とある少女の育成計画 (神道道也)
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少女の育成計画

これはとある少女を一人の執事とその主達が育成していく記録である__

 

 

 

 

 

「足りない……」

 

静寂が広がっていた一室で、小さな呟きが静かに木霊した

 

その呟きをしたであろう、机に向かっている青年は、一度、万年筆を置き、深くため息を吐きながら頭を抱えた

 

「三十近くも違うなぁ……」

 

数の数え間違えなんて無いし……そう言いながら、青年は天井を仰いだ……と思うと、そのまま椅子の背もたれへもたれこみ、両手をダランと力無く垂れ下げる

 

「さて……どうしたものか……」

 

そのままボッーと天井のシミを眺めながら、今後の事を考える青年

その表情は明らかに面倒くさそうな顔をしており、余りそういう事を考えたく無い様子だ

 

そんな時だった、暖かく、気持ち強い風が部屋へ吹き込んだ

 

カーテンは風に煽られ、大きく飛躍する。そして、溢れんばかりの太陽の光が、とても明るいとは言えない部屋に満ちる

 

青年はそれをただ見ていた、そしてふと思い出したように青年は胸ポケットに手を入れ、徐ろに懐中時計を取り出すと何処か手慣れた手つきでリューズを押し、蓋を開いた

 

「もうこんな時間か……」

 

秒針は絶えず動き時を刻む、短針は12と1の間を指し、長針は6を指していた

 

寝るのには少し遅い時間だな……そんな事を呟きながら懐中時計の蓋を閉め、机の上にゆっくりと置き、椅子から立ち上がる

 

そして衣服掛けにジャケット、カッター、ズボンと掛けて行き、最終的に下着のみになる

 

寝巻きに着替えるのか、と思いきやそのままベットへ倒れこみ、何やら大きな鈴が二個付いた時計を弄り、そのまま気絶する様に夢の国へ青年は誘われていった__

 

 

 

 

 

 

____机に置かれている使い古された懐中時計……蓋にはお世辞にも上手いとは言えない漢字でこう彫られていた

 

”神道 漸”と____

 

 

 

 

♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

 

 

 

 

next.漸side

 

 

リリンリリン……何処からか心地良くない鈴の音が自分の脳を刺激する、その心地良くない音は次第に大きくなっていき、脳の細胞一つ一つを刺激していく

 

「五月蝿い……」

 

そう言いながら私は動かしたくもない腕を動かし、煩く響いている鈴の音を止める

 

時間は五時半、いつもより遅い時間なのだが、「寝る時間が少し遅れた」と言うものだけでこんなにも起きにくくなるものだろうか?

 

身体や脳はまだ眠いと訴えかけ、布団は二度目の睡眠へ誘おうとする

 

何故こうも朝と言うものは……否、起きたばかりと言うのはこんなにも強い敵が多いのだ……戦闘なら勝てるのに……

 

と、まぁそんな風に愚痴っていても仕方ない、それは何処にいても、何時に起きても付いて回るものだ、そう諦めるとしよう

 

「……ふぁ〜あ」

 

大きな欠伸を欠きながら、ベットから出て、とりあえず洗面所へ向かい、顔を洗う

 

鏡に写る自分の顔、それは何処か眠そう……と言うよりは疲れていると言った方が正しいのかもしれない

 

「はぁ…」

 

まぁ悩みの種が一つ増えたし、なんて思いながら、ため息を吐きつつ昨日つけた帳簿の事を思い出す

 

昨日は月末で、棚卸しと言い、食料や備品、服などなど色々な物の数を数え、減り具合が使った数と同じなのかを照し合わす作業をした

 

結果は減りすぎた物が幾つかあった、特に多かったのは食料だ、そこまで気にする量では無いが……やはり減っているのものは見逃せない

 

今日はその犯人探しと言うわけだ、考えるだけで面倒くさいし疲れる、やりたくも無い事だ、どうしてこうなった

 

「……面倒くさいですね」

 

そんな事をボヤきながら、顔を拭き、カッター、ズボンにネクタイなどなどを着ていきいつもの格好、俗に言う執事と言うものの格好になる

 

姿鏡で変な所は無いか最終チェックした後、机の上に置いてある懐中時計を取る

 

使い古してしまった大切な懐中時計、あれ程美しく輝いていたそれも、今は傷だらけで古ぼけた雰囲気を醸し出している、誰がどう見ても替え時だろう

 

だが私にとってこれは命よりも大切な物の一つだ、誰にどう言われようとも替えることは無いだろう

 

そんな事を思いながら傷を撫でていると、ふとこんな事が頭に浮かんだ

 

今の自分を亡き旦那様が見たらどう思うのだろう…と

 

きっと「お前らしいな!」と笑いこけながらそう言うに違い無いだろう、そして笑い終わった後に半笑いでこう言うに違い無い

 

「『これもまた一つの運命だ、そしてこの運命は素晴らしい物に違い無い。運命の化身とも言える私がそう断言しよう』……ですかね…ふふ」

 

旦那様の口癖を真似して言ってみる、すると不思議と笑みが溢れる、そして何処かが暖かくなる

 

確かにそうだ、これもまた一つの運命。ならば受け入れるとしよう、この懐深いスカーレット家の所有物として、執事として……一員として、迎入れようか

 

「さて……行きましょう」

 

今日《こんにち》もまた、このスカーレット家に尽くすとしましょうか

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

 

それは此処、スカーレット家が所有する紅魔館と呼ばれる館の一室。

 

そこには羽根の生えた小さな子供が数十名おり、会話は無いものの何処か楽しげに周りの者と話していた

 

そんな様子を後ろから眺めながら私は背を壁に預ける、そして胸ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認した

 

「……五分前」

 

六時五分前、それが今の時刻だ。それを私は理解すると思わず大きなため息を吐く

 

「何が夜礼ですか、自分が守らない癖に」

 

朝礼ならぬ夜礼なんてどうでしょう!そう彼女は提案した、だから任せたのだが……三日もせず内に遅刻遅刻遅刻、最終的には出る気配すら感じさせないくらい彼女は来ない

 

こんな風に言い出しっぺな彼女に文句を付けていると、部屋のドアが開いた。それに気付いた私は半分の期待と半分の呆れの目で開けた人物を見た__

 

「あ、おはよう御座います!漸さん」

 

__期待はある意味裏切られなかった。

 

「おはよう御座います。小悪魔さん」

 

思わず大きなため息を吐きながら頭を抱える所だったがそれでは小悪魔さんに失礼だろうと止まり、何とか挨拶をする

 

 

赤い色のロングヘアーに生えている小さな蝙蝠の様な羽根、それは背中にも生えており、そちらの羽根はしっかりと背丈にあった物になっている

 

紅魔館の地下にある図書館の本の整理や、図書館の主。パチュリー様の世話をして貰っている人物、小悪魔さんだ

 

「漸さんはいつも早いですね、流石です!」

 

「ふふ、そんな事ないですよ。今日は少し長めに寝てしまいまして」

 

目をキラキラと輝かせ、頭の羽根も何処か嬉しそうにパタパタと小さく動かす

 

そんな風に尊敬の眼差しで見られるとやはり恥ずかしい物だ、ポリポリと頬をかきながら、思わず口が滑ってしまう

 

すると彼女は

 

「そうなんですか?漸さん、無理ばかりしますから身体は気を付けないと行けませんよ?」

 

先ほどの楽しそうな雰囲気は何処へやら、一瞬で物悲しそうな表情へ変わり、頭の羽根も何処か悲しげに垂れてしまっている

 

「言葉が少し足りませんでした。昨日は寝るのが遅くなってしまい、そのまま起きるのも遅くなった……と言うべきでしたね」

 

心配を掛けてしまった私は慌てて訂正をする。すると彼女はプクッと可愛らしい頬を膨らませこう言った

 

「それが無理なんですよ!漸さんはいつもそうなんですから!」

 

「ふふ、仕方ありませんよ。昨日は月末、棚卸しがありましたから」

 

「むぅ…だから私も手伝うって言ったのに」

 

どうやらヘソを曲げてしまった様で、頬はまだ膨らませたまま、そっぽを向いていまう

 

そんな余りにも可愛らしい姿に先ほどから私の頬は緩みっぱなしだ、こんなにコロコロと表情を変え、最後にはこんなに子供っぽい事をされれば誰だってそうなるだろう

 

だけどそれを眺めている訳にもいかない、このままご機嫌斜めが続くと以外と面倒だったりするのだ、この子は

 

なので機嫌をとる様に頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫で始める、そしてこう私は続ける

 

「貴女はパチュリー様の使い魔なのです。ですから私の管轄下にある訳でも無く、私の直属の部下でもありません」

 

「ぶ、部下みたいなものじゃないですか」

 

撫でられている事が心地良いのか、分からないが何処か嬉しそうな声音で反論する、しかも強ち間違っていない

 

「まぁ大きく言えばそうですが…今は置いておきましょう。ですから私の仕事をさせる訳にはいきません。何よりも……」

 

「……?」

 

言葉が途切れる私を、不思議な顔で見つめる彼女。貴女はパチュリー様に支えて何十年経ってると思ってるのですか、いい加減分かってほしいものです

 

「パチュリー様の使い魔はこの世でたった一人、貴女だけなのです。それを私が取ろうなどあってはならない事なのですよ。分かりましたか?」

 

「……そう、ですね……で、でもそれなら私だって漸さんがこの世でたった一人の…………上司ですよ」

 

小悪魔さんの言葉が途切れると同時に思わず撫でている手が止まる。何か変な事でも言われるのかと思いきや、普通に普通な事を言われてホッと安心する

 

「ふふ、そうですね。では私も今後は気を付けますね、小悪魔さんも気をつける様に……ね?」

 

「……はい!」

 

「いい返事です」

 

そう言い私は撫でるのを止めた、彼女は名残惜しそうに私の手を見つめる

 

そんなに撫でられるのは良いものなのだろうか?撫でられた事などそんなに無いため分からないが……

 

まぁ撫でててアレだけ気持ち良いのだから、撫でられるのも良いものなのだろう

 

とそんなどうでも良い事を考えているとクイックイッと袖を引っ張られる、不思議に思い、そこに視点を動かせば妖精メイドが居た

 

「どうしましたか?」

 

「…………!」

 

妖精メイドは人指し指を立て、部屋の前の方を指す、目で追ってみれば先には壁掛けの時計があり、明らかに夜礼開始の時間を過ぎていた

 

「あ、すみません。気付きませんでした、過ぎていましたね」

 

「……!……?」

 

妖精メイドは全くもう!と言った感じで腕組みをした後、今日はどうすれば良い?といった感じで頭を傾げた

 

「今日もいつも通りに働いて貰えば構いませんよ。分かりましたか、皆さん」

 

「「……!!」」

 

前に居る一人にだけでは無く後ろに居る全員にそう伝える、そしてそれぞれ簡単な意思表示をさせた後、解散させる

 

「では、解散。夕食を取ってから清掃に向かって下さいね」

 

そう言うとそれぞれグループを作りながら、部屋から出て行く。皆仲良くしている様だ、何だか安心した

 

「……よ、妖精の言葉、聞こえるんですか?」

 

小悪魔は少し驚きながらそう質問する。羽根も心なしか何時もより上を向いておりピンッと張っている……犬の尻尾か何かなのかな?

 

「分かりませんよ、ですがどれだけ一緒に働いてきたと思っているんですか?顔を見れば大体分かります」

 

妖精は基本的には喋る事は出来ない、口や舌、喉などは一応あるものの発声する様には作られていないそうだ。もう一つ付け加えれば、食事を摂る必要もない

 

「す、凄いです!」

 

「ふふ、小悪魔さんもその内分かるようになりますよ。さて、私達も行きましょうか」

 

「はい!では小悪魔!今日も頑張らせて頂きます!」

 

「ええ、頑張ってきて下さい」

 

そう言い小悪魔さんは元気良く部屋から出て行った

 

シーン……と静まり返る部屋、少し何をしなければいけないかを考えたら、直ぐに答えは出てくる

 

「…なんで起きてこないんですか、あの馬鹿は」

 

そう言葉を静まり返る部屋に残し、私はその馬鹿と呼ばれた人物の部屋を目指すのであった

 

 

 

 

★★★★★

 

 

 

とある一室前、私はこの日何度目かのため息を吐く。

 

この部屋には言い出しっぺの阿保で馬鹿野郎がいる部屋だ、きっとまだ寝ているだろう

 

そう考えると怒りを通り越して呆れが出てくる、お前は一体この何百年間何をして来たんだ

 

そう思いながらノックもせずドアを開ける、するとお着替え中……ということは勿論なく、気持ち良さそうに涎を垂らしながら寝ていた

 

「すぅ…すぅ…」

 

「……はぁ」

 

やっぱりか、何処か期待していたのだがやはり裏切られる、もういっその事裏切った罰としてこの屋敷から追い出してやろうか

 

なんて物騒な考えが出るが、執事長であるとは言え、お嬢様の所有物を勝手にするなど出来るはずない

 

だが、何故こんな奴を雇ったのか……謎は深まるばかりだ……

 

「美鈴、起きなさい。何時だと思ってるんです?」

 

「……んん〜、もうたべられませんよ〜……すすむさん〜……むにゃ」

 

肩を掴み、揺らして起こそうとするものの、この馬鹿……否、美鈴は寝言を言いながら寝返りをうち、背をこちらに向ける状態になる

 

そんな彼女の行動に怒りが再燃してしまう

 

こいつはやはり馬鹿だ、いつも優しく起こしてくださいとか言うくせに起きる気配がまるで無い、ていうか私が起こす前提なのが腹立つ、何故私が美鈴を起こさなければならないのだ、私はお前に支えてる訳でも無ければ、所有物でもない、私を舐めてるのか?舐めてるんだな?良し、殺す

 

「…美鈴?早く起きなさい、で無いと一生起きれなくしてあげますよ?それはそれで貴女は幸せに感じるでしょうがねぇ」

 

そう言いながら私は懐からナイフを取り出す、そしてそのナイフを手で遊びながら、ほんの少し殺気を出す。

 

すると彼女は飛び起きる

 

「だ、誰ですか!?……って漸さん!?あっもしかしてまた私……」

 

腰まである赤いストレートヘアーを揺らしながら、飛び起きる美鈴。青みがかった灰色の目で私を一瞬睨む、が私だという事に気がつくと、顔から血の気が引いていき、まさにお先真っ暗とでも言いたげな表情を作る

 

「ええ、そうですよ。またですよ、また。弁解はありますか?美鈴?」

 

良い笑顔で私は美鈴にそう尋ねる、すると美鈴は逃げるようにベットから降り、ベットの端を掴みながらその場でうずくまり、涙目で私を見つめこう叫んだ

 

「ひぃぃ!すみませんでしたぁ!弁解も弁明の余地もございません!この美鈴が悪いんですぅ!」

 

何この可愛い生物、思わずそう思ってしまい、サディスティックな精神が煽られるが、これ以上虐めると仕事に影響が出そうなので辞めておく

 

「…はぁ、もう良いですよ。怒っていません。早くそのダラシない格好から着替えなさい、特に前と下、女の子なんですから寝巻きを着なさい」

 

「……あ、あぅあぅ」

 

そう言うと美鈴は赤面し、顔を隠してしまう。まぁそれもその筈、今の美鈴の格好は上はカッターで上から二番目までのボタンが外されており、女性の特徴的な胸が半分以下で有るが見えてしまっている

 

下に関しては…………あー、まぁ…そのー……ね?…………ズボンを履いていないと言っておこう

 

「外で待っています、早く着替えて出てくるように」

 

「……は、はいぃ」

 

そう言い残し、私は部屋を出る……

 

 

 

そして数分後

 

「お、お待たせしました。漸さん」

 

「そう待っていませんよ、メイド長殿」

 

そう申し訳なさそうに部屋から出てくる美鈴、服装は何処からどう見てもメイドの格好をしており、頭にはホライトブリムを付けている

 

そんな美鈴に皮肉を込めて、メイド長などと言ってみる。すると彼女はうっ…と肩を少し窄め、縮こまってしまう

 

「いつも本当にすみません、夜礼も任せっきりで……」

 

「そうですね、メイドの長である貴女が出ないとは妖精メイド達に示しがつきませよ」

 

「……うぅ、はい」

 

本人はきっちり反省している様だが、やはり言葉にして伝えないといけない事もある

 

……まぁその程度で美鈴の寝坊癖が治る事は無いのだが……困ったものだ

 

「それにいつも瀟洒に居なさいと言っているでしょう。襟が立っていますよ、ほら動かない」

 

「あ……ありがとうございます」

 

美鈴の首後ろに手を伸ばし襟を正す、ついでに青の紐状リボンも結び直し、格好だけでも良くする

 

「……全く、此処に来て何百年経ってると思っているんですか」

 

「えっと、そんなに経ってましたか?」

 

「間違いなく百年以上は居ますよ。妖精メイドでも仕事を覚えます」

 

「うっ……はい」

 

どんどん縮こまって行く美鈴、背丈や身体が何時もより小さくなっている様に感じる

 

「分かっているなら頑張りなさい。これでも貴女には期待しているんですから」

 

「……っはい!頑張ります!」

 

期待している、その言葉を聞いた瞬間。美鈴はパァァ!と明るくなり、両手で胸の前に小さくガッツポーズの様な物をし意気込みを見せる

 

「ふふ、良い心掛けです。ではそんな美鈴に今日の仕事を伝えますね」

 

「はい、どんと来いって奴です!」

 

張り切る美鈴、その目は何処か燃えており、なんでもやってのけそうだ……

 

まぁそのなんでもをやってもらう事になるのだが

 

「今日は全ての仕事をお願いします」

 

「はい!頑張ります!……って、え?」

 

「聞き逃してしまいましたか?ではもう一度言いますね、今日は全ての仕事をお願いします」

 

一字一句間違える事なく、もう一度美鈴にそう伝える。すると美鈴は石の様に固まり、動かなくなってしまった

 

はて、何かおかしい事でも言いましたかね?

 

「言いましたよ!全てって全てなんですか!?」

 

「全ては全てですよ。後、心の声に突っ込みを入れないで欲しいですね」

 

「だだ漏れでしたよ!な、何でそんな事になったんですか?もしかして漸さん、お休みをとったとか?」

 

だだ漏れだったか、これはいけない。気を付けなければ、変な事もうっかり言ってしまうかもしれないからね

 

「違いますよ、別の仕事が入ったとでも言うのでしょうか。そちらの方に集中したいので、今日の所は全て美鈴にですね」

 

「そ、そんなに大変なお仕事なんですか……」

 

「ええ、なんせ私に気配も何も感じさせずにこの館に侵入して居る者が居ますからね、相当の手練れかと」

 

「し、侵入者!?それに漸さんに気配すら感じさせないなんて……危険ですね」

 

私が気付けない。それは最も危険な事だ、気配を気付いた頃にはお嬢様が死んでいました。なんて事になったら笑えない

 

「そうなんですよ、ですから全てお任せする事になりますが……やって頂けますか?」

 

「そんな危機に瀕していたんですね!分かりました!迷惑かけてますし、汚名返上と行きます!」

 

汚名返上って、それに迷惑かけてるその自覚があるならさっさと治しなさい

 

……まぁその前向きな所がきっと気に入られたのでしょうか

 

「では任せます、くれぐれもお嬢様に失礼の無い様に」

 

「はい!美鈴、今日も一日頑張ります!」

 

誰かと似た様な言葉を残し、勇み足で駆けていった美鈴の背中をみながら私はこう感じた

 

「……大きくなりましたね」

 

入った当初と比べるとそこまで背丈は変わってないが、その背中は何処か大きくなった気がした

 

「私も負けては要られません」

 

そう言い、侵入者を捕まえるべく私は食料庫へ足を向けた

 

 

 

○○○○○

 

 

 

数時間後__食料庫内

 

「……ふぅ」

 

ため息の様な、だけど普通に息を吐いた様にも見える物をしてしまう見張りこと私

 

今朝……ではなく夕飯時に美鈴と話していた時からもう大分経つ、私はその間もただこの薄暗い倉庫内でただ侵入者を待っている

 

だが待てども待てども、それはやって来ない……まぁそうそう簡単には尻尾を掴ませてくれないのだろう

 

「……月が」

 

ふと月明かりが倉庫内を照らす、それは何処か優しい光で、暖かかった

 

思わず窓辺に移動し、月を見上げた。

 

それは美しく、そして幻想的だった、きっと丸い丸いお月様と言うのはこの月の事を言うのだろう

 

だが、この時間にしては月の出が少し遅い様に感じた、確かに今は春の終わりかけで昼が長くなっている

 

だけども、これは明らかに遅い位置だ……はて?どうして……

 

ああ、そういう事か

 

「……なるほど、今日みたいな日の事を確か__」

 

言葉が続く筈だった、だがその言葉はある音に遮られた

 

ガタンと誰かが倒れる音、それは確実に背後からしている、そう自分以外は誰も居ないはずの背後から

 

「誰ですか?こんな夜更けに」

 

だからと言って驚きはしない、来るべき時が来た。ただそれだけのこと

 

恐怖を与える様に強めの殺気を出しながら、だけども品を忘れずに、ゆっくりと振り向く

 

「……っ」

 

「待ちなさい!」

 

するとそれは慌てて逃げ出し、音を立てていることも気にせず、無我夢中といった感じで倉庫から出る

 

恐怖で動けなくしたつもりだったか、意外と肝が据わっている様だ、慌てて私も倉庫を出るがそこには__

 

「……居ない?」

 

__姿、形も無かった。まるで最初から居なかったの様に、自分は幻でも見たのだろうか?

 

そう思った時だった、自分の立っている足元あたりから、とある鉄臭い匂いがした

 

興味本位で追って見てみれば、赤い液体が小さくであったが、確実に垂れていた

 

この匂いと色からして血液だと判断し、その場に座り込み少し小指に付け、指に付けた部分を舐める

 

「……不味い」

 

思わずこめかみを押させてしまうほどそれは不味かった

 

明らかに足りない栄養に水分、それに余り良い血の匂いでは無い

 

よっぽど堕落した生活をしているのか、それともただダラシないだけなのか分からないが、後者ではこんな館に用などは出来ないのできっと前者だろう

 

とと、いけない思考がずれた、悪い癖だ。

 

血液がここに垂れているということは怪我をしたという事、ならば匂いを追えばいい

 

「…………!…もう敷地から出ているのですか…やりますね」

 

全神経を嗅覚に集中させ、微かな血の匂いを追う。するともうその匂いを出しているであろう人物は既にこの館の敷地内から出ていた

 

「そこならまだ跳べますね」

 

私はそう判断するとゆっくりと立ち上がりそしてこう言う

 

 

 

 

「瞬空」

 

 

 

 

__世界が一新した、先ほどまであった紅い壁が続く廊下からうって変わる

 

外の何処か、草木は優しい月明かりに照らされ、薄気味悪い風に吹かれ不気味に揺れる。辺りを見渡せばそれはそれは広大な森が広がっている事だろう

 

だが私は一点からその視線を動かさなかった、否、動かせない

 

私の両腕は何処かの館に侵入し怪我をしたであろう腕とナイフを持った腕を押さえ込む

 

別に視点を動かしても、口を動かしても、両腕を動かしても良かった。だけど私はある事実から動けなかった__

 

 

 

 

 

 

 

「子……供……?」

 

 

 

 

 

 

 

__満月よりほんの少し掛けた、月の出の遅い月が子供の腕を掴み押さえ込む大人と押さえ込まれている子供を照らす

 

子供は銀髪の美しい髪を風に撫でられると、怯えきった冷たい蒼い目が撫でられた髪の間から覗いた、そして震える唇でこう言った

 

 

「はな……して……」

 

 

…to be continued

 

 



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少女の育成計画 二枚目

next.漸side

 

 

 

何故だ、何故……こんな小さな子供が……こんな事を?

 

私は困惑していた、それはもう頭を抱えて、考え過ぎで熱を出してしまいそうなくらい困惑していた

 

きっと侵入者は私の様な背丈の能力者が飢えを凌ぐ為に、夜な夜な侵入して盗み食っているのだろうと勝手に思い込んでいた

 

だが蓋を開けてみれば、まだ十にも……いやもしかしたら五つにもなっていないであろう少女が化け物の館に侵入している。という誰も想像の出来ないものだった

 

私はきっと目を見開き、口を半開きにして固まっているだろう。誰がどう見ても間抜けな顔をしているだろう

 

だが今の私にとってそんな事はどうでも良かった、そんな事よりも何故こんなにも小さい少女がこんな事をしているのだろう?

 

そんな思考しか頭の中に無い

 

背丈はお嬢様と同じくらい……いや頭一個低い

 

それに幾つも細かい傷が痛々しく残っている小さい腕

歩き過ぎて履き潰してしまったのであろう靴を履いている怪我だらけの小さい脚

穴だらけで薄汚いワンピースを着ている痣だらけ小さな身体

 

そして何よりも、少し痛んだ美しい銀髪から覗く、一度だけ見たことのある海よりも冷たく深い蒼色の双眼。

 

それは沈んでいて光など無かった

 

きっと生きてまだ四年か五年だろう、親にまだ甘えたい、否、甘えなければならない年なのに何故こんな事をしているのか?

 

きっとそれは、ピースの欠けたパズルの様に、出口の無い迷路の様に、考えても答えは出て来ないであろう

 

 

 

 

そんな時だった、考えに埋もれてしまったそんな時

 

一瞬だけ拘束が緩んでしまった、その隙を少女は見逃す事なく、音も立てずに先ほどと同じ様に消える

 

だが唯一違ったのが能力を使った先が短かったのだろう、背後の方から草木を分ける音が聞こえた

 

「待って!」

 

柄にもなく、私は叫んだ。先ほどの様な一人の執事としての私ではなく、一人の心ある生物として少女にそう叫んだ

 

だが少女は脚を止めなかった。それもそうだろう、冷たく沈んでいたあの目には怯えも入っていた……

 

だけど此処で逃したら、私が私で無くなる気がした。だから私は追った、逃げる少女を

 

「こな……いで……」

 

小さな小さな歪んだ鈴の音の様な声が私の鼓膜を振動させる。きっと逃げながら私に向けてそう言ったのであろう、だが私は少女を追う

 

「何も痛い事はしません!だから待って!」

 

能力を使う事も忘れて、只々叫んだ。何故、少女があんなに怯えて逃げるのかは私には分からない

 

だけど一つ分かったことがある、少女は恐らく私の様な大人達から暴力を受けたのだろう……でなければあんな痣は出来ない

 

「……はぁ……はぁ」

 

……そして少女は脚を止めた

 

諦めたなどでは無い、動かなくなったと言った方が正しいだろう

 

少女の膝はカクカクと笑い、とても歩ける様子では無かった……

 

それでも少女は木に背中を預け、こちらを睨んだ、敵意に殺意…そして隠しきれない怯え、そんな感情が混ぜ合わさった暗い目で私を睨む

 

私はそんな少女の行動に心を抉られながら一歩近付く、すると私を見て少女は

 

「こないで…でないと……いたいことする」

 

震える右手を左手で押さえながら、ナイフをこちらに向ける。何故震えているのだろうか?

 

そんな警告を私は無視し、また一歩近付く

 

「こないで……ほんとに…これ…いたいよ?あたると…あかいの…でるよ?……だから…こないで」

 

悲痛な少女の小さな声、そんな声に反してナイフの震えは大きくなっていく

 

私はこの時、理解した。そして同時に心が強く痛んだ……

 

この子は誰も傷付けたく無いのだ。でも自分も襲われたく無いからナイフをこちらに向ける……

 

だけど相手も傷付けたくない……何故なら知っているから、痛みを、傷付けられる痛みを

 

 

 

 

 

他人にやられたから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人にやりたくない……

 

それを理解した時、私は少女を抱き締めていた。ナイフが刺さろうが、血が出ようがそんな事どうでも良い

 

「はなして……」

 

傷付けられても他人を思う、思ってしまうその心が、その姿が、ただただ痛々しかった__

 

「ごめんね……」

 

私から出てきた最初の言葉は謝罪だった

 

今まで気付いてあげられたくてごめんね、こんな世界でごめんね

 

そんな事を思いながらそう少女に告げる。

 

確かに私は唯の名も無き妖怪だ、世界を牛耳っている訳でもない、だけどそんなクソみたいな世界の代わりに謝ってしまうほど……

 

少女を愛おしく感じてしまっていた

 

「良く……頑張りましたね、良く生きてくれました」

 

そして私は称賛した。きっとそれは誰にも想像出来ないくらい過酷で辛い物だっただろう

 

その間、少女は最初は暴れていたものの、少しずつ落ち着いていき、若干震えているが私の言葉に耳を澄ませている

 

「……でももう一人で頑張らなくても良いですよ__」

 

優しい声音で、安心させる様に抱き締めながら、少女の耳元で囁く

 

「__私が居ますから、守るから……安心しなさい」

 

「……うゔゎぁ」

 

そう囁くと少女は身体を大きく震わす。それが恐怖からなのか感動からなのかは分からない。ただひたすら、私は後者である事を願った……

 

暫くすると少女はゆっくりと口を開く……

 

「わ…わだしの……そばにいてくれるの?」

 

少女は私の服を軽く握りながらそう私に問いた、意図は掴めない。だけど不安はその指先から伝わる

 

だから私はその不安を拭う様に、背中を摩りながら、頭を優しく撫でる

 

「はい、貴女が居て欲しいと思うのなら、喜んで近くに居ますよ」

 

「……ぅうっ……ぅうわぁぁああぁぁぁああ!!」

 

私の言葉を聞くと少女は何かが壊れたかの様に、大声を上げながら涙を流した

 

きっと今まで我慢してきたのだろう、甘えたくても拒絶され、貶され、痛めつけられ、大人も同じ年の子供も信用出来なくなって……

 

でも心の何処かで温もりを求めていたんだと思う、だから私は……いや、俺はそんな温もりを与えられたら良いな……

 

いや、与えよう。与えられる努力をしよう。この子が沢山笑える様な場所を沢山創ろう

 

俺がそうして貰った様に……

 

「それが運命なんですよね……アドロフ様」

 

俺も総てをこの子に尽くそう

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼▼▼

 

何時間経っただろう、いや何分かも知れないし、何秒かも知れない。それくらい短いような長いような時間だった

 

次第に少女は落ち着きを取り戻していく。どうやら身体の震えも止まったようだ

 

「落ち着きましたか?」

 

背中を優しく摩りながら、少女の顔色を伺う。顔を上げることもなければ、見ることも出来なかったが小さく首を縦に振り、肯定した

 

「立てますか?」

 

何時までも抱き締めておく訳にはいかない、早くお嬢様に会わせなければ

 

何故なら、私の側に居させるという事はお嬢様の側に居ると言っても過言ではない

 

だが少女は首を横に振り、無理だと私に伝えた……ああ、確かに無理だ。

先ほど膝が笑っていたのを見たではないか、私は馬鹿か

 

「ごめんなさい、そういえば痛いんでしたね。少し離れられますか?」

 

離れる。その言葉を聞いた少女は嫌だとでも言いたげに服を握っていた手が強く握られるが、私が黙って待っていると諦めたのか、少しずつ離れる

 

その様子に思わずクスリと笑ってしまう、離れるのが嫌なくらい頼ってくれているのだ。嬉しくないわけがない

 

だけどもそれでは治すものも治せない。少女をあやしながら自分の上で仰向けに寝かせる

 

「少し触りますね」

 

少女は何を始めるのだろうと不安げにこちらを見つめる、そんな少女を撫でながら私は少女の脚へ手を伸ばした

 

「……っ」

 

触れた瞬間、少女は顔を苦痛に歪めた。かなりの痛みが走ったのであろう、少し息を荒げている

 

「ごめんなさい、痛かったですね」

 

それもその筈、一瞬しか触れてなかったがそれだけで分かってしまうくらい、脚が腫れていた

 

疲労に次ぐ疲労、それは少しずつ脚の細胞を破壊していき、確実に痛みを与えていったのだろう、酷いものだ、今まで私から逃げていたのが不思議なくらい酷かった

 

「もう大丈夫ですからね」

 

私は少女をそう安心させながら、指先に魔力を集める、そして集めた魔力で陣を描いていき、術式を創り上げる

 

「……わぁ」

 

優しく光る魔法陣、その光は少女の怪我を少しずつ、だけども確実に治していく……少女はその様子に、と言うよりも私の手から出た光に感動の声を上げている

 

そしてその光を脚から痣だらけの身体に、身体から細かい傷だらけの腕にと移し、少女を隅々まで治す

 

「……はい、終わりです。ゆっくりと立ちましょうか」

 

最後に服と靴を直して完了。少女は光が消えてしまって少し残念そうにしているが、怪我や服が治った事に今頃気付き、目を見開いて驚いていた

 

心ここに在らずという訳ではないと思うが驚いているためだからか、すんなりと聞き入れ、ゆっくりと立ち上がった

 

「痛い所はもう無いですか?有ったら言ってください」

 

少女に軽く動かしてもらい、痛くないか確認してもらう……のだが痛くない事に違和感を感じているようだ

 

「ふふ、もう大丈夫みたいですね。さて行きましょうか」

 

不思議そうに顔を傾げている少女を見て再び笑みが零れる、なんて可愛いんだろうこの子

 

「……あ、の」

 

そんな風に思いながら、手を引き、館へ向かおうとするが少女によって引き止められる

 

「どうしました?」

 

「えっ…と、あの……その」

 

少女の目線に合わせる様に屈み、表情を伺った。少女は何やら難しそうな、分からないとでも言いたい様な、そんなよく分からない表情をしている

 

何というかまるで、何かを伝えたい様な何か言いたげに__ああ、なるほど

 

「『ありがとう』……ですよ」

 

「ありが、とう?」

 

「はい、『ありがとう』です。感謝の気持ちを、今の貴女が感じている気持ちを伝える言葉です」

 

きっと少女は私に感謝の気持ちを伝えたかったのだ、だけど少女の中にその気持ちを伝える言葉が見つからなかった、否、知らない

 

まともな教育を、もしかしたら教育なんてものも受けてこなかったのだろう、酷い話だ

 

「ありが…とう……あり…がとう……ありがとう」

 

少女は覚える様に小声で『ありがとう』と練習をする、そして

 

「ありがとう」

 

私の目を見てしっかりと感謝の気持ちを伝えた、その目には少しだけ光が出来ている様な気がした

 

「どういたしまして……では行きましょう」

 

「……はい」

 

私はそれに笑顔で返す、するとそれにつられてなのか小さくだが確かに笑顔で笑ってくれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、急ぐとしよう。この子の主となる人の元へ……

 

 

 

……to be continued



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少女の育成計画 三枚目

3

 

next.漸side

 

薄暗い廊下、壁に掛けてあるロウソクで辛うじて周りが見渡せる明るさの中、主の元へ私達は向かっていた

 

私はいつも通りに、だけども少女に合わせながら

その少女はと言うと何処か不安そうな怯えているような足取りで私について来ている

 

それもそうだろう。この館の中に入れば、あるいは外見を見れば正常な者は怯えるだろう

 

理由としては兎に角、紅いのだ。不気味なほど紅い、初めて見た者は大体、気味が悪いと言う、私は慣れてしまっているためそうは思わないが……

 

それに紅いのには理由がある、返り血だ。

 

一時期ここは戦場になった事がある、その時に半分ほど返り血で紅くなってしまい、当時の主、アドロフ様がいっその事全て紅に塗ってしまえばいいという事で外見も内装も紅くなった

 

と言ってもその返り血の中に人間の血は全く入っていない、昔や今の主の同族である、吸血鬼の血が殆どの割合を占めている、後は名もない妖怪共だ

 

だから不気味なのはそういう様なものを無意識で感じてしまっているからだろう、分からなくもない

 

だが少女がその内装を不気味に感じる事に私は矛盾を感じる

 

何故ならここ一ヶ月侵入をしていたのにそういう反応をするのは分からない

 

まぁ昼も夜もいた訳では無いだろうから慣れないものあるだろうし、それに見つからない事に必死で内装など気にもしてなかったのかもしれない

 

それにしてもこの少女はどうやってこの館に侵入したのだろう、何かの能力ではあると思うのだが……いったい何なのだろうか……

 

なんて考えてみるがこれといった答えは出てこない

 

とと、いけない。どうやら目的の部屋まで付いていた様だ、危うく通り過ぎる所だった

 

立ち止まったそこは明らかに他の部屋とは違う

 

両開きの扉で他の扉より少し分厚い、扉の両端にはロウソクが掛けられており、他のものより不気味に揺らんでいた

そして何よりも扉の奥から漂う威圧感と妖気、それが他の部屋と一番の違う点だろう

 

「ここで待っていてください」

 

「……っ」

 

いつもより少々威圧感強いかなと思いながら少女に待つよう言ったのだが、明らかに怯えており、涙目で私の手を行かないでと言いたげに握ってくる

 

そんな涙目で見られると思わず止まりかけるが、それでは話は進まないのでグッと我慢する

 

「大丈夫ですよ、誰も取って食べたりしませんから」

 

安心させる様に頭を撫で続けると少女は渋々と言った感じで私の手を離す

 

私は離したことを確認し、扉に向き直った

 

……相変わらず客人が来ると何故こうも威圧感を強くするのだろうか?いまいちよく分からない

 

「……はぁ…漸です。お嬢様」

 

お嬢様に聞こえない様、小さくため息を吐きながら扉をノックする

 

 

 

 

「入りなさい」

 

 

 

 

幼い声で、だが何処か品がある声音が不気味な廊下に響いた。それは紛れもない、ここ紅魔館の主の声だ

 

「失礼します」

 

(こうべ)を垂れながら私は重々しい扉を開いた。その瞬間、溢れる妖気…それは全てを圧倒し、全てを威圧する

 

だが私はそんな事は気にも触れず突き進んだ、こんな事で一々圧倒されてはここの執事なんて出来ない

 

「お早う御座います。お嬢様」

 

「ええ、おはよう。良い夜ね」

 

……どうやら今日は機嫌が良い様だ

 

広い部屋の窓辺で月の光を浴びながら紅茶を(たしな)む一人の少女、その青みがかった銀髪を揺らしながら、血よりも紅い瞳でこちらを見つめる

 

「はい、とても良い夜で御座います」

 

背中の蝙蝠の翼と酷似している、身体と大きさが合わない翼を揺らしながら、少女は幼い口元に妖しい笑みを浮かべた

 

「本当にね……さて、漸。首尾はどうかしら?」

 

名をレミリア・スカーレット…このスカーレット家の現当主である。

スカーレット家の権力は今現在ほぼ無いと言っても過言では無い、だがそれでも力は高く、吸血鬼の中でも上位に入るだろう

 

「上々と言った所でしょうか」

 

「そう、殺したの?それとも調理したのかしら?まさか捕まえただけ?」

 

答えはとうに知っているだろうに……相変わらず意地悪な方だ、実際に意地悪な笑みを浮かべいるのがイヤらしい

 

「答えは知らないわよ、この複数の運命は貴方が選ぶもの……と言っても決まっている様だけど」

 

そう言いお嬢様は紅茶を口に含んだ、その表情は何処か楽しげだ

 

全く、このお方は一体何手先まで呼んでいるのだろうか……これではあまり口では勝てそうに無いな、嬉しいのやら、悲しいのやら

 

「申し難いのですが…捕まえただけで御座います」

 

「そう…ならどうしたいのかしら?」

 

これも複数の運命が存在しているのだろうか……たとえ存在していても一つしか私は選ばないのだが

 

「使用人に仕立て上げようかと思いまして」

 

「くっく……ふ、ふふ、あはは!やっぱりそれを選ぶのね!漸らしいわ……何だか安心した」

 

やはり幾つかの運命が存在していた様で、その内の一つを私が選んだと同時に笑いを抑えれなくなるお嬢様、最後の方は優しい笑みを浮かべていたが

 

それにらしいと言われると少し恥ずかしく思ってしまう……にしても安心ということは他の運命はどれだけ特殊なものだったのだろうか……想像するのが怖い

 

とと、いけない。先ほどから運命やそれを選ぶやら、まるで見えているかの様に話しているが……実際に見えているらしい

 

《運命を操る程度の能力》

それがお嬢様の能力だ

 

文字通り、運命という目に見えないものが見えたり、それを操ったりする事が出来るそうだ

 

と言っても全てが見えて、全てが操れる訳では無い。見る場合はその見たい人物の事を知っていないといけない

 

そして操れるのは極一部だけで自分が関わってないと駄目らしい、関わっていても操れない場合もあるらしいが……

 

それともう一つ付け加えるのであれば運命と言うものは糸らしい、そしてそれは幾つもあり、一つ選択すれば他の糸は消えるそうだ

 

「してお嬢様、どうなされますか?」

 

満足気に笑みを浮かべているお嬢様に私は問いた、するとお嬢様は顳顬(こめかみ)に皺を寄せ、腕を組み考える

 

「どうするって……そうね、‘‘二人’’で話がしたいわ」

 

答えが決まったと同時に妖しい笑みを浮かべるとお嬢様は確かにそう言った

 

二人で、お嬢様がそう言った瞬間、空気がガラリと変わる……否、変える

 

先ほどまで談笑をし、暖かな雰囲気だったが……今は緊張の糸が張られ、いつ戦闘が始まってもおかしくない雰囲気だ

 

「……それはどういう意味で?」

 

「貴方なら分かっているでしょう?その意味で良いわ」

 

「……っ」

 

二人で話をする。それは隠語では無いが、その言葉そのままの意味では無い、簡潔に言えば

 

‘‘腕試しがしたい’’

 

「……お言葉ですがお嬢様、相手はまだ五つにも達して無いのです。かんがえ」

 

「だから何よ、関係無いわ。このスカーレット家に仕えたいのなら、それ相応の力が無いと駄目よ」

 

情が移ってしまっている私とは違い、冷静に淡々と現実を突きつけるお嬢様。その言葉はスカーレット家の事を考えるならば間違ってはいない

 

きっと苦虫を潰したような様とは今の私の事を言うのだろう、実際唾が苦く感じる

 

「……人間ですよ、彼女は」

 

そう彼女は人間だ、能力を持っていても種族の壁は越えられない…吸血鬼のお嬢様に認められるなど不可能に近い

 

「漸、何度も言わせないで」

 

だが現実はそんなものを認めなかった…冷たく冷めた瞳でこちらを見下ろす

 

「ここに力無き者は必要無いわ!

……それは貴方も痛いほど分かっているでしょう」

 

机を力強く叩き、険しい表情で言葉を強める。最後の方は俯いてしまい表情は伺えないが……語尾が震えている

 

「……失礼いたしました、その様に」

 

お嬢様の痛みに気付いた私は《能力》を使い横へ跳ぶ、そして懐からハンカチを取り出し手渡す

 

「……分かったなら良いわ…呼んできなさい」

 

「……では、失礼します」

 

そう言い、私は《能力》を使い再び扉の前に戻り、頭を下げた

 

その下げた頭の中ではどう説明すれば良いのか……そんな事を考えながら扉に手を掛けた時だった

 

「漸……」

 

お嬢様に名前を呼ばれる。身体は動かさずそのまま言葉だけを待つ

 

「ありがとう、それと……ごめんなさい」

 

「……また後ほど」

 

その言葉にどの様な意味が込められていたのか、どの様な表情だったのか、私には分からない…

 

だけど何処か……何かが楽になった気がした……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

先ほどよりもずっと重い扉から出てくると、待ってましたと言わんばかりに少女が足に抱きつきてきた

 

「……お待たせしましたね」

 

自分でも驚くほど、その言葉を発した声は弱々しかった

 

少女はその声に反応し不思議そうにこちらを見上げた、その目は何処か心配そうだった

 

「……貴女は本当に優しい子ですね」

 

気が付けば膝をつき抱き締めていた、それも強く。少女にとって苦しいかもしれないが……弱めるつもりはない

 

……こんなに暖かい子を死の淵に追いやるなんて私は本当に駄目な大人だ……もし、死んでしまったら……私はどうすればいいのだろう

 

「だい…じょうぶ……だいじょうぶ……だから」

 

そんな風に自分を呪っている時だった。少女が不器用ながらにも私を慰めてくれた

 

馬鹿か私は……

 

ああ、本当に大馬鹿だ。自分よりずっと不安な少女になんて事をさせてるんだ……

 

「ごめんなさい、もう大丈夫です……ありがとう」

 

抱き締めていた状態から少女を離し、頭を撫でる。少女は気持ちよさそうに目を細め、小さくだが笑顔になる

 

先ほども言った様に、今は笑っている少女だが心の奥底では不安を感じているだろう、その不安を私が拭わないでどうする

 

「……良いですか?」

 

撫でる手を止め、肩に置く。そして少女の目を真っ直ぐ見つめた

 

もういい、グダグダ言うのは辞めだ。この子を信じよう、この子が負けない事を信じるんだ

 

「これから貴女は過酷な運命に逢います」

 

少女の目を見据える、だがその目には怯えも不安も無いように感じた

 

「それはきっと、いえ、絶対に今までとは違うものです」

 

館に入ってきた時の震えも感じない、むしろ……

 

「過酷で辛くて投げ出したくなるような運命が待ち受けています」

 

……覚悟が出来ていた、理由は分からない。だけど確かにその目には、その身体には一つの覚悟を感じた

 

だから……私は少女を……否、彼女を信じる。

 

「だけど貴女なら絶対に乗り越えられます、私はそう確信しています」

 

彼女が乗り越える事を、切り抜ける事を、勝つ事を私は信じている……いや……絶対に出来る

 

「だから諦めないで闘いなさい、醜くてもいい、足掻きなさい……貴女には生きる価値がある」

 

取り出すは一本のナイフ、それは何処にでもある、銀色のナイフ

 

柄も全て鉄で出来ていて見ように寄れば食用にも見えなくは無い、だが刃は鋭い……水も、運命も時間も全てが切れそうなくらいそれは鋭く感じた

 

「……これは私からの餞別です、余すことなく使いなさい」

 

こくりと彼女は力強く頷いた、その表情は、その立ち姿はとても頼もしかった

 

そんな彼女に軽くハグをし、ナイフを手渡す……真っ直ぐと前を見据えた目……良い目です

 

「お嬢様、お客様です」

 

「ええ、入れなさい」

 

「失礼します」

 

再び扉を開ける、開けた扉は先ほどよりも随分と軽かった

 

そして中へ彼女を入れる。扉を閉める瞬間、彼女はこちらへ振り返った、その瞬間を逃さず

 

「ご武運を」

 

私は彼女の武運を祈った……

 

 

 

 

 

 

●●●●●

 

 

「あれ?漸さんじゃないですか、お仕事の方はどうされたんです?」

 

「ああ、美鈴…まぁ一応終わりましたよ、一応」

 

少女を地獄へ送り出した時から、数分後、美鈴が現れる……まぁ私にとっては数分ではなく数時間ぐらいに感じたんだが

 

それにしてもナイスタイミングだ、あのまま一人だったら年単位で寿命が減りそうだった……いやまぁ、さほど影響は無いのだけども

 

「一応…ですか?」

 

「ええ、一応。そちらは終わりましたか?」

 

「え〜…と……一応?」

 

美鈴は明らかに目を逸らし、泳がす…その声も若干震えていた

 

「まだ全然なんですね……はぁ」

 

「うぅ〜…そんな大きなため息を本人の前で吐かないでくださいよぉ〜」

 

ワザとらしく大きくため息を吐く、その動作に傷付いたのか、涙目になっていたりする

 

「ふふ、冗談ですよ。全て終わったら手伝いますから」

 

「もう冗談ばっかり!本当、意地悪ですよね!漸さんは!」

 

「くく、貴女はからかい甲斐がありますからね」

 

涙目で睨まれるが全然怖くない、寧ろ可愛く感じる……いや〜本当に面白いし楽しい

 

「漸さんが虐める〜!ってお嬢様に泣き付いて良いですよね?」

 

「それはいけませんよ、今お嬢様は対談中ですので」

 

「……へ?…つ、捕まえたんですか?あの漸さんが?」

 

何故そんなにキョトンとするんですか、何でそんな有り得ない物を見たみたいな目をしてるんですか……心外ですよ

 

「酷いですね……私が無慈悲で血も涙も無い男だとでも言いたいんですか?」

 

「はい」

 

即答、考える間も悩む間も無く、キレイに真顔で即答をする美鈴……そんな彼女に殺意が湧いた

 

「良し、表に出なさい。最大で最高の苦しみを与えてあげますよ」

 

それはそれは、とても良い笑顔で、だけど頭の中ではどう生き地獄を味あわせてやろうかなんて事を考えながら首根っこを掴み、美鈴を引きずる

 

「ごめんなさい!冗談です!冗談ですから!そんな顔で首根っこ掴まないで!怖いです!いや本当に!」

 

そんな風に美鈴は情けない声を上げながら引きずられる、そして数十歩引きずった所で渋々であるが解放する

 

「冗談です」

 

「冗談に聞こえませんよ!?滅茶苦茶怖かったんですからね!」

 

「ええ、でしょうね。私も冗談にしたくありませんでしたし……」

 

本当に残念だ、色々と試したいこともあったのだが……残念だ

 

「鬼!悪魔!鬼畜!」

 

「そんなに褒めなくても、何も出ませんからね?」

 

「褒めてないです!貶してるんです!」

 

ふむ、褒められたと思ったのだが……貶しでもその言葉を使うのか……難しいな言葉って

 

と、まぁそんな冗談だらけの雑談は棚に上げといて本題に入るとしよう

 

「さて、そんなくだらない話は置いといて」

 

「くだらッ!?」

 

「何か私に用でもあったんですか?」

 

「い、いえ。漸さんには無かったんですが……お嬢様の紅茶がそろそろきれる頃だと思いまして」

 

そう言い美鈴は紅茶が入っているであろうポットを見せてくる……そのポットは先ほど自分と対談の時に()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ、それならもうやっておきましたよ」

 

「は、はは、相変わらず便利な《能力》ですね……あっ減ってる」

 

そう同じもの、美鈴は中身を見て減っている事を確認した。

中身が減っているのは当たり前だろう、それと中身が入っているのを交換したんだから

 

何処のタイミングで、と言われれば部屋に入った瞬間に、としか答えようがない

 

「良いなぁ〜…本当、便利ですよね。確か《空間を操る程度の能力》でしたっけ?」

 

「ええ、そうですよ。それと羨ましがるのは結構ですが、何度も言ってるでしょう。能力は使いようですよ」

 

そう《空間を操る程度の能力》それが私の能力だ

 

空間を操ると言われても中々ピンと来ないと思う、寧ろ空間とは何かと考える人もいるかもしれない

 

空間とは、見えているもの全てだ。それ以下でも、それ以上でもない。人が存在できる把握できる場所全てが空間と言える

 

私はそんな自分が把握出来ている空間を操り、物と物を交換したり、自分自身を瞬間移動をしたりなどを実行している

 

故に私はテレポート紛いのことが出来るのだ、その行き場所を把握しておけば容易に行くことが出来る。少女を捕まえた時が正にそれだ

 

物も似た様なものだ、自分を物に置き換えただけと言える

 

他にもこの能力は色々使えるのだが……それは追々説明していくとしよう

 

「う〜…使いようと言いますけど……私の能力は別ですよ」

 

「そうかも知れませんが使えるだけ良いじゃないですか、小悪魔さんが聞いていたらど突かれますよ」

 

一応美鈴も能力持ちだ《気を使う程度の能力》それが美鈴の能力、内容はその内と言う事にしておこう

 

それと小悪魔さんにど突かれると言っているが半分本当で半分嘘だ。ど突かれたりはしないが…嫌味を言われる

 

「うわ、それは嫌ですね。あの子怒ると怖いんですから……」

 

「ならそういう事を言わない事ですね」

 

やんわりと釘を刺しておく、人には感情があり、思うところがあるのが普通だ

 

そんな思うところがある人の前で、それを思わせてしまう事は言わない方が良い

 

「あはは、気を付けます」

 

「よろしい、では仕事に戻りなさい。私もそろそろ呼ばれそうですので」

 

「分かりました、では美鈴、仕事に戻らせていただきます!」

 

そう言い美鈴は笑顔でふざけて敬礼をし、何処か楽しげに仕事へ戻っていった……

 

 

 

 

 

「美鈴……ありがとう」

 

私はそんな彼女に感謝した。彼女が考えてか、それともただの偶然かは分からないだけども心が楽になったのは変わる事の無い事実だ

 

だから感謝した、ただそれだけの事

 

「さて、お呼び出しですか……ふふ、どうなったのやら」

 

気付けば綺麗な鈴の音が頭の中で木霊していた、それは自分にしか聞こえない鈴の音。そしてそれは同時に誰かに呼ばれている事を意味する

 

本当なら嫌な呼び出しだろう、この鈴を鳴らしているのはお嬢様。その事実は対談の終わりを意味する

 

「……おかしいですね、私には見えない筈なのに」

 

結果が、あの子が掴み取った運命が見えている様な気がした……

 

 

 

 

だから私は臆する事なく、お嬢様の部屋へ跳んだ

 

 

 

「お嬢様、ここに」

 

「遅いわよ、何をチンタラしていたのかしら?」

 

ギロリと獲物を睨む蛇のごとく睨まれる、だがその瞳には殺意など全くと言っていい程込められておらず、寧ろ楽しげに光っていた

 

「すみません、少し考え事を」

 

「……まぁいいわ、許してあげる。それでコレだけど」

 

お嬢様は足でその転がっているそれを蹴った……それはピクリとも動く事なく静かに眠っていた

 

「……どうなさいますか?調理でも致しましょうか?」

 

私はそれに駆け寄り抱き上げる、やはり能力持ちとは言え、非力な人間。種族の壁を越える事は出来なかったか……

 

「ふふ、分かっている癖に」

 

「はて?なんの事やら」

 

「____傷を癒しなさい。気に入ったわ、この紅魔館の一員として受け入れましょう」

 

「仰せのままに」

 

種族の壁は越えれなかった……だが、立ちはだかった運命の壁は乗り越えられた様だ

 

口の端から血を垂らしながら眠るように気絶している少女、それは何処か安らかで気持ちよさそうにしていた

 

「よく頑張りましたね。今、治しますから」

 

余り魔法で治すのは良く無いのだが、重い一撃を喰らったのだろう、かなり酷い

 

ああ、でも本当に生きていてくれて良かった。こんなに嬉しいのはいつ以来だろうか

 

「……大分、気に入ったのね」

 

「えっと……そう見えますか?」

 

「ええ、正直妬きそうよ」

 

ジトー……と少し拗ねている様な顔でこちらを見るお嬢様に思わず、私はクスリと笑ってしまう

 

「大丈夫ですよ、一番大切なのはお嬢様方ですので」

 

私は空いている方の手でお嬢様を撫でながらご機嫌をとる、だがその表情はまだ不機嫌だ

 

「なーにが大丈夫よ、ならどうしてこの子に、んっく……私があげたナイフを渡したのよ」

 

撫でている私の手を叩き、お嬢様は横腹に刺さってナイフを抜いた。その血みどろのナイフはお嬢様から貰ったものと酷似している

 

「よく見てください、違うナイフですよ」

 

「……ズルいわ、漸って」

 

無論、貰ったナイフは箱ごと大事に机にしまってある。ナイフというものは意外と消耗が激しく直ぐに欠けてしまったりするのだ

折角頂いたナイフをそんな事にさせたくない

 

「そうでも無いと思いますが……」

 

「私がこのナイフを見て怯むのくらい分かるでしょう。それにこの子の能力も中々に厄介な物だしね……こうなる事分かってたんじゃない?」

 

「いえ、私はお嬢様ではありませんので分かりませんでしたよ……ですが」

 

治療が終わり、より気持ちよさそうに眠る少女。そんな彼女の口から垂れている血を拭き取り、そのまま頭を撫でる……あっ笑った

 

「……勝つと信じておりましたので」

 

「ふ〜ん……可能性が少しでも高くなるように尽くしたと、そう言いたい訳ね」

 

「御意、その通りでございます」

 

「……はぁ、まるで私は悪役ね」

 

「そ、そんなつもりは」

 

ため息を吐いて頭を抱えてしまったお嬢様に私は柄にもなく慌ててしまう。

その様子を見て、してやったりと言いたげな表情で冗談だと言ってくれた

 

「さてと終わったなら部屋に連れて行ってあげなさい。着替えたら行くわ」

 

「では、美鈴をお呼びいたします」

 

「要らない、たまには自分で着替えるわ。それより部屋の場所、教えなさい」

 

「……………」

 

……今日は随分と驚かされる事が多い、お嬢様がこんな事を申されるとは……槍でも降るのではないだろうか

 

「何よ、教えないつもり?」

 

驚いて固まっていると教えなくないと取ったお嬢様は怒り口調で私にそう問いた

 

いけない今日は物凄く機嫌が良いのに私が機嫌を悪くさせてどうする

 

「い、いえ。そういう訳では……私の部屋の右側の部屋が空いてますのでそちらにしようかと」

 

「……さっきの言葉、訂正するわ。かなり気に入ったのね……本当に妬きそうよ、馬鹿執事」

 

「すみません、最後の方をもう一度仰って貰っても宜しいですか?」

 

「何でもないわよ、ほら早く行きなさい」

 

最後の方が聞き取れず聞き返すものの教えてはくれなかった……機嫌を取ろうとすると駄目だ、かえって不機嫌にさせてしまう

 

「は、はぁ……では部屋の方でお待ちしております」

 

これ以上いると駄目な気がしたし、お嬢様も早く行けと言っているので失礼する事にする

 

一度頭を下げ、眠っている少女を抱き上げて、再び能力で跳んだ……

 

 

 

 

「…………お兄様のバーカ」

 

……そんな言葉が残されていた事なんて知らずに

 

 

 

 

★★★★★

 

 

 

窓から入る月明かりが、ベットで規則正しい呼吸を繰り返している少女の美しい銀髪を照らす

 

私はそんな彼女が寝ているベットに腰掛け、頭を撫でていた

 

撫で続けていると時折小さく動く、起こしてしまったのかと思いやめるのだが、起きる気配が無いので再び撫でる

 

先ほどからそのような事を何回か繰り返している、寝ている邪魔をしてはいけないと分かっているのだが、中々やめられない

 

何故やめられないかって?簡単だ、可愛いから、それ以外無い

 

「入っても良いかしら?」

 

「お待ちしておりました、どうぞ」

 

なんて事をしているとドアがノックされる。声からしてお嬢様だ、どうやら着替えが終わったらしい

 

私は急いでベットから立ち上がり、ドアを開けて迎い入れた。何とか綺麗に着れたみたいでいつも通り、似合っている

 

「そう、ありがと」

 

「紅茶は宜しいでしょうか?」

 

「ええ、十分堪能したから良いわ」

 

空いている手で窓辺の椅子へ誘導する。お嬢様が腰掛けたところで紅茶の有無を聞くが要らないみたいだ

 

「では、その様に」

 

「それで?この子に名前は在るのかしら?」

 

「いえ、無いと……思われます」

 

唐突に聞かれたこの子の名、当たり前と言えば当たり前なのだが……聞く事をすっかり忘れていた

 

「もしかして忘れてたの?」

 

「……お恥ずかしながら」

 

目を驚いた様に見開きながら、呆れたように言ったお嬢様。返す言葉も無いというのはこの事を言うのだろう

 

「……意外と抜けてる所あるわよね…漸って」

 

「返す言葉もございません」

 

いや本当に酷い話だ、まだ私の名前も教えて無いでは無いか……これは馬鹿にされても仕方ない

 

「はぁ、まぁ良いわ。どうせ在ったとしても貧相な名前だろうから」

 

「そうですね……では、お嬢様の方からつけて頂いても構いませんか?」

 

「そう思って考えては居るんだけどね……中々ね」

 

元々そうして貰う予定だったのだが……確かに名前などそう簡単に思いつかないものだ

 

まぁそう焦るものではないゆっくり時間を掛ければいいだろう

 

「名前は出て来たんだけどね、名字が出てこないのよ」

 

前言撤回、お嬢様は格が違った。そう簡単には出てこないのに……流石お嬢様と言ったところか

 

それにしても名字か……私のような極東の方で使われる名前にするのだろうか

 

「因みに名前の方を教えて頂いても?」

 

「ん〜…嫌、ちゃんと出来てからの方が面白いでしょ」

 

だと思いました、お嬢様の性格からしてなんでも面白い方に持っていきたがるのですから……

 

「……名字、か」

 

……にしても出てこないな、寧ろ私の名字でもつけたらどうだろうか……いや、止めておこう。お嬢様に殴られる未来が見えた

 

そんな風にお嬢様が前に居るのにも関わらず、腕組みをして考え込んでいる時だった

 

ふと月の光が目についた、それは先ほど外にいた時にいた時よりも明るく優しく輝いているように感じた

 

その時、私は倉庫の中で待っている時の事を思い出した。そう、確か今日みたいな日の事を確か__

 

「__十六夜(いざよい)

 

「……いざよい?何かしら?その言葉」

 

小さな呟きのような言葉だったがお嬢様は聞き逃さず、意味を聞いてくる。

 

名字としては中々良いのではないだろうか?名前に合うかどうかは分からないが

 

「十六の夜と書いて十六夜と読みます。今日の日のような事を極東でそう言うみたいです」

 

「あら今日は十五夜と言われる物じゃないのかしら?」

 

「違いますよ、昨日より月の出が遅いですし、何より月がほんの少しですが欠けています」

 

普通は間違えるだろう、だが私は能力が能力のため空間把握能力が高い、そのため少しのズレや違いに気付きやすい

 

故にこう言った気付きにくい月の満ち欠けでも気づくことが出来るのだ

 

「欠けているようには見えないけど……漸がそう言ってるなら間違いないわね。

十六夜、咲夜……悪くないわね」

 

「咲夜ですか……良い名前ですね、意味は在るのですか?」

 

十六夜とお嬢様が考えた名前の咲夜(さくや)というものを合わせてお嬢様は良い名前だと言った

 

「意味なら在るわよ、ほら花を見事咲かせたじゃない赤い花を……ね」

 

「なるほど、良い名前です」

 

お嬢様は自分の横腹を撫でて見せた、なるほど運命の壁を越えた彼女に似合う名前だ

 

十六夜(いざよい)咲夜(さくや)、この子の名前はそれで文句無いわね?」

 

「ありません。とても良い名前だと」

 

「ええ、そうね。この子に似合ってるわ」

 

そう言いお嬢様は椅子から離れ、寝ている咲夜に寄り添う様に寝並び、頬を突く

 

その表情はとても愛らしくてたまらないとでも言いたげだった、翼も嬉しそうに小さく揺らしている

 

「早く、起きないかしら」

 

「そうですね。早く起きると良いのですが」

 

「名前をあげたら、どういう反応するかしら」

 

「それはもう、とても喜ぶと思いますよ」

 

「ふふ、そうかしら……そうよね、ほら早く起きてよ咲夜〜」

 

いくら頬を突かれても起きる気配が無い咲夜、その寝顔はとても心地よさそうだ

 

お嬢様を止めても良いのだが……こんな微笑ましい光景を止めたくは無い……

 

せめてこの子が、咲夜が少しでも早く起きる様祈るとしよう…

 

 

 

 

……to be continued



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咲夜の日記 運命のあの日

此処に来て十年が経った。

 

それは長いようで短いものだった。

 

あっと言う間なんて表現があるが実際にあっと言う間だった。

 

だけど一日たりともここの生活を辛いとか苦しいとか思ったことは、感じたことは無い。

 

寧ろ一日一日が楽しくて仕方なかった。

 

そしてそれはこれからも続いていくだろう、楽しみだ。

 

……ああ、そうだ。十年前の明日はあの運命の日じゃないか。

 

今日まで一度たりともあの日の事を忘れた事はない。

 

あの日があるからこそ今の私が存在しているのだから…

 

そうだ、今日は折角だからあの日の事を記しておこう。

 

私が私に、‘‘十六夜咲夜’’になった日の事を…

 

 

 

 

 

 

 

○○○○○

 

 

「はぁ……はぁ、くっ」

 

私はその時走っていた。

色の無い木々をかき分け、時折、追いつかれるはずも無い後ろを振り向きながら…

 

誰も動けないと分かっている、自分しか色が無い事も分かっている。

…だけどアレは何かが違った気がした。

 

「う、く……はぁはぁ」

 

足に痛みが走る、血は出てはいないが出ているぐらい、いや寧ろそれ以上に痛く悲鳴を上げていた。

 

そしてその痛みのせいで私は気付けば能力を解除していた。

 

世界に色が戻る、音が戻る。止まっていた全てが動き出し、再び世界は回り始める。

 

私はそんな動き出したことを感じながら身体を休めてしまっていた。

動き出した世界に心を奪われてしまっていた。

 

意識が全て世界に向いてしまっていた。

 

夜風が痛みしか感じない肌を撫でる、月は美しく、だけど妖しく私を眺めていた。

 

そんな風に私を眺めているだけなら助けてよ……

そんな事を思いながら月に手を伸ばす、だけど届くことも伝わることも無く空を切った…

 

 

 

そんな時だった、私は油断していた。逃げ切ったと思いこんでいた……

 

それは一瞬で目の前に現れた、月の光とは真逆、殺意や殺気にまみれた黒いそれは薄笑いを浮かべながら私に覆い被さった。

 

 

 

今思えば、アレはもしかしたら月の答えだったかも知れない…

 

 

 

だけど当時に感じたのは殺される、殴られる。あの人から感じたのはそれだけだった。

 

「子……供……?」

 

その言葉をその人が発した時、殺気が飛散した。浮かべていた怖い笑みも消え、困惑の表現が現れていた。

 

「はな……して……」

 

私は逃げようと身をよじるが中々拘束は解けない。

そんな中その人は相変わらず困惑の表現で私を見つめている。

 

何故、私を見て困惑をしているかは分からない。

その人の中で何が違って何が思いもしなかった事なのかは分からない。

 

だけど怖かった、それだけは感じた。

 

どうせこの人も村の大人たちと変わらない、そう思った。

 

だからたった一瞬だったが見逃さなかった、拘束が緩む、その一瞬を…

 

そしてそれは訪れた。私はそれを逃さず再び能力を使い《時を止める》

その人は石像のように固まり、色を失う。全てを失ったそれは冷たくて嫌いだ。

 

その後、私は這い出るように拘束から抜け出した。

 

そして再び森を走る、だが身体は時を止めたまま動くのを許さなかった。

ある程度離れた所で身体に痛みが走り、能力が途切れてしまった。

 

「待って!」

 

その人が叫んだ、私に対して制止を求めているのだろう。だが止まれば必ず何かされる……痛いことをされる。

 

だから私は止まることは無かった。

 

「こな……いで……」

 

小さな声だと自分でも思った、こんな弱い声しか出せない自分が凄くイヤになった。

 

「何も痛い事はしません!だから待って!」

 

痛い事はしない……嘘だ、そう言って私を捕まえて痛い事をしてきた人なんて山ほど居る。

 

人間なんてそんなものだ、何時も嘘をつき、相手を騙し、嘲笑う

 

そして変わった者が産まれれば、忌み嫌い、下げ見続け、暗い闇へと落とす

 

それが人間、それが大人。何処にでもある話で、誰の記憶にも残らない話

 

「……はぁ……はぁ」

 

だけど身体は限界だった。足が震え始め言うことを聞かなくなる。

 

止まってしまった、動けなくなってしまった……殴られる、殺される。

 

だけどもしかしたら脅かせば逃してくれるかもしれない。

だから私は木に背を預け、その人を睨み、ナイフを構えた。

 

怖い、物凄く怖い…構えたナイフが足と同じくらい震えている

 

「こないで…でないと……いたいことする」

 

怖いという感情はこの前に居る人にも感じているが、もう一つにも感じてしまっている、それは……

 

このナイフだ

 

持つのも恐ろしいくらい、このナイフが怖い。

当たれば痛いし血が出る、だから怖い。だから恐ろしい。

 

だけどもそんな事を言っていてはこの世界で生きてはいけない。

この世界で醜く生きていくためには、傷つける道具というものは必要不可欠だ。

 

……たとえ、私のような者でも

 

そんな葛藤をしている中、その人は私の警告を無視して一歩近づいた。

 

「こないで……ほんとに…これ…いたいよ?あたると…あかいの…でるよ?……だから…こないで」

 

分かっている。この人が村の大人たちではない事は……それに違う事も

 

私を見る目が明らかにこの人は違う。村の大人たちは私を汚い物を見る目でこちらを見ていた。

 

だけどこの人の目は何処か泣きそうだった。

その事を私は不気味に感じてしまっていた。

 

知らないからだ、何故、私をそんな目で見るのかが分からないからだ。

 

その事を感じた時、手の震えが大きくなる。

この人が分からないから恐怖した。そして同時にこの人を知るのが怖くなった。

 

それに傷つけるのが怖いし、イヤだ。

自分がされていたから痛いのはよく分かる、だから他の人には感じて欲しくない。

 

だけどこの人は私の考えてる事なんてお構い無しでこちらに近づいてくる。

 

もうダメだな、そう感じた……だからナイフを捨てて、ゆっくりと目を閉じた……

 

だけど何時まで経っても痛みは来なかった。寧ろ何かに暖かく包まれていた。

 

そう…この人はこんな私を抱き締めていたのだ。

 

「はなして……」

 

だけど私は拒絶した。分からなかった、何故この人がこんな事をするのかが本当に分からなかった。

 

怖くて怖くて……身体の震えが止まらなかった。

 

そしてこの人は私に……

 

「ごめんね……」

 

謝罪した

 

意味がわからない…何故私にこの人は謝るのだろう、何故謝罪するのだろう…この人は私に何かをした訳でもないのに。

 

だから意味が分からなかった……だけどその謝罪の言葉は私の中の何かを刺激した。

 

「良く……頑張りましたね、良く生きてくれました」

 

そして生きている事を褒められた。

 

何故だろうか、私は醜く生きてきたのに、生きてはいけない者なのに……何故こんなにもこの人は暖かいのだろうか。

 

「……でももう一人で頑張らなくても良いですよ__」

 

気が付けば暴れることを止めていた、この人の言葉が暖かくて、優しくて、聞き入ってしまっていた。

 

「__私が居ますから、守るから……安心しなさい」

 

「……うゔゎぁ」

 

居てくれる、守ってくれる。それを聞いた時、何かが溢れそうになった。

 

だけど不安にもかられた、こんな私の側に本当に居てくれるのか……もしその場凌ぎだけの言葉なら……私は要らない

 

「わ…わだしの……そばにいてくれるの?」

 

私はキュッとこの人の服を握った、不安だった、もし本当にそう思っていなかったらどうしようと思った。

 

だけど私はこの人の目を見た、嘘つきの目は沢山見てきた、だから分かる。

 

この人は嘘つきの目じゃない。

 

そしてこの人は優しい笑みを浮かべると私の頭を撫でながら、背中を摩ってくれた。

 

「はい、貴女が居て欲しいと思うのなら、喜んで近くに居ますよ」

 

「……ぅうっ……ぅうわぁぁああぁぁぁああ!!」

 

瞬間、何かが溢れ出た。自分でも分からない何かが沢山溢れ出た。

そして壊れてしまっていた物が再び元に戻った気がした。

 

溢れ出た何かは本当に分からなかった。けど、とても心地良くて、とても優しくて、とても暖かかった。

 

そして壊れてしまっていた物、正確に言えば、壊れかけていた物。

それは生きていくために必要不可欠なモノで、簡単に傷ついてしまうし、簡単に壊れてしまうモノ……

 

 

 

 

‘‘心’’

 

 

 

 

私の心。

それは真っ黒に染まって、沢山傷ついて、引き裂かれて、バラバラにされて……もう壊れてしまったと、駄目だと諦めていた。

 

けど……この人はその諦めていたモノを元に戻してくれた。

白に染めて、癒してくれて、優しく集めてくれて…

私の心が元に戻った。それに気付いた時、もっと何かが溢れ出た。

 

ああ、本当にこの溢れ出るモノは何なのだろう…この心から出ているのは間違いない。

だけど決して悪いモノではない、黒いモノしか知らない私でもこれは良いモノだと感じる。

それに何故か伝えたくなる。この人に言葉にして伝えたい…伝えたいけど、言葉を知らない。分からない。

 

残念だ、とても残念。

 

だけど……この人はそれをも許してくれるかの様に優しく抱き締めてくれていた。

暖かかった、太陽の光のように、月の光のように…

この人はまるで光だ、私のような暗くて闇の中に居るような人間でも明るく照らしてくれる、優しく包んでくれる……そんな光…

だからこそかもしれない、冷たくて痛くて寂しい闇に居たからこそ、この人がとても暖かい、そしてこう初めて思えた

 

 

 

 

 

‘‘生きてて良かった’’

 

 

 

 

そう思えた

そして

 

‘‘この人に一生付いて行く’’

 

そう誓えた

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどのくらい泣いていただろう、数十分かもしれないし、数時間かもしれない。

それくらい長い間泣いていた、今まで我慢してきたモノをぶつけた。

 

その所為かもしれない、私は此処から館に入るまでを、お嬢様と一戦交えるまでを鮮明に覚えていない。

感情の爆発が起きて記憶があやふやになってしまう事は良くあるケースらしい、実際に部分部分しか覚えてない。

 

一つは魔法で怪我を治してもらった事だ。

とても綺麗で美しかった事を覚えている。

…だけど残念ながら私には使えないらしい、魔力が全くないからとの事だ…残念

 

 

 

そしてもう一つ、これは生きていく以上とても大切な事を教えてもらった…

 

『ありがとう』

 

この言葉と、感謝の気持ちと言うのを教えてもらった。

先ほど泣いていた時も怪我を治してもらった時も感じていた溢れ出る何か。

それはどうやら感謝の気持ちと言うのをらしい。

 

そしてその感謝の気持ちを伝える言葉

『ありがとう』

感謝と言うのがいまいち分からない私でもこの言葉はとても良いものだと思えた。

言ったら笑顔になれたし、言われた人も笑顔になってた。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして……では行きましょう」

 

「……はい」

 

私はこの言葉を、この感情を大事にして行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

そこは不気味だった、兎に角不気味だった。

 

外装も内装も紅、紅、紅、紅。紅以外の物は装飾品くらいだろう、壁も床も紅しかない。

 

故に不気味だった。

もしかしたらこれは全て血なのでは無いだろうか?

 

そんな考えがよぎると余計と恐ろしく感じてしまった。

 

確かに私は此処に侵入して食料を殆ど毎日盗んでいた。

だけどもそれは全て《時を止めた》状態であって、今のような動いている状態では無いのだ。

 

して、何が違うのかと問われれば全てが違うと言えるだろう。

全てを止めた世界に色など存在しない、全ては白と黒に染まり、動いている世界のように色鮮やかではない。

全てが止まり、全てが色を無くす……もしかしたらこの館より不気味なのかもしれない…

 

だけど私はそれを不気味だとか恐ろしいなどとは感じた事はない。

それが私にとって生まれてから普通の事、当たり前の事だったのだ。

故に不気味とは感じない。

 

別の話も入ってしまったがこの上記に述べた事が当時の私が怯えていた理由だ。

本当はこの人に手を握ってもらいたかったけど……何やら難しい顔をしていたので中々言い出せなかった。

 

そしてこの人は、今までとは全くと言っていいほど別の場所で立ち止まった。

 

何が別なのかはこの威圧感だ、思わず息を飲んでしまう程の威圧感とよく分からない何か……それは恐ろしくて怖い感情を私に持たせた…

 

「ここで待っていてください」

 

「……っ」

 

思わず手を握ってしまった。

情けない事かも知れないがそれくらい怖くて泣きそうだった。

 

それくらい行かないで欲しかった。

 

「大丈夫ですよ、誰も取って食べたりしませんから」

 

その人は困った笑みを浮かべると私の頭を優しく撫でた。

その撫で方はとても安心するもので不安や怯えを少しずつ取っていってくれた。

けどやはり怖いものは怖い、いくら拭われようとも染み込んでいるものは取れないのだ。

だけど私は離した、何故ならこの人がずっと困り笑顔だから。この人にそんな顔をして欲しくない。

 

するとこの人は柔らかい笑顔になってくれた、そして最後のひと撫でをして扉に向き直り、中へ入っていった。

 

 

誰の声も、気配も消えた。

静まり返ってしまった不気味な廊下で私はただ(たたず)む。

怖いけど考えてみれば私に住む場所なんて無い、近くに居てもらう場所も。

あの言葉はどちらかと言えば逆だ、私の側ではなくて、私が側にいると言った方がきっと正しいだろう。

だとしたら此処が私の居場所になるなだろうか?

 

そんな事を思うと恐怖は消えていって、何処かドキドキしてきた。

なんというか、悪いドキドキでは無くて良いドキドキだ。

それにソワソワしてしまいそうになるくらい心がフワフワしている。

この感情にも名前は存在しているのだろうか?もし、有るのならば気になる。

 

 

 

そんな思考をしているとあの人が部屋から出てきた。それに気付いた私はその人の足に素早く抱き付いた。

 

「……お待たせしましたね」

 

そう発言したこの人、その声は先ほどのように優しいものでは無く…とても弱かった。

 

心配だった、その人の顔を見上げれば今にも泣きそうなくらい顔を歪めていた。

 

どの様な事を言われたのかは分からない。だけど泣きそうという事はきっとこの人にとって辛い事を言われたのだろう……

 

だから余計と心配になった……

 

「……貴女は本当に優しい子ですね」

 

そう言ってその人は膝をつき私を抱き締めた。先ほど抱き締められていた時よりも強い抱き締めだったけど、心地良くない訳ではなかった。

 

寧ろ、この人の方が怯えているような気がした。なぜかは分からないけど…何処かでそう感じていた。

 

だから真似をした。この人にしてもらった事を……暖かくて優しかった事を真似した。

 

「だい…じょうぶ……だいじょうぶ……だから」

 

変だったかも知れない、上手く出来てなかっただろう……だけど、伝わったみたいだ

 

「ごめんなさい、もう大丈夫です……ありがとう」

 

その人は私を離すと頭を撫でてくれた。やはりこの人に撫でられるととても気持ち良い、もっと撫でて貰いたくなる。

 

「……良いですか?」

 

だけどそういう訳にはいかない。この人は撫でるのを止めると私の眼を見て、肩に手を置いた。

 

「これから貴女は過酷な運命に逢います」

 

運命……それがどういうものかは知らない。けれど今までも見てきた気がした

 

「それはきっと、いえ、絶対に今までとは違うものです」

 

今までとは違うもの……いや、何も変わってはいない。

 

負ければ死ぬだけ、何時もと変わらない。

 

「過酷で辛くて投げ出したくなるような運命が待ち受けています」

 

だからどれだけ辛くても、苦しくても……

 

私は諦めない。この人の側に居る為にも

 

「だけど貴女なら絶対に乗り越えられます、私はそう確信してます」

 

信じている……そう言われるだけでどれだけ力が貰えるだろう

 

「だから諦めないで闘いなさい、醜くてもいい、足掻きなさい……貴女には生きる価値がある」

 

泣きそうになった。嫌な涙じゃなくて、とても良い気持ちの涙。

だけどここで泣くわけには行かない、グッと我慢する。

 

そんな風に葛藤している時だった、この人が懐から一本のナイフを取り出す。

 

それは装飾も何もされていない銀のナイフ、刃は先ほど私が持っていた物よりも鋭く……

 

綺麗と感じていた。

 

理由は分からない、だけどこのナイフからは恐怖など感じる事なく、寧ろ美しさを感じていた。

 

「……これは私からの餞別です。余すことなく使いなさい」

 

そしてそのナイフを貰った。

せんべつという言葉がどういう意味か分からないけど、これを使って闘いなさいとそう言われた気がした。

 

だから今までよりも力強く私は頷いた。

 

もう今までの事は気にはしない、今は前だけ見よう。この人と居る為にも…

 

 

私は闘う

 

 

「お嬢様、お客様です」

 

「 」

 

「失礼します」

 

何度目だろうか、扉が開かれた。

なんというかこの人が出てくる時よりも簡単に開けている気がした。

 

そして私は中へと導かれるように、吸い込まれるように、部屋へと進んだ。

 

だけど一瞬だけ、少しだけ後ろを見なきゃいけない…何処かでそう思った。

だから振り返る、するとあの人が優しく笑っていた。

 

「ご武運を」

 

その言葉の意味は分からないけど……

応援しているよ、そう言われた気がした。

 

そして扉が閉まってしまう。あの人の顔も見えなくなってしまい、目に写っているのは重そうな木の扉だけだ。

 

再び前を見ようと身体を動かした時だ。そんな時に気がついた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が異常に汗をかいている事に……

 

それはもう尋常ではなかった。身体が壊れたように汗を出していた。

 

もしかしたらもう壊れているのかもしれない、何故なら動かないから。

何かに締め付けられたかのように、何かに押さえ付けられたかのように、身体が言うことを聞かない。

 

何故だろうか、その疑問が頭に浮かんだ瞬間……脳が震えた

 

「無礼な客人ね、紅魔館(ここ)の主の顔をも見ようとしないなんて」

 

その幼い声を聞いた時、より一層身体が重くなり、立っているのが不思議だった。

そしてもう一つ、心臓が悲鳴を上げた。まるで誰かに無理やり早く動かされているかの様に、鼓動が狂ってしまった。

それに伴い、息も上がっていった。今では全力で走った後みたいに息を荒げている。

 

「……そう、こう言っても動かないのね。分かったわ」

 

それはため息を吐きながらそう言った。椅子などから立ち上がるような音がした後、何か大きな物を羽ばたかせる音がした。

 

私はその間も身体が動かない、否、動かせない。本能が動くことを拒否していた。

 

「こっちを見ろ、人間」

 

凄みのある声が部屋に響いた、それは先ほどの声とはかけ離れていて同一人物とは思えないほど低かった。

そして何よりも二重にも三重にもその声が聞こえていたのだ、それはもう不気味で恐ろしかった…

 

 

だけど、そんなんじゃ駄目だ。

私はここに捨てに来たんじゃない、勝ちに来た、闘いに来たのだ、臆して負ける訳にはいかない。

 

だから足りない勇気を振り絞って振り返り、それを見据えた。いや、睨んだ。

 

「……へぇ、臆して動けなかった癖に良い目をしているわね。闘志に燃えている目…悪くないわ」

 

それを一言で表すのならば

 

‘‘王’’

 

幼い見た目からは想像も出来ないほどの壮大な威圧感に、引き込まれるそうになる妖しげな雰囲気。

 

まさに王、闇の王。

人間の王とは違い、牽引すると言うよりも、恐怖で威圧し制圧する様な‘‘魔王’’と言った方が正しいだろう。

 

 

 

だけど私は屈しなかった、今までとは比べものにならないくらい強い恐怖…

けど負けないと決めたから…

 

「だけど残念、貴女には__」

 

私は時を止めた。瞬間全ての色が消えて無くなる。優雅に妖しく笑っている彼女も白黒に染まり石像と化す。

何か言っていたようだが今の私には関係の無いことだ、この空間は…この時間は私だけのものなのだから…

 

 

私は一呼吸した後、ナイフを構えて彼女へ走り出した…

折角落ち着けた心臓を再び煩く鼓動させる、息も段々と上がっていく。

そして彼女まで二、三歩のところで誰かが叫んだ気がした

 

‘‘行くな!’’

 

と、だけどこの世界で動けるのは、音を出せるのは私だけのはず、もし仮に誰かが叫んでいたとしても私はそれを否定する。

寧ろ確信していた。貰ったと、勝ったと。勝利を確信していた。

何故ならもうすでに刃が彼女の首元に突き立てられていたからだ。

 

必死に伸ばした両腕の先にあるナイフ、それは石像のように固まっている彼女の首元に致命傷を与えようとしていた……

 

そして、後少し。ほんの少しのところで__

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__世界は裏切った

 

 

 

 

 

色を失い、動けなかった筈のそれは一瞬で色を取り戻し、妖しく笑っていたその口をさらに釣り上げ、悪魔のように笑う

 

「__勝つ運命なんて見えないわ」

 

その言葉を残して彼女は視界から消える。無論、私の届くはずだったナイフは空を切った…

 

だけどそんな事はどうでも良いくらい私は困惑していた。彼女が視界から消えたことではなく、世界が元に、私が止めていた世界が元に戻ったのが分からなかった。

 

私は解除していないのに何故動き始めたのだろう…

 

そんな考えを持った時だった、時間にすれば僅か一秒にも満たないかもしれない、そんな僅かな時間だったが彼女にとっては絶好のチャンスだったのだろう…

 

気付けば彼女は懐にいた、そしてゆっくりと右手を引き、私を殴った。

 

「だから貴女は負けるのよ」

 

瞬間、腹部に走る強烈な痛み。それはこれまでの痛みとは次元が違った、叫ぶ間もなく私の口は苦い赤の液体と酸っぱい液体で埋められた。

そして、身体の中で何かが潰れた音がした後、私の身体は後ろへ吹っ飛んでいき壁へと激突する。

だが、それでも殴られた衝撃は収まらず、壁でバウンドし床へと叩きつけられた…

 

「がっは…」

 

ここでやっと吐くことが出来た。赤いのか、黒いのか、黄色いのかよく分からない液体が口から出てくる。

そしてそれは止まることを知らない、特に赤と黒の液体が口から止まらない。

 

「戦いで一瞬でも止まるなんてまだまだね、自分が負けることも常に考えておかないとこうなるわよ」

 

彼女は得意げに笑うとそう言った、でも何故だろうか、笑っている彼女が掠れている…

 

「確かに貴女の能力は危険なものね、空間系か時間系と見たわ。でもまだ完全にはコントロール仕切れてない」

 

凄い……たったアレだけで当てるのか……もしかしたら……彼女は私が思う以上……に私を警戒していたのかも……しれない

 

「そして運命というものは幾多も存在する。例えば貴女が能力をコントロール出来ず、私の目の前で失敗するなんていう運命も無論、存在する」

 

あ……れ?……段々と……視界が……目を…開けている……ことが……出来ない

 

「だから私はその運命を選んだだけよ、ってもう聞こえていないの?

…誰に処分させようかしら……漸にさせる訳にはいかないし…」

 

 

 

 

 

 

 

そこは闇だった……暗い暗い闇

 

自分がそこに居るのかさえ、存在しているのかさえ、分からなかった。

 

痛くは無かった、けど冷たくて寒くて……寂しくて溜まらなかった。

 

『化け物め!』

 

何処からかそんな声が聞こえた。そして痛みが腕辺りに走る…石でも投げられたのだろうか…

 

『お前が居るから!お前が居るから!!』

 

次は首を絞められた。苦しい、息が出来ない……

 

『この忌子が!寄るな!』

 

次は何かを刺された。痛い、赤い液体が出た……

 

『またお前か!この盗みっ子が死ね!』

 

次は殴られた。痛い、痣が出来た……

 

『化け物!』

『化け物め!』

『忌子が!』

『この鬼子め!』

 

何人にも何十人にも……そう言われ続けた……そう、やられ続けた……

 

『お前にな__』

ああ、もう私に……

 

『__生きる価値なんてねぇよ、屑』

……生きる価値なんてないのだろうか?

 

 

それを思ってしまった時、身体が何かに引き込まれた、引きづられた……どんどん奥へと、闇の中へと沈んでいく……

 

ああ、もうダメだ。私になんて生きる資格は無いんだ。生きてちゃいけない人間なんだ……

 

もう諦めよう、もう考えるのを止めよう……この闇に埋もれて死ねばそれで良いんだ……

 

そう諦めて目を閉じた時だ、引き込まれるのが止まった……何故だろうか?

 

 

『……ごめんね』

 

……え?

 

誰かの声が頭の中で響く……あれ?誰だっただろうか……

 

『良く……頑張りましたね、良く生きてくれました』

 

……何処かで聞いたことがある……だが分からない。

 

『私が居ますから、守るから……安心しなさい』

 

……優しい声だ、とても優しい。

 

『……良いですか?』

 

それに暖かい……とても心が暖まる。

 

『これから貴女は過酷な運命に逢います』

 

……ああ、そうだ。あの人の声だ、勇気がもらえる声。

 

『過酷で辛くて投げ出したくなるような運命が待ち受けています』

 

そうだ、確かに辛くて投げ出したくなる……けど

 

『__諦めないで』

 

そう、諦めない

 

「…あ、ぁ」

 

『__闘いなさい』

 

そう、闘う

 

「…あぁ」

 

『__醜くてもいい、足掻きなさい』

 

そう、足掻く

 

「…ああ」

 

『__貴女には生きる価値がある』

 

そう、私には__

 

「あああぁぁぁ!!」

 

__生きなきゃいけない理由がある!

 

それを理解した時、全てが戻った。

光も、身体も、彼女も、不気味な部屋も、全てが戻った。全てがまた私の前に広がった。

 

 

 

 

「なっ……なんで動けるのよ!」

 

「……ぁぁあ」

 

起き上がった私に彼女は声を荒げた。それもそうだろう、私は息を吹き返したのだ。自分でも死んだと感じた。

 

心臓が動きを止め、身体中に血液を送るのをやめていた……

だが心臓が止まってしまったならまた動かせば良い、ただそれだけの事だ。

 

やっと……やっと見つけた私の居場所……そう簡単には離さないッ!

 

「ああぁぁああぁぁぁぁ!!!」

 

「……っ良いわ!来なさい!貴女の運命見極めてあげる!」

 

私は吠えた、叫んだ訳ではなく、ただ吠えた。獣ように、本能で動いた。

 

だけど痛みで上手く走れない、ナイフを握れない……

 

 

すると何かが私を暖かく支えてくれていた。

それは痛みを取ってくれて、震えているナイフを、手を覆うように支えてくれた。

 

きっと……いや、絶対あの人だ。私の腕を、脚を、全てを支えてくれている。

 

それを感じた時、自分でも驚くほど身体が軽くなった。そして痛みも全て消える……

 

行ける、そう感じた私は彼女を睨んだ。応戦状態に入っている彼女は翼で自分を覆うようにし、向かい合わせた両手の中で何かを作っていた。

 

「こんな……運命が、無理矢理作られるなんて……あり得ない…!」

 

ギロリと彼女は私を睨む、その目には殺意しかなく、必ず殺す。そう言っていた。

 

だけど私は臆しない、寧ろ本気でぶつかってきてくれた事を嬉しく感じていた、だって私の事を少なからず認めてくれた。そういうことなのだから…

 

「がああぁぁぁ!」

 

そして私はナイフを構えて走り出す。能力は使えない……寧ろ暴走していた。

 

一歩踏み出すと同時にその足から、溜まっている水に雫が落ちた後のような波紋が広がった。

その波紋は広がっていくと同時に世界から色を奪う。

広がったのは私の嫌いな世界。嫌な世界……私一人しか存在できない世界。

 

だがそれも一瞬だった。次の一歩を踏み出した時、色が波打ちながら広がっていった。

美しい世界、確かに今は紅い部屋で不気味だけどそれでも色があると言うのは、人が動くと言うのは美しくて、暖かいものだ……

 

「……っ、貴女!」

 

ここで彼女が何かに気が付いた。それは何に気が付いたのか分からない、けど殺意しか篭ってなかったその目を見開き、顔を驚愕に染めている。

手を合わせて作っていたものも消えてしまっていた。

 

「そのナイフ」

 

けど彼女が動けているのは、色が付いている世界だけだ。

私の能力が暴走してしまっている今、彼女が喋ろうとしている事は途切れ途切れになってしまう。

 

「一体何処で!」

 

だが私にはそんなこと関係なかった、耳に入ってこなかった。

 

ただ、無我夢中で__

 

「やああぁぁぁ!」

 

__このナイフを、私というナイフを…

 

「とどけぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……私は気が付けば、また違う場所にいた。

 

身体は寝ていて動かない。でも

 

さっきのように冷たくなくて、寧ろ暖かかった。そして何よりも

 

誰かが抱きしめてくれているように感じた……

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

そこは暖かかった、それにもふもふしていて心地が良かった。

とても気持ち良くて、もっと寝ていたくなる。

けど私の頬を突いている何かが寝るという行為を許さなかった。

 

「……んぅ?」

 

私は思わず変な声を上げてしまった。けどそれもそうだと思う、起きたというか起こされたのだから

 

「あ……起きたみたいよ」

 

「はい、無事に起きられましたね」

 

少しだけ紅い天井を見上げていたら、そんな声が聞こえた。あの人の声と闘った彼女の声。

 

私はあの人の声に気付いたと同時に身体を起こした、だけど起こした瞬間、視界がグラリと歪んだ。

 

「ああ、そんな急に動いてはいけませんよ。貴女は長く寝ていたんですから」

 

歪んだのは一瞬だったけどそれでも身体は重くなった。

重い頭が今の背中では支えれなくなり、前のめりの姿勢になってしまう。

 

でも私にはそんな事どうでも良かった。ただ、あの人に抱き着きたくて、ただ、あの人に抱きしめて欲しかった……

 

だけどこの人は支えてくれたけど、抱き締めてはくれなかった。

一つの腕で背中をさすりながら私を支え、もう一つの腕を私の前に持ってきて前のめりの姿勢から少しでも楽な体勢へと持っていってくれた。

 

けど私は我儘をした。前に持ってきた腕へとしがみ付くように抱き着き、この人に視線を送った……

 

この人は困った笑みを浮かべていた。

私がして欲しい事をきっと理解しているのだろう、けどしないのには理由があるのかもしれない。

 

そして理由はすぐにわかった。この人が私の視線を導くように前を見たからだ。

 

そこには闘った彼女がいた、とてもつまらなさそうに腕組みをして、半開きの目でこの人を睨んでいた。

 

「……仲が随分と良いみたいね」

 

「えっ……と、すみません」

 

「……別に謝らなくても良いわよ、悪い事では無いのだから」

 

あ、あはは。とこの人は笑った、けどどうみても笑ったと言うよりは、どうしようかと考えているようにしか見えない。

 

そして彼女は最後にもう一睨みした後、大きなため息をついて目を閉じた。

かと思いきや、何かを決めたように私の目を真っ直ぐ見た……

 

思わずこの人の腕を強く握ってしまった。先ほどよりか恐怖は無いが、やはり怖いものは怖い……

 

「貴女にはまず謝らないといけないわね。ごめんなさい」

 

「……え」

 

突然の出来事でよく分からなかったけど……頭を下げて彼女は謝った。

 

私はよく分からなくて思わずこの人に目で助けを求めた、けどこの人は彼女を見つめていて、暫くした後私の目を見つめた……

 

まるでどうするの?そう聞いてきた感じだった……

 

「……だいじょうぶ…だから」

 

私は頭を下げている彼女にそう言った。本当は大丈夫では無かった…まだ彼女が怖いし、傷だってまだ痛い気がする。

 

けど、なんと言うか……もう良かった、ただそれだけ

 

「……ありがとう、優しいのね」

 

彼女は驚いた表情でこちらを見た後、瞳を少しだけ潤ませながらそう言った。

 

そんな表情豊かな彼女を見ていると彼女のイメージが変わっていった。

魔王とさっきは言ったが、今はなんと言うか……礼儀正しいお嬢様?

 

「それと……もう一つ良いかしら?」

 

「……?」

 

もう一つと言うのがよく分からなかったがとりあえず頷いておく、すると彼女は優しい笑みを浮かべた。

 

「……貴女に私を守ってほしいの、私は……弱いから」

 

だが直ぐに笑みは弱々しくなっていった。紅い瞳も弱々しく歪んでいた……

 

けど私にはよく分からなかった。何故彼女がこんなにも弱々しく笑っているのか、何故彼女の瞳が弱々しく歪んでいるのか、何故彼女は……自分を弱いと言うのか。

 

十分に彼女は強いだろう、少なくとも人間の私からすればとても強い…なのに彼女は自分を弱いと言う……

 

確かに価値観の違いは多々あるが、きっと大半の人が疑問に思う所だろう。

 

「……不思議そうな顔をしてるわね…本当に弱いのよ…私はね…そこの漸よりも…きっと貴女よりも」

 

……本当の意味では理解出来てなかっただろう。

 

だけど彼女は余りにも弱々しくて、直ぐにも壊れそうで、とても悲しそうだった。

 

だから私は動かない身体を無理矢理動かして、下を向いてしまっている彼女の手を握った。

 

「……まもる…まだよわいけど……わたしはあなたを……まもる」

 

手を握った事を驚いたのだろう、彼女は驚きの表情で私を見た。

 

その目は潤んでいて、とても痛々しかった。だからもっと彼女を守りたいと強く思った。

 

その思いが伝わるかどうかは分からない……けど彼女は一筋だけ涙を流すと私を抱き締めた。

 

「ありがとう、咲夜……本当にありがとう……」

 

彼女がどういう表情かは分からないけど抱き締められた力は強くて、弱かった。

少し苦しいようで、でも心地良かった。

 

けど……さくやって何だろうか?

 

「……お嬢様」

 

「……ええ……分かってるわ」

 

少しの間抱き締められているとあの人が彼女へ話しかけた。

すると彼女は少し名残り惜しそうにしながら私を離して、私の頭をひと撫でした。

 

その表情はとても柔らかくて暖かい笑みだった。

背中に悪魔の翼を付けていなかったらそれはきっと聖母の様な優しい笑みと言えるだろう…

 

「本当にありがとう、私の側にいてくれると言ってくれて…そのお礼では無いけど、渡したいものが在るわ」

 

渡したいもの?それは一体何だろうか?

 

思わず私は首を傾げてしまっていた。別に言っている意味がわからないとかでは無い、何故そんなものが貰えるのだろうかと思っているからだ。

 

私はただこの人達の側に居られればそれで良い

 

「十六夜 咲夜、貴女のこれからの名前よ」

 

私が首を傾げたのが可笑しかったのかくすりと彼女は笑うとそう告げた。

 

 

 

……なまえ?

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………?」

 

「え、えっと……嫌だったかしら?」

 

私が何も答えず、ただ彼女を見つめていると彼女は少し慌てた様子で私にそう聞いてきた。

 

いや、嫌だと言うかそれ以前になまえとは一体何だろうか?

 

そんな疑問を持つと一つの視線に気が付いた、あの人の視線だ。

 

それに気付いた時、私は慌てている彼女から視線を外し、あの人の目に合わせた。

 

きっとこの人なら分かってくれるだろうと思いながら……

 

「……では、咲夜。これは何か分かりますか?」

 

視線を少し合わしただけでこの人はなるほどと言いたげに笑い、懐から一本のナイフを取り出した。

 

「……ナイフ?」

 

「正解です。ではこれは分かりますか?」

 

いきなりの事だったから少し不安だったが当たっていたようで、この人は満足気に頷いた。

 

そして、すぐにナイフをしまい、胸元のポケットから丸いものを取り出す、かと思いきや何やらボタンを押して蓋を開いた……

 

中には今も常に動き続けている、綺麗な時計が入っていた……

それはとても綺麗で思わず見惚れてしまっていた……けど聞かれたのなら答えなければいけない

 

「……とけい」

 

「そう、正解です。と言っても厳密に言えば懐中時計と言うものですが……まぁ置いておきましょう」

 

かいちゅ……?まぁよく分からない事を言ったあと綺麗な時計をこの人は胸ポケットにしまった……

 

本当はもう少し見ていたかったのだが折角この人が教えてくれているのだ、ここは我慢しよう。

 

そう思い私は再び、あの人へと視線を戻した。この人はクスリと笑ったあと、説明を続けた。

 

「名前と言うものはまだまだあります。例えば今咲夜が座っているベット、先ほどまで使っていた枕、そして今着ている服などなど、色々なものが存在します」

 

この人は全てを指差しながら丁寧に教えてくれた。

 

どうやら物一つ一つには名前と言うものが存在するらしい、確かにアレやソレでは分からない。だからきっと名前と言うものが有るのだろう……

 

でも、それだと……さくやってどういう物なのだろうか?

 

「そしてそれは生き物にも当てはまる事なのです。

申し遅れました、この紅魔館で執事長を務めさせて頂いております、神道(しんどう) (すすむ)と申します」

 

この人はそう言って、右手を下げる頭と同時に動かしながら下げた胸の前へと置いた。

 

そして、顔を上げた後、後ろで少し退屈そうにしている彼女へと視線を向けた。

 

「そしてこちらのお方が、ここ、紅魔館の王で在り、私の(あるじ)の……」

 

「レミリア・スカーレットよ、遅れてごめんなさいね」

 

スカートの両端を両手で摘み少しだけ上げながら、彼女はそう言った……

 

あれ……?もしかしてさくやって……

 

「……そして貴女が、紅魔館の新しいメイドであり、レミリアお嬢様の従者 十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)ですよ」

 

この人は……否、漸さんは幼い私の視線に合わせてしゃがみ込み、そして両肩に手を置きながらそう言った。

 

「わたしが……さくや……」

 

その時の私はただ驚いていた、分からなかったからだ、自分に名前をつける意味を……だけど次の言葉を聞いて私は……

 

「ええ、そうです。貴女が咲夜ですよ、貴女が生きている証拠であり、貴女に生きる価値があるという証拠です。大切にしてくれますか?」

 

生きている証拠……生きる価値がある……

 

今まで、この時まで、私という存在は許されていなかった…

 

どこへ行っても消えろと言われた。

 

どこへ行っても死ねと言われた。

 

……けど、この人たちは……

 

「だいぜつに……だいぜつにしまず」

 

……それを許してくれた

 

 

 

私はこの時、とても泣いた。一番初めに漸さんに抱き締められていた時よりも泣いていただろう。

 

視界は歪んでいて、全く見えなかったけど、抱き締められて感じた暖かさは二人分だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが私が私になった日の事だ。

 

忘れてはいけない日の事だ。

 

いや、忘れない日の事だ。

 

これまでも、これからも、この日の事を忘れずに

 

この二人に、この紅魔館に、私を家族と呼んでくれる人達のために

 

私は生きていこう

 

 

 

 

 

 

 

……to be continue



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