零崎討識の人間感覚 (石持克緒)
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第一話
自殺志願と相対して解体(1)


 

 

 

 世界勢力を拡大解釈し、その四分の一に分類される『暴力』の世界。

 その中で特に恐れられている『(ころ)()』と呼ばれる七つの家名のうち、最も忌み嫌われている殺人鬼集団『零崎一賊(ぜろざきいちぞく)』。

  高遠打気(たかとううちき)は零崎一賊に所属する殺人鬼である。

 年齢は十八歳、獅子座のO型。コインロールが特技な男子高校生。

 性格は打算的。

 零崎一賊の長兄『自殺志願(マインドレンデル)零崎双識(ぜろざきそうしき)や、最も多くの人間を最も残虐な手口で殺したと言われる『愚神礼讃(シームレスバイアス)零崎軋識(ぜろざききししき)だけでなく、殺害対象に制限をつけている音楽家『少女趣味(ボルトキープ)零崎曲識(ぜろざきまがしき)、殺人鬼同士の近親相姦により誕生した一賊最高のタブーである零崎人識(ぜろざきひとしき)、零崎史上最強にして爆炎の殺人鬼『寸鉄殺人(ペリルポイント)零崎常識(ぜろざきじょうしき)をも含めた、零崎一賊中の殺人鬼が口を揃えて言うであろう彼の性質は、一言で言えば、策略家だ。

 後に二代目『自殺志願(マインドレンデル)』として双識の得物を受け継ぐ数少ない女性の殺人鬼、零崎舞織(ぜろざきまいおり)こと無桐伊織(むとういおり)が、実際に彼と顔を会わせたとしても、恐らく、同じ事を思うのではないだろうか。

 

 具体的なエピソードが一つある。

 高遠打気と零崎双識が、久しぶりに再開した時の話だ。

 

 ◆    ◆

 

 最近では卒業式で『仰げば尊し』は歌わないらしい。

 歌詞の表現が現代的でない、教師への尊敬を強要しているなどの理由で、採用されなくなった。今では『旅立ちの日に』『贈る言葉』といった、近年を代表しつつ、卒業式の雰囲気に合った曲にシフトしているという。かつては卒業式の代表曲だった曲が、こうして廃れていく様を見ると、時代の流れと、いい様のない物悲しさを感じさせる。

 しかし、本日卒業式が行われるこの学校は違うらしい。

 国歌斉唱から始まり、校歌を繋ぎ、『仰げば尊し』で締める。途中、校長の話や祝電の読み上げなどが入るようだが、大まかには、この流れで進行するらしい。

 そう、手にしたプログラムには書いてある。

「――うふふ、彼にも困ったものだよ。確かに長い事お互い顔を会わせていないが、従兄弟である私を、この様な祝うべき門出に呼ばないなんて、ね」

 卒業式のプログラムを綺麗に折り畳み、背広の内ポケットに仕舞う。

「人識に似てシャイな子だよ。近くまで来たから、ちょっと学校まで顔を見てみようと思っていたのに。久しぶりに来てみたら、これだ。もう卒業式だよ。電話の一本ぐらい入れてくれれば良かったのに」

 まあ、忙しい私に気を使ってくれたのだろうけど。

 と、嬉しそうに自分の言葉に相槌を打つ。うんうんと、納得する様に、首を縦に振っている。

 とにかく目立つ男だった。

 グレーの背広の下に白いワイシャツ、ネクタイ、革靴と、普通のセールスマンの様な格好をしているが、驚くほどに痩身長躯で、異様に脚が細長く、また手も細長い。まるで針金細工の様な体躯であるその男は、長い黒髪をオールバックにし、古風な銀縁眼鏡をかけている。

 一つ一つをとって見れば、特別に特異な点はない。が、この当たり前でごく普通なサラリーマンのテンプレートなスーツ姿が、ありえない程に似合わない、という点が、男を決定的に特徴づけていた。

 そんな人間が、高校の校門の前で仁王立ちしている。薄く、笑いながら。

 しかも今日は卒業式。大勢の生徒やその保護者、来賓の客人などが学校に集まっている。本人は気付いていないが、不審者にも見えるその佇まいは、無駄に周囲から奇異の視線を浴びていた。

「さて、そろそろ行くとしようか。従兄弟の新しい門出を祝いに来た()()たるもの、無論私が遅刻などするはずがないが、遅れたら失礼に当たるだろうからな」

 そう言って彼は校門を潜り、式が行われる体育館へと歩を進める。途中、周囲をにこやかに見渡して(特に擦れ違う女子生徒を見る度に、眼福と言わんばかりに頬を緩ませつつ)、「うん。合格、合格」と、満足そうに頷きながら。

 誰がどう見ても変態だった。女子生徒を品定めしているようにしか見えない。

「うん、うん。うん。実にいい学校じゃあないか。普通に楽しそうで普通に悲しそうな、まさしく普通の学校の卒業式だ。私も、もし時間が巻き戻るのなら――アスには嫌な顔をされるだろうが――ここに通って、青春を謳歌したいものだよ。実にいい……待てよ? もしかしたら、ここに入学できるんじゃないのか? 私の学力を持ってすれば、試験など問題ではない……しかし年齢差が……いや。大学では一浪二浪は当たり前で、年齢差はさほど関係ないと聞く。それが高校に繰り下がっても……それに学問を修めるのに年齢は関係ないとも……よし、帰りに入学案内を貰って来るとしよう。残念ながら入学は来年以降になるだろうけれど、なに、この学校の生徒なら、快く受け入れてくれるだろう。そして私は失われた青春時代を取り戻し――うふふ。可愛い可愛い女の子を、毎日毎日拝む事ができるなあ」

 立ち止まり、ぶつぶつと呟く。その内容は変質者のそれであり、様々な点が変質的に、ずれにずれていた。

 もう、然るべき所に通報されてもおかしくない。

「――ふむ」

 突然、男の眼が厳しくなった。

 周囲の人間からは『ついに今日のターゲットが決まったか』と思われる程に速い切り替わり様だったが、男が見ていたのは、女子生徒ではなかった。

 男子生徒である。

 別に、実は彼がボーイズラブだったとか、薔薇だったとか、両刀使いだったとかではなく、その男子生徒が男の知り合いだったから、単純に眼についたのである。

 

 弁解したくないが、彼は変態だが、アブノーマルな趣味はない。掘り下げ具合がアブノーマルなだけで、嗜好自体は概ねノーマルだ。

 ノーマルだと思いたい。

 

 話を戻す。

 

「どうやら、よくない雰囲気のようだ」

 男の視線の先――知り合いの男子生徒が、クラスメイトと思しき他の男子生徒数人に、どこかに連れていかれる姿――を見て、そう呟いた。

 卒業式間際に、クラスメイトに囲まれる理由。それは分からないが、いい結果にならない事は、容易く予想できる。親戚として、()()として、予感する。

 

 なにしろ、その知り合いは殺人鬼で。

 針金細工な体躯のこの男もまた、殺人鬼なのだから。

 

「立つ鳥跡を濁さずと言うが、あの子の()()では、無理かもしれないな。結構溜まっているのか、殺気が少し漏れているし。あのままでは、勢いで学校一つ潰しかねない」

 それに彼等も気になる、と男は続ける。

「あの子を連れていく理由が分からない以上、彼等の『試験』の結果は下せない。この素晴らしい普通な学舎で、不合格者が出るとは思えないが――しかし現場を抑える以上に、人の悪性を測れるものはないわけだし、彼等の合否は、その後決めよう」

 行き先は変わった。体育館から彼等だ。

 

 針金細工――零崎双識。

 

 長い手足で大手を振るい、校内を闊歩する。

 行き先は――どうやら校舎の裏のようだ。

 

 ◆    ◆

 

 零崎双識が人気のない校舎裏へ足を運び、角を曲がると、先程の男子生徒数人が倒れ伏していた。

 正確には、あらゆる関節をバラバラに解体され、惨殺されていた。

 腕、脚、首、肘膝腰胸指。

 綺麗に真っ平らな切り口から、真っ赤な血液をいたるところに吹き散らしながら、斬殺されていた。

 

「ひ、ひぃやあああぁぁぁぁっ!?」

 一人、腕も脚も首もくっついたままの、まだ生きている人間が、背を向けて逃げようと走り出す。

 金髪の男子生徒だ。

「あぁ? なに逃げようとしてんだ――」

 逃げ出す男子生徒に対し、ゆっくりと振り向いた彼は、その三白眼を細め、緩慢な動作から一転、腕を振るった。

 右手に握るは、一振りの日本刀。

「――よ」

 ひゅばっ、と。

 一気に、一息で両腕と両肩が付け根から分断し、首が跳ね飛んだ。

 首と四肢と、達磨になった胴体が、慣性の法則に従って前方に投げ出され、その中空にある死体に、少年はもう一度、刀を振るう。

「しゃらあぁ――ッ!!」

 目で追える限り、三回、剣尖が走る。

 アスファルトの地面に落ちていった死体は、落ちた衝撃で更に断割された。

 両肘、両膝、両手首に両足首、胸部と腹部と臀部が、ぼとぼとごろごろと、鮮血を吹き、撒き散らしながら転がった。

 赤い、鉄臭い血液で染まった校舎裏。

 凶器の日本刀は勿論、アスファルトの地面、コンクリートの壁、植えられている植物。あらゆる物が鮮血に塗れ、肉片がこびりついている。

 唯一血に濡れていないのは、血染めの刀を握る少年こと高遠打気と、その光景を見ていた零崎双識だけだった。

 

 

 

「――さて。なんでアンタがここにいるんだ? 双識さんよ」

 ゆっくりとこちらに向き直った少年は、双識の記憶にある彼の姿とは印象が違っていたが、彼らしい特徴は、記憶通りに変わっていない。

 癖のある短い黒髪。内に外に緩くウェーブがかかり、然程長くない髪に軽くボリュームが出ている。それでいて一本一本の毛に漆を塗ったかの様に艶があり、癖っ毛でありつつも素直に櫛を通しそうな、女性が羨む髪質が一見して見て取れる。

 詰襟の学生服を第三ボタンまで開け、下には白いカッターシャツ、更にその下には色白で肉付きの薄い鎖骨と胸板が覗く。決して華奢で貧弱な体躯なのではなく、必要分だけ鍛えられ、引き絞る様に引き締まったボディ。痩身だが力強い、古代ローマの美少年の彫像を思わせる、芸術的な肉体美を、学生服の上からでも感じさせた。

 そして彼を決定的に印象付けるのは、凶相と呼ばれる三白眼である。前髪の奥から刺す様に双識を睨みつける灰色の瞳。芸術的な痩身、白い肌、端整な顔立ちと美少年そのものな容姿を、ものの見事に裏切るその双眸は、見る者に言い知れない恐怖と威圧感を与えるだろう。

「いや、何。久しぶりに顔を見に来たら、丁度よく卒業式だったものでね。折角だから親戚として、君の高校卒業を祝福しようと思ったのだよ」

 強烈な嫌悪感が含まれた凶悪な視線が双識に向けられていたが、そこは海千山千の零崎一賊の長兄。にこやかに微笑みながら、少年に答える。

「しかし、よくない。よくないよ討識くん。この様な素晴らしく『普通』な学舎で殺人を犯すなど、あってはならない事だよ? 私は君の直接の保護者ではないが、それでも一賊の長兄として、苦言を呈さずにはいられない。確かに私達は殺人鬼で、人を殺すのが当然な日常を送ってはいるが、それでも君は一般人としての顔を持って、学校へ通い、学生生活を送ってきたんだ。今日は卒業式だ、立つ鳥跡を濁さずと言うだろう? 式の前から殺意を抑えられずに、絡んできた学友を斬り捨てるなんて事は、あっちゃならないだろう。同じ殺人鬼としては、それに理解を示さないでもないが、一般人の顔を使っている時は、殺意を堪える必要があるんじゃないのかい? まったく、君の気の短さと気の早さは、以前から変わらないね」

五月蝿(うるせ)え。死ね」

 

 がきぃん、と金属音。

 

 刃物と刃物が衝突する音。

 正確には、少年が股下から逆袈裟に日本刀を振り上げた所を、双識が胸元から得意の得物を取り出し、日本刀に叩きつけた音、だ。

 

「――危ないね、どうにも」

 双識の得物である諸刃の大鋏『自殺志願』と、少年の日本刀の鍔迫り合い。

「……けっ」

 刃が痛むと判断したのか、少年は先に刀を引いた。

「アンタもアンタで、相変わらずだよ。余裕ぶっこきやがって……」

「私がどう相変わらずなのかはともかく、君は反省しなければならないよ。失われた命は還らないのだから。しかし疑問なのだが、なぜこの同級生達? を、殺したんだい? 討識くん」

大鋏を胸元へと仕舞いつつ、双識は質問する。彼等が死んでしまった以上、双識が『試験』することは出来なくなってしまったが、それでも、双識は一族の長兄、代表として、直接の保護者でなくとも、年下の親戚――零崎討識に、問わねばならない。

 それが、当然の義務である様に。

「それをアンタに言う必要があんのか?」

「あるよ。理由によっては――」双識は肩を竦めて、フラットに微笑んだ。「叱りつけなくてはならないからね」

「……本当に、相変わらずだな。アンタ」

「そうかな?」

「ああ。最っ高に、うぜえし、むかつくぜ」

 ひゅんっ、と刀を振るい、血を振り払う。制服の下に特製のホルスターを仕込んでいるらしく、逆手で背中に刀を挿し入れると、かきん、と鍔が鳴る音がした。

「絡まれたから殺した。いい加減、我慢の限界だったから殺した。それだけだ」

「本当に? それだけかい?」

「それだけだっつってんだろ、五月蝿えな」

「五月蝿いはないだろう、五月蝿いは。もしかして、君は頸織ちゃんと話す時も、その様な言葉使いじゃないだろうね。 だとしたら即刻直す努力をすべきだと、提言させてもらうよ。そんな言葉使いは家族間で用いるべきではないのだから」

「人識は誰に対してもそんな言葉使いだろ」

「あの子はあの子で、別に説教するから問題ないさ。それに、本来君を監督するのは頸織ちゃんのはずだが、そういえばあの子、今日は来ていないのかい? 君の卒業式ともなれば、勇んで参列しそうなものだけれど」

「アイツなら沖縄に行ったっきり帰ってきてねえぞ」

「なんだって!?」

 双識は長い腕を広げ、大袈裟にリアクションを取った。

「羨ましい……日々人識を追いかける為に全国を回っている私でさえ、未だ渡った事の無い島だというのに」

「島とか言うなよ」

 しかも、弟を出汁にし、楽しく観光しているだけな節も感じる。

「まあ、いいか。沖縄にはサーターアンダギーとちんすこうがある。人識の様な甘味好きなら、いずれ海を渡る事もあるだろう。さて、討識くん。体育館に向かおうじゃあないか。何、心配はいらない。頸織ちゃんの穴は、この一賊の長兄たる私が埋めてあげよう! ふむ。この学校では卒業生は一人一人卒業証書を受け取る様に、この配布されたプログラムに書いてあるね。残念ながら今はカメラの持ち合わせが無いが、その代わりに、私は心の中でシャッターを押しまくって、君の勇姿を網膜いっぱいに焼きつけよう。いや、私が自ら筆を取り、写真よりもより写実的な絵画として永久保存しようじゃないか! そうすれば頸織ちゃんは勿論、人識もアスもトキもリルも、君の新しい門出を見逃したと後悔する事はない! よし! そうと決まれば善は急げだ。微細な詳細も描き漏らさない為にも、保護者席は最前列を確保しなければな! さあ行くぞ討識くん! 高校生活を締め括るイベントだ、君も早く体育館の中に――」

「卒業式なら、もう終わったぞ」

 ぴしり、と。双識の笑顔が凍った。

「………………………………え?」

「だから、卒業式は午前中に終わったぜ。時計は確認したのか? 今は午後一時過ぎだぞ」

 慌てて自前の腕時計を確認する。

 午後一時十分。

「馬鹿なッ!!」

「馬鹿はテメエだ」呆れが溜め息として吐き出され、討識は頭を掻いた。「大方、人識を探すついでに立ち寄ったら、たまたま卒業式だったから、参列しようと思っただけだろ。そんな事のついでに祝われたところで、嬉しくも何ともねえよ」

「くっ……折角の式典に、頸織ちゃんはおろか、私ですら参列できなかったとは。……討識くん、悲しい思いをさせてしまったね」

「いや、別に。つーか、話聞いてるか?」

「人識は卒業は出来たが、卒業式には行かなかったからな。無理もない、あんな事があっては……いや、それはともかく。じゃあ討識くん、ご飯でも食べに行こうか。お金は心配しなくていい。卒業のお祝いに、どんなものでも私が奢ってあげよう」

「当たり前だぜ。じゃなきゃ本当に何しに来たって感じだ」

 そうして、二人は肉塊と血溜まりだらけの校舎裏から移動する。討識は同級生達の死骸を放置し、双識は死骸の処理を放棄して。

 双識が後処理をせず、話にも出さないのは、単に討識が後処理をする事を確信しているからだ。勿論、討識自らの手で肉片を拾い集めつつ血を拭い、臭いすらも消し去るという様なお掃除を行う、なんて直接的な手段ではなく、既に()()()()に手を回しているであろうと、確信しているのだ。

 確信している。そういう奴である事を知っている。

 そんな()()が討識のプレイヤーとしての長所であり、殺人鬼としての短所である事も、双識は知っている。

「さて、何が食べたい?」

「肉」

 

 

 




初投稿になります。よろしくお願いします。


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自殺志願と相対して解体(2)

 

 

 

「大学には行かない」

 デザートのマンゴープリンを食べながら、討識は言った。

 あの後、すぐに学校を離れ、二人は焼肉店に入り、各々自由に肉を焼いた。

 一人一人席を離し、別々の金網と七輪と炭を使ったという訳ではなく、一つの個室に向かい合って座り、一枚の網をきっちり半分に分けて使っていた。

 きっちり半分という所に壁を感じるだろうが、双識との関係はそれぐらいに離れ、別れ、隔たれていた方が良い。そうでありたいと、討識は思う。

 討識にとって双識は一賊の長兄、つまりは目上であり、それなりに尊ぶべき対象だと理解はしている。しかし、事ある毎にオーバーなリアクションをし、奇人変人の一賊の中でも群を抜いての変態と友好関係を築くのは、やはり嫌だった。人識が放浪を始めたのは、双識から逃げるという理由もあったのかもしれない。そう、討識は考えている。

「行かないって事は、フリーターかい? 君がアルバイトしてる姿は想像し難いのだけれど」

「殺すぞ」

 灰色の三白眼が鋭くなる。

 並みの人間なら射竦めるであろう迫力があったが、そこは百戦錬磨の零崎双識、意に介さずマンゴープリンを口に運ぶ。

 まあ、アルバイトなどしていないのだが。

「俺名義の土地とか、預金とか、色々。そこら辺の同年代の奴らよりかは、資産は多いつもりだぜ。税金のやりくり大変だけど」

「ふうん。当面の生活には支障はないという事か。私としては、討識くんには大学に進学してもらいたかったのだけれど。ま、人識の様には言うつもりはないさ。自由にやりたまえ」

「意外だな。五月蠅いぐらいに知った風な忠告をぬかすと思ってた」

「君は家族になった時点で自活していたし、一般常識を心得ていた上に順応力もあったからね。一賊の総意で、基本的には自由にさせていたのだよ。ふふ、高校に通う事には反対していたのもいたがね」

 それは、以前から予想が出来ていた。

「けっ。どうせ軋識(きししき)さんとか、曲識(まがしき)さんだろ?」

「ああ。彼らを、私と、頸織(くびおり)ちゃんが説得したのさ」

「そうなのか?」

 予想外。

 姉である頸織は、ちゃらんぽらんというか、思考も行動もどうしようもないぐらいにどうかしてしまっている。少なくとも、弟として身近にいた討識は、そう評価している。

 あの女が、特に軋識を説得するなんて、ありえない。

「嘘だろ?」

「嘘じゃない。あの子も、君の事は心配しているんだよ。人識とは違う意味でぷらぷらしてる、背中に羽が生えた様なあの子でも、弟の将来ぐらい考えるさ」

 マンゴープリンを平らげ、スプーンをそっと置いた双識は、口元をナプキンで拭いながら、真っ直ぐに討識を見据える。

「私が『普通』が好きな様に、頸織ちゃんは君の事が好きなのさ。姉として、親として、家族としてもそうだが、彼女は君に憧憬を抱いている」

「憧憬? あいつが俺の何に憧れてるんだよ?」

「彼女に足りないもの、彼女が持っていないもの、だよ。人間は自分に無いものを、他人が持っているのを見た時、その人物に嫌悪感を示し、嫉妬する傾向がある。しかし、逆に好感を覚え、好意を寄せることもある。頸織ちゃんは後者のパターンだ。彼女は一賊でも社交性が無い方だし、また常識人でもない。殺人の技術が特徴的ではあるけど、この世界じゃあ特異でもないし、それ以外の特技といっても、特別秀でているものは無い。その点、討識君には社交力や常識があるし、他人に誇れないまでも他人には出来ない特技もあるだろう? それらに憧れているのだよ。()()()()()()()()()()()()なんて、コンプレックスを掻き立てる代表例だからね。身近にいる『出来る他人(アイドル)』を象徴にしても、何もおかしくはないさ」

「アイドルって……俺だってそういう意味じゃ大衆だってえの」

 デザートを食べ終え、茶化す様に言った。しかし、一賊の長兄としての分析力は馬鹿には出来ないのも、事実である。

「特技っつっても、俺が出来るのも簡単なコインロールだし、それも訓練の結果だからな。大した事じゃあない」

「その大した事じゃない事が出来ないから、悩むんだけどね。鬼だろうと人間だろうと、それは同じ事だよ」

 そして、双識は言った。

「君のその()()()()――()()()と言った方が正確かな? それが君の武器なのは間違いが無いが、しかし、それは良くない。改める事を、考え直す事をお勧めするよ」

「はあ? いきなり何を言ってる」

「深くは聞かないし、言わない。だが、一賊の長兄として、親戚のお兄さんとして。僅かばかりに忠告はさせてもらうよ。そのスタイルは戦闘には有効だが、まず間違いなく殺人鬼としては有害だ。特に日常生活に弊害を及ぼしているのなら、少しずつ改善を始める事を勧めるよ。私達にとって戦闘は日常だが、日常は戦闘ではない。常在戦場の精神を持つのは良いが、それによって生活を脅かされるなど、本末顛倒もいい所だ。大事なのは、私達が安穏と殺人鬼として生活し、殺人鬼として活動する事なのだからね」

「……分かってんよ」

「よろしい。では改めて――高校卒業おめでとう、討識くん。卒業式に参列出来なかったのは申し訳ないが、この零崎双識が、一賊の代表として、祝福しよう」

 あっさりと話題が切り替わった。

 双識としても、長く話をするつもりはない様だ。

 親戚故にこれ以上は憚られたのか、それとも討識の()()()()を慮ったのか。

 無論、答えは()()だ。

「そりゃどうも。祝福してんのは極々一部だけど」

「それでも、誰からも祝われないよりは良いだろう。ところで、高校生活というのは、どんな感じなんだい?」

「ん? いや、別に」

「別に? よく分からないな、詳しく話してくれるかい?」

「何でだよ」

 おかしい。切り替わった先に、何故か双識が食い付いている。

「……何が狙いだ。まさか、アンタがその変態性を発揮して目を付けた女子生徒と、仲良くなろうってんじゃあねえだろうな」

「惜しいね。いい線をいった推理だが、外れだ」

 そして私は変態ではないよ、と誰の目にも明らかな大嘘を吐かすと、双識は長い脚を組み、これまた長い腕を大きく広げて言った。

「実は、私はあの学校に入学しようと思っているのさ!」

「……はぁ!?」

 予想の斜め上をいっていた。

 双識のストライクゾーンど真ん中の女子(双識の守備範囲では、どこがストライクで、どこがボールなのか、判然としないが)を攫って、仲良くよろしくヤってしまおうという、殺人鬼から強姦魔への最悪な転身が討識の予想であったが、現実は遥かに上だった。

 いや、社会的には実害はないのだから、予想よりは下と言えるのかもしれない――やっぱり駄目だ。放っておいたら、予想よりも酷い事になりそうな気がする。

 というか、双識が後輩になるなんて、生理的に嫌だ。

 色んな意味で、背筋が怖気立つ。

「アンタ、それは……何でだよ。嫌がらせか? 嫌がらせだな? むしろ嫌がらせじゃないなら何だ? なんであの学校に入学しようとしてんだ? 意味が分からねえ、ぶっ殺されたいのかそうか死ね死んでくれ」

「ま、ま、ま、落ち着いて」背中から刀を抜こうとするのを、双識は諌めた。「殺すだの死ねだの、殺人鬼とはいえ、軽々に口にするものではない。むしろ殺人鬼だからこそ、口にするのは憚るべきだ」

「説教はいいんだよ。理由を言え、今すぐに」

 人を殺しかねない鬼気を、その三白眼から発する討識。対して双識は「何をそんなに怒っているんだい?」とでも言いたげな、不思議そうな表情を浮かべていた。それが余計に怒りを掻き立てたのか、左右の手の平をテーブルを壊さんばかりに叩きつけた。

「さもなきゃ、アンタの背肉で焼肉してやるからな」

「何だかよく分からないけれど、私は勉学に励みたくなったから、高校に入学したいだけだよ? 確かに、年上の親戚が母校に後輩として入学するというのは、当事者として気恥ずかしいだろうが、しかし」

「しかしもクソもあるか! ……何が勉学に励みたいだ。アンタの目的は、女子校生とイチャコラする事だけだろうが」

 ぐいっ、と討識はコップに満ちたお茶を飲み干す。

 幾分、冷静さを取り戻したのか、台詞の後半は落ち着いていた。

 それでも大分、怒気と殺気を残していたが。

「イチャコラだなんて、そんなの……出来たらいいな、とは、思うけど」

「ほら見ろ。変態だ」

「あまり騒がないでくれ、討識くん。外に聞こえる。それに私の前で()()()を作る必要はないよ。素直に、本音で、話してくれていい」

「十二分に素直な本音だよ、何勘違いしてんだ変態が。それにアンタには、確か女子中学生のメル友がいるんじゃあなかったか? 確か、澄百合学園(すみゆりがくえん)の」

「ああ、その通り。その通りだ討識君。名前は子荻(しおぎ)ちゃんだ」

「聞いてねえよ」

萩原子荻(はぎわらしおぎ)ちゃんだ」

 見てくれたまえ、と別に頼んでもいないのに、携帯を討識に押し付ける。仕方なしに画面を見ると『もう夜も遅いので寝ますねお兄ちゃんおやすみなさい』という、たったそれだけの短文が写っていた。

 気づいたが、この文章、句読点が無い。見ると、受信した時刻は、深夜三時を回った頃の様だ。これだけ遅ければ、中学生なら眠くても仕方がない。恐らく、メールのやり取りの止め時を見つけられなかったから、無理矢理に会話を打ち切ったのだろう。討識には、この文章が、疲労感と煩わしさが全面的に前面に押し出された投げやりな短文にしか、見えなかった。

「……年頃の娘を、遅くまで起こさせてんじゃあねえよ」

「確かに私もそれが心配なのだけれどね。だが楽しいお話は、時間を忘れさせるものだ。楽しいから続けたいし、惜しいから引き留めたい――ほら。このメールからも子荻ちゃんの、まだまだ私と会話をしていたかったという名残惜しさが、心の奥底から伝わってくるだろう?」

「どこがだよ……うわ」携帯を操作して、一つ前に双識が送ったメールが開く。「長……気持ち悪っ」

 文字制限ぴったりに打ち込まれた、改行の無い読み辛い長文が、そこにはあった。

「気持ち悪っ」

「二回も言う事かい? まあ、多少、長い文章になってしまったとは思うが」

「二回じゃあ足りねえよ、何度でも言うわ気持ち悪い。……おい。もしかして、その子荻ちゃんとやらに送るメールは、いつもこんな長文なのか? そうだとしたら変態なんてレベルじゃあ済まねえ変質者だぞ」

「失礼な事を言うな、討識君は。 私の様な紳士を掴まえて、変態だの変質者だのと。 しかしね――」

 しかし。その後は続かなかった。

 別に双識や討識に、何かがあったわけではない。そういう事ではなく、外囲的な事が原因だった。

 つまり。

 闖入者だ。

 

「もういい」

 低い声がした。

 次いで扉が開く。

「殺人鬼同士の歓談なぞ、これ以上聞くに堪えん。悍ましい」

 壮年の男だった。白髪混じりの長い髪を髷にし、厳しい顔付きをした男。四、五十代に見えるが、双識に引けを取らない長身。また、双識には及ばないが腕も長く、そんな大柄な身体を黒い道着に包んでいる。

 そして、決定的なのは左手に持っている細長い包みである。先が紐で結ばれた白い布袋が何であるのか、わからない討識と双識では、勿論ない。

 日本刀。さらに、その丈は。

「……ほう」双識は組んでいた脚を降ろし、言った。「家族水入らずの時間を邪魔するとは。なんともまあ、無粋だね」

「何が『家族』か。血の繋がりも無い者めらが、馬鹿馬鹿しい」

 心底不愉快だという態度を隠そうともせずに、男は二人を睨む。同時に感じる殺気は、プロのプレイヤーに相当する。

 問題は、武器を持ったプレイヤーが、殺気を、零崎一賊の殺人鬼に向けている事だ。

「こんな変態が家族ってえのは気にくわねえが」討識が立ち上がる。「それでも会話を邪魔されるのは不愉快だ。それも俺か、双識さんに、ぶっ殺されに来たとなっちゃあな」

「殺されに来たのではない。儂は、殺しに来たのだ」

 一対一の決闘を所望する。そう、男は言った。

「儂の名は後目虚(うしろめうつろ)。貴様等は零崎一賊の殺人鬼、零崎双識、そして零崎討識と見受けするが、違いなかろうな?」

「違いはねえよ。で? 殺しに来たって? 俺達を? 嘘だろ? 正気か?」

「左様。嘘ではない、至って正気だ」

「マジかよ」

 相当な阿呆だな、と討識は椅子に腰を下ろす。闖入しても斬りかからず、会話を交わしている時点で、この部屋で殺り合うつもりはないと判断しての事だった。

「零崎相手に喧嘩売るたあな。双識さん、こんなんは前にもあったのか?」

「あったよ。一賊結成の最初期には、頻繁にね。しかし、真正面から決闘なんて言ってくる奴は、そういなかった」

 双識が立ち上がり、男の前に立つ。平均的な身長であり、かつ座っている討識から見ると、長身の男二人が並んでいるのは、ある種の壮観さを感じさせた。

 立ち上がったという事は、双識はこの男、後目虚の申し出を受けるのだろうか。

 そうなると、双識にとって不利な戦いになる事は必至だろう。双識の武器は、その二つ名の由来となった大鋏『自殺志願(マインドレンデル)』。紙を切る様な通常の用途の物とは違う、化物じみた巨大な鋏だが、基本的にリーチは短い。恐らくは刀を使うであろう後目虚とは、同程度の体格である故に、苦戦するはずである。

「そちらから名乗られた以上、私も名乗らなければ礼を失するな。遅れ馳せながら自己紹介だ。私の名は零崎双識。今後ともよろしく、後目虚さん」

 朗らかな笑顔で右手を差し出す双識。何を考えているのか、決闘を望んでいる相手に、よりはっきりと露骨に表現すれば『お前を殺す』と言っている相手に、握手を求めているらしい。

「…………」

 訝しげに双識の右手を見つめる虚。

 討識は双識の性格を知っている為、その手が、本気で友好の証として差し出されている事を理解しているが、側から見れば、その右手は怪しすぎる。

 罠にしか見えない。

 結局、虚は右手を無視し、「して、何方が相手になるか?」と話を進めた。

 非常に常識的で、賢明な判断。

 討識は、眼を細めた。

「双識さんがやれよ。俺は面倒だからパス」

「私がやってもいいのだがね」

 手を下ろし、討識に向き直る。

「ここは討識くんにお願いするよ」

「は?」

 思わず、間の抜けた声が出てしまった。

「俺が?」

「ああ、君だ。君が、この人の相手をしなさい」

「何でだ……」

 立ち上がって握手まで求めたものだから、双識自身が相手をすると思っていたのだが、そんなつもりは更々ない様だった。

「いや、君の学校の話は、まだまだ聞きたいところなのだけれど、そろそろ、人識の奴を探さなくてはいけないからね。恐らく、そう遠くには行っていないと思うのだが」

「じゃあ、ついでに首でもちょん切ってってくれ、『首切役人』さんよ。行き掛けの駄賃にさ」

「そんな駄賃はいらないよ。怖いから」

「……いい度胸だのう」

 虚の厳しい顔が険しくなり、強面に拍車がかかる。当然の反応だ。

「儂は何方でもよいが……零崎討識、貴様が相手でよろしいか?」

「全くよろしくない。というか、人識探しなんか、一日ぐらいしなくてもいいだろう。別に急ぎじゃねえんだし、あんな糞餓鬼、放っておこうぜ?」

「ほう、討識くんらしくないね。昔、頸織ちゃんが襲われて、命からがら逃げ帰って来た時に、真っ先に敵に斬り込みにいったのは、君じゃあないか」

 双識の言葉に、討識は口を噤んだ。事実であるからだ。

 しかし、この発言の問題が、事実であるからではない。

「双識さん、アンタ……」

「フェアじゃないだろう?」双識は言う。「少しくらい君の情報を開示しないと、後目さんがあまりに可哀想だよ。何故なら、私の見立てでは、君の方が、この後目さんよりも、圧倒的に強いのだからね」

「何ぃ?」

 ぴくりと、虚の片眉が動いた。

「儂よりも、この小僧の方が強いと申すか。マインドレンデルよ」

「勿論。零崎討識は後目虚を、無傷で、殺せる。 これはもう、確定した事実だ」

「おい。俺はまだ了承してねえぞ」

 というか反対したんだぞ、なんて言葉はお構いなしに「さて、今すぐやるかい? 今すぐ、此処でやるかい?」と、勝手に話が進む。

「此処で戦うのは面倒だ。午後九時に、零崎討識が通う高校。その校庭でどうか?」

「了解した」

「してねえって言ってんだろ。いい加減にしろよ、てめえら纏めてぶっ殺すぞ――って、おい」

 後目虚の言葉に、違和感を覚える。

「おいジジイ。 ()()()()()?」

「うむ。貴様が殺した同級生には申し訳ないが、見させてもらった」

 無惨な死に方であった、と虚は答えた。

「実に無惨で、残忍な死に様であった。貴様とあの小童どもに、どの様な因縁があるのか知らんが、あの様に惨たらしく殺す必要はあるまい。 零崎双識に受けさせるだけの脚があるのだ、一太刀で斬り捨てればよかろうに」

「無駄な手間だってか?」

「無駄な手間だ。無駄で無意味で、そして無価値だ。もう死んだ者を切り刻むなど、常軌を逸しておるわ。 『決闘』とは申したが、正直な所、これは儂による粛清だ。零崎一賊、貴様らは世界の均衡を崩す。理由なく、目的なく、ただ欲求と復讐にのみ人を殺す貴様らは、もはや、人でも、鬼ですらない、獣よ。獣という名の、害悪よ。排除せねば、文明の不利益にしかならん」

「……『表の世界』を代表した刺客、ってことか」

 ふうん、などと受け流しながら、どうでもよさそうにふんぞり返る討識。

 興味は無さそうに、質問した。

「アンタ、さ。これまでいったい何人殺した?」

「……それは、どういう意図の質問だ? 零崎討識」

「別に。あんたもいい歳して、青臭い事をぬかすからさ。プレイヤーとしての経験は、どれぐらいのもんかと思ってよ」

「貴様に答える必要はなかろう」

「確かに。実際、俺もジジイの殺人履歴なんざ、どうでもいい。 だがな。一端のプレイヤーなら、他人の殺しの主義(スタイル)にいちゃもんなんか吐かねえよ」

 討識は立ち上がり、虚と相対する。なんかさっきから立ったり座ったりばっかだな、などと思ったけれど、これは、要は雰囲気作りだ。こういう細かい作業が、後々活きたりもするので、存外馬鹿には出来ない。

 他人をその気にさせる。という事は、他人を誘導する事に他ならない。誘導した先を崖際にしておけば、労せずして敵を打倒する事が出来る。

「いや、主義というか、趣味か? どっちでもいいけど。ただ、俺以上にえげつねえ殺し方をするやつなんざ、腐る程いるぜ。 そこの『自殺志願』こと双識さんは馬鹿鋏でぶっ殺すし、『愚新礼讚(シームレスバイアス)』は釘バットで――釘バットだぜ? 今時、暴走族でも使ってねえよ――叩き殺すし、『少女趣味(ボルトキープ)』はとりあえず対象を殺せれば満足そうだし、『寸鉄殺人(ペリルポイント)』は掟破りの爆弾だぜ、爆弾。爆発なんか避けられるかよ……まあ、一賊の中でも、殺し方はバリエーション豊かだ。あれらよりエグい殺し方をする奴はいるし、あれらよりエグい死に方をする奴もいる。ジジイは正義漢みてえだけど、しかしこの『暴力の世界』じゃあ、正義よりも道徳よりも倫理よりも、生き残る実力こそが必要なのは自明だろう。要は勝てればいいのであって、勝つには力が不可欠なのであって、勝ち方なんか、どうだっていいんだよ」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが討識の主義であり主張。

 普通の倫理観を持ち、通常の道徳感を用いる、常識的な正義漢である虚には、全く理解できない主張。

「最悪……と言って、差し支えない程の外道だのう」

 虚は、嫌悪感と敵意を、より一層強めて露にした。

 ありありと感じる敵意。

 零崎を相手に退くことのない態度は、自身の実力に自信を持っているということを示唆している。マインドレンデルに受けさせた討識の剣撃を、自分は一刀両断に打破できるという、自信の現れ。

 そして、それは、()()()()()

 後目虚は、零崎討識に、既に十分な情報を引き出されていることに、気付かない。

「なあ、双識さん。アンタの誘いに乗ってやる。このジジイは俺が殺す」

 殺す、と薄ら笑った討識に、双識は微笑んで「了承したよ」と言った。

「――儂は正義ではない。が、必要悪ではある。殺人者を殺すは殺人者の仕事。儂の剣で、貴様ら鬼共を全員、調伏してくれよう」

「さあ、どうかな」双識は肩を張って答える。「あなたの刃が、私達『家族』の繋がりを断ち斬れるとは、とても思えないけれど」

「ほざけ」

 虚はその長身を翻し、矍鑠とした足取りで、部屋を出ていった。

 

 

「――……さて。双識さん、実際の所」討識は双識に言う。「あのジジイに勝てると思うか?」

「私の見立てでは、勝てるね。十中八九、間違いない」

「へえ。随分と、俺を買ってくれているみてえだな」

「そりゃあ買うとも。昔よりも、随分、腕を上げたようだしね。 それに、君の見立ても、同程度の確率を弾き出しているだろう?」

 双識は銀縁眼鏡を押し上げた。

「あの人は、いわば駆け出しだよ。プロのプレイヤーとは、とても言えない」

「ああ。実際、いくらか人間は殺してるようだが、ありゃあまだまだ表の人間だな。目算が甘い。()()()()を嘗めている」

「しかし討識くん。あのお爺さんは、プレイヤーとしては三流だが、闘技者としては腕が立つだろう。さらに、あの武器と体格だ。間合いが格段に広い相手に、君はどうやって勝つつもりなんだい?」

「分かりきってる事を質問すんじゃあねえよ、白々しい。 普通に近づいて、ぶった斬るだけだ。やることは変わんねえ」

 まあサブマシンガンで蜂の巣にしてもいいが、なんて案を展開しつつ、討識は帰り支度を始める。

「なんだ。そんなものを持ってるのかい」

「ちょっとした縁でな。3Dプリンターでコピーした、真っ黄色の目立つやつ。見た目はリアルな水鉄砲さ。使わねえけどな」

「そうかい? 君なら、使いそうなものだけれど」

「ま。確かに、得物に拘りはねえけど。あのジジイには必要なねえだろう」

「でも、手元にあれば、遠慮なく撃つだろう?」

「撃つな。間違いなく」

 それで勝てるなら、と討識は付け加えた。

 その()()に、双識は悲しそうに目を細める。

「討識くん。君は、少し誤った理解をしているようだ。私達『零崎一賊』は組織でもなければ集団でもないし、ましてや仲間なんてものでもない。私達は家族なのだよ。困ったときには助け、迷ったときには導き、惑ったときには正す。助け合い、導き合い、正し合い、そうやって歩み、進める。それには、愛がなくてはならない。愛があるから、優しくなれる。君を、愛しているからこそ、助け、導き、正すのさ」

 愛。家族愛。

 それこそが、零崎一賊の、殺人鬼集団の理念。 

「一賊の誰も、そりゃアスやトキは君に対して厳しいけど、それでも、君を拒絶しないだろう? 理解して、受け入れてくれるだろう? 頸織ちゃんだって、君のことが大好きなのだから、君の頼みなら、なんだって聞いてくれるよ。そりゃあ、不器用で不出来な姉だが、しかし頼りにならない訳ではないさ」

 君は一人で背負いすぎだ。

 双識は言う。

「もっと、大人を頼りなさい」

 優しい言葉。

 殺人鬼として独り立ちした時から、かけられることのなかった言葉。

 そんな優しさに対して、討識は「五月蝿(うるせ)えよ」と返すのだった。

 

 

 



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自殺志願と相対して解体(3)

 

 

 

 零崎討識(ぜろざきうちしき)が、これまでの生涯で、一体何人の人間を殺したか。正確な人数は本人も覚えていないが、しかし、初めて殺した人間のことは、よく覚えている。

 小学四年生の時。

 討識――高遠打気(たかとううちき)は、父親を殺した。

 父親、といっても母親の再婚相手、つまりは義父という訳で、直接の血の繋がりは無いのだが、その男を刺したのは事実だ。

 事故ではなく。

 殺意を持って、刺し殺した。

 暴力団といった後ろ楯も無い矮小なチンピラの父親は、シングルマザーの母親のヒモとなり、狭いアパートに転がり込んで同棲を始め、そのまま結婚。なんて、短い文章で表せてしまうぐらいに、スピード婚であったらしい。

 こんな風な結婚が裏付ける様に、お互いに頭が悪く、何も考えておらず、そしてあらゆる事に思いを巡らす事も無い夫婦であった。これまたスピーディーに家庭は崩壊し、父親は母親に暴力を振るい、母親もそれを当然である様に暴行を受けていた。そして、その被害は、打気にも及んでいた。

 夫婦が再婚して数ヶ月後。

 普段通りに親子に怒鳴り散らし、殴る蹴ると暴れた父親は、何かの弾みでボルテージの閾値を超えた。

 床に転がっていた一升瓶を拾い上げ、打気の頭を目掛け、殴りかかったのだ。

 その時。

 打気のボルテージも、閾値を一気に超えた。

 

 殴られて吹っ飛んだ打気がぶつかった衝撃で、流し台の扉が開いた。

 そこに掛けてある出刃包丁を掴み、一升瓶を降り下ろす前に、切っ先を左胸に突き刺し。

 引き千切る様に傷口を切り開き、そして荒々しく包丁を抜いて。

 血飛沫を頭から浴びた。

 心臓から吹き出る赤黒い血液は、思っていた以上に熱かった。

 

 殺すつもりはなかった。

 と、言うつもりはない。思った事も無い。打気からすれば、それは当然の報いであり、義父からすれば、相手が悪かったに過ぎないからだ。

 運が悪かったに過ぎないからだ。

 相手に殺人鬼の素質があり、殺人鬼の性質を覚醒させてしまった。それが、義父の敗因であり、原因。

 それから、である。

 それから現在に至るまでの八年間。

 高遠打気――零崎討識は、人を殺し続けている。

 零崎頸織(ぜろざきくびおり)に拾われてから、ずっと。

 

 

 双識(そうしき)と別れてから(松阪牛と神戸牛の各部位切り落としセットを、お土産に持たせてくれた。初めて双識に感謝した)討識は、自宅のマンションに戻り、軽くシャワーを浴びて、動きやすい服装に着替えた。

 今時らしく、だるだるに着崩したウィンドブレーカー。衣擦れの音が気になるが、(うつろ)が相手では、特に問題なかろうと判断した。

 問題は別の要素だ。

 虚の得物に対抗できる武器が必要だ――いや、コピーとはいえサブマシンガンがあるのだから、対抗どころか本命も本命なのだが、しかし、虚の戦闘力が弾丸を避けられるレベルであるのならば話は違う。避けられるのならば、虚は『(ころ)()』に匹敵する実力を有している事になる。そうであれば、討識は余裕綽々と構えてはいられない。

「まあ」討識は自室のクローゼットに収納されている武器から、一本の日本刀を取り出す。「とてもそうだとは、微塵も思えねえけどな」

 これ一本で十分に事足りる。推論通りならば、十全に斬れるはずだ。

 

 推論で結論を言うならば。

 後目虚は強くない。

 弱くはないが、強くもない。暴力の世界によくいる程度のレベル。

 それが討識の見解だった。

「その見識の甘さ。利用させてもらうぜ」

 マンションを出て、暫く夜道を歩く。自宅から学校の距離は、歩くには少し遠く、日本刀を持ちながら歩くには、かなりしんどい距離である。しかし、凶器を持ちながら公的な移動手段を採るのは、愚かを通り越して馬鹿としか言いようがないし、自動車やバイクといった脚を所持してもいなかったので、穏便かつ隠密に移動するには、結局、歩くしかない。

 とはいえ、一般人に見つかるのもまずい。

 人影も物音もない住宅街を、夜の帳に紛れて進む。

 

(バイクでもあればいいんだが)

(バイクどころか免許もないしな)

 

 裏の世界に通ずる討識の事、偽装された運転免許証を手に入れる伝など、腐る程ある。が、そういった不正――なんという失笑も漏れない冗談なのか――を、討識の姉である頸織は、決して許さなかった。

 零崎頸織。

 数少ない、女性の零崎。

 暴力の世界の住人であり、そして殺人鬼である以上、当然、まともな人格をしていないし、真っ当な人生を送ってもいない。

 その割には、平々凡々な生活を夢見る、人格破綻者にして社会不適合者な姉。

 人殺し以外の事は何もできず、掃除をすれば窓を割り、料理をすれば包丁を折り、洗濯をすれば洗濯機を壊す女。

 見た目美人な見かけにそぐわない駄目女のくせに、卑怯卑劣を嫌うのは、誰の影響を受けたのだろう。

「……って、そんなの双識さん以外ありえねえか」

 別に双識が汚い手段を忌避しているわけではないが(『自殺志願(マインドレンデル)』を使わない時の双識の戦い方は、卑怯と言っても差し支えない)、双識は自身をクリーンに見せようとしている。あの頭の悪い女は、双識のそういう所を見ているのだろう。

 それは、何に起因するのか。

 

(『彼女は君に憧憬を抱いている』)

(『身近にいる『出来る他人』を象徴にしても、何もおかしくはないさ』)

 

「ふん……憧れ、ね」

 くだらねえ、と切り捨てて、夜空を仰ぐ。曇っていて、星も月も見えない。

 『学校内では人を殺さない』というのが、姉である頸織との約束、というか命令だった。

 聞けば人識も、双識から似た様な事を言い含められていたらしく、正直な所、あの不愉快な餓鬼と同じ事を強いられていたと思うと、非常に腹立たしい。

 まあ、既に卒業した今(籍はまだ残っているが)、もう関係ない。

 後目虚(うしろめうつろ)は殺す。

 これは、確定事項だ。

 

 校門はシャッターで封鎖されていたが、それを一息で飛び越えて、グラウンドに向かうと、背の高い男が、仁王立ちをしていた。

 先程と同じ得物を提げた、壮年の男。

「よう、ジジイ。元気そうでなによりだ」

「零崎討識」後目虚は、挑発に近い挨拶を無視し、討識を睨む。「本当に、来たか」

「あぁ? テメエが誘ってきたんだろうが。それともアレか? 双識さんを()りたかったのか?」

「貴様の様な若僧よりは、マインドレンデルを殺す方が良いのは、確かだのう」

 そう言って、虚は腰へ手を伸ばす。

「『大戦争』を生き延びた数少ない殺人鬼。殺した人数は千を下らんという触れ込み、害悪さで言えば、貴様よりも上であろう。大きい悪を排除すれば、人は死なんのだからな。貴様ら殺人鬼の毒牙にかかる者も、自ずといなくなろうよ」

「まるで体制に反逆する英雄だな」

「英雄ではない。必要悪、偽善である。大義の下の殺人が、善であるとは、儂とて思わん。しかし、悪ではないことは明確であろう。その罪が、赤の他人を助けるのだからな」

 きぃん、と。

 虚は刀を抜いた。

「そして、その大義と罪は、この後目虚が請け負おう。五十年に及ぶ、修練と研鑽を重ねた我が剣技。この刃にて、貴様らを斬り裂いてくれようぞ」

 その刀は、討識の打刀よりも刀身が長く、その為に柄も長い。

 日本刀という刀剣の分類の中で、圧倒的に大振りで、破壊力に長じた刀。

 大太刀。またの名を野太刀(のだち)

今宵の相手は、古今東西稀に見る『野太刀使い』の剣客だった。

 

(予想通りだが)

(第一の条件はクリア、か)

 

 第一の条件。

 それは()()()()()()()()使()()()

「……それが、アンタの主義か」

「左様」

「くだらねえ」

 一蹴した。

 虚の主義と主張と主体と主観を、蹴り飛ばした。

「人殺しに程度はねえよ」凶器を抜いた虚に対し、討識は構えもしない。「人を殺す奴は、程度も例外もなく、害悪で、最悪さ。俺も、双識さんも。そしてジジイ、アンタもな」

それどころか、右手で鞘の(こじり)を持ちながら、柄を肩に乗せるなどという、剣道の初心者でもやらない様な、ふざけた持ち方で対峙していた。

「人の価値は他人には決められない。金銭に換算するなんざ、尚更できない。つまり、数字に変換できないレベルの損害を出し続ける俺達プレイヤーなんてのは、漏れなく悪人なのさ。アンタだって、幾人か、人を斬ってきただろう。その斬ってきた分の損害はどうやって補償するつもりだ? 人の命は補填が利かないんだぜ? なあ、

 

 

甘ちゃんのお坊っちゃん。

 

 

戯言(ざれごと)とも戯言(たわごと)ともつかねえ、綺麗事な絵空事をぬかすなよ。いい歳して発想はプレティーンか。いいか? 世の中にはな、善も悪も偽善も偽悪も存在しねえんだよ。あるのは死亡と生存の二つだけさ」

 生きるか死ぬか。

 生かすか殺すか。

「ここはとっくに地獄の底なんだよ。ここに、片足でも突っ込んじゃあ、もうおしまいだ。善悪なんか存在しない。それが分からないんじゃあ、どれだけ歳くってようが、アマチュアで新参者で赤ん坊さ」

 もういいだろう、と討識は柄を肩で弾き、鞘からも手を離す。重力に従って落ちる刀を左手で掴んで、親指を鍔に当てた。

「大人の誠意は結果を出すことだろ? 指導してやるよ、正義役(ベビーフェイス)。泥沼にどっぷり浸かった悪役(ヒール)がよ」

 殺人の流儀を教えてやる。

 殺して、教えてやる。

「貴様……! 零崎、討識! 貴様、儂を……素人の餓鬼などと、儂を愚弄するか!?」

「当然だろう? 試験大好きな双識さんだって、アンタを『不合格』と断ずるだろうぜ。人間としても、プレイヤーとしてもな」

 わなわなと怒りに震える虚に、討識は続けて、締める。

「始めるぜ、ジジイ。綺麗に醜態晒して死にな」

「殺人鬼が…!」

 虚の眼光、使命感に怒りが混じり、より尖り鋭くなった剣気が、周囲を飲み込む。素人扱いされたことに、相当腹を立てた様である。

「その罪業、悔やみ苦しんで死ぬがいい」

 

(予想通り)

(煽りに弱い)

 

「真っ当過ぎんだよ……」

 虚に聞こえないように呟く。

「双識さんからのハンデは、活かせなかったみてえだな」

「何ぃ?」

「いや、別に」

 討識は足早に歩を進め、虚の間合いに近付いた。

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 

 ◆    ◆

 

 少し講釈をしよう。

 今回、討識が手に取った日本刀は、分類上は『打刀(うちがたな)』と呼ばれるものである。よく日本刀の別称として『太刀(たち)』という言葉が使われるが、太刀は打刀とは違い、鍔元から切っ先にかけて細くなっていき、打刀よりも刀身の反りが深い。対して打刀は、刀身の幅に変化はなく、反りも太刀に比べれば浅いものが多い。

 長さは一尺九寸八分。メートル法で、約六十センチメートルに相当する。

 対して、虚が使う『野太刀』。

 大太刀とも呼ばれ、その名の通り、刀身が長い日本刀である。二尺九寸七分、約九十センチメートルを優に越えるものが多い。通常の刀の一.五倍から二倍以上もの長さがあり、近距離武器でありながら間合いが広く、かつ破壊力もある。

 代表的な使い手は、戦国時代の武将、真柄直隆(まがらなおたか)真柄直澄(まがらなおすみ)の兄弟。岩流の開祖とされる佐々木小次郎や、示現流の流祖である東郷重位(とうごうしげかた)が有名である。特に示現流は、薬丸自顕流や帆足流、笠間示現流等に分化し、様々な剣術に影響を与えた。

 その特徴の一つとして、『蜻蛉(とんぼ)』という型がある。

 剣道における八相の構えに近く、右手で耳の高さに刀を立てて、左手はそれに軽く添えるという姿勢だ。現代剣道では八相の構え自体、珍しいものとなったが、真剣を扱う場合では、中段や上段と共に、ポピュラーな構えである。示現流でなくとも、蜻蛉を使う剣客は多い。

 

 虚の様に野太刀を使う場合は、特に。

 

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 蜻蛉に構える虚に対して、討識はすたすたと、歩いて間合いを詰める。

 いや、間合いを詰めるなんて上等な表現ではなく、露骨に、ただ、歩いている。緊張や慎重のようなものは全くなく、普通に、虚に向かって、足を進めているだけだった。

 左手に持った刀はまだ抜いていない。

 生意気な餓鬼、というのが、虚が討識に持った第一印象である。

 その次は嘗めている、だ。

 腕はかなり立つようだが、若さ故か相当な礼儀知らずで、尚かつ軽薄な男。現代の若者そのまま、なんて表現がぴったり当てはまる。虚はこういった人間が、はっきり言って嫌いだった。

 理由なく殺す殺人鬼。それを殺したところで、正義でも善でもないことは、虚も承知している。しかし、偽善の必要悪として、誇りを持ってこの立ち会いに挑んでいるのは確かだ。

 その誇りを否定する人間が、嫌いな人格をしているのだから、腹が立たないわけがないのである。

 野太刀の広い間合いに入った瞬間、その身を斬る。

 虚には勝算があった。

 虚は高齢だが、かなり大柄な体格をしている。手足も長い。それに加えて、刀身の長い野太刀を使うのだから、その間合いは、討識よりも格段に広い。従って、殺傷圏内が狭い討識は、なんとか虚の剣撃を掻い潜り、攻撃する必要がある。

 それは不可能ではない。何故なら、討識の脚は異常に速いからだ。

 討識が双識を学校で斬りつけた時、二人が相対していた距離は、虚の目測で約五メートル。討識はこの距離を一瞬で詰め、双識に斬りかかったのだ。並大抵の脚力ではない。それが、討識の一番の武器だ。

 飛び道具を持ち込んでこなかった以上、必然、討識はその脚力で飛び込む他ない。ならば話は簡単だ。飛び込んで来るのが分かっているのだから、間合いに入った瞬間、斬り伏せてしまえば良いだけである。

 その為の蜻蛉である。重い野太刀を無理なく構え、かつ素早く攻撃するには、振り上げるというタイムラグの無い、蜻蛉に構えるのが都合が良いのだ。これで、体力勝負の持久戦にも対応できる。

 しかし、討識は、その速さを使わなかった。

 虚との距離を、ただ歩いている。

 てっきり突っ込んでくるものと、そうでなくとも、その素早さでフェイントをかけ、攻撃のタイミングをずらすものだと思っていたが、これは予想していなかった。

 とはいえ、討識が自分からやってくるという事実は変わらない。虚にできることは、来るべき時を逃さないよう、集中するのみである。

 ふと、討識は足を止めた。

 虚の間合いまで、あと、一寸。

「さあ」灰色の三白眼に、殺意が籠った。「いくぜ」

 そして、一歩。

 虚の間合いに入った。

 

「っ、キエエェェェエェッ!」

 

 一閃。

 虚の野太刀が走った。その剣閃は袈裟斬りに降り下ろされ、討識を肩から一刀両断せんと、残像を残して直線を描いた。

 電光の如き剣撃。とても刀で受けきれるものではない斬撃だった。たとえ服の下に帷子を着込んでいたところで、忽ちそれごと斬り裂いてしまうだろう。

 

 しかし、討識は斬られなかった。

 虚の剣は、討識の体を素通りした。

 

「――――!?」

 否、素通りはしていない。

 当たっていないのだ。そもそも、間合いに入ってさえいない。

 どころか、間合いに踏み込んだ時よりも、やや下がっていた。

 ()()()()()()()()()()()()()退()()()()()

 

 剣術というよりも、古流柔術の動きだ。足元では進んでいるように見えても、膝から上は後退の動きをする。

 間合いの外に出てしまえば、斬られないのは道理。

「――ぬぅおりゃあぁ!」

 一太刀で仕留めることは敵わなかった。

 ならば、二之太刀を放つまで。

 

 降り下ろした刃を返し、討識の顎目掛けて振り上げる。

 この技は、『燕返し』。

 古流剣術に伝わる剣技。

 直前の袈裟斬りは、必殺ではあるが、本命ではない。命中すれば御の字だが、相手は殺し名の第三位『零崎一賊』である。一撃で断つ気でいても、一撃で倒れる相手ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ましてや、討識は一太刀目を避けはしたが、その重心は後方へ寄っている。回避するには厳しい体勢故、ヒットする確率は十分に高い。

 

 しかし、その二の太刀も躱された。

 虚の燕返しを、討識は後方へ飛び退いて躱した。重心が傾いている分、回避策としては自然で簡単。

 そして簡単故に、読みやすい。

 三之太刀。

 これが、正真正銘の本命。

 振り上げた刀を肩の高さに持ち、刃を背に返したまま、心の臓に向けて突き下ろす。

 回避動作として飛び退いた討識は、超低空とはいえ、未だ宙空にいる。地に脚が着いていない今なら、どれだけ脚が速かろうと、避けられはしない。

 

 仕留めた――――!

 

 虚は勝利を、討識の殺害を確信した。

 

 討識の顔を見る。

 端正な顔立ちと、灰色の三拍眼。

 その目が、笑っている。

 

「――っ!?」

 瞬間。

 

 

 きぃん。

 

 

 金属音。

 いつか聴いた様な音。

 そう、それは双識と討識が、互いの得物をぶつけ合った時に近い、けれども、それよりも幾分軽い――

 

「やっぱり」

 ざっと、砂利と靴底が擦れ、バックステップを終える討識。

「強かあねえな」

 討識は刀を抜いていた。

 左手に鞘、右手に柄を握り、美しい刃を、月明かりに照らし。

 そして。

 野太刀の刀身、切っ先から三分の一が、()()()()()()()

 折られていた。

 斬られていた。

「き、きさっ、小僧! い、いつ抜きおった!?」

「いつも何も、今さっきだよ。見えなかったか?」

 見えなかった。

 殺害対象である討識を、一瞬たりとも目を離さなかったにも関わらず。

「目に頼ってるようじゃあ、まだまだだぜ。まだまだ、全然、アマチュアもアマチュア、いい歳したお坊ちゃんさ。プロのプレイヤーなら、殺気と気配を肌で感じられなくちゃあな」

 虚も、剣の道を長く歩んできた人間である。無論、攻撃の気配が読めない、なんてことはない。攻撃をする、その殺気は感じ取っていた。

 だが、純粋に、抜刀の動きが、目に映らなかったのだ。

 速さの次元が違う。

「宙に居ながらにして、光の如き高速で刀を抜き、我が野太刀の突きに合わせ、さらに斬鉄するだと……?」

 それでも、虚は腑に落ちない。

「儂は見ていた。貴様が、マインドレンデルに、斬りかかる瞬間を。貴様は、その健脚を持ってして、あの男との間合いを詰めた。貴様の武器は、その脚の速さだ。ならば、宙空に居れば、地に脚が離れている以上、貴様はその速度を発揮できず、そして攻撃もできず……ましてや刀を折るなど、出来るはずがなかろう。何だ? 何をした? どの様な奇術と妖術を使ったのだ!?」

「何もしちゃいねえよ……奇術も妖術も魔術も幻術も。一切合切、何もしちゃいない。ただ刀を抜いて、刀を斬っただけさ。あえて言うなら、体幹の違いだろう。空中じゃあ回避は不可能とか聞くけどな、重心と筋肉の使い方によっちゃあ、意外と動けるし、案外力も込められるんだぜ」

 ありえない。

 だが、それを可能にするのがプロフェッショナル。

 プロのプレイヤー。

「くっ……!」

 折れた刀を討識に向けて放り投げ、虚は懐に手を伸ばす。手にしていたのは野太刀だけだが、忍ばせていた武器は、その限りではない。

 が、それも遅い。

 

 きぃん、と。

 

 再び金属音。

 同時に、虚の手首が落ちた。

「ぐぁ、ぐおおおォオオぉっ!?」

 弾け飛んだ右手首を左手で抑え、痛みを堪えながら、応急的に止血する。

「見苦しい。さっきまでの威勢の良さはどこいったんだ?」

 振り上げた刀を、虚の首元に当てる。自らの血液に濡れた刃は、赤色とは裏腹に冷たい。

 虚は理解した。

 折れた以上、野太刀は役に立たない。それを障害物として放り投げ、虚を突いての不意討ちへと繋げる間、その間、虚は瞬き一つとしていない。目を離していない。

 それなのに、討識が刀を振り上げ、右手を切り取った動作を、虚は、捉えることができなかった。

 見えたのは、攻撃したという結果だけだ。

 結論は一つ。

 零崎討識は脚が速い。

 そして、()()()()()()()()()()()

「ぐ……き、貴様は脚力と同等か、そ、それ以上の腕力を持っている、という、こと、か」

「正解だ。ようやく分かったなあジジイ。でも、これも遅かったな。分かってたら、また、別の攻め手もあったろうに」

 通常、刀剣類は、ただ腕で振り回すだけでは、標的を斬ることはできない。一般の刀や剣の重量では、目標を破砕するには軽すぎるからだ。

 足腰に力を入れ、その力を刀身に伝えることで、初めて斬ることが可能になる。

 しかし、零崎討識は違う。

 討識は、その細身ではありえない筋力を、スピードとパワーを兼ね備えて、持っているのだ。

 腕力だけで、目にも止まらず、一刀両断できる程に。

「ぬかったわ……そ、それが、それさえ分かっておれば、この様な結果には……」

「ああ、もう少し違う結果だったかもな。まあ、それが分からないから、新参者(ルーキー)初心者(ビギナー)なんだが。 ヒントはいくらでもあったのに、さ」

「――」

 違和感。

 手首に走る、鈍く鋭い痛みの中、それでも聞き逃さず、感じ取った疑問。

 『ヒントはいくらでもあったのに』。

 ヒント? ヒントとは何だ?

 その台詞は、まるで、戦う前から、討識の特性に気付くことが可能であったかのようだ。

 だが、そんなことは――

「不可能では、なかった……?」

 例えば、討識が体育館裏で、クラスメイトを惨殺した時。

 討識はクラスメイトを、バラバラに断割したが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そう。ジジイ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。見ていたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……――」

「アンタ、言ったよな」

 

 『あの様に惨たらしく殺す必要はあるまい』

 『零崎双識に受けさせるだけの脚があるのだ、一太刀で斬り捨てればよかろうに』

 

 受けさせるだけの、()

 

「あの発言で、アンタは俺と双識さんがかち合うシーンを、どこからか見ていたことは分かる。しかし、その直前に、俺が同級生を惨たらしく殺したシーンは見ていないのも、ハッキリしたんだよ。アンタが見たのは、双識さんが現れた後からの流れだ。見ていたのなら、『脚』じゃなく『技』とか『速さ』とか、違う単語を使うはずだからな」

 討識は、一息で人体を複数個に断割できる、速さと技術を持っている。それも虚の刀を斬った様に、下半身の力に頼らなくとも斬鉄できるスキルだ。卒業式の後、同級生を全員、バラバラに分割した場面を、虚が目撃していたのなら、討識の戦闘の肝が、脚ではなく腕にあるというのは、疑いようもないのである。

 従って、速度において虚は討識に劣っているという推論も、容易く導き出せるのだ。斬撃の速さならば、虚も相当に速いが、強靭かつ柔軟な足腰によって加速された刃を、その腕力によってさらに加速させることが、討識には可能なのである。

 これさえ分かっていれば、虚は対処の仕様も変えたし、そもそも討識との戦いは避け、双識と戦うという選択肢を選んだ可能性も、十分にあり得た。『自殺志願』と野太刀では、間合いの広い野太刀の方が、断然有利であるからだ。

 とはいえ、討識と全く同じ情報を得ていた双識が負けるとは、想像すら出来ないが。

「見るべきシーンを見れなかったのが、一つ。加えて、見ていないことを示唆する発言をしてしまったのが、アンタのミスさ」

 後目虚は強い。しかし、それは表の世界での話だ。

 罪悪と罰則が付きまとう死生観が成り立つ市井、殆どの闘争はスポーツ化し、ルールが設けられるにつれて、戦いにおける情報戦の意味は薄れた。

 だが、『暴力の世界』では、話が違う。

 一つの傷が生死を分ける世界。一つのミスが死に繋がる社会。

 虚には、プロのプレイヤーとしての意識が、圧倒的に不足していた。

「あの店、あの扉の前で、既に勝敗は決していた、だと……?」

 虚は強い。しかし、討識はそれ以上に強い。

 手合いが違いすぎる。

 レベルが違いすぎる。

 生きているステージが、戦っている舞台が、歩んでいる世界が、違いすぎる。

「ば、化け、物――」

「化け物? いいや」

 殺人鬼だ。

 そう、堂々と宣言した討識は、尋常ならぬ殺意に、並々ならぬ殺気に、満ち満ちていた。

 殺人鬼。

 殺したい。装飾も修飾もない、ただの殺害衝動に突き動かされる、正真正銘、人殺しの鬼。

「手が痛いくらいで泣きが入ったか? 手の一本二本、あろうが無かろうが、大して変わりゃあしねえだろうが」

「貴様……」

 血が止まらない。当然だ、手首がすっぱりと、斬られているのだから。

 負ける。

 敗れる。

 死ぬ。

 殺される。

 後目虚は、零崎討識に負けて死に、敗れ殺される。

 

「……貴様は何故、殺すのだ」

「ああ?」

「何故、殺すのだと、問うたのだ。 零崎討識。貴様程の実力ならば、貴様程の身体能力ならば、こちら側でも生きることが出来たはずであろう。脚光を浴び、羨望を向けられ、喝采を貰うことも、難くはないはずであろう。何故、貴様は人を殺す? 何故、貴様は、この世界にいるのだ? 答えよ。零崎、討識」

 自分は死ぬ。その覚悟が、非常に遅蒔きながら、死の淵にいながら、ようやく、出来た。

 最早、幾ばくもない命だ。

 だからこそ、聞きたくなった。聞くべきだと思った。人知を軽く飛び越えながらも、光ではなく闇に生きる殺人者の動機を。

 『理由なく殺す』殺人鬼の言葉を。

「殺す理由なんか無えよ。いや、無いって言うか、分からないな」

「分からない?」

「分からない。全くもって不明瞭、不明確、不明快。 それでも言葉にするなら、傾斜のきつい坂を、転がり落ちてる様なもの、かな」

 坂を転がり落ちる。

 それが意味するのは『止まれない』という事だ。

 足を滑らせたか、背を押されたか。理由はともかく、()()を得てしまった以上、ずっと転がって、止まらない。

 ブレーキは存在しないから、止まるまで転がり続ける。

 死ぬまで、殺し続ける。

「――家族」討識は言う。「アンタさ、家族っていたか?」

「家族?」

「ああ。ファミリーってヤツ。よくマフィア映画とか任侠物とかで、出てくるだろう。ファミリーとか、兄弟とかさ。別に血縁なんか無いってえのに、何で奴らは、血縁関係で括るのか。まあ、単に結束を深める為なんだろうけどよ。けど、そういう風に括ったり、縛ったりしねえと、繋がりが保てねえって、本能的に分かってる部分があるんだと、思うんだよな」

 今までの軽口から一転、急に真剣な口調で、語りだした討識。

「絆、とかな。零崎の殺人鬼ってのはさ、大概は元来一般人だったりするんだ。殺人は犯罪だ、場合によっては死刑にもなるよな。そんな凶悪な罪を犯したら、大抵の人間は罪悪感に苛まれる。一部の人間は、開き直って正統性を確立する。そして例外の人間は、何も感じない。一切、何も感じない。罪悪感は感じないし、開き直ることもない。戸惑いもしない。ただ、やっちまったなあって、思うだけさ。そういう人間は、壊れてる。自他共に認める程、壊れてるんだ。 でも、でもさ。そんな欠陥人間でも、理解されないのは、寂しいんだよ」

「…………」

「壊れてても、一般人だから。心は、強くないんだよ」

 零崎双識も、零崎頸織も。

 そして零崎討識も。

 心は弱いから、群れを組んだ。徒党を組んだ。

 理解できるから、受け入れてくれるから、家族になった。

「その内の例外も、思い付かないでもないけどな……。だけど、それでも、満足できない。充足できない。何かがないんだ。家族は得たけど、何かが足りないんだ――それを埋めようとするのが、殺人鬼。零崎なんだろうぜ。俺はそう思う」

 何かを何かで埋め合わせる為に、人を殺す。

 それが、殺人鬼の家族。

 『零崎一賊』。

「……何が渇望を癒すかも分からぬというのに、殺し続けるというのか」

「ああ。殺す」

「それは、茨の道ではない。ただの不毛だ。殺し続けて、尚、見付からないのなら、それは、そんなものは無いという意味なのだ。しかし、貴様は、それでも、殺すのか?」

「殺す」

「異常者め」

 虚は、そう断じた。断じる事しか、出来なかった。

 虚には、討識の弁の一切が、理解出来ない。理解出来てしまえば、もう一般人とは言えないし、そして自分自身、こんな異常者でありたくはない。

 だが、もしかしたら、そここそが、違うのかもしれない。

 決定的なのかもしれない。

 求めるものすら見出だしていないまま戦う事を、疑問に思わないという混沌の精神。

 例えるならば、柔らかいゴム風船の中で、ライフル弾が跳弾している様なものだ。常に内部で爆発を繰り返しつつ、壊れはしても崩れはしない器と、高潔に偽善を謳う器には、越える事も出来ない壁が存在したのだ。

 莫大な矛盾を許容している、脆弱で強靭な精神。

 地獄の鬼に地上の人は敵わないのと同様、後目虚は零崎討識に敵わない。

 内に抱えているものが違うから。

 その刃に宿る力も、また、違う。

「さて、無駄話はおしまいだ。 いい加減、手首も痛いだろう。安心しろ。すぐにバラバラに解して、三途の川に流してやるよ」

 討識は、刀をゆっくり振り上げる。

 その時が来た。死ぬ時が現れた。

 後目虚はここで死ぬ。

「……最後の、最期の、問いだ」

「…………」

「もしも渇きが無ければ。求めるものを、最初から手にしていたのならば、貴様は、人は殺さなかったのか?」

 殺人鬼は即答した。

「分からねえよ」

 言って、目の前の老人を、脳天から叩き斬り。

 そして、豪快に。ぶつ切りにカットした。

 

 ◆    ◆

 

 マンションの自室に戻ると、玄関の扉が壊れていた。

 すわ泥棒か、いい度胸だぶっ殺してやると息巻いたが、しかし、その壊され方に、違和感を覚えた。

 扉はツーロック式、シリンダーにはセンサーが通っており、持ち主の鍵にしか反応しない仕組み。扉自体もシリンダー自体も頑丈、至近距離から弾丸を撃ち込まれても凹まない。

 そんなシリンダーが二つとも、外側から引っこ抜かれていた。扉の傍らに、ひしゃげた残骸が、細かい部品をくっつけつつ、転がっていた。

 こんな強引な開け方、するのも出来るのも、思い当たる奴は討識の記憶には、一人しかいない。

 修理費用の事は、一旦考えるのは止めた(敷金では賄われない。何故ならこのマンション自体が、自分の持ち物だから)。ドアノブを引いて中に入ると、見慣れない、けれども見知った靴が目に入る。

 乱雑に脱ぎ捨てられた、女性物のスニーカー。

 溜め息を吐いて、リビングに向かう。テレビから流れる、バラエティ番組特有の笑い声と、肉の焼けた匂いが漂っている。

 そして、そのバラエティ番組を観ながら、焼けた肉を食べている女性は。

「ん? あ、おかえり」

「…………ただいま」

 ポニーテールにした赤毛、大きい瞳が印象的。細い身体にTシャツとハーフパンツを通した女性。

 零崎討識の姉、零崎頸織。

「どーしたの? そんなとこに突っ立って。久し振りのお姉ちゃんだよ? 飛びついて抱きついて来なさいよ」

「ふざけろ糞女」

「まーいいけど。じゃ、ゴハンでも食べようよ。そんな重そうな刀なんてほっぽって、姉弟水入らずさ。なんか冷蔵庫に美味しそうな肉の塊があったから、ステーキにしてみたよ。塩と胡椒しか振ってないけど」

「ゴミ箱に五キロはありそうな、焦げた肉があるんだが」

「そりゃー焦げちゃったし。棄てるでしょ……そんな目で睨まないでよ。怖いなあ」

 ごめーんね、てへぺろ。

 なんて反省の意識ゼロの謝り方を見て、討識はもう一度、溜め息を吐いた。

「これでも嫌いになれないってんだから、家族だよなあ……」

「何か言った?」

「何も言ってない」

 とりあえず、当面の問題を片付けよう。

「んー? ねえ、討識。もしかして、そのゴミ箱に入ってるの食べる気? 流石にお姉ちゃん、それはオススメしないかなー」

「お前の口に突っ込んでやろうか糞が」

 

 

 

 こうして討識は、無事に高校を卒業した。

 この姉と双識が、自分の高校生活をバックアップしていたのだと考えると、なんだか釈然としないでもないが、しかし頸織に拾われていなければ、そもそも高校に通えてさえいなかったのだ。

 少しの間だけ、本当に少しの間だけ、帰って来た姉の為に、尽くしてやるとしよう。

「ああ、討識」

「あん?」

「卒業おめでとう」

 まずは、大食漢な姉の為に、ステーキを焼き直す。

 討識は刀を置いて、包丁を手に取った。

 

 

 




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第二話
狙撃手と競争して戦争(1)


半年ぶりの更新になります。
……とはいえ、今回の更新は全体の前編部分なのですが。
後編は年明けを予定しています。よろしくお願い致します。


 霞に(こも)る天狗山、と麓に住む人々は呼んでいる。さほど標高の高い山ではないが、急勾配な斜面が多いこの山は、天狗が住む山と言われていて、登山に来る人間はいない。それは天狗の呪いやら怨念やらが登山者に降りかかるから、という恐れによるものではなく、単に登山道が持ち主によって閉鎖され、山に入れなくなっただけである。天狗が出るという伝承も具体的な資料が残っているわけではなく、ただ古くからお伽噺として口伝されてきた結果の噂話に過ぎず、それよりも山を囲う金網に貼られた『シカ出没注意』や『危険!イノシシ注意!』等の看板の方が、立入禁止の理由としては現実的だ。現に数年に一回は、そこそこの高さがある金網を悠々と飛び越え、町を闊歩するシカが現れるのだから、空想的な天狗とは比べるべくもない。

 天狗は住んでいない。だが、人は住んでいる。

 山の中腹、腐敗した土と草木の青い匂いが立ち込める、道とも言えない道を歩く人間。

 折り重なるように茂る木々と草花を掻き分け、その人間は奥に進む。傾斜のきつい山々を、荷物を担いで登るのは、生まれ落ちた時から繰り返している。例え女の華奢な身体であっても、食傷しこそすれ疲弊することはない。

 担いでいるのが登山用具ではなく、銃であっても。

 猟銃。

 猟銃を担いだ女性。

 その女性はマタギである。とはいえ、往年のマタギらしく、簑と笠を被った猟師姿ではない。最低限の防護と動作性を持つ、浅黄色のツナギ。それにトレッキングシューズと軍手という服装だ。いずれも特別な仕様ではなく、山の麓にある大型のディスカウントストアで売っていた市販品で、購入から年数が経っているのか、かなりくたびれている。

 そんなツナギに袖を通し、猟銃を担いでいるのは、二十歳前後の若い女性だった。絹糸のように滑らかな長い黒髪をおさげに纏め、それに相反して肌は青白い。スレンダーな体型。細い眉の下は半眼ながら瞳は大きく、その表情は実につまらなさそうである。

 幽鬼のような、色気ではない魅力を持つ美女。天狗が住むという山に似つかわしい、幻想の如き存在だった。

「…………」

 銃を構える。左手に引き金を持ち右手で砲身を支える――つまり、彼女は左利きだ。左利き用の銃という時点で珍しいのだが、さらに珍しいことに、その銃にはスコープが付いていない。

 スコープは標的に照準を正確に合わせるための器具だが、それを付けないということは、そんな補助は必要ないぐらいに精密な射撃を行える自信があることを示している。そしてその自信は、彼女が驚異的な視力を持つことをも意味する。一般人には見えない木々の隙間を縫って、狩りの獲物を見つけるのは造作もない。

 引き金を引く。

「…………」

 ぱぁん、と軽い砲声が山中に響いた。足下の草花を掻き分け、踏み鳴らし、仕留めた獲物の元へ向かう。

「……小物だけど」彼女は呟いた。「まあ、いいか」

 今夜はもみじ鍋かしら、なんて主婦みたいな台詞を吐いてはいるが、その顔は独り者のそれだ。倦怠感と寂漠感に満ちている。

「たまには生魚でも食べたいわね。お金ないけど」

 川魚に潜む寄生虫は馬鹿にできない。だから山を下りて買いに行くわけだが、生憎、貯蓄は少なかった。副業はしているが不定期な仕事なので、数ヵ月もすれば、その収入も底を尽きてしまう。登山道を開けば別収入もあるだろうが、しかし登っていて面白い山ではないことは、地主である自分がよくわかっていた。

 拓けた場所に出た。倒れているのは、頭部に穴が開いている鹿だった。血液と髄液が流れ落ち、地面に染み込んで溢れている。

 女性はナイフを取り出し、手慣れた動作で血抜きをし、鹿を解体した。肉と内臓を別々の袋に入れ、それらを担いで、再び歩き出す。

「ふう……」

 彼女はマタギだ。

 彼女の一族は市井に交わらない、山の民であった。俗世から離れているがゆえに宗教性の強い生活を送り、直に自然に触れているために独自の生命倫理を持つ。山で生まれ、山で育ち、山で殺し、山で死ぬのが信条であり、信念だ。

 しかし、時代は移り変わる。平安時代から続く文化は次第に廃れ、捨てられた。彼女の一族もその一つで、街の文明が発展するにつれ、反比例して山の生活を廃退させた。山の実りを捨て、街の明かりを取ったのだ。彼女の一族の大多数が平野に移り住み、マタギとしての生活は衰退の一途を辿っていった。

 彼女はそんな一族の、最後の生き残りである。とはいえ、衰退し、没落した一族であることには変わりなく、多くの文化や伝承が失われた。特有の儀式を執り行うことはなくなり、マタギ言葉も失伝し、なにより山の神を信じていない。用いる武器も銃だけだ。それらしい、実践してる文化といえば、猟に出る前に水垢離をするくらいである。

 山の神はマタギの宗教観や倫理観の根幹を成す。そうなるとマタギを名乗るべきではない気がするが、そんな細かいことは、彼女にとってはどうでもいいことだった。

 呼称の定義よりも日常生活に拘る方が生産性がある。

 それに他人に見せる肩書きぐらいは、格好つけたい。

 格好つける相手も機会も、ほとんどないけれど。

「……うん?」

 目の前に一棟の日本家屋があった。自宅だ。だからあるのが当たり前なのだが、疑問に思ったのは、庭先に設置してある鶏小屋だ。

 鶏小屋のトタン屋根にとまった白い鳩。その脚に括り付けられた小さい紙。

 その紙を解くと、鳩は飛び上がり、どこかへ飛び去ってしまった。別にいい。自分が飼っている鳥ではないから。それよりも重要なのは、この手紙だ。

 副業の依頼だ。

 彼女はその紙片に目を通し、内容を覚えると、小屋の中に投げ入れた。餌と勘違いした鶏達はその紙をつつき合い、びりびりに破いて咀嚼していった。

「さて」その紙によって、いずれ取れる卵と肉に影響を与えるかもしれない、なんてことは考えない。「腹拵え、ね」

 彼女の生活の第一目的は、文字通りに『生きる』ことだ。生命活動を停止させないことだ。肉と魚と野菜を摂って、山歩きで適度に運動し、買い物のために山を下りて、買ってきた替えのプロパンガスとバッテリーで家に明かりを灯すことだ。

 先立つものは金。そのための副業。

 生活するために生き、生活するために殺す。

「まったく……お金なんか、なくなればいいのに」

 彼女――夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は、至極面倒そうに、至極つまらなさそうに、独り言を言った。

 

 ◆    ◆

 

 とある繁華街で営業している一軒の居酒屋は、某月某日である本日、終日貸し切りで営業している。月末の金曜日、稼ぎ時であるからできれば貸し切りはご遠慮願いたいのだが、前払いで相当な額を受け取っているのだから、多少の無理は通す気になるものだ。

 相当な額。具体的な金額はコメントしない。だがあえて言うのなら、本日来店しているのはたったの三名だけで、かつ従業員は全員休みという常識外れがまかり通るぐらいの金額であると、そう思ってもらっていい。備品や機材がどうなろうと構わない、店内でなにをしてもよい、なんて権利を、この三人は買ったのだ。

 しかし非常識な貸し切りの仕方のわりに、この三人は実に慎ましかった。正確には一人だけ、店内の材料を使った料理を食べているが、他の二人は水すら飲んでいない。料理を食べている人間も、ウィスキーのロックを片手に晩酌をしているだけのようで、食べているのも料理というよりおつまみだ。普段は喧騒の中でたくさんの皿が並べられる四人掛けのテーブル席も、今だけはグラスとボトルと小皿が一杯と一本と一枚置かれているだけである。

 テーブルの他のスペースには書類が置かれていた。冊子数冊と、何枚かの大きな見取り図。つまり本日は会談を行うためだけに、貸し切られたようだった。

頸織(くびおり)、お前聞いてるっちゃか?」

 店内の三人は、各々がそれぞれタイプが違うようだった。

 一人は短髪で細身の男性。ランニングシャツとだぼだぼのズボンから、細身だがしっかりと筋肉のついた肌を覗かせている。加えて、履きこまれたサンダルや椅子の背もたれに引っかけた麦藁帽子が牧歌的な田舎の農家を思わせて、健全で健康的な男に見える。不自然な点と言えば、そんな格好に不似合いな黒く細長い鞄を持参し、隣の席に立て掛けていることだろうか。

 麦藁帽子の正面で酒を飲んでいるのは女性だった。赤毛のボブカットが特徴的で、キャミソールにレギンス、女性もののスニーカーという出で立ちの女。アルコールが入っているために顔が赤かったが、その肌は白くて柔く、華奢な身体つきも相まって、実に色っぽくて艶っぽい美女だった。

「聞いてる聞いてる聞いてる。ちゃーんと、聞いてますとも」

「とてもちゃんと聞いてる風な口調と態度じゃあないっちゃ。そもそも話してる時に酒なんか飲むなっちゃ。まったく、弟とはえらい違いだっちゃな」

「それに関しちゃあ完全に同意するぜ。俺は姉貴を反面教師に生きてきたんだからな」

 弟、と呼ばれた残りの人物は癖のある黒い髪をした三拍眼の男だ。気味が悪いくらいに目付きが悪いが、その瞳は日本生まれには珍しい灰色で、その恐怖を喚起させる目が、整った顔立ちを凶悪にさせている。そのわりに服装は普通で、肉を絞った手足の長い中背の身体に、カットソーとジーンズを通してジャケットを羽織った、落ち着いた着こなしだった。

 普通と言えば普通で、奇妙と言えば奇妙な三人組の関係は、家族である。

 麦藁帽子の男の名は、零崎軋識(ぜろざききししき)

 酒を煽る赤毛の女は、零崎頸織(ぜろざきくびおり)

 三拍眼で癖毛の男は、零崎討識(ぜろざきうちしき)

 殺し名序列第三位『零崎一賊(ぜろざきいちぞく)』に属する殺人鬼。その三名が貸し切られた居酒屋で殺人の会談を行っているというのが、今現在の状況だ。

「というか、よく飲み食いできるよな。軋識さんが手配した店とはいえ、遠慮ぐらいしろよ」

「軋識さんが手配した店だからこそ、でしょ。わざわざお金払ってセッティングしてくれたんだから、むしろ食べなきゃ損じゃない」

「それはセッティングした奴が言える台詞だ。主催者の勧めなく食うなんざ、図々しいにも程がある」

「だって討識の家にはお酒ないじゃない。ご飯はおいしいけど、そういうとこはつまんないのよねー」

「未成年なんだから、あるわけないだろ」

「未成年なんだから、あっていいでしょ」

「お前らうるさいっちゃ」

 軋識は呆れ顔で頬杖をついた。

「仲がいいのは結構なことだっちゃがな、今日は親睦会のために集まったんじゃねーっちゃ」

「わかってるよ」

「仲良し姉弟(してい)だもんね」

「そういう意味じゃあねえよ。てか、よく姉弟とか知ってたな」

「インテリだからね」

「見てわかる嘘をつくな。それに普通は姉弟(きょうだい)だからな」

「どうでもいいっちゃ」

 最初から説明するっちゃよ、と軋識は話を切った。これ以上雑談で中断されてたまるか。それこそ金と時間の損失だ。

「まず今回の標的は人材派遣会社の社長、五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)とその社員全員っちゃ」

「変な名前だね」

「黙れっちゃ」頸織の余計な言葉を諌める。「人材派遣会社五人組。二年前に立ち上げられたベンチャー企業っちゃ。業績は、お世辞にも良いとは言えないレベル。まあ、十数名程度の社員数のわりには、頑張ってる方っちゃがな。表向きは」

「表向き?」

「裏では絶好調って意味っちゃ」

 軋識は頸織の分の書類を捲ってやった。気まぐれの度合いなら人識よりも奔放な女に理解させるには、こちらから気を使ってやる必要がある。軋識が口では制しても、実際には酒を飲むのを許しているのは、それが理由だ。力ずくで酒を取り上げれば、頸織はへそを曲げて店を出てしまうだろう。それならばまだ良いが、最高に不機嫌になれば、この店が物理的に倒壊しかねない。それぐらいの実力を、この女は持っているのだ。無駄に刺激するのは、ただの愚か者である。

 そんな頸織は捲られたページには目もくれず、皿に乗ったドライフルーツを――その皿にはその他にナッツやチョコレート、チーズに生ハムにビーフジャーキーと、ウィスキーに合う食べ物がどっさりと盛られている――摘まんで、口へ運んだ。そしてウィスキーを口に含んで、飲み下す。

「ああ、美味しい……」

「…………」

 あまりに旨そうで、そして艶かしい飲み方に、おもわず軋識の喉が鳴る。こんな席でもなかったら、軋識も生ビールをジョッキで一気飲みしたいところだ。続けて枝豆を食べればなお良い。しかし残念ながら今日はそんな席なので、咳を切って気を取り直す。

 そんな場面を傍観していた討識は、「けっ」と悪態を吐き、その灰色の瞳で話を促した。

「……五人組三十五郎は、出自をたどれば伍砦(ごとりで)に行き着く人間っちゃ。それも伍砦を生きながらに追放されたような奴が、真っ当な企業なんか創るわけがないっちゃ」

 世界中に影響を及ぼせるほどに絶大な政治力を持つ『玖渚機関(くなぎさきかん)』。その下部組織の一つに、『伍砦』の名がある。その権力は非常に強力で、その存在を一般社会に気取らせることもさせない。そのために内部統制や情報管理は複雑かつ厳格で、基本的に、構成員やその関係者は生きたまま組織を出奔、離脱することはできないと言われている。

 そんな伍砦から、玖渚機関から追放された存在。

 それ以上に、特異な人間であることを示す証拠は必要ない。

「つまり派遣会社五人組は本業じゃあなく、副業ってことか」

「いや、正しく本業っちゃ。裏に通ずる人間も派遣しているだけで」

 派遣会社には違いないっちゃと、軋識は言った。

「窃盗、誘拐、詐欺、諜報、殺人。あらゆる分野に精通したエキスパートを発掘し、派遣するのが、人材派遣会社五人組の裏家業で本業っちゃ。で、この会社の人間が俺達零崎一賊と鉢合わせした。ちゅうのが、現在の状況っちゃな」

「鉢合わせしたから、か。そりゃあ殺すしかないな」

「殺すしかないねえ。うん」

「…………で。それでなにか問題があるのか? たかだか派遣会社一つ、軋識さんなら余裕で完全試合(コールドゲーム)だろ。俺達が手伝う必要なんかないんじゃあねえか?」

「必要があるから、手伝ってもらうっちゃ。 俺が調べたところ、人材派遣会社五人組の拠点は三ヶ所ある。俺達は手分けをして、この三ヶ所を同時に襲撃するっちゃ」

 三ヶ所同時襲撃。

 軋識が討識と頸織を呼び集めたのは、ただ単純に人手と人足が足りなかったからなようだ。確かに、いかな『愚神礼讚(シームレスバイアス)』零崎軋識でも、その身は唯一。物理的に、距離的に離れている相手には、手は出せないし届かない。信仰に近い信頼を寄せる自身の得物である釘バット『シームレスバイアス』をもってしても不可能だ。

「ま、大体予想通りだな。あのシームレスバイアスが俺達と組んで仕事をするなんて、こんな理由でもなきゃありえねえ」

「そうだねえ、ありえないねえ」

「もういいから話に入ってくんな」

 頼むから大人しく一人酒しててほしい。この酔っ払いめ。

「しかし、拠点に攻め込むとしても、本命はその五人組三十五郎だろ? その三つの拠点に絶対に居るのか?居なかったらとしたら盛大な空振りだぞ」

「絶対に居る」

「確証は?」

「企業秘密っちゃ」

「証拠は?」

「禁則事項っちゃ」

「根拠は?」

「黙秘権を行使するっちゃ。 言わない。言わないが、情報そのものは確かな筋のものっちゃよ」

 軋識の情報収集力は凄まじい。それは零崎一賊の殺人鬼全員の総意だ。

「……けっ。軋識さんがそう言うなら、そうなんだろうよ。信用するさ。勿論、五人組三十五郎は軋識さんが殺るんだろ?」

「当然っちゃ。俺が持ちかけた話だから、俺が殺るのが道理っちゃ」

「ならいいさ。 これは拠点の見取り図か?」

 テーブル上の、大きい紙に手を伸ばす。

「ああ。討識には、ここに行ってもらいたい」

「OK」

「頸織はこっちっちゃ」

 と、紙を頸織の前に差し出してみるが、返事がない。怪訝に思ったが、ぽとりとテーブルに液体が落ちた。

 ……よだれだった。

「寝てるな」

「……まったく、飲んで食べて結局寝るなんてな。いい性格してるっちゃ。討識、お前もよくこんな女に師事されて平気だったっちゃな」

「拾われた身だし、それに俺よりも断然強いからな。反抗するより、振り回される方が楽なのさ。この女相手には」

 討識も頸織に拾われて、姉弟になって久しい。付き合いも長い。大体の扱い方は心得ている。適当に振り回されて、飽きるのを待った方が体力的には効率的だ。

「こいつには俺が後から説明するよ。資料貰うぜ」

「ああ。元々頸織のために作ったようなもんっちゃ、構わないっちゃよ」

「そりゃあどうも」

 実際のところ、頸織には『この時間に、ここに行って、殺してこい』とでも言えば、背景を聞かずとも従ってくれるので、正直資料など必要ない。だが討識にとっては、拠点の内部構造を知れるのは大きな意味を持つ。

 戦いに勝つには、地理情報は基本中の基本。

「じゃあ、俺はもう帰るぜ。このクソ姉貴も連れ帰るけど、いいよな?」

「そんなこと、俺に許可を取るようなことじゃないっちゃろ」

「いや、この後の軋識さんの晩酌にゃあ、飲み友達が必要かと思って」討識がからかう。「姉貴の飲みっぷりに、やたら刺激されたみたいだし」

「ふざけんなっちゃ馬鹿野郎。……そんなわけあるかっちゃ」

「お酒はいいよぅ~…………ZZZ」

「起きてるのか寝てるのか、はっきりしてくれっちゃ」

 



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狙撃手と競争して戦争(2)

「以上。回想終わり」

 手製のお握りを頬張りながら、腕時計を見る。午前十一時五十分。襲撃予定時刻まで、あと十分である。

 着込んだレザージャケットからウェットティッシュを取り出し、口元を拭う。

「……ご馳走さん。さて」

 派遣会社五人組の拠点であるビルから数百メートル離れた駐車場、そこに停車している車の中でも一際ゴツいハマーH2。その運転席から、五人組(ごにんぐみ)のビルが見える。

 ビルの内装は頭に入っているが、あまり当てにしない方がいいだろう。別に軋識(きししき)の情報収集力を疑っているわけではないが、拠点――基地というのは、見取り図や間取り図に描かれない秘密の通路や抜け道があることが多い。相手は元伍砦(ごとりで)の構成員、それも『五』のつく伍砦縁の人間だ。資金力は十分に潤沢だろうから、そういうものがあっても不思議じゃない。

 とはいえ、それは軋識が攻めるポイント、つまりは五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)がいる拠点の話だろうが――

「ん?」

 遠目からだが、ビルの敷地内に車が入っていくのが見えた。

 黒塗りの、高級感溢れる車体。

「……なんだか、嫌な予感がすんな」

 携帯電話を取り出し、軋識の端末に繋ぐ。数回のコールの後、『なにかあったっちゃか?』と多少苛ついた感のある声が出た。

「悪いな。そっちはそろそろぶっ殺し始める頃か?」

『ああ』

「今、こっちのビルに黒塗りの車が入っていった」

『何?』

「多分、五人組三十五郎が乗っている」

 数秒の沈黙の後、『こっちでも確認してみるっちゃ。とりあえずお前は、自分の仕事をこなせ』と言われ、通話は切られた。

「…………」

 

(厄介なことになってきた)

 

 五人組三十五郎がいる。ということは、彼に付き添う、荒事専門のボディーガードがいる可能性が極めて高い。それも手持ちの駒の中でも選りすぐりの精鋭を採用しているはずである。

 

(五人組三十五郎を殺すには)

(まず間違いなく、その配下と戦闘になるだろう)

 

「まったく、予定外想定外もいいところだぜ。ロハで人殺すのやめようかな。匂宮(におうのみや)なら三百万は取れるんじゃあねえのか」

 などと殺人鬼にあるまじき発言を吐きながら、ボストンバッグを提げてハマーを降りる。

 軋識が用意した書類には、拠点の見取り図と全社員のデータが載っていたが、その情報が正確であるとは限らない。軋識の情報収集力に不満があるわけではなく、むしろ信用できる能力であると思っているが、しかし形に残していない情報、書面に表していないデータを得ることは不可能だ。たとえ軋識のもう一つの顔を、討識が知っていたとしても、それでも絶対とは言えないし、思わないだろう。

 情報は基本的に不足しているもので、データは絶対的に不備であるものだ。

 ならばこの状況、零崎討識(ぜろざきうちしき)はどう対処するのか。

 

(セコいやり方だが、手は打てる)

「情報がないなら作ればいい、ってな」

 ビルの出入口はオートロックになっていた。それは軋識から聞いて知っている。操作パネルを叩いて二十七文字のパスコードを入力すると、がちゃりとロックが外れた。ドアを押し開けると、警備員らしき黒服が二人、既に銃を構えていた。

「止まれ」

「何者だ」

 待合室らしい小部屋。その二人の男の奥には、また扉がそびえ立つ。しかし見た感じ、今さっき通ったドアとは違い、横開きの自動ドアなようであった。

 そして、目前に向けられた銃口。

 右の男は散弾銃。

 左の男は自動拳銃(オートマチック)

 狭い室内でぶっ放すには十分な威力と射程を持つ二つの銃。それが、既に引き金に指がかかった状態。

 しかし、それでも討識には遅すぎる。

 

 ぱあん。

 

 と、発砲音。

 同時に散弾銃を持った黒服は自動ドアまで吹っ飛び、砕けた頭蓋から肉と血と汁を撒き散らしながら、動かなくなった。

「っ!なあ!?」

 驚いたのは黒服のもう一人。

 当たり前だ。引き金を引くワンアクションで撃退できたはずが、引き金を引くよりも速く侵入者は銃を構えて撃ったのだから。

 肩にかけたボストンバッグのファスナーを開けて。

 迷いなく銃把を握り、照準を合わせて撃ち殺す。

 それが、目で追えないほどに速い。

「止まれ。なんて言う前に撃っちまうのが正解だぜ」

 ぱあん、と再び引き金を引き、討識は男を撃ち殺す。

「死んで早々だがお仕事だ。大変だな、死んでも社会の歯車だ」

 男の死体を引き摺って、タッチパネルに手を押し付ける。静脈認証で開くそれは、重い響きを轟かせて、ゆっくりと開いた。

「おっと。言いそびれるとこだった」

 討識は手にしている回転式拳銃(リボルバー)を投げ捨てた。まだ弾の残っている銃を手放すなど、自分の凶器を捨てるなど、通常ではありえない。しかし、意図的に偽の情報を掴ませるためには、情報をばら蒔く必要がある。資金と在庫の消費ぐらいどうってことない。

 少しの散財で誤認してくれるなら、下策であっても上等だ。

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 

 ◆    ◆

 そのビルから約二キロメートル離れた人気のない展望台で佇む、ツナギを着た一人の女性。

 彼女――夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は、零崎討識がビルに入る姿を、はっきりと肉眼で捉えていた。

「…………」

 休の視力は現代人のそれとは比較にならない。数百メートル先、木々と草花に紛れて潜む獲物の姿を見抜ける休にとって、街の景観と色彩は実に見易い。高台に登れば、目標をピンポイントで追うことも難しくないのだ。

 無論、休は討識のことなど知らないし、そもそも討識を追っていたわけではない。そんな奴、標的を張っていたら見かけた程度のものだ。

 標的。

 そう、彼女も五人組三十五郎を狙っている。

「……思った通り、狙撃は無理ね。中に入って仕留めるしかない、か。でも……」

 さほど高くはない、不自然に窓の少ない建物。

 休にとって、この展望台とビルの距離と高低差は問題にならない。しかし標的が明らかに対狙撃を意識した設計の窓に、わざわざ近づくとは思えない。よってビル内部に潜入する他ないのだが、建物の規模から見てボディーガードは多そうだし、それらを始末している間に標的が逃げてしまわないとも限らない。

「……仲介屋は『絶対に抜け道はない』って言ってたけど、本当なのかしら」

 休にこの案件を持ってきた仲介屋は、珍しく念を押していた。曰く『社会の末端である自分達じゃ手も届かないぐらいの権力者からの指令だから、提供された情報に間違いはない』だそうで、その時の仲介屋の顔も、かなり強張っていた。

 どうやら相当切羽詰まっているらしい、というのは感じ取れた。面倒な背景があることも、仲介屋がその『社会』の『末端』であることも分かった。報酬の一千万円がその組織から流れているお金であることも、恐らく目の前の人間はその報酬からある程度ピンハネしているであろうことも、想像はついた。

 あの仲介屋の表情には鬼気迫るものがあったので、情報そのものは信用できるだろう。決して頭が良いとは言えない休を相手にぼろを出す人間なので、信頼には値しない人間だが。

 

(狙撃が無理なら潜入するしかない)

(でも標的以外の人間も始末する必要がある)

 

 はっきり言って無駄弾は使いたくない。

 お金が勿体ないから。

 獲物に撃ち込む銃弾は一発であるべきである。とは休のモットーだが、その意味する所はマタギとしての矜持ではなく、生活の為の節約である。弾丸は正規でも裏でも、特注品でない限りはまとめ売りが基本だ。銃本体よりは安いが、銃とは違い一発撃てばそれまでなので、細かい出費が嵩む。特に今回のような、数十人を相手にするパターンでは、一人一発で仕留められない可能性は十二分にある。

「ま、それは今入っていった人に任せるとしましょう。掃除してもらうとしましょう。 一般人じゃないって気配を、今にも建物ごと喰らい尽くそうって気配を、こんな離れた位置でも感じさせる人間が、標的の手下だとは思えないし」

 それが一番効率的よ、と休は独りごつ。

「十分後に、踏み込むとしましょう。あまり待ちすぎて、標的まで殺されてちゃ意味がない。 折角の一千万円がパアになってしまうわ。それは避けなければ、ね」

 そばに置いていた汚れた麻布の包みを担ぎ、黒いおさげを翻して休は高台を離れる。ここからビルまでは、大体十分ほどの距離だ。今から行けば十分に敵は間引かれて、道は拓けているだろう。

 だけど、と不安がよぎる。

 

(あの人が途中で死んでたら、返り討ちにあって殺されてたら、どうしよう)

 

「……うん?」

 どうしてそんなことが気になったのだろう。

 その時は残りを片付けて、依頼通りに五人組三十五郎を始末するだけなのだ。起用して使用して利用するだけなのだから、気にかかることはないはずである。

「気のせい、いや気の迷い?かしら。よくわからないけど」休は首を捻るが、結局考えないことにした。「多分あの人が只者じゃないから、印象づけられただけでしょう。 山の獣みたいに気張ってる人、都会じゃ珍しいから」

 

(あの人、多分強いのに)

(なにをそんなに恐れているのかしら)

 

 恐れている、とはあくまでも休の印象で、他から見れば全く違う見解が出るだろうが、ともかく、休はそう感じた。

 それこそ山の獣のようだと、休は思った。

 あれらは生きるために生活し、生活のために生きている。草を食む鹿も、実を食す猪も、それらを食らう熊も、生きるために殺して食べる。

 殺して食べて回る。

 まるで生きるという生きる目的が生活そのものであるように。

 目的と手段の入れ替わり。

 または同一視。

 人間のように感情豊かでなく知能も低い動物に対し、それを新発見みたいに指摘するのは無謀というか滑稽でしかないが、山に住む人として観測した感想としては、休としては、それぐらいしか言いようがない。

 追いかけ回されているのだと思う。

 脅迫されているように。強迫されているように。

 なにかに追いかけられているかの如く、戦って、逃げて、生を全うする。

 そんな気配を、休は彼に重ねた。

 彼もまた、なにかにせっ突かれているのだろうと、そう、感じたのだ。

 

(獣と同じ気配っていうのは、人としてどうなの?)

(って感じもするけれど)

 

「――ま、それは置いといて」

 思考を切り替える。山育ち故に知識は乏しいが、こういう気持ちの操作は得意だ。

「一千万円も手に入ったら、どうしましょうかね。 やっぱり魚かしら。久々に鮪の赤身が食べたいわ」

 ぶつぶつと呟く休。

「鉄火巻き、鉄火丼……ヅケにして、いやまずは刺身にして……飽きたらフライ、最悪カレーに――」

 鮪、鯖、鯛、鮃、鮭、ああイクラもいいななんて魚類に思いを馳せていると、いつの間にか、到着していた。

 標的、五人組三十五郎がいるビルディング。

「……ごほん」

 一つ咳払いをして、スイッチを入れて再び思考を切り替える。

 真正面から見ると中々に高いビルだったが、窓や換気扇の位置を見るに、階数自体は多くなさそうである。やや意外ではあったが、別に前線の基地ではないのだから、事務所感覚の拠点なのかもしれなかった。

 機能的かつ戦闘的な事務所。

 変な響きだが、恐らくそういうコンセプトなのだろう。

 仲介屋から聞いていたパスコードを入力し、建物に入る。

「お邪魔します……って誰もいないか。いや、いるけど」

 頭部を破壊された黒服の人間が二人、血溜まりに浮かんでいた。

 それらそのものは特に気にならなかったが、気になったのは、入口の護衛が二人に対して、床に転がっている銃が三丁ということである。

「散弾銃に、自動拳銃に、回転式拳銃……」

 一人一丁、と考えると一丁余る。いや、一人に散弾銃、もう一人に自動拳銃と回転式拳銃を持たせれば、問題はない。

 問題はないが、不自然ではある。

「ありえない。とは言えないけれど、装填の仕方が異なる銃を一人が同時に使うとは、考えにくいわね」

 自動拳銃と回転式拳銃の決定的な違いの一つに、弾丸の込め方が挙げられる。自動拳銃は弾丸が詰められたカートリッジをマガジンに収めるだけだが、対して回転式拳銃はシリンダーに一発ずつ弾丸を収めなければならないため、弾丸の装填に時間がかかるのだ。

 対比するにはどちらも一長一短あるので、どちらが優れているとは言えないのだが、装填の仕方と時間が違う銃を同時に扱うことは、まずない。一々用途の違うカートリッジを持ち歩くのは面倒だし、装填に手間取ってる間に攻撃されては致命的である。拳銃に関しては、タイプはある程度統一するのが一般的だ。

 しかし、現に銃は三丁、拳銃は二丁転がっている。

「予備の銃、それが懐からずり落ちた、とも考えられるけれど、あまり現実的じゃあないわね。 となると、二人を殺した人間が捨てていったという可能性が自然……」

 なんらかのアクシデントで拳銃が故障し、荷物になるので捨てた。ありえる話だ。少なくとも、懐からずり落ちた線よりは。

「まあ、自動拳銃と回転式拳銃、本来どちらを使っていたかは分からないわね。でも、そうね。得物が分かったのは収穫かしら」

 実際には使われたのは回転式拳銃で、それは二発分が空になっているシリンダーを見れば一目瞭然だったのだが、休は確認しなかった。

 血溜まりに捨てられてたために血濡れになっていたそれらに触れるのを、休は避けたのである。

 別に休は潔癖症ではないし、むしろガサツな部類に入る。

 なのになぜ、と大袈裟に疑問符をつけるほど大袈裟な理由はない。単に休が貧乏性なだけだ。

 普通に、血が服につくのを、嫌がっただけだった。ツナギに血がついて乾くと、落とすのが面倒臭いし、洗剤を余計に使うことになる。ほとんど自給自足の生活をしていても、タダでは生活できないのだ。細かいところから、しっかりと締めていかなくてはならない。

 しかし、日常の心掛けとしては立派だが、この時は確認しておくべきだった。

 夢辻道休は狙撃のプロではあるが、プロの狙撃手ではない。

 プロのプレイヤーではないのだ。

 そういうところが、つけこまれる隙となる。

「さて、こうしてはいられないわ。もう粗方片付いた頃だろうし、そろそろ仕留めに行かないと」

 道草を食っている暇はない。冗談でなくタダ働きになってしまう。

 あらかじめ仲介屋から受け取っていたカードキーを、タッチパネルにかざす。カードキーは磁気認証だが、このパネルも血濡れているので、どうやら静脈認証も併用するらしい。

 扉が開く。

「……何?」

 一階のホールは、見渡す限りの死山血河。そういう趣味の悪いインテリアの如く、死屍が累々と散らばっている。

 だが、疑問と困惑は、血の海や肉の山によるものではなかった。

 音。

 地面を蹴るような、固い音。

 

(複数人の足音? いや、違う。これは――)

 

「蹄の音――」

 

「うぅぉおおおおおぉぉぉぉぉおッ!!」

 雄々しく猛々しい雄叫びと共に、地下に続く階段から駆け上がる蹄音。

「――!?」

 黒と白の影。階段から飛び出してきたそれは、大きな嘶きと共に、休の前に現れた。

「な……え?」

 驚いて、言葉が出ない。それぐらい、とんでもないものがやって来たからだ。

 簡単に言えば、それは騎士だった。

 重装騎兵。

 馬鎧を被った黒い巨馬に跨がる、西洋甲冑に身を包んだ人間だった。白銀に輝くプレートアーマーはドラゴンを象った設えになっていて、左手に握る盾にも竜の紋章が描かれている。それは巨馬が纏う馬鎧(うまよろい)も同様で、馬の額には逆巻く角が二本、ドラゴンのようについていた。

 右手には三メートル程のランスを持ち、腰には剣を差している。これまた騎士らしくて、実に派手派手しく、勇猛果敢そうで、吟遊詩人が吟う叙事詩にでも登場しそうな、ある意味幻想的な存在が、そこにはあった。

 全く現実的じゃない。

「ええ、と……」

 何だこれ。

 というか、何だこれ。

 唖然として立ち尽くしていると、「貴様!」と騎士が声を張り上げた。

「貴様! そこな小娘、貴様のことだ!」

「え……?わ、私……?」

「貴様以外に誰がいるというのだ! 貴様、名を名乗れ!」

「あ、夢辻道休です……」

 兜でくぐもってはいるが、野太い声から、恐らく目の前の騎士は男性らしい。いや、それはどうでもいい。

 勢いに飲まれて名乗ってしまった。休は暴力の世界では新参者で、無名に等しいので影響はないだろうが、素性から戦い方を知られてしまう可能性はある。殺し名七名のようなビッグネームでないのなら、名前は伏せておくのが常套だ。

「夢辻道!? 知らん!どこの馬の骨だ貴様は!」

 無名なだけで散々な言われようだった。なら名乗らせるなと言いたい。

「貴様の名など露ほども知らぬが、こちらからも名乗らねば礼を失する!名乗りがないのは騎士の名折れよ! よかろう、我が名は嵌賀愛舐(はまりがあいなめ)!『白竜騎士(ホワイトドラグーン)』こと嵌賀愛舐よ!よぉーく、覚えておくのだな!わはははははははははははッ!」

 聞いてもいないのに勝手に名乗るあたり、どうも相当に自分勝手な性格らしい。

 それに自己中心的で独善的。

 このテの人間は、絶対に他人の言葉を聞かない。自分が世界の中心、自分が世界のルールだと思っているから、自己正当化が極端に強い。誰がなにを言おうと、聞く耳は持たないだろう。

「さてッ! 我輩は貴様に聞かねばならぬ!何故に我が同胞達の骸が転がっているのか、何故に我が同胞達が殺されているのか!答えよ、小娘!」

「……さあ?」休は正直に話した。「私がこの建物に入った時には、もうこんな状態だったけれど……」

「嘘を吐けぃッ!」

 一喝、もとい一蹴された。欠片も嘘など吐いていないが、この男にそんなことは関係ない。

 自らの言葉のみが正義で、その正義を貫くことが最も肝要なのである。

「貴様が殺したのだろうが! この現状!この現実!この現在! 同胞が黄泉路へ旅立ったのは、貴様が殺したからだというのは、火を見るより明らかであろうが!」

「……はあ」

 まったく、厄介な障害物に当たってしまったものである。

「もういいわ、そういうことで。面倒臭い」

「面倒臭いとは何事か!貴様――」

 

 だあん。

 と、休はライフルの引き金を引いた。

 

 きいん。

 と、愛舐の盾が弾丸を弾いた。

 

「――!」

「不意討ちとは卑怯な奴め! 生憎だが、我が身を包むこの鎧に銃弾など効かぬ!傷も凹みも付きはせぬわ!」

 誤算。いや、予想外か。

 古今東西、鎧や盾というものは銃弾にめっぽう弱い。刀や剣といった斬りつける武器には強いが、一点を高速で突破する銃には、強度が衝撃に耐えられないのだ。

 勿論、装甲を厚くすれば銃弾は防げる。しかしそれでは厚くなった分だけ重量が増し、今度は機動性が失われる。のろまな亀ほど、仕留めやすいものはない。

 だが、嵌賀愛舐の防具は銃弾を弾いた。

 それも、鎧ではなく盾で、だ。弾丸が貫けないということは相応の厚みと強度があることを意味するが、しかし愛舐は機動性が失われていない。

 休のライフルは、麻布に包まれていたそれだ。外見から身の長い得物であることは分かるが、飛び道具であることは分からない。

 布に包んでカモフラージュしつつ、尚且つ不意討って仕掛けた先制攻撃を、愛舐は鎧ではなく盾で受けたのだ。

 

(不意討ちの銃撃を重い盾で防ぐ、か。身形はふざけてるわりに、とんでもない筋力とスピードね)

 

「銃などとつまらぬ飛び道具を使い、 騎士との闘いを愚弄しおって!許さぬ!!粛清だ!貴様を我が鎗の錆にし、同胞の鎮魂に捧げてくれよう!!」

 手綱を振るい、馬を走らせて鎗を突き出す。

 特別な技ではない、ただ重量を鎗の尖端に乗せて突き刺すだけ。だが、馬の脚は人間のそれよりも圧倒的に速い。

 後の先を取られた休は横っ飛びで回避し、二歩目には死体の山の上に着地する。瞬間、死体の群れを轢き飛ばしながら元の位置を通り過ぎた騎馬は、

 

グシャアァン!!

 

オートロックの扉を、ぶち抜いた。

 

「――っ!!」

 鉄製の扉をランスの尖端が突き破り、そこを中心にひしゃげてドア枠から押し抜いた。扉は慣性に従って吹っ飛び、出入口のドアをも破壊して、外でボールのように跳ね回って、ようやく止まった。

「…………」

 開いた口が塞がらない。想像を絶する突進に、休は戦慄した。

 あんなこと、熊でも猪でもできやしない

「ぬうぅッ!! 貴様、我輩の鎗を避けたな!? この臆病者め!」

「……いや、避けるに決まってるでしょう」

 あんなものをまともに喰らったら、確実に死んでしまう。避けていなければ胸部と下半身が分離していたのだ。臆病者の謗りを受ける謂れはない。

(回避できない速度ではない、けれど触れたら即死の攻撃)

「油断はできないわね」

 本当に厄介な障害物だ。順調に行っていれば、今頃は標的を始末しているはずなのに。

「……あの人、なんでこんな面倒なのは処理しなかったのかしら」

 休はライフルにくるんでいた麻布を剥がした。

 黒光りする銃身のアサルトライフル。その形状はM16でもAK‐47でもない、夢辻道休の身体に合わせて製作されたオリジナルの一点物。

 華美な装飾は一切なく、実用一点張りの武骨な設えは、休のような可憐な女性には不似合いだったが、しかし彼女の性格をよく表した、実に彼女に似合いの小銃だった。

 カートリッジを交換する。弾の種類を変えたのだ。

「普通のポイントブレットは効かなかったけれど、それならハードスチールジャケットならどうかしら」

「どのような弾丸であろうと、我輩には通用せぬ!この嵌賀愛舐、逃げも隠れもせず真っ向から正面突破で貴様を討ち滅ぼしてくれようぞ!!」

 

 

 夢辻道休は、今、ようやく、臨戦態勢に入った。

 だが、通説を力業で破ったこの男に常識は通用しない。

 騎士、対、狙撃手。

 異色のデスマッチが、今始まる。

 



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狙撃手と競争して戦争(3)

 

「――なんか、五月蝿えな」

『どうかしたっちゃか』

「いや、別に。なんでもない」

 討識(うちしき)は電話中だった。相手は軋識(きししき)。敵を殺しも殺して、休憩がてら歩きながらビルを徘徊していたところを、狙い済ましたかのように着信されたのだ。

「で、なんだって?」

『お前の予想通り、こっちに五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)はいなかったっちゃ。それと、頸織(くびおり)のところにも』

「やっぱりアレがそうだったのか……面倒臭え」

『すまないっちゃね』

「全くだ、金を取りたくなる」

『それは洒落にならないっちゃ』

 ははは、と会話に花を咲かす。

 双識(そうしき)のことは基本的に嫌いだが、軋識のことは嫌いではない。むしろ好ましく思っている。やたら踏み込んでくる双識と違って、軋識は常識人で、ある程度線引きのできる人間だからだ。

 普通の『親戚』らしい、当たり障りのない会話ができる関係は貴重だ。

『必要経費ぐらいは保障しなくはないっちゃけどな』

「マジでか。それじゃあそれはそれで……なんか情報はないか?」

『五人組三十五郎の?』

「当たり前だ。……つっても、本人じゃなくて、その部下の情報が欲しいんだけどよ。ボディーガードとか、付き人とか、子飼いの配下とか、そういう奴。それと、俺達以外に五人組三十五郎と敵対している奴がいるのかどうか」

 気になった切っ掛けは、先程の五月蝿い音だ。

 五月蝿い、轟音。

 ここに来るまでの道程、敵らしい敵は全員殺した。にもかかわらず上層階にまで音が響くということは、誰かがそこで戦闘中だという意味になる。

 零崎一賊ではない。ならば、外部勢力が妥当だ。

「元伍砦(ごとりで)の末端組織の人間だろ?敵は多いと思うんだが。例えば、玖渚機関(くなぎさきかん)とか」

『確かに、それはその通りっちゃけどな、潰すにしても相手は武装集団っちゃからな。基本的には、どこも手は出しにくいっちゃよ』

 最も有力な組織は玖渚機関だ。しかし、それでも、少なからず被害が出ることは避けえないだろうから、実際に行動に移す可能性は低いだろう。

 それに下部組織である伍砦の末端組織なんて、単なる使い走り程度のポジションに過ぎない。そんな雑魚に刺客を送るなど、ましてや染の名の人間を送るなど、上層部としてはプライドが許さない。五人組三十五郎が伍砦を出奔した時点で殺されなかった以上、玖渚機関が出張ることはないと考えるのが自然だ。

「それもそうか……玖渚機関じゃあないなら、バイサール機構か張空機関(はりうろきかん)に雇われたフリーのプレイヤーってところか……?分からねえけど」

『というか、その口振りじゃ、そういう奴がその場にいるって意味になるっちゃけど』

「ん? まあな」

『……大丈夫っちゃか?』

 軋識の声色が変わる。

「何だよ、心配してくれてんのか?」

『心配なんかしちゃいないっちゃ。お前は一人前の殺人鬼っちゃからな』

「そりゃあどうも。お褒めに預り光栄の至りだよ」

『褒めてはないっちゃ。殺人鬼が殺人鬼なのは、当たり前も当たり前っちゃからな。 それと、五人組三十五郎の部下のことっちゃが、そういう情報は見つからなかったっちゃ』

 軋識の情報収集力は零崎一賊の中でも郡を抜いており、いわゆる情報屋と呼ばれる者達と遜色ない実力を持っている。その軋識の見立てなのだから、恐らくそれは事実なのだろう。

 

(では、情報が見つからなかったという事実から、推測できるものは何か)

 

 仮説は二つ。

 一つは子飼いの部下など存在しない、ボディーガードが不在である可能性。しかし、これは希望的観測が過ぎる。軋識の情報収集力は信頼しているが、それを鵜呑みにして行動する程には信用していない。なにより派遣会社という体の傭兵団を指揮する人間が、切り札になり得る人材を、手元に置いておかないはずはない。

 そう、切り札。

 二つ目の仮説。

 直属の配下の情報はデータに起こしていない可能性。敵に悟られないよう情報を隠匿、抹消している可能性。

 切り札というものは、その隠密性が高まれば高まる程に攻撃力が増すカードだ。相手に存在を気取らせをもしない、秘中の秘であることで威力を発揮する。ならば、その情報を管理しないことが最善の管理となることは、当然の帰結だ。

 

(それが下階で戦っていると考えれば、辻褄は合うが)

(一体誰が戦っているのか、というのが次の問題になる)

 

「まあ、そんなもん、分かるわけねえか」

『何がっちゃよ』

「虎穴を見つけたぐれえじゃあ、虎児がいるかは分かんねえってことさ」

 ボストンバッグを揺らして、廊下を曲がる。明け広げられたファスナーからは銃器が覗き、白く黒く、鈍く冷たく光っていた。

『なんだ、お前はピンチの後にチャンスあり、ってタイプっちゃか?クールがウリな討識には似合わないっちゃな』

「ああ、クールでドライな上にクレバーでシャープだからな。 チャンスはどこにでも転がってるし、いくらでも作り出せるさ。それに、その言葉は軋識さんの方が似合うんじゃねえの」

 そう軽口を叩くと、軋識は『そりゃそうっちゃな』と笑った。

『ところで討識。この間、レンの奴に会ったんっちゃってな』

「あ? そりゃあ誰から……って、本人しかいねえか。ああ、よりにもよって卒業式当日に来やがったよ」

『卒業式に参列できなかった、って滅茶苦茶悔しがってたっちゃ。高校に入学するとも言い出したから、全力で阻止したっちゃが』

「助かる」

『礼なんかいらないっちゃ。そもそも、学校に通う殺人鬼なんか、馬鹿馬鹿しいっちゃ』

 軋識は殺人鬼の修学には否定的だった、という双識の談を思い出す。ついでに双識と頸織が説得したという話も思い出し、なんだか嫌な気分になった。

『ま、災難だったっちゃけど、レンに余計な邪魔をされないでよかったと、思っとくっちゃな。卒業式も、クラスメイトを殺したことについても』

 軋識は、雑談のようにそのワードに触れた。

 クラスメイト。

豌豆通(えんどうとおる)馬米招聘(うまごめしょうへい)山嵐風紀(やまあらしふうき)力十協士(ちからときょうし)逆腹孝八(さかはらこうや)。 お前が卒業式の日に殺したクラスメイトの名前っちゃな。それで討識、お前は何でコイツらを殺したんだっちゃか?』

 何故知っている、という疑問は浮かばない。双識と会ったのなら、双識から聞いたに決まっている。それよりも、何故軋識がそんな話をするのかということこそが疑問だ。

「何が言いたいんだ?軋識さん」

『小中高と学校内で人を殺さなかったお前が、いきなり五人も殺した理由が納得できないってことっちゃ。別に卒業記念に憂さ晴らししたかったわけでもないっちゃろ?』

 いい加減我慢の限界だったから殺した。と、討識は双識に答えた。双識は特に何も言わなかったが、それは彼特有の家族愛から、ただ受け入れただけに過ぎない。

 理解はせずとも、受け入れることはできる。

 しかし、軋識は双識のように、博愛でも寛容でもない。

『俺は一賊に仇なす人間は容赦せず殺すっちゃ。それがたとえ、家族であっても排除する』

「……俺を殺すってか?」

『勘違いするなっちゃ。俺はそういう気概を持って、お前とそういう話をしているってことを、わかってもらいたいだけっちゃよ。俺にとっても、お前みたいに話しやすい相手は貴重っちゃから、出来れば殺したくはないっちゃし』

「じゃあ何で俺の殺しの話をするんだ? どうでもいいだろう、そんなこと」

『まあ、どうでもいいっちゃあ、どうでもいいっちゃがな。頼まれちまったっちゃから、仕方ないっちゃ』

「誰に? 双識さんか?」

『頸織に』

 意外な人物が出たことに、討識は動揺した。

 あの女が。あの零崎頸織が、人のことを気にかけるだと?

「ありえねえ……」

『確かに意外なのは理解出来るっちゃよ。正直、俺も頸織はただの馬鹿だと思ってたっちゃ。どうしようもない酔っぱらい女って認識だったっちゃ。しかし、思ってたよりは、ちゃんと姉貴やってたんっちゃなあ、これが』

「どういうことだ」

『さっき電話したら、ことのついでにって頼まれたっちゃ。討識が学校で人を殺したっぽいから、聞き出してほしいっちゃってな。頸織がそんなことを言うのは珍しいっちゃから、俺も頼まれてやる気になったっちゃよ』

 零崎頸織の思考が読めない。いや、読めないのはいつものことだ。問題はクラスメイトを殺したことではない、何故頸織がそんなことを気にかけるのか、ということだ。

 まさか、双識を尊敬するあまり、双識と同じように叱りつけようとしているのではあるまいか。そんな思い付きみたいに叱られても、こちらとしてはいい迷惑である。

「殺人鬼が人を殺して怒られるなんて、笑い話にもならねえぞ――あの時、双識さんにはあまり突っ込まれると面倒そうだから、適当に誤魔化したけど、別に隠すようなことでもねえ」

 討識は、努めて冷静に言った。

「そもそもあの五人とは入学当初から折り合いが悪くてな。今まで何回か衝突してたんだが、あの日、卒業式の日に、顔を会わすのも最期だからってんで、俺を私刑にかけようとしたのさ」

 双識は学校という空間に誇大な幻想を持っていたようだが、実際には普通なために平穏なのと同じくらい、普通なために闘争が起こる。

 例えば、五人で一人を取り囲み、ナイフを突きつけられるような、そういった些細な戦争が。

「身の程を弁えず喧嘩を売り続けた報いだ、鬱憤晴らしと精算を兼ねて、バラバラにぶっ殺してやったってことだ」

 『殺すな』と枷を填められた殺人鬼は、餓えた獣のようなものだ。ぶらぶらと餌を目の前でぶら下げていれば、檻を破って襲い来ることは自明である。

 不運なのは、あの五人の頭が悪かったことと、取り囲んだ羊が実は虎だったことだ。

『まあ、そんなところっちゃろ』

「ああ、そんなところさ」

『建前としては納得できる話だっちゃ』

 しかし、軋識は信じなかった。

『いさかいがあって、殺意があって、都合があって殺したってのは、筋の通った理屈だとは思うっちゃ。だが、中高六年間、学校の敷地内で人を殺さなかったお前の実績を踏まえると、その理屈は、理由としては弱いっちゃよ』

「…………」

 それは、その通り。

 こんな言い訳に騙されるのは、恐らく姉の頸織だけだ。だからこそ頸織は、間に人を通して事情を知ろうとしたのだろうが。

『なあ、討識。お前――』

 その後の言葉を言い切る前に、討識は電話を切った。別に自分にとって都合が悪くなったから、会話を打ち切ったのではない。事実、打ち切りたいくらいに不愉快な話題で、何故不快感を感じているのかわからない程度には、気にはなっていた。

 原因は自分ではなく、敵だ。

 接敵時に電話をするほど、討識は自信家ではない。

 

 

 廊下を曲がってすぐに現れた黒い影に、討識はボストンバッグをぶん投げる。そして同時に口の開いたボストンバッグから回転式拳銃(リボルバー)を引き抜いた。

 S&W(スミスアンドウェッソン)M27。黒光りするその拳銃をボストンバッグの真裏に構えて、討識は計算通りに相手を狙う。

 討識の計算。

 相手が突如として現れたバッグを受け止める、または払い除けるならば、そのまま撃つ。避けるようなら、その方向に向けて撃てばよい。機先を制して戦闘を制する、まさしく先手必勝の場面を、討識は一手で演出してみせた。

 受けたら死。避けても死。

 その影は、討識から見て左手に躱した。素早く銃口を左に向けて、西部劇さながらに左手を撃鉄に添え――

 

ぱぁん、ぱぁん、ばぁん

 

と、三発、撃ち込んだ。

 

 受ければ素人、払えば玄人、躱せば達人。

 その選択全てに照準を定めた討識の戦略は、ほぼ完璧と言ってよかった。

 

 しかし、対する黒い影の行動は、驚愕に値するものだった。

 バッグを躱したその一歩で飛び上がり、前方宙返りで銃撃を避けて、銃身に向けて踵落としを放ったのだ。

「――っ!」

 素早く銃把を離して踵落としを躱した討識は、左手を背中に回す。服の下に仕込んだ特製のホルスターから太刀を鞘ごと引き抜いて、右手を柄にかけた。

 討識の策は三段構え。

 接近してきた場合は、腰部を左胴から斬り捨てる。

 弾丸をあんなふうに躱し、さらには反撃を仕掛けるという驚くべき行動に出たとしても、着地したタイミングに放たれた攻撃を回避することは不可能だ。

 だが、それすらも影は回避した。

 鍔が鞘口から僅かに離れた瞬間、黒い影は両手を討識の眼前に出し、

 

ぱんっ、と手を打った。

 

(――!? 猫騙し!?)

 有名ではあるが有用とは言えない牽制技。それを生死をかけた一瞬の攻防に用いるという驚異的な行動は、恐らくは黒い影の思惑通りに作用した。

 完全に予想外だった猫騙しに一瞬驚き、居合い斬りのタイミングが一拍遅れてしまった。零崎一賊中最速の攻撃を放つと自負する討識ではあるが、その攻撃もタイミングがずれれば意味を成さない。

 討識が刀を振り抜いた時には、黒い影は余裕を持って後方に飛び退いてしまっていた。

 

 ここで初めて、討識は敵の容貌を見た。

 現れたのは男だった。

 筋骨隆々で大柄な男。紫の布で顔面を覆い、隙間から黒い瞳と白髪が覗く。標準的な黒いスーツを着込んではいるが、オープンフィンガーグローブの上から和装の籠手を着けており、脚は軍靴に脛当てと、なにやら奇妙な出で立ちだった。今までに遭遇した敵もカジュアルからパンクまで多様なファッションをしていたが、それでも目の前の男ほど、珍妙な格好はしていなかった。

「……なるほど。下のが切り札(エース)でこっちは切り札(ジョーカー)切り札(ワイルドカード)は二枚あったってことかよ」

 こりゃあ厄介なこった、と討識は呟いた。

 今の攻防から推測するに、目の前の敵は素人どころか玄人でも達人でもない、超人の部類であると言える。これまで皆殺しにしたビル内の敵とは一線を画する実力だ。

 また、思考力も高いと見受けらる。

 討識はこのビルに潜む敵は全員銃で殺してきた。それは監視カメラといった防衛システムから、簡単に得られる情報だ。ならば、通常の思考なら、相手の得物は銃器であると判断するはずである。しかし、宙返りで銃弾を避けつつ反撃を試み、結果として失敗したが拳銃を手放させることに成功したあの行動は、とっさの判断で行えるものではない。

 そこから導き出せる結論。

 男は、討識が本来得意とする武器は銃ではない、本命の武器は別にあると推理したのだ。またその上で、刀剣類を身体のどこかに仕込んでいると推量した。

 そうでなければ、あの踵落としも、猫騙しもありえない。

「やれやれ、今日は銃で殺すつもりだったんだが……まあ、ここまで来れば、後はアンタと下のヤツのどちらか一人だろ。俺としちゃあ、下のヤツ等は相討ちが望ましいが」

 何人も人斬ってたら刃が傷むからな、と討識は言う。討識が今回銃を使っていた理由がそれだ。刃が傷んだり、欠けたりした刀は斬れ味が落ちる。人識のようにナイフを全身に仕込んでいるなら別だが、日本刀はそう何本も携帯できるものではない。

 また、銃を主武器として戦うことで、討識の太刀筋をギリギリまで隠すことができる。太刀筋の分からない斬撃は、必殺の可能性を高めるからだ。

 結果的には、見抜かれてしまったが。

「…………」

 対する男は、その言葉に一切の反応を示さなかった。反応を示さなかったというのは、言葉を返さなかっただけでなく、目も指も動かさず、身動ぎ一つすらしなかったという意味だ。

 じぃっと、討識の動向を見逃さぬよう、見つめている。

「……やりにくいな。なんか喋らねえのか? うん十年の人生最期の会話なんだぜ、なんか言ってみろよ」

 発言を促すが、やはり男は反応しない。どうやら無反応を貫くことで、こちらを観察しつつ、情報を相手に与えないスタンスなようだ。

 

(本っ当にやりにくい相手だぜ。徹底して情報を与えないつもりか)

(俺みたいな戦略には、ちぃっとキツイな)

 

 相手の隙を窺いつつ、相手に隙を見せない戦法は、討識の戦略と通ずる。こういう手合いには、何も考えずにガンガン攻める頸織みたいなタイプの方が相性がいい。

 

(後の先を取る、ということは、相手に先手を取らせるということだ)

(先手を取れるという面では俺が有利。手を出しながらデータを集めるしかねえか)

 

 討識は両手で柄を握り、刀を中段に構えた。古来より、剣術を経て現代剣道に伝わる、オーソドックスな構え。敵の実力を計るには、基本的な技術を用いるのが相応しい。

「……お話は無駄みてえだな。話さないならそれでもいいさ。下のがいつ上がってくるかわからねえからな」

 時間も押していることだし、と討識は続ける。

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 その言葉にも、男は応えなかった。

 

 

 ◆    ◆

 

「……討識のヤツ、大丈夫なのか?」

 麦藁帽子を被った殺人鬼、零崎軋識はパソコンのモニターを見つめながら言う。

「突然電話が切れたってことは、戦闘に入ったってことだろうが……」

 あの妙な口調はしていない。あんなものは唯のキャラ付けだ。死屍累々、死体ばかりが転がるこの部屋で、キャラクターを演じる必要はない。

 討識の実力は心配していない。討識はプレイヤーとしては一人前だし、一流と見なしていい程度には強い。人類最強の請負人のような例外的な化物を除けば、殺し名七名の上位ランカーとも十分に渡り合えるだろう。

 心配しているのは、討識の精神性だ。

「……心配してもしょうがないな。俺は俺で――やることやらないとな」

 コンピューター内部に侵入した形跡を完全に消し、軋識は席を立った。そして立てかけていた釘バット『愚神礼讚(シームレスバイアス)』を持ち上げ、左打席に立つように構えた。

「ぅおぅらっ!!」

 釘バットはコードやケーブルを引きちぎりながらパソコンを吹っ飛ばし、壁にぶつけて大破させた。内部の基盤がぐしゃぐしゃになっている様が、破壊されたカバーから覗き、二度と修復は不可能であろう。

「俺は討識の無事を祈るのみっちゃ。討識にはまだ、言いたいことも聞きたいこともあるっちゃからな」

 口調を戻し、軋識は部屋を後にする。このビルの敵は皆殺しにした。後は事後処理と、今後の対応だけだ。

 討識が敗北し、殺された時の対応を、準備せねばならない。

 

『なあ、討識。お前――』

 軋識は、あの電話を想起する。

 あの言葉の続きは、こうだ。

『お前、零崎じゃあないんじゃないっちゃか?』

 

 

 ◆    ◆

 

 現在、五人組三十五郎が潜伏するビルで、行われている戦闘は二つ。

 

 一階、ロビーにて、夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)嵌賀愛舐(はまりがあいなめ)

 七階、廊下にて、零崎討識対闇口木霊(やみぐちこだま)

 

 狙撃手と騎士。

 殺人鬼と暗殺者。

 

 守護(まも)る者と殺害(ころ)す者。

 四者二様の殺し合いの末、生き残る者は誰なのか。

 




前編部分、終了です。
後編は年明けを予定しています。
誤字、脱字などがあったら、報告よろしくお願い致します。
ついでに感想も頂けると嬉しいです。


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狙撃手と競争して戦争(4)



お久し振りです。石持克緒です。
年明けに後編を投稿……とか言っといて早三ヶ月、大幅に遅れてしまって申し訳ありません。

では、後編をお楽しみ下さい。


 

 

 夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は仲介屋を通して雇われた人間である。が、その本来の依頼人とは誰なのだろう、と考えたことは一度もない。

 実際のところを端的に言うと、とある策師に別件で誘導された某組織が送り込んだ刺客という役回りなのだが、休が把握しているのは、この件での自分の役割だけだ。

 何にでも首を突っ込む人間は早死にする。というのは小説やドラマでよくある台詞だし、実際に死ぬことはないにしろ、ろくなことにならないのは事実だろう。

 しかし休がそういう背景や舞台裏を詮索しないのは、単に面倒臭いからである。知ったところで報酬が上がるわけでもないし、むしろ不利益になるのならば、わざわざ探る必要もない。

 自分の生活とは関係ない。

 朝に起きて、ご飯を食べて、夜に寝れれば、世はこともなし。

 休はそういうスタンスの人間だ。

 人殺しでさえも、ただ生活する上でお金が必要だからしているに過ぎず、むしろ学のない自分には向いている仕事だと思っている。

 山で獣を殺すのと大差ない。

 生きるために殺し、殺すことで生き延びる。

 それが夢辻道休の殺人動機だ。

 

 

 ◆    ◆

 

「小娘がぁぁァァッ!早く我が鎗にかからんか!」

「まさか。そんなことっ、ありえないわっ」

 騎士の振るう鎗を、紙一重で避ける。

 ロビーで繰り広げられている戦いは、その繰り返しだった。

「まったく」休は軽く肩で息をしながら呟く。「本当に面倒な相手」

 黒い巨馬に乗った騎士――嵌賀愛舐(はまりがあいなめ)を中心に円を描くように走り回る。それが休が取った行動だったが、この騎士と巨馬のコンビは、休の想定をあっさりと越えた。

 一つは体力。重い鎗と盾と鎧を付けて行動する以上、体力の消費は著しい。愛舐は馬に乗っているとはいえ、鎗を振り回し盾を振り(かざ)すのは、尋常でなく体力を消費する。にも関わらず、愛舐に疲労の色はない。いや、フルフェイスの兜を被っているため顔色は伺えないのだが、それでも、その全身が疲労していないという気配を出していた。奇妙な表現だが、事実、愛舐はこれまでの三十分間休まず攻撃しているのに、全くその勢いが衰えない。

 また、この巨馬も相当に規格外だ。重い装備を身に付けた重い人間を重い馬鎧を付けたまま、機敏で俊敏に動き回る。愛舐の手綱捌きが上手いのもあるが、それでも疲弊しないとは、はっきり言って異常だ。赤兔馬の子孫と言われたら信じそうになるほど、実に見事な馬である。

 二つ目は反応速度だ。

「くっ……!」

 左回りから右回りに方向転換。そして発砲する。

 兜の隙間、視認用のスリットが目標。命中すれば、容易に方が付く。

「ぬぅんッ!」

 愛舐は素早く盾を翳し、銃弾を防いだ。

 金属の盾を片腕で軽々と扱い、着弾の前に防御する。並外れた反射神経と、それを阻害しない筋力を持って初めて可能となる行動である。

 それでいて、愛舐は返す刀でランスを振るい攻撃することができる。それも素早く重い一撃だ。剣を振るうように連撃できるわけではないが、三メートルはある大きなランスの攻撃範囲は広い。剣ほど速くはないが、二発、三発と物理的に命中率の高い攻撃を重ねることができる。

 加えて愛舐は背後を取らせない。愛舐が持つランスや腰に差している剣は、基本的に前方に攻撃するための武器だ。ならば後方に回れば安全圏内である。さらに相手が馬に乗っていれば、その安全性は高まる。騎乗における転回は難しいし、熟練者でも時間がかかるからだ。

 嵌賀愛舐という超人の身体能力は、人間の枠を超えている。

 

(全くと言っていいぐらいに疲れないわね。獣みたいな体力して化物じみた筋力してるなんて、反則だわ)

(生まれてくる時代を、間違えている)

 

 確かに、この嵌賀愛舐という男は、世が世なら輝かしき武勇を成し遂げられる人物と言っていいだろう。首魁を挙げ、武勲を貰い、寵愛を受け、栄光を讃えられるような、英雄的存在である。

 惜しむらくは頭が悪いこと、否、頭が固いことか。

 

(他人の話なんて一切聞かないし)

(本当、面倒な相手)

 

 とはいえ、中世だろうと現世だろうと、相手が猛者なのは変わりない。

 それも戦争の歴史を覆すような実力の持ち主だ。

 

(結局、ハードスチールジャケットも通用しなかったし)

 

 想定外の三つ目は、愛舐の防具の強度だ。

 休が用いた弾丸は軟鉄に熱処理を加えて、貫通力を増したライフル弾だ。貫通力は徹甲弾と同程度であり、防弾できる素材も限られている。

 また、歴史的に、盾や鎧は、銃に弱い。現在の防弾チョッキでも、ライフル弾を防ぐのは不可能だ。しかし愛舐の盾はその銃弾を通さなかった。ということは、金属製のそれは相応に厚く、相当に重いことを意味している。

 恐らくは鎧や兜、籠手や脛当てにいたるまで、同様に厚く重いはずだ。つまり、嵌賀愛舐は飛び道具に対して、絶対の耐性を持っているに等しい。

 得物がライフルだけの休には、隙がなければ勝てない相手なのだ。

 しかし、愛舐に隙はない。

 背後を取るために動く。だが、愛舐は素早く手綱を捌き、それをさせない。銃弾を放ちタイミングを図ろうとも、盾で防がれる。

 お返しにランスが振るわれ、それを休は紙一重で躱す。

 三十分間、延々とその繰り返し。

 体力勝負の一発勝負。そんな戦いに、休は追い込まれていた。

 

(とはいえ)

(この馬には、付け入れるはず)

 

 隙があれば付け込む。隙がないなら作る。

 愛舐に隙はなくとも、駆る馬には付け入れる。

 馬は知能が高く、体力もある生物だが、全体的に警戒心が強く、臆病な性格であることが多い。一度恐怖を覚えたことは生涯を通じて避けようとするし、騎手が強制させるとその場で膝をついで動かなくなったり、騎手を置いて逃げ出したりすることさえある。

 中世では、戦場に駆り出された馬が銃声に怯えて、騎手の命令を聞かなかったという例もある。

 勿論、愛舐の黒馬は銃声ぐらいでは怯まない。それはこの攻防で証明されている。

 それならば、馬自体を狙い撃てばよいだけのこと。

 

(狙いは右前足の膝)

(馬から降ろせば、少なくとも機動力は半減する)

 

 愛舐は騎士である。騎士としての流儀に則るならば、馬に乗っている限りは、攻撃手段はランスのみだ。

 さらに馬上の攻撃は、乗っている馬が重要になる。例えばこのビルの扉を吹っ飛ばしたランスの一突きは、大部分は馬の性能によるものだ。馬の体力とスピードが最高の状態であることが、騎士の実力を底上げするファクターなのだ。

 よって、愛舐を馬から降ろすことができれば、愛舐を攻略する難易度は下がり、殺害する容易さが上がる。

 そして、その種は蒔いてある。

「えぇい、こそこそちょろちょろ動き回りおって! 鼠か貴様は!?」

「失礼ね。若い女性相手に、鼠だなんてっ……」

 ランスの直撃を避けて、休は後方に飛び退いた。

 愛舐の攻撃を躱し続けた結果、一階ロビーは惨状となっていた。壁や床、柱が破壊されて、コンクリートの瓦礫が辺りに散乱している。死体の山が瓦礫の山に潰され、血の海だった床が捲れて、灰色の荒野のような有り様だ。

「しかし、解せないわね」

 休は身の丈ほどの瓦礫に乗り、呼びかける。

「貴方ほどの人間が、こんなところにいるなんて」

 実際のところ、全く疑問に思っていない(思いたくもない)。動き回ったおかげで少し疲れたため、一休みしたかっただけだ。

 普通なら、これは好機と見て攻め込む。しかし、騎士を自称する愛舐は話に応じる。

 騎士道を重んじるならば、動かない相手に攻撃は仕掛けない。

「ぬぅッ!?どういう意味だ、貴様!」

「どういう意味もなにも」息を深く吸い込み、ゆっくり吐き出す。「そのままの意味よ。貴方のように強く、目立つ人間が、どうしてここにいるのか。疑問に思うのは当然だと思うけれど」

 息を整えるための時間稼ぎ。そのために吐いた嘘にしては、よくできていると休は思った。

 この男、自分自身に関することなら、嬉々として話すだろうし。

「ふむ!よかろう、答えてやる!」馬を止める愛舐。「我が『白竜騎士(ホワイトドラグーン)』こと嵌賀愛舐の、素晴らしき武功を!」

「…………」

 大きく出たなあ、と休は思ったが、それが自身の推測を確信させた。

 この男は褒めると調子に乗る。

「ではッ!まず、なぜ我輩が五人組殿と知り合ったのかというと――」

 長くなりそうだったので、聞くのをやめて、思索することにした。

 調子に乗るのは都合がいいとしても、この男の身体能力は、やはり脅威だ。なるべく確実に、黒馬の脚を潰したいところである。

 

(かなり時間も使っちゃったし)

(ぱぱっと片付けていきたいのだけれど)

 

 普通に考えて、五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)はすでに逃走している可能性が高い。抜け道はない、というのはこの仕事を持ってきた仲介屋の言だが、それがどこまで信用できるのかは、正直半々といったところだ。それに秘密のルートがなくとも、救助用の縄梯子ぐらいは常備してそうなものだ。それを用いて窓から脱出するのも、十分にありえる可能性である。

 とはいえ、絶対ではない。ここで退いて、もし五人組三十五郎が生きていたのなら、報酬の一千万円はパアだ。それに、こうした副業の信用にも関わる。食い扶持が減るのは、今後の生活によくない。逃げていようがいまいが、捜索はするしかないのである。

 そして、それ以上の懸念がある。

 先に入った男が、五人組三十五郎を殺害する可能性だ。

 

(面倒臭いのは間引いてもらおうとしたわけだけれど、もっと面倒臭いのがいたわけで)

(こんなところで足止めを食うなんて、思いもしなかったわ)

 

 先に殺させてしまった場合も、勿論報酬はなくなる。もしあの男が銃器で殺害するのなら、なんとか誤魔化せるかもしれないが、そんな保障はどこにもない。仲介屋やその背景にいる組織がどの程度の情報力を有しているかもわからないし、ある程度の組織力を持っている集団を相手に、誤魔化せる力も、自信も、休にはなかった。

 となると、やはり五人組三十五郎は自身の手で殺さねばなるまい。

 

(そうと決まれば手早く済ませましょうか)

 

 得意気に喋る嵌賀愛舐。彼が跨がる馬に視線を向けないよう、努めて鎧を見据える。

 ふと、休は思い至った。

 

(いや、待って)

(もしかしたら、馬への銃撃にも対応するかもしれない)

 

 自身を防御できるのなら、馬も護れてもおかしくない。というか、まず間違いなく防御できるだろう。そう確信させるほどの実力を、嵌賀愛舐は持っている。

 ならばどうするか。少なくとも、愛舐を馬から降ろさなければ、休とは勝負にならない。

 

(――よし)

 

「つまりッ!あの一撃は我輩と五人組殿との親愛と友愛と敬愛からなる、必中必殺の一撃と称しても過言ではないのだ!その攻撃により怨敵、そう!あえて名付けるならば『戦艦軍人(ドレッドノーター)』と呼ぶべきあの者共めらを決定的に蹴散らし、我輩らは窮地を脱したのである!」なにやら面白そうな話をしている愛舐。「この時!我輩と五人組殿との間に、決して解けぬ固く硬く堅く難い友情の絆が結ばれたのだ!そして我輩はその時、この『白鎗(ロンゴミアント)』と『竜剣(バルムンク)』に誓ったのだ!五人組殿に仇なす者を殲滅し、これを守護する盾となるとッ!」

 肝心なところを聞き逃していたようで、何が何やら訳が分からなかったが、どうやら五人組三十五郎に従うに至る経緯らしかった。彼らの出会いには壮絶な戦いがあったようだが、しかしこの騎士の言うことだ。誇大に誇張された物語であったとしても、全く不思議に思わない。

「それはそれは、ご立派なことで」

 休は白々しく褒める。ほとんど聞いていなかったが、それを明らかにして怒らせても仕方ない。

 予想外の動きをされたら困る。

「私とは違って、人生に目的があるみたいでなによりだわ」

「うむッ!貴様は惰性で生きているようなものだからな!」愛舐は言う。「貴様の顔がそう言っておるわッ!」

「顔?」

「貴様のそのつまらなさそうな顔のことよ!決闘の最中にそのような顔をするな!不愉快であろうが!」

 がちゃん、と鎧を鳴らす。それに応じてか、黒馬も短く唸った。

「決闘とは、己の意地と矜持のぶつけ合いである!貴様の全身には、意思も誇りも、己がこうあらんとする僅かながらの自尊心すらも存在せぬわ!」

 ランスを高々と掲げ、雷鳴のように怒鳴る愛舐。

 対する休は、淡々と返す。

「見識の違いね」休は言った。「殺しは殺し。どんなに飾りたてようと、生き物を殺しているのには変わりない。必要なのは、食い食われる覚悟。全てを糧に活かし、全てを贄に捧げる気概。生きるために殺す、その責に感謝も罪悪も抱かない信念。それが、生き物を殺す、ということ」

 生活するために生きる。生きるために殺す。それが休の殺人規範だ。

 そこには意地もなければ矜持もない。いや、意地も矜持も、意思も誇りも不必要だ。自尊心など真っ先に捨てるべきなのだ。

「自分のために殺すことをよしとし、他人のために死ぬこともよしとする。それが殺人者の絶対条件よ。決闘だなんて、人の世でも時代遅れな価値観、持ち込まないでほしいわ。 あえてあなたの言葉を借りるなら、そうね」

 不愉快よ、と休は言った。しかし愛舐のように怒っているわけでも、蔑んでいるわけでも、軽んじているわけでもない、無感情な言葉だった。

 不愉快だとは、実際には思っていない。だが、口をついて出てきたのは、そうした言葉だった。

 偽りない本音。

 それが愛舐のペースを崩す。

「貴様ッ!我が騎士道を愚弄するか!?」

「さあ?騎士道なんて知らないから、愚弄しているかも分からないわ。ただ、そうね。これだけは言えるわ」

 休はライフルを素早く構える。

「決闘だというのなら、油断は禁物よ」

 発砲する。目標は先の通り、黒馬の右前脚、膝付近。

「ふぅんッ!」

 予想通り、愛舐はランスを突き出し弾を跳ねさせた。やはりこの騎士の実力は規格外だ。真正面からの正攻法では、休に勝ち目はない。

 ならば正攻法でなければいいだけのこと。

 当たらない攻撃を繰り出したのは、再開の狼煙と殺害の布石。

「またも不意討ちとは、卑怯なり!貴様とは最早文言を交わすにも値せぬ!!神妙に我が鎗にかかり死ねぃ!」

 手綱を繰り、馬を走らせる。右手に握るランスは瓦礫に乗る休に向き、細い身体を突き貫こうと、一直線に駆けた。

 

(ランスは馬上で突く道具。故に突きこそが最強の攻撃となる)

 休は冷静に穂先を見る。今まさに休の腹部を貫こうとするランスを、休は沈着に見据えていた。

(しかし、ランスは突きが強力であると同時に、突く以外に決定的な攻撃方法がない武器でもある)

 

 ランスが届く十数センチ手前。

 これを捌くか、それとも躱すか。

 捌くのはリスクが高い。

 襲い来るランスを捌くにはライフルの銃身を用いるのが、現状ではベターだが、愛舐の攻撃は鉄の扉をぶち抜くほどの威力だ。捌ききる自信がないし、接触の衝撃でライフルが故障してしまう恐れもある。また、ライフルが壊れた場合、それ以外に休は武器を持ち合わせていない。唯一の武器を失う可能性がある行動は、まず避けたい。

 躱すのは意味がない。

 突きを躱したところで、そのまま薙ぎに来られるだけだ。その攻撃も躱したとしても、先程と同様に消耗戦になるだけである。仕切り直しに持ち込んだ意味がなくなる。

 では、どうするか。

 

「――――っ!!」

 休の取った行動は両方。

 捌くと同時に躱す。

 

 つまり、休は穂先に飛び乗ったのだ。

 

「ッ、うぬぅぅゥゥッ!?」

 驚倒する愛舐をよそに、休は次の行動を起こす。

 踏み出した右足を踏み込み、跳び上がる。休の身体は宙返りするように、騎乗する愛舐を大きく跳び越えて、

 

ぱぁん

 

と発砲し、手綱を狙い撃ち抜いた。

 

「ぬッ!? ウオオオオォォォォッ!?」

 手綱が切れた黒馬は多少体勢を崩したものの、構わず直進する。しかし、それに乗る愛舐は話が別だ。慣性に従って愛舐は前方に投げ出され、鞍から腰が浮く。

 騎馬が乱れれば、騎手はそれ以上にバランスを崩す。馬の気性や騎手の能力、馬具の整備不良、外部からのトラブルなどで、騎手が落馬することは多い。ましてや愛舐が投げ出された先は、休みが乗っていた、巨大な瓦礫だ。鎧を着込んでいるとはいえ、その衝撃は大きいはず。

 だが、嵌賀愛舐は超人である。

「オオオおおおォォぉぉッ!」

 愛舐は落馬しないよう太股で馬の胴を挟みつつ腹に足を引っ掛ける。そして素早く切れた手綱を掴んで引いた。荒々しい乱暴な方法だが、恐らく愛舐にしかできない妙技と言っていい。通常ならば、何も手が打てずに、瓦礫に衝突して終わりだ。

 愛舐はランスを杭のように瓦礫に突き刺し、平衡を保った。危機的状況の中で、力任せでない繊細な技量を発揮するあたり、やはりこの男は身体能力だけのプレイヤーではない。武具の扱いも一流だ。

「――まったく、本当にとんでもない人」

 常人ならば落馬は避けられない状況を打破した愛舐の行動は、流石の一言に尽きる。

 だが、愛舐はこの時、多少のダメージを負ってでも瓦礫にぶつかるべきだった。ランスで瓦礫を破壊し、無数の破片を浴びながらも駆け抜けるべきだった。

 敵に背後を取られるくらいならば、そうするべきだったのだ。

「――ッ!」

 愛舐も気付いたが、もう遅い。

「それでも」その頃には、休は既に引き金を引いていた。「ようやく、第一段階は、クリア」

 

 放たれた銃弾は黒馬の臀部に命中し。

 体内を掻き毟りながら胸部を貫いた。

 

「――――貴ぃ様ああああぁぁぁぁアアアアァァァァッ!!」

 膝を折った馬から飛び降り、瓦礫に突き刺さったランスではなく、腰の剣を抜き、襲い来る愛舐。

「あら、鎗は使わないのね」

 怒る愛舐とは対照的に、冷静に呟く。

 騎士の決闘において鎗は馬上で扱うもの、なんてことは休は知らないし、知っていたところで、次にやることは変わらない。

 鎧を鳴らして迫る愛舐は、叩き斬るように剣を振り下ろす。休の左肩から袈裟に両断せんとするそれは、ランスよりも速くて重い。

 それを右回りに避ける休。前に兜のスリットを狙われた愛舐は、それをさせまいと盾を掲げる。だが、休が狙っていたのは、兜の奥ではなかった。

 銃口は兜にも鎧にも向いていない。

 狙いは、愛舐の右籠手。

「……っ!!」

 ぱぁん、と銃弾は手首を貫き、籠手の内側を跳弾して掌を突き破った。

「ッガアァァァァッ!?」愛舐は剣を落とし、膝をつく。「貴様、小娘えええェェェェッ!!」

 

 弾丸を通さないほどに厚く重い鎧。それもフルプレートアーマーとなると、一見すると、隙間なく金属で覆われた、完全に防備された防具と思われるが、実はそうではない。

 例えば、休が狙ったように兜のスリット。または腋を始めとした間接部など、先の歴史的背景を除いても、案外弱点は多い。

 鎧は打撃による衝撃の吸収や、皮膚の摩擦防止のために、鎧の下に布製の衣服を着る必要がある。籠手も同様で、指先まで鋼で覆ったガントレットでも、素肌の上から直接装着することはない。それに籠手は武器を握る役目もあるため、掌も鋼で覆ってしまっては、武器を力強く握れない。そのため、掌が自由になるように造られているものが一般的だ。

 愛舐の籠手も同様だ。ランスという重量武器を扱うためには、しっかり握れなければならない。だが、掌が自由になる造りになっているということは、その部分は装甲がないという意味だ。

 蟻の一穴。それぐらいの隙さえあれば、休には十分。

 

「跳弾までは考えてなかったけど……まあ、そういえばそうよね。散々弾いてくれたわけだし」

 休の予想以上にダメージを負った愛舐は、手の痛みに耐えつつ、休を睨みつける。

「で。どうする?」そんな愛舐に、休は銃口を突きつけた。「盾にする?それとも、剣にする?」

 左手には盾が握られている。だが、盾で銃弾を防ぐことができても、攻撃することはできない。次第に追い詰められて殺されるだろう。

 盾ではなく剣に持ち直せば、攻撃することはできる。しかし、落ちている剣に持ち変えている間に撃たれる可能性が高い。

 延命か、誇りか。

 どちらを選ぶにしろ、これで詰みだった。

 

「…………」

 ちらりと、休は兜の奥の眼をようやく見ることができた。

 黒曜石(こくようせき)の如く輝く瞳。

 その瞳に、諦観はない。

 

「ッ!」

 愛舐が盾を投げて目眩ましにした頃には、休は左手に回っていた。

 今まさに剣を掴んだ、という瞬間、休は再び発砲し、同じように手首を撃ち抜いた。

「ぐがァッ!?」

 がしゃん、とうつ伏せに倒れた愛舐。最早勝ちの目はない。だが、それでも立ち上がろうと、肘を立てる。

「その諦めの悪さは、素直に感心するけれど」休は兜のスリットに銃口を射し込む。「あまり真似はしたくないわね」

「何を言うか小娘!決闘が意地と矜持によるものならば、その先の勝利を尊び、そのために全力を尽くすのは当然のこと!貴様のような腑抜けた小娘が、我が両手に風穴を開けた程度で、勝利を確信するのはまだまだ早いぞ!」

「……大怪我のくせに、全然元気ね。潔しが騎士道なんじゃあないの?」

 いやそれは武士道か、なんてずれたことを言いながらも、休は愛舐から眼を離さない。

「どうでもいいんだけど……それで、何か言い残して置きたい言葉はある?」

「ないッ!」

 愛舐は力強く答えた。

「何故ならば、この決闘に勝利するのは我輩だからだッ!!」

「強がるわね……ここからの逆転はないし、逆転はさせないわ」

「否、虚勢ではない!勝利とは、己が勝利せんと信じるからこそ、得られるものなのだ! それにッ!」愛舐は言う。「例え我輩がここで散るとしてもッ!我輩の同胞が貴様を殺すであろうからな!」

「同胞?」

 五人組三十五郎の部下は、あの男が殺しているはずである。それはロビーの先程までの有り様を見れば明瞭だ。

 それでも自信を持って語るということは、上階には嵌賀愛舐と同格の敵がいると見て間違いない。

 

(あの人はその敵と戦闘中?ありえないわけじゃあない、か)

(いずれにしろ、急いだ方がいいわね)

 

「信頼のおける同胞がいることの、何と心強いことかッ!後を任せて逝けることの、何と頼もしいことかッ!貴様には分かるまい、この素晴らしく美しい友情を!その一人で生きていることにすら飽いている貴様には、永遠に分かるまいッ!!」

「――そう」

 休は、その言葉を戯言と切って捨てた。休には正直なところ意味が分からなかったし、何より急がなくてはならない。まともに取り合う余裕はなかった。

 ただ、休自身も知らない心のどこかに、しこりとして残った。

 それを自覚するのは、少なくとも今ではありえない。

 

「では。三途の彼岸まで、御機嫌よう」

 引き金を引く。

 銃声と共に、鎧から僅かに血飛沫が飛んだ。それが休のツナギにかかる。

「……まったく、血を落とすのは面倒なのに」

 しかし気にしてはいられない。時間がない。

 けれども、走ろうとしたところで、休は足を止めた。

「……ふむ」

 気にかかったのは、愛舐が乗っていた黒馬だった。内臓を損傷しているはずだが、血溜まりの中で横たわりながらも、未だ生きているようである。

 息は弱く絶え絶えで、長くはなさそうだ。

「…………うん。いらないわね」

 休は黒馬の側を通りすぎた。

 

 

 

 一階ロビーでの戦いは、決着がついた。

 夢辻道休対嵌賀愛舐。

 生き残ったのは、夢辻道休。

「あんな肉、硬くて食べれたものじゃない」

 そう休は吐き捨てて、階段を駆け上がった。

 

 



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狙撃手と競争して戦争(5)

 

 

 『小さな戦争』と零崎双識(ぜろざきそうしき)が呼称する抗争に、零崎一賊(ぜろざきいちぞく)は現在巻き込まれている。抗争と言っても、敵の詳細は不明で、その上次々と他の組織や機関を巻き込んで戦闘が広まっており、滅茶苦茶で無茶苦茶で破茶滅茶な動向を正確に把握しているのは、恐らく元凶である人物だけであろう。

 零崎一賊の中で最も事態を把握しているのは零崎双識であろうが、それでも完全ではない。そもそも敵の正体どころか目的すらはっきりしないのだ。それでも一賊の殺人鬼に被害が出ていないあたり、立ち回りは相当に上手いが、それも時間の問題だと、双識は考えていた。

 何しろ要所要所で妙手を打ってくる。盤面を読む力に優れているということだ。特に別勢力を巻き込むという策は、零崎一賊にとって喜ばしくないものである。

 様々な相手との連戦は、零崎一賊のデータを取られているに等しい。

 例えば、総角(あげまき)三姉妹の一件は、本来は双識が処理するつもりであったが、結果としては曲識(まがしき)が自発的に処理した。だが正直な所、『少女趣味(ボルトキープ)零崎曲識(ぜろざきまがしき)というカードは、あの時には切りたくはなかった。ある意味で零崎人識(ぜろざきひとしき)よりも禁忌であるあの男の実力は、抗争の終盤でこそ効果を発揮する。

 幸いにも元凶である策師は、総角三姉妹を倒したのは零崎人識だと誤認してくれた為、曲識が動いたという真実を、抗争の終盤まで知られることはなかった。

 しかし代わりに、確信に近い現実を、策師は得ることができたのである。

 つまりは『小勢力である零崎一賊の中で、脅威となる実力を持つ殺人鬼はごく一部である』という事実。これにより、対象の殺人鬼にピンポイントに対抗できる駒を、無駄なく配置することが可能になり、策師は目的を達成する為の労力を大幅に削減させた。

 近い将来、最終的に零崎双識を殺害することを抗争終結の目処とした策師は、零崎曲識に『危険信号(シグナルイエロー)』、零崎軋識(ぜろざききししき)に『闇突(やみつき)』、そして零崎双識に『裏切同盟(うらぎりどうめい)』を派遣した。

 『裏切同盟』に関しては当人達が標的を零崎人識と勘違いしたおかげでことなきを得たが、もし勘違いしていなければ、双識は『裏切同盟』を全滅させることはできなかっただろう。

 勿論、そんなことは軋識には知るよしもないが、今回の軋識の思惑は、そこに端を発する。

 即ち『零崎討識(ぜろざきうちしき)零崎頸織(ぜろざきくびおり)は第一線で戦える実力があるのかどうか』。

 それを今回の件を通じて、見極めたかった。前線に立てる人材は、できるだけ多い方がいい。

 無論、懸念材料はある。頸織は根っからの気分屋だし、討識はああ見えて繊細だ。

 そう、零崎討識は繊細なのだ。

 殺人鬼としての性質を、揺るがさんほどに。

 

 

 ◆    ◆

 

 

 七階、廊下での戦闘は、一階での戦闘に似ていた。

 一方が攻撃し、一方が回避するという戦い。ただし、一階と違う点が、いくつもあった。

(糞が。コイツ、何をやってやがる?)

 刀を振るう。敵はバックステップでそれを避け、さらに距離を取った。

「――ふう」

 零崎討識は上段に太刀を構え、息を整える。対する白髪の男は、腕をだらりと下げ、中腰になりながら、討識を見ていた。

 白髪の男――討識は知らないが、その名前を闇口木霊(やみぐちこだま)という――は、身動ぎもしない。紫色の布を覆面代わりに巻きつけている上に、激しく動き回っている以上、かなり息苦しいはずで、肩で息をするのが普通なのだが、それすらもなく、ただ立っている。

(覆面の下に人工呼吸器でも着けてるのか?いや、それはありえない。さすがにそんな大がかりな装置は目立つし、小型化したものを持っている素振りもない)

(そんなことよりも)

 それが相違点であり、疑問点の一つ。かなり気になることではあるが、確かに、そんなことよりも、だ。

 それ以上に気になることが、ある。

 

(コイツ、何で攻撃しない?)

 

 闇口木霊は攻撃を躱すが、しかし全く反撃をしてこない。これが二つ目の疑問だった。互いに攻防を決めた上で行う約束稽古でもあるまいし、実際の戦闘で、ただ回避に専念するというのは不自然だ。

(時間稼ぎか?)

 五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)が、このビルから逃走するまでの時間稼ぎ。十分に逃げる時間を作り、その後、自身を倒してから追いつく算段だとすれば。

(――いや、その可能性は高くない)

 逃走時間を稼ぎたいのならば、五人組三十五郎と一緒に逃走する方が効率的だ。例えそういうパターンの戦いが不得手であっても、対処の仕方は、素人のそれとは違う。追手に追いつかれたのならば、その時こそ今のように別行動を取ればいい。主人を一人で行かせるよりも、格段に時間は稼げる。

 また、後に合流する腹積もりなのであれば、やはり攻撃しないで回避し続けるのは不自然だ。手早く追手を片付けてから合流した方が、主人の命を守れる確率は高くなる。

(なら、他の可能性――)

 実はもう一人部下がいて、五人組三十五郎はその部下と共に逃走。目の前の男は捨て石、という可能性。しかし、その可能性も低いだろう。策としては常套であり上等でもあるが、階下に人足を割いているのならば、その線は考えにくい。勿論、大人数を率いて行動している可能性もあるが、ならばその集団を足止めに使えばよいだけで、目の前の男に全てを託す必要はない。

(つまり、導き出される結論は)

 五人組三十五郎は『闇口木霊は零崎討識に勝利する』と確信している、ということ。

 でなければ、この男一人だけを差し向けたりはしない。

 

「――アンタの上司は、よっぽどアンタを信頼してるみてえだな」とりあえず声をかけてみる。「この俺を相手に、タイマンけしかけてくるとはな」

 実際には、タイマンとは駆け離れているが、ともかく、話しかける。

「…………」

 だが、木霊は喋らない。布越しでも、口を動かした様子も見受けられない。

 正直、返答は期待していなかった。先程から、攻撃を躱す以外の行動をしないのだ。喋ることだって、当然していない。

 自身の運動能力以上の情報を、徹底して晒さないようにしている。

(避ける以外してない、ってえのも引っかかる)

(コイツ、防御しやがらねえ。いくら素早くても、身体に刀の切っ先すら触れさせないなんざ、ありえない)

 武器を持った相手と戦う場合、誰もがまず覚悟するのは、自身の死亡だ。次いで覚悟するのが、身体の損傷である。特に刃物を相手にする時は、両者に大きなな実力差がない限り、最低でも擦過傷は避けられない。

 木霊は討識と同格のスピードを有する。しかし、それでも無傷で避け続けることは現実的ではない。そんなこと討識にだって自信がない。ましてや狭い廊下での戦いなのだ。必ず、避けられずに、刃を防御しなくてはならない場面に行き着くはずなのだ。

 木霊もスーツの上から籠手と脛当てを着け、拳と足の防護にオープンフィンガーグローブと軍足を装着している。怪我や損傷に対応した装備であることは見て明らかだ。それらに備えている人間が、受け技や捌き技を行使しないのは、やはり不自然なのだ。

(勘が良い、って感じでもねえし)

(攻撃を仕掛けた時には、既に避け始めているような)

 自身の癖を見抜かれているのか。

 いや、と討識は思い直す。相手に見抜かれるほどの癖は持っていないはずだし(そういうことは頸織との修練で解消している)、仮に自分では気付いていない癖があったとしても、それを十数分の打ち込みで見抜かれるとは思えない。少なくとも、討識はそういった攻め方はしていない。

(……考えれば考えるほど不自然の塊だな。次から次へと疑問が噴出してきやがる)

 こんな人間が武器を使わないというのも妙だ。

 徒手空拳のプレイヤーの数は多くないが、確かに存在する。殺し名序列一位『匂宮雑技団(におうのみやざつぎだん)』の匂宮出夢(におうのみやいずむ)や、将来的にその匂宮出夢や零崎人識、西条玉藻(さいじょうたまも)(本人がどう考えているのかは不明だが)をも苦戦させた『直木三銃士(なおきさんじゅうし)』のリーダー、直木飛縁魔(なおきひえんま)が有名だ。また、零崎一賊では頸織がそれに該当する。まあ、彼女は格闘家というよりは喧嘩屋に近いが。

 彼ら彼女らは自らの主義や趣味に則り素手で戦う。しかし闇口木霊という男もそうであるかは、討識には分からない。生死のかかった――匂宮出夢や直木飛燕魔のような人間には、更に任務という重責を載せた――戦闘に臨むにおいて、決して武器を使わないという確証はない。

 狙いはどうあれただ回避に徹する人間が、『敵を仕留める』という己が主人の命令に背くはずがない。何が何でも任務を遂行しようとするだろう。ならば、武器なり暗器なり兵器なりを使って戦うほうが自然だ。

 例えば、討識が捨てた拳銃を使ってでも。

(俺が使ったS&W(スミス&ウェッソン)でもいいし、捨てたボストンバッグに入ってる銃器でもいい)

(敵を制したいのならば、何をやってもいいんだ。落ちている銃を拾うぐらいのことはあってもいいだろう)

 今まで武器を使っていないという時点で、木霊に得物はないと予想できる。だがそれは絶対ではない。『闇口衆(やみぐちしゅう)』であろうとなかろうと、死に物狂いで手段を選ばず殺しに来るのが普通だ。

 『殺し名(ころしな)』には銃が効かないから銃を使わない、と考えることもできるが、それだって絶対ではない。脚を止めさせるなり逃げ場をなくすなり、工夫すれば有効な武器だ。使わない理由としてはやや弱い。

 そういった必死さ、決死さが、闇口木霊には感じられない。大猿のように大柄な身体つきの癖に、虫のように静動が極端なのだ。

(まあ、ボストンバッグの方には仕掛けがしてあるとでも踏んでるのかもな。引き金を引いたら暴発するとか)

 しないけど、と討識は思った。だが、例えそれが事実でも、討識が捨てた拳銃を拾えばいいだけだ(無論、そんなことはさせないが)。対面時に三発お見舞いしているから、暴発しないのは実証済みである。それとも四発目以降は暴発する仕組みになっているとか、弾を装填していないとか、そんな風に考えているのだろうか。

(もし本当にそんな風に考えていたら、用心深いにもほどがあるぞ。ゴルゴ13以上の臆病者(ラビット)じゃあねえか)

「…………」

 しかしそれが正解なのかもしれない。

 度が過ぎて用心深いから、と考えると辻褄は一応合う。

 攻撃を受けずに避けるのは、刃に毒を塗布してあると考えているのかもしれないし、武器を使わないのは破壊や故障を恐れている、と考えることはできる。

 攻撃を仕掛けないのは相手を疲れさせたいから、で説明はつく。そうでないならば、討識の攻撃パターンを観察しているだとか。確証はないから確信もないが、案外ありえそうな理由に見えてくる。

 それぐらい闇口木霊は不気味なのだ。何を考えているか分からない相手は、どんな世界でも脅威になる。

(とはいえ)

(真実味はある説だが、イマイチ説得力に欠けるよな)

 証拠など一切ない仮設、よりはっきり言えば妄想に近いものだ。

 それでもこれが突破口になる、という気がするのも事実だった。

「…………」

 身体の感覚を確かめる。

(いや、これは必要ない)

「……じゃあ、確かめてみる。か」

 身体能力に関しては、先程までの打ち込みで十分に確かめた。

 次は、闇口木霊の狙いについて確かめる。

 

「――ふっ!!」

 間合いを詰め、上段に構えた太刀を降り下ろす。けれどもそれは誤認させるための一刀。討識はわざと攻撃を空振りした。

 通常、眼前で仕掛けられたアクションに対し、人は何かしらのリアクションを示すものだが、木霊は全くそういった反応がない。瞬きすらしなかった。

 ならば次だ。

 振り下ろした刀を切り返し、顎を目掛けて振り上げる。

 かつて後目虚(うしろめうつろ)が放った『燕返し』。それを越える速さの剣撃を、討識は木霊に打ち込んだ。

 だが、木霊は一歩下がって回避した。それも迫る技が予め分かっているかのように、刀を振り上げたと同時に下がったのだ。

「っ!!」

 三手目は左腕。太刀筋をより鋭く、袈裟気味に斬りつける。

 籠手で防ぐべき一撃だが、木霊は左半身を退き、半身になり躱した。すかさず討識は刃を寝かせ、四手目に移る。

 平突き。木霊の右胸に、更に剣速を上げて突き込む。至近距離からの突きは非常に避け辛く、胸に刺されば致死率は百パーセントに近い。

 その突きを、今度は逆に右半身を退いて躱す。またも予知しているようで、神憑(かみがか)った反応である。

 これで木霊は、三歩で四撃、最小限の動きで回避に成功した。しかしこれも、討識にとっては想定通り。

 

 避けさせることにより退路を削り、壁際に追い詰める。

 

 予知しているが如き行動を予想して、布石として利用する。そしてこの状況を最大限に生かす技は、平突きを放った時点で発動する。

「――しゃあっ!」

 平突きは躱されても、横に薙ぎにいける。

 闇口木霊の右胸を切り裂く。

 普通のプレイヤーならば死ぬ。このタイミングでは避けきれない。だが木霊は――討識は知るよしもないが――『闇口衆』の暗殺者である。

 

 主人の命令にどこまでも従うのが暗殺者だ。

 土壇場で妙技を披露することなど造作もない。

 

(――んなっ!?)

 木霊は脚を前後に開脚することで沈み横薙ぎを躱し、その勢いのまま討識の股を通り抜けた。

 するりと、滑らかに、滑り込まれた。

 そのガタイでよくもと上手く躱された討識は、男性特有の生理的な嫌悪を抱くと共に、その避け方に戦慄する。

 あんな避け方を実行した奴は、討識の知る範囲では存在しない。

「おいおい、そんなのありかよ」討識は素早く振り返る。「普通は受けるところだろうがよ」

 あの危機を脱するには、籠手で受けて軽傷で済ますのが普通である。この男はそれをしないというのは、今までの行動で分かるが、それでもあのような行動にでるとは思わなかった。

 『闇口木霊は本当に回避しかしないのか』。不可避の一刀にどう対処するのか、それが討識が見たいものだったのだが。

(どうする……正直、斬る自信がなくなってきたぞ)

 ものの見事に躱されたことで、不安を覚え始めた。目の前の男を殺害する戦略が立たない。どうしようとも攻撃が当たらない、そんな異常なプレイヤーを相手にするのは、始めての経験だった。

 

 

(――負ける?)

 ぞくりと背筋が凍る。

 ぶるりと悪寒が走る。

 敗北という単語に、身震いする。得体の知れないものを見たように。

 柄を握る手に、じっとりと汗が滲んだ。

 

 

(…………いや。今はそんな場合じゃあない)

 振り払い、切り替える。まだ可能性が潰えたわけじゃあない。まだ敗れたわけじゃあない。

 まずは情報の整理だ。

(……とりあえず、奴は本当に攻撃をしない。躱すことに徹している)

 これは先程の一合で、ほぼ確定的だ。股下に入り込んでおいて、何も仕掛けてこないなど、討識には考えられない。討識だったら、金的に一発入れる。入れられなくとも、背後から一撃食らわせれば、それだけで大分有利になるからだ。

 だが何もしなかったということは、真実、そうなのだろう。攻撃するつもりがない。

(それでもあんなのはそうそうできねえ。一賊の中では……)

 双識の長い手足では難しいだろう。曲識では運動能力が追いつかないし、軋識はできたとしても、馬鹿馬鹿しいと断じて、そんなリスクは犯さないだろう。

 頸織はどうか。ああしたアクロバティックな動きは好きだろうし、実際できそうでもある。人識は小柄だし、普通にできるかもしれない。だが人識は妙なところで常識的だったりするので、『他人の股ぐらに滑り込めとか、ふざけんな』とか言って拒否しそうでもある。

 討識自身なら。

(――俺、自身なら?)

 何か引っかかる。別に討識に同じ行動ができないわけじゃない。けれども、討識と木霊では、何か違う気がする。

「…………」

 体格差。

 討識は中背程度の体格だが、木霊は筋骨隆々で大柄な身体つきである。そんな人間が、そう易々と股下を潜り抜けるなんてことが可能なのか。それも、(ふく)(はぎ)(もも)にも触れずにだ。

 それに先程の打ち込みも、さほど大きく脚を広げていたわけではない。大柄な木霊が滑り込むのは無理があるし、討識にだって自信がない。

(落ち着け……落ち着いて、一つ一つ、情報を振り返れ)

(何か。何かが分かるはず)

 

 攻撃をしない。

 防御をしない。

 回避しかしない。

 武器も使わない。

 武器も奪わない。

 

 用心深いかもしれない。

 構えない。

 喋らない。

 身動ぎもしない。

 息遣いすら感じさせない。

 

 木霊ができることは討識にもできる。

 言い換えれば。

 討識にできることを木霊は行っているということ。

 

「――――けっ」

 やられたぜ、と討識は独りごち、そして。

 

 

 

 動かない木霊を無視して。

 敵に背を向けて、走り過ぎた。

 

 

 

(やはり)

 角を曲がる。そこは階段の踊り場だった。討識は防火扉の影に隠れて、改めて気配を探る。

(追ってきている。焦ってやがるな、はっきり気配も感じるぜ)

 背中のホルスターから鞘を引き抜く。右手に刀、左手に鞘の二刀流だ。

(微かに足音も聞こえる……動揺して、隠しきれてない)

 重要なのはタイミング。恐らく討識の確信は正解に近いだろうが、それでも視認できるとは限らない。

 気配と足音を頼りに、呼吸を合わせて、一発で仕留めるよう仕掛ける。

 たたたっ、と足音が迫る。

(………………――――――今っ!!)

 気配が曲がり角に入ると同時に、討識は身を翻して刀と鞘を振るう。

 が、討識の眼には何も映っていない。壁があるだけだ。それでも構わず、刀は右側頭部、鞘は右胴を狙って叩き込む。

「――っ!?」

 討識の声じゃない。このビルで殺した人間の、誰でもない声がした。

 がきいぃん、と金属音が響いた。討識の眼には映らない、透明な何かが、振るわれた刀と鞘を防いだのだ。

 今、ようやく、疑念が確信に変わる。

(かかった――――!!)

 金属音と同時に、鞘は見えない何かに弾かれて吹っ飛んだ。そして次の瞬間、

 

たぁん、と。

 

 左手に握られたデリンジャーが、発砲した。

 

「っ、―――――~~~~~っ!?」

 声にならない声を上げながら、木霊が倒れ込む。何もない空間から、姿を表す。いや、何もなくはなかった。闇口木霊は確かにそこにいたのだ。

 ただ、討識には見えていなかっただけで。

「お?喉に当たったか。意識していなかったとはいえ、苦しいところに撃っちまったな。まあ、俺も散々振り回されてキツかったから、おあいこってことで」

 仰向けに暴れる木霊を、肩を踏みつけて抑える。

「さて、確認するぜ。推理小説なら解決パートってヤツだ」

 討識は蹴りが飛ばないよう、刃の切っ先を木霊の脚に向ける。攻撃と見なす行動があれば、即刻脚を斬り落とすために注意を払う。

 木霊に逆転の手はない。それを改めて認識して、言う。

「アンタは俺に幻覚を見せていた。その状況において俺が取るべき回避方法をトレースする自分の像を、俺の記憶か経験を乗っ取って幻惑していた」

 そうだな、と討識は同意を求めるが、木霊は当然答えない。喉を撃ち抜かれているのだ、例え声帯を破壊していなくとも、激痛と出血で答えられるわけがない。

 それに構わず、討識は続ける。

操想術(そうそうじゅつ)だか脳内干渉だか、そう言うんだっけか。この技術は時宮(ときのみや)拭森(ぬくもり)のものだって話だが、確かに切り札に欲しい人材だぜ。『呪い名(まじないな)』寄りのプレイヤーは本当に貴重だからな」

 『殺し名』と対をなすとされる『呪い名』は、その知識や技術の珍しさも相まって、非常に人口が少ない。何かしらの武力集団を創るに当たって、幻覚系や催眠系の技術を実戦で使える人材は、実に頼りになる。

「気付いた切っ掛けは二つ。一つは呼吸をしている様子もないぐらいに動かないこと。息をしないなんて生物としてありえないよな。 もう一つは幻影が俺の攻撃を股抜きで躱したこと。その大柄な身体で、脚にぶつからず綺麗に抜けるのは不可能だ。よって幻覚だという推測が立つ」

 状況証拠でしかないが、そう考えると、色々合点がいくことが多い。

 回避しかしないこともそうだ。木霊の幻影は攻撃し始めた時には、既に避け始めている。攻撃の癖を見抜かれているのでなければ、討識自身の『自分ならこう躱す』という経験を体験していると考えられる。

 例えば平突きからの横薙ぎ、普通は防御するが、木霊の幻影は躱した。あれは『自分が攻撃を躱す』なら『こういう行動をとる』という無意識下での想像を実像にした結果だと考えると、辻褄が合う。

 だが、それは討識ならそうするというだけで、木霊の体格や防備に合った行動ではなかった。

 それが、討識に幻覚であるのではとの疑念を抱かせてしまった。

「何故、幻覚なんて面倒臭え手を使ったのか。それはアンタが度を越して用心深いからだ。 少なくともアンタ本来の身体能力や判断能力は、決して高くないはずだ。出会い頭の銃撃を避けたのは、俺がそうすると想定できたからで、咄嗟にした行動じゃあない。事実、俺が仕掛けた斬撃は防御できたが、俺が更に武器を隠し持っていたことには、考えが及ばなかったみたいだしな」

 討識が銃を主武器にして殺していたのは、監視カメラなどで分かる。そのため、木霊は銃撃を予測し、討識が銃以外の武器を所持していたことには気付いた。だが、討識が幻覚を見破り走り出した時、焦って追いかける様な人間の判断能力が高いとは思えないし、また討識が放った二刀の一撃を防御したのは、明らかに咄嗟の判断によるものであった。

 それに何より、木霊は敵が背中に日本刀を隠し持っていた時点で、他にも武器を隠し持っていると考えるべきだった。日本刀の様に大きな得物を暗器にできるならば、それ以上に小さな暗器も持って然るべきだと予想するべきだった。

 零崎一賊では、零崎人識がその典型だ。百余本ものナイフを全身に仕込んだ人識の暗器の一つに、曲弦糸(きょくげんし)と呼ばれる糸を扱う技術がある。本来は拘束を目的とする技術であるが、性質上、曲弦糸は暗殺向きだ。だが、人識のような高度なナイフ使いが、そんな技を持っているなど、誰が予想できようか。

 討識は好んで日本刀を扱うが、基本的にはオールラウンドに得物を使える。それは討識が銃を扱えることからも察せられる。しかし、木霊は予定通りに得物を引き出したことで安心してしまい、その先の思考を打ち切ってしまった。

 情報の取捨選択、予想予測は生死を分ける。討識の袖口からデリンジャーが飛び出したのは、闇口木霊の最大の失策だった。

「幻覚を見せている隙に攻撃しなかったのも、幻影に仕掛けた攻撃に自分が当たるのを恐れたからだろう?つまりアンタの目的は、俺を心身共に疲弊させることだ。疲れさせて、俺の体力がアンタの体力以下になるのを待っていた。だが、用心は美徳でも消極的じゃあ意味がねえよ」

 しばらく踊らされた俺も俺だけどな、と討識は続けた。

「さて、最後だ。あの猫騙し、あれが幻術のトリガーだったんだろ?よくよく考えてみれば、あれ以外に幻術をかけるタイミングはねえ」

 踵落とし。猫騙し。連続の回避。回避は幻覚によるものなのだから、討識に幻術をかけたのはそれ以前になる。となると、今までの行動の中で、猫騙しだけが圧倒的に浮いている。

「踵落としで術をかけるのは、無理がありそうだしな。その点、猫騙しなら、有名ではあるが実戦的じゃあない技を使われたら、一瞬なら動揺する可能性が高い。その動揺を突けばいい」

 そもそも居合いに対して猫騙しを仕掛けるのはナンセンスだ。猫騙しは単純な技だが、それで本当に隙が生まれるかは、単純故に保証できない。それに例え隙を作れたとしても、その隙はほとんど一瞬に近い。

 だが幻術をかけるなら、その一瞬の時間があれば済む。また、動揺はしなくとも、不可解な行動から困惑はする。僅かな心の揺らぎさえあれば、一瞬の隙を突くのは難しくない。

 実際に、討識はその方法で幻術をかけられた。

「……まあ。喉を潰されてちゃあ話すこともできねえし、それ以前に話す気もない相手に確認を取っても、意味なんかねえけどな」

 確信はある。現に討識はそれを前提にして幻術を破った。しかし、討識の論は木霊の返答を得られない限り、確定がなく推定のままだ。

「とはいえ、中々面倒で厄介で煩わしい相手だったぜ。 一賊に曲識さんがいて助かった。アレを知ってるのと知らないとじゃあ、やっぱり全然違えや」

 結局あの人に近づくのはありえねえってことだな、と呟く。無論、木霊に伝わるようには言っていない。それに、最早木霊には、そんな言葉は届いていないだろう。

 今の木霊の身体は暴れておらず、唯ピクピクと痙攣していた。

「いい経験だった、二度と体験したくない。手も足も何も出せずに死ぬなんて、俺は御免被るぜ」

 じゃあな、なんて軽い言葉と共に、討識は木霊の脚を付け根から斬り落とし。

 銃痕を上書きするように、一文字に首を跳ねた。

 

 

 数年後。

 真実、本当の意味で、討識は手も足も何も出せずに殺されてしまう時が来る。

 少なくともこの時の討識は、その前兆すら知り得ていないし、その元凶の存在も知らない。

 人類最悪が指揮する人類最終。そんな絶対強者に殺される。

「……けっ、腰が伸びちまった。鞘に収まんねえじゃあねえか」

 討識は鞘を捨てて言う。

「『零崎討識、敗れたり』ってか。つまらねえ」

 

 



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狙撃手と競争して戦争(6)

 

 

 最上階、その廊下は他のフロアと違って、やや豪華な造りだった。床はカーペットが敷かれているし、壁紙も暖色系で他のフロアとは扱いが違う。電灯も事務的な蛍光灯ではなくクラシカルなランプだし、誰の作品かは知らないが人物画や風景画がかかっていたりして、ちょっと高目のホテルという風だ。

 そして、見るからに『社長室』という感じの部屋の扉は、重厚で豪奢な木製の扉だった。ダークブラウンの両開き扉、ドアノブは金色に輝き、ドアノッカーすら付いている。

「見栄っ張りなのかなんなのか……いや、本来商売ってえのはこんなのかもな」

 討識(うちしき)はどうでも良さそうに呟く。討識も住宅経営をしているから、こういう応接に適した空間も必要かと考えたが、そんな暇はなかったので考えを打ち切った。

 ドアノッカーではなく、扉を直接叩いてノックする。

(堅い……中身は木だな。鉄板や強化素材は入っていない)

(だが刀がな……)

 刀の反りが酷く曲がってしまうことを、腰が伸びると言う。こうした刀は通常よりも強度が下がり、斬れ味も悪くなる。

 木霊の籠手も中々の業物だったようで、正面から叩いてしまった討識の刀は、反りが曲がってしまったのだ。そうした刀の扱いも討識は心得ているが、できればあまり刀を使いたくないというのが正直な心情だ。

(なにしろ、武器らしい武器は全部アイツに棄てられちまったからな)

(あんまり手持ちの武器は減らしたくない)

 討識の武器が入ったボストンバッグは、討識が戦っている間に、七階の窓から棄てられていた。アスファルトに強く打ち付けられたようで、銃器が大量に散乱していたのが、このビルの数少ない窓から見えた。

 今更取りに行くには時間がかかるので、あのまま放置することにした。それに七階から落とされた以上、武器は全て故障している可能性が高い。銃も頑丈に見えて精密だ。ちょっとした衝撃が加わっただけで弾が出ない、なんてことはよくある。

(手持ちの武器はこの刀とデリンジャーが一丁、後は刀子数本と鎖分銅)

(鎖分銅は役立ちそうにねえな……刀子は状況によるだろうが、多分使い所はない)

 これで行くしかねえか、と討識は刀を振りかぶり、一息に扉を四角く斬る。そして、背格好程度の木板を強く蹴り飛ばして、部屋に侵入した。

 侵入して直ぐ様銃撃される。しかしそれは木板に命中し、その隙に討識は脇を通り過ぎて、一気に標的に向かって駆けていた。

 標的は小銃を構えた中年の男、五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)

「ぜぃあああぁぁっ!!」

 小銃を握る右手。中指から親指にかけて一閃に斬り落とし、続けて右腕を肩から切断する。そして右脚で横蹴りを下腹部に食らわせ、男を仰向けに吹っ飛ばす。

 五人組三十五郎は、木製の執務机に背中からぶつかった。

「……五人組三十五郎。で、間違いねえな」

 討識は男の正面に立ち、切っ先を喉元に突きつける。

「アンタの切り札は死んだぜ。本っ当に面倒な野郎だったが、俺の敵じゃあないな。あれは」

「こ、木霊(こだま)が」男が口を開いた。「木霊が、死んだのか?」

「あ? まあ、紫の覆面して具足着けた白髪の奴なら、俺が殺したが」

「木霊が……『分身(わけみ)木霊(こだま)』が、死んだ」

 肩を斬られた痛みを他所に、男は俯いて項垂れる。と思ったら、突然顔を上げて「――愛舐(あいなめ)っ、嵌賀愛舐(はまりがあいなめ)はどうした!?」と聞いてきた。

「知るわけねえだろうが誰だソイツは。ソイツもアイツも誰が彼だか知るものか。 俺は零崎一賊(ぜろざきいちぞく)の者だ。『理由なく殺す』『家族に仇成すものは皆殺し』で有名な零崎さ。てな訳で、さっさと皆殺されてくれ。今日は疲れたから、早く帰って休みてえ」

 左脇に刀を構える。まずは左腕を落として、その直後に首を斬る。

 

 だが、討識は忘れていた。あまりに闇口木霊(やみぐちこだま)の印象が強烈で、意識の外に追いやってしまったことがあった。

 下の階で自分達とは別に戦闘があったことを、すっかり忘れていた。

「――――!?」

 突き刺し貫く殺気。

 それを心臓に感じた討識は、背後を振り向かずに横っ飛びでその場を離れ、

 

直後に五人組三十五郎の頭部が破裂した。

 

「っ!」

 振り返ると、討識が開けた四角い穴を潜って、見知らぬ人間が姿を表した。

 痩身でスレンダー、着古したツナギに薄汚れた軍手という完全な仕事着を身に付け、武骨な設えの小銃を担いでいる。絹糸のように滑らかな黒髪をおさげにし、肌が青白く半眼だが、瞳は大きくて黒い。それが幽鬼を思わせる程に妖しく、そして美しい女。

 夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)

 彼女が、一階から追い付いた。

 

 

 ◆    ◆

 

「……誰だ、アンタ。俺もろとも撃ち殺そうとしやがって」

 討識が殺気に反応しなければ、五人組三十五郎の頭部に命中する前に、弾丸は討識の心臓を貫いていた。このビルにいる見知らぬ他人という時点で敵だということははっきりしているのだから、休の初手通り、文言は交わさず武器を交えるべきである。

 だが、討識は話しかけた。妙な違和感があったからだ。

 内部的でありながら外部的な圧力というか。

 この女性と話さなければいけないような。

「……撃ち殺そうとしたのは認める」

 休は無表情で言う。しかし休もどこか落ち着かないようで、その言葉も強張っていた。

「その方が効率的でしょう?」

 一石二鳥、一撃二殺。一発の弾丸で二人を始末できるなら、それに越したことはない。それは理解できる。

「弾丸一発分、節約できていいと思うけれど。それに互いに五人組三十五郎を狙ってた以上、最終的にはどちらが殺すかというだけの問題でしょう」

「いいや、違えな。最終的にどちらが死ぬかって問題だ」討識は刀の切っ先を休に向ける。「どうせ死んじまったんだ、この際五人組三十五郎を先に殺られたのには頓着しねえ。だが、プロのプレイヤーが二人揃って得物構えてんだ。普通は殺り合うのが筋ってもんじゃあねえのか」

 この女が五人組三十五郎を殺害したのだから、部下という線はありえない。かといって、この女が討識の味方であるなんて浮かれた考えは尚更ありえないし、何より討識は零崎一賊の殺人鬼である。

 『一賊に仇成すものは皆殺し』。

 不確定要素の強い相手は問答無用で敵だ。手っ取り早く殺すに限る。

 

(だが、妙だ)

(この女は、何かが変だ)

 

 そんな違和感が拭いきれない。そして恐らく、目の前の女もそう感じている。

 互いに、二人とも、何かがおかしい。

 幻術ではない、例えようのない違和感。

「いいえ。私は五人組三十五郎の殺害に対する成功報酬を得られれば、別にいいの。それさえ貰えれば、後のことはどうでもいい」

 意外だった。当たり前だが、暴力の世界に限らず、裏家業の人間は今まさに仕事を行うという、決定的な現場を見られるのを嫌う。理由は他人によりけりだが、金で働くプレイヤーとしては強請(ゆすり)(たか)りの面倒を避けるために目撃者は殺す、というパターンが多い。

 後々面倒を被せられるなら、今から火消しに労を割く方が幾らかましだ。

「他の人がそうかは知らないけれど、私の今回の報酬は一千万円。私にとっては破格の価格よ。貴方も、そういう目的でここに来たのでしょう?」

「……俺は違えよ。本当は貰いたいぐらいだが、俺は金が目的で動いちゃあいない。 それに、今の発言は俺の質問に答えてねえ。後のことはどうでもいいなら、俺に弾撃ってくる必要がねえだろう」

 討識の言葉は的を射ている。本当に報酬だけが目当てで、またコストを削減しようと思うならば、討識を撃つのは不自然だ。

「確かに撃ち殺そうとはした。面倒事になるのは嫌だから。でも、本気で殺すつもりだったなら、最初から一人一発ずつ撃つわよ。纏めて殺そうとしといて何だけれど、あれで死なないなら意味はない。無用な殺人は経費の無駄よ。利潤が減るわ」

 討識の誘いに、休は応じない。討識としては、休に発砲させたかった。その攻撃の隙に斬りかかれば、ことは簡単に片付く。

(……コイツ)

 そして女の気配に、討識は気付く。

 発砲された時には、イメージができる程に感じた殺気。

 だが、今では殺気どころか、敵意すらも感じない。

「――テメエの目撃者を見逃すってえのかよ」

「別に見られて困ることはしてないつもりよ。それに貴方はこの出来事を誰かに密告することなんてできない。殺害現場に居合わせた目撃者が警察に垂れ込んでも、事件との関与を疑われるだけ」

 それは討識も同意する。玖渚機関(くなぎさきかん)が身内の恥を見逃すはずがない。

 それでも、次の休の台詞は理解できなかった。

「……そして見逃すのではないわ。貴方とは共犯――いえ、共謀した仲になりたいのよ」

「……どういう意味だ?」

「お互いが力を合わせて五人組三十五郎を殺した。――そういう筋書きにしておいて、ことを納めないかと言っているのよ」

 静かだった室内が、更に固まっていく。それくらい、休の案は荒唐無稽だったからだ。

「何言ってんだアンタ。そんな筋立てに何の意味がある。メリットがねえどころかデメリットしかねえ。体裁を変えただけで、本質的には何も変わってねえだろうが」

「世間に対する情報操作ならそうでしょうけど、違うのよ。これは唯の密約。この場に限った辻褄合わせ。 私と、貴方。二人だけの秘密にして、今日は終わりにしないかしら」

 だって、と休は続ける。

 

「私、何故だか貴方を殺したくないから」

 

 糸を張ったような空気に放り込まれたそれは、実に常識的で情緒的な言葉だった。互いに刀と銃を構えているこの状況には随分皮肉が効いているが、しかし討識は皮肉ったり、否定したり、僻事だと断ずることもしなかった。

 

(ああ、そうか)

(これが違和感の正体か)

 

 殺したくない、と心の奥底から感情が湧く。

 それが討識に刀を振るわせるのを阻んだ。

 そして、一度自覚してしまえばお仕舞いだ。

 殺人鬼としての感覚など、この場に限っては消え失せる。

 

 目の前の女性を殺してはならない。

 

「……って、何だか告白みたいね。今の」

 休は微笑んで、銃口を討識から外した。討識も刀を下ろして、眼を休から切った。

「そう……かもな」

 了承した、と討識は言った。

 互いにメリットはない。もしもことが露見した時、僅かにデメリットがある、というだけのことだ。休は報酬の一千万円を、幾らかカットされるかもしれない。討識は双識や軋識に殺人鬼としての本分を果たさなかったとして、説教というペナルティを負うかもしれない。いずれにしろ、大したデメリットではないのだ。

 だが討識は、そんな損得勘定で盟約を結んだのではなかった。

 心の内に、世界の言葉に従った。

 それだけのことだ。

 恐らく、彼女も、そういうことだ。

 

「私は夢辻道休。山に住む狩人、つまりマタギよ」

「俺は零崎討識。殺し名序列第三位の、殺人鬼だ」

 互いに名乗って、格好もつけて肩書きも述べた。

 ファーストコンタクトは、これで十分。

「また、会いましょう」

「ああ、また」

「霞が(こも)る天狗山、ってところに、私は住んでるから。よければ来なさいな」

「ああ。よければ、な」

 

 休は踵を返して、穴を潜らず、扉を開けて部屋から出ていった。

 討識は追わなかった。そんな気にさせといて後からばっさり、といった手にも出なかった。

 

 

「…………帰るか」

 疲れたし。

 そう呟いて、一歩踏み出したところで、電話が鳴った。機械的な着信音。討識は懐から携帯電話を取り出して、相手を確認する。

 零崎軋識(きししき)

 相変わらず、狙い済ましたようなタイミングだ。

「――よう軋識さん。こっちは終わったぜ。五人組三十五郎も、きっちり殺した」

『ご苦労だったっちゃ』

 軋識は唯一言、労った。軋識は自他共に評価の厳しいタイプだ。一人前のプレイヤーならビル一棟の全滅ぐらいわけない、と考えていそうだし、できて当然のことには大して褒めない性質がある。

『で、討識。構成員を全滅させるのはともかく、フリーのプレイヤーとやらはどうだったっちゃか?』

 そういえばそんな話もしていた。

 あんな盟約を結んだ手前、夢辻道休という個人名を出すわけにはいかないのだろうが、しかし休も言っていた通り、あれは辻褄合わせでありその場凌ぎだ。無理に従う必要はない。

 付き合う必要もない。

「…………殺したよ。唯のプレイヤーで、弱かった」

 討識は、結局休の存在を語らなかった。

 このビルでの結末は、どう転んだところで変わりはしない。構成員は全員死んで、五人組三十五郎も死んだ。それだけだ。

 ならば軋識に言っても構わないのだが、討識は言わなかった。逡巡したが、言う気がなくなった。

(どうやら)

(夢辻道休のことを、俺は気に入ったらしい)

 殺し合いの場で出会った、狙撃手と殺人鬼。

 本来なら抱くはずのない、殺したくないと感じる相手との出会いを大切にしようと、討識は思ったのだ。

 これはきっと、好機であるはずだから。

 大切に、丁重に扱おう。

「詳しい説明は必要か?」

『いや、いらないっちゃ。五人組三十五郎が殺されたなら、特に問題ないっちゃ』

「……じゃあ、俺は帰るぜ。今日は色々振り回されて疲れた」

『おう。何かあったら、また連絡するっちゃよ』

「ああ、それじゃ」

 

 

 通話を切る。懐に携帯電話を戻して、溜め息を吐いた。

「『五人組三十五郎が殺されたなら、特に問題はない』……」

 討識は刀を立てて見る。反りが酷くなっている上に、よく見たら僅かにひびが入っていた。

「――――っ」

 討識は刀を亡骸に向かって投げた。回転しながら飛んだ日本刀は、頭のない五人組三十五郎の死体に、死体の心臓部にぐさりと突き刺さって止まる。が、刀身が振動した拍子に折れてしまい、柄だけが落ちて転がった。

「…………けっ」

 討識は扉を開けて退室する。

 休と同じように、帰りに穴は潜らなかった。

 

 

 ◆    ◆

 

 かくして、零崎討識は今回の一件を終えた。

 零崎軋識が討識と頸織(くびおり)をどう評価したかは不明だが、それは二人が『小さな戦争』の終局に全くと言っていい程関わらなかったことからも推し量れよう。つまり、良いものではなかったようである。

 頸織はそれに大変不満なようだったが、討識はさほど気にしていなかった。むしろ関わり合いにならなくて安心したぐらいで、周囲を気にせず、自由に振る舞えることを喜んだ。誰かから、例え家族であっても、自分の生活に関して口喧しく揶揄されたくはない。

 

 特に、夢辻道休。

 彼女との関係を探られるのは、討識には不愉快だった。

 しかし、何故不愉快に思うのか、討識は考えを巡らすことはない。

 討識は無意識に――否、意識的に、意識するのを避けていた。

 考えないようにしていた、分からないふりをしていた。

 

 自分の本質から、逃げるために。

 

 しかし、逃げには限りがある。逃げ切れない時が来る。討識にとっては、それが夢辻道休であるということだ。

 

 彼女との出会いは、必然だった。

 彼の物語にとっては、代替の利かない、不可欠な存在だった。

 

 それを討識が意識するのは、これから、ずっと先の話で。

 討識が死ぬのも、それから、ずっと先の話である。






以上で第二話、終了です。
前編の投稿から物凄く間が空いてすみませんでした。やっぱり公言するのはできる範囲のことにするべきですね。

誤字脱字があればご指摘お願いします。
ついでに感想も頂ければ幸いです。


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第三話
黒手袋と商談して切断(1)



第三話になります。
以前以上に間が空いてしまい、申し訳ございません。
今回も前後編の前編だけ投稿します。
よろしくお願いします。




 

『悪くない』

 受話器の向こうからの第一声が、それだった。

『お前から電話をかけてくるとは、実に悪くない』

「開口一番にそんな台詞は、随分と印象が悪いぞ」

『そうか? これでも相当に驚いているし、喜ばしく思っているのだが』

「とてもそうとは思えねえよ」

 とあるマンションの一室、零崎討識(ぜろざきうちしき)はソファに寝転がりながら電話をかけていた。肘掛けを枕代わりにし、脚を思いきり伸ばした完全リラックス体勢。膝の高さのテーブルには、グラスに注がれストローも差してあるアイスコーヒーに、市販品のビスケットが添えられているぐらいで、もうかなり気が緩んでいると見られる。

 時間も午後三時、おやつタイムである。

 それでも討識の表情は、かなり険しい。癖のある黒髪、長い手足、整った顔立ちと、容姿はそれなりに美少年だが、目付きの悪い三拍眼がそれを強く阻害する。ましてや今は不機嫌なようで、三拍眼が人を殺さんとばかりに、凶悪なものになっていた。

 その原因は電話の向こう側の人物。

 殺人鬼にして音楽家、零崎曲識(ぜろざきまがしき)にあった。

『つれない言い方だな。お前が小学生の頃、音楽を師事してやった仲だろう』

「頼んでもねえのに、勝手にリコーダー教えに来ただけだろうが。 まったく、あの時は三日も拘束されていい迷惑だったぜ」

『仕方がないだろう。お前が下手なのだから、時間がかかるのは当然だ』

「『きらきら星』吹くのに下手も上手いもあるかよ」

 早くも電話を切りたくなったが、ぐっと堪える。曲識には用があるからこそ電話をかけたのだ。ここで自分が臍を曲げては意味がない。

『ちなみに『きらきら星』はモーツァルトが編曲したことでも有名だ』

「は?」

 曲識が蘊蓄(うんちく)を披露し始めた。

『原曲は十八世紀のシャンソンの一つである『Ah! Vous dirais-je, Maman』だ。イギリス人のジェーン・テイラーが『Twinkle, twinkle, little star』という替え歌を詩集に載せたことで、童謡として世界的に広まった。が、その替え歌は十九世紀に発表されたから、モーツァルトが変奏曲として編曲したのはシャンソンの方だがな』

「ふうん」

 興味がなかった。

 というか、どうでもよかった。

「つうか曲識さん、自分の曲以外のこと知ってんだな」

『当然だろう。いくら僕でも、零から音楽を奏でることはできなかったさ。勉強の為に、一通りの楽曲は鑑賞したし、演奏もした』

 一通り、というのがどの程度の範囲なのかは分からない。しかし曲識は一賊でも数少ない、表舞台で大々的に活躍できる程の才能の持ち主である。そんな才人の一通りだ、恐らく、良くも悪くも、驚愕に値するぐらいに努力しているはずだ。

 それでも、曲識にとっては、普通なのだろう。

 良くはないし、悪くはない。

『勉強といえば、討識。お前は高校を卒業したのだったな』

「ああ。 ――曲識さんにも伝わってるんだな、その話」

『少し前にレンが嬉しそうに語ってきた。卒業式のスケッチも見せてきたが、あまりいい出来映えとは言えなかった。悪くない』

「それ、褒めてるのか?」

『褒めてはいない。レンが芸術的な製作が不得手なのは、そういうキャラクターであるからだ。僕達殺人鬼が人を殺す鬼であるのと同様に、それはそういうものだからな』

 意味深長なことを言っているようで、ただ貶しているだけである。

 まあ、出席していない卒業式のスケッチそのものに、かなりの無理があるのだが。

『よくもまあ、学校などと、遊びに呆けていられたものだ。僕には理解ができないな』

「俺も理解できないさ。姉貴に強制されてなきゃ、俺だって通いはしなかったし」

『僕が学校という空間で、唯一評価できるところは、音楽の授業があるという点だけだ。 それでさえ、その内容には大いに不満があるが』

「なら、音楽学校でも経営すればよかったじゃあねえか。 ああ、それだ」

 討識は思い出したように言った。当然、それは演技だ。だが、それが今日の本命でもある。

 本命で、本題である。

「曲識さん。アンタ、店開いたんだってな」

『ああ』

 『小さな戦争』が終結――終結の目処が立って数ヶ月後。

 零崎一賊の殺人鬼も落ち着きを取り戻しつつあり(実際に動いていたのは極少数だが)、各々が各々、自分達の都合で殺人活動に勤しみだした頃のことだ。

 零崎曲識が自分の店を構えた、という情報が討識の耳に届いたのだ。『少女趣味(ボルトキープ)』零崎曲識は人識(ひとしき)と同様、家なしの根なし草で、あっちこっちに放浪する殺人鬼である。それが一所に拠点を構えたのだから、一賊の殺人鬼なら驚こうというものだ。

「昔はホームレス殺人鬼とか呼ばれてたのに。時間は過ぎるものなんだな」

『――討識。お前は相変わらず、口が悪いな』

「悪くない、だろう?」

『誤用ではない。頸織(くびおり)から教わらなかったか? 親戚同士とはいえ、年上には礼儀を持って接するようにと』

「教わったともさ。 だが、礼儀を弁えない奴から教わったことなんか、従う気はないな」

『ふむ。確かに頸織の言葉では、説得力がない。だからといって、従う必要がないわけではないだろうが』

 曲識はふう、と溜め息を吐いて、言葉を続ける。

『お前は昔から口が悪い。口の悪さなら人識も大概だが、お前は人識よりも余程賢い。賢い分、お前は様々な出来事から、様々な事柄を学び、活かせるはずだが。その割には、あまり成長が見られないな』

「口のきき方で成長を量られちゃあ、堪んねえ。どうでもいいだろう、そんなこと」

『どうでもよくはないが、まあいい。それで、僕が店を構えたことがどうかしたのか』

「ああ。ちょっと、頼みがあってな」

 討識はソファの背もたれの方に寝返りをうった。

「曲識さんの店って、バーなんだよな」

『そうだ』

「じゃあ、曲識さんの客に、問屋の人間っているか?」

 問屋。卸売業。

 商品の流通過程において、製造業から小売業へ、商品の販売を行う業態である。

『……それは正規の事業者のことを指すのか? それとも、非正規の事業者のことを指すのか?』

「やっぱりいるんだな、そういう客。殺人鬼が経営するバーに、真っ当な奴が出入りするわけがねえ」

 討識は一人納得して「当然、非正規に決まってる」と答えた。奇人変人の巣窟である一賊の中でも、一際異彩を放つ男の店なのだ。普通の店だと思う方が無理がある。

『名誉のために断っておくが、僕の店の客が全て表向きでない商売に勤しんでいるわけではない。真っ当な人間も多い。 それに僕の店は真っ当な、清廉潔白、嘘偽りなく健全なピアノバーだ。客は僕のピアノを聴きに来るのであって、決して非合法な行動をしに来るのではない』

「そんなことはどうでもいいんだよ。 それで、そういう客を紹介してほしいんだが、できるか?」

『できるかできないかで言えば、できるな。だが討識。お前も事業者の端くれで、プロのプレイヤーだ。表立っては動けない闇商人ぐらい、お前なら見つけそうなものだと、僕は思うのだが』

「……まあ、それはその通りなんだけども」

『どうした?』

「どうしたもこうしたも……どいつもこいつも『そんな品はない』だの『こんな要望には答えられない』だの『あんなものは武器じゃあない』だの否定的でよ」

 けっ、と討識は悪態を吐く。アイスコーヒーでも飲んで落ち着こうと、起き上がってテーブルを見た。

「…………じゃあ、誰かから紹介してもらおうと思ったのさ」

『ならば僕に頼むより、レンやアスに頼むほうが確実ではないのか」

「そうしたかったんだが、断られてな」討識は再び寝転がる。「双識(そうしき)さんや軋識(きししき)さんも、『小さな戦争』の後始末が大変らしいぜ。方々に攻め込んだし、終いには匂宮雑技団(におうのみやざつぎだん)の『断片集(フラグメント)』と組んだりしたから、忙しくて構ってられないんだとよ。代わりに、どうせ暇してるだろうからって、アンタの店を教えてくれたのさ」

 つまり、忙しさから邪険に扱われ、あしらわれたのである。それは討識に曲識を宛がうなんて行為からも、露骨なぐらいに見てとれようというものだ。

『ならば、僕の店に来ればいいだろうに。お前はもう成人しているだろう』

「生憎まだ未成年だよ。それでなくとも、行くつもりはねえ」

 討識は零崎双識のことが『嫌い』だ。

 そして、零崎曲識のことが『苦手』だ。

 理由は単純、原因は曲識そのものにある。

 音楽家、零崎曲識は『音使い』である。音を媒介にして人間の行動を操り、音を衝撃波にして攻撃する。『(ころ)()』よりも『(まじな)()』に近しいこのスキルは、討識のようなプレイヤーには絶大な効果を発揮するのだ。曲識はその自慢の技術を、敵だけでなく家族にも行使するので、討識はそういう、他人の好きにされる感覚というのが、大の苦手だった。

 また、曲識のような、何とも言えない性格も苦手だ。物静かで表舞台に出ることを嫌うが、決して引っ込み思案でも出不精でもない。知能も低くないはずだが、その割には思い込みが強く、誰のことをどんな風に勘違いしているのかもよく分からない。

 考えが読めない相手は、正直不安になる。例えそれが、家族であってもだ。

「それより、どうなんだ? できるのか?」

『話を通すのは、問題はないだろう。だが、僕が紹介しようとしている人物は、それなりに地位の高い人間で、活動できるエリアが決まっている。恐らく、本人が討識の下まで赴くことはない。討識自身が、その人の下へ伺うしかないだろう』

「別にそれは構わねえ……」

 曲識と顔を会わせないのなら、遠出するぐらいは苦ではない。

 そう思っていたが、曲識は討識の言葉を遮って、話を続けた。

『しかし、討識。その人物と同程度の地位を持つ人間ならば、お前に会う可能性はある』

「ああ? どういう意味だ、そりゃあ」

『同じ組織で同程度の地位を持ち、違うエリアを統括する人間、だということだ』

 受話器の向こうから、かつんと音が聞こえる。何かを置いた音か、落とした音か。それには構わず、曲識は言った。

『そしてその人物は、商人ではない』

「はあ?」

『職人だ』

 職人――武器職人。

 その単語が意味することは、つまり。

「おいおい。それって……」

『お前の想像通りだ、討識。 先方には僕が話を通しておく。了承が取れ次第、連絡しよう』

「…………」

 討識の想像通りだとすると、やや面倒なことになる。

 『武器職人』という単語自体は、別段珍しい肩書きではない。商人が当てにならないならば、職人を頼るという発想も悪くない。

 しかし、暴力の世界において『武器職人』とは、ある集団を呼称する場合が多い。

 その集団は、金で動くことはないが。

 代わりに。

 何を請求されるか、分かったものではない。

 だから、なるべく関わり合いになりたくないのだ。利益にならないことが多いし、どころか、損害にしかならない場合もある。

「一つ質問がある」討識は問う。「俺にソイツを紹介することに、アンタにメリットがあるのか?」

『特にはないな。というよりも、家族の頼みを聞くのに、理由が必要なのか?』

「いや?身内が頼ってくるってえなら、俺でも応えたくはなるさ。 だが、身内に紹介するには、少しばかり危険な奴じゃあねえか? ソイツは」

『僕はそうは思わない』

 曲識はあっさり否定した。危険ではない、危険なのは当たり前だとでも言わんばかりだった。

『そもそもだ、討識。(ねぐら)の周囲では都合がつかないから、他人を頼るのはいいとしても、それならばお前自身が直接、僕の下へ出向き、頭を下げるべきではないのか?』

「それは……」

 言えない。好き勝手操られるかもしれないから行きたくない、なんて言えない。

『トキもアスも抗争の後始末で忙しい。リルに関しては基本的に音信不通だ。 そこにかかってきた電話が、開店祝いすら前置きにせず、ただ依頼を寄越してきたとなれば、厳しい応対にもなるというものさ』

「曲識さん……」

 アンタ、拗ねてるのか?

 という言葉が出かけたが、すんでのところで飲み込んだ。曲識が拗ねているのなら、ここでそれを指摘するのは余計だ。ここで機嫌を損ねては、紹介を撤回すると言いかねない。

「……悪い。礼儀がなってなかった」

 素直に謝った。それに対して曲識は『悪くない』と返した。

『お前の、その非を認めるところは、一賊の中では見ない美徳の一つだ。悪くない』

「そりゃあどうも……じゃあ、予定が取れたら連絡をくれよ」

『ああ。ではな、討識』

 電話が切れた。これからのことを考えると気が重くなるが、しかし決まった以上は仕方のないことだ。

 覚悟を決めよう。

「――で。勝手に俺のおやつを食うんじゃあねえよ」

「美味しそうだったんだもん。そりゃー食べちゃうよ」

 頸織は体育座りでソファに凭れ、討識のお菓子を食べていた。ビスケットはもう食べ尽くしたようで、タコス味のポテトチップスを食べながら、アイスコーヒーをストローから吸っている。

「曲識さん何だって?」

「何もねえよ。曲識さんがバーを開いたから、電話しただけだ」

「へえ」

 頸織が反応する。恐らく『バー』という単語に興味を持ったのだろう。

 頸織は酒に強くないが、酒が好きだ。未成年で酒を飲まない討識には、おおよそ理解できない思考と嗜好である。

「ロングアイランド・アイスティーだとかも出るのかな?」

「知らねえよ。 つうか、なんだそりゃ。アイリッシュ・コーヒーみたいなもんか?」

「違うよ~。ちょーっと名前が似てるだけじゃない、それ。 まったく、討識は何にも知らないんだねー。困ったもんだ」

「それを姉貴に言われるとはな……」

 実に屈辱的だった。

「んじゃ、今度行ってみようかな」

「また放浪すんのか」

「放浪じゃないよ、旅行だよ。帰る家があるんだから、人識くんと一緒にしないでよねー」

「別にここは姉貴の家じゃあねえけど」

「でも、入れてくれるでしょ?じゃあ、ここは私の家だよ。 私と、討識の家」

 嬉しそうに、楽しそうに笑う頸織。

 純粋無垢な笑顔に、討識は照れたように言った。

「まあ、それでも構わねえけどさ」

 討識の家族関係は、良好でも不良でもない。

 曲識の言葉を借りるなら『悪くない』。例え八つ当たりのように危ない人間をけしかけられたとしても、それは揺るぎないものだった。

 

 ◆    ◆

 

 閑散としたカフェテリアであった。壁の塗装は所々剥げ落ちているし、窓ガラスは見て分かる程に曇っている。店先に置いてある小さな黒板には、白い跡が雨垂れのように残っていて、長い間風雨に晒されたまま放置されているのが明白だった。

 見るからに閑古鳥が鳴いている店。当たり前だ、店側から客が入るのを拒絶しているのだから。

 討識はそんな店の扉を開ける。

 からん、とベルが鳴った。

「…………」

 店内も、やはり寂れた感じが否めない。照明も暗いし、椅子やテーブルも使い込まれて古ぼけている。

「…………」

 カウンターの向こう、店主らしき中年男性が、無言で討識を見ていた。

 何なんだ一体注文しろってことかと思い、討識は少し考える。

「……じゃあ、マンデリンで」

「煎り具合は?」

「……フレンチ・ロースト」

 店主が頷いて、作業を始める。討識はカウンター席に座ろうと腰を下ろすと、店主は「待ち人なら奥だ」と顎をしゃくった。無愛想でぶっきらぼうな物言いに、討識は僅かに苛立ったが、待ち人を前に揉め事を起こす程、討識は見境ない人物ではなかった。

 待ち人がいる。

 武器職人がいる。

「…………」

 そう考えると、やや気が重くなる。

 何しろ相手はただの職人ではない。『武器職人』である。

 その異質さ、凶悪さは、風聞だけでも十分に知れている。

「……けっ」

 何にしろ、もう今更だ。

 この先に待ち人はいる。

 広くない店内の奥、衝立のように仕切られた壁が邪魔をして、待ち人が確認できない。だが、確かに人がいる気配がした。

 席の横に付ける。

(――――?)

 座っていたのは女性だった。高校生ぐらいの華奢な少女。

 黒いロングヘア、黒いサングラス、黒いセーラー服と、全身が黒色でコーディネートされた、奇妙な女だった。

 スカートも黒ければタイツも黒く、履いているローファーすらも黒く、墨を塗ったように黒い口紅が唇を彩っている。

 そして高級そうな黒いオペラ・グローブの上から、黒い手袋を嵌めていた。ここまでくると黒以外なのは頬ぐらいのもので、その肌は桜のようでも魚のようでもない、上質な砂糖のように、文字通りに白い。白粉でも塗っているのかと討識は思ったが、しかし見たところ、それが素肌であるらしかった。

 モノトーンの世界に生きているが如く、奇妙で奇天烈な存在。

「……アンタが『武器職人』か?」

「――はい」口元に運んでいたカップを置いて(これもまた、やたらと真っ黒いコーヒーだった)、少女は答えた。「私が、『罪口(つみぐち)』です」

 討識は相手の正面にどかっと座り、脚を組む。対して少女は、前髪を後ろに掻き流して、それから膝に手を置いた。

「罪口商会第八地区統括。罪口即詰(つみぐちそくづみ)と申します。以後、お見知りおきを」

 少女――罪口即詰は軽く頭を下げて名乗った。言葉使いや振る舞いは年相応のものではない、大人であり社会人のそれだ。ただし、彼女は社会人ではないし、ましてや商売人でもないが。

 彼女は武器職人だ。

 呪い名第二位『罪口商会』所属の、武器職人。

「零崎一賊の殺人鬼。零崎討識だ」

 討識はやや高圧的に名乗った。相手が職人とはいっても、これから行われるのは取引だ。相手のペースに飲まれない為にも、強気の態度で行くのが良い。

 だが、根本的には意味がない。

 それは、討識にも分かっている。一応、とりあえずやっているだけだ。何かが良く転ぶかも知れないから、その布石ぐらいは打っておくだけのこと。

 その程度でぶれる相手ではないことも、分かっているけども。

「…………」

 店主が無言のまま、注文のコーヒーを淹れてきた。適度に注がれたカップを置いて、そのまま立ち去る。

 自分は何も聞いていないし見ていないから、何かを言うこともない。これはそういう意思表示だ。

「――では。早速本題に入りましょう」

 そう言って、即詰は傍らに置いていた二つのケースの内、一つをテーブルに乗せ、ケースを開いた。

「ご注文の日本刀。で、ございます」

 ケースに納められていたのは、抜き身の日本刀であった。

 二尺三寸一分、約七十センチメートルの打刀。日本刀によく見られる鎬造りに、丸みがあるが乱れなく揃った、兼房乱の刃紋。そして紺色の柄に朱色の鞘、葵形の鍔も添えられている。

型番号(シリアルナンバー)E458823F0016C。私、罪口即詰が製作致しました」

「…………へえ」

 純粋な機能美を追究した日本刀だが、この刀は芸術的にも美しい。斬るという意志を、まさしく精魂込めて叩き込まれたような業物だ。

「見事な出来だな。まあ、実際に振るわねえと、斬れ味は分からねえが」

「それについては、自信を持って保証致します。私が手ずから鍛え上げた、可愛い可愛い『子供』ですから」

 即詰はそう言って、コーヒーを口に含む。討識はカップに手をつけず、そんな即詰を見ていた。

 『子供』。

 自らの製作物に対する愛着、というよりも愛情のようなニュアンスを、その単語に感じた。

「…………」

 罪口商会。

 武器を造ること、凶器を作ること、兵器を創ることに執心、執着した、職人集団。

 武器至上主義、なんて言葉ではすまないぐらいの変人達だが、製造される武器の出来栄えは一級品だ。資材も私財も惜し気もなく投入し、最先端から最後尾まで技術を結集して武器を造り上げる。その為の研究、講究も欠かさず、その為の試験、実験も躊躇わない。

 と、そこで討識に疑問が生じる。

「この刀。アンタが打ったのか?」

「はい。そう述べたはずですが」

「その細腕でか?」

 討識は即詰の腕を指差して言った。グローブに包まれたその腕は華奢で、極端に細い。骨と皮だけという表現そのままな身体では、即詰は痩せている女子高生にしか見えない。

 とても職人には、見えない。

「確かに」即詰は言った。「そのお疑いはもっともです」

 カップに残っていたコーヒーを飲み干す。カップの縁には、不思議と黒い口紅が付いていなかった。

「私は見ての通りの細身で非力ですから。幼少の頃から身体も弱いですし、食が細いから体力もつきませんし、体力がないから筋肉もつきません。実際に、例えば鎚を持つのも難儀していますから、疑惑の目を向けられるのも無理からぬ話だと思います」

「別に疑っているわけじゃあねえよ」

 ただ不自然に思っただけで。

 とは言わなかったものの、その雰囲気は伝わったようである。

「……何か気に障ったみてえだな」

「そんなことはありません、昔からよく言われていることですから。 私の師匠――私の父親ですが――には、武器職人になるのは諦めろと、散々勧められたものです。まあ、当然ですよね。虚弱で泣き虫で愚図でのろまで、物覚えが悪い馬鹿には、勤まらないと見られても、仕方のないことです」

 言い終わると同時に、即詰の眉間に皺がよった。

 嫌な記憶がフラッシュバックしたように、下唇を食んでもいる。

「――いえ、撤回します。やはり気に障りました。私の誇りを汚されたようで、やや不愉快です」

 誇り、とは『子供』である武器、日本刀のことを指すのだろう。武器職人ならば、誇るべきは造った武器と、それを造り上げた腕だ。罪口商会が噂通りの集団ならば、尚更そうでなければならない。

「私は、私の武器を、命懸けで造り上げています。魂も心も精も霊も、全てを注いで生み出しています。武器製作こそ私の人生、どんなことであれ、一欠片でも疑念を抱かれるのは、私の人生を貶されたも同然です」

「……すまない。気を悪くしたのなら――」

「謝罪を求めている訳ではありません。それに私は気に障っただけで、気を悪くしたわけではないのですよ」

 武器への称賛は常に私への侮辱に勝ります、と言い、即詰は黒い手袋を外す。

「それに私が造った武器は、あなたと生涯を通じて添い遂げられるように、依頼主であるあなたの体格と要求に沿って造られています。誰かのために造った武器が、その誰かの手に渡らないのは、武器が可哀想ですので、武器が完成した時点で、その武器は依頼主のものですよ」

 続いて肩口まであるオペラ・グローブを外す。

 右腕から、次いで左腕を。

「例え私自身が(けな)されようと、(おとし)められようと、『子供』である武器が使われるのであれば、侮蔑は相殺され、帳消しになります。 勿論、大事に大切に扱って頂けるのならば、『親』としては非常に嬉しい限りですし、自分のことのように幸せです。何故なら――」

 

 オペラ・グローブの下、真っ白い両腕には。

 

 縦横無尽に駆け巡るかの如く、至るところに刻まれた傷。

 

「私が身を削り、砕き、粉にして、流した血液や飛び散った骨肉から成る武器が振るわれるのは、私自身が振るわれているのと同義だからです。身を呈して他人のお役に立てること以上の幸せが、一体何処にあるというのですか」

 

 無数の傷痕。

 大量の傷跡。

 白い腕に残る生傷。切り傷、打撲痕、ケロイド状に隆起した火傷痕、削がれたように肉が窪んでいる箇所もあれば、銃創のように穿たれたような箇所もある。右腕の肘辺りは焦げ茶色に酷く変色しており、左手首には明らかに猛獣の噛み痕としか見えない深い傷がある。

 指には夥しい数の手術痕があり、指の間接の幾つかには繋いだような縫合痕が残っている。それでも指が付け根から曲がっていたり、指それぞれの太さがまちまちだったりと、今でも決して完全には治っていないことも見て取れた。爪には黒いマニキュアが塗られていたが、その爪にだって、何度も剥がれた痕がある。

「……成程」

 討識は呟き、独りごつ。

 この傷は武器を造る上で負ったものだと。

「その格好は傷を隠すためか」

「ええ。傷によっては外気温が上下するだけで痛みだしますから。特に火傷は、未だに風が吹くだけで引きつるんですよ。困ったものです」

 傷だらけの素肌を他人に見られるのを避けるため、という意味合いだったのだが、即詰は的外れな肯定を返す。それは討識の予想通りの返答で、そして事実、即詰がこの傷に嫌悪感や羞恥心、劣等性を覚えることはないのだった。

 虚弱で泣き虫で愚図でのろまで、物覚えの悪い馬鹿。

 それが即詰の自己評価だが、それでも彼女は武器職人を名乗っているし、罪口商会第八地区統括という地位にすらいる。

「…………」

 曲識に電話した時のことを思い出す。

 曲識は天才だが、この即詰は明らかに天才ではない。過剰なほどに怪我を負っているこの少女に、天賦の才があるわけがない。

 だが努力をしている。

 恐らくは、天才ですら凌駕するほどに。

 恐らくは、天才でさえ驚愕するほどに。

 そして、栄誉の傷は、見せつけた腕だけでなく。

 その身の全て、全身に及んで――。

「…………けっ」

 この少女にとっては、傷だらけの身体は恥辱ではなく自尊の象徴なのだ。

 傷にまみれた分だけあらゆる経験をし、それ故にあらゆる武器を造ることができる。

 そして造られた武器が振るわれることで、刻まれた傷痕は報われる。

 身体が傷つくからといって、心が傷つくとは限らない。

 

(端から見れば、気持ちの悪い連中だ。普段なら近付きたくはないが)

(物を持っているのがコイツらな上、他人からの紹介とあっちゃあな)

 

 討識の注文通りの品物を作れる為、関わらなければならないし、曲識からの紹介である以上、付き合わないわけにもいかない。

 そもそも何故、討識は刀を一振り、求めているのだろうか。

 それは以前の、五人組三十五郎の件に端を発する。

 闇口木霊(やみぐちこだま)に放った一撃によって、討識の刀は曲がってしまった上にひびが入ってしまった。別に刀はあれ以外にも持っているし、大量生産の廉価品であるから、特に惜しくもないのだが、しかしそれでやや考えを改めることにしたのだ。

 討識は特定の得物を持たない。刀も振るうし、銃も撃つ。家には槍も置いてあるし、状況次第で弓矢だって射る。『寸鉄殺人(ペリルポイント)』のように爆弾を仕掛けることもあれば、『自殺志願(マインドレンデル)』のように罠を張ることもある。討識に取って置きの得物はないし、いざという時の方策もない。

 秘蔵の武器や戦法があると、それに頼りがちになる。それらを敵に知られた時、それが決定的な敗因になりかねない。

 死因になりかねない。

 だが、愛用の得物を持っているからこそ、強く、生き残っている者がいるのも事実だった。例えば、零崎双識や零崎軋識がそうだ。

 大鋏使い『自殺志願』零崎双識。

 釘バット使い『愚神礼讚(シームレスバイアス)』零崎軋識。

 彼らは個々の運動能力や判断能力の高さもさることながら、扱っている武器も強力だ。

 鉄の鎖をも裁ち切る大鋏は、てこの原理に日本刀の斬れ味を相乗させた武器だ。独特の形状から使用者の技術が求められるが、単にナイフとして扱うだけでも強力な武器であることには違いない。

 易々と頭蓋を砕く釘バットは、外装の釘から内層の芯まで鉛でできた重量武器だ。重いバットを持ち上げられる程度の筋力があれば、遠心力で振り回すだけでも絶大な破壊力を生む。

 大鋏と釘バット。非常に特異な武器を用いる二人の武功は数知れない。しかしそれは、愛着を持っている武器が優れていたからこそ、成し遂げられたものでもある。

 

 討識は強い。それは自身で自負しているし、自覚している。だからこそ業物といえる武器は持たなかった。

 しかし相棒ではなく片棒であったなら。

 頼りにする武器ではなく、消耗品としての道具であったなら、性能の良いものがあってもいいと思ったのだ。

 そうと決まれば行動する。即時即断、妥協なく注文を出して、刀を探し求めた。

 その注文や条件を満たしたのが、罪口商会だけだったのは、完全に予想外だったが。

 

「――さて」即詰はオペラ・グローブに袖を通し、黒手袋を嵌める。「私のことを分かってもらったところで、話を続けましょう」

 どん、と二つ目のケースがテーブルに置かれる。見た目は日本刀が入ったケースと同じだった。

「今回の代償についてですが」

 代償。

 代金ではなく、代償。

 武器の引き渡しに、金銭以外の何かを支払わせる。それが呪い名第二位『罪口商会』との取引における規約だ。

 取引相手が罪口商会と予感した時点で、討識は一気に意欲が減退した。悪評に名高い罪口との取引では、何を請求されるか、何を要求されるか、何を徴求されるのか、本当に分かったものではないからだ。

 この時点から二年後、零崎人識が罪口商会の人間と接触することになるが、その時の人識の有り様が良い例と言えるだろう。根無し草で無一文な人識が支払える代価など知れたものだろうから、ここで多くは語らないが、とにかく、人識が将来的に酷い目に逢う程度のことを、討識も経験することになったのだった。

「まずはこちらをご覧下さい」

 即詰がケースを開ける。入っていたのは、白鞘に納められた刃物だった。

 目測で一尺九寸ほど、五十センチメートル強の刀身。僅かに反った刀身に刃紋はなく、刃よりも峰の方が幅が大きい。白地の朴の木でできた柄に納められており、鞘は先のケースと同じく、別に添えられていた。

「日本刀、刀か? いや――」

 討識は外見から検分する。見た目はやや小振りな日本刀だが、どうにも違和感を覚える。

 白鞘に納めているというのも妙だ。刀の保存という面では、普通の鞘よりも白鞘が優れていることは、討識も知識として知っているが、しかし即詰がこれから何をするにしろ、即詰にこれから何をされるにしろ、この刃物を使うことは間違いはなくなったのだ。

 白鞘には刀身を錆びにくくする特性があるが、とても戦闘に耐えられる強度は有していない。そんな刀を見せるには、特別な意図がある筈である。

 違和感から辿って、記憶から引き揚げる。

 はたして、討識は辿り着いた。

「――こりゃあ、鮪包丁(まぐろぼうちょう)か?」

「流石は零崎一賊の殺人鬼、優れた観察力と知識力をお持ちですね」

 鮪包丁。

 マグロなど、大型の魚類を解体するために用いられる包丁である。

 食品を切る際に刃を往復させると、切断面が乱れ、食品の味が落ちる。鮪包丁はそれを避けるために、無駄に刃を行き来させないよう、普通の包丁よりも大きく造られている。

 見た目は日本刀、ものによっては、日本刀よりも長く大きい。

「おいおい、俺にマグロの解体ショーでもさせるつもりか? それとも俺自身を解体するとかか?」

「いえ、そんなことはありませんよ。そんな河岸にでも行けば見られるようなことはさせませんし、私の『子供』を譲る方を殺すようなことも致しません」

 それにこれは鮪包丁ではありません、と即詰は言った。

「型番号U214365Y2877D。名称は、そう――『獣包丁(けものぼうちょう)』とでも名付けましょうか」

 鮪包丁ではなく――獣包丁。

 その名付けの意味するところは、つまり。

「水辺の魚を解体する刃物ではなく、山中の獣を解体する刃物。それがこの武器のコンセプトです」

 黒い口元が、僅かに吊り上がった。

 自慢するように、自賛するように、即詰は微笑む。

「自信アリってわけだ。その包丁は」

「ええ。自信については全ての武器に漏れなくありますが、この武器はその中でも指折りの自信作――になる予定です」

「予定?」

「未完成品、試作品ですから」即詰は言う。「完成品をお見せできないのが、大変心苦しいのですが」

「それは別に構わねえが……まさか俺に試し切りをさせようってことなのか?」

 そこまで言われれば流石に気付く。

 試作品を見せてきたこともそうだが、即詰が自身で実地試験を行うことは、ほぼ不可能であろうからだ。虚弱で脆弱な上に、傷だらけの怪我まみれなのだから、武器を造ることはできても、武器を使うことはできないだろう。ましてや戦闘行為など、彼女にとっては自殺行為でしかない。

 ならば、他人にさせるまでだ。

 自分にできないことは、他人にやらせるに限る。

「はい。私の武器を受け取る代償に、この包丁で獣を切って断って割って分けて頂きたいのです」

 それも野生で、大型の動物を。

 生きているうちに。

 それが罪口即詰の提示する、代償だった。

「……けっ」

 討識は了承した、と即詰に告げた。

 

 ◆    ◆

 

「それで私のところにきたというわけね」

 夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は、その健脚で山道を登る。銃を担ぎ、険しく舗装もされていない山中を、会話していながらも、息を切らさずに。

「確かにこの山は、獣の発見には事欠かないわ。最近は特に鹿が増えすぎて困るぐらいだから、見つけるのはそう難しいことではないけれど」

 (かすみ)(こも)る天狗山。そう麓の人々が呼んでいる山に、ある二人の人物が登っていた。

 一人は夢辻道休。この山に住むマタギで、この山の持ち主でもある。

 絹糸のような黒髪のお下げ、瞳は大きいが半眼の目に細い眉、スレンダーな身体にベージュのツナギを、青白い肌に通した女性。武骨な設えの小銃を担ぐ手には使い古された軍手(よく見ると右手首部分は解れて破けている)が嵌まっていて、お洒落さなどは微塵も感じられないが、その端麗な容姿は幽鬼のように妖しく、この世の者ではないという魅力を感じさせる。

「――っ、はあっ、っ。ああ……くっそ」

 もう一人の人物、零崎討識は、悪態を吐きながら、息も絶え絶えに登っていた。一流のプレイヤーで殺人鬼である討識、体力にも相応の自信があるが、やはり傾斜の厳しい山道を登るのは、戦闘とは勝手が違う。

 慣れない山道、高所による酸素の減少、休との会話。それに荷物の重さが加われば、ベテランの登山家だって疲弊しようというものだ。

「畜生……はっ、高地トレーニングしてんじゃあ、ねえんだ、ぞっ」

 まずは刀――ではなく包丁。罪口即詰から受け取った『獣包丁』である。白鞘のままでは扱いづらいため、鞘と柄と鍔を仕立て直し、本日は左腰に帯刀していた。重いと言えば重いが、しかし慣れた重さだ。トレッキングウェアの下には拳銃を始めとした武器も携帯しているが、これも普段の装備に比べれば少ないものだから、さして気にならない。

 肩にかけたボクサーバッグに入った日用品も同様だ。というか、そもそもこんな山中に長居するつもりはないため(むしろもう帰りたいぐらいだ)、中身は簡単な着替えぐらいしか入っていないから、さほど重くない。

 問題は背負っている荷物だ。

「畜生、重え……」

 背負っているのはクーラーボックスだった。重量二.七キロ、容量二十六リットルの箱に、ストラップを付けて担いでいる。

 中身は完全に満杯で、当然に重い。

「重そうね」

 休は足を止めて、振り返った。ちなみに休の荷は小銃だけで、他には何も持っていない。そんな人間に、さも他人事のように言われるのは、かなり心外だった。

「だったら、お前が持てよ。 そもそも、これはお前のもんだろうが」

「それが今回の私の報酬だというだけで、受け取っていない以上、まだ私のものではないわ」休は再び斜面を登りだし、言う。「それに、女は荷物を持たないものよ」

「…………」

 どこかの女性誌に書いてありそうな台詞だった。というか女性誌の受け売りじゃあねえのかと討識は思った。

 隔絶された環境で育ったこの女は、案外、都会的なものに影響されやすいのかもしれない。

「まあ、そろそろ到着するから、もうしばらく頑張りなさい。小休止に、お茶くらいいれてあげるから」

「ああ是非そうしてくれ。これで労いの一つもなきゃあ、ぶち殺したくなってくる」

「それは恐いわね。 ええ、恐ろしくはないけれど」

 

 罪口即詰の代償に対して、討識が思い出したのは、夢辻道休の存在だった。確かあの時、自らのことをマタギだとか言っていたし、居を構えている山の名前も言っていた気がする。それを覚えていたから、即詰の代償を受け入れることができた。

 休に山中を案内させ、且つ休に解体のフォローをしてもらう。それが討識の思いついた手段である。

 休に通じている仲介屋を探しあて、接触を取ってもらい、連絡を待つこと一週間。封蝋で綴じられた封筒が送られてきたのには、休の初対面のイメージとは似合わない古風な方法で驚いたが、より驚いたのは、休に対する報酬の内容だった。

 そもそも討識は、今回の件に当たって、それなりの資金を用意していた。一括現金払いででも支払うつもりでいたし、多少の資金オーバーも許容するつもりでいた。

 だが、休は金銭を要求しなかった。

 討識の背負うクーラーボックスには、その代わりのものが入っているのである。金銭ではない、しかし言われてみればすんなり納得できるものが。

 

「あら」

 休は再び足を止め、浅い草むらの中で屈んだ。

「何だ……どうした?」

「これ」

 休が手にしていたのは、黒いボール状の何かだった。ゴツゴツしている上にひび割れていて、傍目には単なる石にしか見えない。

「何だそりゃ」

「ショウロよ」

「ショウロ?……ああ、松露(しょうろ)か」

 ん?松露? と、討識は思い出す。

 松露は和名で、フランス語では確かーー。

「ーーそれ、もしかして、トリュフか?」

 トリュフ。

 セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属に属するキノコで、ヨーロッパでは『黒いダイヤ』と呼ばれる高級食材。

「トリュフ? ……ああ、ええ。トリュフね」

 休の中では和名で落ち着いているようだった。一時停止したあとに同意はしたが、しっくりこないのか、首を捻っている。

「自生しているのは初めて見たぜ」

「そうね。大抵のものが生えているこの山でも中々見ない、非常に貴重な食べ物だから。私でも発見できたのは、これで三度目よ」

 日本にも野生のトリュフは存在しているが、その発見例は多くない。流石の討識も、自生しているものを見るのは初めてだ。むしろ三度も見つけている休は、かなり運が良い。トリュフは人の手の入った場所に生えやすいというから、山間で見つけているのは、尚更レアケースだ。

「ーーこれは、今後の楽しみに取っておくとしましょう」

 土を軽く払って、休はトリュフをツナギのポケットにしまう。

 討識に振る舞うつもりは一切ないようである。

「……まあ、いいけどよ」討識は言う。「そいつはたまたまだとしても、この山で暮らしてたら、食い物には困らなさそうだよな」

「確かに食べ物には困らないけれど、でも食べられるものは肉と野草とキノコと川魚ぐらいのものよ」

「充分じゃあねえか」

「生で食べられないじゃないの」

 歩を進める休。山育ちのためか、生食の危険性を熟知しているようだ。

「…………」

 背負っているクーラーボックスの中身を、脳内で羅列する。

「ーーけっ」

 何と言うか、呆れた。これでは案内の件がなければ、自分は単なるパシリではないか。

 一つ分かったのは、この女は金よりも生活を優先するタイプだということだ。扱いやすいのか何なのか、それは判断できかねるけれど。

「さて」

 目の前にあるのは柵だった。登山口にあるような金網ではなく、木製の杭を組み合わせた簡素なものに、有刺鉄線を巻きつけたものだ。

 ドア代わりの古い板木を押し開き、休は言った。

「私の家に到着よ」

 茅葺き屋根の屋敷。築数十年は経っているであろう木造の平屋が、どうやら休の住み家なようである。

 柵の内側は大分拓けており、縁側の側には小さな畑が広がっている。畑の脇には鶏小屋、その隣には納屋と、山奥の民家にしてはそれなりに充実しているようだった。いや、都会育ちの討識のイメージでは、はたして充実しているかは、正確には分からないが。

「まあ、上がりなさいな」

 ずずず、と戸を引くと、予想通りというか、玄関からすぐに囲炉裏が見えた。その奥は土間になっているようで、古い竈の傍には薪と藁が積まれている。

 時代劇で見るような、古典的な古民家。討識が持った第一印象がそれだった。

「適当に座って、休んでなさい。お茶を淹れてくるから」

 そう言って休は銃を壁に立てかけて、障子の向こうに消える。

 クーラーボックスを囲炉裏の前に置いて、討識はその隣に座った。

「…………」

 一切、警戒しないんだな。と、思う。

 別に休とは気の置けない仲でも何でもない。顔を合わせたのも、今回で二度目だ。そんな気心の知れてる訳でもない相手に、自宅とはいえ、武器を手放すというのは、無警戒が過ぎはしないだろうか。

「…………けっ」

 警戒に値しない。否、警戒する必要がない、ということである。

 それは嘗められているのではなく、侮られているのでもなく、ただ単に信じられているからだ。

 自分は相手を殺さないし、相手も自分を殺すつもりがない。

 

(『何故だか貴方を殺したくないから』)

(なんて、普通に考えれば、ふざけた言葉だよな)

 

 信頼してはいないが、信用はする。討識と休の関係性は、つまりはそういうものだ。あの密約とはとても言えない口約束を信じるのは、はっきり言って馬鹿そのものである。

(それに乗って口裏を合わせた俺も俺なんだが)

(俺も馬鹿ってことか)

「もっと賢いつもりだったんだがなあ……」

「何が?」

 休が戻ってきた。両手には切子に入った麦茶を持っている。その左手の分を手渡して、休は囲炉裏の反対側、討識の正面に胡座をかいた。

「っ、ーー、ーー」

 ゆっくり、静かに、休は麦茶を一気飲みする。その仕草自体ははがさつなものだが、頸織とは違って、御淑やかで落ち着いていて、実に清楚で綺麗だった。

「ーー? 飲まないのかしら?」

「いや……」

 促されて、ようやく討識は麦茶に口をつける。普通によく飲むような、チープな味だった。

「水出し麦茶三十パック三百円、ってところか?」

「惜しい。 二百五十円よ」

「そんなに変わんねえだろ。どっちにしたって安物じゃあねえか」

 四分の一ほど飲んだところで、討識が言う。

「あら、安物は嫌い?」

「嫌いなわけねえだろう。 嫌いだとか言う奴は、偏屈な美食家か、虚栄心の強い成金か、それらを夢見る貧乏人さ。いずれにしろ、ロクなもんじゃあねえ」

 切子を置いて、軽口を叩く。

 そうできる程度には、討識も休のことを気に入っていた。これはかなり珍しいことだと、自分でも感じていた。

 討識が気に入る相手といえば、一賊では軋識ぐらいのものである。通っていた高校でも、特に親しい関係の人間はいなかった(むしろ絡まれる程には嫌われていた)訳だし、休のように、身内でもないのに親しみのある相手というのは、かなりのレアケースだ。

「しかし麦茶とは、一気に生活感のある飲み物が出てきたな」

「どういう意味よ」

「勝手な印象でモノを言わせてもらうと、俺はドクダミ茶とかセンブリ茶みてえなのが出ると思ってたぜ」

「……分からなくはないけれど、ね」

 面倒くさいじゃない、と休は答えた。

 討識のイメージでは、この天然自然な山中に住まうからには、嗜好品に凝っていそうな雰囲気があったのだが、どうやらこの女、消極的というか、それなりに合理的であるらしい。

「出せなくはないけれど、飲む?」

「遠慮する」

 健康には良さそうだが、際モノは避けたい。特にセンブリは強烈に苦いことで有名だし、これからの行動に少なからず影響を与えそうなものは、なるべく控えたいところだった。

 そう。

 これからの行動こそが、本命であり、本題なのだ。

「さて、一息ついたことだし、本来の目的に入りましょうか」

 休の視線が、討識の隣に寄せられる。

「その箱を開けなさい」

 箱とは勿論、クーラーボックスのことだ。大仰な、というか大袈裟な言い方にやや呆れたが、それだけ待ち望んでいたのだろう。

 別に中身は大したものではない。しかし休にとっては、生活的に死活問題に等しいのかもしれない。

 と、無理矢理に解釈した討識は、蓋を開けて、中身を休に見せる。

「ーーこれは実に」休は満足そうに頷いた。「美味しそうな(かに)、ね」

 クーラーボックスの中身は、海産物だった。

 蟹を始めとして(さけ)(たら)(たこ)(あわび)帆立(ほたて)牡蠣(かき)と、旬の海の幸がつまっていた。鮮魚や干物もあれば、瓶詰めの雲丹(うに)や数の子や烏賊(いか)の塩辛、乾燥した昆布だの若布(わかめ)だのなんかもあったりして、最早ちょっとした市場を凝縮したかのような内容物である。

「いい。実にいいわよ。期待以上の報酬と言えるわ」

「そりゃあどうも」

 今回の件で休が指定した報酬は、金銭ではなく食料だった。

 それも海産物限定。

「山奥で暮らしているから、鮮魚の類が珍しいのかと思えば、そのものズバリって訳か」

「そうよ。特に甲殻類や貝類は、川では手に入らないから」

田螺(たにし)とか沢蟹(さわがに)じゃあ駄目なのか?」

「飽きたわ」

 既に食べていたようだ。考えてみれば、子供の頃からジビエ料理を食べて生活してきたようなものなのだろうから、飽きるのも当然なのだろう。

「しかし、思ったよりも沢山買ってきたのね。重そうに運んでるのを見てると、軽く罪悪感を覚えてしまったわ」

「重かったのは確かだが、別に大したことはしていないし、労力もかけてはねえよ」

 ただ単に、北海道のアンテナショップで売っていた物を、手当たり次第に買い漁っただけのことだ。予想外の出費ではあったが、予想以上の出費ではなかったことだし、食料の提供ぐらいで喜んでもらえるなら結構だと、討識は思った。

「でも、ありがとう。嬉しいわ」

 そう言って、休は微笑んだ。

「私の手料理を振る舞ってもいいぐらいよ。これは」

「喜び度合いはどれぐらいなんだ、それは」

「トリュフを使ってもいいぐらいかしら」

「いや、分かりやすいつもりかもしれねえけど、分からねえから」討識はクーラーボックスを閉める。「ボックスごとくれてやるから、今日はよろしく頼むぜ」

「勿論。 イエティでもビッグフットでもヒバゴンでも仕留めてみせるわ」

「全部UMAじゃあねえかよ」

 それも全て猿人だった。

 世代的に知らなくてもおかしくない(ヒバゴンは特に)のだが、妙なところで知識のある女である。

「月刊ムーが愛読書だったりしないよな?」

「むう?」

「いや、何でもない」

 それは知らないようだった。

 やはり、変な女だ。

「じゃ、そろそろ行きましょうか。暗くなる前に、家に戻りたいし」

「やっぱり夜はマズいのか?」

「私は土地勘があるから平気だけれど」休は言う。「貴方は違うでしょう?」

 夜の山歩きは危険、という意味だ。通常ならば休も危険なはずなのだが、そこは生まれ育った場所である。安全な道筋や安泰な方法を持っているのだろう。

 しかし休一人ならばともかく、素人である討識を連れて歩くのはリスクが高い。

「まあ、私とはぐれなければ大丈夫よ」

 休はライフルを肩に担ぐ。武骨な設えのそれは、黒く鈍く光っていた。

「はぐれた場合は、安全は保障しないけれど」

 その言葉に対して、討識は「けっ」と笑った。

万事了解(オールオーケー)。精々迷わず惑わず、踏み外さず、山道を歩くさ」

「ならいいわ」

 では、と休は続ける。

「一緒に、山狩りへと洒落込みましょうか」

 





前編終了です。後編は来年になると思われますが、できるだけ早く投稿しますので、どうぞお付き合いください。
誤字脱字報告、感想よろしくお願いいたします。


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黒手袋と商談して切断(2)



お久しぶりです。石持克緒です。
まさか一年経って仕上がるとは、全く思いませんでした。プライベートが忙しくて中々時間が取れず……。
大変お待たせしましたが、第三話後編、お楽しみ下さい。


 

 

 二時間が経った。

 日は暮れてはいないが、木々が日差しを遮断して、かなり薄暗い。

 討識(うちしき)獣包丁(けものぼうちょう)の鞘を地面に突き刺し、その場にしゃがみこんだ。

「災害時には動き回らずに待機していた方が、発見される確率が高いらしいが」

 ぼそぼそと呟いた。本来なら本人にも聞こえないぐらいに小さな声だったが、物音どころか鳥の囀ずり一つしない山中では、やけにはっきりと自分の声が響く。

「遭難時も同じことが言えるのかは、不明瞭だよな」

 遭難。

 山や海にて生命に関わる程の災難に見舞われること。

「けっ。よりにもよって、遭難とはな。俺としたことが、情けねえや」

 零崎討識(ぜろざきうちしき)は遭難していた。

 あんな余裕そうにしていたにも関わらず、はぐれていた。

「ダサすぎて恥ずかしいを通り越すな……まったく」

 包丁を引き抜いて、軽く身体を伸ばす。

「……待つか」

 膝丈ぐらいの石に腰かけて、懐を探る。出てきたのは、カロリーメイトのメープル味とチョコレート味。

 これらが、現在の討識の全食料だった。

「心許ないにも程があるな。もっとマシなレーションでも持ってくりゃあよかった」

 そもそもがはぐれることを想定していないのだから、むしろ少量とはいえ食料を持っていたこと自体、評価されるべき備えだと言える。

 しかし評価する人間が討識一人なのだから、自身の行いに辛くなるは当然だった。シビアな想像は現実と遜色ないと考える討識は、自らの予想の甘さを恥じた。

「ジッポーとカロリーメイトと刀……一夜は越せるか……?」

 越せるだろうがなんとも言えない。しかし、今は待機する以外に有効な手立てがないのは確かである。

 狼煙でも上げてみようと、枯れ枝と落ち葉を拾い集める。山火事にならないように、土が見えるまで枯れ葉を掻き集めて、一ヶ所に纏めた。

 ジッポーでカロリーメイトのパッケージを燃やし、次いで落ち葉の山に引火させる。

「これで見つけてくれればいいが、どうだかな」

 枝と葉を()べると、もうもうと煙が上がる。火勢が安定すれば、太い枝も燃やせるだろう。

「……さて」

 煙は木々の隙間を縫って立ち上る。

 討識は溜め息を吐いて、黙ってそれを眺めていた。

 

 ◆    ◆

 どこそこに行けば何々の動物がいる、とは確定していないようで、比較的発見する確率が高い道を、二人で巡ることになった。

 長い草花や落ち葉、踏み均されてない土により地面が柔らかい上に、所々に石が埋まっていて、かなり歩き辛い。それでもクーラーボックスを担いでいた時よりは、大分楽に登れているあたり、やはりあの荷物は余計だったのだと思った。

「そういえばだけどよ」

 歩きながら、討識は問う。

「アンタって、ずっとこの山に住んでるのか?」

 その質問に、前を歩いていた(やすみ)は、振り返って答えた。

「ええ、そうね。かれこれ二十年ぐらいは」

 大きな瞳は、討識を捉えてはいなかった。木々の先、遠いどこかを視るように、休の目は明後日の方向へ向いている。

「産まれた時からか?」

「産まれた時から」

 そう言って休は前進する。

「父と母と兄と私で。四人家族だったのよね、私」

「へえ」

 正直興味はなかったが、意外だったので反応してしまう。何故反応するのか、討識には不思議だった。

「もう、あまり覚えてないんだけれど」

「そんなもんじゃあねえの。俺だって、親のことなんざ、ほとんど覚えちゃあいねえよ」

 嘘である。本当は、しっかりと覚えている。

 顔も声も、刺した感触も、裂いた感覚も。

「で、アンタ一人がこの山に住んでるってことは、殺し屋一族なアンタら一家は離散した訳だ」

「殺し屋じゃないわよ。マタギ」

「マタギが人なんか殺すかよ」討識は笑う。「ゴルゴ13みてえな真似してる時点で、殺し屋でしかねえだろ」

「私には彼のような肉弾戦はできないわよ」

「それは知ってるんだな」

 しかも『肉弾戦はできない』と言っているだけで、狙撃の技術は同格だと暗に主張している辺り、相当な自信家でもあるようだ。

「確かにマタギは山に住まう狩人だから、基本的に人間は殺さないけれどね。必要に迫られれば、仕方がないでしょう」

「必要に迫られる余地があるのか? ……ああ、税金とかか」

 山に住んでいるということは山の所有者であると考えられるし、ならば固定資産税等を納付する義務がある。

 そうでなくとも現代生活に税金は付き物だ。山奥で自給自足していても、否、山奥に住んでいるからこそ、金銭に窮するのは当然であろう。

「税金なんか払ってないわ」

 休がとんでもない発言をした。

「払ってるの?大変ね」

「……そりゃあ払ってるさ。平地で暮らしてればな」

 未納者に対する嫌味のような言葉を吐く討識も、休の後を続く。

 マンションのオーナーも中々大変なのである。

「税金を抜きにしても、何やかんやでお金はかかるのよ。飼料とか肥料とか、バッテリーとかガスボンベとか。それに」

「それに?」

「それに、弾とか」

 弾、銃弾。

 それも休ならライフル弾だ。

「何種類も使い分けてると、それなりにお金もかかるのよね」

「そりゃあそうだ」

 フルメタルジャケットやホローポイント、AP弾、散弾など、弾丸の性質は多種多様だ。当然、状況によって用途は異なるので、休のような狙撃手に弾丸の選別は必要な活動である。

「アンタなら、仕事用と狩猟用とで、最低二種類は必要だからな」

「そうね。狙撃の状況次第で、使う弾丸も変わるから」

 それは五人組三十五郎(ごにんぐみみとごろう)の時の状況も含むのか、と言いそうになったが、言うまでもないことかと思い直して止めた。

 派遣会社五人組のビルを出る討識が目撃したのは、破壊しつくされた一階フロアと、巨大な軍馬の死骸に巨体な騎士の死体だった。

 その傍らに転がっていた、型の違う薬莢を見れば、一目瞭然である。つまり休は弾丸を使い分けるタイプのプレイヤーで、延いては狙撃のプロであることを示していた。

 プロのプレイヤーであるかどうかは、また別のことだが。

「まあ、地獄の沙汰も金次第、阿弥陀の光も銭次第とか言うし。金稼ぎで人を殺すのは、理解できなくはねえよ。 でもアンタ、この山にいる限り、生活には困らねえだろ。そもそも金なんか必要ねえと思うんだが」

 確かにその通りで、社会と隔絶しているとはいえ、休は自立して自活している。本来なら、休は金銭に窮することはないはずだ。

 しかし、これもまた言うまでもないことであった。それでも質問したのは、予想を確認する為であり、そして自分がどんな人間に惹かれたのかを確認する為でもある。

 延いては、今回自分はどんな人間を頼ったのか、それが正しく賢い選択だったのか、見定めたい。

 具体的には、将来、夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は敵になりうるかを見極めたい。そういう意図を含んだ、発言であった。

「健康で文化的な最低限度の生活」休は言った。「の、為かしら」

「はあ?」

 何言ってんだお前。

 思わず口に出そうだったが、なんとか堪えた。

「考えてもみなさい。この山で暮らすということを」

「分かんねえから聞いてんだろうが」

「なら想像してみなさい」

 それだけなら容易いはずよ、と休が語る。

「電気がない、ガスもない、水道もない、電波は届かないしネット環境も整ってない。舗装されてないから歩くだけでも危ないし、雨が降れば土砂崩れ、雪が降れば雪崩の危険がつきまとう。春夏秋冬天候が変動し易いから、それに合わせて体温を調節しなきゃいけない。自然豊かではあるけれど毒性を持つ植物も多いし、人間よりも遥かに優れた身体能力を持つ動物だっている」

 そして、と続けた。

「それらを踏まえて得たもの全てが、常に安全であるとは限らない。そんな生活は非凡ではあるけれど、不毛で無足だと思わない?」

 不毛で無足で、非生産であり未確定。

 つまり文化的でない。

「で? 要するにアンタは、人生に娯楽や豊かさを与えるために、金を稼ぐって訳か?」

「ええ。 だってこの暮らし、面倒臭い上につまらないし」

「その割には二十年近く住んでるみてえだが」

「移動するのも面倒だから」

 慣れ親しんだ場所を離れるのも何だかね、なんてふざけたことを抜かす。

 何だか夢辻道休という女の、根本というか、本質が見えた気がした。

「ところで、私の身の上話を聞いてどうするの? 少なくとも貴方には役に立たない話だと思うのだけれど」

「立たなくはねえさ。例えばアンタを裏切るときとかに、さ」

 親愛を深めておけば、後々殺しやすくなるかもしれない。

 半分冗談で半分本気だったのだが、休は軽く笑って流した。

「裏切って殺したところで、私から取れるものは何もないわよ」

「だろうな。期待はしてない。ーーなあに、単に興味本位ってだけさ。これまでに様々な人間と出会ったけど、流石にマタギなんて名乗る奴はいなかったからな。そりゃあ関心も覚えようってものだぜ」

「そう。貴方がそう言うのなら、そうなんでしょうね。私にとしても、殺人鬼なんて妙な肩書きを持つ人間は、初めて会うわけだし」

 殺人鬼とマタギ。

 奇妙な二人の奇矯な出会い。

零崎一賊(ぜろざきいちぞく)、だったかしら。よく知らないのだけれど」

「知らないのかよ……」

 よく知らない癖にあんなことをーーいや、よく知らないからこそ、か。

「仲介屋に聞いたりしたのだけれど、言葉を濁らせたり、はぐらかしたり、あまり教えてくれなくて」

「そうだろうな」

 零崎一賊は『暴力の世界』において不可触(アンタッチャブル)な存在である。何しろ、ちょっと手を出したーー本当に、僅かに肌が触れた程度で殺意が向くことすらあるのだ。何時何処で何が原因で殺されるか分からないのだから、話題にもしないのが最善だ。

 障りには触らないが吉。

「聞けたのは、殺人鬼のグループで(ころ)()? の第三位だってことぐらい。殺人鬼って呼称の意味も教えてくれなかったわ」

「そこもかよ。 ああ、何て言うかな……」

 自分のこと、自分が所属する集団のことを説明するのに、上手い言葉が出てこない。

 そもそも『家族』という繋がりを、何も知らない人間が一から理解出来るのかが不明瞭だ。理解したとして、許容するかは別問題だし、大抵の人間は許容出来ずに嫌悪感を示す。

(何と言うか)

(あんまりコイツには嫌悪感を抱かれたくないんだよな)

 何故そう思うのかは全く分からないが、とにかく、悪いイメージを持たれたくない。いや、殺人鬼の集団という時点で良いイメージなど持たれる訳がないし、内情を知っている討識自身が良いイメージを持っていないので、印象操作を試みること自体が無駄だ。

「じゃあ、まずは大まかな情勢から……」

 という訳で、討識は諦めて、一般論を話すことにした。

「世界を世界に対する支配力、影響力で分類すると、主に四つの勢力に分けられる。一つは財力、一つは政治力、一つは暴力、一つはーー総力、か?」

「総力?」

「所謂『表の世界』。あらゆる人間があらゆる分野に関わってあらゆる活動をして、あらゆる人間があらゆる才能を削ってあらゆる文化を潰し、進歩はしても発展はしない、発展はしても成長はしない、劣った人間も優れた人間も排他されて叩かれて消却されて、それでいて平和で静穏で安全な、一般人の世界」

 総力とは、思いつきとはいえ上手いことを言ったものだと思った。

 劣ってはいないが秀でてもいない、有象無象が右往左往に蠢く、個体のような郡体。

「財力はそのまま金の力。特に赤神(あかがみ)謂神(いいがみ)氏神(うじがみ)絵鏡(えかがみ)檻神(おりがみ)の五家系からなる『四神一鏡(ししんいっきょう)』が最有力派閥だな。伝統ある財閥の集まりで、格式張ってて歴史も長い。 政治力は『玖渚機関(くなぎさきかん)』。壱外(いちがい)弐栞(にしおり)参榊(さんざか)肆屍(しかばね)伍砦(ごとりで)陸枷(ろくがせ)(しち)の名を飛ばして捌限(はちきり)、それらを束ねる玖渚を中心とした組織。多くの企業や団体が傘下に入ってる」

 そういえば以前に殺した男は、元々伍砦の末端だったか。しかし既に済んだ話なので、討識はその中年男性を記憶の隅に追いやる。

「戦闘力や殲滅力がモノを言うのが、俺達のいる『暴力の世界』。他の世界から弾き出された、異常者と異端者の秩序立った無秩序で成立する」討識は言う。「その中で一際外れているのが、『殺し名』さ。匂宮(におうのみや)闇口(やみぐち)、零崎、薄野(すすきの)墓森(はかもり)天吹(てんぶき)石凪(いしなぎ)の、殺人能力が極めて高い、頭のおかしい七名に序列をつけたものだな。零崎一賊はその第三位で、他とは群を抜いて忌み嫌われている」

「何故?」

「敵対した相手は皆殺しにするとか、老若男女隔てなく殺すとか色々あるけどよ。多分、殺す動機がないからだろうな」

 『暴力の世界』のプレイヤーというのは、その大多数がシリアルキラーであるが、大抵は動機が存在する。

「頼まれて殺す『匂宮雑技団(におうのみやざつぎだん)』、主君の為に殺す『闇口衆(やみぐちしゅう)』、正義の為に殺す『薄野武隊(すすきのぶたい)』、全体の為に殺す『墓森司令塔(はかもりしれいとう)』、綺麗にする為に殺す『天吹正規庁(てんぶきせいきちょう)』、生きているべきではないから殺す『石凪調査室(いしなぎちょうさしつ)』」

 そして、理由なく殺すのが、零崎一賊だ。

「俺達に殺しの理由はない。いや、俺達にとっては、どんな原因でも殺害の理由になる。アイツが空を見上げたからでも、ソイツが椅子に座ったからでも、何をしても何をしなくても人間を殺したくなる」

 それが欲求じゃあないってところが問題でな、と討識は言う。

「選択型ノベルゲームみてえなもんかな。何時何処で何をしていても、『殺す』の選択肢が消えねえんだよ。どんな選択肢を選んでも、自然発生的に、脳裏に浮かぶんだ。対象を殺害するって発想がな」

 殺人行為が止められなくなる。

 無論、それは異常だ。通常ではない。しかし、零崎一賊の殺人鬼とは、殺人嗜好者の中でも一線を画する異常さなのだ。

 幻覚に踊らされているわけでも教義に殉じているわけでもない、快楽を享受しているわけでもなく、ましてや金銭を求めているわけでもない。台風や地震のような、避けられない現象のように、無感動に殺人を犯す。

 殺して、殺して、殺して、殺す。

 そんな存在は、人間ではない。

 故に、殺人鬼。

 人を殺す鬼。

「ふうん」

 先導する休は言った。

「それって、別に格好つけているわけじゃないのよね?」

「当たり前だっての。中二病じゃあねえんだから」

「中二病?」

「知らないなら気にしなくていい」

 確かに、設定と言われてもおかしくはないぐらいに、出来すぎな性質ではある。だが、事実なのだから仕方がないし、格好つけられるほど格好いい設定ではないのであった。

 中二病なのだったら、痛々しいだけである。いや、端から見れば、討識も十分痛々しいのかもしれないが。

「ーーそう。 けれど、格好つけているんじゃないのだとしたら、疑問が湧くわね」

「疑問?」

「見栄っ張りや自己陶酔でないのなら、尚更に」

 休が足を止めて、振り返る。大きな瞳は、今度こそ討識を捉えていた。

「理由も動機もない殺しなんて、有り得ないんだから」

 きっぱりと休は言った。

 確信を持った、断言だった。

「……そりゃあ『理由がないっていう理由がある』ってギャグか?」

「そんなわけないじゃない。 ーー例えば」

 具体例を上げる休。しかし、まだ討識と休は付き合いが浅い。明確に例示など、普通は出来ないはずだ。

 だから休は、浅い付き合いから例証する。

「例えば、私を殺していないこと。貴方が殺しを止められないというのなら、何故初対面のあの時、有無を言わさず、私を殺さなかったの?」

「そんなもんーー」

 と、反論を試みたが、言葉が繋がらない。

 休のことを気に入っているのは、自覚している。だが討識が示した定義に則るならば、気に入っているからこそ休は殺されねばならない。

「例えば、貴方の所属する零崎一賊のこと。殺人鬼同士のコミュニティとはいえ、所詮は他人で、お互いに殺人鬼同士。心行くまで殺し合うのが普通じゃないの?」

 流血と生血で繋がる一賊。

 血統と血脈で繋がる一族とは違い、『家族』という枠組みは、確かに、否定のしようもなく、赤の他人の集まりでしかない。であるならば、共食いのように殺し続けるはずで、結果として零崎一賊などという集団自体が、存在しえないはずだ。

 本来なら成立しないものが確立している。

「あんまり言いたくねえんだけどよ」

 小っ恥ずかしいからな、と討識は頭を掻く。

「確かに零崎一賊なんてのは、縁もゆかりもない奴等がつるんだ程度の、寄せ集めの集団さ。だが、そもそも殺人鬼ってえのは、世の中から弾かれて、はみ出して、外れて、はぐれた、最上級のクズだ。当然身の回りから理解はされねえし、共感もされねえし、同調もされない」

「つまりは、孤独ってこと?」

「……そんなところさ」

 目を背けて、木々の隙間に目を凝らす。しかし討識の視力では虚空を捉えるばかりで、はっきりとした何かを見ることはなかった。

「世界と無関係で世間と没交渉。殺害と生存を連続させるだけの毎日。そんな生活がどうしようもなく嫌で、救いようがなく嫌で、手の施しようがなく嫌で仕方がない。だから理解されて共感されて同調された奴等が出会った時、家族みてえにつるむのは、当たり前なんだよ。 一人はーー」

 良くないからな、と呟いた。

 孤独という単語に、思い出すのは二つ。

 両親の死と。

 頸織(くびおり)との出会い。

「ーーそう」

 休は言って、再び歩き出す。討識はそれに続いた。

「恋愛だとか友愛だとか、そういうものに近いのかしらね」

 それでも、と休は言う。

「疑問は消えないわね」

「何?」

「近しく親しく気さくな間柄の人間は殺さない、っていうのは、まあ、理解出来るわ。誰だって情のある人間は殺したくはない。でもそれってーー」

 休は、振り返らない。

 真っ直ぐに前を向き、討識に背を向けている。

 

「殺人鬼じゃなくて、人間みたいよ?」

 

「…………あ?」

 討識の全身が強張った。一瞬、動きが完全に止まった。

 動揺した。

「いえ、人間というより、一般人かしら。所謂『表の世界』の、一般人」

「どういう意味だ。そりゃあよ」

 意味が分からない。

 殺人鬼ではなく、一般人。鬼ではなく人。

 零崎一賊の殺人鬼である討識は、その言葉に反応する。

 反射的に、反応せざるをえない。

「どういう意味も何もないわ。 ただ、日常を喜んで敵対を怒って、死別を哀しんで喧騒を楽しんで、そうして誰かとつるんで感情を持って生きているーー弾かれて、はみ出して、外れて、はぐれていても、ましてや人殺しであろうとも、それは人間のあり方にしか、私には見えない」

 それだけのことよ、と休は歩き続ける。

 討識はその薄い背を見ながら、思い出していた。

 軋識(きししき)との会話。

 

『なあ、討識。お前ーー』

 

(零崎じゃあないんじゃないか、か)

 実際には言われていない。あの時、討識は軋識の電話を切った。だが、軋識が何を言うつもりだったのかは、なんとなく想像がつく。

(何を言ってんだ。俺は零崎だ。殺人鬼以外の何者でもねえだろ)

 自己肯定。しかし動揺は抑えられない。

 故に自問も抑え切れない。

 存在すらをも否定するやもしれない、その疑問を。

 

(だが、殺人鬼ではなかったのなら)

(だが、零崎でなかったあの時、俺はどんな人間だった?)

 

 人を殺していた。ひたすらに殺人行為を行っていた。

 故に殺人鬼だ。それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもそれ以内でもない。

 徹頭徹尾、人を殺すだけの、現象のような存在。

 そう、現象。災害の如き人災。

 殺人鬼とは、そういう事象だ。

 

 だが、と。

 しかし設問は止まらない。

 

(俺はあの時、何を考えて、何を感じて、人間を殺していた?)

 

『殺人は犯罪だ、場合によっては死刑にもなるよな』

 いつか誰かに言った、そんな言葉を思い出す。

『そんな凶悪な罪を犯したら、大抵の人間は罪悪感に苛まれる。一部の人間は、開き直って正統性を確立する。そして例外の人間は、何も感じない』

 一切、何も感じない。

 罪悪感は感じないし、開き直ることもない。

 無感動で無反応で無関心。

(そう)

(昔の俺はそうだった)

 ならば今の俺は、と自ら推問を重ねる。

 少なくとも無感情ではない。それは自分のことだからよく分かる。喜び、楽しみ、怒り、哀しみ、憐れみ、呆れることが、今の自分には出来る。

(つまりは)

(コイツが言いたいことは、そういうことか?)

 殺人鬼が徒党を組む。営みを育む。

 それは人間に近づくということではないのか。

 虚無から混沌へ、現象から人間へ。

 世界から逸脱した存在が、人間として回帰する場こそが、零崎一賊だと。

(確かに、そうかもしれない)

(零崎一賊を明文化すると、その言葉が分かりやすい)

 人間回帰。

 感覚復帰。

 零崎一賊の殺人鬼には、そういった言葉こそが相応しいのかもしれなかった。

 

 

 だとすると、と。

 討識は思う。

(じゃあ、俺はあの時、何を恐れたのか)

(あのビルの戦いで、俺は何を恐れたのか)

 

 

「ーーなあ、アンタ」

 顔を上げて、前を歩く休に呼びかけてみる。が、返答はなかった。

 というか、休がいなかった。

 周囲を見渡しても、木々が広がるばかりで、人っ子一人いやしない。

「…………けっ」

 マジか、と討識は呟いた。

 思考に集中するあまり、討識は置いてけぼりを食っていた。

 

 

 ◆    ◆

 

 1/fゆらぎというものがある。

 スペクトル密度が周波数fに反比例するゆらぎ(とある量の平均値からの変動量)のことを指し、日常、非日常を問わず様々な場面で観測することができる。

 生体リズムも基本的にはこの1/fゆらぎをしているとされており、生体リズムと同様のゆらぎを人間が感知することで、生体にリラクゼーション効果が与えられると言われている。

 1/fゆらぎをしている自然現象も多く、具体例としては小川のせせらぎ、木漏れ日、炎のゆらめきなどが有名だ。

 だが、今現在焚き火で炎のゆらめきを見ている討識は、そんなにリラックスしていなかった。

 石に腰かけながら、拳銃のシリンダーを頻りに弄っている。

 とにかく、落ち着いていない。

「けっ。 糞面倒臭え事態に陥っちまったもんだぜ」

 何か食べるかと思ったが、生憎手持ちの食料はカロリーメイトと飲料水だけである。休が救助にくるかも分からない以上、ぎりぎりのぎりぎりまで温存しておきたい。

 温存したところで意味はないのかもしれないが、とにかく、取っておくべきだと考える。

「どうしたもんかな……」

 いや、結論は既に出ているし、既に実行している。

 どうしようという方策はない。

 そして、どうするまでもなく待機する他ない。

 それが最善の行動だ。

「……ゆらぎ、か」

 1/fゆらぎのことは、討識も知っている。教えてくれたのが双識(そうしき)だという点が実に不愉快で、ああだから効果がないのかと身勝手に納得した。使えるものは犬の糞であろうとも使う主義である討識にとって、役立ちそうで役に立たないもの見つけた時ほど、腹立たしいものはない。

 騙された気分になる。

 詐欺師に陥れられたようだ。

「ーーーー」

 ふと思ったが、ゆらぎは戦闘に応用可能だろうか。1/fゆらぎにリラクゼーション効果があるのは学術的に証明されているが(現状では懐疑的だが)、リラックスするということは弛緩するということでもあり、緊張が緩むという意味でもある。

 つまりは、ゆらぎは相手の油断を誘える可能性がある。または相手の敵意を削ぐ手段になりうる。

 ここで思い至るのは零崎曲識(ぜろざきまがしき)の存在だ。音楽家であるあの男は、音を媒介に他人の肉体を支配する。当然、音楽の人体への影響力について、絶対の技術と知識を持っている。

 だが、曲識に師事してもらうのは嫌だった。

「となると音響兵器か……」

 アメリカを始めとする軍隊や警察が正式に採用している為、音響兵器そのものには実用性はある。しかし、現行の音響兵器は非殺傷による制圧を目的としているものが主であるため、討識が期待する効果は得られないかもしれない。また、大抵が大型で重量もあるため、基本的に携行しにくい。できればポケットサイズで持ち運びたいが、そんなものは市場にはまず存在しないだろう。

 そうなると、次に思いつくのは個人製作の品だ。

 自然に罪口商会(つみぐちしょうかい)が連想される。罪口商会の手腕ならば、携帯型音響兵器の製作は容易いだろう。代償に試作品の試運転をさせられるだろうが、その程度なら安いものだ。なんなら、この件が終わった後に、再び製作を依頼してもいいかもしれない。妙な武器を渡されるのも、また想像がし易いが。

「長巻、錘、チャクラム……いや、創作上の武器とか。村雨あたりは便利そうだけどな」

 漫画なら薄刃之太刀か鋼金暗器か豹頭の錫杖(パンサス・コルサ)か、と個人的に気になる武器に思いを馳せる。

 と、そこで疑問が一つ浮かんだ。

 妙といえば、この『獣包丁』がそうだ。生きた動物を斬る刃物とは、何とも奇怪な凶器を作るものだが、これを製作した意図が分からない。

 無論、何らかの切っ掛けがあったのだろうが、その切っ掛けが想像できない。まさか獲ったその場でジビエ料理が食べたいからなんて、そんな漫画に出てくる大食いキャラのような動機なわけもあるまい(あの痩せっぽっちの即詰(そくづみ)が、実は大食いだなんてことはないだろうし)。

 第三者に依頼されたから、と考えるのが自然か。武器製作を依頼された即詰が、まず試作品を造り、その試作品を討識に渡した。こう考えれば、話に無理がなくなる。

 だが、所詮は予想で空想で妄想だ。裏を取ったわけでもないので、考えたところで意味もない事柄である。

「…………」

 意味のない事柄ついでに思考を深掘りするならば、即詰が顧客を利用した、試用運転のネットワークを形成している可能性が高い。

 依頼により試作品を造り、別の依頼の代償に試用させ、その依頼により試作品を造り、これまた別の依頼の代償に試用させる。このループを連続させることで、武器の完成までの過程を省略できる。裏は勿論取れていないが、討識に試作品を手渡している時点で、証拠としては十分に足りる。

 それに多少なりとも計略が上手くなければ、奇人変人が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する中でも際立って際立つ際物を纏め上げる立場に立つには、とてもじゃないが不可能だ。ただの馬鹿では、傀儡でも上層には上がれない。

 ここまでくると即詰の商売の上手さを感じ取れる。少なくとも、武器に対する異常なまでの情熱や奇妙なまでの執着だけではなく、打算的な面も併せ持った少女であると、罪口即詰(つみぐちそくづみ)を評価できた。

「ーー思考が脱線しすぎだろう、俺」

 げんなりと討識は俯いた。しかし仕方のないことなのだ。何しろ暇なのだから。

 一体何時になったら休は自分のことを探し出すのだろう。自分勝手で自分本位だとは思うが、討識にとっては切実な願いだ。報酬の食料も提供したわけだし、仕事はきっちりと遂行してもらわなければ困る。まあ、遭難は討識の責任で、休に捜索の義務はないが。

 もう開き直ってカロリーメイトを食べてしまおうか、などといよいよ迷走しかけた時である。

 

 がさがさがさ。と、草むらが揺れる音がした。

 

「…………」

 討識は拳銃を胸元にしまい、代わりに黒い円筒を取り出す。続けて耳栓を嵌めて、立ち上がって草むらから距離を取った。

 草むらが揺れる。目測で十メートル前方。

「……こういうのも音響兵器って言うのかね」

 討識は円筒から安全ピンを引き抜いて、草むらに向けて放り投げた。そしてバックステップで再び距離を取り、素早く背を向けて屈む。耳栓の上から両手で耳を塞ぐのも忘れない。

 強く目を瞑った。

 瞬間。

 

 ボンッ!と爆発音が響き、同時に鋭く刺さるような閃光が襲った。

 

「■■■■■■■■■ーーーーーーッ!!」

 耳栓をしていても脳髄に響く、獣の叫喚。怒号にも似たその咆哮は、討識の予想を裏付けた。

 XM84。俗に言う閃光手榴弾は、強烈な爆発音と閃光を発して、効果範囲内にいる対象の視覚と聴覚を奪う。室内などの密閉された空間で使用されることが多く、室外でも相手の目の前に投げ込むことができれば、戦術としては効果的な、非致死性兵器である。

 そして、人間よりも視聴覚に優れる野生動物には、非常に有効と言える。

「五月蝿えんだよ、ケダモノ風情が」

 耳栓を外して、改めて拳銃を取り出す。

 鈍色のコルト・アナコンダ。44マグナム弾に対応している大型回転式拳銃の一つ。

 その銃口を揺れる草むらに向けて、討識は発砲する。ばぁん、ばぁんと、重い銃声と強い反動が、湿った空気を震わせた。

 それを六回連続。

 六発全弾を、草むらに対して撃ちまくる。

「さっさとくたばれ」

 拳銃でありながら狩猟をも可能とするコルト・アナコンダに、貫通力の高い弾頭を用いた44マグナム弾は、高威力に高威力を重ねた組み合わせだ。人間が被弾すれば重傷は免れないし、死亡する可能性も高い。

「■■■ッ、■■■■■!!」

 しかし、(つんざ)くように鳴くのを見るに、未だ生きているらしい。感覚では全弾命中しているのだが、やはり人間とは違って、野生動物はタフだということだろう。

 ならば話は単純にして明快。

 

「ーー銃弾を撃ち込まれても死なないならば」

 討識はシリンダーを振り出し、弾丸を込め始める。

「死ぬまで銃弾を撃ち込めばいい」

 

 暴力的な曲論だが、確実に芯を捉えた正論でもある。

 装填を終えた討識は、再度銃を構えて、引き金を引く。

 ばあん、ばあん、ばあんと、三発。

「…………」

 静かになった。

 ようやく死んだかと思った矢先、蠢くように草むらが動いた。それと同時に、三度銃撃する。

 ばあん、ばあん、ばあん。

 と、またも三発。

 

「さて」ここで討識はようやく、銃口を降ろした。「死んだかな」

 コルトを懐に仕舞い、地面に突き刺さった『獣包丁』を引き抜く。抜刀し、草むらを分け入っていくと、やや拓けた場所に、黄褐色の塊があった。

「……(ひぐま)か」

 

 羆。

 哺乳網食肉目クマ科クマ属の、陸棲哺乳類の最大種である。

 ユーラシア大陸や北アメリカ大陸に広く生息し、数種類の亜種も存在する。体長は二メートルから三メートル。体重は百キログラムから三百キログラム程度になり、最大重量は五百キログラムにも達する。

 食性は雑食だが肉食の傾向が強い。また、羆は学習能力が高く、特に人間を襲い、その味を学習した羆は、欲求的に人間を襲う傾向がある。捕獲した獲物に対する強い執着性もあり、羆に奪われた食料などを取り返そうとして発生した獣害事件も存在するため、野性動物の中でも指折りの危険生物である。

 

 閃光手榴弾を始めとした対抗策は羆を直接想定したものではなかったが、その効果は覿面だったらしく、羆は俯せに倒れたまま動かない。野性動物特有の獣臭と共に血液の臭いがすることから、致命傷を与えることができたようである。

 討識は羆に刃を向けながら、羆の周囲をゆっくり歩く。

「……コイツ、まだ死んでねえのか」

 生きている。僅かにだが、毛むくじゃらの背中が上下していた。

「予想以上の生命力だな。流石は野生の動物ってえところか」

 計り知れない生命の強さに感嘆としながら、討識は考える。

 果たして、どのように止めを刺そうか。

(もう数発弾丸をぶち込むか、放っておいて死ぬのを待つか)

(最も確実なのは、手榴弾での爆殺だが)

 『寸鉄殺人(ペリルポイント)』よろしく、遠距離から爆弾を投げ入れる。まず間違いなく対象は死亡するだろうが、周囲の被害が甚大なものになる。最悪、山火事になりかねないので、今回は却下だ。休とは義理も人情も感じないぐらいに薄っぺらい縁でしかないが、流石にそこまでの責任は負えない。

「まあーー結論は既に決まっているんだけどな」

 そう、深く考える必要はない。

 手にしている『獣包丁』で、この羆の命を絶てばよいだけのこと。

 そもそも当初の予定では、休に動物を発見させ、瀕死になる程度に狙撃してもらってから、『獣包丁』を振るうつもりだったのだ。段取りが多少変わっただけであり、目的は依然変わりない。

 目的の割には重武装な気がするが、討識にとって山中とは暗黒大陸にも等しい。何が起こるか分からない場所に踏み込むにも関わらず、小銃も持ち出していないので、今回の討識はむしろ軽装なのかもしれなかった。

「よし。それじゃあ、いくとするか」

 刃を振り上げる。狙いは首だ。強靭でいて柔らかい体毛に邪魔をされないよう、毛並みに沿って切断する。

 討識は軽く息を吸った。

「ーーっぅらぁ!」

 

 ザンッ、と肉を斬り裂いて、羆の首が地面を跳ねる。

 さながら壊れた蛇口のように、真っ赤な鮮血が吹き出す。

 

 なんてことが起こらなかった。

 

 

 

 ()()()、と刃が皮に弾かれた。

 

 

「ーー」

 太鼓を枹で叩いたような弾性が腕に走り、討識は困惑する。

 そして『何かを間違えた』という感覚が駆け巡る。

 しかし『何かを間違えた』という思考には至らない。

 油断した。

 隙を見せた。

 間隙を突かれた。

「ーーあ」

 

 困惑した瞬間には羆の掌が討識の顔面に迫っていた。

 避けようもないぐらいに速く、そして近い。

 

(死ーー)

 思考できたのは精々がその程度で、とても回避など不可能だった。死にかけの羆が跳ね起きるとは思っていなかったし、ましてや攻撃してくるとも考えていなかったし、さらに言えばその攻撃がここまで速いとは知らなかった。

 瀕死の野獣を嘗めていた。

(ーーーー)

 

 

 

『あは』

 

 討識の右頬が裂けようかという刹那。

 声が聞こえた。

 

『あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!』

 

 否。声が聞こえた気がした。

 走馬灯のようにフラッシュバックする、声と音と色。

 それは女性の楽しそうな嬌声と。

 それを掻き消さんとする雨音と。

 それだけで死を意味する赤色と。

 

 それらに恐怖を感じている、幼い日の自分ーー

 

 

 

 

 ばちん。

 肉が飛び散って、

 

 次いで、羆が横向きに倒れた。

 

 

 

「……危ないところだったわね」

 一瞬を悠久にも感じていた討識は、ここで我に返った。

 夢辻道休が。

 小銃を両手で携えて、草を掻き分けて現れた。

「何があったのかは、いまいちよく分からないけれど。でも、あんな風にぼうっとしていたら、貴方死んじゃうわよ」

 見ると、倒れた羆の掌と側頭部は破壊されている。銃弾が通過したような損傷の仕方をしているので、休が放ったもので間違いないだろう。

「……悪い。助かった」

「どういたしまして」

 休は小銃を下げてから言った。

「これで仕切り直しね。仕方がない状況だったとはいえ、殺してしまったわけだし」

 確かに当初の予定とは違ってしまっている。獲物を休に見つけさせるつもりが自分で遭遇してしまったし、その獲物を仕留め損なった上に殺されかけるなんて失態すら演じてしまった。

 悔しくて、情けなくもあった。

「……俺のせいで、大分時間を使っちまったな。 次に行こうぜ」

「いえ」催促する討識を、休は抑えた。「もう少しで日が落ちるから、今日は帰った方がいいわ。 標高が高い場所は、日暮れが早いから」

 休は断定したが、まだ明るいように見える。しかし、ついさっき素人の浅知恵で痛い目を見そうになったことだし、大人しく従うのが吉だろう。

 もう今日は何もできそうになかった。肉体的にではなく、精神的に疲れた。

 倦怠感が津波のように襲う。それが何に起因するのかは明白だった。

「……そうか。それじゃあ、戻るか」

「ええ。帰りましょう」

 今度ははぐれないようにね、などとからかいながら、休は先行する。

 討識はその薄い背中を、何も言えずに、ただ付いて行くしかなかった。

 

 

 ◆    ◆

 

 まだ数日しか経っていないのだが、以前よりも外観が古びている気がする。少なくとも数日前は窓ガラスは割れていなかったし、それがビニールで補修されてもいなかった。

 罪口即詰と初めて接触した喫茶店である。前回と同じように店の奥へと促され、飲みもしないコーヒーを注文してから席に向かう。すると同じ席に同じ格好をした即詰が、既に座ってコーヒーを飲んでいた。

 黒いセーラー服に黒いサングラス、黒い唇に黒い手袋と、全く変わらない姿の即詰は、討識が座ってから、口を切った。

「久方ぶりです、零崎討識さん」

「ああ、数日ぶりだな」

 がんっ、と討識はケースとバッグを乱暴に置いた。

「やってくれたな。罪口即詰」

「? やってくれたのは、あなたでしょう。私が造った武器と引き換えに、あなたは代償を果たしてくださいました」

「そうじゃあねえ。こんな奇っ怪なもん寄越すとは思わなかったって意味だ」

 討識はケースを指差して言う。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。こんなもん、何処のどいつが使うってんだ?」

「何処かの誰かが使うのですよ。私達『武器職人』は需要に応えているにすぎません。例え斬れない刃であろうとも、要望があれば造ります。それを何処の誰が何時どのように使おうが、私達には、全く興味がありません」

 まあ需要がなくても造りますが、と即詰は微笑む。そのままケースを開けて中身を確認し、続けてバッグを開けた。

「おや、これはこれは。随分と分かりやすくして頂いたようですね」

 バッグに入っていたのは、大型の容器に入り、ホルマリンに漬けられた鹿の生首だった。角も根元から刈り取られていて、透明な水溶液の底に沈んでいる。

 結局、休に救助された討識は、あの後、休の自宅に一泊し(客間など無いので隣り合わせに寝たが、不思議なぐらい何も起こらなかったし感じなかった)、翌朝に獲物を発見、見事に仕留めて解体した。

 当初の予定通りに、休に獲物を弱らせてもらい、死なないまでも動けなくする。腹でも首筋でもなく、膝を正確に撃ち抜いた休の技術に驚嘆し、いざ首を落とそうとした時に、討識は気付いた。

 この武器の特性と、己の失敗に。

「牡鹿ですか」

「牝鹿の方がよかったか?」

「何でも構いませんよ、動物でしたら。それを斬るための包丁ですから」

 動物を斬るための武器。山中の獣を解体するための刃物。それが『獣包丁』のコンセプトだ。

 あくまでも人間ではなく動物を斬るための武器であり、殺すのではなく解体することを目的とした刃物である。

 ならば当然の帰結として、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()し、ましてや()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。刃を肉に当て、刃元から刃先まで引くようにゆっくりと斬り落とさなければ、そもそも刃が通らないのである。

「……確かにアンタは、『包丁』とか『刃物』とか言ってはいても、『武器』とは一言も言ってねえ。言ってねえが、事前に説明ぐれえあってもいいんじゃあねえのか」

「何分、零崎さんが自信満々に了承されたので、全て理解したものだと誤解してしまいまして。私も説明が足りない部分はありましたので、あなただけに落ち度があるとは言いませんが、自分には非がないかのような口振りは心外ですよ」

 それを突かれると、ぐうの音も出ない。早合点して確認を怠ったのは事実だ。

 否定のしようもない恥を上塗りする前に、話題を変えてしまうに限る。

「……まあ、いいさ。どうでもな。 で、アンタはさっきから生首と包丁しか見てねえけど、それで本当に俺が代償を果たしたのか、分かるもんなのか?この話を受けた時から疑問だったんだが」

「当然、分かります。刃と切断面の照合ぐらい肉眼でできなければ、『罪口』ではありませんよーー師匠は六つの頃にはできたそうですけど、私は十四歳でようやく見極められるようになりました」

 かかり過ぎだと叱られたものです、と言う即詰。それに対して討識は質問をした。

「なあアンタ。年幾つだ?」

「今年の頭に十九歳になりましたが」

「思ったよりは年いってるんだな」女性に対して暴言を吐いた。「『(まじな)()』でそれだけ生きてるんだから、色々あっただろうけどよ。アンタ、これまでいったい何人殺した?」

 少し前に同じ質問をしたような気がする。はて誰にしたのだろうかと思ったが、覚えていないならば言っていないのと同じことだ。

「そうですね。人並み程度には」

「パソコンのスキルみてえな表現の仕方をすんなよ」

「今時、人間の一人や二人、無意識に死に追いやっていてもおかしくはないでしょう。意識していなくとも、人は人を陥れる行動を取っているものです。自覚がないならば自殺と扱いますか?直接的でも間接的でも、殺人は殺人ですよ」

「そりゃあ違えねえ。じゃあ、一番最初に殺した奴って、誰だか覚えてるか?これまでの人生で、一等初めに、自らの手で殺した人間のことを、記憶してるか?」

 即詰は、サングラス越しでも明らかなぐらいに、眉根を寄せた。

「不思議な質問をしますね。ロマンチズムかセンチメンタリズムか、どちらにしろ、伝え聞くような『零崎一賊』らしくない言動です」

「らしくねえのは承知してるさ。で、どうなんだ?」

「勿論、記憶しています。『殺人鬼』のことは分かりませんが、『武器職人』ならば、記憶していて当たり前です」即詰はコーヒーを飲む。「正確には、記憶と言うよりも、記録ですが」

「記録?」

「製作した武器のデータですよ。大抵のことは記憶していますが、やはり文字に起こすと理解が違いますからね」

 ホルマリンの容器を置いて、再びコーヒーを一口飲む。そして即詰はケースに納められた『獣包丁』を取り出して言った。

「武器、凶器、兵器ーーいずれにしろ、基本的には対人間を想定していますので、人間に使用した際の詳細なデータは必須です。よって、一番最初に殺した人間のことも、記録して保管しています」

「野暮かもしれねえけど、殺した時どう思った?」

「嬉しさ半分悔しさ半分、と言ったところでしょうか。初めて自分の発想が形になったと同時に、それが明らかな欠陥品だと分かったので。ーーそれで、これらの質問をする意味があるのですか?意志があっても意図はない問いかけに感じるのですが」

 即詰は刃を検分しながら言う。

「あぁ……まあ、よ」討識は頭を掻いて答えた。「恥ずかしい話、今回の一件で、俺は死にかけた。だからってえ訳じゃあねえが、ちょっと思うところができてな」

 死にかけたことそのものに関しては、特に感じることはない。万事休すに崖っぷちの剣ヶ峰で絶体絶命という状況には幾度となく遭遇してきたものだし、先日の件では反省することはあれど、気に病むことはなかった。

 気になるのは、あの時の『走馬灯』である。

 討識が初めて殺した人間は実父だが、あれはその時の記憶ではない。全く別の光景で、しかも今の今まで忘れていた光景だった。

 問題は光景ではなく、感じていた『恐怖』である。

 

(あんなにも強い感情が伴った記憶を忘れていた?)

(零崎討識に限って、そんなことはありえない)

 

 それは自分のことだからよく分かる。

 則ち、あれは忘れていたのではなく、思い出さないようにしていた記憶なのだ。

 決して思い出さないように、想い起こさないように、秘匿して封印してきた記憶。

 

(それが殺されかけた瞬間に溢れ出た)

(つまりーー)

 

「ーーつまり、殺しに負い目や引け目を感じているということですか?」

「いや、それはねえけど」

 討識は即座に否定した。今更になって殺人行為に疑問を持つことはない。

 だから、思い出せないことが気になるのだろう。

 それが何かは、まだ分からないのだが。

「……だからこそ、この()を預けるに値するのかもしれませんね」

「ああ?」

「武器の話ですよ」

 即詰は『獣包丁』をケースにしまい、テーブルの脇に置いた。

「あなたは提示した代償を、確かに果たしてくださいました。よって契約に従い、この型番号E458823F0016C『小説姫(しょうせつひめ)』はお譲り致します」

「……『小説姫』ってえのは、その刀の名前か?」

「ええ。『活殺自在(ホーリィリバティ)』というのも考えたのですが、やはりこちらの方が良いかと思いまして」

「いや、そっちじゃあなくて。 何だ?その名前」

 変な名前、というか妙な名前だ。愛着があるというのは伝わるが、それだけに理解できない名付けである。

「自分が創作したものに名前を付けるのは、至極当然では」

「当然なんだろうけどよーーああ、もう……」

 これ以上話を拗らせる必要はない。討識は代償を果たして、代わりに即詰は武器を譲渡するのは決定しているのだし、どうせ筋違いの文言による擦れ違いの会話になるだけなのだから。

 だが、これだけは聞いておきたい。

「……なんで、そんな名前を付けたんだ? 正直、全く理解できねえんだが」

「…………」

 即詰はコーヒーを飲み干して、そして口を開いた。

「零崎さんは『物語』と『小説』の違いをご存知ですか?」

「いや……」

「近代文学の観点では、主人公の性格と話の展開に関係があるものが『小説』で、そうでないものが『物語』となります。より詳しく言うならば、『話の展開が内容から因果的に連続するもの』が『小説』、『偶然の積み重なりで展開していくもの』が『物語』になり、両者は本来、似て非なる別の単語になります。まあ、あえてそうした定義を無視した小説も多々存在しますが、それでも『小説』的手法に則った作品が主流であり、好まれます。純文学でもSFでも、ギャグでも恋愛でもスポ根でも、理路整然とした構成は、ストーリーに写実性や説得力を与えますから」

 即詰の視線は真っ直ぐに討識を向いていた。いや、サングラスをかけているから、目線が何処をに向いているのかは分からないが。

「また、小説における主人公とは、大抵の場合が、何かしらの問題を内包しています。 犍陀多(カンダタ)は浅ましい強欲と独占欲により慈悲を手放し、李徴(りちょう)は自らの自尊心と羞恥心から没落していき、ジョバンニは不遇な環境と不運な生活により心身が疲弊し、坊っちゃんは生来の無鉄砲さと真正直さで得を得られない。 ーーその方が作者が話を書きやすいから、という見方も出来ますが、全能よりも無能の方が、魅力的にキャラクターを映すことは否めないでしょう」

「……で、その話が、一体何の関係があるんだ?」

 煙に巻こうとしてないか、と討識が言う前に、即詰は言った。

「あなたそのものではないですか」

「あ?」

「過去に囚われ、現在に悩み、未来に危惧を抱く。運命に反逆していながらもこれを享受し、必然を否定しつつもそれを求める。何より、細やかな淀みが心を侵し、闇の中で暗い影を落としている。そんなあなたは、小説の主人公そのものではないですか? 『物語』的な偶然に甘受せず、常に理論と経験で理想と結果を得ようとするあなたは、異常でありながら正常である、人間そのものではないですか?」

 言っていることは休の言動に近いが、そのニュアンスは違う。

 休はただ意見を述べただけだ。心情に踏み入ってはいない。しかし、即詰は深層に触れようとしている。

 討識が避けていた、討識の本質に。

 

「さながら、先生や大庭葉蔵(おおばようぞう)のように、心の奥底の陰りをひた隠しにーー」

 刹那。

 即詰のサングラスが、斬られて落ちた。

 

「……()()()()()()()()()()()()

 討識の右手にはダガーナイフが握られていて。

 鈍色の刃先が、即詰の右眼に突きつけられていた。

()()()()()()()()()()()()()

 灰色の瞳には、怒気と焦燥が入り混じる。

 触れられたくないものを、必死に隠し通すように。

「ーー何も知りはしませんよ」即詰はサングラスの残骸を拾い上げ、懐に仕舞う。「何も、何一つ、知りはしません。 ただ、だからこそ、この武器は貴方に相応しいと、そう言いたいのですよ」

 即詰の瞳は、想像通りに黒い。目元には幾つか細かい傷があるが、意外にも、義眼ではないようである。

「以前も申し上げましたが、私が造った武器は、あなたと生涯を通じて添い遂げられるように、依頼主であるあなたの体格と要求に沿って造られています。つまり、この刀はあなたの親友であり同胞であり共犯者であり、そして恋人であり母親であり娘と言って相違ありません」

「だから何だ」

 やはり下らない。もう殺してしまうか。

 切っ先を眼窩から大脳まで押し込もうとする前に、即詰は言う。

「言うなれば、この刀は、あなたにとっての相棒(ヒロイン)ということです」

「は?」

 そう言った罪口即詰は、微笑んでいた。

 サングラスを掛けていない即詰は、特別美人というわけではなかった。真っ白な肌に、真っ黒な髪と瞳と唇が浮かんだ、ただ奇異な存在だった。

 美しくはないし、愛らしくもなかった。

 しかし、その微笑みには見覚えがあった。何時か何処かで誰かがしていた、そんな気がする。

 ずっと昔に、誰かが。

「闇に囲われ闇を抱えたあなたには、独りで立って歩ける強さがあるでしょう。しかし、それは同時に、弱さでもあります」

 討識は即詰から眼を離せず、言葉を放つこともできない。

 ダガーも突きつけたままだ。

「眼に映らないものを信じ受け入れる強さと、眼に映るものを疑い退ける弱さ。この刀はその二つを取り持ち、あなたを支え、護り、導くことでしょう。 私はそうなるように造り、そして名付けたのです。生殺与奪を自由に決める鬼の連れ添い、『小説姫』と」

 相棒(パートナー)であり、相棒(バディ)であり、相棒(ヒロイン)

 即詰が言う。

「艱難辛苦に溢れた人生という旅路を支える道連れは、やはり異性であるべきなのですよ」

 

 

 

 ◆    ◆

 

 殺さなかった。結局、殺すことはなかった。

 討識は自宅に戻り、鞘と柄に納めた『小説姫』を眺めていた。朱色の鞘、紺色の柄、葵形の鍔と、付属していた拵を刀身に取り付けて、一息吐いたところだった。

「折れず、曲がらずーー」鞘から刀身を半分まで抜く。「欠けずに割れず、軽くて重く、短く長いーー」

 そしてよく斬れる。

 美しい波紋を鞘に仕舞い、カラーボックスの上の刀掛けに置く。

「……刃物の理想形だな、これは」

 私室を出てリビングに戻ると、頸織がソファに寝そべりながら携帯ゲームを弄っていた。がちゃがちゃとボタンを操作しながら、時折タッチペンで画面を叩いている。

「何やってんだ、姉貴」

 買い与えた覚えはないし、頸織が元々持っていたものでもなさそうだが。

「ん? さっき殺してきた奴が持ってたのを貰ってきたんだよ」

「…………」

 盗品だった。

 強盗殺人罪である。

「アンタ、イイコトをしろって言ってた割に、自分には相当甘いよな」

「いやあ」

「何照れてんだ」

 頸織は身体を起こし、討識はその隣に座った。

「討識、一緒にしよーよ。私のバンギラスと対戦しよーぜ」

「持ってねえよそんなゲーム。 それに、そのバンギラスは姉貴のじゃあねえだろう」

 殺した人間のROMを、そのままプレイしているらしい。窃盗はおろか、ストーリーも育成も、どうでもいいようだった。

「ところで、おニューの刀を手に入れたみたいだね。 どうなの、使い心地は」

「いや、まだ使ってねえ。近い内に試運転に行くつもりだが」

 一般人を相手にするのが後腐れがないのだが、そこら辺にいる有象無象を殺しても面白くないし、かといってプロのプレイヤーではリスクが高い。

 一般の古武術家あたりが良いかもしれない、などと算段を立てていると、頸織はゲーム画面から眼を逸らさずに言った。

「……討識、なんか難しい顔してる」

「はあ? 何だ突然」

「よく分からないけど、そう見えたよ。 いい刀を手に入れたから、気分がいいと思ったんだけど」

 そういう表情をしていた覚えはないが、そう見えたということはそうなのかもしれない。難しい顔になるようなことが、ここ最近あったわけだし、表情に出ていてもおかしくはない。

「お姉ちゃんに相談してもいいんだよ?」

「それだけは天地がひっくり返ってもありえない」

 どうなろうともこの姉に相談を持ちかけることはない。絶対にろくなことにならないというのが、一賊内での共通認識である。

 相談ならば軋識が適任か。他にはーー。

「ーーーー」

 

『理由も動機もない殺しなんて、有り得ないんだから』

 

 休の言葉が、ふと思い出された。先日のあれは相談ではなかったが、貴重な機会ではあった。面と向かって零崎一賊に否定の言葉を言える人間はそういないのだ。

 それも妙に説得力のある発言だった。装飾で飾らないストレートな言葉。

(まあ、まともな話し相手ぐらいにはなるか)

 少なくとも殺害の対象からは外れた。そんな気がする。『そんな気』がしているということは、あの時の休の言葉は、あながち外れてはいないのだろうと、討識は思った。

 殺人鬼が殺さない相手なんて、身内ぐらいのものだ。

「…………」

 それでも、あの笑い声の記憶まで、晒け出すつもりはないが。

「少し気が晴れた?」

「ああ?」

「ちょっと表情が良くなったよ」

 ま、いいけどね。

 などと何の悩みもなさそうな気楽な口調で、頸織は笑う。

 心なしか、先程の即詰の微笑みに、近いものを感じた。

「討識、お姉ちゃんお腹すいた。ベトベトン見てたら、とろろご飯食べたくなったから、夕飯はそれにして」

「どんな神経してんだアンタ」

 山芋も長芋も冷蔵庫には無いので、頸織に買いに行かせようとしたが、止めた。どうせ面倒なことになる。まだ盗品のゲームをさせていた方が、余計に世話をしないで済むだろう。

「…………けっ」

 仕方がないので、討識は外出する準備を始めたのだった。

 

 ◆    ◆

 

 斯くして討識は武器を手に入れることが出来たが、代わりに様々な代償を払うことになったのだった。それは罪口即詰との取引によるものだけでなく、夢辻道休との対話によるものも大きく、また、それが零崎討識という殺人鬼の生き方に、新たなレールを敷いたのも事実なのだった。

 例え殺人鬼の生き様が崖を転がり落ちるようなものでも。

 ただひたすら一直線に下り落ちることはありえない。

 頸織の存在、即詰の微笑、休の言動。

 これらが討識にどのような影響を与え、どのように発露するのか。

 それを討識自身が自覚するのは、少し先の話である。

 

 






以上で第三話後編は終了となります。次回更新は申し訳ないですが、毎度のように未定です。
一応、次回は人識&伊織が登場予定です。
誤字脱字報告、感想も受け付けてますので、今後ともよろしくお願いします。


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第四話
人間失格と解釈して貸借(1)


お久しぶりです。石持克緒です。
大変長らくお待たせしました。第四話を更新させて頂きます。


……まあ、例によって前半部分だけなのですが。


 夜の帳が下りた住宅街、人気がない道路を、少年が一人歩いていた。

 ちらりほらりとオレンジ色を灯す街路灯の隙間を縫うようでありながら、堂々と車道のど真ん中を歩くその少年の足取りは、ややぎこちない。動くと痛みが走るようで、動作の一瞬ごとに動きが止まる。そんな不細工な歩き方は、見る人が見れば『ああ、筋肉痛なんだな』とか、理解はしてくれるだろうが、生憎この通りには少年以外に人間がいないので、理解どころか助けもなく、ひたすらにぎくしゃくと歩みを進めるのみだった。

 いや、人気がないのは、むしろよかったのかもしれない。

 異質な少年であった。

 華奢で小柄で童顔、という点は普通だが、まだらに染めた髪や右顔面に大きく施された刺青が、少年の特異さを際立たせている。右耳に三連ピアス、左耳には携帯電話のストラップを付けていて、タクティカルベストを素肌に直接羽織り、そのベストには数十本ものナイフを仕込む。タイガーストライプのハーフパンツに妙なデザインの安全靴、両手にオープンフィンガーグローブと、見るからに『普通』ではない。暗がりで目立たないが、よく見れば身体中のそこかしこに薄く青痣が浮かんでおり、その疑問を抱くようなファッションセンスも相まって、一目で常識的な人物ではないことが予想された。

 しかもそんな出で立ちの少年が、にやにや笑いを貼りつけて歩いているのだ。人通りの多い繁華街ならばまだともかく、こんな閑静な住宅街では警察に通報されかねない人物が、何が面白いのか笑いながら奇妙に歩行する様は、実に『不審者』そのものだった。

 目が合ったらーー目が合わなくても何かされる。人気がないのは本当に幸いだった。

 

 何しろこの少年は見た目以上に異常な凶悪殺人鬼で。

 この少年が向かう場所に住まう者もまた、大量殺人鬼なのだから。

 

 少年は十字路を左に曲がる。

 街路灯が、オレンジから青色に変わった。

「──傑作だぜ」

 青色の街路灯は犯罪率を下げる、らしい。科学的根拠の薄い都市伝説レベルの学説を、殺人鬼のいる土地で採用するという偶然が可笑しくて、少年は皮肉げに笑った。

 だが、ある意味で役割は果たしているとも言える。設置されているのなら、その土地の治安は悪いとも取れるからだ。

 リオデジャネイロかケープタウンか、はたまたカラカスか。こことの違いは衛生面ぐらいで、本質的には変わりはしない。殺人鬼の御膝元である場所が危険地帯でないはずがないので、もしかしたら単に領域の線引きをしているだけなのかもしれなかった。

 日常と非日常。

 生殺、死活の線引きを。

「──とっ、ここだここだ」

 そうこうあれこれしているうちに、少年は目的地に辿り着いた。

 十三階建てのマンション。エントランスに入り、オートロックパネルの前に立つ。テンキーの横に鍵穴があるのを見やると、少年は懐に手を入れて、錐状の刃物を取り出す──ところで、そういえばアレは盗られたんだ、と思い直す。

 仕方がない。少年は適当に部屋番号を入力してコールした。カメラがついているから、右頬の刺青を手で隠すのも忘れない。

 『はい』

 年齢を感じる、女性の声。

 どう言えばいいのかは、あいつが教えてくれた。

「すみません。オートロックのゲート中に閉じ込められちゃって。申し訳ないんですが、開けてもらえません?」

『あ、はい。分かりましたー』

 がごん、とオートロックの扉が開く。

「ありがとう」

 あの時、言っていた台詞をそのまま使い、少年はオートロックを突破した。

「まったく、戯言だねえ……エレベーターはー、っと。こっちか。 十三階だったけな」

 エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。持ち上げられる様な浮遊感を味わいつつ、少年は笑いながら呟いた。

「……なんか、妙に大人しいな」

 普通すぎる気がする。このマンションの持ち主とは顔見知り──というか親戚だが、あの用心深すぎる男が、ここまでの道程の中で、何の牽制もしてこない。

 例えばこのエレベーターだ。ある程度の高さに達したらロープが切れて垂直落下するとか、水が大量に流れ込んでくるとか、何かしらも罠が仕掛けられていない。

 実際問題、このマンションには親戚の男以外にも人が入居しているから、無駄な損害を出さないように罠を設置していないだけなのだろうが、生憎、少年には先日の一件があった。この身体中に広がる青痣の原因となった人物(別の親戚の男だ)の根城にはそうしたギミックがあったので、多少疑心暗鬼になっているのかもしれない。それに、少なくともこのマンションの持ち主には、そうしたことをされかねないぐらいには嫌われている自覚があるので、なおさら変に思ってしまう。

 泥棒の様な手口でオートロックを通り抜けたのも、普通にインターホンで呼び出したら、確実に門前払いを食らうからだ。どうやら対面すらもしたくないようで、実際に顔を合わせたのは片手で数えるほどしかないし、露骨なまでに目を合わさず、合っても不愉快極まりない視線を向けられた。会話も必要最低限に止め、質問にはほとんど答えなかったぐらいなので、初対面から数年が経った今でさえも、来訪を拒む可能性は非常に高い。まず間違いなく、男の方からオートロックは開錠しないだろう。

 つまり、不法侵入という印象が最悪な行為をするほどに、状況は切羽詰まっているのである。確執だらけで軋轢まみれの摩擦が激しい不仲な親類に頼らざるをえないレベルの難事に、少年は直面している。

 絶対に成功させなければならない。

 できなければ、死ぬ。

 十三階に到着、エレベーターの扉が開いた。

 このフロアに居住スペースは一室だけだ。迷わずその部屋のドアへ向かい、正面に立つ。

 そして、ドアホンのボタンを押した。

『──どうやって入った糞餓鬼』

 もの凄く不機嫌そうな声。その聞き覚えのある声質と口調に対して、少年は「あー、とりあえず開けてくんねえ?」と返した。

『…………けっ』

 ぷつっ、と音声が途切れる。しばらくして、内側から鍵が回った音がした。

 正直、開けてくれなくて待ちぼうけを食らう可能性もあったが、そうはならなかったようである。

 最悪、鍵を壊して、無理矢理に押し入ることも選択肢にあった。流石にそうなってしまうと、目的を果たせない可能性が非常に高いし、親類とはいえ本当に殺されかねないので、悩み所であったのだ。

 とりあえず最初の難所は越えたことに安堵していると、ドアが僅かに開いた。頑丈そうなドアチェーンが掛かっていて、その隙間から癖のついた黒髪の青年が現れた。

 白いワイシャツと黒いジーンズを長い手足に通した、整った顔立ちの青年である。が、灰色の瞳をした三拍眼は明らかな不快感を示しており、眉間の皺が掘り込まれたように深い。その表情は美麗でありながら凶相を呈していて、敵意と殺気が発されているのもあって、悪魔も畏怖させ射竦めさせそうな、禍々しい凶悪な面持ちだった。

 さらに左手には日本刀の鞘が握られており、既に親指で鯉口が切られている。もう今すぐにでも斬りつけて殺してしまいたいという気持ちが具体的に表れていて、それに気付いた少年も、にやにや笑いが引き吊った苦笑いに変わった。

 ここまで嫌われていたか、自分。

「ひ、久しぶり」

「……何の用だ」

「いや、用ってほどでもねーんだけど」

 こんなにも剥き出しの敵愾心を向けられている中、話を切り出さなければいけないのか。いや、何もこの場で話すことはない、とでも言って室内に入れてもらってからでもいいのではないだろうか。しかし男は既に鯉口を切っている。緊急事態なのかもしれないから仕方なく開けただけで、本来なら話は聞かないし、下らない用件なら殺すと暗にアピールしているのだ。とても中に入らせてくれるような雰囲気ではない。

 つまりここで、他人の家の玄関先で、今回の来訪の目的を告げる他ないのだった。

「えー、ちょっとばかし、言いにくいんだけどよ……」

 顔面刺青の少年──零崎人識(ぜろざきひとしき)は覚悟を決めて用件を述べて。

 灰色の瞳の青年──零崎討識(ぜろざきうちしき)は即答した。

「……金貸してくれ」

「断る」

 

 ◆    ◆

 

 ある教会の講堂である。日中は信徒がミサや告解を行い、講堂は静粛ながら荘厳な雰囲気がするが、もう夜が更けようかという頃には祈りに来る者もおらず、ただ静けさが支配するばかりだ。暖色の明かりが幾つか灯っているだけで大分薄暗く、磔刑にかけられた聖人の像にも、えも言われぬ怖さが感じられる。

 告解室は講堂の隅に設置されている。ブラウンで木造のそれは、過度な装飾の無いシンプルな造りであったが、薄明かりの下では怪しさが際立つばかりで、とても告白したところで罪が赦されるとは思えない。

 その告解室の側の長椅子に、顔面刺青の少年──零崎人識が、一人座っていた。

 教会を滅ぼす悪魔の使いか、なんて連想が容易に出来るぐらいに、人識はにやにやと笑っている。その上「傑作だぜ」などとよく分からない言葉を呟きながら、頭の後ろで手を組み足を伸ばしていた。ますますこの場所にそぐわないし、そして似合わない。

「まったく──本っ当に──傑作だ」

 にやにや笑っているのだが、その口元はやや引き吊っているのを見るに、苦笑いのようだった。どうやらのっ引きならない事情を抱えているらしい。事態が深刻な程に笑えてくる性格なのかもしれない。

「人識くーん」

 少女の声がした。見ると、頭にタオルを巻いた細身の少女が、職員用の通用口から現れた。

「お風呂空きましたよー」

「…………」

「人識くん?」

「……傑作だぜ」

 人識は引き吊った笑みのまま、少女に言った。

伊織(いおり)ちゃんよお、いくら何でも自由に使いすぎじゃねえ? 何二時間も風呂入って頭にタオルまで巻いてんの?何でそこまで気ままにゆったり出来んの? 確かに神父さんは『自由に振る舞って構わない』って言ってたけどよ、それでもある程度は遠慮するのが普通だろ」

 非常識的な人間が常識的な言葉を放つ、という特異な状況に、無桐伊織(むとういおり)は「女の子ですから」と返す。

「伊織ちゃんはお年頃の女子高生ですから、容姿に気を使うのは当然の義務なのです。綺麗な容姿は綺麗な身体から、綺麗な身体は綺麗な心から生まれるのですよ」

「なんだそりゃ。『健全な魂は健全な肉体に宿る』って話か?」

「違いますよう。『()(かい)より始めよ』ということです」

 珍しい故事を、伊織は言う。とてもじゃないが、お年頃の女子高生が例えに使う言葉ではない。

「『千里の道も一歩から』でもいいですけど。とにかく、地道にこつこつと、積み重ねることが大事なのです」

「微妙に言葉が間違ってる気がするけどな。 見知らぬ他人の家での長風呂も、美容の一環だってのか?」

「それはそうですよ。三日もお風呂に入らないで、気にしないでいられる女の子はいません」

「異性にトイレの世話されても気にならない奴の発言じゃねーよ、それは」

 人識の毒のある発言に、「仕方がないじゃないですか」と伊織は肩を竦める。

「わたし、三日前まで両手無かったんですし」

 無桐伊織の容姿は人識と違って、常識的なそれだ。パーカーにプリーツスカートにローファー、今はタオルを巻いているものの、普段はニット帽を被っている。女子にしては背が高くて細身であり、平時にはメイクもしている。濃くて厚ぼったいものではなく、細部を整える程度の薄い化粧で、伊織の元々の素材の良さを引き立てているあたり、お洒落には相応に気を使っているようだ。

 そんな『お年頃の女子高生』らしい伊織の容姿を裏切る、非常識的な部分が、その両腕であった。

 伊織の両腕は義手である。それも肌の色をした補助器具などではなく、黒く輝く鋼鉄の武具だ。

 日常生活に支障をきたさないようにという意味よりも。

 相手を確実に殴り殺すという明確な意志を示す、見て明らかな武装だった。

 とある事情によって両手首を切断されてしまった伊織であったが、人識の親類である零崎曲識(ぜろざきまがしき)の伝を頼って、先日、義手を入手することができた。

 当初は人識が手術を執り行う予定であったのだが、患者である伊織の勧めで、結局、医術の心得がある者に任せた。リンパ浮腫を始めとする肢の移植時のリスクについて、どうやら人識は失念していたようで、小一時間程度、伊織が説明をすると、素直に人識は辞退した。「手先は器用だから大丈夫だろ」と、あのへらへらした笑顔を浮かべていた人識が、妙に真面目な顔つきになったので、どうやら自省したらしい。

 その五分後には、また軽薄な笑みが戻っていたので、本当に反省したかは怪しいが。

「……しっかし大した義手だよな。術後に痛みが全くないってのは」

 通常、手足の移植手術では、術後に接続面が痛んだりするものだ。どれだけ精巧かつ緻密に作られていようと、それは人間本来の、その人本人の肢体ではないので、違和感や異物感を覚えるのは避けられない。

 だが伊織にはそういった症状が全く見られなかった。ぶらぶらと大きく揺らしても平気なぐらいで、本来必要な義手に慣れる期間をいくらか省略できたのだった。よって様子を見ながらではあるが、予定していたペースよりも早くリハビリのレベルを上げている。

 とはいえ、それでも一人では風呂に入れないので、この教会を取り仕切る神父の娘に、介助をしてもらった。人識が伊織を介助するのもいい加減面倒臭くなってきたから、という理由もあるが、やはり異性よりは同性に世話してもらった方がよいだろう。

 しかし伊織は遠慮というものを知らないのか、かなりの時間、付き合わせてしまったようだが。

「はい。伊織ちゃん、頑張りましたからね」

「いやあんたの手柄じゃねえから」

 どう考えても闇医者、そして武器職人の手柄である。

 その義手は過度な装飾のないシンプルな造型でありながら、真に迫る機能美を内包した一品だが、その機能美はどうやら術式のサポートも守備範囲らしかった。術後の後遺症が全くないというのは、世間一般からすればノーベル賞を受賞して然るべきレベルの技術ではないだろうか。

 とはいえ、社会復帰するには、まだ時間がかかる。

「いえいえ、これでも頑張ってるんですよ?」

「そりゃ頑張ってもらわなきゃ困るぜ。あんたの為にも、俺の為にも」

 そうなのだ。頑張ってもらわなければ困るのだ。

 それはリハビリや放浪生活といったことにではない。現在進行形で困っていることが、人識と伊織にはあった。

「……伊織ちゃん」

「はい?」

「ハッキリ言う。非常にヤバい」

「何がですか?」

「金が無い」

「そんなっ!?」

 がーん、と影が射しそうなリアクションをする伊織。そのオーバーな反応も、始めは戸惑ったものの、最近では鬱陶しいだけである。

 無桐伊織という少女は、掴み所がない面倒な奴。というのが、人識の第一印象で、いくらか時間が経過した今でも、少々の修正はあれど、大筋では変わっていない。

 とにかくおちゃらけて、お茶を濁すことを信条にしているかの如く、冗談を飛ばすのだ。それがユーモラスであるなら許容はするが、大抵の場合でスベっているので始末が悪い。挙げ句人識が嫌いな下品なギャグ(大体下ネタである)をも発するので、兄である双識の頼みでもなければ、ここまで世話をしてやることはなかった。気楽な一人旅を満喫していたことだろう。

 そういえば数少ない女性の零崎──あの女も、こんな感じだったか。

 陽気で寛容だが何を考えているか分からない、掴み所のない馬鹿女。会う度に笑いながら突進してきてスピンダブルアームを仕掛けようとする、出鱈目に能無しでぼんくらな、親戚の姉。

 が、いつもへらへらしている割に、はぐらかしたり、誤魔化したりするのが得意な一面があった。

 いらない無駄話は垂れ流す癖に、欲しい情報は触れさせもしない。単に人識が弁論術に明るくないというのもあるが、それを抜きにしても、あの馬鹿女は、秘密を秘密のまま隠し通すのは上手かった。

 そういう所は、伊織とよく似ている。

 内面を必要以上に晒け出さない。それが天然か意図的かの違いがあるだけだ。

「ひ、人識くんっ! わたしという可愛い妹がいながら、どこの商売女に入れ込んだんですか!?」

「人聞きの悪いこと言うな……それに、俺は妹だと思ってねえ」

 若干疲れてきた人識。この謎のテンションに付き合うのも骨が折れる。

 それでなくとも、人識は身体中が痣だらけなのだ。この怪我は伊織の義手を手に入れるにあたって負わされた()()なのだが、単なる内出血とはいえ、流石に二日三日で治るものではない。

 身動ぎ一つ一つに疼痛が襲い、地味な痛さが疲労を蓄積していく。そんな中で伊織の世話にしつつ、応対を返すのは、正直しんどいのだった。

「おや、人識くん。お疲れみたいですね」

「ああお陰様でな」

「お風呂でも入ってきたらどうですか? 『湯は洗う為ではなく心身を健やかにさせる為にある』と、ルシウス・モデストゥス技師も仰ってますし」

「いや、そいつ架空の古代人だし。 ……風呂は後回しだ。まずは金策を練る必要があってだな」

「ならば、尚更お風呂ですよ。 『ローマ人ならば大事な話は風呂でせねば』と、ハドリアヌス帝も仰ってますし。 残念ながらわたしは既に入ってしまったので、人識くんの思索にお付き合いすることはできませんが」

「あんたいつから古代ローマ人になったんだ? それでなくとも、あんたと混浴なんてありえねえよ」

「またまたぁ、ついこの間も一緒に入ったくせにぃ」

「……そのにやにや笑いはやめろ。ぶっ殺すぞ。 ──あんたの介護の為にな。そうでもなきゃ女と風呂なんて入らねえっての」

「え?」

「え?」

「嬉しくなかったんですか?」

「はあ?」

「現役女子高生の生肌ですよ?半分達磨状態だったとはいえ、しっとりもちもちすべすべな女の子の柔肌に触れていたんですよ? 期待していたんじゃなかったんですか?」

「するかっ!」

 人識の怒号が、静かな講堂に響いた。

 思った以上に反響して、少しばつの悪さを覚えた人識は、とりあえず、腹いせに伊織の頭を小突いた。

 ごん、と鈍い音。

「うなっ!?」

「……俺はいつも服着てるだろうが。混浴じゃねえ。 次にそんなこと言ったら、本当に殺すからな」

 人識が物騒な台詞を吐く中、伊織は涙目で頭を擦っていた。

「うー、人識くんは暴力的です……DVは世界中で問題視されているんです。もっと妹に優しく接してくださいよう」

「…………」

 何というか、こういう全然悪びれない態度は、やっぱり頸織(くびおり)と似ている気がする。

 閑話休題。

「もう一度言うが、金が無え」

「それはやっぱり、私の義手のおかげですか」

 闇医者に診てもらった、と一口で言っても、彼等彼女等も相当の腕の持ち主で、従って相応の金額を要求する。

 それが例え、見るからに理由ありそうな、若い男女の凸凹コンビであろうともだ。慈善事業ではないのである。

「別にあんたのせいじゃねえさ。そもそもあんたの金だしな」

「それはそうですよ。わたしのお金でわたしの買い物をしただけですし」

「……そうだな、間違ってねえ。その腕の手術代で、あんたの貯金が全部トンだってこともな」

 苦笑しながら、人識は言った。この放浪生活中、金銭に関することは全て伊織が負担しているのだ。食事代の一つも出していない人識としては、本来意見する立場に無い。

 が、敢えて言及した。それぐらいに、現状は逼迫しているからだ。

 そもそも根無し草の人識はともかく、何故つい先日まで家族の庇護の下で生活していた伊織も金欠なのか。

 無桐家はそこそこ裕福な家庭だった。それなりの金額をお小遣いとして貰っていて、且つ伊織も嗜みとして流行の服飾品を買い揃えていたが、それ以外にさして物欲が掻き立てられなかった為、お小遣いの内、使わなかった分がある。それが伊織の銀行口座に、女子高生としては結構な額が、貯まっていたのだ。

 それを伊織の手術費用に充てた。ほぼ全額を、支払ったのである。

 だが、問題はその後だ。先の事件により、人識と伊織の二人は、死亡した扱いになっている。なので、お金を引き出したりしたら、実は二人が生きていることが露見してしまう。特に人識は指名手配犯として、表立ってはないものの、顔が知られてしまっていた。今でさえ面倒なのに、余計に厄介な状況に陥りかねない。

「仕方ないですよ。闇医者相手に、保険適用なんて通るわけないんですから。 それはともかく、本当にバレないんですかね。ことが表沙汰になれば、わたしの故郷がセンセーショナルな殺人事件の現場として、お茶の間の皆様に持て囃されてしまうのですけど」

「そんだけ余裕があれば、街宣車で帰郷したって平気だろうさ。 ──まあ、大丈夫だと思うぜ。よくよく考えれば、あの件には四神一鏡(ししんいっきょう)の一角が事後処理に当たってるはずなんだ。だから預金を全部引き出したって、恐らく問題ないだろうぜ。多分」

「曖昧でふわふわしてて、全然安心できないのですが」

「気にすんな。こっちの世界じゃ、多少いい加減でも何とかなるもんなんだよ」

「それはあの赤い人レベルの話じゃ……」

「考え無しに列車脱線させるのは、こっちでもあの女だけだ」

 あれに関してはいい加減なんてレベルでは済まないが、あの街で起きたことを、いい感じに覆い隠したと言えた。人識と伊織は移動する度に、雑誌やテレビをチェックし、事件になっていないか確認していたが、報道されているのは脱線事故や通り魔殺人のニュースばかりで、伊織の街で起きた戦いについては、話題にすら上がっていないようだった。

 もしかしたら、あの赤い請負人が、あえて派手な事件を起こして、あの件のカモフラージュとしたのかもしれない。

 と、考えると筋は通るが、流石に考えすぎだろうし、派手すぎな上に事件の規模が馬鹿にならない。

 あの女と一括りにされたくねえなあ、などと呟きながら、人識は話を進めた。

「兄貴──に限らず、零崎三天王が本格的に活動するってなったら、結構派手になりがちなんだよ。普通に、警察とかに感知されそうなぐらいに。隠蔽工作は必須ってわけだ」

「それは以前言っていましたけど、だから私達は死んだことにしておこうという話になったのでは? というか、零崎三天王という名称は何なんですか。もう一人ぐらい足せなかったんでしょうか」

「さあなぁ。ペリルポイントの爆弾魔を加えて、収まりよくしてもいいと思うけど。 ──この前言ったけど、兄貴には氏神(うじがみ)っつーとんでもない大金持ちのパトロンがいてな。兄貴が動くなら、まず間違いなく、ソイツと連絡を取るはずなんだ」

「その人に後始末をしてもらうというわけですか。双識さんも中々隅に置けませんね」

「あ? 何でだよ?」

「鈍いですねえ、人識くん。男の人の面倒事を進んで引き受けるなんて、そんなの乙女心を持った女性以外にありえないじゃないですか」

「……あの変態に付き合い切れる女がいるとは思えねえがな。 ──氏神家の奴が男か女かは知んねーけど、兄貴がシームレスバイアスの大将よりも先に頼る程だ。スピーディー且つスマートに処理するだろうよ……既に兄貴が死んでいてもな」

 『財力の世界』の中核を成す、四神一鏡。

 赤神(あかがみ)謂神(いいがみ)、氏神、絵鏡(えかがみ)檻神(おりがみ)の五家系からなる巨大財閥グループであり、その経済力は大国の国家予算すら突き放す程に膨大である。

 当然、組織力も突き抜けている。上司のゴーサインに従うその様は蟻の行軍が如しであり、文字通り死を睹してでも使命を遂行する。例え犬の散歩であろうともだ。そんな連中が火消しに乗り出すのだから、アフターフォローも滞りなくこなすだろう。

 というか、もしも銀行が不信に思い警察に通報したとしたら、自動的に氏神家の関与が疑われてしまうので、フォローに入らざるをえないはずである。

 四神一鏡自体は巨大にして強大すぎる家柄なので、スキャンダルなど屁でもないが、旧態依然とした家系でもあり、面子が潰れることには異常に反応する。事が明るみに出そうな時点で面目が立たないと判断し、即座に事件ごと処理されるのも珍しくない。つまり、迅速で確実で丁寧に、対応するということだ。

 エリートぶった奴は大体が完璧主義なんだよ、と人識は嘯く。

 大体が不得要領なニートが何を言うのか、と伊織は思った。

「うなー……でも本当に、想定通りに、動いてくれるのでしょうか」

 伊織が天井を眺めて言う。

「わたしの口座から引き落としても警察は関知しない、というのは、ただの予想でしかありません。 その氏神さんとやらが何もしない可能性の方が高いですよ?実際、バレた時はどうすればいいんですか?」

「そりゃあれだ、逃げりゃいいんだよ」

「もうわたし達、逃げてるようなものですけど」

「じゃあ、神様に祈ればいいさ。殺人鬼の願いまで聞いてくれるかは、分かんねーけどな」

 人識は十字架を指差して笑った。

 伊織も、笑って応じた。

「で、金欠だ」

「そうでした」

 うなー、と唸りながら項垂れる伊織。テンションの上がり下がりが激しい女だった。

「結局、曲識さん?には、お金は借りられなかったんですよね」

「話が纏まった頃には、もうそんな状況じゃなくてな……義手を手に入れるので精一杯だった」

「ついでにアプールさんみたいなボディも手に入れて」

「そんなレベルの青痣じゃねえよ」

「ではギニュー隊長」

「伊織ちゃん、結構漫画好きなのな」

 兄貴と話があったかもな、と人識は独りごちる。それはいいことだったのかもしれないが、鬱陶しさに拍車がかかりそうでもあった。

「どうするんです? 日雇いのバイトでもしますか?」

「勘弁してくれ、ウシジマくんみたいにタコ部屋送りになんのは嫌だ。 ──まあ、借りるしかねえよな」

「ウシジマくんに」

「違う」

「では萬田銀次郎に」

「このやり取り、もうやめねーか? ……曲識のにーちゃんが一番後腐れがなかったんだが、今更だしな」

「もう当てがないと?」

「当てっつーか、金持ってそうな奴は、いるにはいる。けど俺、そいつに嫌われてるからなあ」

「嫌われてる……ちなみに、どれくらいにですか?」

「もう、指先の薄皮一枚すらも触れたくないぐらい」

 かはは、と人識は笑う。

「顔を合わせたのは数える程だけなんだけどな。目は絶対合わせねえし、話しかけても無視されるし、やたらと距離を取ろうとするし。 毛嫌いされてるんだな。理由は分かんねえけど」

「……何か失礼に当たることをしたんじゃないですか?」

「かもしれないが、思い当たるところがないんだよな。 そんな関係の奴が、纏まった金額を貸してくれるかどうかが問題なんだ」

 人識自身が、一賊内で筆頭の嫌われ者であり、忌みわれ者だという事実を差し引いても、あの避け方は異常だ。

 関わり合いになりたくない、と一賊の誰もが思っていても、一緒に行動しなくてはならない、顔を合わせなくてはならない状況というのは、幾度かあった。軋識がそうだし、曲識も無理矢理とはいえ、共に戦いに赴いたことはある。だが、あの男は露骨に態度に表し、あからさまに不愉快だと示す。結果、一緒に行動したことはなく、一方的に嫌われている状態のまま、現在に至っている。

「今更ですけど、結構羽振りの良い方なんですかね。 えっと……」

「零崎」

 人識は言った。

「零崎討識」

「そうそう、討識さんでした」

「貸してくれるかはともかく、金自体は結構稼いでるはずだぜ。 マンションとかアパートを何棟か経営してるらしい。後、株式とかFXとかやってるんだと」

 零崎一賊の殺人鬼などと恐れられていても、基本的な生活様式は一般人のそれだ。衣食住の為に、金は稼がなくてはならない。

 討識は一賊の中では成功者の部類であり、規格外のパトロンを持つ双識を覗けば、最も裕福な殺人鬼と言えた。嫌われていなかったら、いの一番にせびりに行っていただろう。

「高卒のくせに、どうしてそんなに儲かってるのか謎だが」

「商才があるんですねえ、討識さんという方は。 それで、どうやってその方からお金を(たか)るんですか?」

「それなんだよなあ……」

 正直、まったく算段がつかない。

 曲識の様に、とはいかないのだ。曲識は思い込みが激しいという一面があったから、気楽に交渉に持ち込み、がばがばで隙だらけの大嘘に騙されてくれたが、討識は理性的で聡く、頭の回転が速い。人識が吐く嘘程度は、絶対に見抜くだろう。

 それに討識は、例え親戚相手であっても、損得勘定を重視する傾向が強い。守銭奴と言えるぐらいに、利益にならないことは決してしないのだ。

 そんな討識が、宿無しで無一文な人識に、メリットを覚えるはずがないのである。

 まあ、頸織を動かして討識を促す、という策も、あるにはある。

 討識の弱点に、姉の頸織には弱いという点が上げられる。が、他の殺人鬼と比較した場合なだけで、姉相手でも基本的に厳しい。また、頸織の知能は、最終学歴が中学校卒業の人識から見ても残念な部類に入るので、討識を説得できるかはかなり怪しかった。適当にあしらわれて終わるだろう。

 ちなみに頸織に借りるのは論外だ。彼女は働いていないので年中金欠であり、たまの臨時収入も、各地に旅行に行って消費してしまう。人識と同じく無職で無一文である彼女に、金の無心などできない。

「うーん、素直に貸して欲しいって言えばいいんじゃないですかね。 案外、簡単に貸してくれるかもしれませんよ」

「かもしれねーけどな……」

 全然想像できないのが辛い。

 だが、それ以外に方法が思いつかないのも、確かであった。

「……傑作だぜ」

 人識は立ち上がった。ハーフパンツのポケットに手を入れて、祭壇に歩み寄る。

「気は進まねえが、それぐらいしか手は無さそうだ。 明日、奴さんの街に入る。そして、できるだけ多くの金を貸してもらう」

「はい。よろしくお願いします。ところで、伊織ちゃんはその間、何をしてればいいのでしょうか」

「リハビリをするんだろうが。 早く動かせる様になってもらわなきゃ困るぜ、ホント。渡米するったって、ファーストクラスで優雅にテイクオフってわけじゃねーんだから」

「ええ、エコノミークラスで我慢します」

「アホか。正規の手段は使えねーって言ってんだよ」

「み、密入国ですか……」

「当たり前だろ。誰がチケット買うんだよ」

「それは、ほら。闇商人とか、怪しい人が」

「買えても検問は突破できねーっての」

 それに俺達パスポートも持ってねえぞ、と人識は笑う。

「飛行機じゃなくて船かもしれないけどな。 ま、それも含めてせびってくるわ。上手くいくかは、分かんねーが」

「とりあえず」

 伊織も立ち上がって、人識の隣に並ぶ。

 珍しく神妙な顔つきをしていた。

「神様に祈っておきますか」

「……だな」

 

 

 ◆    ◆

 

 一応、神頼みはしておいたが、やはりというか、現実は常に非情である。

「――コイツと」

 チェストから軟膏を。

「コイツをやるから」

 冷凍庫からアイスを。

「とっとと帰れ」

 一つずつ、人識に向けて放り出された。カップ容器に入った薬剤と、ハーゲンダッツのストロベリー。乱雑に投げられた割には強く回転がかかっていたそれらを、人識は右手で難なく掴む。

「……悪いけどそうは、っと」

 続けて放たれたのは、ハーゲンダッツのロゴがあるプラスチックスプーンだ。左目に向けて投げられたそれをも掴み、人識は言葉を紡ぐ。

「――いかねーんだ。 つーか危ねえよ」

「……けっ」

 討識は心底不愉快そうに、人識の対面に座る。

 何とか説得(門前払いをせず、話を聞いてくれるよう説得)を終え、リビングに通された人識は、客用のソファに座る様に言われた。その直後にこれである。礼儀として上がらせただけで、歓迎はしていない事をありありと示していた。

「動きに無駄が少なくなった。それなりに実力はついたみてえだな」

「何だ、俺のスキルチェックだったのか、今の。 食っていいのか、これ」

「そうでなきゃあ、くれてやったりしねえよ」

 はあ、と溜め息を吐く討識。傍らには、朱色の鞘に納められた日本刀が立て掛けられている。討識らしくない、鮮やかで目立った拵えに、思わず手が伸びそうになる。が、手を伸ばそうとした瞬間には、人識の手首が斬り落とされていることは間違いない。玄関先でのやり取りで、そう確信した。

 やはり今考えても、これまで嫌われる様な出来事は無かったと思うのだが、しかし現実問題、討識は人識を毛嫌いしている。食べ物なり薬なりを渡してくれる分には、角が取れて丸くなったと言えるのだろうが、先程から殺気を抑えようとはしていない。隙あらば殺すというスタンスは、数年前から変えるつもりはないらしい。

 かちかちに固まったアイスを人肌で溶かして、一口食べる。

「…………」

 甘いには甘いが、パサパサしていて、乾燥した味と食感がする。明らかに冷凍庫で長期間放置され、水分が飛んでしまったものだった。

「……傑作だぜ」

 嫌がらせに生ゴミを押し付けられただけだった。だが、スポンサーの機嫌を損ねるわけにはいかないので、文句は言えなかった。

 アイスクリームを食べ終えた人識は「で、これは?」と、薬剤の容器を手に取る。

「軟膏以外の何に見えんだよ。 どこで何をしたのか知らねえけど、目立つ傷作って来やがって。前衛アートのつもりか?」

「いや、これは色々あってだな……つか、これじゃあ量が足んねえんだけど」

 原因をそのまま話す訳にはいかないが、かといって上手い言い訳も思いつかない。ぼんやりと濁すしかなかった。

「けっ」討識は言う。「足りねえなら、ドラッグストアで同じヤツを買え。それに、テメエの事情なんざ、どうでもいい」

 食ったなら失せな、と手で払う。視線は人識を捉えてはおらず、天井の蛍光灯に向いている。

「さっきも言ったけど、そうはいかねーんだよ。このままじゃ飢え死にだ。殺人鬼が殺人以外で死ぬなんざ、笑い話にもなんねえ」

「笑い話にはならねえが、ホームレスが餓死するのは、世界中である話だ。別にテメエが飢餓で死んだところで、俺は驚かねえし、困らねえし、悲しまねえよ」

 けんもほろろ、素っ気なく答える討識。

 しかし、それは予想できていた返答である。

「けどよ、討識のにーちゃん」

「おい」

 討識の視線が、さらに鋭くなる。殺気も増した。

「にーちゃんとか呼ぶな。気色悪いんだよ。殺すぞ」

「……悪い、討識さん」

 忘れていた。討識はそう呼ばれるのを嫌う。

 元々悪い機嫌を、更に損ねてしまったが、気を取り直して、人識は言った。

「頼む。金貸してくれ」

「拒否する。 大体、俺がテメエに金を貸すと思うか?文無しのテメエのどこに支払い能力があるってえんだよ」

 まさにその通りだった。弁解のしようもない。

「それとも、身体でも売るか?その苛つく刺青のせいで価値は落ちるだろうが、どこかの物好きが買ってくれるかもしれねえぞ」

「誰がやるかよそんなもん」

「じゃあ内臓を売れ。不健康な腎臓一つでも、標本としてなら、それなりの値段になる」

 絶対に身銭は切らないようである。こうなってしまえば、意地でも金は出さないだろう。

 どうしたものかと人識が思った時、「それにな」と討識が言った。

「俺はテメエが、俺に集りにくる程、金に困っているたあ、思えねえんだよ」

「は?」

「京都の十二人殺し。犯人はテメエだろ」

 どきり、と人識の鼓動が速くなった。

 断定――特定されて困るわけではない。人識は殺人鬼だが、討識もまた殺人鬼だ。お互いに人殺しで、糾弾される側である。別にどこで誰を殺したことなんてことが一賊に露見しようと、同族でお互い様なのだから、非難されるいわれはない。

 直感的にマズイと思ったのは、金が無い理由を探られそうだからだ。

「……何で、そう思うんだ?」

「別に。単なる勘だ」

「おいおい、ミステリーじゃありえねー決め手じゃねーか」

「五月蝿えんだよ餓鬼。 生憎、ミステリーっつうのが嫌いでな。使い潰された手法を磨り潰した論理なんざ、何の価値もありゃあしねえ。あんなもんは、暇人の暇潰しだ。コナン・ドイルも、アガサ・クリスティも、エラリー・クイーンもな」

「……昔、曲識のにーちゃんも似たようなことを言ってたぜ。 ミステリーは前世紀の遺物だってな」

「……けっ」

 人識のことが嫌いなら、曲識のことは苦手だ。不機嫌な顔が不愉快な顔に変わるという、傍目には分からない違いを出しながら、討識は続ける。

「……『京都連続通り魔殺人事件』『古都の辻斬り解体犯』『現代に蘇る切り裂きジャック』。色々言われてるみてえだが、本質的には通り魔殺人じゃあない。愉快的な強盗殺人だ」

 五月に起こった『京都連続通り魔殺人事件』と呼ばれる事件。

 一月の内に十二人の老若男女が殺される。それも胴体を鋭利な刃物で切り開かれて内臓を解体、部位ごとに路上に晒されるという、犯罪史上類を見ない猟奇殺人が行われ、日本中を震撼させた。

 機動隊による警備、検問が敷かれた厳戒体制を嘲笑うかのように、昼夜も屋内外をも問わず重ねられた犯行。犯人は未だ不明で、証拠らしい証拠も一切発見されていない。

 が、この猟奇殺人にも不可解な点が幾つかある。

 その一つが、被害者の所持していた金銭が盗まれている、という点だ。

「主目的はともかく、副次的には強盗が目的だってえのは明らかだ。そして綺麗に解された死体。素人の手口じゃあねえ、プロの犯行だ。だが、プロにしては遊びが過ぎる。  ――ところで、お前言ってやがったよな」

 殺して解して並べて揃えて晒してやんよ。

 零崎人識の、文字通りの殺し文句。

「文無しで、奇天烈で、腕だけは一丁前のプレイヤー。 零崎一賊にはいたよなあ。テメエっていう核弾頭がよ」

 本当に勘の域を出ない、証拠など全く無い推理である。

 しかし、零崎一賊の殺人鬼にならば、真実と看破できる推論だった。

「……確かに、それの犯人は俺だけど」

「やっぱりか。阿呆みてえに目立ちやがって。 ――強盗殺人っつう前科があるならば、またぶっ殺して盗ればいいだけの話じゃあねえか。しかし俺に借りに来た。明らかに嫌われているだろう相手にだ。 不自然に思わねえか?糞餓鬼」

 ふう、と溜め息を吐き、頭を掻く人識。あの赤い請負人の言い付けに従っているのだとは、口が裂けても言えない。まさか伊織のことを言う訳にはいかないし、かといって上手い言い訳など無い。

 どうしたもんかと困って沈黙していると、討識が「けっ」と睨みながら言った。

「大方、双識さんか曲識さんに断られたから、ダメ元で俺の所に来たんだろうが……生憎だが、テメエ如きにやる金は無え。テメエに貸すぐれえなら、下水に流した方がマシってもんだ。 痣だけで済ませたいんだろう?分かったらさっさと帰んな」

 これ以上居続けるなら実力行使に出る、という意味だ。

 流石の人識も、討識を敵に回すのは避けたかった。討識は名前こそ知られていないが、一賊屈指の実力を持つプレイヤーである。絡め手が得意で機転も利く為、他の『殺し名』とも互角に渡り合えるだろう。

 そしてこの通りに嫌われているので、最悪、本当に殺されかねない。ある程度までは伊織の面倒を見ると決めたし、それでなくとも、こんな形で人生に幕を下ろしたくはないのだ。

「……まあ、そういうなよ。 こっちも止むに止まれぬ事情が――っておい、刀に手え掛けようとすんな。危ねーだろ」

「年上の言うことを聞かねえ奴は死ぬべきだと思わねえか?」

「思わねえよ。あんただって、別に頸織のねーちゃんの言うことなんざ聞いてねーだろうが。 ……つーか、その刀」人識が指差して言う。「やたらいい刀だな。どこで手に入れたんだよ」

 討識が手に掛けていた日本刀は、外装だけとはいえ、見事な出来映えだった。深い紺色の柄に鮮やかな朱色の鞘、葵形の鍔と、この青年にしては目立つ拵えであるが、一流の職人の手によるものであることは間違いない。そして一流の職人には、一流の刀鍛冶がつくものだ。その刃もまた、造形美に優れたものであることは、想像に難くない。

 実利を重視する討識らしくないその刀に、人識が問うた。

「ああ?何でそんなことを教えなきゃなんねえ」

「別にいいだろ、そんぐらい。 それに俺も専門がナイフとはいえ、刃物に関しては一家言あるんだぜ。教えてくれよ、後学のためにさ」

「……けっ。 ――『罪口商会(つみぐちしょうかい)』だよ」

 吐き捨てる様に、討識が言った。

 『罪口商会』。

 『暴力の世界』における殺人集団の代表格として『(ころ)()』が上げられるが、その対極の対極の対極に『(まじない)()』という非戦闘集団がある。

 『罪口商会』はその序列第二位、武器職人の集団だ。絶対的な武器至上主義者が製作する武器は超一流の一級品あり、手に入れるには相応の代償を払う必要がある。

 例えば、人識の青痣がそれである。全身隈なく隅から隅まで、皮膚という皮膚を余さず残さず漏らさず攻撃されるという、ほとんど拷問に近い責め苦を受けた人識は、全身の内出血と引き換えに、罪口積雪より伊織の義手を手に入れた。試作品のデータ収集という名目であったので、反撃することはおろか口答えも許されなかった。

 まるで、本当に呪いにかかっていたかのような時間であった。

 体現した地獄を体験させる呪い。

 つまり、取引相手は、心身を問わず、必ず不幸になるということである。関わったら何かをされる、それが『呪い名』であり、それが『罪口商会』なのだ。

 そんな連中から武器を受け取った。よって、討識も何らかの代償を払っているはずである。

 だが、討識に目立った外傷はない。既に治っているのか、隠しているのかは定かでないが、ならば必然、精神的に攻撃されたと見るのが自然だろう。

 が、そこを突っ込むと臍を曲げるのは間違いない。人識は「そりゃあ、災難だったな」と言うに止めた。

「ああ、災難も災難、厄難も厄難さ。テメエと同じだな、人識」

「人を災厄呼ばわりすんな。 ……」

 ふと、ある方法が、人識の頭を過る。

 確実な方法ではない。しかし、もうこれ以外に交渉できる材料が無い。

 それに本来、駄目元でせびりに来ているのだ。神様が気まぐれで殺人鬼にも奇跡を起こしてくれればラッキー、ぐらいの期待度でしかないのだから、むしろ材料があるだけマシである。断られたら断られたで、伊織との貧乏旅行が多少長引くだけで、うざったいがこれまでと変わりない。プラスもマイナスもなく、収支が零で終わるだけだ。

 人識は意を決して、討識に告げる。

「討識さん」

「何だ糞餓鬼」

「勝負しよう」

「ああ?」

「俺と試合(バト)って、俺が一撃でも討識さんに入れたら、金を払ってくれ」

 最早、これしかあるまい。

 情で動かないのなら、現実的な取引をする。しかし取引のネタがないのならば、ギャンブルを吹っ掛ける他ない。

「……咄嗟に出たにしちゃあ、悪くねえ案だな」討識は言う。「で、テメエは何を賭けるんだ?」

「は?」

「惚けんじゃあねえよ糞餓鬼。コイツは、つまり博打だぜ? 俺が勝った場合の報酬も決めなきゃあ、不公平だろうが」

 当然の様に言う。いや、公平性を問うならば当然の主張なのだが、討識が言うと、途端に不吉な予感がし始める。

 とんでもない要求をしてきそうな気がして、人識は身構えた。

「そうだな。 俺が一撃入れたら――」

 討識は言った。

「片脚を貰うぜ」

「え」

 提示されたのは、実質的な処刑宣告であった。

 『暴力の世界』のプレイヤーにとって、四肢の一部を失うことは死を意味する。運動能力が極端に落ちるし、攻撃も防御も手段が減り、対処が遅れる。神経系に障害が出ることもあるし、免疫力が低下して病気に罹りやすくなったりもする。

 伊織の様に失ってから身を投じる、欠損が前提のプレイヤーならばまだともかく、五体満足でいるプレイヤーには、その場で一生を諦め、終わらせかねない代償だ。脚ともなれば尚更である。

 そんな致命傷を負わせようというのだ。嫌いとはいえ、親戚相手に提案するには、常軌を逸している。

「いや、さすがにそれは」

「俺に一撃くれやがったら、現ナマで五百万やるが」

「ぐ……」

 思っていた以上の金額を提示され、人識の心が揺れる。

 臨時収入としては破格の金額である。どう考えても悪魔の誘いでしかないのだが、しかし即座に拒否できないぐらいに魅力的だ。

 悩んでいるそばから、討識はどこからか札束を持ってきて、叩きつける様にテーブルに置く。新品の一万円札が五センチ程の厚さで束ねられたその様は、まるで邪神のようなオーラを醸し出していた。

 悪魔の様に魅力的で、そして邪神の如く蠱惑的。

 なにしろ条件が緩すぎる。

 一撃とは、つまり掠り傷でもよいということだ。ナイフでちょっと傷付ければ、それだけで五百万円である。

 冗談で言ったファーストクラスの話が、唐突に現実味を帯びてきた。

 負けた時のリスクを、度外視してもいいと思える程に。

「……いいぜ。その勝負、受けた」

 いずれにせよ、人識に選択の余地などない。どういう経路でヒューストンに行こうと、結局の所、金は絶対に必要なのだ。

 不適に笑ってみせた人識を、討識は鼻で笑う。

「受けるのはこっちだってえんだ、馬鹿野郎」

「……言葉の綾だよ、気にすんな」

 吹っ掛けたのは人識のはずなのに、勢いで主導権を握られて、恥をかいてしまった。

「けっ、まあいいさ。 ――屋上でやる。先に準備してくるから、五分後に来な」

「ああ。 けどよ、この部屋の鍵は誰が閉めるんだ?俺が閉めるなら、合鍵でも貸してくんねーと」

「この部屋はオートロックだ。扉が閉まった瞬間に錠が落ちる」

 だからとっとと出ろ、と討識に促され、人識は席を立った。何が『だから』なのか分からないが、まあ、面倒事を手早く済ませてしまいたいのだろう。

 討識は立て掛けていた刀を手に、続けて立ち上がった。

「ああ、糞餓鬼」

「何だよ討識さん」

「テメエには鐚一文やる気は無えし、テメエがどうなろうが知ったことじゃあねえ」

 けどな、と討識は言った。

「テメエの連れぐらいは、しっかり食わせとけよな。面倒を見るつもりなら尚更だ」

 

 

 

 




以上で第四話前編は終了になります。次回更新は、本当に申し訳ないですが、未定です。
なるべく早く書き上げますので、勘弁して下さい。
また、誤字脱字等が有りましたら、ご報告下さい。
最後になりますが、更新が遅れてしまい申し訳ございません。寄せていただいた感想にも返信できずにすみません。本当に申し訳なく思っております。
こんな小説と私ですが、お付き合いいただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願い致します。


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人間失格と解釈して貸借(2)


 お久しぶりです。石持克緒です。

 ようやく書き終えたので投稿しようとしたのですが、思っていたよりも文章量が多くなってしまった為、内容を二分割してお送りします。よって今回は中編となります。

 後編は翌日9/8(金)に投稿予定です。




 

(バレてる……のか?)

 人識(ひとしき)は非常階段を上りながら、考えを巡らせる。

 いや、露見しているはずがない。伊織が零崎に()()()のを知るのは、あの事件の関係者のみで、当の伊織(いおり)と人識、そして赤い請負人以外は、全員死亡しているのだ。

 伊織は介助なしでは自由に出歩けないし、出歩いていない事は人識も知っている。

 存在自体が悪ふざけな請負人が漏らしたのか。しかし、討識(うちしき)と繋がりがあるとは思えないし、垂れ込むメリットもない。第一、仮に垂れ込みがあったとしても、討識が知らない振りをする意味も必要もない。

 人識の預かり知らないところで接触があったとしても、関係はない。討識は身内に厳しい。理由がどうあれ、普通に拒否して終わりである。

 無論、人識自身が口を滑らせた訳でもない。

 つまり、人識に落ち度はないはずなのだ。

 だが討識は感付いていた。

「……分からん」

 考えてはみたものの、結局、答えは出なかった。

 ならばあれこれ考えていても仕方がない。

 どうせ人識の頭脳では、討識の思考を読み解くなど、出来はしないのだ。考えるだけ無駄であり、その分の集中力を目の前の勝負に回した方が、幾分効率的というものである。

「……さて」

 では、まず討識について、整理する必要があるだろう。

 零崎討識(ぜろざきうちしき)

 二十一歳、獅子座のO型。本名は知らない。身長は目算で一七〇センチ前半、体重は恐らく五〇キロ後半から六〇キロ前半。細身に見えるが筋肉質で、贅を削った、絞り込んだ肉体を持つ。

 特徴として速力に優れており、一賊屈指の速さを持つ。特にハンドスピードは抜きん出た速度を有していて、これに関しては一賊で最速と言ってよい。また、スピードに秀でていながらパワーも持ち合わせていて、何かしらに優れた特化型というよりは、何にでも優れた万能型な身体能力をしている。

 主な得物は日本刀。しかし使用頻度が高いというだけで、スタンスとしては、使えるものならば何でも使う主義だ。ナイフや槍、弓矢、拳銃、ライフル、爆弾と、特別なこだわりがない。

 何が何でも殺す、という意気は、殺人鬼が殺人鬼たる所以であり証明と言えるだろうが、しかし一切のこだわりがないというのは、どちらかというと闇口(やみぐち)――暗殺者に近く、それ故の合理性は匂宮(におうのみや)――殺し屋に近い。

 特定の得物を持たない。その特性自体は一賊ではよくあるものではあるが、一賊の殺人鬼らしからぬ討識の臨機応変さについては、最早、零崎討識の個性と言ってよかった。節操がない、と露骨に表現し直してもいいぐらいに。

 節操がない。

 得物の不得手を無くし、知識を蓄え続け、能力の研鑚を怠らず。

 策を巡らし、並行して進行させるその謀略的な暴力で、相手を確実に嵌め殺す。

「――傑作だぜ」

 スキルの詰め合わせか何かかよ。

 これに商才と資産がついてくるのだから、どこぞのパーティーバーレルみたいなものだ。

 あまりに出来過ぎな万能家は、まるで漫画のキャラクターを思わせる。だが、それで人識が臆することはない。

 零崎討識が、万能家の頂点たる赤い請負人に優るはずはないし。

 また、討識が自分の拠点での戦いで打ちそうな手は、大体予想がつくというものだ。

「やっぱな。あると思ってたぜ」

 屋上へと続く扉。その手前、階段の最後の段に、一本の細い糸が引いてある。開け放たれた扉から緩やかに射す町明かりに照らされたそれは、踊り場の隅にテープで貼りつけられた発煙手榴弾へと続いていた。

 M18。挿し込まれたピンを引き抜いて約一秒後、点火された発煙剤から一分以上煙が放出される。暗がりで見えにくいが、あの円筒状の缶は、恐らくその類いのものだろう。

 ブービートラップとしてはよくあるタイプであるが、これが意外と侮れない。第二次世界大戦やベトナム戦争で効果は実証済みだし、身内にはこういう仕掛けが得意な双識(そうしき)もいるので、脅威も経験済みである。

 勝負は舞台に上がる前から始まっている。討識らしい戦い方だ。

 そして討識のことだから、これだけで済ませるはずもなく。

「見っけ」

 丁度、人識の歩幅で一歩、糸を乗り越えたその先。

 寒色系のワイヤーが、ピンから伸びていた。

(つまり、こっちが本命ってことか)

 糸に気付かず引っ掛けるなら良し、気付いて跨いで踏みつけても良し。度を越した用心深さから端を発する、二重のトラップ。

 だが、罠とはあると露見してしまえば、意味を成さないものだ。

 人識は踊り場を注意深く観察し、安全を確認して、一息に飛び越える。

 そして薄明かりの扉を潜り、

 

ぷつ

 

 と、糸が切れた。

 

「あ……?」

 気づいた時には、既に頭上から発煙手榴弾が落ちていて。

 同時に勢いよく紫色の煙が吹き出し、一気に人識の身体を包み込んだ。

「ぐっ……!?」

 二重の罠、その先に罠を張る。回避したと思わせて油断させる鮮やかな手際は、正しく討識のそれだ。

 そして、その油断に付け入らない手はない。

(――! 当然、来るか!)

 煙の中を射抜く殺気。心の臓を狙う気配が、人識を襲う。

 タイミングとリーチから、回避は恐らく不可能だ。受けるしかない。

 人識はタクティカルベストに手を伸ばす。内側から、両手に一振りずつ、ナイフを掴み出す。

 右手にバタフライナイフ。

 左手にバトニングナイフ。

 バタフライナイフは人識がよく使う、携帯性に優れた折り畳み式の刃物だが、厚さ五ミリ強の大振りなバトニングナイフは、戦闘用ではなく野外作業用の物だ。肉を刺したり裂いたりするよりも、細い枝や薪を、杭打ちの様に叩き割る為のナイフで、肉厚な分、頑丈で堅牢である。

 これで心臓への突きを受け、身体の外側へ逸らす。そしてあわよくば、反撃に転じたい。

(――――)

 否、違う。

 

 この状況で、討識が心臓を狙う訳がない――!

 

 一瞬の判断だった。

 人識はバタフライナイフを逆手に握り直し、バトニングナイフと交差させて構える。

 次の刹那、纏わりつく煙を弾き飛ばす様に鋼の刀身が飛来する。

 狙いは――

 

(――喉元!)

 

 ぎぃん。

 と、バトニングナイフの刃が突き破られる。頑丈で厚いナイフは、刃から峰までひしゃげてしまう。

 が、人識はその突きを、後続のバタフライナイフで払った。突きで斬鉄する討識の実力には驚愕するが、人識は『討識ならこれぐらいはやるだろう』と予感していた。だからこそバトニングナイフで威力を削り、極僅かながら、時間に余裕を持たせ、捌く事が出来た。

 丁度、振り被った体勢になった人識は、返しにバタフライナイフを投擲する。

 殺傷を目的としたものではない、距離を取らせる為の攻撃。視界に煙が纏わりつく中で戦闘など出来ない。それは討識も同様だし、このタイミングで攻撃されれれば、討識は自然、対処に回らざるをえない。

 人識はバックステップで踊り場へ戻り、サバイバルナイフを抜いた。

 踊り場は既に煙が充満しているので、手早く体勢を整え、階段を下りる。発煙手榴弾から生じる煙の長時間の吸入は、人体に有害だ。煙が外に流れるまで、待つしかない。

(……やれやれ、とりあえず何とかなったか)

 討識の奇襲をやり過ごし、一先ず安心する。攻撃の第一波は退けることが出来た。ほんの数分でブービートラップを複数設置するのは物理的に不可能だから、ここからは純粋な斬り合いとなるだろう。

(……つーかあの野郎、本気で殺しに来やがった)

 人識の認識では、この戦いは本気ではない範囲の仕合という感じであった。

 だが討識は完全に殺しにきている。先の攻撃、斬鉄出来る腕前があるとはいえ、それで心臓を貫けるかは保証出来ない。大量のナイフが収納されているタクティカルベストを避け、咽喉を狙ってくるぐらい、討識はその実力とは裏腹に、慎重派である。

 さらに討識は、あの一合で、とんでもない技術を見せた。

(殺気のフェイント)

(あんな技、身につけてやがったとはな)

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。戦闘において、一瞬の判断が生死を分ける場面は少なくない。特にプロのプレイヤー同士の戦いでは、殺気の読み合いに長ける必要がある。

 討識が行ったのは、その強い察知能力を逆手に取ったものだ。故に気配を読むのに優れた、強いプレイヤーであるほど、効果を発揮する。例えそこに刃が無かろうとも、一流のプレイヤーならば、刹那でも殺気を感じ取れば、その方向に意識が向いてしまうものだからだ。

 では逆説、人識が格下の三下なのかと問われれば、無論、そうではない。人識はまだ若いが、戦闘の経験値で言えば、そこらのプレイヤーの比ではないぐらいに積んでいる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という疑念。勘の域を出てはいないものの、核心に迫る程に優れた直感を、人識は有していた。

「……さて」

 煙が流れ、準備も整った。

 討識は自分の予想以上に腕を上げているらしい。勝負への理解が甘かったのは事実だが、それを差し引いても余りある程の実力差を見せつけられた。

 恐らく、単純なプレイヤーとしての実力は、討識の方が上だ。そんな格上の相手を打倒するには、一体どうすればよいのか。

「……いやはや」

 答えは単純。

 ()()()()()にすればいいだけだ。

「傑作にも程があるってもんだ、親戚間で殺し合いを演じるたぁよ。討識さん。こーいうの、頸織のねーちゃんにバレたらマズくねーか?」

 今度こそ扉を無事に抜けた人識は、再度、両手にナイフを構え直す。

 右手のサバイバルナイフは順手に握る。対して、左手に握るのは鎌状の刃物だ。

「何もマズくはねえよ。知られたところで、『身内同士の喧嘩なら素手でやれ』とか、的外れな事言って終わりだ。承知している通り、あの女は頭がおかしいからな」

 討識の兼房乱の刃に向けたのは、やや小振りなカランビットである。

 東南アジアに伝わる伝統的な刃物を源流とするカランビットは、刀身が鎌の様に湾曲しており、柄頭には指を通す為のリングがついている。その特徴的な形状故に癖の強いナイフであるが、実用に富み、殺傷能力が高い。

 人識は人差し指をリングに通し、逆手に握る。

 反った刃先が相手――討識に向いた。

「それに、姉貴の脳味噌はスポンジだ。テメエの事なんざ、髪の毛一本たりとも覚えちゃいねえだろうよ。どうでもいい事は忘れる質だからな」

「恐ろしいくらいにありえそうで怖いが、頸織のねーちゃんはそこまで薄情じゃねーだろ」

「……そうだな、実際には覚えているかもしれない。俺とは違って、あの女は甘い」

 討識は屋上の中央、人識のいる出入り口から約五メートル程の位置に立っていた。

 討識の服装が先程と変わっている。ジーンズはそのままだが、上は黒いタンクトップになっていた。ではワイシャツはどこかと屋上を見渡すと、屋上を囲む金属製のフェンスに結われている。インナーとして着ていたらしい。

 屋上はそれなりに広く、防犯用なのか、街灯も設置されていた。これなら夜目が効かずに背後を取られる、なんて間抜けなオチにはなるまい(というか、そんな死に方はプレイヤーとして残念過ぎる)。

 討識は右手に握った打刀の峰を肩に乗せ、朱色の鞘は左腰のソードベルトに差している。それ以外に武器や装飾は見受けられない。

 つまり、これから先に、小細工は必要ないという事。

 実力勝負。

 真剣勝負の、一本勝負。

「一つ聞いておこうか」

 討識は言う。

「糞餓鬼。お前はどうして人を殺す」

「……はあ?」

 意味が分からない質問だった。

 『殺し名』第三位、殺人鬼集団『零崎一賊』。その殺人に理由は無く、動機が無く、主義も無いが故に、周囲から理外の存在として恐れられている。

 そんな忌みわれ者の集まりの中でも忌みわれ者と扱われているのが、この顔面刺青の殺人鬼、零崎人識である。零崎同士の近親相姦により産まれた人識は、特異で奇妙な集団においても特別に奇矯な存在であり、出生から数年は、その影を語る事さえもタブーとされていた。

 それでも一賊の殺人鬼として、人識もまた、一賊の共通認識を持ち合わせていた。

 即ち。

「何を訳の分からねー事を。

。今更確認するまでもねーだろうがよ」

「それは何処か誰かの見識であって、テメエの見識じゃあねえだろう。まあ、答えなくてもいいさ。その代わり」

 灰色の三白眼が、人識を捉える。

 今宵の獲物として、認識する。

「その汚え素っ首、置いていけ」

 討識が動いた。

 脱力から緊張。緩く軽く柔らかく構えていた討識は、身体を左脚で送り出し、人識を斬りつけにかかる。

 二之太刀要らずの精神か、旋毛から陰嚢まで、一刀両断に斬り捨てようとする勢いで――不意を突かれた人識が反応する頃には、既に討識は眼前で刀を振り下ろし始めていた。

 しかし、対応の遅れた人識も、プロのプレイヤーとしては一流だ。

 産毛が剃れるかどうかという至近距離で、面の打ち下ろしを避ける。討識は確かに速いが、人識の戦闘経験は、同年代のプレイヤーの比ではない。討識よりもずっと速い強者――匂宮出夢の存在、その実力を、人識は身をもって知っている。

 討識は打ち下ろした刃を返し、人識の顔面を目掛けて振り上げる。恐らく狙いは、右頬の刺青だ。討識はこの刺青のデザインが気に入らない様で、前々から削ぎ落としたいと思っていたのかもしれない。

「――っちぃ!」

 人識はその切っ先をカランビットで受ける。逆手に握られた湾曲した刃から、鈍い衝撃が走る。

 カランビットの利点の一つに、手から落ちにくい事が上げられる。順手よりも逆手の方が力を込めて握りやすいし、何よりカランビットは柄にリングがついている。強い衝撃で手が開いてしまったとしても、リングに指が通っているので、得物を取り落とす心配がない。

 人識はカランビットを、攻防一体のナイフと認識していた。討識の攻撃を受けた様に、他のナイフよりは安定して防御行動が取れるからである。

 衝撃を耐え、刀の切っ先を撥ね上げる。それに続けて、右手のサバイバルナイフを突き刺しにかかる。

 通常ならば、これで終わりだ。討識の腹部に刃が通り、勝敗が決する。

「はっ――」

 しかし討識は、その右手に対して腕を落としてきた。刃を振るうのではなく、柄で叩こうという防御である。

 柄当てという技は、主に相手の顔面や鳩尾を柄で叩く、または突く技である。

 討識の様に、手首を狙おうとする場合も無いではない。

 この技で死ぬ事はまず無いが、しかしそのアプローチとしては有効な手段で、現在も多くの剣術流派で受け継がれている技術の一つだ。

現代剣道ではない、古流剣術の技。

 使える物は何でも使う。

 相手が死ねばそれでいい。

 日常的にプロのプレイヤー同士が殺し合う『暴力の世界』と通ずるその理念からくる技法は、クラシカルな技術と言えど、殺し合いには有用である。

「――――」

 脱力。

 人識は、瞬間的に右手の力を抜いた。

 突きにいっている以上、退いて躱す事は出来ない。ならば緊張ではなく、弛緩して突きを減速させ、ダメージを軽減する。

 結果、柄当てはサバイバルナイフの峰に当たる。しかし力を抜いていた人識は、ナイフを取り落としたぐらいでは動揺しない。

 続け様に左手のカランビットを振るう。

 狙いは上半身ではなく下半身。討識の右大腿部だ。

 この勝負は、一撃でももらった方が負けというルールだ。ほんの僅か、一センチの負傷が生死を分ける事も珍しくない『暴力の世界』においては、掠り傷でも一撃は一撃である。そして湾曲している分だけ刀身が短いカランビットは、切り裂く攻撃に向いている。この実践的なルールに適した装備と言えた。

「ちっ……」

 こうなれば回避するしかない。

 討識はカランビットの斬撃を、一歩、後退して躱した。

「……うっひゃあ、すっげー」

 人識は呆れ混じりに驚嘆する。

 たった一歩のバックステップ。討識はそれで三メートル以上移動し、殺傷圏内から離脱していた。

「おいおい、大袈裟過ぎるだろ。その移動距離は」

「……腕を上げたとは思ったが」討識は言う。「思っていた以上にようになった。少なくとも、俺に刃を通そうとするぐれえには」

「ま、俺も無駄に旅してる訳じゃねーってこった。懸頭刺股(けんとうしこ)ってやつさ」

 想定以上の腕前。人識の戦闘技術は、討識の想像を超えていた。

 零崎人識の放浪の旅。ただ呑気に日本全国を巡って、甘味に舌鼓みを打っていた訳では、勿論ない。

 特に昔は『匂宮雑技団』のエース、匂宮出夢(におうのみやいずむ)が頻繁に襲撃をかけていたのだ。嫌が応にもレベルは上がるというものだし、かつては知る人ぞ知る損害者の連合『裏切同盟』を相手取った事もある。直近では匂宮の分家、太刀使いと大薙刀使いの早蕨(さわらび)兄弟と戦ったし、現在進行形の放浪生活、戦闘経験の濃度は濃密である。

「そりゃあそうだろうがよ。じゃなきゃあ、双識さんから独り立ちした意味がねえ」

 言って討識は、構えを変える。古流、現代を問わずベーシックな中段の構えから、切っ先を後方へ下げた脇構えへ。

 この変化に、人識は顔を顰めた。

 右頬の刺青が、苦笑いで歪む。

(試されてるな、こりゃ)

(厳しい流れになってきやがった)

 討識の攻めを捌き切れずに、一閃に斬り捨てられて死亡。

 武器、体格共にリーチで劣る人識が辿る末路は、本来ならこうだろう。しかし、人識には対格差による不利を埋められる経験がある。日本刀よりも長尺の武器と戦った事もあるし、ナイフで捌き、受け流す技術に関しては、人識はプレイヤーとして、一級品の技術を有していた。現に、同じく一流の剣士である討識の一撃を、人識は見事に捌いて見せた。

 けれどもそれは、討識が常に先手を取っていたから、とも言える。

 よって討識は構えを変えた。右足を引いて半身になり、刀を右脇に添え剣先を後ろへ向けた脇構えに。

 刀身を身体の正面に置く中段や上段と違い、脇構えは独特な構えな為、得物の寸法が把握出来ず、間合いを測られにくいという利点がある。また、切っ先を身体の後方へ向ける事から、とっさの反応が取れず、行動が遅れがちになりやすいが、逆にそれが待ちの姿勢となり、迎撃やカウンターに適している。

 自ら打ち込まない、待ちの防御姿勢。

(間合いに関しては、これまで散々晒してるから今更だが)

(この状況はキツイな)

 ナイフと刀では、寸法に差があり過ぎる。

 加えて、ナイフを扱う人識は小柄だ。外見上は標準的な体格である討識の間合いに、自ら飛び込んで行かなくてはならない。

 リーチ、破壊力で劣る武器でこれを行うのは難しい。脇構えである以上、討識の一合目は、人識の攻撃を逆袈裟に迎撃する一手となるのは、予想に難くない。しかし、討識の一刀は非常に速い上、突きで斬鉄する程に重く、鋭い。後の先で気を練り上げているともなれば、その一撃は、人識が未だかつて経験した事のない威力となるのは間違いない。

 身体中に仕込んだ刃物ごと、自分の胴が両断されるイメージが容易く出来てしまう。

 改めて怖い相手だと、討識の実力を再確認させられる。

「……傑作だぜ」

 とはいえ、そこは零崎一賊の忌子。無策という訳ではない。

 根無し草の放浪生活、こういう手合いも少なくなかった。

 右手のサバイバルナイフを、逆手に握る。

「ッ――」

 一歩でトップスピードに乗り、三メートルの間合いを一気に詰める。同時に、タクティカルベストからスローイングナイフを、空いた右手の人差し指と中指で抜き出し、投擲する。

 討識は顔面に迫る小振りな刃を、首を傾けて回避した。投げナイフとしては雑な癖にやたらと正確で速いが、銃弾よりかは遅い。殺気を読むまでもなく躱せる。

 当然、人識もそれは百も承知だ。こんな事で仕留められるなら苦労はない。

 これは、意識を少しでも逸らす為の囮。

 討識の打刀『小説姫(しょうせつひめ)』の間合いに、人識はすでに深く踏み込んでいた。

 あの人類最強に肉薄し、前髪を斬り裂く事に成功した脚力。単純な足の速さなら、人識も討識に負けてはいない。

 一足一刀。それよりも深い近距離。刀身の短いナイフの間合い。ここまで迫れてしまっては、かえって日本刀は不利になる。

 だが、技はある。討識は右逆手に握り直した柄を振り上げ、人識の首を狙う。

 古今東西、刀剣による戦闘術は、基本的に順手である。ある程度長い刃渡りの武器は、逆手で持つには重い上に力が入りにくく、扱いづらいからだ。では逆手で攻撃するのは、現実では不可能なフィクションなのか問われれば、それは違う。

 討識の攻撃がまさにそれだ。右足で踏み込み、その勢いで斬りつけの威力を増す。この逆手斬り上げは振りがコンパクトなので、接近戦、閉所で有効に作用する為、この状況に適した剣技と言えた。

 が、この技は人識も知っていた。

 逆手斬り上げは確かにコンパクトだが、軌道は通常の斬撃と同じく直線の動きだ。討識が放ってくるのが想定出来たなら、躱すことは容易。

 人識は斬り上げを屈みこむ事で躱した。脱色した後頭部の髪が数センチ、断ち切られる。あの請負人に刈られた髪が更に短くなったが、そんな事、今はどうでもいい。

 今は、討識の右足だ。

 この右足を、左足で踏む。

 同時に左足の親指に力を入れ、カランビットを振るう。狙いは討識の右脇腹。肋骨の隙間を縫えば、臓器を傷つけ、出血多量で討識は死ぬ。

 普段の討識なら一歩引いて回避するが、今回はそうはいかない。足の甲を踏まれてしまっている。

 下がれない。

 足の踏みつけは格闘技では反則だが、実践ではむしろ常套手段。殺し合いでは尚更だ。踏まれる奴が悪い。

 人識は腕の勢いそのままに、指の握りを緩める――人差し指をリングに通したまま、ナイフが時計回りに回転し、逆手から順手に収まった。

 裁断から刺突へ、攻撃がシフトする。

 カランビットは握り方の変更を、非常に素早く行える。人識は腕の振りに合わせ、無理矢理に持ち替える事で、攻撃の軌道と間合いを変えた。この僅かな誤差が肉を裂いて、臓腑を貫き、致命傷となる。

 だが、討識はまだ左手を残している。

 空いた右脇腹に、討識は左手を伸ばしていた。そして人識の攻撃を、手首で払った。

 ふっ、と軽く、払われた。

 逆手斬り上げは接近戦で有効だが、隙も大きい。また、今は人識に足を踏まれてしまっていて、大きな動作で回避は出来ない。そのフォローに、残った手を使うのは当然だ。

 当然。

 そう、当然。人識はその受けも読んでいた。

 これが、本当に本命。

 払われた腕の勢いも使い、踏みつけた左足で回転。素早くバックターンし、右足を送り、討識の右半身につける。

 人識の背中と、討識の背中。互いに足を送りあった状態で、背中合わせになる。

 そして人識の右手には、サバイバルナイフが握られている。スローイングナイフを取る為に逆手にした。滑らかに鋭い刃物。

 狙いは討識の右腰、その下の腎臓。

(――()った!)

 人識は勝利を確信した。

 一撃を入れたら勝利のルールで、相手の内臓を破壊するのは、自分でもやり過ぎだとは思うが、そもそも殺し合いをしかけてきたのは討識の方だ。こちらだけ相手の負傷を慮るというのは、不平等というものだし、討識もそこは理解し、受け入れているはずだ。

 勝負は勝負、勝ちは勝ち。

 それを地で行く殺人鬼だ。敗北のリスク――それを考慮しない男ではない。

「……間抜けが」

 敗北のリスクは考慮する。

 だがそれ以上に、勝利への筋道を思慮するのが、零崎討識という殺人鬼だ。

 

 きぃん

 

 と、金属音。

 金属同士が叩き合わさる、甲高い衝撃音。

 突き刺さろうかという瞬間だった。人識の右手が、衝撃でぶれる。何か、硬いものに当たった感触だ。骨ではない。カルシウムの塊以上に硬質な何か。

「――――」

 それは、兼房乱の打刀。

 討識は順手に持ち替えた刀を大きく振り被り、背中に回してサバイバルナイフを受け止めていた。

「ちえぇえいっ!」

 気合一声。

 受け止めた状態のまま、力強く刀を振り下ろし、サバイバルナイフを弾き飛ばした。

「ちっ……!」

 人識は即座に離れた。

 これはよくない。討識にあれが出来るなら、少し体勢を整えたら、すぐにでも返しの斬撃が飛んでくる。

「知ってるか。こういうのは独学弧陋(どくがくころう)ってえんだ」討識は追う。「無知は罪だな、糞餓鬼」

 人識の眼前に、すでに刀を振り上げた討識が迫る。

「――」

 一気に状況は逼迫してしまった。

 はっきり言って、この状態からの攻め手は、人識にはない。残ったカランビットで面打ちを防御するのが精々だが、それだって絶対ではない。討識の放つ全力の一刀の前では、短い刀身ごと斬り捨てられて終わりだ。

 攻め手はない。

 ならば、搦め手ではどうだ。

 人識は空になった右手で、ハーフパンツからほつれた糸を引く。

 すとん、とハーフパンツの裾から落ちたのは、円筒状の缶だった。

 M18。

 発煙手榴弾。

「――食らいやがれ」

 討識が罠を仕掛けたのと同様、人識もまた罠を張っていた。

 とはいえ、人識が最初から所持していたものではない。これは討識が踊り場で仕掛けていたものの、一つ目の缶だ。

 数分前、中空から落ちてきた手榴弾から発された煙が薄れていくと共に、人識は行動を開始していた。踊り場の隅に設置された囮のM18を、回収する作業を。

 ブービートラップとしての役割を終えた以上、それらは一時的に意識の外に追いやられる。当然、発煙手榴弾を回収されるだなんて思ってもいない。その場にあるもので急場を凌ぎ、逆転させるその手口は、双識直伝の、人識の十八番だ。

 人識の罠は討識ほど凝ってはいない。回収した円筒を自身の太腿に括りつけ、ハーフパンツから伸びた糸を引っ張れば、頭頂部のピンを残して落ちるようにするだけだ。あまりにも単純だが、これにより人識は、何時でも手榴弾を点火させる事が可能となったのである。

 問題はタイミングだ。ここぞ、というタイミングでなければ、高い洞察力を持つ討識の不意を打つことは出来ない。だから可能な限り、討識が精神的に隙が出来る時を狙わなくてはならないが、討識はその隙を中々見せない。

 しかし今、討識は隙を見せた。

 一連の攻撃を凌ぎきり、手詰まりとなった人識を斬ろうとする、その隙。

 勝ちを確信したその時こそ、その実、最も無防備な瞬間だ。あらゆる勝負事において、これは絶対の法則である。

 かつん。と、円筒は落ちた。

 ()()()()()()()()()()()()()

「!?」

「食らいやがるのは、テメエだよ」

 その刹那、討識は人識の顔面めがけて、それを蹴り上げる。

「うおっ!?」

 ロケットの様に飛ん出来た円筒を、人識はすんでのところで躱す。

 人識は困惑していた。当たり前だ、これでは前提から崩れる。

 発煙しなければ、作戦は根本的に意味をなさない。トラップがトラップたりえない、好機が危機に逆転してしまう。隙を生むどころか、仕込みから発動まで、人識の全ての行為は、完全に無駄になってしまった。

 

 

 

 





 という訳で、中編は終了です。
 誤字脱字の報告、感想等ありましたら、ご連絡のほど、よろしくお願い致します。

 後編は翌日9/8(金)に投稿予定です。




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人間失格と解釈して貸借(3)


 こんにちは。石持克緒です。

 昨日予告していた通り、後編を投稿致します。



 

 

 

 独学弧陋(どくがくころう)

 個人での学習は見識が独り善がりになる、という意味だ。

 思えば人識(ひとしき)には、他人に習った技術というものが少ない。幼少期に双識に叩き込まれたナイフ術や徒手拳法、トラップ作成にしたって、それらもプレイヤーとしての基礎中の基礎を教わったに過ぎない。

 身体能力では人識は討識に引けを取らない。なのにここまで人識が押され、討識に追いつめられるに至ったのは、ひとえに技術力の差だろう。

 討識の剣術には古流の技が多い。その技術をどう蒐集しているのかは不明だが(一般に、その流派の門下生でもなければ、実利的な技は教授されないからだ)、それらは人識の知識にはない動きだ。

 自身の知らない技を仕掛けられる事ほど、恐いものはない。

(俺と討識さんの違い)

(多分そーいうとこなんだろうな)

 人識の殺人技能は、伝授によるものではなく、実践の中で研磨された技術だ。故に、もし熟練の軍人や拳法家と、その腕前を比べた場合、零崎人識(ぜろざきひとしき)の戦闘技術が達人の理合を上回るとは、とてもじゃないが言い切れない。それぐらいに、師とする者の存在は大きいのである。

 独学には限界がある。

(無知は罪、か)

(確かに、俺の知識はあんたにゃ及ばねーだろうさ)

 しかし、である。

 人識を無知とするなら、この魑魅魍魎の『暴力の世界』に身を置くこの小柄な少年は、すでに死んでいなくてはおかしい。

 この激流の海域の真っ只中に、ただ浮いているだけのクラゲの様な存在の人識は、クジラの如く巨大で強大な生物に飲み込まれて終わりだ。人識よりも優れた身体能力を持つプレイヤーは普通にいるし、人識よりも優れた戦闘技能を持つプレイヤーも唸るほどいる。人識は人識で、確固とした技能、自分だけの武器を備えていなければ、荒波の中を生き残ることは出来ない。

 

 零崎討識(ぜろざきうちしき)は零崎人識よりも強い。

 零崎人識は、零崎討識よりも、あらゆる面で劣っている。

 

「――でも、俺にも技はあるんだぜ?」

 

 クラゲの毒に似た、人識の武器。

 討識も把握していない、人識の知識。

 しゅっ、と。

 音が空気を裂いた時。

 討識の動きが止まった。

 

「……!」

 刀を振り上げていた討識の動きが止まる。

 それを確認して、人識は後退して距離を取った。

「……何とか、間に合ったか」

 人識は、ふうと胸をなでおろし、危機を脱したことに安堵する。

「まったく、傑作にもほどがあるってもんだぜ。親戚同士の喧嘩ぐれーで、お互いマジになっちまってよ」

 人識は言う。

 「おかげで、()()()を出さなきゃならなくなっちまった」

 零崎人識の奥の手。一賊の誰も知らない伏せ札。

 それが曲弦糸(きょくげんし)と呼ばれる、多種多様の人殺しが集う『暴力の世界』においても数少ない、糸を武器にする技術体系である。

「おっと、無理に動かねー方がいいぜ討識さん。そっから先はどうなっても保証出来ない」

 糸。

 繊維を長く平行に揃え、撚りをかけたそれは、見た目通りにしなやかで、そして見た目からは想像も出来ないぐらいの強度を持つ。

 戦闘においては、主にトラップの補助具として扱われることが多いが、この糸そのものを武器にする『曲弦師(きょくげんし)』に限ってはそうではない。糸の巻きつけによる捕縛を始め、張力と弾性を駆使して、対象を骨折、断割、絞殺と、多様な目的で使用する事が出来、活用方法の豊富さ、応用力においては、他の系統の追随を許さない。

 しかしその応用力故に、非常に繊細なテクニックと高度な力学理論を必要とし、それらを習得するには多大な修練と経験を積まなければならない。曲弦糸使いのプレイヤーとして活動し始める頃には、人生のピークを大幅に過ぎている、なんてことも十分にありえる可能性であるからか、この技術を扱う人間は、極一部の天才に限られている。

「……けっ」

 討識は言った。

「これがテメエの奥の手か?」

 討識の表情に、動揺はなかった。

 それに若干の違和感を覚えるが、人識は構わず答えた。

「まーな。つっても、そんな胸張って言えるもんじゃねーけどな。ちびっとだけ心得があるってだけでさ。趣味じゃねーんだよ、こういうのは。ところで、あれだ。あの発煙手榴弾? で、あってるか? ありゃ模型か何かか。煙が出ねーってことは、多分そうなんだろうけど」

 言って人識は、周囲を確認する。

(よし)

(これぐらいあれば、もう十分)

 人識に曲弦糸を教えた『病蜘蛛(ジグザグ)』と呼ばれた存在は、ど素人の人識が見ても明らかな才覚の持ち主であったが、一方で人識の曲弦糸の腕前は、半人前以下と言っても過言ではなかった。『病蜘蛛』の射程は、自己申告で数キロメートルだが、人識はたったの三メートル程度しかない。それだけ人識のレベルは未熟であり、手捌きが拙くて遅いのである。

 しかも先の攻撃では時間がなさ過ぎた。曲弦糸を数本、刀身に引っ掛けて動かせない様にするのが精々で、とてもじゃないが討識を直接拘束する事は出来なかった。

「……ああ。ありゃあ中身は水だ。本物と同じ重さだけ入ってる」

「やっぱな。一つは本物だから、残りも本物だと思い込むって寸法か。すっかり騙されちまったぜ」

 だが、時間を稼げば問題はない。ほんの数秒、人識が喋ればそれでいい。

 その間に、人識は糸を周囲に張り巡らせた。

 外灯、フェンスを中心に、糸を数十本。

 後は人識の指先一つで、討識を瞬時に拘束出来る。

(奇しくも)

早蕨(さわらび)兄弟の時と、似た展開だ)

 早蕨刃渡(さわらびはわたり)早蕨薙真(さわらびなぐま)

 太刀使いの兄と、大薙刀使いの弟。

 特に兄の方は、この展開を知ったらどう思うのか。

 言うならば、零崎討識は一賊で最も卑怯な殺人鬼だ。賢知で勤勉で、獰猛で狡猾だ。

 あの太刀使いなら、この男をどう評するのだろう。そしてこの、自らの末期に近い状況を見たら。

 ありえないし意味のない仮定だが、想像すると、少しおかしく思えた。

「傑作だな」

 と、人識は笑う。

 対する討識は。

「……ああ、傑作だな」

 同意した。

「傑作でしかねえよ――」

 同意して。

 

 ぶちん、と。

 

 糸の張りが消えた。

 

「――この程度を奥の手扱いするとはな」

 

 斬られた。

 討識の刀は、一瞬の内に、振り下ろされていた。

「んなっ!?」

「甘えんだよ糞餓鬼が。俺と、この『小説姫(しょうせつひめ)』に、斬れないもんはねえ。ましてや」

 細い糸屑なんざ相手じゃあねえ。

 討識はそう言って、右片手で刀を振るう。

「ちょっ……何で」

「何でバレてるのか、か? 簡単な事さ」

 ぶちぶちぶちぶち、と張り巡らされた繊維が切断されていく。その振動を指先に受けながら、人識は後ずさる。

 マズい。これは、非常にマズい。

「テメエは不思議に思わなかったのか? テメエが俺の部屋の階に上がってくるまで、俺が何も仕掛けなかった事に」

 滅多矢鱈、滅茶苦茶に振り回しているのではない。糸が張られている位置を、正確に把握して斬っている。

 外灯があるとはいえ、今は夜中だ。このマンションの周囲の建物に灯っている明かりを足したところで、張り巡らされた糸を視認する事は出来ない。視力に頼れない以上は別の感覚で把握している事になるが、それが何なのか、人識は分からない。

 いや、気づいてはいる。感づいてはいるのだ。

 現に一賊の中でも、同じ事が出来る殺人鬼がいるではないか。

零崎曲識(ぜろざきまがしき)!)

(こいつ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 『少女趣味(ボルトキープ)』零崎曲識。

 音楽家の殺人鬼である曲識は、その音楽センスもさることながら、それを支える聴覚も並外れている。

 かつてあった『小さな戦争』と呼ばれる抗争の頃の話だ。

 人識が聞いた話では、曲識は宙空から襲いくる攻撃を、カスタネット一つで迎撃した事があるのだそうだ。その空を切り裂き迫る武器を、曲識は鋭敏な聴覚で察知し、タイミングを合わせてカスタネットを叩き、その矮小な衝撃で、撃ち落としていたのだと。

 その相手は『危険信号(シグナルイエロー)』。

 奇しくも人識と同じ、曲弦糸の使い手。

 そして、この戦いを討識が知っているのなら。

 討識に同様の事が出来ても、おかしくはない。

「エレベーター」

 討識は続ける。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「は?」

 一人驚愕する人識に、さらに情報を追加する。

「何も不思議な事じゃあねえさ。このマンションは俺の持ち物だ。住民か否かを問わず、この建物に危険物が持ち込まれる度に、俺の部屋に所持品のデータが送られるようになってんだよ。テメエが持ってるナイフの本数、種類、形状。全部、俺の手の内だ。勿論」

 この曲弦糸もな、と討識は言った。

 つまり、人識がどんな武器を持ってるかなんて、最初から討識には筒抜けだったという訳だ。知られている以上は、その持ち主の戦略、戦闘方法も把握されてしまう。

 思い返せば、討識の戦い方にも、違和感がある。最初の一手で罠を張る用心深さがあるにも関わらず、斬り合いとなると攻めに躊躇がなく、慎重さが薄かった。これは初めから人識の武装が把握されており、その全てに対処が可能だと、討識に判断されていたからだ。

 曲弦糸の様な暗器の類であっても、使ってくると分かっているなら脅威ではない。それに人識の様な近接戦闘のエキスパートが、糸なんて取り扱いの面倒な得物をマスターしているはずはない。曲弦糸の習得は、他の獲物に比べ、異常な難易度を誇る。手先が器用な程度の人識では、絶対に不可能だ。

 この勝負をけしかけたのは人識だ。

 だが、人識の見識は甘い。

 これは一撃先取の格闘戦ではなく、一報先取の情報戦。

 この勝負は最初から、討識が情報により制していた。

「糞餓鬼。俺のところの前に、曲識さんの店に行ったんじゃあねえのか? あの店は壁に超音波を出す装置が埋め込まれてるだろう。じゃあ、俺の城にも何かしらの仕掛けが施されてるってえ、そう考えるべきだぜ」

 周囲に張った糸は、全て叩き斬られた。

 完全に詰みだ。もう人識に、打てる手はない。

 無知は罪、だった。

「そりゃ曲識さんとこはそうだったけどよ……ここが空港並みのセキュリティだとは思わねーじゃん」

「思えって話をしてんだよ。いつまでも行き当たりばったりで生きていけると思ってんじゃあねえ。ちったあ脳味噌使え」

「辛辣だな……」

「俺がテメエに優しい時があったか」

「ないけどよ……」

 刀を振るい、討識が近づいてくる。

「さて、勝敗は一撃入れたら決するってえ取り決めだったな。逃げるなら今の内だぜ。逃がさねえけど」

 お待ちかねの時間である。

 そもそも逃げ切れるのだろうか。スピードでは互角でも、討識とは体格に差がある。歩幅が違う。それに即興とはいえ罠を仕掛けた手際を考えれば、逃走経路を逆算して罠を仕掛けるという事もやりかねない。その場合は階段のものとは違い、確実に殺傷力のあるトラップのはずである。

 逃亡を妨害しつつ勝ちを決める。一石二鳥で簡単、討識らしい手口だ。

 かといって、素直に一撃を貰う訳にもいかない。絶対にその一撃で自身を殺しにくる。数十分前は『俺が勝ったら片脚を貰う』なんて言っていたが、合理的であればそれを実行するのが零崎討識だ。殺せる機会があるなら即座に殺す。それもまた、討識らしいやり口である。

「……ちょっと待とうぜ討識さん。落ち着いて話をしよう」

「断る。この勝負は一撃入れなきゃ終わんねえんだ。話がしたけりゃ、一先ず一発分、大人しくしとけ」

「いやいや、もう俺の負けだからさ。降参。降伏するから終わりにしようぜ。マジで」

「そもそもテメエが提案した勝負じゃあねえか。約束を反故にするなって双識さんに教わらなかったか? 俺は姉貴に教わったぜ。ルールを破る奴はクズだってな」

「……それ『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズ』って続かねえか」

「生憎、俺はジャンプよりはマガジン派なんだよ」

 聞く耳を持つつもりはないらしい。

 どうにかして討識の殺意を削がなくてはならない。これまでの人生、命の危機なんて幾度もあったが、何だかんだでこれまで生き延びてきた。

 なりふり構わなくていい。手が出ないなら足を出せ。足が出ないなら口を出せ。甘言でも暴言でも箴言でも、何でもいいから歩みを止めさせろ。

「……討識さんは」

 そうして口をついたのは。

「討識さんは、どうして人を殺すんだ?」

 傑作にも、戯言だった。

「……ああ? お得意の時間稼ぎか」

 討識は足を止める。会話に応じた。まだ望みは繋がっている。

「時間稼ぎだろうが何だろうが、それは討識さんが始めに聞いてきた事だぜ? それもこれから本腰入れようって直前に。つー事はだ、それは討識さんが本当に聞きたい質問なんじゃねーのかよ」

 正直、不自然ではあった。討識との関りはそう多くはないが、それでも戦闘中に意味のない言葉は吐かないタイプだとは理解している。そして結果的に、あの質問が戦闘に関係しなかった以上、戦闘に利用する為の駆け引きではなく、純粋な興味によるものだという推論が成り立つ。

「けど」人識は言う。「こういうのは質問してる側から、理由をいうもんだぜ。質問の意図はともかく、他人のプライベートに深く踏み込む問い掛けだ。そっちもそれなりのもん、覚悟を示してもらわなきゃ、晒す割に合わねーよ」

「これからくたばる奴に、言う必要があるのか?」

「ないだろうな。だけど俺を殺したら、永遠に答えは聞けない。手足を斬り落として拷問するって選択肢もあるが……宣言するぜ。そんな事されちゃ、俺は絶対に言わない」

「…………」

 討識は無言で殺気を放ち続ける。

 これが通らなきゃ、いよいよ八方塞がりだ。この世とお別れする準備をしなければならない。一応、悪足掻きはしてみるものの、それもまた討識の予想通りに対策されていて、結局は無駄な行為でしかないのかもしれないが、諦めて何もしないよりかは、やるだけやって死んだ方が、まだ気持ちよく死ねる。

 討識は数分、黙りこくった後。

「……それもまた、人間ってえ事か」

 刀を鞘に納めた。

 一先ずは様子を見るつもりらしい。

「質というか性というか、やっぱり人間てえのは生き汚い。どうしようもねえ奴らばかりだよ、どいつもこいつも。テメエも」

「手厳しくて毒のあるご意見どーも」

「勘違いしてんな。褒めてんだよ、これでも」

 人識は驚いた。

 褒める。そんなポジティブな単語が出るとは、思ってもみなかった。

「宗教家じゃあねえんだから、死をそう簡単に受け入れちゃあ駄目だ。死は救済でも何でもねえ。天国も地獄もねえし、ましてや魂の格が上がるとか……信仰深い連中がほざく言葉なんざ、気休めにもならねえ現実逃避さ。胡散臭くて反吐が出る」

 前日に世話になっていた教会の人々が聞いたら、神前であっても怒り出しそうな侮蔑の数々だった。善意の塊みたいな神父には謝意を覚えるが、人識も別に神仏は信じていないし、信仰心も一般人並みに薄い。感謝はしても表しはしない。よって否定する意義も意思もなかった。

「人間は生き汚くて然るべきだ。嵐の中を這い蹲って、汚泥を掻き分けながら進んでいくべきだ。そういう意味じゃあ、テメエはいい人生送ってるよ。金無し宿無しの行き詰まりニート野郎」

「ぼろくそ言うな……本当に褒めてんのかそれ」

「褒めてんだよ。だって」

 討識は言った。

「人識。テメエ、生きようとしてんじゃあねえか」

 それは意外な言葉だった。

 意外な言葉で、意図の読めない言葉だった。

「今一つ要領を得ないっつーか……うん、まあ……よく分かんねーんだけど」

「分かんねえだろうよ。分かりたくねえんだろうしな、テメエは。でもテメエの生き方は、つまりはそういう事だぜ」

 討識はその場に胡坐をかいて座り込む。朱色の設えの刀は脇に置いた。どうやら交戦の意思は無くなった様だ。

 一応、人識も座る事にする。その事実には安堵したが、人識の緊張の糸は、未だ切れない。

「そもそもテメエ、零崎一賊(ぜろざきいちぞく)についてどう考えてる?」

「どうって……殺人鬼の集まりだろ。奇人変人狂人のごった煮闇鍋パーティだ」

「反論の余地なくその通りだな。じゃあ何で奇人変人狂人の殺人鬼共が徒党を組む? その必要があるのか? あるとするなら、その理由は何だ? テメエは答えられるか、人識」

「それは……あれだ。家族だからだろ」

 人識は答える。だが基本的に、一賊の他の殺人鬼を家族として捉えていない人識に、この手の質問に対する見解は特になかった。よって、一賊内でのみ通る一般論で、お茶を濁す。

 兄である双識曰く、殺人鬼とはあらゆる行いに殺人で応える人間を指す。当然、その性質故に他者からは理解されず、常に孤立し、孤独な存在である。

 その孤独に耐えられなかった殺人鬼が、かつて二人いた。運命の悪戯か、その二人は出会い、同類と認め、手を組んだ。

 『家族』と称して。

 それが(ころ)()第三位『零崎一賊』の始まりである。

「そうだな。零崎に属する者は家族だ。だが……それでいいのか? 家族で兄弟で親類で、それいいのか?」

「どういう意味だよ」

「……はっきり言っちまうと」

 討識は言い淀み、口にするのを躊躇ったが、意を決して述べた。

「……所詮、俺達は赤の他人だぜ。血縁も血統も血脈も無え、ただ殺人者ってえ共通点だけがある、無関係の人間だ。零崎一賊ってえのは、独り者が寄り集まった、傷の舐め合いをしてるだけの集まりなんじゃねえのか」

 それは、一種の禁句であった。

 血縁ではなく流血で繋がる殺人鬼集団、と言えば聞こえはいいが、要は人殺しの経験がある事を条件とした、世から溢れた人間の寄せ集めである。

 当然、誰もがそれを認知している。しかしそれを指摘する者はいない。家族の一員たる者、和を乱す事は許されないとでも言うかの様に。

「俺達は皆、連続殺人犯で、大抵の奴は大量殺人犯だ。俺達みたいな人間は世間一般から逸脱していて、人格が破綻している。殺人に対して抵抗感はおろか、罪悪感も優越感も劣等感も使命感も覚えない。ましてや幻覚も見てねえし、性欲なんざ論外だ。俺達は生来から空虚だった。人の胎から、何も持たずに産まれ出た存在で、それ故に独りだった。だからあれらは徒党を組んだ――独りきりを拒む為に」

 あれら。とは、零崎の祖とされる殺人鬼だろう。

 零崎零識。

 零崎機織。

 『究極』と『絶対』の殺人鬼。この二人によって零崎一賊は結成され、この二人の下に、同じ性質の殺人者が集った。

 討識もそうである。零崎頸織の弟として、一賊に加入した。

 孤独から逃れる為に。

「俺も長らくそう思ってたさ。誰にも理解されない、無反応無感情な異常者の寂寥感を埋めるのは、自分と同類の奴だけだってな。一賊はそういう奴らの受け皿であって、単なるグループじゃあなく、家族として繋がって、心を満たそうとしてんだってよ。それを……」

 また、口が止まる。滑りそうになった舌にブレーキをかける。

 言うべき事とそうでない事。言葉を選んで喉を震わす。

「言われたんだ。理由のない殺人なんてありえない、殺人鬼じゃなくて人間みたいってよ」

「それは……」

「『日常を喜んで敵対を怒って、死別を哀しんで喧騒を楽しんで、そうして誰かとつるんで感情を持って生きている――弾かれて、はみ出して、外れて、はぐれていても、ましてや人殺しであろうとも、それは人間のあり方にしか、私には見えない』。そう言われて、思ったんだよ。零崎一賊、殺人鬼とは、一体何なのか」

「……成程な」

 人識は納得した。

 どうやら討識は、この数年で、相当に特異な人間に会っていた様である。『暴力の世界』における一線の向こう側と畏怖される零崎一賊を、そんな風に分析する人間がいるとは。

 どこの誰だか知らないが、しかして、ある種の確信を突いた見解だと思った。この考えは、絶対に一賊の者には出せない。

 零崎の殺人鬼とは、生来にして感情が希薄過ぎる。それは一賊の共通認識で、経験則である。

 だがそれにしては、所属している殺人鬼は非常に個性的だ。まるで普通の人間みたいに、感情を露わにして生きている。

 双識の様に、平和主義者を気取っていたり。

 軋識(きししき)の様に、自分の持つ得物に強い拘りがあったり。

 曲識の様に、音楽を心から愛していたり。

 そして、討識の様に、他人の言葉に影響されたり。

 自らの個性を誰にも憚らず、魅せて生きるその様は。

 実に人間らしい振る舞いではないか。

 一片の疑いようもなく、殺人鬼もまた人間ではないか。

 ――その殺人の経歴にさえ、目を瞑ればだが。

「零崎一賊とは心理的欠陥を抱えた殺人者同士のセラピーコミュニティ……って解釈か。随分とまあ、都合のいい解釈だな」

「都合がいいし、言い訳がましい擁護に聞こえるのは自覚してるさ。でも、実態はその通りだろう? 俺達は感情を有し、個性を見せびらかし、そして無差別殺人に歯止めをかけている。意識的に、人殺しを抑えている。状況証拠しかないが、零崎の殺人鬼とはそういうもんだと、俺は思う――しかし」

 討識は一拍置き、そして続ける。

「本当にそれでいいのか。零崎一賊は、ある種の究極的なグループセラピーになっているのかもしれない。だが内輪の外、極々客観的に見れば、これは共済じゃあなく依存だ。依存であり、寄生でしかねえ。何故なら俺達は、生物から人間に近づいているのだとしても、人殺しを完全に止められていないからだ。殺人を抑制してはいても、犯さずにはいられない性質は変わってねえからだ」

「…………」

「『一賊に仇なす者は、一族郎党皆殺し』。このルールに、本当に真剣に取り組んでる奴がいるか? 心底相手を憎悪して殺しに行く奴がいるか? 絶対にいない。俺達は生命というものが、全ての命というものが、どうしようもなく軽くて、薄くて、小さっくて、儚いと知っている。知っているから、自分が特別だと感じていないから、生死に頓着しないし、決して生き長らえようとは思わない。でも俺達はその先、それを知ってなお、その先に進むべきじゃあねえのか。少しはマシな存在になる為に、超えていく必要があるんじゃあねえのか」

 零崎零識と零崎機織の真意は分からない。

 正しく同類の家族が欲しかっただけなのかもしれないし、その先を見据えていたのかもしれない。

 だが結成した張本人である二人がいない今、零崎一賊の未来、将来は、自分達で決めなければならい。

 ずっと親の庇護に甘んじている訳にはいかないのだ。

 人間だから。

「人間ってえのは、最後には巣立つもんらしい」

 討識は言う。

「いつまでも親類縁者に寄って集って、頼ってちゃあいけない。一個人として自立するべきだ。それが人間で――あるべき『家族』ってえ奴じゃあねえのかよ」

 零崎一賊とは、寄り添い支え、傷を癒し、そして去っていく場。

 人間としての感覚を取り戻し、人と成って社会に溶け込む為の一群。

 これが討識の結論。

 零崎の殺人鬼、そのあるべき姿。

「……だから『生きようとしている』か。そりゃそうだ、最初から死んでる様な殺人鬼に、そんな表現はないだろうしな」

「ああ、最後の最後、危機に瀕して出したのが曲弦糸なら、それ以上の手札はない。その上、土壇場で俺の興味を引きそうな言葉を口にした。戦闘とは違って、俺を説き伏せる算段なんざ発ってねえのにだ。それはつまり、殺す気の俺に対して、徹頭徹尾、全力で抵抗したって事だ。人識、テメエみてえな餓鬼は全面的に気に食わねえが、そこだけは評価に値する」

「そこだけか」

「そこだけだ。上げたきゃ働け。労働で金銭を稼げ」

「んな簡単にいくかよ……あー」

 思い出した。そもそもこの勝負、五百万円の賞金がかかっていたのだった。

 結果は歴然、五体満足ではあるが、ぐうの音も出ないぐらいの実力差で負けた。この分では脚は斬り取られそうにないので一安心だが、当初の目的は果たせずじまいである。

 どうしたものか。ヒューストンへは、やはり密航する他ないのか。元々そのつもりではあったが、路銀が一切ないというのも心許ない。労働? 馬鹿な、官憲に身元がバレているのに働く奴がいるか。

 結局問題は解決していないのを察したのか、討識は言った。

「……今なら、金を貸してやらねえでもねえ」

「え、マジでか」

「一端のプレイヤーとしては悪くない動きだった。ナイフの扱いや罠の張り方、状況判断は、数年前とは雲泥の差だ。テメエの成長具合に免じて、くれてやるよ。流石に五百万も出せる程じゃあねえから、減額させてもらうが」

「いや、そりゃありがたいけどよ……いいのか?」

「いらねえなら今から片脚もぐぞ」

「お心遣いに平身低頭して感謝の意に絶えません」

 まだらに染めた頭を下げる人識。

「……ありがとな、討識さん」

「……けっ。礼なんざやめろ、気持ち悪すぎて怖気が走るぜ」

 討識は立ち上がり、フェンスに結われたワイシャツを回収する。人識はそれを見て立ち上がり、短パンの尻をはたいた。

「つーか、討識さんも腕上げ過ぎじゃねーの? 予想以上に攻撃が入らなくて焦ったんだけど」

「言っただろう、人間は生き汚くて然るべきだってよ。この世界で生きるなら、レベルアップは当然の嗜みだろうが」

「意識高いな……」

「俺に言わせれば、他の殺人鬼の意識が低いんだよ……それもまた、一賊の弊害なんだろうけどな」

 行くぞ、と討識は屋上の出入口に向けて歩き出す。

 人識はその背中を追う。暗がりで見えにくいが、討識の背中は、決して厚くないまでも、鍛錬で発達した肉づきに見えた。

 人識は知らなかった。嫌われているのは確かだが、それとは別に、討識は人識の事を正確に評価していたのだ。決して寄り添わず、けれども目を離さず、身内として正当に扱おうとしていたのだ。

 その一環として、討識は学習する。

 殺人鬼の道先は未知だ。どんな災禍が降りかかるか分からない。ならば、どんな災禍もその身で受け、耐えて、背負える様に、準備をしておくのは当然の事。

 それが討識の考える、零崎一賊の殺人鬼であり。

 そして、人間のあり方なのだった。

「そういえば討識さん」

「何だ糞餓鬼」

「俺に連れがいるって、言ったっけ」

「ああ? ああ、そりゃあな……」

 考えたところで分からなかったので、素直に聞いてみた。

 別に聞いたところで、今更意味はないし、討識も答えてくれるとは思ってないのだが、意外にも討識は、その質問に答えた。

「テメエ自身の生活の為なら、テメエは一人で何とかするだろうが。そうしないってこたあ、テメエが誰か囲ってるってえ予想はつくぜ」

 首だけで振り返った討識の瞳が、月明かりのせいか、光ったように見えた。

 清濁併せ吞み、綯い交ぜに掻き回した、灰色の瞳。

「テメエは一賊の誰より、人間に近いからな」

 

 ◆    ◆

 

 仮の拠点としている教会への帰路の途中、人識は封筒の中身を覗いていた。

 数えてみたところ、新品の一万円札が、二十枚入っていた。二十万円の臨時収入である。

 これだけあれば、エコノミークラスぐらいなら、飛行機のチケットが取れるかもしれない。と思ったが、そもそも人識と伊織、二人共パスポートがなかった。結局のところ、アメリカのヒューストンへは、密入国で渡る他ない。その事に気づいた人識は、伊織と同じ思考に至った事に軽く落ち込んだが、気を取り直して今後の道程に考えを巡らせた。

 とりあえず路銀は手に入った。使い方次第だが、しばらくは持つだろう。だが、私鉄でアメリカ行きの便がある国際空港へ行くとしても、問題はその後だ。最近の空港のセキュリティは厳しいと聞くし、どうしたものか。やっぱり海路の方が確実かもしれない。貨物船のコンテナに紛れれば何とかなるかも、いや伊織にそれが可能だろうか。義手をつけたばかりだし、そもそもスニーキングミッションが得意だとは思えないし……。

 最悪、東南アジアからの密航船を襲うか。と考えていると、前方から人が歩いてくるのが見えた。女性である。青色の街路灯のおかげで見づらいが、やや特徴的で、目を引きやすい容姿であった。

 青色の光で色彩は分からないが、恐らくは淡色のツナギを着ている。胸ポケットには軍手が差し込まれ、靴は黒のトレッキングシューズ。これだけなら工業系の作業員に見えないでもないが、持っているのは工具箱ではなく、薄汚い布に包まれた、細長い棒状の物体である。いや、詳しくないだけで棒状の工具もあるのだろうが、人識は経験上、その包みの正体に、見当がついた。

 ライフル銃だ。遠距離に向けて銃弾を発射する、狙撃銃だ。

 そしてそれを担いでいる女性は、端正な顔立ちで、有り体に言えば美人だったが、しかしお洒落さなんて要素は微塵もなかった。絹糸の様に細い黒髪は簡単にお下げにし、眉は細くて瞳も大きいが半眼と、良いビジュアルをより良く魅せようという気がない。他人の評価に一切興味がない、という性格を、簡潔で如実に表していた。

 だが、確固としてそこに存在はするが、どこか不自然というか、幽霊の様な妖しさがあった。幽霊、怪異、妖怪。この住宅街のど真ん中よりも、田舎道や、山林を背景する方が似合う、幽鬼の様な神秘性を感じられた。

 こんな超自然的な自然さを醸し出しながらも、不自然に容姿に気を使わない女性を、人識は見た事がなかった。

「……あら」

 恐らく目に留まった時間は数秒もないだろうが、この女性は人識の視線に気づいた。

 何をするかと思えば、近づいてきた。女性は何だかんだで目に留まる存在だが、人識は相当に目立つ容姿をしている。住宅街よりも繁華街が似合うタイプだ。そんな人識に、つかつかと無遠慮に近づく。この時点で、この女性も、やはり真っ当な人間ではない事が窺い知れた。

「………」

 女性としては平均的な背丈だが、それでも人識よりは高い。

 女性は上から人識の顔を覗き込む。

 逃げる事は出来たが、人識はその場から動かなかった。この女性は明らかにプレイヤーだが、逃走を許さないほどに強い訳ではない。ただ、この女性から瞳を逸らしてはならない、そんな雰囲気が、そこにはあったのだ。

 宿命というか、天命というか、運命というか。

 逃げてはならない様な気がして、人識はそこに留まっていた。

「……あなた」

 ようやく言葉を発した。と思ったら、予想外の言葉を口にした。

「その刺青、どんな意図があっていれているの?」

「はあ?」

 神秘的な雰囲気のする彼女が、素っ頓狂な発言をした。

「何だそりゃ。どういう意味だ」

「意味はないわ。理解は出来ないけれど意味深長ではあったから、ただ気になっただけ」

「ええ……」

 人識は理解した。この女、所謂、残念な美人だ。

 それまでの情緒が一気に消し飛び、テンションも下がった。途端に疲労感も押し寄せて、どうでもよくなった人識は、もう立ち去ることにした。

「用がねえならどいてくれ……もう帰る」

「それは失礼したわね。さようなら」

「はいはいさよなら……」

 お互いに道を譲り、道路を渡り、角を曲がって、姿は完全に見えなくなった。

 そのまましばらく歩いて、何の気なしに振り返った。当然だが、あの女性はいない。変な女だったな、と思ったが、考えてみれば自分の周りの女性は、大体が変な女だった。

 頸織しかり、伊織しかり。昔なら匂宮出夢や西条玉藻もそうだし、最近ならあの赤い請負人もそうだろう。そういえばチューブトップにホットパンツでサンダルとかいう、露出度満点な敵もいた訳で、人識はこれまでの人生、思いの外、沢山の奇矯な女性に出会っていた事に気づいた。

「……女に振り回されるのが俺の人生って事なのか? ふざけんな。偶々、行きがかり上、仕方なく、関わってるだけだっつーの」

 しかし、変な女だった。雰囲気だけは幽霊とか、妖怪のそれみたいだったのに。

 まるで狐に化かされて、揶揄われた様な。

「――まてよ」

 はっとして、手元を確認する。忘れていた、金の入った封筒を手にしていたではないか。

 急いで中身を確かめる。あんな変な奴が、あんな距離まで近づいたのだ。目的があるとしたら、間違いない。それはスリだ。

 封筒の口をぱっくり開けて、中を覗く。

 二ミリぐらいの紙束が入っている。

 引き抜くと、しっかり一万円札だった。

「……傑作だぜ」

 もう考えるのは止めだ。

 とにかく、今はヒューストンに行く方法を考えろ。話はそれからだ。

 無理矢理にあの女性を意識の外に追いやり、方策を練る。もう人識には、それ以外の事を考える余裕が無くなってしまっていた。

 それ以外の事。

 例えば、恐らくはプレイヤーであるあの女性がこの街に――零崎討識のいるこの街にやってきたのか、とか。

 奇抜な格好の人識に、どうして無警戒に接近したのか、とか。

 明らかに人識の刺青よりも、その黒々と濁った瞳を見ていた事、とか。

 零崎討識。あの男とその女性が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか。

 そして結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか。

 そういう色々な事には考えを巡らさず、人識は帰路に就く。

 そうしている内に、人識はあの女性の事を、すっかり忘れてしまっていた。

 

 ◆    ◆

 

 こうして零崎人識は、何とか旅の資金を調達する事が出来たのであった。

 当然、一文無しの人識に返済能力はない。だからこれはほとんど譲渡したも同然の貸し借りであり、討識も半ば手切れ金の様なつもりで、人識に貸している。返ってこなくてもいいから、その代わりに顔も見たくない。そういう意気で、人識に纏まった金銭をくれてやったのである。

 そうして、零崎人識と零崎討識は、以後、接触する事はなかった。

 人識がこの街に近づかなかったという意味でもあるし、討識もわざわざ探し出さなければいけない用件がなかったという意味でもあるが、もっと物理的に、出会う事そのものが、出来なくなってしまったのである。

 橙色の暴力。

 その桁外れに突出した、超絶な破壊に、零崎一賊は狙われて、壊滅する。

 当然の様に、それには零崎討識も巻き込まれる。性質そのものが根本から異なる人識とは違い、限りなく人間に近づこうと足掻く討識もまた、殺人鬼であり零崎だ。零崎の姓を名乗る以上、この騒乱からは逃れられない。

 

 人識は去る。

 討識は残る。

 

 それは討識が結論を出した時点ですでに決まっていて、ともすれば粗筋の様に書き記された、運命の一端であった。

 

 

 

 人識と討識の邂逅。

 それは零崎一賊が完全に壊滅するまで、もう一月を切っていた。

 

 

 





 以上で第四話は終了となります。長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
 次回更新は恒例の未定ですが、この作品を投げ出すつもりはありませんので、気長にお待ちいただければ幸いです。思い出した頃には更新されているはずです。

 誤字脱字の報告、感想等ありましたら、ご連絡のほど、よろしくお願い致します。




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