俺ガイル短編集 (エコー)
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材木座義輝
やはり我の青春ラブコ……げふんげふん。


高校二年、奉仕部に強制入部させられた比企谷八幡。
その裏で暗躍を目論む男がひとりーー


 

 

 青春とはモチである。

 (われ)の絵巻物には存在しない言葉、すなわち絵に描いたモチであるのだ。

 もっと言及すれば、まだモチですらない。半殺し程度の牡丹餅(ぼたもち)でしかない。

 あんこではなく、きな粉の方だ。

 ところで古事によれば、信州では牡丹餅を半殺し、モチを皆殺しと云うらしい。ならば蒸かし立てのおこわや赤飯は何と呼称するのだろう。

 それはさて置き、赤飯である。

 たとえモチになれなくても、あんこやきな粉をまぶして貰えなくとも、うるち米の様に普段食卓に上がることは無くとも、祝言や寿ぎなど目出度(めでた)き席では必ずと云う程に振舞われる、あの赤飯。

 その存在感は他を圧倒し、目出度さで云えば右に出るものは無い。辛うじて紅白饅頭が左に並ぼうかと云う程度である。

 唯一無二の祝いの能力(ちから)を備えた孤高の主食、赤飯。

 結論として、(われ)は赤飯の如く生を全うしたい。

 

 

 

 

「ーーで、どうしてこうなった、材木座」

 

 (われ)は今、放課後の職員室にて国語教諭の平塚女史に詰問を受けている。

 

「何が赤飯だ。めでたいのは貴様の頭だ、聞いてるのか材木座っ」

 

 げふんっ、中々辛辣な物言いではないか平塚女史。

 だが、その程度の洞察力では(われ)の真意を見抜くことは叶わぬな。

 

 授業の予定の関係で既にこの作文の課題を提出済みの我が半身、比企谷八幡。奴は作文の不出来を指摘され、目出度く奉仕部への仕官を果たした。

 そして今、奴はかの才女雪ノ下雪乃殿と席を連ねておる。それに加えて近頃では由比ヶ浜結衣と云う花魁も、そのたわわな女の武器をたゆんたゆんさせて八幡に接近しておるのだ。

 この花魁、我等の怨敵であるリア充、葉山隼人の一味である。このままでは八幡は魂を削られて、二度と転生の叶わぬ存在、即ち「器を持たない悪夢(ナイトメア・ホロウ)」に成り果ててしまう。

 付き従う者の窮地を救うのは主の務め。なればこそ、(われ)が直々に死地に赴いて八幡を怨敵の魔の手から救わねば。

 

 己を知り、敵を知れば百戦危うからず。

 

 ならば(われ)も奉仕部へ任官せねば、と八幡が書き連ねそうな文言を綴ってみたのだ。

 ここまでの(われ)の策は完璧。あとは平塚女史に捕縛され、奉仕部への死門をくぐるのみーー。

 

「ーーという訳で、次の授業までに書き直してこい。わかったら帰っていいぞ」

 

 ……。

 ……。

 ……え。

 

「し、しばし待たれよ」

「なんだ材木座、まだ説教が足りなかったか」

「そうではない、のだが……」

「なら帰れ。あとその時代劇みたいなふざけた口調をやめろ。不愉快だ」

 

 あ、あり?

 わ、(われ)は……奉仕部へ連行されるのではないの?

 そんでそんで、八幡や女子たちと楽しく部活動するんじゃないの?

 出来ないの?

 ねえ、なんで?

 

  * * *

 

 夕日が眩しい。

 特に今の(われ)には、この特別棟の渡り廊下から眺める夕日は、そこはかとなく哀愁を誘う。

 

 (われ)の策は失敗に終わった。

 今頃我が半身、八幡は女子二人に囲まれて、戸惑いつつも鼻の下を伸ばしておるというのに。

 着々と大奥(ハーレム)を築き始めておるというのに。

 

 何故に(われ)だけが独りなのだ。八幡と何が違うというのだ。

 容姿? 体型? やはり(われ)が肥満体だから? ヲタだから? VIPPERだから?

 月に一度は必ず秋葉原に赴いてメイドカフェに長時間入り浸ったり、コスプレの試着をする名も知らぬ女子が試着室から出てくるのを待ってみたり、その帰りは決まって紙袋を四つほど提げてくるから?

 

 否っ。(われ)(われ)。奴は奴だ。

 

 平塚女史は別に(われ)を否定した訳ではない。ともすれば、作文に関しては奉仕部に連行されなかった分だけ高評価だっただけではないか。

 

 むふん、さもありなん。

 やはり八幡と(われ)では根本が違うのだ。いかに(われ)ら二人が遥か昔から魂が繋がっていようとも、主従の関係にある以上、格が違うのだ。

 

 すまぬ八幡。

 (われ)は剣豪将軍、お主の暮らす市井に下ることは許されないのだ。

 如何に八幡が窮地に立たされていようとも、(われ)は無力なのだ。

 ならばせめて、(われ)に出来ることをしよう。

 たまたま我が電脳箱(パソコン)の中には、(われ)の傑作小説が眠っておる。それを試し読みの依頼と称して持ち込もう。

 八幡よっ。我が傑作で存分にその傷つき疲弊した魂を癒やすが良い。

 

 待っていろよ、八幡。

 帰城しだい密林にてプリンターのインクを発注し、来週には貴様に眼福を与えて進ぜようぞ。

 

「ふはははは、(われ)こそは剣豪将軍、材木座義輝であるっ」

 

 叫んだ瞬間、後頭部を張られた。

 振り返るとそこには行かず後家、もとい平塚女史の姿があった。

 

「気持ち悪いことを大声で叫ぶんじゃない、材木座」

 

 い、いつの間に背後を!?

 流石は平塚女史。

 若くして……いや決して若くはないが、何にせよ国語教諭を名乗るのは伊達では無いということか。

 

「あー、言い忘れたが」

 

 夕日を浴びた平塚女史は、その無駄に豊かな胸を張って言い放った。

 

「材木座、キミは奉仕部には入れないぞ。比企谷と同じことをしてもな」

 

 

 ーーげふん。

 

 愚考を切り裂くが如く、完全下校時刻を告げる鐘が無情に響いた。

 

 やはり(われ)の青春ラブコメは始まる前に終了の鐘を鳴らされる。

 

 




お読み頂きまして、ありがとうございました。

あはれ材木座ーー


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やはり我の青春ラブコ……げふん。続

懲りずに材木座で続編ですw


 

 今日は良き日だ。

 先日奉仕部に持ち込んだ小説の感想を頂戴できた。

 残念ながら花魁、由比ヶ浜は(われ)の傑作を読んでおらぬらしく、難しい言葉を云々と愛想笑いをしていたが。

 それよりも驚いたのは、奉仕部の(おさ)である雪ノ下殿の感想であった。

 大量の付箋が貼られた我が珠玉の原稿を片手に、倒置法が多いと窘められ、(われ)の斬新なルビにダメ出しをされ、挙げ句の果てにヒロインが裸になる理由が分からぬと言ってきた。

 言葉は辛辣ではあったが、眠た気な顔をチラッと見るに、原稿を隅々まで熟読して頂けた様である。

 我が半身八幡に至っては、誰のパクリだとかラノベは絵師が良ければ売れるとか、グサグサと(われ)の心をロンギヌスの槍で抉って来おった。

 だが……それでも(われ)は嬉しかった。

 今までは誰の目にも触れること叶わぬ我が作品が、初めて人の目に触れた日なのだ。

 

 やはり今日は祝うしかないであろうな。

 そうと決まれば善は急げだ。いざ鎌倉とばかりに行きつけのコンビニに足を向ける。

 

「らっしゃーせ」

 

 店内に入るなり、見るからにリア充っぽい店員がやる気の無い声を上げる。リア充の中では頑張らない感じが良いのだろうか。

 だが、(われ)の目はその横に釘付けになっていた。

 

「……熱っ」

 

 揚げたてのメンチカツに指が触れてしまい、小さな悲鳴を上げる小さな女子。

 肩にかかる髪は濡れ羽色、地味ではあるが可愛いらしい垂れ目、若干幼児体型とも云える可憐な出で立ち。

 (われ)は、このコンビニで彼女を見るのを密かな楽しみとしていた。

 気持ち悪いとか云わないで欲しい。(われ)だって、時には細やかな幸せが欲しいのだ。

 彼女を横目で眺めつつ、(われ)はおにぎりのコーナーへと進む。

 今日は祝いだ。ならばやはりアレが必要となる。

 おにぎりの棚の二段目、いつもそこにある筈のアレが……無い。

 

 嘘だ。こんな日に赤飯のおにぎりが無いなんて。

 天は(われ)を見放したもうたか。

 

「う、うそーん……」

 

 無意識に声を上げてしまう。隣でサンドイッチを手に取る婦人が訝しげに(われ)を一瞥した後、足早に去っていった。

 ーーふっ、そんな攻撃で(われ)の心を打ち砕こうなど片腹痛いわっ。

 しかし、悲しいのは事実である。

 赤飯むすびが売切れの惨状に侮蔑の眼差し。泣きっ面に蜂とはこの事だ。まあ、今回は小さな蜂だったので命拾い出来た。

 がっくしと肩を落とし、赤飯の代わりに掴んだオムライスおむすび、通称「オムすび」を三つ、レジに置く。

 

「いらっしゃいませ……あら?」

 

 ショックで気づかなかったが、いつの間にかレジがメンチカツで火傷した彼女に代わっていた。

 どうしよう。(われ)、何の心の準備もしておらぬよ?

 三次元の美少女を目の前にして心臓は踊り出し、息は荒くなる。それを気取られぬ様に振る舞うのだが、今度は鼻息が強くなってしまう。

 ここは戦略的撤退もやむなし、かーー

 

「すいません、今日はお赤飯、売れちゃったんですよぉ」

 

 ……ほえ?

 何ゆえ彼女は(われ)が赤飯おむすびを求めていたことを知っておるのだ。

 

「あっ、だからオムライスなんですね。色が近いからーー」

「ちちち違う、オオオムライスも、すすす好きなのである」

 

 ナイスだ(われ)っ。

 務めて自然に三次元美少女との会話が出来ておるではないか。

 

「そうなんですね〜いつもお赤飯ばっかり買っていくんで、他には興味が無いのかと思ってました」

 

 な、なんと……(われ)の好みを見抜く眼力の持ち主、だと……!?

 てへぺろ、とばかりに眩しい笑顔を向けられた(われ)は、もう夢見心地である。

 そして、事もあろうに。

 

「あ、ああと、メメメンチカツ……全部ください」

 

 などと会話を途切れさせぬ為に、普段は絶対に買わない惣菜の注文までも成し遂げてしまった。

 

「はいっ、揚げたてで熱いですから気をつけてくださいねっ」

「う、うむ。そなたが火傷をしておったのを見ていた。だ、大丈夫か?」

「……見られてましたか。恥ずかしいですっ」

 

 ムッハー!

 (われ)、今三次元の女子と普通に喋ってるぅ。

 しかもそれがこんなに見目麗しい女子なのだ。

 ついに、ついに(われ)にも春がーー

 

「メンチカツ8点とオムライスおむすび3点で、1544円でーす」

 

 ーー来る訳は無いか。

 (われ)は、いつ果てるとも知らぬ孤高の身。やはり女子の眷属(けんぞく)など求めてはいかんのだ。

 しかもメンチカツ、8個もあったのね……迂闊っ。給金(こづかい)前の(われ)にこの出費は大きいぞ。

 再び肩を落として会計を終えると、レジカウンターの向こうから声が聞こえた。

 

「あの、良かったら……お赤飯、取り置きしておきますぅ?」

 

 な、な、な、な、なーー

 なにぃ!?

 女子から(われ)に提案だとぉ!?

 こんな事、我が戦いの日々において一度たりとも無かった現象だ。

 よし、ここは威風堂々と告げてやろうぞ。

 

「お、お願い、します……みっつ」

「はいっ、ではまた明日お待ちしてますねっ」

 

 ーーふう、()は満足である。

 

  * * *

 

 花見川の土手で沈みゆく夕日を眺める。

 もそもそとオムすびを食しながら、彼女の言葉を反芻する。

 

 初めてだった。

 

 初めて(われ)の存在を認めてくれた。

 初めて「喋り方キモいっ」と云わない女子に出会った。

 初めて……親切にしてくれた。

 コンビニ袋の中、一個ずつ丁寧に入れられた紙の小袋をひとつ取り出す。

 この8個のうちの何れかに、彼女の指が当たったのだ。

 どれだろう。

 (われ)ながら気持ち悪いとは思う。自己嫌悪してしまう。

 だがそれ以上に、彼女の指が触れたメンチカツが他の有象無象の口に入るのが嫌だった。許せなかった。

 ならば、(われ)が全て買い上げるしか無かろう。

 紙袋を半分辺りのミシン目に沿って割き、メンチカツの半身を露出させる。

 ごくり。

 期せずして喉が音を立てる。

 あゝ、(われ)はこれより彼女の作りたるメンチカツを戴くのだ。

 謂わば手料理である。礼を尽くして存分に味合わねば罰が当たると云うものだ。

 目を閉じ、一礼してかぶりつく。

 おおっ、何と豊潤な旨味だろう。サクっと衣を噛む度に滲み出る脂は、無遠慮に口内を蹂躙しては喉奥に吸い込まれる。あとに残るは肉の旨味。

 ここでオムすびを一口、かぷっといく。本来ならば揚げ物には赤飯がベストマッチングなのだが、無い物ねだりをしても仕方が無い。

 それでも肉の旨味とチキンライスの相性は悪くは無い。オムすびが口にある内にメンチカツで追い討ちをかけると、またしても凶暴な旨味が(ほとばし)る。

 

「むふぅ、中々である」

 

 思わず顔が綻ぶ。

 オムすびをまた一口、追ってメンチカツをかぷっと食す。

 

「あむっ……げふっ、げふんっ」

 

 ーー飲み物も買うべきだったな。

 おっ、あんなところに自販機があるではないか。

 どんな苦境にもすぐ対応出来る陣立てを自然と選択するとは、さすが(われ)であるな。

 さて、鞄の中からーーあれ?

 ……(われ)の鞄は? それに、今日返却された(われ)の傑作小説の原稿は……?

 

 ーーふっ。奴め、中々やりおる。再び来店させる為にレジに荷物を忘れさせるなど、さすがに(われ)も思いつかぬわ。

 

「……帰ってご飯食べよ」

 

 (われ)の意識は、母君の晩御飯に向いていた。

 影法師は長く、尾を引いていた。

 

 

 




今回もお読み頂き、ありがとうございました。
誰得な材木座義輝の話をまた書いてしまいましたw

次回で材木座の話は終わりの予定です。
彼の日常、とくとご覧あれ。


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やはり我の青春ラブコ……げふん。破

またまた材木座義輝の日常です。
そして材木座編は今回で最終話となります。
彼のキモさ、純粋さを味わってやってくださいませ。


 (われ)も人なり、彼も人なり。

 誰の言葉かは失念したが、この言葉には大きな嘘があると信じてきた。

 人が真に対等ならば、何故にヒエラルキーが生じる。どうしてクラス内カーストが存在するのだ。

 

 (われ)は孤高の存在。そう自分に言い聞かせてきた。そうでなければ、この身に降りかかる理不尽に押し潰されそうだったから。

 故に(われ)は、道化の鎧を身に纏った。自ら異端の「モノ」と見られるように。

 故に、この現状は(われ)が望んだモノだ。他人に強制されたモノでは無い。

 だから耐えられた。

 どんなに蔑まされようと、どんなに傷つけられようとも。

 (われ)が選んだ茨の道なのだと。

 人はそれを「諦め」と名付けるのだろうか。

 

 

 

 嫌な夢を見たせいであろうか。目が覚めた時、泣いていた。久しぶりの涙だ。

 ふと昨日を振り返る。

 奉仕部の面々に(われ)の作品を読んでもらい、感想を貰えた。

 帰り道に寄ったコンビニで、少しだけ良い事があった。

 それと引き換えに財布が軽くなった。何ならその財布ごと荷物すべてコンビニに置いてきてしまった。

 

 何をやってるんだろ……(われ)

 

  * * *

 

 誰とも関わらず、いつも通りの日常が淡々と進んでいく。今日は体育の授業が無いので隣のクラスの八幡とも話す機会は無かった。

 ふと机の横を見る。

 昨日までとは違うバッグだ。荷物まるごとコンビニに置き忘れた(われ)の失態の証。

 財布はいい。数千円しか入っていなかったし、もう中味も抜き取られているだろう。

 問題なのは……原稿だ。

 あれを彼女に見られたら、(われ)はもうあのコンビニには行けなくなる。

 あれは(われ)の願望だ。闇だ。

 現実世界に希望を失った(われ)が構築した、逃げ場だ。

 そんなモノを見られて、どうして平気な顔でお客様ヅラなど出来ようか。

 (われ)の心は、暗く沈んでいた。

 

 放課後、いつも通りの道を歩く。いつもと違うバッグが、肩に違和感を伝える。

 コンビニが見えてきた。

 ……今日はあのコンビニに寄るのはやめよう。

 足早に店の前を通り過ぎようと身を丸くする。

 

「あ、あのっ」

 

 背後から声がするが、誰かが誰かに声を掛けたのであろう。(われ)に声を掛ける者など、いるはずが無い。

 

「あ、あのっ、赤飯むすびっ」

 

 足が止まる。うっかり振り向いてしまう。

 (われ)の大好物を叫んだのは……メンチカツの彼女であった。

 慌ててコンビニから駆け出してきたのだろうか。制服の上にユニフォームを羽織り、前のファスナーもまだされていない。

 よくみれば少々息も荒いようである。

 

「き、昨日、鞄……忘れてましたよね?」

 

 肩で息をしながら尋ねる彼女に頷くことしか出来ない自分が情けなくなる。

 

「あと、小説……ですか、あれ」

 

 ーー読まれた。

 (われ)の闇を見られた。

 やはりもう、ここにはーー

 

「き、気になりますっ」

 

 ……はっ?

 なんですと!?

 

「続き、気になりますっ」

 

 え? え? どゆこと?

 (われ)、気持ち悪くないの?

 ここは「キモい」とか「ブタ」とか「汗が臭そう」とか蔑まれる場面じゃないの……?

 

 気がつけば、(われ)は彼女に正対していた。

 

「あれって、まだ途中ですよね。主人公が『幻紅刃閃』(ブラッディナイトメアスラッシャー)を放った場面で終わり、じゃないですよね?」

 

 あ……れ?

 あれを読んだのに、読まれたのに、まだ(われ)に話し掛けてくれる、のか?

 やばい。涙が出そうだ。

 

「も、勿論である。あれから幾重にも重なる輪廻の謎を解き明かさねばならんからな」

 

「そうですよねー、あの時点では伏線まったく回収してないですもんね」

 

 ぐはぁっ!

 な、中々の攻撃力ではないか。

 だが(われ)は剣豪将軍、材木座義輝だ。

 引かぬ、媚びぬ、省みぬっ!

 

「続き……読みたい、です」

「え、本当? それ本当?」

 

 前言撤回。(われ)、引いちゃう媚ちゃう省みちゃうっ。

 

「はい。あたし、ファンタジー系のラノベ、好きなんですっ。クラスのみんなはキモいって云うけど……仕方ないですよね、好きなんですから」

 

 あっけらかんと言い放った少女は、はにかんだ笑みを浮かべていた。

 好きだから仕方ない。

 そうだ。

 (われ)は何を血迷っていたのだ。

 自分の作品を闇と称して、嫌われる材料だと決めつけて。

 でも、それでも書きたいのだ。

 才能なんか無いのは知っている。まともに完結まで至れた作品も無い。

 だが、目の前の彼女は読みたいと言ってくれた。

 文法がなっておらぬと断じられた(われ)の駄文を、彼女は読みたいと。

 ならば何も迷うまい。

 一人でも読みたいと思ってくれるのなら、(われ)の書く意味はそこにある。

 そして(われ)は、高らかにこう宣言するのだっ。

 

「ほ、ほむん。ならば近日中に書き上げよう」

 

 えーと、全然高らかじゃなかったですね。はい。

 仕方ないよね。だってここは天下の往来。それでなくても叫ぶのって恥ずかしいもん。

 だが目の前の少女は、その恥ずかしさまでも吹き飛ばして叫んだ。

 

「本当ですか!? じゃあ、一番最初に読ませてくださいねっ」

 

 ……おぅふ。

 何たる破壊力。(われ)の鉄壁の防御を笑顔ひとつで弾き飛ばすとは。

 眩しすぎるぜっ、その笑顔。

 

「わ、わかった。書けたら、その、また持ってくる」

「約束ですよっ」

「う、うむ、約束である」

 

 約束……してしまった。

 このヲタでブタでキモい(われ)が、女子と……約束。

 何だろう。

 全身から力が抜けていく。それと同時に身体が熱くなる。

 その熱はさっきまでの陰鬱とした心の闇を吹き飛ばし、晴れ間を出現させた。

 阿保だ。

 勝手に自分の中で想像し、自分の中で結論を出していた。

 見もせず、聞きもせず、ただ絶望していた。

 話してみれば何のことはない、それもすべて杞憂だったのだ。

 晴れやかな気持ちで彼女に顔を向ける。

 あぅ……恥ずかしい。やはり直視はハードルが高いな。

 そんな愚考など知る由もない彼女は、少々頬を膨らませて(われ)を見る。

 あれ? (われ)、なんか悪いことした?

 

「ところで……今日は赤飯むすび、買ってくれないんですか? せっかく取り置きしてたのにぃ」

「……勿論いただこう。メンチカツも一緒にな」

「毎度ありぃー」

 

 ーー(われ)の青春ラブコメは、少しだけ動き出した。

 今日のメンチカツは、11個あった。

 

 

  了

 




材木座編最終話でした。
お読み頂いた皆様、本当にありがとうございました。
書き終えてみれば一話平均たったの2500文字。合計で7500文字程度。
だったら三話まとめて一話にすりゃいいじゃん!
って私自身も思っておりますw

材木座義輝は、俺ガイルのキャラの中で重要な位置を占めていると思います。
役割り的に「狂言回し」なので、原作の12巻以降には出てくるか怪しいですけど。

と云う訳で、またお会いしましょ〜♪


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平塚静
「世情」 〜前編


奉仕部の三人が高校三年生になった一学期の終わる間際。
相変わらず平塚先生は、おひとり様を貫いているようで……。


 

 寝室の窓を開け放つ。

 火照った身体に夏の夜風が心地良い。額の汗はもう「玉の汗」にはならないが、肌理(きめ)の細かさならば若い奴らにはまだまだ負けん。

 

「しっかし美味かったなぁ」

 

 現在午後十一時。

 この時間にカップラーメンを二つも食べる暴挙が出来るのも、まだ私が充分に若い証拠だろう。

 しかも二つとも醤油とんこつ味。

 こんな贅沢、他の奴らには分かるまい。

 まあ分かるとすれば、あいつくらいか。

 

 胸元に落ちた汗をパーカーの袖口で拭う。鎖骨に貼りついた後れ毛が少々気になった。

 

「……シャワー浴びよ」

 

  * * *

 

 少し温目のシャワーを浴び終えて寝室に戻って、そこで気がつく。

 替えの下着が無い。

 仕方なく、さっきまで着けていた汗の染みた下着を着ける。

 あと、新しいスウェットをーーあれ?

 

「はぁ、洗濯し忘れてた……」

 

 呟く声は誰に届く事もなく霧散する。

 明日の終業式を控えて、ここ数日は忙しかった。何せ担当する全クラスの現国の成績を付けなければいけなかったからな。

 それ故に残業続きで、今日も外食ではなく自宅でカップラーメンにしたのだから。

 

 仕方ない。コインランドリーで済ますか。

 

 時計を確認、まだ十一時四十分だ。充分間に合う。

 一旦着けた下着を脱いで、素肌にノースリーブのロングワンピースを被る。というか、洗濯した普段着はこれしか無かった。

 今は深夜だ。

 ロングスカートなら、下着など着けていなくても大丈夫だろう。

 大きな手提げバッグにありったけの洗濯物を詰め込んで部屋を出る。

 

「……んっ、やはりスースーするな。何か頼りない感じがまた……んんっ」

 

 外に出ると、下着を着けていない所為で下半身を通る風が妙にこそばゆい。

 まあ、こんな時間に知り合いに会うことなど無いだろう。ささっと洗濯を済ませて帰ってくれば問題は無い。

 

「……風とは、こんなにも私を蹂躙してくるものなんだな」

 

 ノースリーブのワンピースの脇から入り込んだ夜風が無駄に大きな胸部を撫でる。

 無防備のままワンピースの裏地に擦られた双丘の頂点が、意思に反して固くなる。

 

「んっ」

 

 刺激に身をよじると、スカートの裾から吹き込む風は私の下腹部に垂直に上がってくる。

 

「……んはぁっ」

 

 ーーいかん。

 これではまるで痴女ではないか。

 こんなところを生徒や父兄に見られたら。

 いや、あいつに見られたら……。

 

「ーーはぁんっ」

 

 うっかり湿り気を帯びてしまった所為で、下腹部に触れる風が冷んやりする。

 

 しかし、まだ誰にも貫通されたことのない乙女な部分をまさぐるとは、けしからん夜風だ。

 何だか癖になりそうで少し怖いな。

 

「……くふぅ」

 

 十分ほど歩いて、コインランドリーに着く頃には、すっかり私は出来上がっていた。

 何が出来上がっているかは、教師として絶対に言えない。

 蒸し暑いランドリーの中、洗濯物を放り込んでコインを入れる。

 

「ふう、間に合った」

 

 このコインランドリーは防犯上の理由から、深夜零時になると終了して自動的にドアがロックされてしまう。だが大丈夫。零時過ぎでも中から外へは出られるのだ。したがって、零時までに洗濯物を放り込めればこっちのものだ。

 だが、危なかった。

 現在の時刻が午後十一時五十分だから、本当にギリギリだった。あと数分決断が遅れていたら、明日の終業式は二日目の下着で生徒の前に立たなければならなかった。

 静ちゃん、えらいっ。

 

 しかし暑いな。

 座っているだけで汗が噴き出してくる。

 ふと外を見る。道を挟んで向かい側に自動販売機の灯りが見えた。

 

「コーヒー1本買ってくるくらい大丈夫か」

 

 ランドリーを出て、駆け足で自販機に行きコインを投入、いつものブラックコーヒーを購入する。

 待ち切れなくてその場でボトルキャップを捻り、一口煽った。

 

「はぁ、んまいっ」

 

 喉を通った冷たい液体が清涼感を、コーヒーの香りが安堵をもたらす。

 ワンピースのポケットからセブンスターを取り出して、火を点ける。

 ーーふぅ、やはりコーヒーときたら煙草だな。

 このベストマッチングだけは、どれだけたばこ税が上がろうと変わるものではない。

 

 紫煙を立ち上らせて満天の星空を見上げる。

 明日の終業式も暑くなりそうだ。

 時に、あいつはどうしているのだろうか。

 早いものであいつも高校三年生。数学が苦手なのは変わらないが、それでも着実に受験勉強に勤しんでいるようだ。

 手のかかる生徒ほど可愛いという先達の言葉は本当らしい。

 それは雪ノ下も同じだ。

 彼女は高潔過ぎた。それ故に周囲と衝突し、疎外された。

 だが最近の彼女はどうだ。由比ヶ浜と云う友人を得て、性格も角が取れてきて、時折見せる年相応の笑顔は眩い。

 由比ヶ浜も以前の様な臆病な雰囲気は影を潜め、はっきりと自己主張出来る子になった。成績が振るわないのは大きな課題だが、雪ノ下がいれば大丈夫だろう。

 彼女らは互いを補完し、共存出来る関係を築いた。それは今後の人生に於いて大きな財産となるだろう。

 あとは……あいつは、比企谷はどうするつもりなのだろうか。

 人一倍周囲の言動に敏感なあいつが、彼女らの好意に気づかない筈は無い。

 大学受験まであと半年。それまでに答えを出せるのか、心配だ。

 

 ま、いざとなったら私がもらっちゃおうかな。

 あれであいつは優しいし、ぼっち故の洞察力の所為か妙に気が利く。

 何より、私と対等に喋ってくれるのが嬉しい。

 教師と教え子が対等なのを喜ぶべきでは無いのだろうけど、やはり対等に話せる異性の存在は嬉しいのだ。

 

「あいつが卒業したら、と、友達に、なって……くれるかな」

 

 あいつとは趣味が合う。

 少年漫画好きの私の会話にしっかりと応えてくれる。

 それは良いものだ。

 

 芯が熱くなる。

 スカートの中を上昇する風が冷たい。

 もしかしたら、あいつも今頃……。

 無意識に手が蠢く。

 五本目の煙草を吸い終えた右手は胸に、空いた左手は熱くなった下腹部にーー。

 

 ーーおっと、いかんいかん。

 深夜の路上で妄想に耽っている場合では無いな。

 そろそろ四十分経つ。洗濯が終わる時間だ。

 いそいそとコインランドリーに戻ってドアを開けるーーあれ?

 

 ドアはロックされていた。

 

「え、え、あ、あぁ!?」

 

 何度かガチャガチャとドアを揺すってみるも、びくともしない。

 しまった。失念していた。

 このコインランドリーが深夜零時で閉まるのはさっき確認したのに。

 コーヒーを買って煙草を五本吸いながら思案に耽る間に、零時を過ぎていたのだ。

 

 慌てて緊急連絡先が書かれていないか探す。

 ーーあった!

 えーと、あ。ああっ?

 

「番号が、番号の部分だけが……ない」

 

 漸く見つけた緊急連絡先のプレートは、下半分がパッキリと折れて欠損していた。

 

「私の、全下着が……」

 

 折れたプレートを見つめ、その場でへたり込む。

 そ、そうだ。朝なら!

 

「あ、朝! 朝の開店時刻は……午前、八時……」

 

 朝ここに寄っていたら……間に合わないじゃないかっ。

 高校の始業前に洗濯物を回収出来る望みも絶たれたか。

 

「……ふっ、ふはは……」

 

 思わず口から漏れた乾いた笑いが虚しく響く。

 

「……ノーブラノーパンで終業式、か。まるでエロ教師、いやド変態淫乱教師だな……」

 

 自嘲する脳内に、ある男子生徒の顔が浮かぶ。

 あいつだ。

 比企谷の所為だ。比企谷が私の妄想の中であんな事やこんな事をしなければ。

 ーーあいつにはいずれ責任を取ってもらわねば、な。

 ロングワンピースの中、直接肌に触れて抜けていく夜風に少しだけ高揚した。

 

 この時私は、気づきもしなかった。

 パンツだけならコンビニで買えることを。

 

 

 




お読みいただき、ありがとうございました。
今回は我らが平塚先生の日常のエロいハプニングでした。

果たして平塚先生はノーパンノーブラで終業式に臨むのか。
具が見えてしまうのかっ?

後編にご期待くださいっ!


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「世情」 〜後編

ノーパンノーブラのハンデを抱え、終業式に臨むしかないと思われた平塚静。
だが、静ちゃんは大人である。
しっかりと次善策を用意しておいた……のだが。


 

 一学期の終業式の一時間前である。

 クリーム色のテーラードジャケットに薄いピンクのブラウス、そしてグレーのタイトミニに身を包んだ私は、一人の女生徒と待ち合わせをしていた。

 勿論、と云うのは変な話だが、ブラウスの下やタイトスカートの下は無防備な状態だ。

 え、それじゃわからん?

 ……ノーパンノーブラだよ。文句あるかっ。

 私だってこんな状態でスカートなんか穿きたくは無かったんだよ。

 じゃあ何故スカートなんか穿いてるのかって?

 ……それしか洗濯、もとい選択肢が無かったんだよ。

 くそっ、こんな日に限ってパンツスーツをクリーニングから引き取り忘れるなんて、本当についてないな。

 若干説明くさい自問自答を脳内で展開していると、風通しの良いお尻の方から声を掛けられた。

 

「平塚先生、おはようございまーす」

 

 振り返って、安堵する。

 私に勝るとも劣らない豊かな胸部を揺らして駆け寄ってくるのは、由比ヶ浜結衣だ。

 そして、彼女が今日の私のキーパーソンとなる。

 

「おはよう。朝早くにすまないね」

「いいえ、あの、これ……」

 

 ふむ。ちゃんと持って来てくれた様だな、感心感心。

 昨晩の内に、私は由比ヶ浜にある頼み事をしていた。

 明朝早くにブ、ブラとパンツを持って来て欲しい、と。

 分かっている。

 本来ならば生徒に頼む事ではない。だが、私とてノーブラノーパンで終業式に出席するのは嫌だ。

 うっかり男子生徒達に具が見えちゃったらどうするのだ。

 もう、お嫁に行けなくなっちゃう……。

 ま、まあ、最悪比企谷ならセーフかな。なんなら見て欲し……いやいや違うっ。

 よし、冷静になれ平塚静。

 

 一応、陽乃に頼むと云う方法も考えた。陽乃ならブラのサイズも丁度良さそうだからな。

 だがあいつにそんな事を頼んだら最後、伝言ゲームの如く私の痴態が皆に知れ渡ってしまう。

 そんな事になったら、もう総武高校には居られない。それどころか日本のあらゆる教育現場から爪弾きにされるだろう。

 だが陽乃はそんな事お構い無しに、面白いと思ったらそれをネタに存分に楽しむ悪癖があるからな。

 そこで私は改めて思案した。

 私と関わりのある、同サイズ程度の胸部の持ち主で、かつ信用の置ける人物。

 心当たりは二人いた。

 一人は川崎沙希。

 だが生憎、私は彼女の電話番号を知らない。

 となると、もう一人の人物である由比ヶ浜に頼らざるを得なかった。

 

「ーーすまないね」

「あはは。洗濯機が壊れて下着が黒コゲになるなんて、普通考えられないですよね」

 

 うん。そんな事考えられないよね。だって……咄嗟の思いつきで言った嘘だもん。

 コインランドリーに洗濯物を全部閉じ込められちゃったんだぁ〜なんて恥ずかしくて……(しずか)、言えないっ。

 

「う、うむ。助かったよ由比ヶ浜。では早速学校のトイレで着用させて頂こう」

「え。じゃ、じゃあ先生って今はノーパ……」

「い、云うなぁ、もうっ」

「ーー何だか先生、可愛いっ」

「う、ううっ」

 

 何てことだ。借りるだけでも充分恥ずかしいじゃないか。

 顔面が紅潮するのが自分でも分かる。思わず顔を覆った。

 もう、いやんいやん。

 だが私は、この後衝撃の事実を知る。

 

「でも、パンツくらいならコンビニとかにも売ってーー」

「え?」

 

 顔を覆った両手を離し、由比ヶ浜を見る。見られた由比ヶ浜は、唖然として固まったままだ。

 

「まさか先生……気づかなかった、とか?」

「……全然気づかなかった。考えもしなかった」

「あ、あはは……」

 

 教え子の乾いた笑い声が蝉時雨の中に消えてゆく。

 もう、(しずか)帰りたい……。

 

  * * *

 

 密偵の様な足取りで、人目を避けるように校内に忍び込み、素早く職員用のトイレの個室に入る。

 

「ふう。これで安心だ」

 

 個室の鍵をロックした私は、深く息を吐いた。

 フックにジャケットを掛け、ブラウスの前ボタンを外す。直接外気に晒された豊かな双丘が揺れて踊った。

 よく母親には、

『あんたはよくもまあ育つだけ育って。使い道も無い癖に。駄肉だよ駄肉っ』

 などと云われて一晩泣き明かしたのは、今はどうでも良い。

 では早速、由比ヶ浜に渡されたポーチから下着を……は?

 

「な、なんだ……この乙女ちっくなブラは」

 

 白いフリルがあしらわれたピンクのそれは、まさしく夢見る少女の好きそうなブラジャーだった。

 大人の私には到底似つかわしくない代物だ。

 

「ま、まあ、ノーブラよりマシか」

 

 無理矢理に自分を納得させて着替えを始める。

 ブラウスを脱ぎ、着けてみる。

 あ、あれ?

 すっごく隙間があるよ?

 去年の私の目測では、由比ヶ浜はアンダー65のEだった筈だ。私が65のEだから、ピッタリだと思っていたのだが。

 まさか、私の目測に狂いがあったのか。それともあの子……さらに育ってるのか!?

 サイズを確認すべく、ブラをはずしてタグを探す。

 

「じ、じ、Gカップ……」

 

 ーーはっ。一瞬意識が遠のいてた。

 よもや二段回も私より大きいとは、恐るべし由比ヶ浜結衣。

 

「ま、まあ、隙間にトイレットペーパーでも詰め込んでおけば大丈夫だろう」

 

 こう云う時、即座に機転を利かせるのが大人というものだ。

 わしゃわしゃと隙間にトイレットペーパーを詰め込んで、胸を形作る。

 出来上がった胸は、通常の私の胸を遥かに凌駕していた。

 

「お、大っきい……」

 

 いかん。うっとりしてる場合ではない。

 早くショーツを着けなければ。

 

「ん、あれ……ああっ!?」

 

 緊急事態だ。

 ショーツがきつくて入らない。正確に云えば……お尻がすっごくきつい。

 穿き続ければショーツが破けてしまうかも知れないくらいに窮屈だった。

 

「……なんて事だ」

 

 非常事態の中、私の脳は思うより思慮が浅かったらしい。

 由比ヶ浜は私より身長がかなり低い。従って尻も小さいのだ。

 胸は私より発達していても、やはりまだ十代。発達途上の年代なのだ。

 サイズを確かめたらやはりSだ。メーカーによって差異もあることを勘案すると、これは小さめに作られたSサイズだろう。

 対して、私は尻が大きい。サイズで云えば、ぎりぎりM。本当はLサイズのフルバックを穿きたいくらいなのだ。

 いやそんなに大きくは無いのだが、何と云うか、その、厚みがね、あるのだ。

 仕方ない。私の尻は成熟した大人の女のそれなのだから。

 母親からは無駄な安産型だと度々揶揄されている悲しみはこの際捨て置こう。ぐすん。

 

「終わった……」

 

 トイレの個室、仕切りに切り取られた狭い天井を仰ぐ。

 ブラはゆるゆる。

 下半身は剥き出し。

 バレたら色んな事を云われるんだろうなぁ。

 ビッチ。淫乱。

 露出狂。節操無し。

 いつでもどこでも準備万端。

 ありとあらゆる罵詈雑言が頭の中を廻る。

 

「変態淫乱ヤリ○ン露出エロ教師、かぁ……」

 

 本当に私がそうだったらどんなに楽か。

 まだ誰にも貫かれていないのにヤリ○ン扱いは悲し過ぎる。

 

 つーか何だ由比ヶ浜は。

 私よりでかい乳してる癖に尻は小さいとか、舐めてるのかっ。

 いやいや、由比ヶ浜は善意で下着を貸してくれたのだ。彼女を責めるのはお門違いである。

 

『諦めたらそこで試合終了ですよ』

 

 天から啓示が降ってきた。

 私の尊敬する教師、あのアゴがたぷたぷでお馴染みの安西先生の御言葉だ。

 そうだ(しずか)、何を弱気になっているんだ。

 諦めるな。考えろ。

 計算しか出来ないなら、計算し尽くせ。

 時間は残されていない。

 早く、急げ私。

 くそっ、何か、何か方法はーー。

 

 ふと脳裏に「コンビニ」の言葉が過る。

 

 ーーはっ、由比ヶ浜が言ってた、コンビニパンツ!

 ふっ、またしても由比ヶ浜に助けられたな。

 コンビニの綿パンツなら、多少サイズ違いでもパンツとしての役目は果たしてくれる。

 ストライプ柄だったらギャップ萌えも期待できるかも。誰のだよ。

 

 腕時計を見る。終業式の開始まであと二十分ちょっと。

 高校の近くのコンビニまでは車で約五分。往復と買い物の時間を考えて、およそ十五分でミッションコンプリートだ。

 よしっ、まだ神は我を見捨てては居なかった。

 安西先生、由比ヶ浜。本当にありがとうございます。

 待っていろコンビニパンツ、すぐに穿いてやるぞーー!

 

 すぐさまトイレを出て駐車場へと走る。

 走ると股間がすーすーするが、それも今しばらくの辛抱だ。

 急げ。急げ私。

 (しずか)ちゃんダーッシュ!

 ノーパンのまま、華麗なコーナリングで渡り廊下へ走り出る。

 むっ、前方に人の気配か。生徒の手前、廊下を走る訳にはいかない。

 足の回転を止め、何事も無かった様に颯爽と歩く。

 ……んっ。走ったから、ちょっと擦れて湿ってきちゃった。

 と恥ずかしがってる場合じゃない。生徒の前では毅然としていなければ。

 すれ違う生徒たちの挨拶をやり過ごして、再び走り出そうとした時である。

 背後から声を掛けられた。

 

「あ、先生。こんなとこにいたんですかぁ。早く来てくださいよぉ」

 

 敵はいつでも突然現れる。

 今回の敵は生徒会長、一色いろは、だ。

 

「もー、先生は生徒会の顧問なんですからねー」

「いや、その、ちょっと急用がーー」

 

 焦ってしどろもどろになる私に、一色いろはは冷たい視線を無遠慮に刺してくる。

 

「何ですか急用って。生徒の終業式よりも大事なんですか?」

 

 3年F組、一色いろは。

 生徒会長に就任したばかりの頃は自信無さげで危なっかしかったが、三年生になった今では立派に職務を全うして……じゃないっ。

 私は今からコンビニパンツを買いに行くんだっ!

 

「とにかくっ。もう式始まりますから。ほら、こっちです」

 

 がしっと腕を掴まれる。

 あゝ、もう、駄目なのだな。

 悟った頭の中に、曲が流れ出す。

 

『世情』

 

 ーー卒業式の前、校内で暴れる中学生と、それを取り押さえる無慈悲な大人たち。

 その悲しい場面で流れていた曲……「世情」。

 

 何故この曲が脳内に流れてきたかは分からない。

 だが。私の気持ちはあの時の加藤(まさる)

 と重なった。

 大人に翻弄された、加藤優。

 一枚のパンツに翻弄された、私。

 

「……なんで泣いてるんですか、先生。そんなに終業式が悲しいんですか?」

 

 いつの間にか私の頬を涙が伝っていた。

 

「一色」

「は、はい?」

「これは悲しみの涙ではない。無実の罪で苦しむ女の……悔し涙だ」

 

 ここにはーー私を飲み込むシュプレヒコールの波は無い。

 だが。

 私は行かねばならない。立ち向かわなければならない。

 たとえどんなに傷つこうとも、たとえどんなに現実が厳しくとも、たとえ……ノーパンだったとしても。

 

 私は、教師だ。

 

「……もう大丈夫だ、一色。さあ、征くぞっ」

「ーーは、はぁ」

 

 私は風を切り、颯爽と歩く。

 ノーパンだっていいじゃないか。

 多少擦れて気持ち良くなったって、私は立派に耐えてみせる。

 パンツなんてただの布。そんなもの無くたって、私は私だ。

 それよりも大事なのは、生徒の笑顔だ。

 時に間違い、時に迷う。

 そんな生徒たちをより良い方向へと促す。

 それが……私の選んだ仕事なのだから。

 そこにパンツは必要無いじゃないかっ。

 

「……あれ、先生。何か落ちましたよ」

 

 何も落としたって気にしない。もう私には体育館で待つ生徒たちしか見えない。

 

「これって……トイレットペーパー!?」

 

 見ると、ブラの隙間に詰め込んだトイレットペーパーが落ちていた。

 しまった、詰めが甘過ぎたか。

 ーーえっと、これは別にトイレットペーパーの詰め込みの量が足りなかったことと、私自身の詰めの甘さをかけている訳じゃなくてだなーー

 

「……平塚先生、女子力低過ぎです。そんなんだから結婚出来ないんですよ」

 

 呟かれた言葉が耳に届いた瞬間、私は崩れ落ちた。

 グスン……もうやだ、(しずか)、実家に帰るっ。

 

 

  了

 




お読みいただきましてありがとうございました。

平塚先生は、大人の様な子供。
生徒思いで凛としていて、でも私生活はダメダメで。
そんな静ちゃんが大好きです。

ノーパンの静ちゃんのスカートの中身が見えちゃったかどうかは読者様方のご想像にお任せして……
このお話はこの辺で締めたいと思います。

では、またいつかーー


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一色いろは
一色いろはは疾走する。


初めて一色いろはのお話を書きました。



 

 

 桜咲き誇る校門を生徒会室の窓から眺めていると、若干着崩した制服に混じって、初々しい制服姿の生徒たちが通っていく。

 時には二人で、或いは集団で。ああ、あっちの子達はまだ友達が出来ていないのかな。

 無理もないかな。まだ新入生が入学式を迎えてまだ一週間も経っていないのだ。

 

「早いなぁ……」

 

 去年の今頃は、あたしはあの集団の中にいた。着慣れない制服の違和感に心を弾ませて、希望に満ち溢れていたのだと回顧する。その希望も二学期の秋に一度閉ざされたんだけど。

 

 この春あたし、一色いろはは高校二年生になった。

 二年生ということは、即ち後輩が出来たことを意味するんだけど。

 進級した途端に自動的(オートマチック)に先輩の自覚なんて芽生えることはなく、初々しい後輩くん後輩ちゃん達の制服姿に目を細めることもなく、ただ頭を悩ませるばかりなのです。

 

 ったく。こういう大事な時になんで先輩はいないんだろ。

 

 新年度も一週間も経てば各部活動はめぼしい新入部員が粗方入部して、あとは人数や実績に応じて今年の予算の割り振りをするだけなんだけど、その毎年行われるテンプレ的作業がこんなに大変だとは思わなかった。

 特に大変なのは運動系の部活。

 ちょーっとサッカー部の部費を二倍にしただけで野球部や柔道部の顧問は怒鳴り込んでくるし、戸塚先輩には上目遣いで部費の増額をお願いされちゃうし。

 はあ、こんなんじゃもっと早く先輩の使用許可を雪ノ下先輩に出しておけばよかったなぁ。

 

 先輩といえば、無事に総武高校に合格した妹の小町ちゃんが心配なようで、足繁く一年生の校舎に様子を見に行っているらしい。

 おかげで一年の校舎には目の腐ったアホ毛のゾンビが出るなんてウワサが立ったりしてる。

 この噂に雪ノ下先輩は頭を抱え、結衣先輩は苦笑い。当の小町ちゃんは達観していて「まあ、愚兄にとっては平常運転ですね〜」なんて言いながら今日も呑気に生徒会室でお茶を啜っている。

 

 そう。小町ちゃんは生徒会に入ってくれたのだ。まだ正式って訳じゃなくて時々来るお手伝い的な感じだし、元はと言えばあたしがスカウトしたんだけどね。

 将を射んと欲すればっていうアレですよ。

 

 ただでさえ雪ノ下先輩や結衣先輩に対して年月や学年のハンデがあるんだもん。あたしも何らかのアドバンテージが欲しいと思うのは当然の乙女心なのですよ。

 でも小町ちゃんたら、「やっぱ小町はお兄ちゃんの味方なんですよね〜」とかあざとく笑いながら奉仕部にも入部しちゃって。

 小町ちゃんを引き入れれば、先輩のことだから週5くらいで生徒会室に来るかと思ったのに。それを小町ちゃんが追い返しちゃうものだから、それから先輩は大人しく奉仕部で小町ちゃんを待つスタンスに変更したらしいし。

 もしかしたら一番の難敵は小町ちゃんなのかも知れないと思う、今日この頃。

 将より馬の方が手強いって、どんな状況なのよ。

 まあそれでも小町ちゃん経由で先輩の情報は入ってくるし、悪くはないかな。

 お茶を啜る小町ちゃんの、ぴこんと立ったアホ毛が揺れる。

 

 ──ふう。会いたいなぁ、やっぱ。

 

「はあ、もう帰っていいですかぁ?」

「駄目に決まってるだろう、会長が先に帰ったら新入生に示しがつかないよ」

 

 真面目で女心に鈍感な三年生の副会長、本牧先輩の非情な台詞が乙女の小さな野望を打ち砕く。

 はあ、ダメですねそんなんじゃあ。乙女心を理解しないと書記ちゃんに逃げられちゃいますよ〜と思っていたら、当の書記ちゃんこと同じく新二年生の藤沢佐和子ちゃんも強く同意していた。

 むむむっ、こ奴らもしや既に……けしからんっ。

 

「むぅ、わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」

 

 不貞腐れ顔を作って書類の束に目を戻すと、書記ちゃんがお茶を淹れてくれた。

 ありがと、書記ちゃん。でもでもぉ、あたしが飲みたいのは紅茶なんだよ。

 雪ノ下先輩が淹れた紅茶を飲みながら先輩を揶揄うのがあたしの唯一の癒しなんだよ。

 こうなったら、後で先輩にご褒美を貰わなきゃ割に合わない。何を奢らせようかなぁ。あ、そういえば駅前に新しいクレープ屋さんが出来たんだ。

 よしっ、それにしよう。

 

「そーいえば本牧先輩、一昨日駅前のクレープ屋さんにいましたねー」

 

 何ともタイムリーな話題を振ったのは小町ちゃんだ。

 しかし副会長は愛想笑い、いや苦笑いを浮かべるのみだ。

 

「あっ、これって内緒だったんですか? 藤沢先輩ごめんなさいですっ」

 

 ──うん。全部話しちゃってるね。

 すっごく分かりやすかったよ。てかやはりこ奴ら、デキておるのか。

 

「……副会長」

「な、何かな」

 

 じろりと視線を向けると、副会長の両目が泳ぎ出す。

 はい結論出ました。この反応はクロですね。

 でもこの後の交渉のカードを増やす為に、一応確認を取っておきましょうか。

 

「一昨日って、確か予備校があるとかで生徒会をお休みしたんですよね」

「あ、う、うん」

 

 副会長の表情がどんより曇った。じゃあお次は共犯者の尋問といきましょうか。

 

「書記ちゃん?」

「……はい」

「書記ちゃんは確か、家の用事で休み……だったかな?」

「そ、そうだった、かな」

 

 書記ちゃんは俯いて顔を赤らめている。

 やっぱこの二人、クロだった。いや書記ちゃんの顔は真っ赤なんだけど。

 よし、有利に事を運ぶカードは手にした。さあ交渉だ。

 

「……いいですか。今は部の予算を決める大事な時期なんですよ。そんな大事な時期にイチャコラしてる暇があると思ってるんですかっ」

 

 うわぁ、我ながら嫌なオンナ。

 だってこれは、先輩に会えない、先輩成分が足りないことへの八つ当たりだもん。

 

「という訳で、あたしはちょっと気分転換に行ってきますからねっ」

 

 ふふん、完璧な理論武装だねっ。

 と思っていたら、小町ちゃんから衝撃の事実が。

 

「あ、そういえば奉仕部は今日休みですよー」

 

 な、な、な……なんですって!?

 じゃあ、雪ノ下先輩の紅茶を頂きながら先輩を愛で……いじるというあたしの計画は!?

 

「な、なんで休みなのかなぁ、小町ちゃん」

「決まってるじゃないですか、三人でデ──あっ」

 

 三人で、デ……?

 

 

 

 

 

 



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一色いろはは疾走する。 2

短めの第2話。



 そそくさと荷物をまとめ、副会長と書記ちゃんの刺す様な視線を振り切って生徒会室を飛び出したあたしは、京葉線を西へ向かっていた。

 

 もうっ、先輩ったら。せっかく可愛い後輩が弄……遊びに行こうって時に部活休んでお二人とデートなんて、許せませんね。

 一人だけ生徒会室から笑顔で送り出してくれた小町ちゃんのにやにやした笑顔を思い出す。何処と無く先輩に似てたなぁ。

 兄妹って面白い。性格は全く違うのに、ふとした時の表情だけは似てるなんて。あとあのぴょこんと跳ねたアンテナみたいなアホ毛もそっくりだけど。

 

 海浜幕張駅。目指すはそのほぼ駅前に位置するおっきなショッピングモールだ。

 この海浜幕張には幾つかのショッピングモールがあるのだけど、きっと先輩達は此処にいる。

 確証はない。だけど確信はある。

 結衣先輩が好きそうなブランドのショップがあって、雪ノ下先輩が好きなパンさんのグッズ売り場やペットショップもあって、それに先輩が好きなサイゼも本屋さんもある。

 あのお三方が学校帰りに一緒に出掛けるとしたら、きっとここだ。

 もう一度言おう。確証はない。

 

 早足で歩きながら耽る。

 昨年度の末、奉仕部のお三方に何かしら変化があったのは感じていた。

 多分バレンタインデーあたりが境目だったと思う。

 

 雪のそぼ降る二月十四日。

 あの日は総武高校の入学試験の日だった。当日の朝から生徒会は入学試験の準備、受験生の誘導、問題用紙の配布などの手伝いをしていたから間違いない。

 本当は先輩にも手伝って貰おうと思ってたんだけど、何故かその時に限って先輩に連絡がつかずに諦めていた。

 別にいいんだけど。先輩のチョコなんて用意してなかったし、幸い賞味期限だって長かったし。

 でも、ちょこっと寂しかったのは寒さのせいだけじゃないと思えた。

 

 それからだ。

 奉仕部に暇つぶ……依頼に行くと、部室に漂うあの甘酸っぱい空気。

 なに。最近はレモンティーばっか飲んでんの? と突っ込みたくなる程だった。

 ちらりと誰かが視線を泳がせると、他のお二人が反応する。三人の視線が交差すると、それぞれの視線がそれぞれの色を残して散っていく。それからお三方は、決まって頬を緩めるのだ。

 

 そこに漂うのは穏やかな空気。お三方の共通の空気だ。

 ここまでの変化があって、気づかない方が無理だった。

 結局、その件に踏み込めないままに春休みを迎え、進級してしまったけど。

 

「はぁ、何やってんだか、あたし」

 

 目的地であったショッピングモールを散々歩いて走って、疲れ果てた身体を外に設置されたベンチに預ける。

 やばい。

 

 忘れていた訳ではないけど、このショッピングモールは広い。それに、この隣にも別のショッピングモールがあるのだ。

 

「はぁ……」

 

 我ながら無鉄砲過ぎた。

 こんなことなら大人しく生徒会の仕事でもして気を紛らわせている方がマシだった。

 でもお三方がデ……出かけていると聞いて、居ても立ってもいられなくなって。

 お三方の行き先はわからないのに歩き回って、気がついたらこの二つのショッピングモールの間のベンチにいて。

 はぁ、もうやだ。

 さっき自販機で買った、毒々しい色彩を放つ細長いスチール缶。その強烈に甘ったるいコーヒーをちびりと飲む。

 うえぇ、覚悟してたけど……やっぱり甘ったるい。

 てか、何でこんなもの買っちゃったんだか。

 カロリー高そうだし、甘すぎるし。でも、一口含むと少しだけ安心する。

 これで太ったら先輩のせいだ。今そう決めた。罰としてスイーツバイキングにでも連れてって貰おう。

 

「──はぁ」

 

 勿論分かってるんだよ。あたしの言い分なんかただのこじつけだ。屁理屈にもならない。

 そんなあたしの与えた勝手気ままな罰に付き合ってくれる先輩が優し過ぎるのだ。

 だから、もっと求めてしまう。先輩の時間を、言葉を、捻くれた優しさを。

 

 鞄の中で軽快なマリンバの音が鳴り響いた。

 

「──葉山先輩、か」

 

 メールだった。サッカー部のみんなで誕生日のプレゼントを買うから何か欲しい物を教えて欲しい、だってさ。

 無理ですよ、葉山先輩。あたしが本当に欲しい物は……多分手に入りませんから。

 まあ、そんな愚痴は言える筈もない。テキトーに返信しておこう。

 

「みなさまのお気持ちだけで充分です……っと」

 

 よしっ、これで謙虚な後輩アピールは完了っと。

 

「──疲れちゃったなぁ。多分プレナにはいないだろうし、帰ろっかなぁ」

 

 はあ、ホント。何やってんだか。

 花も恥じらう十六歳ももう直ぐ終わっちゃうっていうのに。

 花の命は結構短いんだから。聞いた話だけど。

 あー、もう帰ろうかな。どうせ会えないだろうし。

 缶に残った激甘な液体を喉に流し込み、ベンチから立ち上がる。

 

「あ──」

 

 ふわりと暖かい春風が吹いて、制服のスカートの裾がひらりと旗めいた。

 桜の花びらが舞う視界の隅、遠くでアホ毛が揺れた──気がした。

 

 

 

 

 

 

 




お読みくださいまして誠にありがとうございます。
短編「一色いろはは疾走する」は次回が最終話となります。


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(最新)一色いろはは疾走する。3

最終話です。


 

 ──あ。

 

 距離にしておよそ二百メートルくらいか。あたしの足ならダッシュすれば30秒くらいで着く距離だ。

 その30秒先にある、隣のショッピングモールから続く歩道脇のベンチ。そこに、覚えのある猫背が見えた。

 総武高校の男子の制服。その頭にはぴょんと跳ねた癖っ毛が揺れていた。

 すぐに道行く人達に隠れてしまったけど。

 

 立ち上がって眼を凝らし、再び往来が途切れる瞬間を待つ。

 10秒、20秒……あ、チャンスっ。

 うむむ、よく見えない。

 自分の目にズーム機能が欲しい。チャリンとコインを入れれば5分間見えるあの観光地の望遠鏡でもいい。

 とにかくあのベンチに腰掛ける猫背の制服姿の男子を確認したい。

 だけど今はお店が混み合う夕方。一瞬見えたそのシルエットは、あっという間に行き交う人の群れに隠されてしまう。

 

「今の、やっぱり先輩……だった?」

 

 うーん、先輩の様な、でも違う様な。

 でもでも、風に揺れるあの特徴的なアホ毛の持ち主は二人しか知らない。その内の一人は現在生徒会室でお茶を啜っているはず。

 じゃあ、あれはやっぱり──。

 

 だめだ。

 これはもう直接確かめなければ後々の生徒会の仕事にも影響する。主にあたしの精神面において。

 だって、先輩がいてくれたから今まで頑張ってこれたんですよ。

 

 先輩が説得してくれたから、嫌がらせで立候補させられた生徒会長をやる決意をした。

 先輩が助けてくれたから、海浜総合との合同クリスマスイベントも何とか乗り切れた。あと、さりげなく荷物を持ってくれるのはあざとかったけど、嬉しかったな。

 ディスティニーランドで葉山先輩に振られた後も、先輩が傍にいてくれた。振られたのはすごく悲しかったけど、先輩のお陰で寂しくはなかった。

 まあ……振られるのは分かってたけど。あれは自分の中での区切りというかケジメみたいなものだったし。

 

 思い返すと、随分助けられたなぁ。

 

『責任とって、くださいね』

 

 去年のクリスマス前の、あの時を思い返す。

 誰もいない終電間際の電車の中とはいえ、我ながらあんな大胆で恥ずかしい台詞を口に出せたものだ。

 しかも、先輩の耳元に口唇を寄せて。

 先輩の耳に、あたしの吐息が届く距離。互いの頬の熱が伝わりそうな距離。

 先輩とあたしの最接近だ。

 あの時の先輩、耳を真っ赤にして困ってたなぁ。

 今思い出しても体温が少しだけ上がってしまう。

 ──と。

 ダメダメ、今は想い出に浸っている場合じゃなかった。

 会わなきゃ。

 

 敷石の歩道に躍り出る。

 さっき目を凝らした先に向かって、軽い足取りを気取って一歩、また一歩と歩く。そのうちもどかしくなって、早足。そしてついには駆け出す。

 速度を上げると柔らかな空気は風となって容赦なくあたしの前髪をバラバラに分解していく。

 更に足の回転を上げると、ぱたんびたんとみっともない音を立ててローファーの靴底が敷き詰められたタイルを叩く。

 みっともない。そんなの到底可憐な乙女の足音ではない。けど、気にしていられるか。

 今あたしは。

 先輩に会わなきゃならないんだ。理由なんてどうでもいい。こじつけた言い訳なんて要らない。

 ただ、会いたいんだ。

 

「あっ」

 

 走って、走って。人の波が途切れた先。ベンチに腰掛ける先輩の姿が見えた。相変わらずの猫背で何だかほっとしてしまう。

 きっと先輩のことだから、女子二人の買い物の長さに辟易して休憩しに来たんだろうなぁ。

 普段なら減点対象ですけど、今日は許してあげますね、なんて。

 

「と、と、と」

 

 慣性の法則に逆らって急制動をかけ、スパイの様にささっと木陰に身を隠す。

 木陰からちらっと標的を確認し、コンパクトを取り出してチェック、手櫛で跳ねた前髪を整える。

 よしっ大丈夫。今日もかわいいよ、いろはちゃん。

 そのまま鏡の中で二、三度笑顔の練習をして、いざ行かん。

 

 何気なく、さりげなく。さもこの先に目的の店があるかの如く気分を装う。

 あたしは、たまたま買い物に来たんだ。そして奇遇にも先輩に出会うんだ。

 だから、先輩があたしに気づくまでは決して目線は先輩のいる方へは向けてはならない。

 あくまで偶然だから。たまたま通りかかったら偶然先輩に声を掛けられるだけなんだから。

 

 もう少し、あと少しで先輩が座るベンチ。

 さあ、さあさあ。

 もう直ぐ可愛い後輩が通りますよ。

 いつでも準備万端です。遠慮なく声をかけてきてくださいね。

 

 ううっ、ドキドキする。なんでこんなに心臓が踊るんだろう。それになんか汗が出てきちゃう。まだ汗ばむ季節じゃないのに。

 熱くなった顔を隠す様に俯いて、ベンチの前に差し掛かる。

 早く。早く、先輩──。

 

 ──あれ?

 

 あれれ?

 あたし、もう通り過ぎちゃいましたよ?

 もしかして、まったく気づいてない、とか?

 またラノベでも読んでるのかな。

 こうなったら不自然だろうが何だろうが構いはしない。引き返して、あたしから話し掛けてしまおう。

 そうだ、最初からそうすれは良かったんだ。何も小細工する必要なんて無かったんだ。

 いつも通り無遠慮で不躾な後輩として、ずかずかと先輩の領域に踏み込めば良かったんだ。

 まったく、先輩ったら世話が焼けるんだから。

 

 ブーメランの様に弧を描いて、くりんと素早く転回する。どーです、見ましたか先輩。これが葉山先輩直伝のクライフターンですよっ。

 その自称クライフターンの瞬間、視界の隅に映った景色は、さっきとは違う光景だった。

 

「あ、あれ……いない」

 

 さっきまで先輩が座っていたベンチでは、若いお母さんがベビーカーを傍らに停めて小さな子供を休ませている。

 あらかわいい、いくつなのかな〜じゃないっ。

 先輩は、先輩は何処に行ったの?

 

「あ」

 

 きょろきょろと目を走らせると、向こうのショッピングモールの中に入って行こうとするアホ毛が、もとい先輩の後ろ姿が。

 くううっ、逃がしてなるものか。

 こうなったら先回りだ。正面からすれ違えば、いかに先輩といえども気づかざるを得ないはず。

 よし、ダッシュで別の入口から入って、先輩を待ち伏せしてやろう。結衣先輩や雪ノ下先輩に見つかっちゃうかも知れないけど、そん時はそん時だ。

 

 てか今日のあたし、走ってばっかりだなぁ。あーあ、また前髪崩れちゃった。

 

 別の入口に向かって走っていると、前方の自販機前に気配を察知。

 あのお団子頭は……結衣先輩だ。その横には黒髪ロング、雪ノ下先輩もいる。

 おっと、これは予定外。

 再びスパイの如く木に身を隠しながら近寄ってお二人を覗き見ると話し声が聞こえる。

 

「もうっ、ヒッキーったら何処行っちゃったのっ」

「仕方ないわよ。あれだけ騒ぎながら長時間商品を選んでいたら、誰だって店員の目が気になるわ。比企谷くんの性格ならば尚更よ」

 

 むむむ、やっぱり三人揃って仲良く買い物ですか。その割に雪ノ下先輩の表情が優れませんね。しかもお二人も先輩を探している様子。

 

「ご、ごめんね、なかなか決まんなくて。ゆきのんも疲れちゃったよね」

「いえ、まだそれ程は疲れていないわ。まあ、それなりに楽しかった、のかしら」

「──ゆきのんっ」

 

 あちゃー、結衣先輩ったら公衆の面前で雪ノ下先輩を抱き締めちゃって。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん……暑いのだけれど」

「ご、ごめん」

「いえ、以前ほど嫌ではないから構わないのだけれど」

「前は嫌だったんだ!?」

「慣れというものは恐ろしいわね」

 

 ──何だろう。

 結衣先輩と雪ノ下先輩の距離が近い。

 物理的にも近いけど、何より縮まっているのはお二人の距離感だ。以前よりもお互いに遠慮しなくなっている様に見えた。

 これもバレンタインの日に何かがあった影響、なのかな。

 

 心の中を疎外感が吹き抜ける。

 奉仕部のお三方にとってのあたしは、いつまで経っても新参者の生意気な後輩なのだろうか。

 結衣先輩と雪ノ下先輩、それに先輩。

 あの三人と肩を並べる日は……。

 ううん、ダメ。

 こんなのあたしらしくない。

 

「──由比ヶ浜さん、向こうも探してみましょう」

「あ、待ってよ、ゆきのんっ」

 

 雪ノ下先輩が歩き始めた方角は、先輩がいたのと全く逆。

 

 どうしよう。

 出て行って教えるべきか。

 いやいや待って。そんなことしたら怪しまれる。なんであたしが先輩の居場所を知ってるの、ってことになる。

 何か此処にいる言い訳が必要だ。

 そうだ、生徒会の備品を買いに来たという名目にしよう。それなら此処にあたしがいても不自然じゃない。上手くいけば先輩たちとご一緒出来るかも知れないし。

 

 よし、結衣先輩の所へ……あれ?

 いない。雪ノ下先輩の姿も見えない。

 やっちゃった。また見失っちゃった。

 あたし、何してるんだろうな。

 

「──おい」

 

 くっそー、何でいなくなっちゃうの。先輩も、結衣先輩たちも。あたしがいるのを知ってて弄んでるんじゃないでしょうねぇ。

 

「……おい、一色」

 

 あーもう、誰だか知らないけどうるさいなぁ。

 

「なんですかもうっ、人が考え事してる時にっ……へ?」

 

 自分でも驚く程の剣幕で振り返った先には、ビビり顔の──先輩がいた。

 

 やっちゃった。

 

「あ、いや、悪かった。考え事の邪魔してすまなかった。じゃあな」

 

 バツの悪そうな顔を残して立ち去ろうとする先輩の制服、その裾を思わず摘んでしまった。

 先輩は驚きと困惑が混じった顔で振り返る。

 

「あ、その、違い……ます。今日は、生徒会の備品を買いに、その……」

 

 あれ。あんなに京葉線の車内でリハーサルしたのに、練習した台詞が全然上手く言えない。

 てか別にここにいる理由なんて聞かれてないじゃんっ。何を自分から怪しまれる発言をしてるの。

 落ち着け、落ち着け。そう念じるほどに焦っていく自分が分かる。

 

「そ、そうか、じゃあ……なっ!?」

「ま、待ってくださいっ」

 

 再び立ち去ろうとする先輩の制服の裾をぐいと強目に引っぱってみたものの。

 ううっ、気まずい。

 話題、何か話題は……あ。

 

「せ、先輩は何してるんですか。今日は部活休みなんですか」

「あ、ああ、ちょっと買い物に、な」

 

 答えながらも先輩の視線は、あっちを向いたりそっちを向いたり忙しそうだ。

 あのお二人を探してるんだ。あたしが目の前にいるのに。

 でもまあ、それが先輩ですよね。

 頭をフル回転させる。

 ここでお二人が行った方向を教えてあげれば先輩は助かるし、あたしも先輩に恩を売れる。

 でも、もう少しだけ一緒に……。

 頑張れいろはっ。

 いつもの調子で言っちゃえ。

「ちょうど良かった、買い物に付き合ってくださいよ〜」って。

 ほれ、早く。

 先輩があのお二人のことを口に出す前に。

 

「そういや一色、雪ノ下と由比ヶ浜を見なかったか?」

 

 ……はいタイムアップ。

 もう、ぐずぐずしてるから。仕方ない。素直に情報を提供して、いつもの様に貸しを作っておくか。

 

「ゆ、結衣先輩たちなら……向こうに行きましたよ」

「お、そうか。いやあいつら急にいなくなったから探してたんだよ。助かったわ」

「いやいや、先輩が女の子の買い物の長さに疲れて逃げ出しただけなんじゃないですかぁ?」

 

 ぎくりというオノマトペが聞こえそうなくらいに先輩が驚いた顔を向ける。

 

「……なにお前、見てたの?」

「見てなくたって分かりますよ、そのくらい」

 

 逃げ出したと言ったけど、実際は違うのだろう。

 先輩のことだ。自分と一緒に買い物してる結衣先輩たちの姿を誰かに見られたくなくて、さりげなく離れたのだ。

 結衣先輩や雪ノ下先輩が悪く言われない様に。

 本当、自己評価が低いんだから。

 

「ま、ありがとな、助かったわ」

 

 よっこらせ、と、手に提げた紙袋を持ち直して先輩があたしの前を通り過ぎる。

 だめ、だめっ。

 気がつくと、あたしは先輩の後ろから襟首をつかんでいた。

 

「うわっ、何だ、何か悪いことしたか?」

「……してないですけど」

「なら、何だ」

「あ、あたし、もうすぐ誕生日なんですけどっ」

「おう、知ってる。だから今日……あ、いや、何でもない」

 

 え。

 え、え、え。

 ──ええっ〜?

 それって、今日奉仕部のお三方が買い物に来た理由って、もしかして。

 

 咳払いをひとつ。先輩が真剣な眼差しを向けてくる。

 

「いいかお前、今日ここで俺に会ったことは忘れろ。つーか間違ってもあいつらには言うなよ。でないと俺の身が危険だ」

「へ? なんでですか?」

「──理由は言えん」

「はあ?」

 

 本当はもう察しはついている。だけど、まったく分からないふりをして、可愛らしく小首を傾げてみせる。

 それもこれも、先輩がそそくさと立ち去ろうとするからですよ。

 

「あー、とにかくお前、自分の誕生日を誕生日当日まで忘れてろ」

 

 何て言い草だ。

 年に一度の日を忘れろなんて。それに忘れなきゃいけない日までその日のことを忘れていろなんて、矛盾しまくりだ。

 

「無茶言わないでくださいよー、忘れられるわけ無いじゃないですか」

「そうだろうな。だからせめてここで俺と会ったことだけでも忘れろ、な」

 

 まったく。先輩は何も分かってない。

 そっちの方が忘れられませんよ。どんなに些細なことでも、先輩との大事な想い出なんですから。

 

「忘れられるわけ……ないですって」

「お前って、そんなに頑固な奴だったか?」

「知らなかったんですかぁ?」

「いや、まあ、知ってたけど」

 

 ……へ?

 何それ何それ。

 嬉しい、けど。

 

「な、何ですかそれ。お前のこともしっかり見てるぜっていうアピールですか。かなりグラッと来ましたけど今日のところはごめんなさいっ」

「──その無駄に振られた回数、そろそろ三桁の大台に乗るぞ」

 

 え。

 先輩、あたしが冗談で振った回数までカウントしてくれてたの?

 几帳面というか、よく見てるというか、心をくすぐるのが上手過ぎです。でもそれ無意識で言ってるんですよね、先輩は。

 はぁ、先輩と付き合ったら苦労しそうだなぁ……って、違うからっ。

 ……いや、違わないけど。

 

「ま、そのうち由比ヶ浜あたりから連絡がいくだろ。それまで大人しく沈黙を貫いてろ」

 

 あ。

 言葉の途中でちらっとあたしを見た時の、照れる様な優しく柔らかい目。

 見ちゃった。ばっちり見ちゃった。

 

「……分かりました」

 

 まあいいです。

 今日はこのくらいで勘弁してあげます。色々とご予定もあるみたいですし。

 

 でも、すっごく楽しみにしてますよ。

 あたしの十七歳の誕生日は、もうすぐなんですからねっ。

 

  了

 




「一色いろはは疾走する。」をお読みいただき、本当にありがとうございました。

明日、4月16日は一色いろはの誕生日。
きっと数多くの誕生日SSが投稿されるでしょう。
なので私は敢えてその前を書きました。

というわけで少し早いですが、

☆★☆ HAPPY BIRTHDAY いろはす ☆★☆



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奉仕部
暇つぶし


依頼が来ない奉仕部。
持ち込んだ本を読んでしまった比企谷八幡は暇を持て余しているようで。


 

 麗らかな日差しの降り注ぐ奉仕部の部室で、俺は暇を持て余していた。

 持参したラノベは読み終えてしまい、スマホも電池残量が少ない為に使えない。

 

「あー、暇だな」

「そうね。最近依頼は来ないし、由比ヶ浜さんも用事でお休みだし。でも、いつも通りじゃない」

 

 そうなんだよ。そうなんだけどさ、手持ち無沙汰なんだよな。

 由比ヶ浜でもいたら揶揄って遊ぶのだけど。それに、雪ノ下と二人っきりなのも久しぶり過ぎて何か変な感じがするし。

 ともかく、今の俺には暇つぶしの武器が何ひとつ無い状態だ。

 

「そりゃそうだけど……暇だわー、暇、ひーまー」

 

 ギャーギャーと喚いていると、突如冷気が襲ってきましたよ。

 ぱんっ、と本を閉じた雪ノ下がこちらに冷たい視線を向ける。

 やべ、怒らせたか。

 

「あなた、いつも読んでいる如何わしい小説はどうしたの?」

「さっき読了しちまった。全然如何わしくないけどな」

 

 訂正を添えて応えると、再び雪ノ下は本を開く。

 

「ーーそう、ご愁傷様」

「別に不幸は無いからな」

 

 雪ノ下は、ふふっと笑みを漏らした。

 その表情は余りにも柔らかで、麗らかな今日の陽気とベストマッチングである。

 が、それも長くは続かない。人生とはそう云うものだ。

 一旦俯いた雪ノ下は、今度は素晴らしく良い笑顔をこちらに向けてくる。

 これはアレだ。罵倒の前兆だ。

 

「そうだったわね、ごめんなさい。あなたの場合、生まれた瞬間から不幸が始まっているものね。軽率だったわ」

「いや今の発言の方が軽率だからね。俺だけでなく関係各所に」

 

  * * *

 

「……」

 

 鞄の中をごそごそとあれこれ探してみたが、やはりやる事は見当たらない。

 古文の課題は数学の授業中に終わらせちまったし、数学の課題は(はな)からやる気は無い。

 こうなったら最後の手段、ひとりしりとりでもするか。

 

「ーー最近、あの彼も自作の小説を持ち込まないわね」

 

 ふと、雪ノ下は呟く。

 

「ああ、何でも創作活動に行き詰まってるらしい」

「行き詰まる程の活動をしていたのかが非常に疑問なのだけれど」

 

 確かにそうだな。あいつのは創作活動と云う名の模倣、パクリだ。

 

「私、書物は小説や随筆の類いしか読まないのだけれど……ひとつ物語を思いついたのよ」

 

 へえ、雪ノ下が小説に興味があるとはな。今度材木座にも教えてやろう。接点は出来ないと思うけど。

 

「ほう、珍しいな。どんな話なんだ?」

 

 本にしおりを挟んで、顎に手を当てる。

 

「ジャンルで云えば、いわゆる推理物、かしら。小学生の探偵が難事件を解決していくという……」

「またベタな話だな」

 

 うん。昔の作品にも少年探偵団とかあるし。

 

「まだ話の途中よ。その小学生は、実は高校生が幼児化した男の子でーー」

「ーーはぁ?」

 

 何こいつ。素で言ってるのか。本当に知らないのか?

 

「……何かしら。余りにも荒唐無稽な設定とでも言いたいのかしら」

「いや違う。逆だ。その話……聞いたことあるぞ」

「あなた、私の才能を羨むのは良いけれど、嘘は良くないわ」

「いや、あるんだよ。マジで」

 

 真面目な顔で返すと、可愛い顔を少し傾げた雪ノ下は、何かを思いついた様に話し始めた。

 

「では、設定を少し加えるわ。幼児化するきっかけは、悪の組織の取引現場を目撃してしまった時、口封じに飲まされた毒薬が効かずに幼児化してーー」

「こらこらこら」

「ーー何か?」

 

 マジかこいつ。実は毎週サンデー買ってるんじゃないの?

 

「おいおい、まんまじゃねえかよ」

 

 驚愕の表情を浮かべる雪ノ下に、思わず驚愕する。

 

「ーー驚いた。既に同じ様な作品があるのね」

「いや、まったく同じ。何ならもう何年も続いてて大ヒットしてる漫画だ」

「漫画は読まないから分からないのだけれど。では更に設定を変える必要があるわね」

 

 でも万が一、こいつが何も知らずにその設定を思いついたのなら、天才かもしれない。

 そう思うと、俄然興味が湧いてきた。

 

「例えば?」

「そうね。例えばだけれど、その小学生の近所に発明家の博士がいて……」

 

 はいアウトー!

 

「ちょっと待て。さすがにおかしい。本当は知ってるんだろ?」

「何の話かしら。私は少年漫画は読まないと言っているでしょう」

「何で少年漫画って知ってるんだよ」

「たまたまよ。では、ガラリと設定を変えましょう。少年は探偵では無く、宇宙人にしましょう」

 

 おっ、今度はオリジナルっぽいな。

 宇宙人ということは、スペースオペラか何かか。

 

「ほう、それで?」

「外見はほとんど地球人と変わらない感じね。ずば抜けた強さとしっぽがある以外は」

「……へえ」

「少年は、幼い頃に地球に送られてきたのだけれど、与えられた指令と共に記憶を無くしてしまうの」

「……」

「そして、優しいお爺さんに育てられた少年は、拳法を武器に、集めれば何でも願いが叶うと云う玉を集めてーー」

 

 はいそこまで。

 

「あー、あるなぁ、あるよ、あるんだよそれも」

「そうなの? 世の中って広い様で狭いのね。ではこうしましょう。その玉は、実は神様が作ったもので……」

「だから、まんまなんだって」

「え、ピッコロのくだりも?」

「いるよピッコロも。何なら長きに亘って登場するわっ」

 

 つーか言っちゃった。ピッコロって言っちゃったよ。

 

「ーーそうなのね。やはり私の様な素人の考えることは、既にプロは考えている様ね。さすがはDr.スランプの作者だわ」

「おいっ、やっぱ知ってんじゃねえかっ」

 

 やばい。ツッコミ疲れてきた。つーか何こいつ。俺で遊んでるの?

 

「何おまえ、俺を揶揄ってるの?」

「ブルマ、オラからかってねえぞ」

 

 似てねえ。それ全然悟空じゃねえよ雪ノ下。

 つーか。

 

「思いっきり揶揄ってるじゃねーかよっ」

「誰が?」

「お前がっ」

「誰を?」

「俺をっ」

「どうしてるって?」

「揶揄ってんだろっ」

「それをまとめると?」

「お前は、俺を、揶揄ってる」

「ーー正解よ」

 

 だぁーもうっ。やっぱ揶揄ってたんじゃんか。

 何なの、何なのこいつ。

 わかんない。

 わけわかんない。

 

「ーーじゃあコナンも知ってるんだな?」

「毎週アニメは観ているわ」

 

 ふう、やっと観念したか。いや分かってたけど。

 

「つーか、何でそんな話をしたんだよ」

 

 その問いに微笑んだ雪ノ下は、片目を閉じて答えた。

 

「少しは暇つぶしになったかしら」

 

 ……くそっ、可愛いじゃねえか。

 

 




お読みいただき、ありがとうございました。
今回の話の元ネタは「ウレロ☆未完成少女」というシチュエーションコントドラマの第8話です。
いわば実験ですねw

感想、批評などございましたら、どしどしお寄せくださいませ。
お待ちしております☆


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出し物

初めての台本形式(?)です。



 

 

 

 雪乃「えー、それでは漫才を始めたいと思います……由比ヶ浜さんはまだかしら」

 

 結衣「のっしのっし」

 

 雪乃「ゆっくり歩いて来るのは百歩譲って構わないのですけれど、口で効果音を言うのは何故でしょうかね」

 

 結衣「やっはろっ」

 

 雪乃「何故意味不明の挨拶をしながら胸を張ったのか理解に苦しむのですけれど。私に対する嫌味なのでしょうか」

 

 結衣「みなさん、結衣の胸元、ざっくり開いてますよ」

 

 雪乃「第3ボタンまで開けてたらそうなるという話ですけれども。もう一度言いますけれど、当てつけなのでしょうか」

 

 結衣「最近どうだね、ゆきのん」

 

 雪乃「主語が無い質問には答えようが無いのでスルーしますけれどね」

 

 結衣「へっ」

 

 雪乃「どうやら日本語そのものが通じない様なので、ぶん投げて進めますけれども」

 

 結衣「バシッ」

 

 雪乃「何故背中を叩かれたのか全く意味が分からないのですけれども」

 

 結衣「そこに背中があるからだよっ」

 

 雪乃「何を登山家気取りで言っているのかしら、という感じですけれども」

 

 結衣「ゆきのんは両面背中みたいだから叩きやすいよね」

 

 雪乃「喧嘩売っているのかしら、ということなのですけれど」

 

 結衣「きょうはー、ゆきのんにー、そうだんがー、あるようなー、ないようなー」

 

 雪乃「あるのか無いのかはっきりしなさい、とまたしても少々苛立ちましたけれども」

 

 結衣「じつはですねー」

 

 雪乃「あ、相談はあるようです」

 

 結衣「さいきんー、肩がこるんですけどー、ブラのカップがひとつ上がったせいでしょうかー」

 

 雪乃「まったりとした口調が苛立ちを増幅させるのは置いておきますね」

 

 結衣「ま、ゆきのんには分からない悩みだよねっ」

 

 雪乃「この喧嘩、楽屋に帰ったら買ってやろうかしら」

 

 結衣「というのもー」

 

 雪乃「あ、まだ続く様です」

 

 結衣「重い物を持ったりー、長く勉強してるとー、肩がこるんですけどー」

 

 雪乃「それは普通のことなのですけれど」

 

 結衣「でね、ゆきのん」

 

 雪乃「急に普段の口調に戻ったことに少々動揺してしまいましたけれど」

 

 結衣「肩凝りって、どうやったら治るのかなぁ」

 

 雪乃「それはまあ、マッサージしたりお風呂に入ったり、色々方法があると思いますけれどね」

 

 結衣「あっそうだ、マッサージなんかいいかもね」

 

 雪乃「ええ、たった今それを言ったのですけれどもね」

 

 結衣「あとはー、お風呂がいいとー、思いますー」

 

 雪乃「それも今言ったばかりだし、何故このタイミングで口調がゆっくりに戻ったのか、全く分かりませんけど」

 

 結衣「ゆきのんが早く教えてくれないからだよっ」

 

 雪乃「聞いていないだけなのではないでしょうかね」

 

 結衣「ゆきのん、なんか冷たいね」

 

 雪乃「散々人の身体的特徴を小馬鹿にしておいてよく言えるわね、と声を大にして訴えたい気分なのですけれど」

 

 結衣「ゆきのんは、あたしのこと嫌い?」

 

 雪乃「いや本気で嫌ってたらこんなに楽しく漫才なんてしないわ」

 

 結衣雪乃「「へへへへ〜」」

 

 雪乃「どうも、ありがとうございました」

 

 結衣「やっはろ〜」

 

  * * *

 

「でさ、ゆきのん。これ今年の文化祭でさ……」

「──却下よ」

 

 言い終える前でカットインされ、尚且つにっこりと笑いながら拒否された由比ヶ浜は、ガビーンと効果音がしそうなくらいにショックを受けている。

 つーかさ、何で漫才の台本なんか書いて来たんだよ。で、何で「ズレ漫才」なんだよ。

 ピンクのベストは似合いそうだけどさ。

 などと溜め息混じりで思案していると、由比ヶ浜が雪ノ下のブレザーの袖をくいくいと引っ張り出した。

 

「えーっ、昨日寝ないで考えたのにぃ」

「ちょ、ちょっと、近い……はぁ、分かったわ。少し考えてみましょう」

 

 おお、相変わらず由比ヶ浜に甘いのね。チョロノ下さん。

 

「……仲のよろしいことで」

「あっ、次はトリオのリズムネタ作ってくるから、ヒッキーも参加してね」

 

 ──次はロ◯ートかよっ。

 




お読みくださいましてありがとうございます!
台本形式というか、まんま台本のお話でしたw


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本牧牧人の生徒会事件簿
発端


三年生になったばかりの四月。
総武高校ではある小さな事件が起こった。



 

 念願の総武高校に入学して、三年生の春を迎えた。

 生徒会副会長として活動してきたこの半年間、思えば苦労の連続だった。

 まあ、その苦労の大半は生徒会長のせいなのだが。

 昨年の末、新しい生徒会長となったのは一年生の女子だ。

 この一色いろはという女子、会長となった当初は意思の疎通もままならず、色々とあった。不満に思うことも多々あった。

 書記の藤沢さんと会長の愚痴を言い合った時期もあった。勿論校内で愚痴ることは危険なので、外で落ち合って互いの不満を解消し合ったりしていた。

 だが、半年も一緒に活動すれば何となく気心も知れてくる。

 故に、気軽にこき使われる頻度も増してきたのだが。

 

「副会長、ちょっといいですかぁ」

 

 ああ、この言い方。この顔。

 ──新たな厄介事の始まりだ。

 

「最近、新聞部の壁新聞が剥がされちゃうみたいなんですけど、何でですかね」

「さあ、誰か特定の人物を揶揄する様な記事を書いていた、とか?」

「それ、来週までに調べてくださいね。あたしはちょっと奉仕部に行ってきますんで」

 

 ──はあ。

 やっぱり厄介だなあ。

 そもそも生徒会は、校内の自治組織の様な意味合いしか無く、そこには警察の様な仕事は含まれてはいない。

 それに会長のやっていることは(てい)の良い丸投げだ。

 去年の海浜総合とのクリスマスイベントの会議がフラッシュバックする。

 

 ──あの時は酷かった。

 笛吹けど踊らず、という言葉があるけど、あの会議室では笛を吹く人間すら居なかった。

 で、年下の一色会長は海浜総合の玉縄会長(ろくろまわし)に小間使いの如く扱われ、その雑務は全て俺や書記の藤沢さんにしわ寄せされた。

 比企谷たち奉仕部が参加してくれなければ、あの状況は打破出来なかったし、奉仕部の助力を得た一色会長は人が変わった様に総武高校側の意見を出した。

 

 藤沢さんは、「会長って本当に比企谷さんを好きなんですね」などと云っていたけど、恋愛沙汰に(さと)いと自負する俺の目から見たら、あれは恋慕の情では無い。

 それよりも深い、親愛の情だろう。

 きっと今頃は、奉仕部でその比企谷を揶揄って遊んでいるのだろうけど。

 

「副会長……」

 

 書記の一年生、藤沢さんが同情の眼差しを送ってくる。俺は苦笑いしか返せなかった。

 

  * * *

 

 さて、である。

 まずは事実確認だ。

 毎週月曜日に校内の掲示板に貼り出される校内新聞。それを編集、発行しているのが新聞部だ。

 壁新聞の盗難が始まったのは新学期早々。

 まずは、どんな内容の記事が書かれていたかを確認しなければ。

 

「藤沢さん、ちょっと新聞部に行ってくるけど、一人で大丈夫?」

 

「はい、大丈夫です。けど……出来れば早めに戻って頂けると、あの……」

 

 俯き加減で顔を赤らめてごにょごにょと細い声で喋る書記の藤沢さんを見ていると、少々心配になってしまう。

 

「──ちょっと話を聞いてくるだけだから。わかんないとこは飛ばしてくれていいからね」

 

「そういうことじゃ……ない、んですけど」

 

「何にしても、会長からの難問を解かなきゃいけないし、ちょっとの間頼むよ。何かあったら連絡くれれば良いから」

 

 もにょもにょと口ごもりながら下を向く藤沢さんを一人残していくのは不安だったが、年下の会長の説教を聞くのは正直遠慮したい。

 儚げな藤沢さんの不安顔に後ろ髪を引かれつつ、新聞部へ向かった。

 

 新聞部は、部室として視聴覚準備室を使っている。確か部員は四名、だったかな。

 

「生徒会です、失礼します」

 

 引き戸を開ける。

 薄暗い室内。雑多に積み置かれた機材やスピーカー類。その奥、窓際の卓に女子が一人、座っている。

 いや、座っているというのはちょっと違うか。

 キャスター付きの椅子の背もたれに思い切り身を預けて、その首は背もたれからはみ出している。手足は力無く投げ出されていて、その様子から伺えるのは、明らかな倦怠感であった。

 

「ど、どうしたんですか!?」

「……触んないで」

「でも、体調悪そうだし.保健室に──」

「──放置希望」

「……は?」

「放っといて、って云ってんの」

 

 どういうことだ。

 彼女に何があったんだ。それに、他の新聞部員はどうしたんだ。

 四人掛けの長机の上には、書きかけの原稿や紙束が積まれていて、その横にはスリープ状態のノートパソコンがそっぽを向いている。

 これは明らかに正常な部活動が営まれている状態ではないのだが、今は用件を済ませなければ。

 まずは盗まれた壁新聞の原稿を確認しなきゃな。

 

「あの、盗まれた壁新聞の原稿があったら見せて欲しいんだけど。もしかしたら盗まれた原因が分かるかもしれないし」

「……原稿? とっくに処分したわよ、そんなもん」

 

 原稿を処分した……?

 どういう理由で?

 

「じゃあ、どんな記事を書いたかだけでも教えてもらえれば──」

 

「しつこい。生徒会だか何だか知らないけど、あんた何様? こんなとこに来る暇があるなら早く犯人見つけてきなさいよ、無能」

 

「……明日また出直して来ます。それまでに原稿の下書きでもメモでも、何でも良いから手掛かりになりそうな物を……」

 

「っさい。手掛かりは無い。心当たりも無い。早く犯人見つけろ。以上」

 

 それきり女子部員は一言も話さなくなった。しばらく待ってみたけど、他の部員が来る気配も無い。

 まあ、ここで時間を浪費しても仕方がない。とりあえず生徒会室に戻るか。

 

 廊下を歩きながら考える。

 何だ。何なんだ。

 まったく意味が分からない。

 大体、普通に考えれば、壁新聞が盗まれたなら新たに原稿を印刷し直せばいい。

 しかしその原稿を処分したというのは、どういうことだ。

 不自然だ。違和感しか抱けない。

 考えながら階段を下りていると、踊り場の窓から特別棟が見えた。

 ──あいつなら……比企谷なら、どう考えるのだろうか。

 昨年末、発足したばかりの生徒会は比企谷に、奉仕部に助けられた。それからも幾度となく比企谷の助力を得て、何とか運営出来ている状態だ。

 その大概は会長が自分の仕事を押し付けているだけだけど。

 あいつは常に発言の裏側を考える奴だ。表面上の主張に隠された真意、それを見抜く天才だ。

 

「裏側……真意、か」

 

 俺は、思考の海を泳ぎつつ生徒会室へと向かっていた。

 

 




お読み頂きまして誠にありがとうございます。

このお話は4話か5話くらいになります。
まだ続きは書けていないので不定期になると思いますが、何卒よろしくお願い致します。


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考察

新聞部から戻った本牧牧人は、糖分補給に向かった先であの人物と出会う。


 

 書記の藤沢さんが一人待つ生徒会室に戻った俺は、席に着くなり部活動名簿を漁り始めた。

 その唐突とも見える行動に、藤沢さんは怪訝そうな表情を向けてくる。

 

「ふ、副会長、なに……してるんですか?」

 

「ん? ああ、ちょっと気になることがあって」

 

「へえ、どんなことですか」

 

「うん。新聞部の部員をね……」

 

 書記の藤沢さんが顔を寄せて覗き込むのを少しだけ避けながら、俺は新聞部の名簿に目を通す。

 

「そうなんですか。あっ、それって今回の盗難事件と何か関係が……」

 

「ちゃんと調べないと分からないけどね」

 

「そう、ですよね……あっ」

 

 何かを思いついた様に呟いた藤沢さん。何故顔が赤いのか。風邪かな。

 しかし……可愛くなったな、藤沢さん。

 以前から可愛かったけど、最近は何というか、庇護欲をそそるっていうのかな。

 あの会長の下で働く者が共有する疲労感が、元々儚げな藤沢さんを一層か細く見せているのかもしれない。

 一種の吊り橋効果って奴だな、これは。

 

「そ、その、今度……あの、甘い物でも……」

 

 へえ、藤沢さんって中々博識だね。

 疲れた脳の回復には糖分摂取が良い。

 

「そうだね。甘い物を食べると脳の働きが良くなるよね」

「そう、じゃないんです、けど……そうですね」

 

 ならば善は急げだ。

 校内で手に入る甘い物といえば、あいつが飲んでいたあのコーヒー。

 

「ごめん、ちょっと購買に行ってくる」

 

 俺は校舎一階、購買の自販機へと急いだ。藤沢さんも疲れているだろうから、何か甘い飲み物を買って行ってあげよう。

 購買の自販機に着くと同時に、ベンチに見知った顔に出会った。

 ──比企谷八幡。

 表面上は、悪い噂の絶えない嫌われ者。だがその実態は、非常に頭の回転が速く、聡明な人物。

 単独行動を好み若干捻くれてはいるが、自分の手柄を鼻にかけない、実に控え目な人物だ。

 冷静沈着。決断力があり、自分が泥を被るのを厭わない。

 彼の様な人物こそ、真のナンバー2に相応しい人物なのかもしれない。

 その彼の目が俺を捉えた。

 

「おう、便所で尻を副会長」

「……小遊三師匠だね」

 

 古いネタだ。

 生徒会副会長になったと聞いた親戚の叔父さんが酔って云ってたけど、高校生の口から聞いたのは初めてだ。

 しかし、まさか比企谷がそんな軽口を言うなんて。思いもしなかった俺は、少々驚く。

 奉仕部として、幾多の依頼をこなしてきた比企谷。

 ここで彼に相談するのは簡単だ。

 そして、きっと彼なら独自の視点と持ち前の頭の回転で、解決の糸口を見つけてくれることだろう。

 だが、俺のちっぽけなプライドがそれを邪魔した。

 小さい人間だな、俺は。

 そんな愚考を重ねていると、比企谷から話題を振ってきた。

 

「おたくの会長さん、奉仕部に入り浸ってるんだけど。早い内に引き取りに来て欲しいんだが」

 

 やはり会長は奉仕部か。

 よっぽど居心地が良いのか、はたまた比企谷が目的なのか。

 クリスマスイベント以降の会長は、何やかんやと理由を作っては奉仕部に行っている。時には比企谷を連れて生徒会室に戻ってきたりした。

 その時の比企谷の嫌そうな表情は傑作で、笑いを噛み殺すのに苦労したものだ。

 もしかして会長は……などと、少々下世話な興味も湧いてくる。

 

「奉仕部では会長は何を?」

「別に。ただ雪ノ下が淹れる紅茶を飲んで寛いでるだけだ」

「はあ、要はサボりか」

 

 呆れて乾いた笑いを零すと、比企谷は意外な言葉を喋り出した。

 

「ま、一年生で生徒会長になっちまったからな。さらにサッカー部のマネージャーもしてるし、色々大変なんだろうよ」

 

 ……。

 今日は驚いてばかりだ。

 まさか比企谷の口から、あの会長を擁護する発言が出るとは思わなかった。となると、嫌そうに会長の手伝いをしているのも満更でもないってことなのか。

 比企谷って、俺と違って女子の気持ちに鈍感そうだからなぁ。

 

「そう、だね。意外とやる事多いからね、生徒会って」

 

 俺も同調して軽くフォローを入れておく。

 比企谷は、甘ったるい例のコーヒーを飲みながらそんな俺を射抜く様に見つめてくる。

 光の無いその目は、まるで万物を見透かす様に思えてしまう。

 

「──つーか、何で会長に立候補しなかったんだ。お前なら会長に適任だったろうに」

 

 またまた驚いた。

 比企谷が俺にそんな質問を投げかけるとは。

 単なる興味本位かもしれない。ただの話題提供かもしれない。

 だけど、何故か俺は語りたくなってしまった。

 

「俺はさ、昔からナンバー2が好きなんだよ。

「ほう、朱乃(あけの)さんや紫音(しおん)さんが好きなんだな」

「ちょっと何を言ってるか分からないけど……軍師っていうのかな、そういうのに憧れてたんだ」

「──中二病か」

 

 一瞬でバレた。

 かつての俺は、三国志の世界に憧れていた。

 魏、呉、蜀の三国に分かれて繰り広げられた戦乱。

 そこには数々の武将と共に何人かの軍師と呼ばれる知恵者が登場する。

 魏でいえば賈詡(かく)程昱(ていいく)司馬懿(しばい)、呉ならば周瑜(しゅうゆ)が挙げられる。

 そして、蜀漢には言わずと知れた名軍師、諸葛亮孔明(しょかつりょう こうめい)がいた。

 結局統一を果たしたのは魏の軍師、司馬懿の血筋だったけど。

 おっといけない、頭の中が三国志で満たされてしまう。

 

(もと)だ、元。今は完治してる」

 

 慌てて訂正するも、時すでに遅し。比企谷はにんまりと笑っていた。

 

「へぇ、副会長が中二病だったとはな。今度、その治療法を材木座に教えてやってくれ」

 

「材木座って、うちのクラスの……あいつか」

 

「ほう、あいつにもクラスメートが存在したのか」

 

 思わず苦笑してしまう。確かに材木座は一人でいることが多い。というか、存在が浮いている。

 何せ、あの格好だ。夏場でもコートを羽織る肥満体は、一般の生徒から見れば異質過ぎる。

 

「……で、何を悩んでいるんだ、副会長」

 

 ──は?

 なんで?

 

「な、悩んでいる様に見えたか?」

 

「ああ、あの会長のナンバー2をやらなきゃいけない時点で悩みだらけだろ」

 

「まあ、そうだな」

 

 思わず納得して、深く頷いてしまう。こんな所を一色会長に見られたら、二週間はぐちぐちと言われ続けてしまうだろう。

 それは構わない。

 トップのストレス発散の捌け口も、ナンバー2の役目だから。

 ただ、その時の書記の藤沢さんの憐れみの目だけは耐えられない。

 

「あいつ……いい性格してるからな、苦労が目に浮かぶ」

 

 いい性格、か。

 まあ、一年生で生徒会長をやれるだけの(したた)かさはあるな。

 例えるならば、小覇王と呼ばれた孫策(そんさく)みたいな……だからもう俺は完治したんだってばっ。

 気を取り直して比企谷をみると、彼も疲れた様な笑みを浮かべていた。

 

「比企谷も同じ苦労をしてるんだろうけどな」

 

「俺は、あれだ。あいつを生徒会長にさせちまった責任、って奴だ」

 

 その経緯は俺も聞いている。というか、頼んでもいないのに会長から幾度も聞かされた。

 

「ずいぶんと律儀だな」

 

「ま、それも今年の秋、生徒会の任期が終わるまでだな」

 

「先は……長いな」

 

「ああ、まったくだ。だから早めに引き取って貰えるとすっげぇ助かる」

 

 俺は、答える代わりに力無く笑っておいた。

 そういえば、比企谷とこんなに話すのは初めてだ。

 初顔合わせは、新生徒会にとって初の大仕事となった、去年のクリスマスイベント。

 あの時は痛快だったな。

 うちの会長が攻めあぐねていた海浜総合の生徒会長(ろくろまわし)を、比企谷と雪ノ下さんがとっちめたあの一件。

 あれで俺の中での比企谷の評価は一変したんだ。

 

「比企谷」

「あん?」

「お前さ、新聞部の壁新聞って読んだことあるか」

 

 気づけば語っていた。もう俺の安いプライドなんて、どうでも良かった。

 

「いや、無い。壁新聞を読む行為は目立つからな」

「そうか。あれって結構読んでると目立つよな」

 

 掲示板の前に立って読んでいるだけで目立つ。ならば、貼る時もかなり目立つよな。

 それを剥がして持ち去るとしたら、もっと目立つだろう。

 そこまでして盗む理由が犯人にはある、のだろうか。

 そして、盗まれた壁新聞には、一体何が書かれていたのだろう。

 

「まあ、新聞部も大変だよな。ほぼ誰も読まない新聞を毎週発行してるんだから」

「そうだな。たまに壁新聞の存在意義が分からなくなるよ」

「存在意義? そんなもん無いだろ。あるのは読まれない事実だけだ。そんな新聞、俺ならまず発行すらしないけどな」

 

 辛辣な物言いだけど、比企谷の言い分も一理あるな。

 誰も読まない新聞を作り続けるだけのモチベーションは、維持するだけでも大変だろう。

 

 ──あれ。もしかしたら、解決の糸口が見えてきたかもしれない。

 少なくとも、先程よりかは幾分気持ちが軽い。

 

「なんか、比企谷と話しているとすっきりするな」

 

「あ? どういう意味だよ」

 

「いやね、さっき──」

 

 俺は、先ほど新聞部を訪ねた時の顛末を比企に話した。

 

「ほーん。そういうことがあったのか。最近壁新聞が掲示板に無いと思ったら、新聞部がサボってたのかよ」

 

 ──!

 そうだ。盗まれたのではない。元々発行していなかったのだ。

 そう考えると、原稿が残されていないのも納得出来る。

 だとしたら、何故そんな嘘を吐いたのか。

 それは明日の聞き込みで解明するしかない。

 

「ま、頑張ってくれや」

「ああ、ありがとう」

「素直に礼なんか言うんじゃねえよ、気持ち悪いから」

 

 いや、本当に助かったんだよ比企谷。

 あと書記の藤沢さんにもお礼に何か飲み物を買っていこう。なんか風邪引いてるみたいだし。

 

  * * *

 

 翌日の昼休み。

 俺は昼食もそこそこに席を立った。

 

 




お読み頂きましてありがとうございます。

次回もまたよろしくお願い致します。


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打開

どうしよう、ラストがまだ書けてない……。




 翌日である。

 今回の事件は、新聞部が発行する壁新聞が新学期開始以来続けて盗まれた、というものだ。

 そしてその事情を聞く為に、俺は昨日会った彼女以外の新聞部員に話を聞くことにした。

 新聞部の部員構成は以下の通りである。

 

 部長 三年女子 相沢るい

 部員 三年男子 竹村(あたる)

 部員 二年女子 本郷梅子

 部員 二年女子 中屋敷カヤ

 

 昼休み、竹村と本郷さんの教室を訪ね終えた俺は、手詰まりを感じていた。

 まず、三年生の竹村だ。

 クラスメートの話では、竹村は今年の四月からテニス部に所属しているという。

 高校三年生から運動系の部活に入るなんてチャレンジャーだな。

 

 次は、本郷という女子。

 二年C組の扉を開けて、黒板の前に溜まっていた女子達に声をかける。

 

「すまない。本郷さんを呼んでもらえるかな」

 

 声をかけた瞬間、女子達の会話が止まった。怪しい奴を見る様な視線が一斉に俺の頭から爪先までをじろりと舐めた。

 生徒会という名称を出すべきか逡巡していると、一人の女子が低い声音で言った。

 

「──本郷さんはお休みですよ」

 

 その女子の物言いからは、悪意に近い感情が見えた。

 

 さて、残るは三人目、二年F組の中屋敷さん。

 もしも中屋敷さんまで居なかったら、早期の解決は不可能だ。

 

 二年F組の教室。扉に近い女子の集団に声をかける。

 

「あの、中屋敷さんはいるかな」

「……はい、中屋敷ですけど、誰ですか。何か用ですか」

 

 談笑する女子の一団から訝しげな表情で出て来たのは、明るい茶髪のショートボブの女子だ。

 

「新聞部について聞きたいんだけど、時間もらえるかな」

「──まあ、いいですけど」

「ありがとう」

 

 俺は、中屋敷さんを伴って廊下に出る。歩いている途中で自己紹介をし、用件を話す。

 校舎の端っこ、階段の前まで歩くと、二年生の中屋敷さんは顔を強張らせて振り向いた。

 

「あたし、もう新聞部辞めたんで詳しくは分からないですよ」

「うん。聞きたいのはその話なんだ。相沢さん以外、みんな新聞部を辞めちゃったのかな」

「……知ってる事しか話せませんよ」

 

 当然だろう。知らない事を適当に捏造されても困る。

 前置きして語り出した中屋敷さんは、何処か寂しげである。

 結果からいうと、相沢さん以外は新聞部を辞めていた。

 

 新学期に入ると、突然竹村は新聞部を辞めた。

 理由は、テニス部に入為。

 

「ーー竹村先輩は、今年卒業した橋戸(はしど)先輩のことが好きだったんですよ」

 

 卒業生、元新聞部長の橋戸京子。

 彼女は大学でテニスサークルに所属したという。この情報を竹村に教えたのは二年生の元新聞部員、本郷梅子だという。

 未だに橋戸先輩に想いを寄せていた竹村は、少しでも橋戸先輩に近づきたくて、テニス部に入部したらしい。

 

「竹村先輩はもう三年生、大会だって出られないのに今頃からテニスを始めても……無理なのに」

 

 中屋敷カヤの表情は、沈んでいた。

 

  * * *

 

 俺は、仮説を立ててみる。

 勿論証拠なんて無い、ただの推測だ。

 新聞部から竹村が辞めた理由。本郷さんが辞めた理由。

 きっとそれは、中屋敷さんが辞めた理由と同位相にある。

 今日の語り口調から見て、中屋敷さんは竹村に好意を寄せていたのだろう。

 そして、もしも本郷さんもそうであったなら。

 竹村が去った新聞部に残る理由は無い。

 そして……相沢さんだけが新聞部に残された。

 

 壁新聞は、毎週一回、B4のサイズで発行される。

 その記事作り、レイアウト、校正を一人で行うのは無理だ。故に、相沢さんは新聞部の活動を放棄した。

 これを相沢さんに突き付ければ、盗難事件は虚言である事を白状させられるかもしれない。

 ーー駄目だ。

 これでは根本的な解決には程遠い。

 

 放課後、無人の生徒会室に鞄を置いた俺は、購買に向かっていた。

 目的は比企谷だ。

 あいつなら、俺とは違う観点から何かを見つけてくれるかもしれない。

 だが、奉仕部に直接尋ねるのは躊躇した。奉仕部に赴いて話せば、この件は依頼になってしまう。

 

 購買の自販機の前に、目的の人物はいた。

 昨日と同じ、甘ったるいコーヒーを飲みながらテニスコートを見つめていた。

 

「よう、比企谷」

「おう、生徒会探偵」

 

 呼ばれ方に若干の戸惑いを覚えたが、今はそんな場合では無い。

 しかし。どう話すべきか。

 

「今日も会長がお邪魔してるのか?」

 

「ああ、今頃は女子会の真っ最中だろう。ったく、俺がいるのにあんな話を始めやがって……」

 

 比企谷は逃げてきたんだな。

 脳裏に意地悪な想像が浮かぶ。

 奉仕部の二人は、たぶん比企谷を好きなのだろう。そこへ会長だ。

 きっと比企谷の前で恋愛の話、いわゆる「恋バナ」でも始めたのだろう。

 ちらちらと比企谷を見ながら。

 その余りにもあり得る妄想に自爆して笑ってしまう。

 

「んだよ、何笑ってやがる」

 

「あ、いや。比企谷は人気者だな、って」

 

「うるせぇ。お前はどうなんだよ。あの書記の子とか」

 

「え? 藤沢さん? 無い無い。可愛いとは思うけど、俺なんか相手にされてないよ」

 

 なんでここで藤沢さんの名前が出てくるんだ。

 まさか俺が藤沢さんをちょっといいな……なんて思ってるのを知ってるのか。

 いや、無いな。誰にも云ってないし。

 

「ところで」

 

 ちゃぽんと缶を揺らした比企谷がこちらを見据える。

 

「昨日の件は、何とかなったのか」

 

「あ、いや。まだだけど……」

 

「そうか」

 

「ああ。だけど比企谷の言ったので正解かもしれない」

 

「あん?」

 

「元々壁新聞は発行してなかった、ってヤツだよ」

 

「理由を聞いてもいいか」

 

 俺は昼休みに中屋敷さんに聞いた話を比企谷に説明した。比企谷は少し考え込んでいたが、突然、思考を終えた様に息を吐いた。

 

「で、どうする」

 

「え」

 

「虚偽の報告をした新聞部に対して、お前はどうするんだよ」

 

「そりゃ、新聞部の言い分を聞いた上で事態の収束を──」

 

「へえ、で、新聞部はどうなる。部員が一人しかいないのなら、今後も毎週壁新聞を作るのが無理な状況は変わらない訳だが」

 

「それは……元いた部員に何とか戻ってもらって──」

 

「本人たちにその意志はあるのか」

 

 言葉に詰まる。

 そんな俺を見て、比企谷は尚も言葉を続けた。

 

「元々、部活なんてのは自分の意志で所属するもんだ。俺は強制だけどな」

 

 自嘲気味に笑う比企谷は、甘ったるいコーヒーを一口煽り、さらに重ねる。

 

「辞めるには辞めるなりの理由があった筈だろ。それを再三の説得によって本人の意志を捻じ曲げるのなら、それは強制と変わらない」

 

 断じる比企谷に苛立つ。

 その原因は、比企谷の意見が正論だからに他ならない。

 だけど、だからと云って。

 

「──だ、だったらどうすればいいんだ。お前ならどうするって云うんだよっ」

 

「俺なら、新聞部は廃部にする。たった一人で新聞作りなんて無理だからな。存在するだけ無駄だ。ま、そんな新聞部に入る奇特な奴がいれば話は別だけどな」

 

「そんな人間なんか簡単に見つかる訳がない」

 

「手伝える人間なら、一人だけ心当たりがある」

 

 比企谷は、にやりと笑いながらスマートフォンを取り出した。

 

 

 

 




今回もお読み頂きましてありがとうございます。
次が本牧牧人編最終話となる予定です。
まだ書けてませんけど(遠い目)

明日の投稿は……難しいかな。

あと、八幡が捨てたはずのマッカンを飲んでる感じに書いていたので、さりげなく修正しました。


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解決、そして

自称恋愛に敏い副会長、本牧牧人は、比企谷八幡に招聘された人物を新聞部に導く。



 

 人気(ひとけ)のない放課後の校舎の廊下を新聞部の部室へ向かう。

 後ろにコートを(まと)った同級生を一人引き連れて。

 

「──(われ)は本来、色々と忙しいのだが」

 

 我がクラス内で、飛べない豚、肉塊、ボンレスなどと揶揄されている、材木座義輝。

 

 およそ二十分ほど前──

 比企谷に呼び出された彼は、数分の内に購買の自販機の前に現れた。

 暑苦しいコートを身にまとってゼェゼェと肩で息する彼に、比企谷は無慈悲な指令を下す。

 

「材木座。お前な、新聞部を手伝え」

 

「な、なんだと。(われ)には偉大なる創作活動が控えて──」

 

「あー、お前のこないだの小説な、あれダメだ。難解な上に読みにくい。あと比喩が的外れだし、何だ冥土の土産(メイド イン ヘブン)って。新聞部で人に伝える文章の書き方を学べ。そうすりゃ少しはマシになるだろうよ」

 

 よくもまあ、つらつらと出任せが出ると思って苦笑しながら聞いていたが、当の材木座はしきりに唸っている。

 

「──ほむん、要はあれだな。我が有り余る才能を表現する為には、精進が必要だということだな」

 

「もうそれでいいや。これ以上の説明は面倒だし」

 

 これ以上の説明は無意味と悟ったのか、突き放すようにしっしっと手を振る比企谷。それに対して材木座は何故か上機嫌である。

 

「あい分かった。ならば精進の後、貴様に更なる傑作を叩きつけてやるとしよう」

 

 え、今ので納得したの?

 本当にそれでいいのか材木座。

 もう高校三年生だぞ。受験が控えてるんだぞ。

 まあ、本人にやる気があるなら止めはしないけども。

 

 で、現在に至るのである。

 意気揚々とコートの裾を棚引かせて歩く材木座を、ちょっと格好良いと思ってしまったことは内緒だ。

 

「──他ならぬ八幡の頼みだから、こうして直々に出向くのであるぞ」

 

 言葉とは裏腹に材木座の足取りは軽い。

 付け足すように俺が云った「今、新聞部は結構可愛い女子一人しかいないんだ」という言葉が大きかったのだろうか。

 彼だって健全な男子だ。女子と二人きりになれる場に魅力を感じない訳がない。

 男女の機微に敏い俺には、まるっと全てお見通しなのだ。

 

「生徒会です、失礼します」

 

 ノックの後に扉を少しだけ開け、隙間から伝える。

 

「──帰れ」

 

 返された言葉は昨日と同じだが、その語気は昨日よりも強い。

 

「今日は提案に参りました」

 

 昨日と同じ席に座って突っ伏す女子──相沢るいは、訝しげに俺を見上げた。

 

「壁新聞の発行を、月に一回にして欲しいんだけど」

 

 理由は告げないで、主旨だけを伝える。

 

「ふーん、ま、どうでもいいけど」

 

「それと、一人、新聞部を手伝いたいという人物を紹介したいんだけど」

 

 ひくん、と相沢さんの長い髪が揺れた。

 

「はぁ?」

 

 顔を上げた相沢さんの視線が、俺と材木座を往復する。

 まあ、ぱっと見は怪しいよな。よく見れば……それでも怪しいか。

 

「材木座義輝、俺の同級生だよ。こいつは自作の小説を書いていてね、文章を書くのには向いていると思うんだけど」

 

 相沢の視線は材木座に移っている。

 その巨体の爪先から頭の天辺まで走査線の如く視線を走らせた相沢は「異形ね」と呟いた。

 

「ほむん。異形で何が悪い。そもそも物書きとはオリジナリティを武器とする人種である。俗世と違う価値観を有するのは当然の理であるっ」

 

 太い腕を肥えた腹の上で組んだ材木座が高らかに語った。

 

「あんた、バカでしょ。物書きに必要なのは、共感を得ることなの。奇抜でキモい格好をすることじゃないの。そんなんじゃ、あんたの作品もロクな読み物じゃ無いわね」

 

「笑止っ! 書かぬ輩が物書きを語るなど、片腹痛いわっ」

 

「お、おいっ材木座。それは言い過ぎじゃないのか」

 

 俺は材木座の小説を読んだことは無い。しかし比企谷の言葉を聞く限り、読みたいとは思えない。

 対して相沢るいには、新聞部で人に伝える文章を書いてきた実績がある。物語を創作するのとは違うかも知れないが、書くという作業においては相沢に一日の長がある様に思えた。

 ちらと相沢の様子を窺う。が、その表情は穏やかで、その口元には笑みさえ浮かべている。

 それは、初めて見る相沢るいの感情だ。

 備品のノートパソコンを開いて、画面を表示させる相沢。そこにあるのは、ただの文字列。新聞の原稿だろうか。

 

「ふん、新聞の原稿を書いている程度で(われ)の執筆能力を推し量ろうなど、笑わせ……ん?」

 

 材木座の嘲りが止まったかと思ったら、今度は食い入る様にノートパソコンの画面の文章を読み始めた。

 そして、何かに恐れおののいた風に後ずさりする。

 しかし材木座って、こんな芝居がかった言動しか出来ないのか。一々面倒臭い。担任や親御さんはどう思っているのだろう。

 後退を続ける材木座は、ついに準備室の壁に背中をつけた。

 

「ま、まさかお主……某ハーメルンで『ピュアラブ板前』の二次小説を投稿しておる、『CoCo☆夏』氏……なのか?」

 

「……えっ、知ってるの?」

 

「あ、いや、実は(われ)、CoCo☆夏氏の小説を愛読していまして」

 

「へぁ? ど、読者様?」

 

「いかにも。執筆に行き詰まった時、いつもCoCo☆夏氏の小説を読んで活力を頂いているでおじゃるよ。秘技『真・裸包丁』の特訓の下り、あの文章で(われ)は努力の大切さを知ったのだ。目下の(われ)のバイブルと云っても良い程であるのでごぜぇますだ」

 

 熱弁ご苦労だけど……言葉遣いが平安貴族から農民まで多岐に渡り過ぎだな。

 

「そ、そんな、あたしの文章なんてまだまだで……」

 

「いやいや、ご謙遜を。あの素晴らしき作品を執筆される御仁であられるのだぞ」

 

 ──何だか分からないけど、あれだけ盛り上がってれば上手くいきそう、かな。

 

 二人の空気を壊さない様に準備室を退出した俺は、晴れやかな気分で特別棟へと向かっていた。

 比企谷に礼を言う為である。

 しかし、今回もまた比企谷に助けられてしまったな。

 俺は、この事件の解決だけしか見ていなかった。対して比企谷は、とりあえずの方法だけど新聞部の先行きの不安を解消することを考えた。

 やはりあいつは軍師や参謀に向いている。周囲の女子の好意に鈍感なのが玉に瑕だけどな。

 

 特別棟一階、購買の横にある自販機で比企谷へのお礼の品を買おうとすると──ふと、その奥から声が聞こえる。耳を澄ますと、その会話の主は知っている声だ。

 一方は比企谷、もう一方は……書記の藤沢さん。

 え。

 まさか藤沢さんも比企谷を。

 

「──ありがとうございます、比企谷先輩」

 

「どうってことねぇ」

 

「でも、比企谷先輩のお陰で、本牧先輩の悩みがひとつ解消されたんです。本当にありがとうございました。あ、でも……」

 

「わかってる。副会長には内緒、だろ?」

 

「は、はい。あたしなんかが余計な事をしたなんてバレたら、きっと本牧先輩を傷つけてしまいます」

 

「……副会長は果報者だな。お前みたいな味方がいて」

 

「何言ってるんですか。比企谷先輩には強い味方が三人もいるじゃないですか」

 

「──笑えねえ冗談だ」

 

「とにかく、ありがとうございましたっ」

 

「おう、こちらこそマッカンご馳走様」

 

 軽い足音が近づいてくる。咄嗟に物陰に身を隠し、藤沢さんの背中を見送る。

 ……今の会話はどういうことだ。

 訳が分からない。

 藤沢さんには今回の事件の詳細は伝えていない。

 

「──おう、副会長」

 

「な、なあ、比企谷。今の話は……」

 

「何の話だよ。俺は誰とも話なんかしちゃいない。だから、お前が俺と誰かの会話を聞いた事実も無い」

 

「は?」

 

「そういうことにしとけって云ってんだ馬鹿野郎。とっとと生徒会室に戻って爆ぜろリア充め」

 

「あ……ああ、分かった」

 

 何が何だか分からない。

 だけど、走った。

 無性に藤沢さんの顔が見たくて。

 彼女は陰ながら俺の心配をしてくれて、それを比企谷に相談していたんだ。

 でも比企谷は、それを口にするなと云う。

 結局、生徒会全員あいつの世話になっちゃったな。今度あの甘ったるいコーヒーをたんまり差し入れしてやろう。

 

 そんな愚考を繰り返しながら走り、生徒会室の前に着いた。

 扉に手をかけて少し力を込めると、かららと乾いた音を立てて開いた。

 中に居たのは、長机に向かって書類の整理をしている──藤沢さん。

 

「あ、お帰りなさい。どうでした?」

 

「う、うん。お陰様で何とかなりそうだよ」

 

 さっきの、走り去る藤沢さんの後ろ姿が浮かぶ。

 

「えっ、い、いやだなぁ、あたしは書類の整理しかしてませんよぉ」

 

 あくまで自分は関与していないというスタンスを貫こうとしながらも、若干動揺する藤沢さんに苦笑しつつ、長机の自分の席に腰を下ろす。

 

「──ああ、そうだった、ね」

 

 笑いを押し留めた笑顔を作って藤沢さんに向け、咳払いをひとつ。

 

「あの、藤沢さん」

 

「はい?」

 

「あ、あの、俺さ、ちょっと脳が疲れてて、甘い物が欲しいというか、その……」

 

「……はい。あたしも頭が疲れてたところです」

 

「じゃ、じゃあ、一緒に喫茶店でも──」

 

 藤沢さんが笑顔を咲かせる。しかしすぐに俯いてしまう。

 やはり喫茶店に誘ったのは早計だったか。

 

「ー─駅前に新しいクレープ屋さんが出来たんです、けど」

 

 え?

 それってもしかして。

 いやいや、どう考えても一緒に行こうって意味だよな。

 

「今日の帰り、暇かな」

 

「は、はいっ!」

 

 弱く発した俺の問いに、藤沢さんは笑顔で応えてくれた。

 やばい、すごく可愛い。勘違いでも思い過ごしでもいい。

 この子と、時を過ごしたい。

 

「じゃ、じゃあ、仕事を終わらせてしまおう。俺も手伝うから」

 

「よろしく……お願いします」

 

 ん?

 やっぱり藤沢さん、風邪かな。

 

 

  了

 

 

 

 

 




副会長編を最後までお読み頂きまして、本当にありがとうございました。

ちょっとした日常系ミステリーを書こうとしたら、鈍感副会長と内気な書記ちゃんのお話になっちゃいました。

さて、次はどの脇役キャラで書こうかな。


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クリスマス短編
童貞風見鶏のクリスマスイブ


急に思いついて2時間ほどで書いてみました。

てか何故クリスマスイブに大岡なんだ……。


 

 

 見栄を張ってしまった。

 何故あんな見栄を張ったのかは自分でも分からない。だけど、言ってしまった。

 

「ごめん隼人くん、今日はどうしても外せない用事があってさ──」

 

 はぁ、オレは馬鹿だ。

 こんなことなら隼人くん主催のクリスマスパーティーに行っておけば良かった。

 

 12月24日。

 独りで歩く千葉の街。色とりどりの光の粒子の中を歩くカップルとすれ違う度に、ちくしょうと思ってしまう。

 

「今頃隼人くんたちはカラオケパーティーかぁ……」

 

 急に用事が無くなった、とか言って合流してしまおうか。いやいや待て。そんな嘘は優美子や姫菜に簡単にバレる。

 結衣は奉仕部でクリパとか言ってたし。

 あれ。もしかしてそのクリパ、ヒキタニも参加するのか?

 ということは、クリスマスにぼっちのオレはヒキタニ以下、か。

 はは……笑えねえ。

 

 つーかさ、知ってんだよ。ヒキタニがオレのことを童貞風見鶏とか呼んでることはさ。

 あいつだって童貞だろうが。そりゃ、結衣や雪ノ下さんと一緒にクリスマスを過ごせるあいつはオレより恵まれてる。それは認める。

 だけどさ、人間の価値ってもんがあるだろう。女子だって、あいつとオレなら九分九厘はオレを選ぶ筈だ。

 

 あー、ムカつく。

 本当、カップルなんて消えて無くなればいい。若しくは今夜、中折れしてしまえ。恥をかけ。なんならドタキャンされろ。

 それでもキャンセルされる予定があるだけ、オレより数段マシなんだぞ。

 

 ふと、ショーウインドに映るものが目に入る。

 映っているのは、背が低く、陰気な面をしたオレ自身。

 よし、勉強しよう。勉強して少しでも良い大学に入って、新歓コンパで可愛い子と出会って、さっさと童貞を卒業しよう。

 そうと決まれば参考書選びだ。行き先は決まった。

 

  * * *

 

 駅近くのデパートに入ると、暖房のせいか幾分寂しさが薄まる。が、それも一瞬だ。目に付くのは赤、緑、白のクリスマスカラーの飾り付けと、その中を楽しげに笑い合いながら歩くカップルたち。

 あいつら、今夜やるんだろうな……いいなぁ。

 ふん。せいぜい楽しんで裸で寝てしまえ。そして風邪引け。冬休みを棒に振れ。

 今に見てろ。オレだって、オレだって──。

 

「──うぉわっ」

「ご、ごめんなさいっ、急いでたから」

 

 背中に衝撃を受けて振り返ると、そこには三つ編みメガネの制服姿の女子高生が頭を下げていた。

 ったく。ついてねぇな。でも、こんな些細な事で怒らないのがモテる男への第一歩なのだ。

 

「あ、いいよいいよ。オレも気がつかなかったし」

「で、でも、背中が……」

「──へ?」

 

 後手で制服の背中をまさぐると、べっとりとした感触がある。指についたそれは、生クリームだった。

 お下げの女子高生の手元を見ると、潰れたケーキの箱があった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 だが、まだまだこのくらいじゃ怒らない。今こそ一年前に漫画で読んだ台詞を活かす時だ。

 

「ああ、ごめん。オレの背中がキミのケーキを食っちまった」

 

 ──決まったな。

 

「……それ、スモーカー大佐ですね」

 

 あれ? 反応が薄いよ。

 おっかしいなぁ。オレのシミュレーションだとメガネの奥がハートになってる筈なんだけど。

 

「えーと、えーと……12巻っ!」

 

 はい?

 

「確か12巻ですよね、ズボンがアイス食べちゃったシーンって」

 

 うわぁ、この子オタクか。

 苦手なんだよなぁ。広く浅くがモットーのオレの頭には何巻のどのシーンかなんて全然残ってないよ。

 そういえば、この後スモーカーはどうしたんだっけ。

 ──あ、思い出した。アイスを弁償してあげたんだ。

 ならばオレも、と言いたいが、財布の中には諭吉さん一枚のみ。あとは小銭だ。

 どうしよう。箱を見る限りは三千円くらいのホールケーキだ。それに一万円をポンと置いて帰るのは勿体ないし、かといってお釣りを請求なんかしたら絶対セコい男に思われる。

 よし、ここはひとつ、勇気を出してみるか。

 

「お詫びに、もう一度ケーキ屋に戻ろう」

「え? で、でも、もうお金ないし……」

「いいから、ほら」

 

 さりげなく、あくまでさりげなく女子高生の手を握って歩き出す。うは、女子の手って柔らけえ。タイプじゃないけど柔らけえー!

 

「あ、あの……」

「お店、どっち?」

「あ、あっち、です」

 

 よし、これで周りからはカップルに見えるぞ。ケーキのお金はその報酬と思えばいい。何より、クリスマスに良い事をしたと思えれば救われる。

 斯くして、打算に塗れた超短時間ニセカップル作戦がスタートした。

 

  * * *

 

「あ、あの……ここです、けど」

 

 はい、三十秒でカップル終了。

 十秒千円かよ。高いよ。

 まあ仕方ない。見栄を張るのもモテる男の秘訣だ。

 

「買ったケーキはどれ?」

「あ、あれです……」

 

 お下げの子が指差すのは、その棚で一番大きなホールケーキだ。ええと、値段は……よ、四千円!?

 十秒で3.333333333……円!?

 

「あの、でも、もうお金が……」

 

 ふと気づく。俯くお下げの子のメガネの奥に光るもの。涙だ。

 あーもう、分かった。買えばいいんだろ。

 制服のズボンの後ろポケットからチェーン付きの財布を出して店員に呼びかける。

 

「あの、さっきこの子が買ったケーキと同じものをお願いします」

 

 振り返る女性店員の笑顔が、一万円札を差し出すオレとその子を見た瞬間に固まった。そりゃそうだ。傍目から見たら、オレがこの子を泣かせている様にも見える。

 

「いえ、オレの不注意でこの子のケーキをダメにしちゃって」

 

 言い訳する男はカッコ悪いけど、自己保身は大事だ。

 

「あー、そうなんですね。ちょっと待っててください」

 

 奥へと引っ込んだ店員が持ってきたのは、同じ大きさの箱と、それよりひと回り小さな箱の二つ。

 

「どうせ売れ残るんです。こちらはオマケです」

「え、いいんですか?」

「気にしないでください。私、店長ですから」

 

 すげぇ。店長すげぇ。あと美人。この人にならオレの童貞をあげてもいいな。

 

「彼、カッコ良いですね〜」

 

 などと言ってのける店長さん。彼じゃないです。出来れば貴女の彼になりたいくらいです。

 

「へ、は、ひゃいますっ!」

 

 え、今の何語?

 

「はいお釣り。可愛い彼女さん、大事にしてあげてね〜」

 

 違うんです。オレの童貞は貴女の為にとっておいたんです。

 溜息混じりに隣を見ると、お下げ髪の女子は耳まで真っ赤になっていた。

 やべ、ちょっとかわいい、かも。

 

  * * *

 

 デパートを出るまでにお下げ髪の女子と少し話をした。

 聞けばこの子、児童養護施設にケーキを届ける途中だったらしい。

 

「わたし、施設で育ったんです」

 

 その一言は、たいして不自由も無く暮らしてきたオレにとっては想像出来ない、重い言葉だった。

 何年か前に里親さんに引き取られたこの子は、毎年小遣いを貯めて自分が育った施設にケーキを届けているという。

 

「今年は夏に参考書を買っちゃったので、ひとつしか買えなかったんですけどね」

 

 施設は小さいらしく入居している児童は十人程だと言うが、そのケーキひとつを十人で分けるとすると、コンビニで売っている小さなケーキよりも少なくなってしまうだろう。

 

「よかったらこれも持っていってあげて」

 

 オレは、オマケで貰ったひと回り小さなケーキの箱を差し出す。

 オレは家に帰ればケーキやらチキンがある。ならばこのオマケのケーキは、その児童たちが食べるべきだ。

 

「え、良いんです……か?」

 

 オレの顔を覗き込むその無垢な可愛らしさに、胸が締め付けられる。

 なんだよこの気持ちは。全然タイプじゃないけど。名前も知らないけど。

 ──けど。

 そんなのは関係ない。

 

「オレが食べるよりも、その子供たちが食べる方がケーキも嬉しいと思うよ」

 

 これもドラマか漫画のパクりの台詞だ。でも、本心だ。

 

「……あ、ありがとうございますっ。これであの子たちにお腹いっぱいケーキを食べさせてあげられます」

 

 深々と何度も頭を下げる度に、お下げ髪がふわりと宙に舞う。それは天使の翼のように見えた。

 なんて良い子なんだろう。それに比べて、なんて自分は愚かしいのだろう。

 童貞がなんだ。オレには家族がいる。暖かい部屋でケーキも、チキンだって食べられる。

 なんて幸せな環境なんだ。

 

「子供たち、十人だったよね」

「は、はい」

「じゃあ、もう少しだけ付き合って」

 

 通りすがりのファーストフード店でチキンの6ピース入りを二つ買って、お下げの子に差し出す。

 

「これも子供たちに持ってって……あ、両手がケーキで塞がっちゃってるか」

 

 予想外だ。だがすぐに打算してしまうのがオレのズルい所だ。

 

「じゃあ、これ持って。代わりにケーキはオレが運ぶから。ここから近いの?」

 

 下心は無い。といえば嘘だ。

 でも今は純粋にこの子の為に、子供たちの為に何かをしてあげたくなった。

 

「でも、見ず知らずの方にそこまでして頂くのは……」

「じゃあ、自己紹介ね。オレは大岡。総武高校の二年生で野球部。キミは?」

「さっ、桜森……さくらです。二年生で、千葉中央高校で、文芸部……です」

「よし、自己紹介も済んだし、これで友達だろ。友達が困ってる時に手を貸すのは普通だよ。だから、ケーキはオレが持つよ」

 

 よっしゃああああ!

 自然な流れで名前と学校名ゲットオォォ!

 後はアドレスかLINEを教えてもらえば………いや落ち着けオレ。

 今はこのケーキとチキンを子供たちに一刻も早く届けることが先決だ。

 

「行こうぜ、チキンが冷めちまう」

「は、はい……はいっ」

 

 んー、なんかいいな、これ。

 

  * * *

 

 独りで歩く夜の街。

 なんで、なんでだよ。

 なんで言ってくれなかったんだよ。

 彼氏、いるんじゃねえか。

 しかもあんなにカッコいい彼氏がさ。

 

 施設に着くと、入口の前に男がいた。身長はオレと同じくらいの小柄な奴だけど、中性的な雰囲気のイケメンだった。

 その男を見るなり、さくらちゃんは抱きつきたんだ。

 

 結局オレに残ったのは、ケーキとチキンのレシートと、傷ついた心だけ。

 こんなことなら参考書買っておけば良かった。

 ちくしょう、クリスマスなんて嫌いだ──。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

「さっきの彼、いきなり走って帰っちゃったけど、どうかしたの?」

 

「う、ううん、わかんない。でもね、すっごく優しくて親切な人だったよ」

 

「そう? あたしには単なる小者に見えたけど」

 

「もうっ、あいちゃんは昔から他人に厳しいんだからっ。それに何その格好、男の子みたいだよ」

 

「あー、やっぱ髪が短いと楽だわ。シャンプーもリンスも減らないし」

 

「あいちゃんらしいね」

 

「そういうさくらだって、もっとオシャレすればいいのに。せっかく可愛いんだからさ」

 

「わ……わたしは、駄目だよ。地味だし」

 

「そんな事ないよ。コンタクトに変えて髪型を変えれば──ん?」

 

「どうしたの?」

 

「これって、生徒手帳……さっきのあいつが落として行ったのかな」

 

「え、ええと。うん、そうだよ。大岡くんって言ってたもん」

 

「なら、明日あたり届けてやんな。彼、喜ぶよ〜」

 

「そ、そうかな、わたしみたいな地味な子じゃ……無理だよ」

 

「お、その反応。まんざらでもないと見た」

 

「もう、からかわないで……あ」

 

「ん? どしたん?」

 

「大岡くんに……伝え忘れてた」

 

「ほほう、じゃあ明日生徒手帳届けるついでに伝えてあげたら?」

 

「そ、そんな……でも、そう、だね」

 

「で、何を伝え忘れたの?」

 

「もちろん、メリークリスマス、だよ」

 

 

 




お読み頂いてありがとうございます。
今回の短編は無計画。勢いだけで書きました。
誤字脱字などありましたら、お教えいただけると助かります。

それでは皆様、☆メリー・クリスマス☆


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雪ノ下雪乃
夏の雲は、降り積もる雪のように


久しぶりの投稿、ちょっと緊張w

あとがきにながーいお知らせがございますので、そちらもご覧いただけたら幸いです。
特に俺ガイルの二次を書いていらっしゃる書き手の皆さま、是非ご覧下さいませ。


 ──夢。

 それとも夏の蜃気楼、なのかしら。

 

 駅のロータリーでタクシーを降りた私、雪ノ下雪乃の視線の先。

 陽炎の向こうに揺れる人影があった。

 

 白いTシャツの下はデニムという、簡素な出で立ち。

 重そうな大きなバッグを肩に掛け、時々そのバッグの重さによろけながら歩く、猫背の人影。

 その頭部には、くりんと立った癖っ毛。

 

 まさか、ね。

 彼は東京の大学にいるのだし、由比ヶ浜さん経由で聞いた戸塚くんの話だと、彼は夏休みの帰省はしないと聞いている。

 

 なのに。

 

 今私の目に映る人物は、彼としか思えない。

 多少身長が高くなっているけれど、この私が彼を見間違える筈はない。

 

 彼は立ち止まり、きょろきょろと首を振る。そして、私のいるタクシー乗り場とは逆、バス乗り場の方へと歩き出す。

 

「ま、待っ──」

 

 慌てて叫んだけれど、私の声は駅前の喧騒と蝉たちの合唱に、掻き消された。

 

 バスが立て続けにロータリーに入ってくる。

 歩く彼の姿はバスの影で、すっかり見えなくなってしまった。

 その瞬間、過去の光景が脳裏に浮かぶ。

 

『俺と友達に──』

 

 一度目に言われた時は、彼を知らなかった。

 二度目は、彼を知っていた。

 もしも三度目の機会があるならば、私が彼を理解した時……なのだろうか。

 いえ、その時には友達ではなく──

 

 南中の太陽の下、私はロータリーを出るバスをずっと眺めていた。

 胸に渦巻くこの感情は懐古、いえ……後悔ね、きっと。

 

 素直になれなかった私が、一度だけ彼に告げた我儘。

 

『──いつか、私を助けてね』

 

 あの時、何故あの言葉が出てきたのか。実は私自身も良く分かっていない。

 ただ、無性に縋りたかった。手を差し伸べて欲しかった。でもそれを言ってしまうと、全てを彼に委ねてしまいそうで……。

 委ねたい気持ちと、依存したくないという思いが、曖昧な言葉を私に吐かせた。

 

 いつか。

 いつか、そんな日が来るのだろうか。

 

 見上げる夏空は青く、入道雲は高く積まれている。

 

 

「次の偶然は、逃せないわね」

 

 ひとり零した言葉は、熱い風に飛ばされる。

 かつん、とパンプスの踵を敷石に打ち付けて、私はタクシー待ちの列へと戻ろうとした。

 

「──何を逃せないって?」

 

 後ろから声が聞こえる。

 低く、籠った、懐かしい、声。

 時に言い争い、時に歩み寄り、私を支えてくれた、温かい声。

 

 聞き間違える筈はない。

 何度も何度も、夢にまで出てきた彼の声だもの。

 

 振り返ろうとして、やめる。

 私だって女だ。

 こういう再会のシーンは、やはり笑顔を見せたい。

 懸命に笑顔を作り、よくやく振り返った先には。

 

 暑さと重い荷物で疲れ果てた、彼がいた。

 

「──何をしているのかしら。帰省早々に這いつくばって」

 

 思わず口をついて出てしまった、悪態。

 彼は、怠そうに顔を上げて。

 

「いや、バスに乗ろうとしたんだけど、降りたバス停から家まで歩くのが嫌になって……な」

 

 相変わらずの台詞を吐く、彼。

 その首元には幾筋もの汗が流れていて、高校時代よりもやや精悍(せいかん)にはなった顔からも汗の雫が落ちていた。

 思わず破顔しそうになるのを懸命に堪えて、彼にハンカチを差し出す。

 

「ほら、拭きなさい。すごい汗よ」

 

 彼は、差し出したハンカチと私の顔を交互に見る。

 

「いや、今ハンカチが必要なのは、お前だろ」

「私は汗などかいていないのだけれど」

 

 これでも私は学部外では人気があるのだ。何故か同じ学部の男子からは「冷凍庫(フリーザ)」とか影で呼ばれているらしいけれど。

 そういえば、彼も私を氷の女王などと揶揄していたわね。

 失礼極まりない話だけれど、今は彼の体が心配だわ。

 

「いいから使いなさい」

 

 何処かに経口補水液を売っている店は無かったか考えつつ、もう一度、彼にハンカチを差し出す。

 

「え、お前、気づいてないのか?」

「何のことを……え」

 

 とたんに、頬に水気を感じる。

 指でなぞると、その先が濡れていた。

 

「な、涙……?」

「無意識に泣くなんて、そんなに俺の顔を見たのが辛かったのか」

「ち、違う……の」

 

 慌てて首を横に振ると、涙が左右に飛び散った。

 

「なら、何か悩み事か。話くらいなら聞いてやれなくもない気がするけど」

「回りくどいわよ、馬鹿」

 

 小さじ一杯の彼の不器用な優しさが、何倍にもなって私の心に沁みてくる。

 

「なあ、雪ノ下。依頼しろよ」

 

 彼は、荷物を置いて立ち上がる。

 

「根本的な解決は無理かも知れねぇが、マジで話くらいなら聞いてやれる」

「依頼って、もう奉仕部では無いのよ」

「いいから、な」

 

 思わず天を仰ぐ。

 次から次へと涙が零れる。

 駄目。もう止まらない。

 私は溢れる涙をハンカチで払い、彼に宣言する。

 

「良いのかしら。これは、貴方にしか解決出来ない依頼よ、比企谷くん」

 

 私は、泣きながらも懸命に笑顔を作って彼に向ける。

 久しぶりの想い人との再会で、無様な泣き顔なんて見せられない。

 けれど彼は、何故か私から目を背ける。

 なぜ。どうして。

 私、うまく笑えていなかったのかしら。

 

「……やっぱりお前の涙は心臓に悪いな。よし、マッ缶が美味い店を知ってるんだ。そこで相談を受ける」

「まだあの甘いコーヒーを飲んでいるのね」

「当たり前だ。俺のような頭脳派には糖分は必須なんだよ」

「……変わらない、のね」

 

 彼はバッグを背負い直して、私に手を差し伸べる。

 

「私のおごりは、高くつくわよ」

「んなことは百も承知だ。ほら、早くしろ。せっかくのマッ缶の味が落ちるぞ」

 

 馬鹿ね。

 既製品は、どこで飲んでも同じ味よ。

 でも、貴方と飲めば。

 

 ──好きな味に変わるのかもね。

 




お読みくださいまして、ありがとうございます。

ついに来月は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」第14巻の発売でございます。

それに便乗して、俺ガイルの二次書き手さん仲間4人で、こんな企画を考えてみました。

題して、

原作応援
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
短編カップリング祭り!

俺ガイルでの定番のカップリングは、八雪、八結、八沙など数々ありますが……

今回は何でもあり!

大天使トツカエルが主人公でもいいし、折本香織の友人の仲町千佳が主人公でも良いのです。
カップリングも男女の組み合わせだけでなく、男同士、女の子同士もアリ。
なんなら俺ガイルのキャラとオリキャラのカップリングも全然アリ♪
ジャンルも、恋愛や友情など、原作の枠内ならば何でもアリ♪

つきましては、この企画に書き手として参加してくださる方を募集します。
今回はカップリングの掛け算の関係で、10人くらいの募集となります。

【お祭りのルール】
①文字数は2000〜10000文字。
②参加希望の方は、執筆希望のカップリングを添えて‪
短編CP祭り公式垢! https://twitter.com/popoachan666?s=09
(@popoachan666)宛にツイートするか、ツイッター内のDMでご連絡ください。‬
‪③ツイッターやってないよーっていう参加希望の方は、ハーメルン内のメッセージで私宛にご連絡ください。‬

今回の主旨はあくまで原作応援なので、注意事項として、
①クロスオーバー禁止
②アンチヘイト禁止
③HACHIMAN禁止
④その他はハーメルン規則に準拠
と、させていただきます。

もし、
・興味はあるけど分かんない!
・まだ書き始めたばかりだけど……興味ある!
・なにがなんだかわからない!
という方がいらっしゃいましたら、上記のツイッターアカウント宛に質問しちゃってください。

【短編CP祭り運営陣】

運営用ツイッターアカウント
短編CP祭り公式垢!ぽでの ぽりあ(ぽぽあちゃん) twitter
@popoachan666
https://twitter.com/popoachan666?s=09

しゃけ式
代表作
「もしも八幡とあーしさんが赤い運命の糸で結ばれていたら」
twitter
@Mvzzk4unATn5Vwb
https://twitter.com/Mvzzk4unATn5Vwb?s=09

袖野霧亜
代表作
「トラウマの原因が覆されたら、その世界はどうなるか。」
twitter
‪@jQDILftaSdf3L3L ‬
https://twitter.com/jQDILftaSdf3L3L?s=09


冬野ロクジ
代表作
「やはり俺の『本物』はまちがっている。」
twitter
‪@kawanonatuaki ‬
https://twitter.com/kawanonatuaki?s=09

エコー
代表作
「千葉ラブストーリー」
twitter
@Sw20fun
https://twitter.com/Sw20fun?s=09


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