神を殺す、その日まで。 ( 紫水晶)
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第1話 プロローグ ―VS ゴブリン―

迷宮都市『オラリオ』。

『魔石』を核として活動する『怪物』を生み出す、世界にただ一つ存在する地下迷宮『ダンジョン』を保有する巨大都市だ。

ダンジョンがもたらす様々な恩恵を受けて繁栄するオラリオは、他の大陸の一国家よりも遥かに発展しているとさえ言われるほどである。

ダンジョンおよびオラリオを管理する組織『ギルド』を中心に繁栄するオラリオには、あらゆるものが集まってくる。

その中でも特に集ってくるのは、冒険者。

怪物を生み出し、未だ誰も触れたことが無い『未知』が眠っていると言われている『ダンジョン』を保有しているというオラリオの特性上、戦いに焦れるもの、『未知』を求めるもの、強さを求めるもの、様々な人間がオラリオに引き寄せられるのだ。

 

これは、オラリオで戦い抜いた独りの小人族の冒険譚。

 

 

◆◆◆

 

目の前に広がるのは薄青色に染められた道。

床も、壁も、天井も全て薄青色に染められている。

道の奥を見てみれば、四方八方へと先に続いていることが分かる。

ここはまさに、天然の迷路だった。

 

 

ビキリ……

 

 

そんな、目の前の空間に感想を抱いていた時。

何かが罅割れるような、嫌な音が僕の目の前の空間に響いた。

響いた音の源を目で辿っていくと、壁に文字通り罅が入っていた。

 

 

バキ、バキッ!!

 

 

そしてたった今、そんな破壊音とともに罅割れた壁は破片となって道の上に放り出された。

破片を撒き散らした壁の中、そこから出てきたのは怪物だった。

 

「キシャァァァーーーー!!」

 

怪物は、醜悪な外見をしていた。

頬まで裂けている口、悪魔のように尖った耳、大きて不恰好な鼻。

僕と同じような、小人族(パルゥム)に近い体格だが、不健康の象徴かの如くだらしなく出ている下っ腹、そして緑色の皮膚が小人族との違いを際立たせる。

 

怪物の名は、ゴブリン。

僕が今いる地下迷宮『ダンジョン』が生み出すモンスターの中で最も弱く、最も有名と言われているモンスターだ。

そして、僕がこれから倒さなければならない、初めてのモンスター。

 

「シャァァァ…………」

 

ゴブリンは、今出てきた壁の場所から動かず、警戒するかのように僕を見て唸っている。

その様は、威嚇する獣のようにも、恐怖を必死に紛らわす子供のようにも見えた。

 

「――――ふ、ぅ」

 

怖い。

深呼吸して落ち着こうと思ったけど、上手くできない。

僕が思っている以上に、僕の身体は緊張しているみたいだ。

 

今の僕の装備は、布地で出来た上着とズボンの上から簡素な鉄の胸当てをつけただけの防具に、武器は右手に握っている短剣だけ。どちらも昨日ギルドで冒険者登録をした際に支給されたもの。

とりあえず装備はしたけど、だからといって安心なんてとてもできなかった。

 

そりゃそうだ。

昨日までの僕は、ただのこどもで。

今の僕は、それに『神の恩恵(ファルナ)』を授かっただけ。

昨日の夜にギルドから支給された長さ50cm程の短剣を素振りをしてみたけど、いざ目の前にモンスターがいるとどうやって攻撃していいか分からない。

 

それに、生命の危険から来る恐怖だけじゃない。

僕はこれから、自らの手で一つの命を絶つ。

僕達が生きるために鳥や豚を食べるために殺すような『原罪』とは違う、僕が強くなるためだけの殺戮。

今更ながらにも、そんな当たり前のことが頭をよぎってしまった。

命を奪うという、大それた行為をすることへの恐怖が僕を縛っていく。

 

――殺していいの?

倒さなきゃ。

――倒す?殺すんでしょ?

……殺す、僕は、殺す。

――どうやって?

短剣で、斬る。

――斬ったこともないくせに。

それでも、斬る。

 

恐怖が、僕に語りかけてくる。

僕は、それに必死に答えて恐怖から逃れようとする。

 

 

 

「――シャアッ!!」

「え?っっ!?」

 

そんな僕を見逃すはずもなく。気付いた時にはもう目の前にゴブリンがいて。

頬まで裂けた口を目一杯喰いしばって、振り被った右腕を僕に振り下ろしていた。

 

「ガァッッッ!!」

 

身体が浮いた。左腕に熱が走った。

吹っ飛ばされたと分かったのは、僕が道の上を何回も転がった後だった。

どうやら、振り下ろされたツメは、僕が咄嗟に体の前で交差した腕に直撃しそのまま力任せに僕を吹っ飛ばしたらしい。

昨日までの僕なら、これだけで重傷だったと思うし、左腕は確実にちぎれていたと思う。でも、今は違う。

 

「……痛い。けど、動ける」

 

これが『神の恩恵』。

戦ったこともない12歳の小人族が、最弱とはいえ、モンスターに引っ掻かれても痛いだけで済むほどの力を与えてくれる。

正直、僕はあのゴブリンが怖い。

でも、この力があれば、少なくともそう簡単には負けないのか?

 

――力があれば、殺していいの?

 

「うるさい」

 

そんなこと考えてたら、死んでしまう。

それだけは駄目だ。

 

「……ごちゃごちゃ考えるのはやめよう」

 

ミスをしたって簡単には死なないと思う。それは今、僕の身体が証明してくれた。

それなら、短剣で斬りかかるなんてことはひとまず置いておく。

恐怖の言う通りどうせ今の僕にできっこないし、戦闘経験のない僕でもできる方法でゴブリンを殺そう。

 

「……勝負だ、ゴブリン」

 

人間の言葉は理解できないだろうけど、僕自身を奮い立たせるために呟く。

短剣はホルスターにしまう。狙うのは全力疾走からの体当たり。

剣も満足に触れない僕でも、体当たりくらいなら出来る筈だ。

 

「うあああああぁぁぁぁぁ!!」

「ギギィッ!?」

 

流石に体当たりをしてくるとは思わなかったのか、僕の体当たりは躱されることなくゴブリンにぶちあたった。

僕の方にもガンッッ、て衝撃がきたけどそれに構わずゴブリンを押し倒す。

仰向けに倒れこんだゴブリンの上に馬乗りになった僕は、さっき仕舞った短剣をホルスターから出して、両手で逆手に握り締める。

斬りかかることはできなくても、ただ振り下ろすだけなら出来る!

 

「これで、終わりだ!!」

「ギギッギギッ!!」

「あああああぁぁぁーーーーーー!!」

 

ザクッッ!!

 

両手で握り締めた短剣を振り上げて、ギーギー鳴いてるゴブリンの脳天に叫びながら振り下ろす。

ズブリ、という形容し難い嫌な感触が僕を襲った。

頭に短剣を突き刺されたゴブリンは、比較的人間と似ている目を極限まで見開いて――

 

「ギ、ギィ……」

 

僕が馬乗りになっていたゴブリンは、僅かな鳴き声を残して動かなくなった。おそらく、死んだ。

僕はゴブリンの上から立ち退いて、ゴブリンの胸元を短剣で抉る。すると、極小の薄紫色の石が出てきた。

それと同時、サラリ、と。ゴブリンの体が灰となっていった。

 

これが、モンスターの死。

モンスターは『魔石』という石を核にしており、モンスターを殺して『魔石』を取り出すと、体は全て灰となる。

つまり今、僕は、ゴブリンを殺したのだ。

 

「そっか、殺したのか」

 

僕は今、生まれて初めて生物の命を自らの手で奪ったのだ。

それも、豚や鳥といったように自らが生きるため、食べるために殺したんじゃない。

僕の目的のため。目的のために、強くなるため。

そんな、自己中心的な理由で、僕は命を奪ったんだ。

罪の意識が芽生えていないと言ったら嘘になる。

――でも。

 

「強くならなくちゃ、できないから」

 

今の僕じゃ、Lv.1の僕じゃ、絶対にできない。だから。

 

「強くなるんだ。そしてアイツを――」

 

いつか必ず。絶対に。

 

「――殺す」

 

そう、絶対に殺す。

あの神だけは、絶対に。

 

「――――――ふぅ、落ち着け、僕。よし、この調子で1体ずつ、確実に殺していこう」

 

初めてゴブリンを、いやモンスターを殺したことで気が昂ってたみたいだ。

落ち着いて、でも確実にモンスターを殺そう。

 

 

ビシ……ビシ……

 

 

「あ、丁度いいところに」

 

20m程先の壁に、罅が入ったのを聞いて僕は走り出す。

とりあえず、体当たりがモンスターに通じるのは分かった。

ひとまず今日は、体当たりをもとにモンスターを殺していこう。

……格好悪いとは思うけど、安全にはかえられない。

 

 

◆◆◆

 

 

「うぁ……もう、夕方かぁ」

 

最初にゴブリンを殺した後、10体ほどのゴブリンを殺してダンジョンから街へと戻れば空は茜色に染まっていた。

ダンジョンに入ったのは朝だったから、ダンジョンの中に半日も居た計算になる。

魔石時計とか持っていったほうがいいのかな?いや、独りで潜るのにそんなものを持ち込む余裕なんてないか。じゃあ時間感覚も鍛えないといけないな。

短剣も使えるようにしなきゃ。とどめに刺すことはできたから、まずは刺すことからはじめよう。

やることは山積み。これから大変だ。

でも、気分は悪くない。

 

「……空がこんなに綺麗に見えたのって、はじめてかもしれない」

 

ダンジョンから出て、街に出た時。

茜色に染まった空を見た時は、涙が出そうだった。

 

ダンジョンに居て空が恋しくなったのかもしれない。

たまたま今日の茜色に染まった夕空が途轍もなく綺麗だったのかもしれない。

やっぱり、今日一日を生き延びたことを実感できたのが一番かもしれない。

神を殺すっていう目標に僅かながらでも現実味が帯びてきたからかもしれない。

もしかしたら、全部混ざってそう思ったのかもしれない。

まあ、なにはともあれ。

 

「……また、見たいなぁ」

 

ダンジョンから出て空を見たい。

冒険者はみんな、こんな些細な願いを抱くのだろうか。

些細な願いのために、ダンジョンで生き延びようと思うのだろうか。

 

冒険者1日目の僕には、分からないけど。

ただ、そんなふうに生きたい理由が増えるのは、なんかいいなって思う。

 

「……帰ろう」

 

今日は疲れた。

腰に付けたポーチの中でカチャカチャと擦れ合う11個の魔石の音を心地良く感じつつ、我が家へと足を向けた。

 

◆◆◆

 

オラリオの東地区は、ギルドの管理している施設や宿屋等が多く集まっていて、比較的治安が良い区域だ。

そんな東地区の南側に、迷宮とも言われる広域住宅街はある。

奇人と言われた設計者の手で区画が整理され、構築されたこの場所は設計者の名をとって『ダイダロス通り』と呼ばれている。

石造りの建物と階段、路地が縦横無尽に展開されている重層的な構造は迷宮と呼ばれるに相応しい。

何も知らない人が一度迷いこめば、出ることは叶わないとまで言われている。

僕の家は、この『ダイダロス通り』にある。

 

魔石灯が道を照らす中、石材で出来た壁の所々に記されている真っ赤な色の矢印を無視して歩を進める。

ふと横を見れば、建物の影に潜むように身を小さく留め、だけど目をギラギラとさせながら僕を見ているこどもが居た。おそらく、金目の物を持っている獲物が来るのを待っているのだろう。

『ダイダロス通り』は、住宅街であると同時に貧困街でもある。ああいったこどもや無法者なんて、そこらじゅうにいる。

いちいち相手にしていたらキリがない。ギラギラした目を無視して、歩みを進める。

 

「……また少し、ぼろくなった気がする」

 

さらにそこから右に曲がり左の階段を上り、左の道を進み右の坂を下った先に、一つの家がある。

周囲に人気のない、ダイダロス通りにはよくある無人となった空き家の一つ。

屋根は虫に食われたかのように穴だらけ、もともと平屋であっただろう家の石材は全体の半分ほどしか残っていない。

かろうじて残っている玄関の扉を開けて中を見ても、雨風なんて碌に凌げておらず屋内の石畳の隙間からは雑草も生えている。

 

「えっと、ここか」

 

そんな半屋内といっても差し支えない家の中を進むと、かつては書斎に使われていたと思われる小さな空間に出る。

 

「よ、っと」

 

僕の足元にあるひっくり返った小汚い机をどかすと、他と比べてだいぶ大きい石畳が出てくる。

 

「……誰もいないね」

 

辺りに人気がないのを確認してその石畳を剥がすと、そこには地下に続く階段が出現した。

僕はその中に素早く身を潜らせ、階段側から石畳をもとの場所へと戻す。

すると当然辺りから光が失われるが、そこは我が家。光なんてなくても危なげなく階段を進み、階段が終わったのを足で確認して左手前の壁に掛けられているはずの魔石灯のスイッチを入れる。

魔石灯の明かりが空間を照らし、5m×5m程度の薄暗くも馴染み深い光景が目の前に広がる。

 

「ただいま」

 

無事に、帰ってこれた。

そんなことを思いながら、誰もいない、でも確かに自分の家である空間に言葉を漏らす。

 

「さて、ゴブリンに裂かれた服も縫わなきゃだし、ご飯も作らないとだけど……」

 

今晩やろうと思っていたことに頭を巡らせながら、魔石で動く冷蔵庫から水を取り出して喉を潤す。

一日中ダンジョンに潜って疲れ切った体に、冷えた水が染み渡る。

この感覚に浸りながら、ホルスターと胸当てを外して机の上に置いて、身軽になった体でベッドに腰掛ける。

 

「……うん、やめよう。もう寝よう」

 

家に帰って安堵したのか、猛烈に眠い。

喉の渇きも潤ったし、もう寝よう。

服を縫うのも、ご飯も、あと短剣と胸当ての手入れも、素振りも、明日。

明かりを消さなきゃだけど、入り口まで歩くのもだるい。もうこのままでいいや。

 

「……おやすみなさい」

 

誰に告げるわけでもないけど、なんとなく言って寝る。

まどろみに支配される中、さっき見た茜色の空が頭をよぎった。

 

「……冒険者、頑張ってみよっか」

 

死ぬほど怖かったし、傷もたくさんできたけど。

目標はまだまだ遠く、先は果てしなく長いから。

まずは明日、ダンジョンから出て空を見るために頑張ってみよう。

 




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:???
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:1階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:1100ヴァリス

力 :I 0
耐久:I 0
器用:I 0
敏捷:I 0
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
【     】


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第2話 駆け出し冒険者の1日 ―VS コボルト―

「ん……朝、か……」

 

眠い。だるい。体にまだ疲れが残っているのを感じる。

明るい。魔石灯つけっぱなしで寝たんだった。眠い。

眼だけを動かして壁にかかってる魔石時計を見る。5時30分か。

 

「起きなきゃ……」

 

今日は服を縫って、短剣と胸当てを手入れして、訓練して、それからダンジョンだ。急がないと。

でもまずは、ご飯だ。

冷蔵庫から卵、豚肉、葉野菜、パンを取り出す。

 

「お腹減ったなぁー……」

 

まな板を布巾で軽く磨いて、葉野菜をぺりぺりと1枚1枚剥がしていく。

よく考えたら、最後に食べたのって昨日の朝だ。

昨日の夜は疲れて寝ちゃったからだけど、昼は……

 

「あぁ、ダンジョンに何も持っていってなかったんだっけ」

 

そんなことにも気付かないくらい緊張してたんだなぁ。

じゃあ、お弁当も作らないと。

 

「うん、材料に余裕はあるし、朝昼同じだけどサンドイッチでいっか」

 

フライパンに油をひいて、豚肉と卵を入れる。

塩コショウを軽くきかせて、強火でサッと炒める。

頃合いが良くなったのを見て火を止め、まな板でパンをスライスしていく。

スライスしたパンに葉野菜をひいて、さっき炒めた豚肉と卵を適度に入れ、その上に葉野菜を重ねてパンで閉じる。

 

「適当サンドイッチ完成ー」

 

だいたい4セット、てところかな。

2セットは今食べて、あとの2セットはダンジョンで食べよ。

 

「ん……旨い」

 

材料が前までやってたバイト先からの貰い物だけあって、料理がさほど上手じゃない僕の料理でも美味しい。

葉野菜が『デメテル・ファミリア』産、豚肉と卵、パンが『ヘカテー・ファミリア』産だったっけ。

 

「こんな神ばっかだったらよかったのになぁ」

 

そう思わずにはいられない。

神が下界に降りてきてから農業がすごく発達して食生活が豊かになったって父さんと母さんは昔言ってた。

と、そんなことはともかく。

 

「さて、早くやることを済ませなきゃ」

 

最後のサンドイッチの欠片を口に放り込み、水を飲んで押し流す。

よし、まずは服だ。

 

 

◆◆◆

 

 

「……難しい」

 

針と糸は引き出しの中にあった。かつての同居人が置いていったものだ。

見よう見まねで裂けた左腕の部分を端から交互に縫い合わせていったんだけど……

 

「なんか、ギュってなってるし」

 

無理やり布同士を寄せ合わせた感じが全面的に出てる。

たぶんこれ、左腕通すとき大変かもしれない。

ていうか、そもそも縫い目が汚い。

 

「……ま、まあいいよね。使うの僕だし、どうせまたすぐ破けちゃうし」

 

ちょっとした惨状に目を背けつつ、次の作業へ移る。

 

 

◆◆◆

 

 

「金属系の武具の手入れは、基本は汚れを拭いて、錆とかが出てきたら削り落とすってルドベキアさん言ってたな」

 

それに加えて砥石で研いだり防錆処置として油を差したりすると切れ味や耐久性が保たれるらしいが、そこまでするお金も技術もない。

ギルドで教えてもらったことをもとに、とりあえず昨日使った短剣と胸当ての手入れを始める。

魔石コンロを備え付けたキッチンを兼用している棚から布巾としてはもう使えないぼろ布を2枚取出し、1枚は冷蔵庫から水の入った容器を取り出して軽く湿らす。

 

「そろそろ水を汲みにいかないとな」

 

この家の裏側には井戸がある。以前にここに住んでいた人達の日常用水だったんだと思う。

やろうと思えば今からでも汲みに行けるが、家の出入りの回数を増やしたり家の周りをうろつく回数を増やすのは出来る限り避けたい。

勿論、空き家に勝手に住んでいる後ろめたさもあるけど、それよりも。

僕の目的の都合上、僕は出来る限り人と関わらない生活を送ったほうが良いから。

だから井戸の水を汲むのは2週間に1度、夜中に行うと決めている。

以前に水を汲みに行ったのは12日前。あと2日か。

そんなことを考えながら、短剣にべっとりとこびりついた血を濡らしたぼろ布で擦っていく。

でも、ゴブリンの血は1日近くたったせいか、完全に固まってしまっていてなかなか落ちない。

 

「はぁ……昨日やっておけばよかった」

 

思わず溜息と愚痴が出る。

これからは、その日のうちに手入れしよう。

そんなことをつらつらと考えながら、なんとかこびりついた血は落としきった。

とはいえ、こびりついている血こそ無くなったが、水気の含んだ血が短剣を濡らしている。

 

「よし、あとは乾拭きだ」

 

そのため僕は、あらかじめ準備していた濡れていないぼろ布で短剣の水気を血とともに拭き取っていく。

濡れたぼろ布で汚れを落としていたこともあって、数分も経たないうちに短剣はギルドから支給された時の輝きを取り戻した、けど。

 

「……これも、洗わなきゃかぁー」

 

湿らせたぼろ布と乾いたぼろ布、両方ともゴブリンの血を始めとした汚れを存分に吸っていた。

乾けば、かなりの臭いを放つことになるだろう。

 

「水汲みの期間を1週間にするか。いや、これについては他の水場でやるようにしよう」

 

洗濯まで含めるとなると、水場の近くでないと厳しい。

さて、次だ。

 

 

◆◆◆

 

 

「レッグホルスターに回復薬(ポーション)、ホルスターにポーチと短剣の鞘、バックパックにお弁当と水、良し」

 

ダンジョンに潜るための装備の確認終了。

……確認っていうほど数は多くないけどね。

 

「時間は、……7時30分か」

 

やっぱり装備の手入れが時間かかったな。とはいえ、ダンジョンに潜るのは9時からの予定。

1時間近く時間はある。

 

「よし、やるか」

 

 

◆◆◆

 

左足を後ろに、右足を前に。

 

体は半身で、腰を落とす。

 

右手に短剣を順手で握りしめ、腰あたりまで持っていき軽く引く。

 

「――――――ふぅ」

 

目を瞑り、深呼吸。

 

イメージするのは、昨日のゴブリン。

 

ゴブリンは、右腕を振りかぶって迫ってくる。

 

15m、10m、5m、3m――今!!

 

右腕を軽く左側へ捻るよう意識しつつ、右足を少し前に出す。

 

「――やぁっ!!」

 

右足が地面についた瞬間、地面を踏みしめて左側から右側へと右腕を思い切り振りぬく。

 

『ギィアァァァ…………』

 

僕の作り上げた幻のゴブリンは、僕が踏み込んで間合いを狂わされたのか、振りかぶった右腕を振り下ろすことなく絶命した。

 

「もう一回」

 

右足を後ろに、左足を前に。

 

体は半身で、腰を落とす。

 

右手に短剣を順手で握りしめ、胸元あたりで構える。

 

『キシャァァァーーーー!!』

 

狂ったような声を出すゴブリンに体が硬直しかける。けど。

 

「イメージに怖がっていて、上手くいくわけないだろ!!」

 

僕自身を叱咤して無理やり硬直を解く。

 

そして、右足を踏み出すと同時に上半身を左側に捻り――

 

「はぁっ!!」

 

捻りを開放するように左から右へと手首をしならせながら斬りつける。

 

ヒュン、と風切り音がしたそれは、偶像のゴブリンを真っ二つにした。

 

「もう一回」

 

左足を後ろに、右足を前に。

 

体は半身で、腰を落とす。

 

右手に短剣を順手で握りしめ、胸元あたりで構える。

 

左足を前に出し、地面を踏みしめると同時に右手の短剣を軽く振り上げ、

 

「せやあっ!!」

 

右上から左下にかけて斬り下ろす。

 

「もう一回」

 

左足を後ろに、右足を前に。

 

「少しずつ、少しずつ」

 

少しずつ、身に着けていく。

 

体は半身で、腰を落とす。

 

 

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

8時50分。

あのあと僕は1時間、幻のゴブリンを斬り続けた。

一昨日の訓練とは違って、昨日実際に戦ったゴブリンの幻影を斬り続けたんだ。少しは効果がある、と信じたい。

 

「さて、十分休んだし、そろそろいこう」

 

今日は17時くらいには帰りたいな。ギルドにも行きたいし――

あの茜色の空をまた見たい。

 

「――よし、行くぞ」

 

目の前にあるのは、塔。

塔の地下にあるのは、ダンジョン。

塔に向かう数多の冒険者に紛れて、ダンジョンへと足を踏み入れた。

 

 

◆◆◆

 

 

「シャアッ!!」

「うわっ!!っと」

 

モンスターの右腕から繰り出される大振りの爪による引っ掻きに対し、右腕から遠ざかるようにモンスターから見て左側へと飛び込むことで回避する。

ゴロゴロ、と2回ほど前転して立ち上がり、即座に振り替えるとモンスターは爪を振り切った体制のままこちらを見ていた。

左足を後ろ、右足を前に出して腰溜めに短剣を構えると、モンスターはこちらに体を向けて右腕を下げる形で半身になった。

 

目の前にいるのは、ゴブリンに良く似た体格のモンスター。

犬頭であり、ゴブリンよりも獣性が強い分僅かではあるが身体能力が高い。

犬頭から繰り出される牙や爪は鋭く、引っ掻きやかみつきを直接叩き込まれたら昨日のゴブリンの時のように無事では済まないだろう。

しかも、モンスターの右腕の爪は、他の部位と比べて大振りであり鋭さも高そうだ。おそらく、ギルドで聞いた異常発達部位だろう。

モンスターの名前はコボルト。ゴブリンと並び、ダンジョンの最上層に出現するモンスターだ。

 

昨日のゴブリンよりも強いだろう。

でも、昨日よりも恐怖は感じない。体も動いてくれた。

それなら、いけるはず。

 

「決めてやる……!!」

 

コボルトとの距離は、10mくらい。構えもできてる。

今朝訓練したように、襲いかかってきたところを斬りつける!

 

「ガアアアッ!!」

 

コボルトが襲い掛かってくる。

右腕は体の後ろに隠すように引いている。たぶん、射程範囲に入った瞬間に大振りを繰り出す腹積もりだろう。

でも、刃渡り50cmの短剣を振るう僕のほうがリーチは長い。

 

7m。5m。3m――

 

「――やあっ!!」

 

右足を前に出し、地面を踏みしめて左側から右側へと右腕を思い切り振りぬく。

コボルトの右脇腹から真っ二つに切り裂くべく手首をしならせた、その瞬間、コボルトと目があった。

 

笑っている、そう感じた。

 

「――なっ!?」

 

僕が振り切った剣は、確かにコボルトには当たった。

だけど、実際は真っ二つに切り裂くどころか薄皮1枚切った程度。

前を見ると、3m程後方にジャンプしただろうコボルトが着地していた。

 

(避けられた!?)

 

たぶん、短剣を構えている僕に対してコボルトは警戒し全速力で襲いかかってこなかった。

だからこそ、僕が斬りかかる直前にコボルトは後ろに跳ぶだけの余力を残せたんだ。

 

(マズイ!?)

 

僕は今、完全に短剣を振り切った状態。

対し、後ろに跳んで着地したコボルトはすぐさま僕へと右足を踏み出した。

 

あと一歩、左足を踏み出すと同時に右腕を、異常発達した大きく鋭い爪を振り下ろすだろう。

 

短剣を振り切った体制に無理に力を入れ、体を起こし強引に右腕を引き戻す。

 

僕の左頭上から、爪が降ってくるのが見える。

 

爪と僕の間に割り込ませるように、右腕を必死に動かす。

 

(間に、合え!!)

 

 

 

ガキィィン!!

 

 

あまりの衝撃に思わず、目を瞑ってしまった。

 

まるで馬にでも突っ込まれたかのような、衝撃。

 

ガリガリガリ、と土が削られる。衝撃に対して僕が踏ん張った結果だ。

 

聞こえたのは、金属音。

 

なんとか、間に合った。

 

目を開けてみると、右腕を振り切った大勢のコボルトが5m先に見えた。

 

(爪の攻撃に僕の短剣の防御が間に合った。受け止めきれずに5m程下げられたけど、何とか踏ん張れたのか)

 

短剣に目を向けると、僅かに刃の欠けた姿が目に入る。このくらいなら問題ない、はずだ。

 

今がチャンスだ。

 

「――あああああぁぁぁーーーーーー!!」

 

今のコボルトは、さっきの僕と同じで無防備だ。

しかも、あのコボルトの右手は異常発達部位で、その分重く引き戻すのに時間がかかると思う。

2歩、出来る限りの速度で踏込み、3歩目。

 

左足を前に出し、右手を振り上げて思い切り踏みしめる。

 

コボルトは、想定以上に力を込めて腕を振り切ってしまったのか、体勢は崩れたままで右腕も引き戻せていない。

 

いける。

 

右手を、短剣を右腕もろともコボルトの左肩から右脇腹へと振り下ろす。

 

「グオオオッ!?!?」

 

コボルトは断末魔を上げつつ、僕の目の前で灰になっていく。たぶん、魔石も一緒に斬っていたのだろう。

モンスターの核が魔石である以上、魔石を破壊もしくは除去すればどんなモンスターでも死ぬとされている。

コボルトが灰となっていくその中で、右手の爪だけは灰にならずに残った。

やはり、あれは異常発達部位だったのだ。

 

「……やった」

 

でも僕は、そんなことより僕の右手にある短剣に目を向けていた。

 

出来た。

 

昨日のように力技ではなく、技でモンスターを殺せたんだ。

 

他の人からしたら、どうでもいいことかもしれない。

 

剣を握って3日目のやつが何を、と思うかもしれない。

 

でも、そんなことはどうでもいいし、僕にもなんでこんなに嬉しいかわからない。

 

いや、わかるけどわからない。

 

ただ。

 

練習したことが上手くいく、それがこんなに嬉しいなんて思わなかった。

 

それだけの話。

 

「……次はもっとうまくやるぞ」

 

今の戦い、1回目の斬撃は相手の動きをしっかり把握できていなかったために、失敗した。

もっと、相手の動きを見て行動しよう。

 

「あ、ドロップアイテム拾わないと」

 

少し落ち着いた僕は、目の前のドロップアイテムに意識を向ける。

 

ドロップアイテム。

魔石を除去したモンスターは、たまにこうして体の一部を残すことがある。

これは今回のコボルトのようにそのモンスターの中で異常発達した部位であり、魔石を失ってなお独立する力が備わっている、らしい。

これらは換金しても良いし、武器や防具の材料にもなるらしい。

そして、大体の場合はそのモンスターの魔石より高く取引される。

 

「コボルトの爪、か」

 

勿論、第1層でとれたドロップアイテムの価値なんてたかが知れてる。

ただ、なんか、自分が苦戦した相手からもぎ取った戦利品みたいな感じがして、うれしかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「あ、茜色の空だ……」

 

僕がダンジョンから出てきたとき、空は昨日と同様に茜色だった。

茜色の空には、茜色を映えさせる薄橙の雲、うっすらと見える白い月もわずかに見えた。

うん、やっぱり綺麗だ。

 

「っと、ギルドに行かなきゃ」

 

広場の時計に目を向ければ、17時30分を指していた。少し遅くなったけど、2日目にしては良いほうじゃないかな。

ギルドへの道に目を向ければ、僕と同じ考えなのかたくさんの冒険者が歩いていた。

 

「行こうか」

 

疲労している体にもうひと頑張りだと喝を入れて、ギルドへの道を歩く。

 

 

◆◆◆

 

 

「――キミは今まで、ダンジョンに潜っていた、てことで良いのかな?」

 

今、目の前でニコニコと音に出そうなくらいの笑顔で尋ねてきたのが僕の担当アドバイザーであるフリージア・ルドベキアさん。

青みがかったの黒色の長髪をツインテールに纏めており、透き通った緑玉色の瞳を中心に整いすぎないほどに整った顔立ちをしている人間だ。

非常に引き締まった体をしており、ギルドの制服である黒色のスーツが彼女の体の美しさを一層引き立たせていた。

そんな美人さんが笑顔で僕に語りかけてきているのに、僕が感じているのは恐怖だった。

怖い。絶対怒ってる。

 

「い、いえ。昨日の夕方に一度帰ってきました」

「そう。じゃあなんで、ここに来なかったのかな?」

 

疲れたからです。忘れていたからです。

そう正直に答えてよいのだろうか。

 

「勿論、冒険者にダンジョンから帰る度に必ず報告に来なければならないなんて規則はないよ?でもね、初めてダンジョンに潜ったときくらいは報告に来てほしかったかな。ましてやキミは12歳のこどもで、ファミリアのパーティにも加わらずに一人でダンジョンに潜るんだから」

 

そう言ってくれるルドベキアさんの表情から、笑顔が徐々に失われていくのが分かる。

ここまで言われて、ようやく僕にもわかった。

ルドベキアさんが怒ってたのは、それだけ心配してくれてたんだ。

 

「――昨日来なかったから何かあったのかと思ったよ」

 

疲れたとか、忘れたとか。

そんなしょうもないことで目の前の人にこんなに心配をかけて。

涙を瞳に浮かべながら想いを告げてくれるルドベキアさんに、猛烈な罪悪感と羞恥心が僕の中で生まれた。

 

「ごめんなさい」

 

謝ろう。正直に伝えよう。

 

「昨日はモンスターとの戦いに必死で、ダンジョンから出てきた時にはもうルドベキアさんへ報告するということ自体がとんでしまっていて、すごく疲れていて、帰ってしまいました」

 

みっともないけど、なんだそりゃって思うだろうけど、それでも伝えよう。

 

「今朝、起きた時にギルドへ報告しなきゃって思ったんですけど、今日ダンジョンに行ってからでいいや、て思って今来ました。心配かけて、ごめんなさい」

 

改めて口に出すと、なんて身勝手な考えだろう。

これじゃ、とても許してもらえないだろう。

ルドベキアさんの顔を見るのが怖くて、顔を上げられない。

 

「……本当は、怒らなきゃいけないんだけどね」

 

はあー、とため息が僕の頭上から聞こえた。

そうだよね、やっぱり怒ってるよね。

 

「顔をあげて、サクラ君」

 

そう言われて、恐る恐る顔をあげてルドベキアさんを見る。

すると、彼女の表情に怒りはなかった。え?

 

「サクラ君自身が深く反省しているようなので、今回の件は1つ罰を荷すことで不問とします」

「……いいん、ですか?」

「今回はダンジョンから帰ったら報告に来るように、て言わなかった私も悪いから」

 

いや、常識的に考えてダンジョン初日で報告に来ない人なんていないでしょ。

……僕が言えたことじゃないけど。

 

「で、罰なんだけど――私のことをこれからは名前で呼ぶこと!」

「え?」

 

名前?なんで?

 

「名前で呼ぶような関係になれば、少しは私のことパートナーとして意識してくれるでしょ?」

 

そう言うルドベキアさんは、ふふんとでも擬音の付きそうな笑顔で僕に笑いかけてくる。

でも、彼女の瞳の奥に少しの不安や寂しさが見えた、気がした。

 

(少しでも、頼りにしてほしいんだ)

 

12歳で初心者のこどもに頼られないっていうのは、忘れ去られてたっていうのはアドバイザーとして凄い悔しいことだと思う。

だから、ルドベキアさんなりに距離を縮めようとしてくれたんだ。

少しでも親しみやすいように、相談できるように。

 

そこまでしてくれるのはたぶん、僕が所属しているのが、あのファミリアだから。

 

「……分かりました。これからもよろしくお願いします、フリージアさん」

「うん!よろしくね、サクラ君!!」

 

僕が名前で呼ぶと、フリージアさんは今日一番の笑顔で受け入れてくれた。

僕はそれを見て心がズキンと痛むのを感じつつも、話を進める。

 

「じゃあ、昨日と今日の報告をしますね」

「うん、じゃあまずは――」

 

フリージアさんからの質問に答える形でダンジョンでの出来事を報告しながら、思う。

僕はいずれ、こんなに優しく親しみをもって接してくれる人を――。

 

(いや、今はまだ、考えなくていいことだ)

 

「サクラ君?」

「あ、すみません。ええと――」

 

いずれその時が来るまでは。

フリージアさんの好意に甘えよう。




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:???
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:1階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:1800ヴァリス

力 :I 0
耐久:I 0
器用:I 0
敏捷:I 0
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
【     】


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第3話 ファミリア ―VS ダンジョン・リザード―

 

「グォアッ!」

「っ!」

 

振るわれる爪を、バックステップで回避する。

ビュウン!と風切り音を発しつつ僕の目の前をゴブリンの左腕が通過していった。

ゴブリンは続けて右腕を振るおうとしているが、まだ体勢は整っていない。

 

でも、攻撃はできない。

 

「ブルアァ!!」

「くっ!!」

 

左腕を振り切ったゴブリンの右側から、コボルトの鋭い爪が振り下ろされる。

それを僕は、先ほどより大きく後ろへと跳ぶことで回避する。

 

二対一。冒険者になってまだ1週間の僕には、たとえゴブリンやコボルトであろうと危険な戦いだ。

2体で居るとこに出くわしてからはずっと後退し続けている。

でも、そろそろだ。モンスターたちから5m程離れたのを確認して、僕は左に目線をやる。

 

(よし、側道だ!)

 

側道の存在を確認した僕はすぐさま側道に入って、直後に勢いを殺すべく踏ん張り、体勢を反転させた。

モンスター達は1秒もしないうちに姿を現すだろう。

でも、1秒あれば、側道の入り口に向けて短剣を構えることはできる。

 

息を殺しつつ、右足を前に、左足を後ろに。

腰を少し落とし、右手に握った短剣を胸元に構える。

冒険者になってから1週間、毎日続けた一連の動きは、特別意識しなくても体が覚えてくれている。

そのことに少しだけ嬉しく思っていると、ドダッドダッと荒々しい足音とともにゴブリン、コボルトと続いて姿を現した。

 

「せやあっ!」

「ギュアッ!?」

 

ゴブリンが僕を視界に入れた時には、もう遅い。

僕の袈裟切りがゴブリンをとらえ、深々と肉に入り込んだ短剣はゴブリンの命を絶ち切った。

 

「グァウ……」

 

それを見たコボルトが、怒りを宿して僕に襲い掛かってこようとしていた。

でも、立ち位置の関係上、僕とコボルトの間にゴブリンがいる状態のため、コボルトは僕を攻撃するのに躊躇してしまった。

コボルトがたじろいたその隙を、僕は逃さない。

 

「はあっ!」

「グアッ!?」

 

袈裟切りをした体勢のまま、ゴブリンを避けるように右足を1歩踏み込む。

左方向に倒れていくゴブリンに短剣が当たらないよう気を付けつつ、逆袈裟切りをコボルトに叩き込む。

脇腹から肩口に掛けて斬撃を受けたコボルトは、立ち往生したまま後ろに倒れ、絶命した。

 

「ふぅ……地形を使った戦い、か」

 

冒険者になって1週間。

ゴブリン、コボルトとの一対一の戦闘に慣れてきた僕は、2階層に来ていた。

1階層と比べて多対一になる可能性が増えるとされる2階層に入るにあたり、ギルドアドバイザーのフリージアさんからいくつかアドバイスを受けていた。

その1つが、今やってみた地形を使った戦闘だ。

 

『いい、サクラ君。真っ正直にモンスターと正面から戦う必要はないんだよ?不利だと思ったら逃げていいんだし、逃げたと思わせて待ち伏せても良い。モンスターがキミに気付いていない状態だったら、奇襲とかもありだね』

『待ち伏せ、奇襲ですか?』

『うん。特にキミはソロでダンジョンに挑むんだから、いかに安全に戦うかを考えないとだよ?そのためには、ダンジョン、ていう戦場を上手く使っていかないといけないね』

『ダンジョン……細い道に隠れたり、割れた壁の破片を使ったり、とかですか?』

『そうそう!そうやって地形を上手く利用して戦うことを、少しずつでいいから意識していくといいんじゃないかな?』

 

フリージアさんの言った通り、地形を使うってことを選択肢に入れるだけで戦闘の幅が広がった気がする。

少なくとも、多対一になった際に一対一の状況を作った今の感じは良かったと思う。

 

「じゃあ、魔石を取り出そうか――!!」

 

ゴブリンとコボルトの魔石を取り出そうと足を踏み出そうとした、その時。

 

僕を覆う程の大きな影が突如出現した。

 

「――上!!」

 

側道の奥へと進む形で、僕は影から逃れるように後方へと跳んだ。

 

そんな僕の目の前を、巨大な影が上から下へと通り過ぎた。

 

地面に着地した影の正体は、4本足を持つヤモリ。

ざらついた茶色の皮膚に、裂けた口からは細長い舌がチロリと飛び出ている。4本足の爪先は鋭く、さっきの急襲ではあの爪で引っ掻いてくる心積もりだったのだろう。

全長は僕より少し大きい巨大なヤモリのモンスター、『ダンジョン・リザード』。

2階層から4階層にかけて出現するモンスターだけど、ゴブリンやコボルトとさほど差のない低級モンスターと言われている。

今の僕でも、十分に勝機のある相手だ。

 

「ゲゲェ!!」

 

僕が動かないのを見て、ダンジョン・リザードは四肢を這わせて壁を登りだした。

ダンジョン・リザードの四肢には吸盤がついており、それを用いて壁や天井を這い、急襲を仕掛けるのが常套手段らしい。

本来、地面に降り立った際に仕留めるのが常らしいんだけど、ダンジョン・リザードはおそらく今の僕より素早い。逃げられて終わりだと思う。

 

(でも、策はある)

 

フリージアさんと昨日話していて思いついたそれを、腰のポーチから取り出す。

僕がじっとしているのを好機と見たのか、天井まで這ったダンジョン・リザードは、素早く僕の後方の天井まで這っていった。おそらく、僕の視界から外れた瞬間に飛び掛かってくる腹積もりだ。

そして、僕の視界からダンジョン・リザードが消えた。

 

「――今!!」

 

その瞬間、僕は勢いよく振り返るとともに先ほどポーチから取り出したダンジョンの壁の破片を、今まさに飛び掛かってきているダンジョン・リザードへと投げつけた。

投石。遠い場所から襲い掛かってくるのなら、僕も遠距離攻撃をすれば良い、てことだ。

幸い、ダンジョンには投げつけるものがいくらでもある。

 

「ゲギャアッ!?」

 

そして、ダンジョン・リザードは僕より少し大きいくらいの体格だ。

振り返った直後に投石しても、外れる可能性は低い。ましてや、ダンジョン・リザードは僕に飛び掛かってきてるんだからなおさらだ。

僕の予想に違わず、ダンジョン・リザードは僕の投石をお腹にもろに受けていた。

急降下の勢いは一気に失われ、僕でも簡単に捉えられる速度でもがきながら落ちてくる。

 

「せいっ!」

「ギャアア!!」

 

ゴブリンやコボルトよりも遥かに隙だらけなその姿に袈裟切りを叩き込む。もがいているダンジョン・リザードにそれを躱せるはずもなく、血飛沫をあげて落ちていった。

ダンジョン・リザードに動く様子が見られないのを確認して、僕は体から力を抜いた。

 

「よし、うまくいった!!」

 

地形戦に投石。思ったより、両方ともしっくりきた。実際、初めて遭遇した二対一の状況、ダンジョン・リザードとの初対戦もノーダメージで凌ぎ切った。

これは、帰ったらフリージアさんに感謝しなきゃ。

 

「さて、魔石を取り出したら今日は帰ろうか」

 

たぶん、体感時間的にまだ12時ぐらいだろう。

でも、今日は行くところがある。

初めての時から比べて大分慣れた、モンスターの死体からの魔石の取り出しを終えた僕は、いつもの半分の時間でダンジョン探索を終えた。

 

 

◆◆◆

 

 

「ここに来るのも、1週間振りか……」

 

13時。僕は、自分の所属しているファミリアのホームに来ていた。

敷地内の左右に存在する酒蔵には目もくれず、主神の居るであろう本殿に向かって歩く。

 

「やっぱり、誰もいないよね」

 

敷地の中に、人の気配はない。おそらく酒蔵の中や地下牢には見張り人や咎人がいるだろうけど、それ以外の人間はいない。

それこそ、今こうして誰にも会わずに本殿に入れるくらいには。

 

「まあ、そういう時間帯を狙ってきたから当然だけど」

 

主神から『神の恩恵』を受けて1週間、僕はファミリアの誰とも会ったことがない。

もしファミリアの誰かと会えば、僕はこうやってホームに立ち入ることができなかっただろう。

だからこそ、団長も含めて全員が出払う平日の昼に訪れた。

月に一度の集会や団員が主にとる休日は大まかにだけど把握しているから、それを避ければ誰とも会わずにここまで入れる。

 

本殿の中をさらに歩く。

左右に見える部屋や通路を無視して歩いた先には、庭が広がっていた。

そして庭には、鍬を持って畑を耕している一人の男性がいた。

 

「神ソーマ」

 

僕は、畑を耕す主神に呼びかける。

主神は、振りかぶった鍬をそのまま降ろし、視線をこちらに向けて体勢を変えず口を開いた。

 

「……ヒースか。何用だ」

 

そう聞いた後、鍬を振りかぶり、降ろす。

酒を造ることを何よりも優先するその在り方に苦笑しながら、僕は要件を口にする。

 

「『ステイタス』の更新をお願いします」

 

 

 

 

 

庭の隅に無造作に置かれた椅子の上に、僕は上着を脱いで座る。

主神は、己の指を切り、神血(イコル)を指につけてサインを描くような決められた動きで指を動かす。

おそらく、今の動きで僕の背中には神聖文字(ヒエログリフ)が浮かび上がったのだろう。

 

神聖文字(ヒエログリフ)で形成された僕の背中に、主神はもう一度神血(イコル)を垂らす。

すると、神血(イコル)を垂らした個所から波紋が生じる。

ここからは他人から聞いたことだが、主神は僕に蓄積された経験値(エクセリア)を抽出し、それをもとに神聖文字(ヒエログリフ)を再度刻み込み、ステイタスとして組成する。

それが、いわゆるステイタスの更新だ。

 

「終わりだ、読み上げるぞ」

「ありがとうございます、お願いします」

 

初めての更新だ。この1週間の成果がどれだけのものだったのか、それが今分かる。

一字一句聞き逃さないよう、集中して主神の言葉を聞いた。

 

◆◆◆

 

サクラ・ヒース  Lv.1

 

力 :I 0 → I 11

耐久:I 0 → I 9

器用:I 0 → I 25

敏捷:I 0 → I 17

魔力:I 0

 

≪魔法≫

【     】

【     】

 

≪スキル≫

【     】

 

 

◆◆◆

 

 

「……伸びてる」

 

自分のステイタスを聞いてまず思ったのが、それだった。

人によってはいくら戦っても碌にステイタスが伸びず、冒険者をやめるという人もいると聞いていたから、そうじゃなくて本当に良かった。

魔法のスロットも2つあるし、案外僕には冒険者としての素質があるのかもしれない。

 

「もう行け」

 

感慨に耽っていた僕に、主神は面倒臭そうにそう告げる。

主神を見てみると、もう畑のほうに戻って作業を再開しようとしていた。

 

「ありがとうございました。1週間後、また来ます」

 

これ以上邪魔するのは僕にとっても好ましくない。

改めて一礼し、庭を出る。

 

「……ああ」

 

立ち去る直前にかすかに聞こえてきた主神の声が、僕がまた来ると言ったことに対する返答のような気がして、少し嬉しかった。

 

 

◆◆◆

 

 

ソーマ・ファミリアはファミリアとして破綻している。

 

酒蔵と地下牢を除いて日中は誰もいないホーム。

神酒(ソーマ)に心酔し金に狂い、幼子にまで金を持ってくるように命じる団員達。

それを咎めるどころか、誰よりも好き勝手にやっている団長。

眷属への労いとして、褒美として与えた酒に狂わされ、堕ちていく眷属に果てしなく失望した主神。

 

それが、今のソーマ・ファミリア。

 

フリージアさんが僕に親身になってくれるのは、僕がソーマ・ファミリアのこどもだからだ。

おそらくは、酒に心酔しているとは思っていないだろうが金を貢がなければいけない状況だとは思っているのだろう。僕自身、そういうニュアンスで話しているし。

だけど、実際は違う。

色々事情があって、僕は金を貢いでいないしもちろん酒にも心酔していない。ステイタス更新も週に1回はしてもらえる。でも、根本的に違うのは。

 

僕が、神ソーマを、ソーマ・ファミリアの破綻した在り方を見て、ファミリアに入団したということ。

僕が、何よりそれを望んだということ。その理由は、単純。

 

「ここなら、僕がいてもいなくても誰も気付かない。誰も、気に留めない」

 

それは、僕が何より求めている環境だったから。

他のファミリアでは、どんな神であれ少なからず人間関係が生まれてしまう。

それだけは避けたかったからこそ僕は、ソーマ・ファミリアを望んだんだ。

 

「……それに、神ソーマは嫌いになれない神だった」

 

神ソーマは、自身の全てをつぎ込んで造ったお酒を眷属に褒美として与えた。

結果は見るに堪えないものだったけど、今は金を搾取するためだけのものかもしれないけど。

自分が出せる最高のものを褒美として差し出すその在り方は、純粋に尊敬できた。

 

「……まぁ、それは僕が神酒(ソーマ)に酔わなかったからこそ言える戯言かもしれないけどね」

 

酔わされた人からしたら堪ったものじゃないだろう。

そうやって苦しんでる人は、このファミリアにはいくらでもいる。

 

「さて、ギルドに報告に行こうか」

 

今日はダンジョンからまっすぐここに来たから、まだフリージアさんに今日の成果について報告できていない。

さっきまで考えてたことは保留して、ギルドへ向かう。

 

 

 

苦しんでいる人を放置しているという事実に、精一杯目を背けながら。




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:ソーマ・ファミリア
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:2階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:7100ヴァリス

力 :I 11
耐久:I 9
器用:I 25
敏捷:I 17
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
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第4話 架空の女神 ―VS パレード―

※7月2日 4:00 第4話と第5話を統合しました。


村が、燃えている。

 

馬の嘶きが聞こえる。人間の怒号が聞こえる。

 

辺りを見渡せば、炎、炎、炎。

 

家も、人も、なにもかもが、燃えていた。

 

『逃げよう。この村は、もうだめだ』

 

そう僕に言ったのは、彼だった。

 

さっき天涯孤独となった彼は、酷く落ち着いていたのを覚えている。

 

『いこう、サクラ。ヤツラが来る前に、早く!』

 

いや、それでも最後は焦りがあったのかな。語尾が強まっていた気がする。

 

そんなことを考えていないと、ナニカが壊れそうだったんだ。

 

目の前の現実から逃げるように、僕と彼は、夜にしては明るすぎる村に背を向けて走り出した。

 

『神なんて、フィアナ様だけいれば良かったんだ』

 

彼の零した呟きが、僕の頭から離れなかった。

 

□□□

 

『あら、あなた……』

 

あの日は、確かそう。

 

オラリオに来てから、家を見つけて、職を見つけて。

 

神に関わらずに、慎ましい生活ながらも安寧を感じ始めていた時だった。

 

『私のファミリアに入りなさい』

 

目の前の女性は、神はそう言い放った。

 

僕、の隣で呆然としていた彼に。

 

何を言っているんだ、この人は。

 

『はい、貴女に付いていきます』

 

何を言っているんだ、コイツ。

 

目の前のコイツハ、カミダゾ?

 

『そう、いい子ね』

 

神は、断られることなど想定しなかったように微笑んだ。

 

その微笑みは、欠片もこちらに向けていないと分かっていてもなお、魅力的だった。

 

魅力的?いや、違う。魅力的だと思わせられる。そう思うように、心が変えられる。魅力的と思わないことを許さない。

 

そんな、恐怖すら覚える微笑みだった。

 

『じゃあ、行くわよ』

 

『はい』

 

気づいた時には、彼は神に付き添っていた。

 

一度もこちらを振り返ることなく、人混みに紛れていった。

 

『歪められた』

 

まただ。神(コイツラ)は、気分のままに心を、人生を歪めていく。

 

村を焼き、人を殺し。

 

彼の心を歪め、過去を否定し。

 

それが許されるのか。神は、何をしてもいいのか。

 

ふざけるな。

 

ふざけるな。

 

フザケルナ。

 

『う、あ、ああああぁーーーーーー!!』

 

 

 

 

 

 

 

返してくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

「――嫌な夢」

 

思い出したくもない、でも決して忘れられない、あの時の夢。しかも繋ぎ合わせの二連続。

ナニカが壊れ、歪み、そして今。だから僕は、冒険者だ。

 

「ああ、頭がおかしい」

 

頭を振る。気持ち悪くなった。少し吐き気もする。

最悪な気分に浸りながら体を起こせば、壁にかかった一枚の絵が目に入った。

額縁なんてない、紙の裏につけた輪っか状の紐に画鋲を壁に刺しただけの安っぽい絵には、鎧を纏った一人の女性が描かれていた。

 

鎧をまとう女性の名は『フィアナ』。

小人族(パルゥム)でこの名前を知らない者はいない。

かつて、小人族(パルゥム)の間で深く信仰されていた女神の名だ。

今より遥か昔、『古代』に名を馳せた小人族(パルゥム)の英雄、誇り高き騎士団が擬神化した女神だと言われていた。

 

――そう、言われていた。

 

小人族(パルゥム)は基本的に弱い種族だ。体格や力、魔法とどれをとっても他の種族と同等、もしくは劣っており、小人族(パルゥム)ならではというような潜在能力は存在しない。

強いてあげるとすれば、その劣った体格で巨大な敵に立ち向かう『勇気』だろうか。

そんな種族として劣っていた小人族(パルゥム)にとって、かつての英雄達は誇りだった。

数多もの偉業を成し遂げた騎士団は、小人族(パルゥム)にとって最初で最後の栄光だった。

神として崇められるほどに、騎士団名から名をとって『フィアナ』という架空の女神を作り上げてしまうほどに、心の拠り所だった。

 

――しかしそれは、天界から下界へと実在した神が降りてきた『神時代』の到来により、脆くも崩れ去った。

 

小人族(パルゥム)が心の拠り所として作り上げた女神『フィアナ』が実在しないことが、神の到来により証明されてしまったためである。

『フィアナ』信仰は、急激に廃れていった。それに伴い、心の拠り所を失った小人族(パルゥム)は、唯一の長所でもあった『勇気』すら失い、堕ちに堕ちていった。

 

「――バカバカしい」

 

確かに、女神『フィアナ』は架空の存在だ。

だが、すべてが架空であったわけではない。

かつて小人族(パルゥム)に栄光をもたらした『フィアナ騎士団』は、架空ではない。

『古代』から今に掛けてたった一つと言ってもいいその栄光を忘れないよう、擬神化して敬い崇め、信仰することで『勇気』を授かることで些細ながらも繁栄したその歴史は、生き様は誇って良い筈だ。

僕達が心の拠り所としたのは、尊敬し崇めたのは。

先達の栄光であり、偉業であり、なによりその生き様だったんじゃないのか。

 

遊戯(ゲーム)感覚でこの世界に来て僕達を遊戯版の(ユニット)のように扱う神に劣ると、なんで思ってしまったんだ」

 

自分の王国(ボード)を作り戦争(ゲーム)をする神。

自身の生まれ持った美貌を持って人心を容易く捻じ曲げる神。

そんな屑にも劣る存在と同列でなくて良かったと、何故思えないんだ。

 

「神は嫌いだ」

 

ああ、気分が悪い。それもこれもあの夢のせいだ。

遊戯(ゲーム)感覚で村を焼き尽くした(キチガイ)

嫌い、という心すら捻じ曲げて魅了する(ボウクン)

降臨するだけで一種族を絶望させる、(クソガキ)共。

 

「殺してやる」

 

冒険者になって3か月。

不本意ながらも殺意は充填できたし、今日も張り切ってダンジョン探索に行こうかな。

 

 

 

最後の願いは、心に仕舞っておこう。

 

 

■■■

 

 

「シッ!」

「ゲギャアァー!?」

 

ダンジョンの壁まで追い込んだダンジョン・リザードの背中を、ダンジョンの壁ごと短剣で刺し貫く。

天井まで逃げようと思っていたのだろうダンジョン・リザードは、両手をバンザイするような体勢のまま力尽きて、グッタリと短剣にぶら下がる形で絶命した。

 

「刺すのもだいぶ慣れてきたな」

 

ダンジョン・リザードの魔石を取り出しながら、今行なった攻撃に対して考えを巡らす。

 

刺突。

斬撃とならぶ、剣の主要な攻撃手段の一つ。というより、剣による攻撃は大体が斬撃か刺突だ。

短剣による刺突は、腕を突き出して手首を撓らせて刺す。動作を言葉にすれば、こんな感じだ。

冒険者になったばかりの僕は、この刺突に慣れるのに時間が掛かった。

 

刺突という攻撃はその性質上、急所を捉えないとモンスターを殺せないばかりか反撃を受けかねない。

それを回避するには、刺した後に抜くという動作を組み込むか、刺突自体に強烈な衝撃(インパクト)を加えてモンスターを吹き飛ばす、もしくは怯ませる必要がある。

勿論、急所を常に捉えるという手段もある。そして僕は、そのどれもが出来なかった。

また、刺突は斬撃と比べてモーションが小さい。

それは本来短剣の長所になる部分なんだけど、その分技術がないと碌に力が加えられず手痛い反撃を被る破目になる。

 

「結局今でもとどめぐらいしか使えてないしなぁ」

 

短剣は、通常の剣と比べてリーチが短く重量も軽い。

それは、リーチと威力を犠牲にするかわりに、取り回しの良さとモーションの少ない攻撃手段を獲得したということ、だと僕は思っている。

特に刺突は繰り出すまでの隙が殆どない技で、短剣の真骨頂とも言える技なんだ。今後のためにも、絶対に習得しておきたい。

 

「ふう。……ん?」

 

ドドッドドドッ――

 

なんだ、この音。地鳴りのような……

 

モンスターの足音?でも、この量は――

 

「どけどけどけえぇーー!!」

「邪魔だーー!!」

 

僕の背後から聞こえる地鳴りのような音に振り向いたとき、すごい勢いでこちらに走ってくる2人の冒険者が目に入った。

2人とも酷く慌てていて、進行方向上にいる僕に向かって退くように声を張っていた。

 

「っと、と……」

 

その声があまりに真に迫っていたので、僕は思わず通路の端に体を寄せた。

この近くは側道もなく一本道のため、端に寄るくらいしか道を開ける方法は無かった。

通路の端にいる僕の目の前を2人の冒険者が走り抜けていく。

 

「ありがとよ、ボウズ!!」

「そら、お礼だ!!」

 

走り去っていく直前、1人の冒険者がお礼と言って僕の近くに何か塊を投げつけた。

グチャリ、と音を立てて地面に落ちたそれは、肉。

その肉は、血が滴っており、鼻を刺激するような強い臭いを放っていた。

僕は、その肉の正体に思い当たる節があった。

 

血肉(トラップアイテム)……?」

 

確かあれは、モンスターを効率的に狩る際に使われるものだ。

だけど、フリージアさんが説明してくれた血肉(トラップアイテム)の使い方は、もう一つあった。

 

「モンスターを誘き寄せることによる殺人……罠」

 

そう、罠。気づいた時にはもう遅かった。

冒険者達が来た方向からはモンスターの大群が、その反対側からもモンスターが数対来ているのが分かる。

 

自らのパーティーが遭遇したモンスターを他のパーティーに押し付ける怪物進呈(パス・パレード)

血肉(トラップアイテム)を用いた怪物教唆(モンスター・キル)

つまり僕は、人間に殺されかけている。

 

あっという間だったけど、ようやく思考が状況に追いついてきた。

 

(何をやっているんだ僕は!何故、あの地鳴りがした時点で警戒心を抱かなかったんだ!?)

 

あの地鳴りはモンスターの群れが来る証。それに、冒険者が逃げてくるときなんて大概モンスターに追われている時だ。何を呑気に、通路の端で待機なんてしていた!

 

(まずは状況把握だ。ヤツラが連れてきたモンスターの数、は……!!)

 

しかも、驚異はそれだけじゃなかった。

 

冒険者たちが引き連れてきた20体を超えるモンスター、パレード。

その構成はゴブリン、コボルト、ダンジョン・リザードが中心だ。

当然だ。ここは4階層で、4階層より上にはこの3種しかモンスターは出ないんだから。

 

だから、パレードの先頭にいる2体がおかしいんだ。

黒に染まったその体。僕より少し大きいその体格は、ゴブリンなどよりも余程人間に近い。

体を構成する皮や器官は何一つ見つからない、ただただ真っ黒なその体を有するモンスター。

 

 

 

「なんでお前がここにいるんだよ、ウォーシャドウ!?」

 

 

 

お前が出るのは5階層からだろう。

なんでここにいる。

 

4階層と5階層は、1つしか階層が違わないがその内容は全く異なる。

4階層までに出てくるモンスターは、どれも『神の恩恵(ファルナ)』さえ授かっていればなんとか倒せる、いわゆる初心者用のモンスターと言われている。

でも、5階層からは違う。

仲間を引き寄せるキラー・アントや遠距離攻撃を行うフロッグ・シューター、そして純粋に強いウォーシャドウ。

鍛えられたステータスと戦闘経験がなければ勝つことが難しい、質に優れたモンスターが出てくる。

5階層を攻略可能といわれるステータスの最低ラインは、G。

一応ステータス平均はGに到達しているけど、初見で2体、他も居る状況で勝てる相手じゃない。

それでも、この状況じゃ、

 

「やるしか、ないのか……!?」

 

いや、違う。

 

冒険者が逃げて行った方向からも10体を超えるモンスターが迫ってくる。おそらく血肉(トラップアイテム)の効果だ。

今の僕に、モンスターと戦いながら逃げるなんてことは出来ない。

それでも、まだ生き残る道はある。

 

(ウォーシャドウと戦わず、数の少ない方のパレードを潰しきる!!)

 

いくらウォーシャドウが強くても、僕がモンスターの群れの中にいれば迂闊に攻撃できないだろう。勿論、他のモンスターも同士討ちを警戒して一斉に襲い掛かることはできない。……と、思う。

幸い、ウォーシャドウ以外は戦闘経験があるし、2~3体までなら纏めて相手したこともある。

つまり、ここからは4体以上、かつウォーシャドウを相手取らないように気を付けつつ、モンスターの数を減らしていく。

そして、少しでも隙を見つけたら、逃げる。

 

「……やるぞ」

 

考えは纏まった。

覚悟も決まった。

こんなとこで、死ぬわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

そんな僕の決意は。

 

 

 

 

 

目の前のパレードが吹き飛んだことで、無駄となった。

 

 

 

「――は?」

 

10体を超えるパレードに緑色の影が見えた、かと思えばゴブリンやコボルトが吹き飛んだ。

そうとしか、表現できなかった。

おそらく、全員絶命しているだろう。

 

 

 

「大丈夫ですか?」

「え」

 

いつの間にか、緑色の影の主が目の前にいた。

その人は、全身を緑色のマントで覆っていた。このマントの色が影となって見えたのだろう。

顔は覆面をしていて見えなかったが、綺麗な声色をしていたため女性、いや背丈が僕とそこまで変わらないから女の子だと思う。

黄金色のショートカットが軽くかかっている耳は尖っており、いわゆるエルフ耳というやつだ。

覆面とマントで素性を隠していることを踏まえても、彼女はエルフなのだろう。

 

「あちらのモンスターも私が片付けますので、貴方はここにいてください」

 

僕がまともに言葉を返せないでいると、彼女はそう言ってウォーシャドウ率いるモンスターの群れに向かって走って行った。

 

僕にはその動きが影でしか追えず、そのあまりもの速さと緑色のマントから一つの単語が頭に思い浮かんだ。

 

「……疾風」

 

そう、彼女は疾風のように素早く、綺麗で。

 

今目の前のモンスター達に振るわれているその圧倒的な強さが、僕の目に焼き付いた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

袈裟切り。ウォーシャドウが崩れ落ちた。

 

勢いを落とさずにそのまま後ろ回し蹴り。もう一体のウォーシャドウの顔面を吹き飛ばす。

 

わずか2つの動作で、パレードの脅威であるウォーシャドウを屠った。

 

独楽のように回転した。回転に合わせて繰り出した無数もの横一文字斬りは、ゴブリンやコボルトに悲鳴をあげさせることなく命を奪っていく。

 

左手でゴブリンを掴んだ。無造作に投擲したかと思われたそれは、天井にいたダンジョン・リザードを押し潰した。

 

圧倒的で、一方的な殺戮だった。おそらく、彼女はレベル2なのだろう。格が違う。

 

呆然と僕が、彼女の行動の結果を目で追っていると、いつの間にかモンスターの群れはなくなっていた。

 

「お待たせ致しました」

 

僕が我に返ったのは、いつの間にか目の前にいた覆面の少女にそう声をかけられたときだった。

 

いや、我に返ってなんていなかった。

 

惨いまでの一方的な殺戮に対して、僕の頭に浮かんだ感情は一つだった。

 

 

 

「きれいだ」

 

 

 

この、冒険者という人種の中で、他人の危機に躊躇なく力を振える彼女は、きれいだった。

その刃は、『殺し』を目的にして振るう僕の刃と違って、輝いていた。

正義というものを、見た気がした。

もし、彼女があの日あのとき。あの村にいてくれていたら。今とは違う未来が待っていただろう。

ああ、そう思わずにはいられない。それほどまでに、彼女はきれいだった。

 

 

 

「私は、汚い」

 

 

だからこそ、彼女の発した言葉が、覆面越しで分かるほどに彼女が苦い表情をしていたのが理解できなかった。

だが、一つ分かったことがある。僕は、命を助けてもらった恩人を不快にさせるようなことを言ってしまったんだ。

そう理解したとき、猛烈な罪悪感が襲ってきた。

 

「ごめんなさい!」

「いえ、今のは私が悪い。こちらこそ申し訳ない」

 

彼女はそう言って僕に謝り返した。たぶん彼女にも何か事情があるのだろう。

と、そこで僕はまず初めに言わなければいけないことを思い出した。

 

「助けて頂いて、ありがとうございました!!」

 

お礼を言いつつ頭を下げる。

頭をあげて彼女を見ると、もう先ほどの苦い表情は浮かんでおらず、覆面に隠れて表情が伺えなくなっていた。

 

「いえ、アストレア・ファミリアとして当然のことです」

 

冷静さを取り戻した彼女は、助けることが当然かのごとく振る舞い、また自身の所属を教えてくれた。

アストレア・ファミリア。

正義と秩序を司るファミリアで、オラリオの平和を乱す者を取り締まるファミリア、と聞いている。

ギルドと協力して罪人を取り締まっているらしく、ギルドの人間であるフリージアさんはアストレア・ファミリアのことをとても高く評価していた。

なるほど、確かにアストレア・ファミリアは、正義だ。彼女の刃が、それを僕に見せてくれた。

 

「申し訳ないのですが、私とともにギルドまで同行していただけないでしょうか」

 

そんな彼女の申し出を、僕が断る理由なんてなかった。

 

◆◆◆

 

ダンジョンから出てギルドへと向かう道中、彼女はどうして僕に同行を願い出たか教えてくれた。

 

「貴方を陥れた冒険者達は、最近上層で冒険者を殺害している疑いがかけられていました」

 

その方法は、僕にやったのと同じくモンスターを利用したものだったらしい。

この、モンスターを利用した方法が厄介だと彼女は言った。

 

「『怪物進呈(パス・パレード)』自体は一概に罪とは言えません。モンスターを他の冒険者に擦り付けることは確かに悪ですが、そこに悪意が絡まないケースのほうがむしろ多いですから」

「確かに、暗黙の了解とまではいかなくてもダンジョン内では退却の常套手段である、と聞いたことがあります」

「そうですね。そしてこればかりは、責めることはできない」

 

そういう彼女の声にはやりきれなさが滲んでいた。

自分の仲間と見知らぬ他人。どちらかの命しか助けられないという状況になったとき、自分の仲間の命を選ぶことを責めることなんてできるわけがない。

 

「だからこそ、厄介なのです。たとえ殺害目的で『怪物進呈(パス・パレード)』を行なったとしても、そこに自分達の命を優先したという事実が確かにあるのですから」

「……!つまり、神による尋問で罪を(つまび)らかにすることが、できない……?」

 

神の前では嘘はつけない。これは一般常識であり、ギルドやアストレア・ファミリアが罪を正確に測るために利用している性質でもある。

神の存在がなければ、罪を(つまび)らかにするには現行犯での取り締まりぐらいしか方法がない。しかしそれも、取り締まる側に余程の信用がないと疑われてしまう。

しかし、神は違う。神は人間の嘘が分かるのだから、ひたすら質問して罪を(つまび)らかにすることができる。と、僕は思っていたし、実際にギルドやアストレア・ファミリアが採用している方法でもある。

でも、その考えは甘かったみたいだ。

 

「そう。実際にアストレア様が『怪物進呈(パス・パレード)』による『怪物教唆(モンスター・キル)』を実行した罪人を尋問しましたが、結果は散々でした。生き残るために『怪物進呈(パス・パレード)』を行なったことは認めたが、それだけ。冒険者を殺害したことは、アストレア様の尋問を持ってしても分からなかった」

「……そっか。このやり方なら、ヤツラが僕を殺せたかどうか分からないんだ」

 

十中八九殺せただろう、ということは予想できても、実際に死んだ所を見ていない。

そして被害者が死んでいる以上、容疑者であるヤツラしか尋問対象がいないのか。

ああ、だから――

 

「――僕に同行をお願いしたんですね。僕なら、ヤツラが曖昧にしている事実に対して明確な答えを持っているから」

 

ヤツラが僕に対して『怪物進呈(パス・パレード)』を行なったこと。血肉(トラップアイテム)を『お礼』と言って僕に放り投げたこと。

 

「はい。あの者達が血肉(トラップアイテム)を言葉とともに投げつけたという事実は、あの者達に殺意があったということを証明できますから」

 

そういった彼女の声色は、どこか弾んでいるようにも聞こえた。でも、それも無理もない、と思った。

検挙するのが難しい『怪物教唆(モンスター・キル)』の実行犯を検挙できて、被害者である僕を守れた。つまり、アストレア・ファミリアとして最良の結果を得ることができたんだから。

 

「さて、ギルドにつきましたね。2人の冒険者は既に私の仲間が連行していますので、彼等とは別の部屋で少々質問に答えてもらいます」

 

と、もうギルドか。

考えに耽りながら歩いてたから気付かなかった。

 

「では改めて。ご同行およびご協力、感謝します」

「あ、いえ、こちらこそ。助けて頂いて、ありがとうございました」

 

お互いに感謝の意を伝えた後、僕達は別れた。

僕はギルドの方に素性を話して、話を聞いて急いで飛んできたフリージアさんに部屋へと案内された。

 

 

……あ、彼女の名前、聞いてなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

部屋に入ると、そこにいたのは2人のギルド職員に2人のアストレア・ファミリアの構成員、そして1人の神だった。

神の名はヘルメスというらしく、ギルドや他ファミリアに対して中立を貫く神としても有名だったため、今回の尋問に選出された、らしい。

といっても、尋問はすぐに終わった。

こちらとしては何も隠すことなんてないし、神ヘルメスのほうもだいたいのことは既に聞いていたらしく、幾つかされた質問に答えただけで解放された。

 

『あの2人は間違いなく有罪だ。当分牢獄から出られないだろうから、キミは安心して冒険するといいよ』

 

部屋を出る直前に神ヘルメスが言ったその言葉は、少なからず僕を安堵させてくれた。

報復でも企まれたらたまったものじゃないからね。

 

 

◆◆◆

 

 

「覆面と緑色のマントの少女?ああ、『疾風』リュー氏ね」

 

ギルドとアストレア・ファミリアから解放された僕は、フリージアさんに彼女のことを聞いていた。

名前の前に述べた『疾風』っていうのは、つまり……

 

「二つ名、ですか?」

「ええ。最近レベル2になった、アストレア・ファミリアのホープって言われている人よ」

 

ホープ、か。それだけ優れている人なんだろう。

『疾風』という二つ名も、彼女に相応しい。

 

「たしかサクラ君と同じ、12歳だったかしら」

「……!!同い年、ですか……」

 

それで、あの刃を振えるのか。

 

「ん?もしかして惚れちゃった??」

 

フリージアさんはその整いすぎないほどに整った顔に微笑みを浮かべて聞いてくる。心なしか、声に好奇心が混じっている気もする。

とは言っても、期待に応えるような返答はできないけど。

 

「あー、いえ。そういうわけじゃないんですけど……」

「ですけど?」

 

「憧れました。彼女の振るう、真っ直ぐで正義に満ちた刃に。正義と秩序に準ずる、その在り方に」

 

眩しかった。

 

彼女の、アストレア・ファミリアの在り方は非常に難しいと思う。

 

何故なら、彼女達の在り方は、その理想は留まることを知らない。

 

でも、それに反して敵は増え続ける。大なり小なり、いつかは破綻してしまう危うさも感じた。

 

でも、それでも、正義の刃を振るうその(さま)は、どうしようもないほどにきれいだった。

 

神殺しを正義と定めた僕の刃が、偽物の正義だと突きつけられているようだった。

 

『お前の刃は正義などではない。復讐の刃だ』

 

そう、言われている気がした。

 

(――思考を止めよう)

 

これ以上は危険だ。

 

いいじゃないか、リュー氏の(さま)がきれいだった、憧れた、それだけで。

 

「……そっか。アストレア・ファミリアに、リュー氏に憧れるのは、いいことだと思うよ」

 

先程とは違う声色。

思考に耽り下げていた頭を上げると、フリージアさんは僕に暖かい、でも神妙さを感じる微笑みとともに僕の憧れを肯定する言葉をくれた。

その意味を、僕は全て理解することはできないのかもしれない。

ただ、フリージアさんが本当にいいと思ってるのは、伝わってきた。

 

「ありがとうございます」

 

だから、僕は感謝を伝える。

独りの僕にとって、肯定してもらえることは本当に嬉しいから。

 

「……うん。さて、じゃあ今日のダンジョン探索について、改めて報告してもらえるかな?」

「はい。今日は4階層まで潜りました。そこで――」

 

 

★★★ ☆☆☆

 

 

「ありがとうございました、フリージアさん。では、失礼しますね」

「お疲れ様サクラ君。今日はゆっくり休んでね」

「はい、では」

 

ペコリ、と頭を下げた後にサクラ君はギルドの玄関を後にする。

3か月前は本当にただのこどもだった彼の後ろ姿は、ちょっとだけ逞しさが見えるようになっていた。

 

「…………ふぅー」

 

完全にサクラ君が居なくなったのを確認した私は、息を大きく吐く。

とても、今日は仕事ができる状態じゃない。あがろう。

周囲の同僚に軽く声をかけて、着替え室へと向かう。

部屋に入って、近くにある椅子に深く腰を掛けた。

本当に、今日は疲れた。

 

「お疲れ様、シア」

 

ふと、後ろから透き通った声色の声を掛けられた。

私をシアと呼ぶ人は限られてる。そしてこの独特の声色。

 

「お疲れ様です、アイナさん」

 

椅子から立ちつつ振り向いて確認すると、やはり思った通りの人だった。

茶色のロングストレートヘアーに緑色玉(エメラルド)の瞳。顔のパーツの一つ一つが職人によって精巧に作られているような、女の私から見ても美人と断言できるその顔立ち。

長髪から飛び出るかのように主張している尖った耳が、彼女の種族がエルフであることを示している。

アイナ・チュール。見目麗しいと巷ではいわれる(らしい)ギルドの受付嬢の中でも特に美人な、とても頼りになる私の先輩だ。

 

「ヒースくん、だったか。やはり心配か?」

「……はい」

 

アイナさんには、以前にもサクラ君のことで相談したことがある。

彼が12歳というこどもの身ながらソーマ・ファミリアで冒険者をやっていることについてと、ファミリア内は勿論かかわりのある冒険者やサポーターが一切いないことについてだ。

 

ソーマ・ファミリアは、評判の良いファミリアではない。

その理由として挙げられるのは、お金への強い執着。他のソーマ・ファミリアの担当者に聞いたところ、どうやらステイタス更新等にあたりお金を納める必要があるみたいで、実際にサクラ君もそのようなことを言っていた。

納金の額が大きいのか、ソーマ・ファミリアの構成員はいつも余裕がなく、他の冒険者に強奪まがいのことをしたという噂も耳にすることがある。

根本的な話として、12歳で戦闘経験やツテのない小人族(パルゥム)の少年が進んで入団するファミリアでは、断じてない。

しかも彼は、その若さでありながらソロでダンジョン探索をしているのだ。幸い、安全に関する意識は高いのか、無茶無謀は一度もやったことはなく、順調に4階層まで踏破している。

でも――

 

「今日サクラ君が怪物教唆(モンスター・キル)を受けたって聞いたときは心臓が止まるかと思いました」

 

冒険者の悪意は、サクラ君に刃を向けた。

 

『冒険者を殺すことに快感を感じる』

 

そんな無差別殺人が4階層という初心者冒険者のいる層で発生するくらいには、今のオラリオは治安が悪い。悪が、蔓延っている。

 

「でも、サクラ君はリュー氏の在り方に憧れを抱いたんです。たぶん、アストレア・ファミリア自体にも」

「ふぅん?」

 

アストレア・ファミリアは、ガネーシャ・ファミリアと並んでギルドとの関係の深い2大ファミリアの一つだ。

他のファミリアには与えられていない『裁き』の権利を有しているかのファミリアは、まさしく正義と秩序のファミリアといえるだろう。

 

「だから、次に会ったときに提案しようと思います」

「……改宗(コンバーション)か?」

「はい。アストレア・ファミリアであれば、命を削るような納金も、ソロでのダンジョン探索もないです。そして何より、彼自身がファミリアの、団員の在り方に憧れを抱いたんです」

 

サクラ君は何故冒険者になったのか?それに対する彼の回答は、シンプルで、あいまいだった。

 

『倒したいヤツがいるんです。そのために、僕は冒険者になりたい』

 

強くなって、サクラ君のいうヤツを倒すこと。でもそれなら、ソーマ・ファミリアである必要はない。

それこそ、強くなりたいならアストレア・ファミリアのほうが余程環境が整っているし、なにより――

 

「このままじゃ、サクラ君が死んでしまいそうで、怖いんです……!」

 

目頭が熱くなる。涙が、零れ落ちる。

だって、あの子は、びっくりするくらいいい子だったんだ。

とても冒険者に向いているとは思えないけど、それでも目標のためにひたむきで、まだ未熟な私のアドバイスを凄く丁寧に聞いてくれて。

隠し事をしているのは分かる。でも、そうやって誰にも心を打ち明けないことで危うさが増しているように、感じる。

今までに担当してきた冒険者とは違って、私がなんとかしなきゃって思っちゃって。

でも、今日は危うく死にかけて。

私にできるのは、少しでも生きる確率を上げることだけだから。

 

「落ち着け、シア」

 

スッと、私の目の前に若草色のハンカチが差し出された。

差し出してくれたのは、勿論アイナさんだった。

 

「まず、改宗(コンバーション)の件だが。まず間違いなく、ヒース君は断る。理由はわかるな?」

 

アイナさんは、私の希望を打ち砕く現実を告げてくる。

でも、それを否定する言葉は私にはない。だって、薄々わかっているから。

 

「……サクラ君は、明確な動機をもってソーマ・ファミリアに入団しています。それを知り、そのうえでアストレア・ファミリアに所属することのメリットを明確にしない限りは、改宗(コンバーション)しないでしょう」

 

おそらくそれが、彼の隠し事の核心だ。

ソーマ・ファミリアには、彼が必要とする何かがあるのだろう。

 

「それが分かっているならいい。あとはそうだな、もう少しヒース君を信用してあげるといい」

「信用、ですか?」

「ああ。確かに今回、彼は死にかけた。だが、彼は今回の経験を踏まえて何らかの対策を講ずるだろう。少なくとも、私がシアから相談を受けたヒースという小人族(パルゥム)の少年は、それだけの生真面目さと用心深さがあったはずだ」

「…………」

 

確かに。

彼に地形戦の重要性を説けば地図の暗記だけじゃなくて待ち伏せ場所のピックアップも行い、ダンジョン・リザードの特徴を教えれば投石という対抗手段を身に着けてから2階層に挑んだ。

そうだ、本来彼は、4階層なんかで死ぬようなタイプじゃそもそもないんだ。

 

「少なくとも私の見立てでは、彼は死ににくいタイプだ。シアの見立ても私と同様だと思っていたのだがな」

「……!そう、ですね。私も、アイナさんと同じ見立てです」

「それなら、もう少し彼を信用してやれ。それでも、見ていられないくらいどうしようもなくなったら、改宗(コンバーション)を提案すればいい」

 

そうだ、私は何を見ていたんだ。

確かにサクラ君は小人族(パルゥム)のこどもで、あのソーマ・ファミリアに所属してソロでダンジョン探索しているけれど。

サクラ君は、それを全て認めたうえで挑んでいるんだ。

彼の危機意識がもともと低くないこと、冒険者になってからはどんどん高くなっていることは私が一番知っているじゃないか。

 

「ありがとうございました、アイナさん」

「気にするな。確かに彼は、見ていて心配になるからな」

 

そう言うアイナさんは苦笑していた。

やっぱり、傍から見ていてもサクラ君はどこか危なっかしいんだ。

 

「そういえばアイナさん、お子さんはいいんですか?もうお帰りの時間だと思うんですけど」

「…………ではな、シア。失礼する」

 

そう言い残してアイナさんは帰って行った。受付嬢の制服のまま、ダッシュで。

……どこか抜けてるんだよなぁ、アイナさんって。

 

「――信用、かー」

 

やっぱり、こども扱いしすぎてる部分があったのかもしれない。

でも、サクラ君、所々本心を隠すところがあるからなぁ。

 

「いつか。いつかは、隠し事を打ち明けてくれる日が来るのかな。……来て、ほしいなぁ」

 

そうすれば、本当の意味で私もサポートができるし、本当の意味でパートナーになれると思うんだ。

だから、いつかくると願う、その日まで。

 

「待ってるよ、サクラ君」




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:ソーマ・ファミリア
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:4階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:76500ヴァリス
冒険者歴:3カ月

怪物教唆(モンスター・キル)による殺人未遂の被害者として、ギルドより少額の補助金が支給された。支給額は、被害者がギルドで換金している平均日収と被害にあった期間、使用物資、事件規模、被害程度等を勘案して決定する。

力 :G 248
耐久:I 96
器用:F 315
敏捷:G 289
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
【     】


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第5話 白と黒 ―VS 神酒―

※7月2日 4:00に追記しました。


「ふっ!」

「ギャァ!!」

 

左足で踏み込み、右手に握った短剣で袈裟切りを繰り出す。

それだけで目の前のゴブリンは胴体が真っ二つになり、崩れ落ちる。

 

「せっ!」

「ギイッ!?」

 

短剣を振り切った体勢から、前に踏み込んだ勢いを殺さぬよう体を前に流すように意識する。

そのまま右足を踏み出し、左から右へと水平を意識して右腕を振り抜く。この時、インパクトの瞬間に右手のスナップを効かせることを忘れないようにする。

すると、ゴブリンの後ろで機会を伺っていた2体目のゴブリンが断末魔をあげた。短剣の手応えから絶命したことが分かる。

 

「はっ!」

「グガアッ!?」

 

右方向に流れる体に逆らわず、握り拳を作った左手を右側から迫っていたコボルトの顔面に向けてコンパクトに振り抜く。

僕の攻撃が終了したと思っていただろうコボルトは、その碌に防御できないまま犬歯を宙に舞わせつつ吹っ飛んでいった。

でも、これで終わりじゃない。

 

「「ガアアッ!!」」

 

3体のモンスターから離れて見ていた2体のコボルトが、僕に吹っ飛ばされた同胞には目もくれずに襲い掛かってくる。

隙を見せた獲物に襲い掛かるその様は、まさに獣だ。

 

「せやぁっ!!」

 

でも、僕が見せたのは隙じゃない。エサだ。

僕の身体は右方向に回転しようとする。

僕は、右方向に回転しようとする体を加速させるように左足のつま先に力を入れて、右方向へギュっと体を絞るようにツイスト回転を加えて跳躍する。

そのまま右足のつま先を腰当たりの高さまで浮かせ、僕の身体に集まっている回転の力を全て右足のかかとへと集めて思い切り振り抜く。

 

「「――アアッ!?」」

 

そうして繰り出された僕の後ろ回し蹴りは、カウンターとなってコボルト達を2匹纏めて蹴り飛ばした。

冒険者として4カ月もの間戦い培ったステイタスは、蹴りだけでコボルト達を絶命まで追い込んだみたいだ。

 

「よし、終わり!」

 

4階層に降り立った直後、僕の目の前で誕生した5体のモンスターとの一戦は僕の勝利で幕を閉じた。

多対一の戦闘も、4階層までのレベルなら少しは慣れてきた。

 

◇◇◇

 

彼女、リュー氏と出会ったあの日。

彼女は、右手に握った木刀を中心に、左手や両足といった四肢を用いた体術を交えてモンスターを蹂躙していた。

そして思った。

彼女の戦い方はとても参考になる、と。

 

『短剣やナイフを使う人は、体術や武術を併用している人が多い』

 

これは、僕のアドバイザーであるフリージアさんの先輩であるアイナ・チュールさんの言葉だ。

彼女がアドバイザーを務めた冒険者の中には現在第一級冒険者として名を馳せている人がいるらしく、だからか言葉に説得力があった。

確かに、今はまだいいものの今後大型のモンスターが出てきた際、短剣でしか攻撃できないと攻撃を受け止められて反撃を受けてしまう。短剣の攻撃力は決して高いほうではないんだから。

短剣の長所である取り回しやすさ、小回りの良さを活かすならば、体術や武術を含めた連撃が最も適したバトル・スタイルということ、らしい。

 

特に僕の場合、短剣による攻撃はこれまでは全て単発、多くても二撃までだった。でも、これからソロでやっていくにはそれじゃ足りないことがあの怪物進呈(パス・パレード)でよく分かった。

それから僕はリュー氏の動きをもとに、短剣と四肢による攻撃を組み合わせた連撃の攻撃パターンを構築していくことにした。

 

 

◇◇◇

 

そうして1カ月。短剣での攻撃にパンチ、キックとリュー氏と比べるのもおこがましいほどの出来だけど、多対一をこなせる程度には出来るようになっていた。

 

「――よし、採るか」

 

ゴブリンとコボルト、計5体の群れとの戦闘を終えた僕は、そのまま魔石の採取に入る。

真っ二つに斬れたゴブリンの胸肉を抉り、首と左腕のないゴブリンの胴体を弄り、顔面の陥没したコボルトの胸を斬り、腹部の破裂したコボルト達の胸肉を捌く。

それぞれの死体から魔石を採取した後には、灰だけがその場に残った。

魔石を抜き取ったモンスターは核を失ったことで灰になる。ダンジョンに入るまでは見たことのなかったある種幻想的な現象も、もう見慣れたものだ。

 

「ホント、比べるのもおこがましいよな……」

 

ふと、気が抜けたのかさっき思ってたことが口に出た。

僕とリュー氏を、比べる。

神殺しを正義とした刃と、人助けに悪の撲滅を正義とした刃を?

 

「ハハッ」

 

ホント、おこがましい。

だいたい、僕のは、違う。

何が正義だ。そんなものは後付けだ。

 

 

 

根本の願いは『あの神を殺したい』だろうが。

 

 

 

「……今日は、帰ろう」

 

自己嫌悪が止まらない。今日はもう、探索に集中できそうにないな。

こんな状態でダンジョンに居たら死ぬ。

少し、休もう。

 

 

 

ダンジョンからの帰り道。

いつもより少ない量しか入っていないバックパックが、やけに重く感じた。

 

 

◆◆◆

 

 

ダンジョンから街に出ると、空はまだ青かった。

 

「……青空だと、なんかいい気分になれない」

 

たぶん『今日も頑張った』感が出ないからかな。むしろ『もう終わり?』って問われてる感じがする。

いや、綺麗なのは間違いないんだけど。

 

「まあ、あんま頑張れてないし」

 

冒険終わりの青空はあんまり好きじゃないことが分かった。

休日ならいいんだけど……

 

「と、2時30分か」

 

広場の魔石時計が指していた時間は、非常に中途半端な時間だった。

だからだろう、広場にほとんど冒険者が居ない。ま、この時間なら居る方がおかしいもんな。

それにしても、2時30分か……

 

「……たまには、いいかな?」

 

最近は結構順調に冒険できてるし、今日も連撃でモンスターの群れを一掃できた。

僕、頑張ってるよね?

じゃあ、たまにはご褒美をもらってもおかしくない。うん、おかしくない。

ていうか、気分転換でもしなきゃやってられない。

 

「よし、いこう」

 

そうと決まれば、さっさと帰らなきゃ。

まずは武具の手入れ。その後体拭いて、着替えて、――

 

 

 

「あれ、あの子は……」

「ええ、おそらくは……」

 

このときの僕は自己嫌悪に陥っていて、かつ自分へのご褒美に浮かれていて、そして僕自身が思っている以上に疲れていたんだと思う。

そんな僕が、あの時広場に居た冒険者に見られていただなんて気付けるはずもなかった。

 

 

◆◆◆

 

中央広場(セントラルパーク)から西南のメインストリートを行き、メインストリートの脇道に入り狭隘な路を歩いていく。

市壁に近い場所に位置する、オラリオの隅っこにひっそりと建てられたその店は、そこにあると知らなければ到底辿り着けない立地条件だ。

平屋だとしても非常に低くこじんまりとしたその店は『小人の隠れ家亭』という酒場である。

以前オラリオの飲食店でバイトしていた際に聞いたことのあったこの酒場は、その特徴から一度来て見たかった場所だった。

 

「ホントに隠れ家のような店だなぁ」

 

ここに来るまでの道のりを思い浮かべながら苦笑しつつ、ギィ、という木製の扉特有の音を奏ながら店の扉を開ける。

すると、中から素早く一人の小人族(パルゥム)店員(ウエイトレス)さんがこちらに近付いてきた。

 

「いらっしゃいませ。御一人様でよろしいですか?」

「あ、はい、大丈夫です」

「かしこまりました。では、カウンターのお好きな席にどうぞ」

 

店員(ウエイトレス)さんの言葉に従って、店の入り口から離れている奥側の席に座る。席に座るときにカウンターの中にいる料理人(シェフ)が向けてくれた微笑みと会釈が、この店が僕を歓迎していると言ってくれているみたいだった。

座った椅子は小人族(パルゥム)の僕に丁度いい高さであり、座り心地も凄く良い。

 

(ああ、小人族(パルゥム)の体格に合わせてコーディネートされてるんだ)

 

よくよく店内を見渡せば、天井の高さや机の高さといった大きさは勿論、椅子の背もたれの形状等は人間(ヒューマン)亜人(デミヒューマン)小人族(パルゥム)の細かな骨格の差異にも対応させた物を使用している。間違いなく、全て特注だろう。

小人族(パルゥム)への細やかな心遣いが、もてなされていると感じることができる。

 

(だからこんな立地でも人は来るのかな)

 

今は午後4時と中途半端な時間にも拘らず、店内は小人族(パルゥム)のお客さんで賑わっている。

悪条件である立地でこれだけ集客できるのは、やはり他種族と比べて蔑視されやすい小人族(パルゥム)が安心できる、小人族(パルゥム)の居場所だからなんだろう。

 

「お客様、こちらが本日のメニューになります」

「あ、ありがとうございます」

 

僕が店内をキョロキョロし終わる頃合いを見計らってくれたのか、丁度いいタイミングで店員(ウエイトレス)さんが僕にメニューを渡してくれた。

 

(料理は一番安いサラダで40ヴァリス、お酒は50ヴァリスのものから高いもので6000ヴァリスまでか。値段設定からして冒険者だけがターゲットじゃないんだな、ここ)

 

オラリオには冒険者であろうがなかろうが、様々な種族の人間が集まる。

冒険者でない小人族(パルゥム)もお客様と想定してるのだろう。

まだ夕食には早い時間帯ということもあり、僕は40ヴァリスのサラダと60ヴァリスのジャガイモのパンケーキ、それと120ヴァリスの果実酒を注文する。

純白のヘッドドレスと給仕服で身を包んだ愛らしい外見の彼女は、注文を承った後にペコリと音のつきそうな動作で頭を下げてカウンターの奥に入っていった。

店員(ウエイトレス)さんの対応といい料理人(シェフ)の対応といい、非常に感じのいい印象を受ける。

 

(うん、たしかに居心地がいいな)

 

尊重されている。小人族(パルゥム)同士であるからこそ、そのことがより嬉しく思えるのかもしれない。

同族ならではの安堵、というものなのかな。

 

「お待たせしました。こちら、サラダとパンケーキに果実酒となります」

「ああ、ありがとうございます」

 

そんなことを考えているうちに料理が運ばれてきた。

一目見て新鮮だと分かる葉野菜にトマトの赤色がアクセントとなった、彩り豊かなサラダ。ジャガイモの土の香りがほのかに漂う焼きたてのパンケーキ。芳しい香りのする木製の酒瓶になみなみと入った、果物の新鮮な香りとアルコールのツンとした香りが漂う果実酒。

とても美味しそうな料理の数々は、半日程度とはいえダンジョン探索で疲れている僕の食欲をおおいに刺激する。

 

「いただきます」

 

久々の外食だ。楽しまなきゃ。

 

 

◇◇◇

 

 

「――ふぅ。美味しかった」

 

サラダとパンケーキはそれぞれとても軽い味で食べやすいこともあり、あっというまに平らげてしまった。

食べ始めてから今までの20分、とても幸せな時間を過ごせたと思う。

少々値は張るが、たまにはこんな食事もいいものだね。

 

「っ!プハー、あーおいしー!」

 

木製のコップに注がれた果実酒を呷ると、甘酸っぱい果汁と少量のアルコールが僕の口内に幸せを齎してくれる。

うん、幸せだ。

アルコールが少し回ったのか、頭も少しぼうっとしている。

 

「……きれいだったなー」

 

そんな僕の頭に浮かんできたのは、1カ月前のあの光景。

疾風のようにモンスターの群れを縦横無尽に駆け巡り、一網打尽にしたリュー氏の姿だった。

 

「かっこよかったな……」

 

モンスターに殺されかけていた弱者(ぼく)を助ける姿は、まるでお伽話に出てくる英雄のようで。

苦難の末に身に付けた力を助けるために使うその姿は、凄くかっこよかった。

 

「……あの時、彼女のように助けたいと思ってしまった。リュー氏の生き方に、憧れた」

 

色で例えるなら純白。

モンスターだけでなく人間の悪意(くろ)に立ち向かう正義の冒険者。

弱きを助け悪を裁くその(さま)は、とても魅力的だった。

でも、僕は――

 

「黒。――を殺すために冒険者になった僕の生き方は、ただ黒い」

 

だから僕がリュー氏に、彼女に憧れるのは間違っているのだろう。

冒険者になった目的と彼女の生き方はあまりにもかけ離れている。そう思っていた。

だけど、もしかしたら。

 

「黒でも、白になれるかもしれない」

 

初めてゴブリンを倒した時、僕は高揚を感じた。

初めてダンジョンから出た時、茜色の空に感動を覚えた。

ステイタスを更新した時、これまでの努力が認められたことに充実感を得た。

斬撃、刺突と少しでも短剣を使いこなせるようになった時、純粋に喜びを感じた。

 

これらは全て、僕の目的とは関係のない所で生まれた、でも今確かに僕が感じている生きがいだ。

そして、この生きがいは、たぶん。

 

「生涯を費やすには、十分すぎる生き方だ」

 

ここにリュー氏の(さま)悪意(くろ)に立ち向かう白の生き方を重ねても問題はない。

いやむしろ、身に付けた技や強さが他の誰かのためになるんだ。それは間違いなく、素晴らしいことだろう。

じゃあ、それなら。

 

「そもそも神を、――を殺す必要なんて――」

 

 

 

 

 

「すまない、隣を失礼する」

 

ふと、僕の横から声を掛けられた。

酒に任せて耽っていた思考、心に向けていた目をかぶりを振ることで外へと戻す。

声の方向を見ると、小人族(パルゥム)の夫婦が僕の方を向いて軽く頭を下げていた。

 

 

 

ええ、どうぞ。

 

とは言えなかった。

 

 

 

「何か、御用でしょうか?」

 

この二人、見覚えがある。

男性は、小人族(パルゥム)用にフィッティングされた光沢のある黒のスーツを着ていた。

女性は、スーツ姿の男性の隣に居ても可笑しくない程には華やかな紫色のドレスを着ていた。

式典に出るというよりはオシャレなデート服、と言ったところか。

ということは、彼らを見た際は違う服装。そして、彼らの纏う雰囲気からして冒険者。小人族(パルゥム)の夫婦で冒険者の顔見知り……――!

 

「いや、用と言う程ではないのだが。少し話をしたいと思ってね」

 

そう言いつつ僕の隣に腰掛ける、彼等は。

 

「ソーマ・ファミリアの少年よ」

 

ペロー・アーデとトレイメン・アーデ。

ソーマ・ファミリアの冒険者だ。

 

 

◇◇◇

 

 

「ああ、安心してほしい。キミのことは他の誰にも話していない。本当だ」

 

ほがらかに、誤魔化すように弁明するのは、ペロー・アーデ。

思考と身体、両方が硬直した僕をほぐすように言葉を紡ぐ。

 

「ただ、以前にホームでキミのことを見かけたんだ。その時のキミの姿が印象に残っていてね。今日キミを見かけたものだから、少々話をしたいと思って話しかけた次第だよ」

「主人の言っていることは本当よ。貴方にとって害になるようなことは、決してしていないわ」

 

ペロー夫君に続いてトレイメン夫人も言葉を紡ぐ。

彼等の言葉から察するに、ステイタス更新のためにホームに訪れた姿を見られたみたいだ。

でも、ファミリアの冒険者がいない時間を見計らったはずなんだけど……

 

「私と主人にはこどもがいるの。まだ6歳の女の子でね、その日はあの子が怪我をしてしまったから昼頃にはダンジョンからホームに帰ってきてたのよ」

 

トレイメン夫人の言葉を聞いて思い出す。

リリルカ・アーデ。

出生率の低いソーマ・ファミリアで唯一10歳を下回る、女の子だ。

噂では既に何らかの手段でお金を稼がせているらしかったが、この様子だとダンジョンに連れて行っている可能性が高い。

つまり、何らかのトラブルでいつもより早くダンジョンから帰ってきていた彼等は、無人であるはずのホームに僕が居たところを見たというわけか。

いや、でも。

 

「僕がホームに居る時は、姿は隠していた筈だけど……?」

 

そう、僕が神ソーマにステイタス更新をお願いする際は、念には念をと思って黒のローブで身を包んでいる。

小人族(パルゥム)ということは外見からでも分かるかもしれないけど、僕を特定出来たのは何でだ?

 

「ああ、やっぱり気付いていなかったんだな」

「???」

 

僕が疑問に思っていると、ペロー夫君は苦笑しながらそう言った。

奥の席を見ると、トレイメン夫人は微笑ましいとでも言うように僕を温かい眼差しで見ていた。

気付いていない?なににだ?

 

「貴方、背筋がピンと伸びていたのよ」

 

僕に微笑みを向けていたトレイメン夫人がネタばらしをするかのように話してくれる。

背筋?……!!

 

「気付いたみたいだね。小人族(パルゥム)で背筋が伸びている、堂々と歩くことのできる者はそう多くはないんだ。下級冒険者や『神の恩恵(ファルナ)』無しともなれば、その数は激減する」

「ましてやソーマ・ファミリアの中、ですもの。違和感だらけでしたわよ」

 

そうか。小人族(パルゥム)である僕が堂々と歩く、それがそもそもおかしいんだ。

そんなことにも気付かなかったなんて……!!

 

 

『フィアナ』信仰の衰退。

長所であった『勇気』さえも失った小人族(パルゥム)は、堕ちに堕ちた。

本能的に劣等感を感じてしまった小人族(パルゥム)は、自然と頭を垂れることが増えていった。心に体が引き摺られるように。まるでそれが当たり前のように。

ランクアップを果たした者や何かしらの職に就いて自信を取り戻した者は別だが、それでも小人族(パルゥム)、ましてや酒に溺れたソーマ・ファミリアの小人族(パルゥム)で背筋が伸びているというのはよくよく考えなくても違和感がある。さらに、僕の装備は駆けだし冒険者のものだ。

ローブを纏ってはいたものの背筋の伸びた、しかし所作自体は拙い小人族(パルゥム)。背筋の伸びた、しかし恰好が駆け出し冒険者の小人族(パルゥム)

その二つが同一人物であることを見抜くなんて、容易いだろうに。

 

「……僕は訳あってソーマ・ファミリアの人達に存在を知られることを避けています。どうか、僕の存在を他言しないでいただけないでしょうか」

 

そう言って僕はアーデ夫妻に頭を下げる。

ここで他の団員に、それこそ団長にでも僕の存在が伝わればおしまいだ。

既にアーデ夫妻に僕の存在がばれている以上、僕に出来ることは頼むことしかない。

今の僕には、彼等を出し抜けるだけの腹芸なんてできやしないんだ。腕ずくで黙らせるなんてのも5階層にも進出できていない僕に出来る手段じゃない。

ここで、アーデ夫妻に縋るしかないんだ……!!

 

「……分かった。だが、条件がある」

 

僕の頭上から聞こえてきたのは、そんな声だった。

 

……なんとなく、そう来るとは思っていた。

彼等は初めに言っていた。

『キミのことは他の誰にも話していない』。『貴方にとって害になるようなことは、決してしていないわ』。どの言葉も、過去形だ。

『これからもしない』とは、一言もいっていない。

 

「キミは、神酒(ソーマ)に溺れていないね?それの是非と、是である場合はどうして神酒(ソーマ)に溺れていないか。その理由を教えてくれ」

「それさえ教えて頂ければ、私達は貴方の存在を誰にも話しません」

 

でも、これは想定外だ。

僕は思わず頭をあげ、アーデ夫妻の顔をまじまじと見てしまった。

ペロー夫君も、トレイメン夫人も、張り詰めた表情で僕を見ていた。

 

(僕が神酒(ソーマ)に酔わない理由?彼等は、ソーマ・ファミリアからの改宗(コンバーション)を目指しているのか?でも……)

 

正直、神酒(ソーマ)に酔わない方法を見付けたところであの団長がみすみす改宗(コンバーション)を見過ごす筈がない。それは僕よりも彼等の方が分かっているだろう。

じゃあ、この質問の意はなんだ?

 

(――いや、何にせよ僕に答えないという選択肢はない)

 

幸い、僕が酔っていない理由自体は目的に支障のない範囲で話すことができる。

なら、ひとまず話してみよう。話はそれからだ。

 

「分かりました、お話します。まず、僕が神酒(ソーマ)に溺れているか、という質問の答えは否です。僕は神酒(ソーマ)に囚われていません」

 

先程の質問からして僕の答えは予想していたのだろう。だがそれでもアーデ夫妻は驚愕を隠しきれていなかった。

 

「……神酒(ソーマ)を飲んだ際、神の恩恵(ファルナ)は既に授かっていたのか?」

「いえ、僕は神酒(ソーマ)を飲んだ後に神の恩恵(ファルナ)を授かりました」

「――何をどうすれば、神の恩恵(ファルナ)無しで神酒(ソーマ)に抗えるの……?」

 

思わず、といったふうに話に割り込んできたトレイメン夫人の声は、震えていた。

予想していても、やはり信じられないのだろう。神酒(ソーマ)を飲んでいるがゆえに、あの絶対的な幸福感に抗えるイメージすら湧かないのだろう。

でも、僕にとっては違う。

 

「どうやって、という程のことでもないですがね。とりあえず、僕が初めて神酒(ソーマ)を飲んだ時のことをお話します」

 

僕は、神酒(ソーマ)に溺れることが、負けることが許されなかっただけなのだから。

 

 

◆◆◆ ◇◇◇

 

あれは、銀髪の女神が彼を連れ去ってから1週間後のことだった。

もともと飲食店のバイトとはいえオラリオで暮らしていた僕は、ファミリアや神に対する最低限の知識は得ていた。

彼が連れ去られて独りになったあの日。僕はバイトを辞め、1週間もの間ソーマ・ファミリアのホームの近くに滞在して団員の動きをつぶさに観察していた。

だからこそ、ファミリアの構成員と会うこともなく、神ソーマと一対一で会うことができたんだ。

 

「……誰だ、お前は」

 

それが、神ソーマの初めの言葉だったと思う。まあ、自分のホームに見知らぬ小人族(パルゥム)が居たんだ。当然の反応だろう。

 

「僕を、貴方の眷属にして下さい」

「……入団希望なら、私の眷属に言え」

 

神ソーマは、趣味神だと言われていた。

その所以の一つとして、酒造り以外の全ての事柄を雑務とし、雑務を全て眷属に委任していることが挙げられる。

だからこそ、この返答も予想できた。そして、それでは駄目だということも。

 

「いえ、僕は貴方の眷属に知られることなく入団を希望します」

「……知らん。私は忙しい――」

 

「そうでなければ、神に勝てないから」

「――何だと?」

 

喰いついた。

僕は以前、神ソーマが眷属に自身の造った酒を振る舞っていると聞いたことがあった。

そのあまりもの美味しさに、眷属がみな心を奪われているということも。

そして現在神ソーマは、酒を造る以外の全てのことを眷属に委任していることから、眷属に何の思い入れもないことが分かる。

そこから、僕は想像した。

 

――神ソーマは、もう(・・)人間に興味を抱いていない

――神ソーマは、人間を見下しきっている、と。

 

その想像は外れていなかったみたいだ。

 

「僕は神に勝ち、神を殺す。そのために、貴方のファミリアの一員になりたい。神ソーマ、貴方以外の誰にも知られることなく」

 

これは、僕の本心だ。これからの一生を神殺しのために費やすという、決意表明だ。

言葉を紡ぐごとに心が燃え盛るのを感じる。

ラキアのキチガイ共が放った炎よりも強く、大きく、激しく、黒く、燃え盛る。

 

「御託はいい。お前今、神に勝つ、そう言ったな」

「はい」

「不可能だ。『神の恩恵(ファルナ)』を与えたところで酒に溺れるお前達が、戯言をほざくな」

 

戯言か。僕の目的が、燃え盛る炎が、生涯を掛けて放った決意が、戯言か。

――上等だ。

 

「戯言かどうか、試してみるか?」

「何だと?」

「僕の目的が戯言かどうか。全てを掛けて告げた決意が、この燃え盛る心が、酒如きに溺れるかどうか。試してみるかと言っている」

 

酒如き。

僕がそう言った瞬間、ソーマからとてつもない怒気を感じた。

当然だ。僕は侮辱したのだから。この神が途轍もない年月を費やして造り上げた神の酒と言われる、『神の力(アルカナム)』の一切混じっていない至高の作品を、『如き』と言ったのだから。

だが、それは僕も同じ。

12年という僕の人生を根こそぎ燃やしたことへの殺意、唯一残った彼を目の前で歪ませたことへの殺意、それらをコイツは『戯言』だとほざいたんだ。

侮辱して、何が悪い。

 

「――飲め。そして言ってみろ。『神に勝つ』と。『神を殺す』と。酒を飲むことよりそれらを望むと、そのうえで私のファミリアに入りたいと、そう言えるものなら言ってみろ」

 

殺気すら滲ませたソーマが僕に差し出したのは、杯。

憤怒の形相とは裏腹に丁寧に注がれ、扱われたその杯を手に取ると、中には透明の液体が入っていた。

受け取った杯を口に近づけようとした、その時。

 

――幸せを、感じた。

 

(っ!?!?微かに嗅いだ香りだけで、これか……!!)

 

分かっているつもりだった。でも、実際目の当たりにすると驚かずにはいられない。

鼻を近付けて嗅いだわけではない。空気に混じり微かに漂う、ただそれだけの残り香とさえ言えないような香りで問答無用の幸せを叩き付けてきた。

 

(実際に飲めば、どれだけの幸福が待っているんだろうな……)

 

これが、神が長きに渡り研鑽を続け完成させた物。

人間では『神の恩恵(ファルナ)』があろうと到底辿り着けないと噂される、まさしく神の一品。

神の、作りし物。

 

「っ!!」

 

これ以上考えたら怖気づくだけだ。

近付く杯から押し寄せる幸せに手を止めず、何とか神酒(ソーマ)を口に注ぎ込む。

 

――世界から、色が消えた。

――世界から、音が消えた。

――味覚と嗅覚以外の全てが、僕から抜け落ちた。

 

全てを呑みこむような陶酔感。頭が真っ白になった。嫌なことは何もかも、忘れさせてくれた。

凄まじいまでの心地よさ。これが幸せというものだ、と突きつけられているかのようだ。夢や目的等より遥かに良い幸福を、与えてくれた。

美味い。幸せだ。もうこれさえあれば、何も必要ない。

頭が、心が真っ白になっていく。それは、とても澄んだ白色。思考、感情、感覚、それらは神酒(ソーマ)を味わい感じることだけに使えと、命じてくる。白に染まれと、命じてくる。

美味い、と幸せ、の2つが僕の全てを塗りつぶしていく。

神酒(ソーマ)を含んだ口から掌の指先へと、足のつま先へと、脳の天辺へと白が広がっていく。

僕は、今、白になっている。

僕の表情筋が、口角を歪めようとする。

顔に満面の笑みを浮かべることを要求する。

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

笑顔?

 

僕が、神の一品で、笑顔?

 

――僕の村は燃えた。キチガイ共の放った炎の熱さを。齎した絶望を。奪われた思い出を。消えた故郷を。僕は、知っている。

 

――父は死んだ。母は死んだ。妹は死んだ。遺言を残すことなく、死んでいった。崩れる家屋に巻き込まれ、悲鳴を上げ、押しつぶされていった。潰れきった父の肉塊を、顔の潰れた母の死に様を、喉の潰れた妹の死に顔を、僕は、知っている。

 

――忘れない。神アレスの王国ラキア。貴様らの暴虐を、僕は忘れない。

 

――僕は彼とオラリオまで逃げてきた。たった一人、故郷で死ななかった僕以外の友達。神を憎み、神を恨み、けれどもう神と関わらないと誓い合った、僕の友達。

 

――その誓いを、その恨みを、その憎しみを、彼の心を、一瞬で歪ませたその瞬間を、僕は知っている。人が変わる瞬間を、歪む瞬間を、僕は知っている。

 

――『私のファミリアに入りなさい』『はい、貴女に付いていきます』その瞬間、彼の心は終わった。神に歪められた。

 

――忘れない。神フレイヤ。貴様の気まぐれを、僕は忘れない。

 

ソーマの神酒(ソーマ)に屈するということは、神に歪められるということだ。

 

アレスの軍隊に蹂躙されるように。

 

フレイヤの美貌に狂わされるように。

 

神に負ける、そういうことだ。

 

また、負けるのか?

 

 

 

 

 

「ふ、ざ、けるなあぁーーーーーー!!!!!!」

 

 

 

 

 

ゴウッッッッ!!!!!!

 

 

 

殺意が、黒の炎が心を火種に燃え上がる。

 

熱い。暑い。アツい。

 

燃え盛る黒い炎が心臓から血流に乗って体全体に広がっていくのを感じる。

 

幸福で満たされていた、白に染められた僕の身体を血流に乗った黒の炎で再度塗りつぶす。

 

神酒(ソーマ)を飲む前よりずっと強い黒の炎で、僕の身体を支配する。

 

全身を満たしてなお燃え盛る殺意の炎は、もう体の内側に収まらない。

 

「神に勝つ」

 

殺意の炎が、言葉と共に溢れだす。

 

「……何だと?」

 

ソーマが驚愕を顔に浮かべて問い直す。

その顔が癪に障る。際限なく燃え盛る殺意を抑えることなく、言葉に乗せる形で垂れ流す。

 

「神に勝つ。絶対に。必ず。神を殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。酒?酒が齎すのは一時の幸福だ。で、僕が一時のために殺意を捨てるとでも?ましてや、神の造りし物に負けるとでも?――それだけは、ありえない。僕は神に負けない。神に勝つというこの想いだけは、負ける訳にはいかない。負ける訳には、いかないんだ!!」

 

確かに、今の僕では物理的には勝てないだろう。

僕は、戦ったことがない。冒険者や軍隊を持つアイツラに勝てる筈がない。

だが、心は別だ。

勝つ。殺す。そのために全てを費やす。この想い、決意だけは、神にだろうと負けない。いや、神にだけは、負ける訳にはいかない。

 

「僕は『神酒(ソーマ)』に溺れない。神に勝ち、殺す。そのために、僕の存在をファミリアの構成員に知らせることなく入団させろ――これでいいか、神ソーマ」

 

僕は、強くなる。何年かかろうと、何十年かかろうと、必ず強くなる。

身を隠し、器を昇華させ、自分の力を蓄えていく。

殺意の炎を燃え上がらせ、殺意の刃を砥ぎ、必ずやアイツラを燃やし、殺す。

そのために、まずは。

お前のファミリアに入れろ――ソーマ。

 

 

◆◆◆ ◇◇◇

 

 

「んーと、まあこんな感じですかね」

 

僕はあの時の記憶を掘り返しつつ、感情の種類が殺意であることやその対象が神であること等知られてはいけない個所だけぼやかして神酒(ソーマ)に勝った経緯を伝えた。

 

「…………なん、と……いう…………」

「…………………………………………」

 

苦笑する僕に反して、ペロー夫君は呻き声をあげ、トレイメン夫人は言葉を発することができないでいた。

二人とも、僕に対して恐怖を滲ませていた。

 

(そんなに怖いことなのかな?)

 

銀髪の神に狂わされて以来、碌に自身の心情を打ち明けてこなかった僕には、この時の自分が他の人から見てどう映るか正直分かっていなかった。

でも、彼らの反応を見る限りだと、普通ではないことは良く分かった。

 

(まあ、こういうことが出来てたら今のソーマ・ファミリアはないのか)

 

結局、ソーマは約束通り僕を入団させてくれた。他の眷属に知らせることなく、定期的なステイタス更新を約束したうえで。

もし、僕のように神酒(ソーマ)に溺れない人がいれば、ソーマ・ファミリアは神ソーマがファミリアの経営にもっと身を乗り出していたことだろう。

あの神は、かつて自身の造り上げた至高の酒を褒美として僕達人間に振る舞うくらいには愛を持っていたのだから。

 

「つまり神酒(ソーマ)に溺れないようにするには、『絶対に負ける訳にはいかない!!』的な何かを心の底から願う、てのが方法になるかと思います」

「…………それが出来れば苦労しない、というのが正直な感想だな」

 

僕の提案はペロー夫君に苦笑で返されてしまった。トレイメン夫人に至っては未だ言葉を発せれていない。

……とりあえず、これで黙っていて貰えると良いのだけど。

 

「……分かった。話してくれてありがとう。約束通り、私達はキミの存在を他言しない。いいな、お前」

「……ええ、そうね。私も誓うわ」

「ありがとうございます!」

 

良かった。

こんなとこで目的が潰えることが無くて、本当によかった。

 

「……貴方、この子になら……」

「ああ、俺もそう思っていたところだ」

 

僕が肩の力を抜いて安堵していると、何やら二人は頷き合い決心した面立ちで僕に話掛けてきた。

 

「……なあ、もう一つ、私達のお願いを聞いてくれないか?」

「……なんでしょうか?」

 

再度張り詰めた空気を感じながらも、ペロー夫君の話の先を促す。

少しの嫌な予感を感じながらも、彼は口を開いた。

 

 

 

「私達の娘であるリリルカのことを、助けてやってくれないか?」

「……はい?」

 

話が唐突すぎて、何を言っているのか理解できなかった。

何故自分達の娘を、初対面の僕に任せるようなことを?

 

「先程も少しお話しましたが、私達は娘を、リリルカをダンジョンに連れて行っています。少しでも利益を増やすために、サポーターとして」

 

……確かに彼女は言っていた。6歳の娘が怪我をしたからダンジョンから帰ってきた、と。

2人ともダンジョンに居たにもかかわらず、何故娘が怪我をしたと分かったのか。

その答えは単純明快。娘もダンジョンに居て、怪我をするさまを見ていたのだから。

 

「だが当然、6歳の娘がダンジョンに潜って無事で居られる筈がない。ましてやリリルカは戦闘に関するセンスがないからな。ストレスも相当なものだろう」

「今の状況で既にボロボロなのです。このまま私達に使われていれば、間違いなくあの娘は壊れてしまいます」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

彼等の言っている言葉の意味が分からない。

 

「それなら、何故貴方達は娘をダンジョンに連れて行くのですか?」

「その答えは簡単だ。リリルカを連れて行った方が稼ぎが良いからだ」

「あの娘はサポーターとして優秀なスキルが発現しています。たとえ戦闘で足手纏いとなり、ポーションを使うことになったとしても、それを取り返すだけの働きをするのです」

 

違う。そういうことを聞きたいんじゃない。

何かが決定的にずれている。

 

「貴方達は、リリルカさんに傷ついて欲しくないんですよね?」

「ああ、勿論だ」

「ええ、そうです」

 

何を当たり前のことを、とでも言うかのように彼等は言った。

正直、イラッときた。

 

「それなら、利益云々関係なく連れて行かなければ良い話でしょう!」

 

そう、それだけの話だ。僕に頼む必要なんて欠片もない。

 

「それは、できないんだ」

「なんでですか!?」

「私達は、リリルカと接する時に金のことを考えてしまうからだ」

「あの娘が利益に繋がると分かっている以上、お金への欲望に逆らうことは出来ないんです」

「……何を、言っているんですか?貴方達は」

 

実の娘より金が大事?確かにそういう人はいるかもしれない。到底理解できないけど。

でも、今おかしいのはそこじゃない。

 

なんでこの人達は、娘を助けてほしいと僕に頼んだんだ?

彼等の言い分だと、娘に傷ついて欲しくないなんてとても思えない。

 

「ああ、キミからしたら私達の言い分は支離滅裂なのだろうな。すまない」

「簡単に言ってしまうと、私達は神酒(ソーマ)に魅了されたのよ。骨の髄まで、どうしようもないほどに」

 

ソーマ・ファミリアの構成員は皆、神酒(ソーマ)に魅了、つまり酔っている。

神ソーマは、その神酒(ソーマ)をファミリアへの納金の褒美として振る舞っている。その結果、ソーマ・ファミリアの構成員はより多く納金するため、より多くの神酒(ソーマ)を飲むためにあらゆる手段を使って金策を張り巡らすようになった。

ペロー夫君とトレイメン夫人も、その例に漏れなかったというわけだ。

だからこそ、この話はおかしい。

 

「じゃあなんで、貴方達はリリルカさんに傷ついて欲しくないと思うんですか?」

 

ソーマ・ファミリアの構成員で幼子に金を求める人は他にもいる。

でも、その人達は皆幼子に傷ついて欲しくないなんて欠片も思っていないだろう。

その人達の頭の中は、隅から隅まで神酒(ソーマ)に支配されているだろうから。

 

「……私達は、リリルカが生まれたときに思った。この娘は、絶対に守ると」

「だからこそ、神酒(ソーマ)から逃れようと思ってファミリアからの脱却を試みたこともありましたわ。結果はご覧の有様ですが……」

 

おそらく、団長であるザニスの進言で神酒(ソーマ)を飲まされたんだろう。

そして、心を折られた。

 

「それでも、リリルカを育てるための時間、金、手間は作った。たとえ納金の額が足りなくて神酒(ソーマ)が飲めなくても、そこだけは譲らなかった」

「決して誇れるような生き方ではないでしょうが、それでも私達なりに神酒(ソーマ)の誘惑に抗い続けました。あの時までは……」

 

………………ああ、ああ、もしかして。

 

「『サポーター(荷物持ち)としてなら使えるんじゃないか?』と、思ってしまったんですか?」

 

ソロでダンジョン探索をしている僕には、その気持ちは痛いほどに分かる。

戦闘なんて出来なくていい。守る労力を割いてもいい。ただ、荷物を、戦利品を持っていてくれる存在をどれだけ望んだことか。

ある程度動けるようになった我が子を見て、彼等は思ってしまったのか。我が子が、金になると。

 

「……ああ。それからは地獄だった。それまではリリルカの存在は直接的な利益に繋がらなかった。だからこそ、金に捕らわれることなく愛情だけで接することが出来ていた。だが、私達はリリルカと利益を繋げてしまった」

「あの娘と会っていない時は正常な思考で居られるのです。でも、あの娘と面と向き合うと駄目なんです。私達は、お金が絡むと、もう駄目なんです」

 

つまりは、神酒(ソーマ)か。

神酒(ソーマ)に抗えなかった彼等は、娘への愛さえも神酒(ソーマ)に塗りつぶされかけたんだ。

でも、それでもなんとか、娘と向き合っていない時は娘のことを思いやれる。だからこそ、今、僕に頼んだのか。

同じファミリアであり、神酒(ソーマ)に捕らわれていない僕に。

 

「具体的に、僕に何を望みますか?」

 

といっても、望みは決まっている。

神ソーマに神酒(ソーマ)を振る舞わせないようにすること。それか神酒(ソーマ)の酔いを醒まさせる何かを作ってもらうことだろう。

だが、それはできない。そうすれば、ソーマ・ファミリアに秩序が戻ってしまうから。

 

「「私達が死んだ後、娘を雇ってほしい」」

 

そんなことを思っていたから、僕は本当に驚いた。

雇ってほしいというのも勿論だけど、その前の言葉だ。

 

「死んだ、後……?」

「ああ、私達は近いうちに死ぬ。おそらく、持って半年だろうな」

 

何を言っているか分からない。なんで、そうなる?

 

「私達の最高到達層は7階層です。そしてもう、これ以上下へと進むことはできないでしょう。これが、私達の限界です」

 

限界。たぶん、これ以上ステイタスが上昇しないということだろう。

ある一定の境で全くステイタスが上がらなくなる人がいると聞いたことがあるけど、彼等はまさしくそうなのだろう。

だけど、先に進めないことと死ぬことはイコールにならない。

 

「だけど、私達は先に進むでしょう。そのほうが、お金を稼げますから」

「現に今も、8階層への階段の前で何とか耐えている。行けば死ぬ、そう分かっていても行きたいと思ってしまう。この思いに耐えることが出来るのは、持って半年だと私達は考えている」

 

……ここまで、なのか。

そこまで、神酒(ソーマ)は人を駆り立てるのか。

勿論、ここまでの人はそうはいないと、思う。現に、ファミリアの中でも酔いに支配されない人は団長であるザニスや古参であるチャンドラをはじめ、数人知っている。

でも、ここまで支配される人がいるというのを、僕は知らなかった。

 

「勿論、死ぬときはリリルカをダンジョンには連れて行かないさ。どれだけ落ちぶれようが、そこだけはやり遂げてみせる。だが、このまま私達が死ねばリリルカは独りになってしまう」

「独りになったリリルカは、他の冒険者のサポーターとしてしか生きる道はないでしょう。ソーマ・ファミリアで戦闘の才能がないあの娘には、それ以外の選択肢がないんです」

「選択肢が、ない?」

「ああ。たとえリリルカにその気はなくても、神酒(ソーマ)を飲む機会はいずれ訪れる。そうすれば神酒(ソーマ)に酔う可能性は高いと言わざるを得ない。リリルカの親である私達がこのザマだからな」

神酒(ソーマ)に酔えばお金を欲します。幼いあの娘が納金するほどのお金を稼ぐには、それこそサポーターしかありません。そして、幼いあの娘を雇うとしたら、私達がサポーターとしてあの娘を使っているのを知っているソーマ・ファミリアの構成員ぐらいでしょう」

「だが、うちのファミリアの人間がリリルカに対してとる言動なんて予測できる。慈悲のない搾取、それ以外に考えられない」

「だからこそ、ソーマ・ファミリアの内情を知っていてかつ神酒(ソーマ)に酔っていない、ソーマ・ファミリアの人間に存在を知られていない貴方に頼みたいんです」

 

つまりは、こういうことか。

神酒(ソーマ)に支配された自分達では、娘であるリリルカを金のために使うことしかできない。

そして、遠くないうちに2人は死ぬ。それが確定された未来であるかのところまで、彼等は神酒(ソーマ)に犯されてる。

しかし、彼等が死んだ後リリルカは独りになってしまう。まだ6歳であり戦闘のセンスもないその娘は、このままでは搾取されるサポーターの未来しかない。

それならせめて、まともな冒険者のサポーターとしてやりたい。

……悪い話では、無いと思う。

一番の懸念だった、僕の存在がファミリア内に知られるということは問題ない。リリルカのほうが切羽詰まっている状況になるし、まだ6歳の幼子だ。

口で言いくるめればいいだけの話。

そして何より、サポーターの存在は僕にとってプラスになる。

 

「キミが自身の存在を秘匿したがっているのは承知している。だから、リリルカには素性を明かさなくても構わない。サポーターとして雇う期間もキミの好きにしていい。ただ、出来れば、少しでもリリルカが当たり前のように金を稼げる居場所になってやってほしい。私が望むのは、それだけだ」

「どうか、お願いできないでしょうか……!!」

 

 

◆◆◆

 

 

「ただいまー」

 

『小人の隠れ家亭』での食事と話し合いの後、僕はまっすぐ家まで戻ってきた。

魔石時計を確認すると、午後7時を示していた。

 

「結構話し込んでたんだなー」

 

僕の存在を秘匿してもらえることになった後、聞いた話は正直信じがたいものだった。そして、悲しすぎるお願いだった。

 

『どうか、お願いできないでしょうか……!!』

 

トレイメン夫人の懇願に、僕はあの時、はい、と言えなかった。

何故ならその願いを完全に叶えるためには、僕の目的を犠牲にする必要があったから。

本当は、僕が神ソーマに頼み込んで何かしらの対応をしてもらうのが一番なんだろう。僕は今、神ソーマに言葉が届く場所に近い所に居るのだから。でも、僕にそれはできない。

今の、秩序が無いファミリアであるからこそ、僕の存在が秘匿されやすいのだから。

そんな、僕自身のエゴで幼子1人を手助けすることに承諾できなかった。

 

「リュー氏なら、絶対に引き受けたんだろうな……」

 

そして必ず手を尽くす。自身の被る多少の不利益など目もくれず。

弱者の願いを聞き入れないなんて選択肢がそもそも、彼女にはないと思う。

だからこそあの人に、憧れたんだ。

でも。

 

「…………どうしようかなー」

 

僕はあの時、いいえ、とも言わなかった。

その願いは目的に、神を殺すのに不具合が生じる可能性があるにもかかわらず。

気の迷い、なのだろうか。

 

「……僕は黒だ。神を、――を、殺したい。生涯を掛けてでも成し得たいことだ、この目的は。この願いは」

 

冒険者の生き方だけでは絶対に満足できない。

神を、――を殺すために生きないと、僕は耐えられない。

それを今日、あの日の記憶を遡ったことで思い出した。

でも、それだけじゃないとも、思った。

 

「この(さつい)は絶対に捨てられない。でも、あの(せいぎ)を諦めることもしたくない」

 

だからこそ、僕は保留にした。アーデ夫妻の悲しすぎるお願いを。

 

「幸い、まだ時間はある、とは思う」

 

といってもこの時間も曖昧なものだが、あると信じたい。それまでに。

 

「決めないとな。生き方を」

 

(さつい)を宿して生きるか、(せいぎ)を宿して生きるか、はたまた別の道か。

 

「……寝よう」

 

そう簡単に決められることじゃないのは分かる。

とりあえず、今日は寝て。

明日また、ダンジョンに潜ろう。




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:ソーマ・ファミリア
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:4階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:107800ヴァリス
冒険者歴:4カ月

ギルド支給品である短剣および胸当ての総額は10,000ヴァリス。
冒険者となって1カ月が経過した時点で所持金に余裕が出たこともあり、ギルドへと返済した。

力 :F 312
耐久:H 118
器用:F 381
敏捷:F 346
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
【     】


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