ROCK-ON! (ローリング・ビートル)
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プロローグ

        

 はぁ………。  

 心の中でため息をつきながら、校舎への道を歩く。まぁ、実際につかなかっただけマシなんだろう。とはいえ、さっきから視線が突き刺さって痛いし、警備員に散々、変質者扱いされるし……もう帰りたい。

 

『桜ヶ丘女子高等学校』

 

 今、俺はこの高校の敷地内にいる。勿論生徒じゃない。卒業生じゃない。新任の教師でもない。ただの……。 

 かぶりを振って、いつもより重く感じるギターを掛け直す。

 そう、俺は…ただの負け犬だ。

 

 *******

 

 程なくして、今日俺を呼び出した知り合いと合流して、校舎内に足を踏み入れる。

 

「ごめんねぇ、どうしても合唱部の練習抜けられなくて♪」

 

 悪びれもせずに俺を呼び出した張本人・山中さわ子は、ペロリと舌を出している。

 

「いや、アンタの方から呼び出したんでしょうが……」

 

 勘弁してくれ。こちとらフリーター生活がはじまるというのに、初っ端から女子高侵入の前科がつくところだったじゃねえか。

 

「まぁまぁ、この美貌に免じて許して」

「るっせ、デスメタ…」

 

 言いたいことは最後まで言えなかった。理由はさわ子さんの拳が鳩尾にめり込んでいたから………あ、ありえねぇ。この鬼教師。

 

「そんなんだと婚期を……」

 

 また一発。

 

「このアラサ……」

 

 うぐぅ。

 

「ほ、本日はお呼びいただき、誠に光栄です……」

「さっすが義昭君!私、優しい男の子は大好きよ!」

 

 もうこれ以上は無理だ。俺は十分戦った。

 このメガネ美人教師・山中さわ子は、高校時代に音楽を通して知り合った。とはいっても初対面は最悪で、人生初のライブハウスの演奏の後に、さわ子さんから演奏のダメさ加減を指摘されただったが。本人曰く、若気の至りらしい。実際、その後のさわ子さんのバンドの演奏を聴いて、俺は三日間楽器を触る気力がなかった。ちなみに年齢は25歳だ。さっきアラサーなんて言ってしまったけど。

 

「ふふっ、何はともあれ今日は来てくれてありがとね。そっちだって色々忙しいのに」

 

 そう言って、優しく微笑んでくる。この人もこんな風に笑うようになったのか……。

 

「……別に構いませんよ。どうせしばらくはダラダラするつもりでしたし。それよか本当に俺でいいんですか?」

「もっちろん!あの子達も、たまには外部の人間の意見を聞かないと。珍しくやる気になってるし」

 

 今日俺が呼ばれた理由は、彼女が顧問を務める軽音部の練習を見てほしいと頼まれたからだ。バイトが決まった頃、いきなり電話がかかってきた。なんでも、高校最後の年に、バンドコンテストに出るらしい。

 

「まぁ、俺より上手い奴なんて沢山いますけどね」

 

 自嘲気味にいうと、さわ子さんは少し悲しそうな顔をしたが、それには気づかないふりをしておいた。

 

 *******

 

 部室と思われる部屋の前まで来ると、さわ子さんは「ここよ」と言い、ドアをノックして、中に入っていく。

 俺も彼女に続き、中に入ると……

 

「「「「「よろしくお願いします!!!!」」」」」

 

 メイド服を着た女子高生5人がいた。「小学生は最高だぜ!」の某ライトノベルみたいに…。

 

「「…………」」

 

 もちろん俺とさわ子さんはフリーズした。

 だが、さすがは教師。さわ子さんは、すぐに気を取り直して、こっちに笑顔を向けた。

 

「ちょっと、ごめんねぇ♪」

 

 そう言いながら、一旦俺を外に追い出し、ドアをぴしゃりと閉めた。そして数分後……

 

「入ってきていいわよぉ♪」

「あ、はい……」

 

 念のため、恐る恐るドアを開けた。

 

「「「「「よろしくお願いします!!!!」」」」」

 

 今度は制服姿の女子高生が先程と変わらぬ元気さで、一列に並んで挨拶してきた。

 

「ど、どうも……」

 

 これが長い付き合いになる俺と放課後ティータイムの出会いだ。

 



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I SAW HER STANDING THERE

「だ、だから私は言ったんだ…。普通にやろうって…」

 

 長い黒髪の子が、涙目で顔を真っ赤にして、恨めしそうに言う。よっぽど恥ずかしかったのか、さっきからこっちを見ようともしない。…………俺が嫌われているわけではないはず。俺が嫌われているわけではないはず!

 大事なことだから2回言いました。

 

「澪先輩の言うとおりですよ。何で初対面の男性に、軽音部がメイド服で挨拶するんですか。どう考えてもおかしいです…」

 

 黒髪のツインテールの女の子が、チラチラとこちらを窺いながら、さっきの子と同じように、恨めしそうな声で言う。小柄ながらも、しっかり者の雰囲気がする。なんかこう……妹にしたくなるような。いや何考えているんだ、俺は……。

 

「ごめんごめん澪ちゃん、あずにゃん♪」

 

 肩ぐらいまでの少しふわふわした髪に、黄色いヘアピンをつけた女の子が、外見どおりのふわふわした声で思考に割り込んできた。ごめんと言っているが、あまり謝っている印象はない。だが何故か憎めない。多分生まれ持った人徳ってやつだろう。

 

「いや~、いけると思ったんだけどな~」

 

 ヘアバンドをして、おでこを丸出しにした活発そうな女の子が、アハハと笑いながら言う。何がどういけると思ったんだ。金なら払わんぞ。さわ子さんからもラーメン一杯しか奢ってもらってない。てか、この子からはトラブルメーカーの匂いがする。気をつけておこう。

 

「みんな~~。ひとまずお茶にしましょう」

 

 そう言いながら、机の上のティーセットのカップに、手際良く紅茶を注ぎながら、いかにもな、お嬢様風の女の子が、穏やかに微笑んだ。上品な長い金髪と可愛らしい眉毛が特徴的だ。

 

「江崎さんもどうぞ座ってください。ケーキもありますので」

「え?あ、ああ……」

 

 促されるまま、席に着く。紅茶のいい香りが、部室を満たしていく。ケーキも美味しそうだ。そうだな、ここはひと息…「こらムギ!先に佐藤さんに演奏聴いてもらわないと!」あ、忘れてた。

 

「え~、澪ちゃんお茶しようよ~。江崎さんに自己紹介しなきゃだし!」

 

 ヘアピン(仮)が澪という子に甘えるように言う。いや、俺への自己紹介、絶対についでだろ。

 

「じゃあ、お茶飲みながら自己紹介して、その後にコーチしてもらいましょう。義昭くんもそれでいい?」

「あ、はい。大丈夫です」

 

 さわ子さんの言うとおりにしておこう。はやくケーキ食べたいし。

 

「し、仕方ないな……」

 

 澪という子も渋々といった感じで、席に着く。演奏するのが好きでたまらないのだろう。

 

「澪は江崎さんにはやく演奏観てもらいたいんだよな~」

「ち、ちちちち違うっ!!バカ律!!」

 

 律という子は強めのゲンコツをもらった。結構痛そうだ。    

 ……ていうか、仲いいんだな。



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I WANT TO TELL

「江崎義昭です。よろしくお願いします」

 

 簡潔に自己紹介をすませる。思ったよりずっと緊張するな、これ。

 「簡単すぎない?」というさわ子さんの言葉は、スルーしておこう。それより…

 

「じゃあ、さっそくだけど皆の演奏を見せてもらっていい?」

 

 今日の本題に入る。とにかくこれをしない事には始まらん。

 すると、5人はそれぞれの個性がわかる反応を示した。

 

「そ、そうですね!ほら、律!部長だろ、しっかりしろ!」

「わ、わかったよ!引っぱるなって!」

「ほら、唯先輩も!シャキッとしてください!」

「あ、あずにゃぁん、く、苦しいよ~」

「江崎さんとさわ子先生は、こちらに座ってください」

 

 俺は賑やかな軽音部のやりとりを見ながら、琴吹さんの勧めに従い、用意された椅子に座った。

 

「あ、ありがとう」

 

 礼を言った頃には、彼女は既にセッティングをしていた。

 

「アンタ、可愛い女子高生5人に、緊張してんの?」

 

 さわ子さんがジト目で問いかける。

 

「ち、違いますよ」

「じゃあ、この美人に緊張してんの?」

「あ、それは確実にないです……っ!」

 

   キィィィィーーーーン

 

 突然のハウリング。犯人は……

 

「ごめぇぇん………」

 

 平沢さんだ。他のメンバーは耳を抑え、顔をしかめている。

 まあ、俺も高校の頃よくやったな……

 

 *******

 

 1・2・3・4

 

 景気のいいカウントと共に演奏がはじまる。

 5つの楽器の音が絡み、このバンド特有のグルーヴが教室内を揺らす。

 そしてそこに、ボーカルが乗っかった。

 俺は一人一人音に、必死に耳をすませた。

 まず、ドラムの田井中さん。高校生の女の子にしては、かなりパワフルなドラミングだ。リムショットもしっかりできてる。だが少しリズムが走っている。これはクセになっているっぽい。性格的にリズムキープを気にしないとこれがあるのだろう。

 次に、キーボードの琴吹さん。技術的には問題ない。音作りもいい。あえて意見をいうなら、フレーズが単調なところ位だ。

 ギターの中野さんも技術的には問題ない。だが、先輩の平沢さんに遠慮しているのか、もう少し、実力を見せてくれてもいいような気がする。

 そして、ベースの秋山さん。普通に上手い。歌声も綺麗だ。俯きがちなところが気になるけど。

 最後に………ボーカル&ギターの平沢さん。何だろう、とにかく不思議だ。歌の方は、独特の甘ったるい声質で、だれも真似できそうにない。ところどころ音程や声量にムラがあるが…。

 さらにギターの方は、たまに驚くほど難しいフレーズを弾いたかと思えば、何でもないところでミスをする。初めて見るタイプだ。

 俺の内心に気づいたのか、さわ子さんがクスっと笑う。

 

 *******

 

 演奏が終わり、ひと息ついたところで、5人に対して、演奏中に感じたことをそのまま告げる。

 5人は思ったよりずっと真剣な顔をして聞いてくれた。

 さわ子さんも納得したように頷いてくれる。

 

「あちゃー、やっぱり私リズムキープできてないのかー」

 

 田井中さんが悔しそうに呟く。

 

「面倒かもしれないけど、メトロノーム使った練習は、毎日やっといた方がいいよ。それだけでかなり違ってくるから」

「はい…」

 

 続いて中野さんが話しかけてくる。

 

「あの、私のパートについて何ですけど…」

 

 こんな感じで、全員の質問に答えていった。

 

「じゃあ、次は江崎さんの番だね!」

「…………はい?」

 

 当たり前のように言う平沢さんに首をかしげる。

 

「はい、どうぞ!」

 

 いつの間にか、俺のギターをケースから出して、こちらに渡してくる。ちょっと自由すぎやしませんか?別にいいけど。

 

「どのくらい成長したか見てあげるわ」

「わ、私も見たいです!」

「お願いします!」

「ヤレヤレー!」

「頑張ってくださーい」

 

 ………これはやるしかなさそうだ。

 

 *******

 

 セッティングを終え、深呼吸して弾き始める。某音楽番組のテーマソングだ。

 弾きながら、さりげなく反応を窺ってみる。知名度の高い曲なので、反応はいいようだ。しかし…

 

「………」

 

 さわ子さんの寂しげな笑顔と、平沢さんのぽかんとした表情が少し気になった。

 そして、最後のフレーズを弾き終えると、拍手が聞こえてきた。

 

「わぁ……やっぱり凄いです!」

 

 中野さんだ。

 

「ありがとう」

 

 ギターをケースに戻しながら、お礼を言う。

 

「私、この曲好きなんだよなー。完璧に弾いてましたね」

「今度セッションしましょう!」

 

 様々な感想に応じていると………

 

「それじゃ、ギー子がかわいそうだよっ!!!」

 

 急な怒鳴り声に、俺も含めた皆がビクッとなる。声のした方へ目を向けると、平沢さんが涙目でこっちを睨んでいた。

 

「え?あの……」

 

 俺が声をかけると、彼女は俺のギターを抱え、部室を駆けだしていった。

 足音が聞こえなくなった頃、全員で顔を見合わせた後、俺は呟いた。

 

「ギー子って誰?」  

  



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SHE’S A RAINBOW

 静まり返った部室内。皆何が起こったか、わからないというような顔をしている。

 真っ先に静寂を破ったのは、他ならぬこの事件の当事者の俺自身だった。

 

「えーと、どういう事?」

 

 素直な疑問が口をついて出る。何故俺はギターを強奪された?それに、ギー子って誰だ?俺のギターの事なのか?

 

「唯先輩、どうしちゃったんだろう?」

「あんな唯ちゃん初めて……」

 

 中野さんと琴吹さんが呟くように言う。この2人が初めてというくらいだから、よほど意外な姿なのだろう。

 

「もしかして、選曲悪かったかな?」

「さすがにそれは……」

 

 俺の疑問に秋山さんが苦笑する。

 

「アンタ結構余裕あるわね」

 

 さわ子さんは呆れていた。

 確かに自分でも意外なぐらい落ち着いてる。初対面の女の子にギターを強奪されたのに。

 

「つーか唯のヤツ、自分のギター忘れてる」

「と、とりあえず追いかけよう!」

 

 田井中さんと秋山さんが出て行こうとした。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 さわ子さんが2人を止める。

 

「今日のところは、私が唯ちゃんのところに直接ギターを持って行くから。だから解散しましょ。義昭くんも、明日にはギター戻ってくると思うから。ね?」

 

 そう言ってウインクしてくる。まあ、さわ子さんが信頼してる生徒だから、悪い子じゃないと思うし、あの子が、人のギターを粗末に扱うような子には、どうしても見えなかった。

 

「わかりました。じゃ、皆もお疲れ様です」

 

 俺はそう言って足早に部室を出た。

 

 *******

 

 さっきの演奏中の平沢さんの顔を思い出しながら、来た道を戻っていると、後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「江崎さん!」

 

 軽音部のメンバーだ。楽器を持って、急いで追いかけてきたせいか、ギターとベースの二人は肩で息をしていた。

 

「あの、すいませんでした!」

 

 秋山さんがこちらに丁寧に頭を下げてくる。

 

「あ、気にしないでいいよ……」

「あはは、ほ、本当にあっさりですねぇ」

 

 琴吹さんが苦笑する。本当に自分でも不思議なくらいなんだが……

 

「何となくだけど、悪い子に見えなくて」

「お、わかってんじゃん!」

 

 田井中さんが、ほっとしたように笑う。

 

「お前、急にタメ口か」

 

 秋山さんがツッコむ。

 

「別にいいよ。それより、何で平沢さんは……」

「それは……」

 

 考えながら話しているうちに、校門まで来ていた。

 

「じゃあ、俺はバイトに行くから」

 

 方向が逆なので、とりあえずここで別れる事にした。

 

「あ、あのっ!」

「ん?」

「あの………明日もよろしくお願いします!!」

 

 秋山さんが顔を真っ赤にしながら、頭を下げる。

 他のメンバーも、その様子に驚いた後、頭を下げてくる。

 その一生懸命な姿が何だか微笑ましくなって、ふいに笑顔が零れた。

 

「……ああ、また明日」

 

 こちらも彼女らに倣い、頭を下げる。

 ……まあ、あれだ。はっきり言えるのは、いくら年下とはいえ、あんな魅力的な表情をされたら、こっちが緊張してしまう。

 

 *******

 

 そして翌日、さわ子さんの指示通りに昼に音楽室に行くと、俺のギターをしっかりと抱きしめる平沢さんがいた。



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HERE COMES THE SUN

「こ、こんにちは」

「………こんにちは」

 

 俺と平沢さんはぎこちない挨拶を交わす。彼女の表情は申し訳なさそうな、それでいて少し拗ねているようだ。そして、目を合わせようとはしない。

 

「………」

「………」

 

 夕方の音楽室に気まずい沈黙が流れる。まさか2人っきりにされるとは思わなかった。昨日、さわ子さんから、絶対に遅刻しないように、とメールで連絡がきたので、バイト終わりに全速力で駆けつけたのだが。

 

「………」

「………」

 

 さすがに気まずい。ここは俺から何か言った方がいいか。一応年上だし。ギター奪われているし。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 いきなり、大声の謝罪とともに、ギターを差し出される。いや、近い近い。ギターで視界が覆われている。

 

「えーと、理由聞いてもいい?」

 

 そっとギターを受け取りながら、平沢さんにたずねる。

 

「だって……」

 

 平沢さんは俯いて、首を振った。

 

「だって江崎さん、あんなに上手いのに、全然楽しそうじゃないんだもん!!」

「え……?」

「全然つまらなさそうに弾いて、ギー子がかわいそうだよっ!」

 

 彼女の目にうっすらと涙が浮かんだ。

 確かに、今の俺はギターを楽しく弾くのは、ちょっと無理だ。だが、昨日の2、3分程度の演奏で、それに気づかれるとは、だがその前に……

 

「ギー子って誰?」

 

 素直な疑問だ。いや、何となく予想はできてるんだよ。できてるんだけど……

 

「江崎さんのギターの名前に決まってるじゃん…決まってますです!」

 

 あー、やっぱりか。まあ、名前付ける奴結構いるよね。

 

「とりあえず、俺に慣れない敬語使わなくてもいいよ。つーか、何故ギー子?」

「江崎さんのギター、私と同じ形だし、私のギターの名前がギー太だから!」

「……ぷっ、あははっ!」

「あっ、もーっ、何で笑うのー!?」

 

 間違いない。こいつは、凄まじい音楽バカだ。

 ギターに名前つけたり、楽しくなさそうに演奏する奴を怒ったり、そして何より、あんなに幸せそうに演奏してる奴を見るのは久しぶりだ。

 その時、何故か確信めいたものがあった。この子とならもう一度……。

 そうと決まればやることは一つ。

 

「平沢さん、ごめん」

 

 俺は頭を下げた。

 

「えっ?えっ?何で江崎さんがあやまるの?」

 

 平沢さんがあたふたしている。

 

「演奏で人を不快にさせるなんて、ミュージシャン失格だ」

「えっ?そんなこと……」

「もう一度チャンスが欲しい」

「えっ?」

「次は平沢さんに最高の演奏を聴かせる」

「………!!」

 

 平沢さんは顔をこちらに向けた。その時、今日初めて目があった。形のいいクリクリした目が涙で少し濡れている。昨日は気づかなかったが、平沢さんの顔は、幼い言動の割にしっかりと女らしさがある。長い睫毛、形のいい艶やかな唇、小ぶりながらスラッとした鼻、夕焼けに映える赤みがかった頬。

 これ以上見ていたら変に意識しそうなので、目を逸らしながら言う。

 

「もう少し待ってて欲しいけど……」

「はいっ!!」

 

 それでも、彼女は満面の笑みを見せてくれた。

 



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START ME UP

「だーーーー!!!いつまでやってんだーーーーー!!!!」

 

 田井中さんが怒鳴り込んでくる。続いて中野さんと秋山さんが入ってきた。どうやらしっかりと覗かれていたようだ。

 

「な、何だかドキドキしたわよねぇ……」

 

 いつの間にか、琴吹さんが俺と平沢さんの近くにいて、顔を赤らめていた。え、何?実はずっと教室内にいたの?

 

「………」

「………」

 

 秋山さんと中野さんは、あちこちに視線をさまよわせながら、こちらの様子を窺っている。何かまた気まずい空気になってるような……

 

「あー、あずにゃーん♪」

 

 平沢さんが中野さんに抱きつく。いい感じにシリアスな空気が壊れた。他のメンバーもリラックスした笑顔になる。

 

「や、やめてください……!」

 

 中野さんは嫌がっているが。

 

「待たせてごめん。じゃ、はじめよう」

 

 ここは何事もなかったようにするに限る。

 

「江崎さん」

 

 秋山さんから声をかけられる。

 

「私たちにも演奏を聴かせてくださいね」

 

 真っ直ぐに見つめられながらいわれると、改めて恥ずかしさがこみ上げる。しかも、イタズラっぽく笑うのが、すごく可愛い……。

 

「あ、ああ……」

 

 かろうじて返事する。ヘタレですまん。

 

「おぉ、澪が攻めた!」

「うるさい、バカ律!」

「江崎さんも顔赤いですねぇ」

「……」

「……フンス!」

 

 皆それぞれのリアクションを見せる中、平沢さんは、頬を膨らませ、ギターを弾き始めた。どうした、もっと楽しそうに弾こうよ。

 

「……それじゃあ、始めようか」

 

 少し締まらないけど、まあ、いいか。

 

 *******

 

「江崎さん、今日ウチでご飯食べない?」

 

 帰り仕度の途中、平沢さんが唐突な提案をしてきた。

 

「はい?」

「「「「え?」」」」

 

 俺も他のメンバーもキョトンとしている。

 

「……何故に?」

「えっとね、昨日、憂に怒られちゃって」

「憂?」

「うん、私の妹だよ。それでね、江崎さんにお詫びしなくちゃって」

「別に気にしなくていいよ。ギターも戻ってきたし」

「だ、だめだよ!私の気がすまないよ!」

「何で……食事なんだ?」

 

 秋山さんが割り込む。

 

「だって……一人暮らしの男の人は、カップラーメンしか食べないから」

「………」

 

 そんなわけあるか!

 どこから得た知識だよ!

 

「それで、江崎さんにごちそうしようと思いまして!」

 

 平沢さんは両手を広げて、ドヤ顔で宣言する。

 

「ちなみに誰が作るんですか?」

「憂だよ!」

 

 丸投げである。質問した中野さんは呆れていた。他のメンバーも苦笑いだ。

 

「も、もちろん、私も手伝うよ!お皿並べたり、味見したり!」

「…………」

 

 *******

 

 幸いバイトは休みだったので、平沢さんと歩いて、彼女の家へ向かう。他の部員が少し騒がしくなっていたが、まあ、あれが女子高生ってやつだろう。

 

「もうすぐだよ♪」

 

 平沢さんはスキップをしながらいってくる。さっきから子供みたいに歌ってばかりで、会話らしい会話はない。

 

「あら、唯ちゃん」

「あ、おばあちゃん。ただいま!」

 

 『一文字』という表札のついた家から出てきたお年寄りが、平沢さんに声をかける。仲が良さそうだ。

 

「あらあら」

 

 おばあさんがこちらを見たので、挨拶とともに会釈する。

 

「唯ちゃんも恋人ができたんだねぇ」

「ち、違うよ!おばあちゃん!こ、この人は師匠だよ!」

 

 ずいぶん仰々しい言い方だ。

 

「じゃ、じゃあね!おばあちゃん」

 

 平沢さんは逃げるように駆けだした。

 俺もおばあちゃんに頭を下げ、平沢さんについていく。

 平沢さんの家はおばあちゃんの家のすぐ隣だった。彼女はこっちに手招きしている。

 

「ただいま~」

「おかえりなさい」

 

 彼女に続き、家の中に入ると、奥から女の子が出てきた。

 

「江崎さんを連れてきたよ~」

「あ、初めまして。妹の憂です。お姉ちゃんがお世話になってます」

 

 そう挨拶して、慣れた手つきでスリッパを出してくれる。見た目は姉と似ているが、何というか……よく出来た子だ。

 この時の俺には知る由もなかった。

 この子に残酷なまでの才能を。

 その才能がいかに周りの人間を飲み込むかを。



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Homewardbound

「「「いただきます!」」」

 

 平沢さんの家に到着して、程なくして、食事の準備ができた。俺も手伝おうとしたけど、姉妹揃って、座っててくださいね、と言われたので、大人しく二人の姿を眺めていた。

 どうやら普段から、妹の方が食事、というか家事を全てこなしているようだ。何故かというと、姉が何かやろうとする度に、妹は、危なくない・誰でもできる作業を割り振っていた。この子……できるな。

 

「うま……」

 

 思わず感想がこぼれる。なんだこのハンバーグ、店を開けるんじゃないか!

 

「あ、ありがとうございます!……嬉しいな」

 

 妹さんは照れながら礼を言ってくる。

 

「私もがんばってお皿ならべたよ~」

「小さい頃から料理してるの?」

「あ、はい。小学生の時から、お母さんの見よう見まねで……」

「ねえねえ、私もがんばってご飯盛ったよ~」

「へえ、偉いね」

「いえ、そんな……」

「……フンス!」

 

 突然ハンバーグが1つ奪われた。あれ、怒ってる?

 

「あ、お姉ちゃん!もー、何やってるの?」

「ふ~んだ……憂ばっかり誉めて」

 

 最後の方はボソボソいうだけで聞こえなかった。

 そんな様子に妹さんは頬を膨らませた。

 

「アイスあげないよ」

「む~」

 

 妹さんの脅しで、俺の皿にのっけてくる。

 ……つけ合わせのジャガイモを。

 

「もー、お姉ちゃん!」

「な、何かごめん。平沢さん」

 

 俺の言葉に2人が、ピクッと反応する。

 

「江崎さん」

「はい」

 

 平沢さん(姉)がイタズラっぽく笑いながら、こちらに顔を寄せてくる。

 

「唯って呼んでください」

「え?」

「だって平沢さんじゃどっちかわからないよ」

「じゃあ、唯……さん」

「呼び捨てでいいよ~」

「……唯」

 

 平沢さん(姉)……じゃなくて唯はうんうんと頷く。

 

「じゃあ江崎さんにはこれを進呈しよう~」

 

 そう言いながら、ハンバーグを戻してくる。よかった。

 

「あ、あの!私も憂って呼んでください!」

「あ、ああ……憂」

「はいっ!」

 

 そんなこんなで賑やかに夕食の時間が過ぎていった。

 

 *******

 

「ごちそうさま」

「お粗末さまです」

 

 食べ終えると、憂は手早く皆の食器を片づけた。本当にできた子だ。片や……

 

「おいしかった~」

 

 ソファで寝転がる唯……まじか。

 

「江崎さん」

 

 いつの間にか憂が隣にいた。

 

「ギー子の件、すいませんでした。ほら、お姉ちゃんも」

「憂が謝る必要はないし、唯ももう謝ってくれたよ。何よりあの日は俺の演奏が悪かった。てか、憂もギー子って呼ぶんだ…」

 

 このまま浸透してしまうのだろうか。何とか阻止せねば。

 

「ギー太とギー子で夫婦みたい♪」

「あわわわわ!」

 

 憂の言葉に唯が反応して慌て出す。

 

「い、いやいや、なんで?」

 

 ひとりごとを言いながらおもむろにギターを弾き始めた唯に、俺と憂は首を傾げた。

 



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She's Electric

「ここはこう……」

「あ、なるほど~」

 

 俺が弾いたフレーズを唯が繰り返す。やっぱりこの子はすごい。飲み込みのはやさは、中野さん以上だ。

 夕食後、礼を言ってお暇しようとしたのだが、唯に頼まれ、ギターの練習に付き合っていた。部室より真面目に見えるのは、琴吹さんの紅茶とお菓子が無いからか……。

 

「江崎さんも教えるの上手だねぇ~」

「そりゃどうも。いつもは誰に習ってるの?」

「え~と、さわちゃんと、あずにゃんと、憂かな……」

 

 あれ?

 

「憂?」

 

 憂の方に目をやる。

 

「あはは、お姉ちゃん…譜面読むの苦手なんで……で、でも教えたらすぐ覚えるんですよ!」

 

 できた妹だ。本当に。

 

「いやぁ、それほどでも~」

 

 何故、そこまで照れることができるのか……ある意味すごい。

 

「じゃあ、私お風呂入ってきます」

「じゃあ、俺は帰るかな」

「あ、待ってください!せめてここまで~」

 

 唯が足にしがみついてくる。

 

「わ、わかった。わかったから」

「もうー、お姉ちゃんったら…」

「えへへ~」

 

 何故だろう、女の子がしがみついているのに、このシチュエーションではあまり嬉しくない。

 

「このフレーズはこうした方が弾きやすいよ」

「ほっ」

 この子は絶対音感があるから、曲に合うフレーズを作るのは上手いが、構成がたまに雑になる。まあ、感覚って大事だけど。

 

「江崎さん」

「?」

 

 真面目な声のトーンに顔を上げる。

 

「楽しい?」

 

 屈託のない笑顔を向けてくる。この子は本当に音楽が好きなんだろう。無防備すぎるその表情に胸が高鳴る。

 

「ま、まあまあ……かな」

「む~」

 

 しどろもどろの俺の返事に、不満そうに唇を尖らせる。今はこれで勘弁してほしい。

 

「ト、トイレどこ?」

「一番奥だよ~」

「お借りします」

 

 ここは逃げておく。早歩きで一番奥のドアまで行き、ガラッと開ける。

 

「え?」

「あれ?」

 

 そこには一糸まとわぬ姿の憂がいた。今、浴室のドアを開けたばかりのようだ。下ろしている濡れた髪が色っぽい。そして、姉より少し大きめの胸が少し震え、雫が下の方へ……。

 

「きゃあああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 想像を絶する悲鳴が平沢家を揺らした。

 

 *******

 

「「ごめんなさい」」

 

 俺と唯は憂に土下座しているところだ。そう、元はといえば唯が一番奥といったのだ。確かにドアがスライド式の時点で気づくべきなのかもしれないが。

 

「…………」

 

 憂はこちらに背を向け、俺のギターを弾いている。何故だろう。

 考えながらも、先程の光景が脳裏をよぎる。生まれて初めて見た女の子の裸。肌が白かっ…

 

「めっ!!」

 

 憂がこちらを振り向いて怒鳴る。読心術か。

 

「む~」

 

 唯に睨まれる。いや、半分はお前のせいだ。

 考えながらもまた、憂の形のいい胸が…

 

「めっ!!」

「むむ~」

 

 ……やばい。

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 

 ひたすら謝りたおす。

 

「憂~、ごめんなさい……」

 

 唯も再び謝る。

 

「……許してあげます」

 

 俺と唯は顔をあげると、憂はこっちを向いて、笑顔見せる。

 

「ただし、条件があります」

「何でもどうぞ」

 

 背に腹はかえられぬ。

 

「明日の夕御飯の食材を買ってきてください。それと……」

 

 憂はこっちに近づいてきて言った。

 

「私にもギターを教えてください」



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YESTERDAY

「唯、少しテンポ乱れてる」

「は~い」

「唯の場合、得意なフレーズの時は走っていて、苦手な時はわかりやすくもたつくからね。普段好きなフレーズばかり弾いてるだろ」

「えへへ~」

「誉めてない」

「「「「…………」」」」

 

 平沢家での出来事の翌日の練習。一人一人の演奏を注意深く観察し、気になる点を指摘する。これはいつも通りだが、今回は、新入生歓迎ライブに合わせて作った新曲だ。いい感じに皆も集中しているが、俺の脳内には、昨日の憂の裸がこびりついている。おかげで、仕事もミス連発だった。

 だが仕方ない。生まれて初めて見た女の子の裸だ。それもあんな可愛い子だ。そう考えていると、あの白い体が……

 

「フンス!」

 

 唯から頭をはたかれる。

 

「憂に言いつけちゃうよ?」

「いや、今は演奏について考えて……」

「Hな顔してた!」

「えー……」

 

 マジでか。

 軽い自己嫌悪に陥る。

 

「「「「…………」」」」

 

 ふと視線を感じる。

 目を向けると、他の4人がジト目でこちらを見ていた。

 

「どうかした?」

「いえ、呼び方……」

 

 秋山さんが言いにくそうに俯く。

 

「呼び方?」

「ええ…その……唯って呼んでたので……」

「仲良さげですし」

「こりゃなんかあったな!」

「憂ちゃんに言いつけるってなにかしら?」

 

 4人が騒ぎ出す。てか、琴吹さんの疑問は非常にまずい。もし昨日の件が知れたらやばい気がする。いや、間違いなくやばい!

 

「い、いや昨日決めたんだよ!平沢さんだとどっちかわからないから!」

 

 唯が慌てて説明する。グッジョブ!!

 その後、他のメンバーも下の名前で呼ぶように強制された。

 

 *******

 

 練習後、昨日の憂の命令通り、食材の調達に行く。帰り道が同じなので、唯もついてきた。

 さて、何を買おうか。

 

「あ、これおいしそう♪」

 

 唯がクッキーをカゴに入れる。

 俺はクッキーを棚に戻す。

 

「これ欲しい~」

 

 唯がポッキーをカゴに入れる。

 俺はポッキーを棚に戻す。

 

「何で買わないのー!?」

「ほら」

 

 先程憂からきたメールを見せる。

 

『お姉ちゃんにあんまりお菓子を与えないでくださいね』

 

「憂~……」

 

 本当にできた妹だ。

 

「さ、はやくすまそう」

「あう~」

「甘えない」

「うぐぅ……」

「キャラ変えるな」

 

 せめて天使の羽をつけろ。

 

「あら、唯?」

「あ、和ちゃん♪」

 

 後ろからの声に振り向くと、眼鏡をかけた知的な顔立ちをした女の子が立っていた。どうやら唯の知り合いらしい。

 

「唯も夕飯の買い物?」

「そうだよ~」

「そちらの方は?」

「江崎さんだよ~」

 

 和と呼ばれた女の子は苦笑する。色々はしょりすぎだろ……。

 

 *******

 

「江崎さん、まだかな~」

 

 憂はぽつりとつぶやいた。

 買ったばかりのアコースティックギターを弾きながら。



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BLACK BIRD

「じゃあ江崎さんが、山中先生の言ってた軽音部のコーチなんですね」

「まあ、そんなところ」

 

 唯の幼なじみの真鍋和さんと軽い自己紹介を済ませる。その知的な顔立ちと立ち振る舞いを見る限り、優秀な学生のようだ。

 

「和ちゃんは生徒会長をやってるんだよ~」

 

 唯が真鍋さんに抱きつく。

 

「あの、唯達練習しっかりやってますか?」

「何故か最初の30分はティータイムになるけど、演奏始めたら凄い集中してるよ」

 

 俺の言葉に真鍋さんはホッとした顔を見せる。

 

「今回のように、先生以外の、しかも男性のコーチは初めてなので、気になってたんです」

「江崎さんはいい人だよ~」

「真鍋さんは唯のお姉さんみたいだね」

「あはは、よく言われます。それと私のことは和でいいですよ」

「じゃあ、和」

「はい」

「フンス!」

 

 唯にほふっと肩を殴られる。

 

「和ちゃんを変な目で見ちゃだめ!」

 

 完全な言いがかりだ。

 それもスーパーの中でけっこうな大声で言わないで欲しい。

 

「こら、唯。江崎さん困ってるでしょ」

 

 うんうん。憂といい、和といい、唯の周りはしっかりしていらっしゃる。

 

「じゃあ私は行くから、唯、大会まであと約4ヶ月だから、しっかり江崎さんの言うことを聞くのよ」

「え?」

 

 何それ。初耳。

 

「唯……」

 

 俺の表情で何かを察した和は、唯にジト目をむける。

 

「え、え!?私!?てっきりさわちゃんから聞いてると思ったよ!」

「はあ…。まあ、こんなノリですけど、軽音部の事をよろしくお願いします」

「……善処する」

 

 *******

 

 買い物帰りに、唯から大会の事を説明してもらう(あの年増教師め)。

 どうやら今年の8月から、ガールズバンド限定コンテストが開催されるらしい。全国優勝すれば、プロデビューできるというそのイベントに放課後ティータイムとして出場するそうだ。

 

「皆でプロ目指してるんだ?」

「う~ん、あまり考えてないや」

 

 唯はあっけらかんとしている。

 

「ただ……皆とこの先ず~っとバンドやれたら幸せだなぁ~って」

「何か唯らしいなと思う」

「えへへ~」

「俺も皆の演奏が聴きたい」

「…………!」

 

 突然唯が駆け出す。

 訳がわからず呆気にとられていると、数メートル先で、立ち止まった。

 

「江崎さん!」

「?」

「特等席で見せてあげる!」

 

 振り返らずに大声で言ってくる。

 結局、平沢家に着くまで、数メートルの差は埋まらなかった。

 

 *******

 

「ただいま~」「お邪魔します」

「おかえりなさい。お姉ちゃん、江崎さん」

 

 憂が出てきて、手際良くスリッパを出してくれる。

 リビングまで行くと、意外なものがある。

 

「これ…」

「憂~!ギター買ったんだ」

「えへへ、貯金おろして買っちゃった」

 

 しっかり者すぎる。このギター、どう考えても…。

 

「あ、実は今日1曲覚えたんですよ」

 

 そう言いながら、ギターを抱え、弾きだす。

 ……まじか。

 その曲はビートルズの「BLACK BIRD」だった。



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Change the world

「♪~」

 

 憂が鼻唄を響かせながら、食事の準備をしている。その動きには無駄がなく、作業の一つ一つが体に染みついている事が窺える。

 その後ろ姿を見ながら、先程の演奏を思い出す。

 正直に言えば、嫉妬している。

 俺はこれまでに、沢山のステージを経験してきた。さらに、沢山の他人のステージを観てきた。だが、こんな感覚は生まれて初めてだ。

 

 格が違う。

 

 もちろん、まだプロの技術ではないし、ステージでの魅せ方は唯の方が上だろう。しかし俺が言いたいのはそんなことではなくて……

 

 彼女が演奏を始めた瞬間、場の空気が変わった。

 

 これができるのは、ほんの一握りだ。これができる奴が上に行ける。輝ける。夢を掴める。

 

「どうしました?」

 

 憂が振り向く。

 

「いや、唯が手伝ってるから、大丈夫かなって……」

「し、失礼だよっ!!ちゃんとできるもん!」

「いや、唯って普通に塩と砂糖間違えそうだから」

「そんなの学校の調理実習でしかやったことないよ!」

 

 あるんかい!!

 

「むしろすごいよ……」

 

 和の苦労が想像できる。

 

「あはは、大丈夫ですよ。味付けは私がやってますから」

 

 俺はほっと胸をなでおろす。二重の意味で。

 

「そ、それにお姉ちゃんは野菜の皮剥くの美味いんですよ!」

 

 姉のフォローを忘れない。本当によくできた妹である。

 そういうやり取りをしながらも、憂を見ていると、昨日の光景が……

 

「めっ!」

 

 また怒られた。あぁもったいない。

 

「じぃ~」

 

 唯もジト目を向けてくる。さ、ギター弾こう。

 

「そういえば、憂はビートルズ聴くんだ?」

「いえ、CDで聴くのは初めてです。お父さんはすきみたいですけなど」

「BLACK BIRDは初めて聴いたの?」

「はい、今日ギター買って、家に帰って何曲か聴いたら、これが1番やりやすそうだったので」

 

 やりやすい、ね…。

 

「あの、江崎さん。後で女の人が歌ってる曲で、何かおすすめを教えていただけませんか?」

「了解」

 

 話をしながらも、憂の両手は忙しなく働いていた。……キャロル・キングでも教えておくか。

 

 *******

 

 食後に、洗い物を強引にやらせてもらう。さすがに2日間も何もしないのは申し訳ない。

 唯は、憂のアコースティックギターを抱えながら、ギー太に「浮気じゃないよ~」と言っている。

 

「江崎さんもこういうの持ってるの?」

「そこまでイイヤツじゃないけど」

 

 いいなぁ、俺も早くマーチン弾かせてもらおう。

 憂は逆に唯のギターを持っている。

 

「憂~、このギター弾きにくい~」

「そうかなぁ、私は弾きやすいけど」

「「……江崎さーん」」

 

 よし、終わった。

 食器ふきを直して、俺を呼ぶ姉妹の方へ向かう。



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PLEASE LET ME WONDER

 憂がギターを買ってから1週間。彼女は既に20曲以上、人前で弾き語れるようになっていた。とはいっても俺と唯の前だけだけど。彼女はまだライブをする気はないらしい。まあ、それはさておき、憂の何が凄いかって、覚えのはやさだけではなく、一度おぼえてしまえば忘れないところだ。今日も、俺が紹介した曲をもうおぼえてしまい、楽しそうに演奏している。

 

 そして俺は先日の裸をまだはっきりと覚えている。

 

「めっ!」

 

 そして叱られる。

 

「む~!」

 

 そして唯に睨まれる。ここまでは定番。

 

 いや、もう一つ定番化したものはある。

 平沢家での食事だ。ギターの特別授業のお礼らしい。

 ギターの練習を姉妹交互に見て、食事をして帰るというのが、最近の日課になっていた。

 ところが今日は……

 

「雨、激しいですね」

 

 食事中に降り出した雨は、もう帰ろうかという頃にも、勢いは衰えず、むしろ激しさを増していた。

 

「外に出られないね」

「まあ、家もそんなに遠くないし、何とか歩いて帰るよ。傘借りていい?」

 

 唯の呟きに返事をすると、雷の爆音が轟いた。

 

「「っ!?」」

 

 2人が声にならない声を上げ、俺にしがみついてくる。

 

「ひっ!?」

 

 思わずこっちが情けない声を出してしまった。

 

「え、江崎さん?きょ、今日は帰るの無理そうだね?」

 

 唯が右腕を締めつけてくる。普通に痛い。

 

「そ、そうだね……雷落ちてきたら焦げちゃうからね。危ないよね」

 

 憂が左腕を締めつけてくる。普通に痛い。

 

「「帰れないよね!?」」

「は、はい…」

 

 ……何故だろう。

 女の子2人に抱きつかれてるのに、喜びよりプレッシャーの方が強い。

 

「わ、わかった。雨が止むまでいるから……」

「「ありがとうございます!!」」

 

 2人の顔がパッと笑顔になる。どうせ通り雨みたいなものだろう。

 

 *******

 

 1時間後、テレビを見ながら憂とのんびりしている。唯は風呂だ。

 

「すいません。恥ずかしいところ見せちゃって」

 

 憂が照れながら謝ってくる。

 

「別にいいよ。俺はダラダラしてるだけだし。でも普段はこういう時どうしてるの?」

「普段はひたすらお姉ちゃんと一緒に怖がっています。でも今日は江崎さんがいたから、つい甘えちゃって…」

 

 正直すぎる言葉に少し照れしまう。平沢姉妹は天性の人たらしの才能があると思う。

 

「気にしなくていいよ。どうせ家に帰っても1人だし」

「で、でも…」

「?」

「たまには……か、彼女さんとか来ないんですか?」

「いない。いたことない」

 

 傷をえぐられた。

 

「い、いないんですね!」

「あ、ああ」

 

 止めてくれーー。

 

「あ、あの、じゃあ………!」

「!」

 

 憂が何か言いかけた時、部屋が真っ暗になった。停電だ。

 

「憂~~~!!助けて~~!!」

 

 唯の叫び声が聞こえる。

 

「お姉ちゃん、待ってて!」

「ブレーカーは?」

「お、はい!すぐ案内します!」

 

 憂はそういうと、すぐに懐中電灯を探しだし、明かりを灯し、俺を案内してくれた。

 俺も憂に習い、さっさとブレーカーを戻す。

 そこで事件は起きた。

 

「憂~」

 

 何故か浴室にいるはずの唯がいた。

 ………一糸まとわぬ姿で。



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We can work it out

「お、お姉ちゃん……」

 

 憂は全裸の姉を見ながら、口をパクパクさせている。俺は眼を逸らそうと思っても、逸らせずにいた。

 この前、似たような場面に遭遇したが、その時と違い、湯気で隠れていない。完全に見えてしまっている。 

 憂より少し小さめだか、形のいい柔らかそうな胸も、意外と女らしくくびれている腰も、その下も……

 

「憂~、ほんとに恐かったよ~」

 

 唯がフラフラとこちらへ歩いてくる。俺には気づいていない。

 

「え、江崎さん、見ちゃだめ!」

 

 憂が視界を塞いでくる。

 その行動により、やっと唯がこっちに気づいたようだ。

 

「え?」

 

 寝ぼけたような声が聞こえる。こちらからは見えないが、おそらく、何が起きてるかわからないような顔をしているだろう。

 

「え?え…………きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 雷をはるかに超える爆音のような悲鳴が、平沢家に響きわたった。

 

 *******

 

「すいませんでしたぁ!」

「…………」

「すいませんでしたぁ!」

「…………」

「あのー、唯さん?」

「…………」

 

 平沢家のリビングを静寂が包んでいる。外では豪雨が降り続いているため、ホラー映画のような雰囲気だ。

 ちなみに今、俺は土下座の姿勢をキープしている。唯はこちらに背を向けてギターを弾いているところだが、さっきからさわ子さんのバンド『デスデビル』の曲のフレーズばかり弾いているのが、何だか恐い。

 

「お、お姉ちゃん………、もう許してあげたら?江崎さんだってわざとじゃないんだし、それにそもそもお姉ちゃんが裸で出てきたんだし…」

「唯、本当にごめん。何でも言うこときくから」

 

 ギターの音がピタリと止む。唯は、ゆっくりとこちらを向いた。

 

「フンス!」

 

 小さな両手で、俺の顔を掴んでくる。

 ガッチリとホールドされたので、強制的に唯としっかり目を合わせた状態になった。それに少し近い。風呂上がりなので、シャンプーのいい香りに包まれて、理性を持っていかれそうだ。

 視線を少し下げると、就寝用のラフな部屋着が見える。今さっきこの中を……

 

「フンス!」

 

 唯が指に力を入れる。

 

「いたたたた!!!」

 

 この姉妹の読心術、レベル高すぎだろ!

 

「江崎さん」

「はい」

「今度皆をケーキバイキングに連れてって」

「は、はい」

 

 や、やばい断れない。てか皆って誰だよ。一体何人だ。

 

「ありがとう~~」

 

 俺の顔から手を離し、とろけるような笑顔を見せる唯。さよならエフェクター資金。

 

「それと、もう一つ!!」

「な、何でしょうか?」

「あの……いつも忙しい憂のかわりに朝ごはんお願いします♪」

 

 ……まじか。

 だがもちろん断ることなどできなかった。



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GOLDEN LADY

「すぅ……」

「んん……」

「…………」

 

 眠れない。

 今俺は、平沢家のリビングで唯と憂に挟まれて寝ている。俗に言う川の字というやつだ。2人に言われるがままに、泊まることになってしまった。だがしかし、こんな状態になるのは、予想外だった。てっきり別室で1人で寝ると思ってたのに。

 考えていると、窓の外が光った。また雷が落ちたらしい。すぐ後にゴロゴロと鳴り響く。少し雨が弱くなったとはいえ、当分止まないようだ。

 はっきり言って心臓に悪い。雷じゃなくて、両隣の温もりが。どちらもこっちを向いているので、規則正しい呼吸が、軽く首筋にかかっている気がする。

 布団は離していいんじゃないか、という俺の提案は却下された。俺だけ少し離れようか、という提案も却下された。なのでどうしようもない。いや、嬉しいシチュエーションなんだろうけど。

 

「江崎さん……」

 

 右隣の唯から呼ばれる。だが彼女は寝ていた。どうやら寝言のようだ。

 

「もう食べられないよ……」

「…………!」

 

 吹き出しそうになる口を抑える。嘘だろ?こんな寝言が現実にあるなんて!

 

「江崎さん……」

 

 左隣の憂から呼ばれる。彼女は俺の布団に入ってきていた。やばいやばいやばい。

 そして俺の布団を剥ぎ取り、転がっていった。

 

「………」

 

 現実なんてくそ食らえだ。寒いよ。

 どうしようもないので、起きてギターを手に、ソファに腰掛ける。エレキギターなら、寝てる人間が起きる程の騒音にはならない。はず。いつもの練習用のフレーズを弾く。

 

 *******

 

「江崎さん?」

 

 布団の方から声がする。唯の声だ。さっきの寝言とは違う響きだ。

 

「どうかした?」

 

 一応、声をかけてみる。

 

「何してるの?」

 

 ぼんやりした声が返ってくる。

 

「眠れないから、ギター弾いてた」

「私も弾く~♪」

 

 唯が隣に飛び込むように座ってくる。寝ぼけてるようだ。

 

「すぅ……」

 

 唯の頭が肩に乗っかってくる。何時間か前に嗅いだシャンプーの香りが、再び鼻腔をくすぐりだす。普段年より幼い言動が多いせいか、変なギャップがあり、落ち着かない。

 ギターを弾くのを止め、引き寄せられるように、唯の頭を撫でる。柔らかな髪の感触が心地いい。

 唯がこちらに寄ってくる。もしかしたら起きているのかもしれない。それでも俺は唯の頭を、髪を撫で続けていた。

 

「江崎さん」

「唯……」

「憂ですよ」

「………」

 

 恐る恐る後ろを振り返る。

 おぅ……憂が般若に見える。

 

「すぅ……」

「寝たふりしてもムダですよ!」

 

 唯はそのままの姿勢を保っている。あれ?起きてたような……。

 

「江崎さん?」

「はい」

「正座」

 

 どうやら、まだまだ長い夜になりそうだ。

 雨はいつの間にか止んでいた。



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PARADISE CITY

「皆、集合ー」

 

 練習後、メンバー全員にある提案をするため、声をかける。昨晩、憂とどうなったかって?すいません。ごめんなさい。恐かったです。朝食を作り終える頃には、機嫌が直ったからよかったけど。ちなみに、唯は何事もなかったように今日も元気だ。

 ……昨晩はただ寝ぼけていただけなのだろうか。

 

「どうかしたんですか?」

「皆に提案がある」

 

 律に言った後、皆の顔色をうかがう。少し緊張しているようだ。

 

「今度の土曜日、ライブやらないか?」

「…………」

 

 皆、ぽかーんとしている。ど、どうした?

 

「…………か?」

「澪、どうした?」

「ほ、ほ、本当にライブできるんですか!!?」

「あ、ああ……」

 

 まだ詳しい事は何も話していないんだが。いや、喜んでくれて何よりだけど。

 他のメンバーもいつの間にか、満面の笑みを浮かべてはしゃぎだした。

 

「まあ、8月に大会があるらしいから、それまでに最低週1でライブをやっていけたら、と思ってるんだけど、皆はどう思う?」

「…………」

 

 皆ぽかんとしている。またか。

 

「…………か」

「梓、どうした?」

「ほ、ほ、本当にライブを毎週やれるんですか!!?」

「あ、ああ……」

 

 とりあえずキリがないので、さっさと本題に入ろう。

 

 *******

 

 大会の話を聞いて、さわ子さんに連絡したところ、可愛子ぶって謝られた(あまり嬉しくない)。そして、放課後ティータイムのこれまでのライブ経験を聞いたところ、文化祭などの学校行事とライブハウス1回だけ、との事なので、ライブをもっと経験させてあげたい、と思い、今回このような提案をしてみた。

 放課後ティータイムが本気でプロを目指しているかどうかはともかく、せっかく大会に出るなら、できるだけの事はやっておいた方がいい。ただの思い出作りよりは。

 

「今回は、知り合いに頼んでライブハウスのイベントのオープニングアクトをさせてもらえる事になった。社会人バンドのイベントだけど、前座ならって事で」

「オープニングアクトだって、何かかっこいいね~」

 

 唯よ。俺も後で言い直したが、前座の事だぞ。

 

「毎週ライブハウスで、ということですか?」

「いや、そういうわけじゃない。場合によっては、学校の施設を使わせてもらう。だが可能な限りイベントに皆をねじ込む」

「おお……」

「学校で行事以外の時にライブをやるっていいですね」

「楽しみ~」

「どうやらやる気はあるみたいでよかった。土曜日は大丈夫?」

「「「「「はい!!」」」」」

 

 気持ちいい返事が返ってくる。

 

「江崎さん、ありがとうございます!」

「あ、ああ、どういたしまして……」

 

 澪に両手を握られる。次いで、律が肩を組んでくる。あっという間に皆にくっつかれた。しかし……

 

「むぅ~」

 

 唯はむっとした顔でケーキを頬張っていた。しかも俺の分を……。



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SUNRISE

「幸せ~♪」

 

 口一杯に含んだケーキを飲み込んで、幸せそうに頬を緩め、昇天してしまいそうな唯。まるで、子供のようだ。

 

「唯、ここ」

 

 自分の唇の左下辺りを指さし、クリームが付いている事を唯に教える。唯は紙ナプキンを使わず、ペロリと舌でクリームを拭った。

 

「江崎さん、ケーキ取らないの?」

「いや、唯が早すぎるだけだから」

「いえいえ~♪」

 

 え、何で照れてるの、この子。たまに思考回路がぶっ飛びすぎて、お兄さん心配になっちゃう。

 幸せそうな唯を見ながら、俺もチョコレートケーキを頬張る。程よい甘さが口の中に広がる。

 今、俺と唯はケーキバイキングにいる。先日の停電事件のお詫びだ。原因は俺じゃないんだけど。本当に原因は俺じゃないんだけど。大事な事なので2回言っておく。

 ちなみにあの時は皆の分を奢る約束だったが、前日になって唯から、

 

「え、江崎さんも大変になるから私1人だけでいいよ!」

 

 という御慈悲を頂いた。

 皆には内緒というのが条件だが、こうして角が立たない配慮ができる辺りは、さすがお姉さんといったところだ。

 いつの間にかケーキを取りに行った唯が戻ってきている。あんなに食べると太りそうなものだが。しかし、その腰も脚もほっそりとしている。そしていつも通り先日の裸を思い出す。

 

「フンス!」

 

 席に着いた唯に膝を蹴られた。やはりエスパーか。

 

「何もしてないよ」

「め、目がいやらしかったよ!」

 

 ……もしかして今までばれてたのは俺のせいか。

 

「あ、このケーキおいしい」

「ご、ごまかしてもだめだよ!」

 

 こうしてゆる~い時間が過ぎた。

 

「だ、だからごまかしてもだめだからね!」

 

 *******

 

「あ~、お腹いっぱい♪」

「俺もだ」

「江崎さん、ごちそうさまでした!」

 

 唯がビシッと敬礼する。

 

「どういたしまして」

「次は皆で行きたいね」

「その時はさわ子さんにおごらせよう」

「あぁ、それいいねぇ♪」

 

 話しながら歩いていると、何処かから歌が聞こえてきた。

 

「公園のほうだよ」

 

 唯も気づいたみたいだ。

 

「行ってみようか」

「うん!」

 

 唯はスキップして公園の中へ入っていった。

 俺も唯を追いかけ、音のする方へ向かった。

 

 *******

 

「おぉ……」

 

 唯が目をキラキラさせている。視線の先を見てみると、公園の中央に特別ステージが組まれて、その上で20代半ばに見える男性がアコースティックギターで弾き語りをしていた。曲は去年流行ったポップソングだ。キャッチーなメロディーと優しい歌声に皆耳を傾けていた。どうやら、アコースティックギター限定の弾き語りイベントが行われているようだ。

 唯は既に集中して聴いていたので、俺も同じように聴いていた。

 しばらくして、演奏が終わり、男性がステージからはけて、司会者が次の参加者の名を呼ぶ。

 

「続いてはエントリーナンバー7番、平沢憂さん!」

「「え!?」」

 

 驚いて唯と顔を見合わせる。だがステージにいるのは、間違いなく憂だ。少し緊張している。

 

「……唯、知ってた?」

「……し、知らなかったよ」

 

 俺達が呆然としているうちに、セッティングを終えた憂が歌い出す。

 曲はノラ・ジョーンズのサンライズだ。



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SHOOT TO THRILL

「凄かったな……」

「う、うん……」

 

 俺も唯も、その場から動けないでいた。

 もう既に、他の観客はいなくなり、特設ステージの撤去が始まっている。

 

「…………」

 

 先程のステージを思い出す。

 憂の歌い出し、観客の様子、渇いたギターの音、感情豊かに青空の下を揺らす歌声。

 彼女の演奏に皆が引き込まれていた。楽に聴き入るとも、自然にリズムに乗るとも違う。彼女の放つ音楽が持つ謎の引力に観客は抗えなかった。

 

「……行こうか」

「……うん」

 

 やっと体を動かす事ができたので、とぼとぼと歩き出す。唯はまだどこか呆けている。

 そりゃそうだ。実の妹が人生初ステージであんなとんでもないものを見せたのだ。楽器を高校に入って、ずっと弾いている姉からしたら複雑だろう。姉として褒めてやりたい気持ちとプレーヤーとしての嫉妬心が渦巻いているはずだ。

 

「あの、江崎さん……」

「何?」

 

 唯が深刻さを含む表情と声をしている。こちらも真剣に耳をかたむけた。

 

「優勝者の副賞の高級焼肉店食べ放題3人分、私置いていかれちゃうのかな~」

 

 ずっこけてしまった。

 え、何?この子冒頭部分からそんなこと考えてたの?

 

「どうしよ~、お父さん、お母さん、憂、お父さん、お母さん、憂、お父さん、お母さん、憂……」

「落ち着け。何度数えても何も変わらん。てか、今日ケーキバイキングに行ったからいいじゃんか」

「江崎さん!ケーキと焼肉は違う食べ物なんだよ!!!」

 

 知っとるわ。

 心の中でつっこむと、唯は突然、何か閃いた顔をして、俺と向かい合った。

 

「江崎さん!今度「焼肉なんて奢らんぞ」何で!!?」

 

 貧乏フリーター舐めんな。

 

「むぅ~」

 

 唯が頬を膨らましていると、突然声をかけられた。

 

「お姉ちゃん、と江崎さん?」

「「憂!?」」

 

 憂が疑わしいものを見る目をこちらに向けていた。

 

 *******

 

「あはは、まさか優勝するなんて思いませんでした……」

「いや、本当に凄かったよ」

 

 先日、河原で練習している時に、偶然見た主催者から声をかけられたのが、今回の出場理由らしい。こんなところまで、ドラマチックに仕上がるとは………。

 

「お姉ちゃん、私どうだった?」

 

 憂が不安げに尋ねる。

 

「え!?えーと……」

 

 悩んだ末に、唯はドヤ顔をした。

 

「ま、まだまだだね!」

 

 おい。

 

「そっかー、じゃあ次はもっと練習しなきゃ!」

 

 おい。いや、憂はいいんだけどね。

 

「うん、その意気だよ!」

 

 唯……。

 

「江崎さん、今回の優勝は江崎さんのおかげです」

「大したことはしてないよ。憂が凄いだけ」

 

 本当に。

 

「そういえば、2人は何でここにいるの?」

「「あ…」」

 

 さて、どんな言い訳を……

 

「デ、デートだよ!」

 

 唯がしどろもどろになって言う。ケーキバイキングの事を隠す為とはいえ、なり振りかまわなすぎだ。

 

「ふふふ、江崎さん♪詳しく聞かせてくださいね♪」

 

 憂が俺に聞いてくる。

 やばい。また笑顔が恐い。

 この後、唯が焼肉の話に無理矢理変えたので、事なきを得た。 



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Rock'n Roll Music

「どうしようどうしようどうしよう………」

「澪、落ち着け」

 

 スポーツ飲料の入ったペットボトルを渡しながら、澪に声をかける。ライブ前に緊張しやすいらしいが、まさかここまでとは…。

 

「いつもこうなの?」

「ライブハウスに慣れてないので、いつもより酷いかも………」

 

 俺の疑問に答える律もいつもより落ち着きがなかった。よく見ると、紬も梓もキョロキョロして忙しない。まあ、2回目だしこんなもんかと思っていたら、後ろから声がかかる。

 

「江崎さん、あのガイコツの置物可愛いよ~」

「そ、そうか?」

 

 1人相変わらずなのがいた。今はこれが救いなんだけど。

 

「ええ~、可愛いよ~」

「いや、趣味悪いだろ」

 

 何だよ、このリアルにもゆるキャラにもなりきれてない哀れなガイコツは。

 考えていると、後ろから今度は頭をはたかれた。

 

「痛っ!」

「アンタ、久しぶりに会ったと思えば、中々失礼なこなてを言ってくれるじゃない」

「嘘です嘘です。音無さん」

 

 今、俺の首を絞めているこのひとは、音無薫さん。俺が高校生だった頃から、この店で働いている。おそらく今はアラサーか。

 

「何だよ。言いたいことあるのかい?」

「いいえ、何も」

 

 この人には頭が上がらない。当時、ステージ経験の少なかった俺やバンドのメンバーにちょくちょくイベントを紹介してくれたり、今回のようにチケットノルマなしでステージに上げてくれたりした。

 

「大体、帰ってきてるなら、真っ先にアタシのところに来いよ。こき使ってやるのに」

 

 すいません。それを恐れていました。

 

「しっかし、さわ子ちゃんの教え子のコーチか、役得だねぇ。誰とデキてんの?」

「デキてませんよ。てか、そんなことしたら、さわ子さんに殺されます」

 

 未成年の前でもとばしてんなぁー。だがそろそろ首を解放してほしい。無駄にでかい右胸と無駄にでかい左胸が押しつけられて落ち着かない。長い金髪もあの頃と同じ香りで、初恋を……………いや、何でもない。

 

「フンス!」

 

 左腕を唯に引っ張られる。

 

「江崎さん、ミーティング!」

「あ、ああ」

 

 気合入ってるな。

 

「平沢さん!」

 

 音無さんが呼びかける。

 

「は、はい!」

 

 唯が慌てて振り向く。

 

「今日はよろしくね」

「はい!」

 

 よし、俺も気合い入れるか。演奏しないけど。

 

 *******

 

 セットリストの確認をし、イベントの参加者に挨拶をして、リハーサルを終えると、開場の時刻になり、客が入ってくる。自分が知っている普段のこの店のメインの客層より、割と上の年代の客が多い。そこそこ耳が肥えてそうだ。

 今日の客に彼女たちの知り合いはいない。その中で、どれだけ客に聴かせられるか。それを試したかった。

 間もなく開演だ。

 

「皆、集まって」

「「「「「はい!」」」」」

「いつもとかなり勝手が違うけど、やることはいつも通りだ。楽しもう」

「「「「「はい!」」」」」

 

 皆、いい笑顔で返事して、ステージへ上がっていく。

 俺はその背中を祈るように見送った。



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FEEL FINE

「お疲れ」

 

 演奏を終え、汗だくで戻ってきた皆をねぎらう。会場の熱気を引きずったままの皆は、どこか虚ろな、ライブを終えた事が理解できていないような顔をしていた。 1.Cagayake!GIRLS

2.カレーのちライス

3.ふでペン~ボールペン

4.Don't say lazy

5.ふわふわ時間

 これが今日のセットリストだ。

 俺から見て演奏の完成度にムラのない曲から順番に選んでいった。1のソロを回すところはライブで見ていても気持ち良かったし、4の澪の歌声なんかは、練習の時より声が出ていた。客の反応もすごく良かった。

 

「江崎さん」

 

 唯がにっこりと笑顔で声をかけてくる。他のメンバーもいつの間にか笑顔になっていた。

 

「どうだった?」

 

 答えは決まってる。

 

「最高」

 

 ハイタッチと共に賛辞を送る。

 

「江崎さん、私の歌どうでした!?」

「リズム走ってなかった!?」

「律先輩走り気味でしたよ」

「何だと-!?」

「私もどうでした?」

 

 全員とハイタッチしながら、喜びを分かち合う。

 彼女達を見ていると、自分がギターを弾きたくなって、体が疼いているのがわかる。

 

「おい、そこのヘタレギタリスト」

 

 音無さんが声をかけてくる。てかヘタレて……いや、否定できんけど。

 

「あんた、今日のトリのバンドでギター弾いてね」

「は?」

「皆お疲れ~♪とっても良かったよ!!」

 

 俺の疑問には聞く耳持たず、音無さんは放課後ティータイムを褒めていた。

 

「ちょっと待ってください。俺、ギター持ってきてないですよ」

「貸してやる」

「それに俺がトリに参加したら、今日のイベントの趣旨に合わないような……俺まだ音無さんほど年とって……」

「あん?」

 

 俺の近くの壁にピックが刺さる。え、マジ?

 

「やるよな?」

「はい。ぜひやらせて頂きます」

「よろしい」

 

 音無さんは踵を返し、別のバンドの方へ行った。

 

「江崎さん、頑張って!」

 

 俺と音無さんのやりとりを見ていたメンバーから励まされる。まあ、最高の演奏には最高の演奏で返そう。

 それがミュージシャンの流儀だ。

 

 *******

 

「今日は皆ありがとう!またよろしくね!」

「「「「「ありがとうございました!!」」」」」

「音無さん、ありがとうございます。いい経験できました」

 

 俺もメンバーも深く頭を下げる。

 

「いいって、いいって。それよかあんた、やっぱ上手くなったね」

「それほどでもないです」

 

 音無さんは溜息をついて、俺の頭を撫でる。

 

「あんた考えすぎ。くだらない事を考えてないで、楽しんで楽ませる事に集中しな」

「……はい」

 

 音無さんの言葉は優しく俺の胸に染みこんだ。だが、さすがに頭を撫でられるのは恥ずかしい。

 

「フンス!」

 

 音無さんの手がどいた後、すぐに唯が俺の頭を撫でてきた。痛い痛い。

 他のメンバーはそれを見て笑っていた。

 

「よーし、次は新入生歓迎ライブだー!!」

「「「「おー!!」」」」

 

 律の声に皆が答える。それと唯、はやく手をどかしてくれ。

 色々あったが、一つだけ間違いなく言える事がある。

 こんなに楽しい夜は久しぶりだ。



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JUMP

「私もライブがやりたいんです!!」

 

 突然の憂の発言に俺と唯は顔を見合わせる。

 今ではすっかり当たり前のようになってる平沢家での夕食。その穏やかな空気の中、突然箸を置いた憂がいきなり宣言した。

 

「ふぉふぃふぁふぉ?ふい」

 

 唐揚げを頬張りながら、唯が尋ねる。行儀悪いぞ。あとおそらく『どしたの?憂』と言ったのだと思う。

 

「憂、いきなりどうした?」

 

 唯のかわりに尋ねる。すると憂は真剣な眼差しで告げた。

 

「私もライブやってみたいんです!お姉ちゃん達みたいに!」

 

 なるほど、この前のライブで音楽をやる楽しみを知ってしまったということか。まあ、あれだけやれるならそうなるのも無理はない。気持ちよくて仕方ないだろう。

 

「路上弾き語りでもするのか?」

「それもやりたいんですけど……」

 

 憂はちらりと唯を見て答えた。

 

「私もお姉ちゃんみたいに体育館のステージに立ってみたいなぁって思って……」

「なるほど」

 

 すると、突然唯が立ち上がり、憂の元へ駆け寄った。

 

「憂!」

「ど、どうしたの?お姉ちゃん?」

「入部おめでとう!」

「え?え?」

「まあ、いきなりすぎだけど、軽音部に入るのはいいんじゃないか?」

「え?」

「軽音部としてステージを使えるし、他のメンバーとセッションもできる」

「…………」

「そして何より、今度の新入生歓迎会のライブに出られる」

「入部します!!」

 

 部員確保。

 

 唯とアイコンタクトを交わす。

 そして久しぶりに2人の裸を……

 

「めっ!」

「フンス!」

 

 思い出せなかった。しかし考えてみれば、中々歪な関係が出来上がっている。この2人のご両親に申し訳ない気がしてきた。

 

「あ、あの!」

 

 憂がずいっと顔を寄せてくる。

 

「軽音部に入ったら、江崎さんがコーチしてくれるんですか?」

「そりゃあ、軽音部のコーチだし」

「じゃ、じゃあ、これからは軽音部としてもよろしくお願いします!!」

「あ、ああ」

 

 手を握られ、上下にぶんぶんと振られる。

 

「むぅ~」

 

 唯が不機嫌そうに頬を膨らませている。

 

「軽音部もこれでまた賑やかになるな」

 

 何か嫌な予感がしたので、さり気なく話を逸らす。

 

「そうだね~」

 

 唯がにぱぁっと笑顔になる。ここまで余裕なのもそれはそれでどうなんだろう。

 

「皆で合宿に行けるねぇ~」

「私も行っていいの?」

「もちろんだよ~」

「まあ、頑張ってこい」

「はい?何言ってるの?佐藤さんも行くんだよ?」

「え?俺男だよ」

「でもコーチだよ」

「いや、色々と問題が……」

「大丈夫だよ♪」

 

 無駄な自信があるようだ。

 まあ、合宿はともかく、まずは新歓ライブを成功できるように頑張るか。指導を。いや、本当に。

 

 



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Hello

「新入部員の平沢憂です。よろしくお願いします!」

 

 憂が丁寧な動作で頭を下げると、5人が賑やかな拍手を送る。俺も後に続いた。

 

「よろしくー!」

「憂ちゃん、一緒に頑張ろうね!」

「梓に続き、真面目そうな部員が……」

「憂、入部おめでとー!」

「憂もついに軽音部か~」

 

 皆が話しかける中、憂はこちらをチラリと見て、さり気なくウインクしてきた。不意打ちに軽く胸が高鳴りながら、俺は歓迎のティータイムの席に着いた。

 

 *******

 

「すごい……」

 

 呟いた澪が感動の溜息を漏らす。

 憂のギターはもう初心者のレベルを遥かに超えていた。

 ティータイムの後、ひとまず新入部員の実力を見ようと律が言い出したのだが、想定外の実力に初見のメンバーは驚きを隠せていなかった。

 

「憂……本当に初心者なんだよね」

「うん、そうだよ♪」

 

 梓が少しショックを受けている。いや、見た目には

少しなだけで、実際はかなりのショックだろう。最近始めたばかりの子があれだけ弾けば、それにソロギターとかいつの間に覚えたんだよ。

 

「憂は歌も上手いんだよ」

 

 唯がのんきに言う。うん、こいつは全く気にしてないな。少しは気にしような。

 

「じゃあ、皆で合わせない?」

 

 紬がにこやかに提案してくる。確かに見てみたい。

 

「じゃあ、皆準備はじめて」

 

 また一段と騒がしくなりそうだ。

 

 *******

 

「楽しかった~」

 

 唯がう~ん、と伸びをしながら感想を漏らす。

 実際に聴いてて楽しかった。憂の繊細か力強いアコースティックギターのストロークが、音に厚みを加えるだけではなく、全体のリズムを整えてくれる。コーラスも申し分ない。この編成はバンドとしてやっていくには十分すぎる。

 ただ一つ。たまに憂が浮いてしまう。ふとした瞬間に、憂がバンドのグルーヴの中心になり、どうしても主役を持っていってしまう。

 要するに灰汁が強い。

 それはミュージシャンとしては、大きな武器にもなり、同時に相性というものを生み出してしまう。

 まあ今はまだ、相性をどうこう言う期間ではないから、このままでもいいか。

 

「なんか今日、いつもよりリズム安定してたな」

 

 澪が誰にいうでもなく呟く。普段からリズムキープに細心の注意を払っている澪だからこそ、気づいたのだろう。

 

「いや~、憂ちゃん、歌も上手いのか~。すごいな~」

 

 律の褒め言葉に憂は恥ずかしそうに頭を下げ、嬉しそうに笑った。

 

「ありがとうございます!江崎さん……どうでした?」

「よかったよ」

 

 憂は小さく、よしっと喜びながら、次の演奏の準備をする。このまま行けば、新歓ライブは上手くいきそうだ。

 とりあえずセッションに俺も参加させてもらおうと、ギターを準備し始めた。

 

 



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HAPPY

「新入生の皆さん!ご入学おめでとうございます!私達は放課後ティータイムです!」

 

 唯の言葉を合図にわっと歓声が上がり、体育館の空気を大きく震わす。相変わらず物怖じしない点は尊敬の念すら覚える。

 

「えー、本日はお日柄も良く……なんだっけ?」

 

 ……物怖じしない点だけはな。

 今日は5曲のみの演奏となっている。

1.カレーのちライス

2.Don't say lazy

3.GO!GO!MANIAC

4.Cagayake!Girls

5.ふわふわ時間

 唯と澪で話し合ったセットリストの受けは比較的いいようだ。曲を知らなかった新入生があそこまで盛り上がれるくらいだ。放課後ティータイムの楽曲と演奏のノリの良さが窺える。皆の演奏も大したミスはなく、楽しんでいるようだ。その中でも……

 

「憂……」

 

 やはりこの子が異彩を放つ。彼女がカレーのちライスのギターソロを弾いたのだが、皆が息を潜め、その演奏に聴き入っていた。ただの間奏ではなく、平沢憂の演奏するギターソロとして、素晴らしい存在感を放っていた。

 他の5人もそれを無意識に察知したのか、自然と熱が入る。

 5曲で終わらせるには惜しいくらいのライブだと心から思えた。

 

 *******

 

「お疲れ」

 

 部室に戻ってきた皆に労いの言葉をかける。

 

「やっほ~、江崎さん!」

 

 唯がこっちに駆け寄ってくる。あ、お前がいきなり走ったら……

 

「わわっ」

 

 案の定ずっこけそうになりながら、とっ、とっ、と片足で何とかバランスを取り、こっちに突っ込んできた。

 予想はしていたものの、椅子に座っていたのと、唯の勢いが予想より強かった為、思いきり倒れてしまう。

 

「…………!」

「きゃっ…………ん!」

 

 椅子から転げ落ち、唯が上に乗っかってくる。

 頬に一瞬だけ湿った温もりがぶつかってきた……気がした。

 

「お姉ちゃん!江崎さん!大丈夫!?」

「あ、ああ、なんとか」

「…………」

 

 幸い痛みはそんなにはない。

 

「唯~大丈夫か~」

「まったく。気をつけないと……」

「二人共、大丈夫?」

「まったく、何やってるんですか?」

「…………」

 

 憂に続いて他のメンバーが声をかけてくるが、唯は口元を押さえて動かない。少し顔が赤いようにも思える。

 

「唯?どうかしたか?」

「あわわわ!」

 

 唯はいきなり立ち上がる。黒ひげ危機一発ばりの跳躍力だ。

 

「ご、ご、ごめんなさい!」

「あ、ああ、大丈夫」

「はい!」

 

 唯が差し出してきた手を取り、ゆっくり立ち上がる。

 その手は小さくて、ひんやりしていて、でもどこか温かい。

 



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Time After Time

「俺の家?」

「うんうん!」

「ど、どうなってるんですか?」

 

 食事中、唯と憂が身を乗り出すようにして聞いてくる。一瞬喉が詰まるかと思ったが、何とか持ち直した。

 

「ど、どうって……普通の家だけど」

 

 ギターが数本と機材が置いてあるだけで、あとは普通の家と変わりはない。最近は平沢家で食事を摂る事が多いせいか、冷蔵庫にあまり物が入っていないけど……。

 唯がさりに身を乗り出してくる。

 

「お部屋汚れてるよね!じゃ、じゃあ、今度掃除に……」

「いや、それは……」

 

 唯が掃除とか、さらに散らかりそうだし。

 

「ぶ~ぶ~!」

「お、お姉ちゃん、いきなりすぎるよ……」

 

 憂が唯を宥める。さすが憂。

 

「こういうのは段階を踏まないと駄目だよ?」

 

 違った。もっと計画的だった。

 

「いや、別に来るのはいいけど……面白いもんは何もないよ?」

 

 俺ばっかり平沢家にお邪魔して、ここで断るのはフェアじゃない気がする。特にここ最近は毎晩御馳走になってるし。いや、一応材料費は半分払ってるけど。

 

「じゃ、じゃあ明日行きます!」

「明日!?」

 

 つい驚きがそのまま声になって出てくる。さすがにいきなりすぎやしないでしょうか。

 

「あ、わ、私も!何なら今からでもいいよ!」

 

 唯もはいはいと手を挙げる。

 

「いや、それは無理」

「ぶ~ぶ~!」

「あはは……」

 

 今晩の予定が決まった。

 とにかく全力で掃除をしよう。

 

 *******

 

「ここが……」

「江崎さんの……」

 

 古ぼけたアパートを見ながら、平沢姉妹は呆気にとられている。まあ、無理もない。彼女達の住んでいる家に比べたら……かなりボロい。その分家賃は安いけど。

 自分の部屋の前まで行き、扉を開ける。

 

「「…………」」

 

 二人が固まってしまった。

 

「ど、どうでしょうか?」

 

 彼女達の視線の先には、ギターや機材で埋め尽くされ、真ん中に敷かれた布団以外、足の踏み場が殆どない部屋があった。……片付けたんだけどなぁ。

 とりあえず三人で布団の上に座る。

 

「なるほど……やっぱり音楽が好きなんですね」

「ああ、つい手放せなくて……」

「でも……不便じゃないんですか?」

「そうだよ!何も出来ないじゃん!」

「あー、もう、慣れたかな」

 

 実際、部屋の中で走り回るわけでもないし、最近は寝るだけの部屋になっているので、特に不便はない。

 

「「…………」」

 

 二人はじぃ~ッと覗き込むように見てくる。どこか責めるようなニュアンスがあるのは気のせいだろうか。

 そ、そこまでひどい状態になっているのか、住めば都なんだが。

 そこで唯がポンと手を打つ。

 

「あの、私、これ借りてもいいでしょうか!」

 

 唯は持ち運べるくらいの大きさのアンプに抱きつく。

 なるほど、そういう事か。

 

「いいよ」

「じゃあ私はこれを!」

 

 憂はセミアコを指差す。お洒落な見た目がお気に召したのかもしれない。憂には似合いそうだ。

 

「いいよ」

 

 どうせアパートでは鳴らせないから、ちょうどいいかもしれない。

 

「じゃ、今から持ってくか」

「「ありがとうございます!」」

 

 こうして俺の部屋は少しだけ広くなった。

 



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Surfin' Safari

「「「「「合宿だ~!」」」」」

 

 合宿所、もとい琴吹家の別荘を前に放課後ティータイムは気合い(?)を入れていた。澪と梓はやや照れ気味で、残り4人は思いっきり飛び跳ねて、かなり楽しみにしていた事が窺える。

 ゴールデンウィーク。俺達は音楽合宿に来ていた。正直言えば、ここでもティータイムやらかすんじゃないかという不安はあるが、まあ……ちょっとだけならいい、かな?それ以上に問題は……

 

「本当に俺も来てよかったのか?」

 

 一番の疑問を口にする。

 女子高生6人に男1人。この悪すぎるバランスが何とも……。別に間違いが起こるとは思っちゃいないけど。

 

「もちろんだよ!」

 

 唯が肩に手を置いてくる。

 

「コーチが何を言ってるんですか?」

「保護者役も必要だしな!」

「江崎さんなら、色んな意味で安心ですからね」

「い、色んなってなんですか?」

 

 憂がクスクス笑いながら、隣に並んできた。

 

「さ、早く中に入りましょう!」

 

 背中をそっと押され、俺は心を決めた。

 

 *******

 

「すごい……」

 

 別荘内のスタジオにて、俺はかなり頬が緩んでいた。 

 とにかく機材の質が高い。話は聞いていたが想像以上だ。

 何ならこの機材で次のライブをやりたいくらい。

 こ、こ、これは……あの憧れのプレーヤーのシグネチャーモデル……。後でたっぷり弾かせてもらおう。

 

「どしたの?江崎さん」

「唯。とにかくギターを繋げ。機材を弄れ。こんないいアンプ中々お目にかかれないぞ」

「な、なんかいつもとテンションが違いますね」

 

 平沢姉妹が少し引き気味になっているが、今は気にしてなんかいられない。この感動はいずれわかってもらえるだろう。

 

「よし、いきなりだが皆で合わせよう!」

「え~ティータイムは~?」

「さ、律もはやく!」

「は、は~い」

 

 律は渋々といった感じだが、まあ合わせている内にノってくるだろう。

 そこでいきなり澪から両手を掴まれた。その目は微かに潤んでいる。

 

「ど、どうした?」

「ありがとうございます!そうですよね!これが軽音部の合宿ですよね!」

 

 澪のこのリアクションからして、おそらく過去の合宿は……うん、考えないでおこう。

 俺は彼女の手をしっかり握り返す。ひんやりとした感触に、不思議と緊張はしなかった。

 

「その通りだ。演奏しまくるぞ!」

「むっ」

「むむっ」

 

 後ろから何か歪なオーラを感じたが、多分気のせいだろう。きっとそうだ。

 

「あらあら~」

「江崎さん、気づいていないふりしてますね」

 

 こうして放課後ティータイムの合宿が、ゆるく賑やかに始まった。



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SIR DUKE

「よし、休憩しよう!」

 

 俺が手を叩きながら言うと、それを合図に全員がぐったりと床にへたり込む。

 エアコンは効いているはずなんだけど、音が飛び交い、一つの曲になるこの空間の熱気にはあまり効果がなかったようだ。演奏していないこっちも汗だくになっていた。

 

「江崎さん……アイス」

 

 唯はギターを抱えたまま、仰向けになっている。

 

「こら、唯」

「私も~」

「律まで!」

「いいよ。取ってくる」

 

 この子らの演奏を特等席で、金も払わずに聞けているのだから、アイスを取ってくるくらい安いもんだ。

 

「あ、私も手伝います!」

 

 座っていた憂が慌てて立ち上がりかけたが、それを手で制する。

 

「いいよ。午後からはさらに練習するから、今のうちに休んだ方がいい」

「え~!?」

「プールの時間は!?」

 

 唯と律が立ち上がり、抗議してくる。

 

「ない」

「ないな」

「ないです」

 

 俺、澪、梓がそれを一蹴し、二人は崩れ落ちた。

 

「あはは、お姉ちゃん……」

 

 憂が苦笑いしながら唯の頭を撫でる。うん、やっぱりどっちが姉だかわからない。

「たまには練習しながら拝む朝陽もいいと思うんだけど……」

『…………』

 

 俺の発言は、全員の冷たい沈黙でかき消された。あれ?おかしいな。

 

 *******

 

 何だかんだ言いながら、午後からも練習に対する熱は冷める事はなかった。むしろ集中は高まり、あまりの一体感にはっとするような至福の瞬間も、時たま生まれていた。

 

「今のすごくよかったよね!!」

 

 唯が喜び跳ね回る。こういう事に気づくようになってきたのもいい事だ。

 

「よし、今の曲最初から通そうぜ~!」

 

 律が先ほどとは打って変わった発言で、その場を仕切る。こうなってきたら走りやすいから、そこさえ注意してくれたらいいんだけど……。

 

「江崎さんも一緒に弾きませんか?」

「え?」

 

 憂がそんな事を言いながら、既ににっこり笑顔でギターを差し出してきている。

 

「……わかった」

 

 断る余裕などどこにもなかった。まあ、そもそも断る理由もないから別にいいんだけど。

 

「ほら、はやくはやく~」

 

 律がバスドラで急かしてくる。

 

「りょ、了解」

 

 俺は急いで準備し、この心地よいグルーブに混じれるよう、曲を頭の中でリピートしまくった。

 

 *******

 

 全員で夢中になってセッションしていたら、いつの間にか外は暗くなっていた。

 

「お腹空いた~」

 

 唯が再び寝そべる。今度は本当に限界のようだ。澪と梓の真面目コンビも、その顔に疲れを滲ませている。

 

「じゃあ、急いで作るから待っててね」

 

 さっきまでミュージシャンモードだった憂は、いつの間にかエプロンを身に着けていて、完全に姉の面倒を見る良き妹モードになっていた。か、変わり身早いな。

 

「皆さん、すぐに仕度してきます」

 

 バイタリティ溢れるその後ろ姿を、俺達は呆然と見送った。



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CARAVAN

「おやすみ~」

 

 唯がソファーの上にだらしなく寝転がる。

 

「私も~」

 

 続いて律も同じように寝転がった。

 

「おい、食べた後にすぐ寝たら太るぞ」

 

 澪が二人を叱りながら、チラリとこっちを見てきた。おそらく練習に誘導したいのだろうか。しかし、助け船を出そうにも、唯がこうなってしまったら、俺が何を言っても無駄のように思える。

 するとそこへ憂が割り込んできた。

 

「私に任せてください!」

 

 こちらが何か言うより先に、憂は唯の耳元でボソボソと囁いている。

 最初は眠たそうな顔をしていた唯だが、すぐに起き上がり、律の体を激しく揺すり始めた。

 

「律ちゃん!起きて起きて!練習だよ!私達、軽音部だよ!」

「わ、わかった!わかったから、落ち着け~!」

 

 唯の少し赤くなった顔と、悪戯っぽい憂の顔を見比べ、デリカシーに欠けるかもしれないが、何を言ったのか気になる。だが唯が恥ずかしそうにこちらを見ているので、聞かない方がいいのかもしれない。しかし気になる……。

 

「憂、何を言ったんだ……」

「内緒です♪」

 

 憂は可愛らしくウインクするだけだった。

 

「江崎さん、本当にわからないんですか?」

「いや、全然。紬はわかったの?」

「ふふっ。もちろんです」

 

 紬は口元に手を当て、上品に微笑むだけで、何も教えてくれなかった。

 

 *******

 

 夜の練習は、合宿ということもあってか、不思議な感覚がした。修学旅行の夜に似ているのかもしれない。

 どういうわけかハイテンションになりすぎた唯と、それに合わせるようにリズムが走り出す律を抑えるのが、かなり大変だった。

 練習を2時間ぐらいで終えてから、女子、男子(一人)の順番で風呂に入り、湯船の広さに驚愕し、堪能してから脱衣所を出ると、憂がテラスに一人で座っていた。夜の海と星空を眺めているのか、ぼうっとしているようだ。

 それでいて、その優しそうな横顔はいつにも増して大人びて見えた。

 テラスに出ると、彼女は俺に気づき、ぱあっと笑顔を向けてくる。

 

「あ、江崎さん!」

「今日は色々とお疲れ様」

「楽しいから平気ですよ」

「そうか」

「…………」

「…………」

 

 いつもと違う場所だからか、会話のテンポがずれている気がする。

 邪魔しても悪いので、そろそろ部屋に戻ろうとしていると、憂の方から口を開いた。

 

「あの、もしよければ、もう少しだけお話しませんか?」

 

 そう言ってもらえるなら断る理由なんてない。

 

「別にいいよ。そういえば唯は?」

「……お姉ちゃんが気になりますか?」

 

 憂は少しだけ拗ねた表情になり、こちらの不安を煽る。会話のクッション的に聞いてみただけなので、こちらとしては返す言葉がない。

 

「い、いや、聞いてみただけだよ」

「ふぅ~ん、本当ですか?」

 

 今度はジト目になり、そのまま目を逸らす気配がないので、もうその空気に耐えられなくなる。

 

「そういや、話って?」

「あ、逃げた……」

 

 憂の隣の椅子に腰掛けると、夜風がそっと頬を撫で、どこかへと過ぎ去っていった。

 同時に、憂の髪もさらさらと揺れて、シャンプーのほのかな香りが鼻腔をくすぐっていった。

 

「どうしても聞きたいことが……」

「聞きたいこと?」

 

 憂は唇を小さく震わせ、鳥の囀るような小さな声を搾り出した。

 

「あの……江崎さん、好きな……」



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little by little

 憂の瞳が僅かに揺れている。

 そこには夜の星が小さく輝いていた。

 何とも言えない、はっとするような美しさに、

 どのくらいそうしていたかはわからないが、彼女の口が、続きを紡ぎ出した。

 

「す、好きな……」

「…………」

「好きな……曲、教えてくださいっ!!」

「……あ、うん……」

 

 ……何だろう、この感じ。

 別に変な事を期待していたわけじゃないけれど、物凄く肩透かしを喰らったような……やっぱり期待していたのか?

 憂は憂で、何故か頭を抱えている。

 

「何やってるんだろう、私……せっかくのチャンスだったのに……いや、でもお姉ちゃんが……」

 

 ぶつぶつ小さく呟いているが、よく聞こえない。

 すると、憂はばっと顔を上げた。

 

「そ、それで!質問なんですけど!」

「わ、わかった。わかったから!」

 

 いきなり顔が近くにきたので、つい後退ってしまう。当たり前のように、いつも一緒に食事をしていたせいか、憂の可愛さをしっかり意識する機会が少なかった。……裸は見たんだけど。

 

「……な、何考えてるんですか!もう、ばか!」

「いや、いきなり心を読まないで」

 

 *******

 

「むぅ……何話してるのかなぁ」

 

 *******

 

 目を覚ますと、そこには見慣れない何かがあった。

 

「……何だ?」

 

 よく見れば肌色のようだ。

 すぐ目の前にあるので、特に手を伸ばす必要もない。

 

「う~ん……」

 

 今度は声が聞こえてきた。

 かなり甘めなトーンで、まだ夢の世界にいるようなふわふわした声だ。

 しかし、その声は聞き覚えがあり、こっちの頭の中はすぐに覚醒し、現状を理解する。

 

「ゆ、唯?」

 

 少し目線を上げると、そこには唯の寝顔がある。

 目の前の肌色は、憂と比べて少し控え目な胸元のようだ。

 

「う~ん、ギー太~」

 

 俺の頭を抱え込むように寝ている理由は、俺をギー太と間違えているからか、目の前の肌色がさらに迫ってきて、視界を覆い尽くした。

 

「ゆ、唯!?」

「う~ん、あと一曲だけだから~」

 

 髪をわしゃわしゃとされる。どかそうにも、がっちり掴まれていて、中々離れてくれない。うっかりベッドから落としてしまってもいけない。

 

「ふわぁ……」

「!」

 

 顔全体に柔らかいものを押し当てられ、心臓がバクバク鳴り出す。この薄い布の下にあるものを思い出してしまった。

 

「んぅ……」

 

 こちらが動けないでいると、唯がもそもそと動き出す。どうやらお目覚めのようだ。

 

「おはよ~、ギー太……あれ?ギー太?」

 

 唯はぼんやりとした顔で俺の顔を覗き込みながら、ペタペタと頬に触れてくる。

 そして、ふにゃっとした柔らかい笑顔を浮かべた。

 

「……江崎さん、おはよ~」

「え、普通に挨拶?」

 

 あまりに落ち着いたその態度にこちらがテンパっていると、いきなりドアが開かれた。

 

「江崎さ……お、お姉ちゃんっ!?」

 

 合宿二日目もどうやら騒がしくなりそうだ。

 



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Blowin in the wind

「江崎さん、大丈夫ですか?」

 

 朝食のあじの開きをつついていると、澪が心配そうに聞いてくる。隣では梓も同じような表情でこちらを見ていた。

 

「あ、ああ、俺は大丈夫。ただ……」

「「…………」」

 

 唯と憂がお互いにちらちらと顔色を窺っては、目を逸らす。ケンカというほど険悪でもないが、少し気まずい感じはある。

 こうなった理由は今から30分前……

 

『お姉ちゃん、だめだよ!めっ!』

『な~に~?』

『男の人の布団の中に入るなんて!お姉ちゃんのエッチ!』

『な、な、何ですと!?』

『お姉ちゃんのエッチ!』

『う、憂だってエッチだよ!』

『どこが?』

『夜に二人っきりで話してたじゃん!』

『は、話してただけだよ!』

『むむむ……』

『むぅ~……』

『……そろそろ起きた方が良くない?』

 

 てなわけで朝から平沢姉妹の非常に小規模な諍いが起こっている。とはいえ、このほんわか姉妹の事だから、朝食が終わる頃にはすっかり仲直りしてそうだけど。またチラ見し合っているし。

 

「しかし、これが後の大きな争いに火種となるのでした」

「紬、人の心を読んだ上、変なナレーションを付け加えるのは止めてくれ」

「う~ん、唯先輩と憂かあ……本当にどうなっちゃうんだろ……」

「梓?どうかしたのか?」

「え?澪先輩……まさか、気づいてないんですか?」

「え?何の話だ?」

「あはは……」

「梓、その辺にしといてやれって。どうせもう仲直りしてるし」

「え?」

 

 律の言葉通り、ちょっと目を話している隙に、姉妹は仲良く談笑しながら朝食を摂っていた。

 

「ん?江崎さん、どしたの?」

「どうかしました?」

「いや……」

 

 何事もなかったかのように二人はキョトンとした表情を向けてくる。何だろう、普段は正反対の癖に、こういう時は姉妹なんだなぁって思えてくる。首を傾げる時の角度や口の開き方が同じ所とか。

 まあ、これはこれで釈然としないが、仲良き事は美しき哉って事で。

 

 *******

 

 朝食の後片付けを終え、練習を開始しようとスタジオの扉を開くと、見覚えのある人物が仁王立ちしていた。

 

「さあ、皆!今日も張り切って練習するわよ!」

「いや、さわ子さん。突然現れないでくださいよ」

 

 冷たくあしらおうとすると、さわ子さんは俺の腕に縋りついてきた。

 

「何よう!私だって楽しみたいのよ!僅かな休日をエンジョイしたいのよ~!それに、か弱い教え子の中に狼を解き放ったままにはしておけないでしょう!?」

「…………」

 

 うわぁ、すげえ殴りたい。

 こうして、山中さわ子も合宿に無事(?)合流した。



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RESPECT

「へえ……」

 

 数曲のセッションを見た後で、さわ子さんが感嘆の吐息を洩らす。合宿の成果が現れているようだ。特に唯のギターの成長速度がハンパない。リズムに関してはサビになると歌に集中しすぎるせいで、たまにルーズになっていたが、今日の演奏はカッチリとはまっていた。

 憂もそんな姉の様子を嬉しそうに眺めている。

 澪も手応えを感じたのか、手の甲で汗を拭いながら、笑顔で頷いていた。

 さわ子さんが楽しげに耳打ちしてくる。

 

「いい感じじゃない。あんた、意外と指導者にも向いているかもね」

「いや、俺は大したことはしてませんよ。唯達のモチベーションが高いからだと思います」

「またまた~謙遜しちゃって♪生意気な!」

 

 さわ子さんに髪の毛をわしゃわしゃとかき回される。

 

「ちょっ、止めてくださいよ。何してんすか」

「いいからいいから♪」

 

 何ウキウキしてんだ、この人。

 俺じゃなくてあっちにいる生徒に……

 

「むぅ~」

「じぃ~っ」

 

 唯と憂がこちらにジト~っとした視線を向けている。ほら、先生お呼びですよ?

 

「ほらほら、唯、憂、もう一回合わせるぞ」

「そっちの方は後にしてください」

「ふふっ、二人共可愛い♪」

「やれやれ、青春しちゃって」

 

 他のメンバーに言われ、二人は真面目な顔つきになり、再びセッションを始める。

 その表情を、その演奏をこの場で見れて、本当によかった。そう思える合宿だった。

 

 *******

 

「……何故にメイド服」

 

 合宿から帰り、数日後……新入生歓迎ライブの本番前。

 体育館の舞台袖。メイド服を着用した女子高生が6人、俺の前に整列している。断っておきたいのは、俺の指示じゃないということ。

 

「もちろん、さわちゃんが作ってくれたんだよ!」

 

 唯がフンス!と気合いを入れながら、衣装を見せびらかしてくる。

 

「初めての時とは違うやつなんだよ!」

「ほらほら、江崎さん!女子高生のメイド服姿をしっかりその目に焼き付けといた方がいいですぜ!」

「え?あ、うん……わかった」

「二人共、はしゃぎすぎだ」

「本番前なんですから、気を引き締めてください!」

「新入生達も待ってるわ」

「お姉ちゃん、髪飾りがちょっとずれてるよ」

 

 やや緊張感にはかけるが、これはこれで頼もしい。

 

「皆、準備はいい?」

 

 さわ子さんがメンバーに声をかける。すると手拍子が鳴り始め、会場内のボルテージの上昇が伝わってきた。

 6人の視線がこちらを向き、伝えるべき言葉を探す。

 幸い、それはすぐに見つかった。

 

「じゃあ、楽しんで」

「「「「「「はい!!」」」」」」

 

 彼女達は頼もしい背中を見せ、ステージへと向かった。

 

 



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SOME MIGHT SAY

「……両親?」

「「はい♪」」

 

 感動的な新入生歓迎ライブを終えた後、帰り支度を整えてから、平沢姉妹がやけにニコニコと笑顔で話しかけてきたのだが……

 

「あの、私達が江崎さんからギターを習ったり、機材を貸してもらったりしてる話をしたら、お父さんもお母さんも、お礼しなきゃって……」

 

 憂の言葉に、俺はつい首を傾げてしまう。

 ……むしろ、食事を娘さんから度々御馳走になっていて、お礼しなきゃいけないのはこっちなんですが。

 それに何より、得体の知れない男が思春期真っ盛りの娘の周りをうろちょろしてるとか、あまりいい顔をされない気が……いや、別にうろちょろとかしてないけど。

 

「江崎さんは変な人なんかじゃないよ!」

「うん、唯……中途半端に心を読むのは止めような。まあ、俺はお礼とかは別に……」

「「…………」」

 

 やたら瞳を潤ませてくる二人に言葉が継げなくなってしまう。それは……反則じゃないかな?

 

「わ、わかった。じゃあ、近い内に挨拶だけ」

「じゃあ、今晩とかどうですか?」

「ああ、今晩ね……って今晩!?いきなりすぎだろ!」

「その反応だと、空いてるようですね」

「じゃあ、私がお母さんに電話しとくよ~」

「あっ、そういえば今日はバイトが……」

「「嘘つき」」

「ごめんなさい……」

 

 こうして、平沢姉妹の両親との初顔合わせが、いきなり決定してしまった。もう少しライブの感動にじっくり浸っていたかったのだが、仕方ない。時間は流れていくのだから。

 一人でうんうんと頷いていると、憂が耳元に顔を寄せてきた。

 

「大丈夫ですよ」

「?」

「私達の裸を見たことは言ってませんから」

「っ!」

「……か、顔そんなに紅くしないでくださいよ」

「いや、思い出させたのそっちだから」

「むぅ~~……フンス!」

 

 *******

 

「あら~、いらっしゃ~い」

「ど、どうも……」

 

 そのまま平沢姉妹に連れられ、もうすっかり通い慣れた平沢家の玄関の扉が開かれると、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、穏やかな笑みを浮かべた女性が出迎えに来た。多分、この人が平沢母だろう。

 

「あなたが江崎さん?うちの娘達がいつもお世話になってます」

「あ、いえ……こちらこそ……二人には……」

「まあまあ。立ち話もなんだから、早く入りなさい」

「あ、お父さん。ただいま~」

 

 奥からひょっこり顔を出している眼鏡をかけた男性はおそらく……平沢父だろう。

 心の準備がまだ整っていないが、俺は頭を下げ、ゆっくりと靴を脱いだ。

 この前のステージとは比較ならない緊張感が胸を締め付けていた。



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SWAY

「さ、さっきも言ったが、娘2人がいつもお世話になって……」

「あ、いえ……こっちこそ、娘さんに度々ご馳走になって……」

「…………」

「…………」

 

 気まずい。

 何を喋ればいいのかわからない。

 リビングのテーブルで向かい合う俺と平沢父は、部屋のあちこちに視線を彷徨わせ、まだ碌に話せていなかった。

 たまに視線がぶつかっても、すぐに逸れてしまう。

 

「もう二人共、緊張しすぎだよ?」

 

 テーブルにお茶を置きながら、憂が呆れたような笑みを向けてくる。

 しかし、ここでその姿を見てしまうと、以前裸を見てしまった時の事を思いだし、ただただ申し訳ない気持ちなった。

 とはいえ、このままなのもどうかと思うので、まずはこっちから話しかけてみる。

 

「あの……2人のライブを観たことはあるんですか?」

「え?あー、実はまだないんだよ。君も知っての通り、海外にいることが多くて、こっちにいる間も中々時間が取れなくてね」

「そうですか……」

「その……君は音楽の専門学校に通っていたらしいけど、君から見て、娘2人の演奏はどうなのかな?」

「2人共、才能は素晴らしいと思います。本当に」

「そ、そうかい……ありがとう」

「お父さん照れてる~」

「あ、当たり前じゃないか、可愛い娘2人が褒められているんだから!」

 

 唯のからかいに、平沢父は照れ笑いで応じる。このやりとりだけで、平沢家の仲の良さが窺える。

 頬が緩むのを感じていると、平沢父はオホンと咳払いし、居住まいを正した。

 そのいきなりすぎる真剣な表情に、こちらもつい唾を飲み込み、背筋を伸ばす。

 

「じゃあ、お互いに緊張もほぐれてきたところで、本題に入ろうか」

「本題……ですか?」

 

 何だろう?まさか、平沢父もギターを教えて欲しいとか?

 平沢父は数秒間瞑目し、目を開けてから、一文字一文字噛みしめるように、ゆっくりと口を開いた。

 

「君は……どっちと付き合っているんだい?」

「…………え?」

「はにゃぁっ!?」

「お父さん!?」

「あらあら、あなたったら気が早いんだから」

 

 平沢父の眼鏡がキラリと光り、唯と憂が驚き、平沢母が頬に手を当て、ウフフと笑う。

 確かに誤解をされても仕方ないかもしれない。しかし、俺は2人に指一本も……は、裸は見たけど……。

 とにかく俺は事実を口にする。

 

「あの……どちらともそういう関係ではありません」

「「…………」」

 

 間違いなく睨まれたけど、今は気にしないことにする。

 平沢父は、ふむふむと何度か頷いた。

 

「じゃあ、質問を変えよう」

「はあ……」

 

 な、何だろう、次は……。

 

「……ぶっちゃけ、どっちがタイプかな?」 



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Last Nite

「いや、どっちがって……」

「「…………」」

 

 唯と憂が、じぃっとこちらに視線を向けてくる。おい、ここは止めるところだろう。

 ちなみに母親のほうはニコニコと俺達の様子を見つめている。

 ……これ、どうやって切り抜ければいいの?

 

「えっと……そういえば、明日は練習何時からだっけ?」

「「じぃ~……」」

「…………」

 

 どうやら逃がす気はないらしい。君達、両親の前だという事を忘れてないかな?

 いかん。どうにかして逃げる方法を……あ、そうだ。いや、これは……でも、逃げるにはこれしかない!

 

「俺、年上好きなんで……」

「あ~、そうか。なるほど、わかるよ。僕も君くらいの年頃には大人の女性に憧れたものさ」

「「…………」」

 

 あれ?ものすごく冷たい視線を向けられてるんだけど……。

 

「あらあら、これは楽しそうね」

 

 平沢母だけが、やたら面白そうに俺達を見比べていた。

 食事中少し静かだったが、平沢母の手料理が美味しかったので、何とかやり過ごすことができた。

 

 *******

 

「お邪魔しました」

「ああ、娘二人の事よろしく頼むよ」

「またいらっしゃい」

「「じ~……」」

 

 帰る段階になり、家族総出で見送ってくれることになったのだが、唯と憂の機嫌はまだ直っていなかった。そんな効果音まで出さなくても……。

 

「ほら、唯、憂。そんな顔しないの。江崎さん困ってるじゃない」

「「む~」」

「もう、仕方ないわねえ」

 

 平沢母は、二人に歩み寄り、ひそひそと何かを話し始めた。二人の視線がちらちらこっちに向くので、何を話しているのかが、すごく気になるんだけど……。

 やがて、二人はぱあっと花が咲いたような笑顔になり、たたたっと、こちらに駆け寄ってきた。

 

「あ、あの、また来てよ江崎さん!」

「今度はまた私の手料理を食べてくださいね!」

「おう……」

 

 ど、どうしたんだ、急に距離を詰めてきて……?

 左右からふわりと甘い香りに挟まれ、どぎまぎしていると、急に平沢父が呻きながらうずくまった。

 

「くっ、娘二人が同時に……!母さん、これは来るべき時が来たということか……!」

「あらあら、そんなに落ち込まないで。今度行くオーストラリアで心を癒しましょう」

「ああ、そうだね。それじゃあ、江崎君。僕達がいない間、二人の事をよろしく頼むよ」

「あ、はい……」

 

 つい頷いてしまったが、これどんな立場に立たされたんだ!?

 こうして、平沢姉妹の両親との初対面は何とか無事に終えることができた。

 

 *******

 

「明日から、江崎さん年下好き計画だよ、憂!!」

「もちろんだよっ。負けないからね、お姉ちゃん!!」

 

 

 

 

 



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Ride

 バイトが終わり、少し傾いた陽を背に受けながら、今日も部室に向かう。

 この道を歩くのもだいぶ慣れてきたな。

 だが、一つだけ悩みの種があった。

 

「これだけは未だに慣れないんだよなぁ……」

 

 そう、忘れてはならない。ここはあくまで女子高なのだ。

 もちろん、それなりに認知されてきたのか、不審な目を向けられることはなくなったし、何なら知らない女子生徒が挨拶してくるようになった。

 だが、女子高である。

 先生方のように日々を積み重ねれば慣れるのかもしれないが……。

 

「あ、江崎さん。こんにちはです」

「おう、こんにちは」

 

 急に声がかかり、慌てて振り向くと、そこには梓がいた。

 ツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら駆け寄ってくる姿を見ると、何だか心が癒されてくる。

 そのまま並んで歩き始めると、梓は真面目な顔をこちらに向けてきた。

 

「新曲のアレンジがまとまってきたので、またアドバイスお願いします」

「そっか。わかった」

 

 今、新曲を仕上げているところだが、予想どおり梓は仕事がはやかった。まあ、経験値でいえば、放課後ティータイムの中じゃ一番だしな。

 

「梓の家って音楽一家なんだっけ?」

「はい。家族でバンドやったりもするんですよ」

「へえ、すごく観てみたい」

「またライブする時は連絡します。あ、何なら江崎さんも参加しますか?」

「え、いいの?」

「ええ、もちろんです。江崎さんレベルなら、お父さんも喜ぶと思います。あ、その前に唯先輩と憂に許可取らなきゃ」

「え?何の話?」

「いや、そこは察してください。いや、あまり察しないほうがいいのかな?と、とにかく、女子同士には色々あるんです!」

「う、うん、わかった……」

 

 何だろう、とりあえず聞かないほうがいいのはわかった。

 

 *******

 

 部室に入ると、他のメンバーはまだ着ていなかった。

 

「まだ来てないみたいですね」

「ああ」

「あ、じゃあセッションしませんか?」

 

 こういう提案がスムーズに出てくるあたり、やはり音楽一家で育ったのだろう。

 とりあえず楽器の準備をしようと立ち上がると、同じく準備をしようとしていた梓が足を滑らせた。

 

「あっ!」

「っと!」

 

 梓を何とか受け止める。てかこの子軽すぎ。なんか小動物みたい。

 

「ご、ごめんなさい……」

「いや、それより大丈夫?」

「はい……あぁ、びっくりした……」

 

 梓がほっと溜め息を吐くと、彼女の長い髪から、ふわりと、甘い香りが漂ってくる。

 その瞬間、何かやばいと思った。あれ、俺って『危機感知』の個性あったっけ?

 

「「何してるのかな?」」

 

 あ……

 

 

 



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Numb

「なぁんだ。あずにゃんを助けただけだったんだね~」

「あはは……疑ってごめんなさい」

「いや、わかってくれたならいい」

 

 危うくどえらい目にあうところだった。

 幸い梓が一生懸命誤解を解いてくれたおかげで、何とか事なきを得た。

 あの二人、あのテンションになったら、めっちゃ怖いからな。

 

「あ~もうっ!あと少しはやく来てれば面白いの観れたのに~!」

「お前が課題忘れるからだろ」

「だって澪が写させてくれないからじゃん」

「宿題は自分でやらなきゃ意味ないだろ」

「みんな~お茶の準備できたわよ~」

「…………」

 

 こうしていつもの空気になる。よかった……平和が一番。

 すると、梓が袖をちょいちょいとつまんできた。

 何事かと思ったら、彼女はちょこんと背伸びをして小声で告げてきた。

 

「さっきはありがとうございます」

「あ、ああ……」

 

 この子が何故周りからやたら愛されているかがわかった気がする。

 

 *******

 

 美味しい紅茶を堪能してからセッションを始めると、何故かは未だにわからないが、放課後ティータイムの演奏はより素晴らしいものに感じる。

 今日は憂は近くで個人練習をしていた。あのソロライブから、色々と目覚めたらしい。

 新曲のセッションが終わると、それぞれのパートについて話し合っていた。

 

「ようやくまとまってきたな」

「昨日も遅くまで話し合ったもの」

「じゃあ、タイトルつけなきゃ!澪ちゃん、どうぞ!」

「ええっ!?ま、まだいいだろ!」

「それよりもギターソロですよ。唯先輩、暴れすぎです。音は外してないけど……」

 

 どうやら声をかけるのは、もう少し後のほうが良さそうだ。

 その様子を微笑ましい気持ちで見ていると、憂がじぃ~っとこちらを見ているのに気づいた。

 

「どうした?」

「え?あ、その……よかったら、私達もしませんか?」

「…………」

 

 ほんの一瞬だが、変な想像をしてしまった俺を誰が責められるだろう。

 もちろん何の意味かはわかってる。

 

「じゃあ、演奏してみたい曲ある?」

「やったぁ!」

 

 めちゃくちゃいい笑顔で立ち上がる憂を見て、ついこちらも笑ってしまう。

 そりゃあ、あんな演奏見せられたら体も疼くよな。

 結局、帰る頃にはすっかり陽が傾き、さわ子さんから叱られる羽目となった。

 

 *******

 

 その日の夜……。

 

「憂~、今日は江崎さんと何の曲演奏してたの~?」

「ふふっ、ヒ・ミ・ツ♪でも、あと少ししたら、お姉ちゃん達にも聴いてもらいたいな」

「そっかぁ。……ねえ、憂~」

「んー?」

「あ、やっぱり何でもないや」

 

 

 

 



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Time of season

 今日はバイトも休み。午後から軽音部のコーチがあるのみだ。

 というわけで、たまには二度寝をして鋭気を養うとしよう。

 すると、そんな甘い考えが通ると思っているのかと言わんばかりに、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。

 ……おい、マジか。まだ朝の6時だぞ。

 誰か知り合いが酔っ払った勢いで来たのかと思い、ドアスコープから覗いてみると、見覚えのある人物がそこに立っていたので慌てて開けた。

 

「あ、おはようございますっ」

「どうした?…………唯?」

 

 そう、このところ毎日会っている平沢唯が何故か我が家を早朝から訪れていた。

 

「えっと……おはようございますっ」

「う、うん。さっき聞いた……とりあえず中へ」

「お、お邪魔します」

 

 いそいそと靴を脱ぐ唯は、制服姿にギターを背負っており、普段どおりの格好をしている。かなり早起きをしてきたのだろう。

 唯はギターを壁に立てかけ、俺が用意したクッションの上に座った。

 

「ええと、とりあえず……どした?」

「……そ、早朝練習したくて!それで驚かせようと思って!」

「なるほど。練習熱心なのはいいし、サプライズも唯らしいけど、心配しちゃうからもうやらないように。ていうか、せめて連絡入れるように」

「……ごめんなさい」

 

 部活の朝練などで、この時間にうろつく学生もいるかもしれないが、それでも心配にはかわりない。

 唯はギー子事件の時のように、やたらしょんぼりしていた。普段があれな分、こういう時調子が狂う。

 俺は自然とその頭に手を置いていた。

 ほんのりとした温もりと柔らかな髪の感触に、一瞬胸が高鳴りかけたが、そこを振り払い、無心でよしよしと頭を撫でる。

 そして、噛まないように慎重に口を開いた。

 

「その……まあ、ギターにそれだけ熱心に打ち込んでくれるのは、コーチとしても嬉しい……だから、まあ、朝練したい時は、別のやり方を考えよう」

「…………うんっ」

 

 笑顔を見せた唯の頬は赤く、何とか意識しないように……と、ここで1つ気になることがあった。

 

「一応聞くけど、憂にはちゃんと言ってきた?」

「テーブルに書き置きは残してきましたっ」

「そうか……なら、大丈夫かな?そういえば何で急に朝練?」

「……だって、憂と江崎さんだけ二人でこそこそやってるし」

「いや、こそこそはしてないと思うけど……周りに唯達いたし……」

「でも、なんかもやもやしたもん……」

「う、うん、ごめん……」

 

 や、やばい。さっき笑顔だったのに、またやばいスイッチ押したみたいだ。ほっぺが膨らんでる。

 とにかく、この状況を打破せねば……!

 

「あ、何か飲み物取ってくる!」

 

 そう言って立ち上がったが、焦りのせいか足を滑らせてしまった。

 

「あっ」

「えっ?」



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From the morning

 ガタンっと大きな音が鳴る。

 そして、その後すぐに静寂が訪れる。

 その静寂は、ライブハウスの爆音よりも耳を疼かせた。

 

「…………」

「…………」

 

 絡まる視線。重なる吐息。潤んだ瞳。

 状況を正しく理解するのに、俺は数秒を要した。

 だが、理解してからはとにかくはやかった。

 

「ご、ごめん!」

「だ、だいじょうぶ!だいじょうぶだよ!うん!」

 

 慌てて飛び退き、ひたすらに謝り倒す俺。

 唯は仰向けの態勢のまま、手をわたわたさせて、足をじたばたさせていた。

 とりあえず許してはもらえたが、まだ心臓がばくばくしている。

 さらに、唯のさっきの表情を思い出し、顔が赤くなっていくのがわかった。

 ……落ち着け。落ち着け、俺。

 

「……ごめん」

「……こ、こちらこそ」

 

 お互いに何とか言葉をしぼりだすが、まだ会話らしい会話はできそうもなかった。

 だが、二人しかいないこの部屋では、そんな沈黙すらも長く続くはずもなく……

 

「……コーヒー飲んだら唯の家行ってギター弾くか」

「……うん」

 

 *******

 

 平沢家までの道のり、俺も唯もようやく言葉を交わせるくらいには落ち着きを取り戻していた。

 

「それでね、昨日りっちゃんが……」

「あの子、狙ってんのかってくらいやらかすな……」

 

 さっきのあの言い様のない空気を体感したからか、こうやって普通に会話できることが、とても貴重なものに思えた。

 

「ん?どーかしましたか?」

「……いや、何でもない。そういえば、この前貸した機材どう?」

「あ、あれ、すっごく使いやすいよ!江崎さん、さすがだよ!」

「そっか。ん?あれ……」

「あ」

 

 前方からこちらに向かって、ずんずん歩いてくる1人の少女。

 見間違うはずもない。あれは……憂だ。

 慌てて着替えたようなラフな私服姿で近づいてくる彼女の表情は、はっきりと怒気を孕んでいた。

 そして、既に怯えている唯の前に立ち止まり、悪さをした子供を叱りつける母親のような目つきになった。

 

「お姉ちゃんっ!」

「は、はいっ!」

「せめて出る前に一言くらい言ってくれないと、何かあったらどうするの!あとこんな時間に訪ねたら、江崎さんに迷惑でしょ!」

「ご、ごめぇ~ん……」

 

 親子か。

 しょんぼりしている唯を見つめる憂の視線が、今度はこっちに向いた。

 その事に対し、自然と背筋が伸びる。

 

「江崎さん、ごめんなさい。こんな朝早くから……」

「いや、いいよ。せっかくだから憂も一緒にギター弾こうか」

「え、いいんですか!?じゃあ、今日の朝ごはん気合い入れちゃいますね!あ、それと……お姉ちゃん、他に何か迷惑かけたりは……」

「な、何もしてないよ!」

 

 さっきのアレがはっきりと頭の中に甦り、何故か一人慌てふためいてしまう。何もやましいことなどないのに。

 

「何かあったんですか?」

「いや、本当に何も……」

「だ、大丈夫だよ~」

「そっか。じゃあ、行こっか」

「「…………」」

 

 残りの道のりは、必死に別の話題を作っていたので、あっという間だった。



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OUT IN THE STREET

「私、路上ライブをやってみたいです!」

「お、おう……」

 

 練習後、憂がいきなり提案してきたのに対し、その圧力に俺はたじろいでいた。あと顔近い。

 

「…………」

 

 唯がじぃ~っとこちらを見ているが、今はそんなに睨まないでくれ。俺は無罪だ。やましいことなど何もない。

 俺は気を取り直して、再び憂に向き直った。

 

「それで……どうしたんだ、いきなり?」

「ただライブがしたいだけです!」

「なるほど……まあ、気持ちはわかる」

「ありがとうございます!……でも、どこでやればいいのかわからなくて……」

「まあ、この辺りに広い公園があるなら、そこでいいと思うんだけど……あと駅の近くとか」

「ウチの近くの公園はダメなの?」

「あそこだと近くに家があるし、集まるのご近所さんだけになるかな」

「それにしてもすごいな、憂ちゃんは……私なんて路上弾き語りとか想像しただけで……うぅ」

「いや、想像だけでそんな顔真っ赤にすんなよ」

「憂ちゃん、絶対観に行くからね」

「あ、ありがとうございます!」

「あはは……何だか収拾つかなくなりそうですね」

「……とりあえず場所探してみるか」

 

 専門学校時代に弾き語りは数回したことはあるが、あの時は場所選びはそんなに考えなかったな。たまに警官に注意された時は、すぐに撤収したし。

 だが、それ以上思い出すことはしなかった。いや、思い出したくなかった。

 一人かぶりを振った俺を、平沢姉妹が首を傾げて見つめていた。

 

 *******

 

 翌朝。

 少し曇りがちだが、そのおかげで程よい涼しさなのがいい。

 人通りは、まだ休日の朝九時だからか、普段よりは少なめに感じた。

 その緩やかな流れをぼんやり眺めていると、その合間から見慣れた少女が見えた。憂だ。

 

「おはようございま~す!」

「おはよう。あれ、唯は?」

「あそこにいますよ。ほら」

 

 再び向こうに目を向けると、唯がよたよたと走っていた。

 

「ま、待って~憂~」

「もうっ、今日は朝から出かけるのに、夜更かししてギター弾いてるからだよっ」

「だってぇ~、ギー太が寝かせてくれなかったんだもん……」

「…………」

 

 まあ、こいつらしい理由だな。俺も高校時代にはよくあった。だが、ギー太が寝かせてくれなかったはやめような。なんかやらしい意味に聞こえるから。

 

「それじゃあ、行くか」

「はいっ」

「ま、まってぇ~……」

「……少しあの喫茶店で休むか。まだ澪達との合流時間まで時間あるし」

「さんせぇ~」

「あはは……ごめんなさい」

 

 ……この二人といれば、昨日記憶に蓋をしたことも忘れられそうな気がした。



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The Village Green Preservation Society

 しばらくしてから全員集合し、出発することになったわけだが、律はニヤニヤ笑いながら、こちらを肘でつんつん小突いてきた。

 

「江崎さん、ツイてますね~。休日に女子高生5人とデートなんて。このこの~」

「ああ、多分前世でたっぷり徳を積んだか、日頃の行いがいいからだろうな」

 

 律の軽口に、それらしい返しをしていると、澪がやたらと手をわたわたさせていた。

 

「ちょっ、デ、デデ、デートとか!わ、私達はそんなんじゃっ!」

「…………」

「あ~、こういう奴なんで、今さらなんですが察してやってください」

 

 うん、知ってた。

 

「うふふ、やっぱり澪ちゃんは可愛いわね~」

「まったくもう、律先輩が紛らわしい言い方するからですよ」

「あはは、りっちゃんおもしろ~い。江崎さん、これデートなんですか?」

「ふふっ、澪さん顔真っ赤ですね。江崎さん、これデートなんですか?」

「…………」

 

 何だろう、左右からやんわりとプレッシャーかけられた気がしたんだが……いや、気のせいだろうな。多分もう夏だからだろう。

 

 *******

 

「わぁ……いい場所ですね。結構人も多いし」

 

 駅二つ分離れた場所にあるその公園は、そこそこ人も多く、賑やかな場所だった。おそらく春は花見客で賑わうのだろう。

 あまりに綺麗な緑を見ていると、何だか深呼吸したくなってきた。

 憂は目を輝かせているし、唯もやたらとはしゃいでいる。

 

「ここでお茶しようよ、ムギちゃん!」

「え~と、今日は持ってきてないから、ごめんね~」

「いや、ムギは謝らなくていい。唯が無茶振りしただけだ」

「確かにいいな。てか、梓よくこんな場所知ってたな」

「昔はここでジャズバンドのイベントとかやってて、ウチの家族も出てたんですよ。今はなくなっちゃったんですけど」

「なるほど……」

「じゃあ、私達もジャズやってみようよ!」

「思いつきで言うな。あと今日ここに来た理由を忘れるな」

「まあ、でも聴いてみてハマったらいいんじゃないか?演奏も難しいけど、慣れてきたら楽しいし」

「えっ、ジャズも演奏できるんですか?」

「さすがにバンド組むほどじゃないけど」

「でも、すごいですよ。何なら今度ウチでセッションしませんか?お父さん達喜ぶと思います」

「マジか。行ってみようかな」

 

 やっぱり色んな人とセッションするの楽しいからな。

 最近、ギターを弾くのが、高校時代のように楽しくなった気がする。多分理由は……

 

「「…………」」

 

 何やら視線を感じるが、これもまあ気のせい……ですよね?

 



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Ready to start

 それから一週間後。

 

「じゃ、じゃあ、歌います!」

 

 例の公園で憂の弾き語りライブが幕を開けた。

 観客は軽音部のメンバーにさわ子さんと俺といういつもの顔触れだが、憂曰く『心強い』らしい。

 

「わ~ぱちぱち~」

「いいぞー憂ちゃーん!」

 

 この元気二人組が応援してるなら、まあ確かに心強いだろう。かなり照れくさいとは思うけど。

 憂はギターを構え、こちらを見たので、黙って頷いておいた。

 それに対し、彼女も頷き……ライブが始まった。

 

「……わあ」

「……すごい」

「…………」

 

 やはりすごい。

 出だしの一小節から、しっかりと自分の世界に引き込んでしまう表現力。

 緊張もあってか、やや声量は頼りないが、その声はよく通り、歌詞もしっかり聞き取れる。

 やがて曲が終わり、憂は目を閉じて頭を下げた。

 その姿に軽音部関係者以外の通行人も何人か小さな拍手を送ってくれていた。

 

「あ、ありがとうございます!」

「憂~!」

 

 やたら感極まってる唯がガバッと抱きつく。

 

「お、お姉ちゃんっ」

「唯?まだ一曲目だよ」

「えへへ……この前はできなかったから」

「それにしても憂ちゃん、本当に歌上手いな」

「ギターもすぐに覚えちゃったものね」

「むうぅ……悔しいくらい才能ありますね」

「…………」

 

 悔しいくらいの才能か……あいつも……。

 

「誰の事思い出してんの?」

「……別に」

「嘘ね。顔に出てるわよ。『悔しいくらいの才能に俺も専門学校で出会ったなぁ』みたいな」

「……割と当たってますね。エスパーですか」

「顔に出てるって言ったでしょ?まったく、もう……」

 

 何故か強引に肩を組まれる。すぐ傍にある彼女の横顔は、昔みたいに見えた。

 そして、平沢姉妹の視線がこちらに向けられ、さわ子さんが俺を解放するまで固定されていた。

 

 *******

 

「ふぅ……今日は楽しかったなぁ♪」

 

 帰り道、憂は満足そうな表情で拳を握り、こちらを見た。

 特にトラブルもなく、そこそこ立ち止まって聴いていく人がいたので、弾き語り初心者にしては上手くいったほうだろう。

 

「皆さん、今日はありがとうございました」

「いいよ。いつでも製塩送ってやるから、次も呼んでくれ」

「憂ちゃん、本当にいい声だし」

「今度ああいう場所でお茶したいわねえ。何なら憂ちゃんの歌を聴きながら」

「…………」

「唯、どうした?」

 

 さっきから黙っている唯に声をかけると、彼女は何かを決意したように、しゅばっと手を挙げた。

 

「今度外でライブやろうよ!」

「…………はい?」

 

 いきなりな提案に、俺はつい首を傾げてしまった。



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Parklife

「外でライブか……」

「昔コンテストに出てた時の事思い出すわね」

 

 さわ子さんとしみじみ呟いていると、唯が「フンス!フンス!」と気合いをいれていた。

 

「よしっ!じゃあ明日やろうよ、みんな!」

「「無理」」

「え~~?」

「いや、さすがに許可取れないだろうし……」

「機材運ぶのめんどくさそうだし……」

「え~~~!?ていうか、さわちゃん先生本音ダダ漏れだよ!?」

「だってほら……義昭君にすべて運んでもらうのはかわいそうじゃない」

「なんで俺が一人で運ぶの前提なんですか……まあ、さわ子さんの話はさておき、さすがにバンドでってなると難しいだろうな」

「むぅ……ケチ」

「いや、俺のせいではなくて……」

「まあまあ、お姉ちゃん」

「そもそも江崎さんのせいじゃないだろ」

「でも、屋外でライブって楽しそうねえ」

「あーあ、こう都合よくライブイベントが開催されないかな、わぷっ!」

 

 律の顔に風に流されて飛んできたチラシが当たる。思わず吹き出してしまいそうになるくらい、上手く顔に被さっていた。

 

「な、何だよもー…………おおっ!イベントあるじゃん!」

「は?」

「どうしたの?」

 

 いきなり騒ぎだした律に首を傾げると、彼女はチラシを広げ、こちらに見せてきた。

 

「ええと、高校生限定のライブイベント、出演者募集……マジか」

「神がかってるわね」

 

 チラシの内容を見るかぎり、どうやら大会とかではなく、学生向けにライブの場を提供する為のイベントのようだ。

 どっちにしろありがたい。実戦経験は多ければ多いほどいい。

 

「これも私の普段の行いの賜物だな!皆、私に感謝しろ!」

「絶対に違うと思うぞ」

「何をーー!」

「でもすごいですよ!こんな偶然あるんですね」

「りっちゃんすごいわ。ドラマの世界みたい」

 

 皆がやたらはしゃぐのを見ながら、控えめな拍手を送っていると、平沢姉妹が静かなのに気づいた。

 目を向けると、二人はチラシを見てぶつぶつ何事か呟いていた。 

 

「わぁ……奇跡だよぉ。楽しみだよぉ。帰ったら練習しっかりやらなきゃ」

「これ、ソロでも参加できるのかな?あ、大丈夫みたい……よし、頑張ろう」

 

 こりゃあかなり気合い入ってるな。最近練習も調子いいし、どんなライブになるか楽しみだ……って、ん?

 

「これ、応募の締め切り今日までだ……」

「ええっ!?」

「は、はやくしないと!」

「すぐに電話するわ!」

 

 唐突に降ってきた幸運に少しドタバタしたが、こうして放課後ティータイムは無事にイベント出演が決まった。

 

 

 

 

 

 



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Under Control

「はぁ……間に合ってよかったね」

「ああ……まあ、これでまたライブ経験が積める。しっかりやろう」

「はいっ」

 

 帰り道。平沢姉妹と歩きながら急遽決まったライブに思いを馳せていると、自然と口数も多くなる。自分がライブをやるわけではないのだが。

 我ながら少しはコーチらしくなってきたということだろうか。

 

「あ、あのっ!」

「?」

 

 憂がいきなり大きめの声を出したので振り返ると、彼女は言いづらそうにTシャツの裾を握りしめていた。

 隣にいる唯もキョトンと首を傾げている。

 

「憂、どしたの?」

「あの、私……今回ソロで出演してみていいかな?」

「…………」

「え……」

 

 正直予想はしていた。

 憂としては、こちらのほうが気を遣わないで済む。それと、多分だが彼女はもう気づいてる。

 その方が自分の実力が発揮できることに。

 あとは唯の反応が気になるが、妹を溺愛しているだけに、この決断は……

 

「憂、応援する!」

「「え?」」

 

 唯の言葉に、俺だけではなく憂もポカンとしていた。

 だが、そんなリアクションなどお構いなしに、唯は憂の肩をガシッと掴んだ。

 

「憂がそうしたいなら応援するよ!お姉ちゃん離れはとっても寂しいけど、憂がやりたいって言ってるんだもん!」

「お姉ちゃん……ありがとう!私、頑張るね!」

 

 よかった。どうやら丸く収まったようだ。

 そこでほっとしてしまったせいか、俺も自然と口を開いていた。

 

「ていうか、唯は日常で憂離れできてなさすぎだろ」

「っ!江崎さん!?」

「あははっ、いいんです。お姉ちゃんのお世話は私が好きでやってるんですから」

「憂!?」

「じゃあ、しょうがないな」

「江崎さん!?」

「ですね」

「憂!?」

 

 帰り道はいつもより少しだけ賑やかになった。

 

 *******

 

 夕食後、片付けを手伝っていると(唯はごろ寝中)、憂が何か思い立ったように口を開いた。

 

「あ、そうだ江崎さん。今日はお風呂に入っていきませんか?」

「お風呂?……」

 

 いきなりの提案に、いつかの事件を思い出す……。

 

「も、もうっ、そのことは忘れてください!江崎さんのエッチ!」

「いやいや、何も思い出してなんかないよ」

「顔が真っ赤です」

「…………」

 

 いや、だって……ねえ?忘れるのもったいないじゃん?

 

 *******

 

 勧められるままに湯船に遣っていると、疲れがやわらいでいくのを感じる。アパートだとシャワーですませてばかりだからなぁ。

 すると、誰かが脱衣所に入ってくる音が聞こえた。 

 

「あの、入ってもいいですか?」

「…………えっ?」

 



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Heat Waves

「えっ?……唯!?」

 

 なんとそこにいたのは、バスタオルを身体に巻いて、頬を赤らめている唯だ。

 目を何度か瞬きして、現実かどうかをしっかり確認すると、そこには確かに唯がいた。

 

「え?え?な、何やってんの?」

「……あ、あの……いつものお礼がしたくて……ね?」

 

 「ね?」とか言われましても……。

 だが、突然の出来事に心臓が激しく脈打ってるのを感じる。

 不意に先日のあれこれを思い出し、今の唯にあらぬ想像をしてしまいそうになる。

 だが、何とかそれらを取り払い、目をそらして、落ち着いて言葉を絞り出した。

 

「お、お礼とか言われても……ほら、何と言うか、もっと自分を大事にしたほうがいいというか……」

「……ふっふっふ」

「?」

 

 急に不敵に笑い始めた唯に、つい目を向けると、彼女はばっとタオルを剥ぎ取った。

 

「じゃ~ん!」

「っ!……………………え?」

 

 なんと彼女は水着を着ていた。

 そのことにほっと胸を撫で下ろすと、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、こちらを覗き込んできた。

 

「あ~、もしかして変なこと想像した?江崎さんのエッチ~」

「…………」

 

 とりあえずイラッときたので、湯船のお湯をバシャッと顔面にお見舞いしてやった。

 

「わぷっ!も~、何するんですか~」

「やかましい」

「お返しするもんね~……わわっ!」

 

 湯船に向かおうとした唯が床で足を滑らせた。

 慌てて彼女の身体を受け止めると、意外なくらい華奢で、甘い香りが弾けた。

 

「ご、ごめんなさい……ありがとう、ございます」

「だ、大丈夫」

 

 謝罪と感謝を立て続けに告げられるが、肌の温もりと柔らかさが気になり、上手く頭に入ってこない。

 俺は今、はっきりと彼女を異性として意識していた。

 

「あのさ……」

 

 沈黙を恐れるような頼りない声音で唯が口を開いた。

 

「江崎さんって、今好きな人とかいるの?」

「えっ?あ、い、いないけど……」

 

 いきなりのストレートな質問に、ついテンパり気味に答えてしまう。

 密着しすぎているので彼女の表情がわかりづらいが、耳が赤くなっているのはわかった。

 ていうか、やばい。いつまでもこんな体勢じゃ……。

 

「そっか。そうなんだ……よかったぁ」

「え?」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で何か呟くと、唯は身を翻し、浴室を出ていった。

 あっという間に静寂が訪れ、まるで幻を見ていたかのような気分になった。

 

「……何だったんだ」

 

 わざとそう呟いてみたが、それが誤魔化しなのはわかりきっていた。

 それに気づくくらいには、甘い香りが鼻に馴染みすぎていた。



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I Looked at You

 もう帰る時間になったが、まだ顔が火照っていた。

 ……ああ、もう、今は考えるな。

 深呼吸して気持ちを落ち着けると、唯が奥から出てきた。

 

「あれ~、もう帰るんだ?」

「ああ、明日も朝早いから……」

「……寂しいな。帰り気をつけてくださいね」

 

 最初のほうは小声過ぎて聞こえなかったが、優しい眼差しに自然と頷いていた。

 

「ありがと。また明日」

「うん、また明日!」

「あ、江崎さん!今日はありがとうございました~!」

 

 奥から慌てて顔を出した憂も声をかけてきた。

 何故かそのことにホッとしながら、俺は平沢家を後にした。

 

 ********

 

「じぃ~……」

「な、なぁに?」

「お姉ちゃん……江崎さんと何かあった?」

「ふぇっ!?な、何よ!何にもないよ!あ、あ~、お腹空いた~」

「お姉ちゃん、さっきごはんは食べたでしょ?」

「あ、もう寝なくちゃ」

「あ、もう!」

 

 ********

 

 今日もはりきって練習しようと部室に足を踏み入れると、さわ子さんが机に突っ伏していた。

 どうやら皆はまだ来ていないようだ。

 

「ちょっとちょっと。それはないんじゃないの?」

「は、はい?」

「美女が物憂げに佇んでるのよ?大丈夫ですか?とか聞くところでしょ。気が利かないわねえ」

「二日酔いですか?」

「ぶん殴っていい?」

「…………」

 

 元気あるじゃねえか。だが、怒られるので決して口には出さない。

 

「どうかしたんですか?」

「特に何かあるわけじゃないんだけどねえ」

「…………」

 

 何だ、こいつ。まあいいだろう。

 世話になった先輩だから、たまにはウザ絡みも付き合おう。

 

「ぶっちゃけどっちが好みなの?」

「……は?」

「唯ちゃんと憂ちゃん、どっちが好み?」

「いや、いきなりどんな質問ですか」

「だって気になるじゃない。仲良いみたいだし」

「……普通ですよ」

「本当にそう思う?」

「えっ?」

 

 思ったより真面目な声音に、つい戸惑ってしまう。

 だが、さわ子さんはすぐに穏やかな表情に戻り、笑みを浮かべる。

 

「なんてね、冗談よ。あなたモテないし。でも、万が一そんな夢みたいな展開になったら、ちゃんと向き合って上げてね」

「……はい。今さらっと失礼なこと言いませんでした?」

「あ、ちなみに私は今フリーだけど……」

「じゃあ今日も練習頑張ります」

「あ、スルーした!」

 

 いつもの空気に戻ったところで、勢いよく扉が開き、慌てたように澪が入ってきた。いつもと様子が違う。

 

「どうした?何かあった?」

「江崎さん、付き合ってください!」

「……………………は?」

 

 

 

 

 

 

 



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Fascination Street

「すいません、いきなり付き合わせちゃって……」

「いや、いいよ。これぐらい」

 

 俺は軽音部の買い出しに付き合わされていた。

 もちろんさっきの「付き合ってください!」を誤解などしていない。まあこんなことだろうとは思っていた。

 

「ていうか、今日は何でこんなに買い出しがいるんだ?」

「今日はムギが休みなんですよ」

「な、なん……だと……」

 

 ぶっちゃけかなりショックだ。今となっては楽しみの一つとなっている。この前のクッキーとか最高だったし。

 表情に出すぎていたのか、澪がクスッと笑みを溢した。

 

「ふふっ、わかりやすく落ち込んでますね」

「そりゃあね……」

「江崎さん」

「何?」

「江崎さんって、唯か憂と付き合ってるんですか?」

「…………え?」

 

 まさか、さっきさわ子さんに聞かれたようなことを再び聞かれるとは……一体今日はどうしたというのか……。

 考えているうちに、澪の質問に答えていないことに気づいた。

 

「つ、付き合っていないけど……」

「あ、そうなんですね。すいません、勘違いしちゃって……」

「ああ、いや、別にいい……どうしてそう見えるかは不思議だけど」

「そうですか?一緒にいる時間が長いだけじゃなく、何かこう……一緒にいる時の空気感が自然というか……ごめんなさい。よくわからないですよね。どう表現すればいいかわからなくて……」

 

 澪はやたら顔を赤くしていた。あまりこういう話をするのが慣れていないのがわかる。こっちも人の事は言えないけど。

 

「……何だかんだ、俺も恋愛のことはよくわからない」

「あはは……自分もです」

「あんな甘々な歌詞書くのに?」

「そ、それは言わないでください!あれはそういうのとは違くて……!」

「ごめんごめん。でも、あの歌詞があるから放課後ティータイムの良さが出てると思うよ。校内のライブだと皆口ずさんでるし」

「いきなりそんな誉められても、それはそれで恥ずかしいですね……」

「俺、作詞苦手だから」

「作詞もするんですね。江崎さんのオリジナル曲聴いてみたいです」

「……ああ。機会があれば」

「あ、もちろん皆がいる時にお願いします。私だけ先に聴いちゃったら……色々と後がこわいので」

「そ、そうなのか。よくわからんけど……」

「そうなんです。これに関しては断言できます」

 

 断言する澪に素直に頷いてからは、たわいもない話をしながら歩いた。

 そうしていると、距離の割には早めに学校に到着した気がした。

 

 ********

 

「出遅れちゃった……」

 

「むむむ……澪ちゃん、いいなあ」

 

 

 

 

 

 



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I WANNA HOLD YOUR HAND

「よしっ、今日はここまで。さっきの曲のアウトロ、少しリズムがずれてたから、それぞれ復習しといて」

「「「「「はいっ」」」」」

 

 全員の熱のこもった返事を聞いて、スイッチの切り替わりの凄さに、未だに驚いてしまう。

 ちなみに憂は出張から帰ってくる両親をもてなすための料理を作るため、今日は不参加となっている。

 大会も刻一刻と近づいているが、メンバーの顔に悪い意味の焦りはなかった。

 

「ねえ、江崎さん。今日もウチ来るよね?」

「いや、親子水入らずを邪魔するわけには……」

「お父さんとお母さんが、また江崎さんと話したいんだって」

「そ、そうか……」

 

 そう言われてしまっては断るのも心苦しい。何よりいつもご馳走になってるわけだし……。

 

「じゃあ何か甘い物買っていこう。せっかくだし」

「あっ、いいね!賛成~♪」

「江崎さん、ついに菓子折りを持って挨拶しに行くんですか。頑張れ!」

「やかましいわ!そういうんじゃないよ!」

「律、変な方向に盛り上げるんじゃない」

「は~い……ムギ、どう思う?」

「律ちゃん、変な方向に盛り上げたらダメよ」

「律先輩、変な方向に盛り上げたらダメです」

「なんだよ、皆して~!ま、いいか。はやく帰んないとさわちゃんに叱られちゃう」

「そうだな」

 

 賑やかに音楽室をでると、唯は何故か向こうをむいて、何事かぶつぶつ呟いていた。

 

 ********

 

「ありがとうございます。またお越しくださいませ」

 

 店員さんから商品を受け取ると、近くのケーキに見とれている唯に声をかけた。

 

「お待たせ。行こうか」

「あっ、ちょっと待って!」

「何?」

「あっちでギターのイベントが!」

「むむっ……いや、はやく帰らないと憂達が……」

「ちょっとだけなら大丈夫!ほら、行こ!」

「えっ、あっ、ちょっ……!!」

 

 唯は強引にこちらの手を引いた。

 いや、手繋いでるんだけど……。

 この子、あんまそういうの気にしないタイプなのか?

 いや、それより俺は何でこんなに緊張してるんだ?

 相手は教え子だぞ?いや、まあ世間一般の教師と生徒とは全然違うんだけれど。

 想像よりも小さな手の感触と温もりに胸が高鳴るのを感じながら、俺は彼女に手を引かれるまま歩いた。

 

 ********

 

 

 あわわわ……い、いきおいで手、つないじゃったよお!

 さっきから胸がこう、どっくんどっくん鳴ってるよお!どうしよう!?江崎さん、びっくりしてるよね!?

 えっと……憂に知られたら怒られちゃうかな……でも、ごめんね?

 今だけは……二人で、いたいかな。

 

 

 

 



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Big Shot

「おお……」

 

 やっぱりこういうイベントはいい。

 憧れのロックスターと同じモデルのギターというのは、とにかくテンションが上がる。いつか全部買いたいなぁ……一本くらいならそろそろ追加しても……おっと、いかんいかん。せっかく唯と憂に片付けてもらったのに、今の部屋で増やしたら、絶対に怒られる。いつか迎えに来てやるからな。

 

「ふふっ」

「どうした?」

「江崎さん、子供みたいな顔してる~」

「う、うるさいな……ていうか、唯は見なくていいの?」

「私はギー太がいるもん」

「えっ?じゃあなんで……ああ」

 

 さすがにその意図に気づかないほど鈍感ではない。

 俺は首筋に手を当てながら、唯に頭を下げた。

 

「ありがとう。教えてくれて」

「いえいえ~」

 

 ニコニコと笑顔を見せる唯が子犬っぽくて、ついつい頭を撫でてやりたくなる。

 そんな衝動を抑えるようにギターを一つ一つ丁寧に見ていると、「あっ」と声が聞こえた。

 

「江崎君だ!久しぶり!」

「えっ?」

 

 聞き覚えのある声に顔を上げると、俺は圧迫感と呼ぶべき感覚に支配された。

 

「……檜山」

 

 名前を静かに、だが一音一音噛みしめるように呼ぶと、その男は人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「卒業して以来だよね。元気だった?」

「あ、ああ……」

 

 俺は返事をしながら相手の目をしっかり見て、これが夢ではないことを意味もなく確認する。

 男の名前は檜山奏一。俺が通っていた専門学校の同期だ。背丈は俺と同じくらいで、やせ形の童顔だが、はきはきした喋り方と物怖じしない性格で、たまに年上に見える不思議な男だ。そして……こいつは既にプロのギタリストとして活動している。

 

「江崎さん、お知り合い?」

「ああ、専門学校時代の……」

「今も友達だろ?冷たいなぁ」

「いや、それはわかってるよ」

 

 さらにこの男、爽やかでめちゃくちゃ性格がいい。正にイケメンである。専門学校時代からそりゃもうモテまくっていた。

 色々思い出していると、檜山は俺と唯を交互に見て、首を傾げた。

 

「江崎君、妹いたんだ」

「あ、いや、この子は……」

「彼女?」

「違うわ!」

「むぅ……」

 

 つい勢いよく否定してしまった。いや、嘘はついてないんだけど……ていうか、相変わらず天然だな、こいつ。あと唯、何故背中をさりげなく叩く……。

 

「今、さわ子さんとこの軽音部の子達に教えてて、そこの部員」

「ああ、さわ子さんか。元気にしてる?」

「言うまでもなく」

「だろうね。あっ、初めまして。檜山奏一といいます」

「初めまして!江崎さんの一番弟子の平沢唯ですっ」

 

 爽やかな檜山の挨拶に対し、唯がほんわかした挨拶を返す。一番弟子って……いや、別にいいんだけど。

 

「そっかぁ、こいつめっちゃギター上手いでしょ?」

「はいっ、めっちゃ上手いです!」

 

 お前から言われると嫌みに聞こえなくもないんだが……。

 

「あっ、そうだ。今度ライブやるから観に来てよ。俺はサポートなんだけど」

「へえ、そっか。すごいな」

「そっちはライブの予定とかは?」

「もうちょい先かな」

「やる予定が決まったら教えてよ。おっと、そろそろ行かなきゃ!じゃあまたね!」

 

 現れた時のように檜山はいきなり去っていった。ライブかぁ……見たいけど見たくねぇ……複雑だ。

 唯はキラキラした目でこちらを見上げていた。

 

「あの人、ギター上手い人なんですか!?江崎さんのライバル!?」

「……いや、俺の数倍上手いよ」 

 

 俺はその事実を告げるだけで精一杯だった。

 

 

 

 



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