グラシデアの雫 (Noche)
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第0話

 

涼やかな風が森を靡かせ、きらきらと木漏れ日が地を照らす。本日は雲一つない快晴である。

 

こんなに素晴らしい洗濯日和はいつぶりだろうかと空を仰いだレイカは、確か自分が生まれた日もこんな清々しい空だったと思い出す。

 

 

 

レイカには、前世の記憶というものがあった。

 

ここではないポケモンのいない世界で生まれ、ポケモンに似たような生き物の怪我を治療したりする獣医という職に就いていた。子供が生まれ孫が生まれ、家族が見守るなか、齢89の春に往生した。

 

そんな違う世界からこの世界に転生するだけでも奇々怪々な出来事なのだが、更にレイカはこの世のものではないものが見える特異体質だった。人間の形をしたものや、他の生き物の形をしたものを視ることができ、会話をすることもできる体質を、転生した時に記憶と一緒に受け継いでいたのだ。

 

しかしその事実が明確になるのは数年後になる。

 

 

 

この世界に生を受けレイカという名を与えられてから5年経過すると、レイカは自分の家が裕福なのだということを知った。

 

それからの行動は速かった。両親におねだりし、一流のポケモンドクターやポケモンブリーダーを家に招待すると、その職業の知識を教授してもらい貪欲に吸収していった。

 

次々と知識を吸収していく様を見ていた両親や大人達が天才だなんだと持て囃し、煩わしい思いを抱いていたレイカは、そんなもの前世の記憶がある分当たり前だと声を大にして叫びたかったが、そんなことを叫んだとしても頭の心配をされるだけなので黙って勉学に励み続け、5年。

 

一流のドクターとブリーダーの知識を学びきり、10歳になりポケモン取り扱い免許証を取得したレイカは、心配する両親を背に軽やかに旅立った。色々なポケモンに触れ、実技を学ぶ為だ。

 

最初に目指すは隣町であるシオンタウンのポケモンタワー。

 

そこへ行くことによって、本当に自分が体質を受け継いでいるのかどうかがはっきり分かる。

 

タウンマップを見ながらシオンタウンを目指す間、レイカは前世を回顧していた。

 

前世では、この世界のことは不思議なことにゲームになっており、よく息子や孫に一緒にやろうとせがまれたものだ。

 

ゲームはシリーズものとなっており、今自分がいる地方が舞台となっているゲームはそのシリーズの初代であり、ポケモンを育成するのが最も困難なゲームで、やりこんだ記憶がある。

 

息子や孫達との懐かしい思い出が込み上げてくる。シオンタウンに到着して流れる音楽に息子は怖がっていたなとか、ゲームの中に入れたらいいなと孫が夢見ていたなとか、そんな優しい思い出が。

 

しかし、もう自分は前の自分ではないのだと、死んで生まれ変わり違う人間になったのだと頭を振り、新しい人生を歩むのだと過去を振り切った。

 

 

シオンタウンに到着しポケモンタワーに入ると、やはりレイカは色々なものが視えていた。

 

墓参りに来ている人の横に寄り添うように隣に座っている透明なポケモンや、墓の前で抱き合っている透明なポケモンと人間が。

 

ポケモンタワーを後にしたレイカは、それから色々な地方を巡った。

 

カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロス、オーレ、フィオレ、アルミア、オブリビアという地方、オレンジ、デコロラという諸島を長年かけて回り、色々なポケモン達と出会い17歳で帰郷する。

 

帰郷してからは近くのポケモンセンターで研修を受け、20歳になるとセキチクシティから東北の方の少し離れた森に、ポケモンの何でも屋を構えた。

 

森の中だが開けた場所に建てた何でも屋は、ポケモンと人間のカウンセリング、ポケモンの育成、ポケモンバトル、ポケモンの治療等々、様々なことを承る。町の掲示板にチラシを貼らせてもらい、口コミで広まりそれなりに繁盛しており、そして現在に至る。

 

 

日の光を浴びながら長く瞑っていた目を開き、店に戻ると、そこにはポケモンを抱えた少女が佇んでいる。

 

「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件ですか?」

 

少女が振り返った先には、金色の髪を緩く三つ編みにした白衣を着る女性が、優しくこちらに微笑んでいた。

 

 

 

これは、特異体質を持つ、ポケモンを愛する心優しき女性の物語。

 

さてさて、そんな彼女はこれからどのようなポケモンや人間と関わっていくのか。

 

 

――――物語が、今始まる。

 



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第1話 遺された葉


 

 

日が暮れ、肌寒くなった薄暗い森の中を、息を荒らしながらも必死で駆け抜ける。

 

後方からゆっくりと、だが確実に自分に近づいてくる恐怖に挫けそうになるけれど、今自分がアイツを引き付けなければ次に狙われるのは愛する家族だ。

 

笑うように震えだす足に、歯を食い縛って力を入れる。

 

少しでも遠くへ逃げられるようにと願いながら、ただただ前を向いて走る。

 

まだだ、もっと遠くへ。

 

こっちへ来い、ついて来い。走れ、もっと速く、走れ。

 

そんな必死な自分を嘲笑うかのように、アイツは距離を段々と縮めてきた。

 

 

背後に気を取られ小石に躓いて地面に倒れてしまう。

 

すぐに体勢を直そうと起き上がるが、もう、あの不快な羽音がすぐ側まで来ていた。

 

相手とのタイプの相性は最悪で、自分はこれまでなのだと死を覚悟する。

 

今まで気合いを溜め続けていたのか、ニヤニヤと目を細めていた敵は一気に自分へと飛び、その巨大な針で自分を貫いた。

 

その針は迷うことなく急所を突いたため、自分は動くことすらできない。

 

毒が身体中を侵食していく。

 

熱くて、苦しくて、痛くて。

 

もう、愛する妻や子供に会えないと思うとやるせなくて。

 

悔しい。もっと彼女と笑いあいたかった。子供の成長を見守りたかった。

 

力がゆっくりと抜けていく自分に興味をなくしたのか、敵は去っていった。

 

大切な彼女達が、どうか安らかに暮らせますようにと祈ることしかできない自分が腹立たしいのに、気持ちとは裏腹に視界が霞み何も見えなくなっていく。

 

薄れゆく意識の中で、彼女達の泣き顔が見えた気がした。

 

 

 

……ずっと一緒にいてやれなくて、ごめんな。

 

 

そして、今、一つの命が終わりを迎えた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

神が悲しみ涙したような激しい雨が降り続くなか、来客を告げるベルの音と、ドアに何かがぶつかるような音が聞こえ、レイカは店の奥から顔を出した。

 

ドアをゆっくり開けると、そこにはカントー地方ではあまり見ないチコリータが顔を赤く染め、息苦しそうに倒れていた。

 

「チコリータ!」

 

優しく抱え上げるとチコリータは高熱を出していて、身体中傷だらけだった。

 

傷が処置されておらず、このどしゃ降りの雨の中、1体でここを目指して来たのだろうか。

 

「お願い、ハピナス。【いやしのはどう】」

 

ボールからハピナスを出し、ハピナスは暖かな視認できるピンクの波動をチコリータに向けると、チコリータの体力が少し回復し熱も下がってきた。

 

「ありがとう、早速治療室へ行きましょう」

 

店の奥にある治療室へと迎い、治療台へゆっくりと寝かせ傷の具合を見ていく。

 

その間もハピナスには【いやしのはどう】を出してもらう。

 

顔の赤みがなくなり解熱するも、チコリータはまだ目を覚まさない。

 

レイカは治癒力を高める照明機器でチコリータを照らしながら、傷の消毒を行う。

 

この照明機器はポケモンセンターにもあるもので、この器具を販売しているイルミネートカンパニーというところからオーダーメイドで頼み、ここにあるものは通常のよりも大きめだ。

 

ポケモンの生命力は人間の何倍もあるため、この器具で治癒力を高めれば短時間で回復する。

 

見る見るうちに傷が治ると、チコリータの瞼が震えた。



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「……チ、コ?」

 

「ああ、よかったわチコリータ、目を覚ましたのね」

 

目を開けると、目の前には眩しい色の髪の人間がいた。

 

どうして、自分はこんなところにいるのだろう。自分は父親と別れた森にあともう少しで着くからと、雨の中を走っていたはずだ。

 

状況が読めず人間を警戒していると、人間の傍にいたポケモンがチコリータに話しかけてきた。

 

『こんばんわ、チコリータ。私はハピナスで、こっちの人間は私のマスター。あなたが雨の中倒れているのをマスターが見つけて、治療していたところだったのよ』

 

『そうだ……! ボクは身体が熱くって、疲れてて、倒れちゃったんだ』

 

そんな自分を、この人間が助けてくれたのか。

 

チコリータは警戒してごめんなさいという謝罪を含めて小さく鳴き、人間に頭を下げた。

 

その人間は何となく2体のポケモンの会話の内容を察したのか、目線を合わせるように屈み、そっとチコリータの頬に手を近づけ安心させるように撫でる。

 

母親以外の温もりなのに心が落ち着く。

 

まだ会って間もないというのに、どうしてこんなにも心が安らぎ、心地いいのだろう。

 

 

「初めまして、チコリータ。私はレイカよ。あなたが元気になってよかったわ」

 

「チコリ……」

 

「よかったら、あなたがどうしてこんなに激しい雨の中ひとりでいたのか聞かせてくれないかしら? よっぽどどこかへ行きたかったのよね。もし、私に教えてくれたのなら力になれるかもしれないわ」

 

どうかしら? と優しく微笑む姿に、気づけばチコリータはここへ来た理由をハピナスに話していた。

 

 

 

数日前、やっと技を4つ覚えることができたチコリータは、忘れもしないあの日殺された父親の仇を取るべく、母親に必ず帰ってくると別れを告げ、父親と別れた森へと目指した。

 

数ヶ月前のあの日、父親を追おうとする自分を引き止めるために押さえ込んだ母親の身体を必死にどかそうともがきながら、涙で滲む視界で父親の背中を見つめていた。

 

何もできなかった自分が嫌で嫌で仕方なくて、チコリータは必死に力をつけたのだ。

 

絶対に、アイツを赦さない。

 

復讐心を燃やしたチコリータは、山を越え林を抜け、他のポケモンに喧嘩を売られたり等トラブルはあったものの、もう少しであの森に辿り着くという時に雨が降りだし、ポケモンバトルで負った傷から菌が入り込み熱が出て倒れてしまった。

 

『かいつまんで話すと、そういうわけなんだ』

 

ハピナスに事情を話し終えると、ハピナスはレイカに向き直り、レイカも分かったというように小さく頷きモンスターボールを出した。

 

「お願い、ラティアス」

 

「ひゅああん!」

 

「チ、チコリ!?」

 

チコリータは突然現れたラティアスのその巨体に一瞬驚くも、ラティアスとハピナスが額を合わせるのを見て何かをしようとしていることに気づき、邪魔をしないように黙視する。

 

レイカのポケモンであるラティアスは、人間の言葉を理解し、テレパシーで気持ちを通わせることができる。

 

そのためチコリータに事情を聞いたハピナスがラティアスにそのことを伝え、ラティアスがレイカに伝えるということができるのだ。

 

ラティアスと額を合わせたレイカは事情を把握し悲しそうに目を細める。しかしそれは一瞬のことで、そのことに気づいたのはラティアスだけだ。

 

『レイカ、だいじょうぶ?』

 

『ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。今日はもうゆっくり休んで』

 

口に出さずともテレパシーで想いが通じ合う嬉しさと、大好きなマスターであるレイカの感謝の言葉に、ラティアスは嬉しそうに目を細めモンスターボールの中に戻っていった。

 

 

「チコリータ、事情は大体分かったわ。けれど、今日はもう雨は止みそうにないから、明日、そこへ行って決着をつけましょう」

 

『でも……!』

 

「分かってる! けれどお願い。絶対に、力になってみせるから」

 

レイカは納得がいかないという顔をするチコリータを抱き上げ、顔をその身体に埋め懇願する。

 

そう、今では駄目なのだ。まだしっかり分かっていない状態では。

 

 

レイカには視えていた。治療室の開いたドアから色んな感情が交ざってできる歪んだ笑みを浮かべ、こちらを静かに見つめるベイリーフの姿が。

 

全てが明らかになるのは、今夜か。

 

 

レイカの力強く発せられたその声は信用できるもので、チコリータは小さく鳴き、早く決着をつけたいという復讐心を押さえつけるのだった。



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レイカは真っ暗闇の中でぽつんと立っていた。

 

一瞬動揺したが、これはいつもの夢だということに気づいて安堵し、これからあの幽霊であるベイリーフの過去を視るんだろうと推測する。

 

夢の中で感じるはずはないのだが、レイカが立っているこの暗闇は、いつもどこか冷涼とした空気だった。

 

まるで電気が点いたかのようにいきなり映り出した映像は、ベイリーフ視点で流れ始めた。

 

 

 

ベイリーフはもともと臆病な性格で、バトルに向かないポケモンだった。

 

そんなベイリーフのマスターであるトレーナーはカントー地方でベイリーフのことを思って逃がし、その後は自由気儘な野生生活を送っていたのだが、ある日捨てられた1体のチコリータを見つける。

 

『どうして泣いているの?』

 

『お前は使えないって、捨てられてしまったから……』

 

どうやって彼女を慰めればいいか、分からない。

 

放っておくこともできず、涙を止める方法も知らなかったベイリーフは、マスターにまた会いたいと大粒の涙を溢す寂しがりなチコリータの傍に、ずっと居続けた。

 

チコリータの寂しさが薄れた頃には、2体は愛し合って子供が生まれており、子供のチコリータはベイリーフと母親であるチコリータに挟まれて気持ち良さそうに眠っていた。

 

ここで映像は一旦途切れ、再び映像が流れる。

 

 

木々の間を通り、何処かへ向かっているようだった。

 

レイカはその風景に見覚えがあり、思案している間にベイリーフはポケモンと出会う。

 

『おや、ここらへんでは見ない顔だな』

 

『あぁ、いつもはもっと西の方にいるんだけど、今日はおいしいモモンの実を息子に食べさせてあげようと思って、こっちに来たんだ。ここの辺りで実っているモモンの実は美味しいと評判だったから』

 

『そうかそうか。それならオレ知ってるから案内してやろっか?もうすぐ夕方になるから早く着いた方がいいだろ?』

 

『それはすごく助かる。ありがとう。ほら、君達も』

 

『ありがとう!』

 

『ありがとうございます』

 

ベイリーフ達は親切なスピアーに感謝し、先導するスピアーの後についていく。

 

レイカには、スピアーの羽音がやけに耳に残った。

 

 

夕方になり、木の葉たちが顔を赤く染めるなか、ベイリーフは内心首を傾げていた。

 

スピアーについていってから、もう1時間はとうに経っている。モモンの実がなっている木はそこまで遠かっただろうか?

 

『ねえあなた、まだ着かないのかしら? あの子ちょっと疲れちゃってるみたいなのよ』

 

後ろにいる妻のチコリータが小声で訴え、休憩を促してくる。

 

確かに、子供の足で1時間歩きっぱなしは疲れるだろうと納得する。彼も正直ここまで時間がかかると思っていなかった。

 

『ごめんなぁ、奥さん。さっきオレちょっと迷っちゃっててよぉ、思い出したからもうすぐ着くと思うんだ。悪ぃけどもうちょっとだけ我慢してくれねぇ?』

 

『っ……! は、はい』

 

『っすみません、こちらは大丈夫なのでお願いします』

 

まさか聞こえていたとは思わず、ベイリーフとチコリータは身体をびくつかせる。気まずい空気が流れるかと焦ったが、スピアーはご機嫌そうに飛んでいた。



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胸騒ぎがした。

 

風に吹かれはためく葉によって辺りがさざめき、葉と葉が擦れる音に不安を掻き立てられ、焦りが募る。

 

自分は何がこんなにも不安で焦っているのか。自分の心情を正確に把握できないことで苛立ちも混じり、更に焦る。

 

ベイリーフは心の奥底では、ちゃんとその答えが出ていた。けれど、そんなことがあるわけない、きっと自分達なら大丈夫だと、どこか浅いところで楽観的に構えていた。

 

これが平和ボケだということに気がつかないまま。

 

 

ベイリーフは、今己が生きている世界を忘れていた。

 

ここは野生の世界で、飼育された生温い世界ではなく、弱いものから消えていく厳しく残酷な、しかしとても単純な自然選択の世界なのだということを。

 

バトルすることをやめたからだろうか、ベイリーフの内なる牙は尖ることを忘れ、すっかり丸くなっていたのだ。

 

これでは肉も噛めなくなるのだろうと、そんな情けない未来を想像するのは容易かった。

 

不信感と焦燥感が喉奥につかえていることから無意識に目を逸らしたベイリーフは、スピアーの後を歩き続け、そんな彼を妻と息子は心配そうに何度も視線を向けるが、違和感が作り出す底知れぬ恐怖に怖気づいてしまって何も言い出すことができず、ただ傍にいれるように後を追った。

 

 

 

『いくらなんでもおかしい! いくらあるいてもたどりつかないじゃん! おとうさんはこいつにだまされてるんだ!』

 

その後、我慢が限界を迎え、息子のチコリータは震えながらもスピアーを睨みつけた。

 

『なんのことかなぁ?』

 

『そうやってとぼけるのもいまのうちだぞ! ボクがやっつけてやる!』

 

『……っく……ふふ』

 

勇敢に立ち向かおうとチコリータが前に出て打倒宣言をするも、スピアーの様子が著しく変化し、悪寒が走る。

 

冷たいぐらいだった風が、今は生暖かく肌を撫でた。

 

『アーッハッハハハハ!! こりゃあ傑作だぜ! テメェみてーなガキが、このオレサマを倒そうってかぁ!?』

 

果物を潰して染み込ませたかのような赤い吊り上がった目が、ぐにゃりと歪み嘲笑っている。

 

目は口ほどに物を言うとは正にこのことで、どこまでも嘲謔しているその目をレイカは赦せず、できないことは充分に理解していたが、踏み潰してやりたくなった。

 

滲み出る愚弄の空気に一瞬怯むが、チコリータの雄としてのプライドが引き下がることを拒む。

 

『オレサマとテメェのレベルの差が、いったいどれ程か知ってるか? まだ生まれて間もない技もしっかり覚えられてねぇ格下が、このオレサマを倒そうなんて考えてて、これが嗤わずにいられるかっつーんだよぉ……。そういう身の程知らずが壊れるまで遊ぶのが、オレサマは大好きでだぁいすきでたまらないんだぁ。だからさぁ……』

 

スピアーが言葉を区切った瞬間、突然襲った激しい風がチコリータの頭の葉を揺らす。

 

その風が止んだ瞬間。

 

『みんな遊んでコワシテやるよぉ』

 

スピアーの背後に見られていた美しい茜色の世界は、一瞬で闇に呑み込まれた。



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スピアーが素早くチコリータのもとへ飛び、鋭く頑丈な針で突き刺そうとする。

 

今まで状況についていけていなかったベイリーフの頭の中では、危険信号が警報を鳴らしていた。

 

動け、動け。

 

今ここで動かなかったら、自分は一生後悔する。大切な自分と彼女の子供が死んでもいいのか。

 

息子を失うかもしれない恐怖に苛まれ、ベイリーフの体は自然と動きだした。

 

スピアーの前に立ちはだかり、全身全霊のマジカルリーフでスピアーの技を相殺する。

 

『なんだよぉ、いいところ邪魔しやがって……』

 

『お前の相手は俺だ』

 

『おとうさん!』

 

 

自分は臆病だ。だからバトルには向いていないと野生に戻った。

 

けれど一家の大黒柱である以上、家族を危険に晒すわけにはいかない。

 

足が震え冷や汗が頬を伝うが、そんな情けない姿は息子には見せられない。

 

大地を踏み締め、ベイリーフは恐怖を振り払うようにスピアーを睨み付けた。

 

『……プッ、アハハハハハ、なぁにそれぇ? 家族はオレが護るとか言っちゃうかんじかぁ? 敵に襲われ、家族を護るため命をかけて戦い、敵を倒してめでたしめでたし。なぁーんて甘っちょろい夢物語みたいなこと、この現実で本当に起こると思ってんのかよぉ?』

 

『いいか、チコ。アイツはお父さんが引き付ける。そのうちに、チコはお母さんを連れて住み処まで逃げるんだよ』

 

『そんなっ! ボクもおとうさんといっしょにたたかう!』

 

『おぉーい、聞いてんのかぁ? 無視かよぉー』

 

自分のすぐ後ろにいる息子にスピアーに聞き取られないよう小声で作戦を話すが、チコリータはその作戦を受け入れられなかった。

 

自分も一緒に戦って、母を護りたい。父を置いていくなんてできない。

 

しかし状況が切迫しているなか、そんなことを言っていられる場合ではないのだ。

 

『いいかい? よく聞いて。アイツは今余裕そうに声を上げているけど、プライドがすごく高そうだから短気そうだ。下等だと見下しているお父さんが攻撃したらすぐに怒りだすだろう。そうなったらお父さんはチコ達とは反対の道に走る。大丈夫だよ、アイツは絶対にお父さんを追う』

 

『だめだよ! おとうさんだけきけんなめにあわせられない』

 

『チコ、お父さんの言うことを聞くんだ。はっきり言ってお父さんはそこまで強くないから、お母さんとチコを護りつつ戦える自信がない。だから、誰にも邪魔されない一対一の状況で戦いたいんだ。その間、お母さんを守れるのはチコ、君しかいないんだ』

 

『おとうさん……』

 

我儘を言っている。チコリータは分かっていた。

 

けれど、今ここで父と別れたらもう二度と会えないような気がして、なかなか頷くことができない。

 

『お父さんがいない間、お母さんを頼んだよ』

 

大丈夫、ちゃんと帰ってくるから。

 

ベイリーフはそう告げて渋々頷いたチコリータの首もとを甘く噛んで持ち上げると、妻のチコリータのところへ放り投げた。

 

『あなた……!』

 

それからベイリーフはエナジーボールをスピアーに当て、緑色の光が辺りを照らす。

 

『今だ! 行け!!』

 

その一言で理解した妻のチコリータは、歯を食い縛って夫の傍にいたいという思いを振り切り、息子のチコリータと一緒に木々の中へと走り出した。

 

『おぉ~……ちょっといてて。けど、これだけじゃ全然効かねえぜぇ? って、はぁ? 嫁とガキはどこ行ったぁ? なんでお前だけなんだよぉ……もしかして、逃がした?』

 

『あぁ、そうだよ。お前の相手は俺だって言っただろう?』

 

『おぉいおいおいおい、何だよなんだよ! こちとら最後に遊んだの3ヶ月前だぜぇ!? お前だけじゃ足りねぇよ!! せっかくいっぱい遊べると思ったのにこれじゃあ全然遊べねぇじゃねーか! なぁおい責任とれよお前のせいで楽しみが減っちまったんだぞぉ!?』

 

耳障りな羽音を大きくさせてぶんぶん飛び回るスピアーに背を向け、チコリータ達が逃げた方とは逆の方向へ逃げる。

 

完全に頭にきたスピアーはそれを逃がすはずもなく、ベイリーフを絶対に痛めつけて嬲って殺そうと怒りを滲ませた怪しい笑みを浮かべ、近からず遠からず一定の距離を保って後を追う。

 

 

 

――――そして、ベイリーフはスピアーに殺された。

 

もう二度と、家族のもとへ帰ることはない。



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闘い…命をかけていないたたかい。
戦い…命をかけたたたかい。


 

 

映像が止まり、闇に包まれた空間でレイカは震える拳を強く握り直した。

 

虫酸が走るほど最悪な過去で、こんなにも中身が腐ったポケモンがいるのかと嫌悪する。

 

同じスピアーでも、昔レイカが旅をしていた時に会ったスピアーは心優しい性格だった。上手く木の実を取れない他のポケモンのために取ってあげたりしていたのだ。

 

どうして同じ種族なのにこうも違ってしまうのか。

 

やはり、前世の世界の動物達とは違って、ポケモンには色々な性格や個性があるからなのだろうか。

 

ポケモンには人間のような感情があり、だから人間のようにプラスの感情やマイナスの感情を抱き、優しいポケモンになったり悪いポケモンになったりするのだろう。

 

何か理由があってスピアーはあの性格になってしまったのかもしれないが、それを言い訳に他のポケモンを殺していいなんて、そんなこと赦されるわけがない。

 

命の重さや誇りは個人が決めることであって、その他の者が軽んじて魂を穢すことなど、絶対にしてはならないのだ。

 

 

「ふぅ……、ありがとう。私にあなたの過去を視せてくれて」

 

少し気持ちを切り替え、冷静になろう。詰めている息を吐き出すと、光の粒子が少しずつ実体を現す。その正体はベイリーフで、ベイリーフは悲哀を含んだ笑みをレイカに向けていた。

 

『本当は、息子にはもう二度とアイツに会わせたくないんだ』

 

この夢の中では、ラティアスのテレパシーがなくてもポケモンの言葉がしっかりと理解できる。

 

ここで理解できるのならば潜在的にポケモンの言葉を理解しているのではないかと、現実世界で試行したことがあった。しかしどうやら理屈ではないらしく、何度も失敗に終わっていた。

 

なぜ理解できるのか。その謎はどうしてレイカには霊を視ることができるのかという謎と同じくらい難しかった。おそらくこの謎は幻想的な力によって与えられたものなのだろうから、謎は謎のまま、解明されることなく終わるのだろう。

 

 

『けど、息子があなたのもとへ来るまでの数日間の闘いを見ていたら、もしかしたら仇をとってくれるんじゃないかって……。させたくないのに、アイツへの恨みを晴らしたいという思いが消えてくれないんだ……!』

 

俺は父親失格だ、と相反する思いが交差し苦悩する父親の姿を、レイカはただ見守ることなんてできずに抱き締めた。

 

「ベイリーフ、あなたは心がとても強いポケモンだわ。もし私があなたの立場だったら、私怨に囚われてチコリータを止めたいなんて思わないかもしれない。恨みに身を任せずに息子を思えるなんて、簡単にできることじゃないわ」

 

夢の中だからなのか、ベイリーフが霊だからなのか、温もりは感じない。けれど、感触は確かにある。

 

レイカはベイリーフの頭を撫でながら自分の気持ちがしっかり伝わるように、心をこめて言葉を紡ぐ。

 

「あなたは自分を臆病だと卑下しているけれど、あの時あなたは逃げることなく息子を庇い、自分の意思で戦うために命懸けの戦地へと足を踏み入れた。それはとても勇気のいること。だから、あなたは自分を誇っていいのよ」

 

抱き締めている腕の力を少し緩めると、ベイリーフがレイカを見上げる。その瞳には涙が溜まっていて今にも零れそうだ。

 

涙でゆらゆら揺れる瞳を見て、レイカは自然と笑みが浮かぶ。

 

「大丈夫よ、チコリータは絶対死なせずにスピアーを倒してみせるわ。だって、ポケモンドクターであるこの私が一緒に戦うんだもの」

 

お茶目にウインクを決めたレイカを見て見開いたベイリーフの瞳から、ポトリと大粒の真珠が落ち、闇に溶けた。



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ひとしきり空が泣き、もういいだろうと風が雨雲を帰らせ夜が明ける。残る雲の隙間から差し込むやわらかな朝日は、鬱々としていた雨の空気を清涼なものに変えた。

 

ポッポの鳴き声で、チコリータは目を開ける。

眠ってはいなかった。沸き立つ気持ちが抑えられず、武者震いしながら眠れぬ夜を過ごしていたのだ。

 

後ろから身じろぎし布が擦れる音がする。この部屋の主であるあの人間が目を覚ましたのだろう。

 

「おはよう、チコリータ」

 

「チコ……」

 

「その様子じゃ、どうやら眠れなかったみたいね」

 

苦笑いを浮かべながらレイカはベッドを降り、窓際で寝ていたチコリータを抱き上げ部屋を出る。

 

廊下からリビングの扉を開ける。その向かいの左奥にある扉を開けると廊下に出て、どうやら自分が倒れた店の扉に繋がるようだ。

 

レイカはそれとは違う右にあるもうひとつの扉に入ると、そこは柵に囲まれた庭だった。

 

「私はポケモン育成を頼まれることがあって、ここは小型から中型のポケモンを育成するところよ。大型のポケモンは外で育成することになってしまうけど」

 

そこでチコリータを降ろし、持っていたモンスターボールからポケモンを出す。

 

出てきたのは昨日会ったハピナスとラティアス。それにベトベターと、知らないポケモン9体。どうやら12体のポケモンを持っているようだ。

 

「ラティアスにラティオス、ハピナスにサーナイト、カラカラにムンナ、それからダークライにルカリオ、タブンネにベトベター、デスマスにミロカロス。みんなおはよう」

 

挨拶されたポケモンが鳴いて、嬉しそうにレイカへの元へ集まった。

 

レイカもそれに笑顔で応え、必ずそれぞれの身体に触れコミュニケーションを図っている。触れられたポケモンはくすぐったそうに身を捩ったり、気持ち良さそうに目を細めたり、もっと触れと身体を手に撫で付けたりと反応は様々。

 

その光景を、チコリータは一歩下がった位置で羨ましげに見つめていた。

 

心に影がさす。どうしてボクは、ここにひとりでいるのだろう。

 

決まっている、あのポケモンを倒すためだ。だから、羨ましいだなんて感情、持たなくていい。そんなこと、思っている暇なんてないんだ!

 

「チコリータ、大丈夫よ」

 

ふわり、一瞬の浮遊感と、顔に感じる温かさ。チコリータはまたレイカに抱き抱えられていた。

 

「あなたがどれほどの覚悟をもってそのポケモンを倒そうとしているのか、ちゃんと解っているわ。けど、それだけを必要としないで。そんなに思いつめていたら、いざというとき倒れてしまう」

 

ゆっくりと、背中を優しく撫でられる。その温かな手は、不安を取り除こうとしているようで、強張っていた身体はだんだん解れていく。

 

「それに、戦う前だからこそ、気分を落ち着かせるのが大切なのよ。だから……」

 

瞳が自然と潤み、ぽたりと零れた温い水滴はレイカの上着に染み、色を変える。

 

「まずは美味しいもの、いーっぱい食べようか!」

 

いつの間にか、空は雲ひとつない快晴となっていた。

 

 

 

 

レイカは朝食を作っていたらしく、折り畳み式のテーブルとイスを設置しトレーに皿を乗せて持ってきた。

 

自分のと人型ポケモンであるルカリオ、体型が人型に似ているサーナイトに、ハピナスとタブンネの分はテーブルに、それ以外のポケモン達のは地面に置く。チコリータのも用意されており、食べてもいいのかとレイカを見上げる。

 

「どうしたの? 食べていいのよ、チコリータ。……ああ、これがなんだか分からなかったのね。それはポフィンよ。お菓子のようなもので、あなたに合うものは何かと思って色々作ったから、いっぱい食べて?」

 

許可をもらい、恐る恐るフードを口に入れ噛み砕いていく。

 

「チコ!」

 

美味しい! 食が進む。今まで木の実以外食べたことがなかったため、最初は抵抗があったがこんなに美味しいものは初めて食べた。お母さんにも食べさせてあげたい。素直にそう思った。



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フードを食べ終わり、今度はポフィンといわれるものだ。ポフィンは5種類の色にわかれており、赤いものは辛く、青いものは渋く、黄色いものはすっぱく、桃色のものは甘く、緑色のものは苦い。

 

正直、チコリータは何を食べていいのかさっぱり分からない。とりあえず、自分が食べる前に他のポケモン達は何色のものを食べているのか参考にすることにした。

 

まず、テーブル組のハピナスは黄色のポフィン、サーナイトは青のポフィンで、ルカリオは赤のポフィン。その次にミロカロスとダークライは桃色のポフィン。その隣にいるムンナとラティオスは緑色のポフィンで、ラティオスの隣にいるラティアスはサーナイトと同じ青のポフィン。それから少し離れたところで食べているベトベターとカラカラはルカリオと同じ赤のポフィンで、デスマスとタブンネだけは全種類の小さいポフィン──合わせると他のポケモン達のポフィンと同じ量になると思われる──を美味しそうに食べていた。

 

どうやらそれぞれの好みがあるらしい。なら試しに一番多く食べられている赤いポフィン──最初に配られたポフィンだ──を食べてみた。するとどうだろう、辛いのに仄かに甘みがある!

 

辛すぎず甘すぎない見事な比率で作られたポフィンはフードを食べ終えた後だというのにぺろりと完食してしまった。これならあと5個は余裕だろう。

 

「みんなどう? 美味しい?」

 

『レイカのポフィン大好き! いつも美味しいのをありがと!』

『レイカのポフィンは世界一ね』

『ティア、レイカのつくったものならなんでもすき。ティオもだよね?』

『そうだな』

『うめぇ、うめーぜレイカ! もっとくれ!』

『ちょっとリオ、もう食べたんだからだめだよ?』

『ママ、もっとちょーだい』

『あ、ずりぃ! ベトにやるならおれも!』

『は、はい! おいしいデス!』

『あの、お母さん、いつもありがとう……』

『……私に礼を言われても、レイカが困るだけだろうか……』

『姉さんのごはんはいっつも量が少ない。心配だわ。大丈夫かな?』

 

「美味しいならよかったわ。チコリータは……ああ、やっぱり赤いポフィンを食べたのね。ゆうかんな性格で間違いないみたい」

 

ポケモン1体ずつの顔を見つめ、表情を確認していたレイカは、チコリータに向き直ると微笑み、「少し休憩しててね」と言い残して、チコリータが手をつけなかったポフィンを片しに室内へと入っていく。するとレイカのポケモン達がこちらに集まってきた。

 

12体分の視線を向けられ、何を言われるのだろうと緊張する。しかしそれは杞憂だったようで、掛けられた言葉はやわらかいものだった。

 

『よぉ、オメーが新顔だな? オレはルカリオのリオ。どうだ、レイカのポフィンは最高だったろ!』

 

初めに声を掛けてきたのはリオだった。この12体の中でリーダー的存在なのだろうとチコリータは判断する。もっと厳かな性格かと思いきや、随分話し方が男らしい。

 

『う、うん。初めて食べたけど、とっても美味しかった』

 

『ムナもチコリータと話す! ムンナのムナだよ。ちっちゃい者同士よろしくね!』

 

ムンナは自分より小さいが、ふわふわと空中に浮かんでいるため目線は高い。

 

『おい! おれを抜かすな! おれはカラカラのカラだ。こいつにいじめられたらすぐおれに言えよ、ぶっとばしてやるからな!』

 

カラが割って入ってきた。どうやらムナとカラは仲が悪いらしい。犬猿の仲というやつなのだろう。



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『なに言ってくれてんのよばカラ! 勝手にぶっそうなイメージ与えるのやめてよね! ばカラの方がすぐに怒ってあばれるくせに!』

『なんだとぉ!?』

『なによぉ!?』

 

『あ、あのっ……』

 

ムナとカラが火花を散らせ、今にも取っ組み合いが始まりそうな空気におろおろしていると、巨体が前を横切った。

 

『こら! ふたりともやめなさい。チコリータが困ってるでしょう? すぐそうやってケンカするんだから……。アンタたちの方がお兄さんお姉さんなんだから、困らせるようなことしないの! わかった?』

 

瑞々しい鱗を纏わせた尾を揺らす、美しい風貌をしているのはミロカロスだった。

 

『はーい……ごめんなさい』

『ごめん、なさい』

 

『うん、いい子ね。ごめんなさいねチコリータ、いきなり驚いたでしょ? アタシはミロカロスのロカよ。ロカ姐とでも呼んでちょうだい?』

『こう見えて姐さんはオスなんだ……』

『何か言ったかしら、リオ?』

『イエ、ナンデモナイデス』

 

上下関係が垣間見えた。ひきつった笑顔のまま固まっているリオを見て、絶対にロカを怒らせないようにしようと誓う。

 

『私も、自己紹介してもいいだろうか……』

『うわっ!?』

 

後ろからいきなり声が聞こえ驚いたチコリータはその場を離れ、距離をとって向き直ると、そこには落ち込んだダークライが悲しげに浮かんでいた。

 

『やはり、私は驚かせてしまう存在のようだ……こんな、無意識に悪夢を見せたり迷惑をかけてしまう不吉な私なんて、やはりここにはいない方が……』

『わあああ! ちがうんだよ! ちょっと後ろから声がいきなり聞こえたから驚いちゃっただけなんだ! ごめんなさい!』

 

自己嫌悪するネガティブな性格をしたダークライをどうにか落ち着かせようと弁明するも、気分が浮上するどころか更に沈んでいってしまう。

 

『ムナ!』

『うん!』

 

タブンネに呼ばれたムナは、少し離れているダークライのところへ飛んでいき、ピタリとその顔にくっついた。

 

『ライ、どうしたの? 悲しいの?』

『ああ、ムナ……私の一番の友よ……私は私が嫌でしかたないのだ。こんな迷惑しかかけない自分が情けなくてたまらない』

『迷惑なんてかけてないよ! ライの何が迷惑かけてるっていうの? 悪夢を見せてしまうから?』

『……そうだ。悪夢を見せてしまうことが嫌なのだ。見せた者にも、悪夢を食べてくれる君にも申し訳なくて、消えてしまいたくなる』

『ここにいるみんなは、ライに消えてほしいなんて思ってないし、迷惑とも思ってない。もちろんレイカだってそう。みんな、ライのことが大好きなんだよ』

 

どうしてこんなに深刻なことになったのかいまいち理解できないチコリータは、話についていけず、居心地が悪い。驚いてしまった自分が悪かったのだろうかと悩んでいると、ロカがダークライのことを説明してくれた。

 

『ダークライ……ライはね、傷つきやすい子で、自分を守るために周りの人やポケモンに悪夢を見せてしまうことがあるの。でもそれは無意識にだから、あの子に悪気があってやっているわけではないのよ』

『そういうことだったんだ……』

『あの子はとっても優しいから、迷惑をかけてしまっている、と自分を責めてしまう。自分を好きになれない。だから、あの子を救いたくて、レイカは拾った』

 

その時のことを思い出しているのか、ロカは目を細め遠くを見ていた。

 

『だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。みんな、きみのないているかおより、わらったかおがだいすきだから、そうしてるだけ。めいわくだなんておもってないんだよ』

 

ムナとは反対の位置で顔をくっつけているラティアスが、安心させる優しい声で話した。

 

『ラティアスとラティオスのティアとティオは相手の気持ちが分かるんだ。ふたりの言葉に偽りはない。だから信頼できて、とても説得力があるんだよ』

 

これでライも落ち着くねと笑ったタブンネの言ったとおり、ライは落ち着きを取り戻し、チコリータは安堵の溜め息を吐いた。

 

『先程は驚かせてすまなかった、ダークライのライだ……。気軽に呼んでくれ』

『大丈夫だよ、よろしくね』

 

『じゃあもうそろそろでレイカが戻ってくるだろうし、ぱっぱと自己紹介しちゃおうか。僕はタブンネのタネ。さっき紹介したティアとティオ』

 

『きのうもあったよね、よろしくねー』

『ティオだ。よろしく』

『は、はい!』

 

『サーナイトのサラと、ハピナスのピー』

 

『よ、よろしくお願いします……!』

『元気になってよかったね。癒したかいがあったよ。よろしく』

『よ、よろしくおねがいします……』

 

『照れてる? まぁサラとピーは綺麗だからね。そしてベトベターのベトと、最後にデスマスのデシー』

 

『ぼく、ベト。なかよくしてほしいな』

『うぇ、私はデシーデス! よよよよろしくお願いしマスッ!』

『よろしくお願いします!』

 

個性的なポケモン達に囲まれ挨拶をし終えると、見計らったかのようなタイミングでレイカは戻ってきた。

 

「お待たせ。どう? みんなと少しは打ち解けられたかしら?」

 

「チコ、チコリ!」

 

チコリータの気持ちが通じたらしい。レイカは微笑むと、次は一変して真剣な顔つきになる。

 

「さて、決戦の前にチコリータはどんな技が使えて、どのくらい戦えるのか見ておきたいから、バトルしましょう?」

 

どこからともなく吹いてきた風が、レイカの髪とチコリータの葉を靡かせた。

 

 

 

 

乾いた地を踏みしめる。

幾多の枝の隙間から漏れる日差しによって、森の中は明るく、涼やかな風が微かに吹いていた。

チコリータは己を奮い立たせ、仇であるスピアーの前に立つ。

 

時は満ちた。



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10

 

スピアーからしてみれば、己が過去に殺した者など、興味が湧かないすぐに忘れてしまうものでしかない。

 

だからもちろん、自分が殺したベイリーフは覚えているかと問われても覚えているわけがなかった。

 

己の前に立ち睨み付けているのは、頭に葉が生えている、四足歩行のポケモンだった。

どうやらこの小さいポケモンは、そのベイリーフというものと関係があるらしく、スピアーの発言に顔色を憎しみに変え、襲おうとした。

 

ここでやっと、どうでもよかった存在に食指が動いた。このポケモンは、己が殺そうとしたらどうなるのだろう。

 

そのまま自分を襲え。自分が襲ったのに、返り討ちにあったら、どんな顔をするのだろうか。そう期待して楽しみに待っていたスピアーだったが、後方にいた人間に制止され、そのポケモンは我に返ってしまう。

 

『オイオイオイィィ、なんだよかかってこねーのかぁ?』

 

踏みとどまってしまったことに不満を抱いたスピアーはそのポケモンを煽る。また激情に駆られ、こちらに向かってこい。下劣な笑みは隠しきれず、顔が歪む。

 

「どうやら戦う気になったみたいね」

 

『あぁん?』

 

人間は何の感情も乗せていない凪いだ眼差しでスピアーを見つめていたが、一度その琥珀色の瞳を閉じて再び開くと、その中心に真摯な炎を灯した瞳へと変貌した。

 

「行くわよチコリータ!」

「チコッ!」

「【マジカルリーフ!】」

 

虹色のオーラを放つ葉が、スピアーを襲う。

こんな葉を避けることなんて造作もないと余裕の表情で躱すが、通りすぎた葉は意思を持っているかのように翻して方向を変え、振り向いた頃には遅く、その葉はスピアーの身体を切りつけた。後ろからは次々に虹色の葉が飛んでくる。しかし、むしとどくタイプであるスピアーに、くさタイプのマジカルリーフは効果がいまひとつだ。

 

小さい痛み続くと、鬱陶しいもので。

沸点が低いスピアーは怒りに任せ、【ダブルニードル】で反撃した。マジカルリーフを出していたチコリータに、スピードのあるその攻撃は避けられるわけもなく直撃する。

 

「チコリータ、草木に隠れて! 落ちている石を草木に向けて蹴り、撹乱して!」

 

効果抜群の技を食らい傷を負うも、まだチコリータは動ける。痛めた患部を庇いつつ草木に隠れ、指示に従いスピアーを騙す。

 

『おぉ~い、隠れてねえで出てこいよぉ。正々堂々真っ向勝負しなくていいのかぁー? あは、そっかぁ。それでオレサマに勝てねえから隠れて戦うのかぁ。

わりぃわりぃ、ズルしなきゃ(・・・・・・)勝てねえんだよな? なら、しかたねえよなぁ?』

 

「何を言われているのか知らないけれど、ムキになっちゃだめよ、チコリータ!」

 

『チッ……うぜえなあの人間……』

 

この人間のせいで、チコリータが正気に戻ってしまうのが気に入らない。スピアーは、その金の髪の女に向けてダブルニードルを繰り出した。しかし、針が女に突き刺さることはなかった。女が出したポケモンによって、2つの巨大な針がピタリと静止してしまっているのだ。

 

「スピアー、あなたは今、チコリータと戦っているのよ。私じゃなくてチコリータだけを見なさい。それとも、私がいるというだけであなたはチコリータを上手く挑発できないのかしら?」

 

女は先程スピアーがチコリータを煽った時のような言葉遣いで挑発する。

 

「サーナイト、ありがとう」

『う、ううん……お母さんの役に立てて嬉しい』

『エスパータイプか……クソ、わぁったわぁった。あのチビだけ見てりゃあいんだろ?』

 

女が出したポケモンであるサーナイトが、はにかみながら主人である女の傍へ行き、お互いに微笑みあう。そんな光景は捻くれた性格のスピアーにとってものすごく気色悪いもので、顔を歪め耐え兼ねたように顔を逸らし、早々に攻撃することを諦めた。



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11

 

スピアーがチコリータを探す。そんな命がけの鬼ごっこが開始してから、どれほど経っただろうか。長時間は経っていないはずだが、チコリータには何十分も経過しているように感じた。

 

『出てこいやおらああああ!!』

 

チコリータは冷や汗を垂らす。

隠れて、見つかりそうになってはまた隠れて。そんな緊張状態が続いているため、精神的疲労が激しく、蓄積し、集中力がもう少しで切れそうだった。

 

最初はチコリータを追いつめようと楽しげに探していたスピアーだったが、あまりにも見つからない。それに苛立ちが募ったところで、丁度マジカルリーフで傷つけられる。短気なスピアーは、それで完全に頭に血が上った。

 

『生意気なガキが、このオレサマを騙そうってか!? 上等だクソがああぁぁぁ!!』

 

今までのお遊びとはわけが違う本気の捜索に、あと少しで見つかってしまうだろうと覚悟する。

 

スピアーは【きあいだめ】をし、【こうそくいどう】で飛び回りながらダブルニードルで草木を刈り取っていく。身を隠す場所が少なくなり、とうとうチコリータは鬼……の形相をしたスピアーに見つかってしまった。

 

『舐めやがってぇえ……す……殺す……殺す殺すころすころすコロスゥゥゥ!!』

 

【どくづき】で止めを刺そうと高速でスピアーが迫ってくる。その狂気にあてられ震える足とは裏腹に、チコリータはゆっくりと流れる時のなか、嬉しい気持ちでいっぱいで、涙が溢れそうだった。

 

こんな風に、父もスピアーに見つかって殺されたのだろうか。

 

父はおくびょうな性格だった。

そんな父が、この狂った敵に恐怖しないわけがないのに、あの時、自分や母を守ろうと、後ろを振り返らず前だけを見据えていた。

 

あぁ……自分の父は、とても偉大だったのだ……。

 

嬉しくて、誇らしくてたまらなかった。

 

だからこそ、

 

 

──そんな父を、殺したこいつは赦せない!!!

 

チコリータの怒りが爆発し、その身体は眩い光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

決着は、一瞬でついた。

 

『な……んで、だ』

 

どうして己が負けたのか、痛みを必死に訴え悲鳴を上げる身体を無視しながら、スピアーは考えていた。

 

「【カウンター】よ」

 

連れてきたハピナスの【いやしのはどう】でチコリータから進化したベイリーフを回復している間、サーナイトの特性によるテレパシーで、レイカはスピアーの心を読みとる。

 

「カウンターは、相手の物理攻撃のダメージの2倍をその相手に与えるの。あなたとベイリーフのレベル差、相性、タイプ一致補正などから考えられるどくづきのダメージは110以上。それにあなた、スナイパーという特性でしょう? あの攻撃はきあいだめの効果で急所に当たっていただろうから、その特性で110×2.25×2……つまり約500のダメージを負ったのよ」

『さっ……ぱり、わか……ね』

 

スピアーと戦う前に、レイカはベイリーフにあるものを持たせ、草木に隠れたら【こうごうせい】で体力を限界まで回復しておくようにと伝えていた。

 

そして、スピアーのどくづきをベイリーフは食らう。ベイリーフになったとしても、その攻撃は普通、耐えられるものではない。しかし、レイカはあるものを持たせていた。

 

それは、“きあいのタスキ”。

 

そのタスキの効果によって持ちこたえたベイリーフは、父親のベイリーフから遺伝で授かった技であるカウンターで、スピアーに勝利したのである。

 

「何か辛い過去があってそうなってしまったのかは分からない。けれど、過去があったとしても、罪のないポケモンをただ楽しんで殺したということは、決して赦されることじゃないわ」

 

レイカはスピアーを静かに見据えた。遠くからはサイレンの音が聞こえる。

 

 

「罪を贖いなさい」

 

言い放った言葉は静かに、けれど凜と森に落ちた。



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12

 

誰かの声が聞こえる。

 

 

意識が浮上し、目を開けたベイリーフがいた場所は、どこか見覚えのある処置室だった。

 

自分はどれぐらい気を失っていたのだろうか。窓がない部屋のため、今が日中なのか夜なのか分からない。

 

ベイリーフは寝ていた処置台から降り周囲を見回すと、出入りする扉の奥から微かに声が漏れていた。それはレイカの声で、どうやら誰かと話をしているらしい。 

 

「……れは分からない」

「……あちゃん……」

「……はどうしたって……しかない。だからベイリ……の……もちを本当に……すること……ないだろう」

 

所々聞き取れない箇所はあるが、どうやら自分のことを話しているようだ。それにしても、レイカはこんな口調だっただろうか? もっと柔らかい話し方をしていたはずだと、ベイリーフは怪訝な顔をしながら、すっかり痛みや疲れがとれている身体を動かして扉へと近寄る。

 

「ベイリーフがあのスピアーを殺そうとするなら、俺は捕獲しなきゃいけない」

「……そうだな」

 

 

身体が、凍りついた気がした。

 

 

ベイリーフは誰かが言ったことを、深く理解できなかった。

 

レイカは今、何て言った? 『そうだな』って、なに?

 

どうして自分が、捕獲されるのだろう。レイカは誰と話しているのか。疑問は幾つも上がる。

 

心が理解するのを拒んでいるのに、心を置き去りにして、頭はどんどん理解してきてしまう。

 

どうして賛同してしまうのか。

自分がスピアーを殺したいと思っていると、レイカは本当にそう思っているのか?

 

自分は確かにあいつが憎かった。赦せないと思った。けれど殺したいと思わずにいれたのは、待っていてくれている母と、レイカのおかげなのだ。

 

 

────それなのに、どうしてレイカは信じてくれない?

 

悲しみと怒りが混ざり濁った水が零れ、今にも心は黒く汚れそうだった。

 

しかし、次のレイカの言葉で、その闇は一気に撃ち破られることとなる。

 

 

「──だがそれは、ベイリーフがそう思ったら(・・・・・・)の話だ」

 

俯いていた顔が上がる。

 

「ベイリーフの本当の気持ちを真に理解できることはないと言っても、そう思うんじゃないかと解ることもある。私はあの前世の89年と今世の20年を無駄に生きてきたわけじゃない。人を見る目は養っているつもりだ。それがポケモンでも変わりない」

 

ベイリーフはレイカが言っていることが──特に後半の言葉──よく解らなかったが、自分がスピアーを殺したいと思っていないと信じてくれていることだけは解った。

 

「あの子はまだ幼いが、勇敢な漢だ。父を誇り、そしてその父親に代わって母親を守る家族思いな子が、親を泣かせるわけがない。これだけは、自信をもって言える」

 

レイカは、自分を少しも疑ってなんかいなかった。

 

確固たる確信をもって張られた言葉は、ベイリーフの沈んでいた心を優しく溶かしてくれた。

 

ああ、自分を信じてくれる者がいるということが、こんなにも嬉しい。

 

レイカ、レイカ。ありがとう……。

 

きらきらと光る真珠をこぼす目元を、何かに拭われたような気がした。

 

 

 

 

 

 

『それじゃあレイカ、色々、本当にありがとう』

 

「いいのよ。いつでも遊びにいらっしゃい。お母さんと元気でね」

 

あたたかく朗らかな春空の下で、レイカとそのポケモン達は時々振り返りながらも進んでいくベイリーフを見送っていた。

 

その時、以前見たときよりも姿が薄くなったベイリーフが隣に現れる。

 

《ありがとう、レイカ》

《もう……いくのね》

《うん、お礼とお別れを言いにきた。君がいなきゃ、僕も息子も救われないままだった》

《私は治療とサポートをしただけよ。あの子が頑張ったから、あの子もあなたも救われたの》

 

お互い遠く小さくなっていくベイリーフだけを見つめながら、心の中で会話をする。

 

《はは、優しいね。君は》

《それはどうも》

《……じゃあ、いくよ》

《……ええ》

 

最後に顔を合わせ、ベイリーフは笑顔を浮かべながら空と同化し消えていく。

 

もう何もいないそこには、青に浮かんだベイリーフの形の残像だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

鳥も草木も空も眠る真夜中。

 

ベイリーフは寄り添って眠る息子と妻をを優しく見守り、やがてゆっくりと淡い光とともに消えていった。

 

 

 

              第1話 完



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