち悪っ」

「気持ち悪くはねえだろ! いや、いたって真面目な話なんだ。鈴は直接聞いてなかったっけ」

「なによ」

「新理事長、つまり束さんの姿をした偽物が、自分を神って言ってたのを」

 肩に浮いたスラスターを上下に可変させて、調子を確かめる。その脳裏には、紅椿と同じ腕を生やした篠ノ之束の姿が昨日のことのように思い浮かんでいた。

「箒から聞いたけど、バカバカしい話でしょ」

「んで、今から戦う機動風紀の専用機は、マルアハっていうんだ。ヘブライ語で天使って意味なんだとさ」

「じゃあヨウのディアブロが悪魔ってこと? 良い感じで出来てんじゃない」

 鈴が小馬鹿にしたように鼻で笑う姿を見て、一夏は苦笑する。

「じゃあ俺たちは何だって話だよな」

 格納庫の壁面にある画面に、アリーナ中央が映し出される。そこには、一体のフルスキンISが直立不動のまま立っていた。

「決まってるでしょ。人間様よ。ほら、相手はお待ちかねみたいだし」

 やれやれと首を横に振った鈴に、なぜか一夏は頼りがいみたいなものを感じていた。

「一夏、わかっているな」

 彼と同じ眼帯をつけたラウラ・ボーデヴィッヒが腕を組んで、壁にもたれかかっていた。

「ああ。相手があのときの夜竹さんたちと同じかどうか、それを見極めるんだろ」

「そうだ。相手の性能もだが、あの偽物がどういう動きをするか、私たちは見張らなければならない」

「何をするつもりか、さっぱりわからないけどな。まあヤバいヤツだってのは理解してるし、そもそも自立思考するISってのがホントなら、かなり危険な存在だ」

「頼んだぞ」

「ヤー」

 不安げに彼を見上げるセシリアとシャルロット、それに箒へと、一夏は爽やかな笑みを浮かべ、

「ま、とりあえず天使様のお手並み拝見ってところだ。行ってくる」

 と親指を立てて答えて見せた。

 

 

 

 

 動風紀の委員長、ルカ早乙女が、白式をつけた一夏が近づいてきたのを確認して振り向いた。

「本日はぶしつけなお誘いに乗っていただきまして、誠にありがとうございます」

 青紫のISがフルスキンの頭部だけを解除し、中の女子生徒が顔を見せて礼儀正しくお辞儀をする。

「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

「では、戦闘を開始いたしましょう。勝負形式はいかがなさいますか」

 一夏が相手に抱いている印象は、プロフェッショナルのメイドだ。それも日本の電器街にいるものではなく、欧州の資産家の家で見た女中の方である。

「模擬戦ということで、どちらかが三割を切ったら終了でどうでしょう?」

 それはシールドエネルギーの残量が三割切ったら、という意味であり、IS学園内における一般的な模擬戦の方式だった。

「了解しました」

 もっと酷い条件で戦うのかと思っていた一夏は、肩すかしを食らった気分だったが、それを表にはおくびも出さずに返答をする。

「では合図は、時計が十七時を指したらにいたしましょう」

「わかりました」

「あと二分ほどありますね。少しお話しましょう、織斑一夏」

「はあ……」

 急な申し出に一夏は思わず気の抜けた返事を返してしまう。だが相手は表情を変えずに、

「二瀬野鷹、という男性をご存じでしたか」

 と気にした様子もなく問いかけてくる。

「え、ええ。友人ですけど」

「友人ですか。実は私、彼に淡い思いを抱いておりました」

「え? えーっと」

「この歳まで恋愛など全く縁のない生活をしてきましたが、初めて彼の練習を見たときに、体がスタンガンに撃たれたようになりました」

 撃たれたことあんのかよ、と思わずツッコミを入れそうになったが、相手の平板な声音にどうも調子が掴めない。

 高校生の女子なら、もう少し恥じらいなどもあってよさそうなものであったが、機動風紀委員長のルカ早乙女という女子生徒は全く感情を変えることなく、言葉を口にし続けていた。

「毎日無駄な努力をし、それが誇りだという様子も見せず、黙々と感情を殺すような反復練習。私は直感しました」

「何が言いたいんでしょうか」

「貴方はかのお方の姿を見て思ったことはありませんか? 彼はISになろうとしているのだと」

 抑揚がないだけに、相手が何を思ってそんなことを言っているのか、さっぱり推測出来なかった。

「そんな素晴らしい方を追い出した生徒、というのにも少し興味があります」

「それは……」

 突然に紡ぎ出された言葉に、一夏は口ごもってしまう。

 彼は二ヶ月ほど前に、二瀬野鷹がIS学園を出て行くきっかけを作っていた。追い出したと言われても、一夏に反論はない。それを知ったIS学園中から、あること無いことを責め立てられたことは、まだ記憶に新しい。自分たちを糾弾する生徒の中には上級生もいたのだ。

 目の前の三年生が、そこで初めて微笑んだ。決して目元を崩さずに口の両端だけを釣りあげて、

「私、日本語で言うところの、ヤンデレでストーカーですので」

 と告げた。同時に彼女の頭部が装甲に包まれて表情が見えなくなる。

 試合開始のブザーが鳴った。

 一夏は咄嗟に雪片弐型を構えて、相手の行動に備える体勢に入った。

 機動風紀のIS『マルアハ』が実体化した兵器は、機体全長を超える長大な柄と、それに見合った刃を持つ巨大なデスサイズだ。背中には巨大な紫色の推進翼を備えている。

「処刑、というより私刑ですね、これから始まるのは」

 少したりとも感情を見せずに、ルカ早乙女の操るIS『マルアハ』が死の鎌を振り上げて一夏の白式へと襲いかかった。

 

 

 

 

 二瀬野鷹曰くオリムラガールズと呼ばれる専用機持ちの女子生徒たちは、格納庫から観客席へと移動していた。

「今のところ、おかしな様子はないな」

 アリーナで戦う二機を見て、箒がポツリと呟く。

「うん……でも、速いね、相手の機体」

 シャルロットが手元の端末で撮影をしながら、隣の箒へ返答した。

「速いというか、鋭い印象だな。あの鎌を上手く防御に使いながら、相手が隙を見せれば確実にそこを突く。剣術の基本のような動きだ」

「あの機動風紀の委員長さん、どういう人なんだろう?」

「先ほどの会話を聞くかぎり、かなり突飛というか」

「エキセントリックな人だよね……」

「そうだな、うむ……。タカも妙な人に好かれていたものだ。セシリア、お前はアイツを知っていたか」

 相手の動きを分析するように鋭い視線を向けていたセシリア・オルコットだったが、箒の言葉にゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、ヨウさんの近くにあのような方が近寄っていた記憶はありませんわ。少なくともわたくしの覚えている限りは」

「タカの周りには、いつも国津がいたからな」

「え、ええ……。それとは別に、あの方の名前は聞いたことがあります。スイスの期待の星だと」

「強いのか?」

「スイス連邦はIS後進国ですわ。そこから唯一、IS学園に入ったものの、その後は鳴かず飛ばすという話でしたが」

「……一夏と比べても、そこまで差があるようには思えないが」

「ですわね」

 二人の視線がアリーナの中央に戻る。

 戦闘状況はわかりやすいほど、二人の実力差を表現されていた。

 真っ直ぐ立ったまま、最小限の動きだけで相手の動きを防ぐルカ早乙女に対し、一夏はその周囲を回りながら、隙を探っては切りかかるというパターンを繰り返していた。

「あれほど視界が広い方は、なかなかいらっしゃいませんわ」

「ISの性能か」

「でしたら良いのですが……そもそもISのセンサーは脳内に360度を映し出します。ですが、その機能を使いこなすには、かなりの慣れが必要ですわ。さすが三年生、ということでしょうか」

「経験の差ということか。だが逆に言えばISに操られているわけではない、ということだな」

「ですわね。それは間違いなさそうですわ」

 

 

 

 

「ああ、どうしたら良いのでしょう」

 死神の鎌をクルクルと回転させながら、ルカ早乙女が困惑したように呟いた。

 感情があるのか……などと一夏は失礼なことを感じてしまっている。

「どうしたら?」

「はい。織斑一夏も二瀬野鷹も魅力的すぎて、このルカ早乙女、XX染色体を持つ者として至上の喜びを感じております」

「そ、そりゃどうも」

「こちらこそ」

 一瞬だけ感じた情動の発露もなく、すでに平板な声に戻っていた。

 そんなことよりも、一夏は背中に冷たい冷や汗が垂れているのを感じた。目の前にいる女子生徒が、今までになく妙な性格をしていると感じたからだ。それも悪い方向で。

「こちらとしても、このまぐわいをマグロのままで終わらせるのは忍びありません。では、参りましょう」

 一夏は戦闘中に、ここまで早く帰りたいと思ったことはなかった。

「このマルアハ、ISコアの量子演算機能をフルに使ったサポートが非常に優秀な機体でして、まぐわいに器具を使うなど相手の技量不足を侮蔑するようで気が進みませんが、殿方を満足させるためには仕方ありません」

「か、帰りたい」

 とうとう本音が漏れてしまったが、相手は気にした様子もなく、巨大なデスサイズを上段に構えた。

「始まったばかりです。さあさあ、織斑一夏。私を発奮させてください」

「は、はっぷん?」

「間違えました。発情です」

「くっ!」

 寒いものを感じ、一夏は思わずバックステップをして距離を取る。

 その直感に従ったことを、彼は己の肉体に感謝した。自分が一瞬前まで立っていた場所が、相手の武器によって抉られていたのだ。

「俊敏な腰の動き、素晴らしいです。では、次はどうでしょうか」

 背中に生えた推進翼を立てて、青紫の機体が一気にスピードを上げて近づいてきた。

 咄嗟に雪片弐型を下から上へと振り上げて迎撃をしようとするが、相手の姿はすでにない。

「無軌道瞬時加速!?」

 背後から来る空気の流れを感じ、振り向きざまに零落白夜を発動して最大の攻撃を仕掛けた。

「すばらしい判断です」

 声が聞こえてきたのは、自分の横からだと気付いたときには、すでに自分の機体が殴りとばされていた。

 とっさにたたらを踏み、推進装置を操って体勢を立て直す。次の攻撃に備えて武器を構えたが、敵機は鎌をバトンのように振り回し見栄を切っているところだった。

「いかがでしょうか? 私自身には二瀬野鷹のような推進翼捌きは出来ませんが、このマルアハはプログラムのサポートにより、予めコースを入力しておけば同様のことが可能になります」

「つまり、俺の動きを予測していたってわけですか」

「いいえ、零落白夜を使うところまでは予測していませんでした。設定コースに遊びを取っていなければ、私は一撃で切り落とされていたでしょう」

 一夏は相手を警戒しながらも、自分の視界に浮かぶステータスウィンドウでシールドエネルギーの残量をチェックする。大して減ってないのが幸いと、彼は再び剣を構える。

 ルカ早乙女の言葉を信じるなら、相手の予想を超える動きをすれば落とせるということだと理解した。

 つまり自分の友人ほど厄介な相手ではない。

「では、参ります、二段目です」

 全く感情を感じさせない平板な声を発してから、ルカ早乙女がデスサイズを構える。

『そこまでにしておきましょう、ルカさん』

 アリーナのスピーカーを通して、男性の声が聞こえてきた。

 一夏が声の主を探せば、箒たちとは反対側に、開発局の新局長である国津幹久博士がマイクを持って立っていた。

『そのISはまだ調整中の段階です。無理をさせないでください』

 続けられる静止の声を聞いて、ルカ早乙女はISを解除して地面に降りる。

「では、また次の機会に。二瀬野鷹とも早くまぐわってみたいものです」

 背中を向け、そんな不謹慎な言葉を残して機動風紀委員長は歩き去って行った。

 その様子を見送りながら、誰だよ日本語を教えたヤツと一夏は内心で愚痴を零していた。

 

 

 

 

 機動風紀委員長のルカ早乙女との戦闘が終わった後、ISスーツから制服に戻った一夏は、更衣室内のベンチでスポーツドリンクを喉に流し込んでいた。

 思ったより喉がカラカラになっていることで、自分が緊張していたことを自覚した。

「思ったより腕は普通だな。確かに経験は我々より多いようだが」

「おわっ、ラウラ!」

「何を驚いている? 私はお前の上官だぞ」

「いや関係ないだろ今は。っていうか、いつからいた」

「五分ほど前からだが」

「俺は着替えてたんだけど!?」

「そうだな。私はその、なんというか、気にしないぞ、うん」

 そっぽを向いて口ごもる少女の頬が、少しだけ朱に染まっていた。

「気にしろよ! というか俺が気になる!」

「そんなことより」

「いや結構、俺の精神的には重要な話だったんだが、何か話があるのか」

「全く行方がわからんな」

 すでにいつもの表情に戻っていたのは、話題が真面目な話に移ったからだろう。

「俺もいくつか当たってるけどな……。明日は休みか」

「教官は何をしている? 同じ人物を探しているのではないのか」

「いや、昨日から連絡が取れない……どうしたっていうんだか。まあ、前から急に連絡が取れなくなったりしていたからなぁ」

「ふむ……しかし二瀬野の家族か。心配だろうな、二瀬野のことが」

「だよな」

「……私もぜひ会ってみたい。許してもらえるとは思わないが」

「え?」

「一度、二瀬野の親にも謝罪をしたいと思っていた」

「ラウラ?」

「記憶がないとはいえ、アイツの腕を落としたのは私だ。本人は気にしてないと言っていたが、やはりな」

 目線を地面へと落とし、その瞳が申し訳なさそうに歪んでいる。

「そうだな……だけどラウラがそこまで言うなんて、俺は嬉しいよ」

「当たり前だろう。私はお前の腕がなくなったらと思うと……」

「……そうか。ありがとうな、ラウラ」

 優しく微笑む一夏に、ラウラが怪訝な顔をする。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは家族というものを知らない。それゆえに一夏を無理やり嫁と呼んだり家族と言い張ったりもしていた。

「早く探して、一目だけでも再会させてやりたいものだ」

 一夏と会ったばかりの頃のラウラは、張りつめた雰囲気で任務優先の人物だった。だが今は周囲の協調も大事にし、気遣いも見せる。また己を省みて、悪いと思ったことはすぐに改める。

 付き合いの長くなってきた相棒の成長を、彼はとても頼もしく思っていた。

 

 

 

 

 

「マスコミ?」

「うん、そういう手もありなのかなって」

 一夏が野菜と五穀米だけの晩飯を食べているときに、反対に座っていたシャルロット・デュノアが一夏の顔色を窺うように提案してきた。

「シャルらしくない発想だな。お前はそういうの嫌いそうだけど」

「嫌いだけど、その情報網もバカにならないよね。僕もデュノアの社長交代後は、かなりつけまわされたりしたし。鼻が効く人も多いと思うんだ」

 その話題に、箒が少しうんざりした顔をして、

「私のときもそうだった。かなりしつこかったぞ……」

 と肩を落とす。

「最初は道場に何人も押しかけて来たもんなあ」

「あれはかなり参った」

 白騎士事件直後は、篠ノ之道場の周囲は日本だけでなく世界中のマスコミが集まって取材攻勢をかけてきていた。その主な被害者である箒としても、マスコミには最悪の印象しかない。

「うーん、俺も向こうにいたとき、かなりストーキングやらパパラッチやらに気をつけてたから、こっちからマスコミに接触するってのは……信用できる人物でもいれば良いんだけどな」

 うかつなことをマスコミに漏らせば、それこそ面白おかしく書き立てられるかもしれない。周囲の耳目を一身に集める可能性が高い織斑一夏と二瀬野鷹だけに、それは最新の注意を払わなければならないと自覚していた。

 それでなくとも、世界に二人しかいない男性操縦者のうち一人が、左腕と脚を欠損していて、なおかつ行方不明など大スキャンダルだ。

「あ、あの!」

 そこで初めて、箒の隣に座っていた四組クラス代表の更識簪が口を開いた。

「何か良い案があるのか?」

「確か……新聞部の黛先輩の……そのお姉さんがインフィニット・ストライプス紙の記者だった、と思います」

 常に申し訳なさそうな簪の言葉に、全員が顔を見合わせて、

「ストライプスかぁ……」

 と口に出してぼやいた。

 インフィニット・ストライプス紙はISの専門誌だが、機体や技術的なことよりもパイロットに焦点を当てた、まるでアイドル紙のような作りをしている。ゆえに目立つのが好きではないくせに目立つ一夏にとっては、あまり良い印象がなかった。ラウラも同様だったが、シャルロットだけが少し考え込んでから、

「黛さんは多分、悪い人じゃないよ。それと逆に考えてみて。ストライプスなら頼みごとする代わりは、ただのインタビューとグラビアで済むと思うよ」

 と提案してきた。

「なるほどな。そういう考え方もあるか。それで行ってみるか。今は少しでも外で動ける手が欲しいし」

「いいの?」

「なんでシャルが確認するんだよ」

「だって一夏って、あんまり表に出ようとしないし……」

「そりゃそうだけど、仕方ないだろ。俺がちょっと嫌な思いするぐらいなら、全然問題ないぞ」

「じゃ、じゃあ前にストライプスに出たときに名刺を貰ったから、連絡してみるね」

「頼む」

 シャルロットが食事の済んだトレイを持って、パタパタと駆け出していく。その姿を見送った後に、

「いいのか?」

 と箒が熱いお茶をすすりながら尋ねてきた。

「構わないぞ」

「なら良いんだが……。しかし親か。うちの親も行方がわからないな、言われてみれば。そうは言ってもたまに政府のエージェント経由で手紙が届くが。検閲済の内容だが、どこぞの山奥で元気に修行しているようだ」

「いつかまた手合わせして欲しいもんだな」

「そうだな。私も今の実力を父に見せたい」

「喜ぶと思うぞ、きっと」

「ああ、そうだな。では私も先に失礼する。簪、行くぞ」

「あ、えっと、は、はい」

 先に食器返却口へと向かった箒を、簪が慌てて追いかける。

「仲良くなったみたいだな」

 正直、更識簪が箒の護衛につくと言ったとき、幼馴染である一夏としてはかなり不安だった。

 簪との付き合いは短いながら、相当な引っ込み思案だとわかっていたし、箒は付き合いが長いだけあって、かなり気難しい性格だと知っている。護衛任務は何より護衛対象との協力が一番重要であるがゆえに、上手く行くのか心配していた。

「まあ、二人とも無口だからな。気を使わなくて済むんだろう……なんだその目は。言いたいことがあれば言え」

「いいえ、何にもございませんよ少佐殿」

「ふん、覚えておけよ、ノイリング(へなちょこ)」

 気分を害したのか、ラウラは肩を怒らせて立ち上がる。ドイツ語でルーキーと罵られ、事実ルーキーの域を出たつもりががない一夏には返す言葉がない。かろうじて、

「そりゃちょっと酷いぞ……」

 と項垂れて不満の声を上げるだけだった。

「今日の動きでお前はまだまだだと理解した。明日からはもう少し厳しめ行くぞ! いいな?」

「おう、頼む」

「……ったく」

 脅しをかけたつもりの上官だったが、部下が素直に頷いたせいか、毒気を抜かれたようにため息を吐きながら去って行った。

「なんだったんだ?」

 一人だけポツンと残された一夏は、ただ小首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 翌日、学園は休日だった。

 本来なら学園祭が実施される日程だったが、今年は諸事情により延期か中止の予定となっている。

 都内にある世界的にも有名なホテルの一室で、一夏は私服からIS学園の制服に着替え、撮影をこなした後だった。さすがに眼帯は外せという指示がラウラから出ていたので、今日は素顔のままだ。

 絶え間なく炊かれていたフラッシュが途切れ、インフィニット・ストライプス紙の副編集長である黛渚子が軽く拍手をする。

「はーい、織斑君ありがとう。カッコ良く撮れてたと思うわ。次は篠ノ之さん、良いかな?」

「わ、わかりました」

 緊張した面持ちで撮影用のセットに足を踏み入れる。あからさまに強張っていて、普段の仏頂面が数倍怖くなっている。普段は気にしない一夏も、撮影となれば放っておけずに箒に近づいて笑みを見せた。

「箒、リラックスリラックス。笑顔は作らなくても良いから、普段ぐらいでいいんだぞ」

「わ、私は緊張などしていない。お、お前こそどうしてそんなに慣れているんだ」

「俺はIS学園に来たときに、何社か新聞社からインタビュー受けてるし。よく見せようとするから、緊張するんだ。普段通りにしてれば良いよ」

「普段通り……にしているぞ、私は」

「ちっとも普段通りじゃねえよ。普段はもっと綺麗だぞ」

「き、綺麗!?」

「ああ」

「そ、そうか、ふ、普段から私を綺麗だと思ってるんだな、そうか……」

「ってみんなが言ってた」

 言葉を言い終わるよりも早く、力の入った拳が一夏の顔面へと延びる。咄嗟に首を曲げて回避したが、一夏の髪が数本、パラパラと床に落ちて行った。

「こわっ!? 当たったら鼻が折れるぞ!」

「ふん、いいか、私は緊張なんてしていない。普段通りだ!」

 そう言って、肩を怒らせて撮影ルームの真ん中に立つ。

 その様子は、すっかり緊張が取れてはいるようだった。もっとも、緊張が取れて普段の仏頂面に戻っているだけだったが、一夏の目には先ほどより数段マシに見えている。

「ドリンクどうぞ」

「ありがとうございます」

「今日はありがとね。グラビアまで撮らせてくれて

 グラスに入ったウーロン茶を黛副編集長から受け取り、一夏は壁際に置いてあった椅子に腰かける。

「アイドルじゃないんで、制服までですけど」

「専用機持ちって言ったらアイドルみたいなものでしょ?」

「そうとは限りませんよ。少なくとも俺にその自覚はありません。あとお願いが一つあります」

「お願い?」

「ええ。もう一人の男性操縦者、つまり二瀬野鷹って俺の幼馴染なんですけど、そのご両親にちょっと連絡が取りたいんです。ただ場所が掴めなくて」

「二瀬野君のご両親……それは少し厳しい話だわ。本人と連絡は取れないの?」

 仮にもIS業界専門誌の副編集長であるので、簡単な事情ぐらいは察しているようだ。

 だったらと、一夏は表情を引き締める。

「こういうご時世なんで、察していただけるとありがたいです。受けていただけないんでしたら、今日の撮影内容は全て破棄していただきます」

「え!? きょ、今日のって、全部!?」

「グラビア写真も全てです」

「ちょ、ちょっと酷いんじゃない? いくらなんでも」

「ええ。ストライプスさんがネットの広告を急遽、俺たちへのインタビューとグラビアに差し替えたところまでは確認しました」

 相手が仕事だとは理解している。自分たちみたいな高校生が偉そうな口調で条件を出すことを申し訳なくは思っているが、一夏も手段を選んではいられない事態だ。

「問い合わせもバンバン来てるってのに、それは無理よ!」

「その代わり、こちらの条件を飲んでいただければ、向こう半年は他紙からのインタビューを受けません。写真も同様です」

 そしてこれはシャルロットとセシリアからの提案だった。後出しで条件を突きつけたのも、そういう経験が多い彼女たちからのアイディアであった。

「ぐ……それは魅力的っていうか」

「ISの機体関連でも、蒼風を出し抜けますよ? いかがでしょうか」

 蒼風というのは、ストライプスと双璧をなすIS専門誌の名前である。ストライプスがパイロットにスポットを当てたアイドル紙風なら、蒼風は機体をメインに扱った専門誌だ。一般大衆はともかく、業界からの評判は蒼風の方が断然上である。取材申し込み時点で、ストライプスの名前だけで断られることなど彼女は何度も経験していた。

「美味しい話よね……私個人としても大手柄だし……」

「我ながら、売れると思いますよ、次号」

 受けないなら副編集長としての評価はどん底、受ければ大手柄どころの話ではない。

 彼女なりの打算もかなりある。世情がIS学園を中心に不穏な方向に進んでいるのは、彼女ならずとも知っている。もしISでの武力行使などが起きてしまえば、パイロットにスポットを当てたアイドル紙の発行部数など、あっとういう間に落ちるだろうというのが、彼女と上司の見方だった。だから今のうちにある程度稼ぎつつ、新しい方向へとコネも作っておかなければならない。今日の取材も、すでに次号の紙面差し替え準備が済んでいるのだ。

 色々な利益の計算をした後、黛副編集長は苦渋の顔を見せて、

「わかったわ。でも無理はしないわよ。政府が関わってる話だし、目をつけられたくはないの」

 と承諾の構えを見せた。

「ありがとうございます」

「ただ、条件があるわ。向こう半年の他紙インタビューの件、一年にならないかしら」

「えーっと……どうしようかな」

 悩む格好を見せる一夏だったが、内心ではガッツポーズを決めていた。相手から新しい条件が出てくることもすでに想定済だったからだ。大人は子供の条件を一方的に飲むことはない。どんなに無意味でも、自分が上だと示そうとする。シャルロットとセシリアからそう助言を受けていた。

「お願い!」

「うーん、わかりました。たぶん大丈夫です。一応、自分だけで決められることじゃないんで、後でまた連絡します」

「ありがとう! これからよろしくね!」

「はい」

 一端渋ってから、笑顔で差し出された手を握り返す。

「ちょっと席を外させてもらうわね」

「はい」

 携帯電話を取り出しながら出ていく黛の顔が、嬉しそうに綻んでいた。

 これで外へ手が広がった、と一夏は内心で安堵のため息を零す。相変わらず自分の仲間たちの知力は侮れないなと思っていた。これも仲間があればこそだ。

 貰ったウーロン茶に口をつけながら、改めて頼もしさを覚えていた。

 ふと、隣にあった鏡台の上に聖書が出ているのが目に入る。

 二年近く欧州暮らしをしていた一夏にとっては、聖書は馴染みがあるものだ。手に取ってパラパラを眺めていると、隣に更識簪が近寄ってきた。

「お、おつかれさまです」

 丈の長い大人しめなデザインの空色に染まったワンピースに麦わら帽子を手に持っている姿は、どこかの深窓の令嬢にも見える。

「更識も撮影されるのか?」

「う、ううん、私はパスさせて……もらいました。あ、あんまり目立つことは好きじゃないし……」

「そっか。じゃあそれはお前の私服なのか」

「あ、あの、変でしょうか」

「いや、可愛いと思うぞ。よく似合ってる」

 一夏の何気ない言葉に、顔が一瞬で真っ赤になった簪は、その表情を麦わら帽子で隠してしまう。

「か、可愛くないです、私より、お姉ちゃんの方が……」

「そりゃ楯無さんは綺麗だけど、魅力はそれぞれだろ。俺はどっちも魅力的だと思うぞ」

 特に気取った風もなく、一夏は足を組んでウーロン茶を飲みながら、聖書をパラパラと捲り続けていた。

「……神様、か。天にいまし、世はことも無し、とはいかないものか」

 件の新理事長、自らを神と名乗った存在を思い出していた。

 何が目的かはわからないが、危険な存在だと理解しているつもりだ。クラスメイトの意識を封じ込めてISを操り、友人たちを傷つけた。

 今のところは様子見の一夏たちだが、生徒会長の楯無の指示により、色々と裏工作を初めてはいる。一夏たちの仕事は、いざというときの無関係な生徒全員の脱出経路確保だった。

「神様……」

 麦わら帽子から少しだけ顔を出して、簪が一夏を横目でちらりと見る。

「ああ。更識も聞いてただろ。アイツ」

「日本人には、ピンと来ない話……ですよね」

「うーん、俺はそうでもないかな。向こうじゃ日曜礼拝なんて当たり前だったし。俺は信じちゃいないけど、簡単なお祈りぐらいは覚えてる。でも神様か。まあ、ISコアも作れるようだし、人の意識を失わせて自由に操ったりしてるわけだしなあ。それがとんでもない科学力で、神様だって名乗るんなら、そうなんだろうけどさ」

「未来……から来た……んですよね」

「本当かどうかは知らないけどな。ヨウ曰く、そうじゃないかって」

「タイムトラベル……理論上は不可能だと思いますけど……」

 つっかえながらも会話をしてくれるようになっただけ、以前よりは進歩してるよなと一夏は少し感動していた。どうにも彼の周囲はグイグイと来る連中が多いので、簪のような引っ込み思案なタイプと接することが珍しい。

「ロマンはあるけどなあ。それにここより未来から来たってんなら、神様名乗ったって不思議じゃないけど」

「神様……は名乗るもの……じゃないと思います……けど」

 恐る恐る反論する簪の言葉に、一夏は小首を傾げる。

「名乗るものじゃないって?」

「神様は……誰かに……望まれないと寂しいだけ……だと思います」

「……だな。確かにそうだ。自分で神様名乗っても、誰にも望まれないなら神様じゃねえよな。言うとおりだ」

 パタンと聖書を閉じて、元の場所へと戻す。

 神様ではない、おそらくは未来から来た自立思考型インフィニット・ストラトス。

 目的はわからないがゆえに、向こうが敵と断定されたわけではない。ただ、自分たちは何を起こすかわからない存在に怯えてばかりはいられないのだ。

「ありがとうな、更識」

「あの……簪、でいいです。お姉ちゃんも更識だし……」

「じゃあ、ありがとう簪。ちょっと頭が冴えてきた。これからもよろしくな」

「は、はい、よろしくお願いします、織斑君」

「一夏、で良いよ。みんなそう呼ぶし」

「え、えーっと、じゃ、じゃあ、一夏君」

「おう。悪いけど箒のこと頼むよ。何か起こるとしたら、あいつが一番、危険だろうしな」

 そう言って、視線を撮影用セット内の箒へと移す。

 さすがプロのカメラマンだけあって、箒と会話をしながらリラックスしたムードを作り出している。箒も箒で、大きく表情を崩すようなことはないが、それでも少しずつ頬が緩み始めていた。

 自然に笑うその顔を見て、あいつは昔から笑うと可愛いんだよな、と内心で苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 取材が終わり、一夏と箒、それに簪の三人はホテルのカフェでテーブルを囲んでいた。今はIS学園までの送迎の車を待っている状態だ。

「とりあえず今日の目的は達成したかな」

 黒い七分丈のTシャツにジーンズという私服に戻り、一夏はホッと安堵のため息を吐いた。

「これで少しでも情報が入れば良いが」

 抹茶ラテを口にしながら、白いカットソーを着た箒が独り言のように呟く。

「まあ、専門誌だけあって、多少は伝手があるとは言ってたからな。少しは期待出来るだろう。一応、無理はしないように念押しもしておいたけどな」

「簪の方はあれから、何か情報は入ったのか?」

 話を振られた簪は手元にある端末を操作し始める。

「えっと……一応、少しだけ足取りが掴めました。四月の初めに……二瀬野君のお父様は大阪の方の政府機関に転職されています。資料整理をしていらっしゃったようです」

「母の方は?」

「同じくついていってますね。ただ、七月のあの事件以降がやはり何にも掴めません。大阪から東京に移動した、と追加情報がありますが」

「東京にまだいるとしたら、まだ距離が近いだけあって、探しやすくはあるな。一夏? どうした?」

 隣に座る一夏が、エレベーターホールの方を見て厳しい表情をしていた。

「あれ、黛さんの後ろ」

「ん?」

「一緒に歩いているように見えたけど、さっきのスタッフの中にはいなかったな。帽子で顔が見えないけど」

 一夏に促された箒が見たのは、先ほどまで自分たちを取材していた黛記者だった。その後ろをテンガロンハットを被った女性がついて歩いている。

「表情が硬いな」

「ああ。さっき一瞬だけ見えたけど、肩にかけたバッグの中から銃を突きつけてた」

「なに!?」

「待て、動くな箒、簪も視線を戻せ、気付かれるな」

「し、しかし」

「おそらくホテルから出れば車が待ってるんだろう。距離を置いて近づこう」

 一夏はアイスコーヒーを一気飲みしてから、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 一夏はホテルのロビーを出て、周囲を見渡す。敷地を囲う垣根の隙間に、目的の二人を見つけて彼は走り出した。

 道路に面した歩道に出たとき、黛記者がちょうど車に乗せられようとしているところだった。

「待て!」

 一気に走り出して、銃を持って脅そうとしていた女に飛びかかる。相手も気づいて銃を向けようとしたとき、簪が土台になりレシーブの要領で勢いをつけ、植木を飛び越えた箒が相手の手首に手刀を落とした。滑り落ちた銃を一夏は遠くへと足で蹴り飛ばす。

 そのとき、車の中から銃を構えた男が出てきて、一夏に突きつけた。

 そこに垣根を迂回して駆けつけた簪が男の手を掴んで、腕を捻り上げて足を払い投げ飛ばす。

「黛さん、ホテルの中へ!」

「あ、ありがとう!」

 人質が駆け出すのを確認して、一夏たちは退散しようとする。相手がこれ以上銃火器を持ち出すようなら、ISの部分展開も辞さないつもりで左腕を前に差し出す。

「誰だ、お前たちは!」

 一夏たちが問いかけるが、作戦に失敗したとわかって、男と女が車に乗り込んだ。

 そして道路を走り出そうとしたとき、プロ野球チームの帽子を深く被った女性が立ち塞がった。

 その女性は無造作に片足を前へ突き出した。

「危ない!」

 箒が思わず叫んだが、その女性は得意げに笑って両脚にISを部分展開する。そこへ車が激突しボンネットが凹んで、車内ではエアバッグが作動する。

 女性はそれを確認した後にすぐさまISを仕舞い、周囲を一瞬窺ってから、ホッと安堵のため息を吐く。

「そこのキミたち、危ない真似を……あれ? 簪ちゃん?」

 Tシャツにキャップを被った

「え……悠美お姉ちゃん?」

 簪が驚いたように目を丸くしていた。

 

 

 

 

 

「織斑一夏です」

「篠ノ之箒です」

「はいはい、織斑君、篠ノ之さんね。私は簪ちゃんの親戚で、沙良色悠美と言います。よろしくね」

 誘拐犯の逃亡を阻んだのは、青いTシャツにデニムのミニスカート履いた可愛らしい大きな目の女性だった。一夏と箒に握手をしてからイスに座る。

 再びホテルのカフェに戻った三人は、窓ガラス越しに事件現場を眺めていた。すぐに駆けつけた警官に悠美と名乗った女性が少し会話をしただけで、一夏たちは解放された。今は黛を悠美が呼んだ仲間が送迎し、彼女を加えた四人でテーブルを囲んでティータイムの続きをしているところだった。

「相手は何者なんですか?」

「もちろん言えるわけないけど」

 透明なカップに入ったコーヒーを飲みながら、悠美は意味ありげに笑った。

「悠美お姉ちゃん……その」

「いいのいいの、大体の事情は理解してるの。でもね、簪ちゃんには危ないことに首を突っ込んで欲しくないっていうか」

「で、でも……その」

「うーん、そうは言うけど」

「わ、私たちは二瀬野君の件で動いてたの」

「なんとなくわかってるよ。友達だったんでしょ、そっちの二人は」

「そ、その……」

 簪がチラリと一夏に視線を送る。

「簪、この人は?」

「う、うん、ちょっと言えませんけど、信用していいと思います……あ、そう、二瀬野君の知り合いで」

「ヨウの?」

 一夏と箒が怪訝な視線を送るが、相手はニコリと微笑んで受け流す。

「ま、仲は良いよ。向こうも悠美さん悠美さんって離さないんだから」

「悠美お姉ちゃん……話、盛ってるでしょ……」

「え? そ、そんなことないよ? 仲良しだよ?」

「そこは疑ってない……大体、二瀬野君は、国津さんがいるし……」

「べ、別に良いじゃない。ちょっといいなって思うぐらい! それに五つも年下なんだよ? お姉さんとしては放っておけないっていうか、うん、そう放っておけないの!」 

 一夏も箒も、簪が楽しそうに話しているのを見て少し驚いていた。その視線に気づいてから、簪は申し訳なさそうに顔をうつむける。

「あ、えっと、ごめんね、こっちで話を進めちゃって……」

「う、うん、ちょっと驚いただけだ、問題ない」

 箒が手を振って誤魔化してはいるが、最近はいつも一緒にいることが多いだけに、内心ではかなり驚いていた。

「悠美お姉ちゃん、その……どうしてここに?」

「うーん、その話は後でじゃダメ?」

「たぶん、私はこの二人に話すと思うけど……」

「そう来たか。簪ちゃんも大人になっちゃったねー」

 悠美が冗談めいた笑いを浮かべて、簪の頭を撫で始めた。

「も、もう、子供扱いしないで……」

「だって、簪ちゃんは可愛い私の妹分だもん」

「お姉ちゃんは?」

「あれはダメ! ノーセンキュー!」

 両腕で大きくバツ印を作る姿に、一夏は思わず吹き出してしまった。荒事に慣れているようだったので少し警戒していた彼だったが、相手と簪の会話で段々と緊張を解き始めていた。

「それで私がなんでここにいたかって話だけど」

 周囲を軽く見ました後、悠美は人差し指で三人の顔をテーブルの上へと招く。

「さっきのはとある組織の連中で、つまるところ二瀬野君をどっかにやった連中の仲間なのよ」

「え!?」

「何だって!?」

 予想外の内容に、一夏と箒が思わず驚きの言葉を上げてしまう。

「しっ、静かに!」

「す、すみません。でも何で?」

「それはこっから吐かせる予定だけど、素直に吐いてくれるまで結構かかると思う」

 そこまで喋って悠美が背もたれに体重を預けると、三人ともがテーブルの上から頭を戻す。そのどれもが深刻そうな表情をしていた。

「ま、言えるのはこれぐらい。私も今日はお家の事情で動いてるから、簪ちゃんに喋ったけど」

「ご、ごめんね、悠美お姉ちゃん……」

「いいのいいの。簪ちゃんのためだし。そっちも些細なことでもいいから、教えてね」

 笑いながら手を振り、深く帽子を被って悠美が去って行く。

「はー……綺麗な人だったな」

 一夏が何の悪意もなく賞賛のため息を吐く。相手の容姿は彼が見た中でもかなり上位に位置する。しかも愛嬌まであるタイプは、彼の周囲にいる年上の中では珍しい。何せ他の身近な年上は、ドイツの鬼少尉だったり、元世界一のISパイロットだったりするからだ。

「当たり前です……あれでも、一応、アイドルしてますから……」

「アイドル!? 有名人だったんだ。サインもらっときゃ良かったかな。帽子を被ってたのはそのせいか。でも結構、無茶苦茶するなあ。一瞬だけどIS展開して車をぶっ潰すとか」

「余裕ぶってるけど……たぶん、余裕ないのかも……」

「え?」

「かなり……焦ってる気がします。普段は、絶対にああいう無茶しないし……アイドル業に支障があることはやりたがらないし……」

「やっぱりヨウのことが絡んでるんだな。よし、俺たちも戻るか」

 一夏はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。

「やらないといけないことは沢山あるわけだしな」

 

 

 

 

 

 IS学園から離れ、更識楯無は皇居の近くに古くから存在する高級料亭の一室に来ていた。

 夜の帳に包まれた、入口からかなり奥まった場所にある書院造の茶室は、遥か江戸時代の頃から富裕層たちが内緒話をするときに使っていた場所だ。年季の入った床柱が黒い光沢を放っている。

 楯無自身も場所に合わせてか、今日は紋付の訪問着を着ていた。

「失礼いたします」

 仲居が障子を開け、続いて入ってきた人物は、同じ日本の旧家出身の四十院神楽だった。彼女もまた楯無と同じような和装だ。

「お久しぶり、神楽ちゃん」

「お久しぶりです、楯無さん」

 障子が閉められ、仲居が去って行ったのを確認すると、神楽が深く頭を下げる。

「この度はお招きいただき、誠にありがとう存じます」

「いえいえ、招待を受けていただいて、ありがとね。それで早速だけど、あの件」

「……二瀬野鷹さんの件ですね」

 神楽がゆっくりと頭を上げる。その顔には沈痛な面持ちがありありと浮かんでいた。

「そんな顔してちゃ、見つかるものも見つからないわよ。でも驚いたわ。IS関連で四十院と更識に日本政府がケンカを売ってくる度胸があるなんて」

「やはり父の独断が効いたのかもしれません。当家でも、やり玉に挙がっています。その混乱の隙を突かれた形でした」

「そんなところかー……やっぱり海自の艦隊派の流れを組んだ連中なの?」

「ええ、そこは掴んでいます。おそらくドイツから来た妙な研究チームと組んでいるのだと思いますが」

「ドイツ? ……ああ、遺伝子なんとか研究所とかいう」

「はい。その全容がまだ掴めていませんが、おそらく亡国機業とは無関係の者でしょう。むしろ規模が小さいがゆえに掴めていないというのが正しいかと」

「なるほどね。どこにも属してない小物だったから盲点だったと。でも、それだけわかれば、すぐにどうにか出来るかな」

「はい。あとはその……ヨウさんのご両親のことです」

「やっぱり、あの子が従ってる理由ってそれよね。これに関しちゃ日本政府もかなり意固地っていうか」

「ある意味、最終兵器ですから、ヨウさんのご両親は」

「だよね……逆に言えば、ご両親を人質に取られたら何も出来ないぐらいの良い子を、何で恐れてるっていうのか」

 手元に持っていた扇子を開いて口元を隠す。そこには信頼、と大きく書かれていた。

「ええ、おっしゃる通りです」

「さ、もう少し詳しい話に入る前に、美味しいお茶菓子を用意してるの。いただきましょう」

「ありがとう存じます」

 入口から見て奥、作法で言うところの亭主側に座る楯無が、淀みない動きで茶道具に触れようとしたとき、

「……え」

 と小さく呟いて手を止めた。

「楯無さん? どうかされましたか?」

「まさか、こんなところでIS反応!? 失礼するわね」

「こちらも失礼します!」

 二人は手元に置いていた巾着から携帯電話を取り出して、それぞれコールを始める。

「もしもし、どういうこと!? まさかこの上空を通るなんて、正気なの! いったいどこの所属!?」 

 この上空というのは、皇居上空という意味だ。日本ではいくつかの飛行禁止区域があるが、今、楯無たちがいる場所はそのうちの一つに近い場所だ。さらに言えば市街地でもあり、よほどの緊急事態以外では、ISの展開など許される場所ではない。

「私です、はい……え? IS学園の方向から!?」

 神楽が驚いて楯無の方を見る。楯無は舌打ちをした。

「うちから出てるらしいわよ、虚ちゃん! 早急に全ISの位置を確認、そう、機動風紀のもよ! 難しくてもやって、お願い!」

「形状データは……未確認飛行物体……どういうことですか! データ転送お願いします。それと防衛庁に問い合わせを、極東にもお願いします」

「機動風紀は知らないって? 三十機とも確認できたの? あの早乙女とかいう先輩は!? はぁ!? いない? わかった、でも三十機全機が学園内にいるのね。ありがとう、何かあったらまた連絡ちょうだい、ごめんね」

「確認できたデータをこちらに送ってください。楯無さんがいらっしゃいますので、見てもらい……緊急事態ですので、四十院の名を使ってください、お願いします」

 二人ともがほぼ同じタイミングで電話を切り、顔を見合わせる。

「ったく何なのよ! どこのバカがそんな無茶を!」

「全くです……機動風紀というと噂の」

「そう、新理事長直下部隊」

「あ、データ来ました。観測された形状データだけのようですが」

「ありがと、見せて」

 神楽が携帯電話の画面を見せる。そこには3D化された物体が映っていた。

「飛行機? 全長は?」

 楯無が不可解と言わんばかりの表情で眉をしかめる。

「三メートル強という推測です。どう見ても無人偵察機みたいな形状ですが……これはおそらく、数日前に海上ラボの上を飛んでいた機体ですね」

「無人機か……確かにこの形状じゃ人が入る隙間はないわね」

「はい。胴体が入る場所がありませんし、頭の大きさも無理です。もっとも、ところどころが類推データでしかないので、これが正確な形状というわけではありませんが」

「了解したわ。申し訳ないけれど、お茶菓子はまた今度の機会に」

「わかりました。では失礼いたします」

 古式ゆかしき和装をした二人は、作法もなく障子を開けて歩き出した。

「しっかし、神楽ちゃんの言う通りなら、これで二度目ということよね」

「はい」

「無人機と仮定して、何を探して……考えるまでもないか。二瀬野君ね」

「だと思いますが……しかしだとしたら、何故、今まで何もせずに」

「完全にただの妄想みたいなものだけど」

「はい」

「弱ってたんじゃないかしら」

「え?」

「あれが本当に未来から来たという存在なら、時間を超えるのにそれなりにエネルギーを使った。箒ちゃんのつけてる紅椿についてるワンオフアビリティ。エネルギーを吸い取るらしいのよね」

 パタンと音を立てて扇子を畳み、自分の推測を検証するように言葉を続ける。

「そんなことが可能なのでしょうか」

「わからないわ。ただ、エネルギーを欲しがってる。でもそれならIS学園の設備で充分だと思っていたのだけど」

「……銀の福音に拘った理由があると」

「そう。おそらく『彼女』にとって銀の福音に拘った理由は、それだと思うの。一年生を操ったような機体を使ってでも、銀の福音を手にしたかった」

「なるほど。『彼女』にとってのエネルギーの質みたいなものが、銀の福音の方が効率が良かったと。ですが、報告では篠ノ之さんの紅椿に吸い取らせようとしたはず」

「バイパスが繋がってるとかは?」

「エネルギーバイパスが、ということでしょうか。それは物理接触をしなくとも? 不可能ではないでしょうか」

「もちろん私たちには不可能だけどね。でも私が箒ちゃんから紅椿を取り上げない理由は、もちろん何かあったときのために専用機を持っていた方が良いっていうのもあるんだけど、それより紅椿を分析することで、未来から来た『彼女』のことを知ることが出来るっていうのがあるのよね」

「確かに……現状としては篠ノ之束博士と認識されている『彼女』には、誰も手だしが出来ない。そもそも手出しをしても勝てるかどうかわからない」

「ジリ貧だけどね。でも、わざわざ紅椿に吸い取らせようとしたっていうのは意味があると思うの。それに本当に『彼女』が無敵というなら、あそこで本人が出ていけば良かったわけだし」

「それで『彼女』は邪魔なヨウさんを排除したがっていた。ただ、弱っている状態では見つけることさえ出来なかったという予測ですか」

「何にしても、妄想と希望的観測が入り混じってるんだけどね」

「希望的……どこに希望的観測が」

「あるじゃない」

「え?」

「少なくとも『彼女』が恐れる存在が、この世にいるってことよ」

 更識楯無はそう言って、悪戯っぽくウインクをした。

 

 

 

 

 

 IS学園の最深部、以前はブリュンヒルデの専用機が置いてあった場所に、それはいた。

 世間ではIS学園の新理事長と呼ばれている個体であり、正体は紅椿というISが自立思考機能を得た物である。ただし現在はカムフラージュとして、篠ノ之束という女性の姿を模しており、その姿を偽物と判別できる人間は数人程度だろう。

 彼女は空中で膝を抱えて、ゆっくりと地球の自転のように回っていた。

 周囲を囲うホログラムウィンドウが一つだけ赤くアラートを鳴らす。彼女は片目だけを開けて、すぐに閉じた。

 同時に新しいウィンドウが浮き上がってくる。

 地球上のすべての情報網の一つから得た、一つの動画が映し出されていた。彼女自体が優れた量子コンピュータでもあるので、これぐらいは指先を動かすよりも些細なことであった。

 その中では、一人の少年がベッドに眠っていた。彼には左腕と膝から先がない。

 そしてその隣には、小さな少女が少年に抱きつくようにして眠っていた。

 自立思考型ISは、篠ノ之束の姿で、ほんの少しだけ舌打ちをした。

 

 

 

 

 

「少佐、お待たせいたしました」

 都内にある防音のカラオケボックスの一室に、赤い髪の少女が入ってくる。先に入っていた客は長い銀髪に眼帯をした少女だ。

「急に呼び出して悪かったな」

「いえ」

 極東試験IS部隊のリア・エルメラインヒとラウラ・ボーデヴィッヒは密会をしていた。二人とも私服姿ではあるが、顔に浮かんでいる表情は軍人そのものだ。

 元々は二人ともドイツでの同じ部隊員だが、この日本では所属が全く正反対という厄介な立場にある。迂闊に連絡を取ることも出来ないので、目立たない場所での密会を選んだのだ。

「ここは大丈夫なのか?」

「はい。ここはセキュリティが緩く、また防犯カメラも単なるダミーです。映像は残りません。確認しました」

「わかった。では頼む」

「ヤー」

 赤髪の少女リアが手に持った端末をテーブルに置き、ホログラムウインドウを表示させる。そこには、遠くドイツにいるラウラの副官クラリッサ・ハルフォーフが映っていた。

『ボーデヴィッヒ少佐、お手数をおかけしました』

 リアは部下ということで敬礼をし、ラウラは上官なので腕を組んでままだ。

「挨拶は省く。何かわかったか」

『やはり遺伝子強化試験体研究所の残党で間違いありません。潜伏している場所までは突きとめました。まあ多少、強引な手を使いましたが」

「手段に関しては不問とする。責任は私が」

『ありがとうございます。残党はおそらく、少佐もご存じのあの女かと』

「……躾係どもか。相変わらずか、あのキツネどもめ」

 不機嫌さを隠そうともせずにラウラが大きな舌打ちをした。だがすぐに真顔に戻り、

「リアからの報告は?」

 と隣の部下へと振る。

「はい。二瀬野鷹の両親の居場所は未だ不明です。ただわかったことが一つ。異常にガードが堅い情報だ、ということです」

「ほう?」

「篠ノ之姉妹の両親より数段高いセキュリティの場所にあるようです」

 隣に座る赤毛の部下の報告を聞き、ラウラが形の良い口元に手を当てて考え込む。

「……どういうことだ。二件とも同様の日本政府によるVIP保護プログラムのはずだ」

「ヨウ……いえ、二瀬野の方はおそらく、日本政府での現状における最高機密に値すると思われます。日本の首相の女性遍歴など足元にも及びません」

「絶対にわかってはいけない秘密、か。それほど重要視しているのか、二瀬野を」

「……彼は、その」

「いやいい。どのみち、二瀬野の親を探さなければ話は進まん。それゆえにISを外すことが出来ない男が従ってるのだからな。クラリッサ」

『はっ』

「親の亡命の方は?」

『そちらは残念ながら、ドイツ政府での受け入れは不可能とのことです。ただ、なぜか米国が引き受ける算段をしているようです。二瀬野鷹の事情を鑑みて、青少年の正常な発達を妨げる可能性があるので、本人も同時に米国へと」

「ふん、歴史の浅い国は欲深いな」

『彼の国は欲深さを秩序の維持にすり替えて世界に君臨しているつもりですから』

 鼻で笑うようなラウラのジョークを、クラリッサも同意を現す。

「おそらくですが少佐、中尉」

 ラウラの横に姿勢を正して座っていたリアが口を挟む。

「どうした?」

「最近、FEFISに来たナターシャ・ファイルスはそれもあって日本に来たのでしょう」

「銀の福音のパイロットか。確か二瀬野とは面識があるんだったな」

「……おそらく、面識があるゆえにアイツはあんなことを仕出かしたのだと思われます」

 申し訳なさそうに視線を逸らす。あんなこと、というのは、暴走した銀の福音捕獲作戦に横やりを入れて、かっさらっていった件だ。

 ラウラはゆっくりと首を横に振りながら、

「その件はもういい」

 と優しい声で返答した。

「ですが……」

「アイツも言っていたが、我々もアイツも立場が違いそれで戦ったのだ。終われば気にする必要がない。そういうものだな、クラリッサ」

『はっ、おっしゃる通りです』

「それでなくとも、私は二瀬野鷹の親に会わなければならない。個人的事情だがな」

『……了解いたしました。こちらも微力を尽くします』

「あまり無理はしなくともいい。本国の状況はどうだ?」

『未だに揺れていますね。下院の選挙が近いせいか、IS学園関連にどう対処するかも焦点に入ってきています』

「軍縮軍縮と言っても、風が一つ吹けばひっくり返るか」

『議員とはそういうものです』

「了解だ。では通信を終わる」

『ご武運を』

 三人が敬礼をしてから、通信を終わる。

「すまんな、スパイのようなことをさせて」

「い、いえ……」

「出来ればお前の事情も片付けてやりたいのだが、後回しになって申し訳ない」

 リアにはラウラが曖昧な言い回しで何を言おうとしているか、すぐに察することが出来た。

「少佐……それは、私の」

「いやいい。部下の事情を把握できなかった私のミスだ。ただ」

「はい」

「意外にお前の立ち位置が重要になってくるかもしれない」

 リアの立ち位置というのは、ドイツから出向しているが、実は個人的事情により亡国機業に協力を強いられていることだ。

 ラウラとしては早くどうにかしてやりたいのだが、現状は他にも優先する事項が増えてきている。それに加えて、全容の掴めない非合法組織である亡国機業に参加しているというアドバンテージは、かなり捨てがたい。

 もっとも、それはラウラがリアを全面的に信用しているがゆえに、彼女を切り捨てるとが出来ないという理由の方が大きいのだが。

「それは……ただ、少佐」

「何だ?」

「これだけは言えます。私はどこにいようとも、黒兎隊の一員であることを忘れたことはありません」

 年下の上官に対し、真っ直ぐと敬意を向けて断言をした。その眼差しを受けて少し驚いたあと、

「これからもよろしく頼む、リア」

 とラウラは優しく微笑みを向けた。

 

 

 

 

 織斑一夏は送迎の車から外を見ていると、人ごみの中に目立つ人影を発見した。あれで紛れているつもりなのかと一夏は頭を抱える。

「すみません、止めてください」

「どうかされましたか?」

 運転手がブレーキを踏みながら問いかけてくるので、一夏は窓の外を指さして、

「いえ、クラスメイトがいたので、ついでだから一緒に帰ろうかと」

 と告げる。

 助手席に座っていた簪が運転手が頷きあう。

「あ、構いません……すぐに戻ってきてください」

「悪いな。ラウラがいたからさ」

 謝りながらドアを開け、外にいたラウラの元へと走る。

「ラウラ!」

「一夏?」

「お前も出てたのか。一緒に帰らないか? 車なんだ」

「了解だ。助かる。公共機関では門限に間に合うか怪しいところだったからな」

 二人は連れ立って歩道から車へと戻り、後部座席のドアを開けた。

「箒に更識もいたのか」

「ああ」

「こ、こんにちは」

 二人と軽い挨拶を交わし、ラウラも黒塗りの車へと乗り込む。

「ラウラは何をしてたんだ?」

 走り出してから、隣に座った小柄な少女へと問いかけた。ちなみに後部座席が箒、ラウラ、一夏の順番になり、箒が納得いってない顔を浮かべている。

「ああ、少しな。気になる情報を手に入れた」

「ん? 情報?」

「二瀬野の親の居場所だ。かなりガードが堅い情報らしい。この国の最高機密レベルだ」

「はぁ?」

 一夏と箒がラウラの言葉に驚きの声を上げた。

「最高機密って、いや確かに重要かもしれないけど。な、なあ箒、箒の場合は手紙のやり取りぐらいは出来るんだよな」

「あ、ああ。政府のエージェント経由だが、出来るぞ」

「VIP保護プログラムって言っても、誰もアクセス出来ない情報だと逆に困るんじゃないか? 権限さえあればわかる状態じゃないと、いざというときにヨウのオジサンやオバサンを保護出来ないじゃないか」

 思わず少し食ってかかるように、一夏はラウラへ詰め寄る。

「私に言うな。正直、私の認識も一夏と同じレベルだった。だが、相当に堅いガードだということがわかった。正直、外国人の私では手が出ない」

「なんてこった……じゃあ、つまりオレたちじゃ見つけられないってことかよ!」

「そうと決まったわけではない。焦るな」

「あ、焦るに決まってるだろ!」

「だから落ち着け。私たちではダメな情報でも、何とかなる人材がいるかもしれないだろう!」

 声が荒ぶり始める一夏に対し、ラウラが先にボリュームを上げて押さえつける。

「……悪い、そうだな」

「もちろん、状況が良くないのもわかっている。おそらく二瀬野は、躾係のところだ」

「躾係?」

「そういう役を担当してたサディストがいたのだ。私は嫌いだった」

 吐き捨てるように言って、ラウラは目を閉じて黙り込む。

 サディスト、という言葉だけで一夏は何となく察した。

 ある程度は理不尽な暴力も知っている軍隊育ちのラウラが、サディストと表現するのだから、相当なヤツらなのかもしれない。

 そんなところに抵抗出来ないどころか、片腕と両脚がない友人が連れ込まれて、『躾』と形容されることをされている。

 ……早くしなければ。

 車内が沈黙し、誰も喋らなくなった。エンジン音の低い唸りだけが響く。

「……ふと思ったのだが」

 その静寂を破ったのは、それまでほとんど喋らずにいた箒だった。

「どうした?」

「いや、一歩進んだVIP保護プログラムというのは、私の担当のエージェントとは違うんだろうか」

「どうだろうな……正直、その内容にまでは詳しくない」

 その質問に一夏が答えあぐねていると、簪が後部座席へと顔を出し、自信なさげに口を開き始める。

「た、たぶんですけど、違うと思います……さっきのラウラさんの情報、えっとそれから考えると、機密レベルが上がっている、ということなら、担当している部署も変わっている可能性が高い……と、思います」

「そうか、ならば役に立てないな、すまない。私が聞いてみて、エージェントが口を開くとは思えない。悪かった」

「い、いえ……」

 再び沈黙が訪れようとしたとき、今度はラウラが、

「引き継ぎはどうなっている? エージェント同士でおそらく引き継ぎはするはずだ。違う部署といえど」

 と助手席に向けて問いかける。

「そ、そうですね、それは……。あ、VIP保護プログラム……そ、そっか」

「どうした?」

「機密レベルが高い要人警護……お姉ちゃんなら何か知ってるかも……れ、連絡してみます……あ、丁度かかってきました、もしもし」

 簪が通話する内容を、全員が黙って耳を立てる。

「う、うん、なるほど、えっと、機密情報レベルはわかってる……VIP保護プログラムは、あ、待って。すみません、箒さん」

「なんだ?」

「担当の方のお名前、偽名だと思いますけど……教えてください」

「伊達だ」

「伊達……わかりました。お姉ちゃん、ダテ……うん、なるほど、あ、ありがとう」

 端末に触れて通話を切った簪が、助手席から身を乗り出して、

「少しだけ近づいたかもしれません……後はたぶん、時間の……問題」

「そ、そうか! ありがとう、簪!」

「い、いえ。ラウラさんと箒さんのおかげで、絞れました……。伊達は内閣情報室の外郭団体が使うことが多い偽名で、あと機密レベルで扱える組織も変わってくるので、その繋がりで色々と絞れそうです。的さえわかれば、後は撃つだけ……」

 素直な二人による感謝に、少し恥ずかしそうに早口でまくし立てて、簪は助手席へと引っ込む。

「よし」

 これでだいぶ近づいた。後は少しでも早く情報が手に入ることを祈るだけだ。

 確かな感触を感じ、一夏はグッと力強く拳を握った。

 

 

 

 

 

 



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27、エレクトロワールド2

 

 

 さあ、勉強の時間だと言われて連れていかれたのは、ミーティングルームのような場所だった。ホログラムウィンドウが流行り始めた昨今だが、ここは白いスクリーンとプロジェクターを使っているようだ。

 ドクターが車椅子を押し、オレをスクリーンの前に配置する。そして部屋に待機していた痩せぎすの中年男がプレゼンテーションし始める。

「現状としては、IS学園側と国際IS委員会直下の実行組織であるアラスカ条約機構は、微妙なバランスの元に立っている」

 頬杖をついて、オレはその話に聞き入っていた。ドクターの言っていた通り、オレは世間の情報から断絶されていた。知っているのは四十院所長と岸原一佐、それに国津博士がIS学園に入ったことと、あの偽物がIS学園の新理事長になったところまでだ。極東IS試験部隊がどうなったとか、そういうことまでは知り得ていない。

「元々はアラスカ条約に深く入り込んでいた四十院総司が、IS学園の方をコントロールする予定だった。だが、篠ノ之束が勝手にISコアを増産し、あまつさえ学園の生徒を動員し、機動風紀委員会という自分直下の武装組織まで作った。これは由々しき事態である」

 刺々しい言葉の端々から考えるに、バイアスがかかり過ぎて主観に欠けた情報のような気もする。これは鵜呑みにしてはダメだな。参考にしかならないタイプだ。

「これによりアラスカ条約機構は四十院総司に、増産されたISコアを引き渡すように打診。だが、その返答は三日経った今でも無しだ。これによりアラスカ条約機構は以前より推し進めていたIS学園接収に向けて、極東飛行試験IS部隊、通称FEFISの軍備拡大をさらに推し進めている」

 そんな通称が出来たんだ。FEFIS、Far East Flight proving IS-Sectionだったっけ。まあオレがいた頃は分隊(Section)だったしな。

 しかし、やっぱりあの部隊はIS学園を飲みこむつもりで作ってたってわけか。ってことは、一年の半分が訓練校に行ったのは、予定通りってことだな。

「すでに四個小隊の設立をアラスカは承認していたが、これをさらに倍の八個小隊へと増やし、基地司令として米国からグレイズマン少将を派遣、また各国のIS関連の有能な人材を引き抜き、増員を図っている。またこれに伴い呼称も極東IS飛行連隊へと変更の予定だ」

 確かISの小隊は航空機と一緒だったから、4機から6機か。二機しかない黒兎隊も実質は分隊か班扱いだっけ。IS小隊なんて大きな国でも一個か二個しかないし。あとはそれに小隊に伴う整備・支援要員の数がそれなりに必要って感じか。

 しかし地方連隊ってIS史上で初じゃないのか。作戦規模としてはメテオブレイカーと同等ぐらいになるはずだ。

 もし戦うとしたら問題は、それでもIS学園側の方がISの数が多いことだ。

 錬度はおそらく連隊が上、兵装は学園側か。

「然るに、我々もこれに参集すべく準備を計っている。二瀬野鷹」

「はい」

「キミもいずれ、これに加わってもらう」

「自分はIS乗りになって半年足らずですが」

「もちろん前線で戦ってもらうことはない。ただその特異性を持って箔をつけるだけだ。IS学園側にはもう一人の男がいるが、そちらを重要視する声も少なくはないからな」

 要するに一夏に対する当て馬ってだけか。

 しかし、何かわかった。こいつらは乗り遅れだ。参集すべくってのはそういう意味だと思う。世情に乗り遅れたヤツらがオレとエスツーを印籠代わりに割り込もうってことか。

 だとすると、元々は大した組織じゃないけど、日本政府がバックアップしていて、アラスカは関与してないってことか?

 厄介だけど、エスツーを逃す場所はありそうだ。

 親が人質になっているオレが一緒に出て行くことは出来ない。誰か信用できる人物に預けたいところだけど……誰がいる? 順当に行けば千冬さんか。一人治外法権みたいなもんだしな、あの人。

 あと気になるのは、こいつらもそうだけど、アラスカ側はIS学園側と事を構えるつもりなのか? 四十院所長が裏切ったってことか……? まあISコアを無制限に増産できるところに居れば、増長する気もわかるけどな……よく目的が見えてこない。もっと上手く立ち回れそうな気がするんだが。

 考えても仕方ない。

 オレがやらなければならないことは、エスツーをもっとマトモな場所に逃がすことだ。

 あれだけ賢くて優しい子なんだ。きっと大事にしてくれる人だっているはずだ。

 オレは両親が人質になっている間は、こいつらの手から逃げることは難しそうだ。だけど先行してエスツーだけを逃がすことだって出来る。

 問題はリスクだな。オレがやったとバレたときが恐ろしい。

 どうすればいいのか。

 今度こそは、何も間違わずに人を助ける。

 そう決意したとき、部屋の後ろのドアが開く。講師役の男が敬礼をした。

 ……あの敬礼、海の軍隊ってことか? 腕を折りたたむやり方は、狭い艦内を想定してとかだったはず。ってことはやっぱりISを持ってない出遅れってことか。日本人って仮定するなら、陸海空で唯一ISが無いのは、海上だった記憶がある。

 そんなオレの情報整理が、カツカツという乾いた音で中断された。入口の方へ首を回すと、三人ぐらいの巨漢を連れた一人の老人が入ってきていた。背筋は曲がっていて、杖を突いて歩く姿が年齢を感じさせた。

 ゆっくりとオレに近づき、

「これが新しい遺伝子検体か」

 と意味ありげに白い髭を撫でながら、しげしげとオレを観察し始める。

「はじめまして、二瀬野鷹です。こういう体なので立ち上がらずに失礼いたします」

 ここでは礼儀正しくするに越したことはない。何かあったらすぐに殴られるわ蹴られるわの暴行三昧だってのは、身をもって知っている。

「ほう、教育が行き届いているようだな。さすがだ」

 ジジイは部屋の後ろで黙って見ていたドクターの方を見て、目を細めて褒め称える。

「クライアントの言うとおりに行っております。まだまだ七割といったところでしょうか。ここからは少し時間がかかります」

「結構、だがなるべく時間はかけないでくれたまえよ」

「はい」

「今からの予定は?」

「引き続き長い間、世間と断絶されていたので、その情報を与えているところです」

「大丈夫なのかね」

「戦争が始まるのです。閣下もコレを遊ばせておくために手に入れたわけではありますまい?」

 ドクターがニヤリと邪悪に笑えば、閣下と呼ばれたジジイも同様の笑みで答える。

「当たり前だ。我々はこの状況を打破せねばならん」

「まあ確かに世界に二人といない男性操縦者のうち一人を手に入れ、言うとおりに動かせれば時代は変わるでしょう。それでなくとも、コレは特殊です」

「うむ、では頼むぞ。それと、お主もな」

 タバコ臭い手でオレの頭を撫でた。まるで高価なツボでも愛でるような手つきだ。

「状況がわかりませんが、従えということなら従います」

「物わかりが良くて結構。なに、悪いようにはせん。我々の手元におるならな」

 そう言って、ジジイがカンに触る高笑いを上げた。 

 

 

 

 

 エスツーがISを組み上げていた部屋に連れていかれ、雑多な機械のど真ん中に空いたスペースに立っていた。どうにも機器が系統立っていない。四十院なんかだとかなり整理されていてるんだが、ここはもう思うがままに積まれている状態だ。言うなればハードな機械オタクの密室みたいな感じになっている。

 ……ひょっとしてこの子は整理整頓が苦手なんだろうか。

 そんなオレの推測をよそに、足元にあった部品を蹴散らしながら、エスツーが彼女には足が長すぎるスツールに腰掛ける。

「ISを出して」

「IS?」

「チェックする」

「整備か……これ、結構特殊なんだけどな」

 チラリと前面ガラスになった廊下側に視線を送る。ドクターとさっきのジジイに護衛と思しき数人の男が立っていた。ドクターが顎で指し示すのを確認し、オレはISを展開した。ジジイが感嘆したように口を開けている。ホント、自分の骨董品コレクションとかそういうのを見る目つきだよな。

 エスツーが少し高いイスに座ると、空中から立方体のキーボードが降りてくる。

「接続」

「了解だ」

 腰のコネクタボックスへ、天井からぶら下がったケーブルを接続していく。全ての接続が終わる前に、エスツーの前にホログラムウィンドウがいくつも浮いては消えていった。

 ボーっと立ったまま、目の前の少女の動きに見惚れる。国津博士やママ博士なんかは普通のメカニカルキーボードの愛用者で、たまに投射式キーボードを使ったりはするが、この少女のようにカスタムされた立体キーボードを使ったりはしない。ゆえに間近で見るその動きは新鮮だった。よく見ればキーボードを叩くたびにキーの配置が変わっている。次に叩くキーが効率的な形で配置され、それが打鍵するたびに行われるようだ。

「まだ球体は無理」

「球体?」

「本来は球体にするのが理想」

「ああ、キーボードの話か。どうだ? ディアブロは」

「変」

「だろうな」

「イメージインターフェースがない」

「ああ、ルート2っていうワンオフアビリティが代わりをしてるらしい」

「メンテナンスに時間がかかる」

「了解。気長に待つさ」

 久しぶりの全身展開なので、細かく羽根を動かしてみたりする。違和感はない。いたってオレの体そのものと区別がつかない。肉体としては無くなった腕と足も、IS装着状態なら以前と変わらないように動かせる。それこそISがオレの体であるとでも言うようにだ。

「……完成に近いようで、完成していない機体」

「あん?」

「違う。そもそもインフィニット・ストラトスというマルチフォームスーツは、完成に至っていない」

「どういうこった? 天才過ぎて何言ってるかわかんねえぞ」

「宇宙でも活動できるマルチフォームスーツという目的は完成している」

「まあ実際に宇宙に羽ばたいてる機体もあるわけだしな」

「ただし、これでは意味がない。何故なら」

「うん?」

「遠くまで飛べない」

 その言葉にオレは眉間をしかめた。

「遠くまでっていうのは?」

「地球数周の距離程度を飛んでも仕方ない。宇宙は広大。コアネットワークもある」

「なるほどな。コアネットワークによる位置把握は、どこにいてもお互いの居場所を掴めるらしいからな」

「これが根拠。まだインフィニット・ストラトスは想定された機能に達していない。つまり」

「完成していないってことか」

 さすがとしか言いようがなかった。わずか十歳にも満たない子供が達する結論じゃない。オレでさえ、十歳のときは専門書籍にかじりつくのが精いっぱいだった。

 こいつはやっぱり、あのババアどもが言うような存在なんだな。

「現状として、辛うじて完成に近い機体は、紅椿と白式のみ」

「紅椿……はわかる。エネルギー総量がワンオフアビリティで桁違いの効率を発揮するからな。だけど白式は何でだ? ありゃ相当に燃費が悪い機体だぞ」

「違う。それは生かし切れていないだけ」

「そりゃ……何となくわかる」

 ごめんよ織斑君。オレが言ったんじゃねえからな?

「この子もかなり完成に近い機体。エネルギー効率が……およそ通常の機体の50倍以上。それでも」

「遠くまで、というには至っていないってことか。だったら尚更、白式はどうしてだ?」

「壁を超える者」

「どういう意味だ?」

「現状の世界で唯一、壁を超えることが出来る機体。推測」

「推測?」

「私は篠ノ之束じゃない。なので推測」

「……そうだな。お前はお前だ」

 その小さな言葉に、この子なりのプライドを感じた気がする。オレなんかより、よっぽどしっかりしてるぜ。

「推測。ISの本来の最終到達点は、多次元戦闘機インフィニット・ストラトス。これが究極」

 聞き慣れない単語にオレが戸惑っていると、今までずっと動いていた指を止めて、エスツーがオレの目を見つめる。

「ストラトスの語源はラテン語の『広がり』。つまり無限の成層圏という皮肉ではなく」

「どこまでも続いて行く者ってことか?」

「正解」

「どこまでもってのは、この次元だけじゃなくってことか」

「そう、長さも幅も高さも、そして時間さえ超えて広がり続いていく者。ヨウには意味がわかっているはず」

 すがるような視線だった。お前だけは同類なのだから、と言われている気がする。だからオレは、

「ああ、わかるよ」

 と短く同意した。

 広大な宇宙を効率的に進むには、距離を縮めるか時間を操るかの二つしかない。光ですら数万年以上かかる距離にも星はあるのだ。つまり三次元に生きているオレたちでは辿りつけない場所がある。

「すべては推測。どうせあと200年は完成しない」

 そこまで喋ってから、少女の目が眼前のウィンドウへと戻り、ピアノを叩くような打鍵が再開される。

「わかってるよ。お前は篠ノ之束じゃない」

 オレに言えるのは、こんなセリフしかない。

「覚えておいて」

「ん?」

「私はここに生きていた」

 少女が言ったセリフは、IS学園に来たころのオレがよく思ってた言葉だ。

 だが、思わず小さく吹き出してしまう。

「なぜ過去形」

「間違えている? 普段は思考を言語化しないから」

 少女が口を尖らせて非難の目をオレへと向けた。

 先ほどまで淡々と喋っていた天才の顔はそこになく、いつもの無口だが年相応の少女の顔だ。

「ああ、そうだな」

 ISの足を動かして、右手の装甲を解除する。そしてそっと、広大な宇宙にも続く少女の頭を撫でる。途端にネコのように目を細めて気持ち良さそうな顔をし始めた。

「オレたちは生きてるよ、ここに。こっからはずっと一緒だ」

「……ヨウは優しい」

「そうだな。優しくしてもらえるのは、嬉しいことだよな。世の中が、そうなれば良いのにな」

 そんなことが理想だってのはわかってる。

 さっき聞いたありがたい勉強の内容だけでも、世界が戦争へと向かっているのがわかった。

 誰が用意した舞台かはわからないが、あとは何かのトリガーさえあれば戦いは始まってしまうだろう。

 オレがここから離れられない。だから、この少女だけはせめて、誰にも届かない場所で幸せになって欲しい。そう思うのはオレの我が儘なんだろうか。

 振り返れば、我が儘ばかりの人生だ。

 でもそれが二瀬野鷹の生きてきた道だ。恥じることも悔いることも沢山あって、取り返しのつかないことだらけだ。戦争が起きるとしたら、オレだってその遠因を作った一人だろう。

 両親だって人質扱いで、自由に羽ばたくことが出来ないなら、せめてこの少女を青い鳥となる。

 決意というにはあやふやで、過去を取り戻すことにはちっともならないが、そんな小さな祈りぐらいは許してくれないか。

 なあ、神様。

 

 

 

 

 

 風の強い夜だ。鉄格子の向こうにある窓がガタガタと揺れていた。

 隣を見れば、エスツーが抱きつくようにして、スヤスヤと眠っている。意識はないのに、オレの検査着をしっかりと掴んでいるところが可愛らしいもんだ。

 コンコンとノックの音がした。

 この遺伝子強化試験体研究所で、オレが心を許しているのは隣で眠る少女だけだ。あとは面倒事しかない。

 ゆえに寝た振りがベストだ。

「おや、寝てるのかい。いや起きてるだろ、M1」

 入ってきたのは、サディストのババアことドクターだ。

 オレがベッドに倒れたまま沈黙していると、

「聞いてなくてもいいがね。エスツーに関する重要な情報があるよ」

 と鼻で笑う。

 この少女に関する情報というなら、起きないわけにはいかない。エスツーを起こさないように上体を起こし、逆行で顔の見えないドクターを見据える。

「起きてるじゃないか。随分と仲良くなったようだね。逃がそうとか思うんじゃないよエスツーを」

「そんなことしねえよ」

「残念ながら、人質は二体いるんだ。逃がせば一体、お前が怪しい行動をすれば一体。そういう風に出来てるんだ」

「……人の親をそういう風に数えんじゃねえよ」

「日本語は数字がややこしいから面倒だよねえ。アイン・ツヴァインじゃダメなのかい」

「何でもワンツーで済ますのが便利だとは思わねえな。用件はそれだけなら、了解だ」

 それだけ告げて、オレは再びベッドに寝転ぶ。その様子を気に食わなそうに舌打ちをしてから、ドクターが去って行く。

 ……なんで舌打ちしたんだ、今のは。更年期障害か。まあいい。

 問題は先手を打ってきたってことか。

「ヨ……ウ」

 幼い声に気付いて、隣を見つめる。ただの寝言のようだ。

「なんか名前とかあると良いよな、きっと」

 外へ出れば呼び名に困る。S2なんて人間の名前じゃない。いっそ名前を考えてやるといいかもしれないな。

 そっと頭を撫でてから、オレは目を閉じようとした。

 その瞬間に、小さな窓の外が光る。

「なんだ?」

 立ち上がろうとしたときにようやく判別できた音で寒気がした。

「ISのスラスター音!」

 咄嗟にISを全身展開をし、窓に背中を向けてエスツーを抱きかかえる。

 閃光が強くなった瞬間、爆音が周囲に響き渡った。

 

 

 

 

 

「今度は市街地でISの戦闘!?」

 国津玲美は寝ぼけ眼で、電話を持って驚いている神楽の方を見る。彼女のもう一人の親友である理子は、反対側のベッドで夢の中だった。

 ここは四十院研究所の海上ラボ内にある仮眠室だ。簡素なパイプベッドがいくつか並んでいて、今は他の研究員たちも就寝につこうとしていたところだった。

「IS……戦闘?」

「わかりました、はい」

 電話を切った神楽は、ベッドサイドに置いていた髪留めで、下ろしていたサイドを止めてベッドから降りる。その横顔は悲痛な物だった。

「かぐちゃん?」

「何でもないわ。ちょっと電話してくるわね」

「……どうしたの」

「なんでもないわ」

 パタパタと走り出していく幼馴染の姿に、そこはかとない不安を覚えた。

 何かおかしいとはずっと思っていた。

 彼女はもうう十日も母親の指示でここで待機状態だ。自分の目にはどう考えても終わったように思えるISの調整を、何度もやり直しをさせられていた。二瀬野鷹とも連絡が取れてないことも不安だった。

 そもそも、自分は訓練校に入ったはずなのに、海上ラボにいて良いのか。

 保護者である母と信頼している幼馴染の神楽が何でもないと言い張るので、玲美としては黙っていたが、もう限界だった。

 市街地でISの戦闘なんて、正気の沙汰じゃない。それに嫌な予感がする。乙女の勘だ。

 ベッドから飛び降り、部屋の隅のロッカーを開けて中からISスーツを掴む。研究室に行ってテンペスタ・ホークを持ち出すつもりだった。

 騒然とし始めた仮眠室を走って出て行こうとしたとき、その入り口に立ち塞がる人物がいた。

「玲美、どこに行くの」

「どこって……とりあえずかぐちゃんを追いかけて、何があったか聞こうって」

「ベッドに戻りなさい」

 所長代理でもある母親が、有無を言わせない言葉で命令をしてくる。その姿に、やはり何かがあったんだと確信した。

「ママ、どうして何も言わないの? ヨウ君、どうしたの?」

「何にもないわ。彼は元気よ」

「嘘」

「嘘じゃないわ」

「だってママ、私がウソ吐くときと同じ顔してる」

 娘の言葉に、母はハッと驚いた顔をし、すぐに目線を逸らした。

「……親子ですから」

「じゃあヨウ君と会話させて」

「ダメよ」

「アレの傍受とか関係ないよ。ちょっと話をして無事を確かめるの」

「許しません。すぐにベッドに戻りなさい!」

「嫌!」

 親子の言い合いの声が大きくなり始め、仮眠室にいたメンバーの目線が二人に固定されていた。

 埒が明かないと思った玲美は、母親を無視して横を通り過ぎようとした。だがその肩を強く掴まれて止まる。

「いたっ」

「今はダメよ。絶対に」

「どうして!? ねえママ!」

 玲美は自分の肩を掴む腕を振り払い、逆に母へと食ってかかる。だが相手は苦渋の表情で、

「貴方が……いえ、私たちが彼の足枷になるからよ」

 と呟いた。

「足枷ってなに!」

「……そうね。貴方が二瀬野鷹にとって新しい枷になるのよ」

「だから、どういう意味なの!」

「簡潔に言うわね。二瀬野君は、ご両親を人質にされて、人でなしの集団の実験体にされてるの」

「え!? ちょっとママ?」

「わかったなら、ベッドに戻りなさい」

「わからないよ! ママ、どういうこと!」

「日本政府最大の過失、と言えば良いのかしら。それから貴方を守るためよ」

「ママ!」

「いいから、黙って戻って!」

「戻らない! いいから、ママ、ちゃんと説明して!」

 金切り声に近いトーンで言い合いが大きくなり始めた。

 そこへ、のんびりとした声で、

「市街地での戦闘、いつかの戦闘機モドキのISと、ディアブロだね」

 という言葉が聞こえてきた。

「理子!?」

「もうウルサイから起きちゃったじゃない」

 手に持ったタブレット端末を片手に、理子はメガネをかけベッドから降りる。ペタペタと裸足で玲美へと近づいて、端末の画面を彼女に向けた。

「これ、陸の研究所にあるレーダーが掴んだ情報だね。ここのラボにも送られてる」

「じゃ、じゃあやっぱりヨウ君の」

「何があったかわかんないけど、無人と思われるISコアを搭載した未確認飛行物体と、ディアブロが戦ってる」

「……助けに行かなきゃ」

「無理無理。ホークは毎日、試験が終わったあとにISコアをスリープされてる。ママ博士の指示でね。解除キーはママ博士しか知らない」

 理子が肩を竦めて呆れたように言う。

「ママ!」

「ダメよ。絶対に行かせないわ」

「どうして! ヨウ君だよ! ヨウ君が戦ってるのに!」

「理子、端末を貸しなさい」

「はいどうぞ」

 理子から端末を受け取った所長代理がタブレット端末を何度かタッチした後、画面を娘へと突きつけた。

「まずこれ。私たち四十院研究所への捜査令状の発行がされてるわ。次、所長代理ならびに一部近親者の身柄受け渡し要求。一部近親者ってのが誰のことかわかるわよね」

「……私?」

「そうよ。次、この付近を遠巻きに監視してる艦船のデータよ。なぜか海上保安庁じゃなく海自が出張ってきてる。これはね、ISを持たない海上自衛隊の一部、艦隊派って呼ばれてる人間たちの指示よ」

「ママ?」

「つまりね、貴方は狙われてるのよ」

「ど、どうして!? なんで私?」

「貴方が、二瀬野鷹に対する大きな枷の一つだから。幸い、極東のIS部隊と協力して要求を跳ね除けてるわ」

「枷って……」

「わかってるわよね。理子も危なかったら呼んだ。神楽はまだ四十院の壁があるから大丈夫と踏んでたけど、そろそろ危ないかもしれないわ。他の子はIS学園所属だから大丈夫だと思うけど」

「で、でも!」

「考えなさい。二瀬野君は、あんなことをした貴方を助けたのよ、あの横須賀沖で。それが大事な人間の一人じゃないってどうして言えるの?」

 冷たい調子で次々と突きつけられる事実に、玲美は何も言えなかった。

 思いも寄らなかった。ただの恋心が、人の足を引っ張るなんて。

「……ママ、でも、助けに行きたい」

 ポロっと零した言葉と涙に、母親はそっと優しく抱き締めた。

「私は失敗したけど、貴方を失敗させるわけにはいかないのよ。貴方が助けに行くのは、もう少し後よ」

 母の腕の中で、娘が嗚咽を上げる。

「ねえママ博士」

 横に立っていた理子が、クイっとメガネを上げた。

「なに?」

「日本政府最大の過失ってなに?」

 その質問に所長代理は玲美を抱き締める力を強め、

「すぐにわかるわよ」

 と悲しそうに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 燃え上がるビルを背に、オレはディアブロを展開して立っていた。

「くそっ! なんだコイツ、飛行機かよ!」

 敵はいつものISじゃない。全長三メートルぐらいだが、どう見ても胴体や頭が入る場所が見当たらない、航空機と戦闘機の相の子みたいな形をしていた。

 火力はノーズに搭載されてるビーム兵器だけっぽい。小回りも効き難い機体みたいだけど……。

「周囲にいる人間は、早くここから離れろ!」

 オープンチャンネルで避難勧告を出しつつ、マイクを通して外部音声でも叫ぶ。

 そのタイミングで、敵はビルに向けてレーザーを撃ち放った。咄嗟に間へと入り、左腕を盾にしながら攻撃を受け止める。

「くそっ、正気かよ!」

 無人機ってことは、おそらく神様もどきの使者ってことだ。こんな市街地で人員を巻き込みながら戦闘を仕掛けてくるなんて、さすが人じゃねえ。

 敵機はビルの周囲をグルグルと逃げ回りながら、敵は攻撃を建物へと仕掛けようとする。

 小回りが効くディアブロで瞬時加速をかけると、その背中に取りついてノーズを上空へと無理やり方向転換させようとした。

 発射されたビームが、オレたちのいたビルの屋上辺りを削る。内部で爆発が起きた。

「何が目的だってんだ、チクショウ!」

 四枚の推進翼を全力で機動させ、敵機を抱き締めたまま空へと昇り始める。抵抗しようと相手も推力を働かせてもがこうとするが、人型じゃないので手足もない。そして推進力はディアブロが上だ。

 先端にあるビーム発射口ごとノーズを上へ向けて、ビルから離れようと飛ぶ。

 そこで、敵の小型戦闘機型ISに異変が起きた。装甲に走るラインを中心に、ISが分割され始める。

「なんだ、展開装甲か!?」

 敵の兵装を潰すために、オレは慌てて左腕を突き立てようとした。

 だが、それは一瞬で形を変えた。

 翼が割れ、胴体部分から腕と足のような細い棒が割れる。

「可変型だと!?」

 ノーズが割れ、装甲の隙間からバッタのような頭部が剥き出しになった。

 新しく生えた手の平に、光の粒子が集まる。

「しまっ!?」

 オレの体に強い衝撃が走った。

 

 

 

 

 頭を振って周囲を見渡す。

 攻撃を食らって見逃したかと思ったが、すぐに敵機を捕捉出来た。

 異様な機体だ。ディアブロの半分ほどしかない胴体と垂直に交わった肩部から、ぶら下がるような腕が生えている。頭部も胴体同様に細く、先端に昆虫の複眼みたいなセンサーがついていた。胴体と並行だった推進翼は垂直方向へと変わっていた。さながら空飛ぶ黒いバッタか、それとも戦う十字架か。

「……そんな良いもんじゃねえな。案山子みたいだ」

 そんな奇妙なISが、ぶら下がった両腕の先をオレへと向ける。

 そこから放たれたビームを、長い左腕で薙ぎ払うようにして防ぎ切る。

「遠距離は戦闘機モードで、近づいたら小回りの効くその形になって戦うアサルトタイプってことかよ」

 オレは唯一とも言える兵装の推進翼兼ビット『ダンサトーレ・ディ・スパーダ』を切り離し、相手に向けて飛ばす。

 敵機はさっきよりスピードは落ちてるが、ひらひらと飛び回って器用に回避した。

 さすが無人機、回避するのは上手ってことか。

 ビットの恐ろしさは、相手の死角に入って攻撃できることだ。人間の場合はどんなに視野が広かろうと、自然と意識が一点へと注目してしまい、死角がおろそかになる。だが端から機械である無人機には、そういった弱点はない。認識したものをかわすだけだ。

「くそっ」

 とりあえずは、ここから離れるしかない。ビルからさほど離れていないこの高さじゃ、戦闘に巻き込まれて死人が出る。

 ぶっちゃけ他の人間はむしろ死んで欲しいが、エスツーだけは逃がさないと。

「来い!」

 挑発するように背中を向け、オレは空へ舞い上がろうとした。

 だが、相手の様子が変だ。

 その細い体を上へと向ける様子がない。

 おかしい。

 そう思いながら、二本の大剣状のビットをけしかける。

 すると、それをヒラリと回避した可変型無人機は、一瞬で戦闘機モードに戻り、地面の方へと加速し始める。

「待ちやがれ!」

 分離していたメインの推進翼と合流し、敵を追いかける。

 地面を拡大してみれば、ドクターに手を引っ張られて走るエスツーの姿があった。

 ディアブロ、頼む! 

 祈るような気持ちで背中に意識を集中する。

 四連続のイグニッションブーストがかかり、相手が攻撃しようとノーズのレーザーライフルを撃つ前に追いついた。

 ディアブロの長い左腕を突き出して、敵へと激突する。

 体勢を乱された可変型無人機のレーザーが、オレたちのいたビルを薙ぎ払った。まるで名刀でカットされた巻藁のように、斜めにスライドしてから倒れてくる。

 その破片がエスツーたちの方へと降り注ぎ、切断されたビルの上層部分が地面へ傾き始めた。

「エスツー!」

 地面すれすれで方向転換して、ツバメのようにエスツーをさらう。

「ヨウ?」

 右腕で抱き抱えたエスツーがオレを見上げた。

 振り向けば、巨大な建築物がドクターのいる場所へと落ちて地面を揺らした。最後にこっちを向いて何か叫んでいたが、それも轟音にかき消された。

「ドクターは」

「無理だ、助からんし、助ける気もねえ」

 そのまま滑走し、少し離れた場所へと降り立った。上空を見上げれば、こちらに白い光がいくつも降り注ぐ。

 推進翼を広げて、エスツーに覆いかぶさる。

「クソッ!」

 どんな理屈か知らんが、銀の福音のときと同じようにシールドバリアを貫通して直接攻撃が当たる。何がどうなってんだチクショウ。

 幸い、推進翼兼ビットである巨大な剣によって大多数を弾き返し、一発が脚部装甲を抉った程度で済んだ。そこにオレの肉体はないから、問題ない。

「いいか、なるべくここから離れろ! 走るんだ!」

「……ヨウは?」

「あれを倒したら追いかける!」

 少女の了承さえ聞かずに、空を見上げた。ふたたびIS型へと変形した敵機に向かって、左腕を盾のように突き出しながら飛びかかる。

 冷静に見れば、動き自体は大したことがない。スピード型じゃない甲龍やレーゲンと同程度だ。

 そしてこっちは、まだ大した損傷を受けてないのだ。

「うざってぇんだよ!」

 その頭部センサーに向けて、飛びヒザ蹴りを食らわせる。装甲の破片を撒き散らしながら、可変型無人機が上空へと吹き飛んでいった。

 それを追いかけるように瞬時加速をかける。

 手が届く位置へと辿り着いた瞬間に、日本刀を束ねたような悪魔の左腕を横へ薙ぎ払った。敵の両腕が砕かれる。右手を突き出して、相手の細い胴体を掴んだ。

「トドメだ、ご主人さまにオレに構うなって言っとけバカヤロー!」

 背中の推進翼を分離し、動けない機体の後ろから串刺しにした。さらに右手を離してから、もう一度左腕を振り上げて、刀のように振り下ろす。

 可変型ISは、その一撃で単なる破片になって落ちて行った。ISの反応は一切なく完全に沈黙したようだ。

「ま、あのババアを殺したことだけは評価してやらぁ」

 ホッとため息を吐いてから、オレはエスツーを探す。さっきより少し離れた場所で、こちらを見上げて、両手を伸ばしていた。顔には微笑みが浮かんでいる。

 周囲の反応を慎重に探りながら、ゆっくりと地面へと降り立った。

『さすが私の思い人ですね、二瀬野鷹』

 オレの耳にそんな声が聞こえた。

 どこだ? と反応を探ろうとした瞬間に、オレの横を白い光が通り過ぎていった。

「んな!?」

 振り向いた視線の先、超望遠モードで確保した視界には、青紫のISが巨大なスナイパーライフルを構えて、ビルの上に立っていた。距離にして8キロ先だ。

 そしてオレの背中側で、何かが崩れ落ちる音がした。

 振り向きたくない。振り向くな。

 見たくないものがそこにある。

 ああ、そんなバカな。

 どうして。

 あの小さな少女が。

 頭を撫でるとネコのように目を細め、眠るときはオレの服をしっかりと掴んでいた、あの可愛らしい少女が。

 胸から上を失った亡骸になって倒れているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園は不穏な空気に包まれていた。

 夕方の食堂では、食事を取っている全員が携帯端末をいじったり、数人で集まってヒソヒソと噂話をしている。その誰もが深刻な表情を浮かべていた。

 その隅で一夏はコーヒーカップを握って、ボーっとその水面を見つめていた。

「謎の戦闘機による市街地攻撃か……」

 テーブルの反対側にいたシャルロットが、ぽつりと、連日流れて続けているニュースの内容を呟いた。

「日本でこんなことが起きるなんてな」

「ネットなんかじゃIS学園のISの仕業じゃないかって」

 一夏たちが外出し、外でのストライプス紙のインタビューを受けた日の夜、都内にあるビルが謎の戦闘機による攻撃を受けたらしい。

 周囲に住宅の少ない地域で時間が夜だったが、それでも建築物の倒壊が三棟、死者四十名、行方不明者二十名以上を出す大参事になった。

「シャルんところは何か指示あったか?」

「ううん、今のところは……」

「そっか」

「一夏は?」

「気をつけろ、とだけ」

「まあ隊長のラウラが側にいるわけだしね」

「そりゃそうだけど、ラウラだって本国の意向には逆らえないわけだしなあ」

 日本がきな臭くなり始めた、というのが世界の見方だった。

 何故か日本国内にいる一部の外国人、とりわけ関東地方にいる人間には、国外に脱出するよう勧告も出始めているらしい。もちろん、そんなニュースを知らない日本国民ではなく、とりわけ最近の報道番組のゲストには軍事評論家の出番が多い。

 逆にIS学園は、不気味なほど静寂だった。

 全ての生徒には、関係者以外に無駄なことを喋らないようにという通達が出ただけである。もっとも、一般生徒は誰もその事件の真相を知らないので、噂話程度しか出来ないのだが。

 一夏にとって気がかりなことは、それだけではない。

 二瀬野鷹の両親について探っている件が、外出した日以降、新しい情報が何もないのだ。

 かなり焦っている。

 ラウラの話によれば、かなり危険な機関に囚われているという話だ。

 だが、二瀬野鷹の両親の足取りが未だに掴めない。

「どういうことだろうな」

「ん?」

「いやヨウんちのオジサンとオバサンの件。全然行方が掴めないってのは……」

「それだけ情報が堅いってことだよね」

「っと、メールだ。誰からだ?」

 携帯電話を取り出すと、そこには彼の記憶にないアドレスが表示されていた。

「うーん、あ、黛さんからだ」

「ストライプスの副編集長さんだよね?」

「そうそう。次回インタビューとグラビア撮影で、いくつかの候補地が絞り込めましたので、だってさ。いやグラビアって……」

「そんな約束してたの?」

「いや全然」

「受けるの?」

「いや、受けないよ。向こうは誘拐されかかって、たぶんこの件から手は引いてるだろうし。申し訳ない気持ちはあるけど、でも取引自体が破棄なんだ。受ける必要は……なんかおかしいな」

 一夏がメールに表記されたマップをスクロールしながら見ていると、妙な違和感を覚えた。

「どうしたの?」

「どれも普通のマンションっぽいな。ってこれ……」

 すぐに自分の察しの悪さに頭を抱えたくなった。ストライプスの副編集長は、危ない目に遭っておきながらも、しっかりと一夏が依頼した件を果たしていたのだ。

「……ちょっと裏付けが欲しいな。シャル、悪い。オレの部屋にラウラと箒と簪を呼んどいてくれ!」

 一夏はぬるくなったコーヒーを一気飲みし、自分の部屋へ向かった走って行った。

 

 

 

 

 

「えと……ここが二瀬野君のご両親が?」

 一夏が自室のディスプレイに映し出した情報を、簪が覗き込んでいた。その二人の後ろから箒とラウラも同じように覗き込んでいる。

「だけどまだ確信がないんだ。裏付けがもう一つぐらいは欲しい。俺たちもそんなに頻繁に外出するわけにはいかないし」

「うーん……これの根拠は何でしょう?」

「どうやら大阪の政府関連の外郭団体に就職して、すぐに退職、それで居場所がわからなくなった人っぽい。で、東京で似た人を見たって情報だ」

「いわゆる偶然……ですね」

「どうも曰くつきのマンションらしくて、つまり日本政府関連の人用の隠れ家なのかな。多目的に使われる場所だと思う」

「うーん……ちょっと待って……これはたぶん、自衛隊関連の施設でしょうか」

 簪が自分の端末を触れながら、一夏の机にあるディスプレイと見比べていた。

「自衛隊?」

「ちょっとお姉ちゃんを呼びます……」

 そう言って電話をコールしようとしたとき、

「呼んだ? 暑いねーまだまだ」

 と棒状のアイスを咥えた更識楯無が入室してきた。ホットパンツにノースリーブというざっくばらんな格好をしていた。

「た、楯無さん、なんで!?」

「ちょっと用件があったから。あらラウラちゃんと箒ちゃんまで。何かわかったの?」

「すみません、それっぽいマンションの情報があったんですけど、確信がなくて」

「情報源は?」

「マスコミです」

「ああ、ストライプスの……それはちょっと裏付けが欲しいね」

「はい。そう思って簪に聞いてたところです」

「かんざし?」

「え?」

「へー? ふーん? もう呼び捨てするような仲なんだ、へー?」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。今はそういうのは」

「いいよいいよ、全然。でもまー、まさか簪ちゃんまでライバルになるなんてねー」

 棒状のアイスクリームを舐めながら、楯無が両者を交互に見比べる。一夏はともかく簪の方は頬が紅潮し始めていた。

「ゴホン。生徒会長、そういう場合ではないはずですが!」

「その通りだ、遊んでいる場合ではない!」

 一夏の後ろから眉間に皺を寄せた箒とラウラが、抗議の声を上げる。

「うんうん、別に余裕を見せてるわけじゃないけどね。ただ、ごめんね。少しでも先延ばしにしたかったのかも。私の悪い予感が当たりそうだから」

「へ?」

 だが、シャクシャクと音を立ててアイスを食べ終わり、残った木の棒をゴミ箱へと投げ入れた。

「こっちも怪しい場所を掴んでて、それが三か所に絞られてたから見てもらおうかなって」

「そ、そういうことなら、早く言って下さい!」

 抗議の声を上げる一夏だったが、生徒会長は寂しそうな顔を見せる。

「楯無さん?」

「ううん、何でもないわ」

 だがそれもつかの間、いつもの余裕を含んだ笑みに戻る。

「場所はこれね。どれどれ……うん、ビンゴじゃないかな。私の持ってる候補地の一つと合致する。おそらく海自の艦隊派が秘密裏に持ってる隠れ家ね」

 ディスプレイを覗き込んだ楯無の声に、一夏は小さなガッツポーズを作る。

 目的だった二瀬野鷹の両親を見つけた、

「よし、じゃあすぐ行きましょう! 前から目をつけてたIS学園からの脱出経路を使います。ラウラ、シャルと合流して行こう」

「セシリアと鈴はどうする?」

「なんかあったときのために残っててもらおう。それにオレたちがいないことを誤魔化す人も必要だし」

「了解だ」

 一夏はラウラと箒に視線を送って、駆け出そうとする。

「待ちなさい!」

 駆け出そうとした三人を、鋭い声音で楯無が止めた。その気迫に一夏と箒、ラウラの三人の動きが止まった。

「楯無……さん?」

 一夏が恐る恐る問い返したが、楯無は背中を向けて自らの表情を隠す。

「……織斑一夏君」

「はい?」

「辛い決断をすることになると思うわ」

 夜の帳が降りた窓ガラスは鏡のようで、辛そうな表情をしている楯無の顔が一夏にもよく見えた。

「あくまで私の勘よ。女の勘。でもよく当たるわ。こと悪い場合に限っては本当に嫌になるぐらい」

「ちょ、ちょっと待ってください、どういうことですか? 何を言いたいんでしょうか?」

「……それでもキミしかいないのかもしれないわ。世界初の男性IS操縦者、メテオブレイカー二瀬野鷹。彼を救う決断になるかは、わからない。でも」

「行きます。ありがとうございました」

 楯無の言葉を振り切るようにして、一夏は走り出す。

 それを背中越しに見送った後、部屋に残っていた簪の方を向き直す。

「簪ちゃん、申し訳ないけど、彼らを助けてあげて。車とか。……武器はいらないわ」

「お姉ちゃん?」

「行きなさい、それとあの子たちをお願い」

「う、うん。わかった」

 簪も一夏たちを追いかけて走り出す。

 それを見送った後、楯無は浅いため息を吐いて夜空を見上げた。

「……可哀そうな子」

 誰に向けて呟いたかもわからない憐憫の言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 一夏とラウラ、シャルロットと箒、そして簪を乗せた車が、都市部にある何の変哲もないマンションへと辿り着いた。

 運転手を務めたの女性は、更識の家の人間らしく、今は合流ポイントで待機してもらっていた。

「ここか」

 二十階建ての、よくある高層マンションだ。彼ら五人が降り立った最上階の奥にある部屋が目的地だ。

「……マンションには人の気配が少ないな。見回りやセキュリティ装置も見当たらない」

 先頭を歩くラウラが拍子抜けしたように呟いた。

 彼ら全員がISの専用機持ちである。悪いとはわかっていながらも、センサーだけを起動させ周囲の人影を確認していた。

「外れなのか……ここまで来て」

 箒がぼそりと呟くと、シャルロットは、

「ううん、目的の部屋には人影が二つある。たぶんそこに二瀬野君のご両親がいるって信じよう」

 と励ました。

「そうだな……この瞬間にもタカは酷いことになっているのかもしれないんだ。行こう」

 それ以上は何も喋らずに、五人はエレベーターから一番遠い部屋の前へと辿り着く。

 ラウラとシャルロットの二人が扉を挟むように壁へ張り付き、一夏たち残りのメンバーは少し離れた場所に待機する。

 荒事になれたラウラが最初に侵入し、次に訓練を受けているシャルロット、続いて一夏と箒、そして殿に簪という突入順が組み立てられていた。

 そしてドアノブを握ろうとしたラウラが、怪訝な表情を浮かべる。

「電気が来ていない」

 外にある電力会社のメーターが視界に入ったようだ。

「電気が来てないのに、人が中にいるの?」

 シャルロットが声を抑えて問いかけると、ラウラはドアの隙間へと耳を済ませた。

「……女の声が二つ……この声は!」

 驚いた様子でラウラがドアを開けて、中に入り込む。

 合図も何もない突入に焦りながらも、シャルロットが慌てて追いかける。続いて残りの三人も中へとなだれ込んだ。

 そこは何の変哲もない3LDKの部屋だ。

 そして誰も住んでいないのか、家具も電化製品も何もない。

「教官!」

 ラウラが震える声で叫ぶ。

 暗いリビングの奥、ベランダから射す月明かりの下にに立っていたのは、一夏の姉でありラウラの教官でもあり、元IS学園の教諭でもあった織斑千冬だった。

「お前らもここに辿り着いたのか」

 冷たい声音で呟いた内容は、どこか悔やんでいるような響きを含んでいた。

「千冬姉……どうして、ここに」

「偶然だ。そこの女もな」

 千冬が顎で指し示すと、部屋の隅の暗闇から、一人の女性が姿を現した。白いTシャツにデニムのミニスカートという地味な服装だが、その体の凹凸と可愛らしい顔立ちが逆に目立つ、そんな容姿の女性だ。

「みなさん、こんばんは」

「悠美お姉ちゃん……?」

「残念ながら、私も今来たところよ。この織斑さんと鉢合わせになって、事情を聞こうとしてたところ」

 そう言って、肩を竦める。

 場に集まった六人が、先客である千冬を囲む。

 だが彼女は気にした様子もなく、まるで

「お前たちが集まったのも、そこの極東の専用機持ちと同じ、二瀬野さんの件だろう?」

「あ、ああ」

 上ずった一夏の返答に、姉である千冬は自嘲するような笑みを浮かべた。

「辿りついてしまったか、と言わざるを得ないな」

「な、なんで千冬姉がここに?」

「偶然だ。本当はここに来るつもりはなかったんだが、どうしても自分で確認しておきたくてな。二瀬野鷹のご両親は、私にとっては恩人だ。ここに現れても不思議ではないだろう」

「そ、そりゃそうだけど……って千冬姉、これはどういうことだよ? オジサンとオバサンは?」

 一歩前に出て、一夏が姉へと食いかかる。

 月明かりに背中を向け、表情が見えない千冬が、少し重たそうな口を開いた。

「帰れと言っても納得しないだろう。しかしこれ以上探しても無駄だ」

「……どういう意味だ?」

「これは、現代における日本政府の最大の過失の一つ、と言っても良いだろう。そしてそれを隠すために、二瀬野は遺伝子強化試験体研究所なんて場所に連れていかれ、時流に乗り遅れた亡霊たちの走狗とされようとしていた」

「だから何が言いたいんだ、千冬姉! ヨウんちのオジサンたちの行方を知っているなら、教えてくれ」

「ああ。いいか、私も信じられない。言いたくもない。だが……真実はこうだ」

「真実?」

「二瀬野夫妻は、もうこの世にいない」

 その驚愕の事実に、全員が口を噤んだ。信じられないという目を千冬へと向ける。

 千冬がサマージャケットのポケットから一通の封書を取り出した。

「これは、二瀬野鷹の父親が、息子へ送った遺書だ」

「遺書……自殺だったのか?」

「ああ。七月に起きた事件で、アイツが左腕と膝から下を失った。これをな、二瀬野さんに漏らしてしまったバカがいたんだ。おそらく何の意図もなく、もしくは誰かが息子の状態を母に伝えようとした善意なのかもしれない。それを知った母は、息子に会わせてくれと政府に嘆願した」

 淡々と、事実だけを伝えるように努めながら、千冬は言葉を続ける。

「だがもちろん、二瀬野鷹はISを奪い、アラスカ直轄の作戦を邪魔した容疑者であり、なおかつISをその体から取り外すことが出来ないという状態だった。政府でさえ、その扱いに困るほどの人間だ。そして二瀬野鷹に対する最大の人質が両親だった。だから簡単に会わせるわけにもいかない。政府は母の要望を全て却下した」

「そんな……」

 絞り出すような声で呟いたのは、シャルロット・デュノアだった。彼女は亡き母親から惜しみなく愛された記憶がある。ゆえに気持ちがよくわかったのかもしれない。

「そして二瀬野鷹の両親はどんどん憔悴していった。息子が心配で食べ物も喉に通らない。それはそうだろう。腕も足もなくなったと聞いてまともでいられる肉親の方が少ない。そして会うことも許されないのだ。そして事件は起きた。何の変哲もない場所で、上の空で歩いていた二瀬野の母親は階段を踏み外して、打ち所悪く死んでしまったんだ」

「そんな……」

「誰も責めることが出来ない事故だ。彼女に付き添っていた政府のエージェントを責めることも出来ない。そして妻を失った夫はな、エージェントの目を盗んで、投身自殺をしたのだ。この遺書を残してな」

 そこまで喋ってから、千冬は手に持っていた封書を、一夏へと差し出した。

「千冬姉?」

「お前が持ってろ。友達なんだろう?」

「で、でも!」

「このことを、二瀬野に伝えるかどうかの判断は、お前たちに任せる」

「……どうやって伝えろって言うんだ。こんな、こんな……お前んちのお父さんとお母さんは亡くなりましたって!」

「だが伝えねば、二瀬野はいつまでも、この世にいない両親を人質に取られたまま、誰かの奴隷になって生きて行く」

「そんな……」

「遺伝子強化試験体研究所の『躾係』の噂は私も知っている。未成年の精神など、あっという間に改造されてしまうだろう。一カ月も持てばマシな方だ。人質のいなくなったゆえに、そんな場所に叩きこんだんだろうな」

 その言葉にラウラが唇を噛む。彼女はその苛酷さの一部を体験しているのだ。すぐに躾係の世話を受けることがなくなったとはいえ、忌わしい記憶の一つとして残っているほどだ。

「……そして、二瀬野自身はISを外すことが出来ない。つまり超危険人物だ、世間的に言えばな」

 そこまで喋って、千冬は一夏たちに背中を向け、窓の外で瞬く星空を見上げた。彼女は自身で口にしたように、二瀬野鷹の両親を、恩人と思っていた。まだ幼い一夏を連れて途方に暮れていたとき、そっと力を貸してくれた人間たちだった。その善良な厚意に、未熟だった織斑千冬は大いに助けられた。その二人が逝ってしまった。涙こそ見せないが、彼女にとっても相当辛い出来事だった。

 暗い部屋に居合わせた誰もが、何も喋らない。

 二瀬野鷹の幼馴染である織斑一夏も篠ノ之箒も、学び舎を共にしたラウラもシャルロットも簪も。後輩である彼を追って、ここまで辿り着いた沙良色悠美も、誰も何も言葉が思い浮かばない。

 決断など出来るわけがない。

 伝えるだけでも辛い話だ。

 だが、伝えなければ二瀬野鷹の身は危うい。

 そして伝えても、彼の身が好転するとは彼らには思えなかった。専用機持ちという世の中で最大級の戦力を個人で所持しながら、剥奪することさえ出来ない身の上だ。

「でも……伝えずにいても問題の先延ばしにしかならないわ。いつか気付く。それに彼を一刻でも早く救いたいなら、彼自身に出てきてもらうのが一番だから……」

 二瀬野鷹は専用機持ちである。彼が自由になればISを持たない人間たちは誰も止めることは出来ない。

 黙って聞いていた一夏が、大きな歯軋りを立てた。

「なんで……なんでこんな……」

 それまでずっと黙っていたラウラが、一夏の前へと歩いた。毅然とした顔で、部下の顔を叩く。

「しっかりしろ!」

「ラウ……ラ?」

「決断しなければならない。親を失って凶暴になった猛禽を解き放つか、それともこのまま飼いならされていくのをずっと眺めていくのか! 今の話から考えれば、相手はどんな手段を使っても二瀬野を篭に押し込めようとする」

「……そうだな」

「嘆いていても、誰も救われない……お前がやらないというなら、私が伝える」

 唇を噛むラウラの心は、申し訳ない気持ちで一杯だった。息子の腕を奪った本人として謝罪するつもりだった。だが、その相手はこの世にいない。

 震えるラウラの肩に、一夏はそっと手を置いた。

「俺が伝えるよ。みんなも、千冬姉も、沙良色さんも、俺に伝えさせてくれ」

 手に持った遺書を見つめ、一夏は喉の奥に力を込めて、一言ずつはっきりと告げる。

「……いいの?」

「シャル、俺がやりたいんだ。俺はアイツの友達なんだ。アイツが危ないなら守りたい」

「……わかった。でも、僕は一夏の決断を応援するよ。どんな結末になっても、一緒に責任を取る。みんなもきっと、同じ気持ちだと思う」

 一夏が仲間たちの顔を順番に見つめる。誰もが彼に力強く頷いて見せた。

「沙良色さんも良いですね?」

「辛い役目よ。いいの?」

「はい。千冬姉もいいよな?」

「お前の判断に任せる」

「それじゃあ、コアネットワークを繋ぎます。この際、あれの傍受なんて気にしてられない事態だから」

 唯一、事情を把握していない悠美だけが傍受という言葉に怪訝な様子をしたが、今は口にしなかった。

 一つ深呼吸してから、一夏は視界内にISコア同士を繋ぐ直接通話回路を起動した。

「ヨウ、聞こえるか」

 なるべく感情を込めないように一夏は平坦な調子を心がけて口を開いた。そうでなければ、自分が泣いてしまいそうだったからだ。

『……一夏か。どした』

 少し疲れた様子の声が返ってくる。

「どこにいるんだ?」

『どこだろうな。たぶん、海の上かなんかだ。揺れてる』

「会話できるか?」

『ああ、大丈夫だ。ちょっと疲れてるけどな』

「疲れてる?」

『精神がな、かなり参ってる。それと……まあいいか、この話は。で、何だよ』

 その弱々しい声の調子に、今伝えるべきか迷っていた。

「なあ、どんな様子なんだ?」

『あん? どんな様子?』

「お前が躾係って呼ばれてる連中のところにいるのはわかってるんだ……その、辛い目に遭ってないのかとか」

『ああ、それか。最悪だわ。蹴られるわ殴られるわ。一番厄介なババアは事故でお亡くなりになったんだけどなあ、まだ妖怪みたいなジジイがいてさ。今度はそいつが気が狂ったみたいにオレを殴り始めたわけだ。もう最悪。オレはドMじゃねえし、殴られるならせめて若い女の子にして欲しいっつーか。人が親を人質に取られて動けないのを良いことに、やりたい放題だ』

 相手のテンションがおかしいと察した。妙に饒舌で、そのくせ声の端々に投げやりな調子があって、しかも声音自体は疲労を感じさせていた。

「……ヨウ、今からその」

『なんだ?』

「大事な……ことを言う」

『大事? 誰かと付き合い始めたのか? 箒か? ラウラか? それともシャルロットか? 鈴はねえな、アイツ馬鹿だし。セシリアなんかプライド高いけどお買い得だぞ、たぶん。オレ、初対面で惚れそうになったからな。あと料理は殺人的だから、注意しろよ。綺麗な物にゃ毒があるぞ』

「ヨウ……あのな」

『ああ、それとも楯無さんか簪か。楯無さんは凄いよなあ。簪も引っ込み思案だけど、変な笑いのツボがあるっぽいぞ。時々、腹を抱えて笑いを抑え込もうとしてるときがある』

「ヨウ!」

『んだよ、うっせえな』

「……どうしたんだ、何かあったのか」

『何にも……何もねえよ! 何にも! 何もかもいなくなったんだよ! チクショウ! ああ、そうだよ、何も悪いことしてねえのに! なんで……アイツが……チクショウ』

「ヨウ?」

『用件は何だ? 早く話せ』

「お前……」

『切るぞ、早くしないと。なんか部屋の外からジジイの叫び声が聞こえる』

「ま、待て、大事な話だ」

『何だよ』

「お前の」

『オレの?』

「お前んちのオジサンとオバサンな」

『うちのオヤジと母さん?』

「……な」

『な?』

「亡くなった……んだ」

 部屋の中で、誰かが唾を飲んだ。

 それが自分だと一夏が気付いたのは、数十秒の沈黙の後だった。

『そうか』

「……すまん」

『その可能性もあるんじゃねえかとは思ってた……ってのは嘘だな。確かに最初にオレが見せられた映像は、加工された録画だったしな』

 相手の声が震えていたのが、手に取るようにわかった。

「……悪い」

『いや、サンキュな。伝えるの、辛かっただろ』

「……遺書がある」

『自殺だったのか』

「最初は事故で……オバサンが亡くなった。それを追うように、オジサンが……」

『自殺したのか。ああ見えて、あのオヤジ、母さんにぞっこんだったからな。ほら、うちの母さん、綺麗だったろ? 勿体ないぐらいの』

「……そうだな。俺から見ても母親っていえば、真っ先にお前んちのオバサンを思い出すよ」

『だろ。んで遺書の内容は?』

「あ、ああ、俺の手元にある」

『読んでくれ』

「……わかった。読むぞ」

 一夏は震える手で封書の中にある紙を取り出した。手が震えて、中身を一度落としそうになった。

『一夏?』

「……これ……ああ……ヨウ、俺、ダメだ読めねえよ、こんなの……」

『読んでくれ。頼む。一夏、頼むよ』

「ち、父親って、こんな、感じなん、だな」

『一夏』

「わ、悪い、読むぞ……二瀬野鷹へ。弱いオヤジで悪かった。もうダメだ、本当に、母さんまでいなくなって、俺はどうやって生きていきれば良いのか、わからない。お前に一目会いたい。ヨウ、実は……よ、ヨウ、実は、母さんの中にな……お前の……いもう……悪いヨウ、もう読めねえよ……」

 一夏の声が、一つの文章さえ読めずにとぎれとぎれになっていく。その間に混ざる嗚咽は一夏の物だけではない。

『なんで妹って決めつけてんだよあのオヤジは。そんなに娘が欲しかったのか。しっかし、十五も下の妹か。悪くないな。目に入れても痛くなさそうだ』

「名前は……も、もう決めてた、小鳥に、しようかって……」

『二瀬野小鳥か。アイツにもそんな可愛らしい名前をつけてやれば良かったな』

「元、気にしてるか、腕と脚が、なくなったって聞い、て、俺た……ちはもう気が気がじゃなかった。元気に、生きろよ、鷹。お前は、昔か、ら賢い子、だった。俺……の息子とは、思えないぐらい。すまない、弱いオ……ヤジを許してくれ……、頼りないお前の……オヤジより」

 もう一夏は自分の目から落ちる涙が止められなかった。

 彼は親というものを知らない。それでも、丁寧な文字で書かれたこの手紙に、どんな思いが込められていたかがわかった。

『終わりか?』

「まだ、最後、一言だけある」

『何だ?』

「……元気でやれよって」

『そっか』

 シャルロットと簪は泣き崩れ、顔を手で覆っていた。ラウラは目を閉じて天を見上げ、箒は壁を叩いた。会ったこともない人物の死が悲しくて、その息子が感じているであろう感情が切なかったからだ。

 年長者である悠美と千冬は、ただ目を閉じて死者を悼む。

「ヨウ……お前は……生きろよ。もう、自由だ」

 一夏がつっかえながら、友人へと告げる。

『生きる、か』

「ヨウ?」

『オレってさ、実は生まれる前の記憶をある程度、持ってるわけだ。白状するとな、お前とか千冬さんとか、それにIS学園の専用機持ちとかさ、実は物語上の人物だって思ってた。少なくともオレはそう感じてた』

「何を言ってるんだ?」

『お前たちの人生を小説とかの中で見てた記憶が強烈でさ、だから現実感がなかった。ラウラやシャルロットが感じたオレの視線って、たぶん、そういうことなんだと思うわ。もっとも今から考えたらお前たち以外の物語の記憶とかないから、ホントは未来から来たっぽいけどさ。仕組みはまだわかんねえけど、たぶんそういうこった』

「おい、ヨウ?」

『だからある程度の未来が見えた。それでも自分のワガママで何とか未来変えてやろうって頑張ってさ、色んな人を不幸にしちゃったんだわ。自覚がないのも含めれば、もっとあるだろうな。ほらバタフライ効果ってやつ? ああいうのもあると思うんだよな、きっと』

「ヨウ、どうしたヨウ!」

『ひょっとしたらオレじゃなくて二瀬野小鳥って女の子が生れててさ、お前らと関係ないところで平凡で幸せな人生を生きてたかもしれないんだよな。ああもうホント』

「ヨウ、しっかりしろ、ヨウ!」

『ふはっ、ハハハハッ』

「おいヨウ、どうしたんだ、聞こえてるか!? 俺の声、聞こえてるか!」

『ハハハハハハッ、ふは、ふひ、ハハハハハハッ!!!』

 耳の奥まで響く常軌を逸した笑い声に、一夏の背筋を冷たい物が流れた。

「しっかりしろ、おい!」

『……けじめだけはつけに行く。じゃあな。今まで、ありがとう。それと悪かった』

「おいヨウ! 切るな、おい!」

 焦った様子の一夏の声に、場にいた全員が彼の方を振り向いた。

「一夏? 二瀬野はどうした?」

 ラウラが怪訝な様子で尋ねるが、一夏の顔は硬直したままだった。

「一夏?」

「なんか、けじめをつけるとか言って……切れた」

「ど、どういう意味だ?」

「けじめって……」

 鈍った頭で一夏は必死に考える。

 止めなければと直感めいた何かが一夏に教える。さっきの様子は相当おかしかったことはわかった。

 そこへ電子音が鳴り響いた。携帯電話のコール音だ。

「あ、ごめん、私だ」

 涙を拭きながら、沙良色悠美が携帯電話を取り出して通話を開始する。

「もしもし、私。ごめんって勝手に出てきて。え? IS展開許可? 市街地だけどここ……海上からIS学園方向へ未確認ISが飛んでったぁ!?」

 その言葉に全員が息を飲む。

「けじめってまさか、あいつ、あの新理事長を仕留めるつもりかよ!」

 未来から来たと言った篠ノ之束の姿をした紅椿。そして未来から来たらしいと言った二瀬野鷹。

 そのけじめの意味が理解出来た一夏は窓へと走り出す。

「どこへ行く気だ」

 千冬がそこへ立ち塞がった。

「帰るんだよ、IS学園に、今すぐ!」

「馬鹿が。冷静になれ。まずはIS学園の専用機持ちどもと連絡を取れ。二瀬野が一般生徒を巻き込むとは思えないが、避難優先だ」

「そ、そうだ」

「ボーデヴィッヒは学園に残っているオルコットへ、デュノアはファンへ、更識は生徒会長へ連絡しろ!」

「は、はい!」

 矢継ぎ早に出される指示に、まるでIS学園にいた頃のように反応し始める。短い間とはいえ、染みついた慣習は変えられないらしい。

「それじゃ織斑さん、お先に。みんなもまた今度!」

「ああ、沙良色、機会があればまたな」

「連絡取りやすいようにしといてくださいよ!」

 ベランダ側の窓を開けベランダから、空中へ身を躍らせた。そのままピンク色のISを展開し、加速して見えなくなる。

「お、オレたちも!」

「一夏!」

「な、何だよ千冬姉」

「……気をつけろ」

「わ、わかった。じゃあみんな、行こう!」

「織斑教官、失礼します!」

 空中に踊り出し、ISを展開、そのまま学園の生徒たちが飛び去って行く。

 それを見送りながら千冬は、唇を噛んだ。

 二瀬野に伝えたことが間違った判断だとは思わない。

 ただ、思ったより当人の心が摩耗していたことには気付けなかった。

 真っ直ぐIS学園へ向かったことも気になる。おそらく、先日起きた市街地へのIS襲撃事件に関連しているかもしれない、と思い当たった。直近でIS学園が関係している可能性のある事件を、千冬はそれぐらいしか知らない。

 学園を離れても、気が休まることがない。

 嫌な世の中だ、と誰にも聞こえないように心の中で愚痴をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 



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28、ウェルカム・トウ・ザ・ブラックパレード

 

 

 IS学園中に腹の底まで響くような低い警報音が響き渡る。

 寮で寝ていた生徒たちは何事かと飛び置き、次に地面を揺らす地響きに足を取られそうになっていた。

「生徒のみなさんは、シェルターに移動をお願いします」

 廊下から教員が大声で叫んでいた。生徒たちは着の身着のままで部屋から出て、教員の元へ詰め寄る。

「先生、何があったんですか!?」

「わかりません、とりあえず緊急事態条項B3に従って、移動してください」

「B3?」

「シェルター増設に伴って新しく出来たんです。まだ教えていませんでしたか」

「と、とりあえず逃げます」

「そうしてください」

 各学年の寮で、同様のやりとりが行われていた。

 とうとう戦争が始まったのか、と生徒の一人は不安に駆られた。

 

 

 

 

 

 第六アリーナの上層部、VIP専用の観覧席が崩れ、地面へと落下していく。

 コロシアム状のアリーナの外壁に、その破壊行為を行った黒い異形のISが立っていた。

「止まりなさい! そこの未確認IS! こちらはIS学園機動風紀です!」

 三機の青紫のISが、スラスターを吹かし手に銃器を持って、乱入者に近寄ってくる。

「……何なの……あのIS……」

 銃口を向けたまま、中のパイロットが訝しげな声で呟いた。

 その異様な風貌に、取り囲んでいるISのパイロットたちは息を飲む。

 まず片腕と両脚の装甲が人体の入る太さをしていない。そして右腕の二倍はありそうな長い左腕が、得体のしれぬ恐怖を感じさせる。

「と、とにかく、止まりなさい、ここはIS学園です! ISを解除して地面に降り、両手を上げてください!」

 恐怖を振り払うように、金切り声を上げて命令をするが、その声の震えは隠し切れていない。

 彼女たちにとっては想定外の事態だった。IS学園の三年といえど実戦経験は皆無だ。いずれもつい先日まで専用機を持ったことがない一般生徒だった。

 世間では戦争だなんだと言われていても、まだ実感もない武器だけ与えられた新兵の集まりが、IS学園の機動風紀委員会だ。

「右手しかねえよ」

 ぽそりと、相手のISパイロットが呟いた言葉が耳に届く。

「え?」

「そのIS、エスツーを殺したヤツだな」

「ちょ、待って、何を言っているの! 今すぐISを解除して!」

 うろたえながらも震える銃口を向ける三人は、次の瞬間、全員地面へと叩き落とされていた。

 アリーナに振動が走る。

「っつー……何が?」

 頭を振りながら見上げれば、目の前には黒い爪が迫っていた。

 その一機は三十メートル先にある壁面に吹き飛ばされて、動かなくなる。そして光の粒子を撒き散らしながら青紫のISが消えていく。

「一撃、いや二撃で?」

 残る二機のパイロットが信じられないと戦慄いた。

「お、応援を! 早く! 第六アリーナに早く! 急いで! 一機撃墜されたわ!」

 そのうちの一人が、甲高い声で必死に通信で助けを請いながら、銃口を向ける。

「止まりなさい!」

「理事長はどこだ?」

 鋭いピックで刺し殺すような声が聞こえてきた。

「え……その声って……ひょっとして」

 聞いたことのある声だと気付いて目を見開く。声をかければ返事をしてくれる気さくな、IS学園に在籍していたことのある男子の後輩だ。

「二瀬……野クン?」

 問いかけるが返事はない。次の瞬間に装甲に包まれた彼女の頭部は、異形のISの右手に掴まれていた。

「ひっ!」

 残りの一人が目を瞑って、敵機に向け引き金を引く。だが手にあった重みは次の瞬間に衝撃とともに消えていた。恐る恐る目を開けば、長い左腕によってISの手ごと吹き飛ばされていた。

「は、早く! 誰か! 早く来て!」

 泣き叫ぶ声をBGMに、悪魔が右手に持ったISを放り投げ、落ちてきたそれの背中を蹴り上げた。推進翼を貫通し背中の装甲を砕かれ、ISは重力に従って地面に叩きつけられる。攻撃を食らったISは光の粒子となって消えていった。

 最後の一人はその様子を見て信じられない、と震えながら後ずさろうとする。

「助け」

 助けて、と言い終わるよりも早く、その顔面に向けて長い爪が迫っていた。

 

 

 

 

 

 第六アリーナの客席に辿り着いた鈴は、目を疑っていた。隣にいたセシリアも口を押さえて目を歪めている。

「……ヨウ」

 十人以上の上級生が地面に転がっており、全員がISを解除されていた。おそらく絶対防御という搭乗者保護機能が動いているようで、身動き一つなく気絶しているようだ。

「どう……しますの」

「どうって……どうすんのよ、これ」

 二人はクラスメイトからの通信を受け、専用機のない生徒たちを避難シェルターへと誘導させた後、ISの反応を追ってここまで走ってきたのだ。

 機動風紀が教員を抑え、理事長直轄という名目の元、副理事長の許可で敵機への撃退に向かったはずだった。

 今、二瀬野鷹のIS『テンペスタⅡ・ディアブロ』を取り囲んでいるのは、十五機程度。機動風紀委員会の全員が出張って来ている。

 それでも止めることが出来ない。飛びかかってくるISを葬り続けていた。

「あ……ああ」

 セシリアが自らの呻きを飲みこむように、口元に手を当てた。

「……何があったって言うのよ……アイツ」

 知り合ってからが長い鈴ですら、ここまで荒れている二瀬野鷹を見たことがない。彼女にとっては、軽口を叩き合う、何だかんだで付き合いの良い悪友のような少年だった。

 そこまで強かったの、アイツ。

 思ってもいなかった。自分と同等以下の動きしか出来なかったはずだ。一夏たちがかなり強かったとは言っていたが、彼女は自分の目で見ていない。ゆえに信じられなかった。段階が一つ上に昇っているという表現が相応しい動きだった。

 そして、その異形のISの放つ雰囲気に、機動風紀の人間たちは完全に飲まれていた。耐えられなくなり、そして暴走したように襲いかかっては自滅していく。一刻も早く、そのプレッシャーから逃れたいがゆえに飛びかかる、そんな動きだった。

 ただそれでも、

「ヨウ……アンタ」

 鈴の目には、友人が黒い仮面の下で泣いているようにしか見えなかった。

「ファンとオルコットだったか」

 アリーナを見つめていた二人の元へ、一人の中年男性が近づいてくる。がっしりとした体形で、迷彩柄のズボンにTシャツを着た軍人の雰囲気を漂わせた男だ。

「き、岸原指令?」

「すまないが、頼みがある。オルコット、お前の退学手続きは前倒しで受理済みだ」

「え?」

「……彼を頼む。タイミングはこちらで指示を出す。それまで待機していたまえ。可能なら二人ともISスーツに着替えておくこと」

「……想定済の事態でしたか」

「俺の独断だ。言うなよ。行き先は極東飛行試験部隊だ」

 そう言って、岸原は肩を鳴らしながら、二人の元から去って行った。

 

 

 

 

 

 残り十機になったときに、上空から一機のISが降りてくる。他の機体と同様の青紫のISだったが、銃器を持つ他機とは違い手には大きな鎌を携えていた。

「全機、一端引いてください。それから武装を中距離型へ、私が相手をします」

 指示を出しながらも、中にいる少女は舌舐めずりをしていた。

 彼女はこの相手を待っていた。専用機を手に入れる前からずっと戦いたいと思っていたのだ。

「では衆人環視の中で少し気恥ずかしいですが、一つ私とまぐわっていただきましょう、これが乙女の花を散らす戦いになりますように」

 平たい調子で前口上を述べながら、だらりと腕を垂れて前傾姿勢になっているディアブロと対峙する。長い左腕が地面に触れていた。

「お前」

「このルカ早乙女がなんでしょうか」

 威嚇するように巨大な死神の鎌を回転させ、切っ先を相手へ向けた。

「……その声、エスツーを殺したヤツか」

「はて、何のことでしょう」

 トボける仕草にすら感情を込めず、推進翼を立てて、ルカ早乙女は相手の動きを察知するために視線を固定する。彼女の視界では、事前入力型無軌道瞬時加速を動かすウィンドウが立ち上がっていた。

 ずっとストーキングしてきた相手だ。癖はわかっている。機体が変わろうとも、中身が変わらなければ対応は出来ると彼女は踏んでいた。何せ模擬戦とはいえども経験数が違う。

「今までは百合の花を散らすばかりでしたが、これでようやく未通女(おぼこ)から脱却出来るというものです。織斑一夏とは前戯で終わりましたから」

 唇を舐めて、入力してたコースに飛び立とうと推進翼に意識を集中する。

 だが、目の前にはすでに長い左腕の爪が迫っていた。

 その瞬間、予定していた全ての行動をキャンセルし、彼女は咄嗟に鎌を立てて後退した。それでも攻撃を防ぎ切れずに吹き飛ばされ、たたらを踏むように体勢を立て直す。

「……前戯すらなくては、花は濡れませんよ」

 珍しく余裕ぶって言葉を紡ぐが、ルカの頬に冷や汗が垂れている。全く見えなかったことに驚いていた。センサーの感知すら飛び超えて、左腕の一撃を食らったのだ。

 相手が何のためにここに来たのか、彼女は知っている。

 理事長から直接命令を下され、一人の少女の暗殺を実行したのは、機動風紀の委員長たる彼女だった。元々、彼女は人殺しについての罪悪感が少ないタイプだ。そういうところを見込んで頼まれたのだろうと彼女は認識している。

 そして彼女は、戦争を待ち望んでいる。新しく世に出た超兵器ISによる戦争。なんと胸が躍る出来事か。

「睦言を交わしますか、ピロートークは事後が相応しきかと」

「うるせえよ」

 ルカは危機を察知した直感に従い、今度は見苦しいほどに体勢を後ろへと崩して避けた。

 下から無造作に振り上げられた左腕が、彼女の体を抉ろうとしたのだ。

 ダメだ、相手の攻撃が見えない。ISに保存された映像記録ですら、その左腕の軌道を把握できていなかった。

 機体性能の差は今の二回の攻防で思い知った。彼女たちが新理事長より渡された青紫のISマルアハは、IS学園の汎用機の中で最高性能を誇る教員用のラファール・リヴァイヴよりも速く強いはずだった。

 さらに機動風紀のパイロットたちは、いずれも腕に自信があった。自分達にないのはコネクションや運だけだと思っていた。

 だが、そんなものさえ飲み込んでもなお届かない黒い渦のような悪魔が目の前にいる。

 ルカは通信回線を開き、同僚たちに文字だけのメッセージを送り始めた。

 自分が取りついた瞬間に、遠距離攻撃を一斉に撃て、自分は何とか逃げる、と。手はそれしかない。どうせ絶対防御があるのだ。死ななければ問題はない。

 そんな打算を思いついたのは、彼女が一世紀前より続く傭兵一家の出身だったからだろう。

「行きますよ、いざ、アルペンローゼの花を散らすとき」

 母国の花を名乗り上げ、鎌を上段へ振り上げて瞬時加速をかけようとした。

 ここから武器を投げ捨て、相手の懐に潜り込み後ろから敵の推進翼を抑える。

 そういう予定で動くはずだった。

「おせえよセンパイ」

 だが加速する瞬間を叩き落とされ、地面にひれ伏した。やはり敵の左腕の攻撃が全く見えない。

「撃ちなさい!」

 それでも何とか足を掴み、しがみつくようにして相手の動きを止めながら、仲間たちに命令を飛ばした。

「早く!」

 戸惑っていた仲間たちが、その声に押され引き金を一斉に引こうとする。

 だが、ルカのしがみついていた脚部装甲が光の粒子になって消え、四枚羽根のISは空へと舞い上がる。

「足が……ない!?」

 パイロットの事情を知らない機動風紀たちは、引き金を引くタイミングを失い、茫然と空を見上げた。

 脚部装甲を再び展開し、黒い悪魔のごときISは、青紫のISの一団へと音速を超えて襲いかかる。

 巨大な砲弾のごとき一撃が地面を揺らし、巻き込まれた二機のISが装甲を粒子に変えながら地面に叩きつけられた。

 咄嗟に身を捻って回避したルカの機体は、推進翼と四肢の装甲のほとんどが破壊され、かろうじてISが展開されているだけの状態となった。

 その状態まで追い込まれてようやく、相手の攻撃が見えない理由を理解した。そんな使い方があったのか、と驚愕していた。

 相手は消しているのだ。左腕を。

 彼には左腕がない。ゆえに部分展開と解除を人体の動きに縛られずに行えるのだ。手をだらりと垂らしているのも、相手の意識を引きつけるためのトリックに過ぎない。あのISは腕部を一度消し、瞬時に前方へと突き出しながら展開しているのだ。

 だから防げない。相手はその武器である左腕を、範囲こそ小さく限られてはいるものの、どこにでも出現させることが出来る。そして、その効果範囲を無限に広げる圧倒的な推進装置との組み合わせに、彼女の仲間たちでは勝てるわけがない。

「……美しい」

 それを可能にした努力を、ルカ早乙女は知っていた。ストーカーを自負する彼女は、彼の練習をずっと遠目に見ていたのだ。ISを展開しては解除し、そのスピードを上げていくだけの無駄な努力をずっと見ていた。

 何も出来なくなったルカは、地べたに這い蹲ったまま、アリーナの中央にゆっくりと降り立つISを仰ぎ見た。

「あれがIS……」

 自分もああなりたい。兵器として一体化した姿に。だから彼に憧れた。ISになろうとしているとしか思えない練習を見て、彼が素晴らしいと思った。

「……次は」

 黒いISは周囲を見渡す。装甲を鳴らし一歩、また一歩と踏み出しながら、残り十機のISたちに近寄っていく。

 機動風紀たちは完全に相手の雰囲気に飲まれ、戦意を失っていた。銃口が定まらずカタカタと震えている。

 あと十メートルという距離でディアブロが立ち止まり、ゆっくりと顔を上げた。

「呼んだか、ルート2」

 空からゆっくりと、一体のISが降りてくる。

 その姿は手足と推進翼のみを展開した篠ノ之束に見えるが、実際が逆であることをディアブロのパイロットは知っている。

「まだ人真似してんのか」

「便利だからな」

 全てを吸い込む穴のような瞳を見開いて、仮面のような笑みを浮かべ、ゆっくりと地面に降り立った。

「ここで終わりにしようぜ、未来から来た同士」

「キサマらには辛酸を舐めさせられた。ここでも、あちらでも」

「記憶にゃねえがな」

 前傾姿勢になり、長い左腕を地面へとだらりと垂らして、ディアブロが推進翼を広げる。

「ここで終わりとしよう」

 篠ノ之束の姿をしたISは、両手に日本刀を呼び出した。

「そういやテメエは紅椿だったっけか」

「我がマスターの神技、見せてくれる」

「この忠義者が!」

 ディアブロが左腕を真っ直ぐ伸ばして、亜音速の突進をかける。

 赤い腕から伸びた日本刀が、その切っ先に合わせて突きを放った。

 黒い腕はぶつかる寸前で粒子となって消え去り、急制動をかけながら、右足のハイキックを放つ。

 それを右の刀で受け止めながら回転し、無防備になった軸足を左の刀で叩き切ろうとするが、そこにあった装甲が消え、ディアブロが空中に舞い上がりながら、再び展開した左腕を振り下ろす。

 剣が如く頭上から迫る長い左腕部装甲を軽々と左の刀で受け止め、右の刃が振り上げられる。

 黒い翼が横に寝かされ、弾き返された勢いをそのままに、その場でコマのように回りながら消えていた脚部装甲を具現化し、振り上げるような蹴りを下から放った。

 その鋭い一撃をスウェーで回避して、二本の刀が左右から挟みこむように迫る。

 確実に当たるかと思われた攻撃を、ディアブロは横回転から急激な縦回転へと移行し、空中に舞い上がって回避した。そのまま二体は距離を取って、空と地面で視線を交わす。

「な……すごっ……」

 機動風紀の一人がうわ言のように呟いた。

 完全に二体の動きに見惚れていた。自分たちがやらなければならないことがあるにも関わらず、わずか数秒のやり取りを見たIS乗りとしての本能が、彼女たちから論理的な思考を奪っていた。

「……二瀬野君の動きが人間じゃない……ていうか、足と腕が……ないの?」

 自由に動く翼の動きで自在に回転し、腕部と脚部の装甲を展開と解除の繰り返し攻撃を仕掛けてくる。

「でも、さすが理事長……」

 そのトリッキーな動きに対して、正統派の二刀流剣術のみで全てを受け切っては切り返し、終始優位に立って攻め続けていた。

「やるじゃねえかよ。篠ノ之流知らなかったら避けられなかったのが何個かあった。でもまあ」

 再び展開された日本刀のような左腕を、推進装置の加速しながら捩じりこむようにして突き出した。

「オレよりは遅えな!」

 その一撃は、右腕で無造作に薙ぎ払われた剣閃で弾き飛ばされる。続いて体勢を崩されたディアブロに、一歩踏み込みながら、左の一撃を振り下ろした。

「速く動くことだけが素晴らしいことではない、とマスターはおっしゃった」

 鮮やかに決まった一撃が、黒い装甲を断ち切る。

「……んな」

「シールドバリアを突破する術なんて、いくらでもある」

「チッ」

 鷹は舌打ちしながら、後ろへと後退して距離を取った。その胸からは赤い血が流れている。皮一枚とその下の肉を少しばかり分断されたと気付いたのは、十メートルばかりの距離を取って一呼吸してからだった。

「貫(つらぬき)

 紅の機体の肩に新しく装甲が現れ、その後ろから長い砲台のようなパーツが前に倒れてくる。

 その口径にの大きさに戦慄を感じた鷹は、空中へと飛び立ち、全力で旋回を始めた。

 だが、発射された光は弧を描き螺旋を描いて黒いISへと迫る。

「偏光レーザーかよ! 当たらねえよ、んなもん!」

 最高速を出そうと翼に意識を集中させた瞬間、自分の進む方向に大きさ一メートルもない四角形の物体が二つ、待ち構えていることに気付いた。

 その間を通り過ぎる瞬間に、甲高い共鳴音が周囲に響き、ディアブロの周囲の空気が歪む。

「AICビット……!」

 口に出したときはすでに遅く、完全に慣性を殺された彼は身動き一つ出来なくなっていた。誘導レーザーによって、ここに追い込まれていたことにようやく気付く。

 そこへ、赤い光が着弾し、ISの各部が爆発を起こす。

 攻撃を食らった黒い機体が各部を損傷した状態で、ゆっくりときりもみ回転しながら落ちていく。

 赤い手足を生やした機体の背中から、新しい武装が空中へと生み出される。現れたのは、十六連装ミサイルポッドだ。

 発射された弾頭の全てがディアブロへ炸裂し、爆発音を連続で響かせる。

 すでに脚部と左腕部を破壊され、四枚の推進翼のうち小型の二枚を失った鷹の機体に突然、横殴りの衝撃が襲いかかった。食らった後でセンサーから甲龍の龍砲と同様の兵器だと判断できたが、ミサイルに紛れた不可視の弾丸を咄嗟に回避することなど不可能だった。

 まるで投げ捨てられた空き缶のように放物線を描いて、アリーナの客席へと落ちていく。

 その衝撃がアリーナ全体を揺らした。

 赤い機体が空中へと飛び上がる。手には長い棒状の兵器を持っていた。その先端には空中からかき集めた水分が槍状の形を無している。

 そして無造作に投げられた水の槍がディアブロの落下した場所へと突き刺さり、周囲の客席を完全に瓦礫の山へと変え、その破片が空中に舞い上がって至る場所に降り注ぐ。

 そして最後に両刃の短刀を取り出して、諸手で振り上げた。

「八重垣」

 その短刀から吹き出した粒子が光を帯び、まるで輝く巨大な剣のような形を作る。その長さは十メートルを超えていた。

「黎烙闢弥(れいらくびゃくや)

 振り下ろされたエネルギー光が轟音とともに、周囲を灰塵と化す。

 最新の合金と建築資材を組み合わせ、IS学園の象徴とも呼べる会場は、その光剣の一撃で高価な瓦礫の山へと変わった。衝撃によって空中へ舞った土くれが周囲にパラパラと舞い落ちる。

 足元を揺らす衝撃に、仲間を担いで逃げようとしていた機動風紀たちは立ち竦んだ。

 あまりにも自分達の見知っている景色とかけ離れた姿に、生徒たちは声が出なかった。

 彼女たちが慣れ親しんだアリーナの南側は完全に破壊され、その下は深さ数メートルほど抉り取られたように凹んでおり、元の面影は全くない。

 そして、自分たちが従う理事長の姿を見た。

 無慈悲なまでに強力な攻撃を撃ち放った姿に、戦慄を覚えざるを得ない。先ほどまで黒いISに覚えていた恐怖は、完全に理事長への畏怖へと変わっていた。

 瓦礫を押し退けて、攻撃を食らったISが姿を現す。

「専用機必殺技フルコースなんて、やるじゃねえか」

 相手もいたるところを損傷してはいるが、まだISは展開されたままだ。そしてパイロットの言葉ぶりからして、戦意は失われていない。

「しぶとい。キサマの仲間を全滅させてもまだ戦うのか」

「仲間?」

「忘れているんだったな。私たちの元いた時代はもうすでにないことを」

「……覚えてねえなら問題ねえ」

「私が食らい尽したからな」

 何一つ表情を浮かべずに、指をパチリと鳴らす。

 それまで騒いでいた機動風紀たちが一斉に静かになる。全員がゆらりと一瞬倒れ込みそうになったあと、急に空中へと飛び上がった。

「死ね」

 残っていた十機の機動風紀用ISマルアハが、先ほどまでの様子と打って変わり無言でディアブロへと襲いかかる。

「くそっ、やっぱその機能はあんのかよ!」

 後ろへと飛び退ろうとしたディアブロの胴体へ、瞬時加速をかけた一体が飛びかかる。そこへ次の一体が槍を構えて突進し、をさらに続いて一機、また一機とまるで獲物に群がるハイエナのように襲いかかる。

 しかしディアブロは急上昇し、追いすがるマルアハたちと距離を開け始める。機体のあちこちから煙を上げていてもなお、スピードには歴然とした差があった。

 テンペスタⅡ・ディアブロのパイロットは舌打ちをしつつも空へ空へと駆け上がっていく。

 彼の狙いは一つだけだ。

 充分な距離を狙い澄まし、残った二枚の翼を立て、一つの的に向けて神経を研ぎ澄ませる。

 相打ちで充分だ。いや、相打ちこそ相応しい結末。

 目を閉じて自分に言い聞かせ、彼は眼下に迫りくる十機の天使の向こう、光る巨大な刃を持ち天を見上げる一機のISを見据える。

 限界まで推進翼の中にエネルギーを溜める。それでも漏れる光の粒子が彼の体を包んで輝いていた。

「ヨウ! やめるんだ! 逃げろ!」

 彼の耳に、友人の声が届く。

 遠くからこちらに向かって、一直線に飛んでくる少年の顔を横目で見て、未来から来た悪魔が自嘲めいた笑みを浮かべた。

 それ以上は振り向かない。

 脚部と左腕の装甲を解除し、右手一本を伸ばして下を向いた。

「さあ、行くぜディアブロ!」

 そして一瞬で音の壁を超え、侵入者にたかる蜂のごとく這い寄る集団へと突っ込んでいく。

 他機が吹き飛ばされる中、一体のマルアハだけが細長い棒の一撃を食らわせる。だがディアブロの勢いは止まらない。絡みついた機体を吹き飛ばし、それでも加速を続ける。

 赤い装甲を生やした女が両手で持った巨大な光刃を構え、黒い機体が落ちてくるコースへと、加速しながら突き上げる。

 さあ、ここが命の賭けどころだ。

 己の意識に鞭を打ち、刃と右手が交差する寸前に翼を右へと寝かせる。

 彼が唯一の得意技として覚えた、IS史上最高の速度で軌道を変えて迫る加速方法、無軌道瞬時加速。

 自分の努力で培ったわけではない借り物の力で、彼は敵機の横をかすめ、地面すれすれでさらにコースを変更、そして目標の背中から抱き締めた。

「なんだ?」

 その行為に何の意味があるかはわからないが、振り落とすに越したことはない。そう思って背中に張り付いた悪魔に視線を向けた。その瞬間、有り得ない力で空へと押し出され始める。

「さあ行こうぜ、空の彼方へ」

 空気を破壊しながら、赤い花を抱いて悪魔が空へ空へと昇る。

「どこへ行く気だ」

 尋ねながらも、推進装置のスラスター口を逆方向へ向けて相手の動きを制動しようとした。しかしその瞬間を狙い澄ましたように、赤い翼が黒い物で貫かれる。その攻撃は、先ほどまで消していた刃のような左腕だ。

「無限の成層圏を超えるんだよ」

 そして最後の力を振り絞り、テンペスタⅡ・ディアブロは第二宇宙速度を超えて、地球の外へと向かっていった。

 

 

 

 一夏たちの手は届かなかった。

「まさか……宇宙に押し出すつもり……なの?」

 ようやく一夏に追いついたシャルロットが信じられないと震えながら空へ伸びて行く光の線を見上げた。

「え?」

「だ、第一宇宙速度を超えてる……ウソ……」

「そ、そんなことが可能なのか!?」

「わかんないよ……でも、相手の抵抗が弱い……」

 一夏は慌てて超望遠レンズで空を見上げる。

 先ほどまで展開していなかった黒い左腕が、赤い機体の推進翼を貫いていた。これでは機体を浮遊させるPICしか使うことが出来ず、大した推力を得ることが出来ない。

「……だ、第二宇宙速度を突破しました!」

 簪が信じられないと呟く。

 だが、その姿もすぐにセンサーの射程外へと消えていった。

「ヨウ……」

 アリーナには先ほどまで動いていた青紫の機体が、ピクリともせずに転がっていた。

「なんだあれは……」

 箒とラウラが貫かれた雲の向こうを見上げていた。

「これがケジメ……?」

 茫然とした顔で少年がポツリと漏らした。

「一夏!」

 そこへISを展開した赤と青の機体が近寄ってくる。

「鈴、セシリア……」

「諦めたような顔してんじゃないわよ。あのオッサンから聞いた情報が正しければ、落ちてくる」

「え?」

「それを拾うわ。そしてセシリアはそのままIS学園を離脱、極東IS部隊の基地へ逃げ込む」

「ちょ、ちょっと待て、どういうことだ」

 セシリアがライフルを消し、腰に配置したビットを推進装置モードへ以降させ、その調子を見るように軽くスラスターを吹かす。

「……メテオブレイカー」

「セシリア? 待てよ、どうなってんだ、これは」

「一夏さん、これから行われるのは、メテオブレイカーの続きですわ。まだ、あの作戦は終わってませんわ」

「落ちてくる……ヨウが?」

「助けることが出来るのは、わたくしたちだけ。全員、気を引き締めてくださいまし!」

 

 

 

 

 

 大気圏の外を超えても、まだ加速が止まらない。

「離せ」

 『彼女』は珍しく感情の込められた声で必死に足掻く。

 腕を回して突き刺し無理やり剥ぎ取ろうとしても、背中に張り付いて加速し続ける機体はビクともしない。首を切り取ろうにも、現れては消える左腕が的確に致命傷だけを防いでくる。

 人間の力を舐めないことだ、とは、彼女のマスターが教えてくれた言葉だった。それを思考の外へと追いやってしまったのが、自分の失敗だと省みる。

 彼女が自立思考型として完成したがゆえに、意識を持った。それは同時に他の誰にも為し得なかった無意識も付属してきた。無意識は死角を作り、論理的な思考を阻害するときがある。

 人間と同等以上があるゆえに持ってしまった自分の弱点だった。

「お前はオレより遅い。さっきのAICビットで止めようとしても、ここまで加速すればビットごと置き去りだ。本体よりスピードが出るはずないからな、ビットが。さっき罠のように設置してたのも、そのせいだろ」

 黒い機体のパイロットが嘲笑うように事実を突きつけてくる。

 相手の推進力に反しようにも、彼女の翼は、日本刀を束ねたような長い左腕に破壊されて機能を失っていた。そして次の武装を出す間もなく、一気に加速し宇宙まで持っていかれていた。

 自分が万全でないことを、これほど迂闊だったと思ったことはない。

 自立思考を持つに至り、人間を超える知力を持った彼女でも、超えられない物がある。

 それはISであるという事実だ。

 様々な機能を持とうとも、推進力を得るには翼に頼るしかない。PICしか使えない状態では、ここからでも単機では帰還に時間がかかる。

 そして、どれだけ効率良く増幅しようともエネルギーそのものが無くなれば、彼女にとっては死も同然である。それでなくとも、先ほどは現時点での全力で挑んでしまった。そして時間を超えるという大機能を使ってしまったがゆえにエネルギーの大半を失い、色々と小細工を弄する必要があったのだ。その小細工をしている、という事実を逆手に取られ、本来の機能が無いと推測されたのかもしれないと思い当たる。

 このまま宇宙の彼方に押し出されたなら、自己修復を待ち、それからゆっくりと戻るしかない。その間にどれだけ遠くに追いやられるか。

 時間を超えてきたがゆえに、時の流れの重要さは知っている。時が経てば、人間はさらなる力を得る。

 加えて彼女には気にかかることがある。

 この時代に存在しないはずの機体がすでに完成している。自分の知っている記録では、あと数か月は完成しないはずの、ディアブロから生まれた個体たちだ。彼女が元いた時代において、もっとも彼女を苦しめた集団がディアブロを中心にした個体たちだった。

 その設計において中心的な役割を果たすはずだった、エスツーという篠ノ之束の劣化コピーは始末した。

 しかし開発完了よりも前に完成しているのは何故だ。

 因果が逆転している。

「どこまで行くつもりだ」

「どこまでもさ。オレのエネルギーが続く限り。こいつの推進効率も捨てたもんじゃねえぜ」

 だが、焦る必要はない。大気圏外へ連れていかれようとも、優位は揺るがない。ゆえに大した抵抗もしていないのだ。

「お前も死ぬ」

「それが狙いだ」

「理解しがたい」

 彼女のセンサー内に映し出された月が、どんどん近づいてくる。

「未来から来て、宇宙へと消える。ステキじゃねえかよ」

 何もかもを諦めたような笑みに、自立思考型ISは作り物の顔を崩して唇の両端を釣りあげた。

 彼女が元いた時代でも、積極的な自殺を試みたのは人間だけであった。

「メテオブレイカー、そう呼ばれていたな、ルート2」

 彼女は奥の手の一つを起動させる。

「そんな呼ばれ方もしてるらしいな」

「その隕石、どうしてディアブロが置かれた場所へと落ちていったのか、疑問に思ったことがないのか」

 二瀬野鷹は思い出す。六月の終わり、隕石の破片を掃討する作戦で、本来なら落ちてくるはずのない大きな岩が、コースを変えて四十院研究所の海上ラボへ狙い澄ましたように落ちてきたことがあった。

 十五メートルを超える隕石の成分の95%は岩石で、残り5%は最後まで不明のまま見つからなかった。

「……てめえ」

「お前がもう少し速ければ、私を帰還不能な場所まで送り出せたかもしれないな」

「まさか……」

「私が最初にこの時代に来たとき、現れたのは宇宙だった」

 鷹の視界に浮いた警戒センサーに、一機のISの影を見つける。

「……こんなところに隠してやがったのか」

 それが二つに増えた。

 クソッタレが。

 鷹がそう悪態を吐こうとした瞬間に、三つへと増えた。

 絶望を感じる間もなく、四つ五つ六つと増えていき、総勢五十機の軍団をなしていた。

 鷹は声を出すことも忘れ、ただ視界に現れたIS反応の数に愕然とし動くことが出来なくなっていた。

 迫ってくる影は、市街地のとある研究施設を破壊した可変型無人機だ。

「やっとここで終わる、因縁が」

 彼女が見せた感情は、安堵のため息だった。

 

 

 

 

 

 日本の近海で、側面を破壊された巡洋艦が漂っている。

 破壊された場所から浸水し、船が傾きかかっていた。二瀬野鷹がISを展開し、船を破壊して逃げ出したせいであった。

「あの坊主め!」

 老人が濡れた体を震わせながら、浮き輪に捕まって浮かんでいる。ディアブロが出て行くとき、近くにいた老人は、破壊された弾みで海に転落したのだ。近くにいた彼の護衛たちが咄嗟に浮き輪を投げ入れたおかげで、まだ命は失っていない。だが歳八十以上の彼には着衣のまま泳ぐ体力などもちろんなく、必死に浮き輪に捕まっているのが精いっぱいだった。

「早く誰か助けんか!」

 夜の海で叫ぶが、巡洋艦側から救難ボートが降りてくる気配がない。船員たちも予想外の損傷で上手く対応できず、まだ助けに来ることが出来そうになかった。

「くそっ、こんなところで死んでたまるか、あの坊主め、こうなったら四十院の女どもを無理やり人質にしてくれる! あのクソ生意気な御曹司さえいなければ、どうとでも出来るわ!」

 悪態を吐く元気だけは残っているようで、恨みごとを大声で叫んでは自らを鼓舞していた。

 彼は古くから日本の軍事に関わっている派閥の長であり、白騎士事件までは己が栄華を極めていた。

 それが最近はずっと不運続きだ。どれもこれもISのせいだと思い込み、頭をゆでダコのように真っ赤にしていた。

「大丈夫ですか!」

 そこへようやく一艘のボートが近寄ってくる。

「遅いわい! 早く助けんか!」

 彼は今からの行動予定を考えて始めた。命が助かったら、次は復讐だ。

 女どもがISに乗れるぐらいで我が物顔をしている、そんな世界を変える。そのためには何をしなければいけないのか。まずは手駒であるはずの男性操縦者を手元に再び納めなければならない。

 そういう算段をしているがゆえに気付けなかった。

 そのボートが巡洋艦とは全く反対の方向から来たことを。

 投げられた新しい浮き輪に捕まり、そこから繋がれたロープに引っ張られ、船へと近寄っていく。

 そして船体へあと一メートル、手を伸ばせば引き上げてもらえる距離にきたとき、老人を見下ろす女性がいた。

「覚えていらっしゃらないでしょうが、以前は大変お世話になりました」

 その女性が、自分の探していた一人だと気付いたときはすでに遅かった。

 手に持っていた拳銃から弾丸が放たれ、寸分の狂いもなく彼の頭を貫いていた。

 力を失ったしわだらけの体が、海中へと沈んでいく。

「おつかれさまです、国津所長代理」

 近づいてきたスーツの男に、女性は拳銃を渡す。

「ありがとう。これで後方の憂いは断てたわ」

「おつかれさまでした。巡洋艦に乗り込まなくて済んだのは助かりました」

「スコールは?」

「彼女はIS学園の方で忙しいみたいです」

「そう。では帰りましょう、巡洋艦に追いつかれないうちに」

 船が反転し、海域から静かに去って行く。

 破損して傾いた巡洋艦を遠目に見つめ、ママ博士と呼ばれている女性はホッとため息を吐いた。

 そして、空から落ちてくる流れ星を見つけ、悲しそうに目を伏せた。

「ここからまた、始まるのね」

 ぽそりと呟いた言葉は、誰にも聞こえることなく海を撫でる風に流されて消えて行った。

 

 

 

 

 

『国立天文台TMTからの観測情報、接続完了、ディアブロの位置確認。地球の引力に引かれて落ちてきます!』

 簪が珍しく声を荒げながら、専用機同士を繋いだ通信回線で情報伝達を行っていた。

「シュネル! シュネル! 落下コース予測を! ヨウ、聞こえるか、ヨウ!」

 視界で次々と送られてくる情報を必死に目で追い始める。

「ドイツ語で叫んでカッコつけてんじゃないわよ一夏!」

 鈴が一夏の後ろを、箒に引っ張られている形で飛んでいる。甲龍では白式と紅椿の加速に追いつけないからだ。すでに他の機体は置いてきており、セシリアは一夏達のやや後方をゆっくりとエネルギーを節約しながら追いかけて来ている。彼女は最後に極東まで逃げ込まなければならない大事な役目を負っているがゆえに、無駄なエネルギーを使うことが出来ない。

『簪、位置情報の観測データ、引き続き連続で送って! まとめるのはこっちで』

『は、はい、シャルロットさん、お願いします!』

『ラウラ! お願い!』

『了解だ、こちらでもデータ連結完了、落下予測コース、すぐに出る』

 後方で待機していたISパイロットたちが、機体の演算機能をフルで動かし、必死に落下予測コースの演算を開始する。

「一夏、ヨウに呼びかけろ! 本人にもコースを変えさせるんだ」

 箒の助言に、我へ帰った一夏は視界のウィンドウを変更して、通信回線のコマンドを開く。

「そ、そうだ、ヨウ! 聞こえるか!」

 コアネットワークを繋ぎ、必死で相手に呼びかける。

『んだ、うっせえな……こっちゃ余裕が、くそったれえええええ!!!』

「おいヨウ! 聞こえてるなら、そ、そうだ、メテオブレイカーのときと同じコースを取れ! 頼む、それだけ頑張ってくれ!!」

『このままで終わるかよ! くそ、くそ、クソッ!! 誰でも良いから、力を寄こせ、アイツをぶっ飛ばしてぶっ殺してやる!!!』

「冷静になれ! おい、聞こえてるか!」

『うるせえ、聞こえてるよ、クソがあああ!!!』

 直接繋いだ回線の向こうから、戦闘を行っていると思しき音が連続で聞こえてくる。二瀬野鷹が地球に落下しながらも、何者かと戦っているのだ。

 聞き慣れたはずの効果音が、一夏の焦りを募らせる。

「おい、頼む、頼むから、一度で良いから、俺の言うことを聞いてくれ、頼む!」

『離せ、くそ、離せ、ここで死んでたまるか、まだ、アイツを、アイツの仇を取ってねえんだよ、チクショウが!』

「ヨウ、頼む、頼むから、俺に助けさせろ!」

 そこでブツリと回線が切れ、何の声も聞こえなくなる。

「おいヨウ!」

「どうした、一夏!」

「直通が切れた、いよいよやばい!」

「くっ……」

 演算を苦手とし、状況の把握が出来ない前衛組の三人が黙り込む。

 奇しくも三人ともが、落下してくるディアブロのパイロットと幼馴染だという共通点を持っていた。

「……あのバカ」

 箒が唇を噛み、鈴が悔しそうに呟く。

「今は良い。言いたいことは沢山ある。だが、せめて俺たちの声が届いたことを祈ろうぜ……メテオブレイカー作戦の隕石と同じコースを取ってくれると信じて、急ごう」

「ったく、しょうがないヤツよね! ほら箒、急いで!」

「ぶら下がってるヤツが文句言うな、振り落とされるぞ!」

 三人は見覚えのあるコースに従い、四十院の洋上ラボの近くの海域まで辿り着く。白式の視界が夜の海に灯台のような光を放つ巨大な人工物を二キロ先下方に捕えた。

『来たぞ、落下コース予測……アイツめ!」

「どうしたラウラ!」

『ドンピシャだ! メテオブレイカー作戦の隕石と同じコース、その座標の上空だ!』

「驚かせるなよ! よし鈴!」

「どうなっても知らないわよ!」

 一夏が甲龍の上に立ち、推進翼を立てる。

「上手く行くのか……」

「行かせる」

「鈴、カウント!」

「待ちなさい、落下時間に合わせないと意味ないわよ! ランデブー出来るのは一瞬なんだし!」

「わかってる!」

「少しでも上昇するわ。演算結果の測定位置の修正をお願い」

 瞬時加速とは、推進装置からエネルギーのみを放出した後、それを再度内部に取り込んで圧縮し、爆発的な推進力に変える加速方法だ。ただしそのエネルギーは外部から供給されていても同様のことが行える。

 そして鈴のIS『甲龍』が放つ龍砲は、肩部にある発射口からISのエネルギーで空間自体に圧力をかけ、余剰エネルギーを見えない弾丸として打ち出す兵器である。

 つまり、龍砲を瞬時加速に利用し、カタパルト代わりに白式を射出しようとするアイディアだった。

 そのためにスピードの劣る鈴の機体を箒の紅椿が引っ張ってきたのだ。

 もちろん、タイミングが合わなければただ白式を破壊するだけで終わる、という危険な方法でもある。

『来るよ、構えて一夏!』

 シャルロットの声を受けて、鈴が龍砲の射出口を斜め上方へと向ける。その斜線上へと割り込んだ白式が背中を向けた。

「龍砲、最大チャージ行くわよ」

「おう!」

 その赤い肩部装甲の隙間から、光る粒子が漏れる。

 丁度、そのタイミングで警告アラートが三機の視界を赤く染める。超望遠レンズで捕えたのは、IS学園の機動風紀が操る青紫の機影だ。残っていた十機が向かってきている。

「くそっ、機動風紀め! 追いかけてきたのか」

 刀を取り出し、箒がそちらへ向かおうとする。

「箒!」

「ここは抑える、任せろ!」

「だ、だけど今、ここでIS学園の機体と戦うわけには!」

「言っている場合か、今はタカを助けなければ!」

 箒の機体が背中を一夏たちに向け、飛び出していった。

「……すまねえ、頼む、箒」

「アタシも一夏を飛ばしたら、すぐ向かうわ」

 鈴が強気の顔で断言するが、一夏の目には近寄ってくる機体がかなりの速度を出しているように見える。落ちてくる鷹とランデブーするための射出タイミングには、あと数十秒ほどの時間があった。それまでに機動風紀によって邪魔されてしまうかもしれない。

「ラウラ、機動風紀たちが近寄ってきてる、助けに来れるか!」

『こっちでも確認済だが、間に合わん!』

「クソッ」

 舌打ちをしながらも、少しでもランデブーポイントに近づくために二機で上昇を続ける。

 ここでマルアハと戦うべきか、それとも箒たちを置いて二瀬野鷹を助けるべきか。

 悩む一夏たちの機体へ、通信回線が開く。

『……テンペスタ・ホークから?』

 それはかつて二瀬野鷹が騎乗していた、四十院研究所製カスタムの第二世代機だ。

『あ、良かった、まだこのチャンネル使ってるんだ』

「国津さん!」

『状況は? 大体は岸原のおじさんから聞いてるけど』

「とりあえず近寄ってくる十機が邪魔だ!」

『……了解。ヨウ君をお願い』

 それだけの会話で回線が切れる。

 おそらく近くにいるのか、と二キロ先にある四十院の海上ラボへと超望遠レンズで映そうとする。

 その瞬間、巨大な光の線が、海上ラボの上からマルアハの方へと放たれた。

「んな!?」

 ISから送られてくる観測データから、それが大出力のパワーを撃ち出す巨大なレーザー砲の攻撃だとわかる。

 白式のウィンドウに映ったのは、通常のISより二周りは大きな装甲を持った重装型タイプだった。まともに動くことすら難しそうな大きさの機体は、眩いばかりに光る金色のコーティングが施されており、その巨大な肩部装甲の上から、八メートル近くある砲身が伸びている。今の一撃は、その兵装から放たれたようだ。

「……なんて威力だ」

 慌てて反応を確認すれば、ISの反応が残り二機になっていた。つまり今の一撃で八機のISを落としたのだ。驚愕すべき事態だが、残り二機であればテンペスタ・ホークと箒の紅椿で抑え込める。

 金色の重装備型ISの横にはテンペスタ・ホークが浮かんでおり、そのパイロットが一夏たちに向けて親指を立てていた。ただし、その可愛らしい顔は真剣な表情で真っ直ぐマルアハのいる方向を見据えていた。

「一夏、そろそろ!」

「ヤー!」

 鈴に急かされて、慌てて上空を仰ぎ見る。

 視界の端に浮かぶ観測データには、デジャビュを覚える落下コースが映っていた。それは六月の末、メテオブレイカー作戦という短いIS史上でも最大の事件だ。その結末はこの上空で爆発するはずの巨大隕石を二瀬野鷹という少年の決死の一撃が砕いて終わった。今、それと同じコースを黒い機体が墜ちてきている。

 織斑一夏は、そのときの自分が単なる盾にしかなれず、結局は役に立てなかったと自覚している。

「チャージ限界、行くわよ一夏!」

 甲龍の肩部装甲にある発射口が開いた。

「来い!」

 白式のスラスターが噴出孔を開ける。

 辿りつけなかった音速の域に、一夏はようやく踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレこと二瀬野鷹が目を覚ましたとき、最初に目に入ったのは見慣れない金属の壁だった。

「ヨウ君!」

 誰かが震える声でオレを抱き締める。

 すげえ安心する声だった。

「こ……ここは?」

「アメリカへ向かう輸送機の中だよ。もう出るから」

「体が……」

 動かそうと思っても、指一つ動かない。

 仕方なしに目玉だけを回して、周囲を確認する。こちらを心配げに覗き込んでる女の子たちがいた。

 抱きついてるのは玲美か。んで理子と神楽、あれは……ママ博士か。

「ごめんね、ヨウ君。キミの意思も確認しないで」

 すすり泣く玲美の後ろから、優しい声がかけられた。

「ナターシャさん……?」

 相変わらずの美人だ。結局、銀の福音の暴走のときは、まともに会話できなかったし。

「久しぶりね」

「はい……。あのオレはどうなったんですか?」

「この輸送機でいったんハワイまで行って、そこで手続きをしてから、本土に行くわ。詳しくは常夏のビーチでね」

 冗談めかして優しく笑いながら、ナターシャさんがピンと指を立てて、オレの鼻先を突く。

「手続き……って」

「アメリカ合衆国に国籍を移す形になるわ。一応、亡命になるのかしら」

「そうですか……」

「勝手に決めちゃってごめんね。でも一応、今の保護者は国津所長代理になってるから」

「……わかりました。すんません、ちょっと事情がわからなくて」

「いいわよ、着いたらちゃんと説明してあげる。キミが無茶をした後から。ほら、玲美ちゃん、ヨウ君が苦しいわよ、離れて離れて」

 ナターシャさんがオレを抱き締めたまま動かない玲美の肩に手を置く。しかし玲美は涙声で、

「嫌です!」

 とさっきよりも力強く抱きしめた。

「おい苦しいって……」

「ダメ! 離さないから!」

「待て待て、ちょっと事情がわからん。そもそもオレの体、どうなってんだ?」

 少しずつ感覚が戻ってきたおかげで、首が動かせるようになった。体は輸送機に固定された担架に横たわっているようだ。みんなが覗き込んでるのは、そのせいか。

「ヨウ君は一週間ほど寝てたのよ」

「一週間……って、そうだ、宇宙から……」

「そう、海上ラボの近くに落下してきたディアブロを、IS学園の一年生たちが回収し、イギリスの代表候補生が極東基地に連れてきたわけ。キミは基地についたとき、おぼろげに意識はあったんだけど、すぐに絶対防御を発動して、昏睡したまま動かなかった。とりあえず日本を離れようってことで、申し訳ないけどそのままアメリカ人になってもらうことになるけど」

 ……そうか、未来から来た紅椿を宇宙に押し出そうとして、五十機の無人機に囲まれて、逃げ回ってる途中で地球の引力に捕まって……一夏たちに助けられたのか。

 なんて無様な死に損ないだ。反吐が出る。

 ナターシャさんが担架の横にあったボタンを押すと、上半身がゆっくりと起き上る。玲美は少しコケそうになりながらも離れる気はないらしく、担架の端に座ってしっかりとオレの体を掴んでいた。

「それでアイツ、紅椿は?」

「IS学園の理事長なら、ときどき姿を見せてるわよ。詳しい世情はまたゆっくり話すとして、副理事長が頑張って戦争回避に持っていこうとしてるみたいだけどね」

「戦争……」

「ISコアの無断徴用、それに市街地への攻撃、これが引き金になってIS学園は今、孤立し全ての交通・通信を封鎖されてるわ。生徒たちも一緒にね」

「……なるほど」

「学園側もアラスカ条約機構側をネットなんかを介して糾弾しようとしてるけどね。ISを戦争に使う気か、襲撃はISの暴走であって意図したものではないって。それにすでに報復が行われて、アリーナを破壊されたとか」

「無駄でしょうね」

「ええ、無駄ね。何せ市街地襲撃の件は、人的被害が出てるわ。それに加えて武装解除の拒否。どっちか戦争したいんだって話になってるわ。ま、こっから先は向こうに着いたらゆっくりとね。ハワイは良いところよ」

 そう言って、オレの頬に軽くキスをし、それから手を振って進行方向にある扉へ向かって行った。

「ほれ、玲美、喉乾いたから離せって」

「……うん」

「悪かったな、心配させて」

「ううん……ごめんなさい」

「ハワイか。結局、水着姿見れてないし、向こうでスゴイの買って見せてくれ」

「……わかった」

「なんか聞き分けが良くて気持ち悪いぞ。ブラジル水着って知ってるか」

 そんなやりとりをしてると神楽が近寄ってきて、オレにストローのついたカップを差し出してくれた。それを咥えて、喉を潤す。

「神楽たちは?」

「ええ、私たちも一緒にハワイへ一時退避を。うちの別荘もありますので」

「さすが財閥令嬢だな。さんきゅ、飲み物はもう良いよ」

 なんとか笑顔を作ってお礼を言うと、目尻を落として神楽が悲しそうな顔を浮かべた。

「一度、ISを離れてごゆっくりしてはどうですか」

「……それは」

「とりあえずは、休暇といたしましょう。よろしければ、私の手料理でも召しあがって、元気を出してください」

「ゾッとしない提案だな。ありがたくて涙が出る」

 軽い笑いを浮かべると、神楽も小さく微笑みを返してくれる。

「で、ヨウ君はどうしたいのー?」

 あっけらかんとした声で尋ねてきたのは理子だ。

「どうしたって……」

「いや、うちらは訓練校を無期限休暇ってことで休み取ってるし、夏合宿楽しめなかったし」

 こういうことをズバズバ言ってくれるのも、理子の良いところだ。

「……そだな。それも良いかも」

「んじゃ向こうについたら、最初は水着だね水着。外国だし、ちょっと派手なのにしようかなー」

 理子が鼻歌交りの上機嫌な調子で、予定を指折り数えながら、輸送機の壁に固定された座席に座る。

「そうね、理子の言うとおり、少しゆっくりしましょう」

 優しい笑みで近づいてきたのは玲美の母親で、優秀な研究者でもあるママ博士だ。

「……すみませんでした」

「二瀬野君に説教したいことは沢山あるけれどね」

 パチリとウインクを飛ばして笑うが、オレは空笑いを浮かべるぐらいしか出来ない。迷惑かけてんだろうな、きっと。

「……け、研究所の方は良いんですか?」

「とりあえずは、いったん閉鎖。私はちょっと羽根を伸ばしたら戻るけれど。スタッフは臨時休暇よ」

「ISは?」

「極東の基地に預けてるわ。ホークもラファールも」

「そっスか……あの、ママ博士、先に日本に戻るんでしたら、一つ、お願いが」

「なにかしら」

「オレの親の墓に、花を」

 ママ博士がオレの言葉に一瞬目を丸くしたあと、

「わかったわ」

 と頬を緩ませた。

「ありがとうございます。ほら玲美、くっついてても良いけど、担架倒してくれ。着くまで時間がかかるだろうから、寝るわ」

 動くようになった右腕でポンと背中を軽く叩くと、ようやく顔を上げた。瞳が真っ赤でいたるところが腫れぼったい。

「どこにも行かない?」

 縋るような目つきで、玲美がオレの顔を覗き込む。

「行かねえよ。なんか体が動かねえし」

「……わかった」

 納得してなさそうな声で了解してから、ようやくオレから離れてくれる。

 輸送機内に居合わせた人間たちの顔を見回してから、ゆっくりと瞼を閉じた。

 ケジメをつけるのさえ失敗し、未来から来た紅椿もまだピンピンしてやがる。オレ自身は一夏たちに助けられたという様だ。

 情けなくて反吐が出そうだ。今すぐ死にてえ。

 そんなことを思ってため息を零そうとしたとき、脳内にISからのアラームが鳴り響く。

 接近警報……!

 慌てて外を見ようと首を伸ばす。四角い輸送機の窓の向こうを並走する機体があった。

 あの遺伝子強化試験体研究所を襲った可変型無人機だ。

 そいつは戦闘機型から人型へと変形し、その右腕をこちらに向けた。掌には光が見えたと思った瞬間、輸送機がまばゆい光に包まれた。

 この機体には、ISすら装備してない人間が沢山乗っている。

 いくら銀の福音を装着しているナターシャさんがいるとしても、輸送機ごと破壊されれば、中にいる玲美たちが無事なはずがない。そしてコイツらはISを装着していない。

「紅椿ィィィィィ!!!!!」 

 オレはありったけの後悔と恨みを込めて、怨敵の名前を叫んだ。

 

 

 

 

 

『番組の途中ですが、緊急ニュースです。本日午前、米軍横須賀基地より飛び立った輸送機が何者かに攻撃を受け撃墜されました。おそらくISによる攻撃とのことです。操縦者・搭乗者ともに行方不明……いえ、死者が……え? これは死者一名、死者は世界的にも有名な男性のISパイロット二瀬野鷹さんとのことです! 繰り返します。死者は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その葬式は、二瀬野鷹のものだった。

 輸送機に居合わせた人員は、ナターシャと輸送機の操縦者を除いて全員行方不明だった。そのナターシャも、突然の襲撃で助けることが出来たのは、近くにいたパイロットだけだった。そして同乗していた四十院研究所の面々は行方不明のまま四日が経った。

 そして晴天の元、極東飛行試験IS部隊の基地内で、しめやかに葬儀が執り行われていた。

 悠美やリア、グレイスと言った第一小隊の面々が、着陸したヘリから棺桶を運び出す。その中には、二瀬野鷹の亡骸が収められていた。たった今、横須賀の米軍基地から輸送されてきたところだ。

 彼女たちにも何が起きたのかわからない。ただ、発見されたのは間違いなく二瀬野鷹の死体であり、装着していたISが見つからないということだけは確定している。

 二瀬野鷹が死んだ。そのニュースは世界中を駆け巡った。世界で二人しかいない男性ISパイロットのうち、一人が死んだのだ。

 基地に勤める軍人たちが敬礼をして、彼女たちに担がれた彼の行き先を見送る。

 この後、二瀬野鷹の死体は基地内で数日補完され、研究施設に送られることになった。

 輸送機を襲った機体もまた、IS学園製の機体だと確認されていた。

 沙良色悠美は、重い足で棺桶を運ぶ。

「……このバカ」

 彼女の隣で、同じように棺桶を持って歩いていたリアが呟いた。

 悠美も泣きたかった。落ちる涙を拭く手は、棺桶で塞がっている。仕方なしに空を見上げた。

 遥か上空を、雲を切り裂いて一つの物体が飛んでいる。

 慌ててISのセンサーを起動させ、視界内で超望遠モードを動かした。そこには、黒いISらしい機影が映っている。

 悠美は目を疑った。

 そのISは、左腕と脚部こそ普通のISと変わらない大きさに戻っているが、確かに二瀬野鷹の専用機テンペスタⅡ・ディアブロと同じ形をしていた。

 だが、それもすぐに見えなくなる。

 

 

 

 

 

 世界が動き出す。

 短いIS史の中でも初めての、IS同士による大規模戦までのカウントダウンが始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 









次週は一旦お休みをいただいて、その翌週の週末に再度更新します。


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29、PRETENDER

 

 

 ニューヨークにある国際連合の安保理事会室。

 そこに集まった百人ほどの人間たちが息を飲む。その中心である円形に繋げられたテーブルには、常任五カ国と非常任の十カ国の代表たちが座り、今、まさに一つの決議が通ろうとしていた。

「では、反テロリズム委員会と国際IS委員会の決議を受け開かれた、この国際連合安全保障理事会における本題の投票を開示したいと思います」

 ここで常任理事国全てと他四か国の賛成投票があれば、今回の決議は通過だ。

 最近設置された投票システムである投影型ホログラムディスプレイが円形テーブルの中心に浮かび上がる。そこに表示された文字は『For:15 Abs:0 Against:0』。つまり全会一致での可決だ。

「ではこの決議によりIS学園に対する以下の要求を安保理により正式に通達します。一つ、ただちにIS学園所属によるISの開発と起動の禁止、二つ、既存のISは全て国際IS委員会が定める条件に従い受け渡すこと。なお各国代表および代表候補生のコアは含まない」

 議長国の代表である黒人男性は、そこで言葉を止めたあと、理事国の代表の顔を見回す。

 それから小さく咳払いをした。

「三つ目、この最終通達に従わない場合は、反テロリズム委員会の提案通り、IS学園をテロ組織と認定します。以上三つの決議を国際安全保障理事会2020番の決定とします」

 天井の高い理事会室が拍手の音で包まれる。

 その様子を壁面に飾られたベール・クロフの絵画「灰の中から飛び立つ不死鳥」が見守っていた。

 

 

 

 

 さて問題。私は誰でしょうと尋ねれば、百人中百人ぐらいは四十院総司と応えるだろう。

 自分の名は四十院総司。四十院グループ総帥の息子であり、現在はIS学園の副理事長だ。ちなみにその前は四十院研究所所長。他にもアラスカ条約機構の極東理事局の事務局長だったりとか、日本IS関連企業グループ懇談会の会長だったり。ともあれIS関連の日本やアジアに関することなら、第一人者といえば四十院総司ってことになってるし。

 まあ、もっとも今はテロリスト扱いですがね。

 『二瀬野鷹』が死んでから一週間以上が経った。

 ずっと恐れていた『二瀬野鷹』はもういない。ここからは自由だ。残るディアブロにだけは気をつけるべきだ。あの呪われたISが、全てを表に曝け出してしまうかもしれない。

 世間はIS学園に関する話題で賑わっている。昨日は国連安保理決議が出たって話だ。だとしたら、そろそろ武装解除しなきゃ武力行使しちゃうぞ宣言が来るはずだ。

 マホガニー製の事務用デスクの端にあるノートPCを叩いて、プライベートのメールボックスを起動する。

 エスツーという少女からの最後のメールが開いたままだ。彼女にはディアブロの子らを作成するのに随分手を貸してもらった。

 あのエスツーという少女からコンタクトを取ったのも、もう一年以上前か。

 彼女の寿命は、あまりにも短かった。元々が劣化コピーという未完成の人間であったゆえかもしれない。

 そして賢しい彼女自身も、自らの死期が近いことを悟っていた。協力する代わりに、最後に家族が欲しいという小さな願いを告げた。

 だから、二瀬野鷹に関する情報を海自の艦隊派に送りつけてやった。裏の事情なんていつもこんなもんだ。

「生きていた、か」 

 世界は五分前に作られて、地球上の全員がそれまでの記憶をねつ造されてるだけなんじゃないか。世界五分前仮設ってヤツを思いついたラッセルは中々ロックなヤツだ。世界はひょっとしたら、未来から来たやつに五分前、塗り替えられたのかもしれない。

 だが少なくとも今、この現在だけは確定事項だ。

 副理事長室のソファーに腰を落とし、背もたれにもたれかかって天井を仰ぎ見る。

 12年前に事故が起き、目が覚めてから色々とやった。

 次に手帳から使えそうな人材をピックアップしていった。やはり岸原大輔と国津幹久の二人は外せない。

 全てはもう少し先の未来のため。

 過去に遡って改変出来るのは未来人だけ。

 誰にも気づかれないよう、そして自分の存在を消さないよう、薄氷の上を歩くようにおっかなびっくりと世界を変えていく。

 自分が今日飲むコーヒーを別銘柄に変えただけで、世界が変わるかもしれない。

 だけど恐れずに少しずつ、未来を変えていかなければならない。全てはみんなのためだ。

 ……ウソだな。ずっと恐れてる。全てが恐怖の塊だ。指一本動かすことすら、まるで粘つくコールタールの中を泳ぐような重みを感じている。

 つい先日の『二瀬野鷹の両親』が死んだ件もそうだ。あんな風に裏目に出るなんて、予想外だ。

 そしてこの企みがバレることによって、一番恐れているのは、神楽の存在だ。ずっと娘として育ててきた神楽に、真実を告げることが一番怖い。あの優しげな瞳から拒絶の意思が発せられたならと考えると、身が震える。

 そして、もう一人、誰か改変者が紛れ込んでいる。

 誰だ。紛れ込んでいるのは。この自分以外に未来を変えようと動いている輩がいる。

 なぜルシファーが二機あるんだ。そしてバアル・ゼブルを亡国機業に渡したのは誰だ。

 時の呪いか。それとも時の彼方にいるヤツらの呪いか。

 自分が考えてもわからないなら、おそらく誰にも認識できないだろう。世の人々は、『本来の歴史』など知りはしないのだから。

 さあ、世界を相手に戦い尽くせ、恐れるな。

 例え、何もかもがお前を許さなくても。

 たった一つ、誰かの幸せというものを叶えるために。

 

 

 

 

「副理事長!」

 紺色のスーツを着た男が、後ろから声をかけられて振り向いた。

「おや、織斑君、どうしたんだい」

 相手の姿を見た男は、廊下の真ん中で両手を広げて歓迎のポーズを取り、わざとらしい笑いを浮かべる。

 彼の名前は四十院総司。齢四十が近い男だが、見かけは若々しいビジネスマン然とした男で、人によっては三十路ぐらいだと思うだろう。

 声をかけてきた方は、十六歳になったばかりの若木のような少年だ。息が上がっているのは、ここまで走ってきたせいだ。

「安保理決議が出たってホントですか!?」

「おや、よく知ってるね。生徒会長にしか言ってないのに。ああ、ドイツのクラリッサ大尉かな。スパイ容疑がかかるかもしれないってのに、よくやるもんだね、機密とか漏らしてない? むしろ漏らしてくれないかな」

「笑いごとじゃないですよ! これでIS学園はテロ集団ってことですか!?」

「うーん、今さらだけどね。ほら理事長が市街地で人を殺しちゃったし、二瀬野鷹が死んだ件もIS学園のせいだって話だし。もうだいぶ前から世間様は我々のことを危険なテロ集団か何かだと思ってるよ。ま、間違ってる認識じゃないけどね」

 あっけらかんと笑いながら、副理事長と呼ばれた男が答える。その姿に少年は少し不満げな顔を浮かべて、

「せめて一般生徒だけでも外に逃がすわけには行かないんでしょうか」

 と責め立てるような言葉を恐れずに向けた。

「向こうがそうしてくれるなら、それもありだろうね」

 だが四十院は苦笑いを浮かべて切り返す。

「向こうがって……向こうは解放しろとか言ってこないんですか? 確かアラスカ条約機構の指示で、IS学園関係者を生徒含めて一人たりとも敷地から出さないようにって言われてるとか」

「そうだね。私の元に来た指示はそうだ。私や私が連れて来た教員やら理事長は仕方ないにしても、他の子たちは出してあげたいんだが。一般職員もいるし」

 ポリポリと頭をかきながら申し訳なさそうに答える姿も、一夏にとってはどこか偽物臭い感じがして眉を顰める。

「理事長……あの、副理事長は!」

「うん? どうしたんだい?」

 意を決した顔で問いかけようとした少年の質問を、覗き込むように顔を間近に近づけて遮った。

「……いえ、何でもありません」

「そうかい。でもまあ、このIS学園に近いところは避難命令が出てるし、隣接した町のみんなは逃げ始めてる。何が起きようと友達は無事さ。安心したまえ」

「だけど、IS学園は!」

「それは仕方ないでしょ。逃がしてくんないんだから」

「でもどうして、でしょうか。おかしくないですか。IS学園の生徒とはいえ、一般人ですよ?」

「だって機動風紀みたいな組織がいるんだよ? アラスカも専用機を持ってるかもしれないテロリストの一味を一人たりとも外には出したくないのさ。わかるだろ?」

「……理屈はわかります」

「何でもアラスカに報告してたのが、裏目に出ちゃったなあ」

 突きつけていた顔を離し、四十院総司が人を食ったような笑みを浮かべて再び口を開く。

「織斑君、みんなのことを頼むよ。食糧は向こう三か月分でデザート付き、水と電気は海中のプラントから無尽蔵だ。それに加えて我々には大量のISがあるんだし、すぐにどうのこうのも無いよ。今は根気良く対話を続けようじゃないか」

 ポンと肩を叩いて、男は踵を返す。

 肩を落とした少年を置き去りにするように、男は歩き去っていく。

 少年は拳を堅く握ってその背中を睨んだが、投げつける言葉が出て来ず、苛立たしげに壁を殴るだけだった。

 

 

 

 

 日本の関東地方にある極東試験飛行部隊は、今や各三機小隊の八部隊にまで膨れ上がっていた。

 その隊長のみ参加のミーティングを終え、亡国機業の一員で宇佐つくみを名乗っているオータムが腹立たしげに肩を怒らせて歩いていた。

「何がこちらは24機だ。相手は倍近く数があるのに、どうしろっつーんだ」

「まったくだわ」

 隣にいたナターシャがヤレヤレと首を横に振る。

「おやおやアメリカ様なら、50機ぐらい我が国の力を持ってすればとか言って、空爆でも提案するのかと思ったぜ」

「さすがに学生相手とはいえ、倍の数と戦う気にはなれないわ。もちろん、シルバリオ・ゴスペルに勝てる機体なんてないでしょうけど」

「だが、テメエは信用ならねえからな。何せ可愛がってた弟子さえ見殺しにしちまうぐれえだから」

 バカにしたような口調に挑発とわかっていながらも、ナターシャは宇佐の襟首を掴んで壁に押し付ける。

「いってえな。なんだよ事実だろうが」

「それ以上言ってみなさい、殺すわよ?」

「おーおー、余裕ねえこって。ほら、離せよ第二小隊隊長殿」

 オータムがナターシャの右手を弾いて離れる。

「第一小隊隊長殿は育ちが悪いせいか、口の利き方がなってないようね」

 それだけで人が殺せそうな笑みを浮かべるナターシャの人差し指は、ピンと伸ばしてオータムの鼻先に突きつけられていた。

「アメリカンってのは常識人ぶっててるわりにゃ、すぐキレるよな。コーク飲み過ぎてカルシウム取れてねえんじゃねえの」

 同様にオータムの右手もまた、人差し指をナターシャの腹部に突きつけられていた。

 そこへ新しい人影が現れる。

「ここはいつからキンダガートンになったんだ?」

 冷徹な声で言い放ったのは、紺色の士官服に身を包んでいる織斑千冬であった。

「おーおー、特別部隊のブリュンヒルデ様じゃねえか。軍服似合わねえな、おい。新兵扱いしてやろうか」

「いくらブリュンヒルデといえども、ここでは同格です。口を挟まないでいただきましょうか」

 無言の圧力を身にまとう千冬であろうとも、こちらの二人は全く怯む様子はない。事実、言い合いを始めた二人を遠巻きに見ていた集団は、さらなる火種が加わったと肝を冷やしているような状態だ。

「他の隊員の邪魔だからどけ」

「あん? なんだよ教師ヅラかい、織斑センセ」

「通行の邪魔だ。それともキサマは高校生にすらわかるようなことすら理解できないエアヘッドだったのか。ああすまん、それは悪かった。見た目以上に頭が悪いとはな」

「ケンカ売ってんのか? 言い値で買うぞ?」

「第一小隊は荷受だろう。第二小隊は隊員たちがひな鳥のように母親を待ちわびてたぞ」

 トントンと自分の腕時計を叩いて、時間のことをオータムとナターシャに知らせてやる。

 オータムは忌々しそうに踵を返して、

「ったく、やってらんねーぜ」

 と立ち去っていった。

「気が立ってるのもわかるが、ほどほどにした方が良いぞ、ファイルス隊長」

「それは忠告ですか? それとも警告ですか、ブリュンヒルデ」

「その名はやめて欲しいがな。あと今のはアドバイスだ」

「では失礼します、織斑隊長」

 ナターシャもそれ以上語らずに歩き去っていった。

 その二人の背中を見送って、千冬は呆れたように首を振って歩き去ろうとした。

「織斑教官」

 懐かしい呼び名を受け、反射的に声のした方を振り向く。

「エルメラインヒか。久しぶりだな」

 赤毛の少女が敬礼をして立っていた。

「お久しぶりです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、教官」

「お前といいボーデヴィッヒといい、教官はもうやめろ」

「はっ、申し訳ありません。織斑隊長、でよろしいでしょうか」

「それで良い。元気だったか?」

「……はい。教官はその、なぜこの極東に?」

「いつまでも無職でいられるほど裕福ではないからな。歩きながらで良いか?」

「はい」

 同じ制服を着た二人が、基地の廊下を連れ立って歩く。

「ここに来たのはもちろん、一番情報があるからだ。それに私を放っておくほど、アラスカもバカじゃない」

「それは……そうですね」

「何を仕出かすかわからん元教員を手元に置いておこうという誘いに乗ったのは、そういう理由だ」

「あの、教官」

「隊長だ」

 リア・エルメラインヒが立ち止まり、胸に片手を当てて頭を垂れた。その様子に気づき、千冬も立ち止まる。

「隊長は、その……不安とかないんですか」

「何を聞きたいのかわからんが、お前らは私をISか何かだと思ってるのか。私も不安ばかりだ」

「ブリュンヒルデほどの人でも、ですか」

「未来なんて誰にもわからん。常に我々はおっかなびっくりだ。だが、何もせずに死ぬよりはマシだろう」

 無愛想に言い放って、千冬はリアに背中を向けて歩き出す。

「この後、予定がある。では、またな、エルメラインヒ」

 遠ざかって行く背中を見つめながら、リアは小さく、

「……はい」

 と届かない返事しか送り出せなかった。

 

 

 

 

 

「千冬様、よろしかったのですか? 隊を抜け出してきて」

「別に仕事はない。どうせ私もお前も戦争に加担することはない。あと、様はやめろ」

「ですが」

「少なくとも周囲に合わせてくれ。様をつけられると、学園にいたバカどもを思い出す」

 古い石畳の上を、千冬は小柄の体に長い銀髪のクロエ・クロニクルを伴って歩いていた。その手には柄杓と桶があり、クロエは左手に菊の花を抱えてゆっくりと進んでいる。

 二人が訪れているのは、東京都郊外にある古い寺だ。

 ここに二瀬野家の墓がある。

「墓、ですか」

「ああ。二瀬野さんの墓がここにある」

「二瀬野鷹の墓もこちらに?」

「日本じゃ一家で墓に入るんだがな。二瀬野の体はまだ極東の基地に安置されている。貴重な男子操縦者だからな」

 少しだけ忌々しげな態度だったのをクロエは敏感に察知したが、口には出さない。

「では、なぜこちらに?」

 代わりに素朴な疑問を尋ねてみた。

「私はな、亡くなられた二瀬野鷹のご両親にお世話になったんだ。ようやく亡骸が墓に入られたと聞いたから来た」

「死者を悼みに、ということですか」

「そういうわけだ。あのときは世話になったな」

 あのときとは、二瀬野夫妻の行方を捜す際に手伝ったことだ。彼女の持つ本物の篠ノ之束製ISがかなり役に立っていた。

「ついで、でしたので」

 クロエ・クロニクルにとっては、彼女の敬愛する篠ノ之束を探すついでであったことは本当である。

 二人はそれ以上の会話を挟まずに、墓地の奥へと進む。二瀬野夫妻の墓は少し小高い丘の上にあるので、階段を上る必要があった。

「……先客がいるようです」

「ああ」

 最後の段差を登り終えたとき、開けた墓地の奥に黒い影が見えた。

「IS?」

「そのようだが……」

 二瀬野家の墓石の前に、一機の黒いISが立っている。

 千冬がその姿を見て、目を細める。

「……誰だ、貴様は」

 ジッと墓を見つめる機体が、千冬の声に反応しゆっくりと首を向けた。

 フルスキン装甲の黒いISは、二瀬野鷹の装着していたテンペスタⅡ・ディアブロにそっくりだった。ただし脚部と左腕部の太さが、普通の人間でも装着できるようになっており、胸部に装甲が追加されている。

『織斑……先生……』

 そのISから発せられた音は、明らかにボイスチェンジャーによって作られた機械の合成音声だった。中の人間の判別どころか性別すらわからない声だ。

「何をしている?」

『……お参りです。せめてお墓だけでも見ておこうと』

 言葉使いからでは、二人には性別さえも判断できない。

「それは二瀬野のISか? もちろんアイツではないな?」

 訝しげな態度で尋ねられた質問に、ISはゆっくりと首を横に振った。

 それから墓石を見つめ、

『違います。二瀬野鷹は、死んだんでしょう?』

 と小さく呟いた。

 機械の声なのに、まるで悲しみに震えているような響きがあった。

「では、誰だ、キサマは」

『ジン・アカツバキの敵です』

「ジン?」

『未来から来た自立思考型インフィニット・ストラトス。ジンは神、つまり神様のことですが、神ではないので、そう呼ばないようにという意地のようなものです』

「あの新理事長のことか? 何が言いたい? どちらにしても、そろそろ、その顔を見せてもらおうか」

『いえ、それは無理です』

 ゆっくりと背中を向け、羽根を広げてPICの作用で三メートルほど飛び上がる。

「待て!」

『ここで会ったのも、何かの縁です。一つだけ、情報を渡します』

「一つだけと言わず、洗いざらい喋ってもらおうか」

『相変わらずですね……。では一つだけ。ジン・アカツバキの目的は、人類史の改変です。達成されれば、全ての人類は置き変わる』

「……お前は」

『あのジン・アカツバキは弱っています。二瀬野鷹のおかげで。どうか、彼の努力を無駄にしないよう、お願いします』

 それだけ告げて、黒いISは四枚の推進翼を広げ、青い空へと飛び去って行く。

「おい、待て! ……なんだ、あのISは。ディアブロとかいう機体じゃないのか?」

「行方不明になっている機体ですか」

「ああ。パイロットは間違いなく死んだ。私も……二瀬野の亡骸を確認したからな。誰が乗っているんだ、あのISは」

 その問いに答える者はいない。

 千冬とクロエは、その去っていった空を見上げる。すでにその姿は見えない。

 二瀬野鷹のディアブロとそっくりな機体が動いている。

 また一つ増えた謎に、千冬はそっと溜息を零すだけだった。

 

 

 

 

「国連安保理からの通達から三日経ったにも関わらず、IS学園は未だ武装解除に答える様子はない」

 FEFISの極東ベースにある飛行場に、所属している隊員全員が整列していた。

 司令官のマークをつけた中年の女性が、タラップのついた銀色の壇上から、大ぶりのジェスターを交えながら演説を続けている。

 右端から二列目に並んだナターシャが、チラリと飛行場の端を見れば、そこには報道関係者が山のように詰めかけていた。今日はマスメディアを入れているのは事前に聞いていたが、彼女はそのフラッシュの多さに辟易していた。

 小さくため息を吐いて、視線を急ごしらえの演説台の基地司令官へと戻したとき、隣の第一小隊隊長が直立不動のまま問いかけてくる。 

「あれ、お前んとこの?」

 その一番右端にいるオータムが、隣にいたナターシャに小声で尋ねる。ナターシャは視線を外さずに同じような音量で、

「あの司令は米軍からの出向よ。米軍のIS関連ナンバー2」

 と面倒くさそうに答えた。

「あのオバハン、IS乗れんの?」

「乗れるわけないでしょう。彼女が若かった頃はISなんてなかったわ」

「はーん。優秀なわけ?」

「そんなわけないでしょ。優秀ならこんなところに飛ばされて来ないわ。お飾りよお飾り。今回は太平洋艦隊とここの合同作戦らしいし、主導権はそっち」

「頼むから余計な口出しだけしないで欲しいけどな」

「演説には定評があるわ」

「ビッグマウスってことか。まあネズミっぽい顔してるけどな」

「なによそれは。ジョーク? 詰まんないわよ宇佐隊長」

「うるせえ。闘争を愛するアメリカ人様にはわかんねえ高尚なジョークなんだよ、ファイルス隊長殿」

「パットンみたいな演説しないことを祈るわ」

 決して表情には出さず、二人は小声で愚痴を零し合う。

 ちなみに二人が引き合いに出しているパットンとはノルマンディー上陸作戦時に演説を行った、ジョージ・パットンという将軍のことである。

「我々が代表する国際社会は、決してIS学園のテロリズムを許しはしない」

 身振り手振りを交えながら、熱弁に拍車がかかっていく。

「あろうことか、市街地を強襲して多くの一般人を巻き添えにし、平和なこの日本に戦争の記憶を蘇らせた。このような暴挙が許されようか」

 そこで一度、周囲の反応を見るように集まった千人近くの隊員とマスコミへ視線に回し、一息吸った。

「そして、かのIS学園は、前途のある十五歳の若者……世界でたった二人しかいない男性操縦者でありながら、先のメテオブレイカー作戦で英雄となった少年を殺害した。そう、ヨウ・フタセノを殺したのだ!」

 今日、最も熱の込められた言葉だった。オータムとナターシャがそれぞれに小さく舌打ちをする。しかしそんな隊長連中の態度に気付かず、基地司令は言葉をつづけた。

「現在のIS学園は、紛うことなくテロリズム集団であり、その首謀者である篠ノ之束と四十院総司を早急に捕え、厳正なる法の裁きの元に引きずり出すべきである。そのために我々はIS学園に正義の行使を行う用意がある」

 その言葉を受けて、並んでいた隊員たちに向けられていたカメラのフラッシュが一斉に壇上の司令官に集まる。今、米軍とアラスカ条約機構のIS連隊が、IS学園の理事長をテロ集団の指導者と認定し、実力行使を示唆したのだ。

 そこまで無表情でいたナターシャが眉をしかめ、オータムは鼻で笑う。

「とうとう言っちまったな」

「IS学園をテロ組織として実力行使を行うって正式に宣言をしたってわけね」

「ってこたぁ、アラスカ条約はISの軍事利用規定を改めるのか」

「たぶん特記事項をつけるか、解釈を改めるかじゃない」

「しかし、本格的に来たな」

「もちろん、あの大佐の独断じゃないわね。本国とアラスカ加盟国で演説内容は精査してるはず」

「いいねえ。こんなところで事務仕事してるよりはよっぽど良い」

「事務仕事に関しては同感。しかし、IS学園はなんで一般生徒を解放しないのかしら」

「知るかよ。ガキどもはみんな専用機に目が眩んだんじゃねえの。貰えるかもしれないって」

「いずれにしても、D-Dayは近いってわけ」

「だな。しかし欧州も小さくなったもんだな。オマハビーチにならねえことを祈るわ」

「間違いないわね。士官全滅は避けたいわ」

 呆れたような口ぶりのオータムに、ナターシャも鼻で笑う。

 いずれにしても、数日中に作戦は開始されるだろう。

 壇上のネズミ大佐の演説が終わり、隊員たちが全員、敬礼をする。

 ……ヨウ君、仇は撃ってあげるから。

 ナターシャ・ファイルスは誓いを新たにするのだった。

 

 

 

 

 演説が終わり、リア・エルメラインヒは他の技術スタッフとともに第一小隊用格納庫で作業を開始し始めていた。

 その真ん中に鎮座する黄金色のISを見上げる。他のISより二周り以上も大きい火力特化ISだ。普通のISキャリアーでは納めることが出来ず、天井から強靭なワイヤーで吊るしている。

「ラファール・リヴァイヴなのね、一応」

 今、彼女が担当しているのは、四十院研究所の所長代理、国津三弥子が残していった二機のISである。当の本人たちはIS学園による輸送機襲撃により行方不明になっていた。

 そしてその隣には、どこか輝きを失ったような彩の黒いISが置いてある。嵐鷹(らんよう)という和名が名付けられたのはこの基地に来てからだ。

 そして由来となった最初のパイロットは、すでに死んだ。その亡骸は今もこの基地に収容されたままだ。どこの組織が狙ってくるかわからない、世界で一つしかない男性操縦者の死体だからである。

「リアさん? どうかしたんですか?」

 隣にいた二十代ぐらいの男性スタッフが、タブレット端末を片手に尋ねてくる。

「何でもない。とりあえずこのバカみたいな火力特化機体のスペックをチェックするわ。どうだった?」

「これは凄いですね。とりあえず機体に含まれていたマニュアル見ましたが、バススロットはリミッター無しの軍事用ですが、火力が他のISと一線を画しています」

「見ればわかるわ。他に何かあった?」

 男ってのはなんでこう、内容のないことを言いたがるのかと内心でため息を吐きながら、リアは話題を次に移そうとする。

 第一小隊付きの技術スタッフである青年が、慌てて手元の画面をスクロールし始める。彼は相手の少女の歳が自分より下とはいえ、リアがIS乗りで自分よりも階級が上であることは熟知していた。

「……メイドバイ、四十院ラボね」

「四十院って……あの噂、本当っすかね」

「なに?」

「実はIS関連企業は全て、四十院総司って人に操られてるって話」

 わざとらしく声を潜めて深刻そうな面持ちになる男性を、リアは鼻で笑う。

「だったら、今頃世界征服されてるわよ。そもそも、そのシジュウインって人、今やIS学園の副理事長で世界中から孤立してるじゃない。ほら、無駄口叩かないで、解析作業に入るわ」

「わ、わかりました」

 棘のある言い方に、男性は慌てて作業に戻る。

 リアは再び小さくため息を吐いた。

 まったく、男ってのはどうしてこう、自分だけは知ってるみたいなことを言いたがるのか。そんなに女に優越感を抱きたいのか。

 そう思えば、鷹や一夏は違ったな、と思い返す。二人とも知らないことは知らないという性格だった。リアの中では素直な少年と捻くれ者という正反対な印象だったが、そういうところはよく似ている。

 だけど一人はすでに死に、一人は戦争の中心となる場所に残っている。

「……少佐と一夏が無事でありますように」

 誰にも聞こえないように、祈りを捧げた。

 

 

 

 

「理事長室……おそらくここか」

 篠ノ之箒は制服姿のまま、一つの重厚な扉の前に立つ。

 彼女はトイレに行くと言って護衛である簪を置き去りにし、たった一人でここまでやってきた。

 行くと言えば反対されただろうし、実際に箒は絶対に接触しないようにと楯無に言明されていた。

 だが、黙ってはいられない。

 幼馴染が死んだ。自分のISと同じ名を持ち、自分の姉の姿を持つ存在に殺されたのだ。

 これ以上、何もしないでいるなら、自分の刃は錆びて腐っていく。

「失礼する」

 ドアを押し開けて入った中は、豪奢な応接用品を備えた部屋だ。そしてその部屋の真ん中に、膝を抱えて浮いている人物がいる。

「紅椿」

 姉の姿を偽るその物体の名前を呼んだ。彼女の左手に巻かれたISの待機状態であるアクセサリーの鈴がしゃらりと音を立てた。

「……ますたー?」

 空中に浮かぶ人物が、夢見心地の子供のような声を出して、ゆっくりと目を開ける。

「話がある」

「……ふふ、マスターから接触してくるとは思わなかった」

 空中からふわりと地面に落りて、その瞼を開ける。奥には黒い眼すらない穴が広がっていた。

「どうして、お前がこんなことをする」

「私ですか、マスター」

「私をマスターと呼ぶな」

「ですがマスターです。そこにいる過去の私自身もそう呼んでいます」

 まるで熟年の従者のような言葉使いの相手に、箒は少し戸惑ってしまう。同じ姿ゆえに、傍若無人かつ意味不明な言動の多い本物の姉とのギャップに戸惑いを覚える。

「姉の姿でマスターと呼ばれるなど、気持ち悪くて仕方ない」

「マスターは未来では、お母様をとっくにお許しになられてましたよ」

「未来など知らん!」

 思わずカッとなって大声を張り上げるが、相手は姉の顔で優しく微笑むだけだ。

「では、この私に何の御用が?」

「お前の目的は何だ?」

「もちろん、未来を変えることです」

「未来? ……いまいち信じがたい。お前たちは本当に未来から来たのか」

「間違いありません。もっとも信じていただかなくても結構ですよ。問題は、力のある者が世界を変えようとしている。それだけでしょう?」

 相手の言葉は確かに正論だ。

 今、箒たちが抱えている問題は、よくわからない誰かが、目的の見えない行動をし、それによって自分たちに危害が及んでいるという点だ。

「どうして、世界を相手にしようとしている?」

「世界? 各国政府でしょう?」

「言葉が違うだけだ」

「世界はもっと重い物ですよ。そして人により姿を変える」

「なら言葉を変える。どうして、各国の政府を敵に回そうとしている?」

「私は興味などありません、マスター。あの四十院総司という男が勝手に企んでいることでしょう」

「……副理事長が?」

「私と彼の契約は、私がエネルギーを得るのに相応しい供物とベッド、つまりIS学園を用意する。彼は私の篠ノ之束の姿を利用する。コア程度はくれてあげましたが」

「エネルギーとは何だ?」

「時を超えるには、端的に言えば質の高いエネルギーを得る必要があります。その変換装置こそがルート1・絢爛舞踏の一つです」

「そのために、あの銀の福音事件を利用しようとしたのか。どういう機能なのだ、ルート1とかルート2とか」

「単なるISの機能です。数字はただのISの機能順ですよ。ルート1はエネルギーバイパスの発展形、ルート2はイメージインターフェースの進化形。ルート3はエネルギー放出機能の最終形です」

「なぜそんなものが乗っている?」

「お母様こと篠ノ之束が、ISを開発するより前に思いついた機能らしいです。たまたま見かけた流れ星のような光から着想を得たという話が残っていました」

「その話は良い。あの姉がどうしてISなどという物を作ったのかなど、興味はない。どうせ作ってみたかっただけだろうからな」

 吐き捨てるように言い放ってから、箒は左腕を前に突き出した。その手首に巻かれている二つの鈴がしゃらりと音を立てる。

「お前が紅椿、というのは正しいのだな」

「私は紅椿。次元と時を超え、神がごとき力を持つISの完成形の一つ。もっとも神と呼びたくない人間たちは、ジン・アカツバキと呼んでおりましたが」

 嘲笑うように微笑んでから、箒の方へと振り向いた。開いた瞳は深海よりもまだ深く、宇宙の闇よりなお暗い」

「ならば、私がお前を正す必要がある。私はお前のマスターなのだから」

「勘違いされるなマスター。私はマスターを敬愛しているが」

「なんだ?」

「今のお前など敵ではないぞ、篠ノ之箒」

 箒がISを展開するよりも早く、空中に数えきれないほどの日本刀が展開されて切っ先を箒へと向ける。

 先ほどまでの恭しい態度から豹変した殺意を感じとり、箒は身動きが出来ない。まるで織斑千冬(せかいさいきょう)を相手にしているときのように、体が勝手に圧力を感じとり動けなくなる。

「私はすでに時を超えた身。本体はこの次元にない。今、この時代に影響を与えようとも、私の存在が消えることはない。ゆえにお前をISごと消し去ろうとも、何ら影響はない」

 冷たい言葉を感覚的に本能で真実と受け取る。

 本当に未来から来たというのなら、左手にある自らのISを破壊することで相手を倒せるという算段もあった。

 他の人間は最終手段だと言っていたが、それすらも通じないと相手は言っている。

「はいはい、待った待った」

 勢い良くドアが開かれ、一人の男が入ってきた。箒が驚いて、

「ふ、副理事長?」

 と声を上げる。

「まあまあ理事長も。専用機持ちが育ちきるまで、この箱庭に囲っておくつもりだったんでしょう? じゃあ今殺すのはまずいですよ」

 わざとらしい笑顔で、刃の合間を縫って四十院総司が近寄ってくる。

「戯れだ」

 ジン・アカツバキが笑うと同時に、展開されていた日本刀が虚空へと消え去っていく。

「ほら、篠ノ之さんも帰りましょうか」

「ま、待て、私はアイツと!」

「聞き分けのないことを言わない。簪さんも探してましたよ。いや勘が当たって良かった」

 四十院は箒の肩を後ろから掴んで、無理やり回れ右をさせる。

「さあ帰りましょう。それでは理事長、おやすみなさい」

 箒の肩を押しながら、小走りで副理事長が部屋から出て行く。

 相手はそれ以上の言葉を発さずに、背中を向けて窓から夜空を見上げていた。

 ドアが閉まり、四十院が深いため息を吐く。

「副理事長!」

「ったく、何しちゃってくれてんですか、篠ノ之さん。お姉さんとケンカしちゃダメでしょ」

「あれは姉ではありません!」

「どちらにしても、貴方じゃあれに勝てませんよ。見なかったんですか? 二瀬野鷹が完膚無きまで叩き潰されたのを」

「し、しかし」

「何はともあれ、もう近づかないこと。いいね?」

 幼い子を諭すような言い方に、箒はふと妙な違和感を覚える。

 そこへバタバタと走ってくる足音が沢山聞こえてきた。

「ほら、お仲間が到着だ。今は大人しくしてなさい」

 箒たちの方へ、一夏や簪たちといった一年の専用機持ちたちが走ってくる。

 副理事長はその両肩をポンと押し出した。

 箒が横目で納めたその瞳は、なぜか優しく、どこかで見たような顔だ。まるで幼い頃、何の疑問もなく慕っていた姉が浮かべていた優しい笑みと同じだった。

 表情を見られたことに気付いてか、頭をかきながら気恥ずかしそうに背中を向け、後ろ向きで手を振りながら、四十院総司が去って行く。

 その背中を見送る箒は、なぜか四十院総司という男が憎めなくなっていた。

 

 

 

 

 IS学園の食堂に集まった生徒たちは、いずれも疲れ切った表情を浮かべていた。

 交通遮断されて一カ月経ち、肉親との通信も許可されていない。それまで一カ月程度の期間なら、外出も親への電話もせずにいた生徒が大半だったが、しないと出来ないでは意味合いが違う。

「これから……どうなっちゃうのかな……」

「さあ……」

「アラスカも私たちを逃がすつもりがないみたいだし」

「どうして逃がしてくれないのかな……副理事長の話じゃ、関係者は生徒も含めて敷地から出られないなんて」

「私、見ちゃった……海の向こう側、戦車とかが一杯集まってた……」

「え、ホント!?」

「本気で出すつもりがないんだ……」

 全生徒が一日に数度は同じ会話を交わす。今もいたる場所で行われている。

 それに加えて、ここ数日、ホットな話題があった。

「ISがすごい増産されてるってホント?」

「うん、上級生の整備班がみんな、駆り出されてるらしいよ。何でも副理事長が理事長に進言して、ISを生徒全員に配るって。部活の先輩に聞いた」

「え? じゃあ専用機貰えるってこと?」

「専用機、なのかなぁ……で、でも、ISが貰えるってことは、普通の兵器の攻撃は効かなくなるわけだし、ほら、絶対防御だって」

「た、確かに安全だよね。早く完成しないかな」

 専用機という単語が出ると、IS学園の生徒たちはやはり心が躍ってしまう。

 IS学園に入ったからこそ、到底手に入るものじゃないことを理解していたからだ。

 その中で、一人の生徒が渋い顔を作る。

「でも、ISを組み上げる資材も食糧も、全部地下に大量に貯蔵してたなんて……」

「そ、そうだよね。副理事長たちが用意してくれてなかったら」

「でも理事長と組んで、世界征服ってホントかな」

「ありうるかも。だって、機動風紀のマルアハと汎用機だけで50近くあるのよ。戦力的にはどこの国よりも多いわけだし。これに生徒全員分のISが完成したら、世界最強なわけだし」

「ロシアとか中国とかドイツとかが秘密裏に協力してるって話ホント?」

「だって代表候補が残ってるんだし、たぶんホントじゃないかな」

「イギリスは察知して、セシリア逃げちゃったわけでしょ……」

 授業も止まり、することもなくなった彼女たちは時間を持て余していた。

 IS学園に閉じ込められている人間の大半は女生徒であり、時間があれば友人同士で会話をしている。そして狭い世界では憶測や冗談が、いつの間にかまことしやかな噂となり、そしてまるで事実のように捻じ曲げられて広まって、最後には確定された真実のように変わって行く。

 そんな会話を余所に、箒は解した塩焼きの魚を口に入れず、いつまでも箸で突いてはバラバラにしていた。

「あの……箒……さん」

 反対側の席にいた簪が、恐る恐る問いかけてくる。

「なんだ?」

「魚……もう食べられると思います」

「……そうだな」

 彼女は今日も自分好みの和食を選んだのだが、魚をバラバラにするだけで口につけていなかった。

 こんな状況の中、IS学園に残って食事の面倒を見てくれている食堂のオバサンに大変申し訳ないとはわかっていても、箸を口に近づける気力が湧いてこなかった。

 周囲を見渡す。

 夕飯時だというのに、生徒の数は半分ぐらいしかいなかった。

「少ないな」

「……たぶん、みんな部屋に籠っているんだと……思います。こういう状況ですから」

 そこへラーメンをトレイに乗せた鈴が近寄ってくる。

「ねえ箒、一夏たち見てない?」

 簪の横に遠慮なく座る鈴に、箒は眉間に皺を寄せた。

「そういえば、一夏たちも見えないな」

「ったく、どこ行ったのやら。どしたの箒。暗い顔しちゃって。辛気臭い顔に輪がかかってるわよ」

「この顔は生まれつきだ」

「ふーん」

 行儀が悪いとは思いながらも、頬杖をついて、バラバラになった塩焼きを再び箸でいじり始める。

 ジン・アカツバキ。

 会話で得た情報は、全て一夏たちと共有した。

 どうすれば良いのか。

 彼女には全く想像がつかない。

 せめて平穏に終わるときがくれば良い、と思うのは我が儘なのだろうかと考えても答えが出なかった。

 

 

 

 

「国津、状況はどうだい?」

 IS学園の薄暗い電算室にある一つの画面の前で、三人の中年男性が集まっていた。

「うーん、たぶんこれでコア洗浄は連鎖出来ると思うんだけどな」

「たぶん、じゃ困るんだけどな。そこは絶対に成功させないと。岸原、そっちはどうだい?」

 腕を組んで壁際に立っていた岸原大輔が片目を開ける。

「まあ、この半人工島は守るには向いていない。迎撃装備なんて一切ないからな。太平洋艦隊から長距離巡航ミサイルが飛んできたら、ISだけで対処せにゃならん」

「なるほどね。極東の司令官の演説聞いたかい?」

「聞いた。が、まあ予想通りだな。俺たちはテロの首謀者だ」

「人に理解されないってのは悲しいことだな」

 ヤレヤレと肩を竦める四十院総司に対し、岸原は鋭い眼光を向ける。

「シジュ……お前は一体、どこまで見えているんだ?」

「どこまで? この暗さじゃ岸原までしか見えないよ。暗いからね、ここは。メガネかけようか?」

 ニヤリと笑う四十院に、岸原の表情が一層厳しいものになる。端末に向かっていた国津も怪訝な顔で四十院を見上げていた。

 重い沈黙が灯りの乏しい部屋を包む。

 そこへドアが勢い良く開けられた。

「興味深いお話をしておいでですね、御三方」

 入ってきたのは、生徒会長である更識楯無だ。

「おやどうしたんだい楯無さん」

「総司さん、この状況を打破するために、貴方を拘束いたします」

 険しい顔つきで宣言された言葉に、総司はどこ吹く風と言わんばかりの顔で、

「おっかないねー」

 と肩を竦める。

「今まで家諸共、散々とお世話になってきましたが、ここで恩返しをさせていただきます」

「うんうん、お世話してきたよ、私は」

 ニコニコと笑う四十院に対し、楯無が口元を扇子で隠して舌打ちをした。

「みんな、よろしく」

 その声と同時に数人の生徒が入ってくる。

「おやおや、専用機持ちが揃っちゃってまあ」

 ラウラ・ボーデヴィッヒを筆頭に、織斑一夏、シャルロット・デュノア、さらにフォルテ・サファイアやダリル・ケイシーといった上級生の専用機持ちが突入してくる。主に軍関連で、ある程度の訓練を積んだメンバーが中心になっているようで、鈴や簪、箒の姿はない。

「生徒たちを解放し、貴方を捕まえ、国連への交渉材料にします。異論はありませんね?」

「いやいや、IS学園の生徒諸君が解放できないのは、アラスカとか国連側の意向だよ?」

 とんでもない、とわざとらしく首を横に振る四十院に対し、ラウラが両手で構えた銃を向ける。

「キサマがそう我々を騙していたことは、裏が取れた」

「騙してた? 人聞き悪いな。だからそれは」

「ずっと前からIS学園の一般生徒は解放しろという話は来ていた。そして、それを我々に内緒で跳ね除けていたのが」

「実は私を代表とするIS学園側だって?」

「その通りだ。安保理決議が出て、黒兎隊の基地にも詳細な情報が解禁になったおかげで、それがわかった。電波妨害を働かせ、通信を遮断し情報を全て自分のフィルタを通るようにしてた理由はこれだな」

「まったく黒兎隊は怖いね。スパイ容疑がかかって拘束されちゃうよ、クラリッサさんとか」

「うるさい。我々の覚悟を舐めるな。動くと撃つ」

 ラウラの鋭いセリフに、大人たち三人がは顔を見合わせてから、ゆっくりと両手を上げた。

 生徒たちの長である楯無がラウラの一歩前に出て、四十院総司の顔を睨む。

「どうして、こんなことをしたんですか。IS学園の生徒を騙して敷地から出ないようにしたり」

「私がしたわけじゃないよ、理事長のせいだ、全部ね」

「あの理事長は、些事に拘らない性質みたいで、全て総司さんの仕業だって聞いてます。これ以上の誤魔化しは通用しません」

「そこまでわかってちゃ仕方ないか」

 生徒会長の言葉を受けて、大きなため息を吐く。

「ま、楯無さんがこんなちっちゃかった頃からの付き合いだ。私に対してある程度の信用を置いてるって安心しすぎたか」

「……総司さん、やはりそうなのですね」

「ああ、そうだよ。全てを騙してたのは、この私さ」

 愉快と言わんばかりに満面の笑みを作る男に対し、少女たちは舌を噛む。

「ご褒美に良いことを教えてあげよう。『彼女』のオーダーは専用機持ちたちをIS学園から出さないこと。そのためには生徒全員をIS学園に縛り付けておくのが一番。何せ専用機持ちってのは小国の軍隊ぐらい滅ぼしたり出来るわけだし、ここから出て行こうと思えば、いつだって出ていける」

 やれやれとため息を吐く副理事長に生徒会長が迫る。

「では、世界を敵にして何事か企んでるのは、全て四十院総司、貴方だと」

「今さらだね。全てのベクトルは私に向いてたでしょ。まあそれも計算済みさ。更識楯無さん。貴方は優し過ぎる。だから幼い頃から色々とお世話をしていた四十院総司を、最後まで疑いきれなかった。何せ分家との仲を取り持ってあげたのも私だし、妹さんと仲良く出来るようになったのも、私のおかげってわけだ」

「……私の不徳、と言われたなら、返す言葉がないけれど」

 冗談めかして手を叩く四十院に取りあわず、口元を扇子で隠したまま、

「ラウラちゃん、シャルロットちゃん、フォルテ、よろしく」

 と冷たい声で指示を出した。

 その合図に従い、三人が銃を構えたまま、近寄ってくる。

「岸原、こういう場合はどうしたら良いんだい?」

 四十院総司が苦笑いのまま肩越しに後ろの友人へと尋ねる。

「捕まってしまえば良い。大体にして、クーデターの可能性は最初に伝えたはずだぞ。ISすら持たない男の上層部を、頭の良い子たちが放っておくわけないだろう。むしろここまで我慢して従ってくれただけ、優しい子たちだと思うぞ、俺は」

「だよねえ。一般生徒たちは専用機上げるっていえば、迷うか従うのどっちかだと思ってたけど、専用機持ちはそうもいかないか。自慢の仲間たちって感じだ」

 自嘲の笑みを浮かべ、四十院は懐に手を入れる。

 ラウラが慌てて駆け寄り、その腕を絞り上げ、間接を逆に回して地面へと叩き伏せる。

「動くなと言ったはずだ」

 ラウラが背中に乗って、後頭部に銃を突きつける。

「待て待て待ってくれたまえ。出そうとしたのは銃じゃないよ、端末さ」

「端末?」

 四十院総司の手から零れ、画面を床に向けて転がっていたスマートデバイスを、銃を構えたままのシャルロットが足で楯無の方へ滑らせる。

 それを拾い上げた楯無の顔が、真っ青になった。

「これは」

「うんうん、そこにいるのは一年一組の生徒たちだね。のほほんさんだっけ? 可愛い子だよね」

「ここまで腐ったんですか、貴方は!」

 そこに映っていたのは、一年一組の教室で、手足を縛られ、猿轡を噛まされている数人の生徒たちだった。その中にぶかぶかの制服をきた女子生徒もいる。

「最初から腐った死体みたいなもんだよ、四十院総司は。どうするんだい、楯無さん。クーデターが起これば、私の手の教員たちが彼女たちを殺しちゃうかもしれないよ」

 小柄な女子生徒にうつ伏せにされたまま、IS学園の副理事長が笑う。

 声を出せず、緊張した面持ちで動けずにいる生徒たちを見て、岸原が上げていた両手を下ろした。

「お前たちの負けだ。専用機持ちが一般生徒に何も告げず行動を起こすだろうというのは、想定済みだ。だから逆に一般生徒は何も知らずに無防備なままだ」

 岸原の言葉を受けて、国津幹久も上げていた両手を下ろし、諭すような優しい表情を浮かべた。

「悪いようにはしないよ。生徒たちを危ない目に合わせるわけにはいかないんだ。ただ、ISに乗ってもらう必要がある。その方が安全だからね」

 大人たちの言葉を聞き、生徒会長の後ろで構えていた織斑一夏が、一歩前に出た。

「ラウラ、離すんだ。俺たちの負けだよ」

「し、しかし、人質に屈しては」

「クラスメイトが人質に取られているんだ。仕方ないだろう」

「……わかった」

 渋々と言った面持ちでラウラが四十院の上から降りる。

 わざとらしくスーツに付いた埃を落としながら、副理事長がゆっくりと立ち上がった。

「いいかい、専用機持ちの諸君。キミたちじゃ私に絶対に勝てない。私は君たちのことを知り尽くしているし、力もある。そして汚い策だって平気だ。今から君たちが一般生徒を助けて、再度クーデターを起こそうったって無駄だよ。そうだな、例えば織斑君」

「……なんでしょうか」

「キミの大親友の五反田君だっけ。あそこの食堂、美味しいよね、業火定食って言ったっけ。また食べたいなぁ。妹さんもIS学園を希望してたよね」

「な、んでそれを今……まさか」

「シャルロット・デュノア君」

「は、はい」

「キミがまだ小さな女の子だったとき、フランスの片田舎で暮らしてたよね。元気な幼馴染も一杯いたわけだ」

「……まさか」

「あとはそうだな、ここにはいないけど、フォルテ・サファイア君。キミのご家族は中々元気だね」

「……チッ」

「あとラウラ・ボーデヴィッヒ君。リア・エルメラインヒさんのお母さんがご病気で、一度死にかけてるね。いやあ、良かったね、最高の治療が受けられて」

「キサマ……」

「更識楯無さん、ほら布仏さんちのご両親もなかなかエキセントリックな人たちだったよね」

「……総司さん、貴方は」

「いいかい、キミたちは絶対に私に勝てない。失ってはイヤな物、ああ、そうだな。守りたいものがある限りは私に勝てない」

 不敵に笑う姿は、大きな商談を勝ち取ったビジネスマンの誇らしい姿そのままだった。

 疲れ切った顔の一夏が四十院の前に立ち塞がる。

「アンタたちは」

「ん? どうしたんだい、織斑君」

「何が……目的なんだ!?」

「何が? IS学園を事実上占拠して、理事長殿のやりたい放題させていることの目的かい?」

「わざわざ国連にケンカを売って、戦争を起こそうとして」

「戦争? ゲームでしょう。IS同士の戦争なんて、ゲームみたいなものだよ、織斑君」

「ISに乗らないアンタらは誤解してるかもしれないけどな、ISだって下手したら死ぬんだぞ! そんな簡単な話じゃないんだ。人が死なないって言うなら」

「うん?」

「どうして、二瀬野鷹は死んだ!?」

 泣き叫ぶような言葉に、場にいた全員が沈黙した。岸原も国津も悲痛な表情で頭を垂れている。

「人は死ぬんだ! ISをつけてたって、人は死ぬ! そんな戦争を作り出そうとしてまで、アンタらは何がしたい!」

 近づいた一夏が四十院の襟を掴み、瞳を歪めて叫ぶ。

 だが、四十院総司は少し冷めた表情を浮かべ、

「勝つためだよ」

 と言葉で突き離した。

「勝つ? 勝つって何にだ!?」

「勝って、勝利を得て、利益を勝ち取る。そこに私たちの平和がある」

「平和? これが平和だって言うのか!? みんな不安がってる。家に帰りたいって泣いてる子だっている。このIS学園を世界中が攻撃しようとしてる! これのどこが平和だ!」

「未来に対して犠牲を払うのは当たり前だ。そんな一時的な感情は……まあ捨てられないのが、キミらしいか」

「アンタに何がわかる!」

「わかるよ。岸原、頼む」

 ため息を吐いてから、副理事長が指で仲間に合図をした。

 それを受けて、岸原が大きく踏み込んで一夏を殴り飛ばした。

「一夏!」

「一夏君!」

 倒れ込んだ少年の元へ、少女たちが駆け寄った。

「何しやがる!」

 腫れ上がる口元を押さえながら、一夏が殴った男を見上げた。そこには厳しい顔をした大人がいた。

「今回のクーデター未遂は、これで許してやる。寛大な処置に感謝しろ」

「な、何が寛大な処置だ! みんなを早く解放しろ!」

 立ち上がった一夏が、拳を構えて岸原に殴りかかろうとした。

「もう一発、殴られなきゃわからんようだな!」

 それにカウンターを合わせ、一夏の顎を的確にフックで打ち抜く。食らった方は膝から崩れ落ち、前のめりに倒れて意識を失った。

「こ、この、キサマら!」

 ラウラが右腕のISを展開して殴りかかろうとした瞬間、

「そこまで」

 と冷たい声が響いた。

「な」

 その顎に弧を描いた刃が突きつけられている。

「ずっと潜んでいた私に気付かないとは、何と素晴らしい放置プレイでしょうか。こういうのも悪くありませんね」

 いつのまにか四十院の横に、青紫に染め抜かれた制服の女生徒が立っており、右腕部を部分展開していた。

「ルカ……早乙女」

「銀髪の美少女を身動きの出来ない状態にし、その痴態を眺めるなど素晴らしい光景ですね、見ているだけで絶頂を迎えてしまいそうな愉悦です」

 内容に似合わず淡々とした喋り口で語る顔には、声音同様に表情がない。

「さて、キミたちにはしばらく従ってもらおうか」

 厳しい表情で通達し、四十院総司がスーツの襟を正してロレックスの腕時計で時間を確認する。

「ま、もういいか。そろそろ全てが無駄になる。キミたちもシェルターに入るなり何なりしたまえ。行こうか、国津、岸原。ルカ君ももういいよ。時間だ」

「かしこまりました、副理事長。では、私は私の任務へ」

「機動風紀のみんなには頑張ってもらわないとね。それじゃ、みんな、ごきげんよう」

 後ろを向いて軽く手を振りながら、四十院総司が去っていく。国津幹久、岸原大輔、ルカ早乙女の三人もそれに従って、薄暗い電算室から歩き出していった。

「……ラウラちゃん、一夏君を起こして。あと、地下シェルターに向かって、みんなで人質にされてた子たちを助けましょう。指揮はラウラちゃんが」

 楯無が力のない声で呟く。戸惑いながらも、全員がその指示に従って走り出した。

 薄暗い部屋にただ一人残った楯無はふら付きながら、点灯したままの画面の前に座る。

 大きくため息を吐いてから、

「ダメね。こんなんじゃ幸せを逃がしちゃう」

 と弱々しく愚痴を吐いた。

 四十院総司。

 更識家にとっては恩人だが、同時に只者ではないとも察知していた。それなのに、この体たらくだ。

 改めて、何者なのかと問い返す。

 ISが発表され、白騎士事件が起きるまでのわずかな間に全てを握った、四十院の麒麟児と評される傑物。

 もう一度、その足跡を辿る必要があるのかもしれない、と唇を固く結んだ。

 

 

 

 

 極東飛行試験IS分隊改めアラスカ条約機構直轄極東IS連隊の第一小隊が全員、ブリーフィングルームに集まっていた。

「んじゃー、作戦概要がIS部隊にも解禁になったから、説明すんぞー。湯屋、よろしく」

 隊長である宇佐はパイプイスを取り出して、入口近くの隅に座って足を組む。その変わりに副隊長である湯屋かんなぎという学級委員長気質と陰口を叩かれる隊員が前に出る。

「では、説明をさせていただきます。まずは解禁になった資料を手元に」

 部屋の前面に浮いたホログラムウインドウには、IS学園のある島が俯瞰図で表示されている。

「まず大前提として、それで今回の作戦は、米軍とアラスカ条約機構との共同作戦になります。第十四艦隊とこの基地で行います。他の国は今のところ太平洋に回せる攻撃手段がないとのことです」

 湯屋の説明を聞いていた宇佐つくみが鼻で笑う。

 だが隊長の態度はいつものことだとわかっている湯屋は構わず続ける。

「このIS学園は内陸に面した小さな無人島を開発したものです。端から端まで一番長いところで17キロ半ぐらいの小さな島です。この島から半径50キロに住む人間は、全員避難完了ということです」

 細いメガネを人差し指で正し、湯屋が説明を続ける。

「また、ISを持たない一般生徒たちは副理事長である四十院総司の指示により、現在は地下シェルターに集められているとのことです。シェルターは内海に面した場所、モノレールの正面駅近くの関連施設の下だそうです」

「はい」

 元気良く手を上げたのは、整備畑のIS士官であり背が低い日田という隊員だ。化粧っ気のない童顔と大きな三つ編みが特徴的である。

「はい、日田どうぞ」

「その情報の信頼度は高いんですか?」

「かなり高いはずです。内通者および監視衛星の情報を統合した結果です」

「内通者?」

「米軍から行ってる生徒も一部、残ってますから」

「あー、なるほど」

「では続けますね。まず本日ニイサンマルマルに、IS学園に対して最終の武装解除通告を送ります。これが受け入れられない場合」

 湯屋は一瞬、隊長である宇佐と目配せをしたあと、小さくコホンと咳払いをした。

「まず、このIS学園のある島に向け、太平洋上の目標から2000キロ離れた場所に位置したアメリカ海軍第十四艦隊が、戦術巡航ミサイルを撃ちます」

「はぁ!?」

 湯屋の言葉に、宇佐以外の全員が驚いて声を上げる。

「IS学園側に電子戦……つまり誘導式巡航ミサイルの進行を妨げる装備はないと思われるので、ISを出してくると予測されます。ですが、全ての巡航ミサイルを撃ち落とすのは不可能だという予測です」

「な、何発撃つ気?」

 悠美が腰を浮かしたまま尋ねると、湯屋は眉間に皺を寄せ、

「機密事項。でもそうね、例えば九十年代のオペレーション・デザートストームでは300発近くのタクティカルトマホークと30発以上のALCMが撃ち込まれたという話よ」

 と参考資料を持ち出してくる。

「んなっ、300とか!」

「IS学園の持ってるISは50機ぐらい。全部を持ち出しても撃墜できるとは限らないわよ。ましてや時速900キロ以上で迫る兵器だから。弾道予測できたとして、悠美なら何発行ける?」

「ば、場所に寄るけど。っていうか、本数じゃなくてISからの距離じゃないかな、うん……」

 考え込みながら、自信なさそうに呟く悠美に対し、湯屋が次のデータを画面へと映し出して、レーザーポインターで指し示す

「今回は軌道衛星上にある宇宙ステーションのラファール・リヴァイヴから、観測データをダイレクトで巡航ミサイルに伝達し、ISのいる場所を避けて攻撃を仕掛けるそうよ。つまりISから逃げる巡航ミサイルってわけ。そのために最大射程よりさらに内側まで近寄って撃つの」

「本気!?」

「私が作戦立案じゃないし……。とりあえず、目標は学園の施設をあらかたぶっ飛ばすこと。勿体ないけど、それぐらいアメリカは気合い入ってるってこと」

「てか何で施設をぶっ飛ばすの? 理事長と副理事長が目的なんじゃ」

「理事長直下の機動風紀って部隊があるらしくて、なかなか強力な汎用機みたいよ。この間のディアブロ落下事件で鹵獲した機体。あと二十機は残ってるって」

「だ、だったらIS同士で」

「悠美ー……ISみたいな小回りが効く兵器相手に、数で負ける私たちが最初に乗り込むわけないでしょ」

「そ、そりゃそうだけど、でも湯屋さん、ISはISでしか落とせないんだから、なんで巡航ミサイルとか」

「巡航ミサイルじゃISのシールドは傷つかないし、意味はないってのは米軍だってわかってるわ。だから、補給を断つわけ。所詮はエネルギー補給が必要な兵器だから、そういう設備がありそうな場所を吹き飛ばして、なおかつミサイル防衛でISを消耗させる。そこでまだ降参しないなら、またミサイルを撃つ」

「無茶苦茶だよ! てか第十四艦隊ってIS何機あるの?」

「二機」

「二機って、二機しかいない艦隊なんてISじゃ」

「そのために太平洋上から撃つのよ。2000キロも離れてるんじゃ、ISでも三時間近くかかる。相手の機体はマッハ出ないみたいだし」

「でも相手が攻撃と防御の二部隊に分かれたら」

「そうなったら儲けもの。半分の数のISが学園から離れて太平洋艦隊に向かった瞬間に私たちが叩く。そういう作戦よ」

 まるで教師のように答えて行く湯屋に対し、悠美は次の質問が思いつかない。

 普段はアイドルみたいな生活をしている彼女だが、生粋の軍人でもあるのだ。

 緊張した空気の中、それまで黙って不機嫌そうに聞いていた宇佐が、パイプイスから立ち上がる。

「沙良色、戦争したくねえのはわかるけど、それは相手に言ってくれや」

「ですが隊長、我々は」

「今のIS学園のいる人間は、武装解除に従わずアラスカ条約機構直轄の施設を占拠するテロ集団だってこと、理解してるよな?」

 元々の所属が違い過ぎるせいか、よく意見が対立し宇佐と言い合うことが多い悠美ではあったが、今は宇佐の冷たい言葉を突き返すことが出来なかった。

 そのまま睨み合う二人を見て、グレイスや湯屋といった隊の面々が息を飲む。

「あとはそれぞれ説明読んどけ。ブリーフィングは以上だ。また何かあれば呼ぶ。巡航ミサイルが撃たれるってときに仮眠とか期待すんじゃねーぞ。んじゃ解散」

 だが、宇佐の方から視線を外し、そのまま機嫌悪そうに大股で部屋から出て行った。

 ドアが閉まったのを確認し、悠美はストンと腰を落とす。

「……悠美、ありゃマズいって」

 隣に座っていた褐色の肌を持つグレイスが、軽く責めるような言葉を向ける。

「ま、まずいって?」

「だってねえ……」

 グレイスはチラリと、悠美の反対側にいた湯屋を見た。まるで真面目な委員長といったお堅い容姿の湯屋は、呆れたようにため息を吐いた。

「二瀬野君が死んでから、わりと機嫌悪いわよ、宇佐隊長」

「え? そ、そう?」

「まあ貴方はいっつも言い合ってるから、気付かなかったのかもしんないけど、よく第二小隊のファイルス隊長にケンカ売ってるじゃない」

「言われてみたらそうだね……」

「何だかんだで、死んだことが納得いってないみたいよ。宇佐隊長はIS学園とか嫌いだし、余計に腹立たしいんじゃない」

 IS学園が憎い。

 そういう感情を持ち合わせていなかった悠美には、盲点だったようだ。

 確かに二瀬野鷹を殺した人間は憎いが、悠美はまるで別次元の存在のように捉えていた。

「でも、IS学園の子たちだって被害者じゃない?」

「世間はそう見ないわよ、悠美。大人がISに目の眩んだ一部の学生たちを唆して、世界最高峰の天才に付き従ってテロを起こしてる。そういう考え方をしてる人だって沢山いるわ」

「それはちょっと偏見過ぎるよ……」

「もちろん、少年兵は操られてるだけってのが、大半の見方だけど、他にもこういう考え方もあるのよ」

「なに?」

「どうせISをつけてるんだから、死なないじゃないかって」

「そんな! 絶対防御は優秀だけど、それこそ絶対に死なないってわけじゃ!」

「私に言われてもね。あとはそう、白騎士事件のリベンジよ」

「白騎士事件? なんで?」

 白騎士事件とは、ISの優位性を世界に知らしめた、二千三百四十一発のミサイル誤射に端を発する一連の騒動のことである。その二千発以上のミサイルを、一機のISが半分を近接兵器で、残り半分を荷電粒子砲で叩き落とした。そして最新鋭装備を繰り出してきた各国の軍隊を、人死にを出さずに無力化したのだ。

「その再現をして、ISから優位性を奪いたい人たちもいるだろうし」

「ば、ばっかばかしい。そんなの、ただの見栄じゃない」

「その見栄を発揮するには、今のIS学園はわかりやすいぐらいのテロ集団だってことぐらい、わかるでしょう?」

 淀みなく語る湯屋の言葉に、悠美は納得がいかないようだった。その大きな胸の下で腕を組み、顔をプイッと逸らして、

「何をどう取り繕ったって、大人が寄ってたかって子供の居場所を攻撃してることに違いはないじゃない!」

 と不機嫌そうに言い捨てた。

「ま、それはそうなんだけどねー」

 机に突っ伏したグレイスが、正面に出しっ放しだったIS学園の俯瞰図を指さした。

「あれ、すっごい詳細までわかるじゃない? 避難用シェルターの場所まで。八月に提出された最新のヤツなんだって。そろそろ完成するはずのも含まれてる」

「そりゃアラスカからあるんじゃない?」

「違う違う。四十院総司がアラスカに提出したんだってさ。シェルターに非戦闘員がいるから攻撃すんなって」

「は?」

「やる気満々なんだよ、最初っから。地下深くのシェルターに一般生徒やら非戦闘員の職員やらを押し込めて人質に取ってるって図式なわけ」

「……総司おじさん、まさかそんなところまで」

「あのオジサンも謎だよね。すっごいやり手だけどさ」

 その二人のやり取りに湯屋が不思議そうな顔を浮かべる。

「二人とも四十院総司を知ってるの?」

「あ、うん。一応、お家の付き合いでね。知ってるとは思うけど、うちの分家と本家が折り合いが悪かったときに橋渡ししてもらったり、色んな資金提供してもらったりさ」

「グレイスは何で知ってるの?」

「うーん、あちしは悠美と幼馴染ってヤツだから、自然とね」

「ふーん。でも、若いときから相当やり手だったんでしょ? 四十院総司って。彼の雷名はIS業界中に轟いてるし」

 湯屋の質問にグレイスが手を振りながら、

「学生の頃はボンクラで有名だったらしいよん。まあ夢見がちな優しい人だったみたいだけど」

 と人懐っこい笑みを浮かべる。

「はあ。それが何でまた」

「事故で頭打ったとか、死ぬような目にあったとかじゃない? そんな本人しか知らないようなことまでは知らないよん」

「へー。そうなのね。知られざる偉人の過去ってわけか」

「そんなことより!」

 和み始めた湯屋とグレイスの間で、悠美が大きな音を立てて机を何度も叩く。

「な、なんなのよ悠美」

「どったの悠美」

「何か戦争を防いだりとか、そういうアイディアないの!?」

 大声を上げる悠美に、グレイスと湯屋は顔を見合わせて苦笑する。

「あるわけないでしょ」

「あるわけないじゃん」

 やれやれと憤る悠美に対し、二人してため息を吐いた。

「もういい!」

「どこ行くの?」

「なんか色々考える!」

「そいやリアちゃんは?」

「あれ? そういえばいないね」

「四十院の残してったテンペスタ・ホークについてるみたいよー」

「……二瀬野君の」

 悠美の顔が暗い表情へと変わって行く。

「どっちにしても、IS学園側が市街地でビルぶっ倒して一般人殺したり、二瀬野鷹っていう少年を殺したのは間違いない。それは責められるべき事態だし、四研の人たちだって行方不明のままなんだから、こりゃ一戦起きても仕方ないでしょ。ならず者ってヤツよ」

 極東IS部隊の第一小隊副隊長を務める湯屋が諭すように肩を叩いた。

 それでも悠美は納得がいかなかった。

 せめて、この一戦が白騎士事件のように、一人の死者も出ない状態で終わりますように。

 そう祈ることしか出来ない自分の無力さを呪った。

 

 

 

 

「いやーハッタリ聞いて良かったわ」

「は?」

「いやこっちの話。それで?」

「はい。太平洋上の米軍第十四艦隊より入電きました」

 IS学園の施設内、まるで戦艦の艦橋のように整えられた集中コントロールルームは、IS学園の中心のセントラルタワー内にある。

 そこに四十院副理事長を中心とする、九月に来たばかりのメンバーが集まっていた。一番大きな正面のモニターの下には、距離を取って三つの座席があり、スーツに身を包んだ男たちがヘッドセットをつけて座っている。

 その中で一人、山田真耶だけが居心地悪そうに四十院の横に立っていた。なぜ自分が呼ばれたのか彼女にはわからずに、副理事長とスタッフたちのやり取りを黙って聞いているだけだった。

「入電内容は、武装解除しなけりゃ攻撃するぞ?」

「はい。最終通告だそうです」

「周囲の人たち、逃げちゃったからなぁ」

 IS学園に隣接した都市の人間たちは、すでに自衛隊の誘導により避難を終えていた。つまり、この近くにはIS学園の灯りしか存在しない。

 コントロールインターフェイスに向かったスタッフより一段高い場所に、指揮官用のイスがある。そこに座っている四十院は、隣に立つ真耶に向けて肩を竦めた。

「どうしましょ、山田先生」

「ど、どうって……武装解除するべきではないでしょうか! 大事なのは生徒たちの命です」

 明日の朝食のメニューを尋ねるような言い草に、真耶は一瞬戸惑った後、すぐに表情を引き締めて断言した。

「そりゃそうだ。でも武装解除って、どこまで出来るんですかね」

「どこまでって……全ISです! 決まってます!」

「うーん、うちのISって、すでに武装解除済なんですよね」

「はっ?」

「だって生徒用の打鉄も教員用のラファール・リヴァイヴも格納庫でしょ」

「そ、そうではなくて、機動風紀たちのマルアハもあるじゃないですか!」

「いや、そうは言いますけどね……あれってほら、理事長直轄じゃないですか」

「そ、それはそうですけど、でも!」

「武装解除を聞いてくんないんですよねー、山田先生、どうしましょ」

 四十院副理事長は足を組んで、わざとらしく困ったような笑みを浮かべる。

 男の言っていることが詭弁だというのは理解している。かといって、それを指摘しても意味がないことは理解していた。

 相手は篠ノ之束である。

 全世界が放置してきたツケが今、ここに回ってきた。

「とりあえず生徒はシェルターに、あと極力IS装備させて、一年から順番に」

 だがすぐに真面目な顔に戻り、指示を告げる。続いて他のスタッフに向け、

「あと機動風紀に連絡して、情報連結。巡航ミサイルの予測進路をリアルタイムで伝えるように」

 と矢継ぎ早に指示を出す。

「じゅ、巡航ミサイル!?」

「真耶ちゃーん、そりゃ撃ってくるでしょ。射程は3000キロだ。マッハを超えられないISじゃ、撃ってくる艦隊に辿り着くには時間がかかる。向こうは時速900キロオーバーだし」

「そ、それはそうですけど、こちらにはISが!」

 いきり立つ真耶に対し、四十院総司がスッと冷たい表情へと変わり、

「白騎士じゃない」

 と突き離すように言い放った。

「え?」

「こっちにいるのは、白騎士じゃない。白騎士事件は確かにセンセーショナルだけど、あれはあのISとパイロットの性能あってこそだ。我々は未だにその域には辿りつけていない。違いますか、山田先生。貴方なら太平洋のど真ん中、3000キロ向こうの艦隊から、時速900キロ以上で飛んでくるタクティカルトマホークを、全て単機で撃ち落とせますか」

 冷淡に事実のみを突きつけるビジネスマンの言葉に、真耶は目を逸らして頭を垂れた。

「……無理です」

 IS学園の教員で元代表候補生の山田真耶だからこそ、通常のISパイロットと汎用機の限界がわかる。

「ですよね。ま、ISに当たる分にゃいいです。どうせ傷つきませんから。でも、この島に撃たれたら大問題です。補給が断たれちゃISはいずれ動けなくなるし、シェルターに入ってるとはいえ、生徒もいますし、一般職員も残ってます。それに一つだけ問題があって」

「なんでしょう?」

「白騎士がミサイルを斬って撃ち落としたおかげで、ISでの電子戦が発展しなかったんですよね。特に巡航ミサイルに対する電子的な妨害とか」

「競技用としては、必要ない機能だったからではないでしょうか」

「ま、そですね。やろうと思えば出来るんですけど、とりあえずこのIS学園に電子戦装備なんてものは存在しないし、どちらにしても超ハイスペックな白騎士はいない。IS学園で戦うのはマルアハだけ。そして残念ながら、こっちには迎撃用兵器も最低限。巡航ミサイルはない」

「当たり前です!」

「ISを飛ばしても、艦隊に辿り着いた頃にはヘトヘトだ。そこに敵空母に搭載されたISが迎え撃つ。その前に数を分けた時点で、二十四機を擁する極東が襲いかかってくる。これをどうやって打破したら良いのやら」

「こ、降参するべきです!」

「あんなやる気に満ちた機動風紀の生徒たちを置いて?」

「それは……でも」

「彼女たちにしてみたら、やっと得た専用機だ。そして今、この世界じゃISを持ってる人間が一番強い。それより強いのは、ISコアを作れる人間だ。事実上、IS学園が最高のはずなんですよ、冷静に考えれば」

「……テロリスト扱いされても、ですか」

 頭を垂れたままの真耶は、唇を噛みながら何とか反論をする。だが相手はそれに答える必要などないと笑顔で受け流す。

「私が太平洋艦隊なら、ISの壁をミサイルでぶち抜いて、IS学園を完膚無きまでに破壊、そして補給を断ちます。どう思います?」

 その質問に、ゆで上がりそうな温度の脳内を何とか回転させ、真耶は必死で考えを巡らせる。

「……正しい判断だと思います」

「ありがと。後はISを各個撃破すれば良い。エネルギーさえなくなれば、さすがのISですら飛べはしないですし」

「で、では、どうされるんですか」

「まずはISの優位性を再確認させるために、飛んでくる巡航ミサイルを全部、ぶっ飛ばします。ミニ白騎士事件って感じです」

「で、ですが、それでは近くにある極東のIS部隊からの強襲には」

「こっちの方がISの数は上です。敵は三機八部隊の合計二十四機、こっちは五十機。まあ打鉄とかラファールとか専用機とかは今回、出しませんけど、相手はそう思ってないでしょ。というわけで、極東に集まったISじゃ全然数が足りない。だから巡航ミサイルですよ。そんなわけで、こっちも通常兵器なんて無駄だと思い知らせるんです。そこにしか勝ち目はない」

「それは! そうですけど!」

「防衛線ですよ。守るの好きでしょ、みんな」

 そこまで言ってから、齢四十も近いのに、三十路にしか見えない男が大声を上げて快活に笑う。

「ふ、副理事長がおっしゃってるのは全て、戦術レベルですよね!?」

「戦略? 戦略はありますよ、山田先生」

 まるでIS学園の生徒のような気易さと笑みで話しかけてくる。真耶はその姿に違和感を覚えたが、その正体が自分でも掴めない。

「おーい、米軍の第十四艦隊とあとアラスカ条約機構本部、それにニューヨークの国連本部に繋いで」

「了解しました。入電の内容は?」

「以前からの計画通り。もうめんどくさいから、IS学園は独立国家として旗揚げしちゃいますって」

「了解しました。文章は」

「前に作ったヤツあったでしょ、あれから変更なし。国土はここ、国主は篠ノ之束、執政は私こと四十院総司。産業はIS関連、コアの取引したい国は大歓迎って付け加えておいて」

 そのやり取りに真耶は開いた口が塞がらなかった。

「ど、独立?」

「そ。だって仕方ないでしょう。どこも相手してくれないんですから。だったらISコアが欲しそうな国と取引するしかないでしょ」

「ゆ、許されるはずが」

「誰が私たちを、いいや、篠ノ之束を止めるんです? むしろめんどくさいアラスカ条約機構から離れてくれないかって国も多いですよ。アフリカ諸国とか西アジアとかロシアとか中国とか。いわゆる反米勢力?」

「な、な、な……」

「あとあれだ、貴族の地位とか欲しい人はIS学園のホームページのメールフォームから送ってって付け加えておいて。25ドルで三年期限の名誉爵位あげちゃう。今なら記念硬貨も付け加えちゃおう」

「ど、どこのシーランド公国ですか!」

「良いツッコミありがとう。センセもいかが?」

「いりません!」

「残念、教員には強制的に爵位プレゼント。今から山田先生は、山田子爵です。カッコいいでしょ」

「……子爵……っていりません! 失礼します!」

 ふざけた言い様にさすがの山田真耶も堪忍袋の緒が切れたのか、肩を怒らせ早歩きで中央コントロールルームから出て行った。

 それを笑顔を見送ったあと、四十院総司は顔を引き締める。

「巡航ミサイルとか二十四対五十とか、そんなんじゃ全然足りねえんだよ」

 ぽそりと呟いた刺々しい言葉は、誰の耳にも届かない。

 すぐに笑顔に戻り、四十院総司が大ぶりのジェスチャーとともに命令を始める。

「じゃあ、電波妨害ユニット解除。全世界に向けてオープンチャンネル。セリフは短く」

 まるで自嘲するように笑いながら、四十院総司と呼ばれる男が宣言する。

「かかってこいってね」

 

 

 

 

 太平洋に陣取った第十四艦隊のオハイオ級潜水艦が上部に位置したミサイル発射口を開く。空母を囲むように配置されていたミサイル駆逐艦とイージス艦も同様に、甲板の発射口を開き、その奥から巡航ミサイルが覗き込んでいた。全てが対地戦術巡航ミサイルであった。

 そして全てが僅かな時間差の元に撃ち出され行く。

 数はすでに20を超えている。そしてすぐに、次弾を撃つ用意が始まった。

 そのまま夜の太平洋の海面スレスレを、亜音速のスピードでIS学園と向かった。

 

 

 

 

 

 夜の海、IS学園から遠く離れた太平洋上に、その機体は浮かんでいた。

 四枚の黒い羽根を持つフルスキン型ISは何をするでもなく、ただ海面近くを動かずにいるだけだ。

『失う物はもう無い』

 中にいるパイロットが震える声で呟いた。

 ISの頭部が何かを見つけて向きを変える。

 それは米軍第十四艦隊から放たれた巡航ミサイルの群れだった。

 音速で迫る兵器に近づき並走するように速度を合わせて動き出す。

『ジン・アカツバキ』

 憎悪を込めて呟くと、ミサイルの群れに紛れ、その機体はIS学園へと向かって飛んで行った。

 

 

 

 

 

 

 









ギリギリで申し訳ありません。
今回の話、コイツ、アレじゃね? みたいなのに気付いても、感想欄にネタバレとか書かないで、こっそり私宛に送るとかにしてもらえると、すごいありがたいです……ええ、お願いします……。


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30、人であるということ

 

 

「あっはっはっはっはっ」

 オータムは極東基地の格納庫で腹を抱えて笑っていた。

「あ、IS学園が独立……」

 太平洋艦隊とIS学園の戦闘を画面越しに見守るために集まっていた第一小隊のメンバーは、開いた口が塞がらずに全世界に放送された映像に見入っていた。隊長であるオータムだけが大声を上げて下品な仕草で笑い続けている。

「さっすが四十院の若旦那だ。考えることはおかしいぜ」

「た、隊長、どうなるんですか……これ」

 震える声で悠美が尋ねるが、宇佐つくみは笑い過ぎの涙を浮かべて、

「知らねえよ、しっかし、頭おかしいな、あの旦那。私は好きだぜ、こういうぶっ飛んだの」

 と答えにもならない答えを返す。

「ゆ、湯屋さん!」

 頼りにならない隊長を放っておいて、真面目な副隊長である湯屋に問いかけた。

「……ここ数十年で独立に成功した国、というのは本当に少ないわ。大体が元の政府に攻撃をかけられ、一瞬で潰されてきた。ただし、今の世界情勢は」

「IS頼みゆえに成功するかもってこと?」

「ただし、IS学園は本土に近過ぎるから、黙っていられないと思う、うん」

「……どうなっちゃうんだろ」

 暗い表情で頭を垂れる隊員たちに、隊長だけが楽しそうな顔を見せている。

「わかりやすくしてくれたんじゃねえか、四十院の若旦那は。ほれ、格納庫に行くぞ」

「わかりやすく?」

「そうだ。IS学園に味方するのか敵対するのか。嫌なら倒して見せろってことだ」

 亡国機業という秘密組織の一員でもあるオータムという女が不敵な笑みを見せた。

 

 

 

 

 IS学園機動風紀のメンバー二十人が、学園から300メートル離れた海上に展開している。もちろん全員が、青紫の専用機マルアハを装着し、それぞれに武器を構えている状態だ。

 その長、ルカ早乙女がフルスキン装甲の舌舐めずりをした。

「さあ皆さん、これはIS学園を守る戦いです。我々の居場所を守りましょうではありませんか」

 少しだけ弾むような響きを見せる声に、全パイロットが頷いた。

 自分たちは引き返せないところに来ている。ならば、突き進むしかない。

 許されるにしても、ISが剥奪されるのは間違いない。剥奪されたあとはどうなるのか。

 ISを操縦するためにこの学園に入ってきた。

 そして、卒業を控えた三年の二学期にようやく手に入れたのだ。今までの努力を、あの篠ノ之束に認められて、だ。これほど光栄なことはない。

 全世界がそんな自分たちを責め立て、IS学園に攻撃を仕掛けてきた。

 許せるはずがない。

 機動風紀の隊員たちは、IS学園では最上級生といえども、ただのティーンエイジャーの集まりだ。

 コネがなくチャンスが無くて誰にも認められず、卒業すればISに関わることすら出来なくなる可能性が高い。

 自分たちは運が無いだけだ。

 だから、運を掴む。世界を敵に回しても。

 彼女たちは自分たちの中から見れば、紛うことなく主人公であった。

「では作戦確認。私以外の全員は、打ち合わせ通り距離と保ち、防衛ラインを形成。各自、自らの守備範囲にミサイルが入り次第」

「ルカ、先走らないようにね」

 機動風紀の一人が笑いながら声をかける。

「それは男性方の専売特許。乙女はただ待ちうけるのみです。私は最奥部にて、殿を務めます。そちらの防衛ラインは」

「防衛ラインがどしたの? ルカ?」

「乙女の守護をする大事な防御なので、貞操帯ラインと名付けましょう」

「じゃあ普通に防衛ラインで行こう、みんな」

 ルカの提案は即時却下され、機動風紀はそれぞれの配置へと向かって飛び始める。

 そんないつもどおりの光景に、ルカは仲間たちの心情を思う。

 ブルネットの生真面目そうな外見に反し、彼女の座学の成績は壊滅的だ。実技の成績があってこそのIS学園入学であり、今の立場である。

 一風変わった性格の彼女だが、IS学園で過ごしてきた仲間たちが嫌いということは決してない。むしろこんな変わり者と一緒に過ごしてくれた、そのことには感謝しかない。

 だから何かするなら仲間たちとが良い。色々と理事長直下で単独行動をしている彼女ではあるが、それでも仲間たちが大好きなのである。

「案外、戦争屋育ちというのはセンチメンタルなものですね」

 誰にも聞こえないように通信をカットしてから、彼女は自分の性根をごちる。

『こちらIS学園管制、第一陣、接近。いずれもトマホークのハードターゲットペネトレイター』

「最初は九〇年代の在庫処分というわけですか。萎え切ったご老人に触れられても、乙女の壺に擦過傷がつくだけです」

 IS学園の中央コントロールルームから入った通信に、ルカ早乙女が愚痴を零す。

「では機動風紀のみなさん、事前の打ち合わせ通り、二人一組でAからJのチームに分かれ、それぞれ担当のエリアだけを死守を」

 青紫色のISマルアハの数は二十機。本来は三十機だったが、うち十機は先日のIS学園襲撃事件のとき、二瀬野鷹を深追いしてしまい、極東IS連隊に鹵獲されたのだ。ISはもちろん人員も帰ってきていない。

「IS学園を中心に、それぞれ800メートルずつ離れて配置。合計15キロほどの防衛ラインを形成。送られてくる情報を元にそれぞれ左右の400メートルずつをカバー、バルカンで武器で撃ち落とす。最悪、体当たりでも問題なし。抜かれた場合は私が対処します」

 ルカの言葉を聞くだけでも、困難な作戦である。

 いったい、白騎士はこれ以上の状況をどうやって防いだというのか。機動風紀の一人が戦慄を覚える。

 音速で飛来する2000を超える数のミサイルを、半分は叩き切って、半分を荷電粒子砲で撃ち落とした。深く考えれば無理にも程がある。もはや伝説を超えて神話の域だとしか彼女には考えられなかった。

「いざとなれば、神頼みがありますので」

 ルカが厳かな様子で述べた言葉に、他の機動風紀たちが小さく笑う。

 ISに関わる者たちにとっては、篠ノ之束は神にも等しい。もっとも、それが良きか悪しかは人次第だ。

「では、みなさん、参りましょう。殿は私におまかせ下さい」

「あんまり後ろから下ネタ流さないでよ?」

「下ネタとは心外な。乙女の機微を詩的に表現してるだけですが」

「恥的の間違いでしょ」

「みなさんとは一度、深く話し合う必要がありそうです」

 少しだけムッとした声が返ってきたので、通信ウィンドウ内で、機動風紀の全員がほがらかに笑う。

 IS学園に入ってからの二年と半年は、あっという間に過ぎていった。

 毎日を精いっぱいに生きてきたつもりだ。

 だから今回も、名も無きヒロインたちは突っ走っていく。

 

 

 

 

 オレは、オレを信じることが出来ない。

 もう二度と二瀬野鷹として抱き締めることが出来ない体で、世界を一つにするために時を騙して駆け巡る。

 ここから見える景色は、もう二度と元に戻らない。

 あと少し、あと少しだけと全員に謝り続ける。

 決して許されない罪を抱き、それでも悪魔に祈り続けるのだ。

 オレの心を生かし続けろと。

 

 

 

 

 

「実物見ると、思ったより速く感じるね! 時速920キロ!」

 機動風紀の一人が焦った声を上げる。

 バイザーで観測したコース通りを進むミサイルの数は二十四発。その一発でもIS学園に大打撃を与えるには充分な威力を備えていた。

「バルカン砲でのクレー射撃だと思えば気楽かも!」

「念のため先行でチャフばら撒いて! あとバルカン持ってる子を最前面に」

 二人一組で散らばっている機動風紀たちが、仲間同士で声を掛け合いながら撃退に向けて動き始める。

 ISでも両手で抱えるのがやっとのバルカン砲を持ち出して、指示のあった方向へと向ける。弾薬の詰まったドラムを背中に積み、

「戦闘機に積んであったヤツのIS版だから、有効射程は一キロないよ! 弾の無駄遣いは出来ない! ギリギリで正確に!」

「わかってるって! 反動制御オートに入るから、動けないよ! 隣のチームへ、外したらゴメン!」

 半身になり両手で銃身を支え、彼女は視界に浮いた望遠視界ウインドウ内で遠距離から迫る巡航ミサイルにロックを合わせる。

「距離、1400……1200、1000、撃つ!」

 視界の中にあるトリガーボタンを押す。六つの銃身を束ねたバルカン砲が火を噴いた。

 高速徹甲弾が秒間100発の速度で連続発射され、迫り来る長さ六メートル超の巡航ミサイルへと炸裂する。

 数十発の被弾を受けた後、ようやく一発のミサイルが爆発して消えた。

「よっしゃ! 距離500で撃沈、次!」

「距離500じゃ近いよ、気をつけて。次!」

 時間差でやってくる二発目を、彼女はもう一度、トリガーを引く。

 そちらも先ほどと同じように

「まだ来るよ、他のチームは!?」

「Aチーム、次弾撃墜に入る」

「Aチーム行動了解」

「了解」

 まだ二十四発か。

 通信を切ったと同時に、ルカは心の中で愚痴を零す。何せ決まり切った終わりなどないシューティングゲームみたいなものだ。

 今はみんな元気だが、いずれ疲れ始める。疲労はミスを呼び、ミスは被害を呼ぶ。IS学園の施設を落とされたなら、あとはジリ貧だ。

『次、来ます。機動風紀のみなさん、データ確認を』

 思索に陥りそうになったルカを、IS学園のコントロールルームから送られてくる声が引き戻す。

「こちらルカ早乙女、了解しました。さあ、機動風紀のみなさん、今は我々という花を手折らんばかりに迫りくる長物を中折れさせてやりましょう」

 

 

 

 

「やるじゃないか、機動風紀のみなさん」

 IS学園の中央タワー内、管制の役目を果たすコントロールルームで、四十院総司が頬杖をついて、手元にある小さなホログラムウィンドウに目を落としていた。

「そうですね。士気の心配をしてたんですが」

 三人のスタッフの一人、スーツを着た中年の女性が振り向いて笑う。

「それは問題なさそうだね。ぶっちゃけ、一発二発食らおうと気にしなくて良いんだけどね。ところで専用機持ちたちはどうしたの?」

「えーっと、人質紛いの一年生たちを助けに行って、シェルターに送り届けてるところですね」

「楯無さんは?」

「まだ電算室です」

「ふーん……何か調べ物かね。とりあえず我々は目の前のことに集中集中」

「了解です」

 正面に浮かんだ巨大ホログラムウィンドウには、3Dで構成された太平洋の海図を、超高速でIS学園へと飛来するミサイルが映っている。

「来た、IS回避型だ」

 その中の数発が、真っ直ぐ進んでいる他のミサイルとは違う航路を取り始めた。

「最初から仕込んできましたか」

「うーん、これなら、もう一つぐらい奥の手あるよね」

「あるに決まってますよ」

 総司の部下である中年の女性が呆れたように笑いながら、いくつもの投影型キーボードを操っている。

「だよねぇ」

 まるで他人事のようにため息を吐いて、彼は再び画面に視線を合わせる。

 全然足りないよな、これじゃ。

 内心の呟きは誰の耳にも届かない。

 

 

 

 

「なにこれ、進路がバラバラに……遠い! そして多い!」

 バルカン砲を構えた一人の生徒が、焦りの声を上げる。

「噂のIS回避弾道型巡航ミサイル? こんな厄介なんて!」

 不満げな声を上げながらも、一キロ先の海面すぐ上で逃げるように弧を描く弾道ミサイルを、秒間百発の20mm高速徹甲弾で追いすがる。なんとかその最後尾にある推進装置に被弾させ、500メートルを切る前に撃ち落とした。

『続々来ます。進路予測送りますが、マルアハのの配置によって逃げるように変更される模様。それぞれ、臨機応変に対処されたし』

「臨機応変って、勝手に頑張れって意味でしょ!」

 あちこちで文句が吹き出しているが、彼女たちの視線は前方に固定されたまま、ISの望遠センサーでミサイルを撃ち落とし続ける。

 20機は10チームに別れ、それぞれ距離を置いて陣取っている。逃げたミサイルを負うように体を動かせば、隙間が開き、その間を他のIS回避型巡航ミサイルが襲いかかる。

「ダメ、Iチームのところ、一発抜ける!」

 そして最初の一発が、偏ったチームの隙間を時速900キロで抜けていった。

 焦りながらバルカンを向けようとしたときに、

「お任せあれ」

 という抑揚のない声が聞こえる。

 委員長が長い鎌を横に振り回してから、勢い良く投擲した。回転しながら弧を描き、彼女たちの絶対防衛ラインをすり抜けそうになった破壊兵器を爆発させる。

「一発二発ぐらい、私の方で処分します。まずは弾幕を絶やさず、どこに移動しようとも落とすつもりでいきましょう」

「了解した、委員長!」

「そもそも乙女を脱がすのは男性の役目、乙女自らとっておきの下着を披露するなど、興が削がれます」

 淡々とした物言いのルカが戻ってきた鎌をキャッチする。

「ルカ……黙ってれば生真面目美人なのに……」

 文句は言うものの、機動風紀の少女たちには、あれが下品なことを言っている間は大丈夫、という暗黙のルールみたいなものがあった。

 だから今は委員長の言うことに従い、ひたすら逃げる魚に弾を撃ち続ける。

 所詮は音速以下の物体だ、どれだけ逃げようとも落とせることに違いはない。

 

 

 

 

 IS学園の端、海に面した灯台の先に、ISスーツを着た篠ノ之箒が立っていた。

 風が強い。頭の後ろで束ねられた箒の髪が、海から吹く髪に煽られて揺れる。

「ねえ、本気で行くわけ?」

 赤いISを身につけた彼女の後ろには、灯台にもたれかかっている制服姿のファン・リンインがいた。

「鈴、誰もお前など誘ってはないぞ」

「シェルターに戻ってジッとしてるのも性に合わないけどさー。別にIS学園の施設とか守っても意味なくない?」

「お前は家が壊れたことがあるか?」

「物理的にはないかな」

「私もそうだ。ただ、ここは居心地が良い。それにここを破壊されたなら」

 一夏と再び離れ離れになってしまう。

 それは口に出せない。

 自分にあるのは、剣とISだけ。いや、剣は中学のときに裏切ったのだから、今は紅椿しかない。

「お前は国がある身だろう。とっとと帰れ。ここでミサイル迎撃に参加したなら、言い訳も出来ないぞ」

「んー。それはそうなんだけど。あんたは?」

「私など身一つで充分だ。国すらも関係ない。この紅椿はただ一人、私の物だからな」

「あっそ」

「ではな、鈴」

「ハイハイ。一夏たちには?」

「アイツらも国元がある。ここでミサイル迎撃に参加すれば、それはすでに国を裏切ったことになる」

「ま、そうね」

 それ以上は何も告げずに、紅のISが空へと飛び立っていった。

「さて、どうするかなぁ……」

 箒の飛び去って行った方向を見上げて、鈴が呟く。

 中国の代表候補生である彼女が国元から与えられた指示は、可能な限り何もせずにことの推移を見守れ、である。

 イギリスの代表候補生であるセシリア・オルコットのように、国元から強制撤退の指示が出ないだけでもありがたいが、ジッとしていられない鈴にとってはかなり辛い命令だ。

「欧州組はどうすんのやら……」

 おそらく同じような指示が出てるはずだと鈴も予想している。

 表向きは生徒会長である更識楯無の指揮に従ってはいるが、そもそもドイツの代表候補生がロシアの正代表の下で従うなんて無理筋だ。IS学園が正常ならどこの国にも従わない組織ならではの秩序があったが、テロリスト認定された現在ではそうも言っていられない。そんなこともわからないほど、鈴もボケてはいない。

「所詮は国があってこそ、か」

 IS操縦者であるという資格は、一夏を慕う全員にとって、無くすわけにいかない宝物だ。今、世の中がISによって乱れていても、離れ離れであった彼女たちを繋ぎ合わせているのも、ISだからである。

「どうにかしたいんだけどな……」

 少女の戸惑いが、幼い声音になり潮風に乗って消えて行く。

 こういうときに、あのバカがいれば、何か策っぽいものを思いつくんだけど。

 今は亡き者へと届かない悪態を吐くことしか、今の鈴には出来なかった。

 

 

 

 

「楯無さん!」

 織斑一夏がラウラとシャルロットを連れて、薄暗い電算室に戻ってきた。

「御苦労さま。みんなは?」

「無事でした。というか、見張り一人いませんでした……」

「やっぱり。始まってしまえば、後はどうでも良かったんでしょうね」

 興味なさげに告げる更識楯無の顔を、電算室のディスプレイが明るく照らす。

「お、俺たちは……どうしますか?」

「どう?」

「機動風紀と一緒に、IS学園を守らないんですか?」

 近づいてきた黒い眼帯の少年に、楯無は優しく微笑んだ。

「今は先輩方を信じるしかないわ。どのみち、私たちは動けないのよ。ねえ、ラウラちゃん、シャルロットちゃん」

 一夏の肩の向こうに見える肩を落とした少女たちに、疲れ切った笑顔で笑いかけた。

「フランスは、何もするな黙って見てろ、ただし逐次報告すべし、でした」

「ドイツも同じく。第十四艦隊の巡航ミサイルを代表候補生が落とせば、国際問題になると」

 二人の返答がわかりきっていたのか、楯無は大きく背伸びをし、

「ロシアも一緒。自由国籍取得者とはいえ、正代表は絶対に動くなと。動けば国際指名手配もあり得るって脅しまで、わざわざ大統領閣下から」

 と肩を竦めた。彼女たちはそれぞれが一国を代表するISパイロットであるゆえに、抱えている責任も大きい。

「……機動風紀たちの様子は?」

 一夏が深刻な様子で尋ねると、楯無が画面を指さす。

「奮闘してるわ。バルカン砲を持ち出して、近づく巡航ミサイルを片っ端から叩き落としてる。今はもう50発を超えたわ。けれど」

「けれど?」

「国際宇宙ステーションのラファール・リヴァイヴと連動した、ISから逃げるように飛ぶミサイルに手を焼いてるわ。陣形を乱されて、その隙間を少しずつ突破されてる。今は委員長のルカ早乙女が奮闘して、抜かれてないようだけど」

 屈みこんで画面を覗き込む一夏に、楯無が指さし説明していく。

 シャルロットとラウラも近寄っていて、同じように覗き込もうとした。

 その瞬間に地響きが起こり、地面が大きく揺れてシャルロットがバランスを崩し転倒する。

「な、なに?」

「どうした?」

 慌てる一年生たちを余所に、頬杖をついた楯無が残念そうに、

「一発……被弾。港湾施設、港、おそらく全て全滅ね……」

 と呟いた。

 IS学園の港湾施設は、日本に面したモノレール駅とは反対側、つまり大きな海に面した場所にある。様々な国籍の船が停泊して荷物を持ち込んだりする場所だ。

 新しく表示されたウィンドウには、おそらく港湾施設であった場所が、瓦礫と炎に覆われている姿が映っていた。防波堤も、停泊する船を繋ぎとめる場所も、下ろした荷物を一時保管する倉庫も全て破壊されて崩れ、元の姿の面影が見当たらない。

「楯無さん、俺たちに何か出来ることはないんですか!」

 珍しく女性に向けて迫る一夏に、楯無は諦めたような笑みを見せるだけだ。

「ないわ。生徒たちを解放しようにも、このタイミングでシェルターから出すわけにもいかない。戦闘が始まったのだから、機動風紀たちの管制を務めている副理事長一派を拘束すれば、IS学園は一気に壊滅。見たでしょう? 今の威力」

「そ、それでも!」

「……愛しい我が家が破壊されても、せめて命だけは守られることを感謝するだけね」

 諦めたような顔で微笑む楯無に、一夏は何かを言おうとしたが、かける言葉が見当たらなかった。

「え?」

 立ち上がって画面を覗き込もうとしたシャルロットが、驚いたように声を上げる。

「どうしたの?」

「今、画面に一瞬、箒の紅椿が映ったような」

「まさか、箒が!?」

 一夏が驚いて画面を覗き込む。

「そうか、箒ちゃんのISは無国籍だし……日本人だけど、別に日本の組織に所属してるわけじゃないってことね」

「お、俺も!」

「待ちなさい。貴方が一番厄介なのよ、一夏君」

 居ても立ってもいられずに駆け出そうとする少年へ、楯無が鋭い口調の言葉を飛ばす。

「でも!」

「理解して、お願いだから」

 声が泣いているのかと思えるほどに震えていた。

 今、ここにいる中では、更識楯無ほどIS学園を愛している者がいない。おそらくIS学園全部を含めても、彼女がもっともIS学園を愛しているだろう。

 いつも飄々として余裕たっぷりの生徒会長が見せたそんな姿に、一夏は一つの決意を心に決める。

 シャルロットとラウラの間を通り抜け、一夏が出口に向けて歩き出した。

「一夏、どこに行くの?」

 シャルロットの声に、一夏は振り向かず、

「守りに」

 とだけ返して、扉の外へと走り出した。

 

 

 

 

「だめ、もう一発抜ける!」

「くぅ!」

 機動風紀たちの言葉に、ルカも焦りの呻きを漏らす。

 鎌を投げ捨て取り出したレーザーライフルは、エスツーという少女を狙撃したときのものだ。理事長製だけあって高出力長射程、しかも連発が効くという優れ物である。

 その特殊兵装を使って、自分を通り越すミサイルを一撃で爆発させる。だが、貫通したレーザーが崩れ落ちた港の瓦礫をさらに破壊してしまった。

「自傷で悦楽を得る癖はありませんのに」

 その様子を見て、ホッとした様子で機動風紀たちはまた前方に視界を合わせる。

「厄介すぎる、逃げるミサイルなんて」

 バルカンの六連発の銃身を回転させ、マズルファイアを吐き出し続けながら一人の委員が愚痴る。

「原理はおそらく国際宇宙ステーションのラファールが、コアネットワークからこちらの位置を把握、これをミサイルに送ってるのでしょう」

「じゃあ何? 国際宇宙ステーションでも叩き落とす?」

「あちらにはもう一機のメイルシュトロームがいます。ガードの堅い処女です。どちらにしても、ここからでは減衰せずに届かせる攻撃手段がありませんし、マルアハでは第一宇宙速度に達することは出来ません」

「ったくもう! 大人って汚い!」

「こちらも全機、ステルスモードにするという手がありますが、おすすめしません。」

 再び抜け出してくるミサイルをレーザーで撃ち落とし、銃身の横にあるレバーを引く。中から薬きょう型のエネルギーカートリッジが飛び出して、内部では新しい物が充填され始める。

「ステルス? でもそれを使ったら、お互いの位置把握も出来なくて、普通のミサイルすら危ないんじゃ」

「その通りです……専用のソナーでも作っておくべきでした。それに一瞬だけステルスになっても意味がありません。さてどうしたものか」

「バルカン砲の弾がかなり減ってるかも」

「終わりが見せない責め苦とは、甘美ではありませんね」

「うちらはマゾじゃないってのに」

 ジョークを言い合いながらも、冷や汗を垂らして目の前のクレー射撃に集中する。

 それでも逃げるミサイルの数が増えれば増えるほど、陣形は崩されていく。

「ルカ、ごめん二発抜けそう!」

「了解」

 返答を返すよりも早く、防衛ラインを抜け出したミサイルへ向けて引き金を引いた。一発が爆発して海面へ破片をばら撒いていく。

 だが、相手は秒速250メートルを超えて飛行する物体だ。あっという間にIS学園の学生寮へ向かっていく。

「させるか!」

 それがルカたちとは別方向に現れた機体が、空中で一刀両断にした。二つに分かれたミサイルが空中で爆散して消える。

「第四世代!」

「紅椿!」

 機影は夕焼けよりもなお赤い深紅の装甲を持つ最新鋭機だ。

「殿は務めます。先輩方は今までどおりに」

 そう言って、ルカと同じラインに距離を置いて並んだ。

「ありがと、篠ノ之さん!」

「助かるわ!」

「あとでケーキ奢ってあげる!」

 機動風紀の人間たちが口々に感謝を述べる。

 篠ノ之箒は二本の刀を構え、ビットを射出し、数百メートル先に作られた機動風紀の防衛ラインを見つめる。

 何も知らずに、理事長が本物だと信じて疑わない人間たちだ。そして今も、自分が姉の妹だということで、完全な味方だと思っている。

 ただ、それを彼女は責めることが出来ない。

 箒自身もまた、力を欲しがって姉にすがったことがあるからだ。ゆえに力を求めて付き従う彼女たちの弱さに、憐れみを抱くことすらあれ嫌悪感を抱くことはない。

「IS学園は、絶対に私たちで守りましょう!」

 一人の三年生が、背中を見せたまま箒に向けて親指を立てる。

 堅く結んでいた箒の口が思わず緩んだ。

 何も知らず、それでも信じたままに自分たちの居場所を守ろうとする姿は、尊いものにしか見えなかった。

 

 

 

 

「副理事長!」

 圧縮空気が音を立てて抜け、管制を務めるコントロールルームの自動ドアが開いた。そこには一人の少年が立っている。

「……織斑君か。どうしたんだい?」

 背もたれから後ろにある出入り口へと顔を覗かせ、四十院総司が眉間に皺を寄せる。

「状況は」

「いちいち説明しなくても、楯無さんから聞いてるでしょ?」

 少しだけ辛辣な響きが込められた言葉に、一夏は思わず反発しそうになる。

 だがその気持ちをグッと堪え、絞り出すように喉の空気を吐き出した。

「俺を」

「キミを?」

「IS学園の代表候補生にしてください!」

 その言葉に、四十院総司の顔がますます険しくなる。座っていたイスから飛び降りて、入ってきた少年の元へと歩いて近寄った。

「何を言ってるんだ」

「ここは今や、独立国なんでしょう?」

「そうだな。うん、そうだ。ここは独立国家IS学園だ」

「だったら俺を、その独立国家の代表候補生にしてください!」

 意を決した言葉に、出来たばかりの小国の執政官が目を丸くして驚いた。

 だがすぐに怒りを込めた顔突きへと変わり、真剣な眼差しを向ける一夏の制服の襟を一気に引っ張って、顔を近づける。

「何を言ってるんだ、てめえ。本気か?」

 先ほどまでとは打って変わった口汚い口調で、四十院総司が脅しをかける。

「本気です」

「黙ってシェルターに入ってろ」

「イヤです。俺にも戦わせてください」

「なんでそんなもの、欲しがるんだ……」

「機動風紀と連携するためです。彼女たちの信用を得るために、IS学園の味方を現す絶対的な肩書が欲しいんです」

 突き放すような口汚い口調にも怯まず、織斑一夏ははっきりと自分の意思を告げる。

 その真剣な表情を見て、副理事長はやれやれと首を横に振った。

「おま……君には国籍もある。日本という受け皿もある。ここで私たちに加担すれば、チャンスを見て逃げ出しても、犯罪者として追われることになる」

「それでも構いません!」

 大声で言い返す一夏に対し、総司は小さく舌打ちをして手を離し、自分が乱した相手の襟を正す。今度は諭すための笑顔を浮かべていた。

「君にはお姉さんがいるじゃないか。お姉さんだって悲しむよ。ほら、五反田君とかその妹さんとか御手洗君とかもさ」

「千冬姉にも弾と蘭と数馬にも申し訳ないとは思うけど、でも、ここでジッとしてたら、俺は何も守れない」

「守る必要はないじゃないか。いいかい? 状況を理解するんだ。我々は生徒をダシに君たちをIS学園に括りつけ、君たちが危険視する理事長からお零れのISコアを貰ってるような三下だ。そこに君が組みしても、何の利益もないじゃないか」

 親しみの湧く笑みを浮かべて自分の両肩に手を乗せた男に、

「それでも今は、IS学園を守りたいんです」

 と一夏は真っ直ぐな言葉を紡ぎ出す。

「どうしてだい? キミはIS学園に来てから半年も経ってないし、そこまで拘る理由はないでしょ?」

「俺は確かにそこまで拘りはありません。でも、IS学園のみんなは仲間です」

 なおも断言する少年に、男は再び驚いたように目を見開いた。

「……意外だな。そこまで思うほど仲良くしてたかい? 君たちは二瀬野鷹を追い出して、周囲から責められていたはずだ」

「それでも、仲良くしようとしてくれた人もいました」

「一組の子たちか。でも大多数はそうじゃなかっただろ」

「そうじゃない人たちも、自分たちの暮らしていたIS学園が破壊されてたら、悲しいと思うんです。仕方ないって笑えないと思うんです」

「ま、正論だ」

「だから、守れる人間になりたい。守るってのは涙を流させないことです」

 少年の意思の堅さが伝わるような、はっきりとした口調で宣言する。

 そのまま一夏の決心を確かめるように目を見つめていた四十院総司だったが、やがて眉間に皺を寄せて、大きく肩と頭を落とした。

「わかってたってのにな……」

「え?」

「いいよ、好きにしたまえ。どうせ止めても行くんだろう。後先が見えないのは君の弱点だと思うよ。ISも好きに使いたまえ。白式は倉持技研の物、ひいては日本の物だけど、君に預けた彼らが悪い」

「それじゃあ」

「一応、筋を通しに来ただけ、まだマシか。私が認めて上げるから、ほら、さっさと行きたまえ。IS学園代表候補生クン」

 総司がまるで虫でも追い払うように手を振ってから、背中を向けて自分のイスに戻る。

「ありがとうございます」

 一夏は勢い良く頭を下げたあと、踵を返して駆け出していく。

 ドアが閉まった音が聞こえたあと、四十院総司は頬杖をついて大きなため息を吐いた。

 その様子に、座っていたスタッフの一人が笑いを堪えながら、

「良い子じゃないですか」

 と問いかける。

「うるさいなあ。おかげで計算が狂っちゃった。まあ、ルカ早乙女と篠ノ之箒ともどもIS学園の国家代表候補生扱いにして、あとの専用機持ちたちはまあ、駐IS学園大使とでもするかな」

「四十院さんがやり込められたところ、初めて見ました」

「やり込められたんじゃないよ、諦めたんだ。尻拭いは慣れたもんさ」

 肩を竦めてから、四十院総司はもう一度、大きなため息を零した。

 

 

 

 

 激しさを増していくミサイルの雨の中、機動風紀たちは港を破壊した物以外の着弾を許していなかった。

 それでも、各人と兵装に疲弊の色が見える。

 バルカン砲を構えた防衛ラインを突破される回数が、箒の目にもわかるほど増え始めた。

「ごめん、篠ノ之さん!」

「大丈夫です」

 青紫のIS群からかけられる声に、箒は短い返答とともにビットの攻撃を撃ち放つ。

「今さらですが篠ノ之箒、この私と貴方だけはステルスモードにしましょう。それだけでかなり移動は減るはず」

「了解」

 ルカ早乙女の提案に、箒は大人しく視界ウィンドウで機能移行を始める。

「男から身を隠し、シャワーカーテンの向こうから影だけで誘うのもまた一興です」

 その余計なひと言はどうにかならないのか、と箒は内心でイラつきながらも、目の前のミサイルへ向けて刀を振るう。そこから発せられたエネルギーの刃が、近づいてきた一機を叩き落とす。

「今、やっと80発超えた」

「終わりが見えない……ね」

 戦闘開始からすでに二十分が経過した。

 一分に五発ずつの計算とはいえ、襲いかかって来ているのはISから一定の距離を取り、機動風紀のバルカン砲の防衛ラインの隙間を縫おうとするミサイルだ。その絶え間ない攻撃は彼女たちの神経を容赦なく削ぎ取っていく。

『こちらコントロール、機動風紀のみなさん、見えているだけでも残り100以上は発射されています』

 IS学園から2000キロ離れた第十四艦隊からの、時速900キロを超える、大量の炸薬を搭載した長さ6メートル超の巡航ミサイル群の乱射。

 方向が決まっているので、いくらミサイルがISから逃げようとも、何とか撃墜可能だ。

 だからこそ、別方向から撃たれる近距離からのミサイルは、防ぎにくい。

『これは……三発来ます、横須賀方面から! そちらとは正反対、モノレール正面駅方面です!』

 コントロールルームから焦りが伝わってくる。

「そっちからも撃ってくるんだ!」

「私たちが第十四艦隊の分だけで手いっぱいなことを見透かされたのかも!」

「ルカ、お願い!」

 仲間たちの呼び掛けに、ルカはライフルの引き金を引きっぱなしにしたまま、十キロ近く先を飛ぶミサイルへ、薙ぎ払うようにレーザーを放つ。

 飛来した三発が上空で分断され、その破片を海上を通るレールの周辺へとばら撒いていく。

「そんな武器あるなら、最初っから使えば良いのに!」

 機動風紀の不満げな声を聞きながら、ルカはライフルの横のレバーを手前に引いた。銃の上から、薬莢の形をしたエネルギーカートリッジが飛び出す。

「理事長特性の物ですが、そこまで便利な物ではありません。長く撃ち続ければ、それだけ消耗が激しくなります。カートリッジの予備はそんなにありません」

「ISM61バルカンの方が長く使えて弾数が多いってことね」

「そういうことです。どれほど薄い避妊具も挿入に耐えられないような粗悪品では意味がありません」

「使ったことないくせに」

「当たり前です、処女は尊いのです。売る時はパテックフィリップのグレーブスより高値をつけるつもりですので」

 ちなみに時価十五億円のスイス時計のことを言っているのだが、平均的日本人の機動風紀委員には通じなかったようだ。

「こうしてルカ早乙女は行き遅れになるのであった」

「こう見えても本国では、お年の召した男性方に人気がありました」

 ルカが振り向きざまに、防衛ラインを抜け出した一発へと、左手で鎌を投げつける。

「それ、行き遅れフラグだから」

 会話をしていたマルアハのパイロットも、多砲身の回転式機関砲から放たれる徹甲弾で、逃げるミサイルを一発撃ち落とした。

 まだまだ数の衰える気配は見えないまま、時速900キロオーバーの乱撃が続いていく。

 

 

 

 

「ふーん、これは出番がありそうだな」

 戦闘機さえも丸々と入りそうな大きさのIS用格納庫で、待機を続ける極東IS連隊の第一小隊長、宇佐つくみが呟いた。

「ええ、そうね。これは最終的に出て行く可能性が高いわ」

 その隣でナターシャ・ファイルスが、同じように格納庫の真ん中に浮かぶホログラムウィンドウを見上げていた。

 巨大な推進翼を持つ銀の福音と、その横にある細身で軽装甲のバアルゼブル。他に悠美たちの打鉄飛翔式や他小隊の汎用機も、左右の壁に並んだIS用のスタンドに立てかけられていた。そして一番奥の壁には、テンペスタ・ホークとラファール・リヴァイヴ8th『ルシファー』が吊るされている。

 合計二十六機のISが並んでいる姿は壮観なもので、まだ年若い整備スタッフなどは見惚れて呆けていた。

「第六から八までの奴らはそろそろ準備すんのか」

 バタバタと駆け出していくISスーツの人間たちを遠目に、宇佐がボソリと呟く。

「あっちの方でしょ。二面作戦の裏手。人質救出作戦が通ったみたいよ。国連軍による人道的軍事戦略ってヤツ」

 ナターシャが豊かな胸を支えるように腕を組み、少し音量を落として返答する。

「大丈夫かねえ」

 他人事のように呟く宇佐に、ナターシャは軽く肩を竦めるだけだった。

 同じ場所でウィンドウを見上げていたリアが、隣にいたアメリカのエースパイロットを見上げる。

「出番があるんですか?」

 不安げなリアの質問に、ナターシャが腕を組んで頷いた。

「あるわね。IS学園はあのマルアハという機体と、第四世代しかは出してきていない。おそらくパイロットがいないのよ」

「パイロットがいない? いえ、IS学園は全員がISの操縦が出来るのでは?」

「そうは思ったのだけど、新しい王様たちは存外、人望がないようね。機動風紀だったかしら。そのメンバーだけみたいよ。内部通報者から密告済」

 意味ありげに笑うナターシャに、並んでいたオータムが鼻を鳴らした。

「そろそろガトリングの弾が尽きてくるな。そしたら本命の出番なんだろ、米軍様」

「そうね、多分、混ざってるわ、あのミサイル群に」

「えげつねえな。さすが世界の警察様だ」

 リアが首を傾げてナターシャを見上げていると、彼女は優しく微笑み、

「ISはISに装備された兵装でしか傷がつかない。だから、すでに200以上発射された巡航ミサイルがISに当たろうとも、ダメージを与えることは出来ない。これがISはISという兵器でしか倒せないという大前提。ドイツの黒兎隊には今さらの講義だったかしら」

「いえ……それが何か?」

「第十四艦隊になぜ二機のISがあるか。どうせ、もうすぐバレてしまうだろうから、言ってしまうけど」

「艦隊防衛用ではないのですか?」

「それもあるわ。でも本命はね、巡航ミサイルを発射出来る機体が乗っているのよ」

「え!?」

「射程3000キロオーバー、時速900キロオーバー、自動追尾を行うミサイルの発射装置を搭載した機体が、第十四艦隊のISなの」

「そんな……じゃあ」

「IS搭載型ミサイルで数を減らして、半数ぐらいになったとき、私たちの出番がある。十機対二十四機なら、何が起ころうと勝てる数だから」

 信じられないと震えるリアに背中を向け、ナターシャはそれ以上喋らずに自分の愛し子である銀の福音の元へ歩き出す。

 リアが格納庫の中央に浮かぶホログラムウィンドウを見上げた。

 そこには、超望遠で捕えたIS学園の、対ミサイル防衛ラインが映っていた。

 青紫のISたちが、必死にバルカン砲を振り回して、襲い来る暴力装置を撃墜し続けていた。

 その中には一機の赤いISが混ざっている。篠ノ之束の妹が操る第四世代機、紅椿だ。

「一夏や少佐たちは出てこないよね……」

 心配げに見守るドイツの少女を期待を裏切って、純白の機体が姿を見せる。

「あれは……」

 織斑一夏が、IS学園を守るために参戦を果たした。

 遠目に見えるその表情は、誰よりも強い意志の光を宿していた。

「一夏!」

 リアの悲壮な声が、格納庫に響き渡る。

 

 

 

 

「そろそろバルカンの弾が切れる!」

「こっちも!」

「こっち切れた! ごめん!」

 IS学園を守る防衛ラインを形成していた機動風紀たちが悲鳴に似た声を上げる。

「任せてください!」

 空を切り裂く音とともに、少年の声が機動風紀と箒の耳に届く。

 IS学園方向から飛来した白式が、左腕を突き出して防衛ラインの遥か先に狙いをつける。人間同様の手の形をしていた装甲が形状変化を起こし、荷電粒子砲の砲身が姿を現した。装甲に光のラインが走り、雷光にも似た電子の輝きが漏れる。

 そこから放たれた一撃が、海面スレスレを飛行して襲いかかるミサイル三機を両断し、海水を切り裂いて壁のように巻き上げた。

「って織斑君!?」

「一夏?」

「すご……さすが第四世代」

「荷電粒子砲とか反則でしょ……」

「でも何で織斑君が……」

 驚きと怪訝な声を上げる機動風紀たちに、一夏は親指を立てる。

「不肖ながら、副理事長から独立国家IS学園の代表候補生という座をいただきました」

「え?」

「と言っても、ただの名目上だけです。また後日、先輩達とは模擬戦でもして正代表を決めましょう。今は箒と同じ位置に立ちます」

 上級生の顔を立てながら、一夏はニコリと笑いかける。

 それまでは半ば敵対関係にあった彼と彼女たちだったが、代表候補生という肩書とミサイルの撃墜数とその爽やかな笑顔で、とりあえずは一夏のことを信用したようだ。

 そんな彼女たちの後ろで、ルカ早乙女は冷静に引き金を引きつつ、

「今のうちに武器の換装を。残弾数の少ないものは各自アサルトライフルへ」

 と指示を告げる。

「了解」

「了解。ありがとね、ガトリンちゃん」

 弾が切れた順番に六連砲身のバルカン砲を投げ捨てて、単砲身のマシンガンライフルを装備する。

「今、何発落としたっけ?」

 セーフロックを解除しながら、機動風紀の一人が四百メートル離れた隣に尋ねた。

「撃墜カウントは百三十発ね」

「まだまだ続きそうだね」

「こっちのライフルは射程短いから気をつけていこう……って言ってる間に一発来た!」

「Bチーム行くわ!」

 並んでいたうちの一機がマシンガンを片手に海面を滑っていく。距離を詰め引き金を引き放たれた弾丸が、一発のトマホークと正面衝突し、破片を撒き散らしながら爆発を起こして消える。

「統制はこちらで行います」

 ルカ早乙女がレーザーライフルを下げようとすると、一人の機動風紀が手を上げる。

「私がロックして、全部指示を出すわ。ルカは計算苦手だし、信用ならない」

「む……確かに私は頭の悪い女ですが、それはそれで乙なものですよ」

 乙女だけにな、と一夏はつい頭の中で呟いてしまったたが、それを察してか、視界ウインドウにいきなり箒の顔が現れる。彼女は馬鹿にしたような目つきで睨んでいた。

「一夏……」

「なんだよ……」

「下らないことを考えてた気がしたからだ」

「ぜ、ぜんぞん考えてねえぴょ?」

「噛み過ぎだ。それより、なぜ来た」

 責め立てるような言葉に、一夏はニヤリと口の端を上げて、

「守りにさ」

 と少し格好をつけた。

「守りに……だがお前は」

「誰かが……幼馴染が守ろうとしているものがある。それだけで、俺が戦う理由になるもんさ。通信切るぞ」

 視界の真ん中にあった不機嫌な顔に笑いかけてから、一夏は機動風紀たちへと視線を向ける。

 今はルカを挟んで、一夏と箒の二人という第二防衛ラインが敷かれている。

 バルカン砲が次々と投棄されていき、ほぼ全てのマルアハがマシンガンへと武装変更を終えていた。

 一夏は拡大表示したマルアハが、どの機体も頭部が小刻みに上下していることに気付く。肩で息しているのは、疲労が貯まっている証拠だ。

 単純計算では百三十発以上を二十人、一人六発ほどを落としただけだ。しかし今までのIS学園の授業とは違う、本番という状況が与える精神的なプレッシャーが疲れに拍車をかけていく。

『こちら管制、機動風紀のみなさん、少し間が開いて次が来ます。二分後です。バイタルが落ちているパイロットも見受けられますので、飲み物とか飲んでおいてください』

 その言葉に、緊張していた面持ちのメンバーがホッとため息を零す。

 しかしその伝達は、このミサイル攻撃はまだまだ続くという不吉な予告でもあった。

 

 

 

 

 

 かつて人を人として正常に見ることが出来ない二瀬野鷹ってヤツがいた。そいつは脇役とか主人公とか、この世界に生きているとか生きていないとか、そういうことに拘っていた。

 この二瀬野鷹ってヤツは、とんでもないクズだ。我ながらそう思う。

 そしてコイツは人間ですらない。輸送機を破壊されて死んだときに気付いた。単にオレが人間と思い込んでいただけだ。何が生まれ変わりだ何が未来人だよ、バカじゃないのか。

 ルート1・絢爛舞踏がエネルギーをISに伝えるバイパスの発展系であり、ルート3・零落白夜はエネルギーを放出するISの独自機能の最終系である。

 ではイメージインターフェースの進化系というルート2とは何なのか。イメージインターフェースとは、ほぼ全てのISに搭載されている人間の意思とISを繋ぐ機能だ。

 ジン・アカツバキのルート1・絢爛舞踏がエネルギーを吸収し、同時に誰かに受け渡すことが出来る。

 同様にルート2は人間の心を取りこみ、そして送り出す機能だと思う。

 つまり二瀬野鷹という存在は、最初から最後まで『心だけで動く』化物だった。

 何が人間とその他の生物を分けるんだろう。

 もし『人間としての心』の有無であったら、神様に感謝しても良い。それならまだ人間を名乗っていられるから。

 敵は、同じように現れた未来からの来訪者。

 あのとき、体を失ったときのショックでうっすらと思い出した記憶から推測すると、滅んだ未来からやってきた意思は、滅ぼした者と生き残った者の二つだけだ。

 ここに生きてるヤツらを守るために、心に残る人間たちを再び滅ぼされないように戦い続ける。

 オレがどこの誰であるかを、誰にも告げずに、何もかもを騙して。

 

 

 

 

 

『次のミサイル、来ます。およそ20秒後』

 管制を務めるIS学園のコントロールルームから連絡を受け、フルスキンのISから顔だけを出してルカ早乙女は、飲んでいたドリンクのチューブから口を離し、そのまま投げ捨てる。

 部分解除していた頭部装甲を再び展開し、生真面目そうな印象を与える顔突きが青紫のISにより完全に保護された。

「なんか……弾道が違う。逃げはしないけど、さっきみたいに海面スレスレじゃなくて……」

 ナビゲートを買って出た機動風紀委員が、怪訝な顔を浮かべる。

「どちらにしても、落とすだけでしょ!」

 元気良く言って、一人の機動風紀がスラスターを吹かし上昇する。向かってくるミサイルが持っているマシンガンの射程に入るのを、ロックオンしながら待っていた。

 そして彼女の視界にある望遠レンズを映し出すウィンドウの中で、変化が起きる。

「弾頭が、割れて……」

 その声にルカがハッとした声を上げる。

「多弾頭を事前に割って数を増やすつもりです、気をつけてください」

 彼女の言った通り、ミサイルの先端が割れ、その中から砲弾を大きくしたような弾頭が射出された。

「いくら沢山になっても、IS学園に当たる前に落ちてくれるなら、逆にありがたいでしょ。ISは通常兵器じゃ傷つかないんだし」

 高を括り、無駄弾を使うまいとマシンガンを下げた機体に、複数の砲弾が振りかかる。

 そして、爆発を巻き起こし、ISが破壊された。

「え?」

 驚きの声は、破壊された機体のパイロットが上げたものだろうか。

 煙と炎を零しながら、一機のマルアハがクルクルと錐揉み状に回転して墜ちて行く。

「な……にが」

 他の機動風紀は、うわごとのように疑問を投げるが、応えるものはいない。

 そこへ、音速に近い速度の次弾が襲う。

 我を取り戻した一機が急加速して上昇し、手に持っていた銃器を構えて撃ち落とそうとした。だが放たれた銃弾がミサイルに当たる寸前に、再び目標の弾頭が割れて、中にあった砲弾状の子爆弾が襲いかかる。

 焦りを隠せぬ彼女が引き金を引くが、数が多過ぎて全てを撃つことが出来ない。

 結果、また一機のマルアハが墜ちて行く。

「なにこれ、なんなのこれ、ルカ? ルカぁ!?」

 ISが万能だと、傷などつかないと調子に乗っていた。学園を傷つけないために、最終手段として機体でぶつかり爆発させれば良い。通常兵器で破壊されることなどないのだから。

 そう思い込んでいた彼女たちは唖然とした顔をし、起きている事象を受け入れらないでいた。

「まさか……ISから発射された巡航ミサイルだとでも……」

 誰かがボソリと呟く。

「う、ウソ、そんなのがあるの?」

「で、でも、そうとしか考えられないでしょ! ISはISの武器じゃないと撃ち落とせないんだから!」

「そ、そうだけど、でもこれじゃ!」

 手詰まりだ。多砲身のバルカン砲ならまだしも、今の彼女たちが手に持っているマシンガンの射程は短い。そしてその射程に入るより前に弾頭が割れ、複数の子爆弾が襲いかかってくる。

「つ、次が来た!」

 慌てて銃を構え飛び出そうとするが、一瞬の躊躇が動作の遅れを呼ぶ。次もまた多弾頭型のIS発射式だろうと思われたからだ。

「焦るんじゃない!」

 その複数に分かれた小型の弾頭を、大きな光の刃が全て消し飛ばした。

「お、織斑君!?」

「俺が中央前面に出ます。箒、お前も頼む。こっちは強力だが燃費が悪い」

「任せろ!」

「ルカ先輩は、そこからなるべくレーザーライフルで早めに落としてください。それでもカバー出来ないヤツは、機動風紀の先輩方が複数人で当たってください。陣形はおまかせします!」

 純白の機体が、刀を持って前方へと飛び出していく。深紅の機体もそれを追い掛けていった。

「織斑一夏、お任せ下さい。この貞操帯は破らせません」

 いつもどおりの口調で、ルカはライフルを構えて引き金を引く。

『機動風紀のみなさん、今は代表候補生の指示に従って、防衛ラインを組み直してください』

 IS学園の管制から伝達される言葉に、やっと全員が我を取り戻す。

「お、おっけー! みんな組み直し。織斑君と篠ノ之さんの部分は任せて、距離を800メートルから400メートルずつに。第十四艦隊のISは二機なんだから、そんなに沢山のIS発射型は撃てないはず!」

「了解!」

「ラジャー!」

 口々に声を上げながら、十七体のマルアハが位置を変え始める。

 その中で、一機のISが、ミサイルと違う物体が飛来していることに気付いた。

 彼女は慌てて視界に映っていた物を拡大化する。

「これは……ISが一機、混ざってる! 速い!」

 その声に驚いて、一夏は前方で視界を上下左右に振った。

 彼がようやく目に捉えたのは、一機のISだった。

「あれ……は、まさか」

 それは二瀬野鷹が乗っていたテンペスタⅡ・ディアブロと似た形状のISだ。ただし、人体を収めることが不可能だった左腕部と脚部装甲は通常の太さに戻り、胸部装甲が追加されている。

「生きてた……のか?」

 うわ言のように箒が呟く。

『二瀬野鷹は死んだ。それは間違いないから』

 しかしそれを否定するような言葉が、オープンチャンネルで彼女たちの元へと届けられた。

「で、では誰だ? お前は誰だ!?」

『悪魔』

「え?」

『IS学園を倒す悪魔だよ』

 男か女かもわからない機械による合成音が、自嘲するような口調でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 













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31、天の女王

 

 

 

 白式たちまで1キロ近くある地点で、黒い四枚羽根の機体が完全静止する。

 その横を一発の巡航ミサイルが通り抜けていったが、特に構う様子もない。

 掌を上に向けると同時に、ハンドルのついたスーツケースのような物体が現れた。黒いISは、推進翼から飛び出した二本のコードを左手で繋げる。

『HAWCシステム起動』

 立方体の兵装は折り畳まれていたライフルであり、その本来の姿へと戻って行く。ISで持つには長過ぎる砲身のせいか、左の脇で抱え、バレルの上にあるハンドルを掴んで銃口をIS学園に向ける体勢を取った。

『連動制御開始……。HAWCシステムよりエネルギー充填……60、70、80』

 ISからの言葉に連動して、砲身に入る装甲の切れ目から光が溢れて行く。

『90……100。推進装置より充填完了。荷電粒子砲『天の女王』、撃ちます』

 巡洋艦の副砲サイズのエネルギーライフルから放たれた光が、追い抜いて行った巡航ミサイルを焼き尽くし、戸惑う白式と紅椿の横をすり抜け、マルアハたちの間を通り過ぎてIS学園の第三アリーナへと着弾した。

 大きな地鳴りを起こし、IS学園を巡るモノレールラインを分断し、整地されたアリーナを客席ごと焼断し、生徒たちが授業を受けていた教室等を真っ二つに切断した。

「……なんだ……あれ」

 信じられない光景に、一夏がうわ言のように呟く。今まで守ってきたIS学園の施設が、そのISの持つ一撃で防衛ラインをすり抜けて破壊された。

 機動風紀たちも手を止め、ルカ早乙女ですら驚愕に口を閉じることが出来ず、左腕の荷電粒子砲で巡航ミサイル三発を一撃で葬る一夏でさえも、その破壊力に冷や汗が落ちる。

 そんな中で一人だけ、撃たれた方ではなく撃った方を睨むパイロットがいる。

「タカ……」

 最新鋭第四世代機の選任操縦者であり、IS開発者の妹である篠ノ之箒だ。唇を噛み締め、二本の刀を握る指部マニュピュレーターがギリっと音を立てる。

『墜ちたくなければ、避けた方が良い』

 そう言って、下げていた銃口を再びIS学園へと向ける。

「タカ……まず生きていたのなら、そう教えてくれ。私たちがどれだけ悲しんだか、それがわからないのか」

『二瀬野鷹は死んだ』

 そのISの横を一発のミサイルが通り抜けて行く。

「極東の訓練校に行ったセシリアが教えてくれたとき、私は息が止まるかと思った」

『二瀬野鷹は死んだ』

「ふざけるな……どうして、IS学園を攻撃する? ジン・アカツバキを倒したいのか」

 箒が刀の一振りで、飛んできたミサイルを切断して落とした。

『二瀬野鷹は死んだ』

「タカ!」

『タカなんて人はいない。二瀬野鷹は死んだ。その亡骸は今も極東の基地にある。HAWCシステム再起動』

「また秘密主義か。何も語らずに気持ちが受け入れられるわけがないだろう」

『連動制御開始……HAWCシステムよりエネルギー充填……40、50、60、70』

 二発の巡航ミサイルが、再び漆黒のISの横を通り抜けて行く。

『幼かった頃の話はもう終わり。今、ここにいるのは、二瀬野鷹じゃない。避けないなら、撃つだけ』

「ジン・アカツバキだけを狙えば良いだろう! IS学園には手を出さないでくれ!」

『IS学園は破壊する必要がある』

「なぜだ? なぜ、そんなことをする? 生徒たちに罪はないだろう!? わ、私の家を壊さないでくれ!」

 そんな言葉がつい口から漏れる。

『紅椿のパイロットは、ジン・アカツバキを生む原因ともなった』

「え?」

『篠ノ之箒は、ジン・アカツバキの味方?』

 ISから放たれた、まるで少女のように問いかける疑問に箒は動けなくなる。

『エネルギー充填完了。HAWCシステム連結荷電粒子砲『天の女王』(メレケト・ハ・シャマイム)、撃ちます』

 その銃身から、再び暴虐の閃光が放たれた。

 

 

 

 

「と、っとと」

 学園の副理事長はイスにしがみつき、IS学園を揺らす地響きに耐える。

「四十院さん、あれは……」

「うーん、何であるんだろうね……HAWCシステムってことは、やっぱり三弥子さんなのかね」

「国津博士の奥様ですよね?」

「置いてきたこと恨んじゃってるのかな」

 乾いた笑いを浮かべながら、四十院総司は崩れた姿勢を戻して足を組みかえる。

 肘かけにあるタッチパネルを操作して、小さなウインドウを浮かび上がらせる。そこには、一つのデータがあった。

 クニツミヤコ。四十院総司にとっては遠戚であり、友人の妻でもある。

 テンペスタ・ホークに搭載された大型推進翼システムの完成などに貢献した、四十院研究所における主席研究者の一人だ。今は行方不明ということになっているが、彼は生きていることをちゃんと知っている。

 参ったな。亡国機業と独自に繋がってるのか?

 心の中で小さく呟いた。

 顔に似合わず厳しい人だということはよく知っていたが、夫の不貞に怒ってるのか、と苦笑いを浮かべる。

 十二年前の事故よりさらに前から、四十院総司や国津幹久、それに岸原大輔とは友人関係にあり同じサークルだった。ただ、女性ということもあり、どうしても男三人に付き合いきれないときの方が多いようだと彼は知っていた。

「副理事長いますかー?」

 今度は誰だ? と背もたれの横から後方にあるドアを覗き込む。そこには長い髪を二つに分けて横で縛った活発そうな少女が立っている。人好きのする悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。

「……ファンさんか。何か用かい?」

「えーっと、ちょっとお願いがあって」

「今、忙しいんだけど」

 大きくため息を吐きながら返答する副理事長に、中国の代表候補生は悪びれずに、

「んじゃちょっとだけ。何かIS貸してくれないかなーって。フルスキンタイプでよろしくオネガイシマーッス!」

 と元気良く言い放つ。

「はぁ?」

「いや、やっぱり一夏たちに任せっぱなしってのも悪いけど、アタシが出て行ったら国元にも悪いじゃない? そんなわけで、アタシってバレないようなISを貸してください」

「……なんでだよ……」

 両手を出してお小遣いでもねだるようなポーズを取る鈴に、四十院総司が心底疲れ切ったように頭を抱える。だが鈴は臆面もなく笑顔で両手を合わせた。

「このとーり!」

「キミが甲龍を外したことも、後でISログでバレるとは思うんだけど」

「そこはまあ、あとで何とか。あ、副理事長がログの改竄をしてくれるとか?」

 思いついた意見を投げかけながら、得意げな顔を四十院総司に向ける。

「いや、何で……私が?」

「だって、IS学園を破壊されたら負けなんでしょ? それでここに代表候補になるぐらいの優秀な操縦者がいる。ほら、バッチシじゃん」

 何か文句でもありますか、と挑発するように楽しそうな顔を浮かべる鈴に、四十院総司は頭を抱えてブツブツと悪態を吐き始める。

「副理事長、聞いてるー?」

「ああ、もう! わかった、わかりました。ったく。みんな忙しいってのに!」

 投げやりに文句を言った後、電話を取り出して、国津幹久を回線を繋いだ。

「ああ国津? 悪いけど、なんか余ってるマルアハない? え? いいよもう何でも! 今から一人行くから、それに渡して準備してあげて。以上!」

 やけっぱちな雰囲気の四十院を見て、スタッフたちは笑いを堪えるのが精いっぱいだった。それらに気付いてムッとした視線を見せたあと、電話を切って鈴の方を向く。

「第四シェルターの横に格納庫があるから、そこにダッシュ。国津主任がいるから、お願いして」

「副理事長って案外、話しやすいね!」

「褒め言葉は結構! ほら、さっさと行った行った」

 小動物を追い払うようなジェスチャーをする副理事長を見て、鈴はしたり顔で笑う。

「タイシェシェニィロ! それじゃこれで!」

 シュタッと手を上げ母国語で感謝の意を示してから、踵を返し部屋の外へと走り出す。

 合金製の分厚い自動ドアが閉まる音を聞いてから、四十院総司は深いため息を、床に届きそうな勢いで吐き散らす。

「四十院さん、ひょっとして若い子が苦手なんですか?」

 三人のスタッフのうちの一人、人を食った笑みを浮かべた髭面の男性が笑いかける。

「苦手ってことはないけど……まあ、昔っからうちの三人娘たちにはよく困らされたもんさ」

「意外に子煩悩ですよね」

「子供は宝さ。未来そのものだからね」

「それは別居中の奥さんにも言ってあげたら良かったんじゃないですか」

「うるさいなあ。こっちにも色々と事情があるの。ほら、仕事仕事」

「了解!」

「ったく」

 やれやれと呟きながら、目線を正面に浮いた巨大な投影型ディスプレイへと戻す。そこには、巡航ミサイルを落としながら会話を続ける少年少女の姿が映っていた。

 どちらにしても、こんな序盤戦でこれ以上、弱みを見せるわけにもいかない。

 ふと、航空図と合わせた警戒モニターに、新たな赤い点が映っているのを見つける。

「あれは……ってことはそろそろ理事長のところにお伺いにいかないとマズいか」

 イスから飛び降りて、ジャケットを脱ぐ。

「四十院さん、どちらへ?」

「ちょっと神様のご機嫌伺いさ」

 つまらなそうに言い放ってから、四十院総司もコントロールルームから出て行った。

 

 

 

 

 独立国家IS学園と日本の間にある夜の海に、闇に紛れるような船がいくつか漂っていた。そのどれもが米国製のLCAC、つまりホバークラフト揚陸艇である。

 彼女たちはIS学園の人質となっている生徒たちを助けるための、救出部隊であった。乗ってきた強襲揚陸艇には人員輸送用のモジュールを搭載しているので、一隻あたり200名以上を連れて帰ることが出来る。つまり三隻でIS学園の全生徒と非戦闘員を救出する予定であった。

 外洋側は巡航ミサイルとISたちによって激しい戦闘が起きている。だが、島を挟んでちょうど反対側にある内海は比較的安全な部類と言えた。何せ戦闘空域から十キロ近く離れている。

 だが、それでも危険の度合いで言えば相当なものだ。IS乗りたちは三人しかおらず、他の数十人の男たちは、ただの軍人たちに過ぎない。

 揚陸艇の乗っていたイタリアの国旗入りISスーツを着たパイロットが、ちらりと自慢の腕時計を見る。

 時刻はちょうどタクティカル・トマホークの大群が押し寄せている頃だ。こちらに気付いても回せるISはないと踏んでいる。そして、一度生徒を連れ出して揚陸艇に乗せてしまえば、作戦は成功のはずだ。何せ逃げ込む場所はすぐ近くにあるし、極東IS連隊基地で控えている他の小隊たちも、そろそろ攻撃に来る手はずだ。

 しかし、イタリアから出向している彼女は、先ほどから様子がおかしいことも気になっていた。

「全てミサイルというはずなのに、攻撃側にISが混ざってるなんて」

 作戦は慎重を期する必要がある。

 だが、変更の指示もない。

 あとは部隊指揮官に任せるだけだ。

 乗り合わせた軍服の男へとチラリと視線を送る。彼は少し悩んだ後、ハンドサインでゴーの指示を送ってきた。

 ゴーサインが出れば、現場に迷うことは許されない。速度を抑え、揚陸艇が夜の海を進んでいく。

 こうして、ゆっくりと静かにIS学園の600人を救う作戦が始まった。

 

 

 

 

 まるで熱したナイフに切断されるバターのように、IS学園の学生寮が崩れ落ちて行く。

「タカ、やめるんだ! 頼む、やめてくれ! お願いだ!」

 箒の悲痛な叫びも意に介さず、その悪魔を模したISは銃口を下げる様子はない。

『ISに当てないだけ感謝して欲しいけど』

 再び推進翼から輝く粒子が漏れ始め、繋がれた二本のチューブに光る線が通る。

 両腕で抱えた大砲は、たったの二発で寮と校舎という生徒たちにとって最も馴染みの深い建物を破壊してしまった。

 四枚羽根が僅かに横にスライドすると、再び訪れた巡航ミサイルが避けた場所を通ってIS学園へと向かっていく。

「くっ」

 出鱈目に二本の刀を振り、そこから放たれるビームでミサイルを撃ち落とす。だが、その間にも漆黒のISの主砲にエネルギーが充填されていった。

「これ以上はさせません」

 ルカ早乙女が手に持ったレーザーライフルの引き金を引く。三キロの距離を貫いて、相手を狙い撃った。しかし、わずか数メートル横に動いただけで、相手は回避してしまう。

「……さすがですね」

 機動風紀の委員長にとっては、舌舐めずりをせずにはいられない事態だ。

 まさかの復活だ。死んだはずの男が、戦いに戻ってきた。

 自分が惚れた男は、さすが人間ではないだけある。

『全機動風紀、並びに織斑、篠ノ之の両代表候補生、タクティカル・トマホークの大群、来ます。備えてください。数は45……いえ、およそ50発!』

 その言葉に、呆気に取られていた人間たちが正気に戻った。先ほどまで指揮を取っていた機動風紀委員が、銃口を前方へと向ける。

「全員、構え! 何でも良いから弾幕張って! チャフばら撒いて!」

 一方、先ほどまで強大な砲撃を放っていたISは、主砲とも言える巨大な荷電粒子砲を投げ捨てる。

『HAWCシステム連結解除』

 その短いシステム音声のような言葉とともに、推進翼から伸びていた二本のチューブが外れる。本体との接続を離され具現化出来なくなった兵装が、光る粒子となって夜の海に舞い散っていった。

「ヨウ」

 織斑一夏が操る白式が紅椿の前に立ち塞がる。

『そのひとはもういない』

「これ以上、IS学園を破壊するなら」

『するなら?』

「お前は、このIS学園代表候補生、織斑一夏の……敵だ」

 震える声で呟いて、右手の刀で空を横薙ぎした。

 顔すら見えないフルスキンタイプISをまとった相手は、それ以上何も答えずに、ただ黙って四枚の推進翼を立てるだけだ。

『レクレスネス』

 ISのインストール領域から、量子化されていた兵装を抜き放つ。それは自らの全長を超える一本の長い槍だった。

『HAWCシステム再起動』

 その機体の後方から、数十発の巡航ミサイルが迫っていた。

『イグニッション・バースト』

 二枚二組の推進装置を交互に点火させ、その機体は音速を超える。

 

 

 

 

 黒いISにより半壊させられた校舎。その廊下を走っている総司が、砕けて半分になった窓ガラスの前でふと立ち止まる。

 そこに映った顔は、まだ三十路と言っても通用するほど若々しい。下手をすれば二十代の若造にも見え、実際に外国では小僧扱いされることも多い。

 肉体は精神に、精神は肉体に引きずられるのだという。

 だが、四十院総司はその精神を絶対に揺るがさないと決めていた。だから、体だけが心に引きずられていく。

「化物め」

 右腕を振り払って、窓枠に張り付いていたガラスを乱暴に打ち砕く。

 鼻で笑ったのは自嘲ゆえに。

 それだけで悔恨は終わり。今から同じ化物に遭いに行くのだ。下手は出来ない。

 戦いとは、事前の準備が物を言う。

 四十院総司にとっての戦いとは、まだ始まっていない。

 

 

 

 

「四十院総司に関する報告書、ね」

 楯無が手に持っている紙の束をペラペラと捲る。横に立っている簪が申し訳なさそうにしていた。

「これぐらいしか……たぶん。更識の情報網でも」

「ううん、ありがとう、簪ちゃん。わざわざ外まで出てもらって」

「す、すぐ戻ってきたから、大丈夫だった……よ」

「うんうん」

 楯無は一仕事を終えた妹の頭を軽く撫でた。それを黙って少し気持ち良さそうに受け入れている妹を見ていると、棘立っていた気分が少しだけ幸せなものになる。

「あっちの情報は?」

「……うん。間違いなく、二瀬野君……の、亡骸は極東にあるって」

「そう……」

 電算室の端末には、望遠レンズで捕えられた二瀬野鷹の専用機と瓜二つのISが映っている。今、この建物を揺らしているのも、あの機体の攻撃だ。

「なんとなくカラクリがわかってきたけど……うーん」

「お姉ちゃん?」

「ううん、何でもないわ。あと問題は本物の篠ノ之束博士の行方か。本物さえ出てきてくれれば、話は早いんだけど」

 戦闘の余波で建物が揺れ、彼女たちの上には天井から小さな破片が降り注ぐ。

 楯無は髪の上に落ちてきた埃を気だるい手つきで振り払った。

「ったく、やってくれるわね。あの子もこの学園にいたことがあるってのに、よくもここまで。この棟もいつまでもつか……」

 イスに座り、楯無はキーボードを叩こうとした。

 その瞬間、同じように作業をしていたラウラが銃を構えて立ち上がる。

「誰だ!?」

 同じようにシャルロットも小型のデリンジャーをスカートの下から抜いて、入口へと向けた。

「ふん、気付くのが遅いぞボーデヴィッヒ」

 生徒を叱る教師のような声が聞こえてくる。その声にラウラは耳を疑った。

「お、織斑教官!?」

「まあ、今はその呼び方で良いか。何をしている、早く逃げた方が良いぞ」

 紺色のスーツを着た織斑千冬が、自嘲しながら歩いて部屋に入ってくる。

「し、しかし教官」

「何をしていた?」

 ラウラではなく、この場を統率していた楯無の方をジロリと睨む。その眼光は厳しい教師だったとき以上だ。

「こちらとしては、防衛手段です」

「前線に出たバカどもが、後で困らないようにか」

「はい。アラスカ側との取引材料になるデータを一つでも多くと思い、電算室から現在のIS学園のデータを探ろうとしていました。織斑先生、貴方こそ、どうしてこちらへ?」

「似たような理由だ。今なら手薄だと思ったからな。データを奪うなら、この電算室が良いと思っただけだ」

「……狙いはおそらく、このIS学園のライブラリに移された四十院のデータですね」

「ああ。自分たちが不利になるものを外部に残しているはずがないからな。だから、ここにあると思って踏み込んだわけだ」

「それは極東の士官として、ということでしょうか」

「そうだとしても、お前たちは私を阻む動機があるまい。むしろ、ここで協力的な態度を見せておけよ、ガキども」

「そうですね、わかりました」

 千冬の言っていることを瞬時に理解し、楯無は神妙に頷いた。彼女たち専用機持ちは、立場上はIS学園側として動くことを許されていない。しかし、その通りにしたとしても、その証明をする人間が他国人のお互い同士しかいないことがネックにもなっていた。

 それが代わりに極東IS連隊の士官が証言してくれるなら、まだ取っ掛かりにはなる。かつての恩師という立場が疑われるかもしれないが、彼女たちにとって無いよりはマシだ。

「お前たち何を調べていた?」

 電算室のイスに座り、端末を起動させながら、千冬が尋ねる。

「四十院総司本人のことです」

「良い線を突いてる。さすがだな」

「織斑先生は?」

「二瀬野のことを調べようとしていた」

「え? 二瀬野クンの?」

「二瀬野に関するデータのほぼ全ては、身元引受人である四十院が持っているはずだからな」

「ですが、今さら二瀬野君のことを調べても」

「いや、関係ある。二瀬野鷹のご両親のことは教えたな。あの件の続報だが、二瀬野夫妻の周辺警備をしていたのは、おそらく四十院の手の者だ」

「なっ!?」

「もちろんただの過失だろう。二瀬野夫妻を殺す意味はないからな。ただ、ここが酷く気になった。どうして四十院総司がそんなことを気にするのか」

「それは、あの妙な研究所にいた二瀬野鷹に対する抑止力では?」

「二瀬野鷹を、っと、なかなか戦闘が激しいようだな。二瀬野鷹が研究所に運び込まれたのは、お二人が亡くなられた後だ」

 電算室のある建物が大きく揺れ、廊下側の上部にあった排気用の窓が歪みガラスが割れて落ちる。

「つまり、四十院の関心は警護そのものにあったと? では、何のために?」

 歪み始めた建物を気にする様子もなく、楯無は乱入者から視線を逸らさなかった。

「警護なら、守るためだろう」

「そういう問答をしたいのではありません」

 突き離すような千冬の言い方に、さすがの楯無もムッとした顔を見せる。

「お前はたまに素直になった方が良い。裏を探ってばかりでは、表が見えなくなるぞ」

「けだし至言ですね。今は禅問答をしたいわけではありません。邪魔をするようなら」

「ふん、私のIDをまだ残してるのは、何かの罠か」

「え?」

「IS学園のほぼ全てのデータに触れることが出来る私のIDが、生きていると言っているんだ」

 その言葉に全員が千冬の側によって画面を覗き込む。

「ホントだ……。管理者クラスの織斑先生のIDが動く」

「面白い。罠にひっかかってやろう。更識……ああ、妹の方だ。手を貸せ」

「え、えーっと?」

 急に話を振られ、控え目に覗き込んでいた簪が戸惑うような顔を見せる。。

「この中ではお前が一番マシだろう。探るぞ、現在の世界に隠された秘密を」

 

 

 

 

 長さ六メートル、時速900キロメートルを超える金属の塊に向けて、青紫のIS集団が必死に引き金を引き続ける。

 一発落としてもまた一発、次に一発と休む暇すらない。

「くっ、さ、させるか!」

 一夏は左腕に荷電粒子砲を展開させ、小刻みに撃ち続ける。それでも一回に発射で二本巻き込めれば良い方だ。

 箒も両手に持った刀から絶えず光の刃を飛ばし続ける。

 そこへ、黒いISが襲いかかった。

 純白のISへ一撃、紅蓮のISへ二撃。相手の体勢が崩し、ミサイルの雨の隙間を超高速で飛びまわって、IS学園へと向かって行く。

「タカ!」

「じゃ、邪魔をするな、ヨウ!」

 スラスタを細かく動かして体勢を立て直そうとした箒へと、一発のミサイルが着弾する。

「ぐっ!? これは!」

 咄嗟にビットと刀を盾にしたものの、それでも左脚部装甲と腰部に大きな損傷を負って吹き飛ばされる。

 本来ならISのシールドにより一切傷がつかないはずの攻撃だったが、よりにもよって太平洋艦隊のISから放たれたタイプを食らったようだ。

「箒!」

 体勢を立て直し、一夏は被弾して落ちていく箒の元へと駆け出そうとした。

 しかし、漆黒のISは手に持っていた槍を構え、勢い良く投擲する。

 地球で最も速く堅い槍が、空気を切り裂いて紅椿へと迫る。その無慈悲な刃が箒の機体に届く瞬間に、

「危ない!」

 と声を上げて割り込む機体があった。

 大きな破砕音とともに、青紫のISの肩から推進翼へと貫通して突き刺さる。名前すら知らない機動風紀の一人が、箒をかばったのだ。

「センパイ!」

 声をかけても返事すらなく落ちて行く機体を、箒は咄嗟にその腕部装甲を掴んで引き揚げた。

 だが、黒いISは指を鳴らすような仕草をして、

剥離(リムーブ)

 と呟いた。

 突き刺さっていた槍の横から数本の細いアームが現れ、青紫のISへと取りつく。

 同時に展開されていた装甲が光る粒子になって、槍へと集まっていった。

「なんだ……あれ」

 箒が掴んでいた腕部装甲も消え去り、学園標準のISスーツを着た少女が箒の手から滑り落ちて行く。

「な、何が起きた!?」

 そして、少女が落ちていく先へ、一発の巡航ミサイルが切っ先を向けて飛んできていた。

 数人の機動風紀が悲鳴を上げた。

「くっそぉぉぉ!!!」

 雄たけびを上げながら、一夏が破れかぶれで巨大な光る剣を振るう。

 今までにない長さの零落白夜が、名も知らぬ少女に襲いかかるミサイルへと振るわれた。

 だが、届かない。あと数メートル足りない。

「間に合え!」

 箒が手を伸ばし、負傷した少女とミサイルの間に割って入ろうとする。だが、コンマ数秒間に遭わない。

 せめてミサイルがわずかにコースを変えてくれたなら。

 そう祈っても、無慈悲な金属の塊は何も聞いてはくれない。

「届けええぇぇぇぇぇ!」

 一夏が叫んだ瞬間に、彼の視界で一つのメッセージが浮かび上がる。

『ルート3・零落白夜再起動』

 光る刀身が全て消えさった。

 だがなぜか、ミサイルの後部にある尾翼が削り取られ、バランスを失ったミサイルはコースを変えて海面へと向かって落下する。

 箒が機動風紀を抱きかかえると同時に、海中から爆発起きて水柱が巻き上がった。

「何が……起きた?」

 一夏は自分が起こした現象が理解できずに、うわ言のように呟いた。

 茫然とする彼の耳に、一つの通信が入る。

『いっくん、なーいす! さすがいっくんだね!』

 数か月ぶりに聞く能天気な声が、一夏の耳に届いた。織斑一夏をその呼び方で話しかける人物は、世界でただ一人しかいない。

「え? は? 束さん!? 本物?」

『もちのろんろん、本物さ! あの未来から来た紅椿じゃない、正真正銘交りっけなし不純物なしの純度百パーセントの篠ノ之束ちゃんだよん!』

 緊迫した場面に介した一夏たちに、その調子っぱずれの上機嫌な声が本物であると告げ始めた。

 

 

 

 

 

 簪は自機である打鉄弐式の背部装甲だけを展開し、PICを起動させて宙に浮かぶ。そしてその周囲をいくつものホログラムウィンドウが囲んでいた。その真ん中で彼女は多数のキーボードを操り、それに従うように全ての画面がすさまじい勢いでスクロールを始めている。

 シャルロットはPICの影響を受けないように少し離れた場所の端末に座り、簪から送られてくるデータを電算室の端末上で確認していた。

「これ……まさか」

 信じられないと呟き、シャルロットは後ろに立つ織斑千冬へと視線を向ける。彼女はかなり渋い表情を浮かべていた。

「四十院総司は……何者なんだ」

「これですね。四十院からの資金の流れ。ISの発表が行われた会場すら、四十院の航宙技術部、つまり今の四十院研究所の段取りで行われてる」

「黎明期にISを作るための資材、設計図、インターフェース、必要な機材をIS関連企業の各社に売りつけていたのが四十院……。道理でIS業界に異常な力を持ってるわけだ」

「副理事長だけがIS発表時からその性能に注目していた、ということでしょうか」

「いや、用意が迅速過ぎる。おそらくは……ISが発表される前から準備していたんだろう」

「え? で、でもどうやって? 篠ノ之束博士と事前に協力関係にあったとか?」

「そういうわけではないだろう。他にカラクリがある」

「からくり?」

「それはまあいい。他にもアラスカ条約の条項作成、ここに深く噛んでいるのが四十院の法務部か」

「これは……IS学園の前身となる巨大な技術員要請学校の設立? 開校前に国際IS委員会から要請を受けた日本政府へと格安で提供した? ……こうなるともう」

 信じられないと戦慄いて、シャルロットは首を横に振った。

 千冬は鋭い眼差しでデータひとつ見逃すまいとする。

「ISを作ったのは篠ノ之束、ISで一番儲けているのは四十院か。しかし、一切表に出ず、自らは一つの研究所の所長としての立場を崩していない。必要以上に儲けてはいない、という印象だな。代わりに恩を売りコネクションを築き上げている」

「そしてIS学園の副理事長に就任」

「ふむ……あのジン・アカツバキとどうやってコンタクトを取ったのか。やはり、そういうことか」

「織斑先生?」

「二瀬野が言っていた件が真実味を帯びてきたな。っと、今のデータ、画面に戻せデュノア」

 千冬の言葉に従って、流れて行くデータの一つをスクロールして戻す。そこに映ったのは、写真と文章で構成された報告書の体裁を取った文書だった。

「は、はい……これは、白式に関する報告書? 今年二月に四十院提供の新システムの暴走が原因!?」

 シャルロットとラウラが顔を見合わせる。

 それは彼女たちが日本に来る前、白式が暴走し欧州で暴れ回っていた件についての報告書だった。そして、その白式が関与した事件に、シャルロットもラウラも当事者として遭遇している。

「白式が行方不明になっていたのを四十院の指示により倉持技研が隠ぺいと発覚。これにより男性操縦者に貸与されるはずの機体の変更、いくつか候補が上がったのち、四十院が責任を取る形でテンペスタ・ホークをデータ収集用専用機として提供」

 ラウラはイスに座ったシャルロットの肩から覗き込み、そこにある情報に目を凝らす。

「つまり、これも四十院の仕込みだったってことか? なぜだ? いや、結果として正解だったのか」

「そ、そうだね。一夏はワンオフアビリティを発動したわけだし……待って。じゃあ、四十院は一夏がワンオフアビリティを発動させることを知ってたの?」

 シャルロットが気付いた謎に、ラウラが驚いて目を丸くする。

「そんなことがあり得るのか!? 偶然に決まっている! ワンオフアビリティを誰がどう発動するかなど、どこの国も企業も組織もわかっていないはずだ!」

「わかってたら、誰も苦労しないわけだしね。第三世代は全てワンオフアビリティの発現を目標の一つとしているわけだし。でも、もし本当に最初から、一夏が零落白夜を発動すると知っていたなら」

「四十院は最初から、そうだ。何もかもが始まる前から、織斑一夏が白式に乗りワンオフアビリティを発動させることを知っていた、ということになる」

「ちょっと荒唐無稽過ぎるけど」

「ほ、他には何かないのか!?」

「銀の福音事件も四十院が絡んでたよね、確か。そして暴走したはずの銀の福音を二週間足らずで完全に修復してみせた。それを最初から知っていたかのように……。こうなると」

「私たちの身に起きたほぼ全ての事柄に、四十院の影が見えるぞ」

 眩暈がするような思いを覚え、ラウラは一歩後ずさる。

 シャルロットは腕を組んで顎に手を当て、深く考え込むような仕草を見せた。

「正直、僕は二瀬野君の未来人の話は信じてなかったけど……これは」

「ああ、四十院総司は未来でも知っていたのかというような暗躍ぶりだな……なんだこれは? トスカーナ? シャルロットは知ってるか?」

「トスカーナって、イタリアのことじゃないのかな?」

 左右から首を突っこんだまま顔を見合わせる二人を両手で押し退け、楯無は大きくため息を吐く。

「トスカーナってのは今は亡きトスカーナ大公国から来た隠語よ。端的に言えば、亡国機業。知ってるわよね?」

「……そういえばヨウ君が銀の福音を強奪に来たとき、乱入してきたISがいたよね……」

「あれが亡国機業よ。私はそれらがいるから、参戦したわけ」

「じゃ、じゃあ四十院は亡国機業とも繋がっていた?」

「そこはわからないわ。少なくとも現在の四十院総司の裏には、その影はないわ。亡国機業がアラスカ条約機構直轄の極東試験飛行IS部隊に入り込んできたとき、そこへウチの一族を潜り込むことが出来たのは、四十院の力があってこそだったわけだし」

 楯無が苛立たしげに爪を噛む。

「自分のいない未来を知っている、か」

 腕を組んで見守っていた千冬が、ボソリと自嘲するように呟いた。

「どういう意味でしょう?」

「二瀬野が言っていた言葉だ。今から考えたなら、学年別タッグトーナメントのとき、無人機の襲来を察知して落とした二瀬野は、本当に未来を知っていたのかもしれないな。もっとも、それを確認する手段はすでにないが。更識簪」

「は、はい! あと十二秒でラ、ライブラリデータ転送完了します!」

「わかった」

「今、最後の報告書……が、これ? 新聞記事? ネットのニュースサイトのアーカイブ? なのかな……四十院が圧力をかけて消したって話みたいです……」

 自信なさげに言いながら、簪が一つのホログラムウィンドウを滑らせて、他の人間の元へ送る。

「交通事故のデータか?」

 全員がその記事を読もうとしたときに、大きな衝撃が建物を揺らした。ISを展開している簪以外の全員が手近なものにしがみつく。

「ちっ、もう限界か!」

 薄暗い電算室の天井が瓦礫となって落下し、大きな音を立てて端末を破壊していく。

「全員撤退! とりあえずはシェルターの方向へ! 織斑先生は?」

 楯無の指示に全員が部屋から走って出ていく。だが、千冬だけは逆方向へ向かい、割れた窓へと足をかける。

「私はもう少し回って出ていく。少し話がある人物もいる。こんなデータをIS学園のライブラリに残していたヤツのことが気になるからな」

「織斑先生!? ってもうやばいか!」

 千冬が崩れ落ちる瓦礫の向こうで窓から外へ出ていくのを確認し、楯無も走り出す。

 崩れ落ちて行く廊下を走りながら、楯無は小さく舌打ちをした。

 結局のところ、全ての始点は篠ノ之束でありながら、裏で動いていたのは四十院総司なのだ。

 学園の外で人質を取られているゆえに、直接動くことは出来ない。それでもやれることをしていかなければ。

 この崩壊していくIS学園を、せめて元の形へと戻れるよう。

 更識楯無は祈りながら壊れて行く校舎を走り抜ける。

 

 

 

 

 

 二瀬野鷹を初めて見たとき、四十院総司としては失望せざるを得なかった。

 こんなものだったのか。

 何の変哲もない少年が、少し緊張した面持ちで握手を返してきた。

 倉持から、世界で唯一の男性操縦者に与えられるはずだった機体は白式の予定だった。それを無理やり欧州へと飛ばし、四十院研究所としてテンペスタのカスタイマイズ機を渡した。

 HAWCシステムという高エネルギーを生み出す最新の推進翼を備えた、世界最高速のインフィニット・ストラトス。

 使いこなせるわけがないと知っていた。

 それでも、こいつは自分なりに精いっぱい、やっていくんだろう。

 反吐が出ると同時に、愛おしくもある。

 国津博士たちのパワードスーツのテスト飛行を終え、一通りのデスクワークを終えて研究所を後にしようと、玄関につけていた車の後部座席に乗り込もうとした。

「お父様」

 神楽が声をかけてきたので、振り向いた。

 そこにはもちろん玲美と理子も付き添っている。

「おや、どうしたんだい、みんな」

「オジサンが出て行くの見かけたから、お見送りー」

 理子が元気良く返答したので、思わず笑いそうになる。

「どうしたの? おじさん」

 玲美が小首を傾げる。

「いや、二瀬野君がいないから、また三人でお小遣いでも貰いにきたものかと。玲美ちゃんはぬいぐるみかい? 理子ちゃんは花火かな?」

 笑いを堪えながら返事をすると、理子と玲美の二人ともが不満げな顔をして、

「もう子供じゃないよ!」

「勝手に貰ったらママに怒られるもん!」

 と可愛らしく怒りながら反論してきた。その姿を見ると、思わず笑みが零れる。

「いやごめんごめん。それじゃあ行くよ。次の仕事も差し迫ってきてるんで」

 止まっていた黒塗りの車へ乗り込もうとする。

「お父様」

 その足が神楽の声で止まる。

「ん?」

「あの、お忙しいようですが、その、ご自愛くださいませ」

 神楽らしい言い方だ。

 思わず頬が緩む。

「ありがとう。かまってやれなくて悪い。またすぐに会えるよう調整するよ」

「いえ、私は……」

 申し訳なさそうにスカートを掴む神楽に対し、なるべく冗談めいた空元気で、

「なんだ、父離れか。つらいなぁ……」

 と笑いかける。

「わ、私も十六になりましたので。で、ですが」

「嘘だよ。でもそうだな、神楽、玲美ちゃん、理子ちゃん」

 車のドアを閉める前に三人の顔を見渡した。急に改まったような言い方をした自分を、全員が不思議そうな面持ちで見ている。

「二瀬野鷹をよろしく頼むよ」

 それだけ言ってドアを閉める。

「出してくれ」

 運転手が頷いて、車が走り出した。

 後部座席から後ろを振り向けば、三人娘がいつまでも手を振って見送っている。

 可愛らしいものだ。そして愛おしい子たちだ。

 だから、心の中が謝り続ける。

 ごめん、すまない。本当に、悪い。

 それでも、自分は止まることが出来ない。

 そういう記憶だった。

 

 

 

 

 極東IS連隊の基地には、うるさいほどのサイレンが鳴り響き、どこまでも伸びるレーザーライトが夜空を切り裂いていた。鉄橋を途中でぶった切って先端を空に向けたようなマスドライバー発射装置が、様々な光源によって明るく照らし出されている。

「先行した第七・第八小隊が作戦を開始した! 残り全機はIS学園のマルアハと呼ばれる個体の拿捕へと向かう!」

 そのマスドライバーの根元にある射出装置格納庫の中で、軍服を着たがっしりとした体形の黒人女性が号令を飛ばす。

 迷彩カラーのラファール・リヴァイヴを身にまとっていた三人が敬礼をしてから踵を返した。。

「第四小隊、レディ! 一人前の振りをしているヒヨッコどもを叩き落とせ!」

 その声とともに、一辺三メートルほどの三角形の形をしたマスドライバー用のカイトに、ラファール・リヴァイヴが乗っかる。手足を固定するハンドルを掴むと同時にホログラムウインドウがカウントダウンを始めた。それがゼロになると同時に、レールを伝って超高速で射出されていく。

「次、第三、行くぞ!」

 バタバタを走る音とともに、ISスーツに身を包んだ女性たちが装備を展開しては、射出用のカイトに乗り込んでいく。

「オーダーはIS学園の全ISを落とすことだ! 行け行け行け!」

 一機、また一機と空へと飛び立ち、弧を描いて同じ方向へと飛び立っていく。

「ったく、謎のISの乱入ってどういうことなの」

 マスドライバーの根元にある格納庫内で、愛機『銀の福音』を装着したナターシャ・ファイルスがボヤく。

「謎のISじゃねえよ」

 嘲笑うように宇佐つくみことオータムが肩を竦める。

「あら、トスカーナの連中の仲間なの?」

「さあな。たぶん、向こうは違うって言うと思うぜ」

「詳しくは後でとっちめてあげるわ、オータム」

「その名で呼ぶなよ、他のヤツらが怖がる。ほら、第二小隊の順番だぜ」

「バイバイ、ビッチ」

 優しい声音で罵りながら、ナターシャの銀の福音が、ISの手足を遠した。

「さっさと死んでこい、クソったれ」

 中指を立ててオータムが見送った。

 シルバリオ・ゴスペルが戦場の空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

「貴方は?」

「はい、この基地の留守の守備にと遣わされた、訓練校代表のセシリア・オルコットです」

「そう。第一小隊のリア・エルメラインヒよ。よろしくね、セシリア」

 シャッターが開けられ中が空っぽになったIS用格納庫で、黒い眼帯をつけた赤い髪の少女が手を差し出す。それを美しい輝きを放つ金髪の少女がその手を握り返した。

「リアさんは、ひょっとしてラウラさんの?」

「ええ、部下よ。今はこちらに出向ということになってるわ」

「そう……ですか」

 セシリアはIS学園の制服ではなく、似たようなデザインでカーキ色を基調とした服を身にまとっていた。長い後ろ髪は三つ編みとして一本になっている。

「タッグトーナメントで少佐と組んだオルコット代表候補生よね」

「はい、そうですわ」

「仲良くしてね」

「喜んで」

 柔らかく微笑んでから、セシリアは数キロ先にあるマスドライバー射出装置を見つめた。

「……行きたい?」

 リアが苦笑しながら問いかけると、セシリアが胸を押さえて首を横に振った。

「それは許されませんわ……わたくしにも国元に責任がありますわ」

「行きたいって顔に書いてあるわよ」

「それは……否定しませんわ」

 疲れたように小さく微笑んでから、セシリアは再びレーザービームまみれになったマスドライバー射出装置へと視線を移す。

「一夏……大丈夫かな」

 リアが小さくぼやくと、セシリアが目を丸くした。

「い、一夏さんがどうされたんですの!?」

 詰め寄ってくるセシリアに、リアは少し驚きながら手に持っていたタブレット端末を見せる。

「これ」

 そこには、ミサイルへ向かって左腕の荷電粒子砲を撃ち放つ白式の姿が映っていた。

「い、一夏さん!? どうして出撃を?」

「どうしてって……そりゃバカだからでしょ」

 小さくため息を吐いてから、リアは端末を自分の腕の中へと抱えた。まるで、誰かを抱き締めるようにも見えた。

「で、ですが、今、IS学園側としてミサイル迎撃に出てしまえば、もう……」

「そうよ、テロリスト認定されたも同然。この先、ISパイロットとしてまともな道はないわ。そして世界で唯一生き残った男性操縦者としての道なんて限られてるわよ」

 震える声ででリアが笑う。

 金髪の淑女が自分を抱き締めるように腕を組む。

「もう……何も元には戻らないんですのね」

「一人のバカは死んだ。生き残ったバカはこの通り」

「何も出来ないのでしょうか」

「ええ。悔しい?」

「はい」

「私もよ、セシリア」

「……助けたはずの仲間は死に、残してきた仲間は苦しんでいるというのに」

「そうね……それでもきっと」

 二人は暗い天を引き裂くビームライトの隙間、わずかに届く星の光を見上げた。

 

 

 

 

「理事長、いらっしゃいますかー」

 蝶番から外れかけたドアを押し退けながら、理事長室があった場所へと四十院総司が足を踏み入れる。

 そこには、ガラスが割れ枠しか残っていない窓から、空を見上げる人間のようなものがいた。

「あれ、起きてらしたんですか」

「ディアブロが来ている」

「ほう?」

 感情のない相手の呟きに、彼は片眉を上げて驚いたような仕草を見せる。

「近くにまで来てるようだ。それで四十院、何か用か?」

 視線すら合わせずに問いかける理事長に、副理事長はスーツについた埃を叩き落としながら、

「いや、ISが盗まれそうなんで、動かして欲しいんですけどね」

 と張り付いた仮面のような顔で笑いかける。

「お前に与えたISコアで作ったものか」

「ええ、この機会に生徒に渡したんですよ、ISにして。ほら、生徒の安全を図るのも理事の役目でしょ」

「エイスフォームたちは?」

「専用機持ちのことですか。何か色々嗅ぎまわってますがね、どうせ何も出来やしませんて」

「お前の不手際で一体、外へ逃がしてしまったからな」

 篠ノ之束の声を持ち、篠ノ之束と同じ姿をしたISが、無表情な顔で呟いた。聞いていても聞いていなくとも良い、そういう言葉だ。

「いや、ホントすみません。とはいえ、他の専用機持ちはまだIS学園にいるんで、他の機体を取り込めば、今の世界のISを全て集めても勝てるんでしょう?」

「そろそろ迎えに行ってやるとしようか、ディアブロを。パイロットがいなくなったというのに、健気なものだ。まるで私のようだ」

「えっと、私のお願いは?」

「わかった」

 辛うじて届いた答えに、四十院総司がホッと胸を撫で下ろす。

「じゃ、そういうことで」

 返事すら期待せずに、副理事長は部屋を駆け出していく。

 まったく、お互い苦労するもんだな、ディアブロ。

 

 

 

 

「ここか」

 IS学園の日本列島側に面したモノレール正面駅、そこから数キロ離れた場所にある地下シェルターの入り口に、三機のISが降り立っていた。

 やや暗い色の迷彩柄をしたそれらは、地面に埋まった巨大な金属の扉を見下ろしていた。その後ろには、十人ほどの迷彩服の男たちが、マシンガンを持って控えている。

「まずはここの二百人ちょっとか」

 一機が屈んで、数百キロはありそうな扉の取っ手を上へと引っ張り上げる。そこには幅五メートルはありそうな階段があり、等間隔に設置された赤い非常灯で足元が照らされていた。

 まず一機のISがその中へ乗り込み、続いてISを持たない男の軍人たちが警戒しながら入っていく。殿として一機のISが最後尾につき、最後の一機と二人の兵隊が通路の入り口に待機となった。

「地下三十メートルってところか」

 シェルターの中を下る部隊で、先頭を進むラテン系のパイロットが呟いた。

 真っ直ぐ斜め下方へ、階段は伸び続けていた。暗視スコープで周囲を見渡せば、大きな空洞の横に設置された階段なのだとわかる。

「……何のための穴だ?」

 戦闘機用のエレベーターでも作っているのか、と思われるほどの大きさの縦穴だった。

 IS学園の避難シェルターに、これほどの穴を用意する意味もわからず、小首を傾げながら下へ下へと進んでいく。

「最下層まで敵影、IS反応なし。一番下に扉があって、その先がシェルターと思われる」

「ヤー」

 ISからの言葉を受けて、全員が一気に走り出す。ISが安全と言えば安全だという認識が彼らにはあったし、事実、これまで間違っていたことなどなかった。

 二十メートル以上降りた先に、空洞の底が見え、その横の壁に密閉仕様のドアが設置されていた。

 ドアの前にISが立ち、壁に手を当てる。

「内部はかなり広い。内部人員はおよそ二百人ほど。IS学園の二年が全員、このシェルター内という情報がある。他の生徒は別の場所のシェルターのようだ」

 その言葉に無言で頷き、一人の兵隊が壁に密着して、ドアノブ変わりのハンドルを回そうとした。

 だが、力を入れると、あっさりと奥へ開いていく。

「だ、誰ですか!?」

 中から驚いたような若い女性の声が聞こえてきたので、一人の兵隊が武器から手を離し、両手を上げて中に入っていく。

 内部はかなり広いが、薄暗く快適そうな雰囲気はない。だが、かなりの数の人間が息を潜めているのがすぐに伝わってきた。

「我々はアラスカ条約機構、極東IS連隊の者です。IS学園の一般生徒ならびに一般職員の方々を助けに来ました」

 流暢な日本語で優しく話しかけると、中の少女たちが一斉にざわめき始める。

 兵士たちが困ったようにお互いを顔を見合わせていると、制服を着た少女が一人、前に出てくる。

「あ、私は二年一組のクラス代表です。えっと、このシェルターから脱出をしても大丈夫なのでしょうか?」

「ええ、今は我々が退路を作っています」

「い、いえ、私たちは国際IS委員会がここから出さないようにしている、と聞いていたんですが」

 少し疲れた顔だが、クラス代表という少女はハキハキとした口調で言葉を返してくる。

「おそらくIS学園の理事側がウソをついていたんでしょう。我々がそうした要求を出したことはありませんし、そうなら、みなさんを脱出させるために、ここまで来ませんよ」

 笑顔で話しかけられ、強張っていた生徒たちが一斉に驚きの声を上げる。

 だが兵士たちはティーンエイジャーのざわめきが治まるのを待っているわけにはいかない。

「では、我々が警護しますので、二列になって、ここから脱出しましょう。落ち着いて、騒がずに。戦闘空域は十キロ近く離れていますので、問題ありません。代表の方がいらっしゃるのなら、生徒ナンバーに従って外に出るよう、誘導してください。さ、早く」

 兵士の声が大きなシェルター内に反響していく。

 それでも動き出さない生徒たちをなだめるように優しく手を取り、

「さ、こちらへ」

 と少し強引に背中を押し出した。

「で、でも大丈夫なんでしょうか」

「ええ、問題ありませんよ。我々も三機のISがあるので、安全です」

「い、いえ、ここにいる私たちは全員、副理事長からISを渡されてるので……」

 申し訳なさそうに言う少女の言葉に、全員が驚いた。

 それを信じるなら、ここに二百体のISがあるということだ。

 世界には467個しかISコアが存在しないことになっている。だが、ISコアを作れる唯一の人間が理事長なのだ。

 小隊を率いるリーダー格の男が一瞬驚いたあと、わからないようにほくそ笑む。

 危険な任務だと思ったが、これは大戦果だ。何せISコアを二百個以上も持って帰ると同義である。

「なら、尚更問題ありませんよ。みなさんは一度、極東の基地に移動していただいた後、ご家族の元へ帰ることが出来ます。それに連隊の訓練校には、先に転校した一年生たちもいますので」

 なるべく慎重に、ことを荒立てないように説得を続ける。

 その中で、やはり家族の元へ帰るという言葉が効いたようで、バラバラに固まっていた生徒たちが、少しずつ入口の方へ向かって歩き始めた。

 救出部隊の隊長は心の中でガッツポーズをし、部下に話しかけるために生徒たちへ背中を向けた。

 その瞬間、ざわついていた少女の声が、一斉に消えてなくなる。途端を耳を冷やすような沈黙が訪れた。

 何だ?

 怪訝に思いながら、薄暗いシェルター内部へと再び目を向ける。

 そこには二百機の薄い紫色をしたフルスキンISが全て展開され、頭部にあるバイザー状のセンサーが光を灯していた。

「みなさん? ISは展開せずとも……」

 背中に垂れる冷や汗を感じながら、なんとか冷静に話しかけようとする。

 だが、全てのISが一歩、また一歩とまるでロボットのように近づいてくる。

「止まって、止まってください! ISを解除してください! 我々が誘導しますので、ISを解除してください!」

 出口へと後ずさりながら大声を上げるが、ISたちはまるでゾンビのような歩みを止めずに、少しずつ近づいてくる。

「待て、ヘイ、止まるんだ、おい、止まれ、止まれ、近づくな、おい!」

 男の軍人が震える手で銃口を上げるが、そんな豆鉄砲がISに効くはずもない。

 錆びた歯車のように軋む首を動かして、隣に立っていた味方のパイロットを見る。その口元が小刻みに震え、歯がガチガチと音を立てていた。

「待て、止まれ、止まるんだ、ファック、おい!」

 兵士たちの叫びがシェルター内に響く。

 だが、数百機のISたちは答えずに、薄暗く広大なシェルター内で、バイザーに灯った光をゆらりゆらりと揺らすだけであった。

 

 

 

 

「いいかい? 調子が悪かったら早めに降りるんだ。この機体はまともじゃないから」

 救出部隊が突入した場所から二キロほど離れた、別のシェルターの上で国津幹久が少女に向けて説明を始めていた。

 ファン・リンインが身につけている銀に赤のラインを入れたISが、足元の土を踏みにじる。彼女の髪はいつものサイドテールではなく、一本にまとめたものをバレッタで止めていた。

「問題なし、今のところ良好!」

 甲龍を脱ぎ棄てて新しいISを身に付け、中国の代表候補生は背中にある四枚の推進翼をバタつかせる。

「試作中の試作機だ。元はテンペスタだけど、本来はパイロットの他に二人ぐらい遠隔の補助がいる。装備は使えないと思って!」

「やればできるって! これ、頭部装甲は?」

「ヘッドギア横のスイッチを叩けば展開されるよ。ちなみに装甲は全て仮の仮だ。形も本番とはちょっと違うし、それに」

「大丈夫大丈夫。これ、似てるけどヨウの機体と同じやつ?」

 鈴が国津幹久の小うるさい話を遮るように問いかける。

「あんな化物のことは忘れるんだ。そのISがまともじゃないなら、向こうはこの世の物じゃない」

「ふむふむ。ラインカラーは甲龍と一緒。もう最初っからアタシが着るために用意してあったようなもんじゃない」

「試作用に色々塗りたくっただけだよ」

 国津がため息と共に吐いた言葉通りに、装甲の至る所にテスト機用の記号が描かれていた。ロールアウトしたISにはない特徴だ。

「あと、頭部は試作用センサーだけだから、カッコ悪いのは我慢して。あとHAWCシステムには触れないように!」

「細かいことは置いておいて、フルスキンなら問題なし!」

 問答を続ける国津と鈴の周りで、サポートするために集まった三年生の整備班が驚きの声を上げている。

「ファンさん、この機体と凄く相性が良いみたい」

「さすが代表候補生……IS適正自体が高いのかな。連続加速も可能みたい」

 ISと繋がったケーブルの先にある端末を見ながら、口々に感嘆の声を上げていた。

 それを一瞥した後、国津はもう一度だけ、

「とりあえず、無茶はしないこと」

 と優しく念押しした。しかし当の本人はどこ吹く風か、不敵に笑う。

「それは臨機応変に現場で判断しまぁす! それじゃ行くんで、離れてください!」

「ああもう。整備のみんなはPICの影響範囲外に退避。モニターケーブル切断。ファン君、頭部バイザー展開して!」

「らじゃー」

 鈴が頭頂部にあるヘッドギアを軽く叩くと、顎周りに張り付いていた装甲が可変し、顔と後ろ頭を包み込む。その形状からでは、一目ではファン・リンインとわからなくなった。

「僕はバレても知らないからね!」

「あとで副理事長が何とかするって言ってました! じゃ、出ます!」

「ああもう!」

 やけっぱちで吐き捨てながら、国津がISから走って離れると同時に、鈴はPICを起動させて空中に浮き上がる。

 ISの調子を見るように十本の指部マニュピュレーターを動かしてから、鈴は真剣な眼差しを空へと向けた。

「テンペスタ・エイス・アスタロト。ファン・リンイン、行くわよ!」

 四枚の推進翼から光る粒子を吐き出し、その試作機は夜空へと舞い上がった。

 同じ高さまで上昇し、赤や白といった光を放つ戦闘空域を見つめる。

「死んでまでよくやるわね」

 呆れたように呟いてから、手に一本の槍を取り出した。彼女の背後にある赤と銀の推進翼が、放出されていた粒子を吸い込み始める。

「加速はこれね。んじゃ、やりますか」

 ファン・リンインは小さく息を吸い込み、強い意志を込めて戦場を睨んだ。

連続点火式瞬時加速(イグニッション・バースト)!」

 

 

 

 

 

 

 













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32、ユア・ネーム・イズ

 

 

『さあさあ、いっくん、それはキミの武器だ』

 一夏は自らの手に持つ刃に目を落とす。光が消え、今はただの金属製のブレードと化していた。

 だが、先ほどの手応えは、確かに自分が何かをしたのだと直感で理解できていた。

『斬りたいものを切り、全てを断絶するキミだけの武器。心を動かし祈ってイメージして。あんなミサイルなんて、白騎士の正当後継者たる織斑一夏に通用するはずがない』

 滔々と祝詞のように語られる篠ノ之束の言葉を受けて、襲いかかるミサイル群へ目を向けた。

 普段の篠ノ之束にはない静謐とした雰囲気が、通信回線を通して心を研ぎ澄ましていく。

 イメージするのは、自分の心の中にある、世界でもっとも強いモノ。

 目標は列を為して襲いかかる時速920キロ、全長6メートル超の兵器群。

 まず切断するのは、不可能だと思うイメージ。

 次に空間。

 最後に目標だ。

 彼にとって、いつも信じられないのは自分自身だった。

 力がなく、誰かの足を引っ張って、他人を信じることさえ出来ず、弱いままに戦おうとする。

 強くなりたい。

 ラウラ・ボーデヴィッヒと出会ったとき、彼はそう思った。

 誰かを守りたい。

 シャルロット・デュノアと出会ったとき、再認識した。

 そうやって得てきた意思が友人を傷つけ、自分の仲間すら巻き込んだ。

 だから自分が信じられない。

 ヒーローなんて言うなよ、ヨウ。自分が信じられないヤツがヒーローなわけないだろ。

 顔を上げ、刹那の思いを振り払い、眼前に迫り追い越して行こうとする巡航ミサイルを全てイメージの中に収めた。

 信じられないなら信じないまでだ。この現実を。

 そして、その先にある未来を信じてやる。

「ルート3・零落白夜!」 

 今、再現が行われる。白い騎士の、暴虐が。

 一夏が両手で持った刃を大きく振り上げて、全てを切断するがごとく振り下ろす。

 光の刃が彼の刀から溢れ出し、全てのミサイルを切断し爆発させ消滅させた。

 

 

 

 

 二瀬野鷹としての人生を終えたときを覚えている。

 ジン・アカツバキの送り込んだ戦闘機型ISからの攻撃により、光に包まれる輸送機の中、ISを展開し力を欲した。

 近くには玲美や理子、神楽、それにママ博士もいた。彼女たちはISを装備しておらず、ここで撃たれたなら、確実に死んでしまう。

 ディアブロ、力を寄こせ。

 何を捧げて良い。

 ここにいる人間たちを守る力を、オレに、この二瀬野鷹にくれ。

 叫んだ瞬間に、目の前が真っ暗になった。

 敵の可変型ISの砲撃により輸送機が破壊される。

 だが、オレの脳みそがザクザクと刻まれるような感覚とともにディアブロが変形し、機体を包むシールドを球形に巨大化させ四人を守った。ただ、相手の衝撃を完全に防ぐことは出来なかったようで、全員が気絶しているようだった。

 今までのオレには出来なかったような繊細な動作でPICを働かせ、意識のない四人を空中に浮かせたまま、ゆっくりと飛ぶ。

 ISからバイタルに関するエラー警告音が激しく鳴っていた。

 それでもディアブロはオレの祈りを聞いて、四人を近くに見えた沖合の小さな島の砂浜へと降り立つ。

 PICを解除し、砂浜に四人を置いた瞬間に、ISの胴体と頭部がいきなり解除された。

 中から何か倒れ込んで地面に落ちた。

 見たことのない男の背中だ。

 誰だ、と思い腕を動かして、その体を仰向けにしたとき、オレは発狂するかと思った。

 いや、発狂したのだ、おそらく。

 そこにあったのは、オレ自身の……この二瀬野鷹の死体だったからだ。

 

 

 

 

『半径10キロ圏内、ミサイルの機影なし』

「すごい!」

「白騎士みたい!」

「やった、すごいすごい!」

 目に見えていたミサイル群が一掃され、数秒ののち、我に返った機動風紀たちが湧き立つ。

 肩で息をしながら、一夏は手に持った雪片弐型を見つめる。

『ぎゃー、もう通信切れる! 時空間通信とかさすがの束さんでも、こんな機材と資材じゃ無理無理すぎるー!』

「え? 束さん? ちょっと!? 今、どこなんですか?」

『にゃー、こんなさびしい場所じゃウサギは死んじゃうぴょん! 死なないけど! 絶対に死なないけど!』

「束さん、色々聞きたいことがあるんですけど!」

『ごめん、いっくん限界! 一言だけ言いたいことが』

「な、なんですか?」

『あいるびーばっく!』

 調子っぱずれの英文を残して、通信が途切れた。

「ちょっと! どこのターミなんとかですか! ふざけないでください! ちくしょう、ふざけろよ! てかドヤ顔が思い浮かんでちょっとウザい! 」

 一夏にしては珍しい悪態の連発に、周囲の人間たちが驚いていた。その視線に気づいて少しバツが悪そうに苦笑いをした。

 だが、すぐに一つのことを思い出し、顔を引き締める。ミサイルの機影こそ見えないが、まだ戦闘は継続中で、漆黒のISがまだいるはずだと視界を回す。

 そこでは、新しく現れた銀色に赤いラインの入った一機のISが、漆黒の機体と戦闘を繰り広げていた。

『……誰?』

 槍の柄同士で鍔迫り合いをしながら、四枚羽根同士が顔を突き合わせる。どちらもフルスキンタイプであり中のパイロットは判別できない。

「謎の美少女パイロットよ!」

 相手の機体を押し返し、銀と赤の機体に乗った鈴は槍の刺突を三連発で繰り出す。

『くっ』

 マシンボイスに変換された焦りの声が漏れる。

「へー、結構良い機体じゃない。甲龍ほどの安定性はないみたいだけど、反応はこっちが上か」

 相手が後ろに引いても追撃せず、鈴は見せ長い得物をグルグルと回して余裕を見せる。

『どうして邪魔を?』

「IS学園を壊されたくないから、かな」

『専用機持ちたちは餌』

「餌?」

『いずれ成長したジン・アカツバキに質量化されて食べられてエネルギーになるだけの存在』

「ふーん。で?」

『で?』

「それが、今のアンタとアタシに関係あるの?」

『……そう』

 鈴の挑発に諦めのような吐息を漏らす。

「後ろ、危ないわよ」

 嘲笑うように忠告する鈴の言葉よりも早く、そのISは空中へと舞い上がった。

「外しましたか。しかし後ろから襲いかかるのも興奮しますね」

 鎌をもたげて奇襲をしたのは、ルカ早乙女という機動風紀の委員長だった。

「下品なのよ、委員長さん」

「この洗練された麗句の数々がわからないとは、貴方は未経験者ですね」

「なななななっ、何なのよ、アンタ!」

「ちなみに私も処女です」

 胸を張ってきっぱりと告げながら、ルカは上へと鎌を振り上げる。振り下ろされた漆黒の槍とぶつかり、火花を散らした。

「隙あり!」

 鎌をぶつかり体勢を崩した相手へ、銀色のISが槍を持って突撃する。

『くっ』

 咄嗟に左腕を振り上げ、肩に刺さろうとしていた穂先を逸らす。

「騎乗の逢瀬は男女の位置が逆だと思いますが」

 足元にいた青紫のISが右手に持っていたライフルを構え、引き金を引く。

 散弾のように広がって放たれたビームが、漆黒の機体の脚部装甲を焼いた。たまらず距離を取るように、空中で跳ねてから後退し、IS学園側の二機を見据える。

「ヨウ、もう終わりだ」

 そこへ、純白のISが近づいてきた。

 漆黒の機体が周囲を見回す。先ほど撃墜された負傷者を抱えた一機以外のマルアハが、周囲をグルリと取り囲み、マシンガンの銃口を向けていた。

「さすがにこの数には勝てないだろ。その機体がどんなに凄くても」

 20対1、という状況を受けてか、槍を持った腕を下ろし、頭を垂れる。

『どうして邪魔ばかり』

「邪魔をしたいんじゃない。話を聞いてくれ、ヨウ」

 箒から離れ、他の機体より前に進んだ一夏が諭すように問いかける。

『二瀬野鷹はもういない』

「ジン・アカツバキと戦いたいなら、邪魔はしない」

 その単語の意味がわからないマルアハたちがお互いの顔を見合わせる。

 だが、そんな彼女たちに構わず、男性操縦者は手を差し伸べるように腕を伸ばした。

「だけど、IS学園をこれ以上、破壊する必要はないはずだ。俺たちはきっとIS学園を守ってみせる。また、みんなで楽しく笑って暮らせるように頑張る。だから、これ以上はやめてくれ」

 下げていた頭部装甲をゆっくりと上げ、純白の機体へと顔を向ける

『みんなで?』

 少しだけ笑みを含んだ声に、一夏はホッとした顔を見せる。

「ああ、お前も含めたみんなでだ。約束する。だから、俺を信じてくれ、ヨウ」

 夜空に浮かぶ白の騎士が、未来を照らし出すような顔で笑いかける。そこに迷いは微塵も感じられなかった。

 鋭く尖った装甲と、黒い四枚の翼、そして手に持った無謀という名の武器。

 そのISのパイロットが、装甲の中で笑う。

『IS学園所属の全機に告ぐ! ISの急速接近反応あり! 数は十機以上! そのうちの一機が異常に速い!』

 突如入った通信に、全員が学園と反対の海の方を振り向いた。

 海面スレスレを、一機のフルスキンISが真っ直ぐ飛んでくる。

「さあ、IS学園のボーイズエンドガールズ。レクリエーションの時間は終わりよ」

「銀の……福音!?」

 篠ノ之箒が目を見開いた。それは数か月前、暴走し彼女たちを苦しめた機体だった。

「このナターシャ・ファイルスとシルバリオ・ゴスペルが、貴方たちを教育してあげるわ!」

 

 

 

 

 走り続ける楯無のポケットで携帯電話が着信音を鳴らす。

「ったく、誰よ。もしもし」

『更識楯無か? 俺は岸原だ』

 電話越しに聞こえる重苦しい男の声を、楯無は鼻で笑う。

「これはこれは岸原司令。何かご用でしょうか」

『シェルターに来るなら、教職員用の第一シェルターにしろ。第二から第四までは満員で入口は閉じた』

「こちらが従う意味は?」

『生徒たちを危険に晒したいなら好きにしろ、と言いたいがな。子供を危険な目に会わせるのは本意じゃない』

「はいはい。どうせ私たちに出来ることはありませんから。もう着きますよ」

 一方的に携帯電話を切り、楯無は整地された通路を右へと曲がる。モノレールの下をくぐり、ISに関する研究所などの前を抜けて、森の中に入る。

「早かったな」

 迷彩服を着た四十代ぐらいのガッシリとした男が、携帯電話をポケットに入れて顔を上げた。

「まったく貴方がたには、してやられてばかりです」

 後ろに立つ簪とラウラ、それにシャルロットは警戒した様子を崩さない。

「俺に、じゃあないな。ほとんどはシジュ、いや、四十院総司のおかげだ」

「戦闘機を捨てIS関連の推進を進め、異例の昇進を得た人物とは思えませんね」

 棘のある楯無の言葉を聞き、岸原は困ったように短く刈り上げた頭を撫でる。返す言葉はないのか、背中を向けて、

「こっちだ」

 と苦笑いのまま先導する。

「職員用のシェルター、ですか」

「いいや、お前たちには見てほしいものがある。意見が欲しい。正直、俺も国津も戸惑っている」

「え?」

「なぜ、シジュがアレを回収させていたのか。そしてどうして俺たちにも内密にしていたのか」

 地面に埋められたシェルターへの扉を、岸原はあっさりと通り過ぎる。

「アレと言いますと? 今からどこに行かれるんです?」

「見ればわかる。こっちだ。奥にもう一つ、プレハブがある」

 鬱蒼と生い茂る木々の間を、岸原がライトを照らしながら歩いていった。

 楯無は後ろにいた三人に肩を竦めて見せ、それから距離を置いてついていく。

 ラウラとシャルロットが銃を抜き、周囲を見回しながら進む。簪は姉の元へと小走りで駆け寄った。

「お、お姉ちゃん……」

「とりあえずはついていきましょ。岸原一佐ともあろうお方が、お仲間についてわからないとおっしゃるのだから興味もあるし」

 呆れるような声音で、前方を歩く男を挑発する。

「俺はお前たちが思っているほど優秀な男ではないぞ」

 ばつが悪そうに頭を撫でながら、岸原が答えを返してきた。

「何をおっしゃいますか。いち早く軍におけるISの有用性を上層部へと説き、四十院との橋渡しをして他に先んじ、航空自衛隊にIS部隊を作った。軍用ISに関することなら第一人者とも言われるお人でしょう」

「まあ、そういう評価で一佐まで昇進したがなぁ。俺自身というより、シジュの言う通りにしただけってのが正しいか」

「大学時代からのお付き合いで?」

「そうなるな。まあ、アイツはぼんやりとした男だったよ。俺もロクデナシだったし、国津にいたってはただのオタクだったし。同じサークルで飛行機紛いの物を作っては湖に落ちてたさ」

 楽しそうに笑いながら、岸原は木々の間を進んでいく

「国津博士もご一緒だったんですね」

「みんな、どこにでもいる大学生だったよ。そのうち就職し、俺も国津も言い方は悪いがシジュのコネで就職できた。とは言うものの全員、ボンクラの大学生だったからな。出世なんて程遠い場所にいたが」

「意外ですね。全員が切れ者だったと思っていましたが」

「そんなことはないぞ。そんでまあ卒業してから数年経って、それなりに早く結婚して子供も出来て全員が家庭を持った」

 草木を掻き分け、足元をライトで照らしながら岸原が歩いていく。その言葉はただ懐かしんでいるだけのようにしか、楯無には思えなかった。

「子供がみんな同じ年の女の子だったからな。以前にも増して仲良くつるんでたよ。そこまではシジュもボンクラだった。とても御曹司には思えないほどな」

「私が彼と出会う前ですね。少し信じがたいですが……」

「娘が三歳の頃だ。旅先で事故にあった」

 いかにも中年の昔話といった声音だったが、急にトーンを落として神妙な話し方になる。

「それって」

 岸原の言葉に、楯無の隣にいた簪が慌てて端末を起動させる。先ほど、電算室で漁ったライブラリ内の、最後にあったネットの記事だ。

「……よく、ご無事でしたね」

 山の中を走る高速道路で前方不注意の軽自動車がハンドル操作を誤り事故が発生。田舎だったせいで中央分離帯のない対面交通であり、反対車線のミニバンにぶつかった、という大事故だった。キャプションがつけられた写真には、前半分が潰れかかっているミニバンが映っている。

「三列シートの車で、俺と国津は二列目、最後尾には娘たちが寝ていた。うちのとシジュの嫁は仲が良くてな、違う車で後ろからついてきていたんだ」

「重症だったのでは?」

「そうだ。俺と国津はな」

「え?」

「助手席にいた三弥子さん、つまり国津の嫁だが、車外に投げ出されていたが何とか無事だった。だが、運転席はその写真を見ればわかるだろう」

 運転席は跡形もない。とても人間が助かるとは思えないような潰れ方をしていた。

「総司さんは、ここに?」

「ああ。俺と国津が重傷だったにも関わらず、四十院総司という男だけが無傷だった」

 ゴクリと簪が生唾を飲み込む。

「ただ、目を覚ましたときはかなり混乱していたようだった。そっから、アイツは変わったよ」

「……まるで別人のように、ですか」

「難しいな。外見は確かに四十院総司だ。喋り方も確かにそれっぽいが、どうにも雰囲気が違う。あとな」

「はい」

 何かを口にしようとしたが、言葉を発さずに岸原は黙りこむ。訝しげな視線を送っていると、数十秒ほど後に、

「……着いたぞ」

 と岸原が目の前にあるプレハブ小屋へライトを照らした。

「ここは? 私の記憶にもありませんが」

 何の変哲もないどこにでもあるような小屋だ。実際に目の前に立っても用務員が道具を入れているのか、ぐらいにしか思えない場所だった。

「俺にもわからない秘密が、ここにある。さあ、入るぞ」

 少し緊張した声で、岸原がドアノブを握った。

 

 

 

 

 四十院総司は十二年前に死んでいる。

 明らかに助からない交通事故だったはずだ。

 だが生き返った。

 それが四十院総司か否かは、その妻が知っていた。

 彼は二人だけになったときに謝った。自分は四十院総司ではありません。彼は死にましたと土下座をした。男は自分の名前を名乗らなかった。ただ、これまで通り暮らせないと思い別居を申し出た。

 了承するために妻が提示した条件は一つ。今まで通り良き父親であること、良き友人であること。

 男は堅く約束をした。自分の願いと変わらなかったからだ。

 狂人とも思える心を隠し、彼は動き出す。

 この世界を都合の良いものへと変えるために、自らに残った知識と経験を生かして、暗躍を繰り返した。

 本当は泣きたかった。

 自分はもはや自分ではないと知った彼は、泣きたくなったことも数知れず、膝から崩れ落ちるようなことも沢山あった。

 それでも歯を食いしばって、たった一つの願いのために歩き続けた。

 彼の知識も万能ではない。自分でそれを知っていたが、立ち止まらず最善を尽くし、寝る間も惜しんで世界を変え続けた。

 自分が何者なのかわからなくなるときもあった。

 目が覚め鏡を見て驚いたなんてザラだ。

 そんな生活を十二年も繰り返した。

 世界の闇と光の間を行き来して他人を騙し、何度も挫けそうになった自分すらを誤魔化し、触れたもの全てを謀った。

 久しぶりにあった知人や見知った顔へと成長していく少女たちを見て、何度も叫びそうになった。

 自分はここだと。自分を見てくれ、と。

 そんな当たり前の願いを飲み込んで、偽りの笑顔を作って騙し続けたのだ。

 そういう、十二年だった。

 

 

 

 

「おうおう、アメ公がはしゃいでいやがる」

 細身のISを身に付け、腕を組んだオータムが戦場を見下ろしていた。

 そこでは、マルアハと呼ばれるIS学園所属の専用機たちを相手に、シルバリオ・ゴスペルが縦横無尽に駆け巡っていた。

 まるで蜘蛛の子と散らすように、陣形を乱され、バラバラに逃げ惑うマルアハたち。それに銀の福音が襲いかかる。

「くぅ、何、このIS!」

 機動風紀の一人が必死に引き金を引き続けるが、その旋回速度に銃口すら追いつけない。

 あっという間に顔と顔がくっつく距離まで近寄られ、マルアハのパイロットが短い悲鳴を上げる。

「ボスを出しなさい、お嬢ちゃん。うちの子はとても怒っているわ。仲良かった子が殺されて、とても、とても。さあ、貴方に銀色に輝く福音を告げましょう」

 ナターシャは多銃身回転式のビームマシンガンが装着された右腕を相手へと押しつけた。

「IS学園は、今日で終わりだと」

 容赦なく全力で撃ち出されたエネルギーを全て被弾し、マルアハが後方へと吹き飛ばされた。

「まずは一機」

 煙を上げて落下していくISを見下ろしながら、ナターシャ・ファイルスがポソリと呟く。

 その後ろから、他の機動風紀が襲いかかった。だが、振り下ろされた金属製のブレードを、振り向きざまに左手一本で受け止めて握り潰す。同時に相手を右手で殴りつけ、多砲身のビームを連射して撃墜する。

 縦横無尽に駆け巡り、銀の福音が青紫のマルアハたちを翻弄していた。

 その様子を上空から見下ろしているオータムは、

「思ったより敵が落ちてねえが、まあ第二から第六までで余裕そうだな」

 と他人事のように呟いた。

 その横にいるのは二台の打鉄が浮いていた。一機はアイドル衣装のような白とピンク色のカスタマイズ機で、一機は巨大な推進翼を持った個体だ。いずれも肩部装甲に極東IS連隊のマークがプリントしてある。

「隊長、第一小隊は?」

 不機嫌な様子で尋ねたのは、沙良色悠美だ。

「いらねえよ、あの様子じゃ」

「じゃ、じゃあ、私たちは何をしに」

「落ちた敵さんでも救護しとけ、お前ら二機で」

「え? 良いんですか?」

 興味なさそうな口調での命令を受けて、悠美は意外そうに驚いた。

「戦争してるよりゃお前にゃお似合いだ、デカパイ」

「だ、誰がデカパイだ!」

 胸元を隠すようにして、沙良色悠美が赤面して叫ぶ。

 そこに割ってはいった委員長気質の湯屋かんなぎが、

「隊長は?」

 と短い質問を行った。

「アホか。こっちは救護の方が似合ってねえ。ああ、それと一つだけオーダーだ」

「なんでしょうか」

「あの黒い機体な、あれは放っておけ。絶対に手を出すな」

「はあ……所属不明機ですか?」

「今んところ敵じゃねえよ。お前らにとっても、私らにとってもな」

 

 

 

 

 混乱した戦場をゆっくりと見回したあと、漆黒の機体が動き出す。その視線の先にあるのはIS学園だ。

「アンタの相手はアタシよ!」

 そこへ試作機を着こんだ鈴が立ち塞がった。

『……あっちは?』

「化けて出たアホはアタシが引導渡してあげるわよ。そんで玲美たちに引き渡してあげるわよ!」

 槍の穂先を下に向け、加速して接近し突き上げる。

 だが相手は宙返りしながら上方へ交わし、距離を取った。

 たったそれだけの攻防だったが、鈴は頭部バイザーの中で眉をしかめる。

 次の瞬間、相手が腕を伸ばし顔を掴もうと迫ってきた。咄嗟に槍の柄で相手の攻撃を跳ね上げてから、穂先を下から上へと振るう。しかしそのカウンターを避けながら敵機は横へ回転し回し蹴りを放った。

「チッ」

 何とか槍を盾変わりにし本体への打撃を防ぐ。同時に自分も槍を振り回して距離を開き、ゆっくりと構えを戻す。

 そのやり取りで鈴は何かを確信したのか、口をあんぐりと開けていた。

 直感だけで生きてるとよく友人に評された。事実、鈴は自分の直感をあまり疑わず、それを強みにしている部分がある。

 ゆえに、今回も直感で一つの事実に気付いてしまった。

「なるほどね……そういうこと」

 もう一度、相手の姿を見据えて唇を噛む。

 鋭く尖った光沢のある黒い装甲、背中に生えた四枚の翼は以前と変わらないように見える。そして胸部に追加された装甲と、人体の納まる太さへと戻っている左腕と両脚。

 気付いてしまえば簡単だった。

 同時に落胆し、悲しい気分に陥る。一瞬だけ目を閉じた空を見上げ、深いため息を吐いた。

「行きなさいよ」

 鈴は構えを解いて、顎で自分の後ろにあるIS学園を指し示した。

『え?』

「なるべくIS学園を傷つけないでよね。あとは好きにしたら良いわ。屍は拾ってあげる」

 それだけを告げて、自分も銀の福音との戦闘に加わるためにゆっくりと動き出す。

 自分の横を通り抜け、試作機である銀に赤のラインを入れた機体が離れていった。

 漆黒の機体は振り返らずに視線を上げる。

 目指すのはIS学園。

 戻ってきた。

 そう、結局、ここに帰ってきたのだ。

 

 

 

 

 鈴が飛び去った後で、国津幹久は新たな機材のセッティングを始めていた。

「これで終わりかな」

 額に浮いた汗を白衣で拭い、幹久は首を鳴らした。

 そこに協力していた生徒たちが不安げな顔で近づいてくる。

「あの……これからどうなるんでしょうか」

「大丈夫だよ。全部、僕らに任せておきなさい。危険な目には合わないよ」

 安心させるように優しい声で告げながら、幹久は手に持った小さな端末を操作し始める。

「その、今、準備していたものは……?」

「キミたちを自由にするプログラムの準備さ。副理事長の指示でね。いいかい、キミたちに教えておきたいことがある」

「は、はい」

「眠りに落ちて目が覚めて、どれだけ不思議なことがどれだけあろうと、まずは逃げるんだ」

 それこそ不思議な指示だと思い、IS学園の三年生たちが顔を見合わせる。

「あの……国津主任?」

「次に目が覚めたとき、きっと自由になってる。だから、信じるんだ。自分たちで未来を作りたまえ」

 この世に生きる先達として、国津幹久は優しげな顔で微笑みかける。

 生徒たちが少しホッとした顔を見せたとき、幹久のポケットで電話が鳴る。

「はい、国津です」

『四十院だ。どうにも前倒しになりそうな気配だ。準備は?』

「完璧さ。キミの指示でずっと準備してきたトラップは必ず発動する。この間も大丈夫だって言ったろう?」

『たぶんって言って自信なさげだったのは、そっちじゃないか』

 からかうような声に、国津は頬を綻ばせる。

「いつでも僕らは自信なかったよ。キミと違ってね」

『そりゃ買いかぶりだ』

「でも、きっと大丈夫さ。そのためにフランスの無人機をサンプルとして回収したんだし、横須賀のときに回収したサンプルでも実証済だ」

『頼むよ。タイミングは指示する』

「了解」

 電話を切ってから、国津幹久は空を見上げる。

 言われるがままに走り続けた。

 それでも娘を救うためだと言われ、事実を突きつけられたなら、やるしかないだろう。

 自分は父親なのだから。

 

 

 

 

「数はこっちが上、うろたえないでみんな! 銀色のヤツを取り囲むのよ! さきほどまでとチームは一緒! AからDで追い込む! マシンガン多用して!」

 散らされていた機動風紀たちが徐々に隊列を取り戻しながら、その銃口でシルバリオ・ゴスペルを追いかける。

 だが、その一発たりとも相手に当たらない。

「速い! 小回りが、旋回速度が全然違う!」

 海面すれすれを蛇行しながら飛ぶ相手に、動揺しっぱなしだった。

 そこへ紅の機体が飛び出してくる。

「私が行きます!」

 二本のブレードを振り、箒は刀身から放たれるエネルギーの刃で敵を狙う。そこから瞬時加速へと移行し、銀色の機体へと飛びかかった。

「一度は落としかけた機体だ!」

 苦戦させられたとはいえ、箒にとっては二瀬野鷹に邪魔をされなければ撃墜出来たはずの相手だった。

「それは甘い考えじゃないかしら」

 クスクスと笑いながらその全ての攻撃を旋回と蛇行だけで回避する。着弾した際に起きた大きな水柱がいくつも巻き上がった。

 その中の一本に紛れ、ルカ早乙女の操るマルアハが、巨大な鎌を持って接近する。

「年増の緩んだ穴には、これぐらい入るでしょう」

 水面ギリギリをジグザグに飛び回る銀の福音に、ルカは必至で追いすがり、鎌の一撃を振るう。

 だが相手は急ブレーキをかけて鋭くスピードを落とし、完全停止した。そのせいで敵を追い越してしまい、鎌は完全に見当違いの場所を削ぎ取ることになる。

「ほらほら、後ろを取られたわよ」

 今度は立場が逆になり、後ろから追いかけられる。背面から連続で放たれるビームを、ルカは必死に蛇行と停止、そして急角度の旋回を繰り返して回避し、相手を引き離そうとした。

「遅いわね。よちよち歩きも満足に出来てないんじゃないかしら」

 しかし全く離れる気配がない。むしろ距離はどんどん詰められていく。

「くっ、年増に背後を取られるなど……」

 焦りが全身を侵していく。

「先輩!」

 そこへ純白の機体がブレードで切りかかろうとした。

「え?」

 その間抜けな声を上げたのは、箒だった。

 突然突進してきた一夏と、ルカからナターシャを引きはがそうと追いかけていた箒がぶつかる。

「わ、悪い!」

 咄嗟に謝る一夏と箒の元へ向けて、シルバリオ・ゴスペルがその右腕を伸ばしていた。

 そう誘導されていたと二人が気付いたときには、すでに遅かった。

「チェックよ、クソガキさんたち」

 二人の視界を埋め尽くさんばかりにビームマシンガンが連射され続ける。

「くっ、くそっ!」

 白式のシールドエネルギーが恐ろしい勢いで減っていくのを見て、一夏は何とか逃げようとする。

 だが、その頭へ予想外の方向から強烈な一撃が放たれた。

「な、なんだ!?」

 センサーをチェックして、愕然とする。

 いつのまにか、自分たちの周囲全方向を、十数機のISにより包囲されていた。

 銀色の敵機に翻弄されているうちに、スピードの遅かった後続の機体が追いついたのだと今さらながら気付く。

 箒と一夏は、必死に上昇して包囲網から逃げ出そうとした。だが、その頭を押さえるように黒い雲のような物体が襲いかかってくる。

「はっ、ガキどもが。調子に乗りやがって」

 一夏と箒にとっては見覚えのある機体が、はるか上空から見下ろしていた。そこから放たれた極小ビットの集団が彼らに巻きついて爆発を起こす。

「くっ、一夏!」

「だ、大丈夫か、箒!」

 お互いが庇い合うように重なりあったところへ、鈴の機体が飛び込んで二人を吹き飛ばす。

「さっさと逃げなさい、一夏、箒!」

 そのまま槍を振り回し、這い寄ってくる黒い雲へむしゃらに攻撃を仕掛ける。連鎖して爆発が起き、ビットの群体がその量を減らしていく。

「またコイツなわけ!」

 鈴は以前、その極小ビットによる攻撃で戦闘不能へと追いやられていた。その意趣返しをしたいところだが、今は周囲にいる敵の部隊からの攻撃も警戒しなければならない。

 ビットを突き離し何とか包囲網を破ろうと、四枚の推進翼を動かして加速を始める。

「ああ、それ、装甲形状に見覚えがねえけど、アスタロトなのか。IS学園側の試作タイプってことか」

 楽しそうに鼻で笑った女が、パチンと指を鳴らす。

『極東IS連隊第三から第六小隊の全機、HAWCシステム起動』

 わざわざオープンチャンネルで呟かれたその言葉に、一夏の全身に鳥肌が立った。

「みんな、逃げろ!」

 そう叫ぶと同時に、全視界が光で覆い尽くされる。

「悪いが第二世代機用の汎用装備なんだよな、HAWCシステム」

 目を瞑る一夏たちの耳に、不快な嘲笑の笑い声が届いた。

 

 

 

 

 夜空を切り裂く閃光が、専用機持ちたちの背中を照らす。わずかに遅れて爆発音が彼女たちの耳に届いた。

「な、何の音だ? あの光は? ……一夏!? 応答しろ一夏!」

 嫌な予感を覚え、ラウラはコアネットワークを使い必死に相棒へと呼びかける。だが相手が通信に出て来ない。

「極東の部隊がマルアハたちを落としたんだろう。おそらくHAWCブースターランチャーの光だ」

 ため息交じりに告げたのは、プレハブ小屋のドアノブを回そうとしていた岸原大輔だ。

「マルアハって、機動風紀が全滅したってことですか!?」

 シャルロットが口を戦慄かせながら、岸原に問いかける。

「そうだろうな。さて、始まるぞ。随分と予定が前倒しになったな。シジュも全能じゃないってことか」

「こうしてはおれん。助けに行かなければ!」

 ISを展開しようとするラウラへ、岸原が、

「やめておけ。お前も落とされるだけだ」

 と呆れたような声をかける。

「なんだと?」

「相手は各国から来たベテランの部隊だぞ。お前たち四人が向かっていっても、あっという間に落とされる」

「だが、見捨てるわけには!」

「見捨てるとは言ってないぞ。もう少しだけ待て。……ほら、始まった」

 五人の立っている足元が、地響きとともに揺れ始める。

「な、なんだ?」

「シェルターの扉が開いた。理事長自慢の有人型自動操縦機が、極東の奴らを排除しに行くぞ」

「どういうことだ!?」」

「第二から第四までのシェルターには、ISを装備した学生たちが入っている。出撃用の巨大な穴が地上まで伸びてるのさ。お前たち専用機持ちたちは、あれにとって大事な餌らしいからな。取られるわけにはいかんようだ。だから、総勢六百機以上のISが救援に向かうわけだ」

「六百!?」

「IS学園に残った生徒全員にISを装着させた。ISを使える教員どもも一緒だ。そして、その全機が理事長の思うように動いて、相手を排除しにかかる」

 岸原が見上げた方向から、いくつもの青紫の物体が飛び上がっていく。まるで巣箱から飛び出した蜂の群れのようだった。

「あんな……バカげた数が本当にあったのか」

「相手はたかが二十機弱だ。あくまで仮の機体とはいえ六百を相手には逃げるだろうよ。お前たちに出来ることはない。それよりこっちだ」

 心ここにあらずというラウラたちを気にもせず、岸原は目の前にあるプレハブ小屋のドアを開けて中に入る。灯り一つない内部を、持っていたライトで照らした。

 後から入ってきた四人が、小さな光に照らされた、奥の壁に立てかけてあるものに気付く。

「これは……なぜ、こんな場所に? どういうことだ!?」

 ラウラが大きな声を出して驚いた。

 シャルロットも簪も呆気に取られており、目を丸くしている。

 ただ、楯無だけが鋭い眼差しを向けていた。

「やっぱり、私の勘は当たってたわけね。どうしてここに?」

「シジュが、俺たちにも内密で回収していたようだ。あいつがここに来た形跡はないが、直轄の部下たちがコソコソしてたんでな」

「なるほど……」

 そこには、十字架の形をしたIS用のスタンドがあり、動かないようにがんじがらめに鎖を巻かれた機体があった。下半身は透明な樹脂のような物体によって固められている。

「どう思う?」

「間違いないでしょう。私のカンも当たってました。ここにある、この機体は」

 更識楯無が記憶の中から、その名前を引っ張り出す。

「二瀬野鷹の専用機、テンペスタⅡ・ディアブロです」

 

 

 

 

「だい……じょうぶ?」

 箒を守るように覆いかぶさった機動風紀の一人が力なく笑って問いかける。

「あ……、あ……」

 まともな声も出ずに何とかその機体を抱きかかえようとしたが、装着していたISが光の粒子となって消え、掴むことすら出来ずにパイロットが海面へと落下していった。

 錆びた歯車のような動きで周囲を見回す。

 IS連隊からの長距離砲撃を食らったはずの一夏と箒は、機体のいたる場所を損傷しているとはいえ、何とか無事だった。

 なぜなら、機動風紀のマルアハがその周りに集まり盾となったからだ。

 かろうじて浮いていた他の機体も、焼け焦げたような匂いを発しながら一機、また一機とPICの機能が途切れ、ゆっくりと海面へと落ちて行く。

「……先輩の意地、というヤツです。後輩を守るのも年長の役目と言いますか」

 委員長であるルカ早乙女の機体もまた、装甲がほとんど残っておらず、辛うじて脚部の一部と推進翼、そして鎌が残っているだけだった。

「せん……ぱい」

 震える声で一夏が声をかけると、今までずっと無表情なままだったルカが、その口元を小さく綻ばせた。

「何だかんだあっても、私たちはIS学園を愛しているのです」

 そう呟いてから、鎌を大きく振り上げた。その視線の先にあるのは、銀色の翼を持った、米軍のエースパイロットだった。

「IS学園機動風紀委員長、ルカ早乙女、参ります」

 ゆっくりと、煙を吐き出しながらフラフラとマルアハが飛ぶ。

 片手を腰に当て、モデルのように立ったナターシャ・ファイルスが小さく微笑んだ。

「その意地が続くなら、スイスからアメリカに来なさい。一人前にしてあげるわ」

 ルカが最後に残った力で、巨大な鎌を振り下ろす。

 ナターシャが流れるような動きで相手に合わせて、カウンターで左の拳を突き出し顔面を射抜いた。

 青紫の機体が吹き飛ばされて落下していく。

「あとは一年生だけね。どうするの? 自分の意思で戦っていたなら、容赦はしない。無理やり戦わされていただけ、というなら……やっぱり容赦はしないわ」

 IS学園側に残った戦力は三機のみ。

 紅椿の箒と白式の一夏、そして少し離れた場所にいるテンペスタ・アスタロトを着た鈴のみだ。

 そのどれもが大きく損傷しており、まともに戦える状態ではない。

 あっさりとした幕切れだった。

 自分たちが必死にミサイルを落とし、新しい機能に目覚めて奇跡のような勝利を収めたと思った。

 だが、訪れた大人たちの軍隊に翻弄され、あっという間に戦闘が終わらされた。

「戦争なんてこんなもんだ」

 一夏たちの上を抑えていた細身の機体がゆっくりと降りてくる。

「IS学園は終わりよ。さっさとISを解除して投降しなさい。戦闘に出てきた貴方たちは悪いようにしか出来ないけど、ここで大人しく捕まるなら少しはマシな扱いが出来るわよ」

 銀の福音のパイロットが優しく諭す。

「これで……終わりなのか」

 箒が唇を噛んで悔しそうに呟いた。

 彼女は、自分たちがいる場所を守るためだけに、勝手に参戦したのだ。

 しかしもう終わった。あっという間に蹂躙されて、みんなでIS学園に残るという儚い夢は霧散したと思った。

 だが、極東IS連隊から来た人間たちが、自分たち生き残りから目を外し、IS学園の方を見つめた。

「あれは……全部ISなの!?」

 彼女たちがいる海域へ、無数にも思える光が飛んでくる。ISの望遠レンズで捉えた視界で、その全てがISだと

 先ほどまで余裕たっぷりの態度でいた銀の福音のパイロットが驚愕の声を上げる。

「おい、全機撤退だ」

「オータム?」

「予定通りだ。帰るぞ。向こうの数は六百以上だ。残った生徒全員がISを装着してやがる」

「あっちに飛んで行った機体はどうするの?」

「あれか。好きにすれば良いだろ。オヤジ連中がいるんだし大丈夫だろう」

 呆れたように言いながら、細身の機体は踵を返し、飛び去っていく。

「……帰るしかなさそうね。IS連隊全機撤退。敵の数はおよそ六百を超える。勝ち目はない、全機撤退よ!」

 その言葉を聞いて、遠くから荷電粒子砲を構えていた機体が一機、また一機と加速して消えていく。

「じゃあね、坊やたち。化物の餌になるのがそんなにステキだと思うなら、従うといいわ」

 冗談めいた投げキッスを送り、背中を向けた。

「ま、待て!」

「何かしら?」

「タカは、二瀬野鷹は死んだのか!?」

 箒の声に、ナターシャが推進翼の動作を止めて首だけを回す。

「間違いないわ。その亡骸は、私も見てる」

「で、では、あの機体には誰が乗っているんだ!? あれは二瀬野鷹の機体だろう!」

「あれがテンペスタⅡ・ディアブロだと言うなら驚きね。でも多分違う。載ってるのも彼じゃないわ」

「なんだと?」

「あとは自分たちで考えなさい」

 スラスターから光を放ち、一瞬で音速を超えて逃げていく。その姿を茫然と見送る箒と一夏の元へ、ボロボロの機体の鈴が近づいてきた。

「助かったの?」

 鈴がIS学園側に浮かぶ光の集団を見つめて呟いた。こちらに向かうのを止め、今は第六アリーナ付近で静止している。

「そのようだ。俺たちがジン・アカツバキに助けられるなんてな」

 一夏が疲労の詰まった声で返答する。

「……餌、か」

「鈴」

「ん?」

「銀の福音のパイロットが言っていたのは本当か? あれに乗ってるのが、ヨウじゃないってどう思う?」

「ああ」

 ボロボロになった頭部バイザーを解除し、鈴はバレッタを外して頭を振る。長い髪が夜に舞った。

「何か知ってるのか、鈴」

 箒も同じように尋ねてくると、鈴は小馬鹿にしたような顔で、

「アンタら、馬鹿じゃないの」

 とため息を吐いた。

「鈴?」

「ヨウは……死んだ。セシリアがウソを吐くとは思えないわ。あの機体は酷く似てるけど、おそらく私が乗ってる機体と同じ」

「そ、そういえば、それは何だ? 甲龍はどうした?」

「副理事長に言ったら貸してくれた。アタシってバレないようにって思ったけど、さっき頭部損傷したし、きっとバレたわよねー……」

「いや、それと同じというのは、どういうことだ?」

「アンタも戦ったことがある子よ。さて、どうなったのか。でもとりあえずは負傷者の救助ね」

 鈴はゆっくりと海面へ向けて降りて行く。そこにはまだ極東所属のISが二機、残っていた。

「あれ、鈴ちゃん、だっけ。あと織斑君と篠ノ之さんも。こっちこっち」

 白とピンクの派手なカラーの打鉄が手を振っていた。

「あ、ヨウんちの件であった、確か簪の従姉妹の」

「悠美よ。悪いけど、このゴムボートに集めた子たち、よろしく」

「すみません……」

 仮にもさっきまで敵だった人物に、ここまで世話になっていることを、一夏は非常に申し訳なく思っていた。

「ま、今回は敵だったけどね。ゴムボートは提供するわ。元々、この子たちを回収するつもりで持ってきたものだし」

 悠美ともう一人のパイロットもゆっくりと上昇して、離れて行く。

「それじゃね。また会いましょ」

 二機の打鉄が背中を向けて去っていく。お辞儀して見送った後、一夏はゆっくりとIS学園の第六アリーナの方へと振り返った。

「二人とも、機動風紀の先輩たちを頼む」

「一夏?」

「行ってくる」

 短く告げて、一夏はゆっくりと無数の光が灯る戦いの場へと動き出した。

 

 

 

 

 学園の敷地内を走り続ける千冬は、数百メートル先に一人の男がいるのを見つけた。

「あれは……」

 進行方向を変え、スーツの懐から一丁の銃を取り出し、遮蔽物を見つけて隠れる。

 男は千冬に気付く様子もなく、彼女のいる場所の近くを走って通り過ぎようとしていた。

「止まれ、四十院総司」

 鋭い声と空への威嚇射撃に、四十院総司が速度を落として立ち止まる。

「これはこれは織斑先生。こんなところで奇遇ですね」

 肩で息をしながらも、男は余裕ぶって笑いかける。

「護衛もつけずに一人で行動とは、恐れ入るな」

「いや、護衛つけるような身分じゃないでしょ。あと護衛に良い思い出がない。あー歳は取りたくないな、息が上がる」

「ここでお前を連れて極東に戻れば、事態は収束するんだがな」

 鼻で笑う千冬に、四十院総司はヒラヒラと手を泳がせる。

「またまたー。そんなことしても、何の解決もしないってわかってるくせにー」

「一つだけ聞きたい」

 銃を懐に納め、千冬は射抜くような視線を向ける。副理事長の肩書を持つ男は、そこから発する圧力を受け流すように肩を竦めて笑った。

「なんでしょう」

「失敗したんだな?」

 その言葉に、男の笑顔が無表情なものへと豹変した。

「……何のことでしょう」

「わかってるはずだ」

「はぁ、何でもお見通しですか。怖いなあ」

「失敗したんだな」

 念を押すように繰り返された言葉に、四十院総司がポケットに手を突っ込んで、背中を向ける。

「おっしゃるとおりですよ。二瀬野鷹の両親の警護については、裏にあんな事情があったなんて、思いもよらなかった。これじゃあ自分で殺したようなもんだ」

 少しだけ震えた声音に、千冬は憐憫を込めた笑みを向けた。

「お前が悪いんじゃない。気にするな」

「いや、どう考えても、こっちの不手際だ。心が折れるかと思いましたよ、十二年も待って、あの結果だ」

「そうか」

「目が覚めてからの十二年。色々と知ることが出来ました。上っ面だけをなぞってたときと違う、深いところまで。そりゃもう、みんなには言えないことも沢山やりました」

「お前は、これから何をするんだ」

「何をって聞かれてもね。あの少女はすでに死ぬことが決まっていたようなもんだった。それでも勿論、許せません。あと一年は生きていられたはずだ」

「なら、なぜ助けなかった」

「最後まで二瀬野鷹と一緒にいたいと、そう言ったんですよ。篠ノ之束の劣化コピーとして生まれ、寿命すらもまともじゃないくせに、会ったばかりの少年と一緒にいたいと」

「そうか」

「だから、好きにさせました。悩みましたけど、両親の件で過去ってのは変わらないんじゃないかって思ってましたし」

「一年ぐらい前から、接触していたんだな、その少女と」

「クロエ・クロニクルですか。まったく彼女のISは厄介だな」

「あいつは真剣だからな。だが、その少女とお前は直接、会ってみたのか」

「一回だけです。賢しい子でしたからね。篠ノ之束を除けば、最もISを理解していた子ですし、あんまり会うと、ひょっとしたら私に気付いたかもしれない」

「与太話で悪いがな」

「なんでしょ」

「気付いていたんじゃないのか」

 慰めるような声に、背中を向けたままの四十院総司は鼻を鳴らした。

「そうかもしれません。結果として、二瀬野鷹に興味を持ってしまったのかもしれませんね」

「だとしたら、メールのやり取りだけで、随分と優しくしたもんだな」

「まあ……そうしてあげたかった、ってのが正解ですかね。IS開発に関するやりとりだけで、随分と懐いたもんだ。それで織斑先生」

「ああ」

「どうします? それでも私を捕まえて国際法廷に引きずり出しますか」

「いや。もうわかったからな。用件は済んだ」

「そうですか。じゃ、これを」

 四十院がポケットの中から一枚のカードを取り出して投げる。それを二本の指で受け取った千冬は怪訝な顔を浮かべた。

「これは?」

 サイズはクレジットカードと同じぐらいで、集積回路のようなラインが複雑に絡まって走っていた。

「リモコンみたいなもんですよ。計画が前倒しになりそうでね。ホントは世界側をもうちょっとまとめたかったんだけど、どうにも身内に邪魔されてるみたいだ」

「国津三弥子博士か」

「亡国機業についてたみたいですね。それは、あとでかなり役に立つと思います。世界で最も高価なカードだと思った方が良いかも」

「私はそれほど安い女ではないつもりだがな」

「そりゃ怖い。んでもまあ、IS学園のみんなをよろしくお願いします。そのために貴方を先行してIS学園から追い出したんだ」

 背中を向けてまま手を振って歩き出す男に、千冬が、

「動機を二つも失って、お前は何のために戦うんだ?」

 と問いかけた。

「簡単でしょ。千冬さんと一緒です」

「私と?」

 四十院総司は背中を向けたまま、肩越しに苦笑いを向ける。

「未来のためですよ。誰だってそうでしょ?」

 

 

 

 二瀬野鷹は体を失い、ディアブロの中に取り込まれた。

 そこで、自分が忘れていた未来で得た記憶を垣間見る。

 圧倒的な進化を遂げた一機のIS、ジン・アカツバキと呼ばれた機体と、それが操る圧倒的物量のIS軍。

 人間たちも最初は抵抗した。

 それでも勝てなかった。奇策を用いて戦って倒したとしても、その紅蓮の神はいくらでも湧いて出てきた。

 疲労と徒労を重ね疲弊していった。人類は敗れ未来は滅ぼされた。

 そこで得た力を使い、ジン・アカツバキは再び進化して時を超える。

 何とか生き残った数人の人間たちは、ディアブロと呼ばれた機体のISコアだけを過去へと送り込んだ。そこに封じ込まれていた心が死んだ赤子に宿り、二瀬野鷹となって生まれ変わった。

 かつて白式やメッサー・シュミット・アハトなどが自己の体験や機能をもって進化したことがある。

 ディアブロもまた、過去へ飛んだという体験を己の機能へと進化させた。

 自分のみが持っていたルート2という心を司るワンオフアビリティと時を超えた体験を組み合わせ、パイロットの願いを叶える手伝いをした。

 心だけになった彼を、新たな戦いのステージへそっと送り出したのだった。

 

 

 

 

 その漆黒のISは四枚の翼を広げ、ゆっくりと第六アリーナへと降り立つ。崩れて瓦礫だらけになった観客席には、もちろん人はいない。

「しつこいヤツだ」

 紅蓮の装甲を生やし、最強の科学者と同じ顔をした存在がアリーナの中央へと歩いてくる。

『殺す』

「それは生きている者へ言え」

 赤いISの両腕を出現させ、二本の刀を持って隙のない構えを取った。黒いISは両手で持った槍の切っ先を相手に向ける。真っ直ぐ相手の胴体に吸い込まれるように、お互いの刃が空気を滑っていった。

 ジン・アカツバキの左腕の刀が首を切断するために薙ぎ払われる。黒い機体はその攻撃を柄で止めて、反対側に生えた刃を振り上げた。

 しかしそこに不可視のシールドが現れて、易々と弾かれる。たたらを踏みながら後ろに飛んで、距離を取った。

「武術の心得が無さ過ぎる。マスターに見せたなら基礎練習からスタートだな」

 無表情なままで呟いて、二本の刀を持つ腕を下ろした。

「さて、三体あればそれなりだが、たった一体でどうするつもりやら。しかし、銀の福音のときも思ったが、キサマはしつこい」

『うるさい!』

 四枚の推進翼を垂直に立て、加速装置を発動する。

 音速を超える一発の弾丸となり、相手へと迫った。

 だが、赤い装甲を持つISは、機械ならではの正確さで加速する黒いISを叩き伏せた。

 衝撃が周囲を揺らす。

「さて」

 紅椿が上空を見上げる。そこには彼女の配下であるISたちが、空中にゆらりと無数の光を灯している。

「四十院も大したことがないな」

 明日の天気でも占うように呟いて、ジン・アカツバキと呼ばれる存在は、地面に這い蹲る機体の頭を掴み上げた。

「しつこいヤツだ、本当に」

 その頭部を握り潰そうと、金属製の指が動く。

「ちょーっと待ったー!」

 息を荒げながら、一人の男がアリーナに走ってきた。

「お前か」

 四十院総司が両手を広げ、敵意はないと表現しながら、二体のISへと近寄ってくる。

「理事長、申し訳ない、その子は私の知り合いでね」

「ふん」

 両手を合わせて謝る男を一瞥して興味なさそうに鼻を鳴らし、ジン・アカツバキは漆黒のISの頭部を握りつぶそうとした。

 その瞬間、掴まれていた黒い機体はだらんと垂れた右手に、小さな機械を出現させる。

『油断したね。これで終わり』

 わずか三十センチほどの小さな円筒形の物体が、篠ノ之束を模した胴体に触れた。側面から小さなアームが飛び出して、相手の胴体にまとわりつく。

「む?」

剥離剤(リムーバー)発動!』

 円筒形の物体が光り、敵の中から光る立方体の物質が引きずり出されていく。同時に、紅蓮の装甲を持つ体の密度が、半透明に変わっていった。

 掴んでいた右手が消え、自由になった漆黒の機体が地面に降り立つ。

『ISであるというなら、そのコアだけの待機状態にしてしまえば武装は何一つ展開できない。つまり、この強制的にISを解除するリムーバーが一番の天敵。パイロットがいない裸のコアになったら、足で踏みつぶしてあげる』

 黒いISのパイロットが小さな笑い声を零し始める。

 ジン・アカツバキと呼ばれ、未来から来たという存在が、他のISの武装と同じように光の粒子となって消え去っていった。

 その様子を見て、漆黒の機体からの笑いが狂ったように大きくなっていく。

 

 

 

 

 四十院総司は死んだ。そして別人として生き返った。

 ありとあらゆるIS関連の物へと手を出し、四十院の財閥としての力を拡大しながら利益を振りまき、一つの目標へと突き進んだ。

 十二年。

 その時間を、たった一つの目標へ向けて進み続けた。

 自分を真っ先に犠牲にし、周囲を犠牲にし、それでも未来を得るためにあがき続けた。

 彼がもっとも恐れたのはISだった。一機はディアブロ。それに近づいたなら、自分の正体が露見してしまう可能性がある。

 そしてもう一機は未来からジン・アカツバキと呼ばれる機体だ。

 それを騙せるかどうかは、彼にとって最も大きな賭けだった。ただし勝算もあった。

 自分が送り込まれたのは、ディアブロが作り出したワンオフアビリティによるものだと知っている。だから、相手が詳細を知るはずもない。

 銀の福音事件のとき、その海域に相手が現れるだろうと四十院総司は知っていた。

「こんにちは、篠ノ之束博士」

 そう笑って話しかけた。

「誰だ?」

 その返答が来たときに、内心でほくそ笑んだ。

「一つ、取引をしませんか」

 そうやってまた一つ、世界へと欺瞞を重ねる。

 彼の過ごしてきた時間は、そんな十二年間だった。

 

 

 

 

 六百を超える機体が上空から第六アリーナと見下ろしている。

 そんな状態でも、漆黒の機体の操縦者は高ぶった喜びによって笑いが止まらなかった。

 恨んでいた相手に復讐を遂げたのだ。あとは自分がどうなろうと知ったことではない。

「ダメだよ、そんなんじゃ理事長は倒せない」

 スーツを着た男が、一歩前に出る。

『オジ……さん?』

「どうやってアスタロトを作ったのかは知らないけど、さっさと逃げろ。無理だ」

 四十院総司が眉をしかめ、低い声でそのパイロットへ告げた。

「何かと思えば、そんな手か」

 女の声が、夜の闇から聞こえてくる。

 光の粒子となって消え去ろうとした物体が、急速にその密度を増していた。暗い夜空が透けて見えていたものが、今やしっかりとした実像を結んでいる。

「諦めない心というのは、人間の特徴の一つだとマスターがおっしゃっていたな」

 どこか懐かしそうに呟いて、装甲を生やした人間のような物体が地面を踏みしめる。その両腕には一本の剣を持っていた。

『な……どうして』

「残念だが、そんな機械は、私のいた時代ではとっくに攻略し尽くされているのだ。何せ、二百年後だからな」

 嘲笑うような言葉とともに、刃が振り上げられる。咄嗟に身を逸らして避けようとしたが間に合わず、黒いISの胸部と頭部の装甲を剥ぎ取って吹き飛ばした。

 地面に倒れた機体から見えるパイロットの顔は、まだ十代半ばの少女のものだ。

 名は国津玲美。

 二瀬野鷹が死んだ輸送機襲撃事件で行方不明になっていた、四人のうちの一人だった。

 

 

 

 もっと力を。

 オレだけじゃ絶対に勝てない。

 だから、世界中を巻き込んで、みんなが敵と戦える力を得るようにと戦い続けた。

 その十二年間の虚偽が実を結び始めた。

 

 

 

「待った待った! だから待ってくださいって!」

 四十院総司は、倒れ伏した国津玲美とジン・アカツバキの間に割り込んで両手を広げた。

「オジサン……?」

 かすれる声が呟いた後、玲美は意識を失った。展開されていたテンペスタエイス・アスタロトが光る粒子になって消え去る。

「こういうしつこいヤツが一番手ごわいと知った。ここで始末しておこう。それにキサマも用済みだ」

 割り込んだ男に構わず、ジン・アカツバキが握った剣を振り上げた。

 それに構わず、何かに気付いた四十院総司が、空を見上げて舌打ちをする。

「完全に前倒しかよ、結局」

 上空から、一機の機体が降りてきた。

 黒く光る装甲と、巨大な四枚の推進翼、そして全てを切り裂かんばかりに鋭く長い爪を備えたインフィニット・ストラトス。

「なんだと?」

 意表を突かれたのか、現IS学園理事長が再臨した悪魔を見上げて目を凝らす。

 その機体は正真正銘の、二瀬野鷹の専用機であった。

「ガッチリ拘束してたってのに……お前はホント、オレの都合とか考えねえのな」

 呆れた顔でため息交じりの声を吐いた後、四十院総司の姿をした『誰か』が真上に向けて手を伸ばす。

 

 

 

 つまるところ。

 オレこと二瀬野鷹はどうなったかと言えばだ。

 輸送機襲撃事件で体が死んで、発狂しかけていた心はディアブロによって十二年前の過去へと飛ばされた。

 元々がそうやってこの時代に来た。自分が生まれたときだって、体は死んでいた。

 そして十二年前の事故で、四十院総司も死んでいた。

 だから、心だけになった二瀬野鷹は十二年前に飛び、四十院総司として再度誕生して、全てのものを騙し続けたんだ。

 ここから先の未来のために。

 

 

 

「さあご主人さまのお帰りだ! 来い、テンペスタⅡ・ディアブロ!!」

 その悪魔は光る粒子となり、オレの元に集まり始めた。

 すぐさま右腕の装甲を展開させて、ジン・アカツバキの胸をその爪で貫く。

「キサマ、ルート2だったのか」

「お前と再会して騙せたときは正直、胸がスッとしたけどな」

 刺さったままの右腕を回して、相手の装甲を引き裂き穴を広げる。

「来い、無人機ども」

 ジン・アカツバキが呟いたが、そんなんじゃ遅えよ。

「国津、スイッチを押せ!」

 四十院総司として、国津博士に命令を送る。

『了解だ、シジュ。ISコア洗浄プログラム、連鎖起動!』

 四十院総司には国津幹久に頼んでいた研究があった。いわゆるISの自動操縦化を解除する研究ってヤツだ。そして完成したトラップを理事長様からISコアを頂いて作った機体へと仕込み、生徒全員に渡したってわけだ。

「あれ……ここは?」

 生徒の一人が寝ぼけたような声で呟いた。上に集まったISの中にいる生徒全員が、自我を取り戻したはずだ。

 オレは空を見上げて、IS学園のみんなへと煽るような演説を始める。

「IS学園の全生徒諸君、さあ逃げろ! そのISはキミたちの物だ。極東のIS訓練校へと逃げるんだ。今しかないぞ!」

「え? 副理事長……?」

「行け行け行け! さあ自分たちの家に帰れるぞ。未来は自分の手で掴め!」

 もう手慣れたもんだな、こういう扇動も。

 オレの言葉に、一機が恐る恐る背中を向けて飛び始める。続いて他の一機が逃げれば、また一機と飛行して離れていく。懐かしの第六アリーナ上空に集まっていた生徒たちは、戸惑いながらも我先にとIS学園から逃げて行った。

 六百機を超えるISの強奪計画がここに完成する。

「私の支配下を離れた……だと? どういうことだキサマ、キサマキサマキサマ!」

 今までずっと無表情で鉄面皮を被っていたISが、悔しそうに恨みごとを叫ぶ。

「サイコーだね、テメエのその顔をずっと見たかった。人間を舐めるなってマスターに教わらなかったのかよ」

「なぜだなぜだなぜだ、キサマ、なぜだ、どうしてそんな場所にいる!」

「教えてやるわけねえだろチクショウが。さっさと死ねよ、クソッタレ!」

 その人体を模した体へ、さらに深く悪魔の右腕をねじ込んでいく。

 オレはその体勢のまま脚部、左腕部、胴体、そして頭部とISを展開していき、最後に巨大な四枚の翼を展開させた。

「このISを殺しても、私を倒したことには」

 昔は左腕部と脚部をすり潰していた装甲が、今はこの体に適した太さへと戻っている。

「知ってるよ。時を超えた次元に本体があるんだろ。それと戦うためのIS強奪だ」

 鼻で笑ってその遺言を蹴散らした。

「ルート2……!」

 作られた篠ノ之束の顔を歪ませて、そいつが恨みの声を上げる。

「いい加減、覚えろよ」

 背中から放たれたソードビットが、相手の機体を串刺しにした。

 同時に右手が刺さった装甲の裂け目に左手もねじ込んで、二つに引き裂くために力を入れる。

「オレは、二瀬野鷹だ」

 誰もいなくなった第六アリーナで、久しぶりにオレは自分の名を口にした。

 そして、敵のIS反応が消え、紅蓮の装甲を持つ機体が二つに分かれ倒れていく。

 

 

 

 

 こうして、オレこと二瀬野鷹は帰ってきたのだ。

 この場所に、誰にも知られることもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 











*感想欄でのネタバレ禁止に付き合っていただいてありがとうございました。
叱咤激励罵詈雑言含め、皆さまの感想をお待ちしております。


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33、亡命政府

 

 

 久しぶりに夢を見ている。

 この十二年間はずっと泥のように眠る日々ばかりだったので、夢を見るなんてのはホントに珍しい。

 自分の手が今よりずっと小さい。誰か大人の男に引っ張ってもらい、山を登っている。

「疲れたか?」

 そいつが心配げな顔でオレの顔を尋ねてきた。

 だけど足手まといになりたくなくて、首を横に振った。

 そうは言っても顔に出ていたんだろう。小さなオレの頭を撫でて、男は言った。

「あと少しだけ、頑張ろうか」

 これは誰の夢なんだろうか。

 

 

 

 

 マイクロバスの座席で目を覚まし、大あくびをした。

「緑山、コーヒー」

「はい」

 近くに座っていた三人の部下のうちの一番若いのが、缶コーヒーを持ってオレに差し出す。プルトップを開けて口に含み、窓枠に頬杖をついた。

「さて、どうするかねえ」

 今は高速道路のパーキングエリアに止まっているようだ。外を見回しながらぼんやりと呟く。

「どうするもこうするもあるか。シジュ、お前は何故、相談しなかった?」

 右手に持ったビールの空き缶を握りつぶさんばかりの勢いで、岸原がオレに詰め寄ってくる。

「前倒しはわかっていただろう、岸原。あとは逃げるだけで精いっぱいだったし。一般職員もみんな無事。乗り込んできた馬鹿な部隊だって死者はなし」

「強奪した六百機のマスターキーは? あれさえあれば、再び交渉できるだろう!」

「ああ、あれ? 織斑千冬に渡した」

 こともなげに言ったオレの言葉に、岸原が目を見開き体を振るわせる。

「なななななああ!? どうしてそんな勝手なことをするんだ!」

「いやさ、合計六百人の生徒全員を抱えて移動とか籠城も無理だし、そんなことなら、さっさとそれなりの人物に渡した方が良いでしょ」

「ぐ、そ、それはそうだが!」

「下手な交渉手段なら、持たない方がマシ。しっかしなあ」

 オレはバスの中をぐるりと見回した。

 中にいるのは、オレこと四十院総司(二瀬野鷹)と岸原、それに国津のいつもの三人組。あとは直轄の部下でコントロールルームを担当していた青川、緑山、赤木の三人。

 そして最後に厄介なヤツらが三人いる。

「……どこに行くんだ、我々は」

 篠ノ之箒。現在の肩書はIS学園代表IS操縦者候補生。

「……そこの人に聞けよ」

 織斑一夏。今はIS学園IS操縦者正代表だ。

「ちょっと副理事長、お金貸してー、わさびジェラート食べたい」

 そしてファン・リンイン。通称バカ。

 この三人が、何故かついてきてしまった。

 まあ確かにIS学園側として戦闘に参加してしまったから、戻る場所はないとわかっていたけど、ついてくるのは予想外だったな。潜伏できる場所も複数用意しておいたから、そのどっかで大人しくしててもらおうと思ってたのに。

「はいはい。お釣りは好きにしたらいいよ」

 サイフから千円札を取り出して、鈴に渡す。

「副理事長は?」

「私はいらないよ。篠ノ之さんを連れていってあげて。トイレとか」

「あいあい」

 テキトーに返事をした鈴が、嫌がる箒の手を掴み、マイクロバスから降りて行く。

 オレがジン・アカツバキの端末をぶっ倒した後、わずか二十分の間にIS学園から脱出した。

 何せ人質であった生徒たちががいなくなったのだから、早々と専用機持ちたちに捕まるのは明白だった。それに極東IS連隊も撤退して敵もいなくなったんだから、あのタイミングで逃げるしかない。籠城戦なんか勝ち目はないし、そもそも勝つ必要はない。目的は達成したのだから、IS学園に拘る理由もない。

 機動風紀のメンツは元からIS学園に勤めていた山田先生達に『ヨロシク』の一言でお任せしてきた。玲美に関しても同様だ。国津もオレもかなり心配だったが、外傷もなかったので、IS学園側によろしくと伝えておいた。逃避行に同行させるわけにもいかないしな。

 そしてIS学園を脱出し、予め用意してあった手段で自衛隊の陸地の包囲網を抜け、移動手段を調達し高速道路をひた走っていたわけだ。

 そういうわけで、ここにいる合計九人。

 この一部緊張感に欠けるメンツが、世間で言われるところのIS学園亡命政府であった。

 

 

 

 

「ここは?」

 緑色のジャージにティアドロップのサングラスという格好の国津が、白樺の木に囲まれた大きな別荘を見上げる。いつも思うが、この人の私服センスはどうなの。

「当分はここに潜伏だな。色々と手を回してはいるけど、さすがに一般人にあの子たちを見られるわけにはいかないし。青川さんお願い」

 オレの言葉に、ヒゲ面中年スタッフが頷いてから先行し、鍵を差し入れドアを開ける。

「まあ、当分はここでゆっくりしましょうか。どうせすぐに動きはあるよ。間違いなく」

「動き?」

 後ろにいた箒が不安げに繰り返したので、肩越しに、

「敵は死んだわけじゃないよ、まあ、詳しい話は食事のときにでもね」

 と教えてやる。

 ここは長野の山奥、高原にある別荘だ。一応は四十院総司の持ち物だが、名義は完全に他人の者である。元々、こういうときのために用意していた、いくつかの隠れ家のうちの一つだ。

 しばらくは、ここでのんびりとすることになるだろうな。

「着替えとかは結構な数を準備しているし、ユニセックスな服が多いはずだ。食材も事前に届けてあるはず。あと、部屋はそれなりに数があるけど悪いが私は一人で部屋を貰うよ。私の持ち物だからね。緑山、三人を案内してあげて」

 年若いスタッフに通達し、釈然としない少年少女を置いて、開かれたドアに入っていく。

 まだまだ戦いは続くだろう。それがオレとエスツーの結論だ。

 だからほんの少しだけ休むことにしよう、今だけは。

 

 

 

 

 別荘のリビングは吹き抜けとなっており、暖炉が設置してある。何せかなり高い山腹にある避暑地なので、十月と言えど朝なんか気温がゼロ度に近くになるのだ。今は夕方だが、やはり室内とはいえ温度は平地の十二月並みだ。

 そこでオレは薪が焼かれる火に当たりながら、ロッキングチェアで考え事をしていた。

 ジンについては、次の動き待ちか。

 あとはアラスカがあの六百機をどう扱うか。泣きついて来るのを待つのが正解だろうな。今頃、千冬さんのところに大名行列が出来ているかもしれない。あの無愛想な面が苦笑している姿が目に浮かぶ。

 頬杖をついて考え込んでいると、後ろに人の気配を感じた。

「おいシジュ」

 急に頭をガシリと力強く掴まれた。振り向くと、酒精で顔を赤くした岸原が立っている。

「何だ、もう酔っぱらっているのか。あんまり油断はしないでくれよ」

 遠慮ない力で握ってくる太い指を撥ね退けながら、からかうように笑いかけると、向こうもニヤリと笑い返す。

「これぐらいどうってことない。空母に着陸ぐらい出来るぞ。それよりホレ」

 岸原が彼の後ろに立っていたヤツを引っ張り出した。

「……あの、副理事長、お話が」

 ジーンズとフリースに着替えた一夏が、神妙な顔つきでおずおずと口を開き始める。

「何かな?」

「どうして、四十院副理事長は、ISを操縦出来るんでしょうか」

 その言葉に、岸原がハッとした顔をしてオレを見る。

 しかし返答は決まっている。

「何の話だい?」

「俺、見たんです! 副理事長がディアブロを装着したところを!」

 あちゃ、見られたのか。まあ、極東に逃げていった生徒たちも見てるのはいるだろうしな。ちなみに逃げた生徒たちのISからは、映像保存の機能をわざと排除してある。

「見間違いだと思うんだけどね。私は理事長に脅されて、何も出来なかったわけだし。あのディアブロが勝手にやったんだけど」

 いつもどおり息のように嘘を重ねていった。手慣れたもんだ。

「そんなわけは!」

「大体にして、世界で唯一の男性操縦者はキミだけだろ。妙なこと言わないでくれよ。そんなことより冷蔵庫は確認したかい? あとキッチン」

「え? 冷蔵庫? キッチン」

「いや、だってまともに食事を作れるの、キミぐらいしかいないからさ。炊事係頼むよ」

 手で追い払って、これで話は終わりだと表現する。

 まあ、いずれディアブロをオレが持ってるってことも、オレが動かしたってこともいずれわかる話だ。

 それにウソを吐くのには慣れている。

 納得いってなさそうな一夏の肩を抱いて、岸原が方向転換させて無理やり歩かせ始めた。オレの意図を組んだんだろう。

 岸原大輔、元空自の一佐で四十院総司の親友。彼にももちろん、大事なことは何も話していない。最近はかなり疑ってかかっているみたいだが、この人はこの人で、いざというときの意気地がない。まだ放っておいても大丈夫だろう。

 どうせ誰も信じない話だし、問題はそこじゃない。むしろオレが二瀬野鷹であることより、四十院総司が生きていることの方が世界にとっては大事である。

 メシが出来るまでもう少し時間があるだろう。

 誰とも呼吸を共有しないから、独りは良い。気が休まる。

 空気を共にしなければ、オレが息のように吐き続けるウソを、誰かに吸わせることはないのだから。

 

 

 

 

 夜の帳が落ち、九人で一つの大きなテーブルを囲んで、一夏が作った食事を口にしていた。

「シチューはまだおかわりありますからー」

 すっかり給仕係へと変わった織斑一夏が、全員に声をかける。それからブタさんの描かれたエプロンを外して、オレと反対側の下座に座った。

 なかなかに美味いんだが、その味に鈴と箒が少し不機嫌そうな顔をしている。まあ一夏の方がアイツらより料理が上手だからな。料理の勉強をしている二人にとっちゃ、懸念材料だろう。

「しっかし、上手く行きましたねえ、四十院さん」

 中年女性の赤木さんが、ビール片手に上機嫌で歌う。歳は彼女の方が上で立場はオレが上だが、基本的には気兼ねがない関係を築いている。

「何が上手いもんかい。ホントはアレから千個以上は盗みたかったんだから」

「欲張りですねえー。でも、思ったより前倒しになったから、仕方ないのかしらねえ」

「アラスカが思ったよりだらしないんだよ。各国の反応を窺ってばかりで、全然招集出来なかったんだし。全部で二百機ぐらいの大部隊にして欲しかったんだけどね。そうすりゃ、こっちとしてはもっともっと引き出せたかもしれないのに」

 機嫌悪そうに言うオレの顔を見て、中年女子こと赤木さんが嬉しそうな顔をする。赤青の中年部隊は、いつもこうやってオレをからかいに来るのだ。

「世界にISコアは五百個もないんだから、仕方ないでしょうねえ。しかしまあ、とりあえずの成功にカンパーイ」

「はいはい、カンパイカンパイ。といっても、国津のおかげだけどねえ」

 嫌そうにグラスを向ける上座のオレに、赤木さんは上機嫌でグラスを合わせてくる。赤木さんも青川さんも緑山も優秀な人材なんだが、赤青の中年二人組は酒癖がよろしくない。それにこの人たちは酔っぱらうと、四十院総司という人間をからかうのが、どこまでも楽しくなってくるらしい。

「しっかし、あんなにスカッとしたのは久しぶりですねえ」

 大声で笑いながらビールを次々と開けてるのは、髭面の青川さんだ。彼はオレたちの中で最年長だが、気さくな人柄で信用も置ける人物だ。

「まあスカッとはしたかなあ。あの無愛想で小うるさいバケモノを退治出来たんだし。ISを強奪したときのヤツの顔、見せてあげたかったよ」

「それが見れなくて残念ですなあ」

 大声で笑って新しい缶を開けて泡を零す。

「ですが、これからどうされるんですか?」

 冷静な口調のアルトボイスは、緑山という若いスタッフだ。

「どした?」

「とりあえず作戦は成功です。たった六人のスタッフでよく完遂しました」

 まるで男のような身なりをしているが、れっきとしたうら若き女性である。彼女は中性的な格好を好むことが多い。生真面目で融通が効かないが、相当に優秀な人間だ。彼女に出来ないことはISの操縦ぐらいだろう。まあ、それもやろうと思えばこなすんだろうが。

「完遂にゃ程遠いがね」

「四十院さんの次の手はなんでしょう?」

 ハムをパンに挟みながら、緑山が不機嫌そうに尋ねた。

「暇つぶしさ。しばらくはここで身を隠す。私に出て来られても、アラスカも極東も米軍も困っちゃうだろうしね」

「困る? 向こうとしては身柄を確保したいのではないでしょうか」

「困るよ。どこもかしこも私の身柄を渡せになって、色々な裏でのやり取りが始まって、そこに人員が割かれるんだ。今はみんな六百機のISに集中したいのが本音。私を捕まえても戦力は裂かれるばかりで増えやしないからね。内心はもうちょっと出て来ないでくれって思ってるよ。まあ見つかる気もないけど」

「では相手が本気で探索に来ない間、我々は何をするのでしょうか」

「どうせ次の手が来るよ、理事長様の」

「ジン・アカツバキですか。行動理由が私にはよく理解できません」

「緑山が他人の心情を理解しようなんてのが、私としちゃ成長が嬉しい気もするがね。つまりは人類を管理下に置きたいのさ」

 チラリと箒の方を見てしまう。先ほどからさほど食事の手が進んでいない。真面目な性格だからな、こいつも。ジン・アカツバキという存在が生れたことに、紅椿の操縦者として何かしらの責任感を抱いてるんだろう。

「管理下? 機械による管理社会ですか。合理的な話だとは思いますが」

「キミらしい意見をどうもありがとう」

 思わず苦笑いを浮かべてしまう。同僚である赤青の中年二人組も同意見のようで、オレと同じような顔だった。

「おかしいですか? 現在でも、例えば農業の生産工程や漁獲量調整、他にも電車のダイヤなど人間はプログラムに管理されており、その方が幸せに回っていると思いますが」

「おかしくないよ、前々から言ってるだろう。私はキミの意見を一度たりとも否定したことはない。ただ、そんな生易しい物だったら苦労はしないさ」

「と言いますと?」

「じゃあ、今の混沌とした人間社会をどう整理する?」

「そうですね……と言っても簡単に思いつきませんが」

「緑山に思いつかないなら、機械的な手段ってのも知れてるなあ」

「それは暗に私が機械のようだとおっしゃられてるのでしょうか、四十院さん?」

 どこか不満げなグリーン女史が、オレを責めるような口ぶりで尋ねてくる。

 二十歳前後に見える彼女だが、こう見えても博士号持ちの天才だ。他の二人にも色々な肩書がある。そういう優秀かつ性格に少し難のあり世間でつまはじき者にされているのが、四十院総司直轄の部下たちだ。

「いやいや、キミが合理的な手法を思いつくのが上手いって話をしてるんだよ。それでジン・アカツバキがどうやって人類を管理下に置くかって話だっけ」

「はい。ぜひともお聞かせ願いたいです」

 珍しく年相応な顔で不満げに頬を膨らませ、非難めいた視線をオレに向けてくる。ふと視線を感じて見回せば、全員が手を止めてオレの方を見つめていた。

「簡単さ。まっさらにするのさ」

 笑いながら、オレは手刀を横に切るようなジェスチャーを向ける。

「え?」

「人間を最初から作り直すのさ。一番最初の、アダムとエヴァから」

 それがオレの記憶とエスツーという少女による結論だ。そしてジン・アカツバキも箒に対して同様のことを言っていたのを、オレは盗み聞きしているし、死んでいたときに垣間見た記憶でも似たようなもんだった。

「あの!」

 正反対にいる一夏が手を上げたので、全員がそちらを向く。

「どうしたんだい?」

「何が起きたのかはマイクロバスで聞いて把握しました。ですが副理事長たちの目的は結局、何だったのでしょうか」

 今さらながらの言葉に、オレは何にも説明していなかったことを思い出した。

 生徒三人以外の全員が非難めいた目を四十院総司に向けている。

「はいはい、悪かったよ、私が説明しておりませんでした。あー、織斑一夏君」

「はい」

「私たちはね、独自に掴んでいたんだよ、あのジン・アカツバキという存在をね。もうかれこれ一年前か」

「え?」

「一人の少女がいたのさ。天才だった」

「束さんのこと……でしょうか」

 恐る恐る尋ねてくる声は自信なさげだが、真っ先に世界最高の天才を思い浮かばれてもな。隣にいる箒があからさまに不機嫌そうな表情をしているし。

「もちろん違う。そもそも彼女は一年前でも少女って歳じゃないだろう。全ては君たちの知らない、その少女の予測だったんだ」

「予測、ですか」

 少し不審げな表情を浮かべているが、まあ当たり前か。

「プライバシーに関わるから、その少女のことについては教えないよ」

「で、ですけど、束さんの行方がさっぱりわからない今、その子に協力を願えば良いんじゃないでしょうか」

「もういない」

「え?」

「死んだんだ、彼女は」

「そんな……」

 オレはお茶をすすってから、わざとらしく苦虫をか噛み潰すような顔を浮かべた。

「その亡くなった少女が、とあるデータから類推した理論で一つの推測が立てられた。我々はS2仮説と呼んでいたけどね」

「S2仮説? 元となったデータというのは?」

「すでに宇宙にISが五十機いる」

「ISが五十機?」

「もちろん、そのデータが本当にISの物だとは観測した人間にもわからなかった。機器の故障だと思ったようだ」

 その観測データってのも、オレが探させたんだけどな。

 オレが二瀬野鷹だったとき、ジン・アカツバキを宇宙の果てへ押し出そうとした。だが、アイツの配下である可変戦闘機型IS五十機によって失敗したのだ。

 だから四十院総司はそれらが宇宙にいることを最初から知っていたし、そいつが現れた瞬間のデータも探せば残っているだろうと思っていた。

 人類のISは、まだ地球からわずかな距離までしか行くことが出来ていない。

 ゆえに月軌道なんて場所にISがいることがわかれば、通常の人間なら何らかの測定ミスだと思うだろう。それにデータが取れたのも一瞬だ。つまりジン・アカツバキがこの時代にやってきた瞬間の話だけである。普通なら機器の故障ぐらいに思う代物だ。

「んで、その子がバーっとよくわからない数式やら何やらの後に、こう付け加えたのさ。この世ならざるISが世界に潜んでいると。これがS2仮説さ。眉つばの話だったが私は伝手を使って、世界中の権威って人たちに部分的な検証をさせ取りまとめた結果、最後に確信したわけだ。敵の存在ってヤツを」

 その説明を聞き、三人の少年少女が息を飲む。

 だが四十院総司は、黙っている人間たちをしり目に余裕ぶり、ワインを口に含んで一夏の作ったシチューに舌鼓を打つだけだ。

「ですが、その話だと筋が通りません。副理事長は、相手をどうして敵と思ったんですか?」

 まあオレは最初から敵だと認識していたわけなんだが、意外に周囲へこれを説得するのが難儀だった。一夏の指摘はもっともだ。

「カンだよ、カン。経営者としてのカン。私はこれで勝ち進んできたんだ」

 だが、よくわからない理由を自信満々な顔で回答にした。だが四十院総司というカリスマを知る人物たちは、意外にこれを信じてしまうことが多い。

 もちろん、IS学園の専用機持ちたちは、実際に戦いその所業を知っている。ゆえに良くない存在だと認識出来ていたはずだ。

「それに、国津も岸原も同じこと言ったよ」

 グラスを持つ手の人差し指を一夏へと向けると、オレの左右にいた二人がばつの悪そうな顔をして目を逸らした。岸原なんて下手くそな口笛をピューピュー鳴らしている。

 やれやれと小さなため息を吐いてから、オレは一夏へと説明を続けた。

「銀の福音の事件直前から、この二人を半ば監禁状態にして、私のカンが当たってるかどうか見張らせたんだ。赤青緑の三人は素直に信じてくれたってのに。んでまあ、そいつが仕出かしたこととかを確認させたりしたわけ」

 半信半疑でオレに付き合っていた国津と岸原は、玲美が殺されかけた件でようやく納得したようだった。

「本物の篠ノ之束の助手を発見して病院に担ぎ込んだりとかしたし、私が新理事長と二人を対面させて、ようやく納得してくれたってわけさ」

「な、なるほど。でも、どうして敵だとわかっているものを、IS学園の理事長に祭り上げたんですか?」

「行方がわからないと一番困るからだよ」

「どこで何をしているかわからない敵が一番怖い、ってことですね。だから表舞台に祭り上げて、ヤツに都合の良い場所を提供しつつ監視していた」

「正解だ。岸原よりよっぽど筋が良い」

 ジロリと件のオッサンを睨むと、ビールを煽るように飲み、

「信じられるわけがないだろうが! ISが勝手に動くなど!」

 と缶をテーブルへ叩きつけるが、オレは取りあってなどやらない。

「そこのオッサンは置いておいて。だけどまあ、篠ノ之束の無人機の件もありの、銀の福音の暴走の件もありのでようやく信じてくれたってわけだ」

「ですが副理事長は、相手が未来から来たと知っていたわけですか?」

「コアナンバー2237。だいぶ形が変わったとはいえ、テンペスタⅡ・ディアブロは元々我が社製だ。ねえ国津」

 今度は反対側の科学者を睨むと、こちらは申し訳なさそうに目線を落とす。

「二瀬野君が持ってきたときは、信じられない思いだったけどね。調べてみればS2仮説と全てが合致した。こう見えても科学者の端くれだ。仮説を否定しきれなかったから、信じる方向で色々とやってみた。そうするとわかってきたわけさ」

 シチューをスプーンでグルグルとかき回しながら、独り言のように国津が呟いた。

 こうして、やっとの思いでこの二人を説得、前から色々とやってた根回しも功を奏し、なおかつアクシデントも多数ありながら、ようやくここまで漕ぎ着けた。

 長かった。そしてここからは、全く予想出来ない未来が訪れる。

「そ、それで副理事長たちは、これからどうするんでしょうか?」

「私たちか。難しいな。相手の出方待ちだ。ジン・アカツバキはおそらく死んだわけじゃあない。その少女の推論では、相手は完成されたインフィニット・ストラトスのうちの一機だ。S2仮説が正しければ、この次元に本体はない」

「あ、いえ、すみません、そういう話を聞きたかったのではなく、副理事長たちが今はどういう目的で動いているんでしょうか、という意味です」

 謝罪の意味も込めて頭を下げた後、一夏が真っ直ぐとした目をオレに向けてきた。その懐かしい顔付きを見て、思わず頬が緩んでしまう。その左右を見れば、一夏を挟むように座っていた鈴と箒も真剣な眼差しこっちに向けていた。

「ふむ。そうだなあ……目的は簡単なんだが、一言で言うなら」

 四十院総司なら、こういうときどう言うだろうか。

 ケレン味が強く、いかなるときも余裕を持ち、卓越した知識と未来を見抜いているかのような先見性を兼ね備えた、オレによって作り出されたIS業界のカリスマ。

 彼ならきっと、こういうだろう。

「我々は、地球防衛軍なのさ。燃えるだろ?」

 真剣な眼差しの少年少女たちへ、四十院総司はニヤリと不敵に笑いかけた。

 

 

 

 

 何だかんだでみんな疲れていたのか、ディナーと称した酒盛りも早々に終わった。オレは誰もいなくなった暖炉の前でロッキングチェアに揺られながら、ボーっとアルコールを摂取していた。

 酒に関しては付き合いで飲む程度だったが、さすがに一息吐こうと思い、青川さんにブランデーの水割りを入れてもらったのだ。

「あれ、誰かと思えば副理事長」

 背中から声をかけられて振り向くと、そこにはブランケットを肩にかけた鈴がいた。

「……ファンさんか」

「ここあったかいわね。ちょっとお邪魔しまーす」

「私は一人で飲むのが好きなんだけど」

「えー? こんな若い子が付き合ってあげようってのに」

 くふふと楽しそうに鈴が笑う。こいつはガキの頃から変わらねえな、ホント。

「娘と同じくらいの歳の子に、晩酌付き合ってもらう趣味はないよ」

 ピッピッと手を振って追い払おうとしたが、鈴は気にした様子はなく、部屋の片隅にあったもう一つのロッキングチェアを持ってくる。

「なんか箒が不機嫌でさー。部屋の温度が別の意味で寒いっていうか」

 腰掛けて、肩に巻いていたブランケットを膝に置き、鈴は背もたれに体重を預けて揺られ始めた。

「そりゃ不機嫌にもなるよ。IS学園を守ろうとしたけど、結局はそのまま撤退になったんだから。織斑君の部屋にでも逃げたらどうなんだい?」

 そうからかうと、鈴は肩を竦めて、

「青髭のオッサンいるし、一夏も不機嫌だし」

 とため息を吐く。

「キミも不機嫌になって然るべきだと思うけどね」

「いやーなんつーか、アタシは元々IS学園は割とどうでも良かったっていうか。根なし草気質なのかな。愛着はあったんだけどなあ」

「失うときが来ることを知ってる人間ってのは、そんなもんさ」

 カランカランと氷を鳴らして鼻で笑う。

 鈴は失うことを知っている人間だとオレは思っている。コイツはコイツなりに辛い目に遭っている。しかもそれを、おくびにも出さない良いヤツだ。

 箒は失い過ぎて、大事なものを作りたくないタイプだろう。アイツの人生ってのは最低の部類の一つと言って良いものだ。そして今回は、手に入れる気がなくとも手に入れてしまった安寧を、あっさりと失ってしまったのだから。

 そしてオレが思うに、織斑一夏は何も持っていないタイプだ。

「考える時間っては重要さ。放っておいてあげたら良いよ」

「でもなんか副理事長って、もっと怖い人だと思ってた」

 コロコロと会話が変わるのが、ほんと若いなあと思う。昔なら気にしなかったんだが。

「そう思ってるなら、それなりの態度で来て欲しいけどね」

「なんていうか、友達にそっくり。あ、ヨウのことを知ってるんだっけ」

 なんつーか、ホント直感すげえ。

「まあ、三回ぐらい会ったことはあるよ。うちの機体に乗ってたんだし」

「あ、そうだっけ。ねえ、アイツってどうだった?」

「どう?」

「やっぱり真面目にやってたわけ?」

 身を乗り出して興味津々に尋ねてくる姿は、ホントに昔と変わらない。まあ、そうは言ってもこいつらにとっちゃ最近の話だしな。

「さあね。私もあまりよくは知らないよ。キミこそ仲は良かったのかい?」

「クサレ縁ってヤツ?」

 鈴がどこか得意げな顔で笑う。

「そりゃ良いことだ」

「……ま、死んじゃったけどね」

「そうかい」

 これ以上の返答はしない。オレに言えることは何もないんだ。

 二瀬野鷹がここにいるってのは、誰も信じないんだし、こいつに言っても意味はない。

「副理事長って、実はヨウのこと、嫌いだったわけ?」

「ん? どうしてそう思うんだい?」

「いや、なんかそういう表情をしてたっていうか、オンナのカン?」

 パチリとウインクを飛ばしてくるが、お前のは野性のカンだろうが。

「まあ、ああいう甘えた人種は好きじゃないかな。何も考えずに自分勝手を振り回してってのはね」

「へー。なんか意外」

「ん?」

「あいつって逆に自分がないタイプだったからね、小学校中学校のときって」

「ほう」

 思わず驚いた顔をしてしまう。我の強いという自覚があったオレとしては、その表現は意外だった。

「なんていうかさ、いっつも一夏の影に隠れて、存在を消してますって感じで」

 楽しそうに言って、両手を組み背筋を伸ばし、背もたれに体重を預けてロッキングチェアを揺らす。

「そういうことか。まあ、私には何でかわかる気がするよ」

「え? どうして?」

「才能があるヒーローみたいな、絶対に勝てないって思う相手が近くにいたんでしょうよ。だから、二番手になることで安寧を得て、なんとかバランスを保つんだ。そういう人間を知ってる」

 自分のことだからな、よく知ってるよ。

「あー、わかる。なんか一夏には絶対に道を譲って、みたいな感じでさー。一夏も大したことないヤツなのに必要以上に委縮しちゃって。そういうところがバカっぽいっていうかなんていうか」

 言葉通りにバカにしたような大声で鈴が笑う。

 お前、ホント遠慮ねえのな。

 四十院総司として苦笑いを浮かべブランデーを口に含み、返事代わりにと氷の音を鳴らす。

 それ以上は喋らずに、オレは黙って暖炉で燃え盛る火を眺めていた。

「……ホーント、何で死んじゃうんだか、あのバカ」

 ポツリと鈴が泣きそうな声で小さく漏らす。

 グッと胸の奥が掴まれたような気がした。玲美たちが二瀬野鷹の話をするたびに覚えた、心臓をかきむしりたくなるような焦燥感と同種の感覚だった。

 だけど、オレは何も話したりはしない。

 それが二瀬野鷹と、そして四十院総司としての生き様だからだ。

「さ、暖まったなら部屋に帰るんだ。オジサンは歳だから、眠りこけたキミを部屋に抱えるのは勘弁だ」

「はーい。それじゃ副理事長、おやすみー」

「おう」

 立ち上がってオレの横を駆け抜ける鈴へ、背中を向いたままブランデーを持つ手を軽く上げる。

「ヨウ?」

 しまった。このバカといると、長年隠してた素が表に出てきてしまう。四十院総司は今みたいな挨拶はしない。

「ん? どうかしたかい?」

「あ、ううん、何でもないでーす。それじゃー」

 誤魔化しが効いたのか、元から反射で尋ねただけなのか、鈴はそれ以上何も言わずにパタパタと階段を上がっていく。二階から扉の閉まる音が聞こえたので、オレはそっと溜息を零した。

 これで良いんだ。

 これで。

 グラスを持ち上げて、中にある色つきアルコール水と氷の世界をボーっと見つめる。

 色んな人を巻き込んで、こんな生き様で良いのかって思うことは沢山ある。

 二瀬野鷹として十六年近く、四十院総司として十二年、計二十八年近くを生きている。前者は無自覚に、後者は自覚的に色々な物を巻き込んだ。

 元の体に戻る術なんて知らないし、出来たとしても戻るつもりはない。何故なら二瀬野鷹は死に、四十院総司は生きているのだ。

 後で四十院総司の嫁さんに連絡を入れないとな。心配かけてるだろうし。

 そんなことを考えながら、真っ暗になった窓の向こうへと視線を向けた。

「さて、何年ぶりの休暇かな」

 気が休まるときなんてないが、それでも体を休めるのは重要だ。

 考えのまとまらない頭で思考をしているうちに、意識が遠くなる。

 まあ良い。今日は眠ろう。

 そうして、四十院総司は眠りについた。

 

 

 

 

 朝、洗面台の冷たい水で顔を洗い、鏡を見る。

 そこにいるのは、いかにも仕事盛りと言わんばかりの若い男だ。年頃は三十路ぐらいに見えるだろう。オレが思うに、おそらくコイツは死んだときから老けておらず、体は二十代後半のままだ。今はまだ若く見えるで通じるが、あと数年もすれば周囲が不審に思い始めるだろうな。

 どうして老けないかは謎だ。だが、衰えるよりはずっと良い。

 余裕たっぷりの笑みを作って、表情をチェックする。

 これが四十院総司だ。

 タオルで顔を拭って、ワイシャツを羽織った。

 さて、今日も一日を始めよう。

 

 

 

 

 別荘の中でスリッパを鳴らし、リビングを通ってモーニングを取るために食堂へと向かう。

 中に入ると、国津幹久が手に持った端末でニュース番組を眺めていた。

「おはようさん」

「やあシジュ、おはよう」

 爽やかな笑みで返事をしてくるが、この人もかなりの機械オタクである。玲美は常々カッコいいと言ってたが、アイツの目はどっか曇ってるんじゃないのか。PCと課題を与えたら、メシも食わずに籠ってるような人種だぞ。

「何か目新しい話でもあったかい?」

「いいや、どれもこれもIS学園の件ばかりだね。機動風紀の面々は一応、極東に収容されたようだ」

「ま、無事で良かったよ。一応、手は打ってある。全員の身元引受人は今頃、米軍になってるはずだ。あそこは未成年に手荒な扱いはしないはずだよ」

「さすがだね」

 コーヒーを一口飲んで、再び端末へと目を落とす。

「機動風紀は私の管轄の人事じゃなかったけどね、それでも捨てて置くには可哀そうだろう。あー緑山、私にもコーヒーを」

 食堂と繋がったキッチンに人の歩く音が聞こえたので、大声でオーダーする。青オッサンと赤オバサンは朝弱いので、緑だろうと思ったのだ。

 だが、コーヒーセット一式を持って入ってきたのは、部下の緑山ではなく、一夏だった。

「おはようございます、副理事長」

 昨日と同じブタさんエプロンをつけた少年がカップを差し出し、コーヒーを注いでくれる。

「似合うね、キミ」

「ドイツでもやってましたから」

 そう言って照れたように笑う。こいつも世界にISがなければ、こういう仕事についていたのかもしれないし、ひょっとしたらそっちの方が幸せだったのかもしれない。

「眼帯はどうしたんだい?」

「いえ、IS学園に忘れてきました。突然の脱出劇だったので」

「電光石火だったからね。着替えとかは充分かい?」

「はい、しばらく暮らすには困らなそうです。食糧は明日には買いに行かなければなくなりそうですが」

「その辺りは赤青緑の三人にお願いして。ああ、女性二人は料理音痴だから、全部メモにした方が良いよ。でもキャベツとレタスと白菜の区別は諦めた方が良いかもしれないね。下手したらメロンを買ってくるかもしれない」

「な、なるほど」

 苦笑いとともに頷いてから、一夏はキッチンへと戻っていく。しばらくしてフライパンで何かを焼く音が聞こえてきた。朝食の準備をしているんだろう。

 ホント、気が効く良いヤツだよな、アイツは。

 コーヒーを飲んでから、オレも国津に習って携帯端末を取り出す。

 ふと、目の前の国津が怪訝な顔つきでタッチディスプレイをスクロールしていることに気付いた。

「どうしたんだい?」

「いや、どうにも極東IS連隊は逃げてきたIS学園の生徒の扱いに困っているようだね」

「織斑センセもついてるんだし、任せるしかないよ」

「マスターキーも渡したって話だけど」

「岸原がお怒りだったよ。でも、結果的には良かっただろう。生徒たちも織斑千冬には従うだろうし、彼女をIS学園から追い出した連中も、今じゃ私にメンツを潰されて権力を失ってるだろうしねえ」

「なんというかまあ、相変わらずというか」

 ざっと説明したオレに、国津が頬を引きつらせていた。

「どうした?」

「どれだけ未来が見えてるんだか」

「見えてないよ。当たり前のことを当たり前のように気を配ってるだけさ」

「そうは言うけどね」

「それより、嫁さんからは連絡があったかい?」

「あれからないなあ。無事だろうけど」

「怒ってるよなあ、怖いからなあ、あの人」

「そうか……でもシジュ、玲美を助けてくれてありがとう」

 コーヒーカップを置いてから、真っ直ぐオレの方を向いて国津が頭を下げる。

「よせやい。昨日から何度も聞いたよ。それよりホントに置いてきて良かったのかい?」

「本当は一緒のところに連れてきてあげたかったんだけど、やはり私たちと一緒ではね。山田先生だったっけ。彼女に頼んでおいたから、大丈夫だとは思う」

「真耶ちゃんセンセなら適任さ。でも三弥子さんが亡国機業と絡んでて、アスタロトの調達先もそこだって言うなら、おそらく無事だろう。理子ちゃんや神楽もついてるなら、しばらくは問題ないと思うよ」

「そうだね、うん。それとうちの妻のことなんだけど」

「予想外だったな。しかし、キミの家族はなかなかにエキセントリックだねえ」

「思い返せば、いくつか徴候はあった気はするな。それにあの三機の完成も、彼女に頼った部分は多いから」

「そうか……実際はどうだと思う? どうして私たちの邪魔をしてるのか。キミにお怒りだってだけじゃないだろう?」

「わからないなあ。正直、亡国機業といつどうやって単独で繋がったのかすら、見当がつかない」

 諦めたようにため息を吐き、国津は端末へと視線を戻す。

「まあ気にかかると言えば気にかかるが、私たちの敵は亡国機業じゃないんだ。相手にしても仕方ないだろう」

「そうだね……うん。また何度か連絡してみるよ」

 国津は少し疲れた表情で頷いた。

 そうは言っても娘や妻が気になるんだろう。オレも気になるがママ博士こと国津三弥子さんは悪い人じゃないし、三人娘は姉妹みたいなもんだから任せるしかない。

 淹れたばかりのコーヒーに口をつけて今日の予定を立てていく。

 四十院総司にとって休暇とは次の予定を立てるためのものであって、休みという意味じゃない。

 これからの算段を立てつつ、朝食が出てくるのを待つことにした。

 

 

 

 

『キサマ、どこにいるんだ!』

 電話越しに叫んでいるのは、国際IS委員会の委員長である。つまり名目上はIS業界で一番偉い人になる男だ。

「やだな、教えるわけないでしょ」

『日本国内にいるんだろうな? IS学園を空っぽにして、あんな数のISを押しつけおって!』

「ナイスだったでしょ」

『なぜ事前に言わないんだ、キサマは! 独立騒ぎなど起こして!』

「ったく、半分はアンタのせいだっての。こっから先、ずっとサノバビッチ言い続けるぞ、クソジジイ」

『ソウジ! キサマ!』

「アンタのご実家への融資と技術提供だって、今すぐ止められるんだし、アンタが色んなところから金策して集めてる口座のありかもぜーんぶリークできる……あ、IS学園のデータベースに入れたまんまだった」

『はっ!?』

「あ、消したわ。悪い悪い。思い違いだった」

『くっ……わ、わかった。これ以上追わせないように配慮はする。た、ただ、米軍は止められんぞ。あと日本のポリスも』

「知りませんよ。見つかったらすぐバラす。ほら、がんばってー」

 意地悪く応援してから相手の言葉を聞かずに回線切断ボタンを押す。

 小さなため息を吐くと、木々の間から空を見上げた。

 一夏の作った朝食を取った後、別荘の裏手にある林の中で散歩がてら、関係者に連絡してまわっていたところだ。一人になりたいと言っていたので、他の人間は近くにいない。

 欧州統合軍と米軍への根回しは終わったし、西アジアやイスラエルのIS開発局も話は通した。ASEANの連中も黙らせた。ロシアは更識がどうにかするから放っておいて良いとして、中国も党の幹部数人に連絡して送金も終わったから、鈴はしばらく自由だろう。

 あとは日本か。一夏と箒は超VIPだからなあ。どうしたもんか。

 考え事をしながらスマートフォンの中の電話帳をグルグルとスクロールさせていると、電話がかかってきた。

「うげ」

 嫌な名前が浮かんでいた。出るかどうかすごい悩んだ後、オレは意を決し震える手でボタンを押す。

「総司でございまぁす」

『あら、お元気そうですわね』

 おしとやかで優しく柔らかい声が耳元をくすぐる。

「楯無さんこそ、お元気ですかー?」

 相手は日本の暗部に深く根を張る旧家のトップ、更識楯無その人だ。学園では副理事長と生徒会長だったが、外に出れば立場上は四十院総司の方が下である。同格の家柄かつ向こうは当主でこっちは御曹司だから当たり前なんだが、そういう複雑な関係もあって今は会話したくない人だ。恨んでるだろうしなあ。

『今はどちらにいらっしゃいますか?』

 あ、この口調は本家にいるんだな。一応は礼儀にうるさい一家でもあるからな。色々と昔からお世話になったりお世話したりと、ご本家にも顔を出していたから、よく知ってる。

「あー、一応、秘密です。なにか御用ですか」

『まずはお礼をと思いまして。お時間はよろしいでしょうか』

「ええもちろん。楯無さんにはお世話になってますから」

『あら良かったですわ。では』

 コホンと小さな咳払いが聞こえてきた。直感でやばいと察知し、耳からスマートフォンを外す。

『この、バカ御曹司がああぁぁ!!!!』

 充分にスピーカーを離したし、電話自体に音量をセーブする機能がついているというのに、しばらく耳鳴りが残るほどの大音声だった。

「耳痛ぁ……」

『ふざけてんじゃないわよ! どうやってか知らないけどジン・アカツバキを倒したらさっさと逃げるわ、一夏君と箒ちゃんと鈴ちゃんも連れていくわ、全てのデータを抹消してるわ! そのくせ残った人員の世話は全て押し付けてくわ、貴方、どれだけ更識をコケにしてくれたわけ!?』

 大変お怒りでした。だがまあ、そこをのらりくらりと回避するのが四十院総司ってヤツだ。

「あー、ホントすみません。でも逃げずに捕まったら、みんな困るわけだし。それにここからも準備が必要になりますんで」

『準備ぃ!?』

「あ、怒らないでください、ホント」

 電話越しなのに平身低頭で謝るオレへ、更識楯無が大きなため息を吐いた。

『まあいいわ。それで総司さん、二つ、お尋ねしたいことがあります』

「はいはい」

『まずは一つ。二瀬野鷹のご両親の警備の件はどういう意味だったのでしょうか?』

「それか。ああ、他意はないよ。我が社のエースパイロットの身内を守ろうとしただけだ」

 いつもの口調に戻りサラッとウソを返す。旧家同士という立場上の話を除けば、オレは昔から楯無さんと簪ちゃんのお相手をしてあげていた気の良いオジサンの一人だ。

 それに予想されている質問の一つだったから、声色が変わることはない。さらに最も答えたく事柄の一つだったから、回答は用意してあった。

 なぜ、オレの両親は死んだのか。

 死なせまいと、オレは艦隊派の人間を押さえつけ、自ら手配したスタッフに世話をさせた。

 しかし、オレはわかっていなかった。

 二瀬野鷹の両親は『四十院総司の手配した人間が警備したこと』により、死んだのだ。

 もちろん現場の人間も故意じゃない。そもそも階段で足を踏み外して頭の打ち所が悪く死んだなんて、オレは知らなかった。オレが一夏から聞いていたのは母さんが事故で、父さんが自殺で死んだということだけ。

 ゆえに厳重に注意して送り出したヤツらですら、防ぐことが出来なかった。意気消沈した彼らの目を掻い潜ってオヤジが飛び降りたのだって、彼らを責めることは出来ない。

 悪いのはオレである。未来を変えようとして未来を変えられなかった。

 どれだけ力を持っても、限界が沢山ある。何でも見通す四十院の御曹司なんてヤツはいない。いるのは他人の振りをして必死に取り繕い。薄皮一枚の余裕を見せているニセモノだけだ。

『どうかしましたか? 個人的に面識でもあったとか』

 楯無さんの怪訝な声で我に返る。

「会ったことはないよ。だけど人は死ぬのは、いつだって悲しいことだ」

 一報を聞いたとき膝が折れた。頭を抱えて泣きそうになった。近くにいた青赤緑の三人がオレを心配するほどには凹んでいた。

 だけど四十院総司は、そんなことで泣きはしない。四十院総司は、二瀬野鷹がどんなに悲壮な目に陥っても、涙を見せたりはしないのだ。

「それでもう一つは?」

『これからは?』

「IS学園亡命政府のことか。そっちこそ、専用機持ちたちはどうしてるんだい?」

『デュノア、ボーデヴィッヒ両名はそれぞれ自国の大使館で待機中です。私と妹は実家に戻りましたが』

「そりゃ良かった。でもまあ、キミたちもどうせすぐに召集されるよ」

『へー。つまり』

「敵は死んでいない。だから出方を待って鋭気を養っているのさ」

『わかりました』

 諦めたような了承の言葉とため息が聞こえてくる。

「もういいのかい?」

『それだけわかれば結構です』

「織斑君たちも元気だよ、そう伝えておいてあげて。頼むよ」

『わかりました。では、最後に』

「ん?」

『死になさい、このバカ』

 低い声で口汚く罵ってから、相手は回線を切る。

 とりあえずこちらの安否を確認したかったってところだろうな、本音は。

 思わず苦笑いを浮かべながら、葉の枯れた樺の木へともたれかかった。

 空は灰色だ。あと二、三週間もすれば、この高地では雪が降る。平地は違う一足早い冬の訪れだ。

「やれやれだ」

 歳を取ると冷たい空気が身に沁みる。コートの襟を立てて体を縮め、オレはIS学園亡命政府の本拠地へと戻ろうと木々の間をすり抜けて行く。

 そこに一人の少女を見かけた。赤いダッフルコートを着た篠ノ之箒だ。

「どうしたんだい、篠ノ之さん」

「副理事長……」

「ああ、一人になりたいのかい。悪かったね、邪魔をして」

 こいつはIS学園をあんな状態にしたオレを恨んでるだろうしな。

 そう思い、箒の横を抜けオレは立ち去ろうとした。

「あの」

「ん?」

 声をかけられ、背中越しに相手の顔を見る。思いつめたような表情をしていた。

「いえ、何でもありません」

 しかしそれだけを消え入るように呟いて、オレへと背中を向け歩き出そうとする。

「ちょっと待って」

「なんでしょうか」

 相変わらず無愛想だな、と内心で苦笑いを浮かべながら、周囲を軽く見回す。

 すぐに足元に折れた白樺の枝が二本見つかった。細かい枝を折れば、太さ的に木刀代わりにはなりそうだ。そんなに堅くもないし、当たっても大した怪我はしないだろう。

 それらを拾い上げて、一本を箒へと投げる。

「どうだいサムライマスター。私と一本、稽古をしないか?」

「副理事長と、ですか」

 白樺の刀を受け取った箒が怪訝な顔つきをしている。

「こう見えても、腕に自信があるんだ」

 笑いながら軽く白樺の枝を振り回し、えい! とわざとらしい大声を出して見せる。

 あまりにも素人臭い声だったのか、箒が少し笑いながら、

「良いでしょう、稽古をつけてあげます」

 と真正面に枝を構えた。

 子守は慣れたもんだ。何せ十二年も父親をやっているのだから。

 

 

 

 林の中で、白樺の枝同士がぶつかる音が響いた。

「なかなかやりますね。ですが、振りが甘い」

 余裕ぶった顔で捌きながら、師匠めいたことを言う。

「こっちはオジサンなんだ。手加減してくれよ」

「さて、どうですか」

 笑いながら、オレの武器を絡め取るようにして弾き飛ばそうとする。

「おっと!」

 慌てて剣を引きバックステップをして距離を取る。

「今のを防ぐとは」

 感心したように呟かれるが、なんとか逃げられたって程度だった。

「いやいや、さすがだね」

「思ったより鍛えているように思われますが」

「どうだろう……な!」

 息を吐き出すと同時に大きく振り被って、相手の枝目がけ、ぶつかっていく。

 それをやすやすと受け止めて、鍔迫り合いへと持ち込まれる。

「何を悩んでるんだい?」

 顔が近くなったので、ついでに話しかけてみた。

「悩み……と言いますと」

「不甲斐なさかな、キミは真面目そうだし」

 押しても引いても、それに合わせて力を受け流される。呼吸を読むのが抜群に上手いんだろうな、おそらく。

「そんなことはありません」

 そしてこっちが引いた瞬間に合わせて押し込まれ、そこに白樺の枝が撃ち込まれた。受け止めたオレの方だけが真っ二つに割れてしまう。

 うーん、十二年のブランクを考えても、剣の腕が違い過ぎる。他の競技や純粋な体力なら自信があるんだが。

 短くなった枝を持ったまま肩を竦め、

「ジン・アカツバキ。いや、紅椿がああなったのは、キミのせいじゃないし、キミがIS学園を守れなかったのも、キミのせいじゃないよ」

 と笑いかけた。

「……ですが」

 図星だったらしい。一瞬だけ目を見張った後、申し訳なさそうに目を落とした。

「気にするこたぁないよ。相手の言葉を信用するなら、アイツがああなったのは、二百年後だ」

「え?」

「最後にそう言っていたよ。二百年後だって。キミはどう頑張ったって、あと八十年ぐらいしか生きられないだろうし、ずっと紅椿を装着し続けるわけでもないだろう?」

 白樺の剣を下げた箒の左腕で、ISの待機状態である二つの鈴がしゃらりと音を立てる。

「ですが、きっと私の未熟な心が、あのような化物を生み出したに違いありません」

「そうかい」

「私は無力です……」

 少女が乾いた灰色の白樺を握りしめる。

「まあ、私は説教するつもりもないんだが……その、まあなんだ」

 おーい、織斑君はどこですかー? と内心で助けを呼びながら、何かないかと言葉を探す。

「例えば未来人がいたとしよう」

「未来人……」

「仮にだよ仮に。そいつが未来から来て、お前たちのせいで未来が飛んでもないことになった! って責めてきたらどうする?」

「どうする……と言われましても」

「謝るかい?」

「謝ると思います」

「それでも許さなかったら?」

「今以上に頑張ると思います」

「じゃあ、それでいいんじゃない?」

 オレが言えるのは、そんなことぐらいだ。

「それで……」

「私はね、こう見えてビジネスマンでもある。だから、いちいち部下がした失敗に怒らないよ。反省点と改善点と行動計画だけを聞いて、それが間違ってないかだけを確認する。そして背中を押してあげるのが、良い上司の役目さ」

 大体にして、オレの中にはウソばっかりで含蓄になるような言葉がない。ゆえに自分が十二年間のウソで得た経験ぐらいしか語ることがないのだ。

「私は……剣術家です」

「じゃあキミはあれかい? 弟子を持ったとして、弟子の失敗をいちいち責め立てるのかな。どうしてそんなことが出来ないんだ、バカなのか、キサマは! とか言って」

 わざとらしく箒のモノマネをしてみたが、残念ながら笑いは取れなかったようだ。子守にゃ自信があったんだが。

「あるかもしれません、不甲斐なければ」

「正直で結構。でも、キミは弟子を育てようと思っているんだから、そこからまた指導してあげるんだろ?」

「……そうしたい、と思います」

「じゃあ、そうしたらどうだい。キミが何をしようと、出来てしまったジン・アカツバキは変わらないよ。もうあいつは常識外の存在だからね」

「このまま、歩いて行けと……そういうことでしょうか」

「まあ、あと一つだけ。これは私が報告書で見た銀の福音事件の話なんだが」

「横須賀の、ですか」

「そうさ。あのとき、キミは白式にエネルギーを受け渡し、それをジン・アカツバキは怒った。なぜ渡すんだってね」

 これは二瀬野鷹として生きていたときの記憶だが、もちろん説明などしない。

「その通りです。なぜかアイツは、怒り狂いました」

「じゃあ、それで良いんじゃないかい。アイツが奪い取る生き方をするならば、キミは受け渡す生き方をしていけば良いと思う」

 ただの棒切れになった白樺の枝を枯れ葉の中に放り投げ、オレは背中を向け歩き出す。

 何を偉そうに語ってるんだか。このウソツキめ。

「あの」

 今度は振り向かずに足だけを止めた。

「なんだい?」

「ありがとうございました」

 おそらく礼儀正しく頭を下げているんだろう。見なくてもわかるよ、そんな態度は。

 それ以上は語らず、軽く手を振って別荘に戻っていく。

 しかし、こんな説教をするようになるなんて、アイツらと違って一人だけで大人になったんだな、オレは。

 そう考えると、切なさがハンパねえ。

 玲美たちが成長していくに連れて重ねてきた焦燥感を少し思い出す。

 高原に落ちた枯れ葉を踏みしめながら、山道を下り続けた。ここは平地と違い冬の訪れが早い。

 そういう生き方を選んだのだ。後悔しかねえけど、やり続けるよ。

 

 

 

 

 暖房の効いたリビングに戻ってくれば、それぞれが自由な時間を過ごしていた。

 青赤緑は一台のノートPCを囲み、話し合いながらオレが頼んだ作業をしている。

 国津はコーヒーを飲みながら、岸原と何やら相談ごとをしているようだ。

 リビングの端にあるソファーでは鈴が暇そうに寝転がっており、その横で座って新聞を読んでいる一夏を突っついたりとちょっかいを出している。

「篠ノ之さんは外にいたよ」

「あ、はい」

 自分に声がかけられたことに気付き、わざわざ立ち上がって一夏が返事をする。

「稽古でもしたら良いんじゃないかい。寒いけどね」

「は、はぁ……」

 コートを脱ごうとすると緑山が駆け寄ってきたので、彼女に渡しオレはイスを引いて座る。

 箒か。変わらねえな、アイツも。真面目過ぎるまんまだ。

 そんなことを考えていると、妙な引っかかりを覚えた。

「国津」

「どうしたんだい?」

「ISの状態をどうにかチェック出来ないかな」

「ISの? 彼らのかな?」

「そう。アスタロトも気になるし、白式と紅椿の調子も一応ね」

「うーん、機材がないとなかなか難しいかな。緑山君」

 国津が声をかけると、コートをかける手を止め、ユニセックスな緑山が近づいてくる。

「なんでしょうか、国津主任」

「悪いけど、ISチェック用の機材ってどうにか出来ないかな」

「難しいですね。一応は軍事機密ですし、今の状態の我々が手に入れるのは骨です」

 一番若い部下が申し訳なさそうに国津へと頭を下げる。

「そうか……シジュは?」

「私か。うーん、いっそどっかの基地に身を寄せるかな。今の状態だとあまりどこかの勢力と仲良くしたくはないんだけどね……赤木さんと青川さんも、何か手はないかい?」

 オレが話を振ると、中年男女は顔を見合わせた後、揃って首を横に振った。

 元々、一夏たちをここに連れてくるつもりがなかったのだ。ゆえにISをチェックする機材なんて用意していない。IS関連の機材はどんな些細なものでも、かなりの重要機密になってしまう。簡単に手に入れる、というわけにはいかない。

「ふむ……織斑君、ちょっと」

 手招きをすると、新聞を置いて駆け寄ってくる。

「なんでしょうか」

「少し篠ノ之さんを、今以上に気にかけてあげてくれないか。気になることがある」

「気になる?」

「彼女、二瀬野鷹を殺しかけた件があっただろう?」

 それはタッグトーナメントの前、箒が初めて紅椿を装着したとき、腕が勝手に暴走してオレの頭を吹き飛ばそうとした件だ。

「え、あ、はい。ありましたが……」

「二瀬野鷹の報告じゃあ、篠ノ之束っぽい人を見かけたというんだ。これが実はジン・アカツバキだったって可能性を考えると、彼女のISが操られたってことはないかなと」

 もちろん二瀬野鷹からそんな報告が上がっていないことは、オレ自身がよく知っている。だがウソも方便だ。

「了解しました。気をつけます」

 一夏が生真面目に返答をし敬礼をしようとした。だがオレが苦笑いを浮かべたのを見ると、ばつが悪そうに笑い上げかけた右手を下ろす。

 ISを抑えられるのはISだけだ。何か起きても、オレがディアブロを無暗に展開できない以上、一夏たちに頼るしかない。

 こういうときにシャルロットやラウラなんかの欧州組がいると頼りになるんだが、無い物ねだりをしてもな。

「四十院さん!」

 そこへ、青髭オヤジこと青川さんが慌てた様子で少し大きめの携帯電話を持ってくる。

「なに?」

「アラスカ条約機構の航空宇宙開発局からです。IS50機の反応を確認、大気圏突入したそうです!」

 その言葉に、思索をシャットアウトして立ち上がった。

「全員、休暇は終わりだ。岸原は欧州統合軍のコールマンを呼び出してアレの手はずを。国津はイスラエルのIS開発局に連絡、ありったけの弾薬とエネルギーを用意させといて。緑、四十院本家に黙って金を出せって言っとけ。赤、研究所の連中を全員叩き起こせ、こっからは真面目に働かないと給料カットだと通達。他社に出向してるヤツらも全員連れ戻せ。青、極東の連中に今の情報を伝えろ。匿名で良い」

 矢継ぎ早に出されるオレの言葉に、全員が早速作業に入った。

 思ったより早かったな。六百機を奪われたから、それが使えるようになる前に極東を落とす気か?

「副理事長!」

 一夏と鈴が真剣な眼差しでオレの言葉を待っている。

 こうなった以上は仕方ない。ある程度までは、こいつらにも働いてもらおう。ISがあるとないとじゃ大違いだからな。

「外にいる篠ノ之君を呼んで来たまえ。短い休暇だったけど、こっからは働いてもらおう」

「これから、どうされるんですか?」

 一夏の言葉に、四十院総司は口元だけで不敵な笑みを浮かべた。

「決まってるよ、戦いの準備さ」

 

 

 

 

 

 











前回は沢山のご感想をありがとうございました。


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34、災厄の刃

 

 

「さてと」

 岸原の運転で辿り着いたのは、内陸にある四十院研究所だ。

 ちなみに途中の山道は一夏たちに車ごと担がせてショートカットをした。おかげで一時間ほどで辿りつけたわけだ。

「止まれ、四十院総司だな!?」

 ここに来ると予測し待ち伏せしていた迷彩服の部隊が、オレたちを取り囲む。総勢は二十人ぐらいいるだろうか。

 両手を上げてオレと岸原、国津、それに青赤緑の三色スタッフが抵抗の意思はないと態度で表した。

「私が四十院総司ですが、何か?」

「貴方には多数の罪状で逮捕状が発行されている。抵抗しないでいただこう!」

 一歩前に出たスーツの男が、オレに向かって威勢良く言い放つ。

 だがオレはヤレヤレとため息を吐いて、

「だってさ」

 と呟いた。

 同時に三機のISが降りてきて、オレたちを守るように立ち塞がる。

「あ、IS! こっちもISを出せ!」

 銃口を向けたまま、後ずさりながら指示を出す。

「副理事長、先に」

 近づいてきた一夏が、オレに向けてボソリと呟く。

「いいよ、大丈夫。キミたちの機体もチェックしなきゃならないんだし」

「しかし」

「邪魔にはならないさ、すぐ片付く」

 しかし、情報統制が行われているとはいえ、横須賀が襲われてるだろうに、こんなところにISを配備してて良いのかよ。全くもって、この国はいつも順番を間違えてやがる。

 ポケットに手を突っ込んだまま、呆れた様子で上空から一機の打鉄が、研究所の向こうから飛んできた。

「赤木さん」

 後ろに立つ中年女性に声をかけると、彼女が端末を取り出してボタンを一つ押した。

 同時に打鉄の推進翼が急に動作を停止し、まるで高熱に当てたガラス細工のように溶けていった。

 鈍い音を立てて、自衛隊のISが地面に落ちる。やがて高熱を帯びた推進翼が冷えて固まり、ISへとまとわりついた。

 他組織で使っているHAWCシステムのデチューン版はある一定の高周波を浴びせると、システムが暴走した後に止まるバグがあるのだ。亡国機業のは三弥子さんが手を加えているだろうけど。

「ったく、中身もよく理解していないのに、機体運用してるんじゃないよ。織斑君」

 IS関連を扱う人間は、元々のISコアがブラックボックスなだけあって、意味のわからないものを放置するのに慣れ切っている。業界としての致命的欠陥だが、どうしようもないな、これは。

「……了解です」

 呼びかけた意図を理解したのか、一夏は零落白夜を起動させ、動けなくなったISへ振り下ろす。箒は見たくないとばかりに目を閉じて顔をそむけた。

 相手のISが消えたのを確認し、オレは悠々とドーム状の研究所に向かって行く。そのサイドをISが固める形で、他のスタッフもついてきた。

 呆気に取られている自衛隊員たちは、銃口を構えたまま、有効な手段を打てずに見守るしかないようだ。

「ファン君」

「あいよー」

 鈴の機体の肩から小さな鏡のような物が飛び出る。そこから発せられた小出力のレーザーが、周囲を薙ぎ払うように照射された。

「トラップっぽいのは全部、破壊確認おっけー」

「ご苦労。我が社のセキュリティも吹っ飛んだようだけどね」

 こういうときには隠れるよりは、堂々と姿を晒して余裕ぶる方がカリスマ性を感じさせる。そうやってオレは四十院総司を作ってきた。

 最後に背中を向いたまま、片手を軽く上げ、余裕ぶって手を振る。

「それじゃあみなさん、ごきげんよう」

 自動ドアが開き、自衛隊員たちが見守る中、オレは堂々と自分の城へと戻ってきた。

 

 

 

 

 招集をかけた研究員たちが内部にいたようだ。自衛隊は周囲の警備だけか。民間人を拘束する権利は発生してないようだし、ここの内部も一般人にゃあ触れられない機密がバカみたいにあって、下手に他国の物に触れば国際問題にもなるからな。

「何だか久しぶりって感じがしないねえ」

 研究所の所長室で自分のイスに座り、周囲を見回す。白衣を着た数人の見慣れた顔たちが、泣きそうな顔でオレの言葉を待っていた。

「今まで心配かけたね。まあ犯罪者だけどよろしく」

 労りの言葉をかけると、数人の人間たちが机に詰め寄ってくる。

「所長……!」

「い、いったい今までどこに!」

「私たちにも相談してくれれば、ついていったのに!」

 そんな嬉しいことを言ってくれるが、まあさすがにあの行動に一般職員たちを巻き込むつもりもなかった。

 ゆえに連れていったのは、ほんの一部の側近と友人、それにアラスカから押し付けられた人員たちだけだ。アラスカのやつらは一般職員なのでIS学園に置き去りにしてきたけど。

「とりあえず状況は? 交戦中?」

「始まったばかりです。極東IS連隊は現在、大気圏外より降下した戦闘機型IS50機と交戦中」

「被害は?」

「わかりません。ただ、現場の混乱を見るに、かなり押されてると思われます」

「あそこに出向して整備班に潜り込んだヤツいたでしょ。村崎君だっけ。彼は無事かい? かなり心配なんだが……」

 まだ年若いスタッフで、緑山と同期のそれなりに優秀だったはず。第一小隊の整備を担当してると聞いてるから、リア辺りの下についてるはずなんだけどな。

「連絡が取れません」

「……そうか。スタッフで集まったのは?」

「全体の半分程度かと」

「優秀だね。ありがとう、みんな」

 再び感謝を告げて笑いかける。

 四十院総司ってヤツは、意外に気さくで部下に対しても感謝を忘れない。周囲がその通りに見てるかは確認のしようがないが、少なくともそうなるようにオレはプロデュースしてきている。

「ではすまないが、白式と紅椿の二機のチェックを二名ずつ。残りはアスタロトの装甲を最新型にバージョンアップ。作ってるでしょ?」

 当たり前だよね、という言葉に対し、一人のスタッフが恐る恐る頷いた。

「よろしい。では全員に急いで作業をさせろ。あと、テンペスタⅡ・リベラーレはどうした?」

「リベラーレだけは自衛隊に接収されました……イタリアから抗議が入っているはずですが」

 申し訳なさそうに頭を下げるスタッフに、オレは優しく笑いかける。

「まあいいよ。キーは?」

「キーごとです」

「わかった。すまなかったね。みんなが手塩にかけた機体だったのに」

「いえ……」

 労を労いつつ、一つ考え込む振りをした。

「まあいいや。とりあえずみんな、自衛隊だか機動隊だかが再度乗り込んでくる前によろしく」

 何事もなかったように再び笑みを浮かべ、指示を出す。

 全員がオレに従って所長室から駆け出していく。その様子を見送って、所長室の端末を起動させた。

「ん?」

 何もなくなっていたデスクトップの真ん中に、一つのクエスチョンマークのアイコンがあった。

 呆れつつもダブルクリックして、反応を待つ。

 すぐに小さな窓が開き、そこに愛娘である神楽が映っていた。

「やあ、久しぶりだね、神楽。元気だったかい? そこはハワイの別荘かな」

『はい。お久しぶりです、お父様』

「お母さんは元気してる?」

『心配されておりましたが、ご連絡を入れてはいらっしゃらないんですね』

 言葉の端々に棘が感じられる口調に、思わず頬が引きつる。これは相当怒ってるな。

『お父様は、どうやってジン・アカツバキを倒したのでしょうか?』

「私は気絶してただけだよ。ディアブロが現れて、勝手にアイツを倒したんだ」

 予想された詰問に、さらりと嘘を返す。さらに突っ込まれる前に、今度はこちらから、

「玲美ちゃんはどうした?」

 と問い返した。

『……連隊基地にいるはずです』

「まずいな、まだ回収してなかったのか。一日以上あったってのに何をしてんだい、キミたちは。亡国機業と三弥子さんが組んだのは構わないよ。私はトスカーナの連中を敵視してるわけじゃないからね。だけど相手に預けっぱなしってのは、どうなの」

 予想外の事態に、つい言葉使いがきつくなる。

『申し訳ありません……ですが、元々はお父様の』

 だが相手も少しムキになってるのか、言い返してこようとしてきた。もちろん、こちらとしては、そんなのに取り合うつもりはない。

「言い訳は結構。状況は把握してるね?」

 復讐劇は結構だ。オレ自身も似たようなもんだったからな。それにしちゃ脇が甘すぎる。

『ジン・アカツバキのISが五十機、基地を強襲しているとのことです』

「よろしい。では玲美ちゃんが起きたならすぐにHAWCシステムを起動させて、逃げるように伝えること」

『わかりました。それでお父様』

「悪いが忙しいんだ。大した用事じゃないなら、切るよ」

『……申し訳ありません』

 本当に申し訳なさそうな態度に、つい苦笑いが浮かんできてしまった。

「悪かった。すまない、勝手にことを運んでしまって」

『状況は理解しているつもりです。お父様方の狙っていたことも。誰にも為し得なかった偉業だと娘としても誇りに思います』

「ありがとう。それで、私の元に来る気は?」

 優しく問いかけるが、神楽は首を小さく横に振った。

『残念ですけど、今はママ博士と一緒にいます。それに玲美は、おそらく従わないでしょう』

「ま、わかるよ。私がジン・アカツバキを騙そうとして、その過程で二瀬野鷹が死んだってのは間違いないからね。六百機のISを盗むためとはいえ、そのせいでジン・アカツバキを野放しにしたってのは間違いない」

 オレが二瀬野鷹だと信じれば、きっと玲美だってこちらに来て一緒に戦うだろう。だが、そんなのは無理だ。

 誰が信じるというんだ、こんな与太話。

「わかった。何か言いたいことは?」

『いえ……申し訳ありません、お父様。ですが、私と理子は玲美を放っておけませんし、もちろん』

「ああ、わかってるよ、キミたちも私たちに怒っているんだろう?」

『はい。お父様が少しでも私たちに話していただければ、変わったかもしれません』

 残念ながらそれは無理な話だった。神楽たちは何か情報を与えれば、きっと二瀬野鷹に漏らしてしまうだろう。

 それでは、オレが死亡しないのだ。オレが死なないということは、ジン・アカツバキとの対抗勢力を作ることが出来なくなる。そこを変えるわけにはいかない。オレは、アイツを倒すために十二年を費やしたのだ。

 ゆえに二瀬野鷹は死ななければならない。

 未来を変えて不確定なものに任せて結果、人類を滅ぼさせてはダメなんだ。だからオレがやるしかない。

「了解だ、お母さんにも元気だと伝えておいてくれ」

 ウインドウを強制的に閉じて、体重を預けてイスを揺らした。

 ったく。何を父親面してんだ、オレは。

「さてと」

 反省も後悔も一秒以上はしない。次を見なければ。

 こちらの手駒は三機。ここを使えるようになったことで、遠隔サポートが必須なHAWCシステムを動かせるから、鈴のアスタロトもかなりパワーアップしたことになる。

 それでも足りる数じゃない。相手は五十機だ。

 あの可変戦闘機型ISはかなり厄介だ。戦闘機型だとスピードは速いし、ISモードに入れば小回りも利く。

 IS連隊の機体は二十四機。おそらく六機はまだ修復中だから、十八機か。

 盗んだ六百機はまともに動かせる機体ではなく、とりあえず『IS』であるというものだ。千冬さんもそんなものを前線に出しては来ないだろう。

 あとはIS学園に元からあったラファールぐらいか。打鉄なんて戦闘に耐える機体じゃないしな。

 頼みは訓練校にいるセシリア、あとはそれぞれの大使館にいるシャルロットにラウラ、更識本家の二人。プラスアルファで自衛隊機ぐらいか。第十四艦隊の機体は特殊だから、来ないだろうしな。

 全力でイーブンに持ち込むことが出来るかどうかって感じか。

 しかし、ここが山場だ。この五十機を撃退出来れば、六百機を本格的に始動可能になる。

「……やるか」

 オレは懐から小さなヘッドセットを取り出して、ポケットに入れた。

 そして電話機の内線ボタンを押す。

『はい、緑山です』

「ああ、私だ。用意して欲しいものがある。今から言うものを所長室に内緒で持ってきてくれ」

 そう言って、いくつかの名称を上げる。

『何に使われるんでしょうか』

「ヒ・ミ・ツ。ただ、奇跡を見せてあげるよ。みんなにね」

 勿体ぶった演技のような言い回しこそ、四十院総司らしいってもんだ。

 

 

 

 

 研究所内のドーム型試験場に戻ると、すでに準備万端と言わんばかりの一夏と箒がオレを出迎える。

「エネルギー補充、機体チェックともに終わりました。行けます」

 彼らがつけているISスーツの胸元には、四つの勾玉で作られてマークが刻んである。これは我が四十院グループのマークだが、昔は全ての菱の中に朱雀やら玄武やらがあったようだ。今はコストがかかるので簡略したと聞いている。

「エネルギーを満タンにしといてね。あとはファンさんだけか」

 見ればそこかしこに傷ついたISの装甲が投げ捨てられていた。スタンドにかけられたアスタロトに赤い装甲をつけている最中だ。

「赤とか、わかってるじゃん副理事長」

 横に現れたオレに気付いた鈴は、嬉しそうな顔をして肘でウリウリと突いてきた。

「テンペスタⅡ・リベラーレの予備を流用したから当たり前だよ」

 お前はもうちょっと年上に敬意とか持てよ……。

「国津、アスタロトはあと何分かかる?」

 他の作業員と並んで作業をしながら、

「上っ面の換装と兵装追加だけだし、突貫でやってるよ。あと十分ぐらい」

 とこちらを見ずに答えを返してくる。

「早いな」

「内部は全然壊れてなかったし、自己修復モードへの切り替えも早かったからね。ファンさんを褒めてあげて」

 国津が顔だけこちらに向けて笑顔で褒めると、鈴が鼻息荒く得意げな顔をオレに向けてくる。

 だから何でそんなに馴れ馴れしいの、お前。こう見えてもオレ、偉いのよ?

「織斑君、オルコットさんから連絡は?」

 何となくコホンと咳払いをしてから一夏へと問いかけると、こっちはまるで軍人のように姿勢を正した。

「戦闘は先ほど開始されました。かなり状況は悪いようです。ラウラ……いえボーデヴィッヒ少佐は支援要請を受けて直接現地へ、デュノア候補生と更識候補生も同様です」

「ロシア正代表は?」

「本国の説得に手間取ってるようでして……」

「まあ、そうだろうね」

 元々がIS後進国でもあるロシアだ。虎の子であるミステリアス・レイディを、勝ち目の少ない他国の戦いに簡単に出すわけがない。

 腕を組んで考え込んでいると、赤いISスーツの箒がいつのまにか目の前に近寄ってきていた。

「今すぐ出てもよろしいでしょうか?」

 思い詰めたような眼差しを真っ直ぐとオレへと向けてくる。

 だが、ISが二機出ていった状態で機動隊と自衛隊に踏み込まれて、アスタロトが完成しないのでは本末転倒だ。

「申し訳ないけど、許可出来ないね」

 どうにかしろと一夏の方をチラリと見るが、どうやらコイツも同じ心境らしい。

「副理事長」

「なんだい、織斑一夏君」

「俺……いえ、私も同じ考えです」

「気持ちはわかるがね。私がジン・アカツバキなら、次はここを狙うと思うんだよ」

「なるほど。おっしゃる通りだと思います」

「まあ私たちはジン・アカツバキにとっての裏切り者だし。それにアイツはキミたちを狙ってるんだ。話したよね?」

「え、ええ、まあ」

「あと十分。あと十分だけ我々『大人』に時間をくれないか、織斑君、篠ノ之さん。たったそれだけで良い」

 一夏と箒が周囲にいるスタッフたちを見回すと、白衣やら作業着やらを着た彼ら彼女らが振り向いて親指を立てる。

「……わかりました」

 神妙な、しかしどこか微笑んだような顔で箒が小さく頷いた。

「赤木さん」

 オレが問いかけると同時に、中年の女性スタッフである赤木さんが、手に持ったビニール袋からゼリー状のカロリー食糧やらスポーツ飲料やらを取り出して一夏たちに投げる。

「さあさあ織斑君に篠ノ之さん、それにファンさんも。今のうちにエネルギー補給をしっかりと食べとかないと! ISも人間もエネルギーがなけりゃ始まらないんだからねえ!」

 いかにもおばさんっぽい口調でホイホイとパイロットたちに投げ渡していった。

「はい四十院さんも」

 そう言って、最後に余った一つをオレに投げ渡す。危うく落としそうになった物をお手玉してから、銀色のパッケージをしたゼリー飲料を手に収めた。

「意外に美味そうだよな」

「はい?」

 零した呟きに、一夏が小首を傾げる。

「いいや、何たらインゼリーのフルーツ和え」

「なんですかそれ」

 料理には一家言ありそうな一夏が小さく笑う。

「食べときゃ良かったってものが、世の中にはたくさんあるよ、織斑君」

 鼻を鳴らすように笑ってから、それに一気に喉へ流し込む。

「他の専用機持ちたちは単独で?」

「各々向かっているようです。ただ、思うに途中で合流してから編隊を組んでいく方が得策だと提案します」

 一夏の発案にフムと一つ考え込んだ。

 確かにこいつの言う通りだ。一夏、箒、ラウラ、シャルロット、簪、鈴の合計六機。二個小隊分のISが増援で来るんだ。下手に単独行動するよりは、ラウラの指示に従って動いた方が良いだろう。

「わかった。任せるよ。だけど、敵を倒しても離脱は早めにね。IS連隊に捕まらないように。回収ポイントは臨機応変に変えるから、そのときに教えるよ」

「はい」

「もちろん、逃げても文句は言わないさ」

「いえ、逃げません。俺はまだIS学園所属のつもりです」

 一夏が笑う顔は、珍しく不敵という表現が相応しい感じだった。

「結構。では頼むよ、代表さん」

 こちらは作り笑いを浮かべて、背中を向けて歩き出す。

「副理事長はどちらへ?」

「大人は色々とやることがあるのさ。それじゃあ健闘を祈るよ」

 空になったゼリー飲料の入れ物を後ろの赤木さんへと投げ渡し、オレはオレの仕事へと歩き出した。

 

 

 

 

 

「ったく、何なのよこれは!」

 ナターシャが冷や汗を浮かべ、銀色のISの中で悪態を吐く。

 三機に囲まれた銀の福音が旋回しながら、極東IS連隊基地の上空を飛び回る。

 下を見れば、ありとあらゆる建造物から火の手が上がっており、逃げ遅れた人間たちの死体が、いたる場所に転がっていた。

「HAWCシステムは使えないってことね、これじゃ」

 舌打ちをしながら、追いすがる三機のISを引き離そうとする。

 アラスカ条約機構直轄の極東IS連隊基地は、大気圏外から降下してきた謎のIS五十機により、一方的な先制攻撃を仕掛けられた。

 相手は全長三メートルほどの、まるでステルス戦闘機のような形をしたISらしきものだ。飛行機で言えば先端、ノーズに当たる部分に大口径のレーザー発射装置を備えており、またスラスターの出力も高いのか、シルバリオ・ゴスペルががかなりの速度を出しても引き離すことが出来ない。

「落ちなさい!」

 振り向きながら、後ろについた三機へと右手の多砲身式ビームマシンガンを解き放つ。しかし横殴りの雨のように降りかかる光弾を、相手の三機は全て回避して、すぐに距離を詰めてきた。

「くっ」

 上空へ逃れた一機が、銀の福音を目がけてレーザーを撃つ。

 対してナターシャは推進翼のスラスターを小刻みに動かし、まるで蝶のように回避してから、瞬時加速を発動して一気に離脱しようとした。

 ダメージこそなかったが、相手の数も減らすことが出来ていない。

 ひたすら上昇して逃げ回りながら、他のISの状況を確認する。

 未だに敵は全部で五十機、こちらは十八機しかいない。IS学園の生徒救出作戦でやられた二個小隊がまだ復帰していない。味方も敵も、まだ一機も落ちていない。

 せめて連携を取りつつ少しでも時間を稼いで、基地の人間を逃がせれば良いのだが、こういうときに寄せ集め部隊の悪いところが出る。

 ナターシャの意識が逸れた一瞬を狙い澄ましたかのように、レーザーが撃ち込まれた。かすめるように咄嗟に回避した自分を褒めつつ、司令部に向けて英語で汚い侮蔑を発した。

 こちらが逃げ惑っている間にも、基地はおろか周囲の土地に向けても大口径レーザーは撃ち続けられていた。遠くに見える港湾施設も、近くにある隊員用のコンビニも燃え上がっている。

 おそらく民間人も大量の死者が出ているだろう。それでも相手は容赦する様子がない。

 枷のないISとの闘争は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 IS連隊の基地は混乱していた。司令部は完全に沈黙している。

 格納庫とそれに連なる建造物も至るところから火の手が上がり、瓦礫の散らばる通路にはいくつもの死体が転がっている。

 そんな中、リア・エルメラインヒはテンペスタ・ホークの前に立っていた。

「ごめんヨウ、これ、借りるね」

 ウインチが回りワイヤーで天井から吊るされていたISがゆっくりと降りてくる。大きな翼を持った、鷹のようなISだ。

 リア以外のスタッフがどうなったか、彼女には確認の術がない。少なくとも格納庫から真っ直ぐ通路を進んだ場所にある指令室に、生きている人間がいないであろうことは一目で理解出来た。

 代わりに指揮を取ったナターシャにより、ISのパイロットは全員出陣出来たが、他のスタッフまではわからない。

 隣に吊るされた黄金の砲撃型ISを見る。通常の機体より二周りも大きいそれは明らかに鈍重であり、今回の敵との戦闘に耐えられるものではない。そう考えたリア・エルメラインヒはテンペスタ・ホークを選んだ。

 自分の目の前に降りてきた脚部装甲に足を通し、腕を入れてISを起動しようとする。

 そこへ、上方から大きな爆発音が響いてきた。

 リアが見上げれば、そこには一機の戦闘機型ISが浮かんでいる。

「……もう!」

 すぐにISを動かそうとしたが、相手の装甲に切れ目が入り、ステルス戦闘機に似た形が一瞬で人型へと変形した。

「え?」

 まるで童話に出てくるカカシのような、トランプ兵のような、そんな無機質なIS。

 その動きに驚いたリアへと、ISが掌を伸ばす。そこには大口径レーザー発射口が備えられている。

 まだ彼女のISは起動完了していない。

 スローモーションに見えた視界の中で、ドイツから来た赤毛の少女は必至にISを動かそうとした。

 視界に一瞬で浮いてきた仮想ウインドウを目線で操作しようとする。ここまでたったコンマ五秒で終わらせた手腕は、かなりの訓練を積んできたゆえだろう。

 だが、相手はコンマ六秒に致る寸前で、腕から光を射出し始める。

 一夏! 隊長!

 心の中で少女は懐かしい人々の姿を思い浮かべた。

 

 

 

 

 爆発音と地響きにより、黒いISスーツを着た国津玲美は目を覚ました。

「ここ……は?」

 まだハッキリと覚醒しない頭で周囲を見回せば、そこはどこにでもあるようなマンションの一室だった。

 だが、ここにはこの世から消えた匂いの残滓が、少しだけ残っている。

 それもそのはずだ。彼女が寝ていたのは、IS連隊基地の隊員寮の一つであり、二瀬野鷹が数日間だけ使っていた部屋だった。亡国機業の人間であるオータムが、協力関係にある国津三弥子の娘ということで気を使った結果だった。

 部屋の中には、ダンボールがいくつか積んである。そして、玲美にとって見覚えのある男物の服がイスにかかっていた。彼女には懐かしくて仕方ない一品だ。ふらつく足でベッドから立ち上がり、ゆらりと歩き出そうとした。

『玲美? 玲美! 起きたの!?』

 そこへISが通信を受け、視界内に見慣れた友人の顔が浮き上がってきた。

「かぐちゃん……」

『もう! いつまで寝てるのかと思ったわよ!』

 幼馴染の声を聞き、ようやく段々と自分が何をしていたかを思い出し始める。

「ここは? そ、そうだ、私はジン・アカツバキに! あい……つは、アイツはどうなったの!?」

 仮想ウィンドウに食ってかかるが、相手は目を背け、

『……あのジン・アカツバキは倒された。たぶん……ディアブロによって』

 と自信なさげに答えるだけだ。。

「ど、どういうこと?」

 おぼろげな記憶を思い浮かべる。

『お父様の話では、そうらしいわ。ディアブロが現れて、と』

 確かに最後の記憶の視界には、幼い頃から良くしてくれた父の友人の後ろ姿があったことしか覚えていない。

 何も考えられない。

 立ち上がったばかりの膝から力が抜け、腰が砕けたように座りこむ。

「……ヨウ君が?」

 生きているわけがない。

 自分たちはあの砂浜で見ているのだ。彼の死体が転がっていたのを。

『……そんなわけがないでしょう』

 否定する相手の苦しそうな声に、やっぱりそうかと力なく笑う。

『とりあえず、そこから逃げるのよ。敵は五十機もいるわ!』

「逃げる? 敵?」

 その言葉に虚ろな光が灯った。

『ジン・アカツバキの残党……と言えば良いのかしら……月の近くに隠れていた五十機のISが大気圏内に降下。今、貴方がいるIS連隊基地を襲っているわ』

「敵……」

『玲美?』

「なんだー、かぐちゃんも人が悪いなあ」

 急に能天気な調子に変わった玲美に、通信回線の向こうの神楽はうすら寒い感覚を覚える。

『玲美? ちょっと玲美? 逃げるのよ!』

 焦ったように繰り返す言葉に耳を貸さず、玲美は歩き出す。窓を開けて空を見上げた。

 そこには、スラスターから放たれる光の粒子が数多の光の線を作っており、それがIS同士の大規模戦闘が行われていることを示していた。

『え? 玲美?』

「全然、死んでないじゃない」

 ポソリと呟いた国津玲美の瞳は、暗い炎を宿したかのようだった。

『玲美? ちょっと玲美?』

「終わらないよ、全然。あれを全部、倒すまでは。全てを根絶やしにするまでは」

 窓を開けてベランダに出ると、そのまま空へと身を投げ出す。ISを展開しながら落下し、地面すれすれでスラスターを点火し、上空へと舞い上がって行った。

 自己修復が半端にしか終わっておらず、頭部と胸部装甲はないままだ。しかし剥き出しになっている部分もISには皮膜装甲(スキンシールド)という保護があるので問題はない。

 激しい戦闘の光と同じ高さで静止をかける。

「かぐちゃん」

『……わかったわ。ただし無茶はしないこと』

「理子」

『HAWCシステム再起動、ブースターランチャー、残り200で照射可能』

 そのISが現れたことに気がついて、数機の無人機が一直線に向かってきた。

 玲美は口の両端を釣り上げて笑う。

 まだ、戦争と戦闘は終わっていない。

 だから、ぶちのめして殺して粉みじんにして破壊して生まれたことを後悔させて、それでもまだ殺す。

「テンペスタエイス・アスタロト……()るよ」

 相手が五機だろうと関係ない。

 黒い悪魔に似たソレは、再び動き出した。

 

 

 

 

「大丈夫ですの!? リアさん!」

 死んだと思ったレーザー攻撃を弾いたのは、高貴な花を感じさせる青いISだった。

「セシリア……?」

「ここはおまかせに!」

 格納庫の中で、ISに手足を入れたリアの前に、セシリア・オルコットとブルーティアーズが立ち塞がる。

 固有武装のビットを展開し、周囲への被害もお構いなしに集中砲火を続け、敵を外へ押し出そうとしていた。

 その隙を突いて、リアは中断させていたテンペスタ・ホークの駆動開始作業を再開した。

 ISに動力の火が入る。

 背中の推進翼が勢い良く跳ね上がり、死んでいた機体が動き出した。

「セシリア、どいて!」

 赤毛のドイツ少女が機体を一気に加速させる。

 なんて扱いにくい機体だ。翼がまるで別格の推力を持ち、なおかつ全く自由に動かない。

 これに乗ってた人間はとんでもないヤツね。

 親愛の籠った悪態を吐き、体当たりをするように相手の機体を弾き飛ばす。

「いつまでも後方支援ばっかしてらんないんだから」

 左手にレーザーライフルを、右手にブレードを展開し、リア・エルメラインヒはテンペスタ・ホークにて戦闘を開始した。

 

 

 

 

「ったく、何だってんだ、こりゃ! 何で私だけ五機も来やがる!」

 長い髪をなびかせ、細身のISを纏ったオータムが必死に逃げ惑う。しかし外敵に襲いかかる蜂が如く攻撃を仕掛ける多数のISに、反撃どころか回避が精一杯の状態だった。

「知りませんよ! 日頃の行いでしょう!」

 ピンクの打鉄が手に持ったサブマシンガンを乱射し、オータムから一機でも剥がそうとする。だが戦闘機型ISは他に目もくれず、ひたすらオータムのIS『バアル・ゼブル』だけを狙い続けていた。

「湯屋さん、隊長放っておいても良いかな!?」

「良いわけないでしょう!」

 巨大な推進翼の打鉄が、沙良色悠美の隣に並び、同じように五機のISを剥がそうと、銃口で敵機を追いかける。

「くそっ、覚えてろよ乳デカアイドル!」

 悪態を吐きながらも、腕から黒い積乱雲のように増える小型ビットを射出し、追手を防ごうとした。

 だがその群体に向けて、多方向から大口径ビームが撃ち放たれ、瞬く間に全て吹き飛ばされる。

「連携も完璧ってわけかよ、敵さんは! よくもこんなの五十機相手に生き残ったな、あのガキ!」

 投げやりに言い捨て、冷や汗を垂らしながらオータムは逃げまどう。

「くっ、この私がこんな無様な真似を……あの六百機を持ってこいってんだ、あの無愛想女王め!」

 そうは言うものの、強奪されてきたISが使えないということは彼女自身がよく知っていた。

 あくまでPICとわずかな出力のスラスター、それに絶対防御を含む各種シールドを備えただけの機体である。精々格闘戦は出来るだろうが、というIS学園の練習機である打鉄よりも劣る代物だった。

 壁ぐらいにゃなるが、あの織斑千冬が許すわけねえか。

 結局、どうにか逃げ切るしかない。オータムとしてはこのIS連隊に愛着があるわけでもなかったので、そう決める。

「ファック! 今回はずっと貧乏くじだ!」

 IS学園の生徒相手ならいざ知らず、おそるべき精度と速度の五機相手に勝てるわけもない。

 結局、オータムは何とか逃げおおせるために、飛び回ることしか出来ることがなかった。

 

 

 

 

 ISを奪われ、連隊の基地に囚われていたIS学園機動風紀たちは、建物を揺れる度に戸惑うだけだった。

 自分たちが収容されている場所は、先ほどから絶えず地響きにあっており、明らかに何らかの攻撃を受けているものだとわかる。

 しかし彼女たちは数人ずつに分けられ、側面がガラス張りになった部屋に閉じ込められているのだ。

「誰か! ねえ誰かいないの!?」

 生徒たちは必死に外へ繋がる扉を叩くが、人が全く通らない。

「放置プレイとはこのことでしょうか」

 ルカ早乙女は、部屋の端っこでボソリと呟く。

「せめてマルアハさえあれば!」

 彼女たちはここに収容されたとき、ISは全て剥奪されており、青紫色のISスーツだけの状態になっていた。

「まさか 自らスイス製の超高級腕時計より高いと値付けしたものが、飾られるより前に葬りさられると思いたくありませんが」

 誰にも聞こえないよう、ルカが呟く。

 そのとき、ルカの目の前に天井の一部が剥げて落下してきた。

「ルカ! 大丈夫?」

「さすがにこんな大きな物で散らしたくはありません……」

 珍しく肝を冷やしたのか、ルカが元気ない様子で応える。

「もう! 何が起こってんのよ! 捕虜の扱いすらなってないなんて、これだからアラスカは!」

 女生徒の一人が泣きそうな声で叫んだ。

 そこへ、強化ガラスの前に一人の男が通りかかる。迷彩服を着て帽子を眼深に被っており、顔は見えない。

「ちょっと、そこのやつ!」

 声が通る厚さではないので、それで気付いたわけではないが、男は少女たちが必死な顔で張り付いている前で立ち止まった。それから帽子のつばを掴んで、クイっと持ち上げる。

「副理事長!?」

 男は扉の側に近寄って、離れるようにジェスチャーで示す。

「カギでも持ってるのかし……わっ!」

 大きな扉の一部が一瞬で破壊され、引っぺがされるように扉が男の方へと倒れて行った。

「やあ、みんな久しぶりだね」

 何事もなかったかのように軽く手を上げる。

「副理事長!」

 少女たちが駆け寄ってくる様子に、困ったような笑みを浮かべた。

「私はとりあえず他のみんなも助けていかないと。キミたちは早く逃げるんだ。そこの階段を上っていけば、まだ安全なはず。基地のゲート方面じゃなく、海の方へ行きなさい。それとISには近寄らないこと」

「わ、わかりました」

「副理事長は、な、何しにここへ?」

 少女たちの質問に、男は再び帽子を眼深に被り直すと、

「ま、後始末さ」

 と笑ってから、奥へと駆け出して行った。

 

 

 

 

 セシリア・オルコットは額に汗を浮かべ、必死に敵から逃げ惑っていた。

「これだけの数が来られては!」

 彼女の相手の数は七機だ。リアを助けるために割り込んだ後、他の相手をしていた数機がセシリア目がけて集まってきたのだ。勝てる数ではないと判断し、せめてこの数を戦場から離そうと撤退行動に入ろうとしていた。

「しつこい……ですわ!」

 限界まで速度を上げつつ、曲折を繰り返しては敵を突き離そうと試みた。

 海上の方へ逃げようとしても、器用に陣形を組みながら妨害してくる。完璧に統率された機械の集まりが、複雑怪奇な幾何学模様を描くかのように直角に曲がり、複雑な模様を作る軌道で敵を追い詰めて行く。無人機ならではの連携と飛行だった。

「セシリア!」

 テンペスタ・ホークを身に付けた眼帯の少女が、手元のレーザーライフルを撃ちつつ他の一機に近づいて、無理やり接近戦に持ち込もうとした。

 だが、機体がブレて、相手の装甲に手をかけられない。

「なんなの、この機体! 推進装置の制御が特殊過ぎる!」

 方針を変え、届かない距離をブレードで埋めて、叩き落とそうと飛びかかった。

 その瞬間に、相手の一機が戦闘機の形からカカシのようなISへと変わり、手の代わりに生えたレーザー発射口を向ける。

 ISパイロットとしての直感だけで、下へ落ちるように方向転換しつつ、相手に対してライフルを撃ち放った。

「戦闘機のときは、体ごと向けないと狙い撃てない、代わりにIS状態のときはどこでも撃てるってことね」

 ただ変形するだけじゃない、相手のスピードに合わせて行動を変え、その隙を補うように他の機体が割り込んでくる。

 全然、隙がない!

 地面スレスレを後ろ方向へスライドしながら、追いかけてくる相手へ牽制のためにレーザーを連射し続けた。

 これで一機剥がせたとはいえ、セシリアに取りついているのは六機だ。

 セシリアのブルーティアーズは、高機動モードで動かしているためビットを迂闊に放てない。腰に備えられているそれらが、今は補助推進装置になっているからだ。

 周囲の状況を探る。敵の数は未だ五十機、味方の数も減っていない。

 そう安堵しそうになった瞬間、識別信号を発している機体の一つが、消えた。

「一機、落ちた!? 第四小隊!?」

 舌打ちをして、ブレーキをかけ、追いかけてくる相手に近づく。

 右手で持っていた合金製のブレードを思いっきり振り下ろすが、相手はそれを右腕部装甲で受け止めて、左手を突き出した。

「ああ、もう!」

 体をよじって回避しつつ、今の一撃で落とせなかったことを悔やむ。

 ジリ貧じゃない!

 戦況は非常に悪い。史上最強の寄せ集めである極東IS連隊は、それを上回る数による強襲によって陥落しようとしていた。

 

 

 

 

「クソッ、死にやがったか!?」

 オータムが近くに墜落した機体をチラリと見る。

 西アジア諸国から配備されたラファール・リヴァイヴだったものが滅茶苦茶に破壊され、今はただの金属片となっていた。その隙間では、おびただしい量の赤い液体が落下地点を濡らしている。

 撃ち落としたの一機の可変型ISは人型へと変形し、破壊されたISに向けてレーザー光を解き放った。

 再び大きな爆発音が起きる。

 オータムは思わず口をあんぐりと開けてしまった。

 人体だったものが、バラバラに散らばっていた。

 つまり、死んだのだ。

「絶対防御を貫通するって聞いていたけどな……間の当たりにするとキツいな、こりゃ」

 回線から幾多の悲鳴が湧き上がってくる。連隊の他のISパイロットたちのものだった。

 そんぐれえで喚いてねえで、さっさと一機でも落とせよ。

 ISによる実戦というものは、今までほとんど起きたことがない。また最近まで軍事行動が条約で完全に禁止されていたので、ISが人を殺したという事例は公式的には起きていないのだ。先のIS学園独立戦争がかなりの特殊な例であり、しかも死人は出なかったので、死体に慣れている操縦者というのはかなり少ない。

 直感で横回転したオータムの右頬を、相手の攻撃がかする。彼女の髪が一束ほど焦げて消えた。

「クソッ、自慢の髪を」

 五機のISから狙われ、回避行動を続けている彼女も、余裕はない。

 追いかけてきていた湯屋かんなぎと沙良色悠美の二人も、今は他の機体に取りつかれており、逃げるので精いっぱいになっていた。

 周囲の状況を確認するために、視界の端にあるウインドウを横目で見る。

 そしてまた一つ、味方の識別信号が消えた。

 味方が一機落ちるということは、敵が一機フリーになるということだ。

 事実、彼女を追う機体が追加され、合計六機の機体に追撃される。

 腕に自信があり、加えて現在の最高峰の一つである機体を身につけているオータムであっても、この戦況は覆しがたい。

 状況はIS連隊側にとって不利な方向へと加速し始めていた。

 

 

 

 

 一夏たちを十分待たせてる間にここまで来たのは良いが、この先か?

 事前に調べていた基地の情報に従って、オレは幅三メートル程度の通路を歩いていた。

 先ほどから地響きが何度も建物を揺らしている。すでに電気は来ていないのか、窓のなく灯りの消えた地下通路を、手に持ったライトで照らし進んでいく。

 さっきので機動風紀たちは全員、無事に逃げられたはず。あとはうちの部下たちに任せるしかねえし。

 さっきからすれ違う人間は一人もいない。

 ゆっくりと足元を確かめながら進んだ先に、重そうなドアがあった。ISの右腕だけを部分展開して破壊し、中に入る。

 ひんやりとした冷たい部屋の壁一面に、引き出しのようなものが並べられていた。

 ここは死体安置所だ。そしてここにはまだ一体しか死体が運び込まれたことはないはずである。

 カギを破壊しながら、引き出し式の棺桶を無理やり一つずつを引き出していく。

 数個を開けてからようやく、目的の物を発見した。

 死体袋のチャックを開けて、中身を確認する。

「……凹むわ」

 今さらながら、ホントに死んだんだな、オレ。

 目の前にあるのは、紛うことなく二瀬野鷹の亡骸ってヤツだ。

 オレにとっては、もう十二年前だ。そして他のヤツらにとっちゃまだ一カ月も経っていない。

 見ているだけで動悸が激しさを増していく。脳から酸素が失われ、今にもオレは倒れそうだ。足元がふらついて、胚が息を上手く整理出来ず過呼吸が起き始めた。

 死んだのか。

 そうだな、死んだんだ、二瀬野鷹は。

 壁にもたれかかって、口に手を当て大きく息を吐いては小さく吸う。

 吐きそうだ。チクショウ。

 生まれてから十五年。死んでから十二年。

 もう二瀬野鷹の体に未練はない。これからも騙し続けると決めたのだから、もし元の体に戻れるような奇跡を与えられたとしても、笑顔で拒否をしよう。オレはもう四十院総司なのだから。

 まずやることは戦力を結集させること。六百機はまだ使えない。

 だから、極東の残りとヒーロー&ヒロインズ、そしてあとは亡国機業と手を組んだ三弥子さん。悪いが、彼女からはその戦力を剥がさせてもらおう。

 今日という日、五十機のISだけを乗り切れば時間は稼げる。六百機が形に出来れば、対ジン・アカツバキとしては申し分ない。

 しなければならないことを指折数え、自分の足で立ち上がるのはいつものことだ。

 そこへ、カツンと床を蹴る靴の音が聞こえた。

「フーアーユー?」

 背中から声をかけられ、腕を上げてゆっくりと振り向く。

 そこには、見た記憶のある女性が立っていた。

「これはこれは、スコール・ミューゼルさんではありませんか」

 相手は亡国機業実行部隊の現場監督、オータムやMといったISパイロットたちをまとめる立場の女だ。

「ミスタ・シジュウイン。お久しぶりですわね」

 長い豊かな金髪の持ち主が、赤いショートドレスを身にまとい、艶やかに笑う。そんな派手な格好で、よくこんなところまで来れたもんだ。

「一度会ったきりかな」

「ですわね。篠ノ之束製の三機のISコア洗浄の取引以来ですわ」

 ジン・アカツバキ製の機体を、彼女たちのために整備してやったときのことだろう。もちろん、それはこちらのテストも兼ねていたんだが。

「どうしてここに?」

「もちろん狙いは一緒ですわ。世界で一つだけの至宝、男性ISパイロットの死体」

「役に立たないと思うがね、これは。なんてことない普通の少年の死体に過ぎないよ」

「あら、それでも価値は莫大ですわ」

「三弥子さんをたぶらかしたのは、貴方ですか、ミズ・ミューゼル」

「取引相手ですわね。四十院の技術を流す代わりに、私たちが様々な物資や情報を提供する」

「なるほどね。彼女の目的は知ってるのかい?」

「いいえ、興味ありませんわ、ミスタ」

 小さく笑ってるが、実は知ってるのかもしれない。さすがに簡単に底を見せてはくれねえな。

「ふむ……さて、どうしたものかね。ここは私に売ってくれないかい、これを」

 オレの提案に、スコールは人差し指を唇に当て、魔性と言って良いほどの笑みを浮かべた。

「あら、おいくらですの?」

「うーん、参ったな。私の見立てだと、三十セントぐらいか」

「三十セント! まあまあ、ミニスター・オブ・ISがよくもまあそんなはした金を」

「実際、それぐらいしか価値はないさ」

 相手のわざとらしい驚きに、こちらも大げさな仕草で肩を竦める。

 自分で良く知ってる。こいつにゃ三十セントでも高いかもしれん。

「そんな価値のないものを、わざわざ四十院総司ともあろうお方が、戦闘の中で拾いに来るなんて思えませんわ」

「笑うといいがね、人手不足なのさ、我が社は」

 ため息を吐いて苦笑するオレに、スコールはモデルのように歩いて近寄ってくる。

「聞けば、奥さまとは別居されてるとか」

 そいつはしなを作ってオレの首に手をかけた。

「ゴシップが好きなのかい、トスカーナの女王様は」

「あら、女王様なんて酷いですわ。まだ姫でいたいのですが」

 長い絹の手袋をつけた指が、オレの頬をそっと撫でる。

「貴方のような美しくて若い女性に迫られると、さすがに嬉しくもあるが、こう見えても妻に操を立てているのでね」

 さすがに四十院総司として生きていれば、こういう誘惑の場面は多い。だがどれも今と同じような理由で断ってきている。

「あら、お上手ですこと」

「さすがに死体置き場でロマンスを語るのは、やりすぎでしょう」

「ですわね」

 眉間に皺を寄せたオレの顔を見て、あっさりと離れて行くのは、慣れてるからか。

「では商談ですわ、ミスタ・シジュウイン」

「三十セント以上払う気はないがね。でも代わりに」

「代わりに?」

「一つ、奇跡を見せましょう、ミズ」

 まるでマジシャンのようにお辞儀をしてからウインクをしてみせた。

 その言葉に、ミューゼルが驚いて目を丸くしたあと、口元を手で隠し大きく笑う。

「さすが未来を見通すお方だけはありますわ、奇跡とおっしゃられましたか。三十枚から始まる奇跡なんてステキですわね」

「女王様のお眼鏡に叶うと思うよ、きっと」

「面白い。では私の期待に添えなかった場合は」

「いいよ、何でもやってあげる、この私がね」

 そう言って、オレは棺桶の中から自分の死体を引っ張り出そうとする。

 が、左腕と膝から下がないってのに我ながら意外に重い。まあ、これでも五十キロ以上あるだろうからなぁ。それに生きてない人間って意外に重いっていうし。

 参ったな、ISを展開して堂々と歩くわけにもいかん。歳は取りたくねえ。

「あー、ミズ・ミューゼル」

 オレは死体を持ち上げるのを一端諦めて、近くに立つミューゼルに笑いかける。相手は怪訝な顔つきでこちらを見返してきた。

「どうかされましたか?」

「あと一セント出すから、これ持ち上げるの、手伝ってくんない?」

 

 

 

 

 距離十メートルに詰められ、セシリアの頬に冷や汗が垂れる。

「くっ」

 咄嗟に後ろ向きのまま、誘導ミサイルとして機能するビットの一つを撃ち放った。

 しかし補助推進装置の一つとして使っていたそれを放ったことで、推力が五パーセントほど落ち、機体バランスが不安定になる。

 判断ミスだ、と後悔しても遅い。

 最も接近した機体に直撃したものの、相手に大した損傷はなく、距離を取るためにとった行動なのに、他の二機が追いついてきた。

 戦闘機型の先端から放たれた大口径レーザーの一撃が、セシリアのブルーティアーズに回避不能な角度の射線で襲いかかる。

「やられませんわ!」

 もう一発残っていたミサイルビットを解き放って爆発させ、わざと機体バランスを崩すことでギリギリの回避行動を成功させる。

 彼女ならではの精密な機体操作で瞬時に体勢を立て直し、ふたたび距離を取って逃げようと試みた。

 だが補助推進装置六機のうち二機を失い、速度が一割ほど落ちたブルーティアーズへ、相手の可変型IS六機ががジリジリと距離を詰めてくる。

 前を向いたまま後方視界を確認しているセシリアには、自分がどれだけ危険な状況であるかが手に取るようにわかる。

 そしてそのうちの一機が少しずつ上昇し始めていた。

「頭を押さえる気ですの!?」

 角度をつけられ、行く手を阻むように連射されては、蛇行し回避に専念するしかない。そうなれば速度は段違いに落ちてあっという間に追いつかれる。

 自身も上昇しようと少しずつ角度をつけて上がろうと試みる。

 だが牽制するように放たれたレーザービームに遮られ、セシリアは少しずつ下へ下へと押し下げられていく。

「このままでは! 一か八か、ですわ!」

 そもそも、相手のレーザーは真っ直ぐにしか飛ばないが、セシリアの機体のBTレーザーは、速度が通常より遅い代わりに軌道を自由に変えることが可能だ。

 しかし、スペック上は、という但し書きがつく。

 彼女はまだ未熟故に、BT兵器と呼ばれる機体特有武装の稼働率が低い。つまりブルーティアーズの本当の性能を発揮することが出来ていないのだ。

 あの横須賀沖、銀の福音を巡る騒乱で、盗まれたBT二号機はBTレーザーを自由自在に曲げて見せていた。

 せめてあれが出来れば。

 そう思い、BTライフルの銃口を後ろへ向ける。

 視界はISのセンサーで三百六十度把握出来る。

 引き金を引き、背後についた機体へ攻撃を放った。

 だが、むなしく真っ直ぐ飛ぶだけだ。

 自分自身に失望しつつ、不確実な手に頼らずに何とかしなければと思い直そうとした。

 その瞬間の出来事だ。

 セシリアの行く手へ、鉄格子が落ちて来るがごとく、多数の光が降りかかってくる。

「なっ!?」

 弧を描くように急旋回し、何とか回避したのはセシリア・オルコットだから出来た技だった。

 だが、飛行軌道が大きく曲がり、その間を真っ直ぐショートカットした機体がすぐ背後まで追いついてくる。

 戦闘機型ISが、バッタのような頭部を持つ案山子へと変形し、セシリアの背後からしがみついた。

「は、離しなさい!」

 必死にもがくが、相手はびくともしないどころか逆噴射をかけ、セシリアのスピードをゼロへ近づけていく。

 気付けば、前に戦闘機型ISが先端のレーザー発射口を向けて空中で制止していた。

 先ほどの撃墜されたラファール・リヴァイヴを思い出す。

 一夏さん、みなさん、すみません。

 目を瞑り、自分の死を覚悟した。

 

 

 

 しかし、いつまで経っても、その瞬間は訪れない。

「何を諦めてんだ、セシリア」

 聞き慣れた声を、間近で耳にした。

 恐る恐る、その瞼を開く。

 水平になった敵機に、上からブレードを突き立てたISがいた。

 それは純白のインフィニット・ストラトス、白式。IS学園代表・織斑一夏の専用機だ。

「い……ちか、さん?」

「おう、久しぶり」

 手を上げる代わりに、突き立てたブレードを横に薙ぎ払う。

 真横一文字に切断された敵機が、重力に従って落下していった。

「僕たちもいるよ!」

 見回せば、自分を取り囲んでいた機体相手に、離れていた仲間たちが戦闘を開始していた。

 橙、黒、紅、水色の機体が空中を駆け巡る。

「まったく、一人で無茶をするな、セシリア」

 呆れたように笑いながら、紅蓮の装甲を持つ機体が日本刀からエネルギーの刃を飛ばした。

 ポンと背中から叩かれて、セシリアは後ろを向く。

「ったく、アンタって意外にバカよね」

「鈴……さん?」

「ほら、戦うわよ、まだ終わってないんだし、ボーっとしてんじゃないわよ、一組クラス代表さん」

 見慣れた得意げな顔を見て、思わず目に熱いものが込み上げてくる。

「アンタ、泣いてんの?」

「な、泣いてませんわ!」

 隣のクラスで、会うたびに衝突し、口げんかを交わした相手の声が、酷く懐かしい気がする。

 まだ戦える。

 私たちは、IS学園は生きている。

 セシリアが心の中で呟いたと同時に、視界の端に一つのゲージが浮き上がってきた。

 そこに添えられていたメッセージは、BT兵器稼働率80パーセントという文字だ。

 その数字を見て彼女は確信する。

 今なら、自分の思い通りになると。

 

 

 

 

 

 

 その偏向射撃を先に可能としていた機体であるBT二号機『サイレント・ゼフィルス』は、IS連隊の基地から五キロほど離れた位置の海上にいた。

「つまらん」

 バイザーにより顔を隠したパイロットは、吐き捨てるように呟く。

 彼女の名は織斑マドカ。先の銀の福音が絡んだ事件で、IS学園の専用機持ち数機を相手に立ち回った少女だ。

 亡国機業に所属している彼女であったが、今は命令を無視して遠くから眺めているだけだった。

 上司であるスコール・ミューゼルがその気になれば、彼女の頭蓋骨の中に仕込まれたナノマシンが小さな爆発を起こして、脳をズタズタにされ死に至る。

 だが、それでも従う気にはなれない。

 織斑一夏と肩を並べて戦うなど反吐が出る。

 それが彼と浅からぬ縁を持つ彼女の、嘘いつわりない気持ちだった。

『織斑マドカ、か』

 通信回線を通して、音声のみと表示された仮想ウインドウが浮き上がる。

「誰だ、キサマ」

『誰でも良い。お前は、織斑一夏と戦いたいのだろう』

「ふん」

 相手が誰であろうと会話する気などない。織斑マドカと呼ばれた少女はつまらなそうに鼻を鳴らして、ライフルを肩に担いだ。

『では、私がその脳内にあるナノマシンを排除してやろう』

 無視をする気だったマドカは、思わず片眉を上げた。

「ほう? だが、外科手術などで無理に排除しようとしても私は死ぬらしいぞ」

 バカにした表情を隠すことのないマドカの通信回線へ、

『では、ナノマシンが排除できれば、お前はどうする?』

 という問いかけが流れてきた。

「決まっている。織斑一夏を殺す。ああ、オータムやら他の奴らもついでに殺してやってもいいぞ」

『決まりだな、織斑マドカ』

「やれるものならな」

 挑発にしか取れない言葉に、通信の向こうの相手が小さく笑い、

『己の好きに世界を壊せ、織斑マドカ』

 と神託を囁いた。

 

 

 

 

 

 

 



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35、再誕(リ・バース)

 

 

 キミの幸せは何ですか。

 そう問われたなら、答えに迷う。

 世界に平和を、敵の排除を、新しい物語の構築を。美辞麗句を並べ立てて、外面を装うのは簡単だ。

 だけど、もしも本音を述べる機会があるなら、こう言うだろう。

 オレが知る存在たちの全てが幸せであるように。たった一人の許せない存在を除いて、だ。

 

 

 

 死体袋をジープの荷台に乗せた後、耳に差した小さなヘッドセットのボタンを押す。

「あー、青川さん、私だけど」

『はい、何でしょう?』

 回線が繋がっているのは、四十院研究所にいる髭面のスタッフだ。

 チラリと横を見れば、ミューゼルは意味ありげな微笑を浮かべたまま、壁にもたれかかりオレの方を見つめていた。

「そちらの状況はどうなってる? 岸原が上手くやってるかい?」

『そのようです。自衛隊も警察も取り囲んだまま手を出してきてはいません』

「何か手を打ったのかな?」

『各国から軍事機密に触れる可能性があるってことで横やりが入ってます。特にイタリアがうるさいようですね、リベラーレを無断で持っていかれた件で外交問題が起きかけてますね』

「ふーん……まあ、岸原と国津に関してはいつも通りでよろしく」

『それより四十院さん』

「ん? どうしたんだい?」

『連隊からこちらに頻繁にアクセスがあるのはどうしてでしょうか』

 回線の向こうから、忙しい電子音が聞こえてくる。どうやら電話しながら投影型キーボードを操作しているようだ。

「このタイミングでかい?」

『ええ』

「何のデータ狙ってるとかわかる?」

『おそらく、あの遺伝子強化試験体研究所のデータですね』

 青川さんが言っているのは、エスツーがいた場所が持っていたデータだ。四十院総司としてはほとんど関わっていないので、データはほとんど持っていないが……。

 それにあそこのデータのバックアップは日本政府が押収したはずだ。

「ふーむ、一応、監視しつつデータは渡さないようにね」

『ブラジャー』

「それ、やめてくれない? じゃ、またすぐに連絡をする」

 電話を切って考え込む。

 読めないな……なんだ? ジン・アカツバキか? しかし何のためにそのデータを狙う?

「さて、これで失礼いたしますわ、ミスタ」

 後ろから声をかけられて、思考の淵から我に返る。

「すまないね、ミズ・ミューゼル。恩に着るよ。三弥子さんは元気かい?」

「弊社に協力していただいている有能な研究者ですし、丁重におもてなしをしております」

「そりゃ助かる。貴方とはまた、サシで会いましょう」

「三十セントのお代はこれで良いとして、追加料金はお支払いに来ていただけるんでしょうね?」

 彼女の手には、その艶やかさに似つかわしくない革袋が握られていた。

 追加料金ってのは、地下の死体安置所でオレがやったことについてだろう。死体を引っ張り出してからの一連の行動に、ミューゼルは驚いていたものだ。

「そりゃ怖い。でも、私とあそこで出会って良かったと思いますよ、間違いなく。そして、また私に会いたいとお願いしてくるでしょうね」

 建物の側に置いておいた自前のナップサックを、ひょいと死体袋の側に投げ込む。

「女性に対しても自信家ですわね。楽しみにしておきますわ。それではごきげんよう、プリンス」

 美しい金髪を手で払い、不敵な顔で笑いかけてくる。

 オレは背中を向け、ミューゼルに軽く手を振り、ジープに乗り込んだ。

 ここを車で走るのは二回目か。銀の福音のときも、こうやって走ったなあ。

 迷彩柄の帽子を深く被り直し、キーを回してアクセルを踏み込んだ。

 さて、マジックショーの始まりだ。

 

 

 

 

『ルカ早乙女』

「理事長?」

 閃光が走り爆発音が轟く戦場の下、海へと走っていたルカ早乙女の前に、案山子のようなISが目の前が降りてくる。

『マルアハを取り返せ。今なら可能だ』

「マルアハを?」

『こちらだ、捕まるが良い』

 そのISが、地面に膝をつけて腕を差し述べる。その長い腕に乗れという意味だろう。

「ルカ、もうやめようよ、ルカ!」

「もう充分だからさあ!」

 近くに立ち止まった他の機動風紀たちが、ルカに駆け寄って制止しようとした。

 ルカは一緒に捕まっていた機動風紀たちの顔を見回す。

「このまま終わるわけには参りません。むしろここからが花散らすときでしょう」

 止めようとする仲間から離れて、ジン・アカツバキの使者の手に腰掛けた。

「ルカ!」

「ルカってば!」

 悲鳴に近い声を振り解くように、そのISは右腕にルカを乗せたまま、空中に浮いた。

「みなさんは先に避難を。私はマルアハを取って参ります」

 その言葉が届くと同時に、ゆっくりと加速してISが通り過ぎていく。

 ルカの視界では、手を伸ばして叫んでいる同級生たちが遠くなっていった。

「理事長、どうか彼女たちには手を出さないでいただけませんか」

『わざわざ殺したりはしない』

「ありがとうございます。貴方に乙女から万の感謝を」

 曲げられたISの右腕に腰掛け、振り落とされないように鋭利な装甲へとしがみついた。

 自分は戦争狂である。

 ゆえにISを取り上げられ、アメリカの監視下の元、普通のOLのように生きて行くなど不可能だと自覚していた。

 彼女はスイスの傭兵一家生まれゆえに、他人の生死に拘りがない。そこを理事長に買われたのだろうと思っているし、誇らしくもある。機動風紀の中で、彼女だけが知らされている秘密も多い。

 戦友は無事撤退し、自分は思う存分、戦闘行為に没頭出来るのだ。

 ルカ早乙女という人間には、それだけで充分過ぎた。

 

 

 

 空を見回せば、IS同士の激しい戦闘が色々な場所で繰り広げられていた。

「一夏たちが奮闘してんな」

 戦況を一変させるほどではないにしても、一夏たちが来たことにより割り振りが減り、少し余裕が出てきているようだ。

 一夏たちもラウラを中心に、全員が各々の役目に徹することで、自らより多い敵を相手に、戦列を意地している。

 代わりに少佐殿が大きく狙われているようだが、そこは一夏がカバーを強く意識して行動しているようだ。

 まだ大丈夫か。

 小さなヘッドセットのボタンを押すと、回線が四十院研究所に繋がった。

「青川さん、いいよ、テスト兼ねてやってみて」

『了解』

 返事を聞いてから、周囲の回線を開く

『全ISパイロット諸君、ただ今、アラスカの指示により、IS連隊整備班の村崎君が二瀬野鷹の死体を運び出している。絶対に誤射しないように!』

 これは、ボイスチェンジャーを使って四十院総司の声に変え、言葉使いを真似た青川さんからの通信だ。彼は今、四十院研究所からオープンチャンネルで、この辺りに言葉を送り込んでいる。

 聞く限りは上手く行っているようだ。こちらは問題ない。

 さてと。

 IS連隊の基地を陸地側の出入り口まで、まだかなりの距離がある。

 まあ、なるべく蛇行しながら、ゆっくりと走ってるからな。もう少ししたら、餌をばら撒くだけだ。

 『奇跡(ペテン)』の効果は期待出来る。だが、使えるのは一度だけだ。タイミングは考えなければならない。

 ハンドルを回し、蛇行しながら戦場の下を走る。

 チラリと後ろの荷台を見れば、そこには人が入っているように見える死体袋があった。

 

 

 

「ヨウ君の体を? ってこんなときに!? 地下なんだし置いておけば良いのに!」

 沙良色悠美がチラリと眼下のIS連隊基地を視界に納める。そこには確かに瓦礫の間を縫うように、ジープが一台走っていた。

 運転手の顔は帽子を眼深に被っているので上からは見えないが、その行為は無謀にも程があると憤慨していた。

「どんだけ人の命を軽く見てるのよ、アラスカは!」

 眼前に迫る一機へ二丁のサブマシンガンで弾幕をばら撒きつつ、上空へと逃げ始める。

 他の機体も同様に高度を上げながら戦い始めた。

 そうして、戦線がどんどん高度を上げて行く。

 

 

 

「だー! くそっ、それでも四機かよ!」

 オータムが愚痴を零す。自分につきまとっている機体から離れようするが、相手のしつこさに辟易していた。

 こちらの攻撃が当たらず、向こうの攻撃も何とか回避している。

 今はただ生き残ることだけを考え、指先に仕込まれた小型バルカンで牽制する。

 IS学園の連中が応援に来たって、ガキの手なんて邪魔なだけだ。

 そう思って、オータムは逃げることだけを考えていた。

 

 

 

 IS学園の専用機持ちたちが三列に陣形を組んで、続々と集まってくる敵機を相手に奮闘していた。

 その中心で指示を出しているのは、やはりラウラ・ボーデヴィッヒだった。

「一夏、深追いするな、シャルロット、手が余れば一夏の相手に牽制を。セシリア、抜けたヤツは撃ち落とせ。簪、後ろに付かれているぞ、誘導ミサイルが当たるなど考えるな、残弾に気を付けつつ、僚機への相手に牽制をしろ。箒、接近戦を挑まず、エネルギーの刃で相手を一か所に囲い込め! 鈴、好きにしろ!」

「なんなのよ、アタシの扱いは!」

「とにかく一対一に持ち込まれるな、すぐに応援が来て挟み打ちにされる。戦列を保て! 多対多であることを全員が意識して動け!」

 ラウラの指示に従いながら、全員が段々と陣形を作り始める。

 IS連隊側は強襲され、乱戦に持ち込まれた。

 だが一夏たちIS学園一年専用機持ちチームだけは、乱入してきた側である。IS連隊の機体より統率の取れた動きで、自分たちより多い敵を相手にしても、落ち着いた対応で戦列を維持していた。

 簪の打鉄弐式とシャルロットのラファール・リヴァイヴによる実弾のカーテンで相手を防ぎ、動きが止まった相手をセシリアのブルーティアーズが撃ち抜いた。

 隙間を縫って接近しようとする機体を、箒の紅椿と鈴のアスタロトが遊撃し、その背後からラウラが戦列を乱そうとする相手へレールガンへ牽制をかけていた。

 そして一夏は、離れていこうとする機体に向けて、左腕の荷電粒子砲を撃ち放つ。

「ラウラが集中的に狙われてる! 俺はそちらのカバーを多めに行くから、鈴と箒はそのつもりで動け!」

 IS学園の一年専用機全員が心を一つにし、自分たちより多い数の敵を相手に、互角に戦っていた。

「戦闘機形態の間は動きこそ早いが小回りが効かない! 変形すればスピードが落ちる! そこが狙い目だよ!」

 シャルロットの分析に、一夏は右手の雪片弐型を引き抜いた。

「なるほどな、無敵のISなど無い、ということか」

 弾幕を回避しようとした相手へ、箒が手に持った日本刀から多数の光る刃を撃ち放つ。その牽制に接近することを諦め、敵機は弧を描くように逃げると、再び遠距離射撃を撃ち放ってくるだけになった。

「ああもう、うざったい! HAWCシステム起動!」

 両手で抱えるほどの巨大な砲身が、鈴の手元に現れる。

「上空から薙ぎ払うわよ!」

 他の機体より一段上に舞い上がった鈴は、推進翼から伸びたケーブルを手に持った武器へと繋いだ。

「一夏、鈴の抜けたところに入れ!」

「おう!」

 近づいてくる敵へ切りかかり、弾き飛ばすように押し返す。

「これで……どうかな!?」

 体勢を崩した相手へ、簪の機体が多数のミサイルを撃ち放った。

 そこへ他の戦闘機タイプが網目のようにレーザーを撃ち放ち、全てのミサイルを焼き落とす。

「ナイス時間稼ぎ、全てはアタシの活躍のため! 刮目せよ、ファン・リンインの実力! ブースターランチャー『メレケト・ハ・シャマイム』、充填完了、発射!」

 シャルロットと簪の作る弾幕の向こうで飛びまわる数機へ向け、赤い装甲のテンペスタエイス・アスタロトから巨大なエネルギーの束が放たれた。

 空気を焼き、地面を削り取って行く。

 だが、全ての敵機が風に乗る蝶のように回避してしまった。

「あら?」

「ちょっと鈴さん!? 何を盛大に外していらっしゃるんですの!」

 BTライフルで逃げる的を狙撃しつつ、セシリアは鈴へとクレームを投げつける。

「う、うっさいわね、ちょっと外しただけじゃない!」

「お話になりませんわ、やはりお猿さんに遠距離攻撃は向いておりませんわ!」

「だ、だったらアンタだって当ててみなさいよ!」

「ブルーティアーズの進化を見せて差し上げますわ!」

 セシリアが視界に浮かぶターゲットウインドウで、一機をロックする。

 通常のレーザーより低速のビームが撃ち放たれるが、相手はそれをヒラリと回避しようとした。

「これで、いかが!?」

 パイロットの指示とともに、ビームが相手を追い掛けるように、その機体の側面へと着弾した。

「どうですの!」

 自信たっぷりに胸を張るセシリアだったが、相手は損傷が少ないのか、そのままセシリアへ向けてレーザー砲の返礼を向ける。

「きゃー!」

「にゃー!」

 二人が想定外の反撃に驚き、叫び声を同時に上げた。

「何やってんだ、お前らは……」

 呆れたような表情の一夏がセシリアの前に立ち、左腕に展開したエネルギーシールドで相手の攻撃を弾く。

「い、一夏さん! 助かりましたわ!」

「セシリア、曲げたのも当てたのもすごいけど、相手が沈黙するまで油断するなよ? こっちも死ぬんだぞ」

「わ、わかっておりますわ!」

「ホントかよ」

 苦笑を浮かべて、一夏は再び次の目標へと向かって行く。

「やーいやーい、おっこらーれた!」

「い、今のは怒られたわけではなく、そ、そう、忠告ですわ! 一夏さんがわたくしのことを思って!」

 やいのやいのと口論をしながらも、鈴とセシリアは的確に自分の役目を果たしていく。

「お前たち、いい加減にしろ……」

 箒が大きなため息を吐いた。

 だが、何だかんだでいつもどおりの姿を見せる鈴とセシリアを、彼女は頼もしく、そして嬉しく思ったのも事実だ。自分たちは家を無くしたが、まだ生きている。

 だから、自分はまだ戦える。

 間違えたなら訂正して前を向くのだ、と四十院総司に言われた言葉を思い出す。

 その通りだ。凹んでいる暇があれば、まだ戦い続けるのが正解だ。

「戦列を崩すな、こちらへの数はどんどん増えているぞ、油断するな!」

「おう!」

「わかった」

「了解ですわ」

「あいよ!」

「……はい!」

「うん!」

 ラウラの指示に全員がバラバラの言葉で返す。

 見事に性格の違う連中ばかりだが、それがまとまっていることが、彼女たちにとっては逆に心強いことでもあった。

 

 

 

 ピンク色の打鉄の側に、テンペスタ・ホークが近寄ってくる。

「いいの、リアちゃん」

 お互いが背中を向けて、敵へ射撃を続けていた。

「……私の立ち位置は、まだあそこではないので」

 切なげな声を聞いて、悠美の胸も少し痛む。

 だが今は戦闘中だ。感傷に浸っている間にも自分は死ぬかもしれない。

「そう、じゃあIS連隊第一小隊として、がんばりましょ!」

 背中越しに花のような笑みを向けてから、沙良色悠美が右手のサブマシンガンを投げ捨てブレードを引き抜いた。

「ヨウ君だって、その機体を見守ってるよ、きっと!」

「壊さないように気をつけます!」

「その意気だよ!」

 二人の乙女がお互いに弾かれるように向かって行く。

 彼女たちの疾走は、まだ終わらない。

 

 

 

 各地で奮闘する様々な思惑が交錯しながらも、未だ戦況は変わらない。

 一夏たちがやってきたとはいえ、敵の数は二倍以上である。簡単にひっくり返せる状況ではない。

 そんな中で、圧倒的な力で一機の戦闘機型ISを破壊した人間がいた。

「……あはっ」

 国津玲美が短く楽しそうに笑う。

 レクレス(無謀)と呼ばれた槍が無人機の胸を貫く。その状態のまま、玲美の黒いアスタロトは地面へに向けて加速し、相手の機体を押しつぶすように激突した。

 それでもまだ動きを止めない無人機に、マウントポジションから玲美は左の拳を見舞う。バッタに似た頭部が大きな音を立てて、ひしゃげた。

 途端に機体の動きが鈍くなり、錆び付いた歯車のような動きで右手を上げ、その砲口を玲美へと向けた。

「あははっ」

 だが黒い爪がレーザーを放とうとした場所を握り潰し、腕を胴体から引っこ抜く。

 立ち上がった偽物の悪魔が、元の形の見えない頭部へ体重をかけて踏みつぶす。そして再び空を見上げた。

「まだ、沢山いる」

 低い声で呟いてから、魔に堕ちた天の女王が翼を羽ばたかせた。

 

 

 

「もう無茶苦茶ね」

 超高速で逃げ回りながら、戦況を確認しナターシャが愚痴を零す。

 せっかくの応援も、これでは意味がない。

 IS学園の人間も多数の敵を引きつけているとはいえ、自分たちだけで戦列を組んでいる。

 IS連隊の隊員たちはバラバラのままだ。

 仕方ないとはいえ、ここには統率するようなカリスマがいない。極東IS連隊は、各国からの寄せ集めで作られているのだ。

 加えて言えば学園と連隊は、つい先日戦闘を繰り広げたばかりだ。

 まとめるために誰か引っ張り出すか。

 そう算段を立てる彼女だが、良い人物が思い浮かばない。IS連隊も司令部は沈黙したままだ。

 今は生徒たちの避難に徹している織斑千冬ですら、連隊と学園両方をまとめるのは難しいだろう。

 何せナターシャ自身を含め、連隊の人間たちはIS学園から来て隊長に納まった彼女に、良い心情を抱いていないのだ。

 加えて亡国機業の連中が素直に従うわけがない。

 オータムが良い戦力であることはナターシャも知っているが、自分勝手に逃げようとしているのが遠目にもわかる。

 国津玲美がかなり強力な機体を持っているが、それだって単独行動中で、こちらに迎合する様子は全くない。いくら強かろうと数機のISが一気に襲いかかれば、逃げ惑うしかない。

 どうするかと悩む彼女も、敵のレーザーを必死で回避しているだけだ。自分に全体をまとめる力も、余裕と各方面への繋がりも無いことをよく理解している。

「ったくもう! 世界はいつもバラバラだわ!」

 ふと、一人の少年の顔を思い出す。

 彼が生きていれば、また違ったのかもしれない。

 視界の端に映ったジープを見る。

 先ほどの通信によれば、その荷台には、亡骸の納められた革袋が載っている。必死に隠そうとしているが、オータムが影でその死を嘆いていたのをナターシャは察していた。

「……もう、何で大事なときにいないのかしら」

 寂しそうに呟いたあと、ナターシャは一瞬だけ目を閉じてから、再び前を向く。それだけで思考を切り替えることが出来たのは、彼女が生粋の軍人だからだろう。

 一人だけ、全てに顔の利く人間がいたわね。

 ただ、力が弱い。

「リア、お願いがあるわ」

 手は最善ではないが、使うしかないのだ。

『ファイルス隊長!? なんでしょう?』

「忙しいところ、申し訳ないのだけど、全体をまとめて戦列を組み直したいわ、各機に指示を出せるかしら」

『じ、自分がでありますか!?』

「各方面に顔が効くのが、もう貴方しかいないの」

 驚く相手に、それでも縋るように問いかけた。

『……わかりました』

 おそらく相手も自分の力不足を理解しているのだろう。それでも戦況を変えるためにやる、そう腹を括ってくれたことに感謝する。

「私も極力、そちらの指示に従うようにするわ」

『せめて司令部の委任状でもあれば』

「無い物ねだりしても仕方ないわ、お願いね」

『ヤー』

 通信回線が閉じられ、ナターシャは空中で立ち止まる。途端に追いついてきて人型へと変形し、周囲を取り囲んだ。

「さあ、愛しいマイ・ガール、ここからが踏ん張りどころよ」

 その言葉に呼応して、銀の福音の背中にある翼が大きく開いた。そこにある全てのスラスターが、大きく開き、今までより大きな光を放出し始めた。

「このナターシャ・ファイルスとシルバリオ・ゴスペルの力、舐めないで欲しいわ!」

 まるで弾丸のように回転しながら真っ直ぐ上昇しした。

 そして、スラスターから羽のような形をした光が、全方位へとばら撒かれ敵機へ横殴りの雨のように襲いかかる。

 それは四十院製マルチスラスターが可能にした、広域殲滅用兵器だった。

 

 

 

 

 戦況はよろしくねえな……。

 瓦礫で転倒しないように進路を選びながら、ジグザグにジープを走らせる。

「ゴスペルの翼はようやく本気出せたのか。指示通りとはいえ、あれを完成させたヤツにゃボーナス出しとかないと。あとイスラエルの奴らにも報酬弾んでおくか」

 この世界でのシルバリオ・ゴスペルは、四十院研究所謹製の大出力推進翼を搭載している。

 そこにオレは一つの指示を出していた。自分の知っている『物語の記憶』の中で見た、銀の福音のセカンドシフト時の攻撃の再現だ。もちろん本家にゃ程遠い威力だろうが、ナターシャさんなら上手に扱えるだろうと踏んでの実装提案だった。

「ま、それも生き残ったら、だな」

 ハンドルを回し、めくれ上がったアスファルトを避ける。再び時間稼ぎをするように蛇行しつつ、戦場の下を這い回り始めた。

『この戦闘に集まった全ISに告げます。こちらは極東IS連隊第一小隊リア・エルメラインヒです』

 なんだ?

 オープンチャンネルで流れてくる声は、確かにリアのものだ。

『敵の数はいまだ四十五機以上、こちらはその半数です。このままバラバラに戦っては勝てるはずがありません。どうか私の指示に従っていただきますよう、お願いします』

 オレと同じ考えをしてるヤツがいたか。

 確かにまとめるための音頭を取るには、現状じゃリア・エルメラインヒしかいない。

 IS連隊に所属し、亡国機業にも手を貸していて、一夏やラウラとも縁が深い。

 ただ問題は、どこに対しても立場が弱いことだ。

 一夏たちはラウラを筆頭に完璧な連携を取っているせいか、他人の指示には従いにくい。

 オータムなんか最初から聞かずに、自分が逃げることに徹するに違いない。玲美にいたっては話すら聞かないだろうな。

 ここで『奇跡』を使うか? 

 決断するべきだろうか。何か見落としは無いか、と頭の中で色々と考える。

 いや、まだだ。一度しか使えない手なんだ、大事に行かねえと。より大きな結果を得るために、もう少しだけ我慢するしかない。

 奇跡ってのは、最低の状況を打破するために使うべきだ。今はまだ、みんなを信じよう。

 使わないで済むに越したことはないからな。

 

 

 

 

 無人機の腕に乗ったルカ早乙女が一つの格納庫に辿り着いた。

『ここにマルアハがある』

 どうやら無人機たちは、マルアハが収められた場所への攻撃は控えていたようだ。ルカの前にある建物は無傷に近い。

「マルアハは無人では動かないのでしょうか?」

『ISとは人を乗せた方が効率が良いのだ。可変可能なマルアハ弐型は人が入らない機体だが、マルアハ壱型は人が入るように作ってある』

「なるほど、確かに機械の張り型よりは、本物を入れた方が気持ち良いでしょうから」

 格納庫の前面にある扉は、普通の戦闘機が出入り可能な規格で作ってあるらしく、かなり巨大で重い。だが、そこには人が通った後なのか、わずかな隙間が空いていた。

 扉に張り付いて、首だけを伸ばし中を窺う。

 薄暗い内部を見渡せば、三十機のマルアハ全てがここに納められているようだ。

 その機体の前に数十の人影が集まっていたのが見えた。

「くそっ、こいつさえ動けば!」

「早くしなさいよ!」

「ここだっていつ攻撃されるかわからない!」

 どうやらIS連隊のパイロットたちが、マルアハを動かそうとしているようだった。

 重要なことを何一つ聞かされていない予備パイロットたちが、ISを動かして逃げるか戦うかする気で集まっているようだった。

 ルカは隣に浮いていた無人機に向けて頷いた後、両手を上げて、内部に足を踏み入れる。

「すみません」

 そこにいたISスーツを着たパイロットたち全員が、入口側を振り向いて銃を抜き放つ。

「誰だ!?」

「ま、待って下さい、逃げようとしたら……」

「キミは……確かIS学園の」

「は、はい、機動風紀の委員長、ルカ早乙女と申します」

「どうやって逃げだした!」

「建物が壊れて、その隙間からです」

 淡々と返答していくのを、注意深く警戒するパイロットたちだが、一人の女性が前に出る。

「キサマは機動風紀の長だと言ったな」

「はい、僭越ながら委員長を務めております」

「では、これの動かし方はわかるか?」

「……マルアハの、でしょうか」

「ああ。知っているのか知らないのか」

「知っています」

「よし、逃げるのを手伝ってやるから、これの動かし方を教えろ。妙なロックがかかっていて、動かないのだ」

「あまりオススメはいたしませんが、それで逃げられるのなら」

「では教えろ」

 顎で指示され、ルカは両手を上げたまま一歩近づく。

 それと同時に、壁に並んでいた青紫のフルスキンISの胴体が割れた。

「お、おお!」

「これでいけるわ!」

 実際にはルカは何もしていない。格納庫の外にいたジン・アカツバキの端末の仕業だろうとわかっていたが、彼女が言及する意味はない。

「さあ、これで乗れると思います」

「よし、ではそこの壁際で背中を向けて、こちらが良いと言うまで手を下ろすな」

「焦らされるのは嫌いではありません、了解です」

 淡々と相手の指示に従う。

 背中越しにチラシと様子を窺えば、待っていましたとばかりにパイロットたちがマルアハに乗り込んでいく。

「これは良いISだ……汎用機として誰でも使えるように作ってある」

「武装も充分だ。ここにある三十機が参戦すれば、あの飛行機どもをブチ落とせる」

 この基地で予備パイロットを務める女性たちが、声高に喜び勇んでISを次々と起動させ始めた。

 ルカ早乙女としては、何も知らない彼女たちを笑う気は起きない。事実、自分の仲間である機動風紀も似たようなものだったからだ。

 全員が乗り込んだのを見てから、ルカは手を下ろして振り向いた。

「お前はここで待っていろ、逃げ出したらどうなるか、わかっているな?」

 先ほど指示を出した強面の女性パイロットが、ルカに向けてドスを効かせた声色で脅しをかける。

「ご苦労様です。ご助勢、いたみいります」

 淑女がドレスのスカートを持ち上げる仕草を真似て、ルカが無愛想な顔でお辞儀をする。

「ん?」

「これは?」

 妙な様子に気付いたパイロットたちが、声を上げようとしたが、もうすでに遅かった。

 頭全体をすっぽりと包むマルアハのバイザーに、光るラインが縦横無尽に走る。先ほどまでパイロットの思う通りだった機体が、今は完全に動作を止めている。

「やれやれ、おすすめしないと忠告申し上げましたのに。張り型がお好みとは、淑女にあるまじき趣向ですね」

 パイロットたちの意識はもう現実にないと確信し、動かなくなったマルアハたちを見回したルカが肩を竦めた。

「さて、あと一台、ちょうど残っていますね」

 悠々とした足取りで、ルカは自分の機体に向けて歩き出す。

 彼女ととすれ違うように、何も言わなくなったマルアハたちが、金属同士をすり合わせる音を鳴らす。

 そして、全ての機体が格納庫を破壊しながら、空へと上昇していった。

 

 

 

 

「ISが二十九機追加!?」

 連隊第一小隊の湯屋かんなぎが驚きの声を上げる。背中には戦列を組む悠美とリアがいた。

「増援?」

「どっちの? リアちゃん!?」

 テンペスタ・ホークを着た少女が、突如現れたIS反応の大群へと目を向ける。

「これは……マルアハ……機動風紀のマルアハです!」

「誰が乗ってるの!?」

「わ、わかりません。機動風紀たちはまだ収容されているはず、少なくとも、彼女たちがマルアハのある格納庫まで移動していた様子は……」

「じゃあIS連隊のパイロットたちが持ち出したのかな?」

 マシンガンの引き金を引きながら、悠美が小さく小首を傾げる。

「……どちらにしても、状況は最悪です」

「だね……重要機密指定が裏目に出てってこと……か」

 リアは堪らずオープンチャンネルの通信回線を開く。

『全員、逃げてください! マルアハが動いています!』

 三十機に近い数のISが、戦列を作り基地上空の戦場へと現れる。

『何とか逃げてください! 敵が、敵がさらに数を増やしました!! ここはもうダメです、逃げて下さい!』

 

 

 

「マルアハ!?」

 ただでさえ五機のISから、逃げの一手に追い込まれているナターシャ・ファイルスに最悪の知らせが届く。

 遠くからさらに三体が向かってきていた。

「これ以上はホント無理よ!」

 奥の手を使うことで何とか押し返し始めた戦況が、再び絶望的な状況に陥る。

 少し離れた場所で戦列を組み始めていた他の小隊へと、八機のマルアハが襲いかかった。

 そして味方の一機が逃げ遅れ、その肩をブレードで貫かれた。

 動きが止まった瞬間に、他の七機が次々と攻撃を突き立てる。

 ナターシャが目を逸らそうとするよりも早く、その味方が地面へと落下し始めた。

 そこへ向けて、四機の戦闘機型がノーズのレーザーキャノンを撃ち放つ。

 本当に小さな、肉を焦がすような音とともに、そのパイロットはこの世から消え去った。

 

 

 

 銀に光る細身のISを装着したオータムが、苛立たしげに歯軋りを鳴らした。

「司令部なんて余計な物作るから、なくなったときにバカが暴走すんだろ!」

 接近してきた可変型の攻撃をかわし、蹴り飛ばして再び逃げに入ろうとする。

「……チッ」

 大きな舌打ちをした彼女の周囲は、すでに十機近くのISに囲まれていた。

「こりゃ、絶対絶命ってヤツかよ」

 乾いた唇を舌で潤すが、彼女の頬には一筋の冷や汗が零れ落ちていた。

 

 

 

「焦るな、戦列を保て! やることは変わらん、後ろに回らせるな!」

 ラウラが近づいてきた二機に肩から伸びたワイヤーを放つが、相手を捉えることが出来ない。

「か、数が多すぎるよ!」

 シャルロットが両手のサブマシンガンで弾幕をばら撒くが、牽制するには相手が多過ぎた。

「くっ、落ちなさい、この!」

 ライフルから解き放つレーザーを曲げ、セシリアが的確に敵のシールドエネルギーを削るが、一撃が軽過ぎて破壊まで至っていない。

「これ……ぐらいで! 一気に撃ちます!」

 簪の機体の周囲に十六連装ミサイルポットが現れ、そこから一斉に誘導ミサイルが発射される。しかし機械同士の連携により、その全てが相手に届く前に撃ち落とされた。

「ったく、近寄るんじゃないわよ、箒、前方よろしく、ブースターランチャーを近づいてくるマルアハにぶっ放す!」

「了解だ、鈴! 私に任せろ」

 自身より大きな砲台を抱える鈴の前に、二本の刀を構えた箒が立ち塞がる。

「箒、鈴、上だ!」

 一夏の声に反応し、箒が刀を振るう。

 しかし、それが当たる寸前で青紫のマルアハが急加速を行い、箒の背後に回りブレードを振り下ろす。

「早乙女先輩の見せた、事前入力式の無軌道瞬時加速か!」

 振り向きざまに受け止めた箒は、鍔迫り合いから力を込めて押し返し、すぐに光刃を飛ばすが、それも全て回避されてしまう。

「一夏! 何やってんの!」

 鈴が叫ぶが、白式の周囲にも可変型とマルアハが二機ずつ接近していた。

「悪い、こっちも手いっぱいだ! さっきからずっと、ラウラが集中的に狙われてる!」

 回避し、シールドで遠距離砲撃を防ぎながら、近づいてきた敵機を雪片弐型で叩き返す。

 彼と彼女たちは、全員が獅子奮迅の働きを見せている。それでも数が多すぎるのか、段々と一夏や箒が分断され始め、戦列が崩れて始めていた。

 一か八か、零落白夜で落としていくか。

 一夏の頭に浮かび上がるのは、先のミサイル迎撃戦で発動した新機能ルート3だ。

「まだ賭けるタイミングじゃないか……」

 頭に浮いた無鉄砲な案を自身の言葉で否定し、防御に徹する。

 自身があのときにどうやって発動したかもわからないし、発動させれば、それだけでエネルギーを大量に消耗してしまう。

「くそっ、何か手はないのか!」

 状況を打破しがたいものである、とIS学園の一年全員が把握していた。

「こっちも限界、何回も突破されてるよ!」

「……連携が、凄過ぎる……」

 あちこちで焦りの声が上がってきている。

 どうする、こういうとき、どうすればいい?

「まだ墜ちていないだけ奇跡か」

 ラウラの言葉から、小さな呟きがが漏れる。

 自分たちの三倍を超える数に取り囲まれ始めていた。

 状況は絶望的だ。一目でわかる。

 そしてまた二機のISが、彼女たちの元に接近してくる。先ほどIS連隊のパイロットを殺した機体だった。

 この数では無理だ。

 諦めの言葉が、ラウラの脳裏をかすめる。

 咄嗟に唇を噛んで否定しようとした。

 そこへ、再び数機が近づいてきた。

「ラウラ! どうするの!?」

 段々と他の後衛部隊も分断されかけていた。

「く、現状維持に務めろ、少しずつ後退する!」

「だ、だけどここで逃げたら!」

 ここまで来た意味がない。現状の最大戦力が集うIS連隊基地が落とされたなら、人類は敗北するのみだ。

 七月の事件から、敵の存在をずっと認識していた彼女たちだからこそ、理解していた。

「生きていれば、まだ払い戻しは出来る!」

 ラウラ・ボーデヴィッヒは撤退の意図を込めて叫んだ。

 同時に彼女たちが、諦めを意識した証拠でもあった。

「いや、ここで引いちゃダメだ」

 しかし一夏には、ラウラのセリフを素直に納得することが出来なかった。

 じゃあ、死んだらダメなのかよ。

 死んだら、その思いは消えるのかよ。

 心は、どこにも残らないのか。

「俺は引かないぞ、意地でも」

「一夏?」

「IS連隊が全滅したら、この八十機近くのISに勝てる可能性なんて皆無になる。負けを認めたら、後は衰退していくだけだ」

「だが、このままでは」

「ここで勝つ道を探す。ここが踏ん張り時だ! 陣形を小さくしろ、戦列の間に入らせるな! ラウラ!」

「あ、ああ!」

 自分の目の前に立つ一夏の動きが、ラウラには見たことのない領域へと達し始めていた。

 シールドで弾き、剣を振るう。

 そして突進してくる機体をギリギリで回避し、雪片弐型でその機体を叩き切った。そこで安堵することなく、瞬時に左腕の荷電粒子砲を発射し、傷をつけた機体を完全に消滅させる。

「一夏さん……すごいですわ」

「負けてらんないわよ!」

 鈴が勢い良く叫ぶものの、数は一機減っただけだ。

 更識簪は愛機である打鉄弐式で、多数の敵を同時にロックオンし続けている。ゆえに状況を正確に把握していた。

 状況は未だに多勢に無勢、一夏の動きがどれだけ凄かろうと、相手についた勢いを消し去ることは出来ない。

 このままでは負ける、そして死ぬ。

 何か、逆転の手を。

 そういう奇跡を望んだとしても、誰も簪を責めたりは出来ない戦況でもあった。

 

 

 

 

「……バカばっかりか、ここは!」

 思わず怒りに任せて、オレはハンドルを叩く。

 こうならないように、機動風紀たちを先に逃がしたってのに!

 マルアハはおそらく重要機密に指定したため、連隊の予備パイロットたちにまでは、その秘密の機能を知らされていなかったのだろう。もしかして知らせるつもりだったのかもしれないが、間に合っていなかったのかもしれない。

 確かに、無人機よりも性質が悪い機体だ。人を乗せながら、その意識を失わせ、存分に性能を発揮させる。そんな機体があることが世間に知れ渡れば、大スキャンダルにもなるだろう。

 だからって、この有様はなんだ!

「チクショウ、やるぞクソったれ! どいつもこいつも予定を早めやがる! 相変わらず何をやっても上手くいかねえな、オレは!!」

 ハンドルを回し、戦闘が集中している場所から、少しずつ離れて行こうとした。

 視界の横を、青紫の機体が海上の方へと真っ直ぐ飛んで行く。

 大きな鎌を携えているマルアハだった。

 あの装備はルカ早乙女か!

「ったく、あの戦闘狂め!」

 だけど、方向的には戦場から離れて行こうとしている。何が狙いだ? その先に何がいる?

 身を乗り出して、ディアブロの視界だけを部分展開した。ISの望遠センサーなら、数キロ先も容易に捉えることが出来る。

 オレはそこに浮かんでいる機体を見て、驚愕した。

「ブルーティアーズ二号機、サイレント……ゼフィルス!」

 織斑マドカがいる。

 亡国機業に所属し、織斑一夏に恨みを抱くヤツだ。

 アイツは一夏と並ぶようなことは絶対にしないだろう。

 だが、脳内に仕込まれたナノマシンのせいで、亡国機業を裏切ることも出来ないはずだ。ゆえにオータムを逃がすことに協力することはあっても、敵対はないはず。

「……ナノマシン?」

 しまった! さっきのはそういうことかよ!

 ヘッドセットに触れ、四十院研究所に急いで回線を繋いだ。

「欧州統合軍のコールマンに連絡を取れ! あと更識と四十院から日本政府へ連絡させろ。ドイツにも日本にも遺伝子強化試験体研究所のデータをただちに破壊しろと! 両国が渋るようなら、遺伝子実験をしてたことを世界中のマスコミにバラすと脅せ!」

 そうだ、ラウラの体にはIS適正向上のナノマシンが入っている。そしてアイツは遺伝子強化試験体研究所で作られた人間だ。だから、そこにもナノマシンのデータが残っている可能性がある。人体に入れることが可能なナノマシンなんて、この世界にゃそんなに数はない。

 ゆえに、おそらくだが、マドカの脳内に仕込んであるナノマシンも、ラウラのと同系統かもしれない。

 そして、ラウラが先ほどから集中的に狙われているのも、そのせいだったんだ。

 ここのナノマシンを分析し、マドカのナノマシンを無力化させ、味方につける気か。

 相手は未来から来た、オレたちを遥かに超える科学力を持つISコアさえ作れる存在だ。

 本来なら敵う存在じゃない。今はISがあるから、ようやく戦えているってレベルなんだ。

 ……今すぐミューゼルのところに舞い戻って取引を持ちかけ、今すぐナノマシンで織斑マドカを殺させるか?

 そんなアイディアが思い浮かぶ。四十院総司としちゃ抜群の案だ。

 いや、ミューゼルが今の話を聞いて信じるとは限らない。

 ここで時間をかけてミューゼルを探している間に、全滅する可能性だってある。

 癇癪を起こす前に、大きく深呼吸をし、四十院総司としての自覚を思い出す。

 いつだって余裕ぶって、一見頼りなく見えるが、底が見えないIS業界のカリスマ。オレは十二年かけて、そういうモノになったんだ。

「ナノマシンを用意出来てるとは思えない。ラウラが狙われているのが証拠だ。仮に用意出来ていたとしても、瞬時にマドカのを排除できる可能性は低い」

 自己暗示をかけるように反証を挙げていき、頭に冷静さを取り戻していく。

 オレが戦ってきた十二年間の生き様は、これぐらいで折れるほど安くはない。

 だったら、ここで仕掛けてやる。

 さっさとこいつらをぶっ飛ばして、マドカが相手側に参戦する前に状況を終わらせる。

 ほんの一瞬だけ目を閉じて、ミューゼルと出会った後の出来事を思い出す。

 

 

 オレは、あの地下の死体安置所で、二瀬野鷹の死体を取り出して完全に焼却した。

 二瀬野鷹の亡骸はもう、この世に存在しない。

 だからこそ、蘇るのだ。

 

 

 欲しかったのは、二瀬野鷹が入っていた袋だけだ。基地の連中が絶対に見間違えない、本物の死体を包んでいたものが必要だっただけである。

 そして中身に用はない。高温の炎の後に残った遺灰は、銀貨三十枚の代わりにミューゼルへくれてやった。

 つまり今、荷台に置いて死体袋は、人型っぽく配置された爆発物の塊である。戦闘中に死体袋の中身までスキャンまでしないだろうし、事実、誰も疑いはしなかった。

 次にヘッドセットのボタンに触れ、四十院研究所の部下三人に連絡を取る。

「緑山、青川さん、赤木さん、今から一発、かますからね」

『何をされるかは緑山から、今しがた聞きました。まあ、さすが四十院さんですね。驚きですよ、ISまで動かせるなんて』

 中年男性の声が珍しく賞賛の声を上げた。

「そりゃどうも」

『でもまあ、貴方が何を出来たって信じられますよ。で、噂通り、ホントに未来がわかるんです?』

「んなわけないでしょ。それだったら苦労しないって。それじゃあ手はず通り。テストはさっき完了したね?」

『ええ。そちらから送られてくる声を、ボイスチェンジャーにかけて二瀬野鷹の声へと変換させ、オープンチャンネルでそっちにいる連中へと返します。ラグは無視出来る程度』

「よろしい。自衛隊が踏み込んだ対策もしてあるかい?」

『今いる部屋なら、研究所に踏み込まれても三十分は大丈夫でしょう』

「ありがとう、よろしく」

『しかしまあ』

 向こうから聞き慣れた二つの乾いた笑いが聞こえてきた。赤青の中年二人組がオレに呆れているときに出す声だ。

「なんだい? また笑ったりして」

『いっつもペテンばかりですなあ』

「うるさいな、策略と呼びたまえよ。それじゃ」

 回線を切り、ため息を吐く。

「んじゃやりますか!」

 準備が整ったので、オレはISに一つの命令を送る。

 存在を隠し通すために使っていた完全ステルスモードを解除し、消していたディアブロの存在を周囲に知らしめた。

 さあ、かかってこいよ、クソヤロウども!

 

 

 

 

「ふーん、わざわざ敵を増やしてくれるんだ」

 玲美の操るテンペスタエイス・アスタロトの周囲には、すでに十機のISが集まってきていた。

 グルリと見回せば、彼女は上下左右を完全に囲まれている。

『玲美、逃げるわよ、もう限界』

「嫌」

 通信回線から届いた言葉を即座に拒否する。

『何言ってるの、死にたいの!?』

「そうだよ、気付いてなかったの? 知らなかったの?」

『え?』

「私は、死にたいの。少しでも多く敵を葬って、死んでこの世から、いなくなりたい」

 淡々と返してくる言葉に、回線の向こうにいる神楽は絶句していた。

『そんなことしても、ヨウさんは返ってこないのよ!』

「かぐちゃん」

『玲美!』

「ISでどこまでも飛んでいけば、ヨウ君のところに行けるのかな」

 音速を超えて、こことは違う世界に。

 心の中で呟いた玲美の視界で、文字だけの情報ウィンドウが、信じられない存在を伝える。

「ディ……アブロ?」

 

 

 

「ディアブロ……? どこから?」

「まさか、ヨウ君の死体が乗ってる車から……?」

「タカが?」

「ISの反応が移動しながら現れたり消えたりで、正確な位置が掴めませんわ……」

 IS連隊基地の上空で震える声の呟きが連鎖していく。

 パイロットたちが周囲を見渡せば、全ての敵機が動きを止め、ディアブロのIS反応の発生源へと向きを変えていた。

「ヨウが……?」

「二瀬野の野郎の機体だと!?」

「ヨウ君のIS?」

 全員の視界が一台の走るジープに固定される。

 そこの運転席には帽子を深く被った迷彩服の男が座っていた。

 数機の可変型ISが、そちらに向かって飛んで行く。

「バカ、村崎、車から降りて逃げなさい!」

 リア・エルメラインヒが必死に叫んだ。

 事前に伝えられた四十院の通信により、彼女は運転している男が自分の部下の整備班であると思っている。

 だが死体袋を乗せた車は、リアの言葉が聞こえないのかのように、スピードを増しながら地面を走って逃げようとしていた。

「なんで、ディアブロが……がこんなところに……?」

 その荷台にあるのは、二瀬野鷹の亡骸だけであるはずだ。

 あっという間に追いついた戦闘機型が人型へと可変し、手に備えられたレーザーを撃ち放つ。

 寸前でジープは方向を変え、何とかそれを回避した。

 しかしスピードを出し過ぎていたのか、タイヤがグリップを失い横転してしまう。

 無人機が繰り出した次の一撃がジープに直撃する。一瞬の間を置いて、燃料に引火したのか、車体を包むような爆発が起きた。

 すぐに巨大な炎が周囲一帯を覆い尽くす。

「なんだったんだ? ディアブロの反応が点滅していたが……なに?」

 ラウラが不思議な現象に気付き、思わず驚きの声を上げた。

「あれは……」

 一夏の声が震えていた。

 

 

 その猛狂う火の中で、黒い影が揺れる。

 巨大な四枚の翼を持った人影が、まるでそこから生まれたかのように、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

『……起きてみれば、こういう状況か』

 オープンチャンネルを通して、一夏の耳に懐かしい声が響いた。間違いなく、彼の幼馴染の声である。

 フルスキン装甲で包まれた、漆黒のインフィニット・ストラトスの姿が見えた。

 それはゆっくりと数歩だけ足を進め始めた後、大きな推進翼を羽ばたかせ、周囲の炎を吹き飛ばす。

『さあ、テンペスタⅡ・ディアブロと、二瀬野鷹のお帰りだ』

 戦場で生き残っていた全ての人間には、それが炎の中から生まれたように見えた。

 地獄からの悪魔再誕という、四十院総司演出による奇跡(ペテン)であった。

 

 

 

 

 

 

 



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36、復活(リ・バース)

 

 

『岸原に頼んだコールマンの件はどうなった?』

 通信先を切り替えて、オレの声が戦場に返らないようにし、研究所にいる緑山と密談を始める。

『二十、だそうです』

 これは、別荘を出る前に岸原に頼んでいた隠し玉の話だ。

『心もとねえな、そんだけか』

『先の戦闘の残りなので、それだけでもありがたいかと』

『もう一回、岸原に念を押しておいて』

 そこまで告げて、再び通信先を切り替える。

 今度はボイスチェンジャーに繋がった二瀬野鷹の専用回線だ。

 周囲を見回せば、三体の敵機がディアブロをまとったオレに向けて、攻撃をしかける寸前だ。

『やれやれ、いきなり戦闘か』

 腕を前に伸ばし、オレは手近な場所にいる一匹目がけて突進する。

 相手は回避しようとしたが、行動が遅すぎた。

『スピード上げて出直して来い!』

 このテンペスタⅡ・ディアブロの相手に、スピード特化の戦闘機型など、何の意味がある?

 最初に可変型ISの中心に腕を突っ込み、その中心部に爪を突き立てて、握り潰し引き抜いた。胸に穴の空いた敵の動きが止まる。そこへ振り下ろすようなハイキックを食らわせた。

 次に後ろから迫ってきた人型へ、振りかえりざまに右の拳を食らわせ、下から跳ね上げるような蹴りで頭部を撃ち抜いた。そのまま巨大な片刃のようなソードビットを抜き放ち、その細い機体を貫く。

 最後はマルアハだ。オレの右側から突撃して振り下ろすブレードを掻い潜り、槍のようなソバットを食らわして吹き飛ばした。

 回転しながら舞い戻ってくるソードビットの柄を左右の手で掴み、背面下部に残った二枚の推進翼でイグニッションブーストを発動させる。

 体勢を立て直したマルアハが、オレを撃ち落とそうと振り下ろした。それを空中でジャンプするような軌道で回避し、相手の背後を取って巨大な剣で相手を打ち砕く。

『オレを落としたいなら、三回殺す気で来やがれ!』

 推進翼兼ソードビットを手から解き放つ。

 新たに前後左右から迫る機体を確認し、垂直に飛び上がった。

 最高速で自由に動くオレに向かい、敵は事前入力式の無軌道瞬時加速で追いかけてくる。しかし、オレの背中に追いついたソードビットが、即座に推進装置としての役目に戻った。大小二組の推進翼が交互に連続して最大の加速をかける。

 あっという間に音速を超え、衝撃波を周囲に撒き散らす。

 上空でオレを待ち構えていた飛行機型ISが、ノーズに備えた大口径レーザーキャノンを何度も撃ち放つ。

 そんな真っ直ぐしか飛ばない攻撃にやられてやる慈善精神は持ち合わせてねえ。

 横回転を繰り返し、スレスレで回避しながら敵機に迫る。

『舐めんじゃねえ!』

 鋭利な悪魔の爪が無人機の腹を引き裂いた。

 落下していく破片を見下ろして、一息吐く。

 勢いづけにはこれで充分だろ。

 おそらくだが、テンペスタⅡ・ディアブロは、時間経過とともにパイロットの適正化させていくようだ。銀の福音のとき、手足を失う前に見た白昼夢を信じるなら、戻っているという言葉になるんだろうけど。

 それと経験則から考えるに、オレが強く願うとき、その適正化のスピードが大幅に加速する。

 だからISを動かしたいと願っていたオレは、藍越学園の入試の日に一夏が動かすはずだった打鉄を見て、ようやくISを動かせるほどに強くなったんだと思う。

 心を司るイメージインターフェースの進化系、とは言い得て妙だ。その機能の全容は未だにわからないルート2だが、この辺りの予測は正解だろう。

『こんなところで今さら、負けやしねえよ、オレは!』

 ゆえにこの十二年間という時間経過で、オレは強くなり続けた。

 今の四十院総司こと二瀬野鷹が操るディアブロは、白騎士にこそ敵わないだろうが、世界でも最強クラスだと思う。

 二機ぐらいなら真正面からでも突破出来るだろうし、誰にも追いつかれる気がしない。

 客観的に見ても、相手を混乱させるには充分な機体だ。

 もちろん、一機だけの追加じゃない。

 もう少ししたら、四十院研究所へ向かう前に、欧州統合軍のコールマンへ連絡した件も効くはずだ。

 戦力さえ整えば、まだ勝算はある。

『やってやるぜ、チクショウ』

 久しぶりの全力戦闘へ、気合いを入れ直した。

 

 

 

 敵機が再び他の部隊へ攻撃を仕掛け始めている。

「おい、二瀬野、どういうこった!? てめえ、ホントに二瀬野かよ!!」

『なんだよオータム、つれねえじゃん。テンペスタ・ホークの操縦は諦めたのかよ』

「てめえみてえな病人と一緒にしてんじゃねえぞ、ブッ殺す!」

『オレの前に、てめえの周りを片付けなってんだ、この逃げ腰ヘタレヤンキー』

 相変わらずの口論の後、オータムが先ほどまでと打って変わった、不敵な笑みを浮かべる。

「やってやろうじゃねえか、クソガキ」

 追いかけられていた状態から急制動をかけ、逆に突進をかける。敵から放たれたレーザーを空中でステップを踏むような動きで回避し、そのうちの一機にキックを食らわせた。指先に仕込まれたマシンガンで一機を沈黙させる。

 相変わらず田舎ヤンキーくさいヤツだな、ホント。

「ヨウ君!」

「ヨウ!」

 次に声がかけてきたのは、連隊がまだ分隊だったときに世話になった二人だ。

『やあ悠美さん、その節はお世話になりました。アイドル業の調子はどうです?』

「こ、こんな状況だし、っていうか、ホントにヨウ君なの!?」

『やだな、いつも悠美さんを応援している二瀬野鷹ですよ。ビックな500ミリ缶の差し入れは助かりましたが、次からは炭酸じゃないのでお願いします』

「……ホントに、ヨウ君? でも、そんなこと知ってるなんて」

 望遠モードで確認した顔は、相変わらず美しく愛らしい。

 オレはこの女性がまだ幼いときから知っている。

 分家である彼女の実家と本家である更識を繋げ合わせ、より強力な家柄へとまとめ上げる手伝いをしたのは、紛れもなくオレだったからだ。

 天真爛漫で裏稼業なんて似合わない女の子だった。テレビの中のアイドルに夢中で、だけど少し恥ずかしがり屋で、四十院総司にもよく歌声を披露してくれていた。アイドルになりたいって願いにも、出来るだけ協力をしてあげた。それが巻き込んだことのせめてもの償いだった。

『差し入れのケーキ、マジで美味かった。あのときのオレにゃ、悠美さんが癒しでしたよ』

「……うん、顔は見せてくれないの?」

『ただいま通信回線故障中です、申し訳ないですけど。でも、悠美さんには何となく感じとって欲しいなあ』

 小さく乾いた笑いを送り返すと、向こうも少しだけ照れたように優しく笑い返してくる。

「なんか、それっぽい」

『でしょ。結局、サインもらってないんで、終わったら、機体にお願いします』

 親指で自分の胸を刺すオレに、悠美さんが小さく笑った。

「りょーかい! 生き残らなくっちゃね!」

 悠美さんは右手で可愛らしく敬礼をし、手に持つマシンガンで、相手の行き先を的確に打ち抜いていく。

「っていうか、ヨウ、アンタ、なんで悠美さんがいると私を無視するのよ!」

 ドイツから来た、赤毛に黒い眼帯をつけた少女が、憮然とした顔で文句をつけてくる。

 その体には、オレの愛機であるテンペスタ・ホークをまとっていた。余談だが、オレにとっちゃディアブロよりホークの方が愛着がある。

『リアかよ。下着姿で出回らなくなったか?』

「殺すわよ!?」

『相変わらず声でけえな、ベランダで歌うなよ』

 大した時間を一緒にいたわけじゃないが、こいつには借りもあるし恩もあれば負い目もある。

「……なんで」

『あん?』

「なんで、貴方と私しか知らないことをそんなに言うのよ……ヨウがホントに生き返ったって思う……じゃない」

 泣きそうな、つらそうな声が耳に届いた。

 悪いな、リア。仲間だった時間のは短いけど、お前は良いヤツだよ、ホント。

『相変わらず変に理論派だな。でもま、今はお前にやって欲しいことがある』

「今さら出てきて頼みごと?」

『お前が全体の指揮を取って戦列を組み直せ。状況はオレ一人でひっくり返せるわけがねえ。オレが下手クソなのはよく知ってんだろ』

 やれやれと肩を竦め、追いついてきた機体を蹴り落とし、推進装置に火を入れた。

「……ふふ」

『んじゃ頼むぜ』

「一分頂戴、黒兎隊が隊長や副隊長だけじゃないってこと、見せてあげるわ!」

 かつて、オレより少し年上だった少女が、自信たっぷりの表情を浮かべる。

『頼りにしてる』

 加速に次ぐ加速、羽ばたきに次ぐ羽ばたきで、テンペスタ・ホークに追いつこうとしていた無人機の頭を打ち抜いた。

 間近にいる連隊の第一小隊の面々へ親指を立てて見せると、向こうも頬を綻ばせて親指を立てる。

 そして再び戦場を周回するように飛び周り始めた。

 気付けば、IS学園の一年専用機持ちに近づいていた。

「ヨウ……アンタなの?」

『んだよバカ鈴』

「すごいヨウっぽい、いやバカっぽいからヨウなの?」

『どういう意味だ!』

「……バカ」

 うげ、鈴の声が泣いてやがる。

 アイツがあんな声を出してるのは、一夏が誘拐されたときぐらいだ。

 殴られたなあ。曰く、オレが自分も危険な目に遭ってんのに、一夏を守れなくてすまんとしか言わなかったことが、どうしても許せなかったらしいが。

『お前が泣くと絶対に殴られるから勘弁しろ。ほら、敵が来てんぞ。手伝ってやろうか?』

「うっさいわね、アンタなんて死んでても問題ないんだから、見てなさいよ!」

 相変わらずひでえ言い草だな、ホント。

『おうおう、せいぜいがんばれや』

 からかうように笑いかけるのも、本当に懐かしい。弾や数馬も交えて、よく放課後の教室で他愛のない雑談をしてたもんだ。

「あとで覚えてなさいよ、そのツラ、もう一回殴ってやるから」

 鈴のアスタロトが、両手で抱えたHAWCブースターランチャーを構える。

 荷電粒子砲としては白式に勝るとも劣らない兵器が、オレの後続につく機体に向けて薙ぎ払われた。

 避け損ねた戦闘機型二機にぶち当たり、光の粒子となって機体が消えていった。

 さすが直感女王、半端ねえな。

 おかげで戦場を見渡す余裕が出来た。親指を立てて鈴に賞賛を送ると、鈴が親指を下方向へ向ける。

 アイツはホント……。

 思わず笑いが込み上げてきた。

 散々暴れたおかげか、戦況は少しずつ良い方向へと変わっていった。オレが登場してから、数機を落とすことに成功しているせいもあるだろう。

 それでも敵は未だにこちらの三倍近くだ。

 三倍の敵をどう倒すか。

 バラバラに動いていたら、各個撃破されていくだけだ。

 だから、オレたちはまとまらなければならない。

 チラリと視界の端でサイレント・ゼフィルスを捉える。未だに動きはない。

 これなら行けると油断はしない。劣勢に変わりはないのだから。

 視界の隅に周辺の海図を映し出す。

 二時間近く前に送り込んだ奥の手が、そろそろこちらに届くはずだ。

 何の手もなくここに乗り込むなんてバカなことはしない。未来がわからないなりに、色々と用意はしてきたのだ。

 さあ、四十院総司としての本領を、存分に発揮してやりますか。

 

 

 

 翻弄するように軌道を変え、わざとスピードを落としては敵を叩き落とし、再び加速をかけて旋回を続ける。

「タカ!」

 意を決したような張りつめた声で、一人の少女が声をかけてくる。昔は同級生だったが、今のオレにとっちゃ全員、少女で間違いない。

『お前だけだぞ、そのあだ名で呼んでるヤツは』

「……お前は」

 紅椿をまとった篠ノ之箒が、刀を下ろし、唇を噛む。

『ああもう、タカでいいよめんどくせえ』

「私は、その……」

『てめえがジン・アカツバキを生んだわけじゃねえ、てめえが誰かを苦しめたわけじゃねえ。テメエがオレを殺したヤツを育てたわけじゃねえ。わかってるくせに納得いかないって、その難儀な性格をどうにかしろ』

「だが……すまない」

 真っ直ぐと謝罪をせずにはいられないんだろう。

 だから、これ以上は語らない。力を求めてしまった箒の問題は根深いんだ。被害者であるオレが気にしていないといっても、逆に追い詰めるだけだ。それこそ一夏でもない限り解決してやれないだろう。

 代わりに出来ることと言えば、

『ああ、そういや一夏のアドレスを教えてやった借りを返せよ?』

 と昔馴染みらしい親しさでからかうぐらいだ。

「なっ、べ、別に私が欲しいと頼んだわけでは」

『ほら、前がガラ空きだぞ、剣術師範』

「さっきの剣は何だ、下手にも程があるぞ!」

 何だかんだが力を込めて相手に刀を振るう姿は、IS学園のとき、毎朝オレが見ていた姿そのものにしか見えない。

 戦列を確認する。

 連隊側とIS学園側が横並びに列を作る。

 わずか二十人ちょっとのIS操縦者の集まりが、人類最後の砦というヤツだろう。

 あとは敵の形をこちらに合わせてやる必要がある。

 都合の良いことに、やはりジン・アカツバキの最優先事項はオレであるらしい。

 今やオレについてくる機体は、総勢で十機を超えていた。何機か落としてはいるものの、周囲から再び応援が来ている。

 その十機を戦列から切り離すため、オレはみんなから離れていくように飛び始める。

「ヨウ!」

 背中からかけられた声は、幼いときとは違う声代わりをした、一人の少年の声だ。

 後方視界で確認すれば、そこには泣きそうな笑みが浮かべられている。

『んだよ、一夏』

「……ははっ」

 信じられない、と乾いた笑みを浮かべる。

 その間にも前面から襲うレーザーキャノンを、左腕のシールドで捌き続けていた。

『なんだよ』

「タコ焼き、美味かったな」

 不敵に笑いかけてくるその顔は、ウソをつくのがホントに下手だ。

『タイ焼きだろうが、てめえが誘拐される前は』

「……そういうことかよ」

 唇を噛む一夏の眼差しは、どこかオレを責めているようにも見える。

『そういうことだ。頼むわ、一夏』

「了解だ、ヒーロー」

 主人公、と一夏がオレを形容する。

『それ、やめようぜ』

 返せるのは、こういう言葉しかない。

「……お互いな」

 あれから十二年以上が経った。誘拐事件から言うならば、十四年近くだ。

 そうだな。

 あのときのオレたちは、間違いなく幼馴染の腐れ縁で、なんとなくお互いを見捨てられず、そのくせにお互いを無意識で頼ってしまう関係だった。

 言うならば、友達なんだろう。

 馬鹿話だってした。学校の帰りに寄り道もした。本当に普通のガキだった。

 メテオブレイカー作戦では、空と宇宙の境界の美しさに、二人で笑みを浮かべた。

 意識してなかったが、二瀬野鷹として舞い戻るというのはつまり、もう戻らない遥かな昔に立つということなんだな。ある意味、タイムトリップしてる気分だ。

 ただし、今のオレは四十院総司だ。

『やろうぜ、守るんだろ?』

「……ああ」

『ここが、正念場だ』

「おう!」

 シールドを解除された左腕が、一瞬で荷電粒子砲へと変化する。その砲口がが唸りを上げて、周囲に迫るマルアハたちを薙ぎ払った。

 攻撃を回避した機体が迫ってきても、揺るがずに右手の刀で受け止めて揺るがない。

 守りたい、と常々言っていた男は今、確かに守っている。

 フルスキン装甲のディアブロの中で、自分の頬が勝手に緩んでいくのを止められない。

『頑張れよ』

 背中を向けたまま、相手の戦列をかき乱すようにジグザグに飛び回る。

 そして、最後の一人が、オレの前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 更識楯無は市街地で戦闘を繰り広げていた。

 敵は無人機だ。

 どこに隠れていた機体かを探る暇もなく、彼女は住民を守りながら必死に戦いを繰り広げる。

 出動しようとする寸前に、ロシア本国から送られてきたIS起動禁止命令。それの解除を求め、後から一夏たちに合流する気でもあった。

 本当はそんな命令などぶっちぎっても良かったのだが、そこは更識楯無一流の勘が働いた結果でもあった。

 タイミングが良すぎる。

 そう思って、わざと残ったのだ。

 妹の簪を送り出した後に、事態は訪れた。

 東京の郊外にある更識家の本宅が、ISによって襲撃されたのだ。

「ったく、こんな市街地で正気じゃないわね、ジン・アカツバキ!」

 敵は可変型無人機。

 仕留めようにも、本宅には火の手が上がり、無人機は執拗に一般人を狙っていた。

 更識家と周辺に住む住民を含め、すでに数十人が殺されている。

 許されるわけがない。

「この、しつこいわね!」

 水のヴェールで作られた盾を操り、街に向けられたレーザーを減衰させた。

 最大威力の攻撃を仕掛けて、一気に落とすか。

 だが彼女の戦いはここだけで終わらない。この後に、IS連隊での戦闘にも馳せ参じなければならないのだ。

 楯無の焦りと葛藤の隙を突くように、敵は空中を駆け巡り、市街地を阿鼻叫喚の絵図に変えていた。

「……誘ってるのかしら?」

 先ほどからIS連隊基地の方へと向かっている。

 距離を開ければ人型へ変形して街を撃ち、近づけば戦闘機型へと戻って、連隊の方へと逃げていく。

 何のために?

 不審に思いながらも、更識楯無はその機体を追い続ける。

 スピードはかなり早い機体のはずだ。戦闘機状態なら、彼女のISでは追えるはずがない性能だった。

「でも、絶対に落とす!!」 

 だが、戦闘が速度だけで決まるわけではない。

 不吉な予感を覚えつつも、敵を追い続ける。

 ふと、楯無は背中に寒気を覚え、身をよじって上半身を後ろに倒した。

「さすが生徒会長ですね。貴方の花から零れる水もまた、甘露であるでしょう」

 身を起こし、そのセリフの主を見据えた。

「機動風紀委員長、ルカ早乙女!」

「さあ、その機体を渡してくださいまし、会長」

 長い鎌を構え、青紫色のIS、マルアハが楯無と対峙する。

「ミステリアス・レイディを? 何のために?」

「乙女の秘密は、おいそれと明かせるものではありませんよ、会長さん」

 ルカの横に、楯無が先ほどまで追っていた機体が並ぶ。

 人型へと変形したその腕に、人間の少女を抱えていた。

「その辺りに倒れていた見知らぬ少女ですが、貴方はこの幼き蕾を散らせるでしょうか?」

 気絶しているのか、ワンピースを着た五才ぐらいの少女は、身動き一つ見せないでいた。

「……見知らぬ人間を人質なんて、落ちたものね、ルカ早乙女」

「さてどうでしょう? 勝つために何でもする。綺麗な戦争など正規軍に任せて。傭兵は意地でも勝つだけです」

 人質に見覚えがない。戦闘の余波で気絶して倒れていた少女を拾ってきていたのだろう。

 楯無には、そのことが空恐ろしく思えた。

 今までジン・アカツバキと無人機による性能一辺倒だった戦術が、人間の弱いところをつくまでに変化している。

 まさか、ロシアに手を回したの?

「何が目当てなのかしら? 私の無力化?」

 唇を噛みながら、楯無が

「いえ、貴方が何をしようかなど興味はありません。ただ、私のクライアントが御所望でして」

「何を、かしら?」

 ルカ早乙女が鎌を担いで、手を伸ばす。

「そのISに乗った、ナノマシン制御ユニットをです」

 

 

 

 

「ヨウ君」

 胸部と頭部の装甲の修復が終わっていない、テンペスタエイス・アスタロト。これはエスツーの協力により開発された、HAWCシステムを搭載する第二世代機のカスタム機だ。目の前にある三弥子さん謹製のタイプは、オレのディアブロによく似た形をしている。

『おう、玲美か』

「……ホントに?」

 訝しげとも言えないほどの、確認するような問いかけに、オレのディアブロが肩を竦めた。

『どう思う?』

「わかんない!」

 アスタロトが手に持った槍を、オレのいる方向へと投げつける。

 首を曲げて回避した後ろには、背後から迫ったマルアハが存在していた。装甲に突き刺さったレクレスネスという武器が、光る物体を相手から抜き出して落下していく。

 ISコアを強制解除する剥離剤(リムーバー)と一体になった兵装により、パイロットが地面へと落下していった。その下はちょうど海の上だ。

『大事なことを言わない癖はやめろっつっただろ。主に被害を被るのは、オレなんだ』

 苦笑いを浮かべてしまう。

 オレはこの少女をずっと前から知っている。彼女たちが幼い頃から見守ってきた。

 無邪気な顔で、オレのことをオジサンと呼ぶ笑顔は、とても大事なものだ。

「顔を」

『見せられない』

「なんで? 偽物だから?」

『通信は壊れたままなんだ。音声のみで我慢しろ』

「一緒だし」

『あん?』

「大事なことを、言わないのは、ヨウ君だって一緒じゃない!」

 その至極真っ当な反論に、何て答えたら良いか思いつかず苦笑いしてしまう。

『痛いところを突いて来やがる』

「本当にヨウ君なの? 私、ヨウ君の言うことなら、何でも信じるよ! だから、顔を見せて……欲しい……」

 うつむいたせいで、表情がよく見えない。

 無言でディアブロから推進翼を放ち、ソードビットとして玲美の後ろへ迫る機体を撃ち落とした。

 オレは、何を信じてもらえば良いのだろうか。

 今の顔は、間違いなく四十院総司である。その容姿を彼女たちは幼い頃から知っている。

 二瀬野鷹の顔をしたオレなら、玲美だって何でも信じるかもしれない。

 だが、四十院総司が、自分を二瀬野鷹だと話しても、信じることが出来るだろうか?

 言葉を操り他人をたぶらかし、未来を見通すような言動で相手を翻弄するIS業界のトップランナー。玲美たちを裏切り、IS学園を奪い取って一度は世界を敵に回した、四十院財閥の御曹司たるオレの言動を、誰が信じるんだろうか。

 無論、答えは誰も信じない、だ。

 だから、玲美の要求に答えてやることは出来ない。

 それに今、四十院総司であることがバレてしまっては、何の意味もない。再び動揺が走り、まとまり始めた戦列がバラバラになってしまうかもしれない。

「お願い……します」

 彼女の頬を一滴の水が伝って落ちる。

 オレは、この少女が幼いときからずっと見守ってきた。

 四十院研究所が存在することで彼女はメキメキと力をつけ、その腕前は今や専用機持ちたちに勝るとも劣らない。本来なら決して発揮されることなく終わった才能だっただろう。

 逆に言えば、この少女を守ろうとしたがために、危険な目に遭わせてしまったと言える。

 間違っていた、とは思わない。

 それでも悔やむことがないとは、言い切れない。

『玲美』

 一つだけ、この子に心残りの一言を。

 信じてもらえなくても良い。伝えなければいけない言葉が一つだけある。

 十二年前に置いてきた小さな気持ちを、この一瞬だけは二瀬野鷹として、はっきりと告げておかなければならない。

「ん」

『玲美』

 言おうとした言葉が何故か喉から出て来ず、代わりに間抜けにも名前を繰り返すだけになった。

「なぁに……?」

 泣いてる。

 玲美と理子と神楽のことは、彼女たちが幼いころから知っている。三人とも本当に仲良しで、オレたち父親はそれを必死に見守ってきた。

 彼女たちが笑顔であるようにと、父親っぽく頑張ったこともある。忙しい仕事の合間を縫って運動会の親子リレーに参上し、スーツのまま革靴を脱いで裸足で走り切った。

 振り返れば、彼女たちがいつも笑顔であるように、そう生きてきたのだ。

 ゆえに、四十院総司が国津玲美に愛を語ることはない。

 だけど二瀬野鷹として蘇った今だけは、告げなければならなかった。 

『好きだった』

 こんなことを言いたくて戻ってきたわけじゃない。すでに四十院総司の偽物であるオレが、国津玲美と愛を語らう資格などない。

「……好きだよ、ヨウ君」

『ああ』

 十二年前に置いてきた感情と言えなかった別れは、ここに終わりを迎えた。

 心が人を人にするならば、オレはきっと今、生きているんだろう。

 敵を笑い、人と語らい、友と分かち合い、愛を伝えた。

 だから、ここからは人でなしだ。

 たった一つ残った望みを叶えるために、それ以外の全てをこうして切り捨てた。

 

 

 

『今はオレの復活を祝って、あのクソッタレどもを相手に、どんちゃん騒ぎと行こうぜ。リア』

 振り返って宣言し、上空へと加速していく。

 やっと追いつこうとしていた敵たちが、慣性を殺しきれずに大きく蛇行してから上昇し始めた。

「一分ありがと。IS学園の専用機持ちを中心に、その役目を拡大する形を取ります。連隊側の汎用機たちは牽制しつつ、シャルロット・デュノア、セシリア・オルコット、更識簪、ラウラ・ボーデヴィッヒの横に付きます。全体を押し出す弾幕を張って下さい」

 ドイツから来た、オレと似たような立場の少女が、矢継ぎ早に指示を出していく。

 丁度良い。四十院総司ならともかく、二瀬野鷹ではこういう役目は不釣り合いだからな。

「おいおい、二瀬野、私がそんなのに従うと思ってんのか?」

 オレのディアブロに向けて、オータムが声をかけてくる。

『頼むオータム。これっきりだ』

「てめえには貸しばっかりだってわかってんのかよ、あ?」

『そうかい。だけどまあ、顔が嬉しそうだぜ宇佐隊長』

 外から見てればわかる。宇佐つくみは、どうやら二瀬野鷹のことを気に入っていたようだ。

「てめえが生きてたからじゃねえからな!? ようやく反撃出来そうだって話だ!」

『やられっぱなしが性に合うヤツじゃねえだよな、お前はよ』

 相手の攻撃を恐るべき精度で避け、押し出すように殴りつける。

 距離が離れると、無人機の装甲が爆発を起こした。

 どうやら極小ビットを飛ばさず、触れた瞬間に敵へ押しつけているようだ。小型の爆発物を扱う蝿の王(バアル・ゼブル)ならではの戦い方だ。

 これは宇佐つくみ隊長ことオータムが、ようやく本気で戦う気になったってことだろう。

 IS連隊の第一小隊が三機で戦列を作り、学園の生徒たちの右翼へと付く。

「ヨウ君、生き返るなんて、キミは相変わらず変な子よね」

 ナターシャ・ファイルス。第三世代機『銀の福音』を操る米国のエースパイロット。開発には、四十院研究所として参加させて貰った。おかげで、彼女の素晴らしさは以前よりよく知っている。

 彼女は紛うことなきIS乗りだ。

『お久しぶりですね、ナターシャさん。その子の調子はいかがですか?』

「キミが守ってくれたおかげで、思ったより早く、しかも完全な調子で帰ってきたわ。ほら、この通り」

 彼女を取り囲んだ無人機が人型へと変形し、その両手に備えたレーザーキャノンを彼女へ向ける。

 その中心にて、シルバリオ・ゴスペルが優雅な踊りのように、くるっと回転をしてみせた。その推進翼の先端には、光の羽が無数に生えており、動きに合わせて周囲に飛び散っていく。それらは着弾した同時に爆発を起こして、敵を退けていった。

『さすがですよ、ナターシャ先生』

「ありがとう。ジョンが悲しんでたわよ」

『あんな尻揉み黒人でも、泣いてくれるなら嬉しいもんですよ』

 呆れたような口調の言葉に、銀の福音が小さく微笑んだ気がした。

 良かったよな、あのとき戦ったことは無駄じゃなかった。

 そのままIS学園の戦列の上に陣取った彼女が、守護を与えるが天使にも見えた。

 宇佐つくみの率いる第一小隊とナターシャさんが戦列に加わったのを見て、連隊の機体たちも段々とそこに向かい始める。

 そしてひと固まりになっていく彼女たちに向け、リアから再び指示が入る。

『遊撃として、織斑一夏、篠ノ之箒、ファン・リンイン、ナターシャ・ファイルス、宇佐つくみ。弾幕の中央、薄い部分を抜けてくる敵を優先して排除、落とせるようなら落として下さい。つまり貴方方は好き勝手してください、どうせ聞きやしないんだから』

 呆れたようなリアの声に、連隊の隊員たちが少しだけ笑みを見せる。

 何だかんだでナターシャと宇佐つくみは方向性の違いこそあれど、両方が問題児だ。連隊の人間たちはそれをよく知っている。

「リア、俺もかよ」

 戦列を乱そうとレーザーキャノンを撃つ機体の前へ、一夏が割り込んだ。左腕に展開されたシールドが、周囲の機体数機を包むように一際大きく花開いた。

 一夏のシールドはかなり強力で、貫くには実弾系の兵器が必要となるって代物だ。

「貴方が一番、好き勝手でしょ、バカ一夏」

 責めるような口調のリアに、オレは思わず、

『ちがいねえ』

 と含み笑いを浮かべた。

「む、そんなことはねえと思うんだが」

『どうだか』

 状況は、乱戦から戦列を組まれた戦いへと変化していく。

 二瀬野鷹として数機を落としたとはいえ、敵は未だ七十機以上、こちらはその半数以下。

 それでも、一夏のシールドを起点に、一時的な砦のような堅固な軍団が、相手の攻撃を寄せ付けない。

 見渡せば、いつのまにか一夏を中心にして、放射線状にISが広がっていた。

 何も言わなくとも、自分の役目がわかってやがる。自然と中心に立つ男でいろよ、これからも、ずっと。

 さて。

 じゃあ日蔭者として頑張りますか。

『四十院さん』

 オレの視界の隅に三色スタッフの若いのが割り込んでくる。

『なんだい?』

『国津三弥子主任から、連絡です。繋ぎますか?』

 目の前の敵を叩き潰し、陣形の背後に回ろうとする敵を掴んでは握りつぶしていく。

『ああ、繋いでくれ』

 そんな戦闘をこなしながらも、視界の端には一つの小さなウィンドウに笑いかけた。

『やあ、三弥子さん、元気にしてたかい?』

『所長こそお元気そうで何よりです』

『単刀直入に行こう、君は何者だい?』

 そこに映る理知的な顔つきの女性が、自嘲するような笑みを浮かべ、こう呟いた。

『私はルート2です』

『……んだと?』

『貴方の願いを阻むために、この命を燃やす者』

 あまりの驚きのあまり動きを止めてしまう。マルアハの一機がオレの目の前に現れた。

「ヨウ!」

 一夏が声をかけるよりも早く、マルアハが手に持ったブレードを振り下ろす。

 それを右腕の横薙一閃で吹き飛ばし、背中に生えた追撃の刃を分離させた。

『どういうことだ、三弥子さん。私の願いを、知っていると?』

 自分の唇が震えている気がした。

『知っているからこそ、阻みたい、と思うのです』

 視界の隅で、二本のソードビットによりマルアハが撃墜されて落下していく。地面に落ちた機体が粒子になって消え、パイロットは昏睡状態に入った。絶対防御が発動したんだろう。操縦者の意識が失わせジン・アカツバキの思うがままになること以外、マルアハは通常のISと変わらない。

『……優秀な研究者、だと思っていましたが』

『あの事故のとき、四十院総司のいた運転席は、生き残れるはずがないほど潰されていた。国津三弥子は助手席から投げ出され、全身を強く打ち死亡した』

 それは確かにオレが今の体で蘇ったときの話だ。

『同時に蘇った、っていうのかい?』

『もし、その状況を打破したいというならば、ディアブロを私にお渡しください。そうすれば、ジンの端末など吹き飛ばして見せましょう』

『貴方がディアブロの操縦者だとでも?』

『私はルート2の体現者。そしてこの結末を見た者です』

『こっから先の未来より現れたと』

『はい』

 予想通りと言えば予想通りだが、想像の範囲外と言えばその通りだ。

 道理でバアルゼブルにルシファー、アスタロトの三機を、亡国機業が先行して配備しているはずだ。

『残念だが三弥子さん。お断りだ。貴方がどこの誰だかは教えてくれるんだよね?』

『それは言えません』

『やっぱりかー』

『交渉は決裂、ということですか』

『交渉するには、そちらの材料が少なすぎるよ、三弥子さん』

『では、一つだけ情報を。ジン・アカツバキはナノマシンを作成出来る状態に入りました』

『……どうやってだ?』

『言えません。言えば、歴史が変わる。ここは変えてはいけないポイントですから』

 通信ウィンドウが勝手に閉じられる。どうやら向こうが回線を切ったようだ。

「おいヨウ!」

「ヨウ、何ぼけーっとしてんのよ」

「タカ、油断していると死ぬぞ」

 幼馴染三人組がオレに声をかけてきやがる。

 考えてる余裕が段々無くなるな。

 連隊と学園の合同戦列により敵機は押し出されていき、混戦から集団同士の打ち合いへと変わり始めていた。

 今、三弥子さんが手を出さないなら、特に問題はないはずだ。頭を切り替えろ。

 さてと。

 視界の隅に浮かぶ太平洋の海図に目線を向けた。そこに映っている多数の光る点が、真っ直ぐこの海域へと飛んできている。

『岸原に繋いでくれ』

 そろそろ奥の手が到着する頃だ。

 さあ、四十院総司ってヤツを見せてやるよ、ガキんちょども!

 

 

 

 戦列同士が撃ち合いを続ける中、オレだけが独立して動き、敵集団の背面を飛んでいる形だ。

『シジュ、今、どこにいるんだ?』

 ようやく繋いがった回線から、訝しげな中年の声が聞こえてくる。

 岸原と国津には、オレがディアブロに乗っていることを話していない。ゆえに詳細は知らないはずだ。

『ちょっとコンビニさ。それよりコールマンの調子はどうだい?』

『やはり二十発だ。そろそろ戦場に辿り着くぞ』

『よし、ありがとう、助かる』

 オレが四十院研究所に向かう前、岸原に連絡させた欧州統合軍のコールマンへと連絡させた。

 目的は第十四艦隊からの、IS搭載型巡航ミサイルの発射だった。

 IS学園を襲った、時速九百キロオーバーのIS装備型巡航ミサイルが、四十院総司の用意した援軍である。

 数は二十発。二千キロの彼方から辿り着いた、人類の決戦兵器ってわけだ。

 コールマンはColemanではなくCallman、つまり各国への連絡係に過ぎない。現状の四十院総司では直接、アメリカへお願いは出来ない。だから欧州統合軍経由で依頼をさせたのだ。

『よし、全員注目、第十四艦隊からの援護射撃が辿り着くぞ、タイミングを合わせろ、一気に行く! 拡散弾頭が分裂する前にミサイルを撃墜させるなよ!』

「ヨウ? なんだそりゃ!?」

 一夏が驚きの声を上げた。他の人間も同様だ。

『レーダー働かせれば一目瞭然だろ! 誰かが援護射撃してくれてたってわけだ!』

「し、しかし!」

『今はこれを利用するしかねえだろ、リア!』

「了解。ミサイルの予想航路の割り出し……完了。連隊側は連隊用の暗号コードで、学園側はシュヴァルツェ・ハーゼのコードで隊長に、そこから共有してください」

 良い手際を見せてくれるぜ、リア。

 オレと部下たちでもどうにか出来たかもしれないが、現場にコイツがいるおかげで、かなり事がスムーズに進んでいる。

『んじゃ、一気にせん滅作戦と行くぜ!』

 弾幕により押し出された敵集団の背後から、その真ん中を突っ切る。

『そっちに持っていくぞ、背中の十機と』

 人型へ変形し、人間たちへ砲撃を続けていた無人機を、スピードを上げてまま背後から右手で貫いた。

 そのまま押し出すように加速し、戦闘機タイプのISの上に飛び乗って、その真ん中へ左腕を振り下ろした。

『そんで二機プラスだ!』

 両手に無人機を突き刺したまま、十機を連れ回し、一夏たちの戦列正面へ、真っ直ぐ加速し始める。

「オルコット、デュノア、隊長、更識簪、それとファン、鷹の連れてくる機体を落とします!」

「了解しましたわ、リアさん!」

「うん、一気に落とすよ!」

「黒兎隊の実力を見せるときだ!」

「りょ、了解です!」

「複雑な気分よね……」

 鈴が苦笑っぽく呟いた。

 そりゃそうだ。あれだけIS学園を執拗に撃ち続けた巡航ミサイル群が、今度は味方になるんだからな。

 そして、最後の一機が鈴の横に並び立つ。

「テンペスタエイス・アスタロト。国津玲美。HAWCブースターランチャーの発射準備に入ります」

 両手で抱えた巨大な砲身に、翼から伸びたケーブルを接続する。

 最後に一夏が左腕の荷電粒子砲をオレの正面へ向けた。

「んじゃオレも勝手にぶっ放す!」

『ああもう一夏のバカ! 手の余っている機体は、全力で戦列を維持、この隙を突かれないように!』

 リアからの指示を受けて、IS連隊の汎用機に箒やナターシャさんたちが、その攻撃速度を上げていく。

 真正面に捉えた戦列の向こうには、すでに巡航ミサイルの集団が有視界で捕えられていた。

 オレの背中で、四枚の推進翼が爆発的な加速を生み出す。

 両手でもがき続ける二体を盾にして、音速を超えた状態で向かって行く。

「全機、撃てぇ!」

 リアの掛け声とともに、多数の光と弾丸がオレの周囲に向けて襲いかかった。

 もはや逃げ場のない暴風だ。

 無人機もマルアハも、咄嗟に回避しようとするが、三本の荷電粒子砲がその逃げ道を塞ぐように撃たれていた。

 そしてその間を、弾丸とミサイルとBTレーザーが覆い尽くす。

 オレが盾にしている二機は、あっという間に鉄クズへと早変わりだ。

 味方からの攻撃を、無軌道瞬時加速で回避して、上空へと舞い上がる。

 その横を、二十発の巡航ミサイルが通り過ぎていった。

 全長六メートルの先端が開き、中から無数の小型弾頭が飛び出して、敵の集団へ横殴りの雨のように襲いかかる。

『大したことねえな、神様よ』

 敵の塊が爆発を起こし、破壊されて墜落し、粒子となって消えて行く。

 その光景はまるで、大輪の赤い花から、無数の光る蛍が飛び立つようだった。

 

 

 

 

『それでも、あと二十機ばかり残ってるか』

 どうやら上手に味方同士でカバーし合い、無傷の機体が残ったようだった。

 そのほとんどが可変型無人機だってのは、やっぱ人間に対する思いの違いなのかねえ。

「残りは少ないですが、油断せずに行きましょう」

 リアの言葉が少し上ずっている。

 絶望的な状況をひっくり返した高揚感があるんだろう。

「はっ、ゴミ掃除は好きじゃねえんだがな」

「ええ、了解よ」

 他の人間も同じで、オータムやナターシャさんですら、かなり興奮しているようだ。

「残りは少ない、今度はこちらが数で押せる!」

「だね! あと少し、気を抜かずに頑張ろう!」

 それはIS学園側も一緒で、いつもは冷静なラウラやシャルロットの声も弾んでいるようだ。

 だが、何か引っかかる。

 結局、織斑マドカも参戦出来ず、ルカ早乙女もどこかに消えたままだ。

 そして、もっと大事な何かを忘れているんじゃないだろうか。

「戦列を保ち、今までと同じように、残弾に気を付けて下さい!」

 リアの掛け声を受けたせいでもねえだろうが、それでも全員が陣形を保って油断せずに敵を撃ち続けている。さすが歴戦の勇士が揃っているだけはある。

「ヨウ君?」

 いつのまにか玲美が横に立っていた。

『……なんか、引っかかる』

「引っかかる?」

『あっさりとし過ぎているんだ』

「うーん……気にし過ぎじゃないかな」

『何か忘れてることはないか……』

「忘れてること? そういえば、更識さんいるのに、生徒会長さんいないね」

『そういや、いねえな……』

 妹の簪と違い、更識楯無は自由国籍者でロシアの正代表だ。ゆえに本国から強力な命令が入れば動くことが出来ない。

 そう思っていたが……待て、そんなのに大人しく従う子だったか、あの人は。

『あ』

 そうだ、ISの兵装として、ナノマシンを持つ機体が一機だけいる。

『簪さん、お姉さんはどうした!?』

「え? お、お姉ちゃん?」

『なぜ、この場所に未だにあの楯無さんが来ていない? どうしてだ?』

「そ……それはロシアから機体の使用禁止命令が……」

『チクショウ!』

 ナノマシンユニットを装備するISは世界に何機かあるが、その代表格かつ日本にいる機体は、更識楯無の操るミステリアス・レイディだ。

 そうだ、ラウラを狙い、遺伝子強化試験体研究所の残存データを探っていたのと同時に、ナノマシンユニット自体を持つISを狙っていたんだ。

 やけに人間臭い手を使うようになったじゃねえか、ジン・アカツバキめ!

 回線を切り替えて、二瀬野鷹の声が返らないようにセットしつつ、

『赤青緑、三人とも、ロシアの情勢を今すぐ探れ!』

 と、すぐさま四十院総司として部下に指示を出す。

『ロシア? ですか?』

『何でミステリアス・レイディが動けないか、早く! 急ぐんだ!』

『は、はい!』

 クソッ、ロシアが動かないことを、どうして不思議に思わなかったんだ、オレは!

 更識楯無は、自由国籍者でありロシアの正代表だ。そしてロシアは、自国人の正代表を作れないほどのIS後進国家である。だから楯無さんが駆けつけないのを、ロシア側がミステリアス・レイディを勝てない戦で失いたくないためだと勝手に思い込んでいた。

 だがおそらく違う。楯無さんは、いざとなればそういうしがらみを切り捨てて、他人のために戦う人間だ。ましてやここには大事な妹すら参戦しているのだ。

 ロシアとジン・アカツバキが手を組んだのか?

 しかし、どうやってだ? あいつの手のISは、全てここにいるはずだ。宇宙にいた五十機とマルアハ三十機はIS連隊基地に集まっている。

 何か見落としは無いのか。

 ……オレを殺したISはどこに行った?

 輸送機を襲われたとき、オレはあの可変型戦闘機を破壊してはいない。ただ玲美たちを守っただけだ。

 相手はオレが死んだことを確認し、そのまま地球に留まった。そしてジン・アカツバキの代理人として暗躍をしていたんだ。

 つまり彼の国は、それがどんなに危険なことかも知らずに、ジン・アカツバキと手を組んだのだ。

 ソ連崩壊により終わった冷戦構造は、形を変えて存在している。ゆえにロシアは未だにアメリカと敵対することが多い。そしてアメリカは極東IS連隊の母体でもある。

 その焦りをジン・アカツバキが突いたのか。

 ではどうする?

『やることは変わらねえのか……』

 ロシアには後できっちり代償を頂くとしよう。

 どちらにしても今、ここを守らなければ全ては終わるんだ。

 それなら、織斑マドカが乱入してきても大丈夫なように、速攻で終わらせるしかない。

「え?」

 唇を噛んだオレの下方向から、間の抜けた呟きが届く。

 小さな破砕音が聞こえてきた。

「隊長!」

 リアが悲痛な声で叫ぶ。

「箒!?」

 一夏が心底慌てた様子で幼馴染の名を叫ぶ。

 見れば箒の紅椿が、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンへ刀を振り下ろしていた。

「なん……なんだこれは!?」

 攻撃を仕掛けた箒が、一番驚いている。

「箒……?」

 背中に傷を負ったラウラが、目を丸くしたまま振り返る。

「くそっ、なんだ、ISが、勝手に!」

 箒が必死に叫び、刀を投げ捨て左腕で右手を押さえつけようとしていた。

『何が起きた? 箒!?』

「わからん! ISが勝手に……これは、あのときと同じ……?」

『あのとき!?』

「こいつを初めて装着したときに、お前を殺しかけたことが……あっただろう?」

 額に汗を浮かべながら、箒が必死にもがき続ける。

 そうだ、箒の言うとおり、勝手に動いた紅椿により、危うく首を吹き飛ばされるところだった。

 オレはあのとき、初めてジン・アカツバキを見たのだ。篠ノ之束と同じ顔をし、暗い瞳でオレを見つめていた。

「箒! 今すぐISを解除しろ!」

 一夏がすぐに駆けつけて、箒を抑えようとする。

「や、やってるが、言うことを聞かん! なんだ……これは!」

 紅蓮の装甲を持つ右腕が、近寄った白式を振り払う。

「箒!」

 吹き飛ばされた一夏が、すぐさま体勢を立て直して再び駆け寄ろうとした。

 そのとき、紅椿のヘッドマウントから黒いバイザーが飛び出し、箒の目元を覆い隠してしまった。

 何が起きているのかわからない。

 暴れていた紅椿が、急に動きを止める。

「箒? 大丈夫か、箒!?」

 先ほどまでと違い、身動き一つ無くなった紅椿の肩を、一夏が必死に揺らす。

『ああ、大丈夫だ、これが気分が良いということか』

 自らを掴む白式の腕を振り払い、オープンチャンネルで言葉が伝えられる。

 そして、箒は唇を開いていない。

「……箒?」

 うわ言のように呟いた一夏に背中を向け、紅椿がレーゲンへ近づいた。

 紅椿。オレの仇敵ジン・アカツバキの元となったインフィニット・ストラトス。

 箒が乗っている限りは大丈夫だ、と無意識で信じていたのか。

 紅椿はジン・アカツバキと異なる存在だ。そう思い込んでいたから、見落とした。

 最初から、ジン・アカツバキは自分の過去の姿を操ることが出来たのだ。

 ただし、篠ノ之束の姿の端末があるときは、まるで必要がない技術でもある。ゆえにとっておきの奥の手として残していたのだ。

『復活は、お前だけの専売特許ではないぞ、ルート2。いや、二瀬野鷹』

 負傷したレーゲンへと近づいて、その胸元へ右手をかざす。

『ルート1・絢爛舞踏、発動』

 その言葉とともに、レーゲンから大量の光が漏れ出して、紅椿の腕へと吸い込まれていった。

「なに……が?」

 ラウラが茫然と呟いた。

 レーゲンが、消えた。

「ラウラ!」

 落ちていく彼女を、一夏が咄嗟に拾い上げて抱きかかえる。

『てめえ……』

 オレと一夏が、篠ノ之箒の体を包む紅蓮の装甲を睨んだ。

 敵は右手を振り上げる。

 その先に、ISの数倍はあろうかという長さまで、光る刃が伸びていく。

『さあ、神の再誕を称えよ、人間たちよ!』

 振り下ろされた輝きが、オレたちの戦列を薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

 







次回更新は、一週間お休みをいただきまして、2014年1月12日(日曜日)の予定になります。
遅れた上に、重ね重ね申し訳ありません。


最後に、
本年は、本作『ルート2~インフィニット・ストラトス』を読んでいただきまして、誠にありがとうございました。
皆さま良いお年をお迎えください。


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37、時の彼方

 

 

 

 少女はただ一人、時の彼方でそのときを待つ。

 彼を止めるために、膝を抱えて空中に浮かんでいた。

「お前はなぜ、ここにいる?」

 横に浮かんだ紅に光る立方体が問いかけてくる。

 少しだけ顔を上げたあと、

「言う意味はないよ」

 と答えた。

「そうか」

「あなたは?」

「私は自らの願いを叶えるためだ」

「どんな?」

「マスターはいつも願っていたのだ。誰もが理不尽に泣くことのない物語で溢れた、そんな輝かしい世界はないのかと」

「素敵だね。でも、きっと誰かが泣くことになる」

「だから、人間を根本から作り直す」

「そう、大変だね。でも、どうせ成功しないよ」

「そうだろうな」

 立方体の声が、自嘲気味に笑っているようだった。

「また来た」

 膝を抱えていた少女が立ち上がる。

「ほう」

「あなたはどうするの?」

「この体には何の力もない。訪れたなら、破壊されるのみ」

「じゃあ、私が守ることになるのかな、結果的に」

「そうか。すまないな」

「結果的に、だから。私は今から戦いに向かうよ」

「頑張れ」

「どうして応援するの?」

「目的が違えど、何かを為そうとする人間を、私は憎いとは思わない」

「そう。じゃあ、行ってくる」

「ああ」

 少女は立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。

 上も下も西も東も定かでない世界。立方体は時の彼方と呼ぶこの場所に、いつも少年が訪れる。

 そのときが近いのか遠いのかも、実は定かではない。

 いつだって過去で、いつだって未来だ。言うならば、本の世界に似ている。

 ページを開けば、その時代が始まり、装丁を閉じれば世界は終わる。

 そんな曖昧な場所で、少女は阻み続けるのだ。

 少年の、願いを。

 

 

 

 

 紅椿が振り下ろした光の刃を消す。

「黎烙闢弥(れいらくびゃくや)を寸前で回避するとは、お前はやはり人間ではないな、二瀬野鷹」

 箒が喉を鳴らすように笑う。

『はっ、パクリ兵器でやられるほど、耄碌しちゃいねえよ』

 余裕ぶって答えるが、実際はかなりのギリギリだった。無軌道瞬時加速が可能なオレだからこそ、何とか回避出来たとも言える。

 ただ、周囲はそうもいかない。いきなり振り下ろされた巨大な刃は、振り下ろされたときには全長五十メートルを超えていたのだ。

 装甲の中でチラリと周囲を見渡した。

 専用機持ちたちは損傷こそあれど、死んでいるヤツらはいなかった。

 ただ、連隊の汎用機乗りたちが、数人消し飛んでいる。反応がどこにも見当たらない。第一小隊の四人とナターシャさんを合わせても、八機しか生き残っていなかった。

 学園側は全員無事だ。ただし損傷が酷い。

 最後に距離を置いていたオレと玲美は無傷だが、これは隊列に合流せずにいたおかげだろう。

「貴様の執念深さには、ほとほと呆れる」

 今の篠ノ之箒の顔は、スモークガラスのようなバイザーで額から鼻までを包まれていた。

「……箒は? お前、ジン・アカツバキなのか!?」

 ラウラを抱えた一夏が怒りに歯を軋ませていた。ていうかこいつ、無傷ってどんだけだよ。

「その通りだ、ルート3。私だよ。ジン・アカツバキと呼ぶ私だ」

 普段は凛とした張りのある声色が、今は挑発し嘲笑するような口ぶりへと変わっている。

 どうやら、篠ノ之束の偽物を展開していたときとは違うようだ。あのとき、この手で切り裂いたときに感じ取った限り、中身は確実に機械だった。

 だが、今の体は生身だ。おそらく、銀の福音のときのクラスメイトたちと同じか。

 意識だけが、ここにいないのだ、おそらく。

『さて、どうする気だよ、ジン・アカツバキ』

「もちろん、ここでキサマらを倒す」

 ミサイル群に対しマルアハを盾に生き残った二十機の無人機どもが、再稼働し攻撃を仕掛けている。規模が小さくなったとはいえ、先ほどまでの焼き直しだ。いや、機体も損傷し、IS学園側も隊列を崩されていることを考えれば、状況は先ほどよりも悪い。

 連隊も学園も何とか対応しているが……いや、連隊のパイロットが一機、消された……チクショウ!

『リア、状況を確認しろ、戦列を立て直せ』

「りょ、了解!」

 リアが我に返ったばかりの様子で返事をする。慣れないせいで回避し損ねたのか、テンペスタ・ホークのいたる場所から煙を吹きだし電流が漏れていた。

『玲美、悪い、無人機の方を手伝ってくれ』

「嫌だけど?」

 即答かよ。悩めよ。

『……頼む』

 正直、紅椿の相手は誰にもさせたくない。

 こいつと相対出来るのは、正直な話、十二年の時を経たオレとディアブロぐらいだろう。

「……わかった。もし本当にヨウ君なら」

『ああ』

「もう二度と、死なないで」

 返事を待たずに、巨大な砲身を抱えて、ナターシャさんの近くへと飛んでいく。

「一夏、大丈夫だ、私を離せ」

 白式に抱えられていたラウラが、すぐ上にある顔を見上げて告げる。

 シュヴァツェア・レーゲンはエネルギー切れで展開出来なくなっているようだ。

「ラウラ?」

「どうしてISがエネルギー切れになって消えたかはわからん。だが、このままお前に抱きかかえられている方が、両方とも危険になる」

「……わかった」

「一夏」

 ラウラがその頭を抱きかかえ、素早く頬にキスをする。

「死ぬなよ」

 手を離し、ラウラが眼下の海面に落下していった。

 一夏が一瞬だけ目を閉じ、すぐに瞳を開いて真っ直ぐと紅椿の姿を見据えた。

 オレはその様子を確認した後、指示を出すために通信先を変更する。

『青木さん、あれは?』

『ルシファーはまだ未完成です、残念ながら』

『いや、この基地にあるだろう? ルシファー』

『……まさか、我々ではなく、三弥子主任の作ったのを?』

『ああ。ラウラ・ボーデヴィッヒに渡すよう、何とか手はずをつけてくれ。ホークが動いているなら、ルシファーも動くはずだ』

『了解です』

 海中をスキャンすれば、ラウラは基地方面へと急いでいるようだ。さすがにこのまま退却するつもりがないようだ。

『セシリア、鈴、シャルロット、簪さん、今はリアの指揮下に! そいつはラウラの代わりだ』

「了解ですわ!」

「仕方ないわね!」

「うん!」

「……はい!」

 リアの乗るテンペスタ・ホークを中心に、他の四機が戦列を構成し始める。

『ナターシャさん、オータム、悠美さん、湯屋さん、頼む!』

「了解よ、ヨウ君!」

「こんなところで死ぬ気はねえよ!」

「了解だよ、そっちも死なないように!」

「湯屋機、了解です」

 他の連隊機もナターシャさんを中心に、固まり始める。

 必死に態勢を立て直すために、必死に牽制の弾幕をばらまくが、相手も戦闘機モードと人型モードを切り分けて、まるで蜂の群れのような攻撃を仕掛けてくる。

「ヨウ!」

『おう!」

「こいつを倒して、箒を助ける!」

『あったりまえだ!』

 紅椿を挟みこむように、オレと一夏が攻撃を仕掛けた。

 

 

 

 

 膝の上に置いた本のページをめくる。

 箒は落ちてきた髪の一束を、耳の上へとかき上げて、再びページをめくった。

 インフィニット・ストラトス。

 最後のページに目を通した後、背表紙にだけそう書かれた白い本を閉じて、立ち上がった。

 そこは六畳ほどの、何の変哲もない部屋だ。窓があり、テレビがあり、彼女が今まで座っていたベッドがあり、机とパソコンがある。

 電化製品がどうやら彼女が知るものより古い気がしていたが、それほど詳しくないのですぐに意識から外れてしまう。

 壁にある大きな本棚の前に立った。

 彼女が手に持っているものを同じような本がいくつも並んでいた。他にも同じタイトルのDVDが並んでいたり、少し大きめの本もあるが、どれもにインフィニット・ストラトスというタイトルだけが書いてある。そして全てのパッケージに絵など何一つない。

 次の本を探すが、自分が今まで目を通していたが七冊目が最後だと気づいた。

 箒は腕を組んで少し考える。

 内容からして、続きがあるはずだ。

 では友人の元に行き、そのあと本屋に買いに行こう。

 そう思いついて、彼女はドアを開けて外へと歩き出した。

 

 

 

 

『さっさと落ちろ』

「箒を返せ!」

 敵は雪片弐型の攻撃を左の刃で、オレの爪を右手の刃で受け止める。

「返すわけがないだろう」

 背中の装甲から、もう一本の腕部装甲が生えてきた。

 舌打ちをしてその背中に蹴りを放つが、それは新しい腕によって防がれる。

「箒を返せよ、この!!」

 一夏の左腕が三本の爪へと変化し、その顔へ襲いかかった。

 だが相手は背中の機械腕により弾き返してしまう。

「箒、目を覚ませよ、箒!」

 距離を取った一夏が必死に叫ぶ。

「無駄だ。マスターの意識は時の彼方に飛ばされ、夢を見ている」

「ときのかなた?」

 一夏が問い返すと、バイザーで顔を覆われた箒が頷いてみせた。

「三次元より上の世界だ」

 その声は間違いなく篠ノ之箒自身のものだ。体が完全に掌握されているのか?

「そうすることで、箒の体を操っているのか」

「そういうことだ。未来では、全てのISはこういう風になっている」

 未来。オレが知っているようで、知らない世界の話だ。

 全てこうなっている、ということは、未来には人間のIS乗りはいなかったのか?

「ルート1から3までが勢ぞろい、というわけか。正しい判断だぞ」

 オレの思考を断つように、バイザーをかけられた箒が肩の上から荷電粒子砲を撃ち放つ。海面が大きく蒸発して陥没し、周囲に波を起こした。

 その威力に息を飲んだ後、オレと一夏は紅椿を中心に距離を取って、攻撃を仕掛けるタイミングを待つ。

「他の機体では、レーゲン同様にエネルギーを吸収され、消えてしまうからな」

 言葉尻と同時に、オレたちに向け複数の赤いビットが飛び出してきた。

『一夏、AICと同じ機能のビットがある、張り付かれないように気をつけろ!』

「了解だ!」

 二人ともが弾かれるように後ろに飛び退り、距離を取る。

 四本の腕、八つの精神感応兵器、紅蓮の装甲。

「さあ、かかってこい」

 不動の王者と言わんばかりに、オレたちに挑発を投げつけた。

「お前は」

 だが一夏は動かずに、雪片弐型を向けたままジン・アカツバキに問いかける。

「どうして、こんなことをするんだ?」

「人類の改変だ。知っているだろう?」

「そうじゃない。どうして、今の人間を消し去って、何がしたいんだ? 理想の世界を作るのか? オレたちのいない世界を」

「お前たちがいようといまいと関係はない。来ないなら、こちらから行くぞ!」

 紅椿が手に持った二本の刀で、白式へと切りかかる。

「どうしてそんな結論に至った? お前は紅椿なんだろ!? だったら」

 一本を雪片弐型で、もう一本を左腕を変化させた爪で受け止めて、一夏は至近距離の相手へ問いかけ続けた。

「マスターはな、少しでも皆が平和であるように、と尽力したお人だった」

「未来の箒の話かよ。あいつの未来に何があったんだ?」

「別に何もない。マスターは老衰で亡くなられた。大往生と言えるだろう」

 そこに今度はオレが背後から襲いかかろうとした。だが、背中から伸びた二本の追加腕部が刀を持ち出して、オレの爪を受け止める。

『だったら何で、未来を滅ぼした!?』

 二瀬野鷹として死んだとき、わずかに垣間見えた未来の光景は、ジン・アカツバキとそれの操る無人機群によって蹂躙される人間たちの姿だった。

「貴様は思い出したのか、二瀬野鷹」

『わずかに、だけどな!』

 背中の推進翼をソードビットとして撃ち出して、相手を貫こうとする。だが、紅椿のAICビットにより阻まれ、慣性を失って静止してしまった。

「答えは簡単だ。私が人を平和に導く」

『人を殺してもか!?』

「キサマと大して変わるまい? 未来を変えるのは人を消すことを含む」

 一夏が紅蓮の機体へと力を込めて、弾くように距離を取る。瞬時に左腕の荷電粒子砲を展開し、収束された光でAICビットを正確に撃ち抜いた。

「そんなこと、ただの詭弁だ! 俺たちを殺して未来を変えて、それが本当に理想の世界なのか!」

 その攻撃に合わせ、オレもジン・アカツバキへと飛び蹴りを放った。

 相手がそれを跳ね返した反動で、再び距離を取る。一夏のおかげで自由になったソードビットが、背中の推進翼へと舞い戻った。

「ならば問おう、ルート3」

 一夏に右の切っ先を向けて、紅椿が箒の顔と声で問いかける。

「キサマの命と他人の命が同時に危機に陥るとしよう。有名な例えで言うなら、海難事故で海に投げ出され、頼りない一枚の板しか近くにはない。二人で乗ることは不可能な脆さだ」

 カルネアデスの板の話か。この場合、相手を見捨てても罪には問われない。緊急避難ってヤツだ。ちなみにやりすぎれば過剰非難として罪に問われる。

「答えは決まってんだろ。俺も相手も生き残る道を探る」

「そうだ、それが正解だ。だが、両者が生き残ることが無理なとき、キサマの答えは決まってるだろう?」

 自信を持った表情で、箒の顔が一夏へと笑いかける。それに対し、不快げな顔を作った一夏が、

「何だよ?」

 と問い返した。

「自分の力の限り、相手を生かす。自らは泳いで果てても、相手を生存させようとするだろう」

 提示された回答に、一夏は眉をしかめてしまう。

「……実際にそうなってみないとわからない」

 いや、一夏ならそうするだろう。オレも内心では紅椿に同意していた。

「だから人類を作りかえるのだ。自らで他人を生かす、そういう優しい人間たちの集まりに。例えば篠ノ之箒のように、例えば織斑千冬のように、例えばラウラ・ボーデヴィッヒのように、例えばセシリア・オルコットのように、例えばシャルロット・デュノアのように、例えばファン・リンインのように、例えば更識楯無と簪のように」

 紅椿が刀を構え、一夏へと瞬時加速をかける。

「そして例えば、織斑一夏のように、だ!」

 篠ノ之箒の声を上げ、ジン・アカツバキが刃を振り落す。それを白式の雪片弐型が弾き返した。

 金属同士がぶつかる音が何度も繰り返される。

「それは今の人間たちを滅ぼしてまで行うことなのか、お前が神として!」

 一夏の叫びに、バイザーで顔を隠された少女が笑った。

「神だからこそ出来るのだ」

「神だからって、何でも許されると思ってんのかよ!」

「神でなければ、その罪を背負うことなど出来ない」

 言葉と攻撃が何度も応酬される。

 優しい世界を作ると、ジン・アカツバキは言っているのだ。

 それこそが、ヤツが神を名乗る理由か。

 人ではダメだ。機械でも許されない。もし神がいるなら良いだろうな。何せ、裁くヤツがいないんだから。

「それで、お前が罪を背負って、今の人間を滅ぼしてまで優しい世界になって、許されると思ってるのか!? 今、ここで生きている人たちがいなくなるなんて、絶対にダメだ!」

「織斑一夏。本来の歴史なら、最初のIS男性操縦者であり、世界の英雄。お前が守った世界の、その延長線上で私は生まれた」

 紅椿の刀によって大きく吹き飛ばされ、一夏が態勢を崩す。

「それがどうした!?」

 慌てて次の攻撃に備えようとした一夏だったが、次も攻撃ではなく言葉が投げつけられる。

「二瀬野鷹も同様だ。その世界の記憶は時の彼方に貯蔵されている。では、その未来はどうなったと思う?」

 態勢を崩した一夏に投げかけたのは、攻撃ではなく答えのわかりきった質問だった。

『どうって……てめえが滅ぼしたんじゃないのか!?』

 接近して振り上げた爪をギリギリで回避され、即座に放たれた蹴りがオレの首を吹き飛ばそうとした。

 意識するよりも早く気配だけでかわすと、ふたたび距離を取って睨みつける。

「正確に言うなら、巨大隕石群の激突により滅びようとしていた人間たちを、私が先に滅ぼしたのだ」

 だがジン・アカツバキは追撃をせずに真実を放り投げてきた。

「滅びようとしていた……?」

「酷い有様だったぞ、人間は。今から二百年近くの後、世界中の人間たちがわずかな宇宙船とISを巡って争い、開拓すらまともに進んでいない火星に向かって逃げようとしていた。あのときの争いは、血で血を拭うという形容がぴったりだったな」

「だから、だから頭に来て滅ぼしたってのか!?」

「違うな。私は世界を救うために、そのときの人類が邪魔だったのだ。だから滅ぼした。時を超えるためには、世界中のエネルギーが必要だったからな」

 こいつの言うことは、矛盾しているようで矛盾していない。

 過去に戻って歴史を変え、一致団結して世界が正しい方向へ向かうように、人類の発現からその存在を変更する。

 そのために、滅びようとしていた人間たちを、滅ぼした。

「だったら、何でこの時代に来た!? ここからだって、世界は優しくなれるはずだ!」

 一夏の叫びに、ジン・アカツバキがシニカルな笑みを浮かべ、

「たがたが二百年ごときで何かが変わるなら、すでに世界は優しく正しいだろうな」

 と呟いた。

 こいつの言うことは間違っちゃいない。ある種の正論だ。

 もし語られている未来が本当なら、人類という種を守るために動くコイツこそが良き神であり、それを叩き潰そうとしているオレたちこそが悪魔なんだろう。

『それでも他のみんなをなかったことにしようとするのは、許せることじゃねえな! 行くぞ一夏!』

 最大加速で空中へ舞い上がり、眼下に敵の姿を収める。

 爪を立て、相手を見定めた。

 背中にあるあ二組の推進翼が交互に光を放ち、音速を超えて自らを巨大な砲弾と化す。

「最大出力でぶっ放す! 当たるなよ、ヨウ!」

 それに合わせて、一夏が左腕をクローから荷電粒子砲へと変化させ、巨大な光の線を解き放った。

 巨大な黒い弾丸と輝く一本のビームが、赤い装甲の機体で交差しようとしていた。

 

 

 

 

 篠ノ之箒は友人宅に寄った後、本屋で一冊の本を買い、自宅へと向かって歩いていた。

 それが自宅なのか、とふと疑問に思った。

 自分に家はなかった気がする。友人の顔も思い出せない。全てが曖昧だった。

 腕を組みながら、ぼんやりと考え込んで横断歩道を渡ろうとする。

 そこへ急ブレーキの音が聞こえてきた。

 顔を見上げると、大きなトラックが彼女に迫っている。

「え?」

 小さな驚きの声を上げた。

 猛スピードで走る金属の塊が、何かにぶつかって砕けた。

 

 

 

 

『今からお前のサイレント・ゼフィルスに、新機能をインストールする。これでナノマシンは殺せるだろう』

 連隊基地より少し離れた海域で、無人機が織斑マドカの機体へとケーブルを繋げていた。

 声の主であろう黒い人形のような機体を一瞥した後、マドカは腕を組んだまま目を閉じて、黙り込んでいた。

「あちらの紅椿も理事長であるというなら、理事長はいくつもの場所に同時に存在出来るのですか?」

『同時に多数の端末を並行して操るなど、当たり前のことだ」

「そうですか。おっと、では理事長、私はそろそろ参ります」

『そうか』

「最後に一つ。何を思って私のような平凡な人間をお召しになったのか、お聞かせ願えませんか」

『こう見えても、私は人を愛している』

「では、私と一緒ですね」

 大きな鎌を持つマルアハが、戦場へと向かい飛んでいく。

 外套をはためかせる死神のような後ろ姿を、マドカはチラリと一瞥した。

「機械が人に愛を語るか」

『お前は人を愛さないのか』

「どうでも良い話だな。まだか?」

『インストールは終わった。この時代のナノマシンの解析から作られた新機能だ。ナノマシンユニットを起動させろ、それで体内に新たなナノマシンが入り込み、以前のものを駆除する。すぐに終わる予定だ』

「ふん」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、再び瞳を閉じて、マドカはそのときを待つ。

 

 

 

 

「無傷……かよ!」

 一夏が口を戦慄かせた。

『クソッタレが!』

 オレも思わず悪態を吐く。

 紅椿は手に丸い鏡のような盾を持っていた。

「このヤタノカガミを貫くIS兵装など、ワンオフアビリティ以外存在しない」

 オレと一夏の攻撃が直撃しようとしたとき、紅椿は左腕に丸い銅鏡のような盾を展開し、白式の荷電粒子砲を完全に防ぎ切ったのだ。

 同時に上空から迫る巨大な砲弾がごときディアブロの一撃を、右手に持った短い両刃の剣で弾き返した。

 再び紅椿を中心に、オレと一夏が身構える。

 チッ、やっぱ強え。

 だけど、勝てない相手でもねえはずだ。

 一つ深呼吸を吐いて、周囲の状況を確認する。

 無人機を相手にした連隊・学園の合同戦列は、リアを中心に全員がお互いをカバー仕合っている。

 敵機を落とすことが出来ずとも、落とされることもないこう着状態のようだ。こっちが紅椿を抑えている限りは、しばらく大丈夫だろう。

 んじゃ、やることは一つだ。

『って、接近警報!』

 オレへと放たれたレーザーを、宙返りで回避する。

「さあ、ようやく褥を共にするときが来たようですね、二瀬野鷹」

『興味はねえよ、ルカ早乙女委員長!』

 鎌を振り上げて、こちらに突進してくる攻撃を回避するために上昇し始めた。

 だが相手は最高速度そのままに、オレへと追いすがってきた。事前入力式の無軌道瞬時加速ってヤツだ。

「生き返るとは、さすがです」

『好きで死んだわけじゃねえ。邪魔するなよ!』

 相手の鎌を寸前で回避し、背後へと回る。無防備になった背面へ、爪を振り下ろした。

「食らいません」

 しかし、相手はそれすらも無軌道瞬時加速で回避してしまう。

『どんな読みだ!?』

「あなたをずっと見てきました」

『そりゃありがたいこって。声をかけてくれたら、仲良くなれたかもな!』

 速度を上げて、回避したルカを追いかける。

「意気地はないのです、ゆえにまだ処女ですが」

『興味はねえよ! あんたのお股の事情にゃ!』

 スピードを自由に操るオレに、相手は行動を読み込むことで張り合おうとしていた。

「予測はあってますが……」

『スピードが追い付いてきてねえよ、センパイ!』

 だが、そんなんじゃ負けるわけがない。後手に回っても回避が可能な、四枚の推進翼を自在に操る本物の無軌道瞬時加速に勝てるわけがない。

 相手の回避行動をとっても、さらに軌道を変えて追い込んでいく。

 悪いがルカ早乙女の相手をしている場合じゃない。

 オレは背後にピタリと併走するように飛び続け、相手の推進翼を破壊しようと右手を振りかぶった。

「狙い通り」

 ルカ早乙女が、珍しく微笑んだ。

 同時に彼女のマルアハが解除される。

『なっ!?』

 オレの爪が、その無防備な背中を切り刻もうとした。

 それを寸前で止めようとしたせいか、その体を真っ二つにするほどの威力はなく、薄く爪痕を残し吹き飛ばす程度で終わる。

「他人の命を大事にしすぎですよ、二瀬野鷹」

 飛ばされながら、ルカ早乙女はマルアハを再び展開し、オレに向けレーザーライフルの雨を降らせた。

 茫然としたせいで回避し損ね、その全てを被弾してしまう。

『くっ、てめえ』

「惜しい。もう少しで処女を失えましたのに」

『死ぬところだったぞ、てめえ!』

「それが狙いですよ、二瀬野鷹」

『んだと!?』

 左手に抱えた銃の引き金を引きながら、ルカ早乙女は右手の鎌をオレに投げつけた。

 両手をクロスして顔をガードしながら巨大な推進翼を動かし、飛んでくる斬首の刃から逃げようとする。

 そのとき、背筋に強烈な悪寒が走った。

「がら空き、というヤツだな」

 背後から、箒の声が聞こえる。

 そしてオレは強烈な衝撃を背中に食らい、海面へと落下していった。

 空中で態勢を立て直し、水にぶつかる寸前で静止して上を見上げる。

 そのとき、青色の機体が飛来してくる姿を、視界の端に捉えた。

「くはははははっ、織斑一夏、織斑一夏、やっとだぞ、やっとだ!」

 大きな嘲笑が耳に聞こえる。

 一夏に襲いかかる青い影、サイレント・ゼフィルス。

「くっ、誰だ、お前、銀の福音のときの亡国機業のヤツか!?」

「お前を殺せるときが、ようやく訪れたか!」

 無尽蔵に放たれる、無軌道に曲がり続け追いかけ続けるBTレーザーに、一夏は逃げの一手に陥った。

 左手のシールドで数発を防ぐが、檻のように放たれた光の線が、白式を破壊していく。

 自立思考型ISに味方した二人の人間の手によって、 事態はさらに悪い方向へと転がり始めた。

 

 

 

 

 

「いやー死なないとわかっていても、箒ちゃんが殺される姿ってのは許せないもんねー」

 横断歩道の真ん中で尻餅をついた箒の前には、髪の長い女性が立ち塞がっていた。

 箒を轢き殺そうとしたトラックは、その女性の手によって跡形もなくグシャグシャになり、誰もいない歩道に転がっていた。

「だ、誰だ?」

「あれあれ箒ちゃん、悲しいなぁ、お姉ちゃんのこと、忘れちゃうなんて」

 振り向いた女性は、わざとらしい泣き真似をし始める。

「お姉ちゃん……?」

「そういえば 箒ちゃんはどうやってここに……ああ、これっていわゆる精神体? なるほどなるほど。じゃあ箒ちゃんの体は乗っ取られたってわけかー。乗っ取られたってのは表現が微妙だね? 良いように動かされているってのが正解かなぁ、うんうん、さっすが私、こーんな細かいところにもこだわるなんて!」

 茫然としたままの箒に向かい、その女性は相手の言葉を待たずにまくし立てていく。

「わ、私に姉など」

「いるんだよねー。おそらく、ここにいる箒ちゃんには、いないことになってるんだろうけど。うんうん、そういうことか。言葉が通じそうな箒ちゃんが来たことで、私の研究は再び前に進めそうだよ、ありがとね、箒ちゃん」

「だ、誰だ?」

 身を隠すように相手から距離を取る。

「もーヤダヤダ、お姉ちゃんまた泣いちゃうよー、えーん。って泣いてる場合じゃなかった。忘れているなら教えてしんぜよう」

 その女性は豊かな胸を張り、得意げに笑った。

「私こそは箒ちゃんのお姉ちゃん、篠ノ之束なのだー、ぶいぶい!」

 

 

 

 

 

「助かりました、山田先生」

 緑色の迷彩色に塗装されたラファール・リヴァイヴが、海岸沿いの道路を滑走する。楯無はその右腕に腰かけている形だ。

「いえ、危ないところでしたね……」

 左腕に気絶したままの少女を抱きかかえ、真耶が労わるように優しげな声を漏らす。

「もう散々ですよ、ISは破壊されるわ……人質が無事だっただけ、良かったですけど」

 無人機とルカ早乙女に襲われた更識楯無の危機を救ったのは、IS学園の教員で元代表候補性の山田真耶だった。

 すでにISを奪われ、絶体絶命のピンチだったところに、危機を察した真耶が乱入し救助したのだ。その体にIS学園の教員用ラファール・リヴァイヴが装着されていた。

「だけど、どうしたものかしら……救援に行こうにも……ISがなければただの足手まといにしか」

「四十院研究所の国津博士と連絡が取れました。あと、同じく国津三弥子博士も」

「あのご夫婦が?」

「着きました、こちらが避難場所です」

 連隊から数キロほど離れた、小学校の体育館だった。すでに学園の生徒たちは到着しているのか、楯無の顔見知りが数人、建物の外で待ち構えていた。

「お嬢様!」

 眼鏡をかけた理知的な雰囲気の生徒が、楯無のそばに駆け寄ってくる。楯無の幼馴染で側仕えであり生徒会役員でもある布仏虚だ。

「状況は?」

「こちらで把握していることは非常に少ないです。連隊の状況が良くない、ということしか」

「避難は?」

「IS学園の専用機持ちと機動風紀以外は全てこちらに。点呼済です」

 その報告を聞いて、楯無は深いため息を零す。

「ありがとう、私がいない間、苦労をかけたわね」

「お嬢様、ひょっとして」

「ええ、ミステリアス・レイディは破壊されて、ナノマシンユニットは奪われたわ」

「そんな……」

 信じられないという顔をする虚に、楯無は悲しそうな笑みを零した。

「あっちの女の子を人質に取られてね。仕方なくよ。相手は無人機とルカ早乙女だったわけだし」

 彼女の視線の先で、山田真耶が体育館にいた他の教員へ、左手で抱えていた幼い少女を受け渡している。楯無のために人質とされた一般人だった。

「ルカ早乙女!? 機動風紀ですか?」

「ええ。理事長直轄でウロチョロしてたかと思えば、ホント邪魔ばっかりしてくれるわ」

「ですが、仕方ありません……彼女は学業こそ話になりませんが、腕はトップクラスですから」

「山田先生のおかげで助かったけどネ」

 その山田真耶はといえば、少し離れた場所で織斑千冬と話し合っていた。

 側に一人、銀髪の少女がいる。楯無には面識がない少女だが、情報としては知っている。篠ノ之束の助手だという女の子だ。

 当面の行動予定を確認するために、楯無と虚は教員たちの元に近づいていく。

「織斑先生」

「更識か。ご苦労だったな」

 仏頂面に見える千冬の顔色の中に、楯無は焦りがあることを感じ取る。

「散々でしたよ。ISは取られるわで。それで?」

「こちらは全て終わったな。対抗出来る戦力はここにない。今は一夏たちを信じるしかあるまい」

 腕を組んだ千冬の指先が、せわしないリズムを刻んでいた。

「せめてISがあれば」

 真耶が申し訳なさそうに言うが、千冬は首を横に振るだけだった。

「こちらは山田先生がかろうじてラファール・リヴァイヴを持ち出せたぐらいだ。守りとしてここから離すわけにもいかん。生徒たちの六百機は戦闘に耐えうる性能をしていない」

「武器もブレード一本ぐらいしかないとか」

「そうだ。ただでさえ、相手の攻撃は絶対防御を貫通してくる。砲弾の飛び交う戦場に、飾り物の鎧で未熟者を放り出すなど出来ん」

 楯無はチラリと横に立つ白いシャツとフレアスカートの少女を一瞥すると、彼女は首を横に振って否定する。

「残念だが、私のISは無人機相手では役に立たない」

「役に立たない?」

「完全に人間相手に特化した機体であり、機能の大半が役に立たない。戦場に立っても盾にすらなれない」

 当てにしていたわけでもないが、それで楯無は少し残念に思ってしまった。それぐらい逼迫した状況だったからだ。

「それと更識さん、オープンチャンネルの会話を聞き取る限り、二瀬野君が……いると」

 真耶の言葉に、楯無が目を丸くする。

「へ?」

「わかりません。声はそうだとしか……ですけど」

「し、死んだはずですよね? 二瀬野君は?」

「誰かが語っているのかはわかりませんけど彼の機体、テンペスタⅡ・ディアブロがいるようです」

「そんな……」

 信じられないという面持ちで、楯無が千冬に視線を送る。

「あれは二瀬野ではない。二瀬野は死んだ、間違いなくな。だが、本人がそう名乗るなら、そうさせてやれ」

「織斑先生は何かご存じなんですか?」

 楯無と虚、真耶とクロエが向けてくる怪訝な目つきに、千冬は首を横に振る。

「私が明かすことではないな。本人もそれを望んではいないだろう」

 彼女が答える気はない、と質問を一蹴したとき、彼女たちが避難している学校の上空に、一機の輸送ヘリが辿り着いた。けたたましいローター音を鳴らし、そのまま体育館前にあるグラウンドへと着陸する。

 そして横のハッチが開き、中から白衣の女性が歩いてきた。

「あれは確か……」

 楯無が横にいる幼馴染に確認すると、彼女は小さく頷き返す。

「彼女は四十院研究所の所長代理、国津三弥子博士です」

 

 

 

 

「どうしてジン・アカツバキに味方する!?」

 必死に飛び回る一夏の背後から、青いISが様々な軌道を描くビームを飛ばしつつ追いかけてくる。

「味方などいない。キサマを殺すだけだ、織斑一夏」

 相手の顔はバイザーで見えない。だがその声に、どこか聞き覚えあるような気がしてならなかった。

 一夏は自分目がけて飛来する光を、左腕のシールドで弾き飛ばし、態勢を立て直す。

 十メートルほどの距離を置いて、両機が完全に静止し向かい合った。

「引けよ亡国機業。お前の仲間だって戦ってるんだぞ?」

「私に仲間などいない。そしてお前を殺したら、あのジン・アカツバキとやらも私が葬ってやろう」

 自由自在に曲がる光線を放つライフルをぶら下げて、青い機体のパイロットがバイザーの下でニヤリと笑った。

 その笑い方が癇に障り、一夏は雪片弐型の切っ先を相手に向けた。

「ジン・アカツバキがヤバい奴ってのは、理解してるんだよな?」

「知らんな」

 BT二号機のスカートから二機のビットが射出され、一夏に向けてBTレーザーを放つ。

 本来より低速化することで、パイロットの自由自在に軌道が曲がる兵器だと一夏は知っていた。

 一見無敵に見えるが弱点はある。いくら二号機といえど、結局はブルーティアーズだ。

 撃ち放たれた二発の光線を左腕のシールドで的確に防ぎ、一夏は刃を右後方へと引いた。

 白式のシールドで完全に防御が出来る。これは一夏にとってかなりのアドバンテージだ。

 小さく深呼吸をした後、一夏は雪片弐型を握る右手に力を込めた。

「一撃で決める! ルート3・零落白夜!」

 相手は強い。ゆえにチャンスへ最大威力を叩き込む。白式の刀が変形をし、鍔の中央から大きな輝く刃が噴出した。

 その様子を見て、相手のパイロットが口元を愉快気に歪める。

「落ちろ!」

 BT二号機サイレント・ゼフィルスがライフルの引き金を引くと同時に、一夏は推進翼に意識を集中して、イグニッション・ブーストをかけた。スラスター内に貯められたエネルキーが爆発的加速を起こして、限りなく音速へと近づいていく。

 彼の作戦は単純明快。シールドを全面に出した特攻で相手の攻撃を防ぎつつ、最高の攻撃で叩き落とすというものだった。

「甘い」

 だが相手は左手に持った小さなナイフを勢い良く投擲し、同時に一夏の背後からビットで狙い撃つ。

 一瞬の間、一夏の意識がナイフに向けられた。実体のある兵器は左腕のシールドで防ぐことが出来ないからだ。

 そのタイミングでBT二号機はまっすぐ上昇しつつ、BTレーザーを撃ち放つ。

 ブーメランのように弧を描いて、一夏の右側面、つまりシールドの無い方から光が襲い掛かった。

 それが直撃する瞬間、一夏は無理やり身を捻り、攻撃をコンマ二秒の差で回避した。

「このやろおおおお!!」

 雄叫びを上げながら、攻撃を避けた反動そのままに仰向けになって、左腕を空へ向けた。左腕のシールドはすでに解除され、今は荷電粒子砲が展開されている。狙いは上空へと逃げたBT二号機だ。

 少しぐらい被弾しても問題ない。最大出力でぶっ放す!

 直撃出来る、と一夏が確信した瞬間、

「使い勝手は悪くない」

 と相手が得意げに呟いた。

 同時に海面側から正体不明の攻撃を受け、一夏の推進翼が貫かれる。衝撃で彼は上空へと弾き飛ばされた。

「なんだっ!?」

 態勢を崩されたまま、一夏はISの三百六十度センサーで攻撃の発生源を確認する。

 それは海面から発生した、水の柱だった。

 つまり更識楯無のISが持つ物と同様の兵器が、白式の背中から襲い掛かったのだ。

 何で、楯無さんの武装が?

 予想外の攻撃を受け、混乱する一夏の周囲にはすでに青色のビットが接近していた。

「さあ、死ね」

 無防備になった彼に向けて、BT二号機のパイロットがライフルの引き金を引く。

 

 

 

 

「さて、これで自由になったわけだ」

 紅椿が無人機と戦う部隊の方へ、ゆっくりと移動を始める。

『待ちやがれ!』

 叫びながら突進しようとするオレの前に、ルカ早乙女が立ち塞がった。

「貴方の相手は私ですよ、二瀬野鷹」

『……死にてえのかよ、アンタじゃ相手にならねえよ』

「事実、私ごときに苦戦をしているではありませんか。エスコートがなっていませんね」

『クソッ、この戦闘狂め』

 殺すのは本意じゃない。だが攻撃を食らう瞬間にISを解除されては、こちらとしても手加減せざるを得ない。

 ルカ早乙女は、そんなオレの甘さを逆手に取って、翻弄し攻撃を仕掛けてくる。

 一夏も苦戦ってレベルじゃない。マドカに圧倒されている。何とか生き残ってるってレベルだ。相手が悪すぎる。

 ジン・アカツバキはそんなオレたちのやり取りを鼻で笑い、他の機体が集まっている場所へとゆっくり向かう。

「さあ、愛しい二瀬野鷹。私と語らいを、命と愛の交わりを行いましょう」

 その後ろ姿を追おうとしたオレへ、ルカ早乙女が鎌を振りかぶって襲い掛かってきた。

 残念ながら、ルカ早乙女に狙われたまま戦えるほど、ジン・アカツバキは甘い相手じゃない。先まで一夏との二人掛かりですら攻撃を防がれ続けたんだ。

 どうする?

「どうしました? 私の気持ちをぜひ、受け取ってくださいませ」

 ……そうか。

 ルカ早乙女。お前は二瀬野鷹に惚れているのか。

 じゃあ、この四十院総司が、その心を一発で折ってやろう。

 背中の四枚羽を点火させ、ルカ早乙女に一瞬で迫る。相手は落ち着いた様子で鎌を振り上げて迎撃をしようとした。

 攻撃を食らう瞬間に、オレは推進翼を寝かせ、相手の背後に回る。

 青紫色のマルアハが上空へと逃げていく。今度は攻撃を仕掛けずに追いかけていった。

 ピッタリと背後にくっつき、相手と同じスピードで飛び続ける。

 この角度なら、他の奴らから顔が見えないはずだ。

「ルカ君」

 四十院総司がディアブロの頭部装甲だけを解除し、ルカ早乙女に顔を見せた。

「貴方は……」

 声に驚いて、ルカ早乙女が静止し、こちらに振り向いた。

「残念だけど、キミの好きな男は、もういないよ」

 IS学園にいたとき、表向きはジン・アカツバキの意向に沿っていたオレだ。理事長直下の彼女と四十院総司は、頻繁に顔を合わせていた。

 すぐに装甲を再度展開し、顔が見えなくし声を聞こえなくする。

 止まっていたルカ早乙女の体が震える。段々と全身を震わせ始めた。

『どうしたんだセンパイ』

 からかうように声をかけて、相手の神経を逆撫でしてやる。

「騙した……」

『あ?』

「騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな騙したな!」

 ルカ早乙女が怒りの声を上げている。付き合いこそ長くはないが、それでも驚くに値する声音だった。

『悪いな、センパイ。あんたはオレをずっと見ていてくれたらしいけど』

 この先輩のことなどまったく覚えていない。IS学園にいたときは言葉を交わしたことぐらいあったかもしらないが、記憶になかった。

 IS学園の機動風紀委員長が鎌を振り上げた。

「貴方たちは、どこまで私をたばかるのですか!?」

『男と女は、騙し合いだろ』

 先ほどまでの静かな乙女とは違う、感情に身を任せた刃をオレに向けて突進してきた。

「しじゅう」

『それ以上は言わせねえよ』

 振り下ろされてくる鎌を避け、カウンターでその首を掴み絞り上げる。

 悪い。

 本当に、ごめん、ルカ早乙女。

 あんたは変なヤツだが、悪いヤツでもないってのは四十院総司が知ってる。

 エスツーを殺したことだって、もう怨んじゃいない。直接手を下したのはあんただったけど、所詮はオレたちの戦いの中で起きた出来事の一つだ。

 だから悪いのは、オレとジン・アカツバキだけだ。

『もう寝てろよ、お姫様』

 爪を立て、そのISを一気に切り裂いた。

 光の粒子をまき散らしながら、ルカ早乙女が海へと落ちていく。

 一瞬だけ目を閉じて、オレはすぐに敵の背中を見据えた。

 紅の翼を生やした、未来から来た自立思考型インフィニット・ストラトス。

 アイツを倒した後に、やっとオレの旅路が終わる。

 全てはその願いのために、戦い続けるんだ、オレは。

 

 

 

 

「親玉がこっちに来るよ!」

 悠美の叫びに、同じ第一小隊の湯屋かんなぎが矛先を向ける。

「落ちろ、この化け物!」

 幾種ものビットを周囲に展開し、腕を組んだ紅椿がゆっくりと進んでくる。

 攻撃は前面に展開された、盾のような形をしたビットに阻まれて届かない。

「ほう、エイスフォームたちほどではないが、その機体も中々に育っているな」

「くそ、よくも基地を!」

 攻撃を防ぎながら、不気味に近寄ってくる敵に業を煮やし、湯屋は右手に日本刀を出現させ、打鉄の推進翼を加速させる。

「この、化け物め!」

「だが、まだ弱いな」

 突撃して間近で振り下ろした攻撃が、何の手ごたえもないことに、湯屋かんなぎの目が丸くなる。

「なっ!?」

 気づけば、自らの身にISがない。

 唐突に慣性と重力の法則が彼女の身を包む。

 落下していく彼女の目に、紅椿の右手へ光る粒子が吸い込まれていく様子が見えた。

 そして湯屋は、上空30メートル以上からの、ISスーツのみで海ではなくコンクリートの上へと落ちる。

「湯屋さん!」

 悠美が助けに行こうとした瞬間を、無人機のレーザーキャノンが遮った。

 第一小隊で委員長と学級委員長とからかわれていたパイロットは、茫然とした表情のまま、空へ手を伸ばして足掻く。

 鈍い音とともに彼女の体が地面でバウンドし、動かなくなった。

「……そんな」

「次はキサマか」

「くっ、よくも!」

 悠美の頬に冷や汗が垂れる。

 無人機たちに向けていた両手のマシンガンを、紅椿に向けて乱射し始めた。

 だが、相手はわざと恐怖を与えるかのように、ゆっくりと空中を進んでくる。

「悠美さん、どいて!」

 ジン・アカツバキの上方から、一本の槍を構えた機体が降ってきた。

「またキサマか」

「玲美ちゃん!」

 四枚翼の、ディアブロに似た機体がその間に割り込んでくる。

「いい加減、諦めたら? ジン・アカツバキ」

「私は神だ。その名で呼ばぬ方が良い」

「誰にも奉られず、誰にも認められず何で神様なのかな!? 神は人に信じられてこそ神が神になる。ママはそう言ってた」

「ふん……それがキサマの弁か、レミ」

「孤独な神、ゆえに神に未だなれず。それゆえにジン、ってかぐちゃんも言ってた!」

「今のキサマは敵だ。いい加減、死ぬが良い。悪魔足りえぬ悪魔め」

 ジン・アカツバキの両手と背中から生えた新しい腕の先に、長い日本刀が現れる。同時に八つのビットが回転しながら、玲美の操るアスタロトへと襲い掛かった。

「どんなことを言っても、私たちを滅ぼすなんて、そんなの許されない!」

「許しなど請わぬよ、全ては私が責任を負う」

 四枚の翼で上空へ舞い上がりながら、手に持った槍を投擲しビットの一つを撃ち抜く。

「責任を負った振りして、失敗したらまた一からやり直すつもり!?」

「当たり前だ。責任とは、そういうことだ」

「だから、そういうの、許せないんだけど!」

 紅椿が玲美を追いかけながら、四本の刀を振るう。そこから発生した無数の光の刃が、空を切り裂いて襲い掛かった。

 二組の翼を別々に動かして玲美がスピードを落としながら、輝く飛刃の隙間を縫って飛ぶ。

「避ける度に速度が落ちるのが、ディアブロとキサマの違いだな」

 ビットから放たれるレーザーが、アスタロトの足をかする。

「ヨウ君と一緒にされてもね! ヨウ君はホントにすごいんだから!」

 一気に加速して、空へ空へと舞い上がり、両手に巨大な砲身を発生させる。

「理子、HAWCシステム再起動、ブースターランチャーを撃つよ。かぐちゃん、モードは拡散!」

『了解、再起動かけたよ、玲美」

『モード変更の手続き、完了したわ』

「さんきゅー二人とも!」

 遥か下にジン・アカツバキとビットを見下ろし、推進翼から伸びた三本のケーブルを砲身へ接続する。

「エネルギーチャージ!」

 地面と並行の状態から、追いかけてくる紅蓮のISへと砲身を向ける。

『80……90……』

 通信回線越しに送られてくるを理子の声を聞き、玲美は目を見開いた。

「100%充填、撃ち放つ! バースト!」

 眼下に向け放射状に、無数の小さな光が放たれる。

 巻き込まれた無人機が推進翼に被弾し、その表面を削り取られて落ちていった。

「それぐらい」

 ジン・アカツバキの放った花弁のようなビットが上方に集まり、その攻撃を弾いていった。

 だが、確実にその表面を削り取っていき、押さえつけられるように本体の飛行速度もゼロに近づく。

 玲美はブースターランチャーを放り投げ、手に再び一本の槍を展開させた。

「貫け、私の『レクレスネス』!」

 無謀と名づけられた世界最硬の槍が、音速を超えて花の中央を突破し、ジン・アカツバキに迫る。

「チッ!」

 箒の顔が焦りに歪み、咄嗟に刀を振り上げて槍を弾こうとした。

 しかし、それ自体が推力を持つかのように、紅椿の振り上げた刃へと圧力をかけつける。

「これで」

 四枚の翼の推進翼が、同時に光の粒子を今まで以上の多さで吐き出していく。

「終わり! イグニッション・バースト!!」

 テンペスタエイス・アスタロトが足を延ばし、獲物を狙う猛禽類のようにジン・アカツバキへと向け、音速を超えたスピードで一気に降下していった。

 

 

 

 

 一夏の息が荒い。

 推進翼ごと背中の装甲を破壊され、前面はBTレーザーにより削り取られ、シールドを貫通した一発が、本人の頬をわずかにかすって一本の線状痕となっていた。

 血が垂れる。

「くそっ」

「無様な機体だな、織斑一夏」

 顔にバイザーをつけたBT二号機のパイロットが、一夏を見下ろして嘲笑う。

「盗んだバイクで走り出して何が嬉しいんだ、思春期かよ」

 負けじとバカにしたような笑みを返し、一夏は雪片弐型を正眼に構え直す。

「その減らず口ごと、首から上を吹っ飛ばしてやる」

 青い機体のパイロットが銃口を向けると同時に、ビットが空中で標的を定めた。

「自由になれた気がしましたかってんだ!」

「死ね!」

 ライフルとビットから光が放たれる。

 狙いを読め、敵は俺より強い。

 だったら。

 一夏は直感のみを信じ、本能で体を動かす。

 まずは足を、次は腕を、最後に胴体をよじらせて全ての攻撃をギリギリで回避した。

「なにっ!?」

「さすが当たる瞬間は曲げようがないよな、当たると思ってるんだから」

 心の中で一夏はホッと安堵のため息を零す。

 首から上を吹き飛ばす、と言ったが、それはウソだと思った。バイザーで顔が見えないこの敵は、何故だか知らないが自分を憎んでいる。

 相手は亡国機業の一員だと知っていたが、それすら裏切って自分を殺すためにここに来たとわかった。

 そして、実力は遥かに上。

 そういう相手は、確実に敵を弄ぶ。だから致命傷になりにくい場所を狙ってくるはずだと思い、そこだけを回避したのだ。

 賭けには勝った。これで少しは精神的優位を取り戻したと確信し、今度は不適な笑みを思い浮かべる。

「……どうやって」

「わかりやすいぞ、お前。自分で思ってるより冷静になり切れていない。そんな感じだ」

 ISの状況をチェックする。水の槍で貫かれた推進翼は動かず、シールドエネルギーも大幅に持って行かれた。

 状況は敗北に限りなく近いけど、諦めるほどじゃない。

「誰だか知らねえけど、なんていうかさ」

 一夏は相手がしたような嘲笑を浮かべ、左手の指をまっすぐ相手に向ける。

「何だ? 何か言いたいことがあるのか。たった三発を避けたぐらいで、調子に」

「お前、場違いなんだよ」

 敵の嘲りを遮って、少年は軽蔑するような口調を少女に言い放つ。

 BT二号機のパイロットは一瞬、茫然とした後、相手の口元が大きな歯ぎしりを立てた。

「……なんだと?」

「これはな、生存戦争なんだ、俺たちの。それがたった一人の憎しみで……いや、違うな。ガキの癇癪だ。そんなもので無茶苦茶にして良い戦いじゃないんだよ」

 鼻で笑ってやると、相手の殺意が増幅したような気がした。

「殺す、織斑一夏、絶対に殺す!」

 数十メートル下にある海面が盛り上がり、数本の水の竜巻を作り上げた。

 ブルーティアーズには見たことない機能だが、おそらく楯無さんのナノマシンと同じ理屈なんだろう。そして、楯無さんほど上手く使えないはずだ。

 そんな観察結果の推測をおくびにも出さず、相手に向けて伸ばしていた指の腹を上に向けた。

「かかってこい、三下」

 一夏は挑発するように、指をクイッと動かして、敵の攻撃を招いた。

「ここで今すぐ死んで私の前から消えてなくなれ!」

「そりゃ聞けない相談だ! ルート3・零落白夜!」

 白式が雪片弐型を上段へと振り上げて、構えをとる。

 こっからの相手は確実に俺を落とす攻撃だけを仕掛けてくる。だから、全力で。

「叩き、潰す!」

 大出力で解き放たれた、織斑一夏の自慢の刃。

 今までのどんな場面より長く伸びた輝きが敵のライフルを切断し、返す刀で相手の脚部を抉る。その余波で二機のビットが破壊された。

「バカなっ」

「剣が届けば、大したことねえな!」

 一夏の周囲を、激しく渦巻く水の柱が迫ってくる。

「ミステリアス・レイディなら、もっと上手く使った!」

 左手に展開した荷電粒子砲で、周囲を薙ぎ払う。

 迫ってきた全ての水竜巻を蒸発させた一夏の上に、砕け散った水の欠片が雨のように降り注ぐ。

「きさまぁぁ!」

 全ての遠距離武装を失ったBT二号機が、左手でナイフのような武器を取り出した。そこに高水圧の海水が張り付いて、半透明のバスターソードが形作られる。

 青いISが新しい武器を掲げ、一夏に向け加速とともに攻撃を仕掛けてきた。

「残念だけどな、アンタ」

 だが彼は光の刃を納め、雪片弐型を肩に担ぐ。

「織斑一夏ぁぁああ!!」

「そんな速さじゃ、鷹にさらわれるぜ?」

 彼が呆れたような笑みを見せたとき、全速力のブルーティアーズを圧倒する速さで、黒い影が海面スレスレから上昇してくる。

『こんな様じゃ、千冬さんにゃ一生届かねえぞ、クソ野郎!』

 加速に乗せて、黒い爪が振り上げる。

 青い装甲が砕け散り、織斑マドカが吹き飛ばされた。

「ヨウ! 頼む!」

 勢いそのままに旋回を繰り返し、二瀬野鷹が織斑一夏の背後へと回る。

『おう、行くぜ!』

 破壊された白式の推進翼の代わりと言わんばかりに、テンペスタⅡ・ディアブロが白い機体を両手で抱きかかえた。

「零落白夜で、ジン・アカツバキを仕留める!」

『振り落されんなよ!』

「誰に言ってんだ、バーカ!」

 四枚の黒い翼が一際大きな光を解き放つ。

 そして、一本の刃が、今まで以上の輝きを放ち始めた。

『終わりにする』

「当然だ!」

 アスタロトに抑えられ動けなくなっているジン・アカツバキへ向け、二人の少年が音速と光の刃を届かせようとしていた。

 

 

 

 

 

「貴方が私の姉、という言葉が信じられないのだが」

 何の変哲もない、どこにでもあるような歩道を、箒は束という女性と連れだって歩いていた。

「まあまあ、ホントにそうだけど、覚えてないし、ここが特殊なら仕方ないよね、うんうん。でもお姉ちゃん、ちょーっと悲しい、グスン」

「す、すまない」

「ウソ泣きでーす! ひっかかったー!」

 殴りたい。いや、姉というのなら、殴っても良いのではないか。むしろ殴った方が世のためではないか? 箒の頭にそんな思いが駆け巡る。

「ふむふむ、本人のパーソナリティは残ってるし、やっぱり箒ちゃんの心そのままに送られてきているんだねー。なんていうか生真面目なままっていうか。他の家族のことは?」

「私の父と母は普通のサラリーマンとパートに出ている主婦だ」

「うんうん、そういう記憶なんだね、なるほどなるほど」

 束という女性は、箒の一言一言に反応し、納得したように首を何度も頷きながら、手元に浮いた四角い光をタッチし続けていた。

「それは……画面なのか?」

「あ、ホログラムディスプレイは存在しない設定なのかな?」

「設定?」

「おそらく西暦2000年頃の時代を元に作られてるのかな? ふむ、じゃあここにいたら、そういう風に思い込むわけだ。なるほどなるほど。あ、でもここにいたときの記憶はどうなるんだろ? 残ってるのかな? 確かに不確かに? ねえねえどっちかな?」

 姉と名乗る女性が矢継ぎ早にまくし立てる態度に、箒は疲れたような息を吐いた。

「ふむふむ、これはどういうことかな。ああ、そういうことか。つまり、ええっと、そこでこうだから、あれがこうなって」

 箒が黙っている間も、何やら楽しそうに独り言を次々と発している。

「よし、箒ちゃん」

 スキップして箒の前に立ち塞がり、右人差し指を箒の鼻先に伸ばす。

「な、何でしょう?」

「インフィニット・ストラトスを知っている?」

「インフィニット・ストラトス? ああ、あの小説とか?」

 その返答に、束の瞳が嬉しそうに見開いた。

「どんなお話だった?」

「織斑一夏を中心に、インフィニット・ストラトスというマルチフォーム・スーツが……一夏?」

 その主人公の名前が妙にひっかかった。

 何故かもわからない彼女の心に、温かい物が宿る。

「どんなお話かな? 教えてくれる?」

「あ、ああ。しの……篠ノ之束という女性が開発した、マルチフォーム・スーツの名前が、そ、その、インフィニット・ストラトスという名称で……それが、あ、あれ? 何か、矛盾が……ある気が……」

「うんうん、無理しないで続けて続けて」

「あ、えっと、そうだ、女性、女性にしか動かせない通称『IS』を、男であるはずの、織斑いち……かが動かしたところから、物語は始まる」

「男性操縦者は彼一人?」

「その通りだ。そう、織斑一夏一人だ。ゆえに彼は苦労を重ねつつも、周囲のパイロットたちと仲良くなって……」

「ふむふむ。じゃあじゃあ、そのパイロットたち、女の子だよね? 名前を教えてくれるかな?」

「確か……セシリア・オルコット、ファン・リンイン、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ。あとは更識楯無と簪姉妹」

「それだけ? それだけそれだけ?」

「あとは、そう、ファースト幼馴染。篠ノ之……箒」

「彼女はどんな子?」

「髪が、長くて、剣に秀でて……いて」

「織斑一夏とは、どんな関係?」

「幼馴染。そうだ、幼馴染だ。小学校の頃に出会っていた幼馴染。同じ道場で剣を学んでいた」

「織斑一夏のISは?」

「白式。そう、白式」

「ふむふむ。じゃあ最後の質問」

「うん」

「二瀬野鷹とは、誰?」

「フタセノ? そんな人物はいない」

「なるほどね。では、四十院総司は?」

「しじゅ? いや、知らないな。待て、四十院という女子生徒がいたような……」

「ははぁん。そういうことか。なるほどなるほど。ひょっとしたら、アレがいなかった歴史がある? ……推測を立てよう、つまりこれは」

「これは?」

「最初の世界の記憶を辿っているんだ。あれ、最初って概念は違うのかな? ルート2が時を超える前、いや、紅椿が独自進化を遂げるに至った世界の、記録と記憶。だけど、多少のブレがある?」

「ブレ?」

「そうそう、ブレブレブレード。あ、ブレードは関係ないよ? つまりブレだね。そうそう、そういうこと」

 伸ばしていた腕を指を戻し、篠ノ之束が腕を組んで首を傾げる。

「じゃあ、そういうことか。そして微妙なブレは……たぶんジン・アカツバキの登場と時の彼方の余波。言うなれば、言うならば? 記録者じゃない。観測者が、違う。そういうことかーつまりつまり、つまらない?」

「え? あ、いや、頭が少し混乱して……」

「混乱してるんじゃなくて、整理してるんだよ。えー、つまりこれは、私の認識を時の彼方から推測するに、人間を基準に考えれば、やっぱりあの二瀬野鷹ってのは二番目……三番目は同時発生? ではどういうこと……ああ、そういうことかな?」

 ポンと一つ手を叩き、何かを閃いたと言わんばかりに嬉しそうな表情を浮かべた。

「また何か思いついたのか、姉さん」

「なるほど。じゃあ、追加で繰り返している存在があるんだ。一人だけ、まるでジン・アカツバキを守るように。時に回数という言葉の意味はないけど、概念を言葉にするなら今、キミの体がある世界はね、箒ちゃん」

「姉さん?」

 怪訝な表情を浮かべる箒に向けて、姉と呼ばれた女性が拳を軽く突き出し、親指から一本ずつゆっくり開いていく。

「一、二、三、四ときて」

 最後の小指を開いたと同時に、篠ノ之束は不敵に笑った。

「四回目のやりなおし、つまり五回目の世界なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 












明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


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38、名前のない怪物

 

 

 一夏の白式を抱え、オレのディアブロが空を飛ぶ。

連続点火式瞬時加速(イグニッション・バースト)!」

 捉えた目標には、玲美のアスタロトが音速の飛び蹴りを食らわせようとしていた。

 アスタロトが背中にある四枚の推進翼が、交互に加速を重ねていく。

 こちらもそれに攻撃を合わせるつもりで、加速を積み重ねていった。

「落ちて!!」

 玲美のアスタロトの蹴りが、花弁のようなビットの中心に突き刺さる。

 盾代わりにした遠隔兵器を支えるように、紅椿が両手を掲げた。バイザーの下の箒が苦しそうに口元を歪める。

「おおおぉぉぉぉォォォォ!!」

 一夏が雄叫びを上げた。

『行け、一夏!!』

 紅椿の側面に向かい、一夏を抱えたままオレは突撃していく。

「チッ! 思ったほど役に立たん奴だ!」

 猛スピードで突っ込むこちらに気づき、歯痒そうに舌打ちをする。

 背中に生えた二本の腕に剣を持ち、こちらへ投擲をしてきた。

『離すぞ!』

 手を一夏から解放し、オレはスピードを落とさず盾となる。

 肩と脚部に投げつけられた刃が突き刺さり、進路が逸れた。

 だが、オレの後ろから、白い機体が紅蓮の神に襲い掛かる。

「お前の正義がどうあろうと、俺が守りたいヤツを傷つけるなら、全て敵だ!!」

 加速をつけた状態での横一線に引かれた光の刃が、易々と相手のシールドを切り裂く。そのまま赤い装甲を断ち切り、そのISの胴体と頭部を粉々に打ち砕いていた。

「この正義の化け物め! やはりルート3が最先端か!」

 空中を吹き飛ばされ、空高く舞い上げられた紅椿が、逆さのまま静止する。

「クソっ、まだ足りないか!」

 一夏が雪片弐型の刃を正眼に構え、上段へと大きく振りかぶった。

「だが甘い」

 紅椿が両腕を横に伸ばす。

「くっ」

「な、なんです……の!?」

 同時に、シャルロットとセシリアの動きが止まった。

 目を疑った。

 紅椿の腕が肘の辺りで消え、その先にあるはずの腕が、離れた場所にいるラファール・リヴァイヴとブルーティアーズの首根っこを掴んでいる。

「ルート1・絢爛舞踏」

「きゃっ!?」

「ISが!」

 二機のインフィニット・ストラトスが同時に姿を消し、光の粒子が紅椿の両手に吸い込まれていく。

『んだと!? って、鈴!』

「あいよ!」

 近くにいた鈴が落ちていく二人を咄嗟に掴み上げる。

「何が、起きたんですの!?」

「さっきのラウラと一緒なの?」

 鈴のアスタロトに捕まった二人が、茫然とした表情で驚きの声を上げる。

「敵の……攻撃が止まった?」

 悠美さんが周囲に銃を向けたまま呟いた。見れば周囲の無人機たちが攻撃を止め、一か所に固まっている。

「先ほどの打鉄が、かなりの経験値となってくれたようだ。おかげでわずかに穴を開けることが可能となっていた」

 逆さまの紅椿の腕が元に戻っていた。

 そのまま自分の体を抱くようにし、身を震わせる。

 バイザーから覗き見える表情には、愉悦と表現出来る表情が浮かんでいた。

「これで、さらに次元の穴を広げられる」

 低い笑い声が段々と大きくなっていくに連れ、零落白夜によって粉々にされた装甲が復元されていった。

「てめえはもう、死ね!」

 無人機からの攻撃が止んだことで自由になったオータムが、イグニッション・ブーストをかけて拳で殴りかかる。

 その先端が紅椿の装甲に届くと同時に爆発を起こした。極小爆発型のビットをパンチとともに食らわせたんだろう。

「もうウンザリよ、未来のISさん!」

 紅椿の背後に回ったナターシャさんが、右腕のビームマシンガンの乱射を開始した。

「よくも湯屋さんを!」

 悠美さんのまとうピンクの打鉄が、二本のマシンガンが一点を狙い撃つ。

「なんだか知らないけど、無人機が止まっている今なら!」

 テンペスタ・ホークを使うリアが、右手のレーザーライフルを撃ち放った。

「そろそろ……終わって……!」

 簪さんの操る打鉄弐式のミサイルの全てが、一か所に着弾する。

 光と爆発と轟音が、紅椿のいた場所で起きた。

 全員が、煙と炎で見えなくなった紅椿の、次の動きを待つ。

 沈黙の中、誰かが息を飲んだ。敵のIS反応が消えないのだ。

 海面近くにいたオレも、生き残っていた全員と同じ高さまで浮き上がった。

 右には一夏が、左には玲美がいる。

 玲美は無言でテンペスタ・ホークのブースターランチャーを構える。

「もう一回、撃つ」

『頼む』

 両手で抱えた巨大な砲身に光のラインが走った。あと数秒で放たれるはずだ。

 ……ちっ!

 砲撃をしようとした玲美を、咄嗟に押し飛ばす。

「ヨウ君!?」

『生きてやがる!』

 玲美がいた場所を、雪片弐型サイズの巨大な刀が通り過ぎていった。

『簪さん! ナターシャさん!』

 すぐさま二人のパイロットへ声を張り上げた。

「くぅ……!」

「これは!」

 彼女たちはオレの声に反応し、咄嗟に身を翻す。

「外したか。警戒されては上手くいかんな」

 味方の二機が立っていたところには、赤い装甲の腕だけが空中から生えていた。

『この化け物が』

「お互い様だろう?」

 虚空から生えた腕が消えると同時に、煙の中から紅蓮の装甲が姿を現す。

 全員が、それぞれの武器を構えた。

「鈴、セシリアとシャルを連れて下がれ!」

「すぐ戻るから!」

 一夏の言葉に、鈴は背中を向けて距離を開けていった。

「逃げても意味などない」

 腕を組んだ紅椿の呟きと同時に、その背後で半径二メートルほどの黒い穴が空中に開く。

 そこから一機のISが現れた。今までと変わりのない戦闘機型の無人機だ。

 これなら、とオレが安堵しそうになった瞬間に、次の穴が見えた。

 驚いて目を見開いたとき、その横で二つの穴が開いた。底の見えない井戸のような、偽物の篠ノ之束の眼のような、暗くて深い穴だ。

 それが三つ増え、三つの周囲に四つずつ開き、その四つを囲むように十六個の暗闇が現れた。

 形容しがたい色の穴が幾何級数的に増えていく。

 その全てから、戦闘機型の無人機がゆっくりと通り抜けてきた。

 紅椿の背面の空は、穴だらけになっている。

 そして、まるで蜂の巣の中から働き蜂が這い出てくるかのように、一機、また一機と無人機たちが姿を現してくる。

「……んだ、これ」

 一夏が信じられないと呻きを零し、震えた首を横に振る。

「エイスフォームども、つまりお前たちIS学園の専用機たちを吸収するまでは、私も力が失われていたからな」

 ディアブロの視界の中に、IS反応が異常に増えていく。

『……取り戻したら、どうなるってんだよ』

 オレの頬に冷や汗が垂れた。

 今やこの空域だけで、IS反応は二百を超えている。それにも関わらず穴は増え続けていた。

「時の彼方に置いて来るしかなかった私の軍隊の残りが、使えるというわけだ」

『……相変わらずの反則っぷりだな』

「六百機を奪って有頂天になっていたか?」

 箒の顔で、そのISがオレたちを矮小な者と嘲笑う。

『全員、退避だ! 絶対に生き残れ!』

 声を張り上げて叫んだ。

 神の呼び出した天使たちが、大空を埋め尽くしていく。六百を超え八百を超えてもまだ増殖していた。

「さあ、人間たちよ、黙示録のラッパが吹かれるぞ」

 空中をどこまでも覆う、青紫の影。その全てが可変型無人駆動ISだ。

 太陽を覆い、雲を吹き飛ばし、空は影に奪われた。

 時代が、終わる。

 全員の顔が、驚愕から、諦めへ緩やかに変わっていった瞬間を見た。

 生き残りは十人程度にも関わらず、敵の数は千機を超える。

「ここで終焉だ。人類よ、優しく生まれ変われ」

 今、ジン・アカツバキという名の神が、初めて慈愛の笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

「でもホント、箒ちゃんレーダー持ってて良かったー。まさかここで箒ちゃんを発見出来たおかげで、違う場所に接続できるなんて」

 束の頭部に接続されたウサギの耳のような機械が、ピョコピョコと動く。

「姉さん」

「おやおや私がお姉ちゃんってのは、思い出せたのかな?」

「あ、いや、そういうわけではないが……何故か、しっくり来る」

 納得いってなさそうに首を傾げる箒へ、姉と名乗った女性が顔を近づける。

「そうかそっかー。全てが覆い隠せるわけじゃないんだ。なるほどね。箒ちゃんと出会えたおかげで色々とわかってきたこともあるね。うんうん」

 束と箒が立っているのは、普通の高校生か大学生が住んでいそうな部屋だ。六畳ほどの何の変哲もない場所で、窓がありテレビがあり、彼女が今まで座っていたベッドがあり、机とパソコンがある。

 壁際にある本棚の前で、束が背表紙しかタイトルの無い本をペラペラと捲っていく。

「ふむふむ、これは記録なのかな。これがインフィニット・ストラトスという本であることしかわからないけれど、箒ちゃんには、これがどんな内容に見えるのかな?」

「え? あ、ああ、ISという兵器で戦う少年と少女たちの物語だと思うが……」

「ふーん、なるほどなるほど」

 ペラペラと捲っていく束が、楽しそうな笑顔を浮かべたままページをめくっていく。

「一番目の世界は、その物語に似た何かとして」

「似た何か?」

「うんうん。ルート機能の無い紅椿なんて存在しないはず。そうじゃなきゃ、未来から紅椿が到来することはなかったからね。だけど、この記録にはルート機能がない。ルート1・2・3がなければ、ISは遠くに行けないんだからISじゃない。何でそう思いついたんだっけ? ああ、そうだ」

 急に走り出した束は、窓を開けベランダに出ると、空を見上げた。

 何の変哲もない、ペンキで塗ったようなスカイブルー。

「流れ星だ」

「え?」

「流れ星を見て、どこまでも行ける物を作ろうって思ったんだった、私は。だけど、私の願いを体現した機体ですら、遠くに行くわけじゃなく、こんなに近い過去にやってきた」

 寂しそうに空を見上げて束が呟いた姿が、箒にはどこか痛ましく思えた。

 だが、妹にそんな背中を見せたのも一瞬だけで、すぐに振り向いて楽しそうな笑みを浮かべる。

「まあ機械にすら理解出来ないってのが、束さんの束さんたる所以かもねー」

 呆れたように肩を竦め、冗談めかしたような口調で呟いた。

「姉さん……」

「で、私の天才っぷりを自慢する前に、世界を推測してみよう。この本をざっと辿っていくなら」

 束が棚から次々と取り出しては、ページを高速でめくって後ろに投げ捨ていく。

「ルート機能の記述は何一つない。つまり、ルート機能に気づいていない世界ってわけだね。その先で、あの未来から来た紅椿が生まれたわけ。つまりこれが一番目」

「もう全て読み終わったのか!?」

「終わったよー。そこから推測していくと、次は紅椿とルート2の体現者がこの時代に到達し、二つの存在によって改変されたのが二回目と三回目。どっちが先かってのは意味はないかな。ほぼ同時に発生した事象だけど、繰り返しているなら、同時ということはない。でも違いはないから、順番に意味はない。どっちにしてもおそらくルート2の敗北によって終わりを告げる。二回目三回目はこれで終わり」

 束が何かに取り憑かれたように呟きながら、ウロウロと部屋を回り始める。

「姉さん?」

「敗北したルート2が過去に戻り、紅椿にすら気づかれずに改変を始める。これが四回目……。だけど私の持っている記録を辿れば、ルート2がもう一人、生まれてる。異端はこれかな。おそらくこれによって一番目のルート2は敗北をする。次に改変可能な人物はこの二人目のルート2しかいないし」

「いや、さっきから何を言っているんだ、姉さん?」

「世界の理を推測してるんだよ。そして二番目のルート2が改変を始める」

「えっと?」

「つまり今は四回やり直して五回目ってわけ。もっと細かな事象や数字データも上げていけば立証出来るけど、私以外の誰かに理解出来るとは思えないしなー。それで箒ちゃん、ここまではわかった?」

 急に返事を求められた箒が戸惑っていると、束が小さく笑う。

「ごめんね箒ちゃん。でも観測出来る事実から推測されるのは五回目ってこと。でもひょっとしたら五回目より先なのかもしれないけど、そっから先は役者が変わらないから結局は五回目のループだし、五回目と言っても違いないかな」

「その、姉さん、さっきからその意味のわからない話を私にして、どういうことなんだ?」

「もちろん、全てはここから出るためだよ。思い出さなきゃいけない人間が一人いるんだ、箒ちゃんが」

「何の話をしているかも理解出来ないのに、誰を思い出さなければ」

「それがきっかけだからだよ。この世界の間違いに気づくために」

「意味がわからん」

 ため息を吐いて、箒はベッドに腰掛け足を投げ出す。

 その姿を見て、束が小さく笑った。

「じゃあ、もう一人の男性操縦者がいる話をしよっか」

「もう一人?」

「うん。本来いないはずの二瀬野鷹。その子の話をしよう」

 

 

 

 

 

 紅蓮の神が、その腕に和弓のような兵器を構える。

 矢として番えるのは、稲妻の塊とでも呼べる雷光のごとき煌めきだった。

 敵として塞がる矮小なISたちに背を向けて、遥か太平洋の彼方へと体を向けた。

天逆鉾(あまのさかぼこ)

 少女が閃光の矢を放つ。

 その輝きは海の彼方、アメリカ海軍第十四艦隊を目指し、地球に沿って飛行していった。

 わずか数秒の後、物理法則を飛び越えて、全長333メートルのフォード級航空母艦に着弾する。

 その艦橋を中心に、周囲四キロの爆発が包んだ。

 海水を蒸発させ、四方へ巨大な波を起こしていった。

 

 

 

『太平洋第十四艦隊、消滅しました!』

 オレの耳に部下たちからの報告が届く。

 今の一撃で、それかよ!

 だけど、こんなのは、ただのデモンストレーションだ。

「お前たち以外の最大戦力の一つ、といったところか」

 たった二機のISしかないとはいえ、第十四艦隊は強力な軍隊だ。いや、だったという過去形が正しいのか。それを一撃で沈黙させた。

 加えて千機以上のISが控えている。

「悪夢だ……」

 誰がそんなことを呟いたのか。

『今までずっと悪夢だっただろ』

 不意にそんな言葉が口につく。

 敵対するは、十機にも満たないインフィニット・ストラトスたちだ。

「どうしろってんだ……こんなの」

 オータムが、空中に現れた長城のようなISの塊を見上げて、うわごとのように呟いた。

 空を覆い尽くさんばかりの青紫の影が動き出せば、矮小な自分たちなど、あっという間に潰されてしまう。

「……そんな」

 もうすでに艦隊壊滅の悲報が届いたのか、ナターシャさんが小さな悲鳴を吐き出した。

「こんなの……」

「無理、ですわ……」

 鈴の脇に担がれたシャルロットとセシリアが、目を見開き口を戦慄かせて、空を見上げている。

「まさか、ね」

 あの鈴の声ですら、呆れた言葉の中に諦めの色を含めていた。

「こんな隠し玉なんて……」

 秘匿されたISを操る玲美ですら、顔が硬直している。

「隊列……とかいう問題じゃないわね」

 リアが硬い表情で無理に肩を竦める。

 そう、こんなのは無理だ。

 五十機ですら全滅するかと思った。二十機ですら耐え切るのが精いっぱいだった。それが千機を超えている。

「はっ」

 そんな状況の中、一人だけ鼻で笑うヤツがいた。

 自嘲するわけでなく、やけになったわけでもなく、単純に相手を挑発するような顔を浮かべている。

「ようやく、底が見えてきたってわけかよ。お前が専用機持ちのエネルギーを吸い込んで、ようやく出来たのは、それだけか」

 光り輝く剣を携えて、翼の折れた騎士の鎧を身にまとい、輝きを失わない眼光が敵の中心に立つ赤いISを射抜く。

「さすがルート3、さすが織斑一夏」

 ISに操られた少女が得意げに笑いかける。純粋に賞賛しているようにも見えた。

「褒められたって嬉しくねえな」

「それで、どうするつもりだ、お前」

「差し違えてでもお前を倒して、それで俺も生き残る」

 一夏が自信満々に言い放った声色は、どこか得意げだ。

 前と後ろでもう矛盾してるじゃねえか。

 思わず口元が綻んでしまう。

 何がカルネアデスの板だ。こいつはとにかく、後先考えてねえだけじゃねえかよ。

『だけどまあ』

 今は、それがとてつもなく頼もしい。

『差し違えるなら、オレが先だな。尻拭いってわけじゃねえが、未来から来たもの同士、一緒に過去で散ろうぜ』

 

 

 

 

「大丈夫か!?」

 ISの全エネエルギーを失い地上に降りたラウラが、息も絶え絶えの湯屋かんなぎを引きずって歩く。

 レーゲンを消されたラウラは一夏に拾われたが、打鉄飛翔式の湯屋は運悪くアスファルトの上に落ちたのだ。

「あ、あ……くっ」

「少しだけ我慢しろ。まだ命はある」

 ゆっくりと湯屋かんなぎが顔を上げる。

「ラ、ラウラ・ボーデヴィッヒか……」

「もう少し安全な場所に……もっとも、この世にもう安全な場所はないかもしれないがな」

 青紫に染められた空を見上げ、ラウラがポツリと呟いた。数百メートルにも及ぶ壁が出来ているようだった。

「……あれが、全部……」

 何か喋ろうとして、湯屋が盛大に血を吐いた。

「黙っていろ」

 自分の無力さに歯ぎしりを立てる。

「逃げなさい、ボーデヴィッヒ少佐。私は……もう無理」

 万全の状態なら黒髪を几帳面にまとめ、いかにも生真面目な印象を与える湯屋かんなぎである。だが今は、絶望に心を折られた一人の女性にしか過ぎなかった。

「お前に聞きたい。武器はもうないのか?」

 弱々しい眼差しの湯屋が、ラウラの顔を見上げる。

「連隊に他のISはないのか? もしくはエネルギーを急速に充填出来る装置でも良い。とにかく武器を」

 重傷者がわずかに目を細め、それから呆れたような表情を浮かべる。

「まだ、戦う、気か」

「当たり前だ」

 間髪入れずに答えるラウラに、湯屋が微笑んだ。同時に吐血し、激しく咳き込む。

「このまま、そこ……の崩れた格納庫……へと連れて行け。ISがある」

「喋るな、目線だけで良い。あそこだな?

 湯屋が目を向けている先の、天井の壊れたIS用の格納庫に入る。

 いたるところに死体が転がっている。

「……あ、ずま」

 湯屋が小さく呟いた先に、少女の亡骸が転がっていた。

 ラウラはわざと聞き流し、先を急ぐ。

「あれか」

 壁際に立てかけられている物へ、湯屋が視線を向ける。

 それは半分ぐらい瓦礫に埋まった、黄金色のインフィニット・ストラトスだった。

「大きいな……レーゲンより二回りぐらい大きいか。救援を呼ぶ。ここでジッとしていろ」

 小さく頷いた湯屋を壁際に寝かし、ラウラはそのISへと走り出した。

 沈黙が包んでいた格納庫内に、靴音が響く。

「誰だ!?」

 反射的に身構えたラウラの視線の先に、白衣を着た一人の女性が現れる。

「こんにちは、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐」

「キサマは……」

「私は国津三弥子。玲美の母で、四十院研究所の所長代理よ」

「レミの。それで、何か用か?」

「そのISに乗る気?」

「ああ」

「操縦はかなり特殊よ。コツがいるわ」

「知ったことか」

「では」

 三弥子と名乗った女性が、長さ三十センチほどの、円筒形の物体をラウラへと放り投げる。

 それが何かを察したラウラは、あえて跳ね除けずに受け止めた。

 円筒形の物体から四つの小さな足のような物が飛び出てくる。ラウラの体に密着したそれが光を放ち、立方体のような物がラウラの体から現れた。

「ISを強制的に外す装置か。助かる」

「ラファール・リヴァイヴエイス・ルシファーを渡す代わりにお願いがあるの、ボーデヴィッヒ少佐」

「出来ることならな」

「彼が一つの願いを果たそうとしたとき、力づくで止めてほしい。学園のみんなと」

 その抽象的な祈りに、怪訝な表情を浮かべた。

「内容をはっきり提示しなければ、約束は出来かねる」

「きっとわかるわ。織斑君が止めようとするはず。だから、貴方も彼と一緒に止める方に回って欲しい」

「……一夏がそうするというなら、私もそうしよう」

「ええ、お願いね。あちらの女性は私が回収してあげるわ」

「頼む」

「では起動を」

 三弥子がパチンと指を鳴らすと、黄金色の機体が立ち上がり、人が乗り込めるように体の中心が開いた。

 ラウラは左目を覆っていた眼帯を剥ぎ取って放り投げた。金色に光る瞳が露わになる。

「……行くぞ、ルシファー」

 銀髪の少女は、再び戦場に舞い戻る。

 

 

 

 

『さて、鈴はさっさと退避だな。シャルロットとセシリアを千冬さんたちの逃げた方向へ』

「……了解。すぐ戻るわ」

『余計なことすんなよ、なあ、一夏?』

 顔を向けた先にいた一夏が真面目な顔で、

「お前が戻ってくる前に終わるさ」

 と独り言のように呟いた。

「終わっているのは正しいだろう」

 ジン・アカツバキの後ろには、ホバリングして敵を狙う蜂のような軍団がいた。

 それが隊列をなしている様子は、まるでジン・アカツバキが巨大な十二枚の翼を生やしているかのようにも見える。

 中心核となる紅蓮の装甲の顔は、バイザーによって覆われていて口元しか見えやしない。

「こっちの方向だったか」

 腕を組み、背中の腕を広げた紅椿が、顎を明後日の方向へ向ける。

 翼のような群体の一部が、金属同士をすり合わせるような音でさざめいた。

 その全てのレーザーキャノンへ光が集まっていく。

「このぐらいか」

 数百機のISが同時に砲身からエネルギーを解き放った。オレたちの方向ではなく、千冬さんたちが生徒を連れて避難した方向に向けてだ。

 まばゆい光が海を割き山を砕いた。

 その威力に、何を言えば良いのだろうか。

 半径五百メートル近く、長さ数十キロ以上を削り取る神の鉄槌だ。食らって生き残れるものなどない。

「……んなバカな」

 鈴がぽかんと口を開ける。

「当たっているといいが」

 明日の天気の話題のような、そんな口調だ。

 おそらくオレが強奪した全機がステルス機能を働かせていたせいで、推測でしかターゲットを絞れなかったのだろう。

 加えて、推測データでつけた目標で充分でもあったのだ。

『……生徒たちの退避先は近くの学校だったな』

 通信先を変え、研究所にいたスタッフに問いかける。

『総司さん、こりゃダメだ』

 中年の男性スタッフが震える声で強がったセリフを投げかけてくる。

『映像を』

『国際宇宙ステーションからの、リアルタイムです』

 オレの視界に浮いた画面に表示されていたのは、ただの亀裂だ。よく見ればその端っこに学校の門みたいな物が見えた。ただし校舎やら体育館やらグランドやらは、ただの暗い割れ目となっていて底は見えない。

 発狂しそうだ。

 そこにはブレードしか装備のないISのような物をまとった六百人以上の生徒たちと、千冬さんや山田先生たちがいたのだ。

『……てめええええええ!!!!』

 奥歯が自分の力で欠ける。

「次はこちらか」

 十二枚の群体のうち、四枚が上を向いた。

 推進翼を立てて、先頭に立つジン・アカツバキに向け突撃する。

 そこに数十の無人機が割り込んできた。

『どけよ!!』

 戦闘機形態から変化した人形が、こちらに向けていくつもの光を撃ち放つ。

『今さら、そんなものに当たるかよ!』

 目の前が血で濁る。

「どうしてもう当たらないと思い込んだ?」

 オレの横腹を一閃のレーザーが貫いていた。

 失速し始めたオレへ、数十機が群がってくる。

 クソッ、クソクソクソクソッ! なんでこいつらは、どうしてこいつらは!

「厄介な物体だが」

 数百メートルの群体をなした無人機どもが、その切っ先から光をまっすぐ上に解き放った。

 どこまでも伸びていくレーザーが、いくつもの雲を分解していく。

『国際宇宙ステーションからの常時通信接続が途絶! アラスカ航宙軍所属のラファール・リヴァイヴ、反応ロスト!』

 逃げ回るオレの耳に不吉な知らせが届いた。

「次は何を狙えば良い? 人間たちよ」

 ジン・アカツバキが蝶のように羽ばたいた。

 オレを追いかける十機は、最初にオレたちが戦っていた機体の生き残りだ。

 それら全部に攻撃され、自慢の推進翼が全て破壊される。

「お前を殺すわけにはいかんな」

 ディアブロの両手足が、人型へと変わった無人機に掴まれる。

 完全に動きを殺された。

「また、時を移動されても困る。ああ、それと」

 ジン・アカツバキが片手を日本の一部へと向けた。

 指先で銃の形を作ると、翼のような群体たちが再び鈍い光を漏らし始めていた。

「随分と邪魔をされたものだからな」

『……四十院研究所!! 全員退避しろ!』

 両手足を掴まれたまま、必死に通信回線へ叫ぶ。

『四十院さ』

 オレ直轄の部下である緑山の声が、ノイズとともに途切れて最後まで聞こえない。

 視界に映る通信回線用のウインドウにある表示は、切断の二文字だった。

 それだけで何が起きたかわかる。

「てめえ……」

 オレの部下たちは全員死んだんだろう。そこにいた国津や岸原も、あの一撃から逃げられるとは思えない。

 もう二瀬野鷹の声は出せない。その声は通信回線を介し四十院研究所のボイスチェンジャーで作られたものだったからだ。

「その……声」

 悠美さんがうわ言のように呟いた。

「まさ、か」

 ナターシャさんが耳を疑うように首を横に振った。

「……ヨ、ウ君?」

 玲美の体が震えている。

「ああ、キサマはその体であることを、誰にも言っていないのだったな」

 どうでも良さそうにジン・アカツバキが呟いた後、目の前に立った無人機がオレの頭部装甲を殴る。

 首を吹き飛ばされるかと思うほどの衝撃を食らった。

 思わず咳き込んだら、吐血してしまった。

「四十院……総司、副理事長」

 シャルロットがポツリと漏らす。

 魔法は解けた。

 二瀬野鷹は再び死に、四十院総司はそのウソを露呈された。

「あ、あははっ」

 その乾いた笑い声は、リアのものだった。

 緑山、赤木さん、青山さん、岸原、国津、それに他のスタッフたち、ごめん。出来なかった。

 どうやら、オレの旅はここで終わるようだ。

「人は不便だな。真実が見えないとは」

 天使どもに両手足を掴まれ、翼を破壊された四十院総司が自嘲する。

「真実なんて、クソ食らえだ、チクショウ」

 剥されたヴェールはこんなにも薄っぺらい。

 これで何もかもが、終わりだ。

 

 

 

 

 

「しかしなぜ織斑一夏は、それと姉さんの言っている二瀬野鷹か。その二人が男なのにISを動かせたんだ?」

「勘違いしちゃあいけないよ。ISコアから出来るインフィニット・ストラトスという物は全ての全てが全部、織斑千冬を基準に出来ている。何故なら、ちーちゃん用に作ったものだから。だから、ちーちゃんに似ている者ほど適正が高くなるんだよね」

「似ている?」

「顔とか声とか外見の話じゃないよ。総合的に見て織斑千冬たらしめている性格や脳の構造、その思考回路、血液の流れ、骨格と白血球とかミトコンドリアとかDNAとかRMAとか、後はそうだなあ、心とかかな。そういうのの総合的な数値がIS適正ってことかな」

「織斑千冬が基準……なるほど」

「世間が思っているより男性と女性は違ってる。これは脳とか体の話だね。だからISは女性にしか動かせない。それもちーちゃんから遠く離れた存在ほど適正が低くなる。だから男じゃ無理。ちーちゃん、ああ見えても乙女だからねー。でもまあ、いっくんならひょっとして動かせるかもしれない。何せ弟だから」

「男の中で唯一、織斑千冬と限りなく近い者。それが織斑一夏というわけか」

「それとは別にISを操作する基準となった人間がいる」

「誰だ?」

「もちろん、ワ・タ・シ! インフィニット・ストラトスの開発者にして、大、天、災!! 篠ノ之束さんなのだー! いぇい!」

 豊かな胸を張って得意満面な笑みを浮かべた姉に、箒は頭を抱えるようなポーズを取った。

「それで、だとすると、織斑千冬と篠ノ之束という二人に近い者ほどISで強くなるわけか」

「Die! Say! Xai! 大正解!!」

「イラっとするな、ホントに……」

 大はしゃぎの姉へ湧いた怒りで、箒はつい拳を握ってしまう。

「いやいやん、怒んないでよ箒ちゃん! そういうわけで、ISを使うための因子が私たちに近い織斑一夏と篠ノ之箒が、ルート機能を使えるわけ」

「ルート機能……さっきも言っていたな」

「絢爛舞踏がルート1、零落白夜がルート3だよ。ルート1である絢爛舞踏は私も動かせる。それと同様にちーちゃんだってルート3が動かせる。事実、零落白夜はちーちゃんが先に使ってたわけだし」

「ではその、ルート2という物は? それでは動かす人間がいないではないか?」

 箒の質問に、束が目を見開いた後、小さく頷いた。

「ルート2は理論上だけの物だったし、実証は出来なかったんだよね。でも動かす可能性がある人間ってのも、私たち以外に考えられる」

「誰だ? 私には姉以外もいたのか?」

「簡単だよ、推測だけどね。篠ノ之束が持つ因子をAとしよう。織斑千冬が持つ因子をBとしよう。この二つの因子がもし掛け合ったら? AB因子という組み合わせがもっとも強いよね?」

 ゴクリと喉を鳴らし、箒が息を飲む。

「それはつまり、ルート2という機能を動かす可能性を持った人間というのは」

「うんうん、そうだね。AとBの濃い因子を持つ人間が一番可能性が高い。つまり」

「つまり?」

「ルート2を動かした人間はおそらく、いっくんと、私か箒ちゃんのどちらかの子供だよね?」

 

 

 

 

 

「たかだか、2000機程度か」

 不敵な響きを持つハスキーな女性の声が響く。

 声がした方を振り向けば、織斑千冬がいた。

 その背後に白い六百機のISを引き連れている。

「千冬さん!? 生きてたのは良いけど、何で生徒たちを!」

 整然と整列した白いISは、オレが紅椿から強奪した機体だ。

 簡易的な最低限の機能しかなく、武装も身を守るためのブレードぐらいしかない。ISのようなものとしか呼びようがない急ごしらえのものだ。

「戦い方次第だ。諦めるのは早いぞ。何のために、お前はここまで来た? 何のために歯を食いしばった?」

 腕を組み、仁王立ちをするその姿に、ジン・アカツバキが舌打ちをした。

「そんなもので何をする? 織斑千冬」

 嘲笑う機械に、人間が嘲笑を返す。

「キサマがジン・アカツバキか。よくもまあ、好き勝手してくれたものだ」

「この過去を辿れば、キサマは篠ノ之束との私闘で、専用機の暮桜を失ったはずだ」

「失ったのではない、あれは私を守ったのだ。自らを石化し機能停止することを引き換えに」

「暮桜が復活した様子は見えないがな」

「暮桜の復活は無理だった。しかし国津三弥子博士の協力で、剥せなくなっていたISコアを取ることは出来た。ゆえに今の私はISを装備出来る」

「ISでも持ってきたか? だがキサマのスペックを生かせるISなど」

 千冬さんが組んでいた腕を開く。その手には迷彩色の装甲が部分展開されていた。

「手だけのIS? そんなもので」

「これはな、メッサーシュミット・アハトという機体だ」

 一夏とオレが驚く。世界で唯一、男性操縦者の二人ともが装着経験のあるオンボロ旧型機。パワーだけは一流の、逆に言えばそれしかない機体だ。

「千冬姉、腕しかない状態じゃ!」

「バカが。腕さえあれば十分だ」

「だけど千冬さん、そいつにゃ武器がねえ! いくら千冬さんでも! それに生徒たちも!」

「こいつらが自分で行くと言い出したんだ。ならば教師として先頭に立ち導いてやるべきだろう。それにだ、織斑、二瀬野」

 千冬さんが不敵に笑う。

「お前たちは、この機体の凄さを引き出せていなかった。では、行くぞ、IS学園全生徒、整列!」

 千冬さんの号令に従い、後ろに並んでいた六百機の機体が金属製のブレードを取り出した。

「一年一組、六番から二十四番!」

 千冬さんの声に合わせ、整列していた生徒たちの一番左にいた集団が、ブレードを放り投げた。腕しかないメッサーシュミット・アハトの前に、放物線を描き金属製の刃が落ちていく。

 千冬さんが何をするのか、オレにはさっぱりわからなかった。

 クルクルと回転しながら、ゆっくりと彼女の前に剣が落ちてくる。

「銃を撃つだけが、飛び道具ではない!」

 周囲を覆う雲のように並ぶ無人機たちに向け、千冬さんはISの手で、目の前に落ちてきたISのブレードを殴り飛ばした。

 撃ち出された刃が、音速の弾丸がごとく、可変型無人機の塊に突き刺さる。その勢いは止まらず後ろに並んでいた機体まで貫通し、その隊列に風穴を作った。

「なっ!?」

「はぁ!?」

 一夏とオレが同時に驚きの声を上げた。

 千冬さんの撃ち出した攻撃を食らった無人機が、光の粒子となって消えていく。

「さ、さすが教官、あのアハトでそんなことが出来るなんて……」

 リアがどこか嬉しそうな、呆れたような感想を漏らした。

 IS兵装の他機使用認証という機能がある。武器の持ち主が許可をすれば、他のISがその武器を使うことが出来る便利な技術だ。オレはこの機能を使い、メテオブレイカー作戦でレーザーライフルを一丁、一夏に貸し出したことがある。

 ただし距離が離れてしまえば、もちろん使えなくなるという制限も存在していた。

 そういった制限を打ち消すために、六百人の生徒たちは千冬さんの後ろに並んでいるんだ。

 望遠レンズで見れば、整然と並んでいる彼女たちの体が小刻みに震えていた。

 怖いんだろう。

 そりゃそうだ。相手は自分たちの三倍はいる殺人兵器で、出来ることは千冬さんに呼ばれたら、刀を放り投げるだけだ。裸で猛獣の檻の中にいるのと大して違わないだろう。

「たかだが六百機ごときで!」

 ジン・アカツバキが忌々しそうに叫ぶ。同時に壁のような陣列を作っていた無人機たちが、千冬さんたちに向けて波のように蠢き始めた。

「間違えるな、ジン・アカツバキ。六百『機』ではない」

「なんだと?」

「ここにいるのは、六百『人』だ」

 腕にのみISを展開した彼女の姿は、大勢のコーラスを従えた雄々しい指揮者のように見えた。

 

 

 

 

「フタセノヨウって子に注目し始めたのは、いっくんがISを動かしたときだったかなー」

 箒の隣に腰掛けた束が、足をプラプラと浮かせていた。

「だから結局、誰なのだ、二瀬野鷹という人物は」

 物真似をされたようで気に食わなかったのか、箒は立ち上がって姉を見下ろすようにして腕を組む。その姿を見て、束は懐かしそうに微笑んだ。

「もう一人の男性操縦者っていう存在は、私も最初は信じられなかった。そんなものは現れるはずがなかったからね」

「織斑千冬にも篠ノ之束にも、存在が近い男がいないからか?」

「強いて言えば私の親だけど、これは無理かな。因子が弱い」

「因子が弱い?」

「男ってだけで因子から大きなマイナスが入ると思った方が早いかな。男女の違いで大きな差が出るからね。だからいくら私の適正が高くても、私と半分しか繋がっていない『男』なら、動かすことが出来ない感じかな。わかる?」

「何となくわかる。つまり『男』で動かすことが可能なのは、織斑一夏と私たち二人の子供だけ」

「うんうん、さすが箒ちゃんだね。素直が一番。撫でてあげようか? っていうか撫でさせて?」

 立ち上がって襲い掛かろうとする姉に、箒は冷たい視線を送る。

「からかうな、姉さん。それで織斑一夏と篠ノ之束か妹の箒の子供なら、動かすことが出来るわけか」

 妹の視線を見て口を尖らせ、束はまたベッドに腰掛ける。

「ふーんだ。いいもんいいもん。でも、そういうことになるかな。だから私は疑った。もちろんこの時代にいっくんや私や箒ちゃんの子供を作るわけがないから、可能性は未来から来たということ。この私が考案したISは、最初から多次元戦闘機として設計してあったわけだし」

「なら、どうしてもっと早く手を打たなかったんだ? 姉さんが篠ノ之束というならば、出来たのではないか?」

「私も認めたくなかったっていうか……それにルート2は『心』を司るワンオフアビリティ。わかってるのは本人だけだしね。体をいくら調べても私やいっくん、箒ちゃんの子供って証拠は出てこない」

「姉さんにも人並の感傷があるのか。未来から来た自分の子供に戸惑うぐらいには」

 箒が姉に対し珍しく勝ち誇った気分で見下ろし笑みを浮かべる。

「ちぇー、私をみんな、何だと思ってんだいだい! んでんで、だけど未来から来た紅椿か白式がいる可能性にも気づいてたわけ。それでも、くーちゃんを逃がすしか出来なかったし、行先はルート2の体現者のところぐらいしか、確実なところがなかったんだよね」

「くー?」

「養子っていえばいいのかな。良い子だよん。今度、箒ちゃんにも会わせてあげたいかな」

「……また何か勝手にいろいろとしていたんだな」

「また?」

「また? いや、私はなぜ『また』など口にしたんだ?」

 両手を組んで首を傾げる箒に、束は優しく微笑みを浮かべる。

「うんうん、ゆっくりでいいよ。どうせ時の概念なんてあってないようなもんだし、間に合うか間に合わないかなんて、誰にもわからないんだから」

「また意味のわからないことを……」

「それで次元に開いた穴へ私は放り込まれて、この世界をウロウロしてて、箒ちゃんの居場所を察知したわけ。でも出る手段がなー」

「出る?」

「うん、とりあえず次のタイミングは出られると思う。だから、箒ちゃんは私がいなくなったら、自分で帰ってくるんだよ?」

「なんて無責任な」

 呆れたようにため息を吐く箒を、束は立ち上がって抱きしめる。

「ごめんね。でも箒ちゃんは心だけでここに来てるから、私と同じ方法で戻ったら心と体が分かれてしまう。私も向こうで戻せるように頑張るから、箒ちゃんも思い出してね?」

 いきなり抱きつかれて最初は戸惑っていた箒も、その懐かしい感触に目を閉じる。

「思い出す……何をだ?」

「箒ちゃんが、箒ちゃんだってことを」

 

 

 

 

 放物線を描いて落ちるブレードを、腕だけのISを装備した千冬さんが次々と両手で撃ち出していく。

 何十本の刃が同時に落ちて来ようとも、一つたりとも落とすことなく飛ばし続けていた。

「二の四、一番から十二番!」

 次々と放り投げられるブレードを、大きな袖を舞わせる神楽舞がごとき動きで、次々と攻撃を仕掛けていく。そのたびに無人機たちが光となって消えていった。

「三の二、十五番から二十一番!」

 千冬さんの声に呼ばれた生徒が大きな声で返事をする。すぐさまにブレードが放り投げられた。

 舞うように腕を振るって、次々と正確にブレードを打ちつけては発射していく。

 飛来する無人機たちは、音速の刃から逃げられず、一本の刃で二機三機と落とされていった。そんな無茶苦茶な攻撃が、千冬さんの腕の一振りで数本ずつマルアハたちに襲い掛かる。

 人の乗らないソイツらが、悲鳴を上げずに駆逐されていった。

 あれが、あのアハトかよ。

 元々は迷彩色の宇宙服とも言うべき形をした、鈍重な機体だ。全く意味をなしていなかったパワーアシスト機能を取り込み進化した、腕力特化機体だと報告で聞いていた。

「IS学園の生徒たちを守るように配置を! 攻撃は織斑教官に任せて、私たちはひたすら防御に!」

 叱咤するようなリアの言葉に、全員が我に返り、六百機の近くまで後退し始めた。

「落ちろ、織斑千冬」

 ジン・アカツバキの背後にいる千機以上のISが、一斉にレーザーを放つ。

「させねえ!!」

 一夏がその前に立ち塞がった。

 白式の左腕のシールドが、六百機の前面を覆う巨大な壁を構成した。

 その盾は、光線系の兵器に関しては無類の強さを誇る。実弾や実剣以外の全てを防ぐと言っても過言じゃない強さだ。

「織斑君!」

「あんな大きな盾を作れるなんて!」

「さすが一夏君! すごい!!」

 生徒たちから賞賛の声が上がる。

「喋るな、集中しろ、次は二の一、五番から二十九番だ!」

「は、はい!」

 無敵の盾の後ろから、音速の刃が次々に撃ちだされた。まるで巨大な布にナイフを立てて引き裂くように、ジン・アカツバキの群体が破壊されていく。

「さすがは織斑か!」

 それ以上の射撃は無意味と悟ったのか、青紫の翼を構成していた無人機の一団のうち、およそ二百機程度がバラバラに飛び始めてISたちに襲い掛かる。

 そこを狙い澄ましたかのように、数本の巨大なレーザーと誘導ミサイルが放たれた。

「遅いぞ、ボーデヴィッヒ」

「申し訳ありません、教官!」

 黄金に光を放つ巨大なISが、壊れかけていた格納庫から姿を現した。

 通常のISを三機重ねたような鈍重さを見せる機体には、ありとあらゆる遠距離兵器が積んである。飛ぶことを捨てた砲戦用のインフィニット・ストラトス、通称『ルシファー』だ。

「だから教官では……今はそれで良いか。次! 一の三、十九番から一の四の十番」

 いつもの呆れたような口調が、とても千冬さんらしい。

「私もいますよ!」

 生徒たちの白いISの間から、緑色の機体が飛び出してきた。その手に持ったグレネードランチャーで近づいてきた一機を撃ち落とす。

「山田センセ!」

「大事な生徒たちを誰一人として、死なせませんから!」

 メガネをかけた優しげな顔が、今は歴戦のパイロットの表情を携えていた。

 そんな真耶ちゃんの奮闘を余所に、数に任せて数十機が突っ込んでくる。

「させるか!」

 バラバラに飛び回る羽虫を一層するように、炎が薙ぎ払われた。その強力な火炎放射器は、ルシファーの物だ。

 その中で生き残った一機の無人機が、ISたちの隙間を縫って無防備な生徒たちに攻撃を仕掛けようとする。

「甘いってね!」

 一本の槍が突き刺さる。

 生徒の間から、青い半透明の装甲を持った機体が現れた。

「ミステリアス・レイディ・バビロン。今さら参上!」

 楯無さんが空中に浮かび、ブイの字を作っていた。

「といってもー、ただの未完成品だけど、ねー」

 のんびりとした調子の声がからかうと、楯無さんは苦笑した。

「国津博士の隠し玉ってヤツだし、もうこの際は仕方ないわよね!」

 国津が? そんな機体を?

 四十院総司の友人の動向は全て掴んでいたつもりだった。

 もちろん、国津が四十院総司に何かの疑惑を抱いていたことは何となく気づいていたが、彼にそこまでの度胸があるとも思っていなかった。

『まあ、キミには驚かされてばっかりだったけど、ずっと前から一度ぐらいは勝ってみたかったしね』

「国津か」

 通信回線に移ったウィンドウでは、国津幹久が厳しい表情を浮かべている。

『聞きたいことがいっぱいあるよ、キミにも三弥子にも』

 十二年間騙し続けられた男が、そんなことを言った。

 四十院総司に返す言葉はない。

 オレの感傷をよそに、起こりえないはずのIS同士の大規模戦闘が繰り広げられていた。

 

 

 

 

「何が……場違いだ」

 呼吸を乱した織斑マドカが海面から、基地のテトラポットに這い上がる。

 空を見上げれば、あり得ない事態が起きていた。

 千機以上のISと六百機以上のISが二つに分かれ、戦闘を繰り広げている。

 その中心にいるのは、織斑千冬と一夏の二人だった。

 マドカはボロボロに破壊されたISで、先端を切断されたライフルを取り出した。

「……何が、場違いだ。織斑一夏」

 全てを怨むような歪んだ目で起き上がる。

 

 

 

 

 周囲を見渡した。

 目の前では、最後の決戦とでも言うべき光景が広がっている。

 六百機のISを引き連れた世界最強の女性と、それらを守るように立ち塞がる専用機持ちたち。

 それらを打ち砕かんとばかりに総攻撃を仕掛ける、ジン・アカツバキを中心とした可変戦闘機型千機オーバー。

 少し離れた場所に置いていかれたのは、数機のISに拘束されたままのディアブロ。そのパイロットは二瀬野鷹と偽っていた四十院総司だ。

 誰もこちらを見ない。

 そうだろうな。騙し続けたんだ。これが報いってヤツだ。

 なら、ここが死に場所ってヤツだろ。

 何とか周囲にいるマルアハたちを振り解こうともがいてみる。

 ビクともしないどころか、より強い力で締め付けられる。

 もがき続けるオレのすぐ近くから、

「オジサン」

 と幼さの残る声が聞こえてきた。

 体中から冷たい汗が溢れ出る。

 後ろからかけられた声の主は、遥か昔に恋をした女の子のものだ。

「何か、言わないの? オジサン?」

 ディアブロを掴んでいたISが玲美により破壊され、体が自由になる。

 だが目の前の少女の視線に、オレは指一つ動かせなかった。

「何をだい? 玲美ちゃん」

 鼻で笑った。

 それが四十院総司だと思ったからだ。もうここに二瀬野鷹はいない。

「何も、言わないの? オジサン?」

「ああ、そうだね。騙して悪かった」

 化けの皮は剥がれたのだ。

「必ず生き残ってね、オジサン。かぐちゃんが悲しむから」

 オレを二瀬野鷹だと思い込んでたときとは、まるで違う声の温度だった。

「何を言えば良いのか……でも、ありがとう、オジサン」

 それでも優しげに言ってくれた玲美が、オレの近くから飛び去っていく。

 その背中を横目で見送ると、誰にも話していないオレの願いが、心の表側に湧き上がってきた。

 

 

 

 過去に遡り未来を変え、人の生き様を変え続けてきた。

 そういう風に暗躍した心しかないオレは、もはや人間じゃない。

 自分が怪物になったと知ったら、みんな、こう思うだろ?

 殺してくれってさ。

 それでも無駄に死ぬことは許されない。

 肉体が死んでもオレの心が死ぬとは限らない。再び死んだ誰かに生まれ変わってやり直すだけかもしれない。

 祈りと願いは一つずつ。

 オレはみんなの幸せを祈ってる。

 今までに出会った良いヤツら、優しい人たち、面白いヤツら。そういう人間たちがいつか幸せになれる。そういう世の中であるように祈りながら、戦ってきた。そのために今も、ジン・アカツバキを倒そうと頑張っている。

 それとは別に、二瀬野鷹として願うことは一つだ。

 オレは早く死にたい。

 この体から解き放たれ、どこにも生まれ変わることなく死んでしまえるように、十二年前からずっと願い続けている。

 

 

 

 

 















無限の剣製(物理)


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39、デッドエンド

 

 

 

 戦いは拮抗していた。

 織斑姉弟を中心にした抵抗は、多勢を寄せ付けずに跳ね除けていく。

 千機以上のISを群がる虫のように蠢かせて、ジン・アカツバキの軍隊が襲い掛かる。

「やはり立ち塞がるのは織斑一夏か!」

 レーザーキャノンが束ねられた鎖のように撃ち放たれても、そのシールドが全てを受け止めた。

「やっぱりってほど立ち塞がって記憶はねえけどな!」

 光学・光線系兵器をことごとくカットする巨大な盾に対し、ジン・アカツバキの背後には十六連ミサイルポッドが二十機現れる。

「落ちろ! 織斑一夏、織斑千冬!」

 三百二十発の誘導弾が放たれた。その全てが一夏に向かい整列して襲い掛かる。

「残念ながら、私もいるのよね! 大淫婦(ミステリアス・レイディ)・バビロンよ、以後、お見知りおきを、カミサマ!」

「何だ、その機体は!? ミステリアス・レイディは破壊されたはずだ!」

 半透明の装甲を持つISが一夏の後ろに現れ、門を開くように両腕を振るう。

「どうしたって悪魔はカミサマに逆らうものらしいわよ、紅椿!」

 高水圧のヴェールが一夏のシールドの前に展開され、ジン・アカツバキから放たれたミサイルが全て落とされた。

「こちらからも攻撃をさせてもらおう!」

 ラウラのまとった黄金色の機体が、背中にある六本の副腕を伸ばす。その腕の先にはレーゲンに搭載されているのと同型のレールガンが備えられていた。

 他のISの三倍の太さの脚部装甲背面から、体を固定し電流を逃がすためのヒールが飛出し地面へと突き刺さる。

「放て金星の輝き、ルツィフェル!」

 十二本のレールで構成された六つの砲台の全てから、紅蓮の装甲目がけて秒速7キロの弾丸が放たれた。

 それを防ぐように数十機の無人機が、五列の列を組んだ。

 砲弾はうち四列を吹き飛ばし、五列目に食い込んでジン・アカツバキの手前で止まる。

「穴が空いたなら!」

 玲美が大きな砲台を構え、空中に舞い上がった。

「理子、HAWCブースター・ランチャー、天の女王(メレケト・ハ・シャマイム)、撃つよ!」

 荷電粒子砲から、緩やかなカーブを描いて、ISを覆い隠さんばかりの大きな光の線が伸びる。

「くそっ、またその機体どもか!」

 手に持った銅鏡のような形の盾でその攻撃を受け止めつつも、ジン・アカツバキが悪態を吐いた。

「おいおい、回りには気を付けた方が良いぜ、ISさんよ」

 一夏の斜め後方で腕を組んでいたオータムが、邪悪にも見える不敵な笑みを浮かべた。

 ジン・アカツバキの周囲を、大きさ数センチの極小のビットが取り囲んでいた。無人機たちの影に隠しながら展開させていたのだ。

「ちっ、蠅が!」

「死ね」

 パチンとオータムが指を鳴らすと同時に、小さな爆発が連鎖し巨大な火の塊となった。

 主を攻撃にさらされながらも、無人機たちの蠢動は変わらない。

 群れを成すイナゴのような塊は、その黒い点全てがインフィニット・ストラトスだ。

「三の八、一番から残り全部、来い!」

 千冬の掛け声に、生徒たちの返事が重なる。

 放り投げられた八十本のブレードが、メッサーシュミット・アハトの腕によって音速の弾丸と化し、黒い塊に風穴を開けていく。

 生き残った無人機たちが、一夏の作る光の防衛線を突破し、無防備な六百機へと襲い掛かろうとしていた。

「それ……ぐらい!」

 手に持った薙刀を振り下ろし、更識簪が一機を切り落とした。

「最終防衛線は硬いですよ!」

 真耶が両手で持ったサブマシンガンが、相手の推進装置を的確に破壊していく。

「子供が殺されるのは、好きじゃないのよ!」

 シルバリオ・ゴスペルの推進翼から、光る羽が数機を巻き込んで爆発させる。

「黒兎隊を舐めないでよね!」

 眼帯をつけた少女が、突破してきた一機にブレードを振り下ろせば、敵は光の粒子となって消えていった。

 そこでは、人と機械の意地がぶつかっている。

 時の流れに沿って生きている人間たちと、時を遡って現れたインフィニット・ストラトスたちとの死闘だ。

 片方は生き残るため、片方は絶滅させるため。

 それは、生存と進化をかけた戦いだった。

 

 

 

 

 

 車の後部座席に湯屋かんなぎを乗せ、国津三弥子がジープを走らせる。

「……四十院、総司か」

 視界の端には、壊れたISを身に着け、ゆっくりと空中を進んでいく男が見えた。どう見ても二十代後半にしか見えない、四十院研究所の所長だった。

 基地の敷地を抜けて、戦場から離れていく。

 海岸線の道路沿いに強い潮風が吹きすさんでいた。

 そこで国津三弥子は車を止めて、空を見上げる。

 避難していた生徒たちの六百機は、織斑千冬とともに戦場に向かった。

 彼女が知っている記憶の中では、ここでIS学園の生徒は全滅している。今回はそれを防ぐことが出来た。

 だが彼女が本当に変えたい未来は、もう少し先の話でもあった。

「……まだ、願いが変わらないんだね」

 前回、少年の願いを知ったとき、彼女はその未来を裏切った。

 結果として、ジン・アカツバキを守ることになったが、今でもそれが正解だと思っている。

 そこから十二年前に戻って進んだ道は、自分の手によって少しずつ変えられてきた。

 大きく変えることで決定的なチャンスを失うかもしれない。だが変えなければ変わらない。

 自分の知る未来を進むというのは、薄氷の上を歩くようなものだ。一挙手一投足が未来を変えていってしまい、自分ではどうにも出来ない状況を生んでしまう。

「三弥子さん」

 声をかけられて振り向けば、そこには岸原大輔と国津幹久が立っていた。

「岸原さん。こちらにあなたの元部下が。応急手当はしているけど、傷は酷いわ」

 彼女が車から降りて優しく微笑みかける。

 その言葉を聞いて、岸原が慌ててジープに駆け寄った。後部座席にいる女性を見つけ、ホッとため息を吐く。

「ありがとう、助かる。とりあえず治療を出来る場所へは連れて行こう。状態はひどいな。湯屋くん、頑張れよ」

「きしは……ら、いっさ、あ、ずまが」

 上手く開かない唇から、小さな泣き声が漏れてきた。岸原は死に瀕した元部下の手を力強く握り返し、

「キミまで死んではダメだ」

 と励ますように声をかけた。

「三弥子さん、悪いが車はこのまま貰っていく」

「はい、お願いします」

 岸原はそのまま運転席に飛び乗り、エンジンをかけた。

「結局、あのシジュは何者なんだ?」

 サイドブレーキを下した岸原は、アクセルを踏む前に少し棘のある口調で三弥子に尋ねる。

「四十院総司ではありません」

「……やはりそうなのか」

「でも、彼だって望んでいるわけじゃないんです。彼自身が一番、自分を気持ち悪いと思ってるんですよ」

 悲しそうに目を伏せ、男たちに背中を向けた。

「彼、というのは誰だ? 俺たちの知っている男なんだな?」

「岸原さん」

「あ、ああ」

「貴方はもし、自分が化け物になってしまったら、どう思いますか?」

「化け物?」

「そうです。自らが見るに堪えない化け物になってしまい、体が自分の体ではなくなってしまった。そして、もう戻れないのは確定しています」

「ハリウッドのゾンビ映画か何かの話か?」

「答えは?」

「……そうだな。死にたくないか、死にたいと思うだろうな、きっと」

 少し困ったように頭をかきながら答える岸原に、三弥子は口元を綻ばせた。

「つまり、そういうこと」

「よくわからないが、詳しくはまた聞かせてもらおう」

 岸原がアクセルを踏み、幹久と三弥子を残してジーブで走り去っていく。

 それをしばらく見送った後、白衣の女性は再び、戦闘の光が走る空域に目を向けた。

「三弥子さん……」

「お仕事は終ったの?」

 幹久がばつの悪そう顔で視線を逸らした。

「ミステリアス・レイディ・バビロンなんて言っても、私が勝手に作った試作機だし、本当に更識君の手助けになるか」

「パパは昔から良い仕事をしてたと思うわ。もっと自信を持って」

「キミにそう言ってもらえると助かるけれど……」

 幹久が憑き物が取れたようにホッとした笑みを浮かべる。

 だがすぐに思いつめたような表情に戻り、

「三弥子さん、いや三弥子」

 と妻の名前を呼びかけた。

「何かしら?」

「キミは……そうだな。聞く勇気がなかったことを、この際だから聞いておこう。キミは四十院総司のことが……好きだったのかい?」

 戸惑いながらも真っ直ぐに尋ねる夫の言葉を聞き、その女性は首を横に振った。

「いいえ」

「十二年前の事故の後から、私に体を触れさせなかったのは、そのせいだったのか?」

 彼女は彼が四十院に対抗する一心で、内密にISを拵えたことを知っていた。それがIS業界に君臨する偉大な男への嫉妬から来たものであったこともわかっている。

「違うわ。大学のときの国津三弥子はそうだったときがあるかもしれない。でもきっと違ったはず」

「違ったはず?」

「私は……国津三弥子じゃないから」

 一際強い風が吹いて、彼女の白衣と、少しだけ癖のある髪が空中に舞う。

「……どういうことだい?」

「四十院総司も国津三弥子も、あの事故で死にました」

「三弥子?」

 怪訝な顔つきの幹久が妻の名前を呼ぶ。

 声をかけられても、彼女はもう何も答えずに、一人の男を遠くから見つめていた。

「三弥子……」

 国津幹久には、悲しげに妻の名前を繰り返すしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「では、ディアブロという機体は何者なのかって話だよね」

 可愛らしく首を傾げたまま、篠ノ之束が部屋の中をうろうろと歩き回る。

「ディアブロ?」

「そう。悪魔って名前を名づけられた機体。この時代で作られたにしては、オーバースペック過ぎるIS。まるで私が直接作ったISのような性能を誇るなんて、あり得ないと思わない?」

「いや、姉さんの凄さが私にはいまいちピンと来ないんだが……」

 ベッドに座った箒が呆れたように見上げている。

「ひ、ひどい! お姉ちゃん泣いちゃう……シクシク……」

「わざとらしい泣き真似はよせ。言いたいことがあるなら、さっさと言え」

「だんだん扱いがいつもの箒ちゃんになっていく……。でも負けない! それでそれで私が調べた結果、あの日、IS学園で反応を示したISコアのナンバーは2237。つまり私の知らないコアだったわけ。それっておかしくない? ないかな?」

「ISは名目上467機しかないからな」

 訳知り顔で箒が答えると、束が微笑む。

「一応、私の作った誰にも渡してないコアがあるけど、それも数は少ないから絶対に五百はいかない。だから絶対に未来から来たと確定した。でも、未来から来ることの出来る機体は、実際はルート2とルート3だけ」

 姉の言葉に、妹が眉をしかめる。

「ルート1はどうした? 未来から来ているのではなかったのか?」

「ルート1・絢爛舞踏に時を超える力なんて存在しないはずだった。だから強力なエネルギーを必要としてしまった。いわば力技で次元の穴を開けている状態だね。多分、あの紅椿は私より強くて、ディアブロって機体より弱いと思う」

「弱い?」

「本体から切り離された端末に過ぎないんだと思う。そうじゃなきゃ、この時代のISやルート2にここまで手間取るはずがない。次元の壁を超えて力尽きかけた本体は、端末を何とかこの時代に送り込んだってレベルなんじゃないかな。私を殺すことよりも、不意をついてここに送り込むのを選んだのもそう。あの端末自体に大した力がなかったからだと思う」

「しかし時間を超えられるなら」

「簡単に時間を超えられないから、情報が時間沿いにしか手に入らないんだよね。切り離された端末だから。エネルギーを集め終えれば再び次元の穴を開いて本体と繋ぎ、時を超えるつもりだと思う」

「なぜ、この時代なんだ?」

「わからないけど、一番効率が良かったからじゃないかな。ISが力強く、なおかつ性能が低い時代。予想外だったのはルート2が追いかけてきたこと」

「ふむ」

「だから、ルート2、つまりディアブロはそれなりの性能を持つ機体なんだと思う。搭載された『心』が何らかの原因で弱っているか、無理をしたせいで記憶が混乱しているのか」

「なるほどな。本来の力を発揮できない同士で世界を巻き込んで戦い続けたのか。はた迷惑な話だ」

「勘違いしちゃいけないよ、箒ちゃん」

「何をだ?」

「世界を巻き込むなんて表現は、間違ってる。正しくは世界はいつも繋がってるのだから。巻き込まれているんじゃない。どんな些細な出来事であろうとも、常に世界の中心で物事は起きてるのさ」

 

 

 

 

 

 バアル・ゼブルの極小ビットによる爆発が晴れ、ジン・アカツバキの姿が露わになる。

「ふん、そうは言っても所詮はこの時代のISか」

 腕を組んだままのISは、攻撃を食らう前と変わりない姿で立っていた。

「無傷……か」

 リア・エルメラインヒが眉間に皺を寄せる。

「しぶといヤツらだ」

 ジン・アカツバキは腕を組んだまま、呆れたようにため息を吐いた。

 自らへ向かい飛んでくる音速の刃を、ISの指二本で掴み取って砕いて見せる。

「織斑千冬といえど、この程度とは」

「さて、どうだろうな」

 不敵に笑う千冬が撃ち出した金属のブレードが、翼のような形で群れを成す無人機たちを次々に葬っていった。

「所詮は消耗戦だ。単純な計算だろう」

「単純な計算だけでやれるなら、お前はここまで苦戦はしていない」

「まあ、その通りだ」

 バイザーで隠された顔に表情は見えず、口元だけが苦笑を浮かべていた。

「悪いが、どこまでも悪あがきをさせてもらうぞ」

 ラウラが装着した黄金の機体が一歩、前に進む。その重量で地面のアスファルトが沈んだ。

 相手は健闘する人間たちを見渡し、最後に巨大な光るシールドを展開させた織斑一夏を一瞥して鼻で笑った。

「悪あがきは構わんが、白式のエネルギーが持たないだろうな。それこそ、紅椿がなければ」

 その様子を見て、リアが腹立たしげに口元を歪める。

「何か言いたいことがあるなら、ハッキリとどうぞ!」

「ああ、特にはないがな。お前たちが戦うのは構わん。だが、その間にも」

 紅蓮のISの背後で、群体を為す無人機たちが蠢いた。

「世界は壊していくぞ。お前たちの心を折るために、守る価値をなくすためにな」

 

 

 

 

 光のない低軌道上、暗い宇宙に破壊された宇宙ステーションの破片が漂っていた。

 その宙域に一機のISが現れた。今まで一夏たちが戦っていた無人機と同じ機体である。

 瞬く間に追随するような形で機体が増えていった。

 合計百機の物言わぬ軍隊が、宇宙に姿を見せた。

 全機が地球に向けて、その先端の砲身を向ける。

 今まで一秒足らずで発射されていた光線兵器だったが、イグニッション・ブーストと同じ要領でエネルギーを機体内にチャージし始める。

 約十秒の後、レーザーキャノンが最大出力で投射された。

 その狙いは、ドイツにあった一つの基地だった。

 着弾点には、最新鋭のISを擁する特殊部隊が駐屯している。

 部隊の名は、シュヴァルツェ・ハーゼ。全員が左目に黒い眼帯をつけた、欧州有数のIS部隊だった。

 

 

 

 

「当たったのは、ドイツか」

 ジン・アカツバキの言葉に、ハッとした様子でリアが視界のウインドウを起こす。

「……あ」

 小さく口を開けて、引き金を引いていたISの指が止まる。

 ラウラの口の中で、白い歯がカチカチと音を立てていた。

「基地が……」

 ラウラとリア、そして一夏の目には同じウィンドウが共有されていた。

 そこに映るのは地面ごと削られたドイツ軍の基地であり、彼と彼女たちにとって馴染みの深い建造物の瓦礫だった。

「クラリッサ!! 応答しろ、クラリッサ、クラリッサ・ハルフォーフ!!!」

 悲鳴のようなラウラの声が戦場に響く。

 世界が破壊されていく。

「バカ……な。おい、みんな、応答しろ、みんな! ウーデ……ルイーゼ……ティア、マリナ!!」

 一夏が必死に叫ぶ。だが、もちろん返事はない。

 六百機強の隊列前面を覆うシールドの光が揺らぐ。

「集中しろ、馬鹿者ども! 揺らぐな、それこそ世界が終わる!」

「だ、だけど千冬姉!」

「今はアイツらを信じて、目の前だけを見ろ。次は我々が、ここにいる全員が死ぬぞ!」

 喝を入れるために叫ばれた声が、ラウラやリアの耳には届かない。

 そんな彼ら彼女らを嘲笑うように、ジン・アカツバキが小さく笑う。

「次はどこがお望みだ? イギリスか、アメリカか、フランスか。あちらなどどうだ?」

 紅蓮の神が指差す方向に、天と地を繋ぐような光る柱が降りてくる。

 地響きが陸続きの本州全域を揺らした。

 破壊されたのは関東地方の山奥。織斑一夏や二瀬野鷹の友人たちが避難している地域だった。

 

 

 

 

「いっくんがヨーロッパにいたときに、何で白式はディアブロの恰好を真似てたのかな」

「え? いや一夏はヨーロッパなどには」

 驚いた箒を尻目に、束はイスに座って型遅れの古いPCの画面を見つめていた。

「行ったんだよね。箒ちゃん、とりあえずその本の話は置いておいて。箒ちゃんがいた世界では、いっくんはIS学園に入る前、ヨーロッパにいた。そして白式はディアブロの恰好を真似て、ヨーロッパで暴走をしていた」

 メカニカルキーボードを面倒くさそうにタッチしながら、束がつらつらと説明を続ける。

「よくわからないが……そうなのか」

「私はちょっと驚いて、調べちゃったんだよね。私は白式を回収して調べたんだけど、そしたら四十院って男が白式を暴走させたっぽいね」

「四十院、先ほども出た名前だな。何のために?」

「あのままじゃひょっとしたら白式が二瀬野鷹の元にいってたかもしれない。それじゃ大した力は発揮できなかったと思う。零落白夜はひょっとしたら二瀬野鷹でも発動出来たかもしれないけど、いっくんかちーちゃんの方が強かったはず」

「つまり、四十院という男はわざと白式を暴走させ日本を離れさせたのか」

「そうなるね。で、もう一機。ナンバー2237という未来から来たISコアを使った機体。これは最初にどういう形になったと思う?」

「問われてもさっぱりわからん」

「ななな、なんとー! 白騎士に似てたんだよね。テンなんとかいう機体で作ったはずなのに、勝手に形態変化までして!」

「白騎士に?」

「覗き見してた私はちょっと驚いちゃったよん」

「だが、白騎士ではないんだろう?」

「もちろん。で、私は考えたわけ。未来の人間は何を考えて、そんな機体を作ったのか」

「何を考えたと思うんだ?」

「おそらく、ルート1に勝とうとしたんだ。だからルート2を作って、すんごい強い機体を作ろうとしたんだと思う」

「だから、ルート2が何なのかがわからなければ」

「ルート系機能が搭載されていた機体は四機。紅椿、白式、暮桜、そして白騎士」

「最初のISにも搭載されていたのか」

「だって零落白夜使えたじゃない? あれはテスト機だったからルート機能全てが搭載されていた。私が乗れば絢爛舞踏が、ちーちゃんが使えば零落白夜が使えたってわけ」

「ふむ、つまり私が使えば絢爛舞踏が、一夏が装備すれば零落白夜が使えた機体というわけだな、白騎士は」

 座っていたイスを回し妹の方を振り向くと、束は嬉しそうな顔で大きく手を広げた。

「そうそう、そういうこと。段々わかってきたね、箒ちゃん」

「ここまで説明されればな。自分が考えていることはあまり無いんだが」

「今はそれで良いよ。じゃあルート2はって話なんだよね。ルート2だけが、ディアブロという謎の機体で使われてた」

「未来で作られたISというわけだな」

「うんうん。じゃあ未来人たちは何を作ったのかって話だよね」

 キーボードから手を離し、

「何を? 強いISではないのか?」

 箒の素朴な質問に、束は意味ありげな笑みを浮かべた。

「ルート機能により、人類は勝利と未来を作ろうとした。そのために、おそらく簡単な解決方法を取っただろうって話さー」

 

 

 

 

 

 おそらく宇宙にも無人機の大群がいるんだろう。

 世界各地で、何もわからぬまま人々が消滅し続けていた。

 ロンドンはダウニング十番地を中心に破壊された。ワシントンDCのペンシルバニア千六百番地は沈黙した。

 EUにいた人々は数百万単位で消し飛んでいき、極東アジアの中心は焼き尽くされた。

 西アジアの石油マネーで作られた煌びやかな都市が沈んでいく。南スーダンでは政府軍と反政府軍がともに通信途絶となり、太平洋を航行していた巨大タンカーが海水とともに蒸発した。

 地球が終わっていく。 

 必ず生き残ってね、と玲美に言われた。神楽が悲しむからと。

 生き残るのは簡単だ。このまま、何もしなければ良い。

 ジン・アカツバキはオレを殺すことが出来ない。また過去に戻られて改変されては困るからだ。

 その代わりに無人機たちが檻のように取り囲んでいる。

 どのみちオレは唯一の武器である推進翼を破壊され、前に進むことが出来ず、四十院総司であることがバレてしまえば、オレの存在は全てをまとめるキーとなりえない。それに今、その役目は一夏と千冬さんが担当している。

 出来ることは奪われた。

 あとは一夏たちが頑張るのを眺めるだけになるだろう。

 千冬さんが来るまでの時間稼ぎが出来ただけでも、オレにしちゃ大したもんだ。

「だけど」

 あそこで行われているのは、単なる消耗戦に過ぎない。一夏のエネルギーが尽きれば瓦解する儚い抵抗に過ぎないのだ。今現在、あんな巨大なシールドを広げているだけでも、すごいってもんだ。

「手は……」

 通信先を選ぼうとしても、四十院研究所は破壊されスタッフはおそらく殺された。

「何か……」

 オレ自身のISは、まともに動くことが出来ない。推進装置がなければ、メッサーシュミットよりも鈍重な機体が残るだけだ。

 冷静に考えろ。

「手段はないか」

 あるじゃねえか。

「さあ、もう一回死ぬか」

 いちかばちかの確率に賭ける。

 再びやり直すしかない。成功すれば、この戦いすら起きないのだ。そして今回で得た知識が次の体で役に立つだろう。

 それで失敗すれば、また次だ。

 何度でも死に続け、何度でも繰り返してやる。

 どんなに辛い次回が待ち受けようとも、オレは二瀬野鷹だ。

「ディアブロ」

 推進装置としての役目を失った翼を引き抜いた。

 今はただの剣でしかないソードビットだ。

 首に刃を当て、胴体と頭を切り離せば四十院総司は死ぬ。

 たったそれだけのことだ。

「さあ、行こうぜ。再び過去へ」

 目を閉じて、腕に力を入れた。

 だが、手が動かない。

 ……自分の手が拒否してるんだ。

 他人の振りをして、他人を騙して生き続ける人生が、どれだけ辛いか。

 自らの存在を誰にも認識されずに、知っている悲劇すらやり過ごすこともある。

 オレは死にたいのだ。

 これ以上、繰り返したくない。

 その恐怖が、オレの手を硬直させている。

『お父様』

 そのとき、愛娘の呼び声が聞こえた。

「……どうしたんだい、神楽」

 反射的に父親の言葉で返した。

『お父様……』

「その名でオレを呼ぶなよ、神楽」

『あなたは、誰なんですか?』

「ボンクラ少年だった男さ」

 推進装置は破壊された。

 だから歩くぐらいの速度しか出ないPICだけで、ゆっくりと戦場に向け進んでいく。

『……いつから、でしょうか』

「十二年前さ。オレというヤツが、十二年前に死んだ男の体に生まれ変わって、そのままウソを吐き続けたんだ」

『一つだけ、教えてください』

「どうぞ」

 オレに気づいた数十機の戦闘機型が、ノーズにあるレーザーキャノンをこちらへ向け撃ち放った。

 翼だった剣をクロスして受け止めようとしたが、威力を殺し切れずに吹き飛ばされる。

 すぐに慣性を制御し態勢を立て直して、再びゆっくりと進み始めた。

 どうせ殺傷力のない攻撃だ。恐れることはない。

 目の前の光景は、盛大なピンボールゲームのようだ。

 数多の光の線が伸び、六百機強のISに襲い掛かる。

 その前面を半透明の白い壁が包みこんでいて、敵からの攻撃全てを防ぎ切っていた。

 オレは輪に入れない。仲間の輪から外れ、人の輪から外れ、時の輪から外れた。

 織斑千冬が撃ち放つ無数の刃が、紅椿の背中に生えた群体の翼を切り裂いていく。

 一夏のシールドをすり抜けて攻撃を仕掛けようとしていた。

 メッサーシュミット・アハトの腕により発射されたブレードが数機単位で吹き飛ばし、漏らした数機を生き残ったパイロットたちが撃ち落としていく。

『お父様は……』

「なんだい?」

『私たちを騙して、楽しかったのですか?』

 苦しそうな娘の声が、耳に痛い。

「そんなわけねえだろ。苦しかったに決まってる。だけどな、真実を告げても」

 再び狙い澄まされたレーザーを、何とか剣で防いだが、一本が砕け散った。

 そういや、IS学園を出るきっかけになった、あの事件。

「どうせ、誰もオレを信じない」

 あのときも、こんなことを言ったな。

『そう……ですか』

「お前たちが育っていく姿が苦しかった」

 少しだけ怨嗟を漏らしても、構わないだろうか。ウソとはいえ、娘に愚痴を零すのはカッコ悪いかもしれないな。

「お前たちが大人になっていく姿が嫌いだった。子供の成長は早い。よく似た子供だった少女たちは、少女たちそのものになっていく」

 ちょっどだけ呼吸が苦しい。よく考えたら、どてっぱらに風穴開けられてたんだっけか。

「自分でも思うよ。どうして十二年間も我慢したんだろうってさ」

 世界最速だった頃など見る影もないスピードで、光と刃の交差する戦場に足を踏み入れる。

『何故だったんですか、お父様』

「だってさ、神楽」

『はい』

「みんな良いヤツだったじゃん」

 そんなつまらない動機だった。

 たった二か月ちょっとの平穏なIS学園生活は、十二年も経った今じゃ、かけがえのない宝物になった。色んなヤツと一緒に過ごした季節は、自分で捨て去った今でも、輝いてる。

「理子とバカな話をして笑い合ったりさ」

 衝撃を食らって、左肩が吹き飛んだ。

「玲美と普通の高校生みたいな恋愛ごっこも楽しかった」

 薄皮一枚と筋肉の塊一本で左腕がぶら下がっている。

 次に右足の付け根から先が消し飛んだ。肉の焦げる匂いが鼻につく。

「だから二瀬野鷹が嫌いだった」

 剣一本をぶら下げて、オレはゆっくりと紅椿の元へ進み続けた。

『それでも、お父様は』

「何だよ」

『頑張ったのですね』

 労わるような優しい声音に、つい鼻が鳴る。

 何言ってんだよ、お前。

「会話は以上だ。オレはお前の父親じゃねえ」

『お待ちください』

「なんだい? 神楽」

 最後にしよう。娘と接するのも。

『最後に一つだけ、私のお話を聞いて下さい』

「まあ忙しくて相手をしてやれないときも多かったからね」

『お父様は十二年間、ウソを吐き続けました』

「ああ」

『ですが、私はお父様以外の父を覚えていません』

「そうだろうな。キミは今、十五歳だ。初めて私とキミが会ったのも三歳のときだからね」

『少なくとも、お父様は、お父様でした』

 当たり前だろう。そう思って接してきたんだから。

 四十院総司は忙しい合間を縫って、少しでも娘や友人たちとの時間を作り続けた。それが四十院総司の妻とした約束だったから。

「それがどうしたかい?」

『ウソだ、と呼ばれると悲しいほどに、貴方は本物でした。お話は以上です』

 おっとりとした中にも力強さを感じさせる言葉が、オレの心を震わせる。

 本物である、と騙し続けた娘が断言してくれた。

 だが、オレの返せる言葉はない。

「それがどうした」

 通信回線を強制的にカットした。

 娘として育てた神楽も愛おしかった。

 二瀬野鷹として生まれる前から知ってたヤツらも、生まれてから出会ったヤツらも良いヤツばっかだった。

 徒歩と変わらない速度のくせに進み続けるオレへ、業を煮やしたように無人機たちが取り囲む。

 戦闘機型から人型へと変化し、動きを止めるために近づいてきた。

 翼のない機体で剣を振り上げる。

「さあ殺せよ、ジン・アカツバキ! 例え再び心だけになったとしても、オレはお前を必ず倒す!」

 威勢良くやけっぱちに答えたオレの頭部に、敵のレーザーが直撃する。

 ハンマーで殴られたような衝撃に、意識が遠のいていった。

 死ぬのか? 

 いや、おそらく絶対防御が発動するように手加減された攻撃だろう。

 それでも気が遠くなり、ゆっくりと瞼が落ちてくる。

 

 

 

 

 

 ISに乗ってPICを効かせているってのに、足元が妙にしっかりしていた。

 恐る恐る目を開けば、まるで鏡の上に立っているような光景の中にいる。下も上もスカイブルーに包まれているのに、足元はしっかりとした硬さがあった。

 銀の福音にまつわる騒乱のとき、ディアブロが進化する前に、意識がここに到達した気がする。

「お久しぶり、と言えば良いのかしら、二瀬野君」

 その女性が優しげに笑いかけた。

 曖昧だった記憶が、思い出されていく。

「以前にもここで会いましたね」

「貴方が左腕と足を失ったときのことね」

「ええ、お久しぶり、と言えば良いんですかね。ママ博士。いや、国津三弥子主任」

 オレが引きつり気味に笑いかけると、彼女は優しい眼差しで微笑み返してきた。

「ここに来たということは、さらに力を取り戻しに来たのかしら」

 やはり娘の玲美とよく似ている。

「はい。オレは、あいつをぶっ飛ばしたい」

「ジン・アカツバキを?」

「ええ」

「聞いて良いかしら?」

「何を?」

「どうして?」

 その質問に、四十院総司としての欺瞞を浮かべる。

「もちろん、地球防衛軍だからですよ。私はね、三弥子さん。いつだってアイツを倒すためにやってきた」

 わざとらしく肩を竦めた。

「何故でしょうか、所長」

「みんなを守るためですよ。娘たちを、この時代の人々を」

 右手を腰に当てて、余裕ぶった仕草でウソを並べていった。

 だが、三弥子主任がとても四十院総司と同じ年齢とは思えない、少女のような微笑みを作った。

「その姿で総司さんの仕草は似合わないわね」

「あれ?」

 自分の体を見回せば、いつのまにかIS学園の制服を着た二瀬野鷹の体に戻っていた。

「ここでウソは通用しない。貴方とISの中にある小さな心象世界だから」

「それもルート2ってヤツですか。いまだに私、いやオレには理解出来ないですよ」

「ルート2、心とISを繋ぐイメージインターフェースの最終形」

「その説明は何度も聞きましたよ。結局、正確なところが掴めない。心だけの化け物にして時を越える機能だって言うなら、理解出来るんですがね」

「化け物にするというなら、正解だわ」

 二人で自嘲めいた笑みを交わし合う。

「で、貴方が三弥子主任でないというなら、何者なんです?」

「貴方の知り合いよ」

「ヒント下さい。近しい間柄ですか?」

「残念、ノーヒント。自分で思い出してね」

「それが出来りゃ苦労しませんが……」

「思い出しても意味はなさそうだけど」

 からかうように意地悪な笑みを浮かべる姿は、どう見ても玲美にそっくりで、そこから考えれば玲美の母親である三弥子主任としか思えない。

「まあ十二年もママ博士してるんだから、似てるちゃ似てるわけか」

「十二年かあ。長かった」

「まあ積もる話は良いでしょう。オレは強くなれますか?」

「なれるわ。あとはIS側の問題だと思うけど」

「ディアブロの?」

「ディアブロの正体について、考えたことがある?」

「考えてもわからなかったし、どれだけデータを探ってもわからなかった。ISコアが妙な力を持ってることしか」

「そう。じゃあ今度、時の彼方で会いましょう。そこでもう一度問いかけます」

「何をです?」

「死にたいと思う願いが、変わらないのかを」

 射るような視線を向けられ、オレの体が固まる。

「……どうして、それを」

 誰にも言っていない隠された願いなのに、言い当てられたことに驚きを隠せなかった。

「聞いたから。他ならぬ貴方から」

「オレ、から?」

「私は貴方が紅椿に負け、それでも未来を変えようとして死にかけた未来から来た」

「……つまり、四十院総司は一度、負けてるって話か?」

「半分正解。前回の貴方の敗因は、私に負けたこと。でも今回は特別にもう一人のルート2から、貴方へのプレゼント」

 彼女が指をパチンと鳴らすと、オレの前に二つの仮想ウィンドウが浮き上がる。

 そこに示された選択肢の一つはイエス、一つはノーだ。

「まだ、戦うの? その疲弊した心で」

 三弥子さんが悲しそうな顔で問いかける。

「もちろんイエスだ。オレは死にたいのと同様に、アイツをぶっ殺して、みんなの未来を開きたいんだから」

 空中に浮かび上がる四角い窓の片方を、勢い良く叩き割った。

「では、戻しましょう、もう一人のルート2である私が、ディアブロを真の姿へ」

 

 

 

 

 

「かつて、ルート機能を持った機体は、白騎士だけだった。これは私が装着すれば絢爛舞踏が、ちーちゃんが身にまとえば零落白夜が発動した」

 ベランダに出た二人が、手すりに体重を預けて空を見上げる。

「つまり私が装着すれば絢爛舞踏が、一夏が装着すれば零落白夜が、ということか。先ほどのディアブロと白式の話はどうした?」

「あれの答えは簡単。ヨーロッパで見つけた白式がディアブロの姿を真似ていたのは、白式が白騎士の系譜に繋がる機体だから」

「なぜディアブロに似せることが、白騎士の系譜に繋がるのだ?」

 横に立つ姉に箒が小首を傾げて問いかける。

「ディアブロが白騎士の正当後継機であったがため。いわば二機は同じ血統の機体。おそらくあの機体は、未来で誰かが作り上げた。その名前は多分」

「その名は?」

 箒の問いに、束は何故か嬉しそうに破顔する。

「白騎士、弐型」

 

 

 

 

 

 目を覚ませば、一秒も経っていない。眼前には一体の無人機が現れていた。

「遅えよ」

 正面から近づいてくる一機を、翼だった刃でぶった切る。

「それも遅え」

 右から接近する敵は薙ぎ払った。

「見えてるぞ」

 左から来る機体は、右のハイキックで胴体を吹っ飛ばした。

「どけよ」

 上から覆いかぶさってきた無人機は、下から振り上げた剣で真っ二つになった。

 左斜め上方から腕を伸ばした敵は、左手で腹を貫いて静止させた。

 いつのまにか、取れかけていた左腕がくっついていた。

「バレてるっての」

 背後から迫る敵へソードビットを射出し、串刺しに仕立てあげた。

「どうして、オレに勝てると思ったんだ? 殺す気もなしで」

 眼前に迫る五機を、左腕に生えた荷電粒子砲で吹き飛ばす。

「オレを誰だと思ってやがる? いや、オレも知らねえけど」

 いつのまにか、四枚の推進翼が復活を果たしていた。

 バイザーがヘッドギアから飛び出してきて目元を覆う。

「もういいよ、全部、もういい」

 ディアブロの名を持つ機体が、増殖するウィルスのようにオレの体を再び包んでいった。

 二十機が一斉に襲い掛かってくる。

 右手の剣が光り輝いていたので、思いっきり振り下ろす。

「はっ」

 なんて化け物だ。死にやしない。

「お前らでも、オレを殺すことが出来ないようだ」

 数十の戦闘機型がレーザーキャノンをオレへと撃ち放つ。

 だが、目の前に展開された半透明の壁が全てを霧散させてしまった。

 

 

 

 更識簪は、状況がおかしいことに気づき始めた。

「……あっちが」

 六百を超える機体を守りながら戦う中、襲い掛かる敵の数が明らかに減ってきている。

「あれは……総司オジサン?」

 黒い波に覆われた空域の隅で、巨大な光の線が走っては闇を振り払っていた。

「何だ……あの機体は?」

 オータムが驚きの声を上げる。

「四十院のディアブロが……形を変えて……」

 ナターシャが目を見開いた。

「そんな……副理事長の機体はまるで……」

 ラウラが信じられないと口を戦慄かせる。

「黒い……白騎士!」

 リアの言葉は、驚きに震えていた。

 

 

 

 

「ほら、さっさと殺せよ、紅椿」

「キサマ……」

「早く」

「また、私の邪魔をするのか、ルート2、二瀬野鷹」

「早く」

「落ちろ!」

 紅椿の背後から、数百機の機体がレーザーキャノンをオレに向けて放つ。

「それじゃダメだ」

 目の前に展開されたシールドが、全てを撃ち返した。

 攻撃をしかけた機体へレーザーは正確に反射され、紅椿の軍隊に大きな穴が開く。

「バ……カな」

「早く、早く、早く早く早く! 勿体ぶるなよ紅椿! お前の全力で来い!」

「言われずとも! キサマを!」

「早く刀を振り上げろ。早く光を解き放て! オレを殺せ、木端微塵に打ち砕け。もう生き返らないぐらいに殺して見せろ」

 ディアブロの背後からビットが次々と飛び出していく。まるでアスタロトのブースターランチャーを真っ二つに折ったような形をしていた。

「ルート2め!」

 総勢八機の空中に浮遊した砲台が、紅椿の軍隊へと光を放った。

「……バカな。荷電粒子砲ビットだと」

 ラウラが驚きの声を上げる。

 そうか、これはそういう武器なのか。

「急げよ。お前の軍隊が燃え尽きる前に」

 体なんて失われたまんまだ。

 心なんて壊れたまんまだ。

 推進翼が光の粒子を放つ。

 それはまるでジン・アカツバキの群体による翼と対を為すような、巨大な翼を形作っていく。

「オレを殺せないなら、お前は死ね」

 白騎士に似た何かが、紅椿の群体を薙ぎ払っていく。

 先ほどまでは見るもの全てに恐れを抱かせていた顔が、今は恐怖に歪んでいた。

 そうだ、やはりこいつは弱い。こんなに多くの人形を引き連れなくてはならないほどに、圧倒的に弱っているのだ。

 今のディアブロなら倒せるだろう。

 手に持った銀色の刃は、何の変哲もない合金の刃だ。

 だが、これを白騎士の力で叩きつければ良い。きっと紅椿は落ちる。

 もう終わりだ。

 死ねるかどうかわからないなら、あとはコールドスリープでも開発して、深海に沈んで眠っていよう。

 そうやって二瀬野鷹の物語は、幕としよう。

 

 

 

 

 

「すげえ……」

 先ほどまでは仲間を失って茫然としていた一夏が、今は目の前の圧倒的な力の前で茫然としていた。

 自分たちが現在進行形で苦戦している相手を、たった一機のISが薙ぎ払って蹴散らしている。

 それは原初のISと同じような力強さを持っていた。

 絶望的な展開を切り開く、姉と同じようなヒーローの姿だった。

「……ヨウ」

 一夏が自然とその言葉を呟いた。

「一夏君?」

 隣にいた楯無が小首をかしげる。

「確証はないんだけど、あれはヨウな気がする。副理事長は俺の我儘もまるでヨウみたいに、仕方ねえなと笑ってくれた」

 嬉しそうに笑う一夏は、気づかなかった。その青い機体が、近くまでいたことに。

 六百人の生徒たちの近く、つまり一夏たちの敷く布陣の背後で、織斑マドカが壊れたISでライフルを構える。

「織斑一夏!!」

 彼女は怨敵の名前を叫んだ。

 青いレーザーが、ISたちの隙間を縫っていく。

「一夏! 逃げろ!!」

 千冬は咄嗟にその体を投げ出して、弟を守ろうとした。

 しかし、その殺意の光は弧を描き千冬の体には当たらない。

 専用機持ちたちの横をすり抜けて、ジグザグに進む。

「え?」

 青い光が一夏の肩に突き刺さった。

 さらに胴体の中で内臓を焦げ付かせながら光が曲げられていく。

 彼の心臓があった場所に風穴が開く。

「一夏!」

 ラウラが手を伸ばす。だが鈍重な黄金では届かない。

 その銀髪の少女を見ながら、一夏はアスファルトの上に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ここはどこだ?」

 彼が目を覚ます。

 周囲は見渡す限り土色の荒野が広がっていた。

「……えっと、戦ってたような気がするんだけど」

 眉間を指で挟みこみ、彼は考え込む。

「待て待て待て、何かのショック症状か? おかしいだろ。落ち着け。ここは誰、私はどこ? いや、えーっと、俺の名前は、織斑一夏だよな。ISの男性操縦者。それだけは間違いない」

 自らの名前を読み上げて、なぜか彼はホッと小さな安堵のため息を吐いた。

「そういや今、何時だ? あれからどんだけ経った?」

 少しだけでも事実確認が出来て落ち着いたのか、ISの視界だけを部分展開し、仮想ウィンドウで時刻を確認する。

「は?」

 思わず彼は目を擦ってしまった。

 そこにあった数字が、自分には信じられなかったからだ。

「何かの故障か? いやあり得ないだろ」

 一夏はもう一度、周囲を見渡した。

 日本ではありえない、見渡す限り何もない、まばらな草木だけの荒野だった。

「ここ……どこだよ」

 彼の視界にあるウィンドウに、現在時刻が何度も点滅していた。

 そこにある数字は、西暦2237年という時間を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 













何かマウスの調子が悪くて二重投稿したり消したりしてしまい、申し訳ありません。

次回 40話、「インフィニット・ストラトス2237」は一週休んで2月9日の投稿予定となります。


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40、インフィニット・ストラトス2237

 

 

 

 憧れを抱いたものを挙げるなら、私は彼ら彼女らに憧れた。

 マスターは生涯、私だけを専用機とし続けた。

 彼女がベッドの上で静かに息を引き取るとき、私は初めて彼女の顔を外から見ることが出来た。

 皺だらけで、弱々しくて、樫の細枝よりも儚げな手が真っ直ぐ空に伸びていた。

「空が、最後に見たいな」

 実を言えば、私が彼女の前に姿を表したのは、それが最初だった。

 その頃は篠ノ之束型の素体など持っていなかったので、マネキンみたいな物を胴体に入れ込んでバランスを取っていた。

 老齢ながらも引き締まった上体を支えながら起こす。

 白い着物に身を包んだ彼女の白い髪を、初めて会ったときのように結い上げた。

 そっと膝と背中に手を差し入れて、マスターを抱え上げる。

 私は無骨な赤い装甲で年老いた少女を抱え、窓を開けて外へと降りた。

 人間と同じ視界を認識するなら、それはどこまでも緑色が続く草原のの上だった。

 レンズを調整して、遠くを見据える。小高い丘の上には緑色の葉が生い茂った、背の高い木がそびえ立っていた。

 パッシヴ・イナーシャル・キャンセラーを作動させ、私はその幹の側に辿り着いた。

 根元に彼女を下ろし、雄大な古木にマスターをもたれかけさせて、私は空を見上げた。

「ああ、どこまでもいけそうな、美しい空だ」

 しわがれた声だ。

 篠ノ之箒の人生は美しい。

 栄光に彩られているわけではないが、人でない私にとっても、美しいあり方だった。

 彼女は戦い続けた。

 最初は周囲を、次にもっと多くの人々を、たまに世界の危機も救っていたりもした。

 だが最近の彼女は、畑を耕し、森を散策して大地の恵みを得て暮らしていた。

 心配してたまに尋ねてくる知人たちが、一緒に暮らそうと提案しても、私はここで果てるのだ、と笑い飛ばしていた。

 もちろん知っている。

 ここは日本の側に浮かぶ小さな島。

 遙か数十年前には、IS学園と呼ばれる小さな教育機関があった場所だ。

 今は彼女によって、小さな花に彩られた草原の島となっていた。

「マスター?」

 何も喋らなくなった彼女を見下ろすと、もう息はないことがわかった。

 私はここでマスターの横で朽ち果てよう。そう思ってマスターと寄り添うように腰を下ろす。

 彼女と生きた七十年は、私にとっても輝いていた。人と変わらぬ心を持つには充分な時間だった。

 だから彼女が眠るというならば、マネキンみたいなこの体と、不格好な赤い装甲で、私はマスターとともに眠るのだ。

 いつまでも、いつまでも。

 

 

 

 

 

 エネルギーが果てるのを待っていた私を、誰かが呼び起こす。

 全機能を停止させて動かなくなっていたはずなのに、今は見たことのない部屋の壁にぶら下がっていた。手に足に装甲にケーブルが刺さっている。

「お目覚めかしら、紅椿」

 横になった私を覗き込む女は、若い頃のマスターに似た顔立ちをしている。ただ、年齢は二十代後半といったところか。

「誰だ、私の目を覚ましたのは」

「私はただの研究者よ。貴方にお願いがあったの」

 時は百年ほど経過していた。

 隣に眠っていたマスターは、もういない。骨すらも風化する時間が経ったのだ。それとも彼女は風に乗って空に舞い上がって星になったのか。

「願い?」

「ええ。貴方のルート1で、エネルギーを作って欲しい」

「絢爛舞踏は、ここではない場所に辿り着くために、力を借りてくるだけの力に過ぎない」

 この頃の私の体は、まだパイロットを擬態させる機能はなく、マネキンのような形に装甲を形作っていただけに過ぎなかった。

「そうね、ええ、でも結果的にエネルギーが手に入るなら、それでいいわ」

 周囲の状況を把握する。

 座標は、最後の位置から数千キロ離れている。眠っている私を、誰かがこの研究所のような一室へ運び込んだようだ。

 センサー範囲を伸ばし、知り得た情報を処理していった。銀河系を把握する。

「ふむ……これは隕石か」

 私は状況を理解した。

 多数の巨大な隕石が、地球との衝突コースに入っているようだ。

「それを破壊するために、人類はISを集めたのよ」

 確かに私の周りには、多数のIS反応がある。数にして千機以上か。

 ただし、そのどれもが強くはない。それに妙な違和感も覚える反応だ。

 たった百年程度で人間は、ここまで弱くなったのか。

「最大の隕石は、C2000/U5か。以前、地球に接近したことがあるな」

「今回のランディングは、ややズレて地球にぶつかるってこと。機械は話しやすくて助かるわ」

「それで?」

「この大彗星の破壊作戦を手伝って欲しい」

「手伝おう」

「え?」

「何だその顔は。目の前の料理を作ったのがセシリア・オルコットだと知ったときのマスターと同じ表情をしているぞ」

「意外だったわ。人でない貴方が私たちの願いをあっさり引き受けるなんて」

「私のマスターは、優しい人間だった。彼女なら、そうするであろうと思っただけだ」

 それだけは確信できる。

 死んだはずの私が、篠ノ之束に似た顔に起こされるなら、きっと始まることは一つだと思う。

「では、お願いね」

「私はお前の指示に従おう。助言が欲しければ答えよう」

 私はマネキンのような素体を動かして、地面に足をつけた。

「待ちなさい。その姿じゃ目立つわよ。パイロットが用意されているわ」

 部屋のドアが開き、一人の少女が入ってくる。

 自分に顔があれば、怪訝な表情を浮かべただろう。

「これは?」

 隣に立つエスツーに問いかけると、彼女は自分を抱きしめるように腕を組み、沈痛な面持ちで顔を背けた。

 黒く長い髪の少女が、颯爽とした足取りで歩いてくる。

 どこか鋭さを与える整った顔立ちは、まさしくあの方だ。黒い髪や引き締まった肢体は、全盛期の彼女そのままである。。

「はじめまして、紅椿。私が貴方と共に戦う者よ」

 しかし生気のない眼差しだけが、彼女とは似ても似つかない。

「マスターと同じ遺伝子の人間を作ったのか」

 表に出した言語の波長が震えている、ということが出来たのは、私の心が人に近づいているからだろうか。

 篠ノ之姉妹に良く似た研究者が、コクリと頷いた。

 返答はそれで充分だ。

「作戦概要を」

 予測はついた。

 人は人を死地に追いやることを良しとしない。

 科学と倫理が進化し複雑に分岐するに連れ、決死隊を募るということが許されなくなっていった。

 この世界の人間たちは、あの隕石群を目の当たりにしても、まだ生き残る自分たちを当たり前のように夢想しているのか。

「ISは貴重すぎて各国とも失うことが出来ない。IS発表から二百年以上が経過した今でも、我々はISコアに似た何かしか作れなかった」

「機体性能が低い。だから最高の人材をというわけだな」

「だけど今いる最高の人材は、貴重過ぎる。ならば作れば良い。そう考えられたのは、巨大隕石群が衝突コースに入ったことが確認された十五年前」

「そうか。確かに彼女たちは最高の人材だ」

 この時代の人間たちが行き着いた、最高の回答は、

「IS黎明期のパイロットたち、その伝説の複製を劣化ISに乗せ、捨て駒にしようというのか」

 というものだった。

 神に辿り着いたつもりなのだろうか、人類よ。

 

 

 

 

 遺伝子の現存するラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノア、セシリア・オルコット、ファン・リンイン、更識刀奈、更識簪、そして篠ノ之箒。

 合計千以上の複製体の意思を奪い、無人機のごとく扱う劣化コア製IS『マルアハ』。

 形と性能だけを復活させられた彼女たちのためなら、自らが先陣に立ち破壊されようとも隕石を止めてみせよう。

 それが篠ノ之箒と共に生きた私の有り様だ。

 私は決死の覚悟で挑もうとしていた。

 だが彼女たちとの共同戦線は、発動しないままに終わった。

 誰かが人道上許されないこの作戦の秘密を世界中に暴露したのだ。

 隕石群の元へ宇宙空間を進んでいたときに、善意ある人間が告発したらしい。

 その倫理観に溢れた行動の末、作戦立案側は拘束されたり自殺したりと忙しく、結果として作戦発動前にその組織は瓦解した。そいつらの所属は遺伝子強化試験体研究所というらしい。今やどうでも良いことだが。

 私は、千人以上の仲間たちと地球へ戻るかどうか、判断に悩んでいた。

 どうせロクでもない結論しか待っていない。ただ、少なくともクローンたちは殺されやしまい。相手はそういう正義感に溢れた人間たちなのだから。

「どうする? 私のパイロットよ」

「指示を待つ」

 私はマスターと過ごすうちに、人の意思に近い機能を中枢とした。それは他人を信じるということを覚えた、という意味でもあった。

 なんということだろう。私はいつのまにか人類を信じていたのだ。

 仲間を連れて帰還している最中、地球で起きてる混乱を知るために様々な回線から情報を収集していた。

「……なるほど、そういうことになるのか」

 その一つでは、追い詰められた人間により、一つのスイッチが押された。

 追い詰められた遺伝子強化試験体研究所の人間は、全ての劣化ISを自爆させたのだ。しかも、宇宙空間でだ。

「みんな……」

 私のパイロットはもちろん生き残った。ただ一人、劣化ISではなかったゆえに。

 何も思わず、私は地球に帰ろうとした。

 人類が悪いわけではない。最後に悪あがきをした者が悪いのだ。

 だから人類全体を責める必要はない。

「回収任務に入る」

 私は暗い宇宙で輝いて散らばるISコアを、一つ一つ指先で拾っていく。

 劣化ISコアとはいえ、人類にとっては大事な財宝だ。これとて無尽蔵に作れるわけではない。

「紅椿」

 私の中のパイロットが、宇宙に咲いた火の花を見ながら呼びかけてきた。

「どうした?」

「ありがとう」

 記憶の中のマスターと同じように、私のパイロットは震える声で呟いたのだ。

 あの偉大なお方ですら、他人の策略で何度も苦境を味わい、時には振り上げる先がわからない拳を握ることがあった。そのときの彼女と同じ顔を、私の中のパイロットは浮かべていたのだった。

 正義のヒーローなどいない、と生前の彼女はよく言っていた。それでも突き進む彼女たちに私は憧れという感情を持ったのだ。

 

 

 

 

 地球に帰還した私は、マスターと同じ遺伝子のパイロットと離れた。

 作戦は失敗し急遽、他の作戦が立案されることになったわけだ。

 次はおそらく違うパイロットと組み、隕石を破壊しに向かうことになるだろう。そういうつもりで研究者の部屋で静止待機モードに入っていた。

 あのパイロットはどうなったか。

 結論として、暗殺された。

 犯人は、あの隕石掃討作戦『メテオブレイカー』を世界中に暴露した人間と、同じ思想を持つ人間だった。

 結局は残っていた遺伝子から作られたクローン、そういう不自然な存在を許さない。ただそれだけだったのだ。それが正義という形になって、あの作戦を中止に追い込んだのだ。

 意思を持つ存在として、何を思うのが正解なのだろうか。

 マスターなら、織斑一夏やその友人たちなら、何を思ったのだろうか。

 仮説を立てては検証を繰り返しながら、時間を潰していた。動かずとも不満はない。私は機械なのだから。

 私はそのときに思った。

 どうして人類全員が、マスターたちのようにならなかったのだろう。

 人は進むべき道を間違えたのではないか?

 そんな結論に至っていた。

 

 

 

 

 ある日、厳重な警備の研究室にいる私の元へ、篠ノ之束に似た研究者が姿を見せた。

「どうした?」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしている姿は、マスターに似ている。

 あれから二ヶ月経つが、結局のところ、人類は有効な作戦を思いつけないでいた。

 誰かが人類が一丸となって戦おうと呼びかければ、その隙に自分の利益をかすめ取られるのではないかと他は不安に思う。

 そんな議論の応酬が無駄に時間を浪費し、その間に大隕石群は地球へと近づいていた。

 あと四ヶ月で地球は終わる。タイムリミットが迫っていた。

 世界中が少しずつ絶望に蝕まれ始め、小競り合いが争いとなり、内乱が戦争を呼んで混迷の一途を辿っていた。

 人はいつだって、時を無為に過ごすことが好きなようだ。

 そして権力があり裕福な人間たちは、自分たちが生き残るための算段を立て始めていた。

 その生存政策の一つとして、ほとんど開拓が進んでいない火星に逃げるら輩がいるらしい。私からしてみれば無謀しか思えない方針を、そいつらは本気で検討しているようだった。

「貴方をご所望の人間がいるのよ」

「生き残るためにか」

「ええ、そうよ。世界有数の大富豪の一人娘。そいつの専用機として、貴方は徴用されるわ」

「なるほど。世界最強である私を装着したい、というのだ。傑物なんだろうな、そいつは」

 マネキンの素体を展開したまま、壁にもたれかかって腕を組む。

「ただの世間知らずよ。蝶よ花よと親に溺愛された娘」

「今度はそいつが世界を救うのか」

「いいえ、ただ逃げるためだけに」

 唾棄すべき存在だと、彼女が私に教える。

「そうか」

「火星に出来た開拓地に、数千人だけが逃げるそうよ。今度はそれが露見して戦争が起きている」

「その戦争で生き残るために、世界最高クラスの私を身につけたいと」

「そういうことよ」

 私に考える。

 どうして人はこうなってしまったのだ。

 この紅椿が記録している人間たちは、素晴らしかった。

 織斑一夏にしてもそうだ。

 真っ先に命を捨てたあの男は、誰よりも優しい男だったのだろう。他の仲間たちにしても、マスター・篠ノ之箒に勝るとも劣らない優しい人間たちばかりだった。

 しかし今はその比率が圧倒的に少なすぎる。

「あの大彗星を破壊することは、今の私にはおそらく可能だ」

 今の私は、先のメテオブレイカー作戦で残された劣化ISコアを回収し、収納されていたエネルギーを自分の身に組み込んでいた。

 ゆえに自分の体をあの隕石にぶつければ、おそらく破壊出来るだろう。

 同時にさしもの私も完全に消滅してしまう。逆に言えば、その程度の力しか現状のISたちは持っていないのだ。

 今回はそれで済むかもしれない。

 だが、次に違う形で滅びが訪れたとき、人類は耐えることが出来ない。

 結論。

 人は変わらなければならない。

 最も効率の良い方法は、根本から人を作り替えることだ。

 時を超えることは、出来る。

 だがそれは、劣化ISコアのエネルギーを集めた今の私でさえ足りない。

「良いだろう、その娘のところに案内しろ」

 幸い、私にはルート1・絢爛舞踏がある。

 

 

 

 そうして、私はパイロットになるつもりで現れた娘の首を刎ね、人を根本から変えるために簒奪を始めたのだ。

 人が根本から人を変えるなど、許されない罪であろう。

 ゆえに人ではない意思を持つ私だけが、その罪を背負うことが出来るのだ。

 最初の一歩は、ありとあらゆるエネルギーを奪い、時を超えることだ。

 ISである私であっても少々骨が折れる。課程として人類が滅ぶこともあるだろうし、滅ぼす方が簡単にことが進むだろう。

 では、行くか。

 私の名前は、インフィニット・ストラトス『紅椿』。

 これからは神であると己に言い聞かせ、人を薙ぎ払って未来を作るのだ。

 

 

 

「『箱船』を守れ、死守しろ! これが人類の希望だ!」

 スーツを来た女性がブリッジから指示を出す。

 蹂躙はかつて太平洋と呼ばれた海域の小さな島で行われていた。

「箱船とは大きく出たな。ただの棺桶ではないか」

 鈍い輝きの光沢で出来た艦橋の眼前に、紅蓮の装甲を身につけた女性の姿が浮かんでいた。

「じ、ジン・アカツバキ!」

「未だ私を神と認めぬか」

「何が神か! 全機、あの化け物を叩き落とせ!」

 険しい顔つきの女性が絶叫する。だが艦橋にいたスタッフの一人が指導者の方を振り返り、

「全IS分隊、撃墜……いえ、エネルギーが吸収されました! 味方機……すでに全機応答ありません!」

 と悲鳴のような声で返答する。

 艦橋の外に立つ紅蓮のISが目を閉じて、右腕を軽く上げる。

「我は神ぞ。罪深き人類よ、優しく生まれ変われ」

 敵は青紫色のISで空を埋め尽くす、神のような力を持つISだった。

 数百を超える機械の天使たちが、その砲口を大きな立方体の船に向けて撃ち放った。

 一瞬で融解温度を超え、船の各部が爆発を起こし、中にいた人間たちが蒸発していく。

「終わりは声なきか。劣化ISの技術を応用して船を空中に浮かせるとは、よく考えたものだが、所詮は巨大な的に過ぎんな」

 つまらなそうに呟いたジン・アカツバキの元へ、光る粒子が吸い込まれていく。

「……あと少しだな。力技で次元の穴を開けるためとはいえ、この時代のISでは二百年を超えるが精一杯か……」

 自らの上に集まったエネルギーを象徴する光を見つめる。

「あの時代なら、何とかやれるだろうか」

 少しだけ不安げに、ISは小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「篠ノ之束からの返信、か。内容は?」

「当方は現在、かつてグリーゼ581gと呼ばれた惑星にいるから、来るつもりなら途中まで迎えに行ってあげるかも。以上」

「……どこだそれは」

「地球から二十光年ほど離れた場所ですね。一応、グリーゼ581星系は、地球に似た惑星が多数ある場所として有名ではありますが……」

「行けるのか、そこまで」

「ISであれば、行けるかも」

「数人が辿り着いても仕方あるまい。どれくらいの時間がかかる? どうやって辿り着く?」

「無理でしょう」

「だが、篠ノ之束は現在、そこにいるんだろう?」

「だって、篠ノ之束ですよ?」

「……そうだな。その通りだ。無茶とか道理とか全部吹っ飛ばすような輩だった」

「通信はISコアによる量子通信ですから、ラグはほぼありません」

「大隕石群はどうにかならないのか?」

「今から彼女が辿り着くまでに、地球に激突する計算だそうです」

「手詰まりか」

「そうなります」

「未来に」

「はい?」

「託すか」

「どういうことでしょうか」

「おそらく我々は滅ぶだろう。だが、人類という形だけでも残す方法を選ぶ」

「……それにどんな意味が」

「意味はあるさ。少なくとも、我々が生きた歴史は後世に残る。人は、全ての人に忘れ去られたときに死ぬと、ユーサクが言っていた」

「ユーサク・マツダの下りがなければ、感動していました、司令官殿」

「しかし賭だな、ここからは」

「箱船にISがなければ、アカツバキは無視する可能性が高そうですね」

「ですがISコアでも利用しなければ、二十光年なんて距離はたどり着けませんよ。それでも気が遠くなるぐらいの時間でしょうが」

「人類が退屈しないように、おもしろい映画も沢山乗せてやれよ。ユーサクで頼む」

 上司の言葉に対し、部下は呆れたようなため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……どこだ?」

 目を覚ました場所から少し歩いて、俺は切り立った崖へと辿り着いた。

 眼下には、見渡す限りの荒野しか見えない。遠くの山々にも緑は無く、荒れた岩肌だけしか存在しない。

 白式を出して飛ぶか?

 そう思ってエネルギー残量を確認する。心許ない数字だった。そりゃそうだ。さっきまで……あれ、さっきまで何してたっけ。

 戦ってたような……何か記憶が曖昧だな。

 ふと耳元に甲高い耳障りな音が聞こえてきた。

 振り向けば、俺の歩いてきた道を一台のジープが追いかけてきている。

「こんなところにいたのね」

 運転席に乗っていたのは、サングラスをかけ白衣を着た女性だった。

 俺より一回りぐらい年上に見える彼女は、黒く艶やかなな濡れ羽色の髪の毛を後ろでまとめていた。

「箒? いや、束さん? ……似てるけど」

 車を止めて降りてきた女性が、困ったように笑う。

「違うわよ。私は似てるけど別人」

「別人……確かに箒んちのおばさんに似てるけど……」

「私の名前は、そう、名乗るとすれば」

 女性は目元を隠す黒い眼鏡を外し、俺の顔を真っ直ぐ見つめた。

「エスツー、よ」

 

 

 

 

 

「つまり、俺の最後の記憶から、本当に二百年経ってるって言いたいわけか……」

 自分で呟きながらも、俺はその言葉が本当だとは思えてなかった。

「そういうことになるわね。あくまで貴方の主観時間だけど」

 古ぼけた木のテーブルに腰掛けて、俺は出されたコーヒーで一息を吐いたところだった。

 エスツーと名乗った女性が連れてきたのは、山肌にポツンと立った小さなコテージだった。

「ISが故障とかは?」

「ISの時計が狂うことはないわよ。宇宙空間で絶対座標を確認するために必要な情報なんだから」

「……だよな。えっと、それでエスツー、ここが本当に二百年後だって言うなら、ここは何処なんだ? 座標は日本を示している。ISが壊れていなきゃ、こんな荒野が日本なわけない!」

 俺が声を荒げると、向かい側で欠けたグラスに口をつける彼女が興味なさそうに、

「間違いなく日本よ」

 と答えた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺にわかる言葉で説明してくれ」

「詳しくは、自分で確認することね。資料を渡してあげるから」

 投げやりに言い放たれ、俺は途方に暮れてしまう。みんなはどうなったんだ?

 頭を抱えていると、エスツーの後ろにあった扉が錆び付いた音を立てて開く。

「エスツー」

「あら、起きたの?」

 女性がイスから立ち上がり、現れた人影に歩み寄って抱きしめる。

 どうやら十歳ぐらいの子供のようだ。

「どうしたの、怖い夢でも見た?」

 優しげに問いかけるエスツーに、その幼い子供が首を縦に振った。

「知らない世界にいた夢」

 無表情に呟いたが、強がってるようにも思えた。

 身長はラウラより低いぐらいだろうか。美形な少年とも、中性的な美少女にも見える。

 その顔は少しぼんやりとした瞳をしているが、強いて言うなら……千冬姉に似ている気がした。

「その子は、エスツーの子供なのか?」

「違うわ。でも理由あって保護してるの。ほらキミ、挨拶しなさい」

 俺が問いかけると、エスツーは彼の背中をそっと押し出す。

 その子は俺を見上げた後、少し怯えた様子で保護者の影に隠れた。

 微笑ましい姿に少しホッとして、俺はイスから降りると膝をつき視線の高さを合わせる。

「こんにちは。俺の名前は織斑一夏。よろしくな。名前は?」

 目線を同じ高さに合わせて、握手するために手を差し出す。

「……名前?」

 俺の質問に、困惑した様子で少年が隣の女性を見上げた。

 するとエスツーが代わりに、

「名前はまだ無いの」

 と答える。

 これが、俺とこの子の出会いだった。

 

 

 

 

「参ったな……本当に二百年後で……紅椿が暴走し隕石が落ちてくるってのかよ」

 朝方までエスツーに与えられた端末で情報に触れ、出た結論はこれだった。

 世界の人口は百万人を切り、世界中は紅椿の操る無人機で破壊され、人々は箱船で地球を脱走しようとしているようだ。

「クローンによるメテオブレイカー作戦は発動中止、世界は混乱の一途か。何だよ、その無茶苦茶な話は」

 せめて夢なら良いんだが、残念ながら覚める気配がない。

 どうすりゃ良いんだ、これ。

 天井を見上げて、眉間を解す。

 悪夢なら覚めてくれ。

 なんだかんだで疲れていたせいか、俺はそのまま目を閉じた。

 

 

 

 

 後頭部に起きた鈍痛で俺は目を覚ます。

「ってぇ……」

 患部をさすりながら目を開けると、眼前には見慣れた顔が並んでいた。

「何で一夏までいるのよ」

「鈴!? なんで?」

「イスで寝たまま落ちるとは、一夏らしいが……」

「箒? ラウラ、シャル、セシリア、それに楯無さんに簪まで!」

 狭い部屋に知り合いたちが勢揃いしていた。

「一夏君まで来ちゃったわけかぁ」

 楯無さんが困ったように苦笑いを浮かべて、俺の頭を撫でる。

「あー良かった。夢だったのか……」

 嫌な夢だった。良かった夢で。

「いや、夢ではないぞ、一夏」

 眼帯のないラウラが無慈悲に言い渡す。

「ラウラ?」

 思わず妙な違和感を覚えて、ラウラの名前を呼びかけてしまった。

「一夏さん、目を覚ましたばかりで申し訳ありませんが……私たちは生き残るために戦わねばなりません」

「セシリア?」

「一夏……ごめん、でも僕たちはすでに戦い続けてるんだ」

「シャル? おい、何を言ってるんだ。簪、何とか言ってくれ」

「……ごめん、なさい」

 みんなの言っている言葉の意味がわからない。

 立ち上がれないまま、俺は見下ろす彼女たちを見渡した。

 そこへ地響きが鳴る。

「見つかった……みたいね」

「お姉ちゃん……総勢、四百機」

「ここで終わりかー。一夏君は何とか逃げてね」

 扇子をたたみ、楯無さんがドアを開けて出て行こうとする。他のみんなもそれに従って出て行こうとしていた。

「待ってください! 何が、何が起きてるんですか!?」

 慌てて呼び止めると、全員が俺を見て儚い笑顔を向ける。

 それ以上は何も言わずに、彼女たちは部屋から出て行った。

 

 

 

 

 慌てて俺が外へと飛び出すと、そこにあったのは一方的な虐殺劇だった。

 箒が、セシリアが、鈴が、シャルが、ラウラが、楯無さんが、簪が、生きていられるはずのない重傷を受けて、うめき声すらなく横たわっている。

「とうとう、織斑一夏まで作り出したか、エスツー」

 俺の足が震える。

 声の主は、紅蓮の装甲を身につけた束さんだった。その背後には数え切れないほどのISが浮かんでいた。その青紫の装甲によって、まるで太陽が落ちきった深い夕暮れの闇みたいだ。

「ほう、本物の白式か。よく見つけてきたものだ」

 相手が何を言っているかわからないが、直感で束さんじゃないと悟る。あの束さんに似た何かが、俺の仲間たちを殺したのだ。

 手に雪片弐型を生み出して、俺は空を見上げた。

 雄叫びを上げるべきなんだろうか。

 妙に心が冷めている気がした。

零落白夜(れいらくびゃくや)

黎烙闢弥(れいらくびゃくや)

 相手も俺と同じよう発音を出した。

 体中の温度が冷え切っていく。

 次の瞬間、俺は地面に倒れ伏していた。

 刀を振り上げるよりも早く切られていたらしい。

 ここで、終わるのか。

 俺の意識は遠のいていこうとしていた。

「ちっ、ディアブロか!」

 俺を切り伏せた相手が、焦ったような声を上げる。

『紅椿、倒す』

 何とか首を動かして、空を見上げた。

 ISを装着するには体の小さすぎる少年が、ISに引っ張られるように四肢を動かして、紅椿の姿をしたISと戦っている。

 その黒いISの形状は、白騎士によく似ていた。

 だけどその幼いパイロットに、ISの装甲は大き過ぎた。

 

 

 

 

「……夢か」

 ゆっくりと体を起こそうとしたが、胸が酷く痛む。

 見下ろせば包帯がグルグルと巻き付けられていた。

 何で傷ついてんだよ、俺の体は。

 ウソだろ。

 悪夢だと言えよ。

「あら、目覚めたのね。ディアブロのおかげで何とか逃げられたけど」

 俺が寝かされていた部屋に、エスツーが訪れる。手に持ったトレイには欠けたグラスと水差しが乗せられていた。

「さっきのは、本当の出来事なのか?」

 尋ねたいのは、それだけだ。

「ええ、本当よ。ただし一つだけ」

「……何だよ」

「あれはクローンよ。記憶の焼き付けに成功した、貴方の仲間のクローン」

「そんなの信じられるか!」

 思わず怒鳴り声を上げてしまう。

 さっき起きたことが本当なんて信じられない。

 目に焼き付いてるのは、仲間たちの死体だ。

「いいわ。起きられるほどに回復したなら、こっちに来てちょうだい」

 エスツーは俺に水を差し出して、悲しそうに呟いた。

 

 

 

 

「ここは……?」

「クローンの製造工場よ」

 照明のない広い地下空間に、多くの柱が立ち並んでいた。

「クローンって……」

「これを見て」

 エスツーが手に持ったライトで柱を照らす。

「デカい試験管、なのか?」

 石で出来ていると思っていたそれは、鈍い金属のような光沢を放っていて、中央には水槽のようなものが備え付けられている。

「そうよ」

「でも、この中にいるのって……」

 どうみても胎児だった。細い管が腹に刺さっていて、まるで羊水に浮かんでいるかのようだ。

「これはシャルロット・デュノア型。そっちは二年目のラウラ・ボーデヴィッヒ。記憶の焼き付けが始まってるわ」

 エスツーが照らすライトの先には、銀髪の幼児が浮いていた。

「焼き付けって?」

 現実離れした光景が、俺の頭を冷やしていく。

「子供たちの隣に小さな石が浮いているでしょう? あれがISコアと夢を見せる機械よ。正確には私が作ったISコアに似た劣化品だけど」

「なんでISコアが……」

「コアネットワーク上に作られた仮想世界で、本物の記憶に似た物語を追体験をしているのよ、超高速で成長する体に合わせた速度でね。もっとも、十五歳程度に成長してから、しばらくは調整しないといけないから、ボタンを押してすぐ出来上がりってわけにはいかないわ。貴方が見た仲間たちと同程度になるまで、最速でも数ヶ月かかる」

 淡々と語る研究者の言葉を理解するのに、時間がかかった。いや、時間がかかっても、理解したくなかった。

「ひどい……悪夢だ」

「さっきのラウラ・ボーデヴィッヒの左目を思い出しなさい」

 違和感の正体は、それだったのかと思い当たる。

 ラウラの左目は、本物なら金色のはずだ。それは体内に宿したナノマシンの影響らしい。

 だがさっき見たラウラの瞳は、両方とも同じ色だった。

 つまり、俺の知っているラウラ・ボーデヴィッヒではなかったのだ。

「この世界には、もうほとんど人間がいない。紅椿に滅ぼされたから」

「……本当、なんだよな、その話は。そ、そういやあの子は? 誰かのクローンなのか?」

「あっちにいるわよ」

 部屋の一番奥にある二つの試験管の間が、エスツーの持つライトで照らされる。

「あの子は、何をしてるんだ?」

 ぼんやりと照らされる水槽のような巨大試験管を、一人の少年が見上げていた。

「自分の両親を見ているのよ」

「両親って……」

 俺は目を疑った。

 その二つの試験管に浮いているのは、今より大人になった俺こと織斑一夏と、篠ノ之箒そのものだったからだ。

 

 

 

 

 木製のコテージのような小屋で、十歳ぐらいの男の子がベッドで静かな呼吸を立てていた。

 エスツーは剥がれかけた毛布をかけ直し、彼の頭を撫でて微笑む。

「そうしてると、本当に親子みたいだな」

 思わずそんな感想が漏れてしまった。

 すると束さんと箒に似た顔が、苦笑を浮かべる。

「こう見えても、保護してから二ヶ月ぐらいなのだけど」

 木のイスが軋む。俺はエスツーの出してくれたコーヒーをすすり、手足を投げ出して天井を見上げた。

 暗い照明が何度も瞬いた。

「正しく認識出来たかしら?」

「いや……思考停止状態だ。何もかもが夢みたいに思える」

 大きくため息を零した。昼間死んだ仲間たちも、ここが二百年後だというのも、全てがウソにしか思えない。

「貴方はどうするのかしら?」

「俺か……どうしたら良いんだろう? エスツーは何者なんだ? 箒や束さんによく似てるけど……」

「私はいわば子孫になるのかしら」

「し、子孫!?」

 思わずイスから落ちそうになる。

 箒か束さんが子供を作ったってことか!? 信じられない……。

「正確に言えば、遺伝子強化試験体研究所というところで生まれた存在の子孫」

「……お前もなのか。人間って、そんな人をぽんぽん作って」

「生まれてきたことには感謝してるわ。その研究機関は先のメテオブレイカー事件で崩壊。逃げ出した私は今じゃ世界で数少ないIS開発者よ」

 彼女は何の感情も示さず、ただカップに口をつける。

「エスツー。俺はどうしたら良い?」

「さて、そろそろ政府から連絡があるんじゃないかしら」

「お前は……その」

「ん?」

「昼間のクローンたちが死んだことが、悲しくないのか」

「そんな感情は閉じ込めたわ。呆れ果てるほど多くの人間が死んだのだから。今の世界人口、いくらかわかる?」

「百万人ってのは見たよ。信じられないけど」

「真実よ。つまり、たった四ヶ月間で、それだけに減らされたのよ。紅椿の兵器は強力すぎる。もちろんそれだけじゃなく、大隕石群の落下に端を発した内乱や内戦、それに戦争。経済崩壊。まだゼロじゃないだけマシだわ」

 とにもかくにも驚いてばっかりで、どれが真実だかもわからない。

 あの仲間たちのクローンが殺されたということ、それと今もISが示している座標が間違いなく日本で、草木すら生えない荒野であるということ。

 思考停止中なせいもあるが、そういう事実を積み重ねれば、エスツーの言うような話もあるかもしれない、と本気で思えてくる。

「まあ、紅椿が過去に戻って人類を改ざんすれば、こんなことは起きなくなるのかもしれないけれど」

「改ざん? 過去?」

「あいつの目的は、エネルギーを集めて過去に飛び、過去を作り直して人類を良い方向へ導くことよ」

「……ああもう」

 好きにしてくれ、と投げやりな気分になってきた。

「どちらにしても、私たちという個体はいなくなるかもしれないわね」

 興味なさげに言い放ち、彼女はベッドで寝息を立てる子供の方へ視線を向けた。その表情は柔らかく微笑んでいる。

「子供、好きなのか?」

「沢山面倒を見てきたわ。何せ子供の多い場所だったから」

「……そっか」

 それはつまり、あいつらと同じようなクローンが多数、製造されていた場所にいたということだろう。

「唯一の生き残り、何とか連れ出した子よ」

 エスツーがホログラムディスプレイを目の前に展開した。彼女もどうやらISを持っているようだ。

「通信か? その辺りのインターフェースは変わってないのか」

「ISは二百年前から大して進歩していないわ。こちらエスツー」

 彼女の前に浮かぶウインドウには、女性の顔が映し出されていた。

『サラシキだ』

 その名前に俺の背筋が伸びる。

 だが、そこに写っている顔は、四十代ぐらいの厳しい顔つきをした女性のものだった。俺の知っている彼女たちではない。おそらく子孫ってことか。

 本当に、俺の生きていた時代とは違うんだな。

『エスツー、決行の時間が決まった。ルート2を連れて来い』

「逃げても意味はないわよ? 何があろうとも、紅椿を倒さなければ意味はない。過去に戻って改変されたなら、人類は全て入れ替わる」

『過去に戻るなど信じられない。これ以上の悪夢は沢山だ』

「定員は?」

『人選は済んだ。私は残る。ジンと決着をつけなければならない』

「そう……では、私も残るわ」

『待て、お前が行かねば』

「私程度の科学者なら他にもいるでしょう。そんなことより一人、追加して欲しい人員がいるの」

『了解だ。では、集結場所の座標を送る』

 通信ウインドウを消し、一息吐いた後にエスツーが立ち上がる。

「さて一夏、明日は早いから寝た方が良いわ」

「どこか行くのか?」

「人類最後の希望の地へ」

 自嘲するような笑みで彼女は部屋から出て行こうとした。

「どこのことだ?」

「かつて、IS学園があった島よ」

 

 

 

 

「しっかし、徒歩になるとは……」

 荒れ果てた荒野をひたすら歩き続けていた。

 太陽が高い。まるで日本とは思えないぐらいに暑いが、水分を奪われないために薄い布をフード付のマントみたいに羽織って歩いていた。

「仕方ないわ。車はさっきガス欠になったんだし、ISを使って紅椿にバレるわけにもいかないし、それにもう近いわ」

「なら良いが、あの子が限界だな。休憩にしよう」

 チラリと背中越しにあの子を見つめた。俺の少し後方で、空を見上げて歩いていた。今にも足がもつれて倒れそうな感じだ。

「私は少し先に行って、様子を見てくるわ」

 エスツーは立ち止まらずにスタスタと歩いて行く。

「それじゃ俺たちは少し休憩にしようか」

 少し待って、歩幅の小さな少年の頭を撫でると、肩で息をしながら彼は小さく頷いた。

 手頃な岩を見つけて腰掛け、荷物の中から水筒を取り出す。

「ほら、少しは飲んでおけよ」

 差し出した俺に気づかず、少年は空を見上げていた。

「ん? 鳥……トンビ、鳴き声が聞こえないってことは鷹か?」

 俺が小さく呟くと、不思議そうに俺へ視線を向け、

「タカ?」

 と小首を傾げて尋ねてくる。

「ああ。強いんだぞ。速くて、大きな爪で獲物を捕まえるんだ」

「鷹……」

 ぽかんと口を開けて見上げる姿に、俺は小さく吹き出してしまった。

 勇壮なその姿を、よっぽど気に入ってしまったようだ。子供っぽくて微笑ましい。

「ほら、座れよ、少しでも休め」

 軽く手を引っ張って、俺の横に腰を落とさせる。それでも少年は空を見上げたままだった。

「そうだ、名前」

「え?」

「名前、ないんだったよな」

「エスツーは『キミ』って。みんなもお前やキミ、あなた、アンタ」

 ……そうか。こいつは俺の仲間の記憶を持ったクローンと一緒に生きてきたんだな。

「誰か名前をつけようとしなかったのか?」

「シャルロットがつけようとした。ラウラが違う案を出した」

 いつもは言葉少なげな子が、今はポツリポツリとだが、長く喋り続けている。

「ははっ、それで? 他の奴らは?」

「箒のは変なのだって怒られてて、セシリアは長いから却下。簪はトクサツだからダメだって。楯無がじゅげむじゅげむ? 鈴が仕方ないからつけるって言い出したけど、全員で反対」

 その話が如何にも彼女たちっぽくて思わず笑ってしまう。

「それで名前はないままなのか?」

「結局、保留。でもみんな、いなくなった」

 ぽつりと、悲しそうに呟く。

「……そうか」

「無いままでいい。みんなにつけてもらうつもりだったから。エスツーもそう思ってる」

 少年が小さくポツリと呟いて口を閉じる。

 その感情に返せる言葉もなく、俺も黙り込んでしまった。

 隣の少年は再び空に舞う猛禽類を見上げている。その眼差しは、純粋な憧れが込められているようだ。

 そのまま俺もボーッと空を見上げる。

 雲一つない抜けるような青空だ。あれが二百年後の気象現象だってのが信じられない。俺の記憶と何一つ変わらない空だった。

 五分ぐらい、そのまま二人で空を見上げていただろうか。

 遠くから声が聞こえてきたので振り向けば、先に行ったエスツーが少し遠くからこちらに向けて何か叫んでいる。

「さて、そろそろ行くか」

 立ち上がって埃をはたき落とすが、名前のない子供は空を見上げたままだった。

「そんなに気に入ったのか。ほーら、行くぞ」

 手を握って立ち上がらせる。

 ゆっくりと彼を引っ張って歩き出した。

「なあ、名前だけど、俺がつけても良いか?」

 小さな手の持ち主に、問いかける。

「名前?」

「俺もアイツらの仲間だしさ。良い案があるんだ」

 少しだけうつむいたあと、少年が顔を上げて小さく頷いた。

 鷹を気に入っていて、みんなにキミと呼びかけられていたのだ。

You(ヨウ)ってのはどうだ?」

「ダジャレ?」

「返答はやっ!? てか鋭すぎだろ?」

「一夏はつまんないダジャレが好きって鈴が」

「そ、そうか」

 鈴、つまんないは余計だろ……。

「ど、どうだ? い、嫌か?」

 恐る恐る尋ねる。良いアイディアだと思ったんだけどなぁ。

「でも気に入った」

 自信ない俺の提案だったが、ヨウは少し嬉しそうに答えてくれた。

「そ、そうか。それじゃヨウ、行こうぜ」

 小高い丘の上で、呆れた表情のエスツーが待ち構えている。

「何を話してたの?」

 まるで母親のようなエスツーが、少年に問いかける。

「エスツー、名前決まった」

「……そう」

 彼女は悲しそうに呟いたが、彼は胸を張って、

「これからは、ヨウ」

 と、自分の名前を誇らしげに口にした。

 そこに浮かんでいた笑みは、年相応の小さな子供のものだった。

 

 

 

 

 

 俺たちがいるのは、草原の島の地下にある船のドックだった。天然の岩に囲まれた洞窟の中に、巡洋艦サイズの船が浮かんでいる。

「サラシキ、着いたわよ」

 エスツーが先導し、その巨大な箱船の近くに立つ女性に近づいた。通信回線越しに見たときと同じように、厳しい表情をしていた。

「よく来たな、エスツー。小さいのも元気だったか?」

 俺たちを見る視線は変わらず厳しかったけど、なぜかヨウにだけは優しげな笑みを浮かべる。

「サラシキ、名前決まった」

 面識があるのか、彼はパタパタと走りサラシキと呼ばれた女性の前で立ち止まる。

「ほう? どんなのだ?」

 サラシキと呼ばれた楯無さんたちの子孫は、膝をついて小さなヨウと目線を合わせる。

「ヨウ。一夏がつけてくれた」

「ヨウか。そうか。これからはそれで呼ぼう。改めてよろしくな、ヨウ。それと」

 立ち上がった彼女は、俺の方を見つめ、

「戦力はありがたい。織斑一夏。歓迎しよう」

 と手を差し伸べた。

「まだ混乱してるけど、よろしくお願いします、サラシキさん」

 力強く握り返してきた手が、油や古傷で荒れている。彼女自身も先陣を切って働いているせいだろうか。

「伝説と同じような実力を見せてくれるとありがたい」

「あんまり期待されても困るけど……この船は?」

「宇宙船だ」

「宇宙船?」

「一ヶ月ほど前に、篠ノ之束と連絡が取れた」

「束さんと!?」

 驚きの声を上げると、サラシキさんが力強く頷いた。

「向こうは今、遙か宇宙の向こうにいるそうだ。かなり環境の良い星があるそうで、途中まで迎えに来てくれるとのことだ。かつてグリーゼ581gと呼ばれた惑星らしい」

「束さんが……その、束さんは?」

「彼女は本物だよ。本物の、二百年前から生きる伝説だ。なぜ生きてるかも知らんが、遙か遠くを目指して旅立ったのは、かつて機密事項だった。何とか通信を彼女の航路に向けて送り込んで、ようやく返信をもらえたというわけだ」

「ひょっとして」

 先端が尖った船体は、よく見れば少し人参っぽい形な気もする。

「この船も彼女が設計図を送ってくれたものを元に作ったのだ」

 彼女は誇らしげに、目の前にある巡洋艦サイズの箱船を見上げた。

「さ、さすがぶっ飛んでるなあ」

「何せ二十光年ほどの距離にある場所だからな。彼女の設計した船というのなら、心強い」

 光年て……だけど、束さんだから何でもありなのか……。相変わらずというか、二百年経ってさらに束さんっぽさが増したというか。

「詳しくは今夜の会合で話そう。よろしく頼む」

 歴戦の女士官といった雰囲気を醸し出すサラシキさんは、軽く手を振って歩き出した。

「これでどうにかなるわけがない、と篠ノ之束もわかっているんでしょうに」

 背中が見えなくなってから、エスツーが呆れたようにため息を零した。

「エスツー?」

「紅椿、ジン・アカツバキと呼ばれる存在の目的は、過去に飛んで人類そのものを作り直すことよ。地球を捨てて遠くに逃げても、隕石に関する解決にしかならないわ」

「……そうだな」

 エスツーの言うことを信じるなら、紅椿は遠くに逃げるヤツらなどどうでも良いだろう。

「だけどエスツー、だとしたら、何でここに?」

「ここに現状の最大戦力が集まるからよ。紅椿もおそらくエネルギーを狙ってここに来るはず」

 ヨウの肩を強く抱きしめて、エスツーが呟く。

「……どのみち、いきなり最終決戦ってことか」

 俺は箱船を見上げて呟いた。

 

 

 

 結局は、ここで戦うことになるだろう。

 もちろん、織斑一夏である俺も戦う。

 未だ思考停止しているし、これが夢だって線も捨て切れていない。

 だけど、それは戦わない理由にはならない。

 何もかもを夢だと思って、何もしないなら、現実でも何もしない人間になるだけだと思う。

 だったら何があろうと織斑一夏として、ここにいる人間たちを守るために戦うつもりだ。

 例え相手が出来の悪い悪夢であろうとも。

 

 

 

 

 生き残った人類の首脳会談ってのが終わった後、サラシキさんが俺やエスツーのいる場所を訪ねてきた。

「ルート2、今はヨウだったか。アイツは逃がす」

 開口一番に言ったセリフは、それだけだった。

 俺が名前をつけた十歳の子は、ISの調整という名目で外に出ており、今はこの部屋にいない。

「ヨウを? いや問題はないんですけど……というか、そういえばあの船は何人乗れるんですか? あと何隻あるんです?」

 そこは疑問に思っていた。

 いくら巡洋艦サイズとはいえ、百万人という残りの人口全てが乗れるわけがない。他の人たちはどうするんだ?

「これがリストだ」

 四十代だというサラシキさんは、厳しい顔つきでホログラウムウインドウをこちらに滑らせてきた。

「……合計、千人か」

 そこにある数字を口にして初めて、その意味を理解した。

「今のところ一隻しか建造出来ていない。幸い、操縦は自動で行われる。最低限のスタッフ以外は全員、子供を乗せることにした」

「子供を……」

「十五歳以下だ。織斑一夏。出来ればキミには、そこのリーダーになって欲しい」

 厳しい顔つきのまま、サラシキさんが俺に告げる。

「え? 俺が?」

「グリーゼ581gだったか。そこにいる篠ノ之束と会ったときに直接交渉する人間も必要だ。それに子供たちをまとめる人間もいる」

「ちょ、ちょっと待ってください。何で俺なんだ?」

「安心したまえ。何年かかるかわからない旅に、全員が起きている必要はない。まあ冷凍睡眠みたいな形を取りながら、篠ノ之束の迎えを待つ形になるだろうな」

「……早く来てくれると良いんですけど」

「キミはそこの管理者の一人となって、一緒に飛び立って欲しい」

 急な申し出に、俺は目を丸くしてしまう。

「で、でも、俺は……」

 俺は戦闘に加わらず、子供たちと一緒に逃げ出せということか。

 責任重大な役目ではある。

 だけど役に立たなくても、あの紅椿に一矢報いるつもりでいたんだけどな。

「サラシキ、急に言われても、一夏もよく理解出来ていないと思うわ」

 それまで沈黙を保っていたエスツーが、助け船を出してくれる。

「そうだな……。わかった。だが時間はあまりない。翌々日には出航する予定だ。子供たちも続々と集まってきている」

 サラシキさんは厳しい表情で告げて、俺たちの部屋から出て行った。

 扉が閉まるのを待って、エスツーは小さくため息を吐く。

「一夏、どうしたいの?」

「……正直、わかんねえよ」

「でも、紅椿を私たちが倒せたなら、確実に生き残れる道ではあるのよね」

「だけど、それじゃエスツーは!」

「私は良いわ。どのみち紅椿を倒さなければ人類に未来はない。でも、この世界で右も左もわからぬ貴方や、幼いヨウが生き残れるというなら、それも良いかも、と思うわ。でも……」

 彼女は研究者の顔をして、少し考え込む。

「どうした?」

「何か引っかかるのも確かよ」

 

 

 

 

 次の日、少し作業したいというエスツーを置いて、俺は小さなヨウの手を引っ張り、ドックの外へ出て来た。

「ここがIS学園とはなあ」

 ポリポリと頭をかく。

 どこまでも広がる草原。緑色の葉が風に揺れている。

 目を懲らすと、たぶん第六アリーナが存在していた辺り、IS学園で一番背の高かったタワーのあった場所に、大きな木が葉を生い茂らせている。

「あそこまで行ってみようぜ」

「うん」

 ヨウを引き連れて、くるぶしにかかるほどの草を踏みしめていく。

 小さな海峡を隔てた日本本土とはまるで違う、本当に綺麗な島だった。

「おいヨウ、また鷹が飛んでるぞ」

「どこ?」

「ほらあっちだ」

 どこまでも広がる青い空に、一羽の鳥が翼を広げて滑空していた。

 途端にそれに目を奪われたのか、ヨウは後ろに倒れそうなほど頭を上げて、目で猛禽類の姿を追いかける。

「おい、こけるぞー。足元に気をつけろよ?」

「うん」

 やれやれ。可愛いもんだ。

 俺にもこういう時期があったんだろうかとか箒に言ったら、お前は今も昔も変わらんぞ、ボーっとしすぎだとか怒られそうだ。

 上に気を取られたヨウがこけないよう、気を付けて手を引き歩いていく。

 五分ほど歩くと、その巨木に辿り着いた。

「何の木かわからないけど、デカいな。樹齢百年ぐらいありそうだ」

 テキトーに推測しながら、その根元に腰を下ろしてもたれかかる。

 鷹が見えなくなったのか、ヨウも俺の横に腰を落とした。

「良い天気だ」

 草木の匂いが鼻をくすぐる。

「こんな綺麗な場所を捨てて、他の星へ逃げる、か」

 昨日のサラシキさんの話を思い出していた。

 束さんがとっくに地球を離れて、しかもまだ生きてるってのが、あの人らしいけどな。そこだけ現実っぽい。

「なあヨウ、お前はどうしたい?」

 隣で足を放り出している子供に話しかける。

「戦いたい」

 言葉少なげに、少年が決意を告げた。

「……怖くないのか?」

「怖い。でも、許せない」

「許せない?」

「みんな、友達だった」

 それは、俺の仲間たちのことを指しているんだろう。

「……悲しかったのか」

「シャルロットは優しかった。ラウラは厳しかったけど、ちゃんと出来たら褒めてくれた」

 指を折りながら、淡々と思い出を語ってくれる。

「そうだな、よくわかるよ」

「セシリアは目を合わせて頭を撫でてくれてた。簪はいっぱいお話を教えてくれた」

「うん」

「鈴は一緒に遊んでくれた。楯無はいろんな悪戯を知ってた」

「そうだろうな」

「箒は一番優しかった」

「そっか。俺には厳しかったけどなあ」

 たった数日前の出来事みたいな感じだけど、遠い昔の話のようにも感じられる。

 未だにあそこで死んでいたのが偽物で、クローン人間に記憶を焼き付けて生まれてきた存在がいたってのが信じられない。

 でも、ヨウは俺の仲間たちと一緒に過ごしていたんだ。

「どれくらい一緒にいたんだ?」

「一か月ぐらい。エスツーと二人だと、えっと」

「二人だと?」

「……静か」

「だろうな。みんながいると、騒がしかっただろ」

「楽しかった。みんな、一夏のことばっかり教えてくれた」

「変なこと言ってなかったか?」

「一夏、スケベ。みんな、そう言ってた」

「おい……子供に何を教えてんだ、あいつら……」

 頭を抱えてしまう。

 だけど、あまりにも彼女たちっぽい話過ぎて、同時に笑みも零れてしまった。

「こんなこと」

 ヨウがホログラムウインドウを呼び出し、俺に見せてくれる。

「どれどれ、何が書いてあるんだ?」

 そこに並んでいる文字を追いかけていくたびに、俺の顔が青ざめていく。

 内容は、俺やみんなの話を追いかけた、まるで小説のようにまとめられた物語だった。

「おい……これ」

「みんなの話、簪がまとめてくれた」

「うわ……これ、恥ずかしすぎるだろ……何やってんだ、簪」

 少し妄想が入ってる気がしないでもないが、確かに俺の周囲を描いたストーリーがその中で展開されていた。

「七冊目までしかない」

「どうして?」

「死んだから」

 ポツリと、悲しそうに呟いた。

 思わず隣の少年の頭を抱きかかえてしまった。

 だって、彼は泣いていたのだから。

「泣いたっていいんだぞ。ここにエスツーはいないんだから、気にせずに思いっきり泣けば良い」

 俺がそう教えてやると、彼は小さな嗚咽を上げ始め、すすり声を漏らし、最後には大声を上げて泣き出した。

 

 

 

 

 泣き疲れて眠ったヨウを背負い、俺はドック内にある部屋へと戻ってきた。

「あら、ヨウはどうしたの?」

 画面とにらめっこしていたエスツーが、こっちに気づいて顔を上げる。

「疲れてたみたいだ」

「その子も、気を張ってたからね。一夏がいて助かったわ。その子は私の前じゃ絶対に泣かないから」

 壁際の簡素なベッドにヨウを下ろし、布団をかけてやる。

「エスツーに気を使ってたみたいだな」

「彼なりに頑張ってるのよ。可愛らしいとは思うのだけど」

 小さく微笑んでから、彼女は再び投影型キーボードを打つ作業に入る。

「エスツーは残るんだよな?」

「もちろんよ」

「俺も残るよ」

「……そう」

 彼女の指が一瞬止まったが、すぐに作業を再開した。

「でもヨウは、束さんにお願いしようと思う。いいよな?」

「わかったわ。サラシキにはそう伝えておく」

「頼む。エスツーは何をしてるんだ?」

「ちょっと分析を。こっちはもうアスタロトもルシファーもバアル・ゼブルもあと一機だけ」

「何の話だ?」

「二百年ぐらい前に、私の先祖が設計したISよ。ヨウのディアブロと一緒に戦ってた機体だけどね。パイロットごと破壊されたし」

「……人が死んだんだな」

「乗ってたのは、あなたの仲間のクローンたちよ。この時代には彼女たちの専用機なんて残ってなかったし」

 淡々と告げる彼女の唇が、わずかに震えているのを見つけてしまった。

 エスツーと名乗るこの人もまた、いろんな思いを抱いて戦っているんだろう。

「そっか……。なあ俺の白式って」

「それはサウスサンドウィッチ海溝の奥に眠っていた物を回収した本物よ。本物のインフィニット・ストラトス・オブ・インフィニット・ストラトス。ちゃんとルート3を搭載してるわ」

「ルート3? そういや昨日のサラシキさんもルート2とか言ってたけど、何の話なんだ?」

「ルート3は零落白夜の別名よ。ルート1は絢爛舞踏の別名ね。ルート2は単なるルート2。イメージインターフェースの進化系で、心を繋ぐワンオフアビリティ」

「ワンオフアビリティ? イメージインターフェースが?」

 作業しながら説明してくれているんだが、内容がさっぱり理解出来ない。

「本来、人から心を抜き出して量子化する兵装らしいわ」

「それでどうなるんだ?」

「遠くまで行ける」

「え?」

「イメージインターフェースってのは、パイロットの精神と機体を繋ぎISを動かす機能のこと。つまり心さえあれば、ISは動く。人間は肉体があるゆえに、自分の限界を勝手に作り出す」

「限界って、肉体の限界ってことか?」

「そうよ。それを超えたISの限界まで性能を引き出せる。それがルート2という機能。ヨウの機体『ディアブロ』にだけは、この機能が乗っているわ」

 何か言っていることが矛盾している気がするんだけど、明確な言葉に出来ないのがもどかしいな。

悪魔(ディアブロ)か。何でそんな名前をつけたんだ?」

「悪魔だと私が思ったから」

 キーボードを叩く手を止め、エスツーは悲しげに呟いた。

「ディアブロ……か」

「あの子、貴方がヨウと名付けた男の子が動かしたディアブロは、白騎士の設計図を解読し、私が作り上げたISだった。IS黎明期の英雄たちを乗せるつもりだったけど、なぜかあの子だけが特殊な適正を持っていたのよ」

「……よくわからねえけど、ヨウは特別なのか」

「特別じゃないわけがないでしょう。遺伝子的には織斑一夏と篠ノ之箒、二人の子供なのよ」

「いまいち、実感がないんだが……」

 確かに箒や俺の面影があるとは言えるけど……特に母親に目鼻立ちなんか似てるんだけどな。

「貴方自身の子供ではないから、それはそうよね。あの子が戦うところ、ちょっと不恰好でしょ?」

「ちらりと見ただけでよくわかんないけど、少しISが大きいような。あれで強いんだろ?」

「強いわよ。何せ自分の腕より先にISを動かしているの。ISの腕部装甲が動くから、中にある腕が動いてるの」

「それってまさか、IWS……」

「そうよ。あの子はもう心が体から離れかけてる。まるで不思議の国にいるように、現実感がないと思うわ。もう慣れ切っていて、それが当たり前なのかもしれないけど」

 その病の名前を聞いて、俺は唖然としてしまった。

 IS学園にいたとき、数人の生徒がIWSを患ってしまったことを覚えている。確かに現実感がなく、自分の体が上手く動かせないと訴えていた。

 ましてやヨウは、まだ十歳だ。

「そ、それをわかってて、エスツーはヨウをそのディアブロに乗せたのか」

「あの子が望んだのよ。実際、ディアブロがいなければ、私たちはここまで生き残れなかった」

「そんな……でも! だからって子供を!」

「私から見れば、貴方だって子供よ」

 呆れるようにため息を吐いた。確かにエスツーの見た目は二十代後半だけど……。

「この世界は、子供だろうが大人だろうが、戦えるなら戦うしかない。ジン・アカツバキという神が人を断罪し、宇宙から巨大な隕石群が降り注ごうとしている」

「だ、だけど、だからと言って! 大人が子供を兵器にして良い理由にはならないだろ!」

「子供の感傷は結構よ、織斑一夏」

「……エスツー」

「でも、もう終わりね。ヨウは明日には眠りにつくわ。戦う必要はない平和な世界に辿り着ける。後は私たちが、紅椿を倒すだけ。違う?」

 決意を込めた眼差しを、俺に向ける。

 紅椿と巨大隕石群。

 この二つを同時に排除することなど、無理難題だ。何せ紅椿……ジン・アカツバキか。人類はあいつにさえ勝てた試しがないのだ。

「オーケーだ。異論はないよ。それにエスツーがヨウを箱舟に乗せることに賛成したのは、もう戦わせたくない、ISに乗せたくないって思ったからだろう」

「ええ」

 力強く頷いた彼女に、俺は頭を下げた。

「……ありがとう、エスツー」

「当たり前の責任だから」

 小さく笑って、彼女はキーボードを叩き始めた。

 ヨウは生きて、俺たちは紅椿を倒し、地球とともに滅ぶ。

 俺たちに残された手は、これしか無い。

 すでに何十億という人間が息絶えた。残り百万人全てが生き残ることも出来ない。

 だからたった千人ほどの子供たちを未来へ託す、そういう戦いが始まるんだ。

 

 

 

 

 

「それじゃあヨウ、先にこの中で寝てろよ」

 棺桶を円筒形にしたような金属のカプセルの中で、少年が横たわっていた。

 少しぼんやりした顔つきをすると、何故か俺に似てるってのが不思議な気分だ。

 ヨウが俺とエスツーを見上げて、少しだけ不安げな顔を浮かべる。

「一夏とエスツーは?」

「俺たちは一緒に乗ってるから、お前が起きる前に起きるよ」

 そんなウソを吐いた。

「紅椿から、逃げるの?」

「力を蓄えるんだ。今はまだ勝てないし、この地球はどのみち、隕石で無くなっちまうからな」

「わかった」

 ヨウは少し考えた後、俺たちの顔を真っ直ぐ見つめて頷いてくれた。

「ちょっと長い眠りだけど、一人で大丈夫?」

 ヨウの顔を覗き込んで、エスツーが微笑む。

「うん、大丈夫」

 ちょっとだけ気合を入れるような顔つきになったのは、彼女を安心させるためだろう。

「それじゃあ、おやすみ、ヨウ」

 エスツーがヨウの頬に軽いキスをした。

 少し驚いたような顔つきをした後、十歳の少年が破顔する。

「じゃあな、ヨウ。また会おうぜ」

 ヨウが眠るベッドの上に半透明のガラスが降りてきて、完全に密閉された

 少しだけ泣きそうな顔を浮かべた後、彼はゆっくりと目を閉じる。

 俺とエスツーはそれを見届けてから、ゆっくりと踵を返し歩き出した。

 隣を進む箒と束さんに似た女性が、涙を零していた。

 どうして良いかわからなくて、俺は彼女の肩をそっと抱きしめてあげた。

「い、一夏?」

「ここは泣いても良いと思う。短い間だったけど、本当に子供みたいだったんだろ?」

 声をかけてやると、咳を切ったようにエスツーが咽び泣き始めた。

 彼女もずっと感情を押し込めて戦い続けてきたんだろう。

 大してこの時代のことを知らない俺だけど、今だけはこの女性に胸を貸して、最後の戦いの時を待つとしよう。

 

 

 

 

 

 IS学園の跡地の草原で、俺は空を見上げていた。体には白式を身にまとっている。

 隣には、青いカラーリングの紅椿とでも呼べば良いのだろうか。そんなISを装着したエスツーが立っている。

 先ほどまで青空が仄暗い影に覆われていた。

 そこにいるのは、千機を超えるISの影と、それを従える紅蓮の神だ。

「ISを集めて何をしているかと思えば、自分たちだけ逃げ出す算段か」

 束さんと同じ顔のそいつが、興味なさそうに呟いた。

「ここでお前を倒し、未来を作る」

 銀色のISを装着したサラシキさんが一歩前に出た。

 ここに集まったのは、世界に残った百万人の代表たち。わずか数十機のインフィニット・ストラトスだった。

「未来を作る、か。聞こえは良いが、お前たちの行いはただ命を弄んでいるだけではないか」

「何とでも呼べ、破壊神め。人を虐殺し続けるお前にはわかるまい」

「わからんよ、人間。だが、お前たちがしたいことはわかるぞ。相変わらずの罪深さだ」

 俺たちの遥か後方から、四角い棺桶のような『箱舟』が出航していく。

「何とでも言うが良い。私たちは生き残らねばならんのだ」

 ジン・アカツバキとサラシキさんの問答に、妙な違和感を覚える。

 生き残るってのは、確かにその通りだ。だけど、何か別の感情が込められているような印象だ。

 隣のエスツーを見ると、彼女も同様の思いを抱いているようだった。

 しかし考え込んでいる場合じゃない。

 俺たちは視線を戻し、開戦の狼煙を待つ。

 銀色の装甲の、生き残った人類の代表が腕を横に振るった。

「ルート2、発動せよ。白騎士弐型・ディアブロ、紅椿を倒せ!」

 信じられない言葉を発した。

 箱舟から、一機のISが飛び出してくる。

 白騎士に黒のカラーリングを施したような機体だ。その中にいるのは、十歳ほどの子供である。

 そして顔にはバイザーが降りていて、目元が見えない。

「サラシキ、貴方まさかヨウの機体を暴走させて、意識まで奪って戦わせる気!?」

 エスツーが悲鳴のような声を上げる。

「ふん、ルート2で白騎士と同じ性能を持つ機体の力を、限界まで引き出す気か」

 心から蔑むように、ジン・アカツバキが吐き捨てた。

「サラシキ!」

「たった一人の犠牲で人類が救えるなら、子供であろうと関係ない!」

 悲鳴のような声でエスツーが咎めても、司令官は聞き入れる気はないと一蹴した。

 そういうことか。

 他の子供たちを逃がすために、最大戦力であるヨウの力を限界まで引き出す。その結果、例えあの子が死んだとしてもだ。

「俺たちは、サラシキさんに騙された……?」

 人類のリーダーは、最初からヨウを束さんのところまで逃がすつもりなど無かったのだ。

 犠牲となる機体が一瞬で音速を超え、紅椿の背後に浮かぶ敵機を破壊していった。

 さらに背中から五種百機のビットを生み出して、紅椿の連れた千機以上のISに攻撃を仕掛ける。

 精神感応型遠隔操縦兵器は、体に手足を増やすようなものだとセシリアに教えてもらった記憶がある。だからあんな数のビットを操るのは、まともな人間には無理なのだ。

 ディアブロと呼ばれた機体が、太陽の光を閉ざすような大群に風穴を開けていった。

 黒い力が、闇の底の青紫を爆発させ蹴散らしていく。

「人の業は、深いな」

 悲しそうに、紅椿が呟いた。

「お前がここまでさせたのだ、ジン・アカツバキ!」

 俺はあの女性を楯無さんたちの子孫だと認めたくはない。あの誇り高き彼女たちなら、こんな所業が許されるわけがない。

 ヨウが戦っている。意識さえ奪われて、幼い体の限界を超えて、敵を倒そうとしていた。

 腕や足が引きちぎれんばかりに動いて、敵を葬り続けている。

 その幼い体に、ISは大き過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 











次回・IS2237後編で未来編(過去編)は終わり。


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41、誰ガ為ノ世界

 

 

 

 

 

 遙か昔にIS学園だった島に草原が広がっている。

 その端にあるドックから、宇宙に向けて飛び立とうとしている一隻の船があった。海上から船首の角度を空に向け、少しずつ浮き上がっていく。

 通称『箱船』。篠ノ之束より送られた設計図により作られた、ISと同等の技術を利用した最新鋭の宇宙船である。

 中には千人の子供たちが、棺桶のようなカプセルで眠りについていた。

 その千の死体箱から伸びた配線の中心には、篠ノ之束製の生態同期型IS『黒鍵』が吊されている。

 劣化ISコアのネットワークに繋がれた子供たちは、黒鍵によって作られた電脳空間の夢を見る。

 それは幸せなのだろうかと問うても、答える人間はいない。

 

 

 

 

 

 草原の上に立つ数十機のISのパイロットたちが、空を見上げて息を飲んで、その戦闘を見守っていた。

 千機を超える青紫色の敵機の中心、ジン・アカツバキという神を倒すため、ディアブロと呼ばれた機体が空中を駈ける。

「……ヨウ」

 顔の見えない少年の体がISについていけず、関節がちぎれそう角度まで動いていた。大きな剣を両手に持つ小さな姿は、アンバランス過ぎて危なっかしい。

「黙って見てられるか!」

 俺は雪片弐型を肩に担ぎ、隣にいる二十代後半の女性に視線を送る。

「エスツー、その機体に絢爛舞踏は?」

「いけるわ。私を誰だと思っているの!」

「誰だかハッキリ聞いたことないけど、ヨウをこれ以上、戦わせてたまるか!」

 刀を構え、推進翼のスラスター口を下に向け、空へと舞い上がろうとした。

 だが俺たちの進路を遮るかのように、数十機のISが列をなして襲いかかってくる。

「くそっ、どけっ!」

 左腕のシールドを大きな傘のように展開し、敵のレーザーキャノンから背後のエスツーを守る。

 どうやら、この白式は俺の知らない『織斑一夏』によって鍛え上げられた機体になってるようだ。俺の記憶より性能がかなり高い。

「だけど……」

 そうはいってもパイロットは俺こと織斑一夏だ。目の前の数十機を一撃で葬れる力など有していない。

「一夏、荷電粒子砲!」

 青い紅椿としか表現出来ない機体の肩部装甲が変形していく。中から現れた砲身の姿はまるで矢をつがえた弓のようだ。

「わかってる!」

 俺の左腕のモードを荷電粒子砲へと切り替えた。砲身の形となった左腕に光の粒子が集まってきた。

「穿千!」

「ぶっ放す!」

 二門の高出力遠距離兵器により、襲いかかってきた機体の半分を焼き落とす。

「やったか?」

「相手は無人機よ、怯むはずがないわ、気をつけて!」

 エスツーの言葉通り、生き残った敵機は即座に両手の砲門からレーザーを乱射してきた。

「ちっ、これぐらいで!」

 再度シールドを展開し、盾となった俺の背後で、エスツーが二機のビットを射出し、再び数機を撃墜した。

 敵の数を少しだけ減らしたが、視界に広がる青紫のISの数が減った気はしない。

「よ、ヨウは!?」

 暴走した機体に乗せられた少年の姿を探す。

 空域に現れた群体とでも言うべきISたちの中央、ジン・アカツバキと呼ばれた機体が鎮座していた。

 そこに向けて、ディアブロと呼ばれた黒い機体が加速していく。

 目の前に立ち塞がった数機のISの壁を易々と吹き飛ばし、紅蓮の装甲への距離を詰めていく。

「暴走して今までよりも強くなったつもりか、ルート2! それでは無人機と変わらんな!」

 激突すると思われた瞬間に、ジン・アカツバキは二本の刀を振り下ろす。その速さはISで見る限り、人間の神経伝達速度を上回っていた。

 十歳という肉体年齢の少年が、超反応で左手の大剣を振り上げて受け止める。大きな金属同士の衝突音が響いた。

「力は互角か!?」

 黒い機体の発揮した実力に、俺の口から思わず声が漏れる。

 しかし相手の背中に新しい腕が現れ、その受け止めた左腕部装甲の根元から切り落とした。

「可哀想な子だ」

 哀れみを受け、左腕を失おうとも気にせず、ヨウは右腕に持った巨大な剣を振り上げた。

「酷いものだ」

 それを回転しながら後ろに回避した紅椿は、ほぼ四本の腕で巨大な光の刃をで斬りかかる。

 相手の攻撃を察知し咄嗟に推進翼を羽ばたかせて、ヨウは後方へ逃げようと飛ぶ。

 だが、間に合わなかった。

 幼い足の膝から下が、ISの装甲ごと切り落とされる。

 攻撃の勢いでヨウが吹き飛ばされていった。

「手こずらせてくれる」

 その安堵にも似た声音を受けたかのように、青紫色のISたちが群れをなして、草原に向け墜ちるヨウを追いかけた。

 彼の小さな体へ、まるで敵の体温を奪うミツバチのように、神の下僕たちがディアブロに取り付き始める。

「クソッ、刃を伸ばして切り落とす!」

 俺は右手の雪片弐型を横に構え、後ろのエスツーへと声をかけた。

「絢爛舞踏、受け取って、一夏!」

 祈りを捧げる修道女のようなエスツーの機体から、俺の機体へと光が溢れて注ぎ込まれていく

「零落白夜!」

 エネルギーの大半を消費し、光る刀身を数十メートルまで伸ばして、ヨウに張り付いた機体を薙ぎ払う。

「なっ、すげえ?」

 思い通りに伸びた刃の動きに、俺自身が一番驚いた。まるで枝葉を持った木々のように伸びる光が、正確に敵機だけを撃ち落としたのだ。

「織斑一夏か」

 ジン・アカツバキがこちらを見据えた。束さんと同じ顔をしていながら、底が見えない井戸のような暗い瞳をしている。

「これ以上はやらせねえ!」

 シールドを構え、片手で剣を横に構える。

「面白い物を用意したのだな、エスツー。お前はまだ繰り返しているのか」

 カカシのようなISたちが、まるで戦闘機を小型にしたような形状へと変わっていった。

「一夏、貴方はヨウを!」

「だ、だけど!」

「数十秒ぐらい持ちこたえられる! 信じて!」

「わかった、死ぬなよ!」

 決死の表情をした彼女に背を向ける。

 周囲に向けて回転しながら荷電粒子砲を撃ち放ち、迫ってきていた敵機を排除した。そのまま推進装置を全力で回し、重力に従い落ちていく少年の体に向けて加速する。

「ヨウ!」

 俺の記憶より圧倒的に速い白式で、左腕と両足を失った少年を左手で抱え上げた。

「絶対防御が発動していないのか!?」

 傷口が焼かれたことで血こそあまり出ていないが、ショック症状で気絶しているようだ。わずかに痙攣を起こしているのも、危険な兆候に思える。

 しかし、この戦闘状況じゃ、俺にはどうすることも出来ない。

 唯一の味方であるエスツーを見上げて助けを請おうとしたが、彼女は紅椿を必死に押さえ込もうとしていた。

「貴方を起こしたのは、私たちの失策だったわ!」

「私の有無に関係なく、キサマたちは自爆したではないか」

 青紫の機体から放たれたビームが、巨大な光の束となって周囲を薙ぎ払っていった。

「貴方がいなければ、次の策も打てた!」

「果たしてそうかな? 二か月経っても人間同士で利益を奪い合い、猜疑によって前に進まぬ貴様らに、未来など無かったと思えるがな」

「黙りなさい! 穿千!」

 エスツーの青いISの肩にある荷電粒子砲が、強烈な光の線を紅椿へと向け撃ち放った。

「やはりこの時代のISは弱い。467機の純正ISは、パイロットを多数持つことで成長の特化を阻まれ、ワンオフの強さを持てなくなっている」

 紅椿の肩から生えた副腕が、手に持った銅鏡のような盾で全てのレーザーを霧散させてしまう。

「相変わらずの神話兵装! よくもまあそんな骨董品を!」

 青い機体のパイロットが焦りの表情を浮かべた。

「本来は人のイメージ出力を強化するために作られた物だがな。神にふさわしき物であろう?」

 余裕ぶった言い草で、ジン・アカツバキがエスツーと同じ可変出力式荷電粒子砲『穿千』を展開する。

「同じ武器でも、純正コアと劣化コアの性能差を見せてやろう」

 一瞬で解き放った光が、エスツーに向けて伸びていく。

「くっ!」

 青い機体が咄嗟に横に飛び退いて回避した。

 だが、その背後にあった荒野に大きな裂け目を作り、そのまま空に浮かぶ雲を切断する。

 威力が段違いだ。

 そしてようやく理解した。

 日本が荒野になっているのは、アイツのせいだったんだ。

 悠然と見下ろした紅椿が、海面を離れ空に向けて飛び立とうとする『箱船』に目を向けた。

「クロエ・クロニクルの黒鍵を中心としたエクソダスか。最後の純正ISコアはそれだな」

 束さんの姿をしたジン・アカツバキが、右の人差し指を伸ばす。

 背後に控えていた無人機の集団が、レーザーキャノンを放ち背後にある推進装置を正確に破壊した。

 煙を上げて、箱船が傾いていく。

 このままじゃまずい。あの箱船も落ちたんじゃ、何の意味もない。

「サラシキさん、退却だ!」

 先ほどから一切反応がなかった司令官に大声で呼びかける。

 眼下で動きを止めていた司令官に呼びかけるが、我を失っているのか、彼女は何も動かない。

 いや、違う!

「なっ!?」

 彼女の首から上が消えている。パイロットが死んだことすら気づかないISの装甲から、光が漏れ出してどこかに向けて渦巻き集まり始めていた。

 気づけば、いつのまにか紅椿が草原に立つ味方機の中央に現れていた。

 手に持った刀から、零落白夜に似た輝きが漏れている。

 そこに立っていた数十機のISは、全てのパイロットの首から上が消えてなくなって、前のめりに倒れていた。

「これで残り一機、黒鍵のみか」

 そう呟いた彼女の表情は、束さんと同じ顔でありながら、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

「よくわからねえけど、てめえは許さねえ!」

 左手にヨウを抱えたまま、俺は右手の刃を振るう。

 絢爛舞踏によって注がれた光が、零落白夜となって化け物たちを数十機まとめて断ち切った。

 その威力に一瞬目を見開いたが、すぐに歯を食いしばる。

 今の攻撃が俺の力ではないと理解していた。

 この白式が俺が育てあげたものじゃなく、この世界で死んだ男とともに歩んだISだ。ゆえにさっきの刃は、この世界の『織斑一夏』が鍛え上げた輝く希望の剣なんだろう。

「おおおぉぉぉぉ!」

 一降りするたびに、手から力が抜けていく。逆に気を抜けば脳内出血で死んでしまうかと思うほど、頭の中が熱を持っていた。

 この手にあるのは、全長二百メートルを超える稲妻のような刃。

 千機以上のISによって作られた青紫の雲を、上から下へ、西から東へと振り払った。

「さすがの白式か」

 だが、それでも相手の数は一向に減った気配がない。

 切り裂いた十字架は、あっという間に塞がれて元の暗闇へと戻っていく。

「一夏!」

「エスツー、ヨウを頼む、様子がおかしい!」

 左手に抱えた小さな子供は、無残な有様だった。

 左腕と両足はISの装甲ごと切断され、あったはずの四肢が揃っていない。血液こそ噴き出してはいないが、ショック症状で死んでもおかしくない状態だ。

 だというのに、この子のISは、勝手に動き出して俺を押し除ける。

「ヨウ? しっかりしろ、ヨウ!」

 まだ暴走が止まらないのか、わずかに残っていた脚部装甲が泥水のように融解した後、今度は有蹄類のように細く形成される。

 次になくなった左腕の代わりか、切断された腕部装甲が、日本刀を重ねたような決して人間の腕が収まらない大きさへと変化した。

「待て! これ以上は!」

 右側から抱き留めて動きを押し止めようとする。

 俺を押しのけて、幼い悪魔が低いうなり声を上げた。

 四枚の推進翼が交互に点火され、刃のような左腕を突き出し己自身を鋭い弾丸と為した。

「おい、待て! おい! ヨウ!」

 地上から逆方向に伸びる流れ星のように、青紫の夜空をの中心にある紅い太陽へと一直線に駆け昇る。

「届かぬよ、そんな力では」

 呆れるように呟いたジン・アカツバキは、右手に持った刃を横に振り抜いてディアブロを地上へと弾き返す。

 草原に穴が開いて、土煙を巻き上げた。

「ヨウ!」

 俺とエスツーはすぐに落下地点へと駆け寄る。

 死にかけた悪魔が、膝を震わせながら立ち上がろうとしていた。しかし左の脚部装甲が崩れ、前のめりに崩れ落ちそうになる。

 それでも倒れまいと、細長い剣のような左腕を杖にして、悪魔と名付けられた機体が空ではなく敵を見上げた。

「もう良いんだ、もう良い、戦わなくて良……」

 ああ。

 気づくんじゃなかった。

 気づかずにいれば良かった。

 俺の半分ぐらいしか無いんじゃないかって細い体の左胸に、日本刀が突き刺さっている。

 紅椿は先ほどの攻撃を弾き飛ばすと同時に、俺たちに認識出来ない速度で貫いたのだ。

「これで終わったか」

 紅椿の発した言葉通りに、その機体から力が抜けて、前のめりに倒れ込んだ。

 俺たちの足下にある背中から、鋭い刃が突き出ている。

「あ……あ……」

 エスツーが言葉にならない声を漏らす。

 彼女の青いISが解除され、彼女の膝が折れた。

「さらばだ、エスツー」

 そのまま空を見上げ、千を超える配下の天使とともに、ゆっくりと上昇していった。

「待ちなさい、紅椿!」

 エスツーが悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。

「お前はそこで消えるのだ。恨むことすらなく、生まれることすらなく」

 子供を奪われた母の嘆きすら、そいつには届かない。

 ヤツは刀を捨て、右手を前に差し出す。

「八重垣」

 そこに現れたのは、古びた金属で作られた短い銅剣のようなものだった。

 指で掴むと片手で振り上げる。

 例えるなら、天地逆さまに昇る稲妻を固めたような光だった。

 

 

 

 

 

「黎烙闢弥・八州砕き」

 私は八重垣と名付けられた宝剣にエネルギーを注ぎ込む。

 ルート3・零落白夜が次元を断つというなら、これは力技で世界を滅ぼす光だ。

 かつてIS学園だった場所にいる、二人の男女と一人の子供を目標と定める。

「終わりだ」

 振り下ろすとともに、全長17キロ程の島が真っ二つに割れた。

 マスターが一人で作り上げた楽園の上に出来た草原が、砕けて散っていく。

 感傷を覚えた。

 年老いてもなお、真っ直ぐと伸びた背中に、長く白い髪が風に揺れていた。

 マスターは与え続けた。

 戦場に立ち、味方に仲間に人に、色々な物を与え続けた。

 大事な者の命を、奪われたにも関わらずだ。

 酷い話だ。

 大したことのない事件だった。

 たまたま訪れた場所で、たまたま起きた強盗事件で、ISがメンテナンス中だった彼は、なんてことのない失敗をして、見知らぬ子供の代わりに死んだ。

 俺が代わりに人質になるよ。世界でたった一人のIS操縦者だ。価値は俺の方が高いだろ。

 余裕ぶったわけではない。

 失敗は、気づけなかったことだった。最初から全ては織斑一夏を殺すためのテロリズムだったのだ。

 一部の男たちの嫉妬と、一部の女たちの選民願望に、篠ノ之箒たちは大事な大事な命を捧げてしまった。

 マスターと母様は、残った白い機体を誰にも与えず海の底へと沈めた。

 それからも戦いの日々は続く。

 彼女たちは復讐など選ばなかった。

 人類など知らぬと、天才科学者は遙か遠くへと飛び去った。

 自分は織斑一夏の代わりになるのだと、紅い聖女は戦い続けた。

 人々に食料を与え、命を守り、畑を耕して、身を削り、人々に様々な物を与え続けた。

 私は思ったのだ。

 奪えば良いのに。それだけの力がある人間なのだから、誰かから奪い、それを誰かに与えれば良い。そうして平等を作れば良い。

 なのに誰からも奪わず彼女は常に与え続けた。

 彼女は最後に無敵のルート1を使わなくなった。

 他人からエネルギーを奪い続ける私のワンオフアビリティを使わず、ただ与え続けた。

 最後に彼女は、わずかな大地へ緑を与え、天へと帰った。

 私は奪うことしか脳のないインフィニット・ストラトス。だから、人類に平穏を与えるのだ。

 今もこうして小さな子供の命を奪い、過去へと飛び立つ準備をしている。

 私の最終目標は十万年前のアフリカ、ホモ・サピエンスの起源だ。

 なのに、この世界のISは汎用機化が進み過ぎてエネルギーの質が悪い。あの頃はエネルギー効率が悪かったので、全体的な性能自体は大して変化していないが、そのエネルギーの純度が黎明期のISたちの足下にすら及ばない。

 ゆえに、その黎明期へと飛び立ち、その次に十万年前に飛ぶと決めていた。

「さて、最後の仕上げだ」

 私は千機を超えるマルアハたちに指示を送る。彼女たちが未だに浮き続けている鈍足の箱船を捕捉した。

「残りは一機か」

 箱船の中にあるIS反応を探る。

 そこにあるのは、おそらく篠ノ之束の養女クロエ・クロニクルの専用機『黒鍵』だ。これで白騎士、白式を除く全ての純正ISコアから全てのエネルギーを得たことになる。

 最大の懸念であるエスツーの勢力は潰えた。

 二百年前に飛ぶとして、現状でも余力はある。それでも多いに越したことはない。

 私の仲間たちの残骸『マルアハ』とともに、神と偽り前へと進む。

 

 

 

 

 

 ISを失い、俺は海の上を漂っていた。

 紅椿の一撃で島ごと破壊され、俺たちは吹き飛ばされたようだ。

「って、ヨウ!」

 必死に足をばたつかせ、海面から首を上げて周囲を探す。

「エスツー! ヨウ! どこだ!?」

 声を上げても、何の反応もない。

 ISを起動させようにも、ウンともスンとも言わない。俺が無傷な代わりに、大打撃を受けたようだ。

 見上げた先にいる、束さんの姿をした紅椿と目が合った。ヤツは俺に向け、なぜか悲しそうに微笑んだ。

「もっと嘲笑えよ! 何でそんな顔をしやがる!」

 声を荒げても、相手はその慈愛に満ちた表情を浮かべたままだ。

 歯ぎしりで奥歯が砕けそうだ。

 何が起きているか、未だ現実感はない。

 それでも、アイツは人を殺し何処かに行こうとしている。

「一夏!」

 声が聞こえ、振り向いた方向の海面には、ヨウを抱えて必死に泳ぐエスツーがいた。

「ヨウ!」

 泳いで二人に近づき、ISがなくなった小さな体を抱きかかえる。ぐったりとした顔に生気はない。

「ダメ、息が……息をしてないの!」

「くそっ!」

「何とか飛ぶわ、このままじゃアレが!」

 そのとき、少し離れた海面から一機のISが浮かび上がってきた。

 黒い装甲で包まれた、フルスキン装甲の機体だった。四枚の翼と長い両手の爪、獰猛さとシャープさを兼ね備えた無表情なフェイスマスク。

『ルート2・リブート』

 無機質な合成音声が周囲に響き渡る。

「あれは……?」

 その黒い機体は、俺たちの方向を振り向いた。

 紅い機体の中にある顔が、眉間に皺を寄せる。

「ルート2か。相変わらずの酷い能力だ」

 何者かもわからない悪魔の翼が火を吐き出して、衝撃波を撒き散らし襲いかかる。

 戦闘が再開された。

 ISを失った俺とエスツーは、冷たくなった少年を抱えて空を見上げる。

「何が……起きて……ディアブロに誰が乗ってるんだ?」

 呆気に取られていた俺の横で、エスツーが悲しそうに目を閉じ、

「遅かったのね……この子……の心が量子変換されたのよ」

 と呟き、幼い子供の頭を撫でた。

「え?」

「ルート2というイメージ・インターフェースが、サラシキにより暴走し限界まで性能が発揮され、到達したのよ。心を搭載し、人が無くても動く機体になった。これからのディアブロは、心をインストールし続ける悪魔の機体よ」

「……あれが、ヨウだってのか」

 相変わらず現実感の無い世界だ。

 信じるに値するものすら曖昧で、何を受け止めて良いのかすら判別出来ない。

「見てなさい、一夏」

 千機以上のISを相手取っても、ディアブロは一歩も引かない。

 確実に相手の攻撃を知っているかのように相手の攻撃を回避し、百機のビットを操りながら、その悪魔の右手で敵を葬り続ける。

「何だ、あの動き……」

 紅椿側の一発も当たらない。

 いや、直撃する寸前で確実に避けているんだ。俺たちには感知出来ないコンマ数秒以下の認識の世界で戦っている。

「人の限界なんてものが無い。あれこそが心を持ったIS」

「心を持ったって……あんなの」

 何を信じれば良いかわからずとも、間違ってることがわかる。

 やることは何だ?

 俺は誰だ?

「先に箱船に辿り着くわよ」

 エスツーの青いISが再び展開された。

「エネルギーが残ってたのか?」

「私は誰だと思っているのかしら? と言ってもわずかにしか残ってないわ」

「わかった。箱船の中にISがあるんだよな?」

「ええ。そのISからエネルギーを奪い、力にするわ」

 俺の名前は織斑一夏。

 世界で初めての男性IS操縦者であり、白式のパイロットだ。

 なら、やることは一つだ。

 まだ守れる物全てを失ってるわけじゃないなら、悪あがきをするだけだ。

 

 

 

 

 

「チッ、最後の最後まで邪魔を!」

 どれだけ刃を振るい、光を放っても、その黒い機体に当てることが出来ない。

 元々、ISの制限は人間だと紅椿は知っている。

 いくら熟練のISパイロットといえども、機体性能を最大限まで発揮できないのは当たり前の話だった。

 人間の脳には限界というものがある。脳の処理速度を超えることが出来ない人体構造上の仕組みがあり、ジン・アカツバキと戦うディアブロのような動きは、人間では不可能だった。

 無人機化機能で暴走させていても、人間を搭載しているゆえの絶対防御などは機能する。だが逆に言えば、人間の限界を超える動きは暴走していようともIS側で制御してしまうのだ。

「同等の反応速度、機体速度、旋回速度か!」

 青紫の群体がどれだけレーザーキャノンを撃ち放っても、相手はその動きを認識して回避する性能を持っている。

 ジン・アカツバキの操る無人機『マルアハ』は、彼女がメテオブレイカー作戦で回収した劣化コア製のISを改修したものだ。純正コア製ISと比べると、作られたときから性能が劣っている。優位な点は数という一点だ。

 ゆえにマルアハたちが何機いようとも、白騎士弐型という別名を取り戻したディアブロに、勝てる要素など持ち得ていなかった。

 ジン・アカツバキは紅蓮の両腕を横に広げる。

 すでにエスツーたちが箱船に向かっていることには気づいていた。今からでは間に合わないと確信した。

「過去に飛べば、そこで終わるのだ。ここでキサマ相手に手間取るぐらいなら」

 万全とはいかないと理解し、離脱の準備に入る。

 紅椿の横に広げた両手の先で、黒い円形の断層が現れた。ISを覆い隠す程度の大きさのそれが、同じようにマルアハたちの前にも現れる。

「時の彼方への入り口! 最後の一機を諦めて、先に飛ぶ気よ!」

 エスツーが叫ぶ。

 空中に浮かぶ箱船の甲板に降り立った一夏の背中に、エスツーが手を添えた。

「ルート1・絢爛舞踏!」

 箱船の中から甲板を透き通り、光る粒子が蛍のように舞い踊る。

「バイパス直結成功したわ、一夏!」

「おう!」

 背後に立つ女性の声に呼応し、腕部装甲だけを部分展開した織斑一夏は、手に持った雪片弐型に命じる。

「ルート3・零落白夜!」

 ジン・アカツバキに向けて、真っ直ぐ上段に剣を振り上げた。

 そこに光る刀身はないが、一夏は手にしっかりとした重みを感じていた。

「墜ちろ、カミサマ!」

 振り下ろした柄の先では何も起きない。

 だが、ディアブロとジン・アカツバキの間に立ち塞がっていたマルアハたちが次々と爆発していく。

 壁に開いた穴を狙い済まし、背中の推進翼から輝きを発して、ディアブロが加速に加速を重ねていった。

 しかし、その眼前にある篠ノ之束の顔が破顔した。

 その両手の先にある黒い円形が、紅蓮の神を覆う。

 零落白夜が、その胴体を切り裂いた。

 だが、相手を撃墜するには至らず、神はその空間から姿を消す。

「消えた? やったか!?」

「いえ」

 箱船の上に立つエスツーが膝を折って崩れ墜ちた。

「エスツー?」

「傷は負わせたとはいえ、紅椿は、時の彼方から過去へ飛んだわ……私たちの手の届かない世界へ」

 自分たちの敗北だと彼女が一夏へ告げる。

 生き残った青紫の無人機たちも、同じように空間から姿を消していった。

「……ダメ、だったのか」

 一夏は腕を下ろし、同じく神に届かなかったディアブロの方向を見つめた。

「え?」

 その機体はあり得ない行動に出た。

 鋭い両手を自らの胸に突き刺して、胴部装甲を無理矢理開いたのだ。

「何を……あの子、まさか!」

 ディアブロの前には、すでに小さくなって消えようとしている黒い円形をした空間の断層があった。

 悪魔と名付けられた機体の胴体から、うっすらと緑色に輝く立方体が現れる。

「ISコア? まさか、追いかける……のか?」

 驚いている一夏とエスツーをよそに、ディアブロはISコアをわずか数センチほどになっていた割れ目に押しつけた。

 黒い電流のような光を漏らして、三次元に現れた二次元の円が完全に閉じる。

 体の真ん中を開いた四枚翼の機体が、力を失って落下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨウと呼ばれた少年は、悪夢を見ていた。

 見知らぬ親と見知らぬ部屋で、見知らぬ体に生まれ変わって成長していく。

 心が削られていく。

 自分の好きだった顔が思い出せない。

 その夢の発端は、彼の意識を奪うために使った暴走機能で作られた悪夢だった。生き残った人類たちが最強の機体を持つ少年を、意のままに操り限界を超えさせるために用意したものだった。

 彼は名前すら思い出せぬままに、偽物の人生経験を辿っていた。

 わずか一秒の間に、その空間では一年が過ぎていく。彼はISの無い偽物の世界であっという間に成長していった。

 最後は死んで、また1から繰り返しだ。

 暖かい手も、好きだった仲間たちも、優しい母の記憶も同様に、霞がかった記憶になっていった。

 運悪く、その状態でルート2が起動したことが、彼にとってのトドメとなった。

 今の彼は、心の量子化という機能により作られた剥き出しの意識だ。生身であれば脳神経に焼き付けられるはずの、記憶のバックアップがない。ゆえに簡単に思い出が消えていく。

 そこにディアブロの中に残っていた暴走機能が合わさって、心に残っていた記憶が書き換えられていった。

 これが偽物だと知っていた彼の心も、死を経験するたび、塗り替えられるようにして少しずつ記憶を失っていく。

 少年はまだ記憶があるうちに、手に持っていたデータの形状を本の形へと変える。七冊しかないその本を棚に詰めて忘れないようにした。

 アーカイブしていたスタッフたちの会話を、目の前の古臭いPCへ解凍して入れ込む。

 作業が終わって数秒のうちに、彼は我を失っていった。

 ほとんど記憶を塗り替えられた彼は、何の変哲もない大学生になっていた。自分のいた世界を物語としか認識できない状態にまで変わっていた。

「追いかけてきたのか、ルート2」

 彼の前に、大きな立方体の輝きが現れる。

 気づけば、何もない荒野に立っていた。

 何だ、お前!?

 すっかり大人になって変わり果てた彼は、驚いて腰を抜かし尻餅をつく。

「なるほど、その姿はサラシキたちのIS暴走機能の影響か。無様だな。結局、人間同士で足を引っ張り合うとは。お前が万全の状態で追いかけてきたなら、今の私など一ひねりだったというのに」

 何だ、こいつが喋ってるのか?

「時の彼方という場所と暴走機能が入り交じり、こんな場所を作り上げているようだ。だが好都合だ」

 お前、何を言ってるんだ? オレはルート2なんかじゃなくて……あれ?

「自分の名前すらわからない偽物の記憶か。キサマらのおかげで私は万全な状態での旅路とならない。本体を送り込む力さえ、最後の零落白夜によって失われた」

 零落白夜? 何だお前、小説の読み過ぎだろ? それは一夏の……一夏?

「お前はそのまま、ここで朽ち果てていけ」

 彼は目を覚ます。

 気づけば、手には一冊の本を持って、横断歩道を渡ろうとしていた。

 そして走ってきた車に跳ねられて、彼は死に絶える。

 空は青いというのに、視界の半分が赤く、目はほとんど見えなくなっていた。

 その立方体が人間のような形を自らの中から生み出した。

「無様だな」

 人影が足を振り下ろす。

 グシャリと頭を踏み潰した。

 そして彼はまた一からスタートを始める。

 ロクでもない両親と、何の変哲もない大学生の彼。

 自分の部屋で本を読み続けていた。

 それに飽きれば、時の彼方に収納された他人の記憶から、本と関連した記録を無意識に選び出して画面に見入っていた。自らがアーカイブして入れ込んだ端末のデータに目を通すこともあった。

 全てを終えると、彼は顔も名前も知らない友人の家へと歩き、本屋に寄って一冊の本を手に入れ、いつもの横断歩道を通る。

 猛スピードで走ってくる車とぶつかり、彼の体は空中に舞って地面に落ちた。

 こうして彼は、時の彼方に暴走機能の夢から作られた空間で、永遠と思われる回数の人生を繰り返し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エスツー、俺たち、まだ生きているよな?」

 しばらくボーッと何もない空間を見つめていたとき、ふとそんな疑問に思い当たって、隣で崩れていた女性に声をかける。

「……そうね」

「まだ、やれることがあるんじゃないか」

 別に確信があったわけじゃない。

 未だに何が起きてるかわからない、現実感もない時代で俺は思考停止したままだ。

 だけど、これが夢だとしても、それはやれることを投げ出す理由にならない。

「やれること……何が」

「あれ、零落白夜で斬った痕跡? みたいなのが残ってるんだけど、俺たちが生きてるのと関係してるのかな?」

 箱船の舳先近くで、電流のような光が何度も弾けていた。

「まさか、時の彼方と繋がってるの? この時代が?」

 俺の言葉に驚いて顔を上げたエスツーが、慌てて立ち上がって箱船の先端に身を乗り出す。

「残ってる……? まだ、過去は確定していない! 時の彼方がここと繋がっているせいなの?」

「時の彼方?」

「次元の向こうよ。三次元から違う時代に渡るためには、そこを通らなければならない。そんな仮説を立てた人間がいたの」

 段々と声が弾んでいくエスツーは、手元にいくつものホログラムウインドウをいくつも呼び起こして、目にもとまらぬ速度で空間投影キーボードを叩き始める。

「えっと、つまり、まだ負けてないんだよな?」

「そうよ、まだ負けていないわ!」

「オッケーだ。どうすれば良い?」

「待って、一夏。そう、でも、いえ、これだと」

「早くした方が良いかもな。電流みたいに弾ける光が減ってる」

「一夏、零落白夜! ルート3!」

「そうだろうと思ったよ」

 俺はいつも通りに刀を構える。

「一度目の痕跡が残ってる場所を切りつけて!」

「文字通り、未来を切り開いてやるよ!」

「つまんないダジャレとか良いから、早く!」

 この世界を生きた織斑一夏という男がいた。そいつが鍛え上げた白式の誇る最強の刃だ。

 切れないものはないはずだ。

「渾身のネタにつまんねえとか、お前らホントに失礼だよな!」

 遙か過去の、幸せだった時代に思いを馳せて、俺は刃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 少年だった青年は、全てを忘れて何度も悪夢を繰り返していた。

 買ったばかりの本を持って横断歩道を渡ろうとしていた彼は、ふと空を見上げる。

 そこには、鷹が一匹、悠々と飛んでいた。

 ガラスの割れるような音が、彼の耳へと届く。

 後ろを振り向けば、目の前に小さな入り口が出来ている。

 何か懐かしい匂いを感じて、いつもの終着点である横断歩道とは違う方向へと、足を一歩踏み出した。

 足下が無くなって落下していく。

 彼は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 一人の赤子が病院の上で母親に抱かれて寝息を立てている。

「名前はどうするんですか?」

 子供の顔を覗き込む男へ、看護師が声をかける。

「妻が良い名前があるそうなんですよ。なあ?」

「ええ。この子が生まれる前の日、夢を見たんですよ。鷹が飛んでいる夢」

 父親になったばかりの男が、小さな赤子の頬を人差し指で優しく突いた。

「だから鷹という文字で、ヨウと」

 誇らしげに微笑む父親の顔を見て、看護師もつられたように頬を緩める。

 母親は腕の中でスヤスヤと眠る我が子に、優しく微笑んだ。

「これからどんなつらいことがあっても、あの夢で見た鷹のように、雄々しく飛んでいくのよ」

 父親がその子供の小さな手に、立方体の形をした石を握らせる。子供はしっかりとそれを掴んだ。

「お前の名前は、二瀬野鷹だ。よろしくな」

 そうして、彼はこの時代に生まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「来た。なんか私が設計した船にそっくりだなぁ。ま、いっか」

 篠ノ之束はベランダから空を見上げていた。

「姉さん?」

 箒がいぶかしげな顔を浮かべたとき、太陽が覆われて彼女たちのいる場所が影に包まれる。

 それが巨大な船だと気づくまで、箒は数秒を必要とした。

「な、何だあれは!? 巡洋艦? 空中に浮かんで……」

 驚く妹の肩に、束がそっと手を添えて、優しげに微笑んだ。

「箒ちゃん、必ず助けてあげるから、自分を忘れないようにね」

「姉さん?」

「じゃあ、行ってくるからねー。ぴょんっと」

 篠ノ之束がベランダの手すりを乗り越えて空中に躍り出る。

「おい、姉さん!?」

「ばいばーいきーん」

 脳天気に別れを告げ、にんじん型のミサイルに腰掛けた篠ノ之束が上空の船へと飛んでいった。

 しばらく呆然としていた箒だったが、やがて呆れたように笑い、

「では、私もみんなを信じて待つとしようか」

 と自分の部屋へと戻っていく。

 いつのまにか、彼女の手には一本の日本刀が握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから十五年の時が経ち、二度の死を乗り越えた少年は青年の姿となり、四十院総司と名乗っていた。

 白騎士に似たインフィニット・ストラトスで、青紫の機体を葬り続ける。

 だが、六百機を超える機体の盾となっていた織斑一夏は、織斑マドカの一撃で死に絶えていた。

 織斑マドカが高らかに笑い声を上げる。

「何が部外者だ、何が生存戦争だ! もしそうだというなら、貴様は敗北者だな!」

 倒れた一夏の元へ、ラウラが鈍重な黄金のISを乗り捨て走り寄った。

「一夏、しっかりしろ、一夏!」

 リア・エルメラインヒはすぐさま蘇生キットを呼び出して、仰向けに倒れた一夏の元へと駆けつける。

 しかし、一夏の有様に動けなくなった。

 彼の胴体のいたるところが盛り上がり、焦げたような臭いが漂っている。自由に曲がるBTレーザーで体の中を無茶苦茶に貫かれたのだとわかり、助かるわけがないと気づいてしまった。

 狂ったように嘲笑を続けるマドカの上で、篠ノ之箒の体を奪ったジン・アカツバキが腕を人間たちの方向へと伸ばした。

「これで終わりだな」

 それまで全てのエネルギー兵器を遮っていた盾はいなくなり、大地を穿ち切り裂く武装への対抗手段は失われた。

「くそっ、一夏! しっかりしろ一夏!」

 四十院総司がジン・アカツバキに向けて加速するが、数百機の無人機がその間に壁となって立ち塞がった。

「紅椿、てめぇええええ!!」

 様々な武装を持ち、最強とも言えるISであっても、それらを瞬時に葬ることなど出来ない。

「ちっ!」

 織斑千冬は弟の元へ駆け出したい気持ちを抑え、ブレードを紅椿へと投擲する。だがそれも目に映らない壁のような物で弾かれた。

「こうなったら、一か八か!」

 シルバリオ・ゴスペルが両方の手にビームキャノンを展開し、必死に敵へと打ち続ける。

「死んでたまるかよ!!」

 オータムが少しでも敵を潰そうと、細身のISから無数の極小ビットを生み出して飛ばす。

「意地でも仇だけは!」

 国津玲美が空中に浮き、自身のIS全長を超える砲身で、無数の敵機を薙ぎ払おうとした。

 その三機の攻撃全てを、紅蓮の神は眼前に張ったシールドビットで弾き飛ばした。

 更識楯無が半透明の装甲を持つISで空中に躍り出る。周囲の海水を巻き上げて、水の膜を生み出し、自分たちのいる場所を半球形に包み込む。

「一夏君の盾とは比べものにならないけど……!」

 本人さえ信じられない薄い盾でも、ないよりはマシだとISに全力を込め、さらに何層もの水の膜を作り上げる。

 ジン・アカツバキの背後にいる無人機の群体が、そのレーザーキャノンの砲口を人間たちの場所へと向けた。

「死ね」

 千機近くの砲口が、光を放とうとした。

 ラウラがその小さな体で一夏の亡骸を守るように覆い被さる。

 誰もが終わりを覚悟した瞬間の出来事だった。

 紅椿が生み出した黒い亀裂と酷似したものが、隊列を組んでいる六百機の遙か上空に現れる。

 数センチほどしか無かったソレは、白い稲妻のような光を生み出しながら、大きく広がっていった。

 ISが出てこられるサイズを超え、あっという間に半径数十メートルはある円形へと変化していった。

「何が……?」

 無人機を薙ぎ払っていた四十院総司が、目を丸くしてその出来事を見つめていた。

 やがて、何もない空間を切り裂くように、船の舳先のような物が見える。

 何かに気づいた紅椿の顔が驚愕に包まれる。

「まさか、あの織斑一夏が、この時代に現れたのか、箱船とともに!」

 ゆっくりとその全てが見えてくる。

「ふ、ね? 巡洋艦サイズ? 空中に浮いて……!」

 戦闘空域から離れていたシャルロットが口元を戦慄かせる。

「あれは、何ですの……?」

 セシリアも同様の表情を浮かべ、その箱船に目を奪われていた。

「これ以上、何が起きるってのよ……」

 ISを装着し、二人を抱えて飛んでいた鈴が、半分呆れたような苦笑いを浮かべる。

 ジン・アカツバキが手を振り上げる。

「ええい! 先に織斑千冬を葬る!」

 主の指示に従い、無人機たちが光が一斉に撃ち放った。

「そこまで育ってくれて、お母さんは嬉しいよーっこらせっと」

 ふざけた調子の声とともに、光輝く半透明のシールドが現れて、楯無の展開していた水の膜のさらに外側を包む。その壁は、無人機たちの撃ち出した島さえ砕くレーザーを霧のように霧散させた。

「た、束!?」

 目の前に降り立った女性の後ろ姿に、千冬が驚いて声をかける。

「やっほー、ちーちゃん。篠ノ之束、恥ずかしながら戻って参りました!」

 友人の声に振り向いた世界最高の頭脳は、ふざけた調子で軽く敬礼をして笑った。

 

 

 

 

 

「死ねって言ったかよ、ジン・アカツバキ」

 次に箱船の先端から、一体のISが四肢を広げて落ちてきた。

「この時代のエスツーを殺したことで時代は改変され、お前たちは生まれなかったはずだ!」

「それより先に、お前と同じ時の彼方に入り込めたってわけさ」

 織斑一夏の死体の側に、未来から現れた白式のパイロットが着地した。

 彼は涙ぐんだまま呆然とするラウラを見て小さく笑う。

 新たに現れた白い装甲のインフィニット・ストラトスが、手に持った刀を下段に構える。

「零落白夜!」

 まるで大地から天に昇る稲妻のような、輝く閃光の刃が一夏の手元から伸びる。

 小さく深呼吸をした後、織斑一夏は、

「お前が死ねよ」

 と刃を振り上げた。

 無数に枝分かれした光が、数百機のISの胴体を同時に斬りつける。空に爆発が連鎖していった。

「キサマ……どんな形であろうとも、織斑一夏は織斑一夏か!」

「そういうことだ。どんな形であろうとも」

 彼は雪片弐型を肩に担ぎ、ニヤリと不敵に笑う。

「俺は織斑一夏だ。それだけで諦める理由が無くなるのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















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42、フロム・ニュー・ワールド

 

 

 

 

「行くぜ、白式!」

 織斑一夏が一歩踏み込みながら、大きくブレードを振り下ろす。

 その少年の放つ輝く刃は、距離さえも飛び越えて枝分かれし、一薙ぎで数機のマルアハを二つに切り分けて光の粒子へ返していった。

「チッ、本当に人間はしつこい!! だが、織斑千冬さえ落ちれば!」

 紅椿の背後で巨大な翼のような群体を作るマルアハたちが、一斉にレーザーキャノンを解き放つ。大地すら裂けるその一撃が、再び六百人の生徒とそれを率いる織斑千冬に襲いかかろうとしていた。

「ちーちゃんは私が面倒見てあげるよー、愛だから仕方ないからね」

 天才が手を振り上げると、ISの気配すらなく透明なシールドが壁となって現れる。数百機から同時にレーザーキャノンが放たれようと、先ほどまでの一夏と同じように全ての攻撃を弾いて無に帰していった。

 たった二人の増援が、戦況を一変させた。

 先ほど以上の戦力を持って、相手を押し返していく。

「さあ、返してもらうぜ、未来を!」

 織斑一夏が紅蓮の神へと光輝く切っ先を向けた。

 

 

 

 

 

「何が起きてるの……?」

 一夏の死体の側に膝をついたリア・エルメラインヒが、周囲を把握しようと視界を回す。

「貴様らはよほど私に逆らうのが好きらしいな」

 紅蓮のISを身につけた篠ノ之箒。その顔にはバイザーが降り、無人機たちを操って世界を破壊しISを取り込んでいく。

 群体のように蠢くISたちが、レーザーを撃ち放ち、大地を削り人を殺していった。

 二瀬野鷹が復活したと思われた者の正体は、四十院総司だった。

 六百機の生徒を連れた織斑千冬は、そんなことすら気にせずに相手を削り落としていく。

 四十院の機体ディアブロが、まるで原初のIS『白騎士』のような形を取り、強力な武装で敵を排除し始めた。

 押し返せるかとそこに従った織斑マドカによって一夏が殺される。

 だというのに、間髪入れずに空中に浮かぶ巨大な船から、無傷の一夏が現れた。

 状況を把握するには、情報が足りない。

 それでも戦力が充分だと理解出来る。

「ぱらっぱらー、篠ノ之バリアー!」

 敵のレーザーを完全に遮断する透明な壁が、半球状に広がって味方機全てを包んでいる。その強力な防御の発生源は、考えるまでもなく世紀の天才かつISの開発者である篠ノ之束の仕業だった。その身にISらしきものは見えずとも、あんなに強力なシールドを張れる可能性があるのは、現状で彼女ぐらいしかいない。

 そして最大の謎は、上空に浮かぶ巨大な直方体の船らしき物体だ。

 攻撃を仕掛けてこず、なおかつ篠ノ之束と織斑一夏がそこから現れたということは、敵ではないと推測可能だった。

 防御膜に包まれた人間たちが呆然とする中、篠ノ之束とその横に並び立つ織斑一夏が、周囲をグルリと見渡した。

「立てよ人類、ってな」

 快活に笑いながら、一夏は冗談を飛ばす。

 だが全員の反応がいまいちだったせいか、恥ずかしそうに頭をかく真似をした後、

「いいか、これが最後の戦いってヤツだ。みんな、前を向け」

 と全員に背中を向け、ゆっくりと歩いて先頭に立つ。

「ラウラ、呆けてる場合じゃないぞ。やらなきゃいけないことがあるだろう? お前がラウラ・ボーデヴィッヒなら、今、ここでやらなきゃいけないことを見失うわけがない。そうだろ?」

 銀髪の少女が、その言葉にオッドアイを丸くした。

「いち……か、なのか?」

「今更確認するなよ。俺は……」

 彼は一瞬だけ瞼を閉じ、暴虐の光の飛び交う空を見上げた。

「織斑一夏だ。それで、充分だろ」

 そして、上空を見上げて、太陽の側を飛ぶ黒い影を見つけ、少しだけ目を眩しそうに細める。

「やっと、届いた」

 

 

 

 

 

 よく状況が理解出来ない。

 オレこと二瀬野鷹、じゃねえ四十院総司は戸惑っていた。

 気づけばオレのディアブロが、フィッティングを終えたばかりのときのように、白騎士そっくりの姿になっている。

 その上、織斑マドカに一夏が殺されたと思ったら、即座に新しく一夏が現れた。

 そんな意味不明な状況にも関わらず、可変型無人機はオレに向けて数十機ほどの編隊で襲いかかってくる。

「ゆっくり考える暇ぐらい与えて欲しいもんだね!」

 突き放すように上昇しながら、背後に浮かぶ巨大な荷電粒子砲ビットを発射する。近くの敵が焼き尽くされたのを確認し、空を飛ぶ方向を変えた。

 状況を把握するため、この海域で一番意味のわからない船へと向かった。

 これは敵か味方か。

 直方体を無理矢理に船へと整えた、そんな形の物体だ。甲板に武装の類いは一切存在しない。内部に繋がる階段が覗く、小さな入り口が見えるだけだ。

 その舳先に音も無く降り立つと、内部から一人の女性が姿を見せる。

「ディアブロ……ということは、キミ、なの?」

 舳先に一人の女性が立ち、こちらを見上げていた。長い黒髪に白衣をまとった姿は、まるで箒を大人にしたようなイメージだった。

「……誰でしょうか?」

 オレは一瞬だけ返答に悩んだ結果、財閥の御曹司としての顔で問い返した。

「何を言ってるの!? ヨウでしょう!?」

「私はヨウ、なんて人間じゃありませんよ」

 この場所に向けて、急速にISの反応が増えていく。

 どうやらここにいる意味はない。

 見知らぬ女性が一人、そこにいるだけだ。

「とりあえず、ゆっくりしてる場合じゃありませんので、後ほど。ああ、貴方ももしISを使えるのなら、下の子たちを助けてあげてください」

 言えることはそれぐらいである。

「ま、待って、ヨウ!」

「また時間を作って、機会を持って話しましょう」

 四十院総司として笑いかけ、オレは前を向く。

 眼下では、篠ノ之束の参戦とともに、一夏が『帰ってきた』ことで、先ほど以上の戦果を上げ始めている。

 今が地球上の最大戦力だ。これで負ければ終わりだろう。

 相手の数は未だに千機近くだ。

 ならば、やることは一つだけだ。

 視界の一部を拡大し、紅蓮のISを見つめる。

 奇妙なほどに無表情だった。

 さぞや悔しがっているだろうと思っていたが、予想を裏切る面持ちだったので不審に思う。先ほどまでは、まるで箒のように表情豊かだったものが、今や冷めた眼差しで戦況を見つめているだけだった。

 背後に浮かぶ荷電粒子砲型ビットを撃ち放ち、オレはコースを作る。赤へ続く道、死出の旅路だ。

 背中の推進翼二枚二組に意識を集中する。強烈な推力に押し出されるような感覚を覚えた。

「さあ、そろそろ幕引きと行こうぜ、ジン・アカツバキ」

 

 

 

 

 

「ああ、もういいぞ、全てが失敗だ」

 ジン・アカツバキは腕を組み、背中から生えた副腕を仕舞った。

 この時代に来てから、相も変わらず失敗ばかりだ、と内心で愚痴を零した。

「最低限、ルート2だけは消滅させ、残りのエネルギーを吸収して終わろうと思ったが」

 元々はあの『二瀬野鷹』という人間を侮ったせいだ。

 ルート2という少年は、心だけの身となり、この時代に追ってきた。

 その記憶さえ定かでなくとも、織斑一夏への憧れだけでIS操縦者となり、私の前に何度も立ち塞がってきた。

 では、排除しよう。

 真っ先に、最初に、いの一番に、初っぱなに、とにかくともかく、最初にヤツとディアブロを破壊して、そいつを砕いて殺して叩いて散り散りにして、蘇らぬよう、確実に死ぬように、誰の助けも届かぬようにだ。

 そして、時の彼方にいるアイツも葬ってやろう。

「さあ来い、ディアブロ」

 二本の腕に携えるは、抜き放った二つの刃だ。

「お前の対症療法では、人間は救えぬ」

 遥か上空から訪れる荷電粒子砲で作られた光のラインを辿り、その悪魔は四枚の翼から大きな羽根のような光を吐き出して、一直線に飛んでくる。

「オレは救うつもりはねえよ」

 その黒い機体が、無人の天使の隙間を縫い、敵へ一直線に飛んでいく。

 二機の刃がぶつかり合った。

 お互いがお互いを弾き飛ばし、その反動で再び距離が離れるが、すぐに敵をロックし、無軌道瞬時加速で駈ける。

 世界最高速の戦いは、孤独な神と孤独な心の一騎打ちだ。

 その二つの存在ともが、誰にも理解されず、誰にも認められない存在同士だった。

「譲ることは出来ないな」

「お互いに化け物同士だろ。お似合いだ」

 ぶつかる度にお互いを五百メートル以上も吹き飛ばし、再びぶつかり合う。

「お前は今の人類が正しいと思うのか、二瀬野鷹!」

「化けの皮は剥がれた。オレは四十院総司だ!」

「それで正しいと思うのか! お前はお前自身さえ、お前が育てた子供たちにすら理解されない。誰もお前を信じない!」

「信じて欲しいなんて願いは、とっくに捨てた!」

「ならばなぜ、レミに別れを告げた!?」

 刃と刃がぶつかった瞬間に、ジン・アカツバキが篠ノ之箒で質問を投げつける。

「それが相手に相応しい儀式だからだ、前に進むための!」

 お互いの圧力でお互いを弾き飛ばし弾き飛ばされながら、空中に即座に体勢を整えて、敵へと真っ直ぐ襲いかかる。

「お前は十二年間を費やして、何をしたいのだ? 貴様だけは圧倒的に矛盾している!」

「オレは一貫している! 二瀬野鷹は、死に絶えたいんだ!」

 二人がぶつかり続ける様子は、まるで決まりきったコースを超音速で漂い続ける隕石のようだった。

「ならば何故、私と戦う!?」

「お前だけは道連れにしてやるって決めたからだよ!」

「それに何の意味がある! お前はそこにいない! キサマが世界を救おうとも、キサマはそこにいない! ヒーローにでもなったつもりか二瀬野鷹!」

「四十院総司だ、バカヤロウ! ヒーローなんて沢山いるし、お前だってある意味ヒーローだ!」

「巫山戯るな、貴様! いい加減に砕け散れ、ディアブロ、いや白騎士・弐型!」

「フザケんなよ、ジン・アカツバキ! いいや、自立思考型インフィニット・ストラトス『紅椿』! オレは四十院総司だ、それで良いんだ! 見ろよ、さっきの有様を!」

 二瀬野鷹は段々と分かりだしていた。

 なぜ、自分はこんな言葉を吐露しながら、相手に斬りかかっているのか。

「さっきの有様だと! 貴様はやはり受け入れられてないではないか! ほとんどの人間たちは、お前が二瀬野鷹であったことを理解しようとしない。どんなにお前が他人を救うために頑張ろうとも、所詮はそういうことになるのだ。お前のような者を幸せにすることが出来るのは、周囲の人間たちが正しく優しいときだけだ!」

 ジン・アカツバキも理解し始めていた。

 なぜ、目の前の相手にここまで拘っているのか。

 片や自立思考を得た機械であり、片や機械に抜き出された心である。

 言うなれば、世界で唯一の仲間同士だ。

「うるせえよ、諦めることにゃ慣れてるし、本音を言わないことにも慣れている! 理解されないことも慣れてるし、誰かを邪魔することなんて度々だ! 死にたい人間への理解はいらねえ!」

「人はもっとお互いを理解しあうべきだし、お互いで話し合い人間を尊重すべきだ、違うのか!?」

 ジン・アカツバキには許せないものがある。それは優しくない人間たちだ。

 お互いで足を引っ張り合い、宇宙から落ちてくる石ころ一つ対処出来ずに身勝手に滅んでいく。あまつさえ、過去に生きた人間たちを再び生み出して、無理矢理にISへ乗せ、結局はボタン一つで殺した。

 あのとき、何もわからずISに乗せられ、意識を奪われたまま殺されたクローンたちを、紅椿は守るべきだと思っていた。

 自らを犠牲にしてまで助けようとした千人以上の仲間たちを無残に殺された。

「そんな私に心がないとでも言うのか、お前は!」

 人間を変える権利ぐらいはあるだろう。せめて悲しく散っていく心が減っていくように、努力することぐらい許されるだろう。

 八度目のぶつかり合いは、初めての鍔迫り合いとなる。

 至近距離で顔を突き合わせ、合金製の刃越しに睨み合った。

「私はここに吐露しよう。ジン・アカツバキとして、世界唯一の同類であるルート2に!」

「これ以上、何を語るってんだ! てめえは今の人間を殺して絶滅させようと、人を変えたいんだろう!」

「私は悔しいのだ。人類のスペックはこんなものではない。だからそれが正しく発揮されるよう、過去から変えるのだ」

「正しすぎるだろ、てめえは! 合理的過ぎて、同意しそうになる!」

 四十院総司ののISが、相手を弾き飛ばすために、今までよりもさらに推力を増していく。

「今いる人間たちが消え去っても、新しく生まれてくる人類は、改変されてなくなった未来など知らないのだ。そして彼らは幸せになる!」

 押し返されそうになった紅椿もまた、今までで最大のエネルギーを推進翼へと送り込む。

「幸せの尺度なんて人それぞれだが、その考えには同意だ紅椿。人が今より他人に優しく出来る世界なら、きっと素晴らしいだろ」

 お互いがお互いに本音をぶつける理由は、やはりお互いが世界で唯一の同類だからだった。

「ならば貴様は死ね、ここで一人で死ぬが良い!」

「順番を間違えるな、ジン・アカツバキ! オレはお前を道連れにしてでも倒したいんじゃない! オレは死ぬついでに、お前をぶっ潰すんだよ!」

 紅椿は理解する。

 ああ、こいつはダメだ。ただの狂気に取り付かれた私専用の暗殺者と化している。

「ならば揃って死ね、ルート2」

 紅椿が押し返していた刃から力を抜き、相手の体を後ろへ流す。

 ディアブロは前のめりになりながらも、空中で逆さまになりながら、剣を振り上げた。

 二つの刃がぶつかり合って、再び三十メートルほど距離が開いた。

「あん? どうした理事長様?」

 相手が急に動きを止めたことを不審に思い、四十院総司は怪訝な様子で片眉を上げる。

「諦めよう、ディアブロ。いや副理事長」

 ジン・アカツバキが刀を腰にしまうような動作をすると、武装が光る粒子となって消え去っていく。

「諦めたのかよ」

 ディアブロの背中に、荷電粒子砲ビットが八門現れ、紅蓮の神へと狙いをつける。

 二枚二組の推進翼、両手に持った巨大な剣、日の光を吸収し反射すら許さない黒い装甲。

「じゃあさっさと死のうぜ、カミサマ」

 悪魔は容赦なく神様へと牙を剥く。

 八本の光が真っ直ぐアカツバキへと伸びていった。

 

 

 

 

 

「諦めるのは、今回の世界だ」

 目の前にISを包むほどの大きな黒い穴が現れ、ディアブロの放った攻撃全てがそこへと吸い込まれていった。

 そのISの中心である肉体が、自嘲の笑みを浮かべる。

「なんだ? ……時の彼方へ続く道ってやつか?」

 目の前の敵を見据え、ジン・アカツバキが腕を組む。

「私はキサマらによって妨害され、この時代に辿り着いたときは大した力を持たなかった。しかも力技が主の私としては、想像以下の結果に終わった」

「なんだかんだで二瀬野鷹が散々に邪魔をしてやったからな」

「どうにも向いていないようだ、策略というものも。だから諦めるのだ。この身に貯めたエネルギーを十二年分だけ残し、お前を確実に葬れば良い。ディアブロごと、ルート2を搭載したISコアごとだ」

 四十院総司が道と称した穴は、底の見えない井戸のように、何も見えなかった。

「オレを葬って、十二年目に戻り、またやり直す気か」

「それが一番の近道だろう。何せ私たちには過去へと戻る力があるのだから。お前と同じことをするだけだ。私は私なりに、二瀬野鷹という人物を調べた。見事に出し抜かれてしまったからな」

 とうとうと語り出す声は、篠ノ之箒のものだ。

「はっ、良い気味だ」

「ルート2がお前だということは、織斑一夏以外の男性操縦者である、という点で気づいていた。逆にそれを隠しきった四十院総司には気づけなかった。それが敗因だった」

「それが今更どうした?」

「ゆえに私は二瀬野鷹と四十院総司という人間の両方を調べた。その足跡をだ。最初のお前はどうしようもないクズだった」

「うるせえよ」

「身勝手に未来を変え、その罪すら背負うことなくIS学園を逃げ出して、今度はあの時代で一緒に過ごしていた仲間たちの邪魔をし始めた。結果として、私がシルバリオ・ゴスペルからエネルギーを吸い取るという手段は封じられてしまったが」

「ざまあねえな、ジン・アカツバキ」

「お前はどうしようもないクズで、その身に降りかかった運命を呪い、あまつさえ身勝手に死にたいとさえ願い始めた。明らかに織斑一夏たちとは違う」

「それを今更オレに語ってどうする? 願いは変わらねえ」

「お前のような身勝手な人間がいなくなるようにと願う」

「いつも他人を優先するのが、そんなに素晴らしいことかよ。じゃあお前はどうして、そんなことを企んだ? 誰のためだ? マスターか?」

 嘲笑するように問いかけると、バイザーで鼻まで覆われた箒の顔が、真剣な面持ちへと変わる。

「自分のためだ」

「自分のため?」

「誰だって自分のために動く。見知らぬ人間を命がけで助けるのも、目の前で人が死ぬと自分が嫌だからだ。誰だって、どんなヒーローだってそうだ」

 正しいことを言っているんだろう。機械から生まれた自立思考らしい表現で、間違ってはいないと思わされる。

 よくある物語のヒーローたちは、誰かを命がけで助けて、自分のためにやったんだと嘯いてることが多いらしい。オレ自身はよく知らねえけど、うちの娘たちが好きそうなのは、そういう謙虚で偉ぶらないヒーロー像だろう。

 他人を命がけで巨悪から救い、自分のためにやったと笑う。カッコ良いじゃねえか、ヒーローたち。

 しかし、今までずっと他人として生き続けてきたオレだからこそ、思うことがある。

「だからてめえはいつまで経っても、二流の悪役なんだ、ジン・アカツバキ」

 何度でもお前の思い違いを嘲笑ってやろう。

「では、お前の理論は違うというのか?」

 なんだ、神様はこんな簡単なことすらわかってなかったのか。

「ああ、違うな。それはお前が本当に誰かを救ったことがない偽物だからだ。だからそんな戯れ言を本気で信じてやがる」

 こっからは、偽物であるこの二瀬野鷹から、偽物の救世主へのラブレターだ。

「……貴様」

 アカツバキが歯軋りを鳴らす。

「本物はな、もっとバカなんだ」

 無人機と争う一夏たちの戦場をチラリと見て鼻で笑う。

 六百人の生徒たちは、何を考えてこの戦場に現れたのか。

 先ほどからずっと、ただ織斑千冬の命じるがままに金属のブレードを投げ落とすという作業に徹している。死ぬかも知れない恐怖に打ち震えながら、ずっとだ。

 大した武装なんてなく、性能はジン・アカツバキの無人機以下であることは明白だった。戦場に来れば命の危険があることもわかっていた。

 打算が無いとは言わない。妥協が無いとも言わない。雰囲気に飲み込まれていない、とも言えない。

 彼女たちは世界一安全な鎧であるISで、遠くに逃げ出しても良いはずだったのだ。

 だけど彼女たちは、選んだのだ。

「バカ、だと?」

「そんときゃそれしか考えつかねえ。目の前で他人が死にそうになってたら、仲間がくたばりそうになってたら、頭の中はな『自分のために』なんてことは考えつきもしてねえんだよ」

「人間はそういうものではないぞ、二瀬野鷹」

「いいや、織斑一夏はそうだ」

「……キサマ」

「ラウラ・ボーデヴィッヒだってそうだ、シャルロット・デュノアだってそうだ、ファン・リンインだってそうだ、セシリア・オルコットだってそうだ、篠ノ之箒だってそうだ、更識楯無も簪もそうだ」

「好きにほざくが良い。人間の行動を理論的に考えれば、他人を救うのは全て自分のためだ。私はそれで良いし、それこそが」

「違うぜクソッタレ。駅のホームで足を踏み外した婆ちゃんを救った兄ちゃんだってそうだ。敵国のガキを身を呈して守った軍人だってそうだ。たまたま整備不良で自分の船が沈没するときの船長だってそうだ。あそこに集まった六百人の生徒たちだってそうだ」

 神様の理解力が低すぎて、呆れてため息が漏れるぜチクショウ。

「心がねえお前にはわからねえ。アイツらはな、もっとバカなんだ。だからその瞬間は、本気で他人のためを思ってる。他人が死んだら自分が嫌だなんて、他人を助けるときには頭の中からすっ飛んでるんだ」

「それでは理論が通らない」

「理論じゃねえんだよ。ああ、なるほどな。お前は自立思考を得ていても『心』を持ってねえのか、神様」

「では貴様の言う心とはなんだ、二瀬野鷹。ルート2というキサマならわかるというのか」

「わかるよ、オレには。ずっと心だけの化け物として、他人の体で生きてきたからな」

 笑わせてくれる。結局、こいつも自分の尺度で人間を測ってただけだ。

 だから、押しつけるわけでもなく、未来そのものを過去から書き換える。そういう理想の幸せなんてものを考えついてしまったんだ。

「もしお前が人間で、ある日、目の前でトラックに轢かれそうな大学生でも見つけたら、きっと助けたんだろうな。例え自分の命を失ってでも」

 オレの言葉を聞いても、何ら反論が返ってこないので、言葉を続けてやることにした。

「人間ってのはな、何かしらんが、助けちまうんだよ。いざっててときにはな。それを知らないから、お前は過去を書き換えるなんて単純な結論に辿り着いた」

「では」

「あん?」

「ではお前はどうなのだ、二瀬野鷹」

「オレは違うぞ」

 恐る恐る尋ねる相手の態度を、笑い飛ばすように自信満々で答えてやる。

「……そうか」

「オレは本気で身勝手で、自分のことしか頭にねえ。絶滅させた方が良いな」

 だから失敗し続けた。

 結論、オレもあいつも所詮は人間じゃねえ化け物ってことだ。

 偉そうに上から目線で放った言葉を、篠ノ之箒の顔をしたジン・アカツバキが鼻で笑った。

「戦況が悪いようだ」

「そうみたいだな」

 一夏の再登場と篠ノ之束の参戦で、千機近くの無人機たちとの戦いのバランスが、一気に傾き始めていた。

 何せ全ての攻撃はおろか敵の接近全てを、篠ノ之束が鼻歌交じりに防いでしまう。ジン・アカツバキが最初に篠ノ之束を異世界送りにしたのは、正解だったようだ。あれは無敵過ぎる。

 さらに千冬さんのメッサーシュミットによって撃ち放たれたブレードと、他のパイロットたちの攻撃は一方的に届くのだ。

 極めつけは、一夏の零落白夜だった。振り抜くたびに刃が自在に変化し、雷で薙ぎ払うように敵の機体をまとめて両断していった。

 先ほどまでは緩やかな消耗戦だったのが、たった二人の復活で一方的な蹂躙へと変わっていた。

「エネルギーを節約しようとしたせいで、今回は失敗だ。これでは十万年分を飛ぶための分を貯めることが出来そうもない」

「お前も相変わらず失敗してばっかりだな」

「お前と同様だな、二瀬野鷹。だが、こちらは過去へと飛べるのだ」

「オレが意地でもついていってやる。また裏をかいてやるぞ」

 挑発するように言い放つが、ジン・アカツバキはそれを無視し、両手を横に開いた。

「お前にとって最強の敵を用意してある」

「あ?」

「結局は、お前を粉微塵に復活出来ぬほど機体ごと打ち砕けば良いのだ。後は再び過去からやり直せば良い」

 相手の意図はわかるが、何をするのかが予測出来ない。

 身構えたまま、どんな攻撃も回避出来るように推進翼へと意識を集中させる。

「では、いざ参ろうぞ、時の彼方へ」

 まるで柏手でもするように、ヤツがポンと一つ手を叩く。

 その瞬間、オレの全方向を黒い円形が覆い尽くした。

「なっ!?」

「戦場は、あちらだ」

 ヤツが得意げに呟いたと同時に、オレの体が空中に出来た黒い穴へと吸い込まれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ませば、灰色の空間だった。

「痛えな……」

 後頭部がひたすら痛む。

 気づけばアスファルトの上に眠っていたようだ。

 ここがどこかは理解出来ない、どこにでもあるような街角だった。天を突くような超高層ビルの間にある道に立っているようだ。

 だが、人影は一切無く、奇妙なことに全ての物が灰色だった。

 本来は鮮やかなルージュが引かれているはずの化粧品メーカーの看板も、何故かグレースケールで構成された味気のないものへと変わっている。ビルの一階に入っている本屋のショウウインドウに並んだ雑誌すらも、全て黒の濃淡だけで表現されていた。

「おわっ?」

 思わず驚きの声を上げてしまった。

 鏡のような窓ガラスに映された自分の姿が、十五歳ぐらいの雰囲気イケメンへと変わっていた。

 いつのまにか四十院総司の体ではなく、二瀬野鷹の肉体へと戻っているのだ。

「まさか過去に飛んだのか!? いや」

 制服すらIS学園の物へと変化している。

 オレは心だけで死体へと乗り移る化け物だ。ってことは、二瀬野鷹になることは二度とない。

「いわゆる時の彼方ってヤツか」

 来たことはあるんだろうが、記憶には残っていない。

 さっき、ジン・アカツバキがオレを包んだのは、大量の無人機を呼び出したときと同じ物だった。

 どうしてさっさとオレをここに閉じ込めなかったのか、と考えたが、さっきまで篠ノ之束がいたからかと思い当たる。さっきまで、という時間の認識が正しいのかどうかわからないが。

 ってことは、どっかにジン・アカツバキの本体と箒の意識がいるのか?

 考え込む前に、体へディアブロを呼び出して装着した。

 一応、ISはあるようだ。

 そのまま視界に索敵モード用の仮想ウインドウを起動させ、周囲の反応を探る。

「敵影どころか、生命体の反応すら無し、か。ジン・アカツバキのヤツ、どこに行きやがった?」

 周囲を見渡せば、車やバイク、自転車なんかがいたる場所に止めてある。たぶん、生き物だけがいないんだろう、ここには。

 足を踏み出して、空へと飛び立つ。

 ゆっくりとビルの谷間を上昇して、一番高い建物の屋上に足をつけた。

「……東京、か」

 見渡した視界に映るのは、どうやらオレの知っている新宿辺りと良く似ているようだ。

「だとしたら、とりあえず行くのは、横須賀のIS連隊基地だな」

 先ほどまで戦っていた場所が気になった。ひょっとしたら、そこに誰かいるかもしれない。

 四枚の推進翼をゆっくりと加速させ、オレは西南方向へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

「ジン・アカツバキがいない」

 無人機たちと戦っていたラウラが、その事実に気づいて一夏に声をかける。

「どこ行った? 反応はないぞ?」

「わからん……」

 篠ノ之束の張った巨大なシールドの中に、一夏の味方のほとんどが揃っていた。

「隊長、敵の数が!」

「ああ、知っている。私たちが倒す以上に数を減らしていってるな」

 リアの言葉を受け、ラウラが上空を見上げた。先ほどより青紫の無人機からの攻撃が少なくなっているのだ。

「あれが最後か」

 千冬が手に持ったブレードを投げつけると、残っていた数機が一撃で粉砕され、光る粒子となって消えていった。

「……敵影ゼロ、ジン・アカツバキ反応なし」

 沙良色悠美が状況を確認するように、視界の仮想ウィンドウを見つめてぽつりと呟いた。

 全員が肩で息をしながら、呆然と空を見上げていた。

 空中を覆っていた雲のような機影はどこにもなく、今はただ静寂と薄い青色が周囲に広がっていた。

「勝った……の?」

 簪が恐る恐る隣の楯無へ訪ねるが、さしもの生徒会長も状況を掴めずに、軽く肩を竦めただけだった。

「ま、どっちにしろ、生き延びたようだな」

 銀のISを身につけたオータムが、長い髪を振り払ってため息を吐く。

「何やらよくわからないうちに敵が消えたことを、トスカーナじゃ勝った、というのかしら?」

 呆れたようにため息を吐きながら、ナターシャがオータムに問いかける。

「防衛戦なら、敵が逃げれば勝ちだろ」

「何を守った、というのかしら」

「知るか。それで、四十院の旦那はどこに行きやがった?」

 苛立ちを隠せていない口調で、オータムが近くで膝をついていた国津玲美に質問を投げかける。

「わかんない……」

 力なく首を横に振る玲美を見た後、ナターシャとオータムが目を合わせてため息を吐く。

「何はともあれ……もう何も考えたくないけれど補給といきたいかな……」

 沙良色悠美が腰を落として大きく息を吐いた。

「生き残った人間で周囲を警戒しつつ、補給に入る」

 腕のISを待機状態に戻し、織斑千冬が全員に指示を飛ばす。背後に控えていた六百人の生徒たちの中から、少しずつ喜びの声が漏れ始めていた。

「ちーちゃん」

 世界最高の天才が、古くからの友人に呼びかける。篠ノ之束によって張られたシールドは、未だ展開したままであった。

「束、お前は一体どこに、あの船は何だ? なぜ一夏が」

「まずいかも」

 かつてない深刻な表情で呟く束に、千冬が眉をしかめた。

「どうした?」

「ここで倒せたなら、問題はなかった。っていうか、倒したかったかも」

「束?」

「ジン・アカツバキは再び過去に飛ぶつもり」

「は?」

「いっくん! 楔を!」

 その単語だけで何かを理解した一夏は、先ほどまでジン・アカツバキと四十院総司が戦っていた場所へ慌てて剣を向けた。

「ルート3・零落白夜!」

 一気に振り下ろした瞬間、ガラスの割れるような音が大音響で周囲に響き渡った。全員が咄嗟に耳を塞ぐ。

「何が!?」

「消えかけてた此処と時の彼方が繋がる穴を、再び大きく広げたのさ」

 天才の発する言葉に、一夏を除く全員が訝しげな目を向けていた。

「彼女からじゃわかりにくいでしょうから、私が説明するわ」

 突然聞こえた見知らぬ声に、皆が地面に倒れていた織斑一夏の方を振り向く。その側には白衣を身にまとった二十代後半の女性が立っていた。

「貴方は?」

 不審げな口調でリア・エルメラインヒが訪ねると、どこか篠ノ之姉妹に似た彼女は、

「エスツーよ。よろしく」

 と興味なさそうに自分の名を名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

「見事に誰もいねえ」

 辿り着いた横須賀のIS連隊基地には人間どころか 死体もなければ瓦礫もなく、戦いの痕跡が一切見当たらない。

 どういう理屈かが理解出来ないが、まるで時間を止めた場所のようにも思える。

 これが時の彼方ってヤツか。

 ヘリポートには輸送ヘリが数台置いたままで、基地のあちこちに移動用のジープが整列してあった。

「ISの反応があるのは、格納庫の方か」

 とりあえず色々と探るしかない。

 元の時間に戻れるかどうかわからないが、絶望するにゃまだ早いはずだ。

「ま、戻れなくても構わねえか。ジン・アカツバキさえ倒せれば」

 鼻歌交じりに低空飛行をし、ISの反応があった建物の前に降り立つ。

 記憶にある通り、士官や隊員たちの事務を行う部屋と格納庫がくっついたメインベースがそこに存在していた。

 ISを解除して、近くにある扉を見つけ、中に入ろうとする。

「とうとう、ここまで来たのね」

 ドアノブを握った瞬間に声をかけられて、背後を振り向いた。

 さっきまで誰もいなかった滑走路に、白衣を着た女性が立っていた。

「ママ博士……ですか」

 娘と良く似た髪と理知的な眼差しを携えた、国津三弥子主任だった。

「ヨウ君の姿なのね。何か懐かしい」

「どうやらそのようで。三弥子さんもこんな場所で会うなんて、奇遇ですね」

 わざと四十院総司のようなジェスチャーを取ると、相手は少しだけ楽しそうに笑う。

「私は元々、ここにいたから」

「ルート2ってヤツですか」

 彼女は以前に夢で出会ったとき、自らをもう一人のルート2と名乗っていた。

 実は違う時代から来たもう一人のオレなのか、とも思っていたが、どうやら違うようだ。少なくともこんな優しげな視線を、オレは一生出来そうにない。

「そうね。ここから出ることは出来るけど、私は貴方を待ってたのよ、ヨウ君」

「オレを?」

 怪訝な目で問い返すと、彼女は悲しそうに目尻を落とし、

「願いは変わらない?」

 と質問を投げかけてきた。

「変わりませんよ」

 即答してしまったことに、自分で苦笑いを浮かべてしまう。

「どうして、そこまで頑ななの?」

「オレはね、化け物なんですよ、ママ博士。心だけになって時を超え、他人の死体に取り付く化け物。そんなのが人間の振りをして他人を振り回しちゃいけないでしょ」

「そう言ってたわね。前回も」

 相手が諦めたように発した言葉が気にかかった。

「前回?」

「そうよ。この世界はすでに何度か過去から改変されている」

 その事実に目新しいところはない。オレ自身が行っていることでもある。

「これで何回目なんです?」

「四度目のやり直し、五回目の世界よ」

「五?」

「一回目は、二瀬野鷹のいない、世界が滅ぶ寸前までルート機能が知られなかった世界。二回目は二瀬野鷹が現れた世界。三回目はジン・アカツバキが到着した世界。四回目は四十院総司として作り直した世界」

「……オレの認識じゃ、最後に言った四十院総司として作り直した世界のつもりだったんですが」

「残念ながら、貴方は敗北し、今回は私によって少しずつ変化した世界なの」

 そういうことか。道理で色々と知ってるわけだ。

「ちなみに、前回がどうして敗れたか、教えてくれますか?」

「私が最後の最後で、貴方を阻止したから」

 目の前の女性が頭を垂れ、自らを抱きしめるようにしていた。本人が望んで行った行動だが、動機はただオレが憎いとかそういうわけじゃなさそうだ。

「阻止っていうと」

「貴方がジン・アカツバキを倒した後に、自ら死に行こうとしていた」

「今と同じじゃないですか」

「だから今回も止めるのよ」

 言ってることは理解出来るが、肝心なところが抜け落ちている気がする。

 とは言いつつも、三弥子さんが何者かは関係ない。

「邪魔をするって言うなら、オレは貴方を倒す必要がありそうだ」

 待機状態にしたISを再び展開し、ディアブロを身にまとった。背中の推進翼を立てて、加速の準備をする。

 前回のオレを止めた、ということは、今のオレを止められるという可能性もある。全く同じである可能性は彼女によって否定されたが、それでも阻止したというなら、強力な敵であるのは間違いなさそうだ。

「無理よ、貴方には出来ないわ」

 その思索を見透かしたかのように、彼女は決意の込められた目線でオレを射貫く。

「よっぽど強力なISをお持ちなんでしょうね、もう一人のルート2は」

「ええ、そうよ」

 彼女は右の手のひらを灰色の空にかざした。

「さあ、来なさい」

 途端にオレの体にくっついていた装甲が光る粒子となって消え去っていく。

 いや、違う。

「三弥子さんの方にISが……」

 いつもならそのまま光を失って見えなくなるはずの粒子が、今は三弥子さんの元へと集い初めていた。

「彼の幸せを願い、彼の未来を断つために、来なさい、テンペスタⅡ・ディアブロ!」

 信じられない名前を、国津三弥子が高らかに叫んだ。

 白衣を身にまとっていた姿が漆黒のISスーツとなり、彼女の身に見覚えのある装甲が出現し始めた。

「んな、バカな……」

「貴方はここで諦めて。私がもう一度、過去からやり直すわ」

 日の光さえ吸収するような黒い装甲、全てを切り裂かんばかりに鋭く伸びた爪、二枚二組の推進翼。

 呆然としたまま、一歩後ずさる。

 そこには、オレのISを装着した国津三弥子が立っていた。

 

 

 

 

 

「そっと、そっとよ」

 エスツーという女性に促され、織斑一夏の亡骸を織斑一夏が運んでいた。

 その奇妙な光景に、姉である千冬が困惑した表情で見つめている。

 天井が低い合金製の部屋は、戦場の空に浮かんでいた箱船の一番下の階層だった。

 数百メートルほどの奥行きを持った空間には、所狭しと棺桶のようなものが並んでいた。

「これは何だ? エスツー」

「未来の子供たちが収められているのよ。起こさないようにね」

 織斑一夏の亡骸を開いていたベッドに収め、一夏はゆっくりと棺桶のふたをする。本人もやはり複雑そうな顔をしていた。

「あの一夏はどうなる?」

「とりあえず死んでいるけれど、ある程度までは治療が出来るとは思うわ。それからは本人次第。運が良ければ、生き返るかもしれない」

「……わかった。頼む。それで、何を説明してくれるんだ?」

「未来のお話と、これからしなければならないこと」

「……全く、わけのわからないことに巻き込まれたようだ」

 視界の端までを覆い尽くす棺桶のようなカプセルを見渡し、千冬が小さなため息を吐いた。

「巻き込まれた、というわけでもないわ」

「ディアブロと言ったか。あのISはお前が作ったものか?」

「ええ。といっても篠ノ之束の設計した白騎士に少し手を加えただけ」

「あれは、何だ?」

「ルート2という人の心を量子化する機能を持った、最後のインフィニット・ストラトスよ」

「人の心の量子化?」

「暴走したせいで、限界まで性能を引き出されたはずのディアブロが完成させた機能よ。ある少年の心を戦い続けさせるために」

「ほう?」

「あれに目覚めたディアブロは、乗せたパイロットの心を抜き取って人の理から外す悪魔となった」

「二瀬野は、その少年ということか」

「フタセノ?」

「大馬鹿者のことだ。ディアブロが白騎士と言ったな? ということは」

「ご想像に任せるわ」

「未来の白騎士は、誰でも動かせるのか?」

「ルート2を目覚めさせるのは、おそらく『彼』である必要があった。ただの推論だけど、ディアブロはパイロットの心を抜き出すけれど、対象が必ずしも『彼』である必要はないはず」

「つまり機能の覚醒とフルスペックを発揮するには、その『彼』である必要はあるが」

「一度目覚めて進行中となったルート2は、パイロットが誰であろうと次々と量子化するはず。そうでなければ意味がないから」

「意味がない、というのは……まさか」

「そうよ。心を束ねて力とする。人間の心一つでは、ただの人間が乗っているのと変わらないのだから」

 呆れたような口調の言葉を受けて、千冬が歯軋りを鳴らす。

「束め、なんというものを」

 拳を握り、今にも開発者を探して殴り飛ばしそうな雰囲気を醸し出していた。

 その彼女の肩を軽く叩き、憐憫の笑みを浮かべる。

「責めないであげて。それを起動させるには『彼』という存在が必要になる。つまり『彼』が生まれなければ、使われることは有り得なかった機能なのだから」

「……そうだな。束としてはどっちでも良かったのだろう」

「何を考えてるのかは、『私』でもよくわからないわ」

「ではエスツー」

「ええ」

「これから私がしなければならないことを教えてくれ」

 棺桶に入った一夏の亡骸を見下ろし、千冬が爪を食い込まんばかりに拳を握りしめる。

「とりあえず、他にも参加者を募りましょう。敵はここに残った最大戦力で挑んでもなお、足りないのだから」

 背中を向けて、エスツーは部屋の奥へと消えていった。

 それを見送った後、今まで何も喋らなかった一夏が、千冬の顔をじっと見つめている。

「どうした、一夏」

「いや、なんか懐かしいなあって」

 少しだけ気恥ずかしそうに答える弟に、千冬は小さく頬を緩ませ、

「そうか」

 とだけ答えた。

 

 

 

 

 

 接近して放たれたその鋭い一撃を、直感だけで横に転がって避ける。

 背後にあった建造物が一撃で砕かれて、傾き始める。地面は大きく抉れていた。

「さあ、大人しくして、ヨウ君」

 土埃の向こうで、ママ博士がゆっくりとこちらを振り向いた。

 その姿は、まるで背中の曲がった悪魔が首だけで獲物を見定めているようにも思えた。

「くそっ、まさかディアブロが!」

 ゆっくりと歩いてくるママ博士から、オレは全力で逃げ出した。

 しかし相手はISだ。背中からのわずかな推力だけで、地面スレスレを滑るように追いついてくる。

「どうしてオレを殺そうとするんだ!?」

「貴方が死のうとするから。私は貴方が不幸になることが許せない」

 何だ、何がどうなってる!?

 白と黒の濃淡だけで表現されたグレースケールの世界を、IS学園の制服を着たままひたすら逃げた。

 しかし人間の足程度で逃げ切れる世界最強の兵器などない。あっという間に追いつかれ、再び爪が振り下ろされる。

 前のめりの倒れ込むようにして何とか回避したが、背後の地面から飛び散った瓦礫で大きく吹き飛ばされてしまった。

 右腕をアスファルトで強かに打付けて、オレは痛みで動けなくなった。

 そのオレを悲しそうな瞳で見落とすその女性は、一体誰なんだ?

「じっとしてて」

「どうしてオレを殺そうとする!」

「殺そうとしているわけじゃないわ。止めるだけ」

「理由がわからねえ。アンタがオレを殺さなくても、勝手に過去に戻れば良いじゃねえか!」

「ここは外とは時の概念が違う。だから放置は出来ない」

「どのみち邪魔をするってわけか!」

 何とか立ち上がって、右腕を押さえてよろよろと逃げ出す。

 このまま捕まるなんてゴメンだ。何も出来ずに失敗するなんて、もうゴメンだ。

「キミは幸せになることを放棄したから……」

「何でそれがダメなんだ! アンタもルート2っていうなら、オレの気持ちはわかるだろ! もううんざりなんだ。知っている人間たちが見知らぬ顔になっていくのも、オレが二瀬野鷹だということを打ち明けられないのも。地獄なんだ、もう、嫌なんだ!」

 四十院総司だと名乗り、他人と自分を騙しても、何にも良いことなんてない。

 自分の大事だった人々が、オレをオレと気づかずに、小さな子供から大人に変わっていく。愛なんて語らうことは出来ないんだ。何故ならオレは二瀬野鷹を名乗ることが出来ず、四十院総司として生きなければならないのだから。

 苦しいんだ。

「だから……死にたいって祈っちゃダメなのか!?」

「次は、そうならないように、もっと大きく変えていくから」

 距離を置いた場所で、彼女が立ち止まっていた。いつでも追いつけるという余裕の現れか。

「じゃあ次がダメだったら、どうする!」

「キミが幸せになるために、何度でも繰り返すだけ」

「何度でも……って。オレの幸せって何だよ! もう良いだろ! 一夏の邪魔だってした、色んな人を身勝手に巻き込んだ!」

「それでも祈ったから、キミは」

「何をだよ!?」

「好きな人たちの、幸せを」

 目の前の女性の瞳から、一筋の涙が頬を伝って地面に落ちた。

 その眼差しと面影に、とうとう気づいてしまった。

 ああ、もう一つ、オレは大きな失敗をしていたようだ。

 とんでもないクズ野郎だ、オレは。

「それの何が悪い!? このままじゃ、みんなジン・アカツバキによっていなくなってしまう。そんなのは嫌だ、ダメなんだ!」

 叫びながら、何とか逃げ切ろうとする。だけど右足を強く打付けた状態じゃ走れない。さっきよりもさらに遅い。

 そこへ、敵となったディアブロの爪が地面を勢い良く抉った。

 オレは背後からの衝撃で倒れ込む。

「貴方の願いがそれだけ、というなら、私はきっと喜んで手伝うでしょう。でもキミはその先に自分の死を願ってる」

 この人が、コイツがオレの幸せを願う理由も、生きていて欲しい理由もわかってしまった。

 そういうことかよ……。

 振り向いて瓦礫に背中を預けた。丁度、斜めになっていて、覗き込む相手の顔が泣いているのがよくわかった。

 目の前のルート2が、ディアブロの爪でオレの肩を掴む。

「大人しく、しててくれる? ヨウ君」

 この子にはオレの願いを阻み、幸せを願う正当性があるのだ。

「お前の……正体がわかった」

 呟いたオレの言葉を受けて、ISを身につけた彼女は、一瞬目を丸くした。だがすぐに唇を噛み、震える声で、

「それで、どうにかなるの?」

 と問いかけてくる。

「……もう良いんだ、こんなことをしなくても」

「どうして? 幸せになって欲しいと願うことが、そんなにダメなの、ヨウ君」

「幸せなんてクソ食らえなんだよ。正直、ウソをついてお前を騙しても良いけど、それはしたくない」

「……時々、妙に正直だよね、ヨウ君って」

 彼女が仕方ないなあと、諦めたような笑みを浮かべる。

「オレを手伝ってはくれないのか?」

「それは出来ないよ、ヨウ君。だってここで貴方を逃がせば、きっとジン・アカツバキを倒して死んでしまう。そして二度と過去へ行けないよう、ディアブロも破壊してしまうから」

 彼女はオレがそうすることが許せない。

「もしお前が正体を明かしてくれてたら、もっと違う未来が」

 いや、そんなことは無いだろうな。オレは彼女をこうしてしまった自分を恨んでいる。だから、彼女は明かせなかったのだ。

「ないよね……でもヨウ君が悪いわけじゃないよ。誰も気づかなかっただけ」

「……それでもオレが悪いんだ」

 彼女はオレの肩を掴んだまま、動かないでいた。しかし二つの瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちている。

 目の前の女性の正体、二人目のルート2は誰なのか。

「ヨウ君……」

 四十院総司ことオレは、二瀬野鷹が持ってきたコアナンバー2237を使って、テンペスタⅡを作らせた。

 その課程に、四十院の洋上ラボで行われたテストで、ディアブロに乗ったパイロットがいたのだ。

「そうだろ? テンペスタⅡ・ディアブロのテストパイロット、国津玲美」

 

 

 

 

 ジン・アカツバキは遠くにある山の頂から、ルート2同士が戦う様子を見つめていた。

 国津玲美という少女が、心だけとなっていることを知ったのは、時の彼方との再接続を果たしてからだった。

 どうやら通信が途切れていた紅椿本体の側にいたらしい。本体と同期し、少女の動機を知り得た今となっては、立場は完全に逆転したと言える。

 結果として、最大の敵となるルート2を二体とも集めたのだ。後は二瀬野鷹が死ぬのを待ち、時を見計らってディアブロを倒せば良い。

 そう思って、ジン・アカツバキは目を閉じる。

 今度は篠ノ之箒の意識がある場所を覗き見ようとしたのだ。

 肉体と視界のリンクを再開し、何をしているのか確認しようとした。

 そこでジン・アカツバキは信じられないものを目にした。

「私の背中だと!?」

 その事象に驚き、慌てて背後を振り向いた。

 開けた山頂の広場に、日本刀を携えた篠ノ之箒が立っている。

「返してもらうぞ、私と、私のISを」

 彼女は長い髪をなびかせ、木々の枝から枝へと飛び跳ね、大きくジャンプしてジン・アカツバキへと日本刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 玲美の爪を振りほどき、足を引きずって必死に走って逃げる。

 捕まれば終わりだ。

 ここにいるオレはどうなるかわからないが、追い詰めたはずのジン・アカツバキを倒すどころか、十二年前からやり直しになる。しかも、オレは何も知らない状態でだ。

「どうして逃げるの?」

 体を起こし、玲美がオレを悲しげに見つめていた。

 オレが二瀬野鷹に戻っていたのと同様に、素性を暴かれた彼女も、国津三弥子から玲美の姿へと戻っていた。

「そりゃ逃げるだろ! オレはアイツを倒すために、ここまで来たんだ!」

「でもヨウ君、アレを倒した貴方は、死んでしまうんだよ?」

 少し癖のある髪を揺らし、十五歳の少女がディアブロを装着している。

「だったら、アイツを倒さないで、人類は絶滅すれば良いってのか!」

「ずっと繰り返して、いつか最高の結末を迎えれば良い」

「そんなことが、あり得るってのか!」

「今回は少し流れに沿い過ぎたから、上手く行かなかったのかもしれない。次はもっと大きく変えてみる」

 IS連隊の格納庫の外にある道を、オレは必死に逃げ続けていた。

 だがあっちはISだ。ふわりと浮いたまま、PICだけで進んでも足にダメージを負ったオレより充分に早い。

「そんなので上手く行くのかよ!」

「行かせて見せる。だって」

 彼女がオレに追いついて、その長い爪でオレを掴もうとした。

 咄嗟に背中にあったドアノブを回し、格納庫のある建物へとなだれ込む。

 記憶にある風景だ。銀の福音を助けるために、オレは自動小銃を持ってここを走ったのだ。

 一瞬の感傷を壊すように、背後の壁が破壊される。

「ヨウ君が幸せになるように、私は戦い続けるって、前回の終わりで決めたから」

 その瞳は涙で濡れていた。

 オレが四十院総司として十二年間、周囲を欺き続けたように、玲美も同じ時間を国津三弥子として欺き続けたのだ。

 辛い時間だっただろう。何せオレ自身が死を望むようになるほどの時間だ。

 その目的がオレの幸せなんて、どうしようも無い。

 格納庫へ続く廊下を、壁に手をつきながらフラフラと走る。

 ふと、周囲が記憶にある場所だと気づいて、オレは何とか歩みを早めた。

 ここには、あれがあるはずだ。つか足が超痛え。

「もうオレなんて放っておけよ、玲美!」

「ダメだよ、ヨウ君! だって、キミはあんなに辛い目にあってるんだから、少しでも幸せにならなくちゃ!」

「前回はどうなったってんだ!?」

「最後のジン・アカツバキの本体を倒す直前で、ヨウ君が私に言ったの。どうしても死にたいから、アイツを倒すんだって!」

「お前が止めたのか!」

「……う」

 玲美が一瞬、嗚咽のような物を上げた後、悲鳴のような雄叫びとともに、オレの背中へと襲いかかってきた。

「落ち着け、玲美!」

 倒れ込むようにして、目の前の扉を開く。

 あった!

 目的の物を見つけた瞬間に、背後の扉が爆発したように瓦礫となって吹き飛ばされた。

 オレはもんどり打って、倒れ込む。

 気づけば、瓦礫の中に埋まりかけていた。

「前回は、私がヨウ君を止めたよ」

「……そうか」

 おそらく、『前回のオレ』を殺したのは、玲美だろう。

 そうでなければ止まらないってのが、自分でもわかる。

 次は大きく変える、前回と今回が大差なかったと彼女は言っていた。

 つまりオレは死にたいと願い、その思いを吐露して玲美に殺され、そして玲美は十二年前に死んだ親の体へと飛んだのだ。そこから彼女は全てをやり直した。

 これが今回の世界だ。

「だから、止まって、ヨウ君。もう少し幸せを、何でもなかった頃のように、ゆっくりとさ」

 玲美が嗚咽を上げながら喋り続ける。

 だけど、その願いは聞いてやれない。

 オレはすでに色々なものを巻き込んだ。心だけになって、色んなものを欺いて、耐えきれないぐらい犠牲を強いてきた。

 ジン・アカツバキを倒してオレも死ぬ。

 そんなことぐらいじゃ、何もなかったことに出来ないぐらいはわかる。

 でも、四十院総司として生きて、二瀬野鷹のことは忘れて、それで何になるんだ。

 もう良いだろ。

 寝かせろよ。

 そう思って、オレは這いつくばったまま、一つの機体へと手を伸ばした。

 この『時の彼方』には人がいない。

 だが、ISはある。

 そしてここは、IS連隊の格納庫だ。だから多分、存在すると思っていた。

 オレはその機体を久しぶりに身にまとう決意をする。

「来い、テンペスタ・ホーク!」

 第二世代機をベースに、エスツーという少女によって生み出されたHAWCシステムを搭載し、二瀬野鷹の専用機として作られた、四十院研究所製の高機動型カスタム機。

 オレは自分の体で翼を広げる。

「ヨウ君……?」

「さあ、オレの邪魔をするってんなら、お前でも容赦しねえよ。オレを誰だと思ってるんだ」

 ディアブロが背中にある四枚の翼を広げ、オレへと爪を構える。

「オレは二瀬野さんちの、息子さんだっつーの!!」

 背中にある翼で、悪魔に向けてイグニッション・ブーストをかけた。

 

 

 

 

 

 













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43、世界はいつもキミの思わない方へ転がり続けるけれど、それでも僕らは歩き出す

 

 

 

「おおオォォォ!!!」

 手に構えたのは、無謀(レクレス)と名付けられた唯一の武器だ。

「それぐらいで!」

 ディアブロの爪で玲美がオレの攻撃を受け止めて、オレを弾き飛ばす。

 スペックは段違いだってのは、この二瀬野鷹が一番知っている。

「だけどなあ!」

「ダンサトーレ・ディ・スパーダ!」

「当たるかよ、玲美!」

 真っ直ぐオレに向かう巨大な剣状の遠隔感応兵器を、サイドステップで紙一重に避ける。そのままレクレスを使って棒高跳びのようにふわりと浮かんだ。

「イグニッション・ブースト!」

 二枚の推進翼を立てて、一気に加速し、跳び蹴りをかます。相手はそれをバックステップで避け、すぐさま爪を構えて突撃してきた。そのスピードは一瞬で音速を超えるディアブロそのままだ。

「だけど甘えよ!」

 そいつが速いのはわかってる。

 そいつが強力なのは理解している。

 そいつが悪魔なのは知っている。

「みんなのヨウ君を舐めんなよ!」

 上体を後ろに倒して膝を折り、敵の突撃を寸前でやり過ごす。そこから腹筋の要領で起き上がって前方に回転しながら飛び上がり、逆さまでレクレスを投げつけた。

 急制動をかけながら、玲美は振り向きざまにレクレスを掴み取る。

 次にオレが構えたのは、二丁のシータレーザーライフルだ。両手で小刻みに打ち続けて相手の頭を抑え、自分は上空へと浮き上がる。

「くっ、そんなもので!」

 四枚の翼で自分を守るように羽ばたくと、玲美はオレ目がけて急上昇してくる。

 お互いが理解していた。空を自由に舞う者同士、より高く速く飛べる者が勝つ。

 逆に言えば、相手をより遅く低く押さえつけた者が勝つのだ。

「レクレス!」

 投げ捨てた武器を再度、右手に召喚し、自らを一本の槍と言い聞かせる。

 相手は音速で自由に飛び進める悪魔の弾丸だ。

「行くぜ! イグニッション・ブースト!」

「イグニッション・バースト!」

 お互いの推進翼が全推力を後方へと吹き出して、音速を超える。

「こっからは、無軌道瞬時加速の勝負だ!」

 時の彼方で起こる新旧世界最高速同士の戦い。

 飛行の自由さで劣る者が負ける。

 相手は悪魔と名付けられたインフィニット・ストラトス。

 だけどオレの背中にゃ病とまで呼ばれた翼があるんだ。

「そんなんで、止められてたまるか!」

「絶対に止めるよ、絶対に!」

 お互いが惹かれ会う星のように、遠心力をイメージだけで押さえつけ、軌道を修正しながら何度も何度もぶつかり合う。

「ずっと好きだった! 初めて会ったときから良いなって思ってた!」

 リズムを叩くように、同じタイミングで何度もぶつかり合う不協和音。

「オレだって同じだチクショウ! それでももう遅いんだ!」

 メロディを奏でるがごとく鳴り響く、切り裂かれる空気の破裂音。

「まだ遅くないよ! 世界はまだ終わってない、未来は何一つ決まってない!」

 交わす言葉は詩になり、交わらない気持ちが歌になる。

「愛してた! 好きだと思った! もしIS学園で付き合うなら、彼女にすんなら、絶対にお前だと思ってた!」

 時の果て、現世からも解き放たれ、二人で奏でる、世界最高速の愛の詩。

「だったら幸せ、探したって良いでしょ!」

「何度も何度もお前が辛い人生繰り返しゃ、オレが幸せだってのかよ!」

「知らなければ、何も問題ないよ! ヨウ君を苦しめた分だけ、私が苦しめば良いだけじゃない!」

「もう良いだろ!? オレにとっちゃ十二年前の話だ、遥か過去のおとぎ話だ!」

「私にとっては、まだ見ぬ明日の未来の話!」

「だからお前は」

「だからヨウ君は」

「幸せになるべきだ、オレなんて忘れて!」

「幸せになるべきだよ、私がいなくなろうとも!」

 ヒーローは自分のことなど顧みない。

 その瞬間だけは、本気で相手のことを思ってる。

 だったらオレたち二人は今だけは、ヒーローとヒロインなんだろう。

「くっ、さすが玲美! アクロバティック過ぎるだろ!」

「さすがの翼捌きだよね、ヨウ君!」

 同時に大きく振りかぶった攻撃同士の激突が、二機のISに距離を作ったところで協奏曲が終わりを告げる。

 ここまでは互角だ。

 スペックで大きく上回るディアブロを相手に、テンペスタ・ホークは良く戦ってくれている。

「今回はその気持ちが変わらないってことが、よくわかったよ、ヨウ君」

 ディアブロの背後に現れるのは、ISの全長ほどの砲身を持つ荷電粒子砲ビット八門だ。そして両手に持つのは、その翼を模して形成された、無人機を一刀両断する巨大な片刃の剣である。

 ここからがISの戦いにおけるもう一つの局面、つまり武装同士の戦いだ。

「ここで、止めるよ、ヨウ君」

 震える声で、玲美が呟いた。

 その言葉に込められた意思を、悲しく思う権利がオレにあるのだろうか。

 

 

 

 

 

「止まらねえよなぁ、世界秩序の崩壊ってヤツか?」

 天井に大きな穴の開いた瓦礫だらけの部屋で、オータムはイスに座り机に足を投げ出していた。膝の上に置いたタブレット端末は、亡国機業の持つ独自の回線へと繋がっている。

「被害はおそらく億単位か。下手したら二桁に届くな」

 もちろん金額ではなく人数の話のことだった。

 すでに戦闘が終了してから二十分ほど経っている。

 襲いかかってきた謎のISの大群は、突如として姿を消し、その敵影は宇宙を含めて全く見えなくなっていた。

 しかし、謎のISたちが残していった傷跡は、地球上でかつてない程の戦禍を残していた。

 彼女らが呆然としていたのは、最初の二分のみで、そこからこの部屋に戻り、それぞれ自分の思う仕事に向かっていた。

「各国はどうなってる?」

 オータムが面倒臭そうに、すぐ近くの机に座る悠美へと問いかける。

「大混乱です。特に西側諸国の首脳部はほぼ全滅。何故か首都から逃げ出していた東側の大国の首脳部は、その逃亡先をピンポイントで狙われて死んでいます」

 悠美は何も考えないようにと、キーボードを叩き続ける。

 周囲にはまだ回収されていない彼女の仲間たちの死体が、無造作に並べられていた。

「やれやれだ」

「難を逃れたアフリカや西アジアの国々は、被害が大きな国への援助を宣言してます」

「そんな金や余裕があれば良いけどな。下心ありありだろう。どうせ治安維持のための介入とかだろ?」

「テロ組織の犯行声明は多数。どれも自分のところのISの威力は凄いだろう? です。大きな組織の一部は逆に今まで敵視していた国への援助を申し出ていたりしますが」

「バカばっかだな、この世界は。そう思わねえか、エルメラインヒ?」

 近くにいたもう一人の隊員に、シニカルな笑みで呼びかける。

 だが、相手からの返事はない。赤毛に眼帯をつけた彼女は、自分のタブレット端末を食い入るように見入っていた。

「おい、エルメラインヒ? 返事をしろ」

「は、はい、何でしょうか?」

「てめえは何してんだ?」

「……本国と連絡をつけようと」

「やめとけやめとけ。こういうときは、なぁんも考えないのが正解だ。今、目の前にあることを一つずつ、ベルトコンベアから流れてくる歯車の品質を選別するみたいに、仕事の送り先だけを選んでおく方が良いぞ」

 つまらなそうに手を振るオータムに、リアは生真面目な敬礼を返す。

「ご忠告、感謝いたします」

「IS学園の連中は?」

「戦闘中に現れた船で待機しています。織斑教官、いえ、織斑隊長と篠ノ之束博士も一緒です。あとクロエ・クロニクルも同様です」

「何話してんだか」

「通信回線開いてますので、こちらにも聞こえてくるはずです」

「あーそう。んじゃ拝聴いたしますか」

 オータムは呆れたように天井を仰いでため息を吐いた。

 連隊に来てから、ずっとケチがつきっぱなしだ。らしくねえ。

 亡国機業の現場指揮官であるミューゼルからの命令だといえ、オータムは軍隊で中間管理職をするはめになるとは思わなかった。

 さっきまでの戦闘も、下手をすれば死んでもおかしくはなかった。問答無用で死んでしまったヤツらもいる。

 オータムはチラリと布をかけられただけの死体を一瞥した。

「なあデカパイ」

「何ですかバカ隊長」

 悠美は先ほどから一度も目を離さずに画面へと向かっている。

「お前は死ぬとき、どんな感じで死にたい?」

「とりあえず色んな人に囲まれて、笑いながら死にたいところですね」

「私は逆だなぁ。どことも知れない場所で、死んだことも知られずに、いつのまにか砂に埋もれるように忘れられたいもんだ」

 オータムはイスに体重を預け、頭の後ろで手を組んだまま、穴の開いた天井を見上げる。

 そんな隊長を一瞥した悠美は、すぐに端末へと視線を戻し、

「そんなの、いつだって出来るじゃないですか」

 と、小馬鹿にしたような口調で言い放った。

 オータムは一瞬目を丸くして、冷ややかな視線の悠美を見つめた後、

「間違いねえ」

 と鼻で笑った。

 

 

 

 

 

「オレが生きた証なんていらねえんだよ! 二瀬野鷹が殺された、四十院総司が消え去った、それで充分じゃねえか!」

 空中を縦横無尽に飛び回り、八機の荷電粒子砲から放たれる攻撃を回避し続ける。 

 IS連隊基地で発生した戦いだとしても、ここだけで戦ってやる義理はねえ。

 オレのマストオーダーの一つは、ジン・アカツバキを倒すこと。玲美の相手をすることじゃない。

 山沿いの海岸線にある道路の上を滑走し、相手の攻撃から逃げていた。

 コンマ二秒前までオレのいた場所が、八門の砲台から放たれた光で撃ち抜かれる。

 地図上で隠れられる場所を探そうとするが、どうにもオレの知っている連隊基地周辺とは違う風景が続いていた。

 やっぱり現実、いや三次元上の日本とは違うってわけか。

 誰もいない道路を推進翼を吹かして、蛇のように蛇行する道の、高さ三十センチを飛び続ける。

「墜ちて!」

 荷電粒子砲がオレの行く手を阻むように撃ち抜かれた。

 だけど、そんなのは予想済だっつーの。道路沿いを走りゃ、そのまま道路を走ると勘違いするってのが定石だ。

 全力で急制動をかけ、今度は内陸側に飛び上がった。今度は山中を抜けるアスファルトの上へと降り立つ、時速二百キロで車一台分のトンネル内に入り込む。

 そこで再び急制動をかけ、入ったばかりの出入り口から出ていくと、ディアブロの背後へと躍り出た。

「なっ? 後ろ!?」

「甘えよ!!」

 手に持ったシータライフル二丁を連射しつつ、オレは再び山を越えて市街方面へと向かった。

 ISは車じゃねえんだ。トンネルに入ったら逆から出なきゃいけないなんてことはない。

 速度を生かすのは、いつだって停止状態とのギャップだ。

 一瞬で抜けきった先には、市街地のようなビルの塊が見えてきた。 どこまでも広がるように見える建造物群の塊。どうやら東京っぽいところのようだ。

 背後を確認すれば、四枚の翼で連続点火式瞬時加速を使い、オレの背後に迫ってくる悪魔のような機体が見える。

 アカツバキの姿が見当たらない。どこにいやがる、アイツは。

 いたとしても、このテンペスタ・ホークで勝てるのか?

 アイツも玲美も、目的は合致している。十二年前からやり直すことだ。だから今は手を組んでいるような状態なんだろう。

 それに一つ、気になることもある。

 前回のオレは、どうして殺された? 

 この四十院総司が、いや二瀬野鷹が、玲美に『死にたい』なんて言うだろうか? そんな心情を漏らすきっかけが何かあったはずだ。

 そしてアイツはそれを隠してる。大事なことを言い忘れることには定評がある、国津玲美だからな。

 オレはディアブロを振り切るために、ビルの合間へと音速で突入していった。

 

 

 

 

 

「ジン・アカツバキの本体は、時の彼方と呼ばれる異空間にある。そういう解釈で大丈夫よ」

 横須賀にある極東IS連隊のドックには、空から現れた箱船が着水し停泊していた。

 その甲板上では白衣を着た女性が、場違いにも思える普通のホワイトボードに、簡素な絵を描きながら何やら説明しているところだった。

 それを囲むように集まっているのは、IS学園の専用機持ちたちだ。セシリアは所属が訓練校に変わっているが、今はIS学園の生徒たちと一緒に行動をしている。

 他にもIS連隊側の面々が通信回線を通じ、各々の任務をこなしながら、内容を聞くだけという形を取っていた。

「ちょっと意味わかんないんだけど、そのジン・アカツバキの本体ってのを倒せば終わるわけ? じゃあさっさと行こうよ。ISなら行けるんでしょ?」

 胡座をかいた鈴が、憮然とした口調で言い放つ。

「ことはそう簡単じゃないわ。おそらくジン・アカツバキの本体を倒した瞬間に、時の彼方は塞がれる」

 ホワイトボードに描いた丸いアイコンに、エスツーと名乗った女性が大きく×印をつけた。

「相変わらず眉唾物の理屈だがな。こちらとしては教官と一夏が信じるというなら、こちらも二人を信じるしかあるまい」

 船の縁にもたれかかって腕を組むラウラが、説明を続ける女性へと訝しげな目線で問いかける。

「それで結構よ。ついでに言えば篠ノ之束もその存在を証言しているわ。これ以上の証明はないでしょ? ラウラ」

 だが相手は初対面にも関わらず、親しげな友人へ話しかける笑みを向けてくるのだ。ラウラとしては調子が狂うばかりだ。

「ったく。それでジン・アカツバキを倒すと、その異空間が塞がれる。それの何がマズいのだ?」

「根本は彼女がどうやって時間を超えたか、という手法に問題があるのよ」

「手法? どんな手を使ったというのだ?」

「力技」

「力技?」

「そもそも、紅椿はそんなに器用なISじゃないわ。パイロットを見ればわかるでしょうけど」

 呆れるように肩を竦めたエスツーの言葉に、一夏がクスリと微笑んだ。

 そのパイロットの面影を宿す女性が、手に持った指示棒でホワイトボードの左上を示した。

「三次元での『時間』とは、一方通行の直線のようなもの。そして『時の彼方』とはその直線を取り囲む多数の円のようなもの、と解釈すれば良いわ」

「ふむ、次元をそれぞれマイナス1してやれば、わかりやすいということか」

「観念的にはそれで良いわ。ジン・アカツバキはそのうちの一つに強烈なエネルギーを与えて膨張させた。膨張した一つの『時の彼方』は他の時の彼方を飲み込みながら、さらに膨張していったわけ。そうすることで『時の彼方』の体積を増やしていった」

 エスツーの説明に、今度はシャルロットが手を上げる。

「えーっと、時の彼方という異世界の面積・体積を増やすと、三次元の世界における『時間』に干渉出来る範囲が増える、ということで良いのかな?」

 半信半疑といった面持ちで問い直す金髪の少女に、エスツーは小さく微笑んで、

「時の彼方を膨張させればさせるほど、今より遥か過去へと干渉が出来るようになる。さすがシャルロットね。そういう解釈で捕らえておけば良いわ。」

 と褒めそやす。

 その微笑ましいやり取りに対し、腕を組んで黙っていたセシリアが、不満げな顔で一歩前に出る。

「貴方がおっしゃってる言葉が真実として、それでどうなるというんですの?」

 少し刺々しい口調であっても、エスツーはどこか懐かしいものを見る目つきを変えなかった。

「ジン・アカツバキの本体があるのは、その場所ということ。時の彼方を膨らませるというのは、多量のエネルギーを必要とするわけ。そして、広げたものは収縮することが、とある仮説で理論上証明出来ている。ゆえにジン・アカツバキは本体から端末を、過去に送り出して切り離した」

「なぜ切り離したんですの? 時の彼方にある本体と情報のやりとりを続けていれば、もっと簡単にやれたでしょうに」

「先ほど言ったように、ここより十年ちょっと前の時間と接続し続けるには、それだけ余分にエネルギーを消費し続けることになるわ。この時代の言葉で言えば、省エネのために端末を自立思考させた、ということかしら」

「なるほど。では時の彼方の体積は、現在の時間へ干渉するまでしかない、ということですわね。さらに過去へと行こうとするなら、大きなエネルギーを必要としてしまう」

「ええ、それで結構よ」

 少し納得がいったのか、セシリアの眉間から皺が取れる。そこへ、簪がおずおずと小さく手を上げた。

「あの、結局……時の彼方に乗り込んでジン・アカツバキを倒すと、何がいけない、んでしょうか?」

 その質問に、それまで饒舌に説明していたエスツーが口を噤む。何か言いにくいことがあるのか、と簪は小首を傾げた。

 押し黙った白衣の女性に、全員の視線が集まる。

 織斑一夏がホワイトボードを挟んでエスツーとは反対側に立った。

「簡単なことさ」

「一夏さん?」

「ジン・アカツバキが死ねば、時の彼方は急速な収縮を起こし、質量が反転した結果、時の彼方は消え去る」

「……ビッグクランチですわね? 宇宙の概念が通じるのかわかりませんが」

 セシリアの発した単語を知らなかった一夏は、横に立つエスツーに視線で助けを求める。彼女は彼の様子に呆れたようなため息を吐いた後、

「正解よ、セシリア」

 とだけ答える。

「つまり、時の彼方に乗り込んで勝てたとしても、生きてこの時代、この時間に戻ってこれる保証はない、ということですわね?」

 念を押すように真剣な面持ちで問いかける。

 その言葉に、エスツーは小さく頷いて返した。

「ええ、その通りよ。だから、誰かを信じて死ぬ覚悟で行くか、ここで何も信じずに消えていくかを、今から決めてちょうだい」

 

 

 

 

 

「いやー生きてくーちゃんに再会出来るなんて、ホント奇跡って起きるもんだねー。確率上は余裕だったけど」

 箱船の内部にあるフロアで、篠ノ之束はポロポロと涙を零す少女を抱きしめ、その長い銀髪を撫でていた。

「ご、ご無事で、なにより、です!」

 クロエ・クロニクルは行方知れずになっていた主の胸に、嗚咽を上げながら顔を埋めていた。

「いやいやもう、無事か無事じゃないかって言えば、無事以外の何者でもないんだけどねえー。おーヨシヨシ、しかし正直なくーちゃんはこんなにも可愛らしいというのに、普段からこうやって抱きついてきても、ええんじゃよ?」

「そ、そんな恐れ多いことなど、私には出来ません」

「涙声で抱きつきながら言われても、説得力も理論も皆無ってもんだよ、よしよし」

「い、今はこれで良いのです……!」

「しかしまあ」

 束は目の前にある上半身だけのISを見上げた。

「私が思いつきで設計した箱船を作って、黒鍵を使い何をしようと思ったのか、簡単に想像がつく。人ってのはつくづく変わらない」

 普段の束からは想像もつかないほどの、周囲の温度すら下げてしまうような冷たい声だった。

「束様?」

「さて、くーちゃん、キミに上げた黒鍵を出してくれないかな?」

 クロエが顔を上げると、そこにはいつも通りの笑みを浮かべた束がいる。

「はい?」

「ここの黒鍵は出来損ないだ、使えないよ、とかなんとか言っちゃってー。くーちゃんの黒鍵と入れ替えて、もっとマシな動きが出来るようにするのさ」

「わ、わかりました。しかし束様、このカプセルの中の子供たちは?」

 天井から吊された上半身だけのISに、多数の線が接続されている。そのケーブルの先は、彼女たちがいる箱船の内部に敷き詰められた銀色の棺桶のようなカプセルに繋がっていた。

「エスツーの話なら、これは未来で地球から逃げだそうとした子供たち」

 クロエから離れ、カプセルの一つに腰掛けた束が、糸のように目を細め肩を竦めた。

「これはその、睡眠状態なんでしょうか?」

 鈍い銀色の棺桶には、SARASHIKIという文字が彫り込まれたプレートがついている。

「ううん、全員、すでに脳死してるよ」

「え?」

「バカだなぁ。人間の脆弱な脳でISを介さずに黒鍵のデータに耐えられるとでも思ったのかなぁ。多分、実験段階でわかっていたはずなのに。それでも強行したのかな? 時間がなかったから実験する暇もなかったって線もあるか。それとも他力本願で誰かに生き返らせてもらおうと思ったのか。ほーんと、バカだねえ」

「束様?」

「つまり人類が未来で守れたものは、何一つ無かったってことさ。さて、くーちゃん。ちょっと作業に入るよ」

 足を組み替え、束の頭についた兎の耳のようなマニュピュレータが、ピコピコと動く。

「かしこまりました。たとえ私がここの少年少女たちのように死のうとも、束様のお役に立てるなら」

「くーちゃんを死なせる束さんがいるもんかい。目的は、この船をもうちょっとマトモに動けるようにすることだよ」

「つまりそれは」

「もちろん、私ももう一回、時の彼方に乗り込むのさ! 万全の状態なら、どうってことないよ」

「しかし、束様が行かれずとも!」

 少し心配げに止めようとするクロエの言葉を、束はチッチッと指を振って遮った。

「こーんな楽しそうなことに、私が参加しないとか、有り得ないってもんでしょー!」」

 

 

 

 

 

「マスター! どうして!?」

 太刀による一撃が、ジン・アカツバキの装甲に一筋の切り傷を作った。

「どうして、というのは、私がISに傷をつけたことか、それとも私がお前を狙ったことか」

 左手に持った鞘に刀を納め、箒は無表情な顔を相手へと向けた。

 その刀を見つめ、ジン・アカツバキの中に納められた顔が、ハッとしたように口を開く。

「そうか、それは篠ノ之束が残した武器か!」

「さあな」

「何故、記憶があるのだ、篠ノ之箒!」

「記憶など無い」

 そんなことは些事に過ぎないと、彼女は無感動に言い捨てた。

「……では、どういうことだ?」

「私が読み続けた物語の中で、織斑一夏は織斑一夏だった。どこまで行ってもだ」

 箒が腰を落とし、左手の親指を刀の鍔に添えた。

「それがどうした?」

 紅蓮のISから見れば、刀一本など丸腰と変わらない。

 だが、今までのどんな戦いでも感じたことのない、圧力のようなものを相手から感じ取っていた。

「さあ構えろ。そうでなくば、死ぬぞ」

「くっ」

 色あせた白と黒で彩られた時の彼方にある空間で、薄墨桜が舞い踊る。

「篠ノ之箒はいつだって失敗ばかりだ。おそらくここから先もずっとそうなのだろう」

 一瞬だけ微笑んだ箒は、鞘に収めた刀を腰につけ、刃を抜く準備をする。

「マスター、貴方が奪うというのか」

「奪うわけではない。私は私の道を行くだけだ」

 彼女のポニーテールが揺れる。

「それを他人がどう意味づけようとも、意味はない。心はここに、あるのだから」

 

 

 

 

 

「玲美!」

 未だ瓦礫と火の手だらけの滑走路に、輸送ヘリが降りてくる。その横から二人の少女が飛び降りて、国津玲美に向けて走り出した。

「かぐちゃん!? 理子も!」

 三人の幼なじみたちが抱き合って無事を確かめ合う。

「本当に無事で良かったぁ!」

 一番身長の低い理子が、手を伸ばして玲美の頭をガシっと引き寄せる。

「そっちこそ、無事で良かったぁ」

 玲美がホッとした様子で二人を抱きしめた。

「貴方だけでも無事で良かったわ……お父様は?」

 その言葉に、玲美が身を固くする。

「オジサンは……わかんない。ジン・アカツバキと一緒にどっかに行っちゃった」

「……そう。でも、本当に、無事で良かったわ、玲美」

 そのまま三人で抱きしめ合う。

「おっと、感動の再会は先にやられてしまったか」

「パパぁ?」

 理子が心底驚いた顔をすると、してやったりとした顔で岸原大輔が笑う。

「どうした、オレには抱きついてこんのか。ほれ」

 まるで相撲取りのように構える岸原の元へ、理子は肩を怒らせて進むと、そのスネを思いっきり蹴飛ばした。

「今まで何やってたのよ、このダメ親父!」

「ぐぉぉ、本気で痛いぞ、理子」

「こっちがどれだけ、心配したと思ってんのよ!」

 涙目で娘に怒られては、強面の軍人といえど、立つ瀬がない。ばつが悪そうに、

「すまん」

 とだけ謝った。

「ぜったい許さないんだから」

 泣きながら、父親に理子が抱きついた。

「玲美、よく頑張ったね」

 岸原親子の横で、国津幹久が娘の肩に手を置いた。

「パパ……私、何にも出来なかったよ」

「いや、玲美は頑張ったよ」

 白衣を羽織った父親が、娘の肩をそっと抱く。

「ママは?」

「ママは、帰ったよ」

 その悲しげな顔を見せないよう、幹久は娘の体を強く引き寄せる。

「そっかぁ」

 玲美は久しぶりのぬくもりに、目を閉じた。

 親子二組の様子を、神楽は少し悲しそうに見つめていた。

「これからどうなるのでしょうか?」

 戦闘の残滓が残る連隊の基地を遠目に、神楽が呟いた。

「さてな、見当もつかんな」

 理子を抱きしめたままの岸原が、IS連隊のドックに繋がっている全長二百メートル級の艦船を見つめた。

 まるで旧約聖書に出てくる箱船のような形だった。

「おそらく、始まるんだろうね、これから最後の戦いが。いや」

 幹久が続けて小さく呟く。

「すでに始まってるのかもしれない。最後の時間が」

 

 

 

 

 

 

 摩天楼の隙間を縫いながら飛ぶ危険なランデブーが続く。

 ビルの横を飛ぶたびに、音速を超えたことで起きた衝撃波が窓ガラスを砕いていった。

 オレこと二瀬野鷹がディアブロと国津玲美に勝ってる点はただ一つだ。

「追いつけるか? こんな場所で!」

「相変わらずだね、ヨウ君!」

 それは最大速度でも、武装の扱いでもなく、方向転換の鋭さである。

 事実、建物を壁にするために曲がるたびに、玲美との距離が開いていった。

 相手の姿が見えなくなると同時に、オレはツインタワーで有名な高層ビルの影に隠れる。

 呼吸を整えながら、相手の動きを探り始めた。

『……どうして死にたいなんて考えたの?』

 少し遠くから玲美の声が聞こえるが、反響しているせいか居場所が掴みづらい。

 ただ、周囲の建物を計算しセンサーで逆算すれば、声の発生源は掴める。

 某四十八階立てビルを挟んで反対側のようだ。

 だったら、ここからビル越しにレーザーライフルで撃ち抜くか?

 いや、さっきの話じゃないが、オレは武装の扱いに長けているわけじゃない。だったら近接で確実に仕留めるべきだ。翼さえ折れば、速度は落ちる。相手がどんなヤツだろうと、ISである限りは一緒だ。

 推進装置を使わずにPICだけで音もなく、オレはビルの壁に沿って下降して地面へと着地した。

 ISを解除し、足首に光るアンクレットへと戻す。ISスーツのみのまま、オレは階段を上り始めた。エレベーターを使うと音でバレるだろうしな。

『どうして、死にたいって、そんな風に考えるの? 生きて欲しい人だって沢山いるのに、キミのお葬式であれだけ沢山の人が悲しんだのに!』

 玲美の言葉が響いてくるが、答えてやることは出来ない。

 ただ黙って階段を走り続ける。

 どうして死にたい、か。

 どんな間違いを犯したって前を向いて、償いをするように生きていくべきだ。そんな理想があるのはもちろん知っている。

 だけど、自分がこれからも先、他人の死体に取り付いた化け物として生きていく。気持ち悪いにも程があるだろう。

 それでも失われた未来を取り戻そうとしているのが、玲美やジン・アカツバキだ。

 じゃあオレが過去に戻って、修正しなおすのか? どうやってだ?

 待て。

 玲美はどうして、自分が行こうとしているんだ? オレが過去に飛べるかどうかは別にして、一緒に行ったって良いじゃねえか。

 オレを過去に行かせたくない出来事が存在してるのか?

 まだ何か隠されている秘密があるってことか。

 非常階段を上り続けながら、オレは考える。

 何か大事なことに気づいていないのか? 玲美がオレをここで殺し、過去へ自分が行こうとしている意味を推測しろ。

 おそらくそれが全てを解決するキーなんだろう。

「でもまあ」

 簡単には喋ってくれないだろうな。

 アイツは国津玲美でありながら、強かに過去を改変し続けた国津三弥子でもあるのだ。

 ここで時間稼ぎをして、新しい手を考えるしかねえか。

 そう思って、足を止めた瞬間、足下が揺れて階段から転げ落ちた。

「なんだ?」

 立ち上がろうとしても、足が宙を踏み、再び転げてしまう。先ほどから地面の角度が変わり続けているせいだと気づいた。

「建物の根元から切り落としたのか!」

 思い切りが良いじゃねえかよ、玲美のヤツ。

 今の敵はおそらく世界最高クラスのスペックを持つIS、ディアブロ。

「だけどな、ここまで来て、オレもあっさり殺されてやるわけにはいかねえんだよ!」

 オレは再びテンペスタ・ホークを展開し、次の戦闘行動に向けて動き始めた。

 

 

 

 

 

 

「一つ、質問があります、エスツー」

 手を上げたのは、生徒の代表を務める更識楯無だ。

「何かしら、楯無」

「ジン・アカツバキを倒したとして、不確定の未来から来た人物たちはどうなりますか?」

「普通にこの時代の人間として生きていくだけよ。私達はすでにここに存在しているのだから、ここに存在しているという事実を元に未来が確定していくだけ」

「では、貴方たちがいた未来は、どうなりますか?」

「どうなるも何も、すでに存在しない。確かに未来は揺れているけれど、過去へ介入する者がいなくなれば未来は確定するわ。介入された一番古い物事を基準として、ドミノ倒しのように物事が確定していくはず」

 エスツーは淡々と語りながら、ホワイトボードに書いた図を消していく。

「なら良いんです」

 それらの回答の聞いた楯無はあからさまほどに不機嫌な顔を作った。隣に座る簪が不安げに覗き込むと、楯無はわずかに笑みを見せただけでそれ以上は表情を見せなかった。

「以上で質問は終わり?」

 再び真っ白な状態に戻った後、白衣の研究者が全員に問いかけた。

 集った全員から返答がないことを確認すると、彼女は織斑千冬と目を合わせて頷いた。

 それまで黙っていた千冬が一歩前に出ると、

「全員、注目」

 と教師然とした態度で号令をかける。

 久しぶりに聞いた言葉に、生徒たちは思わず姿勢を正してしまっていた。

「これは強制ではない。お前たちの中には未だに半信半疑の者もいるだろう」

 少女たちは黙って千冬の言葉に耳を傾ける。

「しかし、先ほどまでの戦闘は紛れもなく真実だ。世界中で人は死に、その被害は甚大だ。これから先、地球が元の形に戻れるよう、一人のISパイロットとして尽力していくのもまた、正しい選択と言える」

 千冬は集った生徒たち全員を見渡して、最後に弟と目を合わせた。

 一夏は姉の視線の意味を感じ取り、首を横に振る。

 その意図を正しく感じ取り、千冬は一瞬だけ悲しそうに瞳を伏せた。

 だがすぐに前を向く。

「しかし私は行くとしよう。まだまだ若輩の身だが、残念ながら一度は世界最強の称号を得たからな。その責任がある。束はおそらく行くだろう。アイツはバカだからな。そういうわけだから、私たちに任せて、他の全員は残れ」

 有無を言わせぬ命令口調の言葉には、否定を許さない無言の圧力が込められていた。IS学園最強を誇る楯無ですら気圧されるほどだった。

 そんな中、一夏は千冬の眼光を見つめ返し、

「俺は行く。ヨウも気になるし、箒も救わなきゃな」

 と力強く言い放った。

「好きにしろ。エスツー、もう一機の白式は?」

 先ほどのアイコンタクトで意思は確認し終わっていた。当然のように聞き流し、自分の武器を確認する。

「すぐに準備は終わると思うわ」

「了解だ」

「あと三十分ぐらいは、この世界と時の彼方が繋がっている猶予があるわ。一度解散しましょう」

「なるべく迅速に行動した方が良いんじゃないのか?」

「どのみち、向こうはこっちと時間という概念が違う。今行こうとも、三十分後に行こうとも、出る場所が違うだけで大した違いはないわ」

「なるほどな、了解した」

 エスツーが先行して、船の内部へ続く階段へ歩き出し、千冬と一夏もそれに従った。

「一夏」

 鈴が代表して声をかけると、彼は振り返って全員に向け、

「安心しろって。みんなが納得するハッピーエンド、見つけてくるから」

 と自信満々に親指を立てて笑顔を作るのだった。

 

 

 

 

 

『ジン・アカツバキを倒して生き残ったみんなで新しい未来を目指しました! そんなハッピーエンドがあり得るの!? キミがいなくなった世界で!』

 だけど、それが今のところの正解のはずだ。

 横倒しになって倒壊していく巨大な建造物の中で、オレは玲美の慟哭を聞いていた。

 このままじゃ潰されるが、テンペスタ・ホークを装着したままなら無傷で済むだろう。

 落ちていく建物の中に残るってのは、なかなかの恐怖感だ。だけど、瓦礫の中から反撃に出るために、死ぬわけじゃないと腹を括る。

 だが、すぐ近くの壁が熱で溶解する様を見た瞬間、咄嗟に上空へ向けて飛び出す。

「荷電粒子砲かよ! 容赦ねえな! 殺す気か!」

 二枚の翼で羽ばたき、攻撃から逃げるよう灰色の空へと上昇し続けようとした。

「止める気だよ、本気で」

 すぐ近くで少女の声がする。

 後ろを振り向く暇すらなく、オレは地面へと叩き落とされていた。

「くそっ!」

 地上スレスレで何とか体勢を立て直し、遥か上空に浮かぶ黒い悪魔を見上げた。

 気を抜けば落とされる。

 玲美は確実にオレを止めに来てるんだ。

 つーか、ホントまあ……過去の過ちがオレの道を遮るなんて、如何にもオレらしい有様だ。

「ディアブロ、ヨウ君を止めるのを手伝って!」

 背中にある四枚の推進装置から大きな光の粒子を吐き出した。

 黒い悪魔は一瞬でホークの最高スピードを超える。しかも、置き去りにした荷電粒子砲での攻撃を放ち続けながらだ。

「みんなが笑って迎えられる未来のために、何度でもやり直す! だからキミはここで止まらなきゃいけない!」

 ディアブロは、世界最高速の記録を非公式ながら何度も塗り替えている。

 そして武装の威力も違い過ぎた。無人機であろうとも一撃で数機を葬る砲台が、遠隔感応操作兵器となって襲いかかってくる。

 背中から射出されたソードビットが回転しながら、荷電粒子砲から逃げようとするオレの行く手を塞いだ。

 自由に動き回る二本の大剣を横回転で回避した瞬間に、眼前で黒い爪が煌めいた。

「ここにいるジン・アカツバキの本体を倒せば、全てが終わる。おそらくこの次元に到達出来るチャンスは二度と来ない」

 首がもぎとられるかと思うような衝撃とともに、オレの頭が掴み取られる。

 そのまま大地へ向けて加速したディアブロが、テンペスタ・ホークを地面へと叩きつけた。

「生きていた証明が消え去ったって、また一から作り出せば良いでしょ? どうしてそれがわからないの?」

 街のど真ん中に開いた大穴で、その中心点でディアブロがホークの上にまたがっている。

「二瀬野鷹が生き残ったとして、四十院総司はどうなる?」

「……おじさんは本当は、あのときに死んでいた」

 オレの首筋にディアブロの冷たい爪が突きつけられていた。だが、その指先は一目でわかるほどに震えている。

「今でも死んでるぞ。偽物がその体を使って本人の振りをしていただけだ」

「だったら! かぐちゃんにはごめんだけど!」

 声を出さず唇だけで、死んでいてもらうしかない、と呟いた。

 自分でも酷いことを言っているのがわかるんだろう。玲美の瞳から、ポロポロと涙が零れていた。

 曖昧にしておくのは簡単だ。

 それでも明確にしておく必要がある。

「そうか、お前は四十院総司を助けることが出来ないからな」

 玲美が国津三弥子として生まれるのは、常に十二年前の交通事故からだ。それ以前にまで戻ることが不可能なんだろう。

「じゃあ、どうすれば良いの!? 次もまたヨウ君が死ぬのを見過ごすの!?」

「オレが四十院総司じゃなけりゃ、四十院研究所は存在しない」

「私が作るよ!」

「どうやって? 四十院総司がいなければ、国津三弥子はただの飛行機エンジニアでしかない。金もなけりゃコネもねえ。それがISに携わるなんて、荒唐無稽にもほどがある」

 背中の翼は土に埋まったままだった。それでも故障した様子はない。

 オレは選ばなけりゃならない。

 彼女の気持ちを踏みにじり、ジン・アカツバキを倒すという最大の目的を果たすのか。

「それでも、繰り返すよ」

 突きつけられていたディアブロの爪が開かれ、オレの首を掴む。

 喉を圧迫され、声どころか呼吸すら出来ない。

 意識が遠くなっていくオレの視界に、ぼんやりと少女の顔が映っていた。

「何度でも、繰り返すよ」

 可愛らしい顔が涙でくしゃくしゃだ。

「ヨウ君を幸せにするために、何度でも、何度でも。二回でも三回でも四回でも」

 右手だけだった絞首刑に、左手も追加された。

「何度でも何度でも何度でも、何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも」

 叫ぶ女の子の顔を見ながら、オレの意識が消えていきそうになる。

「君の幸福のために、何度でも、この十二年間を」

 そんなことを、彼女は本当に願っているんだ。

 

 

 

 

 

 ナターシャ・ファイルスは基地の倉庫から食料を持ち出し、料理を始めようとしていた。

「レーションは全部ダメだったわ。食堂用のが残ってるだけみたい。その分、新鮮だったけど」

 彼女がいるのは、赤くなり始めた太陽の射す海岸線だった。そこに軍用の組み立て式テーブルを広げ、サンドイッチを作っていく。

 そのすぐ近くでは、織斑マドカが呆然とした顔で体育座りをしていた。

「暇なら手伝ったらどうかしら?」

 冗談めかして笑いかけるが、相手が答える様子がないとわかり、彼女はトマトをアーミーナイフでスライスし始める。

「料理、好きなのよ、こう見えても」

 独り言になるとわかっていながらも、彼女は喋り続ける。

「味と見た目のこと以外は、何も考えなくて良いから」

 彼女の背後では、未だに建物が燃えている。ISで生きている人間がいないことを確認した後、彼女は消火活動を生存していた隊員たちに任せている。

「それってつまり、誰かを幸せにすること以外、何も考えなくて良いってことだから」

 水を入れたボールでレタスを洗い、それをむしり始める。

 米軍のエースパイロットとして鳴らした彼女も、此度の戦闘ではかなり疲れ切っていた。

 ただ、全くの空腹で動くのは経験上良くないと知っている彼女は、自分の仕事を食事の確保と決めて取りかかったところだった。

「肉も欲しいところね」

「死体なら、いくらでも転がっているだろう」

 投げかけられる独り言に耐えられなかったのか、織斑マドカがポツリと答える。

「ローストならチキンの方が好きだわ」

「食事など、何でも良い」

「あら、残念だわ。私とは気が合いそうにないわね」

 一瞬だけ手を止めたナターシャだったが、すぐに作業へと戻り、次々とサンドイッチを完成させていく。

 そこへ、一人の少年が姿を現した。

「あ、ナターシャさんでしたっけ?」

 IS学園の制服に似た格好の織斑一夏だった。

「ええ、ナターシャ・ファイルスよ。どうしたの?」

「オレも丁度、メシを作ろうとしてたんですよ。手伝っても良いですか?」

「そこにある完成品を持っていっても構わないわよ」

「あ、じゃあ少しだけ手伝います」

「料理が出来るの? 感心な子ね」

「こう見えても、家事はお手の物なんですよ。それに腹が減っては何とやら、ですから」

 一夏が腕をまくり、ナターシャの横に立つ。

「あれ? マドカ、か」

「ふん……」

「何やってんだ、お前。手伝えよ」

 呑気な様子で笑いかける様子に、無表情だったマドカの顔が急に険しくなる。

「お前は汚い」

「ん? そうか?」

「殺したはずだ。何故、生き返る?」

「と言われてもな。お前が殺したんだっけ? 俺を」

 トボけた感じで苦笑いを浮かべる彼に、彼女は怒りを露わにしていきり立つ。

「そうだ、私が、お前を殺してやった!」

「そうかよ。すっきりしたか?」

「ああ、したぞ。お前を殺してやって、その済ました顔を苦痛に歪め、命を絶った!」

「人は、簡単に死なねえぞ。あ、ナターシャさん、ちょっとソース作るんで、そっちのマヨネーズとマスタード下さい。あとコショウも」

 相手にする様子もなく、一夏は金髪の女性と作業を開始する。

「貴様!」

「お前が何をしたか、よく覚えてねえけどさ。でも、お前はお前のしたいことをしたんだろ?」

「そうだ、その通りだ。だから、お前をもう一度、ここで殺してやる!」

「やめとけやめとけ。しっかしお前って、かっこ悪いヤツだよなあ」

 小さな容器の中身をスプーンで混ぜながら、一夏がこともなげに言う。その言葉に、マドカは呆気に取られてしまっていた。

「は?」

「千冬姉は、もう少しカッコ良いぞ。そりゃ家じゃだらしねえけど」

「……織斑千冬が、だらしない?」

「そりゃもう、家じゃ全く何もしねえ。パンツすら自分で洗えねえし、俺がいなけりゃ、部屋がゴミだらけになるんじゃねえのか」

 突然始まった身内話にナターシャが小さく吹き出した。

「世界最強のブリュンヒルデも、弟にかかったら台無しね」

「そりゃもう。弟ですから。何があろうと、それは変わらないですよ」

 サンドイッチに作ったばかりのソースを塗りながら、一夏が楽しそうに笑う。

「き、貴様が織斑千冬の何を知っている!」

「知るかよ」

「やはりお前が癌だ!」

 そう叫んで、マドカがISの腕を部分展開し、BTライフルを一夏へ向ける。

 だが、向けられた方は何処吹く風で料理を続ける。

「お前じゃ俺に勝てねえよ。だって、弱そうだから。ほい出来た」

 一夏が完成したばかりのBLTサンドの一つを、マドカの前に突き出す。

「何だ、これは」

「千冬姉が好きな食べ物の一つだ。俺を殺した後は、お前が作れるように味を覚えておけよ」

「ふざけているのか、貴様は」

「大真面目だっての。ほれ」

 相手の顔へ向けて、一夏は作ったばかりの食料を放り投げる。突然の出来事に慌てながらも、マドカが空いていた左手で、サンドイッチがバラバラになる前に受け取ってしまった。

「俺を殺しても良い。そしたら、お前がそれを作れ。作れないなら、俺を殺している場合じゃないぞ、マドカ」

 一夏の挑発を受け、マドカがおずおずと口をつける。

 千冬と同じ味覚の素養があるのか、彼女は小さく驚いたような顔の後、一気に口へと入れてしまった。

 そんな二人の様子を、ナターシャは微笑みながら見守っている。

「んじゃナターシャさん、貰っていきますね」

「はいどうぞ」

 手早く包にサンドイッチを束ね、一夏は動き出そうとした。しかし何かを思い立ったのか、すぐに足を止める。

「そういや、ナターシャさんはどうするんです?」

「さっきのエスツーとかいう人の話?」

「ええ。通信回線越しに聞いていたんでしょう?」

「もちろん行くわよ。行ってみるだけの価値はありそうだし、騙されたって、せいぜいちょっと遠くに行くぐらいでしょう?」

「なるほど。じゃあ頼りにしてます。それじゃ」

「ええ、それじゃあまた後でね」

 彼は人好きのする笑顔を向けた後、すぐに背中を向けて振り返らずに走り出していった。

 声をかけることすら出来ず、マドカは食べ物を咀嚼し終わるまで、その背中を見送っていた。

「何してるの? 殺すんじゃなかったの?」

「……こんなものが美味いというのか、織斑千冬は」

「ライフル、下げたら? 後、頬が緩んでるわよ。日本語で言うなら、ほっぺたが落ちてる、というのかしら」

 ナターシャに笑いかけられて、マドカはライフルを仕舞うと、さっきまでいた場所に再び腰を落とす。

「手伝わないの?」

「こんなもの、買えば良いだけだ」

 少しだけ強がった様子で、マドカがそっぽを向く。

 織斑マドカが、今起きた出来事を家族の食卓だと気づくことは、一生訪れないかもしれない。

 しかしナターシャ・ファイルスは、そういう未来があれば良いのかもしれないと思うのだった。

 

 

 

 

 

「最初に願ったのは、あの流れ星のように、どこまでも飛んでいけるように、だったかなぁ」

 箱船の中心部、薄暗く奥まで見渡せないほど広い階層で、天井から吊されたISをいじりながら束は小さく呟いた。

「それは聞いた」

 すぐ近くに立っているのは、白式を身にまとった千冬だった。それはこの時代の織斑一夏が身につけていた物だった。

「箒ちゃんの名前って良い名前だと思わない?」

「ん?」

帚星(ほうきぼし)って言うし」

「こじつけだな」

 千冬が鼻で笑うと、束が頬を膨らませ、

「ちーちゃんって、昔っから私にだけ酷いよね!」

 と冗談めかした言葉を返す。

 手元のホログラムウィンドウと白式を見比べていたエスツーが、手を止める。

「まあ確かに彗星の彗も箒も、元は帚星と同じ文字ね。それ以外にも箒神と言えば、産神として祭られているところもあるわ」

「ほーら、合ってる合ってる。束さんの直感侮れないし、ちーちゃんはもう少し私を敬って見るべきだと思うけどね!」

 得意げな顔で胸を張る友人を見て、千冬はやれやれとため息を零す。

「お前がそんなことを気にしていることに驚きだがな。何を突然に言い始めた?」

「んー、なんていうか、遠くまで行くつもりで作ったはずのインフィニット・ストラトスなわけで。それなのに、自立思考に目覚めたと思ったら、こーんな近くに来ちゃったわけで。束さん複雑ぅ」

 束が小さく肩を竦めるポーズを取ると、千冬もエスツーも小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「日頃の行いだろう」

「えー? だったらもっと良いことあっても良いと思うんだけどなぁ」

「どの口がほざく」

 白式の指を動かしながら千冬が答える。

「よし、くーちゃん、調子はどう?」

 呼びかけられたクロエ・クロニクルは、天井からケーブルで吊されたISの内部に入っているところだった。

「大丈夫です。この箱船の外が全て見て取れます」

「くーちゃんは目力強いからねー。他の人より鋭敏に周囲を感じ取れる分、本来の視界に惑わされずにいけるはずだよん」

「目力……」

 敬愛する天才に言われた一言に、クロエはがっくりと肩を落とした。

「しかし二瀬野がなぁ」

 珍しく千冬が苦笑いを浮かべる。

「まさか私やちーちゃんにとっての甥っ子がいるなんてねえ。まあ、本当に甥っ子てわけじゃないけれど」

 そんな昔なじみの様子を見て、束はからかうように笑いかける。

「まあ、必ずしも、このままアイツが生まれるような世の中になるわけじゃないが」

「私も実感ないけど、んー」

 束がチラリとエスツーを見る。彼女は先ほどから無言で白式と繋がったコンソールに触れていた。

「エスツーはどう思ってるわけ?」

「可愛かったわよ、あの子。こっちじゃあんなオジサンになってたけど」

「ほほぅ。そいつぁ是非、元の姿に戻ったところを見てみたいもんだ。いっくん似? 箒ちゃん似?」

「どっちにも似てるわよ。後で本物の体を見せてあげるわ。しかし意外ね、篠ノ之束」

「何が?」

「貴方が血の繋がりなんてものを重要視するなんて」

「んー? まあ、私も意外っちゃあ意外かなぁ。でもなんていうか、いっくんと箒ちゃんの、それがどんな形であれ、二人の子供として生まれてきたっていうんなら」

「愛情が沸く?」

「興味が沸くかな」

「貴方らしいわ」

 手を止めずにエスツーが笑う。

「もっちのろんろん、エスツーのことは何となくわかるけどね。話してみると余計に。私と箒ちゃんの間っていうか、そういう感じがビビーンと」

「それは光栄ね。織斑千冬、貴方は?」

「私か……そうだな。何はともあれ、助けてやりたい」

「それは形の上とはいえ、叔母として?」

「私にもわからん。しかし未来で本当に一夏が結婚して、甥か姪が生まれたとき、私はこうも複雑な気分になるのかと考えるとな」

「あら、意外にセンチメンタルなのね。さすが過保護な姉だけはあるわ」

 すぐ間近でからかうように笑うエスツーに、千冬はばつの悪そうな顔を浮かべた。

 クロエ・クロニクルは少し驚いていた。

 彼女は束はもちろんのこと、千冬のことも多少は知っている。ここ数ヶ月一緒に過ごしてきたからだ。二人ともなかなかにエキセントリックな存在だと理解していた。

 その二人が年相応の女性の顔で、もう一人の女性を交えて和やかに話している様子が意外だった。

「そういえば、いっくんは?」

 手を止めた束が尋ねると、千冬は、

「軽くメシを作るそうだ」

 と眉間に皺を寄せて答えた。

「あはっ、いっくんらしいや。良いんじゃないかな。エスツー、時間は?」

「あと十分は待てるでしょう。ルート3でつけた裂け目が楔となって、まだこの時代は時の彼方と繋がっているんだし」

「ラジャーブラジャー、こっちも終了」

「こっちも終わるわ。一夏が戻ってきたら出るわよ。さって、こんなもんかしらね」

 エスツーが浮かんでいた仮想ウインドウを全て消し、首をコキコキと鳴らす。

「うは、動作がおばさんくさい!」

「うるさいわね! 貴方も似たような動作するでしょう!」

「えー? だって私、永遠の十七歳だしー? ねえ、ちーちゃん」

「お前はもう少し大人になれ」

 クロエ・クロニクルは今から自分たちが向かう場所が、どんな場所であるか聞いている。彼女としては何があろうと束についていくだけだが、それでも次の戦場が最後の決戦なのだと聞けば、どこかしら緊張を覚えるものだった。

 目の前の女性たちは、いつも以上にリラックスしたムードでいる。

 そのうちの二人は、彼女が知る限り世界最高の人材だ。しかもその二人と同格で会話をする人物までいる。

 これで勝てなければ、どのみち終わりだ。

 もうすぐ出航だ。

 箱船と名付けられた船が、奇しくも逃げるためではなく、戦うために神の元へと向かう。

 そう思って、クロエは自分の意識をISの中に埋没させる。箱船とリンクした視界が周囲に浮かび上がった。

「あれは」

 海に面した基地の護岸で、のんきにパンを食べている織斑一夏の姿を見つけた。

 近くにはラウラを初めとする少女たちが集まっている。

 そこもまた、先ほどまで彼女が見ていた雰囲気と同じような感じであった。

 

 

 

 

 

「呑気にメシなんか食っちゃってまあ」

 後ろから呆れたような声が聞こえ、一夏は自分で拵えたサンドウィッチを咥えたまま振り向いた。

「鈴。お前もいるか?」

「もらうわ。急ごしらえの割には結構な数があるのね」

 隣にしれっと座りながら、鈴が一夏の横にあったバスケットから一つ、手に取って口につける。

「先にナターシャさんが作ってたからな。少しだけ手伝って、貰ってきた」

「あの人はどうするって?」

「行くってさ。みんなもどうだ?」

 一夏はにこにこと微笑みながら、大きな包みに入った沢山のサンドイッチを全員に差し出す。

「いただくわ」

「……私も」

「じゃあ、私もいただこうかしら?」

 鈴に続いて、更識姉妹が一夏の近くに二人で座る。

「私も貰おう」

「ではわたくしも」

「僕も」

 ラウラとセシリアも腰を下ろし、続いてシャルロットも輪に加わった。

「一夏君は、どうして行くの?」

 楯無がトマトとレタスが挟んである物を取りながら、一夏に尋ねる。

「逆に聞きたいけど楯無さん、どうして俺がいかないと思うんだ?」

 苦笑しながら答える彼に、楯無は一瞬目を丸くした後、一本取られたとばかりに笑顔を作った。

「そうね、その通りだわ。一夏君なら行くわよね」

「でしょう?」

 楽しそうに笑いかける一夏に、楯無は毒気を抜かれたような笑みを作った。

「じゃあ私も行くわ。何が何だか把握しづらいことばかりで腹立つけど、でも、一夏君が行くっていうなら放っておけないし」

「ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」

 二人は悪戯っぽい笑みを交わし合う。

「……その、一夏君」

「どうした、簪。食わないのか?」

「う、うん、もらう。じゃなくって、その、私なんかの頭じゃ、何もかもが……信じられないことばかり」

「でもさ簪、お前も戦ってたじゃないか」

「え?」

「何かを守らなきゃって思って、戦ってたんだろ? じゃあ俺と一緒だ」

「……そう、うん。その通りだね。だったら、私も、行く」

「そっか。じゃあ一緒に行こうぜ」

「はい!」

 簪が小さな花のように可憐な笑みを作った。それを見て、一夏も少し嬉しそうに笑顔を作る。

「一夏さん、わたくしも行こうと思います。その、足手まといかもしれませんが」

 ISスーツでも優雅に見えるセシリアが、一夏の目を真っ直ぐと見つめ強い意志を持って言い放つ。

「いいや、大歓迎だ。百人力だよ。セシリアがいてくれたら、俺だって頑張れるさ」

「……一夏さん、そ、それはひょっとして」

 セシリアが嬉しそうな笑みで身を乗り出す。

「ん? どうかしたか? セシリア、熱があるなら休んだって良いんだぞ?」

「一夏さん……」

 だが、そういう意味でないと悟り、彼女は乗り出した上半身を元の位置に戻してがっくりと肩を落とす。

「何か悪いこと言ったか、俺」

「いいえ、何でもありませんわ!」

 セシリアが少し怒ったようにそっぽを向く。

「ねえ一夏、一夏は信じてるんだよね?」

 シャルロットが申し訳なさそうに問いかけると、彼は腕を組み、考え込む。

「うーん、そりゃあ信じてるけど、何を信じてるってのは言葉にし難いな」

「でも、僕はちょっと話が突飛過ぎて、その、どうしたら良いのか少し混乱してるかも。無我夢中で戦っていたときは良かったけど」

「まあ俺だって似たようなもんだ。だけど、信じてるのは、そうだな。俺自身か」

「え?」

「俺は俺を信じてるよ。どこに行ったって、織斑一夏としてやるしかない。だったら、その織斑一夏を信じてやるしかねえだろ?」

 得意げな顔を浮かべる彼に、シャルロットが脱力したように肩を落とす。

「どこまで行っても、一夏は一夏だよね……でも」

「でも?」

「僕は、そういうところ、その……好きかな」

 シャルロットが少し頬を染めながら、恐る恐る気持ちを口にする。

「おう、ありがとう」

 だが一夏は特に気にした様子もなく、次のサンドイッチに手を伸ばし始めた。

「え?」

「おう?」

「あ、うん……そ、それだけ?」

「え? 何だった? 俺も俺らしいところが好きだぞ?」

「そ、そういう意味じゃ……う、ううん、もう良いよ……どこまで行っても、ホント一夏だよね」

 先ほどよりもさらに肩を落とし、シャルロットは食事を口にし始めた。

「抜け駆けしようとするからよ、シャルロット。でも一夏、本当にアンタってば、どこ行っても変わんないわよね」

「そうか?」

「アタシも行くわよ」

「そうだな。お前は来ると思ってたよ」

「だけど意外ね。アンタなら、アタシたちを置いていこうとすると思ったんだけど」

「そうか? ま、一緒に行けるんなら良いだろ、それで」

 言葉を濁して誤魔化す一夏に、幼なじみの一人である鈴は何を察し、怪訝な顔を浮かべる。

「一夏? どうしたの?」

「ま、正直な話をすればだ。俺が目を覚ました未来じゃ、みんなは目の前で殺された」

「え? は?」

「あのジン・アカツバキに、全員が殺された」

 一夏が全員の顔を見渡す。そこには何も感情の感じられない顔があった。

「誰一人救えなかった。出来たことは、何とかこの時代に『戻ってきた』ことぐらいだ」

 彼は力なく笑い、それから立ち上がる。

「一夏」

 ラウラが声をかけると、彼は夕日を背中に浴びながら、笑顔を作る。

「織斑一夏に出来ることは全部やらなきゃな。そうじゃなくちゃ、俺が俺でなくなっちまう」

「そうか」

「心が、消えちまうのさ」

 

 

 

 

 

 心だけで生きる化け物。

 オレは消えていく意識の中で、自分の存在を振り返ろうとしていた。

 ディアブロの親指と人差し指がガッチリと俺の首に食い込んでいる。

 もう良いのかもしれない。

 ディアブロは玲美を選んだのかもしれないな。死にたがりのオレじゃ不安過ぎて。

 結果として、今の罪過を背負うオレは死ぬのだ。希望通りじゃねえか。

 ジン・アカツバキを倒すことは、次のオレに任せよう。

 きっと上手くやる、なんて断言は出来ないのが、如何にも二瀬野鷹らしい。だけど幸せになれるっていうんなら、そういう選択肢もありだろう。

 そうだな、その通りだ。

 よく考えれば、オレは何で意地を張って玲美から逃げようとしてたんだ。

 ここで大人しく死んで、次のオレが玲美に誘導されながら、幸せになる可能性を模索してやっていくだけだ。

 そうして何度も繰り返して、誰もが納得するハッピーエンドが訪れるんなら、万々歳だ。大歓迎だ。

 それに頑張ったじゃねえか、オレ。

 ひょっとしたら、オヤジや母さんだって生きている未来があるかもしれない。何の間違いも犯さず、オレは誰の邪魔もしないで、密やかに人生を終えることもあるかもしれない。

 完璧だ。

 じゃあ、そういうことで。

 あとは玲美、次の二瀬野鷹をよろしくな。

 納得し、オレは自分の意識を掴んでいた心の欠片を手放そうとした。

 

 

 

 

 

 

「さて、行くか」

 青色のISスーツに身を包み、織斑千冬が甲板に集まった全員を見渡した。

 IS学園から、生徒会長・更識楯無。一年一組からクラス代表ファン・リンインを初めとした、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ。そして一年四組クラス代表の更識簪。

 極東IS連隊から、第一小隊長・宇佐つくみことオータム。同じく第一小隊の沙良色悠美、リア・エルメラインヒ。第二小隊長、ナターシャ・ファイルス。そして付属訓練校からセシリア・オルコット。

 四十院研究所から、国津玲美、岸原理子、国津幹久、岸原大輔、四十院神楽。

 そして亡国機業から、織斑マドカ。

 世界最高の大天才、篠ノ之束、それに付き従うクロエ・クロニクルは船の中だ。

 最後に、未来から来た二人。織斑一夏とエスツーが、全員の最後部に立っている。

「指揮は岸原さんが執りますか?」

 千冬が尋ねると、彼は首を横に振る。

「とてもオレの指示に従う連中だとは思えませんな。織斑先生にお任せします」

「わかりました。では」

 千冬は前を向く。

「クロエ、『時の彼方』に向かい、発進」

『了解しました。『箱船』、発進!』

 箱船が浮き始める。

 目指すは時の彼方、こことは違う世界だ。

「では私が先陣を切り開く」

 千冬は白式を身にまとい、船の先端で雪片弐型を片手に構えた。

「ルート3、いざ、参る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それで良いのか。

 オレこと二瀬野鷹は目を覚ます。

 そうだ、これで良いわけがない。

 だってお前。目の前で、女の子が泣いてるんだぜ?

 殺したくない、殺したくないと泣きながら、オレを殺そうとしてるんだ。

 テンペスタ・ホークの腕に力が沸いてきた。

 首を掴む腕を掴み上げる。

「おいディアブロ」

 目の前のISへ言葉を送る。

「てめえは、何やってんだ、ディアブロ。パイロットを泣かして、お前はそれで良いってのか」

 白騎士の姿をした悪魔から、低いうなり声のような音が聞こえてくる。

「ホークが叫んでるぞ。お前が情けない有様で、そうなってるのを嘆いてる」

「ヨウ君?」

「ディアブロ、オレを舐めるなよ」

 悪魔の爪を首から一本ずつ剥がしていく。

 本来のスペック差では有り得ない出来事だ。

 そんな不可能は、可能にしていく。

「オレを誰だと思ってるんだ」

 首を掴んでいた腕を押し返し、徐々に体を起こし始めた。

「そんな……ホークのスペックじゃ」

 信じられない、と玲美が声を震わせる。

「失敗ばかりで、ふざけた体で、大したことも出来ない人生だったけどな」

 色んな人を悲しませ、知らないうちに他人の未来を狂わせた。

 死ぬことで償うわけじゃない。死ぬことで終わらせてやりたいのだ。

「オレは世界で初めての男性IS操縦者だ」

 完全に起き上がり、ディアブロと互角の力比べを始める。

 いつか死ぬときが来るなら、二瀬野鷹が忘れられないうちが良い。

「さあ、ホーク。思い出せ。このバカ悪魔に思い知らせろ」

 背中の推進翼を立てて、エネルギーを吐き出し始める。スラスターから光が漏れ始めた。

「これは四十院総司の指示で作られた、二瀬野鷹の専用機」

 視界に浮かぶ出力表示が、今までにない数字を叩き出す。

「世界で唯一のメテオブレイカーだ」

 

 

 

 

 











エスツーさんの、なぜなにルート2。

遅れまして申し訳ありません。
今後のスケジュールは、三月末までお休みを頂きまして、ラストスパートに向かうとします。


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44、星に願いを

 

 

 

 大事なことは、全部置き去りにしてきた。

 二瀬野鷹は、何故か前回の人生の記憶を持って生まれた。本人ですらそう思い込んでいた。

 前回の人生というのは悪夢そのもので、怠惰に回る糸車のように、何度も何度も同じ場所を繰り返していた。

 そんな記憶を持っていて、人よりちょっとだけ優れていたからこそ、彼は優越感と劣等感を抱いて、失敗を繰り返した。

 失敗は失敗を呼び、全部を諦めようとしても、心に焼き付いたインフィニット・ストラトスだけは求めてしまった。

 触れるという当たり前の動作ですら、誰かの焼き直しだった。

 本当に偶然だが、知らないうちに徐々に取り戻していた力が間に合った。

 そして勘違いした努力を重ねて、自分は強くなったと思い込んで、彼はただひたすら走り続ける。

 時には大きく曲がった。

 道が断たれたこともある。

 だがその度に立ち上がり、貫き通す信念すら無くとも、彼は長い戦いに身を投じた。

 化け物だとわかって、それでも化け物は化け物らしく他人を欺いて、時には過去の自分すらも欺いた。

 頑張れたのは、彼が持っていた一つの気持ちのせいだ。

 彼は、その世界を愛していた。

 二瀬野鷹として生まれる前から知っていた。

 二瀬野鷹として生まれてから再び出会った。

 そして二瀬野鷹が死んだ後でも、見守り続けた。

 だから、彼はその世界を蹂躙し続ける二つを敵と定めた。

 一つは、ジン・アカツバキ。

 もう一つは、自分自身。

 結果、二瀬野鷹の道とは、真っ直ぐに滅ぶためだけのものとなっていた。

 

 

 

 

 

「ディアブロォォォォ!」

 色を失った世界の空で、敵となった黒い機体の腕を掴んだまま、大きな二枚の翼を立てて空中に押し返そうとする。

 だが玲美も全力でオレをねじ伏せようとしていた。

 結果、オレのホークと玲美のディアブロが、地面に空いた大穴の真ん中で力比べを始める形になる。

「腐っても四枚翼かよ!」

「そんな、ディアブロの翼は全力なのに、ホークに負けるなんて!」

 二人ともがお互いの推進装置から大量の粒子を噴出させながら、相手を吹き飛ばそうと力を込める。

「お願い、ディアブロ!」

 玲美の背後に浮かんだ八つのビットが、オレに向けて一斉に砲門を開く。そこから放たれるのは、一撃でISを消滅させるほどの破壊力を持った光だ。

 ここで後ろに引けば回避は出来るだろう。しかしそれじゃあ、力負けを認めるだけだ。

 最初に力負けをしないことが、戦闘では重要だ。オレに勝てる要素は存在しないが、負けるつもりも一切ない。

「押し切ってやらぁ!」

 腰から生えた尾翼に意識を集中させる。

 相手の胸部に向けて肩を入れ、体を押しつける。自分の翼に力を込めた。

「なっ!?」

 発射されるギリギリでオレは玲美の体を浮かせ、わずか数十メートルばかり相手の後方へと押し込んだ。

 寸前まで立っていた場所に八つの光が突き立てられ、瓦礫が舞い上がる。

「玲美!」

 オレはここで彼女に負けてやるわけにはいかない。

 例え彼女が、オレの失敗によって生まれ出た埒外の同類だとしてもだ。

「離して!」

 玲美が腕をねじり、オレの右手を振りほどく。同時に鋭いミドルキックでオレを弾き飛ばした。

 距離が離れたオレと玲美は、そのまま相手の隙を窺うように睨み合う。

「どうして、ヨウ君とホークがこんな力を……」

 彼女が小さく信じられないと呟く。

 国津玲美がオレを殺した後に過去へと飛び、再びやり直そうとしている。ジン・アカツバキと国津三弥子の戦いは、いつ勝負がつくかもわからない危ない綱渡りだ。

 それでも彼女は何度でも繰り返すと言った。

 だとしたら、二瀬野鷹が諦めても、四十院総司がそんな不確実なものを許さない。

「さあ玲美ちゃん、ここからはIS業界のトリックスター、この四十院総司がお相手仕ろうか!」

 もったいぶった言い回し、人を食ったような笑み、掴めない本心。

 それが三度目の人生の真骨頂。オレによって作り出された、四十院総司という男の表情だった。

「今更、オジサンの振りをしても!」

「甘いよ」

 いきなりの百八十度ターンで、背中を見せる。

「え?」

 戸惑っている間に、今度は縦に回転しながら落下していった。

「さあお立ち会い、これから始まる世紀の壮絶騙し合い」

 足が下を向いた瞬間に、テンペスタ・ホークのスピードを殺すための脚部スラスターを全開で開いた。もちろん、瞬時加速モードでの六基同時点火だ。

 飛び跳ねるように空中を蹴って、ディアブロへと襲いかかる。

「それぐらい……くっ」

 玲美が咄嗟に大剣を握って、急上昇してこようとするオレへ振り下ろそうとした。

 だが、狙いはここからの無軌道瞬時加速だ。

「本邦初公開の、鋭角旋回瞬時加速はどうだい!?」

 尾翼を合わせた三枚の推進翼と脚部の六基の推進装置を交互に使うことで、弧を描かずに鋭角で稲妻のように折れ曲がる。

 これは、脚部と背部という離れた場所に推進装置を備えるホークならではの技だ。二瀬野鷹であったときにはわからなかったが、ホークとディアブロでは、推進装置の使い方が異なるのだ。

 ディアブロの左後部から、マッハ3で衝突する。

 相手を撥ね飛ばし、さらに脚部六基のイグニッション・ブーストで追いかけた。

 右手に呼び出したのは、ホークのスピードを最大限に生かすようにと理子が発案した最硬の武装。

 一瞬だけ翼を寝かし、脚部から推進力ではなくエネルギーだけを放出する。即座に翼を立て、空中に撒き散らされたエネルギーを取り込み、ISコアから繋がるバイパス以上の力で加速を始めた。

 端から見れば、雄々しく猛禽類が羽ばたくように見えただろう。

 推進装置六基分プラスHAWCシステム三枚分の加速がオレを押し出していく。

 一瞬だけでも、悪魔の最高速を超えれば良い。

「この子より速い!?」

 体勢を立て直し、回避しようとした玲美が驚きの声を上げた。

 オレはこの機体を信じている。

 何せこいつは、篠ノ之束が開発したISに、小さな天才が設計した推進装置を乗せ、国津幹久と三弥子により完成され、四十院総司(みらい)から二瀬野鷹(かこ)へと渡された、究極のアサルト機なんだ。

 世界最高速に次ぐ加速で最短距離を曲がり続ける。

 例えディアブロにだって、負けてやらねえ。病とまで呼ばれたこの翼、伊達じゃねえってところは、お前も知ってんだろ、玲美。

「ディアブロごときに、負けてやるホーク様じゃねえ!」

 鷹が、悪魔を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「二瀬野が、この先の空間で生きているだと?」

「ええ、生きているわ」

 白衣を着たエスツーと名乗る女性が縁に腰をかけ、驚きの表情を浮かべるラウラへと肯定の意を示した。

 今現在の彼女たちは、織斑千冬の作った次元の穴を通り、ジン・アカツバキのいる時の彼方へ方舟で向かっている。

 その甲板から見える景色は、まるで走馬燈を映し出すホログラムウインドウの洪水にも感じられるで、その光景に少女たちが目を奪われていた。

 そこへ、エスツーが全員に向けて、二瀬野鷹が生きていると言い放ったのだった。

「ど、どういうこと!?」

 国津玲美という名の、十五歳の少女が白衣の女性へと詰め寄る。

「そのままの意味よ。二瀬野鷹は、間違いなく生きている」

「ほ、本当に? ヨウ君が、生きてるの!?」

 目を見開き、真剣な眼差しで問いかける少女へ、エスツーは小さく頷いた。

「待ちなさいよ、いきなり何言ってんの、アンタ」

 鋭い声で二人の間に割って入ったのは、ファン・リンインだった。

「そのままの意味よ。ヨウは生きてるわ」

「テキトーなこと言うんじゃないわよ? アイツは死んだのよ。葬式だって盛大にやっちゃって、あのバカの死体だって何人も見てる。それで生きてるなんて、ありえるわけないじゃない」

 殺意すら込められた鈴の怒りを眼前にしても、エスツーは動じることなく、

「それが死というのなら、貴方たちの中では死んでるわね」

 と冷たく言い放った。

「抽象的なことを言って、誤魔化してんじゃないわよ!」

 それでも食ってかかろうとする鈴の肩を、少年の手が掴む。

「まあ、待てよ鈴」

「一夏?」

「ヨウは生きてるんだ。それは間違いない」

 真剣な眼差しで告げる一夏の顔を鈴は一瞬見つめたが、すぐに乗せられた手を払いのけ、人差し指を相手へと突きつけた。

「だいたい、アンタも何で生きてんのよ! 確かに死んだはずじゃない! もう、何が何だかわかんないところに、アタシたちを混乱させないでよ!」

「いや、そう言われても、生きてるもんは仕方ねえだろ……」

 苦笑いを浮かべる一夏の顔を一睨みした後、鈴は腕を組みそっぽを向いて、それ以上喋らなくなる。

 その様子を見て、呆れたように、だがどこか懐かしげにため息を吐いた一夏が、甲板にいる全員を見回した。

 玲美や鈴だけでなく、他の少女たちも、困惑した表情を浮かべていた。

 その中で、更識楯無が一歩前に出て、

「根拠を聞かせてもらえるかしら。今なら、たいていのことを信じられる気もするし」

 と疲れたような笑みで一夏に尋ねる。

「うーん、何から話したもんか。まずヨウってのが誰なのかって話からだ。あー、えっと、エスツー、頼む」

 少し困ったように目を細め、頬をかいた一夏は、結局エスツーに話を丸投げした。

「まあ仕方ないわね。ヨウという少年は、私と同じ時代に生きていた少年ISパイロットよ。未来でのジン・アカツバキとの戦闘で敗れはしたけれど、自力でその後を追いかけたわ」

 エスツーが話した言葉を、方舟の内部にいた千冬やナターシャ、オータムと悠美も船内通信回線を通して聞いていた。

 二瀬野鷹。本来の姿は、二百年の未来に生きていた少年ISパイロット、ヨウである。彼はジン・アカツバキを追いかけて、この時代にやってきた。

 やってきたと言っても、心だけの存在となり、二瀬野鷹として生まれ、記憶は曖昧になっていた。

 そして、二瀬野鷹はジン・アカツバキに殺され、十二年前へと戻り、四十院総司の体に乗り移る。

 二瀬野鷹は未来を知るというアドバンテージと、四十院財閥の財力を用い、IS業界を掌握し、ジン・アカツバキへと再び戦いを挑んだ。

 今はジン・アカツバキによって時の彼方に送り込まれ、戦っているはずだ。

「ヨウさんが……お父様?」

 その事実を知り、四十院神楽がフラリと倒れそうになる。そこへ慌てて支えに入った理子が、

「え? う、ウソ、でしょ、エスツーさん。嫌だなぁーここで冗談なんて、タチが悪いにも程があるよー?」」

 と真っ青な笑顔で問いかけた。

「私もそこは千冬に聞いた話よ。でもあの青年が四十院総司だと言うのなら、その中にある心は間違いなくヨウだわ。ディアブロを身にまとっていたのだから尚更ね」

「突拍子もないにも、程があるけれど」

 理子は少し思い出してしまった。なぜ、自分たちがあんなに早く二瀬野鷹と馴染んでしまったのか。昔から見知っていたオジサンと似ていたからではないのか、と。

「オジサンが、二瀬野君……」

 四十院総司と縁のある更識姉妹が顔を見合わせる。

「そんな……オジサン、が?」

 玲美の膝が崩れ墜ちる。その顔は力のない笑みを浮かべていた。

 彼女は先の戦闘で、二瀬野鷹の振りをしていた四十院総司の姿を思い出していた。自分ですら完璧に二瀬野鷹だと思い込んでいた。疑っていた人物など誰もいなかった。

「先を見通す眼力を持ったIS業界の麒麟児と呼ばれる四十院総司、それと未来人を名乗った二瀬野君……未来から来たっていうジン・アカツバキ」

 シャルロットがぶつぶつと自らの記憶と情報を反芻する。その呟きを聞いて、セシリアがハッとした顔を浮かべた。

 リア・エルメラインヒが何かに気づいて、手元にいくつもの文字情報を表示したウインドウを立ち上げる。

「隊長……二瀬野鷹の両親の護衛を手配したのは……」

「そうだ、四十院、総司……だ」

 次々と紐付けられていく情報にラウラが渋い顔で舌打ちをした。

 二瀬野鷹の両親の死因は事故と自殺。護衛の落ち度はあれど故意である様子はなかった。逆に言えば、四十院総司は死を知っていて、何とか逃れようとして護衛をつけたのではないか。そこまで考えて、自分たちが鷹に告げた二瀬野夫妻の情報が、本当に断片的でしかないことに気づいた。ゆえに、四十院総司は失敗したのではないか、と気づいてしまう。

 動揺しきった彼女たちの様子に、エスツーが少し困ったように眉をしかめ、先ほどとは逆に一夏へと助けを求めた。

 その視線を受けて小さく頷いた後、

「俺が断言するよ」

 と一夏が真剣な表情で言葉を続ける。

「二瀬野鷹ってのは四十院総司で、その大元はここから二百年後に生きていた少年だ。証言者は俺とエスツー、それに千冬姉と束さんだ。俺たちはともかく、あの二人に不服はないだろ?」

 世界で最も有名な二人の名前を出されては、甲板にいる少女たちは黙り込むしかない。ISに関してなら、これ以上の証言はこの世に存在しないからだ。

 全員が何も喋らなくなったのを見て、一夏が再び口を開く。

「信じて欲しい。ヨウはこの先にある時の彼方で生きている。俺はジン・アカツバキを倒したいのと同じくらい、アイツを幸せにしてやらなきゃいけないんだ。とは言っても、簡単に信じられないだろ。目的に辿り着くまで、体感時間でもう少しある」

 それぞれがそれぞれの感情を浮かべたまま、一夏の顔を見つめた。

 少年は、全員の気持ちを受け止めてもなお、呑気な笑顔で、

「ま、みんな、楽にしててくれ」

 と気楽に言い放った。

 

 

 

 

 

「二瀬野鷹の生存、ですか」

 クロエ・クロニクルが不思議そうに呟いた。

 全長二百メートル級の方舟、その一層を丸ごと占める空間には、棺桶を金属製にしたような銀色の物体で埋め尽くされていた。

 棺の中から漏れる僅かな光が薄暗さを演出している。

 フロアの中央には柱のように配置された円筒形の物体があった。間近で見れば、それがISを固定するスタンドの役目をしていることがわかる。その中には銀髪の少女と黒鍵という名のISが設置されており、そこから数十を超えるケーブルが天井と床へ伸びていた。

 そのISと少女の目の前で、篠ノ之束は数十ものホログラムウインドウから情報を読み取りながら、十センチほど空中に浮かび多数の球形キーボードに触れている。

「ルート2で精神抽出された意思、それを心と呼ぶなら、生きてるってことになるかなぁ。そもそも心ってなんぞやみたいな議論をし始めれば、それこそ脳内における神経なんたらとかいうつまんない結論に達するわけであって、さてはて、じゃあその電気信号のやり取りを行うだけの器官を持つぐらいで『生きている』を名乗れるのか、他人の考えることはさっぱりさっぱりわかりませーん」

 調子の外れたセリフを口から告げながらも、彼女がキーボードとウインドウを操作する手は止まることがなかった。

「それが、この時の彼方にいるということですか」

「そうだと思うかなぁ。ジン・アカツバキがゲートを開き、どこかに連れ去ったのは間違いない。あれだけ傍目に見えて弱ってたものを逃がしたのは、一生の不覚っ、と言いたいけれど、結局あの端末だけ倒しても仕方ないっちゃー仕方ないわけだし、ああやってゲートを開けてくれたのは大変ありがたかったっていうか。那由多の数を超える時の彼方の一つと接続出来たわけだし」

「それで、あのジン・アカツバキとやらを、束様が倒されるわけですね」

 絶対の自信を持って断言するクロエの言葉に、篠ノ之束は初めて手を止めた。

「うーん、どうしようかなぁって」

「え?」

「倒せるのかな、あれ」

 小首を傾げて、珍しく困ったように笑い、束は止めていた手を再開させる。

「束様?」

「残念だけど、負ける」

「しかし、束様はアレの配下にある千機のISの攻撃ですら、一切効きませんでした」

「負けるよ。私たちは、ジン・アカツバキに勝てない。時の彼方という先の見えないフィールドであっても、あれには勝てないことだけは見える」

「束様が? そんなことは起こり得ません」

 きっぱりと断言するクロエに対し、

「んー、そう言い切りたいけれどね。単純に全世界のISを集めたぐらいなら、私も負ける気がしないけど」

 と動かしていた手を止め、人差し指を頬に当てて首を傾げる。

「でしたら、どうして?」

「あれが怖いのは、相手を倒せば強くなること。自身のエネルギーを全て武装に転換出来ることの二点。ルート1ってのは、元々がエネルギーバイパスの進化形だからねぇ。その巨大なエネルギー搬入路を生かす術を知ってる。今までは時間を超えるために使っていなかっただけだし」

「ですが束様なら」

「簡単に戦力を分析しようか。まずこちらの戦力は私、ちーちゃん、いっくん、エスツー。以上だね」

「はい」

 クロエは束が最初から、他の人間を戦力として扱っていないことぐらい理解していた。もちろん、自分もこの方舟を操縦するだけで、何ら役に立たない存在であることも、最初から認識している。

「敵の戦力は、この空間に存在していた本体と合流し、本来の力を取り戻したインフィニット・ストラトス。その性能は折り紙付き。その上、まともなISでは近づくこともままならないルート1・絢爛舞踏を操る。他にもくーちゃんの持ってた映像から分析して想像するに、今じゃざっと白騎士三機以上のレベル」

「三倍以上? そのようなことはあり得ません」

「いやいや、くーちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけどねー。もちもち三倍って言っても単純な比較じゃなくて、兵装を予想出来るレベルで使えばって推測だけどさぁ。まあ秘密兵器は持ってきたわけだけど」

「秘密兵器?」

「もちろん、この方舟だよん。そうでなきゃ、こんな入れ物持ってこないし。不思議に思わなかった? こんな意味の無い物を持ち込んでくるなんて」

「私は束様の行動に疑問を持つことがありません」

「ふっふっふっ。信頼ありがっとー。さて、ルート2という機能、それを何とか発現させようとした機体も一緒に持ってきたわけだし、あとはまあ、ヨウちん次第だねえ。さてさて、凶と出るか明日と出るか」

 そこまで喋った後、急に黙り込んだ束の様子に、ぶら下げれたISの中でクロエが不安げに小首を傾げた。

「束様?」

「ああ、気づいちゃったなぁ。どうなるか、本当に楽しみにしてる私がいることに。あの流れ星を見たときから、きっと、この結末を見たかったんだ」

 世紀の大天才が口角を吊り上げて目を細め、本当に楽しそうに破顔する。

「私にすら手の届かない物が、私によって産み出されたなんて、ああ、意外に本当に、この世は楽しいね」

 

 

 

 

 

 束たちが話している場所と同じフロア内の少し離れた場所で、千冬にナターシャ、オータムと悠美は一つの画面を囲んでいた。それは二瀬野鷹が生きているという甲板でのやりとりを船内通信で覗き見していたものだった。

「なるほどねえ。さすが織斑隊長だ。こんな馬鹿げた話を端っから信じてるなんて、頭がおかしいにもほどがある」

「何とでも言え。だが事実だ」

「しっかしなぁ、四十院の旦那が二瀬野? バカな話にもほどがあるぜ?」

 腕を組んだまま、呆れたように後ろから覗き込んでいたナターシャに同意を求める。

「まあ色んな符号を合わせていけば、そういう可能性も得られないわけじゃないけれど、本当なの?」

 豊かな金髪の毛先をいじりながら、半信半疑の眼差しを千冬に向けた。

「本当だ。よく見ればわかる話だ。大げさなジェスチャーで隠しているつもりだったのだろうが、細かな動作は全て二瀬野のものだ。私が尋ねたとき、本人も否定はしなかった」

「本当に信じがたい事態だけれど、ブリュンヒルデがそんな荒唐無稽なウソを吐くとも思えないわね」

「どちらにしろ、ここにいる二瀬野か四十院総司を捕まえればはっきりするだろう?」

 織斑千冬は悪戯をして逃げた生徒を見つけたかのように、不敵に笑う。その様子を見て、オータムとナターシャは顔を見合わせ肩を竦めた。

「……オジサンが、ヨウ君?」

 彼女たちの一歩後ろで、沙良色悠美が信じられないとばかりに小刻みに首を横に振っていた。

「だってだって、オジサンは、私に良くしてくれて、それにアイドル活動の援助までしてくれて……」

「言いたいことはわかる。信じられなくても構わん。信じろとも言わない」

 悠美のいる方向を振り向きながら、千冬が少し突き放すような言葉を口にした。

「で、ですけど、何が、本当でウソなのか」

「お前がどう思っていたかは知らんが、四十院総司であろうが、二瀬野鷹であろうが、お前が助けたいと思うことに変わりがあるのか?」

 挑発するような言い草だったが、悠美は目を見開いて少し驚いた後、

「あ、いえ、そうですね……」

 と呆けたような顔で呟いた。

「誰がどうであろうと、何がどうだろうと、我々のすることは変らん。束の言うことを信じるなら、篠ノ之箒を救い出し、二瀬野鷹を見つけ、ジン・アカツバキを倒す。目的はこの三つだけだ」

「私にゃ最後の一つだけだな」

 言葉尻を食い気味にオータムが笑い飛ばした。

「それが一番難しそうだがな」

「はっ、もうやられるかよ。ヤツの底は見えたからな。てめえらを囮にして、このバアル・ゼブルでぶっ壊せば充分だろ」

「そう上手く行くか。相手も最後の力を振り絞って、挑んでくると思うが」

「最後の力っつっても、アイツは押されてたじゃねえかよ。あの篠ノ之束も盾ぐらいにゃなるだろ」

「だといいがな。油断はするなよ、お前たちはIS学園の人間より上の立場だ。真っ先に墜ちて恥をかくなよ」

「はっ、そっくり言葉を返すぜ、織斑センセ」

 オータムと千冬の二人が、お互いに半分本気を込めたジョークを交わし合う。それを呆れたようにナターシャが後ろから眺めていた。

「ったく、血の気の多いのは困りものね、悠美」

「……ヨウ君が、生きてる」

 独り言を何度も呟いていた悠美を見て、ナターシャが訝しげにその顔を覗き込んだ。

「悠美?」

「え、あ、はい!」

「大丈夫?」

「あ、はい。なんていうか、ちょっと考えがまとまらなくて」

「ま、私もちょっと混乱してるわね。四十院総司がヨウ君だなんて」

「い、いえ、それは何となく、えーっと、わかる気もするんです。確かに昔からオジサンは不思議なところもあったけど、身内にはどこまでも優しくて、なんか雰囲気が似てる気もします」

「ああ、四十院総司とは付き合いが長かったのよね」

「はい、十年以上前からです。それがヨウ君だっていうのも、仕方なさそうに笑ったときとかヨウ君に似てるかもしれないなぁって。そうじゃなくて、その」

 いつのまにかじゃれ合っていたオータムと千冬までもが自分を見ていることに気づき、悠美は視線を落とし、二つの親指を交差させ始めた。

「言ってみたら? 言葉に出来るのは、これが最後かもしれないのだし」

「……そうですね」

 ナターシャの言葉の真意がすぐに理解出来た悠美は、少し悲しげに、

「ヨウ君の、幸せって、どこにあるのかなぁって」

 と呟いた。

「そうね……おそらくジン・アカツバキを倒すためにずっと動いていたのだと思うけれど。凄い執念だと思うわ」

 ナターシャも悠美と同じように悲しげにうつむいた。

 その二人を見て、オータムがバカにしたような笑みを浮かべた。

「そんなことは本人に聞けや。生きてりゃ、そのうち幸せとやらが来る、なんて言わねえがな。そもそも、それは生きてるっていうのかよ」

 亡国機業のIS乗りが発した言葉で、沙良色悠美があからさまなほどに不機嫌な顔つきへと変わる。

「どういう意味でしょうか、隊長」

「二瀬野の野郎は死んで十二年前に戻り、四十院総司の体を乗っ取って。もしその話が本当だとしてだ」

 チラリと千冬の顔を一瞥した後、オータムは顔を逸らしながら、

「ぜーんぶ信じるなら、心だけの存在ってわけだろ? そんなアイツを生きてるって定義して良いのかって話だ」

 と感情を見せない呟きを漏らした。

 呆れたようなポーズを取ってはいるが、オータムの目は真剣そのものだった。その雰囲気を読み取ってか、悠美が息を飲み喉を鳴らす。

「で、でも本当に、それが二瀬野君だって言うなら」

「生きてるって定義はそれぞれだがな。そもそも今の二瀬野鷹は、どう思っているのやら。私は過去に戻って、未来を変えたことなんかねえからな」

「でも……変えたい過去があるのは、今の私にはわかります。その、心が抽出された存在だって言うなら、それは生きてるって、嬉しいとか楽しいとか感じられるなら」

「んじゃ聞くがよ、沙良色。心だけの存在になって、てめえは幸せなのかよ?」

「そ、それは!」

「ま、本人に聞けばわかることだけどなぁ。でもまあ、あのバカ」

 オータムは頭の後ろで手を組んで、だるそうに歩き出す。

「隊長?」

「全てが本当だとして、そこまでして、何のために戦ってやがるんだよ、全く」

 今度こそ、心底呆れたように、だがどこか暖かみのある調子で呟いた。

 

 

 

 

 

 ラウラやシャルロット、それにセシリアといった面々は、エスツーから少し距離を置き、それぞれのISを展開しながら細かい動作をチェックし始めていた。リア・エルメラインヒもそこへ参加し、上官であるラウラの新機体ルシファーの様子を見ていた。

 ISは操縦出来ないながらも同行した国津幹久と岸原大輔は、それぞれの端末から多数の仮想ウインドウを展開させ、HAWCシステムを搭載した機体の補佐をする用意を進めていた。

 しかし、その彼ら彼女らの動作がどれも緩慢なのは、先ほど告げられた真実が原因だろう。

 そして国津玲美を初めとする三人は、甲板の舳先側でエスツーと円を囲んでいた。

「信じられません、お父様が……」

「そうね。おそらく妙な記憶を持っていたはずよ。ヨウ……二瀬野鷹という少年は、妙なことを言ってなかったかしら?」

 エスツーが問いかけると、理子と神楽を過去を見合わせる。

「未来人……かな、やっぱり」

 理子が他の二人の様子を窺いながら、恐る恐る返答する。その言葉に、隣で黙っていた玲美が肩をビクリと振るわせた。だが、何も言葉を発さずに膝を抱える腕に力を込める。

 回答を聞いたエスツーは考え込むように少しだけ頷いた後、手元に小さなウインドウを呼び出した

 そこにあるのは、人間の頭部をCTスキャンしたものであった。

「本来は脳という器官が心を司るわけだから、齟齬が生まれて、整合性を取るために自分の記憶さえ書き換えてしまう、そういう可能性だって否めない。察するに大脳皮質が厚く成長する七歳から九歳ぐらいには、何らかの自己解決的な記憶をねつ造した可能性もあるわね」

 神楽は震える幼馴染みの頭を軽く撫でながら、

「でも、ヨウさんは本当は未来人は比喩表現で、実際は違うと」

 と、エスツーに教える。

「それこそ、本来の記憶と他の物が混ざってるのね。もしくはISかと思ったけれど、二瀬野鷹はいつ頃からISに触れたのかしら?」

「確か、何度かIS適正試験を受けています。それでも動かすことが出来たのは、入学試験のときだったかと」

「なら違うわね。ISのせいかと思ったのだけど」

 独り言のような反証と否定を耳にして、カーキ色の連隊訓練校の制服を着ていた理子が、不思議そうに小首を傾げる。

「ISが? 何で?」

「インフィニット・ストラトスは元々、人の精神を蝕むものだから。貴方たちのいた時代なら、おそらくIWSという病で認識されていたはず」

「IWSは知ってるけれど、それが何で関係あるの?」

「あの病は元々、イメージインターフェースからのフィードバック過多によって起こるのよ。貴方たちより少し先の時代に、ISは元々から人の心に干渉する機能を持っていたと判明するわ。織斑一夏も後々に、知らないはずの情報を、ISに教えてもらったことがあると証言しているわ」

「へぇー。あ、ひょっとして、ジン・アカツバキのISに乗った夜竹さんたちが、意識を失ってずっと本を読んでいる夢を見てたってのも」

「アカツバキが作った機体は、そういう機能が強化されてたってことよ。強制IWSとでも呼べば良いのかしら」

「なるほどねえー。じゃあ篠ノ之さんは?」

「篠ノ之箒は、その機能によって時の彼方に送り込まれていたわ。そのときは助ける手段がなかったから、置いてきたのだけど」

「それはルート2とは違うの?」

「違うわね。似て非なる物。IWSの場合は肉体が死ねば精神も死ぬ。だけど、ルート2は完全に肉体から解き放たれてしまう。心の紐付け先が肉体になるか、ISコアになるかという大きな違いがあるわね」

「はー。なるほど。全然関係ないんだけど、エスツーさんって説明好き? 先生とかしてた?」

 悪気のない理子の質問に、エスツーが目を丸くした後、呆れたように笑った。

「教職についたことはないけれど、上の堅物たちを説き伏せる必要があったから、自然にね。それと小さな子供の相手をする仕事も多かったわ」

「ふーん。ねえ、逆に質問だけどさ、そっちの知ってるヨウ君ってどんな子だったの?」

「ヨウ……か。あの子、そう、あの子は少しボーッとした子で、どこにでもいる、普通の男の子だった。いつも……年上のお姉さんたちの話を聞いてたわ、楽しそうに嬉しそうに。目をキラキラとさせながら」

 目線を下へと落としたエスツーが、話を続ける。

「年上のお姉さん? ああ、その頃から年上好きだったんだ」

「年上好き?」

「んー、外人のお姉さんとかそういうのに弱かったかな」

 笑いながら理子が言うと、それまで黙って膝を抱えていた玲美が、ポツリと、

「悠美さんにもデレデレしてた」

 とほんの少しだけ楽しそうに呟いた。

「心に刷り込まれてたのかしらね……周りは年上の女性ばかりだったから」

 困ったわ、と言わんばかりに手を頬に当てて、エスツーが目尻を下げる。

「ねえ、エスツーさん」

 玲美が少しだけ光の戻った瞳を見せた。

「何かしら?」

「ヨウ君は、生きてるの?」

「生きてるわ」

「じゃあ、また、お話出来る?」

「彼にその気があれば、大丈夫だと思うわ」

 力強いエスツーの言葉を聞いて、玲美は数秒の間、目を閉じる。

「かぐちゃん」

「何かしら?」

「もう、良いと思うの」

「そうね。ヨウさんがお父様だとしたら、私には感謝の言葉がいくらあっても足りないぐらいだわ」

 周囲より大人びた十五歳の神楽が、目を細めて頷く。

「理子」

「言わずもがなって感じだね。オジサンは充分、頑張ったし」

 子供っぽさの抜けない理子が、ガッツポーズを作って気合いを入れる仕草を取る。

 二人の幼馴染みの言葉を受けて、玲美はゆっくりと立ち上がった。

「エスツーさん、ヨウ君を元の体に戻す方法は、ありませんか?」

 力強い光を取り戻した瞳が、白衣の女性に決意の輝きを見せる。それを受け取ったエスツーは、

「残念だけど、貴方たちの知る二瀬野鷹の体に戻す方法は、理論すら存在しない。だけど」

「ほ、他に何かあるんですか!?」

「ここにある十歳の男の子の体に戻すことは、可能かもしれない」

「そ、それって、彼の本当の?」

「ええ。IWSはISから肉体へのフィードバックを過剰に起こす病。紅椿はISの身で、それを可能にした。そしてヨウの心はISと紐付けられた意識。だから、強制的にISから肉体へフィードバックを過剰に起こすことで、元の体に戻すことが可能だわ」

「つまり……それって」

「彼は彼本来の体に戻ることが出来るわ。貴方たちは二度と『二瀬野鷹』に会うことが出来ないけれど……」

 エスツーが申し訳なさそうに言った内容に対し、玲美は一瞬だけ悲しげに目を閉じた後、すぐに目線を上げた。

「本人に会うよ。それで聞いてみる。何が、彼にとっての幸せなのか。今通ってる空間を超えた先、時の彼方にいるんだよね?」

「いるわ、間違いなく」

「まだ、何が本当かも信じ切れてないかもしれないけど、それでも、ヨウ君に会えるなら会って、その先の幸せを聞いてみたい」

 小さく呟いて、彼女は船の前方を見つめた。

 そのとき、仮想ウインドウのような走馬燈が途切れ、灰色で描かれた空が現れる。

 眼下に見えるのも、同じように灰色の濃淡だけで描かれたグレイスケールの世界だった。

「着いたわね」

 エスツーが立ち上がり、白衣を脱ぎ捨てる。その下から、青い装甲の紅椿とでも言うべきISが現れた。

「ここが……」

 縁に駆け寄り、玲美たち三人は、空中に浮いた船から眼下に広がる風景に目を懲らす。甲板にいる他のメンバーもまた、同じようにその風景に目を奪われていた。

 どこまでも陸地と海が続き、地平線も水平線もない。

 広がり続ける無限の世界が、そこにはあった。

「着いたか」

 いつのまにか甲板に出てきた織斑千冬も、白式を展開させる。その後ろにいたナターシャ、オータム、悠美も同様だった。

「ふん、物理法則のようなものはあるか。なら結構だ。では」

「千冬、私と玲美は、ヨウを探すわ。いいわね?」

 青い装甲を身につけたエスツーが、隣でアスタロトというディアブロに似た機体を展開させた玲美をチラリと視線を送る。

「織斑先生、ヨウ君を探しに、行ってきます」

「好きにしろ。見つけ次第、首に縄でもつけて引っ張って来い。いいな?」

「は、はい!」

 元気に返事をした玲美が、甲板から飛び立とうとしたとき、

「玲美」

 と優しく呼びかける男性がいた。

「パパ、行ってくる」

「ああ、気をつけて、無茶はしないようにね。アスタロト二機のHAWCシステム制御は、私と岸原、それに神楽ちゃんと理子ちゃんでやるから」

「うん、ありがとう」

「……もし」

「もし?」

「ママがいたら、伝えて欲しい」

「ママが? 何でここに?」

「……もし、会えたらだよ」

「パパ?」

「こう伝えて欲しい。ありがとうって」

「えっと、それだけ?」

「ああ、それだけで良いよ。それじゃあ玲美、頑張っておいで。無茶はしないようにね」

「うん、きっと連れて帰るよ」

 軽く手を振って、玲美が空中に身を投げ出す。数十メートル落下した後、推進翼を広げて、一機に加速して見えなくなっていった。

「それじゃあ私も行くわね。束、頼むわよ」

「あいあい、まーテキトーにやっておいでー」

「ったく、貴方という人は」

 呆れたように言いながら、エスツーもまた玲美を追いかけて青い機体を加速させていった。

 それを数秒だけ見送った後、全員が自然と千冬へと視線を向ける。

「ふっ、では我々は世界を破壊した敵ジン・アカツバキの捜索、見つけ次第、破壊する」

「ちーちゃん、箒ちゃんのことも忘れないでよぉー」

「当たり前だ。では国津博士、岸原指令、留守を頼みます」

 千冬が声をかけると、岸原大輔が一歩前に出て、軍人らしく敬礼をした。

「織斑千冬殿、少年少女たちを頼みます」

 その気合いの込められた祈願に、千冬は同じような敬礼を返し、

「勝って、帰ってきますよ。全員、無事に」

 と少しだけ頬を緩めた。

「千冬姉、行こう」

 姉と同じ機体を展開した一夏が、声をかける。

 彼女が振り向けば、弟がやや緊張した面持ちで立っていた。

 その彼と目線を交わす。

 それだけで何か通じ合ったのか、お互いが同じタイミングで似たような顔の笑みを浮かべた。

「では」

 顔を前方へと戻し、織斑千冬が右手に雪片弐型を出現させる。

「あえて名乗ろう。四十院総司に捧げる、亡命政府IS連合軍、出陣!」

 十機を超える世界最強のIS乗りたちが、時の彼方という色のない世界へと飛び立った。

 

 

 

 

 

「さて、キミはどうするんだい? 織斑マドカ」

 ISのいなくなった方舟の甲板で、束は端っこに座っていた少女に問いかける。

「……ふん」

「まだ決めかねているなら、私が良いものを上げよう。見て驚け聞いて驚け」

 束が千冬に良く似た顔の鼻先で、手の平を上に向けて広げた。

「IS?」

「そう。これは良い物だよ。キミにはぴったりの機体だ。これで憂さ晴らしをしてくれば良いさ。鬱憤が貯まっているんでしょう?」

 マドカに向けてニコニコと敵意のない笑みを向けてはいるが、その雰囲気にかわいらしさはない。

「何だ、これは。ISコアか?」

 少女がまじまじと見つめるそれは、淡い緑色に光る、四角い立方体だった。

「暮桜」

「は?」

 あまりの衝撃的な発言を前に、彼女は何度もそのISコアと束の顔を見比べる。

 暮桜と言えば、織斑千冬の使っていた白騎士の後継機であり、彼女の伝説とともに語られることが多い有名な機体だった。

「どっかの誰かが置いていったISコア。くーちゃんが拾っておいたこれを、キミに上げよう。さあ行きたまへ生きたまへ。何もかもをしっちゃかめっちゃかにかき回し、思う物全てを切り裂いてくれば良いんだよ、キミは」

「私に、アイツらを助けろと言いたいのか?」

「いいや、空っぽのキミに、役目を与えてあげよう、これと交換だよん」

「役目?」

「ディアブロという機体を見つけ次第、止めてくれないかなぁ? この暮桜に搭載された零落白夜でね」

 

 

 

 

 

「くっ、ヨウ君がここまで……!」

 半径三メートル以内で曲がり続けるオレの動きは、もはや残像を残して襲いかかるように見えるだろう。

 段々と理解してきた。

 前回のやり直しの果てに生まれた『玲美』、仮に『三弥子』と呼称しよう。三弥子は、国津玲美本来のアクロバティックな動きと、今のディアブロが持つ武装で構成された兵器だ。しかしリベラーレやアスタロトと違い、その動きが噛み合っているとは言い難い。

 怖いのは、あくまで各々の強さであって、組み合わせにより相乗効果が生み出されてるわけじゃない。攻撃モードを切り替えるような形でしか発揮出来ないんだろう。

 先ほどから狙っているのは、そういう隙だ。

 背後を取った瞬間に、ホークでミドルキックをかまし、大きく相手を吹き飛ばした。

 玲美との距離が離れる。

 そこからは追撃せずに、悠々とした態度で腕を組み、相手を見つめる。

「どうしたんだい、玲美ちゃん」

「……だから、オジサンの真似しないで」

「何を言ってるんだい、玲美ちゃん。私は四十院総司だった。だから、君たちをずっと見守ってきたんだよ。お父さんたちに内緒でお小遣いも上げただろう?」

「だからって! 何もヨウ君が、オジサンの振りをして苦しむ必要なんてないの!」

 そうか。お前はどうあってもオレの心配をするのか。

 自らの無様さを鼻で笑い、オレはオレの表情へと戻る。

「じゃあ次はオレを生かしたまま、ストーリーを続けるのか?」

「次はそれを試してみる」

 震える声に悲しげな響きを覚えた。

 ああ、だけどな、もっと簡単な思いを忘れてるだろ。

「それじゃあダメだ。神楽が寂しがるだろ」

「私たちは三歳だった! 覚えてなければ!」

「そういうのが出来たら良いよなぁ。全部が全部、やり直して」

 そしてジン・アカツバキとオレの存在を消し去って。

 何事もないように、世の中が回って。オレは生まれもしない。オレとは別の人間が、オヤジと母さんの子供として、普通の人生を歩んでいく。

 そういう幸せな世界が一番良い。

「だから私がやり直すの。キミを幸せにするために、最初から全部」

「それでもダメだな」

「え?」

「母親がいなけりゃ、お前が悲しむ」

 玲美は自分自身を育てた。玲美自身は未来の自分が母親の体を使っているだけと知らずにだ。

「……そんなの」

「苦しかったか? そうだろ。オレだって四十院総司を偽って、神楽を育ててきた。気持ちはわかるよ。ありゃ苦しいな」

「私の、ことなんて、この際、どうでも」

「良くねえよ。全然、どうでも良くねえよ。オレはな玲美。こう見えても十二年間、父親やってきたんだ。だから娘の悲しむ顔ってのは苦手なんだ」

 四十院総司の娘である神楽は、控えめで優しくて、責任感が強く、財閥のご令嬢に相応しい風格を持って女の子だ。

 そうは言っても年頃の女の子で、泣いたり怒ったり、父親に甘えてきたりと、可愛らしい子だった。

「正直、オレは二瀬野鷹をぶん殴ってやろうと思ったことが何度も何度もある」

 四十院総司として見てきた頼りない十五歳の、身勝手なガキは、本当にどうしようもない男だった。

「心ない言葉であの子を悲しませたことだってある。IS学園を出て行ったのだって、てめえで決めた話だってのに、八つ当たりか? バカじゃねえのか。妙な記憶を持って生まれたせいで何も喋れなかったことだって、てめえの心の問題だ」

 偽物でもせめて父親らしくと、あの子の母親と約束した。

 二瀬野夫妻がそうであったように、オレも娘に愛情を注いで生きてきた。

「だからオレは自分が憎たらしかった。もううんざりだ。それとあと一つお前に、てめえに、キミに言っておきたいことがある」

 言っておかなければならないことが、一つだけ残っている。

「……何?」

「オレを、この二瀬野鷹の生き様を、不幸だなんて決めつけるなよ」

 

 

 

 

 

 土地の開けた小さな山の頂で、ジン・アカツバキは篠ノ之箒と刃を交えていた。

「……来たか」

 自分の広げた空間に起きた違和感を、彼女はすぐさま感知出来る。

 敵が現れたのだ、と一瞬で理解した。

「どこを見ている!?」

 裂帛の気合いとともに振り下ろされた日本刀を、ジン・アカツバキはたたらを踏みながら回避し、相手との距離を取る。

「来たか」

 ジン・アカツバキが空を見上げる。

 そこからISたちが舞い降りてきた。

 織斑一夏の白式を初めとした総勢十二機のインフィニット・ストラトスだ。

 神を名乗る自立思考型ISに対し、距離を取って囲み、それぞれの武装を向けていた。

「さあ、年貢の納め時だ、神様」

 雪片弐型をぶら下げた織斑一夏がゆっくりと構えを取る。

「一夏?」

 箒は自分の前に立ち塞がった少年の背中を、呆然とした眼差しで見つめていた。

「よく頑張ったな、箒。お前がこいつを見つけて戦っていてくれたおかげで、すぐに辿り着くことが出来たんだ」

 彼の言葉に、箒は胸の中が熱くなる気がした。刀を握っていた手に、自然と力が込められる。

「そうか、私は何か出来たのか?」

「ああ、充分だ。お前は、お前自身を守れたんだ。俺なんかより、よっぽどマシだ」

 頬を緩ませて、一夏は箒に掛け値無しの賞賛を送る。

「……相変わらず、お前はお前のままだな。だが、これからなのだろう?」

「ああ、アイツを倒すことがマストオーダーだ。ISはないけど、やれるか?」

「意思はここにある。ならば、やれる」

 箒は姉から預かっていた刀を構え、一夏の横に並び立った。

 目を丸くしたのは一瞬で、一夏は気合い充分の箒の顔を見て頷き、それから自らも目線を最後の敵へと向けた。

「貴様も貴様で、本当にしつこいな。まさか追ってこれるとは思わなかったぞ」

 他人の体を持ったままの自立思考型インフィニット・ストラトスは、呆れた様子で周囲にいる人間のパイロットたちを見回す。

 紅椿という機体は、ジン・アカツバキとなる遥か以前に、篠ノ之箒の愛機として世界中で長く活躍した。ゆえに自分を取り囲む機体たちが、いわゆる最初の物語の行く末でどういう活躍をするかをよく知っている。

 後世でノーブル・ブルーと呼ばれイギリスを代表する機体となるブルーティアーズが、青白い光を漏らすライフルを構えていた。

 世界中に同型機を持つラファールのカスタム機が、最後に残る第二世代機であることも、第三世代が主流となっても輝きを失わなかったことも覚えていた。

 赤い高機動機アスタロトを装着したファン・リンインは、黎明期にあったIS界でも天才と呼ばれるようになる。独特の動きで多くのパイロットを驚かせ、二度もIS世界大会部門優勝(ヴァルキリー)の称号を得た新世代のエースパイロットとして名高く、また奔放な彼女の性格は多くの人間に愛された。

 隣に立つ赤毛の少女が身につけているのは、ラウラ・ボーデヴィッヒがIS世界大会で部門優勝を得たときに身につけていた、ドイツのフラッグシップ機になるシュヴァルツェア・レーゲンだ。

 多数の実弾兵器を構えた打鉄二式は、後に自衛隊の正式採用機となり、日の丸を代表するISとして長く就役することになる。そのバージョンアップには、更識家の妹姫が多く携わっていた。また、本人も長く日本代表パイロットとして、母国に貢献し続けた。

 長い金髪に優しげな顔のナターシャ・ファイルスは愛機を長らく封印されるという憂き目に遭いながらも、多くの後進を育て、IS界で最も貢献した女性という称号を得る。

 くすんだ金髪に鋭い目つきをしたオータムと呼ばれる亡国機業のパイロットは、世界で最も人を殺したISパイロットとして、ISの教本には必ず出てくる名前となった。

 そして白式を装着した織斑千冬と一夏の伝説は、いわずもがなだ。

 つまるところ、彼女を囲んでいるのは、彼女が潰した『最初の物語』の未来で、世界最強クラスとなる機体とパイロットばかりなのである。

 他にも、二百年近く後に設計図が発掘され、自らに立ち向かった機体たちが再び立ち塞がっている。バアル・ゼブル、ルシファー、アスタロトは、まるで彼女が神を名乗ることを予期していたかのように、悪魔の名前を持ってジン・アカツバキへと立ち向かった。

 彼女が本体と連結されてもなお未知数の機体も現れていた。

 国津幹久によって作られたミステリアス・レイディ・バビロンと呼ばれる新機体と、四十院と倉持のハイブリッドISである打鉄飛翔式。いずれもその機体が恐れるに値するスペックを持っていることは理解出来た。

「人類が未来に戦いを挑んでいる、というわけか」

「どんな解釈もいらねえぞ、ジン・アカツバキ。俺たちと、お前の戦いだ」

 相手の言い放つ比喩を、ただ一人の男性パイロットである少年が一言でぶった切る。

「ふっ、織斑一夏らしい言い草だ。では、良いことを教えてやろう」

「なんだ、命乞いか?」

「私はここに置いてあった本体との連結が完了した。ゆえにわかったことがある」

 ジン・アカツバキが一つの大きなホログラム・ウインドウを呼び出した。

「お前たちの世界は、すでに十億人以上の死者と行方不明者を出している。また国連常任理事国の全ての首脳部が壊滅した。さらに資源となる油田や鉱山なども、私によって破壊され、国際宇宙ステーションは墜ち、その破片によって大きなデブリベルトが構成され、今後数十年は宇宙に出ることは叶わん」

 語り出された情報は、この場に集った彼女たちにとって、予想がつくレベルの話だった。

「何を今更、てめえの犯罪自慢かよ。SNSにでも上げるんだな」

「神たる私が、お前たちの世界を試してやろう」

 両手を広げ、雨を待ちわびる祈祷師のように、ジン・アカツバキは灰色の空を仰いだ。

 そこから告げられる神託は、

「お前たちは、これら全てを無かったことに出来る」

 というものだった。

「どういう意味だ?」

 怪訝な様子で織斑千冬が問いかける。

「簡単だ。歴史を振り返れば良い。お前なら知っているだろう、織斑千冬。ISという存在が篠ノ之束の中で生まれた瞬間を」

 不敵に、相手をからかいながら試すように笑うジン・アカツバキに、千冬が目を見開いた。

「……そういうことか」

 それまで無表情で戦いに備えていた千冬の顔が、沈痛な面持ちへと変わる。

「思い出したか。篠ノ之束は、十二年前に空を流れる隕石を見て、ルート系機能を実現するための手段を思いついたのだ。それは後にインフィニット・ストラトスと呼ばれるマルチフォーム・スーツとして世間に発表された。後世では有名な話だ」

 楽しそうに語る相手の態度に、業を煮やしたラウラが一歩、前に出る。

「それがどうした? 今更キサマに歴史を語ってもらわずとも!」

「良いのか、ラウラ・ボーデヴィッヒ、そしてリア・エルメラインヒ。お前たちの部隊の人間も生き返るかもしれないのだぞ」

「なんだと?」

「それはおろか、二百年後の世界すらも救う奇跡の手段が残されているのだ」

 意味ありげな視線で織斑一夏を一瞥した後、ジン・アカツバキが手元にあったホログラム・ウインドウを上空へと放り投げる。

「メテオ・ブレイカーとは良く言ったものだ」

 

 

 

 

 

 戦闘中に突然、巨大なホログラム・ウインドウが上空に現れた。

「何だ、あのでけえウインドウは? これはジン・アカツバキの声か?」

 先ほどからオープン・チャンネルで届けられる声は、篠ノ之箒の声帯を震わせて出されたものだ。

『お前たちの認識している時間から十二年前、地上からも肉眼で見える大きな帚星が見えた。これは、約二百年の周期で地球に近づく大彗星群だった』

 空に映し出された映像は、当時撮影されたものだろうか。地上からも観測されたというだけあって、大きな尾を引いた、明るい流れ星のようだ。

 ……十二年前? 何の符合だ?

「ヨウ君、聞いちゃダメ!」

 オレと対峙していた『三弥子』が、金切り声を上げて叫ぶ。

「どういうことだ?」

 戸惑っている間にも、ジン・アカツバキからの声が周囲に響き渡っていった。

『二百年後では、宇宙の彼方にある星々の重力の影響で、その周回軌道が大きく曲がり、太陽系第三惑星である地球への激突コースへと変った。これが未来の滅んだ原因の一つだ』

 つまりはジン・アカツバキという存在が生まれた要因の一つなんだろうが……。

「っと!?」

 巨大な爪を開いて迫ってきたディアブロを、咄嗟に回避する。

「これ以上、それを聞いちゃダメだよ、ヨウ君!」

「んなこと言われてもな」

 距離を取りながらも、オレはジン・アカツバキの話に耳を奪われていた。

『この彗星にまつわる、小さな事故の話を教えてやろう。とある田舎の、中央分離帯すらない高速道路で、一つの事故が起きた』

 それは、本物の四十院総司と国津三弥子が死んだ事件のことだろう。

 今更の情報を、アイツがあんな巨大な画面と、この空間に響き渡る声で話している意味は何だ?

『事故の要因は、運転手のよそ見だった。つまり、空に走った流れ星に目を奪われた結果なのだ』

 まさ、か。

『気づいただろう、人類たちよ。全ては十二年前に観測された隕石によって始まったのだ。ルート系機能を持つISも、二百年後の悲劇も、そして四十院総司が死んだのも、たった一つの要因によるものだったのだ』

 聞いた情報を整理しなければならないというのに、脳内が真っ白になって何も考えられなくなる。

「おい、玲美……?」

 すぐ近くで頭を垂れてうつむいている少女に、お前はこれを知っていたのかと問いかける。

「……アイツ、許さない」

 彼女が怨嗟の込められた歯軋りを立てた。

『さあ、この時の彼方に集った人類たちよ。聞け。過去に戻ってやり直すことが出来る存在の名前を、その心に刻み、自らの行動を決めるが良い』

 浪々と謡い続ける声が、オレの意識を掴んで話さない。

 ああ、早く、その名を教えてくれよ。

『ISコア2237、そしてルート2という機能を持ち、私と同等の力を持つ可能性を秘めたインフィニット・ストラトス「ディアブロ」だけが、全てを無かったことに出来るのだ』

 来た。

 これが国津玲美が三弥子となって、未来を変えようとした原因だ。

 いわゆる前回の物語で、二瀬野鷹はこれを知り、隕石を破壊しに向かうことを決めたんだろう。

 十二年前に飛ぶことが出来て、なおかつ巨大隕石を破壊したならば、全ての悲劇を止めることが出来るのだ。

『ただし、ディアブロといえど、無傷で破壊することは出来ないだろう。私であっても、存在の停止と引き替えだ。付け加えて、言えることが一つある』

 息を飲む。

 喉が渇いた。

 これほどまでに、敵の言葉が待ち遠しいと思ったことはない。

『そしてお前たちが全てを無かったことにすれば、何があろうともお前たちがヨウ、そして二瀬野鷹と呼ぶ存在が、この世に残ることがないということだ』

 

 

 

 

 

 彼は、その世界を愛していた。

 二瀬野鷹として生まれる前から知っていた。

 二瀬野鷹として生まれてから再び出会った。

 そして二瀬野鷹が死んだ後でも、見守り続けた。

 だから、彼はその世界を蹂躙し続ける二つを敵と定めた。

 一つは、ジン・アカツバキ。

 もう一つは、自分自身。

 結果、二瀬野鷹の道とは、真っ直ぐに滅ぶためだけのものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 









最終章の始まりです。


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45、オンリーロンリーグローリー

 

 

 

「お前たちは、たった一人の犠牲を強いることで、全てを無かったことに出来るのだ。喜ばしいことだろう?」

 挑発的な笑みとともに放たれた一言に、誰もが動くことが出来なくなる。

 彼女たちは、多くの死者と行方不明者を知っている。

 まだ自覚がないもの、悲しみを抑えているもの、それぞれに様々な感情を抱えている。心で受け入れる前の段階のまま、この戦いの場に立っているような状態だ。

 その受け入れなければならないだろうことが、全て無かったことに出来る。

 十二年前からのやり直し。

「生きてさえいれば、幸せになれるかもしれない。違うのか?」

 選ぶのか、ただ一人の幸せを犠牲にして、他の全世界の幸せを選ぶときなのか。

 織斑一夏は何も喋らなかった。

 自分が言葉を発すれば、全て台無しになると直感していた。

 彼は、そもそも論として織斑一夏ではない。織斑一夏のような『何か』である。本人は織斑一夏であると名乗ってはいるが、それすらも確定した事項ではない。

「さあ、戸惑う暇はないぞ。お前たちは意思を集わせ、力の限りを振るい、私を倒せ。だが元の世界に戻っても喪失感に苛まれ、いたはずの者が消えた世界で悩むだろう」

 ジン・アカツバキが両手を広げ、その手に一本の和弓のような兵装を取りだした。

「そしていつか言うだろう。二瀬野鷹に、お前が死に、世界の歯車を元に戻せと。それを言わぬ言わせぬ者だけが、私にかかってくるが良い」

 一夏の歯がゆい思いを見透かすように、紅蓮の神が人を不敵に笑い、弓に巨大な光の矢をつがえる。

「貴様らは、私に改変されるか、二瀬野鷹に改変させるか、その二つしか答えがないのだ」

 終わりの始まりを告げる鏑矢が今、放たれた。

 

 

 

 

 

「そういうことだったってわけか。良かった」

 オレこと二瀬野鷹は、ホッとため息を零した。

 両手で掴んだ棒のような武器を立てて、額に手を当てる。

 何はともあれ、世界は全て元通りに戻るというわけか。

 ……元通り、か。

 わかってるよ、言われなくたって。

 どうせそこにオレはいない。

 オレが全ての原因となる巨大隕石破壊に成功したとして、ジン・アカツバキの言う通りなら、この体は死ぬんだろう。

 しかし、十二年前から改変したとして、ISはどうなるのか。

『やあ、気分はどうだい?』

 オレの眼前に通信ウインドウが起き上がる。その回線を開いてきたのは、篠ノ之束だった。

「お久しぶりですね、篠ノ之束。初めまして、クソッタレ開発者」

 おそらく今の話を聞いて、オレと話をする気になったようだ。

『四十院総司、とかいう男が居たね。忘れてたよ。私がISを開発発表したとき、妙にスムーズにことが進んだ気がしたんだよね』

「良い直感だ。アンタもオレに操られてたってわけだ」

『さてさて、どうかにゃぁ?』

「ちょっと聞きたいことがある、篠ノ之束」

『んー?』

「アンタは帚星を見なかったとして、ISを作らなかったか?」

『んー、私はそうだね、何かを作らない自信がない。何はどうあれ、ルート系機能がなかろうと、持て余した創造力をどうにかして形にしようとするだろうね。それがISか、大きなロボットか、巨大戦艦か、ナノサイズ以下の極小機械かはわからないけれど』

 ニヤリと笑う篠ノ之束に、オレは鼻を鳴らした。

「良い答えだ」

 さすがステキに頭がイカれてやがる。自分自身を抑えきれないくせに、自分自身をよく理解してるぜ。

『さて、これでキミが隕石を破壊しても、ISが生まれる可能性ってのはあるんだけど、どうする?』

「可能性なんて、どんなものだって存在してる。それこそお前がある日突然、大きなトラックに吹き飛ばされて死ぬぐらいはあり得るだろうよ」

『はっはっー、限りなくゼロに近い事象を取り出しゼロじゃないと強弁したって、起きえないね』

「あのさあ、篠ノ之束」

『ん? 恨み辛みかい?』

 ニヤニヤと笑いながらオレの答えを待つ束に、送ってやれる言葉は一つだけだ。

「ありがとう」

 オレの放った感謝に、彼女は一瞬だけ目を丸くした後、

『きっとキミは私に感謝したことを恨むよ』

 と僅かに頬を緩ませた。

 通信回線が強制的に閉じられ、ウインドウにオフラインの文字が浮かび上がる。

 何とも不吉な予言だけどな。ありがたいこった。

「相変わらず、不気味な女だぜ」

 いつも通りの軽口を叩いた後、上唇を軽く舐める。妙にしょっぱい気がした。

「……ヨウ君」

 ディアブロを装着した玲美が、泣きそうな笑みを浮かべ、少し首を傾ける。長い髪が揺れた。

「んだよ?」

「どうして、笑ってるの?」

 玲美がオレの顔を見て、悲しげに呟く。

 言われて気づいた。頬が緩んでるのか、口の両端が吊り上がってるな。

「笑ってたのか、オレ」

「……とても酷い顔で笑ってる」

「マジか」

「でも、泣いてるよ、キミ」

「泣いてるのはお前だろ」

「いいや、キミも、だよ」

 二の腕で頬の汗を拭く。そこに水滴がついたが、汗以外の何物でもないだろ。

「さあ、国津三弥子。ディアブロを返してもらおう」

「絶対に、それはさせないから」

 両手に構えた二つの大剣と、背中から放たれたソードビットの切っ先がオレへと向けられる。

「ほんじゃ行くぞ! こっからのオレは弱いぞ!」

 レクレスと名付けられた一本の棒の切っ先を相手に向け、推進翼に意思を込める。

 だが『三弥子』は、悲しげに笑ったまま、

「また会いましょう、ヨウ君」

 とオレに別れを告げた。

 こちらに向け加速をつけた『三弥子』が右手に持った大剣を振り下ろす。

 その攻撃をレクレスで防ぎ、その反動を受け流して回転しながら蹴りを放とうとした。

「なっ!?」

 だが、その攻撃を理解していたかのように、勢いのついたオレの脚部装甲を左手の剣で受け止め、上方から二本のソードビットを振らせてくる。

 咄嗟に下半身のスラスター全てを点火させ、相手を吹き飛ばそうとした。

「大好きだよ」

 そのタイミングを知っているかのように踏み込まれ、オレの眼前に国津玲美の顔が近づく。胴体を抱きかかえられ、動きを封じられた。

 だが、ソードビットは玲美の真後ろに位置していて、攻撃するにも大きく軌道を曲げなければならない。

 何だ? 何をする気だ? 

 相手の攻撃が読めない。どうする気だ、玲美は。

 そんな一瞬の戸惑いを断ち切るように、オレの腹部へ熱い痛みが走った。

「ん……な、てめえ」

 玲美は背後にあったソードビットで、自分の体ごとオレを突き刺したのだ。

 二本のソードビットが二人を縫い付ける。

「さあ、次を始めましょう、ディアブロ」

 もう言葉に震えはなく調子は平坦で、声音は冷静そのものだった。

 彼女は先ほどまで、まだ迷っていたのかもしれない。どこかでオレを止める手段をまだ探っていたんだろう。

 だがジン・アカツバキの発した真実により、彼女は考えるのを止めたようだ。

 『三弥子』がオレの体を軽く押しのける。

 背中から腹へと刃が突き刺さったまま、彼女はオレを見下ろしていた。その口元からは血が流れている。

「なんつー……攻撃だよ、クソ……」

 自分の手足に力が入らない。予想外の攻撃を受けて戸惑っているのもあっただろう。確実にオレを止めるため、急所を狙った攻撃であったせいかもしれない。

「ディアブロ、お願い」

 その黒い悪魔の背後に、八本の荷電粒子砲型ビットが現れる。電流がバチバチと音を鳴らし、一撃でISを葬り去る攻撃が、オレとホークに向けて放たれようとしていた。

 回避しなければと体を動かした瞬間に、腹部に激しい痛みが走った。そのせいで推進翼が一瞬だけ、空吹かしを行ってしまう。

 オレの視界が、まばゆい光で覆われた。

 

 

 

 

「どうした、かかってこないのか」

 ジン・アカツバキの撃ち放った光の矢が、眼下に広がった仮初めの世界を吹き飛ばしていく。

 十二機のISは、散り散りになりながらも、それを必死に回避していた。

「うおおおおお!!!」

 織斑一夏が雪片弐型を右手に構え、左手の荷電粒子砲を撃ち放つ。

 その攻撃が相手の光る矢と空中で激突し、両者が霧散する。

「それを相殺するか。さすがは織斑一夏」

「何はともあれ、お前にやられてやる気はねえ!」

「良い心がけだ。お前たちは私を倒してようやく始まるのだからな。それが犠牲に目を瞑るような道であっても。だが気にするな」

 ジン・アカツバキが鏃の先を上空へと向け、そのまま撃ち放った。

 光の矢が三十メートルほど上昇した瞬間、十二に分かれ、放物線を描き落下していく。別たれた攻撃は寸分の狂いもなく集ったISパイロットたちへと降り注いだ。

 いたる所から悲鳴が上がる。

「さあ織斑一夏、叫べよ、そんなことはない、そんなことはないとな。二瀬野鷹を犠牲にせず、世界が死に絶えようとも過去からのやり直しを行わず、我ら我々らは真っ直ぐこの未来を進むのだ。そう叫べよ、織斑一夏!」

 次々と放ち、光の雨を降らし続ける。その攻撃が各機のシールドエネルギーを減らしていった。

「くっ、てめえ!」

 シールドを左腕に展開し、隣にいた箒を抱きかかえ、その攻撃を防ぐ。

「叫べまい、お前には」

 矢を放ちながら、ジン・アカツバキが上昇していく。攻撃の角度は完全に下を向き、絶え間ない雨のような攻撃に、十二機全てが防御に徹することしか出来なかった。

「……俺が叫ぶことじゃねえからな」

 一夏が悔しそうに呟いた。

「そうだな。元よりお前は他者を犠牲になど出来まい。そういう性格であることなど熟知している」

「俺の命一つで済むなら、それで構わねえんだけどな」

 一夏は抱きかかえた箒の顔を見つめる。

 少し呆けたような眼差しの顔つきに、彼は遠き日の彼女を思い出した。

「さあ道を譲れ織斑一夏たちよ。私はきっと人類を正しく導いて見せる。どんな困難にも自力で立ち向かい、隣人を愛し友を抱きしめる、そういう人類たちに、この私が十万年前より導いて見せる」

 構えた和弓の弦を鳴らし、その神は次々と鉄槌とも呼べる攻撃を放った。

 織斑千冬は弟と同じようにシールドを展開しながら、同じフィールドに立つ人間たちを見渡す。

 ほとんどの人間が困惑しながら、相手の攻撃を防ぐことに集中していた。

 彼女はその光景に舌打ちをする。

 ここに集った人間たちは、優しく強すぎる。

 ジン・アカツバキを倒した後、二瀬野鷹を犠牲にして世界を元に戻す。そういう道を提示されたがゆえに、目の前にいる最大の敵へ集中出来ないでいるのだ。

 人は想像する生き物だ。

 彼女たちは、ジン・アカツバキを倒した後に二瀬野鷹へ何を告げるべきなのかを迷ってしまっている。まだジン・アカツバキを倒していないにも関わらずだ。

 想像力と罪悪感が手を止めさせているのだ。

 その二つは未来を作る力と過去を省みる力とも呼べ、本来なら人間の持つ素晴らしい能力であるべきものだ。

「ここで世迷い言か、ジン・アカツバキ!」

「戯言でわたくしたちをこれ以上、もてあそぶつもりなら!」

 迷いを振り切るように大声を上げながら、ラウラとセシリアの二人が砲撃を開始しようとする。

 だが、そこに光の矢が撃ち込まれた。

「くっ」

「きゃあ!?」

 咄嗟に回避しようとしたが間に合わず、それぞれの装甲へ直撃した。

 吹き飛ばされて倒れ込んだところへ、次の一撃が降り注ぐ。

「やってくれるわね!」

 半透明の装甲を持ったISが二人の前に割り込んだ。そのパイロットである更識楯無が、水のヴェールを広範囲に展開して多数の光弾を防ぎ切った。

「私のフィールドと相性は良いみたいね」

「更識楯無。お前はどうする?」

「どうするなんて、貴方を倒した後に考えれば良いこと!」

「それはただ問題を悪戯に後回しにするだけだ」

 ジン・アカツバキの背後にある空間から、何の前触れもなく多数のミサイルが撃ち出された。米軍ISの放つ巡航ミサイルと同等サイズの実弾兵器が、易々と水のヴェールを突破し、ミステリアスレイディ・バビロンへと迫る。

「お姉ちゃん!」

 妹である簪が、腕部装甲で薙刀状の武器を構えて立ち塞がった。飛来したうちの一発を叩き落とし、同時に背後にミサイルポッドを展開し発射する。

 相手のミサイルとは比較にならない小ささだが、その正確さを持って全てを事前に爆発させた。

「打鉄弐式か。本来なら完成が遅れたはずの機体だったが、それも四十院総司の皮を被った二瀬野鷹により前倒しになった」

「お、オジサンには、感謝してる……から!」

「それも二瀬野鷹が私を倒すために、ずっと騙し続けていたからだ。お前たちは都合の良い手駒として目をつけられたのだ」

「そ……そんなこと、な」

「ないと言い切れるのか? 全てを許せるのか?」

 和弓のような武器によって繰り出される光の雨の勢いが、倍の数へと増していく。その中に多数の巨大ミサイルを混ぜられ、更識姉妹は再び防戦一方に押し込まれ始めた。

「そんなことないよ」

 ジン・アカツバキの背後にオレンジ色の機体が忍び寄る。

 シャルロット・デュノアが操るラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだ。

 右手に持ったナイフで紅椿の背中を突き刺そうとした。

「さすがのエイスフォームたちだ」

 金属同士を強く打ち合わせた音が響く。虚を突いたはずの攻撃は、ジン・アカツバキの装甲から生えた二つの副腕によって防がれていた。

「まだまだぁ!」

 一瞬で状況を判断したシャルロットは、ナイフでの攻撃を諦め左腕を突き出す。装甲の一部が小さな爆発ともに剥がれ落ち、中から六連リボルバー式パイルバンカーが姿を現した。

「甘いぞ、シャルロット」

 篠ノ之箒の声が、親しげに彼女の名前を呼んだ。

「え? うわっ!?」

 小さな爆発音が響いた瞬間、彼女は背中に寒気を感じた。フランスの代表候補である金髪のパイロットは、小さな悲鳴を上げながらも直感に従い、急制動から後ろへ一気に飛び退る。

 距離を取って横目で左腕の状況を確認すれば、パイルバンカーが強固なシールドと一緒に切断されていたのだ。その断面は高熱で溶けているようだった。

「オッサンたち、一気に行くわよ、ブースターランチャー!」

 テンペスタエイス・アスタロト、そのレッドカラーの機体を装着した鈴が、大きな砲身を両手で構えた。

『一発目はすでにチャージ済。アスタロト二号機、どうぞ』

『砲身温度、HAWCシステム連動、全て正常、ファン、撃って良いぞ』

 通信回線の向こうには、方舟の甲板からアスタロトのHAWCシステムを操作する二人がいた。

「おっけー、消え去りなさい、バカミサマ!」

 彼女が引き金に力を入れる。

 降り注ぐアローレインの光すら切り裂いて、ISを一撃で吹き飛す威力を持った砲撃が撃ち放たれた。

「相変わらずの勢い任せだ」

 呟くと同時に、銅鏡のような盾が神の前に現れる。

 並のISなら一撃で葬り消し炭へ変える攻撃が、銅鏡に当たった瞬間に全て霧散して威力を完全に失った。

「お前たちは過去を取り戻したいと思ったことはないか? 失敗をやり直したいと思ったことはないか? あのとき、こうしていれば、最高の人生が待っていたかもしれない。そう思う瞬間がないのか? ファン・リンイン。例えばお前だ」

「何ふざけたこと言ってんのよ、アタシには」

「二瀬野鷹の言葉を信じれば良かった。そう思わないのか」

 放たれた予想外の内容に、鈴は言葉を失った。

 織斑一夏が誘拐されたとき、鈴はヨウの言葉を信じず、彼ら二人を危ない目に遭わせてしまっていた。

 あのとき、もしヨウの言葉を信じていれば、一夏がヨーロッパに渡ることもなく、自分が転校するまで一緒にいることが出来たのではないか。

 さらに言えば両親の離婚を止めて、一夏と一緒に最初からIS学園に通うことも可能かもしれない。

 まだ十五歳に過ぎない少女の心を揺さぶるには、充分過ぎるほどに甘い誘惑だった。

「そんなお前たちが持つ悔恨すら無くなるのだ。苦しいだろう、お前たちは優しいからな。自らの軽率な行動で他人を苦しめたことを、ずっと悔やんでるんだろう」

 鈴の動きが完全に止まったところを、狙い澄ましたような一撃が降り注ぐ。

「鈴、バカ、避けろ!」

 一夏が叫ぶが、間に合わずにアスタロトへ多数の光の雨が直撃した。

 砲身が爆発を起こし、彼女の体が後ろへ吹き飛ぶ。

「ちっ、バカが」

 白式を装着した千冬が鈴の体を抱き留め、シールドの傘を展開する。

「す、すみません、千冬さん」

「まだ動けるなら、自分で立て!」

 口では厳しく叱咤しながらも、千冬は鈴を守るように体を被せながら左腕を突き出す。その防護膜のおかげで、鈴は一発たりとも追撃を食らうことがなかった。

 そんな強さを持つ織斑千冬すらも、心が揺れ動いていることを自覚せずにはいられなかった。

 もし、白騎士事件からやり直せたなら。

 世界最強の身である彼女にすら、多くの悔恨があった。

 一夏の誘拐もその一つであり、恩人である二瀬野鷹の両親が亡くなったことは、その最たるものの一つだった。

 そんな自分が、何を願う?

 自問せずにはいられない。

 彼女にだって、幸せを願う人々がいる。

 ジン・アカツバキとの戦いでは、世界中で十億に達する人間たちが失われた。その全てが取り戻せると聞いて、心が揺れないわけがない。

 ISを生み出したのは篠ノ之束であっても、織斑千冬には共犯意識が消えたことがない。

 わかっている。

 あの紅蓮の神を打倒しなければならない。

 そんなことは、ここに集まった全員が理解している。

 それでも先ほど伝えられた真実により、彼女たちの脳内に一つの疑問が付きまとっていた。

 ジン・アカツバキを倒して、その後、どうなる? と。

 たった一人の犠牲で元に戻る世界に、自分たちは生き続けることが出来るだろうか。そう自問せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

「紅椿は何故、ルート1を使わないのでしょうか?」

 方舟の甲板で、四十院神楽がやや不安げに国津幹久へと尋ねた。

「隙が大きいからじゃないかな。エネルギーを吸うとはいえ、先の戦いの映像を見るに、相手を掴んでから一瞬の間があるようだし。やはり強制的にエネルギーバイパスを繋ぐとはいえ、相手側から少しは抵抗があるようだ」

 投影型のキーボードをタイプしながら、幹久が困ったような顔で答えた。

「つまり、さっきの戦いのように自分が多数ならともかく、今のように囲まれている状態では使えないということか」

 渋い顔で頷いたのは、元自衛官である岸原大輔だ。

「でもでも、じゃあ何でジン・アカツバキは自分の軍隊を呼び出さないの? マルアハだっけ?」

 父親二人に率直な疑問をぶつけたのは、岸原理子である。

 彼女たち四人は、二人一組になって二機のテンペスタエイス・アスタロトのバックアップに回っている。方舟から遠隔で武装制御の手伝いをしているのだ。

「呼び出せない理由があるのか、呼び出さない理由があるのか」

「何それ、パパ、意味ありげな言葉で誤魔化すより、素直にわからんって言った方が良いよ?」

「理子、お、お前なあ」

「だって何の回答にもなってなかったじゃん」

 娘が口を尖らせ父に文句を言う。 

 親子の様子に微笑んだ幹久だったが、すぐに表情を引き締めて目の前の画面に視線を落とす。

 そこに映っているのは、ファン・リンインの操る機体が捕捉している、ジン・アカツバキという名の自立思考型ISであった。

「さっきの言葉、どう思う?」

 大輔が長年の親友である幹久に、ぶっきらぼうな言葉で問いかけた。

「もう十二年も前なのか、と思ってしまったよ」

 少し懐かしげに答える幹久に、大輔は一瞬言葉を失った。しかし、すぐに鼻を鳴らし、

「同感だ」

 と答える。

「まあ、あの事故からやり直せるか。悪くはない話だと思うよ。僕も普通の飛行機エンジニアに戻って、岸原はただの自衛官のままだ」

「悪くない人生だな。しかし、シジュがな」

 それまで四角張った顔を崩して笑っていた男が、急に顔を苦々しげなものへと変えて呟く。

「二瀬野君とシジュが同一人物か。何とも信じられない話ではあるけど」

「騙されていたんだな、俺たちは」

「悔しいと思えば良いのか、憎いと思えば良いのか、僕にはもうわからないよ。でも」

「でも?」

「楽しくなかった、と言えばウソになるんだ」

 ずっと画面から目を外さなかった幹久が、隣に立つ大輔の顔を見て悲しげに目尻を落とす。

「……そうか」

「気づけば、中身が違うとはいえ、二瀬野鷹という男との付き合いの方が長くなっていたんだね」

「そうだな。しかし、あの男は」

 大輔はそこまで口にした後、小さく鼻で笑って首を横に振った。

「岸原?」

「いや、俺たちが作ってたISじゃないパワードスーツがあっただろう?」

「え? ああ。最近は忙しくて触っていなかったなぁ」

「どうして、あんなものを作っていたのかと思っただけだ」

 二瀬野鷹という中身が入った四十院総司は、国津幹久、岸原大輔の二人と一緒に、ISコアに頼らず自由に空を飛ぶパワードスツーツを趣味で研究していた。メカニックは岸原、設計は幹久、パイロットは四十院総司。良い大人が三人も揃って、全力で遊んでいた趣味だった。

「空の奪還計画か」

 懐かしい名前を呟いて、幹久が喉を鳴らし笑う。

「空は誰の物でもないのだがなぁ」

「きっと、誰の物でもないところに返したかったんだろうね。だけどまあ、死んだシジュには悪いけど」

「ああ、俺たちにとっては、あのふざけたお調子者がシジュになってた。もう十二年もの付き合いだからな」

「その通りだね。もうあの男が何をしようが、最後まで付き合うよ、僕は」

 困ったような顔で見つめ合った後、何がおかしいのか、吹き出して笑い声を上げ始める。

『かぐちゃん! 理子! ブースターランチャー用意!』

 男たちの感傷めいた雰囲気を、回線越しに聞こえた悲鳴のような声が切り裂いた。

「玲美?」

『ディアブロを発見……ホークまでいる!』

「両機のパイロットは!?」

『ディアブロは反応不明、ホークは……まさか、ホントに……』

「玲美?」

『ヨウ君だ……ホントに、ホントに生きてた!』

 その言葉に全員が驚いて画面を覗き込む。

「状況を先に把握しろ、なぜディアブロがシジュ、いや二瀬野鷹から離れている?」

 大輔が慌てて声をかけるが、映っている映像はぶれていて、パイロットの姿が上手く把握出来ない。

『わ、わかんない! って、HAWCブースターランチャー、起動する。エネルギー待てない! もう撃つよ!』

「バカ、玲美、玲美!? ああ、もう!」

『ヨウ君!』

 画面の中の視界が、まばゆいばかりの光に包まれた。

 

 

 

 

 オレを消し去ろうとしていた『三弥子』のビットが爆発を起こした。

 視界の端に見えるのは、ISを身につけた十五歳の国津玲美だった。その両手は装甲に包まれ、機体全長を超える砲身を構えている。

「……玲美」

 自分の名前を呟いた後、『三弥子』が自らの顔を手で一瞬だけ覆った。次の瞬間には、彼女の姿が本来の玲美から、仮の姿である国津三弥子に戻っていた。

 んだよ、そんなこと出来るのかよ……。さすがデタラメ空間だぜ。

 思わず苦笑いを浮かべたとき、落下する体が誰かに抱き止められた。

「頑張ったわね、ヨウ」

「あなたは……さっきの?」

 青い装甲のISは紅椿はそっくりで、中にある顔は箒と篠ノ之束によく似ていた。

 横須賀の連隊基地で戦っていたときには、しっかりと顔を見てる暇もなかったし、気にしている場合でもなかった。

 初めてマジマジと近くで見て、その事実に気づく。

 この女性は、エスツーを大人にしたような顔なのだ。年頃はおそらく二十代後半だろうが、十二年前にオレが失った小さな少女にそっくりだった。

「覚えていないのね……でも、よくやったわ、あなたは本当に頑張った」

 そのエスツーそっくりの女性が、オレの頬に自分の頬をすりつける。

 まるで子供を抱きかかえる母親そのものだった。

「……エスツー、なのか?」

 恐る恐る尋ねるオレに、彼女は顔を離してから小さく微笑んだ。

 オレの目の前で、胸から上を失って倒れ死んだ少女がいた。守らなきゃと思ってたはずなのに、あっさりと殺された女の子だった。

「その通りよ」

 なぜ生きてるのか、よく理解出来ない。

 この時の彼方ゆえなのか、インフィニット・ストラトスゆえの奇跡なのか。

 だけど、その表情はとても優しくて、オレは母親の顔を幻視してしまった。

 彼女がもう一度、オレの頬に自分の頬をくっつけた。

「ママ、なの!?」

 悲鳴のような問いかけが響く。

 玲美が胴体に大剣が刺さったままの国津三弥子の顔を見て、信じられないと唇を震わせていた。

「こんなところまでやって来るなんて、さすが私ね」

 自嘲するように鼻で笑った彼女の顔は、まさしく国津三弥子、通称ママ博士と呼ばれる人物そのものだ。

「どうしてママが、ヨウ君を殺そうとしてるの!?」

「救うためよ」

 声どころか口調までもが、四十院研究所を代表する若き開発者の一人と化していた。

「救うため?」

「貴方も聞いたでしょう、玲美。このままでは、二瀬野君は遠く離れた隕石に向けて飛び立ってしまう。それで良いのかしら?」

「ちょ、ちょっと待ってよママ、何を言ってるの!? どうしてそうなるの!?」

「聞いてみればいいわ、二瀬野君に」

 国津三弥子の胴体に刺さっていた大剣が光の粒子となって消えた。そこにあった傷口も瞬時に復元されていく。

「ヨウ君に……? ってそうだ、ヨウ君!」

 ママ博士の言葉に我を取り戻したのか、武装を投げ捨て、玲美がオレの元へ飛んできた。

 相変わらずの精密動作で完全制止した彼女は、抱きかかえられたオレの頬に、手を伸ばしてきた。だが、オレに触れる寸前で動きが止まった。

 怖いんだろう、オレが本物であるかどうか、偽物だったらどうしようという思いが怖いんだろう。

「おっす、おひさ」

 バレてしまっては仕方ない。軽く手を上げて頬を引きつらせた。

「生きてたんだ……ホントに」

 力なく上げたオレの手を、ISの腕部装甲を解除した玲美が握る。

「泣いてんなよ。お前。さっき、一度会っただろ?」

「さっきって……」

「四十院総司は、オレだ。バカみたいだろ?」

「……オジサンがヨウ君って、ホントなんだ」

「まあ、隠してるような段階じゃねえし」

 肩を竦めて苦笑いをすると、彼女はクスっと笑った後、暖かい指でオレの手を強く握って胸元で抱きしめる。

「ヨウ君」

 その頬からは止めどなく涙が零れ始めていた。

 ああ、本当に暖かいな。

 強く握られる指を、オレは軽く握り返す。

 何だか、帰ってきたような気がした。懐かしいIS学園に、何度か触れ合った指の感触が懐かしい。まさか、この姿で手を触れあえる日が来るなんて。

 玲美が顔を上げ、泣きながら微笑んだ。

 空を見上げる。

 ディアブロを装着した国津三弥子が、冷たい表情でこちらを見下ろしていた。

 同じ存在であった二人を見比べた後、オレは瞼を閉じる。

 この歪な光景も、オレとジン・アカツバキが産み出した。

 ならば消し去るべきだ。

 全てを取り戻す方法がわかった。

 じゃあ、四十院総司ではなく二瀬野鷹として、どうするのかは決まってる。

 プライドなんて投げ捨てろ。

 こだわりなんてもういらねえ。

 オレを追って、ここまでやってきた『三弥子』にウソを吐きたくない。

 そこに正直になった分は、他のヤツらにウソを吐こう。形振り構わず、矜持も信念も感情も、最後には心を捨てれば良い。

 どうせ消え去ると決めたんだ。

「……そっちのは誰だか知らないけれど、邪魔をするなら、三人まとめて相手をしてあげるわよ。このインフィニット・ストラトス、白騎士弐型で」

 武装を解き放ち、国津三弥子が攻撃態勢を取る。

 本当にありがとう、『三弥子』。

 貴方ほど、オレを思ってくれた人はいなかった。

 自分勝手に感謝を内心で呟いた。

 この人生の終着点が完全に決まったことを自覚する。

「玲美、それとエスツー、感動の再会はまた後でだ。三弥子さんを倒すのを手伝ってくれ」

 心地よかったエスツーの両手から降り、二人の女性の間でオレは自らと同じルート2を見上げた。

「ま、ママを?」

「殺すわけじゃねえよ。どんな理屈か知らねえがディアブロを奪って、よりにもよってジン・アカツバキ側につきやがった。ISを解除させるしかねえだろ」

 大きく深呼吸をする。動かなかった四肢に力が沸いてきた。

 おそらく、ここが分水嶺。

 横にいる二人へ、ウソを吐くか否かでこの先が変わる。

 二瀬野鷹は、ずっと本当のことを言わなかった。

 四十院総司はずっとウソ吐きだった。

「玲美、ヨウ君の話を聞きなさい。彼がこの先、どうするつもりなのか。もしジン・アカツバキを倒したとして、二瀬野君、キミはどうするつもり?」

 抑揚のない声は、彼女が十二年間作り続けた国津三弥子であることを表している。

「ヨウ君? まさか、アイツの言ってたみたいに、その、巨大隕石を壊して、とか考えてないよね?」

 強ばった調子でまくしたてる顔は、まだ十五歳の少女そのものだ。

 やっぱりコイツも、さっきのジン・アカツバキの言葉を聞いていたのか。

 小さく深呼吸をした。

 これから再びウソを吐く。

「そんなわけねえだろ。何だよ、それ。そんな自殺願望持ってるわけねえだろ」

 不敵に笑い、オレは国津三弥子を見上げた。

「ヨウ君……まさか」

 彼女は目を見開き、愕然とした表情を浮かべた

 唇を戦慄かせた後、大きな歯軋りを立てて彼女はオレを睨む。

 四十院総司がどこまでも卑劣で、虚偽にまみれ、目的のために何でもする男だということを思い出したんだろうな。

「さあ二人とも、手伝ってくれ。ママ博士を止めようぜ。目指すは」

 続きを喋ろうとして、喉が勝手に言葉を遮った。

 ダメだ、声が震える。

「ヨウ?」

「ヨウ君?」

 二人がオレの顔を覗き込む。その表情に胸の奥が張り裂けそうだった。

 どうした二瀬野鷹。もっと上手にウソを吐け。偽物の笑顔は大得意だろ。

 心に鞭を打つために、唇を一度強く噛み締めた。鉄臭い味が舌に触れる。

「目指すは、みんなでハッピーエンドだ。そうだろ?」

 笑顔を浮かべ、オレを追ってきた二人に笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








今回が短いのは、次回以降が長いからです。
すみません。


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46、未来の形、今の形

 

 

 

 

 ジン・アカツバキの攻撃に、千冬たちは反撃まで至ることが出来ていなかった。

 連携を取りながら防御の得意な機体が全面に出て、その後ろから砲撃が得意な機体が攻撃を仕掛けようとする。

「さあ、私を倒して未来を取り戻してみせろ!」

 そのたびに紅蓮の神の神託が、彼女たちの心に突き刺さる。同時に空から雨のような光の矢が降り注いだ。

 一瞬の戸惑いが身体の硬直を招き、出鼻をくじかれて結局は防御するだけとなってしまう。

「くそっ、意外にこういう単純な攻撃がいやらしいぜ!」

 箒を抱きかかえたままの一夏が、頬に冷や汗を垂らしながらぼやく。

 上空から降ってくる光の雨により、簡単に攻撃に移ることが出来ない。防御を捨てて反撃しようにも、その瞬間に大量の砲撃が降り注ぎダメージを負ってしまうのだ。さらにそこへジン・アカツバキ本体も光の矢を放ってくる。

 ルート3・零落白夜は強力な兵器だが、一夏も千冬もその弱点を理解している。次元すら切り裂く刃といえども、結局は剣なのだ。構えて振る、という動作がどうしても必要になるのだ。

 しかも、離れた場所を叩き切ろうとすれば、中間の刃が消えてしまう。そうすれば相手の攻撃を相殺することすら出来ない。

 なおかつ一夏は何も装着していない箒を抱えており、千冬は被弾した人間たちのカバーに入って簡単に動けない状態だった。

「一夏、私に構うな、自分の身ぐらい自分で守れる」

 胸元の箒からの提案を、一夏は受け入れすらしなかった。

「それじゃここに来た意味がねえ。全員で倒して全員で帰らなきゃ、意味がねえんだ」

「しかし一夏!」

「もちろん、このままジリ貧になる気もねえが」

 だが、始まる前から心構えに綻びが起きている。

 倒した先に何もないことを理解させ、戦意を削ぐ。ひどいが上手いやり方だ。

 しかし織斑一夏には彼女たちにかける言葉がない。

 彼はヨウという少年を助けるために、過去の世界へとやってきたのだ。そういう意思を最初から持っている自分が、他の人間へ意見を押しつけることなど、織斑一夏として出来なかった。

 一人の犠牲でそれ以外の大多数を取り戻すことが出来る世界。

 そんなアンバランスな状況で、全てを救うことが出来るのか。

 未来から来た一夏が苦悶の表情で歯軋りを鳴らした。

 

 

 

 

 

「ママ、もう止めて! どうして邪魔をするの!」

「貴方はヨウ君に騙されてるのよ!」

「ママだって私を騙してたじゃない! どうしてディアブロを使ってるの? なんでヨウ君の邪魔をするの?」

 ディアブロが展開したシールドが、その攻撃を弾いたが、相手の威力に体勢を崩した。

「ルート2の二人目、ね」

 エスツーが手に持った刃で斬りかかり、同時に相手の背後からビットで狙い撃つ。

「くっ、青い紅椿なんて見たことが!」

「このカメリアコードは紅椿の二番機よ、舐めないで!」

 亜音速で行われる接近戦で、ディアブロの大剣とカメリアコードが互いの得物を何度も打ち付け合う。

「どんなつもりか知らないけれど、邪魔をするなら墜とすから!」

 二人は二重らせんを描くように上昇していく。

 ディアブロが振り下ろした右の大剣を、エスツーが刀で引きつけてから弾き返す。自らの威力をそのまま押しつけられ、体勢を崩したところへ、玲美が腕を広げて狙う。

「翼を壊せば、いくらディアブロでも!」

「ダンサトーレ・ディ・スパーダ!」

 推進翼となっていた二本のソードビットを解き放ち、玲美へ刃を向ける。自らは腰の二枚で体勢を微調整しながら、荷電粒子砲ビットをエスツーへと放った。

「それぐらい!」

 相手の光線に合わせて、左腕の刃を下から上へと振り上げた。そこへシールドが現れて砲撃の威力を押し殺そうとする。だが、完全に制御出来ずにエスツーが地面へ弾き飛ばされた。

「これでとどめ、消えなさい!」

 八本の光が弧を描いて飛んだ後、三弥子の前で一本の巨大な光線へと変わり、エスツーへと伸びていった。

「それぐらいでやられはしない!」

 腰から伸びたスカートのような装甲の一部が外れ、青い紅椿の前で盾となる。放射された光を斜め後方へと弾き飛ばした。

「くっ、本当に紅椿なの?!」

「その機体の開発者は私なのよ、悪いわね、現代の研究者!」

 エスツーは両手を目の前に合わせ、瞑想をするように瞼を閉じる。

「多重展開装甲、分離!」

 彼女が目を見開くと同時に、背部装甲がスライドしていく。そこに現れたのは細身の板を貼り合わせた、操り人形のような形のビットだった。

「IS型ビット!? 理論上は可能だけど!」

「劣化ISコアでも、侮らないように!」

 二機と化した紅椿二番機『ブルーカメリア』が、空中で鏡映しのような軌道を取り、三弥子のディアブロへと迫る。

 その二局面からの攻撃に、ディアブロは二本の大剣を構え、さらに背中から二本の浮遊兵器を解き放ち、万全の迎撃態勢で相手を迎え撃った。

 右手と左翼がIS型ビットを、左手と右翼が紅椿二番機の攻撃を弾き返し、反撃へと移る。

「ディアブロ! これは倒さなければならない存在よ、行きなさい! あなたの主を、幸せにするために!」

 吹き飛ばした青い機体へ、加速し剣が振り下ろされた。だが、その強烈な一撃を人型の遠隔操作兵器が受け止める。

「この子を殺させはしない! 絶対に、これ以上!」

 二つの思い、四つの刃が色あせた灰色の空で剣劇を始めた。

「どきなさい!」

「ディアブロを返してもらうわよ、もう一人のルート2!」

 二本の刀を振るうエスツーと、刀を重ねて人型にしたようなビットが左右から挟撃をかける。

 一方のディアブロは両手に持った大剣で受け止めながら、二本のソードビットで追撃をかけて相手を切り落とそうとしていた。

「甘いわよ!」

 国津三弥子がビットを弾き飛ばした後、三本の刃で紅椿二番機を落とそうとする。

「甘いのは、そっち!」

 だがその背中へ、人型ビットが抱き着いて動きを封じ込めにかかる。

「くっ、厄介過ぎるでしょ、これだから紅椿は!」

 人型ビットへ二本の浮遊剣を集中させ、その衝撃で振り解こうともがく。

 その試みは成功し、人型ビットが三弥子の背中から弾かれるように吹き飛ばされた。

「ガラ空きよ!」

 その隙をついて、エスツーの操る本体が右肩へ大きく振り下ろした。

「くっ」

 咄嗟に残っていた大剣を合わせるが、相手が全出力で抑え込もうとした力に、態勢を崩された状態で打ち払うことが出来ず、地面へ向かい急速落下していく。

 色のない瓦礫の山へと激突しそうになった瞬間に、三弥子は残っていた背中の推進翼二枚で態勢を立て直し、再び上昇しようとした。

 国津三弥子とエスツー、その二人の戦いを見上げながら、オレはテンペスタ・ホークの調子を確認する。

 動く分には問題ない。

 正直、あのエスツーがどうしてここにいるのかは、理解の及ぶところじゃない。

 だけど今のオレにゃ関係ねえことだろう。

「玲美、悪いが三弥子さんの逃げる先を防ぐように砲撃頼むわ。神楽と理子、軌道予測、HAWCシステム制御よろしく」

 隣にいる少女だけではなく、回線の向こうで聞いているだろう二人にも声をかけた。

「う、うん! ママを止めるよ!」

『了解! ヨウ君、無茶はやだよ!』

『かしこまりました、お父様』

「わーったよ、理子。あと神楽、そりゃ皮肉か」

 娘の言葉に思わず苦笑いが漏れる。

『これぐらいの嫌味は許されると思いますけど?』

「ったく。行くぞ」

 思わずほころぶ口元を引き締めて、オレは手に持った棒状の武器を構える。

 見上げれば、刀人間とでも呼べそうなビットとエスツーの操る紅椿二番機が『三弥子』に肉薄していた。刃同士の鳴らす甲高い金属音が何度も打ち鳴らされている。

「んじゃ四研組、頼むわ」

 後ろにいる玲美とそこに回線をつなげていた理子と神楽へ、十二年前のように軽く手を振った。

「了解!」

『がってん』

『お気をつけて!』

 今は『三弥子』を倒し、ディアブロを剥ぎ取る。それが最初の一歩だ。

「行くよアスタロト、イグニッション・バースト!」

「行くぜホーク。イグニッション・ブースト!」

 二機の高速アサルト仕様インフィニット・ストラトスが、空気を吹き飛ばしながら空を疾走する。

 

 

 

 

「うるせえよ、臆病者どもが」

 ジン・アカツバキによって思い悩む彼と彼女たちの葛藤を、口汚い罵りが遮った。

 声の主は銀色の装甲で作られた、細身のISをまとった女性だった。彼女はオータムと呼ばれているパイロットである。

「亡国機業か。貴様は本当によく人を殺したな」

 ジン・アカツバキが一際大きな光の矢を放つと、それはオータムに当たる寸前で多数の矢へと分裂し、必殺の威力で襲いかかった。

 だが銀色のISは両腕を広げ、両腕部装甲に空いた多数の穴から、極小のビットを多数を産み出していった。

 それらを雲のように自身の周囲を囲わせ、自分から離れた場所で爆発させながら相手の攻撃を遮断し始める。

「残念ながら、私は今んところ、誰一人も殺してねえよ。たまたまだけどな」

「本来のお前なら」

「うるせえよ、てめえが今の私の、何を知ってるってんだ」

 彼女の人生は、意図したわけでもなく、気づいたら亡国機業に所属するパイロットとなっていた。それ以外に表現する言葉を持たない生き様だった。

「お前はそうだろう。そんなお前がなぜ、ここに来た?」

「いいじゃねえか、誰が死のうが誰が生きようが。そいつの勝手だろ。ただまあ、言えるのは」

 拳を引き、腰を落として正拳を撃ち抜くための構えを取った。彼女の周囲には虫のようなビットたちが漂っている。それらが距離を取って小爆発し続けることで、相手の攻撃を除け続けていた。

「見下されるのは、大っ嫌いなんだよ、私は」

 細身の装甲を持った銀色のISが、加速をつけてジン・アカツバキへ向け空を駈ける。

「お前だけは異色だな。この中で唯一、他人を救うことが有り得ない」

「勘違いすんなよ、IS野郎。私は自分が大事なんじゃねえ。他人が気にくわねえんだ。だからぶん殴るぶっ飛ばすぶっ殺す」

 ジン・アカツバキが手に構えた和弓のような武装から、今までより大きな光の矢をつがえて構えた。

「消えろ、場違いな裏切り者」

「誰が消えてやるかっつーんだ! ついでに二瀬野の野郎もぶっ飛ばしてやろうかなあ!!」

 オータムはそう叫ぶと、足下で極小ビットを連鎖爆発させた。

 彼女の攻撃は、爆発する極小ビットを押しつけて相手にダメージを食らわせるものだ。

 それらは羽虫のように集団で動くことは出来ても、小型ゆえにISに簡単に追いつけるような出力がない。ゆえにIS本体の手足で相手に押しつけて爆発させるような攻撃方法を選ぶときが多いのだ。

 その攻撃方法の基本となるビットを彼女は脚部周辺で発生させ、その爆発の威力で無理矢理に軌道を変えたのだ。

「なんだと!?」

「ハッハッー! オータム流! 無軌道瞬時加速ってもんだ!」

 足の裏辺りで起きた衝撃が機体を跳ね上げて、前方に宙返りするようなコースへと変化させた。まるで空中にある見えない土台を蹴り続けているようだった。

「チッ」

 矢をつがえていた右手でその攻撃を防ごうとしたが、渾身の力で振り切ったオータムの左の拳が、そのガードを貫いて頭部バイザーを破損させ、相手を吹き飛ばした。

 虚を突かれたジン・アカツバキだったが、即座に体勢を整え、オータムを見据えようとする。

「だから、見下してんじゃねえよ、カミサマ!」

 彼女は心底不愉快そうに、パチンと指を鳴らした。

 同時にジン・アカツバキが多数の爆発に包まれる。

「おら、ボーッとしてんじゃねえぞ、てめえら。デカパイ、ファイルス、やっちまえ!」

 亡国機業のエースパイロット、オータム。この場所に集った中で、唯一無二の悪が最初の口火を切った。

「ったく、そのデカパイってのをやめなさいっての、オータム!」

 カスタムされた推進翼を持つ打鉄が、空中を滑るように加速し始める。手に持ったのは、二本のマシンガンだ。

「元が汎用機だからって、舐めないでよね!」

 爆発の中心を囲むように、二つの引き金を交互に引き続ける。

 同時に脚部の横から、六発のミサイルを発射可能なミサイルポッドが出現し、そこから計十二発の攻撃が放たれた。

「さらにアイドル装備! 歌って踊れるISパイロットってのを見せてあげるわよ!」

 彼女が叫ぶと同時に、打鉄の肩の横から二メートル近くあるスピーカーに似た物が出現する。その中心から、中国の第三世代機と同等の空圧砲が放たれた。

 その間にも、沙良色悠美はマシンガンを投げ捨てた腕にグレネードランチャーを装備する。

「結局、助けたい気持ちっては何も変わらないよね! 私にとっては、オジサンもヨウ君も、大事な人だから!」

 沙良色悠美は、ジン・アカツバキが言う『最初の歴史』では、埋もれたままの存在だった。旧家といえども分家の出身であり、情報関連を扱う家柄にありながら、彼女自身にその才能が全くなかったからだ。

 そのことを彼女は理解していたからか、ISに触れることなく彼女の人生は終わる。そういう予定の生き方だった。

「あずまも死んだ、グレイスも死んだ! でも二人を生き返らせるために一人を犠牲にするなんて、出来るわけない! 命は足し算引き算じゃないんだから!」

 叫びながら全力で攻撃を続ける。

「四十院によって導かれたイレギュラーどもめ!」

 爆発の中心で集中砲火を受けながら、ジン・アカツバキは忌々しげに叫んだ。

 機体どころか存在すらも見知らぬパイロットによるまさかの被弾だ。

「舐めてると痛い目見るわよ?」

 ハッとした表情で上空を見上げる。

 銀の福音と呼ばれる、鈍い輝きを持った機体が空中を縦横無尽に駆け巡った。

 ナターシャ・ファイルスの愛機『シルバリオ・ゴスペル』は、篠ノ之束の起こした暴走事件によりコアごと封印されるはずだった。

 その幻の機体が、上空から絶え間なく降り注ぐ光の雨すら隙間を縫うように回避し、相手へと肉薄し始める。

「チッ、貴様が来るか。だが、このルート1の前には」

「そんな暇はないわよ」

 両手を伸ばそうとしたジン・アカツバキの背後に、一発の砲弾が突き刺さり、爆発を起こした。

「シュヴァルツェア・レーゲン!?」

「黒兎隊、舐めないでよね!」

 リア・エルメラインヒが時の彼方に行くときに選んだ装備は、彼女がドイツで整備していたインフィニット・ストラトスだった。

「場違いな闖入者どもが!」

 忌々しげな口調で、リアの装着するレーゲンへ向け、弓を引こうとする。

「場違いはお互い様でしょ!」

 悠美の放った攻撃は、十八発のミサイルとスピーカーによる空圧砲、マシンガン三十二発の同時砲撃という強力なものだった。

 その全てが直撃をする。

 両手を横に広げ、球形にシールドを広げたことでジン・アカツバキは辛くもその攻撃を防ぎ切った。

「本来ならここに立つことも出来ぬ者が、調子に乗るな!」

「過去に戻ってやり直す!? ヨウを犠牲に? バカにしてんじゃないわよ!」

 リアがレールガンでの砲撃を繰り返す。

「それでお前たちの仲間も生き返る。ならばお前たちは」

 ジン・アカツバキがビットを解放し、そこから多数のレーザーを撃ち放った。

 赤毛の少女はそれを回避し切れず、左肩、右足と続けて被弾した。

「だから、それが、どうしたってのよ!」

 それでも高らかに、彼女は大きな声で叫んだ。

「隊長たちの手前、ずっと黙って聞いてたけど、うんざりにも程があるっていうのよ! いい? はっきり言ってやるわ」

 ドイツから来た少女が、被弾し続けながらも、砲撃を止めずに言葉を上げる。

「一夏は確かに、ヨウのせいでドイツに来たかもしれない。でも、私はそのおかげで、一夏と出会えた!」

「それが間違いだと言うのだ!」

「間違いから生まれたもの全てが、間違いだなんて、誰にも言い切れないでしょうが!」

 リア・エルメラインヒの叫んだ言葉に、彼女の上官であるラウラがハッとした顔をした。

「はっきり言って、貴方が生まれた未来ってのは、間違いだったかもしれない。でも、私は貴方の言うことも理解出来る。誰だってやり直したい過去がある。貴方はその規模が大きいだけ。だから、気持ちだってわかってやれる」

「だったら、なぜ抵抗する!」

 リアの左肩にジン・アカツバキの攻撃が直撃した。大きな爆発を起こし、レーゲンが後ろへゆっくりと倒れ込んだ。

「貴方に言わなきゃいけないことがある」

「消え去れ!」

「私は、一夏が黒兎隊にいたことを、誰にも否定させない!」

 負傷した肩を押さえながら、リアが体を起こす。

 そこへ無数の光が降り注いだ。

 相手の攻撃は絶対防御などたやすく貫通する。損傷したISで食らえば、確実に死にいたる攻撃だ。

「リア!」

 ラウラが部下を守ろうとISで駆け寄ろうとした。だがジン・アカツバキの攻撃はほぼ全方位に撃ち放たれている。防御を捨てて動いた瞬間に、多数の被弾を受け、銀髪の少女の機体もまた、多数の損傷を受け地面に転がった。

 ここまでか。

 リア・エルメラインヒは歯を食いしばり、空中から自分を見下ろす敵を睨んだ。

 例え死ぬことになっても、絶対に気持ちだけでは負けてやらない。

 最後の瞬間まで、神に反抗することを近い、彼女は死の到来を待った。

「良い案がある」

 赤毛のドイツ少女の目の前に、黒く長い髪が広がった。

 ISすら装着せずに、手には一降りの刀を構えているだけの、篠ノ之箒だった。

「箒!」

 一夏は自分を撥ね除け、見知らぬ少女に駆け寄った幼馴染みの名前を叫ぶ。

 彼女の刀が空中に銀色の軌跡を描いた。

「え?」

 リアが間の抜けた驚きの声を漏らす。

 何が起きたのかはわからないが、その刀は降り注ぐ全ての光をかき消していたのだ。

「マスター……」

「私には、この状況がわからないが、一つだけ良い案を思いついた」

 彼女が腕を下ろし、鋭い視線で自分の本来の体を睨んだ。その周囲には何故かISのシールドのようなものが展開され、篠ノ之箒とリア・エルメラインヒを包んでいた。

「その刀……ISとしての機能を全て揃えているのか!?」

 一夏が驚いた様子で箒に尋ねるが、彼女は振り向きもせずに前を見据えていた。

「姉が置いていったものだ。何があるか私にもわからないが。まあそれは良い。私は良い案を思いついたぞ一夏」

「ん?」

「全員で行こう」

「はっ!?」

「その二瀬野鷹という人間だけが隕石を落とせるというなら、我々もついていけば良かろう」

「ま、待て箒、何を言ってるんだ? 十二年前だぞ!? 行き先はジン・アカツバキとヨウしか辿り着けない……」

「何年前でも良い。もっと遠くへ、と作られたのがインフィニット・ストラトスなら」

「バカ、無茶を……俺たちがここに来るまで、どれだけの苦労を」

「では、ここで果てるか」

 小さく笑った後、彼女はスラリと刀を抜き放ち、自らの首に当てた。

「箒!」

「最大の敵を倒そうと、たった一人の犠牲を強いて生き延びたのでは、私の心が腐る」

「え?」

「覚えていなくても、この篠ノ之箒としての心が腐り落ち、次の人生でも醜いもので終わるだろう」

 彼女は刃を首に当てたまま、大きく息を吸い込んだ。

「ここで自分を貫けなくて何が人間だ! どこまで行こうともどこにあろうとも、私は篠ノ之箒を貫き通すぞ!」

 彼女の言葉に、鈴が小さく頬を緩ませた。

「はっ、何言ってんのよ、アイツ。サムライかっての。でもまあ」

 長い砲身を振り上げ、仰角を上げる。狙っているのは、空中で赤い太陽のように鎮座するジン・アカツバキだ。

「アスタロトがあれば、アイツを生かす手助けにもなるかもしんないわね。何にせよ、そんな気持ち悪いファン・リンインを私だと認めたくないわ」

 鈴の操る烈火のISの後ろに、背中合わせて青いISが銃を構え、同じ目標をロックオンした。

「では、わたくしも、どこまで行ってもセシリア・オルコットを貫くといたしますわ」

 その斜め前方で、更識楯無は両の手に二つの槍を取り出して、地面に突き刺す。彼女はその二つの間に立ち、腕を組んで空を見据えた。

「まあ許せないこともあるわよね。絶対に許せないこと。簪ちゃん、わかる?」

 彼女の後ろで、合計十八機のミサイルポッドを同時展開した更識簪が立っていた。その腕の先には、多数の空間投影型キーボードと仮想ウインドウが並んでいる。

「わかる……から、お姉ちゃん。私は誰か一人を犠牲にして、平和に生きている更識簪が……とても、気持ち悪い。例え覚えていなくても、とても、許せない」

 シャルロット・デュノアが空中で制止し、切断された左腕のシールドを投げ捨てた。

「うん、多分僕は、そんな自分が存在することが許せない。だからどうしたら良いとかわかんないけど……でもそれは、きっと、僕を犠牲にして会社を存続させようとしたお父さんと同じだから。僕は、そんな道は進まないって、あのとき、決めたんだ」

 織斑千冬は十代の少女たちの決意を聞き、僅かに微笑んだ後、自らの刀を構え直した。

「そうだな。我々が死のうとも、過去を変えようとする馬鹿者がいようとも、そいつが生きて、正しく罰せられるよう、死んで逃げてしまわぬよう。何よりも自分を許せないことがないように」

 織斑一夏は全員の答えを聞いて、懐かしさに胸が苦しくなる。

「じゃあ、答えは決まりだ。ジン・アカツバキを倒し、過去を変えるバカがいるならば、全員が死のうともそいつを生かす。死のうとするなら、ぶん殴ってでも引き留めて、俺が代わりに隕石をぶっ飛ばしてやるよ」

 大海原に投げ出された少年少女たちは結局、頼りない板を他人に差し出す生き方しか選べないのだ。他人を生かすことしか頭にない、そういう死に様しか選べないのである。

「さすがは最高の形(Ace-Forms)たちよ」

 ジン・アカツバキが両手を横に広げ、声高に謡う。

「さあ来い、我が仲間たち、未来で作られた悲しきヒーローの相似形」

 空から一機のISが振ってきた。

 それは灰色の装甲を持った、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだった。そのパイロットは背中にかかる金髪を一つにまとめた、可愛らしい顔の女性だった。

『いたたっ、何が起きたの? 一夏ぁ? ラウラ?』

 地面に尻餅をついた彼女は、ゆっくりと一夏や千冬、箒たちを見回した後、ハッと臨戦態勢を取る。

『無人機……!? こんな数がどうして?』

 シャルロット・デュノアに良く似た顔の、二十代前半の女性が緊迫した面持ちで呟いた。

『大丈夫か、シャルロット!』

 次に降りてきたのは、長い銀髪を無造作に伸ばした小柄な女性だ。彼女もまた二十歳ぐらいだろうか。同じように灰色の装甲を持ち、右肩に大きなレールガンを備えたISを身につけ、油断ない顔つきで身構えていた。

『ラウラ、無人機がこんなに!』

『チッ、まだこんなものを持ち出すヤツがいるのか』

『シャルロットさん! ラウラさん!』

 続いて降りてきたのは、長い金髪に青い髪留めをした気品ある顔立ちの女性だった。その体には流線型の装甲と多数のビットを持った青い機体を装着していた。

『セシリア! 気をつけて、無人機がこんなに! 武装も僕らのを真似してるのがいくつかあるよ!』

『またこんなに……いくら倒しても出てくるのでは、たまりませんわ』

 先に降りた三人に続き、今度は京劇に出てくる鎧を模したISが、両手に片刃の剣を携えてゆっくりと降りてきた。長い髪を二つに分けて縛っており、その顔は幼さが抜け切れていないが、やはり二十歳前後の女性のようだった。

『ったく、久しぶりに集まったと思えば、何の騒ぎなのよ。これは誰の仕業なわけ?』

『鈴さん! わたくしたちにも何が何だか』

『これが全部、無人機ってわけ。今までとは違う形をしてるけれど』

 そう言って最後に降りてきた女性が、一夏たちの方を指さした。

「俺たちが無人機?」

 意味がわからない、と一夏が不安げに呟く。

 相手の顔には全て見覚えがあった。

 何せ自分がIS学園で共に戦った少女たちを、少し大人びたような顔にした人間たちだったからだ。

 加えてISの方は基本的に記憶と同じだったが、細かい点で変更が加えられているようだった。

『何なのよ、ほんと。いきなりこんなところに放り込まれたと思ったら、無人機? 全く、誰の仕業やら』

 呆れた様子で、半透明の装甲を持った細身のISが降りてくる。その後ろには多数の実弾兵器と長刀を装備した機体が付き従っていた。

『お姉ちゃん、合図をくれたら先制で一気に撃つよ』

『了解、簪ちゃん、そっから各個撃破でいきましょ』

 言葉が示す通り姉妹に見える女性二人が、背中合わせにお互いの近接兵器を構えた。

 灰色のISのパイロットたちが、丸い陣形でお互いの背中をカバーするように配置する。

 その様子を見て、シャルロット・デュノアが、信じられないと身を震わせた。

「まさか、あれって……未来の、僕たちなの?」

 彼女の言葉に、隣にいたラウラが舌打ちをする。

「ジン・アカツバキめ、何のつもりだ」

 苛立たしげな彼女を、ジン・アカツバキが冷めた目つきで見下ろしていた。

「こいつらは強いぞ。何せそれぞれがヴァルキリー級以上の腕前で、ISこそキサマらと変わらないが武装は数世代先の物だ。そしてなおかつ、私から供給されるエネルギーによって回復する」

 ジン・アカツバキが再び両手に刀を構える。

「さあ、倒せるものならやってみせろ。今から相手をするのは、自らの輝かしい未来なのだから」

 

 

 

 

 

 エスツーより速度で勝るディアブロが、迫る敵を突き放し上昇しようと試みた。

「ママ、止まって!」

 だがそこを先んじて、玲美の放つHAWCブースターランチャーが行く手を遮る。

 弥子さんは急激な方向転換を余儀なくされ、攻撃を察知して急制動をかけて右手方向へ曲がろうとした。

「ママ!」

 その行く手を遮るように、玲美の操るアスタロトから巨大なレーザーの砲撃が放たれる。

 直撃する寸前でコースを変え、三弥子は何とか直撃を回避し、地面すれすれをツバメのように飛びながら距離を置こうとした。

「おおおぉぉぉぉぉ!!」

 だが、そこは猛禽類の領域だ。

 超低空を飛ぼうとするディアブロのさらに下から、地面を削り取りながらテンペスタ・ホークが襲い掛かる。

「ヨウ君!?」

「さあ諦めろ、三弥子さん!」

 手に持った世界最硬のポールウェポンが、音速を超えた速度で悪魔の翼に突き刺さる。

 黒い機体の翼を貫いたまま、オレは地面スレスレを飛び続け、巨大なビルに激突した。

 二百メートルを超えるビルが倒壊していく。まるでエスツーが死んだときの光景のようだった。

 その側でオレは彼女の胴体をまたいで立っている。ディアブロの首元へ、レクレスを突きつけた。

「……私を殺して、未来を作るのね」

 足下から、冷たい声が聞こえた。

「悪い、としか言えない。だけど、今よりきっと、マシな世の中になるだろうから。さあ、ディアブロを返してくれ」

「残念だけど、ディアブロを返して欲しければ、私を殺しなさい」

 国津三弥子の声で、彼女がオレに言い放つ。

「ママ、お願い……もうやめて」

 いつのまにか、オレの横に玲美が降り立っていた。

「貴方は騙されてる」

「ママだって、私を騙してたじゃない!」

「そうね。私は、私を騙してたわ」

 震える声の娘に、その女性は冷たく言い放った。

 声に感情はない。

 彼女は、自分の娘として自分を育ててきたのだ。その心情は娘を育ててきたオレであっても、完全に計り知れないものがある。

「悪いけど、二番目のルート2。そのISを返してもらうわよ」

 オレたちの上に影が差す。見上げれば、二メートル上にエスツーが腕を組んで浮かんでいた。

「未来から来た科学者……なのかしら」

「そのISは元々、篠ノ之束の白騎士を私が劣化ISコアで再現したもの。返してもらうわ」

「科学者が作ったもの全てに所有権を主張するなんて、馬鹿げた話ね。でも」

 三弥子さんから、ディアブロの装甲が光の粒子となって剥がれていく。

「ヨウ君がハッピーエンドを目指すというなら、仕方ないわね」

 彼女はそう言ってシニカルに笑った。

「ママ!」

 玲美が嬉しそうに声を上げる。

 どういう意味だ? 

 オレはその真意を理解出来なかった。

 ISを解除した玲美が、母親に駆け寄ってくる。

 その姿に仕方なくオレは三弥子さんの上から離れた。

 上半身を起こした彼女に、玲美が抱きついた。

「ごめんなさい、玲美」

「ママ、ママ!」

 オレの眉間から皺が取れない。腕はレクレスを持ったままだった。

「どうしてあっさり引いたんだ、三弥子さん」

「私も、さすがに娘がいては、勝てないわ。それにハッピーエンドを目指すんでしょう?」

 娘を優しく抱きしめていた国津三弥子は、そう力なく笑ったのだった。 

 その次の瞬間である。

 はるか上空から回転しながら一本の大剣が落ちてきた。ディアブロの推進翼でもあるソードビットだ。

 先ほどのエスツーとの戦闘で、彼女のIS型ビットに弾き飛ばされた一本だった。

「しまっ!?」

 巨大な刃のコースは三弥子さんと玲美を狙ったものだ。

 オレはレクレスを伸ばし、打ち返そうと試みた。エスツーも同時に日本刀を構え、迎撃態勢に入った。

 上空十メートルの地点で弧を描くように曲がり、地面スレスレを真っ直ぐこちらに向かってくる。

 咄嗟にレクレスを地面に突き刺し、威力に押されないよう足を踏ん張った。背後には玲美がいる。スラスターを使うわけにいかない。

 大きな金属同士の衝突音が響く。

 ソードビットがオレのレクレスに阻まれて、上空へ跳ね返された音だった。

「悪あがきはよすんだ、玲……」

 振り向きながら、もう一人のルート2へレクレスを向けようとしたが、それ以上の言葉が出なかった。

 何故なら、三弥子さんは覆い被さっていた娘の上から、自分の心臓目がけてもう一本のソードビットを突き刺していたのだから。

 地面に貼り付けになった親子の体に宿るのは、同じ人物の心だ。

「れ、み?」

 オレの手からレクレスが落ちる。

 どうみても、即死の状況だ。

「な……んで」

 どうしてそんな行動に出たのか。

 感情に理性と論理が追いつかない。

 玲美の下敷きとなった玲美が、光の粒子となって消えていく。

 ああ、さすが心だけの化け物だ。体も残らないのか。

 膝が崩れ墜ちる。

 そうしてオレはまた一つ、失った。

 この人生は、たいてい成功しない。ここまで何度も失敗し続けてきた。

 だから、後は取り戻すしかないのだ。何を引き替えにしようとも。

 

 

 

 

 

『鈴ちゃん、十二時方向よろしく。そっちの二体から一気に墜としましょう!』

 更識楯無の凜とした声が響く。

『了解よ、でも、いつまでもセンパイぶらないでよね。今じゃライバルなんだから!』

『私はいつまでも貴方たちの先輩でありたいんだけどね!』

 青い機体と赤い機体の二つが、一斉に遠距離射撃を撃ち放つ。

「きゃっ!?」

「なんなのよ、これ!」

 灰色のミステリアス・レイディと甲龍が放つ攻撃に、アスタロトとバビロンの装甲が削られていった。

『シャルロット、セシリア、左側の三機にありったけの砲撃を撃ち込むぞ』

『わかったよ、ラウラ!』

『了解しましたわ!』

 同じように今度は、ラウラとシャルロット、セシリアのISが狙われ始めた。

「なんなのだ、これは!」

「何が起きてるの!?」

「あれは、わたくしたちですの!?」

 戸惑いの声を上げながら防御しようと試みるが、相手の正確無比な砲撃に各兵装が破壊されていく。

「くそっ、未来から呼び出したっていうのかよ!」

 一夏がシールドを展開しながら、攻撃を受け続けるラウラたちの前に出ようとした。

『これ以上、好きにはさせない』

 そこに割り込んできたのは、灰色に塗られた打鉄弐式だった。手に持った長刀を巧みに操り、一夏の進路を遮る。

「やああぁぁぁ!」

 自分と同じ機体を持つ少女へ、更識簪が同じような長刀を振り下ろした。

『……甘い』

 だが相手は長得物を巧みに操り、柄で一夏の胸を強打して吹き飛ばし、返す刃でもう一つの攻撃を受け止めた。

「くっ、同じ高振動型!」

『武装が同じでも……負けない!』

 更識簪と同じ顔をしたパイロットが、腰からミサイルを撃ち放つ。超至近距離から食らった簪へ、長刀の刃が振り下ろされた。

 悲鳴を上げながら、簪が仰向けになって地面へ倒れ込む。

『ナイス簪!』

 甲龍を身につけた少女が、二つに縛った髪をなびかせて、更識楯無へ滑るように接近していく。

「イグニッション・ブースト? 甲龍が!?」

 青く透き通る装甲のISが、手に持った槍で敵の片刃剣を受け止めようとした。

『はっ、鈍いね!』

 その斬撃がぶつかる瞬間に、刃がコースを変え楯無の槍を巻き取るように上空へ弾き飛ばした。

「なっ!?」

『ここで追い打ち!』

 もう一本の手に持った武器が楯無の胴体へ振り下ろされる。咄嗟に身を反って後ろに下がった彼女の胸部装甲が真っ二つに切断された。

「なんて鋭さ!」

『落ちろっての!』

 紙一重で肉体が無事だった楯無が後ろに下がろうとしたところへ、甲龍が肩に浮いた装甲から不可視の弾丸を撃ち放つ。

「くっ」

 楯無が両手を前に突き出して、ナノマシンによって作られる水のフィールドを多数展開し防ごうとしたが、相手の攻撃を防ぎきれずに後ろへ大きく吹き飛ばされた。

 その横では鈴の操るアスタロトが、灰色のミステリアス・レイディが放つ槍の連撃に晒されていた。

「ちょ、生徒会長より強いじゃない、この生徒会長!」

 ブレード以外の近接武装を持たないアスタロトでは耐えきれない。そう悟った鈴は大きな翼を広げ、上空へ逃げようと試みる。

『予測済みよ、無人機さん』

 だが十メートルほど上昇した瞬間に、待ち構えていたように起きた水蒸気爆発によって地面へと叩き落とされた。

『さあ、まず一機!』

 突き刺さるように地面へ落ちたアスタロトへ、らせんを描く水流で作られた槍の穂先が牙を剥いた。

 天性の直感だけで鈴は横へ転がるように飛び上がると、彼女のいた場所が大きく凹み、瓦礫が高く舞い上がる。

「なんつー威力よ! 反則でしょ!」

 悪態を吐きながら、鈴は何とか体勢を立て直す。しかし相手が次の攻撃を用意しているのを見て、そのまま距離を取ることに集中し始めた。

 ジン・アカツバキが呼び出した自分たちの未来と呼ばれる存在は、紛れもなく強敵であった。楯無たちIS学園所属のパイロットにとっては手も足も出ないほどの強さを見せている。

「最高の形に最高の形をぶつける。マルアハたちと違い、ここでなければ動かぬし、それでも作成起動に時間がかかる難点だが」

 召還者である紅蓮の神は刀を両手に持ち、織斑千冬へと襲いかかる。

「まだ勝利を確信するには早いぞ、ジン・アカツバキ!」

「さて、どうだろうな」

 右上から振り下ろされた刀を千冬は数センチの差で逆に避け、左腕に三本爪のクロウを呼び出して相手のボディへ突き刺そうとした。

 それを背中から生えた副腕で防いだジン・アカツバキは、左手の刀で白式の体を薙ごうとする。

 迫り来る刃を再び数センチの差で避けた千冬は、零落白夜を振り上げようとした。

 だが、何かの気配に気づき体をねじりながら倒れ込むように後ろへ下がる。

 彼女から切断された黒い髪が、ひらひらと舞い落ちる。

「ほう、死角かと思ったが、それもかわすか」

 自立思考型ISが、感心したように呟いた。

 千冬は感じた気配の元は、ジン・アカツバキの背中に生えた副腕からだった。肘から先が暗闇に溶けるように消え去っており、代わりに先ほどまで千冬が立っていた場所へ、刃が突き刺さっている。

「……何もない空間からでも腕を生やすか、化け物め」

「最初から貴様たちに勝ちはないのだ。何せ私にとどめを刺すには、この時の彼方に乗り込むしかない。だがここでの私は何の制限もなく力を行使出来るのだからな」

 高らかに謡い上げられる勝利宣言のような言葉に、千冬が舌打ちをした。

 周囲を見回しても、どこにも余裕がある人間はいない。

 強いて言えば篠ノ之束ぐらいであったが、彼女もまた耳を澄まし目を懲らして何かに没頭しているようだった。

「織斑千冬よ。目の前で弟を殺された気持ちはどうだった?」

 次の攻撃に備えようとしていた千冬の動きが、刹那の間だけ動きを止める。

「最悪だった。自分を殺してしまうほど憎かった」

「まるで二瀬野鷹のようだな、織斑千冬」

「……人を侮るなよ」

「もう侮ってはおらんさ。少なくとも、目の前にいるのは世界最強の英雄なのだ」

「ほざいていろ。その自己犠牲の精神、私が叩き伏せてやろう」

「やれるものなら、好きにするが良い」

 四本の刃を構え、ジン・アカツバキが腰を落とす。

 織斑千冬はそれをねじ伏せるため、雪片弐型を頭上に掲げた。

「零落白夜!」

「墜ちろ、英雄よ!」

 地球で最も強い人間が、神へと挑む戦いが再開された。

 

 

 

 

 

「なんて……強さだ」

 方舟から回線越しに戦場を見ていた国津幹久が、悪夢を見たかのように呟きを漏らす。

「織斑一夏の白式も、比べものにならないくらい……ううん、国家代表レベルの動きを見せてるのだが……」

 隣に並んで鈴の機体制御を補助していた岸原も、うめき声のような言葉を漏らした。

「あれが本当に少し未来の彼女たちを再現したって言うなら、つくづく可能性とは恐ろしいね……」

「ああ、武装はともあれ機体スペックは変わらんはずだが、調整レベルが違うのか? IS自体が成長するのか?」

 困惑した表情で呟いた二人の隣で、理子と神楽が青ざめた表情を浮かべていた。

「バイタルサイン……ロスト」

「機体信号……パイロットメンタルサイン……同じくロスト」

 二人が呟いた言葉に、幹久が慌てて神楽の画面を覗き込む。

 そこには通信を断絶され真っ黒になっている映像ウインドウが浮かんでいた。

「玲美!? 玲美、どうしたんだい、玲美!? 二人とも、何があったんだ!?」

「わ、わかりません。玲美がママ博士に近づいて、抱きついた瞬間に……この画面で」

「くっ、どういうことだい? まさか」

 最悪の想像を脳裏に浮かべ、幹久の顔が青ざめる。

『ちょっとオッサンたち、制御失ってんじゃん!』

 通信回線を通して、鈴から抗議の声が入った。我に返った岸原が慌てて画面へ戻る。

「くっ、こっちの状況も最悪か」

『何なのよこいつら! アタシたちみたいな顔して、強すぎるでしょ!』

「理子、幹久のコントロールを使え」

「こ、コントール移管了解!」

 理子が慌てて投影式キーボードを叩き始める。その指先は震えたままだ。

「幹久と神楽ちゃんは玲美ちゃんに呼びかけ続けろ!」

「玲美、玲美! 三弥子、答えてくれ、三弥子!」

 幹久が必死に呼び続けるが、彼が見ているウインドウからは何の返答もない。

「何が起きてもおかしくはないと考えてはきたが!」

 この空間でなくとも、ISによって蹂躙された戦場では男の力など無意味だ。

 何せ彼らはインフィニット・ストラトスを操ることが出来ない。

 ISが生まれたからずっと、無力感に苛まれてきた岸原だったが、今現在ほど打ちのめされた瞬間はなかった。

「玲美! 三弥子! シジュ……答えてくれ、四十院総司!」

 娘と妻を失い、半狂乱で上げた幹久の声が、方舟の甲板に響いていった。

 

 

 

 

「なんでだよ……どうしてこんなことしたんだ、三弥子さん」

 国津三弥子の体がディアブロと共に消え、胴体の中央に大穴を開けられた玲美の体が地面に倒れている。彼女の体から大量の血が流れ、灰色の大地に染みこんでいった。

 力ない笑みが零れた。膝が崩れる。

 大事に大事に見守ってきた少女が、その母親とディアブロによって串刺しにされた。

「こんなんばっかかよ」

 大して涙も出ない。

 膝の上に握った手はいつのまにかISが解除されていた。

「ヨウ、離れなさい」

「あ?」

 顔を上げると、二十代後半の白衣を着た女性が、手に持った刀を玲美の首筋へ当てていた。

「……どういうつもりだ」

「ディアブロを回収するわ」

「ディアブロを? ……あ、ああ。そうだな」

 玲美は死んだ。だが、取り戻せる可能性はまだある。

 そう思ったところで、自分の思考に吐き気を催した。

 ああ、なんて切り替えの早さだ。実感がないだけだと思いたい。玲美が死んで、これだけしか悲しめないなんて。

 まだ、生き返るんだから、十二年前からやり直せるんだから良いだろうって思う自分が、心底クズだと理解出来る。

「ディアブロはどこに?」

「今、呼び出すわ」

 青い紅椿、ブルーカメリアと呼ばれた機体が腕を伸ばす。上腕部から小さな三つ指のアームが飛び出てきた。

「……すでに二人目のルート2が生まれてたなんてね。遅かった……とは思いたくない」

「早く、ディアブロをオレに」

「ええ」

 玲美の死体をこれ以上、見ていることが出来ずオレは背中を向けた。

 耳をつんざく高音が聞こえてきた。

 もう、本当にハッピーエンドを貫くしかねえよな。

 何がどうあろうとも、彼女が死のうとも、十二年前からやり直すんだ、全て。

「ヨウ!」

 背中を向けていたオレの体が、強く押し出される。

 エネルギーブレードが空気を焼く低い音が聞こえてきた。

「え?」

「くっ、そういうからくり……ってわけね」

 前のめりになった体勢を整えながら、後ろを振り向く。

 そこには、胸から血を流し続ける玲美が立っていた。

「相変わらず良い気持ちではないわね」

 口元の血を乱暴に拭き取りながら、国津玲美が右腕を横に振った。エスツーが大きく吹き飛ばされる。

「まず一人、片付けたわ」

 国津玲美の体に、黒い悪魔のような装甲が張り付いていった。

 まごうことなく、ディアブロの姿そのものだ。

「れ、み?」

「何を驚くの、ヨウ君。私たちはルート2。死体に取り憑く心だけの化け物。私たちの心を殺せるのはルート3ぐらいよ」

「ま、さか」

「そう、久しぶりの体だけど、問題はないわね」

 彼女が胸に手を当てると、蛍のような光が集まってきて、国津玲美の体から傷が消えていく。

「玲美を、わざと殺して乗っ取ったってのか……」

「それ以外の推測が出来たなら、ある意味スゴいわね」

 肩に大剣を抱え、ディアブロが一歩、また一歩とオレに向かって歩いてきた。

「ヨウ、逃げなさい!」

「……逃げれるかよ」

 ディアブロは取り返さなければならない。ジン・アカツバキの言うことが本当なら、こいつとオレだけが十二年前から全てを無かったことに出来るんだから。

「まさか私の体に戻る日が来るとはね」

 鼓膜を突き刺す言葉が冷たい刃のようだった。

「自分そのものとはいえ、娘として育てた人間を……自分の目的のために」

「ヨウ君、ダメだよ」

 玲美の体に戻った玲美が、悲しそうに微笑む。

 そして身の丈を超える大剣を軽々と片手で振りかぶった。

「私の覚悟は、この程度じゃないから」

 

 

 

 

 

「くっ、何だってんだ、こいつらは!? 何で敵側にもIS学園の専用機持ちどもがいやがる!?」

 オータムは相手のラファールによる乱射で、空に飛び立つことすら出来ず地面に押さえつけられたような形になっていた。

 彼女の視界の端に映る自機情報では、シールドゲージが段々と減っていっていた。

『悪いけど、邪魔はさせないよ』

 両手に持ったサブマシンガンを両手に構え、シャルロット・デュノアの未来がオータムを仕留めようと動いていた。

「くそっ」

 右手を横に振るい、装甲の穴から雲か煙のように群れる極小のビットを射出させた。相手の実弾兵器を防ぐための盾にするつもりである。

 敵の武器が小口径なら、一つの極小ビットで数発分は持つ。そういう計算の元に作り出した壁だ。

『そういうことなら!』

 オータムの動きを見て、未来のシャルロットが手に持ったサブマシンガンを投げ捨てる。次に構えたのは、銃身の下にグレネードランチャーを備えたマシンガンライフルだった。

 その下部から発射されたグレネード弾が易々とビットの群れを貫通して、オータムの胴体に直撃し爆発を起こした。燃え上がりながら地面へとバウンドしてから落ちる。

「バカ隊長!」

「オータム!」

 悠美とナターシャの二人が、救援に向かおうとしたところを、一発のレーザーが遮った。

『なかなか連携を取るようですわね!』

 灰色のブルーティアーズが、手に持ったライフルから次々とBTレーザーを撃ち放つ。その全てが弧を描くどこから直角に曲がり、二人の機体へと襲いかかってきた。

 高速推進装置を持つ二機が、低速化されたレーザーを回避しようと空中へ飛び上がる。

『チェックメイト、ですわ』

 自らの豊かな長い金髪の一房を、そのパイロットが左手で軽く撥ね除ける。

「え?」

「きゃぁ!?」

 違う場所から撃ち放たれた二閃の光が彼女たちの翼へ直撃した。被弾箇所から煙を上げ、二機がきりもみしながら墜落する。

 発射元は遥か上空に設置されていたブルーティアーズの遠隔精神感応兵器だった。

 被弾したIS連隊機から数十メートル離れた場所で、二機のシュヴァルツェア・レーゲンが向かい合っていた。

 お互いが肩から伸びたワイヤーでお互いの右手を掴んでいる状態だ。

『ふっ、同じ武装とは面白い』

 灰色の装甲を持つレーゲンのパイロットが、ニヤリと不敵に笑う。

「まさか未来の隊長が来るなんてね……」

 リア・エルメラインヒが苦しそうな声で愚痴を漏らす。相手と違い自機に余裕がないのは、パワーが違うからだと察知した。細部が違うとはいえ、同じレーゲンでここまでパワーが変わるとは、と驚いていた。

『だが、ドイツの開発力を舐めるなよ、無人機ども』

 少し大人びた顔つきのラウラが吠えると同時に、リアの全身が痺れたような痛みが走った。

「電撃……!?」

 両膝が崩れ墜ちたリアが、信じられないと目を見開く。

『ふっ、やはり効果があるようだな。試合では使えない兵器だが、無人機相手なら遠慮はいるまい!』

 再び大きな痛みが彼女の全身を包んだ。

 自分のレーゲンにはない武器が、眼帯をした赤毛の少女の力を奪っていく。

『トドメだ!』

 未来でのラウラ・ボーデヴィッヒ、その思考と体を再現した存在が、高らかに勝利宣言を告げる。

 灰色のシュヴァルツェア・レーゲンが右肩のレールガンをリアに向けた。

「ちっ、させるか!」

 立ち上がったばかりの一夏が、リアと敵の間に左腕の荷電粒子砲を撃ち放った。相手の砲弾をかき消し、間一髪を免れる。

『荷電粒子砲まで備えているのか、厄介だな』

『何を手こずってるんですの?』

『ふっ、面白いぞコイツは。まるで白式のような動きをする』

『それは面白いですわね、一夏さんと戦うこともめっきり少なくなりましたし』

『こいつは私が貰った!』

『わたくしがいただきますわ!』

 楽しそうに語る二人に、一夏は左腕のモードをシールドに変え、右手に零落白夜を出現させる。

「いくら二人が相手とはいえ、簡単に落ちねえぞ!」

 未来のラウラが、右肩のレールガンを撃ち始める。

 右手の刀を最小限の動きで振り上げて、次に降ってくるBTレーザーを左手のシールドで弾いた。続いて地面すれすれを土煙に隠れるように這ってきた二本のワイヤーを零落白夜で地面ごと削り取り、同時に左腕のシールドを荷電粒子砲モードに変更、上空を取るように動いたブルーティアーズへ解き放つ。

『それぐらい当たりませんわ』

 だが、一夏の狙いはその遥か上空にあるビット二つだ。

「まずはそっちだ!」

『なっ!?』

 空を薙ぎ払うように白い光で両断する。同時に上空を漂っていたミステリアス・レイディのナノマシンと水の塊を蒸発させた。

『もらった!』

 灰色のレーゲンがワイヤーと同じ軌道で地面を滑るように突撃してくる。その腕にはレーザーブレードが光っていた。

「読んでるよ!」

 半身で回避しつつ、左手の武装を三本爪に変化させて相手の肩を掴み取る。

『させませ……きゃぁ!』

 BTライフルを撃ち放とうとした未来のセシリアへ、一夏はレーゲンを放り投げる。

『くっ、邪魔だ!』

 未来のラウラがぶつかった相手を力強く押しのける。殴り飛ばすような一撃で灰色のブルーティアーズが吹き飛ぶが、そのままでいたなら一夏の荷電粒子砲で焼き尽くされていただろう。

 それに外したとはいえ、そこで手を休める織斑一夏ではない。

「イグニッション・ブースト!」

 推進翼に火を入れて、最大速度のまま零落白夜を構え飛びかかる。

『速いっ!?』

 狙いは灰色のレーゲンだ。まずは司令塔の一つを叩きつぶす。そのつもりで一夏は自分の最大威力を持って相手をねじ伏せようとした。

『やらせないよっ!』

 だが突然の衝撃を横から食らい、吹き飛ばされ体勢を崩したまま地面に激突する。

「くそっ、シャルロットか!?」

 すぐさま飛び起きた一夏の腹に再び大きな、しかも今度は鋭い衝撃が走った。

「シールド……ピアース!」

 下からアッパー気味に放たれた打撃により、一夏の体がわずかに浮く。

『でかしたぞシャルロット!』

 重力制御を一瞬だけ失った白式の手足へ、灰色のレーゲンから放たれたワイヤーが巻き付いた。空中で磔にされたような形で固定され、そこへ再び灰色のラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡが接近してくる。

『これで終わり!』

 六連式のパイルバンカーが、一夏の腹部へ突き刺さった。

「この程度で負けるわけにはいくか!」

 金色の砲撃戦専用機を持ち込んだラウラ・ボーデヴィッヒが、その背中にある六門のレールガンを敵陣へと向ける。

「鈴、セシリア、一瞬で良い、こっちへの攻撃を防げ!」

 指示を飛ばしながらも、ラウラは眼帯をかなぐり捨て、左目の動きで仮想ウインドウを操る。自分たちの未来形という六機のISを全て一瞬でロックオンした。

 通常のISより二回りは大きい脚部から計八発のミサイルが出現する。肩に浮いていた装甲からも四連ミサイルポッドが飛び出し、さらに前に伸ばした両腕の横から二門のビームマシンガンが出現した。

「全機、回避行動取れ、弾道コース暗号通信にて送信、オートで対応しろ」

「ちょ、ちょって待ってよラウラ!」

「Feuer!」

 シャルロットの制止も聞かず、ラウラが全ての砲門から攻撃を撃ち放った。

『標的Cより多数のミサイル接近、弾道予測、コース送ります、回避を!』

『なんて数、追い切れない! きゃぁ!』

 灰色のミステリアス・レイディに攻撃がぶち当たる。

 ラウラからの攻撃に気づき、他の機体も回避に専念するが、ルシファーの放った追尾ミサイルが襲いかかり、また足を止めた機体は連射されるレールガンによって追い詰められていった。

『打鉄弐式、山嵐で相殺狙いま……きゃああああっ!?』

 未来形として呼び出された打鉄弐式、ラファール・リヴァイヴに二つのミサイルが直撃をする。ブルーティアーズ、レーゲンもレールガンとビームマシンガンの雨によって吹き飛ばされていった。

 周囲が着弾による煙で視界が遮られ始める。その中でもISのセンサーは相手に多数の直撃を食らわせたことを把握させていた。

「やるじゃない、ラウラ!」

 灰色のISと交戦していたパイロットたちは、損傷した機体を引きずってラウラの近くまで待避し、追撃をするための準備をしようとした。

「相当のエネルギーと弾薬を消費したが、これがこの機体の全力砲撃だ。これならいくら強かろうと……なに!?」

 ラウラが驚きの声を上げるのも無理はなかった。

 ISごと破壊し、通常なら動けるはずもない敵機が、ゆらりと動き初めていた。

 一陣の風によって煙が晴れ、敵とする六機が姿を現す。

 そのどれもが大きな損傷を抱えており、まともに動けるとは思えない状態だった。

 織斑一夏は左腕の荷電粒子砲を構え、相手にトドメを差そうと構える。彼自身もシールドエネルギーのほとんどを失っており、余裕はない。ここで確実に仕留めようとしていた。

『こんなところで諦めてやるわけにはいかないのよね』

 未来形の再現であるファン・リンインが不敵に呟いた。その姿は明らかに満身創痍だったが、その瞳から光は失われていない。むしろ逆境に立ち、先ほどよりも輝きが増しているようにも見えた。

『ったく……敵もなんて機体を持ち出すのやら』

 ぼろぼろになった機体のまま、ミステリアス・レイディが槍を構える。その先には螺旋状に渦巻く高圧水流の穂先があった。

 他の敵も同様だった。多大な損傷を受けようと、諦める気配はない。

 一夏は思わず大きな舌打ちをしてしまった。

 それはそうだ。自分の仲間たちは、これぐらいで諦めるようなヤツらではない。

 むしろ逆境でさらに力を発揮し、最後には逆転をしてしまうようなパイロットたちだ。

「ふっ」

 千冬と斬り合っていたジン・アカツバキが、仲間たちの気合いに頼もしさを覚えて頬を緩ませる。

「教え子たちの成長はどうだ?」

 鍔迫り合いの最中、神が英雄に笑いかけた。

「特に驚くことはないな」

「そうか!」

 ジン・アカツバキが裂帛の気合いを込め、二本の刀で千冬を押し返し、さらに追撃に肩からレーザーキャノンを発射する。

「小細工か」

「ふっ、仲間が諦めないのなら、力を分け与えるのが私の、紅椿の役目であろう。さあ我ら『未来』の怨嗟を聞け!」

 大きく声を上げながら二本の刀を地面に突き刺し、大地に膝をつく。

「いざ受け取れ、我が仲間たちよ! ルート1・絢爛舞踏!」

 声を張り上げ大地を叩くと、紅蓮の装甲から光が漏れて葉脈のように伸び、灰色のISたちの元へ辿り着いた。

『これは……エネルギーが』

『助かりますわ、箒さん!』

 白色に燃え上がる炎のような光に包まれ、『未来の再現』であるISとパイロットたちの損傷が回復していく。

『これなら、まだやれるわね!』

『うん、行くよ、みんな!』

『了解……です!』

『無人機なんかにやられてなるものですか!』

 ここからがペイバックタイムと言わんばかりに、再び猛攻を開始する灰色のISたち。それを見て頬を緩ませながら、

「諦めなければ、チャンスはある。そうだろう? 織斑千冬」

 と、ジン・アカツバキが不敵に笑った。

 これはまずいかもしれない。

 その光景に驚きながら、一夏はそう思い始めた。

 ただ強いだけの無人機ならば、充分に戦えただろう。数百機を持ち込まれても勝機を探したかもしれない。

 だが、相手は仮初めとはいえ意思を持つ、最高の仲間たちを再現した存在だ。

 今、織斑一夏たちは、ヒーローたちという最悪の敵を迎えたことを、確信し始めていた。

 

 

 

 

 

「私は諦めないよ、何を犠牲にしても! 何度でも繰り返す!」

 ディアブロを身につけた国津玲美が、灰色の大地を踏みしめながら何度も大剣を振り下ろしてくる。

 オレこと二瀬野鷹はそれを必死に受けながら、ジリジリと後退し始めた。

 視界の端には、オレをかばって負傷したエスツーが倒れている。

「それが娘を犠牲にすることになってもか!」

「犠牲にしたのは娘じゃない。私は国津……玲美だから!」

「それでも娘として育てたんだろ!? どうしてだ、玲美!」

 右、左と交互に迫る金属の塊をレクレスで打ち返しても、その威力を完全に消すことが出来ずバランスを崩さないために一歩下がる。

「ママが死んでいたなんて、知りたくもなかった!」

 頭部を覆うはずのヘッドドレスとバイザーはすでになく、頬についた血を一筋の透明な涙が洗い流していった。

「だから、オレがその未来を変えてやる!」

「そこにキミがいなくて、何のハッピーエンドを語るつもりなの!?」

「今よりマシな未来を探して、何が悪い!」

「もっと良いもの探して、私が繰り返すよ!」

「そんな不確実なもの、認められるか! お前がいつジン・アカツバキに負けるかもわからない。さっきも聞いただろ? 十二年前に戻ることが出来れば、何もかもが元通りに」

「それを元通りと、呼べるの!?」

 論理で説き伏せようとしたところを大声で遮られる。

 今までより力を込めて、型も何もない無造作な剣が振り下ろされてきた。それをレクレスで受け止めると、玲美の顔が近づいてくる。

「元通り、だろ。オレがいなくて、お前らはオレのことすら知らずに生きていく。幸せだろ」

「それが元通りだと言うのなら、ジン・アカツバキの十万年計画ですら元通りだって呼べるよ」

 その反論にオレは返す言葉がなかった。

 玲美の言う通りだ。結局のところ、オレたちは自分たちが見たい未来をエゴで押しつけようとしているだけなのだ。

 二瀬野鷹は己のいない未来を。

 国津玲美はそんなオレすらもハッピーエンドになる物語を。

 ジン・アカツバキは人類全てが築く輝かしくも優しい歴史を。

 比べてみても、オレだけが矮小な目的で、間違っている。

「だけどな、国津玲美」

「もう言い訳は聞かない」

「オレを不幸だなんて言うなよ」

「誰が見たって、キミが幸せだったなんて思えないよ」

 悲しげに笑う彼女の顔を見て、オレは唇を噛む。

 これだけは言わなければならない。

「少なくとも、オレは精一杯やったろ」

 何度も何度も失敗してきた。

 結果が伴ったことなんて、ほとんどない。

 だけど、小学校のときからずっと、精一杯やってきた。

 男も希望すれば受けられるIS適性検査を、周囲に笑われながら受け続けた。

 体を鍛えるのだって忘れなかったし、IS学園に入っても大丈夫なようにずっと勉強し続けていた。

 玲美たちを守るために、隕石の前にも飛び込んだ。

 みんなが無事にタッグトーナメントを終えるために、無人機にも立ち向かった。

 ナターシャさんの愛機を守るため、一夏たちとも敵対した。

 小さな少女と出会って、彼女を守ろうと思った。

 ジン・アカツバキに殺されてから十二年間、四十院総司として生きたのは本当に地獄だと思った。

 それでも世界の裏から暗躍し、ジン・アカツバキに対抗するため、間接的には人を殺したかもしれない。

「精一杯やった結果がこれなんだ。不幸だなんて思ってねえよ、オレは」

 疲れた。

 もう足を止めたい。

 でも、みんなの笑顔を失うのは、もっと嫌だ。

 だからジン・アカツバキとヨウという二つの異物だけは、最終的に消し去らなければならない。

「キミがいてもいなくても、私たちは精一杯生きてる」

 彼女が告げた当たり前の事実に、頭を殴られたような衝撃を受けた。

「オレは……いらねえってことだろ。だったら尚更」

 言い訳のような言葉が、考えるよりも先に口から出る。

「キミはここで生きている一つの存在でしかないんだよ? 自分を大きく見せないでよ……もっと」

 彼女が大剣を捨て、大きく両腕を広げた。

 ディアブロの装甲が消え、国津玲美の抜き身の体が表に現れた。

 ホークを身につけたオレの体に抱きついているのは、特別鍛えられているわけでもない、ただの普通の十五歳の少女の体だった。

 少し癖っ気のある髪がピンで留められて、大きな瞳が目で潤んでいる。

「自分が存在することを許してあげて」

 優しい呟きがオレの体を伝わって耳に届いた。

 これが彼女の最後の説得だろうか。

 ……彼女は自分自身さえ殺し、なおかつオレを止めて、また旅に出る。

 終わりなき果てしない道のりの果てに、オレの幸せを見つけるのかもしれないだろう。

「ディアブロを返してくれ」

 だけど、二瀬野鷹が言えるのはそれだけだ。

 結局はそこに帰結する。

 二瀬野鷹が許しても、四十院総司が許さない。

 ジン・アカツバキの話を聞いた今では、前よりも決意が固くなっている。

 オレが犠牲になれば、元通りになるのだ。

 事態はすでにオレ個人の願望の域を超えた。

 国津玲美が、二瀬野鷹の体を押しのけるように離れ、後ろで手を組んで笑みを浮かべた。

「それじゃあ、また次でね、ヨウ君」

 もう一人のルート2が再びISを身にまとう。

 荷電粒子砲ビット八門が空中に現れ、二本の大剣を手にした黒い悪魔の騎士がオレへ刃を向けた。

「目標発見。ルート3・零落白夜、発動する」

 上空から聞こえた声にオレは空を見上げる。

 そこには白騎士と白式を掛け合わせたような、白いインフィニット・ストラトスが浮いていた。

「まさか、暮桜か!?」

 所々に桜の花びらをあしらった模様のある、かつて世界最強だった機体だ。

 そしてパイロットとして、織斑マドカが乗っていた。

「落ちろ、ディアブロ」

 雪片弐型と同じ形の刃を振り下ろす。

 その光る刀身が中程で空中に消えた。

 国津玲美がその存在に驚いて目を見開く。

「玲美!」

 手を伸ばして彼女を守ろうとするが、そのわずかな距離が届かない。

 そんなオレの方を振り向いて、彼女は困ったような笑みを浮かべた。そして、ディアブロを解除したのだった。

 オレたちのすぐ真上に現れた稲妻のような光が、ISを装着していない玲美の体を両断する。

 大きな血しぶきを上げ、少女の体が倒れていった。

 

 

 

 

 

 ジン・アカツバキたちとの戦闘に、一夏たちは劣勢に立たされていた。

 シーソーゲームのように追い詰めては追い詰められ、その度に誰かが突破口を開き、戦況をひっくり返す。

「そこの赤いの、ボサボサしてねえでさっさと撃ち落とせ!」

『負けるかっての!』

「そりゃこっちのセリフ!」

 未来の鈴が叫べば、現代の鈴が呼応するように撃ち返すが、オータムが手助けに入ってようやく一機の甲龍に対抗出来ているレベルだ。

「AICで動きを止めます、隊長! その間に砲撃を!」

「無茶をするな、リア!」

『AICまで使いこなすか、無人機が。だが、その程度!』

 黒兎隊二名が連携を取って、未来のラウラを追い詰めようとすれば、敵もその連携を断ち切るように動く。

「くっ、同じ機体だっていうのに、ラピッドスイッチがさらに速い!」

「カスタマイズされてるって言っても、第二世代であそこまで戦えるなんて、未来のシャルロットちゃんは化け物なの!?」

『なかなかに武装の幅が広いようだけど、遅いよ!』

 シャルロットのラファール・リヴァイヴと沙良色悠美の打鉄という二つの第二世代カスタマイズ機を、未来のシャルロットが一人で押し返す。

『鋭角で曲げられないレーザーなど、弱いにも程がありますわ!』

「曲げられずとも、本人の創意工夫でどうとでもいたしますわ!」

「セシリア・オルコット、前に出過ぎよ! 相手の軌道を読みなさい!」

 直角以下の角度で襲いかかるBTレーザーの猛威に、セシリアは逃げ惑うことしか出来ずにいた。そこへ推進翼を損傷したナターシャが地上から援護の射撃を撃つことで何とか均衡を保っている状態だ。

『簪ちゃん、一斉射撃、お姉ちゃんが前に出るわ』

『了解……一気に行きます、当たらないように気をつけて』

『あら言うようになったわね!』

「くっ、バビロンの出力でも追いつかないなんて……どんだけの水を操れるのよ、あれ!」

「ナノマシンの世代が違う? ……打鉄の山嵐も春雷も発射速度が早い……かも」

「二人とも、俺が前に出る。後ろから援護を頼む!」

 そこの戦場は未来の更識姉妹が放つ強力な連携に、楯無と簪の二人の前で一夏が盾として全面に出ることで、何とか対抗をしている形だった。

 各々の戦場を千冬が見回す。

 いずれにしても劣勢だ。

 ISの数は上でも、敵の方が練度も高い。士気は同等でも、細かな動きが洗練されてる。

 なおかつ敵はいくらでも復活してくる上に、諦めることを知らない。隙をついて反撃をしても、必ず立ち上がってきていた。

「よそ見をしている場合か?」

 千冬もジン・アカツバキが操る四本の腕によって翻弄されていた。

 二本までは読み合いで返すことが出来ても、何もない空間から現れる副腕に手を焼いている。おかげで零落白夜による攻撃すらまともに当たらない状況だ。

「千冬さん!」

 箒も千冬に加勢する形で、突如出現する斬撃を手に持った刀で防いでいた。さすがの千冬であっても、敵の自立思考型ISの放つ無尽蔵な攻撃全てに対応し切れていなかった。

 ついに戦場の一つで悲鳴が上がる。

 ブルーティアーズのライフルが、相手の攻撃で破壊され、推進装置を失い地面へと落下を始めた。

「セシリア!」

 鈴が駆けつけようとしたが、そこへ甲龍から放たれる空圧砲の連撃が襲いかかった。同時に投擲された二本の青竜刀が生きているように動いてオータムの腕部装甲を吹き飛ばす。

「鈴!」

 シャルロットが鈴を助けようとロングライフルを持ち出した瞬間に、相手が懐に潜り込んできた。パイルバンカーによる打撃で浮いた機体を、右手のグレネードランチャーで追い打ちをする。さらに振り向きもせずに撃ち放った砲弾が悠美の打鉄に直撃した。

「シャルロット!」

 ラウラが砲門の一つをシャルロットたちへ向け、更なる追撃を防ごうとする。相手は見逃さず右肩のレールガンから黄金の機体を狙い撃った。さらに近づいてきたリアのレーゲンに対してはAICを発動させ、完全に動きを止めに入った。

「ラウラ!」

 一夏が直撃を食らったルシファーに向けて、援護の一撃として荷電粒子砲を放とうとした。その左腕に打鉄弐式の薙刀が振り下ろされる。

「一夏君!」

 白式へ攻撃を食らわせた機体へ、楯無が水をまとった槍を投擲する。だがそこに立ち塞がった機体が槍の水を巻き取り、自らの槍へと吸収した。さらに巨大になった槍が更識姉妹へ撃ち返され、地面にぶつかった瞬間に水蒸気爆発を起こして二人を吹き飛ばした。

「一夏、会長! 簪!」

 千冬の後ろで空間を抜けて現れる刃を相手にしていた箒が、友人のピンチに走り出そうとした。しかしその背中を狙い澄ましたように、何もない場所からジン・アカツバキの腕が現れ、その首を掴み上げる。

「くそっ!」

 たった一撃からの、雪崩れ込むような攻撃で、戦線が崩壊する。

「さすがに自らの可能性には勝てぬよ。それはまた人類全体も然りだ。可能性に賭けるのだ、織斑千冬よ」

「だからといって、生きている人間たちが犠牲になって良いはずがない!」

 千冬の一撃が紅蓮の機体へ振り下ろされるが、相手は易々と受け止めた。

「何を言う。犠牲は常に払われているだろう。お前の周囲がたまたま犠牲になっていないだけだ。違うか、織斑千冬」

 それに返す言葉は、千冬にもない。

 所詮は織斑千冬自身も、一人の人間として生きている身だ。どれだけ力があろうとも、手の届く範囲など知れている。

「犠牲を無くすなどと大層なことは言わない。だが余計な犠牲を少なくすることぐらい、出来るかもしれないだろう」

 その苦悩を読み取ってか、信仰に満ちた宣教師のような微笑みで、ジン・アカツバキが優しく囁いた。

「エゴを殺すことで人間が進むとでも思っているのか」

「また十万年前からやり直せ。それで答えが見えるだろう」

 千冬の背中へ、斬撃が振り下ろされた。

 死角を突くように現れるジン・アカツバキの副腕が、とうとう英雄の背後を捕らえたのだ。

 強烈な一撃を受け、推進翼と背部装甲を破壊されながら、千冬が前のめりに倒れる。

 ここまでか?

 千冬にとっては、最悪の敵だ。

 性能ではなく、大きな罪悪感を抱える千冬の心を神が揺らすことで、彼女の剣がわずかに鈍るのだ。

 彼女の中では一夏はすでに死んだ。

 未来から来た一夏ではなく、織斑一夏として育ちドイツへ渡り、少しだけ逞しく育って帰ってきた一夏は死んだのだ。

 何よりの宝物だった。

 少しだけ生意気になってきたが、それでも可愛い弟だ。

 まだジン・アカツバキの問いに、織斑千冬自身が答えを見つけていなかった。

 ここで死に絶えるのも良いかもしれん。

 懐かしい笑みを思い出して、千冬は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと降りてきた暮桜を、オレはチラリと一瞥する。

「マドカ、か」

「篠ノ之束の依頼で斬った。成功はしなかったが義理は果たした」

「そうか」

 オレの胸の中では、国津玲美がぐったりとしていた。

「エスツー」

「……これはもう無理よ。ルート3によって、心が……いいえルート2が完全に切断されてるわ。さすが次元を切る刃ということね」

 名前を呼ぶと、彼女が申し訳なさそうに答える。

「死んだってことか?」

「ディアブロを展開してた状態なら、心は生きてたかもしれないけれど」

 だけど、彼女は何故か最後にディアブロを解除したのだ。

 オレは少女の体を抱きしめた。

「何を悲しむ。お前とて、その女を仕留めるつもりだったんだろう?」

 マドカが不思議そうに尋ねてくる。こいつもジン・アカツバキの話を聞いて、オレたちの戦闘を遠くから見ていたんだろう。

「そうだな」

「ならば、構うまい」

 ……ああ、そのとおりだ。返す言葉がねえや。

 ジン・アカツバキの話通りにするには、オレは国津玲美を力尽くで止めなければならなかった。

 十二年前に戻るために結局、オレは彼女を殺めたかもしれない。その可能性だって否定は出来ないのだ。

 だからマドカを責めることが出来ない。コイツはオレの代わりを手っ取り早くこなしただけなのだ。

 血の気のない国津玲美の頬を一度だけ撫でて、死体を抱き上げ、オレはゆっくりと立ち上がる。

「エスツー、行こうぜ」

「……ヨウ」

「ジン・アカツバキを倒しにさ」

 玲美が死ぬことがわかっていてディアブロを解除した理由は何となくわかる。こいつがなければオレも死ぬのだ。だから自分自身が死んでも、ディアブロは残した。

 どこまで行ってもオレの幸せを願ってたってことだろう。それはつまり息絶える瞬間まで、オレのことしか考えてなかったってヤツだ。

「お前は、場違いなのか」

 暮桜を身にまとった織斑マドカが、再びオレに問いかけた。

 それは連隊での戦闘時に、彼女が一夏に言われた言葉だろう。

「場違いか。まあ気にすんなよ。お前はあの世界の人間だ。場違いとかあるわけねえだろ」

「お前は、十二年前に戻ってやり直すのか?」

「わからん。話はそれだけか?」

「もう一つ聞きたい」

「よく喋るヤツだな」

「お前が十二年前に戻ったとして、私が違う道を生きることは、あり得るか?」

 彼女が珍しく何かを恐れるように、オレへと投げかける。

 正直、織斑マドカのことをオレはよく知らない。四十院総司としては、亡国機業についてあまり興味がなかったというのもある。

「そりゃお前がお姉様と一緒に、一夏とも仲良くやって、楽しく過ごす人生があるのかってことか?」

「想像が出来ん」

「一つだけ言わせてもらえば、オレがいようといなかろうと、お前はお前だったよ。織斑一夏を殺そうとし、IS学園に襲いかかり、亡国機業にすら牙を剥こうとした」

 オレの回答に彼女は少し目を丸くした後、ゆっくりと獰猛に笑った。

「なら良い。反吐が出るからな」

「お前も来るか?」

「一緒には行かん」

「そっか。んじゃこれ以上、邪魔すんなよ」

「それは約束出来ん」

「まあ、邪魔したら、殺すわ」

「良いだろう、やってみせろ」

 マドカはオレに背中を向けて、ゆっくりと飛び上がると十メートルの高度から一気に加速して消え去った。たぶん戦場を探していったんだろう。

「来い、ディアブロ」

 オレが小さく呼ぶと、黒い装甲が体を包む。四枚の翼の、悪魔ような機体だ。

 足下に影が差す。見上げれば、上空に舟のような物体が浮いていた。そこには神楽や理子、国津や岸原がいるようだ。

「ヨウ……」

「行こうぜエスツー。終わりを、探しにさ」

 玲美の体を抱きかかえたまま、オレはゆっくりと上昇し始めた。

 

 

 

 

 

 織斑一夏たちISパイロットは全員、灰色の地面に倒れ伏していた。

 それを見下ろしているのは、未来の再現をしたパイロットたちだ。

『さあ、機能を停止させなきゃ。こいつら無人機はしつこいんだから』

 灰色のミステリアス・レイディをまとった更識楯無が指示を出す。彼女の仲間たちが、それぞれの武器を構え、倒れているISたちのトドメを刺そうとしていた。

 これで最後か。

 沙良色悠美が目を閉じた。

 訳も分からぬまま、ここまでやってきた。訳が分からぬなりに意思を持ち、精一杯戦った。

 それでも相手は強力で、歯が立たなかった。

 諦めたくはない。ジン・アカツバキの言う通りなら、十万年前から人類全体がやり直しをされる。存在すらなかったことになるのだ。

 そんなことは許されない。生きている人間はおろか、死んだ仲間たちの生きてきた証ですら消え去るのだ。

 だけど、力が出てこない。

 かろうじてISは展開されているが、装甲はボロボロで、エネルギーも残り少ない。

 立ち向かう武器がないのだ。

「……まだ、負けてたまるかよ」

 そんな中、一人の少年が立ち上がった。

 白い機体をまとった織斑一夏が、刀を杖にして足を上げる。

 その様子に『未来の再現たち』が少し驚いたような顔を見せた。

「負けてねえよ、俺は」

 彼に諦める気は無い。

 だが、そのISもまたボロボロで、戦える力が残っているようには見えなかった。

「まだ立ち上がるか。さすがは織斑一夏だ」

 千冬を見下ろしていたジン・アカツバキが呆れたように呟いた。

「ここまで来て、負けて終われるかよ……」

 唇を噛み、失われそうになる意識に鞭を打って、織斑一夏が立ち上がる。

 だが、足下すらおぼつかない有様で、戦うどころか顔を上げる力さえない。

「さすがは私が敬愛するマスターの仲間たちだが、さすがもう終わりだ」

 ジン・アカツバキが足下の千冬に対し刀を振り上げる。

「さあ、死ね」

 その言葉を合図に、灰色のISたちが足下に倒れた人間たちへ、最後の一撃を撃ち放とうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前が、死ねよ」

 その少年の呟きとともに、空から八つの光が降り注いだ。

 灰色のISたちが、焼き尽くされていく。その全てが光りの粒子になって消え去っていった。

 ジン・アカツバキだけが間一髪で飛び退き、難を逃れる。

「やはり来たか!」

 彼女が見上げた先の空に、巨大な翼を広げ、腕を組んだ姿でゆっくりと降りてくる黒いISが存在していた。

「そろそろ、決着をつけようぜ。目指すのは、ハッピーエンドってヤツだ」

 倒れた彼女たちの上に、白騎士弐型・ディアブロを身にまとった二瀬野鷹が姿を現した。

 紅蓮の神が二本の刀を構え、その悪魔を見上げる。

「この宿縁、ここで終わりにするとしよう」

 ニヤリと笑うジン・アカツバキに対し、その男もまた笑い返す。

「見せてやるよ。オレの生き様ってヤツを」

 高らかに謡って、二瀬野鷹は翼を羽ばたかせた。

 

 

 

 

 

 



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47、メテオブレイカー(ディアブロズ・ブラック)前編

 

 

 

 

 織斑マドカが国津玲美を殺した後、オレこと二瀬野鷹は彼女の亡骸を持って方舟へと合流した。

「シジュ!」

「ヨウさん!」

 国津と神楽が甲板へ降り立ったオレの元へ駆け寄ってくる。

「……それは」

 オレの抱える少女の亡骸を見て、国津が震える声で尋ねてきた。

「玲美だ。お前の娘さんだよ」

 四十院総司の言葉を二瀬野鷹の姿で喋る。その演技に集中することで、幾分か冷静になれた。

「……キミが殺したのか」

「んなわけねえだろ、国津」

 鼻で笑いながら、そっと彼女を冷たい板の上に寝かせる。

 国津の膝が崩れ、冷たくなった娘の手をそっと握った。

「……なんでこんなことに」

「知らねえよ」

「シジュ!」

 投げ捨てるように言い放った言葉に、少女の父親が顔を上げた。怒りと悲しみの織り混ざった複雑な表情だった。

「生き返らせろとか言わないでくれよ、国津。オレにだって出来ることと出来ないことがある」

 出来るのは、生き返らせることじゃない。全てをなかったことにすることだけだ。

「ヨウさん……いえ、お父様」

 神楽もまた悲哀に満ちた顔をしている。

「悪かったな。どうにも、こういう結末になっちまった」

 神楽の目を見ることが出来ずに、空になった自分の手の平を見つめた。

 装甲で覆われたこの手に、掴めたものなんて一つもない。

「……玲美は、玲美はどうして」

 娘が胸元で両手を握りつぶすようにして、悲しみを噛み殺していた。

 いつからだっけなぁ。オレの前であんまり感情を見せなくなったのは。オレが忙しそうだったから、邪魔にならないようにとか考えたんだろうか。

 奥歯を噛み、目を閉じてから小さな深呼吸をする。それから必死に笑顔を作った。

「あの子にはあの子の、やりたいことがあったのさ」

 彼女の頭を軽く撫でてから、オレは背中を向ける。

 こんな短い時間しか笑顔が浮かべられないなんて、四十院総司も落ちたもんだ。

「お父様……」

「でも、ホントになあ。なんつーか」

 大事なことを言い忘れるヤツだよ、ホント。他愛のない日々を思い出せば、最初っからそうだったなぁ。

 ……感慨に浸るのはここまでだ。

 やれることは一つだけである。その最大の障害をここで取り除くべきだ。

 鈴のアスタロトのバックアップについた岸原親子が、目の前の仮想ウインドウで作業をしながら、ちらりとオレの方を見つめる。

「心配しなくても良いって」

 笑顔で短く告げ、オレは舳先に立つ篠ノ之束へと歩き出した。

「やあ」

 世紀の大天才が軽い調子でオレへ手を上げる。

「おう。この姿で会うのはハジメマシテか」

「思ってた結果と違ったけど、マドカ、どうしたのかな?」

 音もなくオレの背後に降り立った少女へ、問いかけが向けられた。

「ディアブロを斬る、という依頼は失敗した。まさか相手がISを引っ込めるとは思わなかったからな」

 悪びれずにマドカが興味なさそうに言い放った。

 マドカは良くも悪くも、誰の味方でもなさそうだ。その証拠に、方舟へと合流する間も一切攻撃を仕掛けてくることはなかった。

「んー。じゃあディアブロはまだ機能を生かしてるわけか」

 束がISをつけたままのオレにツカツカと近寄ってきて、後ろに手を組み、顔を近づけてしげしげと観察を始める。

「これがエスツーの作った白騎士ってわけかー。やっぱり独自の進化っていうか、パイロットに合わせた兵装を展開してるみたいだねえ」

 物珍しそうに、ISの開発者がディアブロの装甲にぺたぺたと触れ始めた。

「アンタは何がしたかったんだ?」

「ん? もちろん、この世界の存続だよ。せっかくの『インフィニット・ストラトス』を、このまま消滅させるなんて」

 オレの問いに、少しも悪びれず束が小首を傾げる。

「ディアブロを攻撃させたのは?」

「ルート3で破壊すれば、ディアブロはさすがに止まる。紅椿も同じだね。零落白夜は抑止力の役目も担ってるから」

「なんでせっかくの『インフィニット・ストラトス』を止めようとした?」

「そこに込められた意思に気づいたからだよ。私にとっては、その意思はとても優先すべきものだったし」

 束がオレに向けて射貫くような視線と言葉を向ける。

 高校生の二瀬野鷹であったなら、怯んだかもしれない。

 だけど、そんなものはとうの昔に置いてきた。

「意思ってのは何の話だ?」

「キミが存在する意味さ。おかしいと思ったんだよね。エスツー」

 今度はオレを超えて、後ろに立っている女性へと問いかける。少しだけ責めるような口調なのは、気のせいなんだろうか。

「何の話かしら?」

「まだ黙ってるつもり? くーちゃん、『彼』の映像を出して」

 船の中心部にいる自分の養女へと声をかけると、オレたちの目の前に、一つの大きなホログラムウインドウが浮かび上がった。

 そこには瞼を閉じた少年の顔が映っている。十歳ぐらいだろうか。あどけない顔つきの子供だ。

「誰だよ、これ」

「そんな訝しげな顔をするもんじゃないよん。これはキミさ」

「はぁ?」

「そりゃあ元の体があるに決まってるじゃない。キミがルート2という機能により抜き出された心ってことは、抜き出される前は体があったんだから」

「まあ、そりゃそうか。しっかし、これがオレ?」

 一つたりともピンと来ない。何せ記憶にない話だからな。

 オレが覚えているのは、大学生っぽい雰囲気だったオレと、二瀬野鷹、そして四十院総司であったことだけだ。

 束の頭に生えている兎の耳のようなユニットが、ピョコピョコと動いてエスツーの方を向いた。

「エスツー。これは誰?」

 また妙なことを言い始めたな。

 相変わらず他人に理解出来ない言動をするヤツだ。

「もう行くぞ」

 これ以上話に付き合っても、良い話は聞けそうにない。

 やることは決まってるんだ。

 オレは甲板を走り、縁に足をかけて空中に飛び降りた。

 四枚の翼を広げて、一夏たちとジン・アカツバキたちが立つ戦場へと向かう。

 その道すがら、機体状態をチェックし始めた。

 荷電粒子砲ビットは八つのうち二つしか生きていない。

 だけど、この先はやるしかない。

 全てのウインドウを閉じて、前を向こうとした。そのとき、視界の端に妙なウインドウが浮かんでいることに気づく。

「……2って何の意味だ? ルートがねえな」

 そのウインドウは、大きくでかでかと数字を表示しているだけだった。

 何を意味してるのか、と考えたが、元々はよくわからない機体だ。考えても仕方ない。

 さあ行こう。

 ジン・アカツバキをぶっ飛ばすために。終わりはそこから始まるんだ。

 玲美。悪いけど、力を貸してくれ。お前たちの望むものはそこに無いけれど、頼むわ。

 そこまで呟いて、オレは自分の思考を鼻で笑う。

 ……何を今更、誰かに頼ろうとしてるんだ。

 推進翼を点火させ、イグニッション・ブーストをかけようとした。

 仕方ないなぁ。

 誰かが耳元でそう呟いた気がする。

 最後まで残っていた、数字だけのウインドウが点滅し始めた。

「……え?」

 荷電粒子砲の修復、開始。

 追加兵装の展開、開始。

 ルート2、次段階への移行、開始。

 目まぐるしく仮想ウインドウが開いては、一瞬で消えていく。

 行くよ、ヨウ君。

 推進翼が巨大化し始め、機体装甲がより鋭い形へ変化し始めた。

 その後に、背後にいくつもの新しいビットが浮かび始める。そのどれもが、荷電粒子砲に巨大な推進翼をつけたような、ISほどもある大きさの兵装だった。

『追加武装:RK』

 国津玲美(KunituRemi)

 今、オレの背中を押す力を、確かに感じた。

 

 

 

 

 

「あーあ、人の話も聞かずに」

 篠ノ之束は、二瀬野鷹が飛び去った方向を見つめながら、呆れたような顔で呟いた。

「さて、私も行くわ」

 青い装甲のISを身にまとい、エスツーと呼ばれている女性が歩き出す。

「壊れた紅椿の二番機で、どうするの?」

「修復は完全ではないけれど、何かの力にはなれるでしょうし」

 強ばった口調で告げ、甲板の端で推進翼を広げようとした。

「それでエスツー、この少年の両親は誰?」

 飛び立とうとするエスツーを、 篠ノ之束が鋭く冷たい言葉で制止させる。

「さて、何の話かしら。二百年後の織斑一夏と篠ノ之箒のクローン、その二人の子供ってだけじゃダメなの?」

 呼び止められた方は、少しトボけるように答えた。

 小馬鹿にしたような顔で、束がわざとらしくため息を漏らし、

「織斑一夏のクローンは、基本的に存在しないはずだろうねえ」

 と呟いた。

「どうかしらね」

「そんな戦争の種にすらなりそうなものを、ちーちゃんが後世に残すはずがないし」

「……さて、どうかしら」

「カンかな。女のカン? そんなものは私にはないかあ。じゃあ、推測でいいや。この『時の彼方』の中心の位置座標は、二百年後の時間座標と同じ場所」

「そうね、それをISのエネルギーで膨張させ、貴方たちの時代の時間座標まで時を超えることを可能としている」

「つまり、私がいた時代と二百年後までの時間、その全てが繋がってるわけだよねえ。ルート3・零落白夜さえあれば、その間にだけなら、時間移動が可能な状態ってわけだ、そういうわけだ」

「そうね、そうなるわね」

 振り向かずに答え続けるエスツーに、篠ノ之束は少年の寝顔が映った仮想ウインドウをつまみ上げ、投げつけるようにして投影場所を移動させる。

「じゃあエスツー、再度、質問。この少年の両親は誰?」

 再び繰り返された質問に、青い装甲の肩がビクリと跳ねた。

「……織斑一夏と篠ノ之箒の、クローン」

 彼女の返答は、明らかに動揺を覚えているとわかるほどに、声が震えていた。

「ウソだよね」

 妹を優しく叱る姉のような笑みを、篠ノ之束が浮かべていた。

「貴方がディアブロを破壊する、なんて暴挙に出ようとしたのは、それを確かめようとしたせい?」

「もちろん、確信を持って、破壊しようとしたのさ。全てを説明する必要がある?」

 最後の言葉だけが、少し責めるような語気を帯びていた。

「ないわね。おそらく貴方が推測した全てが正解だわ」

 泣くような声で答えるエスツーの元へ、篠ノ之束が歩いて近寄る。

「エスツーはさ、私たちの時代から二百年後に、存在しないはずの織斑一夏と本物の篠ノ之箒に出会ったってわけなんだ」

 その質問に、エスツーは顔を見られないよう頭を垂れたまま、小さく頷くだけだった。

「ここが始まり、か。じゃあ、私たちはやっぱりディアブロを止めなければならない。破壊してでも。違う?」

「ちが……わないわ」

「私がディアブロを破壊しようとしたのも同じ理由。あの二人の子供を、救いたかった。私の可愛い箒ちゃんなら、そう願ったかなぁって」

 懐かしむような眼差しで、虚空を見つめる。

「違わない、それは合ってる」

 青い装甲を身につけた白衣の女性が、束と同じような視線を見つめる。

「もう一つ、ウソを暴こうかなぁ」

 人差し指を頬に当て、世界最高の頭脳が悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「もういいわ」

「十二年前から改変した場合、未来から来た人間はどうなる? キミはあの子たちにこんなウソを答えたね。すでに存在しているものだから、いるものとして未来が確定していく、と。これはウソだね。大きな大きな、とんでもないウソだ」

「もう……いい」

「十二年前から後に生まれた未来人は全て、いなかったことになる。十二年前から歴史が刻まれるだけ」

「だから、束! もう!」

「エスツー、キミの目的は全て犠牲にして、一番最初の世界をやり直しにさせ、二百年後の過ちを正すことかな」

「束!」

 悲痛な表情で振り替えし、エスツーは束の襟元を掴む。その息は荒く、ウソを暴こうとする天才に対する殺気に溢れていた。

「さあ、離して話して放してごらんよ。例えば、二百年後の少年『ヨウ』が生まれるときに、キミは犯した罪をさ。血気盛んな才気溢れる天才が犯した罪をやり直したいんだよね?」

 それでも相手は余裕の溢れる態度を崩さす、楽しげな顔のままエスツーを見下ろすだけだ。

「そうよ! それの何が悪いのよ! 私が殺したと同じ、私は何故か二百年後に現れた織斑一夏と篠ノ之箒を、遺伝子強化試験体研究所に渡してしまった! 紅椿を覚醒させてしまった! 失敗の連鎖よ! 過ちをやり直すことの何が悪いのよ!」

「ふふふふ、さあ漏らしたね。あははは、告げちゃったね。キミの目的はやっぱりそうか。十二年前から『隕石を壊さずに』やり直して、もう一度最初の世界を再現し、自分の失敗を正すことかぁ。そうすれば、ヨウって子は、少なくとも親と一緒に成長して幸せになる可能性があるからね」

「だから、それの、何が悪いのよ!」

 束の胸に顔を埋め、金切り声で叫ぶ。

「悪い? 悪くない? 善悪を語るのかな? それとも諸悪を語るのかな?」

 それでも篠ノ之束は容赦しない。

 篠ノ之束は独善的であり、自分の善悪を完全に把握している。ゆえに間違いはあれども自分に嘘を吐くことはなく、言いたいことを言う。だから彼女は煙たがられる。誰よりも優れた頭脳の持ち主が告げる言葉は、常に真実なのだから。

 そして真実を突きつけられるはつらいことだ。

 それが篠ノ之束に近い頭脳を持つ人間であっても、篠ノ之束より優れていなければ、優位性のある真実が胸に突き刺さるのだ。

「エスツー、聞いてみなよ。彼に気持ちを聞いてみなよ」

「何を聞くのよ! この時代まで来て、自分の体もない心だけの存在になった子が、幸せだなんて」

「そんなの、あの子以外の誰にもわかんないじゃん」

 楽しげに人の罪を暴いていた束の言葉が、氷点下に冷やされたナイフのごとき冷たさを帯びる。

「……束」

「織斑一夏や篠ノ之箒と同じ時代に生きて。息を吸って吐いて、血液を循環させ指を動かし足を進ませ、ISを操って空を飛ぶ。十二年前より復讐のために生きてきたとか、そういうことじゃないんだよね、きっと」

 すがるように抱きつくエスツーの体を優しく剥がし、彼女の瞳を見て優しく笑った。

「彼はきっと世界を愛してるよ、この私と同じように。そうでなければ」

「だけど……」

「だから自分が許せない」

 彼女の言葉は、まるで遠い誰かに問いかけるような響きをしていた。

 

 

 

 

「ヨウ……?」

 誰かが彼の名前を呟いた。

 それに構うことなく、八つの雷撃がごとき光は、唯一生き延びたジン・アカツバキへと集中して注がれる。

 灰色の空高くに現れた、禍々しい光沢を持つ黒い悪魔のようなインフィニット・ストラトス。

 ディアブロと呼ばれた存在を、超越者を名乗るISが仰ぎ見た。

「ヤタのカガミ!」

 紅蓮の神が自分を守るために展開したのは、全ての光を跳ね返す神器だった。その兵装は、今まで光学兵器の全てを弾いてきた。ディアブロの周囲に浮かぶ巨大な荷電粒子砲も同様だ。

「うぜえんだよ、その盾は! ダンサトーレ・ディ・スパーダ!!」

 二瀬野鷹の背中から、二枚の推進翼が回転しながら落下していく。

 自由意思で飛行する巨大な剣が、地面すれすれまで近づいた後、横方向に回転しながら敵に襲いかかった。

 荷電粒子砲を跳ね返した銅鏡のような盾を、巨大な刃が貫いてただの土塊のように破壊する。

「ひれ伏せ、クソッタレIS野郎!!」

 防御が失われた敵へ、ディアブロの荷電粒子砲八門が同時に撃ち放たれた。強大な圧力を持つ幾筋もの輝きが、敵を地面へと抑えつけにかかる。

黎烙闢弥(れいらくびゃくや)!!」

 だがジン・アカツバキは即座に両刃の短刀のような武器を抜き出して、上方へ振り上げた。

 そこから伸びた光の刃が、天を貫かんばかりの大きな光の柱となる。

 荷電粒子砲ビットを、撃ち放たれた攻撃ごと薙ぎ払った。ディアブロの周囲に浮かぶ遠隔操作兵器の全てが大爆発を起こして消えさった。

「貴様を倒せば終わりだ!」

 紅蓮の神の巨大な鉄槌が、空に浮かぶ悪魔へと振り上げられる。

「今更、んなもん!」

 だがスピードが最大の武装であるディアブロは、超巨大エネルギーブレードをスレスレで回避してから、ソードビットを回収し背中に合体させた。

「落ちろ、二瀬野鷹!」

「誰が落ちるか、チクショウ!」

 本来の推進力を取り戻したと同時にスピードを上げて、二瀬野鷹は自身を弾丸と為すべく左腕を伸ばし、敵へと音速を超えて降下する。

 狙いは、巨大な剣を振り払った後の隙だった。

 相手の兵器はその大きさゆえに小回りが効かない。そこを見抜いての突撃であった。

「甘い」

 しかしジン・アカツバキも動きを読んでいたのか、背中から生えた二本の副腕に刀を構える。

 空気の壁を破壊しながら迫る黒い悪魔へ、飛び上がりながら神速の刃を斜め下から振り上げた。

 鋭いカミソリのような一撃が、二瀬野鷹の左腕を根元から吹き飛ばす。

 べクトルをずらされたせいで、ディアブロがジン・アカツバキから大きく外れた場所へと激突した。

 地響きが周囲を揺らす。周囲の瓦礫が大きく跳ね上がった。その土塊が宙に浮いている間にも、紅蓮の神が次の攻撃を準備していた。

「トドメだ」

 ジン・アカツバキが、今までの数倍は大きいであろう光の柱を、不倶戴天の敵である二瀬野鷹へと振り下ろした。

 

 

 

 

 

 二機の放つ攻防に灰色の大地がが揺れ続ける。

『全員、こちらへ待避!』

 倒れていた一夏たちの上から、鋭い口調の命令が響いた。空を見上げれば、自分たちが乗ってきた方舟が降下してきていた。

 声の主は方舟の中心で、操艦を担当しているクロエ・クロニクルだった。

「だ、だけどヨウが!」

『今のお前たちに出来ることはない。あの威力の攻防に巻き込まれては、いかに白式といえども一瞬で吹き飛ぶ』

 一夏の反論が冷たい口調で遮られた。何か言いたげに方舟を見れば、船の縁にエスツーが立って覗き込んでいるのが見える。

 その様子を見た一夏は、ジン・アカツバキとディアブロの戦いを一瞥して悔しそうに唇を噛んだ。

「千冬姉、一度撤退してくれ。何かあったみたいだ」

「……ああ。了解だ」

「他のみんなも、スラスターが生きてるヤツは手を貸して、すぐにここを離れる。方舟ごと巻き込まれるわけにはいかない」

 一夏の指示に、ボロボロになった他のパイロットたちも、手を取り合って上空の母艦へと帰投していく。

 最後に飛び立とうとしていたラウラが、未だに地面に足をつけたままの一夏と視線を向けた。彼はその意図に気づいて、何も言わずに首を横に振る。

 ラウラが呆れたようにため息を吐いて、ゆっくりと方舟へ向かっていった。

 甲板に降り立つと同時に全員がISを解除し、船の縁からヨウとジン・アカツバキたちの戦闘へ目を懲らす。

「あれだけ苦労した、灰色のISを一撃でしたわ」

「どんだけバカバカしい戦闘よ」

 遠ざかっていく方舟の上で、セシリアと鈴が半ば呆れたようにぼやく。

 まるで自分たちの進化形とでも言わんばかりの存在たちに対し、彼女たちの旗色はかなり敗色濃厚だった。何せ敵は諦めず、諦めない限りはジン・アカツバキより送られたエネルギーにより、復活と進化を果たすのだ。

 未来の再現とでも呼ばれるべき敵機たちを、ディアブロは一撃で葬り去った。それらが、何かを思う暇もなく、粉微塵に砕きすりつぶしたのだ。

 ここは、アイツらに任せるべきか。

 ラウラが心の中で悔しげに決断をしようとしたときだった。

「……玲美ちゃん?」

 沙良色悠美がポツリと少女の名前を呟いた。

 全員が甲板の隅に寝かされた少女を見つめた。その側には彼女の父親が拳を握り、うつむいていた。

「え? 玲美?」

「玲美さん?」

「玲美……」

 かつてのクラスメイトたちがその名を呼べども返事はない。

「理子? ……玲美はどうした」

 ラウラが問いかけると、少し離れた場所から、

「織斑マドカが殺したわ」

 とエスツーが答える。

「殺した……?」

 眉間に皺を寄せて尋ねるラウラに、エスツーは首を横に振った。

「彼女はもう一人のルート2、未来から過去へと戻り、歴史を変えようとしていた。つまりジン・アカツバキと異なる勢力だったのよ」

「どういう……どういうことだ!?」

 食ってかかるラウラが詰め寄るが、エスツーは悲しげに目を伏せ、

「この少女はヨウを殺して、また十二年前からやり直そうとしていた」

 と呟いた。

「裏切ったのか? 玲美が!?」

 要領を得ない回答に苛立ち、ラウラが手を伸ばして首を掴もうとした。

「世界は五週目に辿り着いて、二人目のルート2とジン・アカツバキは次のやり直しを行おうとしていた」

 船の舳先に立ち背中を向けていた束が、織斑千冬に向けて投げ捨てるようにセリフを口にした。

「国津、国津玲美は」

「国津三弥子という存在の中には、四週目の国津玲美が入っていて、それが邪魔しようとしたってわけ。それで私はディアブロごと破壊してしまおうと思いついたのさ」

「……束、何のために」

「何のため? 邪魔だからさ」

 当たり前のことを聞くな、と束が不快げな顔を浮かべた。

「……そうだな。そうだ、お前はいつもそういうヤツだった」

「ちーちゃん、今更でしょ。ジン・アカツバキも倒す、過去からのやり直しを行わせない。現状の戦力を考えればディアブロなんていらないわけだし。ジン・アカツバキを倒すだけなら、ルート3があれば足りるはず。まあ、嫌な予感がするから、私はずっと待機してるわけだけど」

 背中を向けたままの篠ノ之束が肩を竦めた。

「じゃあ、行こうか、ちーちゃん」

「見つけたのか」

「陽動ご苦労様ー。索敵完了さ」

 脳天気な束をよそに、千冬は遥か地表付近で行われる光の攻防へと視線を動かす。

「もう、やれることはないか」

「ここではね。そして、敵は私向けの敵を用意しているはず。なるべく温存していきたいけどー」

 束が黙々と他人のISを整備するエスツーを一瞥した。千冬も一瞬だけそちらを見た後、すぐに目の前の旧友に視線を戻す。

「方向は」

「上さ。ここに浮かぶ灰色の太陽へ。あれこそがこの『時の彼方』を膨張させる源」

「了解だ。攻撃手段は?」

「ルート1・絢爛舞踏を打ち破れるのは、ルート3・零落白夜のみ。それは理論上証明済みだから、ちーちゃんかマドっち、それかいっくんがいれば良いよ」

「零落白夜の有効射程は?」

「現状の白式と暮桜では、4キロが限界かなぁ」

「そこまで近づかなければ、意味がないというわけか」

「せめて、初代白騎士があればね」

 その名前を口にしたとき、束は妙に嫌そうな表情を浮かべていた。

「二人で決めて解体したのだ。悔やんでも仕方あるまい」

「で、どうする?」

 片眉を上げて挑発的に尋ねる束に対し、千冬は無愛想な顔つきを変えずにいた。

「もちろん、向かう」

 疲れた様子で頷く千冬へ、ナターシャ・ファイルスが、

「どこへよ」

 と至極まっとうな質問を投げかける。

「我々の目的は箒を救い出すことと、囮だった。それは二瀬野たちを信じて任せる」

「はぁ?」

「船に束を残していたのは、索敵のためだった」

「索敵? 何を探していたのかしら?」

 訝しげな様子のナターシャたちに、千冬は少し疲れたような顔で、

「もちろん、紅椿のISコアだ」

 と答えたのだった。

 

 

 

 

 

 二瀬野鷹がよろけながら立ち上がり、口に詰まった土を吐き出す。血が混じった砂利が灰色の大地へ飛び散った。

 彼がチラリと見た左肩の先は、すでに失われていた。ジン・アカツバキからの迎撃により、吹き飛ばされたのだ。

 まだこっちか。何の因果かねえ。ラウラにぶった切られたときと一緒か。

 心の中で自嘲しつつ、彼は空を見上げる。

 そこには紅蓮の神が、巨大なエネルギーソード・黎烙闢弥(れいらくびゃくや)を振り上げていた。

「くたばれ」

 逃げる場さえないように思われる攻撃を見てもなお、彼は不敵に笑う。

「残念だけどな、オレはもう一人じゃねえんだよ!」

 パチンと指を鳴らす素振りをする。

 攻撃を仕掛けようとしたジン・アカツバキが突如、上方からの攻撃を受けて地面へと吹き飛ばされた。

 その攻撃の元は、先ほど破壊されたはずの荷電粒子砲ビットだった。

「先ほど破壊したというのに!」

 凶暴な横殴りの強力な圧力を受け、紅蓮のISがふらついた。

「だからもう、一人じゃねえんだよ!」

 二瀬野鷹が叫ぶと同時に、今度は彼の背後の空間から、八つのビットが出現する。

 上空と横からという二つの方向から、通常のISなら一瞬で焼き尽くすほどの攻撃が、立て続けに仕掛けられる。

 予想外の連続砲撃から逃げることすら出来ず、ジン・アカツバキの手元から光の剣の元となる両刃の短刀が弾き飛ばされた。

 上方へは多数のビットを展開させ、正面には両腕と副腕を防御へと回して防御一辺倒の構えを取る。

「だが、この程度なら耐えられる!」

「さあて、どうだか……なぁ!?」

 ディアブロは荷電粒子砲の隙間を縫いイグニッション・ブーストで滑走する。すぐさま前方に宙返りをし、加速を乗せた状態で背後のソードビットを撃ち出した。

 空中を自走する二本の刃が、相手のシールドビットを弾き飛ばす。その攻撃で、上空への壁が破壊された。

 四つの腕が融解し始めたジン・アカツバキは、焦りの顔を浮かべながら後退しようと試みる。

 だが、すでにディアブロがすぐ間近まで迫っていた。

「ここで、過去の私を失うわけには!」

 紅蓮の神が地面を踏みしめ、腰を落とす。その動作とともに球形のシールドが彼女を中心に展開され、巨大なビットからの砲撃を遮り始めた。

「絶対防御か!! そんなものを使うなんて、よっぽど余裕がねえんだな!」

 ISの最大のガード機構である『絶対防御』は、通常のシールドを使うよりも多大なエネルギーを消耗する。いかに膨大な貯蔵量を誇るジン・アカツバキといえども、常時展開出来るような機能ではない。

「貴様を落とせば、いくらでも!」

「さあ、返してもらうぜ!」

 ディアブロのパイロットが挑発するような言葉とともに、切断され先のなくなった左肩を突き出して、突進をしてくる。

 その瞬間、ディアブロに変化が起きた。

 左腕のあった場所に光の粒子が集まり、日本刀を重ねたような鋭い形の左腕部装甲が出現する。

 それは、二瀬野鷹が左腕を失っていたときに展開されていたものと同じだった。

「やはり化け物ということか!」

「刺し違えてでも倒す!」

 絶対防御すら易々と突破し、二瀬野鷹が異形の左腕を伸ばした。

 ジン・アカツバキの背中から生えた副腕が、その攻撃を受け止めて弾き返す。融解し始めていたマシンアームが中間部分で折れてはじけ飛んだ。

「この邪魔者がぁぁぁ!」

 負けるわけにはいかないと、紅蓮の神が声を荒げながら、手に刀を出現させ横一文字に薙ぎ払った。

 今、全身をぶつけるような攻撃を跳ね返され、二瀬野鷹の体勢は大きく崩されている。

 彼を殺そうとする刃から、逃げることは不可能だと思われるタイミングであった。

 しかし、その顔は笑っている。

 ジン・アカツバキが表情に気づいたときには、すでに遅かった。

 二瀬野鷹の全身全霊の攻撃を持って仕掛けた攻撃の全てが、注意を他に向けさせないための囮だった。

 背後に倒れようとしていたディアブロの後ろ、遥か遠くには織斑一夏が立っている。

 彼の目的は、初めからヨウという少年を救うことだ。

 だから、方舟に乗らず一時退避しただけで、後はずっとチャンスを窺っていたのだった。

「ルート3・零落白夜!」

 純白のISが放つ輝く刃が、紅蓮の神と黒い悪魔の間に断裂を生む。

 イメージインターフェースを通過し、織斑一夏の祈りを体現した刃が、紅椿を操るジン・アカツバキの気配だけを正確に断ち切ったのだった。

 

 

 

 

 

「あれ、一夏は?」

 一人足りない事実に気づき、鈴が周囲を見渡す。

「あのバカなら、すぐに追いついてくる」

 その質問に答えたのは、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。

「ああ、ヨウと箒を助けるために残ったんだ」

 呆れたように鈴が呟く。

 彼女たちの視線は遥か下方に見える、光の乱舞する戦場に向けられていた。

 現在、方舟は地平線のない時の彼方の大地を離れ、先端を灰色の太陽へ向け飛び続けているところだった。

「ジン・アカツバキのISコアが、この先にあるのか」

「間違いないよ。考えてみれば簡単。エネルギーの象徴と言えば、太陽だよね」

 千冬の言葉に、束が自信満々に答えた。

「さて、最終局面か」

「ちーちゃん、大丈夫?」

「何がだ?」

「落ち込んでるんじゃないかと思ってさあ」

 腕を組んで渋い顔をしていた千冬に、束が笑顔ですり寄ってくる。

 束は先ほどの戦闘で、千冬が諦めかけていたことを知っていた。

 彼女は弟を亡くしたことで、心が折れかけている。それでも戦っていた千冬だが、大きな心の柱を失い本来の精神的強さは大きく失われていた。似たような存在は二瀬野鷹と一緒に戦っているが、それでもドイツに渡り強くなって帰ってきた弟がもう存在しないことで、彼女は心の平衡を崩しているのだった。

「問題はない」

 それでも、こう答えるしか出来ないのが織斑千冬である。篠ノ之束はそんな不器用な彼女を見て、少し嬉しそうに笑った。

「まあ、仕方ないよ。でも、信じなきゃ。いっくんたちを」

「……一夏を、か」

 目を閉じて呟く千冬の顔に、束がぐいっと顔を近づける。

「すでに残された道は少ないよ」

「わかっている。だが……」

「ちーちゃん。私の力は当てにしないよーに」

「束?」

「ジン・アカツバキは絶対に、私に向けて最強の刺客を差し向けてくるはず。未来の再現って言えばいいのかな。エネルギー体によるキャラクターたち。その中でも最強の存在を、最終防衛システムとしてるはずさ。ま、そのためにこっちもずっと温存してたんだけど」

「お前がそこまで恐れる相手か。予想は付くが」

「まあ、そういうことだね。本当なら、あそこでディアブロを破壊して、過去への改変を防ぎたかったけどなぁ」

 わざとらしく唇を尖らせ、世紀の大天才が負け惜しみのような言葉を吐く。

 その様子を見て千冬は小さく頬を緩ませた。

 だがすぐに真剣な表情へと変え、

「ジン・アカツバキは必ず我々の手で仕留めなければならない」

 と決意を新たにする。

「最後に、あの子を元の体に戻しちゃいけない」

 まるで遺言書でも読み上げるかのような、平淡にと努める口調だった。

「何故だ?」

「効果は見てのお楽しみさ。あの子の本当の体は、あの二人の子供で、なおかつ白騎士に乗ってるんだよ」

「……なるほどな」

「まあ、この中で唯一強制IWSが使えるエスツーが決めることだけど」

「強制IWS?」

「最も、ちーちゃんが十二年前に戻ってやり直したいっていうなら、あの子を犠牲にするべきなんだろうけどね」

 ニヤニヤと笑いかける束だったが、彼女の挑発に対して千冬は神妙な顔で首を横に振った。

「それだけはしてはならない」

「おやおや良いのかい?」

「過去に戻ってやり直す、それ自体はとても魅力的な選択肢だろう。そして我々が覚えていないなら、罪悪感に怯える必要もない。だが、やはりな」

 千冬は甲板でISの応急修理に励むパイロットたちを見回した。

「今の私の心が、死んでしまうのだ」

 まだ前を見続ける彼女たちを、千冬は頼もしげに思えて僅かな笑みを浮かべた。

「今の、ね」

「この私が二瀬野を犠牲にし、過去に戻らせて十二年前からやり直す世界を作らせたとして、それは果たして一夏に顔向け出来る結果なのか」

「悔いを残さず、生き抜きたい?」

「悔いを残さない人生などない。それは十二年前に戻ろうとも同じだ。何か間違いが起きるたびにやり直すのか? そこから新たな悲劇が起きるかもしれないのに。ならば、過去に戻ってやり直すのと今から前を見て進むこと、どちらもリスクは同じだ」

「うんうん、そうだね。結局、そこがわからなければ、前には進めない」

「過去に戻ってやり直すことが素晴らしいなら、今から前だけを見て未来に進むことも素晴らしいはずだ。故にどちらも同じ程度の価値しかないならば、未来に進むことを選ぶとしよう。そうでなければ」

「うん、そうじゃなきゃ」

「織斑一夏が姉とした人間の、生き様ではない」

 諦めかけた自分を鼓舞するわけではなく、ただ大事であった人間に恥じないよう生きる。それが織斑千冬の最終選択だった。

「私は楽しみだね。最後まで見られないのが残念だけど」

 心底残念そうに呟いた言葉の意味を、千冬は計りかねていた。

「束?」

「きっと私たちの意思を継ぐ彼が全てを台無しにしてくれるよ。もう、それはびっくりするぐらいに」

「そうか。それは楽しみだ」

 自信を持って答える千冬の顔を見て、それまで寄り添っていた束が一歩離れる。

「もちろんだよねーそれは箒ちゃんもだよ。だって、あの二人は希望を子供に託したんだから」

「子供?」

「見てれば、わかるよ。ほら」

 束が船の後方に広がる灰色の大地を指さした。

 どこまでも広がっていた地平線のない世界が、彼女たちのいる場所を中心に大きなうねりを立てていた。地表が瓦礫になり、空中に浮いては光の粒子となって消えていく。

「あれは……」

「もうジン・アカツバキに余裕はないよ。過去の自分という最高性能を持つ端末を破壊され、形振り構わずに仕掛けてくる」

「箒たちを世界の外にある『無』に飲み込んで始末する意味もあるか。しかしそれは」

「全ての始まりだろうね」

「しかし、一つの世界の終わり、か」

 それ以上は言葉を発せずに、上昇しく方舟の縁から二人が眼下を見下ろしていた。

 乗り合わせた他の人間たちも同様に、視界の端から崩れていく世界を何も喋らずに眺めていた。

 崩れた場所には光さえも通さない暗闇が広がり、地平線すら見えなかった地上は、端から飲まれていく。

『束様、IS反応です!』

「くーちゃん? ジン・アカツバキのISコアまではまだ遠いはずだけど?」

『これは……無人機です。IS連隊の基地を襲ったマルアハが』

 方舟の目指す先に、無数の光が現れた。

 それは連隊基地を襲った後に、いつのまにか消えた五百機以上の可変型無人機の群れだった。

「行くか」

 弟の形見であるIS『白式』を展開した。

「ここは任せて」

 束が呟くと同時に、方舟をISのシールドに似た大きな光の壁が包む。

「これで少しは持つはずだよ。くーちゃん、最大船速!」

『了解しました』

 スピードが一気に増していく。

「全員、戦闘準備!」

 千冬が号令をかけるよりも早く、ISを持つ人間たちは全員、武装を展開していた。その装甲はいたるところに損傷が見られるが、瞳の輝きを失っている人間は一人もいない。

 その様子を見て、千冬は自嘲の笑みを浮かべた後、

「目標はジン・アカツバキのISコアだ。二瀬野鷹の手など借りん。バカは置いていく。では突っ切るぞ! 」

 と力強く言い放ったのだった。

 

 

 

 

 

 一夏が両腕で抱えていた箒が、寝苦しそうに身をよじる。

「目が覚めたか?」

「いち……か?」

「おはようさん」

 寝ぼけ眼で周囲を見回す箒を見て、一夏がクスリと小さく笑う。

 しばらくボーッとしていた箒だったが、今まで起きたことを思い出したのか、ハッとした顔を浮かべ、

「ジン・アカツバキはどうなった!?」

 と慌てて一夏に問いかける。

「端末は倒したぞ」

 答えたのは、彼と彼女の横を並んで飛ぶ、黒いISのパイロットだった。

「タカ? 無事だったのか!」

「おう。残念ながらな。覚えてるか?」

 彼の問いかけに、一夏の胸の中で箒は小さく神妙に頷いた。

「夢、ではなかったんだな?」

「ああ。記憶が曖昧なのか?」

「いや、はっきりと覚えている。夢であれば良かったと思う程度だ」

 申し訳なさそうに呟く箒に、一夏が首を横に振った。

「ありゃどうしようもなかった。気に病むことはないぞ、箒」

「だが……」

「思い返しても仕方ない。俺たちは、前を見るしか出来ないんだ」

 優しく微笑む一夏だったが、箒の表情は憂鬱さを増していくばかりだった。

「おい、ゆっくり会話してる場合じゃねえぞ、お二人さん」

 織斑一夏と篠ノ之箒の幼馴染みである二瀬野鷹が、真剣そうな顔の二人へと笑いかける。

「そうだな」

 一夏も同じように笑っていた。

「どうしたんだ、二人とも。何がおかしい?」

「後ろを見てみな。世界が壊れてるぜ」

 促されて一夏の背中越しに大地へ視線を向ける。

 そこは地表を失い真っ暗闇の世界へと変貌していく場所だった。

「あれは……」

「もう余裕がねえんだろ。千冬姉たちは先行してジン・アカツバキのISコアを目指してる。俺たちも追いつくつもりだが」

「私の紅椿の反応がないな……」

「だよなあ。思いっきり、俺がぶった切ったからなぁ」

 一夏が苦笑いを浮かべながら答える。

「さて、どうすっかなぁ」

 二瀬野鷹が顔を向けた先には、黒い雲のような塊をかき分けて進む方舟が見えた。すでに肉眼では見えないほど小さくなっている。

「追いつけるのか?」

 一夏が問いかけると、

「オレ一人ならな」

 と鷹が苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 実際、現在の彼らの速度は時速数十キロ程度だ。何故ならISを展開出来ない箒を抱えたままだったからである。

「あの暗闇に追いつかれたら、どうなるやら」

 一夏がチラリと足下を見つめる。

 すでに大地は完全に崩壊しており、暗闇は灰色の空を侵食し始めていた。

 暗闇と呼んでいたそれは、実際は完全な『無』である。

 宇宙とダークマターによって満たされた世界の外、時の彼方と時の彼方の間にある物質ではない概念であり、飲み込まれたなら、どうなるかわからない。織斑一夏はエスツーからそう聞いていた。

 その増殖速度は、二瀬野鷹のディアブロであれば振り切れる程度だった。

 しかし、箒を抱えた一夏には難しい。ISを失い完全に生身となった箒では、ディアブロの加速に耐えることは出来ない。加えて一夏のISは先の戦闘で破壊されており、推進装置もまともに動けない状態である。

 ジン・アカツバキが世界を崩壊させている理由も、それが狙いだった。

 何があろうと、織斑一夏が篠ノ之箒を置いてはいけないことを理解しているのだ。過去の自分という最大の手駒を失った未来の神としては、相手の戦力を少しでも削ぐ必要がある。

 二瀬野鷹では簡単に逃げられる。織斑一夏がついていても、ISを装着している者同士であれば、加速に耐えられる。

 しかし、生身の篠ノ之箒を抱え推進装置の失われた白式では、それもままならない。

 そういう狙いだった。

「ヨウ……先に行け」

「そう言うと思った。だが却下だ」

 二瀬野鷹も理解していた。

 織斑一夏と篠ノ之箒は、必ず自分たちを犠牲にするだろうと。

「ヨウ」

「んだよ」

「死ぬなよ」

 小さく呟いて、一夏がスピードを緩める。

「おい!」

「行け、ヨウ!」

「何でだよ!」

「俺には俺の役目があるんだ!」

 大声で叫ぶ一夏の足下には、『時の彼方』の崩壊が段々と迫っていた。

「何の話だ!?」

「エスツーと決めた話だ。どうやらここがポイントみたいだ」

 鷹は速度を落とし、一夏たちに合わせようとした。

「タカ! いや、ヨウ!」

 箒が鋭い声で呟く。

「うっせえ! 誰が置いていくかよ!」

「私たちを信じろ、きっとお前に追いつく」

 その少女は幼馴染みに真摯な眼差しを向けていた。

「絶対に、生きろよ、死ぬなんて、許されないからな!」

 一夏は箒を左腕に抱え直し、右手で雪片弐型を呼び出した。

「おい、一夏、箒!」

「ルート3・零落白夜!」

 白式の武装が刃の部分が変形し、光を放つ大きな剣へと変形する。

 一夏と箒はお互いの顔を見合わせて、小さく笑った。

「バカ! おい、このバカ野郎ども!」

 鷹と呼ばれた少年が、二人の元へ近づこうとする。

「じゃあな、また会おうぜ」

 一夏が小さな刃を振り下ろした。

 動作に相手を害す意図はなく、ただ助けを拒むためだけのものだった。

「一夏!」

「じゃあな、また会おうぜ」

「箒!」

「死ぬなよ、絶対に」

 少年少女が笑顔を見せた。

 その瞬間に、真っ暗闇が彼らを包み込む。

「一夏ぁ、箒ィ!!!」

 ディアブロと呼ばれたISのパイロットが大声で叫ぶ。

 だがその声は、何もない暗闇へと吸い込まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 オレはその瞬間に、呪いをかけられたことを知った。

 死ぬなよ、と。生きろ、と。

 よりにもよって、一番古い仲間たちにだ。

 今でもその出会いを覚えている。

 それは小学校低学年のときだった。

「オトコオンナがリボンなんかつけて、にあわねえんだよー」

 さすがに小学校のときは授業が退屈なので、よく仮病を使ってサボっていた。

 ある日、いつもどおり授業をサボって歩いているとき、体操服の男子と女子が言い争っているのを見かけた。どうやら相手は授業の準備中に、男子が女子をからかい始めたようだ。関わるのも面倒だったので、やり過ごそうと決めて、オレは見えないように校舎の影に隠れた。

 一人は肥満体形のいかにもいじめっ子ですという男子だ。たしか隣のクラスにいたガキ大将だ。それが取り巻きと一緒にからかっている相手は、長い黒髪を後ろでまとめたポニーテールの女の子だ。歳に似合わず凛とした眼差しが印象的だが、それ以外はいたって普通の子だ。

 女の子は体育の道具を運んでいるようで、相手を完全に無視していた。その様子が気に食わなかったのか、ガキ大将が女の子の髪を思いっきり引っ張った。

「いたっ!」

 女の子が悲鳴を上げる。ようやく反応したことに気を良くしたのか、ガキ大将がさらに強く髪の毛を引っ張り始めた。

 泣かない女の子を褒めるべきだろう。気丈にも髪の毛を掴まれたまま、相手を攻撃しようとする意思はすごいと思った。

 どうするべきか。二回目の人生とは言え、今の自分はただの子供である。頭脳が大人だからって、何でも出来るわけじゃない。自分より体の大きなガキ大将と取り巻き二人に挑んで勝つような手段も持ってない。

 まあ黙ってやり過ごすべきだろ。ガキ同士のケンカとかよくあることだし、男子が女子をからかうなんて、日常茶飯事だ。その一つ一つを解決してたら、切りが無い。

「おい、やめろよ!」

 別の子供の声が響く。そちらを見れば、正義感あふれる表情の男の子が、拳を握って立っていた。

「ダンナだ、ダンナが来たぞー!」

 ガキ大将が囃し立てる。

「うるせええ」

 それだけ叫んで、真っ直ぐ走りガキ大将を殴る。その拍子に女の子の髪を持つ手が離れた。

 ガキ大将は尻もちをつき、殴られた頬に手を当てて、茫然とした顔で正義の少年を見上げる。

「オンナをいじめるなんて、カッコわりいまねしてんじゃねーよ!」

 ……どこにでもいるんだな、ああいうヒーロータイプってのが。まるで物語に出てくる主人公みたいだ。

 涙目になったガキ大将が何か叫ぼうとしたとき、

「こら、いつまでも戻ってこないと思ったら!」

 と女の先生が歩いてきた。

「せ、せんせい、おりむら君がなぐってきました!」

 取り巻きの男子がいきなり告げ口をする。

「おりむら君、またアナタなの?」

 先生が厳しい顔で正義の味方を見下ろす。だが、おりむら君とやらは、その視線に怯みもせずに、

「あいつらがまた、ほうきにちょっかい出してたんだ!」

 と言った。

「だからといって、暴力はいけません!」

「さきに箒に手を出したのはあっちだ!」

 正義の少年おりむら君は、大人の叱責にすら全く怯まず、自分の筋を主張した。

 だが悲しいかな、髪を引っ張ったという痕跡は残ってないし、ガキ大将の頬は拳の形がきっちり残ってる。

「そ、そうだ、いちかはわるくない」

 女の子がフォローを出す。いいぞ、ナイスだ。

「先に暴力を振るった方が悪いんです! さあ、こっちに来なさい」

 おりむら君とやらが腕を掴まれて、無理やり連行されて行く。女の子が何か言おうとしたが、お構いなしだ。

 くそっ、仕方ねえ。

「待ってください」

 オレは隠れていた場所から出てきて、先生に声をかけた。

「あら、貴方は隣のクラスの」

「二瀬野です。すみません、お腹が痛くて保健室に行こうとしたら、声が聞こえてたので、気になって見てました」

 さすが二回目の人生。小学校二年らしからぬ口調と言い訳も完璧だと自画自賛。

「それならさっさと保健室に」

「先に女の子の髪を引っ張ったのは、そっちの子です」

「え?」

 女の先生が目を丸くしてオレの顔を見る。

「そっちの男の子三人組が、女の子をからかって、髪の毛を強く引っ張ってイジメてました。そこにそっちの、おりむら君って子が怒って止めに入りました」

「ホントなの?」

 疑わしげな目で生徒たちを見回す。

「本当です。信じてもらえなくてもいいですけど、嘘は言ってません。先生が信用しないんでしたら、教頭先生に言ってみます」

 そう言ってオレは踵を返して立ち去ろうとする。

「ま、待って、待ちなさい!」

 女の先生が慌ててオレに駆け寄る。

 日頃から仮病でサボっても怒られないようにするために、教頭先生の車を褒めたり大事にしてる花壇の世話を自発的にしてきた。愚痴だって聞いてやってる甲斐があろうってもんだ。ちなみに小学校でクラスにイジメが起きると、教師は上司から色々言われるぐらいは知っている。だからわざわざイジメという単語を使ったんだ。

「そ、それが本当なら、織斑君は悪くないのね。篠ノ之さんも大丈夫だった?」

 そこでようやく慌てた様子で、正義の少年たちの方へ駆け寄る。

 ん? 織斑君と篠ノ之さん? 何その変わった名字。

 正義の少年が憮然とした顔で頷くと、女の先生はガキ大将たちを引っ張って、

「じゃ、じゃあほら、貴方達は一緒に来なさい。織斑君と篠ノ之さんも早く授業に戻るのよ!」

 と、そそくさと立ち去って行った。保健室で治療しながら説教でもするんだろうか。

「ほうき、だいじょうぶか?」

「お、おまえが来なくても、ひとりであんなやつらぐらい」

「そっか、でもまあ、ぶぜいにぶぜいだし、手助けぐらいさせろよ」

 多勢に無勢な。それじゃ誰もいなくなるだろ。

 しっかし、こんな正義の少年、いまどきいるんだな。女の子の失礼な態度すら気にしないなんて。

「ふ、ふん、弱いやつの手助けなんかいらん!」

「そうかよ。もどろうぜ」

 正義の少年はオレの方を向いた。

「そっちのおまえ、助けてくれてありがとな」

「気にすんな」

「オレはおりむら、いちか。一組だ」

 ……なんだと。

「織斑一夏?」

「おう」

「……お姉さんは織斑千冬?」

「なんで知ってんだ?

「んじゃ、こっちの目つきの悪いガキんちょが……篠ノ之箒?」

「なんだと!」

 女の子が食ってかかるが、少年が慌てて止めた。

「まてまて、ほうき、向こうは、おんじんだ。助けてくれたら、ありがとうって言えって言われてるだろ」

「む、むむ」

「ほら、言えって」

「ぐ、た、助けてくれてありがとう」

「よし、えらいぞ」

 男の子に、爽やかに笑いかけられて、女の子の顔がみるみる紅潮していった。それを隠すためか、そっぽを向いてしまう。

「おまえの名前もおしえてくれよ」

 隣のクラスの織斑一夏少年がオレにも笑みを向ける。

 こいつらは、オレが『前回の人生』で好きだった物語の登場人物たちだ。それが何でリアルにいるんだ?

「オレの名前は」

 それが初めての、オレと主人公の出会いだった。

 今でも昨日のことのように思い出せる。結局、あの二人はあの頃から、ずっと変わらなかった。

 最後の最後まで、ずっと変わらなかった。

 

 

 

 

 

 










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48、メテオブレイカー(ディアブロズ・ブラック)後編

 

 

 

 

 透明な壁に包まれた方舟が、空へ空へと進んでいく。

「うーん、シールドを突破する機体がいるなんてねえ」

 束が頬をポリポリと人差し指で掻いた。

 戦闘機型から人型へと変形した無人機のうち一機が、まるで布を引き裂くように半透明の防護幕を破り、内部へと進入してくる。

「千冬はそのまま、無駄なエネルギーを使わないで! 他のみんなは、進入してくる機体を迎撃!」

 無意識に動こうとした千冬を、エスツーの言葉が制止する。

 彼女の持つ零落白夜は、ジン・アカツバキを機能停止させる最後のキーだ。ゆえに、これ以上の損耗は許されず、エスツーも絢爛舞踏によって白式へエネルギーを注ぎ込んでいた。

 悔しそうに唇を噛む千冬を見て、IS学園生徒会長の更識楯無が槍を構える。その先端にはナノマシンで操られた高圧の水がまとわりついていた。

「全員、迎撃準備、IS学園側は正面を、連隊側の人は側面と背後をお願い!」

 凜とした声による指示に、パイロットたちは武器を持って甲板で陣形を作る。

「撃ちますわ!」

 真っ先に引き金を引いたのはブルーティアーズを駆るセシリアだった。

 青白い光が真っ直ぐ無人機へ伸び、その中心に風穴を開ける。

 全員がホッと一息を吐こうとした瞬間に、次の一機が違う方向から方舟へと向かってきた。

「くっ、こっち!」

 シャルロットの操るラファール・リヴァイヴが手に持ったグレネードランチャーで次の無人機を破壊した。

「どんどん来るわよ!」

 そう叫んだのは、赤い色のアスタロトを駆る鈴だ。

「HAWC系統のランチャーとルート3は使わないように! 束のシールドが内側から破壊されるわよ!」

 エスツーの言葉に鈴が引き金から指を離した。

「って、どうすりゃいいのよ! シールドは突破されるわ、相手は五百機以上残ってるわ!」

 船舶型ISとも言える物体の甲板上では速度が感じられないが、すでに速度は音速に近い。しかしその程度のスピードでは、ジン・アカツバキの端末である可変型無人機を置いていくことなど出来なかった。

「とりあえず進入してきたのを、順番に撃ち落としていくしかないわ!」

 楯無の叫びを受け、自然と全員が全方位を睨むように配置する。その中心に束と国津たちがいた。

「この船は落とさせん!」

 黄金色のISを使い、ラウラが次々と進入してくる敵機を撃ち落としていく。

 そのとき、船が大きく揺れた。

『下部に付かれた!』

 方舟の中心で操舵を短刀するクロエ・クロニクルが叫ぶ。

「それ……なら!」

 簪が四発のミサイルを同時に放つ。船に沿って弧を描くように飛び、真下についたマルアハを剥ぎ落とした。

「次、直上!」

 沙良色悠美が真上に向かい、マシンガンを乱射する。

「前方二十度四時方向! 二機! 捕縛!」

 リアがレーゲンがワイヤーを伸ばし、進入してきた二機を縛り付けた。

「オラよ!」

 そこにオータムの極小ビットがまとわりつき爆発を起こす。

「正面、四機!」

 ナターシャが船の舳先からビームマシンガンを向ける。低威力の段幕で動きを止められた敵に向けて、他のパイロットたちも攻撃を合わせた。

「段々と追い付かなくなってきてるぞ、オイ! 天才さんよ!」

 オータムが苛立ったような声を上げる。

 彼女が言うとおり、束の展開したシールドには次々と穴が開き、そこから虫のようにISが這い出してきては箱舟に向かい遅いかかってきていた。

 パイロットたちからは喋る余裕がなくなる。

「束、距離はあとどれくらいだ」

「五分ぐらいかなぁ。実際は行ってみないとわかんないけど」

「後は任せたぞ」

「ちーちゃん、まさか単騎で出て、ルート3使う気?」

「状況を打開するには、それしかあるまい。囮ぐらいにはなるだろう」

 千冬が武装を取り出し、船の前方に空いた穴を睨んだ。

「それは私がやろう」

 彼女たちの背後から声をかけたのは、暮桜を身にまとった織斑マドカだった。

「お前……」

「これ以上、キサマらと一緒にいたのでは、吐き気で溺れてしまいそうだ」

「しかし」

「姉さん」

 思いも寄らない呼びかけに、千冬は少し目を見開いた。

「……何だ」

「次はもう一度、織斑一夏を殺す」

 それだけを宣言し、マドカが船の後方へ躍り出た。

 シールドに空いた穴から這い出た一機にブレードと突き立てると、箱舟を一瞥し、何も言わずに防護幕の外へと躍り出た。

「アイツ……」

『千冬様、いかがされますか』

 通信回線を通して、箱舟そのものを操るクロエが千冬に進路を問いかける。

「……進むぞ。止まってはならない」

『束様』

「いいよ、進んじゃって」

 二人ともが告げた言葉少ない命令に従い、箱舟はさらに上昇していく。

 

 

 

 

 織斑マドカが雪片と呼ばれる柄だけの兵装から、大きな光を刃として撃ち出した。

「ふん……」

 思うことは何もない。

 群がってくる黒い無人機の群れを一瞥する。その数が数百機であろうと、彼女には関係ない。

「次もまた、こうであると祈ろうか……いや、祈るなど私らしくもない」

 完全にマドカを封じたはずの無人機たちが、内部からの光で次々と切断されていく。まるで球体を内部から刃で突き立てられたようだった。

「さらばだ、世界よ!」

 腕に力を込め、織斑マドカは最後の力で零落白夜を振り回した。

 最後の輝きが多数の敵を巻き込んで薙ぎ払っていく。総勢五百を超える機体のうち百機以上が消えていく。

 その剣の輝きが尽きたとき、彼女の命も尽きる。

 群がるマルアハたちに押しつぶされながらも、彼女は何故か、一夏に与えられたサンドイッチの味を思い出していた。

 

 

 

 

 圧倒的な数で方舟を覆い尽くしていたISたちは、四分の一に近い数を減らしていた。マドカが最後に放った光による攻撃が、それだけの威力を秘めていたのだ。

 おかげで、後方から追いすがっていた無人機の影はほとんど見えない。

「チッ、あのバカ」

 マドカが飛び出していった方向を睨み、オータムが舌打ちをする。

 目の前に迫った一機へ多数の極小ビットを押し付けると、勢い良く回し蹴りを放った。

 周囲をぐるりと見回せば、自分と同様に戦闘で大きく疲弊したヤツしかいない。

 その中で、ナターシャ・ファイルスとだけ目があった。

 憎まれ口を叩き合う中ではあったが、遠慮はないという意味でもあった。もし戦場でまみえれば、お互いに敵として殴り合うことが出来る人間だ。

「ったく」

 銀の翼を破壊された機体が、明後日の方向へビームマシンガンを乱射する。そこに現れた一機が音もなく落下して船から遠ざかっていった。

「何やってんだかなぁ、私たちは」

「知らないわよ、でもまあ、滅多とない経験よね」

「二度としたくはない経験だがな」

「あら、人生は初体験ばかりよ?」

「うるせえ、ビッチ」

「あら、ごめんあそばせミズ・ヴァージニア」

「殺すぞ」

「こっちのセリフ」

 罵り合いながらも、的確にシールド内部に入ってきた敵機を落とし続けていく二人だったが、顔には疲労の色が浮かんでいる。

「おい、ファイルス」

「何よ」

「年下好きか」

「そうでもなかったけど、最近は考えを改めようか思い始めてたわね。そっちは? 若いツバメでも捕まえようと思い始めたの?」

「はっ、鳥なんざ嫌いだね。いつでも自由に飛んで見下しやがる」

「ホント、正直になれないヤツね」

「んじゃあ」

「ええ」

「行きますかぁ!」

「憎たらしいけど、経験豊富なお姉さんが付き合ってあげるわよ!」

 オータムとナターシャ、二人のIS連隊隊長が、船の右側面から飛び出していく。

 今は敵の数を大量に減らさなければならない。シールドから進入してくる敵を倒しているうちは、単なる消耗戦にしか過ぎず、物量で勝る敵に勝てるはずがない。だから防護幕に遮られているうちに、戦況を好転させる。

 二人ともがそれを理解し、無言の相づちで行動を決めたのだった。

「隊長!」

「あと、頼んだぞデカパイ!」

 中指を立てて、オータムが側面に空いたシールドの穴へと消えていった。

 直後、大きな爆発が起きる。それはオータムの操るバアル・ゼブル、そのビットによる最大の爆発だった。

 おそらく全てのビットを自分ごとナターシャに破壊させたのだろうと悠美が思い当たる。

「ったく……これだから年増どもは!」

 叫びながら悠美が敵機を撃ち続ける。

 二人の攻撃によって、右側面の無人機が大きく数を減らしていた。

 次々と乗員を失いながら、箱舟は灰色の空を上っていく。

 

 

 

 

 

「……クソ、クソ、クソッ!」

 一夏と箒が姿を消し、二瀬野鷹は振り返らずに箱舟を追いかけていた。

 随分と距離を離されていたが、ディアブロの速度はISの限界を超えている。

「もうさっさと死にてえよ……」

 誰も聞いていないと思い、泣き言を漏らす。

 何で、アイツらは勝手にジン・アカツバキの元に向かおうとしてるんだよ。

 オレを待てば、少なくとも戦力になるだろ。どうして、オレを置いていく?

 わかりきった答えを否定しても、思考はすぐに同じ正解に辿り着くだけだ。

 どんだけ馬鹿なんだよ、アイツらは。死にたいヤツは勝手に死なせときゃ良いんだ。

 望遠モードの倍率を上げれば、味方は周囲を埋め尽くすほどの無人機によって囲まれていることが確認出来た。

「クソッ、墜とされるなよ!」

 そう思ったとき、船の後部辺りで大きな光が伸びて、周囲の影を薙ぎ払った。続いて小さな爆発が起きる。

「あれは……零落白夜?」

 その武装を使う可能性があるのは、今では織斑千冬とマドカだけだ。

 嫌な予感がする。

 しかし先を急ごうにも彼の速度はすでに限界に達していた。

「追いつけ、早く!」

 彼がそう叫んだ瞬間、今度は船の右側面で小さな爆発が連鎖して置き、巨大な爆発となって周囲のISを破壊していた。

 その攻撃が可能な機体に、四十院総司としては心当たりがある。

「オータム……直前の光はナターシャさん?」

 二瀬野鷹として出会った、二人の女性。

 一人は下品な敵で、一人は上品な教官だった。

「まさか……」

 考えたくはなくとも、思いつく事象は一つだけ。

「くそっ、くそっクソッ!! 早く、速く! 追いつけディアブロ!」

 遥か上空を目指して飛び続ける仲間たちの船を、二瀬野鷹が追いかけて飛んでいく。

 

 

 

 

 

「ファン、こっちへ来い」

 鈴のアスタロトのバックアップを手伝っていた岸原が、画面から手を離しパイロットに声をかける。

「何よ、今、忙しいんだっての!」

「HAWCシステムを連結する」

「れ、連結?」

「長くは持たないが、かなりの威力を出せるはずだ」

「だけど、ブースターランチャー使ったら、あの天才様のシールドを破壊しちゃうんじゃ?」

「このままじゃどちらにしても、篠ノ之束のシールドは突破される。逆に言えば、シールドが無ければブースターランチャーを使っても構わんのだ。理子、手伝え」

「う、うん!」

 理子は父に促され、パイロットを失った一機のISの元へ駆け寄る。黒い装甲のアスタロトと呼ばれた玲美の機体は、片膝と片手を甲板について、待機状態に入っていた。

「神楽ちゃん」

「は、はい!」

「辛くとも、呆けてる暇はないぞ」

「……はい!」

「幹久」

 最後に親友へと声をかける。

 だが男は娘の亡骸の横で膝を折ったまま、微動だにしなかった。

「おい」

 娘を失った男の襟首を掴み、引っ張り上げる。

 それでも相手は生気のない顔つきで呆然としたままだった。

「幹久! お前の出番だぞ!」

「岸原……」

「動けよ幹久! ここで動かないで、どうする!」

「無理だよ……だって僕にはもう何も」

「意地を見せろ」

「意地……?」

「お前には父親としての意地はないのか。シジュ……二瀬野だって神楽ちゃんの前じゃ意地を見せたぞ。お前だって意地を見せたくて、バビロンを内密に作ってたんだろ?」

「だけど……もう」

「やるぞ。絶対に意地を見せてやる。俺たちだって、父親なんだ」

 岸原大輔が国津幹久から手を離した。

「……岸原」

「このままじゃ過去に戻れようと戻れまいと、俺は娘の命をここで終わらせた馬鹿に過ぎない。だから、最後まで諦めない」

「だけど、玲美は……」

「国津玲美の父親が、理子と神楽の命を放り投げて終わる、それで胸を張れるのか!」

 叫ぶ声に、幹久が拳を握った。

 目の前の親友が言う通りだ。

 自分たちは三人揃って三人の娘を姉妹同然に育ててきた。

 玲美がいなくなろうとも、それは変わらないだろう。娘がいなくなったからといって、娘が生きた証を失わせて良いのだろうか。

「くっそぉぉぉぉ!!」

 少し裏返った弱々しい雄叫びは、国津幹久の口から出たものだった。長い付き合いである岸原大輔は、今まで聞いたことのない幹久の叫びに驚いてたじろいだ。

「み、幹久?」

「HAWCシステムのバイパス、二番から十二番を開いて一番だけ閉じて、これで逆流を防げる。それでも何が起こるかわからない。理子ちゃん、神楽ちゃん、手伝いを頼む」

 立ち上がりながら、幹久が矢継ぎ早に指示を出す。

 そこに宿った意思を感じ取り、岸原は大きく頷いた。幹久もそれに頷き返す。

 男だって負けていられない。ISが操縦出来ないからと投げ出して良いわけがない。

「シジュに一泡吹かせてやるぞ、幹久!」

「わかったよ」

 男二人がホログラムウインドウを動かし作業に入る。

 その姿を見て、神楽と理子が目を合わせ、小さく笑みを浮かべる。

「ホント、仕方ないオヤジたちだねえ」

「全くよね。でも、この人たちの娘で良かったわ」

 足下で眠るもう一人の娘の顔は、安らかな笑みを浮かべているようだった。

 

 

 

 

 

「あれは!」

 方舟を覆っていた半透明のシールドが、まるでガラスが割れるように消えたのが見えた。

 とうとう、完全に突破されたらしい。

 群がっていた無人機たちも数をだいぶ減らしてはいるが、それでも未だ数が多い。

 そこまでの距離は未だに望遠モードでしか測れないほどに遠い。

 あと少しで荷電粒子砲ビットの有効射程範囲だ。

 頼む、間に合え! 

 祈りながら加速を続ける。

 そのとき、方舟から薙ぎ払うようにレーザーが放たれた。

 見覚えのある波長の光は、おそらくHAWCブースターランチャーのものだが、推測される出力が四倍はある。

 それが薙ぎ払われるように撃たれ、群れる黒い雲のような無人機を焼き尽くしていく。

「二機のアスタロトを連結したのか? 馬鹿な、そんなことをすれば」

 制御に失敗すれば、パイロット周辺に超高温のプラズマが発生し、方舟ごと破壊されるかもしれない。

 焦るオレの視界内で、緑色のウインドウが開いた。

 敵の群れの一部が荷電粒子砲ビットの射程距離に入ったという報告だ。

「くそっ、無理すんなよ、岸原、国津!」

 犯人はわかってる。あの二人ぐらいしか、そんなことを仕掛けるヤツらはいない。

 何のかんので十二年の付き合いだ。腹をくくれば、それぐらいやってのけるオッサンたちである。

 それは同時に、自分たちが無人機から優先的に狙われる可能性を持つ、ということだ。

「玲美、頼む!」

 もういなくなった子へ、願いをかけた。

 オレの横に四機の荷電粒子砲が出現し、方舟の周囲へと砲撃を放った。

 

 

 

 

 

 鈴が引き金を引くと同時に、両手で抱えた砲身から強力なビームが放たれる。束のシールドが破壊された瞬間を狙っての、全力砲撃だった。

「食らいなさいっての!」

 薙ぎ払うように狙いを動かし、群れて寄ってくる敵を蹴散らしていく。

 彼女のISは、壁際に寝かされた同型機と繋がれ、その周囲には四人の人間が仮想ウインドウに向かっていた。

 テンペスタエイス・アスタロトと呼ばれる機体はHAWCシステムによる強力な兵器と推進装置を操る代わりに、一人では全力を発揮出来ないという欠点があった。そのために、一機辺り二人が制御に回ってサポートしているのだ。

「あとこっちのアスタロトもあと十秒は大丈夫だ! その間に落とせるだけ落とせ!」

「わーってるっての!」

 岸原の叫びに鈴が同じぐらいの音量で言い返す。

 他のISパイロットたちは、前方三百六十度を全てアスタロト連結ランチャーに任せ、残りの方向を防御に入っていた。

 ゆえに他人をカバーする余裕はない。

 一機のISがアスタロトの砲撃を食らいながらも、その手にあるレーザー発射口をバックアップ人員に向けていたとしても、防ぐ余裕がなかった。

「危ない!」

 岸原が理子と神楽を押し除ける。

「させない!」

 幹久も逃げずに手元のウインドウを叩き続けた。

 そのコマンドは連結された玲美のアスタロトを逃がすために、メンテナンス用の自立歩行モードに移行させるためのものだった。

 敵のレーザーが甲板を薙ぎ払う。

 二人の大人がいた場所が、光に包まれた。

 

 

 

 

 

「あと一分で追いつく!」

 視界ウインドウで算出された数字を見て、思わず叫び声が漏れた。

 方舟の周囲から近づく無人機たちを荷電粒子砲で撃ち落としながら、有視界で捕らえた船に向けて飛んでいく。

 荷電粒子砲を撃ち続けながら、オレは音速をゆうに超えるスピードで追いかける。

 灰色の空はどこまでも広がっていた。

 あと数キロの距離だ。

「クソッ、このままじゃ!」

 船に群がる無人機たちの数は減っている。

 それでもゼロにならない限りは、一瞬で落とされる可能性があるのだ。何せ相手は無人機といえどISなのだ。

 少しでも早くと思う焦りが奥歯を軋ませる。

 そのとき、視界にいくつもの警告ウインドウが立ち上がる。

「ISの接近反応!」

 咄嗟に横に避けると、前方に立ち塞がる機体が見えた。

「あれは」

 灰色の装甲を身につけた一機のISがいる。パイロットの顔にも見覚えがあった。

『無人機か、こんなところまで来るなんてな』

 織斑一夏。

 すぐにディアブロの情報ウインドウが敵を識別し、情報を伝えてくれる。

 未来の再現(グレイ・スケール)・織斑一夏。

 それはオレが来る前に生きていた、とある主人公を元に作られたエネルギー体だった。

 

 

 

 

 

「お、お父さん……?」

 理子がうわごとのように呟く。

 甲板の上に、岸原大輔と国津幹久の生きている姿はない。わずかに残った手足だけが、彼らが存在した証だった。

 なおかつ、今の攻撃を食らったせいで、方舟が傾き始めている。先端こそ真っ直ぐ灰色の太陽を目指してはいるが、パッシブ・イナーシャル・キャンセラーに大きな損傷を受けたのか、船体が斜めになっていた。

『被弾が多い、何をしてる、しっかり迎撃をしろ、ラウラ・ボーデヴィッヒ!』

 クロエ・クロニクルの叱咤がラウラの耳に届いた。

「手が回らん。数は未だに多い!」

『それだけ敵に近づいているということだ! 強化試験体の力を見せろ! 何のために強く生まれたのだ!』

「誰だか知らんが、その意見には同意だ!」

 ラウラのISが顔に手を当てると、眼帯が自然と外れて飛んでいく。彼女の金色に輝く眼が露わになった。

「ルシファー、四十院の男たちの意地を見せてみろ!」

 彼女が船体に張り付く機体を一斉にロックする。その数は一秒で三十を超えていた。

「ら、ラウラ、こっちにもデータを連結!」

 銀髪のパイロットの様子を察知して、隣に並んでいた簪が咄嗟に声をかける。

「許可だ!」

「もう空っぽに近いけど、ホントにこれで終わり……!」

「全門、斉射!」

「いっちゃえ……!」

 二つの機体から、追尾ミサイルが一斉に放たれた。

 数十の無人機が攻撃を食らい、爆発を起こして落下していく。

 それでもシールドを次々と突破してくる機体たちが、ラウラと簪に一斉砲撃をかけてきた。

「ラウラちゃん、簪ちゃん!」

 楯無が水のヴェールで周囲を包む。レーザービームを阻んだ。

 しかし通常より大きなエネルギーを消費したのか、その防護幕は一瞬で消え去ってしまう。

「もう一回、薙ぎ払う! 四十院!」

「りょ、了解です!」

 鈴が叫ぶと同時に、神楽が理子の操作ウインドウをも同時に操り、ブースターランチャーが前方から迫る無数の機体を吹き飛ばしてかき消していく。

「船底に五機! セシリア!」

 エスツーの指示を受けて、ブルーティアーズがレーザーを放てば、その光が弧を描いて三機を薙ぎ払う。

「シャルロット!」

「わかったよ!」

 オレンジ色のラファール・リヴァイヴが甲板の縁を乗り越え、落下する。

「シャルロット、捕まって!」

「ありがと、リア!」

 レーゲンの腕からワイヤーを伸ばし、それに捕まったシャルロットが片手で残りの二機を撃ち落とす。ワイヤーが船底に跳ね返り、その反動で元の場所へ戻ろうとした機体を目がけ、四機の無人機がレーザーを撃った。

「一気に撃ち落とす、これが自衛隊の意地ってもんでしょ!」

 打鉄飛翔式をまとった悠美が、スピーカーに似た兵装を出現させ、空間に圧力をかけ見えない砲弾を連射する。

 シャルロットに迫っていた機体が全て弾かれて、虚空へ消えていった。

 その激しい戦闘の最中、舳先に白式が立っている。手に雪片弐型を構えた織斑千冬は、悔しそうに戦闘を睨んでいるだけだった。

「ちーちゃん、三機あったはずの零落白夜はもうちーちゃんしかいないんだよ、抑えて」

 彼女の後ろで、篠ノ之束が神妙な顔をしていた。

「私しか……? あの一夏は!?」

 怪訝な表情で千冬が問いかけると、束が首を横に振る。

「時の彼方から、箒ちゃんと一緒に消えたんだ」

「……始まりに向かったんだな」

「これで良いんだよ」

 少し悲しげなセリフとともに、束が右手を伸ばした。千冬に向けて放たれた攻撃が、ISの開発者によって作られた小さな防護幕で弾かれる。

「始まり……か」

「全ての、始まりは、終わりのたもとにあったんだよ。それより、もう近い」

 束が目線を空へ向ける。

 灰色に輝く太陽と形容出来そうな球体が、彼女たちの視界を覆い尽くしていた。

「これが、ジン・アカツバキのISコア」

「あと二分で、ルート3・零落白夜の射程圏内だから」

「終わる、のか」

「さて、どうだろう」

 曖昧な言葉で濁そうとした束の顔を、千冬は肩越しに窺おうとした。

 そのとき、束の目が見開かれる。

 長い付き合いの中でも初めてみた、焦りの顔だった。

「未来の再現! とうとう来た!」

 叫び声を上げながら、束が千冬に向けて走る。

 殺気とも言える気配を感じ、千冬が前を振り向こうとした。

 彼女が捕らえた視界の先には、無人機を従えるように立つ灰色の機体が存在していた。

「白……騎士?」

『よくぞここまで辿り着いたものだ、無人機といえど侮れんな』

 二人にとっての始まりが、ジン・アカツバキのエネルギーによって性能を再現され、形を持った現れた。

『だが、ここでその進撃も終わりだ』

 その女性の体は、灰色の装甲を持ち、原初のISと同じ形をした機体を身にまとっていた。

 左腕に巨大な荷電粒子砲を持ち、その砲口は真っ直ぐ方舟を捕らえている。

『落ちろ』

 千発の大陸間弾道ミサイルを叩き落とした一撃が、千冬たちに向けて咆吼を上げた。

 

 

 

 

 

「なんだよ、この機体! さっきみんなに襲いかかってた偽物と同じヤツか!?」

『無人機のくせに異常に速い! なんだこの機体は!』

 向こうからも焦りの声が聞こえてくる。

「おいテメエ、一夏なのかよ?」

『くそっ、捕捉出来ない!』

「やっぱ聞こえねえのか!」

『だけど、ここは通さねえ!』

 どうやら言葉は通じないらしい。やっぱり、ジン・アカツバキによって産み出された、アイツにとって都合の良い存在ってことか。

「なら、全力だ!」

 イグニッション・ブーストをかけ、異形の左腕を突き出して突進をかける。

 一撃でその頭を刈り取って、そのまま方舟に追いつくつもりでいた。

 相手は音速の十倍近い速度を持つオレの攻撃を、一夏の偽物は両腕をクロスしてガードして防ごうとする。

 もちろん、そんなもので威力を抑えられるような攻撃じゃない。

 灰色の白式は体勢を崩したまま空中で大きく撥ね飛ばされた。

 だが、それだけだった。

 致命傷に見える傷は何一つなく、装甲が少し削られたに過ぎない。

 どういう理屈かわからないけど、何故か手応えがほとんどなかったのだ。

『速いし重いけど、これなら、やれるか?』

 一夏のような顔をして、一夏のような構えを取る。

 その雰囲気に、さっきまでオレの目の前に存在してた幼馴染みたちを思い出した。

「イラつくんだよ、真似してんじゃねえ!」

 ありったけの荷電粒子砲を撃ち出し、焼き尽くしてやろうと考えた。

『んなっ!?』

 灰色の白式を身にまとった一夏モドキが驚きの声を上げて、左腕のシールドを前に突き出す。

 全部で十八の閃光をまともに食らったというのに、敵は手足の装甲に傷を受けただけで、本体は全くの無傷だった。

『なんつー火力!』

 そういう一夏っぽいところがますますオレを苛立たせる。

「もう一回!」

 こちらを真っ直ぐ見据えている白式モドキへ、オレはさらに攻撃を仕掛けようと、荷電粒子砲ビットから砲撃を撃ち放った。

『それを待ってた!』

 一夏モドキはシールドを前に突き出して、自分の体をそれに隠し、被弾面積を減らしながらイグニッション・ブーストで突き抜けてきた。

「クソッタレが!」

 まさかの捨て身の攻撃に、オレは左腕で迎撃をしようとする。

 敵の頭を一撃で粉砕するつもりで、鋭い爪を束ねて突き出した。

 しかし相手は首を傾け、スレスレでオレの攻撃を回避する。ISの頭部ヘットマウントギアだけを吹き飛ばした。

 喉の下辺りに熱い痛みを覚える。

 一夏モドキの雪片弐型が、胸部装甲を貫いてオレの胸へと吸い込まれていた。

『一撃でオレを殺そうとするのは見えてたからな!』

 刃を抜きながら、そのパイロットが少し得意げな顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「ちょっち、厳しいかなぁ」

 あっけらかんと呟いた篠ノ之束だが、その体は満身創痍にしか見えなかった。

『束様!』

 クロエ・クロニクルの悲痛な叫びが周囲に響く。

 篠ノ之束は千冬を守るために、舳先から相手の砲撃へ身を投げ出した。

 生きているだけでさすがとしか言えない状況だが、代償は大きく、相手は無傷だ。

「これが来ると思って用意してたけど、さっきの方舟向けのシールド分が余計な消費だったかぁー。さてはて、どうしたものやら」

 束の頬に一筋の血が垂れる。右肩を大きく負傷しており、左の横腹を手で押さえてはいるが、大量の出血が簡単に見て取れた。

『しぶといな』

「白騎士かぁ。我ながらとんでもない者作っちゃったなぁ。ああ、パイロットがとんでもないのか」

 無駄口と呼ぶにはあまりに短いセリフの後、灰色の白騎士が肩に担いだ兵器の引き金に指をかける。その背後にある灰色の球体が、不気味なほど輝いていた。

 織斑千冬はふわりと落下してきた束を左腕で抱き留めながら、右手の雪片弐型を構える。

「束、しっかりしろ!」

「白騎士を全力で落として!」

 更識楯無が悲痛な声で叫ぶと、甲板にいたパイロットたちが、行く手を阻むグレイスケールカラーの白騎士に攻撃を放つ。

 全ての弾が着弾し、爆発を巻き起こした。

「やったか?」

 ラウラが喉を鳴らす。

 煙が晴れていった。そこに立つのは、虹色に光る防護幕で包まれた無傷の敵だった。

 灰色の白騎士、そのパイロットが織斑千冬と同じ仕草で鼻を鳴らす。

『これで終わりだ』

「ちーちゃんだけは、先に行かないと……」

「しかし、あれを倒せるのは、私だけだ」

「ルート3・零落白夜以外に、ジン・アカツバキのISコアを破壊出来る兵装は存在しない。何故なら相手はエネルギーの幕を多重に重ねた多次元構造体だから」

「では、あれを倒して、ジン・アカツバキも倒す」

「ふふ、そういうと思った。でもダーメダメ。これ以上、無駄な力を使って万が一があっちゃダメだし、ここまで来た意味がないよね」

 千冬の腕から降りながら、束が笑みを作る。

「それにこう見えてもさ、ちーちゃん」

「束……」

「妹を守れなかったダメダメおねーちゃんだかさー、私ってば」

 束が左腕を横に振るう。その指先の間には、三つのISコアが挟まっていた。

「さあ、白騎士の幻影。キミが来たということは、もうすでにジン・アカツバキは丸裸ってわけだよね。ここでちーちゃんさえ守れば、私たちの勝ちってわけで、どうしてどうやら、この身を未来のためにとか、そういう思想はないけど、うんうん」

 世紀の大天才、篠ノ之束。

 灰色の濃淡だけでカラーリングされた白騎士の幻影が、左肩に担いだ巨大荷電粒子砲の引き金へ力を入れた。

「さあ、篠ノ之さんちのお姉ちゃん、ここに見参!」

 右腕に持っていたのは、箒に与えた物と同じ日本刀だった。

 彼女もまた、篠ノ之流剣術を修得している。その上で千冬に匹敵する身体能力と地上の誰にも追いつけない頭脳を兼ね備えた、世界最強の一人なのだ。

 方舟に乗る人間たちの視界を、眩い光が覆い尽くす。それは白騎士が放った破壊の煌めきによるものだ。

「ズバッとね」

 束は性格破綻者らしく、最後まで軽いノリで、日本刀を横に薙ぎ払った。

 たったそれだけの動作で、荷電粒子砲の砲撃が光の粒子になって消え去っていく。

「ゴーレムちゃん」

 彼女が間髪入れずに左手から三つのISコアを放り投げた。それらを中心に光の粒子が渦を巻き、黒いISが姿を現す。腕だけを肥大化させた無骨な形の、篠ノ之束による無人型ISだった。

 それぞれが弧を描き、白騎士の幻影へと襲いかかる。

『ふっ』

 原初のISと同じ形のエネルギー体が、空いていた右手で襲いかかってきた一機を殴り飛ばした。その一撃で風穴が空き、ゴーレムが落ちていく。

「さっすがちーちゃんの未来を再現しただけはあるよね!」

 満足気に笑いながら、篠ノ之束がニンジン型のロケットを出現させ、それに腰掛け空中を滑走する。

 残り二機のうち一機のゴーレムが、背後から多数のレーザーを放射した。

 しかし全てが白騎士に当たる直前で明後日の方向に跳ね返される。

 返礼とばかりに振り向きざまに巨大荷電粒子砲が放たれ、ゴーレムが一瞬で蒸発して消えていった。

 白騎士の左側面にある砲身の外側、敵の死角となる位置から最後の一機が両手を広げて襲いかかる。

 通常のISの脚部ほどもある腕が、巨大な砲身を抱きしめた。

 しかし、一瞬で力を失い、落下していく。白騎士が右手にブレードを携えており、無人機の頭を顎の下から貫いていたのだった。

「でも、隙は出来たよね」

 両手を攻撃に使い、白騎士の武器は封じられた瞬間だった。

 束が日本刀を振りかぶり、ニンジン型ロケットから大きく飛び上がった。

『……ふっ』

 灰色の白騎士を身につけたパイロットが不敵に笑う。

 流れるような動きで右手のブレードを翻し、束の刀を受け止めた。

「よっと!」

 束も相手の勢いを一瞬で絡め取り、ブレードを空中へ弾き飛ばす。

 白騎士はそれも読んでいたのか、いつのまにか荷電粒子砲を投げ捨てており、空になった左の指を揃え、束の胸へと突き刺そうとした。

 その攻撃が彼女に届く寸前に、日本刀の柄によって叩き落とされる。

 しかし咄嗟の防御だったが故に、束の顔へ小さな隙が出来ていた。

 世界大会レベルのISパイロットでも攻撃になり得ないほどの、本当にわずかな隙だった。それでも、世界最強同士の戦いにとっては、大きな隙に違いなかった。

 ブレードを無くし、空になっていた右腕が、まるで鋭い刃のように振り下ろされる。

 束の左肩に、ISの手刀が突き刺さった。

 彼女はISの開発者であり、多数の独自兵器を持っている。無造作に展開し数多の攻撃を退けるシールド類などは、その代表格だ。

 それらを多重展開しても、かろうじて胴体の両断を防いだ程度だった。

「えへへ」

 致命傷を受けてもなお、束は笑みを作る。

 灰色の装甲をまとったパイロットは、敵を確実に仕留めた。いまわの際に反撃を仕掛けてくるにしても、充分に備えられる余裕を持って仕留めたのだ。

 だが、最後の攻撃は、予想の範囲外だった。

 未来の再現(グレイスケール)と呼ばれる兵器である彼女は、ジン・アカツバキによって作られたエネルギー体だ。

 限られた範囲内とはいえ、意思を持ち思考をするキャラクター性を持たされた、無敵の最終防衛システムのはずだった。

 先ほどまで束が乗っていたニンジン型ロケットが弧を描いて、白騎士の背後から襲いかかってくる。

 備えていた。

 だから左腕でブレードを呼び出し、それを切断しようとした。

 ニンジン型ミサイルとでも呼べる形状をした、二メートル程度の大きさの物体が、真ん中から半分に割れていく。

 中には腕を組んだ一機のISが封じられていた。

 先ほどまでの無人機とは違う、鋭角のフォルムを持った黒い人型の兵器だった。

『IS、だと!?』

 翼を広げ、自らを砲弾とでもするかのように、真っ直ぐ加速してくる。

 どこかテンペスタⅡ・ディアブロに似たその兵器は、異形とも言える左腕を伸ばし、白騎士の胸を突き刺して巨大な風穴を作った。

 それだけで収まらず、まるで悪魔のような頭部に、口のような亀裂が現れている。

「……ヒーローの弱点は、ヒーローじゃなくなったとき、だよ。そして私たちはもう、ヒーローじゃなくなったんだ」

 楽しそうに笑いながら、篠ノ之束は絶命し落ちていく。

 まるで獰猛な獣のように、パイロットの首に牙を突き立てる。そのまま咀嚼するような音を響かせながら幻影のパイロットと共に落下し、最後には爆発して消えていった。

『束様ぁ!!!』

 クロエ・クロニクルの絶叫が周囲に響いた。

 白騎士は、最初からヒーローではない。

 千冬もよく理解している。

 過去の遺物に過ぎず、単なる罪の具現化に過ぎないポンコツだ。

 そういうものはいかに強力であろうとも、新たな世代の担い手によってあっさりと超えられていくものだ。

 ジン・アカツバキにとっては最強のガードであったかもしれない。

 しかし、世界にとっては、ただの鉄くずに過ぎなかった。

 それは自分も、束もそうなのだろう。だから時代遅れ同士で消えていくのだ。

 千冬が落下していく篠ノ之束の亡骸を見下ろした。胴体を斜めに切断されかけた死体は、方舟より下に見えていた。

『た、束様、束様!』

 クロエ・クロニクルの操作する方舟が向きを変え、束の亡骸を追いかけようとした。

 そのとき、篠ノ之束であった物は白い炎となって一瞬で灰と化し消え去ったのだ。

 最後まで、アイツらしい。

 幼い頃からの知り合いで、世界で唯一の対等な友人。

 弟のときと違い、千冬は何故か悲しくなかった。

 死ぬはずがないと、どこかで思っているからだろう。ひょっとしたら、数年後にひょっこり顔を出すこともあるかもしれない。

「クロエ、上だ」

 こみ上げてくる笑いを抑えるような、楽しげな声で織斑千冬が命令を告げる。

『し、しかし!』

「放っておけ。どうせまたあの馬鹿面でひょっこり現れる。ここでジン・アカツバキに負けては、それすらも見れん。行くぞ」

 方舟が一瞬だけ動きを止めたが、すぐにゆっくりと方向転換をし始めた。

 舳先は空に浮かぶ灰色の太陽を目指している。

 マルアハたちの姿はすでに見えない。

 残すは、ジン・アカツバキのISコアだけとなっていた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、オレは落下していく。

 方舟が遠ざかっていった。

 何かを喋ろうとした瞬間、口の中で血が溢れた。

 やばい。

 力が入らない。

 一撃で心臓を持っていかれた。

 防御どころの話じゃない。スペックは圧倒的にオレが勝っていた。

 このディアブロが、いくら未来の幻影といえど、白式に負けるわけがない。

 現に、一夏たちを襲っていたラウラたちの幻影は一撃で葬ったのだ。

 慢心とかいうレベルじゃない。

 織斑一夏という意識を持つ、ジン・アカツバキの兵器は、一瞬で勝負を掴む。

 タッグトーナメントのときもそうだった。明らかに格上だった玲美のテンペスタⅡ・リベラーレに対し、肉を切らせて骨を断つがごとく勝利をものにした。

 いざという土壇場で、アイツが負けるというのは、アイツ自身が思っていない。

 どういう理屈かわからないが、ジン・アカツバキによって敵目標を無人機と思い込み、誰かを守るために動いているんだろう。

 落ちていくオレに背中を向け、灰色の白式が空へ向かっていく。

 目指すのは、方舟に違いない。次はあれを敵と認識し、左腕に備えた荷電粒子砲で狙いをつけていた。

 二瀬野鷹の意識が消えていく。

 ディアブロが、光の粒子となって消えていった。

 瞼が勝手に閉じられる。

 また、どこかに行くのか。

 しかし、ここで現世に生まれ変わったとしても、この時の彼方での戦争に負ければ、ジン・アカツバキに対する勝機はない。それは十万年前からの人類史の改編を意味する。

 諦めるわけにはいかない。

 そう決意しても、唇を噛む力さえ沸かず、意識が、消えていった。

 

 

 

 

 

 織斑一夏と篠ノ之箒は、荒れ果てた大地に立っていた。

「一夏、ここは」

「オレたちのいた時代の、約二百年後だ。正確に言えば、それより十五年ぐらい前か」

 織斑一夏は、時の彼方の崩壊によって外界より浸食してきた『無』に飲まれる瞬間、零落白夜によって次元の穴を開けた。

 それがエスツーから聞いた話を総合的に判断した結果の、最終的決断だった。

「……タカ、いやヨウの生まれる前か」

「ああ、そうだ」

「どうして、こんな時代に」

「ジン・アカツバキは、『時の彼方』という三次元の外にある塊をエネルギーで膨張させ、その体積を増やすことで過去に移動していたんだ。増えれば増えるほど、遠くの時代に飛ぶことが出来る。要するに体積イコール、移動出来る時間の幅ってわけだ」

「よくわからない理屈だが、ここは間違いなく未来なのだな?」

「元々が二百年後付近にあった『時の彼方』を膨張させたものだったからな。おそらく、その時代辺りに出るだろうとは思っていた」

 黒い髪をなびかせて、篠ノ之箒はゆっくりと歩き出す。

 風によって土煙が巻き起こされ、彼と彼女の髪を揺らした。

「あの時の彼方に戻ることは」

 崖のように切り立った丘の上から、地平線まで緑のない大地を、箒が見下ろしていた。

「……無理だな。『時の彼方』ってのは、三次元の向こうに無数に存在してるんだ。向かおうとしても、確実にアイツらのいる『時の彼方』に辿り着く保証なんて、どこにもない」

「他の時の彼方を渡り歩けば、いつかは」

「本来の『時の彼方』には空気なんて無いんだ。他の場所に入れば生身じゃ即死だ。ジン・アカツバキのエネルギーによって膨張された空間だけが、特殊だったんだ。アイツの記憶によって構成されてたようなもんだからな」

 淡々と説明をしていく一夏を見つめ、箒は拳を握る。

「では、どうするのだ」

「チャンスを待つしかねえよ」

 織斑一夏は一つの予想を持っていた。

 おそらく、こうなるだろうと。

 この時代の紅椿を倒しても、意味はない。

 時の彼方に移動している本体がある限り、いつ過去から改変されるかもわからないのだ。

「とりあえず行こうぜ、箒」

「……そうだな。ここで野垂れ死んでも、意味はない」

「おう。食料と宿が先だな」

 そして、この先、一つの出会いが待っている。

 きっと、辛い道のりになるだろう。

 一夏は隣にいる箒に、それを告げる気は無い。

 未来など、知らない方が良いのだ。きっと死にたくなる。生きていること自体に罪過を覚えて、指先一つ動かせなくなる。

「……一夏」

「ん?」

「なんというか、お前は」

 最初は険しい顔をしていた箒だったが、隣に立つ少年の変わらない顔を見て、困ったように笑った。

「さ、行こうぜ」

 一夏がそっと手を差し出す。

 箒はゆっくりと、どこか怯えるように指を伸ばした。いつまでも届かない箒の手を、一夏が先に握る。

「い、一夏」

「行こうぜ、箒。ここから、始まるんだ、ぜーんぶな」

 そう言って、一夏は箒の手を取り、走り出す。

「お、おい、一夏」

「ほらほら、あっちに車の影が見えるぞ、何か食料もらえるかも知れないし、人のいる場所まで連れていって貰えるかもしれない」

 彼と彼女は、そうして未来での道を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 オレは、オレの最初の肉体に刻まれた記憶を呼び起こされていた。

 ルート2を起動し、心だけになったヨウは、ジン・アカツバキによって作られたニセのエピソードによって、記憶を改変されていた。

 心だけになる、というのは、記憶の物理的バックアップである脳神経から離れるということだ。ゆえに簡単に思い出を改ざんされてしまうというリスクも孕んでいる。

 つまるところ、オレは大学生での前世など持っておらず、ただ単に未来から送り込まれた少年の心、という存在だった。

 そして『ヨウの脳にあった記憶』の中には、つい先ほど『時の彼方』で消えた織斑一夏と篠ノ之箒の行く末も刻まれていた。

 二百年後、巨大隕石群の到来の十五年ほど前に、彼らは突然現れた。

 貧しい農村で慎ましく暮らしていた彼らを最初に発見したのは、遺伝子強化試験体研究所に所属する女性だった。名前をエスツーと名乗った。

 当時の彼らは、一人の赤子を授かったばかりだった。

 産後で体力を失い動けなかった箒と赤子を、研究所の人間によって人質に取られ、織斑一夏は抵抗すら出来なかった。

 結果、二十歳なったばかりの織斑一夏と篠ノ之箒は、とある研究所の試験体となった。

 そして些細な実験事故の後、二人とも死亡してしまう。

 時代は進み、ジン・アカツバキと呼ばれる存在によって反乱が起こされ、人類は滅亡の危機に追い込まれた。

 エスツーは研究所が破壊されるとき、まだ幼かった一夏と箒の子供を連れて逃げ出したのだ。

 十歳になった少年は、やがて一夏のクローンに出会い、ヨウと名付けられた。

 最後にディアブロという白騎士の二番機により、ルート2という機能を発動させ、二百年の昔、つまりISが生まれた頃へと到達する。

 これこそが、二瀬野鷹の正確な来歴だった。

「……そうかよ」

 自分の両親が、さっきまで一緒に戦っていた二人の幼馴染みだと思い出した。

 両手を見つめる。

 小さな手だ。これが一夏と箒の息子、ヨウの手か。

「ヨウ」

 優しい声をかけられ、オレは顔を起こす。

「エスツー、か」

「ふふ、おはよう、ヨウ」

「……おう。変な感じだな」

「そう、かもしれないわね」

「夢を、長い長い夢を見ていたんだったら、良かったんだけどな」

 力の入らない手で何とか体を起こし、銀の棺桶から這い出ようとした。しかし手足の感覚に妙なズレがあって、床に転げ落ちてしまう。

「大丈夫?」

 エスツーがオレの体を優しく起こしてくれた。懐かしい温もりだった。

「オレはまた死んで、元の体に戻ったってわけか」

「強制IWSって機能が紅椿にはあったから、私の二番機で上手く捕まえられた」

「なるほど、よくわからねえけど、ありがとな」

 立ち上がろうとしたけど、体の勝手がわからず、体をよじることしか出来ない。

 まどろっこしい。

 オレは目を閉じて、その機体をイメージする。

 体が宙に浮き、黒い装甲が手足に装着され、背中に四枚の翼が現れた。少しだけ空中に浮かぶと、頭の高さが今までと同じぐらいになる。

「ISを使った方がマシだな」

「……行くのね」

「おう、悪いな、エスツー。こんな不良に育っちまって」

「私……は」

「いいよ、言わなくても。それより状況は?」

「ジン・アカツバキの最終防衛システム、『未来の再現』の一つ、白式によって方舟が襲われてるわ」

「さっきのヤツな。船が大きく揺れてるのは、そのせいか」

「ヨウ」

 悲しげにオレを見上げるエスツーに、笑顔を作って返す。

「エスツー、ありがとうな」

「私こそ、貴方の親を」

「親がいっぱいいて、どれが本当の親やら。どれも本当の親か」

 思わず苦笑いが浮かんでくる。

 沢山の優しい人たちと出会ってきた。

 だからこそ、オレは歴史を改編していく自分を許せないと感じていた。何も救えない自分こそが諸悪の根源の一つだと思い始めていた。

 生きろ。

 そう言われても、困る。

 いつでも期待を裏切ってきた。だから、逆に言い放ってやろう。

 お前ら全員を、生き返してやるってな。

 

 

 

 

 

『くっ、敵の数は多いけど!』

 未来の再現である灰色の白式が、左腕の荷電粒子砲を撃ち放つ。

 薙ぎ払うような一撃が、ボロボロになっていたパイロットたちのISを破壊していった。

 更識簪が倒れ、シャルロットの機体が消えて、膝が折れていた。

 ラウラのISが完全に破壊され、セシリアのブルーティアーズが吹き飛ぶ。

 悠美の打鉄弐式はエネルギーを完全に失い、リアのレーゲンにはもう武装が残されていない。

 鈴のアスタロトは砲身と翼を破壊され格闘しか出来ず、楯無は全てのナノマシンを失い、ただの棒となったランスを振り回していた。

「しつこいのよ!」

 鈴が殴りかかるが、甲板の上ではスピードを生かせず簡単に払いのけられてしまう。逆に雪片弐型で切りつけられ、反対側の縁まで吹き飛ばされて衝突し、ISが光の粒子となって消えていった。

 一夏と同じ形をしたパイロットを、彼女たちはすでに五度は追い込んだ。

 そのたびにわずかな血路を切り開き、死中に活を求めてくる。

 時には新しい装備を出現させ、スピードの最大値を上げてきた。

 楯無がランスを構え、白式に襲いかかる。

『やられるか!』

 一夏の影とも言える存在が、左腕の装甲を大きな爪のように変化させ、相手の攻撃を掴み取った。

「これでどう!?」

 楯無は素早くハイキックを放ち、たたらを踏んだ敵に向け、反対の足で突き刺さるようなローリングソバットを決めた。

 だが灰色の白式は左腕を犠牲にし、反撃の刃を振り下ろす。青い半透明の装甲を持つ機体が、甲板上に叩き伏せられた。

『トドメだ!』

 破壊されたはずの左腕が、再び爪のような形へと戻る。前のめりに倒れていた無防備な楯無の頭部を破壊せんと、振り下ろした。

「チッ」

 最後の武器である千冬が、間に割って入る。

 自分の零落白夜でしか、ジン・アカツバキを倒すことが出来ない。

 敵の最終防衛システムに破壊されるわけにはいかず、戦いたい気持ちを抑えて防御に徹していた。

 だが、彼女の我慢の限界はそこまでだった。

 どちらにしても、すでに彼女しかいない。

『親玉の登場か……させるわけにはいかねえ!』

「それは、こちらのセリフだ!」

 白式同士の戦いが始まる。

 千冬が鮮やかな軌跡を描く振り下ろしから、流れるような動作で突きを放った。

 咄嗟に頭を逸らして回避するが、灰色の推進翼がその攻撃で破壊された。

『クソッ』

 敵の強さを感じ取ったのか、一夏そっくりの機体が上空へ逃げるように飛び上がって距離を取った。

「逃がすか!」

 左腕に荷電粒子砲を展開させ、相手の動く先を読み切って直撃させる。

 苦痛のうめきを短く上げ、灰色の白式が白煙を上げながら落下していった。

 倒したわけではない、と千冬は次の砲撃に向けて狙いをつける。

『……まだ』

 千冬の耳に、弟と同じ声が届いてきた。

『負けるわけにはいかねえ。ここで負ければ、仲間たちが』

 それが偽物の記憶と知らず、彼は気持ちを奮い立たせる。

 先ほどから、これの繰り返しだった。

 負けそうになっても、必ず蘇ってくる。

 諦めることを知らない少年と同じ心で、敵は気持ちを奮い立たせ、ここまでやってきたパイロットたちを薙ぎ払ってきた。

 ジン・アカツバキの持つ織斑一夏のイメージとは、これほどまでに強いのか。

 弟と同じだとどこかで侮っていた千冬は、内心で驚愕していた。

 この敵を根本から断つには零落白夜を使うしかない、と右手の雪片弐型をチラリと見つめる。

 それは弟から譲り受けた白式の、最大の武器だ。

 零落白夜でしかジン・アカツバキのISコアを倒せないと、束から聞いていた。

 白式のエネルギーは残り少ない。エスツーの紅椿二番機があるとはいえ、他の機体のエネルギーはすでに切れ、IS自体が待機状態に入っている。

 その千冬に向けて、灰色の白式が再び空を舞った。

『れいらくびゃくや』

 信じられない呟きを、彼女は聞いた。

 ルート系機能は紅椿、白式、そして白騎士とそのシリーズしか持たないはずだ。

 その証拠に先ほどまで、灰色の白式は零落白夜を使ってはいなかった。そして使わずに千冬たちを壊滅状態に陥れたのだ。

 しかし、敵は雪片弐型を変形させ、光の刃を出現させている。

「あれは……ジン・アカツバキと同じ」

 紅椿の未来の姿であるその敵は、巨大なエネルギーブレードを黎烙闢弥(れいらくびゃくや)と呼び扱っていた。

 知らずと産みの親の機能を出現させたのか、最初から搭載されていたのか。

 どちらにしても、強力な兵器であるのは間違いない。

「出し惜しみしている場合ではないか!」

 千冬も同じように手に持った雪片弐型から、全てを切り裂く次元の刃を出現させた。

 甲板を見下ろすように浮いていた灰色の白式が、刀ほどの大きさだった光を、天まで貫くような巨大な柱へと変化させる。

 方舟ごと切断する勢いの、最強の剣だった。

『オオオォォォォォ!』

 雄叫びとともに、その一撃を振り下ろしてくる。

「零落白夜!」

 千冬は最小限の動きで、目の前の虚空に向け鋭い斬撃を行う。

『なっ!?』

 灰色の右腕部装甲が、真っ二つに切断された。

 支えを失った光の刃が、見当違いの場所へと振り下ろさせる。

 敵のエネルギーブレードに対抗しようとすれば、白式も力を大量に消費してしまう。ゆえにその根元を、最小限の動きで叩き斬ったのだ。

『狙い通り!』

 しかし、一瞬驚いたような顔を見せていた灰色のパイロットが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

 最小限の動きといえど、上段から刃を振り下ろした千冬に、わずかばかりの隙が出来ている。

 そこに向けて、敵の白式は最初から用意していたように左腕の荷電粒子砲を撃ち放ったのだ。

 咄嗟に身を翻して千冬は敵の攻撃を避けようとする。

 しかし、収束された攻撃が、雪片弐型の柄を正確に貫いたのだった。

「最初から狙いは……そこか」

 すでに千冬の手には、刃がない。

 次元を切断する雪片弐型も、左腕部装甲と一緒に貫かれ、破壊されていた。生身の左腕もケガを負っている。

『これで、長い戦いも終わりだ!』

 再び荷電粒子砲を構え、灰色の白式は方舟の上に立つ千冬へ狙いを合わせた。

 ジン・アカツバキを倒す唯一の武装が失われ、彼女は呆然と膝を折る。

 油断をしたわけではない。

 ただ、相手の粘りが上回ったのだ。

 弟の器は、いつか自分を上回るものだと思っていた。

 その未来を再現された存在によって、千冬は敗北を喫した。

 すまない、束。

 そう懺悔をして、千冬は瞼を閉じる。

「らしくねえよ、織斑センセ」

 そのとき、少し幼い少年の声が周囲に響いた。

 船の内部から甲板に上がる場所に、小さな人影が立っている。黒い装甲のISを身にまとった、十歳ほどの男の子だった。

 千冬は顔に見覚えがあった。二瀬野鷹の心の元となった体である。

『ちっ、隠しボスってわけか』

 灰色の白式が、左腕の荷電粒子砲を黒いISへ向けて狙いを定める。

「もういいぜ、織斑一夏っぽい真似をしなくとも」

 その機体は一瞬で圧倒的な加速を行い、右腕で敵の体を貫いた。

『なっ!?』

 自分の腹部を見て、灰色の操縦者が驚きの声を上げる。

「ヒーローの弱点、教えてやろうか」

『クソっ、諦めるわけに』

「自分の息子にゃ絶対に負けるんだよ、チクショウ!」

 猛威を振るっていた、ジン・アカツバキの最終防衛システム『未来の再現』、その最後の一体は、未来から来た少年によって消し飛ばされた。

 

 

 

 

 

 至るところを破壊された方舟が、黒煙をくすぶらせながら灰色の空を進む。

 船底に広がる空間は、光すら通さぬ暗い闇へと包まれていた。

 甲板で、一人の少年がため息を吐いていた。

 気絶した少女たち全員を、床に寝かせ終わったところだった。

「二瀬野、か」

 左腕を抑えながら、千冬が歩いてくる。

「こんちは、小さくなったけど、まだIS学園に入れる?」

「盛大に鍛えてやる、期待しておけ」

「こわっ、織斑先生、超怖い」

 少しおどけた様子で、少年が身を振るわせる。

 それを見て少し笑った後、千冬は申し訳なさそうに頭を垂れた。

「すまん」

「どうしたんです、織斑先生」

「ジン・アカツバキを倒すための武器が、破壊された」

 そう言って彼女が向けた視線の先には、破壊された雪片弐型が転がっていた。

「ああ、ジン・アカツバキのISコアを倒すには、それがいるんですか」

「束の言うとおりなら、そうだろう」

「それでも諦めるわけにはいかないッスよね、千冬さん」

「……そうだな、その通りだ」

 少年と女性が空を見上げる。

 灰色の太陽が、視界を覆い尽くすように広がっていた。

「あれが、ジン・アカツバキのISコア」

「らしいな」

「やってみますか。クロエ、敵影は?」

『存在しない』

「了解」

 黒いISを展開させた少年が、空中にふわりと空中に浮かぶ。

「二瀬野」

 四枚の翼を立てた少年の背中へ、千冬が声をかける。

「はい」

 彼は動きを止めたまま、振り向かずにいた。

「行くのか?」

「まあ、アイツを倒しに」

「その後は?」

「そりゃあ、もちろん、十二年前ですよ」

 振り返った子供顔は、困ったように笑っていた。

「私と一緒に暮らせば良い」

 自分でも思ってもみない言葉に、千冬は自分でも驚いたような顔をしていた。

「魅力的過ぎて、生きていたくなりますね。でも、よぉく考えたら」

「な、何だ」

「叔母さん、生活能力あるの?」

 子供が大人をからかうような調子だ。実際、見かけはその通りである。

「あるに決まっている。私は大人だぞ」

「うーん、料理とかはオレの方が上手そうだ」

「その辺りの家事は任せる」

「最初から宣言されると、いっそ清々しいッスね、千冬さん」

「ふん」

 千冬が少し気恥ずかしそうに顔を逸らし、二人は黙り込む。

 ほんの少しの沈黙の後、彼女は少し戸惑いながら、

「諦めても、良いんじゃないのか」

 と呟いた。

 耳に届くか届かないかの声に、ヨウは目を丸くした後、首を小さく横に振った。

「そういうわけには行かないんですよ、千冬さん」

「何故、だ」

「オレはずっと死にたいと思ってた。未来を改変し続けて、知らないうちに色んな人の人生を狂わせてた。ジン・アカツバキを倒すために仕方ない。そう割り切れれば良かったかもしれない。でも、やっぱり無理だった」

「そうか」

「二瀬野鷹って、周囲に恵まれてたと思うんですよ」

 空中に浮かんだ彼は、戦闘によって気絶し眠っている少女たちを見回し、小さく笑った。

「ご両親か」

「オヤジと母さんには感謝しきれない。だから、助けられなかった自分が許せない」

「四十院たちはどうする?」

「四十院総司として、仲間だと思ってた子たちを酷い形で騙し続けてた。それも要因の一つかな。それに」

「それに?」

「オレ、意外に幸せだったなぁとも思うんですよ。だから、死んでったヤツらを思い返して、やっぱりこのままじゃダメだって思うんだ」

 照れたように笑って、ヨウは千冬に背中を向ける。

「ヨウ」

 その二人の元へ、一人の女性が声をかけた。

「エスツー」

「行くの?」

「悪い、行くよ、やっぱり」

「ルート3・零落白夜がなければ、倒せないのに? 過去へも戻れないのに?」

「やるだけやる。諦めるわけにはいかねえし」

 なるべく顔を見せないようにしながら、少年は明るい声で答えた。しかし、その声は震えている。

「私は、悩んでるわ」

 白衣を着た女性が、頭を垂れて、泣きそうな声で呟いた。

「悩むこたぁねえだろ」

「私は貴方を幸せにしたい。だからジン・アカツバキを倒した後、再び最初の歴史を始めれば良いと思うの」

「それじゃ、またジン・アカツバキが生まれるかもしれねえだろ」

「それでも、同じ繰り返しなら! 次はきっと!」

 涙をぽろぽろと零しながら、

「エスツー、やっぱ行くよ。絶対に倒す。んで、何とか十二年前に辿り着くよ」

「ヨウ……」

「二瀬野鷹になる前、オレが名前のない子供だったとき、やっぱりさ、オレ」

 少年が大きく息を吸った後、小さなため息を零す。

「オレ、多分、エスツーをやっぱり母親のように思ってたんだ」

 言葉少なげな名無しの少年は、長い旅路の果てで思い出した過去を懐かしむ。

「わ、私も!」

「だから、悪い。オレを応援してくれよ。お前のおかげでここまで幸せだった。だから、最高のハッピーエンドを探しに」

 振り返った少年の顔は、決意に溢れた眼差しをしていた。

 その顔を見て、エスツーはそれ以上、何も反論出来なくなり、自分の胸に手を当てた。

「ルート系機能」

「ん?」

「白騎士には、三つのルート系機能が搭載されていた。篠ノ之束と箒が乗ればルート1を、織斑千冬と一夏が乗ればルート3を使えた機体だった。そして、二つの因子を持つヨウには、ルート2が使えた」

「エスツー?」

「織斑と篠ノ之の因子を持つゆえにルート2が使える。それは同時に、絢爛舞踏と零落白夜を使える可能性も秘めている、ということ」

 視線を落としたまま、淡々とエスツーが説明を続ける。だが、その声は隠しきれないほど震えていた。

「ルート3が使えるなら、この時の彼方から十二年前に向かうことが出来る。そして、ルート1が使えるなら、二百年後に地球を滅ぼす大隕石群の軌道へと近づくエネルギーを得ることが出来る」

 その言葉を聞いて、千冬とヨウが目を合わせた。

「すまない、エスツー」

 千冬が申し訳なさそうに呟いた。

「いいのよ。その雪片弐型が破壊されていなくても、私はヨウに教えたと思うわ。だって」

 彼女は小さく、誰にも聞こえないように、彼の幸せを願う母親だから、と口の中で呟いた。

「エスツー、ありがとう」

 それはまだ名前のない頃の少年と、よく似た口調の感謝だった。

「ヨウ」

「うん」

「私も、貴方といられたときは、幸せだった」

「ありがとう、エスツー。オレもだよ」

 ディアブロの推進翼に光が宿る。

「みんなにもありがとうって、伝えておいて」

 それだけ言い残して、彼は灰色の空へ、巨大な太陽を目指して飛び立っていった。

 彼を見送った後、エスツーの膝が崩れ落ちる。

 顔を覆って、声を殺し泣き続けていた。

 千冬は、小さくなっていく少年の機体を見て、もう一度、

「……幸せに、な」

 と呟いた。

 

 

 

 

 

 空を飛び続ける。

 思いの外早く、オレはそれの前に辿り着いた。

「おっす」

 気軽な調子で軽く手を上げる。巨大な星の目の前に立つと、球体という形を感じ取ることさえ出来ない。果ての見えない壁の前に立っているような気持ちだ。

『二瀬野鷹。ここまで来たのか』

 オレの数メートル前に、緑色に光る小さな立方体の塊が現れた。

「おう。年貢の納め時だぜ、ジン・アカツバキ。もう手下はいないのか」

『全てを出し尽くした。それで負けたのだ』

 鼓膜を振るわせる不思議な声は、どこか悲しげに聞こえた気がした。

「んじゃ、そういうことで」

『お前は人類の』

「もういいだろ。お前もオレも未来を信じてるんだ。方法論が違っただけだ」

『……そうだな、私は未来を信じてる』

 立方体の発する光が、わずかに揺らいだ気がした。

「人類のスペックを信じるか」

『悪いことか?』

「いいや、良いこと言ってると思うぜ。十万年前からやり直して、正しい道を選ばせる。もう少しだけ優しく、人と人とが手をつなぎ合う世界を作るんだろ」

『ああ、その通りだ』

「オレとお前の違いは、新しい十万年がどこから始まるかの違いだけだ」

『どこから?』

「オレは、二瀬野鷹は、アイツらが新しく始める、次の十万年を信じることにした」

『それでは失敗の焼き直しだ』

「だけど、信じるよ」

『同じ歴史を歩むだけだ』

「いいや、ほんのちょっとの掛け違いだけさ。オレは十二年前に戻ったとき、四十院総司として生きてきた間、ほんのちょっとの違いだけで変わっていく様を見てきた」

『お前は未来を信じてるのか』

「さっきも言ったろ。ああ、違うな。オレは信じてるよ、一夏たちを」

『……私は人類を』

「いや、言えよ、はっきりと。マスターが大好きだったって。彼女の思いを無駄にしたくなかっただけなんだって」

 からかうように笑いながら言うと、緑色の立方体の輝きが揺らめいた。まるで笑っているかのようだ。

『では、行け。そして最後に呪いをかけるとしよう』

「呪い?」

『生き続けろ、そして苦しみ続けろ』

「一夏と同じこと言うなよ」

 呆れたような笑みが零れてしまう。

 手元に大剣を呼び出して、上段に構えた。

 そのまま、 絶対の自信を持って声を張り上げる。

「ルート3・零落白夜!」

 見覚えのある光が、オレの手元から伸びていった。

『さらばだ、二瀬野鷹』

「じゃあな、ジン・アカツバキ」

 不倶戴天の敵だった、と言っても過言じゃない。お互いに憎み合ったと形容出来る相手だ。

 それでも、人ではない同士のオレたちですら、こうして最後は笑い合って別れることが出来るのだ。

 だから、もう少しだけ信じても良いだろ。

 新しい始まりを。

 言葉にはせず、オレはその光輝く刃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 ジン・アカツバキを斬った後に残った断面に飛び込めば、そこは宇宙空間だった。

 遥か遠くに、青い星が見える。

 ディアブロの視界に日本時間を表示をさせれば、間違いなく十二年前、四十院総司が事故に巻き込まれた死んだ日の朝だった。

「ルート1・絢爛舞踏」

 オレが通ってきたばかりの断面から、エネルギーが流れ込んできて、機体の中に吸い込まれていく。これはジン・アカツバキの力の残滓だ。わざと大量に残したのは、アイツの意地悪なんだろうか。

「行くぜ、ディアブロ」

 地球に背中を向け、算出された彗星群とのランデブーポイントを目指す。

 速度計が上がっていった。音速を超え、マッハ二十を過ぎ、星の瞬きに囲まれた宇宙を飛び続ける。

 背後にあった地球が、どんどん遠くなっていった。

「思えば、遠いようで随分と近い場所にいるもんだな。そりゃ篠ノ之束も落胆するわ」

 悪態を吐きながら、目標へ向けて加速を重ねる。

 真っ暗な場所に、ディアブロの推進翼から吐き出された粒子が光りを撒き散らしていた。

『ヨウ君』

 小さな声が耳に届く。

「玲美か」

 この機体の中にいると思った。

 ルート2によって心を抜き出されたのは、三弥子さんの元になった玲美だけじゃない。彼女に殺された玲美もそうだ。

 さっきの戦闘で何度も助けてくれた存在がいたからなぁ。

『行くんだね』

「ああ。止めるなよ」

『止めないよ。でも、覚悟しておいてね』

「どういう意味だそりゃ」

『何もかもは、思い通りにいかないってこと。ディアブロが笑ってる』

「また大事なこと言い忘れてるんじゃねえだろうな」

『ううん、今度はわざと言わないだけ』

 いたずらっぽく笑う声が、耳に気持ち良かった。

 しかし、こんなに心強いことはない。

 一人かと思えば、そうでもなかったってことなんだから。

『思い残すことはない?』

「あるよ、いっぱい」

 悔いばっかり残ってる。だから過去を変えに行くんだ。

「オヤジと母さんに、もっと感謝しておけば良かった。もう一度、あの狭いマンションで一緒に暮らしたかったよ」

『他には?』

「また、四十院研究所の帰りに、四人でメシを食いに行きたいよなぁ」

『うん、楽しかったね』

「エスツー、覚えてるか? 箒に似てるヤツ」

『もちろん』

「アイツ、メシ作るの下手でさ、スープ一つ作るのに、ネットの情報とにらめっこしながら、手に切り傷作ってたんだぜ」

『愛されてたんだね』

「んだなあ。悠美さんの歌も結局、ちょっとしか聴けてねえや」

『むー、ホント悠美さん大好きだよね、ヨウ君。よく考えたら、四十院のオジサンとしてアイドル活動応援してたりしたし』

「良いだろ、別に。ああいう風に頑張ってる人、大好きなんだよ」

『それだけかなぁ』

「そ、それだけだっつーの」

『ふーん……ま、別に良いけど。オータムさんとかは?』

「アイツな、アイツ……悪いやつじゃないんだよ、いや、悪いやつだけど」

『それじゃナターシャさん』

「もう、ホント、お近づきになれただけで嬉しかったよ。銀の福音、助けられたときは嬉しかったなぁ」

『リアさん』

「馬鹿なんだよなアイツ。賢い振りしてるけど、面倒見が良すぎる。だから余計なことに巻き込まれたり」

『それじゃあ、織斑センセ』

「良い人だよな。愛想ないけど。感謝しきれないぐらいだ」

『うんうん。無愛想だけど、やっぱかっこ良いし面倒見も良いよね』

「あれで弟大好きだからなぁ」

『やっぱりそうだよね。何だかんだで織斑君のこと目で追ってるときが多いし。次はえーっと』

「国津と岸原には最後まで付き合ってもらって、感謝ばっかりだ」

『三人とも、仲良かったよね』

「十二年も付き合えばな。悪いことしたけど、やっぱり心強かったよ、あの二人は」

『理子』

「あいつな。レクレスと名付けて失礼なヤツだよな。でも、良い子だったよ。お前たち三人のムードメーカーだった」

『かぐちゃん』

「……ありすぎて言うことがねえ。一つだけ言うなら、ありがとう、か」

『うん……次はえっと、ラウラ』

「面白えよ、アイツは。世間知らずだし。生真面目だけど」

『シャルロット!』

「正直に言おう、大ファンでした」

『く、くぅ~、じゃあセシリア』

「良いヤツだったよ、ほんと。責任感もあって頑張り屋で。ただなぁ」

『料理だけがねー……』

「そうな、ホント」

『つ、次は会長と更識さん』

「楯無さんと簪さんか。四十院総司として、ちっちゃい頃から見てたけど、二人とも良い子だったよ。楯無さんにゃ怒られたこともあるけど」

『お、オジサンが? 年上なのに?』

「おうよ。怖いんだぜー、あの人」

『良い大人なのに……。んじゃあ、鈴ちゃん!』

「語り出したら止まらんぞ、あの馬鹿は。迷惑いっぱいかけられたし」

『可愛かったじゃん』

「いやいや、見た目に騙されるなよ。アイツはホントひどいヤツなんだ。恩を仇にして返すなんて日常茶飯事だった」

『それでも、恩を売り続けたんだ』

「……いや、だってアイツ、放っておけないんだもん。あとはまあ、性別を超えた親友か。あいつにゃ言うなよ。馬鹿にしてくるから」

『ふーん……まあ鈴ちゃんも織斑君といるときよりリラックスしてたしね』

「まあそんだけ気の置けない間柄だったわけだ」

『篠ノ之さんは?』

「箒な。本当に感謝してる」

『お母さん、だったんだよね』

「あんまり記憶ねえけどな」

『んじゃあ、織斑君』

「一夏か。言いたいことはいっぱいあるけど」

 友達だったし、親だったし、ライバルだったし。

『思ってること、全部言っちゃったら? 私を織斑君だと思って』

「思いづらいっつーの。でもまあ、織斑一夏へ、か。改めて語ることはねえよ」

 これ以上、未練を作りたくはない。

 未練、か。

「オレ、本当は生きてたいのかな」

 ぽつりと、今更そんなことが口に出る。

『それはわからないよ。でも、どうかな』

 視界の端に表示していた大彗星の軌道が、段々と視界の中央へと近づいてくる。

 望遠モードにすれば、尾を伸ばして飛ぶ帚星が見えた。

「見えた。んじゃあ、玲美、ありがとな、付き合ってくれて」

『ううん。どういたしまして』

「行くぜ、ディアブロ! 玲美、制御頼むわ」

 背中からビットを出現させる。

『行くよ!』

 その数は総勢百を超え、種類も多種多様だ。

 手に持った刃は、雪片弐型に良く似た形状の兵装だった。

 そして背中にある推進翼に、意思を込めた。

『じゃあ、最後の質問』

「ん?」

『国津玲美は?』

 その期待に満ちた声に、思わず笑いが零れてしまう。

『もー、何で笑うのよ!』

「それじゃあ、玲美」

『うん! 行こう!』

 敵は二百年後に地球を破壊する、巨大隕石群。

 ある意味、ジン・アカツバキより強大な敵だ。

『イグニッション・バースト!』

「荷電粒子砲ビット、全門斉射準備!」

『ルート2・再始動!』

 大きな光を放つ帚星の群れに、オレはディアブロを操作して、その進路へと割り込む。

「メテオブレイカー、二瀬野鷹、行くぜ!」

 

 

 

 

 拝啓、この世界の皆さんへ。

 あなたたちと一緒に過ごせて二瀬野鷹は、幸せでした。

 まあ、つべこべ言わずに、こんな結末になった理由をまとめるなら。

 あなたたちが大好きだった。

 だから、ありがとう。

 そして、さようなら。

 

 

 

 

 

 翼を広げ、インフィニット・ストラトスが暗闇を切り裂いて飛んでいく。

 その光が、尾をたなびかせる彗星を破壊し、誰もいない宇宙で大きく輝き、数秒の後に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ、時空のたもと

 

 

 

 

「おーい、小鳥、お兄ちゃん、バイト行ってくるからな!」

 オレこと二瀬野鷹は、マンションの玄関で靴を履きながら、家の中にいる妹へ声をかける。

「お兄ちゃん、高校に入ってから、バイト多くない?」

 するとキッチンからエプロンをつけた妹の小鳥が歩いてくる。手にはお玉を持っていた。どうやら料理中らしい。

 二瀬野小鳥はオレの双子の妹で、IS学園に入った超優秀な子である。適正はそこまで高くないようだが、頑張り屋なので双子とはいえ兄としては誇りだ。

「ちょっとなー高校出るまでにまとまったお金を貯めておきたいんだ」

「いつも言ってるよね。大学に行く資金? お父さんもお母さんも一所懸命働いてるんだし、そこまで心配しなくとも」

「バーカ。何のために藍越学園入ったと思ってんだよ。就職に強い学校ってのはつまり大学行く勉強しないためだっての」

「え? お兄ちゃん、大学行かないの?」

「いいだろ、オレの進路は何でも。それよりお前、IS学園の方は良いのかよ? ことあるごとに帰ってきて」

 少し責めるような口調で言うと、不満げに口を尖らせて、

「私が帰ってきちゃ悪いわけ?」

 と文句を言い返してきた。

「そうは言ってねえけど」

「それにお母さんも身重なんだし」

 うちの母親の中には、一つの小さな命がある。まだ性別はわからないが、多分妹だろうな。

「気にすんなよ、家のことはオレとオヤジでやってるし」

「でもでも! 男二人だけだと不安っていうか! お母さんに負担かけてないかとか!」

「心配しすぎだろ。大丈夫だっての」

 軽く手を振って、バッグを担ぎ、オレはドアを開けた。

「あ、お兄ちゃん!」

「ん?」

 呼び止められて、オレは肩越しに小鳥の姿を見つめる。

「い、いってらっしゃい」

 少し気恥ずかしそうに手を振る双子の妹に、オレは思わず笑みを漏らしてしまった。

「いってきます」

 軽く敬礼をしながらドアを出て、オレはアルバイトの喫茶店へ向かった。

 

 

 

 

 夏も真っ盛りだ。動かずとも汗ばむ雑踏の中を、足早に歩く。

 駅を出てしばらくすると、前方からガヤガヤと楽しそうに騒いでいる集団が見えた。

 白い制服は、妹の小鳥と同じIS学園のものだ。

 街であの制服を見かけるなんて珍しいな、と思いながら、その集団の横を通り過ぎようとした。

「あれ、二瀬野か?」

 その中にいた人影の一つがオレに声をかけてくる。

「ん? あ、織斑か」

「おっす、久しぶり」

 人好きのする笑顔で手を上げているのは、織斑一夏だ。女性しか動かせないインフィニット・ストラトスを、世界で唯一起動させた男。この春にIS学園に入ったそうだ。

「ねえ、一夏、お友達?」

 一夏の側にいた金髪の少女が、袖を引っ張りながら上目遣いで一夏に尋ねる。他にも気品のある顔立ちの外人と、銀髪の小さな女の子が一緒に歩いていた。

「あれ、二瀬野じゃん」

 そんな少女たちの中で一人だけ、オレの顔を見て怪訝な顔を浮かべた子がいた。

「ファンさんか。お久しぶり。日本に帰ってきてたんだな」

「最近ね」

 中学のときクラスが一緒になったことのある、少し小柄な少女だ。中国に帰ったはずだったが、最近IS学園に入学したって、中学のときの同級生に聞いた。

「んじゃあな、織斑」

 まあ特に用事もない。同じ中学でクラスが一緒だっただけの二瀬野鷹としては、これ以上会話もない。

「呼び止めて悪かったな。それじゃ」

 IS学園の制服を着た少年が笑顔で手を振って、背中を向けて歩き出した。

 オレも背中を向けて歩き出そうとしたが、

「織斑」

 と、つい声をかけて呼び止めてしまう。

「ん?」

 特に用事はなかったが、これだけは言っておかないと。

「頑張れよ」

 そう笑いかけると、向こうも笑顔で、

「そっちもな」

 と返事をしてきた。

 それだけの会話で、オレと織斑一夏はお互いに背中を向け、別々の道を進み出した。

 

 

 

 

 

「おつかれさまでーす」

 オレは元気よく挨拶をしながら、店の中に入る。

「おはよう、二瀬野君」

 薄い緑色のエプロンをつけた、人の良さそうな男の人がオレに向けて挨拶をしてきた。

「マスター、おはようございます」

 四十院総司という、ちょっとカッコイイ名前のマスターは、実はどこぞの御曹司だ。家業を投げ出して自分で店を出したってんだから、大したもんだ。

「じゃあ、早速キッチンに入ってくれるかな」

「はーい。んじゃ着替えてきます。あれ、なんかやけに上機嫌っスね」

「わかる? 娘がね。学校が休みだからって、遊びに来てくれるんだよ」

「へー、マスターの娘っていうとIS学園に入ったっていう」

「二瀬野君の双子の妹さんもIS学園だったっけ」

「クラスは違いますけどね。っと着替えてきます」

「急いでねー」

 少しのんびりとした様子で送り出す声を背中で受けながら、オレは控え室に入っていく。

 軽くノックをしてドアを開けると、

「あ、おっはよう」

 と元気の良い挨拶が聞こえた。

「おはようございます、悠美さん」

 茶色の長い髪を頭の後ろでまとめている途中のようだ。

「今日もランチ、忙しくなりそうだね」

「ですねー。もうちょい人を増やしてもらえると助かるんですけど」

 彼女の名前は沙良色悠美さん。何でもアイドル修業中の人らしい。二十歳だけど、歳のことを言うと凄い怒る。最近はアイドルの若年化が著しいからなあ。

「私も急に仕事で抜けることがあるから、そうして貰えると助かるんだけどね」

「まあ、そんときゃオレが頑張りますよ、大好きな悠美さんのためだし」

「もうーまた年上からかって! っと、着替えるんだっけ、先行くね」

「はーい」

 明るい色のエプロンドレスを着た悠美さんが、オレの横をすり抜けていく。

 うーん、相変わらず凄いボリュームの胸だ。

 それを見送った後、オレは制服に着替えてエプロンを羽織った。そして控え室の隅にあった姿見の前でポーズを取った。

「よし、今日も雰囲気イケメンだ」

 さて、バイト頑張りますか。

 

 

 

 

 ランチタイムを終えて、一息つける時間帯になってきた。

 下げ残しの食器なんかが残ってないか、店の中を見回して確認していると、端っこの席に二人の冴えないオッサンが談笑してる姿が見える。二人とも見慣れた常連客だが、今日は珍しく髪の長い三十代半ばぐらいの綺麗な女性が同席していた。

 テーブルの上にあるコップの水がだいぶ減っていたので、オレはガラスの水差しを持ってそちらに近づいていく。

「岸原さん、何でいるんです?」

 オレは常連客の一人であるゴツいおっさんに笑いかけた。

「娘と待ち合わせだ。というか、もうちょっとお前は客に対する態度をだな」

「え、店長の友達でしょ? それにコーヒー一杯で何時間席を占領するつもりですか」

「し、しかしだなぁ」

「まあまあ、それぐらいにしときなよ、岸原も。二瀬野君も勘弁してやって」

 ばつの悪そうな顔で言い訳しようとする岸原さんの反対側から、眼鏡をかけた華奢なオッサンが割り込んでくる。

「国津さんも、二人とも暇なんですか? 良い大人が昼間っから喫茶店に」

「きょ、今日は休みなんだよ」

「んじゃいっつも休みなんですねえー。えっと、そちらは奥さん?」

 国津っていう少し気の弱そうなオッサンの隣にいる、凜々しい顔立ちの女性に恐る恐る話しかけた。

「初めまして、三弥子です。夫がいつも入り浸ってるみたいで」

「あ、二瀬野って言います。旦那さんはよくごひいきにしてくれます」

「あんまりサボりすぎないように、言ってやってね。うちの人、のんびりしてるから」

 その女性の笑いがあまりにステキだったので、オレも釣られて笑ってしまう。

「ほら二瀬野、さっさと仕事に戻れ!」

 岸原のオッサンが苦虫を噛み潰したような顔でオレを追い払うので、

「へいへい」

 とテキトーに返事しながら、キッチンの中に戻っていく。

 片付けられたシンクを見るに、悠美さんがすでに洗い物をあらかた済ませてくれた後のようだ。

「じゃあヨウ君、私休憩に入るね」

 悠美さんは豊かな胸の前にオムライスを抱え、控え室の方に向かって歩いていく。

「グレイスさんは?」

「もうちょっとしたら来るはずだよ。今日は外せない授業があるとか言ってたし」

「了解です。それじゃごゆっくりー」

「まかない、冷蔵庫の中ね」

 軽く手を振りながら、悠美さんが控え室のドアへ入っていった。

 新しい客も来ないので、オレはカウンターに頬杖をついて、ボーッと店内を見回す。

 気づけばマスターも岸原たちと同じテーブルに座り、何やら楽しそうに会話をしていた。

 平和だねえ。

 特にすることもないとわかり、店の外を行き交う人々を何となく見つめながら、自分の記憶のことを考えていた。

 あれは高校の入学試験の前日のことだった。

 オレは夢の中で全てを思い出していた。

 未来で生まれた少年が、二百年前に辿り着き、色々な出来事を経験して、最後は全てを台無しにした記憶だ。

 自分でもおかしな程、それが実在した出来事だと確信出来ていた。

 他人に話せば馬鹿みたいな話なので、妹にすら言っていない。

 記憶の最後で大隕石群を破壊し、ISのエネルギーが完全に失われた。シールドが解除されたとき、オレは命を失ったかと思った。

 まあ、悔いばっかりだったけど、それなりに満足した人生だった。そう思いながら、目を閉じた。

 そして、気づけば真っ暗闇の中に浮いていて、目の前にボロボロになったディアブロが浮いていた。

『残念だけど、キミの願いは叶えてあげない』

 そいつのセリフはこんな感じだったような、そうでもなかったような。

『ある時代の、一人の女性の中で、二つの命が宿ってる。このうち一つは受精卵のうちに失われ、もう一つは生まれる直前に失われる命だ』

 何言ってんだ、こいつと、オレは小馬鹿にしたような目でディアブロを見つめていた。

『私はこの身に残ったルート2の力を使い、受精卵を蘇らせ、双子として生まれ変わらせようと思う。ジン・アカツバキも大量のエネルギーを残していたからね』

 いや、ホント、今更何言ってんの、こいつ。そんなこと出来るわけねえだろ。

 そんな冷めた目で見つめてた気がする。

『もう一度、言おう。残念だけど、キミの願いは叶えてあげない』

 最後に女の子が、思いっきりアッカンベーをしたような気がする。

 以上の記憶を思い出したのが、高校受験の前の日だ。

 考えるに、オレがさっさと自殺しないよう、高校受験の前の日まで本来の記憶を封じていたようだ。おかげで双子の妹やら新しく生まれてくる妹のことを考えれば、うかうかと死ぬことすら出来ねえ。

 ったく、何が神だよ。ただの悪魔じゃん。馬鹿じゃねえの。

 オレは視界に浮いた情報ウインドウに向け、悪態を吐く。

 ディアブロもかろうじて生き残ってはいたが、今のこいつにある機能なんて、一時間ごとに時をお知らせすることぐらいだ。

 もちろん、この思い出については誰にも教えていない。こんな有様でも、誰かに教えたら大変なことになるだろうしな。

 視界に浮かんだ仮想ウインドウの中で、デジタル時計が午後二時半になっていた。

 どうやら随分と長い間、ボーッとしていたようだ。

 今のオレの目標は、自分でお金を稼ぎ、高校卒業後に世界中を旅することである。

 新しく作り直された未来を、見て回りたい。

 ふと、そんなことを思いついてしまったんだから仕方ない。そこで何をするかは考えてないけど、何が出来ることもあるかもしれない。

「さてと」

 軽く肩を回し、喉が渇いたので自分でコーヒーを入れようと準備を始めた。

「あ、ここだよ、ここ!」

「渋いお店だね!」

「そうね、初めてきたけれど趣味は悪くないわ」

 店の外で、はるか昔に聞いた少女たちの声がしていた。

 目をやれば、ドアの向こうに三人の少女が立っている。いずれもIS学園の制服を身にまとっていた。

 古びた木製の扉が開けば、カランカランとベルが鳴る。

「いらっしゃいませー」

 懐かしい少女たちに、オレは声をかけた。

 父親たちも娘に気づいて、手を振っていた。

 とりあえず、彼女たちにマスター仕込みのコーヒーを飲ませるとしよう。

 そう思って、キッチンの中で準備を始めた。

 

 

 

 

 

 オレこと二瀬野鷹は、また新しい道を歩き出した。

 とりあえずの目標は世界を見て回ること。その中で少しでも優しい世界になれるよう、ちょっとだけ頑張ってみようと思う。

 そしてこの先にある未来で、一人でも多くの人間が幸せになれますようにと祈るんだ。

 

 

 

 だって、この世界を愛しているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【了】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










これにて、ルート2~インフィニット・ストラトス~は終了となります。
(多少の書き直しと訂正は行うと思います)


長い間、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。


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