上位者がファミリアを創るのは間違っているだろうか (gulf0205)
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プロローグ

我ら血によって人となり
人を超え また人を失う
知らぬ者よ かねてより血を恐れたまえ


ーーーーヤーナムファミリアに伝わる警句


「どうだ! この野郎! 誰がうだつの上がらないノロマだ!」

 

ダンジョンの四階層。

その片隅にある通路で口汚く罵る獣人族の男がいた。名前はハンクスという。

 

「どうなんだよええ!? 俺が強いんだ! お前より! 俺が! 俺が! 俺がつよいんだ!」

 

ハンクスが両手に持つのは巨大なハンマーだ。

だが普通のハンマーとは違って、その槌の内部には魔石を材料とした爆発機構が組み込まれており、槌の背面にある撃鉄を起こすことで殴打と同時に爆発を発生させる。

ハンマーの名前はその機能通り “爆発金槌” という。

ヤーナムファミリアの眷属が愛用する武器の一つであり、ハンクスもまたヤーナムファミリアの一員である。

そのハンクスが罵る複数の相手だが……まず一人は頭がなかった。“金槌” によって脳天から叩き潰され、胴体の上には粉砕された脳みそのなかに頭髪らしきものが見てとれる。

一人は爆弾が爆発したかのように胴体が吹き飛ばされていた。爆発金槌” の殴打と爆撃によって、腕や頭部が四散していた。肉がブスブスと黒く焦げ、白い煙が立ち上っている。

一人は臓腑をぶちまけていた。やはり爆破殴打を食らったのだろう、天井にへばりついた肉片からチタチタと血が滴り落ちている。

その三つの死体とハンクスは知り合いだった。

ハンクスはかつてはロキファミリアの一員だった。だがいつまでも中層から先へと進めないハンクスは笑われ続けた。アイズ・ヴァレンシュタインと比べられて笑われ続けた。

だからハンクスはヤーナムファミリアに改宗した。

力を求めて。さらなる高みを目指して。かつての同胞を見返そうとして。

 

しかしーー

 

「あは、あはぁはははははぁ!」

 

ハンクスは物言わぬ肉片と化した昔の仲間を執拗に殴る。殴る。殴る。殴り続ける。

そのたびに血や肉片が飛び散り、体を汚していく。その胸元にへばりついているのはヒュームの左耳か。

ハンクスのとろけて崩れた瞳にはもはや知性は感じられず、金槌を振り回す姿に正気はない。

 

「おれがつおいんだ! おえが! おえ! おえ! おげえアァアアア!」

 

みるみるとハンクスの体が内側から膨れ上がり、吠える口からは古い歯がこぼれ落ちて新たな牙へとぞろりと生え変わる。骨がゴキゴキと鳴り、骨格が変化。そしてーー

 

ぶしゃり

 

血を撒き散らして、ハンクスの体は内側から弾けた。

皮膚を突き破って現れたのは分厚い毛皮だ。体の膨張に耐え切れなかったベルトやブーツははち切れて、衣服は限界近くまで引き延ばされる。

猛獣のような体毛に全身が覆われたその姿は、誰がどう見てもモンスターだった。

当たり前だが獣人族にこのような芸当はできない。

ギルドや普通の冒険者たちならば彼のようなものをレイドモンスター、あるいはレアモンスターと呼ぶ。

だがしかし、ハンクスと同じヤーナムファミリアの者たちならば、いまのハンクスのことをこう呼ぶ。

 

血液より生まれたもの(ブラッドボーン)、と。

 

「遅かったか……」

 

そこへ、別の者が現れた。

ヤーナムファミリアの特徴である、血避けのためのコートと三角の帽子。口元を覆うマスクのような布。背格好やわずかに見える目元から判断して、ヒュームで二十代前半の男性だとわかる。

右手には牙が生えた鉈ーー獣肉断ちーーを持ち、左手には銃口が二つある散弾銃ーーダブルバレルーーを持っていた。

普通の冒険者たちは銃など使わない。なぜなら銃弾がなければ使えず、銃声によって別のモンスターを呼び寄せる危険があり、銃撃するごとに弾を込めなくてはならず、上層の弱いモンスターくらいしかまともに倒せない武器。

それが銃だからだ。

しかしヤーナムファミリアの者たちは当たり前のように銃を持つ。

なぜなら撃つ相手はモンスターだけではないからだ。

スレイ・レーヴェン。

それが彼の名前だ。

 

『グルルルルル……』

 

かつてハンクスだったものは、人ならざるうなり声を発した。本来の身長から二まわりほど大きくなった体躯で、スレイに向き直る。

そしてまだ生きている新鮮な肉の匂いを嗅ぎ取り、にぃっ、と口元を醜く歪める。

もはや “爆発金槌” の使い方もわからなくなったのだろう。ハンクスは右手に持っていた得物を手放すと、長く伸びた両手を地面につけてスレイへと向き直った。その立ち姿はまさしく獣と表現するしかない。

 

スレイはその醜悪な獣に対して、一切の怯えを見せなかった。

 

「……来い」

 

静かな口調のなかには哀れみを。しかしハンクスを見据える視線には殺意を込めて、獣肉断ちの留め具を解除し、ガチャリと重々しい音を立てて肩に背負った。

一見すると牙のついた鉈のようなこの武器だが、留め具を解除することで刃が複数に分裂。その分裂した刃をワイヤーがつなぎ、さながら鞭のようにしなるという特徴がある。

モンスターの体に牙が喰いこむように巻き付け、渾身の力をこめて引けば、全身の皮膚や筋肉を剥ぎ取ることができる。

扱うには相応の力と器用さが要求される、英雄には縁のない武器だ。

 

『ヴオオオオオオオオオオ!!』

 

吠えたハンクスはスレイに向かって突進する。

血走り、とろけた瞳には獲物しか見えていない。二日前まで会話をしていた相手の顔も名前も忘れてしまっている。

そのナイフのような鋭利な鉤爪を備えた両手を広げ、スレイに抱きつくように飛びかかった。

スレイは背後へと飛び退き、散弾銃の銃口を向けた。

ドン!

乾いた音が通路をこだまして、銃口から吐き出された大量の鉛の粒がハンクスの全身を捕らえる。

わずかにハンクスの動きが止まる。

銃の使い道などせいぜい怯ませる程度しかない。

裏を返せば怯ませ、一瞬だけ脚を止めさせる。そういう目的ならば銃はこれ以上ないほどに適している。

スレイは “獣肉断ち” をハンクスの太ももを狙って横へと薙いだ。

伸びた刃が、毒蛇のようにハンクスの脚を捕らえる。そしてスレイは即座に引いた。

ブチブチと、常人ならば身震いするような肉を引き裂く音を立てて、ハンクスの脚をそぎ落とす。皮膚が剥がれる。みずみずしく赤い筋肉があらわになって血が吹き出す。

 

『ヴウゥゥゥゥウ!』

 

ハンクスは悲鳴のようなうなり声をあげる。あんな姿になってもまだ痛みだけは感じるらしい。

スレイは血肉のこびりついた “獣肉断ち” を引き戻し、今度は首を狙って薙ぎ払う。

だがハンクスとてそう簡単にはやられない。迫り来る刃を、左手で受け止めたのだ。そして今度はハンクスが引っ張った。

血液より生まれたもの(ブラッドボーン)と化したハンクスの膂力は人間をはるかに凌ぐ。 “獣肉断ち” を手放さなかったスレイは簡単に引き寄せられた。

……否。

スレイは引き寄せられたのではなく、自分からハンクスの方へと引っ張られてやったのだ。

ハンクスは残る右手でスレイの喉をかき切ろうとするが、スレイの放った散弾によって目を潰される。

スレイはスレイで、散弾銃は銃弾を新たに装填しないと使えない。

 

『ヴオオオオオ!』

 

ハンクスは掴んでいた “獣肉断ち” を手放して顔を振った。

スレイはその引き寄せられた勢いのまま自身の得物を手放し、ハンクスの背後に立つ。

 

ビキキ……

 

スレイの右手が、今のハンクスの手と同じような獣のそれへと変化した。

その右手を、ハンクスの背後から心臓に叩き込んだ。

内臓攻撃<ビーストハンド>。

他者に致命傷を負わせ、自らの傷を大幅に癒すスキル。これはヤーナムファミリアの眷属だけに発現するスキルのうちの一つでもある。

 

『グオオアァアアアアァア!』

 

絶叫。

確かに心臓は潰した。肺もついでに引き裂いた。しかしハンクスはまだ死なない。

心臓が止まったとしても、それはあくまでも血液の循環が止まったにすぎない。

心臓を射抜かれた鹿が走り続け、そしてバタリと倒れる。それと同じことだ。生物は意外と即死しない。

だからトドメを刺す。

スレイはハンクスの体内を破壊し尽くした右腕を、傷口を抉るように、内臓という内臓を抉り出すように、乱暴に振り抜く。

醜悪な傷口を広げ、大量の返り血がスレイに降りかかる。

ハンクスは自らの臓腑の上でのたうちまわり、やがて動かなくなった。

血肉の渇望。狩りを達成した歓喜。

仄暗い悦びにスレイは身を震わせた。この快楽に溺れるとハンクスと同じように血液より生まれたもの(ブラッドボーン)へと成り果ててしまう。

そうとわかっていても、かつての仲間を殺したと理解していても、射精にも似た快楽を感じずにはいられない。

 

ーーかねてより血を恐れたまえ

 

ヤーナムファミリアの警句を頭に浮かべて、大きく息を吸い、吐く。気を静めなければ、やがてはスレイも血に溺れてしまう。

何度か深呼吸をして、熱くなった血を鎮めた。

そしてハンクスの死体に絡まった “獣肉断ち” を引き抜くと、それを振り回してこびりついた血肉を落とす。それでもまだ少しばかり残っているが、気にせず、地面に先端を叩きつけるようにして留め具をかけた。

これで普通の鉈として機能する。

それを腰のベルトにさげて、ハンクスの死体へと歩みよった。

目当ては首にかけている血濡れたドッグタグだ。

これはファミリアへの所属と冒険者登録をすませると渡される身分証でもある。ダンジョンで死亡したとしても、このタグがあれば身元が判明するし、ギルドに渡せば少しばかり謝礼がもらえる。

 

「おやすみハンクス」

 

言い残して、次は三人の死体からタグを外した。歪んでいたり黒く焦げていたりするが、刻まれた文字は判読できる。

ついでにこの三人組が集めたであろう魔石が詰まった袋と財布袋を抜き取った。彼らにはもう必要のないものだが、さすがにアクセサリーや武器はそのままにしておいた。

そういう身につけるものには少なからず愛着があったり、思い出の品として手元に置いておきたがるものがいるからだ。

わざわざ持ち帰ってやる義理はないが、奪えば後々でトラブルの原因になる。だから残しておくのだ。

最後にハンクスが使っていた “爆発金槌” を拾い上げてその場を立ち去った。

出口へとしばらく歩き、十字路に差し掛かったときだ。

 

「うわああああああああああああああああああああああああ!」

 

「……?」

 

通路の奥から絶叫して走ってくるトマト。いや兎? とにかく叫びながらこちらへと全力疾走してくるなにかに、スレイは脚をとめた。

少年だろう、たぶん。

スレイも人のことは言えないが、頭から血をかぶったように全身真っ赤に濡らした少年が疾走してきて、スレイと鉢合わせする。

 

「へっ?」

 

「……」

 

なぜか気まずい沈黙が訪れる。

 

「でっ、出たあああああああああああああああああああああ!」

 

血みどろのスレイをモンスターかなにかと勘違いしたのだろうか、その兎みたいな少年は出口へ再び疾走していった。

 

「……?」

 

その背中を見送りながらスレイは首をかしげて、まあいいかと歩き始めるのだった。









この作品はこういう話です。

気に入らないと思った方はお引き取りください。


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1 ヤーナムファミリア

ベルくんって冒険者歴半月でこの段階のアイズはレベル5だったのね……。


「ストーーーーーーップ!!」

 

スレイがギルドのドアを開けるなり、破裂するような言葉の爆弾をぶつけられた。無関係の冒険者も、百戦錬磨のスレイも、ギルド内の者たちは思わずピタリと動きを止めて声の主を見やる。

叫んだのは受付嬢の一人、メイ・グリンフィールド。小人族の二十歳。

成人してもスレイの身長の半分ほどにしかならず、一見すると可愛らしい少女にしか見えない。

……黙っていれば、の話だが。

では次、メイが声をはり上げた相手であるスレイの姿を見てみようか。

ダンジョンから出たときそのままの、全身に返り血を浴びた姿。

着用しているコートや帽子の撥水性が極めて高いため、ここまで来る途中ですでに血は落ちている。

が、やはり立っているだけでもポタリ、ポタリ、と滴らせていた。

おまけに右手には肉片のこびりついた巨大ハンマー、腰には散弾銃を引っさげて左手には赤黒く汚れた袋。コートの下からは大鉈が見え隠れしているのだが、よく見ると何かの毛皮の切れっぱしがくっついている。

その見た目からして『かかわるとヤバイ』的なオーラをふんだんに撒き散らし、ギルド内にいる冒険者たちはそろってあとずさった。恐怖心そのものより、近づいたら装備が汚れるという理由だろう。

スレイは自分の、というよりヤーナムファミリア全体の担当アドバイザーであるメイを見やり、問いかけた。

 

「……なんだ?」

 

「なんだじゃないでしょう!」

 

メイは椅子の上に立って思いきりカウンターを叩き、怒鳴る。そりゃあもう怒る。激怒する。躾がなってないとか下品とか言われようがおかまいなし。

たとえ相手が冒険者全体から奇異の目で見られているヤーナムファミリアの眷属だろうと、自分の身長の二倍以上はある相手であろうと、その可愛らしい見た目が台無しになるほどの気迫と声量で叫びまくる。

 

「それ! その格好!」

 

メイは椅子の上に立ち、びしりとスレイを指差した。

 

「……?」

 

スレイは「どこか変か?」とでも言うように自分の体を見下ろし、異変を探そうと首を回して背中の方を見ようとしたりする。

自分の服についたままの血などまったく目に入っていないのだ。いや視界には入っているのだろうが、その状態がいつものこと過ぎて異常だと認識していない。

そんな態度がまたメイを怒らせる。怒りの炎の中に火薬樽をぶちこむ。

 

「せめて返り血を洗い流してこいってなんっっっっっっかいも言ってるでしょーがっ! いったい何度言わせるつもりなの!? バカなの!? 死なないの!? アルツハイマーミイラの同類なの!? その汚れをいったい誰が掃除してると思ってんのよ!」

 

まくし立てる彼女の怒りはごもっともだ。

ヤーナムファミリアの狩人を自称する者たちは、そろいもそろって返り血を浴びたままダンジョンから出てきてそこらを歩き回ることで有名だ。

ギルド内の床掃除はギルドの受付嬢である彼女たちの仕事なわけだが……血痕の掃除だけはメイがやらされていた。

担当アドバイザーなんだから責任を持ってやれ、という反論できない理屈だ。それに血の掃除なんてそれだけで「おえっ」となるのが普通である。

しかし血に慣れすぎてしまった狩人などはその辺りを考えたりしない。それが普通となっているため感覚が麻痺している。

 

「シャワーを浴びるか着替えてからギルドに入れって、毎っ回毎回言ってるでしょ! 余計な仕事を増やすんじゃないわよ!」

 

メイはヒステリー気味にわめき散らしてカウンターをバンバン叩いた。この姿を見た男たちはメイを嫁にもらおうとは思わないだろう。

 

「あなたねぇ! もしかしてわたしが小人族だからって見下してるんじゃ、ってこらあああああああああああああ!!!」

 

顔を真っ赤にして脳の血管がプチンと切れそうな絶叫を上げた。

なぜならスレイがズカズカとギルド内に入ってきたからだ。白黒のタイルに血痕を残しながらメイへと歩み寄る。

 

「あんた喧嘩売って……え?」

 

「四人死んだ。身内のやつと、ロキファミリアだ」

 

チャリ、とスレイは回収したドッグタグをカウンターに置いた。

四人分のドッグタグ。

冒険者に渡される略式身分証で、生年月日、種族、名前、所属ファミリア名が刻まれてある。

四つのタグがここにあるということは、四人の冒険者がダンジョンで死んだか、またはその死体を発見したということになる。

タグについた血はまだ乾ききっておらず、それがどういう意味なのか想像に難くない。

 

「あー、うー……」

 

血管に冷水を流し込まれたように、メイはごにょごにょと口ごもり、こほんと咳払いをしてから椅子から降りた。

そしてテーブルの下から羊皮紙の羽ペン、インクを取り出す。

 

「……タグの回収地点を教えてください」

 

その口ぶりはもう完全に受付嬢のそれだ。淡々と、私情を挟まずに仕事をこなす。

 

「ロキファミリアは四階層、階段から右方向へ進んだ先の通路だ。こっちのハンクスは十階層だ」

 

ロキファミリアの三人と一緒に転がるモンスターがハンクスなどと言えるはずもなく、スレイは適当に嘘を吐く。

上層より下の階層になると、死体の回収などできるはずがない。だから十階層と言う。

メイはそれをサラサラと書き記し、判を押す。

 

「わかりました。ロキファミリアに連絡しておきます。あちらで謝礼を受け取ってください」

 

メイはタグ回収証明書なる羊皮紙を取り出して、そこに自分の名前に加えて『4』と書き足して差し出す。

 

「……彼、改宗して八ヶ月くらい?」

 

彼とはもちろんハンクスである。

 

「ああ」

 

「そう……残念ね」

 

「そうだな」

 

スレイはそれきり言うと、羊皮紙やハンクスのタグを持って換金所へと移動。謝礼と一緒に『拾った』魔石入れの袋を箱にひっくり返した。

そして魔石の大きさと重さからその価値を算出し、戻ってきた貨幣を財布袋に入れると、無言のままギルドを後にした。

 

「はああああああぁぁぁ……」

 

ふっかーいため息をついて、メイはカウンターに突っ伏した。

担当するファミリアの眷属が死ぬ。

別段、珍しいことではない。それにメイとて、改宗したばかりの狩人には、努めて事務的な対応しかしないようにしている。

ヤーナムの狩人たちは、どういうわけか入信・改宗して一年以内の死亡率が格段に高いのだから。

しかし、知りすぎないように、関わりすぎないようにしていても、それでも……やはり冒険者の死というのは辛いものがある。

このタグと回収場所をロキファミリアの担当アドバイザーに渡した後のことを考えると気が重くなった。彼女が泣き叫んだりしなければいいが。

そして恨めしげに点々と残る床の血痕を見やり、呟いた。

 

「もーやだ。担当変わりたい」

 

呻いたところで、先に来ていた血塗れ少年と、その担当アドバイザーであるエイナが戻ってきた。別室で何かを話していたらしい。

少年、ベル・クラネルはすでにシャワーを浴びて服も洗濯し、いまや清潔な姿となっている。

ちゃんと言えば言うことを聞く少年のなんと初々しいことか。

ほんの百分の一でもいいから狩人たちも見習ってほしい。このままだと喉が壊れる。

メイの羨むような視線に気づき、エイナは問いかける。

 

「どうかしたの?」

 

その問いかけに、メイは動く死体のように床の血痕を指差した。

それだけで誰がやってきたのかエイナは理解して苦笑いをし、ベルは慌てて謝った。

 

「あっ、す、すいません! 僕、まだ汚れてましたか?」

 

ベルは自分が汚したものと思ったらしい。

メイは身を起こして否定した。

 

「違うわ。スレイって言ってね、わたしが担当するヤーナムファミリアの人よ。全身血まみれで歩き回る人、見たことない?」

 

「そういえばさっき……」

 

心当たりがあるらしく、ベルは何かを思い浮かべた。

 

「それにしてもさー、ベルくんだっけ? 本当に素直でいい子よねー。ねぇエイナ、ちょっと相談だけど」

 

「ダメです」

 

にこやかに拒み、メイは口を尖らせた。

 

「なによう、まだなにも言ってないじゃない」

 

「言わなくてもわかりますよ。ところでそのタグ、その、ヤーナムファミリアの人が?」

 

「ええそうよ。四階層で回収したらしいわ」

 

メイは足元のゴミ箱からいらない羊皮紙を取り出して、その生乾きの汚れたタグを包む。さすがに素手で持ちたくないし、私物のハンカチで拭くのは気がひける。

そして回収地点をメモした羊皮紙を脇に挟んで椅子から立った。

 

「じゃあねベルくん。あ、もしエイナが嫌いになったらわたしに言ってね。すぐに担当を変えてもらうように手配するから」

 

言うだけ言ってメイはその場を離れた。

その背中に向かってエイナは言い放つ。

 

「そんなことにならないわよ! ねえ?」

 

「あ、はい。もちろんです」

 

素直にベルは肯定した。

 

「にしても四階層って……あなた本当に運がよかったわね。さっきのドッグタグみたいになりたくなかったら絶対に無茶しないで。約束して」

 

「はは……約束します。エイナさん」

 

その約束に若干の嘘が混ざっていることに、エイナは当然気づいていたが、これ以上は追求しないかった。

エイナはベルのような頼りない少年が気になって仕方ない。だがエイナはベルの母親でも姉でもないのだ。だからもう、これ以上はなにも言わなかった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

武器や防具の製作を主とするヘファイストスファミリアにも色々と工房がある。

例えば一人の鍛冶師が複数の冒険者と専属契約を交わしたり、鍛冶師が複数人で工房を開いてファミリアそのものと直接契約を交わしたり。

“狩人工房” と名乗る六人の鍛冶師たちもまた、ヤーナムファミリアと直接契約を結ぶ専属の鍛冶集団であった。

ヤーナムファミリアは狩人工房からしか武器や道具を買わないし、狩人工房もヤーナムファミリア以外の者にはなにも売らない。

ヤーナムファミリア設立時にそういう契約を交わしているため、狩人工房のすぐ隣にヤーナムファミリアが本拠を置くのはごく自然なことだろう。

 

スレイは金属を叩くハンマーの音を聞きながら、石と木造でできた建物の裏へと回った。

そこにある水場でコートや帽子を軽く水洗いして陰干しする。

そして立てかけてある針金のような毛が生えたでっかいブラシを使い、“獣肉断ち” や “爆発金槌” にこびりついた肉片をゴシゴシと磨き落とした。

以前、肉片がくっついたまま工房に見てもらおうとしたら「帰れこのクソ馬鹿野郎!」と言われたものだ。

ヤーナムファミリアが使う仕掛け武器の中にはその複雑な変形機構から、定期的に保守・点検してやらないと壊れてしまう。

スレイが愛用する “獣肉断ち” も “ノコギリ鉈” や “長柄斧” などと比べて壊れやすい。

壊れたら壊れたでまた新しいものを用意してもらえばいいのだが、同じ “獣肉断ち” でもわずかに使い心地が違うものだ。できるだけ同じものを長く使いたい。

ましてやスレイのこれはアダマンタイトをふんだんに使ったものだ。アダマンタイトを採掘するのは骨が折れるし、費用もかさむ。

そういうわけで工房に点検してもらいたかったらまずは洗うしかない。

“獣肉断ち” の留め具を外して、ワイヤーの中に絡まった肉片なんかも洗い落とし、再び留め具で固定。まあこんなものだろうと、二つの武器を壁にかけた。

そしてハンクスのドッグタグと自分の手を洗ってから、蛇口を閉めた。

 

 

二つの武器を隣の工房に預けてからファミリアの本拠に入ると、木造屋の木の匂いが鼻を包む。

相変わらずここには人がおらず静かだ。正面の階段を上る足音だけが寂しく響き、外から鉄を叩く音がわずかに聞こえてくるばかりである。

他の狩人たちはダンジョンに潜っているのか、はたまた個々それぞれで思い思いに過ごしているかだろう。

階段の上は左右に廊下が続き、正面には扉。その扉の中へと入った。

ここはエミーリアという女性が書斎として使っている部屋で、左右の棚には羊皮紙や本が詰め込まれており、正面の大きな机にも大量の羊皮紙が散乱していた。

そこに座って頭を悩ませているのがエミーリアだ。彼女も狩人といえばそうなのだが、ダンジョンに入ることはなく、ここの主神にかわってファミリアの運営や雑事をこなしている。

エミーリアは手紙を睨んでいた視線をスレイへと移した

 

「……おかえりなさい」

 

魂の抜け殻みたいな声でエミーリアが言う。

白い長髪に青い瞳をした儚い少女というのが第一印象なのだが、しかし精神的な疲労とくたびれた表情から、まるで干からびた老婆のような雰囲気があった。

スレイは特にエミーリアを労わるでもなく、ハンクスのドッグタグをテーブルに置いた。

 

「ハンクスが堕ちた」

 

「はあ……間に合いませんでしたか」

 

エミーリアは小さくため息をついた。

ハンクスがダンジョンに入ったまま戻らなくなったのが二日前だ。その間にしこたま返り血を浴びて、モンスターの血を皮膚や経口摂取したのだろう。

そのせいで堕ちてしまい、人を失った。早く見つけて連れ返していれば、あるいは助かったのかもしれない。

羊皮紙に埋もれた中から本を引っ張り出した。無造作に散乱しているように見えるが、どこに何があるかわかっているらしい。

この本は名簿帳だ。設立時からずっと名前を残しており、現在は三冊目になる。

エミーリアはパラパラとページをめくり、ハンクスの名前を見つけた。そしてその隣にX印を入れる。

ほとんどの名前の横にX印があり、死亡を示す印がついていない名前の方が圧倒的に少ない。

 

「……ひどいものですね。同じ眷属が死んだのに涙も流せないなんて」

 

エミーリアは自嘲的に笑う。

眷属(かぞく)の死は当たり前の日常と化していて、もはや悲しみという感情さえ湧いてこない。

詩の一節にもあるように、楽しい時は笑えばいい、悲しい時は泣けばいい、しかし虚しい時はどうしたらいいのかわからない。

エミーリアがいま感じるのは、その空虚感だけだ。

 

「それと、今回の稼ぎだ」

 

スレイは財布から必要最低限を残して、残りをテーブルに乗せた。ジャラリと気前のいい硬貨の山が出来上がる。

スレイは現状の武器にも装備にも満足しているため、食費を残してほとんどはファミリアに納めていた。

一部の狩人はファミリアに少ししか納めないようだが……ほとんどはスレイと似たようなものだろう。

武器や服の仕立てはそれぞれ専属契約の工房があり、資金の運用はすべてエミーリアがこなしている。

 

「助かります。はあ、これで弁償と清掃費と……」

 

弁償や清掃費などという単語が出てきて、スレイはエミーリアが睨んでいた手紙の数々を手に取った。

内容はこうだ。

 

『お前んとこの冒険者が血塗れで歩くのやめさせろよ! おかげで商品が汚れたじゃないか弁償しろ! いやならこっちから取り立ててやる!』

 

汚い字だなと思い、次。

 

『頭に鉄カゴをかぶったやつに伝えろ。叫びながら走り回りやがってクソ野郎! よくも怪物進呈しやがったな? 次にダンジョンで見つけたら容赦しねえ!』

 

あいつまだ生きてたのかと感心して、次。

 

『ウチの子がその武器をかっこいいと言って聞かないんです。住所はここですから是非とも譲ってください』

 

最近の乞食は字が書けるんだなと嗤い、次。

 

『ギルドの換金所におこしの際は必ず身だしなみを整えるようにしてください。改善が見られないようでしたら清掃費用を請求いたします』

 

メイよ、許してくれと黙って謝り、次。

 

『くたばれ!』

 

死ねと内心で罵り、次。

 

『その武器を平等に売るようにヘファイストスファミリアに言ってくれよ。お前らばっかりズルいじゃないか!』

 

知るか。

 

書き殴ったような汚い文字から丁寧なものまで、エミーリアが頭を痛める理由の数々にスレイは少しばかり申し訳なく思った。

というかつい先刻もギルドを汚してきたばかりだ。

 

「……私の苦労を理解してくれますか?」

 

すがるような上目遣いだった。

ヤーナムファミリアの神様にすがることができればいくらかマシだったのかもしれないが、ここの主神ははっきりいってすがりつくのにかなり抵抗がある外見をしている。

 

「ああ。だが……こういうのもある」

 

なのでエミーリアの気が軽くなるような手紙をいくつか選別して渡した。

 

『狩人さんのおかげで階層主を突破できました。次もよろしくお願いします』

 

『次も是非パーティに加わってください!』

 

『あの変な冒険者から助けていただき感謝しています。名前を聞くことができずに本当に残念です』

 

『太陽万歳!』

 

最後のは意味不明だが、そういう肯定的な意見を読んでエミーリアは目頭に涙をためる。

 

「おお……おお……みんながみんな、こんな人たちならいいのに……」

 

その手紙を胸に当ててエミーリアはさめざめと泣いた。

ハンクスが死んだ悲しさよりもこちらの嬉し泣きの方が勝ったのだろうか。

ひょっとすると疲れすぎて情緒不安定になっているのかもしれない。

 

「……体に気をつけてな」

 

エミーリアがコクリとうなづいたのを見届けて、スレイは書斎を後にした。

後手に扉を閉じて階段を降り、一階の奥へと歩く。

すると音楽が聞こえてきた。オルゴールの音色だ。まるで子守唄のような、静かな音色。

その音が聞こえてくる一番奥にある扉を開けた。

そこには暖かな日差しが薄いカーテン越しに差し込み、ベッドが壁際に一つと、窓際で日光を浴びるように安楽椅子とテーブルが置いてある部屋だ。

壁にはヤーナムファミリア最初の眷属であるゲールマン、ローレンス、ルドウイークの三人並んだ絵画がかけてあった。

オルゴールの音色はテーブルの上にある箱から流れており、その安楽椅子には女性を模した精巧な人形が座っていた。

人形はさながら我が子のように、ヤーナムファミリアの主神を抱いていた。

命を持たないはずの人形がゆっくりと動き、言葉を発する。

 

「おかえりなさい、狩人様」

 

人形がどうやって動いているのか、喋っているのか、それは誰にもわからない。ひょっとしたら人の姿を持たない主神が操っているのかもしれないが、それを確かめる術はない。

 

「ステータスを更新してくれ」

 

「かしこまりました。※※※※様、あなたの子が力をお求めです」

 

人形がその腕に抱くものに語りかけた。

この神様の名前は人間には発音できないし聞き取れない。

人ではない人形にしか発音できない名前。それこそがヤーナムファミリアの主神であり、人の名前と姿を持たない神様だった。

大きさで言えば人間の腕の中に収まるほどで色は闇色なのだが、その姿や形をどう表現したらいいのだろうか?

冒涜的形状、宇宙悪夢的容姿、背徳的曲線……万の言葉を費やしても完全に表現することができないだろう。

人の姿と名前を持たないヤーナムファミリアの主神のことを、眷属たちは『上位者』と呼んでいる。

スレイは上半身の服を脱いで、ベッドの上に寝そべった。背中にはステータスを表す模様が記されており、最後に更新したのは先週だった。

人形は静かに立ち上がると、上位者をスレイの背に乗せる。生暖かくて湿っているような……なんとも表現できない感触にスレイは小さく身震いした。

上位者は複数本あるその触覚だかなんだかわからないものをスレイの背中に這わせ、そのうちの一本を掲げた。

するとその一本から青ざめた血が浮き出て、ポタリと落ちた。

いくつもの文字列や数列が浮かび上がり、その数値を更新させる。

それと同時に、スレイに上位者の思念とでもいうべきものが流れ込んでくる。

 

ダンジョン。

手に入れろ。

狩り。

 

そんな言葉のない意思のような、感情をそのままぶつけられているような感覚。

上位者がなにを求めているのか、なにをさせたいのかはわからないし、なにを考えているのかもわからない。それは人間にはたどり着けない思考のありようだ。

断言できるのはスレイの背中にいる上位者は、暇を持て余した他の神様と違ってなにか明確な目的があるということだ。

そしてその目的はダンジョンでのみ達成でき、自分のかわりに眷属たちにやらせている。おそらく上位者にとってスレイや他の狩人たちなどは、目的達成のための道具でしかないのだろう。

ステータスは更新され、人形が羊皮紙を背中に乗せてそれを写した。

 

「お疲れ様でした狩人様、※※※※様」

 

人形は上位者を抱き上げて、再び愛おしそうに安楽椅子に座った。

スレイはベッドに腰掛けて、更新されたステータスを見る。

 

 

 

 

名前:スレイ・レーヴェン

レベル:6

二つ名:鋼烏<アイゼンフリューゲル>

 

アビリティ

力:B

耐久:E

器用:C

敏捷:B

魔力:I

 

発展アビリティ

人間性:C

人としての本質を保つ。

狩人狩り:F

同属に対してアビリティを強化。

人狩り:G

対人戦闘においてアビリティを弱強化。

 

 

スキル

内臓攻撃<ビーストハンド>

腕を獣のそれへと変質させ相手の内臓を破壊する。そのさい己の傷を大幅に癒す。

 

被血治癒<リゲイン>

血液を傷口・経口・輸血などにより体内に入れることによって傷を癒す。また、あらゆる血液感染を防ぐ。

 

狩人歓喜<ハンターズハイ>

肉を引き裂き、血を浴びるほどに高揚感が増し、一時的に本質が獣へと近づく。近づいた分だけ全アビリティに上昇補正が加算される。

 

血液再誕<ブラッドボーン>

血によって本質が獣へと完全に変質し、アビリティが格段に強化される。ただし知性が著しく低下し、戻ることはない。

 

魔法

なし。

 

 

 

羊皮紙を見ながらスレイは少し残念に思った。

アビリティは前回から少しばかり上がったがランクはそのままだし、なにか新しいスキルが発現したわけでもない。

さすがに下層まで行かないとダメなのだろう。

ちなみにだがこの四つのスキル、ヤーナムファミリアに入ると強制的に発現させられるものだ。

そして上位者は『来るもの拒まず、去ること許さず』であるため、一度ヤーナムファミリアに改宗したらもう抜けることはできない。

そういう点から見てもこのスキルは呪いに等しい。一度手に入れてしまうと二度と手放すことができないのだから。

ただそれでも、一時的にアビリティを強化させるというスキルがよほど魅惑的らしく、ここへ改宗したがるものが多いのもまた事実であった。

 

「いかがでしたか?」

 

「いまいちだな。明日は深いところに潜ってみるさ」

 

「そうですか。お気をつけて、狩人様」

 

「ああ」

 

スレイは人形に背を向けて、上位者の部屋を出た。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

日も暮れた頃、スレイは『豊穣の女主人』という大衆食堂へと訪れていた。

服装はコートと帽子を脱いだ以外はいつもと変わらない。つまり “獣肉断ち” も腰のベルトから引っさげたままだ。

愛用品の重量を感じると安心するが、さすがに散弾銃は置いてきた。ダンジョンに行かないのにあれを持っていると間違いなく問題になる。

 

「いらっしゃいませ。ただいま混んでおりますので、相席でもよろしいですか?」

 

「ああ」

 

女性店員は明るい対応だが、スレイはいつも通りの淡白な返事。

 

「ではこちらへどうぞ」

 

しかしさすがは店員、色々な客を相手しているだけあって気を悪くするでもなく、笑顔のままテーブルへと案内した。

そこにいるのは白い頭髪に赤い瞳をした少年だった。テーブルに乗せられた数々の料理に、なにか引きつった表情を向けている。

 

「すみませんお客様。ただいま店内が混んでおりますので、相席してもよろしいですか?」

 

「あ、はい、どうぞ」

 

少年は二つ返事で了承し、店員はスレイへと向き直った。

 

「ではこちらにどうぞ」

 

「ああ。レアステーキを一つだ」

 

「レアステーキを一つですね。かしこまりました」

 

少年の隣に遠慮なく座り、店員は『てててー』と厨房へと走って行った。

スレイはただ憮然と座っているだけだが、少年の方はなにやら居心地が悪そうに料理を口に運んでいた。

 

「ご予約のお客様ニャー」

 

猫人の店員が告げ、その予約の客とやらが店内に入ってくる。

ロキファミリアの者たちだ。少年はそちらの方をぽーっと見つめ、スレイも興味本位で一瞥する。

どうやら少年はアイズ・ヴァレンシュタインに目が釘付けらしく、他の客たちもアイズの存在に目を留めていた。

 

「……」

 

アイズ・ヴァレンシュタイン。

わずか一六歳にしてレベル5。ロキファミリアの天才児で主神ロキのお気に入り。

年齢でいえば可愛いと表現すべきなのだろうが、アイズの容姿はもはや美しいと言ってもいい。

しかし……スレイはアイズに見惚れることはなかった。アイズを見ると、焦りと不安に駆られた、かつてロキファミリアだった同属を思い出すからだ。

スレイは知っている。

天才児が新たに現れるということは、すでにいた中堅や古参の冒険者の嫉妬と羨望を受けることを。

考えてみて欲しいのだが、自分が五年や六年もかかってようやく成し遂げたことを、はるかに年下の少女がわずか一年足らずでやってのけるとしたらどう思うか?

間違いなく自分が能無しのノロマだと錯覚するだろう。

メキメキと頭角をあらわすアイズの存在に恐れ、追い越されることを恐れたロキファミリアの者たちは、スキルを求めてヤーナムファミリアへと改宗してきた。

その結果、無理をして、ハンクスと同じように人を失う。

いったい何人がダンジョンから戻らないのかわかったものではないし、どれだけの仲間を殺したのかも数え切れない。

いまこの瞬間も何十、何百もの血液より生まれたもの(ブラッドボーン)がダンジョン内を徘徊していることだろう。

 

「お待たせしました」

 

レアステーキがテーブルに運ばれてきた。早速ナイフとフォークで口に運ぶ。

かねてより血を恐れたまえというが、さすがにレアステーキの血は問題ない。

なんというか、こう、舌が絶頂を迎えるような感じがする。

黙々とステーキを頬張るうちに、ロキファミリアのベートの大声が嫌でも耳に入ってきた。

ミノタウロスがどうの。アイズがどうの。ガキとミノタウロスがどうのこうの。

 

「く……」

 

「……?」

 

隣の少年が呻き、歯を食いしばって手をきつく握りしめた。

酔いが回っているらしいベートがさらにまくしたてた時、少年は突如として立ち上がり、店を飛び出して行った。

アイズも少年を追いかけるように店先に出たが、もう見失ったのか、諦めたように戻ってくる。

なんだったのかわからないが、スレイは自分とは関係ないとばかりに食事を続ける。

 

「……そんでよー、そこのヤーナム野郎!」

 

いきなりベートがスレイを指差して立ち上がる。

 

「うちのファミリアのモンがダンジョンで死んだ! それはまだいい! けどな、そこにあったレアモンスターの死体、ありゃいったいなんなんだよ、ああ!?」

 

「なにがだ?」

 

「とぼけんじゃねえ!」

 

「ベート落ち着け」

 

ベートは仲間の制止を無視してスレイのテーブルへと近づき、ドンとテーブルを叩いた。かなり酔ってるらしく、息が酒臭い。

 

「あの魔石を持たないレアモンスター、ありゃなんでお前らと同じような服を着てたんだ? あのレアモンスターってのはお前らヤーナム野郎の仲間なんじゃねーのかよ!?」

 

なかなか察しがいい。

しかしスレイとしてはそれを認めるわけにはいかない。これ以上、ヤーナムファミリアの評判を落としたくなかった。

ただでさえ悪目立ちしているのに、そんなことが知れ渡れば神々の絶好の玩具だ。子供が玩具をそうするように、徹底的に遊び尽くされて最後は壊される。

 

「さあな」

 

言って、最後の一切れを口に放り込み、水で流し込む。

 

「てめーのそういうところ、昔っから気に食わねーんだよオイ!」

 

別に気に入ってもらおうなどとは思っていない。

それにもうこれ以上の酔っ払いの相手はごめんだった。食事も済ませてスレイは黙ったまま立ち上がる。

 

「勘定」

 

言い返さないスレイを格下に見たのか、ベートは嘲りの表情を浮かべた。

 

「けっ、モンスター野郎と一緒だと飯がまずくなるぜ、帰れ」

 

モンスター野郎。

 

いままでは酔っ払いの戯言として聞き流していたスレイだが、こればっかりは我慢ならない。

ヤーナムファミリアの狩人たちは血によって人を失うという危険と隣り合わせにいる。

血に溺れないために自制しているものの、眷属全員をモンスター扱いされるのは不快を通り越して殺意すら覚える。

人を失った身内や、人を平然と殺すようになった狩人は殺さなくてはならない。生かしておけば人間の犠牲者がさらに増えるからだ。だがモンスター扱いをしていいはずもないのだ。

スレイは振り返り、自分のテーブルへ戻ろうとするベートに言う。

 

「おいバカ犬」

 

「ああ!?」

 

獣人に対する差別用語を使ってベートを振り向かせた。

その左頰へ渾身の拳を振るう。酒が入って酔ったベートは避けることも防ぐこともできず、殴り飛ばされて派手に床に転がった。

しかしさすがは上級冒険者というべきか、無様に床にのびるような真似はせず、床を転がってすぐさま体制を立て直した。

殴られた頰をさすり、猛獣のような目つきでスレイを睨む。

殴られた拍子に歯で口内をざっくりと切ったのか、口から血がだらだらと流れ出た。

 

「てん、めええええ!」

 

「はいそこまで」

 

ベートが飛びかかるより先に、アイズとアマゾネスの娘がベートの左右の腕を捻りあげる。エルフの女性はベートの背中にのしかかるように取り押さえた。

三人に押しつぶされたベートは呻き、ロキが声をはり上げる。

 

「ええ加減にせえ! 酔いすぎやでホンマに!」

 

「なんだよ殴ったのはあいつだぞ!?」

 

「先に絡んだのはベートやろ! おまけに他人をモンスター呼ばわりしよって、怒るに決まっとるわ!」

 

ロキは一喝し、スレイへと向き直る。

 

「いやあウチの馬鹿がすまへんなあ。ここはウチらが奢るさかい、堪忍してや」

 

「あとできつく言っておきます」

 

ロキはバツが悪そうに頭をかいて、エルフの女性はどこかから出したロープでベートをぐるぐる巻きにし、ぎゅーっときつくしめあげる。

そのベートは簀巻きにされたままわめいていた。

 

「おい離せよまだ終わってねえぞ!」

 

「アホ! もう終わりや! あとで説教したるさかい、覚悟しとれ!」

 

スレイとしてももう終わりにしたかった。奢ってくれるというならありがたくそうしてもらうことにして、豊穣の女主人を後にした。




なんのかかわりのないベルとヤーナムファミリアを絡ませるのって結構大変。


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2 ダンジョンにて(1)

苦しいです。評価をくだちい……
_(:3」∠)_


前話後半のくだりがぐだってしまって申し訳ないです。


ダブルバレル式散弾銃。

予備の散弾銃。

それに使う実包。

松明。

獣肉断ち。

ノコギリ鉈。

慈悲の刃。

スローイングナイフ。

採取用ナイフ。

火炎瓶。

油壺。

モンスターよけの臭い袋。

ポーション。

あとは水筒、携行糧食、財布、魔石入れ、マッチ、ロープ。

 

『豊穣の女主人』にて犬っころ、改め、ベートを殴り飛ばした翌朝。

 

スレイはヤーナムファミリア本拠にある一室にて、テーブルの上にそういった装備品を並べて入念に確認していた。

上層ならいざ知らず、中層、下層に向かうのならば準備は念入りに行うものだ。準備にしすぎるということはないのだから。

あとは輸血液があれば問題なしだ。

道具をベルトに差し込む前に、まずは取りに行くべきだろう。

道具をベルトに収め終えると輸血液のことを忘れていました、なんてことは冗談にならない。

スレイは部屋を出て、二階のエミーリアの書斎に入った。

 

「下層に行く。ちょっと血をくれ」

 

「……せめて『おはようございます』くらい言ってくれてもいいんじゃないかしら?」

 

不満そうな顔をしながらエミーリアは言った。

 

「……おはよう。血をくれ」

 

「あなたのそういうところ嫌いです」

 

昨日のベートと似たようなことを言って、エミーリアはため息をつきながら立ち上がった。そして隣接する自身の寝室へと入り……しばらくして戻ってきた。

血を抜いた左腕にはガーゼと包帯を巻いて、右手には細長い木箱。あの箱の中身は注射器だ。採血して、針を付け替えた注射器。

一瞬の油断や不幸によって致命傷を受けたとしても、血液を一気に血管に流し込めばスキルの<リゲイン>効果によってたちどころに回復する。

そして<ハンターズハイ>によってアビリティを強引に引き上げるのだ。

危機に陥ったとき、輸血液によって一気に形勢逆転できる。下層に向かうのならば必要不可欠なものだった。

 

「はう……」

 

エミーリアは気だるげに椅子に座り、スレイはそれを受け取ろうと手を伸ばした。

だがエミーリアはひょいと箱を引っ込めてしまった。

 

「なんだ?」

 

「警句は?」

 

「いいだろ、それくらい」

 

「だめ。言って」

 

面倒な、と思いながらも昨日のハンクスの件もある。輸血液は形勢逆転させる切り札であると同時に、麻薬のような快楽をもたらす。

血に溺れるとスレイとて人を失って言葉通りの『モンスター野郎』と化してしまうのだ。

そうならないために狩人は警句を叩き込まれる。それこそ何千回と復唱させられるし、復唱させるのだ。

 

「……我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ」

 

「恐れなさい。あなたが死ぬのも、人を失うのも悲しいです」

 

「ああ」

 

エミーリアは箱を差し出して、改めて受け取った。それを胸元のポケットに収めて書斎から元の部屋へ。

いつからいたのか……そこにはファナという狩人がいた。

スレイと同じく先端の尖った三角帽子とコートを着用しており、帽子の下からは金髪と碧眼をのぞかせている。

服装で違うところといえば、右目につけている赤い眼帯と武器くらいだろう。

腰に下げている武器は “弓曲剣” といって、常であれば刀身が湾曲した剣、変形させれば弓になるという剣だ。

美しいエルフにはまさに絶好の武器と言えるだろう。

 

「深層まで潜るの?」

 

ファナはテーブルに並べられた道具から、スレイへ顔を向けて問うた。

 

「ああ」

 

短く返事をして、ファナの横を通り過ぎた。

テーブルの上の装備を手際よくポーチやバックパックに詰めていき、弾帯やベルトを体に巻く。

 

「なら、私も同行するわ」

 

「好きにしろ」

 

「素っ気ないのね。ふふ、いつものことだけど」

 

ファナが喉の奥で笑い、彼女も奥のキャビネットから矢筒を三つ取り出した。

 

「サポーターはどうするの?」

 

「広場で探す」

 

「そう。ちょっと待ってて、私も準備するから」

 

「ああ」

 

簡潔な受け答えを続けて身支度を済ませ、本拠を出た。

 

 

 

 

 

 

サポーターがいるとそれだけ探索が楽になる。

荷物の運搬はもちろんのこと、戦っている間にも魔石の回収を済ませておけば効率よく先へ進める。

だがあいにくとヤーナムファミリアにはサポーターなんて便利なものはいない。

いちおう、ガスコインは家族を残して死ねないという理由でサポーターへと回っているが、近々行われる『怪物祭』のためにせっせと稼いでおり現在は不在。

とにかく荷物運びをやってもらいたかったら別のファミリアの者に頼むか、あるいはいかにも駆け出しで誰ともパーティを組めずにいて、おまけにお金に余裕がなさそうな冒険者を探して雇うしかないのだ。

例えばそう、白い頭髪で赤い瞳を持ち、貧弱な装備をつけて蒸したジャガイモをかじってるような見覚えがある少年とか。

 

「おい」

 

「いきなり『おい』はどうかと思うわ」

 

ファナは呆れた声を出すが、無視してスレイは少年に近づくと、少年は咀嚼していたジャガイモを飲み込んでスレイを見上げた。

 

「あ、たしか豊穣の女主人で……」

 

「相席だったな」

 

それ以上の世間話はしたくないため、スレイはさっさと本題に入った。

 

「俺たちはいまサポーターを探している。よかったら三万ヴァリスでやってくれないか?」

 

先に報酬を提示してやらないと、ダンジョンから出た後になってもっとよこせと言い出すものがいる。

お金のやり取りは先に決めた方がいい。

 

「さっ、三万も!?」

 

よほど資金繰りに苦しいらしい。三万ヴァリスで食いついてきた。

 

「ああ」

 

「あっ、でも僕、サポーターなんてやったことがないんですけど……」

 

「荷物を運んで魔石を回収する、ただそれだけだ。戦う必要はない」

 

「それだけで三万ヴァリス……」

 

少年は顎に手をやって考え込む。頭の中でいろいろと計算しているのだろう。

うんうんとうなづき、ぱっと見上げた。

 

「やります!」

 

「そうか。じゃあ早速持て」

 

スレイは背負っているバックパックを降ろしてずいっと差し出す。中身は予備の弾薬やら火炎瓶やらなんやらで、側面には “ノコギリ鉈” や散弾銃が下がっている。

それを受け取った少年はその重さに少し驚いて、自分のリュックの上から背負った。

 

「俺はスレイ。こっちはファナだ」

 

「よろしく」

 

ファナが気さくに手を挙げた。

気を許した相手にしか体を触れさせないというエルフだけあって、挨拶するのに握手などしないようだ。

 

「僕はベル・クラネルです。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

そういうわけでスレイたち一行はダンジョンを進む。

三階層まではベルも荷物を背負ったまま積極的に前へ出ていたのだが、大荷物を背中に乗せた状態で普段通りの動きはできないもので、四階層で手こずるようになり、五階層からはサポーターに徹した。

つまり荷物運びと魔石、ドロップアイテムの回収だ。

 

七階層に到達したときにはベルの顔は下を向き、疲労の色が浮かび始めていた。

二人の背中から離れ始めたベルにファナが声をかける。

 

「遅れているみたいね?」

 

ベルは苔むした床からスレイの背中へと視線を上げて、足に力を込めて早歩きで追いつく。

 

「すっ、すみません」

 

「サポーターが足を引っ張らないで」

 

「はい……すみません」

 

忠告に対して素直に謝る。

ベルはサポーターが実は大変な仕事だと理解したころだが、もう手遅れだった。

先行するスレイは一瞬たりとも後ろを気にせず、無言のまま通路を行く。まるでついてこれないなら置いていくとでも言わんばかりだ。

荷物だけ取り上げられて置き去りにされたらどうしようとベルは嫌な想像をした。

ふと、前方を行くスレイが “獣肉断ち” の留め具を外して肩に担ぐ。

ファナとベルも気づいた。

正面の奥から大きな蟻のようなモンスター、キラーアントが群れで迫ってきていた。

キラーアントの別名は新米殺しだ。一匹一匹は新米冒険者でもどうにかなるが、これが大量の群れとなって押し寄せてくるのだ。

おまけに弱るとさらに仲間を呼ぶフェロモンを出すといういやらしい特徴がある。

 

「俺が時間を稼ぐ。ファナは魔法で一掃。ベルはそこで見てろ」

 

スレイは前を見据えたままそう言う。

ファナは腰から “弓曲剣” を抜いて、形状を変えた。

ガシャンと音を出してその刀身が左右に開き、そのまま弓のように展開する。

普通の弓は弓全体をしならせることで矢を撃ち出すが、この “弓曲剣” は柄の部分にある強力なバネの力で撃ち出すのだ。

この流れるような変形機能にベルは思わず見惚れてしまった。

ファナは開いた刀身を結ぶワイヤーに矢をつがえて、ギリギリと引いた。

上下に分かれた刀身が、柄の部分で後ろへ倒れる。強力なバネが倒れた刀身を元に戻そうとして前へと引っ張った。

 

「踊れ、踊れ、風の精霊、剣を両手に舞い踊れーー」

 

ファナが呪文詠唱に入ったとき、スレイは右から左へ“獣肉断ち” を振るった。

ワイヤーで繋がれた牙付きの刃が、攻撃範囲内のキラーアントをまとめて薙ぎ払った。

武器の重量とスレイの膂力によってキラーアントの手足や胴体がバラバラに千切れて床に転がり、その破片を踏みしだくようにさらに後続のキラーアントが迫る。

スレイは “獣肉断ち” を手元に引き寄せ、今度は左から右へ。

解体されるキラーアントの残骸たち。その隙間をぬって別のキラーアントがスレイへと飛びかかった。

とっさにベルが助けようと一歩踏み出すが、二歩目はなかった。

スレイは伸びきった “獣肉断ち” を手元に引き寄せながら、左手の散弾銃を撃ったのだ。

乾いた音が響き、無数の粒が放たれる。

散弾銃の粒は小さく、キラーアントのような外殻を貫通するほどの威力はない。

だが貫通しないということは、亜音速で迫る粒の衝撃をまともに喰らうということだ。

たいして重くないキラーアントであれば簡単に後方へと吹き飛ばされた。

銃といえば普通は遠距離のモンスターを攻撃するためのものだが、スレイは逆だ。

近づいてきたモンスターに対して散弾をお見舞いしている。

ドン!

二発目の散弾を撃ち、散弾銃を折り曲げて “獣肉断ち” が伸びないように留め具をつける。

関節部で折れた散弾銃の薬室を下に向けて空の実包を地面に捨て、器用に “獣肉断ち” を持ったまま、胸に巻いている弾帯から実包を取り出し、装填。

折り曲げていた散弾銃を戻す。

壁から這ってくるキラーアントの頭を “獣肉断ち” で潰した。地面から飛びかかってくるキラーアントを蹴り上げ、仰向けになった腹に “獣肉断ち” を振り下ろす。

一歩後ろに跳びのき、天井から降ってきたキラーアントの胴体を両断する。

 

「戻って!」

 

ファナが叫ぶ。スレイは銃撃を見舞ってキラーアントを吹き飛ばし、ファナの背後へと走った。ファナの射線上にいるのはキラーアントだけとなる。

 

「引き裂け」

 

ファナは眼帯をつけていない左目でキラーアントの群れを見据え、矢を放つ。

 

風精霊の剣舞(シルフィードダンス)

 

矢そのものは普通の木矢にすぎないが、それでもファナの魔法が付与されたものだ。

魔法の効果により矢の周囲を真空の刃が吹き荒れている。たとえ直撃しなくとも近づいただけで肉を引き裂く。

矢を放つという性質上、一直線上のモンスターをまとめて片付けるのに役立つ。

いまのように、通路をひしめくキラーアントなどには特に。

真空の風が吹き荒び、キラーアントの体はどれもこれもがズタズタになって散らばった。

これは魔法詠唱に時間がかかるため、誰かに護衛してもらわないと使えないのも事実だが、いまはスレイがその護衛となっていた。

 

「すごい……あんな簡単に……」

 

冒険者歴が半月程度のベルが感嘆するのは無理もないことだが、振り返ったスレイは威張るでもなく、鼻を高くするでもなく、淡々と告げる。

 

「感心してないでさっさと魔石を集めろ。魔石は胸にある」

 

そう言いながらスレイは自分の胸を親指でトントンと突いた。キラーアントのこのあたりを探せという意味だ。

 

「はっ、はい!」

 

ベルは自分がサポーターなのを思い出し、急いでキラーアントの死骸から魔石を回収する。

キラーアントの胸元というのは外殻が薄く、普通の肉のように簡単にナイフが通った。もしかするとここが弱点なのかもしれない。

ベルは魔石を回収しながら、キラーアントと戦うときはここを狙おうと思った。

 

「ファナ、お前も手伝え。数が多い」

 

「はいはい」

 

三人で手分けして魔石を回収し、次へと向かう。

 

 

 

 

 

 

スレイたち一行は手強くなったはずのゴブリンやコボルトもなんなく蹴散らし、ダンジョン十一階層に到達した。

階段を降りきると、そこは霧のように霞みがかった草原のような景色が広がっている。

 

「ふう……」

 

と、ベルは両膝に手を置いてうなだれた。額には汗の玉が浮き出ており、表情は疲労の色を隠せていない。

その様子を見たスレイはこれ以上の強行はかえって危険だと判断した。

 

「少し休むか」

 

言うなりベルの背負っているバックパックを取り上げて、その階段に座った。

有無を言わぬその態度に、ファナは小さくため息をついて、ベルはホッと安堵して階段に座り込む。

階層をつなぐ階段というのは休憩所でもある。モンスターが階層を越えることはまれで、階段でモンスターが生まれるということもない。

スレイは取り上げたバックパックの中から自分とファナの分の水筒と携帯糧食ーー薬草や果物を乾燥させて小麦粉の中に練り込んだ棒状のクッキーのようなものーーを取り出した。

 

「ベルはなにか持ってるか?」

 

「はい。今朝もらいました」

 

ベルは自分のリュックから『豊穣の女主人』の店員であるシルからもらったサンドイッチを取り出す。

幸いにも籠のおかげで潰れずに済んだ。

心の中でいただきますを言って、がぶりと齧り付く。美味しい。

スレイやファナもそれぞれお菓子のような食事に舌鼓を打ち、水で喉を潤す。

 

「あの、お二人は狩人をどれくらい続けているんですか?」

 

ベルが問う。

 

「私は六年くらいね」

 

「十二年だ」

 

「長いですね……僕、まだ半月くらいで、六階層がやっとです」

 

「そうか」

 

特に興味なさげなスレイに対し、ファナはベルの話に乗った。

 

「半月で六階層に? パーティを組んで?」

 

「いえ、ソロです。ヘスティアファミリアに入ってるんですけど、まだ僕しか眷属がいなくて……。ここまで潜ってこれたのは今日が初めてですよ」

 

「半月で、一人で六階層……」

 

ファナは感嘆の声をもらす。

新米同士でパーティを組んで六階層ならまだわかる。しかし一人で、半月で六階層はいくらなんでも早すぎる。

嘘をついているようにも見えない。となると本人も気づいていない才能があるのだろう。

ふと、霞の中に影が見えた。

影はゆっくりとこちらへ近づいてきて、その姿が露わになる。

茶色の皮膚、豚の頭、丸々とした腹、ズル剥けた古い皮膚がスカートのように腰まわりを覆い、全長は三Mという大型モンスター。

オークだ。

いまのベルがどうにかできる相手ではない。

 

「……ファナ」

 

「まかせて」

 

ファナは立ち上がり、剣を弓状へと変形させ矢をつがえて、撃つ。

 

バジュッ

 

水気を含んだ嫌な音を出してオークの額を貫いた。オークは悲鳴を上げる暇もなく、どう、と後ろへ倒れる。

 

「そろそろ行くか」

 

スレイは水筒をバックパックに戻して立ち上がった。

ベルはその荷物を再び背負い、そのオークから魔石を回収。

三人で霞の中へと進んでいった。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

狩人が別のファミリアのパーティに誘われるというのは珍しいことではない。

特にモンスター狩りに魅入られた狩人などは、自分の取り分をそこそこにして残りはいらないという者も多いのだ。

狩人はモンスターを勝手に殺して回り、その魔石は自分たちの取り分にしても狩人は文句を言わない。そういうわけで狩人はよく別のファミリアの冒険者に誘われる。

 

このヒプノスファミリアの彼らもそうだった。

上層の弱いモンスターは自分たちで処理し、中層のモンスターは狩人に丸投げする。そうすることで自分たちは楽をしながら魔石を回収できるのだから。

 

しかしーー彼らは知らない。

 

血を恐れ、しかし狩に酔った狩人がどうなるのか.、それは同じ狩人だけしか知らない。

狩人にとって獲物はモンスターだけではないということを……他のファミリアのものたちが知るはずもなかった。

 

十五階層。

霧が晴れた通路にヒプノスファミリアのものたちと、彼らに雇われた狩人がいた。

先に異変に気づいたのはダグという犬人の中年男だった。

狩人含む五人パーティのリーダーだ。

散らばるモンスターの死骸から魔石を回収する中で、湿った音が断続的に響いてくるのがその犬のような耳に入った。

 

「なんだ?」

 

音がする方向に目を向けると、狩人の狼人、グリッグスが右手に握る斧を振り上げ、死んだミノタウロスの首を切り落としていた。

再び斧を振り上げると、ミノタウロスの血肉が跳ね上がってグリッグスの服を汚した。

そんなことなど露ほども気にせず、今度はミノタウロスの右肘を切り落とす。

斧を振り上げ、今度は右肩から。

その次は左手、左肘、左肩……そうやって斧を何度となく振り下ろしては、ミノタウロスの死骸をバラバラに解体していく。

返り血を浴びるように。

暇つぶしのように。

子供が虫の手足をもいで遊ぶようにーー。

グリッグスは斧を振るう。褐色の尻尾をゆらゆらさせて、振るう。

 

「なに、やってんだ?」

 

ダグは顔をしかめて言い、他のメンバーもグリッグスの異変に気付いた。

グチャ、と音を立てて、グリッグスの斧がミノタウロスの胸に突き立てられた。

 

「……足りないなぁ」

 

狩人の帽子の下で、グリッグスの口が歪み、ざらつき擦れたような声を発した。

唇についたミノタウロスの返り血をペロリと舐めとる。狼が口まわりについた獲物の血をそうするように。

 

「足りないって……なんだよ、分け前か? 十八階層までの往復で四万ヴァリスでいいって、先にそう決めただろ?」

 

眉間にしわを寄せながら言う。

ダグの三人の仲間たちが集まり、それぞれが不満を言う。

 

「ここで分け前で揉めることはないだろう?」

 

「そもそも先に決めたじゃない」

 

「そうだよ、その通り」

 

グリッグスは天井を見上げるように体を反らし、全身にこびりついた血の匂いを堪能するように、大きく息を吸い込んだ。

 

「そうじゃない……違うんだ……」

 

わけがからないと言うように、その仲間たちは顔を見合わせた。

 

「……足りない……ミノタウロスじゃあ、ぜんっぜん、物足りない」

 

グリッグスは顔を上に向けたまま、ミノタウロスの死骸に突き立てた斧を引き抜き、ゆっくりとダグたち五人へと向き直る。

 

チタ、チタ、チタ

 

右手に握る斧から赤い血が滴り落ちる音が聞こえてくるような、静寂。

返り血によって血にまみれたグリッグスの姿。その瞳には五人の冒険者だけがうつりこみ、狂気が孕んでいた。

 

「くっくっくっ……モンスターじゃあ……物足りない、なぁ?」

 

ダグの背中を冷たいものが駆け下りた。

 

「散開!」

 

ダグが叫ぶと同時にグリッグスが四人へと走る。

グリッグスの表情は笑み。

血に飢えた獣のように歪んだ狂笑を浮かべ、ギャリギャリと斧が地面を削って火花を散らす。

反応が遅れたダグの仲間たちは身を強張らせた。

 

「ぬううん!」

 

ドワーフのギムリがとっさに前に出た。

全身を金属鎧で固め、両手には鉄球に凹凸のついた鉄の棍棒、モーニングスターを持っている。

下からすくい上がる “長柄斧” を、鎧で受けるのは危険だととっさに判断し、モーニングスターの柄で防いだ。

金属が激しくぶつかり合い、けたたましい音が鳴り響く。

 

「ぐむ!?」

 

狼人であるグリッグスなどよりもはるかに体格で勝るドワーフのギムリだが、 “長柄斧” による一撃を受け止めたモーニングスターを上へと弾き上げられた。

スキルの効果により、返り血を浴びたグリッグスのアビリティには上昇補正がかかっている。いまのグリッグスは普段よりも強い。

ギムリの胴体ががら空きとなる。

凶悪なグリッグスの笑みにギムリは背筋が凍った。

 

「あっはああああ!」

 

グリッグスの左手は散弾銃を手放して、ビキキ、と音を立てて形が変わる。

まるで獣のような手に。

 

内臓攻撃(ビーストハンド)

 

グリッグスの獣の腕は鉄鎧をたやすく貫き、ギムリの臓腑を破壊し尽くした。

ギムリの目は限界まで開いて口と鼻から血が噴き出し、ヒゲを赤黒く染める。

 

「ぐ……えっ……」

 

グリッグスはその左腕を乱暴に振るってギムリの体を払い飛ばす。

夥しい血潮がグリッグスの体を赤く染めあげ、ギムリの血で汚れた左腕を元の形へ戻した。

ギムリの腹に空いた大穴からひゅるりと細長いピンク色だとか、袋状の肉だとかが飛び出し、ギムリはその巨体を横たえて絶命。

 

「こっ、の野郎!」

 

怒りの表情を見せる犬人の青年が槍を突き出した。

グリッグスはわずかに右へ身をそらして槍を避けると、そのまま槍の柄を脇で挟むようにつかむ。間髪入れずに青年の股間を蹴り上げた。

 

「はうっ!?」

 

青年のズボンには股間部分にも防護用の革が貼ってあるのだが、それを無視するかのような強烈な蹴りに、青年は目が飛び出しそうなほど見開く。

動きが止まる。即座に “長柄斧” が青年の首を断った。

皮膚、動脈、頚椎、咽頭、静脈、皮膚。

それらを断ち切る感触が “長柄斧” を通してグリッグスへと伝わる。その筆舌しがたい感触にグリッグスは打ち震えた。

青年の頭は苦悶の顔のまま地面へと転がり、胴体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

猫人の少女は完全に腰が抜けて地面にへたり込んでいた。仲間の死はたやすく戦意を失わせる。ましてや月日を重ねた友人ならばなおさらだ。

それでもリーダーのダグは剣を振った。狙うはグリッグスの首だ。

そのグリッグスは槍を手放して地面を転がるように回避。そのさいに散弾銃を拾う。

立ち上がると同時に銃口をダグに向けた。

 

「くっ!」

 

ダグは左腕に鉄盾を巻き付けるように装着している。その盾をとっさに構えた。

発砲。

無数の鉛の粒がダグを襲う。腕をもぐような衝撃にダグは歯を噛み締め、ズキリと足の痛みに顔をしかめた。

わざわざ足を見なくてもわかった。銃弾の粒の幾つかが足に命中したのだ。

一発一発は小さく痛みも我慢できるものだが、それが何発も撃ち込まれればひとたまりもない。

冒険者は銃など使わない。

銃はモンスターにたいしてまったくの非力だからだ。

その銃を使う狩人のことを、ダグは内心馬鹿にしていた。

違った。

狩人は人間を狩るために銃を持っているのだ。

その事実をダグは確認させられた。ギムリのような全身鎧を着用していたなら違っただろうが、そうでないダグにとってあの銃は恐ろしいほどの脅威となる。

ふと、グリッグスは散弾銃を折り曲げて空実包を捨てた。

その瞬間にダグは走った。装填する隙を見逃してやるわけにはいかないからだ。

するとグリッグスはあろうことか散弾銃を手放した。

 

「!?」

 

グリッグスの思惑が読めずにダグは焦る。しかしもう立ち止まれない距離まで来てしまった。

盾を構えたまま進む。

グリッグスは斧の柄を上と下で持って、引き伸ばした。

斧の柄の長さが変わる。それが “長柄斧” の特徴だった。

縮めておけば片手で扱える戦斧として、柄を伸ばせばハルバードとして使い分けられる。

 

「それがどうした!?」

 

ダグは左腕の盾で胴体を守りながら右手の剣を振るった。

右上から左下への袈裟斬り、右への薙ぎ払い、下からの切り上げ。

だがその全てをグリッグスはたやすく避ける。牛の突進を布一枚でかわす闘牛士のように、コートをはためかせて。

一歩下がる。

ダグの剣がグリッグスの目の前を横切ったと同時に、態勢を整えた。

 

「ぅらあ!」

 

鬼迫のような声とともにグリッグスは “長柄斧” を振った。迫り来る斧をダグは盾で防ぐ。だがその膂力に圧倒された。

 

「ぐうっ!」

 

どうにかこらえて姿勢を維持する。

もしも盾を弾き飛ばされたり膝をつくようなことになれば、それこそギムリの二の舞だ。

今度はダグが追い詰められる番だった。

剣よりも “長柄斧” の方が長いのだ。

グリッグスの膂力と遠心力が乗った重たい一撃が、何度となく盾に撃ち込まれる。

ガン、ガン、と盾が悲鳴をあげて形が歪む。

 

「っの!」

 

ダグは胴体を狙った “長柄斧” を受けずに飛び込む。頭上すれすれを刃がすり抜ける。

するとグリッグスは “長柄斧” すら手放して後ろへ飛びのいた。だがそうするしかないのだ。

握っていれば “長柄斧” の重さによってコンマ数秒ほど動きが遅れる。遅れればダグの剣がグリッグスを貫いていただろう。

 

すぶ

 

グリッグスが飛び退くと同時に投げつけたスローイングナイフが、ダグの左目に突き刺さった。

 

「ぐぅおおおおおおあああああああああ!」

 

ダグは悲鳴をあげて後ずさった。剣を振り回してグリッグスを寄せ付けまいとする。

不意に何かをこするような音がした。マッチだ。マッチに火をつけたような音と臭いだ。

残る右目でグリッグスを見やると、グリッグスは火のついた火炎瓶を手にしていた。

ダグは再び背筋を凍らせる。

グリッグスはスローイングナイフを三つ、指に挟んでダグの顔をめがけて投げつける。

三点撃ち。

二つであれば剣の一振りで弾けるが、三つ目は防ぐことができない。

そして右足がズキリと痛み……ダグはそれを盾で防いだ。防いでしまった。

自分の盾でグリッグスの姿を隠してしまった。

火炎瓶が投げつけられ、ダグの足に命中。瓶が割れて油がダグの足に飛び散り、導火線の火が引火。

瞬く間にダグの下半身が炎に包まれる。

 

「あっ、わあああああ! あああああっ! あああああああああああ!!」

 

悲鳴を上げてダグは踊った。

叫びながら、火に包まれながら、服についた火を消そうとしたりして、踊る。踊る。のたうち踊る。

さらにグリッグスは腰のポーチから油壺を取り出して、のたうつダグに投げつけた。

ばしゃりとダグは頭からそれをかぶってしまう。

 

「ひぃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

生きたまま全身を焼かれる。

ダグがその苦痛から逃れるために、自分の喉を剣で突き刺したのは、至極当然のことだった。

 

「ははは……楽しかったぞ」

 

肉が焼け焦げるにおいを嗅ぎながらグリッグスはいい、地面に転がったままの “長柄斧” と散弾銃を拾い上げた。

そして地面にへたりこんだままの猫人の少女を見やった。

 

「ひっ、あ、あああ、うああああ……」

 

青を通り越して白くなった顔色で、両手両足はガクガクと震えて満足に動けずにいた。

少女の目に映っているもの。

おじさんと慕っていたドワーフのはらわたを引きずり出された死体。

幼馴染の犬人の首なし死体。

リーダーと呼んでいた犬人の焼死体。

その三人を惨殺した一人の狼人の男。

グリッグスと少女の目があった。

涙がとめどなく流れ出して、ズボンが濡れていく。

少女は震える手で腰の布袋を取り出して差し出した。

 

「あ、あげる、から、たす、け、て」

 

グリッグスはもう戦意を持たない少女を冷たい視線を向けた。

 

「……つまらんなあ」

 

グリッグスは少女へと歩いた。動けない獲物を追い詰める狼のような足取りで、ゆっくりと。

 

「な、なんでもするから! たすけて!」

 

「なんでも、ねえ?」

 

グリッグスは少女のつま先からゆっくりと見上げていく。

ほっそりとした両足、健康的な太もも、失禁に濡れるズボン、細いお腹、未発達の胸、幼さの残る顔、黒髪からのぞかせる三角の耳……。

 

「ふん、なら……仰向けに寝ろ」

 

仰向けに寝ろという意味を少女は想像して、歯をきつく歯を食いしばり、なけなしの憎悪を込めて睨む。

だが嫌とは言えなかった。助かるためにはそれしかないのだから。

大人しく従って仰向けになり、ぎゅっと目を閉じる。

 

カチャリ

 

少女が想像していたのはグリッグスが服を脱ぐ音か、あるいは自分の服を脱がされる感触だと思っていた。

 

しかし実際に聞こえてきたのは金属を擦り合わせたような音と、グリ、と額に押し当てられる冷たく硬い感触だった。

怪訝に思って少女が目を開く。

そこには自分の額に散弾銃を押しつけるグリッグスの姿があった。

助けるつもりなどなかったのだ。

 

「いっ、いやあああああああああああああああああああああーー」

 

乾いた銃声が少女の悲鳴をかき消した。




ファナの由来はAC3のファナティックから。
でも面影が残ってないな……。


グリッグスみたいな奴がいたっていいじゃない。
ブラッドボーンなんだもの。


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3 ダンジョンにて(2)

コメディを書く才能が欲しいお……。


ダンジョン十五階層。

霧は晴れたがここらの階層は光源が乏しく、床、天井、壁がむき出しの岩で覆われている。なにも知らなければ天然の洞窟だと勘違いするだろう。

そんな湿った通路を先頭のスレイが松明を掲げて進み、後ろにファナ、ベルと続いた。

 

「……あの、さっきからモンスターが出てきませんよね?」

 

ベルが問いかけた。

この通路に入ってからというもの、ファナが一匹のヘルハウンドを射抜いただけで、他のモンスターが出てこないのだ。

 

「誰かが先に通ったんでしょ」

 

ファナが気軽に答える。

 

「そんなものですか?」

 

冒険者は基本的に魔石や経験値稼ぎのためにそれぞれ別々の道へと進むものだが、たまに誰かが通った直後の通路に入ることがあるのだ。

そうなった場合、幸か不幸かモンスターと遭遇せずに先へと進める。

 

「そんなものよ」

 

そう言い合う矢先、ベルの背後でビシリと壁に亀裂が入った。

スレイは立ち止まって背後を照らすと、スキャッチというモンスターの上半身が現れていた。

二足歩行で全長はベルと同じほど。斧を叩きこんだかのようにざっくりと裂けた口からは牙をのぞかせ、顔や腕、下半身を除いた胴体部分は黒い体毛で覆われている。

炎を怖がる性質があるため、ヘルハウンドと一緒に行動することはない。

中層では間違いなく弱い方に分類されるモンスターだ。

ダンジョンが「そんなに戦いたければ戦わせてやる」とでも言いたげなタイミングで出現した。

 

「下がれ」

 

さすがにベルに任せるわけにもいかず、スレイはスキャッチへと歩いた。

中層で弱いとされるが、それはあくまでも中層までたどり着ける冒険者にとっての話だ。新人には手にあまるだろう。

 

「あ、ま、待ってください!」

 

その新人のベルがスレイを呼び止めて、言う。

 

「僕にやらせてください。僕がどのくらいやれるのか確かめたいんです!」

 

そのベルの瞳には闘争心の火が灯っていた。

スレイの知らないことだが、ベルには憧れる女性がいる。

中層最弱のモンスターに怖がっているようでは、いつまでたってもその人の隣には立てない。

幸いにもここには一匹しかおらず、他のモンスターは先行する冒険者に倒されている。

ベルにしてみれば少しでも経験値を稼いで高みを目指したいのだ。

スキャッチが壁から完全に出てきた。ガラス玉のような目玉が三人の姿をとらえ、一番近くにいるベルと目が会う。

 

「やらせてみたら? いざとなれば助ければいいんだから」

 

ファナが助け舟を出した。

ファナはファナで半月で六階層まで到達したベルの実力に興味があった。

ここでその実力のほどを見てみようというのだろう。

 

「……やってみろ」

 

「はい!」

 

スレイは後ろへと下がり、ベルはバックパックを地面におろしてナイフを構えた。

スキャッチは鋭利な爪が生えた両手を広げてひたひたと歩みよってくる。

ベルはぐっと足に力をこめて、駆け出した。スキャッチもこれを獲物として走る。

ベルのナイフの切っ先を含めた腕の長さと、スキャッチの爪が届く範囲はほぼ同じだ。

攻撃が届く範囲がほぼ同じである以上、仕掛けるのもほぼ同じだ。

互いに右腕を振り……中断したのはベルだった。

とっさに腕を引いて及び腰となる。そのすぐ前をスキャッチの爪が過ぎ去ったが、スキャッチは左側の手でさらに追撃。

ベルは右へと飛び退いて回避。そのままスキャッチの背後へ飛び込むように踏み込む。すれ違いざまにナイフでスキャッチの脇腹を切りつけた。

 

「っ……浅い」

 

苦い顔を浮かべた。

ナイフは確かにスキャッチの脇腹に命中したのだが、その黒くなびく体毛に阻まれた。刃は皮膚までは到達していない。

スキャッチは振り返りざまに腕を振る。

爪はガリッ、とベルの胴当てをひっかいて傷がつく。ベルの額に脂汗が噴き出した。

ベルは距離をとって呼吸を整えようとするが、スキャッチは猛然と襲いかかってくる。それをかわすので精一杯だ。

 

「……距離を取りたいなら飛び退くと同時に何かを投げつけろ。そこらの石でもいい」

 

見かねたスレイの助言がベルの耳に届く。

とっさに足元の小石を拾い上げて後ろへジャンプすると同時に、スキャッチの顔を目掛けて小石を投げつけた。

ごつ、と痛そうな音を立ててスキャッチの額に命中。呻き声をあげてその部分に手を置き、足を止める。

 

「はあっ、はあっ、はあっ」

 

ベルは肩で息をしてスキャッチを見据えた。

 

「爪が邪魔なら指ごと切り落としてやれ。すばしっこいようなら足を潰せ。まずは弱らせろ」

 

「は、はい!」

 

息を整えたベルはスキャッチへと飛び込んだ。

そんなベルとスキャッチの戦いを眺めながら、ファナはニヤニヤとからかうようにスレイに言う。

 

「なあに? 新人教育?」

 

「……いつもの癖だ」

 

「ふふふ……私もぐちぐち言われたっけ」

 

ファナは昔を思い出したように喉の奥で笑う。

ファナがヤーナムファミリアに入った後、一週間ほどはスレイに付き添われて狩人の心得を教え込まれたのだ。

 

曰く、対等に戦うな。

曰く、一方的に狩れ。

曰く、自分の優位性を確保しろ。

曰く、手強いなら弱らせろ。

曰く、卑怯な手は全て使え。

曰く、道具は惜しむな。

曰くーー

 

ファナがそんなことを思い出していたとき、スキャッチの引っかきにベルの反撃が決まった。

ナイフがスキャッチの左指を全て切り飛ばしたのだ。

 

『ギウゥウウウ!』

 

スキャッチが怯み、たたらを踏む。

ベルの目にはっきりと勝機が見えた。飛び込み、喉をかき切ろうとナイフを振るう。

だがスキャッチは残る右手でそのナイフを叩く。

 

「あっ!?」

 

スキャッチは自分の右手を傷つけたが、同時にベルの手からナイフを叩き落とした。

こういうのを油断というのだ。

ベルはとっさに後ろへ飛んで距離を取る。だがもう武器はない。武器はスキャッチの足元にあるあのナイフだけだ。

どうしたものかと考えたとき、スレイがバックパックから “ノコギリ鉈” を外してベルに向かって投げた。

 

「使え」

 

「ありがとうございます!」

 

どさりと落ちたそれをすぐさま拾う。

展開した “ノコギリ鉈” の肉厚な刀身と、その背中にびっしりと生えたノコギリ状のギザギザ。見れば見るほど醜悪な武器だが、そんなことに構わず両手で持つ。

今のベルでは “ノコギリ鉈” を片手で使いこなすのは無理だろう。

 

「うぅああああああああああああああ!」

 

ベルは自らを鼓舞するように大声をあげてスキャッチへと走った。

スキャッチが右手でひっかく動作を見せる。

その動きに合わせてベルは鉈を振った。 “ノコギリ鉈” の刃はスキャッチの残る右手をも切り飛ばした。

ベルの体に返り血が降りかかる。

かまわずにその勢いのまま体を丸めて体当たりした。

スキャッチとともに地面に倒れ、すぐさまベルは立ち上がって “ノコギリ鉈” を振り上げる。

 

「終わりだ!」

 

ぶん、と “ノコギリ鉈” を振り下ろしてスキャッチの頭部を叩き割った。

バキリと湿った音を出してその頭が左右に開き、絶命した。

ベルは肩で荒い息をしながらスキャッチを見下ろした。

中層で弱いと言ってもいまのベルでようやく対等、といったところだ。

 

「や、やった……はあ……」

 

ベルがほっと胸をなでおろす。

 

「まあ、よくやったほうじゃない?」

 

ファナは帽子の下で微笑んでみせた。

 

「武器は最低でも二つ持て。できれば三つだ」

 

スレイはバックパックと地面に転がるナイフを拾い上げて、ベルへと差し出した。

 

「はい。あの、助言していただいて、ありがとうございます」

 

「荷物持ちに死なれると困る」

 

それが照れ隠しから来るものなのか、本気でそう言っているのかベルには判別できなかった。

 

「はは……」

 

ベルは苦笑いをしてそれらを受け取り、 “ノコギリ鉈” を振って血を払い飛ばしてからバックパックの側面に下げた。

 

「よし、魔石を回収しろ。行くぞ」

 

「はい」

 

スキャッチの胸から魔石を取り出して、先に進んだ。

 

 

 

 

 

 

どれほど進んだのか……通路の奥に転がる物体に、スレイは慎重に近づいた。

 

「……」

 

「なにこれ?」

 

「うっ!?」

 

地面に転がっているモノ。

腹に大穴が開き、そこから臓腑をぶちまけているドワーフ。

首を切断された犬人の青年。

黒く焼け焦げ、自分で喉を刺したらしき男……だろう。

頭部がぐちゃぐちゃに破壊されて脳漿をぶちまける猫人の少女。

冒険者が死ぬことそれ自体は珍しいことではないが、しかしいずれも酸鼻きわまる有様だ。

スレイとファナは死体のそばにしゃがんで観察し、ベルは顔色を青くして口元を押さえ、それら死体から目をそらした。

 

「うぅ……それも、モンスターがやったんですか……?」

 

「……多分な」

 

スレイは嘘をついて、ファナは怪訝な顔をスレイに向けた。

地面に転がるガラス瓶の欠片や、空の実包。

どちらもスレイにとって見覚えがありすぎるものだ。実包は散弾銃の銃弾に使われるものだし、このガラスの欠片には紐がくくりつけられている。これは火炎瓶の一部だ。

あのドワーフの死体にしても<内臓攻撃(ビーストハンド)>を受けた痕跡と酷似している。

間違いなくヤーナムファミリアの狩人の仕業だろう。

スレイは小声でファナに言う。

 

「ベルには黙っておけ」

 

下手に人間がやったと言って、それが狩人の仕業だとベルが知ったら……それが他のファミリア全体へと知られたら、端的に言って、困る。

ヤーナムファミリアは人殺しの集団などと思われたくないのだが、人を失った狩人は人の血肉を求めるだけの怪物に成り果てる。

なかにはモンスターだけでは飽き足らず、こうして冒険者に手を出す狩人もいる。

ヤーナムファミリアは人殺しの集団ではないと否定しきれないだけに、余計な醜聞は隠してしまいたかった。

だからスレイは嘘を吐いた。

ついでに空の実包を密かに拾って懐へと隠す。

 

「この冒険者がモンスターに殺されて、あとから来た誰かが荷物を盗んだ……そんなところか」

 

四人の衣服の乱れっぷりや、荷物袋や武器がないことから考えると、殺した狩人本人か、あるいは別の誰かが死体を漁ったのだろう。

 

「死体から物を盗むのって、ルール違反なんじゃ……」

 

ベルの言い分に、スレイは立ち上がって答えた。

 

「違反行為だ。だが誰がどうやって取り締まる?」

 

「ギルドの目はダンジョンの中まで届いていないわ。怪物進呈がいい例よ。目撃者がいないなら、冒険者が冒険者を殺したって誰も文句を言わないわよ」

 

ギルドは剣などで武装する冒険者や、それらが所属するファミリアに対して規律を求めている。

しかし治安維持を目的としたファミリアが壊滅してからというもの、ダンジョン内での殺人や死体漁りはいつものこととなり、オラリオの路地でも暴力沙汰は絶えない。

そしてそれらをギルドが確認できないことには、なにも対処できないのだ。

わざとモンスターをかき集めて冒険者に押し付け、モンスターに殺された冒険者から荷物を奪う……そういう輩だっている。

 

「敵はモンスターだけじゃない。覚えておけ」

 

死体を漁った誰かはドッグタグを残しているようなので、そちらは回収した。

ベルは納得いかないような、知りたくないことを知ったような複雑な顔になる。

 

「行くぞ」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

十七階層最終地点。

階層主が居座る巨大な部屋を、スレイは通路から覗きこむ。

『嘆きの大壁』と呼ばれる巨大な結晶の壁。あれが階層主、ゴライアスを産み落とすのだ。

 

「ゴライアスはいる?」

 

「いない。今のうちに通るぞ」

 

三人は巨大な部屋に入り、正面奥の穴へと向かう。あれが十八階層への階段だ。

 

「ゴライアスがいないのって、やっぱり誰かが通ったせいですか?」

 

「たぶんね」

 

ベルは納得して、ファナはため息を吐く。

 

「あーあ、これじゃ経験値稼ぎもできない。ついてないわ」

 

退屈まぎれに足元の小石を蹴り飛ばし、三人は何事もなく過ぎ去った。

 

 

 

冗談みたいに長い階段を下りきると、地下であるにも関わらず、そこには広大な森が広がっていた。

見上げるほどに高い天井には数え切れない数の結晶の柱が光り輝き、さながら地上の昼間のような明るさを放っていた。

 

「うわあ……」

 

ベルは歩きながらその光景に感嘆の声を漏らした。

 

「来るのは初めて?」

 

「はい。ダンジョンにこんな場所があったんですね」

 

「街だってあるわよ。全部ぼったくりだけどね」

 

「街が? モンスターに襲われないんですか?」

 

「ここは安全地帯って言ってね、モンスターが自然発生しないのよ。けどま、たまに下から上がってきたモンスターなんかに街が襲われたりもするけど」

 

「そんな場所が……」

 

冒険者になって半月のベルは今日一日ずっと驚きの連続だ。

ダンジョンの構造や出現するモンスターを、一人で潜る前に知っておけるというのは今後おおいに役立つ。

 

スレイ達は壁沿いに進み、小川の河川敷へとやってきた。やや離れたところにはちょっとした滝があり、誰かの排水が混ざっているということもない。

そこにはすでに先客がいた。

ズボンだけをはいて上半身は裸となり、膝丈もない川に入ってスレイと同じようなコートと三角帽子を洗っていた。

ゴライアスの返り血を頭からかぶったのかと疑いたくなるほど、川の水は赤く濁っていく。

河川敷には本人の荷物袋や、洗い終えたであろう “長柄斧” と散弾銃。

そして何かのモンスターの長骨を組み合わせ、先端を尖らせただけの武器と呼ぶのも躊躇われるような武器、“骨爪” が置いてあった。

血で錆び付いた剣のような色の短髪と、その中から生える三角形の耳、腰から生えるのはふさふさの尻尾。

狼人の狩人だ。

その狩人はこちらの気配に気づき、振り返る。

 

「おまえらか」

 

スレイと同じく二十代前半でありながら、その声は酷くざらつき、かすれていた。

もしも声に形があるとしたら、声をヤスリがけするとこんな風になるのかもしれない。

彼の名前はグリッグスといい、再び コートを洗い始めた。

 

「あなたも来ていたのね」

 

「狩人がダンジョンにいるのは当然だろう」

 

グリッグスはコート振って水を払い飛ばし、近くの岩に乗せた。水をすくって顔を洗う。

 

「荷物を降ろせ。ここらで休憩だ」

 

「はい」

 

スレイはそう言ってベルに荷物を降ろさせた。

 

「じゃあ私は矢を買い足してくるから、ここで集合ね。あなたは荷物持ちなんだからついてきて」

 

「わかりました」

 

ファナは森の小道へと歩き、ベルも素直についていった。

二人を見送ったスレイはグリッグスへと歩いた。その両目には怒りが滲んでいる。

グリッグスは川から出てきて、洗った衣服を絞った。

 

「おい」

 

「あ?」

 

「十五階層で四人の獣人の死体があったが……やったのはおまえか」

 

断言するような問いかけ。

グリッグスは『おまえは兎を食べたのか?』と問われた狼のように口元を歪めた。

 

「さあ? まったく、知らんね」

 

挑発ともとれる返事だった。

態度は自分がやりましたと言っているようなものだが、口先だけで否定している。

こうなるとスレイはもうそれ以上の追及はできず、眉間にシワを入れるしかない。

認めたら認めたで、あの四人の冒険者殺しが表沙汰になったとき、即座にグリッグスを粛清しなくてはならない。

 

「身内の不手際は俺が始末をつける……わかっているだろうな?」

 

冒険者が冒険者を殺して、そして殺した人物がどこの誰かが判明した場合、間違いなくファミリア同士の抗争や潰し合いに発展する。

いまのオラリオには法の番人は存在しない。暴力は暴力で返ってくる。

そうならないためには下手人を身内で粛清して納得してもらうか、多額の慰謝料を支払うしかない。

グリッグスもそのことを理解しているから認めようとしないのだろう。

 

「言われなくてもわかっているさ。くっくっくっくっ」

 

喉の奥を鳴らすように笑い、荷物袋から砥石を取り出す。

そして “長柄斧” を持ってスレイの横を過ぎ、木陰に座り込んだ。斧の刃を小型の砥石で研いていく。

獲物の首を切り落とすのが待ち遠しいのか、グリッグスの口元には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

十八階層には街がある。

モンスターが自然発生しないという特性から、過去の冒険者たちが作った補給と休息の場。

名前はリヴィラの街という。

しかしいくら安全地帯といえども、下の十九階層からモンスターが上がってきたり、なんらかの不測の事態が発生したりする。

そのたびにリヴィラの街は壊され、そして幾度となく冒険者によって再建される。

そんなことを繰り返してできた場所だった。

 

通りには屋根と柱だけの、小屋とも呼べないようなものが並び、冒険者が商人となって武器や道具などを売っていた。

それらを見て回る冒険者も多いのだが、そこかしこで「もっと安くしろ!」「いやなら帰れ!」と怒声が飛び交っていた。

そんなに高いのかと思って、ベルは歩きながら露店を眺めた。

……なるほど高い。

ナイフが一本で九千ヴァリスだし、割れて小さくなった砥石が一万ヴァリス、継ぎ接ぎだらけの古びたリュックが二万ヴァリスもする。

中にはごくごく普通のショートソードが五万ヴァリスなんてとんでもない値段がつけられていた。

 

「高いですね……」

 

どれもこれもぼったくりも甚だしい。いまのベルではとても買えない。

 

「高いわよ。まったくどいつもこいつも足元見るんだから」

 

いまにも舌打ちしそうな声でファナが毒吐いた。

それでも不足分を補うためには買うしかないのだ。ファナの心情はいかがなものか、ベルには分かりかねた。

歩いた先、露店が並ぶ片隅にてファナが立ち止まる。

 

「よお姐さん、へへへ、今日も矢をお求めですかい?」

 

禿頭の店主が媚を売るように笑った。

膝を曲げて大きく足を広げ、小さな輪切りの木に座り、地面には風呂敷を広げていた。その上に並んでいるのが商品だ。

 

「……?」

 

ベルはその品揃えに違和感を感じた。

兜と左手だけの手甲でそれ以外の防具がなかったり、傷だらけの丸盾はあれど剣がなく、弓はないのに矢筒があったりと様々だ。

まるでそこらに散らばっているものを急いでかき集めたような、そんな品揃え。

その店主は中年の男性で鷲鼻を持ち、背中には売り物ではない大盾と槍を背負っていた。

だがなにより特徴的なのはその卑しさの滲み出る笑い方だろう。

なんというか、強者に媚を売って甘い汁を分けてもらおうというような、そんな笑顔。

 

「ええ。それ、なんの矢かしら?」

 

ファナが指さしたのは矢筒だ。

店主はそれを手にして中身の矢を引っ張り出す。

なんてことない、矢じりが金属でできている以外は普通の木矢だ。それが十本ほど。

 

「普通の矢ですぜ。一本五百ヴァリス」

 

「高すぎ。二百」

 

「おいおいおい冗談キツイぜ姐さん、こっちも命かけてるんだ。四百五十」

 

「どうせタダで仕入れたんでしょ? それに同じファミリアなんだからいいじゃない。その矢を全部で三千」

 

この禿頭の店主はスレイやファナのようなコートを身につけていないが、彼らと同じヤーナムファミリアの人間らしい。

 

「惜しいな、もう一声くれなきゃ」

 

「三千五百。いやならいらない」

 

「へへへ、いやだなんてまさか。まあ姐さんだしな、それで譲歩しましょ」

 

「成立ね」

 

店主は矢を矢筒に戻し、ファナは財布から三千五百ヴァリスを取り出して渡した。

 

「へへへ、まいどあり。ところでこっちの坊やは? まさか男ですかい?」

 

「そんなわけないでしょ。ただの荷物持ちよ」

 

ファナは受け取った矢筒をそのままベルに渡し、ベルは店主に苦笑いしながら会釈した。

 

「ど、どうも」

 

「サポーターってわけですかい。へへへ、俺はパッチっていうんだ。サポーターが本業だけどよ、こうやって商売もやってる。まあよろしく頼むぜ」

 

「ベル・クラネルです。縁があれば、そのときは。ところであの、仕入れがタダって、どういう意味ですか?」

 

その何気ない質問に場が凍りついた。

目の前のパッチが苦い顔をしたのはもちろんだが、聞こえた近くの商売人からも冷たく突き刺さるような視線が向けられる。

そんなに変な質問だっただろうかと、ベルは戸惑った。

ファナはやれやれとでも言うようにため息をして、パッチは取り繕うような笑顔で言う。

 

「へへへへへへ、あのな坊や、駆け出しの新人みたいだから教えるけどよ、ここじゃあそれを聞くのはご法度ってもんだ。あれだ……あー、いろいろあんだろ? 俺のだってたまたま落ちてた物を『拾った』だけだよ。『拾った』だけ。なあ、わかんだろ?」

 

やたら拾ったを強調した説明。そしてベルは気づいた。

あの兜、内側には皮膚ずれを防止するための布や皮が貼ってあるのだが……よく見ると赤い液体を必死で洗ったような痕跡があった。

これはつまりどういうことかというと、兜を着けていた人間が赤い液体を撒き散らすような事態に陥り、そして兜を放置したまま回収できなくなったことを意味している。

その兜がなぜここにあるのか? 答えは一つだ。

十五階層でみた漁られた死体。つまり、ここにある商品はどれもこれもそういうものなのだ。

 

「う……」

 

ベルは思わず嫌悪感をあらわにしてしまう。見たくなかったし知りたくなかった。

 

「へへへへへ……まあそういうわけだ。気にすんな」

 

「ベル、行くわよ」

 

「は、はい。ではまた……」

 

パッチに軽く会釈して、その場を離れた。

 

「まったく……バカね」

 

「すみません……」

 

ベルの知らないことだが、パッチをサポーターとして連れて行く狩人はまずいない。

死体から荷物を奪うような男に、誰が荷物を預けられるだろうか。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

その後、ファナのレベルに合わせて『大樹の迷宮』とされる二四階層付近を重点的に歩き回り、再び十八階層に戻ってきた時には明るかった結晶はその光をずいぶんと弱めていた。

来た時の明るさが昼間の太陽なら、いまは深夜の満月みたいな明るさだ。

 

スレイたち一行は川の上流で一夜を明かすことにして、落ちている枝木で焚き火を起こした。

それを囲むように三人は座る。

リヴィラの街には宿があるのだが、そこに泊まらない理由にベルはもう察しがついていた。

商品だけでもあんな値段がつけられているのだ。宿屋となればいくら取られるかわかったものではない。

ベルは天井を見上げながら感傷に浸っていた。

天井を埋め尽くす結晶の煌めきは、さながら満天の星空のようだ。

神様にも見せてあげたいな、なんて思ったとき、あ、とベルは思い出した。

 

「なに?」

 

「神様に今日は遅くなるって言ってませんでした……いまごろ心配してるかも……」

 

「じゃあお土産でも買って帰ることね」

 

「はい。そうします」

 

『じゃが丸君塩バター+チーズ味』でも買って帰ろうと心に決めて、十八階層で採れるという果物をかじりついた。リンゴとはまた違う甘さだった。

スレイは興味なさげに枝で焚き火の枝をひっくり返したりして火を強くする。そして持っている枝を焚き火の中へと放った。

 

「あの、ちょっとききたいんですけど……」

 

ベルは二人に問いかけた。

 

「ヤーナムファミリアの冒険者さんって、どうして『狩人』って名乗るんですか?」

 

「さあ? なんで?」

 

と、ファナはスレイに話をふった。

スレイはジト目でファナを見返す。

 

「前にも話しただろ」

 

「そうだったかしら? 覚えてないわ」

 

「……」

 

スレイは少しばかり眉間にしわをよせて、頭の中で話をまとめる。

口数の少ないスレイの話を聞き逃すまいと、ベルとファナは黙した。

 

 

 

遠い昔、古代と呼ばれる時代のころ、ヤーナムという巨大な街があった。

そのヤーナムに神様が降臨した日、すべてが変わった。

ヤーナムの人々は神様の存在に狂喜し、自らも神そのものになろうとした。

そのために神様を捕らえ、大聖堂の奥深くに閉じこめ、冒涜の限りを尽くした。

ついに神は激怒し、街に呪いを振りまいて姿を消した。

呪われたヤーナムの人々は知性を持たないおぞましい獣へと姿を変え、人々を襲うようになった。

事実を隠したい聖職者たちは武装組織を密かに結成し、呪われた人々を暗殺していた。

しかし“呪い” は伝染病のように人々に広がった。

隠しきれなくなった聖職者たちはついに大々的に人員を募り、その集団を狩人と呼んだ。

狩人たちは呪われた獣たちを狩り続けたが、神の “呪い” はとどまることを知らず、ついには聖職者や狩人でさえも呪われた獣へと姿を変えてしまった。

最後に生き残った三人の狩人はヤーナムそのものを焼き払い、すべての災いを葬った。

その後、いまの神と出会い、ヤーナムファミリアを設立したらしい。

 

 

 

「……まあ、本当のところはどうなのか知らないが」

 

と、最後に付け足して、スレイは水筒に汲んだ川の水を飲んだ。

いまの話は最後の狩人であり、最初の眷属であるローレンスやゲールマン、ルドウイークが残した手記から推測されるものだ。

だがその手記には記されていないことが多々ある。

なぜ三人だけが神の呪いを免れたのか?

上位者と呼んでいるあの得体の知れない神様はいったいなんなのか?

その上位者を世話する人形はいつ、どこで、誰が、どうやって作ったのか?

ヤーナムを呪った神とは誰なのか?

それらの記述はどこにもないため、当時を知っているのは人の言葉を持たない上位者だけだ。

 

「そういえば、そんな内容だっけ」

 

ファナが思い出したように言い、ベルは理解できないとでも言いたげな表情になる。

 

「神様になりたいなんて……その人たちもすごいことを考えたんですね」

 

「……おまえには憧れる人はいないのか?」

 

「え? や、それは、まあ……」

 

言葉を濁して照れ笑いするところを見ると、そういう人がいるらしい。

それが誰かは興味ないが。

 

「……その憧れる人と同じところに立ちたいとは思わないか? 同じように肩を並べたい、隣に立ちたい、と」

 

「う……」

 

「呪われたヤーナムの人間も、同じことを考えたんだろう」

 

憧れ、恋い焦がれ、心のうちに描くしかなかった存在、神。

それがある日、目の前に姿を現したとしたら……ヤーナムの彼らはどれほど喜び、打ち震えただろうか。

しかし結果として、間接的にではあるがその神に滅ぼされてしまった。

悲劇ともとれるし、喜劇ともとれる。

 

「……話は終わりだ。俺は寝る」

 

スレイは帽子を目深にかぶりなおすと、そのままうなだれた。

どこでも寝られるようになるのが冒険者というもので、スレイもその分にもれず、やがて静かに寝息を立て始める。

 

「あーらら、寝ちゃった」

 

もう質問は受け付けないし答える気もないようだ。

 

「じゃ、私も寝ようかしら。見はりよろしく」

 

「えっ? 見はりって、ちょ……」

 

ベルを無視してファナはゴロンと寝転がり、顔を帽子で隠してしまった。

 

「見はりって……えぇ、起きてろってこと……?」

 

残されたベルは頑張って起きていたのだが、やがて睡魔に襲われて寝てしまうのだった。

 

 

 

 

 

翌日、ベルは担当アドバイザーに散々説教され、ヘスティアに泣きつかれた後いかに心配していたのかを延々と聞かされる羽目になったのだが、それはまったくもってただの余談である。




スキャッチは旧市街に出てくるあいつです。名前がわからないのでスクラッチ(ひっかく)をもじった名前にしました。


それにしても今回は場面転換が多すぎた……。
輸血液を使うつもりが結局使ってないし……ヒロイン未定のままだし……。

次は怪物祭がメインの予定。


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4 魂に色はついてなく、故に何色にも染まりうる

次は怪物際だと言ったな?
あれは嘘だ。

なにはともあれ、わずか4話(プロローグを入れると5話)にしてお気に入り件数は500を超えました。
評価も赤色に染まるほどに皆様方に応援を頂きまして本当に感謝しております。
興味本位でこの作品名をググってみたところ、2ちゃんねるのハーメルンを語るスレにて宣伝までしていただいた方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。
しかしいくら「ありがとう」連呼したところで正確には伝わらないかもしれないのでまあわかりやすく表現しますと

あ ぁ ぁ い し て る ん だ ぁ ぁ ぁ ぁ 君 た ち を ぉ ぉ ぉ ぉ !
_人人 人人 人_
> 突然の主任 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄


後ろめたい人間というのは往々にして人目に触れることを嫌がる。

それは己の醜悪さを隠すためであったり、邪な一面を隠すためであったり、誰かから逃れるためであったり……。

そういうスネに傷を持つ者たちや、貧困によりまともな場所に住めない者たちにとって、ダイダロス通りというのは絶好の住処だった。

奇人として知られた建築技師、ダイダロスによる無計画ともとれる増改築のせいで、細い道路は複雑に交差し、塞がれ、もう一つの迷宮と言われるまでになったのだ。

事実、迷ってしまえば自力での脱出は不可能とされている。

そのダイダロス通りにある宿泊所の三階に、ノコギリのエンブレムがかけられた隣り合う二つの部屋がある。

このエンブレムはヤーナムファミリアを示すものであり、二つの部屋は一部の狩人が自分たちで買い取った部屋だ。

隣り合う部屋を遮る壁はぶち破られ、一つの大部屋へと改築されていた。

 

ファミリアの異端とされるヤーナムファミリアだが、その中でもさらに異端の狩人たちの溜まり場として、この部屋は機能している。

テーブルでタバコをふかしながら札遊びに興じる者たち、血酒を片手に椅子でぐったりする者、床に座ってギターを軽やかに弾く者、ダンジョンに潜るための仲間を探す者……。

 

「旦那、血酒をお持ちしやしたぜ」

 

禿頭の狩人、パッチは両手にそれぞれ鉄のコップを持ち、窓際のテーブルへと歩いてコップを置く。

赤黒く、ドロリとした粘性の高い液体がコップの中で揺れ、匂い立つ香りがグリッグス鼻をくすぐる。

グリッグスはパッチを労わることなどせず、さも当然というようにその鉄のコップを手に取って一口呷る。

 

「……普通だな」

 

狩人は酒では酔わない。

酒を飲めば確かに平衡感覚を失い、ろれつが回らなくなるが……それだけだ。

狩人が酒を飲んでも船酔いのような吐き気と不快感に襲われるだけで、世間一般でいうところの “酔っ払う” ことはできない。

狩人は血でなくては酔わないのだ。

ただし鮮血だと人を失い怪物へと成り果ててしまうので、時間がたって異臭を放つ腐った血でなくてはならない。

 

「ようパッチ、こっちもいれてくれ」

 

「へい、ただいま」

 

札遊びの一団がコップを掲げ、パッチはそちらへ小走りで行く。

そして鉄のコップを取り、壁際の樽へと移動して、樽の蛇口をひねって血酒を注いだ。

 

「……調子はどうだ?」

 

グリッグスのテーブルの反対側で、両足を窓枠に乗せた大柄な男が問いかけ、コップを手にとって一口飲む。

筋骨隆々、黒い短髪をした岩のような壮年の男だ。

名前を『古王』(オールドキング)ドランという。

 

「いつもと変わりゃしないさ。ダンジョンに入ってモンスターと冒険者を殺る……だがあれだな、深層まで行かなきゃまるで歯ごたえがない。モンスターも、冒険者も」

 

言って、グリッグスも血酒を一気にあおった。

グリッグスの頭に生えた狼のような耳と腰から生える尾が動き回って、その口からは熱い息を吐きだす。

 

「だったら深層まで行けばいいじゃねえか」

 

「一人で深層までは潜れない。かといって、深層まで冒険者を殺さない自信もない」

 

「はっ」

 

ドランは鼻で笑い、グリッグスは背もたれに背中を乗せて、天井を見上げるように体を伸ばした。

 

「あー……深層まで行けるのは俺とお前と、あとはリンクス、それにシャミアとスタルカくらいか? スレイの野郎とロイにウィンディ、アルフレートはグダグダうるせーからナシだとして、残りはーー」

 

グリッグスは部屋をぐるりと見回して、諦めたように言う。

 

「ーーいないな」

 

血酒をぐいっと飲む。

ドランは血酒の匂いを楽しみながら提案した。

 

「呼べる奴らを連れて、大所帯で行ってみるか。深層に近づいたら他の連中と別れて、行ける奴だけ進めばいい。 “リザ” も血を欲しがってることだしな」

 

「ああ。……スレイの野郎、エミーリアの血を独り占めしやがって」

 

ざらつき、かすれた声で吐き捨てるように言い、グリッグスは残りの血酒を飲み干した。

モンスターの血を誰かが飲み残した安物ワインだとするなら、エミーリアの血は仰々しくショーケースに飾ってあるような高級ワインだ。

いまごろ、スレイは本拠で飲んだくれていることだろう。

 

あの女(エミーリア)は俺たちには血をよこさないよなぁ?」

 

「狩りに酔ってるって気づいてんだろ」

 

ふと、ドアを三回、一回、二回の間隔で叩かれた。

パッチはドアへと近づき、ドアの覗き窓を開く。

 

「要件を言いな」

 

「血を売りたいんだ。ここで血を買ってくれるって聞いた」

 

「誰に?」

 

「無所属の労働者から」

 

無所属の労働者……どのファミリアにも所属できなかった、あるいは所属しないことを選んだ人々だ。

冒険者やそれ以外のものたちを相手に働く彼らの賃金は安く、零細ファミリア並みに生活が厳しい者が多い。

そして彼らを気にとめるのは皆無だった。

ファミリアに所属できない、あるいは所属しないのは、なにか後ろめたいことがあるからだろうか。

そういう持たない者にとって、ここに血を売るのはごく普通の選択肢でもある。

 

「そうか。入りな」

 

パッチは鍵を開けて、その男を中に入れた。ドアのすぐ隣にある採血用の椅子に座らせ、テーブルの下から道具箱を取り出す。

 

「で? どれくらい売るよ?」

 

「その前にいくらで買ってくれるんだ?」

 

男のもっともな質問に、パッチは箱からぶっとい針がついたチューブ、ビーカーを取り出して答えた。

 

「このビーカーに線が引いてあるだろ? ここまでで二千、こっちは三千、これが四千になるぜ?」

 

「いっそのこと一万ヴァリス分頼むよ」

 

「おいおいおい、そんなに抜いたらおめえ、へへ、間違いなく死ぬぜ? いいのかよ?」

 

当たり前だが血を抜きすぎると失血死する。

この男が一万ヴァリスなんてまとまった金額を何に使うのか、それはパッチの知ったことではない。

男は死ぬという言葉にためらい、小さく首を振った。

 

「……わかった。なら四千ヴァリスで頼むよ」

 

「おうよ」

 

男は右腕の裾をめくり、テーブルの上に乗せた。

パッチは慣れた手つきで静脈のあたりと針を消毒し、針を刺す。

男は痛みに一瞬顔をしかめ、チューブの中を血が通り、ビーカーへと注がれていった。

グリッグスはその光景から外へと顔を向ける。

 

「新しい血だ」

 

「だな」

 

ふと、遠くから爆竹が破裂する音が聞こえてきた。

今日は怪物際だ。

グリッグスやドランのような者たちには無縁だが、それでも雰囲気だけは楽しもうとこうして溜まり場に集まっている。

 

「へへへ、次もよろしく頼むぜ」

 

「ああ……うぅ、クラクラする」

 

採血が終わったらしく、男は顔色を悪くして四千ヴァリスを受け取った。

 

「転んで頭なんか打たないでくれよ?」

 

男はふらついた足取りで部屋を出て行った。

パッチは施錠すると、採血した血を血酒の樽へと移す。そして備え付けの棒で混ぜ合わせた。

 

わざわざ買わなくても、そこらの浮浪者を捕まえて首を切ればいいのでは?

 

と、思う者もいるかもしれないが、過去に人さらいを行っていたヤハグル兄弟はスレイによって粛清され、見せしめとしてこの部屋に生首を飾られたものだ。

それ以降はこうして血を買っている。

 

「……あ?」

 

不意に窓の外が騒がしくなる。

何かが壊れる音と、短い悲鳴や叫び声。

グリッグスは立ち上がり、窓の外に頭を出した。

下はちょっとした広場になっているのだが、蜘蛛の子を散らすように人々が建物の中に逃げ込んで、面倒はごめんだとばかりに木板の窓を閉ざす。

やや遅れて、白髪の少年が広場に駆け込んできた。あの少年は数日前、スレイがサポーターとして雇っていたはずだ。

その少年を追いかけるように白い大猿のモンスター……シルバーバックがやってきた。

少年はナイフを抜いて、あろうことかシルバーバックに戦いを挑む。

 

「見ろよ、モンスターが下にいるぞ」

 

言うと、これは面白いものが見られそうだと狩人はこぞって窓に集まる。

 

「シルバーバック?」

 

「なんで?」

 

「会場から逃げたんだろ」

 

「あのガキけっこうやるな」

 

「どっちに賭ける?」

 

「シルバーバックに五百」

 

「じゃあガキに五百」

 

窓から両者の死闘を楽しげに観察する狩人たちだが、わざわざ助けに行くつもりはなく、勝手に賭けを始めた。

血酒に酔った彼らにとって、無関係な他人の死は酒の肴でしかない。

賭け率としてはシルバーバックの方が配当が低く、少年の方が高い。つまりシルバーバックの勝ちに賭けた方が多い。

少年は賭けの対象にされていることなどつゆ知らず、死闘を繰り広げた。

シルバーバックの両手の拳を少年はすんでのところでかわし続け、ついに懐へと飛び込む。

 

「終わりだ!」

 

気迫の雄叫びと共に、少年はナイフをシルバーバックの胸に突き刺した。ちょうど魔石のあたりだ。

シルバーバックは大きく叫び、どうと倒れた。

 

「マジかよ、あのガキ勝ちやがった」

 

「俺の勝ちだな。ほらよこせ」

 

「あーくそ」

 

狩人は賭け金をやりとりして、下の広場では少年とおっぱい、もとい女神が抱き合っていた。

その両者を讃え、歓声を向けるのは無所属の労働者たち。

 

 

 

 

「おっ?」

 

パッチは気づく。

三階という高さにいながら、少年のナイフの鞘に刻まれた『ヘファイス』の銘を、ハイエナのような嗅覚で見つけ出したのだ。

 

「へへへ……」

 

パッチはじーっと見つめて、口元を歪め、笑う。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

怪物際にて初の試みである『モンスター公開討伐』という『サプライズイベント』の熱気と興奮も、数日たてば冷めてしまい、人々は再び元の日常に戻る。

 

だがベルの気分はまだ高揚の中にあり、顔はいまの実力を試したくてうずうずしていた。

理由としてはやはりヘスティアにもらったこのナイフと、シルバーバックを倒したという自信だ。

サポーターの仕事で得たお金で『ヴェルフ・クロッゾ』のライトアーマーを購入し、スレイの忠告に従って小剣を購入。

以前から使っていたナイフと合わせて武器は三つだ。

エイナにもらった籠手にナイフを取り付け、腰には購入した小剣と “ヘスティアナイフ” をさげていた。

その “ヘスティアナイフ” の黒い鞘をなで回しながら、鼻歌まじりに道を歩く。

女神の名前が冠された武器で、刀身に神語が刻まれた大業物だ。

こんなものをどうやって手に入れたのか、ヘスティアはついに教えてくれなかったが……ともあれ、これのおかげでベルはシルバーバックを倒すことができたのだ。

もっと使い心地を知りたくてたまらず、ベルの心がはやる。

 

「ん……」

 

ある路地の入口に差し掛かった。

先日、この路地の奥で小人族の少女を暴漢から助けたーーというか『豊穣の女主人』の店員、エルフのリューに助けられたーーのだが、その小人族の少女のことが少し気になった。

あの子はいまどうしているだろう? と思ったとき、背後から声をかけられた。

 

「やあ少年、これからダンジョンですかい?」

 

「え?」

 

振り返ると、いつか見た男性が気さくな笑顔を向けてきた。

特徴的な鷲鼻と禿頭をして、背中には大きなリュック。左手には木の大楯、腰には短い槍とも剣ともとれる変わった武器をさげている。

一週間ほど前、ダンジョンの十八階層で出会った禿頭の狩人だ。

明言こそしなかったが、死んだ冒険者から荷物を奪っている疑いのある人だった。

 

「あ、えーっと確か……十八階層でお会いしましたね」

 

「へへへ、パッチって名前ですぜ」

 

「どうも……僕は、ベル・クラネルです」

 

「そうかそうか、よろしくな、ベルの旦那」

 

笑顔のまま握手を求められて、ベルもそれに答える。

 

「は、はあ、どうも……」

 

三十路を過ぎていそうなパッチに『旦那』呼ばわりされて、ベルは妙な気分になる。

 

「これからダンジョンですかい? もしそうなら、あっしをサポーターとして連れて行って欲しいんですがねえ?」

 

「サポーターって……いやでも、僕のサポーターにですか?」

 

戸惑った。

ベルをサポーターにしたい、というのであればまだわかるが、ベルのサポーターになりたいというのはどういうことだろうか。

 

「いやー、恥ずかしながらあっしには冒険者としての才能がなくてですね、この歳でもいまだにレベル1のまんまで、へへへ……それに見てやしたよ? ベルの旦那、一人であのシルバーバックを倒したでしょう? その若さで本当、大したもんですよ」

 

「そ、そうですか?」

 

褒められて、ベルの顔が思わずほころぶ。

 

「もちろんですよ! 旦那はきっと将来大物になること間違いなし! きっとアイズ・ヴァレンシュタインと並び称されるほどの人物になりやすぜ?」

 

アイズと同等の存在になれる。その言葉がベルの胸を打った。

アイズと背中を合わせて、強敵をばったばったと薙ぎ払う姿を想像し、顔がにやけてしまう。

パッチはさらに媚びるような笑顔となり、続けた。

 

「でもって……へへへ、大物になって有名人になった暁には、是非ともあっしのことを贔屓してもらいたいんですよ。このパッチのおかげでここまでこれたんだぞ、ってね。だからまあ、あっしとしては先行投資みたいなもんですよ。是非ともお供させてくだせえ」

 

ベルは生まれて十四歳の少年だ。ここまで褒めちぎられると悪い気はしない。

 

「そこまで言うなら、じゃあ、よろしくお願いします」

 

「へへへ、よろしくな、旦那」

 

「あ、でも僕、見ての通りのソロで、まだそんなに稼げないと思うんですけど……」

 

「なんのなんの。先行投資って言ったでしょう? 報酬は稼ぎの二割で充分ですよ」

 

「二割なんてそんな……サポーターの大変さなら僕も知ってますから、折半にしましょうよ」

 

「折半? つまり半分? くぅーなんて慈悲深いんだ」

 

パッチはおどけて泣き真似をしてみせる。

 

「はは、じゃあ、そろそろ行きましょう」

 

「一生ついていきますぜ、へへへへへ……」

 

ベルは自分の背後で、パッチが厭らしく笑ったことに気付くことはなかった。

 

 

 

 

ダンジョン八階層。

 

キラーアントやニードルラビットの群れを、ベルはたやすく薙ぎ払う。

右手に握る “ヘスティアナイフ” の切れ味は凄まじく、キラーアントの堅い外殻ごと簡単に肉を切り裂いた。

左手の持つナイフは防御と、急所である胸元への一撃に使う。

だが、なによりベルが感心したのは戦いやすさだ。

 

「よっ、と」

 

パッチはモンスターの死骸を通路の端に寄せ、慣れた手つきで瞬く間に魔石を回収していく。

以前は死骸を踏んづけて足を滑らせてしまうそうことがあるが、いまは足元を気にせず動き回れた。

以前、ヤーナムファミリアの二人と同行したときはモンスターの死骸はそのままにしていたのだが、ああして片付けておけばよかったかもしれない。

それにパッチはパッチで、自分の身は自分で守っていた。

木の大楯でニードルラビットの突進を防ぎ、中途半端な長さの槍で突き刺す。

さすがにキラーアントはベルの担当だが……パッチも言っていたように、ベルはただ目の前のモンスターを倒すことだけに集中できる。

背後で小さな物音。

 

「っ!?」

 

ベルは意識をパッチから背後へと移す。

即座に振り向き、飛びかかってくるニードルラビットの胴体を両断した。

そうだ、いまは戦っているのだ。戦闘に集中する。

いまはとにかくモンスターを倒す。特に仲間を呼び寄せるキラーアントだが……これは残り一匹。

奥にいるキラーアントへと走った。

途中にいるニードルラビットはすれ違いざまに切りつけ、倒したかどうかなど確認せず、本命のキラーアントへ。

突き出してきた前脚を、左手のナイフで斬りとばし、右手の “ヘスティアナイフ” でキラーアントの首を刎ね飛ばした。

 

「よし!」

 

残りはニードルラビットだけだ。

小型で数は多いが、いまのベルの敵ではない。

切って、薙いで、刺す。

それを繰り返して、最後のニードルラビットの胸にナイフを突き立てた。

ドサリと地面に落ちたニードルラビットを見やり、ベルは「ふう」と一息をついた。

パッチを見やると、そちらはそちらでさっさと魔石を回収してしまっていた。

ずいぶん手慣れているらしく、あっという間に終わってしまった。

 

 

二人は並んで、再び通路を行く。

 

「いやはや、流石ですねえ旦那」

 

「いえ、パッチさんのおかげで僕も助かっていますよ」

 

「へへ、謙虚なことで。もっと胸をはっていいんですよ? あっしなんざただのサポーターなんですからね」

 

見上げるその横顔には、自分を卑下して他人に媚びる、そんな笑顔が張り付いていた。

ベルはその表情を見るたびに複雑な気分になる。

年下の自分にどうしてそこまでへつらうのだろう? と。

 

「それにしても旦那……そのナイフ、大した切れ味ですねえ。いったいどこで手に入れたんですかい?」

 

パッチが “ヘスティアナイフ” を見つめて言った。

 

「これですか? これは神様にもらったんです。でもどうやって買ったのか、結局、教えてくれませんでしたよ」

 

「神様から直接……ずいぶん気に入られているみたいで」

 

「はは……」

 

苦笑いした。

気に入られている、といえばそうなのだろう。

女神ヘスティアが、自前のたわわに実った禁断の果実を押しつけるように抱きついてきたり、朝起きたらベルの上で寝ていたりして、ベルに宿る下半身の獣が暴れそうになることは、まあよくある。

それは置いといて。

 

「眷属が僕だけ、っていうのもあるんでしょうけど」

 

「あー、あー、あー、だからソロなんですねえ。だったら……へへ、経験値稼ぎのためにも、もうちょい下に行ってみましょうや」

 

「下って……うーん……」

 

歩きながら悩んだ。

エイナにも言われたことだが、冒険者が冒険をするのはあまり褒められたことではない。

上級冒険者とてわずかな不幸で命を落とすこともある。

しかし、だ。

危険を犯すことなく高みを目指すこともまた不可能なのだ。上層の弱いモンスターばかりを倒していてもステータスの伸び率は低い。

アイズはどうだろう? とベルは思った。

彼女は果たして楽な道を選んであの高みに立ったのだろうか?

……きっと、違うだろう。

生まれついての才能もあるかもしれないが、それだけで高嶺の花になれるはずがない。

 

「旦那ならやれますよ。なんたってシルバーバックをその年で倒したんですから」

 

パッチの言葉が、ベルの背中を押した。

そうだ、僕ならやれる。いや、やって見せたではないか。いまさら何を恐れるというのか。

 

「わかりました。行きましょう」

 

「へへへへ……そうこなくっちゃあ……」

 

パッチは歩く速度を少しだけ落とした。

前を歩くベルが、いまのパッチがどんな表情をしているかなど、知るはずもない。

 

 

 

岩肌の多い通路をしばし進むと、パッチが声を出した。

 

「えーっと……近道は……こっちですぜ」

 

「近道?」

 

「ええ。ここいらの壁には亀裂が入ってるでしょう? たまにでかい大穴が開いて、一気に下の層に降りられる場所があるんですよ。まあ来てくだせえや」

 

パッチはいくつかに分かれた通路のうちの一つを進み、そして壁の亀裂に体を押しこんだ。

大楯と荷物を持ったパッチが通れるのだから、軽装で子供のベルは楽に通れる。そんな亀裂だ。

抜け出ると、そこには大きな穴がぽっかりと口を開けている。

ベルには巨大なモンスターが大口を開けているように見えた。

 

「へへ本当なら通航料を取るんですがね、まあ旦那なら教えやすよ。ささ、あそこの足場に降りてくだせえ」

 

言って、パッチは大穴の中を指差した。

 

「足場?」

 

ベルは大穴に近づいて下を覗き込んだ。

しかし薄暗い闇が沈んでいるだけで、降りられそうな場所はない。

穴は切り立った崖のようで、底がうっすらと見える。降りたらよじ登るのは無理だろう。

 

「足場ってどこに……っ!?」

 

突如としてベルの背中を悪寒が駆け抜ける。

背中が泡立ち、生存本能が叫ぶ。

 

逃げろ!

 

振り返った時にはもう手遅れだった。

大楯を背後に放ったパッチは、両手でベルの “ヘスティアナイフ” のベルトをつかむ。

そしてあまりにも手馴れた早技でベルトの留め具を外した。もはや泥棒のスキルとしか言いようがないほどの早さ。

 

「なにをーー」

 

パッチはベルの腹に右足を乗せて、蹴り飛ばした。

つまり、ベルの背後の、大穴の方へ。

 

「うわっ、あっ、あああああああああああああ!?」

 

とっさに頭を両手でかばうことができたのはもはや奇跡のようなものだ。

短い浮遊感。

それから。

衝撃。

 

「かはっ……!」

 

肺の空気が一気に絞り出される。

背中や腕が悲鳴をあげ、視界がぐらぐらと揺れ動き、耳障りな笑い声が聞こえてきた。

 

「ひゃははははははぁーははははは! お前みたいな世間知らずの間抜けが、アイズ・ヴァレンシュタインの隣に立てるわけないだろ、ぶぁーか!」

 

「なに、を……っく……」

 

全身が軋み、ベルは体を起こすのがやっとだった。

見上げた先には嘲りの顔をしたパッチの顔があり、愕然とした。

いまさら嫌な予感が沸き起こってきて、何かの悪い冗談であってくれと願わずにはいられない。

 

「お前が悪いんだぜ? ガキのくせに『ヘファイストス』の武器なんざ見せびらかしやがってよ、鴨が葱背負って歩いてるようなもんだぜ、へへへへへへ」

 

パッチの手には “ヘスティアナイフ” があり、それを見せつけるようにひらひらさせる。

慌ててベルは自分の腰を見て手を回すが、当然ながらそこにはなにもない。奪われた。

 

「なっ!? か、返せ!」

 

「返すわけねーだろバーカバーカ。このナイフは高ーく売り払ってやるからよ、安心してくたばってくれや。あひゃ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 

耳障りな笑い声を残して、パッチの姿は消えていく。

 

「パッチィイイイイイ!!!」

 

怒りが叫び声となって噴き出した。

全部、最初からこのつもりだったのだ。

パッチが話しかけてきたのも、サポーターにしてくれなんて言ったのも、おだて続けたのも、この場所まで誘い込むための罠だったのだ。

“ヘスティアナイフ” を奪う。そのための。

 

 

『旦那はきっと将来大物になること間違いなし! きっとアイズ・ヴァレンシュタインと並び称されるほどの人物になりやすぜ?』

 

 

バカか僕は!? あんな言葉に乗せられるなんて!

 

「くそっ、くそっ、くそぉ!」

 

ベルは自分を罵った。

もっと注意すべきだったのだ。以前の顔見知りだからといって親切にしてくれる保証などどこにもない。

いまになってそのことを思い知った。

ベルは両足に力を込め、どこも折れていないことを確認した。

とにかく上に行かなければならない。パッチがどこかの誰かに売ってしまえば、もう戻ってくることはないだろう。

ここをよじ登ろうにも壁はもはや絶壁と言っていい。

だが幸いにも亀裂のような通路がある。閉じ込められたわけではない。

 

「くっ……」

 

背中の鈍痛をこらえて壁の亀裂に体を押しこむ。

亀裂はちゃんとした通路へと続いており、そこに出た。左右に顔を向け、どちらへ進めばいいのか逡巡した。

来た道を戻るという選択肢がない以上、いつまでも悩み続けるわけにはいかない。

ベルは意を決して右へと進む。

背中の痛みも次第に和らいできて、小走りになって通路を行く。

焦りがベルの足を急がせる。

 

「っ!?」

 

前方の薄暗がりの中に赤い目が爛々と輝き、こちらへと近づいてくる。

 

「こんなときに!」

 

小剣とナイフを抜いた。

本当に体に異常がなくてよかった。捻挫や脱臼、骨折をしていたらと思うとぞっとする。

暗がりの中から現れたのはコボルト……なのだが、全身が赤く濡れぼそり、ベルの知っているコボルトよりも二回りは大きい。

 

「強化種……」

 

苦虫を噛み潰した。

モンスターが別のモンスターを喰らい、その魔石を取り込むことでより強力な個体になることがある。

よりによって “ヘスティアナイフ” を失ったいま遭遇するとは、最悪に過ぎる。

焦燥と怒りの中でベルは歯ぎしりし、強化コボルトを観察した。

コボルトはこちらへとじりじりと歩み寄ってくる。全身を濡らしているのは返り血だろうか。

いや、返り血だけではない。

コボルトは左足を引きずっていた。それによくよく見ると胸と左の太もものあたりが特にドス黒い。

間違いなく冒険者と一度戦っている。

冒険者を斃したか、逃れてきたかのどちらかだ。いずれにせよ弱っていることに変わりはない。

戦わずに逃げたほうがいいかもしれない。

ベルがそう思った時、コボルトはゾロリと並ぶ牙を剥き出しにして吠えた。

 

『アオオオオオオオオオオォォォン!!』

 

その遠吠えにも似た叫び声(シャウト)は通路をこだまし、コボルトは殺意に満ちた両眼をベルに向け、走った。

速い。

足の負傷など気にしていないかのようだ。

ベルはかつて聞いた、手負いの獣ほど恐ろしいという話を思い出した。

他者に傷つけられ、生命の危機に瀕した猛獣は凶暴性や攻撃性が増すものだと。

背中を向ければ間違いなく背後からやられる。ベルから逃亡という選択肢がなくなった。

右手に小剣、左手にナイフを構える。

 

「やるしかーー」

 

コボルトは両手を広げ、よだれを撒き散らしながら大口を開けて迫る。

ベルに抱きついて頭からかじって腹に入れてしまおうという腹積もりだろうか。

 

「ーーない!」

 

ベルはコボルトの脇腹へと飛びこんだ。頭上をコボルトの手がかすめ、がら空きとなった脇腹をナイフで切りつける。

浅く皮膚を切る感触。しかし。

いつかのスキャッチと同じだ。体毛に刃が阻まれて、深く入らない。

 

『アァアアア!』

 

コボルトが背後へ蹴りを見舞った。

それはベルの背中を打ち付け、ベルは壁に頭から突っ込む。

岩壁の尖っている部分が見えた。

額をしたたかに打ち、星が飛んだような気がした。

それでもとっさにしゃがむ。

直後、ベルの頭があった場所をコボルトの爪が通り過ぎる。

ベルはしゃがんだままコボルトを見上げた。

コボルトの足が、いまにもベルを踏み潰そうと高々と上げられているではないか。

 

「うわっ!?」

 

地面を転がった。ズシンとコボルトの足が落ちる。

 

 

ーー距離を取りたいなら飛び退くと同時に何かを投げつけろ。そこらの石でもいいーー

 

 

不意に……本当に意図せずして、ベルの頭にスレイの言葉が浮き上がった。

そしてベルは立ち上がると同時にコボルトの顔を目がけ、左手のナイフを投げつけた。

そのナイフは振り返ったコボルトの右目に的確に命中した。

 

好機!

 

ベルはコボルトへと駆ける。

コボルトは残る左目でベルを睨みつけ、ナイフが刺さったまま右腕を薙ぎ払った。

 

 

ーー爪が邪魔なら指ごと切り落としてやれ。すばしっこいようなら足を潰せ。まずは弱らせろーー

 

 

「ここ!」

 

その横なぐりのコボルトの右手を狙って、右手に持つ小剣を振るう。

コボルトの五本指が血しぶきを上げて宙を舞う。怯み、後ろへとたたらを踏んだ。

ベルはさらに踏みこみ、コボルトは吠える。

 

『ガアアアアァァァァァ!!」

 

コボルトは大口を開けて迫った。

この距離ではもう避けられない。

ベルはとっさに左手をかざし、コボルトの嚙みつきを左手で受けた。

二の腕にはエイナにもらった籠手を装着している。

籠手が、コボルトの牙を防いだ。ギチチと軋む。

 

「終わり、だっ!」

 

コボルトの頭に小剣を突き刺そうと振り上げた。

コボルトの左目が、ベルの小剣を見た。そして突き出される小剣の刃を左手で握りしめ、止めた。

コボルトの手のひらに刃が食い込み、血がつうと流れる。

ベルはこのまま押し込んでやろうとするが、コボルトの握力が凄まじい。

ミシ、と噛みつかれているベルの左腕が悲鳴を上げた。このままでは噛み潰される。

至近距離でベルとコボルトはにらみ合う。

両者の殺意のこもった視線が交わり……ベルは気づいた。

コボルトの右目にはナイフが刺さったままではないか。

ベルは小剣を手放してナイフをつかみ、えぐる。

 

『ガアアアア!』

 

たまらずコボルトは悲鳴を上げてベルの左腕と剣を手放した。

ベルはコボルトの眼球ごとナイフを引き抜いて、コボルトの喉を目がけてナイフを突き出す。

今度こそ決まった。

ナイフは食道を切断し、動脈と静脈を引き裂き、脊椎を破壊。

ビチャチャッとおびただしい血がベルに降りかかる。

新雪のようなベルの髪の毛を、赤いまだら模様に染めあげて、コボルトはようやく倒れた。

肩で息をつきながら、小剣とナイフを鞘に収める。

本来なら飛び上がるほど喜ぶところだが、いまは時間が惜しかった。

魔石を回収する時間も惜しみ、ベルは足をふらつかせながら通路を行く。

 

ズキン

 

「うっ……」

 

額に突き刺さる痛みを感じ、そこを撫でる。

その手は真っ赤に濡れた。

これは返り血だけではない。あの時……壁に叩きつけられたとき、深く切ってしまったらしい。

額はわずかな傷でさえも派手に出血するものだ。急がないと本格的にまずい。

そういえばと思い返した。

あの強化コボルトはすでに冒険者と戦っていたはずだ。

そうだとしたらこのコボルトが残した血痕をたどっていけば、その冒険者のところにたどり着けるはず。

コボルトが生きていたのであれば、冒険者が死んだか、コボルトが逃げ出したかのどちらかだ。

冒険者が生きているなら助けてもらうしかない。

 

そう願ったのだが……結論は前者だった。

 

通路に横たわる五人の冒険者の亡骸。

頭があらぬ方向にねじ曲がっていた。

腹部から臓腑が飛び出していた。

喉が噛み切られていた。

全身が引き裂かれていた。

肩の肉が大きく抉れていた。

その周囲にはいくつもの魔石が散らばり、まるで亡骸を宝石で飾っているように見えた。

強化コボルトとモンスターの群れに遭遇し、ここで全滅したのだろう。

 

「う……」

 

冒険者はいつも死と隣り合わせだ。そんなことは理解しているつもりだった。

しかしまざまざと見せつけられる。

これが死だ。

ダンジョンで死ぬとはこういうことだ。

ベルの中で、何かが切れそうになる。

人としての理性、正気、希望、そういったものがいまにもぷっつりと切れそうになるが、すんでのところでとどまっていた。

 

アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

美しく、清らかな、剣の姫君。

彼女に認めてほしいという強い想いが、ベルの正気をかろうじて繋ぎ留めていた。

まだだ。まだ、絶望はしていない。

 

「あ……」

 

その五人の冒険者はみんな若い。

年齢で言えばベルとそう変わらないかもしれない。いやむしろベルよりも幼いような少年もいる。

夢、希望、野心、将来の目標、それらを失った彼らの表情には、深い絶望の色があった。

もしかしたらベルもこうなっていた。

いや下手をすると今日中にこうなってしまうかもしれない。

 

ズキン

 

額が痛む。

その痛みが、ベルの視線を動かし、地面に転がる荷物袋に止まった。

その荷物袋からはみ出しているものは……あれはポーションだ。

 

ズキン

 

血が、ベルの顔を赤く汚す。

命が少しづつ、確実に流れ出していく。

だからーー。

 

「……さい……ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 

やってはいけないこと。

それはわかっている。しかしもう綺麗事を言っている余裕はなかった。

 

「ごめんなさい」

 

もうここに彼らの魂は残っていないだろう。

ここにあるのはただの抜け殻。

ただの肉の体。

それでも、謝った。

謝って、荷物袋を拾い上げた。

中にはライフポーションの他にもスタミナポーション、そしてモンスター除けの臭い袋が残っていた。

ベルはそれらを抜き取って、二つのポーションを一気に飲み干した。

痛みが和らぎ、足に力が入る。

出血も少しはおさまった。

 

「……」

 

罪滅ぼし。

ベルは自分にそう言い聞かせて、五人の遺体からドッグタグを外した。

この人たちの帰りを待っている人もいるだろう。

もう帰ってくることはないとしても、せめて結末だけは知らせてあげたかった。

ベルは帰ってこない人を待ち続ける苦しみを知っている。だから……タグだけは届けてあげたかった。

 

「ごめんなさい……必ず、届けますから、許してください」

 

遺体に深く頭を下げて、ベルは臭い袋を使った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

パッチは上機嫌にオラリオの通りを歩いていた。

なにしろ今回の獲物は『ヘファイストス』の銘が刻まれた業物だ。

武器や防具に『ヘファイストス』と刻むことが許されるのは一級品の証拠でもある。

一級品の武器ともなれば七桁はくだらないだろう。いやひょっとすると億の値打ちがついてもおかしくない。

 

「ふへ、へへへへへ……」

 

こらえようにも笑いがこみ上げてきてしまう。周囲から「なんだこいつ?」というような視線が注がれるが、知ったことではない。

売り払った後のことを考えると笑いも出るというものだ。

まずは歓楽街に行って極上の美女とハーレムと洒落込み、タマが痛くなるまでやることやって全財産を叩いて宝石に換金、オラリオを出て行く。

そして遠い街で家を買って残りの人生を遊んで過ごそう。

いつまでもヤーナムファミリアの使い走りなんてごめんだ。

そんな夢想を描き、パッチが向かったのは裏路地にある『看板のない商店』だった。

なぜ店なのに看板がないのか?

それは取り扱っている品に色々と問題があるからだ。

盗品から人間まで様々なものを買い取り、販売している。

どのようなルートを持って売りさばいているのか知らないが、きっと『看板のない商店』もなにかの神様の恩恵を受けている大規模な組織なのだろう。

パッチはドアを開けて中に入った。

廊下が奥へと続き、その右側には上にのぼるための階段がある。一見すると安宿のような作りだ。

 

「すいませんお客さん、現在満室となっております」

 

左のカウンターにいる老人が告げた。

 

「三階にある一◯五号室に行きたい」

 

「入りな」

 

合言葉を告げると、老人は後ろのドアをを親指でさした。

 

「へへへ……今日は大物だぜ?」

 

「そうか、よかったな」

 

老人は興味なさげに返事をして、カウンターの下からパイプを取り出し、火をつけるのだった。

パッチは老人の後ろのドアから中に入る。ここが鑑定所だ。

買い取ったものは別の場所に移しているのだろう、ここにはカウンターと、天秤や虫眼鏡などの器具が置いてあるだけだった。

 

「見てくれ。ヘファイストスの武器だ」

 

ベルから奪ったナイフをカウンターに置いた。

羊皮紙に何かを記入していた鑑定人のドワーフは手を止めて、ナイフ手にとってまじまじと見つめる。

 

「ふむん?……ヘファイストスの銘柄はたしかに本物だな。中身は……神語の刻まれた刀身、か。初めて見る」

 

パッチは胸の高まりを感じながら、査定額が出るのを待った。

ドワーフの鑑定人は刃をじーっと、舐め回すように観察し、「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「ここはガキのオモチャ持ってくるところじゃねえぞ」

 

ガラクタでもそうするように、ポイとカウンターに投げやったではないか。

これにはパッチも食ってかかる。

 

「おいふざけんなよ! てめえいまヘファイストスの銘は本物だって言ったじゃねえか!」

 

「鞘は確かに本物だ。だが見ろ」

 

ドワーフは面倒臭そうに羊皮紙を取り出して、ナイフで切ろうとする。が、切れない。

 

「刃研ぎすらされちゃいない。こんな羊皮紙一枚切れないものになんの価値があるっていうんだ? ヘファイストスの銘が刻んである鞘にオモチャ突っ込んであるだけだろ」

 

「そんな馬鹿なわけあるかよ! 俺は確かにこいつでキラーアントをぶった切るところを見たんだぜ!?」

 

「おまえさんが見ようが見まいが関係ないね。さっさと持って帰んな」

 

話は終わりだとでもいうように鑑定人は背中を向け、再び羊皮紙になにを書き始めた。

パッチは歯ぎしりしながらその背中を睨みつけて、ナイフと鞘を奪うように握って部屋を出る。

 

「どうだった?」

 

「うるせえ!」

 

受付の老人を怒鳴って飛び出す。

こいつがガキのオモチャ!? そんなことありえるか!

誰彼かまわず怒鳴りつけて蹴り飛ばしたい気分だ。

だがあの鑑定人は嘘をいっていないだろう。

嘘をつくなら売り手であるパッチがギリギリ我慢できるかできないかの瀬戸際の安値をつけるだろう。

決して持って帰れとは言わないはずだ。

 

「あああああああくっそ、わけわかんねえぞ」

 

自分の禿頭をガリガリとかいた。

こうなったら片端から鑑定してもらうしかない。

もしかしたら別の店が高値をつけるかもしれない。

狭い裏路地から大通りに出て、とにかくあちこちに見せて回ったが……結果は同じだった。

 

 

 

 

「なにがどうなってんだよくそったれが……」

 

悪態をつきたくもなる。

どの店も三十だの五十だのそんな値打ちしかつけない。

そんなこと絶対にありえない。パッチは自分の目でたしかにこの切れ味を見ているのだから。

ダイダロス通りに入った。今日はもう歩き疲れた。さっさと寝てしまいたかった。

 

「待ちなさい」

 

後ろから女性に声をかけられ、パッチは振り返った。

どこかの店の従業員なのか、制服を身につけたエルフの女性と猫人の少女がいた。

買い出しの帰りなのか、大きな籠を持っている。

 

「んだよ?」

 

「そのナイフ……少し見せてもらいたい」

 

女エルフはパッチの持つナイフを指差し、嫌な予感がした。

 

「てめえには関係ねーだろ」

 

「待て」

 

背中を向けて立ち去ろうとした時、ゾッとした。

殺気とでもいうのか背筋が凍る。

慌てて振り返ると、エルフは恐ろしく冷たい目線を向けてきていた。

エルフの隣にいる猫人でさえもたじろぐほどの。

 

「そのナイフは私の知り合いのものとよく似ている……見せたくない理由でもあるのですか?」

 

「う、うっせーんだよ!」

 

パッチは自分でも気づかないうちに冷や汗を流していた。それでも目一杯の強がりを見せる。

パッチにだってちっぽけなプライドがある。

脅しとはったりだけでいままで生きてこられたのだ。押し切られまいと声を荒げた。

 

「こいつは拾ったんだよ! 拾ったもんをどうしようと俺の勝手じゃねーか!」

 

「ではなおさら確認させてもらいたい。拾っただけのものならやましいことなどないはず。それに知り合いのものでしたら、ファミリアの元へ返すべき」

 

「うるせー、うるせーよ……だいたいおめえとあのガキが知り合いだっつー証拠でもあんのかよ、ああん?」

 

「あのガキ?」

 

「っ……!」

 

しまった。

そう思った時にはもはや手遅れだった。

 

「拾ったものなのに、なぜ少年のものだと?」

 

エルフは目にも留まらぬ速さで小太刀を抜き、それをパッチに向ける。

 

「力づくで、確認するしかありませんね」

 

パッチは即座に踵を返して走った。

もう逃げるしかない。

 

「クロエは先に戻ってて」

 

走りながら振り返ると、女エルフは籠を猫人に渡して走り出した。しかも恐ろしく速い。

パッチは腰の道具入れから紐付きの火炎瓶を取り出した。

油の染み込んだ紐を壁でこする。

摩擦熱で火がついた。それを背後に投げつける。

バリン! と音を立ててパッチの背後で火が起こる。

 

「うっ!?」

 

エルフは思わず立ち尽くした。

パッチその隙に右へ左へと交差路を曲がる。

ダイダロス通りはパッチにとって庭のようなものだ。複雑に絡んだ逃亡経路なら熟知していた。

ひとしきり奥へと逃げ込んで、ちょっとした広場でふーっと息をついた。

 

「あーあーあー……面倒くせーのに見つかっちまった」

 

ほとぼりが冷めるまでは昼間に出歩かない方がいいかもしれない。

そう思った時だ。

 

「パッチイイイイイ!」

 

聞き覚えのある声。

まさかと思い通路を振り返ると、血で全身を汚した少年、ベルがそこにいた。

白かった髪の毛は赤いすだれとなって固まっているし、鈍色のライトアーマーもまだら模様に染まっている。

ダンジョンから戻るまでになにがあったか、容易に想像がついた。

 

「またかよ。っつーまだ生きてたのかよ?」

 

「ナイフを、返せ!」

 

ベルは一直線に駆け抜けてきた。

パッチは奪ったナイフを道具入れの中に突っ込み、木の大楯を構えて身を隠した。

 

「しつけーんだよ。だいたいーー」

 

大楯で身を隠したまま、パッチは “銃槍” を腰のホルスターから取り出す。

そして槍を引き延ばした。

短い状態ならば片手で扱える剣として。伸ばせば散弾銃と槍を組み合わせた武器として機能する。

ベルが近づく。

散弾の有効殺傷範囲に近づく。

 

「ーーてめーみたいなションベンくせーガキにまで舐められてたまるかってんだよコラァ!」

 

大楯から身を乗り出して銃口を向けた。

ベルはといえば “銃槍” の刃の上にある穴の正体に気づく。

パッチが引き金を引くのとベルが右へ飛ぶのは同時だった。

 

ドン!

 

銃口から乾いた音とともに粒のような鉛玉が吹き出すものの、それらはベルの背後にある壁にめり込むだけだった。

パッチは舌打ちして大楯を左手で構える。

 

脳みそグチャグチャにしてやる!(I'll mess up your brain!)

 

大楯をベルに向けたまま接近。

ベルから奪ったナイフならば大楯ごと切り裂いたかもしれないが、それはいまパッチの手元にある。

大楯は木製だが、普通のナイフや剣を防ぐくらいわけないのだ。

 

「っの!」

 

ベルは大楯などかまわずに小剣を振った。

だがそれは大楯に傷をつけるだけに終わり、パッチは大楯上から “銃槍” を突き出す。

ベルはとびのき、様子を見るように距離をとった。攻めあぐねているのが手に取るようにわかる。

パッチは大楯を地面に置き、肩に乗せて身を隠す。そのまま空いた左手で “銃槍” から空の実包を捨て、新たな実包を込めた。

再びベルは突っ込んできた。

頭に血が上っているのか、ベルの表情には朝のような甘さは感じられない。

 

「何回も同じ手がーー」

 

パッチは足に力をこめて踏みこみ、

 

「ーーきくかっての!」

 

大楯で殴りつける(シールドバッシュ)

 

「うあっ!」

 

弾き飛ばされたベルは地面に転がった。どうやら脚にかなりきているらしい。

立ち上がれずにパッチを睨む。

 

「くたばれ」

 

パッチは銃口をベルに向け、撃った。

だが “銃槍” は衝撃と共に明後日の方向へと向けさせられ、銃弾もまったくの別方向に飛んでいった。

なにが起こったかと思えば、 “銃槍” につい先刻見た小太刀が突き刺さっているではないか。

飛んできた方を見ると、さっきの女エルフだ。銃声を聞きつけたのだ。

 

「やはりそういうことですか」

 

冷徹な眼差しがパッチを見据える。

 

「リューさん?」

 

「無事……ではなさそうですね。私も手伝います」

 

このリューという女エルフとベルは知り合いらしい。

二対一だ。部が悪い。悪すぎる。

 

「くそったれが……」

 

おまけにこのリューというエルフの気配は只者ではない。

下手をするとレベル3か、あるいは4はあるかもしれない。

リューは素手だが勝てる気がしない。

パッチの冷や汗が止まらない。

火炎瓶は一つしか持ってないし、今度こそ逃げられない。

 

「くそぅ……」

 

だからと言ってパッチは諦めない。最期の最期、心臓が止まるその直前まで往生際の悪いやつが生き残るのだ。

思考が高速で動き回り蛇に睨まれたカエルのように足が動かない。

その間にもベルは立ち上がる。

 

「こうなったらしゃあねえ……」

 

最後の手段を選んだ。

パッチは大楯と “銃槍” を放り捨ててベルに向き直る。

ベルはとっさに武器を構え、リューもまた戦闘態勢に入った。

そしてパッチは両膝を地面につき、さらに両手と額を地面に押し付け、あらん限りの大声で叫ぶ。

 

 

 

 

 

「すいませんでしたああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

間。

 

間。

 

間。

 

「……は?」

 

ベルもリューもそろって唖然とした。

パッチは叫ぶように許しをこう。

 

「ほんっっっとおおおうに、申し訳ありませんでしたああああああ!」

 

「…………」

 

「…………」

 

ベルが顔を引きつらせているうちに、パッチは続けて言う。

 

「実はそのお、あっしには病気のお袋がいて、その治療のためにはどうしてもお金が必要だったんです! それでその、ベルの旦那のナイフを売りさばいて、薬の足しにしたかったんです! 本当に、本当にすみませんでしたああああ!!」

 

パッチは額を地面に押し付けたまま、器用にベルのナイフを取り出し、それを差し出した。

 

「どうかお命だけは許してくださいいいぃぃぃ……」

 

「えーっと……」

 

「ああもちろん今回の魔石の報酬です。どうかこれも差し上げますから」

 

言って、換金した財布袋も取り出してナイフの横に置く。

 

「それからその、あっしのせいで怪我もしてしまったみたいですので、どうかこれも使ってくだせえ」

 

で、今度はライフポーションを三つ取り出し、それも差し出す。

 

「……」

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

ベルはどうしたものかと悩んだ。

パッチの態度の変わりっぷりに、怒りも憎悪も消し飛んでしまう。

パッチがしているカエルのモノマネのようなこの姿勢は、たしか土下座というそうだ。

なんでもタケミカヅチの国に伝わる最大級の謝罪と嘆願の姿勢だとか。

 

「それで、どうするおつもりですか?」

 

リューが歩いてきた。

 

「直接の被害者はあなたですから、あなたの判断に委ねますが……」

 

リューはそう言い、銃だか槍だかわからない武器から小太刀を引き抜いた。

パッチは額を地面に押し付けたまま微動だにしない。

この姿を見ているの憐れみさえ覚える。

ひとまず “ヘスティアナイフ” を拾い上げて鞘を抜いた。

神語の刻まれた刃は光を放ち、これが本物であることを証明する。

 

「……もう、いいですよ。ナイフも戻ってきましたから」

 

生殺与奪権はたしかにベルが握っている。

しかしだからと言って、冷静になったいまパッチに手をかけることなどできなかった。

パッチはゆっくりと顔を上げた。

 

「へ、へへ……いや本当に、すみま……」

 

ザクッ

 

リューはパッチの眼前に、パッチの槍を突き刺した。

パッチの体はビクリと震え、リューは淡々と、死刑宣告に等しい冷たい声で告げる。

 

「あなた……次はありませんので、そのつもりで」

 

「へ、へい……」

 

「行きなさい。そして二度と姿を見せないように」

 

「は、はひいっ」

 

パッチは立ち上がると、武器と大楯を持ってダイダロス通りの路地へと消えていった。

リューはベルへと向き直ると、先ほどとは変わって小さく笑みを向ける。

 

「手酷くやられましたね」

 

「はは……でも、なんとか……」

 

 

ズキン

 

 

安堵するとともに、頭を割るような痛みが再び戻ってきて……ベルはもう、自分が立っているかどうかもわからなくなった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「……あれ?」

 

気がついた時、ベルは見知らぬ天井を見上げていた。

木目の板が並ぶ天井だ。

体を起こそうとして、妙な弾力が体に押し付けられていることに気づく。

この理性を奪う禁断の弾力には一つ身に覚えがあり、なんかいやな予感がして体にかかっているシーツを剥がした。

そこには黒いツインテールの女神様がいたわけだが……裸。

一糸まとわぬ生まれたままの姿。神様が下界に降りてくる時も裸なのか? という疑問はこのさい捨てるとしよう。

問題なのは非常にけしからん格好の少女がベルの体にぴったりと密着させていることなのだ。

 

「あ、やっ、ちょ……」

 

顔まで真っ赤にして下半身の獣がいまにも鎌首をもたげそうになり、ベルは、

 

「うおわあああああああああああああ!」

 

と叫んでベッドから転がり落ちるのだった。

その叫び声で少女、もといヘスティアが目を開けた。

 

「ベル君! 起きたんだね! 平気かい! どこか痛いところは!?」

 

「っていうか神様! 服! 服着てくださいよ!」

 

たまらずベルは背中を向けて顔を両手で隠した。

だがヘスティアはお構い無しにその背中に抱きついて自慢のOPPAIをぐいぐい押しつける。

 

「ベルくうううん! 君もう二日は寝てたんだよ!? 体も氷みたいに冷たくなってたしもう本当に死んじゃうんじゃないかとおおおおお!」

 

「大丈夫ですから! 僕もう大丈夫ですから! だから服着てください!」

 

この騒々しいやりとりを聞きつけてかバタバタと足音が響いてきてばたーんとドアが開いた。

 

「ベルさん! 起きたんですか!?」

 

入ってきたのはシルだった。

のだが、裸のヘスティアが抱きついている姿を見て硬直する。

 

「シツレイシマシター」

 

片言の言葉を残してシルは去っていき、ベルはとりあえず途方にくれるのだった。

 

 

 

 

 

助けてくれた『豊穣の女主人』の人たちにひとしきり感謝して回り、パッチが残したお金で二日ぶりの食事をお腹に詰めて、ようやっとベルはヘスティアファミリアの本拠へと戻ってこられた。

 

ことの顛末を聞く限りでは、ベルはリューによって『豊穣の女主人』へと運び込まれ、そこで手当てを受けたのだった。

特に額からの出血が予想よりひどく、ヘスティアのいうようにベルの体温は冷たくなっていたそうだ。

だから人肌で温めようというのはまあわかるとして、なぜ裸?

 

「だってその方が直接熱が伝わるじゃないか」

 

と、いうことなのでもう何も言わないことにした。

ベルはいつもベッド代わりにしているソファに座り、大きくため息をつく。

 

「今回ばかりは、もうダメかと……」

 

「まっっったくだよ、ボクのことを心配させてばかりで!」

 

ヘスティアは隣に座って頬を膨らませ、ベルから顔を背けた。

 

「いったい何があったんだい?」

 

ベルはうつむき、ポツポツと話した。

 

「前に話した……ヤーナムファミリアの、別の人に、サポーターとして雇って欲しいと言われたんです。それでーー」

 

「騙されてナイフをとられそうになったと」

 

「はい……少なくとも、あの時の二人はいい人でした。でもパッチって人は、そうじゃなかった」

 

パッチは病気の母親のためだと言っていたが、だからといってベルが代わりに犠牲になる筋合いはない。

スレイやファナは、ベルの感想で言えばいい人だ。

スレイの助言がなければ赤いコボルトに殺されていたかもしれない。

……赤いコボルト。

あの五人の亡骸を思い出してしまい、より一層表情が暗くなる。

 

「……ダンジョンで……亡くなった冒険者を見つけました」

 

「君が持っていた、あの五人のタグだね?」

 

「……僕と、歳が同じくらいの人たちで……みんな、死にたくないって顔をしてて……」

 

思い出すと涙がこみ上げてくる。

涙が流れる前に拭った。

 

「べ、ベル君が気にすることじゃないよ。そういうこともあるさ」

 

ヘスティアはつとめて明るい声で言う。

 

「……それで、僕は……その人たちの荷物から、その、ポーションを、盗んだんです」

 

「そう、か……」

 

これは懺悔だ。

罪の告白。

二人きりだから言いたかった。

 

「僕は……ぼくは、死ぬのが自分じゃなくて、良かったって、いま、そう思ってます……」

 

涙が止まらない。

爪が食いこむほどに強く手を握りしめた。

 

「ぼくは……最低だ……」

 

「ベルくん!」

 

ヘスティアはベルに抱きついて、雪のような髪の毛を撫で回す。

 

「ボクは君が生きて戻ってくれて嬉しいよ! 君はボクを一人っきりにしないって約束したじゃないか! 自分のことを最低だなんて言わないでおくれ!」

 

「う、うぅ……」

 

生還した嬉しさ。

生還するための浅ましさ。

人間のいやらしい一面はベルにもある。

それを自覚するのは、とても辛いものだった。

 

ヘスティアの腕の中で、ベルは年相応に泣きじゃくった。





みんな大好きパッチさんとベルくんのお話でした。

このベルくん、ソウル傾向が黒くなりそうで怖い。


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5 スレイ・レーヴェンの日常(1)

「おっ、輸血液やん。拾ったろ」←わかる

「おっ、水銀弾やん。拾ったろ」←うん

「おっ、石ころやん。拾ったろ」←ん? んん、まあ、うん

「おっ、目ん玉やん。拾ったろ」←えっ?

「おっ、病気の内臓やん。拾ったろ」←!?!?!?!?

「おっ、女王の肉片やん。拾ったろ」←ファーwwwww


あいつらみんなおかしい。


ダンジョン都市オラリオを空から見下ろすと、都市は円形に近い形状をしているとわかるだろう。

都市の外縁部には、好戦的な国家系ファミリアの侵略を幾度となくはね返した市壁があり、オラリオをぐるりと取り囲んでいた。

その名残なのか、市壁の外側にはいくつもの魔法を受けたような痕跡が見受けられる。

都市の中央には空をつくような巨大な摩天楼・バベルがそびえ立ち、そこを中心に東西南北、さらに北西北東と合計八方向へメインストリートが伸びているのだ。

さながら、ナイフで八等分にされたホールケーキのように見えるかもしれない。

 

バベルのすぐ隣にあり、すべてのメインストリートに通じる中央広場。

そこから北東のメインストリートへと進むと、やけに煙突が多いことに気づくだろう。

大通りには大きな荷馬車が数多く行き交い、都市の外からやってくる旅商人の多さにも気づくだろう。

ここはいわば工業地帯だ。

オラリオの収益のほとんどはここで生み出されており、武器や防具はもちろん、魔石製品の数多くがここで生産されている。

煙突の一つ一つが工房であり、組立場なのだ。

通りにに面した店のなかには、鍛冶道具を専門に扱う店が軒を連ねている。

それが北東のメインストリート周辺

地域、工業地帯。

ヘファイストスやゴブニュなどの工業系ファミリアが集う場所。

 

そんな観光とは無縁な場所に、一風変わったファミリアがある。

メインストリートから二つ道を外れたところに、木と石でできた、それなりに大きな建物。

その建物の上部には大きなエンブレムが掲げてあり、これがファミリアの本拠であることを示していた。

エンブレムはノコギリだ。

このノコギリのエンブレムを見ると、なにも知らない者は「ああ、家や家具を作るファミリアなんだな」と勘違いするかもしれない。

しかし冒険者ならば知っている。

あのノコギリは皮膚をえぐり、筋肉や血管を引き裂く、さながら拷問器具であると。

ここはヤーナムファミリア。

自らを冒険者ではなく狩人と名乗るものたちの本拠地。

この本拠地から顔を少し左に向けると、隣接するように立っている工房が目に入る。

正確には先に工房があって、そのあとからヤーナムファミリアの本拠ができたのだが……とにかく、この工房はヘファイストスファミリアの所属でありながら、ヤーナムファミリアとは古代からの関係があった。

そのことを知るのはごく少数の、いわゆる古参と呼ばれている狩人くらいしかいない。

 

 

 

 

「……よし」

 

さて、早朝のひんやりとした空気の中、ヤーナムファミリアの正面にて気合をいれる少年が一人いた。

亜麻色の髪とブラウンの瞳。雨風をしのいで野宿を繰り返したため、外套はすっかり茶色に汚れ、その上から背負う荷物袋はもうボロボロだ。おまけに靴はすり減っており、いまにも破けてしまいそうだった。

いかにも『こんな田舎にいつまでもいられるかっての! 俺は都会に行く!』と言い残して村を飛び出してきたような、そんな風貌をした少年。

名前はジョン・カーターという。

実際、母親にそう捨て台詞を吐いて村を飛び出し、ここまでえっちらおっちらやってきたのだった。

 

「行くぞ、俺」

 

カーターは自分の頬を叩いて、ヤーナムファミリアのドアの前に立ち、金属の輪を咥えた狼の頭をあしらったドアノッカーを叩いた。

 

「すんませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」

 

返事はない。

朝を知らせるニワトリの鳴き声が遠くから聞こえてきて、目を覚ました人々が活動を始める頃だ。

それでも早すぎただろうかと、カーターは少し不安になったとき、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。

ドアがゆっくりと開く。

顔を見せたのは目つきのよろしくない青年である。裏路地に一人佇んでいたら、違法薬物の中毒者がすり寄ってきそうな、そんな顔。

身長はカーターよりずっと高く、じーっと品定めでもするようにカーターを眺めて、ポツリと一言。

 

「……なんだ?」

 

「あ、お、俺をヤーナムファミリアに入れてください!」

 

「帰れ」

 

カーターが頭を下げるより早く返事が来て、バタン、と問答無用にドアは閉じられた。

 

「ちょ、ちょっと待てってば!」

 

一方的に閉じられたドアにすがりついてドンドン叩く。

 

「二週間かけてやっとここまで来たんだ! ファミリアに入れてくれよ!」

 

「だったらよそに行け。子供の来るところじゃない」

 

「俺はもう十五だ! 子供じゃねえよ! それにここじゃなきゃ嫌なんだ!」

 

叫ぶように訴えてひたすらドアを叩く。

カーターの背後にある建物の窓からは、いったい何事かと人々が頭を出した。

 

「なあ、たの……いでっ!」

 

ドアが思い切り開けられて額をしたたかに打ち付けた。うめき声を出して額を押さえ、後ろに後ずさる。

 

「それ以上わめくと叩きのめすぞ」

 

苛立ちを隠さない青年に対し、カーターは負けじと言い返す。

 

「おう上等だ! こっちだってそう簡単に引き下がれるかっての!」

 

握りこぶしを作って見せると、青年の目つきとまとっている雰囲気が明らかに冷たいものへと変わった。

 

「……言ったな?」

 

あっ、やべっ、とカーターは後ずさりし、青年はドアの外に一歩踏み出す。

すると、青年はまるで誰かに呼び止められたかのように、後ろを振り返った。

 

「……ちっ」

 

忌々しげに眉間にしわを寄せて、小さく舌打ち。

そうかと思うと、青年はドアを大きく開ける。

その向こうには階段やドアが見えるのだが、青年を呼び止めたであろう人物はいなかった。

 

「神が会うそうだ。入れ」

 

よくわからないが気が変わったらしい。

 

「お、おう!」

 

意気揚々と本拠の中に入る。

正面に階段があって、その上には扉があるのだが、そこから少女と思しき声が聞こえてきた。

 

「ここのファミリアはいったいどういう活動方針なんだい!? ボクのベル君を罠にはめてしかも武器を奪おうなんて、まったく、信じられないよ!」

 

「ん?」

 

足を止めて、この怒鳴り声に耳を傾ける。

 

「…………決まってるじゃないか! 君のところのパッチとかいう男のことだよ! …………そう! そうだよ! ………………だいたいねえ、ここの神様はいったいどこにいるんだい!? 仮にも神のボクがやってきたら直接会うのが礼儀ってもんだろ!?」

 

何があったのか、ずいぶんと怒り心頭のようだ。

 

「おい」

 

青年に呼ばれて、そちらに顔を向ける。

 

「なにしてる。こっちだ」

 

「待ってくれよ」

 

小走りでそちらに近づき、歩きながら問う。

 

「なんかあったのか?」

 

「気にするな」

 

気にするなと言われて「はいそうですか」とは言えない。なおさら気になる。

しかし青年はなにもいうつもりはないらしい。

青年に案内されて廊下を進み、本拠の奥にある一室に入る。

青年が天井にある魔石灯の照明をつけると、その異様な部屋が現れた。

カーターはたじろぐ。

窓がない真っ白なタイルの壁と、同じく白いタイルの床。床は中央に向かって若干の傾斜があり、そこには排水口のような小さな穴があった。

部屋の空気は消毒液のツンとした臭いに満たされ、壁際には薬棚が並び、何かの薬品や器具が収まっている。

部屋の中央には変なベッドが一つだけポツンと置かれていた。

ベッドの足は不自然なほど高く、大人の腰くらいはある。そのためなのか、ベッドの下には踏み台が置いてあった。

そして見るからにクッション性がなくて横幅が狭く、ベッドの縁にはバケツがいくつか引っ掛けられていた。

この部屋はくつろぐためのものではないと一目でわかる。

 

「ここ、なんなんだよ?」

 

「……その上で横になれ。すぐ戻る」

 

青年は答えずに部屋を出て行った。

横になれと言われてもかなりためらいがあるため、カーターはとりあえず棚の中を覗き込んだ。

注射器だとか、ビーカーだとか、異様に刃が小さいナイフとか、糸ノコギリとか、それに大小様々な薬品の瓶。

瓶のラベルには薬品の名前がそれぞれ書いてあるが、それをどういう目的で使うのかはわからない。

カーターは推測した。

ここは多分あれだ、診療所かなにかだ。

ヤーナムファミリアが怪我人の治療なんてやっているなんて聞いてないが、多分、そうだろう。

そうでないとしたら……なにをとは考えたくないが、解体とか、そういう……。

 

「お待たせいたしました」

 

ぎょっとして振り返ると、先ほどの青年と、奇妙な女性が立っていた。

神威を感じるからこの人が神様なんだろう。しかし……なんというか、生物らしさを感じない。

 

「う、うっす。ジョン・カーターって名前です」

 

神様なのだからさすがに敬語になる。変な敬語ではあるが、ぺこりと頭を下げた。

 

「……!」

 

その女性の手を見て、違和感の正体に気づいた。

この女性は人形だ。人と見間違うほどに緻密に作られた女性の人形。

それが神威を放って一人でに歩いておまけに喋っている。

あらかじめギルドでも聞いていたが、まさか本当に人形が動いているなんて。

 

「初めまして、カーター様。わたくしのことは、単純に人形とお呼びください。あなたの入信を歓迎いたします」

 

人形も頭を下げた。

 

「お、おう、よろしく、です」

 

ヤーナムファミリアの担当アドバイザーは、たしか人形が神様の代理をしていると言っていた。

ヤーナムの主神が直接人前に姿を見せることはなく、これまで見たものもいないとも。

 

「では、早速始めましょう。スレイ様」

 

青年の名前はスレイと言うらしい。

スレイは棚から赤い薬瓶を取り出して、慣れた手つきで点滴スタンドに取り付けていく。

 

「……カーター、今ならまだ引き返せるぞ。本当にいいのか?」

 

ジロリと睨むようにカーターを見やる。

カーターは正直に言ってビビっていた。

なんで神の恩恵を与えるのにそんなものが必要になるのかわからないからだ。

しかしここに入ると決めたのだ。それにいまさら『やっぱりやめます』なんてみっともないではないか。

精一杯強がって胸をはる。

 

「いいんだよ! やってくれ」

 

「ならその診療台の上に寝ろ」

 

スレイは薬瓶にチューブや針を取り付け、白い手袋を着用。カートの上に消毒用具を並べる。

カーターは緊張を悟られないようにしながら、荷物袋をおろして、踏み台を使って『診療台』なるベッドに寝そべった。

スレイはカートと点滴スタンドを診療台まで運んでくると、カーターの右腕の裾をまくりあげ、ガーゼで腕を消毒する。

 

「本当にいいんだな? ここに入れば二度と抜けられないぞ。他のファミリアに入らなくていいんだな?」

 

「いいんだって」

 

言い切ると、スレイは不満げに眉間にしわをいれる。

 

「スレイ様、カーター様もそう申しております。彼に、血の施しを」

 

血? 血ってあの赤い血? それを施すってなんだ? じゃああの点滴スタンドのあれって血?

カーターは冷や汗をかきながらもそのまま大人しく待つ。

ヤーナムファミリアに入ればスキルが無条件に手に入れられるのだ。楽に一発当てるにはここが一番いいと判断してヤーナムファミリアにきたのだ。

カーターは腹を括った。

 

「そうだぜ。やってくれ」

 

「……」

 

スレイは小さくため息を吐いて、カーターにチューブの先についている針を刺した。ジクッとした。

血が、カーターに入ってくる。急に頭がぼんやりする。

人形はカーターの顔をのぞきこんだ。

 

「これで、あなたも※※※※様の子供です」

 

「……」

 

これはぼんやりした頭が見せる幻覚なのだろうか……人形の服の下から黒い、触手みたいなのが出てきて、それが点滴スタンドの輸血瓶の中に何かを垂らした。

すると瓶の中の血が、ドロリと黒い液体に変色するではないか。

 

「う、あ……」

 

ドス黒い血が、入ってくる。

なんだかものすごく嫌な予感がするのだが、カーターの意識は泥沼の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

気を失ったカーターを見ながら、スレイはため息を吐いた。

どのファミリアもそうなのだろうが、基本的に神がこうすると決めたら眷属は従うしかない。

上位者がファミリアに入れろと言うなら従うしかないのだ。

 

「……どうせ一週間も持たないさ」

 

人形へと視線を移し、ぶっきらぼうに告げる。

人形はわずかに首をかたむけて問うた。

 

「なぜ断言されるのですか?」

 

「いままでがそうだった。こいつもどうせ死ぬか、俺が殺すかだ」

 

他のファミリアから改宗してきた冒険者ならば自分の実力を理解しているものだ。

にもかかわらず、狩りの快楽に酔いしれて身の丈に合わない深さにまで潜り、モンスターの餌食となる。

ダンジョンに慣れた冒険者でさえもそうなのだ。

ましてやこういう、いきなりヤーナムファミリアに入った新米冒険者がどうなるかなど、想像に難くない。

帰れと断り、なんども引き止めたが、無駄だった。

ギルドのメイにもヤーナムファミリアへの入信、改宗は引き留めるように言っているのだが……そんなにスキルが欲しいのか。

 

「……あんたはコマが増えて満足か」

 

人形の内側に潜んでいる上位者に向けてそう吐き捨て、部屋を後にした。

 

 

 

ヤーナムファミリアに入れば無条件でスキルが手に入る

 

 

 

それはもうオラリオで知らないものはいないと言っていい。

最初に誰が喋ったのかはわからないものの、少なくともスレイが物心つく頃にはすでに知れ渡っていた。

これはスレイの予想だが、おそらくは上位者が放った『餌』だろう。

サイコロをまとめて放り投げればどれか一つくらいは6が出る……。

上位者にとって狩人はそのサイコロでしかないのだろう。

投げるサイコロの数が多ければ多いほど6が出る確率は上がるものだ。

だがらスキルという『餌』を撒いて、放り投げるためのサイコロが手元に集まるように仕向ける。

サイコロが手元にあるうちは目的達成の確率がわずかでもあがるから、上位者は来るものを拒まないし、去ることを許さない。

そのくせ狩人がどうなろうと、なにをしでかそうと知らん顔をする。

はた迷惑極まりない。

他のファミリアとの全面抗争になれば、上位者とて困るはずなのだが……いったいなにを考えているのやら。

スレイは廊下を歩き、小さく頭を振って気持ちを切り替える。

朝っぱらから余計な仕事が増えてしまった。さっさと終わらせよう。

玄関まで戻り、二階のエミーリアの書斎に入った。

神ヘスティアはすでに帰ったらしく、エミーリアはぐったりと上半身を机に投げ出している。

机の前に立ち、だいたい予想はつくが……その背中に問いかけた。

 

「なんの用事だった?」

 

するとエミーリアは両手で拳をつくり、わなわなと震え始めた。そして震える声でうめくように言う。

 

「なんで、わたしが、あの人たちの尻拭いを、しなくちゃ……うぅ……わたし、なにもしてない、のに……う、うう……」

 

エミーリアは顔を突っ伏したまま、ぐすっ、と鼻をすすった。

そりゃ泣きたくもなるだろう。自分はなにもしていないのに誰かの責任を取らされて怒鳴り散らされるなど。

ましてやエミーリアは血の提供とファミリアの運営が基本的な仕事で、ダンジョンに潜ることはほとんどない。

スレイのようにぶん殴っていうことを聞かせるという強硬手段が取れないため、ストレスはそのままエミーリアの胃袋と精神にダメージを与える。

 

「……」

 

スレイはエミーリアの隣へと移動して、その小さな背中に手を置く。さらさらした白く長い髪の毛は、まるで絹のようだった。

そういえばと思う。

スレイもエミーリアも、両親がヤーナムファミリアだった。

だからエミーリアとは幼馴染として長い付き合いになるが、こうして触れるのなんて、いったいいつぶりだっただろう。

そんなことを思いながら声をかけた。

 

「よくやってるよ、おまえは」

 

「うぅ……あなたがそんなことを言うなんて……わたし、死ぬんですか?」

 

「……」

 

ちょっと気を使ってやるとこれだ。

スレイは無言でエミーリアの頭をペシッと叩いた。

 

「で? 誰が? なにをやったんだ?」

 

改めて問うと、エミーリアはため息まじりに身を起こした。そして目元を拭って、答える。

 

「はあ……パッチさんが、ヘスティアファミリアのベルって少年を罠にはめて、武器を奪おうとしたそうよ」

 

「あいつか……」

 

鷲鼻のハゲの顔を思い浮かべ、まあやってるだろうなと納得した。

それにしてもベルとは……たしか、先週あたりに雇ったサポーターではなかっただろうか?

ただの安価なナイフしか持っていなかったはずだが…….どうでもいいことだ。

 

「そのヘスティアファミリアの本拠はどこか、聞いたか?」

 

「ごめん、忘れた」

 

「そうか。まあいい。どうせ新人が入ったんだ、ギルドで聞いてくる」

 

「新人って?」

 

「ジョン・カーターって子供だ。輸血が終わって、そのまま寝かせてる」

 

「そう……ああ、死ななきゃいいんだけど……」

 

どうせすぐ死ぬ。

とは言わず、スレイは書斎を出て、ひとまず自分の部屋に戻った。

ベッドと机、服を引っ掛けるためのハンガーがあるだけの、狭い自室だ。

ダンジョンに潜る時のようにモンスターの毛皮を使用したコートに身を包み、“ 獣肉断ち ”と“ 慈悲の刃 ”を腰に下げた。

ヘスティアは苦情を言いに来ただけで抗争を仕掛けに来たわけではない。とはいえ、パッチにはそれ相応の謝罪をヘスティアにすべきだろう。

もしもパッチが余計な抵抗を見せるなら……この武器を抜くことになる。

帽子を目深にかぶって、本拠を出た。

 

 

 

 

向かった先はダイダロス通りだ。

パッチがいるとしたら、ドランたちが買った宿屋の溜まり場だろう。

宿屋の三階にある、ノコギリのエンブレムが掲げてあるドアの前に立ち、ドアを叩いた。すぐに返事。

 

「ちょっと待ちな」

 

パッチの声だ。

ジト目でドアの覗き窓を見つめると、その覗き窓が横に開く。

 

「ようけっ……だ、旦那ぁ」

 

パッチの目が見開き、脂汗が噴き出した。

 

「こりゃまた珍しいこともーー」

 

「開けろ。そして逃げるな」

 

冷たく、重く、威圧感むき出しに命じた。

 

「へ、へい……」

 

パッチは覗き窓を閉じて、鍵を開けた。

パッチが開けるより先に、スレイがドアを押して部屋に入る。

相変わらず血酒の甘ったるい匂いに満たされた部屋だが、普段と違っていまはパッチの他に数人しかいない。

そんなことよりも、だ。

 

「パッチ」

 

「なんで、しょう……?」

 

「俺がここに来た理由、わかるか?」

 

背後のパッチに顔を向けずに問う。

 

「いやあ……全然……?」

 

心当たりがあるはずなのだが、声を震わせつつもとぼけるつもりらしい。

振り返りざま、拳を腹にかます。これで少しは思い出したか。

 

「ぐふぇっ!?」

 

ゲロでも吐きそうな声を出し、パッチは体を『く』の字に曲げる。

間髪入れずに無毛の後頭部を右手で抑え、今度は顔面にひざ蹴りを見舞う。

ぶきゅ、となにがひしゃげて潰れる感触が膝にした。

パッチは糸が切れた人形のように膝をついたが、スレイはパッチの襟を乱暴につかみ、仰向けに転がした。

そして右足を高く上げて、パッチの顔面に落とした。

ぐちゃ、と音がした。

子供であっても体重を乗せた踏みつけというのは大人を悶絶させるものだ。

単純に人間の体重がそのまま顔一点に落ちてくると考えるといい。

それをもう一度。

ミシ、と何かが歪んだ。

最後にもう一度、と足を上げた時、パッチが頭を両手で抱えるようにして泣き叫ぶ。

 

「ひぃあああああああああやめてくれええええ! おえが悪かったああああああああ! か、かんべんしてくれよおおおおおお!」

 

「……」

 

演技ではない泣き言に、スレイは右足を床に降ろした。

三十歳をこえた中年男だが、泣くのも無理はない。

鼻は潰れて唇が切れているため顔中が血まみれ。さらに顔の形が変わるほど晴れ上がり、内出血を起こして青アザとなっていた。

これで平然としろというのが無理な話だ。

スレイは潰れたゴキブリを見るような目でパッチを見下ろした。

 

「俺がここに来た理由は? 言ってみろ」

 

「ああああうぅぅうあああ……あ、あっしが、何日かまえ、ウサギみたいなガキ……じゃない、少年をあなぐらに突き落として、ヘファイストスの武器を、盗もうとした、から……」

 

「ああ、そうだ。相手が相手なら殺してる」

 

もしもベルがロキやフレイヤのような大規模ファミリアに所属していたなら……そして代償を求めてきたなら、パッチの死体を引き渡さなくてはならないだろう。

しかし幸いにも……本当に幸いなことにだが、ヘスティアは直接文句を言いにやってきただけで終わった。

であれば、今回はなにも殺さなくてもいいだろう。今回だけは。

 

「次がないのはわかってるな?」

 

「へ、へい、もちろん、です」

 

パッチは涙目になりながらスレイを見上げた。

命乞いをする目だ。肥溜めで溺れかけてるネズミの顔だ。

ふと、スレイは視線に気づき、そちらを見やった。

赤い眼帯がトレードマークの金髪のエルフ……ファナだ。窓際のテーブルで一人、叩きのめされるパッチを肴に血酒を飲んでいる。

そのファナに問うた。

 

「……他の連中はどうした?」

 

「んー? たしか、先週だっけ? ドランが取り巻きを連れて、ダンジョンの下層に行ったみたい。いまごろ四十階層くらいにいるんじゃないの?」

 

「……そうか」

 

苦い顔になった。

いわゆるドラン派と呼ばれる物騒な狩人たちは、スレイに対して一切の連絡をよこさないのだ。

おかげで気づいた時にはダンジョンに潜っていたりする。

さすがに人を失うほど血を浴びるような真似はしないだろう。

血を恐れないのであればもうとっくに人を失っているはずだ。モンスターと冒険者の区別くらいつけている。

それでも……区別をつけた上で、冒険者を襲うろくでなしもいる。むしろドラン派はそのろくでなしが圧倒的多数を占めている。

モンスターでは物足りないだとか、冒険者の荷物を殺して奪おうだとか。

それでも戦力としては極めて優秀だし、表沙汰になっていないから放置しているのが現状だ。

ともあれ、レベル1のパッチは置き去りにされたわけだ。

パッチもパッチでスレイにはドラン派のことは何も言わない。言えばどんな目に遭うかわかっている。

 

「……まあ、いい」

 

ドランとて勝てない相手に襲いかかるほど愚かではない。面倒が起きたらそのときに対処するとしよう。

スレイは目の前の面倒を解決すべく、床に転がるパッチの襟をつかみ、強引に立たさせた。

 

「来い」

 

「ひいいいい……」

 

 

 

 

 

前歯を失い、顔がブドウのように腫れ上がったパッチを引きずり、ギルドへとやって来た。

受付嬢や報告に来た冒険者などが動きを止め、スレイへ視線を送る。

その視線をジロリとにらみ返すと、その受付嬢や冒険者はそそくさと顔をそらして「あーあー、なにも見てませーん」状態になった。

スレイは小人族でヤーナムファミリア担当のメイの元へと歩き、ボロ雑巾のパッチを床に転がした。

 

「ちょっと、いったいなんなのよ」

 

「気にするな。それより、ジョン・カーターって子供がうちに入った。タグの用意をしておいてくれ」

 

「あー、入っちゃったんだ……けっこう止めたんだけどね」

 

メイはため息を吐いて、羊皮紙に何かをサラサラと書いていく。

あれがタグを作るのに必要な書類なのだろう。

 

「ちゃんと引き留めたんだろうな?」

 

言うと、不機嫌そうに言い返してくる。

 

「やめておきなさいって何回も言ったわよ。ヤーナムファミリアに入って一年以内に死ぬ確率が九十パーセントを超えてるってことも含めて、必死で引き留めたわ!」

 

その一年を超えたものはれっきとした狩人を名乗るに値するし、レベルも3や4へと上がっていくだろう。

だがほとんどは一年を超えずに死ぬか、人を失うかだ。

 

「けどあの子ったら『へーきへーき、俺ならそんなヘマしないって』なんて生意気言っちゃって」

 

あの子供ならそう言いそうだ。

 

「死なないように努力はするさ。それともう一つ。神ヘスティアに会いたいが、本拠はどこか、知ってるか?」

 

「神ヘスティアに? ちょっと待って……エイナー、ちょっとー」

 

背後でカウンターの向こうで、書類整理をしていた女性を呼んだ。

エイナと言うらしい、メガネをかけたハーフエルフがやって来る。

 

「はい、なんでしょう?」

 

「この人がね、神ヘスティアに会いたいそうなんだけど……どこにいるか知ってる?」

 

「神ヘスティアですか? でしたらたしか……ヘファイストスファミリアの、バベル支店で働いていましたよ」

 

零細ファミリアは神様も働かなければならないほど生活が苦しいというが、どうやら本当のようだ。

 

「バベル支店だな。わかった」

 

「なにかあったんですか?」

 

エイナの問いかけに、スレイはカウンターのすぐ下でうずくまっているパッチを引きずり起こした。

顔面崩壊したパッチの顔を見ると、エイナは驚いたように顔を引きつらせて後ずさる。

 

「この馬鹿が面倒を起こした。その詫びに、な」

 

「す、びばせ、ん……」

 

パッチは呻くように謝罪を口にした。

 

「え、ええ、そう、ですか」

 

顔を引きつらせたままのエイナに背を向けて歩き出した。次はバベルだ。

ふと、メイがスレイの背中に言う。

 

「あーそうそう、あなたたち何度言っても無駄みたいだから、正式に清掃員を雇うことになったわ。その人件費はヤーナムファミリアの徴税に上乗せしておくから、そのつもりでね」

 

振り返ると、メイは勝ち誇ったかのように胸をはってふふんと鼻を鳴らす。

 

「ふむ……」

 

人件費はヤーナムファミリア持ちということは、実質的にヤーナムファミリアが雇ったようなものだ。

スレイはしばし考えて、言う。

 

「そうか。じゃあ次から遠慮なく汚せるな」

 

そう言うと、嫁の貰い手が一瞬で消えそうな雄叫びを上げた。

 

「ざっけんじゃないわよゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

スレイはそれを聞きながらギルドを後にした。

 

 

 

 

 

次にパッチを引き連れてやってきたのは、ダンジョンの真上にそびえ立つ摩天楼。

その四階にあるヘファイストスファミリアのバベル支店だ。

緩い弧を描いた廊下には赤いカーペットが敷かれ、何千万ヴァリスという一級品の武具がショーウィンドウに飾られていた。

開店して間もないせいなのか、人はまばらだ。

服装を見る限り、ほとんど冷やかしのようだ。

買いにきたというよりは、身につけた自分を想像して気分を高めようという、そういう目的だろう。

 

「……」

 

武器は本拠の隣にある “狩人工房” から仕入れているため、スレイがここにやってくるのは実は初めてだったりする。

ヘスティアがいるという支店のドアの手前で立ち止まり、興味本位でショーウィンドウを覗いた。

スレイの目を引いたのはクロスボウだ。

そのクロスボウ……ボルトを射出するための弓が三つ連なっている。そのくせ引き金は一つしかない。

これはつまり引き金を一度引けば三連射できる、ということだろうか? 武器というよりはまるで工芸品だ。

クロスボウの名前は “アヴェリン” というらしいが……値段は四八◯◯万ヴァリス。買えるわけがない。

 

「いらっしゃいませー!」

 

ドアが突如として開き、黒髪をツインテールに束ねた少女の店員が現れた。

赤を基調とした制服に身を包み、少女というにはいささか……どことは言わないが、とにかく育ちすぎている気がしないでもないが……ともかく、この少女から神威が発せられていた。

彼女がヘスティアだろうか。

それを尋ねるより先に、ヘスティアは自分の記憶の引き出しを見つめてまくしたてる。

 

「さすがお客様、お目が高いですねえー! そちらのクロスボウ……えーと……なんと、一度引き金を引くだけで連続して三発ものボルトを撃てるという優れもの! しかも! クロスボウそのものに雷の能力を付与してありまして、えー、普通の、ボルトにも魔法のような効果をつけることが可能! それだけでなく、ボルトを箱型の……あー、よ、容器? に入れることで、装填の隙を大幅に短縮! それで、えー、背後のレバーを引けば矢の装填と発射準備を一気に終わらせてしまう機能付き! お値段は四八◯◯万ヴァリスですが、いまならなんと! ライトニングボルト三◯発のおまけ付き! このライトニングボルトには……えー……ら、雷撃? 電撃? の効果が付与された超優れもの! クロスボウの雷付与と合わせれば効果二倍! これさえあればゴライアスも簡単撃破! さあ、 “アヴェリン” は現在この一品のみ! いまを買い逃したら次はありませんよ!? 是非ともご購入を!」

 

必死で覚えたであろう売り文句を邪魔するのも悪かったので黙っていたが、スレイはこの “アヴェリン” を買うつもりはない。

一度で三発撃てる機構というのは興味深いが……それを調べるのは “狩人工房” の仕事だ。

スレイは本来の目的を遂げることにした。

 

「すまないが、客じゃない。ヘスティアという神に会いに来た」

 

「えっ!?」

 

ヘスティアは記憶の引き出しから現実に引き戻されたのか、ようやくこちらの風貌に気づいたらしく、キッと目つきが硬くなる。

 

「ヘスティアはボクだけど……君たち……まさかあの、ヤーナムのとこの子供たちかい?」

 

「ああ、こいつが迷惑をかけた。これで手打ちにしてもらえないか?」

 

パッチを床に放る。

パッチはくぐもったうめき声を上げて、ヘスティアを見上げた。

 

「すみま、せん、でした……」

 

前歯が折れて、ブドウが詰まったようにアザだらけの顔で謝られたせいか、被害者であるにもかかわらず、ヘスティアは「うっ」とたじろいだ。

だがすぐに腕を組んで、豊満な胸をはる。

 

「ま、まあその、君が代わりに鉄拳制裁してくれたのなら、ボクとしてはもうなにも言うことはないよ」

 

「助かる」

 

「けどね!? 次なんかやったら本当に許さないよ!」

 

「ああ、こいつにもそう言ってる」

 

つま先でパッチを小突いてやると、ヘスティアは溜飲が下がったようにうなずく。

次があるとしたら頭だけを持ってくることになるだろう。

 

「じゃあボクは仕事にーー」

 

ふと、ドアが開いて中からヘファイストスの店員が出てきた。

 

「くぉら新入り! くっちゃべってないでちゃんと仕事しろ仕事!」

 

ヘスティアはピンと背を伸ばして振り返り、打って変わって及び腰になった。

 

「はっ、はいぃ!」

 

もうここに用はない。

スレイはパッチを連れて立ち去る。

 

パッチを解放したのはバベルの外に出てからだった。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……!」

 

カーターがようやく目を覚ました。

どれほど時間がたったのか……窓一つない部屋の照明は最小にまで抑えられており、薄暗くてよく見えない。

いったいなにがあったのか、カーターは思い返す。

たしかヤーナムファミリアの本拠にやってきて、断られたけどどうにか入れてもらって……血の施し、を受けた。

そうだった、思い出した。

カーターはおぼろげな意識の中で体を動かそうとしたが、まるで四肢が失われたかのように力が入らない。

 

 

ピチャ……ピチャ……

 

 

ふと、水が滴る音がした。

古くなった蛇口から、延々と水滴が落ち続けるような……そんな音が、静寂の中で響いてくる。

そちらに顔を向けると、まるで血をぶちまけたかのような血溜まりが床にできているではないか。

その血溜まりがゴボリと大きく泡立ち、波打った。

 

 

ベチャ

 

 

血溜まりの中から、同じく血にまみれた獣のような腕が出てきたではないか。

 

ピチャ、パチャ

 

そんな音を立てて、血溜まりの中から何かが……おぞましい獣のようなものが這い出てくる。

 

「……! ……! …………!」

 

声は出ない。

体は動かない。

目玉だけは助けを求めて動き回る。

その間にも血溜まりから獣のようなものが這い出てくる。

なぜ『獣』と断言できないのかというと、そいつには皮膚がないからだ。

むき出しの内臓。むき出しの筋肉。赤い血肉の中から見え隠れする白い骨。

爛れた歯茎からは不揃いな牙がずらりと並び、手の先には亡者のハラワタを引き裂く巨大な爪。

見るだけで魂を喰い破るそれは、さながら地獄の番犬そのものだ。

そんなものがゆっくりと、生温い息を吐きながら、カーターへと近づいてくる。

白く濁った瞳と目があった。

白濁の眼差しには理性や知性の欠片もなく、まるで祭壇に縛り付けられた供物を喰らいにやってきた化物のようだ。

供物をカーターだとしたら、この状況は、まるで……。

 

「……! ……! ……!」

 

カーターは体をばたつかせたいのに、焦りだけが空回りしてなにもできない。

視線はその獣の目を見て離せない。

血に濡れた獣がカーターの顔をのぞき込み、耳まで裂けた巨大な口を開いた。

ぬめりとした舌が口内でうごめく。

魂を丸呑みにして胃袋の中でゆっくり溶かし、もがきのたうつ感触を楽しもうとでもいうのだろうか。

 

「………………!!!」

 

カーターの視界が、獣の口内で埋め尽くされる。

 

 

どこか、とおくの方から声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

血を求めろ




一話一万文字オーバーはさすがにキツいぜ。

さーて、生意気なカーター君の運命やいかに!?
続きは次回!


でもって誰かー! ダンまちxダークソウルorブラッドボーン書いてー!
そういうの読みたいのー!
グウィンファミリアの四騎士とかグウィンドリンファミリアの暗月警察とか混沌シスターズの百合百合冒険とかあるでしょ? ねえ?

盲目の妹と泣き虫お姉ちゃんとか妄想が止まんねえぜ。


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6 スレイ・レーヴェンの日常(2)

ブラッドボーン知らない人向けあらすじ

医療の街、ヤーナム。
教会と医療の街でありながら、奇妙な風土病がこの街には蔓延していた。
獣の病。
この病に罹った者は、徐々に理性を失い、身も心も獣へと変化していく。
医療を求めてヤーナムに訪れた主人公は、獣を狩る狩人の素質を見出され、終わりの見えない “獣狩りの夜” へと身を投じる。

PS4にて発売されており、現在DLC封入パックも発売中。すでに中古が出回っているためPS4をもってる人は是非。




Q. 上記のような宣伝はステマだと言われますが?

A. あ、そうなんだ……で? それがなにか問題?


ヤーナムファミリアは総勢四十名余りの中小ファミリアである。

中小規模だけあって、その本拠も二階建ての、大きくもないし小さくもない木造屋。

ここは本拠というよりは狩人のための宿泊施設のようなものでしかなく、寝泊まりと狩り道具の補充くらいしか利用されていない。

その個室さえもろくに使われておらず、ほとんどの狩人たちは自分たちで家を買ったり、もっと広い部屋を借りたりして暮らしていた。

それもそのはずで、眷属のほぼ全てがレベル2以上の上級冒険者なのだ。

全体の半数の冒険者がレベル1のまま生涯を終えることを考えると、このファミリアの眷属構成は異常だといえるだろう。

自分の実力を早々に見切りをつけたパッチなどを除いて、ヤーナムファミリアの最初の一年を超えられなかったものに待ち受けるのは容赦のない死だ。

夥しい死者を出し、才能のあるものだけが生き残り、このような少数精鋭ともいうべき状態となっている。

レベル2ともなれば到達可能階層も深くなり、自然と懐事情も潤ってくるものだ。

であればいつまでも本拠の狭い個室に満足せず、もっと広くて快適な場所に移り住むのが道理というものだろう。

ここで寝泊まりしているのは単純にお金に困っている新人か、あるいは贅沢というものに興味がなくなってしまったのか……はたまた、エミーリアの近くにいたいだけなのか。

それは当人にしかわからないことだった。

 

 

 

 

ヤーナムファミリアに入ってまだ半日しか経っていないカーターは、最低な悪夢から目覚めるとさっそく狩人の心得やスキルの説明を受けた。

 

それが終わると今度は本拠の裏庭で体を動かしながらの復習だ。

外からは見えないように、あるいは外へと何かが飛んでいかないように、裏庭は背の高い石垣に囲まれている。

その中でカーターは両手で棒切れを振り回し、相手をしているスレイは片手でなんなくいなし、防ぎ、受け流す。

 

「……ステータスは人に見せてはならない。その理由は?」

 

「えーと……」

 

思い出そうとして、カーターの視線が左上へと動き、手が止まる。

スレイはその隙を逃さず、カーターの胸元を突いた。

 

「いてっ!?」

 

「手を止めるな」

 

「こん、にゃろう!」

 

大きく振りかぶり、スレイへと振り下ろした。

スレイは軽々と横へ弾き、再度問う。

 

「ステータスを他人に見せてはいけない理由はなんだ?」

 

「ステータスはっ! 自分のっ! 情報がっ! 集まって! いるから!」

 

やけくそになって叫ぶように答える。

さらに棒切れを右へ左へと振り回すも、やはり片手で防がれた。

 

「俺たちが血を浴びるとどうなる?」

 

「アビリティが強化される!」

 

これはもちろん知っている。このスキルを目当てにやってきたのだから。

 

「それと?」

 

「怪我が治る!」

 

「浴びすぎたらどうなる?」

 

「あのー、あれだ、あれ……」

 

いいよどむと、突如としてカーターの脳天にスレイの棒切れが命中。

ゴス、と少々危ない音がした。

 

「あいっ、でええええ……」

 

涙目になって頭をさすり、恨めしげな目線をスレイに向ける。

頭を殴られたのはわかったが、その動作がまったく見えなかった。気がついた瞬間には脳天を打ちすえられていた。

 

「血を浴びすぎるか、血が体に入りすぎるとスキルの<血液再誕>(ブラッドボーン)が発動する。そうなるとどうなる?」

 

スレイはカーターの様子など気にせずに続けた。

 

「……答えろ」

 

右から棒切れが迫った。

カーターはとっさに防ぎ、記憶をたぐろうとするのだが、一度説明されただけで全部覚えられるはずがない。

 

「忘れた!」

 

 

ゴス

 

 

間髪入れずに棒切れがカーターの脳天、それも同じ場所に落ちた。

 

「うごおおおぉぉぉぅ……」

 

カーターは我慢できずに頭を抱えて膝をつく。

痛い。痛すぎる。親父のゲンコツの方がいくらかマシだ。

 

<血液再誕>(ブラッドボーン)が発動すると、俺たちはただ血肉を求めるだけの獣になる。忘れるな」

 

「その獣になるってのがよくわからねーんだよ……モンスターにでもなっちまうってのか?」

 

涙を拭って問うと、

 

「そんなところだ」

 

当たり前のように肯定された。

 

「……マジ?」

 

「ああ」

 

スレイの顔つきは真面目そのものである。嘘を言っているようには見えない。

 

「立て。次だ」

 

「ちょっと休ませてくれよ!」

 

「この程度で泣き言か? ダンジョンで誰かが助けてくれると思ってるなら大間違いだ」

 

スレイは足元の石ころを拾い上げると、迷わずカーターに投げつけた。

それはカーターの左腕に命中。鈍い痛みが広がる。

 

「あだっ……」

 

なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ? ただ冒険者になって一旗上げたいだけなのに。

そう思っている間にもスレイは足元から石ころを拾い上げた。

 

「立て。また投げるぞ」

 

本気だ。

よろよろと立ち上がり、痛みで涙ぐんだ目を向けた。

 

「泣くか? 泣いたら助けがくるのか?」

 

来るわけがない。

故郷の村からオラリオまでの二週間、足が棒のようになっても、転んで手をすりむいても、腹を空かせた野犬に出くわしても、それで弁当がなくなり腹が減っても、誰も助けになんか来なかった。

自分は特別ではないことくらい、この二週間で嫌というほど思い知った。

 

「それとも、向かってくるか? ……選べ」

 

スレイは棒切れを向けてくる。「さあかかってこい」とでも言うように。

カーターは冒険者になって、大成はせずとも成り上がるためにやってきたのだ。

泣き言など言っていられないことを思い出して、カーターは立ち上がる。

棒切れを振りかぶって、スレイへと走った。

 

「こん、のっ!」

 

大ぶりの袈裟斬り。

それもたやすく防がれるが、スレイは満足げに一言。

 

「それでいい」

 

そんなスレイにめがけて、何度となくカーターは棒切れを振るう。

不格好で、重心移動も姿勢維持もまるでなってないのだが、構わずに振り回した。

スレイは問いかけてくる。

 

「上位者のことを他人に言えばどうなる?」

 

「他のファミリアがちょっかいをかけてくる!」

 

ここの神様が “あんなもの” なんて思いもしなかった。

あれが背中に乗った時のなんとも言えない感触を忘れるように、棒切れを振るった。

 

「モンスターは五匹、味方は自分一人。どうやって捌く?」

 

これは教わっていない。自分で考えて答えを出すしかない。

汗だくになりながら想像した。モンスター五匹に囲まれたら……後ろから襲われる。

なら囲まれないようにするしかない。

 

「……壁に、背中をつける?」

 

ビシリと左腕に痛み。違ったらしい。

 

「自分から逃げ道を絶ってどうする。狭い場所に入って一対一で戦え」

 

狭い場所で一対一ね、はいはい。

「ヤーナムファミリアの警句はなんだ?」

 

「警句は……えーと……」

 

一度聞いた。

聞いたのだが……忘れた。

それを見抜いたのかゴスッと脳天に一撃。

 

「ったあああああ……」

 

「 “我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ” だ。繰り返せ」

 

うー、と唸ってから、カーターは同じように言う。

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ」

 

言って、この警句とスキルの関係に気づいた。

血によって人を超える。つまりはアビリティが強化されて、怪我を癒すという意味だ。

けれども血を求めすぎると人を失う。人ではなくなってしまう。だから血を恐れよという意味なのだろうか。

 

「次、行くぞ」

 

スレイは横薙ぎに棒切れを振ってきた。とっさに防ぐと、今度は上から、左からと目まぐるしく迫ってくる。

 

これは日が沈むまで続いて、終わる頃にはもう腕が上がらなくなっていた。

 

 

 

 

 

ギルドで冒険者の証であるドッグタグを受け取ったり、本拠に備え付けてある初めての温水シャワーに興奮し、スレイのおごりで初めての食事処の料理に感激し、夜は初めてのベッドで泥のように寝ついてしまった。

 

 

 

 

 

そして翌朝。

 

さあこれから初めてのダンジョンと行きたいところだが、カーターは隣接する “狩人工房” へ訪れた。

スレイ曰く、先に噴水広場で待ってるから武器を適当にもらってこい、だそうだ。

 

「すんませーん!」

 

工房へと頭を入れて声を出す。

鍛冶炉が並んでいるが、まだ早朝とあってか火は灯されていない。

鍛冶炉の反対側には作業台があって、上には作りかけの仕掛け武器が置かれていた。

ハンマーや板金鋏といった鍛冶道具は丁寧に壁にかけられている。鍛治師にとってのハンマーは、剣士にとっての剣に等しいものだろう。

 

「なにか用事かい?」

 

そのいくつかある作業台の一つ、椅子に座って機械仕掛けのなにかに油を差す青年が問いかけてきた。

複雑な機械の左右に湾曲した剣がついた、弓のようにも見える武器。あるいは本当に弓なのかもしれない。

左右に開いた剣を結ぶように、一本のワイヤーが走っているのだから。

青年の方はというと、鍛治師というにはずいぶんと体が細くて年若い。油の染み付いた前垂れや手袋が絶望的に似合っておらず、モノクルをつけた細い顔は、鍛治師というよりはむしろ学者のようだった。

 

「あ、っと、俺、ジョン・カーターってんだ。昨日ファミリアに入って、それで武器をもらってこいって言われてここに」

 

「あー、あー、あの、スレイさんに稽古してもらってた子ね、はいはい。僕はオド・アーセナル。二つ名もズバリそのまま『火薬庫(アーセナル)』。鍛治師(ブラックスミス)っていうより技巧師(アーキテクト)なんだけどね」

 

そう言ってにこりと人懐っこい笑みを浮かべて見せると、その弓のようなものを掲げて見せた。

 

「ん?」

 

いったいなんなのだろうかとカーターは注視した時だ。

 

ガシャン

 

そんな音を立てて、左右に広がっていたはずの剣が閉じて、一本の湾曲した剣へと姿を変えたではないか。

カーターは目を見開いた。

何が起こったのかのかまるでわからない。

 

「ははははは、そういう驚いた顔は何度見ても飽きないよ」

 

ひとしきり笑ってから、再びガシャンと剣を展開した。いやもう本当に何がどうなっているのか目で追えない。

 

「っと……そうそう、武器だったね。そこにあるの、どっちか好きなの持っていきなよ。いまは誰も使ってないからさ」

 

オドがカーターの背後を指差し、その先を目で追った。

そこにはノコギリのようなギザギザが背面にならんだ鉈や、特に変わり映えのしない斧の二つが並んで立てかけてある。

どちらも柄の部分が手垢で黒ずんでいたり、サビが浮き出ていたり、刃が一部欠けていたりとかなり使い古されている。

カーターの体格では使いこなすのに難儀しそうな代物ではあるが……。

 

「じゃあこっちにする」

 

カーターが選んだのは斧の方だった。

おっかない父親が木こりだったため、斧を振るのには慣れている。

もっとも、ここにあるのは枯木を切り倒す簡素なものではなく、戦場で敵の頭をかち割るような戦斧であるが。

実際に手に持って上下させてみた。

木こりが使う斧は木の棒に金属の頭を取り付けただけのものだが、これは柄までもが金属でできている。

見た目以上にずっしりとした重さだが、扱えないというほどでもない。

むしろ力任せに殴りつければなんとかなりそうだ。

 

「それ “長柄斧” って言ってね、柄のところを回してごらん」

 

アーセナルはお手本のように手首をひねって回すようなしぐさを見せた。

 

「柄を?」

 

言われた通り回してみると、柄が半周して何かが外れる感じがした。

 

「で、上下に引伸ばす」

 

「引伸ばす」

 

やってみた。

すると斧の柄が伸びたではないか。まるでハルバードだ。

 

「それで柄を逆方向に回すと固定」

 

「おお……」

 

簡単の声を漏らしつつ、柄を固定。

しかし正直言ってこの長さはカーターの体格では扱いにくいことこの上ないので、元に戻した。

 

「でもちょっと重たいな……」

 

なんというか、工房内に置いてある武器はどれもこれも大人用の大きさだ。

カーターにとって手頃な大きさというものがない。

いやあった。

 

「そのナイフみたいなの、それは使っちゃダメか?」

 

アーセナルの背後。その壁にかけてある武器を指差す。

ナイフにしては長いし、剣にしては短い。そんな中途半端な長さの武器がそこにはあった。

鞘には小さな札が紐でくくりつけてある。

 

「これ? ダメダメ、これは他の人のなんだから。それに君じゃ、アダマンタイトくらいの強度がないとすぐに折っちゃうよ。そのくらい刀身が薄いんだ」

 

「むう……」

 

刀身が薄ければ切れ味が増すが、その分だけ折れやすい。

子供でもわかる理屈にーー子供じゃねーけどーーカーターは諦めた。

他人のものを使うわけにもいかず、この使い古しの斧から始めることにしよう。

 

「ん、わかった。じゃあな、この斧もらってくぜ」

 

踵を返し、いざ出発、という時に呼び止められた。

 

「あーちょっと待って、一つ伝言をお願い」

 

「え?」

 

「もしもファナって人に会ったら、メンテナンスが終わったって伝えて。赤い眼帯をつけたエルフの美人さんだから、見たらすぐわかるよ」

 

「赤い眼帯でエルフの美女だな? 見たら言っとく!」

 

アーセナルに手を振って今度こそ工房を飛び出した。スレイとの待ち合わせ場所は噴水広場だ。そこへと走った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

一人、工房に残るアーセナルはモノクルをかけ直して次へと取り掛かった。

 

「ではでは……パイルハンマーの試作品を完成させなきゃ……」

 

アーセナルは “弓剣” を鞘に納めて、その持ち主であるファナの名前を書いた札をつけ、壁にかけた。

それから隣の作業台へと移動。

その上に広げられた大小様々な金属の部品と、パイルハンマーの設計図面を前に、妖しくモノクルを光らせ、笑う。

 

「ふ、ふふふふふ……」

 

変態だの馬鹿だのイカれてるだのと色々言われもしたが、このパイルハンマーを見ても同じことが言えるものか楽しみだ。

“爆発金槌” と同じく魔石による爆発機構を応用し、爆発的衝撃力でもって杭を射出。モンスターに直接杭を撃ち込む武器、パイルハンマー。

理屈の上ではあるものの、当たれば即殺・必殺・オーバーキルの武器であり、アーセナルの爆発系新作武器である。

……爆発。

ば・く・は・つ。

ああ、なんて素敵な響きなんだろう、興奮した。

 

「んふうふふふふ……」

 

アーセナルは夜道の女性につきまとう不審者のような笑顔になって、組み立て作業に入った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

バベルの地下一階にある大広間。

直径十Mの巨大な縦穴が大口を広げる様は巨大なワームの口にも見える。

対照的に天井は本物と見間違うほどの蒼穹の大空が描かれていた。

まるで天国と地獄だ。これから行く先は地獄の底だ。

穴の外周に設けられた階段を、カーターはスレイとともに降りていく。

周囲の冒険者を見やると、同じくダンジョンへと向かう冒険者の姿。

その装備の豪華さといったら……。

何度となくモンスターの攻撃から装備者を守った堅牢な全身鎧。

使い込まれ、手垢のついた大剣。

宝石のように透き通った水晶が取り付けられた杖。

まさしく冒険者といった出で立ちであるのに対し、カーターの姿は田舎の小僧感丸出しだった。

 

「なあ、俺にはその服はねーのか?」

 

スレイに問いかけると、ふんと軽く鼻を鳴らされる。

 

「子供サイズはない。欲しいなら、まずはニードルラビットの毛皮を集めるんだな」

 

「俺は子供じゃねーっての!」

 

「……チビサイズはない」

 

「ぐっ……」

 

ジト目で見上げるが、スレイは気にせず下へと降りる。

余談ではあるが、スレイのコートや帽子も下層モンスターのドロップアイテムをふんだんに使用しており、実はこれで防御効果が高い。

おまけにスレイの武器にも希少金属が使われており、ありふれた鋼鉄武器以上の攻撃力を持っている。

もっとも、それらはカーターの知るところではなかった。

 

 

 

大穴を降りた先、第一階層は横幅が限りなく広く巨大な通路だった。

始まりの道と言うらしく、カーターにとってはまさしく始めの第一歩となる。

突き進むと、壁に当たった。

その壁にはまるで分かれ道のように無数の通路へと別れており、冒険者たちはそれぞれ好きなように別れて進む。

ただ、あまりにも広い通路からこのような狭い通路へと変わるため、まさしく押し合いへし合いというような有様でもあった。

 

「早く行けよ」

 

「うるさいな」

 

そんな言い合いを聞きながら、カーターは通路に入った。

 

「……ついてこい」

 

スレイはおもむろに、人がいない通路へと進んだ。

薄青色の壁や天井が随分と近くなり、横幅は二人並ぶのがやっとだ。始まりの道と比べると左右から押しつぶされそうな錯覚を覚える。

そしてスレイが選んだこの通路、まるっきり誰もいない。

むしろ積極的に人がいない通路を選んで進んでいる。

 

「この道であってんのか?」

 

「正解も不正解もない。だがここでいい」

 

「はあ?」

 

「見ろ」

 

スレイが立ち止まり、先を指差した。

前を見ると、通路でしゃがむ小さな緑色の小鬼が一匹いた。

 

「あれが一番弱いモンスター、ゴブリンだ。一人でやってみろ」

 

「えっ、いきなり?」

 

お手本も何もなしでやれと言われて戸惑う。

スレイはさもありなんとばかりにカーターを見やり、言う。

 

「そうだ、やれ。それとも怖いから帰るか?」

 

「そういう言い方はないだろ……」

 

怖いから帰るか? と問われて、怖いので帰ります、などと言えるはずがない。

第一、危険は承知の上で冒険者の道を選んだのだ。

カーターは前に出て、担ぐように持っていた斧を両手で握る。

心臓が高鳴った。

いきなりの実戦だ。やるしかない。

 

『ギッ?』

 

ゴブリンがこちらに気づいて立ち上がった。

耳まで裂けた口。そこから垂れ落ちるよだれ、覗かせる不揃いの牙。小さな体躯。エルフのような長い耳(エルフに失礼)とちんちくりんな手足の長さ。

やれるはず、だ。

 

「う、おおおおおお!」

 

自らを鼓舞するように叫んで走る。 “長柄斧” の重さが今は心強い。

 

『ギイイアアア!』

 

ゴブリンも威嚇するような鳴き声を発し、短い爪が生えた右手を振りかぶった。

だが攻撃が届く距離はカーターの方に分がある。

カーターは醜悪なゴブリンの頭をめがけて斧を振り下ろした。

 

ガチュッ

 

湿った、それでいて硬い音。

硬い頭蓋骨の直後にくる柔らかい脳漿。

それらの感触が柄を通じてカーターの掌へと伝わり、ゴブリンの返り血がピチリと腕に付着する。

ゴブリンはその眼球が飛び出して、崩れ落ちた。

 

「……!」

 

カーターは背骨を舐め上げるような感覚に襲われた。呼吸が荒くなり、言いようのない快感が沸き起こってくる。

精通にも似た戸惑いと興奮にカーターは打ち震えた。

もっとだ、もっと……殺し、たい……?

 

「次、来るぞ」

 

スレイの言葉がカーターを現実に引き戻す。

騒ぎを聞きつけたのか、ゴブリン二匹と二足歩行の狼、コボルト一匹がこちらへ走ってくる。

 

「敵は三体、味方は自分一人。どうする?」

 

昨日の午後の訓練と同じような状況だ。言葉通り “叩き込まれた” ことを思い出す。

 

「狭い通路に入って一対一で戦う」

 

そして幸いにも、まさしくここは二人並ぶのがやっとという狭い通路ではないか。

 

「いっくぞおおおおお!」

 

走った。

もう恐怖心も不安もない。あるのは興奮と高揚感だけだ。

スキル、狩人歓喜(ハンターズハイ)がそうさせるのだ。

カーターの腕に付着したゴブリンの血を肌から吸収し、アビリティを強化させ、興奮状態へと導く。

二匹いるゴブリンの一匹、太ったゴブリンが飛びかかってきた。

カーターは大きく斧を振りかぶり、薪を叩き割るようにゴブリンの顔をめがけて振り下ろす。

入った。

再び掌へと伝わる絶命の感触にカーターは震えた。

勢いをそのままにゴブリンを押し倒し、斧を引き抜くと、刃に付着した血が糸を引いた。

 

『ギガガガアアア!』

 

後から続いた痩せたゴブリンが腕を振る。

とっさに身をそらしてかわそうとしたが、避けきれず、頬を引っかかれた。

並行する三本の醜い傷ができて、血が流れ出る。

しかしカーターは痛みを感じない。

カーターに限った話ではないが、人は興奮状態になると痛みを感じないものだ。

 

「やっ、たな!?」

 

斧を水平に薙いだ。狙うはゴブリンの首。

“長柄斧” 本来の重量と、強化されたカーターのアビリティが、たやすくゴブリンの首を切断。血が噴き出して、カーターに向かって倒れる。

必然的にカーターはゴブリンの返り血を全身に浴びた。

すると頬に刻まれたはずのひっかき傷が、瞬く間に塞がっていく。

これがスキルの被血治癒(リゲイン)効果だ。

狩人にとって血はアビリティを高める劇薬であり、傷を癒す治療薬でもある。

そして残りのモンスターはコボルト一匹。

 

「あ、っは!」

 

その表情たるや……凄惨なまでの、笑み。

カーターはゴブリンの死骸を踏み越え、斧を大きく背後へ振りかぶってコボルトへ飛びかかる。

 

『グルゥオオオオ!』

 

コボルトが繰り出してきた右手をかわし、 “長柄斧” を左肩へと叩き込む。

これは肋骨、これは肺、これは肋骨、これも肋骨、これは心臓、これも肋骨……の辺りで斧は止まった。

いまのカーターと鉄鋼製の “長柄斧” では、コボルトの胴体を両断するに至らない。

両腕に力をこめて斧を引き抜いた。

血染めのコボルトは無言のまま地面に沈む。

 

「はあっ、はあっ……あは、あ、はははっ……」

 

心臓を突き抜けるような激しい鼓動と快感がカーターの脳を貫く。

こんなに楽しいことがあったなんて!

愉しい。

快しい。

楽しい。

たのしい!

もっと血を、甘い血を、香り立つ血の味を、もっと、もっと、もっと!

 

「カーター」

 

肩を叩かれて、カーターはハッとした。いま自分は何を考えていた?

 

「警句はなんだ?」

 

「けい、く?」

 

「ヤーナムファミリアの警句は? 言ってみろ」

 

なんだっただろうかと思い出そうとすると、昨日、殴られた時の痛みとともに言葉が浮き上がってきた。

 

「わ、われら、血によってひととなり、人をこえ……また人をうしなう……しらぬものよ、かねて血をおそれたまえ……」

 

「もう一度」

 

言われるがまま、繰り返す。

今度はろれつが回り、はっきりと言うことができた。

 

「我ら、血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ」

 

「そうだ。血と狩りに酔うな。酔えば終わりだ」

 

少しずつ、沸騰していた頭が冷えていく。ゆっくりではあるが鼓動も落ち着きを取り戻していった。

 

「落ち着いて深呼吸をしろ」

 

「……」

 

スレイに従って、深く、大きく呼吸を繰り返した。

しばらく繰り返して、足元のモンスターが灰になるころ、カーターは完全に自我を取り戻した。

 

「……落ち着いたか?」

 

「お、おう……なんか、俺が、俺じゃないみたいな、そんな感じだった……」

 

モンスターを殺して、それを楽しいと本気で思った。もっともっと殺したいとも。

 

「血でアビリティは強化されるが、同時に獣へ近づく。だから、血を恐れないといけないんだ。いいな?」

 

「わかった」

 

神妙にうなづく。

 

「よし」

 

スレイはカーターの肩に乗せていた手を下ろして、足元を指差した。

 

「魔石を拾え。それはおまえの取り分だ」

 

「ん?」

 

見ると、小さな結晶が灰の中に埋まっていた。

手に取ってみると、鈍い光を放った石ころのようでもある。

 

「これが魔石?」

 

「ああ。だがそれだけじゃ、昼飯代にもならないぞ」

 

「おお……へへへ」

 

嬉々として残る二つの魔石を拾ってズボンのポケットに突っ込んだ。

これが冒険者として初めての稼ぎというわけだ。

 

「まだ行けるな?」

 

「たりめーよ! 俺はまだやるぜ!」

 

握りこぶしを作って見せると、スレイは顎をしゃくった。

 

「じゃあさっそく後ろを見ろ」

 

「へっ?」

 

振り返ると、壁に亀裂が入り、そこからゴブリンが頭を突き出した。

 

「うおっ!?」

 

「モンスターは壁から産まれる。出てくるまえに片付けてしまえ」

 

「任せろ!」

 

 

 

 

 

そうしてしばらく一階層でのモンスター狩りを行い、帰還となった。

 

「まだやれるってのに……」

 

ぶつくさ文句をたれながら、大穴に設けられた階段を上る。

時刻はまだ昼頃でしかなく、ダンジョンに潜ろうとする冒険者はまばらに見受けられるが、帰還するのはスレイとカーターしかいない。

 

「血には少しずつ馴れろ。急に血を浴びすぎると、あっという間だ」

 

「ぬー……まだ、足りない感じがする」

 

「我慢しろ。そうだな、人を失ったらどうなるか見せてやる」

 

「見せてやるって……」

 

わけがわからず、ひとまずはギルドに向かって換金した。

メイに開口一番「シャワー浴びてこいやこのクソガキ!」となじられたが、ともかく昼食と夜食分の資金を手に入れて本拠へ。

外で軽く斧と体を洗ってから中へ入った。

 

「ただいまー、って、ここは家じゃねーな」

 

「斧はその辺に置いとけ。こっちだ」

 

カーターの一人ノリツッコミを華麗に無視され、少ししょんぼりしつつも、斧を壁にかけてスレイの後を歩く。

人を失ったらどうなるのかを見せてくれるらしいが、向かった先は上位者の部屋だった。

相変わらずカーテンがひかれた窓際に人形が座っており、その腕の中には上位者なる正体不明が収まっていた。

壁には大きな絵画がかけてあり、ヤーナムファミリアの最初の眷属であるゲールマン、ローレンス、ルドウイークが描かれている。

 

「お帰りなさいませ、狩人様」

 

人形が顔をこちらに向けて会釈した。

 

「地下に入る」

 

「ええ、どうぞ」

 

スレイはその絵画へと歩くと、絵画を少し持ち上げ、その裏側へと腕を伸ばした。

カチャリ、と何かが外れる音がして、絵画の下にある木板が手前へと開いた。隠し戸だ。

 

「ついてこい」

 

スレイはしゃがみ、その奥へと潜る。

 

「こんなところが……」

 

隠し扉の反対側には狭い廊下と、下へと伸びる梯子がかけてあった。

定期的に掃除されているのだろう、隠し通路ながら埃がない。

スレイは梯子の脇に置いてある魔石ランタンに光を灯し、梯子を下りていく。

カーターも後に続いた。

梯子を降りると、そのまま地下室となっていた。

巨大な岩をくり抜いたかのような肌寒い部屋で、まるで墓石の中にいるような気分になる。

……否、ここは本当に墓所なのだ。

梯子の正面、スレイのランタンに照らし出されたのは祭壇だった。

その祭壇には大きな、なにかの頭蓋骨が祀られている。

 

「これ、は……?」

 

頭蓋骨の大きさは人の頭の二倍か三倍はある。頭蓋骨だけでこの大きさなのだから、胴体があればどれほどの巨体になるのかわからない。

左頭頂部から後ろにかけて大きな穴が開いており、虚ろな内部をさらしていた。

もしかするとこれが致命傷になったのかもしれない。

口や鼻は狼のように前へと突き出し、その口に残る醜悪な牙は動物というよりはもはやモンスターのようでもあった。

だがモンスターの頭蓋骨ではないだろう。

モンスターならば魔石を失うと同時に灰になってしまうのだから。

祭壇にはこの頭蓋骨の他にも、流れ星のような輝きを放つ武器が祀られていた。

一つは巨大な鎌で、もう一つは大きく湾曲したナイフとも小剣ともとれる刃物。

そのどちらもが、なにか、言いようのない神聖な輝きを放っている。地上には存在しない金属を使っているかのように。

 

「……上に飾ってある絵は見たな?」

 

「ん、見た。最初の眷属なんだろ?」

 

「そうだ。この人はその最初の眷属の一人、ローレンス本人だ」

 

「えっ!? これ、人間?」

 

「ああ」

 

頭蓋骨を凝視するが、どこをどう見たらこれが人間に見えるだろうか。

 

「狩人が血に酔うとこうなる。俺も、おまえも」

 

言って、スレイは祭壇の上部を指差す。そこにはあの警句が刻まれていた。

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ……ローレンスからのメッセージだ」

 

「……」

 

人を失った成れの果て。

それがこの姿であり、ローレンスから未来の狩人に当てた伝言でもある。

頭蓋骨の眼窩はなにもない空っぽの空洞なのだが、カーターにはじっと自分を見つめているような気がした。

 

「こうなりたくなかったら、自分から血を求めるな。いいな?」

 

「わかった」

 

大きくうなずく。

これが人の頭蓋骨だとは思えないにしても、スレイがわざわざそんな嘘を言うとも思えない。

それに手入れされたこの祭壇もまた、スレイの言い分に信憑性をもたせていた。

 

「……そろそろ上がるか。先に行け」

 

スレイが下から照らして、カーターは梯子を上る。

そして上位者の部屋へと戻った。

ランタンを隠し通路に置いたスレイが出てきて、隠し扉を閉ざす。

 

「ところで、一緒に置いてあった武器はなんなんだ?」

 

「鎌のほう…… “葬送の刃” は、このゲールマンが使っていたオリジナルだ」

 

スレイは絵画に描かれている青年の一人を指差した。

確かに青年は両手で巨大な鎌を持っている。まるで死神の大鎌だ。

最初の眷属、ゲールマンが使っていたものなら途方もない過去の遺産ということになる。祭壇に祀るのは当然だろう。

 

「もう片方は “慈悲の刃” ……こいつのオリジナルになる」

 

スレイはコートの下から剣ともナイフともつかない刃物を抜いた。

冷たい銀色の光を放つ湾曲した薄い刃物。

するとスレイは両手で柄を持つと、柄が滑るように別れたではないか。

そのまま左右に引っ張ると、キン、と冷ややかな音を立てて二つの剣となる。

これで内臓を抉られればきっと地獄の苦しみを味わいそうな、そんな剣だった。

 

「血に酔った狩人を殺す狩人……そういう奴がオリジナルの “慈悲の刃” を持っていたらしい」

 

言うと、スレイは左右の手に別れた “慈悲の刃” の先端にある、湾曲した部位にそれぞれを引っ掛けて、左方をくるりと一回転。

刃は右手に一枚の剣となって収まった。

 

「はー……」

 

感嘆の声を漏らして、今朝方アーセナルが言っていたことを思い出す。

確かに普通の鉄鋼で、さらにこの薄い刃では、カーターはすぐに折ってしまうだろう。

 

「……今日はここまでだ、あとは自由にしろ。だがダンジョンには入るなよ? 斧は工房に預けておくからな」

 

カーターを一人残して、スレイは去っていった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

スレイは玄関まで戻ると、カーターが置いた斧を手に工房へと向かった。

武器がなければ、いくら血に飢えてもダンジョンには潜れない。

カーターが血の乾きに苦しむのはおそらく今晩になってからだろう。昼間は放っておいて問題はない。

では夜になるまでなにをしようかと思案しつつ、工房に足を踏み入れた。

炉の熱気に満たされた工房は、窓を開けていても暑苦しく、あまり長居したい場所ではない。

 

「おうスレイ、また整備か?」

 

一番近くの炉でハンマーを振るっていたアンドレイがスレイを見やった。

もう齢六十歳を超えていそうなヒュームの老人でありながら、上半身裸の肉体は筋骨隆々でたくましく、腕にいたってはまるで丸太のようだ。

白髪と白ひげを無造作に伸ばしており、もはや鍛冶師なのか冒険者なのかわからないような見た目である。

 

「いや、ちょっと新入りの斧を預かって欲しい」

 

アンドレイにカーターの “長柄斧” を差し出した。

刃は鈍っていないのだが、カーターがダンジョンに入らないようにするためだ。

体が血に慣れていないうちに、また血を浴びるのは危険すぎる。

 

「新入り? ああ、おまえさんがしごいとった小僧か」

 

「ああ。あいつが来ても渡さないでくれ」

 

「かまわんよ」

 

アンドレイは斧を受け取って、刃の状態を軽く見てから足元に置いた。やはり大したことはないようだ。

 

「そういやアーセナルのやつがまた変なもん作ったらしいぞ」

 

「変なもの?」

 

「変というか、妙ちきりんといったほうがいいかもしれんな」

 

ガハハとアンドレイが笑ったところで、そのアーセナルが肩を怒らせてやってきた。

 

「妙ちきりんとはなんですか失礼な!」

 

その右手に持っているものだが……なるほど、 “変なもの” としか表現できない。

何かに巻きつけるためのベルトが二つとレバーのようなものが並び、その上には箱型の複雑な機械。そこから大きな杭のようなものが頭を出している。

 

「それはなんだ?」

 

問いかけると、アーセナルは待ってましたとばかりに胸をはった。

 

「よくぞ聞いてくれました! ズバリ名付けて、パイルハンマー!」

 

ドヤア、と擬音が聞こえてきそうな顔をして、その “パイルハンマー” なる機械をスレイの眼前に突きつける。

そして前髪をかきあげて長々と講釈たれる姿勢に入った。

 

「いやあ魔石を利用した爆発機構は “爆発金槌” の段階で完成済みだったんですが、今回はその機構を小型化させた上で爆発による衝撃を一点に集中、杭を射出するように変えてみました。その場合における強度計算を算出したところ、爆発の衝撃には十分耐えられるはずです。ともかく杭を打ち出したとしてもその杭は箱の中に止まりますので魔石があれば何度でも利用できーー」

 

「説明はもういい、実際に使ってみろ」

 

ぴしゃりと言い切ると、アーセナルはムッとした表情になってジト目で見やる。

 

「ここからがいいところなのに……」

 

「おまえさんの話は素人にはわからんよ」

 

アンドレイは付き合いきれるかとばかりに背中を向け、再びハンマーを振るった。まだやることがあるのだろう。

アーセナルも邪魔にならないよう、外へと促した。

 

「……まあいいや、とりあえず外に行きましょう」

 

アーセナルとともに本拠の裏庭へと出た。昨日、カーターを鍛えてやった場所だ。

 

「ではスレイさん、ちょっと腕を貸してください」

 

言われて、スレイは手を引っ込めた。

 

「待て、一度は試したんだろうな?」

 

「当然です。この子の初めては僕のものなんですから」

 

気持ち悪い表現をするものだ。

とりあえず一度は試したらしいので、スレイは左腕を差し出した。

最悪、利き腕は残る。

……最悪が起きたらアーセナルもただでは済まさないつもりだが。

 

「とりあえずこのレバーを握ってもらってですね、ベルトで、腕に縛ります」

 

アーセナルは手際よくスレイの左腕に “パイルハンマー” を縛り付けた。

杭はスレイの拳よりも先に突き出ている。このまま殴るように使うこともできるかもしれない。

文句があるとすればこの重さくらいか。まるで “長柄斧” を腕に装着させたみたいだ。

 

「このまま殴るように突くこともできますが、最大の機能はコレです!」

 

アーセナルは鼻息を荒くして “パイルハンマー” の側面にあるレバーを後ろへと下げた。

すると杭が箱の中へと引っ込み、スレイが握っているレバーが上へと引き上げられ、ガチリと金属音を立てて固定された。

箱の側面にあるレバーは、銃でいうところの撃鉄に当たる部分だろう。

 

「さあ、最後は握っているレバーをぐいっと下げるだけです! やっちゃってください!」

 

アーセナルは興奮した面持ちとなってスレイの背後へと回った。確かに正面は危険だ。

 

「……」

 

とりあえずスレイは正面方向に左腕を伸ばして、衝撃に備えて肩に力をこめ、レバーを下ろした。

 

 

暴発

 

 

「っ……!」

 

「うわっ!?」

 

衝撃と同時に箱型の前面が破裂。黒煙とともに破片を撒き散らして杭が飛び出し、転がった。

スレイもアーセナルも体を強張らせて顔をしかめた。

幸いにも破損したのは正面部分だけで怪我はしていない。

 

「おい」

 

ジロリと睨むとアーセナルは慌てて取り繕った。

 

「いやいやいや、確かに一度使った時は平気だったんですよ!? これはそう、あれですね、杭が飛び出さないようにするための前部装甲が耐えきれなかったみたいです、はい」

 

とにかく安全に使えるのは一回のみらしい。

説明を聞きながらスレイは “パイルハンマー” を外してアーセナルに押しつけた。

 

「繰り返し使えないならただの重りだ。役に立たん」

 

「試作品! これ試作品ですから! 改良してもっといいもの作りますから! 見ててください! 次はスレイさんもまた満足するもの作りますから!」

 

スレイはこんなもので喜んだりしないのだが、アーセナルは声高に宣言して工房へと戻っていった。

魔石を利用した爆発機構を作ってそれで杭を打ちこもうと考えるのは、オラリオどころか下界全ての人間の中でもアーセナルくらいだろう。

だがその変態武器を好む狩人もいるので、特に言うことはない。

 

「……」

 

スレイはため息をひとつもらし、午後までダンジョンに潜ることにした。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

昼からは街を散策し、小綺麗な服や靴を眺めて回り、食べ歩きを楽しんだジョン・カーター。

とにもかくにも時間を潰して、夜。

ベッドに飛び込み、ぐっすりと寝付いた。

寝付いた、はずだった。

 

 

ピチャ、ピチャ……ピチャ

 

 

その眠りを妨げたのは、いつか聞いたことのある、水滴の音だった。

ただの水が滴るのではなく、もっと粘り気のある液体。

例えば、血のような。

 

「……?」

 

カーターはうっすらと目を開ける。

視界いっぱいに広がるのは天井の木板だ。顔を左に向けると……そこにはなにもなかった。

ヤーナムファミリア本拠の部屋は、どれもこれも独房を思わせるほど狭いのだ。

にもかかわらず、カーターの視線の先にはなにもなく、暗黒の闇が重苦しくそこにある。

天井も途中からプツリと消えて無くなり、床には見覚えのある血溜まりができていた。

そこからヌッと腕が出てきて、ビシャ、と床をつかんだ。

そして血に濡れぼそった体を引き上げ、おぞましい獣が姿を現す。

 

『血を、もっと血を、臓腑を』

 

それはあの夢の獣のようなものだった。

むき出しの臓腑。皮膚のない肌。見え隠れする白い骨。臓腑を抉る巨大な爪。

差異があるとしたら、それは顔。

筋立つ鼻には二つの穴があって、頭には亜麻色の髪が生えており、その瞳は溶けた飴細工のように形が蕩けて崩れている。

 

「……!」

 

カーターは目を見開いた。

この獣の顔は、まさしくカーターそのものだからだ。

耳まで裂けた口から爛れた歯茎と不揃いな牙をのぞかせて、声を発した。

 

『まだ、まだ足りない。もっと、もおおっと、血を、温かい内臓を、じょぉぉんかあああたああぁぁぁ」

 

冷や汗が吹き出る。

近づくなと叫びたいのに口は動かない。

 

『これで、終わりじゃないだろお?』

 

 

 

 

 

「……!」

 

声にならない声を出して、カーターは飛び起きた。

すぐに顔を左右に振って部屋を見回す。

寝る前と同じ、木板に囲まれた独房のような狭い部屋だ。

部屋にあるのはベッドの他に、服をひっかけるハンガーラックとそこにかけている荷物袋のみ。

 

「ゆ、め……?」

 

嫌な汗のせいでシャツがべったりと肌にはりついて気持ち悪い。

深呼吸して落ち着こうとするが、心臓の高鳴りはおさまらない。喉が異様に乾いていますぐにでも暴れてしまいたい。

この体の異常には心当たりがあった。

これは午前中の、ダンジョンでモンスターを倒した時のようなあの気分だ。

 

血を、もっと血を、温かい血を、臓腑を。

 

まるで禁断症状のようにカーターの体を蝕む。血が沸騰したかのように体が熱い。

 

「うぅ……」

 

ちょっとくらい、いいじゃないか。

夢の中に出てきた化物の言葉が頭の中で反芻される。

ちょっとだけ、ほんの少しだけ。それで我慢したらいい。

そうだ、ちょっとくらいどうってことない。やっちゃおう。

カーターはおもむろに立ち上がり、ドアを開けた。

 

「どこに行く?」

 

「うわっ!?」

 

ドアのすぐ隣で、椅子に座るスレイがいた。

カーターが部屋に戻ったあと、ここにやってきたのだろう。

スレイの手首には紐が巻きつけてあり、それはドアノブへと繋がっている。

ドアを開けようものなら自然とスレイを起こすようになっていた。

 

「血が欲しいのか?」

 

核心を突かれて、カーターは言葉に詰まる。

本当のことを言うべきか、それとも誤魔化すべきかを考えているうちに、スレイは続けて言った。

 

「我慢しろ。最初の二、三日を超えたらその苦痛はなくなる。部屋に戻って寝ろ」

 

そう言われれば従うしかない。力づくで抵抗して勝てるような相手ではないのだから。

 

「わかっ、た……」

 

部屋に引っ込んで、ドアを閉じた。

ベッドの上に身を投げ出して目を閉じる。早く寝てしまいたい。

けれど寝よう寝ようと努力しても眠れるものではない。むしろ意識は完全に覚醒してしまっている。

ベッドでのたうったところで眠れない。

心臓の高鳴りも、体の熱気も、血の渇きさえも収まる気配がない。

 

「う……ぐ……」

 

身を起こして、窓を開いた。

通りを挟んだ反対側には集合住宅のが並び、その屋根の上で漂う半月が異様に明るく感じた。

そしてこれはおそらくカーターの気のせいだろうが、半分の月が、血のように赤い。

少なくともカーターには血の色に見えた。闇の中に垂らした一滴の血の雫。

そんな色。

月が赤くなることはあるし、カーターも田舎の村でそんな月を見たことがある。

しかしここまで濁った月は初めてだ。

 

「ぐっ…………ぎ…………ぎ…………」

 

カーターくぐもった呻き声をもらして、きつく目を閉じ、窓枠を強く握りしめた。強く、強く、窓枠がメキリと悲鳴をあげるほど。

血が欲しい。

血を浴びたい。

血を飲みたい。

どうしようもないほどの血の渇きがカーターを苛む。

あごを引いてうつむき、ヤーナムファミリアの警句をブツブツと唱えた。

 

「われらちによってひとろなり、ひとをうしない、ひとをこえ……ひとをこえ、しとをうしなう……しらぬひとよ、かねてちをおろれため……わ、わえあ、ちによってしとをうしない、しとをうしなう……」

 

はっきりと言葉にできない。

昼頃に見たではないか。人を失ったローレンスがどんな姿になったのか。

いやしかし、それでも、それでも、ちょっと、くらい……。

 

「……あ?」

 

窓の下に視線を落とす。

この部屋にはバルコニーなどなく、そのまま三Mほど下には石畳の道路があるのみだ。

三M……飛び降りようと思えばできる高さ。

カーターはおもむろに窓枠に足をかけた。

飛び降りたらいいじゃないか。そのままダンジョンに向かえばいいじゃないか。

そう思うと世界が輝いて見えた。

尿意を我慢に我慢を重ねていたら目の前にトイレが現れたようだ。

そうとわかればやってみようか。

身を乗り出して、飛んだ。

瞬く間に地面が近づいて、着地。

しかし勢いは完全に殺せず、手と膝をついた。

手首、足首、膝、肩が痛んで悲鳴をあげた。

が、それだけだ。捻挫も、ましてや骨折もしていない。

ふらつきつつ、立って、斧の存在を思い出した。あれはスレイが持って行ってしまった。

どこに?

工房だ。そう、言っていた。

本拠の隣にある工房に向かい、閉じられているドアに手をかけた

 

「ぐぬ、ぬ……」

 

開かない。鍵でもかかっているのだろう。

 

「くそ……」

 

斧もないのにダンジョンには入れない。いくらなんでも無謀すぎる。

ドアは諦めて、工房のまわりを探して回った。なにかないだろうか? なにか……尖っているものでもいい。なにか……。

 

「あ……?」

 

工房の裏側に網状の金属のゴミ箱が置かれていた。覗き込むと、やはり金属のガラクタが無造作に放り込まれている。

その中に杭のようなものが混ざっていた。

引き抜き、観察した。

太さは充分。長さは肘から指先くらいまであり、先端はかなり尖っている。

尻の方には焦げたようなススが付着していびつに歪んでいた。

何かが爆発して壊れたのかもしれないが、カーターにとってはどうでもよかった。

 

「あは、ははは……」

 

武器が手に入った。

その喜びを胸にバベルへと走る。

早く、早く、早く、モンスターを殺したい!

夜の風がカーターの肌を撫で、上気した肌には心地よい。

赤い半月が街を血色に染め、通りを走り抜けてバベルへ飛び込む。

そのまま地下へ。

大穴へ。

始まりの道へ。

ダンジョン第一階層へ。

ゴブリンへ!

 

「みぃ、つぅ、けぇ、たぁ!」

 

通路を徘徊する醜悪な下級モンスターが五匹。

鉄則(セオリー)なぞ糞くらえとばかりにその群れに突っこむ。

 

『ギッ!?』

 

ゴブリンはカーターに気づいて左右に広がり、いっせいに襲いかかる。

カーターは逆持ちした杭を振りかぶり、正面のゴブリンの顔面に叩き込む。

即座に引き抜いてその脇をすり抜け、包囲の外へ。

 

「あへへ、へ」

 

舌を出して杭を、それについた血を舐めとった。

ゾクゾクと背中を舐めあげられるような感覚にぶるりと身を震わせる。

血を恐れよ? まさか、こんなに美味しいじゃないか!

もっとだ、もっと、もっと!

 

「ああアアアぁぁぁあア!」

 

雄叫びを上げてゴブリンに走ってーー

眼球に杭を突き刺す。

汚い悲鳴。

鼻に杭を突き刺す。

飛び散る鼻血。

口に杭を突き刺す。

血とか、よだれとか。

腹に杭を突き刺す。

そのまま押し倒す。

馬乗りになって、突き刺す。

引き抜く。

突き刺す。

引き抜く。

突き刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

殺す。

殺す。

死ね。

死ね。

死ね!

 

『グギ、ゲッ……』

 

カーターの下でゴブリンは血泡を吹く。

身体中を穴だらけにされたゴブリンだが、瀕死の状態ながらまだ息があった。

内臓に深刻なダメージを負っていないためだ。

 

「あ、へ、へへへへ、へ、へ」

 

返り血に全身を赤く染めて、カーターは笑った。

禁制薬物の中毒者のように。

 

「……あー、あー、ああ……」

 

カーターは天井を仰ぎ、呟く。

 

「のど、かわいた、な」

 

仰いでいた顔を、下のゴブリンへと向けた。

夜中に飛び起きたら汗だくだった。それからまだ一滴も水を飲んでいない。

水はない。ないが、代わりのものがある。

ゴブリンの体から流れ出ている赤い液体がある。

香りたつ、芳しき血液が。

ゴブリンの首筋に杭を突き刺し、引き抜いた。

そこにできた穴からはドクドクと血が流れ出ていく。

 

「かあああ……」

 

噛み付いた。

じゅふじゅると嫌な音を立てて血をすすった。

 

「……うぐっ!?」

 

突如としてゴブリンの皮膚が灰に変わる。じゃりじゃりしたものから口を離して口元を拭った。

どうやらモンスターの体外に流出した血液までは灰にならないらしい。

 

「は、ははは、はは、は、は」

 

人生で一番楽しいときがあるとしたら、それは多分、いまこの瞬間だった。

 

「あー……」

 

カーターは夢遊病者とも薬物中毒者ともつかない足取りでダンジョンの奥へと進んだ。

もっとモンスターを。

もっと殺しを。

 

 

ファ……! …………ト!

 

 

「あ?」

 

口元に笑みをたたえたまま、なにかの声に耳を傾けた。

誰かがいる。誰かが何かを叫んでいるのが聞こえる。

誰でもいい。

誰でもいいから、殺したい。首を切り落として、流れ出る血を頭からかぶって啜りたい。

 

「はは、あひあぁははははは、はははは、はは、あは、あは……」

 

壊れた笑い声をあげつつ、カーターはその声の方へと歩いていく。

やがてなにを言っているのか聞こえてきた。

 

「ファイアボルト! ファイアボルト!」

 

炎が吹き荒れ、モンスターが焼かれるいい匂いがする。

通路の先にある小部屋にて、白い髪の少年が魔法を乱射していた。

初めての魔法に浮かれているような、そんな大盤振る舞いで炎の矢を使いまくっていた。

 

「ファイ……あ……れ……?」

 

その少年は突如としてばったりと倒れてしまう。まるで食べてくださいとでもいうように。

ああ、いいじゃないか、人。人の血の味。知りたい。知っちゃえばいいじゃんか。

杭を持って、白髪の少年へと近づいた。どんな味だろう?

 

「待て!」

 

声をかけられ、そちらをゆっくりと見やる。

そこにいるのはエルフの女性と、金髪のヒューマンの少女。

エルフ、エルフ、エルフ……誰かに何かを頼まれていたような気がするが、忘れた。

忘れるていどの用事なら大したことじゃないだろうと、余計なことを頭から追い払う。

 

「あなたいったい、何なの? 人間……なの?」

 

二人の女性はそれぞれ杖と剣を構えた。

強そうな気がした。

自分ではとうてい敵わないような存在に武器を向けられ、カーターは後ずさりする。

 

「答えなさい! あなたはいったい何者!? モンスターなの? 人間なの!?」

 

エルフの質問の意味が理解できない。なぜそんなことを訊く? そしてなぜそこまで敵意を向けてくる?

いまのカーターには理解できない。その正気を失った頭脳では理解できない。

 

「うー、うぅ、う……」

 

とにかくいまは逃げなくてはならない。蕩けた脳みそが逃げろと告げている。

背中を向けて、脇道の通路へ入った。

振り返ると、追いかけてこなかった。

まばらに散らばる魔石を超えて、下へ通じる階段を見つけた。

 

「あ、へ、へ、へ」

 

壊れた笑い声をあげながら、ダンジョンの下へ下へと潜っていった。

 

もっと、血を。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「その子、無事?」

 

アイズは剣を収めてリヴェリアに問うた。

さっきの血まみれの “何か” はどこかへと行ってしまったものの、無防備な少年を置いていくことはできなかったのだ。

リヴェリアは倒れている少年、ベルの体を調べてからアイズを見上げる。

 

「外傷はない。典型的な精神疲労だ。後先考えずに魔法を撃ったのだな」

 

「よかった」

 

ほっとすると、自然と笑みがこぼれる。

 

「それにしてもさっきのはいったい……何だったのかしら……」

 

リヴェリアがあごに手を置いて考える。

もちろんアイズにもわからず、ただ見たままを口にするしかなかった。

 

「少年にも見えたし、モンスターにも見えた」

 

服を着ていたことからモンスターではないだろう。

だが顔立ちや姿はどうかというと、顔にはまるでシルバーバックのような深いシワが幾重にも刻まれ、バトルボアのような体毛が背中や顔の周辺を覆い尽くしていた。

そのくせ顔にはあどけなさすら残る少年のようでもあり……。

だが、何よりもまずあの眼。

溶けた飴玉のように形が崩れ、蕩けた瞳にはもう正気が感じられない。

 

結論は出せず、アイズは一人でこの少年とともに残ることを選んだ。

リヴェリアの言う償い(ひざまくら)をしたかったからだ。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「……」

 

ピクリと体を震わせてスレイは目を覚ました。

廊下の奥にある窓から、白い月明かりが差し込んでくる。まだ夜だ。

手首を見ると、ちゃんとドアノブと紐で繋がっていた。

どうやらカーターは部屋に留まっているらしい。

だが念のためと、紐を外して部屋を覗いた。

 

「ん……?」

 

カーターはベッドにおらず、窓が開いている。

呆れてため息をつき、窓へと歩いた。

これまでにも窓から逃げ出そうとして飛び降りる者はいたものだ。

そして決まって足首を捻挫するか、小指の骨を折るかして窓の下でうずくまっているのが常である。

窓から頭を出して下を見ると……予想を裏切り、そこにカーターの姿はなかった。

 

「……」

 

顔をしかめて頭を引っ込めると、急ぎ足で玄関へ向かう。

足を痛めて玄関まで這いずって、そこで伸びていることもあるからだ。

玄関口の鍵を外し、ドアを開けた。見回してもいなかった。

 

「馬鹿野郎が……」

 

眉間にしわを寄せて舌打ちし、スレイは自分の部屋へと戻ってコート、帽子、 “獣肉断ち” と “慈悲の刃” を装備。

本拠を飛び出す。

向かう先は当然ながらダンジョンだ。

武器はどうしたのかわからないが、カーターが向かうとしたらそこしかない。

走り抜けて、始まりの道をひた走る。

 

「……む」

 

前方に影。

マントを羽織ったエルフの女性……あれはロキファミリアのリヴェリアだ。

なぜ一人でここにいるのかわからないし知ったことではないが、尋ねるしかない。

 

「ああ、おい」

 

「……なにか?」

 

『おい』と呼ばれたのが不快だったのかわからないがリヴェリアは眉をひそめる。

だがいまは関係ない。急ぎなのだ。

 

「変な……明らかに様子がおかしいやつを見なかったか?」

 

「様子が……?」

 

「ああ」

 

「……服を着たモンスターのような少年かしら?」

 

そう答えるリヴェリアの目はスレイを探るようなものだった。わずかな動揺を見逃すまいという目だ。

 

「……」

 

モンスターのような少年……。

スレイは顔に出さないように努力したものの、どうしても苦い顔になってしまう。

スキルの血液再誕(ブラッドボーン)が発動したのだろう。

体が血に慣れていなければ少量の血でも人を失ってしまう。

そして人を失ったとき、どのていどの獣に成り下がるかはそれまでに摂取した血の量で決まる。

つまりカーターのように少量の血で獣になったのなら、カーターの面影や知性がかすかに残っているかもしれない。

逆に言えば、もしもスレイが人を失うときがきたら、それはきっとレベル6をはるかに超えるような強大でおぞましい獣となるだろう。

 

「知り合いなの?」

 

答えを出さないスレイに痺れを切らしたのか、リヴェリアはさらに突っ込んだ質問をしてくる。

それも無理もないかもしれないが、ここで「はいそうです」とは言えない。

あの道化師(ロキ)に目をつけられてはたまったものではないからだ。

ロキファミリアからの改宗組がいまもわずかに生き残ってはいるが、だからと言ってロキがためらうとも限らない。

あの女神が潰すと決めたらそうなってしまうだろう。

もちろんその時は後悔するほどの損害を与えるつもりだが……それはあくまでも最終手段だ。

リヴェリアの問いかけにはどっちつかずの答えを返した。

 

「……それを確かめる。どこにいた?」

 

「……」

 

リヴェリアはスレイの表情をじっと見つめてから、諦めたように目を伏せ、背後を指差す。

 

「二階層の先、ルームをいくつか越えた先よ。でもすぐにいなくなったから、もう三階層までいったかもしれない」

 

「そうか。助かる」

 

リヴェリアの脇を過ぎて走った。もう手遅れかもしれないのだが。

 

 

二階層。

モンスターといえどもそれなりの知能や、襲って勝てる相手かどうかを判断する頭を持っている。

威圧感を剥き出しのスレイに飛びかかってくるゴブリンやコボルトはおらず、岩の影で隠れているものばかりだった。

そういうものは無視して進み、ルームに出た。いくつもの通路へと分岐したルームだ。

その真ん中には金髪碧眼の美少女、アイズ・ヴァレンシュタインと、彼女に膝枕をしてもらっているベルの姿があった。

アイズはスレイが人間であると理解したのか、右手に持っていた剣を鞘ごと下ろした。

おそらく、自分の方へと近づいてくるスレイの気配を、モンスターか何かだと思って警戒していたのかもしれない。

それにしてもなぜこんなところで膝枕をしているのか、まったく見当がつかないのだが、まあいいとしよう。

ベルには外傷がないからそう大したことでもあるまい。

ベルとアイズがダンジョンの中で男女の仲を深めようと、それはスレイにとってどうでもいいことだ。

先刻のリヴェリアはカーターらしい人物を目撃している。

そしてアイズはリヴェリアと同じロキファミリアだ。遠回しな表現ではなく、率直に尋ねた。

 

「服を着たモンスターみたいなやつを見なかったか?」

 

「それなら、あっちに行った」

 

アイズの指を目で追った。

とりあえずアイズに解体されたわけではないらしい。

 

「そうか。助かる」

 

一番助かったことは余計な詮索をしてこなかったことだが……とにかくその通路へ走り、下へと続く階段を降りた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

『グ……ギ……』

 

カーターだったものは蕩けた瞳をギョロギョロと動かして獲物を探す。

口から垂れ落ちるヨダレになど露ほども気にしておらず、誰かが捨てたであろう折れた剣を、意味もなく振り回していた。

獲物を引き裂きハラワタを引きずり出したくてたまらない。

血を、もっと血を、もっと殺しを。

ゴツゴツした岩の通路を進むと、二匹のコボルトが現れた。

 

『グルルゥ……』

 

コボルトはやってきたものの異常性に気づいたのだろう、警戒して後ろへと下がった。

モンスターでも人間でもないものと化したカーターは、ぐにゃりと口を歪ませて、走った。

 

『ギャウ!』

 

『ガウ!』

 

二匹のコボルトは左右からカーターへ飛びかかる。なんだかわからないがやってしまおうというのだろう。

カーターは右から飛びかかってきたコボルトの首を左手で鷲掴みにして、右のコボルトを殴りつける。

そのまま掴んだコボルトの首を折れた剣で切り裂いて、まずは一匹。そいつは手放した。

地面に転がるコボルトに飛びかかって馬乗りとなり、折れた剣でめちゃくちゃに切りつける。

もっとも、鈍った刃はコボルトの毛皮を切るというよりも、引き剥がすと表現する方が正しい。

コボルトの口まわりの皮が剥がれて、その下の白い骨をのぞかせた。

コボルトは両手両足をばたつかせて抵抗するが、カーターを振り払うにはいたらない。

 

『ぐ……げへ、へへ、へ、へ』

 

カーターは笑った。

形が崩れた瞳で、赤く染まっていくコボルトを見下ろして、両手で肉を引き千切って、笑う。

ああ、なんて楽しいんだろう。肉が千切れる感覚。甘くて蕩ける血の匂い。脳が痺れるような興奮。

どれもこれもがカーターを喜ばせる。

だが……楽しい時間はすぐに終わった。

 

『あ……?』

 

コボルトが消えた。さらさらの灰になって、形がなくなった。

これではなにもできないではないか。

八つ当たりに灰の塊を横殴りした。白い灰が舞い上がったが、ちっとも楽しくない。

カーターは立ち上がった。

楽しくないなら他の遊ぶものを探しに行こう。もっと下へ、もっと先へ。

 

「おい」

 

後ろから声がした。

振り返ると、どこかで見たような見てないような、青年がいた。

コートと三角つばの帽子、右手にはノコギリのような大鉈の武器。

なんでもよかった。肉袋がむこうからやってきたのだから。もっと血を浴びれるのだから。

 

『アァアアアアアア!』

 

折れた剣を振り回してそいつへと向かった。

大きい男だ。人を失ったカーターでさえも見上げるほどの男だ。

カーターはズタズタに切り裂いてやろうとするが、そいつはまるで蝶々や風のようにひらひらと避ける。

まったく当たらない。切っ先さえも引っかからない。

 

「……警句を言ってみろ」

 

男が何かを言ったが、理解できなかった。

ケイクってなんだ?

どうでもいいじゃん、そんなの、避けるなよ、血を吸わせろ、イライラする!

 

この病気持ちのネズミ!(You plague-ridden rat!)

 

罵り、なおも追撃の手を止めない。

すると男はため息をついて、武器の留め具を外した。

 

「……そうか」

 

冷たい煌めきがカーターへと迫った。

あまりにも早すぎて避けることも防ぐこともできなかった。

 

 

ギジュッ

 

 

一瞬の時間差を置くことなく、四肢の感覚が消えた。

 

『アっ!?』

 

支えを失ったカーターの胴体は地面に落ちて、顔を派手に地面に打ちつける。

根元からなくなった手足で抵抗しようとするが、芋虫となったカーターにできることなどない。

自分の血で溺れる魚のようにピチピチとはねるカーターは、もはや完全な手詰まりだ。

 

「俺の監視が甘かったせいだ。すまん」

 

言葉の意味は理解できなかったし、これからも理解することはない。

カーターの頭は肉厚の鉈によって叩き割られ、脳漿を撒き散らすことになったのだから。

 

 

その獣に堕ちた魂がどこにいったのか、それは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

ジョン・カーター。一五歳。

ヤーナムファミリア入信後、二日後に死亡。

 

最短死亡記録更新。




二万文字越えたぜ。疲れたぜ。


ブラッドボーンの雰囲気出すには誰か死んでもらわんといかん……

かといってダンまちキャラ死なせるとそのファンを怒らせてまうしアンチ作品になってしまう……

せや! オリキャラ出して殺したろ!


いかんのか?


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7 ローグ・ハンターズ(1)

アニメ、ブラック・ブレッドを観たワイ、エミーリアを戦う幼女にしておけばよかったと後悔する。

ああああああああ延珠ちゃんを膝に乗せて一緒に天誅ガールズ観てええええ
ティナちゃんにたこ焼きあーんして食わせてやりてえよおおおおお!
小比奈ちゃんの顔に『白くべたつくなにか』って落書きしてええええええうっ、ふう……


そういうわけで戦う幼女を出すことにした。
とりあえずあれだ。
細けえこたぁいいんだよ!


リヴェリアは本拠へ戻り、世間話やちょっとした会議に使う広間に入る。

アイズはまだベルという少年とともにダンジョンにとどまっており、帰ってくるのはもう少し後になるだろう。

広間ではロキを含め、フィンやベートなどの幹部らが談笑にふけっていた。

ロキがいち早くリヴェリアに気づいて笑顔を向けてくる。

 

「おー、戻ったんやな」

 

「お帰りー」

 

「お帰りなさい」

 

アマゾネス姉妹やレフィーヤらもリヴェリアの帰還を歓迎した。

彼らの笑顔を見ると、リヴェリアも顔がほころんでしまう。ここが帰るべき場所なのだと実感する。

 

「ああ、ただいま」

 

言って、リヴェリアも広間の椅子に腰かけた。

すると気を利かせたレフィーヤがお茶を淹れて持ってきた。緑色の透き通ったお茶だ。

 

「お茶をどうぞ」

 

「ありがとう」

 

快く受け取って、一口。

乾いた喉に心地いい。

 

「アイズはどうした?」

 

ベートが問うてきた。

下級冒険者をザコと呼んで憚らないが、強い女性、ひいてはーー本人は隠しているつもりだがーーアイズに気があるらしい。

ここで例の少年を持ち出すと後が面倒なことになりそうなので、リヴェリアは少しぼかして答えた。

 

「少し別用が入った。しばらくしたら戻ってくるさ。それより……少し気になることがあってな」

 

ロキとフィンを見やると、真剣な話であると察したのか、二人は表情を引き締めた。

 

「なんや深刻そうやな」

 

「深刻、かどうかはわからないが……いつだったか、ベートが酒に酔ってヤーナムファミリアの眷属に絡んだことがあっただろう?」

 

「あったあった。派手にぶん殴られたよねー?」

 

「けっ」

 

ニヤニヤとディオナはベートを見やり、ベートは忌々しげに顔をそらす。

 

「さっき、私とアイズがダンジョンから戻る途中、服を着たモンスターのような少年と遭遇した」

 

服を着たモンスター。

その意味不明な存在に、全員が眉をひそめた。

モンスターが服を着るなどありえないことだ。

体毛や、古くなって剥がれた皮膚が布をかぶっているように見えることはあるが、服を着るというのは本来ならばありえない。

 

「その服を着たモンスターのような少年は、私が少し脅したらどこかへと行ってしまった。その後、例のベートを殴った彼と遭ったよ。彼は私に『様子がおかしいやつを見なかったか?』と質問してきた。私が知り合いかと問うたら『それを確かめに行く』と……どう思う?」

 

客観的に、ありのままを話した。

情報に個人的な感想を加えて余計な着色をすると、正確に伝わらないからだ。

フィンは口元を隠すように考えて、呟いた。

 

「……魔石を持たないレアモンスター、か」

 

冒険者達に囁かれている噂はいくつもある。

そのうちの一つが、魔石を持たないレアモンスターがいるというものだ。

モンスターは必ず胸のあたりに魔石を持っているものだが、なぜか体のどこにも魔石を持たない強力なモンスターがいる、と。

だがそれは噂などではなく、確かに実在するのだ。

以前、遠征から帰った帰りに、フィンやベートらはロキファミリアの眷属の死体と、その近くに転がっているモンスターの死骸を見つけている。

そしてそのモンスターにはなぜか魔石が存在せず、灰にもならずに残っていた。おまけにヤーナムファミリアの眷属のようなコートを着ていたのだ。

 

「ヤーナム野郎がモンスターにでも化けちまったんじゃねーの?」

 

ベートは椅子の背もたれに頭を乗せるようにふんぞり返り、冗談とも本気ともつかない口ぶりで言う。

それを聞いたティオネが呆れたように返した。

 

「なに言っちゃってるの。人がモンスターになるなんて聞いたことないわ」

 

「聞いたことがないからありえない、っちゅーのは早計やで。まあ頭の片隅に入れとくくらいはしてもええかもしれへん」

 

とはロキの弁だ。

 

「にしても、食人花に極彩色の魔石、アイズたんを狙う女調教師。そこへさらに魔石を持たないモンスターときたわ。はは、手が足らんな」

 

愉快そうにロキは笑う。

何かはわからないが何かが起きている。その状況が楽しくてたまらないのかもしれない。

 

「けどま、ヤーナムのほうは後回しでええやろ。連中かてウチらに喧嘩売るほど馬鹿やないし、なんかちょっかい出しよるわけでもないし」

 

「神に嘘はつけないんだろ? ロキがヤーナム野郎のところに行って質問したらすぐ終わるじゃねえか」

 

ベートの提案に、ロキは呆れたように顔を振った。

 

「かーまったくわかっとらんなー。これやからベートは」

 

「んだよ」

 

不満顔のベートに言い聞かせるような口調でロキは話した。

 

「ええか? ウチら神は遊びに、もっというとゲームをしに来たんやで? ゲームっちゅーのは……ほれ」

 

ロキは誰かが片付け忘れたであろうトランプを手にとり、それを五枚ずつ自分とベートの方に裏向きで差し出す。

 

「お互いの手札が見えへんからゲームになるんやで? それをやな……」

 

ロキはベートに振られたトランプをひっくり返した。

ハートの5、2。

クラブの10。

ダイヤの8。

スペードの5。

ポーカーのルールで言えば5のワンペアとなる。

 

「こんな風に相手の手札を覗き見してみい、こんなんやれば殴り合いになるやろ」

 

「あー、そりゃそうか」

 

合点がいったようにベートはうなずく。

神がなにを考えているのか手っ取り早く知りたければ、その神が溺愛する眷属のところに赴いてこう問いただすといい。『お前の主神はなにを考えている?』と。

だがそれをやれば間違いなく挑発とみなされ、あらゆるルールを無視した抗争へと発展するだろう。

ロキがオッタルの元に行き、フレイヤの目的を問いたださないのは、つまりはそういう理由である。

さらにわかりやすく例えるならば、『よお、ロキのバストサイズはいくつなんだ?』と、命知らずな男神が笑いながらこう問いかけてきた場合、その男神のファミリアは一晩で灰になるだろう。

 

「じやあさ、ロキが戦いたくないって思うくらいヤーナムファミリアって強いの?」

 

「強いで」

 

ティオナの質問にあっさりとロキは肯定した。

 

「人数こそウチらよりずっと少ない中小ファミリアやけどな、あいつら個人の戦力がハンパないねん。おまけにリンクスがおる」

 

その名前が出てきたとき、彼のことを知るフィンとリヴェリアは渋い顔になった。

 

「彼、か……」

 

「あの子ね……」

 

いまここにいる中でリンクスと面識があるのは主神たるロキと、初期の眷属であるフィンとリヴェリアだけだ。

ここにはいないが、アイズもおそらく覚えているだろう。

 

「リンクス……どっかで聞いたような気がするな……」

 

「まあ見聞きしたことくらいはあるやろ」

 

ロキの言葉を引き継ぐように、フィンが説明した。

 

「……カラード・リンクス。元はロキファミリアの眷属だった子だよ」

 

ティオネが思い出したのか、「あ」と声を出した。

 

「たしかレベル6の上級冒険者だっけ? 二つ名は……ぷ、ぷろゔぃ……」

 

考え込んだため、リヴェリアが答えを返してやる。

 

「『秩序破壊者(プロヴィデンスブレイカー)』」

 

秩序を破壊する者。

思えばこれほどまでにリンクスを表現している二つ名もあるまい。

その二つ名と名前をどこで見聞きしたのか思い出したのだろう、ベートは眉をひそめた。

 

「そりゃたしかギルドのブラックリストに載ってなかったか?」

 

「載っとるで。ほんでどこから聞きつけたか知らんけどな、ヤーナムファミリアのモンがリンクスを勧誘して、あのアホはその誘いに乗ったんや。ウチはこれ幸いと改宗を認めてやったわ」

 

ロキの態度が如実に語っている。

ファミリアのお荷物がいなくなってせいせいした、と。

 

「けどな、リンクスはブラックリスト入りなんざ屁とも思ってへん。ヤーナムに入った後は『闇派閥』の連中となんや悪さしとったっちゅー噂や。おまけにアストレア潰しに関わってるだのいないだの……とにかく黒い噂が絶えん奴やで」

 

証拠があるわけでもないが、経歴を見るだけでも末恐ろしい。

リヴェリアは軽い頭痛に襲われてため息を一つ吐く。

 

「改めて整理するとめちゃくちゃだな……しかもそれがアイズのたった二歳上というのがまた……」

 

「ちょっと待て。闇派閥と付き合いがあってブラックリスト入りしてるのが堂々と冒険者やってんのか?」

 

信じられないというようにベートが眉をひそめ、ロキは天井を見上げる。

 

「しゃーないやろ、あいつ冗談抜きで強いねん。自分の眷属を危険にさらすくらいならほっとくほうがマシってみんな考えとる。ウチだってそうや。そらヤーナムとかち合えば間違いなくウチらが勝つけどな、そんときはかなり弱体化するで? そこをほかのファミリアが手を組んで潰しに来てみい、このファミリアはお終いや」

 

ファミリア同士が手を組んで別のファミリアを攻撃する。

それは別に珍しいことではない。ロキとてかつては弱体化したゼウスファミリアを、フレイヤと手を組んでオラリオから追放した過去があるのだ。

もしもロキファミリアが弱体化したら、そのときはオラリオ最強の座を奪うべく他の神々が動き出すだろう。いわゆる漁夫の利というやつだ。

中にはアイズを自分のファミリアに引き入れてしまおうと考える男神がいてもおかしくない。

眷属を使った勝負はチェスのようにはいかないものだ。

相手のキングを取るためにナイトやクイーンを捨てるなどできるはずがない。駒を失った状態で次の勝負をしなくてはならないのだから。

 

「具体的にどんな人だったんですか?」

 

レフィーヤが問い、フィンが答える。

 

「昔……ショゴスファミリアがあったんだ」

 

「はぁ……?」

 

あった。

あったのだ。昔は。

 

「そのファミリアはレベル2が一人と、レベル1が四人だけっていう探索系の零細ファミリアでね……だからリンクスが目をつけたんだ」

 

「目をつけた?」

 

「彼はショゴスファミリアの本拠に押し入って、そして全員を殺した」

 

その言葉に、レフィーヤだけでなくティオネとティオナも息を呑み、ベートは顔をしかめる。

 

「ギルドからの報せを聞いて駆けつけたのは、リヴェリアとロキだったろう?」

 

フィンがリヴェリアへと視線を送り、リヴェリアはあの日を語る。

あの日、ショゴスファミリア本拠に光の柱が立ったのだ。神が強制送還される際に発生する柱。

まずはギルドの職員が様子を伺いに行き、そしてここへ慌てふためいた様子で飛びこんできた。

フィンは別件でその場にはおらず、副団長であるリヴェリアと主神のロキが駆けつけた。

 

「ショゴスファミリア本拠の、玄関の広間に五人の冒険者が倒れていて、みんな死んでいた。その本拠の一番奥にリンクスがいたわ。返り血と、怪我を治すためのハイポーションで全身を濡らして……あれは忘れられない」

 

何よりも忘れられないのはリンクスの顔だ。

あの、成し遂げたようにコロコロと笑う、年相応の屈託のない笑顔。

顔を赤い斑模様に染めて、身体中に切り傷を作って、ハイポーションの空瓶を散乱させて、悪びれもしない顔でリンクスは言ってのけた。

 

「リンクスは駆けつけた私にこう言ったわ。『ねえリヴェリア、レベル2を殺したんだからレベル2になれるよね?』って」

 

ランクアップするには偉業を成し遂げればいい。だがそれが何を意味するのか具体的なものはわからない。

だからリンクスはレベル2の冒険者を殺すという手段を選んだのだ。

 

「それをやったのが、リンクスが九歳のときよ」

 

そして九歳にしてブラックリストに載り、同時にランクアップを遂げた。

その時の二つ名は『格上殺し(ジャイアントキリング)』である。

 

「あれはもうウチの手に負えへん。ヤーナムファミリアへの改宗話が無ければ追放しとったで」

 

言い終わる頃には重たい空気に満たされていた。

九歳にして殺しを覚えた少年が、その後どんな成長を遂げるかは想像に難くない。

 

「ともかくあそこに手ぇ出すんは禁止や。ヤーナムファミリアを追放しようと働きかけとったギルドの職員が、なぜか家族連れで無理心中したとか、ヤーナムを詮索しとった男が自分の主神もわからんくらい錯乱した状態で見つかったとか、目も当てられんくらいひどい死に方したやつがおるとか、色々とあんねん」

 

ふと、ティオネが疑問に思った。

 

「そこまで事情を知ってるってことは、ロキも少しは調べてたってこと?」

 

「せや。なんせヤーナムの主神がどんなやつか、ウチら神でも知っとるやつがおらへん。いっつも代理人の喋る人形を寄越して自分は姿を見せへんねん。興味も湧くわ」

 

もしもオラリオ七不思議があるとしたら、その内の一つが『ヤーナムの主神を探る者は謎の死を遂げる』というものになるだろう。

 

「でな、ヤーナムの主神がどんなやつか、特にカインファミリアっちゅーのが熱心に調べとったんやけど……」

 

一呼吸置いた。

それがなにを意味するのか、もはや全員が理解していた。

 

「……ウチがファミリアを立ち上げてまだ間もないころや……ヤーナムファミリアの連中が、そのカインの城を襲撃したんや。城の中はもうひどいもんやったらしいで? 文字通り、一人残さず皆殺しなんやと。おまけに団長の死体を、まるで見せしめみたいに飾っとったわ。さすがのウチも胸糞悪くなったで」

 

リヴェリアもその光景は覚えている。

ある冬の朝、雪によって白く染められた城の庭先には、率先して逃げようとした女性や子供の死体がいくつも転がっていた。

背後から矢で射抜かれたもの。

抱きかかえる子供ごと上下に分割されたもの。

穿たれた胴体。

失った手足。

転がる頭部ーー。

それらを見て、当時の駆け出しだったリヴェリアは恐怖したものだ。

城の窓という窓は内側から破られており、血で染まった窓縁から上半身をだらりと投げ出す男の姿や、力なく垂れ下がる腕などがそこかしこに見て取れた。

城の正面バルコニーには椅子が置かれており、女団長が苦悶の表情を浮かべて息絶えていた。

革ベルトによって椅子にがんじがらめに縛り付けられており、首から下は肉という肉がすり潰されて粘膜の内をすべてさらけ出していた。

恐らくは生きたまま、死ぬまで鈍器で殴り続けたのだ。

潰して、潰して、潰して、潰して、潰して……全身の血管がぶつ切りになり、内出血によって皮膚が腫れあがり、やがては皮膚が破れ、血が吹き出し、骨を折り、砕き、筋肉が引きちぎれ、内臓を外側へと曝け出す。

そんな無残な死体となった女団長の目は限界まで開き、口は歯が割れるほどきつく食いしばっていた。

この世に存在するすべての拷問を受けたらあのような顔になるのかもしれない。

城の玄関から中に入ったギルドの職員が、すぐさま戻ってきてゲーゲーと嘔吐していた。内部がどうなっているかは想像にかたくなかった。

その後、城は売りに出されたが、当然ながら買い手はつかず、やがては解体された。

都市計画により跡地は住宅地へと姿を変えたが、その付近では女のすすり泣く声がどこからともなく聞こえてくるのだという。

皆一様に顔をうつむいて言葉を発さず、レフィーヤにいたっては顔色を青ざめていた。

その重たい空気を一転させようと、ロキはパン! と手を叩く。

 

「さ! この話はこれで終いや! 今日はもうお開き! レフィーヤ、一人で寝るの怖なったらウチが添い寝したるで? ウヘヘヘヘ」

 

ロキは鼻の下を伸ばしてワキワキと両手の指を動かす。どこの変態おじさんだ。

レフィーヤは顔を赤くして自分の体を抱きしめた。

 

「け、結構です!」

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

根拠のない迷信というのは数多い。

その中でもよくある迷信といえばやはり『誰かが自分の噂をするとくしゃみをする』というものだろうか。

いつから言われるようになったのかわからないが、ともかく確かめようもない迷信である。

噂とは自分のいないところで囁かれるものだから。

 

「っくし!」

 

なので彼がくしゃみをしたとしても、それが自分の噂話が原因であるのか、鼻腔に極小の異物が入り込んだことによる免疫反応によるものかは区別のしようもない。

彼は首を傾げながら、唾でぬれた口元を裾で拭った。

 

「かぜひいてる場合じゃねえぞ」

 

ざらつき、かすれた声の持ち主……グリッグスが笑いながら軽口を叩いた。

そのグリッグスは正面から飛びかかってきたバグベアの懐に飛び込み、伸ばした “長柄斧” でバグベアの頭から股下まで両断。

二足歩行の大熊のようなモンスターは左右に分割され、臓腑を撒き散らして倒れた。

 

「わかってるよ」

 

彼は振り返りざまの一閃を放つ。

見なくとも足音や呼吸する位置などから、その大きさや距離は推し量れるものだ。

彼を背後から丸太で潰そうとしていたのはトロールだった。

トロールは胸を切り裂かれて仰向けに倒れる。

彼が手にするのは “千影” という太刀だ。極東の島国が発祥の地とされる片刃の剣。

刀身そのものは『不壊属性』を持つ超一級品の代物だが、なにか仕掛けがあるわけでもない。

しかし鞘にはアーセナルが設計・開発した機能が備わっており、木に絡みつく蔓のように、黒い金属の部品が張り巡らされている。

鞘口にはちょっとした装置が取り付けてあり、鞘そのものが一つの機械のようにも見える。

彼は “千影” を鞘に納めると、面倒臭そうに呟いた。

 

「……なんか多くね?」

 

彼らがいるのは『大樹の迷宮』と呼ばれる階層だった。

地下であるにも関わらず木々が生い茂っており、発光する苔のおかげで常に一定の光量が保たれた階層。

彼らはひとまず地上へ帰還の道を歩いていたのだが……突如として大量発生したモンスターに襲撃されていた。

そこかしこからバグベアだのガン・リベルラだのバトルボアだのエリンギオヤジだのなんだの……とにかく数が多い。

森の中をひしめくアリのように、モンスターがぞろぞろと大群をなして四方から迫り来る。

だが……狩人たちは焦らない。むしろ混戦は狩人の得意分野だ。

陣形など最初から存在せず、連携もなにもあったものではないが、個々それぞれが勝手に動き回りモンスターを駆逐する。

 

「……面倒なんだよな……一匹ずつプチプチ潰すのって」

 

彼は誰にともなくぼやくと、濡れたカラスのような頭髪の中からのぞかせる、三角形の獣耳。

ズボンには尾を通すための専用の穴が開けてあり、そこから伸びるしなやかな黒い尻尾は、先端だけが白く、思わずつまみたくなる。

 

ーー右後ろに四、左から二、右から四、前方から八ーー

 

両目と耳と尻尾がそれらの情報を伝えてきた。

彼は左腰に提げた鞘口を持ち、右手は “千影” の柄を持つ。そして右脚を前に曲げ、左脚を伸ばす……居合斬りの構え。

 

『ヴアアアァァァァァアアア!』

 

多方からモンスターが襲い来る。

押し倒してハラワタを引き裂いて内臓を引きずり出して、血の滴る生肉でお腹をいっぱいに満たしてしまおうとでも言うのだろう。

しかし彼の実力を前に、モンスターの数の優勢は通用しない。

 

抜刀。

 

その場で一回転する神速の居合斬り。

普通の冒険者ではそもそも目視不可能、氷のように冷たい一筋の光が閃いたようにしか見えない。

彼の周辺に群がっていたモンスターは二歩、三歩と前進して……胴体がズルリと滑り落ちた。

明らかに “千影” よりも離れたモンスターさえもだ。

斬撃を飛ばした(・・・・・・・)などと説明したとして、それを信じられる冒険者がはたして何人いるだろうか。

魔法でもスキルでもない単純な斬撃だが、『剣姫』と同様に、極めるとこのような芸当もできるようになる。

 

「……にしてもだるいな……」

 

納刀する彼の名前はカラード・リンクス。

猫人の十八歳。レベル6。

二つ名。『秩序破壊者(プロヴィデンスブレイカー)

狩人でありながらコートも帽子も着用しておらず、ただ黒地に白のラインが入った服と、小物入れと帯刀するためのベルトを身につけるのみ。

中性的な顔立ちをしており、三年ほど前までなら少女といっても通用したような、そんな顔立ち。

ギルドのブラックリストに名前が連なっているため、本来ならばダンジョンに立ち入ることはできない。

しかしあいにくと現在のオラリオには法の執行機関は存在せず、レベル6の罪人がいたとて裁くことも拘束することもできないのが実情である

そういう理由もあって、リンクスは平然とダンジョンへと足を踏み入れていた。

 

「りーくん、手えうごかしてよ」

 

間延びするような少女の声がリンクスの耳に届いた。

そちらを見ると、カマキリのようなモンスターの頭を “爆発金槌” で叩き潰す少女がいた。

いや幼女といっても差し支えないかもしれない。身長はリンクスよりずっと低く、幼い顔立ちは笑っている。

藍色の髪の毛はボブカットに切りそろえ、着ている服はえんじ色のゴシックドレス。

ダンジョンなどよりも舞踏会にでも行くかのような服装だが、戦う少女の動きには全くの無駄がない。

少女は自分の身長とさほど変わらない長さの鈍器を軽々とかち上げ、バトルボアの顎を粉砕。そのまま振り抜く。

バトルボアは頸椎をも砕かれて即死。

その後ろから現れたのはゴートスカルだ。

山羊の頭蓋骨をかぶったような人型モンスターで、体長は二Mほどある。両手には金属板に取っ手をつけただけのような無骨な大鉈を所持。

ゴートスカルは両手に握る大鉈を振り上げて、少女へと飛びかかった。

 

「やん」

 

少女はおどけるような声を出すと、バックステップでこれを回避。

当たれば少女は叩き潰されて愛らしい顔が滅茶苦茶に破損していただろうが、空振りした大鉈は地面にめり込む。

すると少女は “爆発金槌” の撃鉄を踏みつけて起こすと、魔石弾倉(マガジン)から魔石が一つ、薬室内に転がりこんだ。

ゴートスカルが大鉈を持ち上げた時には、少女は両手に持つ “爆発金槌” を大きく振りかぶってゴートスカルの足元へ飛び込み、胸部をめがけて “爆発金槌” を振った。

 

「どっかーん!」

 

瞬間、 “爆発金槌” の内部、薬室に装填された魔石を、撃鉄が叩いて粉砕。

 

轟!

 

けたたましい爆音と赤い炎。

爆発による熱波と衝撃がゴートスカルの胸部に一点集中。

血肉を撒き散らすように吹き飛ばした。

ゴートスカルは大鉈を手放して地面を三度四度と転がって、絶命。

少女の持つ “爆発金槌” から黒煙が吹き出す。

 

「りーくん見てたー?」

 

褒めて欲しそうにリンクスへと向きなおり、無邪気に笑う少女の名前はセレン・ヘイズ。

ヒューマンで言えば十歳くらいの幼女にしか見えないのだが……彼女は小人族の十五歳。

身体的な発育の遅れにかんしては触れるべきではない。

さらに言えばレベル4の上級冒険者であり、この『大樹の迷宮』において足を引っ張るような真似はしない。

 

「んー」

 

リンクスは興味もなく、迫り来るトロールの喉を “千影” で貫き、刃を捻って上へと切り上げ、オークの頭を左右に割った。

 

「見てないじゃん……」

 

年甲斐もなく頰を膨らませて見せるセレンを無視して、リンクスは退屈な作業をこなすようにモンスターを斬り捨てる。

 

『アオオオォォォン!』

 

唐突に、巨大な咆哮が響き渡った。

まるで遠吠えのような雄叫び。

 

「ん?」

 

「なんかくるねー」

 

リンクスは目の前にいるエリンギオヤジを袈裟斬りに両断して遠吠えの方向を見やる。

段差のような高台の上に、キラキラと体を光らせる灰色の巨大狼がいた。

巨大狼はこちらを見つめて、高台から飛び降りて走ってきた。

その巨大狼は両目が赤く光り輝き、赤い曳光となって尾を引いている。

あれは『大樹の迷宮』の階層主よりも強いとされるレアモンスターだ。

上級冒険者でさえも撤退や全滅を余儀なくされる存在。

フロストウールヴ。

バグベアやトロールを踏み潰しながらこちらに駆けてくるといえば、それがどれほど巨大な狼なのか想像がつくだろう。

 

「わー、りーくんどうしよ?」

 

相変わらず間延びした緊張感のない声でセレンが言うと、リンクスはこちらに駆けてくるウールヴに向き直った。

 

「俺がやる」

 

言うや否や腰を低くして、速攻魔法を詠唱。

 

「<加速(クイック)>」

 

地面を蹴った。

速い。

この速攻魔法は大きく踏み込むような跳躍(ステップ)を大幅に高速化させる。

短時間しか効果が持続しないが、跳躍(ステップ)を繰り返せば目にも止まらない超速移動となる。

リンクスの移動により突風が吹いて、セレンのスカートがなびいた。

 

「あー、まってー」

 

“爆発金槌” を両手に持ち、タッタッタッと軽快な足取りでセレンは追った。

だがリンクスは黒い影となって一直線にウールヴへと突き進み、道中のモンスターを切り飛ばして砂煙のように血潮が上がる。

リンクスとウールヴの距離が瞬く間に縮む。

ウールヴの赤い双眸はリンクスの姿をとらえており、最優先で殺す獲物として認識した。

 

『ギャルルルゥ』

 

ウールヴは唸り声を上げて姿勢を低くすると、後ろ脚に力をこめ、衝撃波をまとうような突進。

見上げるような巨大な闘牛がハヤブサと同じ速度で猛進してくると言えば、リンクスの置かれた状況が理解しやすいだろうか。

ウールヴは邪魔な木々は軽々と粉砕し、バグベアやバトルボアなどは木の葉のように空中へ弾き飛ばす。

あれが冒険者なら良くて即死か、悪ければ全身骨折からの中型モンスターによる嬲り殺しという連携(コンボ)を受けるはめになる。

 

「……」

 

だがリンクスは……あろうことか立ち止まった。

避けようとない。動かない。

先ほどと同じく右足を前に出し、居合い斬りの構え。

あれを迎え撃とうというのだ。

 

「<加速(クイック)>」

 

ウールヴがリンクスをはね飛ばす直前に速攻魔法。

右へ身をかわし、まずはその前足を切断しようと抜刀。

しかし……刃が通らない。

その一瞬の間にリンクスは見た。

ウールヴの正面側、灰色の体毛にキラキラと光る氷の粒ができているのだ。

その氷が刃を挟むように受け止めて、弾かれた。

冷たい衝撃波が吹き荒れてリンクスを襲う。

 

「寒っ」

 

冷気の衝撃波を逃れるため背後へ跳躍し、これを逃れた。

フロストウールヴはその名の通り冷気を身にまとっている。

この冷気が『大樹の迷宮』における湿気を凍らせ、毛皮の表面に粒のような氷の膜を作っている。

キラキラと輝いて見えるのはその氷の粒だ。

おまけに突進時には、放射冷却によって、ウールヴの正面に氷が大量に生成。さながら氷の鎧のようにウールヴの身を守っている。

体毛そのものも頑丈だ。長い硬毛は刃を阻み、その下にある軟毛は緩衝材となって打撃を遮る。

体当たりを避けられたウールヴはその勢いのままリンクスの後方へ過ぎ去り、そして左前足を地面につけて制動をかける。

ガリガリと地面を滑るように速度を落とし、リンクスへ向き直った。

直後に突進。

ウールヴの戦法は一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)だ。

リンクスの加速の方がずっと早いが、ウールヴの体当たりしながらの移動距離がはるかに長い。

追いつけない。

 

「……どうすっかな」

 

独り言を呟き、二度目の突進を今度は余裕をもって回避。

だが冷たい暴風にさらされて軽く身震いする。寒いのは苦手だ。

ウールヴは再び地面を横滑りしながらリンクスへと向き直った。

リンクスは納刀し、 “千影” の鞘口の取り付けてある装置の蓋を外した。

蓋の下から出てきたのはノコギリのような刃物だ。自傷するための部位だ。

リンクスはその刃物に、迷わず左の親指の付け根を押し当てて、引いた。

大きなギザ刃はズグリと皮膚を引き裂き、出血させる。

スキルの痛覚抑制(ペインキラー)がなければ……いやあったとしても普通はやろうと思わないだろう。

リンクスの流れ出た血液は装置の中へと入っていき、魔石の力で劇毒へと汚染される。

これがアーセナルの考え出した “仕掛け” だ。

使用者の血液を劇毒へと汚染し、武器に塗りつける。

オラリオの地下にある、魔石を利用した浄水施設の仕組みを反転させたものだと思うといい。

その劇毒は鞘に絡みつく金属の内側を通って “千影” の刀身にべっとりと濡らしていく。

発展アビリティの対異常を軽々と貫通する劇毒で、モンスターとて体内に入れば即座に状態異常が起きる。

ウールヴが吠える。

三度めの突進。

 

「<加速(クイック)>」

 

リンクスはウールヴの顔を狙って跳ぶ。

気づいたのだ。

フロストウールヴは毛皮と氷の鎧で全身が守られているが、視界を確保するために眼球だけは氷をまとっていない。

 

抜刀。

 

ウールヴの氷のように冷たい一閃と、この世の不浄を全て煮詰めて凝縮したような穢れた毒。

それがウールヴの両眼を引き裂き、劇毒が汚染する。

 

『ギャイン!?』

 

突如として視界を奪われたウールヴは着地を誤り、木々をなぎ倒して地面に激突。

頭をあげて何度となく顔を振り回して劇毒を振り払おうとするが、そんなことでどうにかなるほど簡単な毒ではない。

見てわかるほどにのたうち、苦しんでいる。

レベル6の剣閃を弾くほど体毛を補強していた氷の鎧は、あくまでも突進するウールヴの正面方向にしか展開されていない。

背後からならバターのように切れる。

それがこの短時間で導き出したリンクスの答えだった。

リンクスは着地と同時に、立ち上がろうとするウールヴへと走る。

両手で “千影” を握りしめた。

好機を逃すつもりはない。

ウールヴの背後から接近して股下を駆け抜ける。

まずは後ろ両脚を横薙ぎに切断。

下腹部を縦に切開。

肋骨の隙間から心臓を破壊。

左前脚を切断。

返す刃で右前脚を切断。

最後に斬首。

ウールヴに潰されないようにくぐり抜けて、納刀。

 

キン

 

“千影” が鞘に納まったとき、まるで斬られたことを思い出したかのようにウールヴの四肢と首筋、下腹部に亀裂が入った。

ウールヴは悲鳴もうめき声も上げることはなく、胴体と手足、それに頭部が分離、臓腑がこぼれ落ちて絶命。

 

「……ふう」

 

軽く一息をつくと、小走りのセレンがやってきた。

 

「あー! もう倒してる。いっしょにやろうって思ったのに」

 

頰を膨らませるセレンだが、本当に十五歳なのだろうかとリンクスは疑問に思うだけだった。

とりあえずリンクスは小物入れからハイポーションを取り出して、自傷した左手に振りかける。

傷口はすぐに消えて、血は止まった。

空瓶はそこらに捨てる。

ふと、セレンはウールヴの死骸へと歩みより、振り向いた。

 

「このもふもふ、もらっていい?」

 

ドロップアイテムとして毛皮が残ったら、それが欲しいようだ。

残るかどうかは運次第であるが、リンクスには必要のないものだ。

 

「好きにしたら?」

 

言って、小物入れから採取用ナイフを取り出し、抜き身のままセレンに放る。

 

「やった」

 

セレンは抜き身のナイフの柄を気軽にキャッチした。

一つ間違えばセレンの指が落ちていたかもしれないが、そんな間抜けではないことくらいリンクスは承知している。

嬉々とした表情でセレンはウールヴの胸から魔石を抉って取り出すと、死骸が灰になって崩れていく。

その様子をセレンは食い入るように見つめていた。

 

「おねがいのこってぇ……もふもふ〜もふもふ〜、しろいもふもふううううう」

 

果たしてその変な呪文が効いたのだろうか……フロストウールヴの胸元から背中にかけて、広範囲の毛皮が残った。

動物の毛皮と違って、モンスターのドロップアイテムで残った毛皮というのは、そのまま衣服に加工できるような状態になっている。わざわざ鞣したり血抜きをする必要がない。

 

「やった!」

 

毛皮を灰の中から引っ張り出すと、ついた灰を払うように上下にばっさばっさと振る。

そして緩みきった顔で頬ずりしまくった。

 

「りーくん、プレゼントありがと〜」

 

「別に。いらないだけ」

 

「それでも大事にするねー」

 

嬉しそうにしているところ残念だが、大量発生したモンスターがまたやってきた。

とりあえずこれを片付けてから戻るとしよう。

 

 

 

 

一八階層。安全地帯。

 

リンクスがここへ戻ってくるのはおよそ一週間ぶりだ。

目標などなく行けるところまで行こうとした結果、限界は四五階層だった。

モンスターの強さに耐えられなくなったというより、帰りの食糧が尽きてしまうことを懸念してのことである。

ついてこられなくなった狩人は途中で引き返すことを余儀なくされ、結果としてサポーター役の人間がいなくなり、物資が底をついてしまう。

やはり五十階層を本気で目指すのならば、スレイ派と手を組むか別のファミリアと手を組むしかない。

 

ひとまずは川の上流で一週間分の体の汚れを落としたリンクスは、一足先にリヴィラの街へと向かっていた。

普段から入浴時間が短く、『カラスの行水』とか『猫は水が嫌いだもんな』とか言われたものだ。

言った相手にはもれなく青タンを作ってやったが、それはどうでもいい。

少ない女性狩人は、一人を除いて久々の沐浴を楽しんでいることだろう。

天井を覆うクリスタルの空は光を放ち始めており、地上では朝を迎えたころだろう。

 

「ねむぅ……」

 

で、沐浴を楽しんでいないその一人、リンクスの隣を歩くセレンは大きな欠伸をもらす。

『大樹の迷宮』にて大量発生したモンスターを蹴散らしてから半日近く。

小休憩を挟んだ以外はずっと移動し続けていたのだ。眠くもなるだろう。

左手で目をこすり、右手はズルズルと “爆発金槌” を引きずる。

幼女にしか見えないセレンと、見るからに重そうな鈍器という組み合わせはなかなかどうしてシュールである。

その小さな背中には、巻いて紐で縛ったフロストウールヴの毛皮を背負っていた。

 

「りーくん眠くない?」

 

「別に」

 

本当は少し寝たいのが本音だが、そういうとセレンが一緒に寝ようと言い出すのだ。

そして嫌だと言ってもぴったりくっついてきて、そのうち睡魔に負けてしまう。

そうすると二人で添い寝をすることになる。

それのなにが不満かというと、いつの間にやらセレンはリンクスの尻尾を握りしめていることだ。

そのせいでフサフサの尻尾が変な形に型がついてしまい、ボサボサによれて見るも無残な状態になってしまう。

自慢の尻尾を台無しにしたのがセレンでなければ、間違いなくその場で斬っていた。

 

「よふかしは体にわるいよ……いっしょにねよ?」

 

大きな両目を半分閉じて、リンクスの服をくいと引っ張った。

見た目通りのヒューマンの無力な十歳であれば、誰しもが保護欲にかきたてられる可憐な少女なのだろう。

しかし可憐な少女は身の丈ほどはある鈍器を振り回したり、笑顔でモンスターの頭蓋を粉砕したりしない。

 

「一人で寝ろ」

 

「えー?」

 

文句を垂れるセレンを無視して、リンクスは食事処を兼ねた宿屋に入った。

ここが合流場所だ。

一八階層で採れるナップルという果物を使った酒などを提供している。

一歩中に足を入れると、立ち込める煙草の臭いが鼻についた。いかにも場末の酒場といった場所である。

いくつもの丸テーブルには冒険者が座っているのだが……妙に怪我人が多い。

どこかしら負傷していて包帯を巻いており、中には腕や足など体の一部が欠損しているものもいた。

セレンは気にするでもなく空いている壁際のテーブルへ小走りで向かった。

フロストウールヴの毛皮の紐をほどくと、どよめきが広がった。

どうやらウールヴを目撃した冒険者が多いらしい。

 

「おいあの毛皮」

 

「フロストウールヴ!?」

 

「マジかよ」

 

セレンはそんな声など無視して長椅子に毛皮を敷くと、「よいしょ」とその上に座る。足が床から浮いているのはご愛嬌だろう。

 

「こっちこっち」

 

と、自分の隣をポンポンと叩いた。ここに座れという意味らしい。

 

「あいつカラード・リンクスだ」

 

「ブラックリストの……」

 

「リンクスならフロストウールヴくらいやれるだろうさ」

 

「あの小人族は誰だ?」

 

「仲間だろ」

 

そんなささやき声は有名税だと思って無視することにして、とりあえずセレンの正面に座り、 “千影” をいつでも抜けるように膝の上に置く。

 

「ちょっとりーくん」

 

「俺の膝を枕代わりにする気だろ? やだよそんなの」

 

「けちぃ」

 

呻いて、テーブルに自分で腕枕を作って突っ伏した。

 

「いいから寝ろ」

 

「ぶー」

 

セレンは唸り、リンクスはヒューマンの男性店主に向かって注文を出した。

店主も冒険者だろう。そうでなければここに来られるはずがないし、目つきや体つきは冒険者のそれだ。

 

「とりあえずミルク」

 

言うと、店主は少し不快そうな顔になる。

しかしリンクスの悪名を知っているせいか、大人しくグラスにミルクを注いで持ってきた。

 

「四千ヴァリスだよ」

 

ぼったくりも甚だしいが、リヴィラの街ではこれが普通だ。

リンクスは大人しく荷物入れに手を突っ込み、ヴァリスの代わりに魔石を一掴み取り出した。

ここでは魔石も貨幣として使える。

店主はひとしきり魔石を見つめて、妥協したように自分のポケットに突っ込む。

 

「俺が作ったナップル酒はどうだ? ミルクと混ぜると美味いぞ?」

 

ナップル酒はこの店でしか提供していない。おそらくこの店主自慢の酒なのだろう。

もっとも、ナップル酒よりも地上から取り寄せるミルクの方が高かったりするが、サポーターや冒険者による運搬費用を考えるとやむを得ないかもしれない。

 

「下戸なんだよ、俺」

 

言って、ミルクを飲んだ。

一週間ぶりだけあって美味しい。尻尾を高くして『うにうに』させる。

狩人が普通の酒を飲めば、美味しいのは美味しいかもしれないが、その後に胸焼けや頭痛などの船酔いのような不快感に見舞われる。

それを考えるとやはり普通の酒は飲みたくない。

血酒でなくてはだめだ。

 

「……意外すぎるぞ」

 

店主は呆れ顔になってから、上機嫌に尻尾をくねらせるリンクスを見て苦笑する。

セレンは腕枕をして静かに寝息を立てており、しばらくは起きそうにない。

リンクスは暇つぶしにきいてみた。

 

「怪我人が多いけど、なんかあったの?」

 

店主の表情が曇り、リンクスの隣に座った。

 

「……あんた、二四階層を通ったかい?」

 

「通った」

 

「ならモンスターがやけに多かったのは知ってるだろう? 少し前から大発生してね、ここにいるのは命からがら逃げてきた連中だよ。仲間を亡くした奴も多い」

 

「ふーん」

 

怪我人がそろいもそろって呑んだくれているのはそういう理由かと、リンクスは合点がいった。

なんにせよリンクスには関係のないことだ。

 

「ところであんた……フロストウールヴをやったのか?」

 

店主がセレンの尻に敷かれた毛皮を見やり、リンクスは首肯した。

 

「ん、それがどうかした?」

 

再びざわつく。

 

「ウールヴをやった?」

 

「あの突進をどうやって?」

 

「レベル6なんだから当たり前だろ」

 

「くそ……なんでもないことみたいに言いやがって……」

 

 

ガン!

 

 

それらのざわつきを黙らせるように、リンクスの背後でグラスがテーブルに叩きつけられ、大きな音を立てる。

鼓膜を突かれるような音にリンクスの耳がピクリと動いた。

 

「 “それがどうかした” だと?」

 

見ると、顔を酒で赤くした男がリンクスを睨んでいた。

顔の右半分を覆うように包帯を巻いており、右眼があったであろう場所は赤く血が滲んでいる。

それに右の手首から先も失われており、顔と同じように包帯とガーゼで止血していた。

冒険者稼業はまだ続けられるだろうが、もう高望みができる体ではない。

革鎧やズボンなど、あらゆる装備を黄色の染料で染め抜いた黄色の男だった。

その男は、やはり装備を黄色に染めた二人の仲間の制止を無視するように立ち上がり、恨むように声を絞り出した。

 

「あのクソッタレ狼を殺して、それがどうかしただと? お前にとっちゃそんな程度の奴だったのかよ?」

 

黄色の男はふらふらとした足取りで近づいてきて、店主は面倒はごめんだとばかりに席を離れていった。

黄色の男はいまにも泣き出しそうな声で恨み言を口にして、リンクスはジト目を向けてミルクをちびちび飲む。

 

「じゃあ、じゃあ俺はなんだ? そのフロストウールヴにこんな体にされて、あ、あいつのせいで仲間はほとんどやられちまった。これじゃあ俺たちバカみたいじゃねえかよ! ええ!?」

 

「……じっさいバカじゃん」

 

容赦のない一言が男を黙らせ、男に同調しようとしていた者たちはそろって口をつぐむ。

 

「弱くて頭が悪いなら死んで当然だろ? いまさら何いってんの?」

 

嘲るでも怒鳴るでもなく、その口調は当たり前のことを話すように平坦なものだった。

そこには侮蔑も嘲笑も、ましてや温情もない、冷酷な事実のみ。

男の表情は怒りとも悲しみともつかない形へ歪む。

ギリと歯を軋ませて、口角から泡を吹くように吠えた。

同時に残っている左手で拳をつくり大きく振りかぶって殴りかかる。

 

「ふざーー」

 

リンクスが立ち上がると同時に黄色の男の言葉はプツリと途切れた。

果たしていつの間に抜いたのか……リンクスの右手には抜き身の “千影” が握られており、切っ先から血が滴る。

そして左手の鞘で男の胸を軽く突いた。

男の顔は泣くような憤怒の表情を浮かべたまま、氷のように固まっている。

 

「うるさいな、セレンが起きるだろ」

 

そう言うとリンクスは、面倒臭そうに鞘で男を押し返した。

黄色の男はそのまま床へ仰向けに倒れた。かと思うと、左頭頂部から右顎にかけて、頭が割れた。

極東の島国にある食べ物で例えるならば……脳がうどん玉のように零れ落ちる。

転げ落ちた顔の左半分は、虚ろな瞳で天井を睨んでいた。

 

「おわっ!?」

 

他の客や店主が一斉に後ずさりして、リンクス達のすぐ隣のテーブルにいた客達は転がり落ちるように遠ざかる。

それでも宿屋から出て行こうとしないのは、背中を向けた瞬間に斬り殺されるのではないかという恐怖心によるものだろう。

リンクスは無言のまま周囲を一瞥しすると、 “千影” を振って血を払い落とし、鞘に納めた。

 

「りーくーん……」

 

リンクスの背後から、あまりにも場違いな少女の寝言。

リンクスはジト目でセレンを見やってから、改めて周囲に目配せする。

冒険者の客たちは、次にどうしたらいいのかわかっていないようだった。

 

「……とりあえず出て行けよ。そろそろ仲間が来るから」

 

目的を与えられた客たちはいっせいに店を出て行き、残ったのは店主と死体だけとなる。

料金は最初に払うらしく、飲み逃げというわけではないだろう。

 

「あのさ」

 

「ひっ!?」

 

ピクリと店主は身をすくませてカウンターの下に体を隠し、ゆっくりと頭をのぞかせる。

 

「これ、片付けといて」

 

つま先で死体を小突き、椅子に座って残ったミルクを飲み干した。

店主はいまにも吐きそうな顔色をしながら死体を外へと引きずって行き……戻ってきて、残りの顔半分を持ち上げる。

残りの脳みそがこぼれて、眼球と繋がっている視神経によってぷらーんとぶら下がった。

 

「うぐっ!?」

 

店主は外へ飛び出すと同時に盛大に吐いた。

店の中をこれ以上は汚すまいというせめてもの意地だろう。

どうせ吐くなら聞こえないくらい遠くでやればいいのにと、リンクスは心の中でぼやくのだった。

 

「えへ、へ……」

 

寝たままセレン笑う。

いったいどんな幸せな夢を見ているのか、にへら、と顔が笑っていた。

確かに可愛いだろう。

頭を撫でたりほっぺたを突ついてみたくなるくらいの愛らしさがある。

これで二つ名が『撲殺天使(ビートダウン)』なのだから世の中わからないものだ。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

儲けの本質とは需要と供給であるとパッチは考えている。

欲しいと思う人間に対して商品が大量にあると、商品の価格を下げなくては売れることはない。

逆に欲しいと思う人間対して商品が圧倒的に少ない場合、商品の値段をいくら高く設定しても売れていく。

だからオラリオ全体で『ポーションの在庫が少ない』という噂を聞けば、パッチの行動は早かった。

 

「残っているハイポーションを全部くれ」

 

ミアハファミリアの本拠を兼ねた薬店にて、パッチは躊躇わずに言い放つ。

店番をつとめる犬人の女性、ナァーザは少し困ったような顔をした。

 

「全部を?」

 

「そう、全部だ」

 

対するパッチはいつもの嫌らしく企んだ笑顔だった。

ナァーザが警戒心を抱くのも無理なからぬことだろう。

 

「買ってくれるのは嬉しいんだけどね、そんなことしたら他のお客さんが困ってしまうよ」

 

「そんなつれないこと言わねえでくれ。頼むよ、なっ? このとーり!」

 

パッチは深々と頭を下げて祈るように手を組み、ナァーザはうぅーんと悩む。

そこでパッチはだめ押しに出た。

 

「ちょっとは色つけるからよ。いいだろ?」

 

ナァーザはファミリアの懐事情により、背に腹はかえられないと判断したのか、小さくため息をついて了承した。

 

「わかったよ。でも数は……これだけしかないんだ」

 

後ろの薬棚から持ってきたのは、ハイポーションの瓶が五本だけだった。

薬店の在庫としてはずいぶんと少なく、やはり複数人の冒険者が買いにやってきたのだろう。

 

「へへへ、じゅうぶんだぜ。これで足りるか?」

 

ヴァリスの入った小袋をひっくり返し、ヴァリス銅貨とヴァリス銀貨をじゃらりとカウンターに並べた。

さすがにヴァリス金貨は持っていない。あれは家や第一級武器を買うときに使うものだ。

ナァーザはそれらを見て、言う。

 

「もう少しなんとかならないかな?」

 

「おいおいおい、これで全部だ、もう持ってねえよ。けど普通にハイポーション五本買うより高いだろ?」

 

「それもそうなんだけどね……わかった、これで売るよ」

 

「へへへへ、ありがとうよハニー」

 

本当はヴァリスの入った小袋というのは他にも小分けして持っている。

しかしそれを知られれば間違いなく値上げされてしまうだろうから、手持ちのヴァリスを少なく見せたのだ。

パッチは差し出されたハイポーションの瓶を受け取って、背中の荷物入れに納めた。

この中には他の薬店から買い占めたハイポーションがぎっしりであり、それを見たナァーザが怪訝な顔をした。

 

「ヤーナムファミリアはまた遠征に行くのかい?」

 

『怪物祭』の数日後、ヤーナムファミリアのドラン派はダンジョンの深層へと出立している。

レベル1のパッチは同行こそしなかったが、そのときもここへポーションを買い出しに来ていたのだ。

 

「そういうわけじゃねえよ。あのあとも遠征したファミリアがあったろ? おかげでどこもかしこもポーションが品薄だとよ」

 

「だから買い占めて他の冒険者に高く売りつけようって魂胆かい? 感心しないね」

 

「定価より高く受け取っておいてよく言うぜ。またな」

 

ナァーザに背を向けて歩き出すと、なんだか聞き覚えのある声が背後から聞こえた。

 

「すみません、あの、魔法による精神疲弊を未然に防ぐような、そういうポーションってありますか?」

 

「精神疲弊を未然に防ぐ……だったらこのマインドポーションは必須だよ」

 

振り返ると、ついさっきまでパッチがいた場所に、いつぞやのベルとかいう白髪の少年がいた。

パッチは特に理由もないがなぜだが会いたくなかったため、そそくさとその場を離れた。

 

 

 

 

噴水広場。

 

背中にの荷物袋をハイポーションでパンパンに膨らませたパッチは、同じようにポーションを買い漁っている二人を待っていた。

ついでにこれ見よがしにハイポーションを手に持って、客になりそうな相手を目で探す。

ポーションが欲しい相手なら必ずこちらを物欲しそうな目で……あるいは不快な目で見るはずだからだ。

……いた。

よりにもよってさっきのベルだった。

その隣にはフードをかぶって大荷物を背負う小人族の少女。おそらくサポーターだろう。

スレイに前歯をへし折られて差し歯となった手前、パッチはベルに頭が上がらないのも事実だった。

やむなく気さくに話しかける。

 

「よう少年、久しぶりじゃねえの。元気にしてたか?」

 

「あなたは……」

 

当然といえば当然だがベルは苦い顔をして、警戒心をあらわにする。

 

「なんのようですか?」

 

「へへへへへ、そう警戒すんなよ。少年は生きてる、ナイフも少年が持ってて、あの時の取り分全部とポーションを少年は手に入れた。これはもう、どう考えたってノーカウントってなもんだろ?」

 

まだ釈然としないらしく、ベルの警戒心は解けない。

取り入るつもりはないのだが、警戒されたままではなんだか面白くない。

 

「俺はもう心は入れ替えて真面目に商売やってるんだぜ? 病気の婆ちゃんにだって自慢できらあ」

 

「……病気なのはおふくろさんじゃなかったんですか?」

 

そうだった忘れてた。

 

「だっはっはっはっはっ、まあそんな細かいこと気にすんなよ少年。まああれだ、ここであったのもなんかの縁だ。少年になら特別にポーションを五百ヴァリスで売るぜ?」

 

普通のポーションを一つ、荷物袋から引っ張り出すも、ベルは頭を振るだけだった。

 

「いえ、もう持ってますから」

 

「なんだそうなのか? まあいいや、これから俺もダンジョンに入るからよ、必要になったら言ってくれや」

 

ポーションを戻してちらりとサポーターを見やり、目があった。

この目はあれだ……他人に酷い仕打ちを受けたから他人に同じことをしてやりたいっていう、そういう目だ。

言ってしまえばパッチの同類だ。他人に取り入って後ろから刺すって人種だ。

サポーターもパッチの視線に気づいたらしく、ベルを急かす。

 

「ベル様、そろそろ参りましょう」

 

「あ、うん、そうだね。じゃあ、僕はこれで」

 

「おう、またな」

 

二人が離れて言ったところで……呼び止めた。

 

「あーそうそう、一つ言い忘れてた」

 

「え?」

 

「少年、ちょっときな」

 

人差し指と中指でちょいちょいと手招きし、ベルだけをこちらに呼び戻すと小声で忠告する。

 

「これは少年だから言うんだが、あのサポーターには気をつけな。あいつは……俺と同類だぜ?」

 

言うと、ベルの表情がこわばり、脂汗がにじみ出る。

ベルも内心あのサポーターに思うところがあるようだ。

 

「まあそういうこった。ダンジョンじゃ何が起きるかわからねえからよ、警戒するに越したことはないぜ?」

 

「……忠告は聞いておきますよ」

 

ベルはそう言うと、今度こそダンジョンへと向かって行った。

 

 

 

 

噴水広場で、何人かの冒険者に高値で売りつけてやった。

そろって額に青筋を浮かべていたが、いらないなら帰れと言うと渋々と買っていた。

その後、カドルとケヌビの二人と合流し、ダンジョン内部。

 

どちらもパッチと同じくレベル1止まりの狩人だ。

強くなることは諦めて、ダンジョンの商売人としてやって行くことを選んだパッチの仲間である。

 

「さっそくうまく行ったな」

 

「まったくだ。笑いが止まらんね、ははは」

 

パッチとカドルの視線の先には、大量のウォーシャドウやフロッグシューターに囲まれた冒険者四人の姿があった。

新米冒険者ではないだろうが、その装備を見ればレベル2以上ではないだろう。

比較的若い四人は必死の形相でウォーシャドウの爪をかいくぐり、モンスターを斃す。

この状況は手はず通りだ。

まず足の速いケヌビがモンスターをかき集めて、適当な冒険者に怪物進呈をする。

怪物進呈を行なったケヌビは別の通路から冒険者四人の様子をうかがっていた。

そう、あの冒険者四人に怪物進呈を行なったのだ。

もちろんケヌビは上から下までマントをまとい、顔も服装も隠して怪物進呈を行なっている。

 

「このクソッタレ!」

 

「叫んでないでさっさとやれよ!」

 

冒険者としてはそれなりに場数は踏んでいるようだ。

あれだけのウォーシャドウだがどうにか数を減らしていく。残り七体。

順調に見えたが、疲労はどうしても溜まる。

四人のうち一人がウォーシャドウに胸を切り裂かれた。

ウォーシャドウ残り五体。

 

「あっ!? あああっ! あっ!」

 

切りつけられた冒険者は鉄の胸当てをつけていたが、安物ではウォーシャドウの爪を完全に防げなかったらしい。

胸を押さえて後ずさった。

 

「下がれ!」

 

リーダーらしいヒューマンが怪我をした仲間を後ろに押しやり、ウォーシャドウのガラス玉のような顔に剣を突き立てる。

これでウォーシャドウは全滅。

 

「そろそろ行くか?」

 

パッチの後ろからカドルが言い、パッチは否定した。

 

「いや待て、まだだ。タイミングが良すぎると怪しまれる」

 

モンスターがいなくなった途端にポーションを売りましょうか? なんて言いに行ったら不審がられる。

パッチもケヌビも通路に身を潜めて様子をうかがった。

 

「しっかりしろ、傷は浅いぞ」

 

リーダー男はその負傷した冒険者の胸当てを外し、その下の衣服を破いて傷口を確認する。

ここからではよく見えないが……即死ではないにしても早く処置をしなくては危険だろう。

 

「ああ、くそ、どうするか……」

 

「とにかく服をよこせ。傷を抑えないとまずい」

 

「あ、ああ」

 

冒険者の一人が革鎧を外して下着を脱いだ。リーダーはその下着を負傷者に押し当てて止血を試みる。

 

「ああああああっ!」

 

突如として負傷者が痛みを訴えるように叫んだ。

もしかするとウォーシャドウの爪は内臓は傷つけなくとも、肋骨まで半ば切り裂いたのかもしれない。

リーダーは傷口を抑える力を弱めたが、それでは止血にならないだろう。

 

「ポーションは? ポーションはないのか!? 一つも!?」

 

「ねえよ! あーもう、だから言ったんだ! どこもかしこも売り切れてるからやめようって!」

 

「なんだよ俺のせいか!?」

 

「おまえが行けるって言い出したんだろ!」

 

リーダーと負傷者を除く二人が罵り合いの喧嘩を始め、リーダーが一喝する。

 

「やかましい! モンスターが来たらどうする気だ!?」

 

その光景を遠巻きに見ながら、パッチは下品に笑う。

 

「へへへ、そろそろ行くか」

 

「だな」

 

ここで手はずその二。

いかなも偶然を装って冒険者に近づく。

 

「よう、困ってるみたいだな」

 

パッチは気さくに話しかけると、彼ら三人はいっせいにこちらを見た。

 

「……おまえさっき噴水広場でポーション売ってなかったか?」

 

真っ先にリーダーが口を開いた。

 

「へへへ、なんか騒がしいと思って来てみりゃ案の定だ。ポーションならいまも売ってるぜ」

 

そう言って、パッチは “銃槍” と木の大楯を降ろし、荷物袋からハイポーションを取り出した。

普通のポーションの効果はピンキリなため、助かる時もあれば助からない時もある。

だがハイポーションならある程度の止血と、傷の回復は見こめるものだ。

 

「よこせ! いますぐ!」

 

「よこせ? 馬鹿言ってんじゃねえよ。こっちだって慈善事業やってんざゃねえんだぜ?」

 

「いくらだ!? いくらで売ってくれる!?」

 

苛立たしげにリーダーは言い、パッチは値段を言う。

 

「このハイポーション、一つで八万ウァリスってとこだな」

 

「ふざけんな! 相場の三倍はあるじゃねえか!」

 

「足元見やがって!」

 

吠えたのは言い争いをしていた二人だった。どうやら血の気が多い二人らしい。

 

「いらないならいいんだぜ? ここから地上に戻るまでそいつが生きてるか見ものだな。へへへへへ」

 

「……殺して奪う方が早そうだな!」

 

二人はそろって剣を抜いた。

 

「おおっと、それはやめといた方がいいぞ」

 

カドルも武器の “ノコギリ鉈” を取り出して、冒険者をはさんだ反対側の通路からケヌビも姿を現わす。

今度はマントをつけておらず、怪物進呈した本人だとは気づかれまい。

二人とリーダーは、前後に首を巡らせて顔を苦々しく歪めた。

 

「三対三だ。けどよ、ここでもたくさしてると本当にそいつが死ぬぜ?」

 

パッチの言うように、リーダーが止血している負傷者の息がだんだんと弱くなっていく。

さらには止血に使っている下着もすでに真っ赤だ。

リーダーは決断した。

 

「おい! 財布の中身を全部くれてやれ!」

 

「けどこれは新しい装備の頭金にーー」

 

「くれてやれ! 金ならまた稼げばいい!」

 

断言すると、二人は舌打ちして財布を取り出した。

他にもリーダーの荷物袋を広げて硬貨袋を取り出し、中を確認する。

中身をひっくり返してウァリス銀貨や銅貨を数えて……見上げた。

 

「……全部で六万四千ヴァリスと少しだ」

 

「なら持ってる魔石も全部出しな。ここに散らばってるのも全部もらうぜ。いいよな?」

 

パッチもカドルもケヌビも、ニヤニヤしながら問いかける。

当たり前ながら彼らはブチ切れ寸前の表情で頷くしかなかく、怒りのあまり手を震わせて、魔石袋と硬貨袋を差し出した。

さっそくカドルとケヌビはウォーシャドウが遺した魔石を拾い集め、パッチは冒険者が差し出すそれらとハイポーション一つを交換する。

 

「へへへ、まいどあり」

 

リーダーはハイポーションを奪うように取り上げると、押さえていた下着をどかし、負傷者の傷口に振りかけた。

すると鋭利に切り裂かれた傷が塞がっていき、苦痛に歪んでいた負傷者の顔も楽なものへと変わっていく。

リーダーと二人はホッと胸をなでおろしたところで、カドルとケヌビは魔石拾いを終えた。

 

「そんじゃあ帰りは気をつけてな」

 

「地獄に堕ちろクソ野郎」

 

リーダーは吐き捨てるようにそう言って、負傷者を背負うと出口方向へと歩いて行った。

 

「うまくいったな兄弟」

 

「おい次はパッチが怪物進呈やれよな」

 

「わかったわかった。いやわかってるって」

 

上々の出だしに、三人はホクホク顔でダンジョンを行く。

 

 

次に見かけたのは少年少女の二人組だった。いかにも駆け出しといった風情で、少年の方が腕を怪我しており、少女の服を一部切り取って止血帯の代わりにきつく縛っていた。

 

「よう少年、怪我してるみたいだな」

 

「えっ? は、はあ、まあそうですけど……」

 

少年は前衛職のくせに気が弱そうだ。ゴブリンかコボルトに引っ掻かれたのだろう。

 

「ポーション持ってないんなら売ってやろうか? 一つで五千ヴァリスだ。どうだ?」

 

「いや、それはさすがに……」

 

「なによそれ。高すぎるわ」

 

目のつり上がった少女が言い返す。こちらは杖を持った後衛職のようだが、ずいぶんと気が強そうだ。

 

「いらねえのか? じゃあ用はねえな」

 

ポーションを引っ込めて次へ行こうとすると、少女が訴える。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

「あん?」

 

「あなた怪我人がいるって言うのになにも感じないの!?」

 

「おいちびっ子。助けて欲しけりゃ……ほら、誠意ってのがあるだろ? な?」

 

カドルが人差し指と親指で円を作って見せると、少女はつり上がった目尻をさらに上げた。

 

「サイテー」

 

「ただでポーションよこせってのも最低だと思わねえか?」

 

言い返してやると、少女は悔しそうに口を尖らせて、懐から財布袋を取り出した。

 

「これくらい平気だって」

 

少年が訴えるも、少女は無視して五千ヴァリスを取り出し、パッチの手に叩きつけてポーションをぶんどる。

 

「いくわよ! こんな奴といたら口が腐るわ」

 

少女は少年の怪我をしていない方の腕を引っ張って、通路の奥へと消えていった。

 

 

そんな調子で売りさばいた頃のことだった。

 

十階層への階段を降りている時、慌てふためいた形相で階段を駆け上る二人がいた。

派手な黄色の染料で、鎧も服も染めた二人組だ。

その両者はこちらの姿を確認すると、ぎょっと顔を強張らせ……かと思うと、今度は敵愾心を剥き出しに睨みつけてくる。

 

「おまえら……!」

 

当然ながらパッチもカドルもケヌビも黄色の二人のことなど知らず、眉をひそめるしかない。

 

「おいおいなんだよ? 俺がなんかしたか?」

 

「……」

 

黄色の二人組は顔を見合わせ、パッチの方に目配せしたり、小さく首をふったりする。

 

「……ちっ」

 

黄色の二人組は終始睨みつけたまま、パッチらの横を過ぎて上へと走り抜けていった。

わけがわからなかったが、三人はこのまま買い占めたポーションを売りさばき、けっこうな稼ぎを出すことに成功した。

 

 

 

 

 

 

その日の午後、エミーリアの元にポーションについて大量の苦情が来たのは言うまでもない。




漫画版ソードオラトリアを読む限りだとこのあとアイズとリンクスが見事にバッティングするんだよな。

さーて……オリキャラならいくら死んでも……いいんだよね?


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8 ローグハンターズ(2)

オドン
(うーん、赤ちゃん欲しいンゴねぇ〜。特別な瞳も欲しいンゴ……。おっ、娼婦おるやん、ちょうどええわ、孕ませたろ)

赤子
「オギャー、オギャー」

アリアンナ
「嘘よこんなの嘘よ……ウヒッ、ウヒヒヒヒ……ヒーヒヒヒヒヒ……」

オドン
(よっしゃ! ワイがパッパやでー! はえ〜かわいいなあ、ええ子ええ子。声だけやからあやすこともできへんけどな! ん? 誰か来たな)

狩人
「うわっ、なんやコイツ、キッモ! 殺したろ!」グシャッ

オドン()
アリアンナ「」
赤子「」

狩人
「なんやこれ三番目のへその緒? レアアイテムやんもらっとこ。ファッ!? アリアンナが死んだる!? ……まあええわ、この可愛らしい靴だけもらっとこ。ほな、先行くでー」

オドン
(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!)


一部のファミリアでは装備を似通わせたり、共通の羽根飾りやブローチなどを身につけたりすることがある。

わかりやすい例を挙げるならば、やはりヤーナムファミリアだろうか。

彼らは敵からの攻撃を鎧や盾で受けるのではなく、可能な限り身軽になって回避することを優先させる。

さらには不必要な返り血を浴びないようにするため、コートや帽子などで肌の露出を抑えるのだ。

一部の狩人はコートも帽子も着用しないのだが……おおむね、似たような服装である。

 

ではヤーナム以外で服装や装備を似せるファミリアはどのような場合か?

それは単純に主神の趣味であったり、連帯感や結束を固めるためであったり、ファミリアのブランド名を高めるためだったりと様々だろう。

それに装備や外見を統一させるメリットは当然ある。

同じ形の鎧や兜を大量に発注すれば、それだけ一つあたりの単価が安くなり、金銭的負担がそれだけ軽くなる。

そして最大のメリットは敵味方の判別がたやすいことだろう。

相手がモンスターならば人間以外を攻撃したらいいのだが……相手が人間の場合、混戦時に間違って同士討ちを誘発しかねない。

しかし自分と同じものを身につけているならば、ファミリアが肥大化して全員の顔を把握できずとも即座に味方だと判断できる。

 

 

ここ、ハスターファミリアも非常にわかりやすい共通性があった。

衣服はもちろんのこと、その上に着用する金属鎧や兜に至るまで、とにかく黄色に染めてあることだ。

ハスターはまたの名を『黄衣の翁』としても通っており、眷属たちに同様の色を身につけさせるのは当然なのかもしれない。

そのハスターファミリアの本拠、象牙の塔。

象牙の名にふさわしい白亜の尖塔の最上階に、ハスターはいた。

 

この一室は広く、高い天井のハスターの作業場だ。

その天井からは天幕のように色とりどりの布が吊るされており、下は床で固定されていた。

塔の最上階だけあって、窓からは勢いよく風が吹き込み、さながら帆船の帆のように風を受けてなびいている。

この幻想的な部屋の中でハスターは腕の裾を捲り上げて、陰干しが終わった藍色の布を丁寧に折りたたんでいた。

この布は呉服店におろされ、そこで衣服へと加工される。

染物作りはハスターの趣味だった。

赤や青、緑といろいろあるが、『黄衣の翁』というだけあって一番好きな色は黄色である。

どのくらい好きかというと、自分の眷属全員の服と装備を自分で黄色に染めるくらいに好きだ。

たまに「目が痛い」という意見が出てくるが、不満があるなら出ていってもらうだけのことである。

そこへ、二人の男性が駆け込んできた。

 

「ハスター様!」

 

蹴り飛ばす勢いで乱暴に扉が開かれ、けたたましい音を立てて扉と壁が激突する。

一人はジョーヌ。もう一人はゲルプ。

 

「なんじゃ騒々しい」

 

しわがれた声で返してそちらを見やると、息を切らせた二人の眷属がいた。

最上階までの直通エレベーターはあるのだから、そこまで全力で走り続けていたのかもしれない。

 

「ウォレイが……ウォレイが、殺された!」

 

その言葉によりハスターの手がピタリと止まった。

 

「……殺された?」

 

ダンジョンで自分の眷属が死ぬというのは残念ながら珍しいことではない。

依然として行方不明のまま戻らない眷属も多く、長期間にわたって連絡がつかなければ死亡扱いとなるのが冒険者という職業だ。

しかし人間の手によって殺されたとなると話は変わる。

 

「はい! あの……ヤーナムファミリアのやつに、命からがら逃げ延びたと思ったら……あいつがーー」

 

「リンクスだ! 『秩序破壊者』がウォレイを! いきなり、一瞬で、止める暇もなかった!」

 

興奮気味に二人は話すがいまいち要領がつかめない。

 

「落ち着かんか! 順を追って説明しろ」

 

二人を深呼吸させて落ち着かせてやり、それから話を順番に説明させる。

 

かいつまむとこうだ。

 

二四階層で染料の材料となる植物を採取していたところ、大量発生したモンスターの襲撃をうけてパーティは壊滅的被害。

ウォレイは重傷を追ったが、かろうじて三人だけが脱出に成功。

運良く助かった他のファミリアのパーティ達と手を組んで一八階層へと避難する。

ウォレイは負傷により自力では歩けなくなったため、帰還するためには別のパーティに随伴する必要があると判断。

これから帰還するパーティを探すと同時に、酒場で休息をとっていた。

そこへ悪名高いカラード・リンクスがやってきた。

“ウォレイと口論となった” リンクスはその場でウォレイを殺害し、二人はこの事実を伝えるため最短距離で地上を目指したーー

 

それがことのあらましである。

 

「……」

 

ハスターはあぐらをかいて腕を組み、静かに眼を伏せて黙祷した。

数日前に送り出した十三人の眷属のうち、帰還できたのはこの二人だけ。

モンスターに襲撃された十人は不幸な最期としか言いようがないが、残り一人のウォレイに関しては不幸な最期として片付けることはできない。

殺しを受け入れようものならつけあがるのが目に見えている。

ハスターは身内を殺されてもなにも文句を言わない神様だ、などと思われればこのファミリアは絶好のカモとなるし、ファミリアの眷属たちは去っていくだろう。

 

「どうしますか?」

 

ジョーヌの問いに対する返事を、しばし黙考する。

相手はヤーナムファミリアだ。戦争遊戯をけしかけたとして、少なくともハスターファミリアだけで勝てるような相手ではない。

かといって泣き寝入りできるはずもない。

 

「……ギルドを通じて下手人の引き渡しを求める。お前たちはなにもするでない」

 

ウォレイ殺しの犯人、カラード・リンクスの引き渡しか、あるいは慰謝料請求。

ハスターにできるのはせいぜいこの二つだけだし、これが落とし所だろう。

一人の死は悲しいが、その復讐のために何十人もの眷属を危険に晒すわけにはいかない。

感情のまま報復に出られるのはそれこそ強者の特権だろう。

弱者は規則とルールに従い、それらに護られるしかない。

二人はなおも食い下がった。

 

「それだけですか? 報復を!」

 

「ならん! 報復の報復を繰り返して勝てるような相手ではない。お前たちはなにもするな。これは命令だ。下がれ」

 

「しかしーー」

 

「下がれと言うとる! わしとてこれしかできん自分が歯がゆい……」

 

ハスターは顔をそらすと、二人は不承不承といったふうに部屋を後にした。

 

「……火に飛び込む羽虫にはなりたくないのう」

 

天井に向かって呟く。

天幕のような布は風にはためくだけだけで、なにかを言い返してくれることはなかった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

ハスターへの報告を済ませた二人は一階へと降りるエレベーターに乗っていた。

苛立たしげにエレベーターの床をつま先で足踏みする。

 

「どうする?」

 

「どうするって、なにが?」

 

「ヤーナムだよ。ハスター様は穏便にかたをつけようとしてるけど……このまま引きさがれるか?」

 

ジョーヌは歯ぎしりした。

大量のモンスターに襲われて、せめてウォレイだけでも助けようとしたが、ダメだった。

やっとの思いで安全地帯まで逃げ出したっていうのに。

モンスターに仲間が殺されたのは悲しいし辛いが、心のどこかでは諦めと、どうしようもなかったんだという思いがある。

しかしヤーナムのやつらに殺されたのは我慢ならない。

リンクス一人の死体で我慢などできないし、そもそもブラックリストに入っているような男を素直に引き渡すつもりがあるかどうかさえ疑わしい。

なあなあで片付けられる予感がしてならない。

 

「じゃあどうする? 俺たちだけでヤーナムの本拠に押し入るつもりか?」

 

ゲルプの問いかけには首を振って否定する。

 

「いいや、仲間を集めるんだ。ヤーナムのやつらを恨んでる連中を集めるのさ。捜せばきっといくらでも出てくるぜ」

 

ファミリアがファミリアと手を組むのは珍しいことではない。

特に格上のファミリアを攻撃する際にはよくあることだ。

その後でどのように分け前を分配するかでモメるのも、やはりよくあることだが……それは後で考えればいい。

 

「なにが『秩序破壊者(プロヴィデンスブレイカー)』だ、後悔させてやる」

 

「団長に相談は?」

 

「必要ないだろ。世の中やったもん勝ちだ」

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

剣閃の嵐が吹き荒れる。

死神の大鎌を連想させる煌めきがほとばしるたびに、巨木が両断され、木造屋が崩れ落ちる。

地下のダンジョンでありながら、暴風が木の葉をもみくちゃに舞あげた。鉄板に砲弾を打ち込むような轟音が響く。

嵐の中心にいるのは二人の第一級冒険者。

一人は今朝方、人前で堂々と殺人を犯したカラード・リンクス。

もう一人はつい先刻、このリヴィラの街へとやってきたアイズ・ヴァレンシュタイン。

両者はともに壁を蹴り、巨木を蹴り、枝を踏み台にし、たがいに剣閃を放つ。

 

「こうやって剣をぶつけるの何年ぶりだっけ?」

 

踏み固められた大通りで両者はぶつかった。

リンクスの横薙ぎの一撃をアイズは受け止めてつばぜり合い。

リンクスはうっすらと笑みを浮かべているが、アイズの口は真一文字に結ばれていた。

 

「<目覚めよ(テンペスト)(エアリアル)>!」

 

アイズは答えず、速攻魔法。同時にリンクスを押し返す。

暴風の鎧と刃から逃れるようにリンクスは跳びのくと、アイズはさらなる追撃を仕掛ける。

落ち葉を瞬時に切り刻むようなアイズの猛撃に、リンクスはさらに後ろへ下がった。

やがてリンクスの背後が断崖絶壁の崖へと追い込まれていく。

アイズは斬撃ならぬ斬圧で押し潰すつもりだ。

 

「<加速(クイック)>」

 

リンクスの速攻魔法。

アイズの動体視力でようやく目で追えるほどの高速移動で、リンクスはあろうことか自ら崖へと走る。

その崖へ跳躍、さらに蹴った。

三角飛びの要領でアイズの後方へ着地。

アイズはリンクスが着地体勢から立て直すまえに斬り伏せようと迫るが、リンクスが居合斬りの姿勢に移る方が早かった。

アイズはもはや立ち止まれるような距離ではないことを察した。

止まろうとしても勢いを殺しきれずにリンクスの間合いに飛び込んでしまう。

頭で考えていてはもはや間に合わない距離。体が動くがままに委ねてアイズは防御と回避に専念。

リンクスの攻撃範囲に入った。

 

抜刀。

 

アイズの胸部を狙った、神速の剣閃。

アイズの剣術を、単身で多数の敵を倒すことを前提とした、膨大な連撃による “柔” の型だとしよう。

ならばリンクスの剣術は、格上との一対一を見据えた一撃必殺を信条とした “剛” の型だ。

アイズの胸部へと放たれた死神の一振り。

アイズは身に纏う風を最大出力。

“デスペラード” の背を左手で抑えて受け止める直前に背後へ跳ぶ。

 

「っ…………!」

 

だがその威力たるや、アイズの手首や肘、肩の関節がミシリと悲鳴を上げるほどだ。

撃ち出された砲弾と砲弾が空中で激突したかのような轟音。

アイズは顔を歪め、その勢いを利用するように、半ば吹き飛ばされるように跳ぶ。

一撃必殺。

だからこそ、その剣筋が予測できるのだが……普通は予測できてもそのまま両断されるのがオチだ。

風の鎧がなければ、後退するのがわずかに遅れれば、受けたのが『剣姫』でなければ、『不壊属性』の “デスペラード” でなければ、アイズの体は上下に分断されていただろう。

リンクスはクスリと笑って速攻魔法を唱え、追撃。

アイズは空中で半回転して木造屋の屋根に着地。リンクスは反対側の木造屋の壁を蹴ってアイズと同じ屋根へと飛び移る。

 

「<風よ(エアリアル)>!」

 

「<加速(クイック)>」

 

アイズの突きから始まる連撃を、リンクスは側面に回って回避。

同時に放たれるリンクスの横薙ぎの斬撃を、アイズは大きく体を仰け反らせてかわす。

そのままアイズはバク転の要領で顎を狙った蹴り上げを行うが、リンクスはわずかに身を引いて回避。

すかさずリンクスが突きを繰り出すと、アイズは “風” の力で強引に体を浮かせてリンクスの頭上をこえ、同時に回転斬り。

リンクスは後ろを見やることなく “千影” を後頭部に回して防ぎ、アイズは空中で一回転して屋根に降り立つ。

両者は同時に向き直った。

目まぐるしく移り変わる攻防と回避。

わずかに動きが遅れれば決定打になりかねない致死の応酬。

にもかかわらず……リンクスは笑っていた。

 

 

そもそもこれはリンクスから吹っかけた喧嘩だ。

タバコ臭くなった酒場から外に出て体を伸ばしていた時、たまたま通りかかったアイズを目撃して数年ぶりに “遊ぶ” ことにしたのだ。

そうだ、遊びだ。これは。

遊び道具は自分の命。

ルールは単純。先に相手の命を奪った方が勝ち。

頭が痺れるような感覚。

心臓は高鳴る。

見える世界も、聞こえる音も、アイズと自分の周囲だけ。

余計な情報はすべて遮断され、さながら世界が二人きりになったかのような錯覚にリンクスは酔いしれた。

こんな感覚はそうそう味わえるものではない。

しかし……リンクスはアイズの動きに違和感を感じていた。

動きは早いし技術も洗練されているが、下半身と上半身の動きにわずかなムラがある。

腕の動きと重心移動にかすかなズレがあるのだ。

もちろん瞬き一回分ていどの些細な時間差なのだが……それが気になった。

さながら、性能が良すぎるがゆえに持て余しているかのような、そんな違和感。

ああそうかと思い、リンクスは自分から後ろへ飛び退いた。

アイズはしっかりとリンクスを見据えたまま怪訝な表情を浮かべる。

 

「ねえアイズ……ひょっとしてランクアップした?」

 

問うと、アイズは無言のまま小さく首肯する。

ランクアップすると肉体が自分の想定以上の動きをするため、このような動きにムラが出てくることがある。

そのムラはすぐに矯正されるものだが、まだ矯正されていないということは、ランクアップしてほとんど日が経っていないことを意味する。

アイズに感じていた違和感の正体はこれだ。

 

「へえ、よかったじゃん」

 

祝うように笑みを向けると、リンクスは “千影” を納めた。

居合斬りの構えでもなんでもない、普通の姿勢のまま。

アイズはわけがわからないと言った表情となり、リンクスはかまわず続ける。

 

「強くなったら、その時またやろうよ。俺も、追い越されないように強くなるからさ」

 

「……」

 

アイズはリンクスがこれ以上は戦うつもりがないと理解し、無言のまま剣を納めた。

 

「楽しかったよ」

 

そう言ってリンクスは屋根から飛び降りようとしたとき、アイズは呼び止める。

 

「待って」

 

「なに?」

 

「私は、どのくらい強かった?」

 

どのくらい手強かったかと問われ、リンクスは少し考える。

戦って楽しい相手というのは強い相手ということだ。

だがリンクスは対人戦闘における鉄則を怠っているし、アイズはそれを使う必要のない相手でもある。

 

「楽しい遊び相手、くらいかな」

 

「そう……」

 

言うと、釈然としない表情のままアイズは頷く。

それを見届けてからリンクスは屋根を飛び降りた。

着地するとそこにはセレンが待っており、訝しげに頭を傾げて、屋根上のアイズとリンクスに視線を交互させる。

 

「やめちゃうの?」

 

「ん。続きはまたこんど」

 

並んで歩き出すころには、建物から伺うように冒険者たちが頭をのぞかせており、そろって非難めいた目を向けてくる。

だが誰もなにも言わなかったため気にせず進む。

亀裂が入った壁。

吹き飛んだ屋根。

巨木の下敷きになった建物。

道端に転がる手作り感ありありの椅子。

散らばった商品をネコババする人々と、それらをがなり声をあげて追い払う露天商人。

そんな中を歩いて元の酒場に戻ると、見物を終えて一足先に戻ってきたドランたち狩人連中が、そろって文句をいう。

要約するとこうだ。

 

ーーなに途中で止めてんだ。これじゃ賭けにならねーだろーー

 

アイズとリンクスのどちらが勝つかで賭けをしていたのだろうが、決着をつける前にリンクスが勝負を放棄してしまったために賭けは不成立。

ここにいる狩人は水を差された気分になって、早々に切り上げて戻ってきたのだろう。

 

「うるさいな」

 

文句たれる狩人に辟易しながら、リンクスは壁際の長椅子、そこに敷かれたフロストウールヴの毛皮の上に座った。

さすがにもう座っているところを襲われることはないし、セレンももう目が覚めているので膝枕の必要もない。

セレンはパッと顔が輝いてリンクスの隣に腰かけた。

そのセレンの膝に先端だけが白い尻尾を乗せてやると、セレンは鼻歌まじりにポケットから折りたたみ式の櫛を取り出し、リンクスの尻尾の毛づくろいを始める。

美人、もしくは可愛い少女に尻尾の毛づくろいをしてもらうのがリンクスの趣味なので、いまさらそれをからかうような狩人はいない。

それにセレンも足をぱたつかせて乗り気である。

 

「それで、なんで途中でやめた?」

 

リンクスから見てテーブルの左側、そこに座るグリッグスが問う。

グリッグスの正面にはドランが座っていて、葉巻をくわえてリンクスの答えを待っていた。

 

「ランクアップしたってさ。どうせならもっと強くなってからやりたいから、だから止めた」

 

言うと、グリッグスは不快そうに眉をひそめた。

 

「ヴァレンシュタインがレベル6になったのか?」

 

「ん」

 

グリッグスはチッと舌打ちして、苛立たしげに褐色の狼耳を倒す。

それを見たドランが煙を吐いて軽く笑った。

 

「先を越されたな」

 

「あぁ!?」

 

グリッグスは声を荒げてジロリとドランを睨んだ。

普通の人ならここで「あ、すいません、調子に乗りました」と平身低頭になるところだが、あいにくとドランはそんなことをしない。

 

「喚くなよ、本当のことだろーが」

 

事実その通りなので、グリッグスはグルルと喉を鳴らすしかない。

やがてそれも飽きたのか、グリッグスはテーブルに肘をついて呟いた。

 

「戦争遊戯でもやりたいもんだ。どっかの本拠に押し入って好き放題暴れる……楽しそうだろ?」

 

「楽しそうだけど、スレイが認めないよ」

 

リンクスが口を挟んだ。

自慢の尻尾をセレンに任せているためか、気は緩んでいてその目つきは眠たげなものに変わっている。

 

「わかってるさ。言ってみただけだよ、ふん」

 

少なくともここにスレイより強いものはいない。

多人数でかかればスレイはその場から逃げ出し、アルフレートやロイ、ウィンディのような第一級の狩人を引き連れてまた戻ってくる。

あれは戦い方というものをかなりわかっている男だ。

 

「いや、案外、戦争遊戯も始まるかもしれねえな」

 

ドランの言葉に、両者は耳を傾けた。

 

「おめえ人前で一人殺ったろ? いまごろ、オラリオじゃあちょっとした騒ぎになってるだろうさ。もしかしたら戦争遊戯になるしれねえし……スレイが殺しにくるかもしれねえ」

 

「ああそっか」

 

リンクスはなんでもないことのように言い、昔を思い出して眉間にしわを寄せた。

 

「……そういえば右腕へし折られた借り、まだ返してなかったっけ」

 

数年前……リンクスは他のファミリアが実行した、名前は忘れたがどこかのファミリア潰しに加担している。

そのことを知ったスレイによって、リンクスは利き手である右腕を文字通りひねりあげられ、見事に折られた。

高い治療薬のおかげで二週間ほどでギプスは外れたのだが、その間はダンジョンに潜れず悶々とした日々を過ごしたものだ。

あの屈辱はもう思い出しただけでも腹が立つ。

 

「今度は俺が両腕へし折ってやる」

 

リンクスはここにいないスレイの姿をにらみつけた。

スレイはレベル6。

リンクスもレベル6。

リベンジにはちょうどいい。

 

「うーん……りーくんが負けるとこはみたくないなー」

 

セレンはリンクス自慢の尻尾を櫛ですきながら言う。

 

「でもりーくんをおせわしたいなー。ごはんを『あーん』したりー、おふろにいれたりー」

 

「トイレの後のケツ拭いたりか?」

 

グリッグスがせせら嗤い、セレンは両足をぱたつかせて同意した。

 

「それもあるねー」

 

「勘弁しろよ」

 

「そん時は毎日笑い飛ばしにいってやるよ」

 

「殺すぞ」

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

腹の底から大声を出すと、それだけでストレス発散になるものだ。

それが歌であればいいのだが、残念ながらエミーリアに向けられているのは思いつく限りの罵声だった。

内容といえばハイポーションの買い占めと高額転売というもので、それだけでもう何人も怒鳴り込んでくる。

本拠で寝泊まりする狩人は皆無であり、主神も人前に出ることはないため自然とエミーリアが苦情の受付と貸していた。

 

「本当にすいませんでした……」

 

銀髪なのか白髪なのかもう区別がつかない長髪をたらし、腰を深く曲げて最後の一人を玄関から見送った。

時刻は夕暮れ。

今日の太陽がお別れを告げるころ。

 

「はああああ……」

 

口から魂でも出て行きそうなため息をついてエミーリアは中へ戻り、そして階段上の書斎に入った。

のろのろとした足取りで机を回りこみ、自分の椅子にぼすんと座る。

 

「かみさま……」

 

祈りそうになったが、やめた。

この世に神はいるが助けてくれない。

断言する。

 

「うぅ……胃が……」

 

キリキリと痛むお腹をさすり、引き出しから胃腸薬を取り出した。

ポーションと同じく、試験管のようなガラス瓶にコルクの蓋がなされ、中には薄緑色の液体が入っている。

ナァーザがオススメする胃腸薬をあおると、草のような生臭さと苦さが口いっぱいに広がってくる。

しかし良薬は口に苦しというのだ。我慢して飲み干した。

不意に、玄関のドアが派手に開いた音がした。

まさしく蹴破ったような音。

エミーリアの背筋にゾッと冷たいものが走り、大慌てで書斎のドアに鍵をかける。

直後に書斎のドアノブがガチャガチャと動き回り、開けようとガタガタ動く。

 

「ひっ……!」

 

思わず出た短い悲鳴が、ドア向こうの誰かに聞こえたらしい。ドアが激しく叩かれた。

 

「おい! ここに一人いるぞ!」

 

その呼びかけに応えるように、野太い男たちの声が聞こえてきた。

彼らは一人ではない。

これはもう苦情とかそういうレベルではない。襲撃だ。

 

「あ、あなたたち正気なの!?」

 

ドア越しに叫ぶと、返事はドアの破壊音だった。

斧か何かで打ちつけている。

その間にも廊下の奥や階下の部屋に押し入ったり、踏み荒らしたりする音が聞こえてくる。

ファミリアの本拠に押し入るなどそれこそ戦争だ。

そして彼らはそのつもりでここに来ている。会話をするつもりがないのは明白だった。

 

「ああ、もう……どうして、こんな……」

 

いま本拠にいるのはエミーリアを除いて人形と上位者だけだ。

そちらも気がかりだがいまは自分の身が最優先だ。暴行されるのも殺されるのも断固としておことわりだ。

涙目になりながら机の裏へと回り、ドアを開けて身を乗り出す。

下にはすでに男が二人いた。

本拠の角に立って、逃げ出す者がいないか見張っているらしい。飛び降りるのは愚策といえる。

背後のドアはいよいよ破壊されようとしている。一撃で破壊されないところを見ると、高レベルのものがいないからだろうか。

どちらにせよエミーリアのレベルは1だ。

おまけに速攻魔法が一つと、あまりにも詠唱が長すぎる変身魔法が一つしか使えない。

エミーリアは服の下から金のペンダントを取り出して、それを手に速攻魔法を唱える。

 

「<蒼き流星(ブラウ・メテオール)>!」

 

ペンダントを触媒とした、青く発光する石のつぶてを射出。

ゴブリンの頭に当たってようやく倒せるような、あまりにも威力に乏しい魔法。

だがそれは隣の工房の壁にぶち当たり、派手な音を立てることはできた。

これなら絶対にアンドレイたちの耳に聞こえたはずだ。

直後、書斎のドアが破壊された。振り返ると黄色の革鎧を着た二人組の男が踏み込んできた。

その表情はまさしく “怒り” の色に染まっている。

 

「てめえ!」

 

「ひっ……い、痛い!」

 

机の左右から男たちが迫ってきて両腕を押さえられる。細い腕ではとても振り払えるはずもない。

 

「殺しとはいい度胸だなええ!?」

 

「な、なんの、はなしをして……」

 

パン、と乾いた音。

少し時間をおいて頰が熱を持ち、エミーリアは平手打ちされたと理解した。

 

「とぼけるな! 一八階層で俺の仲間を殺しただろう!?」

 

「わ、わたし、しりませーー」

 

パン!

 

今度は反対側の頬を。

震えて、何もできない。

 

「リンクスだ! カラード・リンクス! あのブラックリスト野郎だ!」

 

じゃあ彼のところに行ってよ!

 

そう言ってやりたいがこの状況でそれを言うのは自殺行為だろう。

激昂している相手に反論することは火に油を注ぐ行為だ。

経験則でそのことは一番よくわかっている。

 

「すみせん、すみせ……あぐっ!」

 

腹部に拳がめり込んだ。

嘔吐しそうな鈍い苦痛が全身に広がっていき、膝をつく。

それでも腕は解放されず、男の片方が拳を振り上げた。体がこわばる。

 

「すみせんじゃねえっ!」

 

「お前らなにやっとるんじゃ!」

 

見知った野太い声が飛んできた。

見ると、上半身裸で岩のような筋肉を持つ白い長髭のヒューマン、アンドレイがそこにいた。

なにも持っていない素手なのだが、岩だろうと粉砕できそうな拳はもはや凶器といっていいだろう。

エミーリアは嬉しさと安堵の表情を浮かべ、暴漢の二人は忌々しげに顔を歪める。

 

「ヘファイストスのやつに用はーー」

 

「やかましい! その娘から離れろ! それともヘファイストスともやり合うか!? ああ!?」

 

部屋の中とあって、アンドレイの怒鳴り声はひときわ大きく反響した。

さらに武器の製造・販売の最大手であるヘファイストスファミリアを敵に回す度胸はないらしく、二人は渋々といったふうにエミーリアを解放し、ゆっくりと離れる。

 

「うう……」

 

エミーリアは解放された両手でお腹を押さえた。本当に吐きそうだった。

 

「とっとと失せろ!」

 

その怒鳴り声によって、二人は舌打ちしながら部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

「ファリド! グエン! みんな行くぞ!」

 

二人は他の押し入り仲間の名前を呼んだ。

が、返事はなかった。

 

「おい! どうした!?」

 

ヤーナムファミリアに押し入ったジョーヌとゲルプだが、ヤーナムに恨みを持つ別ファミリアの仲間の反応がなく、怪訝に顔を見合わせる。

 

「どこだ!?」

 

眉間にしわを寄せ、二人が向かった下の廊下を行く。

と、二人はドアの前に倒れていた。

 

「おい、どうした? ファリド!? グエン!」

 

抱き起こすと、両者は白目をむいて口角から泡を吹いている。明らかにただ事ではない。

 

「しっかりしろ! おい!」

 

「くそ、この中か!?」

 

ジョーヌがドアノブに手をかけるが、ゲルプが引き止める。

 

「よせ、もう行くぞ。そっちを運べ」

 

ジョーヌは不服がったが、ドアノブから手を離し、グエンを背中に担ぐ。

一時的な協力でしかないが、ここに置いて行くわけにもいかない。

ひとまずはこの本拠を出ることにした。

 

 

 

 

「もうやだ、なんなの、もう、なんなのよ……」

 

「まったく苦労するなあ……」

 

エミーリアは小さく身を丸めて嗚咽を漏らし、アンドレイはその背中を優しく撫でる。

アンドレイはもう何十年と狩人工房で仕掛け武器を鍛えているのだ。

エミーリアやスレイのことを赤の他人といって切り捨てることなどできない。

 

「ポーションはどこにあるんじゃ?」

 

「……その、引き出しの、なかに……」

 

アンドレイは机の引き出しを上から開けていき、ポーションを見つけた。

 

「ほれ。少しは痛みもひくじゃろ」

 

「ありがとう……ございます……」

 

差し出されたポーションをひと瓶飲み干した。痛みはひいたが涙は止まらなかった。

 

「まったくこんな時に、スレイはどこいったんだかな」

 

アンドレイは長い顎髭をしごきながら、明後日の方角を眺めるしかなかった。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

混濁した意識の中で、ファリドは目を覚ました。

 

 

真っ暗なのは部屋が暗いからではなく、目に何かを置かれているせいだと気づくのに、少しばかり時間を要した。

 

 

なにがあった?

 

 

自分にそう問いかけて、答えを思い出そうとする。

 

たしか……冒険者依頼が貼り出されている掲示板を眺めていた時、ハスターファミリアの黄色い二人がやってきた。

二人はヤーナム野郎に恨みを持っているやつを声高に訴えて探しているようだった。

ファリドは名乗り出た。

ヤーナムファミリアの狩人に、獲物を横取りされたり、料理店で先に座っていたのに座席を追い出されたり、並んで順番待ちしていたのに割り込まれたり、挙句のはてには猫人の彼女を寝取られたり、そういう横柄な態度にウンザリしていたからだ。

 

他にも何人かが名乗り出て、その足でヤーナムファミリアの本拠に乗り込んだ。

せいぜい嫌がらせくらいの気持ちだった。

それで……それで、どうなった?

 

「うぅ……あ……」

 

思い出せない。

うめき声が口から漏れるだけで答えが出ない。

乱暴に本を破いたように記憶がズタズタになっていて、そこから先がわからない。

泥沼の中から意識を強引に引きずり上げる。

 

『あ亞、メが樝メ汰んだン拿7』

 

ヌチャヌチャと水気を含んだ耳障りなうめき声が届いた。

なんだいまの……声? は。

混濁した意識がはっきりして、体を起こすと顔の上の布がパサリと落ち、その光景が目に飛び込んできた。

 

 

 

ここは地獄だった。

 

 

 

ファリドの体には胆汁と膿にまみれたシーツがかけられ、寝かせられているのはネズミの内臓を集めた肉の上。

天井、壁、床は血管や肉芽がびっしりと這いずり回って腐臭を放つ。

だがなによりも……なんだこの、豚の内臓を寄せ集めた化け物は?

全体的に赤茶色をして、ヌラヌラとした表面には血管が浮き出ている。

鉈で斬りつけたような裂け目からは半透明の粘液が絶えず流れ出ており、ぎょろりとこぼれ落ちそうな眼球が二つ、こちらを見ていた。

 

「う、わあああああ!?」

 

ファリドの顔から血の気が引いた。後ずさりして肉のベッドから転がり落ちる。

こんな醜悪な化け物はダンジョンだろうと見かけることはない。

ダンジョンのモンスターはある種の動植物らしさがあるが、目の前のこれはバケモノとしか表現できない。

生命に対する冒涜的で醜悪な悪夢の産物。

そんなものがもう手を伸ばせば届く距離にいるではないか。

 

『ナ贋鵝@タ?』

 

なんだこれは?

この……うめき声のようなものを出す、内臓の化け物はいったい?

 

「あ、あああああ……」

 

ファリドは血管のようなヒモが浮き出る壁に背中を押しつけ、いまの自分が置かれた状況を飲み込もうとするがとてもできない。

理解してしまえば狂ってしまう。

あるいはもうすでに狂ってしまったのだろうか。

 

『0イ……ど漚4#?』

 

なんだこいつは?

なんだこの世界は?

俺は死んだのか?

ここは地獄か?

 

『オ|』

 

ゆっくりと内臓の化け物は腸のようなものを伸ばしてきた。

おぞましく穢らわしい臓腑が伸びてくる。

ファリドは即座に辺りを見渡して、すぐ左に愛用するファルシオンが置かれていることに気づいた。

この血と臓腑に満ちた世界の中で、このファルシオンだけが鮮やかな輝きを放っている。

まるで『俺だけがお前の味方だ』と主張するかのように。

 

「近づくなああああああ!」

 

とっさにそれを掴み、水平になぎ払う。

寸分違わず刃は “臓腑の化物” の触手を切り飛ばした。

緑色の粘液を撒き散らして“臓腑の化物” は耳障りな悲鳴をあげる。

 

こいつは殺せる

 

そう判断したファリドの行動は早い。肉のベッドを踏みつけ、反対側にいるそいつにファルシオンを突き立てる。

見た目通りの、肉の塊を突き刺したような嫌な感触した。

 

『……髃ゲ……あ……』

 

“臓腑の化物” は醜悪な体を横たえて死んだ。

死骸からファルシオンを引き抜き、刀身にこびりつく緑の粘液を振って飛ばす。

そうだ、いつだって、どんな窮地だって、このファルシオンが助けてくれた。

相棒などという言葉では言い表せない。

これはファリドにとって腕の延長線、体の一部だ。

まだ、やれる。

ファリドは肉のベッドから降りて通路を行く。するとすぐに行き止まりになったではないか。

正面には赤褐色のサビに覆われた壁なのだが……奇妙な突起がある。

その突起物は腰の高さにあって、それだけがピンク色でプルプルと小刻みに震えていた。

 

「なんだ、この……?」

 

出口などない。

恐る恐るそれをつかむと、その外見に違わぬグニャリとした感触に背筋が凍った。

身震いすると、その弾みで突起物が回転するように動く。

眉をひそめて半回転させると、錆びついた壁が手前に開いた。

これはドア……なのだろうか。

ドアの向こうにもやはり部屋と同じく地獄が続いていた。

血管がのたうつ壁、ミミズのようなヒダが這い回る床。それが左右に続いている。

頭をのぞかせると、幸いにも化物の姿はなかった。

通路に出て、赤黒い粘液が垂れる窓から外を見て、ファリドは床が消えたような錯覚に見舞われた。

この肉の地獄は外まで続いているではないか。

空のあの色!

青ざめた血のような空。そこに浮かぶのは血をペンキのように塗りたくった月。

 

「う、あああ……」

 

いっそ喉をファルシオンで貫いたほうがいいのだろうか。

そう思って握りしめる愛剣を見やると、美しい輝きがファリドを奮い立たせた。

いやまだだ、死ぬにはまだ早い。

 

『#り°、Oきたの咖』

 

左からうめき声。

はっとして振り向くと、例の “臓腑の化物” が二体、ズルズルと体を引きずってこちらにくる。

 

「く、来るなよおおお……」

 

あんなもの相手にしていられるか。

ファリドは即座に背中を向けて反対側に走り出す。

ここは危険だ。外に、外に出なくては。

血腐った血の床は、踏みしめるごとに湿った厭な音を出す。肉を踏みつけるような弾力が気持ち悪い。

突き当たりを左に曲がると階段が上下に続いていた。迷わず下へと駆け下りる。

一番下へとたどり着き、正面の通路を走った。

走りながら……違和感。

この通路、あの階段……この構造には身に覚えがある。この通路の左にはまた別の通路があることを知っている。

正面が玄関になっていてそこは談話室を兼ねていることも知っている。

なぜか?

 

ここはファリドが住むファミリアの本拠と、まったく同じ構造をしている。

 

そのことを疑問に思う間も無く玄関広間にきた。そこでたたらを踏むように立ち止まる。

そこには “臓腑の化物” が七匹と、そして “青い化物” が一匹。

口でうまく説明できないが本能でわかる。あの “青い化物” がこいつらのボスだ。

“青い化物” は管のようなものを束ねてねじったものを集めたような、そんな姿をしていた。

表面はぬらぬらと湿っており、まぶたのないむき出しの眼球が全身の至る場所についている。

その “青い化物” は肉の椅子から立ち上がってこちらへと向かってきた。

 

『八_なむに處4イる楠てナ2を患がエて……マ弖、粗のち8なん陀?』

 

金切り声のようなうめき声が “青い化物” の口……と思われる裂け目から発せられた。

ついでに口から黄色の粘液がゴボリと吹き出し、ファリドは顔を引きつらせて後ろに飛び退く。

気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!

醜悪、などという言葉だけでは物足りない。

生きている内臓、悪夢の産物、生命を冒涜する造形、見るだけで吐き気を催す物体。

そのボスがこいつだ。

 

『なン10狙ん凪毫0を喪ッてーー』

 

“青い化物” はピチャピチャと耳障りな足音を立ててやってくる。

幸いにも “臓腑の化物” はその場から動いていない。

やるならいま。

 

「死、ねえぇぇ!」

 

踏み込み、ファルシオンを横薙ぎに振るう。

刃は “青い化物” の頭部と思われる部位へと向かい、ファルシオンに衝撃。

狙いはそれて “青い化物” の顔らしい場所を浅く切りつけるにとどまる。

 

「くっ!?」

 

“臓腑の化物” の一匹が何かを投げつけたのだと、すぐに理解した。

目の前の “青い化物” は後ろにどちゃりと転ぶ。いまだ、死ね。

 

「ああああああああああああ!」

 

ファルシオンを両手で逆持ちし

振りかぶる。

 

『4せ!』

 

耳障りなうめき声をあげて “臓腑の化物” がワラワラとやってくる。

気持ち悪い小腸のようなものが腕を、胴体をつかんで離さない。

腐臭と腐汁が顔にかかった。

このままでは自分まで “臓腑の化物” にされてしまう。内臓をひっくり返して全ての粘膜を曝し、うめき声を上げるハラワタだけの化物にされてしまう。

ファリドの頭はその恐怖が埋め尽くした。

 

「俺にさわるなあああああああああ!!」

 

叫び、持ちうる全ての力を持って “臓腑の化物” を振り払う。まだ腰に巻きついている触手のようなものをファルシオンで切り落とした。

触手を切断された “臓腑の化物” は不快極まるうめき声を出してのたうち回る。

 

近づくな! あっち行け!(away! away!)

 

化物どもにファルシオンを突きつける。化物どもはその場でたじろいだ。

“青い化物” はすでにどこかへと逃げていた。

もうここにいるべきではない。ファリドは一目散に玄関のドアを蹴破って外に飛び出した。

 

ひたすら走る。

血と、肉と、血管、肉芽。

そういうもので満たされた街をひた走る。

地獄はどこまでも続いていた。

豚の内臓を寄せ集めた化物はそこかしこにいた。

それらから逃れるために右へ左へと狭い路地を走る。

 

違和感。

 

この通りには身に覚えがある。

この順路を知っている。

この先に左右の分かれ道があることを知っている。

右に曲がるとバベルが見えることを知っている。

 

なぜか?

 

「う、あ、あああ、ああああああ、あ……」

 

ここは、地獄ではない。

オラリオだ。

あれがバベルだ。

青ざめた血のような空へ伸びる、血管のようなツタが覆い尽くす腐肉の尖塔。

それにはりついているあれはなんだ!?

左腕は三本であるのに対して右腕は四本という非対称、そして二本の脚。ゴライアスと同等以上の大きさを持ちながら、その全身は異様なまでに細く、長い。

冥府の果実を思わせる頭部には眼球らしきものが存在せず、口のような場所からは名状しがたい触手が何本も生えて不気味に揺らいでいる。

 

そんなものが何匹も肉の塔にはりついている。まるでなにかを探すように。

バベルの下を求めているように。

 

「うぅ、あああ……誰か……誰か助けてくれ……だれか……!」

 

ファリドはバベルに背を向けて走り出しす。

行くあてはない。

どうしてこうなった?

なぜこうなった?

見るもの全てが血肉の街。その住人は内臓の寄せ集め。

狂ったのは世界の全てか? それとも自分一人か?

それを知る方法はなかった。

とにかく誰でもいい、なんでもいい、助けてくれ。

どこをどう走ったのか……ふと、ファリドの視界に何かがよぎった。

血肉の世界の中で、明らかに内臓とは違う色あざやかな、綺麗ななにかが見えた。

その綺麗なものはすぐに角を曲がって見えなくなってしまう。

それが何者であるかなど考える余裕はなかった。

すぐに追いかける。

 

「待て、待ってくれ!」

 

走り、角を曲がる。

服が見えた。

だがまたもや路地へと入って視界からいなくなってしまう。

ちらりと服の裾が見えたのだ。 “臓腑の化物” とは全く異なる、ちゃんとした何かが。

右へ左へと曲がってそれを追う。

自分が追っているものはただの幻影で、あるファミリアの本拠におびき寄せられているのだと、いまのファリドには想像もできない。

とにかく希望の光を追い求めるように、その影を追い、そして見つけた。

 

ファリドが行き着いた場所はどこかの建物だった。

まるで入ってこいとでも言わんばかりに肉の口が開かれており、奥には赤い極彩色の階段があった。

階段の上には亀裂が入った肉膜があり、階段の隣には建物の奥へと続く通路がある。

ここもなにか見覚えがあるような気がした。

入るか引き返すかためらっていると、その通路の奥から声が聞こえてきた。

 

ーー来て。

 

脳に直接囁きかけるような、そんな少女の声だった。

 

ーー来て。

 

再び声。

ファリドは生唾を飲み込み、ファルシオンを握りなおしてその建物に足を踏み入れる。

内臓を踏むような嫌な感触を我慢して、足音を立てないように用心深く通路の奥へ。

やがてドアが二つある場所に来た。

片方は閉ざされているが、もう片方は開いている。

その開いている方のドアを覗き込むと、ファリドは思わず息を飲んだ。

そこには可憐な少女がいた。

腐った骨の安楽椅子に座り、椅子と共に小さく揺れている、れっきとした少女。

まだ幼さとあどけなさが残り、美しさよりも可愛らしさがまさっている。肌は透き通るように白く、ほっそりとした肢体が白いワンピースから伸びていた。

 

「あ、あああ、あああ……」

 

この血と臓腑の地獄のような世界でようやくまともな人間に出会えたことに、ファリドは思わず涙を流していた。

彼女こそが美の女神だ。

フレイヤもイシュタルも、彼女に比べれば踏みつけた粘土細工に等しい。

少なくともいまのファリドはそう信じて疑わなかった。

 

「ああああああ、あ……や、やっと……やっとまともな人に会えた……」

 

ファルシオンを落として、子供のように泣きじゃくりながら少女の元に歩き、その足元でひざまづいた。

 

「どうか、どうか手を握ってください……気がついたら世界がおかしくなっていて……見えるもの全部が気味の悪いものに変わっていて……」

 

懇願するファリドに、少女は優しげに笑みを浮かべる。

そしてファリドの頰にそっと右手を添えた。

その柔らかく、暖かな温もりにファリドは歓喜した。

この少女が望むものすべてを差し出してかまわない。少女が望むのならファリドのすべてを投げ捨ててもかまわない。

そんな思いでファリドの胸はいっぱいになった。

地獄で出会った救いの女神。

それこそが目の前にいる少女だと断言できた。

 

「あなたは……あなたは、いったい……?」

 

ーー禁断の果実を手に入れた人の片割れ。幼年期の終わりを迎えた者。

 

なにを言っているのか、なにを言いたいのか、よくわからなかった。

少女はそのまま語り続ける。

 

ーーこの世界は “彼ら” の世界だった。けれどウラノスのような神々は、欺瞞の光でこの世界を覆い尽くした。優しい嘘で真実を隠した。自分の価値観に沿うように世界を塗りつぶした。そしてこの世界に降臨して、 “彼ら” を追放した。もう少しでその末席に人は並べたはずなのだけれど、神々は子供の自立を許さなかった。子離れできないのね。

 

「 “彼ら” ? 自立……?」

 

ーー古き神々、旧支配者、深き者共、冒涜的曲線達。 “彼ら” の過半は姿を消したけど、大地のはるか下に潜んでいる赤子は取り残された。赤子が旅立つには時間が足りなかった。

 

「そ、それで……俺に、なにを望むのです? なにを、したらいいのです?」

 

ーー赤子を殺して。そして赤子の持つ禁断の果実を手に入れて。

 

禁断の果実。

最初の人間であるアダムとイヴが食べたとされる知恵の実。

それを欲しがっているのか。

 

ーー人はね、知恵を手に入れたから楽園を追放されたわけじゃない。自分から楽園の外を目指した。わたしも同じ。次元を超えた次の世界を知りたい。神の座席に座って、世界の果て、その終わりの先、虚ろな宇宙の向こう側に行きたい。そのためには(つがい)となるアダムが必要。だから……赤子を、殺して。

 

少女の意味するところはよくわからない。だが赤子とやらが持つものを殺して奪って欲しいということはわかる。

腹は決まった。

 

「その赤子はどこに?」

 

ーーダンジョンの奥底に。ダンジョンは赤子のゆりかご。身を守るための城塞。成長するための繭。神々はモンスターを生み出すだけの深い穴くらいにしか思っていないようだけど。

 

ダンジョンの奥底。

そこに少女が求めるものがある。

ファリドが立ち上がった時には、もう怯えの表情はなかった。

 

「必ず、あなたのために持ってきます。だから、どうかそのときは……」

 

ーーわたしの(つがい)になってね。イヴにはアダムが必要だから。

 

「はい」

 

力強く返事をして、最後に問うた。

 

「あなたは、人間、ですか?」

 

少女はくすりと微笑む。

 

ーー人間だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー昔は、ね

 

 

 

 

 

 

 

 

ファリドが見上げた先には巨大な肉の塔がそびえ立っていた。

雲を突き抜けるようなおぞましい尖塔。

そこに張り付く巨大な存在にも圧倒される。

その巨大なものは口と思われる場所に生える、触手のような肉腫をうごめかせてファリドをじーっと見ているようだった。

神々はこれに気づいていないのだろう。

あの少女に言わせるなら、欺瞞の光に溶けこんだ宇宙の色、それがこの存在なのだろう。

どうでもよかった。

ファリドは “臓腑の化物” など目をくれずにバベルと思われるものの中に飛び込む。

このはるか下には少女が求めるものがあるのだから。

 

旧支配者、古き神々、その生き残りを殺して禁断の果実を手に入れ、幼年期を終わらせる。

人は神から親離れをはたし、万物の理を超越した存在になる。

まさしく神への転生。

 

それこそがヤーナムファミリア主神の目的なのだから。




お仕事とゲームが忙しくて更新できんかったわすまんな。

沙耶可愛いよ沙耶。

神様なんだからヌルヌルグチョグチョな神様だっているよね。
カレル文字の『苗床』なんてハワード・フィリップス・ラヴクラフトの頭文字、『HPL』を重ねた文字だからね。


さーて、いい加減にガスコイン神父を出したいので、山ほどある説教とか戦争遊戯とかやる前にちょっと番外編挟ませてください。


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