OCCULTIC★DISASTER (粘体スライム狂い)
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一人かくれんぼ

旧作と設定は殆ど変えず、書き方と主人公を変えてみました。



ゆったりと空を漂う雲が茜色に染まる夕暮れ時。

太陽を背負った山が街に投げ掛ける影の中に一台の車が停止した。

後部座席の扉が開き、中から17歳ほどの少女が現れる。

丈の短いスカート、皮製の鞄、校章の入ったシャツといった服装から見て何処かの高等学校の生徒なのだろう。

襟元を広げ、タイを緩めた制服姿の少女の手や耳には、高校生の身分には不釣合いな装飾品が仄かな夕日の光を反射し輝いている。

 

「ありがと。終わったら電話するね」

 

つり目がちな美しい顔に薄い笑みを浮かべるその少女は、窓越しに運転手へと声をかけるとすぐに背を向けた。

振り向いた先には影と木々に覆われた山が聳えている。

街の只中に鎮座する山の麓には、まるで洞窟のような闇をたたえた登山口がぽっかりと開いている。

 

じきに日が沈む。

夜の山という闇に包まれた広大な空間は大の大人であっても心細くなるものだ。

しかし少女は自然体を崩さない。

気楽な調子で登山口へと一歩踏み出せば、その背中を車の発車する音が撫でる。

 

少女は背後を一瞥することも無く鞄からイヤホンを取りだして装着し、コントローラーを弄る。

一般的なイヤホンとは一線を画す高い音質で軽快なポップミュージックが流れ出すと、少女は夜の如き闇に包まれた道の奥へと歩き出した。

 

頭上を覆う木々の葉擦れと共に、少女の背中まで届く黒髪が靡く。

緑の濃い時期にも拘らず空気は奇妙なまでに冷たく、そして湿っている。

歩き続ける少女が、登山道の真ん中に設置された「これより先私有地につき立ち入り禁止」と書かれた看板をすり抜け、その先にある所々苔の生した石段にたどり着く頃には周囲はすっかり霧に覆われていた。

 

「……」

 

少女は額に張り付いた前髪をうっとうしそうに払うと、黙々と石段を登っていく。

石段はずいぶんと急な造りだ。

都会に住む者達にとっては物珍しさを感じるほど角度を持つ石造りの階段はその段数も大抵の人が驚くほどに多い。

だが少女は汗もかかず、息を切らせることも無くこの石段を登りきった。

 

その頃には日は暮れ夜になっていた。

だが石段を登りきった先の尾根には古びた木製の街灯が立っており、色褪せた電球が霧の中で光を放っているため明かりには困らない。

少女は尚も直進する。

送電線が千切れているのにも関わらず光を放つ街灯の隣を通り過ぎ、尾根の向こう側を覗き込めば其処には下りの石段が乳白色の霧の中へと続いていた。

 

石段の両端には誰が火を灯したのか知れぬ木製の燈篭が立ち並んでおり、黄色い染みだらけの紙越しにおぼろげな光を放っている。

その光を頼りに少女は石段を下っていく。

まるで海に潜るかのような底の知れなさ。

このまま延々と階段と霧が続いているのではないか?

そんな錯覚を覚え常人ならば恐ろしくなって引き返してしまうだろう異様な空間を歩くこと10分。

 

少女の眼前に霞んだ巨大な何かの輪郭が浮かんだ。

それは一歩進むごとに霧の中から滲み出るようにその全体像を顕にしていく。

その何かが石造りの鳥居であることがはっきりと分かる頃には長かった石段は終わっていた。

ついに少女は目的地であるこの霧の海の底へとたどり着いたのだ。

 

平坦な石畳の地面に立つ鳥居。

その額束には酷く崩れた字で「霧野神社」と刻まれていた。

 

 

 

 

細く、じゅくじゅくとした雨が降る深夜。

酸性雨に晒され色褪せてしまった外壁がもの悲しい二階建てアパートの一室で、一人の男がノートパソコンの前でにやけ顔を浮かべていた。

部屋の照明は全て落とされており、光を放つものといえば男のにやけ顔を不気味に照らすノートパソコンと、淡々と国営放送を映す薄型テレビのみ。

 

そんな薄暗い室内で、日に焼けていない白い手を忙しなく動かしマウスやキーボードを操作するこの男の名は木村中梧。

コンビニの深夜バイトを仕事としている31歳フリーターである。

 

「カメラ良し。マイク音量調整終わり。ヌイグルミ、米、裁縫セット、刀、塩水……全部確認済み」

 

下方からの光に照らされた中梧の笑みは猥褻さを感じさせるほどに歪んでいる。

これから万全の準備の下に行われる一大イベントが、常に物足りなさを感じる胸の内を満たしてくれると確信しているからの醜態だった。

 

中梧は大振りのマスクで顔の下半分を覆うと大量のケーブルを生やしたノートパソコンを持って押入れの中へと入る。

押入れの中はあらかじめ外に出されており、塩水の入ったコップとクッション用の敷布団とタオルケットが一枚あるのみ。

成人男性が3人入れるほどの余裕があるそこで中梧は前髪を弄り最後の身だしなみを整えた。

 

「配信スタート!」

 

好青年を装う作られた声と共にノートパソコン上部に取り付けられた小型カメラのLEDランプが青く点灯する。

時刻は午前1時45分。

ノートパソコンの画面上には国内最大の電子掲示板「1-1(いちのいち)」専用ビューアーと動画配信ソフト、そして自宅の各部屋に設置されたカメラの映像が表示されていた。

 

「予告どおりこれから一人かくれんぼの実況をします。本当に一人かくれんぼで心霊現象が起こるのか?今日それが分かると思います」

 

中梧のマスクに覆われた口元が弧を描く。

開始して十数秒だというのに「現在の視聴者」が300人を越えている動画配信ソフトと、秒刻みで増えていく掲示板のレスポンスがその原因だ。

興奮し荒い鼻息を一つ吹き出すと中梧は目を輝かせながらカメラに向かう。

 

「2時まで時間が無いので手短に説明しますね」

 

室内全てにカメラを設置し、各カメラの映像を同時配信。

部屋の一部にマイクも設置。

配信の視聴は自己責任で。

 

などなど、饒舌に語りだす中梧に己のやろうとしている行為への恐れは一切見られない。

 

一人かくれんぼ。

それは一種の降霊儀式、もしくは自己暗示法として広く知られている。

2000年代に入ってからネット上で詳細な手順が公開されると徐々に実行者の数を増やしていき、多くの神秘的な報告がなされていた。

そういった実績から「一人かくれんぼはヤバイ」との認識が浸透しており、これを行うのは夏場の夜中心霊スポットに行くのと同レベルで肝の太さの証明となる。

 

そんな扱いを受ける一人かくれんぼだったが、実行中に報告される超常現象が本当に起った事なのかは曖昧だった。

インターネットを介して一個人が文章で報告しているのだから、嘘や勘違いではないかと疑う人が居るのは当然の事だ。

疑うのであれば自分でやってみればいいだけで、事実真偽を確かめる為に実践した者達も居たが多くの人間は不吉がって彼ら「勇者」達のようには一人かくれんぼの真実に触れる事は出来ずにいる。

 

だからこそ、室内全てにカメラとマイクを仰々しいほど配置した状態で、しかも生放送で一人かくれんぼを行おうとしている中梧の配信に多くの人々が深夜にも関わらず注目していた。

 

(オカルトに手を出してみて、良かった)

 

マイクがある手前、舌なめずりするのを堪えながら中梧は内心ほくそ笑む。

中梧は肝試しがしたいのではない。

ましてや、一人かくれんぼの真実を解き明かそうというつもりも無い。

霊に対して不信心であるし、そもそもがこういったオカルトジャンルに対する興味すら薄かった。

 

にもかかわらず、こうして大量の機材を給料の殆どを使って揃えて事に挑もうとしているのは、何処までも人々の注目とその反応を得たいがためだ。

無機質な数字と、本音の分からない文字の羅列だけが中梧の心に喜びと生きる希望を与えるのだ。

 

「そろそろ時間なので外に出て儀式を開始します。えっと、テレビ見えますかね?日時の証明にと思って今日のニュースを流してます」

 

押入れの戸を開けリビング兼寝室として使っている洋室に出た中梧は片手に持ったカメラでテレビを写すと、ベッドに置かれた各種道具の入った袋を手に取った。

洋室の扉を開け、キッチンの隣を通り過ぎ玄関へと移動した中梧は、わざとらしくガチャガチャと音を立てて鍵を閉めた事をアピールする。

暗闇の中ではあるが勝手しったる我が家の事。

手探りで通路を歩き、次は浴室へと中梧はやってきた。

蛍光塗料が塗られたリンゴのオブジェが放つ怪しい光がささやかに闇を押しのけているそこには、水の張られた大きなブリキ製バケツが置かれていた。

中梧は手にした袋を床に置くと肩膝をつき、中身を取り出すべく袋の口を縛る紐を解いた。

しっかりと締められていた袋の口が緩んだ瞬間、浴室内に鉄錆びのような匂いが充満した。

 

「今回の鬼はこのティディベアです。名前は『俺』にしました。なんかやばそうでしょ?」

 

緊張感が一切無い口調で喋る中梧が取り出したのは大振りなティディベアだった。

柔らかな毛としっかりとした作りから高価なものだと分かるそれは、外見の愛らしさとは裏腹に酷く剣呑かつ不気味な存在だ。

あの鉄錆びのような匂いはこの「俺」と名づけられたティディベアから立ち上っているのだ。

 

「中身は俺の血をたっぷりまぶした米です。腹を縫った赤い糸は……毛に埋もれてますがちゃんとヌイグルミに巻きつけてあります」

 

ひとしきりテディベアをカメラに映した中梧は左手首にある生傷を軽くさする。

そして、この傷を負った価値はあったのだと満足げに笑った。

 

「それじゃあ、始めます。最初の鬼は中梧だから。最初の鬼は中梧だから。最初の鬼は中梧だから。」

 

名前を言う時だけ襟についたマイクのスイッチを切りながら中梧は呪文めいて3度同じことを呟いた。

そしてティディベアをバケツの中へと沈める。

 

ヌイグルミの中に含まれていた空気がボコボコと水面を泡立たせ、綿ではなく米を詰められたが故の質量によってバケツから水があふれ出る。

水分を含んだからだろうか?

浴室内の血臭が生臭さを感じるほどに濃厚なものへと変化する。

 

「一旦テレビの前に行きます」

 

内容量がずいぶんと減った袋を持って宣言どおり洋室に戻ると、中梧は目を瞑って10秒数える。

数え終わった後、中梧は再び袋に手を差し込んだ。

そして、乾いた音と共に袋が床に落ちるとその手には所々黒い染みの滲んだ白木の棒が握られていた。

 

「これはちょっと凄いですよ」

 

そういうや否や、中梧は片手に持ったその木の棒を素早く上下に振った。

カラン、カラン、と乾いた音を立て二つに割れた木の棒の一方が床に落ちた。

テレビの光に照らされていない壁に長方形のギラギラとした反射光がうつる。

 

「実家から引っ張り出してきた長ドス、登録済みなんでご安心を。元々はご先祖が使ってた脇差を白木拵えにしたものらしくて……まぁ妖刀とかそういうんじゃないんですが雰囲気的には包丁よりいいかなと思うんでコレ使います」

 

眩いだけのメッキとは違うよく磨かれた鋼鉄特有の深みある光沢を有する刃がテレビの光を艶めかしく反射する。

手に握る刃物の重みを確かめるように手首を捻りながら中梧は再び浴室へと向かう。

バケツからは先程よりも濃密な血臭が立ち上り、微かに色がついているように見える水の底からはヌイグルミが無機質な視線を中梧に向けていた。

 

「『俺』見つけた」

 

手に持った長ドスがバケツの中へと振り下ろされる。

米びつに手を差し入れたような感触が長ドスの柄から伝わり、刺されたヌイグルミの腹から溶け出した血が煙のように水中を漂い出す。

中梧は最後にもう一度力を込めて長ドスをヌイグルミの腹に深く突き刺すと、そのまま柄から手を離し立ち上がった。

 

「次は『俺』が鬼。次は『俺』が鬼。次は『俺』が鬼」

 

バケツから零れ落ちる微かな水音がやけに耳につく静寂の中、ついに一人かくれんぼが真の意味で始まりの時を迎えた。

コレより先は一人かくれんぼのルール上声を発してはならない。

中梧は軽口を叩きそうになるのを努めて堪えた。

ルールに対して何処までも愚直でなければ、この配信の価値は薄れると危惧するからだ。

 

(さぁ幽霊の一匹や二匹出てくれよ。そうすりゃあ視聴数がもっともっと稼げる)

 

この段に至っても中梧の興味はインターネット上にしか存在しなかった。

纏わりつく血の匂いを振り切るように歩き出す中梧は、ここまでの流れを受けて増えているだろうレスポンスや視聴者の数だけを思い描きながら押入れへと向かう。

その道中に部屋の彼方此方に視線を向けるが特に変わったことはなく、テレビだけが内容を変えいつもの調子でニュースを読み上げていた。

 

押入れの戸を開け、体を滑り込ませて閉める。

ノートパソコンを見てみれば、期待していたとおりの結果が待っていた。

 

『呪術の媒介に俺って名前を与えるとか死ぬきか?』『よりにもよって血を使うのか!これは地獄になるな!』『ドスとか>>1の実家って自営業の方?』『やばいやばい。これはマジでやばいってw』『>>1が勇者過ぎるwww』『勇者 は 呪われしまった!』『自分で自分を呪うのか(困惑)』

 

等々、レスポンスは深夜にもかかわらず非常に活発であり、視聴者数も順調に増加している。

中梧にはかつてOFF会での淫行が原因で炎上して手放さざるを得なかった人気実況者としての名前があったが、その名で生放送をしていた頃と比べてもこの盛況ぶりは稀だと言える。

根拠の無い全能感が全身を満たし、津波のような多幸感に中梧は耽溺する。

 

『というわけで一人かくれんぼ開始です。しばらく画像は各所監視カメラ画像に切り替えますね。幽霊出るかな?ワクワク』

 

声を出せないので中梧はキーボードを叩き、掲示板にトリップ付きであえて緊張感のない言葉を投下した。

それに対するレスポンスを楽しみながらも、中悟もまた監視カメラの映像のチェックを行う。

洋室、通路とキッチン、玄関、トイレ、そして浴室。

今の所室内には変化がない。

その事に中梧は自分勝手な憤りを感じつつも、今後全く変化が無かった場合どのように視聴者を繋ぎとめレスポンスを稼ぐかについて思考する。

 

……そうして10分が経った頃。

中梧の耳が懐かしさを伴うノイズを捕らえた。

 

『砂嵐とかうせやろ?』『この映像取れただけでこの企画成功だな』『え、なにこれ。テレビのバグ?』『砂嵐を知らない子はもう寝なさーい』『うおおおおおやべえええええwww』

 

瞬間的に増えたレスポンスを見て、この異変がテレビに関係することを悟った中梧は即座に洋室に設置したカメラの映像をアップにした。

そこには見慣れた公共放送のニュースがノイズと共に掻き消え、かわりにスノーノイズが無機質な音を立てるテレビの姿があった。

アナログだった昔ならいざ知らず、地上デジタルへと完全移行した今の時代では原理的に有り得ないことだった。

 

(マジか!幽霊?来たのか!?)

 

視聴者が、そして中梧自身が待ち望んだ心霊現象だったが、実際にその場で体験している中梧としては素直に喜べないものがあった。

霊という物を信じない中梧だが、テレビのノイズが発生したその瞬間肌に感じる空気に言い知れぬ変化を感じ取ったのだ。

高揚していた精神が一気に萎え、不可思議な現象に対する人間が生来持つ恐怖が中梧の心中に滲む。

中梧は手元にあったタオルケットを羽織り背中を壁に密着させると、極力音を立てないように注意しながらキーボードを叩いた。

 

『テレビに異常発生。砂嵐とかありえないよな……。それになんだか寒くなってみたような。すこし怖いかも』

 

(大丈夫、大丈夫だ。俺は一人かくれんぼのルールを守ってる。幽霊が本当に居たとしても手順どおりに終わらせれば全く問題ないんだ)

 

耳に纏わりつくノイズに心を乱されながらも中梧は配信を続行する。

このような状況では有るが、視聴者数とレスポンスの伸びは目覚しく、それが中梧の萎えかけた心を奮い立たせていた。

中梧を応援する多くのレスポンスがノートパソコン上に表示される。

それはある種の脅迫じみた印象を中梧に与えたが、たとえ脅迫であろうとも注目され期待されているという実感が中梧に一人かくれんぼの続行を選ばせる。

 

だが。

 

『見るのやめる』『おいこれ本気でまずくないか?>>1の仕込じゃないなら』『あああああああ>>1さん逃げて!これは洒落にならない!』『鳥肌立った』『吐き気がしてきた。リタイアする』『私の守護霊の方が見るのをやめろって言ってる。皆も見るのやめたほうが良いと思います』『おい>>1大丈夫か?落ち着いて塩水を確認するんだ』『並みの霊じゃないぞこれ。多分普通の死に方じゃない』『影響されやすい奴は今すぐ配信閉じろ。これアカンやつだ』

 

爆発したレスポンスに目を向けることも無く、中梧は全身を強張らせ見開かれた眼で監視カメラの映像を凝視していた。

それは縮小され複数並べられた室内の映像の一つ、浴室に設置されたカメラのものだ。

中梧は始めは白い何かとしか思わなかった。そう思いこみたかった。

だが、そう思ったのは一瞬だ。

その白い何かは誤魔化しを許さぬとばかりに、フラフラと揺れるようにその全身をカメラの前に曝け出したのだ。

 

「ひぃっ」

 

喉の奥から引き絞ったような悲鳴が上がるのを中梧はとうとう我慢し切れなかった。

カメラに映っている者。

それは能面のように白い全裸の女だった。

あるいは白の絵の具を全身に塗りつけたような、そんな不自然な白さの体毛が一切無い女が風呂場に立っていた。

カメラ越しであるのにも拘らず、中梧はこの女を見るだけで肌があわ立ってすぐにでも逃げ出したくなる焦燥感に駆られていた。

今すぐにでも一人かくれんぼを終わらせなければ大変な事になるという確信すらあった。

だが、それでも中梧は押入れから動けなかった。

それは、カメラに映る女の手に腹に長ドスを刺したヌイグルミが握られているからだ。

 

一人かくれんぼを終わらせるにはヌイグルミを探し出す必要がある。

だがそのヌイグルミは見るからに危険そうな怨霊に確保されている。

塩水を口に含んだ程度ではどうにもならなそうな相手を前に、中梧は進退窮まった事を悟り、毛が抜けるほどに頭を掻き毟った。

 

(くそっ!くそ、くそ、くそ!なんだよこれ!なんでこんな事になるんだよ!あんなの出てくるとかふざけんな!)

 

『かくれんぼを終わらせます。どうすればいいでしょうか?ヌイグルミはあいつが持ってる。塩水を口に入れてれば大丈夫ですか?助けてください』

 

ありったけの罵詈雑言を心中で吐き散らしながらも、己の命の為に慎重にキーボードを叩く中梧。

どうか助けてくれと願いを込めて投下した発言には、数分前の中悟ならば歓喜するだろう多くの反応が返ってきた。

 

『出るな!』『やめろ。出てったら終わらせる前に取り殺されるぞ』『早く終わらせて!じゃないと大変な事になるよ!』『あのレベルの霊相手に塩水程度じゃどうにもならないんじゃないか』『↑だったら押入れに隠れてても見つかったらアウトだろ。出て行って終わらせるしかない』『お前らなに言ってんの?あんなのに近づいたら普通に死ぬだろ>>1を死なせたいのか』『携帯は持っていますか?知り合いに事情を説明してお寺か神社の方に助けを求めてはどうでしょうか?』『とりあえず人呼べ。一人じゃどうにもならん』『人呼べとか言ってる奴らは正気か?被害が拡大するだけだろ』

 

ギリ、リ。

押入れの中で中梧は歯軋りした。

藁にも縋る気持ちでこの配信を見ている者達に助けを求めた中梧だったが、彼らの発言には一貫性がなく結局どうすればいいのかまるで分からなかった。

奥歯が欠けそうなほど歯を食いしばる中梧は彼らの役立たずぶりに激怒した。

 

(クソが!俺が助けを求めてるんだぞ!もっと真剣に考えろ!どうすりゃいいのかさっさと言え!このクソニートの役立たず共めぇ!)

 

しかし中梧がどれだけ怒り、彼らを罵倒したところで状況は好転したりはしない。

ノートパソコンを見つめる中梧の血走った眼が限界まで見開かれた。

カメラに映る女が移動を開始したのである。

 

(やめろ!来るな!来るなぁぁぁぁぁ!!)

 

中梧は涙を滲ませながら手を合わせると、名前も知らない神や仏に助力を願う。

どうかあの女が洋室へと来ないようにと。

しかし、そんな中梧の切羽詰った願いは神仏に聞き届けられることは無かった。

 

浴室から通路へ。

通路からキッチンへ。

そして、キッチンから中梧の隠れる押入れがある洋室へと女は躊躇無くやってきてしまった。

女が近づくたびに中梧の全身を襲う寒気が激化し、心臓が破けるのではないかと思うほど焦燥感は高まり続ける。

 

『ああああああああああああもう限界です助けてください住所を書きますお願いです助けに来てください』

 

無我夢中で助けを求める中梧。

もうカメラの映像を見なくとも、押入れの戸を隔ててあの怨霊がすぐ其処まで来て居る事に中梧は気付いていた。

最早音を気にするだけの余裕はない。

最早ネット上で個人情報を公開するリスクに配慮する必要などない。

この急場を凌げなければ、自分の未来はないのだと中梧は確信していたのだ。

 

『110番で良いのかな?』『警察にどう説明して来てもらうんだよ』『正直に説明しても普通来てくれないよな?』『じゃあ来てもらえるような嘘を考える?』

 

ノートパソコンに映るレスポンスのあまりにも暢気なやりとりに、中梧は完全に絶望した。

もう、間に合わない。

そう思った瞬間、押入れの戸が小さく音を立てた。

 

カタッ。カタ、カタカタ。

 

「うっ!?あっ、あひ、ふはああッ!?」

 

マイクやカメラに気を配る事もできず、中梧は戸から全力で遠ざかった。

腰を浮かせたことにより頭を天井に強打し目に星が散るが、そんなことお構いなしに中梧は壁際へとへばりついた。

 

戸が、微かに開いている。

鮮明に聞こえてくるノイズの単調な音を残して、室内の音は全て消え去ってしまったかのような十数秒。

心臓が早鐘を打ち、やがてその鼓動が耳に聞こえるほどになった時。

テレビの微かな光が差し込む戸の隙間に、白い指が差し込まれた。

 

「ああああああッ!うわあああああッ!!」

 

中梧は絶叫を上げ戸に飛びついた。

血の気が一切感じられない細い女の指を潰そうとするかのように、全力で戸を閉めようと凍える体に力を込めた。

だが、戸は閉まらない。

中梧が満身の力を込め、可能な限りの体重をもかけているというのに戸は一向に閉まらず、無情にも押し広げられていく。

人間には抵抗できない圧倒的な怪力だった。

 

「うぐぐぐ、う、うおおおお、おおお」

 

戸が開く!戸が開く!戸が開いていく!

押入れの外にあるテレビから発せられる光がゆっくりとだが確実に押入れの中を照らし始める。

そして中梧は見た。

戸を挟んでの向こう側。

片手で戸を掴み、此方を見つめる女の見開かれた睫毛の無い異様な黒い瞳を!

 

「ヒイイイイイイイイ!」

 

その瞳と目を合わせたとき、中梧は抵抗する気力を失い逃げ場の無い押入れの奥へと体を転がり込ませた。

股間が濡れ、アンモニア臭が鼻を突く。

淫行が通報され自宅に警察がやってきた時などとは比べ物にならない絶対的な恐怖が中梧の頭から爪先までを雷のように貫いた。

 

「お……まえ……が……」

 

身を屈め押入れの中へと上半身を差し入れた怨霊が口を開く。

古井戸のような闇を湛えるその口からは掠れた声と共にタールのような黒く粘着質な液体が零れ落ちる。

アンモニア臭が感じられなくなるほどの酷く強烈な血臭が中梧の鼻腔を満たした。

 

「やぁぁぁぁぁ、ったぁぁぁぁぁぁぁァァァァアアアアアア!」

 

お前がやった。

そう呪詛を吐き中梧に迫る怨霊の姿は劇的に変化する。

白磁のように白かった肌は、まるで紙が燃えるかのように黒い焦げ跡が広がり焼死体の如き様相だ。

そして白から黒への極端な外見の変化に同調するように中梧を包む気配すらも逆さまとなる。

 

「ギャアアアアア!やめてくれ!やめてください!おねがいします!誰か助けてくれえええええ!」

 

畳針で刺すような刺激を肌に感じて中梧は悲鳴を上げた。

肌が細かく切り刻まれたかのような荒々しい痛み。

それは炎に焼かれた時の痛みに相違なかった。

 

「熱い!熱い!熱いイイイイイ!」

 

苦しみ悶える中梧を女の怨霊は不気味に表情を歪ませて見つめていた。

白目黒目の区別無く白濁した瞳には、そんな有様であるのに紛れも無い愉悦の光があった。

怨霊は笑っているのだ。

 

(死ぬ。死ぬのか。俺は)

 

激痛に喘ぎながら、徐々に近づいてくる怨霊のおぞましい笑顔を見て中梧は己の運命を悟った。

この理解しがたい化け物と触れ合ったとき、自分の命は消え去るのだ。

それが理屈ではなく本能で理解できてしまい、中梧は狂乱の中で涙を流した。

 

一人かくれんぼなんてしたがばっかりに。

人気を得て褒めそやされたいと思ったばっかりに。

 

後悔してももう遅かった。

中梧と怨霊は唇と唇が触れ合える距離まで近づいている。

最早、これまでだった。

 

「あ、ちきのよう……に、もえて、しねぇぇぇぇぇぇ!」

 

怨霊の憎悪に満ちた声が中梧の耳をつんざく。

その時だった。

 

「ぐえェッ!?」

 

カエルが潰された時のような声が上がる。

それと共にあれほど全身を苛んでいた灼熱感が嘘のように消えうせたのに中梧は気がついた。

 

「は、へ、え?」

 

気の抜けた声を漏らす中梧は、何が起こったのかわからず呆然と辺りを見渡す。

あの女の怨霊の姿は何処にも見当たらなかった。

 

(もしかして、助かったのか?)

 

そう思い安堵から溜息をつこうとした次の瞬間、半開きだった押入れの戸が勢いよく内側へと外れ中梧の体を強かに打った。

 

「うわっ!な、なんだよ今度は!?」

 

中梧は外れた戸の下から這い出ると、戸が無くなり丸見えとなった洋室へと視線を向けた。

そして全身を硬直させると大口を空けて絶句した。

 

「アアッ、アッ、アッ、ウアアアア!」

 

いつの間にか洋室は濃い霧に覆われていた。

そしてその乳白色の空間で、焼き焦げた女の怨霊が空中で首を押さえて呻き声を上げていた。

 

「おしのさんか」

 

霧の中から男のものとも女のものともつかぬ声が発せられた。

中梧の瞳のみが動きその声の発せられた辺りを凝視する。

 

……果たして、其処にソレは居た。

 

2メートルを越える長身。

金剛力士像の如き筋骨隆々な上半身を晒し、下半身には膝下に晒しを巻きつけた褌をはいている。

霧と半ば一体化した長髪が生える頭部には、枯れた古木のような二本の角が生え、輪郭のおぼろげな顔には赤く燃える目と地割れのような巨大な口だけが存在していた。

 

鬼。

 

中梧の眼前で、そうとしか呼べない異形の存在が怨霊の首を片手で捕らえ吊り上げていたのだ。

 

「うっ、うっ、うううぅぅぅ!」

 

怨霊が唸る。

しかしその声は哀れみを誘うようなか細いものだった。

身を捩り、自身を捕らえる丸太のような豪腕に爪を立て、足をばたつかせても鬼の魔手から逃れることは出来ない。

その姿は先ほどまで命を脅かされてた中梧からしても不憫さを感じさせるものだった。

 

「悪いがこの男は殺させぬ。今日のところは帰るがいい」

 

それだけ言うと鬼は怨霊を掴んだ腕を振り上げる。

怨霊の体が布かなにかのように宙に揺れた。

そして、野球のピッチャーの如く体のバネを引き絞った鬼は目にも留まらない速度で怨霊を持つ手を振り抜いた。

 

「ひいいいぃぃぃぃ……」

 

鬼の手から放たれた怨霊が上げる悲鳴が尾を引きながら遠ざかっていく。

その声が消える前に、中梧は錐揉み回転しながら高速で窓の外へと飛翔する涙目の怨霊を見たような気がした。

安堵に全身の力が抜け、中梧は浮かしていた腰を落とし床へとへたり込んだ。

 

「た、助かった……」

 

猛威を振るっていた恐るべき怨霊の姿が居なくなったことで中梧は完全に気が抜けた状態だった。

後から現れた鬼に対する恐怖がない訳ではないが、発言からは自分に対する害意はないと判断して中梧は疲労感の命じるままに脱力していた。

 

(もう二度とこんな事しないぞ)

 

そう硬く誓うと中梧はチラリとノートパソコンへと視線を向ける。

 

(さっきの映像、映ってるだろうか?映ってたら大スクープだよな)

 

もし映っていたならば霊的存在の実在を証明する完璧な証拠となるだろう。

そして、その撮影者は一躍時の人となるのはまず間違いあるまい。

命の危機が去ったことで余裕の出来た中梧は疲れた頭で薔薇色の未来を思い浮かべ口元に笑みを浮かべた。

しかし――

 

「えっ?」

 

中梧のその笑みは、鋼鉄のような硬さと冷たさを持つ巨大な手に腕を掴まれた事によって霧消した。

あっけに取られた中梧の見上げる先には、爛々と輝く鬼の双眼があった。

 

 

 

 

いちのいちまとめ

 

 【リアル】一人かくれんぼで死人が出た件について【心霊現象】

 

・・

・・・

 

346:姿の見えないクラスメイトさん

 

やった奴って本当に死んだの?

配信見てた人も居るみたいだけど本当に死んでるんだったらニュースになるんじゃない?

 

352:姿の見えないクラスメイトさん

 

>>346

まじで死んでる

最後に勇者様が貼った住所と同じ地域の俺が言うから間違いない

ニュースにはなってないけど新聞の死亡欄にちゃんと勇者様の名前が載ってたよ

 

388:姿の見えないクラスメイトさん

 

つうか警察この件どういう風に処理したんだ?

俺も配信みてたけど>>1の死に方ってどう見ても普通じゃなかった

 

213:姿の見えないクラスメイトさん

 

霧の中で両手両足がグルグル回ってねじ切れて最後は胴体が捩れて臓物ブシャー

途中でヘッドホン外したわ

 

218:姿の見えないクラスメイトさん

 

怖すぎグロすぎワロエナイ

 

391:姿の見えないクラスメイトさん

 

霧……霧かぁ

これやっぱアクムの仕業?

他の怪談に出てくる妖怪とかならともかくアクムだけは実在しちゃいかんだろ

 

394:姿の見えないクラスメイトさん

 

>>391

あの配信で霊的存在が実在するのは分かってしまったんだ

創作が多い1-1の怪談にも本物が混じっててもおかしくない

つまり、その、なんだ

俺もう山とかいかないし肝試しもしない

 

・・・

・・

 

 

 

 

「さっきの話から一週間。こんな事になってるんだけど、カメラ回ってるのに気付かなかったの?」

 

天井から吊るされた蛍光灯が寒々しい光を注がせる和室。

紫白の巫女服に着替えた少女は文机の前に敷かれた緋色の座布団の上に正座し、右手に持ったスマートフォンの画面を虚空に向けて話しかけた。

まるで其処に誰かが居るかのような態度であるが、虚空は虚空。

そこには誰の姿もありはしなかった。

しかし。

 

――途中で気付いてはいたんだよ、(みちる)

 

虚空より男のものとも女のものともつかぬ声が発せられた。

耳にしみこむ様な響きを伴った不思議な声に対して、満と呼ばれた巫女服の少女は眉を顰めた。

 

「じゃあなんで止めなかったの?隣のクラスの男子が配信見ちゃってヘロヘロになってたんだけど」

 

――一度映ってしまったからには隠してもはじまらないと思ってね。ただそれだけだよ。折角だから目立ってやろうとか、そういうのではないからね。

 

「ふぅん」

 

満はスマートフォンを文机の端に置くと、一本700円の筆ペンを手に取り机上に広げられた和紙に不思議な声が言った事を書き留め始める。

たおやかな指が動き、次々に立派な楷書の文字が書かれていく。

 

「折角だから目立ってやろうという腹積もりでは決してないのだ、っと」

 

――ああ、ああ!やめてくれ!なんで君という子は余計な事まで書き記そうとするのか!

 

慌てた声と共に和紙を留めていた文鎮が独りでに宙に浮く。

そして風も無いのに紙が舞い、クシャクシャと音を立て丸められながら部屋の片隅にあるゴミ箱へと飛んでいった。

一連の不可思議な現状を満は特に驚きもせずつまらなそうに見つめていた。

 

「だってキリノが言った事を書き留めるのが私の仕事だし」

 

憮然と言いはなつ満にキリノと呼ばれた存在は柔らかな口調で語りかけた。

 

――怒っているのかい?

 

「……怒ってない。ただ、死んじゃった人が可哀想だと思っただけ」

 

怒っていないとはいうものの満の視線は鋭い。

虚空に存在する目に見えない超常的存在を睨む視線には、まだ長く生きられたはずの若者を無残に殺した事に対する疑問と非難が込められていた。

 

――なるほど。確かに彼自身に殺されるほどの謂れはなかったね。

 

「ならなんで」

 

――彼の先祖が悪いんだ。あの若者には罪は無いがその先祖には有り余る恨みがあってね。あと四世代分は祟ってやらないと気がすまない。

 

「そんな……」

 

先祖の罪の為に今を生きる子孫が祟られるなんて理不尽だ。

喉元まで出かかったその言葉を満は諦めと共にグッと飲み干した。

 

『あれは、災害のように理不尽でどうしようもない。そういうものなのよ』

 

他界した先代巫女である母が寂しそうに語ってくれた言葉を思い出し、自らの職務と無力さを再確認した満にはこれ以上祟り神(ひとでなし)と道徳について語ろうという気力はなかった。

 

――満はやさしいね。そんな君は私の話を書き留める事が苦痛かもしれないけど、どうか安心してほしい。

 

私は年に499人までしか人間は殺さない。

褒めてもらいたそうなキリノの声に、人数の問題ではないのだと満は肩を怒らせる。

が、その怒りもまた諦めに沈み、肩の力は抜けていく。

満は代々受け継いでいる自分の仕事が嫌いではないが、こうしたキリノの異常な言動を聞くのには些か以上に疲れていた。

 

「それは前も聞いたよ。……それで、話は終わり?今日はもう帰っていい?」

 

和室の片隅に備え付けられた年代ものの柱時計は21時を示している。

今から迎えを呼んで自宅へ帰れば日を跨いだ頃に満はお気に入りのベッドで眠りにつける。

翌日は学校があるので、満としては早めにこの神社から離れたかった。

 

――そうだね。今日はもう終わりにしよう。お疲れ様、満。

 

「お疲れ様」

 

短く返事をすると満は手早く机上の和紙の束を纏めると、それをもって隣室への襖を開いた。

壁に備え付けられているスイッチを入れ白色電球を点灯させれば、無数の本棚と積み重なった文箱が鎮座する室内が照らし出された。

満は手に持った紙束を螺鈿細工の施された漆塗りの文箱へと仕舞う。

そして要は済んだとばかりに巫女服の袖を揺らしながら元いた部屋へと戻っていく。

 

満はいまだにこの場に居座っているキリノの気配を感じつつもそれを無視して文机の上にあるものを鞄へと詰め込んでいく。

机の上を綺麗に片付け、最後に座布団を部屋の所定の場所に戻せば後は帰るのみだ。

蝋が塗られた障子戸を殆ど力を込めずに開けると、満は近くに置かれたランタン型のLEDランプを点灯させてから室内の電気を切った。

 

――ああそうだ。来週のお土産はコンビニの新作デザートがいいな。生クリームたっぷりなやつ。

 

「うん。わかった」

 

満は困ったように微笑むと障子戸を閉めた。

 

これにて神秘に関わる者の多くから畏敬の念を向けられる祟り神『大禍津霧野神(オオマガツキリノノカミ)』を祀る霧野神社、その154代目(しる)し巫女『伊藤満』の本日の勤めは終了したのだった。

 




少しでも面白みを感じて貰えるように意識して書いたつもり。
不安だらけだけど感想貰えると嬉しいですと言ってみる。


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依頼

冷たい朝露が新緑の草花を飾る早朝。

鳥居のない神社とも仰々しい土蔵とも言える古びた建物の前で40過ぎの中年男が汗にまみれた額を拭っていた。

右頬にある大きな痣が特徴的なその顔にははっきりとした心労が透けて見える。

男は一つ大きなため息をつくと、三重になっている扉を順に閉め、厳重に施錠した。

夜を徹した探索がついに終わったのだ。

 

「今度も生きて帰れた」

 

安堵の表情を浮かべると男は重厚な扉の前にへたり込んでしまう。

よっぽどの緊張を強いられる環境にいたのだろう。

目元に刻まれた幾重もの皺を解きほぐすように目頭を揉む。

 

その時、男の耳に軽快な電子音が届いた。

音の発生源はたった今閉めたばかりの入口の横に置かれた藤籠だ。

そこには男が作業を始める前に入れた私物の数々がある。

鳴っているのは男の携帯電話だった。

 

眉をしかめ疲労した体をのそりと動かすと男は携帯電話を手に取る。

 

「藤堂です。ついさっき確認し終わりましたが、こちらには来ていないようです」

 

刺繍が施された紫色の袴についた埃を払いながら、要件などわかりきっているとばかりに藤堂は電話の相手に報告した。

 

「……いえ、あと一か所探さないといけない場所があります。ただ、私自身が探すわけにはいかないので暫く時間をいただくことになると思いますが。……ええ、わかりました。確認が取れたら連絡します」

 

通話を切ると藤堂は深いため息をついた。

胃に痛みを感じているかのように腹部をさすりながら、のっそりと立ち上がる。

 

「できることなら会いたくないが、電話で済ませては失礼になる。……胃薬飲むかぁ」

 

藤堂は顔をしかめながら天を仰ぐ。

東の空が白み、薄い日光が世界に差し込まれていく。

 

「当代の霞銀星(かすみぎんせい)。葬式以外で会う事になるなんて思わなかったな」

 

藤堂は背後の建物を振り返ると、深く一礼しその場を離れる。

人気のなくなった建物の入口の上、漆喰の塗られた純白の妻壁で、五芒星に日本画の霞を合わせたような紋章が日光を浴びて黒々と輝いていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「それと、最近とても物騒になっています。皆さんもニュースで見たでしょうが隣県で通り魔が出ました。隣県だからと言って油断せず早めの下校と人通りの多い道を通っての帰宅を心がけてください」

 

まだ30代というのに月代(さかやき)を剃った侍のような頭部を持つ担任の教師がそう締めくくると、帰りのホームルームは終了となった。

早々に帰宅する者、部活動へと向かう者、教室に留まる者。

一日の学業から解き放たれた生徒たちは思い思いに行動していた。

 

そんな活気あふれる教室の中で、満はスマートフォンを片手に神妙な顔をしていた。

相も変わらず学生の身分に相応しくない高価なアクセサリーと化粧が彼女のそこかしこを彩っている。

成績さえ良ければよいという校風であり、ピアスや指輪などの装飾品を身に着ける生徒が多いこの『星陵高等学校』においても満とその装飾品の数々は人目を集め、他の生徒とは一線を画する存在感を放っていた。

 

「みっちゃんどうしたん?」

「あ、サオリン」

 

机に座ったままの満に声をかけたのは、クラスメイトの|橘咲桜凛≪たちばな さおり≫だ。

風をはらむパーマを当てたセミロングの茶髪、スラリとしたスマートな体形なのに満よりも、いやクラスの誰よりも豊かな胸部を持つ彼女は今日も活発そうな笑みを浮かべている。

今日は彼女の所属する同好会の活動に参加すると約束していた事を思い出した満は、笑顔の咲桜凛に申し訳なさそうな視線を向けた。

 

「そろそろ行こうよ。グッチー待ってるだろうしさ」

「それが……ごめんサオリン!急に外せない用事が入っちゃって……」

「ええっ?」

 

満の発言に咲桜凛が目を丸くした。

それもそのはず。

咲桜凛の所属するオカルト同好会の活動に参加するという約束は満から言い出したことだったからだ。

満は友人の驚く様に歯噛みする。

自分が来ることを楽しみにしていた友人の心を裏切ってしまった事が満には心苦しかった。

 

「あー……いいよいいよ。気にしないで。でも一体どうしたの?もしかして男?」

「はずれ。と言いたいけど当たりなんだよねこれが」

「えっ!?マジ!?」

 

軽い調子で冗談めかして聞く咲桜凛に対し、満は困り顔で頷いた。

教室に残っていた生徒たちに電流が走り、一瞬空気がざわつく。

特に男子生徒達の反応が顕著だ。

突然会話を止め耳を澄ませたり、全身を硬直させ満を凝視したりと、如何に満の男性事情に興味があるのかが一目で分かるありさまだった。

女子生徒の大半も似たようなものだが男子のように情念はこもっておらず、純粋な興味と好奇心が原動力のようだった。

満は自身に集まる視線を感じながら、クラスメイト達の勘違いを解くために口を開いた。

 

「マジマジ。でもただの知り合いだよ。親の友達……みたいな人なんだ」

「ホント?ホントにホントだよね?私に嘘ついてないよね?」

「ついてない、ついてない。ホントにただの知り合いだって」

 

目を見開いて迫る咲桜凛に、満は昔見たアニメでこんなシーンがあったなと苦笑する。

そんな満に念を押すように確認を繰り返した咲桜凛はようやく納得がいったのかその豊満な胸をなでおろした。

 

「はぁー……よかったぁ。みっちゃんに男ができたとか、ショックで私だけじゃなくて男子がダース単位で倒れる所だったよ」

「大げさだって。というかなんでサオリンが倒れるの?」

 

男子がダース単位で倒れるという咲桜凛の言葉を大げさであると評したものの否定しなかったのは、満には倒れるまでは行かずとも衝撃を受けるだろう男子たちに心当たりがあったからだ。

星陵高校に入学して一年と少し。

その期間で満に告白して来た男子の数は12人を超えているのだ。

満は恋人が居ないにも関わらずその全てを断っている。

そんな女に|男≪彼氏≫が出来たとなれば断られた者達は程度の差はあろうともショックを受けるだろう事は満にも想像できた。

 

「みっちゃんほどの子でも彼氏できないんだから私にできなくても仕方ないという完璧な理論が崩壊するから!」

 

ピントのずれた事を胸を張って言う咲桜凛。

豊かな双丘がひと跳ねするのを見届けると、満は黒地に桜が描かれた和風なケースに収まったスマートフォンをカバンへとしまい席を立った。

 

「サオリンの理論の完璧性について議論するのはまたの機会として……ごめんね。坂口君にも私が謝ってたって伝えておいてくれる?」

「気にしないでいーって。グッチーも気にしないと思うし。また遊びに来たくなったら言って。いつでも大歓迎だからさ」

「ありがとサオリン。それじゃ、ごめんね」

 

満は咲桜凛に向けて手を合わせてウインクするとカバンを持って足早に教室から出て行くのだった。

 

「さて、私も行くかなぁ」

 

満を見送った咲桜凛も自分のカバンを手に取ると、校舎の隅にある学生寮の一室にあるオカルト同好会の部室へと軽い足取りで向かう。

 

先ほどまで注目を集めていた二人が居なくなったことで教室にいた大半の生徒たちは各々勝手気ままに放課後を満喫している。

そういった状況で未だに満への興味を失わない人物がいた。

教室の片隅の席で満の様子をうかがっていたその女子生徒は意を決したように勢いよく立ち上がるとカバンをつかみフワフワとした髪を弾ませながら教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

学校の校門を出て30分。

満はファミリーレストランの片隅で一人メロンソーダを飲みながらスマートフォンを弄っていた。

待ち合わせの時間までは後10分ほど猶予がある。

 

教室においてなんの気負いも見せなかった満だったが、内心は穏やかではなかった。

今日会う予定の相手が親の友達という言葉に嘘はないが、満にはあまり関わりのない人物なのだ。

顔を合わせた事など2回しかなく、言葉を交わした事など皆無に等しい。

言ってしまえば見知らぬ他人と変わらない。

緊張しないわけがなかった。

 

(お母さんは、臆病な人だから優しくしてあげてって言ってたけど……)

 

自分の二倍以上も生きている男性に優しく接するとは一体どうすればよいのか。

普通に接する以上の対処が思い浮かばないが、それでよいのなら母は態々優しくしてあげてなどとは言わないだろう。

満はテーブルに突っ伏して可愛らしく呻いた。

 

満は相手の素性についてはキリノから大まかに聞かされている。

それによれば、キリノ自身が集めたり人々から捧げられた珍品宝物の類を保管する蔵の管理を職務としている人物らしい。

形式上キリノに仕える神職なのだが満との血縁関係は無く、その世代ごとに最も相応しいとされる人物がその役に就くのだという。

相応しいかどうかはキリノが定めたいくつかの項目を満たしている人物の中から、日本で最も貴い神職が判断し選出する。

まさに神道のエリート中のエリートであり、霊的存在に対し見る、聞く、触るの3つが出来る正真正銘の霊能力者なのだ。

 

(私みたいななんちゃって神職とは違って本物の人だし、不安しかないよぉ)

 

満はキリノの巫女だが、世間一般の神社の神職とは異なる様式で働いている。

主祭神であるキリノの趣味や気まぐれによって作法が決定された結果、満の巫女としての常識は同業者には通じないのだ。

そのせいで一度恥をかいた経験があるため、満は同業者との会話に強い不安があった。

 

(ボロを出さないように口数少なく、かつ優しい感じで会話する……これしかない)

 

優しい会話とはいかなるものか、未だに掴めていないが方針が決まったことによって多少の落ち着きを取り戻した満。

そんな満の耳に自分の席に近づく足音が聞こえた。

満が乱れた髪を右手でかき上げながら上半身を起こすと、通路には40過ぎの中年男性が立っていた。

 

まるで鉄芯が入っているかのように背筋がピンと伸びた美しい立ち姿。

クールグリースによってオールバックに固められた濡れたような艶を出す豊かな毛髪。

右頬にある大きな痣が印象的なその男性は、高級そうな三つ揃えのスーツを着こなしている如何にも紳士らしい風体をしている。

年をとった男性が持つ落ち着いた雰囲気と色気が匂い立つようであり、遠目にその姿を見れば満でも暫しの間うっとりと見とれてしまうだろういい男ぶりだった。

 

満は体を強張らせてこの魅力的な男性を凝視した。

しかし、見とれているわけではない。

むしろ男性を凝視する満の目はスッと鋭く細まり、美人特有の凄みある睨みをきかせていた。

なぜならば。

 

「ヒッ……」

 

なぜならば、満の眼前にいるダンディな紳士は玉のような汗を額に浮かべながら強張った顔面を青くしていたからだ。

男性の喉から悲鳴が零れ、明らかに恐怖に染まった目が満の目を見つめる。

 

この異常な様子に満の脳裏に過去の恐怖体験が蘇る。

 

(8月の満員電車であんなふうに汗だくのウルトラデブのおじさんが密着してきた事があったなぁ。臭くて息も荒くて……)

 

いよいよ堪りかねてきた時、その巨漢は唐突に下腹部を押さえ苦痛の呻き声を上げると満から距離を取り、転げ落ちるように次の停車駅で下車していった。

手を使った痴漢行為こそされなかったが、あの巨漢は間違いなく自身の巨躯を利用した痴漢だったと満は今も信じていた。

 

満の目つきが鋭くなったのは男性の額に浮かぶ汗からその痴漢疑惑の巨漢を思い出したからであり、眼前の男性に対する嫌悪はなかった。

しかし、満のこのあからさまな視線に青痣の男性は総身を震えあがらせた。

 

「お、おしさしっ、お久ぶりです、霞銀星様。東の倉庫番、藤堂彦次郎、只今到着致しました!」

 

上ずった声でどもりながらも彦次郎は満へと深々と頭を下げた。

 

霞銀星。

キリノを祀る霧野神社の神紋の名だが、この場では唯一人その神紋を身に着ける事を許されている人間である自分の事を指しているのだと察しつつ、満は眉間に皺を寄せた。

腰を90度曲げてお辞儀する彦次郎に、店員やまばらに存在する客の視線が集まっている。

紳士ではあるが右頬の痣が人相に一種の凄味を加えている中年男性に畏まった礼をされる女子高生の図は、あまりにも目立ちすぎるし人聞きの悪い状況と言わざるを得ない。

現に他のテーブルに注文を取りに来ていたウェイトレスが驚愕の面持ちで満達を見つめている。

満が視線を向ければ電光石火の速度で顔を逸らし、上ずった声で注文を取り始めた。

一体どのような勘違いをされているのか?

想像するだけで羞恥のあまり頬が燃え上がりそうで、満は彦次郎を席に着かせるべく険しい表情のまま口を開いた。

 

「やめてください。見世物になってます」

「は?……はっ、はい!失礼しました!」

 

己の口から出てきた驚くほど冷たく感情の感じられない声。

彦次郎は一瞬あっけにとられるも、すぐに周囲の状況を理解し転がり込むように席へと座った。

身なりの立派な大人の男性にしては余りにも落ち着きがない情けない姿を見て満は胸が痛むようだった。

 

(藤堂さん、一年前と変わらずカッコイイ人なのに……。この人をこんな風にさせてるのは私の対応が悪いせい、だよね)

 

母の言いつけを全く守れていない事に罪悪感を覚えた満は心の中で彦次郎に謝罪した。

そして彦次郎を気遣い、意識して表情の険を和らげた。

 

「お待たせしたばかりか、このようなご無礼を……どうかお許しください」

 

周りに聞こえないように小声で謝る彦次郎の顔色は蒼白だ。

臆病な人とは聞いていたがこれは酷過ぎるのではないだろうか?

彦次郎が自分のバックにいるキリノ、すなわち毎年最大で499人まで人を殺すと明言している大悪神『大禍津霧野神』の霊威を恐れているのはわかる。

しかし基本的に日中行動しないキリノはこの場にはいないのだから、その巫女とはいえ大した存在ではない女子高生一人に対してここまで怯える必要はないように満には思えた。

 

「年下の私にそんなに畏まられても困ります。藤堂さんが怖がるようなものはこの場にはいないのでもっと気を楽にしてください」

 

その言葉に彦次郎の視線が左右に泳ぐ。

本当にキリノが居ないかを確かめているのだろうと満は思った。

満はキリノが近くにいれば必ずその存在を感知できる。

この霊妙なる能力のおかげでキリノがどこか遠いところにいる事は間違いなかった。

故に本職の神職でありこの世ならざる者達を見ることのできる彦次郎ならばキリノの不在に気づき、いよいよ安心してくれるだろうと満は安堵したのだった。

 

しかし。

 

「で、ですが……」

 

彦次郎は蒼白の顔面に汗をびっしょりとかいてブルブルと体を震わせていた。

進退窮まったとばかりの有様に満は表情には出さずとも内心微かに傷ついていた。

キリノが居ない事は彦次郎にもわかったはず。

にもかかわらず彼の緊張が解けないのは、つまり……

 

(もしかして、キリノに告げ口するとか思われてるのかな?)

 

つまりこの状況は彦次郎からしてみれば、暴力団の構成員が自分の所属する団体の大親分の娘と会話しているようなものなのだ、と満は思った。

もしも失礼があればそれがやがて上の耳に入り身の破滅を招くと恐れられているのだろう。

 

たとえ本当に失礼があったとしても、満にはそれをキリノに話すつもりは全くない。

彦次郎の心配は無用なものであり、満としては彼の誤解を解きたかった。

しかしこの状況において誤解を解こうと努力することは無駄のように思われた。

どんなに言葉を重ねても、立場的に彦次郎の疑心と不安はぬぐいきれるものではないのだ。

 

「……いえ、困らせてしまってごめんなさい。そのままで結構ですよ」

 

真実はどうであれ告げ口をするような人物だと思われているのようで満は少しショックを受けていたが、それを悟らせない柔和な笑顔で彦次郎に笑いかける。

彦次郎は肩の力を抜くと懐からハンカチを取り出し、乾いた愛想笑いを浮かべながら額の汗をぬぐった。

 

「は、ははは……恐れ入ります、ははは……」

「?」

 

彦次郎に視線が自分とその背後を行き来していることを不審に思った満は首をひねって後ろを確認する。

が、そこには何もない。

椅子の背もたれと油絵の掛けられた壁があるのみだ。

小首を傾げる満だったが、ようやく話を始められる雰囲気になった事を思い出し彦次郎へと視線を移した。

 

「ええと、お久しぶりです藤堂さん。今日はなんの用事なんですか?」

 

早く話を終えて切り上げようと要件を訪ねる満。

早めに切り上げたいのは同じなのか、挨拶もそこそこに彦次郎は本題に入った。

 

「実は、霞銀星様に頼み事があるのです」

 

こんなところで霞銀星様って呼ぶのやめてほしいなぁ、と思いながらも話が脱線する事を恐れた満はあえてそこには触れず彦次郎に先を促した。

 

「頼み事って?」

「霧野神社境内に短刀を持ったヌイグルミがないか確認してほしいのです」

 

短刀を持ったヌイグルミという言葉に満は笑顔を引っ込めた。

思い当たることがあったのだ。

 

「探し物ってことですか?」

「はい。既にご存知でしょうが、先週、隣県で一人かくれんぼを行った男性が霊障によって死亡しました」

 

その話は先日キリノから聞いたばかりだった満は無言で頭を縦に振る。

それと同時に満の心の中で不安が頭をもたげた。

犯人は言うまでもなくキリノであり、キリノは満の仕える主祭神だ。

あの青年の死について、巫女である自分に何らかの叱責があるのではないかと満は体を緊張させていた。

 

「それ自体はまぁ、問題ではないのですが……現場検証を行っていた警察から()()に連絡がありまして。現場のどこを探しても一人かくれんぼの依代に使われたヌイグルミの姿が見当たらないというのです」

 

一人の人間の死が問題になっていない事に不謹慎ながらも安堵しながら、満はキリノの話した内容にヌイグルミのその後がなかった事に今さらながら気が付いた。

 

ヌイグルミを持っていた女の霊はキリノによって窓に投げられどこか遠くへ飛んで行ってしまった。

女の霊は霊体であるから、窓を割らずすり抜けて飛んでいく事ができるが物体であるヌイグルミはそうはいかない。

窓が割れていないということは、あのヌイグルミは窓ガラスに当たって室内に取り残されているはずだった。

しかし、それが見当たらないと彦次郎は言う。

 

確かにそれは不思議で、なんとも不穏な事だと満は思った。

満は元々一人かくれんぼなど知らなかったが、オカルト同好会に所属する咲桜凛からの情報で基本的な知識は得ている。

それによれば、一人かくれんぼで使用した人形は必ず燃やして処分しなければならないらしい。

それも出来るだけ早くに。

でなければ、一度霊の媒体となった人形が周囲の霊を呼び寄せ人に害をなす……などと言われているのだ。

 

「もう随分と時間が経ってますよね?大丈夫なんですか?」

「大丈夫ではありません。配信された動画に映っていたあの女の霊、あれ程の大怨霊を呼び寄せた依代が一週間も処理されずに野放しにされているなど悪夢に他なりません」

 

深刻な表情で語る彦次郎。

そんな彦次郎の話を満はいまいち深刻に受け止められなかった。

彦次郎のいう大怨霊である女の霊はキリノによってあっさりと撃退されているのを満は知っている。

あんなぞんざいな扱いで無力化された霊など大したことはないように思えたのだ。

したがって、そんな霊を宿したヌイグルミの危険性も低く見られていた。

 

そんな満の危機感のなさは自然と表情に出てしまい、興味の薄そうなその表情を見た彦次郎は怒ることはなく、ただ冷たい汗を額に浮かべていた。

 

「もしあれが野に放たれたままだとしたら、寄り集まった雑霊によって大規模な心霊災害が発生するのは間違いないのですっ……!」

「心霊災害?災害、災害かぁ」

 

訴えかけるように、もしくは哀願するように語る彦次郎。

彼が口にした心霊災害という言葉のもつ物騒さに満は眉をひそめた。

 

「下手をすれば町一つがその影響を受けるでしょう。それを防ぐために何としても件のヌイグルミを見つけなければなりません」

 

ヌイグルミを確保し正しく処理しなければならない理由は満にも理解できた。

放置すれば地震や台風などと同じ『災害』が起こるというのであれば協力しないわけにはいかない。

 

「なるほど。それで、うちの主祭神が道楽でヌイグルミを持って行った可能性があるから探して欲しいと……藤堂さんの蔵にはなかったんですね?」

「はい。隅から隅まで探したのですが見つからず……。警察の一部が念のため町中の探索を行っていますが未だに見つかっておらず、あるとすればもう霧野神社しかないと、そういう次第でして」

 

キリノは時たま何か得体のしれないガラクタを彦次郎の管理する蔵ではなく霧野神社に持ってくる事がある。

それはキリノが祟り殺した人間の持ち物だったり、深海で見つけた珍しい鉱石だったりと様々だ。

そういったキリノの収集物の中から短刀を持ったヌイグルミを探す事ぐらいなら大した労力ではないのだから、満には彦次郎の頼みを断る理由が無かった。

 

「そういうことでしたら、わかりました。藤堂さんの頼みですしね、今日中にでもやってしまいましょう」

 

新たな客を衝立で仕切られた隣のテーブル席に案内しているウェイトレスの声を耳に捉えつつ、満は彦次郎の頼みごとを承諾した。

彦次郎の顔が喜色に染まる。

 

「おおっ!ありがとうございます!……これは、頼みごとを受けてくれたお礼です。どうぞ」

 

頭を下げて感謝する彦次郎は懐から茶封筒を取り出しテーブルの上に置いた。

 

「これ、なんです?」

「私からの心づけです。貴重なお時間を私の頼みのために割いて貰うのですからね」

 

心づけ。

お礼として渡す金銭の事だが、それにしては目の前の茶封筒は四角く盛り上がっている。

満は嫌な予感を感じつつ茶封筒を手に取り中身を確認した。

 

「1枚、2枚、3枚、4枚……こんなに!?」

 

中身の確認を始めた満は茶封筒の中に入っていた一万円札を4枚まで口に出して数えると、後は周囲を気にして無言となり最後に驚きの声を上げた。

その驚きは金額そのものに対してではなく、このような場で纏まった数の現金を女子高生に手渡してくる藤堂の非常識さに対するものだった。

 

(こんなに沢山お財布に入らない……だから現金って嫌!)

 

お金をくれるのなら口座に振り込んでほしかった。

色々とズレた事を考える一方で、満にも一般的な感性が備わっていた。

満がする事といえば神社の中で探し物をするだけ。

それだけの仕事に対してこの金額はあまりにも過分すぎる。

日給に換算してもこの額を一介の女子高生が稼いでいると知れば世の多くの労働者が勤労意欲を失いかねない。

 

「藤堂さん、これちょっと多くないですかね?」

「いやいや、やってもらう事を考えれば適切な……むしろ少ないぐらいですよ」

 

そういう彦次郎の顔には嘘は見当たらない。

心底、霧野神社で探し物をするだけの仕事がこの金額に見合うと思っている顔だ。

 

(まぁ、くれるっていうなら貰っておこうかな)

 

満の一族はキリノから『人生に一度だけ、初めてのギャンブルが必ず大当たりになる』という加護を得ている。

最強のビギナーズラックと言うべきその加護を、満は亡き母の勧めにより宝くじで使用している。

そのため金には全く困っていないのだが……。

満は少し困ったように笑った。

 

「それじゃあ、貰っておきますね」

「ええ、どうぞ」

 

安堵しきった笑顔を見せる彦次郎に促されるまま満はカバンを開き、手にした茶封筒をノートと教科書の間に滑り込ませる。

その、一瞬前の出来事だった。

 

「だ、ダメー!そんなお金受取っちゃダメ!」

「えっ」

「うおっ!?」

 

隣のテーブル席と満達の座る席を隔てる衝立の向こうから、満と同じ制服を着た女子高生が現れた。

そのフワフワした髪の女子生徒は顔を赤くして目には涙を溜めて彦次郎を睨んでいる。

突然の闖入者に睨みつけられた彦次郎は目を白黒させていた。

一方、満はこの女子生徒に見覚えがあった。

 

「新城さん?どうしてここに?」

 

このフワフワしたボブカット風の髪型をした女子生徒の名前は|新城美弥≪しんじょう みや≫。

満のクラスメイトで園芸部に所属している。

星陵高校の生徒にも関わらずアクセサリーを全くつけていないという地味な見た目に違わず、おとなしくとても真面目な性格のクラスメイトだと満には記憶されている。

あまり話をする機会に恵まれず詳しい人物像を掴みきれない相手だが、満は時折彼女からの視線を背中に感じる事があったので何時かは積極的に話しかけてみようと気をかけていた人物だった。

 

美弥は首を傾げる満に詰め寄ると茶封筒を持つ手を両手で掴んで涙ながらに語り掛ける。

 

「伊藤さん!どういう事情があるのかわからないけど、自分を大切にしなきゃだめだよ!」

「え、大切?自分を?」

「そぉだよ!今ならお金を返せば間に合うよ!そこのおじさんがダメって言っても社会は私たちの味方!通報すれば勝ち確定だって!そりゃあ少しはお説教されるかもしれないけど将来の事を考えればそっちのほうが絶対に良いってば!それにそれに、伊藤さんがそんな事をしたら泣く人がいるんだよ?少なくとも私は泣くね!大泣きだよ!そして脱水症状で死ぬよ!?いやむしろ死んでやるー!!」

「ちょ、ちょっとまって、まってってば!」

 

真面目で物静かな人物だと思っていた美弥の口からあふれ出す言葉の濁流に意識を流されそうになりつつ満は必死にストップをかけた。

なぜならば美弥が登場してから周囲の視線が痛すぎるのだ。

 

「え、なに?もしかして、えんこ……」

「男の方はヤクザっぽいし、なんか複雑な事情があるんじゃ……」

「これ通報したほうがいいんのかな?」

 

美弥の大声に紛れながらも店内のざわめきが満の耳に入ってくる。

満の顔が羞恥が真っ赤に染まった。

 

(あぁぁー誤解ぃー!誤解なんだってばぁぁぁぁー!)

 

女子高生に分不相応な値段の装飾品を身に着ける満に対し、冗談めいて語られる噂が星稜高校にはある。

伊藤満はアクセサリー代を年上の彼氏から貰っている、もしくは金持ち中年相手の援助交際で稼いでいるというものだ。

満のアクセサリー代は宝くじで当てた自分の資金から出されているので、これはあくまでも事実無根の噂に過ぎない。

だが美弥のとんでもない勘違いをそのままにすれば、彼女の口から今日の事が漏れ伝わり満の資金源について知らない同級生達はその噂を信じてしまうかもしれない。

そうなれば満の高校生活は一変してしまうのは間違いない。

 

暗黒の未来を思い浮かべた満は耳まで赤く染まった熱暴走する頭で、彦次郎に向けてどうにかしてくれという気持ちを込めた視線を送った。

その視線に気づいた彦次郎は顔面を真っ青にすると、死刑宣告を受けた罪人のような表情を浮かべた。

 

「き、君っ!かすみっ……伊藤さんの同級生かな!?違うんだ!そういうのではなくて、渡したお金は仕事の報酬、というかお礼であって……」

「仕事ってなんですか!それにかすみって……そういう名前で仕事させるつもりなんですね!?」

「違う違う!そういういかがわしいものじゃなくてだね!?あぁ、もう頼むから落ち着いてくれないかな!?」

 

社会的に死刑にされそうになっている彦次郎による美弥の説得はまさに必死の形相で行われている。

しかし彦次郎の努力と願いも虚しく美弥を落ち着かせることはできていない。

結局美弥が落ち着き、満達と同じテーブルについて話をする事が出来るようになるには、劣勢の彦次郎に満が加勢してから10分の時を要したのだった。

 




神紋『霞銀星』はレアっぽい既存の家紋を組み合わせたものです。
自作するにあたり家紋一覧を何度も見ましたが、いやほんと日本の家紋ってカッコイイのが多いですね!


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