艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー (柊ゆう)
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序章 運命の人
霞の休日ー1ー


艦隊これくしょん、霞をヒロインとした提督とのキャッキャウフフな妄想を垂れ流すためだけの小説です。
霞ママに叱られたり甘やかされたりしたい……。

作者は本作が初の小説になりますので、拙い出来でお見苦しい点も多々あるかと思いますが、ご指摘頂けた際には直せるよう努力致しますので、よろしければ感想等お願いいたします。

通勤中や艦これアーケード待機中に主に執筆する予定なので、更新は相当緩くなってしまうと予想されます。
エタらないように頑張ります。
旗艦はもちろん霞ママです。ホロ欲しい。

それでは、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。


『霞、急な話ですまないが今日の遠征は中止だ。』

 朝、いつものように遠征に出かける準備を完璧に済ませた霞は、出発の報告をしようと入った執務室で彼女の提督にそう告げられた。

 まぁ、それはいい。急な予定の変更など日常茶飯事だ。

 ならば出撃かと尋ねた霞に返ってきた答えは、

『いや、君は非番にする。街にでも出て今日は一日羽を伸ばしてきなさい。今日は日没まで鎮守府への立ち入りを禁ずる。』

 抗議の言葉も空しく、霞は鎮守府から閉め出されてしまった。非番。そう休暇である。

 街のことを良く知っていればそういった降って湧いた休暇も有意義に使うことができるのかもしれないが、生憎霞は最近この鎮守府に着任したばかり。

 街と言われても一度も行ったことはなく、かと言って連れだって街へ繰り出してくれる艦娘もいない。

 非番にされたのは彼女だけだからだ。

 これはどう考えても自分だけ蚊帳の外に置かれていた。

 

 

 

「ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」

 肩を怒らせ早足で街までの道を歩く霞は吐き捨てるようにそう独りごちた。そうしていないと沸々と湧いてくる怒りを抑えることが出来なかったのだ。

 蚊帳の外に置かれた理由は何であるのか…近々大きな反抗作戦でも行われるのか。もしそうだとすれば、自分が現状戦力的に心許ないのを理解している霞には、作戦会議に参加させてもらえないのも仕方のないことだと納得できた。だが、鎮守府から閉め出される程の扱いを受けるような覚えはない。自分の非力を理解しているからこそ与えられた任務は完璧にこしてきたし、命令違反も今の鎮守府に来てからはしていない。

 霞には今の状況は甚だ不本意なことであった。

 とはいえ、命令は命令。仕方なく霞は一人で街へ出ることにした。一人で考えていてもムカムカするだけで時間の無駄であるし、何より休暇をこうして無為に潰してしまうのは同僚の艦娘に対して申し訳ないと考えた為である。

 

 

 

 街に辿り着いて中心街までやって来た霞は、その様子に違和感を覚えた。

 そろそろ昼時だというのに、商店街を歩いている人間が少ないように感じたのだ。

 店主達だけが少ない客を取り合うためか、大きく声を張り上げていた。

(そういえば、最近近くの鎮守府が深海棲艦に攻め落とされたのが民間人に漏れたって話があったわね。)

 おそらく噂を聞いた者達の一部がこの街を捨てて内陸部へと避難したのだろう。

 

 ただでさえ人が少ない中を、見た目小学生の美少女が美しい銀髪のサイドテールを乱暴に揺らしながらせかせかと歩いている。手には少し間抜けにデフォルメされた鯛が描かれた紙袋。目立ってしまうに決まっていた。周囲から好奇の視線が向けられていることに気づいた霞は嘆息し、街へやって来たことを後悔し始めていた。

(こうなるんじゃないかと思ってたから、街に来るのなんて嫌だったのよ……)

 正直に言ってしまうと、霞は人間があまり好きではなかった。艦娘とは深海棲艦から人間を護るために生まれた存在だと言われている。霞本人もそれは自覚しているし、その与えられた使命を全うすることに疑問は感じていない。

 ただ、人間が艦娘をどう考えているかということに関しては、好意的な物ばかりではないと理解もしていた。

 

 

 

『お前達はただの喋る兵器に過ぎない。故に、造り出されたその瞬間から血の一滴すらも我ら人類のためだけに捧げることを義務づけられているのだ。』

 霞が初めて着任した鎮守府の提督は、訓練校から着任したての霞に向かってそう言い放った。

 提督というのは、艦娘にとって一番身近な人間だ。その護るべき対象である人間の代表にこんなことを言われては、自分達が命を懸けて戦う意味も志も持てはしないだろう。

 感謝をしろとは言わないが、せめて対等に扱って欲しかった。

 霞達艦娘は、『提督』という人間の存在によりその本領を発揮できるよう造られている。提督に名を呼ばれることにより艦娘としての力を引き出され、艤装の展開が可能となる。

 つまり、提督とは艦娘という兵器の引き金であり安全装置なのだ。護るべき対象でありながら、唯一共に戦うことのできる人類。

 確かに艦娘という存在は人類に対しても驚異になりうる武力を持つ。兵器としての側面を持っていることは疑いようもない。今となっては、ある意味では提督からあの言葉が出てくるのも仕方のないことだとも思えた。

 彼らが私達を一人の人間として認めてしまうということは、女子供を矢面に立たせ、自分達は安全な陸地に引きこもり、人類の命運を委ねてしまっているということを認めなくてはならなくなる。

 提督の言葉により死地に赴き戦って散っていく艦娘を受け入れるのは簡単ではないということだ。彼らだって艦娘に心があるということぐらい本音では理解しているだろう。

 しかし、それを認めてしまえば彼らのプライドはボロボロだ。ただでさえ矮小で卑屈で醜いプライドが。

 当時、その言葉に全く納得できなかった霞は命令違反を繰り返し、鎮守府を追い出された。

 

 

 

「全く、休暇が聞いて呆れるわ……。気が滅入るったら!」

 思い出したくもないことを思い出してしまった霞は、敢えて声に出すことで少しだけ自分を落ち着かせることに成功した。しかし、思ったより大きな声が出てしまっていたのか、周りの人間達が足を止めて驚いたような目でこちらを見ていた。

(しまった。これじゃ私大声で独り言叫んでるおかしな子供じゃない!)

 慌てて霞は逃げるようにその場を離れた。

 逃げることに精一杯で、どこに向かうかなど一切考えていなかったのだが、自然と足は海の方へと向かっていた。

 

 

 

 商店街を抜けしばらく歩き続けると、急に視界が開けた。

 横たわる道を渡れば堤防があり、その眼下には白い砂浜と青い海が広がっている。

 しかし、堤防には海と陸を遮るように物々しいフェンスと『すなはまにおりないで!かいじゅうがきみをねらってる!』等と書かれた看板が設置されていた。

「何この絵……ぜんっぜん似てないわね」

 海から覗く愛嬌たっぷりに描かれた恐竜のような姿を見て霞は思わず噴き出してしまった。

 深海棲艦の存在は民間人には秘匿されている。奴らは上位の存在程人に形が近づいていく。それは、艦娘に近づいていくと言い換えてもいい。民間人には艦娘と深海棲艦の区別などつけられるはずもないだろう。軍人にだって区別のつかない者もいるのだから。

 つまり、民間人に深海棲艦の姿が広まれば、艦娘を排斥する運動が起こることが容易に想像でき、そうなれば人類の破滅であると軍部が理解しているからこその処置であった。故に、民間人は海に現れた得体のしれない怪物を、どこからともなく現れた得体のしれない艦娘が退治しているということしか知らされていない。これでは艦娘に不信感を抱かない方が無理というものだ。

 

 

 

 ぼんやりと考えごとをしながら海岸線を宛てもなく歩きながら波の音に耳を傾けていると、不思議とささくれだった心が少しずつ落ち着いてくるのを感じた。

(街から見る海って言うのは、狭いのね……。私達は、この狭い海を護るために戦っているんだ。)

 正直実感が沸かなかった。

 今日一日街を歩いてみて感じたのは、民間人には護ってもらっている自覚など全くないのではないかということだった。

 軽い昼食を摂ろうと気まぐれに鯛焼き屋に寄った時、店主がにこやかに話しかけてきた。

『あらお嬢ちゃん、こんな時間に散歩かい?学校はどうしたの?』

 駆逐艦である霞は、確かに子供にしか見えまい。

 霞が取り出した身分証を提示すると、それを見た店主の顔色が目に見えて変わった。

『お!?ぁ……あぁ、艦娘様でしたか!失礼なことを致しまして、大変申し訳ありませんでした!何分、このような店に足を運ばれるとは思ってもみませんで……。』

 へこへこと頭を下げる店主。瞳にありありと浮かんでいるのは得体の知れない存在に対する恐怖だ。

 鯛焼きを受け取った霞は、一言謝意を伝えるとそそくさと店を後にした。

 

 

 

 霞はちょうどフェンスの切れ間になっていた部分の堤防に腰を下ろした。もうそろそろ夕方、鎮守府に帰るまでここで海に日が沈むのを眺めていくことにしたのだ。

(……別に感謝されたくて戦っている訳じゃない。だけど、あそこまで恐れられるようなことをした覚えもないわ。)

 すっかり冷めてしまった鯛焼きをもそもそとかじりながら、霞は今日一日を振り返った。

「……正直、楽しかった思い出なんてひとっつもないわね。」

 本当に、憂鬱だ。艦娘とは一体何なのか、命懸けで戦っていることに意味はあるのか。これなら任務に就いている時の方が余程良かったと思っていた。

 今日何度目かという程の嘆息を漏らす霞の視界の隅に、砂浜で動くものが微かに映った。

「あれ、子供じゃない!」

 あの物々しいフェンスや看板が目に入らなかったのか、少年は砂浜に腰を下ろして海を眺めているようだった。

 霞は少年に注意するため、砂浜に降りることにした。堤防から軽く飛び降りると5mは下にあろうかという砂浜に事も無げに着地する。艦娘である霞は、艤装を展開していなくとも提督との通信機を持っている限りは常人を遥かに超える身体能力を持っている。

 少年の下へと歩く霞は、不意に強い敵意を感じた。

「ーーッ!?」

 視界の隅に大きな黒い影が映った。今度は海の方で。

鯨のような、黒くて丸みを帯びた甲殻と怪しく光る緑瞳。その下には不恰好な程大きな口、そして極めつけには人間の脚が生えているという何とも生理的嫌悪感を催す風貌。間違いなく深海棲艦だった。

 霞は少年に向かって全力疾走した。艤装を展開しなくてはと考えている暇もない。人間が好きではない等と散々言っておきながら、霞は結局深海棲艦を倒すことよりも、少年を助けることを優先してしまったのだ。

(お願い、間に合って!)

 深海棲艦は駆逐イ級と呼ばれている最下級の深海棲艦だ。

 だからといって人間の子供など奴の主砲に掠りでもすれば消し飛ばされてしまうだろう。

 もう奴の射程圏内に入ってしまっている。

 少年は腰が抜けてしまったのか深海棲艦を見ていることしか出来ていない。

 とうとうイ級の口が大きく開かれ、砲塔が顔を出す。

 

 

 

「ダメぇええええ!!」

 

 

 

 静かな海辺に不釣り合いな轟音と、少女の悲痛な叫び声が響いたのだった。




これから続きを書き始めます。
今回は本当に導入なので、霞の可愛いところはこれからどんどん書いていきたいです。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
もしよろしければ、また読みに来ていただけると幸いです。


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霞の休日ー2ー

第一話を読んでくださった皆様、ありがとうございました!
お気に入りに入れて下さった方もいらっしゃって、とても嬉しいです。
見限られないよう頑張ります。

序章は恐らくあと二話程で終了する予定になります。

それでは、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。


「大丈夫、怪我してないわよね!?」

 霞は腕の中の少年に声をかけた。

 

 砲撃の寸前に少年の下に辿り着いた霞は、少年に抱きつくようにしながら全力で跳んでいた。

 直後に轟音と着弾の衝撃が後方から二人を襲う。

 衝撃が通りすぎても身体に特に痛むところはない。どうやら何とか敵の砲撃をかわすことに成功したらしかった。

 

「……ぉ、お姉ちゃん、誰?」

 安否を問いかけた霞に返ってきたのは、か細い、気の抜けたような声だった。

 誰だっていい、少なくとも砂浜を全力疾走していた馬鹿は艦娘だ等とは冗談でも言えないだろう。

 怪我がなさそうなことに安堵する霞は、自分の判断の稚拙さを呪いながら、提督と連絡を取るために通信機を取り出そうとした。

 

「ーー嘘、でしょ」

 先程の爆風のせいか、通信機は完全に破壊されてしまっていた。

 これでは深海棲艦と戦うことなど不可能だ。絶望が霞の脳裏に過る。

 しかし、絶望している余裕など深海棲艦が与えてくれるはずもなく、再び駆逐イ級が砲撃しようと動き出す。

(ここは、何とかして逃げるしかないわね……。通信機が破壊されたなら、鎮守府も異変に気づいて動き出すはず。それまで逃げ切れば……)

 逃げることを選択した霞は少年を抱えたまま駆け出した。

 

 

 少年を抱えて走る霞は、自分の現状に疑問を持った。

(……通信機が壊されてしばらく経つのに、身体能力が低下してない?)

 

 

 

 少年を抱えたまま今度は余裕をもって駆逐イ級の砲撃をかわした霞は、違和感に首を傾げ、一つの可能性に辿り着いた。

(この子……もしかして『提督』の素質があるの?)

 『提督』とは艦娘に力を与える存在だ。それは『提督』個人個人によって様々な形で艦娘に恩恵を与えるが、どんな『提督』でも共通して所持している能力がある。

 艦娘の名前を呼ぶことによって、その戦闘能力を呼び覚ますことができる能力。本来、工廠の妖精達が作成した特殊な通信機を通して呼び掛ける必要があるのだが、稀に存在する特定の艦娘と高い親和性を示す『提督』は、通信機を通すことなくその力を引き出すことができるのだという。

 この少年は霞と極めて高い親和性を持っていることが推測できた。言葉を交わすことなく、触れ合っているだけで艦娘の力を引き出すなど、並みの『提督』に出来ることではない。

 

「霞よ!」

 唐突に霞は名乗った。

「え、何?」

 当然抱き抱えられたままの少年に通じるはずもない。

「私の名前!早く呼んでったら!」

 今となっては駆逐イ級の砲撃をかわすことなど訳もないが、これ以上長引けば街へ被害が出かねない。

 この少年ならば必ず自分の力を引き出すことができる。

 霞はそう確信していた。

「か……『霞』お姉ちゃん?」

 

 

 

「ひぅっ……」

 

 

 

 年端のいかぬ少女から、出てはいけない艶っぽい吐息と声が漏れる。これでは子供に名前を呼ばれて悦ぶ頭の可笑しな女だ。しかし、今の霞にはそんなことを恥じる余裕もなくなっていた。

 力が溢れてくるのだ、今まで感じたことのない、暖かく圧倒的な充実感が霞を充たす。

 艤装が展開できるだけでも上々だ等と考えていた自分が馬鹿らしくなる。

 彼は霞から限界以上の力を引き出していた。ここまでしてもらって駆逐イ級に負けるなどあり得ようはずもない。

「耳を塞いでなさい!」

 気を取り直した霞は少年に指示をしながら右腕に12.7cm連装砲を展開すると、性懲りもなく砲撃を行おうとしていた駆逐イ級の口内に砲弾を叩き込んだ。

 初めて反撃を受けた駆逐イ級は衝撃に体勢を大きく崩す。

 

 霞は少年を岩場の陰に下ろした。

「いい?あなたはここに隠れてなさい」

「霞お姉ちゃんは?」

 少年は不安に揺れる瞳で霞を見つめ、問いかける。

「私は悪い怪獣を退治してくるのよ」

 少年を安心させるように笑いかけた霞は、駆逐イ級の方へと向き直り意識を戦闘へと集中させる。

 

 

 

「朝潮型10番艦、霞!抜錨するわ!」

 

 

 

 助走をつけ、海へと飛び込むように大きく跳躍しながら、名乗りをあげる。海面へと到達したときには、既に艤装により全身を武装した艦娘となっていた。

 海面を滑るようにしながら、駆逐イ級が陸を背に向けるように移動する。

 

「グォオオオオオ!!」

 霞が艦娘であると認識した途端、駆逐イ級が咆哮をあげた。

 先程のまでの緩慢な動きが嘘のように、霞へ向かって猛然と突進してくる。

 深海棲艦は艦娘を憎んでいるらしい。今まで戦ってきた深海棲艦は全て、恐ろしい程の怨嗟を叩きつけ、艦娘に殺意を向けてきた。この駆逐イ級も例外ではないらしい。

 自分の囮としての有用性を確認した霞は、砂浜から遠ざけるように移動をしながら、駆逐イ級の攻撃をいなす。

 

 突進しながら霞を噛み砕こうとする大顎をかわし、すれ違い様に背後から砲撃を浴びせる。体勢を崩したところをもう一撃。反撃する暇も与えず、霞は敵を翻弄し続ける。

 数度目の砲撃が駆逐イ級の外殻に直撃し、とうとうその一部が剥がれ落ちた。

 

「ガァアアァッ!!」

 駆逐イ級は生じる痛みに大きな呻き声をあげ、身をよじる。

 目に見えて動きが鈍った瞬間であった。

「沈みなさい!」

 その隙を見逃すはずもなく、霞は魚雷を発射する。

 駆逐艦の艦娘達が持つ装備の中で、最高の威力を誇る攻撃である。

 海面に白い軌跡を残しながら、放たれた魚雷が駆逐イ級へと肉薄する。もはや駆逐イ級に逃げ場はなかった。

 直後ーー凄まじい轟音と共に数本の水柱が立ち上る。

 着弾の衝撃が通り過ぎ、波が収まった頃には、海は深海棲艦等最初からいなかったのように数分前の落ち着きを取り戻していた。

 

 

 

「敵深海棲艦の撃沈を確認。周囲に艦影もないわね」

 戦闘が終了したことを確認した霞は、少年の下へと戻ることにした。

「大丈夫だった?どこも怪我していないわよね?」

 近づきながら、霞は改めて少年の安否を確認する。

 少年は小学校の中学年くらいに見えた。茶色がかったさらさらの髪と少し垂れ目がちの目が可愛らしい、どちらかと言えば少女のような中性的な少年だ。最初の砲撃の時に出来たと思われる、小さな擦り傷があるだけで、怪我という怪我はなさそうだった。

「………………」

 しかし、問いかける霞に少年からの答えはない。

 少年は呆けたように霞を見つめ続けていた。

 その様子を見た霞は、昼間に出会った街の人間達を思い出す。

「ーーっ。ご、ごめんなさい……気味が悪かったわよね」

 少年にも同じような瞳で見つめられている気がして、慌てて距離を離す。

「怪我もないようだし、私はもう行くわ」

 震える唇を噛みしめ、それだけ告げると霞は踵を返し歩きだした。

 これ以上少年の近くにいて、もし彼の口から自分を否定するような言葉を聞いてしまえば、今度こそ霞は立ち直れないだろう。

 それほどに少年の声は霞の艦娘としての魂の奥深くに爪痕を残してしまった。

 彼に名前を呼ばれた瞬間、霞は今まで感じたことのない幸福感と充実感に満たされた。それこそ彼に身も心も全て捧げてしまってもいいとさえ思えそうな程に。

 今はもうその危うい高揚感もなりを潜めているが、あの甘美な感覚は忘れようがない楔として霞の心に残っている。

 そんな感覚を与えてくれた相手に否定されてしまうかも知れないという恐怖は、霞本人が感じている以上に霞の中で大きくなっていた。

 

「ぁっーーま、待って!霞お姉ちゃん!」

 背後から霞を呼び止める声がした。

 びくりと肩を震わせ、恐る恐る振り返るとーー走って追いかけてきたのか、すぐ後ろに少年が立っていた。その顔は頬を紅潮させ、瞳は輝いているように見える。

「お姉ちゃんってすっごく強いんだね!かっこよかった!」

 発せられた言葉は、純粋な称賛。そこには、恐怖といった感情は微塵も見受けられなかった。

 

「……あなた、私が怖くないの……?」

 先程はその答えを聞くのが怖くて逃げ出してしまったというのに、少年の様子を見てつい思わずそう問いかけてしまった。

 しかし、問いかけてしまった以上は答えを聞かなくてはならないだろう。霞は覚悟を決めた。

(大丈夫よ!この子は私のことかっこいいって言ってくれたわ!)

 不安に飲み込まれそうになる心を叱咤しながら、霞は固唾を飲んで少年の答えを待つ。

(お願い、私のことを怖がらないで……!)

 祈るような気持ちで少年を見ると、彼は心底不思議そうにこちらを見ていた。

「?何で?お姉ちゃんは怖くなんかないよ?優しいもん!」

(よかった……!)

 心に立ち込めた霧が晴れ渡るように、霞の暗澹とした気持ちが歓喜に彩られていく。

 不安に跳ね回っていた心臓が、今度は喜びに跳ね回る。

 そんな様子を知ってか知らずか、少年は更に言葉を繋げた。

 

 

 

「霞お姉ちゃん、助けてくれてありがとう!」

 

 

 

 それは、霞がこの世界に生まれてから初めて贈られた、心よりの感謝の気持ちであった。




ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

第3話も、よろしければお付き合い下さい。


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水平線の彼方

一日に二回目の投稿!頑張りました。

沢山の方に読んでいただけて本当に嬉しいです。
ただ読んでいただけるだけでも嬉しいのに、評価や感想までいただけて…感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも頑張っていきますので、また見に来て下さると嬉しいです!

それでは第3話、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。


 少年と少女は、身を寄せ会うようにして砂浜に座り込み海を眺めていた。

 少年の方は水平線の彼方を見つめ、夕日が沈むのを静かに待っているようだった。

 少女のほうは頬を紅く染め、視線はゆらゆらと所在なさげに宙をさ迷っている。

 沈黙に耐えかねたのか、少女ーー霞は口を開いた。

 

「いつも、ここでこうして海を見てるの?」

 問いかけると、少し困ったように少年が笑った。

「そう。お母さんにはダメだって言われてたんだけどね」

 怒られちゃうだろうなぁ、と今しがた死線を潜り抜けてきたにしてはあまりにも暢気な呟きが耳に入った。

 緊張感に欠ける少年を見て、苦笑を浮かべた霞だが、霞にはこの少年がただの悪戯気分で海へと足を運んでいたとは思えなかった。

「だったら、どうして言いつけを破ってまでここへ来ていたの?」

 更に問い詰める霞に、少年は霞に向けていた視線を海へと戻した。

 

 聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない。

 霞は己の無神経さに嫌気が差したが、軍に所属する者として、理由の確認は必要なことだと無理矢理に自分を納得させた。

 海に視線を向けたままの少年がぽつりと呟いた。

「お父さんが、返ってこないんだ」

 やはり聞いてはいけないことだったのかもしれない。

 母親の言いつけを破ってまでここへ毎日来て、深海棲艦が蔓延っている海から父親が帰ってくるのを待っている。

 つまりは、そういうことなのだろう。

「お父さんは、海を守りに行くって言ってた。だから僕にはお母さんを守ってほしいって。男同士の約束だって言ってたんだ」

 ぽつぽつと少年が語りだす。

 霞は少年の紡ぐ言葉とその結果を思ってやりきれない気持ちになりながらも、少年の言葉に耳を傾けた。

「お父さんは、海から怪獣がいなくなったら、僕やお母さんを船に乗せて、遠くの島まで連れていってくれるって言ってた。その島の海はここよりももっと青くてキラキラしてて、ぴかぴか光る綺麗な魚もいっぱい泳いでるんだって」

 少年はその島の話を聞いた時のことを思い出しているのか、キラキラとした表情で霞に向かって話しかける。

 しかし、当の霞は浮かない顔だ。

 少年は霞の表情を見て、直ぐに視線を落とした。

「僕が二年生になってすぐの時、お母さんが僕に言ったんだ。お父さんはもう帰ってこられなくなったって。お母さんは泣いてた」

 この少年はわかっているのだろう。母親がそんな嘘をつくはずがないことくらい、理解出来ているようだった。

(なら、どうして毎日ここへ……?)

 霞は静かに少年を見つめ、続く言葉を待った。

「僕はお父さんと約束したから、お母さんを守らないといけないんだ。でもお母さんは大丈夫だって嘘をついて笑ってくれる。ほんとはいつも泣いてたのに。昨日だって……。」

 少年の声が少しくぐもったような声になる。抱えた膝に顔を押し付けた為だ。

 暫くそうしていたあと、少年は顔を上げた。

 悔しさが滲み、涙を堪える横顔が霞の目に飛び込んできた。

「お母さんは今一人で僕を守ってくれてる。今の僕じゃお母さんを守れない。だから僕にできるのは、家で泣いてるお母さんの代わりにお父さんを探すことだけなんだ」

 そう言い切った少年の頬に一筋の光が流れた。

 

 

 

(この歳で自分の無力さを自覚し、それでも尚自分の出来ることを探そうとしてるの……この子は)

 霞は少年の言葉に驚きを隠せなかった。

 それだけ必死だったということだろう。考えて考えて、自分に出来る最善を尽くしている。

(そんなの、子供のすることじゃないわ!)

 迸る激情に身を任せ、霞は勢いよく砂浜に立ち上がった。

 突然のことに少年は驚き、立ち上がった霞を見上げる。

 

 

 

 霞は高らかに宣言する。

「この海は、私が守る!あなたはお父さんとの約束を守れるようになるまで、精一杯今を楽しんで生きなさい!」

 少年はぽかんと口を開けたままだ。

 霞は更に言葉を紡ぐ。

 

 

 

「私は艦娘。あなたを、人間を……この海を守るために生まれてきた。もうあなたに海を見て涙なんて流させない!あなたを笑顔にするために、私は命を懸ける!」

 

 

 

 私は軍人が嫌いだ。心を持つ私を兵器としてしか見てくれないから。

 私は人間が嫌いだ。私は痛みや恐怖を耐えて命懸けで戦っているのに、誰も私自身を見てくれないから。

 私は海が嫌いだ。恐ろしい深海棲艦と戦って戦って、最期には水底に消えてしまうだけだとわかっているから。

 

 

 

 何と自分勝手な理屈なのか。

 ならば霞は自分自身を理解してもらおうと努力したのか。

 確かに艦娘は兵器という側面を持って生まれてくる。

 しかし、同時に人間としての側面も持っているのだ。

 言葉を交わし、お互いを理解し合うことが出来ない等とどうして言えよう。

 それはただの諦めで怠慢だ。

 霞は周囲に甘えていたに過ぎなかったことに事ここに来て漸く気がついた。

 たった8歳の男の子にそれを理解させられた。

 自分が恥ずかしくて堪らなかった。

 

 

 

 しかし、そんな愚かな自分は今日この場で終わらせる。

 霞には命を懸けてでも護りたい存在が出来た。

 一生涯を捧げるに足る恩を受けた。

 もう戦うことを恐れることはないだろう。

 彼を笑顔にするために、霞は最期の一瞬までこの海を護り続けることを誓った。

 

 

 

言い切ったことで少し冷静になったのか、ハッとした顔で霞は再び少年の隣に腰を下ろした。

「あの……あなたの名前……ぉ、教えてもらえないかしら……」

 先程の宣言とは裏腹に、波音に掻き消されそうな程にか細い声で言葉が紡がれる。

「あ、うん。彼方!朝霧 彼方(あさぎり かなた)だよ。霞お姉ちゃん。」

 忘れちゃってた、ごめんなさい。と年相応の笑顔で少年が名前を教えてくれた。

「ぁ、ありがとう……あの、か、彼方って呼んでも、いい、かしら……?」

 少年の名前を初めて口にした時、霞は言い様のない高揚感に包まれた。頬は熱いし心臓の音も機銃掃射のような有り様だ。

「うん、いいよ!」

 軽く許可をくれた彼方に、霞は最後に伝えたい言葉を発するため、大きく深呼吸をする。

 

 

 

「彼方……私に、彼方を助けさせてくれてありがとう」

 

 

 

 良かった、詰まらないで言えた。安堵の気持ちに自然と頬が緩む。

 そんな霞の気持ちを知ってか知らずか、彼方は不思議そうに首をかしげ、こちらを見ている。

 当然だ。今の言葉は完全に霞の自己満足。

 しかし、どうしても彼に自分の正直な気持ちを聞いてほしかったのだ。

 この彼方に対する気持ちは、さすがの霞も理解出来ていた。

(私、彼方に恋をしたのね……)

 

 

 

 切っ掛けは彼の『提督』としての資質もあったのかも知れない。事実今もあの甘美な感覚を、艦娘としての自分は彼方から名前を呼ばれる度に感じている。

 しかし、決定的になったのは彼が霞に生きる理由を与えてくれたからだった。

 もう少し彼と話をしていたい。そう思った霞が口を開こうとしたその時ーー

 

 

 

「おーい!霞ちゃーん!大丈夫ー!?」

 気の抜けた声が聞こえてきた。

 同じ鎮守府に着任している、駆逐艦の清霜だ。

 戦闘中でないことは遠目で見て解っていたのか、暢気な様子でこちらまでやって来た。

「はぐれの駆逐イ級と会敵。その際に通信機を破壊されたけど、敵艦は撃沈。戦闘ログは帰って司令官に提出するわ」

 意図的に彼方の能力の事は隠して報告する。

「そっかぁ。うん、流石だね!」

 それで納得したのか、清霜の興味は彼方へと移った。

「それで?この子は誰?」

 霞は事前に用意していた回答を返す。

「か、彼方は深海棲艦を発見して私に報告してくれたのよ。ただの民間人。協力者よ」

「ふーん、その子彼方くんって言うんだ?んー……まぁ、いっか。でも司令官にはきちんと報告してね?」

 ばれていた。霞は演技は得意ではなかった。

 そもそも名前を呼び捨てで呼んでいたら、ただの協力者だなど通じるはずもなかった。

 自分の迂闊さを呪う霞を余所に、清霜は再び海へと降り立った。

「じゃあ、帰ろっか」

 もうお別れの時間らしい。

 名残惜しいが、これ以上は長引かせることは出来ないだろう。

「……そうね。わかったわ」

 清霜から新しい通信機を受けとった霞は、擬装を展開して清霜の隣へと降り立った。

 

 

 

「霞お姉ちゃん、また会える?」

 彼方が霞へ問いかける。

「えぇ、必ず会えるわ。きっと近いうちに」

 でないと霞が耐えられない。

 

 

 

 彼方は納得したのか、霞に笑顔を向けて大きく手を降った。

「またね、きっとだよ!」

 

 

 

 夕霞がたなびく砂浜で出会った、運命の少年と少女。

 この二人の出会いは、人類の未来を大きく変えていくことになる。




ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

序章としては、ここで一段落となり、少しゆるゆるとした話を書かせていただいたあと、本編に入って参ります。

彼方と霞の物語にも新たなキャラクターが続々登場していく予定ですので、またお付き合いいただけると嬉しいです。


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家族

こんばんわ、第4話投稿です!

この小説を読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。とても励みになっています!

今回は霞と霞の着任している鎮守府のお話しです。

それでは、最期までお付きあいいただけたら幸いです。



清霜と共に鎮守府に帰投した霞は、直ぐに提督の執務室へ向かった。

「司令官、霞よ。帰投したわ。入ってもいいかしら」

ノックと共に入室の許可を求める。

「あぁ、お帰り。入りたまえ」

入室の許可が下りたので霞は執務室の中に入った。

 

 

部屋の中には二人の人物。

執務室の椅子に腰かけているのは、老齢の男性。

樫木 重光(かしき しげみつ)ーーこの鎮守府に着任している提督である。

頭髪や立派な髭はすっかり白く染まっており、その相貌には重ねてきた年月が刻み込まれている。入室した霞を柔和な笑みを浮かべて迎えた彼のその表情の奥に何が隠されているのか、霞には測りきることは出来そうになかった。

その隣に立っているのは、提督の秘書艦を長年勤めているらしい妙高型三番艦、重巡洋艦の足柄だ。

彼女も入室した霞の顔を見るなり、顔を綻ばせ興味深そうにこちらを見つめていた。

 

 

 

挨拶もそこそこに、提督が本題を切り出す。

「深海棲艦と戦闘を行ったそうだね。まずは、報告を」

提督に促され、霞は戦闘ログを足柄に提出する。

霞は少年との出会いを含め、駆逐イ級撃沈までの出来事を詳細に報告した。

提督は黙って報告を聞いていたが、少年の力により擬装を展開した事を説明した瞬間、それまでの穏やかな表情から僅かな変化が起きていた事に、霞は気がつかなかった。

 

 

 

足柄は霞が一通り話し終えたと判断し、説明を受けながら感じていた疑問点を問い質す。

「その子は、どうして砂浜に来てたのかしら?いくら子供でも、砂浜が立ち入り禁止なことぐらい知っているはずよね?」

(当然そう来るわよね……)

霞が予想していた通りに、深海棲艦との戦闘から少年が危険な行動を取っていた動機へと話題が移る。

彼方の事を話してしまった以上、彼の行動の動機も説明する必要があった。

彼の個人的な事情に踏み込む事になるので、気が進まないのは確かだが……ここで虚偽の報告をする訳にもいくまい。

霞は、彼方を守るだけではなく、彼方を守るために霞自身も守らなくてはならない。

彼方の行動は客観的に見れば、決して褒められた行いではない。むしろ自分を危険に曝す愚行であり、家族を悲しませる結果にもなりかねない重大な過ちであった。

今回彼の動機を説明することで、情状酌量の余地が生まれる可能性は十分にあると考えられたし、何よりここで虚偽の報告をすれば彼方や霞にとって逆に良くない事になるのは明白だ。二人の今後を考え、霞は正直に彼方の事情を話した。

 

しかし結果的には彼方の事情を話したことで、霞も提督に確認したかったことが質問できるようになった。

「司令官は、彼方の父親のこと何か知らないかしら?」

すると提督は、暫し目を伏せたあと、霞を見て静かに問いかけてきた。その瞳には憐れむ様な感情が見え隠れしているように見えた。

「その少年の名は、朝霧彼方君だったね?」

提督の問いかけに霞は首肯で応える。

「ーーそうか。彼の息子がこの街に住んでいたとは……。」

『彼の息子』と提督は言った。提督は彼方の父親を知っている。

「彼方の父親を知っているのね!?彼の父親は本当に亡くなっているの?」

矢継ぎ早に質問を投げ掛ける霞だが、提督の様子は先程と変わらず落ち着いた態度のままだ。

「君も知っているだろう。二ヵ月前に深海棲艦の群れに奇襲を受け、ある鎮守府が壊滅した事件を。」

当然霞もその衝撃的な事件は知っていた。この街に人間が少ないように感じた時、その事件によって街の人間が内陸部に避難したのだろうと霞は判断していた。

 

しかし、このタイミングでその返答。続けられる言葉は嫌でも予想できてしまった。

「その鎮守府の提督の名は、朝霧 真(あさぎり しん)。父親が戻らなくなった時期や、彼方君の『提督』としての資質の高さ。それらを鑑みれば、彼が彼方君の父親に間違いはないだろう。」

初めて端から見てもわかる程に沈痛とした面持ちで、提督は霞にそう告げた。

 

その被害を受けた鎮守府に着任していた艦娘は全員深海棲艦に轟沈させられた。人間の生存者もゼロ。皆殺しだ。

最期まで果敢に深海棲艦と戦ったのだろう激しい戦闘痕だけを残し、鎮守府は壊滅していたそうだ。

茫然とする霞を気遣い、提督は開きかけていた口を閉ざす。

(……こんなこと、彼方に伝えられる訳ないじゃない!)

父親が返ってくることを信じて待つ事しか出来なかった彼にはあまりにも酷な現実。彼の心に与える衝撃の大きさを考えるだけで、霞は胸が張り裂けそうになる。

「それで、彼の処分の事だけど」

沈黙を選択した提督の後を引き継ぐように足柄が淡々と告げる。

そう。彼方は軍から見て重大な問題を抱えていた。

それは、深海棲艦を見てしまったこと。

見てしまったのは駆逐イ級で、人の形からは最も遠い艦種ではある。しかし、民間人の深海棲艦の目撃という問題は、艦娘全体に危険が及ぶ可能性を孕んでいる。

「深海棲艦を見てしまった以上は、それがはぐれのイ級を偶々目撃してしまったのだとしても、何もしないで『はい、さようなら』っていう訳にはいかないの。わかるわよね?」

「ーーっ。そんなの軍だけの都合じゃないの!」

頭では理解していても、心が強い反発を示し、ついつい言葉が出てしまう。

「そうね。でもそれが私達軍人には何より大切なことよ。今艦娘を失うような事があれば、必ず人類は滅ぶ」

足柄は、必死に彼方を守ろうと思考を巡らせる霞を無表情に見つめながら、淡々と霞を追い詰めていく。

「で、でもっ……それじゃ彼方が……!」

生涯を懸けて守ろうと誓った存在が奪われる恐怖に、霞はいとも容易く冷静さを失ってしまう。

もはや霞には提督に懇願するより他に道がないように思えた。

 

 

 

混乱と絶望に支配される霞を前に、提督が閉じていた口を再び開く。

「霞。今日一日で君は本当に変わったね。もちろん良い方向にだ。これは、その彼に感謝を伝えに行かなくてはならないだろう」

「……試すようなことして、ごめんなさい。この部屋に入ってきた時の貴女の顔を見たら、一目で朝までとは全然違う顔をしているのがわかったわ。でも、その覚悟の程は正確にはわからなかったから」

提督の言葉に続き、足柄が霞に対する非礼を詫びる。

「……は?」

霞の喉から掠れた声が漏れる。

「冷静に考えればわかるはずよ。深海棲艦を海岸まで侵入させてしまったのは私達。なのにその過失を民間人に押しつけ、あまつさえ年端もいかぬ子供を処分したとあってはこの鎮守府の面子は丸潰れよね」

足柄は悪戯をばらす子供のような顔でそう言うと、

「ーーそれにさっき。貴女は私達からもその子を守ろうと考えていたわよね?それがちょっと、寂しくてね」

ちょっと意地悪したくなっちゃったの、と苦笑混じりにそう繋げた。

「私達は艦隊ではあるけど、『家族』なの。私達は貴女がここへ来たときから、貴女も私達の『家族』だと思ってる。そして、貴女にもそう思って欲しいのよ」

瞳に優しい光を灯し、足柄は言う。

「貴女が辛い過去を背負ってここへやって来たのは知っているわ。だから、私達も貴女の心の傷が癒えるまではそっとしておくつもりだったし、必要以上に距離を詰めないようにしてきた」

だけどーーと、足柄が言葉を繋げようとしたその時、

 

 

 

「だったら、どうして今日は私を一人で鎮守府から放り出したのよ!?そんなの、『家族』なんかじゃないわ!」

霞は怒りを爆発させた。

足柄達がそんな風に考えてくれていたというのは、正直なところ嬉しいことだ。

しかし、今日の彼女達の行動と先程の言葉は、どうしても繋がらなかった。

 

 

 

『お取り込み中申し訳ありません、提督。準備が整いましたので、お知らせに参りました』

と、扉越しに声が聞こえてきた。

「大淀か、助かったよ。これ以上はもたないところだった」

提督は立ち上がると、扉に向かって歩き出す。

「霞。その答えはこれから食堂で見せよう」

 

 

 

大淀を先頭に、霞達は食堂へと向かって無言で歩く。

食堂の前に辿り着くと、大淀が霞に扉を開けるよう促した。

霞は納得いかない気持ちを持て余しながら、少し乱暴に扉を開け放った。

 

 

 

『霞(ちゃん)、私達の鎮守府にようこそ!』

食堂の中にいた清霜と朝霜、背後からは大淀と足柄、そして提督が、声を揃えて霞を歓迎した。

食堂は色とりどりに飾りつけがされ、奥の壁には

『ようこそ、霞ちゃん!』

と大きく書かれた横断幕が貼られている。

一日外へ放り出された理由はこれだったのだ。

霞は驚きのあまり声もでない。

 

 

 

この鎮守府に集まったのは偶然なのか何者かの意図なのか、霞が艦娘ではなく駆逐艦だった頃にとある作戦で行動を共にした仲間たちであった。彼女達は何度も危険を省みず霞を助けてくれた。その彼女達と今度は艦娘として同じ鎮守府の中で共に生活している。

敵ばかりだったはずの霞の周りには、気づけば味方しかいなくなっていた。

今日一日で、霞は愛しい人と家族を得たのだ。

暖かく幸せな気持ちに包まれる霞の隣で、思い出したように清霜が料理に集中していた顔を上げた。

 

 

 

「そういえば、霞ちゃんは彼方くんともうちゅーしたの?」

「「「ハァ!?」」」

足柄、大淀、朝霜がその言葉に素っ頓狂な声をあげる。

「あ、あああアンタ何言ってんのよ!?彼方とはまだそんなんじゃないわよ!」

「あはは、霞ちゃん顔真っ赤。分かりやすすぎー。そんなんじゃ戦艦になれないよ?」

「ちょっと、霞ちゃん!貴女さっきはそんなこと全然報告してなかったじゃない!ていうか8歳の男の子でしょ、その子!?」

色めき立つ周囲に、霞は振り回される。

 

初めて迎える賑やかな夜。

嬉しいような煩わしいような複雑な気持ちを抱えながら、霞の激動の一日は幕を下ろした。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

次回は第一章との間に起きた出来事を書きたいと思います。
それでは、また読んでくださると幸いです。


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彼方の選択

今回も読みに来て下さった皆様、本当にありがとうございます!
お気に入り登録してくださる方もいらっしゃって、本当に嬉しいです。
これからも頑張ります!


今回までが序章となります。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


「はぁ!?彼方を提督にする、ですって!?」

 まだ日が登ってそれほど時間もたっていない早朝、穏やかな空気が流れていた執務室に驚愕の声が響き渡る。

「そうだ。将来的にはね。もちろん、彼がそれを望むのであれば……の話ではあるが。」

 落ち着いた様子で返す提督に、霞は一度冷静になって考えを巡らせ、一つの推測に行き当たる。

「口封じってわけね?」

 先日、霞が彼方と出会い鎮守府に帰投してきた際の提督や足柄とのやり取りを思い出す。

 足柄も冗談めかして言っていたが、深海棲艦を見てしまった彼方を放っておくわけにはいかないというのは間違いないことなのだ。

 もし私達が動かなかった場合、最悪軍の情報部がいつの間にか手を回していて、気づけば手遅れになっていたーーという可能性もないとは言えない。

「有り体に言ってしまえばそうなる。彼が了承してくれれば……私は彼の後見人であり、緊急時には彼に提督代理の権限を与えていたと説明することもできる。彼の『提督』としての適性の高さは軍としても無視できるレベルではない。軍上層部に私に対して大なり小なりの不信感が抱かれるのは承知の上だが、彼のことを上に認めさせることくらいは何とかできるだろう。まぁ……もし彼に断られたとしても、先んじてこちらから彼を監視するための人材を派遣しておきさえすれば、大事にはならないさ。」

 確かにこれなら、どちらにしても鎮守府が後ろ楯についたことになり、実質的には処分を与える必要がなくなる、というわけだ。

「軍はどうとでもなる。私の管理責任は多少問われることになるだろうが、大した問題ではない。彼に対しては、私が直接会って話をしてみようと思う。今日の昼過ぎにお邪魔すると彼の母親には伝えてあるから、霞も同行するように」

 提督はそう言うと、霞に退室するよう促す。

 あの出会いから僅か数日。早くも訪れた再会の時に喜ばしい思いもないわけではなかったが、今回の目的は彼方を深海棲艦が蔓延る海に引きずり出すことだ。

 霞は浮かない顔で頷くと、退室しようと踵を返した。

「彼は我が国の未来にとって必要な人材だ。多少の痛手を負ったとしても、こちらの手元に置いておきたい。君の話を聞いた限りでは、色好い返事が貰えると思ってはいるが、彼はまだ子供だ。彼の母親の説得には必ず霞ーー君の力が必要となる。私に協力してほしい」

 提督はそう言うと、外出するための準備を始めた。

 霞は何と答えていいのかわからず、そのまま静かに執務室を後にした。

 

 

 

 正午過ぎーー霞は提督に連れられて、街の中心部に程近い位置にある屋敷へとやって来た。ここが彼方の住んでいる家らしい。

 二階建ての小ぢんまりとした家だ。良く手入れされた庭木と花が陽の光りを受けて美しく輝き、世話をしている者の内面の美しさを垣間見せている。

 提督が呼び鈴を鳴らすと、間もなく一人の女性が扉を開けて二人の前にやって来た。

「お久し振りです、樫木提督。ご壮健のようで何よりです。ーーどうぞ、お入りになって下さい」

 薄く茶色がかった髪を長く伸ばし、彼方と良く似た顔立ちをした女性は、そう言って柔らかな笑顔で二人を迎え入れる。

(この人が彼方のお母さんなのね……)

 やはり思っていた通りの綺麗な人だ。霞は緊張に堅くなる手足を懸命に動かし、彼方の家に入った。

 何とか家に入った霞の耳に、たったったと規則正しいリズムで足音が刻まれる。誰かが階段を降りてきたようだ。

「『霞』お姉ちゃん、来てくれたの!?」

 

 

 

「ひゃぁん!」

 数日ぶりに、霞は彼方に名前を呼ばれた。

 

 

 

 絶対に頭の可笑しい女だと思われた。不意に彼方に名前を呼ばれ醜態を曝すことになった霞は、死にたくなるほどの羞恥に襲われていた。

 提督と彼の母親は唐突に艶かしい声を上げる霞に目を丸くし驚いている。

 しかし、彼女は直ぐに納得したように彼方を流し見た。

「なるほど……。彼方に『提督』の資質があるっていうのは本当のようね」

 苦笑して暫く彼方を眺めた後、彼女は霞に微笑みかける。

「貴女が彼方を助けてくれたのね。本当にありがとう。感謝してもし足りないわ」

 

 

 

 提督と霞は、彼方と彼の母親と向かい合わせに座り、先日の事件についての説明を行っていた。

 彼が砂浜に毎日立ち入っていたことまでは聞いていなかったのか、驚いていたようだったが、その理由も説明すると彼女は納得がいったようだった。

 今回の件でもう砂浜には立ち入らないことを固く約束した彼方に微笑んで頷くと、彼女は表情を引き締めて提督に問いかける。

「それで……この子はどういった処分を受けることになるのでしょうか」

 彼方を守ろうとする強い意志が籠められた瞳に見つめられ、提督も居住まいを正して告げる。

「彼が望むのであれば……私は彼の後見人に就き、彼を提督にさせたいと考えております」

 その言葉に、彼方の母親は眉を潜めた。

「この子はまだ八歳です。そのような判断を下せるはずがないと思いますが。それに、この子は父親を海で喪っているんですよ?」

 びくりと、彼方が肩を震わせる。母親から飛び出した言葉に驚いたのだろう。彼方は気遣わしげに母親を見つめる。彼女の母親は優しい瞳で彼方を見つめ返し、彼方の手を握った。

 彼女の言うことは最もだ。やはり霞もそう簡単に飲み込める話ではない。

 出会って間もない霞でもそうであるのに、ましてや彼女は海で大切な伴侶を喪ったばかりの上に残された大切な一人息子なのだ。そのような提案を飲めるはずもないだろう。

 霞とて、護るべき対象を危険な場所に引きずり出す行為など、容易く認められるものではなかった。

「彼には、父親と同等かーーそれ以上の『提督』としての資質があると、私は考えております。彼の力は、私達人類に必要です」

 説得を続ける提督に、彼方の母親は厳しい視線を向ける。

 その母の様子を見ていた彼方がおずおずと口を開いた。

「お父さんは『ていとく』だったの?僕も『ていとく』になればお母さんを守ってあげられる?」

 

 

 

 霞は、彼方ならば恐らくそう言うだろうと思っていた。

 樫木提督は彼方の父親が『提督』であったことを意図的に仄めかしている。それは霞も彼方の母親も直ぐに気がついた。

 そして彼方がなりたいと望むーー母親を守ることができる存在になれるというのであれば、訳もわからず『提督』になりたいと言うに決まっていた。

「彼方、お父さんは確かに『提督』だったけど、お母さんは彼方に『提督』にはなってほしくないの」

 堪えきれないほどの深い悲しみを覗かせる瞳で、彼方の母親は彼方に語りかける。

「お父さんは『提督』だったから、もうお家には帰ってこられなくなっちゃったの。彼方も『提督』になったら、そうなってしまうかもしれないのよ?そうしたら、お母さんは今よりももっと悲しいわ」

 彼方の母親は必死に彼方を守ろうとする。

 しかし、母の愛情故の行動は、事このタイミングにおいては完全に悪手であった。

 

 

 

 彼方は、彼なりに母の想いをきちんと理解していた。

 その上で自分の無力さを痛感し、ただ守られるだけの自分に激しい憤りを感じている。

「……だったら、どうすればお母さんは笑ってくれるの?僕はどうしたら、お母さんを笑わせられるの?毎日、僕が寝た後お母さんが泣いてるのを僕は知ってる。僕がただ一緒にいるだけじゃダメなんだ」

 肩を震わせて彼方は声を絞り出す。

「僕がお父さんと同じ『ていとく』になれば、お母さんを守ってあげられる?……でも、僕が『ていとく』になったら、僕もお父さんみたいにお母さんと一緒にいられなくなるかもしれないんでしょ?僕は、どうしたらいいの……?」

 最後には嗚咽混じりとなり、彼方は膝を抱えて塞ぎ込んでしまった。

 彼の母親は、息子の慟哭に衝撃を隠しきれず、ただ茫然としてしまっていた。

 

 

 

「私が、彼方をどこへも行かせはしないわ!彼方は絶対に私が守ってみせる!彼方がお母さんを守るなら、その彼方を私が守る!」

 思わず立ち上がり、霞が声を上げる。

 しかし、この言葉だけでは彼方に届きはしない。彼はただ守られるだけの関係は望んでいない。

 それでは、母親が霞に入れ替わっただけだ。

 それを理解している霞は、更に言葉を紡いでいく。

「私、本当は深海棲艦と戦うのが怖くてたまらないの!怪我もするし、ひょっとしたら死んじゃうかもしれない。大切な仲間を失ってしまうのが何よりも怖い。……だけど、あなたが、彼方が隣にいてくらたら、私はーー」

 自分の弱さをさらけ出す霞は、彼方に懇願する。

「ーーお願い、彼方。私に勇気をちょうだい。あなたと一緒なら、私達はきっとどんなことだってできる。お母さんだけじゃない、沢山の人を笑顔にすることができる!」

 

 

 

「だから、私の『提督』になって!」

 

 

 

 結果としては、全て樫木提督の思惑通りに事は運んだ。

 彼方は将来『提督』になることを選択し、樫木提督は彼方の後見人となった。

 いいように操られた形になった、彼の母親は大層ご立腹のようであったが、息子の成長を見届けられたことで、幾分か晴れやかな表情で笑うことが出来るようになったようだった。

 霞は将来彼方が『提督』となった暁には、彼方の秘書艦となる約束を交わしたのだった。

 

 

 

 話し合いも終わり、帰ろうとする霞の下へ彼方の母親が近寄ってきた。

「家の息子を、よろしくお願いします。」

 頭を下げる姿に、逆に霞は申し訳なく思ってしまった。

 母としては辛い選択をさせてしまったーー後悔はないし、彼方を守り通すという誓いは確かなものだ。

 この信頼を裏切るわけにはいかないと決意を新たにする霞を見た彼方の母親は、引き締めていた表情を崩した。

「あの子の言い出したら聞かない頑固さは、父親譲りよ。女の子に優しいのもね。私も彼を手に入れるのはすっごく苦労したもの」

 すこし悪戯っぽく笑って、彼女は思いがけないことを口にした。

「あの子が『提督』になったら、それはもう大変よー?次から次へとライバルが湧いてくるわ」

 妙に実感の籠った言葉。

「もしかして、お母さんは…?」

「あら、もう嫁入り気分?まぁ、いいわ。ーーそう、私も元は艦娘だったの。『千歳』って、知ってるかしら?」

 今度からお母さんじゃなくて千歳さんって呼んでね?と笑顔で念を押され、霞は彼方の家を後にした。

 

 

 

「彼女とは、何度か共に戦場を共にしたことがある。優秀な空母でね。幾度も窮地を救われたよ」

 帰る道すがら、樫木提督は懐かしむように千歳さんのことを教えてくれた。

「今回は弱っていたところを不意打ちしたから勝利できたが、次はこうもいかないだろう。最も、次から彼女と戦うのは君だろうがね」

 恐らく最大の難敵になるだろう、と冗談なのか本気なのか判断がつかない言葉で締め括られた。

 

 

 

「私は、艦娘と人間が共に信頼しあい、本当の意味で力を合わせなければ深海棲艦には勝利できないと考えている」

 急に真面目な顔つきになり、樫木提督は霞を見つめた。

「君と彼方君には、その旗頭になってもらいたいと思っているんだ」

 

 

 

 数年後、樫木提督によって初めて提督と艦娘が共に学ぶことができる訓練校が設立された。

 その後一年という短い時間で樫木提督は病でこの世を去ってしまったが、今も多くの『提督』候補や艦娘達が訓練校にやって来る。

 多くの戦場を渡り歩き、正しく歴戦の艦娘となった霞は今、この訓練校で足柄と共に教鞭をとっている。

 

 

 

 あの出会いから十年、霞の下に待ちに待った人物がやって来る。

 少年から青年となった彼方は、霞の隣に立つために訓練校に入学した。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これにて序章は終了となります。

次は前回書こうと思っていた、空白の十年間の一部を書こうかな、と思っています。

また読みに来ていただけたら嬉しいです。


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第一章 約束を果たすために
再会


こんばんは。
読みに来てくださった皆様、本当にありがとうございます!
お気に入りにもとうとう10名の方にご登録していただけまして、本当に嬉しいです。
感想や、指摘、評価なども引き続きお待ちいたしております。


さて、今回から本編のスタートとなります。
霞だけではなく、沢山のヒロインが登場する第一章。
楽しんでいただければ幸いです。


「母さん、それじゃあーーいってくるよ」

 さらさらとした薄茶色の髪にたれ目がちの瞳ーーかつての少年の印象を残しつつ、白い軍服に身を包み瞳に確かな自信を宿す青年ーー朝霧 彼方(あさぎり かなた)は、不安げに自分を見つめる母ーー朝霧 千歳(あさぎり ちとせ)に暫しの別れを告げる。

「彼方ーー身体には気をつけてね。霞ちゃんの言うことをよく聞いて、立派な提督になるのよ?」

「わかってるよ。母さんも身体に気をつけて」

 心配そうに見送る千歳に微笑みかけ、彼方は長年暮らしてきた我が家から清々しい気持ちで旅立った。

 

 

 今日この日より、彼方は父と誓った約束を果たすため、そして霞との再会の約束を果たすために、彼の後見人であった樫木 重光(かしき しげみつ)が設立した訓練校へ入学することになっていた。

 その訓練校とは、提督候補と駆逐艦を主とした艦娘とが同じ学舎で学習することができるという、今までになかったタイプのものだ。

 提督と艦娘の信頼を何よりも重視し、相互に深く理解し合うことを目的に設立されたこの訓練校は、かつての樫木提督の鎮守府を改築して造られている。

 雪のように桜の花びらが舞い散る中、彼方は桜並木を歩く。

 周囲で彼方と同じ方向へ歩いているのは、提督候補だけのようだ。彼方は彼らが自分と同じ軍服を身につけていることから、そう判断した。

 艦娘達の姿が見られないのは、この訓練校で学ぶ艦娘達の多くがこの訓練校の工廠から建造される為だ。

 工廠というのは妖精達が管理する、艦娘を建造する施設だ。

 その場所に必要だと思われる艦娘が、必要だと思われる時に妖精達によって選ばれ建造される。妖精とコミュニケーションを取るのはほぼ不可能であるため、いつどんな艦娘が建造されてくるのか全く予想ができない。

 しかし、この鎮守府が訓練校となったその時より、ほとんどの駆逐艦がここで建造されるようになった。

 それは、妖精達によりこの施設が艦娘達にとって有益であることを証明された形となる。

 今では『提督』の資質を持つ者達の多くが、この訓練校に入学するようになっていた。

 

 

 

 校舎の中へと入り、新入生の教室へとやって来るとそのにはある種異様な光景が広がっていた。

 提督候補は、男女共に18歳以上となってからこの訓練校に入学する。

 対して艦娘は、小学生ーーよくて中学生といった少女達ばかりだ。

 予想はしていたが、彼方は初めて見るその光景に少々面食らってしまった。

「お?お前も驚いただろう?天国だよな、ここは」

 隣から陽気な声が聞こえてきた。振り向くと、心底嬉しそうな顔をした青年が目に入った。

「こんな子達と一緒に勉強できるなんて、幸せだよな!」

 周りの艦娘達から浴びせられる冷たい視線に気づいているのかいないのか、暢気なことである。

「あ、俺は日引 太一(ひびき たいち)!これからよろしくな!」

 青年は陽気な笑顔で手を差し出してきた。

 陽気なこの青年のお蔭で、彼方は肩の力を抜くことが出来ていたことに気がついた。それを意図してのことだったとすると、中々に侮ることが出来ない人物かもしれない。

「僕は朝霧 彼方。これからよろしく」

 彼方はその手を握り返した。

 

 

 

 今日はまず講堂で入学式をするそうだ。

 彼方達は教官が迎えにくるまで教室で待機することになっている。

「ここの校長って、若くて美人でしかも凄腕の女性提督なんだってさ。彼方、知ってたか?」

 やはりただの女好きなのか、興味津々な様子で聞いてくる太一に彼方は苦笑する。

 現在の校長は樫木 重光の孫娘である、樫木 楓(かしき かえで)だ。病気で亡くなってしまった重光を引き継ぎ、今は楓が彼方の後見人となっている。

「美人なのは間違いないよ。怒らせると怖いけど……」

 彼方は彼女に叱られたことを思い出して身震いした。

 

 

 

 彼方がまだ中学生だった頃、教艦として訓練校で働きだして間もない霞と直接会うことが中々出来なかった彼方達は、手紙でお互いの近況をやり取りしていた。彼方の写真がほしいという霞に、彼方は修学旅行の写真を送った。その写真は山々を紅葉が彩り、旅行中に撮った写真の中で最も美しい風景が撮れていた。しかし、彼方の隣には中学生とは思えないほどの豊満な肉体をもった金髪の美少女が満面の笑みで立っている。霞の写真を見たときの取り乱し様は想像を絶するものだったらしい。

 霞が取り乱して間もなく彼方に電話がかかった来た。

『もしもし、彼方くん?楓だけど。単刀直入に聞くけど、あなた死にたいのかしら?』

 抑揚のない声で問いかける楓。突然の死の宣告に彼方は訳もわからず混乱することしか出来ない。

『霞ちゃんがいるのに彼女作るとか、この鎮守府に対する宣戦布告以外の何物でもないわよ。どういうことか、きちんと説明してくれるわよね?』

 ことと次第によっては……と不穏な言葉が続けられる。

「いえ、彼女なんて作ってないですよ!?」

 見に覚えのない彼方は直ぐ様否定した。

『だったら、彼方くんの隣の娘は何なのよ。友達にしては距離が近すぎるでしょう。霞ちゃんがちゃんと納得出来るように説明して頂戴』

 変わらない聞く者を凍えさせるような声に、彼方は冷や汗をかいた。

「あ、あの時は……えっと」

 しどろもどろになりながら彼方が事情を説明しようとしていると、受話器から涙声の少女の声が聞こえてきた。

『……彼方、この人は彼方の彼女なんじゃないの?』

 悲壮な雰囲気に包まれた霞の声。

 彼方は先程の比ではない程に狼狽えた。

「霞姉さん?ご、ごめんね!僕が悪かったよ!」

 楓は霞に受話器を渡したようだ。

 とにかく霞を傷つけてしまったことを謝り、彼方は事情を説明することにした。

「その子は、僕と同じでお母さんが元艦娘なんだ。それで、たまたま仲良くしてくれてるだけなんだよ」

 その言葉に霞は、ピンと来るものを感じた。

『彼方……その娘のこと、名前で呼んだんでしょ』

「えっ……あー、うん。名前で呼ばないと怒られちゃって……」

『……やっぱり』

 その少女は艦娘としての特性を生まれつき強く受け継いでいるのだろう。そのため、彼方の『提督』としての資質に強く惹かれたのであろうと霞は推測した。

 しかし、自分の我が儘で彼方から友達を奪うような真似はしたくはない。悩む霞から楓が受話器を奪い取った。

『もしもし、彼方くん?あなた、金輪際その子の事を名前で呼ぶの禁止ね。でないとあなたを深海棲艦の餌にするわ』

「えっーーで、でも……」

『彼方くんに選択の自由はない。これはお願いじゃないの、脅迫よ』

 脅された。楓の本気の声音に彼方は心臓が縮み上がる思いだった。

『ーーそれと、今すぐ訓練校に来なさい。しっかりお洒落してからね』

 そう命じられ、理由を聞くことも許されず唐突に電話は切られた。

 彼方は言われた通りに訓練校の正門前に向かうと、そこには霞がカメラを手に待っていた。

 教艦服に身を包んだ霞は、改二となっていたこともあって、初めて出会った時よりも随分と大人びて見えた。

 見とれて惚ける彼方と同じように頬を赤く染めながら、霞が恥ずかしそうにはにかむ。

「あの……彼方、一緒に、写真……撮ってくれるかしら?」

 

 

 

 二人で撮った写真は今でも大切に持っている。きっと霞もそうしてくれているだろう。思い出して頬を緩める彼方を見ながら太一が興味深げに頷いた。

「ただ者じゃないと思ってたけど、まさか校長と知り合いだったとはな!しかもそのだらしない顔、こりゃ美人で優しいお姉さんタイプに決まりだな!」

 勘違いをして有頂天になっている太一を適当にあしらっていると、ノックと共に二人の教艦服に身を包んだ女性が教室に入ってきた。

 

 

 

 波が引くように教室が静まりかえる。

 それは、教室にいたほぼ全員が教壇に立つ女性の放つ圧倒的な覇気を感じたからに他ならない。

 彼方は、ついに果たした再会の約束に胸を震わせる。

「今日からアンタ達の教練を担当する、朝潮型駆逐艦ーー教艦の霞よ!私がアンタ達を一年間みっちり鍛えて、実戦で戦っていける一端の提督と艦娘にしてあげるわ!」

 霞は教室を一通り見回し、更に告げる。

「この訓練校は、人間と艦娘が共に生活し、信頼を築き上げるために設立された。お互いに敬意を払ってよく学び、助け合うこと!相手を見下すような言動をするクズにはーー」

 霞から発せられるプレッシャーが急激に強まる。

 

 

 

 恐怖に震えあがる生徒達を見て霞はにやり、と凄惨な笑みを浮かべた。

「ーー地獄を見せてあげるわ。更生するまでーー何度でもね」

 

 

 

 しんとした沈黙が教室を支配する。

 ーー鬼教艦。生徒達の内一人を除いた全員の頭にその三文字が過る。彼方だけは本当の霞を知っていたため、そのプレッシャーに臆することなく、むしろ霞の期待に応えようと決意を新たにしていた。

 その様子を一人の女性が意味ありげに見つめていたことに、彼方は気づかない。

 

 

 

「あら、皆さん固まっちゃってますね。大丈夫ですよ、霞教艦はとっても教え子想いで、優しいですから。ねっ?」

 先程まで黙って話を聞いていたもう一人の教艦服の女性が霞の隣に立った。

「……ふんっ。アンタと一緒だと、やりづらいったらないわね!勘違いしないで。私は優しくしてあげるつもりなんてこれっぽっちもないわよ!」

 素直に認めようとしない霞をからかうような目で見つめていた女性は、生徒達へと向き直った。

「さて……私は香取型練習巡洋艦二番艦、鹿島です。主に提督さん達の教練を担当します。このクラスの副教艦ということになってますから、分からないことがあったら何でも聞いてくださいね?」

 銀髪のツインテールに悪戯っぽい表情。つり目がちの目に愛らしい男を蠱惑するような声音。まさに小悪魔と言った風体の艦娘である。

「天使だ……」

 何処からともなく呟く声が聞こえてきた。

 鹿島はにこりと笑うと、元いた位置へと戻っていった。

 鹿島の自己紹介ににわかに浮き足立った教室に、ぱんぱんと乾いた音が鳴る。

「はいはい!じゃあ講堂に移動するわ、ついていらっしゃい!」

 霞の言葉に我に返った生徒達は、霞に急かされながら講堂へと移動を開始した。

 

 

 

 先程までの喧騒が嘘のように静まり返った教室に、一人の女性が佇んでいる。その女性は、彼方がついていた席までゆっくりと歩いていく。

 彼方の机を指先で優しく撫でる女性の瞳は情欲に濁り、怪しげな光を湛えていた。

「みぃつけた」

 深い情愛を籠めて、歌うように鹿島が囁く。

 名残惜しそうに机から指を放した鹿島はくすくすと笑いながら教室を後にした。




ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

清純な鹿島さんが好きな方、本当に申し訳ありません!
うちの鹿島さんはちょっとヤンデレ混じりな感じになりそうです……。

それでは、次回も読みに来ていただけたら幸いです。


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教艦と副教艦に挟まれて

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!
沢山の方に読んでいただけて、本当に嬉しいです。
お気に入りに入れてくださった方や、評価をしてくださった皆様にも、本当に感謝です。
引き続き、どんなことでも結構ですので、ご指摘、感想等お待ちいたしております。

それでは、本日も少しでも楽しんでいただければ幸いです。


 彼方達が入学し、そろそろ一月が経とうとしていた。

 霞の教練は苛烈を極めた。実戦に則した霞の訓練は、常に体力の限界ギリギリまで彼方達を追い詰め、徹底的に生き抜くこと、諦めない思考を身に付けさせる。

 霞の絶対的な教えはただ一つ。『死なないこと』だ。

 生き延びた結果無様に生き恥を晒そうとも、生きていなくてはもう深海棲艦と戦うことは出来ない。そもそも数で劣る艦娘と提督は、より多くの深海棲艦を討たなければ勝利することなど出来はしない、ということだ。

 

 

「っかー。今日もきついぜ。なぁ、彼方?」

 シャワールームで汗を流した太一が、先に汗を流して教室に戻ってきていた彼方に話しかけてきた。

 彼方は激しい訓練による疲労のため、ダルそうに椅子に腰かけたまま、振り向くだけで太一に反応を返す。

「バテてんなー。思ったんだけどさ、彼方って『霞ちゃん』に嫌われてんの?」

 霞が彼方には特に苛烈な訓練を課していることを差して、太一はそう判断したのだろう。

 訓練が厳しい理由は、卒業後直ぐに霞の提督となるために、他の生徒達に文句を言わせないだけの実力が必要であるからだ。それに加え、とある理由により最近は霞の機嫌が最悪なせいでもあった。

「『霞教艦』、だろ」

 霞を揶揄するような太一の物言いに、彼方は即座に訂正を要求した。

「なんだよ、いいじゃんか。本人に直接言うわけでもあるまいし。それに、ほら。霞教艦ってちっちゃいのにせかせか頑張ってて可愛いだろ?ぴったりだと思わないか?」

「霞教艦が可愛いのは知ってる」

 今度は即座に肯定する。

 なんだ、彼方ってMだったのか。仲間だな!と笑いながら彼方の隣に腰かけた太一は、急に彼方に顔を近づけてきた。その顔は真剣そのものだ。

「まぁ、それはいい。問題はーー彼方って、鹿島教艦から甘やかされ過ぎじゃね?超羨ましいんだけど!」

 

 

 

 ーーそうなのだ。何故か分からないが、鹿島は彼方に優しい。甘やかされていると太一は評したが、まさにその通りだと彼方も思っている。

訓練後の休憩中等は、必ずと言っていいほど彼方の隣にやって来ては世話を焼きたがるのだ。しかし一月近くも経つと、その異様な光景にもクラスメイトは慣れてきたようだった。

「日引君、ちょっといいですか?」

 鈴の鳴るような声に顔を上げると、いつの間にやって来たのか噂の張本人が立っていた。

「あ、はいッス。すいません」

 太一は慣れた様子で席を立ち、彼方に『頑張れ』と手を振りながら離れていった。

 ーー日引君、ちょっとそこを退いてくださいませんか?邪魔なので。ーー鹿島は太一に暗にそう言っていたのだ。

 太一に一瞥もくれることなく、鹿島は先程まで太一が座っていた椅子に腰かける。

「お疲れ様でした、朝霧くん。大丈夫ですか?」

 心配そうに鹿島は彼方の顔を覗きこんできた。

 その瞳は濡れたように潤み、きゅっと噛みしめられた唇は、彼方の身を真剣に案じていることを窺わせる。

「はい、大丈夫ですーーありがとうございます、『副教艦』」

 彼方は彼女の名を呼ぶことはしない。

 眉を下げ、露骨に残念そうな顔をして鹿島は俯いてしまった。

 事ある毎に鹿島は彼方に名前を呼ばせるように仕向けてくる。

 そして、彼方が名前を呼ぶとーーとても嬉しそうに笑うのだ。くすくすと。あどけない少女のようなその表情を見るたび、彼方は酷く居心地の悪い感覚に襲われる。

 もう彼方とて子供ではない。鹿島の瞳の奥深くに何が潜んでいるのか……想像できないわけではなかった。

「もうーー鹿島教艦って呼んでくださいって、いつも言っているじゃないですか。寂しいですよ?」

 食い下がってくる鹿島に、仕方なく彼方はいつものように答えを返した。

「何度も言っていますが、校長命令でむやみやたらに艦娘の名前を呼ぶなと厳命されているので……すみません」

 

 

 

 入学直後、自分の『提督』としての資質を深く理解していなかった彼方は、自己紹介を受けたクラスメイトの艦娘を名前で呼んでしまった。強引に艦娘の力を引き出そうとする彼方の『提督』の資質により、クラスには小さな混乱が生じた。名前で呼ばれた内の一名が彼方と高い親和性を示し、非武装状態だったにも関わらず、溢れだす力に無意識に艤装を展開してしまったのだ。

 楓は直ぐ様彼方に艦娘をむやみやたらに名前で呼ばないよう厳命した。

 

 

 

「……もうっ、それを言われるとこちらも引くしかないじゃないですか」

 不満げな鹿島に愛想笑いを返す彼方。最近は毎日のように繰り返されている光景だ。

「……朝霧、随分と余裕があるみたいね?」

 そしてその光景が霞に見つかり、霞の機嫌が著しく悪くなるまでが一連の流れ。とばっちりを受けたくない生徒達は我関せずの姿勢を貫き、彼方は霞の機嫌を取るのに必死になる。

「今日の教練が終わったら、教艦室に来なさい」

 どうやら我慢の限界か。ついに彼方は教艦室に呼び出された。

 

 

 

「……で、アンタ一体どういうつもりで彼方に近づいてるの?今のアンタの行いは彼方にとって不利益にしかなっていないこと、わかってないわけじゃないでしょ?」

 彼方が教艦室にやってくると、鹿島と霞が険悪な様子で対峙していた。

「そうでしょうか?私はそうは思いませんけど……」

 眉を吊り上げ怒る霞と、いつものように微笑を浮かべる鹿島。対称的な様子の二人に、彼方は声をかけた。

「すみません、遅くなりました」

「あ、朝霧くん!いらっしゃいませ。教艦室に入るのは今日が初めてでしょう?ここが私達の席ですから、いつでも遊びに来てくださいね?」

 ほら、座って座って。と鹿島に用意されていた椅子を差し出される。おずおずと彼方が腰かけると、

「彼方、実際あなたはコイツのことどう思ってるの?」

 早速霞が問いかけてくる。

「副教艦にはよくしてもらってると思ってるよ。だけど……正直、困ってる部分もある」

 現状鹿島の関心はその大部分が彼方だけに向かっていると言っても良い。

 教艦としてそれは当然望ましくない。

 生き過ぎた依怙贔屓はする側にもされる側にも良い結果を生まないのはわかりきったことだ。

 今現在彼方に近づこうとするクラスメイトは太一ただ一人となってしまっていた。

「ほら見なさいな!生徒が困ってるって言ってるのに、アンタはその態度を改める気はないの?」

「ありません」

 したり顔で問い詰める霞に、鹿島は今まで浮かべていた微笑を消して即座に否定した。

「朝霧くんは、私の『提督』さんになってくれる人ですから」

 確信を持ってそう告げる鹿島に、二人は驚きを通り越して困惑するしかない。

「霞ちゃんが先に朝霧くんを見つけていたからといって、そんなの関係ありません。朝霧くんは、私をあの深い深い水底のような場所から救いだしてくれたんです。あの日ーーあなたがあの『朝霧 彼方』くんだと一目見てわかったときから、私は決めてたんです」

 鹿島の話は抽象的過ぎて要領を得ない。

 困惑する彼方の様子を見た鹿島は、問い詰めようとする霞に構わず彼方に向き直った。

 

 

 

「朝霧くん。私と霞ちゃんは、昔同じ鎮守府にいたことがあるんですよ」

 昔を懐かしむとは到底表現出来ない複雑な感情を覗かせるその瞳は、先程とは別人のように暗く濁っていた。




ここまで読んで頂きまして、本当にありがとうございます。

今回は少し短めとなってしまいましたが、今夜にでも続きが投稿できるかもしれません。

もしよろしければ、また読みに来ていただけると嬉しいです。


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羨望

おはようございます!
朝になってしまいましたが、投稿します。

最近本当に沢山の方が読みに来てくださって、毎日が楽しいです。
お気に入りに登録してくださっている方も24名様となり、UAも1000人を突破いたしました。
本当に感謝です。



今回は鹿島の過去話となります。
それでは、今回も少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


 鹿島は練習巡洋艦だ。仲間である艦娘を効率よく鍛え、戦地へと送り出すのが仕事だった。

 ある時鹿島は大本営の命を受け、艦娘の損耗が特に激しいとされていた鎮守府へと派遣された。

 その鎮守府の提督は艦娘を兵器として扱い、無理な進撃を繰り返しては傷つく艦娘を切り捨て、深海棲艦の殲滅だけを自分の使命と考えていた。

 鎮守府へと着任した鹿島に与えられた命令は、昼夜を問わずとにかく迅速に艦娘を鍛えること。

 命令に逆らうことが出来なかった鹿島は、せめて戦地で仲間が失われないよう精一杯艦娘達を鍛えた。

 しかし、帰ってくる艦娘はいつも出撃時よりも少なかった。どれだけ鍛えても、限界を迎える艦娘が生じない限り撤退の指示がされないからだ。

 暗く沈んだ様子で戻ってくる仲間達。

 鹿島は何のために自分が存在しているのか疑問に思わずにはいられない。これでは艦娘を沈めるために鍛えているようなものだった。

 そんな日々を過ごしていたある日、初めて出撃した艦娘全員が帰ってきた。

 一隻の駆逐艦が提督の命令を無視して、傷ついた艦娘の救助を優先したらしい。

 最近鎮守府へと着任してきたその駆逐艦は、更に命令を無視し続け、仲間の艦娘を救い続けた。

 その度重なる命令違反に提督は腹を立て、その艦娘を鎮守府から追放した。

 また暗澹とした日々が戻ってきた。

 送り出した艦娘が帰ってこない。

 今度は練度の高い艦娘達からいなくなった。

 あの駆逐艦に感化された艦娘達は、我先にと傷ついた艦娘を庇って散っていく。

 この鎮守府には既に近海を守護するだけの力すらもう残っていない。

 派遣されてくるのは訓練校上がりの駆逐艦ばかり。

 工廠の妖精などもう長いこと姿すら見えない。

 もう鹿島は仲間を笑顔で見送ることすら出来なくなっていた。

 ーー『解体』の希望を出そう。

 そう決意した鹿島は、提督の執務室にやってきた。

 入室の許可を求める鹿島の声に提督が応える。

 

 

 

「何の用か知らんが丁度お前を呼ぼうと思っていた所だ。明日、あの忌々しいジジイと対抗演習をすることになった。この鎮守府の未来を賭けた大事な演習だ。負けることは許さん。沈んでも構わんから必ず相手を仕留めろ」

「……は、え?」

(対抗演習?私が?どうして?)

 混乱する鹿島に提督が痺れを切らして怒鳴り付ける。

「今となってはこの鎮守府で最も練度が高いのはお前だ!私だって本当はお前を使いたくなどない。ろくに育てることもできない能無しめ!」

 提督から叩きつけられる言葉の前に、鹿島は解体を希望しようとしていたことなどもはや忘れてしまっていた。

 よろよろと幽鬼のように執務室を退室した鹿島は、自室に戻るとそのまま崩れ落ちるように倒れた。

 

 

 

 翌日、鹿島は提督に連れられ演習場にやって来た。

 そこには、三人の先客が二人を待っていた。

 立派な髭をたくわえた老練な提督と、すらりとした長身に長い黒髪が美しい艦娘。そして、もう一人はかつての命令違反常習者の駆逐艦だった。

「霞……ちゃん?」

 思わず見覚えのあった艦娘の姿に声が漏れる。

 しかし、その姿は鹿島が鍛えていた頃とは全く重ならない。覇気に満ち溢れるその表情に、鹿島は強い違和感を覚える。

 霞は黙って睨み付けるようにしてこちらを見ている。

 その目に何故か後ろめたさを感じて、鹿島は目を逸らした。

 

 

 

 対抗演習は、お互いの艦娘一人ずつを選んでの一騎討ちだ。

 提督はもちろん鹿島を選択した。

(霞ちゃんなら、戦い方も知ってるし……何とか私でも勝てると思う、けどーー)

 あの変わりように少々の不安はあるものの、鹿島はそれほど霞に驚異は感じなかった。

 銀髪のサイドテールを揺らし、少女が前に出る。

(よかったーーこれなら)

 鹿島は無意識に安堵した。その様子に霞が眉をひそめる。

 

 

 

 霞は駆逐艦としては飛び抜けて性能が高いわけではない。

 戦闘センスも、一部の突出した才能を感じさせる駆逐艦に比べれば平凡だ。

 自分に負ける要素は無い筈だ……そう鹿島は自分に言い聞かせた。

 合図と共に二人は同時に動き出す。

 速度で劣る鹿島は、射程距離に勝る。

 中距離より放たれる狙い澄ました砲撃を、霞は速度を活かしギリギリで回避する。

 近距離からしか砲撃することができない霞は、どうにか鹿島の懐に飛び込む必要があった。

 しかし、進行方向を妨げるように砲撃を行う鹿島はそれを許さない。

 お互いに決定打に欠ける攻防が続く。

 鹿島は理解している。霞は基本に忠実だ。恐らく勝負を仕掛けてくるのは、夜戦に切り替わったタイミング。

 駆逐艦の長所を最大限に活かした行動を取ってくると鹿島は読んでいた。

(だったら、私が霞ちゃんに勝つためには……)

 鹿島は牽制を行いながらチャンスを待つ。

 鹿島の脳裏に、縦横無尽に動き回る霞の姿が映し出される。鹿島が飛ばしていた水上偵察機からの映像だ。

 霞が加速しようとするタイミングに合わせ、鼻の先に砲撃を放つ。霞は慌てて急停止し、バランスが崩れた。

「当たって!」

 偵察機からの補助を受け、完璧なタイミングで完璧な精度の射撃を行う。

 避けようのない砲撃に、霞の戦慄が手に取るようにわかった。

 着弾の瞬間ーー霞が爆発した。

 轟音と共に巨大な水柱が上がり、辺りが水飛沫と水蒸気に包まれて何も見えなくなる。

「霞ちゃん!?」

 まさか魚雷に直撃して爆発したのか。

 もうもうと上がり続ける水蒸気に鹿島は動揺を隠せない。

 動揺する鹿島には足元に迫る白い軌跡に気づくことが出来なかった。

 霞は被弾する直前に、鹿島の放った夾叉弾に紛れ込ませる形で魚雷を放っていたのだ。

 直後に爆発ーー鹿島の下にも水柱が立ち上る。

 余りの衝撃に、鹿島は意識を手放した。

 

 

 

 鹿島が目を覚ますと、傍にはボロボロの姿になってしまった霞が座り込んでいた。

 鹿島が目覚めたことに気がついた霞は、

「アンタ達はクビよ。これでもう……泣かなくても済むようになるわ」

 再就職先は用意してあげる。と言って笑った。

 どうやらこの鎮守府は、戦力の著しい低下により海域の守護が困難だと判断され、現在の霞が着任している鎮守府に代わりにここの海域も守護するよう命が下ったらしい。その命を不服に思ったのか、提督は演習で勝った方が鎮守府のトップに立つと言う賭けを持ちかけてきたそうだ。

「私、負けちゃったんですね」

「そうね、何とか勝てて良かったわ」

 実際霞も当たり所が悪ければ鹿島の一撃によって倒れていたことだろう。

 偶々霞の左腕に残った魚雷の一本に命中し派手に爆発を起こしたものの、その衝撃に弾き飛ばされる形で吹き飛んだ霞は、ギリギリ意識を保っていた。

「どうして、こんな短期間であそこまで強くなれたんですか?」

 鹿島は不思議でならない。数ヵ月前まで、鹿島と霞の練度は大きく開いており、万に一つも霞に勝ち目はなかった。

「……私ね、鹿島さん。護りたい人が出来たの」

 この鎮守府に着任していた頃の呼び名だ。

「護りたい人……?」

「そう。あの子がいたから今の私がある。」

 

 

 

「朝霧彼方。私の大切な人。」

 大切なものを抱き締めるような霞のその姿に、鹿島は魅せられる。

 そこに、かつての傷つき涙を堪えていた少女の姿はない。

『朝霧 彼方』とは一体どんな人物なのだろう。

 私もその人に会えば、霞のように強くなれるだろうか。

 鹿島はその人物に強く興味を持った。

 結局鹿島は解体を選ぶことはなかった。

 

 

 

 鹿島は霞と共に樫木提督の設立した訓練校で教鞭をとることになった。

 この訓練校では、昔のように艦娘を悲しみの涙でもって見送ることなどない。充実した教艦生活に、鹿島は満足していた。

 しかしーーある時鹿島は見てしまった。

 校門で霞と仲睦まじく写真を撮っている少年の姿。

 遠目からなのでその顔はよく見ることはできないが、霞の様子からすぐに彼がそうだと直感した。

『朝霧 彼方』

 隣にいる霞の何と幸せそうなことかーー。

 私も彼が欲しい。私も彼の隣に立ちたい。その顔を間近で見せて欲しい。鹿島はそう思わずにはいられなかった。




最後まで読んでくださってありがとうございます!

戦闘描写って難しいですね……。
この先も何戦も控えているし、頑張って考えます……。
矛盾点、ここがおかしいなどありましたらよろしければご指摘下さい。


それでは、また読みに来ていただけると嬉しいです。


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嫉妬

いつも読みに来てくださって本当にありがとうございます。
お気に入りに入れてくださっている方が30名を突破しています!?
本当に感謝です!

それでは、今回も少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


彼方は鹿島の過去に衝撃を受けた。

今でこそ、こうしていつも微笑を浮かべているが、当時は本当に辛い思いをしていた筈だ。

その辛さは彼方の想像を絶するものだろう。

黙りこみ、沈痛な表情を浮かべる彼方の手を鹿島がそっと握る。

「朝霧くん、大丈夫ですよ。私は今、とっても幸せです」

優しい声音で彼方の手を撫でる鹿島に、彼方は思わず顔を上げた。

「私をあの暗い水底のような場所から救い出してくれたのは、貴方なんです。あの時、ああして霞ちゃんと戦って負けていなければ、今の私はありません。貴方と出会い、強くなった霞ちゃんに負けていなければ、私は解体を選んでいたんですから」

だから、私を救ってくれたのは、朝霧くんなんですよ。鹿島は再度念を押すようにそう言った。

今の話を聞いてしまった以上、彼方に鹿島を以前のように拒絶することはもうできそうになかった。

自分が救ったかどうかはさておき、鹿島は疑いようもなくそう信じている。

その気持ちを裏切るような行いは、例え腑抜けだと罵られてもしたくなかった。

「鹿島教艦ーーありがとうございます。もう大丈夫です」

彼方は名前を呼ぶことで鹿島の気持ちに一定の理解をしたことを示す。

名残惜しそうに手を離した鹿島はーー

「ぁ……ふふっ。ありがとうございます。やっぱり朝霧くんは、素敵ですね」

少し頬を赤らめ、熱に浮かされたような表情でそう呟いた。

 

 

 

「はぁ!?急に何なのよアンタ達!ちょっと、彼方!?」

目の前に繰り広げられるあまりの光景に茫然としていた霞はが漸く我に返る。

今回、鹿島を彼方から引き離そうと考えていた霞は、逆に二人の距離が近くなっていることに焦りを隠せない。

「ごめん、霞姉さん。ーーでも、今の話を聞いてしまったら、僕は鹿島教艦をあまり無下に扱うことはできそうにない……」

彼方の性格を考えればそうだろう。

だが、それでは生徒達への示しもつかないし、何より霞の大切な場所を奪い取ろうとする鹿島を認めることなど出来はしない。

何とか彼方を説得しようと慌てふためく霞に、鹿島は勝ち誇るように告げる。

「あの時は負けちゃいましたけど、今回は負けるつもりは毛頭ありません。今はまだほんの少し近づくことを許してもらえただけですけどーー卒業後、朝霧くんの隣に立つのは私です」

霞に対する明確な宣戦布告。

「えっ?いや、僕は霞姉さんを秘書艦にするためにこの訓練校に……」

彼方はすぐに否定しようとするが、

「もうっ!これからは、私も秘書艦にしてもらえるように頑張らせて下さいってことです!それとも……朝霧くんは、そうやって努力することも許してくれないの……?」

鹿島は瞳を潤ませ彼方の腕を抱き込み、それを許さない。

柔らかな感触に包まれる右腕に、彼方は動揺してしまった。それを見た霞が顔面蒼白となり、声を上げようとするがーー

「……そろそろいいかしら?」

唐突に彼方の後ろから声がする。

「彼方くん、退室なさい。今すぐに」

顔を見なくても解る凛と響く声に、彼方は震え上がる。

慌てて席を立ち、彼方は教艦室を飛び出した。

 

 

 

「神聖な学舎で。生徒の模範たる教艦が。あろうことか男の取り合い。しかも相手は男子生徒ですって?」

面白い冗談ね。と提督服の女性が吐き捨てた。

「……こ、校長。これは……ち、違うんです!」

鹿島は必死に弁明しようとするが、一部始終を見ていたらしい楓には通用するはずもない。

霞は既に諦めたように彼方が飛び出していった扉の方を眺めていた。

「貴女達に処分を言い渡します」

ーー終わった。霞と鹿島の心が絶望に染まる。

「訓練中は彼を他の生徒と同様に扱いなさい。厳しくする分には構わないけど、甘やかすのは言語道断。用もないのにわざわざ傍に行かないこと。これらは本来教艦としては当たり前の話だけど。まぁ、それをきちんと遵守すればーー」

 

 

 

「ーー休日は自由に彼と過ごす許可をあげるわ。彼の後見人としてね」

思いの外軽い処分に面食らう。

寧ろ言うことを聞けばご褒美までついてくるとは。これは大人しく従った方が得策だと二人は考えた。

彼方の知らないところで、彼方の後見人と教艦達の間に密約が交わされたのだった。

 

 

 

あの日以来、鹿島は妄りに彼方に近づいて来なくなった。態度も他の生徒に接するものと同様になり、漸く彼方の学校生活に安寧が訪れた。

危険が解消されたことで、もともと彼方に興味がない訳でもなかったのか、少しずつクラスメイトの艦娘達とも話が出来るようになっていった。

 

 

 

ーー休日の朝。

彼方の部屋にそっと侵入してくる者の姿があった。

その者は、ゆっくりと歩いて彼方の傍らに立つ。

「朝霧くん、まだ寝てます?」

囁くように彼方を呼ぶ甘い声が彼方の耳をくすぐる。

「こんなに近くで寝顔が見られるなんて……今日はラッキーですね。グーを出して正解でした」

彼方はまだ目覚める様子がなかった。

部屋に何者かが侵入して来たのに眠っているなど、鹿島が刺客であったらとうに死んでいるところだ。

ふと机に目を向けると、そこには霞と二人で撮った写真が飾ってあった。

恥ずかしそうにはにかみながら写る二人の姿。

今よりも少し幼い顔立ちの彼方は、鹿島には見せたことのない顔で微笑んでいた。

写真を見ている鹿島の目には、霞の姿など映っていない。

 

 

 

ーー鹿島は霞のことが嫌いだった。

大した力もない癖に自分勝手に仲間を助けて、勝手にいなくなった霞。

彼女の目に余る傲慢さは、それに影響された多くの仲間を沈めていった。

霞さえやってこなければ……そう思ったことも何度もある。

仲間を失いすぎた鹿島には、日々を生き抜くために憎しみをぶつける対象が必要だった。

そんな日々にも限界が訪れた頃に現れたのが彼方を得た霞だ。

鹿島は霞に負けるつもりなど毛頭なかった。霞を打ち倒し、艦娘としての生を終えるつもりだった。

鹿島は負けた。

霞は護るものを得て目を見張るほどに成長していた。

霞がそれ程に大事にしている少年ーー朝霧彼方。

鹿島は霞から彼方を奪い取るために、艦娘として生き続けることにした。

しかし、教艦として過ごす内に少しずつ憎しみも薄れ、今を楽しむ余裕も出てきた。

あの頃とはもう違う。自分にも出来ることがあり、教え子達も死に急ぐようなことはない。笑顔で送り出しても大丈夫かもしれない。

もうそろそろこんな無駄な思いを抱えるのはやめにしようか。

鹿島がそう考えていたときに、偶々写真を撮っている二人の姿を見てしまったのだ。

 

 

 

ーーどうして?

 

 

 

満たされていた筈の心が再びざわめきだす。

霞はあの鎮守府で起きたことなどもはや覚えてさえいないのではないか。

あの地獄を短い間とはいえ共に生きてきたはずなのに、それすら忘れたような顔で幸せそうに微笑む霞に、再び憎しみの炎が燻りだす。

 

 

 

ーーどうしてそんな顔で笑えるの?

 

 

 

今も鹿島は頻繁に仲間を失う夢を見る。

憎しみは薄れても過去に植え付けられた恐怖は今も深く鹿島の心を苛んでいる。

 

 

 

ーーその子が隣にいるから?

 

 

 

鹿島の瞳が彼方を捉える。

 

 

 

ーー私も欲しい。

 

 

 

もはや鹿島は霞のことなど忘れ、彼方だけを見つめている。

 

 

 

ーー朝霧彼方くん。必ず私の物にしてあげる。

 

 

 

くすくすと笑いながら鹿島は彼方に背を向ける。

あと何年後かには彼方はここにやって来る。

その時を楽しみにして、鹿島は校舎に戻った。

 

 

 

「鹿島、教艦……?えっ、どうしてここに!?」

驚く彼方の声に鹿島は我に返った。

「うふふ、きちゃいました。大丈夫です、休日は朝霧くんを自由にしていいって校長から許可もいただいてますからっ」

彼方はもう躊躇いなく鹿島の名前を呼ぶようになった。

彼方に名前を呼ばれる度に鹿島は満たされた気持ちになる。

しかし直ぐにもっと欲しいもっと欲しいと鹿島の心は乾きを訴えだしてしまう。

大丈夫。彼方との距離は間違いなく近づいている。

あともう少しで手が届く。

「今回は私の番なんです。霞ちゃんはお留守番。私、ジャンケンで勝ったんですよっ」

訳もわからず困惑する彼方を余所に、鹿島は初めて彼方と二人っきりで迎える休日に胸を踊らせる。

 

 

 

「デートしましょう、朝霧くん!」




ここまで読んでくださってありがとうございました!

鹿島の魔の手が彼方に忍び寄る、霞は彼方を守りきれるのでしょうか……。
彼方は完全にヒロインポジ……何故。

それでは、また読みに来ていただけると嬉しいです!


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鹿島の想い

おはようございます!
いつも読みにきていただきましてありがとうございます!
昨日は感想も評価もいただけて、本当に嬉しかったです。
本当に励みになります。
またよろしければ感想などよろしくお願いいたします。

それでは、今回も少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


 彼方は鹿島に言われるまま、街へとやってきた。

「朝霧くんは、この街に来るのは初めてですか?」

 目の前をスキップするような軽い足取りで歩く鹿島が問いかける。

 今日の鹿島は教艦服ではなく、肩まで広く口が開き、体にぴったり合う形のボディラインが強調された白いニットのセーターに赤いミニスカート、黒いニーソックスにブーツという何とも『わかっている』格好だ。彼方と同年代に見えるその容姿もあり、どこからどう見てもカップルのデートである。

「いえ、僕はここ出身ですから……」

 言葉少なに彼方は答える。いつもと全く異なる様子の鹿島に戸惑っているのだ。

「朝霧くん、この服……おかしくないですか?」

 それを知ってか知らずか、鹿島が不安げに問いかけてきた。

「いえ!……似合っていると思います、凄く」

 少し照れながら言う彼方に、満足そうに頷く鹿島。

「今日は気合いを入れてきたんです!朝霧くんとの初めてのデートですから、ねっ?」

 鹿島が上目遣いにこちらの表情を覗きこんでくる。

 セーターの隙間からちらりと覗く豊かな双丘に、彼方は堪らず目を反らす。

 今日の鹿島はいつにも増して上機嫌だった。

「朝霧くん、お昼は何が食べたいですか?」

 何でも好きなもの奢っちゃいますよ、私。先生ですから!

 と力こぶを作って見せる鹿島。

 普段とは全く異なる、見た目の年齢相応にはしゃぐ鹿島に彼方は翻弄されっぱなしであった。

 

 

 

 ーー順調だ。彼方が自分を意識していることに、鹿島は満足していた。

 わざわざ男好きのする格好をして、男が好みそうな言動をとって見せた。

 戸惑う彼方に自分の望んだ結果が得られていると判断した鹿島は、ついに目的に向けて動いた。

「朝霧くん、お願いがあるんですけど……聞いていただけますか?」

「何ですか?僕にできることであれば……」

 彼方は即答してくれた。

 

 

 

「私と二人で写真を撮ってくれませんか?」

 

 

 

 鹿島は彼方を訓練校の正門前へと連れてきた。

「鹿島教艦……どうしてわざわざここへ?」

 問いかけてくる彼方を無視して鹿島は霞が立っていた場所に立つ。

「ほら、朝霧くん。こっちですよ?」

 もう少しだ。あと少しで『朝霧 彼方』が手に入る。

 鹿島の心は逸る気持ちで一杯になっていた。

 彼方があの場所に立った。

「いいですか、撮りますよ?はい、チーズ!」

 カシャリと音をたて、鹿島の手のカメラが目的の達成を知らせる。

 鹿島はもう隣の男の子の事など忘れて小さい画面に映りだす画像に釘付けだ。

 

 

 

 ーー困った顔の男の子の隣には、能面のような顔に無理やり笑顔を貼り付けたような、気味の悪い女が立っていた。

 

 

 

「えっ……嘘……。何でこんな……どうして?」

 おかしい。

 霞から彼方は奪い取ったのに。

 確かに写真の鹿島は霞がいた位置に収まっている。

 ならば鹿島は幸せな笑顔を浮かべている筈だ。そうでなくてはならない筈だ。

 なのにどうしてこんなに……薄気味悪い写真になる?

 過去が忘れられるのではなかったのか?

 もう仲間を失う恐怖に怯えなくて済むのではなかったのか?

「鹿島教艦」

 隣にいた男の子が声をかけてくる。

 無視した。今は考えることに忙しい。

 原因を見つけなくては。

 ぶつぶつと、うわ言のように何かを呟くただならぬ様子の鹿島を心配し声をかけてくる彼方に、鹿島は反応を示さない。

「鹿島教艦!」

「えっ……何ですか。今忙しいんですけど」

 肩を掴んで軽く揺すられ、鹿島は漸く彼方の姿を視界に収めた。

「……ちょっと、歩きませんか」

 彼方は鹿島の手をつかみ、強引に引っ張るように鹿島を連れ出した。

 

 

 

 彼方と海岸線の道沿いを歩く。

 鹿島の足取りは重い。

 彼方は構わずあの場所を目指して歩いていく。

「どこに、行くんですか」

「………………」

 彼方は答えない。

 不意に彼方が足を止めた。

 鹿島が顔をあげるとそこには一面のフェンス。

 そして深海棲艦への注意を促す看板が目に入った。

「ここが何か?」

 問いかける鹿島に、彼方は逆に聞いてきた。

「鹿島教艦は、本当は誰とデートしたかったんですか?」

 何を言い出すのだろう。鹿島が欲する男の子は『朝霧 彼方』ただ一人だ。他の誰も必要ない。

「そんなの、朝霧くんに決まって……」

 

 

 

「貴女は、出会ってから一度も『僕』を見てくれたことないでしょう?」

 

 

 

「はぁ?何を言ってるんですか。どれだけ長い間、私が『貴方』のことだけを考えて生きてきたと……」

 訳のわからないことを言ってくる彼方に、鹿島は苛立ちを隠そうともしない。

「貴女は、僕のことを一つも知ろうとしないじゃないですか」

 そうーー鹿島は彼方がこの街出身であることすら、知らなかった。

 霞と写真を撮っていたのを考えれば、そんなことくらい簡単に予想できた筈だ。

 しかし、鹿島はそんなことにも気づけなかった。

「そんな……だって、そんなの」

 考えてみたこともなかった。

 鹿島が欲しかったのは、心の拠り所だ。

 霞が彼方の写真を大事そうに抱き締めているところを見かけるたび、羨ましくて妬ましくて堪らなかった。

 霞の心の拠り所は彼方と撮った写真などではない。彼方との思い出だ。

 ーー鹿島の撮った写真には、思い出など詰まっていない。

 よく知りもしない男の子と撮った写真をどうして心の拠り所に出来よう。そんなこと、出来るはずがない。

「ーーそっ……か。私、最初から失敗しちゃってたんだ……」

 愕然とする鹿島の手を、彼方が取る。

 

 

 

「だから、鹿島教艦。僕のことを知ってくれますか?」

 そう問いかけてくる彼方に思わず鹿島は頷いた。

 

 

 

 彼方はこの街で生まれ育った。

 提督を父に持ち、元艦娘が母親だった。

 幼い頃、鎮守府に押し寄せた深海棲艦から街の住人達を守るため、盾となった彼の父親は死んでしまった。

 その日以来、彼方の母親は毎日泣いて過ごしていたそうだ。

 全て鹿島にとっては初めて聞かされた話だった。

「ーー最後に父さんと別れた日。僕は約束してたんです。母さんを守るって」

 辛い思い出を語る彼方はその内容に反して暗い顔はしていない。

「あの時の、泣いている母さんの姿は今でもはっきり覚えています。その泣いている母さんの姿とーー今の鹿島教艦の姿はそっくりです」

 鹿島は今も心の中では泣いていた。

 多くの愛する教え子達を奪われた深い哀しみは、鹿島を捕らえて離そうとしない。

「僕は絶対に『提督』になります。母さんを守るため。父さんとの約束を果すため。……そして、霞姉さんの傍にいるために」

 ーーほら、きた。また霞だ。

 わかっている。この子の心の中心にはいつも霞が陣取っている。

 

 

 

「鹿島教艦。ーー僕に貴女を守らせて下さい」

 不意に呼ばれた名前と、続く言葉に理解が追いつかない。

 

 

 

「僕は、貴女に仲間を死地に送らせるようなことは絶対にしません。笑って過ごせる毎日にしてみせます。今はまだなんの説得力もないかもしれませんがーー」

 彼方に力強く引き寄せられた。

 

 

 

「ーー僕は、鹿島教艦の笑った顔が見てみたいんです」

 

 

 

 ーーそれからしばらく、鹿島は彼方の胸で泣き続けた。

 絶え間なく湧き出てくる怨み辛みの言葉を全て彼方にぶつけた。

 彼方は黙って鹿島の泣き言を聞いてくれた。

 海が夕焼けの色に染まる頃、漸く鹿島も落ち着いてきた。

 黙っていた彼方が、不意に鹿島に声をかける。

 

 

 

「鹿島教艦。僕と二人で写真を撮ってくれませんか」

 

 

 

 先程とは逆の立場。

 泣き腫らして酷い顔をしている鹿島をお構い無しに、彼方はカメラを構える。

 カシャリと、再びカメラが写真を撮ったことを知らせた。

 

 

 

 霞とは違う時間。違う場所。

 彼方と鹿島が今日一日二人で積み上げてきた時間の成果。

「そんな……どうして、こんなに」

 

 

 

 そこには、優しく包み込むような笑顔を浮かべている男の子と、涙で化粧は崩れ、酷い顔をしながらもーー嬉しそうに微笑む少女の姿があった。

 

 

 

 ーー翌日。

「なぁ、彼方。お前ーー鹿島教艦に何か嫌われるようなことしたのか?」

 机に突っ伏している彼方に太一が問いかけてくる。

「……んー……勧誘、かな……多分」

 はぁ?と首を傾げる太一。

 太一がそう問いかけてきた理由は、先日まで『彼方甘やかし係』だったはずの鹿島が、急に彼方に厳しい訓練を課すようになったからだ。

 霞と鹿島に挟まれ、彼方はこれから毎日人の何倍もの訓練をこなさなくてはならないことだろう。

 彼方の腕はまだまだ誰かを守れるほど太くはない。

『提督』とは何人もの艦娘を守れなくてはならない存在だ。

 彼方には彼女達を守れるだけの力が必要なのだった。

 

 

 

 教艦室へと戻る道中で、霞が話しかけてきた。

「……で、どうだったのよ。その……昨日は」

 そわそわと不安げに問いかけてくる霞。

 鹿島はにやりと笑みを浮かべるとーー

 

 

 

「私、彼方くんのことが好きです」

 

 

 

 教艦室の鹿島の机の上には、笑顔を浮かべる二人の写真が飾ってあった。




ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

これにて鹿島編は終了です。
鹿島には辛い役割を背負わせてしまい、鹿島ファンの方には大変申し訳なく思っております。
しかし、今回から鹿島が泣くようなことはもうないと思ってます。

さて、次回からはクラスメイトの艦娘達にスポットを当てていきたいと思います。

どうかこれからも頑張って書いていきますので、また読みに来ていただけると嬉しいです。


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信頼を得るために

こんばんは!いつも読みにきていただきましてありがとうございます!
最近読みに来てくださる方が増えまして、投稿した頃の10倍以上の方が見に来てくださるようになりました。
本当に嬉しく、そしてありがたく思っております!
お気に入りも増えまして、とっても嬉しいで。

さて、今回からクラスメイトを中心とした話になります。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


 一人居残りで教艦二人から訓練を受けていた彼方は、夕焼けの海に一人の艦娘がいるのを見かけた。

「あれは……」

 確か、同じクラスの吹雪型駆逐艦、一番艦の吹雪だ。

 吹雪は、何度も海の上をあちらこちらと走り回っている。

 艦隊行動演習の動きだ。彼女も一人で残って訓練していたようだった。

 一生懸命反復練習を繰り返す吹雪の姿に、少し前の自分が重なる。

 彼方は吹雪と話がしてみたいと思った。

 

 

 

「吹雪さん!」

 校舎から出て演習場に歩いていくと、一通り訓練を終えたのか、吹雪は桟橋の縁に腰かけて休んでいた。

「んぇええぇっ!?」

 海を眺めながら惚けていたのか、吹雪は予想もしていなかったことにすっとんきょうな声をあげてひっくり返った。

「あ、ご……ごめん。急に声なんかかけちゃって」

 それを見た彼方も慌てて謝罪する。

「う、ううん!大丈夫、ちょっとぼーっとしちゃってて!こっちこそ、ビックリさせちゃってごめんなさい!」

 立ち上がり頭を下げる吹雪に、思わず彼方も頭を下げる。

 お互い頭を下げ合うその滑稽な様子に、二人はどちらともなく噴き出すように笑いあった。

「そういえば……朝霧君はどうしてここに?」

「あー……実は僕もさっきまで教艦にこってり絞られててさ。帰り際に、こんな時間まで一人で訓練してる人がもう一人いたのが見えたから」

「あ、あはは……。最近凄いよね、朝霧君。教艦二人にびしばしーって」

 最近の彼方に対する訓練の苛烈さを思い出し、吹雪は両手で交互に叩くようなジェスチャーをしながら苦笑いを浮かべた。

「吹雪さんは、自主練?」

「あぁ~、吹雪でいいよっ。何だかさん付けされるとくすぐったくって!ーーうん、そうなの。私って、ほらーー鈍臭いから」

 みんなより、もっと一杯練習しないと!と小さくガッツポーズをして、吹雪はみなぎるやる気を表現した。

「それに、ほらっ。来週から提督候補生の指揮訓練で、艦娘と合同での訓練が始まるじゃない?せめて、一緒に組んでくれる人に迷惑はかけたくなくって……」

 眉尻を下げて、最後には元気をなくしてしまう吹雪。

 そうだ。彼方が居残りさせられていたのも実はその件だった。

 ーー彼方は指揮が得意ではない。

 安全策ばかり取る傾向があった。逃げ腰とも言える。

 艦娘を傷つけることを極度に恐れるような指揮をする彼方に、霞と鹿島の二人は時には虎穴に飛び込むような勇気も必要だと、こんこんと説いたのだった。

 

 

 

 その吹雪が話していた合同訓練に関して、彼方も問題を抱えていた。

 彼方はチームメイトがまだ決まっていないのだ。

 まさか訓練のチームメイトを教艦から選ぶわけにもいかない。

 未だそこまで仲のいい艦娘がいなかった彼方は、チームメイトを決めかねていた。

 その件でも、二人の教艦から速やかに決めるよう言われていたのだった。

「吹雪は、もう組む相手は決まってるの?」

 問われる吹雪は自嘲気味に笑いながら首を降る。

「ううん、まだ。こっちから誰かに声をかけるのも……迷っちゃって」

 恐らく自分に自信が持てないせいだろう。

 彼方も自分自身の指揮に自信が持てない以上、中々自分から声はかけ難かった。

 

 

 

「ーー吹雪、よかったらだけど。僕と組んでくれないかな?」

 お互い似たような状態だ。お互い様ということで丁度いいのではないかと彼方は考えた。

「えっ!?で、でも……いいの?私、あんまり強くないよ?」

「いや、それを言うなら僕の方だ。僕は正直な話、指揮がまだ得意じゃない。吹雪に迷惑をかけてしまうかもしれない。でも……」

「でも?」

 不思議そうに見る吹雪に、訓練をしていた吹雪の姿を見かけた時に感じた気持ちを素直にぶつけた。

「一人で頑張ってる吹雪を見て思ったんだ。君と一緒に頑張ってみたいって。ダメかな?」

 吹雪は快く承諾してくれた。

 

 

 

「ーーじゃあ、あと二人は私も探してみるね!」

 合同演習で組むチームメイトの人数は、提督候補生一人に艦娘三人の四人編成だ。

 チームにはあと二人の艦娘が必要となる。

「ありがとう、僕も何とか探してみるよ。これからよろしくね、吹雪」

「うんっ、これから一緒に頑張ろうね!」

 こうして彼方は吹雪と別れた。

 

 

 

 合同演習の行われる当日の朝。

 演習場前に集合するように言われていた生徒達が集まっていた。

 皆チームメイト毎に固まり、今日から始まる新しい訓練に期待を膨らませ、親睦を深めあっている。

 彼方は吹雪達を待ちながら、桟橋で海を眺めていた。

 そこへ、彼方の下に三人の艦娘を連れて太一がやって来た。

「おはよう。太一はもう決めたのか。彼女達が?」

「おう、おはようさん!そうそう。ーー知ってると思うけど。こいつ、俺の友達の朝霧彼方。多分これから絡む機会も多くなるだろうから、優しくしてやってくれ。いい奴なんだよ、教艦達には目の敵にされてるけどな!」

 太一が連れてきた艦娘達に適当に彼方を紹介する。

「はぁ……知ってるわよ、ウチのクラスじゃ有名人じゃない。叢雲よ、よろしく」

「曙よ。馴れ馴れしくしないでよね!」

「響だよ。不死鳥と呼んでくれても構わない」

 最後の響の自己紹介は本気なのか冗談なのか判断がつかない。

「朝霧彼方、よろしく。ーーそれにしても」

「意外だったか?」

 悪戯に成功したような顔で太一が笑う。

 そう、太一の性格とは正反対にみえる三人だった。

 一見高飛車そうに見える、強気で負けん気の強そうな叢雲。

 長いサイドテールを揺らし、ツンとした態度に少しだけ霞に似た印象を受ける曙。

 長い銀髪に帽子を目深に被り、神秘的な雰囲気をもつ響。

 誰もが太一の印象とはかけ離れている。

 すると太一はニヤリと笑顔を浮かべ一言ーー

 

 

「俺はMだからな!」

「「「気持ち悪いよ(わね!)」」」

 

 

 

 三人の突っ込みが同時に入る。

 意外と相性はいいのかもしれない。

「ところで、彼方のチームメイトは?」

「あぁーー多分そろそろここに来ると思うんだけど」

「おーい、朝霧くーん!」

 丁度到着したようだ。

「吹雪、おはよう。時雨とーー」

 吹雪の後ろには黒髪のお下げの少女。

 白露型駆逐艦 時雨は彼方に声をかけてきてくれた唯一の艦娘だ。

 そしてもう一人は、彼方が以前名前を呼んだときに無意識に艤装を展開してしまった少女だった。

 その少女は、吹雪の後ろに隠れ少し緊張した面持ちでこちらを見ている。

「ふ、吹雪……もしかしてーー」

「う、潮が吹雪ちゃんにお願いしたんです……。あの時は、ご迷惑をおかけしちゃって……謝らなきゃって、ずっと気になってて。だから……」

 潮が最後には涙目になりながら理由を説明してくれた。

 とりあえずは一緒に戦ってくれるらしい。

「ありがとう、その……これからよろしくね」

 名前を呼ぶことを躊躇う彼方に、潮は意を決したように口を開いた。

「あの……潮って、呼んでください」

「……わかった。潮、これからよろしくね」

「~~~~~っ。は、はいぃ」

 潮の決意を無下にしないため、彼方は潮を名前で呼んだが、今回は潮は顔を紅くして悶えながらも、何とか艤装が飛び出してくるようなことにはならなかった。

 

 

 隣でそのやり取りを面白そうに眺めていた時雨が彼方に向き直る。

「彼方、おはよう。僕も彼方には期待してるから、今日はかっこいいところを見せてほしいな」

「時雨を失望させないように、精一杯のことはするよ」

「謙虚だね。まぁそれも美点と言えば美点かな?」

 薄く微笑む時雨に、彼方は気を引き締める。

 今日から行うのは、彼方が提督となったら必ず行う、艦娘との信頼を築き上げ、勝利という戦果をあげるための大切な訓練だ。

 それは、吹雪達艦娘にとっても同じことだ。

 

 

 

 先程の太一達と同じように今度は彼方のチームメイトが太一に自己紹介を行っている。

 彼方達はお互いのことをまだ何も知らない。

 まずは互いの信頼を築き上げることから始めよう。

 

 

 

 霞が訓練を開始するため生徒達に呼びかける。

 緊張に顔を強張らせる吹雪を見ながら、彼方は決意を新たにした。

「それでは、合同訓練を始める。今日はチーム毎に模擬戦を行ってもらうわ!」

 

 

 

 彼方は初めて自分の意思で、演習とはいえ戦地に艦娘を送り出すことになった。




ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

ここからは吹雪達がメインの話になります。
そして、戦闘シーンがグッと増える予定です。
書けるだろうか……頑張ります。

それでは、また読みに来てくださったら嬉しいです!
ありがとうございました!


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『提督』になる覚悟

おはようございます!
昨日は用事があって投稿が遅れてしまいました……。

今回はみっちり艦隊戦やってます。
描写が難しくて中々大変ですね……。

少しでもお楽しみいただけましたら幸いです




 今回の訓練で、初めて彼方は自分の意思で艦娘を戦わせる。

 手の中には艦娘達と繋がる通信機。

「彼方、お手柔らかに頼むぜ?」

 対戦相手が太一と決まった時、太一は高揚を抑えきれない様子でそう声をかけてきた。

 太一は彼方の唯一の提督候補生の友人だ。

 そして唯一のライバルでもあった。

「……そっちこそ、お手柔らかに頼むよ」

 太一とは対称的に、彼方の心は不安や緊張が渦巻いていた。

 

 

 

『朝霧君?大丈夫?』

 吹雪の声に我に帰る。

「あ、うん……大丈夫。ごめん、緊張しちゃって」

『ううん、大丈夫。私もすごい緊張しちゃってるし!』

 黙ったままの彼方に吹雪が声をかけてきてくれた。

 緊張しているのはお互い様だというのに、実際に戦うのは吹雪なのに、彼方は吹雪に心配をかけてしまった。

 提督失格だ。

 不安と緊張に苛まれる思考は悪い方へ悪い方へと彼方を誘導していく。

 彼方は再び黙り込んでしまった。

 

 

 

『ーー彼方、僕達が傷つくのが怖いのかい?』

 不意に、時雨が問いかけてきた。

「………………」

 そう、今回はただの演習とはいえーー『提督』になるということは、自分の指示によって彼女達を戦わせ、自分の指示によって彼女達に傷を負わせる行為なのだとーー今更ながらに気づいてしまっていた。

 その事に不安や緊張を感じていた彼方は図星を突かれ、言葉に詰まる。

『……その優しさは、僕も女の子としては嬉しく思うけどね。艦娘としては、少し寂しいよ』

 しかし彼方のその気遣いは、艦娘を信頼していないことに他ならない。

 本人にそのつもりはなくても、時雨はそう感じているということだ。

『僕達を信じてほしい。……そして、僕達に君を信じさせてくれないかな?ね、潮?』

『……は、はい。潮も、精一杯頑張ります。だから……』

 引っ込み思案の潮でさえ、彼方を励まそうとしてくれていた。

(これ以上、みっともないところは見せられないーー)

 

 

 

 彼方には約束がある。

 ーー今生の別れとなってしまった時に交わした、母親を守るという父親との約束。

 ーー道半ばで倒れてしまった彼方の父親の代わりに海を守ってくれている、霞の傍らに立つという霞との約束。

 ーー教え子達を奪われ、悲嘆の底に墜とされた鹿島を救いだす、鹿島を本当の笑顔にするという鹿島との約束。

 これらは、全て彼方が『提督』にならなければ叶わない。

『提督』になろうと努力するにつれ増えていく責任に、彼方は立ち止まることなど許されない。

 彼方の父親はさらに多くを背負い込んでいただろう。

 負けたくない、と彼方は思った。

 

 

 

「吹雪!」

『はいっ!』

「時雨!」

『あぁ……いいね、彼方。力が溢れてくるよ』

「潮!」

『……は、はい!』

 彼方は力を込めて仲間の名前を呼ぶ。

「僕に力を貸してほしい。僕が提督になるために」

 

 

 

 演習開始の合図が演習場に響き渡る。

 それを聞いて太一の艦娘達が一斉に動き出した。

 陣形は単縦陣。一直線にこちらへと向かってきている。

 距離はーー遠距離。まだ遠い。まだ少し砲撃戦まで時間がありそうだ。

 こちらも陣形は単縦陣。向かい合う形の今は、お互いに砲撃戦がやり難い位置関係となっている。

「吹雪、減速して面舵一杯。旋回後全速で敵艦隊の進路を塞ぐように位置取ったあとは、減速してその位置関係を維持。敵艦隊を迎え撃つ!」

 まずは砲撃戦で有利に立ち回れるような位置取りが必要だと判断した彼方は、旗艦である吹雪に指示を出す。

『は、はい!』

 吹雪が指示に従い動き出す。

 居残りの成果が出たのか、列を乱さず艦隊が移動を開始した。

(ーー吹雪、凄いな)

 努力をきちんと結果として出す吹雪に彼方も自然と勇気づけられる。

 

 

 

 しかし、こちらの射程距離に入る寸前で敵艦隊の動きに変化が現れた。

『朝霧君、敵艦隊が本艦隊の進行方向に魚雷を発射!発射後旋回して同航戦に移行しました!』

 吹雪が変化した状況を報告する。

 彼方も妖精が艦隊指揮用に造り出したモニターで確認していた。

(先手を打たれたーー)

 まずは相手の出方を見ようとしたのは失敗だったかーー

 まさかいきなり魚雷を放ってくるとは予想していなかった彼方は、己の迂闊さに辟易する。

 反省は後だ。状況は切迫している。

(魚雷をかわすには足を止めるか一気に駆け抜けるかしかない。でも太一もそれをわかっている筈だ。)

 足を止めれば今度はこちらが頭を抑えられる。

 しかし、加速して降りきろうとすれば、回避で手一杯のこちらはその間相手の砲撃に曝され続けることになるーー

 

 

 

(考えていられる余裕はない!)

「魚雷の射線を全速で駆け抜けて!敵は恐らく魚雷をかわすのに必死な僕達に砲撃戦を仕掛けてくる筈だ。こちらも魚雷回避後砲撃を開始!但し狙うのは先頭の旗艦だけでいい。相手の勢いを削ぐんだ!」

『わかりました!』

 吹雪達は返答と同時に一気にトップスピードに入る。

 

 

 

『ぅうぇええぇっ!?』

『これはーー』

『……凄い、です』

 自分達が全速で出した、明らかに敵艦娘達を引き離した速度に戸惑う三人。

 艦娘達の性能を限界以上に引き出すという、彼方の『提督』としての能力。その結果だ。

 思いがけず敵艦隊の砲撃すら回避することに成功した吹雪達が、今度は砲撃を浴びせる側となる。

『いっけぇ!』

 一斉砲撃。狙いは旗艦である叢雲だ。

 堪らず叢雲は減速して砲撃をかわすことを優先した。

 敵艦隊の隊列に乱れが生じる。

 こちらの砲撃が夾叉弾となったのだ。

 

 

(ーーよし、今回の攻防はなんとかこちらの有利で終わった。今度はこっちの番だ、太一!)

 そこを見逃すことなく今度は彼方が攻撃を開始した。

「潮、魚雷を敵艦隊中央から右側に広く扇状に発射して!吹雪は敵艦隊左側に向かって砲撃!時雨は敵旗艦を狙い撃って!」

 彼方は敵艦隊の逃げ道を塞ぎ、本命の一発を狙う。

 バランスを崩し、初動が遅れた敵艦隊へと潮の放った魚雷が迫る。

 魚雷を回避すれば吹雪の砲撃に曝されるが、魚雷の直撃を考えればまだそちらの方が被害が小さくてすむと考えたのか、敵艦隊は左側に向かって動いた。

 

 

 

 ーーつまり、予想通りということだ。

『残念だったね』

 時雨の狙い澄まされた砲弾が、叢雲へと突き刺さろうと空を引き裂き迫る。

 直後に着弾の衝撃と水飛沫。

 

 

 

 ーー大破、行動不能。『綾波型八番艦 駆逐艦 曙』

 モニターに攻撃の成果が表示された。

 

 

 

『彼方君、曙ちゃんが叢雲ちゃんを庇った!叢雲ちゃんはーー』

 

 

 

 ーー大破、行動不能。『白露型二番艦 駆逐艦 時雨』

 唐突にモニターに表示された文字彼方は目を見開いた。

 

 

 

 ーー吹雪の隣で、先程まで共に戦っていた時雨が倒れていた。

 砲撃後の隙を突かれたのだ。

「ーーまさか時雨はともかくアンタ達がここまでやるとは思わなかった。正直朝霧は『提督』には向いてないと思ってたしね。」

 吹雪の目の前に長槍を携えた少女が立つ。

 不意を突かれた時雨を仕留めたのは、その手に持った長槍だろう。

 艦娘の中には、叢雲のように超近距離戦を得意とする、特殊な艤装を持った者がいるのだ。

「でも、私に懐に飛び込まれた時点でアンタ達は終わりよ」

 吹雪や潮に叢雲の振るう長槍を捌けるだけの技術はない。

『吹雪、潮!すぐに離れて!』

 耳元で彼方の声が聞こえ、即座にその場を離れようとする。

 しかしーー

 

 

 

「遅いよ」

 聞こえたもう一人の声と共に激しい衝撃。

 

 

 

 ーー大破、行動不能。『吹雪型一番艦 駆逐艦 吹雪』

 

 

 

 彼方達の初めての演習は、敗北で終わった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

情景や緊迫感の表現って、かなり難しいです……。
次回も頑張ります。

それでは、また読みに来ていただけると嬉しいです!


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時雨の奮闘

こんにちは、いつも読みに来ていただきまして本当にありがとうございます!

お気に入りにしてくださっている方がとうとう70名様を越えました……!
UAも4000へと迫ろうとしています……!
本当に皆様のお陰で、楽しくお話が妄想できております。
感想も沢山書いて頂けるようになり、感謝感謝の毎日です。

これからも頑張りますのでよろしくお願いいたします!



それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 演習後の夜。彼方のチームメイトである吹雪、時雨、潮の三人は、夕食を共にした後親睦を深めるためという目的も兼ねて、艦娘寮の吹雪の部屋で反省会を行っていた。

 

 

 

「はぁ~……朝霧君、がっかりしちゃったよね……」

 吹雪が大袈裟に肩を落として、抱いていたクッションに顔を埋める。

「それを言うなら僕の方だと思うけどね……偉そうなこと言っておいて叢雲に一撃大破だよ?」

 全く、かっこ悪いところ見せちゃったなぁ……。吹雪の言葉を受けて時雨も自嘲気味に答えた。

「……潮も、叢雲ちゃんが突撃してきたのが見えてたのに、何も出来ませんでした…」

「「えっ」」

「えっ」

 叢雲の突撃は、時雨の砲撃による水柱を利用した目隠し効果からの、異常とも言える速攻だった。

 叢雲を標的と定め狙い撃った時雨ですら、水柱の向こうに注目してしまってその速さに反応することが出来なかったのだが……。

(咄嗟に動けなかったのは仕方がない。僕も同じだし……。でも、視認出来ていただけでも潮に秘められた力は相当なものだと言えるのかも……)

 それとも、彼方との親和性の高さ故だろうか。

「あ、そういえば……時雨ちゃんって朝霧君に何て声をかけたの?」

 考え込む時雨に、吹雪が思い出したように問いかけてくる。

「あ、あー……えっと、それは……」

 歯切れ悪く答えようとする時雨は、初めて彼方に名前を呼ばれた時のことを思い出していた。

 

 

 

「やぁ、朝霧くん。ちょっと話をしたいんだけど、いいかな?」

 彼方の能力に興味を持っていた時雨は、提督候補生と艦娘の合同演習が行われる数日前に彼方に声をかけた。

「えっ?あぁ、構わないよ。君は確か……」

「あぁ、自己紹介が遅れてすまない。僕は白露型二番艦 駆逐艦の時雨だよ。仲良くしてくれると嬉しいな」

 内心少しだけ緊張していた時雨は自己紹介をし忘れていたことを思い出して、慌てて自己紹介をした。

 もちろん、その動揺している内心は表に出すことはなかったが……。

「あぁ、えっと……名前を呼んでも?」

 確認を取ってくる彼方に、時雨は心の準備を終えて答えた。

「ーーうん、構わないよ。その方が、僕も嬉しい。」

 時雨は初めて彼方に名前を呼ばれるということに否が応にも緊張が高まる。

「じゃあこちらも改めて自己紹介を。

 朝霧 彼方。こちらこそよろしく、『時雨』さん」

 ーー瞬間。

 温かい、包み込まれるような感覚に息を飲む。

(これが、彼の能力かーー)

 どうやら時雨も彼方との親和性は高いようだ。

 急に艤装が飛び出てくる程ではないが、意識すれば艤装を展開することも難しくないだろう。

「君の声は……本当に不思議だね。今言葉を交わしたばかりの相手だって言うのに力が湧いてくるのを感じるよ」

 ほんのりと頬を紅く染め、湧き上がる力に高揚した様子の時雨。

 彼方に名前を呼ばれることによって引き出される力は、彼方が意識することによってある程度の強弱が調節可能らしかった。

 無意識に呼んでしまうと、クラスメイトの潮の時のように、相手の意思もお構いなしに力を引き出してしまうのだろう。

 先程の声はその影響を危惧し、出来るだけ能力の発動を抑えて呼んでくれたのだと時雨にはわかった。

(彼となら、組んでみたいな)

 能力に傲ることのない彼方の気遣いに触れ、時雨は興味から好意へと彼方への印象を変えたのだった。

 時雨の言葉に少しだけ戸惑ったような雰囲気になった彼方は、話題を元へと戻してきた。

「あー、ところで……僕に何か用だったよね?」

「ふふっ。うん、そうなんだ。来週から始まる合同訓練のことは知っているだろう?君はチームメイトはもう決まっているのかな?」

 何となく嬉しくなって時雨から無意識に笑みが溢れる。

 彼方は時雨の問いかけに苦笑を浮かべ、緩やかに首を振った。

「一人組んでくれる人は見つけたんだけど、まだ後二人見つかってないんだ。その一人は吹雪だよ」

「吹雪が……それは君から誘ったのかい?」

 先約がいたのは少しだけ……面白くない気がした。

「そうだよ、今週の頭かな。彼女が演習場で訓練していたところに声をかけたんだ。」

「そうか……うん」

 やっぱり少しだけ面白くない。少しだけ。

「ねぇ、彼方って呼んでも構わないかな?僕のことも時雨って呼んでくれて構わないから」

「えっ?うん、構わないよ」

「ありがとう、彼方」

 

 

 

「「………………」」

 

 

 

 互いに沈黙する。

(僕としては、彼方から声をかけてほしいところなんだけど……)

 名前を呼び合うことで、彼方ともっとお近づきになりたいアピールをしてみた時雨は、続く彼方の言葉を待った。

「あ、あのーー」

「何かなっ?」

 食い気味に答える時雨。

 内心は期待に膨らみ、お尻に尻尾があれば振り回しているような状態だった。

 実は時雨はクラス内でも相当に優秀な艦娘であった。

 そのため、数名の提督候補生から誘いは受けていたのだが……その時点で既に彼方に興味を持っていた時雨は、その誘いをすべて断り、彼方に声をかけてもらえないかと待っていたのだった。

 しかし、一向に彼方は時雨を誘ってこない。

 今こうして時雨から話しかけている時点で、時雨はそれなりに焦り始めていたのだった。

 

 

 

「ーー時雨は、もうチームに所属してるんだよね?」

「ーーえ?」

 時雨は自分がフリーであることを彼方に伝え忘れていたことに今更気がついた。

「あ、あー……ごめん、伝え忘れてて!僕も今のところフリーなんだ。だからーー」

 慌ててそう伝える。先程から大事なことを忘れてばっかりだ。自分の間抜けな行いに、時雨の顔は羞恥で真っ赤になっていた。

「だったら……もし時雨が良かったらだけど、僕達とチームを組まない?」

 そんな時雨に、彼方がようやく待っていた言葉をくれる。

「も、もちろんだよ!『君から』誘ってくれたことを後悔させないだけの働きはしてみせるよ!」

 こうして、興奮気味に時雨はその待ちに待った誘いを受けたのだった。

 

 

 

「へ、へぇ~……そうだったんだ。た、大変だったんだね……時雨ちゃん」

 吹雪はその苦笑というか驚きというか、何とも言えない表情で時雨の奮闘をそう評価した。

「後から聞けば、彼方は僕が他の提督候補生から誘われていたのを見ていて、既にチームメイトが決まっていたと考えてたんだそうだよ……」

「朝霧君は指揮に自信が持ててなくて、自分から誰かに声をかけ難いって言ってたから。それもあったんだと思う」

 吹雪が彼方の心情を補足した。

 

 

 

「……あ、あの。お二人は、朝霧さんのことをどう思ってるんですか?」

 それまで黙って話を聞いていた潮が唐突に二人に問いかけてきた。

「そうだね……今日の演習で僕は決めたよ。僕は彼方に僕の『提督』になってほしい。彼方と一緒に戦ってみたいんだ」

「うん!私も時雨ちゃんと同じだよ!朝霧君は私をきちんと見てくれてる。私も朝霧君に『提督』になってほしいな」

「……そうですか。潮も、今日の演習で同じ気持ちになってしまったんです」

 なってしまった、とはどう言うことなのだろう。

 叶わないことを告げるように自分の気持ちを話した潮に、時雨は違和感を覚えた。

 

 

 

「……吹雪ちゃん達は、知らないんですか?朝霧さんは卒業後、教艦お二人をご自分の艦娘にするつもりだってこと」

「「ーーえぇっ!?」」

 

 

 

 初耳だった。

 潮がそれをどこから聞いてきたのかわからないが、それならばあの教艦達のスパルタ具合に納得できてしまうのも確かだ。

 ということは、時雨には吹雪だけではなくさらに強力な先約があったことになる。

「か、彼方君……私達のことどう思ってるんだろう」

 顔を青くして吹雪が不安気に呟いた。

 戦闘中でも一度あったが、無意識に苗字ではなく名前で彼方を呼んでいる。

 やはり吹雪も憎からず彼方のことを想っている、ということだろう。

 

 

 

 訓練校の艦娘は、卒業後どの提督候補生についていくかある程度自由に選ぶ権利が与えられている。

 そして、大抵の艦娘はこの合同訓練で組んだ提督候補生と共に戦うことを選択するのだ。

 もし彼方が教艦二人とだけ鎮守府に着任するようなことになれば、時雨達の居場所とこの気持ちはどうなってしまうのか。

 そろそろと不安が忍び寄ってくる。

 時雨はその不安を断ち切るように立ち上がった。

 

 

 

「ーー彼方に話を聞いてみよう。僕は彼方を諦めるつもりなんてない」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回は時雨中心のお話でした。
時雨のイメージが自分のイメージと違う!という方もいらっしゃると思いますが、何とぞ……何とぞご容赦くださいませ……!

次回は修羅場回?でしょうか。

それでは、また読みに来ていただけると嬉しいです!


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潮の居場所

こんばんわ!
いつも読みに来てくださってありがとうございます!
本当に沢山の方に読んでいただけて、幸せです。
ありがとうございます!

それでは、今回も少しでも楽しんでいただけると幸いです。


「はぁ……潮、朝霧さんとちゃんとお話できるかな……」

 潮は反省会終了後、自室へと戻ってくるなり前のめりにベッドへと倒れこんだ。

 今日はもう遅いので、彼方に詳しい話を聞くのは明日だ。

 潮は明日のことを考えると気が重くなる。

「今更朝霧さん以外の提督なんて……」

 ーー考えられない。いや、考えたくない潮だったが、彼方から聞いたあの言葉が潮に重くのし掛かる。

 

 

 

 入渠ドック付近の談話室で、潮と彼方は傷ついた吹雪と時雨の艤装の修復を待っていた。

「ーー潮は、体の方は何ともない?」

 彼方が潮を気遣ってくれる。

 今回の演習では潮は被害を被っていない。補給だけで十分に元通りとなっていた。

「……は、はい」

 ただでさえ男性があまり得意でない潮は、どうしても態度が硬くなりがちだ。

 おまけに彼方には以前名前を呼ばれたときに悲鳴をあげてしまった負い目もあり、余計にぎくしゃくとした態度になってしまったいた。

「せっかくチームメイトになってくれたのに、勝たせてあげられなくてごめん……」

 彼方は悔しさを圧し殺すように手を硬く握り俯く。

「い、いえっ……そんなこと、ないです」

 実際、潮は彼方の采配にそれほど問題があったとは思っていない。むしろ、叢雲の動きに対応出来なかった自分達の方に問題があったと思っていた。

「潮は、あのとき……叢雲ちゃんが飛び出してきたのが見えてました。……でも、朝霧さんの指示を受けずに動くのを躊躇ってしまって……」

「そうか……」

「でも、あの一瞬で潮が朝霧さんの指示を仰ぐことなんてできませんでした。あの時は、潮が曙ちゃんみたいに身を挺して時雨ちゃんを庇うべきだったんです……」

 潮ではなく時雨が残っていれば、勝てていたかもしれない。潮はそう考えていた。

 

 

 

「それは、きっと違うよ……潮」

「えっ?」

 潮は俯いたままの彼方の否定の言葉に首を傾げた。

「叢雲さんの動きが見えていたのならーー多分彼女に勝てるのは、このチームでは君だけだ」

「朝霧さん……?」

 彼方は顔をあげた。瞳には力強い光が灯っている。

 

 

 

「ーー次は勝つ。潮、君の力が必要だ」

 

 

 

 元々は彼方への罪悪感から、頭数合わせになれれば、程度の気持ちでのチーム参加だった。

 演習で、彼方に力を貸してほしいと願われた時、初めて潮は彼方と共に戦うことを実感した。

 そして今、彼方に自分が必要とされているという実感を得た。

(潮は、朝霧さんと一緒に戦いたい。傍にいて、支えてあげたい……)

 潮はこの時、卒業後も彼方についていこうと決めたのだった。

「あ、あの……朝霧さん。卒業後は、朝霧さんはどうされるんですか……?」

 提督になり、何を成したいのか。自分もそれについていくつもりで、潮は彼方に問いかけた。

 

 

 

「ん?あー……その……実は僕は卒業したら、霞教艦を秘書艦にする約束をしているんだ。その上鹿島教艦とも最近一緒に連れていくって約束もしちゃったんだけどーー」

 その言葉を聞いた潮にはそれ以降の彼方の言葉などまるで耳に入ってこない。

(そんな……じゃあ、潮達は……?)

 卒業までの繋ぎ、ということなのだろうか。

(そんなのって、酷い……。潮は、もう朝霧さんについていこうって、決めたのに……)

 そもそも、この合同訓練で組んだチームの艦娘達を連れて鎮守府に着任するというのが、この訓練校の習わしだと聞いている。

 秘書艦にはなれなかったとしても、傍で支えてあげられれば構わないと思っていた。

 今の話では卒業したら離れ離れということなのだろうか……潮達は教艦を連れていくための踏み台に過ぎないのだろうか。

「……潮、帰ります」

 自分一人で盛り上がってしまったのが馬鹿みたいだ。

 吹雪と時雨には申し訳なかったが、今は彼方と二人きりではいたくなかった。

 呼び止めようとする彼方を振り切り、潮は自室に戻った。

 

 

 

 翌朝。潮達は、彼方に話を聞こうと教室へと向かっていた。

「潮!」

 潮を呼ぶ声に視線をあげると、彼方の方からこちらへとやって来ていた。

 彼方は潮達の前に立つなり勢いよく頭を下げた。

「朝霧君!?」

「彼方!?」

「………………」

「昨日はごめん!きっと、僕の自惚れじゃなければ……僕は君に酷いことを言ってしまった……」

「……何のことですか」

 自分の意識とは無関係に随分と冷たい声が出てしまう。

「それは、えっと……僕が卒業したら、教艦達を連れて行くってことは、君達を連れていかないってことだとーー」

「それが何か潮に関係あるんでしょうか」

 しかし、潮にもよくわからなかったが、もう自分を止めることもできそうになかった。

 吹雪と時雨は潮の様子に驚いて言葉を失っている。

「う、潮……」

 彼方は今まで見たことがないほどに落ち込み、すがるような目で潮を見る。

 その様子を見て、少しだけすっきりしたような感覚があった。

(そっか……潮、怒ってたんだ)

 自分を宥めようと慌てふためく彼方に、少し優越感のようなものを感じた潮は、少しだけ態度を軟化させることにした。

「……潮達は、朝霧さんの踏み台なんですか?」

「まさか、そんなことあるはずない!僕は君達を大切な仲間だと思ってる!」

(潮もそう思っていました)

「……でも、卒業したら教艦達を連れていっちゃうんですよね?」

「それはーーうん。それだけは……約束なんだ。僕は霞教艦の傍に立つために『提督』になりにこの訓練校にきた……」

(ほら、やっぱり。最初から潮のことなんて眼中にないんじゃないですか)

「だったら、潮達はどうなるんですか?卒業したら、潮達は朝霧さんと離れ離れになって、どこか別の提督のところに行けって、朝霧さんは言うんですか……?」

 言いながら悲しくなってきて潮の目には涙が溢れてきた。

「力を貸してとか、潮が必要だとか……そんなこと言ってた癖に、潮のこと何だと思ってるんですか!」

 もう自分で言っててよくわからなくなってきた。

 自分勝手なことを言っている。

 彼方は最初から霞教艦のために提督になりにきた。

 自分は彼方に迷惑をかけ、そのお詫びのつもりでチームに入った。

 演習を経験して、本当の仲間になれたと思った。

 必要とされて、彼方の艦娘になろうと思った。

 そして今はその気持ちを裏切られたと、一人で馬鹿みたいに怒っている。

(それでも……朝霧さんと、一緒にいたい……)

 結局はその想い一つだった。

 

 

 

「彼方。潮の言っていることと、同じことを僕達も思っているよ。僕達は、君の何なのかな?何に、なれるのかな?」

「私は、朝霧君が声をかけてくれたから、今こうしてみんなと一緒にいられてる。卒業してからも、みんなと離れたくないよ……」

 時雨と吹雪が潮の言葉に続く。

「ーー僕は……」

 追い込まれた彼方が、何とか言葉を発しようとしているとーー

 

 

 

「彼方。アンタ達。その件に関して、校長から話があるそうよ。ついてらっしゃい」

 唐突に背後から聞き覚えのある声がした。

(この人が……朝霧さんの)

 最も大切にしている女性。霞教艦。

「……私個人としては、アンタ達が増えたってどってことないと思ってるわ。彼方を渡すつもりもないし」

 確かな自信を滲ませて、霞教艦が言う。

 その自信に対抗する術を、潮達はまだ持っていない。

 潮達は、圧倒的に彼方と過ごした時間が少ないのだ。

「霞姉さん、その……」

「霞教艦!何泣きそうな顔してんのよ、だらしないったら!」

(悔しい……)

 見ているだけで解る、彼方が霞教艦へと寄せている信頼の大きさ。

 彼女に対抗するには、それだけの信頼を彼方から勝ち獲らないといけない。

 

 

 

「来たわね、問題児が」

 校長室に入ってみると、不適な笑みを浮かべる校長が椅子に座っていた。

「率直に言わせてもらうと、朝霧君があなた達三人を自分の艦娘として向かえ、卒業していくことには何ら問題はないと思っているわ」

 ただしーーと校長は続けた。

「教艦二人も連れていくとなると話は別。朝霧君にそれを出来るだけの力が証明できなければ、私はそれを認めることはできない。いくら霞教艦を朝霧君の秘書艦にするように。というのがお祖父様の遺言だったとしてもね」

 ぴっ、と校長は人差し指を立てた。

「そこで、一つ条件を出します。数日後、現役の提督達から艦娘をお借りして、大規模な演習を行う予定にしているわ。その演習で、敵艦隊に勝利すること」

 

 

 

「貴方達が戦うのは、『最強』の提督がいる鎮守府に着任している艦娘よ」




ここまで読んでいただけき、ありがとうございました!

今回は潮回で修羅場回。
潮に怒られたい。その後仲直りしたい。

次回は、最強の鎮守府にいる方々が登場します。

また次回も読みに来ていただけると嬉しいです!


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『最強』の刺客

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!

とうとうUAが5000を突破……お気に入りに登録してくださった方も90名様を突破いたしました。
本当に有難いことです……。

拙いなりに一生懸命書いて参りますので、これからもよろしくお願いいたします!

それでは、今回も少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


「……みんな、こんなのはただの言い訳だけど……潮と話していた時は、艦娘達には組んだ提督候補生の艦娘になる習わしがあるってことは知らなかったんだ。昨日の夜初めてその話を聞いて……。本当にごめん……。」

今まで教艦二人にみっちりと訓練漬けの生活をさせられていた彼方は、あまりそういった事情に詳しくなかった。

急変した潮の態度に不安を感じ、その夜太一に相談した結果、そういった習わしが艦娘達の間にあるという話をきいたのだった。

しかし、潮達艦娘の事を考えれば、チームを組んだ提督候補生に卒業後も着いていくというのは極々自然な話だ。

それを考えつかない己の至らなさを深く反省した彼方は、もう一度改めて事情の説明をさせてほしいと三人と談話室で話し合っていた。

 

 

 

彼方は自分の事情を、話せる範囲で全て話した。

その上で、もう一度吹雪達に自分の思いを正直に言葉にする。

「今回のことで、僕をもう信じられなくなってしまったかもしれないけど……それでも僕は君達と一緒に戦いたいんだ。初めて出来た、仲間だから……」

自分勝手でごめん。と彼方は頭を下げた。

潮とは演習当日に初めて同じチームになる事を知ったので、彼方の提督になろうとする理由を話せるタイミングがなかったのは事実だが……その前に吹雪に事情を伝えておくなり、何かしらやりようはあっただろうと思う。

とにかく、彼女達に期待を持たせ、裏切るようなことをしたのは彼方だ。その責任は取らなくてはいけないと思っていた。

「うん、まぁ……正直なところ、潮があれだけ怒っているのを見たら、毒気を抜かれちゃったって言うのもあるんだけどね」

微笑を浮かべ、時雨がおもむろに口を開く。

「彼方も、僕達と一緒にいたいと思ってくれているのは素直に嬉しいよ。僕達も一緒にいたいと思っていたから、さっきは怒ってたんだしね」

「……う~」

ちらりと時雨は潮を流し見るが、潮は暴走状態から我に返ってからはずっとこの調子だ。

どんよりとした雰囲気で落ち込んでしまっている。

しかし、余程思い詰めていたのだろう。彼方はあまりの罪悪感でもう潮には頭が上がりそうにない。

「私達も、朝霧君と一緒に戦いたいって思ってるよ。だから、校長先生の出した条件……クリアしないとね」

今度行われる大規模演習で、対戦相手に勝利すること。

大規模演習は、既に鎮守府に着任して実戦を経験している艦娘と戦うことになっている。

相手は三隻に対して、こちらは二チーム六隻での連合艦隊だそうだ。

数の上では勝っているが、楓が条件に出してくる位だ。

並みの艦娘ではないはず……。

(最強と言われる提督の下にいる艦娘。一体どんな艦娘なのだろう……)

 

 

 

「ーーねぇ、楓が言ってた提督候補生ってのは君?」

急に知らない女の子が彼方の顔を覗きこんできた。

「うわぁ!?」

彼方は驚いて椅子から転げ落ちそうになる。

「あはは、ごめんごめ~ん。楓が条件出したとか聞こえたからさ」

お下げを揺らしながら笑う女性。困惑しつつも、彼方はとりあえず名乗ることにした。

「えっと……僕は朝霧 彼方と言います。貴女は……」

「朝霧~?へー、なるほどねー……そういうことか。私は重雷装巡洋艦 北上。よろしくね」

重雷装巡洋艦ーーかなり珍しい艦種だ。楓の艦娘なのだろうか……。

「あの……北上さんは、校長の艦娘なんですか?」

訓練校にいるということはそうなのかもしれないが……楓の傍らに彼女がいるのを彼方は見たことがない。

「いや、あたしは君達の対戦相手。こっちの二人もね」

北上の後ろから、二人の艦娘がやって来る。

「重雷装巡洋艦 大井よ。北上さんにはあまり近づかないでよね」

「球磨は軽巡洋艦の球磨だクマー。二人のお姉ちゃんだクマ。よろしくクマー!」

「ついさっきここに着いて、久々に校内を散歩してたところでさー。なんか面白そうなこと話してたから、気になって声かけてみたんだよ」

 

 

 

……クマー?

(いや、それよりも僕達の対戦相手ということはーー)

「えっと……貴女達が最強だって言われてる提督の?」

「そういうことだクマ!演習を震えて待てクマー!」

びしっと音をたてるようにこちらを指差し仁王立ちする球磨。

「そうそう。因みにあたしと大井っちは重雷装巡洋艦だから、雷撃が得意だよ。毎年この演習には楓に呼ばれて来てるけど、毎回挨拶代わりに撃った魚雷でほとんど終わっちゃうんだよねぇ」

「球磨は二人が使えない水上偵察機での索敵と、二人が撃ち漏らした敵艦のお掃除が仕事だクマ!」

「因みに使ってる魚雷は九三式酸素魚雷。それが40門よ。まともに私達とぶつかれば近寄る前に雷撃で一発大破は確実ね」

次々に情報を漏らす対戦相手に彼方が困惑していると、球磨がにっこりと笑った。

「ーー話は聞かせてもらっているクマ。慕っている提督と一緒にいたいと思うのは、艦娘なら当たり前の事だクマー。だから、球磨達をその障害にされるのは正直ちょっと癪なんだクマ。今の情報は楓に対するお返しだクマ。上手く使えクマー」

「ただし、あたし達は手を抜く気はないからね?せっかく来たのに簡単に潰れちゃったら楽しくないからさ~」

彼方は球磨達の心遣いに感謝する。

確かに、今回の演習は事前に対策をとっていなければ会敵した時点で終わってしまっていた可能性が高い。

「……それに、貴女達に私達が負けるとはとても思えないもの」

「「「ーーっ」」」

大井が先程から黙りこむ吹雪達へと視線を向ける。

「少しでも長くこの優男と一緒にいたいなら、精々腕を磨いておきなさい」

それだけ言うと、大井は興味を失ったのかどこかへ行ってしまった。

「あー、待ってよ大井っち~。あ、それじゃあね~」

「当日を楽しみにしているクマー!さらばだクマー!」

北上と球磨も彼方達へと手を降りながら大井を追いかけていった。

 

 

 

「雷巡の北上さんと大井さんって……まさかあの……」

「うん、彼女達で間違いないだろうね。」

北上達が去っていって暫く経った後、吹雪が顔色悪く呟き、時雨もそれに続いた。

「二人とも、知ってるの?」

彼方が問いかけると、時雨が緊張した面持ちで答えた。

「ーー彼方、彼女達は鬼級や姫級の深海棲艦を何度も撃破している英雄だ」

鬼級や姫級の深海棲艦とは、海域を支配している強力な深海棲艦のことだ。

その力は強大で、並みの艦娘の攻撃では傷一つつけられない。彼女達は、それを何体も倒しているらしい。

そんな化け物染みた火力を持つ彼女達には、やはり正面から挑むべきではない。

「……勝てるのかな、潮達……」

ぽつりと呟く潮の瞳に微かに漂っているのは、絶望だ。

しかし、今回は彼方に負けは許されない。

彼方が負ければ、彼方は抱えている約束を守れなくなる。

それは、彼方が提督になる意味を失うことと同義だ。

「勝たなきゃダメ……みんなで一緒にいるためには、北上さん達に勝たなきゃ……」

「うん。負けるわけにはいかないね」

「……うん。うん、そうだよね」

三人は、それでも何とか心を奮い起たせた。

相手の情報はある。大規模演習は三隻二チーム計六隻の連合艦隊で挑むことになっている。対策を練るためにも、彼方達には北上達に共に挑んでもらえる仲間が必要だった。

 

 

 

「ーー太一達に協力を仰ごう。協力し合えば、打開策も見つかるかもしれない」

 

 

 

「ーー今度の大規模演習って、あの英雄と戦うのかよ……」

初めてその話を聞いた太一は、心底げんなりとした様子で呟いた。

「ってか、吹雪ちゃん達だけじゃなく霞教艦と鹿島教艦を懸けてその英雄様に勝とうってのは……相変わらず随分と難儀なことやってるな、彼方は」

「私は朝霧と組むことに賛成よ、太一。端から負けるつもりの奴となんて組む価値がないわ」

隣で話を聞いていた叢雲が賛成の意を示す。

「まぁ……そうだな、その通りだ。どうせやるなら勝ったほうが面白い。元々彼方と組みたいとは思ってたんだが……そういうことなら尚更だ」

太一も快く一緒に戦うことを約束してくれた。

 

 

 

心強い仲間を得た。

彼方は一度敗北した太一の強さをよく知っている。

リベンジを果たせないのは残念だが、いずれその機会もあるだろう。

彼方も負けたままで終わるつもりはない。

しかし、太一を仲間に迎えても尚、越えなければならない壁は高い。

 

 

 

「何か作戦を考えないと、正面からでは絶対に勝てない……」

訓練が終わった後の夕方。彼方は一人教室に残って、彼女達を攻略する糸口を掴もうと、頭を悩ませる。

「朝霧君、ちょっとーーお話しない?」

顔を上げると、夕焼けの光を浴びてーーいつもよりも少し儚げな雰囲気を漂わせる吹雪が立っていた。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

次回は吹雪回。
頑張ります!

また読みに来ていただけたら嬉しいです。


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吹雪の勇気

こんばんは!
いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!
今回は吹雪回になります。

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


 吹雪は時雨達との訓練の後、何故かどうしても彼方の顔が見たくなってしまった。

 特に話さなくてはならない事があったわけでもなかったが、訓練の汗をシャワーで流した後、いつもより少し念入りに身支度を整えた吹雪は彼方のいる教室へと向かったのだった。

 

 

 

 北上達と出会ってから今日一日、吹雪には漠然とした不安や焦燥感が常について回るようになってしまっていた。

 訓練にも身が入らず、二人に迷惑もかけた。

 

 

 

 もやもやとした気持ちを抱えながら、教室へと足を踏み入れる。

 

 

 

 彼方は、机に向かって一生懸命何かやっているようだった。

「朝霧君。ちょっとーーお話しない?」

 そう声をかけると、彼方は真剣に机に向けていた視線を上げた。

「ーー吹雪。訓練お疲れ様。話くらい、構わないよ。ここ、座る?」

 彼方は自分の前に吹雪の席を用意してくれた。

 

 

 

 彼方と吹雪は、一つの机に向かい合って座っていた。

 二人の視線が向いているのは、机上の彼方が先程まで作戦を練っていた資料だ。

 そこには、前回の演習で気づいた様々なこともびっしりと書いてあるようだった。

 吹雪達の動きの特徴や戦術の得手不得手。

 相手に即時対応できる陣形の構築と陣形変更のタイミング。

 予想外の事態に対処するための行動指針。

 大規模演習が行われる海域の詳細データ。

 そして、今度対戦する相手の戦術予測とその対処法。

 

 

 

(朝霧君、一生懸命勝つために考えてくれてるんだ……。私達と一緒にいるために……霞教艦や鹿島教艦と一緒にいるために……)

 嬉しい気持ちもあったが、それ以上に吹雪は気持ちが沈んでいくのを感じていた。

「……吹雪?」

 心配そうな目で見る彼方に我に返る。

 

 

 

「ーーねぇ……朝霧君。私、本当に朝霧君と一緒にいて……いいのかな?」

 それは、演習に負けてしまったときからずっと抱えていた想い。

 吹雪は叢雲が飛び出してきた時、完全に油断していた。

 彼方の声で普段以上の力が出せて、気が大きくなっていたのだ。

 彼方の力があれば、自分達は負けない、負けるはずがないと思ってしまった。

 その結果があれだ。

 時雨が倒されるという予想外の事態に混乱し、その隙を突かれ響に撃たれた。

 吹雪は彼方に頼りきっていたのだ。

 

 

 

「ーー吹雪。どうしてそんなことを?」

 彼方が悲しそうな顔をしてこちらを見ている。

「私が!ーー私が……悪いの……。私が、弱いから……」

 最後には消え入りそうな声となり、視線を下に落とす。

 昼間の大井の視線が思い出される。

 吹雪はあの時、完全に萎縮してしまっていた。

 戦う前から勝てないと思わされてしまった。

 そう思っているのを大井に見抜かれた。

 あの時は皆がいる手前、旗艦としての矜持もあって直ぐに立ち直ったように見せられたが、実際は自分の必要性に疑問を持ってしまうほど、吹雪は追い詰められていたのだった。

「だ、だって……私、得意なことなんて何もないの!射撃は時雨ちゃんみたいに上手じゃないし、雷撃だって潮ちゃんのほうが上手い!苦手なことばっかりだよ……」

 次々と弱音が溢れてくる。

 今までは全て自分一人の責任で、自分一人が頑張れば結果はどうあれ自分を納得させることは出来た。

 しかし、今は違う。

 今の吹雪は艦隊の旗艦だ。背負う責任は三倍に増えた。そしてその艦隊の旗艦が引き寄せる結果は勝利でなくてはならない。

 責任が重い。でも、彼方はきっとこれの何倍も責任を抱えているはずだ。

 その上に今は自分がのし掛かろうとしている。

「私、きっと朝霧君の重荷になっちゃう……。私なんて、いないほうがーー」

 

 

 

「吹雪。君は、どうしたいの?」

 深く沈みこもうとする吹雪を彼方の声が掬い上げる。

(迷惑をかけたくないなら、本当は私はこのチームから抜けるべき……だよね……)

 弱い自分が、彼方に対して出来る唯一のこと。

 それが、彼方の前からいなくなる事だというのなら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのね!」

 吹雪は、自分が何故彼方に会いに来たのか、漸く気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝霧君に抱っこして欲しい!」

 

 

 

 ーー吹雪は今彼方の膝の上に座っていた。

「お、重いよね!?ごめんね!」

 顔を真っ赤にして、それでも彼方から降りようとはしていない。

 そうーー吹雪は彼方に甘えに来たのだった。

 今更彼方から離れるなど、本当は吹雪には考えられるはずもなかった。

 愚痴を言ったり、彼方を困らせたりしている内に吹雪は理解した。

 自分は彼方に構って欲しかったのだ。

「重くなんてないよ。吹雪こそ、どうしたの?」

 彼方は予想していなかった吹雪のお願いにかなり戸惑ったようだったが、結局は黙って吹雪を受け入れてくれていた。

「うーん、その……さっきまで言ってたのは、本当にそう思ってることなの。でも、だからって朝霧君達からはもう離れたくない。……だから、勇気が欲しくって」

「勇気?」

 聞き返してくる彼方に頷く。

「うん、そう……勇気。朝霧君に抱っこしてもらったら、勇気がもらえるかなぁって……ごめんね、嫌じゃない?」

 彼方の反応が気になって、おずおずと顔をあげ、彼方を見つめる吹雪。

「い、いや……嫌なんかじゃないよ」

 彼方の顔が間近に見えて、吹雪は惚けたように彼方の顔を見つめ続ける。

 彼方は落ち着きなくそわそわと視線をさ迷わせてはいるものの、吹雪の腰を支える左手は放そうとはしていなかった。

 

 

 

 吹雪は彼方の重荷になりたくないなら、彼方から離れるべきなのではないかと一度は考えた。

 しかし彼方は、吹雪がそうしたからといって、喜んで吹雪を放り出したりはしないだろう。

 むしろ、去っていった吹雪のことまで背負いこんで自分への重りにしてしまうだろうと思ったのだ。

 それでは誰も救われない。だから、吹雪は試しに思い切って全力で彼方に寄りかかってみることにした。

 思いの外というか、やっぱりというか……恥ずかしいけれど、彼方の腕に抱かれるこの感覚は悪くない。いや、とても心地よいと言えた。

 不思議と今まで抱えていた不安が大したことではないように思えてくる。

 吹雪は彼方に甘えることによって、十分に勇気をもらっていたのだった。

 

 

 

「……ねぇ、朝霧君。あの……彼方君って呼んでもいいかな?」

 甘えるついでに、お願いしたかったこともこの際お願いしてみる。

「うん、構わないよ。っていうか……演習の時、そうやって呼んでたよね?」

「えっーーいつ!?」

「ほら、あの叢雲さんの突撃の時だよ。慌ててたからかと思ってたけど」

 完全に無意識だ。普段一人でいる時は彼方君と呼んでいたのが仇になった。

 何とも言えない恥ずかしさに襲われる吹雪。

 羞恥で小さくなる吹雪に、彼方が語りかけた。

 

 

 

「僕はさ、あの時……吹雪を尊敬してたんだ」

 あ、もちろん今も尊敬してるよ?と彼方は付け加え、続ける。

「初めて吹雪と話した時、吹雪は艦隊行動演習の動きを練習してたでしょ?演習でその動きを完璧にやって見せてくれた吹雪に、僕は凄く勇気づけられたんだ」

 所在なさげな右手で、彼方は自分の頬を掻く。

 照れ隠しのようだった。

「努力して、それを結果に出すって言うのは本当に難しいことなんだ。僕は提督になろうと努力し続けてるつもりだけど、中々結果が着いてこない」

 吹雪は、初めて彼方の弱音らしい言葉を聞いた。

 思わず彼方の右手を手に取り、軽く抱くように握りしめる。

 

 

 

「ーー吹雪。君は弱くなんかない。それは僕がよく知ってるよ」

 彼方も吹雪の手を握り返してくれた。

「僕の艦隊の旗艦はーー君だけだ」

 彼方はそう断言してくれた。

 

 

 

 彼方の重荷になるのが嫌ならば、強くなるしかない。

 強くなって、彼方に頼られる立派な艦娘になるんだ。

 吹雪はそう決意した。

 

 

 

「ねぇ、彼方君。あ、あのね……私ーー」

「ーー吹雪……。訓練が終わったのに寮へ帰ってこないと思ったら……それは、いくらなんでもずるいんじゃないかな……?」

「吹雪ちゃん……酷すぎます……」

 吹雪を探してくれていたらしい二人に見つかってしまった。

 二人とも震える声で、静かな怒りを瞳の奥に灯している。

「ひっ」

 二人の放つプレッシャーに、引きつるような短い悲鳴が喉からでた。

「ーー少し、話そうか。吹雪」

 

 

 

 結局ーー時雨と潮も彼方の膝に乗せてもらって、何とか事なきを得たのだった。

 彼方はクラスメイトの女の子を次々と膝の上に乗せる自分に、かなりの戸惑いを感じているようだったがーーとりあえずは、黙ってされるがままにすることにしたようだった。

 

 

 

 ーー数日後。彼方は吹雪をつれて、訓練所の工廠へとやって来ていた。頼んでいた品を受け取りに来たのだ。

「夕張さん」

「あぁ、彼方くん。アレ、出来てるわよ!」

 対北上達用に夕張に製作してもらった、吹雪用の試作兵装だ。

 因みに、夕張は楓の艦娘で、装備の開発、改修等を趣味とする変わった艦娘である。

「この娘が使うのね?はい!こっちが煙幕で……こっちが小型の浮遊機雷ね。海水に触れると外装だけ膨れて大きくなるわ。ただし、攻撃力はほとんどないわよ?」

 夕張は、吹雪に二つの特殊兵装を手渡した。

「ありがとうございます、夕張さん」

「いいのいいの。私と彼方くんの仲じゃない。データよろしく!貴女も後で感想、聞かせてね?」

 

 

 

 これで、作戦のキーとなりうる物は揃った。

 訓練もして、以前よりも練度は格段に上がっている。

 大規模演習までもう日はない。

「吹雪、絶対勝とう」

「はい!」

 決意を新たに、二人は工廠を後にした。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

駆逐艦の娘達は抱っこしたくて堪らないです。

次回からは演習となります。
頑張ります。

それでは、また読みに来ていただけたら嬉しいです。


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総力戦 ー前編ー

こんばんは!
いつも読みに来ていただき、本当にありがとうございます!
とうとうお気に入りに登録してくださっている方が100名様を突破いたしました!
この小説を書き始めた時は、こんなに沢山の方にに読んでいただけるとは夢にも思っておりませんでした。
本当にありがとうございました!
これからも、頑張っていきますのでよろしくお願いいたします!

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


「さーて、どうでてくるクマー?」

 水上偵察機を空へと飛ばし、球磨が不敵な笑みを浮かべる。

 こちらの戦術は相手にある程度伝えてある。

 その上でこちらに勝とうと挑んでくる相手だ。多少なり期待は膨らんでしまう。

 今回は提督代理として楓の力を借りているため本当の全力は出せないが、それでも今の全力で戦う事が出来る相手であることを球磨達は期待していた。

 それに相手はあの海軍一優れた提督と言われた男の一人息子だ。

 

 

 

 球磨達は彼方の父親と因縁があった。

 彼の父と共に失われた艦娘の多くは、今の球磨の提督が着任した鎮守府で建造されている。

 球磨や北上、大井もその一人だと提督から聞かされていたのだ。

 

 

 

 ーーこの世界に、同じ『艦娘』は存在しない。

 艦娘には、二つの魂が宿っているという説がある。

 一つは人としての肉体に宿る、人としての魂。

 もう一つは、艤装に宿る軍艦としての魂だ。

 この二つが合わさって、艦娘は建造されるという。

 艤装が解体された場合、艦娘は元々の人格や建造後の記憶はそのままに人間へと変化する。しかし、軍艦だった頃の記憶は失われてしまうということから生まれた説だ。

 彼方の母親も、元は艦娘であったため解体後も建造されてからの記憶を今でも持っているが、軍艦だった頃の記憶は失っている。

 そして、今まで解体されない限りは同時に同じ艦娘が存在したことがないという事実から、艤装に宿る魂は一隻の軍艦につき一つしか存在しないということが推測されたのだった。

 その説の通り、新たに建造された球磨達は前世の記憶は持ち合わせていない。

 

 

 

 しかし、前世の自分が仕えていた提督の息子と敵として戦っているというのは、中々に面白い。

 彼方には、不思議と艦娘を惹き付ける魅力のようなものがあった。

 今日はきっと楽しませてくれるだろう。

 

 

 

 ーー水上偵察機に反応はない。

 この辺りには来ていないようだ。

「姉さん、ど~お?」

 緊張感なく北上が索敵の首尾を聞いてくる。

「この辺りにはいないみたいだクマ。一体どこにいったクマー?」

 この辺りはちょうど演習範囲に指定されている海域の中央辺りだ。辺りには何もない海のど真ん中といったところ。ここからならどこにいても偵察機で姿くらいは確認できると思っていたが……。

「……ここで索敵に引っ掛からないとなるとーーあの辺りかしらね」

 大井が遠くに見える小島の方を指差す。

 確かにあの島陰に隠れていたら、今偵察機を飛ばしている位置からは見えないだろう。

「んー、じゃあちょっと行ってみる~?」

 北上が大井の言葉に大胆な行動に出ようとする。

「北上、待つクマ!油断はするなクマ」

 恐らく策を用意してきているはずだ。

 迂闊な行動は取るべきではないだろう。

「だったらどうするのさ。さすがにちょっと暇なんだけど~」

 球磨の珍しい慎重論に北上が文句を言う。

 その言葉に球磨が一度偵察機を戻そうかと考えるーー

 

 

 

「ーー動いたクマ!」

 水上偵察機から敵艦発見の報せが届く。

 先程見ていた小島とは真逆の方向だ。

 即座に球磨は視界を偵察機の視界へと切り替えた。

 そこにはーー

 

 

 

「ーー煙……クマー!?」

 

 

 

 もうもうと上がる煙だけが球磨の視界に映りこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー時は演習開始直後まで遡る。

「彼方、敵に接近できる方法は用意できたのか?」

 提督候補生二人は、指揮所で作戦の最終確認を行っていた。

「ーーあぁ。上手くハマれば、何とかなると思う」

 彼方は自分に出来るだけの準備をしてきた。

 彼女達に勝つには、先ずは目を潰す必要がある。

 相手に先に見つかってしまえば、こちらが近づく前に大量の魚雷が襲いかかってくるだろう。

「まずは相手の偵察機を墜とす。そのために、僕の艦隊は太一の艦隊とは別行動をとる」

 目の前に映し出されている海域図の一点を指差す。

「太一達にはまずは索敵を避けるため、海域ギリギリを進んでーーこの島陰に潜んでほしい。上手く乱戦に持ち込めれば、太一の艦隊なら十分に彼女達と戦えるはずだ」

「この島付近までは、彼方の艦隊が釣ってくるってことか。そう上手くいくか?」

 彼方は太一の危惧に対して、自信を持って答えた。

 

 

 

「彼女達なら絶対できる。太一は力を温存しておいてくれ」

 

 

 

『彼方君、目標のポイントに着いたよ』

 通信機から吹雪の報せが届く。

「よし、偵察機には見つかってないよね?」

『大丈夫、まだ姿は見てないよ!』

 一先ずここまでは上手くいっている。

 太一達と別行動中の今、それを勘づかれると各個撃破される可能性が非常に高い。

 相手の索敵範囲から考えれば、今の吹雪達がいるポイントが相手が真っ直ぐこちらへ向かっていた場合の索敵に引っ掛からないギリギリのライン。

 そして、相手もそろそろこちらの狙いに気がつき出す頃だろう。

 

 

 

 ーー頃合いだ。

「吹雪、煙幕展開!広く煙幕を撒きながら次のポイントへ移動して!相手にこちらの位置を知らせるんだ!」

『はい!』

 

 

 

 ーー暫く沈黙が続いた。

 彼方は緊張してモニターを監視する。

『ーー彼方さん!電探が偵察機を捉えました!』

「全速っ!敵艦隊が向かってくる!」

 潮の声に反射的に用意していた指令を送る。

 不用意に限りある魚雷を撃ってくるとも思えないが、現状は煙幕に隠れているとはいえ完全に無防備だ。

 相手にこちらが見えていないように、こちらも相手が見えていない。時雨と潮の持つ電探が頼りなのだ。

 こちらの間合いに入るまでは安心はできない。

『彼方、上手く釣れたようだよ。こちらも三隻艦影を捉えた』

(よし、こちらに注意は向けられたみたいだ)

 時雨の報告に作戦が上手くいっている事を確認した彼方は、僅かに安堵し次の作戦を指示する。

「時雨は指定したポイントで停止!煙幕の中で待機して相手の背後について!吹雪達はそのポイントで機雷を敷設して次のポイントへ移動!」

 

 

 

 煙幕の狙いは、連合艦隊全艦が煙幕の中にいると思わせるためだ。激しく煙を吐き出し続ける夕張特製の試製煙幕は、かなりの効果をあげていた。

 この作戦は、こちらが少数で動き回るために煙幕を隠れ蓑とすることが最も重要な軸となっている。

 相手は半信半疑ながら、目の前にぶら下がる餌に食いつかない訳にはいかないのだ。

 煙幕を放置して、いるかどうかもわからない敵艦を探しにいけば、後ろから撃たれるのはわかりきっている。

 ならば、先に煙幕を撒いている者を倒せばいいと考えるはずだ、と彼方は考えた。

 敵艦隊の動きを見ると、その推測はどうやら間違ってはいなかったようだ。

 上手く作戦が進んでいると判断した彼方は、作戦第一段階の最後の仕上げへと移項する。

「吹雪、煙幕停止!速度はそのままで突っ走って!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー全速で逃げ回る駆逐艦達を追いかけながら、球磨は不思議な感覚に包まれていた。

 敵艦の詳細を把握できないまま追わされているという苛立ちと、それをさせている彼方達への称賛。

 ちゃんと対策を練り、策を講じてきたくれたことに嬉しくなる。

 この逃走劇もいつまで続くのかわからないが、恐らくそろそろ動くだろう。勘を頼りに球磨は主砲を構える。

 その時ーー

 

 

 

 煙幕の中から二隻の駆逐艦が飛び出した。

「ーー二隻!?」

 四隻も足りていない。あの時は周囲に艦影は見当たらなかった。

 囮にしても二隻なのが不自然だ。このやり方なら一隻でも十分なはず。

 とにかく、ここで姿を見せた以上は、必ず近くに残りの四隻が潜んでいる。

(もう一度周囲の索敵をーー)

 

 

 

 瞬間ーー轟音と共に僅かな衝撃。

 手の中の水上偵察機が風穴を開けられて吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー待ってたよ。これで……この前の演習のミスは帳消し、かな?」

 時雨の放った砲弾が吸い込まれるように球磨の水上偵察機を貫いていた。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回の演習は2回か3回に分けて書く予定となっております。

それでは、また読みに来ていただけたら嬉しいです。


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総力戦 ー中編ー

こんばんは!
いつも読みに来ていただきまして、本当にありがとうございます!

今回は引き続き演習となります。

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


「時雨、機雷を盾にすぐに離脱して!魚雷が来る!」

『ーーっ!』

 時雨は彼方の命令を受け直ぐ様動き出した。

 直後に大量の魚雷が大井から発射され、時雨が先程まで立っていたところを通過する。

(ここで時雨を失う訳にはいかない。ーー逃げ延びてくれ!)

 祈るような気持ちで彼方はモニターに映る時雨のマーカーを見つめる。

 モニターに表示される機雷が次々と消えていく。

 この夕張特製の試製浮遊機雷は、対雷巡用の試作兵装だ。

 攻撃力は殆ど持っていないが、魚雷に接触して誘爆を起こさせる程度の爆発を起こす。

 しかし、放たれる攻撃はその全てが必殺の一撃だ。

 相手の間合いの外に出るまでは、常に大破の危険が付きまとう。

 

 

 

 ーー小破。『白露型二番艦 駆逐艦 時雨』

 

 

 

「時雨っ!?」

 表示される文字に彼方は思わず声をあげる。

『ーーっ。大丈夫、かすっただけだよ。やっぱり射撃の腕も相当だね』

 魚雷は全てかわしきってみせた時雨だったが、時雨の隙を突いて放たれた相手の砲撃はさすがに回避しきれなかったのだ。

『一先ずは吹雪達と合流するポイントに移動するよ』

「了解。……時雨、くれぐれも気をつけて」

『うん。ふふっ……ありがとう、彼方』

 ついつい不安のあまり弱気な言葉が出てしまったが、時雨は見逃してくれたようだった。

 

 

 

(ーー気を緩めちゃダメだ。戦いはこれからなんだ!)

 両手で頬を張り気合いを入れ直す。彼方は再度気を引き締め、今度は吹雪達の状況を確認した。

 吹雪達にも、煙幕を切ったことで時雨に向かった大井以外の二隻が追撃を行おうとしているところだった。

「吹雪、潮、作戦は成功した!後は島付近まで誘導するだけだ!」

『はい!』

 吹雪と潮は全速で小島へと走る。

 しかし、そう簡単に見逃してくれる筈もなく、吹雪達の後方にばら蒔いておいた機雷が一斉に消え始めたーー北上の放った魚雷だ。

「潮!吹雪を守って!」

『ーーはいっ!』

 機雷でかなり数を減らしたとはいえ、それでも恐らく二人に到達するであろう魚雷は出てくる。

 ここで吹雪を失えば負けが確定となってしまう。

 しかし、数本の魚雷であれば潮なら必ず守りきってくれると彼方は確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー北上はこの戦いを楽しんでいた。

 最初こそ敵を確認できず退屈だったものの、敵を確認してからは中々面白い相手なのがわかった。

 間合いの不利を十分に理解していた彼方の取ってきた対策は、こちらにとって大きな障害となっていたのだ。

 煙幕も機雷も相当に厄介だ。魚雷には限りがある。そうそう無駄撃ちはできない。

 よく考えてきたのだろう、一隻も沈められずここまで時間がかかるとは。

 しかし……そろそろこちらも一隻くらいは仕留めたい。まずはあの煙の中から出てきた奴等から。

「40門の酸素魚雷は伊達じゃないからねっと」

 ありったけの魚雷を二隻くっついて逃げ回る駆逐艦に向けて放つ。

 

 

 

 ーー圧倒的な物量で押し潰す。

 機雷がその多くを巻き込み爆発して消えていく。

 しかし、魚雷全てを消しきれはしない。

 数本の魚雷は命中する計算だ。

 

 

 

「ーーはぁ!?」

 北上はその光景に思わず驚きの声をあげてしまった。

 命中するはずの魚雷が駆逐艦に命中する前に爆発した。

 潮に迎撃されたのだ。とてもじゃないが実戦も経験していない駆逐艦のやることではない。

 

 

 

(あーあ、結局魚雷無駄撃ちさせられたかー……)

 自然と北上の口が弧を描く。

「いいねぇ、しびれるねぇ……!」

 これは面白くなってきた。

 恐らくこのまま相手の思い通りにこの戦いは敵味方入り乱れる乱戦へと突入するだろう。

 しかし、それでも北上は負ける気はしない。

 直に夜が来る。

 夜戦が得意なのは駆逐艦だけではない。

「ギッタギタにしてあげましょうかね!」

 まだまだ楽しめそうなこの戦いに、北上は笑顔でそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『彼方さん……魚雷の迎撃に成功しましたぁ!』

「ありがとう、潮!よくやってくれたよ!」

 これで相手の間合いの外に逃れた。暫く追撃はない。

 時雨も上手く離脱出来たようだ。

(ここからだ……空も暗くなってきた。太一の艦隊との合流ポイントまで後少し)

「はぁー、上手くいっちまいそうだな。彼方、お前よくここまで相手を手玉に取れたな!」

 感心した声音で先程まで黙って戦況を見ていた太一が声をかけてくる。

「ーー頑張ってくれた吹雪達のお陰だよ。それに、試作兵装を造ってくれた夕張さんのお陰」

 実際本当にそうだ。この作戦は試作兵装を軸に組み立てた作戦。あれがなければまずこちらの土俵に相手を連れてくることすら出来なかっただろう。

 それを使っても尚綱渡りな作戦だ。

 上手くいったのは吹雪達の頑張りのお陰以外の何物でもない。

「謙遜すんなって!こっからは俺らも参戦だ。英雄様に一泡噴かせてやろうぜ!」

 太一も彼方を信じて待っていてくれたのだ。その信頼に応えたい。

「あぁ、ここからだ。絶対勝とう!」

 彼方は太一と力強く頷き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー夜がくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「響、照明弾!」

 太一の発令と共に一気に事態が動き出す。

 漆黒の海を煌々と照らす光が空へと上っていく。

 敵艦三隻は、無意識にそれを見上げてしまった。

 それはーー致命的な隙となる。

 水上偵察機を失っている敵艦隊は、動き出したもう一つの艦隊の位置に今初めて気がついた。

 突如闇の中から飛び出す影ーー狙いは旗艦の首一つ。

 完璧なタイミングの突撃は、容易に相手を貫くことができる必殺の一撃だ。

 激しい火花と共に甲高い金属が擦れ会う音が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーっ!浅い!」

 ーー仕損じた。完璧なタイミングで放った必殺の一撃を紙一重とはいえ避けられた。

「ふふん。そうくるだろうと思っていたクマ。まさか超近距離戦でくるとは思っていなかったがなクマ」

 球磨ががっちりと掴んだ槍には力が籠められ、叢雲には振りほどく事ができない。

 槍を諦めた叢雲は即座に槍から手を離し離脱しようとする。

 しかしーー

「遅いクマ!」

 既に照準を合わせられていた球磨の主砲から砲弾が放たれようとしている。

 駆逐艦にとっては至近距離から受ければその砲弾すら致命の一撃だ。

「叢雲ちゃん!」

 声と共に轟音ーー

「クマ!?」

 慌てて予想外の位置から放たれた砲撃を身体を反らして無理矢理かわすーー体勢を崩しながら放たれた球磨の砲弾は、あらぬ方向へと飛んでいった。

 叢雲の下へと駆けつけたのは吹雪だ。

「大丈夫、叢雲ちゃん!?」

「大丈夫よ……。助かったわ、姉さん」

 その隙に球磨はそのままバック転をするように体勢を立て直す。

「今のは少しビックリしたクマ。ーーでも、勝負はこれからクマ!クマの力を見せてやるクマー!」

「……変わった口調の人ね……」

 微妙に脱力感がある中、旗艦同士の戦いが始まった。

 

 

 

 ーー小破。『球磨型一番艦 軽巡洋艦 球磨』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーで、あたしの相手はあんた達がしてくれるのかな~?」

 北上は奇襲を受けたというのに、全く気にした様子もない。むしろ反撃する余裕すら見せながら、そう問いかけた。

「……なんであれが当たんないのよ、おかしくない?」

「……あ、曙ちゃん……大丈夫?」

 対峙する少女二人の見た目は対称的だ。

 一人はボロボロの傷だらけ、もう一人は傷一つない姿だ。

「潮と組むとどうしていつもこうなるのよ!」

「……そんなこと、潮に言われても……」

 ーー潮は敵の攻撃の標的になりにくい。特に曙と一緒にいるときはその傾向が強かった。

 緊張感なく言い争っている二人に、北上も緊張感なく話しかける。

「そっちのおっぱいの娘は魚雷を撃ち落とすからねぇ。先に『楽そうな方』を狙っただけだよ」

 その言葉に曙がぴくりと反応する。

「ーーっ!嘗めるんじゃないわよ!」

「曙ちゃん、挑発だよ!乗せられちゃダメっ!」

 飛び出す曙に、それをフォローするように動く潮。

 二人を見ながらやはり北上は緊張感なく笑っている。

「そうそう。しっかりウザイところを見せてよね、駆逐艦!」

その言葉を合図に、激しい砲雷撃戦が幕を開けた。

 

 

 

 ーー中破。『綾波型八番艦 駆逐艦 曙』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー照明弾なんて上げておいて、無事で済むはずないって分かっていたでしょう?」

 大井の側には、主砲の直撃を受け倒れる響の姿。

 大井は照明弾が上がった瞬間ーー無意識に見上げてしまったのと同時にその光に照らされた見知らぬ駆逐艦を発見した。

 奇襲作戦を看破した大井は直ぐ様その駆逐艦に向けて砲撃を行う。照明弾を上げた響はその判断の迅速さに対応できない。

 動きを止めてしまった響は、大井に仕留められないはずがない相手だった。

(これで一隻ーー)

 あと何隻が自分に向かってくるだろうか。

 考えて、倒れる響に一瞥をくれ、大井が移動を開始しようとするーー

 

 

 

 轟音と共に激しい衝撃。左腕に装着していた魚雷が全て吹き飛び、大井自身も爆発に巻き込まれ吹き飛ばされる。

「ーー響、悪かったね。……でも、この人にはちょっと借りがあるんだ」

 声と共に闇から浮き上がる姿。

「さっきはよくもやってくれたね」

 淡々と言葉を発しながら近づいていく。

「お陰で彼方に心配かけさせちゃったじゃないか。正直嬉しかったよ、ありがとう」

 紡がれるのは、明らかにズレているが本人はいたって真面目らしい感謝の言葉。

「ーーこれで、後二隻。目指すは完全勝利だよね、彼方」

 嬉しそうに呟いて、時雨は他の艦娘の援護へと向かった。

 そこには、魚雷の爆発に巻き込まれボロボロになって気を失っている大井の姿があった。

 

 

 

 ーー大破、行動不能。『暁型二番艦 駆逐艦 響』

 ーー大破、行動不能。『球磨型四番艦 重雷装巡洋艦 大井』




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

曙ちゃんはいつもいつの間にかボロボロ。
でもそこが可愛い、意地悪したい。

それでは、次回で演習終了です!
また読みに来ていただけたら嬉しいです!


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総力戦 ー後編ー

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!
感想やお気に入り、評価していただけて、本当に励みになっております!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 ーー時雨は訓練校の艦娘の中でも非常に優秀な艦娘だ。

 その評価の理由は、夜戦の圧倒的な強さによる。

 闇に紛れて敵艦に近づき、一撃のもとに相手を沈める。

 こと夜戦に関して、訓練校で時雨に勝てる艦娘は一隻たりとも存在しない。

 先の演習で叢雲が真っ先に時雨を狙ったのも、彼方の艦隊の中で最も危険度が高いのが時雨だったからだ。

 夜になった時点で負けが確定する。

 時雨とは、そういう艦娘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大井っちがやられたぁ!?」

 巨大な爆発と共に、仲間の艦娘が大破したという報せが入る。

 にわかには信じ難い事態だ。

 つい先程大井が敵艦一隻を沈めたという報せが入ったばかり。

 大井がたかが敵艦一隻を倒したことで油断していたとも思えない。

 一体何がーー

「余所見なんてしてんじゃないわよ!」

「おぉっとぉ!?」

 意識を逸らした瞬間を狙い曙の砲撃が放たれるが、北上は反射的に身体を捻って砲弾を紙一重でかわす。

 危ういところだったがどうにか回避できた。

(中々この子らも腕が立つ。あたしも油断はできないねぇ)

 改めて相手をしている駆逐艦達の練渡の高さに驚かされる。

 自分達がいた頃は、ここまで今の自分と戦える駆逐艦などいなかったように思う。

 そこにこの駆逐艦達と提督候補生との間の信頼の厚さが伺えて、北上は少し嬉しくなる。

「さぁて、反撃といくよ!」

 北上は牽制の砲撃と共に魚雷を放とうと身構える。

「ーーっ!させません!」

 即座に潮の魚雷を狙った砲撃が飛んでくる。

「っあぁ!もう、ウザイ!」

 魚雷に砲弾が直撃すればこちらが危うい。

 北上は攻撃を取り止めて距離を取るしかなかった。

 先程からこれだ。こちらの攻撃は初動で潰され、有効打を放てない。

 相手の二隻は完璧な連携を構築しつつあった。

 

 

 

(とんでもない目をしてるねぇ。これじゃ魚雷を投棄した方がまだマシに思えるよ~)

 北上はうんざりしつつも、仕切り直して再度連携を崩す手を考えて動き出す。

「ま、どうせ棄てるなら派手にいこうか!」

 北上の答えは残る魚雷の全弾発射。

 潮への牽制のために放った単装砲からの砲弾が、潮の目の前で着弾し大きな水飛沫を上げ視界を奪う。

 その一瞬の隙をついて40門の魚雷全てが曙と潮に放たれた。

(まさかこれで終わりはしないよねぇ?)

 北上は期待を込めて相手がどう凌ぐかに意識を集中する。

 

 

 

「曙ちゃん、潮の後ろに!」

「……盾になろうだなんて考えんじゃないわよ!?全弾撃ち落としてやんなさい!」

 二人の叫び声と共に一気にいくつもの水柱が上がっていく。

 上手く誘爆を利用して魚雷を捌いているのだ。

 はっきりいって異常な程の技術。戦い始めた時より明らかに強くなっている。

 しかし、水柱が上がれば上がるほど視界はどんどん悪くなる。

 とうとう潮の目をもってしても魚雷が捉えられなくなった。

「曙ちゃん、潮から離れて……!」

 もはや潮は前方に自分の魚雷を盾として放つ以外に助かる術はないと考えた。

 曙を突き飛ばした潮は、前方に魚雷を全弾発射。

 直後に爆発と巨大な水柱が上がる。

 

 

 

「潮!?」

 水飛沫が消えた後、曙が潮の様子を確かめると、潮は魚雷の直撃を受け、ボロボロになって倒れていた。

 

 

 

「ーーまさか、あの場でこっちに魚雷撃ってくるかねぇ……」

 つくづく予想外のことをしてくる艦娘だ。

(これでこっちも満身創痍かぁ)

 潮の放った魚雷のうちの一本が北上に大きなダメージを与えていたのだ。

 こちらが魚雷を撃ち尽くしてなかったら、今ので沈んでいたのは北上も同じだった。

「ま、後はボロボロ同士だし……なんとかなるかな~」

 気楽に言うと、単装砲を構える。

「何よ!あたしはまだまだやれるわ!」

 対峙する曙もまた満身創痍ながら、戦意は失っていない。

 いや、それどころか潮が倒れたことでさらに燃え上がっているように見えた。

 元気なものだ。これだから駆逐艦はウザイ。

「でも残念。射程はこっちのが長いんだよねぇ」

 北上が放った魚雷の対応のために距離が離れている今、中破状態の曙にそれを縮める術はない。

 北上は勝ちを確信したーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二隻目」

 呟くような声と共に衝撃。

 思いもよらぬ方向からの激しい衝撃に北上は吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何がーーげっ……あんた」

 茫然と呟いた曙が、事態を引き起こした艦娘に気がつき心底嫌そうに呻く。

 そこに立っていたのは、今は味方である時雨だ。

 空の魚雷発射管から察するに、北上を吹き飛ばしたのは時雨の魚雷なのだろう。完璧な不意打ちだった。

「ーー無事かい、曙。僕は最後の一隻と戦ってる吹雪達のところへ行くよ」

 敵艦を沈めたというのに、何でもないことのように時雨は次の獲物を求めて動き出した。

 夜の時雨はさながら血に飢えた獣だ。

 敵とみれば容赦なく食らい尽くすような異様な雰囲気を、今の時雨は纏っていた。

「今はあいつが味方で本当に良かったわ……」

 時雨が去ってしばらくして、無意識に忘れていた呼吸を思いだし、曙は溜め息を吐く。

 曙は正直あの時の時雨には近づきたくない。

 しかしーー

「ーーそういうわけにもいかないわよねぇ……。まだ叢雲も戦ってるし」

 今の自分では大した力にはなれないだろうが、潮が守ってくれたのだ。その分の働きはしなくてはならない。

「待ってなさい、潮。あたしが潮を勝たせてあげるわ」

 倒れている潮の頭を優しく撫でて、曙も残る最後の敵艦に向かって動き出した。

 

 

 

 ーー大破、行動不能。『綾波型十番艦 駆逐艦 潮』

 ーー大破、行動不能。『球磨型三番艦 重雷装巡洋艦 北上』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらほら、どうしたクマ!お前達の力はそんなものかクマー!?」

 軽やかに吹雪達の砲撃をかわしながら、的確に反撃を行ってくる球磨に、吹雪達は攻めあぐねていた。

「どうしよう、叢雲ちゃん。攻撃が全然当たらないよ……」

「……こちらも損害が増えてきたわ。このままじゃじり貧ね」

 後一手、球磨の体勢を崩せる何かがなければ攻撃は当たらない。

(せめて槍があれば……)

 超近距離戦で挑むことができれば、勝機はある。

 問題の槍は、遠くに浮かんでいるのが見えている。

 先程から拾おうと近づこうにも、球磨に邪魔されて近寄ることができないのだ。

 そこまで辿り着くには、援護が要る。

 

 

 

「ーーその隙は、僕が稼ごう」

 闇から浮かぶように時雨が現れた。

「「時雨(ちゃん)!?」」

 全く気配を感じさせない登場に吹雪と叢雲が驚愕する。

 当の本人はそれを全く意に介さず、淡々と球磨に事実を突きつける。

「雷巡の二隻は倒した。後は貴女だけだよ」

「北上と大井をやったのはお前かクマー!?」

 球磨は現れた時雨に警戒心を露にして対峙する。

 先程まで戦っていた吹雪や叢雲とは明らかに異質な存在。

 この艦娘は一騎打ちだったとしても容易に勝てる相手だとは思えなかった。

「不意打ちして漸く、だけどね」

 事も無げに時雨は答える。しかし、時雨が行った不意打ちというのは、夜戦においては極意だ。

 その時雨が敢えて表に出てくることの理由の方が、球磨には気がかりだった。

「……お前、何のつもりだクマ?」

 時雨の真意を図りかね、球磨が訪ねる。

「ーー鋭いね。実はもう不意打ちしようにもする武器がなくてね。今の僕には時間稼ぎしかできない」

 そういう時雨の脚には、確かに空の魚雷発射管が着いているだけだ。取り回しに難のある、背中の主砲だけが時雨に残された武装だった。

 大井のときは魚雷を誘爆させることで倒すことができたが、球磨は魚雷をどこに身に付けているのかわからないためそれができない。

 現状、球磨を倒せる可能性があるのは叢雲の槍だけだった。

「吹雪。一緒に時間稼ぎしてもらえるかな?」

「うん、わかったよ!時雨ちゃん。叢雲ちゃんは槍をお願い」

 叢雲の前に吹雪と時雨が立つ。

「……わかったわ。槍を取ったらすぐに戻るから」

 言うが早いか、叢雲は槍の下へと走り出す。

 

 

 

 ーー時雨が背中から降ろした主砲を手に球磨に肉薄する。

「甘いクマ!」

 近距離戦を得意とする球磨は、時雨の突撃を勢いを殺さぬまま体術のみで回避し、勝負を決めにかかる。

「お前達の狙いはわかっているクマ!」

 球磨が取り出したのは魚雷だ。

 狙いは叢雲。叢雲を倒せばこの演習は球磨達の勝利になるだろうことは球磨も理解していた。

「ーーっ」

 突撃を回避された時雨が、勢いをそのままに前転の要領で空中で身を翻す。

 そのまま砲撃。

 球磨は背後から至近距離で放たれる時雨の砲撃に対処できない。

「クマー!?」

 強い衝撃に球磨が魚雷を取り落とす。

 しかし、まだ球磨を倒すには至らない。不安定な体勢から放たれる砲撃では威力が足りなかった。

「まだ!私だって!」

 気合いと共に吹雪から球磨へ目掛け魚雷が放たれる。

 

 

 

「ま、まだまだクマー!」

 吠えるように球磨が叫び、魚雷の射線上から横っ飛びに回避しつつ、球磨も再度魚雷を取り出し吹雪に発射する。

 これには吹雪も堪らず追撃を諦め魚雷から逃げ出そうとするが、爆発の余波に吹き飛ばされた。

 そこをカバーするように再度時雨の砲撃が放たれる。

 

 

 

 牽制に見せかけた時雨の砲撃は避けるまでもなく球磨の背後に着弾した。

 上がる水飛沫と轟音。

 球磨は即座に相手の狙いに気がついた。

「ーー後ろクマ!」

「なっーー!?」

 球磨は突撃してくる叢雲を姿勢を極限まで下げすり抜けてかわし、そのまま叢雲を空中に蹴り上げる。

「これでお仕舞いクマ!」

 空中で身動きが取れない叢雲に強烈な砲撃が放たれた。

 凄まじい衝撃に叢雲の身体が木の葉のように吹き飛ばされる。

 吹雪と時雨は予想外の事態に動きを止めてしまった。

「もう一つクマ!」

 時雨に向かって球磨の魚雷が発射された。

 度重なる無理な体勢での射撃に、時雨は魚雷の回避に行動を移すことができない。

「ーー叢雲ちゃん、時雨ちゃん!?」

 爆発と轟音。巨大な水柱をあげて叢と時雨の行動不能となった報せが入る。

 

 

 

「ーーさぁ、後はお前で終わりだクマ!」

 球磨は全身ボロボロになりながらも立っていた。

(か、勝てない……私一人じゃ……)

 吹雪は、明らかに自分より強い仲間達を失って、戦意を喪失しつつあった。

 何か手はないのかーー自分でも球磨に一撃を入れられる策はーー

(そうだ、煙幕ーー!)

 思いついたのは彼方にもらった新たな力。

 それにすがるように即座に吹雪は煙幕を展開。球磨を中心に円を描くように煙幕と機雷をばら撒いていく。

 ただでさえ視界の悪い夜の海に更に煙が加わって、辺りはもう何も見えない。

(でも……もうこれに掛けるしかない!)

 一撃だけでいい。一撃さえ入れればきっと相手は倒れてくれる。

 吹雪は懸命に球磨を攪乱し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ーー正直最後の相手としてはあまり面白くはないクマ。だけど、諦めないその姿勢は評価してやるクマ)

 今でも懸命に勝とうともがいている吹雪には素直に好感が持てる。それだけに憐れでもあったが。

 

 

 

 ーー吹雪は自分が中破していることに気づいていない。

 艤装から火花を散らしながら煙を噴き出し走り回る駆逐艦を眺める。

「これも仕方のないことクマ」

 相手が自分達よりも弱かったということだ。

 

 

 

 球磨は主砲を構え、未だ健気に走り回っている吹雪へと照準を定めた。

「悪く思わないでほしいクマ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この夜何度目かという轟音。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーだから、嘗めないでって言ってるでしょ」

 球磨を狙撃した曙から、溜め息と共にいつもの憎まれ口が吐き出されたのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

戦闘難しすぎる……。
でもこれで暫くは戦闘なしの日常が続きます。

それでは、また読みに来ていただけたら嬉しいです!


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姉妹の想い

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

とうとう20話となります。
この妄想がいつまで続くかわかりませんが、これからもお付き合いいただけましたら本当に嬉しいです!

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


 翌朝、入渠を終えた大井はぼんやりと一人海を眺めていた。

「……負けちゃったわね」

 ぽつりと呟く。

 そうーー『最強』の提督の艦娘である大井達は、たかが提督候補生の率いる艦娘に敗北した。

 それは、彼方にとっては自分の約束を果たすために絶対にクリアが必要な条件であったが、大井にとってもまた、一つの重要な転換期となった。

 大井は今回の演習の結果如何で、ある取り決めがかわされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を……ここの教艦に!?」

 

 

 

 ーー演習の数日前、例年よりかなり早い時期の楓からの呼び出しに応じて訓練校へやって来た大井達は、到着後すぐに向かった校長室で驚きの提案を聞かされていた。

「えぇ、そうなの。貴女達がもし彼に敗れた場合、この訓練校は貴重な教艦を二隻も失うことになる。そこで、かねてより出されていた貴女の希望を受けることにしたのよ」

 大井の希望ーーそれは……前線を退き、後進の艦娘や提督候補生を育てる教艦となることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前、まだ北上と大井が建造されたてだった頃ーー北上と大井は建造された鎮守府から離れ、樫木提督が設立したこの訓練校で臨時教艦を勤めていた時期があった。

 北上はまとわりついてくる駆逐艦達に嫌気が差し、あまり気の進まない仕事だったようだが、大井はその仕事が好きだった。

 自分の指導によって若者達が立派に成長して巣だって行く姿を見たとき、大井は複雑な気持ちになりながらも涙してしまった。

 ーー頼りない男だった提督候補生達が、艦娘達から信頼される立派な提督に成長した。

 ーーまともに艦隊行動もとれない艦娘達が、立派に艦隊戦をこなすようになった。

 自分がその手伝いをできたということが、大井にとっては深海棲艦を倒すことよりもよっぽど嬉しかったのだ。

 一年という短い期間ではあったが、その教艦として過ごした想い出は、大井の中でいつも強く光輝いていた。

 

 

 

 しかしーー大井は強かった。強すぎた。

 他の艦娘を圧倒する火力を持つ重雷装巡洋艦は、戦地で強力な深海棲艦と戦う使命から逃れることができなかった。

 北上と共に戦地を駆けずり回る間も、大井は教艦として過ごした想い出を糧に、生徒に恥じぬ戦果を挙げるために必死に戦い続けた。

 そして、英雄と呼ばれるようになって初めて、大井は自分の我が儘を口にした。

 

 

 

「ーーで、大井。話ってのはなんだ?」

 執務室に入室早々の提督からの問いかけに、大井は深呼吸してから答える。

「私、楓のところで教艦になりたいんです」

 大井は真っ直ぐに正直な気持ちを提督にぶつけた。

「……そうか。わかった、話は聞いた。他に用がなければ退室していいぞ」

 提督は暫しの間目を瞑り考えた後、大井に退室するよう促す。

 大井は二の句も継げず、黙って退室するより他になかった。

(……やっぱり聞き届けてなんてもらえないわよね)

 全く意に介さない様子だった提督に、大井は嘆息する。

 わかっていたことだ。自分は戦力的に必要だろう。

 しかし、いくらかの落胆は避けられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー聞き届けてくれていたのか、提督は。

 楓から聞けば、大井が我が儘を言ったすぐ後に提督は楓に連絡をしてきたそうだった。

 しかし当時は教艦が足りていたため、その話は受け入れることができなかった。

 その事実を楓から聞かされた大井は愕然とした。

 あの粗野な男は、大井の我が儘を真っ先に叶えようとしてくれていたのだ。

 上手くいかなかったから、大井を落胆させたくなくて黙っていたのだろう。

 よくよく考えてみれば、あの男はそういう男だった。

 

 

 

 大井は悩んだ。

 いざ教艦という夢が目の前にぶら下がると、本当に食いついていいのか不安だった。

 北上を戦地に一人残して自分は安全な場所で夢を叶える……本当にそれでいいのだろうか。

「あ、その話喜んで受けさせてもらうよ~」

 悩む大井の隣で、北上が即答していた。

「ちょっ!き、北上さん!?」

 大井は悩んでいたことも忘れてあまりの驚きに飛び上がった。

「ーーだって、大井っちは教艦やりたいんでしょ?大井っちは優しいから、あたしもそっちの方が向いてると思うなー」

 何でもないことのように、北上は大井を遠ざける選択をした。

 ーーいや、何でもないはずなんてない。ずっと北上の背中を守ってきた大井だ。北上が何を考えているかなど手に取るようにわかる。

 北上は、大井のことを一番に考えてくれているのだ。

 自分の背中を守らせることより、大切な姉妹の夢を後押しすることを選択した。

 

 

 

 ーー結局、大井はその提案を受け入れることとなった。

 その直後、訓練校で顔を合わせた自分の未来を握る青年を前にして、大井は複雑な想いを上手く形にすることが出来ず、逃げるようにその場を去った。

 自分はどうするべきなのかーーその迷いは、演習が始まっても答えが出ることはなかった。

 その迷いのせいで、大井はあそこまで無様に不意打ちされて吹き飛ばされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かっこ悪かったわね、私……」

 ぼんやりと海を眺めながら、演習のことを思い出す。

 今思えば、昼間に時雨の狙撃をしくじった時から、もう既に答えは出ていたのだ。

 

 

 

 ーー大井はこの演習に、『負けたかった』。

 必死に戦ってくれていた球磨や北上には本当に申し訳ないことをしてしまった。

 

 

 

「あ、いたいた。探したよ、大井っち~」

 気の抜ける声で最愛の姉が大井の傍にやって来た。

「北上さん……昨日は、ごめんなさい」

 大井は、昨日の不甲斐ない自分の働きを謝罪する。

 北上は大井のために、一生懸命に戦ってくれていた。

 ーー勝てば大井と一緒にまた戦場で戦える。

 ーー負ければ大井の夢を叶えてあげられる。

 二つの想いを抱えながら、それでも北上は迷うことなく全力で戦っていた。

 北上は提督候補生とその艦娘という関係が、大井が生涯を懸けるに足る存在かどうか、確かめたかったのだ。

 

 

 

「強かったよねぇ、あの子らみんなさ~」

 笑顔で、安堵すら見せながら北上は笑う。

「……はい」

 大井は、抱えた膝に伏せた顔を上げることができない。

 くぐもった声で聞こえてきた返事に、北上は微笑を浮かべながら続けた。

「大井っちがやりたい仕事ってのはさ。強い深海棲艦を自分で倒すことよりもよっぽど価値があることだって、思ったよ」

 まだ実戦も経験していないようなひよっ子に、百戦錬磨の自分達が敗れた。

 自分達の力なんて、所詮はこの程度だ。

 英雄だなんだと持て囃されたからといって、出来ることなんてたかが知れている。

 そんなことよりも、自分達に負けないような新たな力を数多く育てることの方が余程価値がある。

 昨日の演習で彼らはそう証明してみせてくれた。

 

 

 

 ーー自分はいつか戦地で沈むだろう。

 しかし、大井が教艦として生き残ってくれていれば……その時も安心して沈むことが出来る。

 北上はそう思っていた。

「大井っち、立派な教艦になってよ。あたし応援してるからさ」

 膝を抱えて丸くなる大井の背中を優しく撫でながら、北上は優しく微笑んでいた。

「……はい」

 大井もまた膝を涙で濡らしながらも、北上の優しさに微笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、ハイパーズ。お迎えにきてやったぞ」

「「提督!?」」

 振り向くと、大井達の提督が立っていた。

「何だ、結局あたし達が心配でここまで来ちゃったの~?」

 すぐに北上がいつもの調子に戻って提督をからかう。

「っせーな!当たり前だろ、俺の大井を奪おうとされてるのに机に座ってなんかいられるかよ!?」

「なっーー!」

 照れ隠しなのかなんなのか、顔を赤くして声を荒げる提督にーー誰があんたなんかの、といういつもの憎まれ口ももう叩くことができなくなるということに思い至った大井は、ついつい口をつぐんでしまった。

「あはは、まぁそうだよねぇ。来るんじゃないかとは、思ってたよ。ーーでもそれなら、あたし達を指揮してくれたら良かったのに」

 すっかりいつもの調子で提督と話し出す北上。

 大井はまだ暫くはいつもの調子に戻ることは出来なさそうだった。

 

 

 

「バカ言え。負けたいのに何で俺が指揮しなきゃいけねぇんだ。俺が指揮したら負けたくても負けられねぇだろうが」

 この言葉は照れ隠しでも何でもない。ただの真実だ。

 それは、能力的な意味でもあるし、立場的な意味でもある。

 大井の提督は『最強』だ。

『最強』に負けは許されない。

 提督は二人を交互に眺め、にやりと口を歪めた。

 

 

 

「ーーで、俺のハイパーズを泣かしたひよっ子提督は、どこのどいつだ?」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回はハイパーズ回でした。
ちょっと書くつもりが丸々1話……。

でも大井さん大好きなんです。
実はこの小説を考え始めたとき、最初はメインヒロインは大井さん、というくらいでした。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!

今日も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 彼方達は演習の翌朝、宿舎の一室に集まり祝勝会を開いていた。

「ーー皆、本当にありがとう。皆のお陰で、僕は大切な約束の一つを果たすことが出来そうだよ」

 心からの感謝を込めて、彼方は全員に頭を下げた。

 本当に、皆のお陰だ。彼方の約束は、彼方だけでは果たすことが出来ないものばかりなのだ。

 これからも多くの人の力を借りて、大きな事を成すために彼方は努力を続けていかなくてはならない。

 そして、力を貸してくれた者達から受けた恩を返すためにも、更に努力を続けていかなくてはならないのだ。

 彼方にはまだまだ立ち止まることは許されない。

 

 

 

「彼方、そんな堅いことは言いっこなしだよ。僕は彼方を提督にするって決めたんだ。そのために全力を尽くしたに過ぎないよ」

 時雨が微笑みを浮かべて彼方の前に進み出る。

「それに、ほら……その言葉はとても嬉しいんだけどーー僕はもっと目に見える形でご褒美が欲しいなって、思うんだ……どうかな?」

 僕、結構がんばったでしょ?と、上目遣いで小首を傾げる時雨が彼方の頬に手を伸ばそうとした瞬間ーー

 

 

 

「ーーち、ちょっと待って下さい!」

「う、潮!?どうしたのよ急に大声なんか出して……」

 急に椅子から立ち上がって声を上げる潮に、隣に座っていた曙が驚きの余り椅子から転げ落ちそうになる。

 しかし、潮はそんな曙など全く気にすることなく彼方だけを見つめている。

「……潮だって、彼方さんに潮の提督になってもらおうって……必死に、頑張ったんです。……潮にも、ご褒美……欲しいです」

「わ、私だって!まだまだ弱くて皆に迷惑かけちゃったけど……精一杯戦ったんだよ?彼方君と、ずっと一緒にいたくて……それだけで、私はーー」

 潮に続き吹雪まで立ち上がり彼方へと詰め寄る。

 

 

 

「なぁ……叢雲さんよ。ご褒美欲しい?」

「……はぁ?気持ち悪いから二度と言わないで、不快よ」

「あれー?彼方がおかしいのか?辛辣過ぎない?」

 何やら漫才を始める太一と叢雲を余所に、彼方は予想を遥かに超える事態に困惑するより他になかった。

 

 

 

 あの吹雪を膝の上に乗せることを受け入れた日から、彼女達の彼方に向ける目が少しずつ変わってきていたのだ。

 それは、今回の演習で決定的になってしまった。

 もはや彼女達の目には、彼方しか映っていない。

 確かな信頼は得られたようだが、それ以上の想いまで彼方は得てしまったようだった。

「あ、いやっ……ご褒美っていうか。僕に出来ることだったら、お礼はさせてもらいたいところだけど……」

 三人の圧力に気圧されて彼方は半歩後退る。

 対する三人は彼方からの言質を得て満足気に頷いた。

 

 

 

「彼方からのお礼かぁ……何がいいかな。やっぱり夜の海辺でーー」

「彼方さん……潮、楽しみにしてますね?」

「んー、やっぱり一日中抱っことかが……」

 三者三様、それぞれが彼方からのお礼の気持ちをどのような形で受け取るか、想いを馳せる。

 その様は、さながらーー

 

 

 

「お、おい……あれってハーレムって奴だろ……初めて見るぜ……」

「そうかしら。私には羊に狼が群がってるように見えるけど」

 太一の愕然とした声に叢雲の冷めた感想が返される。

 提督と艦娘の関係の形は様々だ。

 彼方のように、多くの艦娘達から想いを寄せられる提督もいればーー太一のように、友人関係のように対等な立場で信頼関係を築き上げる提督もいる。

 そして、自身の持つ絶対的な力で信頼を勝ち取り、艦娘を従える提督も存在した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祝勝会を行っていた部屋のドアが叩き壊されるのかという程の勢いで開かれる。

「おう、邪魔するぜ。ーー朝霧彼方ってのは、お前だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然やって来た男ーー後ろには球磨、北上、大井と昨日の演習相手を連れている。

 見たところ年齢は二十代半ば程度、高身長に白い軍服の上からでもわかる鍛え抜かれた体つき。

 視線は鋭く、只者ではないと一目で理解できる程の威圧感を放っている。

 この男がーー

「ーー草薙 颯人(くさなぎ はやと)!?」

 太一が驚きに思わず立ち上がる。

 同時にこの場にいた男の後ろに立つ艦娘以外の、全ての艦娘が身構えた。

「ーー何よ、こいつ……」

 叢雲の額を汗が伝う。

 艦娘達には、この男の異常性が目に見えて感じられる。

 見るものを無理矢理捩じ伏せ、屈服させる程のカリスマ性。

 今この場で、この男から目を離すことが出来る艦娘は一隻たりとも存在しなかった。

 

 

 

「あー……そんな身構えんなよ。今日は昨日の礼を言いに来ただけだ」

 頭をがしがしと掻きむしり、草薙は溜め息を吐く。

 そして、自分の艦娘を庇うように立っている彼方の前に堂々と進み出た。

「……昨日は、こいつらを負かしてくれてありがとな。お陰で大井が夢を叶えられる」

 礼を言うことに慣れていないのか、頬を若干赤くして目を逸らしながら言う男は、放ち続けられている異様な威圧感にしては随分と間が抜けている。

「大井さんの……夢、ですか?」

 彼方は全く身に覚えのない話に困惑して聞き返す。

 草薙は彼方が事情を知らずに戦っていたことに気づいて、

 大きく頷いた。

「あー……知らされてねぇのか。まぁ考えてみりゃ樫木ならそうだろうな」

 一人で納得されても、彼方には何のことだかわからない。

「お前が卒業後連れていく教艦二人ーーいなくなったら訓練校が困るだろ?その代わりがこの大井って訳だ。お前らがこいつらに勝つことを条件に、大井は夢だった教艦になれるって取り決めを樫木と交わしてたんだよ」

 

 

 

 そこまで言われて漸く合点がいった。

 確かに彼方は霞、鹿島と交わした約束を守るため今回の演習に勝利し、二人を卒業後鎮守府へ連れていけることになった。

 しかし、それは訓練校側からすれば優秀な教艦を二人も失うということだ。

 楓から正式に許可がでるということで、訓練校の方に問題は発生しないのだろうと楽観的考えていたが、こういうことだったらしい。

 

 

 

 ーー教艦を勤めることが出来る艦娘はそう多くはない。

 霞や鹿島程の働きが出来る者など早々いないだろう。

 その穴を埋めるために選ばれたのがーー豊富な実戦経験を持ち、軍艦時代練習艦として過ごした記憶もある、大井だったというわけだ。

 楓は敢えてその事を伝えず、彼方に発破をかけるだけに留めた。彼方に余計な気遣いをさせないよう、楓なりの配慮であった。

 

 

 

「ーーだから俺は大井の夢を叶えてくれたお前に、礼を言いに来た。球磨と北上にもいい経験になったしな。だがーー」

 そこまで言って、草薙は彼方の瞳を覗き込むようにじっと見つめる。

 その眼差しに、心の奥を見透かされているような気がして、彼方は居心地悪く視線を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いが、お前ーー絶望的な程、『提督』に向いてないな」

 そう、草薙は呻くように告げた。

 

 

 

「ーーっ」

 最強の提督である草薙からの宣告に、彼方は反論しようとするがーー何故か言葉が出てこない。

 心配そうに吹雪が彼方の手を握るが、彼方は動揺の余りその手を握り返すことも振りほどくことも出来なかった。

 

 

 

「ーー薄々わかってんだろ?お前は艦娘を兵器として見ることが出来ねぇ」

 

 

 

 彼方の心に草薙の言葉が突き刺さっていく。

 

 

 

「その甘さで、お前は実戦にこいつらを投げ込めるのか?」

 

 

 

 草薙の言葉に、彼方は初めての演習の時のことを思い出す。

 演習ですら、彼方は彼女達が傷つく可能性を怖れた。

 あの時、吹雪達を信頼することに決めた。

 無事に帰ってくると信じることにした。

 しかし、それは吹雪達を兵器として見ることと同義ではない。

 

 

 

「実戦じゃそいつらは死ぬかもしれねぇ。お前はそれが理解できていて、兵器でもないただの女としか見れない奴等を死地に送り込めるのか?」

「そんなの、彼方が指揮してくれれば僕らは沈んだりなんてーー」

 堪らず代わりに時雨が反論する。

 しかしーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーだったらお前……こいつの命が危ない時ーー自分を棄てて逃げろって言われたら、こいつを見捨てて逃げられるか?」

 彼方はうつむき動けない彼方を顎で指して時雨に問う。

「そ、れは……」

「出来ねぇよな。お前らはこいつを守るためなら簡単に命を棄てられる。そして、そういう状況は起こり得るんだよ。俺達は戦争してるんだからな」

 言い淀む時雨に草薙は更に言葉を繋げた。

 時雨は反論できない。

 草薙の言う通り、彼方の命を守るためならば例え彼方の命令に背いたとしても、自分は彼方の命を取るであろう事を時雨は分かっていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝霧彼方ーーお前は甘過ぎる。このままじゃ必ず提督になったことを後悔するぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後にそれだけ言い残すと、草薙は部屋を出ていった。

 

 

 

「彼方……」

「彼方さん……」

「彼方君……」

 心配そうに呼び掛けてくる彼方の艦娘達に、彼方は反応を返せない。

 

 

 

(僕は、自分のせいで彼女達を失ったときーー正気でいられるだろうか……)

 わからない。わからないが……自信はない。

 しかし、出撃の度に彼方が艦娘の無事を祈るのと、死地に送り出しているのが自分自身だと言う矛盾に苦しむだろう事は、容易に想像できた。

 こればかりは……どんなに努力をしたとしても、どんなに艦娘を信じていたとしても、それとこれとは別問題だ。

 不足の事態は常に起こり得る。不安に思わない筈がない。

(約束を果たすために、僕は彼女達を犠牲にするのか……?)

 

 

 

 この日、初めて出会った最強の提督である草薙の言葉は、彼方の心の奥深くに突き刺さり、抜くことのできない楔となったのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

草薙さんは純粋に彼方を心配しています。
天龍さんと気が合いそうなイメージの人です。

それでは、また読み来ていただけましたら嬉しいです!


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霞の我が儘

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

今回は相当難産でした。

今日も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 訓練が終了した夕方の屋外訓練場を、彼方はただがむしゃらに走り続ける。

 もはや腕も脚もろくに上がらないというのに、構うことなく無様に走り回る。

 こんなことをしても何の意味もない。

 ただ疲れるだけの自己満足だ。

 しかし、それがわかっていても彼方は自分の足を止めることが出来なかった。

 

 

 

 ーー演習終了後、彼方はより一層必死に訓練に臨むようになっていた。

 何かから逃れるように訓練に没頭する彼方の頭の中には、常に草薙の言葉がぐるぐると回っている。

 

 

 

 ーー草薙の言葉は確かに正しいと思う。

 艦娘は初めから兵器という側面を持って生まれてくる。

 その側面から目を背けながら、艦娘を戦場に送り出すことなど矛盾している。

 彼方は、それを理解していても……どうしても彼女達を兵器として見ることが出来ない。

 それは、彼方が元艦娘の子供だというのもあるし、幼少期よりずっと霞と姉弟のように過ごしてきたからでもあるだろう。

 特殊な環境で育ってきた彼方には、普通の提督に出来る当たり前の事が、当たり前にできなかったのだった。

 

 

 

 彼方は、もし自分のせいで吹雪達が死んでしまったらと思うと、恐ろしくて仕方がない。

 草薙の指す後悔とはきっとそのことだ。

 草薙に出会ってから、ずっとその恐怖から逃れる術を考えているが、どれだけ考えても答えは出ない。

 

 

 

 今はとにかく自分を鍛え続ける以外に、彼方に出来ることは思いつかなかった。

 心配する吹雪達の言うことも聞かず、彼方は自分を苛め続ける。

 自分を鍛えたところで解決する問題ではないことは彼方も良く分かってはいたが、他にどうすることも出来なかった。

 

 

 

 しかしそんなことを続けていては、いずれ限界が来て倒れるのも無理からぬことだった。

 

 

 

 

 

 ーー彼方は目を開けた。

 馬鹿みたいに屋外訓練場を走り回っていたのは覚えているが、部屋の中で寝た覚えはない。

(ーー倒れたのか、僕は)

 誰かが医務室まで運んでくれたのだろうか。

 心から彼方を心配してくれていた吹雪達を無下にした挙げ句、人様に迷惑をかけるとはーー自分の馬鹿さ加減に泣きたくなってくる。

 

 

 

 

 

「彼方、目が覚めた?」

 不意に耳元で聞こえた声に視線を移すと、椅子に腰かけている霞と目が合った。

 霞は、心配や安堵やほんの少しの怒りがない交ぜになったような顔で彼方を見ている。

 

 

 

 一番心配をかけたくないと思っていた人にまで心配をかけてしまった。

 

 

 

 彼方は激しい後悔に襲われる。

 霞にだけは心配をかけまいとしていたのに……。

 霞の提督になることが決まった今、もう今までのように霞に守ってもらってばかりはいられない。

 霞の隣に立つために、彼方はもっと強くなくてはならないのだ。

 そうでなくては、霞の隣に立つ資格がない。

 彼方は霞の足を引っ張るために提督になるのではないのだから。

 

 

 

「……彼方。吹雪達からアイツの話は聞いたわ」

 静かに、優しい声音で霞が彼方に語りかける。

「ーーっ」

 彼方はびくりと肩を震わせた。アイツとはーー間違いなく草薙颯人のことだろう。

 霞は最近の彼方の鬼気迫る様子を心配し、吹雪達からその原因を聞き出していたのだ。

 

 

 

 霞が彼方の手を優しく握る。

「ーーあのね、彼方。私、我が儘なのよ」

 突然霞が言い出したことに、彼方はその真意が理解できない。

「私が鹿島と同じ鎮守府にいたことがあるのは知ってるでしょ?」

 問いかける霞に、彼方は首肯する。

 鹿島がいた鎮守府というのは、艦娘を兵器として断じ、その存在を消耗品として使い潰すという唾棄すべき行いをしていた鎮守府だ。

 草薙も艦娘を兵器として見ろと言っていたが、彼は大井の夢を叶えてくれた礼を言いに来たと言った。

 同じではない。彼は艦娘の兵器としての側面から目を背けるな、と彼方に暗に教えてくれていたのだと思っている。

 

 

 

 頷いた彼方に、霞は話を続けた。

「私はね、その時……艦娘をただの兵器としか見てくれない人間達に失望し、憎んでもいたのよ」

 霞は自嘲気味に笑いながら、当時のことを振り返る。

「人間が艦娘を守らないなら、私が守らなくちゃってーー命令違反して何度か沈みそうな艦娘達を助けたわ」

 その結果ーー救った数以上の艦娘に霞は影響を与え、間接的に沈めた。

 鹿島が歪んでしまった原因を作ってしまった。

 霞も鹿島から聞いたその事実に、随分と心を痛めていたようだがーー今はそんなことはおくびにも出さない。

 

 

 

「結局その命令違反のせいで鎮守府を追い出されて、ここの鎮守府にやって来てもーー私が人間を憎んでいた事は変わらなかったわ。彼方に出逢う日までは、ね」

 彼方に出逢う日まではーーと霞は言った。

 それでは、霞は彼方に出逢った瞬間は未だ人間を憎んでいたことになる。

「ーー待って、霞姉さん。だったら、どうしてあの時僕を助けてくれたの?」

 その時点ではーー霞は人間に失望し、憎んでもいたはずだ。

 それは、命懸けで彼方を助けてくれた霞の行動と矛盾している。

「わからないわ。だって体が勝手に動いちゃったんだもの」

 霞は彼方の疑問に事も無げに答えた。

 彼方は開いた口が塞がらないがーーどこかで納得も出来ていた。

 恐らく、自分も同じ状況になれば考える前にまず子供を助けようとするだろう。

 それはーー

「咄嗟の行動って奴よね。人間が憎いなんて考えてる余裕もなかったわ。でもーー」

 

 

 

「ーー人ってそういうものじゃない?」

 人。人間。艦娘である霞はそう言った。

 

 

 

「私はあの時、艤装を展開することも忘れて……ただ彼方を助けるためだけに走った。兵器としてはあるまじき行為よね」

 苦笑しながら話す霞からは、その言葉とは裏腹に後悔は感じられない。

 

 

 

 霞は彼方の手を優しく抱き締める。

「ーーだけど、そのお陰で私は貴方を助けることが出来た。結果論ではあるけどね。彼方が提督の資質を持っていなければ二人とも死んじゃってたし。……でも、最初に深海棲艦を倒すことを優先していれば、間違いなく彼方を助けることは出来なかった」

 

 

 

「私は彼方を助けることが出来た時、彼方にありがとうって言ってもらえた時、初めて艦娘として生まれてきて良かったって思った」

 霞の言葉は、心からの感謝の気持ちだ。

 そして、彼方の目指すべき提督への道標でもあった。

 

 

 

「彼方……私の我が儘に気づいたみたいね?」

 霞が不安に揺れる彼方の瞳を覗き込む。

「……僕に、逃げるなって言いたいんだよね」

 彼方は霞の望む答えを返す。

 霞は自分の意図が正しく伝わったことに満足気に頷いた。

「そう、その通りよ」

 

 

 

 ーー艦娘を兵器として見る。

 深海棲艦と戦う艦娘は、確かにいつ死に直面するかわからない。

 しかし、その時艦娘を兵器として見ていれば……仕方のないことだと、艦娘の死を受け入れることが出来るようになる。という意味だと彼方は考えていた。

 

 

 

 だから彼方はその言葉を受け入れることが出来ず、もがき苦しんだ。

 そんな事は不可能だ。

 彼方には彼女達を失うことを割りきることなんて出来はしない。

 必要な犠牲だと、切って棄てることなど出来る筈がない。

 ーーそれは、彼女達の彼方に寄せてくれている想いを踏みにじる行為だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はね、今の貴方のまま提督になってほしいのよ」

「……でも、それじゃあ」

 彼方は霞の言葉をそう簡単には受け入れられない。

 それは、草薙颯人の言葉を受け入れるより、よっぽど辛い選択となる。

「彼方には、私達を兵器ではなく人としてーー戦場に送り出してほしい」

 

 

 

(無理だ、そんなのーー)

 彼方は霞が本当は深海棲艦が怖いのを知っている。

 戦いたくないことを知っている。

 そんな彼女を平気な顔で送り出せる筈がない。

 何も知らなかった彼方は、霞に勇気を与えると約束した。

 鹿島に笑顔を取り戻させると約束した。

 そんなことが、今の彼方に出来るのかーー

 

 

 

「そして……私達が出撃している間は、目一杯心配してほしいし……不安に思っていてほしい」

 霞の言葉は彼方の心に重くのし掛かり、彼方は顔を上げることが出来ない。

 

 

 

「ーー無事に帰って来れたときは、心配したり不安だった分以上に目一杯喜んで欲しいし、褒めてほしい」

 それを霞は許さない。

 彼方に顔を無理矢理上げさせて、しっかりと彼方の顔を見つめてくる。

 

 

 

「もし私達の誰かが沈んでしまったらー一晩中泣いて悲しんでほしい。でも、涙が枯れたらまた皆のために立ち上がってほしい」

 真剣な顔で霞は彼方へと語りかける。

 想像したくもない話だ、聞くだけで恐ろしくて堪らない。

 

 

 

「強くなくたって構わない。鋼の心なんて持っている必要はないのよ。彼方はそうして私達の側にいてくれたらいい。それだけで私達に勇気をくれてる。どんなことがあっても絶対に帰ってきてみせるって思えるの」

 彼方がそれだけ悲しむと思えば、霞達は沈んでなどいられない。

 例え四肢をもがれたって、必ず彼方の下へ帰ってみせるという気概が生まれるのだ。

 

 

 

「ーー霞姉さんは、ほんと厳しいよね」

 霞は彼方に共に戦えと言っているのだ。

 寄せられる想い全てに応えてみせろと言っている。

 彼女達の想い全てを飲み込んで、傷だらけになりながら提督として生きろ、と。

 

 

 

 確かに、それができなければ霞の隣に立つ資格はないのかもしれない。

「当たり前でしょ?私は鬼教艦よ!」

 自慢気に控えめな胸をはる霞に、久しぶりに笑いが込み上げた。

 

 

 

「ーーありがとう、霞姉さん。霞姉さんの我が儘に潰されそうだけど目は覚めたよ」

「いいのよ、草薙の言っていたことも間違いではないしね。悩むのも仕方ないわ」

 彼方の軽口には一切反応することなく、涼しげな対応で返される。

(また霞姉さんに守られちゃったな……)

 苦笑する彼方の頭を、霞は愛しげに撫で続けた。

 

 

 

 草薙の言葉は今も彼方の心に残っている。

 しかし、もし提督になって後悔したとしてもーーそれすらも彼方は乗り越えていかねばならない。

 彼方のなるべき提督は、『最強』ではない。

 

 

 

『最優』の提督だ。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

一先ずこれで第一章のお話は一段落となりました。
後は細々とした話をいくつか書いて、とうとう正式に提督になる予定です。

それではまた読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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霞の誤算

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

今回はちょっと自分でも想定外の事態です。

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


 彼方が立ち直ってから、霞は久しぶりに彼方と色々と話をすることが出来た。

 大半は当然ながら吹雪達の話で、彼女達が如何に自分のために頑張ってくれているのか、という話ではあったがーーそれでも、先程までの暗い顔よりはずっとマシだと思うことにした。

 

 

 

 ーー彼方を提督の道へと引きずり込んだのは霞だ。

 そして霞の我が儘を悩む彼方に押し付け、霞は彼方の提督としての在り方さえも縛りつけた。

 しかし例えそれが自分勝手な我が儘だったとしても、どうしても霞は彼方に変わってほしくなかった。

 彼方がそれで辛く苦しい思いをしたとしても、霞のことを人として見てくれる彼方のままでいてほしかった。

 本当に、我が儘だ。

 

 

 

 草薙の言葉は、確かに提督としては正しい。

 それに、彼方は少し草薙の言葉を取り違えていたように思えた。

 吹雪達を失うのを恐れる余り、冷静さを欠いていたのだと思う。

 草薙は艦娘の兵器としての側面も正しく認識した上で、その生死も自分の責任として背負える覚悟を持て、と言っていたのだと霞は思っている。

 

 

 

 彼方と草薙の艦娘に対する考え方の差は、そのまま彼方と草薙の提督としてのスタンスの違いだ。

 草薙は、艦娘を自分の部下として従えている。

 草薙一人で全てを背負い、艦娘達の頂点として君臨している。

 

 

 

 しかし彼方は霞達を部下にしたいわけではないし、霞もまた彼方の部下になりたいわけではない。

 彼方と霞達はどこまでも対等でなくてはならない。

 彼方の果たすべき約束や霞達の想いは、対等な相手とでないと成立しないからだ。

 だから霞は彼方に一緒に苦しんでほしいし、喜んでほしいし、悲しんでほしかった。

 

 

 

 そして、彼方は霞の我が儘を受け入れてくれた。

 弱いままで提督になることを選択してくれた。

 霞は、彼方が草薙の言葉ではなく自分を選んでくれたことが嬉しかった。

 

 

 

 彼方と久しぶりにゆっくり話ができて、上機嫌で教艦室に帰ろうと廊下を歩きだしたところで、霞が医務室から出てくるのを待っていたであろう人物達に声をかけられた。

 

 

 

「ーーあ、あの!霞教艦!」

 医務室の扉から少し離れた場所から霞を呼び止める声に目を向けると、そこには吹雪達が立っていた。

 彼方が心配で待っていたのだろう。

 

 

 

 この娘達はもはや彼方にとってなくてはならない存在だ。

 失うことを想像しただけで、彼方は心の平衡を保てなくなってしまっていた。

 立ち直った今でも、その不安は彼方の心に残り続けている。

 戦場では彼方は直接この娘達を守ることはできない。

 戦場に出たこの娘達を守るのは、霞の大切な役目となるだろう。

 

 

 

「彼方ならもう大丈夫よ、行ってあげなさいな」

 霞は吹雪達を安心させるように、笑顔で医務室に向かうように促す。

「ごめんなさい、霞教艦!私、彼方君に何もしてあげられなくて……」

 吹雪が悲しそうに眉を下げる。

 時雨や潮も同じような顔だ。

 彼方が心配で堪らなかったのだろう。

 しかし、今回彼方は吹雪達を失う恐怖に苦しんでいたのだ。

 当事者である吹雪達ではどうすることも出来なかった。

 

 

 

「私ーー彼方君の艦隊の旗艦は私だけだって言ってくれたのに……」

 

 

 

「ーーは?」

 

 

 

「潮だってーー潮のこと必要だって言ってもらったのに……」

 

 

 

「ーーはぁ?」

 

 

 

「僕だって、彼方のためならどんなことだってしてあげるのに……」

 

 

 

「ハァア!?」

 

 

 

 ーー彼方が自分の艦娘に粉をかけまくっていた。

 無自覚であろうことが余計に質が悪い。

 そもそも、秘書艦は霞の筈だ。

 秘書艦は第一艦隊の旗艦が務めるものだ。その筈だ。

 だから、艦隊の旗艦は霞の筈だ。

 

 

 

(この娘達を見てると、それもだんだん自信がなくなってくるわね……)

 

 

 

 最初にこの三人を見たときは、ここまで彼方に傾倒するとは思ってもみなかったし、彼方もそこまでこの三人を大切に想うとは思ってもみなかった。

 安易に精々友達感覚程度だと高を括っていた。

 ところがどうだーーこの娘達が彼方に抱いている想いの強さは、もはや自分と比べても遜色が無いように思える。

 彼方がこの娘達に向ける想いの強さも、あの動揺ぶりからしてわかろうと言うもの。

 

 

 

 ーーヤバい。

 

 

 

 ただでさえあの鹿島と彼方を奪い合うことになって気が重いのに、まさかこんなことになっているとは……。

 霞はここに来て初めて吹雪達に危機感を抱いたのだった。

 

 

 

「霞教艦。彼方を元気付けてくれて、ありがとうございました。流石、彼方自慢の『お姉さん』ですね」

 時雨が意味深に笑みを浮かべ、霞に礼を言って通り過ぎていく。

 

 

 

 ーーこれは明確な宣戦布告だ。

 今回は譲ったが、これ以降彼方を譲る気は一切ないという時雨の意志。

 

 

 

 ついさっきまでの満ち足りた気持ちはどこへやら。

 霞は大人げなく医務室にとんぼ返りして彼方を奪い合う訳にもいかず、涙目になりながら這う這うの体で教艦室へと逃げ帰るより他になかった。

 

 

 

 ーー涙目で教艦室に帰ると、鹿島に鼻で笑われた。

(アンタも笑ってられる余裕なんてないわよ!)

 そう思ったが口には出さない。

 鹿島も今は敵同士。鹿島もあの光景を見て涙目になったらいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼方君、起きてる?」

 心配そうな吹雪の声が、ノックと共に聞こえてきた。

 吹雪達には、本当に心配をかけてしまった。

 彼方は自分の目指す提督について、吹雪達にちゃんと話をする必要があった。

 

 

 

「ーーうん、起きてるよ。来てくれてありがとう、吹雪」

 返事をすると、吹雪、時雨、潮の三人が揃って彼方の傍にやって来た。

 

 

 

「もう、大丈夫なのかい?彼方」

 時雨が彼方を心配する。

 それは、身体のこともそうだし、心のこともそうだろう。

「うん、もう大丈夫だよ。心配かけちゃって……ごめん」

 彼方は吹雪達に頭を下げた。

 

 

 

「僕はーーやっぱりどんなことがあっても君達を兵器として見ることは出来ない。……だけど、それでいいと思うことにしたんだ」

 彼方は自分がこれからどんな提督になるつもりなのか、吹雪達に説明なくてはならない。

 吹雪達は彼方がどんな提督になったとしても、着いてきてはくれるだろう。

 しかし、出来れば吹雪達にも納得してもらった上で、彼方は彼女達に一緒に来てほしかった。

 

 

 

 吹雪達は続く言葉を黙って待っていてくれている。

 彼方は今の自分の想いを精一杯言葉に乗せて伝えた。

 

 

 

「僕は、君達と共に歩む提督になりたいんだ。艦娘を守り導く、草薙提督みたいな強い提督じゃない。君達と一緒に苦しんで、喜んで……一緒に笑ったり泣いたり出来る提督になりたいと思ってる」

 

 

 

 ーー彼方の想いは……霞の我が儘は、吹雪達の瞳にはどう映っているだろうか。

 彼方は不安になって、吹雪達の顔を見つめるが……彼女達は何とも言えない表情をしていた。

 

 

 

「彼方さん……。つまり、それってーー今まで通りってこと、ですよね?」

 珍しいことに、潮から突っ込みが入った。

 

 

 

 確かにそうだった。

 霞にはそのままの彼方でいることを望まれたのだし、結局吹雪達に取っては今までと変わらないことを宣言されただけに思えたのだろう。

 何とも間の抜けた話だった。

 

 

 

「でも……彼方の心の在り様は今までと変わったってことだよね?」

 時雨は、彼方の言わんとしていた言葉の真意を汲み取った。

「ーーうん、多分そうなんだ。僕は漠然と提督になる、約束を果たすって考えで今までやってきた。具体的にどんな提督になるかを考えていなかったんだ」

 

 

 

 考えた結果が、今まで通りにやっていくーーということだったのだ。

 

 

 

「僕は君達の『思い』全てを受け入れて、それでも君達を戦場に送り出す。ーーそして、君達が無事に帰ってくるのをいつも真っ先に出迎えたいんだ」

 

 

 

 辛いことも、楽しいことも皆で分かち合って生きていきたい。吹雪達となら、それができると彼方は思っている。

 

 

 

「ーー頼りないかもしれないけど、卒業後も僕についてきてもらえないかな?僕は、君達と一緒に提督として生きたい」

 

 

 

 これが現時点で彼方のできる精一杯の勧誘だ。

 吹雪達に自分の想いを伝えることができて、彼方はまだ答えを聞いていないのに、少しほっとした気持ちになってしまった。

 

 

 

 ーー実は吹雪達は、彼方に一緒に来るなと言われるのではないかと考えていた。

 失う恐怖に打ち勝てず、吹雪達を遠ざける選択をする可能性もあったのだ。

 しかし、彼方は自分達を必要としてくれた。

 自分達の想いを受け入れてくれると言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼方さん……潮、彼方さんのことが好きです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「ーーえ?」」」

 

 

 

「今、彼方さん……潮の『想い』を受け入れてくれるって……言いましたよね?」

 

 

 

「え、いや……あのーー」

 彼方は予想外のタイミングで想定外のことを言われて混乱する。

 

 

 

「言いましたよね?」

 潮はもう一切引く気がない。

 このタイミングを逃せば次にいつチャンスが来るかわからないのだ。

 卒業して鎮守府に着任すれば手強い教艦達が彼方の脇を固めることになる。

 潮が彼方の最も近くに立つには、今この瞬間を逃すわけにはいかないと思ったのだった。

 

 

 

「ーーは、はい……」

 彼方は潮の余りの迫力につい頷いてしまう。

 

 

 

「ちょっとずるいよ潮ちゃん!?私だって彼方君のこと好きなんだよ!?」

「潮、抜け駆けは感心しないよ!?僕が先に言おうと思ってたのに!」

 

 

 

「潮、彼方さんの彼女第一号です」

 えっへんと豊かな胸をはる潮。

 

 

 

「「聞いちゃいないよこの娘!」」

 

 

 

 ーーもう滅茶苦茶だ。

 

 

 

 だけど……こうして皆で騒ぎながら一緒に生きていければ、それはとても幸せなことだろう。

 鎮守府に着任すれば、深海棲艦との過酷な戦いが待っている。

 皆の笑顔を守るのが、彼方の提督としてやるべきことだ。

 

 

 

(絶対に、守り抜いてみせるーー)

 きゃあきゃあと騒ぐ吹雪達を見ながら、彼方は強く心に誓ったのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

霞……彼方を守りきれませんでした……。
いや、ここから挽回します!

潮が勝手に動き出したので、とりあえずそのままやってみます。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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お姉さん

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

今日も少しでも楽しんでいただけたら幸いです!


 彼方が覚悟を決めた日の夜、霞は艦娘寮の自室で一人で悶々と悩んでいた。

「彼方の『お姉さん』かぁ……」

 思い出されるのは時雨の言葉だ。

 霞は彼方が小さい子供の頃から知っている。

 本当に姉弟のように過ごしてきたのだ。

 しかも今は教師と生徒。

 今さらその関係を、どうすれば恋人関係まで持っていけるのだろうか。

 

 

 

 霞は彼方がほしい。本当は自分だけのものにしたいと思っている。

 事実、彼方が訓練校にやってくるまでは霞だけの彼方だったはずだ。

 

 

 

 本当に気が重い。仕事を終え部屋へと帰ってきてから、ずっと大好きな彼方との写真を眺めているというのに……溜め息しか出てこない。

 

 

 

 ふと彼方の家に初めてお邪魔した時に彼方の母である千歳の言っていたことが頭を過った。

(次から次へとライバルが湧いてくる、かーー)

 まさかまだ提督になってさえいないのに、四人も増えると思わなかった。千歳の言葉を甘く考えていた。

 霞は楽観視しすぎていたのだ。

 そのツケが、こうして霞に思いもよらない事態を引き起こすことになってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 床に座ってだらしなく脚を伸ばし、ベッドに背を預けて彼方との写真を眺めながら、如何ともし難い想いに脚をばたばたさせていると、ノックと共に今はあまり聞きたくない声が聞こえてきた。

「霞ちゃん、ちょっといいですか?吹雪ちゃん達が、霞ちゃんにお話したいことがあるんです。ーー彼方くんのことで」

 

 

 

 ーーとてつもなく、嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……潮、彼方さんとお付き合いすることになりました」

 

 

 

 ーーああ、やっぱりだ。遅かった。

 恐れていた事が現実となってしまった。

 彼方が手の届かないところへ行ってしまった。

 もう霞の彼方ではなくなってしまった。

 

 

 

「ーーそう。……よかった、わね」

 それだけ言うのがやっとだった。

 潮に当たるのは間違っている。潮は何も悪くない。

 悪いのはのうのうと手をこまねいていた自分だ。

 

 

 

「……用が済んだならもう部屋に戻りなさい。明日も早いわよ」

 もう何でもいいからここからいなくなってほしい。

 涙を堪えるのに必死で、話なんてしてる余裕はない。

 

 

 

「霞教艦……まだ話は済んでいません。僕も吹雪も彼方と付き合うことになりました」

 

 

 

「ーーは?」

 

 

 

 彼女が一気に三人?三股?

 彼氏彼女って一対一の関係の筈じゃなかっただろうか?

 

 

 

「……霞ちゃん、混乱する気持ちは私もよくわかります。でも、この事態を引き起こしたのは霞ちゃんに原因があるらしいじゃないですか」

 鹿島が霞に対し若干の非難を滲ませた視線を向けてくる。

 

 

 

「……彼方さんは、私達皆の『想い』を受け入れてくれるって……言いました」

 

 

 

 彼方の提督になる覚悟の話だろう。

 それは霞の我が儘を押し付けた結果ではあったが、彼方の正直な気持ちでもある。

 苦楽を共にし、艦娘と寄り添いあって生きるという彼方だけの提督の形だ。

 

 

 

「ーーだから、潮は彼方さんに想いを伝えたんです。彼方さんの一番近くにいたいから」

 

 

 

(そういうことか……)

 恐らく彼方はその時はそういうつもりで想いを受け入れるとは言っていなかっただろう。

 しかし、そういうつもりじゃなくても潮達にとってはそういうことだったのだ。

 

 

 

 彼方は潮達の想いに気づかないほど愚鈍でもなければ、気づかない振りをし続けられるほど薄情でもない。

 遅かれ早かれこうなるような気はしていた。 

 しかし、まさか彼方が三人全員の想いをを受け入れるとは思ってもみなかったが……。

 

 

 

 ーー霞だって、今まで何度か彼方に想いを伝えようとしたことがある。

 長いこと一緒にいたのだ、伝えられるタイミングは何度もあった。

 しかし、その度にどうしても霞は踏み切ることが出来なかった。

 

 

 

 霞は、彼方に想いを伝えた後に沈んでしまうのが怖かったのだ。

 その頃霞は海を護るため、毎日命懸けで戦っていた。

 いつ死ぬかわからないのが日常だった。

 実際霞は何度も大破し、もうダメだと思ったことも何度もあった。

 そんな存在から想いを伝えられれば、それは伝えられた時点で彼方の心に楔を打ち込むことになる。

 霞の想いに応えるにしろ、応えないにしろーー自分に想いを寄せる相手が死んで彼方が心を痛めないはずがない。

 それがなにより怖くて、霞は彼方に好きだと言えなかったのだった。

 だからせめて姉として、彼方と接してきたのだった。

 

 

 

 だけど今の彼方にならば想いを伝えられるかもしれない。

 今日話していた時に霞もそう考えてしまった。

 しかし彼方に我が儘を聞いてもらって、お姉さんぶって、言うタイミングを見事に逃した。

 

 

 

 ーー潮達も霞と同じように彼方の覚悟を聞いて、期を逃すことなく彼方に想いを伝えたということだろう。

 潮達も霞と同じように自分達が沈む可能性はもちろん考えているだろう。

 それでもなお彼方に想いを伝えたのは、どんな形であれ彼方の心に自分の居場所を作りたかったからだ。

 

 

 

 卒業すれば、もう潮達にはかつての霞のようにいつ沈んでもおかしくない過酷な日常が待っている。

 

 

 

 駆逐艦の損耗率は高い。

 他の艦種に比べれば、その比率は圧倒的だ。

 毎年、生徒として多くの駆逐艦が建造されるのはそのためだ。

 艤装を解体されて新たに建造される駆逐艦もいるが、大抵は轟沈して新たに建造された駆逐艦だ。

 潮達も、それはよくわかっていることだ。

 

 

 

 しかし、潮達と一緒に彼方の鎮守府に着任する霞はもう十年近く戦い続けた歴戦の艦娘だ。

 優秀な練巡の鹿島だっている。

 潮達を簡単に沈める気なんて毛頭ないし、霞も鹿島も彼方を残して沈むつもりなんて今は全くないのだ。

 この娘達には彼方に深い傷痕を残すのではなく、彼方に生きる希望を与える存在になってもらわなくては困る。

 彼方に想いを伝えてしまった以上は、沈むことは霞が絶対に許さない。

 

 

 

「ーーそう。アンタ達が彼方に想いを伝えた訳は理解したわ。……彼方がそれを断らなかったのも頷ける。それで、アンタ達は私にどうしろって言うの?」

 今日彼方の艦娘全員で集めた理由というのは、きっと付き合うことを伝えに来ただけではないだろう。

 

 

 

「彼方君独占日を決めましょう!」

 吹雪が気合いと共に立ち上がった。

 

 

 

「彼方は僕達皆を平等に見てくれると思っています。だから、僕達は彼方を独占しようとは思っていません」

 まぁ、要らないと言うのなら喜んでもらいますけどね。と時雨が吹雪の発言の意図を補足する。

 

 

 

「でも、やっぱり二人きりでしたいことも色々あるじゃないですか?だから、一日ずつ彼方君の彼女という立場を分け合ったらどうかなって、思ったんです!」

 時雨の言葉を受けて、さらに前のめりに吹雪が頭の痛くなることを言いだした。

 

 

 

(二人きりでしたいことーーって、彼方に何をする気なのよこの娘……)

 いきなりの提案に霞は面食らったが、確かに霞も彼方と二人きりでしたいことがないわけではない。

 休日返上で訓練にのめり込んでいた彼方のお陰で、霞はまだ彼方と二人きりで休日を過ごしたこともなかったのだ。

 

 

 

 既に吹雪達に主導権を握られてしまっているのが非常に不本意ではあるが、吹雪達は既に彼方の彼女という立場にある。

 霞は反論できる立場になかった。

 

 

 

「ーーでも、一つ条件が……あります」

 今まで黙っていた潮が口を開く。

 彼方の初めての彼女……羨ましい。恨めしい。

 もはや絶対強者の余裕すら感じられる。

 潮本人にはその自覚はないのかもしれないが、霞は強烈なプレッシャーを潮が放っているように感じられた。

 

 

 

「……お二人が、潮達と同じ立場にならなければ……彼方さんは、潮達三人でーー独占しちゃいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー潮は霞と鹿島に、彼方に想いを伝えるよう迫ってきた。

 

 

 

「えぇっ!?でも、私達は教師と教え子ですよ、潮ちゃん!?」

 そこまでの話は聞いていなかったのか、鹿島がその宣告に狼狽えて立ち上がる。

 

 

 

「ーーあれ?でも……鹿島教艦って訓練校に入ったばかりの彼方君に凄いベタベタしてませんでしたっけ?」

 鹿島の事情を知らない吹雪は、今の鹿島の反応に違和感を覚えるのだろう。

 

 

 

「えっ……あっ……あれは~……そのぅ。何と言いますか……。今は恥ずかしくってあんなこととてもじゃないですけど……できません……」

 赤くなってもじもじしながら小さくなる鹿島。

 当時の女王様ぶりは見る影もない。

 

 

 

 ーーそうなのだ。

 実は彼方に本気で想いを寄せるようになってから、鹿島は彼方と面と向かって話すのがとてつもなく恥ずかしくなってしまったのだった。

 散々身体を押しつけたり、思わせ振りに誘ってみたりしていたのだ。

 正気に戻れば死にたくなるほど恥ずかしいのは当たり前の話だった。

 もう教師と生徒としての会話以外はまともな会話にもならない有り様である。

 告白なんてハードルが高すぎる。

 

 

 

「ーーなら一人減ってこちらも好都合ですよ、ね?」

「私やりますっ!彼方くんに好きだって、伝えます!」

 時雨の言葉に鹿島が食い気味に答えた。

 半ばヤケクソだ。

 

 

 

「ーー霞教艦は、どうされますか?」

 

 

 

 潮の問いかけに、霞は十年越しの覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーわかったわ。私も彼方に告白する。お姉さんはもうお仕舞いよ!」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

今回は溜め回ですね。
明日は頑張ります!

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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告白

いつも読みに来てくださいましてありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「彼方……今度の休日、私の部屋に来て」

 訓練終了後、教室に残っていた彼方に霞が声をかけてきた。

 

 

 

 普段とはどこか違った雰囲気に、彼方は戸惑いながらも頷いた。

 

 

 

 しかし、彼方にとっても丁度良いタイミングと言えた。

 彼方は先日潮達から告白され、共に歩む艦娘達の想い全てを受け入れると覚悟を決めていた彼方は、その想いも受け入れた。

 そのことについて、彼方はまだ霞に報告していない。

 

 

 

 以前彼方に彼女ができたと勘違いした霞は相当なショックを受けてしまっていた。しかし今回は勘違いではない。

 まだ彼方から吹雪達への想いは、恋とは呼べるものではないかもしれないが、欠けがえのない存在であると思っているのは確かだった。

 この想いは、霞にもきちんと話して理解してもらう必要があると考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー久しぶりの休日。彼方は初めて霞の部屋へと招待された。

「ありがとう。訓練で忙しいのに悪いわね」

 部屋に入ると、霞は彼方に床に敷いてあるクッションに座るように促した。

 可愛らしい丸くて平らな猫のクッションだ。

 霞は実は可愛い物が結構好きらしく、彼方は霞と出逢った日を記念日として、毎年何かしらプレゼントを送っていた。

 このクッションもその一つだった。

 数年前の物なので、かなりくたびれてきてはいたが……大事に使ってくれているのがよくわかって、彼方は嬉しかった。

 ぐるりと部屋を見渡すと、この部屋にはそうした霞と彼方の想い出が沢山詰まっている。

 どれを見ても彼方も見覚えのある物ばかりだ。

 それだけで霞がどれだけ彼方のことを想ってくれているのか、痛いほどよくわかった。

 

 

 

「ーーいや、大丈夫だよ。僕も霞姉さんに話したいことがあったんだ」

 性急かもしれないが、こういったことは早く伝えておくに越したことはないだろう。

 霞が許してくれれば、彼方は先に自分の要件を話すつもりだった。

 

 

 

「うん……聞くわ。それも私の今日の目的の一つだもの」

 頷いて、霞は彼方の正面に座った。

 霞の表情は固く、酷く緊張しているように見えた。

 霞は彼方が何を話そうとしているのか、見当がついているのかもしれない。

 

 

 

 ーー正直、この部屋で話すには酷な話だ。

 彼方は、この部屋に入ったとき……自分がどれだけ霞の好意に甘えていたのか気づかされた。

 

 

 

 しかし、もう決めたことだ。

 彼方は吹雪達と共に歩むことを決めた。

 今さらそれを覆すことは出来ないし、するつもりもない。

 

 

 

「霞姉さん。僕がこの間倒れた日……僕は吹雪達に告白された。彼女達は、僕を好きだって言ってくれたんだ」

 

 

 

 言葉を聞いた瞬間、霞の手がぎゅっと堅く握られたのがわかった。

「ーーそう。彼方は、どう答えたの?」

 俯いたまま、霞が問いかけてくる。

 声が震えていた。泣かせてしまっているかもしれない。

 

 

 

「僕は……三人の気持ちに応えることにした。正直三股なんて笑い話にもならない最低な奴かもしれないけど……僕は一緒に来てくれる三人皆が大切なんだ。誰にも欠けてほしくない。欲張りな話だけど、吹雪達三人ともーー僕から離れてほしくないんだ」

 自分で聞いていても酷い話だ。

 しかし、彼方の正直な気持ちだった。

 彼女達三人と、平等に接していきたい。寄せられる想いに、平等に応えたい。

 自分と恋人になることで、彼女達の生きる意志が強まるのであれば……それは自分にとっても願ってやまない話だ。

 彼女達の提督は、彼方だけだ。彼女達の想いに応えられるのは、彼方だけなのだ。

 

 

 

「ホントに、最低ね……」

 霞は既に泣いていた。肩を震わせ、膝の上にはぽたぽたと涙が落ちているのが見てとれる。

 

 

 

 彼方の行動の結果だ。

 霞を泣かせたかった訳ではないが、霞を泣かせたのは彼方だ。

 伝えたいことを伝え終えた彼方は、傷ついた霞にどんな言葉をかければ良いのか、迷っていた。

 

 

 

「……あ、あの……霞姉さんーー」

「ーー彼方、今度は私の話。聞いてくれるかしら?」

 

 

 

 とにかく何か声をかけなければと喋りだした彼方を遮って、霞が言う。

 その言葉には、何か言い知れない力を感じた。

 その迫力に、彼方は思わず頷いた。

 

 

 

「……私、もう彼方のお姉さんを辞めようと思う」

 

 

 

 ーーそれは、彼方との決別の言葉だった。

 

 

 

「限界なの。もう彼方に姉さんって呼ばれるのは……」

 

 

 

 これが、彼方の行動の結果。

 吹雪達の想いに応えようとすることが、霞との決別を招いたということなのか。

 

 

 

 霞は、一度口を閉ざした。

 深く息を吸い、息を吐き出す。

 

 

 

 霞が顔を上げた。

 涙で目を腫らし、唇を固く結んでーーしかしそれでも瞳には強い意思の光が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー彼方。私彼方のことが好きなの。初めて出逢ったあの日からずっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずっと私だけが彼方を見てきた。私だけが彼方を好きだった。私だけの彼方にしたかった。いつだって、彼方の傍にいたかった。ーーもうただのお姉さんじゃ、我慢できない。耐えられない……」

 

 

 

 堰を切ったように霞の口から彼方への想いが溢れ出てくる。

 それは、霞の十年分の想い。

 彼方と積み重ねてきた霞の大切な想いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーお願い、彼方。私だけを見て。吹雪達と別れて」

 

 

 

 霞が懇願する。

 自分だけを見てほしい、自分だけを愛してほしい、と。

 しかし、その願いはーー

 

 

 

「……ごめん、霞ねえーー霞。僕は吹雪達と別れることはできない」

 彼方は霞の懇願を切り捨てた。

 姉としての霞との決別は受け入れた。

 だから今から相対するのは、彼方のことを好きでいてくれている、彼方にとってとても大切な女の子だ。

 

 

 

 しかし、霞の願いの方は、彼方の提督としての在り方に反する。

 彼方の望む提督になるために、彼方は霞の願いを拒絶した。

 

 

 

「ーーどうしても駄目なの?私彼方のためなら、どんなことだってするわ」

 

 

 

 霞はそれでも無様に彼方にしがみつく。

 初めて見せる姿だ。

 霞はいつも彼方の前では『カッコいい霞お姉ちゃん』でありたかった。

 弱味を見せたこともないわけではなかったが、ここまで彼方にすがりつくような姿は、彼方にとっては始めて見る姿だった。

 霞は必死なのだ、形振り構っていられないほどに……霞は彼方だけを欲している。

 

 

 

「……ごめん」

 

 

 

 彼方の意思は固い。もう決めたのだ。

 彼方は自分と共に歩む艦娘全ての想いを飲み込むと決めた。

 吹雪の想い、時雨の想い、潮の想いーー

 

 

 

「霞。僕の我が儘を聞いてもらえないかな」

 

 

 

 霞の想いも、彼方は全てを受け入れるつもりでいた。

 

 

 

「……何?」

 

 

 

「僕だけのものになってほしい」

 

 

 

 自分のことは棚にあげて、彼方は霞を欲した。

 

 

 

「ーーいつからそんなに強欲になったのよ」

 

 

 

 しかし、今の言葉は彼方から誰かに言うのは初めてだ。

 彼方が自分のものにしたいと心から思ったのは、霞が初めてだった。

 

 

 

「霞がお姉さんを辞めたとき、気づいたんだ。ーー僕も霞には僕だけを見てほしかったんだって」

 

 

 

 彼方もまた、霞のことが女の子として好きだった。

 

 

 

「ーー本当に我が儘ね。4股させろなんて……。どこで育て方を間違えたのかしら」

 

 

 

 霞はそこでまた大きく一つ深呼吸をした。

 彼方を見る霞の顔は、いつもの霞の顔のように見えるが少し違う。

 強いだけではない。優しいだけでもない。

 強くて、優しくて、でもその中に少しの不安を覗かせる霞の顔。

 今の霞の顔が、お姉ちゃんの顔ではなく霞本来の顔なのだろう。

 

 

 

「でも……わかったわ。ホントに特別よ!私も彼方の彼女になってあげる!」

 霞は折れることにした。

 まぁ、初めからこうなるような気はしていたのだ。

 彼方は霞だけを選ぶことは、もはやない。

 そして、霞はもう彼方だけを選んでしまっている。

 惚れた弱味か、霞はもう彼方から離れることなんて出来ないのだ。

 

 

 

「霞。好きだよ」

「は、ハァ!?いきなり何を言ってるのよ!」

 彼方の突然の告白に、霞は顔を真っ赤にして慌てている。

 

 

 

「だらしない男でごめん」

「……もういいわよ。こうなる気はしてたわ」

 霞は彼方のところへやって来て、彼方の胸を背もたれに彼方の腕の中に収まった。

 

 

 

「あー……堪らないわね、これ。吹雪達がハマってるのも頷けるわ」

「……聞いてたんだ。うん、たまにね。僕は恥ずかしいんだけど、吹雪達は気に入ってるらしいんだ」

 彼方は霞を優しく抱き締めながら、頭を撫でている。

 大体吹雪達からお願いされたときはこうして頭を撫でている。

 時雨なんかは特にこれが好きらしくて、黙ったまま数十分膝に座られていたこともあった。

 

 

 

「これからはちょくちょく私もお願いするわ」

 ……マッサージ機みたいだ。

 でも、今まで霞に触れたいと思ったことも一度や二度ではない彼方も、それは願ったり叶ったりではある。

 中学生の頃から彼方は霞を意識していたことはあったのだ。

 彼方だって当たり前の男だ。

 

 

 

「ねぇ、彼方」

「ん?何?」

 

 

 

 彼方の顔を見上げるようにする腕の中の霞に、彼方は覗きこむように視線を向けた。

 

 

 

「ーーんっ。……ふふっ。これで吹雪達より一歩リードね」

「……か、霞。今……今……」

 

 

 

「こ、こんなことで狼狽えてんじゃないの!だらしないったら!」

 顔を真っ赤にして脚をばたつかせながら、霞が彼方の胸に顔を押しつけてきた。

 

 

 

「霞。ほんとは恥ずかしいんでしょ?」

「ば、バカ言ってんじゃないわよ!」

「ねぇ、もっとしたい」

「ハァ!?ちょっと彼方キャラ変わってない!?」

 

 

 

 

 

 彼方と霞は正式に付き合うことになった。

 彼女4号という位置付けではあるが、十年という時間をかけて想いを育んできた二人は、この日一気に距離を縮めた。

 霞にとって、不本意な結果になってしまってはいたが……彼方からの想いは十分に伝わった。

 

 

 

 残るは鹿島だ。

 次の休日、本当の鹿島が初めて彼方と向き合う。

 もうこの際だから増えるだけ増えてしまえばいいと、霞は投げやり気味に思ったのだった。

 

 

 

 彼方は結局この日は丸一日霞の部屋でゆっくりと過ごした。

 そして、また一つーー霞の大切な想い出が増えた日となったのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

いかがでしたでしょうか……いやこういうシーンって書くのめちゃめちゃ恥ずかしいんですね。
吹雪達が当て馬みたいな感じになってしまったかもしれませんが、現段階では彼女達はまだ彼方の心に居場所を作っただけに過ぎません。
本当に関係が進展していくのは、これからになると思います。
やはり十年は伊達ではないということで……。

次回は鹿島の番。頑張ります。



また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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教師と生徒 ー前編ー

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!

鹿島の告白編、書きたいことが多すぎて一話にまとめきれませんでした……。

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 霞が彼方に告白して付き合い出すようになってから、霞の機嫌は果てしなく上機嫌だ。

 生徒が何をしていようともーー

 

 

 

「若さってのは、大事よね!元気がなきゃ何もできないもの!」

 

 

 

 ーー完全に色ボケと化していた。

 それまでの鬼教艦っぷりは完全になりを潜め、今ではクラスのマスコット扱いだ。

 威厳もへったくれもあったものではない。

 

 

 表だって彼方とベタベタしているのは吹雪達三人だけで、霞は一応今まで通りとはいかないまでも、教艦と生徒の距離を保っている。

 しかし、いざ教艦室に帰ってくればーー

 今日の彼方はどうだったからかっこよかっただのーー昨日の彼方はこうだったから可愛かっただのーーそんな話ばっかりだ。

 もはや羨ましさより呆れの方が先に立つというものだ。

 

 

 

 鹿島は未だ彼方に想いが伝えられていない。

 そのため、彼方独占日からは外されているのが現状だ。

 吹雪達三人は、校内でも生徒という立場を振りかざしてお構いなしにベタベタベタベタしているし、霞は休日まで待てないのか、夜な夜なこそこそと部屋から抜け出して彼方に会いに行っているのを見かけたことさえある。

 

 

 

 ーー正直な話心が折れそうだ。

 あんな中に割って入っていけというのか。

 

 

 

 かといって、簡単に彼方を諦めることなんて出来る気もしない。

 鹿島をあの暗い場所から引き上げてくれたのは、彼方なのだ。

 あの時の彼方との写真は今でも鹿島の一番の宝物だ。

 あの時、朝霧彼方という男の子の隣で心から笑える日常を過ごしたいと思った。

 鹿島の気持ち全てを彼方に知って欲しいと思ったのだ。

 

 

 

「……ねぇ、鹿島。貴女、本当に彼方のこと好きなの?」

 不意に、教艦室の隣の席に座る霞に声をかけられた。

 

 

 

「ーー好きですよ!私だって、皆さんに負けないくらい彼方くんのことが好きです。……でもーー」

 どうしても、彼方と二人きりで話がしたいと誘うことが出来なかった。

 彼方はあの時の鹿島の行動をそれほど気にしていた様子は見受けられないが、鹿島はそうはいかない。

 

 

 

(どんな顔で彼方くんに会えばいいのかわからない……)

 鹿島は最近ずっとそのことで悩んでいて、いい加減どうすればいいのかどうしたいのか、自分でもわからなくなってしまっていた。

 

 

 

 霞はその様子を見かねて、鹿島に助け船を出すことにした。

「今度の休日、彼方と二人でゆっくり話してみなさい。そこでどうにか気持ちを伝えなさい。このままじゃ、鎮守府に行ってからまともに働くことも出来ないわよ?」

 確かにその通りだ。

 鹿島は出撃する霞達とは違い、常に鎮守府内で彼方を補佐する補佐艦という役割を担う予定だ。

 つまり彼方とのコミュニケーションを避けることは不可能。

 恥ずかしいだの何だの言っていられる場合ではないのだ。

 確かにこれ以上ずるずる先伸ばしにしても想いを伝えるのが難しくなる一方だ。

 

 

 

(霞ちゃんが折角作ってくれたチャンス……。ーーうん、彼方くんに好きだって伝えよう……)

 今度の休日ーー

 

 

 

「ーーってそれ明日じゃないですか!?そんないきなり無理ですよ!」

「前もって言っても土壇場で同じこと言うでしょ。彼方にはもう言ってあるから」

 必死に抗議するが、もう霞にとっては決定事項のようで、全く耳を貸す気がない。

 

 

 

 鹿島は覚悟を決めざるを得なかった。

「……わかりました。ーーあの……ありがとうございます、霞ちゃん」

 

 

 

 本当は彼方との時間を奪う存在である自分は、霞にとっては邪魔な存在だろう。

 それなのに、こうして鹿島に世話を焼いてくれた。

 ーーやっぱり霞は変わらない。初めて会ったときから、ずっと優しい子だった。

 

 

 

「いいの!私達、これから家族になるんだもの。これくらいのお膳立ては『今回に限り特別に』やってあげるわ」

 先駆者の余裕を見せつつ、霞は鹿島にエールを送る。

 

 

 

(家族……かーー)

 彼方が作ってくれた鹿島の新しい居場所。

 彼方には本当に感謝してもしたりない。

 叶うなら霞達と同じように、鹿島も彼方の隣に寄り添いたいと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼方と二人で過ごす予定の休日の朝。

 緊張して予定よりかなり早く目が覚めてしまった鹿島は、今出来る最大限のお洒落をして彼方の部屋へと向かった。

 今日はあの時と違って、メイクも派手ではなく余り目立たないように、服装もブラウスにロングスカートという清楚な上流階級のお嬢様といった出で立ちだ。

 本来の鹿島はこのような服装を好んでいた。

 

 

 

「大丈夫かな……彼方くんに変に思われないかな……」

 ちらちらと、窓に映る自分の姿を確認しながら、鹿島はあの時とは全く違う装いで、あの時と同じように彼方の部屋へとやって来た。

 

 

 

「ーー彼方くん……あの、起きてますか?」

 ノックをしても返事はない。

 これもあの時と同じ。

 まぁ、まだ起きるには少し早い時間だ。

 鹿島も寝ていてくれていることを祈ってここまでやって来た。

 まだ彼方が寝ていることを確認し、鹿島はゆっくりと静かに部屋へと忍び込んだ。

 

 

 

 あの時、鹿島は彼方を見ていたようで見ていなかった。

 こうして部屋へと忍び込んだ時も、鹿島は彼方の寝顔をよく見ていた筈なのに全く覚えていない。

 それが鹿島にはとても心残りだったのだ。

 だからまだ早朝であるのに彼方の部屋へとやって来て、寝ていることを確認して部屋の中にこっそりと侵入したのだった。

 

 

 

 今目の前で静かに寝息をたてている彼方の顔は、子供みたいで可愛らしいーー本当に愛おしく感じる。

 どうしてこの顔を覚えていなかったのかーー過去の自分がどれだけ愚かだったのか、今はこの彼方にどれだけ救われているのかがよくわかった。

 

 

 

 そっと頬に手を伸ばし、優しく頬を撫でるーー

「ーーぅん」

 少し彼方が身動ぎした。そろそろ起きるのかもしれない。

 残念だが、折角彼方と二人で過ごすことの出来る休日だ。

 鹿島はもう一度声をかけてみることにした。

 

 

 

「彼方くん、あの……私です。鹿島です。起きてーー」

 起きてください、と言おうとしたところで彼方が急に身体を起こした。

 

 

 

「ーーきゃっ」

「鹿島教艦?……あれ、どうしてここにーー」

 まだ半分寝ぼけているのか、彼方はいつもよりぼんやりした様子で鹿島を見ている。

 

 

 

「お、おはようございます!あぁあぁあのっ……そのっ……。今日は、か、彼方くんと……二人で過ごせるって、霞ちゃんに……」

 鹿島はしどろもどろになりながらも何とか答える。

 先程まで彼方の寝顔をまじまじ見ていたというのに、起きてしまえばろくに顔を見ることも出来ない。

 罪悪感ゆえか、恋する乙女というか……我ながら情けないことこの上ない。

 

 

 

「ーーあ、はい!そうですよね!?もしかして寝坊しちゃいましたか?」

 彼方は鹿島と二人で過ごすという約束を思い出したのか、慌てて飛び起きた。

 

 

 

「い、いえっ大丈夫です!私が早く来ちゃっただけですので!本当はまだまだ寝ていても大丈夫な時間なんですよ」

「ーーそうでしたか、よかった。じゃあ……折角早く来ていただけたので、ちょっと早いですけど出掛けましょうか?」

 彼方は、鹿島が彼方と一緒に過ごすのを待ちきれなくて、早くに彼方の部屋へとやって来たのだと判断したようだった。

 実際その通りと言えばその通りなのだがーー子供みたいに思われなかっただろうか。

 少し不安になる。

 

 

 

「あ……あの、彼方くん。ご迷惑じゃ、ないですか?こんな朝早くから押し掛けてしまってーー」

 不安になって彼方に聞いてみると、

 

 

 

「いえ、迷惑なんかじゃないですよ。僕も久しぶりに鹿島教艦と出掛けられるのを楽しみにしていましたから」

 彼方は本当に意外そうに否定してくれた。

 鹿島と出掛けることを純粋に楽しみにしてくれていたみたいだ。

 鹿島は緊張して重くなっていた気持ちが、すっと軽くなったのを感じた。

 

 

 

「あの、私……今日は彼方くんに連れていってほしい所があるんです」

 鹿島は、今回大きな目的を持っていた。

 前回は彼方のことなんてお構いなしに街のデートスポットを適当に連れ回しただけだ。

 正直鹿島は楽しくもなんともなかった。

 彼方だってそうだろう。苦痛すら感じていたかもしれない。

 

 

 

「今日はーー私を彼方くんが生まれ育ったお家に、連れていっていただけませんか?」




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

次回は家庭訪問になります。
鹿島はこの小説を書き出してから一番思い入れが強くなったキャラかもしれません。
大事に書いてあげたいと思います。



そういえば、活動報告にてご意見募集を行わせていただいております。
もしよろしければ、そちらもご覧いただければと思います。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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教師と生徒 ー中編ー

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!


「ーー鹿島教艦。母も今日は家にいるようですし、行きましょうか」

 出掛ける準備を終えた彼方は、自宅にいる母ーー千歳と連絡をとってくれていた。

 

 

 

(今日の今日なんて、本当に彼方くんのお母様には申し訳ないけど……大丈夫そうでよかった。ーーって、私手土産も何も用意してないじゃない!?)

 彼方の言葉に安堵したのもつかの間、大事なことをすっかり忘れていたのを思い出した。

 これでは相手の都合も考えず突然押し掛けてきた、恥知らずな女として見られてしまう。

 彼方の母親との関係は、鹿島の将来的に考えてーーある意味では最も重要な位置にあると言える。

 

 

 

「か、彼方くん!ご実家に向かう前に、お母様への手土産を用意したいんですけどーーどこか良い所知りませんか!?」

「え?いや、そんな気にされることありませんよ。家庭訪問みたいなものだって言ってありますしーー」

 彼方は鹿島の焦りなど知るよしもなく、鹿島から見れば随分と暢気なことを言っていた。

 

 

 

「そんなわけにはいかないですよ!彼方くんのお母様ですよ?私にとっては最重要人物なんです、粗相は絶対に出来ないんです!」

 鹿島は必死だ。

 想いを受け入れてもらえるかどうかよりも先に、彼方の母親を味方につけられるのかも重要だからだ。

 ここで失敗は絶対に許されない。

 

 

 

「そこまで大事に考えなくても……。でも、そうですね。じゃあ、母さんが好きなお菓子でも買っていきましょうか」

 彼方は一応納得してくれたようだ。

 本当に助かった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鹿島教艦、着きました。ここが僕の家です」

「ここが……彼方くんの生まれ育った場所、なんですね……」

 彼方がそう言って呼び鈴を鳴らす。

 

 

 

 鹿島には、生まれ育った場所などない。

 工廠で建造された時には既に完成された存在である艦娘には、持つことが出来ないものだ。

 人間と艦娘は違う。

 その差を少しでも埋めるため、鹿島は彼方のことをもっと深く知るために今日ここへ来た。

 

 

 

「彼方、おかえりなさい。ーーそちらが、彼方がお世話になってる教艦かしら?」

 扉を開けて、女性が家の外へとやって来た。

 彼方と同じ髪の色、優しそうな目が彼方とそっくりだ。

 この女性が彼方が最初に笑顔を見たいと思った女性ーー彼方の母親。

 

 

 

「は、初めまして!私、朝霧くんの副教艦を務めさせていただいております、練習巡洋艦の鹿島と申します!本日は、突然朝霧くんのご実家に押し掛けるような形になってしまい、本当に申し訳ございません!」

 ガチガチに緊張しながらも、何とか挨拶することは出来た。

 

 

 

「ふふ、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ?私は彼方の母で、千歳と言います。ご存知かも知れませんが、元々は貴女と同じ艦娘です。ーー今日は来てくださって本当に嬉しいです。私も彼方にたまには顔を見せるように言っていたんですけど、忙しいからって中々帰ってきてくれなくて……。鹿島教艦が家にいらっしゃらなければ、彼方はきっと卒業まで帰って来なかったと思いますよ。ね?」

「ーーい、いや……さすがにそれは」

 千歳の言葉を否定しようとするが、彼方は口ごもってしまった。

 鹿島も千歳の言葉は尤もだと思う。

 彼方は真面目すぎるのだ。

 休日も彼方は必死に提督としての訓練や勉強に明け暮れている。全て鹿島達を守るためだ。

 それはとても嬉しいし、最近は随分と逞しくなったと思う。

 だけど、心配でもあるのだ。

 これからは、霞と鹿島で休日は彼方を無理矢理休ませるくらいのことは考えなくてはならないかもしれない。

 

 

 

「いいのよ、こうして顔を見せに来てくれたんだから。ーーあ、立たせっぱなしですみません。どうぞ、上がってください」

 

 

 

 千歳に案内され、鹿島は玄関へと入った。

 彼方の家は、一般的な家庭というのはよくわからない鹿島ではあったが……暖かさのようなものがあるような気がした。

 棚の上に赤ちゃんの頃の彼方の写真が飾ってある。

 その隣にはウェディングドレスを着た千歳と、彼方を少し男らしくしたような男性の結婚式の時の写真が飾ってあった。

 

 

 

(この人が彼方くんのお父さん……。艤装を解体した千歳さんはこの人と結婚して、彼方くんを産んだのね……)

 鹿島には正直未知の領域だ。

 妖精達に建造されて生まれてくる存在である艦娘が、人間との間に子供を授かる。

 こうして彼方の両親をこの目で見ることで、鹿島は初めてそれを実感したのだった。

 

 

 

(私も、お母さんになれるのかな……)

 不安な気持ちと、大きな幸せへの期待。

 鹿島にとって幸せとは何なのかーー少なくとも千歳にとっては、この男性と結婚し彼方を授かったことは、とても幸せなことだったのだと思う。

 

 

 

「いいなぁ……」

 鹿島も、いつかは彼方の子供を授かることが出来るのだろうか。

 今は全く実感のない話だが、もしそうなったら、それは鹿島にとってとても幸せなことのような気がした。

 

 

 

「鹿島教艦、どうしました?」

 ついつい立ち止まってしまっていたのを彼方に不審に思われてしまったようだ。

 居間の方から彼方が覗きこんでいる。 

「あっ、すみません!すぐ行きます!」

 鹿島は慌てて彼方の後を追ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーそれで……本日はどういったご用件でこちらへわざわざ足を運んでくださったんですか?彼方からは家庭訪問のようなものだと伺ってはいるのですが……」

 手土産も無事喜んでもらえて、お茶とそのお茶菓子を用意してもらって人心地ついた頃、千歳が今日の訪問の意図を確認してきた。

 

 

 

「私ーー今日はお母様にお願いがあって参りました」

 鹿島は居住まいを正すと、千歳に用件を切り出した。

「お願い?……彼方のことで、ですか?」

 鹿島の様子に何か感じるものがあったのか、千歳も姿勢を正して鹿島の次の言葉を待つ。

 

 

 

「はいーー私、朝霧くんが産まれてから今までの全てが知りたいんです。……教えていただけませんか?」

 

 

 

 ーー瞬間。敵艦載機の索敵に引っ掛かってしまったような感覚が鹿島の背筋をざわつかせた。

 

 

 

「ーーそれは、教艦として……ですか?」

 

 

 

 ーー観られている。

 千歳の視線が今までの柔らかい物から鹿島を値踏みするような視線へと変化した。

 鹿島はその変化に戸惑いつつも、覚悟を決めた。

 

 

 

「……いえ、私個人としてーー私は彼方くんの全てが知りたいんです。……お願いします、お母様ーー」

「千歳よ」

 

 

 

 不意にプレッシャーが霧散したかと思うと、千歳に言葉を遮られた。

 

 

 

「え、あっ……えっと?」

「今度からは千歳さんって呼んで?鹿島ちゃん。……霞ちゃんにも、そう呼んでもらうようお願いしてるの」

 

 

 

 ーー言っている意味、わかるわよね?

 鹿島の目には千歳がそう言っているのがありありと見てとれた。

 

 

 

「あ……は、はい!千歳さん!」

「よろしい。彼方のことを教えてあげるには、条件があるわ」

 千歳の視線がまた元通りの優しい柔らかな視線へと戻った。

 

 

 

「その……条件とは?」

 和らいだ千歳の雰囲気に安堵すると共に、提示される条件について、鹿島は千歳に確認した。

 

 

 

「難しいことじゃないわ。彼方の訓練校の様子が聞きたいって言うのと、貴女のことも教えてほしいってことね」

 ーーなるほど、確かにこちらが聞いているばかりではフェアではない。

 鹿島の想いを正しく千歳に理解してもらうためにも、好都合な条件だった。

 

 

 

「はい、喜んでお話させていただきます!」

 

 

 

「そう、良かったわ。それじゃ、そうと決まったら準備しないとね。彼方、アルバム持ってきてーー全部」

 

 

 

 ぱっと花が咲くような笑顔と共に、それまで黙って様子を伺っていた彼方に急に矛先が向く。

「え?全部!?……わかったよ、待ってて」

 彼方はかなり驚いていたようだが、文句ひとつ言うことなく部屋を出ていった。

 ーーあの驚きようからして、かなりの冊数なのだろう。

 見るのがとても楽しみだ。

 

 

 

「鹿島ちゃん。彼方は席を外させるから、たっぷりお話しましょう。ーー実は、霞ちゃんから貴女の話は少しだけ聞いていたのよ。だから、私も貴女から直接色々なお話を聞きたいって思ってたの」

 霞はここまで根回しをしてくれていたのだろうか……。

 もしそうだとすれば本当に感謝してもしきれない。

 そのお陰もあってか千歳は楽しそうに鹿島に話しかけてくれている。

 本当に気さくな人で良かった。

 

 

 

「ーーか、母さん。持ってきたよ」

 彼方が大量のアルバムを抱えて持ってきた。

 本当にものすごい量だ。彼方が持てるぎりぎりくらいはあるようだ。

 

 

 

「ありがとう、彼方。それじゃあ、彼方は鹿島ちゃんが部屋に行くまで自分の部屋で待っててくれる?」

「えっ、折角帰ってきたのに?」

「いいから、鹿島ちゃんのためなのよ?」

「わ、わかったよ。じゃあ……鹿島教艦、またあとで」

 

 

 

 彼方は千歳の言いなりのようなものらしい。

 言われるままに自室へと歩いて行ってしまった。

 

 

 

「ーーよし、じゃあ……始めましょうか!」

 千歳は最初の一冊目を手に取り、うきうきとした様子で鹿島の前に座った。

 

 

 

 長くなりそうな予感はしたが、こちらとしてもその方がありがたい。

 鹿島は彼方の全てが知りたいのだ。

 どんなことでも教えてもらいたい。

 

 

 

「はい、お願いします!」

 

 

 

 気合いと共に鹿島は答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー鹿島は千歳から色々な話を聞き、色々な話を聞かせた。

 彼方を授かってから産まれるまでの話から、彼方が高校を卒業するまで。

 艦娘として生まれた千歳は、人間の持つ慣習に疎い。

 色々と苦労は絶えなかったようだ。

 しかし、その苦労があったとしても、彼方を授かることが出来て本当に良かったと千歳は言っていた。

 

 

 

 どうやら彼方は中学時代から既にかなりモテていたらしい。

 卒業式等は追い剥ぎにでもあったのかといった様子で、家に帰ってきたのだそうだ。

 しかし、そんな状態でも特定の相手と付き合うことはなかった。

 

 

 

 恐らく、霞がいたからだ。

 無意識に、彼方は自分が霞を異性として好きなのを自覚していたのだろう。

 

 

 

 ーー鹿島からは訓練校に入学してからの話だ。

 いかに彼方が努力家で、提督として艦娘に対し真摯に向き合っているか。

 特に草薙提督の艦娘を破った時の話等は、鹿島も興奮気味に語り聞かせたのだった。

 

 

 

 そしてーー鹿島の過去と、自分が彼方にしてしまったこと。

 彼方がそれを許し、鹿島を救ってくれたこと。

 鹿島が彼方に本気で好意を寄せていることも話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーかなりの時間が経った気がする。

 時計を見ると、二時間ほどが経過していた。

「ーーそう。鹿島ちゃんーー彼方は、今はもう霞ちゃんとお付き合いしているのよね?」

 鹿島の話を聞いた千歳は、少し辛そうな顔をしながら鹿島にそう問いかけてきた。

 霞から報告は受けていたようだ。

 

 

 

「ーーはい、そうです。ですが……私も彼方くんのことが本当に好きなんです。どんな形でも、彼方くんの傍にいたいんです」

 それは鹿島の真摯な気持ちだ。

 今日鹿島は彼方の話を沢山聞くことが出来た。

 彼方本人には言いにくい内容もあったし、ここまで多くのことは語ってくれなかっただろう。

 

 

 

 今日千歳と話せたことで、鹿島の想いはより強まった。

 

 

 

「ーー鹿島ちゃんが、霞ちゃんの最大のライバルになりそうね。……榛名ちゃんを思い出すわ」

 やっぱり彼方はお父さんそっくりね。と笑いながら、千歳はアルバムの中の彼方を指で撫でた。

 

 

 

 ーーふと外を見ると、雨が振りだしていた。

 夕立だろうか。暫くは帰れそうにない。

 

 

 

「鹿島ちゃん。ここなら邪魔も入らないわ、彼方とゆっくり話してらっしゃい」

 千歳は、心情的には霞の味方なのかもしれないが、鹿島に対しても平等に優しく接してくれた。

 本当に、こういうところは彼方によく似ている。

 

 

 

「ありがとうございます。私ーーいってきます」

 鹿島は覚悟を決めて、彼方の部屋へとやって来た。

 

 

 

 ノックすると、彼方が顔を出した。

「ーーあ、鹿島教艦。母さんとの話は終わったんですか?」

「はい。あの……彼方くん」

 

 

 

「ちょっとーーお話、しませんか?」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます!



ちょっと鹿島については書きたいことが多すぎて、三話構成になってしまいました。



次回で鹿島の告白編は終了になります。
一章が終わらない……。


それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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教師と生徒 ー後編ー

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!



今回で、鹿島編は終了です。



それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


「……母さんから、聞きたかった話は聞けました?」

 

 

 

 彼方に部屋の中へと招待された鹿島は、彼方のベッドに腰掛け、正面の椅子に座る彼方の足下をじっと見ていた。

 相変わらず、彼方の顔をまともに見るのは恥ずかしい。

 写真の中の彼方は隅から隅までまじまじと見てきたのだが……。

 

 

 

「は、はい。彼方くんの、産まれてから今までのいろんなこと、聞くことができました。……彼方くんには申し訳なかったですけど、きっと彼方くんご本人からだと聞けなかったこともあったと思います」

 

 

 

 恐らく、彼方は女性関連の話題は避けるだろうし、言えば照れ臭いことも言わないだろう。

 そういう意味で、彼方のことを深く知るのに、千歳はこれ以上ない人物だった。

 

 

 

「そうですか……」

 

 

 

 彼方は頷いたあと、しばらく間をおいた。

 何か言いにくいことを言おうとしているように鹿島には見えて、思わず身体が強張るのを感じる。

 

 

 

「ーー鹿島教艦は、どうして僕のことを知ろうとしてくれたんですか?」

 それは、核心に触れる問いかけだ。

 そして、彼方もその核心に薄々気がついているようだった。

 

 

 

 その問いかけに答える前に、鹿島にはどうしても彼方と話をしておきたいことがあった。

 

 

 

「ーー彼方くん。彼方くんは、私にしてくれた約束を……覚えていますか?」

 

 

 

 ーー鹿島に本当の笑顔を取り戻させる。という約束だ。

 仲間を死地へと送り出し続けることを強いられ、自らの手により教え子を失いすぎて心を壊された鹿島を救いだしてくれた約束。

 

 

 

「もちろん覚えています。僕は鹿島教艦に、吹雪達を死地へと送り出させるような真似は絶対にしません。……あの約束は、僕としても提督として絶対に成し遂げ続けなくてはならない役目だと思っています」

 彼方は、力強く答えてくれた。

 彼方は鹿島が心を壊された原因を排除することで、鹿島が本当の笑顔を取り戻すことができると思っている。

 

 

 

 しかし、それは間違いだ。

 もはや今の鹿島に本当の笑顔を取り戻させるのは、それだけでは足りない。

 それにーー

 

 

 

「ーー彼方くん。実際に艦娘を指揮するようになってから、それがどれだけ難しいことなのか……今はもうわかってますよね?」

 

 

 

 特に、草薙提督との演習はその難しさを痛感させられた一戦となったはずだ。

 あの時の彼方の作戦は、教艦から見ても粗がないわけではなかったが、概ね良くできたものであったと思うし、事実実戦経験のない艦娘と提督が百戦錬磨の艦娘を破ったのだ。

 大戦果を挙げたと言って良かった。

 しかし、潮と時雨はあれが実戦だったら沈んでいてもおかしくない。

 彼方もそれを意識してしまったから、草薙提督の言葉に動揺し、あれほど精神の平衡を失ったのだろう。

 

 

 

「……はい。僕があの時いかに何もわかってない癖に偉そうに鹿島教艦に約束したか、思い知りました」

 

 

 

 自分に好意を寄せてくれている女の子達を失うのが恐ろしい、鹿島との約束を守れないのが恐ろしい。

 彼方はその恐怖から逃れるため、一時は必死に訓練に明け暮れ、自分の心の在り方すら変えてしまおうとしていた。

 

 

 

 しかし結局は、霞が我が儘を言うことでその恐怖を抱えたまま提督になることを彼方は選んだ。

 鹿島が気になっているのはそこだ。

 

 

 

「正直な話、その役目を果たし続けるのは容易なことではありません。深海棲艦は私達よりも数が圧倒的に多いんです。不測の事態というのは、常に起こり得ます。その時もし誰かを失ってしまえば――」

「その時は、それはーー僕が提督としての力が足りなかった……鹿島教艦と約束をするに足る男ではなかったということです」

 

 

 

 やはり、彼方は全てを背負いこんでいくつもりのようだ。

 吹雪達を絶対に失わないためにも、もし彼女達を失ったとしてもそれを絶対に忘れないためにも、彼方は彼女達の気持ちを受け入れた。

 その中に今は霞も鹿島も入っている。

 

 

 

 これでは、いつか必ず彼方は擦り切れてしまう。

 霞はそれでも彼方なら大丈夫だと思っているようだが、それは違う。

 彼方は普通の男の子だ。

 今日千歳から話を聞いてわかった。

 彼方の心は轟沈(それ)に耐えられるほど強くない。

 霞も彼方を見誤っている部分がある、ということだ。

 

 

 

「ーー彼方くん。私との約束は、艦娘を沈めないことではありません。私を笑顔にしてくれるってことでしたよね?」

「え?でもそれはーー鹿島教艦が過去に教え子達を失い続けたことが原因で、笑顔を失ってしまったのなら……」

 彼方は鹿島の言葉に面食らってしまっていた。

 確かに約束を交わした時は彼方のその言葉に鹿島は頷いた。

 

 

 

 しかし、その時から鹿島はわかっていたのだ。

 例え彼方がどれだけ優秀でも、艦娘は沈むときは沈む。

 鹿島もそういった防ぐことの出来なかった轟沈については、自分の力不足を嘆くことはあれど……彼方に対して心が壊れるほどの絶望を受けることはない。

 

 

 

 あの時の鹿島は、彼方のその心が嬉しかったのだ。

 教え子を自らの手により沈ませずにすむからではないーー鹿島を懸命に助け出そうとしてくれる彼方の存在そのものが、鹿島の救いとなった。

 

 

 

「その約束では、彼方くんでは果たす努力はできても、確実には果たすことが出来ません。そんなものは所詮深海棲艦次第なんです」

「いや、でも……それは僕がしっかりしていれば……」

 彼方は頑なに自分一人で抱え込もうとする。

 自分が努力すれば何とか出来ると思わなければ、不安なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー彼方くん。……ここ、来てくれませんか?」

 鹿島は自分の膝をぽんぽんと叩く。

 鹿島は霞とは違う形で彼方の隣に立つことにした。

 自分は彼方の補佐艦だ。霞とは違って鎮守府では常に彼方の隣にいる。

 彼方と彼方の艦娘を戦場で守るのが霞の役目ならば、彼方を癒し導くのは鹿島の役目だ。

 今の鹿島はしっかりと彼方の顔を見据えている。

 話をしているうちに、鹿島なりに彼方と向き合う方法にたどり着いたからだ。

 

 

 

「え、いやでも……教艦にそんな……霞達だっているのに……」

 彼方は先程からの鹿島の言葉に対し混乱し戸惑っていたが、今度はその鹿島の行動に戸惑っている。

 今は完全に鹿島のペースになっていた。

 

 

 

「彼方くんは、私がどうして貴方の全てを知りたがっていたのかーー知りたいんですよね?」

 先程の彼方の最初の質問だ。

 

 

 

「先生が物わかりの悪い生徒に教えてあげますからーーここに、来てください」

 もう一度、しっかりと彼方の瞳を見つめて、鹿島は繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー太股の上に、心地の良い重さが乗っている。

 鹿島は、彼方の頭を優しく撫でながら、彼方に語りかけた。

「彼方くん、どうですか?霞ちゃん達より気持ちいいでしょう」

 これは、立派な浮気ですよ?と、彼方を半ば無理に膝枕した癖に鹿島は彼方をからかう。

 

 

 

「ーーっ。いや、鹿島教艦が来いって……。いえ……そうですね……」

 思わず反論しかけた彼方だったが、結局鹿島に膝枕されたのは彼方だ。鹿島だけのせいではないーー認めるしかなかった。

 

 

 

「うふふ、冗談です。でも、ちょっとは私のことも意識して欲しくて。あのーーちょっと気になってたんですけど、彼方くんって……幼い子が好きだったりはーー」

「しませんよ!?好きだったのがたまたま小さかっただけで……」

 ちょっと怪しいような気もするが、彼方は否定した。

 しかしそれが本当なら、自分の身体も彼女達からすれば十分に武器になり得るかもしれない。

 以前にデートしたとき、困らせただけで結局は全く効果がなかったので正直不安に思っていた部分もあったのだ。

 

 

 

「そ、それより……早くさっきの答えを……」

 彼方が顔を赤らめ身動ぎする。

 早いところ終わりにしたいという意思表示だ。

 

 

 

「もうっ。せっかちですねーーわかりました。それは、私が彼方くんのこと、好き……だからですよ」

 

 

 

 鹿島の囁くように言ったその言葉に驚いて身体を起こそうとする彼方を、鹿島は頭を抱え込むように身体で無理矢理押さえつけて離さない。

 

 

 

「ちょっと、鹿島教艦!?」

 鹿島の豊かな胸が、彼方の顔に思い切り押しつけられる形になり、彼方は身動きが取れなくなってしまった。

 鹿島の顔もこれまでで一番赤くなっているが、彼方からは当然見ることができない。

 

 

 

「ダ~メ、です。彼方くんは、自分から敵陣に飛び込んじゃったんですよ?逃げられるわけ、ないじゃないですか」

 浮気だって、警告はしましたよ?と、逃げようにも動くことの出来ない彼方の耳元で囁いた。

 

 

 

「あのですね、彼方くん。私はーー私だけはどんなことがあっても沈みませんよ、彼方くんの補佐艦ですから。鎮守府に着任すれば、いつでもどこでも私が隣にいます」

 

 

 

「ーー鹿島教艦?」

 彼方は抵抗を諦めて大人しく話を聞いてくれるようだ。

 鹿島の言葉の真意を測りかねている様子だった。

 

 

 

「私にだけは、強がらなくていいんです。彼方くんは、そんなに強い男の子じゃないんですから。たまには甘えられる相手も必要なんですよ?」

 彼方からは顔が見えないのをいいことに、鹿島はゆだるように赤くなった顔のまま、更に今できる精一杯の甘い声で彼方に囁き続ける。

 

 

 

「私を笑顔にしてくれるのは、彼方くんなんです。もちろん教え子を自らの手で沈ませられるような真似を彼方くんがするのであれば、私はそれを絶対に許しません。……でも、彼方くんはそんなこと絶対にしませんから。私と彼方くんはその点に関して、同じ目標に向かって努力できるパートナーだと思っています」

 

 

 

「……鹿島教艦」

「はい、なんですか?」

「あ、あの……真面目なお話なら顔を見ながら話し合いませんかーー」

「お断りします」

 彼方が今度は言葉で鹿島を説得しにかかるが、鹿島は取り合わない。

 むしろより身体を押し付けて絶対に逃がさないことを意思表示する。

 今彼方に顔を見られたら、またまともに話が出来なくなるのは目に見えている。

 

 

 

「もうっ、ちゃんと聞いてください。今大事なお話をしてるんですからっ。ーーで、ですね。私を笑顔にしてくれるのは、彼方くんの提督としての手腕ではありません。それはーー」

 

 

 

 そこまで言って、ようやく鹿島は身体を起こした。

 彼方と目が合う。

 彼方は鹿島の真っ赤な顔に驚いているのだろう。

 鹿島を見て固まっている。

 

 

 

「ーー彼方くんが、私と一緒に笑ってくれることなんです。私の大好きな男の子の彼方くんが、私の隣にいて笑っていてくれるだけで、私はとてもーー幸せだと思うんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー辛いときは、いつでも私に甘えてください。そして、また私に笑顔を見せてください。それが私と彼方くんの約束、ですよ?」

 

 

 

 そういって、鹿島は彼方の額に口付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、鹿島ちゃん。彼方をよろしくね?」

 

 

 

 雨も上がり、彼方と鹿島は訓練校へ帰ることにした。

 

 

 

「はいっ、お任せください!彼方くんは私が立派な提督にしてみせます!」

 鹿島はここへやって来た時の頼りない様子からうって代わり、今は自信に満ち溢れる様子で千歳に応えた。

 

 

 

「あら、うふふ。急に頼もしくなっちゃったわね。またいつでも来て頂戴。今度は生徒の娘達も霞ちゃんも一緒にね。彼方の話、聞かせてほしいから」

 千歳は可笑しそうに笑うと、笑顔で彼方達を送り出した。

 

 

 

 

 

「あ、あの……鹿島教艦」

 

 

 

 ずっとろくに喋りもしなかった彼方が鹿島に話しかけてくる。

 

 

 

「なんですか、彼方くん?」

「僕は……あの、霞のことが好きなんです」

 すまなそうな顔で彼方が言う。

 

 

 

「ーー知ってます。見てたらわかりますよ、そんなこと」

 しかし、それがなんだと言うのか。

 鹿島には確信があった。

 

 

 

「でも彼方くんは、私のことも嫌いじゃないですよね?」

「ーーっ」

 

 

 

 やっぱりだ。

 即答出来ない、というのは肯定の証だ。

 霞だけが好きだと思っている一方、鹿島のことも無下に出来ない程度には気にしてくれている。

 一般的な世間では最低な男と言えるだろうが、鹿島にとってはそれも好都合な話だ。

 

 

 

「彼方くんーー辛いときは、いつでも先生のお部屋に来てくださいね?いつだって、彼方くんのこといっぱい甘やかしてあげます。だって私はーー」

 

 

 

「ーー『彼方くん甘やかし係』なんですから、ねっ?」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!


鹿島に甘えたいー……。
しかしこれで完全にハーレムが作り出されてしまった感があります……。


それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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潮の全て

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!



今回で、一章はほぼ終了となります。
潮の告白以降、かなりそれに振り回されて長くなってしまいました。


それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


 鹿島との休日明けの朝。

 男子寮を出たところで潮が彼方の事を待っていた。

 

 

 

 潮達の告白を受け入れて以来、こうして日替わりで三人のうちの誰かが彼方の事を待っていてくれる。

 一度それが申し訳なくて少し早めに出て待っているようにしたのだがーー

 

 

 

「え~!?何で彼方君が待ってるのぉ!?」

 と吹雪に涙目になって怒られてから、いつも通りの時間に出るようにした。

 

 

 

「お、おはよう、潮……」

「………………お早うございます」

 

 

 

 つん、と逸らした顔と僅かに尖らされた唇。

 いかにも、『潮は今怒っています』といった態度である。

 ……恐らく、霞と鹿島のことだ。

 

 

 

「あ、あの……潮。か、霞教艦と……鹿島教艦のことなんだけど……」

 潮は怒らせると恐い。彼方はその記憶があるため潮にはあまり頭が上がらない。

 その迫力に、吃りがちになりつつも潮へ説明しようとする彼方だったがーー

 

 

 

「ーーいいんですよ、彼方さん。霞教艦達にも彼方さんに告白するよう焚き付けたのは、潮達ですから」

 ふと引き締めていた口元を緩めたと思うと、潮から余りにも意外な言葉が飛び出した。

 

 

 

 歩きながら話します、遅れてしまいますので……と言うと、潮が校舎へ向かって歩きだした。

 彼方も慌ててそれに続く。

 

 

 

 しかし、告白するように焚き付けたとは……どういうことなのか。

 彼方にはその理由に見当もつかない。

 

 

 

「潮は、あの時彼方さんが断ることが難しいタイミングだとわかっていて告白しました。それは……もし霞教艦達に先に告白されてしまえば、潮達の気持ちは受け入れてもらえないことがわかっていたからです」

 潮は、悲しげに俯いて続けた。

 

 

 

 彼方には確かに潮の言ったことに思い当たる節があった。

 

 

 

『ーーお願い、彼方。私だけを見て。吹雪達と別れて』

 

 

 

 霞に告白されたときの言葉だ。

 これが、潮達と付き合う前だったとしたら……確かに彼方は霞だけを選んでいたことだろう。

 結果的に、潮の賭けは成功したということらしい。

 

 

 

「潮達がまだまだ霞教艦と彼方さんの間に割って入れるほどの信頼関係でないことは、潮もよくわかってます。でも……だからこそ、彼方さんの一番近くに立てる可能性を今絶たれたくはなかったんです」

 

 

 

 潮の手が遠慮がちに彼方の手に触れる。

 彼方が潮の手を握るのを躊躇っていると、ふいと手が離れていってしまった。

 

 

 

「……彼方さん。潮はずるいんです。ずるをしたって彼方さんが欲しい。ーーだけど、十年間も彼方さんのことを想っていた霞教艦のことを考えたら……やっぱり、対等に戦いたいと思っちゃいました」

 

 

 

 だから、霞と鹿島を焚き付けた。

 霞達と対等に戦うために、彼方を正面から奪い合うために。

 

 

 

「ーーでも、やっぱり失敗でした。今の彼方さんは、潮と手も繋いでくれないんですね……潮は『彼女』なのに」

 

 

 

 俯いた潮の表情は彼方からは窺うことができない。

 また、彼方は泣かせてしまっているのだろうか……。

 

 

 

「……この春に工廠で建造された時、潮はただ深海棲艦と戦うためだけに生まれてきたんだと思ってました。……でも、彼方さんと出逢ってーー彼方さんの優しさに触れて、必要とされて……潮は思ったんです。この力は、深海棲艦と戦うためだけじゃない、彼方さんを守るための力でもあるんだって」

 

 

 

 今度は潮自身がやって来て、彼方の腕に自らの腕を絡ませて身体全体で密着してくる。

 

 

 

「ーー彼方さんは、潮の全てです。まだ過去と呼べる程の過去がない潮には、今と未来しかありません。その今と未来は、彼方さんと共にあるんです。だから、潮はこの場所をーー誰にも譲りたくありません」

 

 

 

 通りがかる提督候補生達の怨嗟の視線を感じながらも、彼方は潮を振り払うことが出来ない。

 潮に自分の全てだと言われて、彼方はどうすればいいのか……正直迷っていた。

 

 

 

「彼方さんが霞教艦のことを好きだっていうのはわかってます。……でも、潮も彼方さんのことが好きです。そんな簡単に諦めてなんか、あげませんから……」

 

 

 

 そう言うと、潮は身体を離した。

 

 

 

「ーーきっと、吹雪ちゃんや時雨ちゃんも同じ気持ちです。例え、彼方さんが他の人を好きでも……潮達は彼方さんを想い続けます」

 

 

 

 潮はにこりと笑うと、彼方の手を取り歩きだした。

 彼方は終止圧倒されっぱなしで……自分がどうするのが最善なのか、ただただ頭を悩ませるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーそれからというもの、彼方は日々の潮達のアタックに悲鳴をあげていた。

 

 

 

「ねぇ彼方君、私……彼方君と街にお出かけしてみたいなぁ」

 そう言う吹雪を連れて街にでてみれば、どうしてもとねだられてゲームセンターで撮ったプリントシールを彼方の私物のいたるところに貼りまくられたりーー

 

 

 

「彼方……どう、似合うかな?」

 と、首輪に犬耳と尻尾をつけて彼方に抱っこをせがんだりーー

 

 

 

「彼方さん、潮……最近肩が凝っちゃって……マッサージ、してくださいませんか?」

 と、お願いされたら肩だけじゃなく色んなところまで揉まされそうになったりーー

 

 

 

 正直逆効果なのではないか、と思うものも少なくない。

 だが、それも彼女達が精一杯彼方と近づこうと試行錯誤した結果だ。

 

 

 

 潮が言っていたように、潮達は謂わばまだ赤ん坊のようなものだ。

 この春に工廠で建造されたのなら、兵器としては完成されていても、人としてはまだ生後数ヵ月。

 ベースとなる知識や性格は持ち合わせていても、恋に関しては全くの初経験だ。

 今はこうしてゆっくり距離の詰め方を学んでいくしかない。

 今まで極端な行動が多かったのも、そのせいなのだろう。

 

 

 

 彼方は、そうした日常の中で、潮達とどう接するべきか……ずっと考えていた。

 正直、霞と同じように接するのは不可能だ。

 どうしても霞にも潮達にも申し訳なくて、いつも中途半端な態度をとってしまう。

 しかし、拒絶するような態度も取ることは出来ない。

 自分の全てだと言い切られて、それを拒絶することなどやはり出来ない。

 

 

 

「ーー彼方くん、お困りですね?」

 

 

 

 そんなとき、鹿島に声をかけられた。

 

 

 

「……潮ちゃん達の件ですけど、彼方くんは真面目に考えすぎです。色恋沙汰に関して、本命以外を振ってしまう以外に複数人に誠実であろうなんて最初から不可能なんです。今更そんなこと悩んでも、もう遅いですよ?」

 

 

 

 鹿島の部屋に上げてもらい、相談に乗ってもらっていた彼方は、鹿島のその言葉に愕然とした。

 

 

 

「彼方くんは、もう自分の艦娘の想いを全て受け入れると宣言しています。霞ちゃんも今はもうそれに納得した上で彼方くんの物になっています。私だってそうですよ?」

 

 

 

 鹿島は彼方に甘い言葉を囁く。

 もう告白を無事終えた鹿島は、彼方の味方であって霞の味方ではない。

 霞にも大恩はあるが、彼方が弱っている今が攻め時だった。

 

 

 

「だから、彼方くんはもう開き直って全員を平等に愛してくれる以外に道はないんです。霞ちゃんだけじゃなく、私や、潮ちゃん達も……」

 

 

 

「そうか……そうですよね……」

 

 

 

 彼方は鹿島の言葉にある程度納得してしまった。

 確かに今の時点で既に彼方は誰に対しても誠実とは言えなくなってしまった。

 しかし、それは彼方が提督となると決めたときからいつかはこうなるであろうとわかりきっていたことだったのかもしれない。

 

 

 

 ……ならば、出来る限り全員と平等に接することが出来るように努力するしかない。

 

 

 

 霞に告白されて初めて恋を実感した彼方には、難易度の高過ぎる問題だ。

 艦娘達全員に罪悪感もある。

 こうして誰かに相談できなければ、いつまでも答えらしい答えは出てこなかったかもしれない。

 

 

 

「鹿島教艦、ありがとうございました。覚悟を決めるとはいかないですけど……僕を好きになってくれた皆に、応えられるように努力していきます」

 彼方にとっては、自分の蒔いた種とはいえ頭の痛い問題だ。

 

 

 

「そうですか!良かったです、彼方くんが納得してくれて!」

 跳ねるように嬉しさを身体全体で表現する鹿島に、彼方は自分が誰に相談してしまっていたのか今更気がついた。

 

 

 

「その……本当にすみません、鹿島教艦」

「いいんですよ、この間も言いましたけど……私は世間一般の誠実な対応なんて望んでいませんから」

 多分他の皆も同じです。と、鹿島は付け加えた。

 

 

 

 ーーこうして、なし崩し的に彼方は自分に想いを向けてくれる相手全員に平等に接することを決めた。

 

 

 

「それじゃ、今日は本当にありがとうございました。鹿島教艦」

 

 

 

 礼を言い、部屋を出ていこうとした彼方の手を鹿島が掴む。

 

 

 

「うふふ、連れないですね彼方くん。折角来たんですし、もうちょっとゆっくりーーお話、しませんか?」

「え、あ……はい」

 

 

 

 ただの相談で彼方を逃がすつもりは毛頭なかった鹿島は、無事彼方を甘やかすことに成功したのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。



今回は、霞達全員の告白を受け彼方がどう考えて今後動いていくのか、というお話でした。
今回の彼方の選択は、書いていて正直どうなのかという迷いもありましたが……どうしても潮達や鹿島をここで捨てるのは躊躇いがあり、完全にハーレム物として物語を進めていくような形になりました。
最終的には一人を選ぶことになりますが、それまではこのような形でいきたいと思っております。



それでは、また読みにきていただけましたら嬉しいです。



追記
時雨の行動がネタにしてもあんまりだったので修正しました。


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旅立ち

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

今回で一章は終了となります。

ここまで書いてこれたのも、皆様のお陰です!
本当にありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 彼方の潮達に対する接し方が少しずつ変化し、彼方争奪戦も日々激しさを増していった。

 

 

 

 日毎代わる代わるあの手この手で攻め寄る潮達に、疲れ果てた彼方を癒す霞と鹿島。

 その目まぐるしい日常も、彼方達にとっては非常に大切な日々だった。

 

 

 

 ーーそれから数ヵ月。

 とうとう彼方が提督となる日がやってきた。

 

 

 

 彼方は草薙提督の艦娘を破った事もあり、無事に訓練校を卒業することができた。

 もちろん吹雪達や霞、鹿島も一緒だ。

 

 

 

 彼方は無事、霞と交わした約束を果たした。

 

 

 

「彼方くん。まずは、卒業おめでとう」

 卒業式の後、彼方は楓に呼び出されていた。

 

 

 

「はい、ありがとうございます。楓さん……今まで本当にお世話になりました!」

 彼方は勢いよく頭を下げる。

 楓には本当にお世話になりっぱなしだったのだ。

 彼方が提督になるまで霞や鹿島を守っていてくれたのは楓だ。

 他にも返しきれないほどの恩が、楓にはある。

 恐らく一生頭は上がらないだろう。

 

 

 

「いいのよ。お爺様から言われていたし、霞ちゃんや鹿島を幸せにしてくれるのなら私も嬉しいわ。まぁ……五股は正直どうかと思うけど。本人達がそれで納得しているなら、私がとやかく言えることじゃないしね」

 ブスリと刃物で彼方の心を突き刺してくる。

 楓はキツイ性格をしてはいるが、心根は優しい女性だ。

 純粋に同じ女性として霞達のことを心配しているのだろう。

 

 

 

 しかし、もうクズだろうと何だろうと構わない。

 もう決めたのだ。彼方の艦娘は皆彼方のものだ。

 生き死に含めて全て彼方の物にする覚悟はできている。

 彼女達を幸せにできるのは彼方しかいない。

 潮達や鹿島の想いにどこまで応えられるのかは今後も考えていかなければならないが、一応はそれも含めて彼方は彼女達を自分の物とするつもりでいた。

 

 

 

「ーーとにかく、これで私は貴方の後見人ではなくなるわ。これからは共に戦う仲間として、宜しくお願いするわね」

 

 

 

 彼方は、差し出された楓の手を握り返す。

「はい、よろしくお願いします!」

 

 

 

 これで彼方は一人の提督だ。

 階級に差はあれど、深海棲艦と戦う仲間として……彼方もこれからこの海を守る一員となる。

 

 

 

「……さて、それじゃあ彼方くん。配属先の話なんだけど」

 

 

 

 配属先ーー新人提督はまずは深海棲艦が少ない海域から徐々に艦隊の練度や戦力を増強していくのだったか。

 

 

 

「貴方にはまず私の直属の部下として『西方海域』の解放を行ってもらうわ。ーー今は私の艦隊が深海棲艦を押し止めている状態だけど、そろそろ本格的に海域の解放を考えているのよ」

 楓が地図上のある一帯を指で示す。

 

 

 

 ここからはかなり遠い場所だ。

 楓が護っている海域は広い。

 ここで訓練校の校長を勤めながら、提督時代に解放した海域を、今も現役の艦娘達と守護しているのだ。

 ……つまりは、最前線ということだ。

 

 

 

「ーーとはいえ、今の貴方の戦力では少し心もとないのも事実。そこで私の艦娘から一人、貴方の鎮守府に着任させるわ。現地にいるから合流して頂戴。そして、貴方が着任する予定の鎮守府の工廠で妖精が確認されているわ。恐らく貴方が現地に到着すれば建造が始まる。戦力としてはそれで足りるはずよ」

 

 

 

 彼方は楓の言葉に黙って頷くしかない。

 楽な戦争などありはしない。

 例え最前線といえど、楓は彼方にならできると思っているから任せてくれようとしているのだ。

 その期待に応え、彼方の仲間を守るのが彼方の役目だ。

 

 

 

「ーーふふ、頼もしくなったわね。正直もっと狼狽えるかと思っていたけど、覚悟は決まっているようね。お爺様と同じように、私も貴方には期待しているの。草薙(アイツ)の艦娘を破ったんだもの。中途半端な戦果なんて何の意味もない。立派に役目を果たしてきなさい」

 

 

 

 楓の敬礼に彼方も応える。

 

 

 

 とうとう実戦が始まるのか。

 正直怖くないと言えば嘘になるが……彼方には霞達がついていてくれている。

 そう思うだけで十分に力がもらえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「西方海域とは……楓もやってくれるわね。ーーでも、私達には確かに一番良い配置かも知れないわ」

 彼方は、校長室を退室後、教艦室で霞達に楓からの命令内容を説明した。

 霞が彼方の話を聞いて、始めは考え込むような素振りを見せていたが、納得したように頷く。

 

 

 

「ーーそうですね、私達を前線に配置しようとした場合、西方海域以外の海域は、深海中枢海域が比較的近い海域になります。流石にそこを任せるのはリスクが大きすぎると判断されたのでしょう」

 鹿島もまた霞と同じ考えのようだ。

 やはりこの二人が一緒に来てくれるというのは、非常に心強い。

 

 

 

 ーー深海中枢海域とは、文字通り深海棲艦の本拠地と言われている場所だ。

 現在はまだ誰も到達したことがない未知の海域。

 ここを叩くのが人類の最終的な目標となっている。

 この海域の周辺の海域は強力な深海棲艦も多く、深海棲艦による大規模な侵攻も行われることがある危険な海域だ。

 その辺りはまだ彼方達には危険すぎると判断したのだろう。

 

 

 

「出発は来月頭か、あと一週間もないわね……」

「一度、彼方くんのお母様に皆でご挨拶にいかないとですね」

 

 

 

 霞と鹿島は、出発前に彼方の鎮守府のメンバー全員で千歳に挨拶しに行くことを提案した。

 確かに彼方も千歳と会うのは数ヵ月ぶりだ。

 鎮守府に着任してしまえば、次に会えるのもいつになるかわからない。

 彼方は霞達の提案を受け、実家に顔を見せに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーいらっしゃい、皆さん。彼方も、お帰りなさい」

 千歳に出発までに都合のよい日程を確認した彼方達は、全員で彼方の実家へとやって来た。

 

 

 

「は、はじめまして!吹雪型一番艦 駆逐艦 吹雪といいます!か、か、彼方君にはいつも優しくしてもらってますぅ!」

 居間へと通され、席につくと早速ガチガチに緊張した吹雪がまず挨拶する。

 

 

 

「僕は白露型二番艦 駆逐艦 時雨と言います。はじめまして……」

 続いて赤い顔でぷるぷるしながらも、いつも通りに頑張ろうとしている時雨。段々と下を向いて、最後には蚊の鳴くような声の挨拶だった。

 

 

 

「……あ、綾波型十番艦 駆逐艦 潮と申します。……あの……は、はじめ、まして」

 最後の潮は吃りながらも何とか挨拶ができてほっとしているようだ。

 

 

 

「吹雪ちゃんに時雨ちゃんに潮ちゃんね!いつも彼方を助けてくれて本当にありがとうございます」

 千歳は吹雪達に深く頭を下げるとにっこりと笑いかけた。

 

 

 

 ーー吹雪達は、彼方と出逢ってからこれまでの話を千歳に聞かせた。

 特に演習での彼方については、やれかっこ良かっただの優しかっただのと先程までの緊張ぶりは嘘のように興奮気味に語っていた。

 

 

 

「ーーそう。こんなに皆に慕ってもらえて、彼方は本当に幸せね」

 にこにこと話を聞いていた千歳だったが、彼方の方へ向き直るとぴたりと動きを止めた。

 

 

 

「お父さんもね、彼方ーー鎮守府の皆にこの目で見られてたわ」

 

 

 

 背筋が凍った。

 

 

 

「……しっかり皆のことを考えて、最後にはきちんと答えを出すのよ?」

 千歳の放つプレッシャーに身動きが取れなくなっている彼方を見て肩を竦めると、最後にはまた心配そうな母親の顔に戻って、千歳はそう締め括った。

 

 

 

 頷く彼方に千歳も頷き返すと、今度は霞と鹿島の方へ向き直った。

 

 

 

「貴女達が着いていってくれるのは、本当に心強いわ。ーー彼方は詰めが甘いところがあるから、しっかりフォローお願いね?」

「「任せてください、千歳さん!」」

 

 

 千歳の言葉に、元気よく答える教艦二人。

 いや、これからは秘書艦と補佐艦か。

 

 

 

 ……あれ?

 

 

 

「そういえば……秘書艦は誰が務めるの?やっぱり霞ちゃんかしら?」

 

 

 

「はい、私です!昔からの約束ですから!」

「はい、彼方君の艦隊の旗艦は私、吹雪です!」

 

 

 

 千歳の声に重なり合う二つの声。

 そうだった。この問題は未だ解決していない問題だった。

 

 

 

「ーーうん、いや……ごめん。話し合おう、二人とも」

 

 

 

 その問題は訓練校に帰ってきてからも揉めに揉め、結局は第一艦隊の旗艦はやはりその圧倒的な練度の高さから、霞に務めてもらうことになった。

 吹雪は将来第二艦隊が作れるようになったら旗艦にするということで、とりあえず納得してもらった。

 因みに日替わりの彼方独占日は、鎮守府に着任してからも継続していくらしい。

 

 

 

 

 

彼方の現在の第一艦隊はーー

 

 

 

旗艦 朝潮型十番艦 駆逐艦 霞改二

 

吹雪型一番艦 駆逐艦 吹雪

 

綾波型十番艦 駆逐艦 潮

 

白露型二番艦 駆逐艦 時雨

 

 

 

の四隻に、補佐艦の練習巡洋艦 鹿島改だ。

 

 

 

 これより彼方達は深海棲艦が蔓延る戦場へと旅立つ。

 彼方の果たすべき約束はこれからが本番だ。

 

 

 亡き父のように志半ばで倒れるわけにはいかない。

 何がなんでも皆で生きて、またこの街へと帰ってこよう。

 

 

 

 彼方達はそう固く誓い合って、戦場へと旅立ったのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

というわけで、これから漸く彼方が提督として動き出します。
新艦娘も登場いたしますので、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!



活動報告にて実施させていただいておりましたアンケートは、これにて締め切りとさせていただきます。
お答えいただきました皆様、本当にありがとうございました!


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第二章 新人提督
教艦の教艦


いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

今回から第二章となります。
これからもよろしくお願いします!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 数日間かけて、彼方達はこれから生活していくことになる鎮守府へと辿り着いた。

 

 

 

 彼方達が通っていた訓練校は、元々鎮守府だった場所を改築して作られていたがかなりの広さだった。

 しかし、漸く見えてきたこれから生活することになる鎮守府は、それと比べてしまうと大分こぢんまりとしている。

 外観も薄汚れていて、久しく人が使っていないようにも見えた。

 

 

 

 正門を抜け、敷地内へと入ると、鎮守府の建屋の脇に小さな花壇が目に入った。

 こちらは建屋の外観とは打って変わって美しい色とりどりの花が咲いている。

 大切に世話をされていたのだろう、遠目から見ても花が生き生きとしているのがよくわかった。

 

 

 

 そこに、一人の少女が花と会話するようににこにこしながらしゃがみこんでいた。

 

 

 

「あれって……もしかして……!?」

 霞がその姿を目にした途端彼方の後ろに隠れる。

 

 

 

 少女は彼方達の気配に気がついたのか、立ち上がると駆け足でこちらへ近づいてきた。

 

 

 

「ようこそおいでくださいました、朝霧提督。お待ちいたしておりました。川内型二番艦 軽巡洋艦 神通、これより朝霧提督の鎮守府に着任します。どうぞ、これからよろしくお願いします」

 ぺこりと丁寧にお辞儀して、少女ーー神通が挨拶してくれた。

 

 

 

「はい!朝霧 彼方です。これからよろしくお願いします、神通さん!」

 彼方が提督となってから初めて接する艦娘だ。自然と力が入り、元気よく挨拶を返す。

 

 

 

「ーーーっ……ぁ、は、はい。……えっと、あの……私のことは神通、と呼び捨てにしていただいて構いませんので。これからよろしくお願いします、提督」

 神通は彼方の『挨拶』にかなり動揺していたようだったが、なんとか持ち直し平静を取り戻すことが出来たようだった。

 

 

 

「「………………」」

 

 

 

 ーーが、やはりまだ戸惑っているのか、神通が黙って彼方を惚けるように見つめている。

 

 

 

 

「ーー神通さんだったんですね、お久しぶりです。これは頼もしい方が来てくださいましたね!ね?霞ちゃん」

 鹿島がそれを見かねて助け船を出してくれた。

 神通ににこやかに挨拶し、先程から彼方の陰に隠れている霞に話を振る。

 

 

 

「えっあっ……そうね、頼もしいわ!うん!」

 

 

 

 が、やはり霞は彼方の陰から出てこない。

「霞、どうしたの?」

「な、なんでもないわ!」

 明らかに様子のおかしい霞に彼方が首をかしげているとーー

 

 

 

「霞ちゃん、お久しぶりです。教艦のお役目、立派に勤めあげられたみたいですね」

「は、はい!神通さん!ありがとうございます!」

 優しく微笑みかけて霞に話しかける神通に、しかし霞はガチガチに固まって答えている。

 

 

 

「あの、鹿島……霞はどうしてこんな状態になっちゃってるの?神通さん、優しそうだけど?」

 不思議に思った彼方は、隣にいた鹿島に聞いてみた。

 

 

 

「神通さんは、元々は訓練校創立者の樫木 重光提督の艦娘です。霞ちゃんより後に着任されたそうなんですが、そのたぐいまれな戦闘センスから、霞ちゃんの教練を担当されてた方なんですよ。訓練や実戦でビシバシしごかれて、霞ちゃんはちょっと苦手意識があるみたいですね」

 苦笑を浮かべて説明する鹿島に、今まで黙って成り行きを見守っていた吹雪達が反応した。

 

 

 

「はじめまして!吹雪型一番艦 駆逐艦 吹雪です!」

「同じく白露型二番艦 駆逐艦 時雨です」

「……綾波型十番艦 駆逐艦 潮、です」

 

 

 

「「「これからよろしくお願いします!」」」

 

 

 

 見事な敬礼だ。

 三人の緊張がありありと見てとれた。

 神通は謂わばあの鬼教艦と呼ばれた霞の教艦だ。

 霞の反応から何かを感じとった吹雪達は、即座に姿勢を正して挨拶したのだった。

 

 

 

「あ……そんなに緊張なさらないで下さい。これから共に戦う仲間なんですから。霞ちゃんも、そんなに固くならないで?」

 困った顔で笑う神通に、吹雪達も自然と肩の力を抜くことが出来た。

 霞もようやく、彼方の後ろから出てきて神通の前へと進み出た。

 

 

 

「じ、神通さん。これからよろしくお願いします!」

 こちらも見事な敬礼。

 しかし、先程よりは幾分か緊張も和らいだようだった。

 

 

 

 ーー挨拶も済んだところで、神通が鎮守府の中を案内してくれることになった。

 

 

 

 鎮守府には、主に三つの施設がある。

 

 

 

「ここが、提督の執務室や食堂、各自が寝起きする私室がある施設になります。外観はまだまだ手が回らなくて汚れてしまっていますが、中の方はお掃除もしておいたので、問題なく生活できると思います」

 普段は彼方達はここで寝起きし、寝食を共に過ごすことになる。

 そして艦隊指令施設がある彼方の職場だ。

 ここから出撃する艦娘に指示をだし、指揮を執る。

 

 

 

 食堂は、やはり建屋の規模に合わせて訓練校のものよりも大分狭い。

 しかし、それでも二十人近くは入れそうな広さだった。

 

 

 

「そういえば……食事って誰が用意しようか?当番制かな?」

 彼方がふと気になったことを口に出す。

 どうやらこの鎮守府には彼方達しかいないようだ。

 訓練校にも提督候補生と艦娘しかいなかった。

 艤装を展開した艦娘や妖精を民間人の目に触れさせたくないというのもあるし、深海棲艦を目の当たりにしてしまう可能性もあるからだろう。

 

 

 

 そのため訓練校には伊良湖がいて、皆の面倒を見てくれていたのだが……。

 

 

 

「私に任せなさい!」

 ぽん、と控えめな胸を叩いて、みなぎる自信を表現する霞が答える。

 考えてみれば、彼方は霞の手料理をまだ一度も食べたことがなかった。

 

 

 

 その自信に彼方達は今日の夕食を霞に任せることにした。

 今日からはほぼ毎日霞の手料理が食べられる。

 期待に胸が膨らむ話だ。彼方は夕食を楽しみにすることにした。

 

 

 

 次は各自の私室だ。

 こちらは訓練校の寮の部屋と殆ど変わらない。

 荷物は既に廊下に運び込まれており、各自が『好きな部屋』を選んで良いとのことだった。

 

 

 

 ……彼方は嫌な予感から逃げるように、神通に次の建屋への案内をお願いした。

 

 

 

「こちらが工廠になります。主に艦娘の建造、装備の開発を行う施設ですね。ちょうど先日妖精を見かけましたので、提督が着任されたことで工廠が動き出すと思います。」

 神通に工廠の中を案内されていくと、建造ドックの前を妖精がぶらぶらと歩き回っているのが見えた。暇そうだ。

 

 

 

「妖精かぁ……訓練校ではほとんど見かけなかったな……」

 物珍しげに妖精を見る彼方の視線に気がついたのか、妖精が彼方の方に振り向いた。

 

 

 

「~~~!」

 何事かを叫んだように見えたが、叫んだ途端に建造ドックに走っていってしまったため、彼方には妖精が何を言いたかったのか全くわからなかった。

 

 

 

 ーーガシャン!

 

 

 

 彼方が妖精を見送った直後、建造ドックに備え付けられたタイマーが動き出した。

「ーーやはり動き出しましたね。おめでとうございます、提督。もう一隻、仲間が増えますよ」

 神通の話通り、彼方が鎮守府に着任したことで建造が始まったらしい。

 建造とは、妖精が独断で必要なタイミングで、必要な鎮守府に、必要な艦娘を建造するというものだ。

 つまり、完全に妖精任せということになる。

 多くの謎を持つこの正体不明の存在ーー妖精は、提督や艦娘とは切っても切れない関係にある。

 妖精に認められるというのは、提督にとっては大切なことだ。

 

 

 

「今日の夜には建造が終了しそうですね。資材も備蓄されていた物で足りますし、案内を続けます」

 神通はそう言うと、工廠の一角へと歩みを進めた。

 

 

 

「こちらは装備開発室です。提督と艦娘がペアになって、装備を開発するんですよ。……やってみますか?」

 神通は説明しながら、開発室の扉を開けた。

 彼方は訓練校では開発室に入ったことはない。

 夕張が管理していたそこは、生徒の利用を禁止されていたからだ。

 

 

 

「ーー私、やってみたいです!」

 吹雪が元気よく名乗りをあげた。

 

 

 

 ーー必要な資材をボックスに入れて、妖精に開発資材を手渡す。

 後は二人で開始ボタンを押すだけだ。

 

 

 

「行くよ、彼方君!」

「よし、吹雪……せーのっ」

 

 

 

「えい!」

 

 

 

 光輝くボックスのなかにはーー

 

 

 

「なにこれぇ……」

 訳のわからない物体が入っていた。

 

 

 

 ……ペンギン?

 

 

 

 

 

「ーー最後はこちらです。こちらは入渠ドックです。艦娘の普段使い用のお風呂や、提督用のお風呂も隣接されてますよ。なんと露天風呂です。鎮守府に設置されているのはかなり珍しいみたいですよ」

 執務室等かある建屋から渡り廊下を歩いてすぐの場所に、入浴施設があった。

 露天風呂なんていつぶりだろうか……最前線だと言うのに、意外と暢気なものである。

 

 

 

 

 

 神通に鎮守府内を案内してもらった彼方達は、食堂で霞の夕食を待っていた。

 何やら厨房で慌ただしく動き回っていたが、先程からは静かに何かをやっているようだ。

 

 

 

 そうして、待つこと十分ほどーー

 

 

 

「さぁ、出来たわよ!皆沢山食べて、力をつけなさい!」

 

 

 

 霞が大量のおにぎりを持ってきた。

 

 

 

「せ、戦闘糧食……」

 

 

 

 艦娘達が引いている。

 確かに海上で食べれば士気も上がる素晴らしい物だが、これから先普段からこればかりというのは……

 

 

 

「何よ、アンタ達?……えっ……おにぎり、美味しいわよね……彼方?」

 艦娘達の反応に戸惑う霞は、助けを求めるような目で彼方を見る。

 

 

 

「うん、凄く美味しいよ!霞!」

 彼方は霞が作ってくれる物なら何でも好物だ。

 霞の小さな手で一生懸命握られたおにぎりは、ただのおにぎりとはひと味もふた味も違う。

 至福の時と言えた。

 

 

 

 その彼方の様子をみて、他の艦娘達もおにぎりを手に取り食べ始める。

 確かに美味しい。

 元気もでる。

 しかし、やはり毎日というのは……。

 

 

 

 食べ終わった艦娘達は、お茶を飲んでまったりしつつも、明日以降の食事に関してどうするべきかに思いを馳せていた。

 彼方は楽しげに霞と二人で後片付けをしている。

 

 

 

「ーーあ……提督、そろそろ建造が完了する時間です。工廠に迎えに行きましょう」

 神通の声に、彼方は厨房から出てきた。

「うん。ありがとう、神通。皆、新しい仲間を迎えに行こう」

 

 

 

 

 

 ーーガシャン!

 タイマーがゼロになる。

 建造ドックの扉が開くと、そこにはーー

 

 

 

 和服姿の美しい女性が立っていた。

 

 

 

「ーー航空母艦、鳳翔です。不束者ですが、よろしくお願い致します」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

というわけで、彼方の艦隊に二人艦娘が増えました。
上手く全員かわいく書いてあげられるか不安で仕方ありませんが……頑張りますので、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!



お伝えが遅れてしまいましたが、以前行っておりましたアンケートにて、先詠む人@卒業検定がやっと終わった さんに神通の登場をリクエストしていただきました!
ありがとうございました!


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初めての建造

いつも読みに来ていただきまして、本当にありがとうございます!

今回は、新艦娘 鳳翔さんとのお話です。

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 正に大和撫子と言わんばかりの艦娘ーーしかも彼方は空母を見るのは初めてだった。

「鳳翔さん、ですね。僕は朝霧彼方、貴女の提督です。これからよろしくお願いします!」

 

 

 

 彼方にとっては提督となってから神通に続いて二番目……建造によって着任した艦娘としては初めてだ。

 一日に二人も仲間が増え、しかもその仲間は随分と心強そうに見えた。

 

 

 

「ーーぁ、あら?あらあら……」

 と、彼方に挨拶を返された鳳翔の顔が真っ赤に染まる。

 その手にはいつの間にか弓を持ち、肩には飛行甲板が現れている。

 

 

 

 ーー無意識に艤装が展開されてしまったようだった。

 間違いなく彼方の能力の弊害だった。

 これではファーストコンタクトは失敗だ……潮の時の事が思い出されて、彼方は鳳翔に対して申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

 

 

 彼方は潮の件があってから、艦娘の名前を呼ぶときは十分注意するようにしている。

 実は昼間に神通を初めて呼んだときは、ついつい力が入ってしまって加減を忘れてしまっていたが、今回はちゃんと注意して名前を呼んだのだ。

 

 

 

 その上でこの反応ーー潮や霞以上に、彼方との親和性が高いということになる。

 

 

 

「……恐らく、鳳翔さんはこの鎮守府のためーーつまり彼方くんの為に生まれてきた艦娘だからです。生まれたときから彼方くんの能力に最適化されてるんだと思います」

 落ち込む彼方を見て、鹿島が苦笑を浮かべながら現状に対する推測を述べた。

 

 

 

「あ、あの……すみません、鳳翔さん。僕は、艦娘の名前を呼ぶと、相性に寄ってはその艦娘の力を極限まで引き出してしまう、らしいんです……」

 彼方にとってはあまり実感のない話だが、彼方の提督としての能力はーー

 

 

 

 常に艦娘を最高のコンディションにすること、艤装や艦娘自身の全体的な性能アップ等が確認されている。

 演習時の吹雪達の基礎能力向上や士気高揚、時雨の夜戦火力の向上、潮の動体視力の向上等がその能力を受けた恩恵だ。

 

 

 

「……あ、いえ。あの……申し訳ありません。こちらこそ、いきなりはしたないところをお見せしてしまって……」

 鳳翔は目に見えて落ち込んでしまった。

 その姿に彼方は酷い罪悪感に苛まれる。

 しかし、自分で蒔いた種は自分でどうにかしなければならない。

 もう彼方は列記とした提督なのだ。ここは艦娘達に頼るわけにはいかない。

 ここが彼方の提督としての腕の見せどころだ。

 

 

 

「………………あ、あの……鳳翔さん」

 

 

 

 意を決して声をかける。

 鳳翔は俯いていた顔を恐る恐る上げてくれた。

 恥ずかしさに震える頬は未だりんごのように紅く、上目遣いに彼方を見つめる瞳は涙で潤んでいる。

 彼方は拳を握りしめた。

 

 

 

「……お、お腹すいてませんか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー彼方は鳳翔と食堂までやって来た。

 他の艦娘達は入浴と哨戒に別れて行動中だ。

 長旅で疲れているということで、まずは霞達に先に入浴してもらい、神通と鹿島が哨戒にあたってくれている。

 インカムから聞こえてくる情報によると、夜間に攻め込まれることはほとんどないらしいのだが、稀に駆逐イ級等が迷いこんできたりもするらしい。

 くれぐれも無理はしないように伝えて、彼方は鳳翔へと向き直った。

 

 

 

 鳳翔はまだ少し恥ずかしいのか、そわそわと落ち着かない様子で視線をあちらこちらへさ迷わせている。

 やはりいきなり二人きりというのも緊張させてしまったかもしれない。

 

 

 

 彼方は霞が夜食用に用意してくれたおにぎりをお茶と共に、鳳翔へと差し出した。

 

 

 

「どうぞ……あ、おにぎりは霞が握ってくれたんですけどね。とても美味しいんです。元気が出ますよ」

 

 

 

 鳳翔はそれをおずおずと受けとると、大事そうに食べ始めた。

 

 

 

「ありがとうございます。ーー美味しい、ですね。握った方の愛情が感じられます」

 

 

 

 にこり、と初めて彼方に鳳翔が笑いかけてくれた。

 霞のお陰でなんとか鳳翔も元気になってくれたようだった。

 彼方はその事にほっと胸を撫で下ろす。

 

 

 

「……さっきは本当にすみませんでした。ああならないよう注意してはいたんですけど……」

 彼方は改めて先程の事を謝罪する。

 これから新しい艦娘が建造される度にこれを繰り返していたのでは、生まれてくる艦娘達に申し訳ない。

 何とか自分の力の制御方法を身につける必要がありそうだった。

 

 

 

「いえ、気になさらないでください。嫌な思いをしたわけではありませんから……。私こそ驚かせてしまってごめんなさい。ーーおにぎり、ありがとうございました。とても美味しかったです。霞さんにも後でお礼を言っておきますね」

 

 

 

 鳳翔はすっかり落ち着きを取り戻したのか、彼方に対しても落ち着いて接してくれるようになっていた。

 

 

 

「あの、提督は……提督になられてからどれくらいになるんですか?随分とお若く見えるのですが……」

 鳳翔がお茶を飲みながら、彼方に問いかけてきた。

 確かに会ってすぐこの騒ぎになってしまったため、詳しく自己紹介できていなかった。

 彼方は慌てて姿勢を正す。

 

 

 

「ーーそうですね、改めて自己紹介させていただきます。僕は朝霧彼方、十九歳です。提督としてこの鎮守府に着任したのは、今日の朝からになります。ーーつまり、鳳翔さんと同期ですね。まだまだ訓練校卒業したてで、頼りないところばかりかもしれませんけど……鳳翔さん達と一緒に、これから頑張ってこの海を守っていきたいと思っています。鳳翔さんの力を、僕に貸してください」

 

 

 

 彼方はそう締め括って鳳翔へと手を差し出した。

 

 

 

「ーーはい。私何かの力で良ければ、喜んで。私も建造されたばかりで、よくわからないこともきっと多いんだと思います。その時は、色々教えて下さいね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳳翔と暫く会話を楽しんでいると、神通と鹿島が哨戒から戻ってきた。

 

 

 

「ーー提督、神通ただいま帰投いたしました」

「近海に深海棲艦は確認されませんでした。今日は休んでも大丈夫そうですよ」

 

 

 

 神通によると、最前線である西方海域に最も近いこの鎮守府だが、距離はそれなりに離れているのだそうだ。

 そのため、散発的に小規模の敵艦隊が現れることはあれど、昼夜を問わず深海棲艦に攻め込まれるということはないらしい。

 

 

 

「この辺りの海域で最も注意しなくてはならないのは、敵の潜水艦です。提督、明日の昼間は対潜哨戒を怠らないようにしましょう」

 

 

 

 潜水艦……対策をしておかなければ、一撃で吹雪達を沈ませかねない恐ろしい敵だ。

 ソナーと爆雷は用意しておくべきだろう。

 

 

「あの、提督。対潜哨戒なら私もお役に立てると思います。その時は、どうぞ私も皆さんのお供をさせてください」

 報告を一緒に聞いていた鳳翔が、早速力になれそうな任務に少し嬉しそうに手をあげた。

 

 

 

「ありがとうございます、鳳翔さん。是非お願いします」

 上空からの偵察は、非常に有効な手段だろう。

 艦爆による攻撃も可能な軽空母である鳳翔には、うってつけの任務だ。

 

 

 

「……あ、そうだ鹿島。明日から鳳翔さんの教練をお願いできる?艦隊行動とか、基礎的なものを教えてあげてほしいんだ」

 鳳翔ににこやかに頷いたところで、彼方は鹿島に依頼しようとしていたことを思い出した。

 鳳翔はまだ彼方の艦隊で動いたことがない。

 彼方の指揮の癖や特徴をよく理解している鹿島に、鳳翔への教練を頼みたいと考えていたのだ。

 

 

 

「えぇ、もちろんです。その辺りは神通さんも霞ちゃんもいますしバッチリですよ。お任せください!」

 

 

 

 ーー可愛らしくウインクする鹿島の向こう側から、吹雪達の悲鳴が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

 

 

 哨戒から戻ってきた二人と鳳翔が入浴を済ませた後、彼方も入浴を済ませ、いざ休もうと宿泊施設の方に行ってみると、何やら騒がしい。

 ……案の定揉め事が起きているようだった。

 

 

 

「彼方の隣の部屋は私のものよ!」

 自信満々に言い切っているのはまさかの霞だ。

「いえ、私が彼方君のお部屋の隣がいいと思います!」

「……潮も、譲れません」

 吹雪と潮も負けじと霞に噛みついている。

 

 

 

「あ、彼方。彼方はどう思う?僕なんて……うるさくなくて静かだし、何でも言うこと聞くし、呼んでくれればすぐにでも飛んでいくし、オススメだよ?」

 だ、抱き心地も……いいと思うよ?と、顔を赤らめながら付け加えた。

 時雨は彼方にいち早く気がつき、直接アピールをしてきたのだった。

 

 

 

「……う、うん。まぁ……うん、そうだろうね」

 彼方は明言は避けた。

 全員のことを霞と同じように好きになると決めたものの、さすがにまだそう上手くはいかない。

 ーーしかし、お風呂上がりで近づいてきた時雨の爽やかな香りは、確かに彼方を刺激する。

 

 

 

「あー、じゃあこうしよう!駆逐艦用の多人数用の部屋に、吹雪達が入る。僕はその隣の部屋。その隣に霞。ね、これなら皆の要望通りだよね?」

 これ以上はまずいと思った彼方は、強引に部屋割りを決めた。

 ちょっと騒がしいくらい構わない、ここで揉められているとーー

 

 

 

「「………………」」

 神通と鳳翔(この二人)の顔が何とも言えない表情になっている。

 

 

 

 いや、何とも言えないではない。間違いなく引いている。

 見た目幼い少女四人が大の男一人を取り合っているのだ。

 面食らうに決まっていた。

 

 

 

「提督は、皆さんにーーその、随分とお慕いされてるんですね……」

 鳳翔は精一杯の気遣いで現状をそう評してくれた。

 優しさに押し潰されそうだ。

 

 

 

「霞ちゃんから想い人がいるという話は聞いていましたが、これは……ちょっと、予想以上でした……」

 神通は見たことのない霞の姿に茫然としてしまっている。

 

 

 

「神通さん、鳳翔さん、私達はそれぞれちょっと離れた場所にお部屋を決めましょうか。その方がお互い気を使わなくていいですし」

 固まる二人に声をかけ、鹿島が三人で荷物を持って奥の方へと歩いていく。

 

 

 

「……彼方くん、疲れたらいつでも遊びに来てくださいね?」

 すれ違い様に鹿島が囁いていった。

 

 

 

 ーーともあれ、これで何とか鎮守府着任初日は無事終了した。

 明日から、深海棲艦との戦いが始まる。

 必ず皆を守り通すと決意を新たに、彼方は眠りにつこうとした。

 

 

 

 が、緊張のせいか眠れない。

 皆は既に眠っているだろうというのに。

 何度目かという寝返りをうったときーー

 

 

 

 こんこん、と扉を小さく叩く音が耳に入る。

 

 

 

「ーー彼方、起きてるかい?」

 

 

 

 思ってもみなかった訪問者に、彼方は身体を起こした。

「うん、起きてるよ。寝間着で悪いけど、入って?」

 

 

 

 静かに扉をあけて入ってきたのは、月明かりを受けて神秘的な雰囲気を纏った時雨だった。




ここまで読んでいただきましてありがとうございました!

次回は久しぶりに時雨回。
地味に時雨は彼方と夜に二人きりで会うのは初めてになります。

それでは、次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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月夜の時雨

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


「……ごめんね、彼方。こんな遅くに押しかけてしまって」

 先程まで彼方が寝ていたベッドに腰かけて、時雨は彼方に謝った。

 微かに残る彼方の温もりが手や腰から伝ってきて、少しだけ気恥ずかしい。

 

 

 

 時雨は彼方に告白してからここ数ヵ月、こうして彼方と二人きりで過ごしたことが何度もあった。

 しかし、その度に思っていたことがある。

 彼方は自分のことをどう思っているのかーーということだ。

 

 

 

 時雨はせめて二人きりでいる時くらいは、彼方に自分だけを見て欲しいと思っている。

 時雨が彼方に膝の上で頭を撫でてもらうのが好きなのは、その時間は彼方が自分だけを見てくれているという実感があるからだ。

 声をかけたら終わってしまう気がして、いつも黙って彼方の膝に座っている。

 それも会話というコミュニケーション手段が取れないので、物足りなさを感じないわけではないのだが……。

 

 

 

 だけどーーそうして時雨が精一杯近づいても、彼方はそれ以上は自分から時雨に近づいて来てはくれない。

 

 

 

 もっと彼方の方からも近づいてきて欲しい。

 彼方と二人きりで過ごす度に、その気持ちは大きくなっていった。

 

 

 

 振り向いてもらおうと、二人きりでいられる日はあれこれと試してみた。

 正直恥ずかしくて堪らないこともあったが、彼方がそれで時雨を見る意識が変わるのであればという思いで努力を尽くした。

 

 

 

 しかし、彼方は困ったような顔で誤魔化すだけだ。

 さっきの部屋割りの時もそう。

 こちらが精一杯アピールしたというのに、逃げられた。

 

 

 

「……時雨、何かあったの?」

 彼方は元気がない時雨を心配そうな目で見ている。

 時雨も彼方のその気持ちは嬉しいことは嬉しいが、時雨にその顔をさせているのもまた彼方だ。

 正直なところ、ほんの少し苛立ちを感じないでもない。

 

 

 

(ーーどちらかというと、何もないから困ってるところだよ……)

 

 

 

 あの時、潮の勢いに乗せられて吹雪と時雨も告白した。

 その事自体は時雨は後悔していない。

 あの場で告白したのは、恐らく時雨達にとっては最善手だった。

 しかしーー

 

 

 

「ねぇ、彼方。彼方は……僕のこと、どう思ってる?」

 

 

 

 時雨は、思いきって彼方に聞いてみた。

 今まではこれを聞くのが怖くて、ただ彼方に自分の気持ちを理解してしてほしくて行動で示してきた。

 ただ……明日からは深海棲艦との戦いが始まるのだ。

 ひょっとすると、もう二度と聞くことが出来なくなる可能性だって、ゼロではない。

 それを考えると、どうしても彼方にその事を聞いておきたくなったのだった。

 

 

 

「ーー僕は時雨のこと、いつも落ち着いて周りを良く見てくれていて、いざという時とても頼りになる仲間だと思ってるよ」

 

 

 

 ーー仲間、かぁ。

 

 

 

 それは時雨にとっては予想通りの言葉だったし、聞きたくなかった言葉だ。

 何故なら、霞のことを彼方は仲間だとは思っていないだろうからだ。

 

 

 

「ーーでも」

 と、彼方が言葉を続ける。

 

 

 

「告白されてからは、それだけじゃなくなった。時雨が一生懸命気持ちを伝えてくれる度に、ドキドキさせられるんだ。ーー本当は、さっきもドキドキしてた。……でも、まだこの自分の気持ちの通りに行動する踏ん切りが着いてないんだ。だから、つい強引に話をまとめて逃げた……。」

 

 

 

 彼方は、心底申し訳なさそうに己の内心を打ち明けた。

 時雨の努力は無駄にはなっていなかったらしい。

 それは、素直に喜ばしいことだった。

 ーーが、どうやらあと一歩が足りない。

 

 

 

 何か切欠が必要なのだ。

 彼方を一時でも時雨のものとするにはーー

 小手先の手では彼方には届かないだろう。

 何かーー

「あ、そうだ。彼方ーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕と一緒に、お風呂に入らないかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー聞こえるのは穏やかな波の音だけ。

 空には満点の星空が広がっている。

 水面に写るのは柔らかな光を帯びた月。

 雰囲気としては満点だろう。

 

 

 

 我ながらベストなムードの演出が出来たと思う。

 

 

 

「……か、彼方。どうかな、そっちからも月は見えるかい?」

 

 

 

 柵を隔てた向こう側にいるであろう彼方に、時雨が声をかける。

 緊張のあまり声が震えてしまっていたが、時雨にはそれを気にしていられる余裕なんてなかった。

 

 

 

「あ、う、うん……見えてるよ。ここの夜空は凄いな……僕の街とは別世界だよ」

 

 

 

 時雨も改めて夜空を見上げてみる。

 本当に美しい星空だ。

 月が出ているというのに、訓練校から見上げた夜空とは比べ物にならないほどに多くの星々が瞬いている。

 

 

 

「ーー僕はね、彼方。ほんとは、彼方に声をかけてもらえるのをずっと待ってたんだ」

 

 

 

 ぽつりと時雨が呟くように彼方に語りかける。

 

 

 

「最初は君の能力に興味があったから、君とチームを組もうと思ってた。僕は幸いクラスでも強い方だったからね。チームを組んでいなければ、彼方の方から声をかけてきてくれるんじゃないかって思ってた」

 

 

 

 初めて時雨と話したときの話だ。

 当時の時雨は己の力にある程度の自信を持っていて、その自信を肯定するように他の提督候補生から実際に声もかけられていた。

 しかし、当の彼方は時雨よりも実力で劣っていた吹雪に自ら声をかけた。

 その事を知ったとき、時雨は生まれて初めて焦りを感じたのだった。

 

 

 

「だけど、待ちきれずに声をかけた僕のことなんて君は最初は大して興味もなさそうだった。沢山いるクラスメイトの艦娘の中の一人。……でも、僕も最初はそうだった。彼方のことを、ただ変わった力を持った提督候補生だと思ってたんだ。」

 

 

 

 当時時雨の心にあったのは、彼方に対する所有欲に近い感情だった。

 彼方の能力を自分の物として、使いこなしてみたかったのだ。

 

 

 

「彼方の力は確かに凄い。あの球磨さん達との演習で僕があれだけ活躍出来たのは、彼方の力があったからだ。……でも、結局は僕が彼方に惹かれたのは、彼方のその力にじゃなかった」

 

 

 

 彼方は初めて聞かされる時雨の内心に驚いているのだろうか。

 今はただ黙って時雨の話を聞いている。

 

 

 

「僕はねーー彼方の艦娘になるって心に決めたとき、彼方を守るためなら沈んだっていいと思ってたんだ。草薙提督はそれを見抜いていた。だから僕はあの時草薙提督の言葉を否定出来なかったんだ」

 

 

 

 その後の彼方の動揺振りは、正直見ていられないものだった。

 艦娘にとって提督は一人しかいない。

 しかし、提督には艦娘は……言ってしまえばいくらでもいる。

 少なくとも時雨はそう考えていた。

 彼方を守るために多くの中の一人である時雨が役に立てるのであれば、それは十分に有意義なことであると思っていたのだ。

 

 

 

 ところが彼方はそうではなかった。

 彼方にとって時雨は多くの中の一人ではない。

 彼方にとって時雨は、他の何者にも変えられないものだった。

 だから、あれほどに取り乱し、失うことを恐れた。

 

 

 

 その時、初めて彼方が時雨を艦娘としてだけではなく、一人の人間として扱ってくれていたことに気がついた。

 

 

 

「……でも、今は違う。ーー彼方は僕が沈んだら泣いて悲しんでくれると思う。簡単に死を選んだ僕を怒ってもくれると思う。そして立ち直れないくらいに傷ついてくれると思うんだ。」

 

 

 

 ーーそれは、なんて幸せで罪深い事なんだろう。

 

 

 

「……時雨。僕は君が沈むなんてこと絶対に許さない。君は僕のものだ。勝手に沈むなんて、認めない」

 

 

 

 彼方も時雨の今の言葉に少し怒ってくれているみたいだし、嬉しい言葉もおまけでついてきてくれた。

 本当に、いい男性(提督)に巡り逢えたと思う。

 

 

 

「当たり前だよ。僕は彼方を悲しませたくなんかないからね。どんなことがあっても必ず帰ってくるさ。……でも、彼方がそこまで言うならーー僕に自分は彼方のものなんだって自覚させて欲しいところではある……かな?」

 

 

 

 自分で言っていてとんでもなく恥ずかしい言葉ではあるが、時雨が彼方から出てくるのを望んでいたのはその言葉だ。

 

 

 

「……時雨?」

 

 

 

 ーー彼方の声に答えることなく、時雨は音もなくゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー柵に背を向けて、彼方が露天風呂に浸かっている。

 まだこちらには気づいていないようだ。

 

 

 

「ーー彼方。隣、いいかい?」

「って、え……時雨!?い、いつの間に……?」

 

 

 

 時雨は彼方に気づかれないように、提督用の露天風呂へと忍び込んでいた。

 

 

 

「……あ、あんまりこっちは見ないでほしい、かな。まだ、ちょっと恥ずかしいから……」

 

 

 

 タオルを巻いているとはいえ、直接見られるのはまだ心の準備が出来ていない。

 時雨はゆっくりと彼方の隣に座った。

 

 

 

 お風呂にして本当によかった。

 きっと今の時雨の顔はゆでダコのように真っ赤になっていることだろう。

 真っ赤になっているのも言ってしまえばお風呂のせいだが、その事には時雨はもはや頭が回っていなかった。

 

 

 

「僕はさ、こうして彼方の隣にいられることが何より幸せだよ。いつかは、本当に君の物になれるのを期待して……待ってるからね?」

 

 

 

 ぴとりと、彼方の肩に頭を乗せる。

 

 

 

「……時雨といると、ほんとに驚かされてばっかりだよ」

 彼方が優しく頭を撫でてくれた。

 

 

 

 今日は、彼方と話せて本当によかった。

 

 

 

 ーー結局二人はのぼせる限界まで、そうして身を寄せあって夜空を眺めていたのだった。

 

 

 

(こ、これ……立ち上がったら彼方に見えちゃうよね!?タオル濡れちゃってるし!どうして僕はこう詰めが甘いんだろう……どうしよう……)

(……立ち上がれない。タオル持ってないし……時雨は空眺めてるし……どうしよう……)




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

時雨の心情は出会ったとき以来ですよね、確か……
今回書けてよかったと思います。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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提督と艦娘

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 翌朝ーー霞におにぎりのお礼をしにいった鳳翔は、一人で全員分の朝食を用意しようとしている霞に手伝いを申し出て、霞と共に彼方達の朝食を準備していた。

 

 

 

「ーーあ、あの……霞さん。霞さん達は、提督とどういったご関係なんでしょうか?……昨晩の霞さん達の様子を見ていると、ただの提督と艦娘の関係にはどうしても見えなくて……」

 

 

 

 朝食を作りながら、鳳翔は霞に昨晩から気になっていたことを聞いてみた。

 鳳翔は昨日のやり取りで、彼方を親切で好感の持てる上官だとは思っていたが、昨日の霞達が彼方を奪い合う様子はただの上官と部下のやり取りとは思えなかった。

 鳳翔の考えていた提督と艦娘の関係からは、あまりにかけ離れた光景だったのだ。

 

 

 

「彼方と私達は……あー、そうね……。鳳翔さんにもいずれ分かることだろうし、せめて誤解しないように伝えておくわ。」

 

 

 

 霞は少し考え込むような仕草を見せたあと、鳳翔の疑問に答える事にしたようだ。

 

 

 

「私達と彼方は一般的な提督と艦娘とは確かに違うわ。ーーそれは、私達が彼方のことを男性として好きだからよ。昨日は騒ぎに参加してなかったけど、鹿島も同じ。……そして、彼方も私達のことを平等に好きでいてくれるってことになってる」

 

 

 

 鳳翔は霞の発言に驚きのあまり言葉も出ない。

 この鎮守府の艦娘七人のうち、五人が彼方のことを想い、そして彼方がそれを受け入れているという事実。

 昨日建造されたばかりの鳳翔には、少々荷が重すぎる答えが返ってきた。

 確かに彼方は提督的にも人間的にも好感が持てる青年だとは思う。

 しかしいくら想いを寄せられているとはいえ、複数の女性と関係を持つというのは……あまり誠実とは言えない行いなのではないだろうか。

 

 

 

 霞の言葉に深刻そうな顔をする鳳翔に、霞は更に言葉を続ける。

 

 

 

「そこで誤解しないようにして欲しいんだけど……彼方は、まず私達艦娘のことを兵器だとは考えてない。彼方と同じ人間の女の子だと思って接してくれているわ。だから戦場に出る私達の誰の事も失いたくないし……大切にしたいと思ってくれてるの。確かに彼方の対応は一般的な男女関係から言えば誠実とは言えないわ。……だけどいつ沈むかも分からない私達は、彼方に誠実な対応なんてーー求めていないのよ」

 

 

 

 霞の紡いだ言葉は、彼方にとって重すぎる言葉だと鳳翔には感じられた。

 いつ死ぬかも分からない女性を愛する事なんて……。

 しかも一人や二人ではない。

 彼方の精神的な負担は、想像を絶するだろう。

 もちろん霞達も沈むつもりなんて全くないだろうが……愛しているからこそ、より不安になるに決まっている。

 

 

 

 ーー想う側はまだ良いだろう。

 想い人に大切に想われている事を思えば、勇気も湧くだろうし、必ず帰るという強い気持ちも持てるだろう。

 

 

 

「……それでは提督は、お辛いのではないでしょうか」

 

 

 

 差し出がましいとも思ったが、つい口を突いて出てしまった。

 この件に関しては、鳳翔は完全に部外者と言っていい。

 

 

 

「ーー辛いでしょうね。だけど、そうするよう彼方に望んだのは私なの。彼方ならそれでも大丈夫だって私は信じてる。ーー何より私は……彼方にだけは、兵器だなんて……思われなくないのよ」

 

 

 

 その時の霞は、その件についてそれ以上聞くことが出来そうにないほどに沈痛な表情を浮かべていた。

 何か理由があるのだろうーー霞がそこまで彼方に自分を人間として扱って欲しい理由が。

 鳳翔はこの場でのそれ以上の追及を諦めた。

 しかし、今の会話で鳳翔は彼方に対して何か酷くモヤモヤとした気持ちを抱えることになってしまった。

 

 

 

 鳳翔は先程のやり取りを上手く飲み込めないまま、朝食作りへと没頭していったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を済ませた彼方達は全員で後片付けを終えた後、まず出撃するための準備や、新しい艦隊としての動き方等の確認をすることにした。

 

 

 

 午前中は、彼方と霞は対潜水艦用の装備開発。

 鳳翔と鹿島は艦隊行動演習。

 神通と吹雪達は神通による水雷戦隊用の特別演習を行うことにした。

 装備開発の出来次第ではあるが、上手く行けば午後に対潜哨戒任務を行う予定だ。

 

 

 

「ーー彼方、しっかり息を合わせてね。行くわよ?」

「わかった。いつでもいいよ!」

 

 

 

「「せーのっ」」

 

 

 

 ぴたりと呼吸が合わさって、ボックスから虹色の光が漏れ出てくる。

 完璧な手応えだ。

 

 

 

「ーー出来たわ、三式水中探信儀よ!」

 

 

 

 霞が自慢気に成果物を掲げて見せてくれた。

 この鎮守府で最も練度の高い駆逐艦である霞は、装備の開発にも向いているようだ。

 

 

 

「流石霞だよ、ありがとう!この調子であと何個か用意しよう!」

 

 

 

 これで対潜水艦用の装備が準備できれば……もし実際に敵潜水艦と遭遇してしまったときも、遅れをとることはないだろう。

 

 

 

「任せなさいな!ソナーでも爆雷でもちゃちゃっと作ってあげるわ!」

 

 

 

 自信満々に胸を張る霞に微笑みかけると、彼方は再びボックスへと向き直った。

 開発資材もそこまで余裕があるわけでもない。

 気を引き閉めて事に当たらなければ。

 

 

 

「じゃあ、もう一回行くわよ?」

「よし、頑張ろう霞!」

 

 

 

 彼方と霞は絶妙なチームワークで次々と開発を成功させていった。

 

 

 

 

 

「ーー鳳翔さん、いかがですか?艦娘となってから初めての海は」

 

 

 

「やっぱり、初めてという感じはしませんね。どちらかというと、帰ってきた……という感覚に近いです」

 

 

 

 鹿島の問いかけに、鳳翔は微笑を浮かべて答えを返す。

 艦娘は生まれた瞬間から軍艦の頃の記憶を持っている。

 そのため、海に出ることを恐れたり、海上にいて不安になる艦娘はそこまで多くはない。

 ……ただ、ゼロでもなかった。どうやら鳳翔は大丈夫なようだ。

 鹿島は内心ほっとした。

 

 

 

 空母というのはそれだけで貴重な存在だ。

 正規空母はほとんど最上位クラスの提督しか所有していないし、軽空母でも中堅か上位のごく一部の提督しか所有していない。

 大多数の提督が駆逐艦と軽巡洋艦しか所有しておらず、海域の守護や遠征による資材確保の任についていることを思えば、彼方が鳳翔を手に入れた意味は非常に大きいのだ。

 

 

 

「ーー鳳翔さん、貴女はこれから彼方くんが最も頼りにする艦娘のうちの一人になります。しっかり力をつけて、彼方くんのためにも頑張りましょう!」

「は、はい!」

 

 

 

 鹿島は彼方の名前を出したときに一瞬歪んだ鳳翔の顔に疑問を感じはしたが、そのまま教練へと入っていった。

 

 

 

 

 

「皆さん、基礎はしっかり出来ているのですね!流石霞ちゃんと鹿島さんの教練を受けていただけのことはあります。これなら実戦でも十分に通用しますよ、自信を持って下さいね」

 

 

 

 嬉しそうに吹雪達を褒める神通の周りに、三つの影が浮かんでいる。

 

 

 

「ーーーーーー」

 

 

 

 もはや声も出ない様子だ。

 今回の特別演習は、神通対吹雪達全員の対抗戦だ。

 しかし三対一にも関わらず、吹雪達は手も足も出なかった。

 

 

 

 球磨達を破ったことがある吹雪達は、正直負ける気はしていなかった。

 いくら霞の教艦といえど、三人ならば何とかなると思っていたのだ。

 

 

 

 ところがーーまず攻撃が出来ない。

 全ての行動の初動を完璧に潰してくるのだ。

 安易な行動をとったが最後、即こちらが大破である。

 

 

 

 神通は、そのたぐいまれな戦闘センスを彼方の能力により更に磨きをかけ、恐ろしい程の反応速度を得ていた。

 

 

 

 しかしその神通にある程度渡り合ってきた事に、当の神通は驚愕していたのだった。

 

 

 

(この娘達は必ず強くなります。ーー大切に育ててあげなくてはいけませんね)

 

 

 

 神通は三人を入渠ドックへ入れると、自分は汗を流すため、彼方への報告を済ませた後露天風呂へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 時刻は昼を回った所だ。

 鹿島と鳳翔で用意してくれた昼食に、疲労困憊だった吹雪達は歓声を上げ飛び付いた。

 霞は午前中彼方と二人きりで過ごせたことで上機嫌だ。

 

 

 

 鳳翔の料理は訓練校のものと比べても遜色がないほどに美味しい。

 吹雪達も鳳翔の料理は好物となったようだった。

 

 

 

「鳳翔さん、鹿島……ご馳走さま。凄く美味しかったよ、ありがとう!」

 

 

 

「うふふ、それはそうですよ!愛情たっぷりですからねっ」

「~~~っ。あ、ありがとう……ございます」

 

 

 

 彼方の言葉に対称的な反応を見せる二人。

 鳳翔は何やら彼方の言葉に過剰に反応しているようだった。

 

 

 

 一息つき、丁度全員集まっているということで彼方はそのまま食堂で午後の予定を決めることにした。

「ーーさて、それじゃあ午後の予定を確認するよ。まずは午前中の報告をしよう。僕と霞は無事必要な量の装備を揃えることができた。これで対潜水艦も十分にこなせるはずだ。ーー神通は、どうだったかな?」

 

 

 

 報告を求められた神通は、にこやかに立ち上がった。

「はい、吹雪ちゃん、潮ちゃん、時雨ちゃんは三人とも今のままでも十分に実戦に出られるだけの能力はあります。午後も出撃可能だと思いますよ、ね?」

「「「はい、出撃できます!」」」

 

 

 

 吹雪達も勢いよく立ち上がる。

 ……何故だか昨日の霞の姿が重なる光景だった。

 

 

 

「ありがとう、神通。吹雪達も、訓練お疲れ様。ーー後は、鳳翔さんと鹿島はどうだったかな?」

 

 

 

 鳳翔はまた彼方に名前を呼ばれたことでびくりと身を震わせる。

 鹿島はその様子を一瞥すると、立ち上がった。

 

 

 

「……鳳翔さんは、まだ暫く訓練を続けた方がいいと思います。今のままでは、出撃させるのはお薦めできません」

「ぁ……」

 

 

 

 鹿島は至って冷静にそう答えた。

 鳳翔は、吐息のような声を漏らすと、鹿島のことを見上げる。

 

 

 

「ーーそう、わかったよ。それじゃあ暫く鳳翔さんは訓練ってことで。午後は霞を旗艦に、神通、吹雪、潮、時雨の五人で出撃してもらう。ーーだけど、飽くまで今日は哨戒任務だ。敵と遭遇しても、無理に深追いしたりはしないこと。いいね?」

 

 

 

 彼方のその言葉に、霞達は元気よく返事をするが……鳳翔は更にその表情に悲壮感を漂わせる。

 

 

 

(私、提督の期待を裏切ってしまった……)

 

 

 

 目の前が真っ暗になるような思いで、鳳翔は食堂から出ていく霞達を見送った。

 

 

 

「ーーぅさん。鳳翔さん!大丈夫ですか、顔色が……!?」

 

 

 

 心配そうな声に我に帰ると、彼方が鳳翔の顔を覗きこんでいた。

 

 

 

「ぁーー大丈夫、大丈夫です。すみません、ちょっとぼぅっとしてしまって」

 

 

 

 慌てて平静を取り繕うが、彼方には鳳翔の異常を見抜かれてしまったらしい。

 とても心配そうに鳳翔のことをじっと見つめていた。

 

 

 

「落ち着いたら後で、話をさせてください。ーーきっと、僕のことで悩ませてしまってるんですよね。……鹿島、鳳翔さんを部屋に連れていってあげてくれるかな?僕は出撃の準備をするから」

 

 

 

 そう言って、彼方は執務室へといってしまった。

 鳳翔は彼方に言われるまま鹿島に連れられ、自室へと帰ってきた。

 自分でも何をそんなに悩んでいるのかが分からない。

 このモヤモヤとした気持ちの正体に鳳翔は気がつくことが出来ないまま、彼方を待つしかなかった。

 

 

 

「ーー鳳翔さん、彼方くんと私達の話を霞ちゃんから聞いたんですよね?色々と思うところはあるかもしれないですけど、折角の機会なので全部彼方くんにぶつけてみたらいいと思いますよ」

 それじゃあ、ゆっくり休んでいて下さいね。と鹿島も部屋を出ていった。

 きっと彼方のところへ行くのだろう。

 

 

 

 鳳翔は溜め息を一つ吐くと、ベッドに仰向けに横になった。

 昨晩の彼方とのやり取りを思い出している内に、鳳翔はいつの間にか眠りに落ちてしまったのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

鳳翔さんに忍び寄るヒロイン達……

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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悩みのワケ

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 ーー彼方は緊張に声が震えないよう注意しながら、通信機の向こうにいる霞達へと声をかける。

「僕と吹雪達にとってはこれが初めての出撃だ。十分に注意していこう。霞、神通、吹雪達のフォローを頼むよ」

 

 

 

『『『はい!』』』

『任せなさい、大丈夫よ!』

『えぇ、わかっています。十分に気をつけて行って参りますね』

 

 

 

 霞達は彼方にとっては初めての戦場へと向かっていった。

 彼方は皆の前では気丈に振る舞わなくてはならない。

 出撃する前から不安を見せるなど言語道断だ。

 モニターに表示される霞達のポイントを見つめながら、彼方は焦りや不安に震える手を固く握り締める。

 

 

 

「ーー彼方くん。大丈夫ですよ、私もいます」

 

 

 

 握りしめた手にそっと添えられた鹿島の手の温もりに、彼方は少しだけ平静を取り戻すことができた。

 鹿島がいてくれて本当によかった。

 彼方一人ではまともな指揮も出来ていなかったのではないだろうか……。

 

 

 

『ーー彼方、そろそろ敵と遭遇する可能性のある海域に到着するわ』

 

 

 

 暫く静かな時間が続いていたが、とうとうその時がやって来た。

 彼方は手を握ってくれていた鹿島に目で礼を言うと、意識を戦場へと切り替えた。

 

 

 

「神通、水上偵察機で策敵を! 今回の目的は飽くまでも哨戒だ、もし大規模な敵艦隊を発見した場合は即時撤退すること!」

『はい!』

 

 

 

 神通の声と共にモニターに水上偵察機による策敵結果が表示される。

 この範囲に敵艦はいないようだ……彼方はほっと胸を撫で下ろす。

 

 

 

 

 

『ーー敵艦見ゆ! 軽巡三、駆逐三! 敵の哨戒艦隊と推測されます! 提督、どうされますか?』

 

 

 

 不意に発せられた神通の声に、彼方は背筋が冷たくなった。

 とうとうその時が来てしまった。

 敵の哨戒艦隊ということは、そう時間をかけずこちらにも気がつくだろう。

 今逃げ腰になれば背後を突かれるどころか、この鎮守府に気づかれる可能性もある。

 そうすれば、大規模な艦隊を編成してここへ深海棲艦が殺到するだろう。

 

 

 

 ーやるしかない。

 

 

 

「戦闘準備! 敵艦隊に先制攻撃を仕掛けよう。但し、周囲の警戒は怠らないように、潜水艦がいる可能性もある!」

 

 

 

 彼方の声に旗艦である霞が元気よく答えた。

『わかったわ!ーーよし、アンタ達。しっかり着いてきなさい! 一気に敵艦隊を殲滅するわよ!』

 トップスピードに入った霞達は、あっという間に敵艦隊へと肉薄する。

 

 

 

 

 

 ーーいざ戦闘開始と思ったら、それぞれが一撃で敵艦を沈め、あっという間に敵艦隊が全滅していた。

 

 

 

『提督、戦闘終了しました。こちらに被害はありません』

 

 

 

 耳元から聞こえてくる神通の声に、呆気に取られていた彼方は我に帰った。

 

 

 

「えっ、あ……うん、お疲れ様!皆凄いよ、吹雪達は初めての実戦なのに」

『だから言ったでしょ、大丈夫よ!戦艦が来たって沈めてあげるんだから!』

 

 

 

 彼方の労いの言葉に、霞が嬉しそうに応える。

 

 

 

 

 

 ーー結局この日は潜水艦に遭遇することなく、無事に哨戒任務を終えたのだった。

 

 

 

 

 

「おーい、彼方く~ん!」

 吹雪が元気よく手を降りながら港へと帰ってくる。

 

 

 

 初めての実戦で無事に全員を出迎えることができて、本当に良かった。

 彼方はこの嬉しさと安堵の混じった気持ちを忘れないように、強く心に刻みつける。

 

 

 

「吹雪、おかえり。無事で本当に良かったよ」

 飛びついてきた吹雪を抱き止めて、彼方は吹雪を労う。

 ずっと、こうして送り出した艦娘全員を笑顔で迎え続けたい。

 そのために、慢心することなく努力し続けようと彼方は固く心に誓った。

 

 

 

 

 

 ーー夕方、彼方は鳳翔の部屋へとやって来た。

 今日の鳳翔は朝からどこか様子がおかしかった。

 やはり昨晩の彼方達の様子を見て、彼方に不信感を抱いてしまったのだろう。

 何も知らない鳳翔から見れば、さぞかし異様な光景だったはずだ。

 彼方は自分の提督としての振るまいにこうした反応を見せる艦娘達にも、きちんと向き合う必要があると考えていた。

 

 

 

 ノックと共に、彼方は鳳翔に声をかける。

「鳳翔さん、体調はどうですか?」

「ーーやだ、私……眠ってしまってたの!?ごめんなさい提督、すぐ開けますから!少しだけ待って下さい!」

 

 

 

 声をかけた瞬間に、中からばたばたと忙しなく動き回るような音が聞こえてきた。

 それから暫くして、おずおずと扉が開かれる。

 

 

 

「ふぅ……ふぅ……す、すみません、お待たせしてしまって。ーーどうぞ、入ってください」

 息が荒い鳳翔に案内されて彼方は鳳翔の部屋の中へと入った。

 

 

 

「鳳翔さん、顔色は良くなったみたいですけど……もう体調は大丈夫ですか?」

「あ……は、はい!もう大丈夫です、ご迷惑おかけしてしまって、本当にごめんなさい」

 

 

 

 鳳翔は彼方に対して深々と頭を下げる。

 余程今日のことを気にしているらしいが……しかし悪いのは鳳翔ではない。

 

 

 

「鳳翔さん、頭を上げてください。貴女を悩ませてしまっているのは、僕なんですよね?霞達との事をきちんと説明をしていなかったこと、本当にすみませんでした。僕は鳳翔さんに軽蔑される可能性がある事をしているとわかっていて、それを黙っていました……」

 

 

 

 発せられた彼方の言葉に、鳳翔は驚いたように顔を上げ、首を振って否定する。

「私は貴方を軽蔑なんてしていません! ……霞さんから、どうして貴方が複数の女性と関係を持たれているのかはお聞きしました。その理由に関しても、一応の納得はしているつもりです。ーーですが、そのお話を聞いてから……何かが、頭の中でモヤモヤとした物がぐるぐると回っているんです。それが何なのか、私には……わからなくて……」

 

 

 

 それを考え悩んでいたから、今日は一日様子がおかしかったのだと、鳳翔は言った。

 

 

 

「鳳翔さん。艦娘である貴女は、僕からただの女性として見られるのは……やっぱり嫌ですか?」

 彼方は恐らく引っかかっているのはそこなのではないか、と思って鳳翔に問いかけてみた。

 

 

 

「い、いえ……決して嫌ではないんです。昨日の夜、貴方にお握りをもらって、お話しして……私は、とても嬉しかったんですから……」

 

 

 

 鳳翔はまた俯きがちになってしまった顔を上げて、彼方の事を見つめた。

 

 

 

「あの時、私は貴方に感謝していました。ここに……貴方のような提督の下に生まれてこられて良かったと。……ですが、今は……少し不安、なんです」

 

 

 

「不安、ですか?」

 尋ねる彼方に、鳳翔はこくんと頷きを返す。

 

 

 

「貴方は……そうして新しく艦娘が増えていく度に、そうやって重荷を抱えていくんですか?貴方のその優しさは、艦娘(私達)を際限なく甘えさせてしまいます!生きるために、戦うために艦娘(私達)提督(貴方)を求めてしまいますーー」

 

 

 

 そこまで言って、鳳翔はまた顔を伏せた。

 

 

 

「ーー私もきっと、あの時からそれを無意識に求め始めていたんです。……私も、貴方に人として扱ってほしい……私も、貴方を所有者ではなく同じ人として対等に扱うことを許してほしい。今もそう思ってしまっています。……ですが、そうして貴方に近づいていけば近づいていくほど、また貴方の重荷を増やしていくだけで……それも私は嫌なんです……」

 

 

 

 だから、どうしたらいいのかわからなくて……。と、鳳翔が途方に暮れたように呟いた。

 

 

 

「鳳翔さん、僕は艦娘(貴女達)を重荷だなんて感じたことありませんよ。僕だって、いつも皆から力を貰えてるんです。持ちつ持たれつ、ですよ」

 

 

 

 彼方は鳳翔に笑顔を向けると、窓の外の海を見た。

 

 

 

「……確かに、貴女達を戦場に送り出すことしか出来ない自分に歯痒さはあります。失ってしまう事を恐れてもいます。ーーですが……その恐怖や不安があるから、僕は提督でいられるんです。僕も貴女達と一緒に戦うことが出来るんです」

 

 

 

 彼方の言葉は、鳳翔からしてみれば予想外の言葉だった。

 彼方は、ただただ失う恐怖に耐えながら提督をやっている訳ではない。

 艦娘から寄りかかられるだけの関係ではなく、彼方は艦娘の隣に立とうとしてくれていたのだ。

 離れていても、一緒に戦ってくれている。

 

 

 

「提督……私はーー」

「ーー彼方って、呼んでくれませんか? 鳳翔さん」

 

 

 

 鳳翔の言葉を遮り、彼方が自分の事を名前で呼ぶように言ってきた。

 それは、昨日彼方と出会ったばかりの鳳翔にはなかなか難易度の高い要求ではある。

 しかしーー

 

 

 

「か、彼方さん。私は……私も、貴方の隣に立っても良いのでしょうか……?」

「勿論ですよ、鳳翔さん。貴女の事を頼りにしています。僕を鳳翔さんの隣に立たせてください」

 

 

 

「いっぱい、お話したくなってしまうかもしれませんよ?私、昨日の夜とても楽しかったんです」

「そうですね、僕も楽しかったです」

 

 

 

「でも、霞さん達はあまりいい顔はされないのではないですか?」

「あー……まぁ、はい。でも、鳳翔さんも大切な仲間です。皆も分かってくれると思いますよ」

 

 

 

 苦笑を浮かべて頬をかく彼方に、思わず鳳翔は噴き出してしまった。

 

 

 

「彼方さんはずるい方ですね。殿方なのに、可愛らしいなんて」

「えぇ!?いやいや、そんなこと初めて言われましたけど……」

 

 

 

 鳳翔は、今日一日の悩みが嘘のように消えていくのを感じていた。

 やっぱり彼方と話をするのは楽しい。

 霞達のような恋人同士の関係ではないが、今の鳳翔はそれでも十分に嬉しかった。

 

 

 

「ーーそれじゃあ、改めてよろしく。鳳翔さん」

 

 

 

「はいっ。よろしくお願いいたします、彼方さん」

 

 

 

鳳翔は、今この瞬間ーー初めて彼方の艦娘となった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

鳳翔さんメイン回なので初出撃は一瞬です……。
実は既に吹雪達は鬼級にも勝てるくらいの実力があります。
沈む沈む詐欺ですね。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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神通の提督

いつも読みに来ていただきまして、本当にありがとうございます!

それでは、今回もお楽しみいただけましたら幸いです。


『ーーで、どうかしら神通?彼方くんとは上手くやれてる?』

 神通の持つ受話器から少しだけ心配そうな気配を見せる楓の声が聞こえてくる。

 

 

 

「ええ、問題ありません。朝霧提督は新しく着任した私のことも十分に気にかけてくださっています。先日も……ここへ着任した初日に建造した艦娘と信頼関係を築きましたし、皆楽しそうに毎日を過ごしていますよ」

 

 

 

 楓への報告は全て神通の正直な見解だ。

 彼方はマメに神通に話かけてくれているし、戦場に出たときは霞達と同じように頼りにしてくれているのも感じる。

 鳳翔とはもう名前を呼び合う仲になったらしく、良き友人関係のようなものを築くことができているようだ。

 戦場での指揮も、少し大胆さは足りないものの……新人提督としては十分によくやってくれていると思う。

 特に、見送りと出迎えは吹雪達には効果覿面だ。

 彼方の能力もあって、吹雪達の士気の高揚はそのまま戦力の向上へと直結する。

 ……神通とて、それは例外ではなかった。

 

 

 

『ーー神通?どうしたの、急に黙って』

 

 

 

 楓が不思議そうに尋ねてくる声が遠くから聞こえる。

 ついつい物思いに耽っていた神通は、慌てて受話器を持ち直した。

 

 

 

「い、いえ!何でもないですよ!?とにかく、朝霧提督はよくやってくれています」

『ーーふぅ~ん?』

 

 

 

 楓が神通の慌てた様子に、面白そうな声を出す。

 玩具を見つけた猫のような目をした楓の顔が、神通の脳裏に過った。

 

 

 

『あの神通がねぇ。確かにウチは女所帯だったから、急に彼方くんに優しくされると……コロッといっちゃうのかもね~?』

「ち、違いますっ!私は朝霧提督をそんな目で見たことありません!彼は、本当に良くしてくれる提督!ただの上官です!」

 

 

 

 からかうような楓の声に神通もムキになって否定する。

 いや、実際そこまで惹かれているというわけではない筈だ。

 確かに、少し頼りないところも助けてあげたくなるし……戦闘を指揮するいつもと違う凛々しい声には、ちょっと格好いいかなと思ったりもするが……。

 それだけだ。本当にそれだけ。

 あと見送りの時は不安を必死に押し隠した顔をしているのに、帰ってきたときは安堵と喜びを前面に押し出した顔を見せてくれることのギャップも、ちょっと子供らしいところが垣間見えて可愛らしいな……と思ったりもする。

 他にもーー

 

 

 

『おーい、もしもし?神通ー?』

「ひゃ!え?……何ですか、提督?」

『何ですかじゃないわよ、急に黙りこんじゃって。また彼方くんのこと考えてたんでしょ?ーーあ、それより私はもう貴女の提督じゃないわよ、楓って呼んで頂戴。今の私はもうただの貴女の友人よ』

 

 

 

 ーーだから、困っていることがあったら何でも相談に乗るわよ? と楓は優しげな声音で付け加えた。

 

 

 

『とりあえず、そっちは問題なさそうで安心したわ。海域の解放もそこまで急ぎって話でもないしね。むしろ無理して轟沈を出すような事だけは、絶対にしないようにしてほしいわ』

「ええ、分かっています」

 

 

 

 神通は迷いなく頷いた。彼方のためにも、戦力のためにも、誰も沈ませるわけにはいかない。

 彼の悲しむ顔は、神通も決して見たくないのだ。

 

 

 

『ーー最近、深海中枢の動きが活発になっているみたいなの。話によると、十二年前の状況に酷似しているらしいわ』

 

 

 

 急に楓は真面目な声音になったかと思うと、不穏な事を言い始めた。

 

 

 

「十二年前……深海棲艦の大規模艦隊が、当時最大規模の鎮守府を壊滅させた時のことですか」

『ええ。彼方くんのお父様、朝霧提督が多数の艦娘と共に喪われた……あの時ね』

 

 

 

 神通は思わず息を呑む。

 その事件のことは、神通は建造前だったのでちらりと噂を聞いたことがあるだけだった。

 その提督が、彼方の父親だったとはーー

 

 

 

『ーー深海棲艦の狙いはわからない。だけど、どんな狙いであれ負けるわけにはいかないわ。神通達も十分に注意しておいて頂戴』

 

 

 

 そうして、少し不安の残る内容で通話は終了した。

 

 

 

 

 

「ーー神通?」

 

 

 

 楓との通話を終え、何となくいつも世話をしている花壇の花を見つめていると、彼方に名前を呼ばれた。

 

 

 

「あ、提督。どうされました?」

「執務室から神通が一人でここにいるのが見えたから来てみたんだ。ーー楓さんは変わりなかった?」

 

 

 

 彼方の言葉に、先程の楓とのやり取りが頭に過り、神通の頬にさっと赤みが差す。

 

 

 

(か、楓が変なこと言うから……っ)

 

 

 

 意識しないようにすればする程、頬が熱くなっていくのを感じる。

 神通は彼方に背を向けて花壇の方へ座り込むと、上擦った声で彼方に答えた。

 

 

 

「え、ええ!お元気でした!提督にもよろしく、と!」

 

 

 

 どうして自分が恥ずかしがらなくてはいけないのかーー楓のにやにやとした顔がちらついて、恨めしくて堪らない。

 とにかく今は落ち着くまでこうして花を眺めている振りをして、やり過ごすしかない。

 

 

 

 戦場では勇敢な戦いを見せる神通だが、陸の上での男性とのコミュニケーションには随分と逃げ腰になってしまう。

 

 

 

「ーーこの花壇は、神通が?」

 

 

 

 不意に、彼方が問いかけてきた。

 神通はまだ少し落ち着かないので、姿勢を変えないまま答える。

 

 

 

「はい。提督達が到着されるまで、私がここへ来てから数週間ありましたから。この鎮守府は長く使われていなかったようで……外観が特に汚れてしまっていましたし、せめて花壇でもあれば華やぐかな、と思いまして。ーーあ、種はここに資源を運んでくださっている睦月ちゃんが下さったんですよ」

 

 

 

 漸く少し落ち着いてきたので、体を彼方へと向けてみる。

 ーーよし、顔を見ても大丈夫だ。

 やはり楓の言葉を過剰に気にしすぎたのだろう。

 

 

 

「ーーそうなんだ。確かに初めてここに来たとき、最初に目に入ったのはこの花壇だったんだ。凄く綺麗だったから。ーーありがとう、神通」

 

 

 

「……ひぃ」

 

 

 

 悲鳴を口の中に閉じ込めたような奇妙な声を上げて、神通が固まる。

 

 

 

(凄く綺麗だーー神通ーーなんて……)

 

 

 

 神通の混乱した頭には、彼方の言葉が正常に入っていない。

 気づけば神通は彼方を残し、全速力で自室へと逃げ込んでいたのだった。

 

 

 

「あ~~~、もう! 楓の馬鹿! 提督の顔がまともに見れなくなっちゃったじゃないですか!!」

 

 

 

 意外と思い込みの激しいところがある神通は、この件をきっかけに『少しだけ』彼方を男性として意識するようになっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー彼方さん?どうされたんですか?」

 

 

 

 食堂のテーブルに突っ伏している彼方を発見した鳳翔は、心配して声をかけた。

 彼方は鳳翔に呼ばれたことでゆっくりと体を起こす。

 しかし何ともその顔は情けないものだった。

 

 

 

 鳳翔はもうすっかり食堂のヌシだ。

 今は霞達に料理を教えたり、鎮守府の皆の食事を用意してくれたりしていて、もはや戦場以外でもなくてはならない存在となっていた。

 

 

 

「さっき神通が花壇に一人でいたから、どうかしたかと思って声をかけてみたんですけど……。物凄い勢いで走って逃げられました……僕何かしましたかね……?」

 

 

 

 彼方には思い当たることはない。

 霞達との件は楓から聞いて知っていたようだし、それなら初日から逃げられている筈だ。

 ならばどうして急に……?

 

 

 

「そうですか……神通さんも何か悩みを抱えてしまっているのかもしれませんね。でも、今はそっとしておくのがいいんじゃないでしょうか?」

 

 

 

 彼方から逃げたと言うことは、その悩みは彼方絡みの問題であることは間違いなく、しかも今はまだ彼方と向き合う勇気がない、ということだろうと判断した鳳翔はそう彼方にアドバイスした。

 鳳翔自身もそうであったが、なかなか彼方は罪作りな男性なのかもしれない。

 

 

 

 鳳翔はお茶とお茶うけのお菓子を彼方に出しながら、悩む彼方の頭を撫でた。

 

 

 

「大丈夫ですよ、彼方さん。神通さんも、彼方さんとお話したいことがまとまったらーーきっとお話してくれます」

「そう、ですね。鳳翔さんがそう言ってくれるなら、待ってみることにします」

 

 

 

 鳳翔の言葉に落ち着きを取り戻し、彼方はお菓子を食べだした。

 彼方はいつも美味しそうに食べてくれるので、鳳翔は彼方のその様子を眺めていたくてついついお菓子を差し入れてしまう。

 

 

 

 こうしてたまに彼方が食堂へとやって来てくれるのも、単に彼方の食い意地が張っているだけの話ではなくーー鳳翔にこの顔を見せに来てくれているのかもしれない。

 

 

 

「ーー鳳翔さん、いつも美味しいお菓子ありがとう。元気が出るよ」

「いいんですよ、私が彼方さんに食べてほしくて作ってるんですから」

 

 

 

 

 

 ーー明日は、鳳翔も出撃することになっている。

 初めての実戦だ。

 食堂の窓から眺める空は、夕焼けに紅く染まっていた。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回は神通とちょっと鳳翔さんの回でした。
神通は何だかチョロインっぽい感じに……。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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嵐の海で

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

今回は少し切羽詰まった感じになっておりますが、本小説は基本ほのぼのでやっていくつもりです。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「ーー鳳翔さん、艤装に問題はないですか?」

 不安げに確認する彼方に、鳳翔は笑顔で応じる。

 

 

 

「はい、問題ありません。いつもより調子がいいくらいですよ」

 くるりと一回転をして見せてくれる鳳翔。

 はしゃいでいると言っていいほど、士気は高いようだ。

 

 

 

「よかった。初の実戦です……くれぐれも気を付けて下さいね。ーー皆も鳳翔さんのフォロー頼むよ」

 

 

 

「任せなさい! それじゃあ行ってくるわね、彼方!」

「提督ーー今日の空模様は、少し不安定に思います。天候が大きく崩れた場合は、すぐに撤退いたしますね」

 

 

 

 答える霞と神通に大きく頷くと、彼方は皆に手を振って見送った。

 

 

 

 最近は吹雪達も慣れてきて、大分スムーズに霞と神通についていけるようになっていた。

 これならば、全員で鳳翔のフォローもしながら戦うことも可能だろう。

 

 

 

「ーー彼方くん、今日はちょっと雲行きが怪しいです。悪天候になった場合は引き返した方がいいかもしれませんね」

 執務室に戻ると、窓の外を眺めていた鹿島がそう進言してきた。

 

 

 

「うん、神通もそう言ってたよ。その時は直ぐに撤退しよう」

 

 

 

 彼方は鹿島にそう答えると、モニターに映る霞達のマーカーへと目を向けた。

 この艦隊の中では、鳳翔だけが低速艦だ。

 艦隊行動中は、あまり引き離されないように注意しなくてはいけない。

 

 

 

「ーー霞、陣形を複縦陣へ。鳳翔さん、神通を先頭に隊列を変更。鳳翔さんが艦隊から遅れないように注意して」

『分かったわ』

 

 

 

 彼方の指示通りに陣形が組み直される。

 吹雪達の動きはあの演習のときより更にスムーズになっている、神通も加わった訓練の賜物だろう。

 

 

 

「吹雪、時雨、潮。皆艦隊行動が凄く上達したね。ここから見てるとよくわかるよ!」

『ホント、彼方君!?嬉しいよ~』

『ありがとう、彼方。無事に帰ったら、ご褒美期待してるよ?』

『……嬉しいです、彼方さん。もっと、頑張りますね……?』

 彼方の称賛の言葉に、吹雪達が声を弾ませて答える。

 皆彼方から見られている事を意識して、更に動きに磨きがかかる。

 彼方の期待に答えるため、彼方とずっと一緒にいるために……吹雪達は毎日辛い訓練を続けているのだ。

 やはりそれを認められ、誉められると言うのはとても嬉しかった。

 

 

 

 

 

「……そろそろ、か」

 先日から敵の艦隊がいくつか発見されている地点までやって来たので、彼方は神通に索敵を指示する。

 初日に発見した艦隊にくらべ、最近は少しずつ敵艦隊が強くなってきている気がしている彼方は、十分に注意するよう全員に伝えた。

 

 

 

『ーー敵艦隊発見! これはーー!?』

 神通の声色が普段と違う焦りを含んだ物へと変化している。

 今回の敵は今までとは違う、ということなのか。

 

 

 

 昨晩神通から報告を受けた楓の話が脳裏に甦る。

(いや、まさか……深海中枢から離れた西方海域(ここ)でそんなに早く影響が出るはずはーー)

 言い知れない不安が彼方の背筋をゾワゾワとした悪寒が走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『空母一、軽巡一、駆逐四! 内空母はflagship! 提督、即時撤退を進言します! この空母機動部隊は先遣隊です! ここで足留めをされれば、敵の本隊に遭遇する可能性が非常に高いです!』

 

 

 

 相手に空母がいる、と言うことはこちらの偵察機が発見されてしまっていればーー

 

 

 

『神通さん、もう間に合わない! 敵の偵察機が来た、発見されたわ!』

 耳元に霞の切羽詰まった声が聞こえた。

 彼方は二人がここまでの動揺を見せた声など初めて聞いた。

 嫌な予感が続々と形になっていく。

 しかしただ手をこまねいていれば、霞達の窮地を呼び込むだけだ。

 何とかしなければーー

 

 

 

「鳳翔さん、艦載機発艦! 敵の攻撃機を迎え撃って! 皆は反転して離脱準備!」

『はい!』

 彼方の指示に霞達が一斉に動き出す。

 鳳翔の弓より零式艦戦52型が飛び立っていく。

 

 

 

 数分後、いくつもの敵艦載機の姿がモニターに映し出された。

 霞達は陣形を輪形陣へと変更し、鳳翔を守るようにしながら撤退している。

 当然敵の艦載機から逃げられる程の速度は出ていない。

 

 

 

 後はこちらの艦戦がどこまで敵の攻撃機を撃墜できるかが勝負だがーー

 

 

 

『嘘、そんな……』

 

 

 

 鳳翔の愕然とした声が耳元に響く。

 モニターには鳳翔の放った艦戦の姿はどこにもない。

 相手の攻撃機も相当な数を失っていたが、ゼロではない。

 

 

 

 敵攻撃機が次々と霞達に向けて魚雷を放っていく。

 白い軌跡を描きながら、黒い魚雷が霞達へと迫る。

 

 

 

『衝撃に備えて! 沈むんじゃないわよ!?』

『う、潮が前に出ます! 皆さんは下がってください!』

『潮ちゃん、待って! ダメだよ!』

『いけません、潮ちゃん! 一人で対処できる数ではありません!』

 

 

 

 耳元で飛び交う霞達の必死な声に、彼方は胸が張り裂けそうになる程の焦燥感を味わう。

 このマーカーは潮だ……明らかに突出して魚雷の盾になるように動き出している。

 それを追うように二つーー霞と神通だ。

 三人で魚雷の撃墜を試みるらしい。

 確かに全員が無事に済む確率が一番高いのはこの方法だろうーーしかし、リターンが大きい分リスクも大きい。

 そんなことを考えている間に既に魚雷は目の前だ。

 彼方に出来ることなんて、もう一つしか残っていないーー

 

 

 

「潮、絶対沈むな! 潮なら出来る!」

『ーーっ。はい! 彼方さん、潮を……見てて下さい!』

 

 

 

 彼方の声に力を得た潮は、みるみるうちに魚雷を迎撃していく。

 霞や神通もその取りこぼしを確実に一つ一つ撃ち落とし、潮を守る。

 

 

 

『ーーこれで、最後です!』

 

 

 

 潮達は全ての魚雷を迎撃することができた。

 全員無事だ。

 次が来る前に、早く撤退しなくてはーー

 

 

 

「……彼方くん、落ち着いて下さい。今鎮守府に真っ直ぐ帰還すれば、必ず相手にここを発見されます。一度ーーこの島に全員で隠れてやり過ごした方がいいと思います」

 

 

 

 鹿島が今いる地点から程近い島の入り江を指差す。

 ……そうだ。こんなときだからこそ、彼方は冷静でなくてはならない。

 彼方は皆の命を預かっているのだ。

 

 

 

「霞、今から送る地点に潜んで敵艦隊をやり過ごそう。天候が崩れれば見透しも悪くなる、今はこの手しかない!」

『ええ、わかったわ。確かに風も出てきた。雨も降ってくれば、敵の偵察機も役に立たなくなるわね』

 

 

 

 霞が彼方の策にのり、全員で島へと移動を開始した。

 敵の偵察機はまだこちらへ飛んできてはいない……振り切れたのだろうか……。

 しかし、ここで彼方が不安がっていても意味がない。

 本当に不安なのは霞達なのだ。

 

 

 

「鳳翔さん、敵の攻撃機をあれだけ撃墜してくれたお陰で、今皆でこうしていられます。ありがとうございました」

『えっ……いえ、そんな……。私の力が足りないから、潮ちゃん達が危ない目に……』

 先程から明らかに口数が少なくなってしまっていた鳳翔だったが、やはり全機撃墜出来なかった事を気に病んでいるらしかった。

 だが、それは全くの見当違いだ。

 鳳翔がいなければ、恐らく潮が被弾していた。

 魚雷の数が何倍だろうと……潮は同じことをしようとしただろう。

 

 

 

「いえ、貴女がいなければ、潮は沈んでいたかもしれない。皆を守ってくれて、本当にありがとうございます」

『……彼方さん』

『潮も、そう思います。鳳翔さん、ありがとうございました』

 やはり潮も自覚していたようだ。

 魚雷を迎撃するなど、潮以外に出来る者はこの艦隊にはほとんどいない。

 霞や神通だって、潮の取り零しを何とか撃ち落とすのが精一杯だった。

 それを解っているからこそ、潮は前に出ることを迷わない。

 

 

 

「……潮、皆を助けてくれて感謝してる。だけど……帰ってきたら小言くらいは付き合ってもらうよ」

『……楽しみです』

 

 

 

 今出来る精一杯の軽口を叩きながら、霞達が目的地の目前まで逃げてくることが出来た。

 雨風は強くなる一方だ。敵も追撃を諦めたのかもしれない。

 

 

 

『ーー彼方、目的地へ着いたわ。周囲に異常はないわね。暫くはここで待機しましょう』

 

 

 

 雨風をしのげる場所を見つけた霞達は、暫くの間そこに潜むことに決めたようだ。

 

 

 

『ほらほら、これ食べて皆元気出しなさいな!まだまだ今日は長いわよ!』

 霞は持っていた戦闘糧食を皆に配っている。

 鎮守府に来た初日は不満げにしていた吹雪達だったが、今は皆一様に歓声を上げておにぎりに飛びつく。

 

 

 

 漸く人心地つけるようだ。

 かちゃり、と小さな音に目を向けると、鹿島がコーヒーを淹れてくれていた。

「お疲れ様です、彼方くん。まだまだこれからですが、とりあえず一安心ですね」

 にこり、と優しげな笑みを浮かべる鹿島に、つい甘えたくなってしまう。

 彼方の手が届く範囲にいる艦娘は、今は鹿島だけだ。

 

 

 

 心細さから逃れるために、手近にいる鹿島に甘えようとする彼方の弱い心を叱咤して彼方は再度気を引き締める。

 彼方はまだまだやらねばならないことがある。

 霞達を無事に鎮守府で出迎えるまでは、休んでなどいられない。

 何か手を考えなければ……。

 

 

 

 

 

 ーー結局、霞達はそのままそこで夜を迎えることになった。

 日が沈んでから動いた方が、敵に発見されにくいと判断したからだ。

 霞達は隠れていた入り江からゆっくりと進み出る。

 天候は荒れ模様で視界は最悪だ。

 単縦陣でそろそろと移動しながら、霞達は島の影を抜けた。

 

 

 

『顔を出したら敵艦隊がお出迎えったことはーーないみたいね』

 

 

 

 どうやら敵はいないようだ。

 これならば無事帰還出来るだろう。

 ーー本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『吹雪型一番艦 駆逐艦 吹雪 大破』

 

 

 

 彼方には突然モニターに表示される文字が理解できない。

 

 

 

『アクティブソナー! 潜水艦がいるわ!』

『ーーっ! 後方に敵潜水艦反応! 僕が行くよ!』

『いけません! 夜に潜水艦を相手にしては! 吹雪ちゃんを連れて撤退を!』

『ーー彼方さん! 吹雪ちゃんは無事です、私がちゃんと連れて帰ります!』

 

 

 

 矢継ぎ早に通信が飛び交う。

 鳳翔のマーカーが吹雪に寄り添うように並ぶ。

 彼方はそれを茫然と眺めていることしかできない。

 

 

 

「ーー鹿島です、緊急につき提督に代わり私が指揮を代行します! 旗艦霞は艦隊を連れその場を全速離脱! 鳳翔は吹雪を放さず必ず連れて帰りなさい! 時雨、潮はその場で爆雷投射! 牽制くらいにはなるはずです!」

『了解よ!』

 

 

 

 通信を終えた鹿島は彼方の肩を揺さぶる。

 この程度の事で呆けていられては、これから先起こりうる事に彼方は耐えきれない。

 

 

 

「彼方くん、しっかりしてください! 吹雪ちゃんは鳳翔さんが必ず連れて帰ってきてくれます!」

「ーーご、ごめん!鹿島……ありがとう」

 

 

 

 彼方が正気に戻った。

 鹿島も無意識に安堵の溜め息が漏れる。

 安心したのも束の間ーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー鳳翔と吹雪のマーカーが、消えた。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

沈む沈む詐欺は継続中です。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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邂逅

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

なんと、気づけばお気に入りに登録してくださっている方が300名様を突破いたしておりました。
こうして毎日この小説を書いていられるのは、読みに来てくださっている皆様のお陰です!
こらからも精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 昨晩の嵐が過ぎ去り霧のかかった砂浜に、波に打ち上げられた二人の艦娘が倒れている。

 鳳翔と吹雪だ。

 昨晩ーー海域からの撤退を試みた鳳翔達を待ち伏せしていたらしい潜水艦に襲われ、吹雪が魚雷の直撃を受けた。

 吹雪を連れて何とか逃げ出そうとした鳳翔だったが、追い縋るように放たれた魚雷に直撃こそしなかったものの、大きく吹き飛ばされて気を失ってしまったのだった。

 

 

 

「ーーっ。ここ、は……? 吹雪ちゃん!?」

 砂浜の上に倒れていた鳳翔は慌てて身を起こし、抱き抱えていたはずの少女を探す。

 しかし探すまでもなく、すぐ隣に倒れていた吹雪を発見した鳳翔は安堵した。

 艤装の方は酷い有り様だが、呼吸も脈拍も安定している。

 大きな怪我もなさそうだ。

 これならば、とりあえず命に別状はない。

 

 

 

「早く、彼方さんのところへ帰らなくちゃね」

 

 

 

 きっと、彼方は大層不安がっていることだろう。

 何としても鎮守府に帰らなくてはならない。

 

 

 

「ーー彼方さん、彼方さん。聞こえますか?」

 

 

 

 彼方への通信を試みるが、雑音ばかりで反応がない。

 改めて自分の艤装をよく見てみたら、通信用のアンテナが根本から折れていた。

 これでは彼方と通信など出来るはずもない。

 通信が断たれたということは……一度艤装を解除してしまえば、次に艤装を展開するには彼方の力が必要になるということだ。

 しかも展開している今の艤装も、後どれだけ保つのかわからない。

 状況はかなり良くないように思えた。

 

 

 

「……ぅ……ん」

 砂浜から近くの木陰に移動させていた吹雪が目を覚ます。

 意識も戻ったし、吹雪に関してはこれで一安心と言えるだろう。

 

 

 

「吹雪ちゃん、大丈夫? どこか痛むところはない?」

「……ん、え? 鳳翔さん? 私、一体……」

 

 

 

 吹雪はどうやら昨晩の事を覚えていないらしかった。

 完全に不意打ちだったのだ、無理もない。

 パッシブソナーを持っていたのが吹雪だったのも、不運な事だったと言えるだろう。

 潜水艦に気づく前に、敵に位置を特定されて魚雷を発射されたのだ。

 

 

 

「ーーそうだ、私! 敵のソナーの音が聞こえて……っ! 鳳翔さん、皆は……皆は無事なんですか!?」

「……わからないの、ごめんなさい。通信機が壊れてしまっていて……。ここがどこなのかも、霞さん達が無事なのかも……」

 

 

 

 大破する直前の出来事を思い出した吹雪は、直ぐ様艦隊の皆を心配した。

 鳳翔は彼方の事を真っ先に心配し、艦隊の皆は大丈夫だろうと自分が何故か楽観的に考えていた事に驚く。

 確かに霞達が無事に逃げおおせているかどうかという確証は持てない。

 潜水艦がもし自分達を待ち伏せていたのだとすれば、別の艦隊が待ち伏せている可能性もあるのだ。

 鳳翔は自分が冷静になることが出来ていなかったことに気づき、一度深呼吸した。

 

 

 

「皆無事に彼方君のところに帰れてるといいんだけど……。彼方君、心配してるだろうなぁ……」

「ーーそうね。全員無事に鎮守府に帰らないと、彼方さんは……」

 

 

 

 吹雪の大破の報を受けた時点で茫然自失となっていた彼方は、現状かなり酷い精神状態のはずだ。

 せめて無事であることを知らせたいが……通信機が壊れている以上、連絡の取りようがない。

 艦載機を飛ばせば、先に敵に見つかる可能性の方が高いだろう。

 何か良い方法はないだろうか……。

 

 

 

「ーー鳳翔さんは、彼方君がどうして提督を目指すことになったのか……知ってますか?」

 

 

 

 黙って考え込んでいる鳳翔に、吹雪が唐突に問いかけてきた。

 正直今はゆっくりと話をしている場合ではないのでは、と思わなくもないが……しかし特に今出来ることも思いつかず、鳳翔は吹雪の質問に答えることにした。

 

 

 

「ええと、詳しくは聞いたことないわ。お父様が提督をされていたという話は聞いたことがあるけれど……」

 

 

 

 吹雪は頷いて肯定すると、彼方がどうして提督を目指したのか……どうして艦娘を人として扱う道を選んだのか、かいつまんで聞かせた。

 

 

 

「霞さんと彼方さんの間にそんなことが……」

 

 

 

 霞があの時、彼方にだけは自分を兵器として見られたくないーーと言っていた理由が漸くわかった。

 そして、彼方の背負っている物の重みは、一体どれほどのものであるのか……鳳翔が思っていたよりも、更に重い物を彼方は背負っているようだった。

 

 

 

「……私、彼方君の傍にいたいんです。彼方君がどんなに苦しくても、私達の傍にいてくれようとしていることが……とっても嬉しいんです。酷いですよね、私」

 

 

 

 吹雪が苦笑を浮かべながら、自分の心情を吐露する。

 鳳翔は、自分が彼方の重荷になることが嫌で悩んでいた。

 吹雪もまたそうなのだ。……しかし、それでもなお彼方の近くにいたいと強く願っている。

 それはーー

 

 

 

「それはーー彼方さんのことが、好きだから……ですか?」

「はい、そうです。彼方君が私のことで喜んでくれるのも、苦しんでくれるのも……全部が嬉しいんです。その想いは、私が彼方君の心の中にいる証ですから」

 

 

 

 迷いなく頷き、傲慢とも思える想いを自信を持って語ることが出来る吹雪を見て、鳳翔の胸がズキリと痛む。

 彼方と初めて出会ってまだ一月程度ではあるがーー訓練に明け暮れながら、鳳翔は彼方と何度となく二人きりで過ごしてきた。

 とは言ってもただお茶を飲んで、お菓子を食べて……他愛ない話をしていただけだ。

 しかし、思い返せば鳳翔はいつだって彼方の喜ぶ顔を思い浮かべてお菓子を作っていなかっただろうか。

 彼方が顔を見せてくれなかった日は、つまらなくて少し機嫌が悪くなったりもした。

 美味しそうにお菓子を食べてくれる顔が何よりも嬉しくて……幸せだった。

 彼方と過ごす時間が、鳳翔にとっては一番大切な時間になっていたのだ。

 

 

 

「鳳翔さんも、彼方君の事……好きなんですよね?」

「えっ……いえ、私は……」

 

 

 

 続く否定の言葉は鳳翔の口から出てこない。

 口に出すのも憚られる想いを吹雪に指摘され、鳳翔は絶句する。

 彼方にはもう既に五人も恋人がいる。目の前の吹雪だってそうだ。

 その中に自分が入っていこうなどとは、とてもじゃないが鳳翔には思えなかった。

 ただの友人のような関係でも、ああして二人で過ごす時間が持てれば……それで十分だと思い込もうとしていた。

 

 

 

 しかし今ーーこの絶望的とも言える状況の中、吹雪に自分の中で押し隠していた想いを見破られ、鳳翔はそれを自覚せざるを得なかった。

 

 

 

「……ええ。私も、彼方さんを……お慕いしているわ。でもーー」

「ーーだったらやっぱり気持ちを伝えるまでは、諦めてなんかいられませんよ! 私も、彼方君に伝えたい気持ちはまだまだいっぱいあるんです!」

 

 

 

 二人とも、彼方に会いたい。

 何としても帰らなくてはならない。

 その強い決意で心を奮い起たせる。

 

 

 

「……でも、ここがどこなのかもわからないし……通信機も壊れてしまっているの。私達が闇雲に海に出たとしても、いつ艤装が消えてしまうかもわからないわ。霞さん達の救援を待つ以外に方法は……」

「……う~ん。どうしましょう……」

 

 

 

 決意があったところで、湧いてくるのは元気だけだった。

 元気がないよりはずっとマシだがーー

 

 

「……こんなところに日本の艦娘が?ここは敵の海域じゃなかったかしら?」

「姉さま! 彼女達艤装がボロボロですし、航行不能になって流されちゃったんじゃないでしょうか?」

「あら、そうなの? 確かに深海棲艦がうろうろしてたものね。助けが必要かもしれないわ、行ってみましょう」

「流石姉さまです!」

 

 

 

 何やら見覚えのない艦娘達がわいわい騒ぎながらこちらへやって来た。

 明らかに日本の艦娘とは違う風貌に、鳳翔達は喜んで良いのか警戒して良いのかわからない。

 

 

 

「騒がしくてすまない。こちらはドイツから日本へ援軍に派遣された艦隊だ。私は航空母艦のGraf Zeppelin。貴艦らは見たところ戦闘で航行不能となった日本の艦娘のようだが、間違いないか?」

 

 

 

 騒がしい二人とは対称的に、いかにも軍人然とした態度の艦娘が鳳翔達の前に立つ。

 静かに答えを待つドイツの艦娘達に攻撃的な姿勢は全く見られず、純粋に厚意で話しかけてきてくれたのだと鳳翔達にもわかった。

 

 

 

「私達はこの西方海域の鎮守府に所属している艦娘です。私は航空母艦の鳳翔と言います。こちらは駆逐艦の吹雪です。……お察しの通り、私達は昨夜深海棲艦の奇襲を受け、航行不能に陥ってこの島に流れ着いたようなんです」

 今は自分達の失態を恥じている場合ではない。

 鳳翔は包み隠さず昨夜あったことを話した。

 

 

 

「……そうか。この辺りは潜水艦も出現するようだからな。ならば日が沈む前にこの海域を脱出するべきだろう。ーーどうだろうか、我々に貴艦らを鎮守府まで送り届けさせてはもらえないか。我々も丁度補給を必要としていたんだ。護衛の礼ということで、一晩世話になりたい」

 

 

 

 鳳翔の言葉に、グラーフは目を伏せ頷くと、鳳翔達にとっては思いもよらなかった救いの手を差しのべてきてくれた。

 

 

 

「ほ、鳳翔さん、彼方君のところに帰れますよ!やったー!」

「も、勿論です! ありがとうございます!」

 

 

 

「……カナタ?それは貴女達のAdmiralの名前かしら?」

 跳び跳ねて喜ぶ鳳翔達に、吹雪の言葉に興味を引かれたのか先程まで騒いでいた内の一人が近寄ってきた。

 

 

 

「ええ、そうですけど……何か?」

「それだけ貴女達が再会を喜んでいるんだもの。素敵なAdmiralなのね! 私の提督に相応しい人かもしれないわ!」

「ええーっ! 姉さまがそこに着任するなら私もそこがいいです!」

「そうね、じゃあせめてグラーフにだけは……何て言ったかしら?」

 

 

 

 急にまたしても騒がしくなった二人にグラーフは溜め息をついて顔を手で覆う。

 なかなか苦労人のようだ。

「クサナギだ、ビスマルク。勝手に着任する鎮守府を決めてしまうのは不味いのではないか? 確かに私は赤城や加賀に会うためにここに来たから、クサナギ提督の鎮守府に着任するつもりだが……」

 

 

 

「まぁいいじゃない、どうせ私が着いた鎮守府が最強なのは変わらないもの! さぁプリンツ、そうと決まったら出発よ!」

「はい、お姉様! ユーちゃん、レーベ、マックス、行くよー! レーベとマックスはこの娘達をお願いね!」

 

 

 

 何とも大がかりな帰還になってしまった。

 しかし、これで彼方の下に帰ることが出来る。

 意気揚々と海を進むドイツの艦娘達に囲まれながら、鳳翔達は彼方との再会に逸る胸を抑えきれないまま、鎮守府へと向かうのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

というわけで、第二章で最後の新艦娘が登場です。
以前の活動報告でのアンケートにて、坂下郁さんがリクエストしてくださいました、プリンツにヒントを頂きましての登場となりました。
ドイツ艦勢揃いになりましたが……。
一部が彼方の艦娘となります。

次回もまた読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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帰還

いつもお読みいただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けますと嬉しいです!


 潜水艦からの奇襲を受け、吹雪と鳳翔のマーカーがモニターから消えた明くる日の朝ーー霞達が激戦を潜り抜け、鎮守府へと帰ってきた。

 

 

 

「……彼方、ごめんなさい。吹雪と鳳翔を連れて帰ることが出来なかったわ……」

 

 

 

 全身の艤装がボロボロになってしまった霞が彼方に謝罪する。

 神通も時雨も潮も似たようなものだ。艤装に無傷な箇所などありはしないというほどの酷い損傷具合だ。

 しかしボロボロの状態でなんとか帰ってきた霞達は彼方に謝ることしか出来ない。

 絶対に全員で港に帰ってくると誓っていたのに、二人もいない状態で帰ってきてしまったのだ。

 彼方の受けた衝撃の大きさを考えれば、霞達には謝るくらいしか出きることがなかった。

 

 

 

 港で霞達を出迎えた彼方は、今まで見たこともないほどに憔悴しきっていた。

 無理もない。あの状況で、せめて霞達だけは無事に返そうと夜通し指揮し続けたのだ。

 

 

 

 

「ーー霞達が無事で本当に良かった。吹雪と鳳翔さんが帰ってこられなかったのは、僕の指揮のせいだ……ごめん」

「違います! あの島に隠れるよう進言したのは私です! 悪いのは彼方くんじゃーー」

「違う! 鹿島は何も悪くない。あの状況で真っ直ぐここに帰ってくれば、間違いなく今頃は全員がやられてた。僕も鹿島も」

 

 

 

 彼方の代わりに罪を被ろうとする鹿島を、彼方は許さない。

 これは彼方の責任だ。彼方が背負わなくてはならない。

 訓練校で初めて出来た仲間だった吹雪。

 この鎮守府で彼方が提督として初めて建造した鳳翔。

 かけがえのない二人を失った可能性があるのは、彼方の力不足が原因だ。

 あそこで潜水艦の警戒を怠っていなければ、今頃はここに吹雪も鳳翔もいたはずだ。

 完全に油断していた。もう安心だと緩みきっていた。

 

 

 

「彼方だって悪くなんかないわ! あの場にいた誰もが潜水艦の存在に気づくことが出来なかった! もし警戒していたとしても、初めから私達がいるのをわかっている敵の方が動き出すのが早いのよ? ーーこれは、運が……悪かったのよ」

 

 

 

 ーー運が悪い。

 霞の言葉に、彼方は納得など出来はしない。

 そんな不確定な事に、吹雪や鳳翔の生死が左右されてしまうことに納得がいかない。

 頭では理解できても、彼方は自分がもっと上手くしていれば助けられたと思いたいのだ。

 そこに救いを求めなければ、もう二度と誰も出撃などさせられない。

 運などと言う訳のわからないモノに、霞達を殺されるのが堪らなく恐ろしい。

 

 

 

「ーーありがとう、霞。皆も帰ってこれたとは言ってもボロボロだ。早く入渠しよう。ーー本当に、帰ってきてくれてありがとう」

「彼方……」

 

 

 

 深々と頭を下げた彼方は、執務室へと戻っていった。

 鹿島が慌てて後を追う。

 しかし、霞は彼方の後ろ姿を目で追うだけだ。

 

 

 

「……霞ちゃん、早く入渠しましょう。吹雪ちゃん達もまだ轟沈と決まったわけではありません。私達にはまだやるべき事があるはずです」

「……神通さん、ありがとう。そうね。吹雪達を探しに行くためにも、早く万全の状態にしないと!」

 

 

 

 ーー恐らく、彼方もまだ諦めていない。

 霞もまだ諦めるには早すぎる。

 ほんの僅かな可能性でも、皆がその可能性を信じて動き出す。

 

 

 

「大丈夫よ、彼方。私が必ず吹雪達を連れて帰るわ」

 

 

 

 霞はそう呟いて、神通達と共に入渠ドックへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 ーー霞達がここまでボロボロで帰ってきたのには、理由がある。

 昨晩島を脱出しようとしたところを敵潜水艦の奇襲を受け、吹雪達とはぐれてしまった後ーー霞達は敵の本隊と遭遇していた。

 何故か敵も手負いの状態ではあったが、霞達も吹雪や鳳翔のいない状態で戦わねばならなかった。

 神通の探照灯による照射射撃の敢行により、霞と時雨が捨て身の突撃で敵の旗艦を撃沈ーー潮が神通の被害を最小限に押し留め、辛くも敵の本隊に勝利を収めることができた。

 未だ西方海域を解放するには至らないが、大きな戦果を上げたと言える。

 そんなものは吹雪や鳳翔を失ったことに対する慰めになどなりはしないが……。

 

 

 

 

 

「彼方くん、昨日の夜からずっと寝ないで指揮を続けているんです。お願いですから、少し休んでください」

「ーーいや、まだ吹雪達が……死んでしまったと決まったわけじゃない。通信機が破壊されてどこかに流されてしまった可能性だってあるんだ。霞達が万全の状態になる前に、救援作戦を考えておかないと……」

 

 

 

 彼方は鹿島の制止を振り切り、昨晩吹雪達を見失った辺りの海域図を広げ、吹雪達を捜索する地点やその地点に向かうまでの航路を導くための情報収集を始めた。

 彼方の顔色は悪く、昨夜から過大にかかる精神的な負荷で目は落ち窪み、唇もかさついている。

 それでも尚彼方は吹雪達の無事を信じ、ひたすら作戦の立案に没頭する。

 

 

 

 そうしていなければ、彼方は自分がもう二度と立ち上がることができなくなるという事をわかっていたからだ。

 鹿島の予想通り、やはり彼方は轟沈には耐えられない。

 霞の信じている彼方は、どれだけ提督として優れた力を持っていたとしても……どこまでも普通の青年でしかなかったのだった。

 

 

 

 

 

「彼方くん……」

 懸命に吹雪達を信じ、自分を繋ぎ止める彼方のその姿を鹿島は見ていられなくて目を伏せる。

 ここは無理矢理にでも休ませなければーーこれではもし吹雪達が無事だったとしても、先に彼方が潰れてしまう。

 

 

 

「鹿島。この海流だったら、吹雪達はどの辺りに流されてると思う?僕は、考えられるのはこの辺りの小島なんじゃないかと思うんだ。この辺りなら敵の海域のギリギリを進めば、深海棲艦に遭遇しないで捜索もーー」

「ーー彼方くん」

 

 

 

 鹿島が机に向かう彼方を後ろから抱き締める。

 彼方は咄嗟の事に驚くが、何も反応が返せない。

 

 

 

「彼方くん、聞いてください。今は、休むことが彼方くんにとって最も大切な仕事なんです。吹雪ちゃん達が心配なのはわかります、それは私達だって同じ気持ちです。……ですが、ここで無理して彼方くんが倒れてしまっては、吹雪ちゃん達を探しにいくのも更に遅れてしまいます。少しだけで構いません。お願いですから、休んでください」

 

 

 

 鹿島の必死の訴えに、彼方の緊張で硬直していた身体から力が抜ける。

 鹿島は自分の思いが通じたのを理解すると、ゆっくりと身体を離した。

 不安げに彼方を見上げる鹿島の髪を、彼方が優しく撫でる。

 その表情は濃い憔悴の色を見せながらも、ほんの僅かな笑顔を覗かせていた。

 

 

 

「……ごめん、鹿島。心配かけて。……少し、休むことにする。ありがとう」

「い、いえ! 良かった……彼方くん。ありがとうございます!」

 

 

 

 鹿島は彼方を備え付けのベッドに横たえ、震える彼方の手を握る。

 彼方は緊張の糸が切れたのか、直ぐに眠ってしまったようだった。

 

 

 

 鹿島は彼方がこのまま聞き分けなければ、どんな手を使ってでも、彼方を休ませるつもりだった。

 しかしまだ彼方の心は、冷静さを残すことが出来ていたようだ。

 鹿島は静かに執務室を後にした。

 彼方が休んでいる間に、鹿島もやらねばならないことがある。

 

 

 

 

 

 ーー入渠ドックでは、普段では見掛けない不思議な光景が広がっていた。

 時雨と潮の艤装に妖精が集っているのだ。

 初めて見るその異様な光景に、二人は不安げな目で妖精達を見つめている。

 霞と神通はその光景に見覚えがあるのか、至って落ち着いた様子だ。

 

 

 

「安心しなさい、あれは艤装を改造してるだけよ。一定以上の練度の高さを持つ艦娘が大きなダメージを負ったとき、更に強い艦娘として生まれ変わらせてくれる事があるの。これでアンタ達はもっと強くなれる。治ったらまた直ぐに吹雪達を捜索に出るんだから、今の内にしっかり休んでおきなさい!」

「は、はい!」

「吹雪。僕達が必ず見つけ出すよ……」

 霞の言葉に、潮達は力強く頷く。

 一方で、神通だけは浮かない顔のままだ。

 

 

 

「ーー提督は、大丈夫なのでしょうか……」

 不安げな神通の声に、霞は自信を持って答えた。

「大丈夫です! 彼方は諦めてなんかいませんでした。必ず吹雪達の居場所の当たりをつけてくれます!」

 そうすれば、後は探しに行くだけだーー霞は彼方を信じきっていた。

 

 

 

「霞ちゃん……彼方くんはお休みになりました。捜索は彼方くんが目覚めた後に行います。ーーその前に、貴女達に確認したいことがあるんです」

 いつの間にか入渠ドックへと鹿島がやってきていた。

「確認したいこと、ですか? 何でしょうか」

 神通が鹿島に質問を促す。

「ありがとうございます。神通さん達が遭遇した敵の本隊ですが、手負いだったというのは間違いない話ですか?」

 鹿島の質問は、昨晩霞達が倒した深海棲艦についてだ。

 本来、あの海域の入り口付近には敵の本隊などいるはずがなかった。

 では何故そこに敵の本隊がいたのかというとーー何者かに攻撃を受け、入り口付近まで逃げてきたというのが妥当な線だろう。

 運悪く深海棲艦の散歩に出くわした等聞いたことがない。

 一体誰がそんなことを……

 

 

 

『ーーら、ーーツ軍、航空ーーの、グラーフーー』

 

 

 

 考え込む鹿島の耳に耳障りなノイズと共に聞きなれない声の通信が入る。

 

 

 

「これはーー友軍からの通信!?霞ちゃん、私は執務室に戻ります!」

 

 

 

 言うが早いか、鹿島は彼方に知らせるために入渠ドックを飛び出していった。

 残された霞達は、鹿島から断片的な言葉で発せられた情報に、すっかり浮き足立っていた。

 早く入渠が終わらないだろうか、もどかしい時間はまだしばらくは続きそうだ。

 霞達はソワソワと落ち着かない気持ちのまま鹿島の報告を待ち続ける以外になかった。

 

 

 

 

 

「彼方くん、友軍から通信が!」

 鹿島が慌てて執務室へと飛び込むと、彼方は既に通信機に張り付いていた。

 

 

 

『ーーら、ドイーー。聞こえーーんじをーー』

「聞こえています! こちら西方海域担当の鎮守府提督、朝霧彼方です!」

 

 

 

 彼方も必死に通信機に呼び掛けを続けている。

 段々とノイズもなくなり、音声がはっきりと聞こえるようになってきた。

 

 

 

『応答感謝する。こちらはドイツ軍特殊部隊所属、航空母艦のグラーフ・ツェッペリンだ。本艦隊は貴官の鎮守府所属の艦娘二隻を護送中だ。入港許可をいただきたい』

 

 

 

 吹雪と鳳翔のことだ、間違いない。彼女達は生きていた。

 彼方はそれを理解した途端、通信機を乱暴に引っ掴み執務室を飛び出した。

 転がるように港へと走る。

 

 

 

「グラーフさん、入港を許可します! 吹雪と鳳翔さんを助けてくださって、ありがとうございます!」

『ーーえっ?あ、ああ……わかった。入港許可に感謝する。……しかし、何とも軍人らしくないAdmiralだな、鳳翔』

『何言ってるのよグラーフ、それだけ鳳翔達を心配してたってことでしょ? 規律は確かに大切だけど、私はこんなAdmiralもいいと思うわよ?』

『ドイツのAdmiralはこういうタイプはあまりいないですからねー』

 

 

 

 耳元でドイツの艦娘らしき少女達のかしましい声が聞こえてきているが、彼方の耳には既に入ってきていなかった。

 彼方の見ているのは二人の少女だけだ。

 水平線の向こうから現れた、愛しい少女と大切な仲間。

 昨晩から会いたいと願ってやまなかった、吹雪と鳳翔だった。

 

 

 

「吹雪! 鳳翔さん!」

 彼方は思わず二人の名前を叫ぶ。

「「彼方君(さん)!!」」

 名を呼ばれた二人も負けじと声をあげ、彼方に飛びつくように抱きついた。

 彼方はあまりにも長い間別れてしまっていたような気がする二人を、もう二度と放さないとばかりに強く抱き締める。

 

 

 

 その様子を面白そうに、興味深げに見つめる目がいくつか。

「へぇ~。日本にはこんな情熱的なAdmiralがいるのね。帰還と共にハグするなんて初めて見たわ!」

「え?ええ、そうですね……姉さま。あれは……でも、何と言いますか……」

 関心したように頷くビスマルクに、苦笑で返すプリンツ。

 ビスマルクはこうした男女の機微には疎いところがあるのだ。

 人目を憚らず熱い抱擁を見せつける彼方達に、他のドイツ艦娘は顔を赤らめて目を逸らしている。

 いや、ユーだけは水面からこっそり覗いていたようだ。

 

 

 

「……ねぇ、カナタ?」

「あ、はい! すいません、ついーー」

 背後からする声に彼方が振り向くとーー

 

 

 

「ぎゅ~~~!」

「え、ええ!?ビスマルク姉さま!?」

 

 

 

 ビスマルクに思いきり抱きつかれた。

 鳳翔や吹雪も予想外の光景にただただ呆然とするより他ない。

 

 

 

「泣くんじゃないわ、カナタ! 私が来たからにはもう大丈夫! 貴方を泣かす深海棲艦なんて、私が全てやっつけてあげるんだから!」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回は前半は前回を読んでいただいていると茶番でしかありませんが、前回よりも先に今回を持ってきた場合、描写が重くなりすぎる可能性があったので、こうしました。

それでは、また読みに来ていただけますと嬉しいです!


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結ばれた絆

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 まずは吹雪と鳳翔の治療が先決ということで、彼方は入渠ドックへと吹雪達を連れてやって来た。

 

 

 

「二人が帰ってきてくれて本当に良かった。怪我と艤装が治ったら、ゆっくり話がしたいな」

「うん! 私も彼方君に話したいことがまだまだいっぱいあったの!」

「……ええ。私も、彼方さんに聞いてほしいお話があります」

 

 

 

 再会からずっと繋いでいた手を離し、彼方は入渠ドックへと入る二人を見送る。

 

 

 

(無事に帰ってきてくれて……本当に良かった)

 

 

 

 正直もう二度と話すことも出来ないのではないかと思っていた。

 助かったのは本当にたまたま運が良かっただけで、大切な仲間を失いかけたのだ。

 もし今度こんな事があれば、そのときは本当に仲間を失ってしまうかもしれない。

 

 

 

 運悪く吹雪達を失いかけ、運良く吹雪達は帰ってきた。

 霞の言葉をそのまま鵜呑みにするなら、今回の件はそういうことになる。

 霞の言うことも間違っていないとは思うが……やはり彼方はそれでは納得がいかず、何か方法があったのではと考えてしまう。

 確かに、戦場で常に最善を選び続けることなど出来はしないだろう。

 この問題は彼方が提督として生きていく限り、常に付いて回る悩みだ。

 

 

 

 今回の事は、皆と共に戦うということの意味の重さを改めて彼方に実感させた。

 

 

 

 しかし、何はともあれ吹雪達は無事に帰ってきてくれた。

 建屋の外にまで漏れる仲間達の歓声を聞きながら、彼方は心から安堵して入渠ドックを後にした。

 

 

 

 

 

 

「ーー彼方くん、ドイツ艦の方々には今補給を行っていただいてます。そこで……ちょっと気になる事があるんですけど……」

 

 

 

 執務室に帰ると、鹿島がモニターに映し出されている海域図を、眉間に皺を寄せ難しい顔をしながら見ていた。

 

 

 

「気になる事?」

 聞き返す彼方に鹿島が頷く。

「はい。ドイツ艦の方々に航海ログの一部を見せていただいたんですがーーここです。このポイントは、私達が挑んでいた海域の最深部。つまり敵の本隊がいるだろうと予想していたポイントですよね?」

 鹿島の指差している位置は、確かに彼方と鹿島が最終目的として考えていたポイントだ。

 その上をドイツ艦が通ってきた航路が通過している。

「ーーこれ、まさか敵の本隊が手負いだったのって……」

「私もそうなんじゃないかと思うんです」

 

 

 

 彼女達は戦闘行動を行ったのか、かなり弾薬も消費していたらしい。

 しかも、その割には全員が無傷である。

 次々と揃う状況証拠に、彼方達は頭を抱えた。

「……もしこれが僕達の予想通りだったとしたらーーそもそもどうして解放されていない深海棲艦の支配海域を、彼女達は無理に通り抜けて来たんだろう?」

 

 

 

 

 

 ーー彼方達は補給を終えて食堂に待機してもらっているドイツ艦達の下へとやって来た。

 

 

 

「あら、カナタ。もう吹雪達は入渠したの?」

 先程急に彼方を抱き締めてきたビスマルクが、彼方の登場に笑顔で問いかけてくる。

 

 

 

「ビスマルクさん、ちょっと聞かせてほしいことがあるんですけど……構いませんか? 吹雪達を救助していただいたことの経緯で、いくつか確認させてほしい事があるんですが……」

「もう。ーーええ、もちろん構わないわよ? 何かしら?」

 彼方の他人行儀な様子にビスマルクは少し詰まらなそうに唇を尖らせたものの、質問には快く答えてくれるようだ。

 

 

 

「あの……ビスマルクさん達は、ここへ向かう途中で深海棲艦の艦隊と戦闘しませんでしたか?」

「ええ、戦ったわね。戦ったというか、後ろから一斉に砲撃してやったら逃げていったんだけど。それがどうかしたの?」

 

 

 

 ……彼方達の予想はやはり当たっていたようだ。

 何故敵の本隊が手負いの状態で海域の入り口に出現したのかーーそれは、ビスマルク達が思いもよらぬ方角からやって来て強烈な不意打ちにより大打撃を与えられたからだ。たまらず逃げ出したところに、霞達が遭遇してしまったということなのだろう……。

 

 

 

「……そうですか。日本へはどういった理由でいらしていたんですか?」

「クサナギってAdmiralに援軍を頼まれたのよ。 クサナギは来年辺りに、なんて悠長な事を言っていたみたいだけど、援軍は早いに越したことはないわ。この辺りの海域は長いこと解放に動いているという話も聞いていなかったし、どうせ敵の海域を抜けてこなきゃいけないんなら、こちらの方から来てあげることにしたってわけ。まさかカナタ達がこの海域を解放しようとしていたとは思ってなかったのよ」

 

 

 

 ……どうやらビスマルク達の行動も善意の結果というわけらしい。

 話を聞く限りだと、ドイツ軍と連絡を取り合っていた草薙提督は、彼方の海域解放を待ってからビスマルク達を呼ぶ予定だったようだ。

 それを知らない彼女達は予定を前倒しして、危険を冒してでも援軍に駆けつけてきてくれたというわけらしい。

 

 

 

 彼方達が海域の解放に当たっているという情報がドイツ軍に伝えられなかったというのは、草薙提督がどう考えていたかはともかくとして、海軍には新人提督である彼方達では海域の解放に失敗する可能性も十分あると考えられていたからだろう。

 

 

 

 しかし今回は運良く助かったとは言え、一歩間違えば吹雪達を失いかねなかったのは間違いない事実だ。

 この件に関しては、楓に報告して指示を仰ぐ必要があるだろう。

 

 

 

「楓さんに、この件については僕から相談してみるよ。それまでビスマルクさん達はこの鎮守府で預かろう」

「はい、わかりました。お部屋の用意、しておきますね」

 

 

 

 頷く鹿島にドイツ軍達の対応を任せた彼方はビスマルク達に一礼し、早速執務室へ向かおうと踵を返した。

「待って、カナタ。今の話ーー私達が急に来たせいで、カナタの艦隊が危なかったってことなのよね?」

 彼方を呼び止めるーー先程よりも少し固い、緊張を感じさせるビスマルクの声に、彼方は足を止める。

 

 

 

「……いえ、確かに間接的な原因ではありますが……ビスマルクさん達が気に病むような事ではありません。今回の件は、避けようのないことだったとーー僕は考えています」

「……そう。確かにそうかもしれない。でも、私達の行動によってカナタやカナタの艦隊が傷ついた事は事実だわ。ーーごめんなさい」

 

 

 

 ビスマルクは先程の彼方のように、頭を下げた。

 確かに、彼方とてビスマルク達に思うところが全くないわけではない。

 しかし、それは誰が悪い訳でもない話だ。

 彼方が怒りの矛先を向けることが出来るのは、無力な自分に対してだけだ。

 ところがビスマルクは自分が謝罪することで、責任の所在を明確にしようとしている。

 彼方の自らを傷つけることしかできない憤りを、代わりに受け止めようとしてくれているのだ。

 頭を下げ腰を折るビスマルクのその姿勢を見ていれば、純粋に彼方や吹雪達を思っての行動だというのが彼方にもわかった。

 

 

 

「……ありがとうございます、ビスマルクさん。援軍に来てくれたのが貴女のような人で、良かったです」

 優しくて強い女性だと思った。

 しかし、ビスマルクのその優しさに甘えるわけにもいかない。

 彼方はビスマルクのその気持ちに礼を返すと、急ぎ執務室へと向かうのだった。

 

 

 

「なっ……!?」

 ビスマルクは逆にお礼を言われて驚いて固まってしまったようだ。

「固まっちゃってる姉さまも可愛らしいです~」

「ほう? 確かに、あのAdmiralは面白いな」

 黙って成り行きを見守っていたドイツ艦達から、面白そうな声が漏れる。

 ビスマルクはしばらく立ったまま、彼方の去っていった方をただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 ーー楓に事の詳細を報告をしたところ、暫く待っていろと言われ電話を切られた。

 それからかれこれ一時間が経過する。

 楓は一体何をしているというのだろうか?

 結局それから更に十分ほど経ってから、楓から電話がかかってきた。

 

 

 

『ーーもしもし、彼方くん?』

「はい、それで……どうしたんですか、楓さん?何か急用が?」

『そうね。うちの卒業生を危ない目に合わせた馬鹿に文句を言わなきゃいけなかったから』

 

 

 

 楓の言葉に彼方は驚いた。

 まさか草薙提督に抗議の電話をしたのだろうか?

 

 

 

『彼方くん、そのドイツ艦達だけど。彼女達の中に彼方のところに残りたいって言う娘がいれば、彼方くんが引き取って構わないわ。草薙(アイツ)も納得済みよ』

「そんな、草薙提督は何も悪くは……」

『悪いわよ。今の西方海域の管理は貴方の仕事だもの。貴方にドイツに援軍を頼んでいることを伝えなかったのは、アイツの落ち度よ。霞ちゃん達が危ない目に遇うという結果は、聞いていようが聞いていまいが変わらなかったとしてもね』

 楓の言葉に彼方は慌てて反論しようとするが、続く言葉の内容に、結局は黙って楓の言うことを聞くことにした。

 確かに今度似たような事があったとき、事前に事情を知らされていれば、彼方の対応も違った動きが出来るだろう。

 彼方もそれは望んでいるところだった。

 

 

 

『本当に全員無事に帰ってきてくれて、良かったわね。……そんな状態の中海域の一部を解放したんだから、貴方も良くやってくれたわ。ドイツ艦の迎えにはアイツの艦娘が行くみたいだけど、一週間はかかるだろうし……その間に口説き落とせるだけ口説き落としちゃいなさい』

 

 

 

 楓はそう言って電話を切った。

 折角草薙が呼んだ援軍を、こちらが奪い取るような真似をして本当にいいのだろうか……?

 彼方は悩みながら、再び食堂へと戻ってきた。

 そこにはーー

 

 

 

「これが和食というものなのね! おいしいじゃない!」

「本当ですね、姉さま! 鳳翔さんがこんなに料理上手だったなんて、思いませんでした!」

「いえ、私なんて……」

「この味で謙遜などするものではない、鳳翔。本当に美味しいな、これは」

 

 

 

 入渠を終え、鳳翔さんが料理を振る舞っていた。

 ビスマルク達は初めて食べる和食に大喜びだ。

 余り口数が多くないらしい駆逐艦の二人も、潜水艦の娘も、黙々と鳳翔の手料理を口一杯に頬張っていた。

 しかし、鳳翔はまだ入渠してから二時間も経っていないはずだがーー

 

 

 

「鳳翔さん、身体はもう大丈夫なんですか!?」

「あら、彼方さん。ええ、もう大丈夫です。高速修復材というものを妖精さんが下さったんですよ。霞さん達もそろそろ来ますから、彼方さんも座ってください」

 

 

 

 確かにもうすっかり元気な様子の鳳翔に、彼方は安堵して席についた。

 恐らくその高速修復材はこの鎮守府にある貴重な物だったのだろうが……。

 

 

 

 霞達がやって来ると、更に場が賑やかになった。

 初めは静かだった鎮守府も、今ではこの食堂の席もほぼ埋まるほどだ。

 初めて会ったのにも関わらず艦娘達は皆笑顔を浮かべて食卓を共にしている。

 

 

 

 この光景は、不運の結果でもあり幸運の結果でもある。

 彼方にはどうすることも出来ない、得体の知れない大きな力によって彼女達は今ここで笑いあっていた。

 

 

 

「カナタ、私は貴方を私のAdmiralとして認めるわ。私の力、貴方のために使いなさい」

「……姉さまがそういうなら、私の力も使って構いませんよ? だけど……姉さまを大事にしてくれないと、承知しませんからね?」

 

 

 

 ビスマルクとプリンツが、彼方の鎮守府に残る意向を示す。

 彼方はまだ彼女達の処遇について決めかねていたが、彼女達は既に自分達はどこに身を置くのか、考えていたようだ。

 ビスマルクも今までの冗談半分ではない、戦艦としての矜持を感じさせる凛とした雰囲気を身に纏っている。

 プリンツも言葉の軽さの割りに、その目に強い意思を垣間見せる。

 二人とも覚悟は固いようだ。

 

 

 

「ーーわかりました。ビスマルクさん、プリンツさん。これからよろしくお願いします。」

 彼方は二人と握手を交わす。

 様々な運命に翻弄された結果、ただの新人提督であった朝霧彼方はーーこの瞬間、一気に日本有数の戦力を保有する提督となった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

というわけで、ビスマルクとプリンツが彼方の艦隊に加入しました。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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歓迎会

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

今日は日常回……というかオマケのような感じです。

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 ビスマルクとプリンツが彼方の鎮守府に着任することが決まり、食事会がそのままビスマルク達の歓迎会へと変更された。

 

 

 

 生まれてきた国が違えば、当然文化も異なる。

 彼方の艦隊は、比較的物静かで控え目なタイプの娘が多い。

 彼方の艦娘達が上手く海外艦と馴染めているのか少し不安だった彼方は、こっそりと彼女達の様子を窺ってみることにした。

 

 

 

 食卓の端の方では、鳳翔とグラーフの空母二人が静かに会話を楽しんでいるようだった。

「鳳翔、明日は貴艦の訓練に付き合わせてはもらえないだろうか。私は日本の空母に興味があってここへ来た。日本初の空母である貴艦の事も、この目に良く焼き付けておきたいのだ」

「ええ、構いませんよ。でも私なんて、先月建造されたばかりですから……グラーフさんに見ていただくのは、ちょっと恥ずかしいですけれど」

 グラーフの依頼に、少し恥ずかしそうにはにかみながら鳳翔が答える。

 鳳翔の答えに、グラーフは驚いたように首を振った。

「そんなことはない。それに、先程『改』になったのだろう? 貴艦の日々の鍛練が妖精に認められた証だ。鳳翔はもっと自分に自信を持つべきだと思うが」

 

 

 

 率直なグラーフの言葉に、鳳翔は恥ずかしげに頬を染める。

 彼女の言葉は実直だ。世辞や謙遜が身に染み付いている日本の艦娘には少しくすぐったさも感じるところがあるのだろう。

 しかし、それだけに彼女の言葉に嘘はない事がはっきりとわかる。

 

 

 

「ーーそうですね。ありがとうございます、グラーフさん。明日はよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしく頼む。明日が本当に楽しみだ」

 頬を僅かに紅潮させ、小さく微笑むグラーフ。

 実は余程嬉しかったのかもしれない。

 表情が表に出にくいタイプではあるようだが、こうして僅かにその片鱗を見せた時の姿は、十分に可愛らしい女性だと言えた。

 

 

 

 この二人は全く心配なさそうだ。遭難していたところを救助してもらって、この鎮守府に帰ってくるまでの間もそれなりに会話があったのだろう。

 二人の間に緊張というものは感じられない。

 彼方は、今度は鳳翔達とは反対側に位置する吹雪達の様子を見てみることにした。

 

 

 

「あ、あの……僕は時雨って言うんだけど、君は?」

「ユーは、潜水艦U-511。ユーって呼んでください」

 ユーが見た目のクールさとは裏腹に思いの外友好的な対応をしてくれたことで、時雨は緊張に強張っていた身体を少しだけ弛めた。

 

 

 

「ユーか、可愛らしい名前だね。ふぅ……僕、海外艦の子と話すのは初めてなんだ。それで少し緊張しちゃって」

「ユーも日本の艦娘と話すのは初めてです。でも、時雨が優しそうで安心しました。ーーあの、一つ聞いてもいいですか?」

 

 

 

 こちらは駆逐艦達と潜水艦のグループで固まっているようだ。

 時雨は初めて接する海外艦に緊張を隠せない様子で、ガチガチになりながら話しかけていたが、それはお互い様だったらしく、名乗りあってからは少し打ち解けたのか二人の表情も先程よりは大分柔らかくなっていた。

 

 

 

「うん、何かな?」

 

 

 

「ーー時雨のAdmiralは、艦娘が帰ってくるといつもああやって艦娘を抱っこするの?」

 

 

 

「ーーえっ?」

 ユーの発言が聞こえた瞬間、さっと彼方は時雨達から視線を逸らした。

 巻き込まれてしまうといろいろと厄介なことになるに決まっているからだ。

 

 

 

「ああ、確かにそれはもう熱い包容だったわ。彼は余程器の大きいAdmiralなのね。複数の艦娘と恋人のように振る舞えるなんて。見た目に似合わず男らしいと思ったわ」

「そうかな? 器が大きいのは吹雪達じゃない?」

 時雨達の会話に横から入っていった二人ーードイツの駆逐艦、マックスとレーベだ。

 彼女達には、吹雪と鳳翔を連れて帰ってきてくれた時にお礼を伝えたが、曖昧な笑みを返されるだけだった。

 まさかそんなことを考えられていたとは……。

 

 

 

「吹雪ちゃん、今のお話は……本当ですか?」

「うん、僕も気になるね。僕らも今朝は相当ボロボロで帰ってきたはずなんだけど」

「えっ」

 

 

 

 二人の放つ圧力に、吹雪が冷や汗をかく。

「いや、でも……私ももう帰ってこれないかもって思ったし……それにーー」

 

 

 

「ユー。僕らも帰ってきた時は、『必ず』彼方は優しく抱き締めてくれるんだ」

「はい、潮のことも『絶対に』ぎゅってしてくれます」

「ええーっ!?」

 吹雪の言葉を遮って急にありもしないことを口走る二人に、吹雪が驚いて立ち上がる。

『必ず』『絶対に』の時、彼方は自分に突き刺さるような視線を感じていた。身の縮む思いだ。

 確かに時雨達も沈んでもおかしくないほどの激戦を潜り抜けて来たのだ。

 彼方は吹雪達と同じように彼女達のことも労うべきだったろう。

 逸らしていた視線を時雨達に戻すと、時雨は悪戯っぽく笑うのだった。

 

 

 

「あら……時雨達も? もしかして、ここの艦娘全員が彼の恋人なのかしら。だとしたら余程逞しいのね、彼のは」

「ち、ちょっとマックス!?」

 彼方に意味ありげな視線を向けてくるマックスに、彼方は愛想笑いを返すことしか出来ない。

 実際それに近い状況ではあるのだ。

 下手に弁解しても墓穴を掘るだけーー沈黙は金、というヤツである。

 

 

 

 マックスの言葉の意味に気づいたレーベは慌てふためいているが、吹雪達とユーは良くわかっていないらしい。

 彼方はこれ以上突っ込まれないよう、視線を対面に座る人物へと戻した。

 

 

 

「「ーーーーーー」」

 対面のビスマルクと右前のプリンツは先程からずっとこの調子だった。

 二人とも椅子に黙って座ったまま顔を紅潮させ、脚をもぞもぞと落ち着かない様子で動かしている。

 二人のこの反応は、例によって彼方の仕業に他ならなかった。

 

 

 

 彼方が改めて二人を仲間と認め、握手を交わしたときーー

 

 

 

「え、ちょっーー何!?」

「ふぇっ」

 

 

 

 彼方の能力により二人の力が引き出された。

 いきなり臨戦態勢まで持っていかれる程に溢れだした力に、二人は戸惑いを隠せない。

 すぐにでも海に出て暴れだしたい気分になるほど急激に高まる力に顔を紅潮させた二人は、その力を解き放つことも出来ないまま、当の力を引き出した本人に席に座るよう促され、渋々席についた。

 

 

 

「あの……ビスマルクさん、プリンツさん。お伝えするのを忘れていてすみませんでした。実はーー」

 

 

 

 彼方は自分の能力に関して簡単に二人に説明した。

 仲間だと認める前に話していた限り、二人にそれらしき反応がなかった。

 だから二人とも彼方との親和性は低いとばかり思っていたがーー実際はそうではなかったようだ。

 お互いに歩み寄って、まだ小さいとはいえビスマルクとプリンツとの間に絆が結ばれたことにより、彼方の能力が発揮されることになったのだろう。

 

 

 

「そ、そう。……凄いのね、カナタって」

「姉さまにもあんな声聞かせたことないのに……」

 

 

 

 顔を紅潮させたまま、カナタと視線を合わせようとしない二人は、黙って下を向いてしまった。

 それからこのテーブルは何とも微妙な空気となってしまい、その雰囲気から逃れるように彼方は余所のテーブルの様子を窺っていたという訳だった。

 

 

 

「提督のその力は、戦闘では本当に頼りになりますが……こういう時は、本当に困ってしまいますね」

 重い空気に耐えかねたのか、彼方の左前に座っている神通が彼方に話しかけてきてくれた。

 とはいえ、その内容は彼方をフォローする物ではない。

「じ、神通……僕も努力して抑えてはいるんだよ? 完全にオンオフ出来ればいいんだけど、なかなかこれがそうもいかないんだ……」

「そ、そんなすがるような目で見てもダメです。きっとそれも鍛錬で克服できます! こんな誰も彼もに恥ずかしい思いをさせて……私だって、本当に恥ずかしかったんですよ?」

 神通は彼方の弱音に、顔を真っ赤にして反論する。

 神通も彼方に初めて名前を呼ばれた時の事はまだ記憶に新しい。

 ビスマルク達の気持ちが良くわかるということだろう。

 しかし、これでは周りに彼方の味方をしてくれる人は……

 

 

 

「「………………」」

 頼みの綱の霞と鹿島は彼方の両隣を陣取り、黙々とジュースを飲んでいる。二人とも言葉を一切発しない。

 

 

 

「……あの、どうしたの? 二人とも」

「別に。彼方が次から次へと女の子に粉かけていってるのが気に入らないだけよ」

「そうです。執務室では私だけの彼方くんなのに、今はこんなに女の子に囲まれて。私は寂しいです!」

 何とか機嫌を治してもらえないかと声をかけてみるが、取りつく島もない。

 

 

 

「らいたい、彼方が悪いのよ! わたしというものがありながら、艦娘を何人もつれ回してー!」

「何言ってるんですか、霞ちゃん? 彼方くんはてーとくさんなんですから、たくさんの艦娘と仲良くするのは当たり前なんです! でも特に補佐艦と仲良くするのはとぉっても大切なことなんですよぉ? ね、かなたくん?」

「えっ、何か二人とも様子がおかしくない?」

 

 

 

 明らかに呂律が回っていない。

 そういえば、このテーブルに置いてある飲み物は吹雪達のところにある物とは明らかに違っていた。

 

 

 

「ほ、鳳翔さん!? もしかして、これお酒ですか!?」

「あ、はい。そうなんです。グラーフさんがドイツのお酒を下さったので、お出ししてみたんですけど……いかがですか?」

 どうって、大惨事一歩手前だ。

 先程から鹿島のボディタッチが半端じゃない。

 霞が怒っていたと思ったら泣きそうになっている。

 どうやら二人ともお酒は弱い方らしかった。

 

 

 

「お酒!? ビール!」

「姉さま、私も! こんなの呑まないとやってられません!」

 急に元気になった二人が目の前のお酒に気づいて飛び付いた。

 ぐびぐびと飲んでは注いでを繰り返している。

 これではこの二人が酔うのも時間の問題だろう。

 今日の夜は長くなりそうだった。

 

 

 

「僕も今日は呑んでみようかな。酔ってた方が気が楽になりそうだし……」

「あ、彼方くんも呑むんですか? はい、これどうぞ。美味しいですよ?」

「かなた! 私のヤツをのみなさいな!」

 左右から自分の呑んでいたお酒を勧めてくる二人に苦笑し、彼方も酔っ払いの仲間入りをするべく杯を傾ける。

 喉を焼くような感覚を覚えた彼方は、すぐに意識が高揚してくるのを感じた。

 たまにはこういうのも悪くない、彼方も今日は皆と騒ぐことが出来そうだ。

 

 

 

 ーー翌朝目覚めてみると、彼方のベッドには彼方にしがみつくように霞と鹿島が眠っていたのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

今回は、全員を喋らせることを目標に書いてみました。
レーベ、マックス、ユーちゃんは今まで喋っていなかったので、どうしても喋らせたくて……。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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夜明けの空に

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!


 夜明けのまだ少しずつ白み始めたばかりの空を、数機の零式艦上戦闘機52型が美しい弧を描いて飛んでいく。

 続いて飛ぶのは九七式艦上攻撃機だ。

 九七式艦上攻撃機は水面近くを這うように飛び、標的に向かって雷撃を放つ。

 大きな水飛沫をあげ、五つあった標的の全てがその水飛沫の中に消えていった。

 

 

 

「ふぅ……」

 一連の動きが上手くいって、鳳翔はついつい安堵の溜め息を漏らした。

「鳳翔、貴艦の艦載機の扱いは……柔らかくて、美しいな。日本の空母は弓を使うと聞いてはいたが、なるほどーーこれは素晴らしいものを見せてもらった」

 少しいつもよりも饒舌になっているグラーフが、鳳翔の訓練をそう評した。

 

 

 

「ええっ? あ、ありがとうございます。やっぱり褒められると、照れてしまいますね」

 鳳翔はグラーフの称賛に頬を染めて照れ笑いを浮かべるが、今回は謙遜することなく素直に賛辞を受け取っていた。

 

 

 

「ーー私はやはりクサナギ提督のところへ着任するつもりだ。数日後にはこの鎮守府を離れるが……あちらへ行っても、いつかどこかの戦場で共に戦えることを願っている」

「私もです、グラーフさん。お互い戦う場所は違いますけど、この海を守るために頑張りましょう」

 

 

 

 握手を交わし笑いあった二人だったが、急にグラーフが何かを思いついたように声をあげた。

 

 

 

「そうだ、鳳翔。これを受け取ってくれないか」

 グラーフは腰のホルダーから、カードを数枚取り出し、鳳翔に手渡した。

「これは……?」

 鳳翔に手渡されたのはグレーと緑のカードが数枚ずつだった。

 

 

 

「それは、私が使用している艦載機ーーFw190T改とJu87C改だ。妖精に最適化してもらう必要はあるだろうが、きっと鳳翔にも使いこなせるはずだ」

「そんな……こんな大切なもの、いただいてしまっていいんですか?」

「ああ、構わない。予備の物だしな。私から貴艦への友好の証として受け取ってくれ」

 戸惑う鳳翔の手にカードを握らせ、グラーフは頷く。

 鳳翔も少し強引とも言えるグラーフに押され、その厚意をありがたくいただくことにした。

 深々と頭を下げる鳳翔をグラーフも慌ててやめさせようとするが、結局はその礼を受け取っておくことにしたようだった。

 

 

 

 

 

「それにしてもーー貴艦のAdmiralは随分と難儀な性格をしているようだな。あれでは仲間を失ったことなどないのだろう?」

 大事そうにグラーフからもらった艦載機を懐にしまった鳳翔から目をそらし、水平線を見つめながらグラーフがぽつりと漏らす。

「はい。彼方さんは、私達の誰も失いたくないと思っています。もし失ってしまえば、彼方さんはーー」

「昨日の酔いっぷりを見ていればわかる。……私達は軍から見ればただの喋る兵器だ。艦娘を恋人のように扱う人間などドイツにはいはしない。しかしアサギリ提督は貴艦ら全員を人間と同じように扱い、あまつさえ恋人になっている者すらいる。それ故に貴艦らを戦場に出すことを苦悩し、帰らぬ恐怖に怯え続けているというのに……」

 グラーフは眉間にシワを寄せ、唇を噛む。

 グラーフは彼方のその行いに、何とも言えない苛立ちのようなものを感じているのだ。

 

 

 

「私達は兵器だ。戦って沈むことも役目の一つ。そしてAdmiralの役目は私達を使って人類を勝利に導くこと。ただそれ一点のみ。私はそう思っていた」

 いつの間にかグラーフの手は固く握られ、沸き上がる感情を抑えようとしているのが見てとれる。

 

 

 

「ーーああして艦娘をただの人と同じように扱われては、いずれ艦娘が沈むことを恐れるようになってしまう。ビスマルクやプリンツも、恐らくそうなるだろう。彼のやり方は、艦娘(私達)が兵器として死ぬ道を潰す。ーー私は、それが恐ろしい」

 鳳翔は苦々しく想いを吐き出すグラーフに、嘗ての自分が重なる。

 兵器か人間かーーその悩みは鳳翔も抱えたことがある悩みだ。

 鳳翔は人間を選んだ。

 そして、グラーフは兵器を選んだということだ。

 

 

 

「グラーフさん……確かに私は沈むのが怖いです。遭難したとき、彼方さんにもう会えなくなるって思って……苦しくて怖くてたまりませんでした。ですけど、こうなったことを後悔もしていないんです。……私、彼方さんを愛することが出来て幸せです。帰ってこられた時、強く抱き締められてわかりました。この人のために生きていきたいって思ったんです」

 鳳翔はグラーフの心の吐露に真摯に向き合って答えを返す。

 鳳翔の嘘偽りない言葉に、水平線を見つめていたグラーフが振り向いた。

「……そうだな、それも一つの強さなのだろう。だからアサギリ提督の艦娘は、全員が生き生きとしている。ーーだが、それだけにその状態を維持し続けるのは困難を極める。誰もを守って無事に全員がここへ帰って来続けなければならないのだから。……鳳翔に渡した物は、それを叶えるための力になる。ビスマルクやプリンツを、私に代わって守ってやってほしい」

 顔を引き締めたグラーフは、今度は鳳翔に深々と頭を下げた。

 自分はやはりここに残ることは出来ない。

 今まで生きてきた価値観の根底から崩されて、今まで通り戦える自信がない。

 軍の中で生きる、兵器としての人生を選んだグラーフにとっては、彼方の提督の在り方は劇薬になり得る。

 短い付き合いではあるが信頼のおける相手だと確信した鳳翔に仲間を託す以外に、グラーフに出来ることはなかったのだった。

 

 

 

「わかりました。ビスマルクさんもプリンツさんも、必ず私がお守りします!」

 鳳翔はグラーフのその想いに全力で応えた。

 元よりそのつもりだ。

 彼方の艦娘は、全員が全員を守るために戦っている。

 彼方の力になることを選択してくれた彼女達は、もう鳳翔達の仲間なのだ。

 

 

 

「ーーああ、良かった。ありがとう、鳳翔」

 グラーフは破顔し、心から安堵の笑みを浮かべた。

 鳳翔なら、信じられる。

 グラーフはそう確信を持ってこの鎮守府を去る決意を固めることができた。

 

 

 

 

 

 ーーその頃、執務室では彼方が二日酔いによる頭痛に苛まれていた。

「……うう、昨日最初の一杯を飲んでからの記憶がない……。朝起きたら霞と鹿島が横にいたし、何をしてたんだろう、僕は……」

 当の霞と鹿島は彼方の部屋で目覚めてから、今は自室で身支度を整えている最中だ。

 無論全員衣服は身に付けていた。念のため。

 そこまで自分を無節操だと思いたくはないが、何分記憶がないため自信が持てない自分が情けなかった。

 

 

 

 しかし、本当に彼方は昨晩どうしていたのだろうか。

 朝食をとりに食堂へいった時に出くわしたレーベとマックスは、相変わらず曖昧な笑みを浮かべて彼方を見つめるだけだった。

 ビスマルクとプリンツはまだ姿を見かけていない。

 神通と吹雪達はユーに手伝ってもらって対潜水艦の訓練に行ってしまったし、誰も昨日の彼方を教えてくれる人がいなかった。

 

 

 

「何も変なことをしていなければいいんだけど……。とりあえず戻ってきたら鹿島に聞いてみよう」

 憂鬱な気持ちのまま、彼方は執務を続けることにした。

 窓の外から見える海を眺めれば、鳳翔が訓練で飛ばしている艦載機が目に入る。

 昨日は見ることが出来なかった光景だ。

 何気ない窓からの風景が今はとても貴重な物に感じられる。

 昨日一昨日が嘘のように穏やかな朝だった。

 

 

 

「カナタ、居るかしら?」

「カナタくーん、Guten Morgen!」

 ノックと共に、今朝から姿を見かけていなかった二人の声が執務室の扉越しに聞こえてきた。

 

 

 

「あ、はい。居ますよ、どうぞ」

 彼方が返事をすると、早速二人が部屋の中に入ってきた。

 

 

 

「おはよう、カナタ。さ、今日はどこに出撃するの? 私、昨日の夜から早く暴れたくてうずうずしてたまらないのよ!」

「そうです! 折角カナタくんの艦娘になったんですから、この力を姉さまと試してみたいんですよ!」

 グイグイと迫ってくる二人に、彼方は驚いて戸惑うしかない。

 昨日の夜まではここまで近い距離感ではなかったような気がするのだが……。

 

 

 

「あ、いや……今日は訓練にあてようかと思ってたんだけど……。それはともかく、プリンツさんも呼び方変わってるし、もしかして昨日僕何かしました……?」

「ええっ、覚えてないのぉ!? あんなに情熱的に迫ってきた癖にぃ……」

「意外と男らしいところもあったのね、カナタは。私も感心したわ。それより、もうこの際演習でも何でもいいから出撃させて!」

 彼方の無責任な発言にプリンツが憤慨して唇を尖らせる。

 逆にビスマルクは大して気にした様子もない。

 それよりも暴れたくて仕方がないようだ。

 

 

 

「わかりました、今神通達は対潜水艦訓練を行ってますから、その後! その後みんなで二つの艦隊に分かれて模擬戦をやりましょう」

「やったわ! 約束よ、カナタ!」

 ビスマルクは言うが早いか、颯爽と部屋を出ていってしまった。

 しかし、プリンツは黙ってこちらを見つめたまま立っている。

 

 

 

「……ど、どうかしました? プリンツさん」

 自分が知らないうちに縮まってしまった距離感に、彼方は戸惑ってしまってどう接したらいいのか分からない。

 それを知ってか知らずか、プリンツは彼方のすぐ目の前ーー手を伸ばせば届く距離よりも更に近づいてくる。

「え、ちょ!? プリンツさーー」

 

 

 

「『プリンツさん、貴女はもう僕の物です。絶対に沈ませないし、仲間を失わせるようなことはしません。僕が貴女を守ります!』」

「……へ?」

「昨日Admiralさんが私に言ってくれた言葉です。私、生まれて初めてそんなこと言われちゃいました。日本の男性ってナヨナヨしててかっこよくないと思ってたけど、昨日のカナタくんは……ちょっとかっこ良かったよ?」

 一生懸命低い声を出して彼方の物真似をするプリンツは可愛らしいが、その内容に彼方は頭を抱えた。

 確かに常日頃彼方は自分の艦娘を守ろうと考えている。

 それが表に出ただけといえばそれまでだが、会ったその日に自分の物だと豪語するとは……正気の沙汰とは思えない。

 

 

 

 羞恥に悶える彼方の側にいつの間にかプリンツが寄ってきていたことに、彼方は肩に腕を回されてようやく気づいた。

「カナタくん、昨日はDanke. 姉さま共々カナタくんの物になったんだからーー私のこともよろしくね?」

 頬に柔らかな感触を残し、プリンツは手を小さく振りながら部屋を出ていった。

 

 

 

「ーー海外艦って、凄いな……」

 二日酔いと柔らかいプリンツの感触に、彼方はそれだけ溢すのがやっとだった。

 

 

 

 もちろんこの後やって来た霞と鹿島にはたっぷりと昨日の件で絞られた。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

プリンツがグイグイと近寄ってきます。

それではまた読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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クラスメイト

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!


 吹雪と彼方は、砂浜に二人きりでやって来ていた。

 時刻は空が白み始めたばかりで、まだ二人以外は誰も起きていない。

 先日の遭難から帰ってきて以来、ビスマルク達の加入もあってゆっくり話も出来ていなかった彼方と吹雪は、邪魔の入らない時間と場所を選んで、今日漸く二人で話すことが出来た。

 

 

 

「彼方君、こうして二人で話すのって……何だか凄く久しぶりな気がするね?」

 今の吹雪は、吹雪型のトレードマークであるセーラー服にパーカーを羽織り、裸足にサンダルという格好だ。

 まだこの時期の朝は少し肌寒く感じられるが、久しぶりに彼方と二人きりになれたことで気分が高揚している吹雪にとっては、頬を撫でる海風も心地良い涼風に感じられる。

 寄せる波をぱしゃぱしゃと爪先で蹴る吹雪を微笑ましく眺めながら、彼方は吹雪に答える。

 

 

 

「そうだね。……ここのところ、慌ただしかったから。吹雪とは、皆でいるときに話をしていることは多い気がしていたけど……二人きりでっていうのは本当に久しぶりかもしれないなぁ」

「うんうん、そうなんだよね。……だから、こうやって二人きりでお話しできて嬉しいよ。ーー本当にここに帰ってこられて良かった」

 彼方は吹雪のその言葉についつい黙り込んでしまった。

 吹雪達が帰ってこない間の自分の様子と、二人を想って不安で堪らなかった気持ちを思いだして、思わず彼方は吹雪の手を握る。

 吹雪は少し驚いたようだったが、ふわっとした柔らかい笑顔を浮かべると彼方の手を優しく握り返してきてくれた。

 

 

 

「私、あの時敵の潜水艦のソナーの音が聞こえたと思った瞬間魚雷の直撃を受けちゃって……気づいたら鳳翔さんとどこかも分からないような島に流れ着いてた。艤装はボロボロでまともに海の上を走ることも出来なかったし、海域図も見れなかったから鎮守府に帰ろうにも安全に帰れる航路もよくわからなくて。もし深海棲艦が来ちゃったら間違いなくその場で殺されちゃってたしーー凄く、凄く恐かったの」

 彼方にはその吹雪の恐怖や不安を推し測ることなど到底出来ない。

 吹雪も鳳翔もいつ死んでしまうかもわからない状況に晒され続けていたのだ。

 その恐怖は想像を絶するものだったろう。

 

 

 

「だけど、鳳翔さんもいてくれたから……何とか諦めずに頑張ろうって思えた。……私一人だったら、諦めちゃってたかも」

「吹雪! それはーー」

 ーー許さない、と言おうとして彼方は思わず口をつぐんだ。

 どの口がそれを言うのだ。

 彼方はあの時幸運なことに一人ではなかった。

 もしあの場に鹿島がいなければ、彼方はどうなっていただろうか。

 彼方にはあの時既に限界が近づいていた。

 あれ以上自分の精神や肉体を酷使し続ければ、ほぼ間違いなく倒れてしまっていただろう。

 正直に言えばーーあの時彼方は諦めようとする自分を認めたくなくて、足掻いていただけに過ぎなかったのだ。

 それを考えれば……吹雪に諦めるな、なんて簡単には言えなかった。

 

 

 

「うん、わかってる。もし次に同じことになって、今度は私一人きりだったとしてもーー私は絶対に諦めない。私、彼方君にもう二度と会えないって思う方が辛いもん。今回のことでそれがよくわかったんだ」

 そう言うと、吹雪は彼方に強く抱きついてきた。

 彼方の身体に吹雪の全身がぴたりとくっつき、柔らかな暖かさと吹雪の鼓動が伝わってくる。

 

 

 

「私、彼方君の事が好き。ーーあの時、一人で居残り訓練してるところを声かけてきてくれたときから、ずっとずっと好きだったの。初めて名前を呼ばれた時からホントは凄くドキドキしてた。それまではどんな人だか良く分かってなかったのに、名前を呼ばれて優しくされて……あっという間に好きになっちゃった。今はあの時よりももっと好き。優しいだけじゃなくて、かっこいいところも好きだし、ちょっと弱虫なところも側にいてあげたくなっちゃう」

 彼方の胸に顔を埋めながら、吹雪が恥ずかしさを紛らわそうと身を捻る。

 彼方の全身に伝わる感触が更に強くなり、内心彼方は穏やかではいられないが……とりあえず吹雪の好きにさせておくことにした。

 

 

 

「えへへ。弱虫の私が言うことじゃないけどね。……だけど、良いところも悪いところもーー彼方君の全部が好きなの」

 腕の中の吹雪を見下ろすと、照れ笑いを浮かべて目尻に光るものを見せる吹雪の真っ赤な顔があった。

 ただのクラスメイトだった頃からは考えられないような表情を見せてくれる吹雪に、彼方の心は激しく動揺して目を合わせていられなくなってしまった。

 

 

 

「ありがとう、吹雪。僕もさ、吹雪が帰ってこなかったとき……本当に怖かったんだ。吹雪は初めてできた艦娘の友達だったし、今は僕の艦娘で彼女だ。その吹雪を失ってしまったら、僕は……もう提督はやっていけないんじゃないかと思ってた」

 実際あのまま二人が帰ってこなければ、彼方は轟沈の重圧に耐えきれずそのまま提督を続けることが出来なくなってしまっていた可能性も十分にある。

 それを思えば、彼方は一つーーどうしても吹雪に伝えておかなくてはならないことがあった。

 彼方は何とか再び吹雪の顔を正面から見つめる。

 

 

 

「吹雪ーー僕も吹雪の事が好きだよ。凄く大切に思ってる。訓練校にいたときから、君のことをずっと頼りにしてた。難しいことでも、ひた向きに努力して壁を乗り越えていく君のその姿は凄く眩しくて……いつも勇気をもらってたんだ」

 もちろん彼方が男として一番大切にしたい女性は霞だ。

 やはりそれは今も変わっていない。

 しかし彼方にとっては他の艦娘達も、もはや誰一人として欠けてはならない大切な存在なのだ。

 寄せられた想いに応えないまま、永遠に離れ離れになってしまう可能性を目の前にして……彼方は漸く自分の気持ちを正直に口に出すことにした。

 

 

 

「彼方君……!?」

 予想していなかった彼方の言葉に、吹雪が驚いて顔を上げる。

 何だかんだと言ってもーー彼方は霞を一番大切に思っていて、霞の事を考えて一定の距離以上に他の艦娘に近づくことはなかった。

 最近はそれでも大分距離を縮めてくれるようになったのだが、彼方の口から直接的な好意を伝えられたのは初めてだったのだ。

 

 

 

「ごめん、吹雪。僕はやっぱり一番大切にしたい女の子は霞しかいない。だけど、酷い奴なのは十分わかってるんだけど……やっぱり吹雪のことも好きなんだ。吹雪のことも僕だけのものにしたいと思ってる」

「……うん、わかってるよ。彼方君が霞教艦のことを好きなのは、私達もよくわかってる。でも……それでもいいと思って、彼方君の事を好きでい続けてるの。それに、私はもうずっと前から彼方君のものだもん。彼方君に好きだって言ってもらえたら、それだけで本当に幸せだよ!」

 再び顔を埋めた吹雪は、彼方の胸に頬擦りするように動かした。

 

 

 

「ーー何だ、いないと思ってたらこんなところにいたんだ。心配して探しに来て損しちゃったかな?」

「……また、ですか。吹雪ちゃん」

 

 

 

 声のする方に振り向くと、時雨と潮が立っていた。

 朝目が覚めたら吹雪がいなかったので、探しに来てくれたようだ。

 美しい友情の一幕だったかもしれない時雨達の思い遣りは、吹雪によって例のごとく打ち砕かれてしまった。

 

 

 

「あ、おはよう! 時雨ちゃん、潮ちゃん! あのね、今さっき彼方君が、私のこと好きだって言ってくれたんだよ!」

 凄いでしょ!と吹雪は喜びに浮かれる声で時雨達に報告する。

 先程から時雨達の纏う気配の剣呑さがより増していることに、吹雪は嬉しさのあまり気がついていない。

 

 

 

「へぇ~、それはおめでとうーー」

「ーーとでも言うと思いましたか?」

 

 

 

 彼方はこちらをちらりと見た二人と目が合ってしまい、その場に釘付けにされてしまった。

 

 

 

「あれだけ抜け駆けはやめようって言ってたのにーー」

「時雨ちゃんも前に夜中いなくなってたことあったでしょ! あれは彼方君のところに行ってたんじゃないのかなぁ?」

「……お風呂に入ってたんでしたっけ? 一人で、のぼせるギリギリまで」

「う……あ、あれは……その……」

 したり顔で攻める時雨に吹雪が反撃し、三人のやり取りは段々と泥沼の様相を呈してきた。

 潮だってやましいところがないわけではない。

 吹雪達が哨戒で出ている隙に、内緒で度々彼方の部屋に一人で訪れてはベッドに転がって本を読んでみたり、執務に疲れた彼方の肩を揉んでくれたり、逆にお返しとして彼方に肩を揉んでもらったりと過ごしていたりするのだ。

 

 

 

 きゃあきゃあと何時ものように騒ぎだした三人から、気づかれないように彼方が離脱を試みる。

 

 

 

「ーーあ、彼方。ダメだよ逃げたら」

「そうです。……彼方さんは私達のことはどう思ってるんですか?」

 

 

 

 離脱に失敗した彼方は、勢いに押されるまま正直に答えるしかない。

「それは、もちろん時雨のことも潮のことも吹雪と同じくらいに大切に思ってるし、好き……だよ?」

 

 

 

「ダメですね」

「そんなついでみたいなのは僕もちょっと不満かな」

 恥ずかしさを我慢しながら同時に二人に告白させられた彼方を切って棄てる時雨と潮。

 彼方は結局二人に対しても、きちんと場を設けて想いを伝えるよう約束させられたのだった。

 

 

 

「今度は、四人で一緒にお風呂もいいんじゃないかな?」

「……賛成です」

「ええーっ!? やだやだ、そんなの絶対ダメだよぉ! 私だけだよ、小さいの……」

「……見つかったら殺されちゃうよ、霞と鹿島に」

 

 

 

 久しぶりにクラスメイト四人で集まって、何とも下世話な話題に盛り上がる。

 こうして馬鹿な話が出来るのも、皆が生きているお陰だ。

 これから毎日ずっと、こうして皆で笑って生きていきたいと彼方は思った。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

とうとう彼方がハーレムへ向けて一歩前進。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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補佐艦の役目

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

今回は一週間以上も間が空いてしまい、お待ちくださっていた皆様には本当に申し訳ありませんでした。

今回は長めになりますが、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


「今日でビスマルクさん達が来て一週間だね。そろそろ草薙提督の艦娘がここに着く頃かな」

「そうですね。そろそろグラーフさん達には出立の準備をしておいていただきましょう」

 昼食をとった後ーー執務室で少しのんびりとした時間を鹿島と過ごしていた彼方は、ドイツ艦を迎えに草薙提督の艦娘がやって来る事を思い出した。

 

 

 

「誰が来るんだろう? 球磨さん達かな?」

 草薙提督の艦娘といえば、演習で戦った球磨達しか彼方は知らない。

 グラーフが言っていた赤城や加賀という艦娘もいるようだが、彼方はその二人を見たことがなかった。

 

 

 

「そうですねぇ……あの方は多くの艦娘を従えてらっしゃいますから。彼方くんのまだ会ったことのない艦娘がやって来るかもしれませんね」

「あれ? 鹿島は草薙提督の艦娘を知ってるの?」

 返ってきた鹿島の言葉に違和感を覚えた彼方は、その疑問をぶつけてみた。

 そう言えば霞も草薙提督の事を知っていたようだったし、楓も草薙提督とはある程度親しい仲のようにも思えた。

 

 

 

「はい。あの……実は……以前彼から依頼を受けて、彼の艦娘の教練を請け負っていた事があるんです。あの時はまだ訓練校も今ほど多くの生徒がいなくて余裕もありましたし……」

 珍しく鹿島が奥歯に物が挟まったような物言いをしている。

 彼方はそれがどういう訳かどうしても気になった。

 彼方の視線からそれを感じ取った鹿島は、苦笑を浮かべて言葉を続ける。

 

 

 

「ああ……すみません、気になっちゃいましたよね? えっと、ですねーー草薙提督は、人材マニアなんです。自分が部下に欲しいと思った艦娘は、他人の艦娘でも関係なく勧誘したりするんですよ。私も結構しつこく誘われまくした。まぁ流石にそれは迷惑ですって断ったんですけどね」

 彼方は鹿島の語った草薙提督との過去に衝撃を受けた。

 いや、ただ部下として勧誘されたというだけなのは分かっているのだが……もし鹿島が草薙提督に着いていってしまっていたらと思うと、とてもじゃないが心穏やかではいられない。

 

 

 

「あら? もしかして……妬いてくださってるんですか?」

 急に黙りこむ彼方の様子を見て、鹿島が少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

 

 

 ーーそう、彼方は過去の草薙提督に嫉妬していた。

 今は自分の側にいてくれているとはいえ、過去の鹿島すら自分の物にしたいと言うのは流石に傲慢にすぎる考えだが……そうは言っても面白くないものは面白くない。

 

 

 

「うふふ、たまにはこういうのも悪くないですね。いつも私達はそういう気持ちで彼方くんを見てるんですよ?」

 鹿島は彼方の頭を抱き抱えると、優しく髪を撫でた。

 こういう時ばかり鹿島に甘えてしまう自分に、彼方は自己嫌悪に苛まれるがーー結局鹿島に甘える心地よさに彼方はされるがままになっていた。

 

 

 

 ただの勧誘でこれなのだ。

 鹿島達の普段感じている妬ましく思う気持ちは、きっとこれよりも更に強いのだろう。

 途端に彼方は自分がとんでもない重罪人に思えてきた。

 彼女達の優しさに甘え、自分はどれだけ酷いことをしてしまっているのだろうか。

 

 

 

「もう、そんな悲しそうな顔をしないでください。ちょっとお薬が効きすぎちゃいましたね。でも、彼方くんが私に対してそうやって思ってくれているならーー」

 胸に抱き抱えていた頭を放し、鹿島が彼方の顔を覗きこんできた。

 鹿島の何かを期待するような潤んだ瞳に、彼方は魅入られたように釘付けになってしまう。

 

 

 

「せめて二人きりの時くらいは、そんな気持ちも忘れさせて欲しいです。ーー吹雪ちゃんに、好きだって言ったそうですね、彼方くん?」

 先程までの慈愛に満ちた雰囲気から、一転拗ねたような態度で彼方から身体を離した鹿島に、彼方は思わず狼狽える。

「……うん、そうなんだ。隠してたわけではないんだけど……ごめん」

 わざと隠していたわけでもないが、黙っていた事に何となく後ろめたさを感じた彼方は、申し訳なさそうに肯定した。

 その様子を見た鹿島も、本気で怒っていた訳でもないのかすぐに先程の笑顔に戻る。

「それなら……彼方くんは、私にも言うことがあるはずですよね?」

 

 

 

 鹿島の試すような視線を受けながら考え込んだ彼方に思い当たったのは、鹿島が彼方の実家に来たときのことだ。

 あの時ーー彼方が鹿島の事を憎からず想っているということを暗に指摘されて、彼方は即座に答えることが出来なかった。

 それは霞の事を気にかけていたのもあったし、自分の気持ちを正しく自覚することが出来ていなかったというのも理由の一つであったと思っている。

 では今はどうなのか。

 鹿島の過去に他の男の影を見ただけで嫉妬する狭量な自分を鑑みれば、その答えは分かりきっているように思えた。

 

 

 

「確かに今さっき僕は草薙提督に嫉妬してた。ーーただ勧誘されて断ったってだけの話なのに、僕はそれだけでもう耐えられないくらいに嫉妬したんだ」

「それはーー何故ですか?」

 鹿島の内心は期待半分、不安半分と言ったところだ。

 今まではギリギリのところでいつもはぐらかされてきた鹿島に対する彼方の気持ちを、恐らく今日は答えてくれるだろう。

 初めて彼方からの気持ちを聞くことに対する期待と不安で、鹿島はついつい彼方の言葉を急かすように相づちを打ってしまった。

 

 

 

「鹿島の隣にいるのは、いつだって僕だと思ってたんだ。今も、これから先もずっと。もし草薙提督に鹿島が着いていってしまっていたら、鹿島が僕じゃなくてあの人の隣に立っていたらと思うと……堪らなく嫌な気持ちになった。それは、きっと僕が鹿島の事を好きだからーー」

「ーーやっと言ってくれましたね、彼方くん!」

 言うが早いか、鹿島が彼方の胸に飛び込んでくる。

 

 

 

「まさか草薙提督の話からこんなことになるとは思ってもみませんでしたけど、待ち望んでいた言葉がやっと聞けて嬉しいです」

 鹿島は彼方の胸に顔を埋めているため、彼方から鹿島の表情を窺うことはできない。

 しかし念願の告白を受けたことで、今までにないくらいに上機嫌になっているはずの鹿島が彼方のすぐ目の前まで顔を近づけてきた。

「えっ、鹿島……ちょっと顔が近ーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼方くん。ーー無理をしていませんか?」

 彼方の頬を撫でる鹿島の表情は先程の喜びの言葉とは裏腹に、酷く不安げなものだった。

 

 

 

 鹿島は急に霞以外の艦娘に対する態度を変化させた彼方に、強い違和感を覚えていた。

 今まで彼方は、どうあっても霞以外の艦娘に好きだなんて言うことはなかった。

 それが、急に吹雪だけでなく鹿島にまで簡単に好きだと言ってくるようになったのだ。

 その態度の急変には必ず理由がある。

 確かに初めて彼方に好きだと言ってもらえたことは飛び上がりたいほど嬉しい。

 しかしその理由を考えればーー鹿島は待ち望んだ告白を受けても、そのままそれを素直に喜ぶことなど到底出来なかった。

 

 

 

 吹雪達が轟沈する可能性を目の当たりにした彼方は、今まで想像でしかなかった不安や恐怖を、現実のものとして体感した。

 自分が送り出した者達が轟沈する不安や恐怖は、鹿島にもよくわかる。

 実際に鹿島もそれが原因で心に深い傷を負い、一時は精神を歪められてしまった。

 その経験がある鹿島は、今の彼方が感じている不安や恐怖を誰よりも深く理解出来ているつもりだ。

 

 

 

「え? 無理なんてしてないけどーー」

「嘘です。だって、彼方くんは今まで、どんなに私達が迫っても、好きだなんて言ってくれたことなかったじゃないですか。それがこうして急に好きだって言ってくれるようになったのは、あの件があったからですよね?」

 厳しい目付きで追求する鹿島に彼方は図星を突かれたのか、何事か反論しようとしたが言い淀んで目を逸らした。

 

 

 

「ーー彼方くん、艦娘を海に出すのが怖くなってしまいましたか?」

 鹿島は彼方が提督になるに当たって、それを最も危惧していた。

 彼方が艦娘を失うのを恐れるあまりに、艦娘を海に出さなくなればーー彼方はそう遠くない内に提督を辞めさせられることになる。

 現に未だあの出撃から一度も彼方は霞達を出撃させていない。

 今はまだ新しく加入したビスマルク達の艦隊行動演習や、貴重なドイツ艦との対抗演習ということで誤魔化しはきくが、それもいつまでも続けていられる訳ではない。

 

 

 

「……怖いよ。霞はあれを運が悪かったって言ってたけど、僕はそんな運なんかに皆を奪われたくない。吹雪や鳳翔さんがもしあの時沈んでしまっていたら、運が悪かったなんて言葉で納得なんか出来るはずがないんだ」

 それが戦争なのだとわかっていても、彼方にはどうしてもそれを認めることができなかった。

 艦娘の生死が運に左右されることを認めてしまえばーー彼方が例えどれだけ強くなろうと、艦娘を守りきることなど出来ないということを認めざるを得なくなる。

 

 

 

 今の彼方は、以前鹿島の言っていたーー轟沈させない努力は出来ても、確実には轟沈を防ぐことは出来ないーーという言葉を嫌でも実感させられていた。

 

 

 

 吹雪達が無事に帰ってきてくれたことで安定したように見えていた彼方の精神は、あの時の不安や恐怖を忘れることが出来ないまま常に緊張状態にあった。

 このままの精神状態では、艦娘を出撃させることなど不可能だ。

 無理に出撃させて、もし本当に吹雪達が轟沈でもしてしまえばーー嘗ての鹿島より心に深い傷を負ってしまう恐れも十分にあるように鹿島には思えた。

 

 

 

 この問題の解決法は、結局彼方が納得できる理由を見つけるしかない。

 深海棲艦との戦いから全員が無事に帰れる保証など、どこにもないのだ。

 鹿島もどうにか教え子を助けたいと訓練に色々な工夫を凝らし、教え子達の命を守ろうとしてきたが……結局問題の解決には至らず教え子達は轟沈を繰り返し、ついには心を壊されてしまった。

 鹿島も当時は自分自身を納得させることの出来る答えを見つけることが出来なかったのだ。

 

 

 

 しかし今こうして彼方の隣に鹿島が立っていられるのは、彼方にその答え出すきっかけを与えてもらえたからだ。

 

 

 

「彼方くん。私は今……吹雪ちゃん達を海に出すことを恐れてはいません。昔は教え子を送り出すことをあれほど怖がっていたのに、今は怖くないんです。それはどうしてだか、わかりますか?」

 

 

 

 鹿島の問いに、彼方は首を振る。

 心を壊されるほどに恐れていた教え子の轟沈を、今は恐れていないという鹿島を彼方は理解できない。

 

 

 

「私は吹雪ちゃん達を信じています。彼女達はどんな苦境にあっても、必ずここに帰ってきます。それはーー皆が彼方くんのことを、私が好きなのと同じくらい好きだと知っているからです。彼方くんを悲しませるようなことをする娘は、この鎮守府には一人もいません」

 確信を持って鹿島は告げた。

 少なくとも、鹿島はそう考え自分を納得させることで吹雪達を笑顔で海に送り出せている。

 教え子達の轟沈を恐れる気持ちは今も変わらない。

 しかし、吹雪達を信じるーー引いては吹雪達が信じている彼方を鹿島も信じているから、ここに立っていられるのだ。

 

 

 

「そんな……そんなことで?」

 彼方はどうしても納得する事が出来ない。

 彼方に対する想いの強さがあったとして、それは戦場での運の良し悪しには何の関係もない。

 不安になるのは避けられないではないか。

 

 

 

「『そんなこと』じゃありません。とても大切な事なんです。……彼方くんは、吹雪ちゃん達を信じてあげる事は出来ませんか?」

「僕だって信じてる……信じたいよ。だけど……吹雪達を信じることと、戦場での事故には関係がないじゃないか」

 

 

 

 彼方は頑なに鹿島の言葉を否定する。

 確かに、どれだけ彼方を悲しませたくないと思っていても、今回のような事故は起こり得る。

 鹿島だってそんなことは重々承知の上だ。

 それでもなお、鹿島は全員がちゃんと彼方の下へ帰ってくることを信じている。

 これは理屈ではなく、気持ちの問題だ。

 信じたいから信じる。信じるに足る、吹雪達の想いの強さを知っているというだけの話。

 

 

 

 しかし想いを寄せられている当の本人である彼方に吹雪を信じてもらうのには、言葉だけでは抱える不安が大きすぎるようだった。

 

 

 

「彼方くんが吹雪ちゃんに告白したのは、その強い不安や恐怖があったからですね?」

「ーーっ」

 

 

 

 彼方の身体がびくりと跳ねる。

 彼方は吹雪を失わないために、吹雪とより深い絆を結ぶことを求めた。

 失うことを恐れ、今手が届く吹雪の生にしがみついている。

 

 

 

「……彼方くんが吹雪ちゃんに告白した日の夜、吹雪ちゃんが私と霞ちゃんのところへ相談に来たんです。好きだと言われて嬉しくてたまらない様子でもありましたが、それ以上に自分が原因で彼方くんを追い詰めてしまっていないかを吹雪ちゃんは不安がっていました」

 

 

 

 彼方は吹雪が彼方の告白を受けて不安に思っていたことなど全く気づくことが出来ていなかった。

 ただただ喜んでくれている、と馬鹿みたいに安堵していた。

 これで吹雪はどこにも行かないで自分の傍にいてくれる、なんて甘えた考えに浸っていたのだ。

 

 

 

 あの時彼方が吹雪を好きだと言った気持ちに嘘はない。

 しかしあの告白の裏には、彼方の不安に怯える心が見え隠れしてしまっていた。

 信じたい信じたいと言いつつも、やはり彼方は心の奥底では吹雪を信じきれていなかったのだ。

 

 

 

 彼方は鹿島に指摘されて初めて自分の隠されていた気持ちに気がつき、絶句した。

 弱い弱いと思ってはいたが、自分がこれほどまで浅ましく弱い人間だと思わなかった。

 

 

 

「僕は……吹雪に何てことを……」

 

 

 

 これでは、更に吹雪を追い詰めただけだ。

 想いが通じあったことで気合いが入っているように見えていたのは、彼方に心配をかけまいという空元気だったのか。

 彼方の行いは、吹雪の想いを踏みにじるようなものだったのではないだろうか。

 

 

 

「あの……彼方くん、深刻そうなお顔ですけど……そこまで大袈裟な話ではありませんよ?」

 苦い顔をして俯いてしまった彼方に、鹿島は慌てて言葉を続けた。

 

 

 

「別に想いを伝えることに打算があったって構わないと思います。誰しも好きな人にしてほしいことくらいありますよ。彼方くんは、吹雪ちゃんに傍にいてほしいから好きだって言ったんですよね? 今までの距離感では、不安を拭いきれないからもっと距離を縮めたくて。それはいいと思います。問題はそこではないんです」

 

 

 

 そう言うと、鹿島はおもむろに彼方を抱き締めた。

 

 

 

「彼方くん。ーー彼方くんは、私達がどれだけ貴方の事を好きなのか、全然わかってくれてないでしょう? いつもいつも自分のことでいっぱいいっぱいで、私達の気持ちなんて半分ーーいえ、きっと三割も理解してくれてないと思います。……そんなにいつも無理して頑張って頼れる提督を演じなくたっていいんですよ? 不安なら不安だって言ってください。傍にいてほしいなら傍にいてほしいって言ってください。彼方くんは分かりやすいんですから、無理して強がってるのが丸見えなんです。だからそれを見せられている私達まで逆に不安になっちゃうんですよ」

「……う」

 

 

 

 鹿島の歯に衣着せぬ物言いに、彼方はたじろぐ。

 彼方は確かにいつでも頼れる提督でありたいと気を張ってきた。

 戦場に出て直接戦うわけでもないのに、自分が真っ先に不安だなんて言えなかったし、彼方にだってプライドがある。

 自分の弱さを自覚している彼方は、せめてこの不安に対しては自分一人で考えて答えを見つけるべきだと考えていた。

 

 

 

 鹿島の言う問題とはーー吹雪に不安な気持ちを正直に伝えなかったことだ。

 そんなに不安で傍にいてほしかったら、素直にそう言えばよかった。

 そうすれば喜んで吹雪は彼方の傍にいただろう。

 彼方の弱い部分なんて、吹雪はとっくに知っていた。

 それでも無理して強がっているところを弱虫だと吹雪は評したのだが、彼方はその言葉の意味を正しく汲み取る事が出来ず、ただ提督としてまだ弱いと思われているのだと勘違いしていた。

 結局は彼方は自分がどれだけ想われているのか、全く理解できていなかったのだ。

 

 

 

「ーーというわけで彼方くんは霞ちゃん以外の娘にももっとちゃんと向き合って、私達の想いの強さを正しく認識してください。その上で、彼方くんも私達に正直に想いをぶつけてください。私達は皆、どんなことがあったって彼方くんの味方なんですよ?」

 ゆっくりと背中を撫で、鹿島は彼方に優しく語りかけながら彼方の不安を取り除けるように努める。

 

 

 

 彼方は鹿島の言葉を受けて、自分なりに鹿島達の想いに応える方法を考えていた。

 

 

 

 ーー本当に、いいのだろうか。

 不安だから傍にいてくれ、怖いから無理しないでくれ、なんて自分の弱さを曝け出す行為は大の男がするようなことではないように思う。

 そんな自分を見せれば鹿島達に幻滅されてしまうかも知れないし、愛想を尽かされてしまうかもしれないという別の不安もある。

 

 

 

 しかしその彼方が必死にしがみついていたちっぽけなプライドが、鹿島達を余計に不安にさせてしまうのだとわかった今ーー彼方にはまずはそれを棄てる勇気が必要なのかも知れなかった。

 正直強がることよりも弱い自分を見せることの方が遥かに恥ずかしくて恐ろしいが、相手に信頼してもらうためには自分が気持ちを隠していては話にならない。

 

 

 

 

「……鹿島、ありがとう。僕の傍にいてくれて。鹿島がいてくれて、本当によかった」

「彼方くん!」

 

 

 

 鹿島は思わず抱き締めた力を強くする。

 彼方のその一言は、鹿島にとって先程の告白よりもよっぽど嬉しいものだった。

 鹿島は彼方の心を守るためにここにいる。

 その役目を無事に果たせた喜びは、今まで生きてきて一番だった。

 

 

 

「僕が吹雪を信じられてなかったのは、僕が吹雪とちゃんと向き合ってなかったせい、か。確かにそうなんだと思う。ーーよし! 早速吹雪に会いにいって、まずは中途半端な告白をしちゃったことを謝ってくるよ」

 答えを見つけだした彼方は、吹雪に会いに行くため鹿島を身体から離そうとする。

 しかし、一向に鹿島が彼方から離れようとしない。

 それどころか離すまいとよりしっかりと抱き締められてしまっていた。

 

 

 

「その前にーー彼方くんは、私にも中途半端な気持ちで好きだって言いましたよね? 私はそんなダメ男の彼方くんを元気づけるために、一生懸命頑張りました。ご褒美をくれてもバチは当たらないんじゃないかと思うんです」

 ぎゅうぎゅうと抱き締めらながら、先程の功績を振りかざしご褒美を要求してくる鹿島に、彼方はとりあえず一旦動くのをやめた。

 ……結構な力だ、今回は本気で逃がすつもりがないらしい。

 しかし、鹿島に世話になったのは明らかな事実だ。

 彼方は確かに鹿島に誠意を見せる必要があると考えた。

 

 

 

「ーーわかったよ。僕が出来ることなら何でもする。鹿島には本当に助けられてばっかりで、頭が上がらなーー」

 

 

 

「じゃあまずは彼方くんから抱き締めてください」

 

 

 

「ーーえ? いや……え?」

 

 

 

「何でもしてくれるんですよね? 私も恥ずかしいんですから、あんまり何回もは言えないですよ?」

 ほら、早く早く。と鹿島が一度離れて彼方から数歩離れた位置に立つ。

 

 

 

「じゃあ……失礼します。鹿島からはよく抱き締めてもらってるけど、僕からは初めてだね」

「うふふ、そうですね。彼方くんはなかなかにへたれですからねぇ。私達はいつも苦労してるんです」

「へたれって……」

 事実とはいえ、少し傷つく。

 今日の鹿島はいつもより言動が彼方に対して辛辣な部分を多く見せている。

 それは、二人の距離が縮まっていることの証明に他ならなかった。

 

 

 

「彼方くん、どうですか?」

「……柔らかくていい匂いがする。……しばらくこうしててもいい?」

「うふふ、いいですよ? そうやって素直にしてる方が可愛いですよ、彼方くん」

 彼方の甘えた言葉に、鹿島の心が幸福感に満たされる。

 これで、彼方は不安を溜め込まずその都度解消できるようになってくれたのではないかと思う。

 鹿島も彼方に素直に甘えてもらえて嬉しい限りだ。

 

 

 

 彼方が選んだ提督の在り方は、艦娘の心の限りなく近くに寄り添う以上、失ったときの衝撃は他の提督の比ではない。

 艦娘を失うことへの不安や恐怖に苛まれるのも無理からぬことだった。

 

 

 

 それがわかっていたから、鹿島は彼方の心を守るために彼方の補佐艦に就いた。

 水底に沈んでしまった鹿島の心を彼方に掬い上げてもらった時から、鹿島は彼方のためだけに生きると決めているのだ。

 

 

 

「彼方くん、大好きです。私達から離れていかないで下さいね?」

「それはこっちからお願いしたいよ、鹿島。これからも僕の傍にいてほしい」

 

 

 

(霞ちゃんよりも傍に、ですか?)

 そう鹿島は尋ねようかと思ったが、止めておくことにした。

 負け戦はしない主義だ。

 今日彼方は霞以外の艦娘にも心を完全に開いてくれるようになった。

 今回はそれでよしとしておくことにした。

 

 

 

「もちろんです、私はいつまでも彼方くんの隣にいます。頼りにしていてくださいね?」




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

今回ここまで投稿に時間がかかったのは、彼方がこのまま提督としてやっていく上で、抱えている不安を解消する必要があったのに、どうしてもそれを上手く解消する方法を思いつく事が出来なかったからです。
結局こういった形で落ち着くことになり、読んでくださる方にご納得いただけるかわかりませんが……これでまたお話を進めさせていただこうと思います。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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最強との再会

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 吹雪に誠心誠意謝罪して再度改めて彼方の抱えている不安を告白をしたことで、二人の不安も無事に解消された。

 クラスメイトの三人に対しては特に弱みを見せまいとしていた彼方だったが、今回全てを曝け出したことで吹雪との距離が急速に縮まり、今では時折吹雪の方が彼方に甘えられるようになっていた。

 

 

 

「ーー吹雪ちゃん、何ですかそのだらしのない顔は! 訓練中ですよ、真剣にやってください!」

 彼方に頼られている実感を得た吹雪は、訓練中にもそれを思い出しついついニヤついてしまっていた。

 そのどうしようもない隙を突かれて神通にありったけの砲撃を叩き込まれ、吹雪は遠くへ吹き飛ばされていった。

 

 

 

「はぁ~……何やってんだか。あれは入渠させないとダメね。ーー時雨、潮、休憩にするわ。吹雪を入渠風呂に放り込んできて」

「わかりました」

「……はい」

 溜め息と共に一旦休憩することにした霞と神通は、時雨と潮に吹雪の治療を任せて港に戻ってきた。

 

 

 

 訓練中の神通は一切の容赦がない。厳しい訓練を課し、あらゆる状況に即時対応出来るよう身体に動きを染み付かせる。

 それだけ神通が仲間を大切に思っているということだ。

 

 

 

 神通は口には出さなかったが、吹雪と鳳翔を危険にさらしてしまったのは自分の実力不足が原因だったと考えている。

 現在は鹿島のお陰で持ち直したようだが、彼方の精神が危険な状態にあったことは神通も認識していたーーそして、そうなることは楓も予想していたのだった。

 神通がこの鎮守府に着任したのは、彼方の艦隊がなるべく不慮の事態に遭遇しないよう楓が配慮した結果だった。

 深海中枢から離れた西方海域に配置し、ベテランの神通をつけることで危機感知能力の水増しを図る。

 この事は誰にも伝えていないが、彼方が提督として一人前になるまで彼方と彼方の艦娘を守るのが、神通の役目でもあった。

 

 

 

「ーー霞、神通、訓練お疲れ様。いつもありがとう」

「吹雪ちゃん達の姿が見えませんが……入渠ですか?」

 

 

 

 珍しく演習場に彼方と鹿島がやって来た。

 普段訓練中は二人で執務室に籠って作戦の立案やら細かい事務仕事を行っていたりして、訓練それ自体を見に来ることはそれほど多くない。

 

 

 

「彼方たちがここに来たってことは、そろそろ草薙提督(アイツ)の艦娘が到着するのかしら?」

 波止場に腰掛け、脚を揺らしながら霞が彼方に問いかける。

 以前よりも近くに立つようになった二人が気になって、ついつい子供のように不安な気持ちが行動に出てしまったのだ。

 霞は最近彼方と鹿島の距離が近づいた事に、若干の不安を感じていた。

 吹雪から彼方に告白されたことを相談されたとき、彼方の不安を解消させるのを鹿島に任せたのはーーひょっとすると失敗だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

『霞ちゃんは、ちゃんと吹雪ちゃん達を守ってあげてください。私が彼方くんの不安を一時的に解消出来たって、吹雪ちゃん達が沈んでしまえば何の意味もなくなります。海で彼方くんを守るのが、霞ちゃんの約束なんですよね?』

 と、鹿島にーーもっとちゃんと役割を果たせーーと発破をかけられてしまった霞は、首を縦に振るしかなかった。

 

 

 

 言うだけあって、鹿島は無事に彼方を立ち直らせることに成功したようだが……。

 

 

 

(何だか彼方の鹿島を見る目が、他の娘に向ける目とはまた違う気がするのよね……)

 

 

 

 言うなれば、霞を見ているときの目に近い。

 霞は自分だけが特別彼方に愛されているという実感があるため、吹雪達と彼方の距離が近づこうと大して気にも留めていなかったがーー鹿島だけは別のような気がしていた。

 

 

 

 霞と鹿島を見る彼方の目に籠められた想いの共通点は、『絶対的な信頼』だ。

 どんなことがあっても、必ず自分と共にいてくれるという信頼を彼方は二人に持っていた。

 

 

 

 ーー彼方と共に並び立ち、お互いを守り合う関係の霞。

 ーー彼方とお互いが倒れないように支え合っている関係の鹿島。

 

 

 

 彼方が立つには鹿島の支えが必要で、霞が立つには彼方が隣に立っていることが必要だ。

 今のところは三人でないと、この関係は成立しない。

 

 

 

(何とも厄介なのがいたものだわ……)

 霞が海で彼方を守るためには、鹿島が陸で彼方を守ってくれなくてはいけない。

 彼方が一人立ちするまでは、霞も鹿島に頼らざるを得ないのだ。

 

 

 

 

 

 何とも複雑な思いに頭を悩ませる霞に、彼方はそれに全く気づく様子もなく暢気に答えた。

「うん、そうなんだ。グラーフさん達には先に準備してもらってるから、霞達も出迎えと見送りの準備をお願いしたいんだ」

 

 

 

「わかりました、提督。吹雪ちゃんも入渠を済ませ次第全員で向かいます」

「派手に吹っ飛ばされてたけど、修復に時間がかかるような損傷じゃないしね。私達もすぐに準備を済ませるわ」

 神通と霞はそう答えると、入渠ドックの方へと向かうことにした。

 正直鹿島と彼方を二人きりにさせておくのは気が引けるが、それも別に今に始まったことではない。

 霞は今夜も彼方の部屋に遊びにいくことを固く心に誓い、二人を残して神通と共に歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

「ーー初めまして! あたしは長良型軽巡洋艦 阿武隈です。今日は草薙提督の護衛とこちらに駐留されているドイツ艦のお迎えに来ました!」

 元気よく挨拶しくれた阿武隈の言葉を聞いて、彼方は度肝を抜かれた。

 

 

 

「草薙提督の……護衛!? 本人が直接いらしてるんですか!?」

「うぇぇ、はいぃ。そうなんですよぉ……」

 

 

 

 聞いていないと言いたいが、項垂れる阿武隈を見てぐっと堪える。きっと彼女も彼の被害者なのだろう。

 しかしこちらは彼を出迎える準備など何も出来ていないのだが……どうしたものだろうか。

 確かに阿武隈の後ろには数人の艦娘に護衛される小型の船舶が見えていたので、何事かとは思っていたのだ。

 

 

 

「……あれ、あたしの装備の大発動艇なんです。人が乗るための物じゃないって言ったんですけど、提督がどうしても乗りたいって聞かなくて……。無理矢理着いてきちゃったんですよぉ」

 ほんとに困りますよね? と阿武隈が涙ながらに愚痴る。

 そこへ見知った顔の艦娘が後ろから追い付き、阿武隈の隣にやって来た。

 

 

 

「しょうがないよ、阿武隈。提督は大井っちが心配で堪らなくって訓練校にどうしても顔出したかったんだしさぁ。ここに来たのはついでだよ、ついで。まぁ早くドイツ艦が見たかったのもあるだろうけどねぇ? あぁ、朝霧……あー、もう提督だよね。朝霧提督久しぶりー、元気にしてたみたいで安心したよ」

 全身に魚雷を身に付けた物騒な艦娘……球磨型の重雷装巡洋艦 北上が彼方に向かって笑顔で手を振って挨拶してきた。

 

 

 

「お久しぶりです、北上さん。北上さんも、お元気そうで何よりですよ」

「へぇ~……変わったね、キミ。強くなった」

 彼方も笑顔でそれに答えると、北上は面白そうに声を上げた。

 しかし、その瞳の光は好戦的な輝きを宿し……浮かべられていた笑顔は挑発的なものとなっていく。

 

 

 

「え、何この人……いきなり臨戦態勢とか怖いんですけど……」

 隣で阿武隈が引いている。

 彼方も同じ気持ちだったが、取り合えず黙って成り行きを見守ろうとしているとーー

 

 

 

「いや、流石にここは遠いわ。妖精用なのは分かってたが、もう少し乗り心地は改良しねぇとな」

 愚痴を溢しながら草薙提督が陸に降り立った。

 文句を言われたことに腹を立てたのか、妖精に叩かれたり髪を引っ張られたりしているが、全く気にする様子もない。

 そのまま迷わずこちらに向かって歩いてくる草薙提督だが、正直相当間抜けな格好だ。

 

 

 

「よぉ、朝霧。元気そうで何よりだ。ーー提督は何とかやれてるようだな。安心したぜ」

 一度彼方を睨むように眺めた草薙は、すぐに言葉通り安心したように笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

「……で、アンタが来るなんて私達は全く聞いてなかったんだけど? 何しに来たのよ、このクズ!」

「えぇっ、霞!? どうしたのいきなり!?」

 霞のいつも見せている態度とは全く違う様子に、彼方は驚きを隠せない。

 よく見ると……霞だけでなく、鹿島も、神通まで厳しい視線で草薙提督の事を見つめていた。

 

 

 

「随分な歓迎だな……心当たりがあり過ぎる面子だが……」

 実は草薙は鹿島だけでは飽きたらず、霞や神通にも勧誘していた事があるらしい。

 露骨な嫌悪感をぶつけられるも、草薙提督は涼しい顔のままだ。

 

 

 

「何だよ、俺がお前らを一番上手く『使える』ってのは事実だろ?」

「ハアァ!? 気持ち悪いったらないわ!」

「うふふ、相変わらず最低ですね。草薙提督は」

「楓から何度叱られても直らないのですね、その癖は。不愉快なので止めてください」

 ウチのベテラン艦娘陣から信じられないような罵声が飛び出してくる。

 こんな言葉彼方が浴びせられたら、その場で卒倒し向こう一週間は食事も喉を通らないだろう。

 

 

 

「ほんと、提督は艦娘から嫌われるよねぇ? そこも面白くていいんだけど」

 その様子を見て北上はケタケタとお腹を抱えて笑っていた。

 普段絶対者として鎮守府に君臨している草薙がここまで罵声を浴びせられることは、そうはない。

 こういう艦娘の女性としての感情に無頓着なところがあるのは、草薙の艦娘も頭を悩ませているところだった。

 だからたまにはこうやって罵声を浴びせられているのを見ると、こちらとしてもスッキリするというものだ。

 

 

 

「……わかっちゃいたが、こうまで嫌われてるとな。どうやって朝霧がお前らを手に入れたのか気になるところではあるが、今日の本題はそれじゃねぇ。俺のドイツ艦は、アイツらか?」

 溜め息と共に肩を竦めると、草薙はビスマルク達に目を向けた。

 

 

 

「あら、やっと私達の出番かしら? 全く、私を待たせるなんて随分なヤツね!」

 ビスマルクが草薙の視線に気がつき、ドイツ艦達が前に出てきた。

 

 

 

「お前が戦艦のビスマルク、で……こっちが重巡のプリンツ・オイゲンか! 飛行甲板があるってことは、お前がグラーフ・ツェッペリンだな!」

 草薙が興奮気味にドイツ艦達に近寄る。

 その様子を、北上に遅れて上陸した一組の艦娘達が微笑ましい物を見るような目で草薙を眺めていた。

 もう一組の艦娘達は、ドイツ艦の先頭に立つビスマルクに視線を集中させている。

 

 

 

「提督は珍しい艦娘に目がありませんからね」

「……まるで子供ね」

「あれがドイツの戦艦か、胸が熱いな」

「そうね、なかなか強そうだわ」

 彼女達こそ草薙が日本で最強の提督と呼ばれる所以。

 

 

 ーー正規空母の赤城、加賀。

 ーー戦艦の長門、陸奥。

 

 

 草薙は、日本の提督達が喉から手が出るほどに欲している大戦力を四隻も手にしていた。

 しかもその全てが草薙が鎮守府に着任して間もなく建造された、草薙ための艦娘達だ。

 

 

 

「悪いけど、私とプリンツはもうカナタの艦娘になることに決めてるの。クサナギには着いていかないわ!」

「そういうことです。正直貴方は私の趣味じゃありませんしね? カナタくんの方がずっと好みです」

「ーーそういうわけだ、クサナギ提督。すまないが、貴官の鎮守府に着任するのは私、空母グラーフ・ツェッペリンと、駆逐艦レーベレヒト・マースとマックス・シュルツ。そして潜水艦U-511のみとなる。思ったほど戦力の拡充がならず不満かもしれないが、これも貴官が私達に着任する鎮守府を自由に選ばせてくれた結果だ。受け入れてもらえると助かる」

 

 

 

「……お、おい。マジかよ……いくらいいって言ったって戦艦と重巡持ってくヤツなんているか? 俺はてっきり駆逐艦だとばかり……」

 草薙は力なく膝を折り地に倒れ伏す。

 遠路はるばるやって来て散々罵声を浴びせられた挙げ句に、迎えに来たドイツ艦の戦力の殆どは彼方に奪われた後だった。

 流石の草薙もこれには心が折れた。

 

 

 

「グラーフさん、私は正規空母の赤城と言います。こちらは同じく正規空母の加賀さんです。これからよろしくお願いしますね」

「おお、貴艦が赤城か! 私は貴官と共に戦うために日本に来たのだ。こちらこそよろしく頼む」

 草薙の事など全く気にすることなく、固く握手を交わす空母達。

 

 

 

「同じ艦隊で戦えないのは残念だが、いつか戦場を共に出来ることを願っている。壮健でな、ビスマルク」

「貴女もね、長門。ーーだけど、その頃最強の提督はきっと彼方になっているわ! だって私がいるんだもの」

「あら、面白いじゃない。これは私達も負けていられないわね?」

 戦艦達は互いの力に絶対の自信を持ち、強い対抗意識を燃やす。

 

 

 

「あ、あの……元気出して?」

 阿武隈だけが草薙を慰める。

 

 

こうして、数ヵ月ぶりの草薙との再会は、何とも言えない空気で始まったのだった。




ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!

草薙提督フルボッコ回。

また次回も読みに来てくださいましたら嬉しいです。


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最優の秘書艦

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「樫木から聞いてるかも知れねぇが、最近深海中枢がキナ臭い。恐らくそう遠くないうちに、大規模な侵攻があるだろう」

 ビスマルク達を奪われたショックから立ち直った草薙は、補給を受けている北上達を残し、執務室へとやって来ていた。

 二人は応接用のソファに向かい合って腰掛けている。

 互いの艦娘は誰もこの部屋には近づかないように言い含めてあった。

 

 

 

 彼方も草薙から聞かされたその内容は、神通からも聞かされていたが……実際に中枢に攻め込んでいる草薙の言葉に、事態の重さを改めて認識させられた。

 

 

 

「お前も戦艦を持つ以上は、この国の立派な一大戦力だ。本来はもっと時間をかけて力をつけさせてやりてぇところだったが……そうもいかなくなった」

 中枢から大規模な侵攻があった場合、狙いは草薙の鎮守府である可能性が高い。

 草薙が倒れれば、一気に日本の戦況が悪化する。

 そうならないために、日本の提督全てが一丸となって深海棲艦の侵攻を食い止めなくてはならないのだ。

 

 

 

「草薙提督は……その侵攻はいつ頃になるとお考えですか?」

「そうだな……俺の個人的な予想では、年明けから春先だ。まだ半年以上はあるが、もう半年しかないとも言える。ーーお前は年内に必ずこの西方海域を解放しろ。俺達が中枢(前方)に集中するためには、背後を突かれる憂いは絶っておかなきゃならねぇ」

 突然告げられたタイムリミットに、彼方は身を固くする。

 現在この鎮守府に着任して一月と少し。

 海域の解放はまだ一部しか成し得ていない。

 急に提督達の未来を背負わされることになった彼方は、かかる重圧に握り締めていた手を更に固く握り締める。

 

 

 

「……わかりました。必ずやり遂げてみせます」

 今の彼方は彼方の艦娘達を強く信じている。

 もう不安気な態度を見せることもなく、確かな自信を持って草薙に答えることが出来た。

 

 

 

「ーーどうやら、俺の目が間違ってたかも知れねぇ」

 草薙はその目を見て、引き締めていた頬を僅かに弛めた。

「悪かったな。お前が提督に向いてないってのは間違いだった。やっぱりお前はあの人(朝霧 真)の息子だよ」

 ニヤリと笑って告げる草薙の言葉に、彼方は予想外の人物の名前が出たことに驚き、思わず立ち上がってしまった。

 

 

 

「父さんを、ご存知なんですか!?」

 そのままの勢いで詰め寄る彼方に、草薙は深く頷いた。

「ーー俺はあの人に大恩がある。あの人が命懸けで守ってくれた街は、俺の産まれ育った街だ」

 ーーそして、今は草薙がその街を守っている。

 草薙の艦娘の多くは嘗ての彼方の父の艦娘で、草薙の鎮守府で新たに生まれてきた艦娘だーーという話を聞いたことがある。

 つまり朝霧真の艦娘達は、朝霧真が命懸けで守った街を生まれ変わっても尚守り続けているーーということだ。

 

 

 

「朝霧。お前の父親は日本で一番優れた提督と言われていた。艦娘との強い信頼関係を築き上げることで、艦娘の持つ本来の力以上の性能を引き出し、完全に使いこなして見せた。お前の能力と同質の力だ。ーーだが」

 そこまで言って草薙は苦い顔をして俯いた。

「その強い信頼関係のせいで、あの人の艦娘達はーー無茶苦茶な数の深海棲艦から街を守るため逃げることなく戦い続け……一人を除いて全員が沈んだ」

 

 

 

 ……一人?

 当時の様子を知る艦娘がまだ一人生き残っていると草薙は言った。

 彼方は一人残らず全員が沈んだと聞いていたが……。

 

 

 

「一人ってのは金剛型の榛名って戦艦だ。真さんの秘書艦だった。榛名さんだけは、あの人が逃がしたんだ」

 ーー榛名。彼方はその名前に聞き覚えがあった。

 時折千歳が話していた、最も頼りにしていた仲間の名前だ。

 千歳が解体を選びーー正式にに彼方の父と結婚した後は、榛名が父の秘書艦を引き継いでいたらしい。

 

 

 

「今日は、その……榛名さんは連れてこられていないんですよね?」

「ああ……今日ここに寄ったのは、その件も無関係じゃねぇんだ。俺の艦娘達には内緒にしてるんだが、な」

 彼方の問いに、草薙は躊躇いがちに視線を逸らす。

 このような仕草を草薙が彼方に見せるのは初めての事だ。

 恐らく草薙が今日やって来た本当の理由はそれなのだと、彼方も感じ取った。

 

 

 

「ーー榛名さんは、確かに今も俺の……いや、あの人が死んだ鎮守府にいる。だが……俺が何度名前を呼んでも、榛名さんは艦娘の力を使えないんだ。もう出逢って十年以上経つってのにーー最強の提督だって持て囃されても、俺にはまだ朝霧真(あの人)が超えられねぇ……」

 悔しさを滲ませる声で、草薙が弱音を漏らす。

 その声音や言葉のニュアンスからだけでも、草薙が榛名を特別な存在として意識しているのが感じられた。

 

 

 

「ーー朝霧、頼みがある。この海域を解放してからで構わない。榛名さんに会ってくれないか。今のお前なら、榛名さんは力を取り戻せるかもしれない。俺じゃ榛名さんを助けてやれないんだ……頼む」

 ついには、草薙が彼方に深く頭を下げた。

 このプライドの塊のように見える男が、ただの新人提督である彼方に懇願している。

 彼方もまさか草薙がここまでするとは思わず、慌てて立ち上がって草薙に頭を上げさせた。

 

 

 

「あ、あの……草薙提督。どうして艦娘の力を取り戻すことが、榛名さんを助けることになるんですか? それこそ、母さんみたいに解体を選ぶ道だって……」

「ん、ああ……そうか、そうだな。榛名さんはな……後悔してるんだ。提督を置いて逃げたことを……まだガキだった俺を助けるために、提督を見捨てたことをな」

 今までで一番言いたくなかったことであろう言葉を、草薙が吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー草薙は深海棲艦の大規模侵攻があったとき、たまたま鎮守府の近くにいたところを彼方の父に保護された。

 本来一般人が鎮守府に立ち入ることは固く禁じられていたが、今から街に逃げるより鎮守府にいた方が安全だと、人命を最優先と朝霧提督が判断してのことだった。

 

 

 

 当時まだ中学生で何の力も持たなかった草薙を、朝霧提督は必死に励まし守った。

 しかし押し寄せる深海棲艦の数があまりにも多く、だんだんと劣勢になっていっているのが草薙にもわかった。

 朝霧提督が固唾を飲んで見守るモニタに映る文字にーー中破、大破の文字からだんだんと轟沈の文字が目立って来るようになったからだ。

 

 

 

 ーーついには深海棲艦がこの鎮守府にたどり着いた。

 轟音と衝撃に鎮守府が揺れる。

 そんな時、傷だらけで執務室に飛び込んできたのが榛名だった。

 朝霧提督は脱出を進言する榛名を突っぱねて僅かに残った艦娘達の指揮を続けることを選び、代わりに榛名には草薙を必ず無事に逃がすよう厳命した。

 そして朝霧提督の最期の命を受けた榛名は、その命令を忠実に守り、朝霧提督を残し草薙と共に鎮守府を脱出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー俺は榛名さんに憎まれてる。提督と一緒に死なせてくれなかった俺を心底恨んでるんだ。俺は榛名さんから提督を奪っちまったせめてもの罪滅ぼしに、榛名さんの力だけでも取り戻させてやりたいんだよ」

 ーーそれを贖罪の気持ちだと草薙は言うが、それが榛名に自分が出来る唯一の事だという一種の諦めのようにも彼方には感じられた。

 

 

 

「僕は榛名さんに会ったことがないので、榛名さんが本当は何をどう考えられているのかはわかりません。ーーですが、母さんが最も頼りにしていた仲間だった人です。僕の力が役に立つのならーー僕も、その人の力になりたい」

 彼方は草薙の言うように、榛名が草薙を恨んでいるということには正直懐疑的だった。

 そこは直接本人に聞いてみないとわからないし、本人がどういうつもりで海に戻りたいと考えているのかもわからない。

 榛名には母に代わり父を助けてくれていた恩もある。

 彼方は必ず榛名に会いに草薙提督の鎮守府に行くことを約束したのだった。

 

 

 

「ありがとな、朝霧。……だが、海域の解放は無理に急ぐ必要は一切ねぇ。細心の注意を払って事に当たってくれ。俺の頼みは飽くまでついでだ」

 お前は、お前の大事なもんを一番に考えてりゃいい。草薙はそう締め括ると、力強く立ち上がった。

 

 

 

 

 

「ーーあの時の俺は何の力もねぇただのガキだった。だが、今は違う。俺はお前の父親を超えるために提督になったんだ。お前が遊んでられる時間くらい、余裕で稼いでおいてやるよ」

 そう言って口の端を吊り上げて不敵に笑った草薙は、やって来た時と同じように、阿武隈の大発動艇に乗り込み去っていった。

 

 

 

「彼方、アイツと何を話し込んでたの?」

 草薙を見送っていると、霞が少し不機嫌そうに彼方に訊ねてきた。

 何かまた妙なことを吹き込まれたのではないかと疑っているらしい。

 

 

 

「うーん……男同士の秘密、かな。それより霞ーー」

 

 

 

「……何、彼方?」

 

 

 

「しばらく休んじゃったけど……明日からまた海域の解放に向けて動こうと思うんだ。皆の事、守ってほしい」

 

 

 

「え、ええ! もちろんよ! 私に任せておきなさいな!」

 

 

 

 焦るつもりはないが、あの話を聞いてしまった以上はあまりのんびりしているわけにもいかない。

 彼方だって父親を超えるために提督になったのだ。

 同じ目標に向けて前に進む草薙が最強の提督だというのなら、彼方も彼方なりの方法で強くならなければいけない。

 彼方はその鍵となり得る人物の前に歩きだした。

 

 

 

「ーーいい顔ね、カナタ。今までで一番素敵よ」

 目の前に立った彼方を目にして、ビスマルクの目に挑戦的な光が灯る。

 

 

 

「それはちょっと照れるし、こんなお願いしにくくなっちゃうけど……。ビスマルク、僕を助けてほしい。僕には君が必要なんだ」

「ふふ、いいわ! カナタに見せてあげる、私の力!」

 助けてくれとは何とも頼りない話だが、これが彼方のやり方だ。

 もう無理に強がる必要もない。

 元々ない威厳を振り絞らなくたって、彼女達は彼方に応えてくれるーーそう彼方は仲間を信じていた。

 

 

 

 彼方に名前を呼ばれたことで、ビスマルクの中に爆発的に力が溢れだす。

 他の艦種を圧倒する力を持つーー戦艦。

 新たな力を手に、再び彼方が歩きだした。




ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!

第二章もそろそろ中盤でしょうか、多分……。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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隠してきた想い

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸です。


「今日はこの前解放した海域から、もう少し深くに進んでみてもらおうと思う。引き続き潜水艦には十分に注意して、まずは情報集めに徹しよう」

 

 

 

 翌朝、彼方は艦娘達を執務室に集めていた。

 今回の目的は次に解放する予定の海域に展開している、敵艦隊の威力偵察だ。

 前回のような轍を踏まないために、彼方は危機管理を徹底した采配を振るう必要がある。

 そのためには、まずは相手の情報が必要不可欠。

 敵主力と本格的に戦闘する前に、なるべく不確定要素は排除しておきたいところだった。

 

 

 

「それじゃあ、今回出撃するメンバーを伝えるね。まずーー旗艦は霞」

「当然ね、任せておきなさい!」

 霞は笑みを浮かべて力強く頷いた。

 彼方が最も信頼する艦娘ーー女性だ。

 霞無しに彼方の艦隊は成り立たない。

 

 

 

「うん、皆のことよろしくね。次はーービスマルク」

 名前を呼ばれたことでビスマルクが前に出る。

「やっと初出撃ね。カナターー私の力、しっかり見ておきなさい!」

 びしっと彼方を指差し、ビスマルクがみなぎる気合いを表現する。

 高速戦艦であるビスマルクは、戦艦の圧倒的な射程を活かした先制砲撃が可能で、尚且つ足も早く彼方の艦隊に向いた艦娘だ。

 

 

 

「プリンツ、神通ーー」

「よーし! 私も頑張りますよ、ビスマルク姉さま! カナタくん、私のこともちゃんと見ててよね?」

「ーーはい。今回は前回のような無様は晒しません。提督、み……見ててください」

 自信たっぷりなプリンツと、控えめではあるが静かに闘志を燃やしている神通。

 対称的な反応を見せる二人だが、意気込みの強さは変わらない。

 

 

 

「そして……吹雪、鳳翔さん」

「「ーーっ」」

 名前を呼ばれた二人が息を飲む。彼方が二人を出撃メンバーに選ぶとは予想していなかったのだ。

 彼方の性格を考えれば、一度危うく沈むような目に遭った二人を出撃させるのは、不確定要素を徹底的に排除した後のことになっていたはずだ。

 それが今回出撃メンバーに選ばれたと言うのは、彼方の吹雪と鳳翔に対する信頼の証に他ならない。

 

 

 

「お願い出来るかな? 僕は二人に頼みたい」

「も、もちろんだよ! 私、頑張る!」

「彼方さん、ありがとうございます。私も、貴方の信頼に必ず応えてみせます」

 ガッツポーズでいつも以上の気合いを見せる吹雪を、彼方が歩み寄って抱き締める。

 

 

 

「うぇえ!? か、彼方君?」

「ーー吹雪。僕は鎮守府で君を待つことしか出来ない。もうなかなか帰ってこない君をただ待ち続けるのは嫌なんだ。無茶はしなくていい、必ず帰ってきて」

「えへへ……もう、彼方君は甘えん坊なんだからぁ。ーーありがとう、大丈夫だよ。私、絶対帰ってくるから! 安心して待ってて!」

 吹雪は優しく彼方を抱き締め返すと、彼方の内に抱える不安をいとも容易く吹き飛ばす。

 あの件以来、二人の信頼はより強く結ばれていた。

 

 

 

「………………」

 鳳翔はそれを何やら物言いたげな視線で眺め、黙って様子を見守っている。

 

 

 

「鳳翔さん」

「っーーな、何でしょうか?」

 吹雪から離れ鳳翔に近づいてきた彼方に、鳳翔は慌ててぱたぱたと居住まいを正した。

 

 

 

「鳳翔さんも、くれぐれも気をつけて下さい。貴女も僕の大切な仲間の一人なんです。貴女が帰ってきてくれないと、ゆっくり休憩もしていられません。僕は貴女と過ごすあの時間が大好きなんです」

「え、ええ……そうですか。ありがとうございます」

 しかし、彼方の言葉はいまいち鳳翔には響かなかったらしい。

 頷いてはくれたものの、俯きがちに目を逸らされた。

 肩を落としてしょんぼりとしている様は可愛らしくもあるが……。

 何か気に障ることでもしてしまっただろうかと内心おろおろとしだした彼方を余所に、今回鎮守府に残ることになった二人が吹雪に向き直った。

 

 

 

「ということは僕らは今回は待機だね。ーー吹雪、僕らの分までしっかり頑張ってね」

「潮も……吹雪ちゃんを待ってます」

 時雨と潮が吹雪のそれぞれの手を握る。

 直接共に戦うことが出来なくても、三人の想いは一つだ。

 時雨と潮は吹雪の無事を心から祈り、激励を送った。

 

 

 

「ーー出撃は午後からになります。それまでは各自装備の点検など準備を怠らないようにしてください。……あ、時雨ちゃんと潮ちゃんは私と一緒に演習場に来てください。丁度いい機会ですから、私と模擬戦でもやってみましょう」

「ええぇ、久しぶりに彼方と一緒にいられるんじゃなかったのか……」

「不幸です……」

「うふふ。さ、行きますよ?」

 鹿島は時雨と潮を引きずってそのまま直接演習場に向かったようだ。

 神通たちも鹿島に続いて執務室を後にしていく。

 最後にちらりとこちらに目を向けた霞と目が合うと、霞は笑顔で手を振って部屋を出ていった。

 

 

 

 執務室に残ったのは、彼方と鳳翔の二人だけだ。

 

 

 

「あの、鳳翔さん? どうかしたんですか? もしかして、やっぱり僕が何かマズイことをーー」

 

 

 

「彼方さん、あの……お願いが、あります」

 

 

 

 頬を赤らめ、瞳を潤ませながら鳳翔が彼方の傍まで歩み寄る。

 先程の態度とは百八十度違う様子に、彼方は思わず困惑してしまう。

 

 

 

「わ、私のことも……吹雪ちゃんみたいに、抱き締めていただけないでしょうか? はしたないお願いをしてしまっているのはわかっています。ですけど、あの……私も、貴方の鼓動を直に感じたいんです。お願い、できませんか……?」

 羞恥と不安に揺れる瞳で、鳳翔が彼方に精一杯の歩み寄りを見せた。

 鳳翔は本来自分から男性にアピールが出来るような性格ではない。

 しかし周りの仲間達が厚意で作ってくれた折角のチャンスを、無駄にはしたくなかったのだ。

 

 

 

「……わかりました、鳳翔さん。それじゃあ、失礼しますね?」

「あ……」

 彼方が優しく鳳翔の背中に腕を回し、きゅっと自分の方へと引き寄せる。

 鳳翔も彼方の背中に腕を回し、よりお互いが近づくように抱き締めた。

 

 

 

「あの……ど、どうですか? 鳳翔さん」

「ご、ごめんなさい……。私の鼓動が逸ってしまって、彼方さんの鼓動を感じる余裕が全くありません……」

 彼方の問いに生真面目に鳳翔が答える。

 お互いに恥ずかしさを堪えて密着してみたもののーー彼方の耳にまで届くような気がするほどの自分の大きな鼓動の音に邪魔され、鳳翔には落ち着いて彼方の鼓動を感じることなど出来はしなかった。

 

 

 

「あ、あの……彼方さん。私、本当はずっと彼方さんとこうしたいと思っていました。彼方さんが私のところに来てくださるように、毎日お茶とお茶請けを用意して。二人でお話ししているときも、私は貴方にもっと近づきたいとーー貴方が近づいてきてくれないかと、そんなことばかり考えていたんです」

 未だうるさく鳴り止まない心臓の音に急かされるように、鳳翔が秘めていた想いを吐露する。

 強く抱き締められて密着する鳳翔の身体から感じる鼓動が、直に彼方に想いを伝えてくるようだ。

 

 

 

「ーー本当は、この想いはずっと秘めたままにしておくつもりだったんです。貴方にはもう沢山の大切な女性がいて、その女性達を戦場に送り出さなくてはなりませんでした。私は、そんな貴方に更に私の想いまで背負わせたくなかった……」

「鳳翔さん……」

 鳳翔の声が段々と震えだす。

 想いを告げず胸に仕舞っていた辛さを思い出したのだろうか、よりいっそう鳳翔は彼方をきつく抱き締めてきた。

 彼方も鳳翔に応え、鳳翔を安心させるようにゆっくりと背中を優しく撫でた。

 

 

 

「……島に吹雪ちゃんと流された時、吹雪ちゃんは目が覚めてすぐに艦隊の皆さんを心配したのにーー私は、目が覚めてからずっと貴方のことしか考えられませんでした。貴方ともう二度と逢えないかもしれないと思うと、それが恐くて堪らなかったんです」

 ーー酷い女でしょう?

 ぐすぐすと涙に濡れた声で鳳翔が自嘲する。

 

 

 

「このままーー彼方さんに想いを伝えられないまま沈むのは嫌だって、そればかり考えていました。お墓まで……ふふ、違いますね。海の底まで持っていくつもりだった想いを、いざ海の底が見えたら……持っていくのが嫌で嫌でしょうがなくなってしまったんです。だからーー今こうしているのは、私のただの我が儘なんです」

 彼方に想いを伝えれば、彼方はその想いを必ず背負う。

 鳳翔はそれがわかっていた。

 だから今まで想いを伝えてこなかったし、今想いを伝えている。

 

 

 

「ーー私は、貴方をお慕いしています。私を……私の想いを、背負っていただけませんか?」

 涙に濡れた顔で、鳳翔が彼方に隠してきた想いを伝える。

 彼方が苦しむのを分かっていて、それでも鳳翔は自分の想いを隠しておけなくなってしまった。

 こうして触れ合ってしまった今ーーこのまま想いを隠し続けるのは最早不可能だった。

 

 

 

「鳳翔さん、僕は弱い人間です。確かに……ついこの前までは強い人間になろうと、皆の想いを一人で背負い込もうとしていました。そうして一人で戦うことが、皆と共に戦う唯一の方法だと思っていたんです。ーーですけど、今は違います。僕は、一方的に貴女の想いを背負うことは出来ません。僕が貴女の想いを背負うために、貴女にも僕の想いを背負ってほしい」

 彼方はそっと鳳翔の身体を離した。

 彼方の瞳は、しっかりと鳳翔の瞳を見つめている。

 鳳翔の想いを背負うことには、彼方は何の躊躇いも感じていないようだった。

 

 

 

「私に、彼方さんの想いを……?」

 

 

 

 思ってもみなかった彼方の言葉に、鳳翔は首を傾げる。

 彼方の鳳翔に対する想いとは、一体何なのだろうかか……。

 

 

 

「そうです。僕の鳳翔さんへの想い……というか、お願いは、我慢しないことです。僕はこれから長い時間を貴女と共に過ごしていきます。その時間の中で、貴女が辛いことに耐えている、我慢している時間を僕に使ってほしいんです。耐える時間が無駄な時間とは言いませんが……やっぱり鳳翔さんにも、いつも笑っていてほしいですから」

 そう言って彼方は優しく鳳翔に微笑んだ。

 

 

 

「それは、私が彼方さんに背負わせる想いに対しては軽すぎるのでは……」

「そんなことはないです。さっきみたいに鳳翔さんが辛そうな顔をしてると……僕も貴女を笑顔で海に送り出せなくなりますからね」

 彼方が望むのは、鳳翔を安心して海に送り出すための信頼関係を築くことだ。

 そのために彼方は一人で想いを溜め込みがちな鳳翔の時間を、二人で共有することにしたのだった。

 

 

 

「ーーわかりました。私、もう我慢はしません。彼方さんに構って頂きたいときは、恥ずかしいですけれど……きちんとお伝えするようにします」

「はい、ありがとうございます。僕も鳳翔さんに会いたいときは、すぐに会いに行きますね?」

 お互いに想いを通じ合わせて、二人が笑い合う。

 仲間から恋人という関係になった二人は、それからしばらくは二人きりの時間をゆったりと過ごしたのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

鳳翔さんハーレム入りです。
残るはドイツ艦と神通。

次回は戦闘回になる……かな?

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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戦艦と駆逐艦

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです!


 準備を終えた霞達は予定通りの時間に出撃し、目的の海域までそろそろ到着しようかというところだった。

 波は穏やかで、前回のような嵐に見舞われる心配もなさそうだ。

 

 

 

「ーー彼方、そろそろ敵の海域よ。今のところ敵の姿は見えないけど、気を引き締めていきましょう」

『うん、ありがとう霞。ビスマルク、プリンツ、神通ーー周囲の索敵をお願い。鳳翔さんは航空戦がいつでも出来るように準備をお願いします』

「わかったわ、任せておきなさい!」

「日本の水偵を扱うのは初めてだけど……お願いね!」

「はい、提督」

 霞の言葉に応えた彼方の指示に従い、三人が水上偵察機を空へと放つ。

 今回は偵察機が増えた分、前回よりもかなり広い範囲の偵察が可能になっている。

 これもビスマルク達が彼方の艦隊に入ってくれたお陰だった。

 

 

 

「ーー! カナタ、敵艦が見えたわ!」

 偵察機からの情報を待っていた彼方に、ビスマルクの偵察機から敵艦発見の報せが入る。

 霞達もその報せを受けて、全員が即座に臨戦態勢に入った。

「戦艦一、重巡二、軽巡一、駆逐二! 真っ直ぐこちらへ向かってきてるわ!」

「……哨戒にしては戦力が過剰だわ。この海域に向かってきていることを考えても、敵の反抗先遣隊と考えるのが妥当でしょうね」

 霞は簡潔にビスマルクの報告を補足した。

 

 

 

 反抗先遣隊ーーつまり、戦闘は避けられないということだ。

 それに、敵の迷いのない動きから今日初めてこちらの海域へやって来た訳ではなさそうなのが見てとれた。

 元々この海域に展開していた残存艦隊が、この海域を取り戻そうと動き出していたのだ。

 今日ここでこの艦隊と出会えたことは、僥幸だったと言える。

 

 

 

『鳳翔さん、敵に空母はいません! 先制攻撃を仕掛けましょう!』

「はい!」

 鳳翔は彼方の指示に従い、即座に弓に艦載機()をつがえて目標に向かって狙いを定める。

 

 

 

「ーーっ!」

 引き絞られた弓から矢が放たれた。

 風を切り裂き疾る矢が、いくつもの黒と緑の機影に変わっていく。

 グラーフから託された艦上戦闘機と艦上爆撃機ーーFw190T改とJu87C改だ。

 

 

 

 敵艦隊にたどり着いたJu87C改ーースツーカが対空砲火を物ともせず得意の急降下爆撃を行い、海上に巨大な爆炎と煙を撒き上げる。

 強烈な爆撃により駆逐艦二隻の撃沈を確認した鳳翔は、素早く艦載機に帰艦指示を出し、彼方に戦果を報告した。

「彼方さん! 制空権を確保、その後爆撃により駆逐艦二隻を撃沈しました! こちらの艦載機に損害はありません!」

 

 

 

『よし、ビスマルク! 水偵を使って弾着観測射撃を! プリンツ、神通も射程に入り次第続いて! 霞、吹雪は待機。ーーまだまだ先は長いからね。魚雷は温存しておこう』

「了解よ、彼方!」

 

 

 

 彼方の指揮に従い、艦娘達が動き出す。

 全速で接近する二つの艦隊は、間もなく戦艦の間合いへと到達しようとしていた。

 

 

 

「今! Feuer!」

 烈帛の気合と共に、ビスマルクの巨大な砲塔から轟音と炎が上がる。

 初弾は僅かに敵戦艦を掠めて海上に着弾したが、偵察機からの情報を得て即座に狙いを修正した次弾が確実に相手の機関部に直撃する。

 ぐらりと態勢を崩した戦艦タ級flagshipは、ゆっくりと海の底へと沈んでいった。

 

 

 

「さっすが姉さまです! 私もいきますよ、Feuer! Feuer!」

「私も参ります! よく……狙って!」

 続くプリンツと神通も砲撃を開始する。

 狙い違わぬ正確な射撃が、重巡リ級eliteと軽巡ツ級を貫き海へと沈める。

 仲間を撃沈されたことで一瞬動きを止めたその隙を突かれ、残った重巡リ級eliteはビスマルクの砲撃によって撃沈された。

 

 

 

 あれだけの戦力を相手に呆気ない程簡単に勝利することが出来る今の彼方の艦隊は、相当に強力なものとなっていた。

 ビスマルク達が加入する前であれば、苦戦は必至の相手だ。

 それだけ戦艦の力は大きく、艦隊戦の要と言える存在だった。

 

 

 

「こんな相手じゃ私の力を見せるには全然足りないわ! どんどんいくわよ!」

「ちょっと、今日は威力偵察に来てるのよ? アンタが強いのはわかったから、派手に暴れすぎて肝心なときに弾がない、何てことにはならないようにしてよね?」

「分かってるわよ、霞。私を誰だと思っているの?」

「はぁ……まったく、頼りになるんだかならないんだか」

 溜め息を吐きながら先頭を進む霞は、本当は文句を言いながら笑っていた。

 

 

 

 

 

 ーー霞は駆逐艦だ。それはどこまでいっても変わることはない。

 駆逐艦の身で、彼方の艦娘全員を守ると言うのはーー本来は不可能なことだ。

 小さめの砲弾一つで致命傷になり得る駆逐艦は、身を挺して仲間を庇うことなど出来ない。

 霞には潮のように特異な技能もなく、時雨のように神がかった夜戦のセンスもない。

 吹雪のような伸び代も、今となっては残っていないだろう。

 個人としての霞の戦力は、最早完全に頭打ちとなっていた。

 

 

 

 だから霞は教艦になった。

 艦隊の皆を教え導き、自分自身の力で生き残る術を身に付けさせるために。

 どんなことがあっても沈まないーー生き汚いと言われても、それでも提督の下に帰ってくることが出来る艦娘に育て上げることで、間接的に彼方の艦娘を守ろうとしたのだ。

 自分の足りない部分を正しく理解していた霞は、彼方との約束を守るため、自分に出来ることを最大限努力する。

 その小さな身体に対して、背負うものはあまりに大きい。

 霞は彼方の一番であり続けるために、霞こそが彼方の約束を果たすための手段であり続けなくてはならないと思っていた。

 

 

 

 ーー霞が彼方の父に代わり海を守れるよう、まずは自分が深海棲艦に負けない強さを身につけること。

 ーー彼方が霞の隣に立っていてくれるよう、彼方を艦娘と信頼を結べる優しい提督で居続けさせること。

 ーー彼方と鎮守府の皆が笑っていられるよう、彼方の艦娘達を守ること。

 

 

 

 この全てを霞は守り続けなくてはならなかった。

 今まで霞が強くあり続けられたのは、これらを守らなくてはならないという強い想いがあったからだ。

 身の丈に合わない大きな目標のために、霞は背伸びをし続けなくてはならなかった。

 

 

 

 そう考えていたのだがーー今更になって清霜が言っていた言葉に、心の底から同意してしまった自分が何故だか可笑しくて堪らなくなって、ついつい笑ってしまったのだ。

 

 

 

(戦艦になりたい……か。全くよね。こっちは死ぬ思いで努力して努力して、漸くここまで強くなったって言うのに)

 

 

 

 ーー彼方を守る新たな力。

 それも霞が喉から手が出るほど欲しいと思っていた圧倒的な力だ。

 自分には天地がひっくり返っても届かない。

 どうあっても届かないはずのものに、清霜は届くと信じてひた向きに努力し続けていたが……やっぱり霞は戦艦になりたいと思うのはやめることにした。

 

 

 

「守ってもらえるってのはーーこんなに安心できるものなのね」

 

 

 

 彼方のお陰だ。

 彼方は提督になってからどんどん新しい艦娘を仲間にし、戦力を拡大させている。

 その誰もが彼方を大切に想い、彼方を守るために戦ってくれていた。

 全員が全員を守って戦うーーそれは、霞が望んだ艦隊の姿だ。

 霞が今まで一人で背負ってきた約束を、これからは彼方の艦娘皆で守っていく事が出来る。

 分不相応な願いのために身を削る必要はなくなり、全員でそれぞれが出来ることを精一杯やっていけば良くなった。

 

 

 

 彼方が霞を守れるようになるまで、霞は彼方を守り続けてきた。

 もちろん今までだって彼方が傍にいてくれたことで、霞は彼方に沢山の勇気を貰えていたがーー戦場で霞の身を守る者は自分以外には誰もいない。

 教艦が生徒に守られるわけにもいかないし、霞も神通も自分のことは二の次、三の次になってしまうのは仕方のないことだった。

 

 

 

 しかし今日、今この瞬間ーー霞は初めて提督として力をつけた彼方自身に守られていた。

 戦艦であるビスマルクは、彼方の艦隊全体を守っても尚十分な余裕を見せてくれる。

 やはりこの安心感は他の艦種とは一線を画すものだ。

 

 

 

 ビスマルクは本来彼方の鎮守府には着任しなかったはずの艦娘だった。

 そのビスマルクを仲間に引き入れた彼方の提督としての魅力と実力が、今のこの安心感を生んでいる。

 

 

 

 彼方に出逢ってから十一年。

 今年漸く成人を迎える彼方はーー背中を追いかけてばかりだった霞の隣に、いつの間にか並んで立っていた。

 霞を守ることが出来るくらいに大きく成長してくれていたのだ。

 

 

 

 

 

『ーー霞? どうかした?』

 耳元に彼方の心配する声が聞こえてくる。

 その声はーー声変わりして低くなっていたものの、与える印象は出逢った頃と何ら変わりないものだ。

 霞の大好きな優しい声。

 優しすぎて、周りの女性全員をその手で守ろうとするーー何とも強欲な男性に成長してしまったが、それでも彼方はこうして今でも霞を見つめ続けてくれている。

 

 

 

 それに、彼方をそういう男性にしてしまったのは霞にも原因があった。

 子供に背負わせるには重たすぎるものを、霞は彼方に背負わせてきたのだ。

 自分が彼方を欲しいと思ったばかりに、彼方の未来を提督へと縛りつけた。

 その結果、彼方は霞を、母を、父の守っていた海を守るためだけにーーただ約束を果たすことだけを考えて生きてきた。

 約束を果たすことが、彼方にとっては生きる理由そのものになってしまった。

 

 

 

 霞も彼方をそういう人間にしてしまったことに悩んだ時期もあったがーー彼方はそれを乗り越え、立派な提督へと成長してくれた。

 多くの艦娘に支えられて、それで漸く何とか立っていられるような、弱くて優しい提督。

 だが、それでいい。

 独りで立っていられるような男は支え甲斐というものがない。

 お互いに支え合って、手を取り合って歩いてくれるーーそれが霞が愛してやまない彼方という男性なのだ。

 

 

 

「ーー何でもないわ! さあ、今日中に主力艦隊の位置と編成くらいは突き止めてやらないとね!」

「なんだ、霞も結局やる気なんじゃない。素直じゃないのね?」

 霞の言葉にしたり顔でビスマルクがからかってくる。

 

 

 

「う、うるさいわね! アンタのお陰で暇なのよ!」

「あら、褒めてくれているの? ーーねぇ、カナタ。貴方は私のさっきの働きをどう思ったのかしら?」

『うん、凄かった! ビスマルクの事は、本当に頼りにしてるよ。ありがとう!』

 霞の照れ隠しの真意を正しく汲み取ったビスマルクは、彼方にも自分の評価を訪ねていた。

 やはり初めての出撃で、自分が艦隊にとってどれだけ有益な働きが出来ているかが気になっているのだろう。

 ビスマルクは、恐らく彼方に必要とされている実感が欲しいのだ。

 

 

 

「そ、そう? もっと頼りにしてもいいのよ?」

 背後から聞こえる艤装ががちゃがちゃと鳴る音で、見ていなくてもビスマルクが照れているのが分かる。

「自分で振ったのに褒められて照れちゃってる姉さま可愛いです!」

 後を追うように発せられたプリンツの言葉で、すぐに予想が当たっていた事が確認できた。

 

 

 

 成熟したその身の割りに、どことなく言動に幼さを垣間見せるビスマルク。

 彼方にとっても、霞にとっても、鎮守府全体にとっても、彼女はなくてはならない存在となっていたのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

ビスマルク回と見せかけた霞回と見せかけたビスマルク回……?

それでは、次回もまた読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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デートの約束

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

今回も投稿が遅れてしまって、お待ちいただいていた方には本当に申し訳ありませんでした。

それでは今回も、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです!


 海域の偵察は順調に進んでいた。

 遭遇する敵艦隊も、先程戦った反抗先遣隊より強力な艦隊はなくーー程なくして敵の主力艦隊を発見することができたのだった。

 

 

 

「ーーあれが敵の主力艦隊ね。何かしら……見たことのないタイプね」

 水上偵察機と視界を共有しているビスマルクが、敵の主力艦隊の旗艦を観察しながら呟く。

 その呟きに、同じく偵察機を通して敵艦隊を確認していた神通が答えた。

「ドイツでは出現していないのですね。あれは装甲空母鬼。鬼級と呼ばれる、一般的な深海棲艦とは一線を画する強さを持った個体です」

 淡々と答えた神通に動揺の色はない。

 鬼級と言えども、装甲空母鬼は鬼級の中では最も与し易い相手と言われている。

 今の戦力なら十分に勝ち目があると神通は踏んでいた。

 

 

 

「そう。あれがオニなのね」

「へぇ~。ゴテゴテして何だか気持ち悪いですね、姉さま」

 初めて目にした強力な個体にも、ビスマルクとプリンツには臆する様子は全くない。

 むしろ漸く手応えのある敵と戦えることに笑みを浮かべているくらいだ。

 

 

 

 敵はこちらの偵察機に気がついていないのか、動く気配はない。

 奇襲をかけるなら今だが……弾薬や燃料もある程度使ってしまっている今、万全の態勢とは言い難い。

 霞は彼方に判断を仰ぐことにした。

 

 

 

『彼方、敵の主力艦隊は私達の戦力なら十分に対処可能よ。どうする? 今なら奇襲もかけられるかもしれないけど』

「ーーいや、ダメだよ。今日はこれで撤退しよう。偵察機を見ても動かないのは、敵の罠だと思う。もし本当に気づいていないにしても、万全の態勢で挑まなくちゃ何かが起来たときに対処しきれない可能性がある」

 彼方は霞の提案を即座に却下した。

 それは彼方がほぼ確信に近い予測を立てていたからだ。

 

 

 

(あそこから敵の艦隊を誘き出さなければ、奇襲をかけられるのは僕たちの方だ)

 恐らく、あの周辺には敵の潜水艦が展開している。

 それに対処していれば、装甲空母鬼に狙い撃ちされ……逆に装甲空母鬼を先に狙えば潜水艦に奇襲を受ける。

 

 

 

『潜水艦、よね。分かったわ、今日は撤退しましょう。幸い躍起になって追いかけてくるつもりもあっちにはないみたいだし、今なら安全に撤退できるわ』

 霞は彼方の意図にすぐに気がつき、艦隊全員を伴って撤退を始めた。

 

 

 

 ーー装甲空母鬼は、最後までそこから動くことはなかった。

 

 

 

「ビスマルク、プリンツ」

『何かしら、カナタ?』

『どうしたんですか、カナタくん?』

装甲空母鬼(あれ)は必ず僕たちの手で倒さなきゃいけない。その時はーー二人の力が絶対に必要だ。」

 彼方は二人の様子から、すぐにでも戦いたいと考えているのではないかと思っていた。

 ここで撤退を選んだ彼方に大人しく従ってくれた事には、流石規律に厳しいらしいドイツの艦娘だと感心したが……やはりフォローも必要だろうと考えたのだ。

 一見慎重過ぎて弱腰にも見える彼方の艦隊指揮に、彼女達が不満を持っているのではないか、と彼方は危惧していた。

 

 

 

「ーーカナタ。貴方が私達が傷つくことを恐れているのは知ってるわ。初めてあったときに吹雪と鳳翔を抱き締めて泣いてるのを見たときからね。……言ったでしょ? 私は貴方をもう泣かせたりなんかしない。強敵と戦って私の強さを証明したい気持ちがないとは言わないけど、私がここにいるのはカナタを二度と泣かせないためよ」

「そういうことです。私達はカナタくんを含めた皆を守るために、この力を使うと決めてます。カナタくんの指揮に不満なんかないですよ?」

 彼方がフォローのつもりで言った言葉は、その真意をあっさりと二人に悟られてしまったようだ。

 逆に彼方が諭される結果になってしまっていた。

 

 

 

「う……ごめん、二人とも。失礼なことを言ったね」

『別に言葉自体は私達を頼りにしてるってことだから、謝る必要はないと思うけれど。ーーでも、やっぱりカナタに信頼されるには、私達の事をもっとよく知ってもらわないといけないようね。プリンツ?』

『そうですね、姉さま! カナタくんってばあの歓迎会からあんまり私達に構ってくれてませんしねぇ……。今度デートでもしてみましょうか、三人で!』

『デート? それは何かの訓練かしら?』

『はい、訓練の一種です! カナタくんのことも、私達の事も、お互いを深く知るには絶好の訓練だと言えます!』

「え、いや……プリンツ、そんな急にーー」

 申し訳なく思い黙って話を聞いていたら、とんでもない方へと話が転がっていっていた。

 プリンツは金髪美女を二人も連れて、彼方にどこへいけと言うのだろうか。

『カナタくんのさっきの失言は貸し一つ、ですよ? いいじゃないですか。そろそろ海も温かくなってきましたし、浜辺で遊ぶだけでもいいんです。私も姉さまも、カナタくんの事をもっと知りたいし、カナタくんに私達の事をもっと知ってほしいんですから』

 少々強引に感じなくもないが、これはプリンツなりに彼方に気を遣ってくれてのことだろう。

 彼方はプリンツの厚意にありがたく甘えることにした。

 

 

 

「分かった。プリンツ、ありがとう。今度時間が出来たときに三人で浜辺に遊びにいこうか」

「んふふ、私と姉さまと海で遊べるなんて、とっても贅沢なことなんだからね、カナタくん?」

「よくわからないけれど、訓練楽しみにしているわ!」

 こうして強かにデートの約束までをも取り付けたプリンツは、鼻歌混じりに鎮守府への帰途に着いたのだった。

 

 

 

 

 

「ーー彼方くん、霞ちゃん達が敵の支配海域を抜けました。これで鎮守府に全員無事に帰り着けそうです。お疲れ様でした」

「へぇ~、いつもこうやって彼方は僕たちの事を見ていたんだね。何だかただの矢印で味気ないなぁ」

「……このゆらゆらしてるのは、吹雪ちゃんですか?」

 鹿島の報告を聞きながら、つい先程訓練を終えて執務室へと報告にやって来た居残り組の二人ーー時雨と潮が彼方の指揮しているモニターを覗きこみ、それぞれの反応を見せた。

 言っていることは二人とも違っていたが、考えていることはそう遠くはない。

 特に時雨と潮はこの指揮用のモニターが動いているところを見るのは初めてだったため、その驚きも大きいものだった。

 

 

 

(こんな矢印と数字しか見えない映像で、僕らの指揮を執るっていうのは……考えていた以上に不安を煽るね。無事を祈るしかないっていう心境は、その場にいる時よりも辛い場面がありそうだ)

(戦場で吹雪ちゃん達が危ないと分かっているときも、直接守ってあげられない……。彼方さんが不安になっちゃうのもわかりますね……)

 

 

 

(ーーこれは僕が彼方を優しく労ってあげないといけないね)

(ーーこれは潮が彼方さんの疲れを癒してあげないといけませんね……)

 

 

 

 

「ね、ねぇ彼方? 吹雪達が帰ってくるまでまだ少し時間があるよね? ちょっと僕と散歩でもーー」

「ーー潮も、彼方さんのお疲れを癒してあげたいです。……何時間もここで指揮を続けていたんです、お疲れですよね? 何か潮にしてほしいことはないですか?」

「え、ええ? 急にどうしたの二人とも?」

 モニターを横から覗きこんで眺めていたと思ったら、急に彼方の世話を焼こうとしだした二人に彼方は困惑する。

 

 

 

「彼方くん、私は皆さんの食事の準備をしてますので、時雨ちゃん達の言うように彼方くんは少しお休みになっていて下さい。今日の戦果は上々です。私も頑張って美味しいお夕食作りますねっ」

 そういって鹿島は彼方に微笑みかけると、執務室を出ていった。

「あ、鹿島!僕も……」

 手伝いを、と言おうと立ち上がったところで、時雨と潮が彼方の肩を押さえて椅子に座らせた。

 

 

 

「ほらほら、彼方は吹雪達が帰ってくるまでゆっくりしてなきゃ」

「彼方さん、今お茶を淹れますね。時雨ちゃんも飲みますよね?」

「うん、ありがとう。潮」

「ありがとう潮、頂くよ。彼方は僕がちゃんと休んでるように見張ってるから」

 にこりと笑顔で頷くと、潮はお茶を淹れるために執務室を後にした。

 

 

 

 残された時雨と彼方は、何となく手持ち無沙汰になって見つめ合う。

 あの露天風呂で二人きりになった時以来、彼方と時雨は二人きりになったことがなかった。

 何となくあの時の事が思い出されて、照れてしまうのだ。

 

 

 

「………………」

「あの……か、彼方。ちょっと、視線が気になっちゃう、かな……あはは」

 時雨が顔を赤らめて胸を隠すような仕草をしたことで、彼方は自分が何処を見ていたのか初めて気がついた。

「うわ!ご、ごめん……時雨……」

「いや、いいんだよ。うん……服の上からだしね? あの時も僕が自分から入っていったんだしさ。僕も、彼方の身体……見てたし」

 どうにも彼方の脳裏には、月明かりに照らされて濡れた髪をきらきらと輝かせ、上気した頬に照れ笑いを浮かべた時雨の姿が焼き付いて離れない。

 濡れて僅かに透けているタオル一枚で肢体を隠す時雨の姿はとても美しくて、魅力的だった。

 

 

 

「か、彼方? あ、あの……良かったらだけど。もう一回、一緒に入ろうか? お風呂……」

「ああ!? ごめん! 本当にごめん!」

 注意されたのにまたも凝視してしまっていたらしい。

 自分のあまりの節操の無さに恥ずかしくて情けなくて堪らなくなる。

 

 

 

「うーん……そうかい? 入らなくてもいいの?」

「い、いや……それは、入りたい……ような……その……」

「彼方ってさ、意外とえっちだよね」

「ーーーーーー」

 半笑いの時雨の突っ込みに、彼方も二の句が継げなくなる。

 いや、そもそももう帰り道とは言え戦場に霞達が出ているのにするような話ではない。

 自分の欲望はうっちゃって、彼方は無理矢理頭を切り替えようとした。

 

 

 

「ーー今夜、露天風呂で待ってるからね?」

「ーーうん」

 囁くように耳元で誘う時雨に、あっさり負けた彼方は半ば無意識に頷いていた。

 答えた後に酷い自己嫌悪に苛まれるが、今更やっぱり止めると言いたくない自分もいて、更に彼方は頭を抱える。

 

 

「……彼方さん? お茶が入りましたけど……どうかしました?」

「い、いや……何でもないんだ。ありがとう、潮」

「潮も、彼方と話したいことがあったら今のうちに話しておいた方がいいかもね。僕は自室で飲むから、潮は彼方をよろしく。彼方、それじゃ……また、ね?」

 時雨は潮に彼方を任せると、彼方に意味ありげな言葉を残して部屋から出ていった。

 

 

 

「ーー彼方さん、モテモテですね」

「潮、その……」

「いいんです、分かっています。この鎮守府の皆が彼方さんを大切に思ってますし、彼方さんが私達皆を大切に思ってくれているのは知っていますから。……でも、潮も彼方さんに気持ちを伝えてもらえる時を、待ってますから」

 そっと彼方の髪を撫でた潮は、ソファに腰かけてお茶を飲み始めた。

 

 

 

 それから霞達が帰ってくるまで、彼方は潮と二人きりで静かに二人の時間を過ごしたのだった。




ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました!

一人とデートの約束をしようとすると、私も私もと収拾がつかなくなって投稿が遅れてしまいました。
彼方……くそう。
自分で書いてて悔しくなりますね。
でも最近はイチャイチャ出来る土壌が出来上がってきたので楽しくもあります。
次回は潮か時雨かプリンツとビスマルクか……。

また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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私の居場所

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら嬉しいです!


「ただいま、彼方。無事全員鎮守府に帰還したわ」

 日も落ちて暫く経った頃、霞達が鎮守府へと帰ってきた。

 今回は敵艦隊の編成も分かったし、周辺に展開する艦隊の情報も手に入れた。

 後は対策を練って十分に準備を整えるだけだ。

 

「おかえり、霞。皆もお疲れ様、皆怪我がなくて良かったよ」

「ただいま、彼方君! 今回は私、あんまり活躍してないけどね……あはは」

「ただいま帰りました、彼方さん。彼方さんもお疲れでしょう? すぐにお夕食の仕度をーー」

 彼方の労いの言葉に、吹雪と鳳翔が答える。

 しかし補給も済ませずすぐにでも食堂へ駆け込んでいきそうな勢いの鳳翔を、彼方は慌てて止めた。

「ほ、鳳翔さんは出撃してたんですから、せめて補給はしっかりしてください! 夕食なら鹿島が準備してくれてますから、大丈夫ですよ」

「あ……そうなんですか。それでは……大人しく補給に行ってきますね」

 疲れているだろうに、甲斐甲斐しく鎮守府の皆の世話をしてくれようとする鳳翔を彼方は何とか諌める。

 少し残念そうではあるが納得してくれた鳳翔は、名残惜しそうに振り返りながら吹雪と共に補給に向かっていった。

 

「ーー提督。神通、帰還しました。装甲空母鬼とは私と霞ちゃんは戦闘経験があります。後で情報を纏めてお渡ししますので、ご利用下さい」

「そうなの、霞!?」

「ええ、まだ教艦になる前にね。確かに手強い相手ではあるけど、今の彼方に勝てない相手ではないわ。大丈夫よ、安心なさいな」

 そう言う二人は確かに笑顔を浮かべている。

 本当に彼方ならば勝てると思ってくれているのだろう。

「……そっか。ありがとう、二人とも。油断しないでしっかり準備した上で、確実に勝とう。敵は装甲空母鬼だけじゃないしね」

 彼方はあの自分の有利の位置から動かない装甲空母鬼を思い浮かべて、朧気にではあるが対策の糸口を掴もうとしていた。

 

「神通。睦月ちゃんに、鋼材と弾薬を多目に持ってきてもらえるよう連絡して貰えないかな? ちょっと開発したい装備があるんだ」

「分かりました、直ぐに連絡しておきます。……それでは、私と霞ちゃんも補給に入りますね?」

 彼方の依頼に快く頷くと、神通も霞を伴って歩いていった。

 

 残ったのは、プリンツとビスマルクだ。

「カナタ、ただいま戻ったわ!」

 腕を広げて彼方をビスマルクが待っている。

「初出撃の時はハグで無事を喜んでくれるんでしょう? ほら、早く」

「ええ!? 誰がそんなことを……」

 確かに吹雪と鳳翔が帰ってきた時は、無事を喜ぶあまり抱き締めてしまったし、あれが鳳翔の初出撃ではあったのだが……。

「鳳翔が言っていたわ。カナタは照れ屋だから、こっちから言ってあげないとなかなか素直に気持ちが表現できないって」

 

(鳳翔さん、どういうことなんだろう……)

 たまに天然な言動が見られるのも鳳翔の魅力の一つではあるが、今回のこれは意図したものなのかどうなのか……判断に迷うところだ。

 しかし、厚意である事は間違いないだろう。

 彼方とビスマルク達が早く信頼を築けるようにとの鳳翔の計らいなのだ、恐らく。

 

「ぎゅー!」

 観念した彼方は、大人しくビスマルクにハグすることにしたのだった。

 艤装を仕舞ったビスマルクの姿はそれまでの勇ましさが抑えられ、ボディラインがくっきりと見える如何にも女性的な軍服のみの姿となっている。

 下の方は意識して見ないようにした。艤装を展開している時ならまだしも、今は下着のようなーー本人はパンツではないと言い張っていたーーものが丸見えなのだ。

 

「……あ、あはは。ーーでも、うん。本当に無事で良かったよ、ビスマルク」

「当たり前でしょう? 私を誰だと思っているの?」

 自慢げに胸を張り、更にその豊かさが強調された胸を揺らしてビスマルクが応える。

「そうだけど。でもビスマルクがいてくれたお陰で、今日は全員無事で帰ってくることが出来たんだ。かなり君にかけていた負担は大きかったと思う」

 ありがとう、と頭を下げる彼方にビスマルクが笑顔で頷いた。

「それが戦艦よ。皆を守り支える事が私の役目ーー私のプライドなの。私がいるから負けない、私がいれば勝てる。そう思わせるだけの強さを、私は持っている」

 自分の力に絶対の自信を持つビスマルクだからこそ出てくる言葉だ。

 ふとビスマルクは優しく微笑むと、語りかけるように続く言葉を紡いだ。

 

「だから、もっと私を頼りなさい。私の力は、貴方の力でもあるのよ?」

 

 ビスマルクは、彼方が自分自身の力で霞達を守ることが出来ず歯痒い思いをしていることを察してくれている。

 その歯痒さも含めて彼方を守ろうとしてくれるビスマルクの強さと気高さに、思わず彼方は見とれてしまっていた。

 

「……カナタくん、ちょっと姉さまにデレデレし過ぎじゃないですかぁ?」

「あら、どうしたのプリンツ? さっきまでニコニコしてたのに、急に機嫌が悪そうね」

「いえいえ、そんなことはありませんよ? ですが私のビスマルク姉さまに色目を使う不届きな男がいたもので」

 ツンツンとした雰囲気のプリンツが、彼方の事をジト目で睨み付けるようにして見ていた。

 

「カナタが? そんな風には感じなかったけど。だって好きだとか何だとか、言って来てないじゃない」

「姉さま、日本の男性はそんな簡単に好きだとか言わないらしいですよ? カナタくんが好きだって言ってるところ、姉さまも見たことないですよね?」

「うーん……言われてみれば確かにないわね。よくハグしてたりされたりしてるのは見かけるけど……」

 プリンツの言うことはいまいちビスマルクには理解出来ない事らしい。

 首を捻って考え込んでしまった。

 

「とにかく、姉さまは私の姉さまなんです! そんな簡単にカナタくんには渡しませんからね!?」

 プンスカという擬音が聞こえてきそうな雰囲気でプリンツが彼方に怒りを表現する。

 吊り上がった眉と紅く紅潮し膨らんだ頬が何とも愛らしいが、彼方にそれを愛でる余裕などある筈もない。

 

「いや、違うんだよプリンツ! 別に君からビスマルクを取り上げようなんて思ってないーー」

「ーーそういうことね!」

「姉さま? どうかしたんですか?」

 弁明しようとあたふたとする無様な彼方に気づきているのかいないのか、ビスマルクが何かに気がついたように声を上げた。

 プリンツもビスマルクのその様子に彼方から目を離してビスマルクへと目を向ける。

 

「プリンツ、貴方私に焼き餅妬いてるのね? 大丈夫よ、私は貴女から彼方を取り上げようなんて思ってないわ」

「ね、姉さま!? 全然違います! 私はどちらかと言えばカナタくんに嫉妬してーー」

 ビスマルクの突拍子もない発言に飛び上がったプリンツは慌てて訂正しようとするがーー

「ーー嘘ね。貴女最近私の後を着いて歩くこと少なくなったもの。友達も沢山出来たのでしょう? 私の側にいてくれようとしてくれるのは嬉しいけど、貴女ももう自由にしていいのよ? 私にとっても、カナタの鎮守府(ここ)はとても居心地がいい場所なんだから」

 わかるわね? と諭すようにビスマルクによって制されてしまった。

 

「ーーっ。確かに、そうかもしれません、けど。でも姉さまに焼き餅妬いてた訳じゃないですよ? ちょっと、何と言いますか……」

 上手く気持ちを表現する事が出来ず、しどろもどろになるプリンツを見かねたのか……それまで様子を見守っていた彼方が口を開いた。

「プリンツ、あの……ハグして、くれないかな」

「ええっ、このタイミングで!? カナタくんちょっとおかしくないですか!? それに姉さまに見られてるのにそんなこと出来るわけーー」

 何を言うのかと思えば唐突にハグの要求をしてくる彼方に、プリンツは目を丸くする。

 まさか彼方からそんなことを言ってくるとは欠片も思っていなかった。

 

(発言の内容はアレだけど……少なくとも私のことなんてどうでもいいって訳じゃないってこと、よね?)

 

 不器用で突飛な意思表示ではあるが、気持ちは伝わった。

 ささくれだっていた心が、彼方の間抜けとも言える行動で少しだけ暖かさに満たされる。

 

「あら、積極的ねーーいいわ、プリンツ。私は先に補給に入るから、カナタとゆっくりしてから来なさい。それじゃあねカナタ、デート……楽しみにしているわ」

 そう言うと、ビスマルクは踵を返し補給に行ってしまった。

 

「………………カナタくん」

「うん」

 

「私、姉さまをお側で守りたくて日本に着いてきたんです。ドイツでは、姉さまはあまり軍と馴染めなくて……母国ではありますけど、正直居心地が良い場所とは言えませんでした」

 ぽつぽつと、プリンツが語り始めた。

 ビスマルクの後ろ姿を見送ったまま、少し寂しそうにプリンツが笑う。

 

「私の国は、艦娘を人として見る人間なんて一人もいません。飽くまで兵器ーー消耗品扱いです。練度の差はあれど、沈んでも同じ艦娘はまた生まれてきます。元々生まれたときから高い性能を誇る私達には、然程練度は重要視されなかったんです。そんな中、ああして駆逐艦の一隻すら守ろうとする姉さまはーー異端でした」

 そんな異端扱いを受けるビスマルクを守ろうとしていたのが、プリンツだった。

 グラーフも軍に属する者としてビスマルクを守ろうとしていたのだが、プリンツはその事を知らされてはいなかった。

 

「……漸く姉さまは人としてーー姉さまが理想とする戦艦として必要とされる居場所を見つけることが出来ました。さっき姉さまとカナタくんがお話ししているのを見たとき、それが分かったんです。ーーそしたら、嬉しい筈なんですけど……もしかして私って、もういらないのかなって思っちゃって」

 ビスマルクの居場所をあっさりと作ってしまった彼方に嫉妬した。

 そして、自分を置いてあっさりと居場所を手に入れてしまったビスマルクにも……やっぱり嫉妬してしまっていたのだった。

 

「ねぇ、カナタくん。ーーハグ、してくれるんでしょ?」

「う、うん。もしプリンツが良ければだけど……ハグしたいな、って思ってる」

「なら……カナタくんは、私の居場所になってくれる?」

 ビスマルクの居場所が彼方の腕の中ならば、プリンツも同じ居場所にいさせてほしい。

 頼りない青年だと思う。軍人としては半人前もいいところだ。

 

 ーーだが、プリンツはそういう提督を求めていた。

 ビスマルクもプリンツも、自分達を人として受け入れてくれる提督を求めて日本にやった来たのだ。

 きっと彼方以上にプリンツ達に相応しい提督なんて、居はしないだろう。

 

「もちろんだよ。プリンツも、僕の大切な人だから」

 頷く彼方の腕の中に、プリンツが恐る恐る収まった。

 自分から飛び込むのとは訳が違う気恥ずかしさに、柄にもなく照れて黙り込んでしまう。

 

「……調子のいいことばっかり。姉さまのことイヤらしい目で見てた癖に」

「えっ……いや、そんなことは……」

 ないとは言い切れないが……だけどあの軍服はちょっと卑怯だと反論したくもある。

 しかし、やぶ蛇になることがわかりきっていたので、彼方は黙っておくことにした。

 

「デート。楽しみにしてるからね? カナタくんのこと……私のAdmiralのこと、もっと知りたいの」

「うん、僕も楽しみにしてるよ」

 彼方は頷くと、最後にもう一度プリンツを優しく抱き締めたのだった。




ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました!

今日はハグの日ということでハグ多目でお送りしました。

そう言えば今回は試験的に改行を詰めて書いてみました。
読みにくい等ございましたらお教えいただけましたら幸いです。

それでは、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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我が儘を言える勇気

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!


 敵艦隊の威力偵察を行った日から数日後の午後。

 彼方は依頼していた資源を持って睦月が到着するのを港で出迎えていた。

 

「睦月ちゃん、お疲れ様。資材ありがとう、本当に助かったよ。無理言っちゃってごめんね?」

「お疲れ様にゃしぃ、朝霧提督! このくらいお安いご用ですよっ」

 びしっと元気に敬礼して、睦月がにっこりと笑ってくれる。

 

 睦月は彼方の鎮守府に資材の運搬を行っていくれている艦娘だ。

 提督には、彼方や草薙のように敵の支配海域を解放する任務に就いている者もいれば――睦月の提督のように資材の運搬を主に担っている者もいる。

 この辺りの人選は、やはり提督としての資質や指揮能力の高さに関係してくる部分だ。

 資質の高くない提督は、そもそも六人の艦娘の力を同時に引き出すことが出来ない。

 大体平均して二、三人の力を同時に引き出すことが出来れば、並の提督と呼ばれる程だった。

 しかもそれは駆逐艦の話で、軽巡、重巡と艦種が大きくなっていくにつれ、要求される資質の高さも高くなっていってしまう。

 それでは並の提督に海域の解放任務を任せることなど出来よう筈もない、というのが最も大きな理由だった。

 

「睦月ちゃん、鳳翔さんが新しいお茶菓子作ってくれてるんだ。食べる?」

「もっちろんにゃしぃ~! もう私はそれが楽しみでここに来ているようなもの……って、はぅ~!」

 慌てて口を押さえるが、溢れた本音を止めるには既に遅過ぎた。

 ぱたぱたと忙しなく動く睦月を眺めていると、何だか小動物を見ているようで癒される。

 

 補給に向かった睦月を見送った後、彼方は早速その資材を使ってある装備を開発するため、早速ビスマルクの待つ工廠へと向かった。

 

「――ビスマルク、準備はいい?」

「ええ、いつでもいいわ。ここで装甲空母鬼(アレ)を倒す装備を造るのね」

 ビスマルクと彼方はしっかりと頷き合い、装備の開発を行うために呼吸を合わせる。

 睦月にはたっぷりと資材を持ってきてもらった――目的の物はきっと開発出来る筈だ。

 幾度か失敗を繰り返しつつも、彼方たちは諦めることなく装備の開発を続けた。

 

 

 

「出来た! 出来たよビスマルク!」

 繰り返すこと十度。大量の資材を消費はしたが、有用な装備も数多く開発できた。

 目的の装備も無事に開発できて、彼方はほっと胸を撫で下ろす。

「これが彼方の秘策なのね。確かにこれなら奴の射程距離外からの狙撃が可能になるけど……私が扱うには大き過ぎるわよ? 敵が動かない内は当てるのはそう難しくないでしょうけど、敵が動き出せば必ずその大きさと重さが邪魔になる。そのリスクは、きちんと考えた上での判断なのね?」

 

 ビスマルクの手にあるのは、大和と武蔵が搭載していた巨大な主砲――46cm三連装砲だ。

 その大きさは、ビスマルクが現在装備している主砲よりも、かなり大きく重そうだ。

 

「うん。あの位置から装甲空母鬼を誘き寄せるには、超長距離からの狙撃で大きな損害を与える以外にない。君の事は皆で守る。君には今回は装甲空母鬼を倒すことだけに集中して欲しいんだ」

「――そう、わかったわ。カナタの期待には応えてみせる。この装備……必ず使いこなすわ」

 彼方のビスマルクに対する期待と信頼に、ビスマルクは納得したように笑顔で大きく頷いたのだった。

 

 

 

 ビスマルクは早速新装備の使い心地を試すため、演習場へと向かい――彼方は執務室へと帰ってきた。

「お帰りなさい、彼方くん。新装備開発の首尾はどうでしたか?」

「何とか開発出来たよ。これでビスマルクがあれに慣れてくれれば、出撃出来るね」

 出迎えてくれた鹿島に笑顔で応じると、彼方は椅子に腰かけた。

 

 机に拡げられたのは、装甲空母鬼が待ち構えていた周辺の海域図だ。

 装甲空母鬼を狙撃した後予想されるのは、周辺に配置されていた潜水艦達の強襲と、装甲空母鬼が持つ航空戦力による空爆、及び雷撃だ。

 狙撃のために身動きが取れないビスマルクを守るために、危険な役目を背負わせなくてはならない人物がいる。

 

(航空戦力には鳳翔さんの艦載機で対抗する。潜水艦には神通と霞。直接ビスマルクを守るのは、プリンツと――潮しかいない、んだよな……やっぱり)

 

 潮の魚雷撃墜は他に可能な人物がいない、潮特異のものだ。

 霞や神通にだって、潮程上手く魚雷を捌くことは出来なかった。

 それ故にどうしても潮には危険な役目を背負わせがちになってしまう。

 今回は敵の艦上攻撃機も潜水艦の雷撃も、事前に鳳翔と霞達で出来るだけ減らすつもりではいる。

 しかし、そうは言ってもやはり不確定要素として避けられない部分ではあるのだ。

 

 プリンツには取り巻きの敵艦の相手をお願いしなくてはならない。

 それだって決して楽な役目ではない。

 潮やプリンツには特に大きい負担がかかるだろう。

 今回の決戦は、かなりの危険を伴う作戦にならざるを得なかった。

 

「――鹿島。ちょっと潮に会ってくるよ」

「はい、潮ちゃんでしたら演習場にいるはずですよ。最近少し寂しそうにしてますから、構ってあげて下さい」

 にこり、と微笑んだ鹿島が立ち上がった彼方を執務室から送り出してくれる。

 彼方は鹿島に礼を言うと、足早に演習場へと向かった。

 

 

 

「――潮!」

 演習場の側まで来たところで、彼方が潮に声をかける。

「!……彼方さん、どうされたんですか?」

 彼方の声に少し驚いたようだったが、潮は振り返って彼方の側までやって来てくれた。

 

「今度の作戦のことで、潮と話したいことがあるんだ。僕の部屋に来てもらえないかな?」

「はい……わかりました。直ぐに仕度して行きますので、彼方さんはお部屋で待っていて下さい」

 潮は緊張で彼方の声が少し硬くなっている事にすぐに気づいたが、疑問を差し挟む事なく頷いた。

 

 前回は留守番だったが、今回は出撃になる――それも彼方の緊張ぶりからして、恐らくは危険な役回りだろう。

 しかし危険だと分かっていても潮に任せようとしてくれている事に、彼方からの信頼を感じとることが出来て潮は嬉しかった。

 

(そう言えば彼方さんが自分からお部屋に招いてくれたのは初めてですね……。これは念入りに綺麗にしていかなくちゃいけません)

 作戦の事も気にかかるが、まずは彼方と二人きりになれる機会の方に目を向けるべきだと潮は考えた。

 最近は艦娘が増えてきてなかなか以前のように二人でいられる時間がない。

 貴重な時間を無駄にするわけにはいかないのだ。

 無言で気合いを入れ直した潮は、演習でかいた汗を流すため急ぎ入渠施設へと向かった。

 

 

 

「――彼方さん、潮です。お待たせしてしまってすみません」

 念入りに身綺麗にしてきた潮は、彼方の待つ部屋へとやって来た。

「潮、待ってたよ。どうぞ」

 彼方が中から扉を開けてくれたので、潮はそろそろと彼方の部屋に入った。

 普段自分から忍び込むようにして彼方の部屋に入り込む潮は、改めて彼方に招き入れられた事を意識して頬を赤らめる。

 ふと我に帰ると、潮の目の前には小さなテーブルと椅子――そして、テーブルの上には可愛い兎の形をしたお菓子とお茶が用意してあった。

 

「――あの、彼方さん。……これは?」

「鳳翔さんが作ってくれた新作なんだ。一緒に食べよう?」

 彼方はいい加減待ちきれないのか、うきうきした様子で潮に椅子に座るよう促す。

 潮はてっきり直ぐにでも本題に入るのだろうと思っていたが、彼方は先程までの緊張が嘘のようにリラックスしているように見えて驚いてしまった。

 

「潮? どうしたの?」

「あ、いえ……何でもありません。……可愛いらしい兎さんですね」

 首を傾げる彼方に、潮は慌てて席につく。

 鳳翔が作ったという兎が座り込んでいるような形をしたお菓子は――潮が持っている兎のぬいぐるみにどことなく似ているような気もする、何となく親近感が湧く顔立ちをしていた。

 

 彼方は既に口に放りこんで味を楽しんでいるようだ。

 そこはやはり男性というか何というか……しかし、その幸せそうな顔を見ていれば、作った鳳翔もさぞ嬉しいことだろう。

 

(潮も、何か作れるようになった方がいいですよね……)

 見た目と同じく素晴らしい味の鳳翔のお菓子を頬張りながら、潮は鳳翔に料理を教わることを考えていた。

 

 

 

 お菓子を楽しみお茶で一息ついたところで、彼方の雰囲気が変わる。

 

 ――提督としての彼方の顔だ。

 

 潮も彼方のその変化に、居住まいを正して彼方の瞳を見つめ返した。

 

「――潮。今回の作戦で一番危険な目に遭うのは……恐らく潮だ」

 そう前置きすると、彼方は作戦の詳細を説明しだした。46cm三連装砲を装備したビスマルクによる、超長距離からの狙撃。

 潮は狙撃中のビスマルクを守る役目に任じられた。

 迎撃対象は霞達が撃ち漏らした潜水艦と艦載機から発射された魚雷だ。

 ――つまり、数が読めない。最少は0。最大は不明ということだ。

 

「もし潮でもどうにもならない数の魚雷が発射された時は、直ちに狙撃を諦めて撤退するようビスマルクには言ってある。潮は無理だと思ったら気にせず逃げていい。防御力自体はビスマルクの方が高いしね。――それに、実はそれはあんまり心配してないんだ。鳳翔さんなら敵の艦載機はかなり撃ち落とせるし、霞達も昼間なら潜水艦の処理は十分に可能だと思う」

 

 彼方の作戦は、確かに危険な点、不確定要素を含む部分が確かにある。

 しかし信頼する仲間の力を信じることで、彼方の抱える不安は意外なほど小さなものになっていた。

 

 神通から提供されたデータから、確かに装甲空母鬼は彼方の艦隊ならば十分に勝利できそうなことも分かっている。

 制空権の確保すら、鳳翔なら可能だろう。

 

「……だから、僕が抱えている不安はそれほど大きなものじゃない。――ただ、潮と話がしたかったんだ」

「彼方さん……」

 

 そう言えば、吹雪と鳳翔が行方不明になった出撃の時、迫り来る魚雷に思わず飛び出していってしまったことがあった。

 彼方は、潮が今回も挺身とも取れる行動を取ってしまうのではないかと危惧しているのだ。

 しかも今回は自分でその役目を負わせる分、その行動を止めろとも言い辛いのだろう。

 

「彼方さん……潮の力は、彼方さんを守るためにあります。ですから……潮に仲間を守ることが出来るのなら――潮は躊躇いません」

 次にあの時と同じ状況になっても、潮はまた魚雷群の前に飛び出していくだろう。

 潮でなければ守れないのなら、潮が守らなくてはならない。

 仲間を見捨てて、自分だけ無事に帰ることなど……潮には出来ない。

 彼方が信じてくれている潮は、潮が信じている彼方は――仲間を見捨てる筈なんてないのだから。

 

「潮……彼方さんのこと信じてます。彼方さんが潮を信じてくれるから、潮はどんなことだって出来ると思えるんです」

「潮……ありがとう。今日は話せてよかった……これで僕も迷いなく君を送り出すことが出来るよ」

「当たり前です。潮は、彼方さんの最初の彼女なんですよ?」

 安心したように柔らかな笑みを浮かべた彼方に、潮も心の中で安堵する。

 漸く潮も、彼方の不安を取り除くことが出来たのだろうか。

 

 

 

 これまでも必要とされてはいたが――反面いつも彼方を不安にさせてしまっていた潮は、彼方に対して申し訳なさを感じていた。

 そんな中、吹雪と時雨は以前よりも彼方との距離をぐっと縮め、彼方の心すら守ることが出来る位置に立ってしまった。

 二人に置いていかれ、自分だけ彼方の心を守ることが出来ないその寂しさは、潮の心に小さな棘となって痛みを訴え続けていた。

 

「うん……そうだよね。潮はいつだって、僕に本気でぶつかってきてくれた。僕も潮に、伝えたい気持ちがあるんだ」

 彼方の言葉に、今までの自分の行動が思い出される。

 

 ――彼方が霞や鹿島を連れて提督になることを初めて知って、彼方に捨てられるかもしれない恐怖で子供のように泣き喚いたこと。

 ――彼方を霞に奪われたくない一心で、無理にでも彼方を手に入れようと告白したこと。

 ――告白を受け入れては貰えたものの……結局は霞を一番に想い続ける彼方に、あの手この手で自分の存在を意識させようと悪あがきを続けていること。

 

 何とも自分本意な行動ばかりだ。

 挙げればキリがないほど、潮は彼方に甘え続けている。

 だが、そうしなければいられないほどに――潮は彼方が欲しいと思っているのだ。

 その気持ちの強さは、きっと誰にだって負けていない。

 

「――潮。僕は……潮のことが好きだよ。君は臆病そうに見えて、本当はとても強い女の子だ。だから僕は、ずっと君の強さに甘えてた。だけど……僕にはもっと弱いところも見せてほしいって思ったんだ」

「強い……潮が、ですか? 潮は、いつだって彼方さんに甘え続けていたんですよ? 強いところなんて一つも……」

 彼方の言う潮と、潮が考えていた自分の姿は全く重ならない。

 弱さばかりが際立っている自分の、一体どこが強いと言うのだろうか。

 

「自分のして欲しいことを相手に伝えるのって、凄く勇気がいることだと思うんだ。嫌われたくない相手に対しては特にさ。潮は、いつだってそのリスクを省みず僕に気持ちを伝え続けてくれた。……僕は、そのリスクが怖くて今まで頼れる提督を演じようと必死になってたっていうのにね」

 嫌われるかもしれないリスクを抱えて自分の弱さを見せるよりも、強い振りをしている方が楽だったのだ。

 今の彼方は自分の弱さを隠さない努力をしているが、それで初めて気づいた潮の強さに、改めて尊敬の念を抱いていた。

 

「潮は強い。……だけど、君は最近無理に強くあろうとしてるように見える。以前の僕と同じように見えるんだ」

 

 彼方の言葉は、潮の中にすっと入り込んできた。

 ……確かにそうだ。平気な振りをしていることが最近増えた。

 彼方に我が儘を言いたい気持ちは潮の中に確かにある。

 だが、今更になって潮は自分の弱さを曝けだす事を恐れてしまっていた。

 確かに彼方の言う通りだ。

 しかし――

 

「――そんなの、彼方さんのせいじゃないですか。吹雪ちゃんや時雨ちゃんともっと仲良くなったのに、潮の事だけ放っておくから……」

 一度口を開くともう止まらない。

 堪え続けていた想いが潮の口を突いて溢れだす。

 

「潮だって、もっと彼方さんの近くにいたかったんです。彼方さんの心も潮が守ってあげたかったんです! 潮の心も彼方さんに守ってほしかったんです……。潮は、ずっと待ってたんですよ……? 我が儘を言えば、彼方さんを困らせてしまうのは目に見えていますから。それを今更強がってるなんて――」

 どの口が言うのだと言おうとして、はっと潮は口を閉ざした。

 

(……黙っていても潮の気持ちを察して下さいっていうのも、潮の我が儘なんですね)

 

 彼方は――遅くなったかもしれないが、潮の我が儘に気づいてくれたのだ。

 そして、溜め込んでいた想いを吐き出させてくれた。

 少しスッキリした頭で考えて、潮は漸くその事に気がついた。

 

「いや、本当に耳が痛いよ。……ごめん、潮。もっと早くに気がついていれば、潮に寂しい思いなんてさせなくて済んだのに……」

 彼方の言う「潮に甘えていた」とはそういうことだ。

 潮なら黙っていても彼方を待っていてくれると、彼方は安心していた。

 そんなところもお互い様なのかもしれない。

 

「彼方さん、まだまだですね?」

「いや、うん……ほんとに。女性の心の機微に疎くて困りものだよね……」

「でも……潮も、まだまだでした」

「うん?」

 

「――っ!?」

 

「――っん。……彼方さん。潮、もう遠慮はしません。潮と彼方さんは、もう両想いなんですからね?」

 油断していた彼方の頬に口づけた潮は、そっと彼方の唇を指でなぞって微笑みかけたのだった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

これで一章組は全員正式に彼方のハーレム入りです。
時雨とのお風呂は諸事情によりカットといたしました。

次回は恐らく装甲空母鬼との戦い……の前にデートですね!?

それでは、また読みに来てくださったら嬉しいです!


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ドイツ艦とデート(前編)

5ヶ月以上もお待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!
仕事等諸々の事情でしばらく創作活動から離れてしまっておりましたが、本日からまた少しずつ更新していければと思っております。

またお付き合いいただけましたら幸いです。


「カナタくーん、こっちこっち!」

 

 ビスマルクが新装備にも慣れ、海域の攻略を目前に控えたある日――彼方はプリンツ達と約束していたデートをするために、鎮守府近くにある砂浜へとやって来ていた。

 

「おはよう、プリンツ。今日は良い天気でよかった」

「そうですねっ、絶好のデート日和だと思います!」

 今日の空は快晴だ。

 太陽の光はジリジリと焼けるように熱く、一足早い夏の到来を感じさせる。

 そんな中彼方よりも先に到着していたプリンツが、待ち遠しげに大きく手を振りながら彼方を待っていた。

 服装はいつもと変わらず軍服姿ではあるものの、ツインテールをぴょこぴょこと揺らすプリンツの姿は、それだけでいつもよりも上機嫌であることがよく分かる。

 プリンツのその年相応の少女のような振る舞いに、彼方は思わず笑みが溢れそうになったが、寄せる波音にふと我に返った。

 

(プリンツ達にとっては、(ここ)は職場とも言えるんだよなぁ……。折角の日本で初めての休暇、しかも初デートだって言うのに、職場でっていうのも正直どうなんだろう……)

 

 しかし、それもやむ終えなかったのだ。

 海域攻略戦を目前に控え、遠い街へと繰り出す訳にもいかない。

 鎮守府の敷地内ではそれこそ家と変わらないし、かといって他に行く宛もない。

 最前線であるこの鎮守府近辺には、デートスポットと呼べるような場所はどこにもなかったのだった。

 

「? カナタくん、どうかしました?」

 プリンツのそばまでやってきた彼方の顔を覗き見て、プリンツが不思議そうに首を傾げる。

 うだうだと考えても仕方のないことを悩んでいたのが、表情に出てしまっていたらしい。

 プリンツがこれ程楽しみにしてくれていた折角のデートだ。

 場所はどうあれ、彼方もプリンツを楽しませたいし、彼方自信もつかの間の休息を彼女達と共に楽しみたい。

 だと言うのに彼方が浮かない顔をしていては、彼女達に余計に申し訳ないだろう。

 

「ぁ、いや……もっと楽しい場所に連れていってあげられれば良かったかな、と思って。日本にも沢山楽しい所があるのに、初めてのデートが僕達にとって職場みたいな場所っていうのは……少し残念かな、って」

 彼方は苦笑しながら先程から悩んでいたことを白状することにした。

 

「えぇ? あの……カナタくん、もしかして海嫌いでした?」

 しかし、彼方のその言葉にプリンツは眉尻を下げて、すまなそうに問いかけてくる。

 しまった――と思ったときにはもう遅い。先程までの上機嫌が打って変わって、捨てられた子犬のような悲壮感漂う様子のプリンツに、彼方は慌てふためいてしまう彼方だったが、投げ掛けられたプリンツの言葉についついまた考え込んでしまう。

 

 彼方は今まで海が好きか嫌いかなんて、よくよく考えてみたことはなかった。

 もちろん深海棲艦は嫌いだ、憎んですらいるだろう。深海棲艦がいなければ彼方は父親を喪うことはなかったのだから。

 

 かといって海その物が嫌いか、と問われれば……わからないというのが正直なところだ。

 だって、海がなければ艦娘(彼女達)もいない。

 それに……幼い頃に霞と見た、日が沈み行く水平線の美しさは今も彼方の心に強く印象づけられている。

 

「――私は、好きなんです。海」

 

 彼方の耳に響く優しげな声音が、自分の内に沈み込んでしまっていた意識をゆっくりと引き戻す。

 

「確かに海は私達の戦場ではありますけど、同時に生まれ故郷でもあるじゃないですか? 海がなくちゃ、私達は存在しませんし。それに――」

「えっ、ち、ちょっとプリンツ!?」

 

 プリンツが勢いよく軍服を脱ぎ捨てる。

 彼方は慌ててプリンツを止めようとするが――

 

「――って……水着?」

「そうです! 私、一度海を走るんじゃなくて泳いでみたかったんですよ!」

 

 ――無造作に脱ぎ捨てられた軍服から視線を戻すと、夏の日差しを受けて眩しく輝いている白い水着が、プリンツの美しい肢体を彩っていた。

 

 

 

「――それにしても、海で泳ぐなんて初めてだよ。プールでは何度も泳いでいたけど」

 彼方も今は水着姿だ。

 用意のいいプリンツが彼方の分まで水着を準備してくれていたのだった。

 岩影で着替えてきた彼方は、プリンツの軍服――戻ってきたらきちんと畳まれて砂浜の隅に置かれていた――の隣に自分の軍服を畳んで置き、プリンツの隣に立つ。

 初めて女の子に見せる水着姿が何となく気恥ずかしくて、彼方は目の前に広がる海を改めて見渡す様に眺めた。

 

 見渡す限りの青い海だ――いつも執務室から眺めているものと大して違いはないはず。

 この浜辺はこちら(人間)側の制海権内のため、当然深海棲艦の姿も彼方の視界には見当たらない。

 しかし、何故か彼方の目にはいつもよりも海の碧は色鮮やかに見えるし、空の蒼も透き通って見えた。

 

 これから海水浴に臨む――本来は海で泳ぐなんてもっての他、それこそ自殺行為だと言われても過言ではない行いだったというのに、彼方の心は不自然なほどに軽い。

 

 ――それもこれも、彼方の隣に立つ少女のお陰に違いない。

 未だ視線をプリンツへと向けることが出来ない彼方は、先程の悩みが嘘のように浮き足立っている自分の心に苦笑する。

 

「そうなんですか? ……でも、確かに日本ではそうなのかもしれませんね。ドイツに比べて日本の深海棲艦は強力で、数も多いって聞きました」

 彼方の気持ちを知ってか知らずか――プリンツも彼方の言葉に頷き、彼方の隣に立って水平線を眺める。

 プリンツも母国の鎮守府を思い出しているのか、横目で窺うその表情は微かな憂いを帯びているように見えた。

 

 

 

 ――ドイツでは数多くの潜水艦の艦娘達がいて、常に海域の警戒を行っていたそうだ。

 その上周辺の諸国も強力な艦娘を多く所持していて、国家の垣根を越えて海域の守護に当たっているらしい。

 かつての戦争では敵同士の国だとしても、今現在では共通の敵と戦う仲間ということだ。

 

 

 

「海水浴は、その頃に見かけたUボート達を思い出しての提案なんですよ? 気持ち良さそうだなぁっていつも思ってたんです」

 母国じゃこんなこと絶対出来ませんからねー、と舌をチラリと覗かせながら、悪戯っぽくプリンツが笑みを浮かべる。

 

 確かに海水浴(こんなこと)は艦娘自身でさえ他の艦娘が護衛につかなくては出来るはずもないし、常に深海棲艦からの脅威に晒されている日本に住んでいては考えつきもしなかっただろう。

 

 

 

「――大丈夫よ、カナタ。私も周辺を見回ってみたけど、この近くに深海棲艦はいないようだし。まあ、いたとしてもここには私達がいるんだもの、何も心配いらないわ」

 声のする方に振り向くと、周辺の警戒に行ってくれていたらしいビスマルクが砂浜へ戻って来るところだった。

 今日のビスマルクは、周辺警戒のために艤装を展開してはいたものの、いつもの軍服とは全く違う――圧倒的なスタイルを更に強調させる、黒地に赤いラインの入った三角ビキニの水着を身につけていた。

 シャープな印象を持たせつつも、魅せるところはしっかり魅せる、ビスマルクらしい水着と言えるだろう。

 

「姉さま! やっぱりその水着、良く似合ってます!」

 プリンツがすかさずビスマルクの水着姿を褒める。

「ありがとう、プリンツ。睦月にも今度会ったときにお礼を言っておかなくちゃいけないわね」

 薄く微笑んだビスマルクは、艤装をしまって彼方達の目の前まで歩いてきた。

 歩く度に弾むように揺れる胸から何とか視線を逸らしつつ、彼方もビスマルクに声をかけることにした。

 

「ビスマルク、周辺の警戒ありがとう。……その、水着、良く似合ってるよ。可愛さとかっこよさのバランスが、ビスマルクにぴったりだと思う」

 少し頬が熱くなりはしたものの、何とか彼方もビキニの水着姿を褒めることができた。

 普段から女性に囲まれて生活しているが、女性を褒めることにはやはりまだまだ慣れが必要そうだ。

 特に、今日のビスマルクは目に毒だとも言える水着姿だ。

 彼方には少し刺激が強すぎる光景だった。

 

「ぁ……そ、そう? ――ありがと、カナタ。何だか、ちょっと恥ずかしいわね。カナタも水着似合っているわ、意外と鍛えているのね?」

 彼方の言葉に少しだけ頬を赤らめると、言葉少なにビスマルクが礼を言う。

 いつも自信ありげなビスマルクらしからぬしおらしい態度に思わず彼方も見とれてしまい、ただうんうんと頷くことしか出来ない。

 

「む~。カナタくん、また姉さまにデレデレしてるぅ! 私の水着の感想はぁ!?」

 存外ヤキモチ焼きの気があるのか、頬を膨らませてプリンツが不満げに彼方の手を引いた。

 確かに彼方はプリンツの水着についてまだコメントしていない。敢えてコメントを避けていたとも言えるのだが……。

 彼方にとって、一対一で面と向かって水着を褒めると言うのはかなり恥ずかしいものなのだ。

 先程のビスマルクの水着については、プリンツの後について勢いで何とか褒めることが出来た。

 

 中々言葉の出てこない彼方に、少しずつプリンツの瞳に不安げな光が揺れ始める。

 

「……ゃ、やっぱり似合わな――」

「プ、プリンツも良く似合ってるよ! 凄く、可愛い……と思う……うん」

 彼方は目の前の光景に対する動揺を必死に圧し殺しながら、プリンツの水着姿をなんとか褒め称えることができた。

 

 プリンツもビスマルクと同じくビキニタイプの水着を着用していたが、ビスマルクとは反対に白を基調としたフリルがあしらわれた、可愛らしさがより前面に押し出された水着だ。

 先程の男らしいとも言える勢いの良い脱ぎっぷりとは裏腹に、白い水着はプリンツの女性的な魅力を際立たせ、持ち味の愛嬌たっぷりの表情にもとても良く似合っていた。

 

「ぇ、ぁ……か、可愛い?……そう、かな? んふふ、Danke! ありがと、カナタくん!」

 言葉は少なくとも彼方の真摯な気持ちは通じたのか、プリンツは不安、安堵、歓喜へと目まぐるしく表情を変えていく。

 本当に感情表現の豊かな艦娘だ。今まで彼方の艦娘だった者達は、やはり日本生まれらしく控えめな部分も多く見受けられていた。

 しかしプリンツやビスマルクは素直に感情を表現し、彼方もそれに当てられるように少しずつではあるが素直な気持ちを言葉に出来ている。

 不思議な感覚に包まれながらも、彼方もこの二人と共にいることにだんだんと慣れ始めてきているようだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。

プリンツ、ビスマルクとのデートは三話構成になりそうです。

それでは、また読みに来ていただけましたら幸いです。


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ドイツ艦とデート(中編)

今回も読みに来ていただけまして、ありがとうございます!

今回は中編になります。

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「かかカナタくん……手、離さないでね!?」

「ち、ちょっとプリンツ!? 右腕は私が掴んでいるのよ、貴女には左腕があるじゃない!」

「プリンツ、やっぱり無理しないで――」

 左腕……もとい左半身にしがみつき、今や右腕にすら迫ろうとしているプリンツに再度声をかけてみるが、激しくいやいやと首を振る姿に、彼方はどうするべきか僅かながら逡巡した。

 

(……でも、この反応はやっぱり普通じゃない。それに二人ともだなんて)

 これは、単純に初めての海水浴に戸惑っているというわけではないだろう。恐らく彼女達が艦娘であることに起因する反応だ。

 

 ――無意識に自分の身体が海に沈むのを拒絶している。

 

 彼方はあの時、もっと早くに陸へと引き返さなかったことを後悔していた。

 

 

 

 準備運動もそこそこに、早速彼方達三人は初めての海水浴に臨むため、勢い込んで押し寄せてくる波――といっても緩やかな小波程度の物ではあるが――へと歩みを進めていた。

 爪先が濡れ、脛、膝、太股と段々と上がっていく水位と共に、彼方の両隣を歩いていた少女達の勢いが加速度的に失われていく。

 ついに腰まで海に浸ろうかという頃には、二人は最早一歩も動けないような状態で顔を青くして固まってしまった。

 

「プリンツ? 大丈夫?」

 爪先や脛に波がかかる度に喜んで跳び跳ねていたプリンツは、今や彼方の左腕にぴったりとへばりついて離れない。

「う、うん。大丈夫だよ……カナタくん。まだまだ、全然へーき」

 強張った笑顔で答えるプリンツは、明らかに無理をしていますという様子だ。

「いや、でも無理して泳ぐ必要なんて――」

「お願い! もうちょっとだけ……ホントに無理ならおとなしく戻るから……」

 懇願するように彼方の顔を見上げるプリンツの必死とも言える瞳に、彼方は二の句が次げなかった。

 

 何がプリンツをここまで強く海水浴へと掻き立てているのか、彼方にはわからない。

 しかしここまでプリンツが言う以上は、その意思は固いということなのだろうと判断した彼方は、もう一人――今は彼方の右腕をぎゅっと掴んでいるビスマルクへと声をかける。

 

「ビスマルクも、無理をして海に入る必要なんてないんだ。一度皆で陸に――」

「私の事は心配しなくていいわ、カナタ。プリンツがどうしても私達と泳ぎたいと言うのなら、私も一緒に泳ぎたい」

 こちらも意思は固いようだ。

 きゅっと結ばれた口からは、それ以上の言葉が出てくることは望めそうもない。

 

 彼方は二人の強い意志に根負けして、本当に無理はしないということを条件に、もう少しだけ歩みを進めてしまったのだった。

 

 

 

「――まだ大丈夫! 絶対、泳いで見せ――っひゃぷ!?」

 比較的大きめの波がプリンツの既に涙目になってしまっている顔面に直撃する。

 右腕は全身を緊張させたビスマルクに抱き締めるようにしがみつかれて、思うように身動きも取れず、波の勢いでそのまま崩れ落ちそうになっている彼女を助け起こすことさえ一苦労という有り様だ。

 

 このままでは折角の初めてのデートも辛い思い出ばかりになってしまうだろう――プリンツ念願の海水浴とは言え、やはりこの辺りが潮時だと彼方は判断した。

「プリンツ、ビスマルク。一旦上がろう――ほら、顔も海水で濡れちゃったしさ」

「ふえぇ……しょっぱいよぉ、カナタく~ん……」

 海水なのか涙なのかわからないぐしょぐしょの顔でとうとうプリンツが情けない声を上げて白旗を上げる。どうやらプリンツに異論はないようだ。

 彼方は右腕にしがみついているビスマルクに視線を向けると――

「し、仕方ないわね! プリンツがそう言うのなら一度陸に戻りましょうか!」

 自分からは陸に戻りたいと言い出さないと決めていたのか、ビスマルクは更に強く彼方に身体を押しつけるようにして、矢継ぎ早に肯定の意を述べたのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「あ~あ! ――やっぱり水上艦とUボートじゃ、住む世界が違うってことなのかなぁ。気持ち良さそうだと思ったのに……残念です」

「そうね。……まさか、自分がここまで海水に浸かることに忌避感を覚えるとは思わなかったわ」

 何とか二人を抱えるようにして砂浜に戻ってきた彼方は、休む間もなく二人を残して鎮守府に大きめのタオルを取りに戻っていった。

 今は二人して砂浜で膝を抱えて、迷子の子供のようにただ座って彼方の帰りを待っている。

 あれほど恐ろしいと感じた海も、砂浜からはなんてことのない――いつも通りの穏やかな海にしか見えない。

 

「カナタくんにもねえ様にも悪いことしちゃいました。私の我が儘に付き合わせて、こんな情けない姿まで見せて……ごめんなさい、ねえ様」

 しょんぼりと肩を落としたプリンツが溢す珍しく弱気な言葉に、ビスマルクはついつい噴き出してしまった。

「ふふ……いつもの貴女からは考えられないほど弱気なのね。カナタはそんなこと気にしてなんかいないと思うわよ? もちろん、私もね」

 ビスマルクもプリンツの我が儘に付き合わされたなどとは毛頭思っていないのだ。彼方もきっとそうだろうという確信に近い思いと、僅かばかりのそうであって欲しいという願望がビスマルクにはあった。

 

 情けない姿を見せてしまったのはビスマルクも同じだからだ。

 彼方の艦娘の中で一番強くあらねばならないという気持ちが特に強いビスマルクにとって、彼方に弱さを見せてしまったことは正に痛恨の極みだったのだ。

 

(情けない艦娘だって、思われちゃったかしらね……)

 そんなことはないはずだ、と思っていてもやはり少しだけ不安になってしまう。

 しかし、今は自分のこと以上に――この悲しげに俯いてしまっている、姉妹のように大切に想っている仲間のことが気がかりだった。

 

 

 

 ――海水浴という案は、きっと悪くなかった。

 実際最初はビスマルク自身も楽しそうだと思ったし、彼方も楽しんでくれていたように思う。プリンツの発想は間違っていなかったはずだ。

 二人が『普通の女の子』ならば、きっと大成功に終わっていただろう。

 

「海水に浸かることへの忌避感っていうのは――恐らく私達水上艦の艦娘が本能的に持っているものなのでしょうね。あの恐怖心は、きっと一朝一夕でどうにか出来るものではないわ」

 

 惜しむらくは、ビスマルクとプリンツは『普通の女の子』ではなかったということだ。

 それはプリンツも身を以て知ったことだろう。

 だが、それを押してでも海に入っていこうとしたプリンツの真意とは何だったのだろうか。

 

「えぇ、そうですね……私にも、よくわかりました。艦としての私の――水底へ抱く恐怖心が」

 自らを強く抱き締めるように縮こまるプリンツが、ぽそりと呟いた。

 

 ――艦娘の持つ二つの魂のうちの一つ。戦艦と重巡洋艦としての魂が、彼女達を水底から遠ざけようとする。

 たかが海水浴だ、海の中とは言え地に足はついている。

 彼方だっているし、溺れることなど万に一つもなかっただろう――でも、ダメだった。

 頭では分かっていても、魂が拒絶してしまうのだ。

 

「……ねえ様。やっぱり、艦娘(私達)は……人間(ヒト)じゃないんですね」

「……プリンツ」

 

 

 

 ――艦娘とは人の形をした兵器だ、というのがビスマルク達の母国の人間が持つ艦娘に対する共通認識だった。

 当時からその考え方があまり好きになれなかったビスマルクは、その言葉を投げ掛けられる度に幾度も否定を重ねてきた。

 時にはそれを行動で示すため、敢えて命令違反を犯すこともあったが、信じられないという顔をさせてやれたくらいで、結局人間達(彼ら)の考えが変わることはなかった。

 

 ――イレギュラー。厄介者。

 

 ビスマルクが人間達からそう認識されるまで、然程時間はかからなかったように思う。

 厄介払いかのように次々と厳しい戦場を点々とさせられていたビスマルクは、それでも沈むことなく戦い続けた――やがて母国では不自然なほどに高い練度を誇る戦艦となるまで。

 

 

 

 そんな中でずっとビスマルクと共にいてくれたのが、目の前にいるプリンツだった。

 彼女もまた『自分達がただの兵器だなんて思いたくない』という思いが人一倍強かったのだろう。

 それだけに、今回の件は彼女にとって相当に大きなショックであることがビスマルクにも容易に想像できた。

 だって――他でもない自分自身に『お前は人間ではない』と否定されたのだから。

 

 満足に彼方と遊ぶことさえ出来ない、人間としては出来損ないの存在――

 今日のデートとは互いの親睦を深めるためにあったのだろうとビスマルクは理解していたが、今はプリンツにとってはもっと大切な目的も含まれていたように思えてならなくなってきていた。

 

「ねえ様。私……日本に来て、私達のことを大切に扱ってくれる提督さんに出逢えて……勘違いしちゃってました。人間になんて――なれるはず、ないのに」

 初めて見る諦念のこめられた表情で自嘲気味に吐き出されたその言葉は、恐らく彼女の偽らざる本心だ。

 いつも明るく振る舞ってくれる――ビスマルクを笑顔にさせてくれる姿とは全く違う弱々しさに、ビスマルクは戸惑いを隠せない。

 

(プリンツは、人間に憧れていたの?)

 何故かそう問いかけることすら出来ず、ただ彼女の顔を見つめることしか出来ない。

 その今まで見せたことがない、深い哀しみに彩られた瞳からは微かな絶望がたゆたっているように、ビスマルクには見えた。

 

 

 

 ビスマルクは今まで一度も、人間になりたいと思ったことはない。

 飽くまで自分は艦娘だ。心を持ち、人間を深海棲艦の脅威から守るために生まれてきた人に似て人ならざる存在。

 最も力を持つ戦艦としての矜持を持って、ビスマルクはこれまで戦い続けてきた。

 

 プリンツも同じ気持ちなのかと思っていたが、実際は違っていたらしい。

 ただの兵器として扱われたくはない、という思いは共通していたが、その思いの根底にあるものは全く別のものだったのだ。

 そんなビスマルクに、今のプリンツにかけてあげられそうな言葉は、どうしても見つけることができなかった。

 

 

 

「――ごめん、待たせちゃって! まずはこれで身体を拭いて」

 

 

 

 暢気な声を上げて戻ってきた彼方と全身を包まれる柔らかな感触に、沈黙を保つことしか出来ず己の無力さを痛感していたビスマルクは、自分でも気づかないうちに安堵の溜め息を漏らしていたのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

次回でプリンツ、ビスマルクとのデートは終了予定です。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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ドイツ艦とデート(後編)

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 軽く身体を拭いて軍服の上着を雑に羽織った彼方は、すぐにまだ誰もいない食堂へと足を運び、目的の物をこっそりと持ち出した。今は火急の事態だ――食堂の管理をしてくれている鳳翔には後で平謝りするとして――とりあえずの書き置きだけ残して彼方は急ぎ食堂を後にした。

 

(思っていたより時間がかかったな……。早く二人のところに戻らないと……)

 カラカラと両手から硝子の擦れ合う涼しげな音を響かせて、彼方は走らないように出来るだけ急ぎ足で歩きながら先程のプリンツ達の異変を思い起こす。

 

 

 

 ビスマルクもそうだが、特にプリンツの様子は海へと歩みを進める度に明らかにおかしくなっていた。

 身動きが取れなくなって、抱えられるようにして彼方に連れられて陸に辿り着いた瞬間――ビスマルクが見せたような恐怖から解放された安堵の表情ではなく、やるせなさや悔しさを滲ませるような表情をしたプリンツを見てしまった彼方は、彼女の傍にいてあげたいという気持ちを振り切って一度鎮守府へと戻ってきていたのだった。

 

 先程の彼女達の様子を考えれば、一刻も早く戻りたいところではあったのだが――何の策もなくただタオルだけを持って戻るだけでは不十分だと感じた彼方は、ある秘策を用意することにした。

 幸い彼方には彼女達に笑顔を取り戻すことが出来そうなものに心当たりがあった。

 

 

 

 何とか用意することができた秘策と来客用の肌触りの良いタオルを抱えて足早に廊下を歩く彼方の向かいから、すっかり見慣れてきた姿が歩いてきているのが目に入る。

 

「あっ提督、お疲れ様で――っ!? ……そ、その……久しぶりの休暇は……いかが、ですか?」

「うん、神通もお疲れ様。朝の哨戒任務ありがとう。それはともかく、こんな格好で鎮守府を彷徨いちゃってごめん! 一応水気は拭き取ったから、床に水が滴ってたりはしないと思うんだけど……」

 遠目から彼方を見つけて駆け寄って来てくれた神通が、一目彼方の姿――今は水着に軍服の上着しか羽織っていない――を見た瞬間、顔を赤らめて伏し目がちに挨拶する。

 彼方はその神通の挙動不審な様子が、濡れたまま鎮守府を彷徨いたことを咎めたいのに咎めることが出来ないためだと考え、慌てて弁明した。

 

「い、いえ! それは問題ありません。見たところ確かに床も濡れてはいませんし……。ですが、そのような……ええと、肌を――うぅ」

「う……ごめん。すぐ裏手の砂浜に戻らなくちゃだから、ついつい上着だけ羽織って来ちゃって……。見苦しかったね、次からはきちんと着るようにするよ」

 チラチラとこちらを窺う神通は、結局最後まで言葉を続けられず黙り込んでしまった。

 他の皆が仕事をしてくれている以上、目に触れる位置で遊び回っている姿を見せるのは確かに失礼にあたるだろう。

 彼方の艦娘の中でも特にしっかりしている神通は、彼方のだらしのないところを見て幻滅してしまったのかもしれない。

 深く頭を下げた彼方は、プリンツ達二人を待たせているから――ともう一度謝罪すると、その場を立ち去ろうとした。

 彼方が動き出したことで、再びカラカラと手にある硝子の瓶がその存在を主張する。

 

「……そろそろ暑くなってきましたものね。きっととても美味しいと思います」

「ん……そう、かな? 喜んでくれるといいんだけど」

 彼方の手にあるものに気がついたのか、呟くように聞こえた神通の言葉に彼方は振り向いて笑顔で応えた。

 

 落ち込んだときは美味しいものを食べたり飲んだりすればすぐに元気が出る――なんて子供染みた発想だが、彼方にはこの状況ですぐに打つことが出来そうな手は結局それしか思いつかなかった。

 彼方の脳裏を暗く沈んでしまったプリンツの表情が過る。

 

「は、はい。提督のその気持ちだけでも、きっと嬉しいはずです。少なくとも私だった、ら――」

 先程は独り言のつもりだったのか、思いがけず反応した彼方に僅かにはにかみながら言葉を返していた神通の動きがまた急に固まり、その顔がみるみるうちに耳まで赤く染まっていく。

「神通?」

「――い、いえ……何でもありません! その……お小言を言うような形になってしまいましたが……水着、とても良くお似合いです。あの、それでは、私はこれで――」

 急変した態度に困惑する彼方を置き去りにして、神通はゆっくり踵を返して歩き出したかと思うと、突然風のように走り去っていった。

 

 挙動不審な動きが目立った神通のことも気にならないわけではないが、今はプリンツ達の方が先決だ。

 彼方は最近見せるああした神通の態度に少し引っ掛かりを感じながらも、急ぎ鎮守府を後にしたのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 正直なところ――彼方は酷く取り乱した自分に疲れ果てて、しばらく戻ってきてはくれないのではないかとプリンツは考えていた。

 そのため折角大好きなビスマルクが話し相手になってくれていても、プリンツの心は見上げた空のように晴れやかにはなってくれなかったのだった。

 思い描いていた憧れのデートというものから、あまりにもかけ離れてしまった現状に、溜め息しか出てこない。

 

(カナタくんに、嫌われちゃったかな……)

 

 自分達を置いて去っていった彼方の気持ちを考えると、ついつい悪い方へ悪い方へと考えが巡っていってしまう。

 それもこれも、自分が艦娘であるためだ――艦娘であるプリンツは、彼方とまともにデートすることさえ許されなかった。

 もし自分がただの人間だったなら、こんな酷い失敗はしなくて済んだはずなのだ。

 艦娘として生まれたことを後悔するつもりはないが、人として生まれなかったことはどうしても残念に思えてならない。

 

(私、欲張りなのかな……?)

 

 別に彼方とデートをするという思いつきだって、そこまで大それた理由があった訳でもない。

 ただ、以前から物語で読んだような男女の恋人同士の関係に密かな憧れを抱いていたプリンツは、『失敗』という現実を突きつけられて自棄になっていたのだと思う。

 

 しかし、自分が思っていたよりその衝撃は大きかったらしい。

『たかがデート』に一度失敗しただけだと思う一方で、『たかがデート』すら満足にこなすことができないとも考えてしまう。

 自分の手の中にあると思い込んでいた色とりどりの煌めきは、実は掬い上げた水面に映った星々の放つ輝きで――ただ海に浮かんでいることしかできない自分には、その光を掴むことなど永久に出来はしないのだということに気がついてしまった。

 

 鬱々とした思考に囚われていたプリンツは、ふわりと頭にかけられた柔らかなタオルの感触に包まれてようやく――彼方が帰ってきてくれたことに気がついたのだった。

 かなり長い時間うじうじとしていたように思うが、実際は彼方が去ってからまだ10分程度しか経っていない。きっとかなり急いで来てくれたに違いない。

 

 

 

「――プリンツ、大丈夫?」

「っぁ――」

 待ち焦がれていた人物から名前を呼ばれ、プリンツの渇ききった喉から反射的に吐息が漏れる。

 

(カナタ君の私を呼んでくれる声……暖かい――)

 悲劇のヒロインめいた感傷に浸っていた自分の意思とは無関係にいとも容易く湧き上がってくる力に、思わず失笑する。

 しかし、彼方の言葉からプリンツを気遣う心が実感として確かに伝わってきてしまうのだ。

 この暖かさは、プリンツの重巡洋艦としての魂が提督(彼方)の呼び声に応えたからこそ感じられる物だった。

 ただの人間ではこうはいかないだろう――なのに、その暖かさをプリンツは嬉しく思ってしまった。

 人間ではないことに不満を持っていたかと思うと、今度は人間ではなかったことを喜ぶ――何とも自分勝手な話だ。やはり自分は欲張りなのかもしれないと、考えながらプリンツは慌てていつもの笑顔を取り繕う。

 せめて彼方とビスマルクが今日この日のことを後悔しない程度には、楽しませてあげなくてはならないと考えてのことだった。

 

「――う、うん、大丈夫! みっともないところ見せちゃって、ごめんなさい!」

「ん……少し顔色は良くなったみたいだね。喉、渇いてるでしょ? 三人で飲もうと思って、食堂から持ち出してきたんだ」

 誤魔化すことなど全く出来なかったのだろう――苦笑するように笑った彼方は、プリンツの先程の取り乱しようを問い詰めることもなく、手に持っていた瓶を差し出してきた。

 心配をかけてしまった手前、てっきり原因を話すまで問い詰められるかと覚悟していたのだが、戸惑いながらもプリンツは差し出された瓶をおずおずと受け取る。

 

「これって……Limonade?」

「ん? あー、うん。きっとそうかな。日本ではラムネって言うんだ」

 彼方はにっこりと笑顔を浮かべて頷く。余程喉が渇いているのか本当に嬉しそうな顔だ。この暑さだ――鎮守府と砂浜を往復した彼方にとって、このラムネは本当に魅力的な物なのだろう。

 少年のような屈託のない笑顔に見つめられ、プリンツの胸がドキリと跳ねる。

 

「プリンツ。カナタが折角持ってきてくれたLimonadeよ? ぼーっとしていたらすぐに温くなっちゃうわ」

 冷たいうちに飲まなくちゃカナタに失礼ね! と、ビスマルクがいつになくそわそわしながらプリンツを急かしてきた。確かに彼女も相当喉が渇いていた筈だ。いつも隣で煩くしている奴が急に黙りこくったせいで、いつも以上に沢山喋らされたのだから。

 

 しかし、そんな声はプリンツには聞こえていなかった。

 

 早鐘を打つような鼓動の音が煩いくらいに鳴り響き、プリンツの頭は真っ白になっていた。

 こんな事は初めてだった。彼方にハグされた時だって、ここまで動揺してはいなかったというのに。

 

(あ、あれぇ? まともにカナタくんの顔が見れない……)

 

 見かねた――単に待ちきれなかったのか――彼方がラムネの蓋を開けてプリンツに手渡しビスマルクと二人で飲み始めるが、そんな抜け駆けのような行為が行われていることにすら気づくことが出来ないプリンツは、しばらくただ惚けるように砂浜に座り込んでいたのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

プリンツとビスマルクとのデートですが、まとめきれず次話まで引き摺ります……。

それではまた読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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艦娘≠人間

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

プリンツ、ビスマルクとのデート編?は今回で終了です。

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 ラムネを渡しただけで突然動きが固まってしまったプリンツは、譫言のように意味を持たない言葉を呟きながら呆然としている。

 一体どうしたのかと訪ねようとした彼方だったが、隣にいたビスマルクが遠回しに――恐らく彼女自身はそのつもりなのだろう――早く飲みたい早く飲みたいとせっついてくる。

 

 プリンツの様子はかなり気になるものの、彼方の腕に自分の腕を絡めて懇願してくるビスマルクに抗うことが出来ず……結局は気がつけば差し出された栓を開けていた。

 ぽん、という軽い音と共にしゅわしゅわと溢れそうになるラムネにビスマルクは慌てて口をつける。

 落ち着いた頃を見計らってそっとラムネの瓶から口を放すと、「どう? 溢さず全部受け止められたわ」と唇をぺろりと一舐めしながら彼方に照れ笑いを浮かべた。

 

「ふぅ、やっぱりLimonadeはこの栓が開く瞬間っていうのは心が踊るわよね。ねぇカナタ。プリンツの分のLimonadeも開けてあげましょう? そうしたら動きだすかもしれないし」

「そう……かな? ――じゃあ、プリンツ。これ、開けたから一緒に飲もう」

 プリンツが手に持っていたラムネを一旦預り、栓を開ける。

 流石に口をつけるわけにもいかないので、溢れ出てきたラムネを丁寧にタオルで拭き取ってから再度プリンツに手渡してみた。

 ――が、ビスマルクの予想に反して反応はない。

 

「ん~、美味しい~!」

 隣では見た目は立派な大人の女性が脚をばたつかせて子供のように喜んでいる。

 ビスマルクの太くもなく細くもない、すらりとした健康的な脚が彼方の前を行ったり来たりする。普段ここまで素直に自分の気持ちを行動で示すことがないビスマルクだが、今回は本当に早く飲みたくて仕方がなかったらしい。

 

 ビスマルクは大人びた見た目もあって、落ち着いているように見える……しかし接してみて薄々感じてはいたが、中身はきっと彼方とそう大きくは違わないのだ。

 こうして気を抜いてくれている時は特に、見た目に反して行動のあどけなさが目立つ。そのギャップは卑怯だと思えるほどに可愛らしかった。

 

 まだ固まり続けているプリンツのことを考えれば、早々と彼女のラムネの栓を開けたのは失策だったと言わざるを得ないが、今さらそれを指摘する気にもなれないし……実際彼女の提案に同意して栓を開けてしまったのは彼方だ。

 

 開けてしまったものはしょうがない、と諦めて一口飲んだラムネが喉を通り抜けていくと、彼方の喉をなんとも言えない清涼感が通り抜ける。

 何だかんだと言い訳を考えながら、結局彼方も早くラムネを飲みたかっただけなのかもしれない。

 プリンツが動きだしたら後でちゃんと謝ろう、そう考えた彼方は割り切ってビスマルクと二人でラムネを楽しむことにした。

 

 

 

「――あ、あれ? これ栓開いてますよね!? しかもこの瓶結露してて手がびちょびちょな上にもうこのLimonadeちょっと温いです!」

 

 と、結構な時間固まり続けていたプリンツが、猛然と彼方に文句を言いだした。

 ぷりぷりと怒りながら、それでも炭酸が抜けてすっかり温くなってしまったラムネを一気に飲み干す。

 ここまで時間が経ってしまっては、その美味しさも半減してしまっているだろう。

 しかしもしプリンツが動き出すまで待っていたら、彼方とビスマルクのラムネも同じことになっていたことを考えると、少ない犠牲で済んで良かったのではないか、などと薄情な感想もでてきてしまう。

 いつも通りのころころと変わる表情を見せてくれるプリンツを眺めながら――同じことを考えていたのか――彼方とビスマルクは顔を見合わせて密かに苦笑し合うのだった。

 

 

 

「――ねぇ、カナタ。丁度良い機会だから、今日は貴方の事をもっと聞かせてくれないかしら。普段は霞達がいるし、貴方の口から直接自分の事を話してもらえそうな機会なんて滅多にないのよね」

 

 さて、喉も潤ったことだし、次はどうしようか――となりかけたところで、ビスマルクが彼方に話を振ってくる。

 実際普段は必ずと言っていいほど誰かが彼方の周りにいるし、そんなときに彼方の話を聞きたいと言えば、嬉々として語りだしそうな艦娘にも心当たりがある。

 その事を考えれば確かにビスマルクの言葉には説得力もあったが……恐らくは、もう一度海に入りたいと言い出しかねないプリンツを配慮してのことだろう。

 彼方もこの後の事はあまり考えていなかったため、彼女の提案は渡りに船と言える。

 

「あ、私も私も! カナタくんのこと、もっと知りたいです!」

 手を挙げてぐいぐいと彼方とビスマルク間に割って入ってきたプリンツは、どうやらもう一度海に入りたいと言う気はなさそうだ。

 あの時の鬼気迫る様子を鑑みるに、その可能性は高いのではないかと考えていたが、杞憂だったらしい。

 

 やはり彼女は俯いているよりも、こうして心の赴くままに振る舞ってくれている方が、見ているこちらも和むし、魅力的に見える。

 因みにプリンツが無理矢理に割って入ってきたお陰で三人の距離は非常に近いものとなってしまっているのだが、彼女からそれを気にするような素振りは見えない。

 やはり姉を彼方に取られまいという意識はかなり強いのだろう、そうした行動がよりいつも通りのプリンツであることを想起させて微笑ましく思えた。

 

「そうだね、確かに二人にはまだ話していないことが沢山あるんだ。うーん……じゃあ、やっぱりまずは僕が提督になった理由から……かな?」

 彼方はまず自分が提督となった最も大きな理由から話そうと決めた。それは、彼方が父と交わした約束からだ。

 

 彼方の父も今の彼方と同じ『提督』だった。

 それもこの国で最も優れた、という言葉がつくらしいと知ったのはつい最近知った。

 彼方の後見人である樫木重光と楓は、何故か彼方の父について詳細を説明してはくれなかった。

 息子である彼方ですら先日になって偶然……かどうかは彼方にはわからないが、草薙提督から提督としての父の最期を話して聞かせてもらう機会に巡り合うことが出来たのだ。

 母を守るという約束を遺し還らぬ人となってしまった父の背中を追いかけて提督となった彼方は、共に戦ってくれる大切な仲間達のために、自分が何が出来るのか……彼女達と共に戦うためには何をしなくてはならないかを話すため、暫し思いを巡らせた。

 

 

 

 自らの出自や今こうして提督になるまでの経緯を少しずつプリンツ達に話して聞かせていくうちに、彼方の話は提督としての在り方にまで及んだ。

 

 ――彼方が艦娘を兵器だとは考えていないこと。

 ――艦娘を人間として扱っていながら、深海棲艦との戦いに送り出しているという矛盾を抱えてしまっていること。

 

 そして、最近になって漸く覚悟が決まったこと。

 常にどこかで罪の意識のような後ろめたさを持ちながら霞達を見送っていた彼方が、仲間達のお陰である程度の折り合いをつけられるようになった――『彼女達の帰還を信じ続ける』ということと、その代償。

 

 ――もし仮に仲間の誰が沈んだとしても、決して逃げることなく、今のまま(・・・・)の『提督』であり続けること。

 

 この覚悟は仲間達の誰にも話すつもりはない。もちろんプリンツ達にもこの件だけは伏せた。

 自分が弱いということを自覚している彼方にとって、彼方の周りにいる仲間達は優しすぎるのだ。

 現状、自分の弱さを曝け出し彼女達の好意に甘えることによって精神の均衡を保っている彼方は、その弱さ故に引き起こされ得る事態にも考えが巡ってしまう。

 信じることで恐怖を抑えていられるのは、彼女達全員が無事に還ってきてくれている間だけだ。

 

 しかし……もし例え誰か一人でも何らかの要因で喪われてしまったからといって、彼方は全てを放り出して提督を辞めることなど、もはや許さる状況にはない。

 彼方がいなくなれば、今度は残された彼女達が還る場所が失われてしまうからだ。

 

 しかも、ただ提督を辞めないだけでは意味がない。

 今まで通り、彼女達から信頼してもらえる提督で居続けなくては……彼方が提督であることを辞めてしまったのと何ら変わりがなくなってしまう。

 仲間達を信じ続けるというのは、そういうことなのだ。

 

 決して途中で逃げ出したりはしない。最期まで共に戦うという覚悟がなくては、真に彼女達を信じているとは言えないだろう。そうでなくては彼女達からの信頼に応えることなど出来ない。

 

(……父さんも、仲間を信じてた。だから最期の一瞬まで諦めずに戦ったんだと思う)

 

 

 

 話しているうちに考えていることが脱線してしまっていたが、幸いプリンツ達も彼方の話した事について考えを纏めているところだったらしかった。

 

「吹雪ちゃん達を見ていて、まさかとは思ってましたけど……。もしかして、カナタくんって本気で私たちのこと兵器だと欠片も思っていないんですか? 少しも?」

「あの時の涙とハグにはそういう訳があったってことね。……だけど、それならどうして貴方はそこまでして提督で居続けようとするの? 提督を続けていても辛いことばかりでしょう?」

 プリンツ達がそれぞれに彼方の持つ提督観に対して感じた疑を投げ掛けてくる。

 確かに彼方のこうあるべきだという『提督像』は、大抵の艦娘にはこうして首を捻られるような話だ。

 彼方のそんなやり方を肯定してくれた艦娘は、訓練校でもそれほど多くはなかった。

 

「僕が提督で居続けているのは、やっぱり頑張ってくれている皆の誰よりも近くにいたいから、かな。艦娘を兵器だと思わない理由は、やっぱり霞に出逢えたことと――」

 先程の『提督』であることを辞めない覚悟というのは、簡単に言ってしまえばそういうことだろう。

 艦娘を兵器だと思わない理由は、やはり霞との出会いが大きかったと思う。

 他に考えられるとすれば――

 

 

 

「――ああ、僕の母さんが元艦娘だから……かな?」

 

 

 

 彼方が何気なく口にした一言で、弛緩していた空気が一気に冷え込んだ。

 

 

 

「か、カナタくん――それって、カナタくんは人間と艦娘の間に生まれたって……こと、ですよね……?」

 絶句、というのはこう言うことを言うのだろうか。

 彼方の提督としての在り方は、自覚はあったが変わっている方だ。この鎮守府へ着任してから彼方の行動の端々から感じていただろうとは言え、二人ともそれなりに驚きはしていた。

 しかし、今の彼方の一言は、プリンツ達にはあまりにも衝撃的だったらしい。

 

「そうだね。僕の母さんは元々は艦娘として父さんと一緒に深海棲艦と戦っていたんだ」

「う、嘘です! そんな荒唐無稽な話、聞いたことありませんよ!? だって、艦娘と人間は……そ、そういうことしても子供はできないって……」

 激しく抗議していたと思えば真っ赤になって萎んでいったプリンツを引き継ぎ、ビスマルクが彼方に問いを重ねる。

 

「プリンツが言っていることは確かに私も耳にしたことがあるわ。一体どういうことなの?」

「い、いや……僕もその事については聞いたことはあるよ。解体後に妊娠したって話だったかな。 ドイツではこういう話って、なかったの?」

「ありませんよ……! そんなの、あり得ないじゃないですか!?」

 あり得ない、何故そう思うのだろうか。

 確かに兵器という側面も持ち、実際兵器のように扱われることも多くある艦娘ではあるが、見た目は当たり前に人間の形をしている。解体され兵器としての魂を失えば、それはただの人間なのではないのか。

 実際に元艦娘の母を持つ彼方には、プリンツが何故そこまで狼狽しているのか理解が出来ない。

 

 

 

「――カナタくんは、解体された艦娘がどうなるか……知らないんですか?」

 

 

 

 恐る恐る問いかけてくるプリンツに、彼方は首を傾げる。

 日本では解体された艦娘は、帝国海軍所属の人間(・・)として戸籍を用意され、後方支援の任につけられるらしい。

 ただ彼方の母は、解体時には既に彼方の父と婚姻関係になっていたことで、その任に就くことなく家庭に入ったのだと聞いている。

 何も不自然なことは無いように思うのだが……

 

 

 

「カナタくん、解体されたって艦娘は人間にはなれません。解体された艦娘は――」

 

 

 

 とても沈痛な面持ちで、しかしはっきりとプリンツは告げた。

 

 

 

「一年と持たずに、消えてしまうんですよ。……まるで最初からいなかったみたいに」




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。

今回はプリンツ、ビスマルクとしては不完全燃焼な形になってしまいましたが……

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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泡沫

今回も読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 解体された艦娘は一年と持たずに消えてしまう――

 

 プリンツが確信をもって放ったその一言は、彼方にとっては全く理解が出来ない言葉だった。

 

 あの言葉が出てからというもの……会話が弾むことはなく、何となくギクシャクとしたまま今日はとりあえずお開きということになってしまった。今はシャワーを浴びて自室に戻ってきたところだ。

 

 

 

「……だけど、母さんは間違いなく元艦娘なんだよな」

 それは霞達も皆で話を聞いたりもしているし、実際に母は艦娘時代に樫木重光提督にも会ったことがあるとも言っていた。

 そこは疑いようもない事実だ。

 艤装を解体された母はもう二十年近くは人間として存在し続けている。

 プリンツの言葉と食い違う事実に、彼女の言葉の方こそ彼方にとっては荒唐無稽な話としか思えなかった。

 しかし、彼女の様子は嘘を言っているようにも見えなかった。少なくとも彼女はそうだと確信しているということだ。

 

 

 

 直接母に話を聞いてみるべきかとも思うが、既に軍属ではない母に聞いてみていい類いの内容なのか――正直自信がない。

 

 日本では解体されてもずっとその元艦娘が消えることはない、というプリンツの言葉を否定する内容であったならまだいい。

 しかし、もしそうでなかった場合。

 日本で周知されている艦娘の解体についての説明は……真実ではあったとしても、不十分だということになるのではないだろうか。

 

 

 

 解体後は、帝国海軍所属の人間として後方支援の任に就く。

 そこまでは本当だったとして……そこからは?

 母はそもそもそのルートを辿ることなく今現在へと至っている。

 母にこの件を訊ねても、彼方の望まない(・・・・)回答が返ってくることは恐らくない。

 もし大本営が意図的に解体された艦娘の消失を伏せて伝えているとすれば、自分が知ってしまったこの情報は……一体どの程度のレベルの機密なのだろう。

 

 

 

 彼方の周りに他に解体された元艦娘はいない。

 会ったことがあるのは、母と学生時代の友人の母だけだ。

 そもそも艦娘が解体されたという話自体をそうそう聞くことがない。

 戦うことを存在意義としている艦娘達は、自ら戦いを止めることをよしとしないらしく、解体されて生き延びるよりも最期まで戦って轟沈を選ぶ艦娘のほうが圧倒的に多いらしいのだ。

 

 

 

「――いや、そういえば鹿島は……」

 彼方は訓練校時代に鹿島から聞いた彼女自身の過去を思い出す。

 

 以前着任していた鎮守府では、鹿島は練習巡洋艦という特性を重視され、出撃することが許されなかった。

 つまり、自ら轟沈することを選ぶことが出来ない艦娘だったということになる。

 そのために生きていく気力を完全に失っていた彼女は、轟沈ではなく解体を選ぼうとしていた――と彼方は記憶していた。

 

 

 

 話を聞くならまずは鹿島だろうか。

 もしプリンツの話が真実で、それを意図的に隠している――日本にとっての重要機密だというなら、会話記録を録られている電話等の通信機器は使用するべきではない。

 彼方の上官である楓は訓練校の運営をしている以上、恐らくこの件についての真実を把握している。

 訓練校で建造される艦娘の素性調査くらいは、彼女なら間違いなくしているだろう。

 鹿島に聞いてみて、プリンツの言葉の真偽が確かめられなければ、楓に直接会って聞いてみる他ない。

 

 

 

 彼方は鹿島の部屋へと向かうため、自室の扉を開けて外に出た。

 

 

 

「ひゃっ」

 可愛らしい悲鳴が聞こえると共に、胸元と腹部に柔らかな衝撃――

 

 

 

「あ、ごめん! 考え事をしててよく前を確認してなかった――って、プリンツ?」

「ぁ……カナタくん」

 彼方の部屋の前に立っていたのは、先程まで共に砂浜でデートをしていたプリンツだった。

 

「大丈夫、どうかした?」

「あの……さっきの話を、したくて」

 さっきの話、とは恐らく今彼方も考えていた艦娘の解体についての話だろう。

 ことの真偽を確かめる前に、彼女からもう一度詳しく話を聞いておけるのならばその方が良いと考えた彼方は、プリンツを自室へと招き入れることにした。

 

 

 

「……お邪魔します」

「うん、どうぞ。この部屋には椅子が二つないから、プリンツが椅子に座ってくれるかな? 申し訳ないけど、僕はベッドに座らせてもらうよ」

「あ、はい。わかりました」

 彼方はプリンツに部屋の置くに置かれている椅子に腰掛けるよう促し、自分はいつも眠っているベッドに腰かける。

 いつもなら気にならないような、椅子の僅かに軋む音がやけに大きく聞こえてしまうくらいに、今のプリンツは大人しい。

 海に入ろうとして失敗した時よりも、もしかしたら落ち込んでしまっているのではないかと彼方には思えた。

 

 

 

 そのような状態のプリンツに、早く話してくれと催促する訳にもいかず、彼方は黙って彼女が口を開くのを待つ。

 

 

 

「………………っ」

 数分――あるいは十分以上だまっていたかもしれないが、プリンツが僅かに口を開いた。

 

 

 

「あの……私、見たことがあるんです――」

 乾ききった喉をほんの少しでも潤すため、こくりと唾液を嚥下する音が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ビスマルク(ねえ様)が消えるところを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「はぁ……どうしていつもいつもこんな手応えのない任務ばかりなのかなぁ。Uボートが撃ち漏らした輸送ワ級の処理なんて……これじゃ折角の艤装が錆びついちゃうよ」

 いつも通りの単純な任務をこなしたプリンツは、溜め息をつきながら艦娘専用のドッグの柵にもたれかかった。

 このドッグが、艦娘の住居だ。決まった部屋が宛がわれることもない、ホテル暮らしのような生活。ドックで寝泊まりしていればどんなときでもすぐに出撃出来るし、それこそ建造された瞬間から出撃を命令することも可能だ。艦娘を最高効率で使いたい人間達にとっては大変都合がいい施設ということらしい。

 柵にもたれながら眼下の海を眺めていると、何やら動く影がいくつか見えた。我が軍が誇る精鋭達――Uボートだ。

 

「はーあ、いいなーUボートは。お気楽そうで」

 海に潜ったり飛び出したり、笑いながら追いかけっこ?を楽しむUボート達の姿を恨めしそうな目で見つめながら、もう一度大きな溜め息。今度は先程よりも意識的に大きい溜め息をついてみた。Uボート達に聞こえればいいと思ってのことだ。

 しかし、水面まで結構な距離がある上にばしゃばしゃと跳ねる水音でプリンツの恨み節が聞こえるはずもない。全く……本当に羨ましい。

 結局彼女達はそんなプリンツの姿を一度も視界に入れることなく遊び続けていた。

 

 

 

 ――この国の艦娘の扱いには、ほとほと呆れる。

 艦娘がいなければ海を守れない癖に、感謝の気持ちも危機感もあったものではない。

 常に上から目線で、やれこっちで戦え、あっちで戦え――挙げ句の果てには『修理に使う資材や時間よりも建造したほうが早くて安く済むから見捨ててこい』だ。

 艦娘を何だと思っている。

 

「あーあ……どこかにかっこよくて、優しくて、艦娘を大事にしてくれる素敵なAdmiralはいないかなぁ……」

「全くね。ここの男達はクズばっかりよ。揃いも揃って腑抜けばっかり」

「――誰っ!?」

 

 

 

 マズイ。盛大に愚痴っていたところを誰かに聞かれてしまっていたようだ。

 人間達(あいつら)にチクられでもしたら事なのだ。

 

「あぁ、大丈夫よ。別に誰かに言うつもりはないわ。私はビスマルク。今日からここで貴女達の世話をすることになったのよ。――私にお世話されるなんて、とっても光栄なことなのよ?」

 ふふん、と大きな胸を張った女性軍人。長い金髪でスタイルが良い……軍人というよりはまるでモデルだ。

 プリンツはモデルなんて見たことがないため、想像でしかないのだが。

 

 それより……今、この女性は何と言った?

 

「ん? もしかして、貴女『戦艦ビスマルク』の知り合いだったりするのかしら。それなら奇遇ね、私――」

 

 

 

「元艦娘なのよ」

 

 

 

 漠然と、重巡洋艦の頃の記憶がプリンツの中で甦る。

 大切な戦友――頼りになる仲間だった、戦艦ビスマルク。

 彼女がそうだったのか……元、ではあるが。

 

 知らず、プリンツの口が開かれた。

「私はアドミラル・ヒッパー級3番艦……プリンツ・オイゲンです。ビスマルクさん」

「ええ、これから宜しくね。仲良くしましょう、プリンツ!」

 

(やっぱり、覚えてるわけ……ないか)

 悪びれることなど全くなく、初対面の人間としてはとても気持ちよく挨拶を返してくれたビスマルク。

 決して彼女が悪いわけではない。解体されれば艤装と共に艦娘の軍艦時代の記憶が失われるのだ。プリンツの事を覚えていなくたって、仕方がない。

 しかし淡い期待を裏切られ、やはり寂しいと感じられずにはいられなかった。

 

 

 

 それからというもの、ビスマルクはプリンツ達ドッグの世界しか知らない艦娘達に様々な事を教えてくれた。

 ビスマルクがこっそり読ませてくれた私物の女性誌やおとぎ話の絵本――彼女が興味を持つものは多岐にわたり、しかも統一性がない――は、今でもビスマルクの大切な宝物だ。

 

 解体され人間となった彼女の奔放さは、プリンツの憧れだった。

 艤装が修復不可能な程の損傷を受けたことによるやむを得ない解体だったそうだが、プリンツから見ればそんなことがあっただなんてまるで感じさせない、曇りのない笑顔で彼女はいつも笑っていた。

 

 次第に彼女のようになりたいと、『人間』になりたいと密かにプリンツは思うようになっていった。

 ビスマルクの事を姉と慕うようになったのも、その頃からだ。

 大切な人間を守りながら戦う充実感は、プリンツに生きる希望を持たせ、毎日やってくる彼女の顔を見ることが楽しみになっていった。

 

 

 

 ――そして、プリンツがビスマルクと出会ってそろそろ一年を迎えようとしていた頃。

「――でね、ねえ様! 今度は少し強めの深海棲艦と戦うことになりそうなんです! ですから、勝って帰ってきたら、ご褒美をもらえませんか?」

「ええ、もちろんいいわよ! 何か欲しいものがあるの?」

「ありますとも! 私、ねえ様の帽子が欲しいんです!」

 新しい本等、他にもたくさん欲しい物はある。

 しかし、特に欲しいと思えるものはビスマルクが普段から身につけている帽子だった。

 プリンツは艤装としての帽子はまだ持っていない。

 彼女の帽子を身につけて新たに艤装として定着させれば、ずっと大好きな姉と一緒にいられる気分になれるだろう。

 

「こんなものでいいの? 軍指定の帽子だし、そんな大したものじゃないわよ、これ?」

「ねえ様のだから欲しいんです! ……いただけませんか?」

 上目遣いに甘えた声でお願いしてみる。

 ビスマルクはプリンツのこうした仕草に弱く、大抵のお願い事なら聞いてくれるのだ。

 

「……仕方のない子ね。いいわ、貴女にあげる。だから必ず帰って来るのよ?」

 優しく微笑んで頭を撫でてくれる手が心地よくて、目を瞑る。プリンツはビスマルクに優しく頭を撫でてもらうのも好きだった。

 

「ねぇ、ねえ様。私……私も、いつかはねえ様みたいに人間に――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「? ねえ様?」

 不意に軽くなった頭に違和感を覚えて、プリンツは目を開けた。

 

 真っ暗だ。

 

「ぁ、これ……ねえ様の帽子。ちょっとねえ様! まだ私出撃もしてな、い……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこには、初めから誰もいなかったかのように、何もなかった。




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ケッコンカッコカリ

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 プリンツが語った内容は、恐らく彼女の根幹に関わる物だ。

 今のプリンツがあるのは、解体されたビスマルクとの出会いがあったからに他ならない。

 ビスマルクの消失を実際に目にしていたために、彼女は彼方の母の話に対して過敏に反応したのだ。

 

 今の話を聞けば、彼女の話は真実であることに疑う余地はない。

 ならば彼方の母と消えてしまったビスマルクの間で、何かが決定的に異なっていることになる。

 一体何が――

 

「私は、ねえ様がいなくなってしまったことが信じられなくて、ドック中を探し回りました。……でも、やっぱり見つからなくて。本当に、ねえ様は……突然消えてしまったんです」

 当時のことを思い出したためか、プリンツの瞳から涙がぽろぽろと溢れ落ちる。

 彼方はプリンツの頬をハンカチでそっと拭い、躊躇いがちに声をかけた。

 

「プリンツが今のビスマルクと一緒にいるのは……その人に出会ったから、ってこと?」

「……はい。今のねえ様の武勇が耳に届いた時に、いてもたってもいられなくて。ねえ様の艦隊に編成してもらえるように希望を出しました。幸い私もねえ様もその時には既に軍から厄介者扱いを受けていましたから、すぐにその希望は叶えられたんです」

 それからは、ずっとビスマルクの傍で戦い続けていたのだろう。彼女を二度と失わないために。

 

「今のねえ様は、消えてしまったねえ様とは別人ですけど……。だけど、やっぱり私のねえ様なんです」

 確かに、解体されたビスマルクと今のビスマルクは別人だ。

 同じ姿形はしていても、(中身)が違う。

 

 プリンツは、いつも被っていた帽子を抱き締めながら俯いた。

「カナタくんのお母さんが今も消えずにいるのなら……人間になれたというのなら……ねえ様とは、決定的に違う『何か』があるはずなんです。それがあれば、ねえ様は消えずに済んだのに……」

 

 

 

「艦娘……提督……結婚……解体……子供……」

 彼方の父と母から考えられそうな要因を探すが、いまいちピンと来ない。

 艤装のダメージは、きっと関係ないだろう。解体されればどうせ何も残らないのだ。

 彼方の両親は解体される前には既に婚姻関係にあったと言うが、法的な拘束力が艦娘の消失を防ぐとも思えない。

 子供が出来たことによって艦娘の消失が防がれた――いや、そもそもそれが不可能と言われている艦娘が身籠ったこと自体がイレギュラーだ。……とすれば彼方の父に何かの原因が?

 

 

 

 ――コトリ、とプリンツの背後から何かがぶつかるような音がした。

 

 

 

「ん……妖精?」

 見れば、あまり見かけないタイプの妖精が彼方の机の上に立っている。白いドレスを纏った少し豪華な装飾が施された妖精だ。

「何でしょう? こんな妖精見たことありませんけど……」

 プリンツと二人で覗き込んでいると、妖精が一枚の封筒と黒い小箱を取り出した。

 

 

 

「……ケッコンカッコカリ?」

 何だ、それは。初めて聞く言葉に彼方は首を傾げる。

 その封筒には、ケッコンカッコカリと片仮名で書かれており……中に入っていた紙には妖精語と思われる謎の文字で何かが書かれていた。つまり、読めない。

 そしてその紙の一番下に、サインを記入すると思われる欄が二つ。

 艦娘と提督が結婚(仮)したことを証明する書類ということだろうか。

 

「これ、結婚指輪……ですよね?」

 この封筒を見る限り、そういうことだろう。

 

(というか、何故このタイミングで? ……まさか、僕が『結婚』って言葉を口にしたからか?)

 泣き腫らしていたプリンツも、突然の珍事に泣くことも忘れ、妖精の行動を見守っている。

 

 妖精は、床に飛び降りてプリンツの周りをぐるりと一回りする――ドレスを着ているせいで、足取りは酷くおぼつかない様子だ――と、ひょいと元いた彼方の机に飛び乗った。

 

「あぁっ、今この妖精私のこと見て溜め息つきましたよ!? 何だかわからないけど、すっごくヤな感じです!」

 その通り――妖精はプリンツを観察したあと、小馬鹿にするようにこれ見よがしに溜め息を吐いた。

 

 今度は彼方の方に向き直ると、妖精は封筒と小箱を差し出してくる。

 受けとれ、ということだろう。

 

「ありがたくいただくよ」

 妖精の手から封筒と小箱を受けとると、満足気に頷いた妖精はどこかへ去っていってしまった。

 

 まぁ……提督をやっていく以上は妖精に気に入られて悪いことなど一つもない。

 彼ら――彼女ら?――と提督、艦娘は切っても切れない関係にある。

 きっとこの紙と指輪にも意味があるのだろう。

 紙に書いてある文章が読めないので、何を要求されるのかも分からない物をおいそれと使う気も起きないが……。

 

 

 

「ケッコンカッコカリ……『結婚』……っカナタくん!」

 名を呼ばれた瞬間――プリンツが彼方に飛びついてきた。

 正確には、彼方の手にある指輪に。

 あまりの勢いに押され、彼方はベッドに押し倒される。

 それでも尚お構いなしにプリンツがのし掛かってきた。

 

「ちょ、ちょっとプリンツ、一体どうした――」

「これ……これですよ! カナタくんのご両親は、解体される前にはもう結婚していたんですよね!?」

「あ――」

 突然の行動に慌ててプリンツを押し退けようとした彼方だったが、その言葉で彼女の言わんとしていたことに気がついた。

 

 ケッコンカッコカリ――この妖精がもたらした書類と指輪が、解体後の艦娘をこの世界に繋ぎ止めている原因である可能性に。

 艦娘を建造するのは妖精だ。妖精の力ならば、解体された艦娘をこの世界に存在し続けさせるのも――それどころか、人間として生まれ変わらせることすらも可能なのかしれない。

 

 とは言え、彼方はこんなものがあるという話は今まで一度として聞いたことがなかった。

 何かしら相当に特殊な条件があって、彼方がこれを手にしているというのなら……彼方は既に何らかの条件を満たしている。

 

「カナタくん、わ……私も、これを使えば人間になれるってことですよね!? ねえ様みたいに、私も人間に――」

「プリンツ、落ち着いて!」

 小箱はどれだけプリンツが力を籠めても開こうとはしない。

 しかし彼方が肩を掴んで落ち着かせようとしても、振りほどいて更に小箱を開こうと力を籠めるばかりだ。

 

「なんで……どうして開かないの!? これがあればねえ様は――()は……消えずに済んだのにっ!」

「プリンツ!」

 唐突な妖精の介入によりもたらされた物によって酷く取り乱したプリンツに、彼方の声は届いていない。

 

(自分が消えたビスマルクだと勘違いするほどに混乱してるのか――!?)

 これ以上は危険だ。

 それはわかるのだが、艦娘相手に彼方がどうこうできるはずもなく、ただプリンツを呼びかけ続けることしか出来ない。

 

 

 

「カナタ、どうしたの!? これは――プリンツ、何をしているの! 今すぐカナタから離れなさい!」

「嫌! 私はねえ様と一緒に人間になるんです! 邪魔をしないで!」

「私と人間に……!? 貴女、何を言って……。っ――いいから、カナタから離れて! カナタ、プリンツを借りるわ!」

 言うが早いか、騒ぎを聞き付けて部屋に飛び込んできたビスマルクはプリンツを彼方から無理矢理引き剥がすと、暴れるプリンツを担いで部屋を出ていった。

暫くはプリンツの文句を言う声が聞こえていたが、次第に声は遠くなり、やがて聞こえなくなった。

 

 

 

「……プリンツ」

 静かになった部屋に一人取り残された彼方は、床に転がっていたついさっきまでプリンツが必死に開こうとしていた小箱を手に取る。

 事の真偽がどうあれ、こんなものは彼女にとっては呪いの指輪と同義だ。人間になれようがなれまいが、今の彼女にとって良い結果をもたらしてくれる物だとは思えない。

 

「――っ」

 

 彼方が蓋に指をかけると、驚くほど容易く蓋が開いた。

 この小箱は、『提督』でなければ開くことが出来ない、ということだろうか。

であるならば、プリンツがいくら開けようとしても開かなかったことも頷けるが――

 

 

 

「何も……入ってない?」

 

 

 

 ――目の前が暗くなる。

 

 

 

 もう一度目を開くと、中に入っていたのは彼方の予想通りの指輪だった。

 白く輝く美しい指輪はなんの装飾も施されていないが、この世のどんな宝石よりも美しく光輝いているように見えた。

 

「あれ? さっきは空っぽだったような……」

 気のせいだったのだろうか。

 しかし、この指輪の存在感を見落とすことなどあり得ないだろう。

 やはり、この指輪はプリンツに渡すことは出来ない。

 この指輪は、きっと彼女を不幸にする。

 彼方は不思議とそう確信していた。

 

 

 

「――カナタ! カナタ!? ねぇ、聞こえているの!?」

「……ビスマルク? あれ、プリンツは?」

「はぁ……あれから何時間経っていると思ってるの? もう夕食の時間よ。もうプリンツもきちんと頭を冷やしているし、カナタもいつまでも部屋にこもってなんかいないで食堂に行くわよ?」

 気がつけば日がくれていた。

 プリンツが部屋に来ていたときはまだ日暮れまで時間があったと思っていたのだが……。

 

「本当に大丈夫なの、カナタ? ……って貴方よく見たら顔が真っ青じゃない!」

 その言葉を聞き届ける前に、彼方は意識を失った。

 

 

 

 暗く深く沈んでいく意識の中で、何かが彼方の内側からゆっくりと溶け出していく。

 その度に、小箱の中の指輪はよりいっそう光を強めていくようだった。




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先着順

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 彼方はビスマルクの目の前で倒れてから意識不明のまま、数日間高熱で寝たきりとなっていた。

 日頃の疲労が溜まっていたのか、いや何かの病気なのではと慌てる霞達であったが、彼女達の中に医療に心得のある者はいない。

 何とか最寄りの海軍基地から軍医を呼んで診断してもらったが、結局倒れた原因は不明。様子を見るしかない、と告げられた。

 軍医は暫く泊まりがけで出来る限りの治療をすると約束してくれたが、霞達は気が気ではなかった。

 

 

 

「彼方……」

 こうして手を握ることしか出来ないことに、霞は酷い無力感に苛まれる。

 

 医者から見ても原因が不明であるということは、彼方がこうなった原因はきっとあの小箱にあるのだろう。霞は机の上に今も鎮座している指輪を睨むように見た。

 

 プリンツからことのあらましを問いただしたときには、正直怒鳴りつけてやりたいくらいの気持ちになったのだが……彼女の話のあまりの突拍子のなさに困惑も大きかった霞は、その怒りを必死に圧し殺した。

 しかしそのおかげで、最近の気分は最悪だ。仲間に当たらないよう気をつけてはいるが、自分の心がささくれだっているのを感じる。

 

 大体『ケッコンカッコカリ』という名前のシステムがあるなんて話は、今までそれなりに長く艦娘をやっているが聞いたことがない。

 彼方の母から話を聞いたときも、その単語自体が出てこなかったため、普通に人間の法律上での婚姻関係だったのだとばかり思っていたが……。実際はこのシステムを使用しての婚姻関係だったということなのだろうか。

 だとしたら、どうして千歳は霞達にそれを教えてくれなかったのだろうか。

 

(それにしても……この指輪がなくちゃ艦娘は人間になれない、だなんて)

 結婚した提督と艦娘が互いに幸せになるための道具だとすれば、確かに霞個人としても大いに歓迎したい話だ。妖精としても、この指輪を彼方に渡したのは善意での行いのはず。あれは、艦娘や提督を不幸に陥れようとするような存在ではない。

 

 

 

 ――艦娘は艤装を解体されれば、軍艦としての記憶と魂を失い、ただの人間になる。

 霞達日本の艦娘は今までずっとそう言われてきたし、信じてきた。実際に彼方の母を見ていたし、疑うような気持ちなど微塵もなかったのだ。今だって、プリンツの話自体半信半疑でもある。

 確かにこの鎮守府にいる誰もが解体された後の艦娘の行方を知らない。

 

 提督と婚姻関係にある彼方の母――『千歳』以外は。

 

 それだけに、プリンツによってもたらされた情報を彼女の世迷い事だと断じることができなかった。

 鹿島なんて彼方の艦娘になってからも何度か解体を視野にいれたことがあったらしく、その話を聞いた途端に卒倒したくらいだ。

 

 深海棲艦を倒して海が平和になったら彼方の母のように人間になって、彼方と暮らす。それが霞の夢だった。

 その夢を叶えるためには、あの指輪を使う以外に方法がないのだとするならば――

 

 

 

(一体、あの箱には……指輪には何が入っているの?)

 

 

 

 艦娘の夢か、希望か――それとも提督の、彼方の生命そのものなのではないのか?

 

 倒れたまま目を覚まさず今もベッドで眠り続けている彼方の手を握りながら、霞はその不安を拭い去ろうと、より一層強く温もりを感じるために彼方の腕を抱き締めた。

 

 

 

「……霞?」

「か……彼方、目が覚めたのね!?」

 ぴくりと動いた指に力がこもり、霞の手を優しく握り返してくれる。実に五日ぶりだ、彼方の声を聞くのは。まだ声に力はないが、確かに彼方の声だった。

 嬉しさのあまり、飛びつきたくなるのを霞は必死にこらえ――

 

「本当ですか!? 彼方くん!」

 扉の前で聞き耳を立てていたのか、鹿島が部屋に飛び込んでくる。

 それだけならばまだいいが、彼方に抱きついて完全に乗っかってしまっている。

「ちょっと鹿島! 彼方はまだ目が覚めたばっかりなのよ、離れなさいってば! また彼方が倒れちゃったらどうするつもり!?」

「はっ……ご、ごめんなさい。つい、その……嬉しくて」

 霞に叱責され、申し訳なさそうに彼方に謝りながら鹿島は名残惜しそうに彼方から離れた。

 

「いや、大丈夫だよ。もしかして、大分長く寝てたり……?」

「長くなんてものじゃありません! 五日も意識がなかったんですよ!? 本当に大丈夫なんですか、彼方くん?」

 鹿島が不安げに彼方の手を握る。霞が握っているのは左手。

 鹿島が握っているのは右手だ。ベッドに横たわっている彼方に重さがかからないよう注意してはいるようだが、その胸にぶら下げている大きなものが彼方の体に乗っているのは霞は見逃さない。

 

(こ、こいつぅ……気をつけながらやってる辺り天然なんだろうけど、どうにも腹が立つわね!)

 彼方が目覚めたことで沈んでいた気持ちも一気に明るくなり、下らないことにも頭が回るようになってきたようだ。

 

 

 

「い、五日も!? うーん……多分、あの指輪のせいだよね……。あの箱を開けてからのことが、ほとんど記憶にないんだ。でも、もう大丈夫。今は頭の中もすっきりしてるよ」

 彼方は部屋の中に視線をさ迷わせると、机の上で止まった。指輪を見つけたのだろう。

 立ち上がろうとする彼方を制して、小箱を彼方に手渡す。

 彼方を昏倒させた原因である可能性が極めて高いこの指輪を彼方に渡すのは、危険かもしれないが……。

 どういうわけか彼方の艦娘全員が、この小箱を捨ててしまおうという気にはなれなかった。

 

 彼方は小箱を受けとると、開けることはせずに箱をじっと見つめている。

 

 何かを考え込んでいるような彼方に、霞はプリンツの話を聞いて気にかかっていたことを聞いてみることにした。

「……プリンツから話は大体聞いたわ。多分全部ではないけど、重要な部分は少なくとも聞き出した。その上で確認したいのだけど……彼方は、艦娘の解体について、どう考えているの?」

「解体について……。僕は、プリンツの話が嘘だとは思えない。だけど、この指輪があれば消えなくてすむ――ということにはまだ確信が持てない。これが何なのか……ケッコンカッコカリが何なのかもまだわからないしね」

 霞の問いに頷くと、彼方は自身の見解を話してくれた。

 霞とほぼ同意見といって差し支えないだろう。

 ただ、霞は不思議とその指輪が艦娘について、とてつもなく重要な意味を持つ存在であろうことは肌で感じ取っていた。

 

 

 

「彼方、私に……少しその箱を貸してくれない?」

 頷いて手渡したくれた小箱を受けとる。

 外から見ただけでは、本当になんの変哲もないただの箱だ。

 しかし、プリンツではどうやっても開くことが出来なかったと言っていた。

 

「っ……あ――」

 

 開いた。霞が少し蓋に手をかけると、いとも容易く蓋が開いてしまった。

 

 

 

『綺麗……』

 うっとりと呟く声に振り向くと、鹿島と目があった。

 どうやらお互いに同時に同じ言葉を口にしていたらしい。

 気まずげに視線を逸らすと、もう一度指輪が目に入る。

 

「プリンツは、この箱を開けることができなかったのよね?」

「うん。だけど僕が触ったときは簡単に開いたから、『提督』じゃなければ開けられないのかと思ってたけど……」

 そうとも限らなかったようだ。

 この箱を開けるのには何らかの条件が存在しているのは確かなのだろう。

 一度蓋を閉じて、鹿島に渡してみる。

 

「……あ、開きましたよ! 彼方くん!」

 何故か自慢気に鹿島が彼方に指輪を見せる。

「だから危ないかもしれないって言ってるでしょ!?」

 霞は急いで指を受けとると蓋を閉めた。

 

 

 

「……霞、きっともう大丈夫だよ。その指輪は、完成(・・)してる」

 彼方が変に確信を持ったことを言い出した。

 完成している、とはどういうことなのだろう。

 妖精が持ってきたときには既に指輪はこの箱に入っていたのではなかったのだろうか。

 

「僕が初めてその箱を開けた時には、中に何も入っていなかった。その指輪は、きっと僕の『何か』から作られたんじゃないかな。ほら、例えば……気力とか、体力とか」

 確かに霞も先程似たような事を考えてはいたが、奪われた側が何を暢気なことを言っているのか。

 何にしろ……何もない場所から急に現れる指輪など、どう考えても怪しすぎる。厄介な物であることに変わりはない。

 

「プリンツが開けられなかったのは、多分中身が空だったからだよ。今なら誰でも開けられるんじゃないかな」

 事も無げにそう言った彼方に、溜め息が出る。

 本当に今は元気なようだ。そして、長く倒れて霞を心配させていたことに対しての反省が足りていない。圧倒的に。

 

 彼方が十分に元気なのはわかった。

 ならば……これは、お仕置きが必要だろう。

 ここまで心配かけさせておいて、ただで済ませる霞ではない、と彼方に知らしめなくてはなるまい。

 

 

 

「彼方」

「ん、何かな」

 

 

 

「んぅ~~っ」

「んんっ!?」

「えっ――ちょっ、ちょっとぉ! 霞ちゃん何してるんですかぁ!? あり得ません信じられませんズルですよズル!」

 先程からズルをしていたのはどっちだ。

 聞く耳をもつきのない霞は、久し振りに感じる彼方の唇の感触をたっぷりと楽しむと、ゆっくりと離れた。

 

「ひ、酷すぎます……こんなの目の前で見せられるなんて、あんまりです……」

 目を覆いたくなるような光景をまざまざと見せられ、床に座り込みべそをかいている鹿島を上から一瞥すると、霞は茫然としている彼方に向き直った。

 

 

 

「彼方、今晩は私の抱き枕になりなさい。これは私に散々心配をかけた罰なんだから!」

「え……あ、うん。わかったよ。でも、その……プリンツは」

 この期に及んでまだ他人の心配をする彼方にはほとほと呆れて物も言えない。

 しかし添い寝権を手にいれたのは霞だ。霞は心に少し余裕が持てるようになっていた。

 

「プリンツなら、毎日彼方の顔を見に来ていたわ。彼方が倒れたのは自分のせいだって随分気にしてた。明日、声をかけてあげてなさいな。きっと喜ぶわ」

「そっか……ありがとう、霞」

 それで安心したのか、彼方はベッドに横になると再び目を閉じ眠り始めた。規則正しい寝息と安らかな表情から見て、もう心配しなくてもいいだろう。

 

「どうしてこういつも大事なところで霞ちゃんに取られるんでしょうか……。彼方くんが目覚めたときについていたのが私だったら、彼方くんとの添い寝は私がするはずだったのに……」

 ぶつぶつと恨み言を呟く鹿島を引きずって彼方の部屋を後にする。

 

 彼方はまだ数時間は眠っているだろう。

 彼方に出来るだけ元気が出る物を食べさせてあげようと思った霞は、そのまま食堂へと向かうのだった。

 

 

 

 今回の騒動の中心となったあの指輪は、また彼方の机の上に置かれている。

 あれがいつ使われるのか、それとも使われないのか――それは彼方次第。

 

 彼方は一人、指輪も一つ――けれど、霞達は九人だ。

 

 少なくとも今はまだ、霞達にあの指輪は必要ない。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

今回で不穏な空気とは一時的にさようなら、次回からまた通常営業へと戻っていきます。

本小説は次章で最終章となりますが、それまで頑張って書いていきたいです。
とりあえずは、もう暫く続く第二章にお付き合いいただければと思います。

プリンツはこの小説でかなり重要な位置付けとなったので、是非幸せにしてあげたいですね。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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寝子

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 神通が作成してくれた『鬼級』と呼ばれている深海棲艦のデータを読みながら、彼方は立案した作戦に不備がないかの最終確認を行っていた。

 

 彼方が倒れたことで予定より少し遅れてしまったため、作戦の決行はなるべく急ぎたいところだ。状況が前回の偵察時と大きく変わっていては、偵察の意味がない。

 

 

 

『鬼』とは――『姫』と呼ばれる別格の深海棲艦を除けば、深海棲艦の中で最も強い種類にあたる。

 単純に性能が高いのも問題だが、最大の脅威は他深海棲艦の掌握――指揮能力だ。

 

 深海棲艦は基本的に多数の艦隊で行動しており、その全てが鬼の制御下におかれた上での戦闘となる。

 

 

 

 そして、彼方は艦娘を一人も沈ませられないのに対して、敵は何隻沈もうと構うことなく、艦娘を一隻でも多く海に沈めることだけを目的に襲いかかってくる。

 彼方は一人でも沈ませられれば敗北。

 対して敵は一隻でも沈ませられれば勝利だ。

 

 勝利条件で既に敵と大きな隔たりがある以上は、彼方の指揮能力、事前の作戦の緻密さは必要不可欠。

 

 

 彼方は執務室にある提督用の端末に敵の潜んでいた辺りの海域図を呼び出して、そこに敵と味方を配置する。

「……まずはビスマルクの超長距離砲撃で『頭』を狙う」

 

 ビスマルクによる敵旗艦の狙撃は今回の作戦の肝だ。

 初めはその大きさと重さ故に、距離が遠くなればなるほど命中率が極端に悪くなってしまっていたが、訓練の甲斐あってかなり命中精度は良くなった。

 今のビスマルクなら、敵の射程外から十分に狙撃が可能となっている。

 

 ここで、まずは鬼に大きなダメージを与えて一気に戦況を優位に傾ける。

 装甲空母鬼は、艦娘でいう航空戦艦のような艦種にあたるらしい。強力な長距離砲撃と艦載機の運用能力、そして高い防御力が特徴の深海棲艦だ。

 

 最初の段階で敵の飛行甲板が破壊できれば、制空権を労することなく手にすることができ、鳳翔の操る爆撃機が行動しやすくなり、取り巻きの深海棲艦の処理が容易になる。

 流石にそこまでは望めないかもしれないが、それでも命中しさえすれば相当に大きなダメージを見込めるだろう。大和の扱っていた大口径主砲の威力は伊達ではない。おまけに今回は九一式徹甲弾も開発している。

 

 そして、もし初弾を外してしまった場合は即時撤退しながら取り巻きの深海棲艦達を釣り、各個撃破。

 今回は敵戦力の漸減作戦へと移行して後日仕切り直しとする。

 だがこれは今後相手の出方に変化が起こる可能性が高いため、あまり取りたくはない手だ。そのまま戦闘に突入して敵艦載機の飛び回る中乱戦となるよりかは余程マシだが。

 

 ビスマルクには、狙撃に成功した後に一人で装甲空母鬼の相手をしてもらわなくてはならない。

 実際にはプリンツ、潮もビスマルクと共に行動しているが、彼女達には装甲空母鬼直衛の深海棲艦の相手をしてもらわなくてはならない。プリンツと潮には、狙撃中のビスマルクの護衛兼露払いという役割を担ってもらう。

 

 海中に潜む潜水艦の処理は、狙撃後艦娘の下へと殺到してくるであろうことを予測して、アクティブソナー、パッシブソナー、爆雷を装備した霞と神通が担当する。

 歴戦の彼女達ならば、速やかに全ての潜水艦を撃破できるだろう。

 

 最後に、鳳翔は遊撃となる。

 彼女の艦載機は、基本的には取り巻きの小型深海棲艦の処理を頼んでいるが、状況によっては潜水艦への攻撃も行ってもらうことになっている。

 

 

 

 こちらは六人で全ての事態をどうにかしなくてはならないのに対して、敵の数は恐らく倍以上だ。

 本当に、細心の注意を払わなくてはならない。

 

 彼方は、考えられそうな不足の事態を一つ一つ潰していく。

 直接深海棲艦と戦えない彼方は、こういう地道な努力を積み重ねていくことでしか、艦娘達に報いることが出来ない。

 

 

 

「ん……?」

 神通の資料の最後の部分に目が止まる。

 

 

 

『姫級』について、神通が知り得る範囲のことを記載してくれていた。

 記載されている情報は少ないが、彼方にとっては無視しきれない情報だ。全て頭に入れておかなくては、と心して彼方はその短い箇条書きで記された文章を読んだ。

 

 ――『姫』は、高い知性を持ち人語を操る。

 ――『姫』は、無限に深海棲艦を生み出す。

 ――『姫』は、前触れなくどこにでも出現する。

 ――『姫』は、艦娘の魂を喰らう。

 

 どれも相当に危険な存在であることはわかるのだが、抽象的でよくわからない。しかもこちらで対処のしようがない辺り、まるっきり幽霊や妖怪のような扱いだ。

 一応書いたが実際は都市伝説のようなもの、と最後に書かれているし……あまり信憑性がない情報なのかもしれない。

『姫級』自体戦って勝ったことがある提督が草薙提督しかいないのだ。そもそも『姫級』という括りすら、誰が言いだしたかも不明瞭で曖昧なものらしい。

 

 そのため、こうして噂話のようなものだけが怪談のように語られているのだろう。

 より仔細な情報が得たければ、草薙提督に聞くしかないということだ。

 

 しかし、どれも物騒すぎる上にこんなものがどこにでも現れたら人類は今頃絶滅していると思うのだが……。

 もし突然『姫級』が現れたら――なんて、考えたって意味がないのかもしれないが、知ってしまった以上は多少は気になってしまう。

 

「神通、部屋にいるかな……」

 

 時刻は夕方頃だ。

 夕食の支度は鳳翔がしてくれているし、確か今日は明日の出撃に備えて訓練もしていない。

 彼方は椅子から立ち上がると、もう少し詳しい話を聞きたいと思い、神通の部屋に向かって歩き出した。

 

 

 

「ん? 扉が開いてる……」

 神通の部屋に辿り着くと、漏れた言葉の通り扉が僅かに開いていた。

「神通、いる?」

 ノックをした後しばらく待ってみたが、反応がない。

 不在だと思った彼方が、諦めて執務室に帰ろうとしたときだった――

 

「……てぇ……く……」

 部屋の中から神通の声が聞こえた。

 どうやら部屋にいたらしいが……くぐもった声が微かに聞こえただけで、また静かになった。

 

「神通、どうしたの? まさか体調でも――」

 そっと扉を開けると、部屋に入って右手に置かれていた机に神通が突っ伏すようにして眠っている。

 普段から訓練漬けの毎日を送っている神通は、忙しい合間を塗ってこの資料を作ってくれたのだろう。

 目の下にうっすらと隈も見えるし、今日は徹夜だったのかもしれない。

 

 彼方はベッドにあったタオルケットを神通にかけると、寝ている神通の邪魔をしないようにゆっくりと慎重に部屋を出ることにした。

 

「……かな……た……」

「――っ」

 

 名前を呼ばれて、ついつい立ち止まって振り返ってしまう。

 神通はタオルケットをかけられたことで意識が覚醒したのか、体を起こしてぼんやりとこちらを見ていた。

 

「ぁ、いや……勝手に部屋に入ってごめん! 姫の話が聞きたくて――」

「……こっちぃ、おいで?」

 ひらひらと手招きされた。

 とろんとした瞳でにこー、と柔らかな笑みを浮かべながら。

 態度がいつもと違いすぎる。神通は実は寝起きが悪いのだろうか。

 

「ねぇ……聞いてるの? こっち、きて」

 たんたん、と机を叩きながら催促する神通の不思議な威圧感?に敗れたかなたは、恐る恐る近づいてみる。

 普段あれだけ毅然とした態度で過ごしている神通の、豹変とも言える姿についつい緊張してしまうのは、仕方のないことだと思う。

 

「かなた」

「えっ……うん、どうしたの?」

 かなた、とまた名前を呼ばれる。

 優しく彼方の手を握った神通は、その手をさわさわと反対の手で撫でだした。

 

「~~っ!?」

 あまりのくすぐったさ――心地よさ――に身悶えしそうになった彼方は、それをぐっとこらえる。

 今刺激してしまえば、またいつもの神通に戻ってしまいそうな気がする。こんな神通は、もう二度と見れないかもしれない――我ながら悪趣味だが、どうしてもそれは残念に思えた。

 そうして痩せ我慢を続けている彼方を見ると、またにこー、と笑うと満足したのかまた彼方の手を撫で始めた。

 

「かなた、さん?」

 神通の声は、こんなに甘かっただろうか。

 耳の奥をくすぐられるような、そんなむず痒い感覚に包まれながら、彼方は神通にいいようにされるしかない。

 

「かなた、くん?」

「……ん?」

 動きを止め、小首を傾げてこちらを見る神通は、彼方の答えを待っているようだった。

 

(もしかして、呼び方を聞いてるのかな……?)

 そう言えば、神通にはまだ一度も名前で呼ばれたことがなかった。いつも必ず『提督』と呼んでくれている。

 うちの鎮守府は規律も何もないゆるゆるな環境だが、神通だけは生真面目に上官として接してくれていたのだ。

 

「……じゃあ、『かなた』で」

「………………」

 無言で手をつねられた。外れだったらしい。

 頬を膨らませてご機嫌斜めのアピールをする神通は、年相応というよりは随分と幼く見えて、微笑ましさよりは、妖しさ……妖艶さが際立っているように感じられる。

 

「やっぱり……『かなたさん』、かな?」

「……いいの?」

 今度は正解だったようだが、更に質問が重ねられた。

 ゆらゆらと、椅子からぶら下げられた神通の脚が揺れる。

 

 ――ほんとに? ほんとにいいの?

 

 とでも言うように、ゆらゆらと落ち着きなく揺れる神通の脚を微笑ましく思いながら、彼方は答えた。

 

「もちろん。僕もそう呼んでくれたら嬉しい」

「んー……かなたさん」

 にこー、と笑った神通は、また彼方の名前を呼んだ。

 

 

 

 数分後――意識が完全に覚醒して悲鳴をあげるまで、神通は決して彼方の手を離そうとはしなかった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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西方海域解放戦―1―

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「皆、艤装に問題はない?」

「ええ、バッチリよ彼方! 必ず勝ってくるわ!」

「そうね、鬼退治に行ってくるわ!」

「それじゃあ私、ねえ様の犬になります!」

 ……桃太郎一行のようなことを言い出すプリンツに、緊張感が弛緩する。

 ようやくいつもの調子を取り戻してくれたようで、本当に良かった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「あ、カナタく……いえ、あの……提督。この前のことは、本当にごめんなさい。私のせいで、何日も……」

 指輪の影響で五日間眠り続けていた彼方は、目覚めた翌朝に早速プリンツのところに顔を出した。

 自分の無事を知らせるためと、気に病んでいたという彼女の様子を見に行くためだ。

 自室にいたプリンツは、やって来た彼方の顔を見るなり、こうして深く頭を下げて謝罪してきたのだった。

 

「提督に暴力を振るうなんて、艦娘失格です。解体してくださっても構いません……何でも提督のおっしゃる通りに――」

「ちょっと待ってプリンツ!」

 根が真面目なのか、規律に厳しいらしいドイツ艦の生まれ故か……とんでもないことを言い出すプリンツを彼方は慌てて制止する。

 大体、解体なんてする筈がない。プリンツがどれだけ解体――消失――を恐れていたかなど、彼方が一番よくわかっている。

 確かに五日間眠り続けていたが、それは妖精が持ってきたあの指輪のせいだし、プリンツが取り乱したのもあの指輪のせいだ。

 持ってきてくれた妖精には悪いが、全部あの指輪が原因である。

 

 あの指輪は執務室にある提督用の金庫に厳重に保管してある。妖精が作成した道具類をまとめて保管してある金庫で、提督以外は開けることができず、艦娘にすら破壊することが出来ない物……らしい。

 あの指輪がどういう物かわかるまで、ああして人の目につかないように保管しておいたほうが良いだろう。自分の何かから作り出されただろう指輪を捨てるのも、何となく憚られる。あのドレスの妖精にも呪われそうだし。

 

「僕はプリンツを処分するつもりなんてないよ。あれは君の心情を考えれば、仕方のない行動でもあると思う。ただ――」

「……ただ?」

 言い淀んだ彼方を、ゆっくりと頭を上げたプリンツが不安そうに見つめる。

 答えはわかっていても、一応聞いてみておかなくてはならないことがあるのだ。

 

 

「あれって、結婚指輪なんだけど……プリンツは、僕と結婚するつもりだった……の、かな……?」

「………………」

 

 

 

 耳が痛いくらいの沈黙。

 まぁそんなはずはない。彼女は半ば錯乱していた。

 ただ『人間になれる』という目の前にぶら下がった奇跡に飛びついただけに過ぎない。結果としてプリンツの隣に彼方が一生ついてまわることには、気が回ってはいなかったろう。

 あの妖精はそういうところがわかっていて、プリンツを小馬鹿にしたような態度をとったのかもしれない。

 

 

 

「……ごめんなさい。そこまで考えてませんでした」

「あはは、だよね。だから多分僕じゃあプリンツに指輪を使ってあげることは出来ないと思うんだ」

 プリンツは素直に頭を下げて謝ってくれる。

 案の定フラれてしまったが、これで良い。これでプリンツがそこまであの指輪に固執することはなくなるだろう。

 

「あ……いや、あの! 私は別にカナタくんの事が嫌いだっていってる訳じゃないんですよ!? むしろ好きです! 今まで会った男性の中では断トツです!」

 自分が言ったことに気づいたのか、両手をばたばたと動かして一生懸命にフォローしてくれる彼女に笑いがこみ上げてきた。

「うん。嬉しいよ、ありがとう。……とりあえず、あの指輪はいつか使う時がやって来るまで、僕が責任をもって保管しておくよ。僕が君や他の誰かと結婚するかどうかは置いておくとして、あの指輪が一体何なのかは調べる必要があると思うんだ」

「……はい、わかりました」

 彼方の言葉に頷くと、プリンツはもう一度彼方に頭を下げる。ケッコンカッコカリという言葉自体初耳だったため、調べる宛があるわけではないが、楓や草薙提督ならば何か知っているかもしれない。

 

(ここのところ、僕の手に余りそうな話ばかり転がり込んでくるな……。提督として、もっとしっかりしないと)

 プリンツ関連の話は、このケッコンカッコカリも含めてかなりデリケートな問題となるだろう。扱い方を誤れば、大事になりかねない危険性を秘めているように感じる。

 本当に信頼できる人間に、直接会って相談にのってもらうしかない。

 提督として未だ無知蒙昧である彼方は、身の丈に合わない問題を解決するためには他人に頼る以外に方法がない。

 せめて頼り先だけは間違えないようにしなくてはならない、と情けなさに苛まれながらも心に決めた。

 

 というわけで、当面は彼方に出来ることはない。一先ず問題は先送りだ。

 

「本当にごめんなさい。私……カナタくんの艦娘として、今まで以上に精一杯ガンバるから!」

「うん、僕も君の提督としてプリンツを守れるよう全力を尽くすよ」

 

 彼方とプリンツは今日初めて笑いあうことができた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「……彼方さん。潮も、いってきます」

「うん、潮――ビスマルクをお願いね。だけど、くれぐれも無理はしないで。君は誰かを守ろうとするときには躊躇いがないから、正直ちょっと不安だよ」

 これから出撃だというのに、留守番の彼方が弱音を吐く。

 しかし、本当の事だ。潮は引っ込み思案のようで、思い切ったときの行動力は彼方の艦娘の中で一番だ。予彼方の想もつかないことで負傷してしまいそうな可能性が非常に高い。

 

「大丈夫です。潮はちゃんと彼方さんのところに帰ってきます」

「私も! 私も待ってるからね、潮ちゃん!」

 彼方の隣では待機組の吹雪と時雨が立って、潮を激励に来たようだ。吹雪は感極まった様子で見送っている。半分涙目になっているようにも見えるが……。

 

「ふふ、今生の別れじゃないんだから。 ……潮、僕の分までよろしくね? 彼方と一緒に、君の帰りを待っているよ」

 その吹雪の様子をみてくすりと笑った時雨は、潮に微笑みかけると彼方の隣に戻ってきた。

 

「うん。吹雪ちゃん、時雨ちゃん……ありがとう。二人の分まで、頑張ってきますね?」

 最後にぎゅっと潮を抱き締めると、ぽっと頬を赤らめた潮が自信に満ちた笑顔で頷いてくれた。

 その笑顔をもらって初めて、彼方は安心して潮を送り出すことができた。

 

 

 

「彼方さん、いって参ります。今日は日が出ているうちに帰れないかもしれませんから、お夕食は食堂にありますので、暖めてから召し上がって下さいね? それから――」

「ほ、鳳翔さん! 大丈夫ですから! そのくらいは皆でどうとでもしますよ!? もちろん作ってくださった物はおいしくいただきますけど……」

 出掛けるときの母の姿が重なるような鳳翔の言葉に、彼方は完全に脱力させられてしまう。

 今となっては、鳳翔は出撃時に過度な緊張をすることもなく、自然体でいられるようになったらしい。

 それにしても、リラックスした話題だが。

 

「うふふ。ええ、わかっています。彼方さんが頑張って立ててくださった作戦ですもの。必ず成功すると信じていますから」

 にこにこと柔らかな笑みを浮かべながらさらっとプレッシャーのかかる言葉を口にすると、鳳翔はすすすっと彼方の傍まで歩み寄ってきた。潮と同じことを要求しているのだろう。

 

 腕を広げると、ふわりとした優しい香りと感触が彼方の胸元に感じられた。

「いってらっしゃい、鳳翔さん。皆をお願いします」

「……はい、彼方さん。いってきます」

 そっと離れた鳳翔は彼方に小さく手を振ると、既に出撃準備を終えている面々の下へと駆けていった。

 

 

 

「そ、それでは提督。私も行って参ります」

「うん、神通も気をつけて。皆をよろしくね」

「えぇ、わかっています。皆さんが無事に帰ってこられるよう、潜水艦は一隻たりとも逃しません」

 いつにも増して気合いが入っている神通は、闘志を激しく燃やしているようだ。

 先日の八つ当たりも多分に含まれている気がする。少し敵が不憫に思えてきてしまう。

 

 もう用事は済んだとばかりにくるりと彼方に背を向けた神通がそのまま歩み去ろうとしているのを見て、彼方はついつい悪戯心で声をかけてみたくなった。

 

「神通。今日は名前で呼んでくれないのかな?」

 案の定神通が派手に飛び上がるのが見えた。

 あの日は目覚めた神通に演習場に連行され、あわや艦娘の性能をこの身に刻み込まれそうになったのだが――我ながら懲りないものだと思う。

 しかし、あまり人をからかうような真似をしない彼方から見ても、神通の反応は見ていてとても楽しくなってしまうのだ。やはり普段とのギャップが良いのかもしれない。

 

「……ばか。かなたさんなんて、もう知りませんからっ」

 恨めしげにこちらを一瞥すると、顔を真っ赤にしてそう言った。

 ぷいっと背を向けて、今度こそ仲間たちの下へと走り出す。

 

 

 

「彼方はさぁ……何て言うか、年上ウケがいいんだよね。何故か。わかるけど」

「あの神通さんまであの調子、ですもんねぇ。神通さんのあんな姿、初めて見ますよ。凄く良くわかりますけど」

「だって彼方君って甘え上手だもん。ほっとけない危なっかしさとか、側にいてあげたくなっちゃうよね?」

 背後で好き勝手に言う声が聞こえてくるが、黙って無視しておく。下手につついてもろくなことにはならないだろう。

 

 

 全員揃って敵の海域へと移動を開始した霞達の姿が見えなくなるまで見送った彼方は、いつの間にか呼吸を忘れていたことに気がつく。

 やはりこの皆の姿が見えなくなる瞬間というのは、何度見ても慣れないものだ。

 忍び寄ってくる弱気と共に息を思い切り吐き出すと、彼方は自分の戦場へと向かって歩き出した。

 

 

 

「――っ! 鹿島、吹雪、時雨。僕たちも行こう」

 

 

 

 彼方の西方海域解放戦が幕を開けた。




ここまで呼んでくださいまして、ありがとうございました!

次回からしばらく戦闘に入ります。
まだ読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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西方海域解放戦―2―

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「……そろそろ指定のポイントだね。ビスマルク、偵察機を」

『ええ、わかったわ』

 

 モニターに映し出される偵察機の索敵情報に目を凝らしながら、彼方は自分の作戦が本当に問題なく進められそうかを確認する。

 道中、驚くくらいに海が静かだったことが気にかかるのだ。

 駆逐艦の一隻すらもいないことに、既に彼方の頭の中では一抹の不安が霧のように立ち込めている。

 

『装甲空母鬼は同じ場所にいるわね。だけど……何かしら』

『無防備過ぎですね。取り巻きの数が前回よりも減ってます』

『旗艦を護衛している空母の姿も一隻も見当たりません。これは、伏兵が潜んでいる可能性が高いと思います』

 ビスマルク、プリンツ、神通の三人が偵察機からの映像を確認して彼方に報告してくれる。

 モニターからの情報も、彼女達の発言を裏づけるような形の映像が映し出されている。

 

(やっぱり待ち構えられていたか。鬼級に指揮能力があるっていうのは本当みたいだ)

 確かに前回の彼方達であれば、このまま敵に近づいて攻撃を行うしかない。

 そこを潜ませていた伏兵との挟み撃ちのような形で迎撃するつもりだったのだろう。

 

 しかし、初戦は彼方達の作戦勝ちということになりそうだ。

 

「ビスマルク、いけるかな?」

『任せなさい。余裕ぶってる今のアレなら、この私が外すことなんてまずあり得ないわ』

 力強く応えたビスマルクが、早速狙撃の姿勢に入る。

 すかさずプリンツと潮のマーカーがビスマルクをカバーする位置に移動した。

 

 

 

「………………」

 彼方はビスマルクの照準が定まるのを固唾を飲んで見守る。

 彼女から合図があれば、彼方が砲撃の許可を出し、戦闘が始まる。そうすれば、もう後には引けなくなる。

 何度もシミュレーションは繰り返したが、敵もこうして何らかの策を講じてくる相手だ。彼方の采配は、今まで以上に重要となってくるだろう。

 

 長距離までしか射程を持たない艦隊を挟撃するつもりで伏兵を潜ませているなら、超長距離からの狙撃を行うビスマルクより後方に配置されている可能性は低い。

 効果的に挟撃するなら、捕らえた相手が逃げられない程度に近づいたところで、こちらの艦隊を包囲するような形で出現するはずだ。

 今ビスマルク達がいる場所は、そうするにはあまりにも距離が離れ過ぎている。

 

『――っ。いけるわ、カナタ』

 ビスマルクが静かに彼方に狙撃準備完了の合図を送る。

 この狙撃が、今回の戦い最初にして最も重要な局面だ。

 

「――っ撃て!」

 自分が引き金を引くようなつもりで、ビスマルクに砲撃を命じる。

 通信機越しですら身体が震えそうなほどに大きな砲撃音と共に、モニターにビスマルクが放った弾道の軌跡が描かれる。

 ほんの一瞬に過ぎない、モニター越しだから見ることのできるビスマルク渾身の砲撃は、一直線に敵の旗艦を目指して飛んでいく。

 

 

 

『敵旗艦 装甲空母鬼 中破』

 

 

 

「当たった! プリンツ、敵旗艦のダメージは!?」

『ちょっと待って! ――敵旗艦の飛行甲板に着弾、炎上中! 敵旗艦は艦載機の発着艦が出来ないみたいです! ねえ様すっごいですー!』

 プリンツが緊張感なくビスマルクを拍手喝采する。

 

 しかし、この戦果は彼方の予想していた中でも最高のものだ。彼方だってビスマルクを褒め称えたい気持ちで一杯なのはプリンツと同じだった。

 

「鳳翔さん、艦載機発艦準備を! 恐らく一気に敵艦隊が出現します! 霞、神通はソナーに注意して!」

『はい、彼方さん!』

 鳳翔達への命令とほぼ同時に、モニター上に無数の敵艦反応が現れる。

 今出現したのは水上艦……潜んでいた敵艦隊だろう。

 ビスマルク達の前方広くに展開している。

 包囲網の外から攻撃してきたビスマルクに慌てて姿を現したのだ。

 旗艦が手傷を負って混乱している今が攻め時だ。

 

『――カナタ! 第二射いけるわ!』

「プリンツ、潮! ビスマルクのフォローをお願い! 敵がそっちに向かってる――六隻だ!」

 次弾を装填し、敵旗艦に狙いを定めたビスマルクが彼方に砲撃の許可を求めてくる。

 彼方はビスマルクに応えるためにプリンツと潮に指示を出すと、もう一度ビスマルクに砲撃を命じる。

 

 

 

 ――再び執務室全体が震えるような砲撃音と共に、弾道の軌跡がモニターに描かれる。

 

 

 

『――ちっ! 敵随伴艦が旗艦を庇ったわ、失敗ね!』

 ビスマルクが心底不服そうに戦果を報告してきた。

 確かに彼方にも同様の結果が見てとれた。今後危険を侵して狙撃を繰り返しても、敵の旗艦を捉えることは出来そうにない。

 その前に敵の艦隊がビスマルクを捉える方が早そうだ。

 

 

 

『彼方! ソナーに感あり! 潜水艦がくるわ! 数は四!』

『こちらもです! 数三!』

 ビスマルクに狙撃中止の指示を送る前に、展開して待機していた霞と神通から潜水艦接近の報せが入った。息つく暇もない。

 プリンツと潮はそろそろ敵艦隊の射程に入り、交戦状態となる。

 霞と神通には、一刻も早く敵潜水艦を処理してもらわなくてはならない。

 ほんの僅かの遅れが命取りとなりかねないのだ。

 

「霞、神通は分散して潜水艦の処理を! だけど、ビスマルク達に水上艦も向かってる! 急に君達に目標を切り替えてくる可能性もある、潜水艦だけに気を取られないで!」

『当然よ! 見ていなさい!』

『お任せください、提督!』

 前後左右、更には下にまで気を配れと言う彼方の無理難題にも、ベテランの二人は臆することなく従ってくれる。

 潜水艦の処理はビスマルクとプリンツでは不可能だ。

 潮はビスマルクの護衛であるため中距離以遠から魚雷を放ってくる潜水艦には対処することが難しい。ここは二人が頼りだった。

 

 ソナーで捉えた潜水艦達の頭上まで一気に躍り出た霞と神通が周囲に爆雷をばら蒔く様子が見てとれる。

 耳元に届く爆音と共にその一撃で二隻の敵潜水艦のマーカーが消えた。

 

『彼方さん、敵艦隊に空母を確認しました! 艦載機発艦します!』

 声と共に、鳳翔より無数の艦載機が発艦する。

 確かに敵旗艦の近くに空母の反応があった。最初はいなかった筈だが、恐らく伏兵の出現に紛れ込んでいて気づくことが出来なかったのだろう。素早く的確な鳳翔の判断に感謝して、彼方は何とか食らいついていこうと精一杯の指揮を続けた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「――うっとうしいわね! 邪魔なのよ!」

 潜水艦を全て片付けた霞と神通は、今は霞達を押し潰そうと迫ってくる敵水上艦の相手をしていた。

 もう何隻の敵艦を沈めたか、定かではない。

 数の少ない魚雷を節約するために主砲を使ってはいるが、中型艦以上は装甲が硬くそう易々と沈んではくれず、どうしても沈めるのに時間がかかる。

 じりじりと過ぎていく時間に、霞は苛立ちを隠せない。疲労が蓄積していけば、それだけミスをする可能性が増す。

 霞がミスをすれば、仲間を危険に曝す。

 あまりゆっくりとはしていられないのだ。

 そう思っているのに、当の装甲空母鬼はこちらの出方を見ているのか、消耗するのを待っているのか、高みの見物を気取っているらしい。

 

 霞を丸飲みにしようと巨大な口を開けて飛び込んでくる駆逐イ級を姿勢を低くして掻い潜ると、甲殻のない柔らかい下腹部を思いっきり蹴飛ばしてやる。

 

「ガァアアアッ!!」

 怒号なのか苦鳴なのか、意味のない叫び声を上げて駆逐イ級が吹き飛んでいく。体勢を立て直す前に放たれた霞の砲弾により、イ級は再び立ち上がることなく水底へ沈んでいった。

 

「……どういうことよ、随分と溜め込んでいるみたいじゃない」

 霞と神通が以前戦った装甲空母鬼は、ここまで沢山の取り巻きに囲まれてはいなかった。

 何度沈めても水底から這い上がってくる深海棲艦に、怒りよりも嫌悪感を覚える。

 

『霞、敵の数が減らない。これ以上の消耗は危険だ。一度退却することも視野にいれるべきだと思う』

 今日の彼方は執務室から常に冷静に采配を振るってくれていた。

 ……だが、これは今退いて後でどうこうなるものでもない。

 この深海棲艦の波を越えなくては、永久にあの鬼には届かない。

 

「……ダ――」

「ダメよ、カナタ! 私達はまだ負けていない。ここで撤退しても無意味よ、同じことの繰り返しだわ」

『――っ』

 戦場だと言うのに、彼方の息を飲む声がはっきりと聞こえる。

 霞が言うべきことをビスマルクに言われてしまったが、ここは彼女の言う通り、退き時ではない。

 これ程用意周到に霞達を待っていた相手だ、次は超長距離砲撃にも対応してくる。敵旗艦に深手を負わせている今が攻め時なのだ。

 

「私もビスマルクと同じ意見よ。今日アイツを倒さなければ、次は狙撃にも対策を打ってくるでしょうね」

「ああ、そうよね。確かにその通りだわ! 今より悪くなるんだったら、やることは決まっているわね」

 自信満々に頷くビスマルクだが、通信機の向こうから聞こえてくる彼方の声は飽くまで冷静さを保っている。

 

『確かに敵旗艦の鬼級さえ倒してしまえば、この海域は解放される。だけど、その後が問題なんだ。指揮系統を失った深海棲艦の行動が読めない。別の海域に移動するかもしれないし、霞達を一斉に襲うかもしれない』

 

 そう。確かに強行突破をして装甲空母鬼を撃破することは、然程難しいことではない。退路を確保しなければ。

 今は退路を確保して敵旗艦を撃破するために、取り巻きの深海棲艦の数を減らそうとしているのだ。

 しかし、現状を鑑みればその案は実現が難しそうだった。

 後から後から湧いてくる深海棲艦を減らすよりも、霞達の弾薬が尽きる方が早い。

 ここは危険を侵してでも、頭を潰すしかない。

彼方もきっと、それはわかっているだろう。

 

 

 

『……わかった。敵旗艦の撃破を最優先に、敵艦隊の中心部に切り込む。但し、ビスマルクと鳳翔さんは現地点からそれを支援。残りの四人で装甲空母鬼を撃破後、二人には四人が脱出する退路を確保してほしい』




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

次回もまた読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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西方海域解放戦―3―

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


戦艦()なしで装甲空母鬼と戦うっていうの?」

『うん。現状で敵陣を突破して旗艦を沈めるには、あの敵戦艦の群れを突破できるだけの速度と、全体を見渡せる位置からの援護が必要だ。その援護に最も適しているのは、ビスマルクと鳳翔さんだ』

 ビスマルクが不満げに彼方に食い下がる。

 確かに今回のビスマルクは身の丈に合わない大口径主砲を装備していて、接近戦には不向きだし、持ち前の機動力も失っている。その分遠距離からの砲撃に特化した装備となっているため、援護能力は最も高い。

 鳳翔はそもそも足の速い艦娘ではないため、この作戦には不向きだ。持ち得る航空戦力で突撃、離脱の援護に徹するのが適しているだろう。

 とはいえ、問題は残る霞達だけで装甲空母鬼を倒しきれるかどうかだ。

 装甲空母鬼はビスマルクと同じ大口径主砲を持つ深海棲艦。敵の砲撃に当たれば一撃で沈んでしまう可能性もある。

 

「ねえ様、大丈夫です! 私たちだけでも装甲空母鬼は倒してみせます!」

「ええ、私もこの状況ではそうするより他ないと思います」

 プリンツと神通は彼方の作戦に賛成のようだ。

 装甲空母鬼はその名の通り硬い装甲に覆われており、生半可な攻撃ではびくともしない。手負いとはいえ、霞達駆逐艦の主砲では傷をつけることは難しいだろう。温存していた魚雷をありったけ叩き込めればあるいは……といった具合だ。

 

『……日没までそれほど時間がない。撃破後離脱するためには鳳翔さんの支援が必要不可欠だ。――霞、どう思う?』

 

 首尾よく装甲空母鬼を倒せたとして、もし取り巻きの深海棲艦が一斉に霞達に押し寄せてきた場合……ビスマルクの砲撃だけでは間に合わない可能性がある。

 鳳翔の艦載機による支援があったとしても綱渡りな状況になり得るというのに、日が沈んでしまえばその支援すら不可能になってしまうのだ。

 

 ――時間がない。自分に皆を守りきることが出来るだろうか?

 

 逡巡する霞の耳に、それまで黙って話を聞いていた人物の声が届いた。

 

「霞教艦。……潮も、皆を守ります。二人でなら、きっと大丈夫です」

 潮は、霞が考えていることなんてお見通しのようだった。

 考えてみれば、戦場で味方を守ることに重きを置いて戦っている潮だ。霞と似たようなことを考えていたのだろう。

 

(……ビスマルクがいなくなるからって、気負いすぎちゃったのかしらね?)

 情けない。霞は無意識に戦艦という存在に頼る気持ちが生まれてしまっていたようだった。そのために、彼女が抜けた穴は自分一人で埋めなくては、という気持ちが強く出てしまったのだろう。

 

「――ええ、そうね! ありがとう、潮。一緒に皆を守りましょう」

「はい!」

 

 覚悟は決まった。こうなれば意地でも装甲空母鬼は霞達の手で倒さなくてはならない。

 強く拳を握りしめると、霞達は押し寄せる深海棲艦達から一度距離をとった。

 全速力で敵艦の塊に突っ込んでいくための距離を稼ぐためだ。

 

(距離をとってみるとわかるけど、敵、敵、敵……どこを見ても深海棲艦だらけね)

 前方見渡す限りにひしめき合う深海棲艦を眺めて嘆息する。

 まぁ、海域解放戦というのは得てしてこんなものだ。

 鬼級は取り巻きの深海棲艦を溜め込む傾向にある。

 今回はいつもより多く感じるが、長い期間放置されていた西方海域ならば、これだけの数がいたとしても不思議ではあるまい。

 頭数だけ数えればざっと三桁は越えているだろう。

 中央突破するには、数十隻もの深海棲艦を踏み越えていかなければならないということだ。

 

 

 

「――彼方、行くわ!」

 霞を先頭に、プリンツ、神通、潮の順に並び、彼方の合図を待つ。

 打ち合わせなどろくにする暇もないが、日々神通と鹿島による厳しい訓練を潜り抜けてきた霞達は、連携には自信がある。

 下手に頭を動かすより、身体の言うことを聞いた方が確実だと思えた。

 

 プリンツがとても大切にしているらしい帽子を被り直す。鍔を一撫ですると、霞にむかってにこりと微笑む。彼女には緊張というのは無縁のものらしい。普段と全く変わらない調子で彼方の合図を待っている。

 

 神通は……何だかいつもより少し楽しそうな顔をしている気がする。昔からこういう厳しい戦いであればあるほど燃えるタイプの神通は、きっとこの場にいる艦娘の中で誰よりもこの状況を楽しんでいるだろう。

 

 潮は、霞と目が合うとこくりと頷いた。目には力強い光が宿り、とてもついこの前まで生徒だったとは思えない。立派な頼れる仲間へと成長していた。

 

 後ろにはビスマルクと鳳翔もいる。何も不安に思うことはない。霞は仲間を信頼して全力で自分の成すべきことを成せばいいのだ。

 前に向き直った霞は、迫り来る深海棲艦の群れに向かってニヤリと不敵な笑みを浮かべると――

 

 

 

『――ビスマルク、敵旗艦までの道を切り開け!』

「Feuer!」

 

 

 

 ――後方より感じたビリビリと身体の芯にまで響く爆音に突き飛ばされるように全速力で飛び出した。

 

 

 

 ビスマルクの砲撃によって突出してきていた敵の塊が吹き飛び、敵陣に僅かに亀裂が生まれる。

 

『まだまだっ、出し惜しみはしないわ!』

 

 既に通信機越しでしか声を聞くことは出来ないが、目の前で悲鳴をあげる暇さえなく次々と吹き飛んでいく敵艦を見れば、ビスマルクが遠くにいたとしてもいかに心強いものであるかがよくわかった。

 

 霞達は敵陣に楔を打ち込むように、細く狭い隙間を縫って突撃する。足を止めればそこで終わりだ。ビスマルクの砲撃によって空いた穴が塞がれば、霞達は押し潰されるしかない。

 

「邪魔よ!」

 眼前に立ち塞がる重巡リ級の頭部に砲撃を直撃させると、勢いを殺さずそのまま破壊された頭部を踏み抜き飛び上がる。

 着水地点に待ち構えていた駆逐ロ級を強かに蹴り飛ばすと、霞に向けて主砲の着いた腕を振り上げてくる軽巡ヘ級にぶつけて射線を逸らす。

 砲撃を難なくかわして危なげなく着水した霞は、敵が体勢を立て直そうと動き出すよりも早く、その首を根本から砲撃によって吹き飛ばし、すぐさま駆け出した。

 

 

 

「……なんか荒っぽくありません? 艦娘ってこんなに殴ったり蹴ったりするイメージないんですけど」

「艦娘たるものある程度の体術は嗜んでいて当然ですよ、プリンツさん。私の姉さんはもっと凄いですし」

「ええー……」

 動きの冴え渡る霞を一瞥しつつ、神通と軽口を叩き合いながらも、プリンツと神通は的確に敵の装甲の弱い部分や機関部に砲撃を命中させていく。それでいて速度は一切落ちていない。相当な技術がなくてはこのような乱戦でそこまでの射撃精度は出せないだろう。

 

 

 

 しかし、プリンツ達が落ち着いて射撃に専念できているのも、前方にいる霞が派手に動き回って道を切り開いてくれているのと、側面から迫る敵艦の行動を的確に阻害してくれる潮の力に寄る部分が大きい。

 

 霞は自分が敢えて大袈裟に立ち回ることによって、敵が自然と霞を大きな脅威であると認識し、注意を引き寄せている。実際には撃沈している数は少ないが、囮として十二分に役割を果たしていると言えた。

 

 潮は魚雷や機関部の誘爆を利用しながら、敵の行動力を奪うことに注力している。

 中破、大破の状態で敵を沈めず生かしておけば、その傷ついた深海棲艦を無力化しつつ敵の行動を阻害する壁にすることが出来るのだ。

 

 動きの鈍った敵艦達に邪魔をされ、うまく前に出て来ることができない深海棲艦の魚雷に、狙いすまされた砲弾が直撃する。

 大きな爆発を伴って、また複数の敵艦が潮の手によって即席のデブリへと姿を変えた。

 

 

 

(今はどのくらい進んでこれたのかしら……。半分? それとも、まだ三分の一も来ていない?)

 相変わらず派手に敵艦を蹴散らして前進を続ける霞は、未だ先の見えてこない敵艦の群れを睨み付けながら辟易する。

 もう夕暮れに差し掛かろうかという空を見れば、それなりの時間が経っているだろうことは理解できた。

 踏み越えてきた深海棲艦の数も、百に届きそうなくらいだ。

 日が落ちる前に敵旗艦を倒せなくては、霞達が全員無事に帰還できる確率はかなり下がってしまうだろう。

 この状況と回りから常にぶつけられ続けている強烈な憎しみによって、精神的な疲労も段々と積み重なっていく。

 

『霞ちゃん! 後少しですよ!』

 耳元に鳳翔の声が届いて数瞬後、戦場全体にサイレンのような音が響き渡る。

 その音に惹かれて無様に上空を見上げる敵艦を即座に黙らせると、霞はその深海棲艦の亡骸を盾に全速力で突進した。

 

 

 

 ――刹那。前方が激しい爆発の連鎖と共に、一気に開けていくのがわかった。鳳翔の爆撃によって、残り少なかった敵艦が一隻足りとも残らず吹き飛ばされたのだ。

 

 

 爆風を深海棲艦の残骸で防いだ霞は、用済みになった敵艦だったものを放り出して一気に深海棲艦の群れを突破する。

 

 

 

「――っ抜、けた!」

『霞!』

 

 

 

 霞が手放した深海棲艦が視界から消え、前方を確認しようと思った矢先に彼方から切羽詰まった声が発される。

 

 

 

 その声に反応するよりも僅かに早く、ビスマルクの砲撃音とは似ても似つかない、心の底から震えが沸き起きるような音が、霞の全身を貫いた。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

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西方海域解放戦―4―

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 身につけた艤装が耳障りな悲鳴と共に火花を上げた。

 艤装を持っていた右腕は激しい衝撃を受けて今にも引き千切られそうだ。

 

 

 

 霞の聞いた音が装甲空母鬼の砲撃だと気づいたときには、もう避けることのできない位置にまで砲弾が迫っていた。

 精々無理に身体を倒して射線上から身体をずらす、というのが霞が出来る精一杯の抵抗だった。

 

(しまった――)

 どこか冷静に、霞は自分が深刻なダメージを負ったことを自覚する。

 歴戦の艦娘である霞ともあろう者が、無事に敵艦の群れを突破できたことへの安堵によって生じた一瞬の隙を、まんまと突かれてしまったのだ。

 

 艤装だけでなく魚雷まで貫いた敵の砲弾が海面に着弾した衝撃と、誘爆した自分の魚雷の爆発で、海面を小石のように跳ねながら吹き飛ばされた霞は、更に十メートル以上も転がって漸く止まった。

 

 

 

「――っぁ、ぐ」

 

 全身に走るあまりの激痛に、目の前がチカチカと明滅する。

 未だ視界が戻らない霞には、自分の腕や脚がどうなっているのかすら確認が出来ない。

 

(……立たなくちゃ、早く立たなくちゃ……次が来る!)

 痛みに悲鳴を上げる身体に鞭を打って、渾身の力で立ち上がろうとする

 今この瞬間にも装甲空母鬼がこちらに砲撃を行うかもしれないのだ。せめてここから動かなければ、今度こそお仕舞いだ。

 

「……脚は、ちゃんとついてるみたいね」

 未だ痛覚のみで他の感覚はほとんどないが、何とか霞はふらつきながらも立ち上がる。

 視界は弾け飛んだ艤装の破片が掠めたのか、頭から流れる血で朱く染まり、ほとんど何も見ることが出来ない。しかし一応は立てたのだから、右脚がちゃんと着いているのは間違いない。ただただ痛いだけだ。

 

 

 

 艦娘は艤装に守られているため、その守りを突破された上に更に身体の部位を欠損するような大怪我をすることは、そうはない。

 もし霞が先程の砲撃でそうなっていたら、海面を転がる前に海に沈んでいただろう。

 海面を転がったということは、自分がまだ艦娘でいられている証でもあった。

 

 

 

(私は……まだ戦える。立ってさえいれば、彼方のところに帰ることが出来るんだから!)

 霞はふらつく身体を必死に立て直し、まだ燃え盛っている戦意だけで戦場に戻るために歩き出そうとする。

 

 しかし自分が思っているよりもダメージが大きかったのか、身体が言うことを聞かない。

 右脚からふっと力が抜けて、ぐらりと視界が傾くのがわかった。

 やけにゆっくりと目の前に真っ赤な海が近づいてくる。

 未だ痛み以外に何も伝えてはこない自分の右脚は、もしかして今海に沈んでいるのではないだろうか――

 

 

 

「――霞ちゃん、大丈夫ですか?」

「……神通、さん?」

 再び倒れそうになる霞の肩をすんでのところで支えてくれた神通が、気遣わしげに声をかけてきた。

 霞は自分の視界を朱く染めていた血を、無事な左腕で乱暴に拭い去ると、今度はしっかりと自分の力で立ち上がる。

 恐らく脳震盪も起こしていたのだろう。次第に霞の意識がはっきりとしてきた。

 

 開けた視界で怪我の様子を確認してみる。

 右腕は、傷だらけで火傷もしていて酷い状態だ。主砲も大きく抉られ、とてもじゃないが使える状態ではない。

 右脚は、間近で魚雷の爆発を受けたため酷い火傷や裂傷はあるが、肝心の足の艤装は無事だ。霞の足は海に沈んでなどいなかった。

 

 自分の被害状況を確認した結果。どうやら、最悪は回避できたものの……それだけ、と言ったところのようだった。

 

 

 

「……ごめんなさい、神通さん。油断してたみたい」

「いえ、あれは敵が巧かったと思います。霞ちゃんが飛び出した瞬間には敵はもう砲撃を行っていましたから。始めからあの瞬間を狙っていたんです」

 確かに、爆発が止むと同時に群れを飛び出した霞――しかも深海棲艦の爆発に巻き込まれた深海棲艦と偽装して、だ――が回避できないようなタイミングの砲撃だ。神通の言う通り始めからそこから霞が出てくるとわかった上で、既に狙いを定めていたのだろう。

 もう十年以上艦娘として深海棲艦と戦っていると言うのに、改めて鬼級の危険性を再認識させられる。

 

「……それでも、その上で私達は装甲空母鬼(あれ)を倒さなくてはなりません。――霞ちゃんは、まだ戦えますか?」

「もちろん、戦えるわ! まだ機銃と、魚雷も半分は残ってる」

 未だ霞の戦意が衰えていないことを確認すると、神通はにこりと笑って頷いた。

 

「今はプリンツさんと潮ちゃんが敵を引き付けてくれています。霞ちゃんも、持てる力で最善の努力を尽くしましょう」

 機銃では装甲空母鬼に傷一つつけられないだろう。

 魚雷だって、あの装甲にただ闇雲にぶつけても効果は薄い。

 だが、沈んでいない以上は戦える。戦わなくてはならない。

 霞は彼方の艦娘として、彼方と共にこの海を守るという約束をしているのだ。

 

 

 

 後方にはつい先程抜けてきた深海棲艦の群れ。

 前方には飛行甲板は失ったと言えども、主砲は無傷で残っている装甲空母鬼。

 霞達が全員で彼方のところに帰るためには、こんなところでいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 

 ただでさえ長期戦は不利なのだ。今は断続的に支援砲撃をしてくれているビスマルクのお陰で群れの動きは制限されているが、いつ後方の群れが霞達の所へ雪崩れ込んできてもおかしくはない。

 そうなる前に、装甲空母鬼を倒しきらなくては――

 

 

 

『――霞。勝って帰ろう』

「……彼方」

 焦りに冷静な思考が出来ず苛立つ霞の耳元に、いつもと変わらない穏やかな声が響く。

 この状況なのだ。本当は誰よりも取り乱していておかしくないだろうに、必死に平静を保っている様が目に浮かぶ。

 それくらいは、彼方が霞のことを大切に思ってくれているという自負もあるし、そうであって欲しいという願望も僅かにはある。

 

 それはともかく、彼方の発した一言で、傷と火傷による熱さにも似た痛みで浮かされた霞の思考が、徐々に晴れ渡ってくるのを感じた。

 

『僕は霞を……皆を信じてる。僕が皆を勝たせてみせる』

 

 いつもと変わらないどころか、いつも以上に自信を感じさせる力強い彼方の声。

 霞の最も信頼する、最も大切な存在にここまで言われれば是非もない。

 霞は、ただ彼方を信じて戦うことだけを考えることにした。

 たったこれだけのやり取りで、不思議と損傷など気にならないくらいに力が湧いてくる。これも彼方の力なのだろうか。

 

 

 

『だから、僕を信じてもう少しだけ頑張ってくれるかな?』

「当たり前よ! 私が信じなくて誰が彼方を信じるって言うの?」

『うーん……私でしょうか?』

「ちょっと、こんなときばっかり割り込んでくるんじゃないわよ!」

 折角いい雰囲気になりそうなところで、彼方の隣に立っているであろうお邪魔虫(鹿島)に文字通り邪魔された。

 

 

 

(――とにかく! 私はまだ戦える。怪我はさっきから気にならないくらいに調子がいいし、主砲がないから大した攻撃は出来ないけど……撹乱ならまだまだ出来る筈よ!)

 霞は今一度気合いを入れると、隣に静かに佇む神通の隣に進み出た。

 

「……提督の能力はやっぱり凄いですね。正直なところ、その損傷では玉砕覚悟の突撃くらいしか行えないものと思っていましたが」

「ええ、でもこれで勝ちの目も見えてきます。そうでしょ、彼方?」

『――――――』

 

 ほんの数秒の沈黙。

 僅な違和感を覚えた霞はもう一度彼方に呼びかける。

「……彼方?」

『――っ、うん。プリンツと潮も今は相手の攻撃を捌くのに手一杯だけど、霞と神通も合わせれば、こっちの攻撃する隙も作り出せるはずだ。敵も内心は随分と焦っているし、勝ち目の薄い戦いじゃないと思う』

 話し出した彼方の声音には違和感はない。

 気のせいだったのだろうか。

 

「………………。提督、指示をお願いします。プリンツさん達もそう長くは持ちません」

 神通の霞に向けた目配せは、彼女もまた霞が彼方に覚えた違和感を、神通も同じように感じ取ったということだろう。

 確かにそれは気になるが……考えるのは後だ。

 今は目の前の問題をどうにかしなくてはならない。

 

 

 

『装甲空母鬼の下半身……装甲に覆われている部分を破壊するには今の僕たちじゃ火力が足りない。あの主砲もあるし、敵の正面に回るのを避けつつ、相手の体勢を崩して上半身を破壊しよう』

 

 装甲空母鬼とは、下半身が巨大な装甲に覆われた主砲となっていて、左右には艦娘など簡単に握りつぶせてしまいそうな腕がついている深海棲艦だ。

 しかし、下半身の頑強さに比べれば、上半身はセーラー服を身に纏っただけのただの少女であり、随分と貧弱である。

 彼方はその人の形をした部分を狙い撃ちにするつもりだった。

 

 

 

『カナタくん、それ今やろうとしてるんですけど! あれが邪魔で、攻撃が通らないんですよ!』

 

 あれ、とは装甲空母鬼の周囲を飛び回る浮遊要塞――謂わば空飛ぶ砲台のような物だ。

 プリンツが執拗に装甲空母鬼の本体を狙い砲撃を行っても、全て浮遊要塞が間に割り込んで来てしまう。

 これでは、本体に決定打を与えることは難しい。

 

『浮遊要塞は自律した深海棲艦じゃないらしいんだ。装甲空母鬼の虚を突ければ、浮遊要塞に邪魔されることはないと思う』

『そんなこと言ったって、一体何発の砲弾から避けながら戦わなきゃいけないかわかってます!? これじゃ勝つどころかじり貧ですよぉ!』

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 無駄口を叩きながらも、プリンツは実際よく戦っている。

 潮が矢面に立たないよう、相手の目を自分だけに向け続けるために敢えて無理をしてでも敵の本体を狙い続けているのだ。

 プリンツを驚異と認めた装甲空母鬼から、一発一発が必殺の威力を持つ砲弾が、何発も放たれる。

 もちろんあの忌々しい浮遊要塞からもだ。

 その全てを、プリンツは華麗に身を翻し、巧みに避け続ける。

 それだけでなく敵の砲撃の僅な間隙に差し込むように、プリンツも砲撃を放っていく。

 しかし、やはり浮遊要塞に防がれた。

 

 

 

(やっぱりダメ! このままじゃ埒があかない……)

 プリンツもこの集中状態を持続し続けるのには限界がある。

 この均衡が崩れれば、そしてもし自分が倒れれば、それこそこの化け物に勝つことは難しくなるだろう。

 

(ねえ様から託されたんだから、私がやらなきゃいけないのに!)

 敵の砲撃の着弾の衝撃で吹き飛ばされそうになる帽子を、思わず手で押さえる。

 

 

 

 ――深海棲艦と戦うのは、艦娘として生まれたからには当然だ。

 だが、プリンツの生きる目的はこのおぞましい化け物と戦って戦って死ぬことでは決してない。

 大切な、大好きな姉が叶えられなかった願いを叶えること。

 プリンツは、一人ではないのだ。生きなくてはならない理由がある。

 

 

 

「……そうよ! 私はまだ……こんなところで死んだりしない! 深海棲艦なんかに負けたりなんかしないんだから! 

 Feuer!」

 

 渾身の力で放った砲撃が、例のごとく割り込んできた浮遊要塞を貫き、装甲空母鬼本体に直撃する。

 予想もしていなかった痛みに金切り声をあげる装甲空母鬼が、怒りに燃える瞳でプリンツを睨んだ。

 言葉を発さなくともわかる、明確な殺意。

 

「やった! けど、これって――」

 初めてのクリーンヒットに勝ち誇るプリンツだが、先の一撃で状況が好転したとはとても言えたものではなかった。

 

 

 

 ――射殺すようにプリンツを真っ直ぐに睨む装甲空母鬼の前に、おびただしい数の魚雷が出現した。




ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました。

季節の変わり目は体調を崩しがちで、更新が遅れてしまいました……。
冬イベも掘りはろくに出来ませんでした……。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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西方海域解放戦―5―

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます。

今回はちょっと痛い描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら嬉しいです。


「――ッ!! 潮ちゃん、私から離れて!」

 

 咄嗟に叫ぶと、プリンツは次々と迫り来る大量の魚雷を引き付け、潮から離れるように全速力で走りだす。

 

 一発一発が必殺の一撃であると予想される敵の雷撃だ。

 駆逐艦である潮が直撃すれば、ひとたまりもないだろう。

 

(私だって、こんなのに直撃したら沈むかもしれない……。だけど、ねえ様ならきっと迷わない!)

 

 一抹の不安が脳裏を過るが、そうしている間にも数十本の魚雷が絶え間なくプリンツを屠ろうと殺到してくる。

 その隙間を縫うように避けながら、プリンツは敵の攻勢が緩まるのを堪え忍ぶ。

 一瞬でも判断を躊躇すれば、たちまち魚雷の餌食だ。

 今はとにかく自分も生き残るために、ただ全力で魚雷を避け続けることしか出来なかった。

 

 薄氷の上を跳ね廻るような危うさで、幾重にも重なる白い軌跡を飛び越え、やり過ごし、すり抜けていく。

 触れれば終わり。もし至近距離で爆発されても、体勢を崩してしまえばそれ以降の魚雷がかわせなくなる。

 永遠にも感じる死の濁流を、プリンツは翔ぶように駆けていく。

 

 

 

「これはっ……生きた心地が、しませんね! だけど、私だって幸運艦と呼ばれてたんです! この程度かわしきって――っ!?」

 

 

 

 突如爆発音と、それに伴う衝撃がプリンツの身体を震わせる。

 前方で一つの魚雷が派手な水飛沫を上げて爆発したのだ。幸い距離はある程度離れているため、体勢を崩してしまうほどの衝撃ではない。

 しかし、隣り合っていた魚雷と衝突したのか、それとも敵の意図によるものか――どちらにせよ、突如発生した爆発によって視界が遮られたプリンツには、後続の魚雷の軌跡を読み取ることが一切出来なくなってしまった。

 

 

 

(マズイ……ですけど、考えてる時間はありませんね。早くここから離れないと――)

 

 即座にプリンツは装甲空母鬼から離れる方へと進行方向を切り替える。

 少しでも距離を取らなければ、いつあの水柱を越えて魚雷がやって来るかわからない。

 誘爆を起こしているのか、次々と轟音と共に上がる水飛沫を注視しながら、プリンツは身構えた。

 

 

 

『――プリンツさん、潮が時間を稼ぎます!』

「潮ちゃん!?」

 

 唐突に入った潮からの通信に面食らったプリンツには、その発言内容が上手く頭に入ってこない。

 現状ではプリンツでさえ敵の攻撃を捌くのに精一杯だというのに、まさか潮がプリンツを守ろうと言うのか。

 プリンツは残る魚雷の対応で身動きがとれず、潮が今どこにいるのかもわからない。

 未だ爆発で起きた水蒸気や水飛沫で閉ざされている視界の中、困惑のあまり魚雷のことなど忘れて立ち尽くす。

 

 

 

 ただ相手の魚雷がやって来るのを待ち続けるしかなかったプリンツを嘲笑うかのように、なぜか後続がやって来ることもなく立て続けに上がっていた水柱が消え去り、視界が開ける。

 そして漸く開けたプリンツの視界に飛び込んできたのは――

 

「……あの子、何やってるの!?」

 

 

 

 先程までプリンツが必死に守っていた相手――潮が、装甲空母鬼と一歩も退くことなく戦っている姿だった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「く、ぅ――!」

 

 耳元をギリギリでかわした敵の砲撃が掠めた。

 砲弾が横を通り過ぎただけで、ヒリヒリと焼けつくような殺意を肌で感じる。

 直後に砲弾によって切り裂かれ押し退けられた空気に、頬に殴り飛ばされたかのような衝撃が走る。

 一瞬眩暈のような感覚と共に意識が飛ばされそうになったが、なんとか歯を食いしばって耐えた。

 

 

 

 中々思い通りに沈まない潮に対して、装甲空母鬼は明らかに苛立っている様子だ。

 必殺の魚雷の全てを潮一人に処理されたことも気に入らないのだろう。

 赤く、昏く、潮を睨みつける双眸が怨嗟の言葉を投げつけてくる。

 

 ――沈メ、死ネ、憎イ、恨メシイ。死ネ、死ネ、沈メ、沈メ、沈メ沈メ沈メ沈メ――

 

 放ってくる装甲空母鬼の攻撃の全てに、直撃すれば駆逐艦などあっという間に沈んでしまう程の威力がある。

 もし当たってしまえば、自分は霞のようにはいかないだろう。

 

 潮の最も尊敬する教艦である霞が、敵の砲撃で吹き飛ばされたとき……潮は恐ろしさのあまり足がすくんでしまった。

 自分とは壁を隔てて更に遠くにある強さを持った艦娘として、絶対的な信頼を置いていた霞の負ける姿など、全く想像もしていなかったのだ。

 

(……恐い。深海棲艦をこんなに恐いと思うなんて……)

 

 深海棲艦と戦うことを定められて生まれてくる艦娘は、当然深海棲艦と戦わなくては存在している理由がない。

 そのためか、今まで戦ってきて深海棲艦にここまで恐怖を感じたことなど、一度たりともなかった。

 それが……今はこんなにも、足がすくみ、砲を持つ手が震えるほどに恐ろしく感じている。

 やはり『鬼』というのは、普通の深海棲艦とはどこか違っているのだろう。

 

 

 

 潮はこれまで彼方を守るために、そして仲間達を守るために戦ってきた。

 だというのに先程までの潮は、霞が敗北したことで身動きが取れなくなり、プリンツの後ろでただ守られていただけ。

 

 ――お荷物。足手まとい。

 

 現状の戦場での潮の自身に対する評価はそんなところだ。

 実際は、群れを抜けた時点で潮の働きは既に大変大きなものであったのだが……当の潮本人がそうは思っていない。

 

 装甲空母鬼がプリンツに向けて大量の魚雷を発射した時、潮は自分から離れるように動くプリンツを見送って、自分が装甲空母鬼と戦いだしてから一歩も動いていなかった……否、動くことができなかったことに、初めて気がついた。

 

 守られている。自分のために、仲間が窮地に立たされている。

 そのことに気がついた次の瞬間には、無意識に駆け出していた。

 魚雷群の軌道や速度を瞬時に読み取り、最小限の兵装で敵の魚雷を撃ち落とす。

 

 装甲空母鬼と戦って倒すのではなく、仲間を助けたい、守りたいと思うことで、先程まで頑なに動こうとしなかった足が動き出し、嘘のように身体が軽くなった。

 

 恐怖心は当然ある。

 現に身体は未だ小刻みに震え続け、ここから逃げ出したいという気持ちを訴え続けている。

 しかし、潮は逃げるわけにはいかなかった。

 彼方が全員無事の帰還を望む限り、潮はそれを全力で叶えたいと思っている。

 彼方の笑顔を失う恐怖に比べれば、鬼への恐怖など……決して乗り越えられないものではない。

 

 

 

 震える脚を動かしながら、潮は必死に敵の攻撃を掻い潜る。

 今や浮遊要塞の全てが潮の周囲を取り囲むように配置され、躍起になって潮を沈めようと砲撃を放ってきている。

 それを潮は敵の砲搭の向きから弾道を予測し、最小限の動きで回避、回避が難しい位置にいる浮遊要塞には牽制の砲撃を行いタイミングをずらすことで、回避不能の砲撃を回避可能なものとする。

 

 先程は距離が近すぎたために砲弾が纏う衝撃波によりダメージを受けた。

 次の砲撃からはもう少しだけ距離をとって回避する。

 大きく動きすぎては次の攻撃に対応が出来ないばかりか、牽制することすら難しくなる。

 そうして、全方位からの攻撃を紙一重でかわし続けている潮だが、少しずつだが確実に小さな傷は増えていった。

 

 プリンツを襲う大量の魚雷に対処するため、持っていた爆雷は大半を使いきり、魚雷も残り三本。

 敵の攻撃の間隙を狙って装甲空母鬼本体に行った砲撃は、その全てを装甲部分より生えている剛腕によって防がれた。

 

 

 

 自分では装甲空母鬼を倒すことは出来ない。それはこの攻防を繰り返す内に既に理解できてしまった。

 しかし、何か……せめて攻略の糸口くらいは掴みたい。

 自分に出来ること、すべきことを成すまでは――

 

「っ! させません!」

 

 全く沈む様子がない潮から離れ、プリンツを狙おうする浮遊要塞に牽制の砲撃を放つ。

 大してダメージは与えられないが、逸れかけた敵の意識をこちらに向けることは出来た。

 着実にダメージの蓄積は行えている。

 こちらに向き直ったのはその証拠だと言えた。

 

「……潮だって、皆を守るために努力してきたつもりです! 貴女にこれ以上仲間を傷つけさせはしません!」

 

 先程から回りで自分の邪魔ばかりしてくる潮にいい加減苛立ちが限界に達したのか、装甲空母鬼が完全に潮に標的を定めた。

 漸く潮を対等な敵だと認識したということだ。

 

 

 

 ――この時を潮は待っていた。

 

 

 

(……潮だけでは、どう頑張ったところで貴女を倒すことは出来ません。……ですけど、今その糸口は掴むことが出来ました!)

 

 

 

「Feuer!」

「行って!」

 

 

 

 潮を包囲していた浮遊要塞の全てが、絶好のタイミングで放たれた砲撃によって貫かれ、撃墜される。

 盛大に爆発する浮遊要塞達を目の当たりにして驚愕に目を見開く装甲空母鬼の致命的な隙を逃すことなく、潮のなけなしの魚雷が装甲空母鬼の豪腕に向けて放たれた。

 

 

 

(あの腕を破壊できれば、装甲空母鬼の体勢を大きく崩すことが出来ます! そうすれば、霞教艦達が、きっと――)

 

 

 

 煙を吐きながら墜落していく浮遊要塞の隙間から、装甲空母鬼の剛腕に放った魚雷の全弾が直撃、爆発するのが見えた。

 あの腕は、装甲空母鬼にとって最も重要な部位だ。砲撃時に反動を抑制する役割だけではなく、急制動や急加速、更には防御や攻撃にも使用していたのは確認済みだ。

 あの腕を一本でも失えば、かなりの弱体化が望めると言うことに、激戦の中で潮は気がつくことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こふ」

 

 

 

 やけに近くで聞こえた奇妙にひび割れた声は、一体誰の声だったか。

 あの剛腕を破壊できたとはいえ未だ十分に装甲空母鬼は脅威だ。

 

 とにかくこの場を離れなければ、と踏み込もうとしたが、潮の脚は何故か虚しく空を切る。

 

 それもそのはず、潮の足は海面を捉えてはいなかった。

 海面は、潮の視界に映っていない。見えているのは海のように青い空だけだ。

 

 

 

 こぽり、と突然口から何か温かい液体が漏れだす。

 口の中いっぱいに鉄の味が広がっていく。

 

 

 

「………?」

 

 

 

 見下ろせば、自分の身体が黒い何かに掴まれていた。

 

 

 

 根本が半部ほど裂け、筋肉は露出し、骨まで見えているような有り様だが、まだあの剛腕は繋がっていた。

 

 

 

 潮は、失敗した。

 

 

 

「……ひ……ぃ、た……」

 

 

 

 痛い。

 

 

 

 痛くて痛くてたまらない。

 

 

 

 痛くて痛くて痛くて痛くて――

 

 

 

「か……た、さん……た、けて……」

 

 

 

 ――思わずこの場にいない、潮の大切な人に助けを求めた。

 

 

 

(ああ……、でも、よかったかもしれない。彼方さんが、ここにいなくて。だって、これじゃあ……)

 

 

 あの人を、守ることが出来ない。

 

 

 

 先程よりも更に空が近くなる。

 直感的に、海に叩きつけられるのかな、というのがぼんやりと理解できた。

 

 

 

(彼方さん、ごめんなさい。潮は、もう還れないかもしれません……)

 

 

 

 地面に落ちた赤い果実のように、自らが海に叩きつけられた様子を想像すると、何だか現実感が無さすぎて逆に笑えてくる。

 悪い冗談のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『霞!! 潮を助けろ!』

「うちの大事な元生徒に、ふざけたことしてんじゃないわよ!」

 

 

 

 遠退く意識の向こうで、潮は今一番聞きたいと思っていた二人の声が聞こえた気がしていた。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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西方海域解放戦―6―

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 半ばまで引き裂かれた剛腕に、霞の放った魚雷が突き刺さり、炸裂する。

 

 轟音と爆風の吹き荒ぶ中で、ついに握力を失ったのか、掴まれていた潮が宙に放り出された。

 しかし潮は気を失っているのか、ピクリとも動かない。

 そのまま放物線を描き、海へと墜ちていく。

 

「潮っ!」

 

 あわや海面に叩きつけられるかといった寸前で、どうにか霞が潮を抱き止めた。

 霞の身体もボロボロだ。抱き止めたことによる激痛に顔をしかめるが、それよりも無事に潮を助け出せたという安堵が勝った。

 

 霞はすぐに潮の状態を確認する。

 

 か細いが呼吸はしているし、脈拍もある――潮は無事だ。霞は一先ずほっと胸を撫で下ろす。

 次いで背中を確認すると、剛腕に握り締められたことで、背中の艤装は完全に潰されてしまっていた。

 無惨に潰され裂けてしまっていた煙突が身体に突き刺さっていなかったというのは、不幸中の幸いか。

 

 今現在無事だと言っても吐血もしていた跡があるし、素人目にもどう見たって危険な状態だ。

 一刻も早く入渠させなくては、それこそ命にも関わるかもしれない。

 

 

 

「彼方、潮は無事よ! だけど、早く入渠させないと――」

『わかってる、霞は潮を連れて直ちに撤退を! ビスマルク、鳳翔さん、霞のバックアップをお願い! ビスマルクもそのまま霞を護衛しつつ撤退して!』

『ええ、わかったわ!』

『はい、お任せください!』

 

 

 

 今すぐ離脱したとして、待っているのはあの深海棲艦の群れだ。

 正直、離脱の可能性はあまり高いとは言えないだろう。

 彼方もそれは十分にわかっているだろうが……しかし、事は一刻を争っている。

 何としても潮を鎮守府へ連れ帰らなければ。

 霞が決死の覚悟で足を前へと進めようとした時だった。

 

「グォオオオアァッ!!」

「――ああっ、もう! どれだけしつこいのよ!」

 

 魚雷の爆発によって霞たちの背後に上がっていた水柱を真っ二つに断ち切って、装甲空母鬼が咆哮を上げながら突進してきた。

 

 

 

 霞は潮の艤装に装着されていた爆雷を掴み取ると、そのまま円を描くように反転、装甲空母鬼の愚直な突撃をひらりと避ける。

 怒りに身を任せただけのただの突進だ。潮を抱えていたとしたって造作もない。

 

 通り過ぎようとしている装甲空母鬼を見てみれば、潮と霞が立て続けに雷撃を行った剛腕は、最早皮一枚で繋がっているような状態だった。

 やはり大破状態の霞が行った雷撃では、十分な効果が得られなかったのかもしれない。

 例えそうだったとしてもその生命力は驚嘆に値するが。

 

 

 

「いい加減にっ!」

 

 霞は掴んでいた爆雷をすれ違い様に剛腕が千切れかけた傷口に捩じ込み、全速で後退しながら機銃を斉射する。

 機銃の攻撃力では、装甲空母鬼には傷ひとつ与えることはできまい。

 だが、装甲空母鬼の体内に捩じ込まれた爆雷を起爆するのには、十分な威力があった。

 

「吹き飛びなさい!」

 

 銃撃によって破裂した爆雷が装甲空母鬼の装甲の内部を縦横無尽に蹂躙する。

 体内を無遠慮に暴れまわる爆発の衝撃が、装甲空母鬼の剛腕を遂に食い千切った。

 

 

 

 たっぷり数秒も弧を描いて吹き飛んだ剛腕が、霞から数メートル程離れた位置に着水し――霞の身長の三倍はあろうかというほどの水飛沫を上げた――そのまま浮かぶことなく沈んでいった。

 遅れてまるで雨のように、立ち上がった飛沫が霞の立っている場所にまで降り注いだ。

 

「グアァアアアァア!!」

 

 大顎が初めて悲鳴を上げ、その巨躯がぐらりと傾く。

 

 

 

 漸く、これ程までに霞も潮も消耗して、とうとうその瞬間が

 来たのだ。

 

 

 

『神通!』

「――沈めます!」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 無様に倒れこみ、海面に叩きつけられた装甲空母鬼の本体に向けて、神通が持てる砲、魚雷、全てを放つ。

 

 

 

 戦闘が始まってから、どれだけ仲間が傷つこうと、じっと耐えてきた。

 せめて神通かプリンツのどちらかが万全の状態でなくては、装甲空母鬼を倒しきるだけの攻撃力を失ってしまうからだ。

 プリンツが潮を守ることを選択していた以上、神通は身を潜めて万全の体勢で、ひたすらにこの瞬間を待つ他なかった。

 

 そしてプリンツが邪魔な浮遊要塞を破壊し、潮と霞が装甲空母鬼の体勢を見事に崩した。

 

 後は、神通が装甲空母鬼本体を破壊することが出来れば、この戦いは終わる。

 時間にしてはものの数分であったのだろうが、戦っていた本人たちからすると、とてつもなく長く感じられた戦いだった。

 

 

 

「アァアアアア!」

「……っ」

 

 

 

 デタラメに放たれた殺意にまみれた砲弾が頬を掠めた。

 装甲空母鬼は神通の攻撃によって頭部の左半分を失い、右半身は抉られ欠損している。

 もう狙いをつけられる程の視力もないのだろう。

 本当に動いているのが不思議なくらいの損傷具合だ。

 艦娘であれば間違いなく沈んでいる。

 

 

 

 構うことなく神通が攻撃を続けようとすると、突然装甲空母鬼が不可解な行動を取りだした。

 

「? 一体、何を……」

「ウゥ……ウウウゥ!」

 

 低く唸り声を上げながら、装甲空母鬼が下半身の装甲を殴りつける。

 何度も何度も殴りつけ、手の骨が砕ける音が聞こえてもその行為は続いた。

 

 神通もその奇妙な行動に困惑し、攻撃する手を止めて呆然とその異様な光景をただ見つめる。

 

 

 

 暫くそうしていたかと思うと、とうとう装甲に亀裂が走り――ずるり、と装甲空母鬼本体の埋まっていた太股が抜けた。

 支えを失った身体はそのままびしゃりと海面に墜ち、それでも尚もがきながら神通へと這いずって向かってくる。

 

 

 

(まだ、戦う気なの……?)

 

 

 

 砕けた手で、必死の形相で、怨嗟の呻き声を上げながらずるずると近づいてくる。

 

 

 

 装甲空母鬼には、脚がなかった。

 

 

 

『神通、攻撃を続けて! これ以上近づかせたらダメだ!』

「!? ……は、はい!」

 

 

 

 彼方に命じられるまま、慌てて神通が砲撃を再開しようと――

 

 

 

「ガァアアアァッ!!」

「――ッ!?」

 

 

 

 本体から切り離された大顎が、無事な方の剛腕を使って飛び上がり、もう何度目かという突進を行う。

 空中で姿勢を制御することも出来ず、ただ純粋に質量で押し潰すだけの、無様な突進。

 

 しかし装甲空母鬼の鬼気迫る行動で呆気にとられていた神通は、この突進に気がつくことはできても、咄嗟に対応することが出来なかった。

 

 

 

 ――瞬間的に飛んでいた意識が戻ったときには、海の中だった。

 大顎にのし掛かられ、そのまま海中に引き摺りこまれたのだ。

 片腕となって、体内を爆雷でめちゃくちゃに掻き回され、本体からも見捨てられ、まだ抗う。

 

 

 

(……どうして、そこまで)

 

 

 

 神通が以前戦った装甲空母鬼は、これ程までの生命力は持っていなかった。

 一体この装甲空母鬼は、どれだけの怨みや憎しみを溜め込んでいたのだろうか。

 

 それほどまでに艦娘が憎いのか。

 その深く強い怨念に突き動かされ、瀕死の……というよりは、既に死んでいたとしても全くおかしくない状態で神通に立ち向かってくる深海棲艦に、哀れみにも似た感情が湧き上がってくる。

 

 

 

(もう、終わりにしましょう)

 

 

 

 ここで神通が沈むわけにはいかない。

 神通達には還らなくてはならない場所があるのだ。

 霞や潮を無事に鎮守府へ還すためには、まだまだやらねばならないことがある。

 

 神通は、持っていた最後の魚雷を取り出した。

 爆雷によってできたらしい下腹部の傷口に突き刺す。

 装甲のない下腹部の深く深く。

 今度こそ二度と動き出すことのないように。

 

 今爆発させれば自分も巻き込まれるが、のしかかられて動けない以上はそれも仕方がない。

 せめて衝撃をまともに受けないよう装甲空母鬼の身体を盾にして、神通も爆発の衝撃を受けて吹き飛ばされた。

 

 

 

 爆発に押し上げられ、海中から一気に海上、空中へと視界が切り替わる。

 空中で姿勢を制御しつつ自分の損傷具合を確認するが、戦闘行動に支障はなさそうだ。

 魚雷を突き刺して起爆した左腕の主砲は全損しているが、そんなことはその手で起爆した時点で折り込み済み。

 少し戦いにくくはなったが、霞や潮に比べれば何てことはない傷だろう。

 

 転がるように海面に着水し、衝撃を殺してすぐに立ち上がった。

 まだ本体の方が動いていた、生きていたはずだ。

 神通は魚雷を起爆した地点付近の装甲空母鬼本体を探す。

 

 爆発炎上し、煙をもうもうと上げながら、大顎が声を上げることなく少しずつ沈んでいる。

 這いずっていた本体の方は、大顎の傍らで倒れ、動かなくなっていた。

 

 

 

 大顎が死んだことで、本体も死んだのか。

 それともただ単に力尽きただけなのか。

 そのどちらかはわからないが、装甲空母鬼はついに完全に沈黙したのだった。

 

 

 

「……提督、装甲空母鬼の撃破を確認しました。海域の解放は成功です」

『……うん、お疲れ様。本当に無事でよかった、神通』

 

 

 

 達成感は、ない。

 互いが生き残るために死力を尽くして戦って、何とか勝ちを拾っただけ。

 だが、仲間は皆生き残っている。彼方の所に還ることが出来る。

 

 やっと戦闘が終了したことで、神通は初めて自分の身体が小刻みに震えていたことに気がついた。

 海の中に引き摺りこまれたから、だろうか。

 本能的な恐怖心というのは、どれ程訓練を積んでいたとしても払拭出来ないものらしい。

 

 

 

「大丈夫ですか、神通さん。本体は、私が止めを刺しました」

「……そうですか」

「はい。……じゃあ、帰りましょうか! ねえ様も待ってますよ!」

 

 いつものように明るい声でプリンツが声をかけてくる。

 ……いや、いつもと同じように努めてくれているのだろう。

 プリンツも、あまり気分は良くなかった筈だ。

 あの深海棲艦に止めを刺す、というのは。

 

 それに、これからまたあの群れを突破しなくてはならないのだ。

 干渉に浸っていられる余裕はない。

 深海棲艦の群れに一足先に向かっていった霞達は――

 

 

 

「……群れが、いない?」

「あ、ねえ様! ほら、みんな無事みたいですよ、何故かわかりませんけど今がチャンスです! 私たちも撤退しましょう!」

 

 

 

 装甲空母鬼の絶命と同時に、深海棲艦の群れが消えていた。

 本来なら海域が解放されたからといって、そこに棲息していた深海棲艦が消えることはない。

 それがこうして跡形もなく消えたというのは、一体どういうことなのだろうか?

 

(装甲空母鬼が産み出していた、というの? 深海棲艦達を……)

 

 あり得ない、話ではないのかもしれない。

 どこかあの装甲空母鬼は普通の深海棲艦とは違っていた。

 生命力もそうだし、思考能力も通常の鬼級に比べても高かった。

 だが、その特徴は――

 

 

 

「きゃっ!? 何ですかこれ! 急に海が……血みたいに……」

 

 

 

 プリンツの慌てた声に、沈みかけていた思考から一気に引き戻された。

 

「そんな、まさか……」

「知ってるんですか、神通さん?」

 

 知っているか知らないかで言うのならば。

 神通はこの現象を知っている。

 ただし、この海域では起こり得ない、起こってはいけない現象だ。

 

 

 

(これは、鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)の――)

 

 

 

 神通の足の艤装の一部が、風化したように崩れ落ちた。

 間違いない。

『魂を喰らう海』だ。

 

 

 

『神通、プリンツ! 今すぐそこを離れるんだ! 何かが、何かが浮上してくる!!』

「提督、霞ちゃん達に離脱を急ぐように伝えてください! 鳳翔さんもすぐに逃げてください!」

「え、え!? ちょっと、何ですかこれ、どうなってるんです!?」

 

 隣で戸惑うプリンツを余所に、神通は覚悟を決めた。

 申し訳ないが、プリンツにはもう付き合ってもらうしかない。

 

 

 

 もう――逃げられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナンダ。『姫』ニ成ルト言ウカラ、ワザワザ迎エニ来テアゲタノニ。……死ンダノネ?」

 

 装甲空母鬼よりも更に太い両腕を持つ、肩に巨大な主砲を乗せた大柄な深海棲艦に無造作に捕まれ、吊るされた装甲空母鬼の亡骸を眺めていた美しい女性が、さもつまらなそうに呟いた。

 

 

 

(……あれが、『姫』級)

 

 

 

 勝てない。

 少なくとも、今の状態では二人がかりでも手も足も出まい。

 それがはっきりとわかるくらいの力量差を感じる。

 

 

 

「……オマエタチガ、ヤッタノ?」

 

 

 

 ぴしりと、艤装の風化して崩れた破片が風に舞う。

 神通達は、一歩も動くことが出来ない。

 圧倒的な存在感に、完全に飲まれてしまっていた。

 

 

 

 これが、彼方が初めて遭遇した深海棲艦の『姫』だった。




ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!

一先ず海域解放は成功しましたが、直後にもう一山やって参ります。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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姫級

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです!


(……『魂を喰らう海』と、人語を操る深海棲艦)

 

 そして装甲空母鬼のような不完全な人型ではなく、完全な人型。

 頭部には一本の角。身長に迫ろうかというほど長い黒髪に、細く伸びた美しい腕には黒いロンググローブ、華奢な肩と胸元までを大胆に露出した黒いドレス、脚には黒いストッキングとブーツ。一見上品にも見える洋装の中で、手足に取り付けられた刺々しい枷と首輪が、内に秘めた妖艶さと攻撃性をより一層際立たせている。

 黒の中で一際目立っている妖しげに揺らめく瞳は血のように紅く、覗きこめばどこまでも堕ちてしまいそうな程に、深く(くら)い深淵を思わせた。

 

 対して傍らに立つ深海棲艦は、装甲空母鬼の下半身の大顎を遥かに越える異様さだ。

 何せ、あの大顎よりも更に巨大な顎が頭部に二つもついていて、なおかつ拘束された両腕は装甲空母鬼の豪腕よりも遥かに太い。

 肩の主砲も装甲空母鬼が持っていたものとは比べ物にならないほどに巨大で禍々しい威圧感を放つ。

 その解り易過ぎるほどの凶暴性は見る者全てに等しく絶望を与え、その戦意を著しく奪い去る。

 

 何よりも、二体の深海棲艦のその身に内包する負の感情――深海棲艦の魂とも言えるものの強さに圧倒された。

 ひょっとするとこの赤い海は、彼女から抑えきれず漏れだした負の感情に侵されてしまった結果なのではないか、とさえ感じさせる程だ。

 

(姫級と呼ばれる深海棲艦が、ここまでの存在だったなんて……)

 

 

 

 

 

 ――三年前。当時はまだ深海棲艦の支配海域であった鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)で、神通は視界一面に広がる赤い海を見た。

 極めて練度の高い日本帝国海軍が誇る主力艦隊も投入された、大規模反攻作戦。

 神通の提督だった楓はその時既に教職に就いていたため、神通は後方で鉄底海峡周辺に広がる異常の調査に当たることになっていた。

 

 問題の海域に入ってすぐに分かったのは、その海が艦娘の艤装を風化させ、損耗させていくということ。

 しかもその損耗は留まるところを知らず、艦娘の艤装が完全に無くなるまで続くという悪辣さだった。

 

 実際に海域で艤装に大きく損傷を負った艦娘達の中には、戦闘終了時にはまだ辛うじて航行能力があったにも関わらず、帰還途中に艤装が喰い尽くされて沈んでしまった艦娘や……運良く帰還は出来たものの、その後は二度と艤装の展開ができなくなってしまったために、やむなく解体処分となってしまった艦娘も少なからず存在していた。

 

 艤装とは、艦娘の象徴だ。そして艦娘が持つ軍艦としての魂そのものと言える。

 その魂を喰らい尽くした赤い海は、『魂を喰らう海』と呼ばれるようになった。

 

 当時神通の所属していた調査艦隊はこの特異な現象を、深海棲艦の新たな兵器によるものと見て調査を続けていたが……結局その異常の原因を解明することが出来ないまま、海域を支配していた深海棲艦が倒されたことで、唐突に海は平静を取り戻した。

 

 

 

 

 

(赤い海それ自体が姫級の正体なのでは、という噂もありましたけど。当たらずとも遠からず、と言ったところだったのかもしれませんね)

 

 実際には赤い海は姫級の付属品に過ぎないという、更に悪い結果だったようだが――

 

 

 

「――黙ッテイタラ、ワカラナイワ。ソレトモ、今スグ死ニタイノ?」

「………………っ」

 

 そう問いかけてくる姫の表情は能面のように無表情で、しかしその声音からは明らかな苛立ちを感じさせる。

 何か答えなくてはまずいのはわかっているのだが、どう答えれば正解なのかがわからない。

 

 自分達が装甲空母鬼を倒したことを肯定すれば、報復されるかもしれない。

 否定しようにも、たまたま通り掛かっただけだ等と言い訳して通じるはずもない。

 だからと言って、このまま黙っていれば苛立ちのままに攻撃されてしまうだろう。

 

 とは言え僅かでも時間が稼げれば、それだけで霞達の生存確率は少しずつ上がっていく。

 口惜しいが、今はこうして黙っていることが今の神通とプリンツに出来る最大限の時間稼ぎと言えるのだった。

 

 

 

(だけど、こうしているのもそろそろ限界ですね……せめて霞ちゃん達が逃げ切れるくらいの時間は、稼がなくては)

 

 客観的に見ても現状で姫級と戦うのはあまり賢明とは言えない選択肢だ。神通もプリンツも先の戦闘で既に傷だらけだし、弾薬も残り少ない。

 もし仮に万全の状態だったとしても、装甲空母鬼よりも遥かに強いと推測される相手。二人がかりだとしても分が悪いと言わざるを得ないだろう。

 かといって今更逃げを選択したとして、相手はあの大口径主砲から見て恐らく戦艦。ただ背中を向けても撃たれるだけ。

 

 思考が堂々巡りする中いくら考えてみたところで、結局最終的には一つの結論に収束していってしまう。

 

 

 

『最早神通とプリンツに退路はない』

 

 

 

 ならば、不退転の覚悟で迎え撃つ以外にはないという結論に。

 

 どうせ時間を稼げば稼ぐほど、神通とプリンツの艤装()は蝕まれていくのだ。

 霞達が助かるには、自分達が犠牲になる以外にはないように、神通には思えた。

 

「…………」

 

 プリンツと目を合わせ、頷き合う。

 彼女も神通の意図を正しく汲んでくれたのだろう。

 僅かに強張る表情と、微かに震える腕がそれを物語っていた。

 彼女も、ビスマルクや彼方を守るために覚悟を決めたのだ。

 

 

 

「……オマエタチハイツモソウ。ツマラナイ。クダラナイ。ソンナニ死ニタイノナラ――」

 

 失望を色濃く感じさせる溜め息を、姫級が吐く。

 仲間を想っての挺身など、深海棲艦にはわかるまい。

 負けると分かっていても、自分の生がここまでだと分かっていても、戦わなくてはならない時がある。

 

 

 

 ゆらりと、まるで山が動くように、巨大な深海棲艦が動き出す。

 重く歪んだ金属音。肩の見たこともないような大口径主砲が神通とプリンツに狙いを定めている。

 あれでは掠めただけでも致命傷だろう。

 

 だから、どちらかだ。

 神通かプリンツ、どちらか初撃を凌げた方が次弾までの間に可能な限り全力の攻撃を叩き込む。

 

(……ただで負けてあげるつもりもありません。どんな手を使ってでも、必ず一矢報いてみせます!)

 

 神通に残された武装は右腕の主砲のみ。

 あれには傷一つつけられないかもしれない。

 だが構うものか。水底に沈むその瞬間まで、ただ抗うのみ。

 

 それが神通の――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――そうだ。僕が彼女達に命じて、装甲空母鬼を倒した。僕が(・・)殺したんだ』

「かなたさん!?」

「か、カナタくん……?」

 

 死を覚悟して戦闘に入ろうとしていた神通とプリンツに代わり、通信機のスピーカー越しに彼方が返答する。

 

 考えてもいなかった選択肢。

 彼方の突然の横槍に、二人の目が驚愕で見開いた。

 

 人間が深海棲艦と対話を試みるという、今まで耳にしたことのない状況。

 深海棲艦は人類に対する絶対的な悪――敵対者だ。

 そんな存在に、彼方は通信機越しだとしても人間の存在を主張するどころか、報復すべき相手として名乗りをあげてしまった。

 深海棲艦が『提督』という存在を認識しているのかすら定かではないというのに、これはあまりにも危うい行動なのではないか。

 こんなことをすれば、姫級が彼方の方に意識を向けるだろうということは、神通にも容易に想像できた。

 

(そんな、これでは……狙いが彼方さんに向くだけでは――っ!)

 

 

 

 それはつまり……その場しのぎだったとしても、この場にいない彼方が二人を守るために取れる、唯一の行動だったのだ。

 

 

 

「……ソウ」

 

 ぽつりと一言相槌を打つと、それきり姫は黙りこむ。

 その声からは、再び感情と呼べそうな抑揚は消え去り、何も読み取ることが出来なくなった。

 そんな様子を見ることが出来ない彼方は、相手の反応を待つことなく更に言葉を続ける。

 

『君は、深海棲艦の姫、なのか?』

「……ソウ。コレ(・・)モ、ソウナルハズダッタ」

 

 肯定と共に『コレ』と言いながら差し出したのは、先程の装甲空母鬼の亡骸だ。

 未だ大きな深海棲艦に掴まれたままのそれは、目に光がなく、腕も力なく垂れ下がり、ぴくりとも動かない。

 無造作に差し出されたことで、幽鬼のように揺らめいてはいるが――間違いなく、死んでいた。

 

 まさか本当に姫級は仲間を奪われたことに、憤りを感じているのだろうか。

 人間や艦娘と同じように、仲間を想う心が、深海棲艦にもあるというのだろうか。

 全く表情に変化がないため、その心の内側を推し量ることは出来そうもない。

 

 

 

「オマエタチガコレヲ殺シタナラ、ワタシガココニイル意味ハナイ」

「え……?」

『………………』

 

 そう告げると、装甲空母鬼の亡骸を持ったまま、姫級は早々に立ち去ろうと背を向ける。

 何を考えているのかはわからない。わからないが……彼女の言葉を信じるのであれば、彼女は今この場でこちらと事を構える意思はない、ということになる。

 

 深海棲艦の姫は、神通が思っていた以上に遥かに理性的なのかもしれない。

 それとも、深海棲艦達が持つ何か……独自のルールのような物に縛られているのだろうか? 特定の海域でしか戦うことを許されていない、とか。

 姫となった装甲空母鬼を迎えに来たと言っていたのだから、彼女の棲家は別にあるのだろうし。

 

 何はともあれ、これで助かるかもしれない、という安堵の気持ちに包まれる神通とプリンツだったが、深海に戻ろうと半分ほど海に身を沈めていた姫級が不意に振り向いたことで、再び緊張を余儀なくされる。

 

 

 

「――カナタ」

 

 

 

 強張る二人の耳に届いた言葉は、一体何を意味しているのか。

 何か、とてつもなく嫌な予感が二人を包む。

 

 

 

「オマエタチ()……還レルトイイワネ?」

 

 初めて、姫級の口が弧を描き、歪む。

 愉悦の入り雑じった、醜悪な笑み。

 

 

 

 強烈な不安感を神通達に植え付けた深海棲艦の姫は、満足したのか唐突に闇に紛れるようにして、消えた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 通信機越しに姫級の残した不吉な言葉が耳に入った瞬間、執務室全体が暗くなった。

 先程まで快晴で陽の光が差し込んできていた窓の外に目を向ければ、空には暗雲が立ち込め、海は――

 

 

 

「海が、赤い……」

「これは……! 時雨ちゃん、吹雪ちゃん! 今すぐ出撃準備を! 私も出ます!」

「はい!」

「わ、わかりましたぁ!」

 

 鹿島、時雨、吹雪が外の異常にいち早く気づき、執務室を飛び出していく。

 加えて姫級が出現した途端大慌てで部屋中を右往左往していた妖精達も、どこかへ消えてしまった。

 管制を担当してくれていた妖精も含めて、一匹残らずだ。

 今はそれだけの非常事態ということなのだろう。

 

 

 

『かなたさん、姫級が消失しました! まさか――』

「神通、深海棲艦の群れが鎮守府近海に突然現れた。海も赤くなってるし、多分姫級の仕業だと思う」

 

 窓から望むことができる海には、無数の深海棲艦が見える。

 ひしめき合ってもがくように蠢く深海棲艦達の動きは、とても統制がとれているとは言えない物だ。

 彼方は傍らに置いてあった双眼鏡を手に取った。

 

 

 

(……傷ついている深海棲艦が多すぎる。あれは、さっきまで霞達が戦っていた深海棲艦の群れなのか?)

 

 よくよく見てみれば、既に傷だらけで部位を欠損している深海棲艦までいるようだ。

 恐らくは、霞達がつけた傷。

 爆撃や大口径の砲撃を受けたような深海棲艦も見てとれたことから、彼方はそう判断せざるを得なかった。

 

(『姫級はどこにでも現れる』……これが本当かどうかはわからない。だけど、姫級があの海域に突然出現したのは確かだ。ああして僕が通信機越しにでも注意を向ければ、もしかしたら姫級がここに現れるんじゃないかとは思ってたけど……)

 

 結果としては、彼方の挑発に乗って姫級が現れることはなかったが、装甲空母鬼の取り巻きは現れた。

 一体どうやって場所を知られていない筈の鎮守府までやって来ることができたのか。

 それに海域の中枢からこの鎮守府までは、かなりの距離がある。

 霞達が還ってくるまではまだまだ時間がかかるというのに、深海棲艦の群れはほんの数分。

 

 どうやら、姫級というのは噂通り本当にオカルト染みた存在のようだった。

 

 

 

「あれは、多分神通達がさっきまで戦っていた深海棲艦の群れ……だと思う。何らかの方法で、ここに赤い海を通じて送り込まれたんだ」

『そんな……! ここから鎮守府まで全速力でも相当な時間がかかります! 一体どうやってそのようなことが……』

 

 神通もかなり混乱しているようだが、姫級も消失したならば一先ず彼女達の安全は確保できたと見ていい筈だ。

 次は自分達の身を守らなくてはならない。

 

「わからない。……だけど、敵がここに来てしまった以上は戦うしかない。神通とプリンツは霞達と合流してから、鎮守府に帰還して欲しい。こっちはそれまでになんとかしておくから」

『そ、そんな……無茶です! 鹿島さん達だけでは――』

 

 

 

 神通には申し訳ないが、これ以上は時間がもったいない。

 霞にも事情を説明しなくてはならないし、鹿島達の指揮もある。

 通信を強引に打ち切った彼方は、通信機だけを引っ掴むと執務室を後にした。

 

 向かうは工廠と船渠(ドック)のある建屋だ。

 彼方が一目散に駆け抜ける廊下は、普段なら騒がしく走り回る妖精の姿が見られるのだが、今はただ彼方の足音だけを空しく響かせている。

 

 

 

 思っていた通り、妖精の姿がどこにもない。

 もし妖精達が彼方達を見捨てて逃げ出したのでないとするならば――

 

 

 

「鹿島、僕達が守るのは工廠と船渠(ドック)だけでいい。他は今壊されたって後でどうとでもできる。霞達が無事に還って来られるように、その二ヵ所だけは何とか守ろう」

『ですけど……私達三人だけじゃ、それでも厳しいと言わざるを得ません。どうか彼方くんだけでもここから逃げてください!』

 

 鹿島は彼方に鎮守府を脱出するよう呼びかけてくる。

 確かに、鹿島の言う通りだ。

 三人だけでは、あの数の深海棲艦からここを守りきることは難しいだろう。

 

 

 

 三人だけ、ならば。

 

 

 

「鹿島。工廠に妖精が集まってないかな?」

『え? あ……はい、確かに工廠に見たこともないくらい沢山の資材を持った妖精達が詰めかけて……って、まさか! このタイミングで、ですか!?』

 

 読み通り、と言うほど大層な物ではない。

 しかし、ひょっとするとこうなってくれているのではないか、という気はしていた。

 

 

 

「妖精は、人類に必要な場所で、必要な時に、必要な艦娘を建造する、だよね」

 

 

 

 姫級と遭遇した時の妖精達の驚き様は、今まで見たこともないような物だった。

 直ぐに何処かへ連絡を取るような素振りを見せたかと思うと

 、慌てて執務室から飛び出していってしまった彼女達?を見て、彼方はそこに思い至った。

 

(妖精が人間や艦娘の味方だと言うのなら、今この時、この状況で……僕達全員を救えるのは妖精だけなんだ)

 

 彼方は、人間でもなく艦娘でもないが、紛れもなくこれまで共に戦ってきた仲間である妖精達に賭けたのだ。

 

 

 

 もしあの時神通達を見捨てていれば……彼方は提督としての自分を許すことが出来なくなっていた。

 かといって霞達に助力を頼んだところで、全員無事に姫級を撃破することなど到底出来なかっただろう。

 

 全員が生きてこの危機を脱するためには、彼方も命を懸けなければ。

 全員で生き残るか、全員で死ぬか。

 彼方は、そういう選択をした。

 彼方を守る立場の艦娘(彼女達)からすれば、馬鹿げた行動に映るかもしれないが、彼方一人生き残ったところで、どうしようもない。

 それは、彼方の望む提督の姿ではないからだ。

 

 

 

 案の定姫級に声をかけた彼方を見て、妖精は更に輪をかけて大慌てになった。

 

 今思えば……深海棲艦がこの鎮守府に現れるという可能性は、彼方が姫級に声をかける前から存在していたのだろう。

 その危機に備えるために、あの海域に姫級が現れた瞬間から妖精達は既に動き出していた。

 

 それを彼方は自ら姫級を挑発することで、神通達から狙いを遠ざけると同時に妖精達に発破をかけた。

 どうやって妖精達がここに深海棲艦がやってくることを察知できたのか、という疑問も浮かんでいたが……それは生き残ってから考えても遅くはない。

 

 

 

 賭けに勝った彼方は、後は全員無事にこの危機を乗り越えればいいだけなのだから。

 

 

 

『……彼方くん、今日は随分と無茶をなさるんですね。ですけど、たまにはそう言った豪気さも必要かもしれません。わかりました、私達は工廠、船渠(ドック)施設の防衛戦に入ります!』

「うん、お願い。僕も戦場で戦うことは出来ないけど、出来る限りのことをするよ。吹雪、時雨。君達もくれぐれも無茶はしないで。時間さえ稼げれば僕達は絶対に勝てる」

『うん……わかったよ。彼方は僕が必ず守るから』

『彼方君! 私、頑張るからね!』

 

 

 

 これから多数の深海棲艦と戦うことになるというのに、不安をまるで感じさせない時雨と吹雪の声に安心した彼方は、次いで姫級と遭遇してから敢えて通信を遮断してあった霞、ビスマルク、鳳翔、そして未だ意識が戻らない潮に通信を繋げた。

 霞が聞けば、神通のところへ戻りかねない。そう思っての事だったが、今思えばその判断は正解だったろう。

 

「――聞こえるかな、霞」

『彼方!? 急に通信が繋がらなくなったと思ったら……! それより、神通さん達は無事なの!? 後方の海が赤くなっていたのよ、一体何がどうなっているの!?』

「うん、今のところは全員無事だよ、安心して。だけど、今この鎮守府にはさっきの深海棲艦の群れがいる。これから防衛戦に入るけど、船渠(ドック)だけは何があっても絶対に守りきるから。霞達は神通、プリンツと合流してから帰還してほしい」

『は、ハァッ!? ちょっと、どういうことなの!? 全然状況が読めないわよ!』

 

 確かに、装甲空母鬼と戦闘していた時とは状況が短時間で変わり過ぎだろう。彼方も目の前で見ていなければ、そう思っていたのは想像に難くない。

 

「神通達の前に姫級が現れたんだ。姫級は何もしないで姿を消したけど、代わりに鎮守府近海にさっきの深海棲艦の群れを送り込んできた」

『ひ、姫級!? そんなものが本当に実在したって言うの?』

「そうらしいね。本人……って言っていいのかわからないけど、姫級自身がそう言ったんだ。……それはともかく、霞達は全員無事にここに帰ってきてくれればいい。到着する頃には、深海棲艦も掃討出来ていると思うから――」

『ちょっと、待って! 彼方!』

 

 用件を伝えて鹿島達の指揮に戻ろうかとしていた彼方を、霞の必死な声音が制止する。

 

 

 

「……? どうしたの、霞?」

『……お願いだから、無茶はしないで。彼方にもし何かあったら、私は――』

 

 

 

「――僕も、いつもそう思ってた。霞達にもし何かあったらって。だから、今は少しだけ嬉しいんだ。死ぬような状況に置かれて嬉しいっていうのも、おかしな話だけど」

 

 屈託なく笑う彼方のズレた言葉に盛大な溜め息で返すと、霞が呆れを含んだ声で言葉を続けた。

 

『鹿島達をお願い。潮は必ず無事に連れて帰るわ。だから、彼方も敵を全部片付けて……必ず潮を出迎えてやってよね?』

「……うん、わかった! 霞も気をつけて」

 

 

 

 通信を終えた彼方は港にたどり着く。

 目の前の海はプリンツが表現したように、血のように赤い。

 まだ距離はあるが、深海棲艦の群れも肉眼で個体が確認できる距離にまで近づいてきていた。

 

(これが……いつも霞達が見ている景色。海が赤いと、本当に地獄みたいに見えるな……。)

 

 怖くない筈がないだろう、霞達だって。

 いつも彼方の前で笑ってくれている彼女達は、地獄のような戦場に身を置いて良いような存在ではないのだから。

 

 この風景は彼方の罪の具現だ。

 彼方はこの地獄を強く目の奥に焼き付ける。

 忘れてはならない。彼女達が常に命懸けであることを。

 

 

 

「か、彼方君!? こんなところに来たら危ないよ!」

「――吹雪。ありがとう、大丈夫。すぐに下がるよ」

 

 ちょうど施設防衛のためにやって来た吹雪に見咎められ、避難するよう促された。

 吹雪は緊張しているものの、恐怖しているような素振りは少しも見せない。

 

「吹雪、頼りにさせてもらうよ。僕は、まだ皆と一緒にいたいんだ」

「う、うん! 任せて! 私も精一杯頑張るから!」

 

 元気よくガッツポーズで応えてくれた吹雪に手を降り返すと、彼方は工廠へと踵を返した。

 

 

 

「鹿島、吹雪、時雨……抜錨! 敵艦隊を迎え撃て!」

『はい! 行ってきますね、彼方くん!』

『はいっ! 私、頑張るから!』

『了解だよ、彼方! 潮を傷つけた報いは、受けてもらう!』

 

 

 暗雲立ち込める地獄のように変貌した鎮守府で、彼方達の初めての防衛戦が幕を開けた。




ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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鎮守府防衛戦

いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

更新にかなり間が開いてしまい、申し訳ありません。

そして、いつの間にかこの小説を連載し始めて一年が経ちました。
ここまで書いてこられたのも皆様に読んでいただけているお蔭です。
本当にありがとうございます。

それでは今回も、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。




 鎮守府へと戻る道すがら、普段とは考えられない程乱暴に狙いをつけた砲撃が、目障りな深海棲艦の頭部を正確に撃ち貫く。

 既に機関部を破壊されていた軽巡ホ級が、のろのろと緩慢な動作ではあるものの、通り過ぎていく時雨を深海へと引きずり込もうと懸命に向かってきていたのだ。

 

 その往生際の悪さは確かに大したものであると感じはするが、当然時雨はそんな哀れな深海棲艦にわざわざ応えてやるつもりもない。自分の邪魔をするなら沈めるまで。

 いや、鎮守府(ここ)に深海棲艦がいる時点で既に邪魔なのだから――時雨の視界に入ったというだけで――沈められる理由としては十分だろう。

 そもそもこの戦場は、先程のような死に体の深海棲艦ばかりだし、いちいち構っていたらそれこそキリがない。

 

「……とは言え、これだけ沈めてもまだ見渡す限り敵ばかりか。手負いが多いのは助かるけどね」

 

 後から後から赤い海より湧き出てくる深海棲艦の群れを相手取っていた時雨は、もう何度目かと言う補給をするために、彼方の待つ工廠に戻っている道中だった。

 

 先程のような機関部や艤装が傷ついた深海棲艦が多いお陰で、迎撃を開始してから未だ彼方の艦娘三人は全くの無傷で戦い続けることができている。

 

 しかし、如何せん敵の数が多すぎた。

 沈めても沈めても尽きることのない深海棲艦に、時雨達の艤装に一度に積むことが出来る弾薬の量では、全く足りていなかった。

 そのために、時雨達はこうして定期的に戦闘中に鎮守府へと補給に戻るという行為を強いられているのだった。

 

(それにしても、これだけの数の敵艦を無力化しながら敵主力艦隊に突撃した教艦達って……やっぱりおかしくないかな?)

 

 先陣を切ったあの自分よりも小さな体の教艦は、一体どれ程の獅子奮迅の活躍を見せたのか。

 実際に目にすることが出来なかったことに僅かな悔しさを感じながらも無事戦域を離れた時雨は、程なくして普段出撃の際に出入りしている鎮守府正面の港とは違う、工廠と船渠(ドック)に直結した出入口に辿り着いた。

 

 時雨は速度を落とすことなく、その広いとは言えない通路を一気に通り抜ける。

 この出入口は、傷を負って一刻を争うような状態の艦娘を運び込んだり、建造したての艦娘を即座に海に送り出すために使用される非常用の通路だ。

 この通路を日常的に使用している鎮守府もあるらしいが、彼方が帰還した艦娘達を出迎えるのには表の港の方が適しているという理由で、今まで使用されたことはほとんどなかった。

 

(一分一秒を争うこんな状況じゃあ、彼方に出迎えてもらうことなんて出来ないし)

 

 鎮守府へと殺到する深海棲艦を迎撃し始めて少なくとも二時間以上は戦いっぱなしだ。

 戦闘開始時にはまだ高かった日も傾き、海だけでなく空までもが紅く染まり始めたこの世界は、今や血の紅と鉄の黒で構成されているかのように、時雨の瞳には映っていた。

 

(うーん……やっぱり僕は夜の海の方が好きかな)

 

 彼方と共に何度か見上げた、美しい夜空と月明かりに照らされた海を思い浮かべながら苦笑する。

 

 海や空の美しさはさておいても、日が沈めば身を隠しやすくなり、夜戦を得意とする時雨にとっては戦い易い環境にはなるだろう。

 だがそれはお互い様でもある。こちらが身を隠すことが出来ると言うことは、深海棲艦も同様に身を隠すことが出来るということ。

 今回の戦いは、こちらは敵を全滅させなければ敗北なのに対し、敵は彼方一人を殺せば勝利だ。

 夜戦となれば、どちらが有利かなんてわかりきっている。

 夜戦に持ち込まれれば、敗北するのはこちらの方だろう。

 それも、彼方の死という最悪の形で。

 

「やっぱり、もうあまり時間的な猶予は残されていない……」

 

 これまで何とか鹿島や吹雪とローテーションを組みながら弾薬の補給をしつつ戦い続けているが、やはり自分達の艤装ではこれ程の大規模部隊が相手だと、どうしても物足りなさを感じてしまう。

 一度の出撃で敵艦の数を十分に減らすことができないために、こうして小まめに弾薬の補給に戻る必要があり、結果的に常に戦場で戦っている艦娘は二人が限度。

 つまりこうしている今も、吹雪や鹿島が危険にさらされ続けているし、殲滅が遅れることで結果的に彼方を危険に晒しているということに他ならない。

 

(――とにかく、早く吹雪達のところに戻らなくちゃね)

 

 通路を抜けた先には、左手に簡易的な治療と艤装の修復が行えるスペースと、右手には弾薬の補給をスムーズに行えるように艦種毎に砲弾や魚雷が積み上げられている。

 彼方が指揮の合間を縫って、機材を使用して弾薬や資材を運び込んでおいてくれているのだ。

 

 手早く補給を済ませ、背中に背負い直した主砲と、両脚に装填した魚雷の重みをしっかりと確かめると、時雨は再び戦場へと戻るために立ち上がった。

 

「待って! ……時雨、怪我はない? 高速修復剤ならまだまだあるから、少しでも怪我をしてたら使って欲しいんだ」

 

 弾薬の補給を終えた時雨が再び戦場に戻ろうと振り返ると、工廠に簡易的に作られた指揮所に詰めていた彼方が慌てた様子で声をかけてきた。

 彼方は工廠で戦場にいる艦娘の戦闘指揮だけではなく、補給や修理を滞りなく行えるように立ち回ってくれている。

 補給に時間がかかってしまえば、それだけ戦場にいる二人の危険が増していく。

 妖精達が切り札である新造艦の建造にかかりきりになっている以上は、彼方が妖精達の役割もこなすしかないのだ。

 

「ふふ……うん、ありがとう彼方。僕なら大丈夫さ、怪我一つない。――吹雪達が待ってる、行ってくるよ。次は誰を?」

「鹿島に戻るように伝えたよ、フォローをお願い。時雨も、あまり無理はし過ぎないで」

 

 彼方に感謝の気持ちが伝わるように力強く頷くと、再び時雨は吹雪達の待つ戦場へと舞い戻る。

 時雨が戻った時間よりも僅かに短い時間で戦線にたどり着いた時雨は、その事の深刻さを強く感じ取っていた。

 

(……やっぱり、じりじりと戦線が後退してる。僕達だけじゃ、この群れを支えきることすら難しいか)

 

 傷つき機動力を削がれた深海棲艦が多いとは言え、練習巡洋艦一隻に駆逐艦二隻だ。これでは相手取ることができる敵艦の数にも限度がある。

 これでビスマルクや鳳翔のような戦艦や空母でもいれば、全く話は違ってくるのだが……。

 

(鎮守府中の妖精が集まって、高速建造剤をありったけ使ってもまだ出てこないような艦娘だ。きっとそれだけの戦力を持った艦娘が生まれてくるはず。彼方の護りを生まれたばかりの娘に任せるのは心苦しいけど、こればかりはね)

 

 駆逐艦のこの身では、今この状況で彼方をこの手で護りきることは正直に言って不可能だ。

 その事に口惜しさを感じない訳ではない。

 この戦闘中に限って言っても、自分にもっと力があればと、何度そう思ったかわからない。

 しかし、いくら無い物ねだりをしていたところで事態は好転もしないだろう。

 自らの艤装を目一杯駆使して迫る敵艦を屠りながら、時雨は鹿島の所へとようやく辿り着いた。

 

「時雨ちゃん、大丈夫ですか? 私もそろそろ弾薬がなくなりそうなので戻ります。ここはお願いしますね」

「はい、鹿島教艦もお気をつけて。ここは僕が護ります」

 

 言葉少なに鹿島と持ち場を交代する。

 ちらりと空を見上げれば、鹿島の放った水上偵察機が上空を飛んでいるのが目に入った。

 

 鹿島は、工廠で通常の指揮設備もなく通信機と紙の海域図のみで指揮を行っている彼方のために、戦闘だけでなく戦域全体の状況報告も同時に行っているのだ。

 それでいて自身は傷一つなく、周辺に浮かぶ敵艦の残骸は時雨が補給に向かったときよりも遥かに多い。

 

「まったく……うちの教艦達は一体どうなってるんだろうね」

 

 頼もしいことこの上ないが、追いかける方の身にもなって欲しい。

 恐らく吹雪もそう思っているだろう。

 

「負けてはいられない、よね」

 

 強く拳を握り締める。

 時雨の彼方を護りたいという気持ちは、教艦達にだって決して負けていないはずだ。

 途切れることなく迫り続ける深海棲艦の群れに、再び時雨は飛び込んでいった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「お願い、当たって!」

 

 何となく気の抜けたような声音ではあるが、吹雪本人は戦闘が始まってからいつにも増して必死に敵艦に狙いを定め、懸命に戦い続けていた。

 

 吹雪は今、一隻でも多く敵艦を沈めれば、それだけ彼方の命を護ることに繋がるということを強く実感している。

 戦う相手は変わらなくとも……この戦いにおける吹雪の役割の重さは、普段とは全く異なっているのだ。

 

(いつもは彼方君だけじゃなくて、人間皆を守るための戦いだけど……この戦いはそれだけじゃない!)

 

 もちろん艦娘にとっては、人類全体を護ることが使命であり存在理由である。吹雪もその事の重大さは十分に理解して普段から戦いに臨んでいるつもりだった。

 

(こんなことを考えちゃうなんて、私は艦娘失格かもしれない……だけど)

 

 だけど――恐らくは時雨も、鹿島も同じことを考えているだろう。

 その考えが浮かぶことに、艦娘として罪悪感を覚えないわけではない。

 だが、そうした理屈では抗えない感情が吹雪の中では渦巻いていた。

 

(私のせいで彼方君がいなくなっちゃったら、私はきっと……もう艦娘として戦えない)

 

 彼方以外の提督何て考えられない。

 彼方の代わりなんて何処にもいない。

 第一提督としてだけではなく、一人の男性として愛している彼方を守ることすら出来なかった自分には、それこそ戦う資格なんてないに決まっている。

 彼方よりも護りたいと思える提督など、この世の何処にもいないのだから。

 

 だから、ここで何としても敵の進行を食い止めて、絶対に彼方をこの手で護り抜かなくては――

 例えこの身がここで傷つき朽ち果てることになろうとも、彼方だけは、必ず。

 自分は死んでも構わない……なんて考えは、自分を信じて戦場に送り出してくれている彼方に対する裏切りだ。

 それをわかっていても尚、今の吹雪はそれほどの決意を籠めて、戦場に立たずにはいられなかった。

 

(……だって、それくらいのつもりじゃないと、私は――)

 

 

 

 ――時雨や潮は、強い。

 

 潮は練度で遥かに勝る霞達と共に、一歩も退くことなく強大な装甲空母鬼と渡り合った。

 時雨は吹雪と同じように彼方を護る任に就き、今もこの戦場で戦っている。

 だが同じなのは戦場だけで、その戦果の差は明らかだ。

 吹雪が一隻沈める間に、時雨はその倍は沈めている筈だ。

 時雨の補給の回数の多さが、それを如実に物語っていた。

 

 

 

 元々二人が持ち得る戦闘のセンスのようなものが、自分は劣っているのだと吹雪は考えている。

 

 鹿島や神通の訓練についていくだけでもやっとな自分。

 吹雪には、彼女達のように秀でた部分を自分の中に何一つ感じることが出来なかった。

 

 確かに訓練を経て自分も強くはなっている。

 訓練校にいた頃に比べればそれはもう比べ物にならないくらいに成長できただろう。

 それでも、あの二人に追い付くにはまだまだ足りないのだ。

 

 足りない分は、どう補うべきなのか。

 足りない撃破数を、どうすれば増やすことが出来るのか。

 

(少しくらい危ないと思っても、踏み込んでみるしかない……よね!)

 

 本来迎撃戦では持ち込むべきではない類いの焦りが、吹雪の中に知らず知らずのうちに芽生え始めていた。

 

 

 

 ――撃破数を稼ぐ事と、彼方を護る事がイコールとなってしまっている今。

 

 ――仲間と共に戦っているとは言え、個人の戦果が非常に重くなってしまっている今。

 

 ――そして、吹雪の焦りに気づくことが出来る仲間が側にいない今。

 

 吹雪は気がつかないうちに、だんだんと敵の群れの中に足を踏み入れていく。

 

 

 

「……っ! えいっ! やぁっ!」

 

 ひしめき合う敵艦の中心に魚雷を放ち、一撃で数隻の敵艦が吹き飛ぶ。

 その事に歓ぶ暇もなく、その空いた穴に別の深海棲艦が押し寄せてくる。

 更に放った魚雷が、また同じ数の深海棲艦を沈めた。

 

 金属のきしむ音が背中から聞こえてくる。

 振り向くと、軽巡ホ級が吹雪の艤装に手を伸ばしていた。

 

「邪魔しないで! あっちへ行って!」

 

 咄嗟に主砲で砲撃する。

 

 狙いをつける必要なんてなかった。

 撃てば当たる。

 当たれば沈む。

 それくらいの距離だ。

 

 吹雪の撃破数がみるみるうちに上がっていく。

 何て簡単なのだろう。

 初めからこうしていれば良かった。

 

(私だって、これくらい……!)

 

 主砲が失われ、その身その物を武器として突進してくる駆逐ロ級を視界の端で捉えていた吹雪は、飛びかかってきたその横っ面を全力で踏みつけるようにしていなす。

 

「くぅ……っ!」

 

 吹雪は特段超近距離戦が得意なわけではない。ただ必死で自分から敵艦の突進を逸らしただけだ。

 堪らずバランスを崩した吹雪の背中に、別の深海棲艦がぶつかる。

 

「ダメ、来ないで!」

 

 慌てて無理な体勢で背後に砲撃を行った。

 

「グ………ァ、アァ」

 

 浅い。沈めきることが出来なかった。

 何とか体勢を立て直した吹雪は、今度は体をくるりと正面に向き直して、もう一度砲撃する。

 今度こそ頭部を丸ごと失った敵艦は、深海へと還っていった。

 

「グォアアアッ!!」

「えっ!?」

 

 先程いなした駆逐ロ級が懲りることなく再び突進してきたのだ。

 先程の深海棲艦を沈めるために振り返っていた吹雪は、背後から突進された形になる。

 振り返ってからまた蹴って突進を逸らすには、どう考えても時間が足りないし、次も上手くいくという保証はない。

 

「……ひっ」

 

 僅かな逡巡の末振り返った時には、駆逐ロ級はもう目の前。

 その強烈な殺意に圧倒され、引きつるような悲鳴を上げた吹雪は、無意識に魚雷を発射してしまった。

 

 

 

 吹雪が持つ全て(・・)の魚雷を。

 

 

 

 不必要に激しい爆発を引き起こし、突進してきていた駆逐ロ級が跡形もなく弾け飛ぶ。

 

 だが、それだけだ。本来十隻以上は沈める事が出来たはずの魚雷を、ただの一隻に使い切ってしまった。

 

 大爆発で空いた空間も、直ぐに別の深海棲艦が埋める。

 

 

 

 この状況まで来て、漸く撤退を考えた吹雪は鎮守府の方向へと顔を向けた。

 

 しかしそこには、鎮守府へと続く道はなく、見渡す限りの深海棲艦。

 つまりは――

 

(……どうしよう、囲まれちゃってる!?)

 

 ――気がつけば、絶体絶命の窮地に立たされていた。

 

 

 

「ひ……ぅ、ぐ」

 

 漏れそうになる嗚咽を何とか我慢する。

 

(ダメ……泣いてなんかいられないよ! 戦わなきゃ、戦わなきゃ……じゃないと……)

 

 恐怖と後悔に埋め尽くされていく吹雪の心だったが、優しく見守り慰めてくれる深海棲艦など何処にもいない。

 あれはただ乱暴に吹雪を引き裂き、深海へと引きずり込むためだけの存在だった。

 最早向かってくる深海棲艦を死に物狂いで沈め続けなくては、吹雪に未来はない。

 

 冷静さを欠いて一人で突出した挙げ句、捌ききれない量の敵に混乱して招いてしまったこの状況。

 本当に、自分の弱さ、馬鹿さ加減に涙が出てくる。

 

 

 

『……カ…………ェ…………………テ……』

「――声? でも……一体、誰の?」

 

 

 

 か細い、本当に聞こえるか聞こえないかの境目のような不確かな声が吹雪の耳に入った。

 いや、声かどうかも定かではない。

 恐慌に近い精神状態に置かれている今の吹雪では、幻聴さえ聞こえてもおかしくはないだろう。

 

 今この場で意味のある言葉など聞こえるはずはない。

 聞こえるのは怨嗟の色濃い唸り声や、咆哮だけの筈だ。

 

 

 

 しかし、その声に気を取られたことが逆に吹雪にほんの少しの冷静さを取り戻させた。

 

「――そうだ! とにかく何とかして鎮守府に戻らなくちゃ! 彼方君!」

 

 乱戦で無くさないように懐にしまっていた通信機を取り出す。

 

『――吹雪、無事だよね!? 状況はわかってる! 今鹿島がそっちに向かってる! 焦らなくていい、もう少しの辛抱だ!』

「っぁ……うん、うん! 迷惑をかけちゃってごめんなさい! でも、私……私……!」

『いや、吹雪が無事ならそれでいい! とにかく、生き残ることだけを最優先に考えてくれていればいいんだ! もうすぐ新造艦も――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カ エ シ テ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ……え?」

 

 バキリ、と酷く耳障りな音をたてて、吹雪の手の中の通信機が崩れ落ちた。

 

 彼方と吹雪を繋ぐ通信機。

 そこから最後に聞こえた声は、一体誰のものなのか。

 

 考える間も無く、紅から紫へと色を変えつつあった空が、突如として再び赤く燃え上がった。

 

 

 

 何かが、空で爆発したのだ。

 

 

 

「鹿島教艦の……偵察機?」

 

 

 他に考えられない。だって、敵に空母はいないのだから、爆発したのは鹿島の水上偵察機以外にはない。

 

 であれば、鹿島の水上偵察機は何故突然爆発した?

 

 そんなの、決まっている。

 考えなくてもわかることだった。

 

 

 

 空から、誰もが抗えない恐怖を煽る音が響く。

 

 気がつけば、あれだけ騒がしく周りを囲んでいた深海棲艦達が吹雪を遠巻きに眺めていた。

 まるで見世物を愉しむように、消してこの場から逃がさないように、片時も吹雪から目を放すことなく吹雪が沈むその瞬間を待っている。

 

「ぁ、はは……。嘘みたい。ここで、沈むのかな……私」

 

 この空にけたたましく響く音を聞けば、鹿島の到着を待つよりも、空から爆弾が落ちてくる方が早そうなのは感じ取ることはできる。

 

 もちろん諦めたくなどない。だが、この状況は駄目だった。

 完全に自分はもう詰んで(・・・)いる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんね、彼方君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空から飛来した黒い爆撃機の群れが海面に殺到したかと思うと、その場所一帯が大きな爆発を引き起こし、猛烈な水飛沫が巻き起こる。

 

 轟く爆音は勝利の咆哮か、たかが駆逐艦を一隻沈めただけでは足りぬという尽きることない怨嗟の叫びか。

 

 

 

 吹雪は轟音と爆風に巻き込まれながら、そのまま意識を手落とした。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。

 

「――彼方くん、吹雪ちゃんが突出し始めています! このままだと危険です!」

「吹雪が!? わかった。鹿島……補給の途中だけど、吹雪の撤退の援護をお願いしてもいいかな?」

「はい、勿論です! 私が必ず吹雪ちゃんを連れて帰ります!」

 

 

 

 偵察機から戦況の把握を行っていた鹿島は、いち早く吹雪の暴走に気がついていた。

 

 自分に才能がないと常々溢していた吹雪が、この状況でまさかこんな馬鹿げた行動に出るだなんて。

 

(いえ、逆に……でしょうか。時雨ちゃんはこういった乱戦を得意としていますし、目に見えて広がる撃破数の差に焦りを感じて……)

 

 ありそうな話だし、事実その通りでもあった。

 

 補給の最中だったため、弾薬燃料共にまだ心もとないが……とにかく早く吹雪を連れ戻さなくては、手遅れになりかねない。

 

「私は、もう教え子を喪うつもりはありませんよ! 吹雪ちゃん!」

 

 思うように速度の上がらない自分の艦娘としての性能を呪いながら、鹿島は偵察機からの視界を頼りに全速力で吹雪の待つ戦場を目指す。

 

 

 

「これは……まさか、足留めのつもりですか?」

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 ところが、何隻かの深海棲艦が鹿島の道を阻むように立ち塞がっていた。

 何らかの意図があっての行動だとしか思えない。

 

(私が吹雪ちゃんを助けにいこうとしているのを理解して、それを邪魔しようとしている……ということですか)

 

 この迎撃戦が始まってから組織立てた行動を一切してこなかった深海棲艦達が、ここに来て突然理知的な行動に出る。

 

 鹿島はその事の意味に直ぐ様思い当たった。

 

「彼方くん、敵に旗艦となる深海棲艦がいる可能性があります! 時雨ちゃんも吹雪ちゃんのように孤立させられてしまうかもしれません! 一度撤退をして体勢を立て直すべきだと思います!」

『旗艦が……!? わかった、時雨にもそう伝える! 鹿島は吹雪をお願い!』

「わかりました、ありがとうございます!」

 

 これで一先ずは時雨は安全な位置にまで下がるだろう。

 後は吹雪だ。

 偵察機で状況を伺えば、吹雪は敵に囲まれながらも一歩も引くことなく奮戦していた。

 

(吹雪ちゃんだって、決して二人に劣っているわけではないのに……)

 

 確かに吹雪の強さは時雨や潮と比較して、目に見えるような派手な物ではない。

 良くも悪くも、吹雪は得手不得手が少ないのだ。

 特別得意なこともなければ、不得意なこともない。

 どちらかと言えば強みが突出している時雨や潮と比べ、今はその強みが感じにくいのかもしれないが……将来は立派な旗艦として成長を遂げることだろう。

 

 それなりに何でも出来るというのは、集団戦では案外貴重な事なのだ。

 

 

 

 吹雪のいる位置まではあと少し。

 しかし、奮戦を続けていた吹雪だったが、とうとうある深海棲艦の突進を皮切りに急激に窮地に追い込まれていった。

 未だに熱心に鹿島の行く手を阻む深海棲艦を蹴散らしながら、吹雪を救い出すべく前進を続ける。

 

 

 

 ――突如、前方で大きな爆発。

 

 

 

 吹雪の放ったありったけの魚雷が、深海棲艦を吹き飛ばした。

 たかが駆逐艦一隻を沈めるのには、有り余る程の火力。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 思わず声を上げるが、その声は吹雪には届かない。

 

 

 

 早く、早く辿り着かなければ。

 鹿島の視界に小さく映る吹雪は、恐らく酷く混乱している。

 

 戦場で恐慌状態に陥った艦娘に待つのは――死だ。

 

 

 

「吹雪ちゃん、今行きますから!」

 

 慌てて通信機に呼び掛けるが、吹雪には繋がらない。

 ただザーザーと無機質な音が聞こえてくるだけだ。

 

 しかし、鹿島のそんな焦りを知ってか知らずか、偵察機で捉えた吹雪の表情には一転して希望が見てとれた。

 

「……彼方くん、ですか」

 

 通信が繋がらなかったのは、どうやら彼方と話していたかららしい。

 鹿島は思わず胸を撫で下ろす。

 

 吹雪が冷静さを取り戻したのであれば、後は自分が吹雪のいるところに辿り着けさえすればいい。

 撤退するだけならどうとでもなるのだから。

 

 

 

 

 

 ――瞬間。鹿島の視界から吹雪が消えた。

 

 

 

 

 

 いや、鹿島のもう一つの視界が消えたのだ。

 

「偵察機が!? そんな、まさか――っ!?」

 

 空を見上げた鹿島の視界に映ったのは、無数の黒い何か。

 それが敵の艦載機だと気がついたときには、既に鹿島はなりふり構わず吹雪へと駆け出していた。

 

「お願い、退いてください! 吹雪ちゃんが!」

 

 懇願するような悲鳴にも似た叫び声を上げながら、力一杯海を蹴ろうと踏み込む。

 

 

 

 

 

「――そん、な……嘘っ」

 

 

 

 

 

 錆び付いた足の艤装が鹿島の体重すら支えることが出来ず、脆くも崩れ去った。

 支えを失った鹿島の体は無様に海面に倒れ込み、その視界が真っ赤に濡れる。

 

(魂を喰らう海……艤装の損傷がこんなに早いなんて……)

 

 ダメだ。直ぐには立ち上がることが出来ない。

 

「彼方くん、吹雪ちゃんが……私、間に合わない……っ」

 

 無力な鹿島を嘲笑うかのように、鹿島の周囲を深海棲艦達が取り囲む。

 

(また、喪ってしまうの……今度は、私の目の前で……)

 

 深い深い水底へと堕ちるように、鹿島の心が暗く沈み、絶望へと囚われていく。

 

 

 

 

 

 ――すがるような思いで見つめた鹿島の手の中にあった通信機は既に大半が崩れ落ち、彼方にその慟哭が届けられることはなかった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

次回はもう少し早く更新したいと思っておりますので、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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新たな仲間、新たな敵

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!

今回は新キャラ登場回です。
そして艦これ劇場版の本格的なネタバレがこの辺りから入ってくる予定になりますので、気になる方はブラウザバック推奨です……。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 頬に触れる冷たい水の感触で、吹雪は目覚めた。

 

「……ん……ぁ、あれ? 私……生きてる?」

 

 爆風で飛ばされたお陰で身体中が痛いが、見たところどこも大きな怪我はしていないようだ。

 おかしい、自分は敵艦載機の爆撃を受けたはずではなかっただろうか。

 

 疑問に思い周りを見渡すと、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

「深海棲艦が、いなくなってる……?」

 

 正確には、吹雪の周辺だけではあるが……確かに吹雪が気を失う前よりも、明らかに敵艦の数が減っていた。

 

 その答えに吹雪がたどり着くよりも早く、答えの方が吹雪の頭上を風を切り裂いて通り過ぎていく。

 敵の艦載機ではない。あの見慣れた機影は間違いなく味方のものだ。

 

「……鳳翔さん?」

 

 そう、あれはグラーフから新しい艦載機を受けとる以前に鳳翔が使用していた艦載機だ。

 だが今この場に鳳翔はいない。

 つまりは――

 

 

 

「無事ですか? ええと、吹雪さん」

「あ、はいっ! あの……あなたは?」

 

 爆発の衝撃か、命が助かったことにより緊張の糸が切れたのか、未だ頭がぼんやりしていた吹雪は、声をかけてきた艦娘を座り込んだままで見上げる。

 

 駆逐艦と見紛うような幼い顔立ちと体つき。

 しかし腰にはその小さな体には不釣り合いなほど大きな飛行甲板。

 極めつけにその手に携えられているのは、鳳翔の持つ和弓ではなく、洋弓銃(クロスボウ)だ。

 

「私は航空母艦『大鳳』。貴女達を助けに来たわ」

 

 確かな自信を覗かせる微笑みを浮かべて、その少女はそう名乗った。

 

 

 

「何て言ったは良いものの……これは、ちょっとマズいかも……」

 

 しかし突然何かが軋むような音がしたかと思うと、大鳳の頬を一筋の汗が伝う。

 音のした方を見てみれば、大鳳の足の艤装が急速に錆びてきているのが見てとれた。

 この赤い海による艤装の損耗が既に始まっているらしい。

 

「助けに来たと言っても……早くここを離れないと、私も救助を待つ側になっちゃうわね」

 

 あはは、と乾いた笑いを浮かべながら、大鳳は手にしたクロスボウを格納すると、座り込んでいた吹雪に手を差しのべてきてくれた。

 

 そっと大鳳の手をとった吹雪は、立ち上がってみて驚く。

 その目線の位置はほとんど吹雪と変わらなかった。

 むしろ少し大鳳の方が低いのでは、というくらいだ。

 

「……空母なのに小さいな、とか思ってるでしょう?」

「ぅえ!? いいえ、そんな!」

 

 唇を突き出すようにしながら、じろりと睨まれる。

 どうやら何を考えていたのか、直ぐに見透かされてしまったようだった。

 ひょっとすると本人も少し気にしているのかもしれない。

 

 正規空母というのは、吹雪が知る限りグラーフ、赤城、加賀……と、既に成熟した女性の姿をとっている者しかいなかった。そのため、ついついその可愛らしい背丈に目がいってしまったのだ。

 慌てて謝ろうとした吹雪だったが、大鳳がその前に吹雪を手で制してくすりと微笑む。

 

「ふふ……まぁ、いいです。小さいのは事実ですし。とにかく、一度ここを離れましょう。鹿島さんも時雨さんも……もちろん提督も、貴女が来るのを待っています」

「皆が……。はい!」

 

 一度は諦めかけていた仲間達の顔と、最も会いたいと思っていた彼方の顔を思い浮かべた吹雪は、大鳳と共に鎮守府へと撤退を始めた。

 

 吹雪の艤装は、戦闘により多くの傷を負ってはいたが、航行には全く支障がないようだ。

 何故なら……これだけ長時間この異常な程に濃度の濃い赤い海の上にいたというのに、艤装に錆が全くない(・・・・)からだ。

 

 大鳳はその事にすぐに気がついたが、この場でそれを指摘することは避け、黙って喜びのあまり跳ねるように走っていく吹雪の後に続いたのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 鹿島が吹雪の救援に向かってものの数分。

 ガコン! という音と共に建造ドック横に取りつけられたタイマーの数字全てに『0』が並ぶ。

 

「っ!? 新造艦が!」

 

 補給を中途半端にしたまま送り出してしまった鹿島を見送ったばかりの彼方にとって、何よりも待ちわびていた音だ。

 彼方は転がるように建造ドックの扉の前に駆け出す。

 

(頼む……!) 

 

 生まれてきた艦娘に対して自分勝手な願いだとは分かっているが、それでも彼方は願うことを止められなかった。

 新造艦(彼女)には本人も含め、この鎮守府全員の命が懸かっている。

 

 

 

 彼方はこれから、建造されたばかりの艦娘をすぐにでもあの激戦の地に送り出さなくてはならない。

 戦う理由も意味も見いだせないまま、ただ艦娘だからという理由で。

 下手をすればそのまま沈んでしまう可能性だってあるというにも関わらず、だ。

 そうしなくてはならない状況を、ある意味では意図的に生み出したと言えなくもない彼方の罪は、決して軽くはない。

 

 しかし全員が無事に生き残るには、この方法しかなかった。

 彼方はその結果、例え建造された艦娘に恨まれたとしても、後悔はしないと決めていた。

 

 

 

 建造ドックの扉が開く。

 この艦娘がこの鎮守府の命運を握っている。

 彼方の文字通り命を懸けた博打の結果だ。

 彼方は固唾を飲んで現れる艦娘を待つ。

 

 

 

 

「空母……!」

 

 まず真っ先に目に入ったのは、ある艦種が持つ独特のシルエット。飛行甲板だ。

 空母は広域殲滅が可能な艦種、この時点で彼方は十分に賭けに勝ったと言える。

 

 しかもそれだけではない、彼女は――

 

 

 

「そう……私が大鳳。出迎え、ありがと――」

「しかも装甲空母の『大鳳』!?」

「っひゃぁう!!?」

 

 本当に……本当に彼方が望んだ通りの、いやそれ以上の艦娘だ。

 この状況において、その装甲による耐久性の高さと艦載機による広域殲滅能力を併せ持つ装甲空母は、これ以上ない艦種と言える。

 彼方の思いを汲み、更に予想もし得ない程の艦娘を建造してくれた妖精達に、感謝の気持ちで一杯になる。

 

 そうした思いで彼方の声に無意識にいつも以上の力が入ってしまうのも、仕方のないことだったと言えるだろう。

 とは言えこの鎮守府の総力を結集して、彼方のためだけに建造された大鳳にとっては、突然全力で力を注ぎ込まれたのだから堪ったものではない。

 

「い、ぃいきなりなんなの!? そんなに急に力一杯名前を呼ばれたら困ります、提督!」

「あ、ご……ごめん! あんまり嬉しかったものだから、つい……」

 

 頬を真っ赤にして抗議していた大鳳が、彼方の言葉に押し黙る。今度は耳まで赤くなった。

 

「い、いえ……それほど喜んでくれているのは、私としても嬉しいんですけど……。すぅ……はぁ~……。ん……それより、このひっきりなしに鳴り続けている警報は何なんですか? もしかして訓練中? 間が悪かったかしら……」

 

 大きく深呼吸をしたことで冷静になれたのか、大鳳は今度は一向に鳴り止まない敵襲を示す警報に、落ちつかなげに辺りを見回す。

 

 

 

 ――さて、彼方は先程から考えていた言葉を大鳳に伝えなくてはならない。

 こうして建造されたばかりの右も左もよくわかっていない彼女に命じるのは本当に酷なことだが、それでも彼方は大鳳にそれを告げなくてはならないのだ。

 

「大鳳、この鎮守府は今……深海棲艦からの襲撃を受けている。こっちの艦娘は君を除いて三人。対して相手はその十倍を遥かに越える物量で押し寄せてきてる。このままだとこの鎮守府は全滅だ。……だから僕は、その状況を逆に利用して君を建造させた。僕達全員が生き残るには、君の力に頼るしかなかったんだ」

 

 この言葉は、仮に新造艦が大鳳ではなく駆逐艦だったとしても告げなくてはならなかった言葉だ。

 大鳳だから……力がある艦娘だから、命懸けで戦うことを強要しても良い、などということは断じてない。

 断じてないが……大鳳だったから、鎮守府の皆を護るに足る戦力を持つ彼女がやって来てくれたから、彼方はその言葉を躊躇いながらも口にすることが出来ていたというのも、また事実だった。

 

 もしそうでなければ、彼方にその言葉を口にすることが出来ていただろうか。

 もし仮に吹雪達のような艦娘が建造された時、彼方はその艦娘に助けを乞うことなど出来ただろうか?

 

 その可能性は限りなく低いと踏んでの策ではあったが、妖精が絡んでいる以上全くあり得ないという話でもない。

 もしそうなっていたとしたら……今の言葉を口に出来たかは、彼方にもわからなかった。

 

 

 

「敵襲……それも、相当な大規模部隊の? ならこうしてはいられませんね。大鳳、出撃します!」

 

 明らかに不自然な態度で鎮守府の危機を告げる彼方の事を怪訝そうに見はしたものの、大鳳は今現在この鎮守府が置かれている状況を打開することを優先してくれたようだった。

 

 艦娘は深海棲艦と戦うために生まれてくるのだから、深海棲艦がそこにいるのならば戦うのが当たり前だ。

 大鳳はそんな風に考えているのかもしれない。

 

 だが彼方の艦娘に対する考え方はそうではなかった。彼方は飽くまでも艦娘を一人の人間として考えているし、考えていなくてはならないのだ。

 それなのに今回は彼方自身の都合だけで、大鳳を無理に戦場に送り出さざるをえなくなってしまった。

 つまり、それは大鳳のことを兵器として利用しているということと同義である。

 

 苦い思いを抱え、それでもその思いを表に出さないように努めている彼方を見て、それを黙ってじっと見ていた大鳳が引き締めていた口許を綻ばせる。

 

「……提督は、優しいのね。仔細はわかりませんけど、私を気遣ってくれているのはわかります。その気持ちは私も嬉しい。……でも、そうですね。一つ私から言えるとすれば……私は貴方に必要とされてこの鎮守府に建造されました。それを恨みに思うことなんて絶対にあり得ません」

 

 彼方の事情も知らないはずの大鳳は、その表情からおおよその予想をつけてしまったようだった。

 これから戦場に向かう艦娘……それも生まれたばかりの彼女にそこまで気を使わせてしまったことに、彼方は更に申し訳なくなってきてしまう。

 

「もう、どうしてそんな顔をするんですか! 貴方はこの鎮守府の全員を護りたいのでしょう? だったら、その苦しみも含めてきちんと自分の責任を果たしなさい! 私は、貴方の力になるためにここに来ました。ここに生まれてきたことを、私に後悔させないで下さい。ね?」

 

 言葉の強さとは裏腹に、大鳳の表情は先程と変わらず柔らかだ。

 大鳳の叱咤激励の言葉に、沈みかけていた気持ちが再び奮い立ってくるのを感じる。

 

 彼方の果たすべき責任とは何か。

 それは、自分の非力や不徳を嘆くことではない。

 大鳳も含めて誰一人の犠牲も出さず、完全に勝利することだけ。

 そして見事全員が生還した暁には、鎮守府の皆で盛大に大鳳の歓迎会を開くのだ。

 

 

 

「……ありがとう、大鳳。僕は何としてもここにいる皆を護りたい。僕達の居場所を絶対に護り抜きたいんだ! 大鳳、僕と一緒に戦って欲しい!」

 

 力を取り戻した彼方の言葉を受けた大鳳は、緩めていた表情を再びきりりと引き締める。

 

「――ええ、勿論。私が貴方を必ず勝たせてみせます! ……って、あら?」

 

 力強く頷いた大鳳の下に、何かを抱えた妖精達がやって来た。

 妖精達は、箱のようなものを数個運んできたようだ。

 一体それが何なのか、訝しげに見ていた彼方だったが、大鳳にはそれが何であるかすぐにわかったようだった。

 

「あぁ、これは私のクロスボウのカートリッジですね。提督、もしかしてこの鎮守府には他に空母が?」

「うん、鳳翔さんっていうんだ。艦種としては軽空母扱いなんだけど」

 

 そうですか、と簡潔に答えると、大鳳はしげしげと妖精達から受け取ったカートリッジを……というより、恐らく中にある艦載機を眺めるとにこりと微笑む。

 

「……鳳翔さんは、やはり素晴らしい空母のようです。この艦載機を操縦する妖精達の練度は、既に熟練のものと言っても差し支えありません。これならばどんな敵が相手でも、私が負けることはないでしょう」

 

 一度だけ大切そうにカートリッジを抱き締めた大鳳は、その矢を右手のクロスボウに装填する。

 準備は整った。あとは出撃するのみだ。

 大鳳は、緊急時の出口前に立つとくるりと彼方の方に向き直った。

 

「それでは提督。 正規空母大鳳、出撃します!」

「……了解! まずは先に戦場に向かっている鹿島、吹雪、時雨の撤退を支援。三人の撤退後は、空爆による広域殲滅に入って!」

 

 敬礼をした大鳳に彼方もまた敬礼で返すと、何の躊躇いも見せることなく大鳳は戦場へと向かっていった。

 

 その後ろ姿を見送りながら、彼方は迎撃戦が始まる前にこの目に焼きつけた、地獄のような光景を思い出す。

 自分の罪と向き合い、踏み越えていく覚悟を持つために。

 

 

 

『――彼方くん? 彼方くん、聞こえますか!?』

 

 そうしている間に、切迫した様子の鹿島から通信が入った。

 彼方は駆け足で指揮所へと戻り、通信機を手に取る。

 

「聞こえるよ、鹿島。どうした――」

『敵に旗艦となる深海棲艦がいる可能性があります! 時雨ちゃんも吹雪ちゃんのように孤立させられてしまうかもしれません! 一度撤退をして体勢を立て直すべきだと思います!』

 

 聞こえてきたのはとてつもなく悪い知らせだ。

 今までは傷ついた深海棲艦が統制もとれず、ただ闇雲に向かってくるのを迎撃していたが、これが組織だって動きだしたのであれば……大鳳が殲滅しきるまでにこちらに犠牲がでないとも限らない。

 

「旗艦が……!? わかった、時雨にもそう伝える! 鹿島は吹雪をお願い!」

『わかりました、ありが……ざ……い――』

 

 戦闘しながらの通信だったのか、不自然に通信が乱れたあとに切れた。

 強い胸騒ぎに襲われながらも、彼方は急いで時雨へと通信を繋ぐ。

 

「時雨、時雨! 聞こえる!?」

『うん、聞こえているよ。彼方、どうかしたの?』

 

 時雨の様子は先程補給に戻ったときとそう変わらないように思える。

 彼方は手短に用件を伝えることにした。

 

「鹿島から通信があって、敵艦の中に指揮能力を持った艦がいるかもしれないんだ。だから、時雨は一度戦域から離脱して、鹿島達と合流するのを待っていて欲しい」

『……わかった。すぐに下がるよ。確かに、さっきから敵艦の動きが妙なんだ』

 

 時雨は彼方の言葉に二つ返事で了承してくれた。

 やはり、鹿島の言っていたことは本当なのだろう。

 ほっと一息吐きたいところであるが、彼方の内心は依然ざわざわとした不快感で包まれていた。

 この感覚は、霞達が装甲空母鬼と戦闘していた時から感じていたものだ。

 むしろ、その時よりも不快感が強まっている。

 

 ……『何か』が自分を見ている。

 じっとりとした粘り気のある圧迫感のようなものが、彼方に重くのしかかってきていた。

 

 

 

 ――その暫く後に、吹雪からの通信が入るが、途絶。

 さらにその数分後に彼方の下へ大鳳から通信が入る。

 

 

 

 時雨、鹿島、吹雪と合流後、三人は鎮守府へと帰還中。

 敵空母撃破。しかし後続の敵空母が出現したため、大鳳は単艦で防衛にあたる、とのこと。

 

 

 

 ここにきて、彼方は自分の想定が誤っていた事に初めて気がついた。

 装甲空母鬼との交戦中、空母は一隻もいなかったのだ。

 つまり突如出現した姫級はともかくとして、装甲空母鬼の取り巻きと今交戦中の深海棲艦の群れは、全くの無関係。

 

 あれは長距離を一瞬で移動してきたわけではなかった。

 初めから(・・・・)ここにいたのだ。

 敵は、彼方の鎮守府の場所を初めから(・・・・)知っていたのだ。

 

 そして先程から強くなる一方の胸騒ぎは、吹雪との通信中に聞こえてきたある声で、最高潮を迎えていた。

 

 

 

『カ エ シ テ』

 

 

 

 強い憎悪を感じさせる、底冷えするような声。

 しかし、あの声の主に彼方が気がつかない筈はない。

 それが絶望や、嫉妬。敵意にまみれていたとしても、その声を彼方が聞き間違える筈がないのだ。

 

(どうして……。だけど、あり得ない! だって――)

 

 混乱する彼方の頭の中でも、一つだけ確かなことがあった。

 それだけは、疑いようもない事実だった。

 

「敵は、吹雪……なのか……」

 

 艦娘として吹雪は確かに今も存在している。

 だがあの声の持ち主もまた、間違いなく彼方の知っている吹雪だった。

 

 

 

 だって、彼女は言っていたのだから。

 

 

 

『カナタクンヲ、カエシテ……!』




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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水底の記憶

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

今回は、初の深海棲艦の一人称視点で書いてみています。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


 ――こぽこぽと、緩やかに水が流れる音がする。

 その音は何故か私にはとても馴染み深くて……とても寂しい気持ちになる。

 

 ゆっくりと目を開けば、私は真っ暗な場所に立っていた。

 辺りを見回しても、ここがどこだかわかりそうな物は何一つ見当たらない。

 

(ここはどこなの……? 私は、どうしてこんなところにいるんだろう……)

 

 声に出したつもりの言葉が、口から出てこなかった。

 これでは自分の声ですら、どんなものだったのかも思い出せない。

 

(……どうしよう)

 

 私は、自分が何であるのか、何者なのかすらもわからなかった。

 

 

 

 ぼやけた意識のなかで、それでも私はここにいてはいけない、ここではないどこかへ行きたいと……漠然とした何かに追いたてられるように動き出す。

 それは、とても緩慢で、まるで海月のように、自分の意思とは無関係にただ水の流れに揺蕩っているような感覚。

 

(……体が重い)

 

 私は、もっと速く走れていなかっただろうか。

 世界はこんなにも暗かっただろうか。

 必死に思い出そうとしてみるが、何も思い出すことが出来ない。

 

 思い出すことが出来ないながらも、私は自分がこんな真っ暗な世界をふわふわと漂いながら生きていたとは、到底思えなかった。

 自分は何か、もっとこう……明るい、光のようなものが満ちている場所で生きていた気がするのだ。

 

 

 

 ずるずると、足を引き摺るようにして、それでも少しずつ前へと進む。

 もちろんどこか行く宛があるわけではない。

 しかし、辿り着きたい場所はあった。

 頭の中に微かに輝いている、温かな光を目指して、とにかく私は歩き続けている。

 

 

 

 闇雲に歩くこと数時間。

 突然暗闇の中に、薄ぼんやりと光る二つの青白い光が浮かび上がる。

 私は、初めての自分以外の生物に遭った。

 

(……! 誰か、いる……)

 

 ……だけど、この光は温かくない。

 むしろとても冷たい光だ。

 私は直感的にこの光の持ち主には用がないことを悟る。

 

『貴女、こんなところで何をしてるの?』

(……何も。歩いてるだけ)

 

 期待外れの相手にがっかりしていた私は無視して歩き続けようとするが、話しかけられてしまった。

 私は今、忙しいのに……。

 そう思いながらも、ついつい頭の中で答えを返す。

 

 どうせ声はでないんだから、問題ない……と思う。

 

『どうして黙ってるの? 何か、探してるの?』

(うるさいな……)

 

 案の定私の言葉はその子に届いていなかったのか、しつこく質問を重ねてきた。

 私は暇じゃないのに。……かといって忙しいのかも、わからないけれど。

 

 だけど、この子に構っている暇がないのは間違いない。多分。

 

(私の探し物は、貴女は持ってない。どこかへ行って)

 

 私はしっしっと手振りでその娘を追い払おうとして、初めて気がついた。

 

(……? 私の手って、こんなに白かったかな……。まるで――)

 

 まるで……何だろう?

 何かに例えたかったけれど、頭の中に何か引っ掛かるようなものは感じながらも、明確な答えは何も浮かんできてはくれなかった。

 

『手? 手がどうかしたの?』

 

 あまりの白さに驚いて自分の手を呆けたように眺めていた私の前に、ぬっと顔が出てくる。

 突然現れた顔に少しだけ面食らった私は、ついその姿をまじまじと眺めてしまった。

 

 改めてよく見てみれば、おかしな格好をした女の子だ。

 真っ白な肌に、服は真っ黒な女の子。

 その子の肌は、ちょうど私の手と同じ色をしているように見えた。

 中でも一番おかしいな、と思ったのは――その子が随分と変な形をしていたことだ。

 

 

 

 その子の両脚は、途中からなくなって(・・・・・)いた。

 

 

 

 私の不躾な視線に気がついたのか、その子が自分の脚?を見て笑う。

 

『うん、おんなじだね』

「……ァ?」

 

 初めて自分の声が出たことに対する驚きよりも、その子の言葉に対する驚きの方が遥かに大きかった。

 

(同じ? 誰が、誰と?)

 

 私が貴方と? 質の悪い冗談だ。迷惑極まる。

 私はその子の吐いた嘘を確かめるために、視線を下へと向けようとする。

 だってさっきまで私は普通に歩いていたし、今だって決して速くはないけどちゃんと歩いてる。

 

 やっぱりこんなおかしな子に構うんじゃなかった。

 とんだ時間の無駄だった。

 

 

 

 でも……少しだけ気になった。

 気になったから……本当はほんの少しだけ怖かったけど、私はこの目で確かめてみることにした。

 

 

 

 ――あの子が言った通り……あるはずの私の脚は、どこにもなかった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 あれから、一体どれくらいの時間が経ったんだろう。

 ここは何にもない世界だ。

 変化がないから時間の経過もよくわからない。

 

 目覚めた瞬間から光を求め続けていた私は、この世界に光なんてない事を知ると、今度は自分の内側に光を求めた。

 

 来る日も来る日も、私は私の中の光だけを見つめ続ける。

 朧気で、形のないぼんやりとした光。

 不確かなものでしかないその光だけど、それが今の私の全て。

 その光だけをずっと見つめ続けていた甲斐あって、その光は誰かの『声』なんだということに、私は最近気がついた。

 

 誰かが私を呼ぶ声。

 温かい、力が湧いてくる声。

 今の自分ではどれだけ頑張っても届かない位置にあると分かっていたとしても、その声は私にとって紛れもなく希望(ひかり)だった。

 

 

 

『ねぇ、貴女の探し物ってなぁに?』

 

 

 

 あの時から、この子は私の周りを常にうろちょろしている。

 余程暇なんだと思う。

 

 だって私は、話だってまともに出来ない。

 う、とか。あ、とか。うがー、とか。

 そんな言葉にならない声しか出てこないのだ。

 

 勿論この子の問いかけに答えることなんて、出来ない。

 本当に……近くにいられるだけで、ただただ鬱陶しい。

 

 

 

 でもこの子がいてくれたから、私は今でも平静を保てているのかもしれない。

 そうでなければ、今頃物言わぬ屍のように成り果てていたのではないだろうか。

 音も光もない世界で、ただ一人生き続けるなんて、私にはとてもじゃないけど出来そうにない。

 

 だから…あんなのでも、私の恩人であると言えなくもないのかもしれない。

 

 

 

 私は初めて、この子に伝えてみることにした。

 私の欲しいもの。求めているもの。足りないものを。

 

 初めて必死に身ぶり手振りで伝えようとする滑稽な私を、その子は馬鹿にすることなく一生懸命に頷きながら見てくれた。

 

 これで伝わらなかったら、私の努力は水の泡だ。

 ただの変な動きをしている馬鹿だ。

 それだけはとても嫌なので、必死に伝わるように努力した。

 

 

 

 たっぷり時間を使って、いい加減諦めようかと思っていたところで、その子が漸く口を開いた。

 

『そっかぁ……貴女は、お話がしたいのね?』

 

 

 

 どうやら私は、ただの変な動きをしている馬鹿だったらしい。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 あの日以来、あの子は私の前からいなくなった。

 探し物がわかったから、興味をなくしてしまったのかもしれない。

 どうせ話なんて、できっこないのだし。

 

 今の私は、暗い世界に一人きり。

 私は宛もなくさ迷いながら、光を探す。

 こんな場所で見つかるわけがないとわかってはいるけど、ただ何もしないでいるよりはいくらかマシだった。

 

(私って、一体何者なんだろう……)

 

 答えてくれる人はもういない。

 

 

 

 そんな不毛としか言えないような事を繰り返していたある日、私はあるものを見つけた。

 それは、この何もない世界でも割りとよく見かける鉄の塊。

 だけど今日のそれは、何かが違う気がして……私は引き寄せられるように、その鉄の塊を手に取る。

 

 因みに、私には右腕がなかった。

 これも最近気がついたことだ。

 思い込みっていうのは怖いものだと思う。

 あるはずのものがないのに、ないことにすら気づかないなんて。

 

 ひょっとしたら顔にだって、無いものもあるかもしれない。

 自分の顔なんて見られないから、確かめようがないんだけど。

 

 

 

 ――その時。

 

 

 

『………か……み…』

(……え?)

 

 その鉄の塊から、『声』が聞こえた。

 

 

 

『……かすみ、ど……たの?……』

(……かす、み?)

 

 私の頭にかかっていた(もや)が一気に晴れ渡っていく。

 

 この『声』だ、間違いない!

 私に光をくれる、優しい『声』。

 私の希望。私の全て。

 

(私の……彼方君!)

 

 

 

 未だに自分のことは思い出せないままだけれど、私の最も大切な人の名前は思い出せた。

 

 彼方君。

 

 私の、大切な人。

 

 

 

『あ、いたいた! 探したよー!』

 

 歓びにうち震える私の下へ、いつかの女の子が現れた。

 とっくに私を捨てていったと思ってたのに。

 

 だけど、今度こそもう私は貴女に用はない。

 探し求めていた光が見つかったんだから。

 早く彼方君を見つけなくては。

 きっと彼方君も私を探してくれている。

 

『これ、あげる!』

 

 夢中で音のしなくなった鉄の塊に耳を傾ける私の目の前に、何かが差し出された。

 

 

 

 何だろう、この。

 一言で言えば、気持ち悪いもの。

 

 黒くて、赤くて、重くて、痛くて、悲しいもの。

 

 こんなものを持ってきて、私にどうしろって言うんだろう。

 

『貴女がヒメになればいいんだよ! あの子より、貴女の方が速そうだもん! ナガトさんも許してくれるよ、大丈夫大丈夫!』

 

 速そうって、何が?

 私、脚ならないけど……。

 手かな?

 

 相変わらず黙り続けている私の手に、その子は無理やりその気持ち悪いものを握らせた。

 

 

 

 そう……この時になって、取り返しのつかないものに手を出してしまってから漸く、私は自分が()だったのか思い出すことができた。

 

 

 

 ――私は、沈んだのだ。この海の底に。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

『カスミちゃん、手と脚の調子はどう?』

「悪くないわ、シマカゼ」

 

 あれから、またいくらかの時間が流れた。

 ただの深海棲艦と呼ばれる艦娘の一隻だった私が、ヒメと呼ばれる艦娘よりも高位の存在になってから。

 

 

 

 シマカゼは言っていた。

 

 私達艦娘というのは、この世界に棲む人間という種を存続させるために存在している。

 闘争を繰り返し、お互いに食いあって滅びへと向かっている人間という種を管理、統制するのがヒメの役割だと。

 

 人類種に対する絶対悪であるヒメ(私たち)は、人間同士での闘争を抑制し、更に人類種繁栄の害となり得る人間を間引くことで、種の存続を図っている。

 

 だそうだ。

 

 

 

 だけど、私にとってはそんなことどうでもよかった。

 私はようやく、彼方君を手に入れる力を手に入れたのだ。

 戦いの記録をなぞることしか出来ない、量産された脱け殻の深海棲艦ではなく。

 私たちの影として、人間に寄生しながら生きている艦娘モドキ(・・・・・)とも違う、本当の意味での艦娘としての力を。

 

 

 

「……シマカゼ。ナガトって奴があのガラクタを迎えに来るのは今日なのよね?」

『ん? うん、そう聞いてるよ。どうかしたの?』

 

 ガラクタ、というのはシマカゼにヒメの因子を奪い取られた深海棲艦のことだ。

 

 深海棲艦の胎内で長い時間をかけて、この海に揺蕩う死者の想念を溜め込み、一つの魂とも言える程に集められ結晶化したものがヒメの因子。

 このヒメの因子を持つことで初めて、深海棲艦はただの闘争の記録をなぞるだけの存在から脱却することが出来る。

 後は『艦としての魂』を持つことが出来ていさえすれば、ヒメとして羽化する資格が得られる、というわけだ。

 

 だから、ヒメの因子を失ったその深海棲艦はもうヒメになることは出来ない。

 また長い時間かけて死者の想念を溜め込まない限りは。

 つまりは、用済みのガラクタなのだ。

 

「……なら、やるなら今日しかないわね。ナガトに私が認められなければ、今度はヒメの因子を奪われるのは私だろうし」

『やる? やるって何を?』

 

 ナガト、とシマカゼに呼ばれているヒメは、そのガラクタがヒメとして無事に羽化したら、私達の本拠地へと連れ帰る役目を与えられているそうだ。

 生憎その役目は目の前のシマカゼに邪魔されて、達成することが不可能になってしまっている。

 

 であれば、その事に気がついたナガトは私に代わりのヒメとして迎え入れるに足る能力があるのかどうか、確認にやって来る筈だ。

 そこで私が自分の力を示すことが出来なければ、私はただの深海棲艦に逆戻り、ということになるのは想像に難くない。

 

 

 

 だが運がいいことに、私は対艦娘性能だけはずば抜けて高いらしい。

 何でも、ヒメなら当たり前に持っているはずの『艦としての魂』が著しく欠落しているせいか、他者の魂を求めようとする力がとても強く、その力というのが艦娘に対して効果覿面(こうかてきめん)なんだとか。

 まぁ、その分艤装の性能はヒメの中でも最低レベルらしいけれど。

 

 シマカゼの言うことは時々よくわからないが、あの子は私に嘘を吐いたことがない。

 私の魂が欠けているというのは、本当のことなんだろう。

 

(実際私が何の艦の魂を持っているのか……本当に『カスミ』なのかも、私にはよくわからないし)

 

 ただ、彼方君がそう呼んでくれた声で私は目覚めた。

 だからきっと、私はカスミなんじゃないか……そうだったらいいな、という思っている。

 

 

 

「シマカゼ。私にこの力をくれて、ありがとう。貴女に会えて、私は本当に幸運だった」

『? うん、私もカスミに会えて良かったよ!』

 

 シマカゼは、私の願いを叶えてくれたのだ。

 私の彼方君と会いたい、という願いを。

 叶うはずもないと思っていた願いが、今はもうすぐにでも手が届きそうになっていた。

 全て、彼女のお陰だった。

 

「調度今彼方君に寄生している艦娘達が、この海域を手に入れるために出撃しているわ。そっちは恐らくナガトが全滅させてくれるだろうし、私は夜になったら彼方君を取り返しに行ってくる」

『カナタクンって? もしかして人間?』

 

 シマカゼは、小首を傾げて私に問いかける。

 人間を欲しがる深海棲艦は、やはりおかしいのだろうか。

 

「そうよ。私の大切な人なの」

『ふぅん? でも人間なんて連れてきても、お世話できるかなぁ』

 

 確かに、私達は人間がどうやって暮らしているのかもわからない。

 何が必要なのか、調べる必要があるだろう。

 でもそれは本人に聞いて、ゆっくり揃えていけばいい話だし、そんな話も彼方君とすればきっととても楽しいに違いない。

 

『まぁいっか。私も手伝ってあげようか?』

「いえ、いらないわ。貴女に手伝ってもらったら、私の力を示したことにはならないし……」

 

 彼方君を確実に手に入れるためには、シマカゼに助力を頼んだ方が確実なのはわかっている。

 だけど、彼方君はわたしだけの彼方君だ。

 例えシマカゼでも、他の女に触れさせたくはない。

 

 

 

「私だって一応深海棲艦の召喚は出来るし、居残っている艦娘なんて、私一人でも十分――」

『……そ、だ。僕が彼女……命、て……鬼、倒した。僕が、殺した……』

「――彼方君!?」

 

 傍受していた手元の通信機から、唐突に信じられない言葉が飛び出してきた。

 彼方君は自分が装甲空母鬼を殺した、と宣言したのか?

 

 一体誰に?

 自分の艦娘?

 そんなことをして何になる。

 艦娘が深海棲艦を沈めることに罪の意識なんて感じるはずがない。

 

 それならば、誰に宣言しているかなんて決まりきっていた。

 

 ナガトだ。

 彼方君は何を思ったか、ヒメであるナガトに自分から名乗りを上げた。

 それは、自分が力のある人間――間引かれる側(・・・・・)の人間であることを宣言したことに他ならない。

 

 

 

「シマカゼ! 私は今すぐ彼方君を迎えに行くわ! ナガトが彼方君を狙うかもしれない、貴女はナガトの足留めをお願い!」

『ヒメ同士では戦えないから、長くは無理だよ?』

「それでもいい、頼むわよ!」

 

 シマカゼの答えも聞かず、私は海の底を力一杯蹴って矢のように海上へと飛び立つ。

 

 同時に私は自分の(ちから)を解放した。

 海が赤黒い色に汚染されていき、私の魂と同化する。

 

(ここから彼方君の居場所まではまだ遠い……せめて先に深海棲艦を送り込んで艦娘を消耗させないと……)

 

 私の力の影響で、大切にしていた彼方君の声を届けてくれていた通信機が崩れ落ちた。

 ……だけど、そんな事は構わない。もう彼方君は目前なのだ。

 彼方君の声なんて、これからはいつでも聞くことが出来るようになるんだから。

 

 

 

 ゆっくりと視界が開けていく。海の終わりが近い。

 キラキラとした天井、海面が見えた。

 

「……ッ!」

 

 水しぶきを上げて、海面から飛び上がる。

 

(ここが、海の上。光が満ちた世界。私の求めていた世界……)

 

 なんて、美しくて憎らしい世界なのだろう。

 既に深海の住人となった私は、その美しい世界を私の色で塗り潰しながら前へと進む。

 

 深海棲艦の展開は既に済ませた。

 後は邪魔な艦娘を沈めてしまえば、彼方君は私のものだ。

 

 必ず、彼方君を取り返す。

 この手で、必ず。

 

「カナタクン、マッテイテ……!」




ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!

この深海棲艦は、ある艦娘の破壊された艤装の一部が深海棲艦となって、それがたまたま姫級として覚醒してしまった稀有なケースとして考えています。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!


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大鳳の初陣

いつも読みに来てくださって、ありがとうございます!

更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
リアルの方でいろいろとあって、執筆作業にあてられる時間を取ることが出来ませんでした。

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです!


 いくつもの光芒が朱に染まる空を切り裂くように、戦場を駆け抜けていく。

 

 大鳳の操る艦載機――その中でも一際素早く空を飛び回っている艦上戦闘機達は、黒い球体のような形をした敵艦載機を追い立てては撃ち堕とし、危なげなく次々と撃墜数を重ねていっていた。

 出撃前からその練度の高さに驚いてはいたが、考えていたよりも遥かに強く美しいその勇姿によって大きな自信を得ることが出来た大鳳は、彼女達の働きに応えるために力強く頷いた。

 

(艦載機の質はこちらが圧倒している。本当に鳳翔さんのお陰だわ。……だけど、そろそろ日が暮れる。私が戦っていられる時間もそう長くはないわね)

 

 完全に夜となってしまえば、艦載機を飛ばすことが難しくなる。

 広域殲滅が可能な艦載機が扱えなくなれば、今も水底から湧き出続けている深海棲艦を抑えることが難しくなり、その結果彼方を護ることも出来なくなってしまうだろう。

 

「だったら……その前に、元凶を絶つまで!」

 

 

 

 大鳳は先程建造されたばかりで、なぜ今この鎮守府がこれ程大規模の深海棲艦に襲われているのか、詳細に理解できてはいない。

 自分の提督である彼方に対しても、その人となりや提督の能力、資質等もほとんど分からないままに戦場に飛び出してきてしまった。

 

 

 

 だが、分からないことばかりの中でも、一つだけ確かだと言えることがあった。

 

(提督は、私自身のことを本当の意味で必要としてくれていた。自分だけが生き残るためじゃない。()を含めた鎮守府の全員で、この難局を無事に生き残るため……人間だけじゃなくて、戦っている艦娘達(私達)の命までも守りきるために、私を呼んでくれた)

 

 

 

 艦娘の命は、人間と比較しても決して軽くはない。

 生まれた瞬間から深海棲艦と戦うことを定められているというだけで、艦娘はただ戦場で死ぬために生まれてくるわけではない筈だ。

 

 

 

 大鳳の提督は、そう考えていてくれていたように思う。

 だから、建造されたばかりの大鳳を出撃させることを躊躇ったのだ。

 大鳳を出撃させなければ、彼方自身を含めた大鳳を除いた全員が死ぬことになるとわかっていても、自分の勝手な都合のために呼び寄せた大鳳を犠牲にしてしまう可能性を危惧していた。

 

 

 

 艦娘が深海棲艦と戦うのは当然のことだ。

 大鳳自身も本能のようなもので、あの深海から這い出てくるおぞましい存在を撃滅するべきだと強く感じている。

 そのため、例え仕える提督がどのような人物であろうと、それがどんなに絶望的な状況であろうと、自分は命懸けで深海棲艦と戦っていただろう。

 

 ただ……それと提督を本心から守りたいと思うかどうかは、また別の話なのかもしれない。

 提督を深海棲艦を倒すための手段として考えるのか、深海棲艦から人間を――提督を護るために戦うのか、ということには艦娘の士気の観点からいっても、とても大きな差が生まれてくる。

 元々は軍艦だった手前、当たり前と言って良いのかは分からないが……艦娘には心があるのだ。

 大鳳の提督はそれをきちんと理解した上で、大鳳や仲間の艦娘達と向き合ってくれていたように、大鳳は感じられていた。

 

 出撃前に交わした、そんな彼方との言葉は……今も確かな力を持って、大鳳の中に存在している。

 あの言葉があったからこそ、大鳳は彼方を護るために戦場に出ることを心に決めることが出来た。

 本来艦娘として与えられた役割である、深海棲艦と戦うことを第一に考えるのではなく、彼方や仲間の艦娘達を護ることを第一に考えて。

 

 

 

 自分を必要としてくれた彼方の言葉を信じ、危険を顧みずに仲間を護ろうとしていた彼の行動を信じることにした大鳳は、腰に取り付けていたマガジンをクロスボウにセットする。

 

 出し惜しみはしない、ここで全ての敵を倒すという気概をもって、大鳳は守るべき提督の顔を思い浮かべながら、高らかに告げた。

 

 

 

「ここで一気に決めるわ! 艦載機、全機発艦! 有象無象の深海棲艦達を食らいつくして!!」

 

 

 

 大鳳の力ある言葉と共に、クロスボウから放たれた艦載機達が焔を纏って現れる。

 その速度は今までよりも更に速く、描く軌道は速度を上げても尚鋭い。

 唸りをあげて戦場を駆け抜けた艦載機達は、焔の残滓を撒き散らしながら、蠢く深海棲艦の全てをいとも容易く食らいつくした。

 

 深海棲艦の残骸を包みこむ爆炎で、赤く黒く染められた海が、一瞬で紅一色となって燃え盛る。

 

 その瞳に映る焔の揺らめきは、確かな手応えを大鳳へと伝える。

 周囲に展開していた深海棲艦は、その全てが今や炎に包まれ、動いている物は一つとして存在しなかった。

 

 

 

「……さすがにもう増援は、ないみたいね」

 

 ほっと一息ついた大鳳は、改めて周囲を見回してみる。

 敵の深海棲艦を撃滅したはいいが、この鎮守府の安全の確保が最も大切な問題であるため、慎重に慎重を重ねても足りないということはないだろう。

 

 そこで……自分の周囲の海の色が、明らかに変化してきていることに気がついた。

 

(海が、赤から黒へ……!? 海の穢れが更に強まってきているというの?)

 

 びしりと大きな音を立てたかと思うと次の瞬間にはぐしゃりと足の艤装がひしゃげて潰れる。

 上体のバランスが崩された大鳳は顔をしかめると、艦載機達に再度攻撃するために指令を飛ばすことにした。

 

「くっ……敵の旗艦を仕留めれば――」

 

 この早さで艤装の損傷……いや、崩壊が進んでしまうのであれば。

 大鳳には、本当にもうあまり時間が残されていないということになる。

 いかに駆逐艦や練習巡洋艦よりも厚い装甲を持っていたとしても、この足元に広がる暗闇のようになりつつある海による艤装の損傷が早過ぎるのだ。

 

 

 

 ここに来て、大鳳は全身の艤装が急激に錆びついてきているのを感じ取っていた。

 ここで勝負を決めなければ、大鳳自身の身が危うくなる。

 

 折角艦娘として生まれてきたというのに、艦の時と同じように初陣で沈むなど、冗談でも笑えやしない。

 それに……もしそうなってしまえば、彼方はきっとそれを悲しみ悔やむ。

 彼の危惧していたことを現実にしてしまう訳にはいかない。

 それは大鳳のプライドが決して許さない。許すわけにはいかないのだ。

 

(提督は、私が守ります!)

 

 今一度、強い決意を込めて海面を踏みしめることで、大鳳は鎌首をもたげつつあった不安を無理矢理に踏み潰す。

 不退転の覚悟をもって、敵の旗艦と対峙する。

 全員無事に生きて帰るには、この海を汚染し尽くす化物は絶対にここで倒さなくてはならない敵だ。

 

 

 

「……見えた! あれが、敵の旗艦――」

 

 

 

 昏い海の中心に立つのは、白い少女。

 左腕は根本から異形と化し、頭部には角が生えている。

 かなり人型に近い形をしていることや、目立った艤装も見当たらないことから、明らかに普通の深海棲艦とは異なっている存在であることがわかった。

 そして深海棲艦特有の幽鬼のように虚ろな、しかしそれでいて激しい憎悪を滲ませている顔には、見覚えのある顔が貼り付いていた。

 

 

 

「……ふ……吹雪、さん……?」

 

 

 

 その顔は、大鳳が先程知り合ったばかりの仲間の顔と瓜二つ。

 

(なぜ吹雪さんの顔をした深海棲艦が……!? まさか、吹雪さんがこの海の影響を受けていなかったことと何か関係が――)

 

 驚愕からほんの数秒、思考に意識を持っていかれた大鳳の身体が硬直する。

 

 

 

「……消エテ」

「っ……くぅ!」

 

 

 

 その一瞬の虚を突かれ、あっという間に距離を詰められてしまった大鳳は、振り上げられた異形の左腕に咄嗟に反応することが出来なかった。

 

 それでもと手にしていたクロスボウを、何とか自分と吹雪の間に滑り込ませる。

 万が一にも飛行甲板を破壊されるわけにはいかない。

 幸い艦載機は全機発艦中。

 ここでクロスボウを破壊されたとしても、あの子達の還る場所(飛行甲板)を破壊されるよりは余程良い、と大鳳は判断した。

 

 

 

「邪魔ヲ……シナイデ!」

 

 ズドン、と。

 

 凡そ打撃音とは程遠い砲撃音のような音が、振りかぶった勢いもそのままに海面に叩きつけられた左腕から発せられる。

 

 クロスボウなど何の障害にもなるものか。

 あまりの衝撃に弾け飛ぶ穢れきった海が、大鳳の全身に振りかかり、身に纏った艤装の悉くを食らい尽くしていく。

 

「ぅ……ぁあっ!?」

 

 この身を吹き飛ばすには十分過ぎる暴風のような衝撃と、皮膚に(はし)る焼けつくような痛みに、大鳳は飛行甲板を抱き抱えるようにして守りながらも、大きく後方へと転がるようにして弾き飛ばされた。

 

 

 

(まさか、この海そのものが敵の艤装のような物なの……!?)

 

 ぐるぐると回る視界の中でも、大鳳は自らの負ったダメージを冷静に分析する。

 

 先の一撃は……あの腕で海面を激しく叩きつけ、発生した水飛沫をぶつけられることによって、ダメージを与えられたのだ。

 腕の一撃でも直撃すれば大きなダメージとなるのは必至だが、海そのものを武器として使ってくる相手など、艦娘として生まれたばかりの大鳳でなくとも考えもしないだろう。

 

(だけど、事実私の艤装と身体はこの海水で大きなダメージを受けている。……海そのものが私の敵に回るだなんて。あの深海棲艦は、正に艦娘の天敵と言えるわね……)

 

 艦娘の天敵――吹雪と同じ顔をしたそれ(・・)は、吹き飛ばされた大鳳を然して興味がない様子でぼんやりと、ただ眺めていた。

 

 

 

 対して大鳳には最早そのような余裕はどこにもない。

 どうにかこの危機を脱しようと、大鳳は必死に考えを巡らせる。

 幸いなことに未だ自分は沈んではいない。飛行甲板も一応は健在だ。

 既に発艦している艦載機達も多くは生き残ってくれているし、大鳳自身に余力がないわけでもない。

 

「ま、まだまだ……これからよ!」

 

 まだ少なくとも勝ちの目が残されていることを確認した大鳳は、散々海の上を転がされたものの、どうにか身体を起こして今度は自分の身体の様子を眺めてみた。

 

 すると、飛行甲板以外の艤装はほぼ全滅。

 それどころか服にまでもそこかしこに大きく穴が空いて、露出した肌も焼け爛れたようになってしまっているような有り様だった。

 

(うぅ……生きてるのはいいけど、まさか初陣でここまでボロボロにされてしまうなんて……)

 

 艦娘としての名誉の面でも、年頃の女性としても、あまり彼方には見せられない酷い姿になってしまっていること思うと、戦闘中だというのについ己のふがいなさに悲しくなってきてしまう。

 大見得切って戦場に飛び出してきて、この体たらくでは笑い話にもならない。

 というか、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 

 

 

 とは言え、今は屈辱や羞恥に耐えている余裕は流石にない。

 

(それでも直撃は何とか免れたし、相手がこちらに注意を向けてくれている今なら、まだ十分に勝機はある……!)

 

 想定外に大きなダメージを負ってしまったが、それでも諦めることなく反撃の糸口を探していた大鳳は、視界の片隅にちらりと映った影に気がつくと、ほんの僅かに微笑んだ。

 

 その影とは、鳳翔が手塩に懸けて育て上げてくれていた、艦載機達の姿。

 敵旗艦に気づかれることのない絶妙な間合いを維持しながら、その死角に回り込んでくれていた。

 彼女達は大鳳の指示もなしに独自の判断で、例え仮初めの主であろうとも関係なく、大鳳を守るために最適の行動を取ってくれていたのだ。

 

「………………」

 

 息を潜めた大鳳が視界を艦載機からの物へと切り替えると、脳裏には動かない大鳳のことを見て不思議そうに首を傾げている敵旗艦の小さな後ろ姿が映し出された。

 油断しているのか戦い慣れていないのか、まだ大鳳が生きているというのにとどめを刺そうと動きだす気配がない。

 

 艦載機の位置取りは完璧だ。今更反応したところで、もう回避は不可能な場所にまで迫っている。

 

 相手は吹雪と同じ顔の深海棲艦だ。ということは恐らく駆逐艦だろう。

 おまけに艤装という艤装もほとんど装備していない。

 つまり一撃与えさえすれば、こちらの勝利は揺るぎないものとなる可能性が高い。

 

 

 

「……ッ!?」

「遅いわ、これで終わりよ!」

 

 

 

 高高度から全力で加速し、稲妻のように爆撃機が急降下を開始する。

 しかし唸りをあげて迫る脅威に気がついた筈なのに、敵は見上げることすらせず、それどころかピクリとも動かない。

 

 吹雪の表情を伺えば、驚いているのは間違いない。

 間違いなく、奇襲には成功している。

 

 だというのに、彼女はこちらを全く見ていなかった。

 かの深海棲艦の瞳に映っていたのは――

 

 

 

「――カナタ、クン……?」

 

 熱に浮かされたように瞳を濡らす、深海棲艦の姿。

 口から溢れだしたのは、歓喜か、熱情か。

 それとももっと別の何かか。

 

 大鳳はその瞳が見せる、深海棲艦とは思えない複雑な感情を滲ませた色に魅せられた。

 

 

 

「――っ!?」

 しまったと思った直後に、爆発。

 

 

 

 ギリギリまで爆弾の投下指示を待っていた艦上爆撃機により投下された爆弾が、敵の旗艦の目前で爆炎を巻き起こしていた。

 つまり、千載一遇の機を見事に逃してしまったということだ。

 

 これでもう奇襲は通用しないだろう。

 大鳳は自分の愚かさを呪いながら、巻き上がる黒煙が薄れていくのをただ眺めていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナタ、クン……アァ……カナタクン……!」

 

 

 

「――うん……おかえり。吹雪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなっ、提督!? 何故海に――」

 

 この場では絶対にあり得ない筈の声が、項垂れた大鳳の耳朶(じだ)に響く。

 通信機越しではない。大鳳の提督である彼方自らが小型の舟艇に乗り込み、戦場に現れたのだ。

 

 正気の沙汰とは思えない、自殺行為としか思えない行動に、大鳳は頭が真っ白になりながらも今すぐここから逃げるよう

 諭そうとする。

 

 しかし――

 

 

 

「仲間が、還ってきたから。……僕は、彼女を出迎えなくちゃいけないんだ」

 

 日課だからね。そんな軽い言葉を繋げた彼方は、ゆっくりと大鳳の隣へと進み出てきた。

 

「仲間……!? 提督、あれは深海棲艦です! 私達の敵……いえ、確かに吹雪さんと同じ顔をしていますが……仲間だなんて、そんなの絶対にあり得ません!」

 

 必死に食い下がって彼方を止めようとする大鳳だったが、とうとう足下の艤装が崩れ去り、片足が海中へと引き込まれる。

 

 唐突な浮遊感と、足首から先に伝わる穢れた海による焼けるような痛み。

 自分が沈む。否、沈んでいるという実感と、目の前にいる提督を守ることが出来なかったという無力感が、大鳳のまだ幼さの残る相貌を悲痛に歪めていく。

 

 

 

「大鳳、手を!」

 

 絶望に埋め尽くされかけていた自身の前に差し伸べられた大きな手を、大鳳は無意識ながらも強く掴んだ。

 そのまま海底から引き揚げられるように、視界が彼方の乗り込んでいた舟艇の上へと引き揚げられていく。

 

 

 

「て、提督……」

 

 大鳳は自分が彼方に助けられたということを理解したと同時に、助けられなければ自分が間違いなく沈んでいたということに思い至り、やるせない気持ちでいっぱいになった。

 例えあの深海棲艦を倒せていたとしても、彼方がいなければ大鳳自身も沈んでしまっていた可能性が高いからだ。

 

 大鳳が沈んでしまえば、彼方は悲しむ。

 それでは、意味がないのだ。

 

 

 

「大鳳。僕達を守ってくれて、ありがとう」

 

 ふわりと、大鳳の肩に彼方の着ていた軍服がかけられる。

 そこで初めて、今の自分があられもない格好をしていたことを思い出した大鳳は、慌てて彼方を見上げた。

 

 

 

「……本当に、吹雪なんだね」

 

 

 

 ところが、彼方は既に大鳳から意識をあの深海棲艦へと移していたようだった。

 

 少し寂しいような気持ちを抱えてはいたが、現状船の上に引き揚げられた大鳳は、既に戦力の一つと数えられることは難しい。

 もう大鳳はことの成り行きをただ静かに見守る以外に、出来ることはなくなってしまっていた。

 

 

 

「彼方くん。……危ないと思ったら、例えあの深海棲艦が本当に吹雪ちゃんだったとしても、私は躊躇わずに撃ちますから」

「僕もだよ、彼方。それに、吹雪はここにいる」

「え、えっとえっと……あの……」

 

 ようやく少し冷静になることが出来て辺りを見回してみれば、彼方と大鳳が乗り込んでいる小型舟艇を守るように、仲間の艦娘達が周囲に展開している。

 

 それぞれの浮かべる表情は様々だ。

 しかし、三人ともが彼方の身を第一に案じているのであろうことは見てとれた。

 やはり彼女達も、完全に納得した上でこのような状況になっているというわけではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フ、ブキ……? チガウ、ワタシハ――」

 

 彼方の言葉を受けた深海棲艦が頭を押さえて苦しみ出すのと、海中から何かが飛び出してくるのはほぼ同時だった。

 

「彼方くん、伏せて下さい!」

 

 舟艇の前方に立っていた鹿島が叫びながら砲撃を開始する。

 時雨や吹雪もそれに遅れることなく、海中から飛び出てきた何かに狙いを定めて砲撃していた。

 

 

 

「カスミ、時間切レ! 退クヨ!」

「ッ! ………………ワカッタワ」

 

 海から現れた浮遊要塞のような三つの砲台は、事も無げに鹿島達の砲弾を弾き飛ばし、新たに現れた深海棲艦の周囲に展開する。

 

 表情を苦悶の色に染め上げた吹雪と同じ顔の深海棲艦は、頷くとこちらに背を向けて海の中へと潜っていく。

 

 

 

「霞……だって? 一体どうして……」

 

 

 

 呆然とその後ろ姿を眺めている彼方を鋭く見つめる、新手の深海棲艦の瞳の剣呑さに、その視線を遮るように鹿島達が立ち塞がった。

 

 

 

「……フン。ソンナ気味ノ悪イバケモノ(・・・・)、カスミニハ必要ナイ」

 

 吐き捨てるように彼方から視線を外した新手の深海棲艦は、そのまま海へと姿を消した。

 仲間の深海棲艦だったようだ。

 一隻でも大きな脅威であったあの深海棲艦と同格、いやこれ以上に強力である可能性もある新手の深海棲艦。

 気が滅入るとはこのことだ。

 

「化物……僕が?」

 

 事態を動かした張本人である彼方ですらついていけない目まぐるしい出来事に、彼方は命の危機であることも忘れた様子で首を傾げている。

 無理もないと思うと同時に、ほんの少しその間の抜けたその表情に、大鳳の口元には笑みが溢れた。

 

 

 

 

 

「彼方くん、海が!」

「元通りに……! どうやら本当に敵は撤退したと見て良さそうだね」

「う、うぅ……良かったよぉ」

 

 三人の言葉通りに、海が平時の色へと戻っていく。

 あれほどまでの穢れが嘘だったかのように消え去っていく。

 

 大鳳は、無事……ではないかもしれないが、どうにか初陣を生きて還ることが出来たらしい。

 彼方の思い描いた通り、全員が無事に生還を果たしたのだ。

 

 

 

「………………うん。皆、お疲れ様。還ろう、僕達の家に」

 

 

 何かを自分の内に飲み込むような仕草をした彼方は、その一瞬見せた悲哀のような表情を優しげな微笑みに変えた。

 

 その視線の先には……戦闘の影響で破壊されてしまった箇所もあるものの、皆で力を合わせることで何とか守りきることが出来た、大鳳達の大切な居場所がある。

 

「はいっ!」

 

 大鳳は初めて役目を果たして家に帰ることが出来るという歓びに打ち震え、頷く。

 

「……提督」

「うん? どうしたの、大鳳。……大丈夫、傷が痛む?」

 

 思わず話しかけてしまった大鳳を心配してくれたのか、彼方が大鳳の顔を覗きこんできた。

 

「あ、いえっ! あの……私を、この鎮守府に呼んでくださって、ありがとうございました」

 

 ぺこりとお辞儀をして、その感謝を示す。

 色々と戸惑うことは多かったが、彼は本当に艦娘のためを思って生きてくれている提督だ。

 それだけでこれほどまでに恵まれた艦娘は、そう多くはないだろう。

 

 

 

「……私、貴方に出逢えて……良かったです」

 

 上気した頬を朱に染めて、それだけをどうにか伝えた大鳳に、にこりと柔らかな微笑みで応えた彼方は――

 

「僕も、君がここに来てくれて……生きていてくれて良かった」

 

 と、心から安心させられる声でそう言ったのだった。




ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

これで当分は日常パートに戻ることができそうです。
そして、終章へと向かっていきます。

しばらくの間は不定期更新になってしまうかもしれませんが、また読みに来てくださいましたら嬉しいです。


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潮の帰還

いつも読みにきてくださいまして、ありがとうございます!

かなりの間が空いてしまいまして、申し訳ありません。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「――んぅ……」

 

 目蓋の向こう側から感じる穏やかな光を受けて、潮は自然と漏れ出た吐息と共に、ゆっくりと目を覚ました。

 横たわっている潮の身体をふんわりとした布団が優しく包み込み、目の前には対称的に無機質な天井が広がっている。

 

 どうやら、潮はどこかの部屋のベッドで眠っていたようだった。

 

(ここは……どこ? もしかして潮、夢でも見てたのかな……?)

 

 潮の記憶では、自分は今戦場のど真ん中にいる筈だ。

 あの恐ろしい敵と、一対一で対峙していた筈なのだ。

 決して夢ではあり得ないような、現実感の籠められた記憶が、潮の背筋を凍らせる。

 

 

 

 しかしどういう訳か、潮はつい先程までベッドの中でぬくぬくと寝入っていたらしい。

 横になっていたベッドの左側にある窓の方へと目を遣ると、暖かな陽の光が射し込み、心地よい爽やかな海風が潮の頬をさらりと撫でていった。

 

 何とも清々しい目覚めだ、これだけであれば。

 あんな戦場はただの悪い夢だったというほうが、余程信憑性があるように思える。

 潮自身がそう思いたい気持ちもあったのか、目覚めても未だ覚めやらぬ夢の中にいるような感覚が、潮の意識を靄のように包み込んでいく。

 

 

 

「……でも、やっぱり」

 

 窓から見渡せる風景が、いつもと違っている。

 

(このベッドは潮のじゃない。だったら、あれは……夢じゃない……!)

 

 ――アレ(装甲空母鬼)が夢ではなかったのならば、何故自分は今まで誰かの部屋で眠っていたのか。

 

 脳裏にあの黒い剛腕が蘇り、恐怖に震えだす身体を止めるため、潮の右手は無意識に強く自らの左腕を掴もうとする。

 

(潮は、あの時……あの腕に捕まっちゃって、それで――)

 

 

 

「……おかえり、潮」

「………………ぇ?」

 

 

 

 不意にすぐ隣から聞こえてきた声で、潮の頭の中は一瞬のうちに真っ白になった。

 

 声と同時に感じる、右手に伝わる温もり。

 少しだけ硬さを感じさせるものの、逆にそれが彼に触れているという安心感を潮に与えてくれる。

 今潮の手が握っているのは、仲間や潮自身の命を護り、害する敵を殺すための硬く冷たい艦砲や、恐怖に震える自身の腕ではない。

 

 潮が必ず護ると誓っていた、潮にとっては自分の命よりも大切だと思える、想い人の温もりだった。

 

 

 

 

「……彼方、さん」

「本当に良かった。君が目覚めた時に、傍にいられて。一番に『お帰り』って、言ってあげられて」

 

 相変わらず、聞かされた側が恥ずかしさのあまり逃げ出したくなるようなことを平気で言う人だと、潮は思った。

 

 だがそう思うと同時に、冷やかすように頬を撫で付けていく――何故か先程よりも急に冷たくなったように感じる――海風を煩わしく感じながらも、その風が二人の熱を奪い去ってしまわないように、潮は彼方の手を両手でそっと包み込んだ。

 

 目覚める前……戦場では遥か遠くに感じていた彼方の温もりが、今は潮の手の中にある。

 

 

 

「ぁ、あの……彼方さん……ただいま、です」

「うん。おかえり、潮」

 

 

 

 潮は、還ってくることが出来たのだ。

 あの地獄のような戦場から。

 彼方の言葉を受けて、彼方にその答えを返して。

 潮はようやく、その実感を持つことが出来たのだった。

 

 禍々しい異形を前に、彼方を思うことでどうにか己を奮い起たせ。

 幾重もの砲弾、魚雷を掻い潜り、ただ皆を――無事に全員が還ってくることを信じている彼方を護ることだけを考えて必死に戦った。

 

 

 

 自らの帰還を言葉にして彼方に伝えた瞬間、走馬灯のように潮が戦ってきた戦場が思い起こされる。

 

 あの敵を前にしても、こうしてまた彼方に会えたということが、潮には奇跡としか思えない。それ程に強く、恐ろしい敵だった。

 

 

 

「……潮が無事でいてくれて、本当に良かった。皆が揃って無事にここに帰ってきてくれたのは、君のお陰だよ」

「……潮、彼方さんに絶対にもう一度会いたくて……。皆と一緒に、胸を張って――ただいま、って……言いたくて」

 

 だから……潮は今、とても嬉しいです。

 涙混じりの声で、潮はそう呟いた。

 

 

 

 きちんと、自分は仲間を護ることが出来ていたのだ。

 彼方を護ることが出来た。

 

 それが、本当に嬉しかった。

 

 

 

「……今回の戦闘で、君は装甲空母鬼によって酷い怪我を負わされた。あと本の少しでも運が悪ければ、死んでしまってもおかしくなかった酷い怪我だ。……それは、紛れもなく僕の責任だ」

「いえ、それは……彼方さんのせいなんかじゃ! 潮がもっと強ければ……!」

 

 彼方の言葉も潮の言葉も、互いに結果論でしかない。

 出撃の時点で、既に彼方は自分が出来る万全の備えをして潮達に出撃を命じていたし、潮も今出せる最大限の力以上の力を発揮して戦った。

 

 その上で今回のような結果になってしまったのは、(ひとえ)に通常の鬼級ではありえない程の強さを持ち得ていた今回の敵が、彼方の鎮守府全員にとってイレギュラーな存在となっていたからだ。

 

 それを今更彼方や潮が自分のせいだと断じて己を責めても、意味がない。

 それがわかっていても、そのイレギュラーな存在すらも御しきれる強さを持つことが出来ていなかった自分自身に問題がある。

 彼方も潮もそう考えてしまうのだった。

 

 実際はそのように簡単な問題ではなく、姫級に限りなく近い強さを持っていた装甲空母鬼を相手に、手負いとはいえたったの四隻で戦いを挑んで、その上で誰一人沈むことなく勝ちを拾えたという事実こそが最早奇跡そのものだったということに、二人は気がついていなかった。

 

 

 

「あはは……埒があかないね、やっぱり」

「そう、ですね。……今はこうして、ただもう一度彼方さんに逢えたことを歓ぶべきなのかもしれません」

 

 潮が両手に握った彼方の手を、そっと自分の胸元に引き寄せる。

 その潮の行動に、少しだけ彼方の頬が朱に染まるのを俯きがちな視界の端から認めた潮は、これから彼方にお願いすることを考え、不謹慎にもつい緩みそうになる口許を意識して引き締めた。

 

「……潮? あ、あの……どうしたの?」

 

 

 

 

 

「……彼方さん。潮の身体を、()てもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「……うん。霞達からも聞いていたけど、傷はどこにも残っていないよ」

「……そうですか。でも……少しくらいは残っていた方が、彼方さんを護れたことを誇れて、良かったのかも――」

「そんなわけない! 女の子の身体に傷があった方が良かったなんてこと、あるはずないよ……」

 

 彼方は今、潮が装甲空母鬼より受けた傷の痕を確認するため、毛布一枚で他に何も身に纏っていない潮の背中を眺めていた。

 

 潮はベッドに座って背中を丸めるようにしているため、つるりとして起伏の少なくなっている少女の背中は、まるで白磁のよう。

 これが傷ついていた方が良かったなどとは、彼方には逆立ちしても言うことは出来ないだろう。

 

 

 

「……そうですよね。ありがとうございます、彼方さん」

 

 くすりと、背中を()てくれていた彼方に届くか届かないかくらいの小さな声で微笑むと、潮は彼方に背中越しに視線を向けた。

 

「あの、それじゃあ今度は前の方を……」

「い、いや! あの、それは……困る。というか――」

 

 彼方を試すように見るその瞳に、彼方は慌てふためく。

 ただ傷痕の確認をするためとはいえ、潮の身体を邪な目で見ないでいられる自信が、彼方にはあまりない。

 

 とは言え仮に邪な目で見ずにいられたとして、それはそれで潮としても由々しき事態である。

 それに、喜んで見せろと彼方が言うとも思えない。

 そのため、彼方のその反応が見られた時点で、潮としてもある程度の満足はしたようだった。

 

 潮はちらりと舌を覗かせて――冗談です、ごめんなさい。と付け加えると、眠っていた時に来ていた寝間着を再び着直す。

 

 

 

「そう言えば、この寝間着って……?」

「あぁ、それはプリンツの物を借りたんだ。その、下着は……君に合うサイズの物がなかったらしくて……」

 

 そう、先程潮が着直した寝間着というのは、潮の物ではなかった。

 第一部屋も潮の部屋ではない。

 

 一体どういう事なのか、潮は彼方に訪ねた。

 

 

 

「実はね。深海棲艦がこの鎮守府へ攻め込んできたんだ」

 

 

 

 彼方は潮達が出撃している間にこの鎮守府に起こったことを、潮に説明した。

 

 吹雪達の奮闘と、新しい仲間、大鳳の建造。

 そして、姫級と思しき深海棲艦との激闘の末に、敵を無事退けたこと。

 その際に撃ち落とした敵艦載機が鎮守府の建屋に墜落し、建屋の一部が損壊したこと。

 損壊したのは彼方の私室が主で、隣り合った霞と潮達の部屋だった。

 

 しかしその後艦載機に積み込まれていた爆弾が爆発し、彼方の執務室等も根こそぎ吹き飛ばされ、その消火作業等にかなりの時間を要した。

 実際には鎮守府の司令部としての機能をほぼ喪失した、と言っていいほどの被害を受けてしまっていたという訳だ。

 

 つまり彼方が司令部を工廠に移していなければ、今頃彼方は死んでいた。

 その事に気づいた大鳳が自身の解体を望んで工廠に走り出したのを、必死で彼方が引き留めたのは余談であるが。

 

 

 

 とにかく今は妖精達によって応急措置を終え、無事だったプリンツ達が使用していた建屋の端の方の空いていた部屋を各自使用しているということだった。

 

「だから、潮の私物はもうほとんど焼けて残っていないんだ。ごめんね、潮」

「いえ、そんな! 潮の還りたい場所は彼方さんの所だけですから……。彼方さんが無事で、本当に良かったです」

 

 心の底から潮がそう思ってくれているであろうことを、その手に伝わる潮の手のぬくもりから感じ取った彼方は、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 まさか潮がこのことで彼方を糾弾するなんてことはないだろうと思ってはいたが、実際に言葉で聞いてみないと不安なものである。

 

 彼方だって、多くの思い出の品を失ったのだ。

 それなり以上の喪失感はある。

 もっとも、命と比較できるほどの物は一つもない。

 今はこうして仲間全員と無事に今回の戦いを乗り越えることが出来たという歓びの方が勝っていた。

 

 

 

「……ところで、潮。身体の方に違和感はない? 傷がないのは、確認させてもらったけど……他には、何か異常があったりは――」

「……? 異常、ですか?」

 

 彼方は、一頻り彼方達を取り巻く現状を話した後に潮が一定の落ち着きを見せたことを確認し、潮が目覚めてからずっと気になっていたことを訪ねてみることにした。

 

「いえ、特には……。えっと、何か?」

 

 潮は、彼方が何を気にしているのか全く分からない様子で首を傾げる。

 どうやら、本当に何も違和感を覚えていないらしい。

 

 

 

「そっか。でも、それが自然なのかな……? 潮、君は今回の大怪我から復帰する際に、改二になったんだ」

 

 改二――艤装の修理だけに留まらず、大幅な改装が行われた結果。

 その改装は、ただの改とは違って、艦娘の肉体にも大きな変化をもたらす。

 

 霞も元々彼方が出会ったばかりの頃は今のようなある程度の成熟をした少女のような姿ではなく、未成熟な少女の姿だった。

 

 今の潮は元より豊満な胸元はともかく、四肢は以前よりもしなやかに伸び、全身の肉付きもメリハリがつき、より女性的な印象を持たせた少女へと姿を変えているのだ。

 

 幼さの残っていた体つきや顔立ちが、すっかり女性として魅力的な物へと変貌を遂げていた。

 

「………………えっと?」

「……うん?」

 

 潮は、今一現在の自分と今までの比較することが出来ないのだろうか。

 その首を傾げたままだ。

 

 確かに、ベッドに座っていては、その身体の変化は分かりにくいだろう。

 

「手を貸すから、立ってみようか」

「ん……はい。ありがとうございます」

 

 彼方は潮の手を再び握ると、潮が立ち上がるのを手伝う。

 

 手伝うといっても、潮の傷は既に癒えていて、日常生活に支障はない範囲にまで回復しているため、然程苦労することなく潮も立ち上がることが出来た。

 

 以前は顔を上に向けて見上げなくてはならないほどに大きかった彼方との身長差が、今は目線を上げればなんとか彼方の顔を見ることが出来るようになっている。

『(身長が低めの)女性と男性』で通りそうなくらいの身長にまで伸びた、ということだ。

『子供と大人』ではない。

 

「わ、ぁ~……。本当に、潮、大きくなってます」

「うん、そうだね。元は僕の胸元くらいに顔があったものね」

「はい。これなら、もう彼方さんと並んで歩いてもおかしくない……ですよね?」

「ん? まぁ、もともと別におかしくはなかったけど……」

 

 彼方の間の抜けた返しに、潮は頬を膨らませると、更に一歩、彼方に密着するほどに近づいた。

 

 

 

「彼方さん。()、大きくなってます」

「う、うん。そう、だね?」

 

 彼方はその無言の圧力に圧され、首を縦に振ることしか出来ない。

 潮は、更に彼方との距離を詰めてくる。

 

 二人の間の距離はもはや密着する程、ではない。

 

 

 

「改二、だそうです」

「……うん」

 

「私……深海棲艦と戦っていて、あれ程深海棲艦が恐いって思ったのは今回が初めてでした」

「っ……そう、だよね」

 

 彼方は、とつとつと溢れてくる潮の独白を、ただ潮の――大きくはなったもののまだまだ――小さな身体を抱き留めて受け止める。

 

「……ですけど。私は、彼方さんがまたあの敵と戦って欲しいって言うなら、何度だって戦います」

 

 ぎゅっと、彼方の背中に回された潮の腕に力がこもる。

 

「どんなにこの身体が傷ついても、構いません。……だけど、それでも私は決して沈みません。私が、彼方さんを守ります。絶対です」

 

 襲い来る外敵から、仲間を失う恐怖から。あらゆる彼方を脅かす驚異から、潮は彼方を守ると誓っていた。

 

 潮が新たに手に入れた力は、そのためのものだ。

 潮の能力とその誓いによって最適化されたこの力は、それを可能とするだけの潜在能力を秘めている。

 

 

 

「……ですから。彼方さんは、その分()にもっともっと甘えさせてくれなくちゃいけないんです」

「うん……うん?」

 

「潮がここ(・・)に還ってきたくなる気持ちが強ければ強いほど、皆が無事に鎮守府(ここ)に戻ってこられる確率が上がりますから」

 

 それは、確かにそうなのだろう。

 潮は彼方の艦隊の守りの要だ。

 潮が仲間を護ってくれることで、他の仲間が安心して攻勢に出られ、結果として全体の生存率が向上するというのは、間違いではない。

 

 

 

「……ですから、彼方さん。頑張った潮に、ご褒美をください」

「えっと、それはもちろん、今回本当に頑張ってくれた()には、僕に出来るだけの労いはさせてもらうつもりだけど――」

「ダメ、です」

「えっ」

 

 

 

「彼方さんの皆さんと平等に接したいという気持ちは潮にも分かります。でも、それとこれとは話が別です」

 

 ずいっと、じとっとした瞳で潮が彼方を見つめる。

 潮が言っているのは、提督と艦娘の間での話ではないのだから、彼方のそんな言葉で納得する筈がない。

 

「――だって。彼方さんは、潮がこれから彼方さんにしようとしてること。鎮守府の皆さんとするつもりなんですか?」

 

 じっとりとした責めるような瞳から、一転して物欲しそうな潤みきった瞳で、潮が彼方の頬にその手を添えて、彼方のことを真っ直ぐに見つめる。

 

 

 

 そっと窓を締める直前に吹き込んできた往生際の悪い海風は、二人の頬には殊更冷たく感じられたのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

これから今回の戦闘の事後処理等入りまして、終章に突入する予定です。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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表と裏

いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 変わり果ててしまった自室だった筈の空間を横目に通り過ぎて、今回の敵艦載機墜落による被害が最も大きかったという執務室へと、彼方はやってきていた。

 

 霞達の入渠が完了し、潮が無事に目を覚ましたことで漸く一定の落ち着きを取り戻すことが出来た彼方は、早急にこの鎮守府の被害状況の確認と、今回の戦闘の報告を上官である楓にしなくてはならなかったからだ。

 

 しかし今の彼方の手元にあるのは、艦娘との音声通信に使用する通信機一つだけ。

 長距離のデータ通信や戦闘ログの管理を担っていた装置は、全て執務室に配備されていた。

 そのために、少しでも無事な機材がないかと彼方自らの足で探しに来てみたのだが……。

 

 

 

「……部屋って言えるほどの原形も留めていない、か」

 

 実際にやって来てこの目で見てみれば、確かに神通から聞いていた通りの酷い有り様である。

 見渡す限りの瓦礫の山、山、山だ。

 火災は妖精達によってすぐに消し止められ、崩落の危険性がある箇所の補修は既に行われていたために、鎮守府の建屋その物が大事に至るような損害ではなかったのだが、その際に邪魔になった瓦礫が一ヶ所に集められていたことで、その山一つ一つが彼方の身長を越えるほどの大きな山となっていた。

 

 これでは目的の装置がどこにあるのか、そして仮に見つけたとしてそれが目的の装置であるのかなど、彼方では到底わかるはずもないし、仮にわかったとしても起動することは出来ないだろう。

 

「参ったな……なんて、大鳳の前では口が裂けても言えないけど……」

 

 だが、実際困ったことになってしまった。

 

 戦闘ログがなければ、彼方が今回戦った姫級の存在も、証明することが出来ない。

 

 姫級は彼方達人類にとっても、霞達艦娘にとっても、非常に大きな脅威だ。

 姫級が彼方の前に姿を現した以上、今後は彼方以外の提督の前にも彼女達が現れるようになる可能性は高い。

 

 本当に彼方が最初かどうかはわからないが、実際に姫級に遭遇した提督として、彼方にはその存在を公にし、その危険性を周知させる責任がある。

 

 

 

「……まさか、姫級が自分達の情報抹消を狙ってここに?」

 

 あり得ない話ではない、のだろうか。

 

 

 

 存在は噂されているのに、姫級の存在が確定していないのは、確たる証拠がないからだ。

 

 今まで姫級と戦った提督や艦娘の悉くが敗れてきていたのならば――

 

「……ん?」

 

 目の端にチラリと白い何かが翻る。

 

 彼方が近づいて見てみると、そこには瓦礫に挟まれて、端の方が少し焦げついた小さな白い布がはためいていた。

 

「これは……」

 

 執務室内にはこんな布はなかった筈だ。

 彼方は辺りを見回してみるが、この布の切れ端は他にはどこにも見当たらなかった。

 代わりに見つけたのは――ぽっかりと口を開けた――妖精達によって造られた装置を仕舞っておくための金庫だった。

 艦娘にすら破壊できないと言われていた金庫なのだが、どうやらそれは誇大広告だったらしい。中身は完全にもぬけの殻となってしまっていた。

 命あっての何とやらとは言うものの、流石にこの状況に彼方は途方に暮れるより他ない。

 

 これで、本当に彼方と霞達がその目で見たものを楓に報告するしかなくなってしまった。

 例え信憑性を裏づけてくれるデータが何一つなくとも、楓は信じてくれるかもしれない。

 しかしその()はどうかと言われると、答えは恐らく否。

 それどころか、鎮守府を襲撃されるという失態を誤魔化すために、自らの手柄を過剰に大きく見せようと大法螺を吹いている等と揶揄され、彼方だけではなく楓までもが恥をかくことになりかねない。

 

 とは言え、今回の件は彼方達の胸の内に仕舞っておくにはあまりにも人類にとって危険過ぎる情報だ。

 結局は楓に相談するしかないだろうと結論付けた彼方は、執務室だった場所を後にした。

 

 

 

 

 

「提督、どうでしたか? 何か見つけることができました?」

「神通。君の言う通り、あの部屋にはもう瓦礫とガラクタしか残されてなかったよ」

 

 彼方は、彼方の艦娘達の待つ食堂へと戻ってきた。

 

 鎮守府の司令部としての機能が失われてしまっている今、そして既にこの西方海域の解放を終えている今。

 

 彼方の艦娘達は、有り体に言えば暇だったのだ。

 そのため特にやることがない限りは、こうして食堂へと集まって待機をしてもらうことになっている。

 

 彼方が肩を落として答えるのを見て、問いかけた神通だけではなく、その場に集まっていた艦娘皆が彼方を気遣わしげに見遣る。

 今この場には、潮と潮についている吹雪を除く全員が座っていた。

 

「じゃあ、やっぱり姫級の事は楓に直接私達の口で報告するしかないって訳ね……」

 

 普段よりも些か力ない声で霞が呟く。

 霞も自分達に課せられた責任の重大さを十分に理解した上で、その責任を果たすことの難しさに頭を悩ませているのだろう。

 

「ですが、ここまで姫級は存在しないと軍が断言している状況で、私達が口でいくら言ったって……」

「ええ。……とてもじゃないけど、信じてなんかもらえないわね」

 

 鹿島が溢すと、霞がそれを肯定する。

 二人も彼方が考えていたことを同じことを考えていたようだ。

 

 やはり、証拠がなければどうやっても信じてもらうことは出来ないかもしれない。

 

 

 

「あぁ、そういえば。提督、鎮守府の補修を終えた妖精達が、西方海域に結界を設置しに出かけて行きました。これが完了すれば、正式に西方海域の解放となります」

 

 思い出したように、というよりはこの場の雰囲気を変えるために神通が彼方に報告をしてきた。

 

「結界?」

 

 彼方は耳慣れないその単語に首をかしげる。

 結界というと、神社やお寺等の中と外を区別していたりする境のようなもの……だっただろうか?

 

「はい。私達艦娘と人間が支配する海域と、深海棲艦の支配する海域とを、明確に区別する不可視の壁のようなものです。この結界があって初めて、海域の解放が成ったということになります。これがなければ、すぐにまた強い深海棲艦が私達の海域に入り込んできてしまいますから」

「……そうなのか。うん、ありがとう。神通」

 

 彼方は説明をしてくれた神通に礼を言って頷くが、その説明にほんの僅かな違和感を覚え、席に座ろうとしていた動きを止めた。

 

 

 

「……えっと、神通。深海棲艦達は自分達が支配している海域に結界を張っていないのかい?」

「えっ?」

 

 彼方の質問に、神通は虚を突かれたように目を丸くし、瞬かせる。

 どうやら彼方の質問は、全くの予想外だったらしい。

 

「カナタ、何言ってるのよ。深海棲艦は『何処からともなく深海から浮き上がってくる化け物』でしょう? そんなことする訳ないじゃない」

 

 ビスマルクが返す指摘に、多くの艦娘達も頷いている。

 

「……彼方?」

 

 霞が何故か不安げに彼方を見つめている。

 彼方は自分のふとした質問に、どうしてここまで霞の不安げな反応が返ってくるのか、全く理解できなかった。

 

(深海棲艦と艦娘は、全くの別物……? 本当にそうなのか? だったらあの吹雪は一体……)

 

「敵側にいた、吹雪ちゃんに似た深海棲艦のこと……ですよね?」

「……あっ……その、ごめんなさい。カナタ」

 

 彼方が何を考えていたのか、あの場にいた鹿島はいち早く察することが出来ていた。

 ビスマルクも遅れてその事に気づき、彼方に謝罪する。

 

「いや、そんな。ビスマルクが謝るような事じゃないよ。ただ……」

 

 

 

 ただ。

 

 

 

 ただ、あの深海棲艦は吹雪に似ていた(・・・・)んじゃない。

 彼女は間違いなく吹雪だったのだ。

 

「鹿島。君には彼女はどう見えた?」

「………………。私には、吹雪ちゃんによく似た……ですけど、全く違う異形の化け物に見えました」

 

 鹿島は少しだけ逡巡する素振りを見せながらも、はっきりと断言した。彼女を化け物だと。

 その瞳には、彼方に何かを訴えかけているようだ。

 いや、彼方にもそう(・・)見て欲しい、見るべきだということか。

 

「アレは確かに吹雪ちゃんによく似ていました。ですけど、吹雪ちゃんは今鎮守府(ここ)にいるじゃないですか! どうして彼方くんがそこまであの深海棲艦の事を気にするのか、私にはわかりません……」

 

 顔を俯けた鹿島の表情は、彼方には窺い知ることは出来ないが、少なくとも彼方や艦娘の(・・・)吹雪の事を想って悲しんでくれている事は間違いではないだろう。

 彼方は鹿島にそこまでの心配をかけてしまっていることに申し訳ない気持ちで一杯になるが、彼方はそれでもどうしてもあの深海棲艦の吹雪が彼方の知っている吹雪と同一人物であるように思えてならない。

 

「……ですが。あの深海棲艦からは、感情が……提督への強い想いがあったことは、確かだったと思います」

 

 他の艦娘達が深海棲艦が化け物だと断じていた中、一人考え込むように黙りこんでいた大鳳が言葉を発する。

 

「少なくとも彼女の提督に対する想いにだけは、嘘偽りはなかった。……ですが私達の敵か味方かで言ってしまえば、間違いなく敵だと断言できます」

 

 大鳳は鹿島と違い、深海棲艦の吹雪が吹雪本人だという可能性もあることを認めたが、それでも深海棲艦である以上はどうあっても敵である、という意見のようだ。

 

 

 

「……彼方は、その深海棲艦がもし本当に吹雪だったのなら、どうしたいの?」

 

 霞が、すがるように見上げてくる。

 

 

 

「僕は――」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

『……で、これはどう言うことだ。シマカゼ? 私はイセを姫級として迎えるつもりだったのだが』

 

『うーん、だって。この子の方がずっと速そうだったから……じゃ、ダメですか?』

 

『……確かに結界の強さは認めるがな。だが、彼女は『艦の記憶』が少なすぎる。そのために呼び出せる仲間達も皆傷ついた者達ばかりだ』

 

『でもでも、あっちの艦娘モドキを三つもあとちょっとで沈められそうなところまで追い詰めたんですよ?』

 

『……三隻か。しかも内一隻は装甲空母だったな。……初陣でその戦果は大したものだ。欲を言えば相手を沈めてこその戦果と言いたいところだが……』

 

『でしょでしょ?』

 

 

 

 ……ああ、うるさい。

 私の頭上で何をごちゃごちゃと話しているのよ。

 

 

 

 私は彼方君を連れていこうとして、失敗した。

 ナガトとか言うヤツが私を認めなければ、私はもう彼方君に会うことも出来ずこのまま――

 

『あ、カスミ起きたの?』

『ようやくか。一度に力を使いすぎたな』

 

 目を開けてみれば、私を二人の深海棲艦が覗き込んでいた。

 一人はすぐにわかった。シマカゼだ。

 だとすれば、もう一人が……

 

『アンタがナガトなの?』

『そうだ。私はナガトという。よろしく頼む』

 

 簡潔に、私やシマカゼからすれば大人びて女性的な特徴が際立っている深海棲艦は首を縦に振ってそう答えた。

 側に控えているのはナガトの艤装だろう。恐ろしい程に屈強な体躯をした艤装が立っている。

 

 

 

『……で、私から姫の因子を取り上げに来たのかしら?』

 

 そう問いかけた私の瞳を、ナガトは真っ直ぐと見返してくる。

 恐らく私の真意を計っているのだ。

 私の内にあるのが、恭順か……叛逆か。

 

『……ふむ。貴様、自分では私に勝てないとわかっているな?』

『っ……。それが何よ』

 

 そんなことは、言われなくてもわかっている。

 私の艤装と言えるものは、この左腕だけ。

 私の海を広げたところで、同じ深海棲艦であるこいつには通用しない。

 

 つまりどうあっても、私に勝ち目はない。

 

 私は苛立ちを隠すことなく、ナガトに叩きつけるように宣言した。

 

『……それでも、私は諦めない! 彼方君を手に入れるまでは、私は死ぬわけにはいかないのよ!』

 

 せめて声だけは精一杯張り上げる。

 気持ちだけは、負けない。

 

『早とちりするな。私は別に貴様から姫の因子を奪い取るつもりはない』

 

 いつでも飛びかかれるよう構えたところで、ナガトから思いもよらない言葉が飛び出してきた。

 

『……どういうことなの?』

 

 私は今回、誰も艦娘モドキを沈めることが出来なかった。

 だというのに、私から姫の因子を奪わないとは。

 

『不服か? 勘違いしないように言っておくが、別に貴様のために生かしてやる訳ではない。純粋に貴様の存在が深海棲艦(私達)にとって有益だから生かしておくというだけだ』

『そうそう。カスミはとっても強かったよ!』

 

 ナガトの言葉に続き、シマカゼもその身を大きく乗り出して私を称賛してくれていた。

 

『……そう。なら、私はまだ彼方君を手に入れるチャンスがあるのね』

 

 私は二人が私の力を認めてくれたという事実を喜ぶこともなく、頭に浮かんできた大切な人の顔だった。

 

 私の愛しい、私の光。

 

 

 

『……朝霧、カナタか。……ふむ』

『私アイツ嫌ーい! だってアイツ――』

 

 ナガトの初めて見せる不可思議な表情と、シマカゼの嫌悪感を露にした表情。

 

 それは、私からしてみれば全く理解できない反応だ。

 

 あれほど眩しい力に溢れた人はいない。

 私を深い闇から救いだしてくれる、私の希望。

 

 それが、あの――アサギリ彼方……彼方君だっていうのに。

 

 

 

 ……だから、私は続けてシマカゼの口から飛び出してきた言葉が、信じられなかった。

 

 

 

 信じたくは、なかったのだ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

『……その話、信じていいのね?』

「はい、鎮守府襲撃の際にデータは全て失われてしまいましたが……紛れもない事実です。僕達は姫級と交戦しました」

 

 そう、と――溜め息混じりに溢れた相槌を最後に、楓の口が閉ざされた。

 

 

 

 海域に結界を無事に張ることができた妖精達は、次に通信設備の復旧に当たってくれたのだ。

 休む間もなく献身的に働き続けてくれている妖精達には、本当に頭が下がる思いだが、機密が過ぎるこの話題を楓とするためには、一般の電話回線は使うことは出来ない。

 

 ここでも妖精の技術がもたらしてくれる暗号通信技術が必要となってしまっていた。

 

『確かに、西方海域の解放はこちらでも確認できているわ。神通もついていてそんな虚偽の報告をしようだなんて馬鹿な事は考えない筈だし。……しかし、だとしたらとんでもない爆弾を持ってきてくれたものね……』

「すみません。まさか僕もこんなことになるとは……」

 

 秘匿回線とは言え、軍の内部の誰が聞いているかわからない。

 吹雪の顔をした深海棲艦の話等は伏せ、重要な点のみを伝えたのだが、どうやら楓もその内容の荒唐無稽ぶりに頭を抱えているようだった。

 

 

 

『別に貴方の所為ではないわ。知っているでしょう? ――姫級はどこに現れるかわからない』

 

 

 

 だから、貴方の前に現れたのは、貴方の運が悪かったってだけよ。

 

 

 

『……でも、そんな冗談みたいな中で全員無事に生き残っていてくれた(・・・)のね……』

「えっ?」

 

 彼方は楓の漏らした言葉に驚き、ついつい聞き返してしまった。

 

 普段厳格で辛辣な印象すらある楓の口から、心から彼方達全員の生還を喜んでくれていなくては出てこないような言葉が出てきたことに、驚いてしまったのだった。

 

『……え、って何よ? 私の大切な友人や弟みたいに思ってる奴が生きていてくれて、私が喜ぶのは可笑しいかしら?』

「お、弟……ですか?」

 

 

 

『………………何かしら?』

 

 

 

「いえ、あの……楓さんは、てっきり僕の事はあんまり――」

『確かに面白くなかった時期はある。それは否定しないわ。お爺様は私よりも貴方の方に期待を寄せていらしたしね。……だけど、戦場と鎮守府の往復を繰り返していた当時の私にとっては、提督でもないただの子供の貴方は唯一日常を思い出させてくれる存在でもあったのよ』

 

 ここにきて、楓から初めての事実を聞かされてしまった。

 樫木提督が病気で亡くなってしまってからは、彼方の後見人を押し付けられ、戦場からは遠ざけられ、楓は随分と窮屈な思いを続けていたのだと彼方は思っている。

 

 楓の中に自分の事を良く思っていない部分も多くあったと思っていた彼方は、普段から心苦しさを感じ続けていたのだ。

 

『……だから、貴方が提督として立派に責務を果たしてくれたことを、私は誇りに思っているわ』

「楓さん……ありがとうございます」

 

 彼方は胸の奥が熱くなる思いで、楓に通信機越しではあるものの、頭を下げた。

 

 楓に貰えたその言葉で、彼方はようやく自分が一つの修羅場を潜り抜け、一人前の提督になれたように思える。

 

 これから、彼方はさらに力をつけなくてはならないのだ。

 

 

 

 彼方は鎮守府の皆に宣言したのだから。

 

 

 

「楓さん。僕は……僕は姫級と戦います」

 

 

 

(……必ず僕がこの手で吹雪を取り戻すんだ!)

 

 

 

 姫級と戦うということに嘘はない。

 あの吹雪は言葉だけでは止まらないだろう。

 

 それは彼方もわかっている。

 

 何せ深海棲艦と艦娘は相容れない存在だ。

 決して混じることのない水と油のように。

 

 だが。それは恐らく、艦娘と深海棲艦が『表裏一体』の存在だからなのだ。

 

 深海棲艦の吹雪と、艦娘の吹雪。

 

 そのどちらもが彼方の知る吹雪であるのならば。

 

 それは深海棲艦と艦娘が、元を辿れば同じ存在なのだという結論に辿り着く。

 

 

 

 艦娘と繋がることが出来る彼方なら。

 深海棲艦の持つ怨嗟を断ち切ることが出来たのならば、或いは深海棲艦とも繋がることが出来るのではないか。

 

 それがどれだけ難しいのか。それともそもそも不可能なのか。

 それは彼方にはわからない。

 

 それが本当に鎮守府の皆に命懸けでやってもらわなくてはならないことなのかと、自問自答しても即答できる問題でもない。

 

 だが、あの(・・)吹雪は彼方に助けを求めていた。

 だから彼方は自分に出来る、ありとあらゆる手を尽くして彼女を救い出さなくてはならないのだ。

 

 それが彼方の、彼方の提督としての――

 

 

 

 

 

『――ダメよ。貴方達は直ちに私の所に戻って来なさい。これは命令よ、いいわね?』

 

 

 

「……はい」




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです。


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帰途

本当に久し振りの更新となってしまいました。
お待ちいただいていた皆様には申し訳ありません。

完結までは何とか少しずつでも続けていくつもりですので、お付き合いいただけましたら幸いです。


 西方海域にやって来た時と同じように、彼方は一度は戦場を共にした事もあった小型舟艇に乗って、ほんの数ヶ月ぶりではあるものの懐かしい故郷へと帰ってきた。

 船室の窓から望む、四角に切り取られ絵画のようになった風景が、彼方の内にある郷愁の念を煽る。

 

「街、見えてきましたか? 彼方くん」

「うん、大分ね!」

 

 意識していたわけではないのだろうが、いつもよりも少しだけ弾んでいた彼方の声に、鹿島は彼方に気づかれぬようにこっそりと笑みを溢した。

 

「そういうところはまだまだ、子供みたいですねー」

「……本当に? そんなにはしゃいでたかな?」

「ええ、ほんの少しだけですけど。……うふふ、でもいいんですよ? 彼方くんのそういう素直なところ、素敵だと思いますし、可愛くて私は大好きですから」

「それは……。ありがとう、でいいのかな。男としてはどうかと思わないでもないけど……」

 

 にこにこ顔で微笑む鹿島が、冗談で彼方のことをからかっているわけではなく、本心からそう言ってくれているという事がわかっている彼方は、素直に礼を言うことにした。もちろん可愛いと言われて礼を言うのは、照れ臭いことであるのは間違いないのだが、だからと言って鹿島の言葉を意固地になってまで否定する気にもなれないのは、彼女の笑顔を見てしまえば仕方のないこと……の筈だ。

 

 だから彼方はそれ以上口を開くことなく、黙って四角く切り取られた故郷へと再び目を向けることにした。

 鹿島も彼方に気を遣ってくれたのか、それ以上は何を言うでもなく、操船に戻ってくれたようだ。

 

 

 

 舟艇が波を掻き分ける音と、海風が吹き抜けていく音だけが彼方の耳朶に触れる。

 

「………………」

 

 静かになったらなったで、何となく手持ちぶさたとなってしまった彼方が船室に備え付けられた時計を確認してみれば、時刻はそろそろ正午といったところになっていた。

 彼方はそのまま船室の中をくるりと見渡す。今現在この船室にいるのは、彼方以外では西方海域からついてきてくれた何人?かの妖精達と、鹿島だけである。

 その妖精達は何やら海域図の上に集まって、ああでもないこうでもないと話し合い?をしているように見える。

 鹿島は彼方と目が合うと、僅かに目を細めて微笑みかけてくれた。

 

 航路の選択や舟艇の操舵の補助を担当してくれていた鹿島以外の艦娘達はと言うと、小型舟艇の周囲に展開し、哨戒と護衛の任務にあたってもらっているのだ。

 楓の命令を受けてからそれほどの猶予もなく出発し、更に数日間かけての長旅となってしまったために、彼女達には中々神経を使う旅になってしまっていただろうが、幸い一度として戦闘をすることなく、無事に目的地に辿り着けそうだ。

 人類の制海圏のみを通っての帰還だったとは言え、もちろんそれでも敵に遭遇する可能性がゼロというわけではない。

 特に、彼方は『どこにでも現れる』と言われている姫級にも実際に遭遇してしまっているのだ。ここが人類の制海圏だからと言って、楽観視出来よう筈もないだろう。

 

 そんな中、彼方の故郷でもある楓の鎮守府へ、誰一人傷つくことなく無事に帰還出来そうなところまでどうにかやって来ることができたのだ。

 そうした事情もあり、道中緊張状態が続いていた彼方の様子を間近で見ていた鹿島は、ここに来てようやく緊張が解れてきた彼方の様子を見て、心の底から安堵してくれていたのが、彼女の柔らかな笑顔を見た彼方にも理解できた。

 

「ありがとう、鹿島」

「これも補佐艦の役目……というか、役得ですからね」

 

 そうして悪戯っぽくウインクをする鹿島に、つい照れ臭くなった彼方は、とうとう目的地が肉眼で確認出来る位置にまで近づいてきたこともあり、一度船室を出てみることにした。

 

「ん……えっと、鹿島。少し外の様子を見てくるから、ここをお願い」

「うふふ、わかりました。操舵は任せてくださいね!」

 

 快く彼方を送り出してくれた鹿島を残し、少しだけ熱を持った頬を片手で押さえながら、彼方は船室を出るための扉を開けた。

 

 

 

「――っ」

 

 びゅうびゅうと、思っていたよりも強かに吹く風が、彼方の頬を荒っぽく撫で付けていく。

 

 船首の方へとやってきてみると、心地好い海風が感じられる。いつの間にか船室から一緒についてきたらしい彼方の肩の上に乗った妖精も、どこからか取り出した双眼鏡を覗き込んでいる。

 彼女?も新しい居場所が気になるのだろう。

 彼方がこうして古巣を捨てて自分についてきてくれたことに感謝の意を込めて、頭を指先で軽く撫でてやると、くすぐったそうに身をよじる。気分を害してしまった訳ではなさそうだが、妖精は彼方の肩を飛び降りて船首の先端の方へと走っていってしまった。少し気安過ぎただろうか。

 

 未だに何を考えているのか、喋っているのかは理解できない部分が大半ではあるものの、あの戦闘がなければ、彼方が妖精達とここまで近づくことは到底出来なかっただろう。

 その点において言えば、あの戦闘も悪いことばかりではなかったのかもしれない。

 

『……そろそろ私も舟を降りなくてはいけませんね。彼方くん、操舵をお願いできますか? 私は皆を呼び戻してきますので』

「うん、わかった。よろしくお願いね、鹿島。皆、そろそろこの舟の近くまで戻ってきてくれるかな?」

 

 船室へと戻り、彼方は鹿島の要請に応えて舟艇の操舵を交代する。とは言えもう目的地は目の前。ただ舟を真っ直ぐ進めるだけだ。

 彼方が操舵を代わりながら通信機越しに艦娘達に指示を伝えると、仲間達からは一様に元気な返事が返ってきた。皆長旅の疲れをまるで感じさせない、明るい声だ。突然の帰還となってしまったが、どうやら艦娘達に大きな不安はなさそうで、彼方はまた少しだけほっとした。

 

 

 

『ねぇ、プリンツ! あれがカナタの生まれ育った街なのよね?』

『はい、そうらしいですよ! むむ……まだ遠いですけど、電探に沢山の艦娘の反応がありますよ、ねえ様! あの辺りに吹雪ちゃん達のいた艦娘とアドミラルの学校があるんでしょうか?』

 

 かしましいドイツ艦達の会話に耳を傾けながら、前方に見えてきた鎮守府の、その変わらぬ懐かしい佇まいに安堵の表情を浮かべる。

 何せ自分達が旅立った鎮守府は、訪れた時と比べて変わり果てた姿になってしまっていたのだ。

 それを提督として未熟な自分の責任だと強く感じていた彼方にとっては、色々な意味で溜め息の出る光景だった。

 

『ええ、そうよ。あれが私達の暮らしていた鎮守府。今は艦娘や提督の育成を行う訓練校としての側面の方が強いけれどね』

『楓に直接会うのは本当に久しぶりですね。私は、あまり教艦には向いていないようでしたから……』

『あぁ……懐かしいですね。もうやめてくれと泣き叫ぶ崩れ落ちた生徒達と、それを立ち上がるまでただ黙って眺める笑顔のままの神通さん……。あれは、そう。まるで――』

 

『――地獄、だったわね……』

『――地獄、でしたね……』

 

 彼方と同様に懐かしい鎮守府を前に三人揃って表情を緩めていたであろう筈の霞、神通、鹿島だったが、掘り起こしてはならない記憶まで掘り起こしてしまったのか、霞と鹿島の声に苦悶の色が混じる。

 その声音からは、当時の惨劇がありありと思い出されるようで、彼方は前方に小さく見える彼女達の影を背負った背中から目を逸らさずにはいられなかった。

 

 

 

『あ、いえ、神通さん! わ、私だって、鬼教艦って訓練生達には呼ばれてましたから!』

『霞ちゃん、それは自慢するような事じゃないんじゃ……。――でも、神通さんが教艦に向いてないなんてことは、ないと思いますよ? ね、彼方くん?』

 

 鹿島の取り成すような言葉に、しかし彼方は迷うことなく頷いた。

 

「うん、勿論だよ。今こうして皆揃ってここに帰ってこられてるのも、神通の訓練があってこそのものだしね」

 

 特に潮はそうだと言える。

 あとほんの少しでも練度が低ければ、そして運が悪ければ、彼女は今ここにいなかったかもしれない。

 それを思えば、神通が教艦に向いていないだなんて、彼方には考えることが出来なかった。

 

『そ、そうですか……? 実を言うと、少しだけ気にしてはいたんです。当時私の課した訓練で提督を諦めることになってしまった候補生達は、かなりの人数でしたから……』

『あれはなるべくしてなった結果ですよ。もしあのまま提督になっていたとしたら、彼らはあっという間に御自慢の(・・・・)艦娘達を失っていたと思います』

『当時はまだここの工廠から生まれていない娘も受け入れてたから。既に実践経験済みの艦娘を連れてきた奴らもいたのよねぇ』

 

 当時はまだ、既に提督として名を上げていた人物の子息や権力者の子息がやって来る際、親や他所の提督に仕えていたベテランの艦娘を貰い受けて、『艦娘付き』で入学してくる候補生達が多かったそうだ。

 そう言った人物は、提督としての資質はそれなりに持ち合わせていても、大抵はその資質以上に増長し、周囲の候補生を見下し軽んじる傾向が強かった。

 

 その為当時教艦に就いていた神通は、その艦娘達を通して、彼らに身の程を知らしめてしまったらしい。

 勿論、神通としては完全に善意の上での行動だろう。提督としてやっていくためには、慢心は絶対にあってはならないことだと、身をもって教えただけに過ぎないのだから。

 だが神通のその行動が、候補生達のちっぽけな自尊心を、完膚なきまでに破壊し尽くしてしまったのは言うまでもない。

 

『結局訓練校を退学してコネで無理矢理提督になったと思ったら、彗星のように消えていったわね、あいつら』

『まぁ、当然の結果と言ってしまえばそれまでですけれど』

 

 事も無げに続ける、我らが教艦二名のドライな反応に、彼方は苦笑いを浮かべるより他はない。

 

 

 

『提督というのは、やはり貴方のような方ばかりではないのですか?』

 

 霞達の会話を聞いて、驚き戸惑ったように声をかけてきたのは、彼方の艦娘となって最も日が浅い、大鳳だ。

 

「うーん……確かに訓練校ではちょっとだけ浮いてた、かも……?」

 

 何せ彼方には、提督の訓練生だった友人は、たった一人しかいない。

 唯一の友人と言っても何ら差し支えない日引太一という存在がなければ、常に霞と鹿島に挟まれていた彼方は、周囲から更に奇異の目を向けられることになっていたであろうことは、想像に難くないだろう。今思えば、彼方の訓練校生活は、太一には相当に助けられていた。

 卒業間際に起きたある騒動によって、別れの挨拶一つすることは出来なかったが……。

 

 横道に逸れた彼方の思考を引き戻すように、大鳳に霞とプリンツが応える声が耳に届いた。

 

『大鳳。彼方みたいな提督は、この国のどこ探したって居やしないわよ』

『そうそう、ドイツにだってカナタくんみたいな変わったアドミラルはいませんよー』

『えっ……そうなんですか? やっぱり……一般的な提督は、深海棲艦と話をするためや、危なくなった艦娘を助けに自らが海に出てきたりは――』

 

『――しないわよ? いたらそいつは既に死んでるわね』

『――するわけないじゃないですか? 自殺志願者でしかないですよ、そんなの』

 

 切り捨てるような二人の言葉。

 だが、そんな二人の多分に棘の含まれた言葉とは裏腹に、その声音にはどこか誇らしげに、大鳳には感じられた。

 

『……そうですか。ですがそんな提督だからこそ、提督は皆さんにこれほどまでに慕われているのですね』

『そうよ、わかっているじゃない。彼方には、私達全員が揃っていなくちゃダメなのよ。誰一人欠けてはならない。もちろん貴女も、その一人なのよ、大鳳』

 

 霞が優しく諭すように、大鳳に言葉をかける。

 

 ……確かに、あれは我ながら命を投げ棄てるような行いだったのは否定のしようもない。

 ただ、不思議と確信が持てたのだ。彼女(吹雪)は彼方自身に決して危害を加えないと。そして、彼女が彼方の仲間の艦娘を本気で殺そうとしていることも。

 だから、彼方は自ら深海棲艦となってしまった吹雪を出迎えた。全員が揃って無事に生き残るために。

 

『……提督。一般的な観点から言えば、貴方のあの突飛な行動は、指揮官としては自覚が足りていなかった迂闊な行動であったのだと思います。もしそれで貴方が死んでしまえば、私だけではなく、貴方を含めた鎮守府の仲間皆が死んでいたのですから。本来であれば、あの場面なら私を切り捨てるべきでした。ですけど、貴方は自らの命すら厭わずに私を助けてくれました。

 私は、一兵士としては失格かもしれませんが……本当はそれがとても嬉しかったんです。提督という存在は、これ程までに艦娘にとって大きなものなのかと。提督にとって艦娘()は、命を懸けるに値する存在なのかと。ですが、それは貴方が提督だからではなかったのですね。私の提督が貴方だったからこそ、私はあの戦場を生きて還ることが出来た』

 

 大鳳が、その想いを吐露する。

 自らの想いを確認するように少しずつ吐き出されたその想いは、戦いの最中(さなか)からずっと大鳳の中に燻っていた、複雑な感情そのものだ。

 戦闘の真っ只中に生まれ、直ぐ様戦禍に巻き込まれ、そして命からがら生き残った。

 

 戦うために生まれた艦娘が、その宿命のままに生まれ、戦い、沈む。

 たった一日でその生を終えるかと思われた大鳳は、しかし一人の人間の手によって生き長らえることとなった。

 それも、大鳳を戦いに放り込んだ当人の手によって。

 

「あはは……そんなに大逸れたことをしたつもりはないんだけどね。でも、大鳳の命が僕の命より軽いなんてことは、ある筈がないんだ。僕の艦娘として、君が生まれてきてくれた以上、君は僕の欠けがえのない仲間だ。僕の手が届く範囲にいるのなら、命を懸けてでも助けようとするのは、当たり前の事だよ」

 

 その結果、失敗して全滅する恐れがあるのは承知の上だ。

 だが、彼方はそれを理由に、仲間を見捨てることなど出来はしない。どんなことがあったとしても、仲間全員揃っての勝利を諦めない。彼方と、そして霞達の望む提督であるために。

 

 それが、彼方の目指す提督だった。

 

 

 

『――彼方、前方から所属不明の艦娘が接近してくるわ! 何よこいつ……あり得ない! とんでもない速さじゃない!』

 

 突如船室に響くけたたましい警報音と共に、霞の驚愕に染まった声が彼方の鼓膜を振るわせる。

 

『そこの所属不明艦、止まりなさい! 直ちに所属と艦名を名乗り、武装解除しなければ、敵性反応と見なして攻撃を開始します!』

 

 鹿島の切迫した声が続く。彼方には何が起こっているのか、全くわからない。何故艦娘(・・)が彼方達を襲うのか、楓の鎮守府に何が起こっているのか。あまりに突然のことで、思考が追いついてこないのだ。わかっているのは、霞達が危険に晒されているということだけ。

 

 ならば、現在彼方にとれる行動は、取るべき行動は、一つだけだった。

 

『不明艦、速度を更に上げました! ……彼方くん!』

「霞、不明艦を敵性反応と断定! 攻撃を許可する!」

『わかったわ! 皆、彼方を守るのよ! ――って、ちょっとアンタまさか!?』

 

霞の上げた声の意味を問いかけようとしたその瞬間。

 

ドンと低く大きな音が鳴り響いた。間違いなく主砲の発砲音だった。所属不明艦との戦闘が始まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは、今まで以上に彼方の理解の範疇を超えた現実が彼方を待ち受けていた。

 

 思わず船室を飛び出した彼方は、目の当たりにした光景に呆然と甲板に立ち尽くす。

 

「そん、な……」

 

 全滅。

 ものの数分で、彼方の艦隊に所属する全ての艦娘があっという間に撃破されたのだ。

 海上に倒れ伏した彼女達を見れば、どんな武装を使われていたのかは一目瞭然だ。

 

「演習用の武装で、実弾装備していた霞達を……?」

 

 演習用の武装ということは、初めからその所属不明艦に彼方の艦娘達を害する目的などありはしなかったということ。

 恐らく霞達はこの艦娘を遣わした何者かに試されたのだ。その実力を。

 

 

 

 そしてその艦娘は、未だどうすることも出来ず立ち尽くしていた彼方の前に超然と現れた。

 

「こんにちは、貴方が朝霧彼方提督ですね! それにしても、貴方の艦娘って皆おっそーいー! あんなのでホントに姫級を戦ったんですか?」

 

 長く美しい金髪を吹き荒ぶ海風に流し、頭の上に兎の耳のように長いリボンを靡かせた、大胆に露出した肌を惜し気もなく晒す少女が一人。心底詰まらなそうな顔をしながら彼方の前に立っていた。

 

「君は一体……誰なんだ?」

 

 彼方の口をついて出た言葉の真意は何だったのか。

 それを彼女は知る由もないが、そんな彼方の言葉にその艦娘は律儀に答えた。

 

 

 

 

 

「私は最速の艦娘、島風! 貴方をお迎えに来ました!」




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。

これにて二章は終了。
次回からは終章となります。

また次回も読んでいただけましたら嬉しいです。


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終章 夕霞たなびく水平線
提督としての矜持


いつも読みに来てくださいましてありがとうございます!

今回から終章、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


 しんとした室内に漂う、ピリピリとした緊張感が彼方を包む。

 

「………………」

 

 ここは、楓の運営する訓練校の応接室だ。

 彼方の掛けている来客用ソファの隣に苛立たしげに立っているのは、彼方の秘書艦である霞。

 そして、この緊張感を生み出す最大の原因となっているのが、机を挟んで彼方達の向かいにいる者達である。

 勿論楓ではない。この部屋の持ち主でもある楓は、再開の挨拶も早々に目の前の人物に締め出されてしまった。それも霞の苛立ちの一因となっていることは言うまでもない。

 

(うーん……。霞が怒るのも、わかるんだけどね……)

 

 彼方とて先の唐突で、しかも一方的に開始された演習に対して思うところがないわけではない。ないのだが、当の演習相手が誰だったのか、分かってしまえば早々に諦めもついた。結果としてたった一人の艦娘に彼方の艦隊が破れ去ったことは覆すことのできない事実でもあるし、己の力不足を指摘されても、全く反論のしようものないことだともわかっていた。

 そのため、彼方は特に抗議することなく自分の艦娘の治療と補給を済ませ、今この場へとやって来ていたのだった。

 

 ところが、既にすっかり落ち着きを取り戻している彼方に対し、霞はそうではなかったようだ。

 今にも怒鳴りつけそうな勢いで、彼方の正面に座る()を睨み付け続けている。

 

「……で、どうしてアンタがここにいるのよ!? 大体どういうつもりであんなことしたわけ!? 答えなさいよ、このクズ!!」

 

 というか、怒鳴りつけていた。

 普段はどちらかと言えば落ち着いていて、彼方の艦娘達のまとめ役を買って出てくれている霞とは思えない怒りようだ。

 やはり霞にとって、この人物には度し難い何かがあるのかもしれない。その事について詳しく聞こうと思ってみたこともあるのだが、決まって霞の機嫌が悪くなるので、あまり突っ込んだ話を聞くことが出来なかったのだ。

 

「いや、だから悪かったって言ってるだろ……。俺だってまさか朝霧を迎えにいかせた筈のこいつがそんな行動取るだなんて、予想できなかったんだよ……。おい、島風。お前何とか言えよ。俺が怒られてるだろうが」

「えー? ちょっと試しただけですよ? もう皆ぴんぴんしてますし、この人達の実力も測れましたし、いいじゃないですか?」

「こっちは実弾装備だったのよ? 仲間に銃を向けられる訳ないでしょう!」

「ふーん? 聞いていたのとは違って、随分とお優しいんですね」

 

 煽るように答える草薙の艦娘――島風と名乗っていた――の様子に、霞の目が普段彼方に見せているものとは比べようもないほどにつり上がっている。余程腹に据えかねたのだろう、これ程まで怒っている霞を見たこと等初めての経験だ。確かに霞が他の艦娘に敗北するところなど彼方は始めて見たのだから、霞としても相当に悔しい結果だったことは疑いようもないが……。

 

「霞、そんなに怒るなよ。お前の実力は俺もよく知ってるから――」

「気安く私の名前を呼ばないで!」

「――とりつく島もなしか。……おーい、朝霧。ちょっとこの猪娘を止めてくれ」

「誰が猪よ!」

 

 草薙の言う通り、これでは会話もろくに進めもしないまま、時間だけが過ぎていくことになる。帝国海軍提督筆頭の草薙が暇な筈もないだろうし、彼方は仲裁役を買って出ることにした。

 彼方は霞の肩に優しく触れ、その手を握る。

 

「……霞、それくらいにしておこう。僕としても島風(彼女)の行動に完全に納得が出来ているわけじゃない。だけど、負けは負けだよ。咄嗟の事に対応が遅れてしまった、僕の責任だ」

「――っ! ごめんなさい、彼方……。みっともないところを見せたわ……」

 

 これ以上無様に喚きたてるのは、敗北を喫した彼方の恥を上塗りすることに他ならないと思った霞は、直ぐ様口を噤んだ。

 

 向かってきた島風の姿を見て驚き攻撃の手を止めてしまった霞、神通、鹿島の三人という彼方の艦隊の司令塔達が真っ先に倒され、その三人が沈むことなく海上に倒れ伏していた時点で相手にこちらを沈める気がないとわかった彼方は、戦意をほとんど喪失してしまっていたのだ。勝ちに拘る必要性を感じなかったのである。ここで無理にでも彼方達が勝利してしまえば、それ即ち島風の撃沈ということになるからだ。

 そのため、残っていた艦娘達には牽制と防御、回避に集中するよう命じたのだが……相手はそんなことはお構いなしに大暴れしてくれた。

 その結果が、彼方の艦隊の全滅だ。つまるところ、敗北の責任は彼方の采配によるところが非常に大きい。

 

 見上げた霞の瞳から険のある光が少しずつ薄れ、次第にすまなそうに眉尻が下がっていく。どうやら冷静になってくれたようだ。

 彼方はほっと一息吐くと、目の前に黙って座っている草薙へと目を向けた。その表情は以前顔を会わせたときと何一つ変わってはいない。相変わらずの自信に満ちた表情に挑戦的な笑みを浮かべたままだ。

 

「それよりも、草薙提督。……貴方は何故この鎮守府にいらっしゃったんですか? まだ訓練生の試験の時期には早いと思いますが……」

 

 草薙は、どこでその情報を得たのか不明ではあるが、恐らく彼方が姫級と遭遇し、戦ったことを確信している。草薙の艦娘である島風の言動から、それは明らかだ。

 そして島風の放った言葉は、これまで公には姫級の存在を認めていなかった筈の草薙が、間接的にとは言え姫級の存在を認めたということにも繋がる。つまりは、これまで草薙は姫級が実在することを知っていながらも秘匿し続けていて、今この時点で彼方に対してだけは秘匿する必要がなくなったということだ。

 

 どうやら彼方は知らず知らずのうちに、相当な軍事機密に触れてしまったようだった。

 

「はっ! 似合わない腹芸は必要ねぇよ。俺は別にお前をどうにかしに来た訳じゃない。そのつもりなら島風は実弾を装備してただろうしな」

 

 草薙は彼方の上辺だけの問いを一蹴すると、彼方を真っ直ぐ見返して重々しく口を開いた。

 

「……朝霧。姫級には手を出すな。今回は、俺が間に合わなかったのにも関わらず、お前が生きていたことそれ自体が、丸っきり奇跡みたいなもんなんだ。西方海域の解放は本当にご苦労だった。並みの提督じゃ越えられなかった激戦だった筈だ。お前は十分によく戦った。後は樫木の下について、この鎮守府を守ってくれりゃ、それでいい」

 

 草薙はゆっくりと、諭すように彼方にそう伝えた。

 それは、純粋に彼方の身を案じていたからこそ出た言葉なのかもしれない。彼方とこうして顔を合わせることが出来たとき、本当に嬉そうにしていた彼の表情からは、嘘を読み取ることは出来なかった。

 

 しかし、例えそうだったとしても、草薙のその言葉に彼方は頷くことが出来ない。

 

「それは、できません」

「……あー……一応、理由を聞いてもいいか?」

 

 上官からの心からの忠言に大人しく首を縦に振らない彼方に、僅かに瞳を鋭くした草薙が問う。

 

「戦った姫級のうちの一人が、僕の艦娘――吹雪だったんです。彼女は僕に助けを求めていた。……だから、僕は――僕が吹雪を助けなくちゃいけないんです!」

「……そうか」

 

 彼方の言葉に言葉少なに頷いた草薙は、目を伏せ、加えていた煙草を灰皿に押しつける。

 その表情は、苦渋に満ちたものであるように彼方には見えたが、彼方としてもこの件は出来れば退きたくはない問題なのだ。上官からの命令であれば逆らうことなど出来ないが、それでもどうにか説得出来ないかと、彼方は考えを巡らせていた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 先程とは打って変わって、カチカチと、耳障りな時計の針が刻む音だけがやけに部屋に大きく響く。

 霞や島風も互いに口を開くことなく、己の信頼する提督の動きをただ静かに待っているようだ。

 

 

 

 そのまま数分間沈黙を守っていた草薙が、ゆっくりと彼方へ目を向ける。

 

「……なぁ、朝霧。深海棲艦ってのは、何だと思う?」

 

 突然の問いかけに彼方は虚を突かれた。

 深海棲艦とは何か。

 人類の天敵、絶体的な悪……そんな分かりきったことは、草薙が求めている答えではないだろう。

 

 彼方は現在持ち得る深海棲艦の情報を頭の中で整理する。

 

 

 

 ――深海棲艦。

 意思のない、人類を無差別に殺戮するためだけに存在する自律兵器。

 そして深海棲艦には人類の持つ兵器が有効ではなく、艦娘の持つ艤装でのみ破壊が可能である。

 数十年前、突如深海から湧き出してきたそれは、圧倒的な物量と人類の持ち得る兵器の悉くを無効化する不可思議極まりない性質によって、瞬く間に人類から海を奪い取っていった。

 艦娘と、艦娘を従える提督という存在が人類の前に現れるまでは。

 

 彼方が訓練校で教えられたのは、そんなところだ。

 ここからは、彼方の経験から補足していくことになる。

 

 基本的な部分では、概ね教えられた情報に齟齬はない。

 深海棲艦は、ある程度の艦隊行動をとることはあれど、明確にその意志が確認できたことは今までなかった。

 ただ決められた航路をとり、敵対する存在があれば攻撃する。それだけを繰り返していたように、彼方にも思えた。

 

 しかし、彼方は姫級と出会ってしまった。明確な意思を持つ、深海棲艦と。しかもそのうちの一人は、彼方の艦娘である吹雪だった。

 ただ見た目が似ているという理由ではなく、彼方の提督としての直感のようなものが、あれは吹雪本人だと彼方に確信させていた。

 

 

 

 艦娘の吹雪と、深海棲艦の吹雪。

 提督として、全く同様の繋がりを感じることが出来たという事実。

 それが意味するところは――

 

 

 

「――艦娘と、本質的には同じ存在です」

 

 そう答えた彼方に、草薙は魂が抜け出しそうなほどの大きな溜め息を吐いた。

 

「やっぱりそうくるよなぁ。……お前、俺より上の人間にそれ言ったら間違いなく消されるからな。同じ問いを受けたって、二度とそう答えるなよ……」

 

 首を掻き切られるような仕草とは裏腹におどけたようにそう言うと、草薙は懐から何かを取り出した。

 それは、手のひら大の羅針盤。

 草薙はその羅針盤を弄びながら続ける。

 

「艦娘は、人類の危機を救うために現れたって言われてる。深海棲艦が悪であるならば、艦娘は正義。つまり艦娘は、常に人類にとって正義の、希望の象徴でなくちゃならねぇ。その艦娘が深海棲艦と同じだ、何て知れたらどうなる。提督(俺達)は何を使って、何と戦ってるんだ……ってことになっちまうだろ?」

 

 草薙は抽象的な言葉を使いその真意を濁したが、つまりこういうことだろう。

 艦娘と深海棲艦が同じ存在であるならば、艦娘が人類の味方であるという前提が、根底から覆されかねない。

 深海棲艦が人類の敵であることは疑いようがなかったとしても、本質的には深海棲艦と同じである艦娘が、人類の味方であると無条件に信じる理由にはならないということだ。

 そうなれば、提督と艦娘の……引いては人類と艦娘の間にある信頼関係が崩れ去ってしまう恐れがある、と草薙は暗に指摘していた。

 確かにその通りの話ではあるし、軍全体にそれが伝われば、漏らした人間は反逆者の謗りを受けることも避けられまい。

 但し、それは彼方の考えが事実であったなら、ということが前提にある。根も葉もない世迷い言であれば、切って捨ててしまえばいいのだから。

 

(それにしたって、命まで奪われると言うのは大袈裟すぎやしないか、とは思うけど……。草薙提督が冗談を言っているようにも見えない。ってことは――)

 

 上方へと放り投げていた羅針盤を掴む乾いた音で、彼方は反射的に草薙へと視線を戻した。

 

「まぁ……というわけで概ね正解だ、恐らくな。艦娘と深海棲艦に、本質的な違いはねぇ。特に姫級はそれが顕著だ。いや、正確には姫級(あいつら)艦娘(こいつら)の上位互換なのさ。少なくとも兵器としては、な」

 

 彼方の隣で霞が息を飲む気配が伝わってくる。

 彼方が辿り着いていた考えだ。きっと霞もその答えには辿り着いていたのだろう。ただ霞はその当事者だけに、受けた衝撃も彼方の比ではなかった筈だ。

 

「ぁ……彼方?」

「大丈夫だよ、霞」

 

 彼方は霞の抱く不安を払拭するように、その小さな手を今一度優しく握る。

 霞がおずおずと握り返してくれたので、彼方はにこりと微笑んだ。

 

 そう――この話は、霞達艦娘にこそ問題となるものだ。

 人間はどうせ艦娘に守られなければ生きていくことが出来ない。でなければいずれは滅び去ってしまう運命だ。

 だから、艦娘と手を取り合って生きていく他生き残る道がない。

 

 ところが、艦娘にとっては必ずしもそうではない。

 もし仮に艦娘と深海棲艦が同じものだとするならば、艦娘はどうして生まれてきたのか。

 

 深海棲艦は人類を滅ぼすために深海より発生した。

 

 艦娘は人類を深海棲艦から守るためにどこかからやって来た。

 

 本能的に深海棲艦を忌避し、人類を守護する役割を与えられているという自覚を持つ艦娘。

 その役割を与えたのは一体何者なのだろうか。

 

 

 

 艦娘である霞にも、それはわからなかった。

 

 

 

「……霞。生まれた意味や定められた役割にどんな理由があったって、君は僕の一番大切な人なんだ。だから、不安に思う必要なんかない。君の居場所はここにしかないんだから」

 

 不安気に瞳をさ迷わせる霞を立ち上がって抱き寄せると、胸の辺りに収まっている丸く可愛らしい頭を優しく撫でる。

 

「……ん。うん、ありがとう……彼方。大丈夫よ、ちょっとびっくりしただけだから」

 

 えへへ、と照れ隠しのように微笑みかける霞に安堵した彼方は、漸く好奇心旺盛な視線に気づくことができた。

 

 

 

「提督ー。私達出汁にされてますよ?」

「……あの霞がなぁ。この目で見ても未だに信じられん。一瞬で入れ替わったのか?」

「ぅ、うぅるっさいわねぇ! 見世物じゃないっての! 目を潰すわよ!?」

 

 流石にそれは理不尽な気がする。

 脱線したのはこちらの責任でもあるし、彼方は素直に謝ると、元いたソファへと腰を下ろした。

 

「お前ら本当に仲がいいのな。この話を知った上でその反応なら、今更それをどうこう言うつもりはねぇが……」

「はい。霞や、僕の仲間達の生まれがどうであれ、彼女達は僕の欠けがえのない大切な仲間です」

 

 それだけは自信を持って言える。

 彼方の強い意思を込めた瞳を見て、草薙提督は満足そうに頷いた。

 

「わかった。だが、そこまで知った上でそれでもそう言い切れたとしても、お前に姫級と戦わせるわけにはいかねぇ。――お前じゃ絶対に姫級には勝てないからな」

「……それは、どうしてですか? 先程の演習に敗れたからでしょうか」

 

 そう問い返した彼方に草薙は慌てたようすで手を振った。

 

「い、いや……あれは全く関係ねぇ。あれは本当にうちの阿呆が暴走しただけだ。あれでこいつが沈んでたらそれこそ大問題だったんだ、お前の冷静な対応には心底感謝してる」

「自分の艦娘もまともに制御できないだなんて、提督筆頭が聞いて呆れるわ!」

 

 草薙ががっくりと肩を落とす。

 反論の余地もない、と言うことなのだろう。ということは、島風の行動は彼にとっても完全に予想外だったということか。

 

「……あ、あー……まぁ、その、なんだ。お前が姫級に勝てない理由なんだが、至極単純な話でな。姫級は、俺にしか(・・・・)倒せねぇんだよ。少なくとも、この国ではな」

 

 そう言うと同時に、先程懐から取り出していた羅針盤を机の上に置いた。

 これは何かと目で問う彼方に、草薙は軽く頷くと説明を始める。

 

「こいつは、妖精が造った羅針盤だ。この羅針盤は、姫級かが海上に浮上してくると、その方角を指し示す。こいつのお陰で、俺はお前が姫級と遭遇したことに気がつくことができたのさ」

「なるほど……楓さんから話を聞いたのでなければ、一体どうやってこの事を知ったのか、と思っていましたが……」

 

 そういうことらしかった。妖精の力であれば、こちらとしても疑いようがない。

 だが、それと姫級を倒すこととは、直接的な繋がりはないように思える。恐らくこの羅針盤が持つ力は、それだけではないのだろう。

 彼方は納得したように頷くと、話の続きを促した。

 

「この羅針盤の持つ役割はもう一つある。羅針盤を持つ提督が従えた艦娘のいる海域に姫級を縛りつけ、その存在を固定する役割だ」

「存在を、固定……?」

 

 そうだ、と頷くと草薙は羅針盤を懐にしまった。

 

「姫級とやりあったんなら、『血海(けっかい)』は見ただろ? あの海が赤くなる現象だ。」

「あ、はい。『魂を喰らう海』、ですか?」

 

 ぶっ、目の前から何かが吹き出す音と彼方の顔にまで飛んできた飛沫。

 いや、何かではなく草薙提督だが……。

 

「お、お前……その呼び方は誰に聞いたんだ……」

「え? 神通ですけど……何か、可笑しかったでしょうか」

「そうか……。いや、いいんだ。確かにそう呼ぶ奴もいる。ごく一部の筈だがな……」

「はぁ……」

 

 何故かぐったりとした様子の草薙に、彼方は首を傾げた。

 

「話の腰を折って悪いな。で、その海には艦娘の艤装を腐食、分解する力がある。姫級と戦うためには、その迷惑な海の上でなくちゃならねぇ。それなのに、あいつらの居場所はその海をうろうろ探し回らないと見つけることすら難しい。更にあいつらは、あの海の範囲内でなら霧のように消えちまったり現れたり、どこへでもひとっ飛びすると来た」

 

 確かに、あの時は向こうから彼方の方へと近づいてきてくれたから、姫級と遭遇することが出来た。

 普通であれば、あの海の中を敵を探して彷徨こうなど思えないだろう。姫級に出会えたときには既に満身創痍だなんてことも十分にあり得る。しかも見つけたと思ったら移動されたのでは、それこそこちらに手の打ちようがないだろう。

 どうりで今まで姫級との遭遇報告や撃破報告がないわけだ。

 

「それを防いでくれるのが、その羅針盤だということですか」

「あぁ、そうだ。羅針盤は、姫級までの最短ルートを示してくれる。そして、例え血海(けっかい)の中だとしても、あいつらお得意のイカサマを防いでくれるんだ」

 

 確かに、そんなオカルト染みたものを相手にするには、羅針盤のあるなしは非常に大きい。

 そして彼方の目的を果たすためには、その羅針盤は必要不可欠だということも理解できた。

 

 であるならば、彼方はこれからどうするべきか。

 彼方の提督としての最大の目的――それは、父のようにこの海を、そして艦娘達と結んだ絆を守ること。

 姫級となってしまったもう一人の吹雪を助け出すことは、決してその目的に外れた行いではない筈だ。

 

「僕一人では姫級には勝てないということは理解しました。――ですが、草薙提督。僕は吹雪をどうしても助けたいんです! お願いします。吹雪を助け出すために、僕に力を貸してください!」

 

 彼方は椅子から立ち上がると、精一杯頭を下げた。

 手を出すなと命令された。それはわかっている。彼方だけでは姫級に勝てないことも十分に理解した。

 その上で、彼方が己の目的を果たすには、草薙に懇願するより他になかった。

 

 草薙が頷くまで頭を下げ続けるであろう彼方に、とうとう草薙の顔から笑みが消える。

 

「ここまで言ってやってもわからねぇとはな。……俺に、お前の艦娘を使えってのか? それとも、この羅針盤をお前に差し出せと? この羅針盤が提督(俺達)にとって何を意味するのか、わからない訳じゃないだろう?」

 

 草薙から放たれるビリビリとした気迫に、じっとりと背中を汗が流れる。

 

「違います! 霞達は僕の艦娘です。他の誰にも委ねるつもりはありませんし、提督筆頭になる事にも興味はありません。だから――」

 

 草薙は黙って彼方の続く言葉を待っている。

 その威圧感は揺るぐことなく彼方へ向けられているが、ここで退くわけにはいかない。

 軍という巨大な組織の中で己の我が儘を通そうと言うのだから、それ相応の対価が必要とされる。

 彼方はそれを草薙に示さなくてはならないのだ。

 

 

 

「………………!」

 

 

 

 ぎゅっと、汗ばんだ手が温もりに包まれる。

 頭を下げている彼方には見ることは出来ないが、確かに霞が力強く頷いてくれているのがわかった。

 大丈夫だと、声はなくともそう言っているのが伝わってきた。

 

 

 

 彼方には、提督として誇れるものはほとんどない。

 資質の高さは飛び抜けていると言われていたが、それを活かせるほどの戦略眼もなければ、最小の犠牲で最大の戦果を得ようとするための冷徹さを持てる程の勇気もない。

 

 けれども、だからこそ彼方にはどうしても失いたくないものがある。

 あの吹雪は彼方以外の提督からしてみれば、ただの深海棲艦のうちの一隻に過ぎない。それは草薙にとっても同様だ。救う必要など、これっぽっちもない。

 だが、彼方にとってはそうではない。あの吹雪は、確かに彼方に救いを求めた。深海棲艦となってしまった吹雪を救うことが出来るのは、彼方ただ一人だけなのだ。

 

 

 

「――だから、僕と勝負をしてください! そして、もし僕が勝てたら、僕と連合艦隊を組んでください! 僕に吹雪を救い出すチャンスを下さい! お願いします!」




ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

また次回も読みに来て頂けましたら嬉しいです。



因みに『魂を喰らう海』と名付けたのは、当時神通のいた調査団の隊長を務めていた、眼帯の似合う五人姉妹の末っ子のあの子です。『血海』ではインパクト不足だとか何とか……。
その内とある人物と共に登場するかもしれません。


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潜む影

こんばんは!

今回も読みに来ていただきまして、ありがとうございます。

少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


「――で、そろそろ『男同士の話』っていうのは終わったのかしら?」

 

 彼方が草薙に勝負を挑み、その答えを草薙が返そうとした瞬間、図っていたかのようなタイミングで、本来のこの部屋の持ち主――樫木楓が彼方の背後にある扉をノックした。

 

「あぁ、いいぜ。こっからはお前にも関係ある話になるからな」

「そう。わかったわ」

 

 草薙の許可を得た楓が応接室へと入ってくる。傍らには、楓の秘書艦を務める足柄の姿もあった。

 普段楓の補佐だけではなく教艦として生徒の指導も行っている足柄は、学内で楓とセットでいるところはほとんど見ることができない。その二人が揃って自分の前に現れたということは、これより行われる話がそれだけ重要な意味を持つものであることを彼方に予感させていた。

 

「わりぃな、席を外してもらってよ」

 

 楓は草薙の謝罪に応えることなく、黙って彼方の隣のソファへと腰を下ろした。

 その瞳は真っ直ぐと草薙へと向かい、彼方には一瞥もくれることがない。

 その代わり、足柄は彼方と霞をちらりと見て、ふっと口角を緩めた。ぱくぱくと動いた口からは、声こそなかったものの『おかえりなさい』と言ってくれたのがわかる。

 教艦や楓の補佐として行動している時は生徒に対する厳しさや苛烈さが目立っていたが、そういった役割の課せられていないところでは、今のような面倒見の良い姉のような一面も見せてくれるのが、足柄という艦娘だった。

 

 楓が連れてきた足柄が、敢えて自らそうした態度を見せてくれたことで、楓が今どういったつもりでここにいるのか、彼方には何となく察することが出来た。

 

「彼方くん。姫級の情報はちゃんとこいつから引き出せたかしら?」

「え、あ……はい! 草薙提督からある程度は……」

 

 本人の目の前だというのに、楓はあまりにも堂々たる態度だった。その言い種から、彼方は驚いて返答が遅れてしまう。

 

「結構。その情報は海軍上層部でも、ほんの一握りしか知り得ない情報の筈よ。何せ、今まで私にすら姫級の情報なんて一欠片も掴ませなかったんだから」

「それについては俺からは話せねぇし話す気もねぇが、理由はちゃんとある。それに、この訓練校を運営するお前には不要な情報の筈なんだがな」

「えぇ、そうね。だけど、私は今彼方くん()の後見人としてここにいるのよ。弟を心配するのは、姉として当然の事でしょう?」

「は? ……いやいや、弟をスパイに使おうとする姉がいるかよ!? 今のお前の心配はこいつじゃなくて、こいつが情報を引き出せたか、だっただろうが!」

 

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした草薙は、慌てて楓の言い分を否定する。一瞬でも納得しかけたのが余程悔しかったらしい。やって来るなり場は完全に楓のペースとなってしまったようだ。そもそも後見人という立場は彼方が提督となったときに失われている。単に草薙をからかうためなのか、そうではないのか、楓の本心は彼方にとっても難解で見通すことなど不可能だった。

 草薙も楓に対しては彼方に対するような大人の男というよりかは、子供のような態度へと変わってしまっている。草薙も彼方と同じく腹芸を苦手とするタイプなのは、楓に振り回される様子からも明らかだ。自分とは違い粗暴な態度の草薙ではあるが、彼方はそこに妙な親近感を覚えて、強張っていた頬が少しだけ緩むのを感じた。

 

「あぁ、くそ。お前と話してると疲れるんだよ……。とっとと本題に入るぜ」

 

 頭をがしがしと乱暴に掻きながら、草薙は強引に話題を引き戻す。

 本題とは、間違いなく彼方が草薙へと申し込んだ勝負の件だろう。確かに彼方が草薙と連合艦隊を組むとなれば、彼方の上官である楓にも関係してくる話ではある。

 

 草薙は、楓が何か反応を返す暇を与えず口を開いた。

 

「朝霧と俺は、近いうちにあることを賭けて勝負をする。互いに全力で、男と男の真剣勝負だ。その勝負で俺が負ければ、俺は朝霧と連合艦隊を組み、責任持って深海中枢へと連れていく。だが、もし()が勝てば――」

 

『俺が勝てば』

 

 その言葉は彼方が予想していなかった言葉だった。

 彼方が草薙へと勝負を申し込んだ理由は、草薙の隣に立つ資格を持つだけの力を示すためだ。その力を示すことさえ出来れば、彼方は吹雪を救うための足掛かりを得ることが出来る。しかしそれが出来なければ、吹雪を救いだすことを諦めざるを得なくなり、当初草薙が言っていた通りに、この楓の鎮守府を守る役割を与えられることになると思い込んでしまっていたのだ。

 草薙から彼方が敗北したときの条件を提示されるとは、思ってもみなかったのである。考えてみれば当然の話だ。そこに思い当たらなかったのは、間違いなく彼方の甘えだった。

 

「俺が勝てば、霞を含むこいつが持つ艦娘全て(・・)を戴く。勝負の内容は六対六の艦隊戦だ。場所は海軍司令部の演習場、時間は再来月の司令部が主催する合同演習の中で行う。そこでお前の力を示すことが出来れば、俺の相棒として俺と連合艦隊を組むことを大本営に認めさせてやる。……どうだ、朝霧。びびって取り止めるのなら、今しかないぜ?」

 

 そう言って、草薙は瞳に戦意を漲らせ、獰猛に笑った。

 

「………………っ」

 

 彼方は、言葉が出てこなかった。頭が真っ白になってしまったのだ。草薙に勝負を挑んだ気持ちは、決して軽いものではない。だが、霞達仲間全てを失うという覚悟を賭けてまでの発言だったのかと言われれば、彼方には頷くことは出来なかった。

 

(もう一人の吹雪と、霞達皆を天秤にかけろってことなのか……?)

 

 常識的に考えれば、そんなものは考えるまでもなく霞達艦娘を取るに決まっている。片方は艦娘ですらない、深海棲艦じゃないか! 自分の中で、今更――本当に今更だ――己に常識を説こうとする声が囁く。だって、深海棲艦と艦娘だ。敵と味方を秤に掛けるだなんて、普通に考えれば馬鹿げている。

 

(――いや、違う! あの吹雪は深海棲艦ではあっても、僕の艦娘なんだ!)

 

 ここで怖じ気づきもう一人の吹雪を見捨て今いる皆を守ったからといって、彼方は自分のことを父に誇れるだろうか。いや、決して誇ることなど出来やしまい。

 そんな選択をすれば、あの吹雪の助けを求める声が自責の念となり、必ずや彼方を苛み続けるだろう。

 

 そうは言っても実際問題として、あの提督筆頭である草薙に本当に勝てるのか。勝算は? 反撃が出来ない状況だったとはいえ、島風一人に彼方の艦隊は全滅させられたと言うのに。

 見栄を張った挙げ句に、霞達全てを失うことになってしまえば、それこそ彼方は二度と立ち上がることが出来ないほどに、うちひしがれてしまうのではないのか。

 零か一か。生か死かに等しいほどに、これは重い選択だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼方くん。受けなさい」

「……楓さん?」

 

 想定外の事態に深く思い悩んでいた彼方に、楓が毅然とした声で命ずる。

 

「この話、貴方には受ける以外の選択肢はないわ。貴方がどうしてこいつと連合艦隊を組みたいのかは知らない。けれど、もし貴方がここに残っても、霞ちゃん達を失うことには変わりがないのよ。……というか、分かってて言ってるんでしょう、草薙(貴方)も?」

「………………あぁ、まぁな」

 

 つまり、彼方が今ここで勝負から降りたとしても、霞達を失うだけでなんの意味もない、ということなのか。それは、一体何故なのか。目まぐるしく変わる状況に飲まれ、すがるような目で楓を見つめることしか出来ない彼方に、小さく嘆息した楓は先の発言に対する説明を始めたのだった。

 

 

 

 まず、彼方は既に大本営からかなりの注目を浴びていしまっているというのが一つ。

 それは、現時点で彼方の保有する戦力が海軍で草薙に次ぐ第二位にあたり、更には半年足らずで西方海域を解放したという功績もあったことに起因する。

 因みに草薙の補足した情報によると、彼方が姫級と遭遇したことは、既に大本営も把握済みらしい。姫級と遭遇して生き残っている提督という時点で、大本営としては最重要人物として彼方をマークしてしまったのだと、草薙は苦々しく呟いていた。

 何故大本営から注目を浴びると不味いのか。その理由は、この次に挙げられた。

 

 第二は、先任提督達の一部の者達の間で彼方を深海中枢への先遣隊として推薦しようとしている動きがあるらしい。

 楓が彼方の西方海域解放任務の完遂を報告し、それを受けた大本営は直ぐ様大々的に若き新人提督の挙げた大きな戦果を発表していたのだそうだ。その結果、突然の朗報に海軍の士気は大いに上がったのだと言う。鎮守府が破壊され、ろくに通信設備も使用できなかった彼方には知る由もないことであったが。

 ともかくそのお陰で、彼方は提督達の間で若く力のある提督だと帝国軍内部で広く認められた。しかしその一方で、彼方は若さ故に戦果を挙げることにのみ執心し、鎮守府の守りを放棄した愚か者だという噂が一部で囁かれ始めた。耳敏い一部の先任提督達が彼方の華々しい功績に嫉妬し、その裏にある鎮守府防衛の失敗という失態を聞きつけたのだ。

 確かに西方海域の鎮守府は深海棲艦の襲撃により大きな損傷を受けてしまったことは紛れもない事実だ。損壊した鎮守府を再建する必要もあるし、楓とてそれを報告しないわけにはいかなかったのである。

 ところが彼らは水面に投げ込まれたパン屑の一欠片に群がる鯉の如く、彗星のように現れた新進気鋭の新任提督の唯一の汚点を悪し様にあげつらった。

 そしてついにはその声に呼応するように、彼方がその汚名を濯ぐには最前線で再び大きな戦果を挙げることが必要だろう、と善意(・・)で申し出る者達が現れた。

 それらの声をあげているのは、何れも戦力的には既に彼方に遠く及ばない程度の力しかない、取るに足りない者達ではあるものの、持ち得る権力の大きさは楓の庇護下にある彼方とは比べるべくもない大きさだ。その権力は決して軽視できるようなものではない。これでもし大本営から勅命が下れば、彼方が深海中枢に単独で向かわされるのは避けられなくなってしまうだろう。

 そして羅針盤も無しに深海中枢に向かえば、彼方を待っているのは全滅以外にはない。

 

 

「……相変わらず他人の足を引っ張るのだけは上手い奴等だ。余程朝霧の存在が邪魔らしいぜ」

「そうね。それに、あまりにも周囲の動きが迅速過ぎるわ。何も知らないで煽られるままに騒ぎ立てている有象無象の提督達はともかく、私にはこの動きを煽動しているものがいるように思えてならない」

 

 楓と草薙は深刻な表情のまま、事態の説明を終えた。

 彼方は語られた事態の重さに目が回る思いだったが、二人の様子から、彼方のことを心配して頭を悩ませてくれているというのが良くわかった。

 

「それで……もし勅命が下ってしまえば、僕は前線に出ることを拒むことは出来ないんですよね?」

 

 命じられるままに深海中枢へと突撃すれば、霞達の全滅は必至。姫級と戦うことすら出来ず、ただ無意味に彼方の艦娘達は沈むことになるだろう。母国のために犬死してこいと言われているのと同じだった。

 それで人類が救われるというのならともかく、そんな命令は、断じて受け入れられる筈もない。そもそも彼方では姫級に勝てないというのは、大本営ならば知っているはずなのだ。その大本営から勅命が下るというのであれば、それは彼方達に対する明確な殺意であることに他ならない。

 

「そこなのよ。貴方はその命令を、とある条件を飲むことで事前に辞退することが出来る。その条件っていうのが、彼方くんの艦娘全てを海軍司令部に引き渡すこと。それを条件に、勅命を下すことなく、彼方くんは私の補佐として提督を続けることが出来るようにされているらしいの」

 

 それを聞いた彼方は、思わず草薙に視線を向けた。

 

「………………」

 

 無言で草薙が頷く。

 それで、全てに合点がいった。

 大本営が殺意を向けているのは、彼方にではなかった。

 彼方の艦娘(・・)に向けていたのだ。

 このまま手をこまねいていれば、どうあっても彼方の大切な仲間達は全て奪い去られるだろう。大本営が持つ何かしらの理由によって。

 

「実をいうとな。俺は今日初めからお前に勝負を吹っ掛けるつもりだった。喧嘩っ早いうちの島風をけしかけたのも、そこから適当にお前と演習する理由を作り出すためだ。いや、まさかあそこまで冷静に対処してくるとは思わなかったぜ。俺なら間違いなくこいつを沈めてる」

「あぁっ、颯人! やっぱりそれを期待してたんじゃない!」

「そりゃそうだろ。才能のある提督とみれば何処でもかしこでも襲いかかりやがって。お前が俺の初期艦じゃなかったら即効解体してるぜ」

「はぁ!? 私より速い艦娘なんていないんだから、喧嘩っぱやさだって誰にも負けないもん!」

 

 とんでもない艦娘だ。やはり草薙でなければ彼女を制御なんて出来ないのだろう。少なくとも彼方は島風を上手く扱うことは出来そうになかった。

 

「……相変わらずね。昔と何にも変わっていないのね、貴方達」

 

 酷く疲れたような顔で楓が溢す。何かしら彼女も島風に対して思うところがあるのだろう。その瞳からは何処か昔を懐かしむような暖かな光と共に、それを覆いつくすほどの苦労が見てとれた。

 

 

 

「……とにかく! 大本営の裏で操っている何かにお前の艦娘を渡さないためにはそれしかねぇ。お前が勝って俺と組むか。俺が勝ってお前の艦娘を預かるか。二つに一つだ。断れば、この場で問答無用でお前の艦娘達は連れていく。霞はお前の(もん)なんだろ、ここで尻込みするような奴には勿体なくて任せちゃおけねぇからな」

 

 どうする、と再び草薙が彼方にその目で問いかける。

 しかしその態度とは裏腹にその瞳の奥に潜む本心は、彼方が断るだなんて一欠片も疑ってはいなかった。

 

「その前に、一つだけ聞かせてください」

「いいぜ、なんだ」

 

 彼方はここまで話を聞いていて、ずっと疑問に思っていた。

 何故草薙はここまで彼方を気にかけてくれるのだろうか。

 先の話は、草薙が渡る必要のない危ない橋を渡ることに他ならない、危険な内容だ。大本営に逆らって彼方の艦娘達を匿うというのも、決して簡単なことではない筈。草薙が我が儘を通すことで、彼がそれなりのリスクを背負わされるのは目に見えている。

 

 権謀術数とは無縁の、ただただ力が強いだけの英雄。

 草薙はそういった部類の人間だ。権力というのは、いつだってそう言った英雄の天敵なのだ。

 だというのに、どうしてそこまで危険をおかしてまで彼方の力になろうとしてくれるのか。一体彼は、彼方に何を視ているのだろうか。ずっとそれが疑問だった。

 

「草薙提督は、父さんに助けられたことを今でも悔やんでいるんですか?」

「………………ッ」

 

 草薙は咄嗟に答えを返すことが出来ず、言葉に詰まった。

 咄嗟に否定の言葉が返せないということは、少なくとも心の何処かにそれを認めている自分がいたということ。彼方の父親――朝霧真が戦死する原因を作り出したのは自分自身だと思い込んでいる草薙にとって、彼方を可能な限り助けるというのも、彼の中では朝霧真に対する――あるいは、草薙が囲っているという朝霧真の艦娘に対する、罪滅ぼしのうちの一つだったのだ。

 

「……だったら、尚更もう後には退けません。父さんや母さんに守られ、霞に守られ、樫木提督に守られ、楓さんに守られ、貴方に守られ。僕はまだ肝心なところで誰かに守られてばっかりだ。だけど、そんな僕でも……せめて霞達だけは、僕の力だけで守りたい。いや、守らなくちゃ駄目なんだ!」

 

 彼方は本当に恵まれている。何せ提督として一応は一人前となった今でも、彼方を全霊で守り導いてくれる先達が二人もいるというのだから。

 

 だが、暖かな腕に守られるのも、これで終わり。

 このまま二人に守られ続けていては、いつ彼らにその矛先が向けられるとも限らない。

 相手は大本営を意のままに操るような人物なのだ。本気で草薙や楓の排除に乗り出せば、きっとこの国全体を巻き込む大変な事態になるだろう。それは彼方の望むところではなかった。

 

「はっ! 言うじゃねぇか、ひよっ子が。上等だ、全力でかかってこい! 心配すんな、お前が負けても霞達は俺が丁重に扱ってやるよ」

「ハァ!? そんなの余計なお世話よ! アンタ達なんて私があっという間にけちょんけちょんに()してやるんだから!」

「へぇ~? ついさっき私にあっさり負けた癖に、良くそんな事が言えますね。それとも、もう忘れちゃったんですか? 仕方ありませんね。物忘れの早さの一番だけはあなたに譲ってあげてもいいですよ?」

 

 彼方が切った啖呵によって、草薙や艦娘達に戦意の炎が燃え盛る。

 互いに見えない火花を散らす霞と島風を見て、草薙は不敵なな笑みを浮かべたまま、彼方に告げた。

 

「なら、本番までに少しでも強くなっとけ。悪いが今回は俺も全力でいかせてもらう。でないと大本営(あいつら)はお前を認めねぇだろうからな。ここには大井もいるんだ。アイツを頼れば力になってくれんだろ。恐らくな」

 

 そう言うと、草薙はもう用はないと彼方達を応接室から追い出した。

 霞はまだ色々と言い足りなかったのか未だ肩を怒らせて、扉の向こうを睨み付けたままだ。

 

「……霞。皆に何も言わず、勝手にこんなに大事なことを決めちゃって、ごめん」

 

 最初に霞に謝った彼方を不思議そうに見た霞はすぐに笑みを浮かべながら首を横に振る。

 

「何言ってるの、大丈夫よ! 私達皆が彼方と一緒にいるためには、これしかなかったのよ? 皆も満場一致で言うわ、アイツに勝つって」

「……うん、そうだよね。草薙提督に勝つ以外に、皆を守る術が、僕にはない」

 

 本来はもっと徐々に力をつけ、周囲との摩擦にも気をつけながら慎重に彼方を育てるつもりであった楓の思惑からは大きく外れる形で、彼方は急速に力をつけた。

 しかし、もともと楓が想定していた全力で西方海域の解放に当たっていれば、姫級に覚醒した装甲空母姫に遭遇していた事を考えれば、それ以外に彼方達が生き残る道はなかったのだと、今になって思えば確信できる。

 

 彼方の行く手に待ち構えた姫級の影と、彼方の艦娘を狙う海軍の裏に潜む影。

 

 思っていたよりも遥かに、彼方を取り巻く環境は大きな変化を迎えていたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……あまり我が儘放題振る舞っていると、どうでもいい石ころに足を掬われるわよ?」

「うるせぇな、わかってるよ。だがな、今のあいつを助けてやれんのは俺しかいねぇんだ。だからお前もこれ以上、下手に動くな。お前まで俺に守ってもらうつもりか?」

「冗談言わないで。私は私の目的があって動いてるの。彼方くんを助けてくれるのは素直に感謝してあげてもいいけど、貴方こそ余計なお節介はやめてくれるかしら」

 

 彼方が退室した後、残された二人は目を合わせることすらなくお互いの主張をぶつけ合う。

 提督候補生時代からのライバルだった楓と草薙は、元々犬猿の仲だった。幾度となくぶつかり合い、切磋琢磨していた二人だったが、それでも唯一と言っていい好敵手の存在を心のどこかで認めあっていたのだ。

 

「大淀もお前には関わって欲しくないって言ってたぜ。お前は爺さんの作った訓練校を守ってくれってよ」

「………………そう」

 

 その悪友とも言える存在が、決定的に失われたのは、楓の身に起きたある事柄がきっかけだった。

 

 

 もう十年近く前の話。楓の祖父――樫木重光が急逝した。

 公には病に倒れたということになっているが、楓と重光の艦娘のごく一部の者はそうは考えていない。

 

 重光は艦娘と提督の間に確かな信頼関係を築くための土壌を作ろうと、日々奮進していた。訓練校の設立もその一貫だった。鹿島のように虐げられる艦娘を見つければ、可能な限りそこから救いだす努力をしていた。

 

 楓はそうした祖父が誇らしかったし、憧れていた。

 自分も祖父のようになるのだと、幼い頃より鍛練を続けてきた。

 やがては訓練校を次席で卒業し、晴れて新人提督となった楓は、その手腕を遺憾無く発揮し、破竹の勢いで深海棲艦を打ち倒していく。

 

 そんなある日のことだ、楓の祖父――樫木重光が亡くなったという知らせを受けたのは。

 

「……よぉ、楓。爺さん、残念だったな」

「………………颯人っ」

 

 しとしとと降りしきる雨の中行われていた葬儀中、悲しみに暮れ涙を流す楓の元に、草薙颯人が現れた。

 

 草薙は当時から既に提督筆頭として、名だたる提督達を押し退けて最強の座を欲しいままにしていた。

 楓からすれば、羨望の対象にも等しい存在だ。認めたくはなかったが。

 しかし、そんな常に最前線に立ち続けていた男が、態々自分の祖父の葬儀へとやってきてくれるとは。嬉しさが込み上げると共に、弱った自分を見られたことによる羞恥に、頬がさっと熱くなる。

 

「こんなときに悪いが。樫木提督の艦娘、大淀、川内、清霜が今日付けで俺の艦隊に転属になった。あいつら自身が希望してのことだ」

 

 楓は自分が何を言われてるのか、全く理解が出来ていなかった。

 友人とは言えないまでも、唯一の気のおけない相手だと思っていた草薙から出てきたのは、慰めとはあまりにも遠い、予想だにしない言葉。

 

「残りはお前の艦隊に転属を希望したそうだ。訓練校、頑張れよ」

 

 簡潔に要件だけを伝えて、草薙は楓の前から立ち去った。

 残された楓は一人、涙を溢すのも忘れてただその後ろ姿を眺めていることしか出来なかった。

 

 ――どうして、と。声にならない声で呟きながら。

 

 

 今にして思えば、重光の死には不審な点が多々あった。

 艦娘を兵器として扱うのが主流であった時から今の艦娘と信頼関係を結ぶべきという思想で動いていた重光には、敵も多い。

 

 重光の補佐官を務めていた大淀には、何か確信めいたものがあったのだ。だからあの時既に大本営に近い位置に立っていた草薙についていった。何故か隠密行動が得意な川内を伴って。

清霜は単純に力を求めてだろう。彼女は人一倍強さに拘る艦娘だ。きっと訓練校の運営をしなくてはならない楓の元にいては、自分は強くなれないと考えたのだ。

 

 今となって考えれば、あの時多くを語らなかったのは草薙なりの不器用な優しさだった。

 もしあの時そんな話を聞かされていたら、楓は我を忘れて復讐のためのみにこの人生を費やしていたかもしれない。

 

 だから、今はその上から目線の行動を憎たらしくは思っていても、嫌っているわけではない。素直になるきっかけがないだけだ。

 

「爺さんのことは、俺もあいつらも調べてる。お前には俺とは違って守らなくちゃいけないもんがあんだろうが。それに、ここには俺の(・・)大井もいるんだ。ここがなくなっちまったらあいつが泣くだろ。だから余計なことはするな」

「……わかったわよ。」

 

 そう言ってそっぽを向いた楓は、それでも一応の納得をしてくれたようだった。

 一先ず安心した草薙がふと視線を感じて顔をあげると――

 

 

 

「草薙くん、ありがとう。私からもお礼を言わせてちょうだい。この子は私がどれだけ言っても止まらないから……」

 

 そう言って、かつての教艦が優しげに微笑んでいるのだった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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