妖世界の半人半妖 (片倉政実)
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番外章
番外第1回 キャラクター設定 その1


政実「どうも片倉政実です」
龍己「どうも稲荷龍己です」
政実「今回は龍己と龍三郎さんと碧葉のキャラクター設定です」
龍己「まあ必要だしな、原作があればオリジナルキャラだけで良いけど、これ自体がオリジナルだからな」
政実「そういうこと。それじゃあそろそろ始めていこうか」
龍己「そうだな」
政実・龍己「それではどうぞ」


【主人公】

 

名前:稲荷龍己(いなりりゅうき)……妖狐時は鈴蘭

性別:男

年齢:17

種族:人間(元)

趣味:読書、旅、笛の演奏、散歩

好きな物:狐雨福屋の面々や友人達との会話、本、菓子、雨、妖などの超常的な存在など

嫌いな物:悪人、曇り空など

 

元人間の少年で現在は半人半妖として『狐雨福屋』で居候として生活(世間的には住み込みの小僧見習いとしている)をしている。

容姿は黒髪のストレートヘアに黒目と一般的なものだが、顔立ちは爽やかな二枚目のため、人間時代から女性受けは良い。体格は少し細身だが、普段から筋力トレーニングなどをしているため、腕力はそれなりに強い。

性格は明るく、基本的に分け隔てなく接するが、他人の事を省みない者などには冷たい性格に変わる。

普段は青色の着流しと妖力を備えた勾玉を首に掛けているが、接客をする際には紫の着流しに着替え、それに加えて白の前掛けを身に付ける。

趣味は読書と旅をする事などで、読書用の本は書物屋の『虫本堂』や貸本屋の『本角堂』にて調達している。最近の愛読書は『へっぽこ同心シリーズ』や『妖怪道中記シリーズ』。旅に関してはまとまった休みが出来た際に行っており、旅に行った時には常に土産物を忘れずに購入してくる。

人間時代の自分についての記憶はある事情により失われているが、妖怪についてやその他の雑学などは覚えているため、その知識を日常生活で活かしている。

一人称は俺(普段)または私(鈴蘭時)で、相手によって使い分ける。二人称は相手の名前または名前にさん付けで、これも相手によって使い分けている。

 

 

 

 

人間時代の龍己

 

三人家族の長男で、両親は共働きなため、家では一人で過ごすことが多い。

部活動は民族学研究部で、入った理由は昔から妖怪が好きだからと同じ話が出来る友人を見つけるため。

勉強は出来る方で好きな教科は文系教科全般、苦手な教科は理系教科全般(文系教科に比べて出来が悪いだけで、普段から理系教科も高得点を出している)。運動神経は悪くはないが、スタミナに少し難がある。

 

 

 

 

妖狐時の龍己

 

金色の狐耳と尻尾が生えていて、普段尻尾は曲線を描いているが、驚いた時や警戒している時などは真っ直ぐになる。

半人半妖になったことで聴覚と嗅覚が強くなる、妖術が使えるようになった(現在は習得していない)など、様々な変化が生じている。

 

 

 

 

【狐雨福屋の人々】

 

名前:龍三郎(りゅうざぶろう)

性別:男

年齢(人間換算):34

種族:妖狐

職業:呉服屋兼仕立屋(店主)

趣味:読書、川柳、散歩、観劇

好きな物:狐雨福屋の面々や友人達との会話、本、風流な物、菓子など

嫌いな物:悪人、狐雨福屋の面々や友人達が傷つく事など

 

呉服問屋兼仕立屋の『狐雨福屋』の主で、娘の碧葉と居候の龍己、そして住み込みの手代の羅紗と共に暮らしている。

狐雨福屋の手代である羅紗が人間時代の龍己を殺してしまったため、反魂の秘術により蘇らせたが、その副作用で龍己を半人半妖にしてしまった。その責任を感じ、龍己を居候として狐雨福屋に住まわせている。

容姿は黒髪の髷で眼は黒目(妖術を使う際には金色)。優しそうな顔立ちの二枚目で、若い頃は役者と間違われることもあったという。体格は龍己同様に細身だが、腕力はそれなりに強い。

普段から穏やかな性格だが、良くない行いをした者はしっかりと叱る上に怒る。しかし、激怒したところは奉公人はおろか、古くからの友人でも見た事が無い。

普段は紫の羽織に白の前掛けをしているが、私用の際には紺色の着流しになる。

龍己同様に読書が趣味なため、時々龍己から本を借りていることがある。愛読書は『妖怪道中記シリーズ』や『深夜怪談シリーズ』で、『妖怪道中記シリーズ』をもう一つの趣味の川柳の題材にすることもある。

一人称は私で、二人称は相手の名前に君付けまたは名前にさん付け。

 

 

 

 

名前:碧葉(あおば)

性別:女

年齢(人間換算):15

種族:妖狐

趣味:散歩、買い物、観劇

好きな物:狐雨福屋の面々や友人達との会話(特に龍己)、龍己、着物など

嫌いな物:悪人、曇り空、乱暴なものなど

 

狐雨福屋の主である龍三郎の一人娘で、人間時代の龍己が初めて出会った妖でもある。

容姿は黒のストレートのロングヘアで緑色の眼をしている。とても綺麗な顔立ちをしており、よく恋文を貰っているがすべて袖にしている。

性格は穏やかで、父親の龍三郎同様普段は怒りを見せないが、ある場合に限り他人が止めることが出来ない程の怒りを見せる。

普段から緑色の着物を着用しており、緑色の着物だけを複数所有している(他の色の着物も所有しているが、それらは祭りの際などに着用している)。

趣味は散歩と他人との会話などで、散歩の際には自分が新しく発見した物を書き留めておく『初めて帳』を所持している。他人との会話は話題さえあればいくらでも話していられる程。

一人称は私で、二人称は相手の名前または名前にさん付け。




政実「以上がキャラクター設定です」
龍己「他のキャラクター達は後か」
政実「そうだね。因みに羅紗はちゃんとまとまり次第ここに載せていくつもりで、作品内で新しいことが出てきたらその都度更新していく予定かな」
龍己「了解。それじゃあそろそろ締めてくか」
政実「うん」
政実・龍己「それではまた次回」


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番外第2回 キャラクター設定 その2

政実「どうも、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です」
政実「ここでは風之助を始めとした不忍の仲間達や七之助を始めとした深水の仲間達についての設定を書いていきます」
龍己「そして、新しい情報が出次第、逐一更新していく形だな」
政実「そういう事。
さてと、それじゃあそろそろ始めていこうか」
龍己「ああ 」
政実・龍己「それでは、どうぞ」


 

【妖街・不忍の仲間達】

 

名前:風之助

性別:男

年齢(人間換算):17

種族:鎌鼬

職業:瓦版屋(主に売り子や記事のネタ探しの担当)

趣味:旅、食べ歩き

好きな物:相棒の草吉や友人達との会話、日なたぼっこ、晴れ、美味しい物など

嫌いな物:悪人、曇り空、無風状態など

 

妖街・不忍に住む妖の一匹で、相方である妖狐の草吉と共に瓦版屋として働いている鎌鼬の青年。

龍己が不忍に住み始めた翌日の早朝に鈴蘭状態の龍己と出会い、その後には不忍の探索に出ようとしていた龍己に付き合い、様々な場所を巡った。

そして、火事騒ぎの一件の後、龍己自身から半人半妖である事を打ち明けられ、龍己にとって初めての妖の友人となった。

普段からとても明るく、江戸っ子のような話し方を用いて様々な妖達ともすぐに仲良くなれる程のコミュ力を有している。

龍己が店の手伝いをしている時以外はよく龍己の側にいるためか、龍己が何かしらの事件に巻き込まれ、そしてそれを解決した後は龍己の事を省いた状態でその事件の事を瓦版の記事にしている。

 

 

 

 

名前:草吉(そうきち)

性別:男

年齢(人間換算):17

種族:妖狐

職業:瓦版屋(主に記事の作成だが風之助がいない時のみ記事のネタ探しを担当)

趣味:読書、写経、笛の演奏

好きな物:風之助や友人達との会話、昼寝、甘味など

嫌いな物:悪人、勝手なモノなど

 

妖街・不忍に住む妖の一匹で、相方である鎌鼬の風之助と共に瓦版屋として働いている妖狐の青年。

風之助と同じく、龍己とは龍己が不忍に住み始めた翌日に出会った。

相方の風之助とは反対に非常に無口であり、瓦版屋として働いている際は常に編み笠を目深に被る事で顔を隠しているが、風之助や龍己などの友人に対しては少しだけでも話そうとする意思を見せている。

普段は風之助が探してきた記事のネタを用いて瓦版を作成しているが、風之助が龍己のところにいたり遠方に出掛けたりしている際は、自ら記事のネタを探しにいっている。

 

 

 

 

【妖街・深水の仲間達】

 

名前:七之助

性別:男

年齢(人間換算):18

種族:化け蛇

職業:小間物問屋(店主)

趣味:読書、天体観測、散歩

好きな物:七之屋の面々や友人達との会話、甘味、本、雨など

嫌いな物:悪人、川や湖などの大きな水辺(嫌いというよりはトラウマ)など

 

妖街・深水に住む妖の一匹で、小間物問屋七之屋の店主を務めている化け蛇の青年。

龍己が深水の街を訪れた際に偶然出会い、とある理由から持っていた傘を貸した事や趣味の話がきっかけで龍己と仲良くなった。

見た目が黒髪で髷を結った色白の二枚目顔であり、人当たりなども非常に良い事から女性人気が高く、よく恋文をもらっている。

水に関連した妖達が住む街住みであり、且つ自身が化け蛇であるにも関わらず、小さい頃に溺れかけた事がきっかけで川や湖などの大きな水辺には一切近寄ることすら出来ない。




政実「以上が、キャラクター設定です」
龍己「因みに世界の説明とかは、また別に説明をするのか?」
政実「うん、そのつもりだよ」
龍己「分かった。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めよっか」
龍己「そうだな」
政実・龍己「それでは、また本編で」


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番外第3回 世界・施設等設定

政実「どうも、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です」
政実「ここでは、世界観の簡単な説明から様々な街や店についての設定を書いていきます」
龍己「まあ、これからも色々と出て来る筈だから、こういうのがあるとやっぱり便利だよな」
政実「まあね。
さてと……それじゃあ、そろそろ始めていこうか」
龍己「そうだな」
政実・龍己「それでは、どうぞ」


【妖世界】

 

龍己達が現在住んでいる世界。

人間達が住む世界の裏側に位置し、その名の通り様々な妖達が住んでおり、その生活スタイルなどは江戸時代を彷彿とさせるものに思えるが、それは妖達が自ら望んで行っているものである。

人間達の世界と同様に様々な国や島が存在する上、その国を治めている王のような妖も存在しており、その妖達が同盟関係を築いている事で、各国間の争い事などは起きずに済んでいる。

この世界に住む妖達は、大部分がこの世界の生まれであるが、その先祖や一部の妖達は人間世界に住んでいたモノが移り住んできたもので、中には人間を嫌っていたり憎んでいたりするモノも存在する。

この世界のあらゆる場所に人間世界へ繋がる『次元の穴』があるが、妖力などの『力』を有しているモノやその素質があるモノのみがその存在を視認できるため、基本的には妖世界側から使用するモノの方が多い。

この世界にはある特異性が存在しており、本来であれば年月を経た上で修行を積む必要がある妖狐などの妖もこの世界では生まれた直後からその妖としての力を持つなど妖世界で生まれた妖には人間世界に生まれた妖とは異なる特徴が見られる。

 

 

 

 

【妖街・不忍】

 

龍己達が住んでいる街。

様々な妖達が住んでおり、大きな事件などが起きる事が殆ど無いとても平和な街。

龍己が世話になっている呉服問屋兼仕立屋『狐雨福屋』を始めとした様々な店が建ち並ぶ賑やかな場所であり、祭の季節には更に賑やかになり、それのためだけに遠方から訪れる妖もいるほど。

 

 

 

 

【妖街・深水】

七之助などが住んでいる街。

名前の通り、水に関連した妖達が多く住んでいる上、川などの水辺も他の街に比べて多く存在する。

不忍に比べると少々静かな街ではあるが、七之助が店主を務める小間物問屋『七之屋』などの人気もあり、活気に溢れている街の一つであると言える。

 

 

 

 

【不忍に存在する店舗】

 

【狐雨福屋】

 

龍己が世話になっている呉服問屋兼仕立屋。

古くから商いを行っている、いわゆる老舗であり、店主である龍三郎を始めとした様々な妖が働いている。

龍三郎や龍己、そして羅紗は母屋や離れなどに住んでいるが、番頭などを始めとした他の奉公人達は、併設されている長屋に住んでいたり、それぞれの家から通っていたりとそのスタイルは様々であり、他の商家とは異なった方法を取っている。

 

 

 

 

【虫本堂】

 

不忍にて商いを行っている貸本屋兼書物屋で、龍己や龍三郎が暇を見ては訪れている店。

名前の由来は、本の虫という言葉からであり、店主が読書家が増えて欲しいという願いを以て営んでいる。

 

 

 

 

【越野庵】

 

不忍にて商いを行っている蕎麦屋で、不忍に住む妖達にとっての憩いの場ともなっている。

店主曰く、オススメのメニューは全てだが、売り上げ的に見れば盛りが一番の売れ筋で、風之助などのような小さな妖のためのメニューなども存在する。

 

 

 

 

【深水に存在する店舗】

 

【七之屋】

 

深水にて商いを行っている小間物問屋。

化け蛇である七之助が店主を務めており、扱っている品物の煌びやかさなどはさることながら、七之助の容貌も人気の一因となっており、常に大盛況となっている。

 




政実「以上が、世界観などの簡単な説明です」
龍己「そして、例によって作中で新しい情報が出る度に更新していくんだよな?」
政実「うん、そうだよ」
龍己「了解した。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さて……それじゃあ、そろそろ締めよっか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また本編で」


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本編
第1話 妖怪達が住まう街


政実「どうも、初めましての方は初めまして。別の作品を読んで頂いてる方は、いつもありがとうございます。
作者の片倉政実です。
今回からまた新しい作品を投稿していきます。
この作品は原作の無いオリジナル作品なので少し不安ですが、楽しんで読んで頂けたら幸いです。
これからよろしくお願いします。
さて……それでは、第1話をどうぞ」


 春の暖かな陽射しを浴びて、桃色に輝く桜の花弁(はなびら)が舞い踊る中、俺は綺麗な緑色の着物を着た少女と共に桜並木を歩いていた。

 ……うん、やっぱり桜って綺麗だな。

 頭上で静かに咲き誇る桜の花を見ながら、そんな事を思っていると、隣を歩く少女が申し訳なさそうに声を掛けてきた。

「あの……本当にありがとうございます。あまりこの辺りの事を知らなかったので、助かりました」

「あはは、さっきも言いましたけど、これくらい別に良いですよ。いつも帰りにはその近くを通ってますし、今回は俺も稲荷神社に用事があったわけですから」

 隣を歩く少女にニッと笑いながら言うと、少女は優しく微笑みながら静かに頷いた。周囲では変わらず桜の花が咲き乱れ、風によって桜の花弁がまるで舞踏会をしているかのように舞い踊り、俺達が進んでいる道へとひらひらと舞い落ちる。

 ……さて、何故俺がこんなことになっているかを話すとしよう。

 それは数分前の事だった。

 

 

 

 

「今日も学校ダルかったなー……」

 高校からの帰り道、俺は空を見上げながらそう一人ごちた。勉強は文系教科以外はあまり好きじゃないから、今日みたいに理系教科が多い日は辛く感じる。別に理系教科が苦手とかでは無いんだが、文系教科の方が興味を強く惹かれるから、個人的には文系教科が多い日の方が良かったりする。

「こんな時こそ何か出ないかな~。妖怪とか幽霊とか~」

 そう、俺が文系教科、特に国語が好きな理由がこれだ。昔から妖怪とか幽霊とかそういった超常的なモノ達が好きで、そういったモノ達の出てくる本を読み漁っていたら、いつの間にか国語が得意になったのだ。もちろん、携帯があればネットからそういったことについての文献を拾ってこれるんだが、俺は現代の高校生にしては珍しく携帯を持っていないため、基本的に学校の図書室や地域の図書館でその手の本を読むしか無いのだ。

 ……あ、そうだ。

「……この近くの稲荷神社にでも行ってみるかな? 同じ部活の奴等が何かを視たとか言ってたし。うん、ついでに学業成就のお参りもしとこうかな 」

 そう決めた後、俺は近所の稲荷神社の方へと足を向けた。さて、この話の通り、俺の住んでいる地域には稲荷神社が一社存在する。その神社は地元の人もよく御参りしていて、夏休みとかになると子供達の遊び場にもなっていたりするため、地域の人達にとっては、ちょっとした憩いの場みたいになっている。ところが、その神社で最近妖怪や幽霊を視たという人が出たらしく、更にその人数はどんどん増えた事で、お年寄りの中ではお稲荷さんが悪人達を懲らしめるために魑魅魍魎を呼び寄せているという話にもなっているようだ。

 でもなぁ……。

「お稲荷さんが勧善懲悪で魑魅魍魎を呼び寄せているとか聞いた事無いけどなぁ……むしろ自分でやりそうだし」

 本来は農業の神様らしいが、祟り神としての側面もあるとか聞いた事があるから、その真偽は分からないながらもついついそう考えてしまう。

 そんな事を考えながら、稲荷神社へ向けて歩いていた時、ふと視界に小さな桃色の物が入ってきた。

 ……これって、桜の花弁か?

「そっか……この辺の桜、もう咲いてるのか……」

 俺は道の途中にある桜並木を見ながら、ふとそんな感想を漏らした。この桜並木は昔からあるらしく、この時期なんかは花見客でよく賑わったりするんだけど、時間的な事もあってかまだそういう人達は見掛けない。

「花見とか何時からやってないかな……たぶん、もう2年くらいやってない気がするな……」

 でもそれは仕方の無いことだ。俺も学校や部活動があるし、両親も共働きなので、一人で夕飯を食うとかは今となっては日常茶飯事だからだ。

「どうせだし、部活の仲間でも誘ってみようかな?」

 そんな事を考えながら、再び歩き始めようとしたその時だった。

「……ん? 誰だろう、この辺じゃ見掛けない顔だけど……?」

 道の先の方に綺麗な緑色の着物を着た長い黒髪の少女が立っているのが見えた。その少女は、とても綺麗な顔付きをしており、背丈や雰囲気などから同い年くらいだと感じた。そして、手に紫色の風呂敷包みを抱えながら、何かを探しているように周りを見回していた。

 うーん……どうやら困ってるみたいだし、何か手伝えないか訊いてみるか。

 俺はその少女の事が気になったため、とりあえず話し掛けてみることにした。

「あの……すいません。何かお困りですか?」

「……え? えっと、貴方は?」

「あ、俺はこの辺りに住んでいる者です。貴女が何か困っているように見えたので、何か助けになれないかなと思って」

「あ……そうだったんですね。

 ……実はこの近くにある稲荷神社に用事があるんですが、お恥ずかしながら迷ってしまって……」

「あ、良ければそこまで案内しましょうか? 俺もちょうど稲荷神社に行く所だったので」

「え、でも……よろしいんですか?」

「ええ、困っている人を見てみぬ振りは出来ませんから。

 さて、それじゃあ、行きましょうか」

「はい……」

 少女の返事にコクンと頷いてから、俺は少女と共に稲荷神社へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 ――ということがあったため、俺は現在稲荷神社に向けて、 少女と他愛ない話をしながら一緒に歩いている。

 ん、そういえば……。

「そういえば……稲荷神社に用事があると言っていましたけど、何の用事なんですか?」

「えっと……実は、これからある人と会うことになっていて、その人との待ち合わせ場所がその稲荷神社なんです」

「なるほど……ん? 因みにその人はこの辺りに住んでいる人なんですか?」

「あ……はい。そのように聞いています」

「それだったら……その人に迎えに来てもらうことも出来たんじゃ……?」

「実は……今日は他の用事で遅くなるとのことだったので、早めに行って待ってようと思ったんです」

「あ、なるほど」

 こんなに綺麗な人なんだし、その待ち合わせの相手も彼氏とかなのかな?

 そんな事をボンヤリと考えつつ少女と話している内に、俺達は目的の稲荷神社に到着した。

「あ、着きましたよ。ここが稲荷神社です」

「ここがそうなのですね……あの、本当にありがとうございました」

「いえいえ、それじゃあ俺も用事を済ませようかな」

 俺は神社の境内へと進み、参道を歩いて拝殿の前に立った。

「えーと、確か御参りの方法は……まずお賽銭を入れて、次に鈴を鳴らしてから、二礼二拍一礼だったよな。それで願い事は二拍と一礼の間にするだったよな」

 俺はお賽銭を入れた後、拝殿の鈴を鳴らし、二礼二拍をした後に、願い事を念じた。

『何でも良いので、何か楽しいことが起きますように』

 その後、しっかりと一礼をして、俺は参道を通って鳥居まで戻ってきた。そして、さっきの少女に一言言ってから帰るべく、少女へと話しかけた。

「それじゃ、俺はこれで」

「はい。この度は本当にありがとうございました」

「いえいえ、それじゃあ――」

 そして帰ろうとしたその時、胸に何かがぶつかったような感触があった。

「……え? 今、胸の辺りに何かぶつかって――」

 見てみると、そこには一本の矢が刺さっていた。矢は心臓の位置をしっかりと捉えていたため、そこからは血が勢い良くドクドクと染み出し、制服を徐々に血で赤く染め上げていった。

「くっ……! な、何なんだよ、これっ……!」

 俺はその鈍い痛みに耐えつつ声を上げたが、流血の影響から体がふらつき、不意にその場に片膝を付いた。そして、その衝撃で持っていたカバンが道へと転がっていった。

「だ、大丈夫ですか!?」

 そんな俺の姿を見てか、少女が大きな声を上げながら駆け寄ってきた。

「はぁ……はぁ……! に、逃げてください……!ここは今、危ないです……から」

「でも!」

「はぁ……はぁ……! ぐ……俺は大丈夫ですから、貴女は早く逃、げ……」

 そこまで言った時、俺の体は更にグラッと揺れ、そのまま地面へと倒れ混んだ。そして、それと同時にだんだん意識が遠のいていった。

 はは……まさか人生がこんな形で終わるなんてな……。でも、こんな形で終わるなんてのも中々経験出来ないし、それはそれでありなのかな……?

 そんな事を考えた後、俺の意識は完全に途切れた。

 

 

 

 

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!!」

 私は必死になってその人の体を揺さぶりながら声を掛けた。けれど、その人から答えは一切返ってこず、その体が徐々に冷えていくのを感じた。

「そ、そんな……」

 目に涙を浮かべながら呟いたその時――。

「フン、お嬢さんに取り入ろうとは……まったく、人間風情が話し掛けて良い御方では無いというのに……」

 神社の方からいつも聞いている声が聞こえ、そちらへ顔を向けると、そこには弓と矢筒を背負った声の主――羅紗(らしゃ)の姿があった。

「…… 羅紗、これは貴方の仕業だったのね……?」

「ええ。お嬢さんにそこの人間風情が気安く話し掛けていたものですから。

 それに人間なぞ大したこと無い連中ばかりで――」

 冷たい眼で言う羅紗の言葉に被せるようにしながら、私は怒りを必死に抑えつつ羅紗に指示を出した。

「羅沙。急いでこの方をお店へと連れていって下さい。お父様なら何か方法を知っているかもしれませんから」

「お嬢さん……? その人間は既に事切れて――」

「羅沙、もう一度だけ言います。急いでこの方をお店へと連れていって下さい」

「……畏まりました」

 羅沙はしぶしぶ答えた後、人間の方を少し乱暴に背負うと、神社の拝殿の方へと歩いていった。私も羅沙の後に続いて急いで歩き出した。

 この方を、絶対に助けなければ……!

 私は羅沙に背負われている人間の方を見ながら強く決心しつつ、羅紗と一緒にお父様の元へと向かった。

 

 

 

 「ん……」

 俺は小さく声を上げながら静かに目を覚ました。そして、ゆっくりと体を起こしてみると、そこはまったく見たことがない場所だった。

「……あれ、ここはどこなんだ……?」

 俺は周りを見渡しながら小さな声で呟いた。

 周りには障子や木で出来た棚、少し大きめの箪笥や文机などがあり、どうやら俺はその真ん中辺りに敷かれた布団で寝ていたようで、よく見てみると小綺麗な青色の着流しを着ていた。

「でも、何で俺は寝てたんだっけ? ……あれ、そもそも俺は……()なんだ?」

 分からない……これってまさか、記憶喪失って奴か……?

 俺が自問自答していると、障子の方から誰かの足音がした。そして、その足音が部屋の前で止まると、障子がスッと開かれ、それと同時にとても安心したような声が聞こえた。

「……あぁ、良かった……意識が戻られたんですね……!」

 そこには綺麗な顔付きの緑色の着物を着た長い黒髪の少女の姿があり、少女の顔には先程の声と同じような安心の色が浮かんでいた。それだけなら俺もそこで終わらせるが、その少女の頭には何故か狐のような耳が、そして腰の辺りには尻尾のような物が見えていた。

「えっと……その耳は……?」

「あ……えっと、これはその……」

 ……どうやら耳については、何か理由があるみたいだし、ここは訊かないでおくか。

 少女の困っている様子からそう判断した後、俺は少女にニコッと笑いながら声を掛けた。

「あ、言えないことならこれ以上は聞きませんから、安心してください」

「あ……ありがとうございます。……ふふ、やっぱり貴方はお優しいですね」

 ……へ、やっぱり……?

「あの……やっぱりっていうのは……?」

「え……それはさっきのことで――」

 その瞬間、少女の表情には驚きの色が浮かんだ。

「……もしかして、何も覚えてらっしゃらないのですか?」

「す、すいません……貴女の事どころか、自分の事すら分からなくて……」

「そ、そんな……」

 その少女は、口を手で押さえながら消え入りそうな声で言った。

 もしかして知り合いだったのかな……だとしたら、申し訳無いことをしたな……。

 少女を見ながらそんな事を思っていると、障子が再び開き、少女同様に狐のような耳と尻尾が付けた深い青色の着流しを着た少年が部屋に入ってきた。

「お嬢さん、旦那様がお呼びで……ってお嬢さん!? お加減でも悪いのですか!?」

 少年がとても心配そうな表情を浮かべながら声を掛けると、少女はハッとした表情を浮かべた。そして、すぐにキリッとした表情に変わると、少年に対して真剣な声で返事をした。

「いえ……大丈夫ですよ、羅沙。ただ今参りますと、お父様にそう伝えてもらえますか?」

「承知しました」

 そう返事をしながら少年は恭しく頷いた後、部屋から静かに出てから障子をゆっくりと閉めた。

「えっと、さっきの方は……?」

「このお店の手代で、名は羅沙と申します」

「手代……という事は、ここはお店だったんですね」

「はい、私の父が営んでいる呉服問屋兼仕立屋です」

「呉服問屋……」

 呉服屋か……通りでこの人もさっきの人も綺麗な着物を着ているわけだ。心の中で静かに納得していると、少女は優しく微笑みながら声を掛けてきた。

「あの……申し訳ありませんが、私と一緒にお父様のお部屋まで来て頂けますか?」

「えっと……何故ですか?」

「貴方の意識が戻って、起き上がれるようならば、少しお話ししたいとのことだったので……」

「なるほど……分かりました。それでは、案内をお願いしますね」

「はい」

 少女の返事にコクンと頷いてから俺は部屋を一緒に出て、少女の案内に従って中を歩いて行った。

 

 

 

 

 歩き続ける事数分、俺達は大きな部屋の襖の前にいた。少女は慣れた様子で襖を静かにノックすると、中に向かって静かに声を掛けた。

「お父様、 碧葉(あおば)です」

「ああ、碧葉か。入ってきてくれ」

「失礼致します」

「失礼します」

 少女――碧葉さんと一緒に部屋に入ると、そこにはどことなく碧葉さんに似た優しそうな顔の男性が座っていた。そして、その人には碧葉さん達と同じ様な狐の耳と尻尾が当然のように付いていた。

 やっぱり耳と尻尾が付いてるな……碧葉さん達の姿から察するに、もしかしてここは妖狐が営む呉服問屋兼仕立屋なのかな?

 そんな事をボンヤリと考えていると、碧葉さんが俺の事をチラッと見ながら男性に話し掛けた。

「羅沙がご迷惑をかけた人間の方もお連れしました」

「うん、ありがとうね、碧葉」

 男性は碧葉さんにニコリと微笑んだ後、俺へと視線を移した。

「さて……初めまして、私はこの呉服問屋、 『狐雨福屋(こうふくや)』の主の 龍三郎(りゅうざぶろう)と申しますこの度は私共の手代が貴方にとんだご無礼を致しました事、本当に申し訳ございませんでした」

 男性――龍三郎さんはそう言いながら頭を深く下げたが、俺にはやっぱり何が何だかだった。

「えっと……そう謝られても、今の俺には何の事だかさっぱりなのですが……」

「……つまり、その時の記憶が無いという事ですか?」

「その時の記憶だけでは無く、自分の事もさっぱりで……」

 俺が軽く自分の状況について話すと、龍三郎さんは難しい顔をしながら静かな声で言った。

「……恐らくそれは、ショックによるものと思われます」

「ショック……ですか?」

「ええ。覚えていないかもしれませんが、貴方は羅紗が放った矢が心臓に当たった事で、一度息を引き取っています。その時のショックによって、記憶の一部が消失してしまったのだと思います」

「なるほど……あれ? 俺は死んだ筈なのに、何故生きているんですか?」

「それは……私が貴方をある秘術を用いて、蘇らせたからです」

「ある秘術……ですか?」

「ええ。ですがまずは……ここがどこかというところ事などを説明する必要がありますね」

 龍三郎さんは一度言葉を切ってから、再び話し始めた。

「今、私達がいるのは (あやかし)達が住む世界にある街の1つ――『妖怪街・不忍』です」

「妖……ですか?」

「はい。もう薄々お気付きだとは思いますが、私もこの碧葉も、そして呼びに行かせた羅沙も妖狐です」

「やはりそうだったんですね」

「はい。この世界には私達妖狐だけでなく、人間世界で伝えられている様々な妖達が生活をしています」

「人間世界で伝えられている妖怪達が……」

「……やはりすぐには信じられないですよね」

 俺の様子を見て、龍三郎さんは優しい笑みを浮かべながら静かな口調で言う。

 妖達が住む世界か……何だかまだ信じられないけど、龍三郎さんの眼はとても真剣な眼だ、そんな人が嘘をつくとは思えない。

 そう思った後、俺は静かに言葉を返した。

「いえ、信じますよ。貴方の眼は嘘をついてるような眼には見えませんから」

「ありがとうございます。それでは次に秘術について説明致します」

「俺を蘇らせるために使ったという秘術ですね」

「ええ。これは 『反魂の秘術(はんごんのひじゅつ)』と呼ばれているものです。ですが……この秘術は本来、人に用いるものではありません。人間の方、少し体――具体的には丹田の辺りに力を入れてもらえますか?」

「ええ……構いませんけど……?

 龍三郎さんの言う通り、俺は丹田の辺りに力を入れた。すると、何故だか頭と尻の辺りがむずむずし始めた。

 え……何だろう……?

 不思議に思いながらその箇所に手を触れると、そこにはふさふさの毛が生えた少し固めの尖った物があった。

「まさか、耳と尻尾が生えてる……?」

 そう、その形から判断するに、その箇所には狐の耳と尻尾が生えていた。

 でも、何で俺に耳と尻尾が……?

 俺が不思議に思っていると、龍三郎が静かな声で話し始めた。

「それは反魂の秘術によるものです。反魂の秘術は古来から妖達に用いられたものなため、それを無理に人間へと使ってしまったことで、人間の血のおよそ半分が妖の血に変異してしまったのだと思います」

「そんなことが……」

 血の半分が妖……つまり、俺は半人半妖になったということか。

 耳と尻尾の感触を静かに確かめながらそんな事を考えていると、龍三郎が本当に申し訳なさそうな表情を浮かべながら、静かに頭を下げた。

「人間の方、本当に申し訳ありません……!本来であれば人間として生きていく筈のところを、このような事態になってしまい本当に申し訳ありませんでした……!」

「龍三郎さん……」

 その龍三郎さんの姿から、本当に申し訳無いと思っている事が強く伝わってきた。

 さて……俺はどうしたいんだろう。いきなり死んだと思ったら、半人半妖として生き返ったわけだけど、俺はこれからどのようにしていきたいんだろう。

 そんな事を心の中で自問自答していたが、何度考えてみても浮かんできた答えは一つだった。

 ……うん、そんなのは決まってるよな。

 俺は自分が導き出した答えに静かに頷いた後、龍三郎に向かってニコリと微笑みながら声を掛けた。

「龍三郎さん、顔を上げてください」

「人間の方……」

「俺はもう受け入れましたから、自分の記憶が無いことも、半人半妖になったことも全て」

 そう、なってしまったのなら、もういっそのこと受け入れてしまった方が楽だ。今更嘆いたところで人間に戻ったり、記憶が戻ったりする訳じゃない。だったらこの状況を受け入れて、楽しもうとしてしまう方が良いんだと思う。

「だから顔を上げてください、俺は龍三郎さん達を恨んだりしてませんから」

「人間の方……本当にありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ生き返らせて頂きありがとうございます」

 俺は龍三郎さんに対して静かに頭を下げた。

 生き返ったからにはこの半人半妖としての生活を精一杯していこう。それが今の俺に出来る事だから。でも、次に考えなきゃ無いのは……どうやってその半人半妖としての生活をして行くか、だな。人間の世界に戻ったところで、何かの拍子でボロが出てしまうことは十分にあり得る。……ふむ、それなら。

「龍三郎さん、少し一つ訊いても良いですか?」

「はい、何でしょうか?」

「この辺りに長屋みたいな物はありますか?」

「長屋……ですか。あることはありますが……」

 俺の質問に龍三郎さんは少し考えながら答えた。俺の出した答え、それはこの妖怪達の世界に住むことだ。ここでなら妖側としての力が出ても問題は無いどころか、この力を何かに活かせるからだ。

 後は龍三郎さんに長屋に案内してもらって、後は奉公させてもらえる場所を見つければ……。

 俺がこれからの事について考えていると、龍三郎さんが話し掛けてきた。

「人間の方。私の提案を聞いて頂けますか?」

「提案……ですか?」

「はい、貴方にはこの度、本当にご迷惑をお掛けしました。そのお詫びとしてなのですが、この狐雨福屋の離れ――貴方が眠っていた部屋を貴方の住む場所としてご提供したいと思うのですが、いかがですか?」

「え……それはとてもありがたいですけど、本当によろしいんですか?」

「ええ、離れは現在誰も使ってはいませんから。それに貴方のような方に使っていただけるなら、私たちとしても問題はありません」

「……分かりました。ただ……それだけだとやはり申し訳ないので、ここで働かせて頂けませんか? 呉服屋としての知識は無いですが、雑用くらいならこなせると思いますので」

「……分かりました。それでは内では客人兼住人、そして世間には住み込みの小僧見習いという体で通すことにしましょう。人間の方、これからよろしくお願い致します」

「よろしくお願い致します」

「こちらこそよろしくお願い致します。龍三郎さん、碧葉さん」

 俺達は握手をしながら、挨拶をしあった。

 これからどんなことになるかは分からないけど、それすらも楽しんで過ごしていこう。

 そんな事を考えていたその時、俺はある事に気付いた。

 あ、そういえば……。

「龍三郎さん、一つ訊いても良いですか?」

「はい、何でしょうか?」

「俺が死んだ場所に、何か名前の手がかりになる物などは残ってなかったのですか?」

 そう、今は青色の着流しを着ているが、前の俺はたぶん着流しではない別の服を着ていたはずだ。それに、流石に何も持たずに出掛けたりはしないと思うから、何か持ち物さえあれば、手がかりくらいは見つかるかもしれないしな。

 しかし、龍三郎さんは静かに頭を振りながら申し訳なさそうに答えた。

「……申し訳ありません。貴方をここに運んだ後に、その場所を羅沙に見てきてもらったのですが、人間の方々が既に大勢いて、貴方や着ていらした衣服以外は何も持ち帰ることは出来なかったとのことです」

「そう、ですか……」

 残念だな……前の俺についての物があったら、一応手元に置いておきたかったんだけど……まあ、無いならしょうがないよな。

 俺がそんな事を考えていると、龍三郎さんは真剣な表情を浮かべながら声を掛けてきた。

「人間の方。ある場所へ貴方をご案内したいので、これから私に付いてきてもらっても良いですか?」

「あ、はい。もちろんです」

「ありがとうございます。では碧葉、少しだけこの方と外に出てくるよ」

「分かりました。行ってらっしゃいませ、お父様、人間の方」

「はい、行ってきます」

 碧葉さんに微笑みながら挨拶をした後、俺は龍三郎さんと一緒に部屋から出た。

「さて、今から行く所の説明をしますね」

「あ、はい」

 そして、店の中を歩きながら龍三郎さんがその場所の説明をしてくれた。

「その場所は昔から 『映しの泉(うつしのいずみ)』と呼ばれています」

「映しの泉ですか……?」

「はい。その泉に自身の姿を映すと、その者の中にある力が何らかの形として見ることが出来ると言われています」

「そうなんですね」

「ええ。私も以前映したところ、金色の狐の姿を見ましたよ」

 妖狐らしいといえばらしいですけどね、と笑いながら言う龍三郎さんに対して、俺も微笑みながら静かに頷いた。そして店の出入り口の辺りまで来た時に、碧葉さんを呼びに来た妖狐の少年ー羅沙さんが反対側から歩いてきた。

「おや、ちょうど良いところに。羅沙、ちょっと良いかい?」

「はい、旦那様」

 龍三郎さんに呼ばれて、羅沙さんが近寄ってくると、龍三郎さんは静かな声で羅紗さんに再び話し掛けた。

「今からこちらの方と一緒に、映しの泉まで行ってくるから、それまでの留守番とお客様のお相手は頼んだよ」

「かしこまりました、旦那様。行ってらっしゃいませ」

 羅沙さんはピシッとした様子で答えると、そのまま店の奥の方へと歩いていった。そして、それを見送った後、龍三郎さんはニコリと笑いながら声を掛けてきた。

「それでは私達も行きましょうか」

「はい」

 龍三郎さんの言葉に頷きながら答えた後、俺達は店の木戸を通り街の中へと出た。すると、妖達が住む世界というだけあって、街の至る所で妖が生活をしており、もうすぐ夕方という時間にも関わらず、街の中は活気に満ちていた。

「妖達が住む世界っていうだけあって、色々な妖怪がいますね。それに……物凄く賑わっていますね」

「ええ、この不忍はその名前の通り、忍ぶ――静まり返る事が無い程に賑やかな街ですし、この名前はそれだけ賑やかな街になって欲しいと願って付けられたと聞いています。それに、ここには古今東西の妖達が集まっていますしね」

「そうみたいですね。今見えてるだけでも……ろくろ首に河童、目目連(もくもくれん)火車(かしゃ)もいますね」

「おや、よくご存じですね」

「はい。たぶん、前の俺はこういった妖達が好きだったんだと思います」

「ふふ、そうかもしれませんね」

 俺達はそんな事を話しながら、妖達が生活をする街――『妖怪街・不忍』の中をひたすら歩いていった。

 

 

 

 

 歩き始めてから十数分後、俺達の目の前に少し大きな泉が現れた。

「着きましたよ。ここが映しの泉です」

「……なんというか、凄い綺麗な場所ですね……」

 映しの泉はどうやら街の外れにあるらしく、周りが木々などの自然で囲まれていた。そして、件の泉の水はとても澄んでおり、その水面にはとても綺麗に周りの景色が映りこんでいた。

「ここは遙か昔、強大な力を持った妖が造ったと云われているのです」

「何のためにですか?」

「そうですね……詳しくは伝えられていないのですが、昔は妖達の中での争いが絶えなかったと聞いています。恐らくそういった妖達の心を落ちつかせることが出来る場所が必要だったから、そして自分自身の姿と妖力の姿を見て、自分の事を見つめ直して欲しいと思ったからなのだと、私は思っています」

「なるほど……」

 龍三郎さんの解説を聞きながら、俺は映しの泉の綺麗さに心を奪われていた。

 ……龍三郎さんがここに連れてきてくれたのは、もしかしたら俺に気分を変えて欲しいからなのかな。

 そう思いながら、俺は泉へと足を進めた。

「ここに自分の姿を映せば良いんですよね?」

「はい」

 龍三郎さんの返事にコクンと頷いてから俺は泉の水に近づき、自分の姿を泉の水に映した。

 すると、泉の水に突然波紋が広がり、広がっていく波紋の中に何かの姿が見え始めた。

 これは……。

「青龍……かな。後ろには花が咲いてるけど、これは確か鈴蘭だっけ……?」

 とても大きな青龍の後ろに揺れる鈴蘭……どういう意味を持っているんだろう?

 そう思っている内に、波紋の中の青龍と鈴蘭は消え、泉の水は再び景色と俺の姿だけを映し出した。そして、俺が泉から龍三郎さんの元へ戻ると、龍三郎さんは静かに首を傾げながら声を掛けてきた。

「どうでしたか?」

「青龍と鈴蘭の花の二つが映りました」

「青龍と鈴蘭ですか……私の知る限り、二つの物が一度に映るのは初めてですね」

 龍三郎さんは不思議そうにしているが、俺には何となく理解が出来た。青龍と鈴蘭の二つはたぶん人間としての俺と妖怪としての俺を表しているんだろう。根拠は無いけど何となくそんな気がした。

 ……あ、そうだ。

「龍三郎さん」

「はい、何ですか?」

「あの青龍と鈴蘭を使って、自分に名前を付けようと思うのですが、どうでしょうか?」

「はい、とても良いと思いますよ。それでどのような名前にするのですか?」

「そうですね……まず人間としての名前ですが、狐の耳と尻尾のイメージから稲荷(いなり)、そしてさっきの青龍から龍己(りゅうき)、更にそれらを合わせて 稲荷龍己(いなりりゅうき)としようと思います。次に妖怪としての姿ですが、これはさっきの鈴蘭をそのまま使って、鈴蘭と名付けようと思います」

「稲荷龍己と鈴蘭ですね。……うん、私はとても良いと思いますよ、龍己さん」

「ありがとうございます、龍三郎さん。あ……それと、別に俺の事はさん付けじゃなくても良いですよ。さん付けされるのは何だかこそばゆいので……」

「ふふ、分かりました。それでは改めて……これからよろしくお願いしますね、稲荷龍己君」

「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」

 サワサワという風によって揺れる木々の音を聴きながら、俺と龍三郎さんは静かに笑い合った。

 青龍の季節は春、そして鈴蘭の花言葉は再び幸せが訪れる。春は出会いの季節なんていわれているし、これからこの世界で、俺は色々な妖怪達と出会うだろう。でもそんな妖怪達と共に幸せな生活をしていけるように精いっぱい頑張っていこう。

 これからの人生の事を思いながら、俺は静かにそう誓った。

 

 

 

 

「ふう……今日は色々あったからか本当に疲れたなぁ……」

 その日の夜、俺はこれから自分の部屋になる離れに布団を敷きながら今日一日の出来事を想起していた。

「……全く覚えてはいないけど、人間時代に矢が心臓に当たった事で一度死んで、この妖世界にあるこの不忍へと運ばれて、反魂の秘術で半人半妖として生き返った。そして、映しの泉で自分の人間としての俺と妖怪としての俺の二つの姿を見て、そこから新しい名前を付けた、か……。何度思い出してみてもやっぱり物語の中の話みたいだよな……」

 自分の身に起きた事ではあるのだが、この出来事がどこか現実味のない話のように思え、俺はその事に思わずクスリと笑っていた。そして、布団を敷き終えた後、ふとこの『狐雨福屋』へ帰ってきた後の事を思い出した。

「……それにしても、俺もよく自分を殺した相手の事を簡単に許せたもんだよな。その上、ついさっきまで一緒に夕飯まで食べてたわけだし」

 龍三郎さんと一緒に映しの泉からこの『狐雨福屋』へ帰ってきた頃、周囲の店は既に店仕舞いを始めており、この『狐雨福屋』もまた同じように店仕舞いを始めていた。そして、店の中へと入った時、ちょうど店先へ出て来ようとしていた羅紗さんが丁寧に出迎えてくれた。すると、龍三郎さんは途端に真剣な表情を浮かべ、自分達と一緒に部屋へ来るように言い、羅紗さんはそれに対して同じく真剣な表情を浮かべながら答えた。そして、龍三郎さん達と一緒に部屋へ行った後、俺は二人から自分が死んだ時の状況などを改めて教えてもらい、羅紗さんからの謝罪を受けた。どうやら俺が眠っている間に羅紗さんは今回の件について龍三郎さんからしっかりと事情を聞かれ、その上でお叱りを受けていたらしく、羅紗さんの処遇については被害者である俺に一任するとの事だった。つまり、羅紗さんを生かすも殺すも俺次第という事になったのだが、俺は結果として羅紗さんの事をお咎め無しにする事にした。確かに羅紗さんがあの時に勘違いをしなければ、俺は今でも人間として生きていた。けれど、羅紗さんはあくまでも碧葉さんを守るという使命を守ろうとしてそういう行動を取ったわけであり、ただの人間だった頃の俺にもそう思わせてしまうような非があったかもしれないため、俺は羅紗さんの事を許す事にしたのだった。他人からすれば、俺の判断は非常に甘いのかもしれないが、何となく人間だった頃の俺も同じような判断をするような気がしたため、俺はそう決めた事を龍三郎さん達に告げた。

 見ず知らずの人――いや、妖に普通に話し掛けた上に一切警戒すること無く道案内までしてたみたいだからな。この様子だと人間だった頃の俺は、結構なお人好しだったんだろうな……。

 以前の俺に対してそんな印象を抱いている内に羅紗さんの件については終わり、その後は向こう側では行方不明という事になっている俺の事について話し合ったが、中々良い案は出なかったため、それに関しては良い案を思いついた時にもう一度話し合う事に決まった。そして、龍三郎さん達と夕食を食べた後に風呂へと入り、そのままこの離れへと戻ってきて今に至るのだった。

「まあ、自分の選択に一切後悔なんてしてないし、これから羅紗さんともしっかり仲良くなっていければ良いな」

 そんな事を独り言ちながら布団を敷き終えた瞬間、疲れや安心からか思わず大きな欠伸をしていた。

「……さて、明日からも頑張るために眠りたいところだけど、せっかくだから日記でも付け始めるかな。あ、でも日記帳が無いか……」

 独り言ちながらふと文机に目を向けたその時、文机の上に一冊の本のような物と四角い物が置かれているのが見え、俺は不思議に思いながら文机に近付き、本のような物を静かに持ち上げた。すると、それは新品の日記帳であり、その傍に置かれていたのは同じく新品の筆と硯、そして墨のセットだった。

「……まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように置かれてるけど、これは使っても良いのかな……?」

 夕食時に龍三郎さんから離れにある物は自由に使って良いと言われてはいたが、この新品の日記帳達を使うのは何となく気が引けていた。

 ……けど、使わないのも何だか逆に申し訳ないし、ここはありがたく使わせてもらう事にするか。

 龍三郎さん達に対して心の中でお礼を言った後、硯で墨を摺って俺は今日一日の事について日記帳に書き留めた。そして、筆を紙から離して硯へ置いた瞬間、もう一度大きな欠伸が漏れ、それと同時に瞼が閉じそうになっているのを感じた。

「やっぱり眠いな……けど、筆と硯は洗わないといけないし、とりあえず台所を借りる事にするか」

 眠気でヨロヨロとしながらそのまま台所へ向かい、筆と硯に付いた墨を丁寧に洗い流した後、俺はそれらを風通しの良い所へと置き、一度厠へと向かった。そして、眠る準備をしっかりと整え、そのまま布団の中へ入った瞬間、ここまで我慢していた眠気が一気に襲い、瞼が勢い良く閉じ始めた。

「ふあ……それじゃあ眠るとするか……」

 瞼が完全に閉じきった瞬間、俺の意識はスーッと遠のいていき、程なくして眠りについた。




政実「第1話、いかがでしたでしょうか」
龍己「オリジナル作品だから、他のと違って本当に何も無いところからのスタートだったな」
政実「うん、やっぱりその点は不安かな……
でも自分で書きたいと思って書いているわけだから、自分なりに頑張っていこうと思ってるよ」
龍己「了解した。それで次回の更新はいつ頃になるんだ?」
政実「他のとの兼ね合いもあるから、まだ未定かな。
それに呉服屋や反物とかの知識も少しずつ取り入れていかないといけないからね」
龍己「だな。そういえば俺が携帯を持ってなかったのは、作者の実話だよな」
政実「うん、でも今思えばそんなに苦労はしなかったかな」
龍己「そっか。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「だな」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第2話 妖怪街を巡る狐と鼬

政実「どうも、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です」
政実「ふぅ……江戸っ子口調って、難しいね……」
龍己「まあ、そうだろうな。というか、慣れない事をするからそうなるんだろ?」
政実「まあね。でもそのお陰で色々な事が知れたから、良かったとは思ってるよ」
龍己「それなら良いけどな」
政実「尚、この作品内では日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料に基づき一文=32.5円としています。そしてこの作品内での瓦版屋などの描写については下調べはしていますが、所々作者の想像で補った描写が含まれています。その点については予め御了承下さい」
龍己「まあ確かにそれらの注釈は必要だな。さて、そろそろ始めてくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは第2話をどうぞ」


「……ん」

微かに聞こえてくる鳥のようなモノの声を聞きつつ、俺は静かに目を開けた。

この明るい感じ……つまり、今は……。

「……朝か」

布団からゆっくり起き上がり、俺は部屋の中を見回した。

えっと、ここは……。

その瞬間、俺は昨日あった出来事を全て思い出した。

「あ、そうだった……俺は昨日からここにお世話になってるんだった……」

ここ――狐雨福屋はこの妖達が住む世界に存在する呉服屋で、俺はこの狐雨福屋で表向きは住み込みの小僧見習い、その実は客人兼住人として過ごす事にしたんだったな。

そこまで思い出した時、俺は現在の自分の記憶力に少しだけ不安を覚えた。

危ない危ない……寝起きだったせいか、一瞬自分の事を忘れそうになってた。

これからはこれが普通になるんだから、少しずつでも慣れていかないとな。

「……よし、少し外でも歩いてみるか」

少し歩いてみれば目も覚めるかもしれないし、気分だって変わるかもしれないな。

自分の考えに頷いた後、俺は布団の横に畳んで置いていた青い着流しに着替え、離れの縁側に置いてある草履に足を通した。

そして、店の外まで歩いていこうとしたその時、ある事を思い出し立ち止まった。

「……っと、そうだった。ここは妖怪達が住む世界だから、人間の姿のままよりはこっちにしとくか」

俺はすぐに丹田の辺りに力を入れ、半人半妖としての姿になった。

……うん、やっぱりまだこの耳と尻尾は慣れないな。

「まあ……その内慣れるか」

これからはこの姿だって俺なんだし、自然に慣れてくだろうしな。

そう思い気持ちを切り替えた後、俺は再び店の外の方へと向かった。すると、近くから穏やかな声がした。

「おや……早起きですね、龍己君」

「あ、おはようございます、龍三郎さん」

そこにいたのは、この店――狐雨福屋の主で妖狐の龍三郎さんだった。龍三郎さんはニッコリと微笑むと、ゆっくりとこちらへ歩いてきながら静かに声を掛けてきた。

「昨夜はよく眠れましたか?」

「はい。ただ……まだこの環境に慣れてないせいか、ちょっと早く目が覚めてしまって……

それで目覚ましと気分転換を兼ねて、少しだけ外を歩いてみようかなと思ったんです」

「なるほど。それでしたら、少し待ってみてください。そろそろアレが鳴る頃ですから」

「アレ、ですか?」

アレ、って何だろう……?

首を傾げながら龍三郎さんに訊いた瞬間、近くから大きな鐘の音が聴こえてきた。

「これは……鐘の音?」

「はい。これは時の鐘といって、一刻毎(いっこくごと)に鐘を鳴らす事で、我々に時間を教えてくれているのです。

そして、今は……ちょうど明け六ツですね」

「そうなんですね。

それで……ちょっと待った方が良いのは、これのためなんですか?」

「それもありますが、後はですね……」

龍三郎さんが何かを言いかけた時、通りの方から様々な声が聞こえ始めた。

ん……何だか通りの方が騒がしくなってきたな。

俺がその声に耳を澄ませていると、龍三郎さんはクスクスと笑いながら話し掛けてきた。

「ふふ、どうやら街の人達も起き出してきたようですね。

さて龍己君、我々も早速通りへ出てみましょうか」

「あ、はい」

返事をした後、俺は龍三郎さんと一緒に、木戸を通って通りの方へと出てみた。

するとそこには、昨日見た時よりも多い妖達の姿があった。

「これは、スゴい数ですね……」

「ふふ、この街――『妖街(あやかしがい)不忍(しのばず)』には様々な妖達が住んでいますから。

それに、お祭りの際には更に色々な妖達が各地から参加しに来ますから、もっと賑わいますよ」

「そうなんですね……」

何だかだいぶスケールの大きい話だけど、一度見てみたいなそのお祭りの光景、そして各地から集まったさまざまな妖怪達の姿を。

不忍の住人達を見ながらそんな事を考えていると、近くからとても元気な声が聞こえてきた。

「読売っ、読売だよー! 河童の 青悟(しょうご)親分が向こうの 蟒蛇屋(うわばみや)で大食いならぬ酒の大呑みに挑戦だ!

そして、その結果が気になるってぇ奴は、この読売を読んでおくれーっ!!」

声の方にいたのは、首から何枚もの板のような物を乗せた大きめの板を掛けた編み傘を被った人の形をした妖、そしてその妖の肩に二本足で乗りながら声を張り上げている小さな鼬のような妖――鎌鼬の二匹だった。

もしかして、あれは……

「あれって……瓦版屋ですか?」

「ええ、その通りです。

彼らは毎日、この時間とお昼と夕方になると、あのような形で読売を売っているんですよ」

「そうなんですね」

それにしても瓦版屋か……この街の様子からも何となく分かるけど、この世界って人間世界の江戸時代を思わせるような世界だよなぁ……

そんな事を感じつつ龍三郎さんと話している間にも、瓦版屋のコンビはどんどん読売を売り上げていった。

そして、その様子を見ると、龍三郎さんが穏やかに微笑みながら俺に話し掛けてきた。

「さて、それでは私達も行きましょうか」

「はい」

コクンと頷きながら答えた後、俺達は瓦版屋コンビへと近付いた。

すると、瓦版屋コンビの鎌鼬の方が俺達の姿に気付き、顔をぱあっと輝かせながら龍三郎さんに声を掛けた。

「おはようさんです、龍三郎の旦那!

本日もおてんとさんの機嫌が良いみてぇで、読売もそこらの鳥公達みてぇにどんどん飛ぶように売れてますよ!」

「ふふ、それは良かったです。

いつも楽しみにさせて頂いてるので、自分の事のように嬉しいですよ」

「へへっ、不忍でも名高ぇ狐雨福屋の主、龍三郎の旦那にそう言ってもらえて、俺達も嬉しいですよ!」

鎌鼬は、心の底から嬉しそうな表情を浮かべた後、俺の存在に気付くと、目を丸くしながら興味深そうに声を上げた。

「……おや? そちらさんは、お初にお目にかかりやすねぇ……?」

「ええ、そうだと思います。

彼は狐雨福屋の新しい小僧見習いでして、名前は鈴蘭といいます」

「ほうほう、鈴蘭ったぁ中々綺麗な名前ですねぃ。

もしや、どこかのお家の出とかなんですかぃ?」

「ふふ、まあ、そんなところです。

……さあ、鈴蘭さん。君も彼らに自己紹介をしてください」

龍三郎さんが俺の方を見ながら、ニコッと笑いつつそう言った。

鈴蘭……っと、鈴蘭は俺だったな。

心の中で苦笑いを浮かべた後、俺は龍三郎さんに返事をした。

「はい、旦那様。

初めまして、鈴蘭と申します。この不忍の街には昨日来たばかりなため、まだまだ分からない事ばかりですので、色々お教え頂けたらありがたいです。

これからどうぞよろしくお願いいたします」

「これはこれはどうもご丁寧に。

俺は 風之助(かざのすけ)、見ての通り鎌鼬でさぁ。

そいでこっちが 草吉(そうきち)と言いやして、今はこの網傘で隠れてやすが、中身は旦那方と同じ妖狐でさぁ」

風之助さんがそう言葉を締め括ると、風之助さん達は共にペコリと頭を下げた。

鎌鼬の風之助さんに妖狐の草吉さんか……ん、そういえば……

「もしかして、草吉さんは無口な方なのですか?」

「いやぁ、実はそうでしてね。

こいつぁ必要な事やちょっと気乗りした時以外は、あまり喋ろうとしねぇタチなもんで、逆に口から生まれたなんてぇ言われてる俺が組んで、こうして読売を売ってるって訳なんです」

「なるほど……」

風之助さんの説明を聞き、俺は静かに納得した。

瓦版屋は元々二人組だったって聞いたことあるから、あまり違和感は覚えないし、寡黙(かもく)と話し上手のコンビなんてスゴくピッタリだよな。

俺がそんな事を考えていると、龍三郎さんが思い出したように声を上げつつ、財布を懐から取り出した。

「……っと、忘れるところでした。

風之助さん、私にも読売を頂けますか? 代金はこちらですので」

「勿論でさぁ! それじゃ代金を頂いて……っと、それでこちらが今朝の読売です、龍三郎の旦那!」

「ありがとうございます、風之助さん。

それではそろそろ戻りましょうか、鈴蘭君」

「はい、旦那様」

風之助さんと草吉さんに別れを告げた後、俺と龍三郎さんは店の方へと歩き始めた。

そして、少し歩いたところで、俺は小さく息をついた。

「……ふぅ、やっぱり畏まった言い方にはまだ慣れないですね」

「ふふ、そうかもしれませんね」

「はい。

でも、狐雨福屋にお世話になっているわけですから、今回のような時のために慣れておかないとですね」

「そうですね、苦労をお掛けしますが、よろしくお願い致します」

「わかりました」

そんな事を話しながら俺達が店まで戻ってくると、店の台所の方からとても美味しそうな匂いが漂ってきた。

う……朝の空きっ腹にこんな良い匂いを嗅がされると、腹の虫が煩くなりそうだな……

「おや、この匂いは……ほう、今日の朝御飯には焼き魚があるみたいですね」

そう一人ごちた後、龍三郎さんは俺の方を振り向いてから、優しく微笑みつつ声を掛けてきた。

「今日からの事について話し合おうと思いましたが、まずは朝御飯にしましょうか。

何をするにも腹ごしらえは必要ですからね」

「確かにそうですね。

実は……この匂いを嗅いだ時に、ちょっと腹の虫が鳴きそうだったんです……」

「ふふ、そうかなと思いましたよ。

さあ、朝御飯を食べに行きましょうか、龍己君」

「はい!」

大きな声で返事をした後、俺は龍三郎さんと一緒に店の中へと入っていった。

 

 

 

 

龍三郎さん達と一緒に朝食を済ませた後、俺と龍三郎さんはそのまま龍三郎さんの部屋に行き、今日からの行動についての話し合いを始めた。

「さて、今日からの事についてなのですが、龍己君にはまずこの街の事について知ってもらおうと思っています」

「この街について……ですか?」

「ええ。私達の仕事を手伝って頂く前に、この街がどういう街なのかなどを知ってもらう事が必要だと思いましてね。

この街には様々な方がいらっしゃいますし、この狐雨福屋にも様々なお客様がいらっしゃいます。

そのお客様の対応の際に初めて会うのと一度どこかでお会いした状態で会うのではだいぶ違いがありますからね」

「確かに……妖には色んな種類がいますからね。

さっきの瓦版屋コンビだけではなく、中には驚くような見た目の妖だっていますし」

「その通りです。

ですので、今日からしばらくの間は、この街について知る事と不忍などの街の方々の事を知る事が龍己君の仕事になります」

「この街について知る事、そして不忍などの街の妖達の事を知るのが仕事……」

俺は静かに龍三郎さんの言葉を繰り返した。

これがこの世界での俺の初仕事か……!

さてさて、どんな風にこの仕事をこなしていこうかな……!

これからの事についてワクワクしながら、自分の中でどの様にこの街などについて知っていけば良いのかなど、俺は頭の中であれこれと考えを巡らせた。

すると、俺のそんな様子を見て、龍三郎さんは微笑みながら静かに話し掛けてきた。

「ふふ、あまり深く考えなくても大丈夫ですよ。

龍己君が一番やり易いと思った方法でこの街について知っていけば大丈夫ですよ」

「俺がやりやすいと思った方法……か」

龍三郎さんのその言葉を聞き、ワクワクすると同時に入ってしまっていた肩の力が抜けた気がした。

……それもそうだ。たしかにこれは仕事の一環だけど、この世界の住人達は、言ってしまえばこれから過ごす上での大切な仲間なんだし、少しは気楽に構えてみるのも良いかもしれない。

「龍三郎さん……ありがとうございます」

「ふふ、どういたしまして」

俺達がそうやって笑いあっていた時、部屋の襖をコンコンとノックする音がした。

そして、戸がスーッと開くと、そこには手代の羅紗さんがいた。

「失礼いたします、旦那様」

「おや、羅紗。どうかしたのかい?」

「仕立屋の方へお客様がいらっしゃいまして、旦那様とお話したいとの事でしたので、お呼びに参りました」

「分かったよ、ありがとう。

今から行くから、お茶などの準備をお願いできるかい?」

「承知致しました。それでは失礼いたします」

羅紗さんは静かに答えながら恭しく礼をした後、襖を静かに閉めた。

そして、それを見届けると、龍三郎さんはニコリと笑いながら話し掛けてきた。

「それでは、龍己君。この街について色々な物を楽しみながら見てきて下さいね」

「わかりました。では、早速―」

そう言って俺が静かに立ち上がろうとしたその時、

「あ、それと……こちらを受け取ってください」

そう言いながら龍三郎さんは戸棚へと近付くと、何かを取り出した。

見てみると、それは綺麗な青色をした四角い財布であり、それには紐の付いた五円玉のような物が付いていた。

「これは……財布ですか?」

「はい。街を見て回る時にはお金が必要になることもありますから。

中には一応、5匁と40文が入っていますが、これはお支払するお給金とは別ですので、安心してくださいね」

「えっと……それはありがたいですけど、本当に良いんですか?」

「はい。貴方は覚えていませんが、碧葉がお世話になりましたから。

それに何も無しに街を見て回ってもらうのも申し訳無いですからね」

「龍三郎さん……本当にありがとうございます」

「いえいえ。それでは行きましょうか、龍己君」

「はい!」

元気良く返事をした後、俺と龍三郎さんは一緒に部屋を出た。

そして、龍三郎さんは接客のために仕立屋の方に行き、俺は呉服屋の裏口の方へと歩き始めた。

 

 

 

 

「……さてと、どうやって見て回ろうかな?」

呉服屋の裏口から外に出た後、どうやって見て回るかを決めていなかった事を思いだし、俺はそう独りごちた。

「今日からしばらくの間は……って言われたから、ゆっくりでも良いとは思うんだけど、早めに色々見ておいて地図みたいなのを作ってから、もう一回見て回るのも捨てがたい……」

さてさて、本当にどうしたもんかな……?

腕を組みながら考えていたその時、

「……おや? もしや、そこにいるのは鈴蘭の旦那ですかぃ?」

「……え?」

近くからそんな声が聞こえたため、声が聞こえた呉服屋の屋根の方へ視線を向けた。

すると、そこには屋根の上から俺の事を見ている風之助さんの姿があった。

屋根の上にいるなんて……流石は鎌鼬だな。

そんな事を思いつつ、俺は風之助さんに声を掛けた。

「風之助さん、そんなところで何をしているんですか?」

「もちろん、読売の記事になりそうなモノを探しているんでさぁ。読売の記事ってのは、新鮮さが命ですからね」

風之助さんは答えながら屋根から飛び立つと、そのまま俺の肩に着地した。

「鈴蘭の旦那こそ、こんなところでどうしたんです?」

「私は今度からここで働くことになっているので、今日はこの街を見て回ろうと思い、今から街の中を色々と巡ろうとしていた所なんです」

「なるほどねぇ……そういう事なら、俺と一緒に行きやすかぃ?

俺は記事になりそうなモノを探すために色々な場所を巡りやすから、少なからずこの街には中々詳しいですぜ?」

「それは助かりますけど、良いんですか?」

「もちろん。それに鈴蘭の旦那とも話をしてみたいと思ってたやしたから、俺としても好都合ってね」

「分かりました、それではよろしくお願いします」

「こちらこそ。それじゃあ行きやしょうか」

「はい」

静かに返事をした後、俺は風之助さんを肩に乗せたまま、住人達で賑わう不忍の街の中へと歩いて行った。

 

 

 

 

歩き始めてから数分後、俺達は一軒の店の前に立っていた。

店の看板には、筆で書かれた店名の他に、本の絵が描かれていた。

「まずここが書物屋の『虫本堂(ちゅうほんどう)』でさぁ!」

「虫本堂……もしかして、この名前は本の虫から採っているんですか?」

「その通りで。

ここの主が大の本好きで、自分の他にも本の虫を増やしたいと思って、この名前にしたとか」

「なるほど……」

風之助さんの解説に対して、俺は静かに答えたものの、実はかなりうずうずしていた。

本って聞いた瞬間にこうなるって事は、たぶん前の俺は本を読むのが好きだったんだろうな……

そんな事を思いつつ、虫本堂の看板を眺めていた時、風之助さんが苦笑いを浮かべながら声を掛けてきた。

「そんなに気になるってぇなら、ちっと寄ってみますかぃ?」

「は、はい! 是非!」

こうして俺と風之助さんは、書物屋の虫本堂の中へと入っていった。

 

 

 

 

虫本堂を出た後、再び街中を歩き始めた俺の手を見ながら風之助さんが小さく苦笑いを浮かべた。

「鈴蘭の旦那……ずいぶん買いやしたね……」

「あはは……本を見てたらついつい増えちゃって……」

苦笑いを浮かべながら答える俺の手には、本が詰まった風呂敷包みが二つ握られていた。

でも後悔はしていない、その分これから読むのが楽しみだからな。

手の中の風呂敷包みの中にある戦利品とも言える本達を見ながら、俺が再び静かにワクワクしていると、風之助さんが何かを思い出したような表情を浮かべながら声を掛けてきた。

「そういや……虫本堂の店主とも仲良くなってやしたね」

「はい。これからもここにはお世話になりそうです」

俺達がそんな事を話しながら歩いていると、辺りに時の鐘の音が鳴り響き、それを聞いた風之助さんが体を伸ばしながら声を掛けてきた。

「おや、もう昼九ツのようですねぇ。

そんじゃあ、そろそろ何か食べに行きやしょうか」

「そうですね……えっと、この辺りにはどの様なお店がありますか?」

「この辺りってぇと……不忍の中では一番と言われている蕎麦屋がありやすよ」

「それでは、そこに行ってみましょうか。

……ただ、混んでないと良いんですけど……」

俺が少し不安そうに言うと、風之助さんはクスリと笑いながら答えた。

「たぶん大丈夫だと思いやすけどね。

さてと……それじゃあ行きやしょうか」

「はい」

俺は風之助さんの案内に従い、不忍で一番の蕎麦屋へと向かって歩き始めた。

 

 

 

 

歩き始めてから十数分後、俺達は美味しそうな出汁の匂いなどが漂ってくる店の前に立っていた。

「着きやしたよ。ここが件の蕎麦屋、 『越野庵(こしのあん)』でさぁ!」

「越野庵……こしあん?」

店名を少しだけ略しながら言うと、風之助さんは小さく苦笑いを浮かべた。

「あー……やっぱりこの名前だとそう言いたくなりやすよねぇ。

因みにこの名前のせいか、ここが蕎麦屋って知らねぇお人達からは、名前だけで菓子司みてぇに思われることが多いらしいんでさぁ」

「あ、そうなんですね……」

「まあ、そんな事はさておいて……早速入りやしょうか、鈴蘭の旦那」

「あ、はい」

返事をした後、俺は風之助さんと一緒に越野庵の暖簾をくぐった。

すると、店内はかなりの人数のお客さんで賑わっており、お客さん達は楽しそうに話をしながら蕎麦に舌鼓を打っていた。

そして、その様子をボンヤリと見ていると、厨房にいた店主らしき妖が俺達の方へと顔を向けた。

「へい、いらっしゃい!

……って風之助じゃねぇか。おめぇ、仕事は良いのかぃ?」

「へっ、昼休憩ってやつだよ、昼休憩!

それに、今日は俺だけじゃなく新しいお客を連れてきたんだぜ?」

風之助さんの言葉に続けて、俺は店主に挨拶をした。

「初めまして、鈴蘭と申します」

「ほう、鈴蘭ったぁ中々綺麗な名前じゃねぇか。

もしや、どこかのお家の出かぃ?」

「……旦那、朝の俺と同じ事を言ってるぜ?」

「へっ、そうかぃ!

まあ、こんなに礼儀のなった奴ぁ、この辺じゃあまり見かけねぇから、そう思っちまってもしょうがねぇだろ?」

「へへっ、違いねぇや。さてと、空いてる席は……」

そう言いながら風之助さんは周囲を見回した。

そして、空いている席を見つけると、俺の顔を見ながら席がある方を指差した。

「おっ、あったあった。鈴蘭の旦那、こっちでさぁ!」

「あ、はい」

風之助さんが見つけてくれた席に座り、風呂敷包みを膝の上へと置くと、店主が二人分の水を置きながら声を掛けてきた。

「さぁて、おめぇらは何にするんだ?」

「そうですね……何かおすすめはありますか?」

「おすすめつったら全部だ、全部!

……まあ、そんなかでも一番頼まれるのはやっぱ盛りだな」

「それじゃあ盛りでお願いします」

「俺は盛りの極少だ、旦那」

「あいよ。ちょっとだけ待っとくれ!」

店主は大きく返事をした後、厨房へと戻っていった。

そして、それから数分後、盛りと盛りの極少が俺達の机に置かれた。

「盛りと盛りの極少、お待ちどう!」

「ありがとうございます。

それにしても……盛りの極少なんてあるんですね」

俺がそう言うと、風之助さんがそれに答えてくれた。

「あー……それは俺みたいなやつ専用でさぁ。

俺とかは普通の小ですら多いってんで、この特別な盛りが出来たんでさぁ」

「なるほど……」

風之助さんの答えを聞き、俺はこの不忍の住人達の仲間意識の高さみたいな物を感じた。

ふふ、色々考えられてるんだな……でもこれは、やっぱりこの街に住む仲間を思っての気遣いみたいなものなんだろう。

……まだ、この街に来て2日目だけど、何だかこの街に住める事が幸せな事な気がするな……

そんな小さな幸福感を噛み締めていると、風之助さんがニッと笑いながら声を掛けてきた。

「さて、鈴蘭の旦那。いただきやしょうか」

「そうですね。それでは――」

『いただきます』

声を揃えて言った後、俺と風之助さんは一緒に蕎麦を食べ始めた。

 

 

 

 

「さぁて、今日は色々巡りやしたねぇ……」

夕暮れ頃、俺の肩の上で風之助さんが体を伸ばしながらのんびりとした様子で話し掛けてきた。

腹ごしらえを済ませた後にも、俺達は様々な場所を巡っていたため、周りはもうだいぶ薄暗くなってきていた。

「そうですね。

……そういえば記事になるモノは見つかりましたか?」

俺が風之助さんにそう訊くと、風之助さんは楽しそうに笑いながら答えた。

「ああ、それなら草吉の奴がやってくれてるんで、問題はありやせんよ。

まあ、新しい街の仲間と話して楽しめた分、実は俺的にも大収穫なんですぜ?」

「ふふ、それなら良かったで――」

その時、俺は何かの臭いを感じ取った。

「……あれ? 何か臭いませんか?」

「こいつぁ……間違いねぇ、火事の臭いでさぁ!

こうしちゃいられねぇや、早く火事の場所へと行かねぇと!」

急いで飛び立とうする風之助さんの声を聞きつつ、俺は軽くストレッチをした。

そして準備が出来た後、臭いがする方を見ながら、風之助さんに声を掛けた。

「……風之助さん、少しだけ捕まっててもらって良いですか?」

「……え? 鈴蘭の旦那、いってぇ何を――」

「なぁに、少し揺れるだけですから!」

俺は風之助さんの言葉に被せながら言った後、火事の臭いがする場所へ向かって走りだした。

 

 

 

 

「……ここみたいですね」

「こいつぁ、思ってたよりも燃えてやすねぇ……!」

着いた所にあったのは一棟の納屋だった。

納屋を燃やしている火の勢いはかなり強く、近寄ることすら難しいものだった。

「これは火消しを待つしか――」

その時、俺の耳に何かが聞こえてきた。

「……風之助さん、何か聞こえませんか?」

「え? 俺には何にも……」

風之助さんは不思議そうに答えたが、俺の耳には変わらず何かが聞こえ続けていた。

「……いや、やっぱり聞こえる」

くっ……もっとだ! もっと聴力を高めて……!

必死になりながらその何かを聞き取った瞬間、その何かの正体がハッキリと分かった。

「これは……声だ! もしかしたらこの中に誰かが……!」

「な、何だって!? そいつぁ大変だ! 早く何とかしねぇと!」

焦る風之助さんの声を聞きつつ、俺は頭の中で考えを巡らせた。

何か……良い方法は……!

その時、俺の中にある考えが浮かんだ。

……だいぶ分の悪い掛けになるけど、今はこれしかない……!

俺は覚悟を決めた後、風之助さんに声を掛けた。

「風之助さん、この近くに川はありますか?」

「へ? 川ならすぐのとこにありやすが……?」

「ありがとうございます」

俺はお礼を言った後、火から少し遠いところに荷物を置き、懐からもう一枚の風呂敷を取りだした。

その様子を見て、風之助さんが不思議そうに訊いてきた。

「いったい何を……?」

「……前に何かで読んだ事があるんです。

水を被ってたり水を含んだ布で顔とかを覆っておくと、火事現場に飛び込んでも少しは持つ、と」

……といっても実際にはやったこと無いから、どのくらい持つかは分からない。

もしかしたら俺まで死ぬかもしれないな……

最悪の事態を想定しながら準備を進めていると、風之助さんが大きな声を上げた。

「そ、そんなの無茶でさぁ! いくらそんな方法があっても気休めにしか――」

「それでも。誰かが死にそうになっているのを、ただ指を咥えて見てるなんて出来ませんから」

「鈴蘭の旦那……」

風之助さんが心配そうな顔をしていたが、俺は静かに微笑みながら風之助さんに話し掛けた。

「大丈夫ですよ。絶対に戻ってきますから」

心配そうな風之助さんの視線を感じつつ、俺は納屋の近くに転がっていた桶を拾い、川へと急いで走った。

そして、桶に水を汲み、持っていた風呂敷にも水を含ませた後、俺は火事現場に戻ってきた。

すると、さっきまでいなかった筈の野次馬達が燃え盛る納屋を見ながら騒ぎ立てていた。

……まあ、流石に気付くよな、こんなに火も強いわけだし。

「さて……まずは水を被って、その次に水を含ませた風呂敷で口を覆ってと……よし、これで良いな」

これで準備は出来た。後はどうなるか……やってみなくちゃ分からないな。

俺は燃え盛る納屋を見詰めながら、再び覚悟を決めた。

「よし、行こう!」

そして、燃え盛る納屋の中へと勢い良く飛び込んだ。

 

 

 

 

「……(臭いとかはしないな。でもあまり広くは無いから、早く見つけられれば何とかなりそうだ)」

炎の熱と視界を遮ってくる煙に耐えながら中を探っていた時、前方に苦しそうな表情を浮かべながら倒れている少年の姿を見つけた。

「……!(いた!)」

俺はすぐに少年へと近付き、少年の様子を窺った。

「……!(息は……まだありそうだ。早く外へ連れ出さないと……!)」

そして、倒れている少年を抱き上げた後、俺は納屋の入り口へ向けて走った。

「……あ! 来た、鈴蘭の旦那だ!」

外に出た瞬間に、風之助さんの大きな声が聞こえた。

そして、周りの野次馬からの拍手の音を聞きつつ、俺は少年を静かに地面へと下ろした。

……何とかなったんだな、俺の力、でも……

そう思った瞬間、俺の意識は徐々に途切れ始め、体がグラリと揺れたかと思うと、俺の意識は完全に失われた。

 

 

 

 

「調子はどうです? 鈴蘭の旦那」

「お陰さまで。明日辺りにはまた出歩けそうです」

あの日から3日後の今日、俺は読んでいた本を閉じた後、目の前に座っている風之助さんに微笑みながら答えた。

さっきまで心配そうな顔をしていたけど、今の言葉を聞いて少しだけ顔が明るくなったみたいだ。因みに読んでいた本はあの時買った物の内の一冊だ。

あ、そうだ……

「そういえば読みましたよ、あの時の火事の読売。実際にあの火事を見ていない人にも伝わるような書き方でしたので、私はとても良いと思いましたよ」

「へへっ、そいつぁ良かった。あの時の事をどうにか伝えたいと思って必死だったもんで」

「ふふ、それに加えて私の事が一切書いてなかったのも助かりました」

俺が微笑みながら言うと、風之助さんは少しだけ不満そうに答えた。

「……本当はしっかりと書きたかったんですがね。

ただ……鈴蘭の旦那は、そういう事を書かれるのは苦手かなと思いやしてね」

「まあ、そうですね。あんな事をやっておいてアレですけど、目立つのは好きじゃないかもしれないです」

それに……俺はただ、あの少年を助けたいと思っただけだったしな。だから、そういう事で目立っても全然嬉しくない。

あ、そういえば……あの少年はどうなったのかな?

少年のその後が気になり、俺はその事について訊いてみる事にした。

「風之助さん、あの少年は大丈夫でしたか?」

「ええ、勿論でさぁ。俺の聞いたところでは火傷もだいぶ引いたみたいで、もうすっかり元気らしいですぜ?」

「それは良かった……」

少年の無事を知り、俺が心の底から安堵していると、風之助さんが何かを思い出したように声を上げた。

「あ、それとなんですがね?

あの火事はどうやら、あの子供が明かりをつけようとしたところ、誤って他の物に火が付いたことで起きたものだとか」

「なるほど……」

……やっぱりそういう事だったのか。火付けにしては被害者の数が少ない気がしたから、何となくそうかなとは思ってたけど。

俺がそんな事を考えていると、風之助さんが思い出したように訊いてきた。

「そういえば……あの後、狐雨福屋の旦那には何か言われたりはしやしたか?」

「……ええ、一人の命を助けられたのは凄いけど、これからはあまりこういうことはしないで欲しいと言われました」

「あー……龍三郎の旦那は、自分とこの奉公人を家族みてぇに思ってやすからねぇ……」

「そうですね。それに……あの時の龍三郎さんとお嬢さんの心配そうな顔を見た時、心の底から申し訳なくなりましたからね……

だから、これからはこういう事は出来る限り慎みますよ」

……まあ、それだけじゃなく、折角取り戻した命をむやみやたらに投げ出すのは、生き返らせてくれた龍三郎さん達に申し訳ないしな。

今もトクントクンと鼓動を打っている心臓の辺りに手を当てながらそんな事を考えていると、風之助さんが少し不思議そうに声を掛けてきた。

「……鈴蘭の旦那。一つだけ訊いても良いですかぃ?」

「はい、何ですか?」

「鈴蘭の旦那の耳と尻尾が無いのは、何故なんです?」

「……ああ、その事ですね」

俺は穏やかに微笑みながら風之助さんの言葉に答えた。

そう、俺は今、鈴蘭としての姿ではなく、稲荷龍己としての姿で風之助さんと会っているのだ。

そして、俺は真剣な表情を浮かべた後、静かに言葉を続けた。

「実は、私は……いや、やっぱり畏まった言い方じゃない方が良いかな?」

「んー……そこは、鈴蘭の旦那にお任せしやすよ」

「ん、分かった。さて風之助さん、実は……俺は妖は妖でも具体的には半人半妖なんだ」

「半人半妖……ですかぃ? そいつぁ一体何なんです?」

俺は再び微笑んだ後、風之助さんに半人半妖について、そしてなぜそうなったのかを話した。

話を終えると、風之助さんは興味深そうな様子を見せた。

「……なぁるほどねぇ、つまり……それが旦那の本当の姿ってわけだ」

「その通り。

……といっても、鈴蘭としての姿も今となっては本当の姿ではあるんだけどな」

「まあ、半人半妖ですからねぇ。

……にしても、どうして俺にそれを話してくれたんで?」

「んー……風之助さんには話しても問題無いかなと思って。

それに……友達に隠し事はあまりしたくないからさ」

俺がニッと笑いながら言うと、風之助さんは驚いた顔をした後に、大きな声で笑い始めた。

「あっはっは! まさか、旦那にそう言ってもらえるとはねぇ!」

「あの日、風之助さんが心配してくれたのは本当に嬉しかったし、一緒に街中を回ってた時は本当に楽しかったから、風之助さんとは末永く仲良くやっていけそうだと心の底から思ったしな」

「へへっ、そいつぁ俺もでさぁ!

あ、それと……さん付けはしなくて良いですぜ?

そう呼ばれっと何かむず痒くてしょうがねぇもんで」

「うん、分かったよ。それじゃあ改めて――」

俺はそう言いながら風之助に手を差し出した。

「これからよろしくな、風之助」

「こちらこそよろしく頼みやすぜ? 龍己の旦那」

風之助の小さな手と握手を交わしながら、俺は風之助に対して笑いかけた。

この新しい友人とのこれからは一日一日大事にしていこう。

まだ春の陽気が残り、桜の花びらがひらひらと舞い散る中で、俺はそう心に誓った。




政実「第2話いかがでしたでしょうか」
龍己「第2話目にして、もう一度命を奪われかけたんだが?」
政実「うん……その点については本当にごめん。風之助に正体をばらす方法を考えていたら、こんなことに……」
龍己「それに作中でも風之助が言ってるけど、あの方法は気休めにしかならないからな」
政実「色々調べてみたら一分くらいがリミットみたいだからね」
龍己「今回はまあ良いとするよ。責めたところで何も変わらないから」
政実「うん、ありがとう」
龍己「さてと、次はいつになりそうだ?」
政実「出来る限り一週間で上げたいと思ってるよ」
龍己「了解した。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めよっか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それではまた次回」


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第3話 雨がもたらした狐と蛇の出会い

政実「みなさん、お久し振りです。片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です」
政実「不定期更新とはいえ前回の更新からかなりの時間が経ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
龍己「大体2ヶ月だからな。理由は確かリアル生活が忙しかったからだったっけ?」
政実「うん。色々な変化があったことで、こっち以外も更新が遅れてるというね……」
龍己「まあそこはしょうがないだろ。リアルはリアルで大切だからな」
政実「ありがと、龍己。
さて、気を取り直しまして……今回の話は新キャラの登場回です」
龍己「まだ第3話だからそんなもんだろ。それよりも俺は最後の方が気になるんだけど……?」
政実「それに関しては後書きで話すよ。
さて、そろそろ始めようか」
龍己「了解」
政実・龍己「それでは、第3話をどうぞ」


「うーん……これは弱ったなぁ……」

 ある日の午後、不忍から少し離れた街、深水(ふかみ)の街で偶然立ち寄った店の軒下で雨宿りをしながら、俺はポツリと独り言ちた。

「折角外出許可が出たから、少し遠くに出掛けてみたらその途中で雨に降られるって、どんな嫌がらせなんだよ……。まあでも、今のところ服とか含めて濡れてるものが無い事だけが唯一の救いかな?」

 降り続ける雨を見ながら苦笑いを浮かべた後、両手に持った風呂敷包みを見た。この風呂敷包みの中には本や半紙などといった濡れてはいけない物達が入っているため、俺は風呂敷包みが濡れないように細心の注意を払っていた。

「さて、これからどうしようかな……」

 降り続いている雨の方に再び視線を向けながら、俺はこれからについて考えてみることにした。

「傘は持ってないから、この雨の中を行くわけにもいかない。……かといってこのまま雨宿りをし続けてたら、店に帰るのが遅くなって、また龍三郎さん達に心配をかけてしまう……」

 そこまで言った瞬間、俺の脳裏に火事のあった日の龍三郎さん達の顔が想起された。

 ……うん、それだけは絶対に避けよう。けれどこの二つがダメとなると、本当にどうしようも無いな……。

「はぁ……本当にどうしたら良いんだろ……」

 ため息をつきつつ、すっかり途方に暮れていたその時だった。

「あの、何かお困りですか?」

「え?」

 声の方を見ると、そこには傘をさした一人の色白の男性がいた。

「えっと、貴方は?」

「ああ、申し遅れました。私はこの近くにあります小物問屋 『七之屋』(しちのや)の主でして、名前を 七之助(しちのすけ)と申します」

「七之助さんですね。私の名前は鈴蘭、ここから少し行ったところの不忍にある呉服問屋『狐雨福屋』の小僧見習いです」

「『狐雨福屋』さんというと……ああ、龍三郎さんのお店ですね」

「はい、そうですけど……ご存知なんですか?」

「ええ、それはもちろん。『狐雨福屋』さんはこの世界に住む妖なら一度は名前を聞いたことがあるほど有名なお店ですから」

「なるほど……」

 つまり『狐雨福屋』はいわゆる老舗の有名店だったのか。

 やれやれ……俺もまだまだ勉強不足だったみたいだな……

 俺が心からそう思っていると、七之助さんが何かを思い出したように声を上げた。

「……っと、申し訳ありません。話がそれてしまいましたね。

 本題に戻りますが、何かお困りでしたか?」

「あ、はい。お恥ずかしい話なんですが、こんな雨になるとは思って無かったもので、傘を持って来てなかったんです。それに雨も止む様子が無いので、どうしたものかと思っていたところに……」

「私が通り掛かった、ということですね。

 そういう事でしたら、こちらを使ってください」

 七之助さんはニコリと笑いながら、持っていたもう一本の傘を差し出してくれたが、俺は少し申し訳なさを感じつつ、七之助さんに話し掛けた。

「それはとてもありがたいんですが……本当によろしいんですか?」

「はい。実は、元々この傘を使う相手がいたのですが、その相手にちょっと断られてしまいましてね。それならば貴方のように必要としている方に使って頂いた方が良いですから」

 俺の問いかけに、七之助さんは優しく微笑みながら静かな声で返してきた。

 まあ……そういう事ならありがたく使わせてもらおうかな?

 七之助さんの厚意に甘える事にし、俺は静かに微笑んだ。

「分かりました。それではお借りしますね」

「ええ、どうぞ」

 七之助さんから傘を受けとった後、俺は早速傘を開き、今までいた軒下から雨の中へと進み出た。

 すると、雨は次々と傘の表面にぶつかると同時に、不規則なリズムで打楽器のような音を奏で始めた。

 うん、何かこの音を聴いてると落ち着く気がするな……

 俺がその音に聴き入っていると、

「鈴蘭さんは雨がお好きなんですね」

 七之助さんがクスリと笑いながら声を掛けてきた。

「そう……ですね。この傘に雨粒が当たっている音を聴くと、何だか落ち着ける気がするんです」

 雨音のリズムを聴きつつ穏やかな気持ちで答えると、七之助さんは再びクスリと笑いながら静かな声で答えた。

「その気持ちは私にも分かるような気がします。

 もちろん、雨粒が何かの曲を奏でているわけでは無いのですが、この不規則な拍子を聴いていると、何故か何かの曲を聴いてるような気持ちになるんですよね」

「はい」

 七之助さんの言葉に静かに返事をした後、俺達はしばらくそのまま雨の音を聴き続けていた。

 

 

 

 

「七之助さんも本がお好きなんですね」

「ええ。本は様々な事を教えてくれますからね」

 雨の音を存分に堪能した後、俺は七之助さんと雨の中を歩いていた。

 歩きながら七之助さんと様々な話をしていた時、お互いに読書が趣味であることが判明したため、そのまま本の話に花を咲かせていた。

「そうですね。それに物語などを読んでいると、知らず知らずの内に話の中に引き込まれていって、時間が経つのを忘れてしまうこともしばしばあって……」

「確かにそれはありますね。

 鈴蘭さんは最近どの様な本を読んだのですか?」

「そうですね……最近は 香大神(かおるのおおかみ)という方が書かれている『へっぽこ同心』や 七天夜鬼童(しちてんやきどう)さんの『妖怪道中記』を読んでいます」

 この二種類の作品、『へっぽこ同心シリーズ』も『妖怪道中記シリーズ』はあの火事の日に出会った本で、その話の面白さに引き込まれて今日も何冊かこのシリーズの本を購入してきていた。

「ふふ、確かにその二冊は読んでいると楽しいですからね」

「そうですね。因みに七之助さんはどうですか?」

「私は……」

 そんな話をしながらひたすら歩いていると、いつの間にか俺達は『狐雨福屋』の前まで辿り着いていた。

 ……あれ、もう着いちゃったのか……

「いつの間にかお店に着いちゃいましたね」

「そうですね。話をしながら歩いていると、時間があっという間に過ぎてしまいますからね」

「確かにそうですね」

 俺は静かに返事をした後、傘を閉じながら店の軒下へと入った。

 そして、七之助さんの方へ再び向いた後、ペコリと頭を下げながらお礼を言った。

「今日はありがとうございました。傘は乾かしてからお返ししますね」

「分かりました。それでは私はこれで」

「はい、お気をつけて」

「ありがとうございます、それでは……」

 そして、七之助さんは再び雨の中を歩いて行った。

『七之屋』の七之助さん、か……

「親切な人……いや妖もいるもんだな。

 ……っと、そろそろ中に入らないとな」

 俺はそう一人ごちてから『狐雨福屋』の扉を開け、中へと入った。

 すると、玄関にはこの『狐雨福屋』の主で、妖狐の龍三郎さんの姿があった。

 そして、俺の姿を見ると、龍三郎さんは少し安心した様子で声を掛けてきた。

「お帰りなさい、龍己君。雨には濡れませんでしたか?」

「ただいま戻りました、龍三郎さん。実は、出先で親切な方に傘をお借りしたんです」

 俺が件の傘を見せながら言うと、龍三郎さんは目を細めながら静かな声で返事をした。

「ふふ、そうでしたか。その方には後ほどお礼に行かなくてはなりませんね」

「はい。なので、早速明日にでも行ってこようと思っています」

「ふふ、それが良いかもしれませんね。

 さて、そろそろ夜御飯も出来る頃ですので、中へと行きましょうか。そちらの傘も乾かさないといけませんしね」

「そうですね」

 俺は頷きながら返事をした後、龍三郎さんと一緒に店の奥へと入っていった。

 

 

 

 

 翌日の朝、俺は龍三郎さんと一緒に店の玄関にいた。

 ……うん、傘はあるし財布もあるから大丈夫だな。

 軽く忘れ物が無いかを確認した後、俺は龍三郎さんに声を掛けた。

「それでは行ってきます」

「はい、気を付けて行ってきてくださいね」

「分かりました」

 俺は龍三郎さんに頷きながら返事をした後、お店の扉を開けてそのまま外へと出た。

「さて、まずはお礼の菓子折りを買いに行かないと――」

 俺が近くにある菓子司に向かおうとしたその時、頭上から不思議そうな声が聞こえてきた。

「……おや? 龍己の旦那じゃないですか、これからどこかへお出掛けですかい?」

「……ん?」

 ゆっくりとその声の方を見てみると、そこにはこの世界で初めて出来た友人――鎌鼬の風之助の姿があった。

「おっ、風之助か。さっきぶりだな」

「へへっ、確かにそうですねぇ。龍己の旦那が家の読売を買いに来てくれたのが、今朝の明け六ツですから」

 小さく笑いながら風之助は俺の肩に乗ると、首を小さく傾げながら言葉を続けた。

「それで? さっきも訊きやしたけど、これからどこかへお出掛けなんですかい?」

「ああ。ちょっと 深水の方に用事があってな」

「ほう、深水ですかぃ?

 深水って言いやぁ……河童や濡れ女みてぇな水に関する妖が多いとこだ。

 ……それで深水のどなたさんに用事なんです?」

「『七之屋』の主、七之助さんだよ。昨日ちょっと傘を借りたから、傘を返しに行くのとそれのお礼を渡しに行くんだ」

 俺が小さく笑いながら言うと、風之助は興味深そうに声を上げた。

「ほうほう! 『七之屋』といえば、若い女達に人気の店だ。それにそこの主、七之助も役者みてぇに顔が整っているってんで、それ目当てに来る客も多いんでさぁ」

「あー……確かに七之助さんは役者みたいな感じだったな。顔だけじゃなく物腰とかも柔らかい感じだったし、女性人気が高いっていうのも納得だな」

「へへっ、そうでしょう?

 それにあの人は生まれが中々特殊って噂があるんでさぁ」

「へー、そうなのか」

 生まれが中々特殊か……それはちょっと気になるけど、機会があったら訊いてみる事にするか。

 俺がそんな事を考えていると、風之助が何かを思い付いたような表情で再び話し掛けてきた。

「そうだ……! 龍己の旦那、俺もそれに着いてって良いですかぃ?」

「んー……別に構わないけど、何でだ?」

「実を言うと、俺はあんまり深水の方には行ったことが無いもんで、街の様子なんかを色々と見てみてぇんですよ。

 それに龍己の旦那と一緒なら、いつもなら拾えないようなネタが拾える気がしやすし」

「あはは……その期待に添えるかは、まったく分かんないけどな」

「へへっ、それは行ってみなくちゃわかんねぇですよ。

 それじゃ、早速行きやしょうぜ、龍己の旦那!」

「うん。

 ……と、言いたい所だけど、まずはお礼の品を買いに行かないとな」

「おっ、そんならスゴく良い店を知ってやすぜ?」

「そうなのか?」

「ええ。口に入れたら、目ん玉が飛び出ちまいそうになる程、旨ぇ菓子を作ってる菓子司がこの近くにありやすから、今回はそこに行ってみるのはどうです?」

「……そうだな、そこまでオススメするんだったら、かなり興味あるしな。

 それじゃあ、案内は頼んだぜ?」

「へい!」

 風之助の元気の良い返事を聞いた後、俺は風之助と一緒に件の菓子司へ向けて歩き始めた。

 

 

 

「……よし、とりあえず深水に到着だな」

 お礼の品を買った後、俺達は小半時程をかけて深水に到着した。

 深水の街には、風之助が言っていたように水に関連した妖達を始めとした様々な妖が住んでいるようで、少し歩きながら周囲を見回しただけでもそれなりの種類の妖の姿を見る事が出来た。

「昨日は気付かなかったけど、ここも不忍みたいにだいぶ賑わってるな」

「確かにそうですねぇ……まあ、暗く湿っぽいよりは明るく活気に溢れてる方が、ぜってぇ楽しくて良い気がしやすけどね」

「ははっ、確かにそうだな。

 ……さてと、それじゃあ早速『七之屋』を探すとするか」

「へい!」

 そして、俺達は深水の街の様子を眺めたり、他愛ない話をしたりしながら深水の街の中を歩き始めた。

 そうやって歩き続ける事数分、俺達はある一軒の店に辿り着いた。

 俺がその店の看板に目を向けると、看板にはとても綺麗な字で『七之屋』と書かれていた。

「よし、何とか着いたな。ただ……思ってたよりもお客さんの数が多いみたいだけど」

「ですね。客の中には男もいやすけど、大部分はやっぱり女みてぇですね」

『七之屋』に来ているお客さんの様子を見て、俺達はそんな感想を漏らした。

『狐雨福屋』にも当然色んなお客さんが来るけど、ここにも色んな妖が来てるんだな。

 俺は店の様子を見ながらぼんやりと思ったものの、今日の目的をすぐに思い出し、風之助に話し掛けた。

「とりあえず、まずは七之助さんに会いに行こう。このまま立ってても時間がもったいないしさ」

「おっと、それもそうだ。それじゃあ、行くとしやしょうか」

「ん、了解」

 そして俺達は店へと近付いた。すると、

「あっ、いらっしゃいませ!」

 店先にいた店員の1人が、とても明るい笑顔で挨拶をしながら俺達に近付いてきた。

 見た目は俺と何ら変わらない様に見えるけど、この人も何かの妖なんだろうな。

 そんな事を思いながら俺はその妖に話し掛けた。

「すいません、このお店の主の七之助さんにお会いしたいのですけど、よろしいですか?」

「あ、はい。お約束などはされていますか?」

「いえ、お約束はしていないんですけど、実は昨日傘をお借りしていまして、それのお礼をお渡ししようと思って参りました」

「そうでしたか、かしこまりました。それでは少々お待ちください」

「はい」

 店員はニコリと笑うと、そのまま店の中へと入っていった。

 そして、それを見届けると、俺は少しだけ肩の力を抜いた。

「ふぅ……やっぱり丁寧語は慣れないな……」

「そうですかぃ?俺にはそうは見えやせんでしたけどねぇ」

「うーん……そうだとすれば、たぶん前の俺は何かしらで使い慣れてたんだろうな」

「そうかもしれやせんね」

 俺達がそんな事を話していると、さっきの店員が戻ってきた。

「お待たせ致しました。どうぞ、こちらへ」

「あ、はい。失礼いたします」

「失礼致しやす」

 俺達は店員の案内に従い、店の中へと入っていった。

 

 

 

 

 店の中を歩く事数分、俺達は少し大きな部屋の前に着いた。

「こちらが旦那様のお部屋です」

 店員は静かに微笑みながら言った後、襖に向かって声を掛けた。

「旦那様、お客様をお連れ致しました」

「ありがとうございます、蒔絵さん。どうぞ、入ってもらってください」

「かしこまりました」

 店員――蒔絵さんは襖を開けた後、自分は横へスッと移動し、俺達が通る道を作ってくれた。

「どうぞ、お通りください」

「ありがとうございます。

 それでは、失礼致します」

「失礼致しやす」

 お礼を言いながら俺達が部屋の中に入ると、そこには昨日見たばかりの七之助さんの姿があった。

 七之助さんは俺達の姿を見ると、ペコリという音が聴こえそうな程、綺麗なお辞儀をしてから静かな声で言った。

「こんにちは、鈴蘭さん。それとそちらは……」

 七之助さんが風之助を見て、不思議そうな顔をしていたので、俺は風之助の紹介をすることにした。

「こんにちは、七之助さん。こちらは私の友人で、瓦版屋の風之助さんです。

 こちらに伺う途中で偶然会いまして、こちらに伺うと話しましたら、一緒に来てみたいということだったので連れてきたのですけど、御迷惑でしたか?」

 俺が少し不安そうに訊くと、七之助さんは穏やかに微笑みながら答えた。

「いえ、大丈夫ですよ。新しい方にお会いできるのはとても良いことですから、むしろ嬉しい限りですよ」

「それなら良かったです。あ、それと……」

 俺は持ってきた傘と菓子折を前へと置いた。

「こちらは昨日お借りした傘とそのお礼の菓子折りです。どうぞお納めください」

「ありがとうございます、後程お店の皆さんと一緒に頂きますね。蒔絵(まきえ)さん、来てもらっても良いですか?」

 七之助さんは俺からその2つを受け取ると、傘を足下に置いてから蒔絵さんの名前を呼んだ。

 すると、襖を開けて蒔絵さんが中へと入ってきた。

「お呼びですか? 旦那様」

「こちらのお菓子を頂いたので、日の当たらない涼しい場所に運んでもらえますか?」

「承知致しました」

「それとお茶のご用意もお願いしますね」

「かしこまりました」

 蒔絵さんは静かに微笑みながら返事をすると、菓子折りを丁寧に持ち上げた。

 そして、部屋から出ると襖を静かに閉め、それを見届けると、七之助さんが俺達に蒔絵さんについて話してくれた。

「蒔絵さんは、少し前から働いてもらっている方なのですが、とても明るく受け答えも丁寧なので、お客様からの評判もとても良い方なんですよ」

「そうなんですね」

「ええ。私としてはここに来てもらって本当に良かったと思っていますよ」

 静かな声で言う七之助さんのその顔はとても明るく、心の底からそう思っていることが他人から見ても伝わるほどだった。

 すると、それを見た風之助がこんな事を訊き始めた。

「因みに……七之助さんとしては、あの蒔絵さんの事をどう思っているんです?」

「どう、というのは……?」

「女性としてどう思っているかですよ。そこんとこどうなんです?」

 風之助……初めて会った人にそれを訊くのかよ……

 心の中でため息を着いた後、俺は風之助に静かに苦言を呈した。

「風之助さん……初めて会った方にそれを訊くのはどうなんです?」

「うーむ……確かにそうかもしれやせんね……不躾な事を訊いて申し訳ありやせん、七之助さん」

 風之助がペコリと頭を下げながら謝ると、七之助さんはクスクスと笑いながら答えた。

「別に構いませんよ。私もこう見えてそういった色恋沙汰には興味はありますから」

「そうなのですか?」

「ええ。それにもっと砕けたような話し方でも大丈夫ですよ? その方がお互いに話しやすいでしょうから」

「確かに……そうかもしれませんね」

「ふふ、そうでしょう?

 それに鈴蘭さんも少々話しづらそうにしてましたしね」

「……やっぱり分かりますか?」

「ええ。ですので堅苦しい事無しで大丈夫ですよ」

「……分かりました。それではそうしますね」

「それじゃ俺もそうさせて頂きやす。俺もあんまり堅苦しいのは好きじゃねぇもんで」

「ええ、どうぞどうぞ」

 七之助さんの一言で話しやすくなった俺達は様々な事を話し合った。

 七之助さんは化け蛇でありながら、とある事がきっかけで川などが苦手になったことや七之助さんには幼馴染みがいて、昨日傘を届けようとしたのはその幼馴染みだったことなど、多くは七之助さん関連だったものの、俺達はまるで昔からの友達同士で話しているかのような雰囲気でずっと話をしていた。

 

 

 

 

「……おっと、そろそろ日暮れの時刻みたいですね」

 ふと、七之屋さんが外の様子を見ながら静かに言った。

 七之助さんの言葉通り、外では他の店の行灯に次々と灯りが灯っていた。

 もう、こんな時間か……俺達はどれだけの時間話してたんだろう……?

 その事を不思議に思っていると、七之助さんがニコッと笑いながら声を掛けてきた。

「少し名残惜しいですが、今日のところはお開きと致しましょうか」

「ですね。でも話している間、とても楽しかったです」

「俺も同じでさぁ。時間を忘れるったぁ、まさにこの事かと思いやしたよ」

「ふふ、私も同じです」

 そんな事を話しつつ、俺達は静かに笑い合った。

 どうやらこの何時間の間に、俺達はかなり仲良くなれたみたいだった。

 ……さて、そろそろ帰らないと龍三郎さん達に心配されそうだな。

「……それじゃあ、私達はそろそろ失礼致します」

「分かりました。それではお店の入り口まで案内しますね」

「え、良いんですか?」

「ええ。お店の皆はまだまだ忙しいでしょうから」

「分かりました、それではお願いします」

「はい。それではこちらの方へどうぞ」

 七之助さんの案内に従って『七之屋』の中を歩き、俺達はお店の入り口まで辿り着いた。

 そして、入り口の扉を開けて外へ出ると、

「今日は本当にありがとうございました、とても楽しかったです」

 七之助さんがお辞儀をしながら俺達に静かな声で言った。

 その言葉を聞いた後、俺達も静かに微笑みながら返事をした。。

「こちらこそありがとうございました。色々な事を話せてとても楽しかったです」

「俺も同じでさぁ。何だかまだまだ話し足りない気持ちでいっぱいですしねぇ」

「ふふ、私も同じ気持ちですよ。

 また機会がありましたら、いつでもおいでください」

「はい、そうさせてもらいますね」

「また色んな話をしましょうや、七之助の旦那」

「ええ。その時までにはまた色々な話題を仕入れておきますね」

「はい、楽しみにしています。それでは……」

 そして、俺達は七之助さんに見送られながら、来た道を戻っていった。

 

 

 

 

「今日は本当に楽しかったな」

「そうですねぇ、龍己の旦那」

 不忍へ向かう道の途中、俺達は今日の事を話しながら歩いていた。

「……何だか七之助さんに、俺が半人半妖なのを黙ってるのが申し訳なくなるな」

「まあ……それはちょいと特殊な事ですからねぇ。

 何かしらの機会があったら、その時に話す事にすりゃあ良いんじゃないんですかぃ?」

「ん……それもそうだな。

 いつかしっかりと話せば良いだけだもんな」

「そうですよ。それに――」

 風之助はそこで言葉を切ると、俺の顔を見ながら言葉を続けた。

「人間だろうが半人半妖だろうが、龍己の旦那は龍己の旦那だと俺は思っておりやすよ?」

「風之助……」

 風之助のその言葉に、俺は少しだけ勇気付けられたような気がした。

「そう……だよな。 半人半妖だろうと何だろうと俺は俺だ。それさえ忘れなければ大丈夫だ」

「へへっ、その意気ですよ、龍己の旦那!」

「……ありがとな、風之助」

「別に構いやせんよ、龍己の旦那。

 俺は俺の思ったことを言っただけですから」

「それでもだよ。

 ……よっし、これからも半人半妖としてこの世界で頑張るぞ!」

「おー!」

 俺はこの1日を通じて少しだけ成長出来た気がした。元人間としても、現半人半妖としても。

 そしてそんな俺達を鼓舞するように、強い風が俺達の後ろから吹きわたった。

 

 

 

 

 龍己達が不忍へ向けて帰っていた頃、『七之屋』の近所にある川に掛かる橋に、二つの影が現れた。

 そして、ドボンッという音を立てて、その川の中へ何かが投げ込まれた。

 橋の上にいる人の形をした何者かは、荒く息をしながら川の中を見つめていたが、程なくしてとても嬉しそうな声を上げた。

『ハァッ、ハァッ……ははっ、これで良い……! これで計画は完璧だ……!』

 そう独り言ちると、その人の形をした何者かは満足そうにその場を立ち去った。

 そしてその人物が立ち去った後、先程投げ込まれた物がゆっくりと浮かんできた。

「ん? あれはいったい……?」

 そこに深水に住む妖の一体が偶然通りがかり、その浮かんできた物の正体を見ようと橋から除き込んだ。

 そしてその妖はその何かの正体に気付くと――

「うっ……うわあぁーー!!!」

 深水の街中に響き渡る程の大きさで叫び声を上げた。

 




政実「第3話、いかがでしたでしょうか」
龍己「あのさぁ、これってまた俺が何かに巻き込まれる感じだよな?」
政実「申し訳無いけど、その通り」
龍己「今度は命の危険が無いようにしてくれよ?」
政実「うん、大丈夫だよ。
……きっと」
龍己「はぁ……まあそれなりに頑張るとするか。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「うん、それじゃあそろそろ締めよっか」
龍己「そうだな」
政実・龍己「それではまた次回」


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第4話 疑われし蛇と謎を追い始める狐と鼬

政実「どうも、会いたい妖はすねこすり、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。
それにしてもすねこすりか……歩くのを邪魔されるのに良いのか?」
政実「うん。害があるとしてもそのくらいだしね。それにすねこすりって犬のような姿をしてるらしいから、夜道で会っても安心だしね」
龍己「まあ、そうかもな。
さて……それじゃあそろそろ始めるか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第4話をどうぞ」


「……ん、朝か……」

深水の街へ行った翌日、住んでいる離れの布団から起き上がり、すっかり明るくなった外の様子を見て俺は呟くように言った。

そして、まだ眠気の残った頭でそのまま今日の予定について考え始めた。

「んー……今日はどうしようかな……いつも通り不忍の街を巡るべきか、それか昨日みたいに深水の街にでも行ってみるべきか……」

あれこれと考えていた時、明け六つを告げる大きな鐘の音が街中に鳴り響いた。

そして、それと同時に不忍に住む妖達の声が辺りから聞こえ始めた。

「明け六つか……それならまずは風之助のとこに読売を買いに行くかな。そして朝食を取ってから今日の予定について決めていくことにしよう」

俺は布団から起き上がり、布団を綺麗に畳んで押し入れにしまった後、布団の脇に畳んであるいつもの青い着流しに着替えた。

そして、縁側に置いてある草履に足を通し、体に力を加えて自分の姿が半人半妖としての姿に変わったのを確認してから、店の外へと向かった。

 

 

 

 

通りへ出てみると、そこにはいつものように店の準備や朝食の準備に勤しむ不忍の妖達の姿があった。

ここに来た最初の朝こそこの光景には驚いたけど、二週間も経った今となっては、すっかり見慣れた光景になったな……

街の様子を見ながら、そんな事をしみじみと考えていた。

すると、

「おはようさんです! 龍己の旦那!」

後ろから元気の良い声が聞こえたため振り向いてみると、そこには瓦版屋コンビの鎌鼬の風之助とその相方の妖狐の草吉さんが立っていた。

「おはよう、風之助、草吉さん」

「へへっ、おはようさんです、龍己の旦那!」

「……おはよう、龍己」

俺の挨拶に風之助はさっき同様元気の良い声で、そして草吉さんは小さくともハッキリとした声で挨拶を返してくれた。

風之助達は読売、つまりは新聞を売っている瓦版屋なのだが、草吉さんには少々無口なところがあるため、風之助が主に客引きを担当し、草吉さんが販売を担当するという形を取っている。

それにしても、いつもならこの明け六つには商売を始めているはずなんだが……

「今日は商売を始めるのが遅いみたいだけど、何かあったのか?」

俺は風之助達のその様子に首を傾げた。

草吉さんはいつも首から掛けている板を脇に挟み、もう片方の手には読売を入れているであろう緑色の風呂敷包みを持っており、どう見てもまだ商売をしているような様子では無かった。

ここに来てからまだ二週間くらいではあるけど、こんなパターンは初めてだな……

すると、

「あー……それなんですがねぇ……」

風之助は少しだけ困ったような顔で言いながら周りをキョロキョロと見回した。そして誰もまだ自分達に気付いていないことを確認すると、とても小さな声で俺に耳打ちをしてきた。

「実は……今朝の読売は龍己の旦那に先に読んでもらいたい内容でして……それで龍己の旦那が出て来るのを待ってたんで……」

「俺に先に読んでもらいたい内容……?」

「ええ……それで、その読売というのがこれでしてね……」

風之助が小さな声で言うと、草吉さんが瓦版を一部手に取り、そのまま俺へと手渡してくれた。

俺に先に読んでもらいたい内容……一体何が書いてあるんだ……?

不思議に思いながら瓦版に目を通すと、そこにはとても信じられない内容が書いていた。

「……風之助、これって……」

「……ええ、偽りなんざ一つもねぇ、本当の事でさぁ……」

そこに書かれていたのは、昨夜深水の街で事件が起きたこと、そしてその容疑者として七之助さんの名前が上がっているという記事だった。

 

 

 

 

朝食を取った後、俺は風之助と一緒に離れで今朝の読売の内容について話をしていた。

「風之助、今朝の読売の内容は本当の事なんだよな?」

「ええ、もちろんで。

俺も最初その情報を手に入れたときゃ、本当に目玉が飛び出るかと思うくれぇびっくりしやしたよ……」

「そうだよな……まさかあの七之助さんが下手人として疑われてるなんてな……」

まだ七之助さんとは知り合ったばかりだけど、犯罪に手を染めるような人には一切見えなかったもんな……

まあ、そういう人に限って裏では……なんて事もなくはないけど……

「とりあえず、昨夜の深水の事件の事を纏めてみるか。俺達に謎が解けるとは思わないけど、もしかしたら何か分かるかもしれないからさ」

「合点承知でさぁ、龍己の旦那!」

俺は部屋に備えつけられている文机の上から何枚かの紙と愛用の硯と筆を取った。そして墨を丁寧に擦った後、昨夜の深水の事件の内容についてスラスラと纏めていった。

「まず、事件発生時刻は昨夜の宵五つ(午後八時)、場所は七之屋の近くの川だったよな?」

「へい、それで殺されてたのは七之助の旦那と同じ化け蛇の女で、名は菫と言いやす。この女、深水生まれの深水育ちってんで、つまりは生粋の深水っ子って事になりやす」

「なるほどな……」

「それと七之助の旦那とは幼子の頃からの知り合いだったみてぇで、他にももう一人仲の良かった男のダチがいるみてぇなんです」

「つまり、七之助さんと今回の被害者の菫さん、そしてその男は幼なじみだったわけか……」

幼なじみか……今となっては知る事は出来ないけど、俺にもいたりしたのかな……

俺は風之助の話す情報を次々と紙に書き出していった。すると、風之助がふとこんな事を言いだした。

「そういや龍己の旦那は、昨日家に帰った後は何をしてやした?」

「ん、昨日か?

あの後は……龍三郎さんやお嬢様と一緒に夕飯を食べたり、寝る前に少し本を読んだり、後は日記も付けてたな」

「へぇ-、龍己の旦那、日記も付けてるんですね」

「ああ、この世界に来た日からな。自分の昔の事はもう分からないけど、今からの自分の事くらいは何かに書いておきたかったからさ」

「なるほどねぇ……」

「でも、何でそんな事を?」

「あ、いや……昨日の夜、深水の事件の話を聞く前に、ちょいとこの辺に立ち寄ったら、龍己の旦那みてぇな雰囲気のお狐さんが歩いていたもんで、てっきり龍己の旦那が夜の散歩と洒落込んでるもんだと思ったんで」

「へぇ……そうだったのか」

まあ、不忍には俺や龍三郎さん達以外にも妖狐が住んでるから何とも言えないけどな

そんな事を考えつつ、俺は紙に書いた情報を見返した。

えっと……昨夜の宵五つに七之屋の近くの川で死体が上がって……

その時、俺はある違和感を覚えた。

川……容疑者の中にいるのは、七之助さん……

おかしい……これっておかしくないか?

「なぁ、風之助。たしか七之助さんって、昔の出来事のせいで川とかに近づけなくなったんだったよな?」

「そうですねぇ……たしか、昔に川で溺れかけた事が切っ掛けで、川みてぇな大きな水場には近づけなくなったって……」

その時、風之助が不思議そうな表情を浮かべた。

「妙だな……七之助の旦那は川とかにゃあ近付けねぇ、なのに仏さんが上がったのは七之屋の近くの川……

つまり……七之助の旦那には、この殺しは出来ねぇことになるんじゃあ……!」

風之助はとても嬉しそうな様子で言ったが、俺は静かにそれを訂正した。

「いや、まだ七之助さんを容疑者からは外せないよ」

「え……そりゃあいってぇどういう事で?」

「たしかに『七之助さん』は川には近付けない。けど、もし協力している奴がいたとしたら、七之助さんが殺して協力者が死体を川に捨てることでもこの事件は一応成立するからな」

「あ……そういやそうかぁ……」

ショボンと肩を落とす風之助に俺は静かに笑いながら声を掛けた。

「けれど、この情報はかなり重要だ。もし七之助さんに協力者がいるという証拠がなければ……」

「そうか……! そうなれば、七之助の旦那の疑いが晴れるって事ですね……!」

「そういう事だ。

……まあ、そういう情報くらいならすでに調べられてそうだけどな」

「たしかにそうかもしれやせんね。けど、この情報で七之助の旦那の事を助けられるってんなら、俺は旦那の事を助けたいと思ってやす」

「つまり……同心の人達とは別に、俺達でこの事件を追うって事か?」

「へい、その通りでさぁ!」

「なるほどな……」

たしかに俺も七之助さんを助けたい。けれど、同心の人達を差し置いて素人の俺達が勝手に捜査をしても良いもんかな……?

「風之助、たしかに俺も七之助さんを助けたいと思ってるよ。でも、素人の俺達が勝手に調べても良いのかな?」

「うーん……それはですねぇ……」

風之助は少し考えた後、何かを思い付いたように手をポンッと叩いた。

「そうだ……! 俺は読売屋、それなら読売の記事のために動いてるって事にすれば良いと思いやす!

それで旦那はそれの手伝いって事にして……」

「まあ……それなら自然だとは思うけど……」

俺は一応、ここの奉公人なんだけどな……。

俺が少し答えあぐねていると、廊下の方から誰かがこちらの方へ歩いてくる音がした。

誰だろう……お嬢様は今お出かけになってるし、羅紗さんと龍三郎さんは商売中のはずだし……。

俺は近付いてくる足音を聞きながら、足音の主についてあれこれ考えを巡らせた。そして足音がすぐ近くで聞こえたと思ったその時、襖の陰からこの狐雨福屋の主、龍三郎さんがゆっくりと現れ、ニコニコと笑いながら俺に声を掛けてきた。

「龍己君、ちょっと失礼しま……おや、風之助さんがいらっしゃってましたか」

「へい、こんにちはです、龍三郎の旦那」

「はい、こんにちは、風之助さん」

風之助に穏やかな様子で挨拶を返しながら部屋に入ってきた龍三郎さんに、俺は少し気になったことを訊いた。

「龍三郎さん、お店の方は大丈夫なんですか?」

「ええ。今の時間であれば、羅紗達に任せても大丈夫ですから」

「なるほど。ところで、俺に何か用事でもありましたか?」

「用事というほどの事ではありませんが、何冊か龍己君の本をお貸し願えないかなと思いまし……おや、これは……?」

俺の隣に座ると、龍三郎さんは俺達が纏めていた深水の事件についての資料をまじまじと見始めた。

「これは昨夜の深水の事件の情報です。七之屋の七之助さんが下手人として疑われてるので、謎が解けないまでも、何か手がかりでも無いかなと思って少し纏めていたんです」

「ほう……そうでしたか。それで何か進展はありましたか?」

「はい。

と言っても、七之助さんは昔の出来事が原因で、大きな水場には近付けないという情報から、もし七之助さんが下手人ならば、協力者がいなくてはならないというところまでは分かったくらいですけどね」

「なるほどなるほど。それでもやはり少しは進展があったわけですね」

「はい。それで風之助が七之助さんを助けるために、本職の読売屋の記事のために動いてるように見せ掛けて、俺と一緒にこの事件を解決したいと言ってて……」

「ほうほう。それで龍己君の役どころは?」

「風之助の手伝いをしているただの妖狐、といったところです」

「なるほどなるほど」

龍三郎さんは少し楽しげに言った後、微笑みを浮かべながら俺に話し掛けてきた。

「それで、龍己君はどうしたいのですか?」

「俺は……」

俺は自分の中にある迷いを龍三郎さんに包み隠さず話すことにした。

「俺自身、七之助さんの事を助けたいと思っています。けれど、俺達がやろうとしている事は、同心の人達の真似事みたいなものです。それに俺は世間にはここの奉公人として通しているのに、そういう事に関わる事で、狐雨福屋がお上に睨まれたりしないかが少し心配なんです」

「なるほど、そういう事ですか……」

龍三郎さんは少し考えた後、いつものように穏やかな笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「龍己君、まずお店の方は心配いりませんよ。お上にも昔から親交のある方がいらっしゃいますから、その方々なら分かって下さると思います。それに……」

龍三郎さんは楽しげに笑いながら言葉を続けた。

「狐雨福屋の歴代の主達もそういった事件には少しだけ首を突っ込んでいたと聞いてますから。もちろん、私の父も不忍や他の街で何かしらの事件が起きる度に、その事件についての自分の考えを店の者やお客様に話すような人でしたしね」

「そう……なんですか?」

「ええ。普段は真面目そうなのですが、本当は結構喧嘩見物とかも好きな人だったもので、その度に私の手を引いて見に行ってたような人でしたよ」

「へぇ……って事は、龍三郎の旦那もそういう事が好きだったりするんですかい?」

「いえいえ。私は今と変わらず、喧嘩見物よりも本を読む方が好きな方でしたので」

風之助に返事をした後、龍三郎さんは再び俺に話し掛けてきた。

「なので、お店の評判などについては心配要りませんよ。たとえ知られたとしても、それをその方々との話題に使ってしまえば良いのですしね」

「龍三郎さん……」

「それに、私としては龍己君がやりたい事をやって欲しいですから」

「俺がやりたい事を……」

「はい。たしかに世間的に見るならば、龍己君はこの狐雨福屋の奉公人です。ですが私としては、龍己君にはこの不忍の一町人、そしてこの世界の一住人として様々な人達と出会い、様々な事を知っていって欲しいのです。それに、それは自身が奉公人だから、なんていう事に囚われていたら出来ないことですしね」

龍三郎さんはいつものようにぽかぽかとした太陽のように穏やかな笑みを浮かべた。

俺がやりたい事を……俺のやりたい事、それは……!

俺は心の中で自分がやりたい事を再確認した後、龍三郎さんに言葉を返した。

「そう……ですね。俺はこの狐雨福屋の奉公人であると同時に、この不忍の一町人でありこの世界の一住人、そして七之助さんの一友人です。だから俺は、友人として七之助さんの事を助けたい。そしてもし七之助さんが下手人だった時は、友人として罪を償ってくれるように話をしたい」

そうだ……最初から分かってたことだ。

俺がやりたい事、それは……友人である七之助さんの事を助けたい。そしてたとえどんな結末になろうとも、この事件の真相が知りたい。

俺がやりたい事を頭の中で反芻させていると、龍三郎さんは優しい笑みを浮かべながら俺に話し掛けてきた。

「ふふ……ようやくいつもの龍己君に戻りましたね」

「はい、おかげさまで。龍三郎さん、ありがとうございます」

「いえいえ。私は私の思ったことを述べただけですから。

さて……そろそろ店の方に戻りましょうか。そうしないと、流石に羅紗から苦言を呈されてしまいそうですから」

「分かりました。それでは、俺も早速出掛けてきますね」

「はい、分かりました。気をつけて行ってきて下さいね、龍己君、風之助さん」

「はい」

「へい!」

そして龍三郎さんは俺達の返事に頷くと、静かに離れを後にした。

さて……そうと決まれば、早速準備を始めるか

俺は少し前に買っていた巾着を取るために文机へと近付いた。

すると、人間だった時に来ていたらしい制服のポケットの中に何か光る物が見えた。

ん……何だろう?

俺はそれが気になり、ポケットの中に手を入れ、中にある硬いものを取りだしてみた。するとそれは、上の方に長い麻紐を通した綺麗な青色をした小さな水晶の勾玉だった。

これは……勾玉か。でも何でこんなものが……?

俺が不思議に思っていると、いつの間にか肩に乗っていた風之助が珍しそうに勾玉を見始めた。

「へぇ-、こいつぁ勾玉ですかい? それも大層な妖力を備えた一品みてぇだ」

「妖力か……言われてみれば、たしかに何か強い力を感じるような……」

「それにかなり大切にされてたのか、曇りが一つもねぇくれぇにピカピカに磨かれてやすね……」

「本当だ……

人間だった時の俺にとって、この勾玉は本当に大事な物だったみたいだな……」

勾玉は俺の言葉に返事をするように陽の光を反射してキラリと光った。

水晶……たしか四月の誕生石で幸運を引き寄せる効果とかがある上に、青色は鎮静の効果があるんだっけな。

青か……そういえば俺の名前、龍己の由来にしたのも、映しの泉に映った青龍だったな……

そして四月といえば、青龍が司る季節である春……。

どうやら俺はそういうのによっぽど『縁』があるみたいだな

俺はその数々の偶然にクスッと笑った後、勾玉を首に掛けた。

こうすれば、この勾玉がお守りみたいになってくれそうだしな。

そして文机の上の巾着に財布とメモをするための紙や愛用の筆などを入れ、それを懐へとしまった。

「よし……それじゃあ行こうぜ、風之助」

「へい!」

風之助の返事を聞いた後、俺達は七之助さんのため、そして事件の真相を知るために、狐雨福屋を後にした。




政実「第4話、いかがでしたでしょうか」
龍己「少しずつだけど、俺の過去にも迫っていく感じみたいだな」
政実「うん。と言っても、ほんの少しずつだけどね」
龍己「了解。
さてと……次回の更新予定は?」
政実「未定だけど、早めに出来るようにするつもり」
龍己「わかった。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしております」
政実「それじゃあそろそろ締めようか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第5話 謎を追う狐と第二の惨劇

政実「どうも、好きな本の種類は推理小説、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。まあ、推理小説が好きだから、この作品にもそういう要素を取り入れたわけだしな」
政実「うん。ただ……本当に難解な謎とかはまだまだ作れそうに無いけどね」
龍己「まあな。ただそれに関しては、書いてく内にどうにかしていくしか無いだろうけどな」
政実「そうだね。極力、近い内にはそう出来るように頑張っていくつもりだよ」
龍己「ん、了解。さてと、それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第5話をどうぞ」


狐雨福屋を出た後、俺達は不忍の菓子司で手土産を購入し、そのまま深水へ向けて出発した。そしてその道中の事、肩に乗っている風之助が俺の顔を見ながら明るい調子で話し掛けてきた。

「それにしても、龍三郎の旦那が俺らの考えに賛成してくれたのは驚きやしたねぇ」

「そうだな。それに歴代の狐雨福屋の主がこういった事に自分から関わっていたり、お上の方に親密な関係の人がいたりするのも驚いたな」

「確かにそうですねぇ……。ただ、狐雨福屋は不忍の街が出来た辺りからあるってぇ話は聞いたことはありやすから、もしかしたらその辺りの関係かもしれやせんねぇ」

「そうかもな」

そんな会話を交わしたり、道行く他の妖達と会釈を交わしたりしながら、俺達は深水に向けて歩き続けた。

 

 

 

 

そして、出発してから小半時が過ぎた頃、俺達は深水の街へと辿り着いた。

「よし……到着だな」

「へい。にしても……やっぱりこっちに来るのにはちっと時間が掛かりやすねぇ」

「たしかにそうだな」

掛かったのはたった小半時とはいえ、それだけの時間を歩き続けてきた事で、足に少々怠さを覚えていた。

この様子を見るに、人間だった時の俺はあまり体力が無かったみたいだな。

……うん、これもせっかくの機会だし、少しでも体力を付けるために何かした方が良いかもしれないな。

そんな事を考えた後、俺は肩に乗っている風之助に声を掛けた。

「さて、それじゃあそろそろ行くか」

「へい! 龍己の旦那!」

そして俺達は深水の街の中へと入っていくと、深水の街中を歩いている町人の数が昨日よりも少し多いような気がした。

「……昨日の事件のせいか、歩いている町人の数が多いみたいだな」

「……へい。何せ、ここ最近の深水は小競り合いすら滅多に起きねぇ程平和な街でしたからねぇ……。おおよそ、七之助の旦那や他の下手人候補達を一目見ようと近くの街の連中も来てるんだと思いやすよ?」

「他の下手人候補……。あ……そういえば、他の下手人候補についてまだ聞いてなかったな」

「おっと、そういやそうでしたねぇ……。

そんじゃあ、七之屋に向かいながら他の下手人候補について話をさせて頂きやすね」

「ああ、頼む」

風之助は俺の言葉にコクンと頷いた後、他の下手人候補達についての説明を始めた。

「まず、七之助の旦那と今回殺された菫の幼なじみである、巳介(みすけ)です。コイツは、この深水にある小間物問屋『蛇ノ目屋(じゃのめや)』の若旦那でして、昨夜七之屋の近くの飲み屋で酒を飲んでたようで、その後に酔っ払って歩いている所を近隣の町人に目撃されてやす」

「……なるほどな」

「……ただですねぇ、この巳助って奴ぁ七之助の旦那の商売敵ではありやすけど、七之助の旦那と特に仲が悪いってぇことも無いみてぇで、時々七之屋を訪れては七之助の旦那に新しい小間物の案なんかを相談してるってぇ話でさぁ。そして殺された菫とも何の(いさか)いも無いらしいんですよねぇ……」

「つまり……今回の殺しに巳助さんが関わってる可能性は低いって事か?」

「んー……まあ、俺が聞いた限りではそう考えてる奴ぁ多いみたいなんですよねぇ。ただ……」

「ただ……?」

俺が首を傾げながら訊くと、風之助は少し声を低くしながら言葉を続けた。

「……この殺し、巳助が関わってる可能性が高ぇって、俺の瓦版屋としての勘が叫んでる気がするんでさぁ」

「……なるほど、瓦版屋としての勘か……」

「ええ。ただ、まったく根拠とかはねぇんですがね」

「そっか。まあでも……勘っていうのは、中々馬鹿には出来ない時もあるし、巳助さんが関わってる可能性っていうのも考えておいた方が良いだろうな」

……もしかしたら、誰も気付いていない動機みたいなのもあるかもしれないし、とりあえずあり得る可能性は全部追っておいた方が良いな。

風之助の話からそう考えた後、俺は次の下手人候補者を訊くべく、風之助に話し掛けた。

「それで、次の下手人候補者はどんな奴なんだ?」

「へい、それがですね……次に話す奴がこの殺しの下手人の最有力候補なんて言われてる奴なんです」

「下手人の最有力候補か……」

「へい、その通りで。それでソイツの名前が川吉(かわきち)、この深水に住む河童の野郎なんですが、こいつが中々の悪者でしてねぇ……。何度もお縄について奉行のお裁きを受けているにも関わらず、少し日を置いたらまた悪行を働くなんていうとんでもねぇ輩なんでさぁ……」

「なるほどな……」

「あ、それと……昨夜も七之屋近くを川吉がうろうろしてるところを見られてやして、その町人が言うには、

『何かを探してるようだった』

らしいんで」

「何かを探してるようだった……?」

「ええ。因みに七之助の旦那や菫とは何の関係もありやせんけど、腕っ節が強いのが自慢らしくて、日頃っからその辺の町人に喧嘩をふっかけたり、道行く女で自分の好みの女がいた時にゃあ連れがいても無理やり引っ張ってこうとしたりと、深水では札付きの悪として町人達から煙たがられてるような野郎なんでさぁ」

「ふむ……それだけ聞くと、確かにその川吉が最有力候補みたいだよな」

「その通りで。性格も粗暴な上、日頃の行いも(すこぶ)る悪い。おまけに他の街にいるゴロつきとも一緒にいる時があるとくれば、疑われてもおかしくない奴と言えやすねぇ」

「まあな……」

風之助の言葉に返事をしながら俺はその川吉という容疑者の事について考えを巡らせた。

ふむ……話だけ聞くと、川吉が下手人でも何らおかしくない。おかしくはないんだけど、どうにも引っかかるんだよな……。いかにも怪しい奴が下手人かもしれないっていうこの状況が……。それならむしろ――

「一番怪しくない奴が一番怪しい、か……」

ふとそんな事を呟いていると、風之助がキョトンとした様子で話し掛けてきた。

「龍己の旦那、何か言いやしたかぃ?」

「あ、いや……川吉が下手人である可能性は高いけど、川吉が下手人であるという状況がどうにも引っかかるなと思ってな」

「引っかかる……と言いやすと?」

「下手人候補の中で一番怪しい奴が下手人なのは別におかしいことじゃない。ただ、ここまで怪しい要素が揃った奴が下手人って言われると、何だか逆に違う気がしてくるんだよな」

「つまり……龍己の旦那の考えとしては、川吉が下手人では無いかもしれないという事ですかぃ?」

「いや、たぶん川吉はこの件に関わってはいる。ただ、その裏に真の下手人がいる気がする。それだけだよ」

「真の下手人……なるほど、もしソイツがいるなら、ソイツが川吉に殺しかその手伝いを頼んでいた可能性があるって事ですね?」

「ああ。ただ、その考えが正しいとすると、七之助さんが真の下手人である可能性だって浮上してくる。こう言いたくはないけど、誰が何を考えてるかなんて当人にしか分からないからな」

「う……たしかにそうですね。けど、俺自身は七之助の旦那が下手人じゃねぇと思ってやすし、思いてぇですけどね……」

「俺だってそうだよ、風之助。だけど、この人は違うって思い過ぎると、真実を見ようとする気持ちを曇らせてしまう。だから、七之助さんには悪いけど、心のどこかには七之助さんが下手人である可能性も置いておく必要はあるんだよ」

だからこそ、七之助さんに会ってしっかりと話を聞いて、その話も参考にしながらこの件について考えないとな……。

そう強く思いながら歩いていたその時、少し先の方にある民家の中から誰かが出て来るのが見えた。そして、歩きながらその様子を観察していると、出て来たのは縞模様の着流しの上に黒い上等そうな羽織を着た妖と揃いの青い着流しを着た妖達であるのが分かった。

あの羽織は……たしか紋付羽織(もんつきはおり)だっけ?それにあの羽織り方は……。

紋付羽織の妖に注目しながら静かに様子を観察し続けていると、紋付羽織の妖は後に続いて出て来た家主らしき妖に深々と一礼をし、着流しの妖達と頷きあった後、俺達がいる方へと静かに歩いてきた。そして俺達の横を通り過ぎる際、紋付羽織の妖はチラリと俺達の事を見たものの、何か話し掛けてくる事はなく、そのまま通り過ぎていった。

……ふぅ、別に何かしたわけじゃないけど、こういう職業の人が通り過ぎるっていうのを意識するだけでもかなり緊張するな……。

そんな事を考えながらその妖達の事をジッと見ていると、同じように妖達の事を見ていた風之助が興味深そうな様子で声を上げた。

「ほう……ありゃあ、この深水の街の同心の流兵衛親分じゃねぇか。あのお人がこの件に関わってるとなると、少々厄介かもしれねぇなぁ……」

「風之助、あの水虎(すいこ)を知ってるのか?」

「ええ。あの方は流兵衛親分、この深水の同心の一人でさぁ」

「同心……やっぱりか。でも、厄介かもしれないってどういう事なんだ?」

「それがですねぇ……流兵衛親分は深水の同心の中でも腕利きの同心でして、親分が関わった事件は全てが二日三日で片がつくなんて言われてるんで」

「……なるほどな。つまり、俺達で解決しようと思うなら、今日明日中じゃないといけないって事だな」

「まあ、噂通りにいけばそうなりやすねぇ。だから、ここはささっと七之屋に行って、七之助の旦那に話を聞いちまった方が良いかもしれやせんね」

「そうだな。……よし、それじゃあ急ごう、風之助」

「へい!」

風之助の返事を聞いた後、俺は七之屋へ向かう道を急ぎ始めた。

 

 

 

 

走る事数分、俺達は七之屋へと辿り着いた。そして、七之屋の様子を少し遠巻きに眺めると、件の事件の影響か七之屋を訪れている妖の数が昨日よりも明らかに増えていた。

「あー……やっぱりか……」

「あはは……これがただの商いのためとかなら良いんでしょうが、恐らくこの中の半数ほどは七之助の旦那から話を聞きてぇって奴らでしょうしねぇ……。七之屋からすりゃぁ、正直商売どころじゃねぇかもしれやせんねぇ」

「そうかもな……仕方ない、ここはひとまず出直して――」

そう言って俺達が七之屋から離れようとしたその時、近くから小さな声が聞こえた。

「あ、あの……!」

「……え?」

声を上げながらそちらに顔を向けると、そこには――

「たしか、蒔絵さん……でしたよね?」

「はい、その通りです……!」

七之屋の店員である化け蛇の蒔絵さんが真剣な表情を浮かべながら立っていた。すると、風之助が首を小さく傾げながら蒔絵さんに話し掛けた。

「蒔絵さん、俺らに何か用ですかぃ?」

「は、はい……! 鈴蘭さんと風之助さんは、旦那様にお会いになりたいんですよね?」

「はい、今回の事件の件で少しお話を聞きたかったので。あ、もちろん七之助さんが下手人だとは思ってませんし、友人として七之助さんの事が心配でしたので、話を聞くのはそれのついでです」

「……分かりました。それでは、私に着いてきて頂けますか?」

「それは構いやせんけど……どこへ行こうってんですかぃ?」

「裏口です。今、正面にはお客様と他の奉公人の皆さんがいらっしゃいますが、裏口ならば何か用事が無い限り、基本的に誰も来ませんから、旦那様のお部屋にそのまま行く事が出来ます。もちろん、お二人がよろしければですが……」

その蒔絵さんの言葉に俺と風之助は一度顔を見合わせた後、同時にコクンと頷いてから返事をした。

「はい、お願いします、蒔絵さん」

「畏まりました。それでは、こちらにどうぞ」

そして、俺達は蒔絵さんの案内に従って裏口から七之屋の中へと入り、中を行き来する奉公人の人達に会釈をしながら七之助さんの部屋へ向かって歩いた。

ん、そういえば……。

「蒔絵さん、一つ訊いても良いですか?」

「……はい、何でしょうか?」

「こう訊くのもアレですが、七之屋の奉公人の皆さんは、今回の事件をどのように思っているのですか?」

すると、蒔絵さんは少し言いにくそうな様子で静かに口を開いた。

「……瓦版屋さんである風之助さんを前に言うのもアレですが、奉公人の皆さんは今朝の瓦版の内容に憤りを覚えています」

「まあ……そうでしょうねぇ。深水で人気のある小間物問屋である七之屋の店主が事件に関わってるかもしれねぇとあれば、町人達はそれが真実かどうかこぞって知りたがりやす。だから、瓦版屋からすれば今回の件は瓦版を多く売る良い機会って事になりやすからね」

「……その通りです。なので、今朝から小間物をお求めにいらっしゃったお客様の他に深水の瓦版屋さんや同心の方々、そして今回の事件の事を知るために七之屋を訪れた野次馬など、様々な方がこの七之屋にいらっしゃっています。そのため、本来の商いにも支障が出ている他、番頭さんや手代さんも今朝からずっと厳しい表情を浮かべていて、いつもであれば捨て置くような些末事にも声を荒げている状況なのです……」

そう言い終えると、蒔絵さんはとても哀しそうな表情を浮かべながら静かに俯いた。そしてその目は悲しみの涙で潤んでおり、蒔絵さんが今の七之屋の状況にとても心を痛めている事がはっきりと分かった。

……この蒔絵さんの様子とさっきの話から察するに、蒔絵さんを始めとした七之屋の奉公人達は七之助さんの事を下手人だとは思っていない。これはやっぱり、七之助さんが日頃から奉公人の人達としっかり心を通じ合わせている証であり、七之助さんが日頃から嘘とか誤魔化しをしない正直な生き方をしているからなんだろうな……。

蒔絵さんの姿を見ながらそんな事を考えていたその時、蒔絵さんが七之助さんの部屋の前でピタリと足を止め、ゆっくりと俺達の方へ体を向けた。

「鈴蘭さん、風之助さん。少々お待ち下さいね」

ニコリと笑いながらそう言うと、蒔絵さんは部屋の襖の方へと体を向け、襖を二回ほど軽くノックした。

「旦那様、お客様をお連れしました」

「ありがとうございます、蒔絵さん。どうぞ入ってもらって下さい」

「畏まりました」

中から聞こえてきた七之助さんの声に答えた後、蒔絵さんは襖をゆっくりと開けた。そして、スッと横へと動き、俺達が通るための道を作ってくれた。

「鈴蘭さん、風之助さん。どうぞお通りください」

「ありがとうございます、蒔絵さん」

「蒔絵さん、ありがとうごぜぇやす」

蒔絵さんにお礼を言いながら会釈をした後、俺達は部屋の中へと入った。するとそこには、昨日と変わらない優しい笑みを浮かべながら座布団に座っている七之助さんの姿があった。七之助さんへ向かってゆっくりと近付きながら顔色や様子を窺ったが、どこにも変わった様子は見受けられなかった上、笑顔もとても穏やかな物だったため、俺はホッと胸をなで下ろした。

……良かった。七之助さんの元気が無かったらどうしようと思ってたけど、とりあえず一安心だな。

そう思いながら手土産を座布団の横へ置いた後、俺は風之助を肩に乗せたまま座布団に座り、ニコリと笑いながら七之助さんに話し掛けた。

「こんにちは、七之助さん。今朝の瓦版の件もあったので、心配になって本日も風之助さんと一緒に来てみたのですが、どうやら杞憂だったみたいですね」

「ふふ、お二人ともありがとうございます。これも全て蒔絵さんを始めとした奉公人の皆さんのおかげです」

「へへっ、違ぇねぇや。さっき店先で見やしたけど、他の奉公人達がお客の相手をする傍ら、野次馬達の相手もしてやしたからねぇ」

「はい。なので、お二人に来て頂けたのは本当に嬉しいです。こう言ってしまっては奉公人の皆さんに怒られてしまいますが、どなたかと例の事件の事についてお話をしたいと思っていたところでしたから」

七之助さんがクスリと笑いながら言うと、風之助はふぅと息をついてからそれに答えた。

「……まあ、その通りだと思いやすよ? 奉公人達からすれば、自分達の旦那様の幼なじみが亡くなった上、その幼なじみを殺した下手人の候補として名前が上がってるから、どうにか世間の目から隠してやりたいと思ってるのに、それについて話したいなんて言われちまったら、自分達がいくら頑張っても意味がねぇ事になっちまいやすからねぇ」

「ふふっ、そうですね。なので、この事は蒔絵さん以外の奉公人の皆さんには内緒という事でお願いしますね?」

「はい、もちろんです」

「俺も了解しやした」

七之助さんの言葉に頷きながら答えた後、俺は小さく息をついてから傍らに置いていた手土産を手に持ち、それを七之助さんの目の前へと静かに置いた。

「七之助さん、どうぞお納め下さい。不忍にある菓子司のお菓子ですが、よろしければ皆さんで召し上がって下さい」

「ふふ、ありがとうございます、鈴蘭さん」

七之助さんは穏やかな笑みを浮かべながら手土産――菓子折を受け取ると、襖の向こうへと静かに声を掛けた。

「蒔絵さん、まだそこにいらっしゃいますか?」

「はい、旦那様」

そう言ってから蒔絵さんが襖を開けると、七之助さんはニコリと笑いながら再び蒔絵さんに話し掛けた。

「蒔絵さん。本日も鈴蘭さんからお菓子を頂いたので、こちらを日の当たらない涼しい所へ置いておいてもらえますか?」

「はい、旦那様」

「そして、その後にお茶の用意の方もお願いしますね?」

「畏まりました」

蒔絵さんは丁寧に一礼をしながら答えると、ゆっくりと部屋の中へと入り、七之助さんのところまで来ると、静かに菓子折を持ち上げた。そして、恭しく一礼をすると、そのまま部屋の外へと歩いていき、部屋を出てからもう一度一礼をした後に静かに襖を閉めた。

さて……そろそろ話を始めるか。

そう思った後、深く息をついてから俺は七之助さんに話し掛けた。

「七之助さん、昨夜は何をしていましたか?」

「昨夜ですか……鈴蘭さん達がお帰りになった後は、奉公人の皆さんにお店の事をお任せして少しだけ外に出ていましたよ」

「そうなんですね。因みにどちらへ行かれたんですか?」

すると、七之助さんはニコリと笑いながらそれに答えた。

「今回の事件で亡くなった私の幼なじみ、菫の家です」

「……え?」

「……はい?」

そのまさかの答えに俺達が呆然としていると、七之助さんはクスクスと笑いながら話し掛けてきた。

「やはり驚きますよね。菫殺しで疑われている私が、その前日に菫の家に行っていたわけですから」

「ま、まあ……そうですね。えっと……因みに菫さんのお家を訪ねたのは何故ですか?」

「それなのですが……昨日お二人とお話をしていた時、鈴蘭さんと出会った日に菫に傘を届けに行った事は話しましたよね?」

「あ、はい」

「そういや、たしかに言ってやしたねぇ……。それで、傘を届けに行ったは良いが、それを断られちまった。そして、その帰りに偶然雨宿りをしていた鈴蘭の旦那と出会ったんでしたよね?」

「ええ、そうです。それで、届けに行った理由なのですが……」

「はい」

「一昨日、雨が降り出した頃に番頭である化け蛇の翡翠(ひすい)さんから休憩がてら雨の中の散歩でもしてきたらどうか、と言ってもらえたので、その言葉に甘える事にして私は傘を差して雨の中へと出て行きました。そして、散歩を始めようとしたその時、ちょうど雨の様子を見ていた菫の御両親を見かけたので、ご挨拶をしようと思って話し掛けに行ったのです」

「あ、という事は……七之屋の近くに菫のさんの家があるわけですね」

「はい、その通りです。因みにもう一人の幼なじみの巳介の家や巳介がお父さんから継いだ蛇の目屋も近くにあるので、昔から集まる時にはこの七之屋か蛇の目屋にまずは集まるようにしていました」

七之助さんはとても懐かしそうな様子でクスリと笑った後、再び口を開いた。

「そして、御両親に挨拶をするために話し掛けると、お父さんの方が心配そうな顔で挨拶を返してくれました。私はその心配そうな顔が気になったので、どうかしたのかと訊いてみると、どうやら菫が誰かに会いに出かけたは良いが、雨が降ってきたので少々心配になってきた、とのことでした」

「……いくら水に関する妖の化け蛇とはいえ、雨の中を傘も差さずに歩いてたら流石に風邪を引いてしまいますからね」

「ええ。私も話を聞いてそう思ったので、菫に傘を持っていく事にしたのです。そして、御両親から菫が行ったと思われる場所を聞き、そこへと行ったのですが、雨の中で出会った菫は何故か傘を差していたのです」

「傘を持たずに出掛けたはずなのに、七之助の旦那が見つけた時には傘を差していた、か……」

「はい。私もその点が少し気になったので、それについて訊いてみようと思い、菫に近付きました。すると、菫は私の顔を見るやいなやムッとした表情を浮かべると、

『……お店の奉公人達に私の悪口を言ってるって本当?』

と、言ってきたのです」

「お店の奉公人達に悪口を……七之助さんは当然そんな事は言ってませんよね?」

「ええ、もちろんです。最近はおかげさまでお客様も大勢いらっしゃっていますので、たまに小間物の話をしに来る巳介は別として、菫とは会う機会があまりありませんが、菫は大切な幼なじみだと今でも思っていますから」

「そうですよね……でも、だとしたらどうして菫さんはそんな事を……?」

「それについて訊いてみたのですが、どうにも最近仲良くなった妖からそういう噂を聞いたらしく、傘もその人が貸してくれたとのことでした」

「仲良くなった妖……因みにその妖の種族は分かりますか?」

「えっと……たしか――」

俺の質問に七之助さんが答えてくれようとしたその時、部屋の襖が開く音が聞こえた。そして、そちらの方に顔を向けると、そこにはほかほかと湯気を立てる湯飲み茶碗が三つ載ったお盆を傍らに置いた蒔絵さんが座っていた。蒔絵さんは俺達の視線に気付くと、座ったまま深々と一礼をしてから、少し不安そうな表情を浮かべながら口を開いた。

「……旦那様、お客様がいらっしゃってますが、お通ししてもよろしいですか?」

「お客様……ですか?」

「はい。蛇の目屋の店主、巳介様です」

それを聞くと、七之助さんは安心した様子で頷きながら返事をした。

「ああ、お客様というのは巳介でしたか」

「はい、何でも旦那様とお話がしたいとの事なのですが、いかがなさいますか?」

「そうですね……」

七之助さんは顎に手を当てながら少し俯いた後、俺達の方へと顔を向けた。

「鈴蘭さん、風之助さん。巳介もこの話に参加させてもよろしいですか?」

「あ、はい。もちろん大丈夫です」

「俺達としては、色々と話を聞けた方が正直助かりやすからねぇ。それに情報は多い方が考えの広がりも大きくなりやすしね」

「分かりました。それではそのままこちらへお通しして下さい、蒔絵さん」

「は、はい……畏まりました」

蒔絵さんは、不安そうな表情を崩さずに答えると、部屋の中に入り緑茶が入った茶碗を俺達の目の前に静かに置いたり巳介さんが座る座布団の準備をしたりと、傍目から見れば落ち着いた様子で行動をしていた。しかし、ふと目に入った蒔絵さんの目には、微かに涙が浮かんでおり、何かに怯えているような雰囲気を醸し出していた。

……蒔絵さん、もしかして何かあったのか?

そんな疑問を頭に浮かべている内に蒔絵さんは作業を終えると、チラリと不安そうな視線を七之助さんへ向けてから静かに部屋の外へと出て行った。そして、襖がパタンと閉まると、風之助が腕を組みながらうーんと唸りながら口を開いた。

「……蒔絵さん、何やら不安そうな表情を浮かべていやしたねぇ……」

「……そう、ですね……」

「それに部屋を出る前に七之助さんの方をチラリと見ていたのも気になりますね……」

「……ええ」

先程の蒔絵さんの様子について俺達が考えを巡らせていた時、

「……あの様子、まさかあの事が関わっているのか……?」

七之助さんの口からポロリとそんな言葉が漏れた。

あの事……?

「七之助さん、あの事というのは?」

「……あ、口に出していましたか……」

七之助さんは少しだけ話しづらそうな様子を見せた後、ふぅと息をついてから言葉を続けた。

「実は、蒔絵さんにはちょっとした力がありますから、もしかしたらその事に関係しているのかなと思ったのです」

「ちょっとした力……ですかぃ?」

「ええ。ですが――」

七之助さんはとても哀しそうな表情を浮かべると、俺と風之助の目をしっかりと見つめながら言葉を続けた。

「この事は、蒔絵さん自身が話そうとするまで訊かないで下さい。お願いします、鈴蘭さん、風之助さん」

「七之助さん……」

「七之助の旦那……」

その七之助さんの表情からは、いつものような波紋一つない湖面を思わせる穏やかな雰囲気とは違った鋭い雰囲気――刀身に曇り一つ無い鋭い切れ味の日本刀を思わせるような雰囲気を感じた。

……それだけ、蒔絵さんの力について触れられたくないって事、か……。まあ、訊くつもりはそもそも無かったけど、ここは七之助さんの気持ちを汲む事にするか。

そう思った後、俺は風之助の方へと顔を向けた。すると、風之助も俺の事をジッと見ていたため、俺達は静かに頷いてから再び七之助さんの方へと顔を向けてから、微笑みながら話し掛けた。

「……安心して下さい、七之助さん。私達にはその事について触れる気は一切ありませんから」

「鈴蘭の旦那の言う通りでさぁ、七之助の旦那。気にならねぇと言えば嘘になっちまうが、人が嫌がる事を無理やり訊くなんてのは、瓦版屋として失格だ。だからこの事については、蒔絵さんが話してくれる日が来るまで忘れる事にしやすよ」

「鈴蘭さん……風之助さん……」

七之助さんは、少し驚いた様子で俺達の顔を見回した後、安心したように息をついてから静かに口を開いた。

「本当にありがとうございます」

「いえいえ、礼には及びませんよ、七之助さん。私達は私達が正しいと思った事をしたまでですし、風之助さんの言う通り、人が嫌がる事を無理やり訊くのは瓦版屋としてだけではなく、友人としても失格ですからね」

「へへっ、違ぇねぇや。俺達は、七之助の旦那とはもちろん、蒔絵さんやこの七之屋の奉公人達ともこれからも仲良くやっていきてぇと思ってやすからねぇ」

「ええ。それに、七之助さんと蒔絵さんとは知り合ってからまだ日は浅いですし、奉公人の皆さんとはゆっくりと話をした事すらありません。ですが、皆さんの目や雰囲気、そして働いてる時の様子から、皆さんがこの七之屋で働く事について何も不満を持っていない上、お互いがお互いの事を思いやれているという事がハッキリと分かりますからね」

「全くもってその通りで。まあ、それも全部七之助の旦那の人徳……いや、妖徳(ようとく)ってぇやつなのかもしれやせんね」

「ふふ、そうですね」

風之助の言葉に小さく笑いながら答えた後、俺は話がだいぶ脱線している事に気付き、申し訳なさを覚えながら七之助さんに話し掛けた。

「す、すいません……話をだいぶ脱線させてしまって……」

「ふふっ、構いませんよ。お二人のお気持ちはとても嬉しかったですし、奉公人の皆さんの事を褒めて頂けたのは、店の主として誇らしい事ですからね」

「……そうかもしれませんね」

七之助さんの言葉を聞き、俺は静かに微笑みながら狐雨福屋の主である龍三郎の顔を頭の中に思い浮かべた。

……龍三郎さんは俺の事を客人として狐雨福屋に住まわせてくれてるし、今もこうしてこの世界の事を知るという名目で色々と出歩かせてくれている。けどそれは、あくまでもあの事情があるからであって、本当なら俺も狐雨福屋の小僧として働くべきなんだ。だから――

「……いつか絶対、龍三郎さんが俺の事を誇らしいと思えるようにならないといけないな……」

拳をギュッと握りながらそう強く決意を固めていると、襖をトントンと叩く音が聞こえてきた。そして、七之助さんは襖の方へ視線を向けると、襖の向こうにいるであろう蒔絵さんへと声を掛けた。

「はい、どうぞ」

「旦那様、巳介様をお連れしました」

「ありがとうございます、蒔絵さん。それでは入ってもらって下さい」

「畏まりました」

蒔絵さんの返事が聞こえた後、襖が静かにスーッと開いていった。そして、襖が開ききった後に蒔絵さんと一緒に一人の妖が部屋へと入ってくると、七之助さんの顔を見てニカッと笑った。

「今回はお互いに大変なことになってしまったな、七之助」

「……ああ、そうだな、巳介」

妖――巳介さんの言葉に七之助さんが小さく笑いながら答えていると、巳介さんはそれに頷いてから俺達の方へと顔を向け、怪しそうに俺達の事を見ながら話し掛けてきた。

「……他の客っていうのは、どうやらアンタらみたいだな。この辺じゃ見ない顔だが、アンタらは一体誰なんだ?」

「私の名前は鈴蘭、不忍にある狐雨福屋の奉公人です」

「そして、俺の名前は風之助。不忍で瓦版屋をやってる鎌鼬でさぁ」

俺達が自己紹介をすると、巳介さんは少しだけ警戒を解いた様子で声を上げた。

「へえ……あの狐雨福屋の奉公人に不忍の瓦版屋ねぇ。つまり、今回の件は不忍にも伝わるほど大きな話になってるって事か」

「まあ……深水って言いやぁ、川吉の件を除けば小さい事件すら中々起きねぇ事で有名な街ですからねぇ。そんなとこで殺しなんて起きちまったら、話が大きくなっちまうのも無理はねぇと思いやすぜ?」

「あははっ、それもそうか!」

風之助の言葉に巳介さんは大きな笑い声を上げながら答えた。

……何というか、スゴく明るい人だな……。

そんな事を思いながら俺は巳介さんの姿を観察した。巳介さんは、龍三郎さんや七之助さんと同じく髷を結ったキリッとした顔付きの明るい好青年で、着ている着流しは暗い青を基調とした上等そうな物であり、風之助の言葉への反応もあってかかなり話しやすそうな雰囲気を醸し出していた。

七之助さんもそうだけど、やっぱり誰かを殺すような人には見えない。ただ……そういう人に限って何かを隠してる事も多いしな……。

巳介さんの様子を観察しながらそんな事を考えていると、巳介さんが何かを思い出したように両手をポンッと叩いた。

「……そういえば、俺の自己紹介を忘れてたな。もう七之助から聞いてるとは思うが、俺はこの七之屋と同じ小間物屋を営んでいる巳介って言うんだ。よろしくな、お二人さん」

「はい、よろしくお願いします。巳介さん」

「よろしく頼みやす、巳介の旦那」

「おう!」

そして、俺は風之助と一緒に巳介さんと握手を交わしながら考えを巡らせた。

……とりあえず、巳介さんからも今回の件についてとか昨日の夜の行動について話を聞いてみよう。話の内容から何か気付くこともあるかもしれないしな。

そう思った後、俺は風之助と一緒に巳介さんから昨夜のことについて話を聞き始めた。

 

 

 

 

「……うーん、これは本当に参ったなぁ……」

「そうですねぇ……」

昼頃、行きつけの蕎麦屋(そばや)――越野庵の店内で俺と風之助は同時にため息をついた。俺達の目の前には、昆布と鰹節の出汁の香りを漂わせながら静かに湯気を上げている蕎麦があり、いつもであればすぐに食べ始めるのだが、今日はどうにもすぐには手が伸びなかった。というのも、思っていたよりも事件の捜査の進みが悪く、ここからどうしたものか全く見当がつかなかったからだ。

はあ……本当にどうしようかな……。

少し暗い気持ちでそう思いながら俺はここに来るまでの事を思い返した。巳介さんに自己紹介をした後、俺達は七之助さんから聴きそびれていた分を含めて七之助さん達から再び話を聞いた。そして話を聞き終えた後、七之助さん達の商いの事を考えてとりあえず七之屋を辞し、一度不忍へと戻った。すると、ちょうど昼頃だったため、ひとまず話を纏めながら昼食を取る事にし、越野庵へとやってきた

……七之助さんは、昨夜に被害者の菫に一昨日の件について話を聞くために会いに行ったものの、菫が出掛けていたため結局会えずじまいだった。そして、巳介さんは風之助の調べた情報の通り、七之屋の近くの店で酒を飲んだ後、酔っ払ったまま家へと帰ってるし、七之助さんの話に出て来た菫と仲の良い妖については全く知らないと言っていた。

「……こうなると、川吉が下手人の可能性が一番高いけど、それを裏付ける証拠が無い上、まだ七之助さんがこの件に関わっていないと言える証拠も無いしなぁ……」

「そうなんですよねぇ……。それが見つからねぇとなると、最悪七之助の旦那が川吉の共犯としてしょっ引かれかねねぇし……」

「ああ……そうだな……」

俺達がもう一度同時にため息をついていると、越野庵の店主――妖狐の霧助(きりすけ)さんが呆れた様子で話し掛けてきた。

「おいおい……今日はいやに辛気くせぇなぁ、おめぇら。そんなしけたツラしてねぇで、外のお天道様みてぇに明るく行った方が良いんじゃねぇのかぃ?」

「そうしたいのはやまやまなんですが、今抱えてる問題の進みが芳しく無いんです……」

「問題、ねぇ……風之助と一緒におめぇが悩んでるところをみるに、深水で起きたっていう例の事件でも追ってんのかぃ?」

「……その通りです。つい最近知り合った方が下手人の候補になってしまっているので、どうにかしてその疑いを晴らしたいんですが、疑いを晴らすのに充分な証拠や証言がどうにも集まらないんです……」

「はぁー……なるほどなぁ……」

俺の話を聞くと、霧助さんはその無駄な筋肉が付いていない腕を組みながらうんうんと頷いた。霧助さんは短い金色の頭髪に少しだけ鋭い目付きをしている二枚目顔であり、背丈の高いスラッとした体を包むのは薄い青色の着物に白い前掛け、そして頭には板前が被るような少し年季の入った白い帽子が乗っている気っぷの良い物言いがカッコいい妖狐だ。そして風之助が勧める通り、作ってくれる蕎麦はどれも絶品であり、修行をしていた店では一番の新参者だったにも関わらず、飲み込みの良さや話の上手さもあって、兄弟子達より先に暖簾分けを許された程、内外からの人気や信頼度が高かったのだという。

……それでいて、それを鼻に掛ける事も無いし、客の悩み話も親身になって聞いてくれるとくれば、店だって人気になるよな……。それに年も俺より少し上なだけだから、女性客もそこそこ多いみたいだし。

そんな事をボンヤリと考えながら霧助さんの様子を眺めていると、

「……この分だと、そろそろアイツから話が来そうだな」

霧助さんの口からそんな言葉が漏れた。

アイツ……?

「霧助さん、アイツというのは……?」

「ん……? ああ……声に出ちまってたか。知り合いにこういう話が好きな奴がいてな、こんなに話が広がっちまってるってんなら、ソイツからも話を振られそうだと思ってな」

「なるほど……因みにそのお知り合いは、この不忍に住んでいる方なのですか?」

「ああ。だが、仕事で忙しい事が多いもんで、最近はあまり会ってねぇけどな」

「そう、ですか……」

それは残念だな……もし会えるなら、今回の事件について意見を聞きたかったんだけど……。

霧助さんの答えに俺が残念な気持ちを抱いていると、霧助さんは大きな笑い声を上げながら話し掛けてきた。

「はっはっはっ! そう落ち込むな、鈴蘭! アイツの事だ、興味が湧いたらすぐにでも事件に首を突っ込もうとするだろうから、その時は教えてやるよ!」

「霧助さん……ありがとうございます」

「へへっ、良いって事よ!」

俺の言葉にニカッと笑いながら答えた後、霧助さんは両手を二回ほど打ち合わせながら言葉を続けた。

「さあさあ、それじゃあさっさと蕎麦を食っちまってくれ。早くしねぇと蕎麦も延びちまうし、調べ物の元気も出ねぇからな」

「ふふ、それもそうですね」

「へへっ、違ぇねぇや。それじゃあ――」

「「いただきます」」

そして俺達は、午後から再び頑張るべく目の前にある蕎麦を食べ始めた。

 

 

 

 

暮六ツ(午後5時半)頃、俺達は件の事件についての調べ物に一区切りをつけ、綺麗な夕焼け空の下、道行く妖達を眺めながら帰路についていた。

「結局、求めてるような成果は得られなかったな……」

「そうですねぇ……けど、焦ったところで見つかる物も見つからねぇと思いやすし、とりあえず今日の所はこんなもんだと考えるしか無いと思いやすよ?」

「……そうだな」

風之助の言葉に返事を返しながら俺は夕焼け空を見上げ、そのままボーッと眺めた。

……正直、まだ七之助さんの疑いを晴らすには至っていないし、俺達でどうにか出来るのはおそらく明日がラストだ。だから、明日中にどうにかちゃんとした証拠を見つけて、それを番屋にでも伝えられるように頑張ろう。……でも、もし七之助さんが下手人、または共犯だったその時は――

「……しっかりと話をした上で、自首を勧めないとな……」

そう思いながら視線を道の方へと戻したその時、狐雨福屋の店先で手代の羅紗さんが静かに立っているのが見えた。

……羅紗さん、一体何をしてるんだ……?

そんな疑問を抱きつつ、俺は風之助と一緒に羅紗さんへと近付いた。

「羅紗さん、ただいま戻りました」

「……龍己、それと瓦版屋の風之助か」

羅紗さんは俺達の姿を静かに上から見ていった後、冷たい声で言葉で続けた。

「旦那様よりお前が出掛けていた理由は聞いている。友である深水の小間物屋が殺しの下手人として疑われているのを晴らそうとしている、とな」

「はい、その通りです」

「……そうか。ならば、早々に旦那様のお部屋に行け。本来、お前のような半人半妖の事など取るに足らないが、旦那様はお前の身の心配をしておられる上、調べの進捗状況も気になさっているからな」

「分かりました。ところで……羅紗さんは店先で何をしてらっしゃったんですか?」

そう訊くと、羅紗さんは冷たい視線を向けながらもその質問に答えてくれた。

「……外の風に当たろうと思い、外に出て来た。それだけだ」

「……分かりました、ありがとうございます」

羅紗さんにお礼を言った後、俺は肩に乗っている風之助の方へと顔を向けた。

「それじゃあ、風之助。また明日頑張ろうな」

「へい! 明日こそ何か掴めるように頑張っていきやしょう!」

「ああ!」

俺が大きく頷きながら答えると、風之助は俺の肩から静かに飛び上がり、そのまま狐雨福屋の屋根へとふわりと着地した。そして、俺の方へ顔を向けると、ニカッと笑いながら声を掛けてきた。

「それじゃあ、また明日です、龍己の旦那!」

「ああ、また明日な」

俺が再び頷きながら答えると、風之助は再びふわりと風に乗り、そのまま不忍の街の中を飛んでいった。

さて……それじゃあ俺は、龍三郎さんに今日の事について話をしに行かないとな。

そう思いながら木戸の方から入ろうとしたその時、

「……龍己」

突然、羅紗さんからそう声を掛けられ、俺は羅紗さんの方へと顔を戻した。

「羅紗さん、どうかしましたか?」

「……お前ならばとうに分かっている事だと思うが、一つだけ言っておく事がある」

「言っておく事……ですか?」

「……ああ」

羅紗さんは小さく頷きながら答えた後、俺の目をしっかりと見つめながら静かに口を開いた。

「お前が誰を信じようとお前の勝手だ。だが、心の内では何を考えているのか分からないのは、人間だけではなく妖も同じだ。目に見える物だけを信じていては、本当に見るべき物を見失うことになる」

「目に見える物だけを信じていては、本当に見るべき物を見失う……」

「ああ。そして、この言葉をお前がどう受け取るかはお前次第だ。ではな……」

そして、羅紗さんはクルリと店の入り口の方へ体を向けると、そのまま店の中へと入っていった。

「……心の内では何を考えているのか分からないのは、人間だけじゃなく妖も同じ……か」

……この言葉、やっぱりかなり重要な気がするな……。

「……明日、風之助とこの事についてもう一度話してみよう。もしかしたら、何か気づけてない事があるかもしれないし……」

そう独り言ちながらコクンと頷いた後、俺は龍三郎さんに報告をしに行くべく、木戸を通って俺が住んでいる離れの方へと歩いていった。

 

 

 

 

その日の夜五ツ(午後7時半)頃、件の事件が起きた深水の街のとある場所にて、一人の妖が苛立ちを感じていた。

「……ちっ、あの野郎、いつまでこの俺様を待たせようってんだ……!?」

その妖――河童の川吉は、待ち合わせ相手が中々現れないことに苛立ち、今にも暴れ出しそうな雰囲気を醸し出していた。そしてそれから数分後、川吉の目の前に一人の妖が現れると、川吉はわざとらしい大きなため息をつき、そのままその妖へと声を掛けた。

「よぉ、遅かったじゃねぇか。店の主様がそんな事じゃあ、店の奉公人達も困っちまうぜ?」

「……そうかもしれないな。さて……例の話の前に一つだけ訊きたい事がある」

「訊きたい事、ねぇ……」

川吉が心底面倒くさそうな様子を見せる中、その妖はそれには構わず再び口を開いた。

「お前にとってアイツは……菫は、どういう存在だった?」

「菫……ああ、お前が俺様に殺させた化け蛇の女か」

「そうだ。下心があったとはいえ、お前は菫とはそこそこ仲良くしていたはずだろう?」

「んー……まあ、そうだなぁ。確かにあの女とはそこそこ『仲良く』はしてたなぁ……」

川吉は仲良くという部分を強調しながら答えた後、とても嫌らしい笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「だがなぁ……あんな女程度ならその辺にごまんといるし、その辺の遊廓に行きゃああれ以上の女なんてのも軽く金で買えちまう。だってのにあの女ときたら、俺がちょーっと容姿を褒めちぎったら、顔を真っ赤にしやがるし、あの言葉だってコロッと信じちまうんだから、本当に愉快だったなぁ……!」

川吉がその時の出来事を思い出しながらニヤニヤと笑い出す中、妖はその様子を冷たい視線を向けながら静かに見つめていた。それは端から見れば、川吉の様子から何かを見定めようとしているようにも見えたが、妖の心中はとても穏やかと言える物では無かったため、今にも川吉に殴り掛かりたい気持ちがふつふつと沸き立っていた。

しかし、そんな事をしては己の目的を達するどころか返り討ちに遭いかねないため、妖は拳を静かに強く握る事でその気持ちを抑え込んでいた。そしてその事にまったく気付く様子のない川吉は、何かを思い出したような表情を浮かべると、水掻きの付いた手を妖へと差し出しながらねっとりとした声で妖へと話し掛けた。

「さぁーて、そろそろ約束の金を貰おうか? お前から金を貰う代わりにあの女を殺すってぇ約束だったからなぁ」

「……殺し方があまりにも杜撰だったが、まあ良いだろう。約束は約束だったからな」

妖は低い声で答えながら懐へ手を伸ばすと、小さな巾着袋を静かに取り出し、軽く二・三度程上下に振った。

すると、その動きに合わせて巾着袋の中からジャラジャラという音が鳴り、それを聴いた川吉がニヤリと笑いながらまるで催促をするように差し出していた手を軽く揺らした。

妖はその様子には目もくれずに巾着袋の口を静かに緩めると、川吉の手の上で巾着袋を逆さにした。そして、巾着袋から落ちていった小銭達は、川吉の手の上で音を鳴らしながら跳ね上がると、何枚かを残して全てが地面へと散らばった。その様子に川吉は忌々しげに舌打ちをすると、妖は申し訳なさそうな表情を浮かべながら口を開いた。

「すまない、少しボーッとしてしまったようだ」

「……ったく、気をつけろっての……」

妖の言葉に答えた後、川吉は鼻を鳴らしてから地面に落ちた小銭を拾うべく、その場にしゃがみ込んだ。すると、川吉の頭の上にある河童の皿が月の光でピカリと光り、それを見た妖は小銭を拾い続ける川吉をよそに再び懐へ手を伸ばした。そして、懐から取り出した物――拳程の大きさの石を両手で掴むと、それを勢い良く振り上げ――

「……っ!」

渾身の力を込めて川吉の皿へと石を振り下ろした。

「ぐぅっ……!?」

その瞬間、川吉は強い衝撃に襲われ、地面へと強く叩きつけられる形でその場に倒れ込んだ。そして、すぐに立ち上がるべく、手足に力を込めようとしたが、何故か力がまったく入らなかったため、土に何本もの線を描くだけとなった。

「ぐ……くそっ、何で……!」

川吉が悔しそうに声を上げる中、妖は冷たい声で答えながら川吉を静かに見下ろした。

「……今、石をお前の頭の皿に叩きつけた。それによって、皿は完全に割れないまでもそこそこ大きなヒビが入り、お前は力を入れたくとも入れられない状況に陥ったわけだ」

「さ、皿にヒビ……だと!? ふざけるな! こんな事をしてタダで済むと――」

「黙れ」

川吉の怒りの声に被せるように妖は言葉を発すると、もう一度石を両手で持ちながら静かに振り上げた。そして、そのまま勢い良く川吉の皿へ目がけて石を振り下ろした。

「あがっ!?」

その衝撃で川吉の顔は地面へと叩きつけられた上、頭の皿のヒビが更に大きく広がると、妖はとても暗い笑みを浮かべた。

「本当は一発で済ませるつもりだったが、お前のさっきの発言がイラッときてしまったもんでな……」

「さっきの……はつげ、ん……?」

「ああ。まあ……今更お前に説明する必要も無いけどな。何故なら……」

そう言いながら妖が着ていた着流しを脱ぐと、その下からまた別の着流しが現れた。そして、妖は苦しみの表情を浮かべる川吉の腹を強く蹴り上げると、

「ぐふっ……」

川吉はくぐもった声を上げながら仰向けに転がった。それを見ると、妖は脱いだ着流しを川吉へと被せ、三度懐へ手を入れた。そして――

「……お前には予定通り、ここで死んで貰うからな」

懐から取り出した小刀の切っ先を川吉へと向けると、小刀の刀身は月の光を浴びて、妖しくキラリと輝いた。

「死んで貰う……だと!? 冗談じゃねぇ、お前みてぇな奴に殺されてたま――」

「もう一度言う、黙れ」

再び川吉の言葉に被せるように妖は言葉を発すると、足を着流しの舌の川吉の体へと強く乗せ、そのまま静かに体重を載せていった。

「ぐっ……あぐぁっ……!」

「ははっ……もう一枚着流しを着てくるのは少々苦労したが、やはりこの方法ならば無駄な返り血を浴びずに済みそうだな……」

妖は楽しそうな声で独り言ちた後、川吉の心臓があると思われる箇所に狙いを付けながら静かに息を整えた。そして――

「ではな、川吉。お前の死後も少し世話になるぞ」

妖は川吉へ言葉を掛けながら両手で握っていた小刀をそのまま川吉へと振り下ろした。

 

 

 

 

それから半時が過ぎた頃、酩酊状態の妖が一人この場に通りかかった。

「ははっ……! やっぱ飲んでねぇとやってられんねぇよなぁ……!」

酔いに任せて大声を上げながら歩いていたその時、妖は自分の足が何かにぶつかったのを感じた。

「ん~……? 一体何だ~……?」

酔いで体をふらつかせながら、妖は己の足元に視線を向けた。するとそこには、暗くて見えづらいものの大きな何かがあり、目を凝らしてもう一度見てみると、それは上等そうな着流しで覆われた何かである事が分かった。

「はぁー……これはアレだな、俺みたいに酔っ払ってる奴が寝ちまってるんだな」

自分の言葉に納得するようにうんうんと頷いた後、妖はその『何か』を静かに揺さぶり始めた。

「おーい、こんな所で寝てると風邪引くぞー?」

そう言いながら揺さぶり続けていると、徐々に覆っていた着流しがズレていった。そして、パサッという音を立てて着流しが地面に落ちたその時、

「……ひっ!? うわあぁー!!?」

妖は着流しに覆われていた物――川吉の死体を目にし、街中に響き渡るほど大きな悲鳴を上げた。




政実「第5話、いかがでしたでしょうか」
龍己「改めて思うけど、本当に犯人とか分かりやすいよな」
政実「う……ま、まあね。けど、前書きで言ったように謎解き要素の方も徐々にレベルアップはさせていくつもりだから、次にこういう話になった時はたぶん難しめに出来るはずだよ」
龍己「……なら良いけどな。さてと、次回の投稿予定は未定で良いのか?」
政実「そうなるかな」
龍己「分かった。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さて……それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第6話 事件の終結と哀しみの結末

政実「どうも、好きな蛇は白蛇、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。白蛇か、確かに白蛇って見た目も綺麗だし、神様の使いって言われてるから、何か特別感はスゴいよな」
政実「うん、そうだね。もちろん、蛇自体は好きだけど、一番好きなのはって聞かれたら、やっぱり白蛇って答えると思う」
龍己「そっか。さて……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第6話をどうぞ」


「ふあ……ん、もう朝か……」

 いつものように縁側から射し込んでくる朝日で目を覚まし、少し眠気が残る中、ゆっくりと体を起こした。そして体に力を入れて半人半妖モードに姿を変えた後、どうにか頭をスッキリとさせながら今日の流れについて考え始めた。

「さて……今日はどうしようかな。昨日のようにひたすら調査に走っても良いけど、そろそろ少しずつ情報も纏めていきたいところだしな……」

 昨日、事件の容疑者である化け蛇の七之助さんと巳介さんから聞いた話、そして瓦版屋の鎌鼬(かまいたち)――風之助(かざのすけ)からもらった情報は、一応簡単には纏めてあるものの、未だ犯人を特定できるような情報は無い。しかし、深水(ふかみ)のやり手同心達が動いている以上、俺達が調査を出来るのは、恐らく今日が最後だ。だからこそ、今日の内にどうにか真相に辿り着けるような決定的な証拠を挙げる必要がある。

 うーん……本当にどうしたもんかな……。

 軽く腕を組みながら何となく住んでいる離れの中を見回していたその時、文机の上に何かが置かれているのが見えた。

「あれ……俺、寝る前に文机の上は片付けたよな……?」

 知らぬ内に起きていた部屋の異変に、少しだけ疑問を抱いたが、それよりも置かれている物に興味を抱いたため、俺は警戒しながらいつも使っている文机へと近づき、置かれている物を観察した。置かれていたのは、形が歪な黄色の水晶――シトリンと細かい字で書かれた何枚もの紙であり、シトリンの方はよく見てみると表面には細かい傷が付いていた。

「シトリン……確か石言葉は、『友情』とか『初恋』とかだったよな。そして、このシトリンの歪み方と傷の付き方、どうにも気になるな……」

 俺の水晶の勾玉とこのシトリンを見比べてみると、水晶の勾玉はとても丁寧な手入れをされていたからか、曇りや傷が一つも無かった。しかし、シトリンの方は小物や御守りに加工する前の形と言うよりは、ただの欠片のように見え、傷も自然に付いた物では無く、誰かがわざと付けた物のように見えた。

 パワーストーンは、別に傷が付いていても意味とか効果は変わらないと言うけど、置いていった人物はもしかしてこの形と傷で何かを伝えようとしてたのか……?

「友情と初恋に傷が付く……つまり、このシトリンは()()を表していて、その誰かの初恋は終わり、友情にもヒビが入っている、という事になるのかな……? まあ、それは後にして――次はこの紙束だな」

 シトリンを文机に置いた後、今度は紙束を手に取り、両手で持ちながらそのまま目を通した。すると、書かれていた内容に俺は思わず声を上げてしまった。

「……これ、本当にどうやって調べたんだ……!?」

 そこに書かれていたのは、七之助が営む小間物問屋『七之屋』と巳介さんが営む小間物問屋『蛇ノ目屋』の最近の評判や収支についての情報、そして奉公人達からの不平不満やそれぞれの主人に対しての意見などだった。『七之屋』については、特に悪い事は書かれていない上、収支にも妙な点は無かった。しかし、『蛇ノ目屋』の方はというと、最近あまり小間物の売れ行きが良くない事や巳介さんが仕事中や夜中に一人でどこかへ出掛けていて困っているといった事などが書かれており、収支表にも妙な支出があるようだった。

「……この紙束に書かれてる内容は、絶対に普通じゃ調べられないはずだよな。少なからず、両店の奥に入る事が出来て、店の帳簿を覗き見る事が出来る人物って事になるけど、たとえどちらかの店の関係者だとしてもそれはムリだ。残るのは、操作の一環で調べられる同心達って事になるけど、一介の奉公人である俺にこの情報を漏らす理由なんて無い。それに、このシトリンもそう簡単に手に入れられる物でも無いと思うし……」

 深水の街の事件を追っている中で見つけた新たな謎、それについて腕を組んで小さく唸り声を上げながら考え始めたその時、明け六ツを告げる鐘の音が不忍の街中に響き渡り、俺の思考はそこで一度中断された。

「……とりあえず、これは風之助にも見せてみよう。俺だけじゃ分からない事でも、アイツも一緒なら何か分かるかもしれないしな」

 そう独り言ちながらシトリンの欠片と紙束を懐へしまった後、そのまま縁側へと向かい、愛用の草履に足を通した。そして木戸をくぐって街中へ出た後、風之助とその相方である妖狐の草吉さんの姿を探すために辺りを軽く見回した。すると、いつもの場所で二人が商いの準備をしているのを見つけたため、俺はそのまま二人へと近づき声を掛けた。

「おはよう、風之助、草吉さん」

「……ん? おっ、龍己の旦那! おはようごぜぇやす!」

「おはよう、龍己」

「うん、おはよう」

 二人の挨拶に微笑みながら挨拶を返していると、風之助が突然周囲を見回し始め、誰も自分達に気付いていないのを確認すると、安心した様子を見せた。

「ん……どうした?」

「あ、いや……実はですねぇ、今朝の瓦版もちょいと龍己の旦那に先に読んでもらいてぇ内容なもんで。けれど、他の奴らが俺らに気付こうもんなら、すぐにわらわらと寄ってきちまうからちょいと他の奴らの様子を見てたんでさぁ」

「今朝のもって事は……まさか、あの事件に何か進展があったのか?」

「んー……進展というよりは、更に謎が増えたってとこですかねぇ……。まあ、とりあえず読んでみてくだせぇ、龍己の旦那」

「あ、うん」

 そしていつものように代金を払い、瓦版を受け取った後、件の記事へ目を向けたその時、思わず「……え!?」と言ってしまった。そこに書かれていた内容、それは深水の街で新たな死体が見つかったという物だった。

 

 

 

 

「……さて、これはまた困った事になったな」

「そうですねぇ……」

 朝食を食べ終えた後、俺は離れに風之助を呼んで今朝の瓦版の内容についての話をしていた。

 化け蛇の(すみれ)殺しがあったのが一昨日の事、そして新たな死体――河童の川吉が殺されているのが見つかったのが昨夜、か……。ここまで連続して殺しが行われたとなると、同心達の捜査も更に厳しくなりそうだし、今日はあまり深水での調査は出来そうにないな……。

 諦め気味に今日の事について軽く考えた後、とりあえず今回の件についておさらいをするべく、件の瓦版を手に取りながら風之助に声を掛けた。

「風之助、ひとまず今回の殺しについておさらいをしてみよう」

「へい! えーと、まずは殺しが起きた時間と場所なんですが――宵五ツ頃、深水の街の外れにある平野で起きた物で、殺されたのは菫殺しの下手人候補だった河童の川吉。そして死体の状況は、心の臓を一突きにされた上、頭の皿を粉々に砕かれ、上物の着流しを上から被せられた形だったみてぇですね。因みに、第一発見者は深水に住む妖で、菫や川吉とも会った事は無いらしく、発見時は酔っ払っていたそうです」

「河童の皿が粉々か……最初の事件と違って、だいぶ恨みが籠もった犯行だよな。加えて、現場が平野だという辺り、川吉が確実に不利になるようにしているし」

「んー……確かにそうですねぇ。つまり、今回の殺しは、菫殺しの下手人が川吉に対してだいぶ恨みを持っていた事による仲間割れと見ても間違いは無さそうですかねぇ……」

「いや、まだそうとは限らないかな。川吉が前々から多くの恨みを買っている事を考えると、その内の誰かが偶然やらかした犯行だった場合もあり得るからな。ただ、今回の殺しがそういうのでは無く、菫殺しの下手人と犯人が同じだった場合、今回の殺しの犯行現場が()()()()()()ところを見るに、真の下手人が元々川吉を始末しようとしていたと考えられそうだな」

「へ……ソイツはどういう事で?」

「さっきも言ったように、河童にとって水が無い場所というのは、やっぱりだいぶ不利になる。本来河童は、頭の皿が傷付いて力が出なくても水の中にさえ入れればまだ何とかなるはず。しかし、今回は近くに水が無い場所を選ぶ事でそれすらさせないようにしている。それに、水場じゃないという事は、()()()()()()七之助さんでも犯行が可能なように見せている事にもなるんだよ。もっとも、本当に七之助さんが下手人の可能性もまだあるけどさ」

「うーむ……そうなると、菫殺しと川吉殺しに関連性を見出さねぇ限り、謎は解けねぇことになりやすねぇ……」

「関連性、か……」

 風之助の言葉を繰り返していたその時、懐からカサッという音が聞こえ、俺は今朝見つけた物達の事を不意に思い出した。

 ……そういえば、まだこれらを風之助に見せてなかったし、今の内に見せておくか。

 そう思いながら件のシトリンの欠片と紙束を懐から取り出すと、風之助はとても不思議そうな表情を浮かべた。

「龍己の旦那、そいつぁいってぇ何なんです?」

「これは、今朝見つけた物なんだけど、起きたらそこの文机の上に置いてあったんだよ」

「ほー……置いてあったってぇ事は、龍己の旦那が寝ている間に置いていった奴がいるって事になりやすよねぇ」

「そうだな。そして、このシトリン――黄水晶もかなり気になるけど、一番見てもらいたいのがこっちの紙束なんだ」

「ふむ……それじゃあ、ちょいと見せてもらいやすね」

「ああ」

 そして、風之助の目の前に紙を1枚ずつ置き、風之助が興味深そうに読み始めたその時、風之助は突然目を大きく見開き、とても真剣な様子で次々と読み進めていった。それから数分後、最後の紙を読み終えた後、風之助は勢い良く顔を上げると、目をキラキラとさせながら興奮気味に話し始めた。

「龍己の旦那……! こいつぁ、本当に貴重な情報ですよ……!」

「だよな。誰がこんな情報を集めたのかは分からないけど、これがあればこの事件は解決へ大きく近付くはずだ」

「まったくでさぁ……! にしても……本当に誰がこんな情報を龍己の旦那に渡したんでしょうね? 誰にも気付かれずにここまでの情報を集められるなんて、普通は出来やせんしねぇ……」

「本当にな。そして、このシトリンにもまだ謎がある。細かい傷が付いた友情や初恋の意味を持つ石の欠片、これはたぶん誰かの事を表してると思うんだけど、それが誰なのかが分からないんだよな」

「ふむ……なるほど。友情と初恋、それに該当する人物となると、だいぶ限られてきやすね。それに、この紙束が一緒にあった事も何か意味がありそうですし……」

「そうだな……」

 もし、風之助の言う通りだとすると、シトリンは紙束の内容に関連した人物の事を表してる事になるけど、そんな人なんていたか……?

 そんな事を考えながら小さく唸り声を上げつつ天井を見上げていたその時、ある一人の人物が頭の中に浮かんできた。

 ……そうだ、この人ならこの証拠達に該当するかもしれない。もっとも、まだこれは推測に過ぎないけど、調べてみる価値はあるはずだ……!

「風之助、川吉って誰かと常につるんでるような奴だったっけ?」

「へ……? いや、基本的には川吉だけで行動してるみたいですぜ? ただ、深水のどこかに自分だけのアジトを作ってるってぇ話は聞いた事ありやすけど……」

「アジト……そこに今までの犯行で奪った物を隠してる可能性は高いよな?」

「そうですねぇ……金品を換金するにも川吉だけで行くわけにはいきやせんし、アジトの中にまだ残してる可能性はあるかと」

「……そっか」

 ……そうなると、ほぼ確定だろうな。これでたぶんこの事件は解決出来るけど、とても哀しい結末が待っているのは確実だな……。

 そんな予感を覚えた後、自分の考えを風之助へと話すと、風之助はとても驚いたようだった。しかし、そう考えた理由を話すと、とても納得した様子を見せたため、俺は風之助にある頼み事をした。風之助はそれを快く引き受けてくれたが、風之助の顔にも少々哀しそうな色が浮かんでいた。そしてそれから数分後、頼み事の準備が完了し、風之助がその依頼をこなすために縁側から飛び立つのを見送っていた時、これから待っているであろう()()()()()()の事が頭を過ぎり、事件が解決するとは思えない程、気持ちはとても暗かった。

 

 

 

 

 それから一週間後のよく晴れた日、俺は離れに座りながら風之助と一緒に『ある人物』の事を待っていた。あの日、俺は風之助にある二つの場所にとある手紙を置いてきてくれるように頼んだのだが、それがきっかけとなって事件は無事に解決し、深水の街には少しずついつもの日常が戻ってきているらしい。そして、俺は風之助に頼み事をした際、自分の名前を出さないようにしていたのだが、その人物はどうやら俺がやった事だと勘づいたらしく、ちょうど深水で記事のネタを探していた風之助を見つけると、俺から事件の事について話を聞きたいから、そのための時間を作ってほしいと頼んできたのだという。

 ……まあ、よく考えてみれば俺がこの件に関わっているのは知ってるわけだし、こう考えるのは自然だったかもしれないな。

 そんな事を考えていた時、廊下の方から小さな足音が聞こえ、それを待ちながら静かに背筋を伸ばした。それから程なくして、足音の主は廊下の方から離れへと姿を現し、()()()()姿()を見ると、とても驚いた様子で「……ほう?」と声を上げたが、すぐにいつものような優しい笑みを浮かべると同じように優しい声で話し掛けてきた。

「……お久しぶりです、鈴蘭さん」

「はい、お久しぶりです、『七之助さん』」

 その人物――七之助さんは、微笑んだまま頷くと、目の前に敷かれた座布団の横に座り、手に持っていた荷物をスッと俺の目の前に置いた。

「先日は本当にありがとうございました、そのお礼になるかは分かりませんが、こちらをお納め下さい」

「はい、ありがとうございます」

 俺はそれを受け取った後、風之助と七之助さんに断ってから3人分の緑茶を用意するために七之助さんから受け取った物――菓子折を持って一度席を立った。そしてお盆に載せた3人分の緑茶を持って戻ってきた後、俺は七之助さんから順番に配っていき、それが終わってから座っていた座布団へと再び座った。

「七之助さん、お店の調子はどうですか?」

「はい、おかげさまでお店は忙しくさせてもらっています。もっとも、蒔絵(まきえ)さんや翡翠(ひすい)さんからは、適度に休むように言われ続けているんですけどね」

「ふふ……そうですか、それなら良かったです」

「ええ。ですが……巳介が下手人だったのは、今でも信じられないです……」

 七之助さんがとても沈んだ様子で言う中、俺と風之助も少し暗い気持ちで顔を見合わせた。七之助さんからすれば、幼なじみの内の1人が起こした事件でもう1人の幼馴染みを含めた2人の死人を出してしまった事は、やはり心に来る物があるのだろう。

 ……幼馴染み、か。()()()にも幼馴染みとか親戚がいたとしたら、やっぱりかなり心配されてるのかな……。

 七之助さんの顔を見ながらかつての自分について考えていた時、七之助さんは緑茶を一口だけ静かに飲み、気持ちをすっかり切り替えた様子で再び口を開いた。

「さて……それでは本題に入りましょうか。鈴蘭さん、今回の事件を解決に導いたのは貴方ですよね?」

「……そう、ですね。ですが、正確には風之助さんや他に手伝ってくれた方の力があってのことですけどね。それに……私は、ただこうなのでは無いかという考えを立て、それを書いた手紙を深水の同心や下手人――巳介さんへ出しただけです」

 七之助さんの目をまっすぐに見つめながら答えると、七之助さんはしばらく俺の目を見つめ返した後、緊張が解けた様子で静かに息をついた。

「……やはり、そうでしたか。瓦版では謎の手紙によって事件は急転直下で解決したと書かれていましたが、そんな手紙を書きそうなのは、貴方くらいですからね」

「その通りです。ただ……私は事件の下手人が七之助さんでは無い事を証明したかっただけな上、目立つ事があまり好きではないので、手紙はわざと筆跡を崩した上で書かせてもらいましたけどね。」

「そういや、そうでしたねぇ……いつもの旦那の字とは全く違うように見えやしたから、目の前で書いているのを見ていても、すぐには信じられやせんでしたよ?」

「ふふ、そうでしょうね。風之助さん、あの時はありがとうございました」

「へへっ、礼にはおよびやせんよ、りゅ――鈴蘭の旦那!」

 風之助はうっかり龍己の方を呼びそうになった事で小さく苦笑いを浮かべていたが、七之助さんはそれには気付いていない様子でクスリと笑った。

「ふふ……風之助さんでしたら、そういった作業には向いていますからね。しかし、どうして今回の事件を解く事が出来たのですか?」

「そうですね……それにはまず、()()の事を説明しないといけないですね」

 そして傍らに置いておいたシトリンの欠片と『七之屋』と『蛇ノ目屋』についての情報が書かれた紙束を目の前へと置くと、七之助さんはとても不思議そうな様子でそれらを見始めた。

「鈴蘭さん、これは……?」

「黄水晶の欠片と『七之屋』並びに『蛇ノ目屋』の帳簿の書き写しと評判や奉公人の皆さんからの意見が書かれた物です。あの日――件の手紙を出した日の朝に、私の文机の上に置かれていた物です」

「……そうですか。しかし、これらは一体どなたが?」

「それは分かりません……起きた時には既に置いてありましたし、それとなく『狐雨福屋』の皆さんには訊いてみたのですが、誰も知らないとの事でした」

「なるほど……つまり、これらのおかげで鈴蘭さんは事件を解く事が出来たという事ですか?」

「はい。七之助さん、事件のためとは言え、お店の帳簿を見てしまった事、本当に申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げながら謝罪をすると、頭の上から七之助さんがクスクス笑う声が聞こえてきた。

「別に謝る必要はありませんよ、鈴蘭さん。貴方がこれを残しておいたのは、私に見せる必要があると思ったからですよね?」

「はい。自分が望んで手に入れたわけでは無いとは言え、コレを処分する前にやはり手に入れた事だけは話さないといけないと思ったので……」

「ふふっ、そうだと思いました。初めてお会いした時から、貴方は恐らく嘘や隠し事が苦手な方だと思っていましたしね。そしてそれは、私に見せた後にすぐ処分するつもりだったんですよね?」

「……はい」

「それならば問題はありませんよ。それに、見られて困る事は何も書いてはいませんから。だから、もう頭を上げて下さい、鈴蘭さん」

 その言葉で俺がゆっくりと頭を上げると、七之助さんはニコニコと笑いながら俺の事を見ており、その笑顔に安心感を覚えた事で、俺も七之助さんに微笑み返す事が出来た。

「七之助さん、本当にありがとうございます」

「いえいえ。それで、これらの力を借りたというのは……?」

「あ、はい。えっと、まず……この事件を解く上で大事だったのは、()()()()()()()()()()()()()だったんです」

「目に見えない物……」

「はい。具体的に言うなら、関係性や思いと言ったところでしょうね。この三人が友人関係であるように、七之助さんと巳介さん、そして第一の被害者だった菫さんは幼馴染みという関係性があり、他人から見れば何の変哲もない仲の良い三人組だったと思います。しかし、巳介さんと菫さんからすれば、それは少し違っていたんです」

「違っていた、とは……?」

「七之助さんからすれば、さっき言ったようなただの仲の良い幼馴染み同士として捉えていましたが、菫さんは恐らく七之助さんに対して恋心のような物を抱いていたのだと思います。そしてそれについて、自分の両親にもそれとなく話はしていた。だから、七之助さんが菫さんに傘を届けに行こうとした時、菫さんの御両親はとても安心したと思います。しかし、この時には既に真の下手人――巳介さんの策が進められていたんです」

「…………」

「菫さんが七之助さんを恋い慕っていたように、巳介さんも菫さんに恋心のような物を抱いていた。しかし、菫さんは七之助さんしか目に無く、七之助さんはそれに気付いている様子は無かった。それに加えて、同じく父親から継いだ店は『七之屋』の人気に押され、あまり上手く行っていなかった。その2つの事から、いつしか巳介さんの中には、七之助さんへの憎しみや妬み、そして一向に振り向かない菫さんへの愛憎のような感情が生まれ、それに突き動かされる形で今回の事件を思い立ったのだと思います」

「……それを示すのが、その水晶と紙束なんですね?」

「はい。水晶などには()()()という花言葉のような物があり、黄水晶――シトリンには、『友情』や『初恋』という石言葉があります。しかし、このシトリンには細かい傷が付いており、形も少し歪んでいます。この事から、これを置いていってくれた方は、巳介さんの中にある歪んでしまった想いに気付き、帳簿の写しなどと一緒に置いておいてくれたのだと思います。

 そして、その歪んだ想いによって、巳介さんはある人物に協力――いや、一方的に利用しようと考えました。それが、第二の被害者であり菫さん殺しの実行犯でもある川吉です。川吉は深水では有名な悪人であり、今までに奪った物をしまっているアジトがあるという噂があります。巳介さんは、それを知っていたため、川吉を利用して菫さんと七之助さんをどうにかした後、川吉も始末した上で、アジトの金品も奪おうと考えた。一番厄介な商売敵がいなくなれば、自分の店が繁盛する上、奪った金品を怪しまれないように少しずつ売っていけば、自分達の生活は安泰ですから」

「……なるほど」

「そして川吉にそれなりの報酬を提示し、連日酒を奢ったり説得を繰り返したりする事でどうにか協力を取り付けた後、巳介さんはまず菫さんの方からどうにかしようと考えました。川吉は相手がいる女性にも手を出そうとする事から、遊廓などにはよく行っていたと思いますので、それなりの口説き文句などは言う事が出来たはずです。そして時間を掛けて菫さんと川吉の仲を深めさせた後、川吉を通して菫さんに七之助さんに関しての悪い噂――今回の場合はお店の奉公人に菫さんに対しての愚痴などを言っていたと吹き込み、菫さんが抱く七之助さんへの感情を悪い物へと変えた。菫さんからしてみれば、それなりに七之助さんに好意は示しているはずなのに、まったくそれに気付く様子も無い上、『七之屋』には七之助さん目当ての女性客も多いため、少なからず悪印象は持っていたと思うので、この策を進めるのは苦労しなかったでしょう。そして、七之助さんに関しての悪い噂を吹き込んだ日、その日がちょうど七之助さんが菫さんに傘を届けようとしていた日であり、私と最初に出会った日だったんです」

「……確かに、そう考えれば菫の態度にも納得がいきますね」

「『蛇ノ目屋』の奉公人からの意見の中に、巳介さんが仕事中や夜中に一人でどこかに出掛けていく事があって困っているという物があったので、巳介さんは時々抜け出しては自分の策の進み具合を確認したり、川吉との打ち合わせをしていたのだと思います。そしてあの日も恐らくそうで、七之助さんに対しての菫さんの態度を見て、そろそろ機は熟したと思い、次の手へと移りました」

「次の手……ですか?」

「巳介さんは、七之助さんの事は殺してしまうか川吉殺しの罪を被せるつもりだったと思いますが、菫さんの事はまだ愛していたため、川吉との手を切らせて七之助さんと川吉の両名を始末した後に、何も知らないフリをして菫さんに近付こうと思っていた。そうすれば、自分は望んだ物を全て手に入れられますからね。しかし、ここで想定していなかった事が起き、少しずつ計画の歯車が狂っていきます。想定していなかった事、それは川吉が菫さんに計画を話してしまった事です。そしてそれを知らない巳介さんは、計画の成功を疑わずに菫さんへと近付きます。しかし、菫さんから知らないはずの計画について詰問され、計画の詰めの甘さを感じながら菫さんから拒絶をされた事で、巳介さんはこれ以上計画が破綻する事への恐れと再び湧き上がってきた菫さんへの愛憎が重なり、菫さんを殺害する事を決意します」

「……では、何故菫は私にこの事を話さなかったのですか? 次の日は、鈴蘭さん達と話していましたが、別に巳介がやっていたように蒔絵さん達に一言声を掛けてくれれば、普通に入ってくる事が出来たはずです」

「……これはあくまでも推測に過ぎませんが、菫さんは罪悪感から七之助さんと話をする事を躊躇ってしまったのだと思います。片思いではあったものの、恋い慕っていた相手に対して酷い事を言ってしまったという不安などから、菫さんは七之助さんと話をする事を躊躇い、気持ちの整理が付くのを待とうとした。しかし、その時に巳介さんから依頼を受けていた川吉に捕まり、菫さんは『七之屋』が閉まって七之助さんが出歩いていてもおかしくない時間までどこかに閉じ込められた。そして川吉によって殺害され、橋の上から川の中へと死体を放り込まれた事で、第一の事件は終了したかのように思われた。ところが、川吉が投げ込んだ場所が、川という()()()()()だった事で、更なる計画の狂いが生じました」

「……私が橋の上からでも川や湖に近付く事すら出来ない事、それを川吉が知らなかったからですよね?」

「はい。しかし、その時に巳介さんは『七之屋』の近くの飲み屋で目撃されていた上、菫さんを失う事への思いなどもあって、その日は川吉に死体の情報について確認する事を怠ってしまった。そのため、死体があってはならない場所にある事を翌日の瓦版で初めて知り、巳介さんは非常に焦ったと思います。一応、七之助さんを容疑者にする事は出来たものの、七之助さんの水場恐怖症については調べれば分かってしまう事ですからね。

 七之助さん、貴方はその事をお客さん達にはもちろん、蒔絵さん達にも話していなかった。そうですよね?」

「……はい。あの時は鈴蘭さん達に話しましたが、この事は特に話す事でも無いと思っていたので、知っているのは今ではお二人と巳介だけです」

「……分かりました。そしてその翌日、川吉に話をしに行った巳介さんを待っていたのは、川吉からの脅迫だった。恐らく、川吉は巳介さんを良いカモだと感じ、菫さんに話したように他の人にもこの事をバラそうとし、そうされたくなければ元の金額よりも多くの報酬を口止め料として払うように言ってきた。しかし、巳介さんにとっては、川吉は既に邪魔者の一人でしか無かったため、今度こそ七之助さんに捜査の目を完全に向けさせるために川吉には話していなかった計画の実行を決意した。そして、巳介さんは川吉の要求に乗るフリをして、その場はひとまず話を終わりにし、今度は七之助さんと『七之屋』の様子を見るために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()として『七之屋』へとやって来た」

「そんな中、ちょうど訪ねてきていた鈴蘭さん達とはちあったわけですね」

「ですね。そして最初は私達の事を警戒していましたが、あれは私達が深水では見ない顔だっただけでは無く、町人に変装した岡っ引きを警戒していたからだと思います。しかし、私達がそういった物では無いと知り、巳介さんは警戒を解いた。その後、私達が帰った後に巳介さんもこれ以上店を空けるわけにもいかないため、『蛇ノ目屋』ヘと帰った。しかしこれは、川吉を殺害するための準備をするためでもあったわけです。巳介さんは川吉が河童だった事や七之助さんに罪を擦り付けるために、待ち合わせ場所を水場が近くに無い平地に定めていた。この事から、巳介さんには川吉を確実に仕留める気があった事や川吉への強い憎しみがあった事が窺えますし、短刀で刺殺していたのもそういった事からだと思います。そして短刀で仕留める上で一番気をつけるべきは、刺した際に飛んできてしまう返り血。それを防ぐためと犯行中の目撃証言に自分の名前が挙がる事を防ぐために、巳介さんは()()()()()()()()()()()()。そしてその後、待ち合わせ場所に来た川吉を殺し、自分は何食わぬ顔で『蛇ノ目屋』ヘと帰ってきた。その心中は、とても穏やかとは言えなかったと思いますが、これで自分の計画はバッチリだという確証はあったのだと思います。しかし、その翌日に自分の計画や同じ物を親分さんに送ってある旨の手紙が匿名で届き、巳介さんは遂にこれ以上の犯行を諦め、自ら自首をした。

 七之助さん、これが一連の事件についての詳細と私の考えです」

 俺が話を終えると、七之助さんは哀しみと悔しさが入り交じったような表情で俯き、涙交じりの絞り出すような声で話し掛けてきた。

「……鈴蘭さん、私はどうするべきだったのでしょうか……? どうすれば、このような事態を招かなかったのでしょう……?」

「七之助さん、たぶんその答えは出ないと思います。昨夜、手代の羅紗(らしゃ)さんが仰っていたんです。

『お前が誰を信じようとお前の勝手だ。だが、心の内では何を考えているのか分からないのは、人間だけではなく妖も同じだ。目に見える物だけを信じていては、本当に見るべき物を見失うことになる』と……。この事件は、様々な人が見えている物だけを信じ、見えない物を見失っていた事で起きてしまった物です。だから、たとえその時は防ぐ事が出来ても、全員が気付き理解してないとまた同じ事が起きてしまう。そういう事件だったんです」

「ですが……!」

「七之助さん、貴方も本当は分かっているんですよね。今論じるべきは、()()()()()()()()()()ではなく、()()()()()()()()()()()だと。哀しい事ではありますけど、起きてしまった事件や問題はもう取り返しが付かない。だから、残された私達は同じ事がもう起きないようにするしかない。それが残された者の責務であり、亡くなった人達への手向けなんです」

「責務であり、手向け……」

 震える声でその言葉を繰り返すと、七之助さんは静かに顔を上げた。それに対して俺と風之助は、静かに微笑みながら同時に手を差し伸べた。

「巳介さんの罪についての裁きはまだ決まっていませんが、罪は重いため死罪の可能性も無くはありません。ですが、もし巳介さんが戻ってこられたその時、巳介さんの本当の裁きを下せて、同じ事が起きないように出来るのは七之助さんだけです」

「俺らじゃあ頼りねぇかもしれやせんが、精一杯七之助の旦那の手助けはするつもりですぜ?」

「だから、一緒に頑張りましょう、七之助さん」

「俺達がついてやすぜ! 七之助の旦那!」

「鈴蘭さん……風之助さん……」

 七之助さんは涙で目を軽く腫らしながら俺達の手を見つめた後、その手を静かに取り、ニコリと微笑んだ。

「お二人ともありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

「お互いにこれからも仲良くやっていきやしょう!」

「はい!」

 そして俺達は、穏やかな日差しが射し込む中で固く握手を交わし、再び顔を見合わせながら外の明るさに負けない程の明るい笑顔を浮かべ合った。

 さて……そろそろあの話をする時かな。

 握手を交わし終わった後、俺は居住まいを正してから静かに口を開いた。

「七之助さん、この離れに入ってきた時、何かに気付いたような顔をなさっていましたよね?」

「ええ、いつも目立つように付いている鈴蘭さんの耳が無かったので、それには少し驚きましたが……鈴蘭さん、何かあったのですか?」

「……実はその事で一つだけ、お話ししなくてはならない事があるんです」

「……なるほど。それで、そのお話しとは?」

「それは――」

 そこで一度言葉を切った後、俺はこれから話す事への緊張で速くなる鼓動と気持ちを落ち着けるためにゆっくりと深呼吸をした。そして落ち着いた事を確認してから、()()()()()ではなく、()()()()()()()()()として言葉を続けた。

「私――いや、俺が妖狐では無く、半人半妖だという事です」

「半人半妖……一般的に妖と人間の血が半分ずつの存在を指す言葉、ですよね?」

「はい、今まで名乗ってきた鈴蘭も俺の名前の一つですが、それはあくまでも妖狐として振る舞う時の名前で、俺にはもう一つ『稲荷龍己』という人間としての名前があります。その2つがあって、初めて俺は半人半妖なんです」

「なるほど……しかし、どうして半人半妖に?」

「それが――」

 俺は半人半妖になった経緯――人間時に訪れた死や施された『反魂の秘術』、そして『狐雨福屋』においての俺の立ち位置などについて話した。そして話し終えると、七之助さんはとても興味深そうな様子で、「ふむ……」と一言だけ口にし、軽く腕を組みながら納得顔で小さく頷いた。

「なるほど……これで鈴蘭さん――いや、龍己さんが奉公人でありながらこの離れで生活している理由が分かりました。『狐雨福屋』さんは、一奉公人にもまるで実の家族のように接するという話は聞いた事がありましたが、ここまでの待遇を受けられるのは、よほどの事情が無いとあり得ませんからね」

「元々、俺はどこかの奉公先や長屋を紹介してもらえれば十分だったんですが、旦那様――龍三郎さんの好意を無碍にする事がどうにも出来なかったですし、申し出自体はとてもありがたかったので、こうして住まわせて頂く事にしたんです。ですが、いつかは名実共にこの『狐雨福屋』の奉公人の一人として働かせて頂くつもりです。それが俺に出来る唯一の恩返しですから」

「ふふ……なるほど。龍己さんは、本当に律儀な方なんですね」

「全くですぜ……それに、この前だって燃えさかる火の中の子供を助けるために、せっかく助かった命まで賭して、その子供を助け出しやしたしね」

「あ、たぶんその記事は読んだ覚えがあります。龍己さんはあの件にも関わっていたのですね」

「へい、それで火傷の治療のために一週間ほど出掛けられずに、この離れで本を読んだり俺と話したりして過ごしてやしたよ。ただ――」

 風之助はそこで一度言葉を切った後、視線だけ俺へと向けつつ、ニヤッとした笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「そんな旦那だからこそ、俺はこうして一緒にいてぇと思えるし、今回みてぇな時には助けたいと思える。旦那とダチになってからの毎日は、スゴく楽しく刺激的な事ばかりで、飽きる暇すらねぇくれぇですからね」

「……俺も同じ気持ちだよ。いつもありがとうな、風之助」

「へへっ、こちらこそ!」

 風之助の言葉に微笑みながら頷いていると、七之助さんはクスリと笑いながら俺達に話し掛けてきた。

「お二人とも、本当に仲がよろしいのですね」

「ええ、この世界に来て初めての友達ですし、なんだかんだほぼ毎日一緒にいますから」

「へへ、確かにそうだ。俺の仕事が忙しい時は別としても、初めて会った日以降の朝には必ず会ってやすし、その後も朝飯の後には記事のネタ探しを手伝ってもらっていやすからね」

「そうだな」

 ひょんな事から訪れたこの妖世界、そして不忍だが、今の俺にとってはとても住みやすい場所であり、そして龍三郎さんやお嬢様、風之助や七之助さんといったとても大切な存在に囲まれ、俺はとても幸せな毎日を過ごす事が出来ている。住み始めてからまだ日は浅いものの、この妖世界は既に第二の故郷のような物になっていた。

 たぶん、これからも今回みたいな事に巻き込まれる気はするけど、皆の平和な毎日のためにも、皆と協力して精一杯頑張っていく事にするか。

 そんな事を考えながら小さく笑みを浮かべていた時、七之助さんが「……そうだ」と何かを思い出した様子で小さく独り言ちると、ニコリと微笑みながら話し掛けてきた。

「お二人とも、少しよろしいですか?」

「あ、はい。何でしょうか?」

「今回の件や龍己さんの秘密を教えて頂いたお礼に、お二人にお話ししたい事が2つあります」

「お礼って……そんな大層な事はしてませんよ?」

「ふふ、私にとってはかなり大切な事でしたし、()()()が話して欲しいと言うので」

「本人達……?」

「はい、それが……私と蒔絵さんの二人です。昨夜、蒔絵さん本人からお二人に話して欲しい事があると言われまして、その内容があまりにも意外だったので、その理由を聞いてみたのです。すると、お二人なら他言はしないと思った上、お二人には知っておいて欲しいからとの事だったので、こうして私が話したい事と一緒にお話ししようと思ったんです」

「なるほど……分かりました。どんな内容かは分かりませんが、他言はしないと約束します」

「もちろん、俺もでさぁ」

「ありがとうございます。それでは、話を始めますね」

 ニコリと微笑みながら言った後、七之助さんは小首を傾げながら話を始めた。

「お二人は、私が少々特殊な生まれだという噂を聞いた事はありますか?」

「そういえば……風之助からそんな話を聞いた事がありますね」

「そういや、そうでしたねぇ。ただ……どう特殊なのかは、全く分からなかったんですがね」

「ふふ、そうでしょうね。この事は、私も『七之屋』を継ぐ事になった時に教えてもらいましたから。そしてその生まれなのですが、まず私の一族は神様の使いとされる白蛇様の加護を受けている一族なのだそうです」

「白蛇の加護……もしかして、七之助さんの肌が純白なのって……」

「はい、そうだと言われています。もちろん、一族の人は全員が純白の肌です。そして、私が生まれる前夜、母の夢の中にその白蛇様が出てきたようなのですが、その時に神託のような物を受けたらしいのです」

「神託……」

「はい。『そなたの子は、様々な者から好かれる反面、それと同じだけの強さの恨みも受ける事となる。しかし、青龍をその身に宿す者がその助けとなり、白蛇と青龍はお互いに支え合うだろう』

 まだ少しだけ続きはありますが、これが白蛇様の予言の一部なのだそうです」

「青龍を身に宿す者……あれ、青龍ってもしかして……」

「はい、私はそれは龍己さんの事だと思っています。実際、今回の事件で助けて頂きましたし、支えて頂きましたからね」

「七之助さん……」

「ふふ、予言にあったからではありませんが、これからは私も白蛇様の加護と共に龍己さんの助けになれるように頑張っていきますね」

「……はい、ありがとうございます、七之助さん」

「どういたしまして。そしてもう一つ、蒔絵さんの話なのですが、実は蒔絵さんにはある力が備わっているのです」

「力、ですか……」

「ええ。その力というのが、『邪な欲望や心を視認でき、周囲の存在に訪れる危機を予知できる』という物でして、あの日――巳介が訪ねてきた日に少し暗かったのは、その力で巳介から邪なものが見えたからだったようです」

「なるほど……という事は、蒔絵さんもそういった力を持つ一族の生まれなんですか?」

「そうだとは思うのですが……実は、私もよく分かっていないのです」

「わかっていないって……蒔絵さんが奉公に来た時に話は聞かなかったんですかぃ?」

「実は……蒔絵さんは、奉公に来たわけではなく、私が『七之屋』を継いだその日にお店の近くで倒れていた方だったんです」

「倒れていた……?」

「ええ、体も傷だらけで着物もボロボロな上、とても衰弱していたので、とりあえず翡翠さん達にも手伝って貰いながら手当などを施したのです。そしてそれらも落ち着いたところで話を聞いてみたのですが、記憶を全て失っていたようでして、唯一分かったのが先程の力の存在だけだったのです」

「記憶喪失……俺も自分の過去に関する記憶が無いから、他人事とは思えないですね……」

「……そして、蒔絵さんについてどうしたものか悩んでいた時、先代――父さんが蒔絵さんに奉公人として働いてもらうのはどうかと言ってくれたのです。蒔絵さんは、偶然にも私と同じ色白で、普段から笑顔や仕草がとても可愛らしい方ですので、先代からすれば表の方でお客様のお相手をするには合っていると思ったのだと思います。そして私も同意見だったので、蒔絵さんには翌日から奉公人の一人として働いて頂く上、『七之屋』の近所にある長屋に住んでもらう事にしました。因みに、蒔絵という名前なのですが、蒔絵の小物入れを持っていた事から私が付けた名前です」

「なるほど、七之助さんと蒔絵さんにはそんな事情があったんですね……」

「龍己の旦那の話も中々だと思いやしたけど、七之助の旦那達も中々の物だったんですねぇ……」

「そうかもしれません。ですが、私は今の生活がとても好きですし、毎日が幸せだと感じています。蒔絵さんも同じように考えてくれていると、とても嬉しいですけどね」

 頭を小さく掻きながら少し不安げに言う七之助さんに対し、俺は微笑みながらそれに答えた。

「大丈夫ですよ、七之助さん。まだ数回しか会っていませんけど、蒔絵さんの笑顔は本当の笑顔だと思いますから」

「へへっ、確かにそうだ。あんなに良い笑顔を浮かべられるのは、七之助の旦那を始めとした『七之屋』の面々との毎日が楽しいから以外に無いと思いやすぜ?」

「……お二人とも、ありがとうございます。こんな私達ですが、これからもよろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそよろしくお願いしますね、

 七之助さん」

「こちらこそよろしく頼みやすぜ、七之助の旦那!」

 そして再び固く握手を交わした瞬間、風之助と七之助さんから優しさや信頼といった物の波動みたいな物が伝わってきたような気がした。

 これからも色々大変な事はあるかもしれないけど、皆となら絶対に乗り越えられる。根拠は無いけど、何だかそんな気がする。だから、これからも皆と一緒に精一杯頑張っていこう。

 爽やかな春風が吹き抜け、穏やかな陽の光が射し込む中、俺は風之助達の笑顔を見ながらそう心から誓った。




政実「第6話、いかがでしたでしょうか」
龍己「今回は4話掛けて謎解き要素がある話を書いたわけだが、色々課題は残った感じだな」
政実「そうだね。この作品では、そういう話はこれからも出て来るから、それに向けて色々研究はするつもりだよ」
龍己「分かった。さてと、次回の投稿予定はいつも通りで良いのか?」
政実「うん、そうだね」
龍己「了解。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さて、それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第7話 穏やかな日常と新たな決意

政実「どうも、春の穏やかな気候の中の日向ぼっこが好きな片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。日向ぼっこか……まあ、ポカポカとしたところでのんびりとするのは、スゴく気持ちが良いからな」
政実「うん。ただ、気付いたら眠っていたりする事もあるから、そこは気をつけないといけないけどね」
龍己「そうだな。さて……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第7話をどうぞ」


 深水(ふかみ)の事件から一週間が過ぎた頃、いつものようにお世話になっている『狐雨福屋』の面々――主の龍三郎さんやお嬢様の碧葉(あおば)さん達と一緒に朝食を食べていた時、不意に龍三郎さんが「……そうだ」と言ったかと思うと、とても穏やかな笑みを浮かべながら話し掛けてきた。

龍己(りゅうき)君、本日はどなたかとのお約束はありますか?」

「いえ、今のところは特に無いですね。風之助(かざのすけ)は午前中に草吉(そうきち)さんと一緒に記事のネタを探すために遠出すると言っていましたし、七之助さんもまだまだ『七之屋』の方が忙しいと昨日言っていたので、今日もこの不忍(しのばず)の街の探索をしようかと思っていました」

「そうでしたか。では、よろしければ午前中だけ私の用事に付き合って頂けませんか?」

「あ、はい。それはもちろん大丈夫ですけど、俺で本当に大丈夫ですか?」

「ええ、むしろ()()()()()()()()()()()()()()なので、心配はいりませんよ」

「……分かりました。それなら喜んでお供させて頂きます。因みに、その用事に何か必要な物などはありますか?」

「いえ、特に遠出をするわけでも無いので、これといって必要な物はありませんよ」

「分かりました」

「はい、それではよろしくお願いします」

 龍三郎さんの笑顔に対して俺も笑顔で頷いて応えた後、俺達は再び朝食を食べ始めたが、先程の龍三郎さんの言葉がどうにも気になっていた。

 俺と一緒なのが一番の用事、か……。この妖世界に来てから、まだ約1ヶ月の俺に務まる用事なんて全く想像がつかないけど、せっかく龍三郎さんが誘ってくれた事だし、どんな用事でも精一杯こなさないとな。

 心の中で静かに決意を固めた後、その用事に向けて元気と気力を付けるためにしっかりと朝食を食べ進めていった。

 

 

 

 

「……よし、これで一応準備は出来たかな」

 約1時間後、住まわせてもらっている離れの中でそう独り言ちた後、持っている荷物について軽く確認をした。

「えーと……財布に筆と墨と和紙、それと水晶の勾玉もいつも通り首に掛けてるし、こんなもんで良いよな」

 龍三郎さんは特に必要な物は無いと言っていたけど、やっぱりいつも持ち歩いている物くらいは必要な気がするし、たぶんこれで良いはずだ。ただ――。

「どこに行くのか全く見当が付かないよな……遠出をするわけじゃないとは言っていたから、不忍の中とか深水の街とかだとは思うけど、何かの買い出しなら俺よりも羅紗(らしゃ)さん達の方がベストだし……」

 一応、俺の世間体は()()()()()()()()()()()だが、今の俺の仕事はこの不忍の街などを巡ってこの妖世界や様々な妖達に慣れる事なので、主の龍三郎さんと一緒に仕事に関する物を買いに行くには、流石にまだ力不足な気がする。けど、龍三郎さんは俺が一緒なのが一番だと言っていたし……。

 用事の内容についてあれこれと考えてみたが、やはりどんな内容なのかが全く分からず、俺は一人溜息をついた。

「はあ……ダメだ、やっぱり全く見当が付かない。となれば、ここはもう素直に付いていって、任された事を全力でこなすしかないな。ここでお世話になっている以上、俺も『狐雨福屋』の一員なわけだし、どんな内容でも精一杯頑張ってみよう」

 軽く水晶の勾玉を握りながらそう独り言ちていた時、廊下の方から誰かが歩いてくる足音が聞こえたため、俺はその足音の主が近付いてくるまで静かに待った。すると、廊下の方から顔を出したのは、意外な事にお嬢様の碧葉さんであり、その表情には少しの不安と緊張の色が浮かんでいた。

「あれ……お嬢様、どうかされましたか?」

「あ、はい……実は今朝お話しされていた用事に私もご一緒する事になったので、よろしければ貴方と一緒にお父様のお部屋まで準備が出来た事を伝えに行きたいなと思いまして……」

「なるほど、そうでしたか。分かりました、こちらの準備はもう出来ているので、これから一緒に参りましょうか」

「は、はい……!」

 すると、碧葉さんの表情からさっきまでの不安と緊張は一瞬にして無くなり、その代わりに嬉しさと楽しさといった感情が浮かんだとても良い笑顔へと変わった。俺はその様子に安心感を覚えた後、さっきの言葉の通りに碧葉さんと一緒に龍三郎さんの部屋へと向かった。

 

 

 

 

 碧葉さんと一緒に準備が出来た事を龍三郎さんに伝えた後、俺達は揃って店先の方へと向かった。すると、店先では番頭である天狐(てんこ)伊織(いおり)さんと手代の羅紗さんが待っており、龍三郎さんは二人へ向かってニコリと笑いかけると、穏やかな様子で二人へと話し掛けた。

「それでは、留守の間は頼んだよ、二人とも」

「「畏まりました、旦那様。お気を付けて行ってきて下さいませ」」

 龍三郎さんの言葉に伊織さん達が恭しく頭を下げながら答えた後、龍三郎さんはそれに満足げに頷くと、俺と碧葉さんの顔を見ながら微笑みかけた。

「それでは、出発しましょうか」

「「はい」」

 揃って返事をした後、俺達は『狐雨福屋』を出発し、活気溢れる不忍の街の中を歩き始めた。すると、道行く妖達が次々と龍三郎さんに挨拶の言葉を掛け始め、龍三郎さんもそれに対して丁寧に返事をしていた。そしてその様子を見て、俺は思わずクスリと笑っていた。

 龍三郎さんは、本当にいつでも丁寧な人――いや、妖なんだな。だから、『狐雨福屋』もあんなに繁盛してるんだろうし、俺も『狐雨福屋』で働くにあたってこういうところは見習っていく必要はありそうだな。

 龍三郎さんの様子を見続けながらそんな事を考えていた時、隣を歩いていた碧葉さんが優しい表情で話し掛けてきた。

「龍己さん」

「あ、はい。お嬢様、どうかされましたか?」

「龍己さんは、龍己さんらしいやり方で良いと思いますよ?」

「……え?」

「ふふ……今、お父様のやり方を見習わないといけない、と考えていらっしゃいましたよね?」

「は、はい。これでも一応、『狐雨福屋』の一奉公人ですので……いつかは『狐雨福屋』での仕事をする上で、龍三郎さん――旦那様のように振る舞えるのが一番だと思いまして」

「確かにお父様は、いつでもお客様には丁寧ですし、羅紗や他の奉公人の皆さんにもしっかりと接しています。ですが、それはあくまでも()()()()()()()()()なのだと私は思うのです」

「旦那様らしいやり方……ですか?」

「はい。恐らく龍己さんも分かってらっしゃるとは思いますけど、誰にでもその人にあったやり方という物があります。なので、お父様のやり方はあくまでも参考までに留め、龍己さんはそこから龍己さんらしい方法を見つけるのが一番だと私は思います」

「俺らしいやり方を見つけていく、か……」

「ええ。羅紗に射貫かれてしまった時や火事の中から子供を助け出した時は、とても心配になりましたけど、それでも私は……今の龍己さんのどなたにでも精一杯になれるところやとても優しいところが好きですから」

「お嬢様……」

 優しい表情で言った碧葉さんの言葉は、俺の胸にスーッと染み通っていき、それと同時に心の奥底が静かに暖かくなっていくような気がした。

 俺らしいやり方、か……。確かに誰かのやり方を真似ようとしても、それが合わなかったら意味は無いし、最悪の場合更に迷う事にもなりかねない。それなら、自分に合うやり方を模索して、それをひたすら貫くのも手かもしれないな。

 碧葉さんの言葉からそう感じた後、静かに微笑みかけながらお礼を言った。

「ありがとうございます、お嬢様」

「いえ、龍己さんのお役に立てたのなら、私はそれだけで嬉しいです。後、それと……」

「はい、何かございましたか?」

「私の事をこれからは碧葉と呼んで頂けると、とても嬉しいです」

「え……でも、よろしいんですか? 一応、俺は『狐雨福屋』の奉公人なのですが……」

「はい。お父様の事をお店の中では、名前で呼んでいらっしゃるのを見ていて、私もそうして欲しいと思っていましたので、お店の中や私と一緒の時だけでも名前で呼んで頂けたらと思ったのですが……やはりダメでしょうか?」

「いえ、そんな事は……ただ、本当によろしいんですか?」

「はい、もちろんです。そして、その時は話し方も少し崩して頂いて大丈夫ですよ」

「……分かりました。それでは、これからお店の中などでは、『碧葉さん』と呼ばせてもらいますね」

「ふふ……はい、よろしくお願いします」

 碧葉さんはとても嬉しそうな様子で言うと、懐から小さな帳面を一冊取り出し、さらさらっと何かを書き付け始めた。

「碧葉さん、それは……?」

「これは私が小さい頃から付け続けている『初めて帳』で、毎日の中で何か初めての事があった時、日付と場所とあった出来事を書き留めておく事にしているんです」

「あ、なるほど……それで、今も初めての事を書いていたという事ですか?」

「はい。初めて龍己さんから名前で呼んで頂いたので、今はそれを書いていたのです」

「ふふっ、そうでしたか。今日、他にも色々な『初めて』が見つかると良いですね」

「はい!」

 俺の言葉に碧葉さんは満面の笑みで返事をすると、『初めて帳』を楽しそうにしまい始めた。

 初めての事を書き込む帳面か……俺は日記を毎日書いているけど、そういう風な物が見つかったら書き留めておくのも結構良いのかもしれないな。

 楽しげな碧葉さんの様子を見ながらそんな事を考えていた時、龍三郎さんの方からクスリと笑う声が聞こえてきた。

「やはり龍己君は、碧葉からとても好かれているようですね」

「というと……?」

「碧葉のその『初めて帳』の事を知っているのは、実は龍己君以外では私と羅紗しかいないんです」

「そうなんですか?」

「ええ、それに、碧葉が自分から名前で呼んで欲しいと言うのも私が知る限りではこれが初めてです。つまり、龍己君はそれだけ碧葉から好かれているという事ですね」

「なるほど……」

「碧葉は友達も多い子なのですが、あまり自分から話し掛けていく方では無く、いつも誰かの案に乗ったり人の話を聞いたりする方が多いので、私としてはそこだけが少し心配でした。ですが――」

 龍三郎さんはとても優しい視線を碧葉さんへ向けると、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。

「今のように、自分から意見を言ったり名前で呼んで欲しいと言ったりする相手が出来た事はとても嬉しく思っています。

 龍己君、これからも碧葉と仲良くしてあげて下さいね?」

「はい、もちろんです」

 龍三郎さんの言葉に対して力強く頷きながら答えると、龍三郎さんはとても嬉しそうに頷いた。

 俺自身も碧葉さんと話すのは楽しいし、風之助や七之助さんと一緒にいる時とは別の安心感があって、とても心地良いと思っている。だから、この関係性はこれからも大事にしていかないといけないな。

 心からそう感じながら強く決意を固めた後、俺は龍三郎さん達と一緒に他愛ない話をしながら不忍の街を歩き続けた。

 

 

 

 

 出発してから小半時が過ぎた頃後、俺達は不忍の外れにある墓地のような場所へと着いた。そこには、様々な形の墓石がずらっと並び、墓参りに来たと思われる妖の姿もちらほらと見えていた。

「ここって……墓地、ですよね?」

「ええ、そうです。さて……それでは早速準備をしましょうか」

 その言葉に俺と碧葉さんは頷いた後、龍三郎さんと一緒に墓参りの準備を始め、それを終えた後に一基の墓石の前へとやって来た。墓石自体はとても一般的な角柱状の物だったが、表面には傷や汚れが一つも無い上にとてもよく磨かれていた事から、ここに眠っている妖が龍三郎さん達にとってとても大切な存在だった事がハッキリと見て取れた。

 ……もしかして、ここに眠っているのって……。

「龍三郎さん、こちらに眠っているのは……」

「ええ。お察しの通り、私の妻――菖蒲(あやめ)です」

「……やはり、そうでしたか」

 実は、菖蒲さんが亡くなっている事自体は、俺が火傷の治療で外出禁止になっていた時に龍三郎さんから聞いており、その時に菖蒲さんがどんな人だったのかも龍三郎さんが話してくれていた。菖蒲さんとは、龍三郎さんがまだ俺と同じくらいの歳の時にお客様の一人として出会ったようで、お互いに一目惚れだったのだという。その後、交際も順調に進んでいき、そのまま無事に結婚。そしてその内に龍三郎さんが『狐雨福屋』を継いだり碧葉さんも産まれたりと、とても幸せな毎日を送っていた。しかし、碧葉さんが5歳になった頃、菖蒲さんは重い病に罹り、龍三郎さん達の必死な看病の末、哀しい事に帰らぬ人となった。龍三郎さんは当然哀しんだのだが、闘病中だった頃の菖蒲さんが掛けてくれた言葉があったおかげで、それからすぐに仕事へと復帰し、元々人気が高かった『狐雨福屋』を更に繁盛させていったのだという。

 ……やっぱり、言葉や思いの力って偉大だな。

 龍三郎さんから聞いた話を思い出しながらそう感じた後、龍三郎さん達と協力して墓やその周りの掃除などを行い、それをしっかりと終えてから俺達は悼む気持ちを込めながら菖蒲さんのお墓へ手を合わせた。

 ……菖蒲さん、俺はまだまだ力不足ですが、これから龍三郎さん達や『狐雨福屋』の皆さん、そしてこの不忍や深水で出来た友達を支えていけるように精一杯頑張っていきます。

 そう心の中で静かに念じながら手を合わせた後、俺達はそのまま帰る準備を整えると、龍三郎は少し哀しそうな笑みを浮かべながら俺達に声を掛けてきた。

「さて……それではそろそろ戻りましょうか」

「「はい」」

 そしてそのまま墓地を後にしようとしたその時――。

『頑張ってね、不思議な半人半妖さん』

 そんな声が聞こえた気がし、俺が静かに菖蒲さんのお墓の方へ向くと、龍三郎さん達も不思議そうな表情を浮かべながら菖蒲さんのお墓をジッと見つめていた。

「今……声が聞こえましたよね?」

「……はい、あれは間違いなく菖蒲の声でした」

「……もしかしてお母様は、私達の事をずっと見守ってくれていたのかもしれないですね……」

「……そう、ですね。菖蒲は……自分の事よりも他の方の事をいつも心配していましたから、亡くなった後も私達の事をずっと見守ってくれていたのかもしれません」

 そう静かに言う龍三郎さんとそれに静かに頷く碧葉さんの目にはうっすらと涙が浮かんでおり、その表情には哀しみと喜びが入り交じっていた。

 頑張って、か……応援をしてもらった以上、頑張らないわけにはいかないよな。この命に掛けても、龍三郎さん達や風之助達のためにこれからも()()()()()頑張っていこう。

 龍三郎さん達の顔を見ながら決意を改めて固めていた時、龍三郎さんは涙を懐紙で拭ってからニコリと笑いかけてきた。

「それでは、今度こそ帰りましょうか」

「はい」

「はい!」

 龍三郎さんの言葉に俺達が声を揃えて答えた後、俺達は先程の菖蒲さんの言葉をしっかりと胸に抱きながら墓地を後にした。

 

 

 

 

 数分後、不忍の街の中を歩いていた時、不意にある事が気になり、その事について龍三郎さんに訊いた。

「龍三郎さん、一つ訊いても良いですか?」

「はい、何でしょう?」

「俺に施してくれた『反魂の秘術』ですけど、どうして菖蒲さんに使わなかったんですか?」

「……ああ、その事ですか。実は、私も最初は最後の手段として考えていたのですが、その事を知った菖蒲に弱々しい笑みを浮かべながらこう言われたんです。

『それは、いつか本当に必要になる時が来るはずだから、その時に本当に必要な人に使ってあげて』と……。恐らくですが、菖蒲はその時に何かしらの予感を覚えていたのだと思います。だから、あんな事を私に言った。私はそう考えています」

「……つまり、俺は菖蒲さんにも救われた事になりますね」

「ふふ、そうかもしれません。ですが、私はこの選択を後悔していませんし、菖蒲の事を誇りに思っています。菖蒲がああ言ってくれた事で、私達は同じだけの優しさを持ったとても大切な存在に会えたのですから」

「龍三郎さん……」

「龍己君、今回君にお墓参りに付き合ってもらったのは、菖蒲に君を紹介したかったからなんです。あの時の言葉のおかげで、菖蒲と同じだけの優しさを持ったとても素晴らしい人物――実の家族と同じように想える人と出会えた、とね」

 龍三郎さんがとても優しい表情で俺を見ながらそう言葉を締め括った瞬間、俺の心が奥底の方から春の陽気のようにポカポカしてくるのを感じた。

 実の家族と同じように想える、か……。そう言ってもらえるのは、何だかスゴく嬉しいな。

 龍三郎さんの言葉から伝わってくる暖かさや親愛の気持ちを噛みしめていたその時、後ろの方からとても元気の良い声が聞こえてきた。

「……おーい! 旦那方ー!」

「え……?」

 揃って振り返ると、とても嬉しそうな笑みを浮かべながら飛んでくる風之助とその後ろから静かに歩いてくる草吉さんと七之助さんの姿が見え、風之助はそのままスッと俺の肩に着地し、スクッと立ち上がりながら挨拶をしてきた。

「旦那方、こんにちはです!」

「ああ、こんにちは」

「こんにちは、風之助さん」

「こんにちはです、風之助さん」

「へい! へへっ、こんなとこで旦那方に会えるなんて、今日の俺はかなり運が良いみてぇだ!」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……確か今日は遠出してたはずだよな?」

「へい、その通りで。だが、思ったよりも早めに記事のネタが見つかったもんで、帰ってくるのを予定よりも早く切り上げたんでさぁ」

「なるほどな」

 風之助と話をしている内に草吉さん達も追いつき、草吉さん達はペコリと頭を下げながらそれぞれ挨拶の言葉を口にした。

「……皆さん、こんにちは」

「こんにちは、皆さん」

「こんにちは、草吉さん、七之助さん」

「草吉さん、七之助さん、こんにちは」

「こんにちはです、草吉さん、七之助さん」

 そして挨拶を終えた後、今度は七之助さんの方へ顔を向けた。

「七之助さん、お店の方は大丈夫なんですか?」

「はい。私はもう少し頑張ろうとしていたのですが、蒔絵さん達からまた少し休むように言われてしまいましてね。それで時間を確認したところもう少しでお昼頃だったので、龍己さん達と一緒にお昼ご飯を頂こうと思って不忍へ向かって歩いていた時にちょうど風之助さん達とお会いしたんです」

「なるほど。だから、一緒にいたんですね」

「はい、その通りです」

 七之助さんがクスリと笑いながら答えた後、龍三郎さんはニコリと笑いながらコクンと頷いた後、俺達の事を見回しながら声を掛けてきた。

「それなら、これからこの全員で少し早いお昼休みにしましょうか。もし、皆さんさえ良ければですが……」

「へへ、俺はもちろん大丈夫ですぜ! さっきまで色々飛び回っていた分、正直腹も空いちまっていやしたから」

「……風之助と同じく大丈夫です。これから記事を書くには、休息と食事が必要でしたから」

「私ももちろん大丈夫です」

「俺も大丈夫です、龍三郎さん」

「お父様、私ももちろん大丈夫です」

「分かりました。それでは早速参りましょうか」

 龍三郎さんの言葉に揃って頷いた後、俺達は不忍の街の中を話をしながら歩き始め、皆の楽しそうなその様子に、俺は満ち足りたような気分になった。

 俺にはこんなにも色々な友達や仲間、そして実の家族同然の人達がいる。そんな皆のためにも、この暖かくてキラキラと輝く絆は、これからも大事にしていこう。

 春の気候のように穏やかでとても暖かな思いをしっかりと胸に秘め、俺は皆と一緒に楽しく話をしながら街の中を歩いていった。




政実「第7話、いかがでしたでしょうか」
龍己「今回はほのぼのしてたけど、色々な事が判明した回だったな」
政実「そうだね。因みに、これからも何回かに一回くらいはこういう回を設けるつもりだよ」
龍己「了解。次回の投稿予定は、いつも通りで良いのか?」
政実「うん」
龍己「分かった。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと……それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第8話 天狗の願いと難題に挑む狐

政実「どうも、好きな山の妖は天狗、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。山に棲む妖は数多くいるけど、その中でも天狗は異彩を放っている感じはするよな」
政実「そうだね。逸話や正体の予想なんかも種類が多いし、神通力や羽団扇の力みたいなのもある分、妖の中でも人気が高い方かもしれないね」
龍己「そうだな。さてと、それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第8話をどうぞ」


 

 この世界――妖世界にある妖怪街・不忍に住み始めてから1ヶ月が過ぎた頃のある日の朝、俺はお世話になっている呉服問屋件仕立屋である『狐雨福屋』の主人、龍三郎さんの手伝いとして荷物持ちをしていた。

 ……うん、今日も不忍は平和だな。

 声を張り上げながら商いに励む商売人や楽しそうに話をしながらすれ違う妖達の姿を見ながらそんな事を考えていた時、隣を歩いている龍三郎さんが申し訳なさそうに小さな声で話し掛けてきた。

「龍己君、私の用事を手伝って頂き本当にありがとうございます。荷物、重くは無いですか?」

「あ、いえ……これくらいへっちゃらです。それに、俺もいつかは『狐雨福屋』でしっかりと働くつもりなので、これはその予行練習みたいな物だと思っていますし、いつも龍三郎さんを始めとした『狐雨福屋』の皆さんにはお世話になっていますから。もし、他にも何か手伝える事があれば、遠慮無く言って下さい」

「……分かりました。ですが、無理だけはしないで下さいね?」

「はい、もちろんです」

 龍三郎さんに笑みを返し、視線を再び前方に移したその時、向こう側からとある妖が歩いてくるのが見え、その意外さから俺は思わず「え……?」という声を上げてしまった。そして、その妖は俺達の姿――正確に言うなら龍三郎さんの姿に気付くと、小さな溜息をつきながらゆっくりと近付いてきた。

「……まさか店で留主と言われ、適当に捜そうとした矢先に出会おうとはな……」

「おや……お久しぶりです、涼風丸(すずかぜまる)さん。こうしてお目にかかるのはいつぶりでしょうか?」

「おおよそ、2か月ぶりだ。ここ最近は、娘の事で中々山を下りられずにいたからな」

 妖――大天狗の涼風丸さんは、龍三郎さんからの問い掛けに答えた後、隣に立っている俺に冷たい視線を向けた。そしてその視線から、俺に対しての嫌悪や憎しみのような物が感じていた時、涼風丸さんは視線を逸らすこと無く再び龍三郎さんに話し掛けた。

「龍三郎、この妖狐もどきはお前の新しい召使いか何かか? 姿こそ妖狐その物だが、此奴からはあの忌まわしき人間の気配を感じるぞ?」

「召使いではありませんよ、涼風丸さん。彼は元人間の半人半妖で、現在はこうしてお手伝いをしてもらいながら『狐雨福屋』の離れに住んで頂いている方なのです」

「ふん……龍三郎、お前は本当に酔狂な奴だ。何か事情があるのだろうが、半人半妖などという人間と妖のあいのこを住まわせたところで、大した得にもならんだろう」

「私は彼の事を損得勘定で計るつもりはありませんが、先日の深水の一件を解決したのは彼なので、一概にはそう言いきれないと思いますよ?」

「さて……それはどうだろうな。妖の中には、人間を憎む者もいるのは、お前も当然知っているはずだ。となれば、此奴がいる事でいらぬ厄介事に巻き込まれる可能性も無くはない。その時、お前は自身の娘や店の者を守りつつ、此奴の事も守れるというのか?」

 涼風丸さんがどこか挑戦的な目で問い掛けると、龍三郎さんは迷う事なくコクリと頷いた。

「私自身少々武術や妖術には心得がありますし、貴方を含めとても頼りになる方を知っていますから、問題はありませんよ」

「……我がいざという時には此奴のために何かをすると考えているならば、その甘い考えは捨てた方が良いだろう。我が人間に味方する気になる事などあり得ぬからな」

「そうですか。ですが、もうじき涼風丸さんにも彼の事が分かる時が来ると思いますよ? 貴方が先程『狐雨福屋』を訪れた理由が、私の考え通りだとすれば、そのため彼の力を借りる必要は出てくると思いますし、それでなくとも彼の力を貴方が認める日は、絶対に来ると確信していますから」

 龍三郎さんがいつも通りの和やかな笑顔を浮かべながら言うと、涼風丸さんはその龍三郎さんの様子を少し訝しげに見ながら静かに口を開いた。

「……相変わらず考えが読めぬ奴だ。まあ良い、もし本当にその時が訪れたならば、此奴の味方をしてやると約束してやろう。もっとも、その時が来るとは限らん上、此奴が解決できる可能性など万に一つも無いがな」

「その時はそれでも問題ありませんよ。私は好き嫌いを強制する気は毛頭ありませんので」

「ふん……そうか。では、昼頃にもう一度店の方に出向くとしよう」

「畏まりました。涼風丸さんが訪ねていらっしゃるのを心よりお待ちしていますね」

「……ああ」

 そして、涼風丸さんはもう一度俺に対して睨み付けるように視線を向けた後、横の方をすり抜けながらそのまま俺達が来た方へと歩き去って行った。

 人間に憎しみを持つ妖……か。どんな過去があったのかは分からないけど、やっぱりそういう妖もいるんだな……。

 涼風丸さんが消えていった先を見ながらどこか寂しさを覚えていると、龍三郎さんがまた申し訳なさそうに話し掛けてきた。

「すいません、龍己君。彼――涼風丸さんは、私の古い友人なのですが、過去に人間との間に何かあったようで、あのように人間に対して強い憎しみを抱いているのです」

「俺は大丈夫ですよ、龍三郎さん。人間に憎しみを抱く妖がいるのは、元々分かっている事ですし、その覚悟は元からしていましたから。まあ……寂しさが無いと言えば、嘘になりますけど、そういった妖がいるのは仕方がない事ですから」

「……ふふ、貴方は本当に()()ですね。ですが、風之助さんや七之助さんにでも良いので、時には弱さを見せておく事も必要ですよ。心を強さでガチガチに固めてしまうと、いざという時にとても辛い思いをする事にもなりますから」

「分かりました。その言葉、肝に銘じておきます」

 ニコッと笑いながら答えると、龍三郎さんも安心した様子で笑みを返してくれた。そして、再び『狐雨福屋』がある方へ体を向けた後、俺達は最近読んだ本の事などについて話をしながら『狐雨福屋』に向けて歩き始めた。

 

 

 

 

「ふーむ……人間に憎しみを抱いている大天狗の御仁ですかぃ……。旦那の話を聞く限り、憎しみの根はだいぶ深いところにありそうな感じがしやすねぇ」

「うーん……やっぱりそうだよな……」

 昼頃、俺は鎌鼬の風之助と一緒に行きつけの蕎麦屋――『越野庵』で昼食を取りつつ涼風丸さんと出会った時の話を風之助にした。そして、話を終えると風之助はその小さな腕を組みながら難しい顔でそんな感想を述べ、俺も似たような難しい顔で小さく唸った。涼風丸さんがあそこまで人間に憎しみを抱いている以上、無理に仲良くなる気は無いが、『狐雨福屋』の奉公人としては少しでも話が出来る程度にはどうにか歩み寄りたいとは思っていた。

 けど、あの様子だとそれもだいぶ難しそうだし、涼風丸さんからどんな事があったのかを聞くわけにもいかない。つまり、今のところは軽い手詰まりと言っても差し支えない事になっている。

「無理、と言って諦めるのは簡単だけど、俺としては諦めたくは無い。諦めてしまったら、そこで何もかも終わっちゃうからな」

「そうですねぇ……俺的にも旦那には諦めて欲しくないですし、諦めずに手を伸ばす事で得られる物の大切さは分かってるつもりですからねぇ。けど、ここまで難しい問題となると、解決にはかなりの努力を要しやすよ?」

「それでも構わないよ。俺の努力で何とかなる可能性があるなら、俺はその可能性に賭けてみたいし、『狐雨福屋』の奉公人である以上はこの件を知らんぷりは出来ないからな」

「……へへっ、やっぱり旦那ならそう言いやすよね。そういう事なら、俺も全力で手伝わせてもらいやすぜ? こうして首を突っ込んだからには、最後まで見届けたいですからね」

「うん、ありがとうな、風之助。この恩は何か面白そうな記事のネタを見つける事で報いる事にするよ」

「へへっ……それならとびっきりの奴を期待してやすぜ?」

「ああ、任せとけ」

 楽しげな笑みを浮かべる風之助に対してニッと笑いながら答えた後、俺は気持ちが温かさで満ちてくるのを感じながら、今度は腹を満たすために目の前の蕎麦に再び手を付け始めた。

 

 

 

 

「さて……この件はどこからアプローチしていこうかな」

『狐雨福屋』の離れに戻った後、部屋の文机に向かいながら涼風丸さんとの件について軽く紙に纏め、それを見ながら今回の問題の解決法の方向性について考え始めた。自分でも分かっている通り、涼風丸さんの件は簡単に解決できるわけでは無いため、それなりの努力と覚悟を要する上、最悪の場合も想定しておく必要すらある。しかし、風之助が手伝ってくれると言ってくれた手前、途中で諦めたり今よりも悪い状況に陥るわけにもいかないため、俺の気持ちは先日の深水の一件と同じくらい張り詰めていた。

 あの時のように、どこぞの誰かが解決のための一手を打ってくれるならこの問題は容易く解決できるだろうけど、今回に関してはその解決方法では本当の解決にはならない。俺自身がしっかりと涼風丸さんと向き合った上での解決、それを達成してこそこの件を本当に解決したと言えるからだ。

「それにしても……涼風丸さんが店を訪ねた理由が、龍三郎さんが考えている事と同じならば、俺の力を借りる必要が出てくるって、龍三郎さんが言い切れた理由は何なんだろうな……。俺はまだ反物や仕立てについての知識や技術は無いし、それを手伝った事は無いから、たぶんそういう事では無いと思うんだけど……」

 龍三郎さんの口から出てきた言葉の意味という新たな謎について別の紙に書き出そうとしたその時、廊下の方から誰かの足音が聞こえ、俺は筆を硯へと置いた。そして、廊下の方へ顔を向けたその時、足音の主――龍三郎さんの姿が見え、それについて少し驚きながら龍三郎さんに声を掛けた。

「龍三郎さん、どうかされたんですか? 確か、今は涼風丸さんとお話をされていたはずでは……」

「ええ、その通りなのですが、()()()龍己君の力を借りる必要が出てきたので、こうして呼びに来ました」

「……分かりました。俺で良ければ、喜んで力になります」

「ありがとうございます。それでは、早速参りましょうか」

「はい」

 そして、龍三郎さんの言葉に少しだけ疑問を抱きつつも俺は龍三郎さんの後に続いて龍三郎さんの部屋へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 龍三郎さんの部屋に着いた後、龍三郎さんと一緒に部屋の中へ入ると、そこには顰め面で座布団に座る涼風丸さんの姿があり、俺が入ってきた事に気付くと、涼風丸さんの表情が表す不快感が更に強くなった。しかし、それには気付かないフリをしながら涼風丸さんに軽く会釈をした後、龍三郎さんの後に座布団に座ると、涼風丸さんは俺の事を軽く睨みながら龍三郎さんに話し掛けた。

「さて……そろそろ此奴の力が必要だと感じた理由を話してもらうぞ、龍三郎」

「はい、もちろんです。ですがまずは……事の成り行きを彼に話させて頂きますね」

「……勝手にするが良い」

 涼風丸さんが軽くそっぽを向いた後、龍三郎さんは俺が来るまでにしていた話の内容を話し始めた。

「実はですね、この度涼風丸さんの娘さんが、ご結婚なされるそうでして、涼風丸さんはその娘さんに結婚祝いとして着物を贈りたいと考えてらっしゃるようなのです」

「結婚、ですか……それはおめでたい話ですね」

「ええ。それで、そのお着物は私達で仕立てる事にはしたのですが、涼風丸さんとしては『ある要素』を備えた物が良いと考え、それについても相談するために午前中にお見えになったそうなのです」

「ある要素……?」

「はい、そしてその要素が――」

 次の瞬間、龍三郎さんの口から出てきた言葉に、俺は驚きの声を上げる事となった。

()()()()()()()()()()という物なのです」

「……え?」

 決して燃える事が無い着物……あれ、何だかどこかで聞いた事があるよな、それって……。

 それについてどこで聞いたのかを思い出そうとしていた時、涼風丸さんはその俺の様子からやはり俺には無理そうだと判断したのか、難しい顔で龍三郎さんに話し掛けた。

「龍三郎、今からでも遅くはない。早々に他の奉公人に話を聞いた方が――」

「涼風丸さん、まだ龍己君自身から無理だという言葉は出ていませんから、もう少し待って頂けませんか?」

「……何故だ、龍三郎。何故、この半人半妖をそこまで信じられるのだ?」

「龍己君には、私達妖以外にも神様や異国の怪物などについての知識があります。燃えない着物の手掛かりについて私達だけでは予想が付かない以上、少しでも思いつく可能性がある龍己君の力を借りるのは、当然の事だと思いませんか?」

「しかしだな……自分で言い出した事とは言え、燃えぬ着物を織るための材などこの世に存在するはずが――」

 その時、俺はどこでそれを聞いたのかを思い出し、涼風丸さんの言葉を遮る形で声を上げた。

「……いえ、無くはないかもしれません」

「……何だと?」

「この世界にいるかはまだ分かりませんが、燃えない毛を持った鼠――火鼠(かそ)という存在について聞いた事があります。もし、火鼠がどこかにいるならば、火鼠の毛を使った着物――『決して燃えない着物』を織る事は可能です。火鼠自体が元々大きく、その毛も絹のように細いながらも20寸はあるとの事なので、それなりの数を揃えれば、涼風丸さんの希望には添えると思います」

「燃えぬ毛を持つ鼠……確かにそれならば我が求める着物に相応しい材と言えるが、どこにいるか分からぬ以上、結局どうにもならぬだろう」

「それは……」

 涼風丸さんの言葉は、まさにその通りであったため、俺は悔しさを感じながら口を噤むしか無かった。しかし、龍三郎さんは顎に軽く手を当てながら静かに何かを考えており、しばらくそのままいたかと思うと、突然「……やはり、これしかありませんね」と言い、俺の方へ顔を向けた。

「龍己君、どのような手を使っても構いませんので、その火鼠の住み処を探ってもらえませんか?」

「え……?」

「龍三郎、お前は一体何を考えているのだ……? どこにいるともしれぬ鼠の住み処など、この半人半妖に分かるはずなど無いではないか」

 俺達が揃って疑問の声を上げると、龍三郎さんはいつものような穏やかな表情でそれに答えた。

「ですが、まだいないと決まったわけでもありませんよね? となれば、小さな手掛かりを繋げていけば、火鼠に辿り着くかもしれません」

「む……確かにそうだが……」

「それに、これは私の勝手な想像ではありますが、()()()()()きっと火鼠に辿り着けると思っています。龍己君には、()()()()()()(まじな)いの力もついていますからね」

「ちょっとしたお呪い……龍三郎さん、それって一体……?」

「すいません、それについてはその時が来るまで待っていてもらえますか? その時には絶対にお話しますので」

「……分かりました」

 少々腑に落ちないながらも龍三郎さんの言葉には信頼性があると感じたため、とりあえずその事についてはこれで終わりにする事にした。龍三郎さんは、俺が引き下がった事を確認した後、再び涼風丸さんの方へと顔を向けた。

「さて……涼風丸さん、貴方にとっては納得のいかない事だとは思いますが、一度だけ龍己君――人間を信じては頂けませんか?」

「……仕方あるまい。まだ納得がいかん事は多いが、昔馴染みからの頼みという事で、一度だけ此奴に機会を与えてやろう」

「ありがとうございます、涼風丸さん」

「……ふん」

 涼風丸さんがそっぽを向くと、龍三郎さんはそれに対してクスリと笑い、そのまま俺の方へと顔を戻した。

「龍己君、君はどうですか? 龍己君の性格上、涼風丸さんに歩み寄りたいと考えていたと思いますが……?」

「はい、確かにそう考えていましたけど……どうして分かったんですか?」

「ふふ……先程も言ったように、龍己君の性格上何となくそうかなと思っただけですよ。それで、龍己君自身はこの件をどうしたいですか?」

「俺は……是非受けたいと思っています。俺自身この世界に火鼠がいるかどうかは気になっていますし、こうして作って頂いた機会を無駄にはしたくありませんから」

「分かりました。それでは、よろしくお願いしますね、龍己君」

「はい、任せて下さい」

 龍三郎さんからの信頼の視線と涼風丸さんからの懐疑の視線を感じながら俺は力強く頷きつつ答えた。

 それにしても……事件の捜査の次は、火鼠の捜索か……。しっかりと見つけられるかはまだ分からないけど、このチャンスを逃したら、涼風丸さんに歩み寄る事はもう出来なくなるのだけは間違いない。だから、火鼠を見つけるためにもこれから全力で頑張らないとな……。

 そう考えながら首に掛けている水晶の勾玉を軽く握り、勾玉から伝わってくるヒンヤリとした感触を感じながら火鼠を見つけ涼風丸さんに歩み寄れるという祈願が成就するように水晶の勾玉へ静かに祈った。




政実「第8話、いかがでしたでしょうか?」
龍己「何というか……今回もここから色々な事に巻き込まれそうな感じがするな」
政実「まあ、大体合ってるかな?」
龍己「やっぱりそうか……それで、そんな次回の投稿予定はいつも通りで良いのか?」
政実「うん、そうだね」
龍己「了解。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと……それじゃあそろそろ締めていこうか」


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第9話 なよ竹の難題と自然の脅威

政実「どうも、五つの難題はクリアできる自信が無い片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。いや……あれは、基本的に無理な物ばかりなんだって……」
政実「まあ、そうだよね。火鼠の皮衣もそうだけど、他の難題も手に入るわけが無い物ばかりだし、物語の中とは言え、貴族達の絶望はスゴいよね」
龍己「そうだな。さてと、それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第9話をどうぞ」


「はあ……ダメだ、全く手掛かりが掴めない……」

 天狗の涼風丸(すずかぜまる)さんとの出会いから3日が過ぎた日の朝、お世話になっている呉服問屋兼仕立屋である『狐雨福屋(こうふくや)』の離れの文机に向かいながら大きな溜息をついた。涼風丸さんが求めているのは、『決して燃える事が無い着物』であり、それを作るには火鼠(かそ)と呼ばれる鼠の毛が必要な事は分かっている。しかし、この世界にそもそも火鼠がいるのかすら全く見当が付いていないため、とりあえず貸本屋の『虫本堂(ちゅうほんどう)』などに連日通って何かヒントになる物を探す事から始め、他にもこの世界で出来た友達に訊いてみるなど様々な手を使った。その結果、未だにそれらしい資料や伝承には辿り着けていないため、この状況はかなり辛い物だと言えた。

「うーん……火鼠をどこかで見たって言う話さえあれば、それを元にそこへ出向いて探せるんだけど、それすら無いとなるとなぁ……」

 元々、火鼠は別の国――具体的には中国に伝わる怪物であり、別名『火光獣』と呼ばれるものだ。そして、あの『竹取物語』でもかぐや姫が出した難題の中でその名前は出て来るのだが、結局その難題を出された貴族はそれを見つけ出す事すら出来なかった。尚、火鼠の毛を織って作られた布は、『火浣布(かかんふ)』と呼ばれる火で燃えない上にたとえ汚れても火の中に入れてしまえば、たちまち白くなるという摩訶不思議な布である。そのため、これなら涼風丸さんの依頼にも合うと思って提案したのだが、その火鼠の住み処についての情報は全く無かった。

「中国……か。この妖世界にそれらしい国があってもまずそこに行くための手段が無い。加えて、火鼠の住み処には諸説あるから、それをひたすら探すとなると、その間の路銀を用意しないといけないよな……」

 次々と出て来る問題を文机の上に置いた紙に書き出し、その多さに思わずもう一度大きな溜息をついていたその時、廊下の方から元気の良い声が聞こえてきた。

「こんにちはです、龍己の旦那!」

「……ん?」

 その声の方へ向くと、そこにいたのは主にこの不忍(しのばず)で活動している瓦版屋コンビの片方である鎌鼬の風之助と深水(ふかみ)の街にある小間物問屋の主である化け蛇の七之助さんだった。そして二人揃って離れの中へ入ると、風之助は乗っていた七之助さんの肩からスーッと飛び立ち、そのまま目の前の畳へ静かに着地した。

「へへっ、さっきぶりですね、龍己の旦那」

「ああ、そうだな。ところで、どうして七之助さんと一緒だったんだ?」

「ん、大した理由はありやせんよ? 龍己の旦那が、例の件で悩んでるのは知ってやしたから、その進捗状況について聞きに来ようとした時に、偶然七之助の旦那と出会って、一緒に来ただけですからねぇ」

「その通りです、龍己さん。因みに私は、例によってお店の皆さんから少しでも出掛けてきたらどうかと言われてしまったので、風之助さんと同様に例の件についてどのような状況になっているかを聞きに来てみました。もしかしたら、私達でも何かお手伝い出来る事があるかもしれませんからね」

「へへっ、俺達ゃあ瓦版屋に深水の街で人気のお(たな)の主ですからね、情報を集めんのにはもってこいの仕事と言えやすぜ?」

「……ふふ、そうだな。風之助、七之助さん、本当にありがとう」

「どういたしまして、龍己の旦那」

「どういたしまして。それで、現在はどのような状況なのですか?」

「そうですね……相変わらず火鼠の住み処は分かっていないので、とりあえず今抱えている問題と火鼠についての情報を書き出してみたところです」

 文机の上に置いた紙を取り、そのまま二人へ見せてみると、二人とも紙に書き出した内容を真剣な目で読み始め、読み終えると同時に少々難しい顔をし始めた。

「うーむ……確かに中々厄介な感じはありやすねぇ……」

「住み処の特定とそこへ行くための手段と路銀、それと捜索中の滞在費用が最低でも必要になりますからね。この近くで見つけられるのならまだ良いですが、距離が離れれば離れるほど、掛かってくるお金なども増え、その分辛くなってしまいますしね……」

「はい、その通りです。それに……火鼠の知識自体は、人間時代に手に入れた物が使えますけど、それでも向こうとこっちだと恐らく地理の面で違うところは多いと思うので、どこまで参考に出来るか分からないんですよね」

「ふーむ、火鼠の知識かぁ……龍己の旦那、一度その火鼠ってぇ奴について、俺達に話してみてくれやせんか? もしかしたら、何か気付く事があるかもしれやせんので」

「ああ、それならお安いご用だよ。けど、先に人数分のお茶を用意してくるから、ちょっと待っててくれ」

 そして、一度離れから店の方へ移動し、人数分の緑茶の準備を終えた後、俺は緑茶を載せたお盆を持って離れへと戻り、風之助達用に座布団などの準備をした。その後、風之助達が座布団に座り、目の前に用意した緑茶を置いた後に俺が知っている火鼠の知識について二人に話し始めた。

「まず、火鼠は名前に『火』の字がある通り、燃えない毛を持っている怪物で、目方はおおよそ67貫ほどの大鼠らしく、その毛の長さはおおよそ20寸程あり、絹糸よりも細いと言われている。それで、火鼠の住み処は諸説あって、火山の炎の中にある不尽木という燃え尽きない木の中に棲んでいるだとか伝説上の山岳に棲んでいるだとかとある山の春夏に燃えて秋冬に消える野火の中に棲んでいるだとか参考にする文献によって様々だ。そして、火鼠の名前自体は人間の世界にある物語の中にも出て来る程には有名で、その火鼠で作られた皮衣を着た登場人物もいるくらいだな」

「へえ……そうなると、その火鼠って奴がこの近くにいたら、ぜってぇ誰かは知ってそうな感じはしやすよね? そんなに特異な住み処を持つ大鼠なんて特徴を持ってるとくれば、それに興味を持つ奴が一人くれぇはいてもおかしくありやせんから」

「まあな。そして、今のところ一番の難問は、人間の世界における火鼠の住み処がある国に該当する国が、この世界にあるかどうかなんだよな……」

「そうですね……もし、その国があるとすれば、まだそちらに行ってみる事も出来ますが、それが無いとするとだいぶ困ってしまいますからね」

「ええ、そうなんです。それに……たぶんあったとしても、この世界の地理が人間の世界と同じようであれば、そこに行くためには海を渡る必要が出てくるんです」

「海を渡る……つまり、航海に出るってぇことですかぃ?」

「方法の一つはそれだな。だから、その方法で行く場合はそっちに用がある船を探す事になる。そしてもう一つの方法として、空を飛んでいくという手があるけど、これを実行するためにはまず俺を乗せてくれて空が飛べる妖を探す事になるかな」

「龍己さんを乗せられて空を飛ぶ事が出来る妖……その点だけを考えるなら探してみれば見つかるとは思いますが、いるかどうかも分からないモノを探すために飛んでくれる方となると……」

「……恐らく、いないでしょうね。かといって、俺自身が飛ぶという事は流石に出来ないので、船で海を渡るのというのが今のところ一番現実的ですね」

「うーむ……となると、次にやるべきなのは、龍己の旦那を乗せてくれそうな船を探す事になりやすけど、これも中々難しそうですねぇ……」

「ああ、手段が変わっただけで、いるかどうかも分からないモノのためという前提は変わってないからな。誰か船を持っている知り合いでもいれば話は別だけど、そうじゃないとなるとなぁ……」

 さっきも言ったように、この世界における中国またはその周辺に用事がある船に乗る事が出来るなら話は簡単だ。けど、それが客船ならそれ相応の金が必要になるし、漁船なんかだと理由が理由だけに断られてしまう可能性が高い。だから、船を所有している知り合いがいればそれに越した事は無いけど、生憎俺にはそんな知り合いはいない。

 さて……本当にどうしたもんかな。

 何となく天井を見上げながら火鼠探しの方法について考え始めたその時、七之助さんが「……あ、もしかしたら」と、何かを思いついたように声を上げると、それに対して風之助は小首を傾げながら話し掛けた。

「七之助の旦那、いってぇどうしたんです?」

「実は以前、深水で漁師をなさっている方と知り合った事がありまして、それから何度かお酒を飲みに行く機会があったのですが、その時にそろそろ漁をする範囲を広げたいと仰っていたので、もしかしたらその方にお願いできるかもしれません」

「おお、そりゃあ助かりやすけど、そんな御仁とどこで知り合ったんです?」

「ふふ……まあ、川や海に近付けない私が漁師の方と知り合うのは不思議ですよね。 実はその漁師の方と知り合ったのも、龍己さんと知り合った日と同じく雨の日でして、その日は風も強く海も荒れていたので漁に出られないとかでお昼からお酒を飲んでいたみたいなのです。そして、その酔いの回りが結構早かったようで、正体無くして道の真ん中で倒れていたところに私が偶然通りすがり、どうにかお店の方まで運んだ後に私がお世話をさせて頂いたという事があったのです」

「ふふ……七之助さんは、本当に雨の日に『縁』があるみたいですね」

「ええ、本当に。ですので、今日深水に戻った時にでも、その方にダメ元でお願いはしてみますね」

「はい、ありがとうございます、七之助さん」

「どういたしまして。龍己さん、因みにその火鼠がいると思われる場所の大体の位置は分かりますか?」

「あ、はい。おおよそなんですが――」

 七之助さんの優しい笑みに対して微笑み返しながら人間の世界における日本と中国の位置関係について説明した後、俺は風之助達と一緒に無事に火鼠がいると思われる場所へ渡れた後の事について話し合った。

 

 

 

 

 その翌日、七之助さんから件の漁師との話がついたとの連絡をもらい、俺は一度七之助さんと一緒に深水へと向かった。その後、その漁師――磯天狗(いそてんぐ)青八(せいはち)さんに引き合わせてもらい、火鼠探しの件について包み隠さず話すと、青八さんはそんな理由で海を渡ろうとする俺の事を大層面白がり、船を出す事を喜んで引き受けてくれた。そして、その日は青八さんとその旨について簡単な話し合いを行うだけにして、七之助さん達に改めてお礼を言ってから不忍へと戻り、『狐雨福屋』の主である龍三郎さんに火鼠探しのために船に乗せてもらう事を話した。龍三郎さんは、火鼠探しの手掛かりが見つかった事をまるで自分の事のように喜んでくれたが、それと同時にやはり不安はあるようで、無茶なマネはしないようにしてくれと言われた。その時の龍三郎さんの目には、心からの心配の色が浮かんでいたため、俺はそれに対してしっかりと頷きながら答え、その後に龍三郎さんと軽い雑談をしてから離れへ戻り、翌日の出発へ向けての準備に取り掛かった。

 そして翌日、龍三郎さんや風之助達に見送られながら旅装束姿で深水へと向かって歩き出し、そのまま青八さんとその漁師仲間が待つ港へと向かうと、そこには腕を組みながらニカッと笑っている青八さんの姿があった。

「よお、鈴蘭! 体調はバッチリか?」

「はい、昨夜は早めに床についたので、体調に問題はありません」

「ははっ、そうかそうか! せっかく山の天狗さんの依頼のために海へ出るってのに、元気が無かったらどうしようもねぇからな!」

「ええ、そうですね。青八さん、今日はよろしくお願いします」

「おう、あの七之助の兄ちゃんのダチ公だってんなら、俺のダチと言っても過言じゃねぇからな。そんな奴が頑張ろうって言ってるからには、俺達も全力を尽くさせてもらうぜ! なあ、てめぇら!」

『おう!』

 青八さんの声に他の漁師達も大声で応え、そのあまりの声量に思わず耳を閉じそうになった。 ふう……半人半妖の時は、人間の時よりも五感に優れてるから、こういうのは結構効くんだよな……。でも、こうして船を出してもらえるのは本当にありがたいし、邪魔にならないようにしながら絶対に火鼠を見つけ出さないとな……!

 心に強い決意を抱いた後、俺は青八さん達の手伝いをしながら船に乗り、火鼠がいると思われる場所へ向けて無事に出港した。出港後、海の上を進む船の揺れと吹いてくる潮風を感じながら眼前に広がる大海原の光景に心を奪われていると、隣から青八さんの楽しそうな声が聞こえてきた。

「ははっ! どうだ、鈴蘭。 船上から眺める海ってのも中々良いもんだろ?」

「ええ、そうですね。普段は不忍にいるので、海を見る機会はあまり無いのですが、こういうのもたまには良い物ですね」

「そうだろうなぁ。海ってのは、もちろん機嫌が悪ぃ時もあるが、こういう機嫌が良い時なんかは色々な物を恵んでくれるんだ」

「魚などを()()ではなく、魚などを()()()()()()なんですね」

「その通りだ。この海のどっかには、俺達とは違った存在――神様だっているからな。俺達漁師ってのは、そういった神様に感謝しながら漁をしねぇといけねぇもんなんだよ。まあ、たまに俺達を試そうとしてるのか、魚が中々獲れねぇ時や海が時化になる時もあるが、恐らく今日は大丈夫だろう。海から変な感じはしねぇし、空もこんなに良く晴れ――」

 青八さんが何の気なしに空を見上げたその時、海の様子を眺めていた船員の一人が俺達のところへと走り寄ってきた。

「青八、これはちっとマズい事になったかもしれねぇぜ……」

「マズいってぇ……いってぇ何がマズいってんだ?」

「向こうの方から厚い雲が近付いてきてるだろ? ありゃあ恐らく雨雲だと思うんだが、あっちの方から妙な感じがすんだよ」

「妙な感じってぇと……嵐が来るって事か……?」

「……たぶんな」

 その瞬間、青八さんの表情が陽気な海の男から一人の漁師へと変わり、船員が指した方向を真剣な眼差しで見つめ始めた。

「……これは、一旦戻った方が良さそうだな。鈴蘭、おめぇには悪ぃが、一旦港に戻らせてもらうぜ」

「はい、分かりました」

 頷きながら答えると、青八さんはすぐさま船を港へ戻すように指示を出し、船はその指示に従って大きく旋回し始めた。その時、頬に一粒の雫が当たり、それが雨だと気付いた頃には件の雨雲がこちらにも広がっており、途端に大粒の雨が俺達へ向かって降り注ぎ、それと同時に強風が吹き荒れ始めた。

「くっ……青八さん! 大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……問題ねぇよ! だが、こりゃあ本格的にヤベぇ! 急いで港に戻るぞ!」

「は、はい!」

 大きな嵐の中、海が先程までとは違って大きくうねり、それによって船も強く揺れ始めたため、正直バランスを取るのがやっとだった。

 くっ……これは、本当にマズいな。とにかく、俺も何か手伝える事をさが――。

 その時、船が更に大きく揺れると同時に、吹いてきた強風で体のバランスが崩れると、俺は背中から海中へと落ちていった。

「あぐっ……!」

「おい、鈴蘭!」

 青八さんの声が聞こえ、どうにか船へ上がろうと試みたが、衣服が海水を含んだ事で重くなり、腕を上げようとするのすらキツくなっていた上、荒れ狂う波と海水による体温低下のせいで徐々に体力を奪われ始めた。

 まだ……だ、せっかく助けてもらった命を……こんなところで、無駄にする……わけに、は……。

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、どうにか打開策を練ろうと頭を働かせたが、次第に強い眠気が襲い始め、俺の意志とは逆に目が静かに閉じていき、やがて俺の意識は暗い闇の中へと沈んでいった。




政実「第9話、いかがでしたでしょうか」
龍己「あのさ……この作品で、俺は何回命を落としそうにならないといけないんだ?」
政実「あー……うん、ゴメン。話の展開上、こうする他無かったもんで……」
龍己「まあ……たぶん生き残るんだろうから、この件については次回に回すとして、その次回の投稿はいつも通りで良いのか?」
政実「そうだね」
龍己「了解。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さて……それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第10話 火鼠の里と異種族間の絆

政実「どうも、サバイバルには結構興味がある片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。サバイバルは興味や知識があっても、体質にも左右されるイメージはあるから、結構辛いと思うぞ?」
政実「まあね。けど、一生の内に一度はやってみたいかな」
龍己「そっか。さてと……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第10話をどうぞ」


「ん……?」

 静かに聞こえてくる波の音や吹いてくる潮風、そして体中にじんわりと感じる微かな重みなどで目を覚ますと、まず視界に入ってきたのは、ゴツゴツとした岩だった。そして、ゆっくりと体を起こしながら周囲を見回すと、あの時の嵐が嘘だったかのように凪いだ海や切り立った崖、そして白い砂浜や木が生い茂った森などが見え、結果としてここがさっきまでいた船の上では無いばかりか、全く知らない場所である事が分かった。

「あれ……でも、俺は確かあの荒れ狂う海に落ちたはず……なのに、どうして()()()にいるんだ?」

 たとえ、今のように運良くどこかに漂流したとしても、流れ着くとしたら砂浜のように海に面した場所のはずだ。しかし、実際に俺は海面よりも少し高さのある岩の上で目覚めており、海水に浸かった事でいつもの着流しはびしょ濡れな上に少し重くなっているが、荷物が入った風呂敷と水晶の勾玉は流されずに傍に置いてあった。つまり――。

「あの中で誰かが俺を助けてくれた上に荷物なんかも守ってくれた事になるけど、あの状態の海に飛び込んだ上に誰かを助けるなんて本当に出来るのか……?」

 今回の船出を手伝ってくれたのは、海に関する妖の磯天狗の漁師達だ。つまり、海に関してはスペシャリストと言える存在ではあるものの、あの状況で海に落ちた俺を助けようとするのはあまりにも危険な行為だ。そして、もしあの中の誰かが助けてくれたとするなら、目を覚まさない妖を放置して自分だけどこかに行くとは考えづらい。

「……まあ、俺が中々目を覚まさないからとりあえず周辺の探索をしに行ったという可能性が残ってはいるけど、それだとすれば()()()()()()()()()が一つだけあるよな」

 そう独り言ちながら明らかにおかしいと考えられる部分、()()()()()()()()()へと視線を向けた。もし、あの中の誰かが助けてくれたのなら、濡れたままの衣服をそのままにするとは考えづらい。と言うのも、こうして陸に上がったとしても、濡れた衣服を纏ったままでは、体温が低下し続ける一方である上、それ以外の変調を来す恐れもある。そして助けた相手が、同じ磯天狗や水や低温に耐性がある妖ならまだしも、()()()()()()()をそのままにしておくとは考えづらい。つまり、助けてくれたのは、あの中の誰かではない別の存在だという可能性が高い。

「でも……そうなると本当に誰が助けてくれたんだろう……?」

 首を傾げながら助けてくれた人物についてあれこれと考えていたが、次第に濡れた衣服と体の影響で寒さを感じ始めたため、一度それについて考える事を止め、別の事へと考えを変えた。

「……まずは、暖を取る方法を考えよう。一応、火打ち石や火口(ほくち)は濡れたり湿気ったりしないように小箱に入れてるから大丈夫だろう。だから今は、潮風にこれ以上当たらないように、ここから離れながら燃やせそうな物や物干し竿の代わりになる物を探すのが先決。となると、とりあえずは森の中で乾いた木材を探してみるしかないな。拠点作りや食糧の確保は、その後でも良いしな」

 当面の目標を決め終えた後、水晶の勾玉を首に掛け直し、海水を吸って重くなった着流しと荷物と共に海岸沿いを歩き始め、そのまま森の中へと入っていった。

 

 

 

 

 森の中は思っていたよりも生い茂っている木の数が多く、そのせいで視界は少し薄暗かったが、半人半妖時の視力の強化のおかげでどうにか木にぶつかったり木の根に足を取られたりする事なく歩く事が出来ていた。

 ……本当は妖狐の姿の半人半妖モードじゃなく、人間の姿で歩きたいところだけど、半人半妖の方が五感も鋭い上に何かと出会った時に怪しまれる事も無いから、これも仕方ないよな。

 そんな事を考えながら歩いていたその時、足に何か硬い物が当たり、俺は一度足を止めてそれが何かを確認した。すると、そこにあったのはそこそこの太さと長さのある木の枝であり、それを軽く曲げてみたところそれなりに(しな)る様子だったため、安心感を覚えながらホッと胸を撫で下ろした。

「うん……これで、衣服を干して乾かす事は出来そうだな。後は、火をつけるのに良さそうな細かい枝と当面の拠点になる場所を見つけられればひとまず大丈夫なんだけど……」

 枝を片手に持ちながら周囲をキョロキョロと見回していた時、どこからか「うぅ……」という弱々しい声が聞こえ、その声に警戒心を持ちながらその正体を探るために耳をすませた。すると、その声は近くから聞こえる事が分かり、とりあえずその声の主が誰かを探るために声が聞こえる方へ歩を進めた。そして、とある草むらの中から弱々しい声が上がると同時に、弱々しい妖力を感じたため、一度深呼吸をして気持ちを落ち着けてからその草むらの中を覗いた。

「……あれ、コイツは……?」

 そこにいたのは、ブルブルと震える手のひらサイズの白鼠であり、白鼠は「うぅ……寒いよぉ……」と、とても小さな声を上げながら目を瞑っており、その様子から白鼠が弱っているのは間違いなかった。

 寒い……か。俺も寒い事は寒いし、コイツのためにも早く燃やせる物を探した方が良いみたいだな。

 そして、周囲を見回していた時、ちょうど幾つかの小枝が木の根元にあるのを見つけ、それを寄せ集めて他に燃え広がらないようにまずは土で小枝の周りを囲い、荷物の中から火打ち石と鋼、火口(ほくち)を取り出した。その後、小枝の上に火口を幾つか落とし、火打ち石と鋼をカチカチと打ち合わせて火花を火口へと落とした。そして、そこへ向かって息を吹きかけた瞬間、火口に小さな火が灯り、それと同時に火は徐々に燃え広がると、やがて中くらいの火へと変わった。

 ふう……これで、火の確保も完了したし、次は――。

 火から白鼠の方へ視線を移したその時、白鼠は火をジーッと見つめていたが、次第にその目はキラキラと輝きだした。

「火……火だぁ!! わあいっ!!」

 そして、白鼠は嬉しそうな声を上げると、勢い良く火の中へと()()()()()。しかし、白鼠の体は燃える事は無く、白鼠は体が赤くなると同時に、「あははっ、やっぱり火の中は落ち着くなぁ……!!」と更に嬉しそうな声を上げた。

 この様子……コイツはまだ子鼠なんだろうけど、やっぱり『アレ』だったみたいだな。

 その様子から白鼠の正体を確信していると、白鼠は火の中から俺の姿をジーッと見つめ始め、やがて不思議そうに小首を傾げた。

「えっと……貴方は……?」

「俺――あ、いや……私は鈴蘭。こことは別の場所に住む妖狐です」

「鈴蘭さん……ですね。ボクは(かがり)、ボクなんて言ってますけど、こう見えて雌の火鼠なんです」

「火鼠……やっぱりそうだったんですね、良かったぁ……」

 どうにか火鼠を見つけられた喜びから思わず力が抜けてしまっていると、火鼠――篝は不思議そうに小首を傾げた。

「あの……良かったというのは……?」

「あ、それはですね――」

 篝に対して鈴蘭としての俺の身の上や大天狗の涼風丸さんの件、そしてさっきの嵐の件について話すと、篝は「なるほど……」とその小さな腕を組みながら呟くような声で言い、考え込むような素振りを見せた。そして、それから約数分後、篝は「たぶん……大丈夫だよね」と少し不安そうな様子で独り言ちると、俺の事を見上げながら話し掛けてきた。

「鈴蘭さん、お話の続きは火鼠の里でする事にしても良いですか?」

「火鼠の里……?」

「はい。この島には、ボク達火鼠だけが住んでいる里がありまして、そこに行けば鈴蘭さんが求めている物があると思うんです」

「なるほど……」

「そして、本来なら里に入るには、門番の許可が必要なんですけど、たぶん()()()()()()()()()大丈夫だと思うので、長に貴方の事を紹介するのも含めて里に行くのが一番だと思います」

「……分かりました。ですが、先に服などを乾かさないといけないので、その後に案内をお願い出来ますか?」

「はい、分かりました!」

 篝の元気の良い返事に頷いた後、先程見つけた物干し竿代わりの枝を木と木の間に渡し、着流しを脱いで他の荷物と一緒に枝へと掛けた。

 さてと……ちょっと篝には悪いけど、乾かしている間は、さっき起こした火に当たらせてもらうとするか。

 そして、篝にしっかりと断った後、冷えた体を暖めるためにパチパチという音を立てながら燃える火に当たり始めた。

 

 

 

 

 龍己が火鼠が生息する島で、どうにか一息をついていたその頃、『妖怪街・不忍』の龍己が居候をしている呉服問屋兼仕立屋を営む『狐雨福屋』では、主の龍三郎が来訪者――小間物問屋『七之屋』の主である七之助からの話に驚きの声を上げていた。

「……龍己君が行方不明、ですか……?」

「はい。今朝、龍己さんが出発した後、大きな嵐が突然発生しまして、その嵐の影響で龍己さんは行方不明の他、乗っていた船はボロボロになり、船員達も複数名が大なり小なり怪我を負っているようです」

「そう……でしたか。どうも風が強い気がすると思いましたが、そんな事が起きていたのですね……。皆さんの中に亡くなった方がいなかった事は幸いでしたが、龍己君が行方不明というのは本当に心配ですね……」

「はい……運良くどこかに流れ着いているならばまだ良いのですが、件の嵐というのが本当に大きな物だったらしく、青八さん達ですら滅多に遭う事がないと仰っていたのが、とても不安です……」

「そうですね……」

 龍三郎と七之助がとても暗い表情を浮かべながら静かに俯いていたその時、襖の向こうから手代である羅紗の落ち着きのある声が聞こえてきた。

「旦那様、涼風丸様と風之助様がいらっしゃっているのですが、お通ししてもよろしいですか?」

「……あ、ああ……通してくれ」

「畏まりました」

 その声が聞こえた後、羅紗の物と思われる足音がゆっくりと遠ざかっていき、龍三郎はその音を聞きながら再び心配と不安に満ちた溜息と声を漏らした。

「……もし、龍己君がこの件が原因で再び亡くなるような事があったら、私は本当に立ち直れないかもしれません……。元々、羅紗が龍己君を殺めてしまった事で、龍己君と出会いましたが、今となっては本当の家族のように思っていますし、今回の件は私が龍己君に頼みさえしなければ起きる事はありませんでしたから……」

「……龍三郎さん、そのお気持ちはよく分かります。あの日、龍己さんと私が出会う事が無かったら、私は今頃ここにはいないばかりか『七之屋』すらも無くなっていたかもしれません。なので、今回は私が龍己さんを助ける番だと思って青八さん達を紹介したのですが、まさかこんな事になるとは……」

 後悔と悲哀、龍三郎と七之助が感じているその二つによって、室内が重苦しい雰囲気に包まれていたその時、襖の向こうから再び羅紗の声が聞こえてきた。

「……旦那様、お客様をお連れしました」

「……ああ、ありがとう」

 龍三郎が暗い声で答えると、襖がゆっくりと開いていき、羅紗の隣に立つ瓦版屋の鎌鼬――風之助と涼風丸の姿が見えた瞬間、龍三郎はすぐに表情を穏やかな物へと変えながら風之助達へ挨拶の言葉を口にした。

「こんにちは、風之助さん、涼風丸さん」

「へい……こんにちはです、旦那方」

「……うむ」

 風之助と涼風丸はそれぞれ挨拶を返すと、静かに部屋の中へと入り、それと同時に襖の陰から羅紗の声が聞こえてきた。

「……それでは、私はお茶のご用意をして参ります」

「ああ、頼んだよ、羅紗」

「はい」

 そして、羅紗が襖を静かに閉めた後、龍三郎は部屋の隅に積まれている座布団を2枚手に取り、それぞれ風之助と涼風丸の目の前へ静かに置いた。

「どうぞ、おかけになって下さい」

「へい、ありがとうごぜぇやす」

「礼を言うぞ、龍三郎」

 礼を言いながら風之助達が座布団に座ると、龍三郎はとても辛そうな様子で静かに口を開いた。

「……お二人がいらっしゃったのは、龍己君の事について、ですよね? 」

「へい……その通りで。龍己の旦那が行方不明になったと聞いた時には、まさかとは思いやしたが、どうやら本当の事みてぇですね……」

「我もその通りだ。今回の件は、我の依頼に応えて行方不明になったものだからな。いくらいなくなったのが人間だとしても、責任を感じないわけはない」

「…………」

 風之助と涼風丸が答えた後、龍三郎が暗い表情で俯きながら黙り込んでいると、涼風丸は「はあ……」と溜息をついてから龍三郎に対して話し掛けた。

「……龍三郎、分かっているとは思うが、落ち込み続けたところで何も変わらん。今、我らが為すべき事は、早々に彼奴――稲荷龍己を捜す事なのだからな」

「はい……それはそうなのですが、その方法がまったく浮かばなくて……」

「策、か……それならば、ここにいる全員で考えれば良かろう。三人寄れば文殊の知恵とも言うが、ここにはそれよりも多い妖がいるのだからな」

「……へへっ、その通りだ。俺もここに来る前に色々調べてきやしたからね。この情報や旦那方の妖術がありゃあ、どうにか龍己の旦那を捜す事が出来るかもしれやせんぜ?」

「涼風丸さん……風之助さん……」

 龍三郎がゆっくりと顔を上げると、七之助はニコリと笑いながら龍三郎に声を掛けた。

「ふふ……龍三郎さん、確かにお二人の言う通りです。このままただ悩み続けるよりも何か行動を起こす方が良いかもしれませんよ」

「行動……」

「ええ。幸いにも、ここには瓦版屋さんに妖術に長けている大天狗さん、そして同じく妖術に長けている上にこの不忍において老舗と言えるお(たな)の主と様々な方が揃っています。ここまで様々な方がいるならば、龍己さんを探し出せる可能性はより高くなったと思いませんか?」

 七之助が穏やかな笑みを浮かべながら龍三郎に語りかけていると、それを聞いていた涼風丸は「ほう……」と多少感心した様子を見せた。

「その口振りや名乗っていない我の事を大天狗と看破する辺り、化け蛇の若造にしては大した物だ。その気配から感じる『何か』は、伊達では無いという事だな」

「ふふ……ありがとうございます。ですが、やはりこれは龍己さんとの出会いがあったからと言えるでしょうね。先日、深水で起きた事件の後に龍己さんと風之助さんから掛けて頂いた言葉があるからこそ、私が今為すべき事をしようという考えに至ったような物ですから」

「……ふむ、そうか……」

 七之助の言葉に涼風丸が何かを考え込むような素振りを見せる中、龍三郎は自身の手を一度だけジッと見つめた後、それを固く握った。

「……皆さん、ありがとうございます。皆さんのおかげで、迷いも無くなった上に色々と考えも浮かんできました」

「……へへっ、そいつぁ良かったですぜ。それで、その考えってぇのはいってぇどんなのなんです?」

「それはですね、ある妖術を使って龍己君の持ち物から龍己君の妖力の気配を探るんです」

「ふむ……確かに妖術にはそのような物もあるが、何かそれに最適な物などあるのか?」

「ええ、ありますよ。では、それを取ってきますので、少し待っていて下さい」

 そして、龍三郎が静かに立ち上がろうとしたその時、襖が突然スーッと開いていき、全員の視線が襖の向こうに集中した。すると、そこには人間時代の龍己が着ていた黒い学生服を持った羅紗の姿があり、龍三郎はそれに対してクスリと笑った。

「羅紗、わざわざ持ってきてくれてすまないね」

「いえ、旦那様がそろそろこれをご入り用だと思って持ってきただけですので、お気になさらないで下さい」

 羅紗は静かに首を振りながら答えた後、「失礼致します」と言いながら部屋の中へと入り、龍三郎へ学生服を手渡した。

「では、私は()()ヘ戻ります」

「うん、頼んだよ」

 龍三郎の声に羅紗は恭しく一礼をすると、ゆっくりと部屋を出ていき、一度部屋の中にいる全員へ向かって礼をした後、静かに襖を閉めた。そして、羅紗が去って行く足音が小さくなった頃、全員の視線が龍己の学生服へと一斉に注がれた。

「旦那、こいつぁ……龍己の旦那の部屋にあった服ですかぃ?」

「ええ、龍己君がこの世界に来た時に着ていた衣服で、向こうの世界では龍己君と同じ歳の男性用の衣服のようです」

「ふむ……これを持ってきたという事は、()()()()に頼るという事か」

「はい、1番良いのは龍己君が身に付けている水晶の勾玉なのですが、この衣服でも問題ないかと思いまして」

 涼風丸の言葉に龍三郎が微笑みながら答えていると、風之助は話している内容が分からない様子で小首を傾げた。

「えーと……話がまったく見えねぇんですけど、旦那方は何をしようってんです?」

「ふふ……それはですね、この衣服に残っている龍己君の妖力の残滓を使って龍己君の位置を探ろうとしているんです」

「妖力の残滓……? けど、それはあくまで人間時代の龍己の旦那が着ていた物なんでしょう?」

「その通りです。ですが、羅紗が矢で空けてしまった穴を塞いだ後、一度半人半妖姿の龍己君に着心地を確認してもらった事がありますので、微かにですがその時に龍己君の妖力をこの衣服は浴びているはずです。なので、今回はそれを使ってみようと思います」

「なるほど……さっき勾玉の方が良いと言っていたのは、そういう事だったのですね」

「うむ。妖力を微かに浴びているこの衣服でも問題は無いが、常に身に付けている物の方がハッキリと視る事が出来るからな。

 では……そろそろ始めるとしようか、龍三郎よ」

「はい」

 龍三郎はいつもの穏やかな様子とは真逆のとても真剣な顔付きで学生服を見つめると、涼風丸と共に自身の右手を学生服ヘと翳し、文言のような物を静かに口にし始めた。風之助と七之助は、言葉を一言も口にせずにその二人の様子をただ見つめ続けた。そして、龍三郎の表情か和らいだ瞬間、風之助は恐る恐る声を掛けた。

「……旦那、龍己の旦那の事は分かったんですかぃ……?」

「……ええ、どうやらどこかの島にいて、今は火を起こして体を暖めながら濡れた衣服を乾かしている所のようです」

「……つまり、無事……なんですね?」

「その通りだ。しかし、どの島にいるかまでは分からなかったな……」

 涼風丸が難しい表情を浮かべながら腕を組み始めた時、「……そういえば」と七之助が何かを思い出したように声を上げ、それに対して風之助が小首を傾げながら声を掛けた。

「七之助の旦那、どうかしやしたかぃ?」

「いえ……青八さん達から聞いた話なのですが、龍己さんが海へ落ちた後に何やら海の中から昇ってくる()()()()姿()を見たらしくて、その竜は嵐の中を物ともせずに彼方へと飛んでいったとの事です」

「青い竜……そういや、俺もそんな話を聞いた気がしやすね……。俺はその漁師達からじゃあねぇんですが、嵐の様子を見に来たら西の方に飛んでいく竜みてぇな物の姿が見えたってぇいう深水の町人がいた気がしやす」

「西の方角へ飛ぶ青い竜のような物……偶然かもしれぬが、今はそれを頼りにしてみるしかないか……。龍三郎、お前はどう思う?」

「はい、私もその竜が何か手掛かりを握っていると思います。龍己君の名前も『映しの泉』に青龍が映った事が由来なので、現在はこれ以上の手掛かりは無いかと」

「……そうだな。では、我が早速行ってくるとしよう。今から船を出すよりは、我が空より捜しに行く方が早い上に確実だろう。それに――」

「それに……?」

 風之助が不思議そうに訊くと、涼風丸はとても真剣な表情を浮かべながらそれに答えた。

「元々、この件は我が持ち込んだ物だ。それならば、我が最後まで責任をもって捜しに行くのがスジという物だからな」

「……なるほど。まあ、そういう事なら俺らは旦那方がいつ戻ってきても良いように準備をしておきやすよ。今は無事みてぇだが、帰ってくる時には何か体に不調を来してるかもしれやせんからね」

「それが良いだろうな。では……皆、早速行ってくるぞ」

「へい、旦那も気をつけて行ってきてくだせぇ!」

「涼風丸さん、無理はしないで下さいね」

「龍己君が見つかるのが一番ではありますが、涼風丸さんも無事でなければ意味はありませんからね。充分に気をつけて行ってきて下さいね」

「うむ、当然だ。ではな」

 涼風丸は決意に満ちた眼をしながら答えると、そのまま部屋を出ていき、龍己を捜しに行くために力強い足取りで『狐雨福屋』の入り口へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

「……うん、こんなもんだな」

 着流しを乾かし始めてからどれくらいか経った頃、手触りからしっかりと乾いた事を確認し、着流しを再び身に纏った。

 まあ、無事に帰る事が出来た後は、しっかりと洗う必要はあるけど、今の所はこれでも良い事にしないとな。

 そんな事を考えながら着流しの着心地を確認していた時、篝が小首を傾げながら火の中から話し掛けてきた。

「それにしても……鈴蘭さん――いや、龍己さんは本当に不思議な方なんですね。まさか、本当はただの妖狐じゃなかったなんて……」

「あー……うん、騙すつもりは無かったんだけど、あの時の篝に対して正直に半人半妖だって名乗るよりは、妖狐だって名乗る方が良いと思ってな。まあ、気が抜けた瞬間にそれがバレたのは、完全に俺のミスだったけどさ」

 頭をポリポリと掻きながら俺はさっき起きた出来事を想起した。体を乾かしている最中、その火の暖かさと安心感に体の力が抜け、思わず人間の姿に戻ってしまった。そして、その一部始終を見ていた篝からそれを指摘され、最初はどうにか誤魔化そうとも思ったが、篝の不思議そうな様子からこれ以上は隠しきれないと思い、俺は自分の本当の姿などについて説明をしたのだった。

 この調子だと、不忍に戻った後でも同じ事をしてしまいそうだし、そこはしっかりと気をつけるようにしないといけないな。

 そう思いながら乾いていた荷物を()()()()()()()風呂敷で包み直し、それを背負い直してから火の中にいる篝へと声を掛けた。

「それじゃあそろそろ火を消そうか、篝」

「あ、はい。あ、あの……」

「ん、どうした?」

「もし龍己さんさえ良ければ、火を消した後は抱き抱えてもらっても良いですか? 火鼠は体重がとても重い種族ではありますけど、ボクはまだ体重が軽い子鼠の中でもかなり軽い方みたいなので、龍己さんの腕や肩を痛める事にはならないと思うので……」

「ああ、それは別に良いけど……なんか理由でもあるのか?」

「はい。誰かに抱き抱えてもらう機会なんてこの先あまり無いと思いますし、龍己さんの雰囲気は何だか落ち着くので……」

「そっか、そういう事なら任せといてくれ。いつもなら肩に先客がいるから少し難しいところだけど、今日はいない分やりやすいからな」

「先客……ですか?」

「ああ、向こうの方で鎌鼬の友達がいるんだけどさ、ソイツと行動する時はいつも肩に乗せてるんだよ」

「なるほど……やっぱり海の向こうには色々な方がいるんですね」

「ははっ、そうだな。さてと、それじゃあ火を消すぞ」

「はい」

 篝が火の中から出た後、俺は残していた荷物――水が入った水筒を手に取り、中に入っている水を上から撒くような形で火へと掛けた。そして、火が完全に消えた事を確認し、風呂敷の中に水筒をしまって風呂敷を右肩に固定した後、俺は静かに屈み込みながら篝へと両手を伸ばした。

「それじゃあ掴むぞ?」

「……あ、はい。お願いします」

 篝の返事を聞いた後、「よいしょ……っと」と言いながら静かに体を持ち上げた。その瞬間、腕にズシリとした重みが掛かってきたが、半人半妖時の姿では腕力が人間の姿の時よりも上がっているため、大して辛さは感じなかった。そして、そのまま腕に抱き抱えると、篝は「ふう……」と少しリラックスした様子で声を漏らした。

「……ありがとうございます、龍己さん。思った通り、スゴく落ち着きます……」

「ふふ……それは良かったよ。一応、落とさないように気をつけるけど、篝も落ちないように気をつけてくれよ?」

「はい、分かりました。それでは、そろそろ参りましょうか」

「ああ」

 返事をした後、篝の案内に従って森の中を歩き始めた。お互いの事を話しながら森の中を歩く事約十数分、楽しそうに話す篝の言葉にしながらも、俺は森の中の様子が少しだけ気になっていた。森の中は果物のような物が実っている木や澄んだ水が流れる小川もあったが、風で木の葉が揺れる音がする以外はとても静かで、俺と篝以外のモノ達の気配が全くなかった。妖に限らずともこの環境は、様々なモノ達にとって住みやすい物であるはずなのに、住んでいると思われるモノの姿がまったく見られないのは明らかに不自然だった。

「なあ、篝」

「はい、何でしょうか?」

「ここにはお前達火鼠以外の奴って住んでいないのか?」

「えっと……実は前までは、この森や火鼠の里がある辺りにも色々な方が住んでいたらしいんですけど、ある時からその方が次々と島から去って行ってしまったと聞いています」

「そっか……けど、どうして島からいなくなったんだ?」

「すいません……そこまではちょっと分からないです。あ、でも……里の長老なら何か知っているかもしれません」

「火鼠の長老か……因みに、その長老ってどんな人なんだ?」

「とても長生きでとても物知りな長老ですよ。それにとても優しいので、里の皆からとても親しまれているんですよ」

「へえ……でも、俺みたいな奴がいきなり行ったら、流石に驚かれるよな」

「あ……それもそうですね。でも、里の皆は意外と好奇心旺盛なので、一旦慣れてしまえば話し掛けてきたり近寄ってきたりする気がします」

「そっか、それなら安心かな」

 そんな事を話しながら歩いていたその時、俺達はいつの間にか森を抜け、ゴツゴツとした岩場の辺りへと来ていた。すると、篝は腕の中から周囲をキョロキョロと見回し始め、ある一方に向いた瞬間にジッとそちらを見始めた。それに続いて俺もそちらへ視線を向けると、小さな火柱がいくつも上がっている場所が見え、火鼠の里が近い事を悟った。

「流石は火鼠の里、何個も火柱が上がってるな」

「あはは……まあ、龍己さんも知っての通り、ボク達火鼠は火の中に入っている時間が必要なので、あんな風に入るための火柱や野火を幾つも準備しておかないといけないんです。もっとも、あの森みたいな場所じゃ出来ませんけどね」

「それはそうだろうな。さて……とりあえずあの火柱が上がっている先に行けば良いんだよな?」

「そうですね。それじゃあ早速行きましょうか」

「ああ」

 頷きながら返事をした後、俺は火柱がある方へ向かってゆっくりと歩き始めた。火柱へ近付くにつれ、炎が勢い良く燃える音やその熱が伝わってきた事で、濡れていた時とは反対に夏のような暑さが襲い、半人半妖の俺にこの環境は少しキツかった。しかし、とても過ごしやすそうにしている篝の姿を前にそんな事はとても言えなかったため、額に浮かぶ汗をこっそり拭いながらただひたすらに歩を進めた。そして、肌に伝わる熱でヒリヒリとした痛みを感じ始めた頃、ようやく火柱の横を通り抜ける事が出来、それと同時に暑さからも徐々に解放され始め、内心かなりホッとしていた。その後、更に歩を進めて行くと、ゴツゴツとした岩で出来た火鼠サイズにしてはかなり大きな門と門番らしき火鼠達の姿が見えると、篝はとても嬉しそうな様子で門番達に声を掛けた。

「おーい! ただいまー!」

「……え? こ、この声は……!?」

「か、()()!?」

 篝の声に門番達が驚きの声を上げる中、俺達がゆっくりと近付いていくと、門番達は俺の腕の中にいる篝の姿に更に驚きの声を上げた。

「篝様! ご無事でしたか!?」

「我々が目を離した隙に里を抜け出されたと聞いて、長老様を始めとした皆様がとても心配されていましたよ!?」

「あはは、ゴメンゴメン。ボクだけで『あの子』を捜してみようと思ったんだけど、やっぱり寒がりなのには勝てなかったよ……」

「……そうでしたか。しかし、ご無事だったのは本当に良かったです、篝様」

「ご家族の皆様も心配されていましたが、その中でも長老様が一番心配されていたので、すぐに顔をお見せに行った方がよろしいかと思います」

「うん、分かった。ところで、彼も通しても良いかな? 彼がいなかったら、ボクは今頃寒さで死んでしまっていたかもしれないからさ」

 その篝の言葉で門番達の視線が俺に集中し、門番達はとても物珍しそうな様子で俺の姿を見始めたが、すぐに篝の方へ再び視線を向けると、頷きながら返事をした。

「もちろんです、篝様」

「篝様の命の恩人とあらば、我々も反対する理由はありませんので」

「うん、ありがとう」

 ニコリと笑いながらお礼を言うと、篝は今度は俺の方へと顔を向け、「それじゃあ行きましょうか」と同じくニコリと笑いながら言った。そしてそれに対して静かに頷いた後、門番達が避けてくれた所を通って里の中へと入った瞬間、俺はそこに広がっていた光景に思わず小さな声で独り言ちてしまっていた。

「……これが火鼠の里、なのか……」

「ふふ、そうですよ」

 小さく笑いながら篝が俺の独り言に答える中、俺は一歩ずつ歩を進めながら目の前に広がる火鼠の里の光景に軽く驚いていた。里の中にはあちらこちらに火鼠達の家と思われる幾つもの大きな岩があり、その岩の下に空いた穴から火鼠達は出入りをしており、俺が住んでいる不忍や深水のような町にあるような木造の家などはもちろん無かった。そして、更に少し歩くと広場のような場所があり、その中心には明らかに火鼠達が作った物では無い石碑のような物があった。

「篝、これって石碑……だよな?」

「はい。遙か昔――」

「……この地を訪れた巨大な妖が当時の住民達との交流の記念として置き、その仲間が文字を彫ったと言われている物ですじゃ」

「……え?」

 篝の説明を遮った声の方へ視線を向けると、そこにはここまで見てきた住民達よりも大きい――およそ子兎と同じくらいの大きさの火鼠の姿があり、その姿に篝は大きな声を上げながら驚いた。

「お、お爺ちゃ――じゃなかった、長老!」

「……篝、勝手に出歩いてはいけないと言ったはずじゃろ? まったく……好奇心旺盛なのは良い事じゃが、あまり不用意に出歩いてはいかんぞ?」

「ご、ごめんなさい。けど、ボクはどうしても捜したかったんだよ……」

「……『朱夏(しゅか)』をか?」

「うん……だって、朱夏はボクにとってとても大切な妹だから……」

「……やれやれ、その気持ちは分かるが、朱夏はこの島中を捜しても見つからなかったんじゃぞ? だというのに、お前だけで探したところで見つかるはずは無いじゃろ?」

「そうだけど……でも、ボクはもう一度だけでも良いから、朱夏に会いたいんだよ……!」

 涙交じりの篝の声に、火鼠の長老は哀しそうな表情を浮かべながらただ首を横に振るだけだった。

 そっか……篝はいなくなった自分の妹を捜すために里から出ていたのか。ただ、水に本当に弱い火鼠が島から出るには、海を誰かに捕まって飛んで渡るしかない気がするけど、篝達に黙ってそんな事をする必要なんて無いよな……。

 いなくなった篝の妹の事について考えていた時、長老は篝から俺へと視線を逸らすと、丁寧に一礼をした。

「どなたか存じませんが、篝を連れてきて頂き、本当にありがとうございます」

「あ、いえ……別に大した事はしていませんし、お孫さんにはここまで案内してもらっていたので、お気になさらないで下さい。それよりも、先程からお話に出てきている朱夏さんというのは……」

「朱夏は篝の一個下の妹で、篝とはとても仲の良い子でした。ですが、数年前に突然姿を消しましてな、里の者が総出で島中を捜したのですが、まったく見つからなかったのです」

「……朱夏さんは、長老様や篝さんに黙ってどこかへ行く様な事は今までありましたか?」

「いえ……朱夏はいつも篝の後をついて回っているほど篝に懐いていたので、そのような事は一度もありませんな……」

「そうですか……では、誰か空を飛ぶ事が出来る妖などの友人はいましたか?」

「いえ、そのような者がいるという話も聞いた事はありませんな……」

「ふむ……」

 これでだいぶ絞られたけど、他に行方不明になる可能性なんてあるのか……?

 その出来事の不思議さに小首を傾げていたその時、突然篝が何かを思い出した様子で「……あ、そういえば」と小さな声を上げたかと思うと、腕の中から長老へと声を掛けた。

「長老、確かボク達の生え替わりの時期に抜ける毛を集めている場所があるって聞いた事があるけど、それはどの辺りにあるの?」

「ここから少し離れた場所にあるが……それがどうかしたか?」

「えっと……実は――」

 篝が今回の涼風丸さんからの依頼やここまでの経緯について話すと、長老は「なるほど……」と納得した表情で頷いた後、ちょうど近くにいた火鼠達に声を掛けた。

「お主ら、少し良いかの?」

「はい、何かご用ですか?」

「こちらにいらっしゃる篝の命の恩人が、我々の燃えぬ毛を御所望のようじゃ。皆で力を合わせて持ってこられるだけ持ってきてくれるかの?」

「分かりました。よし……皆、やるぞ!」

『おー!!』

 火鼠達は大声を上げると、毛を集めている場所へ向かって一斉に走っていった。

 ふう……これで何とか涼風丸さんからの依頼には応えられそうだけど、後はどうやって向こうまで帰れば良いかな……?

 そんな事を考えていたその時、「長老様ー!」

 と長老の事を呼ぶ声が聞こえ、俺達はそちらへと一斉に振り向いた。すると、さっき出会った門番達がこっちへ向かって走ってきており、その表情には焦りと不安といった感情が浮かんでいた。そして、門番達が息を切らしながら俺達の目の前で止まると、長老は不思議そうな様子で門番達に声を掛けた。

「お前達……一体どうしたのじゃ?」

「はあ……はあ……門の所に奇妙なモノが……」

「奇妙なモノ……じゃと?」

「は、はい……そちらの方よりも大きな体で背中に翼が生えていました……」

「俺よりも大きくて翼が生えている……あ、もしかしてその人は帽子を被っていたり白い服を着ていたりしていませんでしたか?」

「そうですが……もしや、お知り合いですか?」

「……たぶん、そうだと思います。でも、どうやってここまで辿り着いたんだろう……」

 涼風丸さんと思われる人物がこの島に辿り着いた方法について考えたが、すぐには思いつかなかったため、俺は「……まあ、良いか」と独り言ちながら考える事を止めた。そして、再び長老の方へ視線を向けた後、俺は丁寧に一礼をしてから話し掛けた。

「申し訳ありません、長老様。少し門の方まで行って参ります」

「ほっほっほっ、構いませんぞ。例の物は若者達に運ばせておきますので、ゆっくり行ってきて下され」

「ありがとうございます」

 長老の言葉に答えた後、俺と篝は門番達の後に続いて再び門の方へ向かって歩き始めた。そして、門の所に着いたその瞬間、門の陰から「……やれやれ」と少し呆れたような声が聞こえ、それと同時に数日前に出会った今回の依頼人――大天狗の涼風丸さんが姿を現した。

「……やはり、涼風丸さんだったんですね」

「ああ、そうだ。まったく……お前が嵐の中に消えたと聞いて、龍三郎を始めとしたお前の知り合い全員が心配をしていたのだぞ?」

「皆が……」

 皆には心配を掛けた事、後でしっかりと謝らないとな……。

 不忍や深水の皆の顔を思い浮かべながらそう考えていた時、涼風丸さんは俺の腕の中にいる篝や門番達の姿に「ほう……」と物珍しそうな様子で声を上げた。

「して龍己、此奴らがお前の言う火鼠というモノか?」

「はい。そして、涼風丸さんからの依頼である『燃えない着物』を仕立てるための素材もこの火鼠の里の住民達に集めてもらっている最中なので、安心して下さい」

「……それは分かった。しかし、その素材をお前はどう運ぶつもりなのだ?」

「……あ」

 そうだ……素材が集まったところで、それを運べなかったらまったく意味が無い。そして、それに加えて火鼠の毛を着物用の糸に仕立てるにはたぶんかなりの量があるから、その重量に耐えられるだけの輸送手段が必要になる。けど、俺が乗ってきた船は今ここには無いし……。

 黙り込んでしまった俺の姿に、涼風丸さんは呆れた様子で「……詰めの甘い奴だ」と独り言ちた後、不意に海がある方へ振り返ると、突然ニヤリと笑った。

「……どうやら来たようだな」

「来たって……何がですか?」

「その着物の素材やお前を運ぶための船、並びに船員達だ」

「……え、それってまさか……」

「ああ、お前が乗ってきた船はボロボロになっているが、どうやら青八達、傷が浅かった者達が仲間の漁師に頼み込んでいたようでな。我が深水を訪れた頃には、既に船出の支度を整えていた。そこそこ大きな船であったため、素材やお前を運ぶには事欠かぬだろうな」

「……良かった。青八さん達、生きていたんだ……」

「……奴らも漁師である前に海に関する妖だ。そう心配せずとも、海難事故で命を落とす事はそうそう無いだろう」

「それはそうですけど、青八さん達が生きていてくれた事、その事が本当に嬉しいんです。今回の件に青八さん達を関わらせなければ、嵐に巻き込まれる事も怪我をさせる事もありませんでしたから……」

 青八さん達に怪我をさせてしまった事に対して申し訳なさを感じていた時、涼風丸さんは何かを懐かしむような目をしながらポツリと呟いた。

「……やはり、お前は龍三郎と似ているな」

「え……?」

「……なに、龍三郎も昔からそのような事ばかり言っていただけの事だ。たとえ自分が危険な目に遭おうとも常にその件に関わっている他者の心配ばかりをし、他者の喜びや哀しみはまるで自分の事のように受け取った上にそれを分かち合う」

「…………」

「もちろん、決してそれが悪い事だとは思わん。しかし、中にはそういった輩を良いように利用しようとする者もいる。それは人間に限らず、妖などにもあてはまる事だ。他者が腹の内でどのような事を考えているのかなどは、覚ぐらいにしか分からぬのだからな」

「そう……ですね」

 その話を聞きながら先日の深水の件を思い出し、少しだけ切ない気持ちになっていたその時、道の向こうから何台もの大八車とそれを引いてくる青八さん達の姿が見え、俺は再び青八さん達に会えた嬉しさから大きく手を振りながら声を掛けた。

「青八さん! 皆さん! こちらです!」

「おう! 分かった!」

 程なく、青八さん達と大きな麻袋を積んだ大八車が目の前で止まると、青八さんは大八車から手をパッと離し、とても嬉しそうな笑みを浮かべながら俺の肩をバンバンと叩いてきた。

「ははっ! おめぇにまた会えて嬉しいぜ、鈴蘭!」

「いてて……あ、ありがとうございます。私も青八さん達にまた会えて本当に嬉しいです。あの……怪我の方は大丈夫ですか?」

「へへ、こんなもん怪我の内に入んねぇし、酒飲み話の一つにしちまえばどうって事ねぇよ! なっ、おめぇら!」

『おう!』

 青八さんの言葉に磯天狗の漁師達全員が大声で答えると、篝達はその音量の大きさに驚きながら一斉に毛を逆立てた後、小さな声でそれぞれ独り言ちた。

「うぅ……ビックリしたぁ……」

「海の向こうには本当に多くの驚きがあるな……」

「まったくだ……」

 ……まあ、そう思うのは不思議じゃないよな。

 そんな事を考えながら火鼠達の様子に対してクスリと笑っていた時、後ろの方から「龍己殿」と俺の事を呼ぶ声が聞こえ、俺達は揃って後ろを振り返った。すると、そこにいたのは長老と若い火鼠達であり、その手には『燃えない着物』の素材になる火鼠の毛が握られていた。

「長老様、皆さん……わざわざこっちまで来て頂いて本当にありがとうございます」

「ほっほっほ、構いませんぞ。篝の命の恩人のためならば、この程度大した事ではありませぬ。のう、皆のもの」

『はい!』

 長老の声に火鼠達が一斉に答えると、それを見ていた青八さんは「……へえ」と楽しそうな笑みを浮かべた後、俺の肩を抱きながらニヤリと笑った。

「おめぇ、ずいぶんとコイツらから慕われてるみてぇだな? 流石は命の恩人様ってところか?」

「あはは……まあ、 本当に偶然だったんですけどね」

「はっはっは! たとえそれが偶然だったとしてもその運を引き寄せたのは、お前――()()の日頃の行いが良かったからだよ! だから、この事については存分に胸を張っとけ!」

「……はい」

 心の奥から湧き上がってくるぽかぽかとした物を感じながら返事をすると、青八さんは仲間の漁師達へ向かって「よし……やるぞ、お前達!」と呼び掛け、それに対して漁師達が答えた後、火鼠達と協力して火鼠の毛を次々と麻袋へとしまい、それを大八車へと載せていった。そして、それから数分が経った頃、火鼠の毛で膨らんだ麻袋が載った大八車を船に乗せるため、青八さん達が次々と引いていき、それを見送りながら心からホッとしていた。

 ……ふう、これで任務は完了だし、後は無事に不忍へ帰るだけだな。

 そんな事を思いながらふと篝へ視線を向けると、篝は何やら真剣な表情で考え事をしていた。

「篝……?」

「……龍己さん、一つお願いしても良いですか?」

「あ、うん……俺に出来る事なら」

「分かりました。けど、その前に――一度ボクの事を下ろして頂いても良いですか?」

「うん、分かった」

 ゆっくりとしゃがみ込みながら篝を下ろすと、篝はとても真剣な表情で長老へと向き合い、一度深呼吸をしてから静かに口を開いた。

「長老、お願いがあります」

「……なんじゃ?」

「ボクに……旅に出る許可を出して下さい!」

「篝……」

「……理由を訊いても良いか?」

「理由は2つあります。1つは妹、朱夏を捜すためです。朱夏がこの島にいないのはもう分かっています。それなら、ここでは無い場所を捜す方が朱夏が見つかる可能性が高いと思うんです」

「……確かにそうかもしれないが、見つかるという確証は無いぞ?」

「はい、分かっています。けど、それでもボクは朱夏を捜したいし、もう一度朱夏と話したい、そして朱夏ともう一度笑い合いたいんです……!」

「分かった……では、2つ目の理由を聞こうか」

「2つ目は、自分の見識を広げたいからです。ボクは今日一日で龍己さんの事や涼風丸さんの事など、本当に色々な事を学びました。けどそれは、この島の外の事をボクはまだまだ知らないという事と同じです」

「……まあ、そうじゃろうな」

「そしてボクは、今回の件を通じて自分がまだまだ未熟で力不足な事も知りました。だからこそ、この島の外にある様々な物や人との出会いで、ボクは成長をしたいんです」

「成長を望むのは良い事じゃ。しかし……しまの外には、お前が考えているよりも大きな危険や苦難が待ち構えている。それでも行くというのか?」

「はい!」

 長老の問い掛けに篝がまっすぐな目をしながら力強く答えると、「……そうか」と長老は呟いてから軽く俯いた。そして、程なくしてゆっくり顔を上げると、長老は俺の目を真正面から見ながら静かに口を開いた。

「龍己殿、もしよろしければウチの篝の事をお願い出来ませぬか?」

「え……長老、それってもしかして……!」

「……ああ。お前のその決意に免じて旅――いや、島の外へ見識を広げに行く事や朱夏を捜しに行く事を許す。しかし、お前はまだ幼い故、しばらく面倒を見て下さる方が必要じゃ。それに、お前が龍己殿に頼みたかったのは、自分を連れて行って欲しいという事じゃろう?」

「そうだけ――ううん、確かにそうですけど……」

「……やっぱりな。お前の龍己殿への懐き方を見れば一目瞭然じゃわい」

「う……そういう風に言葉にされると、何だか恥ずかしいような……」

「まあ、お前も朱夏の姉である前に兄妹の中では幼い方じゃからな。そのように少しでも頼る事が出来る存在がいた方が良いという物じゃ」

 長老は優しい表情を浮かべながら小さく頷いた後、表情を真剣な物へと変えながら篝から俺の方へと視線を移した。

「……さて、話を戻すとしましょう。龍己殿、誠に勝手な願いであるのは承知の上でお願い致します。どうかしばらくの間、篝の面倒を見て頂く事は出来ませぬか?」

「長老様……」

 はい、とすぐに答えたいのはやまやまだけど、俺はあくまでも()()()()でありまだまだ未熟な半人半妖だ。つまり、俺は勝手にこれ以上居候を増やして良いような立場ではない。加えて、篝を()()()という事は、篝が傍にいる間は俺が()()()になるわけで、正直な事を言うなら俺には篝の保護者になれるほどの力があるわけでは無いと自分で思っている。

 さて……どうしたもんかな。

 長老からの頼みに対して悩んでいたその時、それを聞いていた涼風丸さんから「……悩む必要など無いだろう?」と問い掛けられ、俺が思わず「えっ……?」と驚きの声を上げると、涼風丸さんは真剣な眼差しを向けながら静かに口を開いた。

「……龍己、自分には火鼠――篝を預かるだけの実力や責任能力が無いと思っているのだろう?」

「え、ええ……それに俺は、あくまでも『狐雨福屋』の居候なので、龍三郎さんの許可も無しに決める事は出来ませんから」

「……勝手な想像かもしれんが、龍三郎の性格なら喜んで居候が増える事を承諾するだろうから、その点は問題ない。そして、お前の責任能力などについても我は問題ないと考えている」

「そう……ですか?」

「うむ、責任能力が欠けている者が、龍三郎を始めとした様々な者からあそこまで慕われるわけが無いからな。加えて、実力などはこれからつけていけばさして問題は無い。お前は()()()()()まだまだ未熟だが、()()()()()()()()申し分ないようだからな」

「涼風丸さん……」

「まあ、人間自体を認める気はまだ無いが、お前という半人半妖の事くらいは認めても良いだろう。お前は()()()()に住む者だからな」

「あの離れって……」

 もしかして、あの離れには何か秘密があるのか……?

 そんな疑問が頭を過ぎったが、今考えるべき事はまた別の事だったため、その事は一度頭の中から追い払い、俺は再び篝との事について向き合う事にした。そして篝に注目すると、表情は緊張しているものの、その目はとてもまっすぐな物であり、そう簡単にその決心を変えるとはとても思えない程、強い思いが感じ取れた。

 ……なら、俺も出来る限り篝の事を支えるとしよう。まだまだ不安な点は多いけど、実力については涼風丸さんが言ったように皆に協力して貰いながら徐々につけていけばいいからな。

 皆がいる事の頼もしさを改めて感じながらそう決めた後、未だ緊張した面持ちで俺の事を見ている篝と真剣な表情を浮かべている長老に対してニコリと微笑みかけた。

「長老様、貴方からのそのご依頼、喜んでお引き受け致します」

「龍己殿……!」

「龍己さん、それじゃあ……!」

「ああ、改めてこれからよろしくな、篝」

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」

 とても嬉しそうな笑みを浮かべる篝の顔を見た瞬間、ここまでの安心感と疲れから俺の体がグラリと揺れ、そのまま倒れ込みそうになった。しかし、「……やれやれ、やはり半人半妖というのは厄介だな」という呆れた声が聞こえると同時に、俺の体が涼風丸さんによってソッと支えられた。

「あ……ありがとうございます、涼風丸さん……」

「龍己、まさかとは思うが……ここまで飲まず食わずで来たのでは無いだろうな?」

「……そういえば、この島に漂着してから何も食べたり飲んだりしていなかったですね……」

「はあ……そんな事では先が思いやられるな。仕方ない……我々が出発するのはもう少し後にしよう」

「本当に……申し訳ない、です……」

「そう思うのならば、まずは元気をつけろ。元気の無い状態で不忍へ戻ろうものなら、龍三郎達が更に心配をするからな」

「そう……ですね。前に、火事の中から子供を助けた事があるんですけど……その時もだいぶ心配を掛けてしまいましたから、これ以上は心配なんて……掛けられないですね……」

「その通りだ。だから、今はゆっくりと休め。飲み水や食糧などについては、我らが手配をするのでな」

「ありがとうございます……涼風丸さん」

「礼など良い。ただ……今は眠っておけ」

「わかり……まし、た……」

 涼風丸さんに対して途切れ途切れに答えた後、俺の視界はゆっくりと暗くなっていき、やがて意識が静かに失われていった。

 

 

 

 

「……さて、あの日以降体調に妙な異変などは無いか?」

「はい、バッチリです」

 あの日――火鼠達が住む島に漂着した日から一週間が経った頃、俺は篝を膝に乗せながら自室である離れで涼風丸さんの問い掛けにニコリと笑いながら答えた。あの日、俺の疲れなどを取るために休息を取った後、長老や篝の家族達にしっかりと別れを告げてから涼風丸さんに抱えてもらう形で俺達は島を飛び立った。島から不忍へ向かう途中、篝は初めて見る空からの光景に『わぁーっ……!』と嬉しそうな声を漏らしながら楽しそうにしていた。そして、そんな風に飛び続け、夕日が登り始めた頃に見覚えのある港――俺が今朝出発した『深水』の港と龍三郎さん達の姿が見え、俺はようやく帰ってこられた事に嬉しさを感じた。その後、皆の目の前に涼風丸さんが静かに降り立つと、皆はとても嬉しそうな笑顔で俺達が無事に帰ってきた事について喜び、それぞれの言い方で労いの言葉を掛けてくれた。そして、それに答えながら火鼠の毛を載せた船も無事に港に着いた事や篝の事などについて話した後、『深水』に残る七之助さんや自分が住んでいる山へ戻る涼風丸さんと別れ、俺達は揃って不忍へと戻ったのだった。

 ……そういえば、篝が行方不明の妹を捜してるって話した時に風之助が少しだけ暗い表情をしてたのが気になるな……。もしかしたら、アイツにもいなくなった友達か弟妹でもいるのかな……?

 そんな事を考えながらその時の事を思い返していた時、篝が天井を見上げながら小さな声で独り言ちた。

「それにしても……ボク達の毛であんなに綺麗な着物や()()が作れるなんて夢にも思わなかったなぁ……」

「あ、ああ……そうだな。貰った量が思ったよりも多かったから、白無垢(しろむく)正絹(しょうけん)じゃなくあれで織ろうって話になったのは結構驚いたけど、結果として良かったのかもしれないな」

「うむ、そうだな。そしてあの着物は、どうやら娘にとって一番の着物になったようでな、毎日あの着物を楽しそうに手入れしているよ」

「そうですか……そこまで気に入ってもらえたのなら、頑張った甲斐があったかもしれませんね」

 小さく微笑みながら答えた時、俺はふとある事を思い出し、それについて涼風丸さんに問い掛けた。

「涼風丸さん、どうしてあそこまで人間の事を嫌っているんですか? 妖が人間に対して良い印象を持っていないのはよくある事ですけど、涼風丸さんの場合は……何と言うか()()()()()みたいな印象を抱いているような気がして……」

「……その事か。まあ、()()()()にならば話しても良いだろう」

 そして、涼風丸さんは緑茶を一口飲んでから人間を嫌うようになった理由について話を始めた。

「昔、まだ人間達の世界にいた頃、我はとある地方の山に住んでいた。そしてその近くには、小さな村が1つだけあったのだが、その村の住人達は我の事をあまり良く思ってはいなかった。しかし、その中でも1人だけそこそこ仲良くしていた人間の友人がいた。ソイツは山伏と呼ばれる者で、仲間内の中でも特に強い霊力を持っている奴だった。奴は同じ人間よりも我ら妖のようなモノが好きで、そういった者達と触れあいたいと思い、山伏を志したとある日酒を飲み交わしている時に言っていた。その時、我はその理由をくだらないと一蹴したのだが、奴はそれでもニコニコと笑っていた。恐らく奴にとっては、たとえどんな事を言われようとも我のようなモノと触れあう事が何よりも楽しかったのだろうな。

 そんなある日、近くの村で童が一人いなくなるという事件が起きた。童自体はその日の内に山中ですぐに発見され、いなくなった理由もただ単に探検をしていたからだったのだが、とても愚かしい事に村人達は童は我が喰らうために攫ったと言い始めたのだ。もちろん、我がそのような事をするわけは無かったのだが、我に対して悪印象を抱いていた村人達や他の山伏達は我を退治するために武器や札を持って続々と山中へと入ってきたと奴が教えてくれた。その報告を聞いた後、我は村人達に対してほとほと愛想を尽かし、前々から話だけは聞いていたこの妖世界へと行く事にし、奴にも別の地方へ逃げるように言った。だが、奴は静かに首を振ると、『俺が皆を説得してみるから少し待っててくれ』と言い残し、村がある方へと走っていった」

「……本当に良いご友人だったんですね」

「……そして、それから程なくして、奴の気配を感じてそちらへ視線を向けた。するとそこにあったのは、身体中に切り傷や火傷を負った奴の姿であり、我はすぐに駆け寄りながら何があったのかを訊くと、奴は苦しそうな笑みを浮かべながら『ゴメン……無理だったよ……』と答えた。その時、我は初めて人間を助けたいと感じ、どうにか奴を助けるために住み処へと連れて行こうとした。しかし、奴は再び静かに首を振ると、『涼風丸、俺を置いていけ。お前だけでも生きてくれ』と言った。その言葉に我が驚いていると、奴は痛みを堪えながらいつものような笑みを浮かべながらこう言った。

『お前が助けてくれようとしてるのはとても嬉しいよ。でも、俺がお前の住み処へ行けば、その血の跡を追ってアイツらがやって来てしまう。だから、俺の事を置いて行ってくれ。お前が争う姿なんて俺は見たくないから』とな。我はそれでも奴を助けようと思ったが、村人達が近付いてくる足音が徐々に聞こえだした事、そして奴の『さあ、早く!』という言葉を聞き、我は悔しさを感じながらも姿を隠しながら山を飛び去ったのだ……」

「……その後、そのご友人はどうなったのですか?」

「……死んだ、それも仲間だった山伏達や村人達から更に痛めつけられた上でな。妖世界へと渡った後、我は奴の事を知るために一度人間達の世界に戻った直後に山に住んでいた獣たちより聞いたのだが、それを聞いた瞬間に怒りが沸々と湧き出し、村人や山伏達を血祭りに上げてやろうと考えた。しかし、そんな事をしても奴が戻る事は無い上、死んだ奴が喜ばないだろうと思い、人間達への憎しみを抱いたまま妖世界ヘと戻ったのだ」

「……そうだったんですね」

 涼風丸さんの話を聞いた後、人間達が元々持っている()()()()()()の恐ろしさを改めて感じていた時、膝の上にいる篝が「……同じ人間同士なのに、どうしてそんな酷い事が出来るんでしょう……」と哀しそうな様子で呟くと、涼風丸さんは目を閉じながら首を横に振った。

「さてな……だが、奴らにとっては、我だけでなく我と深く関わっていた彼奴も人では無い何かに見えていたのかもしれんな」

「そんな……」

「まあ、今となってはその真偽は分からぬ。もっとも、今更知る気も無いがな」

「え、でも……」

「それに、今必要なのはそれを知る事でも真偽を議論する事でも無い。その過去があった事はしっかりと受け止めつつ、次へと進む事だ。過去をいつまでも引きずっていたところで、得られる物など何も――」

「それは……本心からの言葉ですか?」

「む……?」

「り、龍己……さん?」

 俺の問い掛けに涼風丸さん達が疑問の声を上げた後、一度深呼吸をしてから言葉を続けた。

「先程、そのご友人が無くなったのを聞いた時に怒りが沸々と湧き出し、村人や山伏達を血祭りに上げてやろうと思ったと、涼風丸さんは言っていました。けれど、その時に同時に自分に対しても怒りを覚えていたんじゃないですか?」

「ふん……くだらんな。何故、我が自分に対して怒りを覚える必要があるのだ?」

「涼風丸さん自身が行動を起こしていれば、そのご友人を助けられる可能性があった事に気付いたからです。村人達が涼風丸さんを良く思っていなかったのは、人間達が本来持っている異種への恐れのせいで、涼風丸さんはそれに気付いていながらも自分には関係ないと思ってそれを放置していた。けれど、涼風丸さんと村人達の間に少しでも信頼感があれば、そして村人達が抱いていた恐れを少しでも無くしておけば、涼風丸さんと村人達が心からわかり合えなくとも、そのご友人が村人達に殺される事は無かったかもしれない。ご友人が殺されてしまったのは、涼風丸さんが言うように妖と仲良くしている人間を()()()()として村人達が認めなかったからだと思いますし」

「け、けど……涼風丸さんのご友人と村人達は今まで仲良くしていたんですよね? それなのに、どうしてそれだけで自分達とは違うモノだなんて思えるんですか……?」

「それが集団的な心理だからだよ。これは人間に限らないけど、生き物というのは同じような考えや嗜好を持つ者同士で集まろうとする傾向がある上、そこから外れようとする者や外れている者を排除したがるものなんだ。もっとも、その外れ者が何かに秀でた者だったり自分達に益をもたらす者なら多少の恐れを感じながらも受け入れはする。けれど、それに当てはまらない者やあまりにも異質だと感じた者は進んで排除しようとする。たとえ、その外れ者が自分達と敵対しようと思っていなくてもな」

「そんな……」

「今回の場合は、自分達のように妖に対して恐れを感じず、妖を守ろうとした涼風丸さんの友人の事を村人達や山伏達が()()()()だと判断した事で起きた。けれどそれは、村人達や山伏達がその異質な敵の仲間である涼風丸さんの事を恐れたから、そして涼風丸さん自身が人間に興味を持とうとしなかったから起きた事で、少しでもお互いが向き合い触れあっていればその友人が今でも生きていた可能性は上がっていた。その事は間違いないんだと思う」

「……そして、そうしてこなかった自分に対して我自身が怒りを覚えている、と?」

「ええ、俺はそう思っています。何故なら、涼風丸さんは本当は責任感が強いとても優しい人――いや、妖だから」

「……責任感が強く優しい妖だからと言って、必ずしもそう思うわけでも無いと思うが?」

「確かにその通りです。けれど、涼風丸さんはそうだった。そうじゃなければ、自分から深水に出向いて青八さん達に声を掛けに行かないですし、またいつ嵐が吹き荒れるかも分からない状態で俺達がいた島まで飛んでこようなんて思いませんから」

 涼風丸さんの目を真正面から見つめながら「どうですか?」と訊くと、涼風丸さんは真剣な目でしばらく俺の目を見つめ返した後、諦めたように一度息をついてから静かに口を開いた。

「……半分正解だが、半分は不正解だ。確かに我は責任感が強い方だと自負はしているが、それはあくまでも自分が主体となった事柄などに対してだけであり、少ししか関わっていない事などであればそれ以上関わるつもりもない。今回も我の依頼によって起きた出来事であったが故に関わったが、たとえ心が冷たいと言われようとも基本的にその姿勢を変えるつもりはない」

「……そうですか」

「……だが、お前達においては別だ」

「え?」

「……あの日も言ったように、人間を認める気は未だ無いが、お前という半人半妖の事は認めている。元々、我らのような妖に好意を持っているとは言え、己に対して敵意を持っている者の依頼を引き受け、命すら落としそうになったにも関わらずそれについて恨み言の1つすら言わない寛容さや自分とは違う種の者すら自然に友にしていくその求心力。そんな力を持っている者であれば、認めざるを得ない。そして、依頼を引き受けてもらった分の恩義もあるからな」

「涼風丸さん……ありがとうございます」

「礼には及ばん。むしろ、我の方が礼を言うべきなのだからな」

「と言うと……?」

 小首を傾げながら訊くと、涼風丸さんは少しだけ気恥ずかしそうな様子でコホンと咳払いをしてからそれに答えた。

「……お前という()()との出会いで、少しずつは人間という物について興味を持とうと思った、ただそれだけの事だ」

「……ふふ、それでも俺は嬉しいですよ」

「……そうか」

「はい」

 ニコリと笑いながら答えた後、俺が篝と顔を見合わせてクスクスと笑うと、涼風丸さんはまだ少しだけ気恥ずかしそうな様子を見せながら再び緑茶を一口だけ飲んだ。

 どんなきっかけであっても、誰かと仲良くなれるのは決して悪い事じゃない。それは人間同士や妖同士に限らず、人間と妖のような異種族間でも同じ事だ。だからこそ、これからもこの妖世界の住人達との絆を紡いでいこう。いつか人間と妖の架け橋のような存在にもなれるように。

 そして、涼風丸さんの方へ向き直った後、俺と篝はニコリと笑いながら涼風丸さんに手を差しだした。

「改めて、これからもよろしくお願いします、涼風丸さん」

「よろしくお願いします、涼風丸さん!」

「……ああ、こちらこそな」

 涼風丸さんがフッと笑いながら答え、俺達の手を静かに取った後、俺達はそのまま握手を交わした。その瞬間、涼風丸さんの名前と同じ涼風が離れの中へと吹き、それと同時に先程まで重かった空気はとても澄んだ気持ちの良い空気へと入れ替わり、俺達の心にもこれからの事を応援してくれているようなとても気持ちの良い追い風が吹いてきたような気がした。




政実「第10話、いかがでしたでしょうか」
龍己「今回の話でまた新しい仲間も増えたけど、幾つかこれから先に恐らく明かされるであろう謎も出てきたな」
政実「そうだね。うまく膨らませていけるかは不安だけど、精一杯頑張ってみるつもりだよ」
龍己「分かった。そして最後に、今作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第11話 世界を繋ぐ扉と新たな仲間

政実「どうも、裁縫は学校の授業ぐらいでしかやった事が無い片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。裁縫か……出来れば結構助かる場面も多いだろうし、これを機にやり始めたらどうだ?」
政実「うーん、そうだね……手先は器用じゃないから、しばらくは痛い思いをする事になるだろうけど、確かに良い機会かもしれないし、やり始めるのもありなのかな?」
龍己「少なくとも俺はそう思うけどな。さてと、それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第11話をどうぞ」


 大天狗の涼風丸(すずかぜまる)さんや火鼠(かそ)(かがり)と離れで話をした日から一週間が過ぎた頃の朝食後、俺は自室である離れで篝がのんびりと眠る横で人間の姿のまま読書をしていた。別に妖狐の姿で読書をしていても良いのだが、妖狐の姿はあくまでも事情を知らない妖達に元人間の半人半妖である事を隠すための物であり、人間の姿の方が楽と言えば楽なため、離れにいる時は結構人間の姿で過ごしている。

 ……まあ、主の龍三郎さんを始めとしたこの『狐雨福屋』の人達は、皆俺の事情を知っていてくれるから、店の中を人間の姿でうろうろしてても本当は問題無いけど、龍三郎さんを訪ねてくるお客様の事もあるから、今の所はこの離れぐらいしか人間の姿でいられる場所も無いな。

 そんな事を考えながら本のページを捲っていたその時、突然廊下の方から足音が聞こえ、俺はその音に耳を(そばだ)てながら本をパタンと閉じた。

「……まだ足音だけじゃ誰かは分からないし、何があっても良いようにとりあえずいつもの姿になっておくか」

 そう独り言ちた後、体の奥にある妖力を目覚めさせ、金色の耳と尻尾を生やした妖狐の姿へと変化した。そして、程なくして足音の主は姿を現すと、いつものように穏やかな笑みを浮かべながら俺に話し掛けてきた。

「龍己君、1つお願い事をしてもよろしいですか?」

「あ、はい。もちろん大丈夫ですけど……お仕事に関する事ですか? 龍三郎さん」

「ええ、まあ」

 足音の主──妖狐の龍三郎さんは、笑みを崩さずに静かに頷くと、そのまま離れへと入りながらそのお願い事について話を始めた。

「実は、ある場所に私の昔からの友人であり反物を織る事を生業にしている方がいまして、その方にいくつか依頼をしていたので、それを貰ってきて欲しいのです。因みに代金は前払いしているので、貰ってくるだけで問題ありません」

「分かりました」

「そして、そのお店がある場所が少し特殊なので、今回は同行者が付く事になります」

「同行者……ですか?」

「はい。()は幾度もそのお店まで行った事がありますので、彼の言う通りに着いて行けば大丈夫です。本来であれば、私と彼で行ってくるべきなのですが、先日から龍己君にはお店の事も手伝ってもらっていますし、少しお店の方も忙しくなってきていたので、今回は龍己君にお願いしようと思ったのです」

「そうだったんですね……分かりました、それじゃあすぐに準備をします」

「ありがとうございます。彼にはお店の前で待つように言ってあるので、準備が出来たらそちらへ向かって下さい」

「はい。それじゃあその間、篝は離れで留守番をさせておきますね」

 そして、留守番を頼むためにスヤスヤと眠っている篝を起こそうとした時、龍三郎さんはニコリと笑いながら手で制すると、そのまま笑みを浮かべながら再び話し始めた。

「篝さんは連れて行ってもらっても大丈夫ですよ。篝さんもお留守番をしているよりは、龍己君と一緒の方が安心するでしょうし、何より篝さんのご家族の手掛かりも見つかるかもしれませんから」

「……そうですね」

 返事をしながら大人しく眠っている篝の背中を静かに撫でた後、俺はここまでの調査の成果について思い出した。篝は行方不明になった妹──朱夏を捜すためにこうして俺に付いてきたが、瓦版屋である鎌鼬(かまいたち)の風之助や妖狐の草吉さん、更には別の街──深水に住んでいる化け蛇の七之助さんや少し離れた場所にある山に住む涼風丸さんの力を借りても未だその行方が分からずにいた。

 俺も篝を連れてこの不忍の街を歩いて捜したり知り合いに訊いてみたりはしたけど、結局分からずじまいだったからな……。本当ならもう少し範囲を広げて捜したいけど、『火の外にいる時に水が掛かると死んでしまう』という火鼠の特性上、あまり遠くに行くのは危険だから、篝を連れて行くには結構な装備が必要になるしな。ただ、そういうのに適した妖術でもあれば、また話は別なんだけど……。

 そんな事を考えながら篝を撫でていた時、「んぅ……」という声を上げながら篝が目を覚まし、まだ眠そうな目を俺達へと向けてきた。

「……あ、皆さん、おはようございます……」

「おはよう、篝。その様子だとよく眠れたみたいだな」

「えーと……はい、朱夏が中々見つからない事で、気持ちが落ち込んでいたんですが……少し眠ってみたら少しだけ楽になりました」

「そっか、それなら良かったよ。無事に見つかるように俺達ももう少し努力してみるから、これからもお互いに頑張っていこうな」

「……はい、これからもよろしくお願いします」

 ニコリと笑いながら言う篝の頭を撫でながらコクンと頷いた後、龍三郎さんから受けた依頼について話すために口を開いた。

「さて……今から龍三郎さんからの依頼で出掛けるところだったんだけど、お前も付いてくるか?」

「え……お仕事なのにボクも付いていって良いんですか?」

「はい。確かにお仕事ではありますが、お手伝いに近い内容ですし、この不忍とは別の場所へ行ってもらうので、もしかすれば篝さんのご家族の手掛かりも見つかるかもしれません。それに、篝さんには碧葉(あおば)とも仲良くして頂いてますが、やはり龍己君と一緒の方が安心するでしょうからね」

「龍三郎さん……本当にありがとうございます」

「いえいえ。それでは……龍己君、篝さん、どうかよろしくお願いします」

「「はい」」

 一緒に返事をすると、龍三郎さんは安心した様子でコクンと頷き、そのまま仕事の方へ戻っていった。

 今回の仕事の内容とか同行者が誰なのかとか気になる事は多いけど、こうして手伝いレベルでも仕事を頼まれるようになったのは、やっぱり嬉しい物があるよな。

「……これからももっと色々な仕事をさせてもらえるようにまずは今回の仕事を頑張っていかないとな」

 頼まれた仕事に向けてのやる気を高めながら独り言ちた後、再び篝の方へ顔を向けた。

「それじゃあ早速行こうぜ、篝」

「はい!」

 そして、篝と一緒に荷物の準備を整え、筆や(すずり)などが入った風呂敷を軽く背負った後、俺は篝を抱えながら縁側に置いていた草履に足を通し、同行者との待ち合わせ場所へと向かった。木戸を通り抜けて『狐雨福屋』の前に行くと、そこにいたのは『狐雨福屋』の手代であり龍三郎さん達と同じ妖狐の羅紗(らしゃ)さんだった。羅紗さんは濃い青色の着流しに身を包んだ俺と同じ金色の耳と尾を持ついつも落ち着いた雰囲気を漂わせている妖狐で、俺が半人半妖になる原因になった妖狐でもあるのだが、今日は俺と同じように小さな風呂敷包みを背負っていた。

 それにしても……同行者が羅紗さんだったのは、ちょっと驚きかな。何というか、羅紗さんは番頭の伊織(いおり)さんと同じく中での仕事が多いイメージだったしな……。

 羅紗さんの姿を見ながらそんな事を考えていた時、「……来たか」と羅紗さんは一言呟くと、ゆっくりと俺達の方へ視線を向けた。

「思っていたよりも早かったな、龍己」

「あ、はい……やはりお待たせするのは良くないと思って」

「……そうか。まあ、その姿勢は悪くない。仕事に限らず、待ち合わせ相手を必要以上に待たせるのは良くは無いからな」

 静かに頷きながら言った後、羅紗さんは篝の方へ視線を向けると、そのままの様子で篝に話し掛けた。

「旦那様より話は聞いている。行方不明の妹の手掛かりを探すために付いてくるのだったな」

「はい、お邪魔にならないようにしますので、どうぞよろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む。……では、そろそろ行くとしよう。あまり遅くなってしまっては、旦那様や伊織殿が困る事になってしまうからな」

「「はい」」

 そして、俺達は羅紗さんと並ぶようにして不忍の街を歩き出した。不忍の街は、相変わらず様々な妖達で賑わっており、その様子は見ているこっちまで楽しくなってくる程に明るく楽しげな物だった。

「そういえば、不忍っていう名前の由来は、静まり返る事が無い程に賑やかな街になって欲しいからって聞いた事があるな」

「え……そうなんですか?」

「ああ、この世界に来た日に龍三郎さんからな。思えば、あの日が俺の新しい人生の始まりだったんだよな……」

 そんな事を話していた時、「龍己」と小さな声で俺の事を呼びながら羅紗さんが不意に立ち止まると、申し訳なさそうな様子で俺に話し掛けてきた。

「……あの日、勘違いをした上にお前を殺めてしまった事、本当に申し訳なかった」

「羅紗さん……もう謝らないで下さい。あの日だって謝ってもらっていますから」

 そう、あの日──俺が『人間としての死』を迎え、『半人半妖として生まれ変わった』日にも俺は羅紗さんからしっかりとした謝罪を受けている。そして、羅紗さんの言葉の通り、俺は羅紗さんの勘違い──その時に一緒にいた碧葉さんに取り入ろうとしていたように見えた事が原因で、俺は羅紗さんが放った矢で心臓を射貫かれ、そのまま息を引き取った。しかし、龍三郎さんが使ってくれた反魂の秘術によって俺は人間から半人半妖へ変化した状態で生き返り、羅紗さんの事情を知った上で俺は羅紗さんの謝罪を受け入れ、そのまま羅紗さんを許す事にした。

 確かにやり方は少し良くなかったのかもしれないけど、羅紗さんはあくまでも碧葉さんを助けようとしただけで、そういう風に見えるように接してしまっていた前の俺にも当然のように非はある。だから、あの時の俺は羅紗さんを許した。羅紗さんを憎み、その憎しみのために罰を与えるよりは、あの時の選択の方が良いと感じたからな。

「だから、もう謝らないで下さい。俺は羅紗さんの事を憎んだりや怒ったりはしていませんし、出来る事なら羅紗さんとも他の皆さんと同じように仲良くしたいと思っていますから」

「龍己……」

「綺麗事に聞こえるかもしれませんけど、憎しみ合うよりもお互いに手と手を取り合って助け合う方が、俺はずっと良いと思っています。それに……今の俺がやるべき事は、羅紗さんを憎む事じゃなく、お世話になっている『狐雨福屋』の皆さんのために出来る事をする事ですから」

 ニコリと笑いながら自分の考えを口にすると、羅紗さんは真剣な表情を浮かべながら俺の顔をジッと見つめたが、やがて「……そうか」と言いながら小さく笑みを浮かべ、少し安心した様子で言葉を続けた。

「……恐らく、涼風丸殿も仰った事だと思うが、お前は旦那様に似ているな」

「え……そうですか?」

「ああ。だが、それは顔などの身体的特徴では無く、その考え方や物腰などが旦那様に似ているという事だ。普段の旦那様は誰にでも優しく接しているが、あの日の私のような行動を取った者に対しては、それへの反省を促しながら行ってしまった事に対してしっかりと怒りを見せるお方だ」

「……そうですね。俺はまだ叱られた事はありませんが、あの日の龍三郎さん──旦那様の姿からは、店の主としての責任感などに満ち溢れていたと思っています」

「……時には優しく時には厳しく、これは店の主として基礎的な事だからな。私は旦那様に拾って頂いた事で、今『狐雨福屋』の一員として過ごしているが、あの日の旦那様との出会いには心から感謝している。旦那様と出会った事で、私はかつての私から変わる事が出来、その上で様々な事を学ぶ機会を得られたからな」

「……かつての自分から変わった……」

「その通りだ。そして私は、一生を掛けてこの恩に報いる決心をしている。もっとも、妖の一生など本当に気の遠くなるような話だが、私の決心は絶対に揺らぐ事は無い。それが私の決意だからな」

「一生を掛けて、か……」

 羅紗さんの真剣な目と言葉から、俺は羅紗さんの強い決意を感じ、羅紗さんと龍三郎さんとの間にある強い絆がとても羨ましく思えた。

 羅紗さんと龍三郎さんとの間にどんな出来事があったのかは分からないけど、今の俺には誰かのために一生を掛けるなんて事は出来ないし、そう言われてもその思いを受け止められる自信は無い。だけど、羅紗さん達にはそれだけ強い絆がある。それって何だかスゴい事だし、羨ましい事だよな……。

 羅紗さんを見ながらそんな事を考えていたその時、羅紗さんは静かに笑みを浮かべながらポツリと呟いた。

「……まあ、まだ()()1()8()()()の妖狐の決意など大した物では無いかもしれぬがな」

「いや、俺は本当にスゴい事だと思いま──あれ……?」

「龍己さん、どうかしましたか?」

「いや、ちょっと気になる事があってな。あの……羅紗さん、一つ良いですか?」

「……何だ?」

「羅紗さんの年齢って18歳だったんですか?」

「そうだが……もう少し年上に見えていたのか?」

「えっと、それもあるんですけど……確か妖狐は『長い年月を掛けて修行をした狐が成るモノで、およそ100歳になってから成る地狐』が一般的な妖狐だったような気がするんですが……」

 そうだ、今日までこの『妖世界』になれるために精一杯だったり、色々な出来事に関わったりで気づけていなかったけど、羅紗さん達が本当に妖狐だとすれば、確実に100歳は超えている上に様々な修行を積んだモノだっていう事になるよな。けど、前に聞いたところによると、龍三郎さんは今年で3()5()()、碧葉さんは今年で1()7()()になるって言ってたような……?

 羅紗さん達の話と自分が持っている知識との齟齬(そご)に混乱していたその時、「……なるほど、そういう事か」と羅紗さんは納得顔で独り言ち、ふうと息をつきながら歩き出した後に俺に話し掛けてきた。

「龍己、この『妖世界』にはある()()()が存在している」

「特異性……ですか?」

「そうだ。確かにお前が持っている知識は正しいが、それはあくまでも『人間世界』の常識であり、この『妖世界』が持つ特異性の前にはその常識も通用はしない。そして、その特異性というのが、『この世界に住む妖狐などの長い年月を経た上で成るモノから生まれた子は、生まれたその時からその種族としての力を持つ』という物だ」

「えっと……つまり、羅紗さんや旦那様はこの『妖世界』の出身であるが故に、生まれながらにして妖狐としての力を持っているという事ですか?」

「その通りだ。よって、この世界では100歳未満の妖狐や気狐などは珍しくは無い。もっとも、天狐である番頭の伊織殿は『人間世界』からいらっしゃった方であるため、お歳は1000を超えてらっしゃるようだがな」

「あ、そうなんですね……。けど、どうして伊織さんは『狐雨福屋』で働いてらっしゃるんですか?」

「……そこまでは分からない。だが、先代の主──旦那様の御父上に関係があるらしいが、詳しい事は知らないな」

「そうですか……」

 前に『狐雨福屋』の主達は、周囲で起きた事件に首を突っ込んでいた上、先代の主もその例に漏れなかったと聞いた事がある。という事は、伊織さんとの出会いもそういった事件や何かしらの出来事がきっかけだったのかもしれない。

 ……いつかは、その真相を伊織さんから聞く機会もあるのかな……?

 伊織さんの顔を思い浮かべながらその事について考えていたその時、篝は「あ、そういえば……」と声を上げると、不思議そうに小首を傾げながら羅紗さんに話し掛けた。

「羅紗さん、これから私達はどちらへ行くんですか?」

「……そういえば、まだ話してはいなかったか。これから私達は、『人間世界』にある旦那様のご友人が営まれている店へと向かう」

 その瞬間、俺と篝は同時に「……え?」と驚きの声を上げてしまった。『人間世界』は、俺がかつて住んでいた世界に当たるわけだが、俺は向こう側では行方不明という事になっているため、俺がふらりと向こう側に行こうものなら騒ぎになるのは間違いない。

 恐らく羅紗さんが持っている風呂敷包みの中には、その問題を払拭する物が入っているんだろうけど、それでも詳しく調べられたら流石にアウトなんじゃないのか……?

 そんな不安そうに顔を見合わせる俺達の姿に対して、羅紗さんは落ち着いた様子を崩さずに話し掛けてきた。

「安心しろ。最初から私の妖術で人間達の認識を誤らせた上、この風呂敷包みの中にある物で龍己の正体を隠す手筈になっているからな」

「……それなら確かに安心ですね。けど、どうやって『人間世界』へ向かうんですか?」

「それには、この『妖世界』と『人間世界』を繋ぐ扉のような穴──『時空穴』を使う」

「『時空穴』……ですか?」

「そうだ。『時空穴』は世界のあらゆる場所に存在しているのだが、大きく分けて2つの種類が存在する。1つは専用の術で開け放った後にその場に留まり続ける物、もう1つは時空の歪みという物の影響で偶然開き、一定期間内のみ開き続ける物だ。その内、今回使用する物と龍己をこちら側へ連れてきた時に使った物は前者に該当する」

「世界にはそんな物が……けど、そんな物があったら間違って向こう側から入ってきてしまう人もいるんじゃないですか?」

「いや、基本的にそれは無い。『時空穴』は妖力やそれに相応する力を持つ者、またはそれらの力を有する道具の所有者にのみ視認や通行が許される物だからな。そしてそれは、力や道具の所有者の生死を問わないため、お前も通る事が出来たというわけだ」

「なるほど……という事は、俺がそれを通る事が出来たのは、この水晶の勾玉のおかげという事ですね」

 首から掛けている水晶の勾玉を手に載せながら言うと、羅紗さんの視線が水晶の勾玉へ一瞬注がれたが、羅紗さんはすぐに視線を元の方へと戻した。

「……そうだな。だが、たとえそれが無くとも、手元には同じような道具があったため、その時にはそれを持たせるなり首から掛けるなりしてそのまま連れて行っただろうがな」

「同じような道具……ですか?」

「ああ、そうだ。私も幾つか妖力を有した道具を持っているから、いざとなればその内の1つを使う事も出来たというだけだ。だが……お前の言う通り、あの急がなければならない時にその水晶の勾玉があったのは幸運だったと言えるな」

「はい。今の俺にとってこの水晶の勾玉はお気に入りの1つですけど、状態の良さから見るとどうやら前の俺にとってもお気に入りの1つだったみたいです」

「……そうか」

 羅紗さんはこちらに顔を向けず答えたが、その声にはどことなく嬉しさのような物があるような気がした。そして、歩き続ける事約数分、近くにある廃寺の辺りまで来た時、羅紗さんがピタリと足を止めると同時に立ち止まると、羅紗さんの視線の先に妙な物があるのに気付いた。

「もしかして……あれが『時空穴』ですか?」

「その通りだ」

 視線の先にあったのは、およそバランスボールと同じくらいの大きさの藍色の渦のような物で、それは宙に浮かびながら音も無くただそこで渦を巻いていた。

「何と言うか……穴と言うよりは渦巻きみたいですね」

「そうだな。だが、これに近付いたその瞬間、『穴』と名付けられた理由が分かる。では、早速行くとしよう」

「「はい」」

 そして、羅紗さんと一緒に『時空穴』へ近付いていったその時、渦の中心に突然小さな穴が開き始め、それは近付くにつれて徐々に大きくなると、最終的には渦の全体へと広がった。その事に俺達は驚いたが、立ち止まるわけにはいかなかったため、羅紗さんの後に続いてそのまま『時空穴』を潜った。すると、辿り着いたのは綺麗に掃除が為された一山の寺の境内であり、周囲を軽く見回しながら妖狐モードから人間モードへと切り替えていると、羅紗さんが風呂敷包みから何かを取り出し始めた。

 そういえば、妖術と風呂敷包みの中にある物で正体を隠すって言ってたけど、一体何を使うつもりなんだ……?

 そんな疑問を抱きながら羅紗さんの事を見ていたその時、風呂敷包みの中から出てきたのは1枚の狐のお面だった。

「それはお面……ですか?」

「ああ。この面にはある(まじな)いが掛けられていて、この面を被った者やその者が手にしている物などの姿を妖力などを有した者以外から隠すと言われている」

「つまり、これを被っている間は『力』が無い普通の人間からは俺や篝が見えなくなるという事ですよね?」

「そうだ。では、早速被ってもらうぞ」

「あ、はい」

 羅紗さんから狐のお面を受け取った後、俺は一度篝を足元に下ろしてから狐のお面を着けた。すると、視界は思ったよりも狭くならず、まるで狐のお面の目が自分の目になったかのようだったため、足元に下ろしていた篝を持ち上げる時も苦労はしなかった。

「スゴいな、このお面……特定の存在から姿を隠せるだけじゃなく、まるで着けていない時と同じくらい視界がハッキリしてる……」

「高名なる術者だった職人が作り出した一品だからそれは当然だ。ところで、着け心地はどうだ?」

「あ、はい。息苦しさなども無いですし、大きさもピッタリなので、着け心地はとても良いです」

「そうか。まあ、旦那様がその職人に直々に依頼をして作ってもらった物らしいから、それは当然だろうな」

「え、そうだったんですか?」

「ああ。だから、その面はこれからもお前が使え。今回は私が付いているが、この先お前1人での頼まれ事もあるだろうからな」

「分かりました。それでは、ありがたく頂きますね」

「ああ、そうしておけ。では、そろそろ目的地へと向かうぞ」

「「はい」」

 俺達が返事をした瞬間、歩き出しながら羅紗さんがブツブツと何かを唱えだすと、羅紗さんの姿が徐々に変化し、境内を出た頃には落ち着いた雰囲気を漂わせた1人の人間へと姿を変えていた。

「これが妖術……」

「これも変化の術の1つだが、旦那様が使われる変化の術はこれの遙か上を行く。お前も妖狐の力を持つ者ならば、これくらいは覚えておけ」

「そうですね。向こうに戻った後に色々な妖術の指南書を探したり読んだりしてみようと思います」

「ああ、それが良いだろう。妖術というのは、覚えておいて損は無いからな」

 そんな会話をしながら久しぶりの『人間世界』の街中を歩いていた時、『妖世界』とは違うその風景や空気の感じに少しだけ懐かしさを覚えたが、不思議とこのままこっちにいたいという気持ちにはならなかった。

 これはたぶん、もう俺自身が人間じゃなく半人半妖として生きる事を決めたからなんだろうな。人間だった頃の俺の両親や友達なんかには悪いけど、今の俺にとっては向こうでの生活こそが今の俺が為すべき事だと決めたし、そろそろ何かしらの手は打たないといけなそうだな。

 そして、境内を出てから約十数分が過ぎた頃、俺達の目の前に一軒の和風な外装の店が見えてきた。

「羅紗さん、もしかしてあれが……」

「ああ。あれが私達の目的地である『福来和裁店』だ」

「『福来和裁店』……ふふ、何だか縁起の良さそうな名前ですね」

「まあ、そうだな。ここでは旦那様のご友人である妖狐の店主とその方がお世話をなさっている双子の妖狐の姉妹が働いていて、店主と旦那様は小さい頃からの仲だそうだ」

「つまり、幼なじみなんですね」

「ああ。その縁もあってか、数年前にこのお店を建てた時から旦那様は時々暇を見ては様子を見に来たり茶飲み話をしにこのお店を訪れている。そしてその際に仕事の相談や依頼もなさっているようで、今回もそういった経緯で依頼をなさったようだ」

「そうなんですね」

「ああ……さて、それではそろそろ行くぞ。あまり遅くなってしまってもいけないからな」

「あ、はい」

 そして、『福来和裁店』の入口へと近づき、引き戸をゆっくりと開けると、店内にいた緑色の着流しの人物が静かにこちらへ視線を向けた。

「あ、いらっしゃいませ。何かお求めですか?」

「……以前、私共の主の依頼の件で参ったのですが、店主はおられますか?」

「店主……あ、はい。今、裏で作業をなさっていたので、すぐに呼んで参ります」

「ありがとうございます」

 そして、着流しの人物──男性の店員が店の奥の方へ入っていった後、羅紗さんは不思議そうな表情を浮かべた。

「ふむ……見た事が無い顔だったな」

「新しい店員……なんでしょうけど、恐らくあの人は普通の人間ですよね?」

「そうだろうな。だが、あの男から何か妖力のような物を感じた事を考えるに、お前と同じように妖力を有した道具の所有者なのかもしれんな」

「ですね」

 話をしながら狐のお面を軽くずらしていたその時、店の奥の方から手に風呂敷包みを持った先程の店員と一緒に藍色の着流しの妖狐の男性が現れた。そして、妖狐の男性は羅紗さんの姿を見ると、ニコリと笑いながら話し掛けてきた。

「お久しぶりです、羅紗さん。お元気そうで何よりです」

「お久しぶりです、友禅殿。友禅殿もお元気そうなようで良かったです」

「ええ。いつも元気な若い人達に囲まれているせいか、私も病気に罹ること無く毎日を過ごさせてもらっていますよ」

 店主──友禅さんは穏やかな笑みを浮かべながら答えた後、今度は俺達の方へと視線を向けた。

「そちらは……もしや半人半妖の稲荷龍己さんと火鼠の篝さんですか?」

「え……そうですが、どうして名前を知ってらっしゃるんですか?」

「ふふ、先日龍三郎が依頼をしに来た際にお二人のお話をしていましてね、それを聞いてどのような方なのか少し気になっていたのです」

「あ……そうだったんですね」

「まあ、心配しなくても大丈夫ですよ。龍三郎の話し方から察するに、彼は龍己さんの事を頼りにしているようですし、人柄や知識などをとても褒めていましたから」

「そ、そうですか……」

 それは嬉しいけど、何だか照れくさいな……。

 そんな事を思いながら一人照れ臭さ感じていた時、羅紗さんが不意に周囲を見回しながら友禅さんに話し掛けた。

「……友禅殿、本日はあの方々がいらっしゃらないようですね」

「ああ、朱子(しゅす)綸子(りんず)ですね。あの子達には、ちょっとしたお使いを頼んでいるので、今は二人揃っていませんが、こうして彼がいてくれるので何かあった時でも安心できます。そうだ……綾己君、せっかくなので自己紹介をお願いできますか?」

「あ、はい。えっと……4月から『福来和裁店』で働かせてもらっています、織部綾己(おりべあやき)と言います。皆さん、これからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。私は妖狐の羅紗という者で、こことは違う世界──『妖世界』にある『狐雨福屋』の手代を務めております」

「初めまして、友禅さん、綾己さん。俺は稲荷龍己という半人半妖で、『狐雨福屋』では客人という扱いですが、世間体的には小僧見習いという形で通している者です。これからよろしくお願いします」

「そして、ボクは火鼠の篝と言います。友禅さん、綾己さん、これからよろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。私は妖狐の友禅と言いまして、この『福来和裁店』の店主を務めております。綾己君共々よろしくお願いしますね」

「よろしくお願いします」

 一通り自己紹介を終えた後、綾己さんが興味深そうな様子で俺と篝の事を見始め、しばらく眺めた後に驚きを含んだ小さな声でポツリと呟いた。

「……今日まで色々な妖怪を見てきたつもりだったけど、半人半妖と火鼠を見るのは流石に初めてだな……」

「まあ、そうだと思います。そもそも半人半妖なんて中々いないですし、火鼠は中国に伝わる生き物ですから」

「なるほど……道理で見た事が無いわけです。けど、『妖世界』というだけあってそういうモノも普通にいるんですね」

「そうですね。俺も最初は様々な妖がいる事に驚きましたけど、元々妖が好きだった事もあってか、今はよほどの事が無い限り驚かなくなりましたよ」

「あ、それは分かるかもしれません。最初はその見た目とか向こう側の常識に驚かされたり戸惑ったりしますけど、何かで話をしたり一緒に何かをやってみたりする内に段々そういう物なんだっていう気持ちになるんですよね」

「ふふ、そうですね」

 綾己さんと人間側から見た妖談議に花を咲かせていたその時、それを見ていた友禅さんが面白そうな様子で小さく笑った。

「ふふ……やはり、若い人同士はすぐに仲良くなれるところが本当に羨ましいですね。何だか私と龍三郎が初めて会った日を思い出すようです」

「友禅さんと旦那様が初めて会った日……ですか?」

「はい。桜の花弁がヒラヒラと舞い散る中、彼は木にもたれ掛かりながら本を読んでいましてね。偶然それを見掛けた私が、その本について質問をした事で私と彼は仲良くなったんですよ」

「桜の木にもたれ掛かりながら読書……何だかスゴく絵になる光景ですね」

「ええ。それに、彼は小さい頃から異性からの人気が高かったので、他の友人達からもかなり羨ましがられていましたよ」

 とても懐かしそうな様子で友禅さんは龍三郎さんとの昔話を語っていたが、「……おっと、これ以上話していては龍三郎が困ってしまいますね」と穏やかな笑みを浮かべながら独り言ちると、綾己さんの方へと顔を向けた。

「では、そちらを羅紗さんへ渡して頂けますか?」

「あ、はい。それでは、ご依頼の品をどうぞ」

「ありがとうございます。それでは、そろそろ私達はこれで失礼させて頂きます」

「はい、分かりました。またいつでもいらして下さいね」

「はい。それでは、失礼致します」

「「失礼します」」

 そして、友禅さん達に一礼をしてから店を出た後、友禅さん達に見送られながら来た道を戻っていた時、「龍己」と羅紗さんが落ち着いた声で話し掛けてきた。

「はい、どうかされましたか?」

「お前とあの綾己という人間は良い友人同士になれそうだな」

「……そうですね。話をしていてとても楽しかったので、これからも彼とは仲良くしていきたいと思っています」

「……そうか。まあ、これからは今回のような頼み事もお前に任される可能性は高い。そういった時にでも親睦を深めると良いだろうな」

「はい、そのつもりです」

 羅紗さんの言葉に微笑みながら答えていたその時、「あ、そういえば……」と篝は何かを思い出した様子で声を上げると、受け取った風呂敷包みを見ながら羅紗さんに話し掛けた。

「羅紗さん、その中には何が入っているんですか?」

「これか? これは先日龍己が持ち帰った火鼠の毛を使った反物だ。涼風丸殿のご依頼の時には必要な分しか反物にしていなかったからな」

「火鼠の毛の反物……という事は、それを使った着物を売り出すのですか?」

「……いや、そういった話は旦那様からは聞いた事が無い。ただ、『福来和裁店』にも半分程度は分けたとは仰っていたな」

「となると……碧葉さんや龍己さんの着物を作るためかもしれないですね」

「はは、どうだろうな。けど、火鼠の毛で作った着物は、絶対に燃えて無くなる事が無い綺麗な着物になるのは間違いないだろうな」

「……それについては同意だ」

「ふふ、そうですね」

 そんな事を話しながら俺達は『時空穴』がある境内へと戻り、来た時と同じように『時空穴』を潜って『妖世界』ヘと戻ってきた。その瞬間、不思議なほどの安心感を覚え、この『妖世界』が自分にとって『帰る場所』になっていると感じた。

 本当なら()()()()が俺の帰る場所だけど、今の俺にとっては()()()()が帰る場所になってるのは、やっぱり人間だった時の自分に関しての記憶を失ってるからなのかな……?

 自分が抱いた思いに対してそんな疑問を抱いていた時、いつもの妖狐としての姿に戻った羅紗さんが声を掛けてきた。

「……さて、そろそろ『狐雨福屋』へ戻るぞ。旦那様も私達の帰りを待ち侘びていらっしゃるだろうからな」

「「分かりました」」

 そして、俺達は頼まれた物を届けるために『狐雨福屋』へ向かって話をしながら歩いていった。

 

 

 

 

『狐雨福屋』に着いた後、俺達は龍三郎さんに頼まれた物を渡し、中での仕事へ向かう羅紗さんと龍三郎さんの部屋の前で別れた。そして、裏口で脱いだ草履を一度取りに戻った後、そのまま自室の離れへ向かって歩いていた。

「……ふう、結局篝の妹についての話は聞けなかったけど、『時空穴』の存在が分かったのは、結構な収穫だよな」

「そうですね……火鼠の里にいた頃は、それについての話は聞いた事が無いですけど、もしかしたら朱夏はそれを通っていったかもしれませんからね」

「そうだな。ただ……そうだとすると、どうやって捜したら良いかな……」

「そうですね……『人間世界』も『妖世界』に負けず劣らず広いでしょうし、人間からするなら火鼠は珍しいモノですから、悪い人に捕まるなんて事もあり得ますからね……」

「……ああ。だから、次に向こうに行った時にでも、綾己さん達に火鼠について何か新しい情報が入っていないか訊かないとな」

「……はい」

 そして離れへ着いた後、草履をいつものように縁側へ置き、そのままクルリと離れの中へ視線を向けたその時、文机の上に何かが置いてあるのが見え、俺はそれを不思議に思いながらもその正体を知るために文机に近付いた。するとそこには、綺麗な字で書かれた一枚の手紙と麻紐が通された白い宝石の首飾りが一つ、そしてロイヤルブルーの宝石が填め込まれた黄色の腕輪と菫色の宝石が填め込まれた紅色の腕輪が一つずつ置いてあった。

「えっと……白い奴が確かゼオライトで、他のがアズライトとアイオライトだっけ……?」

「それがこの石の名前なんですか?」

「ああ。俺の水晶の勾玉もそうだけど、こういう石にはそれぞれ宝石言葉やパワーストーンとしての力なんかがあって、それを元にその石を使った装飾品を身に付ける人もいるんだよ」

「なるほど……それで、これらの宝石言葉はどういう物なんですか?」

「えーと……ゼオライトが『癒し』や『浄化』で、アズライトが『清浄』や『洞察』、そしてアイオライトが『平和』や『愛』だったかな。けど、それよりも気になるのは──一緒に置かれてるこの()の方だな」

 篝を文机の上に降ろしてから手紙を静かに持ち上げながら言うと、篝は不思議そうな様子で小首を傾げた。

「え、この紙がそんなに重要なんですか?」

「ああ。前に、俺と風之助が深水の事件を追ってた時にシトリンっていう黄色の水晶と一緒にある情報が書かれた紙が置かれてたから、今回もこの紙に何か重要な事が書いてある可能性は高いと思う」

「なるほど……」

「さて……それじゃあ見てみるか」

「は、はい……」

 そして、軽い緊張感に襲われながらも俺達は手紙の内容に目を通した。

「えっと……『人と妖の架け橋となれる半人半妖、稲荷龍己殿。

 先日、そして此度の勝手なる離れへの二度の訪問、誠に申し訳ないと思っている。しかし、勘違いしないで頂きたいのだが、私は貴殿らの味方であり、二度の訪問は貴殿の助けになる物を置きに来ただけだという事は理解して頂きたい。

 さて……それでは、そろそろ今回の本題へ入るとしよう。今回貴殿の文机に置かせて頂いた3つの宝石達は、私からの応援の意味を込めた贈り物だ。聡明なる貴殿ならば、宝石達が持つ力や言葉を理解し、その力を高めながら保持させてくれると思い、先日に続いて宝石を贈らせてもらった。しかし、これらについて貴殿が申し訳なく思う必要は無い。私の故郷では、それらを含めた様々な宝石が産出され、それらの知識や加工法を修得する事が必須だったため、職人に依頼をしたりや私の身銭を切ったわけではない。なので、宝石については遠慮無く受け取って欲しい。そして、これらは既に貴殿の所有物であるため、その宝石が持つ言葉に当て嵌まる者への贈り物にするなり、貴殿の水晶の勾玉と同様に身に着けるなり好きにして欲しい。

 最後に重ねて言うが、私は貴殿らの味方であり、この先も何か困り事があれば、進んで助けたいと思っているため、それだけは信じてほしい。

 ……さて、それでは貴殿らのこれからの成功と日々の平和を願いながらそろそろ筆を置かせてもらう。稲荷龍己殿、これからも調和を求めるその純粋なる精神を大切にしながら妖と人間の架け橋となれるよう頑張ってくれ。

 黒幻(こくげん)

 ……ふむ、どうやらこの黒幻という人は、俺達の味方らしいけど、相変わらず謎が多いな……」

「そうですね……ところで、その宝石はどうするんですか?」

「うーん……せっかくだから、この黒幻さんが書いてるようにそれぞれの言葉に当て嵌まる人が見つかった時にその人にあげる事にするよ。それに、宝石──パワーストーンを俺だけが多く持っているよりもその力を必要としてる人にあげた方が黒幻さんも宝石達も喜ぶ気がするからな」

 篝の問い掛けに対してニコリと笑いながら答えた後、俺は手紙と宝石を文机の引き出しへとしまった。すると、昼九ツを告げる鐘がちょうど良く不忍の街全体に鳴り響き、それと同時に「旦那方ー! 一緒に昼飯を食いに行きやしょうぜー!」という風之助の元気な声が外から聞こえため、俺と篝は顔を見合わせて同時にクスリと笑った。

「さて……風之助からのお誘いも来た事だし、まずは昼食にするか。この手紙や宝石の件も風之助に話しておきたいからな」

「そうですね。では、早速行きましょうか」

「ああ」

 文机の引き出しから愛用の財布を取り出した後、俺は篝を静かに抱き抱え、風之助が待っている向かって歩き始めた。

 謎の人物──黒幻さんについては相変わらず何も分かっていないけど、悪い人では無いのは確かだ。だから、常に頼るわけにはいかないけど、これからはこの未だに姿を見た事が無い新しい仲間とも手を取り合いながらこれからの未来を明るい物にしていくために頑張っていこう。

 草履を履きながら心の中でそう誓った後、俺は新たな仲間の登場で春の陽気のように心がポカポカとするのを感じ、快晴の青空へ向かって静かに微笑んだ。




政実「第11話、いかがでしたでしょうか」
龍己「今回もここまでの総括回みたいな感じだったわけだけど、人間世界の方で出てきた新キャラ達はこれからも度々出て来るのか?」
政実「そうなるかな。尚、彼らがメインになるスピンオフ短編作品『俺と機織り狐さん達との一ヶ月間』を今日から6話程度の予定で投稿していきますので、そちらもよろしければ読んでみて下さい」
龍己「そして最後に、この作品と上記の作品についての感想や意見、評価などもお待ちしていますので、書いて頂けたらとても嬉しいです」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第12話 自身との向き合いと式神の術書

政実「どうも、式神が作れるなら作ってみたい片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。式神がいればだいぶ便利にはなるだろうけど、その分の責任は持つ必要はあるけどな」
政実「そうだね。だからこそ、しっかりとした知識や意識を持つ必要もあるけどね」
龍己「そうだな。さてと……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第12話をどうぞ」


 5月半ばのある日の昼過ぎ、俺は友達である瓦版屋の鎌鼬(かまいたち)――風之助(かざのすけ)と一緒に行きつけの書物屋である『虫本堂(ちゅうほんどう)』で新しい本を物色していた。

「さ~て、今回はどんな本に出会えるかな~?」

「……旦那は、本当に本が好きなんですねぇ……。気付いてるかは分かりやせんけど、旦那はこの『虫本堂』や貸本屋の『本角堂』にいる時は、心なしかいつもと話し方が変わっている上に声が明らかに弾んでやすよ?」

「……え、そうなのか?」

「……へい。何と言うか……いつもは語尾を伸ばしたり間延びした話し方をしたりしてやせんけど、その時だけはそのどちらもやってやすし、声もいつもの落ち着いた感じじゃなく、かなり明るい感じになってやすよ」

「へー……そうだったのか。けどそれは、もしかしたら()()()がそうだった名残かもしれないよな。ほら、読書が好きなのも妖達の知識があるのもそうみたいだしさ」

「……なるほど、確かにその可能性はありやすね。となると、これからも知らず知らずの内に、前の旦那の特徴がヒョコッと顔を出すかもしれやせんし、それはそれで楽しみな気はしやすね」

「ふふ、そうだな。もうあの頃には戻れないし戻るつもりも無いけど、そういった特徴も俺の一部ではあるし、それはちゃんと受け入れていかないとな」

 そんな会話を交わしながら以前から愛読しているシリーズの本やタイトルから興味を惹かれた本などを手に取っていたその時、俺はある事を思い出し、それと同時に俺の手がピタリと止まった。

 ……そういえば、人間時代の俺がいなくなった後の事について、まだ何もしてなかったよな……。

 人間時代の俺は、羅紗さんの手によって命を落とした後、そのままこの『妖世界』ヘと来たため、『人間世界』から見れば俺は一人の行方不明者となっている。そして、『妖世界』に来た日にそれについての話し合いは、俺がお世話になっている呉服問屋兼仕立屋の『狐雨福屋』の主――龍三郎さん達と一緒に一度しているのだが、結局は良い案が浮かばなかったため、とりあえず案が浮かぶまでは保留という事にしていたのだった。

 俺がいなくなってから今日で約一ヶ月半、実の両親が捜索願を出していたとすれば、俺がいなくなった現場の状況的に警察はすぐに動いている気がする。つまり、何か手を打つなら早めにどうにかしないといけない事になるけど、下手を打ったらこの『妖世界』の存在や俺が半人半妖だという事が『人間世界』で広まり、場合によっては『福来和裁店(ふくらいわさいてん)』にも迷惑を掛ける事にもなり得るし、何より実の両親が必要以上に周囲から騒がれてしまう事になる。さて、本当にどうしたもんかな……。

 実の両親達への申し訳なさから小さく溜息をついていたその時、ふと隅っこに置かれた本棚が目に入り、それに引き寄せられるように俺はその本棚へと近付いた。そして、ある一冊の本を見つけた瞬間、思わず首を傾げてしまった。

「……何だろう、これ? 題名が掠れて見えなくなってるけど……」

「んー……見た所、ただの古そうな本みてぇですけど、この本が気になるんですかぃ?」

「うん、それもかなり気になる。古い本には、結構お宝が混じってる事があるし、ここまで興味を惹かれる本には中々出会えない気がするからさ」

「なるほど……そういう事なら、その本について親父に訊いてみるしかねぇですね」

「だな。とりあえず他の本と一緒にこれも持っていくか」

 そして、件の本を手に取って持っていた本の上に置いた後、俺達は『虫本堂』の主である化け狸の藤五郎(とうごろう)さんが座っている帳場へ本を持っていき、いつも本を入れるために持ち歩いている風呂敷と一緒に帳場に置いた。

「藤五郎さん、お願いします」

「……おう、決まったかぃ、龍己の兄ちゃん」

「はい、えーと……今日はここからここまでです」

「どれどれ……へえ、今日も結構な量があんじゃねぇか。こりゃあ、普通の奴ならしばらくは楽しめるが、おめぇなら2日と経たずに読んじまうんじゃねぇのかぃ?」

「……あ、そうかもしれませんね」

 少し考えてから答えると、藤五郎さんは「……やっぱりな」と言いながらニヤリと笑い、持ってきた本を次々と確認し始めた。藤五郎さんは、この不忍の街に昔から住んでいる化け狸で、あまり話し好きでは無いのだが、『狐雨福屋』の先々代店主とは仲が良かったらしい。因みに先々代店主とは、主に日常の何気ない話をしていたようだが、特に共通の趣味だった読書についてはとても盛り上がったらしく、本の話を肴に酒を飲み交わした事もあると前に話してくれた事があり、その時の藤五郎さんの表情はとても懐かしそうで嬉しそうな物だった。尚、俺が藤五郎さんから妖狐としての名前である()()ではなく、半人半妖としての名前である()()で呼ばれているのには、ちょっとした理由がある。それはある日、今日のように本を選んでいた時に藤五郎さんが不意に『おめぇ……実は人間なんだろ?』と訊いてきたため、それに対して俺は平静を装いながらあくまでも()()()()()としてそれを否定した。しかし、藤五郎さんは面白そうに首を横に振ると、『隠してぇ理由は分かる。だが、昔っからここに住んでて妖狐の奴と仲良しこよししていた俺――化け狸を()()()には、少々修行が足りねぇぜ?』と言うと、不敵な笑みを浮かべながら俺の目を見てきた。その様子に、俺はこれ以上は隠しきれないと悟り、帳場へ近付いてから俺の正体やここに来るまでの経緯などを正直に話した。すると、藤五郎さんは『そうかそうか……』と言いながら頷き、やがてニヤリと笑いながら『まあ、安心しな。俺は人間や半人半妖に対して偏見はねぇし、せっかく出来た本好きの仲間をてめぇ自ら失おうなんざ思ってねぇ。だから、これからもよろしく頼むぜ、()()』と言って握手をするために手を差しだした。俺はその藤五郎さんの懐の深さやいつも通りの様子に安心感を覚え、微笑みを浮かべながら『はい』と答えてからその手を取り、そのまま藤五郎さんと握手を交わした。そしてその日から藤五郎さんは、他の客がいる時には、今まで通り『鈴蘭』と呼び、俺だけの時や風之助のように俺の正体を知っている仲間が一緒の時には『龍己』と呼んでくれるようになったのだった。

 藤五郎さんは、少し気難しそうにみられがちだけど、本当はとても心優しい上、俺と同じく読書が好きな化け狸だ。当然だけど、この関係性は他の皆との関係性と同じように絶対に大事にしていかないといけないな。

 藤五郎さんの事を見ながらそう感じていたその時、藤五郎さんがあの本を見つけ「……おっ」ととても楽しそうに声を上げた。

「……コイツを見つけるったぁ、やっぱりおめぇはただもんじゃねぇな」

「ただ者じゃないって……この本はそんなにスゴい物なんですか?」

「まあ……そんなところだな。こいつぁ何年も前にちっと遠くに行った時に見つけた代物なんだが、この題名が掠れちまってる感じと古びた感じからコイツには何かあると思って手に入れてきたんだ」

「そういや、龍己の旦那もこれを見つけた時に同じような事を言ってたような……けど、そんな珍品を売りもんにしちまっていいのかぃ? どんな内容なのかは知らねぇが、そういう代物なら手元に置いといた方が良いんじゃねぇのかぃ?」

「へっ……分かってねぇな。確かにそういう考え方もあるだろうが、こういう代物こそ持つべき奴に渡るように俺達みてぇな商人(あきんど)がどうにかするべきなんだよ」

「そういうもんかねぇ……」

「そういうもんだ。まあ、ここ何年もコイツを見つけたって言いに来た奴はいなかったから、少し諦め気味だったんだが、まさか龍己が見つけるったぁ思ってもみなかったぜ。流石は半人半妖様ってぇところか?」

「あはは……どうでしょうね。けど、この本にスゴく興味を惹かれたのは事実ですし、もしかしたらこの本とは『縁』があったのかもしれませんね」

「……まあ、そうかもしれねぇな。よし……せっかくだ、コイツはおまけって事にしてやるよ」

「え、良いんですか?」

「ああ、おめぇは俺が認めた本好きな上に数ある本の中でこれを見つけ出した。これはそんな奴に持っていて欲しい物だからな。そして何より――」

 そして、藤五郎さんは本を指差し、ニヤリと笑いながら言葉を続けた。

「おめぇならこの本を()()()()()()からな」

「上手く扱える……ですか?」

「ああ、コイツはただの本じゃねぇ。何せコイツは、世にも珍しい()()について書かれてる本だからな」

「式神……」

 式神とは、一般的に陰陽道を学びそれを操る術者――陰陽師が従えている鬼神として知られ、普段は『式札』と言われる和紙の状態だが、術者が術式を以て使用する際には、使用意図に適った能力を(そな)えた鳥獣の姿や異形のモノの姿などへ変化すると言われているものだ。つまり、この本にはその式神を作る方法や使役するための方法が書いているかもしれないという事になる。

 式神か……もし、式神を従えられるなら(かがり)の妹を捜すための手掛かりを見つけたり身近に起きた事件の謎を追ったりするのを手伝ってもらいたいけど、果たして式神なんてそう簡単に従えられるものなのか……?

 本――術書に対して疑問を抱いていたその時、肩に乗っている風之助が不思議そうに小首を傾げた。

「旦那……そもそも式神ってぇのは、一体何なんです?」

「えっと……式神っていうのは――」

 風之助に対して軽く式神の事について教えると、風之助は少し驚いた表情を浮かべながら術書に視線を向けた。

「つまり……この本に式神を作る方法が書いてあれば、その式神ってぇ奴を従えられるかもしれねぇって事ですかぃ?」

「まあ、簡単に言えばそうなるな。式神がいれば、今まで数の問題で出来なかった事も出来るようになるし、それ以外の事でも手伝ってもらう事が出来る。つまり、式神の存在1つで結構状況は変わるわけだな」

「なるほど……そう考えると、式神ってぇのは結構便利なもんって事になりやすね」

「そうだな。ただ、元を辿れば陰陽道に関係する事ではあるから、それの修行をした事が無い俺がそう簡単に出来る事でも無いけどな」

 苦笑いを浮かべながら答えた後、俺は再び藤五郎さんの方へ顔を向け、1つの疑問をぶつけた。

「それにしても……この術書はどういった経緯でこの『妖世界』に流れてきたんでしょうね? 『妖世界』が『人間世界』の裏側にあるとは言え、こういう本がそう簡単に外に出て来るとは思えませんし……」

「さてな……そこまでは俺も分からねぇが、もしかしたらコイツ自身が()()()のかもしれねぇな。自分を上手く扱える奴を探すために、誰かが『人間世界』から仕入れてきた本の中に紛れてな」

「そして、こうして俺と巡り会った、と……」

「そうなるな。まあ、おめぇはこの俺が見込んだ本好きで、俺達妖とは少し違ぇ半人半妖だ。きっと、おめぇならコイツの事を上手く扱えると信じてるよ」

「……ありがとうございます、藤五郎さん」

「……へっ、礼なんざいらねぇよ。さて……んじゃあそろそろ他の分の会計と行くか」

「はい!」

 そして、他の本の会計を済ませて本を風呂敷の中に入れてもらった後、俺達は藤五郎さんに別れを告げてそのまま『虫本堂』を後にし、不忍の街の中を歩き始めた。

「それにしても……とんだ掘り出し物に出会っちまいましたねぇ……」

「そうだな。とりあえず、この本については龍三郎さんと話をしてみる事にして、どうにか出来そうならこの本の通りに一度やってみる。難しそうなら涼風丸(すずかぜまる)さんに相談をしてみるか」

「あー……確かに涼風丸の旦那ならこういう事に詳しそうな感じがしやすねぇ。涼風丸の旦那も龍己の旦那と同じで『人間世界』からこっちに来たみたいですし、もしかしたら何か知ってそうですからね」

「そういう事。まあ……龍三郎さんとは、もう1つ話をしないといけない事があるんだけどさ」

「もう1つ……ですかぃ?」

「ああ、前の俺の事についてな」

「……あ、なるほど……。そういや、『人間世界』では旦那は行方不明という事になってるかもしれないんでしたね……」

「ああ。だから、実の両親に少しでも安心してもらうために何か行動を起こしたいんだけど、下手を打ったら最悪の場合向こうの警察にこの『妖世界』について話をしないといけなくなるからな。もしそうなれば、『福来和裁店』の皆にも迷惑が掛かるし、向こう側からどうにかこっち側に来ようとする奴だって出てきてしまう。だから、何かはしないといけないけど、結構慎重な行動が求められるんだ」

「ふむ……なるほど。確かに霊力や妖力を持っている善人が入ってくるなら問題はありやせんけど、悪人が入って来ようものならこの『妖世界』全体に関わる事になりやすからね」

「その通りだ。本当ならあの日の内にどうにかすべきだったけど、どうにも方法が浮かばなかったからな。だけど、ここに来てからもう一ヶ月半になるし、そろそろ何かしらの手は打つ必要はあると思う」

「そうですねぇ……まあ、もし何か手伝える事があったら、遠慮無く言ってくだせぇ。旦那方と違って考える事はあまり得意じゃねぇですけど、俺でも何か助けられる事はあると思いやすから」

「ああ、もちろんだよ、風之助。もし、何かあったらその時はよろしくな」

「へい!」

 ニコリと笑い合いながら風之助と拳を軽くぶつけ合った後、俺達は他の話をしながら賑わう不忍の街の中を歩き続けた。

 

 

 

 

 その日の夜、俺は龍三郎さんと一緒に術書の事や『人間世界』の事について話をするために件の術書を持って龍三郎さんの部屋へ向かって歩いていた。そして、部屋の前に着いた後に廊下に正座をしながら襖を軽く2回ノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえ、それに対して「失礼します」と答えてから静かに襖を開けた。龍三郎さんは、どうやら寝る前の読書をしていたようで、寝間着姿で座っているその手には一冊の本が握られていた。

「夜分にすみません、少しお話をしたい事がありまして……」

「いえいえ、構いませんよ。それで、そのお話というのは?」

「夕食時にもお話しした式神について書かれた本の事、そして()()()()()()の事についてです」

「……なるほど、分かりました。どうぞ、入って下さい」

「はい、失礼します」

 そして、中に入って龍三郎さんが用意をしてくれた座布団に座った後、俺が龍三郎さんと向かい合うと、龍三郎さんは少し表情を曇らせながら静かに口を開いた。

「……さて、まずは以前の龍己君の事について話をした方が良いかもしれませんね」

「そうですね……俺がこの『妖世界』に来たあの日、羅紗さんも含めた3人で話をしましたけど、結局良案は浮かばなかったために一度この話は打ち切ったわけですが、ここに来てから約一ヶ月半になったからには、そろそろ何か行動を起こさないといけないと思うんです」

「……そうですね。未だに良案は浮かんでいませんが、龍己君の実のご両親の心労を考えるならそれが1番だと思います。ですが、問題はどうやってご両親にのみこの事を伝えるか、ですね」

「はい。実の両親は、たぶん捜索願を出していると思いますし、俺がいなくなった現場には持っていた荷物や心臓を射貫かれた事で流れた血が残っていたと思うので、警察も事件性を感じてすぐに捜査を行っているはずです。本当ならこれはとても心強い事ですが、今の俺が警察に見つかってしまった場合、この一ヶ月半の事を色々と訊かれ、場合によっては『妖世界』の事も話さないといけなくなります。もっとも、警察はその事を与太話や言い訳なんかと思うかもしれませんが、最悪の場合は気が触れたと思われてそれ専用の病院に入れられる事で、この『妖世界』に戻ってこられなくなる恐れもありますし、それを聞きつけた悪意を持った()()が『妖世界』に来ようとする可能性もあると思っています」

「……確かにそうですね。龍己君も知っている通り、この『妖世界』と『人間世界』を繋ぐ『時空穴』がありますから、それを通って来ようとするモノがいる可能性は十分にありますね」

「はい……」

 もしそうなれば、風之助が言っていたように『妖世界』全体に関わる事になる上、両親や友達にも迷惑が掛かってしまう。だからこそ、両親以外には会う事は出来ないし、会ってはいけない。けれど、そのためには警察に見つからないようにする手段を講じる必要があるのだ。

 けど、本当にどうしたものかな……。

 俺が黙り込みながら考え事を始めたその時、龍三郎さんは顎に手を当てながら少し考え込んだ後、静かに口を開いた。

「龍己君、この件については涼風丸さんに助けてもらう必要があると思います」

「涼風丸さんにですか……?」

「はい。涼風丸さんは私よりも遙かに多くの妖術をご存じなので、周囲の目を誤魔化しながら龍己君をご両親の元へ連れて行く事が可能だと思います。もちろん、その時は私も龍己君と共に『人間世界』へと参りますし、龍己君には姿を隠すための狐のお面もあります。ですが、警察犬の存在や警察の方に姿を隠した私達の事を視認できる方がいないとも限りませんからね。とても心苦しいですが、涼風丸さんにも手伝ってもらう事が出来れば、今回の行動の結果を私達が求める物にする事が出来ると思います」

「……確かにそうですね。となると、明日か明後日にでも涼風丸さんのお宅に伺って、この件についてお話をした方が良さそうですね」

「そうですね。涼風丸さんのお宅がある山は、ここから少し離れたところにありますが、朝早くに出発をすれば、夕暮れ時には戻って来る事が出来ると思います」

「となると……明日はその準備に費やして、明後日に出発をする方が良さそうなので、とりあえずはその予定で行こうと思います」

「分かりました。では、この件については涼風丸さんのお宅を訪ねた後にまた話をする事にしましょう」

「はい。では、次はこの本についてですね」

 傍らに置いていた術書を目の前に出しながら言うと、龍三郎さんは物珍しそうに術書を観察したり軽くパラパラッと捲ったりし始め、それを終えると少しだけ目を輝かせながら話し始めた。

「夕食時にもお話は聞きましたが、これは本当に珍しい物のようですね。私もかれこれ様々な書物に出会ってきましたが、式神について書かれている本に出会ったのは、今日が初めてですよ」

「やはり、そうですよね。こういった書物はあまり外に出回る物では無いはずですし、そもそもこの『妖世界』に来そうな書物でも無いですから」

 龍三郎さんの言葉に頷きながら答えた後、俺は術書に書かれていた内容を想起した。この術書は、どうやら『式打始祖書(しきうちしそのしょ)』というタイトルらしく、式神がどういった存在なのかや式神の作り方、そして式神を使役した後の事などについて書かれていた。

 たぶん、これは入門書みたいな物なんだろうけど、本当に何でこれがこっち側に流れてきたのかだけは本当に分からないよな……。

 軽く腕を組みながらそんな事を考えていた時、龍三郎さんが「……そうだ」と何か思いついた様子で声を上げ、ニコリと笑いながら話し掛けてきた。

「龍己君、先程の涼風丸さんのお宅に伺う件ですが、この『式打始祖書』の件も一緒に解決してみませんか?」

「一緒にというと……式神を作ってみようという事ですか?」

「はい。幸い、この本は式神を作るための入門書のようですし、本当に特別な道具を必要とするわけでも無いようですから、これも良い機会だと思ってやってみるのも良いのではないかと思います」

「確かにそうですが、この『霊力が籠もった和紙』というのは、流石に手に入らない気がしますけど……」

『式打始祖書』のあるページを開きながら言うと、龍三郎さんは横に首を振りながらそれに答えた。

「いえ、それは恐らく大丈夫だと思います。何故なら、涼風丸さんのお宅があるのは、霊山として知られている山なので、和紙に霊力を移す手段については涼風丸さんがご存じだと思いますから」

「霊山……確かにそういう事なら大丈夫そうですね。それに、涼風丸さんには俺の事について助力を()う予定でしたからね」

「その通りです。ただ、涼風丸さんには本当に申し訳ないですけどね」

「そうですね……俺の事について助力を乞うばかりか式神を作る件についても関わってもらう事になりますから、後日お礼とお詫びを兼ねて菓子折かお酒を持って行かないといけませんね」

「そうですね。ですが、それは私がどうにかしますので、龍己君は明後日の出発に向けての準備に集中してもらって大丈夫ですよ。涼風丸さんのお宅がある山は、それ程険しい山では無かったと思いますが、先日の航海の時のような事もあり得ますからね」

「……それもそうですね。分かりました、それじゃあお言葉に甘えさせてもらいますね」

「はい、そうして下さい」

 微笑みを浮かべながら言う俺の言葉に、龍三郎さんはクスリと笑いながら答えた後、不意に小さな欠伸をしたかと思うと、まるでそれが移ったかのように俺の口からも小さな欠伸が出てきた。

「……どうやら、少しだけ安心したせいか眠くなってきたようですね」

「そうですね。それじゃあキリも良いので、今夜はここで終わりにしましょうか」

「はい。それでは龍己君、お休みなさい」

「はい、お休みなさい、龍三郎さん」

 挨拶をし合った後、俺はゆっくりと立ち上がってから『式打始祖書』を小脇に抱え、そのまま龍三郎さんの部屋を出た。そして、「失礼しました」と言った後に襖を静かに閉め、自室である離れへ向かって歩き出した。

 ……半人半妖への生まれ変わりから始まった俺の第二の人生だけど、その人生をしっかりと生きていくためにも俺がやり残してしまった事は、絶対にやり遂げないといけないな。それが()()()に出来る事であり()()()に対してしてやれる事だからな。

 そう思いながらピタリと歩を止め、廊下から見える空に静かに佇む青白い月を見上げ、俺はその儚い光を浴びながら小さな声で独り言ちた。

「さて……今の俺にどこまでの事が出来るかは分からないけど、前の俺のためにも出来る限り頑張ってみるか」

 その言葉は、たとえ近くに誰かがいても他の誰にも聞こえない程に小さな物だったが、『……そうだな』と答える声が聞こえたような気がして、俺は月を見上げたままで小さく微笑みながらコクンと一度だけ頷いた。




政実「第12話、いかがでしたでしょうか」
龍己「今回は式神の件に加えて、俺の過去に迫っていく形みたいだな」
政実「そうだね。当初は、もう少し後でやる予定だったけど、話の展開的に今やる方が良いかなと思ってね。そして、今回も大体3話完結くらいにするつもりだよ」
龍己「分かった。そして最後に、今作品やスピンオフに当たる作品『俺と機織り狐さん達との一ヶ月間』についての感想や意見、評価などもお待ちしていますので、書いて頂けるととても嬉しいです」
政実「さて……それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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第13話 妖狐の決意と繋がり合う想い

政実「どうも、そろそろ恋愛小説にも手を出そうかなと思っている片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です。恋愛小説か……他作品で登場人物間の恋愛を書いていたのに、今まで読んでなかったのは意外だったな」
政実「まあね。だから、機会を見つけてそういうのも読んでみて、これからの創作活動に活かしていこうと思っているよ」
龍己「分かった。さて……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは、第13話をどうぞ」


「……よし、とりあえずこんな感じで良さそうだな」

式打始祖書(しきうちしそのしょ)』を手に入れた二日後の朝、昨日の内に文机の傍に準備し終えていた荷物を見ながら独り言ちた。昨日、俺は朝食後にいつも通り訪ねてきてくれた鎌鼬(かまいたち)風之助(かざのすけ)と俺と同じ呉服問屋兼仕立屋の『狐雨福屋(こうふくや)』の居候である火鼠(かそ)(かがり)の二人に龍三郎(りゅうざぶろう)さんと話し合った内容について話し、よければ一緒に来ないかと誘ってみた。すると、篝が二つ返事でついてきてくれる事になったのに対し、風之助は一度相方の草吉(そうきち)さんや風之助達が所属する瓦版屋組織の親方に相談してからじゃないと返事が出来ないという事だったので、風之助の件は一度保留する事になった。そして、風之助がその件についての相談と記事のネタ探しを兼ねて離れから飛んでいった後、俺は篝を連れてこの『不忍(しのばず)』の街中を巡りながら今回の遠出の準備を始め、それなりに準備が出来たと思った頃に風之助がとても嬉しそうな様子で飛んできたため、そのまま肩に乗せながら話を聞いた。すると、今回の遠出に同行できる事になったというので、俺達はそれに対して心から喜び、その後は風之助も交えて準備を再開したのだった。

 今回は前回に比べれば少なめではあるけど、今日中に戻ってくる予定って考えるならこのくらいが打倒かもしれないな。

 目の前にある荷物を見ながらうんうんと頷いていると、同じように荷物を見ていた篝が少し珍しそうな様子で話し掛けてきた。

「昨日の準備中も思ったんですけど……遠くに出掛けるには、思っていたよりも荷物が必要なんですね」

「んー……まあ、これは旅の用心帳を参考にした俺なりの準備だから、何とも言えないかな。火鼠の里があった島を訪れた時は、何があるか分からないからそれなりに用意はしたけど、今回は今日中には戻ってくる予定だから、あの日よりは荷物も少なめかな」

「あ、そうなんですね」

「ああ。旅をする時は、山道を歩く事が多いから、荷物は出来るだけ少ない方が良いんだよ。実際、あの日も森の中を歩いたり山道を歩いたりしたからな」

「そうでしたね。森の中でどうしようもなくなっていたボクを龍己さんが見つけてくれて……龍己さん、あの時は本当にありがとうございました」

「どういたしまして。でも、俺だってあの時に篝と出会えてなかったら、火鼠の里の存在も知らなかったし、火鼠の毛も手に入らなかったかもしれないから、結局お相子かもしれないな」

「ふふ……それじゃあそういう事にしましょうか」

「ああ、そうだな」

 そんな会話を交わしながら笑い合っていたその時、外の方から「旦那方ー! お待たせしやしたー!」というとても元気な声が聞こえ、そちらの方へ視線を向けた。すると、風之助がスーッと飛んでくるのが見え、その元気の良さにクスリと笑っていると、風之助は小さな風呂敷包みを背負ったまま縁側に静かに着地し、ニッと笑いながら離れの中へと入ってきた。

「旦那方、お待たせしてすみやせん。荷物の準備にちょいと手間取っちまいやした」

「ううん、気にしなくて良いぜ、風之助。俺達も荷物の最終チェックをしてたところだからさ」

「おや、そうだったんですかぃ。まあ、今回の遠出は今日中には戻るとはいえ、結構な道のりを歩く事になりそうですから、準備はしっかりとしておくのが一番ってぇところですかねぇ」

「そうだな。霊山でもそうだけど、その道中でも何があるかは分からないから、気を引き締めていかないとな」

「まあ、この辺りならあまり心配はいらねぇが、目的地の周辺には何があるかわかりやせんからねぇ。やり過ぎも良くはねぇが、注意はしておいて損はねぇかもしれやせんね」

「そうですね。目的の達成はもちろんしたいですけど、無事に帰ってくる事が一番ですからね」

「ああ、そうだな」

 篝の言葉に深く頷きながら答えていたその時、廊下の方から小さな足音が聞こえ、俺達は話すのを止めてそちらに視線を向けた。そして、程なくして足音の主──碧葉(あおば)さんが姿を現した後、俺はその人物の格好──小さな青い風呂敷包みを持った淡い緑色の旅装束姿に少し驚きながらもスッと立ち上がり、ニコリと笑いながら声を掛けた。

「碧葉さん、これからどこかへお出かけですか?」

「え、えっと……はい、そうです。ちょっと遠くへ行くので、今日はこの格好に……」

「なるほど、そうでしたか。とても良くお似合いですよ」

「あ……ありがとうございます」

 碧葉さんが少し頬を赤く染めながら言うと、それを見ていた風之助と篝が揃ってクスクスと笑い出したため、俺はこっそりと話し掛けた。

「どうしたんだ、二人とも?」

「……いや 、そういう台詞はやっぱり龍己の旦那や七之助(しちのすけ)の旦那みてぇな色男が言うに限んなぁと思っただけで。なっ、篝」

「はい。さっきのような言葉を龍己さんが碧葉さんに言うと、スゴく絵になるというか……恋物語の一場面みたいな感じに見えるんですよね」

「そうか? 俺はいたって普通に言ったつもりだけど……」

「ま、つまりは龍己の旦那も龍三郎の旦那や七之助の旦那みてぇに恋物語に出て来るような色男ってぇ事でさぁ」

「……まあ、一応褒められてるわけだから、悪い気はしないか。ありがとうな、二人とも」

「へへ、どういたしまして」

「どういたしまして」

 風之助達の返事に頷いた後、ゆっくりと碧葉さんの方へ向き直ってから再び話し掛けた。

「ところで、どちらへお出かけなさるんですか? 先程、遠くへ行くとは仰っていましたけど……」

「あ、はい……えっと、それなんですけど……」

「……あ、もし話せない事なら無理には訊きませんけど」

「いえ、話せない事というよりは、少なくとも()()()()()()話さないといけない事なので……」

「俺には話さないといけない事……分かりました、そういう事ならしっかりと聞きますので、どうぞ話してみて下さい」

「……分かりました、それではお話ししますね」

 碧葉さんは不安と心配が入り交じったような表情を浮かべながら答えた後、大きく深呼吸をしてから俺の目をジッと見ながら静かに口を開いた。

「……私も龍己さん達のご用事について行ってもよろしいですか?」

「……え? 俺達の用事に……ですか?」

「はい、そうですけど……ダメですか?」

「いや、ダメでは無いですけど……俺達が行こうとしてるのは──」

「分かっています。涼風丸さんのお住まいがある霊山で、山道はもちろんの事、そこへ行くまでにも長い道のりがある事も分かっています」

「……でも、それならどうして……?」

 小首を傾げながら問い掛けると、碧葉さんは真っ直ぐな目をしながらそれに答えた。

「私も……龍己さんのお力になりたいからです」

「俺の……力に……?」

「はい……人間時代の龍己さんに助けて頂いてから今日に至るまでの間、私だけがまだ龍己さんのお力になれていないのです。お父様や羅紗は何かしらの形で龍己さんのお力になれているのに、私だけはまだ……」

「そんな事は無いですよ、碧葉さん。あの日──龍三郎さんと碧葉さんと行ったお墓参りの日に俺は碧葉さんに助けてもらっています。あの日に碧葉さんから()()()()()()()()()()()じゃなく、()()()()()()()で良いと言ってもらった事で、これからの指針が固まりましたから」

「……そうだとしても、私はもっと龍己さんのお力になりたいんです。これは()()()()()()()()だからでも龍己さんに助けて頂いた()()()だからでも無い()()()()()()なんです」

「碧葉さん……」

 碧葉さんの目の奥には、決意と熱意の炎がメラメラと燃えており、碧葉さんの言葉と表情からその思いが本気なのがしっかりと感じ取れた。

 ……正直な事を言えば、この『妖世界』に来てから碧葉さんとしっかりと話す機会もあまり無かったし、碧葉さんには『人間』だった頃の俺もお世話になってるわけだし、碧葉さんが着いてきてくれるのはとても嬉しいし、本当なら碧葉さんの思いに応えたい。けれど、やっぱり涼風丸さんの所に行くのはそう簡単では無い気がする。それなのに、碧葉さんをこのまま連れて行って怪我でもさせてしまったら本当に龍三郎さん達に申し訳ないし……。

 頭の中で碧葉さんを同行者として加える事について悩んでいたその時、風之助は腕を組みながらいつになく真剣な様子で俺に話し掛けてきた。

「旦那、ここは碧葉のお嬢さんについてきてもらった方が良いかもしれやせんよ?」

「風之助……でも、もしも碧葉さんに何かあったら……」

「へへっ、そこは安心してもらって良いですぜ、旦那。俺や篝だって妖の端くれ、何かあったに時には全力で旦那や碧葉のお嬢さんの事を支えやすし、危険な目に遭わねぇように周囲への注意は払っていきやす。それに、旦那の力になりてぇっていう碧葉のお嬢さんの思いを俺は放ってはおけねぇんです」

「碧葉さんの思い……」

「へい、その通りで。それに……それは旦那だってそうでしょう? 碧葉のお嬢さんの目は明らかに本気で、言葉と表情からもそれは感じ取れる。だから、その思いにはどうにか応えてやりてぇっていう気持ちは、旦那だって同じのはずですぜ?」

「……まあな」

 風之助からの問い掛けに小さく息をつきながら答えた後、俺は自分の中にある思いを確認した。そして、すぐに一つの結論を出した後、碧葉さんに対してニコリと笑いながら声を掛けた。

「分かりました。お言葉に甘えて今回の用事は碧葉さんのお力をお借りする事にします」

「龍己さん……! 本当にありがとうございます……!」

「いえいえ、別にお礼を言われる程の事では無いですよ。ただ、辛くなったり疲れてきたりしたら遠慮無く言って下さいね?」

「はい、それはもちろんです。いつもお父様から『何かを頑張るのは良いけれど、一生懸命頑張るのと無理をし過ぎるのは違うから、そこは履き違えないようにね』と言われていますから──そこは大丈夫です」

「分かりました。あ、ところで……この事は龍三郎さんにお話しになっていましたか?」

「……いえ、話していません。お父様に話をしたらきっと反対されると思ったので、話すに話せなかったんです……」

「……そうでしたか」

 そっか……そうなると、先に龍三郎さんにこの事を話をしに行った方が良いよな。話さずにそのまま言った後、一人娘が旅装束で街を歩いていたなんて話を誰かから聞いたら、碧葉さんは絶対に叱られてしまうだろうしな。後は説得の手段だけど……まあ、これに関しては言ってからどうにかしてみるしかない。あくまでも大事なのは、碧葉さん自身の気持ちをしっかりと伝えられるかだからな。

 この後の事について考えをまとめ終え、気持ちをそれ用に作りながら軽く頷いた後、俺は皆の事を見回しながら声を掛けた。

「さて……それじゃあ出発をする前に一度龍三郎さんに挨拶をしていきたいから、風之助と篝はひとまずここに残っててくれ」

「へい!」

「はい」

「そして碧葉さんは、一度荷物を置いて俺と一緒に龍三郎さんに話をしに行きましょう。流石に話をせずに行くわけにはいきませんからね」

「は、はい……けど、大丈夫でしょうか?」

 碧葉さんはとても不安げな様子だったが、俺はそんな碧葉さんに対してニコリと笑いかけた。

「大丈夫かどうか、それは碧葉さん次第ですよ。碧葉さんがさっき話してくれた気持ちを同じように龍三郎さんに伝え、許しを得られるように頑張る事が大切ですからね」

「そう……ですよね」

「……安心して下さい。俺もついていますし、さっき俺達に対しても出来たように、碧葉さんなら龍三郎さんにも気持ちを伝えられる事が出来ると信じていますから」

「龍己さん……はい、ありがとうございます」

 碧葉さんの安心した笑みに俺が笑みを返し、碧葉さんが風呂敷包みを文机の傍に置いた後、離れに風之助達を残したままで碧葉さんと一緒に龍三郎さんの部屋へ向かって歩き始めた。龍三郎さんの部屋へ着くまでの間、俺達は一言も話さずにただ歩き、足音の他には店の方から聞こえてくる活気溢れる声ぐらいしか聞こえる音は無かった。別に話す事が無かったわけでも無いし、碧葉さんの緊張を解すために何か話題を振るという手もあった。けれど、碧葉さんの緊張気味だがどこか決意を秘めたその表情見て俺は碧葉さんの事を見守る道を選ぶ事にしたのだった。言ってみれば、何かをするという『直接的』な手助けではなく、ただ近くにいるという『間接的』な手助けという道を選んだのだ。

 正直、碧葉さんに何か話題を振れば答えてくれるだろうし、緊張だってすぐに解れるんだろう。けど、今の碧葉さんに必要なのはそれでは無く、その緊張状態の中でも父親の龍三郎さんに自分の思いを伝える事だ。そうしなければ、碧葉さんだって成長する事が出来ないからな。

 そしてそれから数分後、龍三郎さんの部屋の前に着くと、碧葉さんが声を軽く震わせながら話し掛けてきた。

「……何故でしょうか。いつもならなんて事無く来る事が出来るお父様のお部屋なのに、今日に限ってはとても怖い場所のように思えてきます……」

「それはやはり、今まで碧葉さんが今回のように緊張をした状態で龍三郎さんとお話をする事が無かったからだと思います。緊張をしながら自分の親と話をする事なんてあまり無い事ですしね」

「そう……ですよね」

「大丈夫ですよ、碧葉さん。さっきも言った通り、俺も傍に付いていますから、碧葉さんは安心して自分の思いを龍三郎さんにしっかりと伝えてください」

 碧葉さんの目を見ながらニコリと笑うと、碧葉さんは少しだけ緊張が解れた様子で静かに微笑んだ。

「……龍己さん、ありがとうございます。私、精一杯頑張ってみますね」

「はい」

 碧葉さんの言葉に頷いた後、俺は一度大きく深呼吸をしてから部屋の中へ向かって声を掛けた。

「龍三郎さん、今大丈夫でしたか?」

「はい、大丈夫ですよ。どうぞお入り下さい」

「分かりました」

 中から聞こえた龍三郎さんの穏やかな声に答えた後、俺は襖を静かに引き開けた。そして、碧葉さんと一緒に部屋の中に入ると、龍三郎さんは俺の隣に碧葉さんがいる事に驚いた様子を見せた。

「おや……龍己君だけかと思ったら碧葉まで一緒だったんだね」

「はい。お父様……実はお父様にお話ししたい事があるのです」

「碧葉が話したい事……か。その様子だといつものような話では無いようだね」

「……その通りです」

「……分かった。とりあえず二人揃ってそこに座ってくれ。そして自分が落ち着いたと思ったら話してごらん」

「……はい」

 碧葉さんが緊張気味に答え、龍三郎さんが静かに頷いてから部屋の隅に積まれた座布団の方へゆっくりと体を向けた時、俺は先にスッと動いて自分達の分の座布団を手に取った。

「龍三郎さんはそのまま座っていて下さい。座布団は自分で準備をしますから」

「あ……すみません、龍己君」

「いえ、このくらいはして当たり前なので気にしないで下さい」

 そんな事を言いながら自分達の分の座布団を龍三郎さんの目の前に丁寧に敷いた後、俺は碧葉さんの方へ顔を向けた。

「碧葉さん、どうぞ座って下さい」

「あ、はい……ありがとうございます」

 碧葉さんは少し申し訳なさそうにペコリと頭を下げた後、片方の座布団の上に静かに座り、その後に俺ももう片方の座布団の上に正座をした。そして座った後、碧葉さんは緊張を解すために大きく深呼吸をした後、真っ直ぐな目をしながら龍三郎さんに話を始めた。

「お父様、私に龍己さんのご用事に同行する許可を頂けませんか?」

「龍己君の用事……涼風丸さんのお宅に伺う件だね」

「はい、その通りです」

「やはりそうか……けど、どうして着いていこうなんて思ったんだい? 龍己君の用事は、碧葉に直接関係する事ではないし、涼風丸さんのお宅があるのは山の中なんだよ?」

「……それは分かっています。私自身の力なんてたかが知れていますし、涼風丸さんのお宅に着くまで龍己さんに色々ご迷惑を掛けるかもしれません。ですが、私は今までお世話になってきた分を少しでもお返ししたいんです。私は龍己さんのお力になりたいんです!」

「碧葉……」

 龍三郎さんは碧葉さんの様子に少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに表情を真剣な物へと変えると、ピッと背筋を正しながらいつもとは違う少し冷たい声で話し掛けた。

「碧葉、お前の気持ちは分かる。けれど、お前に本当に龍己君の用事に最後まで弱音を吐かずに付き合えるだけの覚悟はあるのかい?」

「……あります」

「……本当に、かい?」

「……はい!」

 龍三郎さんの研ぎ澄まされた真剣のような冷たくも鋭い雰囲気に碧葉さんが声を震わせながら大きな声で答えると、龍三郎さんは何かを見定めるようにジッと碧葉さんの顔を見つめた。そして、「……そうか」と雰囲気をいつものような柔らかく温かな物へしながらフッと笑うと、碧葉さんの頭にポンと右手を置き、それに対して碧葉さんが「あっ……」と驚きと安心が入り混じったような声を上げる中、碧葉さんの頭を静かに撫で始めた。

「お前の気持ちの中に少しでも迷いを見つけた時は、行く事を許可しないつもりでいたけれど、今のお前の言葉や目の中には一切の迷いは無かった。だったら、私はお前のやりたい事を応援するだけだよ。大切な一人娘が心からやりたいと思えた事なのだからね」

「お父様……本当にありがとうございます……!」

「どういたしまして。でも、ああ言った以上はしっかりと龍己君の助けになるんだよ?」

「はい! もちろんです!」

 満面の笑みを浮かべながら碧葉さんが答えると、龍三郎さんはそれに対して微笑みながら満足げに頷いた後、俺達二人の事を交互に見てから静かに口を開いた。

「碧葉、龍己君、式神の事や『人間世界』にいらっしゃる龍己君のご両親の事について涼風丸さんにご助力を願えるのが理想ではありますが、何よりも大事なのは二人が無事に戻ってきてくれる事です。ですから、絶対に無茶などはせずに無理だと思った時には引き返してきて下さい。方法などは幾らでも考えられますし、涼風丸さんにお話をする機会は幾らでもありますが、命は一つしかありませんからね」

「「はい!」」

 碧葉さんと一緒に声を揃えて答えた後、俺は離れで待たせている風之助達と合流するために龍三郎さんへ行ってきますと声を掛け、二人揃って龍三郎さんの部屋を出た。そして、そのまま離れへ向けて歩いている途中、緊張が解れた事で思わず小さく息をついていたその時、隣を歩く碧葉さんからも同じように息をつく声が聞こえ、俺はそれに対してクスリと笑った。

 まあ、あんなに真剣な雰囲気の龍三郎さんとの話を終えた後だもんな。俺はここに来た日にあの雰囲気の龍三郎さんと話をしたから、まだ少しだけは落ち着いていられたけど、碧葉さんにとっては恐らく初めての経験だったのかもしれないし、あそこまで言ってもらった分の労いと感謝はやっぱり必要だよな。

「碧葉さん、お疲れ様でした。そして、俺の用事の事なのに、あそこまで言って頂いて本当にありがとうございました」

「え……い、いえ……お礼なんて別に良いですよ。龍己さんのご用事に同行したいというのは、私の我が儘みたいな物なので、むしろ私の方がお礼を言うべきなのですから」

「いえ、そんな事はありませんよ。離れで碧葉さんに用事に付いて行っても良いかと訊かれた時、実は少し嬉しかったんです」

「嬉しかった……ですか?」

「はい。俺が羅紗(らしゃ)さんに矢で射抜かれて絶命していた時、碧葉さんが急いで龍三郎さんのところまで俺を連れて行くように羅紗さんに言ってくれたからこそ、今の俺がいます。だから、離れでお話を聞いた時に、今回のような小さな事でもそんな命の恩人とも言える碧葉さんの恩に報いる事が出来そうだと思って、とても嬉しかったんです。まあ……他にも碧葉さんとはこれまでしっかりと話す機会もあまり無かったので、その機会が出来たから嬉しかったのもあるんですけどね」

「龍己さん……」

「だから、今回の件に限らず何か頼み事などがあったら、遠慮無く言って下さい。俺に出来る事なんてたかが知れているかもしれませんが、出来る限り碧葉さんのご期待には添えるように頑張りますから」

 微笑みながら言ったその言葉に、碧葉さんは一瞬申し訳なさそうな表情を見せたものの、すぐに微笑みながらコクンと頷いた。

「……はい、分かりました。もしも困った事やお願いしたい事があったら、龍己さんに相談をするようにしますね」

「はい。さて……それじゃあそろそろ──」

「……あっ、あの……」

「はい、どうしました?」

「えっと……そのお願いって、今しても大丈夫ですか?」

「はい、それは構いませんけど……なんですか?」

 その問い掛けに碧葉さんは少しだけ迷ったような表情を浮かべたが、「……でも、この機会を逃したら……!」と小さな声で独り言ちたかと思うと、覚悟を決めたような様子で問い掛けに答えた。

「……私と二人きりの時だけでも良いので、私の事を『碧葉』と呼んで頂けませんか?」

「えっと……つまり、さん付けは無しで呼んで欲しいという事ですか?」

「は、はい……それと、出来るなら敬語も無しにしてほしいんですけど……ダメ、ですか……?」

「いえ、ダメという事は無いですけど……本当に良いんですか? 一応、俺の身分は奉公人兼客人という事になっているんですが……」

「……いえ、大丈夫です。さっきも言ったように、私と二人きりの時だけですし、もしもお父様に聞かれたとしても、その時はさっきのように私がしっかりと説明をしますから。それに……」

「……それに?」

「……貴方とは、龍己さんとはもっと近い距離で接したいんです。お店の娘と奉公人という距離では無く、歳の近い友人同士──いえ、出来るならもっと近い関係性でこれからは接して行きたいんです。こんな気持ちを抱いた男性は、今まで龍己さん以外には一人もいなかったですし、私にとって龍己さんはとても大切な存在ですから……」

「碧葉さん……」

「ダメならそれでも良いです。けど……もしも良いというなら、私のお願いを聞いて頂けませんか……?」

 そう不安げに俺を見ながら訊く碧葉さんの姿に、俺は一瞬ドキリとすると同時に今まで感じた事が無い感情が奥の方からわき上がってくるのを感じ、それに嬉しさと戸惑いを感じていた。

 ……恐らくだけど、この感情は碧葉さんが俺に対して感じているっていう物と同じ物だ。だけど、俺はいつかこの『狐雨福屋』の奉公人として働く事を考えてるのに、そんな感情をそのお店のお嬢さんに抱くのは果たして許される事なのか……?

 恐らく生まれて初めて抱いたであろう感情とそれを碧葉さんに対して抱いているという実状に、俺は戸惑いながらもどう答えを出したら良いか必死になって考え続けた。そして、考え続けた結果、俺はある一つの答えを出した後、不安そうな碧葉さんの手を取りながら微笑みを浮かべた。

「……お安い御用だよ、()()。と言っても、答えを出すまでに少し待たせてしまったけどな」

「り、龍己さん……本当に良いんですか……!」

「ああ、もちろん。……まあ、しばらくはさん付けとか敬語とかになっちゃう事もあると思うけど、いつかは自然に出来るようにしていくよ。せっかくこうしてお願いをしてくれたわけだしさ。それに……」

「……それに?」

「こう……面と向かって言うのはちょっと恥ずかしいんだけど、さっき碧葉が俺と歳の近い友人同士やそれよりも近い関係性で接していきたいって言ってくれた時、俺も碧葉とは出来るならそういう関係性で接していきたいって思ったんだ」

「そ、それって……」

「……ああ、俺と碧葉が感じている感情はたぶん同じ物なんだと思う。だけど、さっきも言ったように、俺はあくまでも今はこの『狐雨福屋』の奉公人兼客人であり、いつかはちゃんとした奉公人として働きたいと思ってる。だから、しばらくはこの感情を胸の内に秘め続ける必要があるんだ。本来、奉公人がお店のお嬢さんに抱いていいような感情では無い気がするからさ」

「そ、そんな事……!」

「でも、いつかはこの気持ちにもこの件についてもしっかりと決着をつけたいと思ってる。それがこの感情を抱いた俺が果たすべき責任だからな」

「果たすべき……責任……」

「そう。そして、いつかはこの気持ちを包み隠さずに碧葉に、そして龍三郎さんを始めとした『狐雨福屋』の人達全員に伝える。だから、ちょっと女々しい事を言うようだし、本当に勝手かもしれないけど、出来るなら碧葉にはそれまで待っていて欲しいんだ。少なくとも、今はその時では無いから」

 真剣な眼差しを向けながら碧葉にそう告げると、碧葉は俺の目を真っ直ぐに見つめ返し、優しい笑みを浮かべながら静かにコクリと頷いた。

「分かりました。それでは、その時を楽しみにしていますね」

「ああ、ありがとう。あ、でも……もしもその時までに良縁があったり、気持ちが離れるような事があったりしたらキチンと諦めるつもりだから、その時は遠慮無く言ってくれ。待っていて欲しいとは言ったけど、俺は碧葉の人生を縛り付けるような真似はしたくないからさ」

「ふふ、分かりました。けれど、龍己さん以上に好きになれる男性には、たぶんこれからも出会えるような気はしませんし、気持ちが離れるような事はまず無いと思います。気持ちを伝えた今だからこそハッキリと言いますが、それだけ私は龍己さんの事が恋い慕っていますから」

「碧葉……」

「それに、他所のお店から何かご縁を頂いても、お父様が全てお断りになると思うので、その心配もありませんよ」

「え、そうなのか……?」

「はい。以前、お父様から聞いた事があるのですが、お父様としては私には心から好きになった方と夫婦になって欲しいとの事で、そういったお話が舞い込んできても全て断るようにしているみたいなのです」

「なるほど……」

「なので、龍己さんは安心してご自身の気持ちと向き合って下さい。たとえ、それまでに何年経ったとしても貴方を待ち続けるだけの覚悟が私にはありますから」

 そう微笑みながら言う碧葉の姿に、愛おしさと嬉しさを感じた後、俺はスッと碧葉に近付き、静かに碧葉の体を抱きしめた。

「龍己さん……」

「……ありがとう、碧葉。君のような人に好きになってもらえて本当に良かったよ」

「……ふふっ、龍己さんにそう言ってもらえて本当に嬉しいです」

「ふふ……そっか。まあ、さっきも言ったようにこの事はまだ龍三郎さんや羅紗さん、それに風之助や篝にも言えないし、言った後も奉公人とお店のお嬢さんという関係から世間からあまり良い目で見られない可能性もある。だけど、たとえそんな事になっても俺はこの想いを貫き通してみせる」

「龍己さん……」

 碧葉は俺の名前を呟くと、俺の体を静かに抱きしめ返した。

「……私もたとえどんな事になろうともこの想いは絶対に貫き通してみせます。貴方を、龍己さんを好きだと気持ちに嘘はありませんから」

「……うん、ありがとう」

 碧葉の言葉から伝わってくる温かさと更に強くなる愛おしさに気持ちが満たされていくのを感じ、俺はずっとこうしていたいと思ったが、離れに風之助達を待たせている事ややらなければならない事がある事を思い出し、俺は碧葉に声を掛けた。

「……さて、そろそろ行こうか」

「……はい」

 名残惜しそうに答える碧葉の声が合図となり、俺達はどちらともなく体を離した。そして、碧葉が俺に少し寂しげな視線を向ける中、俺はふわりと笑いながら碧葉の頭を優しく撫でた。

「……あ」

「……今みたいに二人きりになれた時には、また抱きしめてあげられるから、今は我慢してくれ。もっとも、そうじゃなくても出来るようになるのが目標だけどな」

「……ふふ、そうですね。お父様や羅紗を始めとしたお店の皆さんやこの『不忍』の皆さんから認められ、祝福されるまでになれるように、お互いこれから頑張っていかないといけませんよね」

「ああ。そこに行き着くまではスゴく険しく長い道のりかもしれないけど、お互いに頑張っていこうな、碧葉」

「……はい」

 軽く頬を赤らめて俯く碧葉を可愛らしいと思いながら頭を優しく撫で終えた後、俺はスッと頭から手を離し、ニッと笑いながら碧葉に声を掛けた。

「それじゃあ行こうか、碧葉。これ以上、風之助達を待たせるわけにもいかないしさ」

「……はい」

 ニコリと笑いながら答える碧葉に対してコクリと頷いて答えた後、俺達は風之助達が待つ離れへ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 歩き始めてから数分後、離れに着いた俺は「お待たせ、お前達」と言いながら碧葉と一緒に離れへと入った。すると、目に入ってきたのは、離れの中心で小首を傾げながら不思議そうに文机を見つめる風之助と篝の姿だったため、俺は碧葉と一度顔を見合わせた後、その理由を訊くために風之助達に話し掛けた。

「風之助、篝、何かあったのか?」

「……ん、龍己の旦那に碧葉のお嬢さん。実は、龍己の旦那達の帰りを待ってる間、俺と篝で他愛のねぇ話をしてたんですが、その時にそこの庭から何やら物音のような物がしやしてね。それで、いってぇ何の音だと思ってちょいと篝と一緒に縁側まで見に行ったんですが、特に何も無かったんで不思議だなぁと思って戻ってきたら、まるで手妻のようにその文机にさっきまで無かった物が置かれていていたんでさぁ」

「えっと……因みに、その物というのは何なんですか?」

「えっと……私には文机の上の様子はよく見えないんですが、風之助さんが言うには例の()()さんからのお手紙と緑色の水晶のような物が置かれているみたいです」

「黒幻さんから……?」

 そう言いながら文机に近付いてみると、そこには篝の言う通り、俺の水晶の勾玉や少し前に貰ったスギライトなどと同じように麻紐が通された緑水晶の勾玉と綺麗な字で書かれた一枚の手紙が置かれていた。

「……ほんとだ。なあ、風之助。その物音の正体を見に行ってから、これらを見つけるまでどのくらいの時間があったか覚えてるか?」

「んー……正確には覚えてやせんが、でも本当にすぐだったはずですよ? だから、誰かが入ってきてそれを置こうとしたら簡単に気づけるはずなんですがねぇ……」

「そっか……」

 篝の歩く速さに風之助が合わせていたと考えると、風之助達が音で誘き寄せられてから文机の上に物が置かれているのを見つけるまでは恐らく二分程度の隙がある。でも、仮に庭に何か音を出す仕掛けを施していたとしても、そんな短時間で風之助達に気付かれずに緑水晶の勾玉と手紙を置ける物なのか?

「黒幻さん……相変わらず謎が多い人だな……」

 そんな事を独り言ちた後、俺は黒幻さんからの手紙を手に取り、それをゆっくりと読み始めた。

「えっと……

『人間と妖の架け橋となれる半人半妖、稲荷龍己殿。

 事後報告になってしまうが、先日同様、此度も龍己殿に宝石の贈り物をするべく、貴殿の部屋であるこの離れへとおじゃまさせてもらった。此度の贈り物も以前の贈り物同様、貴殿ならばこの宝石に込められた言葉を理解でき、この宝石に宿る力を保持できるだろうという信頼、そして貴殿を応援したいという気持ちを込めて贈らせてもらった。なので、この宝石も貴殿の好きなようにしてもらって構わない。貴殿が持つと聞く青き水晶と併せて力を高めるも、これを持つに相応しいと思う者に贈るも貴殿の自由だ。

 さて……それでは貴殿らの考えの成功と直面している問題の解決を願いながらそろそろ筆を置こうと思う。稲荷龍己殿、これからもその強き心と数多の者への思いやりを大切にしながら人間と妖の架け橋となれるように頑張ってくれ。

 黒幻』

 ……か。つまり、今回も贈り物をするためだけにこの離れまで来てくれたわけだけど、手紙に書かれている『貴殿らの考え』と『直面している問題』の部分を考えるに、黒幻さんは俺達が今から何をしに行くかや俺が実の両親に会いに行こうとしている事を知っているわけだよな……」

「そうですね……でも、黒幻さんはどうやってそれを知っているんでしょうか? それに、前はちょっと気づけませんでしたけど、龍己さんが半人半妖である事まで知っているみたいですし……」

「さてな。ただ、黒幻さんは前の手紙で自分は俺達の味方であると書いていたわけだし、その情報を悪用する気は無いと思うけど……風之助、黒幻さんについて何か調べてくれてるか?」

「へい、一応は調べてみやしたけど……この黒幻という御仁は本当に謎が多いみたいで、色々飛び回ってみてもあまり情報は集まりやせんでした……」

「……そっか。まあ、それに関しては涼風丸さんの所へ行くまでに聞くとして、次はこの緑水晶だな……」

 手紙を文机の上に置き、一緒に置かれていた緑水晶を手に取ると、碧葉は緑水晶を見ながら不思議そうに小首を傾げた。

「そういえば、そのお手紙には宝石に込められた言葉や宿る力といった事が書いていましたが、その緑色の水晶には一体どのような言葉や力があるのですか?」

「たしか……傷ついた心を癒したり、気持ちを落ちつけたりする効果、それと愛情運を高める効果もあったはずですね」

「愛情運……」

「はい。何でも好きな相手と強く結ばれたい時に使われるらしく、運命の相手と巡り合わせる力も含まれていると聞いた事があります。そして、別名を『愛の守護石』と言うそうです」

「へえ……この緑水晶にはそんな別名があるんですかぃ?」

「ああ。それと……この緑水晶の石言葉は『誠実』や『心の平和』だったかな。だから、宝石の中ではそういう癒しや恋愛関連に特化した物と言えるのかもしれないな」

「なるほど……」

 俺の説明に篝が納得顔で頷く中、俺は緑水晶の勾玉を持ちながら縁側にいる碧葉へと近づき、それを碧葉に差しだした。すると、碧葉は「え……?」と一瞬驚いた顔をした後、困惑した様子で俺と緑水晶の勾玉を交互に見始め、俺はその様子にクスリと笑ってから静かに口を開いた。

「碧葉さん、これを受け取って頂けますか?」

「え、でも……良いんですか?」

「はい。碧葉さんはお店のお嬢さんとして、色々と大変な事があると思います。だから、この緑水晶の癒しの効果で少しでもそれを癒してもらえればと思ったんです」

「なるほど……」

「それに、字やその色合いこそ違いますけど、緑水晶の『緑』と碧葉さんの『碧』は同じ『みどり』ですから、碧葉さんが持つのに相応しいと思います。それと──」

 そこで言葉を切った後、俺は碧葉の耳元に顔を近付け、こそっと碧葉に耳打ちをした。

「……俺達の関係も好きな相手と強く結ばれたい時に使われる宝石の力に肖れれば良いなと思うし、せっかくだから水晶と緑水晶で碧葉とお揃いにしたいからさ」

「龍己さん……」

 俺の耳打ちに碧葉は嬉しそうな声で呟いた後、少し頬を染めながら静かにコクンと頷いた。

「……はい、喜んでお受け取りします」

「……うん、ありがとう」

 そして、碧葉から顔を離した後、俺は緑水晶の勾玉の麻紐を両手で掴み、静かに碧葉の首に掛けた。その瞬間、陽の光に照らされた緑水晶がキラリと光り、その煌めきに碧葉は嬉しそうな笑みを浮かべると、やや上目づかいに俺の顔を見つめながら小さい声で問い掛けてきた。

「龍己さん……私に似合っていますか……?」

「……はい、もちろん似合ってますよ」

「そう……ですか。ふふ……それなら良かったです」

 俺の答えに碧葉は少し照れたような笑みを浮かべる中、それを見ていた風之助が不思議そうな声で話し掛けてきた。

「龍己の旦那……何やら碧葉のお嬢さんと前よりも仲良くなったみたいですけど、さっき行って帰ってくるまでの間に、もしかして碧葉のお嬢さんと何かありやしたかぃ?」

「……まあな。けど、今はちょっと話せないから、話せる時まで待っていてくれるか?」

「……へへ、もちろんでさぁ。俺は色々な事を調べたり探ったりする瓦版屋ですが、龍己の旦那のダチでもありやすからねぇ。龍己の旦那が話してくれるその時まで待たせてもらいやすよ」

「うん、ありがとう。篝もそれで良いかな?」

「はい、もちろんです」

「ありがとうな、篝」

 篝に対してニッと笑いながらお礼を言った後、俺は碧葉にアイコンタクトを送り、碧葉と一緒にそれぞれの荷物を手に取った。そして荷物を肩に掛け、全員の準備が出来た事を確認した後、やる気が奥の方から湧き上がってくるのを感じながら皆に声を掛けた。

「よし……それじゃあ行こうか、皆! 」

「へい!」

「「はい!」」

 風之助達が元気よく返事をした後、俺達は涼風丸さんの所へ行くべく、揃って離れを出発した。




政実「第13話、いかがでしたでしょうか」
龍己「前回の式神の件や前の俺の件に続いて、今回は俺と碧葉の恋愛にも触れてきたわけだけど、次の話では謎の人物である黒幻さんにも触れていくみたいだし、今回は色々と明かされる事が多そうだな」
政実「まあね。だから、前回3話程度にすると言っていたけど、たぶん4話くらいになるかな」
龍己「分かった。そして最後に、今作品についての感想や評価、意見などもお待ちしていますので、書いて頂けるととても嬉しいです。よろしくお願いします」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めていこうか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それでは、また次回」


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