男が少ないヤンデレ世界 (トクサン)
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白昼夢

コメディの練習がしたくて。


 人の価値観何ていうのはアテにならないし、そもそも昨日まで過ごしていた世界が【本当に今日と同じ世界】かどうか何てのは誰にも分からない。

 誰もこの世が天国だと証明する事は出来ないし、地獄だと証明する事も出来ないのだ。

 それはそうだろう、誰も現世が俗に言う「あの世」だとは認めたくないのだから。そもそも死と言う概念が存在している時点で、この世界が極楽浄土や地獄の十八丁目だとは信じたくない、いや、話が逸れた。

 兎も角何が言いたいかといえばだ。

 例えばそう、この世界がある日突然変わってしまっていても。

 日々の連続性が失われただけと思えば、まぁ何とかなる、そういう心構えを俺は広めたいのだ。だから実際問題、現実にそうなってしまっても広い心と豊かな精神力でどうとでもなる――

 

「訳がない」

 

 そう、何とかなる訳が無い。

 ある日突然世界が自分を除いて一変しました、なんていうのは出来の悪いB級映画並みではないか。

 タイムトラベル? 平行世界?

 ヒッグス粒子が発見されて三年足らず、欧州原子核研究機構はブラックホールの生成にすら成功していないというのに、そんな眉唾物の未来科学を信じろというか。生憎と私は神を信仰していない、だから寄る辺は科学だ。

 けれどその科学ですら今の現状は証明出来ずに居た。

 

 女である。

 

 道行く皆、女である。

 男が居ない、誰一人として存在していない。

 

「何だこの天国は」

 

 んんっ、口が滑った。

 違う、なんだこの異常性は、である。

 

 女女女女、いかん、これでは俺がまるで女に飢えている性欲異常者では無いか。

 しかし実際問題、道行く人々は誰しも女なのだ。男が一人として存在していない、心なしか街に漂う空気が甘く素晴らしいモノに変わっている気がする、いやこれはきっと俺がおかしいだけだな。

 時刻は朝の八時。

 時間帯的には通勤ラッシュと呼ばれる時刻ではあるが、俺の周囲はぽっかりと穴が空いている。と言うのも、道行く人々が全て俺を避けて行くのだ。まるで見えない壁があるかの様に、一瞬まさか臭かったりするのだろうかと思って匂いを確かめるが自分では分からない。恰好も変では無い……筈だ。

 パリッと着こなした黒色の軍服、軍帽を深く被り乱れなど一つなし。訓練生時代に僅かでも乱れていれば拳が飛んできた、文字通り死ぬ思いをして叩き込まれたのだ、今更そんなミスなど犯す筈も無く。

 じゃあ何故こんな注目を集めているのだと言う事になり。

 朝起きて、朝食を食べて、寝ぼけた頭のまま通勤していた途中。余りにも自分を見る目が多すぎて思わず足を止めたが、一体何なのだ?

周囲を見渡す、きょろきょろと視線が彷徨う、そして露骨に視線を逸らす周囲の女性群、その頬はほんのりと赤い。

 

「……夢か?」

 

 何度見ても男がいない、見える範囲では俺だけである。これだけ大きな駅だと言うのに、それに通勤ラッシュは最も混雑する時間帯。男だけが偶々(たまたま)いない、いやいやそんな、あり得ない。

 だから一番現実的な可能性を挙げてみた。

 そして自然な動作で頬を抓る、痛い、現実じゃないか。いや、痛覚の存在がある夢だってあるかもしれない、だからそう、まだ諦める時間では無い。叩く、痛い、頬が赤くなってしまった。

 まてまて落ち着け、まだ慌てる時間では無い。

 そうだ、素数、素数を数えて落ち着くんだ。

 

「2」

 

 凄く落ち着いた。

 

「中尉ッ!」

 

 背後から聞き慣れた階級がして、振り返る。そこには黒髪ポニーテールを振り乱しながら私目掛けて駆けて来る部下の姿があった。まだ垢抜けない童顔に、けれどキリッとした眼つき。勤務して三年経つが未だ制服に着られている感がある。

 いつも冷静沈着ぶっている彼女が、額に汗を掻いて俺に叫ぶ。

 何でこんなところに? という言葉を呑み込む。彼女の家は俺の家とは違う方面だったと記憶しているが。

 まぁそれは一旦置いておこう。

 しかし何だ、いつも冷静な君はどうした。

 

「高橋曹長」

 

 高橋美佳、彼女の名前である。

 その名を呼びながら背をシャンと正し、整然とした軍人の恰好を取り繕う。人間、自分より取り乱した人を見ると冷静になれるらしい、この場合は上官としての尊厳もあった。

 彼女は人垣を掻き分けて俺の前に来ると、膝に手を着いて息を整える。それから俺の顔を睨めつけながら息も絶え絶えに叫んだ。

 

「何故っ、自宅に居られなかったのですか!? 単独でこのような場所を出歩かれるなどとッ……!」

 

 物凄い剣幕だ、その眼は僅かに血走っている。

 というか何故俺は怒られているのだろうか、普通に出勤しようとしただけなのに。ちょっとだけ剣幕に負けそうになって、けれど男と上官のプライドで踏みとどまる。

 

「何故も何も、俺は支部に――」

「送迎車が毎朝来ている筈でしょう!?」

 

 送迎車?

 えっ、何それ知らない。

 

「美月少尉と中尉のご自宅に行ってみれば(もぬけ)の殻で、今少尉と手分けして探していたんですっ」

「そ、そうか……」

 

 うん、何かごめん。

 というか、送迎車だと? 何だそのVIP待遇は、俺はまだ佐官でも将官でもない、一尉官だぞ。

 

「しかし高橋曹長、送迎車とは一体どういう――」

「っ、えぇい、お前達寄るなッ!」

 

 俺が高橋曹長に送迎車の件について問いただそうとすると、彼女は突然周囲に向かって声を上げる。一体なんだと驚きながら、「若しかして妄想癖でもあるんだろうか」なんて可哀想な子を見る目で見ていると、周囲の異様な雰囲気に気付いた。

 ジリジリと、本当に少しずつ俺を囲む人垣が狭まっている気がする。

 息を荒げて、頬を赤く染め、何だか麻薬(アール)でも吸った様な、イッた顔をしてらっしゃる女性群。

 

「うぉ、何だ!?」

「中尉ッ、此処は私が防ぎますっ、お早くッ!」

 

 高橋曹長に顔を向ければ、まるで死地にでも赴く様な顔をして白い手袋を嵌める。同じ陸上防衛軍である彼女は黒い制服を纏っているが、その中にある白一点。そしてその手に持つのはSR-708『対人用小口径拳銃』――

 

「って、民間人相手に何を向けているんだお前はッ!?」

 

 彼女は周囲の人間に銃口を向けながら威圧していた、軍人が守るべき民間人相手になにしているのか。俺は僅かな驚きと、少しの怒りを込めて叫ぶけれど、それよりも鋭く深い高橋曹長の眼光に睨まれ口を噤んだ。

 今の曹長は眼光で人を殺せる、たぶん。

 

「中尉っ、何をモタついておられるのですか!? 貴方らしくも無いッ、お早く!」

「いや、お早くって……」

 

 天井に向けて彼女が発砲、バキン! という金属音と共にコンクリートが抉れる。

 マジで撃ちやがった、コイツ。

 

「それ以上寄るなッ、男性保護法第二条により彼の身柄は国防軍預かりとなっている、許可なき接触には罰則があると心得よッ!」

 

 そう言って再度銃口を向けるが、正面の女性を含め殆どの女性がジリジリとにじり寄って来る、その表情からは恐怖など微塵も感じられない。元々威嚇の効果が無い事を知っていたのか、高橋曹長は頻繁に銃口を向ける相手を変えながら切羽詰まった表情をしている。

迫り来るのは通勤途中のOL、女子高生、熟女、小学生、ギャル、様々、どんな状況だコレ。

皆が皆、目から光を失っている。フラフラと光に引き寄せられる蛾の様に、この場合光源は俺なのか? 

(なに)かしたのか昨日の俺。

 

「というか、男性保護法って何」

 

 ポツリと俺が呟く。

 けれどその言葉が高橋曹長に届くことはなく、周囲の女性が一斉に飛び掛かって来た。思わず身を硬くし、先ほどまで何か空気が澄んでいる様な気がするとか言っていたアホな自分を恥じる。

 叫びながら突進してくる女子群、曹長が舌打ちを零し引き金を絞る、迫りくる女性たちの表情は、なんというか必死だ。目線は俺、肉食獣という表現すら生温い。捕まれば骨の髄まで食い尽くされると理解した。

 あっ、これ本当にアカン奴だ。

 そしてその波に曹長と俺が呑まれ――

 

「って、堪るかぁァッ!」

 

 前に居た高橋曹長を抱き上げて、「ぇ、あ、ちょっ!?」と戸惑いの声を無視。そのまま最初に突っ込んできた女性の肩を蹴り上げて、天井の電光掲示板にぶら下がった。

 

「ぎっ」

 

 ミシリと筋肉が悲鳴を上げる、オイ高橋曹長、君中々良い体重しているじゃないか。

 そのまま勢いをつけて手を放し、何人かの肩を借りながら包囲網を脱出、抱えたまま全力逃走を開始。

 

「ちゅ、中尉!?」

「口閉じてろ、舌噛むぞッ!」

 

 背後を確認しながら、一息に階段を下る。途中俺に肩を踏まれた女性が、恍惚とした表情を浮かべトリップしている姿を見た。

 本当に麻薬(アール)でもキメているんじゃないだろうか。

 

「ちゅ、ちゅちゅ、中尉ぃ!? あ、あのッ、その、私中尉に、触れ、触れぇっ!?」

「いいからッ、動くな騒ぐな足をバタつかせるなぁッ!」

 

 顔を真っ赤にして、忙しなく視線を彷徨わせる部下を抱えて走る。

 朝から何をしているのだろう俺は。

 普通に出勤しようとしただけなのに。

 ただ一つ分かった事があるとすれば、それは――

 

 

 こんな世界、俺は知らない。

 

 

 

 

 

「中尉、私、何度も言いましたよね? 再三申し上げましたよね?」

「……ハイ」

 

 早朝の全力逃走劇から一時間後、俺は国防軍福島基地にて正座をさせられていた。

場所は俺専用の個室という『男性保護室』、なにそれ知らない。中は仮眠用のベッドとシャワールーム、トイレまで完備という。

 あの、もう此処に住んでも良いですか? 家帰る必要ないでしょこれ。

 

「中尉?」

「あっ、はい」

 

 少しでも別なことを考えていると即刻鋭い目線が飛んでくる。

 俺の目の前に立っているのは美月少尉。

 少しだけ伸びたくせっ毛に、眠たげな眼をしたおっとり系。けれど今は背に漆黒のオーラを纏い、何か物理的威圧を俺に加えてくる。その姿は(さなが)ら修羅か、数少ない女性の部下だから大切にしてきたのだけれど。

 何かアタリ強くないですか?  普通に罰則なら腕立てとか腹筋とか、というか階級は俺の方が高いですよね、何で部下に説教されているの俺?

 

「中尉ィ?」

「あっ、はい」

 

 もうダメだ、何も考えちゃダメだ。

 少尉の前では何を考えても見抜かれる、だからそう、心を無に、無我の境地に。

 段々と思考が濁ってきて、目から光が失われているのが分かる。自他境界線が曖昧になり、生物と鉱物の間に――

 

「はぁ、もう、良いです」

 

 少尉が溜息と同時にそんな事を吐き出し、俺はビュンと風の如く立ち上がった。

 ひゃっほう釈放だぜぇ! やっとこの足の痺れから解放される。

 勿論そんな内心を悟られることが無いよう、表情はキリッと決める。俺は如何なる時であっても軍人然とした人物でありたいのだ。

 

「手間を掛けたな、少尉」

「……いえ」

 

 俺を何か、こう、胡散臭げな眼で見る少尉。

 何だよそんな熱い目線で俺を見て、照れるじゃないか。

 ここで視線を逸らしては負けとジッと少尉の目を見続けていると、唐突にふっと目を逸らす少尉。その頬は僅かに赤らんでいる、俺の勝利だ。

 

「取り敢えず、明日もお迎えに上がりますから、どうか独りで出歩くことの無いよう、今日の騒ぎだけで十分ですから」

 

 ソッポを向きながらそんな事を言う、何だかんだ言って身を案じてくれる少尉マジ天使。けれど今ではこれがデフォルトらしい、一通り少尉から説教という名の【この世界の認識を再確認】され、今に至る。

 男性は世界人口の一パーセント未満、世界各国で掻き集めても一万人に届くかどうかというレベル。何そのファンタジーとか他人事の様に思ったが、軍に身を置く自分がこれほど優遇されている事実を見せられれば頷く他ない。

 当然、男性保護法なる法律が国際的に発令され、各国で手厚く男性を保護しているらしい。大体の男はその希少性にモノを言わせて国から支給される『男性手当』を貰いニート生活しているんだとか、なにそれ羨ましい。

 勿論それは俺にも支給されている、更に俺は男性の中では珍しい就職組なので金には困っていない。一応端末から貯蓄を確認してみたが、八桁の貯蓄があった。驚きすぎて何度か額面を見直したが、何度数えても数字は変わらない。その気になれば家が建つ。

 凄い、男、すごい。

 

 支部内は一応歩き回ったが、目に入るのは女、女、女。

 つい昨日までむさ苦しい男しか居なかったと言うのに、同期や友人が全て見覚えのない人間と入れ替わっていた。一応軍隊という事で服装はちゃんとしているが、訓練中の姿などは中々刺激的だ。

 飛び散る汗、揺れる果実、漂う女性の甘い―― おっと、少尉の目が鋭くなった。

 

「中尉、今何か不穏な事を」

「いや、何、朝から走り回ってしまったからな、汗が少しね、シャワーを浴びたいのだけれど」

 

 適当な言い訳で何とか逃れる。

 俺がシャツの上ボタンを外しながら服の中に空気を送り込むと、ぼっと顔を赤くした少尉が胸元をじっと注視し、それから慌てて顔を逸らした。

 

「そ、そうでしたか……でしたら、私たちは退出しましょう、高橋曹長!」 

 

 少尉がそう言って部屋の隅で「中尉、抱っこ、私、男性、触った」とブツブツ呟きながら耳を赤くする高橋曹長の肩を掴む。それでも彼女は一向に反応を返さず、そのままズルズルと部屋の前まで引き摺られていた。朝からずっとこんな調子だが、曹長、いつものキリッとした態度はどうした。

 

「一応、後で今日分の書類を届けに来ます、準備ができたらご連絡を」

「え? あ、あぁ、ありがとう」

 

 そう言って少尉は曹長を引き摺って退出してしまう。

 今日分の書類?

 てっきり訓練をするものだと思っていたが、違うのか。書類仕事は昨日の内に終わらせた筈だけれど、そもそも中尉がするデスクワークなんぞ高が知れている。

 

「……まぁ、いいか」

 

 俺は思考を放棄して今日の予定を脳内に浮かべる、軽く汗を流したら直ぐに訓練の時間になる。遅刻は論外、あまり時間を掛けてはいられないな。

 

 この後俺はシャワーを浴びた後、「訓練に参加して来る」とだけ少尉に連絡し、「へっ!? あのッ、ちょ、中尉!?」と取り乱した声を後に、所属部隊の訓練に参加したのだけれど、それで一悶着あったり無かったり。

 

 




今更だけどヤンデレ要素ないじゃん悲しい(´・ω・`)

でもホラ、想像できるはず(´・ω・`)

主人公を慕うヒロインが、押し寄せる女性群をたたき伏せる光景が(´・ω・`)

私の彼に触れるなッ! 的な(´・ω・`)

僕はそれだけで満足です(´・ω・`)


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日常訓練

 

 軍人と言えば訓練である。佐官や将官はそれなりの役職、椅子に座っている為デスクワークが中心だが、国防軍尉官である自分は幹部コースと言えど下っ端である。そのため、所属部隊の訓練は必ず取り組まなければならない。

 尉官になると少数だが部下を持つ、少尉ならば十人単位の班、小隊を。

 中尉ならば更に人数を増やし三十から五十人近い複数の小隊、大尉ならば幾つもの小隊を纏めた中隊を指揮しなければならない。佐官クラスになれば支部の中でも上位の人間だ、現場とはオサラバし尉官を束ねる大隊の指揮、基地の運営などを行っている。

 中尉である俺にも勿論自分の部隊が存在する、俺の請け負っている小隊は三つ。

 内海(うつみ)小隊、高橋(たかはし)小隊、暉武(きたけ)小隊の三つだ。

 計三十人からなる俺の部隊は国防軍の中でも機動機甲部隊に組み込まれているが、まぁその話は良い。

 兎にも角にも、今日俺は連中と訓練を共にしなければならないのだ。

 

 第三グラウンド、季節は春、薄着で運動しても汗が流れる季節。俺はサッと汗を流した後、訓練用の服装に着替えグラウンドに来ていた。幾つかの部隊で訓練出来る様に作られたグラウンドは広い、一応障害物コースや単純な持久走なども出来る様、幾つかのスペースに区切られている。

そこには既に各小隊が整列し、小隊長がそれぞれ点呼を取っていた。

 時間十分前に来たが、少し遅れてしまったらしい。

割り当てられた訓練スペースで小隊を見渡すが、見知らぬ面子が勢揃いしている。全く以て見覚えが無い、昨日までは筋肉ムキムキの男達がズラリと顔を並ばせていたが、今は線の細い女達が整然と並んでいる。

 

「……何と言うか、肩身が狭い」

 

 そう思うけれど、流石に上官がサボる訳にもいくまい。

 俺はぐっと背筋を伸ばし、足早に彼女達の元へと姿を現した。

 

「よし、全員揃っているな、では今より訓―― ってぇえ!?」

 

 訓練を開始しようとしていた高橋曹長、彼女は女の身ながら小隊長を務めている優秀な人材だ。つい先ほど男性保護室にて顔を赤くしてブツブツ呟いていた彼女だが、流石に訓練となると意識が切り替わるらしい。

 凛とした表情で訓練開始を宣言しようとするが、俺の姿を見るや否や素っ頓狂な声で叫んだ。

 

「すまない、少し遅れたな」

 

 俺がそう言って手を挙げると、小隊の隊員が一斉にバッと俺に顔を向けた。その表情は一様に「信じられ無いモノを見た」といった風で。

 大勢の人間の視線を受ける事に関しては慣れていたが、凄まじい勢いで首を回転させた隊員達の動きに思わず「ひぇ」と声が出掛ける。それを上官のプライドで飲み込み、何でも無い様に小隊の前へと進み出た。

 何だ今の動きは、軽くホラーだぞ。

 

「ちゅ、中尉!? 一体何故此処に!?」

「部隊訓練に参加するのは当然だろう、何を言っている」

 

 焦燥した様にアタフタと忙しない高橋曹長、その姿に首を傾げながらも隊員達に向き直った。「あ、あの、中尉っ」と何か言いたげな曹長を手で遮る。まずは人員の顔ぶれを 覚える事が先決だ。

 こうして見ると、ふむ、やはり誰一人として見覚えが無い。

 

 身長190cmの巨漢、好きな食べ物はアポロチョコの落田翼(おちた つばさ)

 情報関係の大学を出た後に国防軍に入隊した眼鏡事、零砂泪(こぼすな なみだ)

 若干オネェの入った元オカマバー出身、両静瑠衣(りょうせい るい)

 

個性の強い小隊でも一際異彩を放っていた彼らが見えない、とどのつまりは全く別の人間になっているという事か。整然と並ぶ部隊員の一人一人を見つめ、じっくりとその顔を記憶する。

そうしていると不意に、ある事に気付いた。

 何か俺、目を露骨に逸らされている気がする。

 体の向きを変える事は出来ないし、顔の向きも然り。けれど彼女達は俺と目が合った途端、目線をそっと逸らすのだ。僅かに頬を赤くして息を荒くするのは何故か、額に汗を掻いている奴もいる。

 あれ、若しかしてもう訓練終わった後?

 それも特定の人物ではなく、大体全員だ、全員が顔を赤くして息を荒くしている。

 実は俺が盛大に遅刻していたりするのだろうか、ふと不安になる。

 

「曹長……訓練は、これからか?」

「えっ、あっ、はい、そうです!」

 

良かった。

じゃあ運動による疲労じゃないよな?

俺のすぐ目の前に立つ隊員をじっと見る。

少しだけ長い髪を一つに縛り、顔立ちは素朴、しかし軍人らしい凛々しい風貌。彼女が一番酷い、額から汗を流してTシャツに汗染みが出来ている、まだ訓練前だと言うのにどうしたのか。

 

「……君」

「ッ、は、ハッ!」

 

 俺が目を合わせて話しかけると、上擦った声で返事が返ってきた。俺は数歩近づいてじっと彼女を見つめる、名前を知らないため名指しは出来ないが、今は許して欲しい。

 互いの吐息が感じられる距離まで詰め寄ると、隊員は益々汗を流した。

 

「凄い汗だ、実は体調が優れないのではないか? 余り無理はするな」

「い、いえっ、その様な事は決してッ!」

「本当か? どれ……」

 

 そう言って彼女の額に手を当てると、くわっと彼女の目が見開かれた。手の表面から伝わってくる温度は中々高い、やはり風邪じゃないかコイツ。

 

「熱がある、君は衛生管理室に――」

 

 そう言って手を放した瞬間、プッ という音がした。それは何かの吹き出る音、その音は俺の目の前から。

 俺の前に立っていた隊員が、鼻から勢いよく血を吹いて、そのまま仰向けに倒れてしまった。流れるような動作だ、直立不動のまま後ろに倒れた彼女は、後ろに立っていた隊員に受け止められる。

 

「ゆ、友音(ゆね)!?」

 

 背後にいた隊員が名前を叫ぶ、鼻血を吹いた隊員―― 友音と言うらしい  は何というか、とても満足そうな顔で目を閉じていた。まさか気絶したのか? 嘘だろ、一体どうした。

 

「そ、そこまで酷い症状だったのか……君、彼女を衛生管理室に!」

「えッ、アッ、は、はいッ」

 

 友音の友人と思わしき隊員に指示を出し、そのまま彼女に抱えられ友音は衛生管理室へと連行される。時折「へへ、へへっ」と不気味な笑いを上げる彼女は、相当酷い病に罹ったのだろう。

 

「まさか、感染病とかでは無いよな……?」

 

 部隊の全員が頬を染めて吐息を荒くし、汗を掻いている現状に危機感を覚える。俺は(おもむろ)に友音の隣に整列していた隊員に近づき、その額に手を当てた。

 

「えっッ!?」

 

 突然の行動に驚いたのだろう、その隊員も目を見開く。サラサラな髪を掻き分け、僅かに汗ばんだ額に触れる。そして三秒ほど掛けてじっくり熱を測っている俺の前で、その隊員も プッ、と鼻血を吹いた。

 そしてやはり、流れるような動作で後方へと倒れる。直立不動で倒れるその姿は半ば芸術染みていた。

 俺はその光景を見て確信する。

 マズイ、これは感染病だっ!

 

「曹長! 部隊に感染病が蔓延しているぞッ!?」

「違いますっ! 中尉ッ、落ち着いてッ!」

 

 

 

 

 

 

「一、二、三、四!」

 

 俺の目の前で小隊が腕立てをしている。女性とはいえ軍人、やはり線が細くとも彼女たちの中には筋肉繊維がギッチリ詰まっているのだろう、こうして横から正面から眺めると中々どうして、二の腕の筋肉が隆起しているのが見える。それと胸の谷間がゲフンゲフン。

 

「二十! どうしたっ、声が聞こえないぞッ!?」

 

 隣から上がる飛ばされる檄、飛ばしているのは内海小隊長。短く切りそろえた短髪に、外国人らしい顔つきが特徴の女性だ。因みに彼女自身は(れっき)とした日本人である。

 あの後、感染病の疑いアリとして騒いだ俺を曹長が押し留め、そのまま訓練を開始する運びとなった。なんでもアレは感染病の病状ではなく、俺が不用意に接触したのが原因らしい。何で触っただけで鼻血を吹くのだと問い詰めたい、免疫とかそういうレベルを逸脱しているぞ。

 そういえば高橋曹長も俺が抱えた時は酷く狼狽していたなと思い出す、もしかして男性から女性に接触する事はNGなのだろうか?

 ふとそんな事を考えた。

 

「五十! よし、一分休憩(インターバル)開始(はじめ)!」

 

 五十を超えたところで一分間のインターバルが挟まれる、隊員が各々息を荒くしながら地面の上に転がった。俺も膝を着いて頬を伝う汗を拭う、Tシャツを引っ張って汗を拭っていると、ふと視線を感じた。

 

「ん……?」

 

 汗を拭いながら周囲の様子を伺っていると、何故か俺に視線が集中していた。仰向けになったままジッと俺に視線を向ける者、四つん這いになって俺に視線を固定する者、うつ伏せで呼吸を荒くしながら視線が忙しない者。

 皆一応に俺の顔では無く、具体的には、そう、お腹の辺りを見ていた。

 そして近くに居た隊員がボソリと、「シックスパック」なんて呟く。

 

「?」

「ちゅ、中尉、あの、コレを……」

 

 俺が首を傾げていると、隣に暉武(きたけ)曹長が立っていた。その手には真新しい純白のタオル、俺は暉武曹長とタオルを目線で行き来する、もしやこれを使えと言う事だろうか。腕立ての後だからか顔を赤くし、心なしか吐息も荒い暉武曹長。

元の暉武(男)曹長は丸太の様な腕をした筋肉達磨(だるま)で、腕立て五十回程度では息が上がるどころか汗一つ掻かないマッスルボディだった。しかし女となった今では勝手が違うのか、今にも折れてしまいそうな腕などプルプル震えている。

少し長めのストレートヘア、それを一つに縛って横に流している。顔立ちは純日本風で、どことなくお淑やかな雰囲気を感じる女性、最早男性だった頃の面影など微塵も無い。

 

「あぁ、ありがとう暉武曹長、後で洗って返すよ」

「い、いえっ、その様なお手間は! そのまま返して頂ければ結構ですので……」

 

 顔を真っ赤にして、どこかモジモジと羞恥を感じさせる仕草に何と言うかこう、男性的な部分を刺激された。しかし流石に男の汗に塗れたタオルを手渡すのは忍びない、やはり洗濯して返すべきだろう。

 

「いや、それは申し訳無い、汚れたまま返すのは礼儀に反する、明日にでも洗って返すから――」

「いえ、あのっ、本当に、ほんっとうにッ、そのままで良いのです! 寧ろそのままが良いのです!」

「えっ、あ、はい」

 

 何故か鼻息荒く力説され、思わず頷いてしまう。寧ろそのままが良い、それではまるで俺の汗の染み着いたタオルを欲しがったているみたいじゃないか。何か俺に期待の様な目を向けているし、な、何だこの圧力(プレッシャー)は。

 渡されたタオルで汗を拭いながら、俺は目線を逸らして他の小隊長を見る。こちらをじっと直視する暉武曹長の圧力に耐えられなかったのだ。

高橋曹長は何故か指を唇にあて、何か羨ましそうに暉武曹長を見ている。内海曹長は地面に腰を下ろして瞑想の様な形を取っているが、その眼が時々俺に向かう。二人に共通しているのは頬を赤くして、時折恍惚とした表情を浮かべる事か。

元々女性だった高橋曹長、元男性の暉武曹長と内海曹長。

全てが変わった世界で小隊長の三人だけは苗字がそのまま適応されていた、元々俺と接する事の多かった三人だ、名前が変わらないのは有り難い。しかし、その風貌は全く異なり、今までと同じように接するのは難しそうに思えた。

 

「……休憩(インターバル)終わりッ! 腕立て準備―ッ!」

 

 休憩が終わり内海曹長から声が上がる。瞬間、先程まで各々脱力していた隊員が数秒と待たず腕立て姿勢を取る、かく言う俺も自然と体が声に反応していた。

 首からタオルを下げ、そのまま皆と一緒に「一ッ!」と声を上げる。

腕立てをしながら、この世界に対して色々と思考を巡らせたり、柄にもなく哲学的な部分にまで突っ込みそうになったが、段々と訓練が進むにつれてそんな事を考える余裕も無くなっていった。

 

 

 





書いて欲しいと言われると書きたくなる症候群。
で、でもこれっきりなんだからね!


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支部長

 訓練をしていたら美月少尉に死ぬほど怒られた。

 皆に混じって持久走をしていた所、何処からか血相を変えた美月少尉が凄まじい速度で走って来て、俺を見つけるなり「中尉ィッ!」と怒鳴り込んできた。少尉怖い、とても怖い。

 零れる汗をそのままに荒い息を吐きながら美月少尉の説教を聞く、曰く「男性がこんな危険な事を」とか「もう少し男性なのだから、肌の露出を」とか言い出す。でも地面の上に座らせるのは駄目だと、態々(わざわざ)ハンカチを敷いてくれた、なにこれ紳士。

 いやしかし、正直今のこの格好ですら暑いのだ、長袖なぞ着た日には死んでしまう。前の世界では半裸で訓練など当たり前だった、最悪局部さえ隠れていればパンツ一丁だろうが問題無い。

 

 そう言ったら少尉は真顔で「乳首はどうするのですかッ!?」と怒鳴って来た。いや、別に乳首位どうでも良いよ、男の乳首なんて需要皆無でしょ、前の世界じゃ乳首パラダイスだったよ。

 とか思いながらじっと少尉を見ていると、「うっ」と呻いたまま数歩後退る。

 

「あっ、駄目っ、鼻血が……」

 

 熱気に当てられたのか、何だか視線が怪しいというか何と言うか。どことなく性欲を発散出来ない魅惑の人妻みたいな雰囲気を醸し出している少尉。

 美月少尉の威厳が削がれていく、大丈夫なのか少尉。

 

 少尉が怒鳴り込んできたため、現在訓練は一時中断となっている。俺の後方では固唾を呑んで経過を見守る部下たちが居た、自身の服を握りしめてウロウロしている者、何かを一心に天へと祈る者、親の仇を見る様な目を少尉に向ける者。共通しているのは皆一様にどこか俺の訓練参加を望んでいる様な……気がする。あくまで気がするだけだけれど。

 

「そ、そもそも何故中尉が部隊訓練に参加なさっているのですか!?」

 

 美月少尉が鼻を抑えながらそんな事を叫ぶ。

 いや何故も何も、俺の部隊なのだから俺が参加して当たり前だろう。何を馬鹿な事をと真顔で問えば、少尉は酷く驚いた顔をする。そして呆然と「中尉、今の今まで訓練に参加なさらなかったのに……」とか呟いた。

 それに驚いたのは俺自身だ。

 えっ、俺今日まで訓練に出て無かったの? じゃあ何していたの俺、ずっとデスクワークでもしていたの? それ軍人としてどうなのよ、中尉だよ俺? とか思ってしまった。

 軽く自身の職務態度に絶望していると、ポケットからティッシュを取り出した少尉が乱雑に鼻血を止め、俺の手を掴んで言った。どうでも良いけどそれじゃあ折角の顔が台無しですよ。美人でも鼻にティッシュを詰め込んだ人は間抜けに見える、いや本当に。

 

「と、兎に角、男性保護法の規定に『男性を危険に晒す行為を禁ズ』と有ります! 訓練はこの規定に触れる可能性があるのです! ですから大人しく部屋で書類の作成でもしていて下さい! 広告塔は貴方なのですから!」

「えっ、何それ知らない、広告塔? 違う、それ違うッ! 俺の仕事じゃないよソレ、絶対違う!」

 

 不穏な単語が聞こえたぞ今、何だ広告塔って、国防軍のプロパガンダに起用されているってか? 笑えん冗談だぞ!? でも男性が希少だという世界ならばあり得る、だから絶対嫌だ。最早上官の威厳とかプライドとか色々投げ捨てて逃走を開始する。しかし背後から迫った美月少尉が俺の服を掴んだ。

 

 絶対行かない! 是が非でも戻って頂きます! グラウンドの中央にて美月少尉と俺の綱引きが開始される。普段ならば俺の圧勝だと言うのに、何だ美月少尉、筋力強くないか? 心なしか徐々に引き込まれている気がする。おかしい、ねぇ何でそんな細腕で俺の体を引っ張れるの。あっ、ちょ、まっ、破れる、破れちゃうから! ギチギチ言ってる! 繊維がギチギチ言ってるよ!

 

「み、美月少尉!」

 

 残り数センチで俺の体勢が崩れる、或は服が四散するという寸前、俺の後方から声が上がる。それは他でも無い高橋曹長のモノだった。美月少尉の力が弱まり勝負は振り出しに戻る、そして声のする方へと顔を向ければ、息を荒げたまま直立不動の体勢を取る曹長の姿があった。

 

「高橋曹長、何か用か、悪いけれど今取り込み中で――」

「男性保護法の規定に関してなのですが、支部長の御影(みかげ)中佐の許可があれば訓練は可能な筈です! 男性労働基準法第六条、国有組織での活動に於いて男性は『労働監督官』の保護の元、一定の自由を保障されるものとする、とあります!」

 

 やけにハッキリと口にする曹長、その頬は訓練後である為か紅潮している。曹長の言葉を聞き届けた美月少尉が露骨に顔を顰めた、しかも舌打ちまで零す。その反応を見るにどうやら本当らしい、男性労働基準法とやらは初耳だが、その監督官とやらが居ればある程度危険な事でも出来るという事か。

 

 つまりその、御影中佐に許可を貰えれば良いのだな、と自分の中で希望を見出す。と言うか御影中佐とは一体誰だ、福島支部の支部長は寺島郷司大佐では無かったのか。六十後半でかなりのご老体だと言うのに化け物の様な肉体を誇る筋肉怪物。一度直々に訓練を受けた事があるが、あれはもはや拷問だったのを覚えている。それとホモである、ホモである、大事な事なので二度言った。

 

危うく尻を掘られる所だった同僚を俺は知っている。因みに愛人が居て名前はポンズ、アルベールビル・ヴィーナス=ポンズである。黒人で二メートル超えの巨漢であった。もうお前国防軍に入れよと思った、尚オネェである。体をクネクネさせながら「抱きしめてあげるわぁ~!」と叫び、ノッシノッシと二メートルの巨体で女走りをする存在であった。

 

仲間達からの愛称は「筋肉怪物(マッスルモンスター)」、抱擁を食らった部下が肋骨に(ヒビ)を入れたのは記憶に新しい。その光景を見ていた俺達は戦慄したものだ、「可愛い~!」と部下に頬ずりする怪物、その腕の中でミシミシと音を立て泡を吹く部下。助けようとしていれば俺達がヤられていたかもしれない。最早その姿はヴィーナス(女神)では無くトロールであった。体格的にも存在的にも。

 

「……えぇ、まぁそうですが、しかし中佐が許可を出すとは思え――」

「何事も挑戦だ少尉、さぁ行こう支部長室へ! 確か昨日遠征演習だったから事後処理で今日一日は支部に居る筈だ! アポイント無しで訪ねるのも非常識ではあるが、事が事だからな! さぁ行こう少尉! ゴーゴー!」

「えっ、あッ、ちょ、ちゅ、中尉ッ!?」

 

 攻め時は今ぞとばかりに少尉の手を掴み、グラウンドに隣接された支部の中へと駆け足で向かう。その御影中佐とやらがどんな人物かは分からないが、前の世界の大佐がホモだったのだ、じゃあこっちの世界の中佐はユリだろう、多分(適当)。

ひんやりと冷たく心地よい少尉の手がどんどん熱くなり、じんわりと汗を滲ませる。ちらりと少尉を見てやれば、「ちゅ、中尉と、だ、だだ男性と手を、手をつな、つなッ!」と何やら顔を真っ赤にして目を泳がせている、ハハハ愛い愛い。

 

何だかこっちの世界に段々と染まって気がした気がしないでも無い、きっと気のせいだ多分。軍人生活ってこんなチャランポランだったっけ、ヤバイ何か自身の価値観が崩壊しつつある気がする。けれどまぁ新しい生活に適応する他無い、幸いな事にこの世界は男が生きやすい様になっている。どうせなら前向きに生きた方が建設的というモノだ、自由の定義は別として、な。

 

 

 

 

 

「許可できませんわね」

 

駄目でした。

支部長室の高級感溢れる椅子に座る女性、名を『総丘御影(そうきゅうみかげ)』という。支部長室としては少々殺風景の部屋で、支部長の座るその椅子だけが妙に目立っている。曰く「仕事をする時に一番大事なのは疲れ無い事、一日中座りっぱなしなら椅子は大切でしょう?」という事らしい、お金を掛ける所には掛け、必要ないと判断すれば一銭を惜しむ、苦労人の気配を感じるのは気のせいだろうか。

 

支部長本人は何と言うべきか、非常に美人でグラマスな方だった。前の世界の大佐がアレだった為、最悪ゴリラの様な女男が出て来る事も考えていたのだが、実際出てきたのはアニメや漫画から切り取って来た様な凄まじい妖艶の美女。もし彼女が前の世界で支部長を張っていたら、きっと部下の男どもは死に物狂いで訓練に励んだだろう、そんな確信に近い予想を抱く。

 

肉感的な足を見せつける様に組み直し、整った顔立ちを俺に向けながら支部長は否定の言葉を口にする。これで三十代後半だと言うのだから世の中分からない、そもそも中佐で三十代、それも支部長などとは、まさに俺とは住む世界が違う。

 

というか先程から少尉が支部長の胸部を恨めしそうに睨んでいた。いやまぁ、うん、分からんでもないが露骨すぎるから一度やめようか少尉殿。君はまだ若い、だからそう、まだ諦める時間じゃない、支部長の豊満な胸部と少尉の慎ましい胸部、どちらも需要が存在している、だから嘆く事は無いのだ。

 

「そもそも中尉、何故貴方は突然訓練に参加しようと思ったの?」

 

支部長から疑問が飛んでくる。どことなく熱い視線を向けられている気がした俺は、それに気付かないフリをしつつ「はっ」と声を上げた。

 

「恐れながら、元より自分の率いる部隊、上官である自身が訓練に参加するのは当然の事かと」

「でも、貴方今までは参加していなかったのでしょう?」

「考えを改めました、隊員の士気向上、また有事の際に最善の采配を行うには部下の日頃の訓練を目にしていなければならないかと思い至った次第です」

「ふぅん」

 

どこか疑わしそうな目を俺に向ける支部長、気持ちは分からないでも無い。昨日までサボタージュしていた人間が突然真人間になるなど、俺が逆の立場だったとしても疑う。そして視線をスライドさせた支部長が少尉を見た。

 

「少尉、貴女何か中尉に――」

「言っておりません」

 

 どこか食い気味にそう答える少尉、上官に見せる態度としては最悪の部類だが支部長は気にしていないのか「そう」とだけ口にした。何と言うか、もしかして犬猿の仲だったりするのだろうか、この二人は。だとすればどうか俺を挟まずに喧嘩して欲しい、切実に。

 

「大体、訓練中に何かあったら上に怒られるのは私なのよ? 部屋で大人しく書類作業をするのは嫌?」

「いえ、その様な事は――」

「なら書類作業で満足して頂戴」

 

 上官命令、しかも支部長からの指示ならば従う他無い。軍人と言うのはバリバリの縦社会、つまり上からの命令は絶対だ。しかしその命令が納得出来るモノかどうかは別、自分の意見が通らない状況で喜ぶ奴は居ない、現に俺は少しだけ不満気な表情をしてしまっていた。

 

「不満そうね」

 

 支部長は俺の顔を見て、どこか面白そうな顔でそんな事を言う。その眼は俺の見間違いでなければ爛々と輝いている気がした。

 

「………どうしても、って言うなら、参加させてあげない事もないわ」

 

 支部長がその表情を崩す事無く、そんな事を言って来る。例えそれが目の前につるされた餌だとしても、今の俺には食い付かずにはいられなかった。思わず身を乗り出して叫ぶ、隣からは驚愕の表情を張り付けた少尉が悲鳴を上げた。

 

「ッ、本当ですか!?」

「支部長!?」

 

 俺が歓喜の声を上げ、少尉が非難の声色を吐き出す。それを真正面から受けた支部長が楽しそうに笑いながら、一枚の書類をデスクの上に取り出した。カラープリントされたソレを俺の目の前に滑らせる。

 

「代わりに、コレを承諾して頂戴」

 

 目の前に突き出された紙、それを俺は手に取って内容に目を走らせる。隣で少尉がワタワタと何やら慌てているが、俺の視界には文字列しか入らない。そしてその内容とは―

 

 

 

―― 国防軍広報 密着! ウワサの男性士官! ぽろりもあるよ!

 

 

 

「うそやん」

 

 

 ポロリって何ねん?

 

 





 ゴールデンボール。


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野獣の眼光

短いよ! あと今回の話に関しては私は謝らない、絶対ニダ!


「くそ……私の中尉なのにっ、私の………」

 

 現在俺は支部長室から撤退し、基地内の男性保護室にて頭を抱えていた。それは先の「ポロリ」の件も含め、自身のこれからの生活に半ば絶望を抱いたからである。百歩譲って広告塔ならばプロパガンダとして納得はできるけれど、何だポロリって、男のポロリってあれだろう、金の玉だろう、誰得だよ。

 

 いや、この世界では得なのか。

 俺の金玉は今、美少女巨乳のソレに匹敵する価値を秘めている。

 このどう見ても釣り合わない、小さな玉袋が、あの大きな乳袋に勝るとも劣らない―― 

 

 いや、やめよう、言っていて悲しくなってきた、何だろう、軽く死にたい。

 

 そして何より、支部長室から出て来て以来、どうにも、美月少尉の様子がおかしい。いつものパリッとした姿が一変、まるで知り合いに恋人を盗まれた様な顔で取り乱していた。

 あの生真面目で堅物が服を着て歩いている様な彼女が、目を淀ませてブツブツ呟きながら爪を噛む姿は見る者に恐怖感を与える。

 

 というかぶっちゃけ恐ろしい、何かギラギラしているし、淀んだ目なのに。

 美月の豹変と自身の立場、それが俺の頭を悩ませる。

 

「密着は嫌だなぁ……というか軍の広告塔とか正気かよ、ただの一軍人だったんだぞ俺、いやまぁ女性だらけって言うのはある意味天国だけどさ、ちょっと色々厳しすぎるって本当」

 

 この世界に対する不満とか、自分の立ち位置に対する愚痴をウダウダと述べる。俺の為に用意されたデスクに倒れ伏し、そのまま頭を抱えた。密着二十四時とか嫌すぎる、ポロリという不穏な単語も嫌すぎる、そもそも何で俺こんな話持ちかけられたんだっけ?

 

 あぁ、そうだ、訓練に参加する条件だっけ。あれ、じゃあ訓練に参加しなければこの話は無しという事に? 訓練サボタージュ出来てポロリもない、あれ、何で俺そもそも訓練参加しようとしたんだっけ。

 

 堕落の極み、或は適応。目の前のポロリを回避すべく、脳味噌溶けだしそうな思考回路を走らせた。いや、うん、まぁ訓練をサボタージュしてはいけないと頭では分かっているのだけれど、流石に俺もポロリは嫌な訳でして。

 

 そもそも誰が好き好んで有象無象の前に股間を曝け出したいと言い出すものか、というか例え軍務だとしても何かを決定的に間違っている気がする、金玉で民意を得るなんて間違っている、金玉だぞ? うん、やっぱり駄目だろう(再確認)

 

 やーめたと、これまでのキャリアを放り出し、この世界の甘さを享受しようとした俺に、ふっと影が落ちた。

 

「……中尉」

「ん、どうした美月少尉?」

 

 机の上に潰れたまま、美月少尉を見上げる。下から見上げる美月少尉の姿は、何と言うか退廃的だった。黒く濁った瞳に無表情とも、微笑みともとれる口元。その瞳孔は開き切っており、視線は俺を射抜いていた。

 

 あれ、少尉、君なんか(ヤク)でもキメてる? なんかヤバいよ、その顔。

どこかで見た事のある様な顔だが、その表情は記憶に新しい、直ぐに思い出せた。あの駅で俺に群がって来た女性たちに酷く似ているのだ。

 

 頬に僅かな赤みがあり、額には僅かな汗、張り付いた前髪が嫌に官能的だ。この部屋は男性が熱中症になど掛かったら大変だと、夏の間は冷房がガンガン掛かっている。明らかに異常な様子だ、俺は無意識の内に椅子から腰を浮かせた。

 

 そんな俺の様子に気付いてか、美月少尉が詰め寄って来る。突然顔がドアップに映り、驚いた俺は体を硬直させてしまう。お互いの睫毛が触れあいそうな距離で、美月少尉は甘い吐息を吐き出しながら言った。

 

 

「既成事実って、知っていますか?」

 

 

 アカン。

 

 思考は一瞬、行動は迅速に。

 椅子を蹴る勢いで立ち上がり、俺は後ろの窓から脱出を図ろうとした。

 しかし、襟元を驚異的な怪力で引っ張られ、そのままデスクの上に転がってしまう。そして少尉が上に覆い被さり、両足で俺の手を抑えつけた。

 

「アッ! やめてェッ! 犯されるゥ!」

「暴れないで下さい中尉ッ! もうこれしかッ、中尉と結ばれるにはこれしかないんですッ!」

 

 瞳から光を失くし、汗と僅かな唾液を流しながら美月少尉は叫ぶ。そこには軍人然とした彼女の姿は無く、何かをただ只管求める爛れた女の姿だけがあった。というか少尉力強い、物凄く強い、えっ何、なんなん、何で俺押し倒されてるん?

 

「中尉が本格的にメディア露出してしまえば、もう……もう国民的アイドル待った無しじゃないですかぁ!」

 

 いや、その理屈はおかしい。

あれか、金玉で乙女のハートをキャッチ、とでも言いたいのか。金玉なんぞ晒した日にはハートキャッチどころか俺のハートがブレイクだわ!

 

 生憎だがこの世界の女性は何となく乙女というより漢女(おとめ)の方が合っている気がするぞ! マジで! あと金玉の露出は本当に勘弁してください。

 

「ま、待て少尉! 落ち着け、まずはそう、素数! 素数を数えるんだッ!」

 

 俺は物凄い力で服を脱がしにかかる美月少尉から逃れるべく身を捩りながら叫んだ、

 少尉が素数を数えている間に脱出を――

 

「2」

「クッソ! 早いっ、少尉早すぎるっ!」

 

 少尉が問答無用で俺の士官服を掴み、そのままボタンをブチブチと取ってしまう。凄まじい力で抑えつけられている俺の体はビクともしない。上を見上げれば恍惚とした表情で俺を見下ろし、時折首元で熱い吐息を繰り返す美月少尉。

 

「中尉、そう、子ども、子どもが出来たら結婚―― いえ、それだと遅いですよね、このまま二人で逃げた先で、直ぐに結婚してしまいましょう、国の定めた法など無くとも、真に愛し合っている男女ならば、それはもう結婚していると同義なのです、まだ男性が多く居た頃には『事実婚』なるものも存在していたそうですし、つまりそう、中尉と私は既に夫婦なのです、中尉が例え私を愛していなくても、きっと愛してくれるように努力します、何が何でも、絶対に、だからそう、これは『愛』の前借です、私達は既に夫婦なのです、そうでしょう?」

「いや、待って、おかしいよ、何か色々過程がぶっ飛んでる!」

 

 俺はまだ美月少尉が好きなんて言っていないよ! いや美人だけど、確かに凄く美人だけど!

 そこまで叫んで、俺はハッと自身の過ちに気付く。 

 ……あれ、もしかして今の状況って美人に迫られている図になっているのか?

 ふと、俺の思考に光が差し込む、そうだ、今のこの状況は美月少尉という普段お堅い女性士官に迫られている図だ、元の世界なら絶対にありえない光景だ。

 

 どうして俺はこんなにも抵抗しているのだろうかと、ふとそんな事を思った。美人とセッ〇〇出来るチャンスだぞ? 物凄く美味しい展開だ、素晴らしいシチュエーションだろう。

 

「はぁ……はっ、中尉、中尉は童貞ですよね? 軍の定期健診でも自慰行為以外は認められていませんし、腐れ〇〇〇に性病うつされても嫌ですもんね……?」

 

 いや美人だろうが何だろうが、これは身の危険を感じますって。

 

 さわさわと俺の息子を撫でる美月少尉に、俺は言い表せぬ危険を感じた。

 何だろう、このまま流されてしまったら一生日の光を見れない気がすると言うか、何と言うか。具体的に言うと拉致監禁されて一生面倒を見られる生活が続きそうな気がする。それも喜々として。今の美月少尉からは法とか倫理とかを超越した凄まじい何かを感じた、今の少尉はヤると言ったらヤるだろう。

 

「あぁ……中尉、中尉の匂い、凄く良い匂いなんです、何で今まで我慢していたのか、分からない位、もう、最高ですっ」

 

 蕩けた表情で俺の首筋に顔を埋め、息子を摩りながら胸を押し当てて来る美月少尉。そして前開きにしたシャツの中に手を入れて、鍛えた腹筋を撫でる。「なんて逞しい……」と口にしながら物欲しそうな顔をしないで欲しい、とてもマズい、主に下半身が。

 

「誰かッ! 誰かァー! 助けてぇ、犯されるぅッ!」

 

 恥も外聞も投げ捨てて、俺は叫んだ、このままでは俺のオコトヌシが起立してホワイトソースをぶちまけかねない。誰かに乱入して貰わなければ本当に歯止めが効かなくなる。

 

 しかしその目論見は早々に破れ、美月少尉の唇によって塞がれてしまう。最初に感じたのは白梅香の香り、次にぬるりとした唾液の感触に、舌が俺の口内を蹂躙した。人の舌の感触など生きてこの方味わった事も無く、歯茎の裏や俺の舌を隅々まで舐めた。

 憎たらしい事に、それは死ぬほど甘かった。

 ようやく離れた唇からは、互いの唾液が銀の橋を架ける。

 

「ぷはっ、あぁ、キス、キスです、これが愛し合う者同士の誓い……ふふっ、今、私は最高に幸せです」

 

 赤くなった首筋、耳、蒸気した頬、潤んだ瞳、象る笑み。

 ちゅ、ちゅっと頬や首筋、ついでに唇に何度も接吻を落とす美月少尉。僅かに唾液の染みた唇からは甘い匂いが香る。

 

 ここまで来て俺は精根尽き果てた、ナニがとは言わない。ナニだ。

 

「中尉の為なら、私何でもしますから、だから、どうか私と――」

 

 ………。

 いや、ほら、うん。

 美人なら良いじゃん、何も問題無いじゃん、凄く愛してくれてるじゃん。

 金玉ポロリよりはマシ、きっと、うん。

 

 決して思考放棄などではない。

 

 

 その後の詳細は余り語りたくない。

 主に俺の名誉(プライド)の為に。

 

 余談だが、結局金玉はポロリした。

 

 




 ついカッとなってヤった、後悔はしていない。
 などと供述しており。


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