Entrance~杖の章~ (Boukun0214)
しおりを挟む

この世界について
とある少年



彼の名前は『アルム』。
異界から魔法の世界へとやってきた。
青年と呼ぶにはまだ幼いような少年だ。

これは、そんな"彼"の物語。


 

朝、目を覚ます。

 

そこは、まだ少し見慣れていないベッドの上。

まあ、当然ながら、上には天井が見えて、窓の外から差し込む光で今日はいい天気だとわかる。

 

 

「ん・・・うぅ。。。」

 

もぞりと、体を起こす。

 

「っで!」

 

しまった。二段ベッドの上だということを忘れていた。寝惚けていた頭は、鈍痛により一気に覚醒してしまった。滅茶苦茶痛い。二度寝する気にもならないので、ベッドを降りた。

 

二段ベッドの下では、同じ部屋の友人が、スヤスヤと寝ている。起こすのもあれなので、特に声もかけず、寝間着を脱いで畳み、緑の上着とベージュのズボンを履く。変な格好だと言われたが、着るものも特にないし、当面はこれでいくつもりだ。

 

とりあえず、一階に降りて時計を確認しに行く。

・・・まだ五時か。早く起きすぎたな。いや、昨日も同じような時間だったかもしれない。長く眠ることに慣れていないという感じか。

 

本でも読もう。

まだ俺は、この世界のことをあまり知らない。知っていることは、"魔法"が存在するということ。技術のレベルは、俺のいた世界ほどでは無いということ。あとは、モンスターと呼ばれる生き物たちがいるということくらいだ。

もっとも、それ以外に俺のいた世界と違う点があまりない。属には眼の力、ーーこの世界の住民は"魔眼"と呼ぶらしいが。ーーがあるし、属の種類も同じだ。それに、あの、"穴"も。

 

突然、世界に"穴"が開いた。

それは空間を喰らい、じきに消滅する。そんな現象だ。

そして、その"穴"に飲み込まれた結果、俺はここにいる。

それで俺は、このギルドに拾われたわけだ。

 

「アルムか。早いな。」

「あ、おはようございます。タクトさん。」

 

考え事をしながら書庫へと歩いていたら、タクトさんに声をかけられた。

 

「おはよう。どうしたの?トイレ?」

「いえ。目が覚めてしまったので、本でも読もうかなと。まだ、あんまりこの世界に慣れていないので。」

「まあまあ。ちょっとずつ馴れればいいさ。あんまり焦るなよ。」

 

彼は、このギルドのリーダー。彼の信条は「来るもの拒まず去るもの逃がさん」らしく、どうせ行く宛もないのだからと半ば、というか、ほとんど無理矢理、俺をこのギルドに入れてくれた。

彼はここはギルドっていうほど大層なものではないと言っているが、ちゃんと許可証とやらも取っているらしく、公式に認められたギルドだそうだ。

 

「はい。」

 

まあ、確かにギルドと言うよりは、ここのメンバー達はとても距離が近い。"家族"なのだそうだ。彼らは。

といっても、血の繋がりがあるわけではなく、皆、それぞれの理由でここに拾われてメンバーになった。だからか、人数は十数人とかそのくらいであまり多くない。ギルドというのは、本来は同じ職業の者達が集まって仕事の依頼を引き受ける団体なので、そういう意味でも、普通のギルドとは少し違うのかもしれない。

 

・・・さて。考え事をしながら歩いてしまう癖をいいかげん治した方がいいかもしれない。

危うく、書庫のドアにぶつかるところだった。

今日はなんの本を読もうか。魔法の使い方は、まあ、俺には無理だろうからなしとして、この世界の魔法の特性くらいは知ってても損はないかもしれない。

一応、ギルドの立ち位置としてはただの居候なので、依頼などをできるだけ早く受けられるようになりたい。あまりいつまでも一方的にお世話になるわけには行かないだろう。

俺がやれる仕事って言ったら、なんだろうか。

力仕事か、用心棒か。そんなところしかない。少なくとも、魔法が使えないと話にならないようなものは無理だ。

 

そんなことを考えながら、『新魔法基礎』という本を読んでみることにした。幸い、俺のいた世界と言語は同じだから、本も読める。

 

「・・・。」

 

本を開いて、1ページ目でおれは挫折した。

いや、確かに読めるとは言った。でもこれは無理かもしれない。

びっしりとよく分からない記号が並び、それに対しての申し訳程度の説明がある。『新魔法基礎』の基礎とか無いのかな。俺の知識だと無理そうだ。

 

でも、この世界で過ごすためには必要な知識ではあるのだろう。

この世界で過ごす。俺は、この世界で、これから生きていかなくてはならないのだ。

異世界に行けたから、もとの世界に戻れるとは限らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生活しなきゃ

興味のあるページを読み終わると、空腹を感じたのでギルドの食堂、いや、ギルドの酒場に来て、朝食をとることにした。基本的に朝食は、依頼を受けにいくメンバーもいるので各々がバラバラに食べている。

だからまあ、まだそんなに人がいないだろうなと思い、書庫から酒場への廊下を歩く。

なんていうか、部屋が多いよな。この建物。二階全部と一階の一部はメンバーの自室になっていて、確か、合計で十室ほど。あとは一階に広い酒場と埃っぽい書庫。それと風呂がある。ああ。それとなんか、一階にも二階にも物置みたいになってる部屋があったはず。あとはまだ行ったことがない地下室。

主要な部屋は分かりやすいから、それでやっていけてるのかもしれない。少なくとも、迷うことは無さそうだ。

 

「あ、おはようございます。」

「アルムくん。おはようございます。ちょっと待っててくださいね。今、出しますから。」

 

カウンターの席に座り、カナメさんと挨拶を交わす。

 

「手伝いましょうか?」

「ああ。じゃあ、よろしくお願いします。」

 

手伝う、と言っても、俺は簡単なものを切ることくらいしかできない。まあ、それでも一人で十数人分を作るよりかはましだろう。

カナメさんがまな板と包丁を貸してくれて、それで目の前の食材を確認した。

根菜と思わしき植物や、きれいに洗ってある木の実などが並んでいる。あとは肉・・・か?これ?

この世界では俺の世界にいたいわゆる普通の動物がいなくて、似ているのはいるけれども、牛のように見えるけど肉の色が紫だったり、やたらと外皮が固い魚だったり、あと、肉だと思って持ち上げたらでろりとスライム状にとろけたりとか。野菜は変わった形とか色のがある程度だけども。

まあ、ここではこれが普通なのだろうから、慣れるしかないのかもしれない。で、今回の良くわからないものは、表面が軽く泡立っている肉だ。肉でいいんだよな?

 

「言い忘れてました。全部、一口大でお願いします。」

「あ、はい。」

 

全部一口大で良いのなら、まあ、適当にやるしかないのだろう。さすがに切って爆発したり毒が吹き出たりとかは無いと思うし。・・・無いよね?

 

普通に切っていくが、ときどき変な感触の物があるだけで危険はなかった。さすがにそうか。切りながらカナメさんと話をする。

 

「アルムくんは、好きな食べ物ってありますか?」

「はあ、まあ、あることにはあるんですが・・・」

 

あることにはある。この世界にはたぶん無い。なんと説明すればいいのやら。

 

「この世界には、多分無い食べ物なんですよね。」

「そうなんですか・・・。なにか作れたらと思ったんですが。」

 

見るからに彼はしょんぼりとしてしまっている。なんだか慌ててしまって、俺は話題を変えた。

 

「あの、そういえば、カナメさんって、どうして、このギルドに入ったんですか?あの、俺は、まあ、この通りですけれども。」

 

訊いた後に、しまったと思ったけれど、彼は笑顔で答えてくれた。よかった。地雷を踏まなくて。

 

「私は、タクトと昔からの友達で、彼がギルドを作ったという噂を聞いて、見ての通りの料理人としてこのギルドにいるんです。だから、他の皆さんとはちょっと事情が軽いかもしれませんね。」

 

そう言って、料理人ははにかんだ。

そう。このギルドはほとんどのメンバーが何かしらの事情を抱えている。もしかしたら、彼の口調は何かしらの線引きなのかもしれない。

 

「・・・」

「・・・」

 

ここで会話が途切れ、二人して黙々と作業をする。俺は材料を切って、カナメさんの大鍋の中へと放り込んでいく。そしてカナメさんは、ときどき魔法で火加減を調節しながら無言で煮込んでいた。

恐れていた事態というか、やってしまった。もともと話すのが好きな方ではないのだが、こう静かになられるのもなかなか気まずい。

 

「おっはよー!あれ?一番乗り?誰もいない?」

「おはようございます。」

 

突然、沈黙を引き裂いたのは赤髪の少女だった。正直めちゃくちゃ助かった。

 

「あ、おはよーございます。えっと、マキナさん。」

「"さん"付けはいらないよー。堅いのは嫌いだからさ!」

「えっとまあ、はは。」

「まあまあ、マキナちゃん。私も口調はこうなんですから、勘弁してやってください。」

「はーい。」

 

彼女はマキナさん。腰まである赤髪をポニーテールにしているのが特徴的だ。あと、やたら露出が多い服装。結構、格闘的な印象がある。なんかこの間、やたらゴツい手袋をしてたし。多分、肉弾戦が得意なのだろう。

この世界でも需要はあるのだろうか?その辺りの肉体労働的なものは。それなら、魔法が使えない俺も働けるのだが。

 

「なーんだ、アルムがもういたのかぁ。この時間だと、にーちゃんはもう仕事かぁ。」

 

"にーちゃん"とは、タクトさんのことらしい。どうしてこうやって呼んでいるのかは知らないけれど、二人は兄妹のように仲が良いのは知っている。

 

「そういえば、さっき出掛けてましたよ。」

「だから、敬語!同世代なんだから!」

「は、はい。」

 

彼女は俺のこの口調が気に入らないらしく、タメ口で話してくるように度々迫ってくる。

こればっかは、癖だからな。。。

 

彼女が来たとたんに一人分以上賑やかになった。いや、基本的にここの集団はうるさい人の方が多い。俺やカナメさんはむしろ例外だ。

 

「お、おはよう。。。」

 

おっと、その最後の例外が来たようだ。

 

「あれ、今日は早いんだね。マキナちゃん。」

「おっはよー。」

 

彼はノアくん。一応、俺と同じ部屋だ。聞いた話によると、彼は新人魔法使いといったところだそうだ。まだ依頼を受けたことはないらしい。彼はいつもサイズの合わないブカブカなローブを着ていて、あと長い前髪を前で分けてピンで留めている。優しそうな顔立ちも相まって、初めて見たときは女の子かと思ったのを覚えている。

 

「・・・。」

 

ノアくんは、マキナさんと一つ席を開けて座った。

普段は起きている大人たちは、まだ寝ているのか。昨日、皆で大変な依頼にでも行ったのだろうか。

 

「あ、カナメさん、そろそろ大丈夫じゃないですか?」

「はい。手伝ってくれてありがとうございます。座っててください。今、用意しますので。」

 

話していると、思ったよりもすぐにできたようだ。

カナメさんは、俺たち三人にスープをよそってくれた。ふと時計を見ると、6時半になっていた。まだ早起きかな。席に座ってスープを飲むと、少し空腹を思いだし、すぐに平らげてしまった。まあ、なんか、良くわからないものは沢山入っていたけど。味は美味しいし、二人が平然と食べているわけだから、きっと一般的なものではあるのだろう。・・・慣れない。食に慣れるのが当面の課題かもしれない。

 

「・・・課題、か。」

 

あとは、少なくとも、自分の力でお金を稼げるようになること。

 

「どうしたの?」

「あ、いや。。。あの、ギルドの依頼(クエスト)って、どういうのがあるのかなと。」

「あー、依頼板(ボード)見に行ってきたら?色々あるよ。」

 

隣に座る赤髪の少女は、そう言って、酒場の奥にある掲示板を指差した。

 

 

 

 

 

 

「うーん・・・。」

 

ランクCと大きく書かれた掲示板には、30枚ほどの紙が貼ってあり、それぞれに依頼のタイトルと詳細が書かれている。たとえば、『灼熱を求む』内容は、不定形種(スライム)の一種である、"マグター"というモンスターの(コア)を持って帰ってきてほしいというものだ。

なんでも、マグターとは全身がどろどろしていて体温が非常に高いモンスターだが、その中心にある(コア)が外皮に比べ物にならないくらい熱く、死んだ後もしばらく熱を発するため、熱源としての利用価値があるそうだ。個数は10個で、報酬は50マルカだそうだ。贅沢をしなければ、2日食べていけるお金。

 

『マルカ』とは、魔法の世界での国際共通通貨。価値としては10マルカで一人一食分の食料が買えるくらい。

100マルカ=1銀マルカ。100銀マルカ=1金マルカ。それぞれ、薄い棒状の板で作られていて、金属と模様が異なる。金マルカとかになると、一般人が持ってることはあまり無いそうだ。ちなみに、俺は一銭も持ってない。ギルドのご飯は全員で出した食費で賄ってる。だからこそ、俺はお金を稼がないといけない。

迷惑かけっぱなしは俺が耐えられない。というか、このままってことも無理だろう。

 

「こ、こんなの、どうかな?」

 

俺の横から、長い袖がひょいと一枚の紙を指し示す。

 

「えっと、これですか?」

「う、うん。」

 

袖からはみ出た細い指が示すのは、このタイトルだった。

 

 

 

「『転落にご用心』?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初仕事

依頼(クエスト)『転落にご用心』

 

岩壁にのみ咲く花、マナフラワーを積んできて欲しい。これは魔道具(マジックアイテム)の合成に大量に使わなければならないので、最低でも30輪は積んできて欲しい。報酬は、1マルカ/輪としよう。

 

 

 

 

マキナさんいわく、よくある採取依頼の一つだそうで、

難易度はC-と、最低難易度である。つまり初心者おすすめコースだそうだ。

だから、ギルドでまだ依頼を受けてないない俺とノアくんで即席パーティーを組んで、二人の初依頼ということになった。パーティーというのは、数人ーー人数に制限はないが、一般的には多くて8人ほどーーで行動するチームのことで、同じ部屋だし、お前ら二人とも初めてならせっかくだから行ってこいと。そんな感じで決まった。

 

ちなみに、今回の依頼での採取場所は報告さえすれば基本的にどこでも良いらしく、岩壁に登ったり飛んだりする事さえできればそう難しい依頼でもない。

 

現場につき、崖の上から下を見下ろす。

うん。高い。くらくらしてきた。

 

俺はこの世界に来た、俗に言う異世界の存在で、この世界の特色であろう、魔法なんて使えない。

その上、体力は人並みにある程度だろうが、道具なしで岩壁を登りながら花を積むほどの身体能力は残念ながら持ち合わせてないときた。

一方、実は結構アテにしていたノアくんは魔法使いだが、得意なのは、というか、使えるのは植物と光の魔法だけで、空を飛ぶことはできないらしい。あと、当然ながら崖を登るほどの体力はない。

 

以上。

つまりは一番最初に出たこの世界において最も一般的であろう案は俺たちのステータス的に無理だった。

 

残る方法と言えば、筋力で岩肌にしがみついて花を採ってくることだが、素の状態で崖にしがみつくのは無理だと判断したので、安直な考えだが、ノアくんが魔法でロープの代わりになるものを作ってくれるようだ。

 

横にいるのは、首から下は全て覆われるほどの大きなローブを着て頭にとんがり帽子。そして、大きな宝石のついた杖を持つ、俺の印象としては、どこからどう見ても魔法使いのテンプレといった格好のルームメイトがいる。彼は懐からなにかを取り出して地面に蒔いて、そこに手をかざした。

 

植物魔法(プラントスペル)成長(グロウ)

 

しっかりと、目の前で見るのは初めてかもしれない。

緑色の魔方陣が地面に現れ、その中心から芽が出て、みるみると伸びていき、若葉が生え、腕の太さほどで、とても長いツタになった。そのツタは魔法の効果か、それともこの世界の植物の特徴か、うっすらと光を湛えている。どこか神々しく、それは奇跡の力だと感じた。世の理に抗う力。それが魔法だと。

 

「これ、結構、疲れるから、あんまり何回もできないんだよね。。。僕が、未熟だから、なんだけど。。。」

 

見ると、彼の額にはうっすらと汗が滲んでいる。 彼の手に持つ杖は、少しだけ深く、地面に跡をつけていた。

 

「じゃあ、ここからは俺が行きますね。」

 

彼に負担をかけてしまったから、ここからは俺の番だ。幸い、ロープを垂らせれば、時間は掛かるかもしれないが、休み休みマナフラワーを積んでくることができるかもしれない。

 

「待っててください。」

 

試しにツタをおもいっきり引っ張ってみるが、それが生えている地面からはびくともしない。

よし。これならこのまま行けるかもしれない。

とても太いツタを腰に巻き付け、おそるおそる身体を宙に浮かせる。

 

「ーーっ!!?」

 

やっぱり上から手伝ってもらった方がよかったかもしれない。そのツタが崖の中途半端な高さで延びきってくれて良かった。もしもこのツタがあと倍くらい長かったら崖の下には挽き肉が転がっていたかもしれない。想像するだけでおぞましい。いや、ツタの真ん中あたりを降りるときに握っていればよかっただけか。気づくの遅いな。

それにしても、ツタはかなり丈夫なようで、しっかりと俺の体重を支えてくれている。相当丈夫だ。どういう植物なのだろうか。帰ったら図鑑でも見て探してみよう。

 

「さて、と。」

 

足をその辺のでっぱりに引っ掛けて、周囲を見渡した。花は、見ればわかるらしいが。

"見ればわかる"って特徴も、なんにもわかんねぇよなぁ。これがもし、"魔力を持つこの世界の住民なら"という意味なら完全にミスかもしれない。なんかやたら前途多難だ。これで本当に最低クラスの依頼なのか。正直舐めていたかもしれない。

 

「・・・あれかな?」

 

岩壁に固まって咲いている花を見つけた。花弁は紫色が内側に向けて青くグラデーションになっている花だ。

手頃な場所を伝っていき、花に近づく。わかっていたけど壁に張り付いているのもなかなか辛い。俺は鬼ほど力が強くないから、ツタがあるという安心感がなかったら、すぐに諦めてしまいそうだ。

体力的にはまだなんとかなるけど、下を見たら精神的にはアウトになるかもしれない。すげぇ怖い。

で、肝心の花はというと、その種類の花しか咲いていないし、まあこれかな?と。

とりあえず、目の前にあるだけは採っていくことにした。

 

 

 

「あ、、、お帰り。アルムくん。」

「その、一応、見つけたやつは採ってきたんですけど、合ってるか分かりますか?」

 

ノアくんは、軽く花を触って、頷いた。

 

「うん。これが、マナフラワーでいい、よ。」

「あ、じゃあ、同じものを集めてきますね。」

 

どうやら、この世界の住民にはわかるというのが当たっているのかもしれない。そんなものがもしもこの世界に沢山あるなら、採取依頼は避けた方がいいかもしれないということもまた確かだ。

そんなこんなで、どれが目的のものかハッキリすればトントン拍子で進み、途中からはノアくんが魔法でツタをコントロールしてくれたので、日が暮れる前にノルマの倍ほどの量のマナフラワーが採れた。二人で分けて一人の取り分は30マルカ。二人の初仕事としては地味かもしれないが、上出来だ。

決してショボいとか思っちゃいけない。これでも頑張ってるんだから。

 

「あの、まだ暗くは、なってないけど、家に帰る頃には真っ暗だよね。。。きっと。。。」

「・・・そういえばそうですね。」

 

ギルドは森は町外れにあり、森に囲まれている。その上帰り道はほぼずっと森なので日が暮れると辛い。この世界で自然はほぼ未開らしく、灯りは愚か道すらもまともに開けていない。要するに、暗くなってから町の外を出歩くのは危険だと言うことだ。なので日があるうちに歩けるだけ歩いて、暗くなったら手頃な場所で野宿をすることにした。もちろん、この世界には寝ている間もずっと光を保つ道具なんてない。ただでさえ薄暗い森の中だ。ノアくんが光魔法を使えなかったら、夕方になる前に活動限界が来てしまう。

 

光魔法(ライトスペル)球体(ボール)

 

魔力を光に変換して、それを球体の光源にする魔法だそうだ。形は球体だけでなく、使用者の想像力によって様々な形をとり、ずっと発光し続けさせる魔法。といっても、"発光"するわけだから使用中は常に魔力を消費するらしい。だから、彼の魔力だと夜通し点けておくのは難しいそうだ。

 

「魔法って、便利ですね。。。」

「そうかな。あんまり、意識したこと、無いかな。」

 

行きに通った道は、ほんの少しだけ草木が少なく、なんとか"道"と呼べる程度のものだが、それだけで迷わなくてすむようになるのだからありがたい。

その道を辿りながら、ギルドへと向かう。

 

「そ、そういえば、アルム君ってさ、別の世界から、来たんだよね。」

「・・・ええ。そうですけど。」

 

魔法の世界だからなのか、俺の元いた世界が独特だったのかわからないが、この世界の住民には結構あっさり受け入れてもらえているようだ。俺が別世界から来たと言うことが。

 

「いや、どんな・・・世界だったのかなって。」

「うーん。。。」

 

どんな世界、と言われても。

何が元いた世界の特色なのか。少し考えて、口を開く。

 

「・・・まあ、魔法は、ありませんでしたね。」

「あ、だから、この間不思議そうな顔、してたんだね。えっと、先生が話してたとき。」

 

"先生"とは、まあ、まだ本名は聞いてないんだけど、ギルドで一番の高齢で、知識人らしく希望すれば色々と教えてくれる。だから皆、先生って呼んでる。俺もこの世界についてはあの人からこの数日、色々と教わった。

 

「あと、そうですね、武器、というか、道具の特殊概念だと思ってもらって良いんですが、一人に一つ、ずっと使い続ける物がありますね。」

「・・・ど、どういう、こと?」

 

やはりピンと来ないらしい。もともと、俺の世界では魔法っていう概念があったから、理解するのはわりと早かったんだけどもな。当たり前だったことを説明するのは面倒だ。

 

「あー、なんていうか。。。あ、一生の相棒みたいな感じで。俺なんかはコイツを使ってます。」

 

背負った細身で片刃の剣を軽く示す。

思えば、こちらの世界に来てからというものコイツを使うことは一度もなかったな。平和なことだ。

 

「なんか、"一生の相棒"って格好いい、ね。」

「そうかな・・・。」

 

目を輝かせる彼に、小声で異論を唱える。

いわば、これは呪いみたいなものなのだから。

 

「・・・そろそろ、暗くなってきたね。」

「そうですね。」

 

回りを見ると、ノアくんの魔法で照らされている範囲以外はもうほとんど暗闇になっていた。そろそろ、寝た方がいいかもしれないな。明日も歩くし、食料もないので出来るだけ早めに休むのが吉か。

 

「そろそろ、手頃な場所で寝ましょうか。・・・モンスターにでも襲われるかもしれませんし。」

「じゃあ、木の上、がいいかも。森にいるモンスターは、基本、上がって、来れないし。」

 

この提案に異論はないので、すぐそこに丈夫そうな木があったので、そこに登って手頃な枝に寄り掛かって眠ることにした。ちなみに、ノアくんは俺が眠る枝の1つ下で眠るそうだ。自分で提案しておきながら、実は木登りが得意では無かったらしい。

俺が選んだ場所は、どうも枝だと安定しないので、枝の根本に腰かけて、幹に寄りかかって寝ることにした。背負った剣は邪魔なので前に抱えるようにした。この体制で眠るのは10日ぶりくらいか。ずいぶん昔のことに思える。

さっさと眠ってしまおうと思ったが、なんとなく目が冴えて眠れない。俺がこの世界に来て一週間も経つのか。受け入れてはいるが実感は沸かない。なんだかなぁ。

 

ガサッ

 

草むらが揺れる音が聞こえて思わず身構えた。暗闇に目を凝らしたが、星の明かりだけではなにも見えない。いや、この暗い夜なら相手も同じか。モンスターは登ってこれないし。変に警戒しても疲れるだけか。

 

依頼をこなしているよりも夜、寝ようとしている時間の方が長かったような気がする。でも、どれだけ気を張ったところで特になにも起きない。

風ひとつ吹かない静寂の夜に、俺はいつのまにか眠りについていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

行きはよいよい帰り道

朝日と共に目が覚めた。

どうやらノアくんも同じようで、ほとんど同時に目を覚ました。

 

朝日が目に染みる。

思わず、光に目を背けようと寝返りをうった。

 

「・・・!」

 

ドスン

と、俺の身体は衝撃を受けた。

 

「いっつ。。。」

「大丈夫!?」

「あ、大丈夫です・・・。はは。。。」

 

木の上で寝ていたと言うことをすっかり忘れていた。そりゃあ、落ちるよ。枝で寝返りうったりしたら。

 

 

ギルドを出るときに渡された保存食、ーー多分、これは干した芋のようなものだろう。ーーをノアくんと軽く食べ、早々とギルドへと向かうことにした。

昨日どのくらい歩いたかはわからないが、どうせ道は一本しかないのだし、歩いていればいつかはつく。

 

「・・・そういえば、なんだけど。。。」

 

ある程度、日がそれなりに高くなってきた頃に、ノアくんが口を開いた。

 

「あの、昨日の、えっと、話の続き、してもいい?」

「俺のいた世界の話、ですか?」

「うん。あ、いや、話したくなかったらぜんぜん・・・」

 

ノアくんが慌てたように手を振る。

彼は感情を隠すのがあまり得意ではないような気がする。それが昨日今日、彼と過ごしてきた感想だ。

 

「良いですよ。何を、話しますか?」

「その、背中の剣、ちょっと見せて欲しいなって。・・・駄目かな?」

「まあ、どうぞ。あ、切らないように気を付けてくださいね。」

 

俺は背中の剣を鞘ごとノアくんに手渡した。

細い腕がそれを受けとる。

 

「お、重っ。。。重い・・・。剣って重いんだね。。。」

「鍛えればなんとかなりますよ。」

「うーん。。。僕じゃとても振り回せないや。」

 

少し残念そうに両手で剣を抱える。

どうやら、少し使ってみたかったようだ。気持ちはわからないでもない。昔はそういうの憧れてたし。剣一本でモンスターをバッサバッサなぎ倒すみたいなの。まあ、俺のいた世界ではモンスターなんていなかったけどさ。

 

「一緒に鍛えます?」

「いや、いい・・・。」

「そっすか。」

 

ガサッ

 

俺が特訓の誘いを断られた直後、少しだけ、草むらが揺れた。動物かなにかだろうか。いや、この世界での呼び名はモンスターか。

 

「!」

「・・・なんか、いますね。」

「アルムくん。・・・走るよ。」

「え?」

 

どうやらノアくんはこの状況に心当たりがあるようで、その表情は引き吊っている。

思ったよりもずいぶんと不味い状況なのかもしれない。モンスターとやらはそんなに脅威なのだろうか。何もわからない俺としては、ノアくんの指示に従うしかない。

 

「あ、剣は返すね!行くよ!」

「え?あ、ちょ!」

 

剣を俺に押し付け、走り出したノアくんは思いの外速い。普段のんびりしている分、かなり意外に思えた。というよりもそんな呑気に感想を言ってられないほど速い。どこにあんな俊敏さなんて持ってるんだ彼は。

 

「これ、なんなんですかっ!」

「とりあえず逃げて!振り返らないで!」

「えぇ。。。」

 

振り返るなと言われると見てみたくなるものがある。少しだけ、振り返ってみた。

目に入ったものは、なんとも形容し難いものだった。形が定まっていないというか。ゆらゆらと揺れる影のようにも、粘度を持った液体のようにも形容できる。それは見ているうちに、次第に定まった形を作っていく。

 

そう、それは・・・

 

光魔法(ライトスペル)閃光弾(ボム)!!」

 

混乱に思考が覆われる前に、視界が光に覆われた。

そして、腕を引っ張られる。

 

「目を逸らして!!!」

 

耳元で叫ばれた。

そこまでされて、ようやく、意識が戻ってきた。

 

「大丈夫!?何が見えた!?」

「いや、・・・大丈夫っす。」

「前だけ見て。そして走るよ。僕らじゃ、アレには勝てない。」

「"アレ"って・・・」

「説明は走りながらするから!」

 

彼の必死さから、彼の口調の今までにないほどの力強さから、"アレ"はとても恐ろしいものだということだけは伝わった。

俺も一度は止まりかけた足で再び駆け出す。

 

「アレって、一体なんなんですか!」

「モンスターの一種。悪意の影って呼ばれてる。視た者が恐れる姿になって、催眠にかけて、その魂を喰らうモンスターだ!」

「あの、見ちゃったんですけど・・・。」

「一瞬なら、平気っ。」

 

走りながら話すのはかなり消耗するからか、ノアくんは口を閉じてまっすぐ前を向き、走ることに集中するようだ。俺もそうするのが最善だろう。ただ、その存在は、"悪意の影"とやらはそんなに強いのだろうか。逃げるしか術がない、というような状況だが、どうなのだろう。

そんな考えが頭を過ったが、すぐに首を振った。人間のようにいくとは限らない。この異世界ではまだ経験が浅すぎる。ここは、ノアくんに従おう。

 

「どうしてこんなところに・・・!」

「どこまで逃げれば!」

「ギルドまで逃げれれば確実!」

「マジかよ。。。」

 

後ろから追ってくる音は聞こえるので、全速力で走っていてもその速度に追い付いていることはわかる。要するに、バテたら追い付かれる。追い付かれたらどうなるかわかったことじゃない。ノアくんが正しければ・・・俺が魂を抜かれる。そして何よりの問題は、俺たちが帰るまで、体力が持つかどうかだということだ。このまま逃げて、逃げ切れるのか?まだスタミナのある間に戦った方がいいのではないのか?もしこれで逃げ切・・・

「がっ!」

「だ、大丈夫!?」

 

木にぶつかって尻餅をついてしまった。また考えすぎて前が見えていなかった。完全に足手まといだ。

 

「ひっ!」

 

ノアくんの上げた悲鳴と同時に、影が俺の脚まで伸びてくる。

「このッ!」

急いで後ろに飛び退き、剣を背中から抜く。この世界に来てから使っていなかった細身の片刃は、鈍い光を反射して、その怪物が刀身に映り込む。

特に覚えのある姿はしていない。最初に認識した、黒くてよくわからない、不定形だ。・・・この状態は、直接見てはいけないのだろう。

「はあッ!」

そのモンスターがいるであろう場所に向かって剣を振る。感触はない。悪意の影、影だから実体はないってか。こうなったら・・・

 

「ノアくん!ごめん!もう一回逃げる!」

「え、あ、うん!」

 

逃げるしかねーだろ・・・!

剣を素早く背中の鞘に収める。そして身を翻し、ノアくんの後を追っていく。実態のない相手に対して、魔法が使えるならともかく、物理しか攻撃方法のない俺は無理だ。そもそも生き物なのかすらさっぱりわからない。これは、逃げる選択が最善だ。

また二人で森の一本道を駆けていく。

 

「あ、あの。」

「はい?」

 

走りながらノアくんが訊いてくる。

 

「さっき、なんで、丁寧語じゃなかったの・・・?」

「え?」

「あ、いや、なんか、いつも皆に、丁寧語だから、少しビックリしちゃって。」

「それは、まあ、少し、焦ってたので・・・。」

「その、そっちが自然体なら、いいんだよ?」

 

なるほど。・・・そういうことか。

少しだけ、ほんの少しだけ、昔を思い出す。昔といっても、それはまだそんなに離れてなくて、でも、確実に手が届かない。

 

「いえ。・・・大丈夫です。」

「そっか。。。」

 

そんなことよりも、まずは逃げることが大切だ。

そう言い聞かせて、記憶の扉を閉めた。

 

「・・・ギルドまで、あとどのくらいですかね。」

「わからないけど、あとちょっとだと思う。」

「走りましょう。」

「え、うん。」

 

ペースをあげる。もう少しだ。あと少しで逃げ切れる。

ギルドに戻ったら、まずはあの影を何とかしてもらって、そしたら依頼完遂の報告をして、それで花を納品する。それで・・・

乱され過ぎだろ。さっきの一言で。

 

 

 

結局、本当にあと少しで、ギルドにはついた。

ギルドの周辺には結界が張ってあったようで、近づくと、何かに弾かれて、そしてその姿を影に戻した。そのときに見たのは、あの、不定形の影ではなかった。俺達を、俺を追っているときは、ずっと、あの姿だったのかもしれない。

 

夜。

 

報告も終えて、お金も受け取った。

そして、初めての依頼は、無事に終わった。

 

食事のあと、ギルドの裏庭に出て、夜風に当たる。

 

「・・・なんで、あの姿なんだよ。」

 

よりによって。

あの影は、アイツに化けた。

それはこの世界に来たきっかけ。

そして、俺が帰りたくない理由。

 

「・・・ふざけんなよ。。。」

 

土の上で踞って、後悔を噛み締める。

 

「素なんて、出せるわけない。」

 

色々なことを思い出していたら、いつの間にか、意識は疲れと闇で、夢に連れ去られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜に背を向け朝に向き合う

夢を見ていた。

認めたくない、毎日繰り返した夢。

肉を斬り、骨を断つ感触。

それでもなお、襲ってくる異形達。

全身がぼろぼろで、もう呼吸をするのさえも辛い。

 

「よかった。」

 

そして、あの世界で見た、最期の笑顔。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー!」

 

目を覚ますと、自室だった。

勢い良く起き上がり、天井に頭を打ってしまう。

 

「っタタ。。。」

 

頭をさわろうとして、自分が泣いていることに気が付いた。汗もずいぶんとかいていて、もう涙で濡れているのか汗で濡れているのかもわからない。

強く、強く強く歯を喰い縛る。血の味が滲んだ。

 

しばらくボーッとした後、着ていたシャツで顔を拭い、ベッドを降りた。どうやら、一段目の方に寝ていたようだ。全身がベトベトしていて気持ちが悪い。風呂に入りたい。

 

 

「あ!アルム、大丈夫っすか?」

「え?」

 

部屋を出て風呂へと向かおうと思い、廊下を歩いていると、ふんわりとした緑色の髪の毛の女性とすれ違った。話し方も特徴的で、すぐわかった。

 

「今向かおうと思ってたんっすよ。目が覚めていたようなら良かったっす。」

「あ、シミィさん。ありがとうございます。。。」

 

眼鏡をかけた女性は、このギルド唯一の専門的な治癒魔導師(ヒーラー)。傷の治療や毒抜き、解呪(ディスペル)、ときには瀕死からの蘇生もこなすそうだ。死にさえしなければ彼女が治してくれる。ここまでの治癒魔導師(ヒーラー)は珍しいらしい。

 

「悪意の影に少し、呪われてたみたいっすね。それで、昨日の夜倒れてたんっすよ。ま、起きれたならもう平気みたいっすね。」

「はぁ・・・。」

「それにしても、大変だったんっすよ。マキナちゃんがギルドの裏で倒れてるのを見付けて抱えてきてくれたんっすから。あとでお礼言っておいた方がいいっすよ。」

「わかりました。」

 

マキナさんに抱えられていた・・・?女の子に?

いや、あまり深く考えないようにしよう。なんか精神的にクルものがありそうだ。

 

「あ、あとでまた魔法を継ぎ足すから、少し時間を空けて欲しいっす。」

「・・・わかりました。」

 

この世界の治癒魔法(ヒールスペル)は、知識としては知っているがしっかりと見たことはない。言い方からして俺が気を失っている間にかけてもらっていたようだけれども。俺のいた世界での治療みたいな感じで、ある程度継続していかないといけないそうだ。パパっと治せるのは程度が低い損傷か超上級魔法くらいだそうだ。超上級魔法は効果以上に消耗が激しく、そう何度も使えるものではないとか。

 

「うわっぷ」

 

とかなんとか考えて歩いていたら、またドアにぶつかった。ただ、道はあっていたようで、そこは男風呂の入り口だ。なんにせよ気を付けよう。色々と。

 

 

 

このギルドの、というか、一般を知らないのだが、ここの風呂は広い。一度に大人が5人くらいならゆったりと入れるくらいには。まあ、人数はそれなりにいるからそのくらいが丁度良いのだろう。もっとも、ノアくんみたいに常に一人で入っている人も多いから意味があるかはわからないけど。

 

「・・・。」

 

でもやはり、広い風呂は良いな。

そもそもまともに風呂に入ることもなかったし、ここに拾ってもらえてよかったと思うことのひとつではある。

ここで拾ってもらえなかったら、昨日のようなモンスターの餌食になっていたのだろうか。そう思うとぞっとする。でも、そうなって当然だとは思う。

 

脳裏にこびり付いて、網膜に焼き付いて、離れないのだ。あの表情が。夢で見たのも呪いではなく、きっと罰だ。少しでも、許された気分になっていた罰だ。

 

浴槽に顔を沈めて息を止める。

ここは、居心地があまりにも良すぎる。ここには余計な気遣いも、余計な詮索もない。それ故に、俺は距離を持たないと許された気になってしまう。きっと、俺は俺を赦せない。だから誰かに許して欲しい。そう思っているんだ。そうやって、逃げているんだ。

 

「・・・・・・・っぷは!」

 

思考をすべて飲み込んで、空気でそれを押し込んだ。

どうも一人でいてはいけない。感情がネガティブに進むというのに、自分の脳だけは冷静だ。まるで、生温い泥に溶けない氷を沈めているように。違和感を感じるほどに。

 

「お、アルム入ってたのか。」

「・・・タクトさん。」

 

薄い水色の髪をした青年が風呂場に入ってきた。このギルドの創設者で、リーダーのタクトさん。

 

「横、いいか?」

「あ、はい。」

 

タクトさんは少し長めの髪を上げていて、耳を出している。その耳は人間のものとは違い、細長く尖っていた。妖精(エルフ)の耳だ。妖精(エルフ)属の特徴は、尖った耳に、淡く鮮やかな色の髪の毛だ。彼の場合は青だが、先程の緑色の髪の毛をしていたシミィさんもまた、妖精(エルフ)である。だから何ってわけではないのだけど。

 

「どうだ?身体の方は。」

「まあ、平気です。お陰さまで。」

「なんか、お前が来たとき思い出したよ。・・・って言っても、まだ10日くらいだな。」

 

少し懐かしそうに彼は言う。

 

「あのときも、お前がギルドの裏で倒れてて、それをマキナが運んできたんだ。」

「そうだったんですか。。。」

「そのときも、シミィのやつが治療してくれてたんだったな。そのあと何日間も寝てたんだ。だから、お前がこの世界に来てから、実質は13日目だな。」

「えっと、あの。」

 

俺は、今まで少し気になっていたことを訊いた。何で今なのかはわからないが、なんとなく訊いてしまった。

 

「タクトさんとマキナさんって、どういう関係なんですか?」

「どういうこと?」

「いや、あの、すごく仲が良いし、種属が違うのに兄妹みたいで。・・・俺がいた世界では、属間の仲は極限まで悪くて、常に戦争状態だったので。」

 

タクトさんは頷いて言った。

 

「彼女が幼い頃に引き取ってね。それ以来、俺にとって、マキナは妹だ。種属が違っても、そんなのは関係ない。」

「・・・いいですね。そういうの。」

 

彼の言葉はとても真剣で、真っ直ぐで、揺らがない。

 

「すみません。そろそろあがります。」

「ん。そうか。」

 

風呂に入りすぎた。

息が少し苦しいのは、それが原因ではないのだろう。きっと、面影を、無意識に見付けてしまったから。過去から目を逸らしても、それは今に繋がるのだから。今に向き合おうとしても、それは今までに向き合うことだから。つまりは因果応報。過去からは逃げられない。

それを、嫌と言うほど思い知った。

 

「・・・。」

 

とりあえず、依頼板(ボード)でも見に行こう。少しは気が紛れるかもしれない。そうやって思考を切り替える。

どうしても、面影が見えてしまう。

 

自分の記憶から逃げる術を、俺は知らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新しい二歩目

風呂を上がり、依頼板(ボード)を見るために廊下を歩く。

髪もあまり拭かずに酒場へ出ると、奇妙な帽子を被った影があった。シルエットは普通のとんがり帽子。どの辺が奇妙かというと、そこには大きな口のようなチャックがついており、少し不気味なのだ。あれだけ特徴的な帽子は初めて見る。

 

「・・・誰?」

 

少しの間後ろ姿を観察していると、気が付かれてしまったようで小柄な女の子が振り返った。訝しげな目でじっとりと見てくる。

 

「いえ・・・。えっと、アルム、といいます。その、よろしく・・・。」

 

変に緊張してしまっている。視線が冷たい。

 

「そう。マキナが言ってた新人?」

「あ、はい。」

 

なんだかものすごく冷たい表情だ。というか無表情で、会話をしているだけなのに何故か責められているような気分になる。っていうか純粋にちょっと怖いですこの子。

 

「私はチサト。よろしく。」

 

チサト、と名乗った少女は、こちらの方へと歩いて来て、大きめのコートの袖から手を差し出した。

 

「よ、よろしくお願いします。」

 

握手をすると、その小さな手は異様に冷たかった。こちらが風呂上がりで体温が高かったからだと思うが、少し驚いた。

 

「えっと、このギルドの人ですか?」

「うん。けっこう長い。」

 

今までなんだかんだで顔を合わせていなかっただけかもしれない。何せ、特に全員が集まらなくてはいけない用事などはなかったのだから。

 

「私、朝が弱くていつも昼から起きてるから、多分、それで見掛けなかったんだと思う。」

「そうですか。」

「・・・。」

「・・・。」

 

会話が続かない。

どうやら、彼女もまた、このギルドにおいて少数派である無口なタイプのようだ。あまり人との交流をしている時間がなかった俺としてはこういうのは非常に困る。どうすれば良いかわからないからだ。

 

「じゃあ、私は今から何か食べるけど、アルムはどうする?」

「えっと・・・」

 

彼女に訊かれて気が付いた。そういえば、起きてから何も口にしていない。時計を見るともう夕方で、丸一日何も食べていないことになる。というかほとんど寝ていただけだが。

 

「俺も、食べます。」

「そう。じゃあ、一緒に食べよう。」

 

二人してキッチンの方へと行き、何か余り物があればそれから食べようかと軽く鍋の中などを探す。生憎、今はシェフであるカナメさんがいないのだ。きっと探せばいるだろうが、呼び出すのもちょっと迷惑をかけるようで申し訳ない。

 

「アルムは、何か嫌いなものある?」

「あ、や、特には、」

「じゃあ、適当に作るから。」

「作れるんですか。」

 

そのまま、火の呪文を呟いてフライパンに火をかけ、軽く野菜のようなものを調理していく。カナメさんほど速くはないが、手慣れているようだ。

 

「よく作る。簡単なものなら。」

「すごいですね。俺、あんまりそういうのできなくて。」

 

何かを簡単に炒めたものだが、美味しかった。とりあえず素材のことは考えないようにする。慣れだ慣れ。

食べ終わり、俺が部屋に戻ろうとしたとき、彼女は言った。

 

「・・・そういえば、依頼板(ボード)に面白そうなやつがあったんだけど。」

「そうなんですか?」

「うん。」

 

彼女がコートの中から、依頼書をとりだす。

茶色っぽい羊皮紙には、『呪いの撃退』とあった。タイトルの横にあるランクを示す印を見ると・・・はぁ!?B+!?

この間受けた依頼が最低ランクのC-だったので、その五段上だ。一般的にB+ランクの基準は、「重大な肉体的、精神的損害を受ける可能性のある依頼」だそうで、この間のC-ランク、「不慮の事故を除き、怪我をすることはほぼ無い」で苦労していた俺にはとても無理のような気もする。

 

「えっと、あの、Bランクの依頼、受けたことあるんですか?」

「無い。・・・どうして?」

「いや・・・危ないんじゃ。。。」

「興味がある。」

「えぇ。。。」

 

どんな内容なのか、少し覗いてみることにした。

 

依頼(クエスト)『呪いの撃退』

 

私の屋敷にある地下の書斎が、どうやら呪われてしまったらしい。先日、新しい魔導書を入手し、読もうとしたときのことだ。その魔導書には呪いがかかっていたらしく、頁に綴られた妙な怪物を喚び出すのだ。その本を一度開いたが最後、半永久的に喚び出す代物らしい。私一人の手では食い止めて結界を張るのが精一杯だった。是非、協力して貰いたい。報酬は、10銀マルカとしたい。ただし、最低四人で、本は恐らく呪われた品であるため、解呪(ディスペル)を使える者がいると好ましい。

 

 

「・・・解呪(ディスペル)だったら、シミィさんが居た方がいいかもしれないですね。」

「あ、シミィは無理。」

「え?」

「この屋敷、(オーガ)の領土だから。妖精(エルフ)が行くのは難しい。」

「えぇ・・・。」

 

何故か知らないが、鬼と妖精は非常に仲が悪い。この世界では種族間の壁は少ないと思っていたが、どうやらそこは例外だったようだ。俺の居た世界でもそうだった。・・・どんだけウマが合わないんだ。あの種属は。

 

「それより。この本、貰えるかな。」

「あ、そっちが目的ですか。」

「うん。協力してくれる?」

「いや、あの、何で俺なんですか?」

 

ぐいぐいと来る彼女に、俺が少し引き気味で質問をする。彼女は少しも考えずに、相変わらずの落ち着いた声のトーンで言った。

 

「暇そうだから。」

「・・・。」

 

そんなこったろうと思っていたが実際に言われると随分とクルものがある。

 

「っていうか、あとの二人はどうするんですか?指定人数四人ですよね。」

「ノアとマキナがやってくれると思う。」

「・・・ええ。。。」

 

明らかに新人のメンバーが二人で難易度の高いクエストに挑むつもりらしい。この変な帽子の少女は。勘弁してくれ。

 

「平気。死ななきゃそれこそシミィさんが治してくれる。」

「俺とノアくんは死にますよ?経験知的に。」

「所詮本だから。最悪燃やせば解決する。」

 

手からボッと火を出す。ややドヤ顔で言われた。なんか第一印象と随分違うぞこの子。普通に変な子だ。っていうか、呪いの本ってそんな適当で良いのか。呪いってそういうものなのか。

 

「じゃあ、マキナ呼んでくる。」

「えっ・・・ホントにやるんですか・・・?」

「そっちはノア呼んできて。同じ部屋でしょ?」

「いやいや。俺の話聞いてましたか?俺はやりませんって。」

「なにか問題?」

 

首をかしげられた。

二人で話していても埒が明かないと思い、ノアくんの助けを呼ぶことにした。彼の性格ならば無謀なことはしようとしないだろう。

 

 

 

 

 

 

「・・・僕は、別に、いいよ?」

「決定。」

「よし!行こう!」

「えぇぇぇぇぇ。。。。。」

 

結果はまさかの三対一で依頼実行が可決となった。

なんだ?死ぬほどの依頼じゃないから平気ってこと?難易度基準を、もう一度頭に浮かべてみる。

「B+・・・重大な肉体的、精神的な損害を受ける可能性がある依頼。」

確かに、死ぬとは書いていない。書いていないが、ほぼ同義でも良いのでは。もっと行きたくなくなった。しかしながら、ここで俺が行かないと言ってもマキナさんの腕力ならば文字通り引きずってでも連れていかれそうなので、しぶしぶこう答える。

 

「・・・無茶なことに、巻き込まれなければ、いいです。。。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

翌日の支度を終わらせ、眠りにつく。

うとうとして来た意識の中で、ベッドの下の段から声がした。

 

「・・・その、ごめんね。」

「え?」

「なんていうか、えっと、あまり、行きたくなさそうだったし。。。」

 

ならこっちの味方をしてくれてもよかったのではと思うが、もう決まってしまったことだし、というか、結局押し切られるこの性格を直したい。友人付き合いがほぼ無かったのが原因だろうが。

 

「まあ、良いですよ。明日出るんですよね。」

「うん。マキナちゃんが、タクトさんのいる間だと絶対に反対されるからって。仕事に出たあとに依頼書申請するんじゃないかな。」

「・・・大丈夫なんですかそれ。」

「まあ、しっかり達成すれば。。。多分。」

 

やはりあれだけのことを言っていただけあって、高難度の依頼は心配なのだろうか。というか、そうやって反対されるのはやはり俺たちのレベルではあまりよろしくないと言うことでは。ノア君も、この間が初めての依頼だったわけだし。

 

「・・・何ができるか、試してみたいんだ。僕。」

 

急に真剣な声で、そんなことを彼は言う。

 

「何ができて、何ができなくて、そういうの、知りたいんだ。」

 

今日は新しく知った人も居たが、彼と、ノア君とも会った頃に比べると、随分と心を開けるようになってきた。こうやって、どんどん色々な者と親しくなって行くのだろうか。

 

「そういうことなら、俺も協力しますよ。」

 

それを思うと、少しだけ、心が歪んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遠出は空の旅で

早朝。

まだ日が昇っていないので、朝と言えるかは微妙だが、ギルドの建物の窓から、4つの影が出てくる。

 

背中に剣を刺した影がひとつ。

 

「・・・暗いですね。」

 

ぶかぶかのローブを着た影がひとつ。

 

「よ、夜だから。。。」

 

とんがり帽子を被った影がひとつ。

 

「マキナ、こっちは問題ない。」

 

そして、一番軽装で、長い髪を、頭の後ろでまとめている影が、ひとつ。

 

「よしっ。じゃあ、行こう!」

 

 

作戦、と言えるかはわからないが、誰も起きていない時間にギルドを抜け出し、裏の森の奥でマキナさんが呼んでおいた馬車に乗る予定だ。

馬車に乗るのは初めてだから、少し、楽しみでもある。

 

 

「・・・こんな場所、馬車なんて来るんですか?」

 

しばらく、草をかき分けながら進んでいく。こんな森の深いところに、馬が入ってこれるとは思えないのだが。

 

「へーきへーき。ちゃんと呼んでおいたから。」

「はあ・・・?」

 

そのまま着いて行くと、少しだけ開けた場所に出た。しかしそこも周囲は木で囲まれていて、とてもじゃないが馬が通れるようには見えない。

 

「・・・あ、来たよ。」

 

ノアくんが空を指差す。

遠くに、星明かりに照らされて、白い、白く大きなものが見えた。

 

「おーい!こっちこっち!!」

 

それはどんどん近づいてきて、それが羽を撒き散らしていることに気が付く。

それが馬の形をしていることに気が付いたのは、その少し後だ。

 

こっちの世界では馬が飛ぶのか・・・。

魔法の世界だというだけである程度納得をしてしまう。魔法という概念は思考を放棄する上で便利だ。

 

「馬って空飛ぶのか。。。」

「ん?アルムのとこでは飛んでなかった?」

「あ、まあ。一応。少なくとも、聞いたこと無いです。」

 

暫く前に、お伽噺か何かで聞いたことがある。

美しい翼を持った馬がいて、それは空を飛べると。

自分が元いた世界ではお伽噺として語られていたことがこの世界には実在するのだろうか。そうだとしたら、それはとても素敵なことなのかもしれない。

 

「おや、今日お兄さんは一緒じゃないんだね。」

 

上の方から、馭者の声が聞こえてきた。顔見知りだろうか。

 

「うーん、今日はちょっとね。」

 

馬がゆっくりと翼を羽ばたかせて俺たちの目の前に着地した。音もなく、とても軽やかに。

 

「よ、よろしくお願いします。」

「うん。ノアくんも久しぶり。」

 

ノアくんの挨拶に返したのは、大きなゴーグルをつけた、俺らとそう歳の変わらなそうな男性だった。その背中からは、馬から生えているような、白い翼が生えている。

 

「おや、君は初めて見る顔だね。」

「コイツは最近の新入りで、アルム。」

「・・・よろしくお願いします。」

「僕は天使属のルノ。よろしく。」

 

彼は分厚い手袋をした手を差し出した。天使属を実際に見るのは初めてだ。プライドが高くて、人間同様に他属を見下しているという風に聞いていたが、この世界では、少なくとも彼はそうではないらしい。

俺は彼の手を握り返した。ちゃんと天使って、存在してたんだな。

 

「さて、今日は何処だっけ?こんな朝早くからってことは、それなりに距離があるのかな。」

「ここの依頼地まで。急ぎでお願い。出来れば夜明けには。はい。これは代金。足りる?」

 

マキナさんは例の依頼書と棒状に加工された金属のようなものをルノさんに渡した。あれはこの世界のお金だ。

 

「うん。十分。じゃあ急がなきゃ。じゃあ皆、乗って乗って。」

 

ルノさんが手綱を握り直す。

そして俺達四人は、馬車へと乗り込んだ。

馬車の中は四人だと思ったよりも狭い。マキナさんの空間魔法が無かったら荷物でより圧迫されていたのだと考えると魔法は偉大だ。

 

「あの、マキナちゃん。」

「ん?」

「上着とか、毛布とか、羽織った方が、良いんじゃないかな?空って、結構寒いし。今、夜だし。」

 

ノアくんにそうだねと言い、マキナさんは呪文を口ずさむ。すると、彼女の手元に魔方陣が現れ、それは空間の穴となってそこから大きめのマントが飛び出た。普段から薄着というか、露出多目の格好をしている彼女にとっての防寒着なのだろう。

 

「空間魔法って、本当に便利ですね。」

「まあ、実際、動く倉庫。」

「えっチサトの中で私のポジションそんな感じだったの!?」

「大丈夫。一応友達。」

「良かった。」

 

・・・"一応"で良いんだ。いや、いいけど。うん。

この二人は結構仲良いのかな。というか、同年代皆兄弟姉妹みたいな集団だから、そういうものなのかもしれない。

 

「あれ、そのマント、タクトさんのじゃ・・・」

「へへー。この間お下がりで貰ったんだー。」

「暖かそう。いいね。」

「でしょう?入る?」

「あ、いや。僕はローブ着てるから。。。」

「私は着てるけど入る。」

 

三人の会話を眺めていると、急に身体への重力を感じた。外を見ると、景色が下へと落ちていく。

 

「・・・すげぇ。」

 

飛べるんだ。本当に。

彼らの仲の良さそうな会話を聞き流しながら外を眺める。もう少しで夜が明けるようだ。黒が紫色に染まっていく。窓から下を覗くと、ギルドの建物が見えた。思っていたよりも大きい建物のようだ。そう思っていたら、どんどんとそれが遠退いて行く。この馬車はかなり速い。恐らく、地面を走る馬とは比べ物になら無いくらいの速度で走っているんだろう。視界が一度白に覆われた。それが雲だと気がついた頃には、視界が晴れ、だだっ広い、何もない大地が広がっていた。

 

「おっ。もう砂漠まで来たんだ。速いなぁ。」

「国境だっけ?」

「うんうん。昔にーちゃんと歩いたなぁ。死にそうになったけど。」

 

鬼と人の国境には広い砂漠がある。

どのくらい広いかは話にしか知らないけど、なんでも足で歩くと一月はかかるらしい。水なんかもほとんど無いだろうから厳しそうだ。

 

「そろそろ、越えますね。砂漠。」

 

あっという間に、砂漠は越えられて、鬼の王国が見えてきた。

山脈の上に立つ、高低差の激しい地形をした国だ。天候の変化も激しいらしく、外からの移民は少なそうだ。

人間以外の国を見るのは、生まれてはじめてのことだ。鬼は野蛮だとかなんとか聞いていたが、空から眺めている分にはとても穏やかに見える。というか、見もしないのにそう判断するのは失礼だな。うん。

そうこうと考えているうちに、体が前に引っ張られる感覚に襲われる。外を見て、減速していることに気がついた。

動きの早い乗り物は便利だが、こういったのにはいちいち驚かされる。

 

「いやー、速い速い。やっぱ遠出は馬車だよね。」

「・・・じゃあ、そろそろ、準備しよう。」

 

女子二人がマントをたたみ、マキナさんが手元の空間の穴に放り込む。今思ったが、あの先は何処に繋がってるのだろう。その穴はとても真っ暗で、見覚えがある不安が少しだけ過った。

 

「よしっ!」

 

いきなり、本当にいきなり、マキナさんが馬車の戸を開けた。ノアくんの手を取る。

 

そして、

 

飛び降りた。

 

 

「え?」

 

遠くなっていく二人の影を見ていると、俺の手も引っ張られ、気が付けば空を舞っていた。

 

 

 

「・・・・・・・!?」

 

 

強風に揉みくちゃにされながら、俺は心の中で、もう二度と見ないであろう、懐かしい場所を思い出していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見渡す限りは骨

風が、強い。

 

あまりにも強く、目を開けていられない。

口はこじ開けられたが声がでない。

喉が痛い。風圧が持ち上げようとしている体を、重力が容赦なく引き付けようとする。

あ、死んだかもしれない。さようなら。えっと、誰にだろ。大きな布でもあれば助かるかもしれないが、この高さから落下したら確実に死ぬ。

 

 

ごうごうと鼓膜を叩き付ける空気が、不意に弱くなった。

 

 

「ごめん、大丈夫?」

 

声がした。

恐る恐る目を開けると、視界の遠くに地面があった。

 

「ひッ・・・。」

「落ち着いて。まずはちゃんと箒に乗って。・・・そろそろ限界だから。」

 

どうやら、俺の右手を掴む少女は箒に乗って、空を飛んでいる事を把握した。

 

箒に乗って空に飛ぶって、そんな文化本当にあるんだ・・・。

左手で箒に捕まる。

体重をかけてみたが、あまり上下しない。イメージとしては、水面でボートに捕まる感じだろうか。

そのまま、木登りーーと言っても、ほとんどしたことがないがーーの要領で引っ張り上げてもらった。

 

「ぅおっとと。。。」

 

少し傾く。

が、すぐに安定した。すごい。飛んでる。

 

「こうでもしないと、置いていかれるから。」

 

前の方を見ると、遠くに俺たちと同じく箒に二人乗りをしている影が見えた。ノアくんとマキナさんだろう。

 

付加魔法(エンチャント)風属性(ウィンド)

 

チサトさんが呟いた。

それと同時に、箒が緑色に光る。

 

風が一瞬、止んだ。

その一瞬の後、ゆったりと進んでいた箒が、明らかに速度を上げた。

 

「まっ・・・」

 

待って?マジで?どっちの言葉が出てきそうになったのかわからない。いや、多分両方。

俺はチサトさんの後ろにいるから、ある程度風が軽減されても良いはずなのだが、吹き飛ばされそうになる。前傾姿勢にならないと・・・

あ、駄目だコレ落ちるやつだ。握力がもたない。ってか、なんで捕まってられるのこの娘・・・!

少し諦めかけたときに、風が止まった。箒が止まったということに気がつくのに少し時間が必要だった。

 

「・・・マキナ、置いてかないで。」

「ごめんごめん。一回やってみたくってさー。飛び降りるやつ。お金は先に払ったんだし。」

 

暫しの放心の後、横を見ると、マキナさんがいて、急に速度を上げた理由と追い付いていたことに気がつく。

 

「あ、あそこのお屋敷だって。」

「鬼のお屋敷って、あんな感じなんだ。。。」

 

マキナさんが指す方向には、瓦屋根で、平屋建ての建物があった。あれが依頼主の屋敷なのだろうか。なんというか、お金がありそうだ。

・・・終わりを意識したら無性に早く降りたくなった。地面が恋しい。というか、箒は馬車のような安心感がないから長く乗るのは辛い。それと、その、そろそろ股が痛くなってきた。

 

「あと距離もそんなにないから、近くに降りて歩いていこっか。」

 

マキナさんの提案に、思わず助かったとか思ってしまった。しばらく空の旅はいいや。

 

 

 

しばらく歩いていくと、大きめの門があった。

 

「たのもー!」

 

マキナさんが声をあげながら門に触れる。

たのもーって。別に道場破りに来た訳じゃないんだから。

 

「イタッ!」

 

黒い手袋を着けた指が触れた瞬間、バチっと音がして魔方陣が現れた。それと同時にマキナさんが仰け反り、指を手で包むように撫で付ける。

 

「痛ぁ。。。」

「・・・妨害結界、かな?」

「かも。」

 

横で、とんがり帽子のノアくんと変な帽子のチサトさんが話している。結界という言葉を聞き、俺は魔法の世界に来たんだなぁと改めて実感する。いや、さっきまで思いっきり箒で空を飛んでいたわけなんだけども。

 

「結界って、突破できたりしないんですか?」

「一応、耐久力以上の火力を一気に叩き込めれば。でも、術者に解いてもらうのが一番早いと・・・」

付加魔法(エンチャント)爆破属性(ブラスト)

肉体硬化(ボディ・スティフェン)!」

 

急に二人が呪文を唱えた、

淡い黄色の魔方陣がマキナさんの右手に現れる。そして、マキナさんの瞳の色が薄い青に変化した。眼の力だろうか。淡い黄色の魔方陣に包まれた右手が、青く光出す。

 

「らっしゃぁ!!」

 

大声を上げて扉に拳を叩き付ける。

扉は、物凄い音を出して木端微塵に爆散した。木片が少し頭に当たった。痛い。

・・・いや何してんの。人ん家でしょ。どうするのこれ。壊しちゃったよ。

 

「よし。」

「よしじゃないよ・・・」

 

ナイス。ノアくん。俺はもう呆れて声もでない。あー、何て言って謝ろう。というかそもそも許してもらえるのか。人様の家に押し掛けて門をぶち破ったなんて常識的にアウトだ。

 

「さ、入ろ。」

「マジか・・・。」

 

平然と赤髪の少女は門があった場所を通り抜ける。常識が通じないのか、はたまたこの世界はわりとアグレッシブなのか。きっと前者だと思いたい。後者はついていける気がしない。

 

「ま、待って。。。」

 

ノアくんがその後ろに隠れるようについていく。彼は第一印象に変わらず臆病なところがある。おそらく、今ここで後ろから脅かしでもしたらまず間違いなく、マキナさんに抱き付くだろう。いや、やらないけど。

背丈がマキナさんと同じくらいなのもあって、なんだか普通にノアくんが女の子に見えてしまう。髪も肩くらいまであって長いし。

なんというか、見てて心配になってくる。

 

「・・・行くよ。」

「え、ああ。」

 

すごく悪いことをしている気分だ。っていうか、実際している。俺は実行犯ではないけど端から見たら共犯だよな。。。

門の向こう側には屋敷の玄関があって、そこから丁度、家の主人と思わしき影が出てきた。長身に、頭から生えた角。そして、上半身には素肌に一枚上着を羽織っている程度の軽装。典型的な鬼属(オーガ)だ。

 

「・・・・・・」

 

絶句している。無理もないか。大きな音がして玄関に出てみたら門が吹き飛ばされてて、見知らぬ子供が四人もいるわけだし。

 

「あ、依頼の件できました~!」

「ちょ、マキナちゃん、まずは謝った方が・・・」

 

俺は正直、土下座の準備をしていたくらいだったのだが、家主の反応は思っていたものではなかった。

 

「どうぞ。まあ、お入りください。」

 

 

 

 

 

 

連れていかれたのは、紫色の魔方陣が描かれている書庫の扉だった。

扉の内側から、何かがぶつかるような音がしており、おそらく、この結界がなければ扉はすぐに破られているであろうことがうかがえる。

 

「内容は、依頼書にあった通りです。異形の一掃が主となっていまして、魔導書の方は壊してしまっても構いません。」

 

家主は扉の前で、淡々と依頼内容を話した。

どうやらかなり疲れているらしく、目が死んでいる。結界を保つのには、持続的に魔力を使わなくてはならないのだろうか。よくわからないが、以前、ノアくんが魔法を一度使っただけで顔を真っ青にしてふらついたことを思い出すと、かなり消耗が激しいのかもしれない。大丈夫だろうか。

 

「では、結界は解除するので、あとはお願いします。私は階段を上がった部屋で休んでいるので、終わったら教えてください。」

「はーい。」

「りょ、了解です。」

 

その家主は、ふらふらと廊下を歩いていく。体調が悪そうだ。大丈夫かな。

家主がその場を立ち去るのとほぼ同時に、紫色の魔方陣が消えた。そして、扉を破壊しようとする力が目に見えて強くなっている。

 

「アルム、来るよ!抑えて!」

「は、はい!」

 

突然、マキナさんに名前を呼ばれ、そのまま前に出る。そうか、戦闘か。ヤバイ。しっかり出来るかな。確か、B+ランクだったはず。油断したら大怪我だ。それは嫌だ。

 

「二人はまずは下がってて良いよ。私が奥の様子を見てくる。」

「う、うん!」

「了解した。」

 

指示が終わり、全員が構えたかそうでないかというタイミングで、扉が内側から破られた。

 

「行っくよ!」

 

合図と共にマキナさんが、長い赤髪を乱れさせながら前に飛び出す。ややタイミングが遅れて、俺も前に出た。

相手は、骨だ。骸骨。動物のようなものもあるし、人間のような骨もある。それらが組合わさり、見たこともないような生き物の骨格を形成している。

 

「な、なんだこれ・・・!」

 

マキナさんがその骨の群れに突っ込む。

狭い入り口からは一体ずつしか出てこれないようで、その先頭を蹴り飛ばした。うわぁ、容赦ない。様子見というか、あれでは一番槍だ。先頭が押し戻されたので、入り口にある程度のスペースが出来た。見たところ、生き物ではなさそう。あの骨たちは魔法か何かで動いているのだろう。よく知らないけど。スケルトンってことなのだろうか。

 

付加魔法(エンチャント)加護(プロテクション)

 

部屋に入ると後ろから、呪文が聞こえた。チサトさんの呪文だ。小さな、エメラルドグリーンの魔方陣が俺の胸の前に現れた。マキナさんの胸元にも現れている。対象が複数の呪文なのだろう。身体が軽い。身体能力を向上させる魔法だろうか。

 

「ありがとうございます!」

「そ、それより、前・・・!」

 

目の前に細長い棒が迫っていた。咄嗟に刃で弾く。結構重い。頭に食らっていたら不味かった。兜があれば話は別だが、俺はそんな高級品身に付けていない。

 

「骨しかないってのに・・・!」

 

目の前の数体に囲まれる。数は三、四か。獣の骨が多目で、四つん這いになっているものが三体に、二足歩行に人間の上半身をしているのが一体。こちらは、棒状の骨を武器として構えている。

さっきの一撃を考えると、まともに攻撃は受けない方がいい。避けるんだ。ただ、後ろには後衛が二人。ある程度対応できると信じたいが、出来るだけ向かわせたくない。となると、四対一か。なんというか、かなり迫力がある。狩られるのはこっちなのではないかという恐怖が、少しだけ頭をよぎった。

 

「さあ、来い・・・!」

 

俺の言葉が通じたのかわからないが、正面の二足歩行が襲いかかってきた。先程と同じように、棒で殴ってくる。動きが大きい。これなら見えやすい。半身に構え、右に受け流す。

 

「ッラァ!!」

 

そのまま、右方向に剣を振って、その頭蓋骨を砕く。骨だけってのもあって、かなり固い。二足歩行は右にいた獣型にぶつかって、倒れこんだ。骨はガシャンと音を立てて混ざる。起き上がる様子はない。次だ。

 

植物魔法(プラントスペル)成長(グロウ)!」

 

横から噛みついてきた獣型の骨が、投げられた種を基点に生えた植物の蔦に巻き取られる。危ない。気が付かなかった。

 

「き、気を付けて!」

「ごめん、ありがとう!」

 

この魔法は消耗が激しかったはずだ。そう連発できるものでもないだろう。もしかしたら、これ以外に彼は物理的な攻撃手段を持ち合わせていないのかもしれない。

 

「アルム。私も加勢する。付加魔法(エンチャント)風属性(ウィンド)

 

俺の右側にチサトさんが出てきた。武器のように構えた箒に、魔法をかける。風属性の付加。彼女はおそらく、付加魔導師(エンチャンター)なのだろう。ちなみに、この間読んだ本によるとノアくんのような自然干渉系統の魔法を使うのは干渉魔導師(ウィザード)。最も一般的な魔導師なので、魔導師(マジシャン)と言えば大抵、干渉魔導師(ウィザード)を指すらしい。響き格好良いよね。干渉魔導師(ウィザード)

 

「やっ!」

 

チサトさんが箒を大きく薙いだ。突風が巻き起こり、周囲にいた骨が落ちている本もろともバラバラになって吹き飛ばされる。どうやら、付加魔法というのはそのものに属性を与える魔法らしい。

 

「すごい・・・。」

「油断しないで。」

 

本のページが舞い上がる中、吹き飛ばされバラバラになった獣型の骸骨は、近くにいたバラバラになった骨をより集め、先程よりも大きな、そして頭が二つある獣の骨格を形成した。

 

「マジか・・・」

「マジ。奴等は核を破壊しないとああやって再構築する。核は大抵頭。」

「なるほど。」

 

奥で、マキナさんが暴れまわっている。

拳で獣型を弾き飛ばし、後ろから来たものをそのままとんぼ返りをする要領で蹴り飛ばし、そして次に来た相手の頭を踏みつける。囲まれたら大きくジャンプをして密度の少ないところへと着地し、着地したところにいた二足歩行の頭蓋骨をひっ掴み、それを武器を構えて襲いかかった別の二足歩行の頭へと投げつける。とても乱暴だが、数多い敵の頭を的確に破壊し、そのどれもが動かなくなる。

無駄がない。しかも本人は楽しそうで、猟奇的なものを感じる。様子見とは何だったのだろうか。あれだけ倒しても、相手は無数に存在している。広い書庫をところ狭しとひしめき合っており、キリがない。さらに、派手に動くマキナさんの元へと骸骨が集まっていく。

 

「マキナ!本を探して!多分、それが元凶!!骸骨は私達で引き受けるから!あなたはもう倒さないで!!」

「りょーかい!!」

「ノア!魔力を温存して、回復と撤退に備えて!」

「う、うん。」

「アルム、出来るだけ注意を引き付けるけど、私と離れないように。」

「は、はい。」

 

チサトさんがてきぱきと指示を出す。司令塔は彼女なのか。っていうかノアくんは治癒魔法(ヒールスペル)も使えるのか。よくわからない。戦闘になるのであれば先に彼らの出来ることを訊いておくべきだったかもしれない。依頼内容からそれはわかりきっていたことなのに。

 

「気を引くって、どうやるんですか?」

「こうする。」

 

チサトさんは、帽子の口のようなチャックーーああ、それ、飾り的なやつじゃなかったんだーーを開けて、そして、耳を塞いで、叫んだ。

 

「ーー被怨の叫び(イサラーマ・クレイモァ)!」

 

『Hyawahahawahahawahahawahahawahahawahahawahahawahahawahahawahahawahaha!!!!!!!!!!』

 

()()()()から、腹の底を蒸されるような、全身の毛を逆撫でされるような、そんな不快感を押し付けられるような音が溢れてきた。頭の中をひっかき回される。耳を塞いでも聞こえてくる。ヤバイ。段々と理性が保てなくなりそうだ。

 

『ーーーーー。』

 

急に音が止んで、首を振る。まだ頭がぐわんぐわんする。慌てて構え直すと、骸骨たちの、眼のない穴が、数百、いや、数千あるかもしれない。それが全てが、此方を見ているのだ。冗談抜きでおっかない。

 

「じゃあ、アルム、あとは私を守って。奴等は私を殺そうとするだろうし。」

「え?」

「私の箒は払うもの。奴等の骨を砕けない。大丈夫。怪我しても痛み止くらいは出来るから。加護(プロテクション)もかけ直す。」

 

今にも襲いかかってきそうな怪物に取り囲まれた。

加護(プロテクション)が強まったのか、先程よりもずっと、体が軽くなった。それと同時に少しだけ自信も湧いてきた。これも魔法の効果だろうか。

 

一斉に、骨の異形が襲い掛かってきた。

 

構えた剣を横に薙ぐ。剣が軽い。魔法の効果も、本当に馬鹿にならない。これはいいかも。確か、核は頭。それぞれの個体は多いけど知能と耐久は決して高くない。

そう。的確に潰していけば、耐久は可能だ。全滅はできなくても、マキナさんが本を見つけるまでなら耐えられるかもしれない。

背中にチサトさんがいることを確認する。今思ったが、結構小柄だな。俺の肩よりも少し低いくらいだ。まずは近くの壁に近付きたい。壁際に行けば、逃げ場はなくなる代わりに背中をとられることがない。

 

「・・・まずは向こうの壁に行こうと思うので、箒で蹴散らせますか?」

「ん。やってみる。」

 

箒が大きく半円を描く。

巨大な空気の塊が、群れを吹き飛ばす。カラカラと固い音がして骨が宙へと舞った。

 

「走ります・・・!」

 

俺は、骨の群れの中へと突っ込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

連携

骨が砕ける音がする。

カタカタと笑う声が聞こえる。いや、そう聞こえるだけか。色々な生き物の骨がごちゃごちゃに組合わさっている化け物の頭蓋を砕く。

 

「慣れてきた?」

「相手弱いですし・・・ッ!」

 

後ろにはチサトさんがいて、俺たちは壁に背を向けている状態だ。壁が後ろにあれば、後ろから攻撃を食らうことはなくなる。だから残った三方向からのを捌けば良い。それに、相手は骨だ。言うなれば脳味噌がない。きっと、魔法か何かで決められた動きしかしないのだろう。要するに、知能がない。感情らしきものはあるにしても、喜怒哀楽といった単純なものしかないだろう。

正面を薙いで、逆に返して右を処理し、そして左を突き飛ばして正面を突く。頭を一体ずつ潰していく。しかし同じことを繰り返していると綻びは出るようで、二足歩行の、獣のような頭部をした、棍棒のような武器を持っているヤツを捌ききれず、チサトさんへと棒が降り下ろされる。

 

「ぐッ・・・」

 

側頭部を鈍い衝撃が襲う。ああもう。咄嗟に庇ってしまった。彼女にも自衛手段はあるというのに。俺の横を突風が過ぎ去り、何体かの骨を巻き添えに吹き飛ばされる。

 

「大丈夫!?」

「へ、平気です!」

「いや、血が・・・」

 

咄嗟に強がってしまったけれどぶっちゃけすごく痛いし全然平気じゃない。早く、終わらせたい。あと何体だ。もうどのくらい倒したか覚えてない。途中までは数えていたけれど、もうやめた。いくら相手が弱くても、数が膨大だ。それでも、いくらか減っているようには見える。目的は陽動というか、時間稼ぎ。チサトさんが自身に敵の攻撃性を向けて、俺がそれを護衛し、マキナさんがこの事象の原因と考えられる本を探す。ノアくんは回復魔法を使うために部屋の外で魔力を温存中。といったところだ。現状、面白いくらい連携がとれていない。

 

「何で筋肉ねーのにこんなに力強いのさ・・・!」

 

何せ、マトモに戦ってるのは俺一人だ。いくら魔法で強化されているとはいえ、体力は無尽蔵なわけじゃない。

頭を潰して、次、手に武器を持っている二足歩行、大きく上から頭を狙い鈍器を振りかざす単調な攻撃。後ろに攻撃を向かわせるわけにはいかないので避けずに剣で受ける。弾いてバランスの崩れた相手の頭を砕き、無力化する。一体を捌いている間に、また一体が近付いてくる。動きは緩慢で十分に認識が出来る。いや、そうでなければここまで耐えることはできなかったのかもしれない。

 

「あった!あったよー!!!」

 

部屋の奥、骨の群れの奥の方からマキナさんが大きな本を抱えて走ってきた。おまけに骨を片っ端から片付けながら近付いてくる。俺の仕事量に比べて彼女の仕事量は恐ろしく多い。役割を交代するべきだったんじゃなかろうか。それも無理か。俺が探すのじゃあ、彼女よりも時間がかかる上におそらく彼女の戦闘スタイルは護衛に向いていない。

 

「ん?おお、うわ!」

 

あと少し、というほどの距離で、マキナさんが抱える本が大きく開き、そのページが光り出した。

そして、ページから、新たに怪物が産み出されたのだ。今度は骨だけではない、肉もついた、いや、ほぼ落ちかけている。腐っている。

本から溢れ落ちるようにボトリと一体、また一体と、止めどなく出てくる。

 

「ちょっ、臭っいや腐っ・・・!?」

 

マキナさんが必死で本を閉じようとするが、どうやらそれはかなわないようだ。ガタガタと震える本から次々に腐臭のする肉塊が落ちていく。あっという間に数は数えきれないほどまで増えていき、部屋の中が腐臭で満たされ始めた。

そしてそれらは、ゆっくりと立ち上がり、呻き声をあげながら徘徊する。

 

「ゾンビ・・・?」

「うわ、グロ・・・ッ!」

 

この骨を片付けてもまだ終わらないのか。勘弁してくれ。今のところ、ゾンビとはマキナさんが交戦してくれるだろうが、骨の集団、スケルトンとの戦いは俺の役目だ。しっかりしないと。

 

「マキナ!本に何か書いてない!?」

「うーん、ごめん!!読めない!!なんか魔方陣の紋章みたいな文字しかない!」

「多分ノアなら読める!持って行ってあげて!」

「わかった!!」

 

ノアくん読めるのか・・・あの魔方陣の紋様を。俺はギルドの図書で一目見て脳内が拒否したのを覚えている。部屋の入り口の方を横目で確認する。ノアくんが杖に隠れるようにしてこちらを見ている。その後ろに、黒いローブを羽織った影が見えた。

 

「ノアくん!」

「え?」

 

本を抱えてマキナさんが走っていく。そこにぶつけるように、その黒い影はノアくんを突き飛ばした。

 

「うわっ!」

「ちょっ!」

 

二人がもつれて転ぶ。そして、勢いよくその扉は閉まった。マキナさんが立ち上がり、扉に手をかける。開かないのを確認したようで、半歩下がり腰を低くし、正拳を叩き込む。正門を破壊したときのような爆音が鳴り響いた。空気が痺れるような一撃。しかし、その扉には傷ひとつ付いていなかった。結界だ。それも、先程のものよりも、ずっとずっと強力な。

 

「やっば・・・、閉じ込められた・・・。」

「そんな・・・!」

「アルム、あっち行こう。」

「あ、はい!」

 

随分と数の減った骨の残党の一体の頭部を砕き、無力化してチサトさんと共に駆け出した。

あと、残りは・・・正確な数は数えられない。でも、感覚だが随分と減ったな。元の十分の一くらいには。これならマキナさんが加勢してくれればすぐに片付くだろう。もうそろそろ剣を持つ腕が痛くなってきた。

 

「ノア!読めそう!?」

「う、うん!なんとか・・・」

 

未だにあの叫び声の効果は消えてないようで、骨はチサトさんの方向へと集まっていく。

彼女はというと、箒をまるで槍のように構えている。臨戦態勢になっているのはありがたいが、骨を砕けないならゾンビの相手をお願いしたい。

 

「ゾンビは身体が残らない方法か解呪(ディスペル)じゃないと倒せない。」

「え?」

「私もマキナも出来て物理破壊。」

「・・・え?」

「何か出来る?」

 

いやいやいやいや。無理でしょう。これは。俺にそんな、死体ひとつ消し飛ばせるような技はないし。というかあったらとっくに使ってるし。

 

「いやっ、無理ですよ!?」

「うーん、じゃあ困ったな。どうしよう。」

「ど、どうしようって。。。」

 

どうにかして扉を破壊し、逃げるのが最善手に思える。あとはゾンビを現在進行形で吐き出す危険のある妙な本をノアくんが解読してくれるのを待つか。その場合は護衛が必要だ。今までのを見ていると彼の戦闘能力は皆無に等しい。パワーバランスを考えると俺が行くべきか。ついでにちょっと、頭を治して欲しい。回復できるらしいし。

 

「ちょ、アルムくん!血が!」

「あー、、、治してもらっていいですか。」

 

俺が下がると、チサトさんがマキナさんの横に並ぶ。それとほぼ同時に、身体が重くなった。胸元を見ると魔方陣が消えていく。魔法の時間切れか。意識した途端に、急に頭の痛みが増した。おまけに、恐ろしく部屋が臭い。こういった不快感も全部軽減していたのか。

 

「アルム、ちょっと休んでて。時間稼ぎはするから。」

「・・・了解です。」

 

ゾンビはどうやら現状では倒せないらしい。魔法についてほとんど何も知らない俺が考えても意味はないかもしれないが、どうも思考は休み無く進んでしまう。

 

「動かないでね・・・。」

「あ、はい。」

 

俺が屈むと、ノアくんが俺の髪を持ち上げて傷を確認した。そして手をかざし、呪文を呟いた。

 

治癒魔法(ヒールスペル)癒し(キュア)

 

淡い、青のような、緑のような、不思議な色の光が視界を被う。結構眩しい。思わず目を瞑ったとき、頭に痛みがないことがわかった。

 

「・・・・。」

 

光が消えた。頭を触って確認すると、血も止まったし傷もない。やっぱり、魔法ってすごいな。普通に治るのを待ったら十日はかかるのに。疲労による怠さは消えないが、これで一応は大丈夫そうだ。

だが、この魔法もかなり消耗が激しいらしい。ノアくんの額から汗が滲み出ている。仕方がないか。

 

「ありがとうございます。」

「う、うん。僕の魔法じゃ、流れた血までは回復できないから。。。」

 

それでも充分だ。ノアくんは本に目を落とした。俺はチラリと二人の様子を確認する。一応ではあるが、こちらに敵が来ないように抑えてくれているようだ。ゾンビは骨ほど数が多くない。だから出来るのだろう。不死、というか既に死んでいるのだから殺すことはできないってことなのか。

 

「まだ、出てきたりとかは・・・?」

「それは大丈夫そう。この術式だと召喚は一回限りみたい。」

 

俺が見てもさっぱりだ。ちんぷんかんぷん。でも、それを特に苦もなく読めている様子を見ると、彼は相当、その手の方向には強いのだろう。

 

「・・・・・・・。」

 

疲労の溜まっている身体を休ませながら見ていると、ノアくんの顔がどんどん青ざめていった。

 

「っこ、これ、儀式だ!・・・生け贄の!!禁術だ!!」

「何!・・・ノア、説明して!」

死霊魔法(デッドスペル)の、下位、だけど、えっと、召喚した大量の屍を浄化して魂を取り出し、その魔力で冥界の住民を喚び出す。そうしたら、生者の魂を贄に契約をする!このスケルトンやゾンビは冥界の住民を喚び出すための・・・それで、僕たちは、契約のための生け贄だ!」

 

全体に緊張感が走る。いくらなにも知らない俺でも、不味いことはすぐに解った。想定をしていなかった完全に最悪のパターンだ。

依頼項目にあった、解呪(ディスペル)を使えるものを推奨する文は浄化された魂を用意させるため。そして人数の指定はおそらくだけど、冥界の住民とやらの契約に必要な人数なのだろう。本当に最悪だ。まんまと嵌められたわけだ。依頼人が疲れていたのもこれの術式をキープしていたせいなのかもしれない。傷を少し直したり植物を発芽させたりするだけでもかなり疲労するなら、大量の死体をモンスター化させて召喚するなんて、相当量の魔力が必要に違いない。そして俺たちを閉じ込めている結界も、入り口にあったものと術者が同じだと考えるのが自然だろう。もしかして、ノアくんを突き飛ばしたあの男か・・・?

 

「どーする!?チサト!」

「ノア!術の基点は!」

「えと、術者本人だって!」

「出れなきゃ無理じゃん・・・」

「そ、そんな・・・」

「とりあえず、ゾンビが浄化できない以上、これより儀式が進むことはないはず!だからしばらく耐えて!耐えながら考えよう!」

 

あーもう、考えるより前に動かないと。まだ身体が重いけど、動けよ、それで何か解決策が出るまで耐えろよ。俺の身体。

 

「・・・ッ前に出ます!」

「私も!」

付加魔法(エンチャント)加護(プロテクション)

「僕は何か方法がないか探してみる!」

 

胸に、また緑の魔方陣が現れる。扉を背にして、ゾンビの群れに立ち向かう。俺と、チサトさん、マキナさんの三人だ。ノアくんしかあの本を読めないから、これが一番だろう。

じっくり見ると、物凄くグロテスクだ。目玉が取れかけていたり、身体の部分部分が溶けているヤツもいる。そりゃあ臭いに決まってる。

 

「あーあ。盾役(タンク)は柄じゃないんだけどなぁ。」

「・・・そんなこと言ってられない。それより考えよう。」

「燃やすのは無理なんですか?」

「術の基点が本じゃないから無理。」

「ほらほら二人とも。来たよ!」

 

ゾンビが数十体、此方へと迫ってきた。戦闘開始。

怪我をしてもノアくんが回復してくれるっていうのはアテにしない方がいい。体力を温存しつつ退ける。怪我もある程度なら別に受けたって構わない。いざとなれば一人で時間を稼ぐことくらいはなんとかなる。

一匹目がこちらに到達した。俺に向けて腕を大きく振り回す。動きは結構遅い。剣で受け止めるのならかなり余裕だ。剣で弾こうと力を入れると、ぐちゅりと湿った音がして刃が腐肉に埋まった。

 

「うおっ・・・」

 

胴体を蹴って刃を引き抜くと、ゾンビはそのまま倒れる。起き上がろうとしたので頭を斬る。刃がまた埋まり、それを引き抜いてもう一度繰り返す。頭蓋を砕いた感触があった。だが、そのゾンビは這うように此方へと近付いてくる。足先を触ろうと伸ばしてきた手を剣で突き刺す。が、ぶちぶちと音を立てて手を引き抜き、また伸ばしてくる。なんだよこれ気持ち悪い。手を斬り落として、そうすると、手のない腕で此方へ伸ばしてくる。思わず後退ってしまう。駄目だ。倒せないってそういうことか。しかも気付くと囲まれている。不味い。一体に気をとられて気付けなかった。二人は?

 

「吹き飛べ・・・!」

硬化(スティフェン)!」

 

風が舞い上がり、ゾンビが飛んでいく。そして射ち漏らしはマキナさんがゾンビの柔らかい肉質を硬化させ、殴って吹っ飛ばしている。この手の相手と戦いなれているのだろうか。俺には出来ない戦い方だけど、要するに距離を詰められなければいいということか。

 

「なら・・・!」

 

剣の腹で、相手を斬るのではなく、殴る。殴って押し留める。これが俺の限界だ。残念ながら、派手な魔法も、この武器には特殊な範囲攻撃も備わっていない。あるのは奪うというただ一点のみ。

足元のゾンビを踏みつけ、左にいたゾンビの頭を剣で殴り、重心を崩させる。その隙に囲まれていたところから抜け出し、チサトさんの横に並ぶ。俺はマキナさんのような怪力じゃないから流石に腕力で吹き飛ばすのは無理だ。そうならば。

 

「すみません、俺の剣にも、風の魔法を付けてくれませんか。」

「・・・付加魔法(エンチャント)風属性(ウィンド)

 

チサトさんは頷いて、俺の剣に手を触れる。刃が緑色の、加護(プロテクション)とは少し薄い色の光に包まれる。少し、格好いい。

試しに目の前に迫っていた相手に向けて剣を振る。風が舞い、ゾンビを吹き飛ばした。しかも、俺が剣を振ったのと同じ角度にゾンビの体に切り傷が出来た。箒は薙ぐもの、なら斬るものである剣なら、そういうことだろう。箒ほど遠くまで飛ばすことは出来ないが、押し留め、押し返すことになら充分だ。あとは数を捌ければ・・・

 

「アルム!右!」

「え?」

 

マキナさんに言われた方向を見ると、白い塊が、俺の頭を狙って近付いてきていた。咄嗟に後ろに仰け反って、なんとか回避した。

何だ?今のは?割れた頭蓋骨だ。骨の形から、きっと人間属(ヒューマン)妖精属(エルフ)だろう。いや、そんなことは重要じゃない。問題は、それを投げたヤツだ。視線を送ると、そこには、きっと、俺の背丈の二倍はあるであろう、いや、今も大きくなっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな、巨大な骨の化け物が立っていた。

 

「おいおいおい・・・」

 

大きさはあっという間に五メートル程になって、しかも一体じゃない。大きさにバラつきはあるが、数十体、そう、俺達がまだ処理していなかったスケルトンの数より少ないが、居る。他の、大勢の仲間達の骨を体に寄せ集めながら。獣の形もいれば、首がいくつもあって、それらが別々の意思を、そして同様の殺意をもって動いているのも居る。きっと倒したと思っていたのに壊しきれていなかったヤツもいたんだ。それが、自主的により集まって、より強く、より巨大な化け物になったのだろう。

それが、一歩、こちらに踏み出す。その一歩が大きい。あと一歩で距離を詰められてしまう。

剣を振って起こした風も、密集した骨を砕ききるには足りない。それどころかゾンビもいるのだ。押し留められそうだなんて甘かった。目の前の敵しか見ていなかったのだから。不味い、逃げ・・・

 

「ッ・・・・・!!!!!」

 

今まで何度もかわした、単調な腕力による攻撃。ただ今回は何倍かわからない。速さも、威力も。直撃した。全身がバラバラになるかと思った。本棚に吹き飛ばされて、上から大量の本が落ちてくる。腹の中から、肺の中から、空気がいっぺんに締め出されて、呼吸が出来ない。その後に全身に痛みを感じる。でもまだそれに頭が追い付いていない。命の危険を感じる。もう一発食らったら死ぬかも。意識が薄くなる。恐怖なんてない。諦めの方が大きい。

 

「アルム!!」

 

マキナさんがすっ飛んできて、俺の前に構える。あの骨の化け物が迫ってくる。おお。すっげ。彼女が殴ると、巨体も吹き飛びはしないが、後ろに押し返すことは出来るのか。流石だ。紅い髪の毛が逆立っている。あまりにも彼女が早く動くものだから、炎のように錯覚しそうだ。

 

「アルムくん!」

 

ノアくんが本を放り出して走ってきて、俺に手をかざす。あのときと同じ光が彼の手元に現れる。

 

治癒魔法(ヒールスペル)癒し(キュア)

 

暖かい光だ。頭の辺りの痛みが和らぎ、また頭に怪我をしていたことに気がついた。今度は、俺の腹部に手を当てる。でも、俺は呪文を唱えようとした口を止めた。

 

「・・・動け、るんで。」

「でも・・・」

 

頭の痛みが消えたからか、意識がはっきりしてくる。そうすれば、あとは四肢の悲鳴を無視すれば動ける。幸い、骨はやられていないし、打撲だけだ。動くための弊害は、痛みだけだ。

 

「魔法、温存してください。」

 

よし。剣を構えるだけの体力はまだある。胸の魔方陣も消えてない。いや、さっきよりも光が強い。きっと()()()()ってヤツだろう。何にせよ、彼にこれ以上魔法を使わせるわけにはいかない。だって顔が真っ青だ。もっと、取り返しのつかない怪我を誰かがしたときに取っておかないと。

 

「チサト・・・!!」

 

前の敵を見ようとしたとき、マキナさんの悲鳴が聞こえた。見れば、彼女の身体は宙に蹴り上げられていた。マキナさんが彼女の身体を受け止め、俺たちの近くへと跳んでくる。黒いコートに、濃い色の液体が染み出している。

 

「ノア!チサトを・・・!」

「わかった!」

 

ノアくんがチサトさんのコートを脱がせる。下はマキナさんとそう変わらない服装をしているようだ。露出した腹部が抉れて、血が出ている。ああ、ゾンビが近付いてきた。俺が対処しないと。マキナさんは骨の化け物を押し止めてもらわないと持たない。

剣を振って風を起こし、一番近い一体を吹き飛ばす。ああもう、この動作ですら辛い。そのまま彼らとゾンビの間に入り、距離を詰められる前に風で飛ばす。

 

「我が手に救う力を。・・・主様の加護の下に。癒しを与え、我が代償を以て光と成す。治癒魔法(ヒールスペル)癒し(キュア)・・・!」

 

少し長い呪文の後に、背を向けても解るほど強い光が発せられる。詠唱だ。魔法を使う際、よりその効力を高めるための。きっとそれほど重傷なんだ。俺が気にしてもどうしようもない。彼に任せるんだ。

 

「あ・・・」

 

前ばかり見ていたら、下を這っているヤツに気付けず、足を捕まれた。蹴り上げられるような体力は残ってないし、剣も構え方を変えられるほど余裕がない。対処できないでいると、そのまま引っ張られて転ばされる。頭は打たなかったがもう立ち上がれそうにない。身体の上にのし掛かられ、右腕に噛み付かれる。

 

「うぐぁぁぁぁ・・・!」

 

肉が引き千切られそうで、必死で、ゾンビの顔面をもう滅茶苦茶に左手で殴ったり引っ掻いたり、なんとか引き剥がす。血が腕から溢れる。これじゃあ、もう右手は使えない。間の悪いことに、胸の魔方陣が消えた。身体が重くなる。痛みがより強くなる。

腹に力を入れて立ち上がる。ああもう、また囲まれた。片手で剣を構える力なんてもう残ってない。いよいよ出来ることは時間稼ぎだけになった。いや、それも無理か。骨の化け物が一体、此方に歩いてきた。大きな獣のような形をしていて、そのままでも踏み潰されそうだ。ソイツは、口を大きく開けて俺を食べようとしているように見えた。実際、骨だけだから食べられても平気だろうけど、巨大な口から覗く鋭くて太い歯で咀嚼されたらすぐにバラバラになるだろう。

 

「ボサッとしてない!」

 

マキナさんが俺を抱えて跳び退いた。なにも噛むことのできなかった歯が大きな音をたてる。それでようやく本当に喰われそうになっていたことに気が付く。なんでか頭がしっかり働かない。血を流しすぎたのかもしれない。何でもいいけど止血しないと。ああ、もう意識が保てない。本当に役立たずだ。

 

「マキナさん・・・う、しろ・・・」

 

ただ、コレだけは伝えないと。彼女の後ろに、さっき俺を殴り飛ばした化け物がいることを。そして、その巨大な拳を振り降ろそうとしていることを。

 

「ヤベ・・・」

 

俺を抱えているせいで反応が間に合ってない。このままじゃ直撃だ。これで彼女がやられたら、万事休すだ。ノアくんも、チサトさんの治療を終わらせたらもう魔法は使えないだろう。来るであろう衝撃に備えて、マキナさんが身を強ばらせたときだった。

 

 

「ーーーやっと繋がった。」

 

巨大な白い拳は、何か頑丈な壁にぶつかるようにして、砕け散る。聞き覚えのある声。

 

「説教は後だ。いくよ。二人とも。」

「はいっす!」

「あいよ!」

 

何がどうなったのかはわからない。

ただ、目の前に立つ三つの背中が、とても頼もしく見えた。

 

家族の兄貴分(ギルドマスター)の威厳、見せるとするか!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰る場所

 

 

ーータクトさんが立っている。

そして、砕ける。白い巨大な手が、彼との間にあるとてつもなく硬い何かにぶつかって砕けていく。

 

「・・・サラ。外に出て術者を捕まえてきて。」

「あいよ。」

 

急に現れ、そして骨の化け物の攻撃を防いだであろうタクトさんは指で空気をなぞり、それが光の筋となって文字が導き出される。

 

死霊魔法(デッドスペル)か・・・。なら、こいつで良いな。」

 

宙に描かれた文字は円を組み、魔方陣となる。呪文無しで魔方陣が描き出される。白い光の魔方陣が、無数の閃光になる。一度分かれた光は天井付近まで登っていき、そしてぶつかって弾けた。強い光が、まるで昼間の太陽のような光が部屋中を包み、質量のあるものが倒れていく音が聞こえる。目の前の骨の怪物も、ただの骨と白い灰になって崩れていく。もしかして、これが、解呪(ディスペル)

 

「シミィ、みんなをよろしく。」

「はーい。」

タクトさんのように、いつの間にか現れたシミィさんが俺の頭に手を置いて、やはり独特の口調で呟いた。

「無茶したっすね。帰ったら覚悟しておいた方がいいっすよ。・・・治癒魔法(ヒールスペル)聖なる奇跡(ミステリオン)

暖かい光に包まれて意識がはっきりとし、全身の痛みや怠さが消え去った。そしてそこで、そういえばマキナさんに抱えられていたことを思い出した。彼女はしゃがんでいるが、形としてはお姫様抱っこだ。急に恥ずかしくなる。

「うんうん。マキっちは流石に無事っぽいっすね。チーちゃんとノアは気絶してるけど大きな怪我はないし。」

 

おろして貰った後、それを聞いてほっとする。マキっちはマキナさんのこと。チーちゃんは多分、チサトさんだろう。あだ名の基準、同性?

「ああ。そうだ。見ておくと良いっすよ。あれ。」

 

シミィさんが視線で示した先には、異様な光景が広がっていた。無数の屍の上で淡い光が踊っている。それは何かに吸い寄せられるように一点に集まっていく。

 

「ーーー。」

 

その光景の前に立つ彼が何かを呟く。

それを合図にするかのように、その光が濁り、巨大な黒い魔方陣が出現する。魔方陣は光を吸い込み、文字が宙に融けていく。そしてそれは、大きな穴となって固定される。穴からは冷気が染み出しているようで、背筋が凍るような、恐怖にも嫌悪にも似た感覚に襲われる。あの穴から一刻も早く離れたいと、全身が警告している。あれが、冥府の住民を喚び出す魔法?

どのような怪物が出てくるのかと身構えた。その穴から出てきたのは、手、手、手、手、手。無数の手がタクトさんへと伸びていく。どれも黒い、血なのか泥なのか、よくわからない何かに濡れていて、とてもグロテスクだ。粘度を持ったそれは、少なくともこの世のものには見えない。が、それはまた、何か見えない壁に阻まれるように止まった。触ってはいけないものを認識したような止まり方だった。

「ああ、冥界の住民って、意外と大したことないんだ。」

呆れたようにタクトさんが呟くと、無数の手が吹き飛んだ。何が起きたのか。魔法を使ったような動作はなかった。ただ、無数の手を起点に魔方陣が現れ、その魔方陣が手を内側から切り裂いている。

吹き飛ばされた手はぶくぶくと肉が膨れるように再生し、またタクトさんへと伸びていくが、それも届く前に壊される。何度かそれが繰り返され、タクトさんは横に跳び、位置を変える。

そしてまた迫る無数の手を弾く。何度かして、彼を襲うことを諦めたのか一部の手がこちらの方へと向かってきた。しまったと思い身構えたがその必要はなく、目の前にあった結界がそれを防いだ。色の無い魔方陣を無数の手がガリガリと引っ掻く様はかなり恐ろしい。ただ、その結界はびくともしない。いつの間に張られていたのだろうか。

「君の獲物はこっちだ。」

こちらへと延びてきた手も、魔方陣が現れ吹き飛ばされた。タクトさんが挑発し、通じたのかわからないがまたタクトさんが既に数百を越えているであろう大量の手を一人で迎撃している。彼に触れようとしたことが罰であるかのように、彼に害を成そうとする存在が消し飛んでいく。そしてある程度防ぐとまた横に跳び位置を変える。

 

「なぁんか、することないっすねぇ。。。」

シミィさんが横で眠っているノアくんとチサトさんに毛布をかけ、あくびをしている。とても退屈そうだ。あまりにも和みすぎではないか。絵面だけではまるでピクニックだ。いや、それほど彼が信頼されているということなのかもしれない。というよりも、安心感というか、彼の様子を見ていると全く苦戦しているように見えず、何処か他人事のような、そんな客観的な視線で見てしまう。

 

「シミィさん。」

「ん?」

「アレ、なんていう魔法なんですか?」

「タクトの使ってるアレは、私たちの使ってる魔法とはまた別のものっすよ。」

「はぁ。」

言われたことは何となく理解できる。何せ、彼は先程から"詠唱"どころか"呪文"すらも使っていない。

原理はわからないが、おそらく異様なことではあるだろう。

「なんかね、要はイメージなんだって。昔言ってた。」

マキナさんが口を挟む。()()()()()()よくわからない。魔導師ならわかることなのだろうか。

「まあ。さっぱりなのが現状っすよね。ああやって見てると、実力の差どころかなにか別の手段を使ってるんじゃないかとさえ思ってくるっす。」

また、彼に視線を向ける。タクトさんはまた位置を変え、そしてその、手が出てきている穴を一周し終わったようだった。

 

「・・・縛れ(ロック)

 

彼の呟きに呼応するように、彼の立っていた場所に幾つかの魔方陣が顕れる。これも、無色だ。そして、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。無数の手の四方を囲むように顕れたそれは、光りとなって解け、その穴から出る無数の手を、糸のように、蟲の巣のように縛り付け、動きを封じた。とても細い糸が、その腕を裂くこともなく、その場に絡み付いて固定させる。

 

「おっ、丁度か?」

「ナイスタイミングだ。サラ。」

入り口の方から声がする。・・・入り口には結界があったはずだが、その、部屋と廊下を隔てるべき扉が消し飛んでいる。気が付かなかった。おそらく、サラさんーー先程タクトさんが指示を出した鬼属(オーガ)の女性ーーが破壊し、外に出て、そして戻ってきたのだ。

「外を彷徨いてるのが居たから殴って捕まえたけど、コイツで合ってるのか?」

「ああ。間違いない。さっさと差し出してお帰り願おう。」

サラさんの肩には、依頼人の、同じく、鬼属(オーガ)の男性が担がれている。それを雑に床に放り投げた。どすりと音がして、その男が目を覚ます。

「ぅぐあ・・・」

そして男は目の前の光の糸で拘束されている無数の手を見て、後退る。そしてその頭を、サラさんが鷲掴みにし、その両手を抑えつける。

「これがアンタが喚び出したかった冥府の住民とやらだよ。」

「誰だお前ら・・・」

「そんなことはどうでもいい。コイツ、生け贄を求めてるのはアンタもわかるだろ?アンタに残された道は二つ。で、私達は荒事が好きじゃない。」

サラさんがまだ事情を把握しきれていない様子の男を脅す。おそらく、急に殴られたと思ったら脅され、まだ混乱しているのだろう。

 

「そう、こちらとしては好きじゃない、が。好きじゃないだけなんだ。荒事は。だから一番手っ取り早いのは・・・」

 

言いながら、男の手に込める力を強くしていく。ギリギリと肉が圧され骨が軋む音がこちらまで聞こえてくる。かなり痛そうだ。ほぼ拷問なんじゃなかろうか。鬼属(オーガ)にしか出来ない芸当だ。恐ろしい。

 

「わかった!わかったから!解く!今術を解く!」

「早くしな。少しでも妙な動きを見せたら、その頭を砕いてお粗末な中身を引きずり出すからな。」

・・・えっと、姉さん?笑顔のわりに言ってることが全力でえげつないんですが。怖いです。普通に。

「・・・我、汝と契りを結びし者。我、汝との契りを破却する者。」

そして、その詠唱を終えると同時に男は気を失い、がっくりと倒れる。そして黒い穴にその無数の手が吸い込まれ、穴は閉じた。

「えっと、気絶したのって・・・」

「アタシは何もしてないよ。ま、キャンセル料ってヤツだね。」

「召喚系の魔術は、召喚が不完全なときにそれを止めると魔力をよけいに持ってかれるんだよ。向こうのランクがなまじ高いから尚更かな。」

サラさんが男の着ていた服を破いて、その手足を縛りながら言う言葉に、タクトさんが補足をする。

「じゃあ、今回の件の魔導書、回収していこうか。」

「あ、ノアが持ってるはず。」

マキナさんがノアくんの居た場所へと歩いて行き、顔をぺちぺちと叩く。

「う・・・・・・そうだ!チサトちゃんは!?・・・んぁ。。。」

ノアくんはガバッと起き上がったが、すぐにふらっと倒れそうになる。まだ、彼の顔は青白い。無理をさせない方が良いだろう。

「大丈夫。みんな無事だよ。」

「よかった・・・」

「ところで、本は?」

「えっと、はい。」

ノアくんがローブの懐から例の本を取り出す。所々血で汚れていて、とても物々しい雰囲気を放っている。よく見ると、ローブにも血が着いていて、やはりチサトさんはかなり重症だったのだろうことが窺える。

視線を移すと、すやすやと眠っているチサトさんが目に入り、改めて安心する。今回は無茶をしすぎたのだ。

「まあ、魔導書ゲットしたし、一件落着!」

魔導書をノアくんから受け取り、上機嫌なマキナさんの手からその魔導書が消える。

そしてその本が、厚さが結構ある本の背表紙が、マキナさんの脳天を直撃する。

 

「いったぁ!!」

「三人を巻き込んだのはどうせマキナだろ。落ち着いたらしっかり謝っておきなさい。今回の報酬は罰として没収とします。マスター命令な。」

本でチョップをかましたタクトさんが言う。今回の報酬は、金銭的なところは、完全に詐欺の依頼だったし、そもそも依頼人はこの後どうなるか知ったことではないしでつまりは現金報酬は無し。そうなると今回の成果は例の魔導書だけとなるが、それは没収された。つまりは本当の意味で骨折り損のくたびれ儲け、ということだ。こちとら死にかけたのだから何か見返りが欲しいところはあるが、自分にも非はあるので何も言うまい。命があるだけ幸せだ。

「あ、帰ったらとりあえず、全員一度私の部屋に来て欲しいっす。念のために検査をしたいっすから。」

言いながら、シミィさんがノアくんを背負う。彼女のポジションはやはり、ギルド専属医師に近いものがあると思う。

「じゃあ帰ろう。まだ皆、お昼食べてないでしょ。」

そういえば忘れていた。ただ、まだ若干興奮しているのか空腹は感じない。

「マキナ、前にあげたマント、ちょっと貸して。」

「え?あ、うん。」

マキナさんがマントを取り出して手渡す。そこにタクトさんが手をかざした。

すると、黒地のマントに魔方陣が浮き上がる。どうやら魔方陣の刺繍がされているようで、それが光り出したのだ。

「・・・シスコンも大概っすよね。」

「同意。」

その様子を見てギルド古参の女子二人がぼそりと呟く。

「どういうことですか?」

「あのマント、転移魔法の刺繍をしてからマキっちにあげたやつっすよ。」

「常に持ち歩け、とか言ってたっけか。」

「まあ今回はそれで助けに来られたんっすけど。」

 

ああ、そういう。前々から察してはいたが、やはり彼はそういうタイプか。以前風呂で語られたときは格好良いと思いもしたが、そこまでいくとやや過保護な気がする。別にその妹もそっちの気があるから、とても仲の良い兄妹だと思えば良いだろう。

 

「さあ、早く帰るよ。カナメがご飯作って待っててくれてるからね。」

「はーい!」

「元気良いな。。。」

正直今すぐ寝たい。というか二人寝てるしもう寝ても良いんじゃなかろうか。確か、回復魔法(ヒールスペル)の弊害に被術者は眠くなる、というのがあったはずだ。何度も魔法を使って貰ったから、そのせいかもしらない。

扉よ、開け(オープン)。」

 

タクトさんの呪文に呼応して、マントに浮かび上がる魔方陣が穴に変わった。穴、と表現したのは、他に表現が見つからなかったからで、見たままを言うとすれば光が円の中で中心に向けて渦巻いてるという感じだ。見ていると少し酔いそう。

 

「じゃあ、皆そこに立って。」

 

言われるがまま、俺と、マキナさんと、ノアくんを担いだシミィさん、チサトさんを担いだサラさん、最後にタクトさんが円の中に入る。下から光で照らされ、少しだけ目を細めた。

 

「もう繋げてあるからすぐだ。・・・空間魔法(ヴォイドスペル)転移(ワープ)。」

 

呪文に呼応するように、光が強くなる。非常に眩しく、目を強く瞑る。身体に一瞬の引力を感じ、次の瞬間には急に暗くなる。

 

 

「・・・・?」

 

目を開けると、立っている場所はギルドの、そろそろ見慣れてきた玄関だった。周囲を見回すと、共に転移したメンバーが揃っている。本当に一瞬で移動できたのか。すごい。交通大革命と言った感じだ。こんな便利なものがあるならどんどん使いたい。

「さあ、ついたよ。身体に異常はない?」

「平気っす。」

「大丈夫だ。」

「なんともないよ。」

「・・・多分?」

身体に異常?

「運が悪いと指とか運び損ねることがあるからな。自覚する異常なしなら問題ない。」

前言撤回。

「まあ最悪頭以外なら吹っ飛んでも再生可能っすからタクトの魔法であれば問題ないっすよ。」

シミィさん、ぶっちゃけすごく怖いのでそれ以上言うのやめてもらっていいっすか。

転送魔法ってかなりリスキーなんだな。

「あー!早く食べよう!お腹すいた!」

「じゃあアタシらは気絶組をシミィの部屋に運んでくるわ。行くよ。」

「ああ、そうだ。アルムはちょっと付いてきて欲しいっすね。悪意の影の呪いの検査をしたいっす。」

「俺はじゃあ、カナメを手伝ってくるよ。多分もう、セッティング以外はやることないだろうけど。」

口々にそれぞれが解散していく。俺も慌てて玄関をくぐった。なめらかな野菜の匂いが鼻をくすぐった。

 

「・・・ただいま。」

 

こっそりと呟く。

 

「おう。お帰り。」

 

後ろにいたギルドマスターに、どうやら聞かれてしまったようだ。同じく、小さな声で呟いて、俺の頭に手を置いて、追い越していった。

 

なんだろうか、なんというか、すごく、むず痒い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

言葉の距離

「・・・・・。」

 

非常に、マズい。

 

「・・・・・・・・・。」

 

周囲には、何故か期待の眼差しを送ってくる仲の良い兄妹がいる。いる、というか、このマズさの現況は赤髪の妹の方なのだが。

 

「さあ!」

「・・・・・・・・・・・・・。」

 

先程から俺は一言も発していない。というか発せない。いや発したくない。・・・発するのに抵抗がある、が、正解か。

だがこの状況から解放されたいのもまた事実だ。大きくため息をつく。そして、素直な感想を述べた。

 

「・・・なんつーことしてくれてんだよ。」

「おおお!!!」

 

目の前で、マキナさん・・・いや、もう腹をくくろう。マキナが歓声をあげる。

この状況を端的に表そう。

今俺は、()()()()()()()()()()()。しかも魔法の力によって。抗えない。

「・・・古代魔法も、こんな使い方されるとは思ってなかったろうなぁ。」

「いやタクトさんも止めてくれよ・・・。」

あ、目上に対しての敬称は付くのか。助かった。。。

「おお・・・。なんか新鮮だな。」

「いやぁ、悲願達成!って感じ!」

「悲願ちっせえ。。。」

 

事の発端は三十分ほど前。朝起きて、着替えて食事して歯を磨いて。日課の鍛練をして、風呂に入ったその後、「用があるから」と呼び出された、いや、拉致された。そしてその結果がこれだった。

「この間、回収した魔導書があるだろ?アレに絶対命令魔法っていうのがあったから、実験台にしたいんだ。」

と、かなり率直に言われ、「家族(ギルドメンバー)へのタメ口を義務化」という内容で、魔法をかけられた。逃げようと思ったら妹の方に取り押さえられた。

 

・・・家族(ギルドメンバー)にすることか?コレ。

 

「よし!ちょっと私、ノアとチサト連れてくる!」

「もう勝手にしてくれ。。。」

 

スタタタと軽い足音を立ててマキナが走っていく。廊下は危ないから走らない方がいい。誰かにぶつかるかもしれないし。ただ一番ぶつかってるのは俺か。主に原因は考え事だが、今回はそれで拉致された。マキナの怪力はもう少しどうにかならないのか。対処法とか。これでも、俺は武器としてやや細身ではあるが剣を使っているから腕力とかはある程度鍛えてるはずなのに。

「・・・アルム、どうしても嫌だったら、今のうちに解こうか?」

「・・・頼む。」

やはり話し方にどうにも自分でしっくり来ない。古代の魔法がどんなものかは知らないが、彼には解くことができるのか。マキナ、いやマキナさんには申し訳ないけどここで元に戻らせてもらおう。自分でも違和感がやばい。

「じゃあ、眩しいから目瞑ってて。」

タクトさんが俺の顔の前に手をかざす。

顔の前に光が充満するのが感じ取られた。おそらくはあの白光だろう。顔の前で直接あの光が出るのは確かに目によくないかもしれない。潰れるとまではいかないだろうけれど。

 

「・・・つッ!」

目を瞑ってしばらくすると、バチッと、静電気の弾けるような音がして光が消えた。

「・・・?」

「いってぇ。。。」

「だ、大丈夫ですか?」

あ、口調が戻ってる。いやそれよりも、タクトさんの指から血が出ている。今の解呪(ディスペル)が原因だろうか。

「いや、あー、結構痛え。後でちょっとシミィのとこ行ってくる。」

「まずは何かで血を止めましょう。」

包帯とかあれば良いんだけど。いや、それこそシミィさんのところに行った方が早いのか?

などと考えていると、廊下を複数の慌ただしい足音が聞こえてきた。

「おまたせ!」

いや。別に待ってない。全くもって待っていたわけではないが、既にあの魔法は解呪(ディスペル)済み。怖いものなど何もない。

 

「いや別に待ってねーよ。」

 

・・・アレ?

 

「おお・・・。」

そこ。ノア。感動しない。

いやまって。おかしいな?さっきので治らなかったのか?

「ああ、アルム。結局、解呪(ディスペル)は失敗した。一部は解けたけど俺にゃこれ以上は無理だ。」

「マジですか・・・」

要するに、目上の人にのみ、中途半端に丁寧語が使える状態か。・・・まあいいや。妥協しよう。うん。我ながらかなりあっさりとしてるが。

「え?何?解こうとしてたの?」

「おかげでこのザマだよ。」

タクトさんはマキナに血の出た指先を見せる。

「ってなわけで、俺はシミィのとこ行ってくる。部屋では自由にしてくれて良いが暴れるなよ。」

「はーい。」

そんなこんなでタクトさんは部屋を出た。残されたのは、この間のメンバー。つまり、マキナ、ノア、チサト、そして俺。

「・・・古代魔法で口調が変えられたって。大丈夫?」

「あー。うん。まあ。」

ノアくんが訊いてくる。大丈夫といえば全然平気だが、特に肉体的には何の負担もないし、恐ろしく自然に口から言葉が出るものだから、精神的に締め付けられてるような感覚もない。その自然さがいっそ恐ろしい。

「古代魔法って、具体的には何なの?」

「さあ?私には内容が読めないから何とも。にーちゃんが読んだの。」

彼にもあの文字が読めたのか。すごいな。いや、単純に勉強量とかの違いだろうが。ノアとタクトさんに比べ、やはりマキナは、その、まあ。有り体に言えば馬鹿っぽい。

「それにしても、強力、だね。」

ノアが、部屋に残された例の本のページをペラペラとめくっていく。

・・・そういえば、さっきからチサトは一言も話してない。どうしたのだろう。

部屋の入り口付近で丸まってる、黒いコートととんがり帽子の物体がたぶん彼女だろうけど。そこへ近づいて顔を覗き込む。

「・・・くぅ」

寝てた。床で。どうなの?女の子としてそれは。

そういえば朝弱いとか言ってたな。数週間単位で俺が午前に顔を会わせられなかったレベルでは弱い。さっきおもいっきり引っ張られてたよな。相当眠いのか。

「あー、変に起こさない方がいいよ。噛み付かれるから。」

「えっ。」

噛みつくって何さ。彼女そういう習性があるのか?

「帽子の方に。痛いよ。」

「ああ、そっちか・・・。」

いや、帽子が噛むっていうのもかなりおかしなことだけれども。この間、大口を開けて叫んでいるのも見たし、なんていうか、もう魔法の世界だから何でもありくらいの心づもりでいることにした。

「それにしても、なんか、アルムくんがタメ口なの、ちょっと、違和感。」

「いやあ、でも戦闘中とかときどき口調変わってたから、そっちが素なんじゃないかと思ってたんだけど。」

確かに、素かと問われればそうだろう。けれど、その素の状態が誰しも自然体、というわけではない。要するに、楽なのだ。あの口調の方が。

「楽なんだよ。あっちの方が。」

「ふーん。まあ色々だもんねぇ。」

そういうことに関して謎に理解があるのは本当に助かる。理解があるからといって、放っておいてくれるわけではないようだけど。

「・・・今、読んでみたけど、呪いを解くのは、ちょっと、無理、かな?」

「え?呪い?」

「うん。この本に載ってる魔法は全部、呪いに分類されるやつみたい。」

「ちょ、それ大丈夫なの・・・?」

呪いと聞いて良いイメージがない。

「えっとね、呪いっていうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のことを言うんだけど、この古代魔法は、相手に命令をひとつ強制する代わりに、自身にも何かひとつ、強制することを付けなきゃいけないみたい。」

「強制すること?」

「えっと・・・なんでも良いらしいけど、術者側に課すのは、被術者に課した命令よりも難しくないといけない。って書いてある。で、その分効果が強力で、普通の魔法と同じ解き方は通用しないって。」

なるほど。要するに、今はタクトさんにも何かしらの命令が働いているということらしい。一体何を設定したのだろう。少し気になるから、あとで訊いてみよう。

「ギルドメンバーにタメ口よりも難しいことってなんだろうね。具体的に。」

「例には、"朝食を残すな"と命じるならば、"食事を決して残さない"を自身に課す。って書いてある。」

何て平和的な例だ。え?何?絶対服従の魔法と聞いて、こっちの世界の人たちはこんな能天気な事ばかり思い付くのか?著者の思考回路がすばらしくお花畑だ。俺はもう少し物騒な使い方を思い付くのだが。

「じゃあ、にーちゃんの場合は"誰にでもタメ口"みたいな感じ?」

「い、いや、成り立つとは思うけど、それは・・・」

「じゃあなんだろう。」

二人があーでもないこーでもないと議論になっているのか謎な会話を始めた。

 

俺はというと、未だぐっすりと眠っている、変な帽子の女の子を観察することにした。対象は帽子の方。何故って、俺の知的好奇心が耐えられなかったのだ。

「チサト~。」

とりあえず、持ち主が起きるかどうかを確認する。「おーい」だとか声をかけてみたが、眉間にシワを寄せられただけで起きる気配はない。相当に朝は弱いんだろう。

よし。遠慮なく調べよう。

帽子の、何よりもまず特徴的なものは、やはり大きな、横についているチャックだろう。そういえば、先日に叫んだときはここを開けていたような気がする。なら、噛まれるというのは、ここを弄らなければ平気だろう。よく見れば口みたいだし、きっとここがそういう場所だ。と、いうわけで別の場所を観察することにする。帽子のとんがっている先端を見ると、黄色い星の飾りがぶら下がっている。正確には、五芒星を円で囲んだ、平べったいアクセサリーのようなものだ。突っついてみると固い。多分、金属か何か。そういえば、ノアが外に出るときに被っているとんがり帽子の先にも飾りがついてたような気がする。今度よく見させてもらおう。

・・・それにしても、よく寝てるな。床にこのまま寝かせておくのもどうかと思うし、ソファにでも運ぼう。タクトさんの愛用の一人用ソファだけど、まあ別に良いだろう。

「よいっしょと。」

両腕で抱えて、彼女の体を持ち上げる。結構軽いな。ちゃんと食べてるのだろうか。いや、小柄だからその影響かもしれない。なんにせよ、特に苦労せずにチサトを移動させることができた。

「・・・本当に起きないな。。。」

いや、マジで起きない。むしろ、さっきよりも寝心地が良さそうだ。そりゃあ、その為に運んだわけだからね?別に良いんだけどもね?

寝顔はとても穏やかだ。すーすーと寝息を立てている。まだ昼も遠いし、まだ起こさなくても良いか。

こうして、チサトの顔を見るのは初めてかもしれない。いつも帽子をしっかりと被っているから、あまりよく見えなかった。前髪はまっすぐと切り揃えられていて、肩の上程度に後ろも整えられている。睫毛は長い。肌はかなり白く、黒い髪でより際立ち、さらには唇の薄い桃色が映える。肩が呼吸で上下していなければ人形のようだ。・・・つまり、おそらくは、彼女は美人の部類に入るのだろう。

美形かどうかは別として、自分でいうのもあれだが、俺の肌もかなり白い。と、いうか、俺は生まれつきに色素が非常に薄いらしく、体毛もすべて白いし肌もかなり白い。にもかかわらず、瞳だけはとても紅い。お陰様で日中の光は眩しいし、どれだけ暑くても外では長袖長ズボンが必須条件だ。本当であれば帽子も欲しい。俺は持ってないから、機会があったら今度買おう。っていうか、皆が装備してるいかにもな魔法使いっぽいローブ。アレ、良いかもしれない。フードもついてるし。ローブと言えば、彼女はいつも、常日頃から、少なくとも俺が見かけている姿は全て、同じブカブカのコートを着ている。脱いでいる姿を見たことはない。

・・・今は寝ている。

これはよもやチャンスでは?

彼女のコートの下を見る、チャンスでは?

うん。出会って数日とはいえ、気になっていたのだ。彼女がコートの下にどんな服を着ているのか。あんな面白い帽子を被っているのだから、服も何かあるに違いない。だって、口があって、叫んで、それで噛み付いてくる帽子だよ?それに、本当に四六時中着ているようだし、流石に風呂のときくらいは脱いでいるだろうけど。気になるよ。普通。そして寝ている、揺すぶっても起きない。声をかけても起きない。これはいける。コートの構造としては、前をベルトのようなものが複数ついており、それでボタンのように上から止めていっている形だ。初めて見る形状だが、まあなんとかなるだろう。・・・いや、思ったよりも難しいな。

「何してるの?」

「!!」

手をコートのボタンに伸ばしかけたところで、後ろから、マキナの声がし、振り向く。急に声をかけられるとすごくビックリする。

どうやらノアとの会話は既に終了し、彼は先程話題沸騰していた魔導書に釘付けだ。

 

「・・・アルムって、結構大胆だね。」

中途半端な笑いが混じったその言葉の意味を、数秒かけて理解する。

 

「・・・誤解だ。」

 

そうだ。一気に冷静になった。馬鹿だろ。俺。いや普通に馬鹿だろう。何してる? 服を脱がそうとした。誰の? 寝ている女の子の。うん。アウト。なんの疑いようもなしにアウトだこんなの。端から見たら完全にアウト。

「あー、いや、別にね?うん。私はー、まあ・・・ただ、ちょーっと、やるならもう少し、目につかない場所で。。。」

「いやマジで誤解だちょっと待ってくれ。」

変な気遣いとかいらないからとりあえず話を聞いてくれ目をそらさないでくれ。

「どうしたの?二人とも。」

「あー、ノアには、ちょっと早い・・・」

「?」

「だーかーらー!!!誤解だ!!!!」

俺一人で、結構大きな声が出た。そのせいだろうか?

 

「何。煩い。」

 

チサトが起きてしまった。

「・・・お、おはよう。」

「あれ、アルム、口調。」

「ちょっと、魔法で・・・」

まだ目が覚めきっていないのか、どこかぼーっとした声だ。それでも、俺の口調へと反応ができるのだから、意識は結構しっかりしてるのだろう。

「・・・邪魔。退いて。」

「あっ、はい。」

そういえば姿勢が変わっていなかった。ソファの前から、大人しく下がる。

「・・・。」

無言でチサトが立ち上がる。

そしてスーッと部屋の外へと出て行った。

「あー、二度寝かぁ。。。」

「え、まだ寝るんだ・・・」

「まあ、お昼くらいまでは。いつもね。」

今は朝の九時だ。じゃあ、まだ三時間くらいは眠るのか。そういえば、初めて会ったときは二時くらいだった。

「チサトちゃんはね、いつも、かなり遅くまで起きてるみたい。」

「そーなんだ・・・。」

昼夜逆転の生活になってるのか。もしかして、日の出と共に眠ってる?

「ノア、それ読み終わったの?」

「ううん。まだ。ちょっと、僕には、難しいな。」

「結局、それってどんな魔導書?」

「簡単に言えば、今はほとんど使われてない魔法を扱ってるよ。」

「大丈夫なのかそれ・・・」

「危険なのを、使わなかったら平気。」

そりゃあそうか。

幸い、このギルドに物騒な考えはあれど悪いやつはいないはずだから、ここにある限りは安心か。

「正直、この間の死霊魔法(デッドスペル)みたいなのは勘弁して欲しいよ。。。」

「まあ、こっちは死にかけたわけだしな。。。」

「そのページ、糊付けしておこうよ。」

「・・・怒られない?」

「多分、にーちゃんに怒られる。」

彼は怒ると怖そうだ。いや、まだ本気で起こられたことはないけれど、多分、本気で怒らせてはいけないタイプのような気がする。無断で危険な依頼に行ったときのものは、どちらかと言えば厳重注意みたいな内容だったし。

「そういえば、アルムにかけた呪いの話になるけど、結局、今のところどんな感じなの?」

「今のところ?」

「多分、その、どの程度、呪いが有効か、みたいな話だと思う。」

「えーっと、目上、とりあえず、タクトさんくらいの人なら少なくとも、敬称がつけられて、言葉も中途半端だけど丁寧にできる、かな。」

多分判断基準は年齢か役職だろう。対等に近い関係の相手にはタメ口がスルッと出てしまう。

「抵抗あるってわりには結構しゃべるよね。」

「まあ、ガタガタ騒いでも無駄なら、受け入れる方が楽だから。」

「・・・なんか、負けた気分。」

なんの勝負だよ。

「はあ、昼前まで走ってくる。」

なんとなく、気が疲れた。こういうときは体を動かしたい。それに、次、もしもまた危険な目に遭ったときのためにもっと鍛えなくては。

「お、私も行く!」

「ノアもどう?」

「いや、僕は・・・」

「少し体動かした方がいいよ!」

マキナがノアの腕を引っ張る。アレ、多分振りほどけない。彼女の力にノアが抗えるとは思わない。これは少し賑やかなランニングになりそうだ。いや、別に一人で良いんだけど。

「・・・じゃあ、ギルドの庭回り走ろうか。」

でもまあ、たまには悪くないか。俺も早く、この距離に馴れなくては。まさか、口調が変えられただけで、ここまで気が緩くなるとは思っていなかったのだから。

もっと、皆と仲良くなりたい、なんて感情が、確かに俺にあることに気がついた。

「よーし!お昼になるまで走ろう!」

「そんな・・・」

 

 

 

ちなみに、昼になる前に、ノアは倒れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻覚

謹慎最終日。

ギルドにいるだけ、というのも、ヒモ感がありなかなかに辛い。

俺を含む前回の依頼に行ったメンバーは、タクトさんのギルドマスター命令として数日間の謹慎を言い渡されており、それぞれが外出禁止で、基本的に大人たち他のメンバーのいない状況での留守番をしている。

例の一件、つまり、俺の口調を魔法で変えたあの日から、俺とマキナは、なんとなく、毎日共にトレーニングをするようになっていた。

「アルム、あと何周だっけ?」

「えーと・・・あと二周。」

「ペースこのまま?」

「最後の一周は上げよう。」

わかっていたことだが、彼女、かなり体力がある。俺も一応はある程度動けるように鍛えてはいるつもりだが、彼女はこう、俺と同じメニューをやって、俺の数段上へと上がっていくような、そんな印象がある。そもそもあの骨の大群相手に蹂躙をしようとしていたヤツだ。俺と同じ人間属(ヒューマン)だという保証すらない。身体の作りが違うという可能性もあるから、基準も違うだろう。

「このコースも飽きてきたよね。」

「まあ、この数日ずっと同じ道だから仕方ない。」

「そうなんだけどさー。」

思えば、ここ数日彼女との会話が一番多い気がする。一緒に数時間走っていれば自然と会話に繋がるが、今までは一人だったので、俺にとって新鮮と言えば新鮮だった。

「そういえば、ノアくんってこういう走り込みとかしてないけど、やっぱり魔法使うから運動をあまりしない魔導師って多いの?」

「まあ、それぞれかな。私は魔法そんなに使えないから身体動かすことが多いし。ノアは治癒魔法(ヒールスペル)を使ったりするから基本後衛でしょ?だからあんまり動き回る必要が無いんだよね。」

「じゃあ、前衛をするようなタイプは鍛えたりするんだ?」

「うん。そもそも魔法を使わないのもたまーに居るしね。私は便利だから空間魔法(ヴォイドスペル)だけは覚えたけど。」

魔法習得の理由ってそんなんなのか。もっと適性とかいろいろあるんじゃないのか。でも確かにすごく便利そうだ。実際、荷物を最低限しか持たなくていいのは非常に助かる。

「他に魔法を覚えたりは?」

「うーん、私の場合、魔力の質的に一種類か二種類が限界みたい。頑張ればもう一種類いけるけど、単純に面倒くさいからいい。」

「魔力の質?」

「体質?みたいな。これが柔軟だと色々使える。あと、特定の魔法を覚えるために意図的に魔力の質を変えることもあるみたい。ノアがやってたっけ。」

「それどうやってやるの?」

「忘れた。」

「・・・おう。」

話しながら走っていると思っているよりも消耗する。まあしかしこれを毎日やると肺活量が鍛えられそうだ。それはそれでいい。

「魔法に興味あったり?」

「そりゃあ、まあ。・・・それなりに。」

「でもアルムに使えるのかな。」

「精霊、っていうのも宿ってるかわからないからね・・・。」

そう、俺が魔法を使えるか、ということにはそれが絡んでくる。魔法を使う際、精霊という存在と契約を交わすそうだ。精霊は元々この世界のすべての生き物に宿っており、契約とは形式的な、つまりは精霊の存在を自身に認める儀式のようなものなのだそうだ。精霊が宿っていれば、己の記憶に刻み込んだ魔法陣を宙に描き、魔力をそれに変換して魔法を使うことができる。・・・そう、()()()宿()()()()()()。この世界の出身でない俺にはそもそもその精霊とやらが宿っているか怪しい。魔法が使えれば、もう少しみんなの役に立てると思うんだけど。

「まあなくても私みたいに白兵戦闘にすれば問題なくない?」

「確かにそうだけど・・・そこまで強いわけでもないし。」

「使えるとしたら何がいいとかってあるの?」

「攻撃できるやつかな。火とか。」

炎魔法(ファイアスペル)?」

「ああ、それそれ。」

あとは付加魔法(エンチャント)も良いかもしれない。効果継続時間は短いけど物理戦闘にそのまま付け加えられるという点で有効的だろう。俺は物理戦闘がメインになるし、ベースがそれなら、できるだけ戦闘スタイルを変えるようなことはない方が望ましい。そっちの方が役に立てる。足は引っ張りたくないし、それだけではなく、足を引っ張った結果最悪の状況になることも避けたい。

 

「でも狭いところで使いにくいしなぁ。火って、結構森とかじゃ危険だし。」

 

そうか、火を扱う魔法ということは、それが燃え移る可能性も考慮しないといけない。集団を相手に回したときに広範囲にまとめて攻撃が可能だと考えたが囲まれた場合はうまいこと調節しないと大惨事になりかねないというリスクが伴うのか。それに、対集団で誰かを守りながら戦う状況では使いにくさが増しそうだ。そもそも背中に手負いの者を庇いながら戦う場合だと囲まれてしまったときに個人でいるとき以上の負担がかかってしまいあのときの二の舞になってしまう守っているはずなのに最終的には最悪の展開として自分が・・・

 

 

「アルム?」

 

 

ドサリ、と、身体が崩れた。

走っていて何かを踏んで転んだ、とか、そういうものではなく。

糸が切れたような、そういう崩れ方。

なんだ?身体が動かない?違う。()()()()()()()。気分が異様な程に重い。重苦しい。鉛を溜め込んだような、胸の苦しさ。感情が雪崩のように膨らんで、後悔の味が滲む。

「ちょっ、アルム!大丈夫!?」

視界の端に黒い影が見えた。それは揺らめいて懐かしい形をとる。同時に、強い憎しみが込み上げてきた。

 

「影・・・が・・・」

「影?影か!!」

マキナさんが俺を担ぎ上げようとするが、俺は拒んで、膝を押さえて、自力で立ち上がった。

「・・・あっちは、見ない方がいい。」

顔を伏せ、影は見ないようにする。

以前、俺に呪いをかけてきたらしい、悪意の影。あれから少し、調べてみた。どうやら、悪意の影は獲物に選んだ相手に呪いをかけ、獲物の記憶の中で最も対象の心を壊せる感情を再現するらしい。そしてそれに辺り、その対象に最も影響を与えられる姿を取り、幻覚を見せ、戦意と気力を削いだ後にその魂を喰らう。

 

だがそれがどうした?

アレがこの姿を、()()の姿をとる以上、俺はそれを消さなければならない。誰にも、()()を冒涜させはしない。してはいけないんだ。

だから俺は、その姿を、真っ直ぐに見つめた。

 

周りの景色が、侵食されていく。あの想い出の日に。これは幻覚だとわかっていながら、俺は背負った剣を抜いた。

叫び、狂ってしまえればよかった。

 

「・・・マキナ、・・・倒れたら、よろしく。」

 

最早俺の目には映っていない友人へと声をかける。多分、届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体が痛い。

 

 

 

 

走り続けた脚は痺れて頼り無く、剣を振るい続けた腕は持ち上げることすら億劫だ。

 

生気を失った目に見つめられて、また腕を振り上げた。もう、何度斬ったか判らないような、この世のものではない感触が刃を伝う。そして、男は地面に倒れた。次が来る。

「・・・・・。」

何がなんでも、逃がすつもりはないらしい。

 

俺は、ある村で行われようとしていた儀式の贄だった。

白い髪と紅い瞳。それは人間には()()()()()()。それは俺が奇異の視線に浴びせられ、忌まわしいものと切り捨てられる理由としては充分だったらしい。本当なら、もう俺の命は無いはずだった。だが俺は生きている。理由は単純。儀式で俺を殺すはずだった彼女が助けてくれたから。そして村から二人で逃げ出し、どこか、いや明らかに様子のおかしい村人に追われている。

俺には何の思い入れもない。俺たちを襲う彼らは、俺にとってはただ己を迫害した忌々しい村人に過ぎない。だが、彼女はどうだ?

彼女はあの村で生まれ育ったらしい。境遇もあって、村の人々からは優しくされていた。その相手が、何度も、何人も殺されるのを見るのは、酷だ。きっと。想像に難くない。

 

「・・・行こう」

数人に斬りつけて、動かなくなったのを確認してから手を引いてまた走り出した。この手を振りほどいて、何処かへ行ってしまって欲しかった。俺と離れれば、君は狙われることはないと言い切れる。

何せ、先程からあれらは俺しか攻撃してこない。村で何があったからは知らない。だが、尋常でない何かが起きたのは確かだ。

だって、普通じゃない。

何度消しても、命の灯火が戻っている。何度死んでも、蘇る。そんなの、あり得ない。命は不可逆で、だから、俺も彼女も必死で逃げている。相手だけ死なないなんて、そんな理不尽通用するか?

「・・・!」

どの程度走ったかは覚えていない。

けど、決定的な違いがそこで現れた。

「何・・・これ・・・」

手を握る力が、少しだけ強くなった。

握り返す。

黒だ。

黒い。

出てくる感想はそんなものだった。ただ、黒。形も解らないし、それとの距離も判らない。ただ黒く、世界を侵食する、黒。

それは少し、大きくなった。思わず、後退る。足下の木の葉が、その黒に吸い込まれた。

引き換えそうと思った。だが、そんなことをしたら奴等に出会すだけ。どうする?

・・・いや。

 

この先が、危険だとは限らない。

でも、俺が逃げたら、きっと奴等は追ってくる。その筈だ。その確率が少しでもあるなら、俺が彼女と一緒に行くわけにはいかない。

「・・・なあ」

ーーー君だけでも、逃げてくれ。

振り返って、腕を引っ張って、彼女を落とそうと思った。でも、振り返って、そこに居たのは

 

白い髪と

ーーーいつも君が綺麗だって言ってくれた。

紅い瞳の

ーーー宝石みたいで好きって褒めてくれた。

俺と瓜二つの顔で

ーーーそうやって、君はときどき遊んでた。

にへっと笑って

ーーー俺は、君のその笑顔が、好きだった。

 

その穴に、俺を突き落とした。

 

時間は不思議と何倍にも引き伸ばされ、自分も遅くなるものだから何も変わらず、ただその瞬間が永く続く。

俺と同じ影が遠ざかって、その奥に、追っ手が迫るのが見えた。手を伸ばすよりも早く、その景色は遠ざかっていく。

『ごめんね。』

と、君の唇が動いたことは、辛うじて、わかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーハぁッ!」

 

捉えたようだった。

核のような、何か、刃で貫いた感覚が、手に伝わる。

酷い夢を見ていた。いや思い出していた。

目の前で、()()姿()は黒い影に変わり崩れていった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。。。」

呼吸が無駄に乱れている。疲労が酷い。けど、幾分かマシになった。膝を地面につき、剣先に体重をのせた。

あーやばい。変に疲れた。

「・・・マキナ、あとは、よろしく。」

女の子に運ばれるというのも、まあ、今更だ。そのまま地面に倒れ込む。眠い、というより、疲労のピークが来た感じだ。

走った疲労が幻覚が途切れると同時に甦ったのもそうだし、なんならもう動きたくない。かったるい。

「悪意の影が・・・」

マキナが何かを呟いたようだったが、俺は意識が聞き終わるまで保てなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追憶(歴)

俺は、とある鍛冶屋の生まれだった。

幼心に覚えているのは火と鉄の匂いで、両親の顔や声はぼんやりとしている。それでも、優しかったことは何となく覚えている。

 

ただ、幼い頃の夢はいつも、慣れ親しんだ鉄とは別の鉄の臭いで終わる。

生臭い、濃度を持った鉄の臭い。

吐き気とどろりとした感情が俺を支配した。

 

その後はあの牢獄だ。

何日も臭い箱に乗せられて、やっと降りれたと思ったら広い牢獄にいた。

そこは地下だけれど、不思議な光る石があって暗くはなかった。

最低限の食事は与えられ、無気力で無作為に数ヶ月の時を過ごしたように思える。もしかしたら、もっと短いかもしれないし、もっと長いかもしれないけど。

やることと言えば一人には広すぎる牢屋を彷徨いたり、固い石のタイルを数えたり、溝をなぞったり、あとは伸び放題の髪を弄ったり、という程度だった。

 

「君、どうしてこんな所にいるの?」

 

久しぶりに、会話をする気のある言葉がかけられた。

 

「・・・ぅあ・・・ゴホッ・・・ああ。」

 

久しぶりに声を出そうとしたから、喋り方を忘れかけていたことを覚えている。

「・・・ゴホッゲホッ・・・悪いことを、したからじゃないですか。」

「そうなんだ。何したの?」

「・・・知りません。」

「なんで?」

「・・・色々あって、気付いたらここに、つれてこられました。」

「じゃあ、どうしてそんな話し方してるの?」

俺の言葉に間髪を入れず次の質問を飛ばしてくる。それが最初は少し鬱陶しく感じていた。

「・・・目上には、こうやって話すものだと。俺はこの世で一番下だから、全員にこうやって話さなきゃいけない。」

このとき、自分を囲っている鉄格子の中にもうひとつ、俺は牢屋を作っていた。他の存在が入ってこないようにするためのものだった。

 

「じゃあ、私と友達になろうよ。」

 

でも同時に、その牢屋はとても脆くて、その女の子はいとも容易くその中に入ってこようとした。

 

「そうすれば、君は私に普通に話してくれるよね?」

 

不思議と、拒絶する感情はなかった。

鉄格子の向こう側から伸ばされた、細くて白い手を俺の歪んで汚れた手は握ったのだ。

「よろしく。私はリン。君は?」

「俺、は・・・アルム。」

それがつまり初対面というもので、リンという黒髪の少女との俺の最初の出会いだった。

単純なことだった。どこかで読んだ物語のような。そういうモノ(ユメ)の始まりだった。

それから、急に時間の流れは穏やかになった。

無為という日に意味ができ、有意義の意味を知った。

会話することで停滞した心が動き出し、同時に苦痛を思い出した。

時々、リンに渡された本を読み、世界を思い出し、自由に焦がれた。

あまりにもささいな幸せの味は、己のおかれる状況の異常さを物語っていた。

そして、いつ終わるかもしれないその日々の終点は、俺はずっと前から知っていた。

俺たちの日々は、俺の死によって終了される。

それはここに来たときに聞いたことや食事を運び込む人の言葉と、彼女が「巫女」という立場にあることから自然と導き出された。

俺は、彼女によって殺されることでその生を終えるのだと。

本来、武器は一人にひとつ、持ち主が死ねば武器も死ぬのが原則である。ただ、希に持ち主の死後も生きて、次の持ち主を作ることのできる武器がある。

それは時に、()()と呼ばれる者の武器であったり、呪われた曰く付きの品だったりする。そして基本的には前者以外は継承の儀式を禁止されている。

この村にあるのは後者だろう。

これでも武器屋の息子だったから、その程度の知識はあった。

呪いの武器は命を吸って生き永らえる。

要するに、後継者への継承をするときに誰かを殺せば良い。それが人間属の国で呪いの武器の継承を禁じている理由になる。前の持ち主が死ぬタイミング、人間属の寿命は五十年か六十年ほどだから、つまりこの村ではその程度の周期で人を拐うなり買うなりしていわゆる生け贄を手に入れているのだ。

・・・なるほど。国も罰さないわけだ。そんな周期じゃ偶然かなにかだと捉えたり、そもそも人拐いや人身売買も珍しくないし、気にも留めないだろう。

 

「ごめんなさい。」

ある日、リンがそう呟いた。

最初は意味がわからなかったが、俺が彼女の素性に気づいていることを察したのだろう。

「・・・私、君を殺さなくちゃいけないんだって。」

そのときが来れば、当然のことではあった。

元々俺がここにいるのはその為なのだし、それがあったからこそ俺は生かされていて、そして彼女と出会うことができた。

それに、死ぬことは怖くはなかった。

どうしてかは知らないけれど、死を考えても特に心は動かず、ただゆっくりと、水面が揺れぬほどにゆっくり、沈んでいくような心地がした。

「・・・気にするなよ。」

口をついて出てきた言葉の意味を、俺は知らない。

「俺は、(リン)に殺されるなら構わない。」

今にも泣き出しそうな顔が、汚い石畳に伏せられて、暗い、夕暮れの牢獄に嗚咽が響いていたことは覚えている。

その震える体を、何もできずに見詰めていた。

 

もう日が暮れて、そろそろ帰らないと危ないんじゃないか、そう思ったとき、階段の上から足音がした。

「・・・・、リン、誰か来る。」

しかし、その足音は途中で止まり、声がした。

「・・・誰かいるのかい?」

若い、まだ青年と呼べるような男の声だ。

「いや、君達に危害を加える気はない。・・・ただ、少し気になってしまって。大丈夫?もしあれだったら、家まで送ろうか?」

その声の主は少しずつ階段を降りてくる。

残念ながらここに隠れられる場所はない。

それに、その意思も沸かなかった。

降りてきた青年は、背中に大きな荷物と弓矢を担いで、フードを深く被っていた。

「・・・・。 」

視線が、俺とリンを行ったり来たりしているのを感じる。

狩人か、もしくは旅人だろうか。村の住民で大荷物を携帯する必要は無いだろうし、やはり旅人か。

少なくとも、俺は今まで食事を運んできたどの村人とも違う容貌に、少しの不信感を持っていた。

「・・・貴方は誰ですか?」

「ああ、僕?・・・僕はライカ。城下町の方から来た旅人だよ。」

目が見えないから確信は持てないけれど、きっと笑ったのだろう。

「・・・そんなことより、どうして君がここに居るのか、教えてもらっても良いかな?・・・そこの彼女も含めて。」

「髪が、白くて、目が、紅い、からじゃないですか?」

極論を言ってしまえばそうだ。

髪が白くて、目が紅い。この特徴がなければきっと両親が死んだときに商品価値を見出だされずに殺されていただろうし、この村の者が儀式の供物(つごうのいいこども)として認識したのもこの見た目のおかげだ。

どうしてこんな色に生まれたのかはさっぱりだ。俺の両親は、どちらも栗色の毛に黒い目をしていたから。人間属じゃあ、そんな色はあり得ないから。

「・・・君は」

「私たちを、助けて、ください。」

 

ライカ、と名乗った男が何かを言う前に、リンがその言葉を遮った。

摩りきれそうな声だった。

「私、彼を、殺したくないんです。」

この男性はきっと賢い人なのだろう。この言葉で、察したようだった。

「・・・じゃあ、君たちを助けてあげよう。」

しかし、この言葉は予想外だった。

「君たち二人をこの村の外へと逃げられるように僕が何とかしよう。」

ぬるま湯のような絶望に、暖かな火のような希望が落とされた。

そんな気がした。

あのとき、俺はどんな顔をしていたっけ。たしか、リンは驚いたのか、大きな目をぽっかりと開いて、硬直していた気がする。

それほどに、この展開は()()()()()()()のだ。

「それで、君たちの儀式の日はお祭りの日で良いのかい?」

「・・・はい。」

リンが答えた。

どうやら、俺が死ぬのは祭りの日らしい。そうだろうとは思っていた。

「その日に、アルムが牢屋の外に出れます。」

彼女は目の前に吊るされた希望に縋りついている。決してそれを逃すまいと。

俺への意思確認はほぼなしに、話は進んでいった。

最後に。

「じゃあ、一度外で話ができるかい?」

「・・・はい。」

それっきり、俺は二人の姿を見ていない。

二人はこの地下から出ていく階段の闇に消え、俺は二人が何を話していたのかもわからない。

そして数日、無為に時間を過ごし、祭りの日になった。

 

その数日は彼女が現れることがなかった。

 

数年ぶりに見る外の風景。当日になった俺は枷を付けられたまま、引きずるように地上へと出た。

多分、十分やそこらだろうけど。こんなに長時間連続して歩くのは久しぶりで、とても疲れてしまった。到着した先は多分、神殿のような、祠のような場所。建物は大勢の人間に囲まれていて、そのそれぞれの容姿を見て己の異様さを改めて実感する。

俺は数人の質素な服を着た村人に誘導され、その祠の中心の台に、両腕を鎖で固定された。

抵抗をするのも怠く思えるほどに疲れてしまい、ほとんど人形のように、ただなされるままにこの状況を受け入れた。

暫くの間、火を焚いたり、詩を詠んだり、儀式が行われた。

そして彼女が入ってきた。

見たことのない、白くて、色とりどりの装飾の編み込まれた服を着ていて、綺麗だと思った。

その手には真っ黒い片刃の剣が握られていて、重そうに見えたがその少女は細い腕で軽々とそれを持ち上げる。

「・・・。」

目が合った。

その瞳には不安があった。

とても静かだ。思えば先程まで少しざわついていた村人たちも誰一人として身動ぎひとつもしない。

「ごめんね。」

唇がそうやって動いた。

降り下ろされた刃は、俺の腕を吊るす鎖を断った。

体が重力に負けて、崩れ落ちる。

建物の中に動揺が広がった。

「アルム、逃げよう。」

随分と大胆だ。

少しだけ残念な気もした。だって、本当に死ぬのは構わなかったから。けれど、彼女が俺の命を望むなら、生きていることを赦すなら、だったら自分の残りの命は彼女に委ねようとさえ思った。

差し伸べられた手を取る。足に力が入らないから、引っ張りあげてもらうように、無理に立ち上がった。疲れてはいるけど、歩けないほどでもない。走るのは、少し無理そうだが。

「うん。」

頷いたとき、周囲の影が一斉にこちらを制止しようとしているのを認識した。

そして、ほぼ同時に、それらが倒れていくのも。

何かが飛び、彼らを穿つ。

数秒で理解した。目の前の少女は、天秤の秤に乗せるべきものを間違えたのだと。

叫び声が聞こえる。

それを振り切るように、俺は立ち上がって、彼女と出口へ歩いた。

背後には、いつの間にかこの間の男が立っている。その手には前に見たときよりも明らかに巨大な、そして装飾の施された弓が握られている。

彼が居るからだろう。建物の中の者が俺達に干渉しようとしないのは。当たり前だ。きっと、先陣を切った数人は既に殺されているだろう。

あるいは負傷者の救護にあたっているのか。どちらにせよ、俺達を追うような人は建物の中にはいない。

ならば、異変を感じた外からはどうだろう?

それは驚くほど静かだった。

「リン。」

「どうしたの?」

「・・・何したか、教えて、くれるか?」

 

俺は立ち止まった。声を出すのだけでも消耗した。

彼女はとんでもない契約をしたんじゃないか。その不安が俺を突き動かしていた。

 

「私は、決めたんだ。」

 

そう言った彼女は、俺の手を少し強く引いた。

あまりにも頼りなく、震える背中を、俺は眺めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青色の違い

「何か心当たりはあるっすか?」

 

一日一回の検診、もとい呪いの確認。

先日、気絶してマキナに運ばれ、そんでもって目が覚めたときには既に呪いが消えていたそうだ。

 

「えっと・・・一応。」

 

なんとなく、覚えているような。そういう程度だけど。確かに剣で何かを切った感覚はあった。

「剣で、なんか、感触があった。ような。」

「剣って、そのいつもアルムが背中に挿してるソレ?」

「あ、はい。」

「ちょっといいっすか?」

促されるままに、鞘ごと渡す。

「重っ・・・うーん、特に変なのもなぁ。」

そして鞘から少し引き抜いたり、光に透かしたり、暫く眺めて、シミィさんは言った。

「うん、まあ原因はさっぱりっすけど、呪いが消えたなら良かったっす。」

腕は良いがそういう辺りは結構適当なのは最近になってわかってきた。結果が良ければ結構過程に無頓着なところがあるのだ。この癖っ毛が特徴的な妖精属(エルフ)の女性は。まあそれも美徳と言えなくはないけれど。

「じゃあ、今日で毎日様子を見るのは終わりっすね。おりあえずあと三回くらいは様子を見たいので、十日後に一度来て欲しいっす。」

「あ、了解です。」

「それじゃあ、お大事に。何かあったらすぐ誰かに言うっすよ。」

「ありがとうございました。」

もはや医務室と言っても良さそうな、シミィさんの自室を出る。彼女の部屋は軽い治療道具が大量に常備されていたり、ベッドは患者用だったりと、個人の生活感があまりない。けれどもあそこは同時にあの人の寝室としても利用されているらしいので落ち着くのかどうかはさておき普通に自室としての機能は残っているのだろう。多分。よく運び込まれてる俺が言うのもあれだが、彼女がベッドで寝ているところを見たことがないのでまた別の方法でも使ってるのかもしれない。

「そうだ、アルム。」

「はい?」

部屋を出ようとして、呼び止められる。

「明日暇っすか?」

「ええ、まあ。一応。」

「じゃあ空けておいてください。明日、私らの仕事に付き合ってもらいたいので。ついでにノアも誘うと良いっすよ。」

 

ノアくんはどうなるかわからないが、俺は、快諾をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、集合場所はギルドの玄関。

「おっ来た来た。」

玄関につくとシミィさんと、その横に長身で露出度の高い服装で額の上に一本の小さな角が生えた鬼属(オーガ)の女性、姉御ことサラさんが立っていた。実はなんだかんだ結構お世話になってる。主にこっちに来たばかりのときに色々と。

「おはようございます。」

「おはようアルム。しっかり寝れたかい?」

「はい。」

俺の後ろで眠そうに目を擦っているノアくんは昨晩、シミィさんに少し付き合わされて起きていたらしい。そういえば治癒魔法(ヒールスペル)の師匠だったっけか。

「それじゃあそろそろ行くっすよ。」

「この間みたいに転送はできないから、馬車を呼んだよ。外で待たせてる。」

天馬(ペガサス)のヤツですか?」

「そうそれ。あ、この間みたいに飛び降りたりしないから安心しな。そんなに遠くないから高くも飛ばないし。」

正直あの空の旅は二度とごめんなのでありがたい。

「でもちょっと楽しいっすよね。あれ。」

「まあ気持ちはわかる。」

シミィさんの言葉に、サラさんが頷く。

もしかして飛び降りるのをマキナとチサトに教えたのこの二人じゃあるまいな。

そんなこんなで会話をしながらギルドの結界の外に出ると、あのときの天使属(エンジェル)の青年が立っていた。ちなみに、結界の中には許可を得た者以外が入ろうとすると骨がバラバラに折れるような罠が仕掛けてあるらしい。恐ろしすぎる。

「えっと、ルノさん・・・でしたっけ。」

「おお。この間の新入り君か。聞いたよ。アレ、無断の受注だったんだって?」

「まあ・・・結構絞られました。」

思い出そうとすると頭痛がした。やめておこう。

「お兄さん怒るとおっかないからね。まさかノアも協力するとは思ってなかったけど。随分とやんちゃな弟子を持ったねサラとシミィ。」

「いやー。本当に驚いたよ。二人とも真面目だと思ってたからね。」

「このくらいが元気で良いと思うっすけどねー。あと姉御は自分を棚に上げすぎっすよ。」

「昔の話はやめてくれ。」

昔何があったのかは気になるが訊かない方が良いだろう。まあ何があったかは少し想像がつくけれど。サラさんとシミィさんはここに来る前、つまりはこのギルドに入る前は盗賊だったらしい。とはいえ二人だけでやっていたから所詮真似事とは本人達の弁だ。あと、他の人から話を聞くと盗賊というよりは義賊が近かったらしく、お金持ちからの依頼でタクトさんが捕まえてその後紆余曲折あって今に至るとか。まあ俺が認識しているのはこの二人はそれぞれ俺とノアくんの指導係というか、それぞれの師匠というか。いや、俺はわりと放置されているけれども。だって姉御はステゴロだし。

「そろそろ出発するよ。乗って乗って。」

「今日はよろしく。」

それぞれ軽く挨拶をして馬車に乗り込む。乗り心地はやはり悪くない。けれどもこの間のことを思い出して少しだけ背中が震えた。

「今日はどこまで?」

「港町の方まで頼むっす。」

「あー。いつものか。気を付けて。」

「最近は平和だし大丈夫っすよー。」

「君の平和の基準って結構雑だから信用ならないんだけど。」

言いながら、天馬が翼を広げる。そして少し車体が浮き始めた。

「じゃあ少しだけど、空の旅をお楽しみください。」

彼の決まり文句のようなものなのだろうか。確かにイレギュラーさえなければ空の旅は楽しいものだろう。上空から町や地形を俯瞰する機会などなかなかないのだし。

いや。この世界の、とりわけ魔法使いたちにとってはそうでもないのかもしれない。この馬車だって運賃はさほど高価くはない。精々、一日の食費程度だろう。距離が延びればもっとかかるのかもしれないがあまり遠くまで行かなければ気にすることではない。暫く進んでいくと、いくつかの集落がある山を越えた。

「そういえば、転移とか魔法で使えるのに、馬車ってやってけるんですか?」

失礼かもしれないが、こんな質問を飛ばしてみた。本人に聞こえなきゃ問題ないだろう。きっと。

「ああ、それね。タクトのヤツだろ?あんなの滅多にできるやつ居ないし、できたとしてもあらかじめ指定してないと無理なのさ。だから帰りはともかく、行きはこういう手段の方が楽。」

姉御が答えてくれた。

「それに、緊急でない限りアタシは体が置いてかれる危険のある術は御免だね。」

「ああ、そういえば転移の時に五体満足か確認されたような・・・」

「私は楽なんであっちの方が好きっすけどね~。」

シミィさん的には体の一部が欠損しても治せるだろうからいいのだろうけど、俺はリスク対利便性では馬車を選ぶかもしれない。いや、この馬車の場合は飛んでいるから墜落というリスクがあるのだけど、それでも他の魔法使いと一緒にいれば箒で飛ぶなりなんなりの手段があるためいくらか気は楽だ。いや、落ちるのは怖いけど。二度と御免だけど。高いところから落ちるのはちょっとしたトラウマになりつつあるけど。

「僕も、ちょっと転移(ワープ)は苦手かな・・・。」

やはりあの魔法には賛否両論あるようだ。むしろこの場では否の方が多い。なんか久しぶりに多数派になった気がする。そういえば、大事なことを聞き忘れていた。

「今回の仕事って、具体的には何をするんですか?」

「ああ、商人の護衛だよ。シミィ、まだ伝えてなかったんだね?」

「どうせ姉御が伝えるかなって。つい。」

「お得意様がいるんだ。報酬も悪くないし、ノアとアルムは前衛後衛の役割がはっきりしてるから一度アタシらの動き方を見ておいて損はないと思ってね。」

なるほど。考えてのことだったらしい。

「主にやることは行商の荷馬車をモンスターや賊から守ること。港町から都心の方までの大体二日の道のりだ。」

サラさんが言うのに合わせて、地図を広げる。都心というのはこの国の人口密集部のこと。多種属が入交じり、人間属(ヒューマン)の王と賢者が統べる国、アトランシア。その中心都市のこと。と、まあ知っているのはあくまで書庫に籠って読んでいた本に載っている情報だけなのだが。それだけ栄えた場所に行くというのは胸の高鳴りへの燃料になる。

「普段行商を二人で守ってるんですか?」

「いや。行商にも専属の用心棒くらいいるさ。アタシらはその補佐、もしくはもっとヤバい奴が出たとき用の手助けだよ。」

・・・急に不安になってきた。

「まあ、ここ半年くらいは変な賊は居てもそこまで強い相手でもなかったっすよ。」

「半年前はあったんですね・・・。」

「えっと、それって、やたらボロボロになって帰ってきたとき?」

「ああ、それそれ。よく覚えてるな。ノア。あのときはルフの群れと遭遇してね。単体はそうでもないけど群れると厄介で仕方ない。」

「肉も不味いし毛皮も売れないんで本当に迷惑な相手っす。今は季節が外れてるんで会うことはないっすよ。」

俺が来る前の話か。

まあ、当たり前だけどそういうことはあるんだよなぁ。

「ルフってどういう生き物ですか?」

「うーん、まあ、小さくて毛むくじゃらのモンスターっすよ。何でも食うしアゴの力が強い上に群れるんで、広範囲を焼き払うのが基本っすね。」

「ま、アタシらには無理だけどね。」

確かに、サラさんは種族柄ほぼ魔法が使えないらしいし、シミィさんは治癒魔法(ヒールスペル)特化だ。

「だから荷車にあった油ぶちまけて火をつけた。」

「商人だって喰われるよりはマシっすからね。」

「あの後足が焦げて大変だったんだけどねぇ。」

「死ななきゃセーフっすよ死ななきゃ。治せるし。」

しみじみと思出話に浸る二人の目から生気が消えてる。相当大変だったんだろう。

「この季節に、危険なのって・・・?」

「そうっすねぇ・・・一番は盗賊っすかね。なんだかんだ知恵のあるヤツが一番危険っす。」

「そうだねぇ。だからアタシらとはぐれるんじゃないよ。守ってやれないからね。」

「頼りにしてます。」

本当、この二人は強いから。頼りにしよう。めっちゃ頼ろう。自分の力だけで立つのは強くなってからで良い。自分の力だけで戦うのは守るものができてからで良い。ここに来てからの日々で学んだひとつだ。と、いうより、この間の死体祭りの件で学ばされたことのひとつだ。何だかんだ、まだ俺は未熟なんだ。

「そういえば、この依頼のランクっていくつなんですか?」

「大したことないよ。精々がB-程度さ。」

「えっとそれ、『軽度の肉体的、精神的損害を前提とし、重大な損害を受ける確率は低い依頼』ってヤツですよね。」

一応、この世界の依頼(クエスト)にはランク分けがある。これを参考に、各々の力量に合ったものを受けていくのだ。高ランクほどリスクが高く、当然、報酬も高額だったり貴重なものが多い。

「よく覚えてるねそんなの。教えたっけ?」

「読んで覚えました。」

「その辺マメなタイプだったか・・・。」

「そういえばよく書庫に籠ってるっすね。」

「はは・・・」

そうしているうちに、青く輝く景色が見えてきた。

定型の地面が消えて静かに波打ちながら、空の色とは少し違う青色が広がる。

「あれは、もしかして・・・海?」

「アルムは見るのが初めてか。」

「はい。」

「じゃあ、よく見ておくと良いさ。美しいものはいくら見たって美しいからね。」

「ノアは・・・初めてでは、ないっすよね。」

ノアくんは頷いた。そういえば彼はいつ頃からギルドにいるんだろうか。まあその辺は追々聞けば良いか。

「さて、そろそろ降りるから気を付けな。」

身体に浮遊感が加わった。地面の景色が近づいてくる。ゆっくりとしているけれど、前に空を落ちたときと似た感覚だ。

空気の香りが濃くなった。

これが潮の匂いというものだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

潮の匂い

潮の匂い、というものを初めて知った。

むっとくるような、重量を持つような独特の匂い。正直言うと俺はあまり好きではない。

「アルムは潮風駄目なタイプっすか。」

「・・・みたいっす。」

何せ匂いだから逃げ場がない。思わずシミィさんの訛りが写ってしまった。鼻がバカになるまで耐えるしかないか。

「ノアは、平気みたいだね。」

「え?うん。全然。」

サラさんが声をかける。何やらボーッとしていたのか、空返事だ。

彼には時々こういうことがある。なんというか、何もないところを目で追っていたり、会話にあまり参加していなかったり。いや会話云々は性格故かもしれないが。

「集合場所はどの辺でしたっけ。」

「荷馬車の停留所。」

「あ、あそこ?」

ノアくんが示したのは大きめの倉庫のような建物だ。多くの鬼属(オーガ)獣人属(ウェアニル)が荷物運びをしている。自分の元いた世界ではそうではないらしいが、こちらでは種属による差別はほぼ皆無らしい。素晴らしいことだ。

「お!ジェルさーん!」

どうやら今回の依頼主を見付けたようで、シミィさんが手を振りながらぴょんぴょんと跳ねる。彼女、結構小柄なので跳ねてやっと俺の身長に追い付くくらいだ。妖精属(エルフ)は長身のイメージがあるのだが、この分だと多分、彼女はかなり小さい部類に入りそうだ。

「こんにちはシミィさん、サラさん。えーっと、今日はちょっと多いんだっけ?」

ジェル、と呼ばれて歩いてきたのは獣人(ウェアニル)の青年だった。

いや、青年かはわからない。獣人属(ウェアニル)は全身に体毛があり、その名の通り人間属(ヒューマン)に獣の特徴を掛け合わせたような姿をしている。それ故、年齢の現れやすい顔の皺やシミが見えないので、正直見慣れてないと年齢の検討はつきにくい。確か、短命属とされる人間属(ヒューマン)よりもやや短い寿命のこともあり、年齢はやや少な目に見積もるのが良いのだったっけ。

「紹介するよ。こっちの白髪と赤目のが新入りのアルム。魔法は使えないけど動けるからポジションはアタシと同じだ。」

「よろしくお願いします。」

呪いの判定的にジェルさんには敬語が使えるようだ。多分、俺の中での評価が影響してるのだろう。

「そんでこっちの茶髪とんがり帽子がノア。見ての通り動けるタイプじゃないから、シミィと一緒のポジション。」

「えと、よろしくお願いします。」

手を出すと、順番に握手をされた。ごわっとしていて、暖かい毛皮の手袋に似た感触が手のひらに伝わった。

「よろしく。自分はジェル・クリコフ。行商人やってるよ。ソリチュード・リヤンに新人が入ったって聞いてたからどんな曲者かと思ったけど、普通の少年で安心したよ。」

ソリチュード・リヤンとはうちのギルド名だ。独りぼっち(ソリチュード)(リヤン)。確か、妖精属(エルフ)の言語だったか。語呂はともかく、良い言葉だと思う。

・・・ところでうちのギルド、他からどんな目で見られてるんだろうか。

「いやー、こう見えてなかなかの悪ガキでね。ついこの間、対象以上のランクの依頼を勝手に受けて死にかけてきたのさ。しっかり絞ったけど。」

「まあ、若いときに誰もが一回はやるよね。そういうこと。討伐依頼でも受けたのかな。」

「そんなところ。」

少し居たたまれなくなって目線を足元にずらす。反省してるので恥の拡散はやめてください。

暫くの間そのまま立ち話をしていたが、

「じゃあ、出発は明日の朝だから、それまでうちの連中が泊まってる宿で休んでね。事前に多少顔を知っておくのは大切なことだから。」

というジェルさんの意見によって近くの宿に案内された。

そこで数人の商人パーティーと互いに自己紹介をして、数時間、昼食がてら色々と会話をしてから、ひとまずは宿の部屋に入った。ちなみに部屋割りは俺とノアくんで一室、あとの二人で一室だ。普段は個室らしいが今回は人数が多いのでこうなった。

 

「俺、こういう宿初めてだ。」

「僕も。外に泊まることも滅多にないし。」

初めての環境に、あまり落ち着かないというか、二人してそわそわしている。

「こういうところのベッドって、結構固いんだね。」

「確かに。でも枕は柔らかい。」

ぼすぼすと埃がたたない程度にベッドを叩く。固いというか、薄いというか。対して枕はワタしか入っていないのか、力を入れるとしゅーっと音を出して薄くなり、放っておくと徐々に戻る。ちょっと面白い。

「商人さん達、いい人そうだったね。」

「俺の剣、買い取るとか言ってきたけどね・・・。」

それは丁重にお断りした。

一応、俺の"武器"はこれひとつしかないわけだし。

まあこれでも田舎で聖剣として祀られてたものなわけで、もしかしたらお値打ち品なのかもしれない。特にこれといって凝った装飾もない、さらにはちょっと扱いにくい片刃の剣である。

ああでも、ろくな手入れをしなくても錆びたりしないのは不思議なところだ。そもそも素材は何なのだろうか。

「ノアくんから見て、俺の剣、どう?」

背中から下ろした鞘から、少しだけ剣を引き抜く。

ほんの少しだけ赤っぽい反射光が見えた。

「うーん、格好良いと思うよ。」

「いや、そういうんじゃなくて。こう、魔法使い的に見てどうなんだろうな、と。」

まあ、これは魔法の無い世界の産物だけれど、魔法に類する神秘はあったのだし無関係でもないだろう。

「・・・ちょっと、怖い?のか、な。」

怖い、なるほど。

求めてた回答とは違ったが、なるほど彼にはそう見えていたのか。

「俺も、ちょっとそれは思ったかも。」

「自分の武器なのに?」

それはあまり関係がない。

「・・・あと、それ、僕は専門家じゃないけど魔道具(マジックアイテム)の一種かも。」

魔道具(マジックアイテム)とは、道具に魔法を使える仕組みを作ることで、その魔法を習得していない者にも魔法が使えるようにする道具、だそうだ。使い捨てのものやそうでないものがある。専門の職人が作っているとかなんとか。火の魔道具とか完全に用途がマッチと変わらない気もするのだがこの世界に来てからマッチを見てないので文化の違いなのかもしれない。

「何の?」

「そこまではちょっと。」

「だよね。」

まあ、用途がわかるまでは普通の剣として使っていけばいいか。今まで通りだ。

「・・・そろそろ日が暮れるね。」

ノアくんが窓の外を示した。

港の向こう、空と海の境界に、夕日が溶けていく。

水平線、と言うらしい。物語で一度読んだことがあった。

「うん。」

もっと綺麗なものは見たことがあるけれど、少し感動した。

ただ、空腹感がその感傷を邪魔した。もう少し浸ることはできないのか。この腹は。

「・・・。」

腹の鳴る音って、どうしてこうも間抜けなのだろうか。

「・・・お夕飯、食べる時間になったら呼ばれるらしいから、待とっか。」

なんか気を使われてしまった。

これじゃあ俺が食いしん坊みたいだ。ちなみに昼食は港町らしく、(多分)魚介類を香草の類いと煮たスープに(確信は持てないが)柔らかい穀物を浸した粥のようなものを食べた。結構塩味が効いていて、見た目は黒と緑のドロッとした液体だったが味は悪くなかった。この世界の生態系は前の世界と随分違うからか、やはり主に色彩面で食材に戸惑うことが多い。

「そういえば、ノアくんは結構少食だよね。」

「うん、味さえわかれば良いし。本当は食事もそんなに必要ないんだ。一日一回でも多いくらい。」

そういえば、種属によっては長いこと食い貯めができる場合もあるらしい。獣人属(ウェアニル)とか、鬼属(オーガ)とかはそうだったと記憶してる。

彼はどちらでもなさそうだけど。それにしたって味さえわかれば良いって食事への意味合いが大分俺とは異なるように思える。・・・まあいいか。

「暇だし、どうする?」

「散歩とかしようよ。海来るの初めてなんだよね。」

散歩か。

潮の匂いが辛いんだよな・・・。

「・・・嗅覚を麻痺させる魔法みたいなの、ある?」

「無いんじゃないかな。」

「だよね。」

何はともあれ、夕飯まで時間を潰そう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道中につき、腕試しアリ

依頼(クエスト)一日目。

内容を一度確認する。港町から少し離れた都市へと二日の道のりを、荷馬車の護衛をする。用心棒としての仕事、ということだ。

 

「・・・平和ですね。」

「まあ、アタシらは念のために居るようなもんだからね。こういうときもあるさ。」

俺とサラさんは馬車の十歩前方を歩いている。ちなみにノアくんとシミィさんは馬車の中で待機だ。もしもの治療班なので体力の消耗を抑えるためだとか。俺達は護衛の意味合いが強いので、背負った武器を隠すこともせずに歩いている。

後ろを見て、距離が離れすぎていないかを確認する。ちなみに、荷車を引いている馬は体毛が真っ黒で、額に青色の鉱石のようなものがある。額の石は魔力の結晶だそうで、場合によっては魔法使いの杖に使われたりする代物だそうだ。それ以外に、俺の元いた世界の馬と違うところはなさそうで、のんびりとした表情で重そうな馬車を引いている。

他の商人達はとりあえずは馬車の中。つまり馬車の中には総勢六名いることになるが、どうやら馬車自体が魔道具(マジックアイテム)の一種らしく、一度中を覗いてみたら広々としていた。もしかしたら俺とノアくんの普段生活している部屋よりも広いかもしれない。ただ、今は大量の商品が詰め込まれているから、快適な広さとはいかなそうだ。

ところで、余談だが。野生の獣はよっぽどのことがなければ己よりも強い存在へ立ち向かうことはないらしい。そして先程から獣の気配は感じているのだが、一向に襲ってくることもない。腹が減っていなければ襲われることもないのだが、まあそうでなくても多分原因は俺の横の鬼だろう。己の必要性に関しては些か疑問だ。

「そういえば、前から気になっていたんですが。」

「ん?」

「サラさんの魔眼って、どんなものなんですか?」

そういえば、使ったところを見たことがないなぁと。何となく気になって口を開いた。勿論、軽率であることは理解していた。本人が自分から開示しない、変えられない性質への言及は基本的にタブーなのだが。・・・気が緩んでいた、ということなのか。

「そうさねぇ、まあ、別に隠してた訳じゃないのさ。」

言うと、彼女の茶色い瞳に、深い緑が宿る。

「こんな感じさ。」

背後から、軋む音が聞こえた。これは急激に変化する組成によって起こる、いわば成長痛のようなもの。

振り向くと、無数の蔓や枝に絡め取られ、木の幹に縛り付けられた獣人がいた。

「・・・っクソ!」

「幻術か、洗脳の類いかな?考えたねぇ。」

何が起こっているのか理解を。獣人の手には青い刃の短刀が握られている。そして、俺の背後から来たわけだから、狙われていたのは俺か。つまり助けられたのだと気付いて、非常事態に思い至る。

「アルム、構えな。シミィ!」

氷魔法(アイススペル)障壁(ウォール)!」

馬車の方から呪文が聞こえ、氷の壁が馬車を囲う。その氷は透き通っていて、内部の様子が厚い歪みの向こうに見える。侵入はないようだ。

「仲間の数は・・・アテにならないね。どうせ誤魔化されてる。アルム、警戒しな。仕事だよ。」

「・・・はい!」

背中の鞘から刀を抜く。片刃が木漏れ日に照らされて鈍く光る。前に握ったときよりも、重く感じた。

「峰打ちで頼むよ。死体の処理は面倒だからね。」

「はい?」

殺す気なんて無かったがそう言われるとやりにくいものが出るんだよな。と、いうより、まず相手の実力がわからない。それが問題だ。何故って、殺さずに相手を止めるのは相手よりも強くないといけないから。弱い者が強い者を殺すことはできるが、止めることができるかと言われると、微妙だ。

周囲の気配に気を配る。

相手は言葉を発していない。目の前で蔦に巻かれている獣人の視線を盗み見て、位置を探ろうとした。草や枝を分ける音に耳を澄ませて、数を予測しようとする。

駄目だ。おおよそ、人のものと思える気配を感じることができない。

「アルム、幻術に惑わされないように。五感は信用するな。直感で判断をしろ。」

「直感?」

「何、半分くらいは当たるさ。フォローは私がする。」

そう言われると、心強い。

まあ良い。どうせ、実戦がぶっつけだろうが構わない。最悪死ぬだけだ。

「・・・。」

腰を落とし、刃を地面と水平に。頭の横に剣を構える。

信ずるは第六感。

ここだ。と、根拠もなしに思った所へ、一歩踏み出し、峰を外に向けて薙ぐ。剣に手応えを感じた。が、それ以外に相手の存在を認知する情報が入ってこない。姿も見えなければ、声も聞こえない。

もしかすると、"幻術"と呼ばれているのはおおよそ相手の存在感そのものを消す魔法なのかもしれない。

 

そう思った矢先、一瞬、視界にノイズが走った。

数多の線、光、円、模様、現実味の無い光景が広がる。その線が集中している、一ヶ所。なんとなく、これだ、と思った。

在るものを無いように知覚して、無いものを在るように知覚する。

魔法に直に触れるのは、これが初めてかもしれない。

剣を振った反動を殺さず、そのまま模様が集中している光の繭へと刃を差し込む。

概念上の存在だったそれは、易々と俺の刃を受け入れ、そして霧散した。

 

視界が元に戻る。

先ほどの光景の意味を噛み砕く前に、あからさまな変化に反応する。

周囲に五名の獣人がいる。

その姿を認知できるようになった。それどころか目の前に一人、俺に向かって短剣を突き刺そうとしているのがいる。本当に危なかった。

短剣は俺の胸に向けられているので、腰を捻って左足を大きく後ろに回して半身になる。上着を短剣が掠める。俺の剣の間合いよりも内側にいるので、柄頭で首の後ろを殴り付ける。

「ぐぁッ」

一人目の獣人撃破。

半身にした勢いのまま、右足を軸に一回転し、周囲を確認する。右手に二人、左手に一人、正面に一人、そして、たった今倒したのが後ろに一人。まあ気絶はしてないだろうけれど少し強めに殴ったので今はかなり気持ち悪い思いをしているはずだ。俺も何度かやられたことがあるので苦痛はわかる。正直あれはマトモに立っていられない。

囲まれているけれど、前のスケルトン地獄に比べれば数の上でもどうということはない。殴れば戦闘不能になる分、余裕だ。

片刃の剣を、刃が相手に当たらないように持ち直す。峰打ちで、とか注文されたし。

炎魔法(ファイアスペル)装着(ドレスアップ)

相手の一人が両手に炎を纏う呪文を唱えた。森の中で炎とかマジかよ・・・!

炎を纏った拳を構え、殴りかかってくる。これは何かの格闘術のような動きだ。顔面への攻撃だから、膝を屈めて避けた。と、思ったらその獣人は俺の頭上を()()()()()飛び越えた。予測できない動き。獣人特有の、発達した脚力だ。

背後にはシミィさんが作った氷の壁。

単純な話だ。氷を溶かすなら火を使えば良い。そして、彼らの目的は俺やサラさんを倒すことではなく、荷馬車にある金目のものを奪うことだ。

不味い、と思って振り向いた瞬間、炎を携えて氷の壁へと駆ける獣人の上に、サラさんが降ってきた。

バキッと、いや、ゴキッと。とにかく痛そうな音がして、周囲の緊張感が驚愕で霞み、一瞬緩む。

さっきのを正確に言うと、何らかの方法て飛躍した彼女が、走る盗賊を踏み潰した。

「言ったろ?フォローはするって。」

姉御、峰打ちでって言ってたと思うんですが、それ死んでないですかね。いくら獣人が丈夫な種属だからと言って、流石に地面に頭がめり込むくらい強く踏みつけられたら頭割れるんじゃないか。

サラさんの下で頭部の半分くらいを地面にめり込ませて倒れる獣人Aはピクリとも動かない。

「・・・・。」

その様子を見ていた残りの獣人B,C,Dは数秒目配せをしたと思ったら、ノーモーションで背後の木へ跳び登り、そのまま木から木へと森の深くまで徹底していった。

「ありゃ。逃げたか。」

「・・・とりあえず、足退かしたらどうです?」

未だにサラさんの足は盗賊の頭の上にある。哀れ、盗賊A。

「七人、ですか。」

「いやあと倍くらいはいるかもね。この辺、妙な奴等の住み処があるみたいだし。」

「ここが近道なんだ。ここを通らないと、雪山迂回して五日余分に動くことになるからね。」

ジェルさんが、氷のドームの中から出てくる。器用に人ひとりが通れる程度の穴が開いている。これもシミィさんが魔法で操っている事柄なのだろうか。そう考えていると、みるみるうちに巨大な氷は蒸気を上げながら溶けて消えていった。

「お二人ともお疲れ様。ところでアルムくん、先程のあれは?」

「あれ?」

「ええっと、幻術を破ったアレ。解呪(ディスペル)をしているようには見えなかったから。魔法は使えないって聞いてたし。もしかしてその剣が?」

「えっと、ごめんなさい。わかんないです。」

ジェルさんがまじまじと俺を見る。嫌というわけでもないがなんだか居心地が悪い。

「はーい、ここでおしまい。うちの家族(メンバー)に必要以上の詮索はなしだ。そのくらいは守ってもらうよ。」

「いやぁごめんごめん。刀鍛冶くらいわからないかなって思って。気分を悪くしたなら謝るよ。」

そう言って、獣人属(ウェアニル)の男性は頭を下げた。そういえば、ギルドの人々はあまり俺への詮索をしなかった。突然に現れて、多少暴れたというのに。別世界云々の話なんかも、そこまで踏み入った質問をされたことはない。思い出すと、なんだかありがたくなった。そういった気遣いに気が付かなかったのが申し訳ない。

「いえ、本当にその辺りよくわからなくって。謝らないでくださいよ。」

「さ、話はいいかい?そろそろこの盗賊どもをどうするか、決めるよ。」

サラさんが、頭を地面にめり込ませてる一人と踞っている一人と頑丈な植物にがんじがらめになっている一人を示す。

・・・悪いが完全に忘れてた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奪う

見知らぬ山奥の集落で、俺は単独で息を潜める。

装備を確認する。

背中には慣れてしまった剣の重さがしっかりとある。くすんだ緑色の上着と、褐色のズボンは森の木々に紛れるのには悪くない。予備の武器として短剣もある。

ただし食料などは無し。数日やり過ごすのは無理そうだ。

誰かが歩いてきた。二人の獣人の男だ。

耳を澄ませて、息を潜める。

 

「───それで、結局あの馬車はどうなったんだ?」

「荷物そのものは無理だったな。でもまあ、珍しいガキなら一人捕まえたぜ。ソイツを取り戻しに追っ手が来ればこっちのもんだ。馬車は手薄になる。来なければ売っちまえばいい。」

ノアくんの事だ。

俺は彼を追ってここまで来た。いや、そう言えば聞こえは良いが、追おうとしたら足を踏み外して崖を転落。その先が偶然盗賊の集落だっただけの話だ。

言い方からして、おそらくではあるが馬車の方には何かしらの見張りがついていそうだ。サラさんの判断は正解だった。

 

 

 

 

時間は半日前。

まだ日が昇らぬ時間帯。俺は見張りの交代で火の番をしていた。

他のメンバーは眠っている。俺は十分寝たので、あとは朝まで起きているつもりだった。

何も起こらなすぎて、気が緩んでいたのだろう。

気が付いたときにはもう遅かった。

───囲まれている。

気付いた次の瞬間、焚き火がジュッと音を立てて消える。星明かりの夜。視界が慣れるまでの数秒の間に、俺は緊急を皆に知らせようと馬車の叫ぶ。

「皆!起きて!!」

最初に反応したのはシミィさんだった。

「敵襲だ!」

次に商人のリーダーであるジェルさん。

誰かが光魔法(ライトスペル)による光源を発する。視界が照らされて、そのときに他のメンバーも緊急を察して動き出す。

剣を引き抜き、構えを取る。周囲の面々も魔法や己の武器を構える。商人は近接武器を構える人が多く、それには炎や雷のような付加魔法(エンチャント)がなされていた。

事態はそこから、数刻。敵の規模は思ったよりも多く、乱戦となりながら鎮圧に完了する。

何人を刃で斬ったかわからない。命までは取ってはいないが、健を切ったり骨を断ったりと加減はできなかった。相手は完全に殺す気で、実際、自分は何度も本来ならば致命傷であろう傷を受けた。頭を割られたり、心臓を突かれたり、肩を切り落とされたり背中を抉られたり。戦い方が下手なのだろうか。その都度、シミィさんによって全快まで回復して貰った。感覚としては自分がゾンビになったようだった。

兎にも角にも、俺達はなんとか相手を撃破。その頃には空が白んでいた。

全員の無事を確認する。

俺と、サラさん、シミィさん、ジェルさんを始めとする商人のパーティー。数えて気付いた。

「ノアが居ない・・・!」

サラさんが声を上げた。勿論、周辺を探したが見当たらない。当然、死体もない。考えられることは拐われた事くらいだった。

 

 

 

 

 

 

状況を整理する。

現在、依頼(クエスト)開始から二日目。一日目に退けた盗賊の一派の仲間によって再度の襲撃。荷馬車は守ったが何故かノアくんが拐われる。サラさんの判断により、用心棒としての依頼そのものは続行。都心までの半日の道のりをサラさんとシミィさんで送りきる事に。一方で俺は彼を助ける為に単独行動を。と言うよりは、勝手に先行をした結果俺とサラさんの役割が反転した訳なのだが。後悔しても遅い。落下したときにサラさんに言われたことは二つ、「ノアのローブを取れ」「山の反対側で合流」だ。

 

まず最優先はノアくんの身柄の場所を見付けることだ。

先程の男達の後をつける。隠行(ステルス)は慣れていないが、慎重にいく。

ふと、この獣人の片方の首を跳ね、もう片方を脅して中心部まで辿り着くことが頭を過る。そして首を振る。それをやったところで、中心部を俺一人で制圧できる見込みは無い。

───奪え。

煩い。お前は黙ってろ。

脳に浮かんだ意味を鎮める。

懐から短剣を取り出し、そっと腰を屈めて草木に隠れながら男達を見失わないように追っていく。

やけに長く歩いたように感じる。日が空の高くに登ったくらいに、大きな目立つ建物へ男達が入っていくのを確認した。

見るからに拠点だ。

少し遠くの木に登って、慎重に、見張りの目線に立たないように建物の中を覗こうとする。うまく見えない。けれども中の作りは多少豪華で、中にはボスがいそうだ。

それを認識したところだ。

後頭部に強い衝撃を感じる。

「───ッ!?」

バランスを崩して枝から足を踏み外す。落下の衝撃を逃すために受け身をとろうとしたら、今度は背中に強い衝撃を受けた。

「おーおー。すまんな。雑巾かと思って踏んじまった。」

そのまま地面に再度頭を撃った俺は、ぐわんぐわんと鳴る景色のまま顔面に土の味と痛みを感じる。おそらく蹴られた。背中が痛くて身体が動かせない。失敗した。即座にそう思った。

「なんだ?お前、珍しい色してるな。」

頭を大きな手で掴まれ、そのまま足が浮く。毛むくじゃらの顔が目の前にある。

下ろされたと思ったら、足を掴まれ、雑に身体が引き摺られる。意識が朦朧として、抵抗も満足にできない。そして屋根のある場所に放り投げられ、木張りの床に放り投げられた。頭だけは正常に働く。多分、ここは俺が覗こうとしていた建物だ。

「頭。なんか珍しいガキ見っけました。」

まだ身体は満足に動かせず、床で悶える。

「白い髪に紅い瞳の人間属か。野郎なのが残念だが、変態にゃ売れるか。」

「かぁ~、うちの本職はガキ売りじゃねぇんだけどなぁ!今日は入荷が多いねぇ!」

下品な笑い声が聞こえる。何人だ?大勢だということはわかった。

「このよくわかんないガキは見た目は女みたいだからな。あっちはあっちで高値で売れそうだ。」

きっとそれはノアくんの事だろう、と。

・・・"この"?

視線を上へとずらす。力無く、ぐったりとした男の子が、壁に繋がれていた。

 

ぷっつん。

久し振りにこの感覚が来た。

頭にカッと血が上る感じ。

それなのに、別の場所はサーッと冷めていく感じ。

そして頭の中に、訳の分からない言葉が大量に溢れていく感じ。

───殺せ(うばえ)───壊せ(うばえ)───奪え(うばえ)

その衝動は俺の左手を、自然に背中の剣へと持って行った。

 

───そうだ。それでいい。

その剣に触れた瞬間、訳の分からない言葉は確かな意味として俺の中に響いた。

「それでいい。」

口が動いた。俺の意思ではなく、()()()()()で。

そして動かないはずの身体が動いた。足は体重を支えて立ち上がり、視界の霞は消えて醜悪な有象無象の形がしっかりと判別できた。

自分の身体が、自分の知らない動きをする。ある種の武を極めた、最低限で最高率の動きだ。それは俺の願望(きぼう)であり剣の衝動(いし)だ。

立ち上がる途中の前傾姿勢のまま足を踏み出して半歩。腰を捻って肩を押し出し、腕を伸ばして剣を握った手の手首を曲線を描くように振る。何かを斬ったとは思えない程に、すっと刃が通る。

斬ったものは頭と呼ばれた獣人の頭部と胸部の間にあるもの。ごろんと頭が落ちて、胴体から生臭い液体が吹き出す。

笑い声が止んだ。

「これで一人。」

しんとした建物の中を、ゆっくりと見回す。

命の灯火が、大量に存在する。

大勢の怒号が響いた。

二人目は俺を殴った男だった。後ろから来たので、振り向き様に剣を振ると首が落ちた。

なんだ。呆気ない。この身体はこんなヤツに一度負けたのか。

「足りない。」

何せ、随分と長いこと我慢していたんだ。今更二人程度で飢えが凌げる訳でもない。

曰く、この剣の源義は"奪う"だった。

それは誰かに教えられたわけでも、気付いたわけでもなく、いつの間にか知っていた。

他者のものを奪い、そして満足する。それに与えられたモノは奪うことだけであった。奪った後は知ったことではなく、それはこの身体が判断することだ。

 

そして命を奪うことをこの身体は許可をした。けれどもこの身体にはそんな実力はないので、俺が代行しているだけだ。つまりはこの行為は少年の望みであった。

三人目、四人目は頭蓋を叩き割った。五人目は斧を振り上げた腕を切り落として顔面を潰す。その次は胸を一突き。焦らなくても獲物は大量に居る。何通り、何十通りもの殺し方をいくらでも試せる。

そう、強いということは快感だ。この場において一番強いのはこの俺だ。悲鳴が心地良い。骨を断つのが気持ち良い。肉を裂くのが楽しくて、蹂躙するのは可笑しくて堪らない。

怒号はいつしか阿鼻叫喚に代わり、そして最初の悲鳴から数刻も経たずに静寂へと取って変わった。

「終わりか。」

ここまで来ればある程度満足して、頭に冷静さが戻ってきた。

彼の紫色に光る両目には、命の灯火はひとつしか見当たらなかった。

「・・・嗚呼。」

何人殺した?

その快楽が冷めきらぬうちに、重さが心に沈んでいく。

「疲れた。」

血溜まりに座り込む。生温い。

とりあえず、ノアくんは無事か。呼吸と脈。それだけ確認する。

鎖で繋がれているけれど、このくらいなら問題なく断ち切れそうだ。

「本当に、疲れた。」

殺しへの罪悪感なんて無い。あるのは疲弊と、終わったことへの安堵。それとちょっとした不安。気まぐれに救われたのはこれで何度目だろうか。

「怖がられたらやだな。」

残念ながら俺は、極めて利己的な事しか考えられないのだ。

「・・・命を奪ったところで、俺が得るものは何もないのにな。」

俺が求めたモノを"奪う"ことができる。

それがこの剣が、曰く付きと呼ばれる所以だそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秘密

前にも、似たような状況があった。

ノアくんと二人で、森の中。

「・・・。」

しかし今は無言。右腕に鎖の繋がったままのノアくんを、俺は担ぎ上げて森を歩いている。鎖は見た目以上に頑丈で、何故か壊せなかった。何かの魔法でも使っているのかもしれない。だから繋がっていた壁を壊してきたので、さっきから鎖を引きずってしまっている。・・・チャリチャリという音が獣避けになっているようだから良いのだろうけどさ。

それにしても、少し血を浴びすぎた。そろそろ川でも見つけて水浴びをしたいところだ。服に着いた染みは果たして落ちるのだろうか。そういう魔法とかないかな。

「んうぅ・・・」

肩口で、ノア君のうめき声が聞こえる。

一度休憩がてら、様子の確認をしよう。そっと、地面にノア君を下ろして、少し様子を見た。彼は小柄だけれど、それ以上に、異様に体重が軽い。

傷は少ない。どっち道、後でシミィさんに治して貰えば問題ない。

 

「ノア君、起きれる?」

軽く揺さぶって、意識を確認する。

「・・・お?」

意外なほどに、あっさりと目覚めた。

「って!アルムくん!?血だらけだよ!?」

「・・・あー、これは、返り血。」

「そ、そっか。」

「今はふもとまで降りて、皆と合流する予定だけど、大丈夫?歩ける?」

「うん。大丈夫。魔力もあるし、問題ないかも。アルムくんこそ大丈夫?」

「少し、お腹が空いた。のと、寝たい。」

問い掛けられて気付いた。そういえば、キャンプ中に襲われた時からずっと、不眠不休で動いていてさらに飲まず食わずだった。

まだ日は落ちていないから丸一日は経っていないけど、それでも半日は過ぎているだろう。生憎、時計の類いは持っていないのでその辺りは推測するしか無いのだけど。

自覚すると飢餓感が耐え難いくらいに腹からせり上がってきた。何か食料は・・・とも思ったが特に何も持っていない。

「・・・とりあえず、みず、水場、探そう。」

川を見つければその方向から少なくとも山を降りることは可能だし。あと水飲みたい。ついでに何か食べれるものもあれば上出来だ。

「う、うん。」

 

そこから暫く。どのくらいなのかは定かではないけど、あまり多くは歩いていない。

森の中に泉を見つけた。食料になりそうな植物は見付からなかったけれど、飲み水が得られそうなのは有り難い。

あまりこういうところで生水を飲むのはよろしくないと聞くが、最早構っていられない。後で腹を壊そうが知ったことではない。ここで水を飲むのが先だ。

「・・・生き返る。」

手を器にして、何度かに分けて水を飲む。冷たい感覚が喉を通って胸、腹に広がっていく。そこまで来て、ようやく少し頭が冷静になってきた。

「アルムくん、ここ、どこだかわかる?」

「・・・実は結構適当に歩いてるんだよね。」

ノアくんが落胆の表情を見せる。罪悪感が胸に刺さった。そういえば、と。サラさんに言われたことを思い出す。

「そうだ。サラさんにノアくんのローブを脱がせろって言われたんだった。」

「え?」

ノアくんの瞳に動揺の色が射す。

「な、なんで?」

「いや。時間がなかったからわからないんだけど。」

何か問題があるなら別にいいっちゃいいんだけどさ。最終的には麓まで下りて合流になるのだから、山道を見つければ良いだけで。

問題はその山道を完全に見失っていることだった。山の中のどの辺りに居るのか。出発前に見た地図を頭に思い浮かべてみたけどさっぱりだ。

で、そこでノアくんの話に立ち戻る。俺は彼の種属を正確に知らない。もし仮に、彼が有翼種なら上から見て貰えば良いので一気にこの遭難状態を解決できる。

「・・・脱いでも、良いけど。」

ローブの裾を手で握る彼が、おずおずと

「見たことは、誰にも言わないって、約束してくれる?」

等と言うものだから、余計な背徳感が出てしまったことを除けば然したる問題はない。

容姿だけならまるでいたいけな少女なのだが、あくまでノアくんは友達だし男だ。変にどぎまぎするのはおかしい。

「・・・約束するよ。そりゃ。」

さておき。俺も彼に話していないことは沢山あるのだから。彼の秘密を知るというなら、それを漏らしていいはずもない。それは心から誓える。

「わかった。」

頷いたノアくんは、ローブを脱いだ。

 

黒っぽい、彼の身体をずっと被っていた布が深森の草の上に落ちる。

 

妙に心臓が高鳴ったのは、きっと予想が当たったから。

そして今までに目にしたことのない光景だったから。

「・・・翼が」

ローブの下は、翼を出すために背中が大きく開いた白い服を着ている。

そしてその背中からは、白い羽毛の翼と、黒い飛膜の翼が。

混血、という言葉が頭を過った。

その右半身は天使属(エンジェル)、その左半身は悪魔属(デヴィル)の形質を表している。

古来から敵対し、決して交わることなど無いとされていた種属の例外だ。

森全体の雰囲気が変わったように思えた。

風が彼の衣になるかのように、木々が彼の臣下であるかのように、陽射しは彼の輝きであるかのように。

自然の全てが彼に味方をしているように、俺には見えた。

「ローブを人前で脱ぐの、久しぶりだ。」

咄嗟に言葉が出なくなった。

何か、とても丁重に扱わなければならない人物に見えたからだ。わざわざ彼に空を飛んで道を見て来て貰う?何をおこがましい。そんな足労、彼にさせて良いのか。

 

「・・・山道を、探しに行き()()()()。」

口から出た言葉はそんなものだった。

彼に対して、久し振りにこの口調になった気がする。前にタクトさんにかけてもらった不完全な呪いが機能しなくなったのだ。つまり、俺は目の前の少年(ノア)を自分よりも上の(と対等でない)存在として認識している。

「大丈夫。探す必要はないよ。」

彼がそう言ったのと同時に、草木が左右に分かれた。つまり、()()()()()()()()()

何かの魔法かと思ったが、違う。彼は呪文を口にしていなければ、魔方陣すら現れていない。だからこれは、森が自らの意思で彼を導こうとしているということに他ならない。

「行こう。」

ノアくんはそれだけ呟いて、道を進み始めた。

俺はローブを拾って、引き摺らないようにそっと腕にかけて彼の後を歩く。

一歩毎に、ノアくんの前に道が生まれる。風は優しい追い風となり、背中を押してくれる。

何が起きている?

それに、今まで小柄だと思っていた彼の背丈が、やけに立派に見える。彼の存在そのものが大きくなったかのようだ。どうしてか彼には従わなくてはならないように思えてならないのだ。

口を開けなかった。

そのままずっと真っ直ぐに歩いていたら、丁度、山道の終わりに、つまり指定されていた集合場所に到着した。

そこで思った。

サラさんが言っていたことの意味。

ノアのローブを脱がせろ、というのは、合流に役立つとか、そう言った意味ではない。賊に拐われるという極めて最悪な危機的状況に陥った彼が、何人にも危害を加えられなくなるようにするセーフティであり最終手段。この少年の存在を前にして、触れること、声をかけることすらあまりにも罰当たりのように思える。

「ローブ、頂戴。」

「・・・はい。」

言われてから、腰を少し落として、両手でローブを彼に渡す。

その黒い布は、また彼の存在を包んだ。

 

スッと、何かが軽くなった気がした。

「・・・すごいね。」

口から漏れた言葉は、またタメ口になっていた。

本当に、凄かった。

何が凄かったのかの説明を求められると辛いが、凄かったのだ。ノアくんは。

「・・・この事は、内緒にしてね。」

俺の耳に囁くのを聞きながら、視界の端で、サラさんとシミィさんが此方に駆けてくるのを見付けていた。

「勿論。」

口から出た声は、少しだけ、震えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

告白/酷薄

夜明け。

シミィさんとサラさんと合流してから一晩経った。

馬車とは別れたから、ここからは基本徒歩での移動になる。

 

「悪かったね。アルム。」

「何がですか?」

 

早朝。最後の見張りは俺だった。

日の出を確認してから焚き火を消していたら、サラさんが後ろから声をかけてくる。

 

「······一応、これはお前とノアの教育目的だったんだ。なのに、まさか人拐いに遭うなんてね。守れなかった私達の責任だ。」

「······いえ。結局、無事だったんで、大丈夫ですよ。」

 

鬼属(オーガ)は、人間属(ヒューマン)よりずっと鼻が利くらしい。というより血肉に敏感なのだそうだ。

それをなんとなく思い出してしまう。

きっと、彼女には洗い流した血の匂いが分かるんだろう。

 

「怪我、大丈夫かい?」

「シミィさんに治して貰ったんで大丈夫ですって。」

「······その剣、結局何なんだ?そもそも素材も見たことがないからさ。」

 

この世界に来てから何度となくされた質問。あらゆる観点においてこの剣はここでは異質らしい。ただ、サラさんの声色が誤魔化すことを許してはくれなそうだった。

 

「······元々これは、」

 

でも話して良いのだろうか。

話さないと、進めない気がした。

 

「これは、人身供物の儀式に使われていた剣なんです。」

 

そして俺は、その儀式を行っていた小さな村に、生け贄として買われた。

 

「それで俺は、贄だったけどこの剣を奪って逃げた。」

 

俺のことを引っ張り出してくれた友達と一緒に。

 

「俺の居た世界では、武器と使い手は繋がってるんです。武器が壊れれば使い手が死に、使い手が死ねばその武器は二度と甦らない。それは使い手と武器の命が合わせてひとつになるから。」

 

白い鋼なのに妙に赤く光る刀身を、少しだけ鞘から抜いて朝日に曝した。

 

「でもこの武器は文字通り命を奪うことができる。この武器は今までに斬った命を自分のモノとして持っているから、使い手が死んでも死なない。いや、死ねない。」

「死ねない?」

「はい。だから、殺すことで死を実感しようとする。飢えを満たすように。」

 

武器と使い手は同調する。

普通、武器は使い手と結ばれた瞬間、その時点では無垢である。だから武器は使い手の性質に染まる。けれどそれは武器が無であった場合のみ。使い手と武器の色は本来は混ざり合うモノで、多くの使い手を経て来た武器は固有の色を持つ。その色は新しい使い手と混じり、つまり使い手の性質を武器が変えてしまう。

 

「俺、たまに武器に引っ張られるんですよね。」

 

武器と使い手、なんて言うけれど、その実どっちがどっちを扱っているだなんて知れたものじゃない。

 

「俺についてる血の匂いは、それです。ごめんなさい。俺がもしまた引っ張られて、皆に刃を向けることになったら······」

 

その先は言えなかった。サラさんの人差し指が俺の口に添えられたからだ。

 

「その先は言うんじゃないよ。······言葉っていうのはね、口に出した途端に力を持つんだから。」

「はい。······ごめんなさい。」

「それに、自分より弱い相手なら簡単に倒せるからね。アルムなんてアタシの相手にならないさ。ちゃんと止めてやるよ。」

 

確かにサラさんは強い。自分が弱くて良かったと、初めて感じた。

 

「あっちの川で顔洗って来な。そんな顔だと二人に心配かけるよ。」

「はい。」

 

木の間を通したロープで干していたタオルを投げて渡される。受け取って、少し駆け足で近くの川まで歩いた。火照った顔に風が冷たかった。

 

なんだか久し振りに泣きそうだ。改めて、俺を拾ってくれたのがここでよかった。

川の水は澄んでいた。

あまりに綺麗過ぎて、この川には水以外が流れていない。川は隔たりを表す、と前に読んだ魔導書に載っていた。魔法によって結界を作る際、水魔法(アクアスペル)では川のシンボルを魔法陣に加えるのだとか。

彼方と此方、彼岸と此岸。

 

時々思う。

もしかしたら、俺の前いた世界は、俺の夢で、悪い夢で、全部が幻で、本当はこの魔法の世界こそが本物で、俺は自分の記憶を勘違いしているだけなんじゃないかと。

もしくはその逆で、この幸せな世界こそが夢で、俺は()()()からずっと、夢を見ているのかもしれないと。

これがもしも現実(ゆめ)ならば、どんなに幸福(ざんこく)なことなんだろう。

 

いや、やめにしよう。どちらにせよ、俺はもうあっちではほとんど全てを失った。残ったのは自分自身とこの武器だけ。

 

「よしっ。」

 

冷たい水で頬を叩いた。

思考を切り替える。考えすぎて周囲が見えなくなるのは悪い癖。そのせいで何度ぶつかったことか。

頭ばかりは勝手にぐるぐると回ってしまう。なんとかならないものか。

そろそろ戻ろう。皆が待っている。

 

「────っアルム!!」

 

キャンプの方からサラさんの声が聞こえた。悲鳴のような声だ。

 

「はい!!すぐ行きます!!!」

 

その方向に大声で言い、タオルを放り出して剣を抜き、走って向かう。血の気が引く。何なんだ一体。悪い想像もつかぬまま、サラさんの場所まで辿り着いた。

 

「何があったん······」

 

事情を訊こうとした。光景に目を疑う。木々の隙間から見えるのは、白い羽根を背に称えた天空の民。そのどれもが武装をして、こちらを取り囲んでいる。

 

「こっちに!」

 

サラさんが手を伸ばす。その手には黄色の魔法陣が輝いている。肉体強化の魔法だ。見回して状況を確認する。肌にピリピリとプレッシャーを感じる。ぐるりと360度、天使属(エンジェル)に囲まれている。全員が手に光り輝く槍を持ち、同じデザインのローブを着て翼を広げている。

サラさんに手を伸ばし、捕まれる。瞬間、サラさんが飛び上がり、その天使達の包囲網よりも高く、空へと俺を引っ張りあげる。

 

「手ぇ離すんじゃないよ」

 

種子を複数宙に放り投げ、呪文を呟く。

 

成長(グロウ)

 

種子が一瞬でいくつもの巨大な幹に成長し、それを足場としてサラさんが縦横無尽に動き回り、天使の群れに突っ込む。その先には、眠っているまま天使に抱えられているのノアとシミィさんがいる。いや、眠らされているのか。

サラさんが二人を抱える天使に殴りかかった。しかし、近くに居た天使の一人の体が不意に紫色に光ったと思うと、その天使の()()()()()()()()()、紫色の魔法陣、空間魔法(ヴォイドスペル)の結界が壁となってサラさんの拳を防いだ。自分を結界に変える、そういう魔法なのか?いや、呪文すら唱えていなかった。

 

「ぐっ」

 

天使の槍が俺とサラさんを貫こうとする。咄嗟に剣を振ってそれを防いだ。いや、それはおかしい。体が落下もせず宙に留まっている。気付いた、足元に同じく紫色の魔法陣。身体は動くが、自分自身の位置が移動できない。サラさんも同じだ。

不味い、天使の持つ光の槍がすべて俺達の方へと向いた。あともう少しなのに、どうしても手が届かない。

 

「くっそォ!!」

 

サラさんが結界を力任せに叩く。しかし、拳がぶつかる音すらしない。空間がそこで隔たれているから、何にも拳はぶつからず、ただそれ以上先へ進まないだけなのだろう。

 

「シミィ!!」

 

声もきっと届いていない。シミィさんとノアは、相変わらずぐったりと天使に抱えられている。

その数秒の内に、天使の槍の光が一斉に強くなった。魔力なんて感知できない俺でもわかる。これは何かマズい事が起きる前触れだと。

 

「サラさん!!どうしたら······!!」

 

俺もサラさんも動こうとするがどうしようもない。落下も飛翔も許されない。そうしている間にも、チリチリと肌を刺すプレッシャーはどんどん強くなっていく。空気も振動し、生存本能が危険を告げる。

 

「ああああ!!畜生!!!」

 

サラさんが叫び、呪文を唱えた。

 

空間魔法(ヴォイドスペル)収納(チェスト)

 

俺とサラさんを囲むように、紫色の魔法陣が出現する。

 

そして一瞬後、周囲の風景が全て黒に染まった。

 

 

 

「な、何が······」

 

とても広い空間。静かな空間。それでも、声は反響することもない。

 

「······空間魔法(ヴォイドスペル)虚空(ヴォイド)に私とアルムを仕舞った。」

「え?」

「よくマキナが道具を出し入れしているアレさ。ここに入ったら、誰かに出して貰わないといけなくなる。」

「そ、それじゃあ······」

「ああ。すぐには出れない。ギルドメンバーの虚空(ヴォイド)にはタクトが繋げられるから、それを待つしかない。待って外に出たところで、繋がるのはタクトの居る場所だから、二人をすぐに助けられるわけじゃない。」

 

そんな。

いや、でもこれしか方法はなかったのだろう。俺は手詰まりだった。サラさんがこれを選んだのならば、これしかないのだろう。

 

「一体、どうして天使属(エンジェル)が俺達を」

「わからない。······いや、なんとなく想像はつく、か。」

 

含みのある言い方を聞いて、脳内にノアの双翼が浮かんだ。天使属(エンジェル)悪魔(デヴィル)の翼を持つ、左右非対称の彼を。

 

「拐われたん、ですか。」

「そうだろう。」

 

どんな意味があるかはわからない。

天使と悪魔は、数百年ずっと戦争をしている。だからこの行為にどんな大義名分があるのかは知らない。

俺は歯を、強く強く噛み締めた。

ギリと音がして、鉄の味がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。