悪運の女将校 (えいとろーる)
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東の海編
リード・エヴァ少佐


 空の色を写した海を割って碇をモチーフにした旗を掲げる一隻の船が進む。

 風は東。追い風の程よい風が、鋭い陽光に照らされた見張り台に立って軽く汗ばんだ身体を冷やしていく。進行方向に島影はまだ無い、目的地はまだ先のようだ。

 

「おーいブリンドン!交代だ」

 

 下からの声に首だけを手すりの上から出し、声の主を確認すると、甲板でこちらに向かって片手を挙げる同僚の姿が見えた。

 

「ブレンダンだ!俺はブレンダン・バートル!」

 

 同僚の故意を疑いたくなるあいさつにキレ気味に応え、マストロープを降りて甲板に立つ。どうにも俺の名前は覚えられにくい名前らしく、海軍には入ってからまともに名前を呼ばれた経験など殆どない。

 

 ぶつぶつと軽い愚痴をこぼしながら手に付いたオイルの汚れを手拭いで取っていると、ふと操舵席で舵を切る上官に海図を見ながら指示を出す女性の姿が目に入った。

 

 彼女は『リード・エヴァ少佐』今回の航海で船長を務めている。

 まだ生まれて間もない頃に、海軍第149支部で拾われ、東の海では珍しい女海兵でありながら齢十八という若さで将校の一角に登りつめるという他に例を見ないの経歴を持つ人物だ。

 海兵としての実力もさることながら、異色の経歴を持ちながらそれを鼻にもかけず常に表情を引き締め、真面目一貫の姿勢や大人と子供の間の蠱惑的な容姿も相まって、同僚や部下からの信頼と人気は高い。

 

 さらに、彼女の逸話や輝かしい武勲の数々は彼女を知る人物に尋ねれば尽きることなく存在する。一つ例に挙げるとするならば、彼女が五歳の誕生日を迎えた時の話が最も有名な話だろう。

 

 彼女が海軍基地に拾われてから五年が経ち、その日は彼女の五歳の誕生日を祝う宴が開かれ、彼女はプレゼントとして隣の島までの軽い演習に参加させてもらえることになった。

 

 演習当日は周辺の海域に海賊がいないことを入念に確認してから行われ、隣の島までの平和な船旅を彼女らは存分に満喫した。しかし、その平和な船旅は、隣の島で休憩中に彼女を連れていた伍長が彼女から目を離した隙に、突然失踪したことで、同乗していた船員たちや彼女を最も可愛がっていた基地の支部長にとって最悪の悪夢に変わった。

 

 全員にとっての娘のような存在であった彼女を、基地にいた全海兵が血眼になって周囲の海域を捜索したものの、結局一週間が経っても、二週間が経っても彼女は見つからず、当時海賊がひしめいていた東の海での生存は絶望的との見方がされており、基地全体は絶望に包まれていた。

 

 しかし、失踪から実に18日目。彼らにとってが生き地獄に等しいその状況は、四つ離れた島にある海軍第151支部からの電々虫によって急展開を迎える。

 

『当方の船が捕縛した海賊の一団の紛れていた其方の基地のドッグタグを着けた少女を保護した』

 

 無理もない話だが、当時この通信を受けた通信士は思わず耳を疑った。しかし、先方の通信士にしつこいと強制的に通信を切られるまで確認して、その旨を基地全体に通達すると、半ば絶望の中で待ち望んでいた知らせに、149支部は混乱と歓喜に包まれ、誰も感情を整理できていない状態で、彼女を迎えに151支部へと急いだ。

 

 出発して数日後、大きなトラブルも無く、E-11基地までの航海を終えた彼らは、元気にリンゴに噛り付いていた彼女と無事再会し、彼女がどうして基地からも、演習先の島からも遠く離れたこの島にいる理由を知り、思わず言葉を失ったという。

 

 彼女を保護した151支部基地の基地長曰く、彼女は、単身海賊船に乗り込み、持ち込んだ毒をとある島で行われた海賊達の宴の中に混ぜてそこに集まった海賊を全ての海賊を無力化し、偶然その島の沖を航行していた軍船に狼煙を上げて知らせ、全員捕縛という離れ業を成し遂げた。

 そしてさらに驚くべき事に、その場に集まっていた海賊達の殆どがは、全て最近この東の海で力を増してきていた賞金首であり、その宴自体がこの周辺を完全に支配するために同盟について話し合う会合であったと、捕まった海賊船の船長が吐いた。

 

 その事実を知り、凍り付いたのは両基地の基地長だ。実際に彼女が海賊達を無力化していなかったのなら周辺の海軍や島民たちへの被害は到底推し量れるものではない。つまり彼女は、先がわからない事態であるとはいえ、五歳という若さで未然に東の海を救ったのだ。

 

 これが彼女を語る上で必ず誰もが口にするあまりにも有名なエピソードだが、実際のところ、あまりに時間が経っているためこの話には噂の尾ひれや背びれが付き過ぎて真実が曖昧な部分が多い。例えば彼女がどうやって海賊船に乗り込んだのかや、どうやって毒を盛ったのかなど、それぞれに紙製の箱をかぶって侵入しただとか悪魔の実を秘密裏に食べていたなど、様々な噂が流れている。

 

 他にも彼女の有名な逸話といえば、船が乗っ取られた時にいつの間にか大砲に仕掛けていた爆弾を爆破させ、側にいた海賊の船長、副船長を始めとした実力者をことごとく討ち取って戦況をひっくり返したという話や、単身海賊船に斬り込んで全員を斬り伏せて戻ってきたなんて話もあり、ついた二つ名は『豪運のエヴァ』もしくは彼女と彼女が率いる部隊のの異常な動きの速さを讃えて『最速の海兵』と呼ぶものもいる。

 しかし、逆に女性の身でありながらこうしてもてはやされる彼女を僻んだ一部からは、常に表情を崩さない寡黙な彼女を皮肉って『石仮面のエヴァ』などと呼ぶ声も上がっているが、あくまでごく少数派だ。なにせ、この海に彼女以上の実力を持った海兵など、恐らく存在しない。これも噂だが、彼女はかのガープ中将に幼い頃から実力を見抜かれ、中将がこの周辺に来るたび直々に稽古をつけていたという話もある。まさに彼女は完璧な生まれついての海兵だ。本来ならばこのような最弱の海と呼ばれる東の海で燻っているような人物では無いはずなのだが…

 

「どうした、ブレンダン二等、私の顔に何か付いているか?」

 

 視線の先に立っている少佐から声をかけられて咄嗟の我に帰る。見れば先ほどは海図を眺めて副官と話していたリート少佐が俺を見ていた。

 

「し…失礼いたしました!少し気が抜けて…」

 

「目的地が近いとはいえ気はまだ抜くな。目的地に到着するまでが航海だぞ」

 

「はっ!」

 

 青い瞳に見据えられ、萎縮しながら最敬礼で謝罪をすると、少佐は表情をほんの少し柔らかく崩し、優しげな声が返ってくる。やはりこういうところが部下に慕われる所なのだろう。

 

「大尉、ここは任せる。私は中で少し海図を確認してこよう」

 

「了解、紅茶はどうなさいますか?」

 

「ありがとう、いつもので頼む」

 

 性懲りも無く余計なことを考えている間に少佐は舵を握る大尉と少し話した後、船室へと入って行った。少佐を見送りながら俺は今更とある事実に気がついた。

 

 俺の名前…覚えてもらえてた…!

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 

「153支部がある島まではまだ先か…」

 

 開いていた海図をベッドに放り、側に置かれた紅茶を一口飲んでひとりごちる。今日はいつもより波が高く、隣に置かれた小さなテーブルにティーカップを置くと、時折カチャカチャと音を立てて小刻みに揺れた。

 

 腰掛けていた革製の椅子から立ち上がり、整えられたベッドに背中から倒れこむと、うっとおしいほどの太陽が海の波間に反射し、ぎらぎらと不規則に飛ぶ照り返しが天井を照らした。

 

「あぁ…」

 

 ぼぅっと波間の不規則な光を眺めながら、深くため息をつく。

 

「つっかれたぁ…」

 

 全身に詰まった空気を抜くような大きなため息とともに一言呟き、ベッドに身体を沈める。

 周囲の気配を探ると、幸い午後の風が変わりやすい時間であるため船員のほとんどが甲板におり、船内にいるのは私以外にはコック長のベルさんくらいだ。

 

 いや、正直もう限界ギリギリだった。あのままブレンダン君に尊敬100%って感じの眼で見つめられるとあまりの申し訳なさで思わず土下座しそうになってしまう。

 

「うー…」

 

 全身の力を抜き、ベッドに頭を擦り付けるように振って脳裏に浮かぶ部下たちの尊敬の視線を振り払う。その時に頭の下でクシャクシャと先ほど放った海図が滅茶苦茶になる音と感触に驚き、飛び起きて確認すると、被害はさほど大きくなく、少しのシワが入った海図が枕の隣にあるだけだった。

 

 ほっと息を吐き、シワの入った海図を手に持って広げてもどこにも破れや汚れは無く、航海にも問題はなさそうだ。

 

 …改めて海図を見ると、ずいぶん故郷から離れてしまったようだ。

 生まれてすぐにこの東の海に流され、波間を小舟に乗って漂っているところを偶然通りかかった海軍の軍艦に拾われて以来、海兵になるために育てられ十八年。生まれ持った悪運のおかげで無駄に功績を積んで異常な速さで形ばかりの出世を果たした。若輩であり、大して強くもない私が分不相応なこの『少佐』という階級についているのは、全て偶然が成したことだ。

 

 確かに誰よりも幼い頃から海軍の訓練を見て育ち、訓練を遊びに成長した私は、周囲よりは少しだけ強い。しかし、それだけだ。

 本当の私は皆が噂する伝説的な海兵などでは無い。本当にただの悪運に死ぬほど愛されてしまった哀れな女海兵なのだ。

 

 彼らが話すリード・エヴァの逸話の数々も、話の一つ一つに妙な脚色が加えられていて、さも私が実力で成し遂げたことのように語られているが、それらは全て私の生まれ持った悪運が上手く働いた結果起こったことで、私の実力なんて全く関係がない。

 確かに生まれてすぐに海に流された事や生まれながらに海兵としての訓練を受けていたことなど、一応事実である噂も存在するが、あくまでそれはほんの一握りの噂にのみに限る話だ。

 

 だから私は彼らから向けられる尊敬の眼差しがとても苦手だ。いや、ただ嫌になるというわけでは

 なく、ただただ、申し訳ない気持ちになるのだ。

 

 たまたま運が良かっただけの一海兵が毎日必死に正義のため汗水垂らして鍛錬を行う彼らに対し、偶然と周囲が作り上げた功績に胡座をかいていて良いはずがないのだ。

 そのため、私は彼等が話す私の噂を自分で聞いてしまうたびに本当に申し訳ない気持ちになる。

 

 例えば私の悪運が作用した例を一つ挙げてみると、まず何より全ての始まりである五歳の頃の失踪騒動が挙げられる。

 

 確かに話だけを聞けば五歳の少女が屈強な海賊団を全員捕縛し、一つの海を救うという、痛快かつ豪快な話だが、この話には実はなんとも間抜けなエピソードがある。

 

 あれはそう、航海演習で隣の島に到着し、休憩している時のことだった。私は、それまで危険だからという理由で参加させてもらえなかった航海演習に初めて参加させてもらい、上機嫌で初めての隣の島の観光を楽しんでいた。

 

 その日、島ではは月に一度、東の海にあるあらゆる島から商船が集まり、小さな祭りが開かれており、港から出てすぐの大通りには各島の特産品を持ち寄った縁日が多く開かれていた。

 当時五歳でまだ表情豊かだった私は、基地長からお守りを任されていた伍長の手を引き、その祭りを思い切り満喫した。いつもの遊び代わりの訓練や、基地長に連れられてのお買い物では味わうことができない刺激を思う存分味わっていたのだ。

 

 しかし、私は子供だった。それまでごく一般的な祭りという娯楽に触れたことのなかった私は、基地に戻る時間が迫っているにもかかわらず、伍長の目を盗んで離れ、一人で街の中へと遊びに行ってしまい、案の定迷子になってしまったのだ。

 

 そしてそこからが大変だった。しばらく遊び歩いて少し疲れた頃、ようやく迷子になったことを自覚した私は、帰りの時間まで必死に島を走り回って海軍の軍船を探した。しかし、その島は港が三つあり、相応に停泊している船も多く、結局私は乗ってきた軍船を見つけることができず、歩き疲れて腰掛けた木箱の上で、つい眠りに落ちてしまった。

 

 そして気がつけばとある海賊船の中にいたのだ。

 

 ありのまま起こったことを話そう。幼かった私は迷子の末、歩き疲れて座った木箱の上でつい居眠りをしてしまい、目が覚めたら海賊達のど真ん中。何を言っているかわからないと思うが、私も何が起こったかはわからなかった。超スピードや催眠術なんて高尚なものでは断じてない。もっとアホくさい理由が引き起こした出来事だった。

 

 私が眠ってから何が起こったかというと、どうやら私が座った木箱の裏には口を開けた絹織物の箱が置いてあったらしく、寝相の悪い私は眠ったままバランスを崩してその箱の中に転落。落ちた衝撃で絹の布製品が私の体をすっぽり覆い隠すように覆い被さり、その船の商人が私に気づくことなく木箱に蓋をして船に積んでしまったという事らしい。

 

 そしてその商船が、他の商戦に偽装した海賊船に襲撃され、積荷の中にいた私ごと積荷を全て奪われ、不運なことに私は、海賊船への潜入という全く予定に無い超弩級のぶっ飛んだミッションをを寝ているうちにに達成してしまったというわけだ。

 

 商戦が乗っ取られ、自分が入った木箱が海賊船内に運び込まれた後でようやく目が覚めた私は、締め切られた暗く狭い木箱の中から、ぼぅっと海賊達を見ていた。

 基地での勉強の時間に、海賊とはどういうものかという話は常々聞いていた私だったが、知識の中に思い描いた海賊像はあっても、実際に海賊に会ったことのなかった私は、とても楽しそうに酒を飲み、歌い、笑い合う彼らを頭の中に描いた凶悪な海賊像とすぐに結びつけることができず、いつしか彼らを変わった気のいい船乗りとして箱の中で一緒に彼らの歌に合わせて歌っていた。

 

 当然、彼らも野太い自分達の声に混ざる女児の声に気付かないはずがなく、私はご機嫌で歌っていたところを発見され、船内はパニックに陥った。

 しかし、運が良いことに私が乗っていた海賊船の船長は、どうやら大の子供好きだったらしく、『Yes・ロリータ・ノータッチ』という聞いたことのない騎士道を掲げ、私を次の島までの仲間に迎え入れてくれた。

 表向きは商人を語り、子供の私に対しても紳士的な態度を取る彼らが海賊である事など、全く気付かず、私はしばし、彼らとの遊びに興じた。

 

 さて、前置きが長くなったが海賊達の会合をどうして私がぶち壊せたのか、その本題に入るとしよう。それは次の島に寄る前にどうしてもと彼らに連れられて行った島で行われていた海賊達の会合にて、協定がまとまった時のことだ。長かった同盟協定が正式に決まったことで海賊達の宴が最高潮に達し、その集まった人数が人数だけに、各海賊がもちこんだ料理や食材が足りなくなってしまった。

 

 そうなると酒だけでは口が寂しくなった海賊達が料理の追加を要望し、集まりの中で最も新参者の海賊船の船員たちに、山へ行って食材を調達してくるようにとの命令が降った。

 そしてその新参者の海賊船とは私が乗ってきたロリコン一味であり、半ば必然的にそれに私も同行した。

 しかし、後から思えばこの行動が協定ぶち壊しのが引き金となったのだ。

 

 山に行った私たちは山菜班と狩猟班に分かれ、食材を集めた。私は当然危険の少ない山菜班に配属された。私の仕事はみんながコックと船医の指示のもとで採ってきた山菜やキノコを食材を待っている別の船のコックさんたちに届けることだった。

 

 確かに荷物は少し重いが、ただキノコや山菜を運ぶだけの仕事と言うことで、内容は全く難しいものではなかった。しかし、その事実が私を油断させた。私は途中でただ運ぶだけの仕事に飽き、道中に生えていたキノコを適当に摘み、それを籠に入れて届けてしまっていたのだ。

 

 当然、被害を受けたのは私たちがアジトにいた大喰らいの海賊達だ。私たちがせっせと食材と毒キノコを集めている間にも調理された毒キノコを美味しそうに食べた彼らは全員まとめて腹を下し、少ないトイレを目指して駆け込む者が続出し、トイレは奪い合いの戦場となった。

 

 結局、宴会の席を離れていた私たちはそれに気がつくことなく食材の調達を続け、彼らのみにそんなことが起こっていたことを知ったのは、狩猟班が十分な獲物を調達し、宴に全員で戻ってからだった。

 

 戻った私たちが見たものはまさに死屍累々といった様相の宴会場。トイレを目指して途中で力尽きた海賊もいれば、お互いの足を引っ張り合い、トイレを奪い合った体勢のまま倒れこみ、いろいろ漏らしてしまった絶望から動かなくなった海賊達の姿もあった。

 

 そんな惨状を見て焦ったロリコン海賊団は、それがどこかの海賊の裏切りだと勘違いし、私を連れて全力で海へと逃げ出した。

 そしてその後、約束通り隣の島の海軍第151支部のある島にこっそりと降ろされた私がそのまま基地に行ってそれまで起きたことを説明し、その説明に驚いた基地の海軍が現在は死屍累々の惨状になっているその島に急行して全員捕縛という結果になったのである。余談ではあるが驚くことに、私は彼らを151支部の海兵達が連行してくるまで彼らが海賊だと気がつかなかった。後から現場検証の資料を見たら壁にはしっかり海賊のドクロマークがでかでかと描かれていたのにも関わらずだ。我ながらとんでもないアホの子だったものだと改めて感心する。いや、しちゃいけないところなんだけどね。

 

 それからとあるお節介焼きの中将の余計な口出しや、最後まで彼らが海賊であることを気付かなかった私のふわっとした説明がどう働いたのか、気が付けば私はわずか五歳にして東の海を救った海軍の英雄として祭り上げられていた。解せぬ。

 

 いや…もうほんとどうしてこうなった…。

 

 他の噂もそうだ。私が大砲に爆弾を仕掛けて海賊を倒したという噂も、私が整備をミスった大砲を海賊が使おうとして勝手に暴発しただけだし、海賊船に一人で乗り込んで全滅させたという噂も、乗り込む寸前に海賊船の火薬庫で謎の爆発が起き、甲板にいた海賊たちが全員吹き飛んだというだけで、全て私の実力が事を成したのではなく、生まれつき私に取り憑いた『悪運』が働いた結果にあるのだ。

 

 生まれてからすぐに海に流されたのも、小さな時から何かとトラブルに巻き込まれるのも、身分不相応すぎる称号と階級を与えられ、部下達から熱い視線を向けられるのも、悪運が引き起こした事件に興味を示した暇な海軍中将が時々私を鍛えようとするようになったのも、上層部からより激しい任務が似合うとか言われて無理やり他の支部に異動させられたのも、コミュニケーションが苦手すぎていつも偉そうな話し方になってしまうのも、全てこの『悪運』の所為だ。私は悪くない…はずだと信じたい。

 

「あぁ…もう帰りたい…」

 

 ベッドに顔を埋め、家であったE-15支部にいる父親代わりの基地長の顔を思い出す。あぁ、初めての異動先である『シェルズタウン第153支部』の『モーガン大佐』は良い人だろうか。『斧手』という物騒すぎる二つ名も付いてるし、もしかしたら怖い人なのかもしれない。もしそうだったら嫌だなぁ…。でもお義父さんも「本当に右腕が斧になってるよ」何て冗談を飛ばしていたから、意外とユーモアがある人なののかもしれない。だって右手が斧の人間なんているはずがない。もし本当だとしても右手が斧ではお箸も握れないからご飯が食べられないじゃないか。お義父さんも変なことを…

 

「失礼します少佐、目的の島が見えました」

 

 ひぃっ!?

 

「分かった。すぐに行くから先に行っていてくれ」

 

 ドア越しのノックとともに飛び込んだ突然の部下の声に飛び上がりながらも瞬時にいつもの鉄面皮を顔に貼り付けて答える。

 うっかりだらだらしすぎて気を抜き過ぎてしまってたようだ。危ない危ない、こんなところを部下に見られたら威厳なんてあったもんじゃない状態になるところだった。

 

 とにかく残念ながらモーガン大佐が待つ島に着いてしまったようだ。本当に、怖い人じゃないといいなぁ…。脳内で『斧手のモーガン』をイメージしながら扉へ向かう。

 

 そう例えば、斧手と呼ばれるだけあって普通の斧よりももっと大きい斧が右手についてて、神は多分短い…あとは多分アゴ割れてる。そんな気がするもし違っても絶対アゴにはなんかある。意外とアゴだけロボ化してたり、顎髭がめっちゃ生えてたりするかもしれない。とりあえず偉い人には大体アゴに特徴がある。今まで見てきた海賊達や海軍のお偉いさんもそうだったから今回もきっとそうだ。

 ちょっと元気も出てきたし、あとはしっかり部下たちの前で威厳をひねり出して頑張ろう。お義父さんや基地のみんな、それにちょくちょく来て無理やり特訓の相手をしてくれた自称おじいちゃんの中将もやれば私は出来る子だって褒めてくれた。だから今回もなんとかなる!多分!

 

 もう考えていても仕方がない。

 

 そう考えた私は再び顔をむにむにとマッサージして整え、扉を開いて甲板に上がっていった。

 

 

 

 

 

 



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宴会と旧友

 …いや…なんかもう、どうしてこうなった?

 

 航海の末漸く目的の島に近づくと、わざわざ総出で出迎えの為に波止場で待機していてくれた第153支部の海兵達を見て素直にその言葉が浮かんだ。

 出迎えに出てくれた海兵の人数は、総勢およそ百四十人。その全員が横並び一列に並び、接近するこちらの船に最敬礼を向けて立つその姿は、自分に向けられたものでなければ、その見事な統率に拍手を送りたいほどのものだ。今回?出来るだけ彼らから見えないように甲板の一番奥で偉そうに立ってますよ。

 

 しかし、徐々に接近して着岸の準備が整った頃、違和感に気づいた。

 街もあり、特に貧困している様子もないこの島で任務に当たっているにも関わらず、いったい何をどうしたらこうなるのか、彼らの身体は異常に痩せ細り、砂漠で遭難した旅人のような姿になっている。所々ではフラフラしてるような海兵もいるし、一番端っこの妙なキノコ頭の割れアゴ君やピンク髪の丸メガネ君に至っては白眼を剥いて口パクパクしてるし、あのままでは私たちの出迎えの前にお迎えが来てしまいそうな状態だ。

 

 うわぁ…もう既に帰りたい…この支部絶対やばい気がする。確実に何か起きるパターンのやつだもんこれ、十八年間も悪運に憑きまとわれている私が感じたのだから間違いない。

 

「少佐、準備が出来ました!」

 

 ありありと漂うめんどくさそうな雰囲気を醸し出すガリガリ&フラフラな海兵達を見て、内心で溜息をついているとブレンダン君がデッキから港までタラップを下ろし、こちらにサムズアップと爽やかな笑顔を向けてきている。その顔は明らかに『まずは上官である少佐からどうぞ!』と言外に意思表示していた。

 

「あぁ、ありがとう」

 

 そうなるとヘタレな少佐は逃げられない。ブレンダン君から発せられる凄まじい尊敬してます的なオーラを背に受けながら、重い足を引きずってタラップを一段一段踏み締め、今すぐ踵を返して自室に飛び込んでベッドの上で引きこもりたいという欲求と十分過ぎる時間をかけて戦いながら港へと降り立った。

 

「あ…貴女がリード少佐ですね。噂はかねがねお聞きしています。お会いできて光栄です」

 

 久し振りに感じた大地の感触に浸る間も無く、見ないようにしていた一番階級が高そうなヒゲ面の男性が握手のために引きつった笑顔で両の手を差し出してくる。

 しかし、普段であれば爽やかなのだろうその笑顔も、痩せこけた荒れ放題の肌ではもはや海賊のようになってしまっている。

 

 っつーかなんで敬語!?なんかかなり緊張してるぽおいし、もしかして顔怖かった?ごめんなさい!すいません!私こんな感じの仏頂面しか出来ないんです!

 

「わざわざこのような歓待を戴き、恐縮の限りです。リッパー中佐」

 

 内心では全力で土下座を行っている真っ最中だったが、当然差し出された握手を拒むことは出来ない。直ぐさま両手で中佐の大きな手を握り返した。

 

「大丈夫ですか?リッパー中佐も部下の方々もどうやらあまり体調がよろしくなさそうですが…」

 

「だ…大丈夫です!これは我々のけじめなのですから!」

 

 つい気になりすぎた彼らの惨状について、手を離しながら聞くと、中佐は先ほどと同様に爽やかなはずの笑顔を浮かべて返してくる。よく見れば部下の方々も虚ろな表情ながら首を上下に振っている。

 

 それにしても他の海兵を軽く目だけで見渡してみてもアゴに特徴がある人は例の白眼を向いたキノコ頭君しか見当たらず、右手が斧になっている人も見当たらない。やはり大佐にもなると出迎えは部下にやらせて自分は基地で待っているのだろうか。

 

「ところで、こちらの基地長はモーガン大佐とお聞きしていたのですが、基地で待たれているのですか?」

 

『!!』

 

 うをうっ!?

『モーガン大佐』の名前を出した途端若干目が虚ろだった後ろの海兵たちの目が眠りから覚めたように見開かれた。すごく…怖いです。

 よく見ればピンク髪の丸メガネ君もキノコ頭君でさえも先ほどの白眼のままだが、こちらに目を見開いて顔を向けている。どうでもいいが白目のまま目を見開くにはやめて欲しい。本当に怖いから。中佐以外は遠いから良かったが、もし目の前で今のをやられたら漏らす自信がある。

 

「何か問題があったのですか?」

 

 よし、なんとか表情は崩さず聞けた。内心でガッツポーズをしていると、中佐は見開いた目を歪め、苦虫を噛み潰したような顔で少しずつ、話し始めた。

 

「えぇ、実は…」

 

 私たちがこの島に到達する十日前に起こった。とんでもない出来事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「あぁ…酷い目にあった…」

 

 喧騒が飛び交う基地内の大部屋から抜け出し、海賊用の第二対船砲が備えられた塔の屋上でコーヒーを一口飲んで溜息をつく。今夜は新しく着任した『エヴァ・リード少佐』の歓迎会が開かれており、基地内は非常に騒がしい。さらに今日はこの第153基地の全員に課せられたメシ抜きという懲罰が解かれる日であり、リード少佐の着任祝いという名目に託けて騒ぐこの基地の面々が、海賊さながらの喧騒を巻き起こしていた。

 

「う…痛てて…」

 

 十日前の事件で受けた銃痕が痛む。

 海軍に入ってまだ十日ということで、新入りの下っ端である僕が宴席につくことは当然出来ず、使えるのは左腕一本という悪条件ではあるが、料理を運んだり、その途中で無理やり飲まされたり、リード少佐の部下の皆さんにお酒をついだり、そのついでに飲まされたり、空いたお皿を片付けたり、一緒に余ったお酒をコックさんに飲まされたりと、右腕に時折走る痛みと共に、雑用に基地内を駆け回った。

 

 そして合間合間に飲まされるお酒で目の前が回り始めた頃、ようやく雑用の仕事がひと段落したことで休憩を貰うことができ、誰もいない静かな砲の下で一人、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んでいた。

 

「あれから…もう十日も経ったんだ…」

 

 偶然乗り込んでしまい、航海術を買われて扱き使われていたアルビダの海賊船からルフィさんに助けられ、この基地にやってきた。とにかく無茶苦茶なやり方での海軍基地への不法侵入や、狂気の沙汰としか思えないロロノア・ゾロの勧誘。それに加えた海軍大佐の打倒。そして僕の海軍への入隊。

 

 これは僕の身に起こったわずか十数日の出来事だ。

 人生に変化はつきものだ、そんな言葉をいつか聞いたことがある。今の僕にはその言葉が身にしみてよく分かる。ただ海軍の入ることだけが夢だった冴えない僕が、ルフィさんにのせられて気がつけばこの通り、まだ雑用とはいえ憧れだった海軍の一員としてマリンブルーのラインが入ったこの制服に袖を通して基地にしっかりと立てている。

 本当に、ルフィさんは不思議な人だ。ロロノアさんも僕も気がつけばルフィさんのペースに乗せられて、如何してか全部いい方向に物事が進んでいった。

 

 そう言えば新しく着任したリード少佐だが、リッパー中佐からルフィさんのことを聞いたときに一瞬表情が強張ったような気がした。いや、今日一日見てても表情が全く変わらないから気のせいかもしれないんだけど…。

 

 それにしても『最速の海兵』ことリード少佐の噂は一海兵として聞いたことはあったが、実物は噂以上の美貌の持ち主だった。それに加え考えを周囲に一切悟らせないあの寡黙な表情も噂通り、凄まじいオーラを放っていた。あれが本当に強い海兵と言うものなのだろう。階級自体は少佐であるためリッパー中佐や、モーガン大佐よりも下でありながら、それ以上の階級であるかのように感じさせる圧倒的な風格を備えていた。

 

 おそらく中佐もその差を感じ取ったのだろう。港で出迎えを行った際、握手を求めるのも躊躇っていたようだった。他にも酒の席でリード少佐の部下の皆さんが声高に少佐の武勇伝を語っていたのが耳に入ったが、聞いたことがあるものも、無いものも、どれもとんでもないものだった。

 

 今の僕はろくに訓練も受けさせてもらえない下っ端の雑用だが、万が一にでも少佐から実戦での話を一つ聞けたのなら、おそらく夜や空いた時間にやっている勉強の素晴らしい参考になるだろう。

 今日から少佐も此処で任務に就くのだ。何かの間違いで話をお聞きすることができる機会が生まれるかもしれない。その時は、話の内容を絶対に忘れないように話の一言一句を頭に叩き込もう。必ず僕はそれで成長できるはず…。

 

 ミシッ…

 

 背後で聞こえた音に肩を跳ねさせ振り返る。その際に手に持っていたコーヒーがズボンに掛かってしまったが、そんな些事は背後に立っていた人物の姿を見た瞬間、頭の中から消え失せた。

 

「リード…少佐……?」

 

 屋上に続く扉に背を預けて誰かが立っている。月明かりに照らされて妖艶にたなびく背中まで伸びた美しい黒髪。適度についた筋肉が自己主張することなくすらりと長く伸びた白磁のような肢体。括れた腰に、慎ましい膨らみを隠した身体。額に手を当て、猫目がちな青みがかった物憂げな瞳を

 こちらに向けて立っていたのは、リード少佐その人だった。

 

「…すまない、騒がしいのは苦手で抜けてきたのだが、邪魔したか?」

 

「い…いえいえいえいえ!!滅相も無い!ぼく仕事に戻りますから!」

 

 惚けている僕に見かねて掛けられた少佐の言葉を両手を目の前で振って否定し、突然の緊張に絡む足を動かし、少佐の脇を通って階段を駆け下りる。いざ少佐を目の前にすると、話すことなどあまりに恐れ多い気がしてとても無理な話だった。

 

 少し早いが休憩を切り上げて厨房に戻ろう。確かさっき交代したヘルメッポさんが皿洗いを続けているはずだ。給仕長はゆっくり休めと言ってくれたが、早く戻れば夜の勉強の時間が増えるかもしれない。

 

 最後にそう思考をまとめ、厨房へ急ぐ。

 ヘルメッポさんは複雑な心境だろうな。今でこそ同じ下っ端の雑用だが、元の境遇があまりに違いすぎる。権力と言う高椅子に座っていた人間と、それを引き摺り下ろした海賊に手を貸した人間とでは、心情的にとても近寄りがたい。周囲からは白い目で見られることも多いらしく、基地の中で孤立している。

 ヘルメッポさんからすればどの面下げて、というところだとは思うが、同じ下っ端としてうまく支えて行きたいと思う。孤独は辛い。アルビダの船で一人雑用として働かされた僕が一番よくわかる。

 

 だから今日も話しかけよう。彼を孤独にした僕が、責任を持って彼の孤独を癒そう。彼の行いは許されることでなかったが、それは僕も同じだ。アルビダの船で腐っていた僕も、彼と何も変わらない。

 

 できることなら共に強くなりたい。彼とともに海軍将校になって昔の罪を償うのだ。

 僕は気を引き締めて喧騒が未だに続く本館のほうへと長い廊下を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 ーー異動初日に昔の友達が十日前に、自分の職場の上司をぶっ飛ばしたと聞かされたらどんな顔をしてその話を聞けば良い?

 

 この島に着いてすぐ、海兵の異常なダイエットの理由を尋ね、その答えを聞いてから私は頭の中でそんな自問自答を繰り返していた。

 

 

 

 十日前に起こったという第153海軍支部襲撃事件の犯人…めっちゃ知り合いですやん…。

 

 

 

 海賊『モンキー・D・ルフィ』

 今からおよそ十年前。私が八歳の頃、当時からちょくちょく私が生活していた149支部に現れ、無理やり私の訓練を行っていたガープ中将に連れられて行ったドーン島という小さな島でごく僅かな期間ではあったが彼とともに過ごした事がある。

 

 お互いに八歳と七歳の子供で、かたや無邪気に海軍に入っていっぱい海賊を捕まえるという夢を語る者と、海賊王になるという夢を語る者が一緒の家に住んだとはいえ、水と油の関係である海賊と海軍を目指す二人が相入れるはずもなく、私はルフィとしょっちゅう喧嘩していた事を覚えている。

 

 当時のルフィはとにかく弱かった。基本的に私はダダンといういかついおばさんの家で家事の手伝いや、時々やって来るガープ中将に申し付けられた訓練をこなしながら生活しており、いつも外をふらふらと出歩いているルフィと会う事は1日の中では少ない時間だったが、時折ばったり出会うと、すぐに海賊か、海軍か。己が歩むと決めた道に互いを引き込もうと話し始め、最終的には喧嘩になって元々海軍の訓練を積んでいた私に軍配があがるという毎日を繰り返していた。

 

 元々、何度言っても『俺は海賊王になるんだ』と豪語していたルフィだったが、やはりこうして海賊になっていることを知ってしまうとやはり少し辛い。喧嘩ばかりしていたとはいえ、なんだかんだ言って一緒に遊んだこともある友達が完全に相容れぬ敵となっている現実は、正式に海兵となり、幾つかの海賊団を捕縛してきた私にはあまりに現実的すぎて、受け入れがたいものがある。

 

 それに加えて驚きなのは、ルフィがこの基地の『モーガン大佐』を子供扱いするかのような実力差を見せて打倒したという所だ。思わず何度も聞き返してしまった。

 

 だってあの弱っちくて拳の握り方もわかっていなかった様なルフィがまさか海軍大佐クラスを子供扱いって…冗談や情報の齟齬だったとしたらあまりにもたちが悪すぎる。

 

 確かに、ルフィがあの島で兄と慕っていつの間にか後ろをついて歩いていた二人組は流派も無く、師もいない環境で身につけた喧嘩殺法なのにも関わらず、かなりの強さだった。何度かルフィとともに帰ってきたときに一緒に稽古したことがあったが、勝率は思わしくなかった。それに加えて二人組の片割れである『ポートガス・D・エース』は今や偉大なる航路で絶大な力を持つ『白ひげ海賊団』の二番隊隊長として悪名を轟かせている。

 

 そんな二人にあの島で十年近く鍛えられたのならば、その強さが身についていても仕方ないかもしれない。私は五ヶ月経った頃に149支部の面々から猛抗議を受けたガープ中将が迎えに来て基地に戻ったため、それ以降のことはよく知らないが、本当にあの二人に鍛えられ、ここまでの力を備えたのならば、捕まえるのは容易ではないだろう。

 

 どうしよう、めっちゃ顔怖くなってたら…。アゴ割れてたらどうしよう。ムッキムキのアゴ割れなんかになってたりなんてしたら、もう怖くて絶対に戦いたくなんかない。そんなんなってたら喋れる気もしないし。

 

 そんな訳で今私は、中佐さんから聞いた話よりもより深い話を聞くために、十日前の事件の当事者であるというコビー君を探すために誰もいない基地の廊下を歩いている。中佐さんや、部下たちには少し部屋で休むと言ってきたためしばらくは戻らなくても問題ないだろう。というか戻りたくない。

 

 予想はしていたが、この基地でもやはり私の盛りに盛られた噂話は浸透しているらしく、酒の席ではあっという間に囲まれ、質問攻めと酌責めに追われた。慣れた部下達に注がれたり、質問を受けるのは慣れているためあまり気にしなかったが、知らない男の人達が無邪気に酒や料理を片手にわらわら近寄ってくるのは本当に怖かった。これなら刀や銃を持って殺気を出しながら斬りかかってくる方がマシかもしれない。いや、どっちも怖いけど。

 

 というか私のコミュニケーション能力の欠如も大概なところまでにきてしまったような気がする。戦闘なら相手に気を使う必要がないからと言う理由でそっちのほうが楽というのは、些か問題なような気がする。

 子供の頃は今よりもっと感情豊かだったはずなのにどうしてこうなった。

 

 まぁ、原因はわかってるんだけどね。単純に五歳から妙な期待を周囲から寄せられ、立場とか階級とかそういった上下関係を学ぶにつれて、上司としての在り方や、周囲への対応を身につけて行った結果、部下の前でヘラヘラ笑っているわけにいかず、この仏頂面に行き着いたのだ。周囲から石仮面などと呼ばれているらしいが、まぁ仕方ないだろう。

 

 どうでもいいのだが、陰口で石仮面少佐と呼ばれるたび『WRYYYYYYYYY!!』と叫びたくなるのは何故なんだろう。一度誰もいない山の中で自主鍛錬中に叫んでみたことがあるが、意外と叫びやすい言葉だ。

 

「…も…たんだ…」

 

 どうでも良いことを考えながら軽快な足取りで歩いていると、通りかかった階段の上階から声が響いてくる。どうやらこの上は屋上らしく、一人分の気配が、手すりに寄りかかっているのが伝わって来る。

 

 気配を頼りに階段を登ると、月明かりに照らされたピンクの髪が風に揺れている。このファンシーでクレイジーな髪色はコビー君以外に見たことが無い。これが地毛だとしたら彼の祖先は一体なんなのだろう。よほどファンシーなパーティー野郎に違いない。

 

 それにしても彼はこんなところで何をしているのだろう。コーヒー片手に立っているところを見ると、雑用係の休憩と言ったところだろうか。

 

 と、ここで私は非常に重要な問題に行き当たった。

 

 

 

 …あれ…どうやって話しかけるんだっけ…?

 

 

 

 コミュニケーション能力の欠如ここに至る。私は目の前でたそがれている少年に話しかける方法を見失っていた。

 

 いや、待って…私ってここまでコミュニケーション…もうコミュ力でいいや、コミュ力下がってたの…?

 

 すっかりガタが来ていた自分のコミュ力に思わず頭を抱える。

 

 みしっ

 

 左手で頭を押さえ、扉に寄り掛かると木製の扉が軋んだ。そこまで体重があるとは思ってなかっただけに、若干ショックだ。

 

「…リード…少佐…?」

 

 あ、はい、エヴァです。

 私の体重で鳴った扉の音に気がついたのか、コビー君が飛び上がりながら振り返った。まん丸になったコビー君と目が合う。どうやら想定外だったらしく、完全にフリーズして動かない。

 それにしてもここまで近づくまで気がつかなかったということは、もしかしたら今重要な考え事をしていたのかもしれない。

 

「…すまない、騒がしいのは苦手で抜けてきたのだが、邪魔したか?」

 

 突如湧き上がった申し訳なさに堪え兼ね、咄嗟に謝罪する。

 

「い…いえいえいえいえ!!滅相も無い!ぼっ…ぼく…仕事に戻りますから!」

 

 謝罪に対してすぐに反応した彼は言うが早いか両手を目の前で振り、私の脇をすり抜けて走っていく。右肩に怪我をしているだろうにそんな無茶な動きをして大丈夫なのだろうか。

 

 あ、やばい。何も聞けなかった。

 

 階段を駆け下りていくコビー君の背中を見ながら考える。やはり目が合って逃げられるのは流石に傷つく。これまで私は睨んでもいないのに相手が萎縮してしまったり、怯えてしまうことは過去にも何度かあるが、私の顔というのはそんなに怖いのだろうか…。

 149支部や支部がある島では常に可愛い可愛いって育てて貰ったし、自分でもちょっぴり自信はあったんだけどなぁ…。やっぱり親バカとかそういうことだったんだろう。実際、身長だけは高いし、胸も小さいし、もしかしたら男に見えているのかもしれない。

 あぁ、そう考えるとやっぱりへこむ。このままじゃ恋人も結婚も出来ないかもしれない。

 

 まぁ、そうなったらそうなったで任務に生きるからいいんだけどね!寂しくなんてないんだからね!

 

 …はぁ、少し部屋に戻って休もう。

 

 飛躍した考えに一旦歯止めをし、脚を階段に向ける。ネガティブな考えが次々に浮かんでしまってこのまま宴会場に戻っても三割増の仏頂面が場の空気を凍りつかせるだけだ。こんな時には少し眠るに限る。

 

 溜息を一つ吐き、なんとなく空に目を向けると、光源の少ないこの場所では星が目の前いっぱいに広かっている。少し前まで生活していた149支部で見ていた星空とは少し違う空だ。

 

 今、基地のみんなや、何処かを旅しているルフィやエースもこの空を見ているのだろうか。

 

 みんな、エヴァは頑張ってるよ。

 そしてルフィ、お願いだからまだ何もやらかさないでね。私がすぐに捕まえてあげるから。まだ何もやらかしてない今ならまだ間に合う。

 海賊旗も揚げてないみたいだし、海賊としても私たち以外の軍には認知されていない。

 

 友達が海賊として処刑されるのを見るのは絶対に嫌なんだ。出来ることなら一緒に海兵になろう。ダメなら賞金稼ぎでも冒険家でも何でもいいから、海賊だけはもうやめてほしい。

 

 内心では絶対に叶わないと思いながらも、夜空に友への想いを切に願う。

 

 

 そしてどうか明日も平和に生きられますように。

 

 空を見上げて祈った願い事は夜空に吸い込まれて消えて行った。

 



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日常と訓練

『モルモルモルモル…』

 

陸にいる時の私の朝は、いつもこの形容しがたい声から始まる。まだ空に太陽は浮かばず、わずかに白み始めた頃、ベッドで眠る私の耳元でこの声が優しく目覚めを促すのだ。その声に応え、私はまだまどろみの中にいる意識を無理やり起こして右手を上げ、電気スタンドの台に居る声の主に振り下ろす。

 

『んがきゃっ!』

 

今日はだいぶ強めに振り下ろしてしまった私の手に、短い悲鳴とぬるっとしたような、むにゅっとしたような、声と同じく形容しがたい感触が伝わってくる。

 

「今日もごめんねエスカルさん…」

 

まだぼんやりする頭をベッドの上で軽く振って身体を起こし、先ほどの声の主を両手で持って謝罪する。しっかり下げた頭を上げると、目の前にはいつも通りのにやけ顏をむくれ顔にしたエスカルさんこと私の愛電伝虫がそっぽを向いて立っていた。いや、彼らの場合立っていたって表現はおかしいのかもしれないが、この際、気にする必要はないだろう。

 

「ごめんね、これあげるから許して」

 

むくれ顔のまま全く目を合わせてくれないエスカルさんに引き出しの中から干しリンゴが入った小瓶を取り出し、中身を一つ取り出してチラつかせると、片目だけこちらに向けて様子を伺っているようだ。

 

「はい、あーん」

 

その様子を確認し、口元に干しリンゴを近づけると偉そうな顔でこちらを見てからそれを咥え、満足そうに咀嚼した。うむ、今日も可愛い。ピンクの殻にオレンジの体というアンバランスが堪らない。

 

「許してくれる?」

 

機嫌が直ったところで尋ねるとエスカルさんはまるで上司か何かのような態度で大仰に頷き、目を閉じて眠り始めた。

眠ったエスカルさんを再び電気スタンドの台座に戻し、ふとベッド脇から視線を感じてそちらに目をやるとどうやら干しリンゴの匂いで起きたらしい子電伝虫のカルゴ君が物欲しそうにこちらを見ている。

 

ひたすらに私が手に持っている干しリンゴの小瓶に熱い視線を送るカルゴ君に一人苦笑し、リンゴの欠片を与えると、彼もまた満足そうに食べ、再び眠りについた。

 

 

私の一日はこのエスカルさんとカルゴ君のコンビによって起こしてもらうことで始まる。

いつも同じ早朝にカルゴ君はエスカルさんに電波を飛ばし、それに反応したエスカルさんが私の耳元で着信を知らせる。その声で私は目覚めるのだ。

 

エスカルさんとカルゴ君は私が元いた基地から連れてきた貴重な仲間だ。エスカルさんは私が九歳の誕生日にガープ中将がくれた。曰く彼らの年齢では私より少し年上らしく、なぜか妙に態度が大きいため、私は常にさん付けで呼んでいる。エスカルさんは主に私を起こすという任務に就いており、時々眠りが深く、寝ぼけた私にチョップされている。本当に申し訳ない。

 

そしてカルゴ君は入隊と同時に軍から支給された子電伝虫で、私の初めての部下のような存在だ。彼の任務はエスカルさんと同じ私を起こす事に加え、作戦行動中は私の胸元で現場指揮を出すための連絡役としての任務に就いている。体色は青みがかった灰色の殻に白黒の斑模様の体をしており、海軍の制服に自然と溶け込む体色をしている。

 

そんな彼らの朝食を済ませたところで長い髪を一つに結び、顔を洗って訓練用の運動着に着替える。それが終わると今度は鏡の前でいつもの仏頂面を少しでも柔らかくするため顔面にマッサージを施す。

 

うむ、変わらん。

 

毎日やってるのにほとんど変わらないこの顔に早々に見切りをつけて部屋を出る。

昨日割り当てられた部屋を出ると、まだ日も昇らない早朝だと言うのに何人かの海兵や文官が忙しなく廊下を歩いている姿がちらほらと見える。

 

その中を抜けて階段を降り、外にある訓練用のグラウンドに出ると訓練兵達が統率された動きで剣を振るっており、そのうちの何人かが私に気がつくと、こちらに向けて丁寧に頭を下げた。

その光景に懐かしさを感じつつ、自分も毎朝の訓練を兼ねたランニングに出るため、脚を軽く動かしながら軽く手を振って礼に答える。とりあえず今日は昨日通ってきた町を少し見て回り、その後は適当に人がこなそうな空き地を見つけて自己訓練を行う。そしていい感じにお腹がすいてきたら戻って朝ご飯を食べる。

 

昨日確信したのだが、この基地の給仕長さんは間違いなく遣り手だ。今まで遠征や会合などで幾つもの他の支部にお邪魔して宴会なども経験したが、昨日ご馳走になった料理は今までの軍の料理とは比較にならないほどの味だった。思わずついつい箸が進み食べ過ぎてしまった気もするが、ゆっくり食べたし、ちゃんときれいに食べれたから大丈夫のはずだ。

 

今朝の簡単な訓練プランを立て、昨日の料理と今日の朝食に想いを馳せる。

あ、やばい。すでに少しお腹すいてきた。

 

軽い伸脚で膝の裏を伸ばし、足首を回して寝起きで固まった関節を柔らかくほぐす。今回、この島に来るまでの航海では目立った戦闘も無く、運動することもなかったため、やはり若干いつもより筋肉が硬くなってしまっている。

 

十分に下半身と腰の筋肉を柔らかくほぐして準備ができたところでゆっくりと走り出す。長い船旅であまり激しく動かす事が出来なかった身体が徐々に目覚めていくのを感じる。

基地を抜け、町を走っていると漁から帰ってきたところの漁師さんや朝早くから水仕事を始めているお母さん達が笑顔で手を上げたり頭を下げたり多様な挨拶を向けてくれる。

 

中佐さん曰く、前大佐が捕まった後、悪化した市民のイメージを払拭するため、必死でメシ抜きでの慈善事業に勤しんだらしい。加えて彼らは私がここに着任する事を例によって噂付きで町の住民に話していたらしく、相変わらず過剰な期待を向けられてしまっているようだ。

 

しかし、当然そんな期待に満ちた眼差しに耐えられる私では無く、怪しまれないレベルで走る速度を上げ、何とか笑顔を浮かべて挨拶を返して駆け抜けた。ごめんよおっちゃん、おばちゃん。

 

住民達の熱い視線から半ば逃れるように走りながら町を抜けると、小さな森に出た。道の先を見ると、どうやらこの道の先は遠くに見える山に繋がっているらしい。

まだ、朝早い時間だし、少し全力で走っても大丈夫だろう。

 

ちなみに私の唯一の自慢は足が速い事だ。そのお陰で『最速の海兵』とか呼ばれてしまっている。

正直これに関しては、ネーミング的に恥ずかしい事には恥ずかしいのだが、他の二つ名と比べれば然程嫌に感じてはいない。

 

何故ならこの速さは、修行時代の私が実際に死ぬ思いで手に入れた私の唯一の強みであり、今まで誰にも負けた事が無いという、本当にたった一つ自慢できる事だからだ。

 

まぁ、実際には闘うためじゃなくて出来るだけ早く、遠くに逃げたいが為に必死で訓練した結果、身についたものなんだけどね。それでも実際に脚だけなら誰よりも早い自信はある。今まで実際に戦った海賊達は全て小物しかいなかったが、その中の誰も、私の動きについて来れるものはいなかった。

 

まぁ、私の船での戦闘は大砲での砲撃戦がメインであるため、乗り込んだり、乗り込まれたりして行うほぼ戦闘はないと言って良い。

 

だって実際に海賊と接近戦で殴り合うとかめちゃめちゃ怖いからね。こっちはか弱い十八の女の子なのに奴らは容赦なしに襲って来る。それに時々、性的に襲いかかって来る者がいるのがもう恐ろしすぎてその日の夜は部屋で布団にくるまって震えたものだ。当然、頭にガープ中将直伝の拳骨を纏めて十発ほどお見舞いしてやったが、何故か倒れる瞬間まで幸せそうな笑みを浮かべていたのは未だにトラウマになっている。

 

自ら掘り返してしまったトラウマで背筋を駆け下りる冷たいものを感じながら走っていると、疾走っていた道の先に開けた空間があるのを見つけた。

すぐにスライディングの様な姿勢で地面に右脚を叩きつけ、地面を数メートル抉りながら勢いを殺して停止すると、そこは山の頂上近くに開けた、基地のグラウンドの半分くらいの大きさの草原だった。森の木々から昇る朝靄が、ようやく顔を出しつつある太陽にきらきらと反射し、非常に綺麗な景観を作り出している。毎朝の鍛錬を行うには広さも立地も、全く申し分ない。

 

暫定的な訓練場をこの地に定め、早速朝の訓練を開始する。

 

まぁ、一人でやる訓練といってもそんな対したことはやらないんだけどね。普通に一つ一つの拳技の素振りや、そこら辺の木に向かって繰り出すだけの簡単なものだ。

だったら基地でやっても良いのでは、普通ならそう思うかも知れない。しかし私にはそうも行かない理由がある。万が一それが部下たちに見られでもしたら私の沽券に関わる。見られて爆笑されるだけならまだ『クソ真面目な少佐が見せた精一杯のユーモア』的なアピールをすればなんとか切り抜けられるかもしれないが、冷めた目で見られたら確実にその瞬間私の信用は地に落ちてもう二度と信頼を回復することはできないかもしれない。

というか部下たちにそんな目で見られたら情けないやら恥ずかしいやらで、絶対にもう二度と立ち直れない。その時点で夕日に向かって泣きながら走り出す自信がある。いや、まだ朝日なんだけどね。

 

…ふぅ、余計なことばかり考えすぎた。朝食に遅れるのはなんとしてでも避けないといけない。あの美味しいご飯を食べ損ねるわけにはいかないのだ。

 

ゆっくりと草原の端にある木のそばまで歩きながら頭の中を先ほどの浮ついたものから戦闘のそれに切り替え、拳を固く握る。

私の武器は剣でもなければ、銃でもない、ガープ中将直々に鍛えられたこの拳とひたすら逃げ足を磨いた結果手に入れた脚力だけだ。

正直言って私も本当なら銃や剣を使ってスマートに戦う、かっこいい将校になりたかった。しかし、私の生まれ持った悪運がそれを許してはくれず、銃を使えば暴発し、剣を握れば速攻で折れた挙句折れた先が自分に飛んで来た。

他にも大砲を暴発させたり、時には立て掛けてあるだけの槍や斧でさえ私に牙を剥き、もはや呪いの類ではないのかと思われるほど、武器というものに恵まれていなかったのだ。

 

ゆえに、私はこの拳に頼らざるを得なかったのだ。せめて悪魔の実の一つでも食べることができたなら、私の憧れである『黒檻のヒナ大佐』のように美しく華麗に戦うのかもできたのかもしれないが、辺境の基地の一海兵にそんな機会がくるはずもなく、こんなガープ中将よろしく泥臭さ100%の戦いか確か選ぶことができなかった。

 

でもまぁ、そんな私を哀れに思ったガープ中将の副官であるボガードさんが、本部海兵伝えられる『六式』という不思議体技を秘密裏に教えてくれるなど、普通の海兵ではあり得ない出来事が起こったりもしたから今ではさほど気にしてはいないのだが。何よりもう自分が素手で海賊達と戦うことに慣れつつあるし、実際生きるか死ぬかに戦いで綺麗だ華麗だなどとは言っていられないため、もはや受け入れている。

 

おっとと、また変な方向に思考が飛んでしまっていた。再び目の前の木に目線を定め、拳に意識を集中する。そして右足を後方に下げ、軽く曲げた右膝と肩のそばに持ってきた右拳に力を込めて脚から腰へ、腰から肩そして拳へと力を送り、目標に定めた木に向かって一撃を炸裂させる。

 

「拳・骨…破岩!!」

 

私の繰り出した拳の一撃が炸裂した木は、殆ど抵抗を拳に感じさせる間も無くへし折れ、複数の木片に別れながら遥か遠くへ飛んで行った。

これはガープ中将直伝の技である『拳骨』を私なりに改良し、自分の技にしてしまったものだ。ガープ中将の得意技をコピーしたものであるため、威力は見ての通り、脆い木なら粉々に、海賊に撃てばロリコンと変態以外なら一撃で大人しくなる。ただし、この技は力を溜めるのに結構な隙ができるという大きな弱点がある。戦闘中にいちいち振りかぶっていては、ほかの敵からすれば格好の的になってしまう。ガープ中将のようにバカげた肉体の強さがない私はこの技を使うには他の改良技達と組み合わせて使うか、ボガードさん直伝の『六式』と組み合わせて使うしかないのだ。

 

そして拳骨の改良技達の素振りを一通り虚空に向けて行った後は、ボガードさん直伝の『六式』の技である『剃』の練習に移る…のだが、正直私にとってこの技は必要無い。私の戦闘時の速度はボガードさんが教えてくれた『剃』の足運びよりもどうやら速いらしく、やろうと思えば一つの戦闘の中でずっと『剃』の速度を保つことも可能だ。めちゃめちゃ疲れるけど。

 

そんなわけで、『剃』を飛ばして『月歩』や『紙絵』に移りたい…のだが!こちらにも問題がある。

 

実は私…『一式使い』なんです…。

 

…何を言っているかわからねーとは思うが、実は私がボガードさんに『六式』を教えてもらったのは訓練兵時代の一回のみで、ざっくりとした技の概要程度しか教えてもらえてはいない。そのため、体得できたのは私に合う技であり、最も単純な『剃』だけなのだ。

 

だって他の技とか話を聞くだけでもう訳がわからないんだもん。指で大岩に穴を穿つとか、脚を凄まじい速度で振り抜いたことによって発生するかまいたちであらゆるものを切断するとか、一瞬で十回から数十回何もない空間を蹴って空を飛ぶとか、それができたらもう人間離れにもほどがある気がする。

 

いや、それでも毎日練習はしていたよ?前にいた基地の木に向かって泣きながら『指銃』を繰り出しては突き指して転げ回り、『月歩』を練習するために高いところから飛び降りては足首を挫き、木にぶら下げた木材の振り子を『鉄塊』で受け止めようとしては受けられるはずもない痛烈な腹への衝撃で一人泣いた事もある。

 

そんなわけで私は毎朝技を一つ一つ変えながら、終わりの見えない『六式』の訓練を行っている。

ちなみにこれが基地で訓練を行えない理由でもある。まさか上官が木に向かって指を突き立てては突き指して涙目になっている姿を見せるわけには行かない。だからこのような誰の目にもつかない場所で訓練を行っているのだ。

 

そして今日も残念ながら訓練は『指銃』の日だ。

呼吸を整え、覚悟を決めて最寄りの木に向かって指を構える。もしかしたら今回こそ長い訓練が身を結んで指が貫通するかもしれない。そんな淡い期待を込めて全力で木に向かって指撃を繰り出す。

 

「指銃ッ…!!」

 

今日こそ…貫通するといいなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

◾︎

 

リード・エヴァ少佐とは実に不思議な海兵だ。

かつてはモーガン大佐が使用していた司令官の執務室で彼女の素性が書かれた書類を見ながら改めてそれを実感する。特例により十三歳の頃から海軍支部への勤務が認められてから五年。若干十八歳という若さで幾つもの海賊船を拿捕し、驚異的な速度で出世して来た。いわば海軍でのルーキーのような存在だ。

 

個人的に最も評価したいのは、ガープ中将に鍛えられたという彼女の実力でも、いちいち数えるのも馬鹿らしくなるほど書き連ねられた輝かしい功績でもなく、単純に彼女の人間性にある。

 

権力というものは恐ろしい。若いうちから実力があり、多大な功績を立てて波の海兵よりも早いペースで出世していく者というのは、自ら行使できる権力が増えていくにつれて大概傲慢になっていくものだが、彼女は決して自分の功績や偉業を自慢することも、驕ることもせず、もっと高みに昇ろうとする意思が、一切ブレることがない彼女の目からありありと伝わって来た。

 

彼女は自分の功績は、たまたま良い部下や上司の素晴らしい支援と偶然が重なって成り得たものだと語っているが、これはおそらく、つい先日までいた基地の同僚が素晴らしい、という事をストレートに言うのではなく、敢えて遠まわしに言ったのだろう。

自身の功績でもって前にいた基地の仲間の印象を高めるとは実ににくい事をする。彼女を育てた支部の方々はよほど彼女に愛を注いで育てたのだろう。

 

他の会話の中でも、絶対に自慢や驕りめいた事を口走る事はなく、まさに謙虚、勤勉の見本のような人物であることが分かった。その性格故にあれだけ部下にも慕われるのだろう。彼女の部下達はどれも須らく精強かつ意志の強い瞳をしている。

 

一週間後に予定している、東の海の島々をめぐっての遠洋パトロールでは、彼女と彼女の部下らにも二番艦として船ごと参加してもらう予定になっている。

 

この遠洋パトロールとは、東の海の各支部が毎月交代制で船を二隻ずつ出して各支部の目が届かない海域を中心に回って交流、およびパトロールを行うというものだ。

不謹慎極まりない事だが、私は今からその作戦が楽しみで仕方がない。なぜならその作戦では東の海随一とまで噂される彼女と彼女の指揮する砲戦部隊の実力を垣間見ることができるかもしれないのだ。私のその興奮は心の何処かでその航海の中で海賊船の一隻でも出ないか、などと海兵としてあるまじきことまで考えてしまうほどだ。全くもって自分の未熟さには呆れ返る。リード少佐なら作戦の前でも一切表情を崩すことなどしないだろう。おそらく心も凪いだ海にように静かなまま、至極冷静に作戦に当たるのだ。常に油断なく開かれた彼女の双眸が、それを可能だと言外に物語っている。

 

とにかく今は一緒に航海に連れて行く我が基地の精鋭を選抜しよう。我々の留守中は隣の島の支部がこちらに兵を送ってくれるらしく、兵員の心配はない。存分に楽しんで…あ、いや、仕事に励んでくるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

◾︎

 

…やっぱり山の木には勝てなかったよ…。

 

夕食後、私は昨日星を眺めた砲門のテラスで一人、両手の人差し指を交互に擦りながらコーヒーを啜っていた。

 

いや、やっぱり『六式』の訓練はしんどいわぁ…。

 

結局あの後、繰り出した『指銃』は、頑丈な木の幹に貫通を阻まれ、私の人差し指がいけない方向に曲がると言う目も当てられないほどの失敗だった。一縷の望みをかけた左手の方でも結果は同じで、結果は両人差し指の突き指、全治五日間という結果に落ち着いた。あぁ、情けない。

 

というか、そもそも指一本で木を貫通するのなんて普通の人間が出来ることじゃないでしょ?そんな事が出来たらそれはもう人間じゃないような気がする。ボガードさんは本部にいる海兵ならあれくらい出来ないといけないって言ってたけど、海軍の本部ってそんな化け物の巣窟なの?なにそれ怖い。

 

でも、これからは前に在籍してた家でもある基地の周辺にチョロチョロと現れていた弱小海賊達とは桁が違う本物の海賊たちとも出会う可能性もあるし、実情的には一刻も早く身につけておきたいところだ。だって数年前に捕まったっていうクロネコ海賊団の『百計のクロ』とか『海賊艦隊の首領・クリーク』とか『魚人海賊団のアーロン』とか、なんかもう懸賞金が一千万を優に超えてる奴らは手配書の写真から見るだけでヤバイ雰囲気がプンプン伝わってくるような奴らがこの先の海にはひしめいているのだ。冗談抜きで怖すぎる、もう既に持病の『危ない奴らに近づいてはいけない病』のせいで胃がキリキリと痛み始めている。そんな奴らに私が勝てるわけが無い。だから一刻も早く痛い訓練を泣きながらこなしてでも『六式』を習得しておきたいのだ。特に『月歩』と『鉄塊』ね。

 

しかし、一週間後には早くも、中佐さんに連れられての遠洋パトロールの任務が入ってしまっている。まさか持病の『海に出たら死んでしまう病』で逃げるわけにもいかないし、中佐さんはどうやら私と一緒に作戦に当たることをものすごく楽しみにしているらしく、酒宴の席で何度も何度も周辺海域に目撃情報が出ている海賊についての説明を聞かされた。その説明の間中あんな期待に満ち満ちた目をされたらいよいよ逃げることは不可能だ。

 

今度ばかりは私も腹を括って臨むしかないかもしれない。どうしよう、やっぱり遺書くらい残していくべきかな…。とりあえず明日になったら中佐さんに言って部下達と砲戦の訓練を始めさせてもらおう。こうなったら殺られる前に殺れだ。うちの部隊は砲戦ならかなりの腕利きが集まっている。私が率いてから白兵戦大嫌いな私がひたすら近づかれる前に沈めるという作戦を数年にわたって取り続けた結果だろう。だから今回もいつも通り近づかれる前に砲戦で沈める。白兵戦ダメ絶対。いのちだいじに。これを今回の作戦をにして行こう。

 

…でもなんか嫌な予感がするんだよなぁ…どうしても今回の航海が無事に行って帰ってくるだけで終わる気がしない。具体的には今手元にある海賊達の手配書の特に賞金が高い連中と片っ端から戦わなければならなくなる……ような気がする…。

 

……いやいや、流石にそんな都合のいいことが起こるはずがないよね。うん、ダメだ、今日はどうもいきなり作戦参加を告げられていつものネガティブが三割り増しで稼働しているらしい。

 

こういう時はさっさとお風呂に入って寝るに限る。本館のお風呂は女の人がほとんど使わないからすごく綺麗だし、男性の風呂と変わらない大きさだから一人で足を伸ばして満喫できるし、なにより背中にある大きめの傷を隠すことが出来る。

 

私の背中には、どうやら海軍に拾われるずっと前にできたらしい傷跡がある。基地の船医さんによれば古い火傷の跡らしいそれは、鏡で見る限りもうほとんど目立っていないのだが、それでもやはり女の子として体にある傷はどうしても隠しておきたいものなのだ。

 

 

 

そうと決まれば善は急げだ。早くお部屋に帰ってお風呂セットを取ってこよう。

嫌な事は一旦お風呂に入って汗と一緒に流してしまおう。具体的な作戦は明日になってから考えるのだ。

 

そう結論付けて私は手に持ったコーヒーの残りを飲み干し、息を吐いてテラスを出た。

 

直後、隠れていた針のような三日月が雲の切れ間から顔を出し、朧げに溢れた月光で私がいたテラスを照らした。

 



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黒猫と受難

 …最悪の気分だ。

 

 あのゴム小僧に負けてからの数日間、俺は陰鬱な日々をベッドの上で過ごしていた。

 頭突き…だったと思う。俺の両手足を拘束した状態で首をこれ以上無いと言うほどに伸ばし、その反動で返ってきて俺の頭を吹き飛ばす瞬間が今でも脳裏に焼きついている。

 

 あれを食らって気絶した俺は、クソほども役に立たなかった部下達によって船に運び込まれ、命からがらあの島を脱出したらしい。

 しかし、忌まわしき麦わらの攻撃によって船の全てを支える竜骨がもぎ取られたらしく、出港後船はすぐにバランスを欠いてあの村のある島から少しだけ離れた無人島に船は座礁し、完全に孤島に取り残されてしまった。

 

 …本当に、ついてねぇよ。

 本来の俺の計画ならば、今頃はカヤお嬢様の家や土地、財産の全てまで俺の物になっていた筈なのに、今や金も名声も、栄光すら失ってしまった。

 全てはあの麦わらのせいだ。

 

「あ…あの…C・クロ…お加減の方はどうですか?」

 

「…悪くない」

 

 思考の途中で船室の扉を叩く音が響き、少し遅れて部下の声が聞こえてきた。 一度は俺を裏切ったクソ共だが、気絶している間に俺を殺さず、こうしてキャプテンと呼んでいるのは、俺への恐怖で剣を握ることもできなかったか、それともまだ雀の涙ほどの忠誠心が残っていたのか、どちらかはわからないが、どちらにせよまだ俺の計画のために働く気があるのならどうでも良いことだ。

 

 とにかく、こうして生きながらえ、まだ海の真ん中にいる。しかし、これから先の人生は俺が求め続けた平穏な日々はもう望めないだろう。

 結局カヤお嬢様もあの羊も殺し損ねたようだし、麦わらの一味以外にも長鼻やガキどもにまで俺の正体を知られてしまった。おそらく海軍にも通報がすでに行っていることだろう。事実上身代わりがばれてしまった以上、今度また身代わりを使っても顔の照合によって確実にばれてしまう。

 もはや俺の計画は跡形もなく消し飛んでしまった。

 

 今の俺に残された選択肢は三つだ。一つ、おとなしく海軍に自首し、処刑を待つ。二つ、カヤお嬢様のお人好しにもう一度つけこんで通報を誤報としてもらう。三つ、再び海賊に戻って麦わらを追い、仕留める。おそらくはこの三つの選択肢しか無い。

 

 普通に考えて、選択肢の一つ目と二つ目はあり得ない。なんでこの俺がわざわざ海軍に捕まってやらなければならない、どうしてあの世間知らずの田舎娘に頭を垂れなければならない。そんな屈辱、文字通り死んでもごめんだ。ならばやることは一つしかない。

 

 あの忌まわしきゴム人間への復讐…!

 

 一度は辞めた海賊とはいえ、あんなクソガキになめられたまま残りの人生を過ごすことなど、この俺には到底できない。俺は百計のクロ。かつてはこの海に名を轟かせた海賊だ。あんなゴミに俺を否定されたままでは終われない。それに奴に敗北した理由もすでに分かっている。それは紛れもなく、平和ボケしたあの村でのほほんと暮らしたことによるブランクだ。あの時はニャーバンブラザーズのような雑魚で足の具合を図ったのが間違いだった。

 

 この島を出て奴らに追いつくまでに海賊船や海軍の船の五、六隻も落とせばそのうちブランクも抜けるだろう。そうしたら今度こそあのゴム人間をこの猫の手で八つ裂きにしてやる。

 

「晩飯…ここに置いておきますから…」

 

「待て」

 

 朝食を持ってきていたらしいさっきの部下を引き止め、一つの命令を出す。

 

「乗組員全員、浜辺に集合させろ。五分以内だ」

 

「へ…へいっ!!」

 

 扉の向こうから慌てて遠ざかる足音が聞こえた。

 まずは俺の『クロネコ海賊団』を復活させ、この辺りを通る船を襲わせて船を奪い、改めて帆を掲げてこの海に俺の名を轟かせるのだ。

 

「…五分だ」

 

 腰掛けていたベッドから身体を持ち上げ、傾いた船室から出て、船の甲板に向かう。五分以内に集合の命令はクズどもに伝わっただろうか、いや、伝わっていなくても構わない。遅れてきた奴は見せしめに殺してやろう。そうすればあの能無し共もまともに働く気になるだろう。

 

 船室から甲板へ出る扉を開けると、夜霧が漂う中を松明の揺れる光が浜辺から船と我が旗印を照らしていた。どうやら全員が浜辺に揃って整列しているようだ。見せしめがいないのは少々残念だが、あいつらは命令を遵守した。わざわざ殺す必要もないだろう。

 

「…今宵は新月だ」

 

 浜辺から甲板に立つ俺を見上げる部下共を見下ろし、ゆっくりと話を始める。

 

「こんな夜は血が騒ぐ。月が隠れれば黒猫が通る…昔はよく言われたものだな」

 

「こいつに乗って夜霧と闇に紛れ、音も無く近づき、船に乗る敵全員を血に染めた海に浮かべる」

 

「それが俺達、クロネコ海賊団…だったな」

 

 ぽつり、ぽつりと紡ぐ俺の声に、何人かの部下が怪訝な顔を浮かべ、隣のやつと顔を見合わせている。ニャーバンブラザーズのシャムはなんとなく俺が言いたいことを察し始めたのか、ごくりと唾を飲むのが見えた。

 

「今日を持って、俺は再び海に戻る。新生クロネコ海賊団として、再びこの海に悪魔の黒猫を蘇らせるつもりだ」

 

 ここまで話して漸く部下たちの顔色が変わった。

 

「あの…それってつまり…」

 

「再起だ」

 

 聞き返してきた部下に答えると、部下共は一斉にざわつき、互いに顔を見合わせている。

 

『……ぉ』

 

 晩飯を運んで来た男が俯き、拳を握って呻いた。

 

『…おぉ…!』

 

 呻きは部下共の間に伝播し、徐々に力強くなっていく。

 

『おぉぉぉぉ…!!』

 

 一人、また一人と剣や銃など、己の獲物を抜き、天に突き上げて声を上げる。

 

『オォォォォォォォォ!!!』

 

 やがて呻きから始まった声はその場にいるクロネコ海賊団、総勢58名の巨大な鬨の声となって響いた。

 …こいつら、俺が海賊のこういうところが嫌いだってことを完全に忘れてやがる…。だが、今奴らが騒ぐ気持ちも分からんわけではない。今回は特例として許してやろう。

 

『おぉぉぉぉ…ん?なんの音だ?』

 

 やかましく続いていた鬨の声が収束し始めると、部下の数人が辺りを見回して何事か言い始めた。

 耳をすませてみると、確かに鬨の声に混じって何か、空気を裂くような音が微かに耳に入ってきた。

 

 …いつか聞いた事のある音だ。久しく聞かなかったが…これは…三年前はよく聞いた…。

 

『砲撃だァ!!!』

 

 出し抜けに放たれた声に弾かれて見上げると、鎖か何かで二つ繋がれた砲弾が、もう目と鼻の先に迫っていた。

 

「なっ!?」

 

 直後、浜辺に立つ部下達と我が船に、鋼鉄の砲弾が無慈悲に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「…全弾命中!敵海賊船のメインマスト、二番マストの破壊を確認!流石です少佐!」

 

「まだだ!前部甲板砲、後部甲板砲焼夷弾装填急げ!中央右舷砲はそのまま装填出来次第、同射角で砲撃!」

 

 メインマストの見張り台で敵船の損害を確認すると、エヴァ少佐の次弾装填の命令が下り、眼下の甲板は慌ただしく作業に追われている。

 

「ベルトルト!さっさと下りてこい!観測はもう必要ねぇだろ、装填手伝え!」

 

「いよいよ誰だよ!?俺の名はブレンダンだ!」

 

 甲板から相変わらず誤字だらけの名前を呼ばれ、キレながらマストから飛び降りて。なぜか一瞬巨人族のような体躯をした全身の皮膚が剥がれたような生物が頭に浮かんだが、多分疲れているせいだろう。

 

 …それにしてもリード少佐は相変わらず恐ろしい人だ。俺たちが153支部を出港してから今日で一週間だが、わずかそれだけの間に沈めた海賊船の数はなんと六隻。いくら東の海の有力な海賊達がひしめき合う海だとはいえ、僅か一週間の間の沈めたと考えれば、凄まじい戦果だ。

 どれもこれも、リード少佐が直々に改造案を提出したこの船と、少佐の直感によるものだ。

 

 元はと言えばこの船は、少佐が十四歳で最初に部隊に配属された時から乗っている船であり、一年前に海賊達との戦いに不備を感じた少佐が直々に改造案を書き、工兵部に相談した上で作成されたものだ。具体的には使用する砲の改造と、砲門の増設だ。

 

 普通の砲弾しか撃てない砲身を、提案を承認した親バk…いや、部下思いの支部長がありとあらゆる弾を撃てるような砲身に変え、さらに普通なら右舷と左舷に三つずつしか搭載出来ない砲を、さらに両舷に四つ増設し、前部、後部甲板にも砲門を三門ずつ搭載、船首にはリード少佐の功績が認められ、本部基地からガープ中将を通して半年前に贈られた秘密兵器が一門設置されている。船の大きさは劣るものの、火力は本部軍艦にも劣らない立派なバケモノだ。

 

 これまでの戦闘も、今回同様、こいつの一斉射撃での決着だった。しかし、それ以上にこの船の戦闘を支えるのはリード少佐の驚異的な直感だ。

 

 少佐が何も見えない水平線に向かって突然『海賊の匂いがする』と言って、それに合わせて俺たちが砲撃準備を整えると、少佐の言った通りに海賊船が水平線上に現れるのだ。

 

 あとは既に準備を済ませている砲撃を海賊船の頭上に降らせるだけの簡単なお仕事。今回も、少佐の直感に従い、近郊の無人島に近づいてみると、今や船長の『百計のクロ』を失い、酷く落ちぶれた海賊として名を聞く『クロネコ海賊団』の旗印が浜からの篝火で煌々と照らされていた。

 

 少佐の海賊に対する直感は、本当に恐ろしさすら感じる。うちの船よりも島の近くで同じく砲撃を行っているリッパー中佐の一番船は、何もせず手に入れてしまう勝利に、肩身の狭い思いをしているに違いない。

 

「リード少佐!一番船のリッパー中佐から入電!一番船は砲撃を取りやめ、かの島に上陸、敵残存勢力を全て捕縛する。との事です!」

 

 船室から通信士が飛び出し、少佐に告げると、船内がたちまちざわついた。見れば少佐の表情も心なしか険しくなっているようだった。それもそのはず、少佐がいつも上陸戦の命令を下す時は、敵の勢力を砲撃で出来るだけ減らしてから初めて命令が下る。これは戦闘の被害をなるべく減らすためだ。

 

 しかし、今回はあまりにも早すぎる。今はまだ鎖弾と火炎弾をせいぜい三十発撃ち込んだ程度だ。これでも通常の海賊船であれば十分撃沈出来る火力ではあるが、今回のように逃げ場の多い島に陣を張った海賊の場合しっかりと狙って、確実に戦力を減らしてから行うのが定石だ。

 

「くそっ!あの間抜け、少佐に手柄を取られると思って焦りやがったな!」

 

「少佐!我々はいかがいたしましょう!?」

 

 口の悪い砲長が悪態を吐き、副官が酷く焦った様子で船尾楼に立つ少佐に指示を求めた。

 

「…面舵一杯!前部甲板砲にて一番船が島に着くまで援護しながら我々も島に接近!味方には当てるな!」

 

『了解!』

 

 険しい表情のまま下された命令に、前部砲兵以外の乗組員が武器を取り、戦闘準備を整える。今回の相手が、今や弱体化したとはいえかつてはこの海に名を馳せた『クロネコ海賊団』であるからか、少佐の表情はいつもより険しい。

 

 しかし、それは俺たちも同じ事。これから戦うクロネコ海賊団は今まで出会ってきたどの海賊よりも強いだろう。気を引き締めてかからねば死ぬのはこちらかもしれない。

 

 自分の獲物であるカトラスと、少量の爆薬を腰に携え、メインマストに登る。すると、一番船が着岸し、ボートに乗り換えた153支部の海兵達が鬨の声を上げながら飛び出して行くのが見えた。それに合わせてこの船の甲板からの砲撃も止み、速力が増していく。この速度ならさほどの遅れも無く島に到着するだろう。

 

 軽い緊張で乾き始めている唾液を喉奥に押し込む。

 戦闘開始を待ち、戦闘の様子を確認しようと、双眼鏡に手を伸ばしたところで先ほどの砲撃の火炎がまだ残る浜辺に異変が起こっていることに気がついた。

 

 戦闘音が…しない…?

 

 浜は全くの無音だった。つい先ほどまで雪崩れ込んだ一番船の部隊の猛ける声が響いてきていたというのに、いつの間にか浜からは一切の音が消え去り、辺りにはこの船が海を割る音だけがむなしく響いている。

 

 訳がわからなかった。まさかもう鎮圧してしまったのか、否、万が一そうだとしたら、必ず少佐に連絡が行くはずだ。今回はそれがない。

 

 ならば、一体どうして?

 

 そんな疑問が頭を埋めていた。甲板も、どうやらそのことに気がついたらしく、何やらざわついている。動じていないのは少佐だけらしい。こんな時でも腕を組んでただじっと島を見つめていた。

 

 果たしてその答えはすぐに分かった。

 双眼鏡のレンズの先、揺らぐ炎の奥に何かがいる。それは一つや二つではない。無数の何かが地面に落ちていた。

 

 裂かれた青と白で彩られた布の間から見える肌色と布に滲んだ緋色。落ちたコートに大きく描かれた『正義』の文字。

 

 言うまでもなく、倒れていたのは、先に突入した一番船の船員達だった。

 

「リ…リード少佐!!」

 

「ボート降ろせ!ギルス大尉、残って砲兵十名を率いて何時でも援護出来る態勢を整えていてくれ。残りは私と上陸して一番船を救出する!」

 

 報告し終える前に、少佐は動き出した。島の状況を察したのか、甲板で戦闘体制を整えた兵達に、指示を出していく。

 

 再び覗いた双眼鏡の先の島では、倒れた海兵たちの側を誰かが歩いていた。黒い燕尾服に異常に長い指…いや、指に装着した剥き出しの刀身。そして炎に照らされ、はっきりと見えた眼鏡の奥に冷たく光る、冷酷さを秘めた鋭い眼光。

 

「…まさか…」

 

 俺はこの男を知っている。三年前に発行された新聞には毎日のように名前が載り、基地のあちこちに貼られた手配書に映っているあの冷酷な横顔。

 

「…あいつは…」

 

 三年前、この海を荒らし回り、『ノコギリのアーロン』『海賊艦隊首領・クリーク』と並び恐れられた海賊。

 

「百計の…クロ…?」

 

 そんなはずがない、あいつは三年前に捕まったはずだ。その時のニュースは俺も同僚たちと一緒に新聞で読んで知っている。

 まさか脱獄…?いや、『百計のクロ』程の海賊が野放しになったのならば必ず周辺海域に情報が送られ、厳戒態勢になるはずだ。

 

「そんなはずがない…」

 

 そんなはずがない。ただ俺は自分にそう言い聞かせ、メインマストから降りてボートに飛び乗った。…あの男は一体、何者なのだろうか、あの惨状は、あの男がやったのか。

 

 進むボートの中で、胸の奥に何か黒いものが渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 懐かしい香りだ。

 

 パチパチとオレンジ色の炎を上げ、木が焼ける香り。足元に転がる肉塊から溢れ出し、砂に沁みた、むせ返る血の香り。落ちた砲弾が上げる、特徴的な鉄が焼けた香り。どの香りも、一呼吸で鼻腔に入れる度に三年前を思い出す好みの香りだ。

 

 浜の中心に倒れこんだマストに腰掛け、その香りに包まれながら、麦わらにへし折られた猫の手の爪を外して海兵から奪い取った刀の刀身を付け替える。

 

 よし、これでいい。

 

 久しぶりに元に戻った両手の猫の手を軽く振り、具合を確かめる。以前のものより少し重い気がするが、まぁ取り回しに支障は出ない程度だ。問題はない。

 

 さて、折角俺が建てた計画だが、どうやら始まる前に頓挫してしまったようだ。こちらの部下は最初の砲撃でほぼほぼ壊滅。生き残った部下も虫の息か、身体のどこかしら一部が爆風で吹き飛び、無くなっている。

 

 ニャーバンブラザーズは流石にいちはやく察知し、避けたものの降り注いだ全ての砲弾から逃げ切れたわけではなく、大小様々な傷を負って気絶している。意識が戻っても使い物になるかどうか分からない。

 

「随分と…舐めた真似をしてくれるじゃないか…」

 

「ぐ…が…!」

 

 立ち上がり、足元に這い蹲った海軍の指揮官と思しき髭面の男の頭を踏み付ける。

 

「…だから海軍は嫌なんだ。取るに足らない虫けらの分際で俺がせっかく建てた計画に土足で踏み込んで荒らし回りやがって!」

 

「…ぐっ!?」

 

 鉄板入りの爪先が海兵の歯をへし折り、口内を荒らす。靴越しに歯が口内をカリカリと回る感覚が伝わって来る。

 

「おばえは…一体…?」

 

 血を口から溢れさせ、くぐもった声が足下から聞こえ、それっきりそいつは動かなくなった。

 さて、これからどうしたものか。面倒なことに、海軍の軍船はもう一隻来ているらしい。急いでニャーバンブラザーズや動ける奴らをかき集めても、流石に砲撃で沈められてしまうだろう。

 

 ならばどうするか。

 

 決まっている。のこのこ仲間を救いに来た奴らをここで皆殺しにして船を奪い、計画を元の軌道に戻すのだ。

 海に浮かぶ残りの海兵は、そこらじゅうに転がっている海兵共の死骸を気にして、大砲を撃ち込んで来ることは無い。海兵には海兵の肉の盾を使い、この場で思う存分に暴れられるというわけだ。

 

 歯という歯がへし折れた口内から夥しい血を流し、気絶して動かない海兵に近づいて右の猫の手をゆっくりと振り上げる。

 取るに足らない雑魚など、もう用は無い。

 気を失った海兵は、己が命の終わりに気がつくことなど無く、虚ろな目を空へ向けていた。

 

 海兵の素首を斬り落とそうと右手に力を入れた瞬間、俺の目に不思議なものが映った。ふらふらと揺れていた炎が一瞬激しく揺らぎ、中から長い何かを吐き出したのだ。

 吐き出されたそれは、俺の頰を掠め、まっすぐ振り上げた猫の手に直撃し、小指と薬指の刀身を半ばから砕いた。

 

「…櫂…だと…?」

 

 凄まじい速度で飛来し、俺の頰を浅く抉り猫の手をへし折ったのは船の櫂だった。ボートに使われるそれは浜の端に突き刺さり、周囲に衝撃で上がった砂煙を纏っている。

 

 下手人はすぐに分かった。

 揺らぐ炎の壁の先。もう一つの船から来るボートの船団の先頭に、炎に照らされた一人立つ影が見える。やけに背が小さいが…女か?

 

 頰の血を拭ったところで船が浅瀬で止まり、そいつが一人、降りて水の中をこちらへ歩いてくる。

 

「…なんだ、貴様は?」

 

「海軍153支部少佐、エヴァ・リード」

 

 炎の間を抜け、そいつは俺の前に立った。

 炎が映る青い眼を俺に向けたその女、エヴァ・リード、そういえば聞いたことがある。執事をやっていた時、カヤお嬢様が興奮しながら持ってくる新聞には、必ずこいつの名前が中心に載っていた。

 

 確か、女将校でありながら、東の海で最強と評される海兵だ。幼くして海軍に入って以来、僅か数年の間に、この海で最も多くの功積を挙げた者だと聞いている。

 

「…俺に、何か用か?」

 

「この島、この浜の状況を見れば、私が何をしに来たかなど、聞くまでもないはずだが?」

 

 なるほど、噂に違わない堂々ぶりだ。俺を目の前にし、殺気を当てても表情に揺らぎは無く、もはや自然体といっても過言ではない立ち姿でありながら、その一挙手一投足には一切の油断を感じさせない。普通の海兵どもとは明らかに数段格が違う。こちらの油断が、一瞬の命取りとなりかねない、恐ろしい雰囲気を小さなエヴァ・リードは放っていた。

 

 しかし、あまりにも考えが短絡的すぎる。持て囃されても所詮はガキという事か、言うに事欠いて実力の差も介せず俺を捕らえるとは、よくもほざいたものだ。この浜の状態はもはや死屍累々。俺の部下と海兵が折り重なるようにして倒れている。それぞれこいつらの砲撃によるものと、俺が斬り捨てた者達だが、こいつは要するに俺の首を取ることで落とし前を付けようと言うのだろう。

 

「…なるほど、どいつもこいつも、舐められたものだ」

 

「舐めてなどいないさ。お前ほどの相手を前に、油断など、それこそ命取りだ」

 

 …やはり、俺の身代わりは既に海軍に伝わっていたか。大方話を聞いたあの島の住民が通報したのだろうが、どうにも先ほど始末した奴らは俺の事を知らなかった様に見えたが、目の前に立つこいつは俺の正体を知っているらしい。

 

 一体どういうことなんだ、政府が俺の存在を隠す必要性は考えられない。手配書の再発行でもなんでもすればいいだけだ、まさかこいつにのみ俺の存在を知らせていると言う訳ではないだろう。

 

 となると、俺が百計のクロだと気が付いたのは、こいつと、ボートに乗る雑魚共だけと言うことになる。

 

 ならば、こいつらを殺せば良いだけだ。

 

「まぁいい、お前は、今まで見たことがあるか?」

 

「…?」

 

 俺の問いに、奴が首を傾げる。そう、この海には、今までこの海の端で雑魚ばかりを相手にしてのぼせ上がったバカ女には、まだ見たことが無い世界がある。

 

「幾度となく死線を越えた、海賊の恐ろしさを」

 

 言い終え、奴の顔が強張った瞬間、脚に力を込め、浜を蹴る。

 

 いつしか『抜き脚』と呼ばれるようになったこの脚技を放つと、俺の目に映る世界は極端に遅くなる。

 空を舞う蜂が人間の手をすり抜ける時に見ているものは、おそらく俺が今見ている世界と似ているのだろう。あまりにも速過ぎる者が見る世界は、他全ての動きがもはや止まって見えるのだ。

 

 今目の前で間抜け面を晒す海軍の英雄も、俺から見れば他の有象無象と何も変わらない。一瞬合った奴の目を置き去りに奴の背後に回り込み、振り向きざまに折られた猫の手を首がある場所目掛けて振る。

 

 殺った。

 

 元々俺の速度についてこれる者など居るはずがない。

 

 どんな肩書きがあろうと、俺の足の前ではーーー。

 

 確信した勝利の味。猫の手から伝わる肉を裂く感触と、浴びる温かな女の血を持って味わうはずだったそれは、いつまで経っても訪れない。

 

 …?

 

 俺の世界、俺の目に映っているのは、振り切った俺の腕と、二本折れてしまった猫の手。

 

 

 エヴァ・リードは、居ない。

 

 何処に?

 

 消えた女の影を探す俺の目の前に、周囲を覆う炎の影とは明らかに異質な黒い何かが舞っていた。

 

 これは…髪?

 

 黒い何かの正体を知った瞬間、俺の背筋に冷たい刃を刺し入れられた様な気がした。

 

『拳・骨…』

 

 奴の声が、視界の遥か下から響く。

 

 咄嗟に下へ目を動かすと、奴はそこにいた。

 

 小さな身体を圧縮するかのように膝を折り、全身を巻き込むように身体を捻っている。それでいてあの青い瞳は、射殺さんばかりに俺へと向いている。そして奴の右腕は、まるで放たれるのを待つ矢の如く、背中まで引かれていた。

 

『…昇竜!!』

 

 空気を裂く様な声が響き、奴は再び俺の世界から消えた。

 

 奴が消えたと同時に、もう一つ不思議な事が起こった。地面が消えたのだ。何時の間にか上を向いていた俺の目は、飛び散る赤い液体と自分の身体が地面から離れ、天に昇って行くのを理解した。

 

 しかし、天へ昇っていたのは一瞬のことで、今度はそのままの姿勢で地面へと落ちていく。下を向いた目が、少し離れた地面に立つエヴァ・リードを捉えた。

 

 ようやく見つけた。右の猫の手で斬り裂くため、腕を動かそうとするが、何故か右腕は俺の身体ではないかのように、全く動かない。

 

 その間にもエヴァ・リードが立つ地面はどんどん近づいてくる。奴はまた妙な体勢になっていた。

 

 少し下がった右膝を軽く曲げ、赤く染まった右拳を肩のあたりまで引き絞っている。

 

『拳・骨…』

 

 再び聞こえた奴の声。聞こえると同時に俺の顎に激痛が走った。耐え難い激痛に顎を抑えようとしても、腕は全く動かない。顎の筋肉を動かすと、耳障りなじゃりじゃりという音が耳に響いた。

 

 全く動けないまま、ほとんど目の前にエヴァ・リードが現れる。既に拳は放たれ、俺の眼前にまで迫っている。

 

 よく見ればやはり幼い。小さい身長に、面白味の無い身体。これでは、生け捕りにしたとしても何も楽しめな……

 

『破岩!!』

 

 最期に見えたのは俺だけの世界を塗りつぶす綺麗な肌の拳。

 

 その光景を最期に、今度は世界を闇が覆った。



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鉄拳と帰路

 もうだめだぁ…おしまいだぁ…

 

 全滅した一番船を救出するために進むボートの中、私はひたすらに仏頂面をキープしながら、内心で渦巻く絶望と後悔をなんとか抑えていた。

 

 なんでや!なんで悪い予感だけは当たってしまうんや!

 正直もう逃げ出したい気持ちで胸の中はいっぱいだった。遠洋パトロールで基地を出てから一週間。ほとんど休む暇がなかった気がする。初日に基地を出てすぐに私の『何かがやべーセンサー』が早速反応し、それとなく部下達にそれを伝え、戦闘準備を整えてもらうとお約束のように海賊が向こうから現れてしまうのだ。

 

 当然事前に戦闘準備を整えているこの船でなら負けるはずがなく、これまで毎日行われた戦闘は弾薬の消費だけで、怪我人はもちろん、死者も一人も出すことなく戦ってこれた。

 しかし、今日はもう夜も更け、今夜はもう出てこないかとたかを括っていたらあっという間にこの状況だ。どうしてこうなった。

 

 それに今回の敵は、かの有名な『クロネコ海賊団』だという。あの旗印や、真っ黒な船から見ても間違いは無いだろう。加えて一番船を丸ごと全滅させたあの男、チラッとしか見えなかったが、なんかどこかで見たことあるような…具体的には三年ほど前の手配書で。

 

 どうでもいいけど、あの船の船首は一体どこ行ったん?

 どう見ても岸にぶつけたり、砲撃で出来た損傷でも無く、まるで異常な力で下からもぎ取られた様な痕跡だ。クロネコ海賊団の船といえば黒猫の船首楼が有名だったはずだが、無くなってしまっているため、非常に可哀想な猫になってしまっている。

 

「リード少佐、もうすぐ上陸可能ポイントです」

 

 舵をとる部下の声に現実逃避を泣く泣く取り止め、前を見据える。今回の私の作戦目標は、倒れた一番船の乗組員及びリッパー中佐を回収し、逃げる事だ。一瞬見えた敵の動きを見る限り、鍛えた部下達ではあるが、あのスピードについていくのは無理な話だろう。

 

 故に、私はまず一人で乗り込む。当然正気の沙汰とは思えないが、これは賭けだ。私がまず話をする。そして互いの損害の大きさを確認し、休戦に持ち込む。最悪戦う、ということになってしまったのなら、私が時間を稼いでいる間に部下たちにはボートで迂回して上陸してもらい、一番船の乗組員の回収を任せるという手筈だ。

 

 正直、めちゃめちゃ怖い。

 膝なんて今両手で全力で抑えていなければ、暴れだす勢いで震えるだろうし、胃の奥が酷く痛み、吐瀉物が喉奥からせり上がってくるようだ。

 しかし、私がそんな姿を部下たちに見せてしまったら、部下たちは不安がり、まだ見ぬ敵に怯え、要らぬ緊張から傷を負ってしまうかもしれない。

 

 だから、私は引くわけにはいかない。私の後ろには、守るべき部下達が…。

 

「リード少佐!リッパー中佐が敵に…」

 

 震える膝と込み上げる圧力を抑え、なんとか自分を鼓舞していると、進行方向で燃える炎を見ていると、双眼鏡で様子を伺っていたブレンダン君が悲痛な叫びを上げた。

 

 彼が指差す方向に目を向けると、揺らぐ炎の奥であの百計の丸メガネが右手に付けた刀を振り上げている。私からは炎で見えないがあの下にリッパー中佐がいるのだろう。

 

 …ってやべぇ!冷静に分析してる場合じゃない!

 

「ブ…ブレンダン君!櫂!櫂ちょうだい!」

 

「うぇ!?少佐!?」

 

 …なんかブレンダン君の反応が妙だったが、まぁ今はそんなことに構っている暇はない!

 

「いいから早く!」

 

「りょ…了解!!」

 

 激しく狼狽しながらようやく櫂を差し出したブレンダン君の手から、半ば奪い取るように差し出されたそれを引ったくり、炎の奥で右手を振り上げる丸メガネに向けて狙いを定める。

 

『拳骨…弩槍砲(バリスタ)!!』

 

 限界まで引き絞った力を全て櫂に込め、放つ。

 

 櫂は狙い通りに丸メガネへ直進したものの、櫂自体の軽さと形状の不安定さからわずかに軌道が本命の頭から逸れ、右手に仕込んだ五本の刀のうち二本を粉砕して、さらに先の浜へと突き刺さった。

 

 ガープ中将に教わって以来、久し振りにやったがうまくいったようだ。中将と違い、砲弾みたいな馬鹿げた重さのものは投げられないが、槍や刀、今回のよう櫂など、棒状かつ軽量なものなら、この通り、拳骨の発射速度で投げることが出来る。

 

 ともあれ、今の一投で確実に敵に気付かてしまったようだ。殺意のこもった視線がビンビン伝わって来る。

 

 もう、後には引けない。

 

「皆、後は任せた。あいつは私が食い止める」

 

「やはり一人じゃ無茶です少佐!ヤツは…」

 

 ボートを降りようとすると、部下の一人が顔を青くして叫ぶ。どうやら他の部下達も同じことを考えていたらしく、青い顔して口々に私を止めようと必死に声を上げている。

 

 あ、やばい泣きそう。なんで私の部下はこんなにいい人達ばかりなの?

 うん、出来ることなら、私もこのままみんなに泣きつきたいよ。そして一緒に逃げたい。

 

 でも、そんなわけにはいかない。

 岸には助けを待つ上司とその部下たちがいる。彼らに背を向けるわけには行かない。海賊と話し、なんとか休戦に持ち込む方法を探らねばならないのだ。

 

 だから、私はボートを飛び降り、狼狽する部下達に向かって告げた。

 

「ありがとう、大丈夫だ」

 

  「しかし…!」

 

 それでも食い下がってくる部下の皆さん。本当にこんな私についてきてくれるなんて、みんなごめんね。それじゃ、少しだけ甘えさせて欲しい。

 

「なら、なるべく早く一番船の乗組員を回収して、助けに来てくれないか?」

 

 私の言葉に、部下達はくしゃくしゃなっていた顔を引き締めた。

 

『はっ!!』

 

 綺麗に揃った敬礼が、ボートを揺らした。部下達の目にはもう不安は無く、一刻も早く助けに来るという強い意思が籠っていた。

 

 その姿に頼もしさと安堵を覚え、急いで進路を変える部下たちに背を向けて私は燃える浜へと腰まで海に浸かりながら足を進める。これから対峙するのはおそらく…いや、間違いなく過去で最も強い海賊だ。

 

 もう怖いだとか、やりたく無いなどと言ってはいられない。そう自分に言い聞かせながら島に着き、炎の壁へと向かう。その奥からは、炎の熱など感じさせないほどに冷たい視線が私の体に突き刺さった。

 

 ええい、頑張れ私!逃げるな私!

 逃げちゃダメだ…逃げちゃダメだ…逃げーー

 

 

「…なんだ、貴様は?」

 

 

 逃げたい。

 

 ダメだぁ…顔が怖すぎるよこのおっちゃん。

 だってあの目、もう私を人間として見てない気がするもん。まるで養豚場のブタを見るかのように冷たい目だよ…冷徹な目だ…。かわいそうだけどあしたの朝にはお肉屋さんに並ぶ運命なのね、みたいな感じで私を見てる…。

 

 いやいや!ビビるなエヴァ!ここで下がったら私ではなく部下が危ないんだ。うろたえるんじゃあない、海軍少佐は狼狽えないッ!

 

「海軍153支部少佐、エヴァ・リード」

 

 どうにか平静を装って炎を抜け、海賊の前に立つ。こうしてみると、いつも戦っていた海賊達よりも、身長は割と小さい。160センチくらいしかない私から見ても、あんまり大きく感じない。

 

 なんだろう、遠くから見たら滅茶苦茶怖かったのに、ガープ中将とかボガードさん達とばっかり訓練してたから正直ここまで近づいてみれば迫力も威圧感もあの人達より全然大した事ないような…。

 

「…俺に、何か用か?」

 

 ひぃっ!?

 

 やっぱ顔怖い!なんかガープ中将とかみたいなどっしりくる圧力は無いけど、じわじわと剃刀を顔に近づけられるような感じだ。

 

「この島、この浜の状況を見れば、私が何をしに来たかなど、聞くまでもないはずだが?」

 

 落ち着け…落ち着いて素数を数えるんだ…1…3…5…7…9…ってこれ奇数だ!

 

 なんとか自信たっぷりな様子を装いながら周囲を見渡すと、周囲には一番船の乗組員達が倒れ伏している。私はとりあえず一番船の乗組員を回収しに来ただけなのだ。最悪の場合は戦闘も止むなしではあるが、出来る限りそれだけは選択したくない。部下の前では大見得切って出てきたものの、実際にこの重症者多数という現状では痛み分けという結果が互いにとって最も最善な一手だと思う。

 

 

「…なるほど、どいつもこいつも舐められたものだ」

 

 

 いや、待て。お願い待って。なんで回収しに来たって言っただけでそんな静かに怒ってらっしゃる?

 

 私が言い終えた直後、海賊は明らかに身にまとう雰囲気を鋭化し、言った。怖いよ。

 やっぱり偉そうに質問に質問で返したのがまずかったかなぁ…一部の人は『質問に質問で返すなァー!』って怒るし、この人もそのパターンだったのだろうか。というか、海賊とはいえ初対面の男と話すとどうにも持ち前の人見知りが発動してしまって上手く話せない。おのれ石仮面。

 

 とはいえ、こちらが海賊相手に下手に出るわけにもいかない。こちらが隙を見せれば海賊はそこをついてくる。あくまで対等に、そして頃合いを見て手打ちを提案するのだ。

 

 その為にはまず、舐めてなんかないですって事をこの勘違い海賊に伝えなければならない。

 

 えぇっと、こういう時はそれとなく自分を下にして相手を持ち上げる…だったっけ?

 

「舐めてなどいないさ。お前ほどの相手を前に油断など、それこそ命取りだ」

 

 出来た…ッ!

 程よく対等感を出しつつ、それとなく自分を一段下げた舐めてませんアピール…ッ!

 どうだ、これなら満足だろう!私は舐めてなんかないんだ…ただの人見知りなだけなんだよこのバ海賊ッ!

 

 極度の緊張から内心ではいよいよパニックに陥り始めた私ではあったが、外面だけは無表情のままを保って海賊に告げると、塾考の甲斐あってか、そいつは口角を上げ、口を開いた。

 

「まぁいい…」

 

 やった…!

 勝った!第三部完!

 

 パニックが頂点に達し、なんかもう訳わかんないことを脳内で叫ぶ。

 いやいや、落ち着け…落ち着け…後は落ち着いて手打ちを提案するだけ…。

 

「お前は、今まで見たことがあるか?」

 

 …え?なんて?

 

 出し抜けに投じられた質問に、首を傾げる。

 

「幾度となく死線を越えた、海賊の恐ろしさを」

 

 なっ…!?

 

 言い終えると同時に、海賊は大きく踏み込み、一気にこちらに向かって駆け出した。

 

 

 

 …なんかめちゃめちゃ笑顔で怖いんですけど…。

 

 海賊が歓喜というか、恍惚に満ちたっぽい笑顔を浮かべ、頭を異様に前に突き出し、腕を後ろにぶらつかせた妙な姿勢で走ってくる。

 

 いや、いきなりどうしたん?

 

 その異様な光景に、思わず一瞬目があって速攻でそらした。確かに普通の海賊たちよりは圧倒的に速いが、ボガードさんとかガープ中将の速度を見慣れている私からすると、どうしても遅く見えてしまう。

 

 というか、これはチャンスなのだろうか、今海賊の目の前に拳を突き出せば、いい感じにカウンターが入るには入るだろうが…。

 

 …なんかめっちゃ幸せそうに走ってるから手を出しにくい。

 

 海賊の突然の奇行に引きながらただただ困惑していると、とうとう海賊は私の横を過ぎ去って行った。

 

 …何がしたかったんだ?

 

 私には目もくれず、隣を過ぎ去る海賊を目で追っていくと、海賊は私の背後で止まり、振り返りざまに先ほど櫂でへし折った刀付きの手を、私の首に向けて振り被った。

 

 …ってあっぶねぇ!?

 

 咄嗟にしゃがみこんだ私の頭上を三本の刃が高い風を斬る音を立てながら過ぎ去った。

 

 海賊の一閃を躱すとほぼ同時に、私は態勢を少しだけ変えた。

 

 甘かった。海賊相手に何て愚かな油断を…。

 

 両脚で地面を掴み、低く戦闘態勢を取りながら頭の中で自分を叱責した。明らかな油断だった。今の一撃で死んでもおかしくない程のなんとも愚かな油断。

 

 かつては碌に話も通じず、ただ暴力的な殺気を振りまきながら襲ってくる木っ端海賊達ばかりを相手していた所為で、話の通じるこの海賊にほんの少し気が緩んでしまっていたのだ。

 

 ふつふつと湧き上がる自分への怒りを感じながら右拳を少し引き、身体をそれに引きつけるようにして捻り、力を溜める。目線は敵から外さず、狙うのは確実な急所のみ。

 

 恍惚に満ち満ちた表情を浮かべていた海賊が漸く手応えの無さに感づいたらしく、視線を宙に泳がせる。

 

『拳・骨…』

 

 何百発、何千発と過去に修練を積み、幾度となく実戦でも放って来た技の名が、口から溢れる。

 

『…昇竜!!』

 

 技の名を完全に吐き出すと同時、私の身体は小さく折り畳まれた状態から一気に伸び上がる。

 力を溜め込んでいた右脚で浜を踏み抜き、これ以上無い程に捻っていた身体を伸び上がりながら元に戻して行く。

 

 そして右脚から発生したエネルギーはそのまま、腰、背骨、肩、肘と各関節の捻りが解放されるたびに加速され、右拳へと集約。

 

 

 ガープ中将との訓練、海賊達との幾多の戦いで身に付いた一撃は、寸分違わずガラ空きとなった顎への精密な軌道を描き、炸裂した。

 

 

 直撃の瞬間。拳には骨を粉々に砕き、筋肉を圧し潰す嫌な感触が伝わってくる。

 まともに直撃した海賊の身体は技名の通り、真っ直ぐに真上へと鮮血と歯の欠片を撒き散らしながら吹き飛んでいく。

 

 こんな攻撃で終わるはずがない。

 

 確信めいた直感に従い、次の一撃のための体勢に入り、いつかの修行のように全身の力を拳に込めた

 

 落下してくるそいつの目には、まだ力があった。まるで私の渾身の一撃を受けても対して効いていないかのような雰囲気すら感じさせる程に。

 

『拳・骨…』

 

 再び身体を捻り、力を拳に集約する。既に奴は目と鼻の先まで迫っている。既に拳も限界まで力を溜め切っており、何時でも『破岩』を放つ態勢も完全に整っていた。あとは、奴が射程範囲に来るだけだ。

 

 そんな時、奴の視線の質が変わったことに気がついた。合っていた筈の視線は少し下に向き、一瞬奴の表情が悲しげなものに変わった。

 

 

 

 ……ちょっと待て。今どこを見てがっかりしやがった?

 

 

 

『…破岩ッ!!』

 

 

 

 誰の胸が洗濯板だこの野郎ォ!!

 

 全身全霊渾身の力と怒りを込めた一撃が果実を潰したような、ひどく凄惨な音を立てて海賊の顔面に突き刺さった。

 

 かけていたメガネは粉々に砕け、散った破片が揺らぐ炎を反射し、光の残滓を残しながら闇に消え、持ち主である海賊自身は激しくきりもみしながら炎の壁を突き抜けて浜の奥の森へと、地面を抉りながら、吹き飛んで行った。

 

 全く、本当に失礼な奴だ!

 

 戦いの最後に湧いた怒りが収まらず、内心でぷんすかしながら『海賊』改め『変態』が吹き飛んで行った方向を見る。

 

 変態が通った方向の炎の壁は、吹き飛んだ際に生まれた風圧で一部が消え、森に近い浜には変態が着弾したと見えるクレーターのような爪痕がくっきりと刻まれ、さらに変態が突っ込んだ方向にある森の入り口では、多数の木々が一方向になぎ倒されていた。

 

 …やっばい。流石にやりすぎたかな…?

 

 自分がやらかしてしまった多大な環境破壊を目の当たりにし、冷や汗をかきながら呆然と立ち尽くす。ここが無人島だった為、人的被害は無に等しいが、万が一ここが街中だったらと考えると背筋に冷たいものが走る。

 

 想像してしまった光景を、ぶるぶると頭を振って思考から飛ばす。

 何はともあれ、森の先に倒れた変態が起き上がる気配は無い。戦いは終わったのだ。

 

 最初は死ぬほどびびっていたくせにこうもあっさり終わると、どうにも自分に対する気恥ずかしさを感じてしまう。先ほどの変態は確かに威圧感やら殺気やらはこれまでにない程強烈で凶悪なものを持ってはいたが、実力の方は正直言って大したことはなかった。

 

 確かに脚は速かったが、それでもボガードさんやガープ中将の『剃』と比べたらまだまだ遅い。攻撃自体もなんか余裕かまし過ぎてる感が否めなかった。まっすぐ走って来たのになんでわざわざ背後に回ってから攻撃して来るんだろう、まっすぐ来たならそのまま刺しちゃった方が絶対早いのに。いや、あの速度でなら間違いなく刺されないけど。

 

 それに明らかに打たれ弱すぎた。放った技はどちらもガープ中将に訓練の際に放った事があるが、骨を折って吹き飛ばすどころか平然と笑いながら拳骨を返して来た。私の攻撃を二発喰らっただけで倒れるとは、あまりにも身体が脆すぎる。船もだいぶ破損していたし、もしかしたらつい最近、凶悪な海賊に襲われて痛烈なダメージが体に刻まれてしまっていたのかもしれない。

 

 少し森に近づいて変態の気配が完全に消沈した事を確認し、踵を返してリッパー中佐を探す。

 中佐は先ほど確認した時と変わらない場所で倒れていた。近づいて呼吸を確認すると、少し浅いが、まだしっかりと力が感じられる呼吸を確認し、ほっと胸を撫でおろした。

 

『少佐ー!ご無事ですかー!?』

 

 背後から届いた慣れ親しんだ声に振り返ると、怪我人と海賊達を乗せたボートで浜に乗り上げ、浜に炎の壁を迂回してこちらへ駆け寄ってくる数人の部下たちの姿が見えた。

 

「あぁ、問題無い。それより、リッパー中佐を早くボートに乗せてくれ」

 

「はっ!」

 

「あの…少佐、ところであの海賊は一体どこに…?」

 

 浜に足を取られながら駆けてきた部下たちに片手を上げながら声を掛け、背負ったリッパー中佐を先頭の一人に託した。

 中佐を背負った一人がボートに向かって歩き出すと同時に、隣に立っていたブレンダン君が口を開いた。どうやらこの場にいる他の二人も同じ疑問を抱いていたらしく、銃を抱えて忙しなく周囲を見渡している。

 

「奴ならあそこだ。すまないが捕縛を頼めるか?」

 

『あそこ…ファッ!?』

 

 揃って森の方を見たブレンダン君を含めた三人組が、素っ頓狂な声を上げる。

 

 たはは…やっぱまずかったかな…?

 

「変態…いや、さっきの海賊を本気で殴ったら飛んで行ってしまってな」

 

『人間殴って出来る被害じゃねぇ!?』

 

 三人組が揃って森の方を見てツッコミを入れた。

 なんかさっきから三人とも息ぴったりだ。仲良しっぽくてちょっと羨ましい。

 

「まぁ、確実にもう意識はないだろうからいつも通りロープで簀巻きにしてくれるだけで良い。私は残されたものがいないか確認に行く」

 

『お…お疲れ様でした!』

 

 最後まで息ぴったりな仲良し三人組の敬礼を背中で受け、燃える浜の見回りに向かう。

 やれやれ、この後は治療班以外は総出で浜の整備作業だ。

 

 空気が焼けそうなほど熱く熱された浜を歩きながら、私はこれからやらなければならない海賊達の拠点の後片付けに、小さくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「おい、ビリルビン。タバコあるか?」

 

「…ほらよ。間違うならせめて人名で間違ってくれ。俺の名前はブレンダンだ」

 

 一番船救出作戦の翌日の夜。俺はいつも通りメインマストの上で同僚のキンドロと共に見張りの任についていた。

 無論、今回も名前は盛大に間違われた。

 どうやら今日の俺の名前ははいつか船医が言っていた体内にあるセッケッキューだとかいう物質が壊れると出来る成分らしい。いや、どうでもいい話だが。

 

「おいどうした、今日はやけに暗いじゃねぇか」

 

「…未だに信じられないんだよ。昨日捕らえた海賊が、捕まったはずの本物の百計のクロだっつーのが」

 

「あぁ、それか。まぁ、まさかあの細い丸メガネがかの有名な海賊だったなんてな。とても信じられないぜ」

 

 俺の呟きにキンドロは笑いながら答えた。

 昨日、リード少佐が捕らえた『百計のクロ』は船の運び込んだ当初こそ顔面の損傷がひどく、とても判別出来る状態ではなかったが、船医の懸命な努力によってなんとか判別出来るレベルに復元された。

 

 そして本部に要請して送ってもらった三年前の手配書と比較してみると、それがほぼ間違い無くかつて処刑したはずの『百計のクロ』であることが判明した。

 これには本部も三年間にわたって凶悪な海賊を放置してしまったという失態を重く見たらしく、秘密裏に本部へ移送するようにと命令が下った。

 

 幸いにも時を同じくしてモーガン元大佐の本部移送の日取りが来週に決まり、その船に『百計のクロ』の身柄を同乗させる手筈となった。

 

 一番船の死傷者の件と、舞い込んだモーガン元大佐の本部移送の一件もあり、この船は第153海軍支部へと進路を翻し、早く戻って自ら移送の準備に取り掛かるというリード少佐の意向に従い、全速力で第153海軍支部へと向かっているところだ。

 

「…それにしても、やっぱ百計のクロってのはとんでもない奴だったんだな」

 

「あぁ、一番船の奴らが…あんなに…」

 

 作戦を無視し、勝手に先行した一番船は乗組員の約半数を失った。生き残った者達も、多くの者が身体に深い傷を負い、一部の者に至っては『敵が一体何なのか分かる前にどんどん仲間が殺られた』や『見ました…見たんです!目だ…目だけが光っていた』などと隔離した一番船で取り乱したように叫んでおり、心に深い傷を負ってしまっているらしい。

 

「でも、その百計のクロを、リード少佐はたった二発で倒したんだよな…それも誰も見えなかった攻撃を、一撃も食らわずに…」

 

「あぁ、ジャンク砲長が双眼鏡で全部見ていたらしいぜ。一日中自分のことみてーに話してた」

 

 リード少佐の戦いの痕跡は、俺もキンドロも少佐を迎えに行った時にまざまざと見せつけられた。

 これまでの戦闘は殆ど海上でのものばかりで、少佐の攻撃も敵の意識を奪うだけのものか、サブミッションで骨を叩き折り、戦闘不能に持ち込むだけのものであり、少佐にあれだけの破壊を行う力があることなど、部下の誰も今日まで知ることは無かった。

 

「少佐って…本当はどんだけ強いんだろうな?」

 

「さてな。今度訓練の時にでも本気で相手してもらうように頼んだらどうだ?」

 

「…死ねと?」

 

「応援してるぜ」

 

 無表情のまま全く感情のこもっていない応援を受けた。くそったれ、同じ無表情でも訓練で時折かけられる少佐の『頑張れ』とは大違いだ。

 俺やキンドロを含めたこの船の乗組員はあの言葉一つで一週間は戦える。

 

「まぁ、いいさ。少佐に訓練をお願いするには俺たちはまだ弱すぎる。早くもっと強くならないとな」

 

「ん、そりゃ違いねぇぜ。次に陸に居るうちに死ぬほど鍛えておかねぇとな」

 

 珍しく俺の意見に賛同したキンドロと笑みを交わし、それからは互いに背中を向けて逆の海を見張った。願わくば基地に帰投するまで海賊に出会いませんように。疲れて寝室で眠る少佐に少しでも休息の時間を与えて欲しい。



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少女と特訓

 いつもと同じ時間。太陽が海から顔を出すよりも早く私はベッドから身体を起こす。時計を見ると短い方の針はまだ四時のちょっと前くらいを指していた。

 

 うん、今日も約束には間に合いそう。

 

 目を擦り、ベッドからもぞもぞと這い出してパジャマを脱ぎ、花柄のワンピースを頭から被る。

 これは昨日でお母さんに買ってもらったばっかりの誰にも見せたことがないお気に入りだ。

 

 脱ぎ捨てたパジャマを畳んで部屋uいの扉に掛けられた鏡で一回りし、服装がおかしくない事を確認したら部屋から出て洗面所へと移動する。

 

 わ…寝癖がなんかすごいことになってる…。

 

 顔を洗って眠気を飛ばすと自分の頭から針のような寝癖が生えているのに気がついた。慌てて寝癖を直すのと同時にいつも通りの二つ結びに髪の毛を整えて前髪に櫛を入れる。

 

 身支度が整ったのを確認したら今度はキッチンへ移動してエプロンを身に着ける。手を洗い、少し水がついた手で米を握り薄く塩をまぶして器用に三角に形を整えていく。一つだけ砂糖入りにしたのは遊び心だ。最近はヘルメッポさんも砂糖入りが当たっても文句を言わずに食べてくれるようになった事が少しだけ嬉しい。

 

「よしでーきたっ!」

 

 出来上がった四つのおにぎりをいつも使っている薬箱の隙間に入れ、肩にはお茶を入れた水筒を下げて家を出た。

 

 東の空はもう少し白くなっている。もうコビー君やヘルメッポさんは来ちゃってるかな?

 

 約束の場所にいるであろう二人の顔を思いながら走る脚を早める。でもあんまり速く走りすぎるとおにぎりの形が変になっちゃうから大変なんだよねぇ…。

 

 むむむ…難しい。もう少し他のおかずとか作ってくればよかったかな…。

 

 スピードを上げるごとに薬箱の中身に揉まれ、形を歪めるおにぎり達に気を使いながら目的地である町外れの丘に向かって走る。

 

『ーーぁ!』

 

『ーーォォ!』

 

 丘に近づくと、訓練している二人の荒々しい声が風に乗って運ばれてくる。やっぱりもう始まっちゃっているみたい。

 

 丘の坂を登り切って見れば、もう随分長い時間訓練をしているのか、お互い鼻血を流し、たんこぶを頭から大量に生やした二人が竹刀を振り回して激しく打ち合っている。

 

 私は二人の邪魔をしないように少し離れた木の下にシートを敷き、薬箱からキズぐすりや絆創膏を取り出して二人の手当の準備を整える。あの調子ではそろそろ終わるはずだ。

 

 今日はどっちが勝つのかなぁ…?

 

「で…でぇいやぁ!!」

 

「うわっ!?」

 

 コビー君が頭を狙って横に振った竹刀をギリギリで伏せて躱したヘルメッポさんの二本の竹刀が、コビー君の足首の辺りを叩き、コビー君が倒れた。立っているヘルメッポさんは右手に持った方の竹刀をコビー君に突きつけている。

 

 今回はヘルメッポさんの勝ちかぁ…。

 

 どちらかというとコビー君を応援していた私は少しがっかりしながら立ち上がる。

 

「そこまでー!勝負あり、だよー!」

 

「あぁ?なんだリカか…いつの間に来てたんだ…?」

 

「いてて…リカちゃんおはよう…」

 

 手を叩きながら二人に向かって言うと、お互いに竹刀を納め、ボコボコになった顔でこちらにふらふらと頼りない足取りでやってきてシートの上に尻餅をつくようにして座りこんだ。

 

 ってうわ…近くで見るといつもよりひどいや…。

 

 コビー君もヘルメッポさんも、たんこぶの上にたんこぶを作り、変なオブジェの頭みたいになってしまっている。見えている肌も竹刀のささくれや、紐で切れた傷だらけで、無事な所を探す方が難しいかもしれない。

 

「今日は一段と派手にやったみたいだね。たんこぶも擦り傷も数え切れないよ」

 

「本当だぜ…ったく昨日の夜に来た報告を聞いてからコビーの癖に妙に張り切りやがって…そのせいで全部大振りの隙だらけじゃねぇか」

 

「はは…ごめんね…」

 

 私の声にヘルメッポさんがいつもの様に口を曲げて嫌味を発する。

 

 確かに、今日のコビー君は何かおかしかった。いつもなら二本も竹刀を使うヘルメッポさんに向かって突っ込んでいくことなんてないのに、今日は何故か竹刀を振り回して積極的に向かって行っていた。昨日の夜に来た報告を聞いて妙に張り切ってるって言ってたけど、なんの報告だったんだろ?

 

「…リード少佐は、僕よりも二つ下の歳から海軍に入ったんだ」

 

「あぁ?なんの話だ?」

 

 報告の内容について考えながら、ヘルメッポさんの肩に湿布を貼っていると、出し抜けにコビー君がぽつりと呟いた。

 

 リード少佐っていったらちょっと前にこの町に来たっていう海兵の女の人…だよね。確かコビー君よりも偉い人で、私より小さい時から一人で海賊をやっつけたり、一回大砲を撃つだけで海賊船を三隻も沈めたりして、この海で一番強いって言われてる海兵さんだって、コビー君やヘルメッポさんから時々聞いたことがある。

 

「その少佐がずっと水面下で潜んでいた百計のクロを見つけ出してたったパンチ二発で捕まえたんだ…!」

 

「ふん、まぁ懸賞金1600万の賞金首をたった二発で沈めるんじゃ、十分化け物だよな」

 

 俯きながら拳を握って軽く口角を上げながら少し嬉しそうに言うコビー君に相変わらず冷めた様子のヘルメッポさんが返した。

 

 それにしても、一体どういう人なんだろ?コビー君や走っているところを見たっていうお母さんの話を聞けば聞くほどその人のイメージが分からなくなる。

 

 今の話からすると半月前にいたモーガンみたいなゴリラっぽい人をイメージしてしまうけど、お母さんが言うにはものすごい美人さんだって言うし、どんな人かさっぱり想像できない。

 もしかしてゴリラの中では美人さんってことなのかな?それともゴリラな体に美人さんな顔がくっついてるってこと?いや、でもヘルメッポさんは化け物だって言うし、昔お父さんが話してくれた巨人族の人なのかも。

 

 うわぁ…想像したらなんか凄いやだ…。近所のおばさん達は挨拶もちゃんとできる良い子だって言うけど、私がそんなでっかくてごつい人に声をかけられたらさすがにちょっと怖いかも…。

 

「だから、僕はリード少佐みたいになりたいんだ!強くて正しくて、部下に対する情も厚い。少佐は僕の理想の海軍将校そのものなんだ!」

 

「おーおー、随分ご執心じゃねぇか。ま、あの人とその周りのお前みたいになってる奴らを見りゃ気持ちは分かるけどよ」

 

「いやっ!ダメ!!」

 

「い"や"っ!?」

 

 ヘルメッポさんの頭から生えた重なり合って大きくなってしまっているコブに優しく薬をつけているとコビー君がとんでも無いことを言い出し、思わず薬を塗っているソレを叩いて叫んでしまった。

 

「お…おいリカぁ!?」

 

 でも、コビー君がそんな化け物みたいになるのは絶対に嫌!ずっと今みたいに仲良くお話ししながらお茶を飲んだりご飯を食べたりしたいのにそんな化け物みたいになっちゃったら、もう一緒にいられないかもしれない。

 

「おいっ!リカ!リカぁぁ!?」

 

 それだけはどうしても嫌!

 

「えっと…リカちゃん…?ヘルメッポさんのソレ…放してあげて?」

 

「え…?あっ!ごめんなさい!」

 

「…リ……カ…てめぇ…」

 

 気がつけばヘルメッポさんの頭から生えているコブを強く掴んで振り回してしまっていた。あまりの痛みに気絶してしまったのか、ヘルメッポさんは白眼を剥いて倒れた。

 

「へ…ヘルメッポさん!?」

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 

 改めてヘルメッポさんの頭に薬を塗って包帯でぐるぐる巻きに仕上げた。コビー君が体を揺すって声を掛けると口をモゴモゴと動かしながら何かを呟いているからまだギリギリで意識はあるみたいだ。

 

「それで、いきなりどうしたの?」

 

「えっと、それは…」

 

 少し引きつらせた笑顔でコビー君に声をかけられた。でもなんて言えばいいんだろう?

 ゴリラにならないで!っていうには変だし、強くならないで!って言うのはなんかおかしい気がする。

 それより、面と向かってそんなことを言うのは、さすがに恥ずかしい…。

 

「うぅん…ごめんなさい。なんでもないの」

 

「そ…そうなんだ。ヘルメッポさんなら大丈夫だから、心配しないで」

 

「ふぉいこびー…らいじょーぶかろうかをきめんのはふつーおれだろー…?」

 

 うん、こうなったら信じよう。コビー君がゴリラにならないことを。

 それにそのリード少佐がゴリラかどうかはまだ決まっていない。本当にゴリラみたいだったモーガンよりも階級は二つも下なんだしゴリラ度も多分モーガンよりはいいはず。ゴリラ度なんてあるのかどうかはそれこそ分からないけど、多分大丈夫!

 

 それに死んじゃったお父さんは少将だったけど、ゴリラじゃ無かったし、強い人がみんなゴリラってわけじゃないはずだ。麦わらのおにーちゃんもロロノアのおにーちゃんもゴリラっぽくは無かったしね。

 

「でも、コビー君は強くなってもずっとこの町を守ってくれるんでしょ?」

 

 そうだ。コビー君が強くなってゴリラになりそうになったら私が止めればいいんだ。ずっとこの町にいるんなら、ずっとこうして自主訓練の後や訓練が終わった後なんかに会っておしゃべりができる。私はこうしてコビー君と………あとヘルメッポさんとも一緒にご飯を食べたりおしゃべりが出来るなら、それでいいんだ。

 

「いや、僕はいつかこの島を出て海軍本部に行きたいと思ってるんだ」

 

「…え?」

 

「ほれはふっとここでいいぞー…」

 

 予想外の返答に頭が真っ白になった。

 

 今、コビー君はなんて言った?この島を出るって?

 

 海軍本部…ってどこ?

 

 この島を出るって…なんで?

 

「な…なんで?この島じゃダメなの?」

 

「ほれはふっといr…」

 

「僕はね、前までは海軍将校になりたかったんだ。でも、ルフィさんと会って、それじゃダメなんだって気がついた」

 

 コビー君が話している。でも、良くわからない。

 

 私の頭の中はコビー君が出て行ってしまうということに対するクエスチョンマークで埋まっていた。

 

 

 

「あの人はもっともっと強くなるし、どんどんこの海を進んで、やがては偉大なる航路に行く人だ」

 

 

 嫌。

 

 

「あの人と約束したんだ。あなたは僕が捕まえるって。男が一度言った言葉、取り消すわけにはいかない」

 

 

 やめて。

 

 

「ほれはふっと…」

 

 

 聞いてない。

 

 

「だから僕はいずれ海軍本部に行くんだ。そしてあの人を…」

 

「嫌だ…」

 

 思わず口から本音がこぼれた。

 

「嫌だよ!もっと一緒にいたいよ!」

 

「い"や"ぁ"!?」

 

 コビー君の怪我の事も忘れ、下に落ちていた柔らかいものを踏み台に飛んで抱きついた。

 

「リ…リカちゃん!?」

 

「嫌だもん!コビー君が居なくなるなんて絶対いや!」

 

 自分が酷いことを言っているのは分かってる。

 

 ずるいことをしているのも分かっている。

 

 昔お母さんにおもちゃを買ってもらえなかった時に同じ事をしてよく困らせた。

 

 分かってはいるけど、それでも嫌だ。初めて出来た友達なのに、離れるのなんて絶対に嫌。

 

「リカちゃん。僕はそんなすぐに行くわけじゃないよ。まだまだ雑用だし、十年後か、二十年後かもしれない」

 

「でも、いつか行っちゃうんでしょ?」

 

 私を離し、目線を合わせて告げるコビー君をさらに困らせる。

 

「うん…でも、きっと戻ってくるよ。うんと強くて偉い海兵になって必ずここに帰ってくる」

 

「……少佐っていう人みたいに?」

 

「うん、必ず」

 

 リード少佐。コビー君よりも小さな頃から海軍に入ったと言う女の人。コビー君はその人みたいになりたいんだ。

 

 本当にどんな人なんだろう。私からコビー君をとってしまった女の人。とても強い人。コビー君よりも早く…海軍に……?

 

「あっ…!」

 

「ど…どうしたの?」

 

 そうだ。そんな簡単な方法があったんだ。

 

 私がなればいいんだ。エヴァ・リード少佐みたいに。そうしたら、コビー君から離れなくて済む。

 

 コビー君よりも誰よりも強くなれば、一緒に海軍本部にだって行ける!

 

「ごめんなさいコビー君!私いいこと思いついちゃったから先に帰るね!」

 

「おぅっ!?」

 

「えっ!ちょっと待って!」

 

 いつの間にか乗っていた柔らかいものから飛び降り、バスケットからおにぎりと水筒だけを置いてコビー君から離れる。

 

「それ今日の朝ごはんまでのつなぎ!食べて!」

 

 少し走ってから振り返って手を振りながら言う。

 

 すぐ家に帰ってお母さんとお父さんにも話さなきゃ!許してもらったらお父さんの銃と刀を貰おう。銃の扱いなんかはお父さんに少し教えてもらったし、軍の訓練でもしょっちゅう見てるからしっかり覚えている。

 

 これでコビー君と離れなくて済む!

 

 私は心の内に生まれた希望に胸を膨らませ、丘を駆け下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 リカが丘を駆け下りて行くのを、ただ呆然と見つめることしかできなかったコビーが我に帰ったのは、それから間も無くだった。

 

「えっと…大丈夫?」

 

「らいじょーぶにみえるかぁー…?」

 

 コビーはまずシートの上で目を伸びているヘルメッポに声をかけた。元からボロボロだった身体はリカの無意識下に行われた特に悪意のない暴力によって見るも無残な状態になっていた。

 

「…僕、少佐が帰って来られたら、直々に鍛えてもらえないかどうか頼んでみようと思うんだけど、ヘルメッポさんも一緒に行かない?」

 

「ふるへー…かっぺにひろー…」

 

 コビーの声に反射的にヘルメッポが返した。

 

 

 

『麦わらのルフィ』によって導かれた少年、コビー。

 

 元海軍大佐『斧手のモーガン』の息子、ヘルメッポ。

 

 二人の若き海兵は気付かない。己が決めたエヴァ・リードに師事するという事の重大さを。

 

 二人の若き海兵は知らない。彼女がガープ中将によって直々に授けられた修行の内容を。

 

 二人の若き海兵は選んでしまった。現在彼らの選択肢として考えられる中では最も過酷な道であろう運命の道を。

 

「よし!頑張ろう!」

 

「ふぉー…」

 

 コビーはかぶりを振ってリカの残したおにぎりにかじりついた。

 

「……甘い」

 

「ひぇっひぇっひぇっ…ひゃまーみろ…ひゃずれだ…」

 

 二人が雑用の朝の仕事である芋の皮むきと掃除のために基地に戻ったのは、それから三十分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「あぁ…どうしたもんかねぇ…」

 

 シェルズタウンに近づく船の甲板で、船を一人で見回りながらため息をついた。

 

 俺は今、もしかしたらとんでもない秘密を握っているのかもしれない。例えば誰かにこれを話そうものならこの船…いや、東の海中の海兵に衝撃が走り、今まで見てきた誰もが知り、尊敬するその人のイメージが音を立てて崩れ去ってしまうほどの秘密を…。

 

 あの戦いが終わってから三度夜を越えた。しかし、ベッドに入り夢をみるたびに、その時の彼女の声が、姿が、目が俺の頭に浮かび、離れなくなる。

 

 最初にその姿を見て、その声を聞いた時は、まさかそんなはずが無い。この人がそんなことを言うはずがない、と俺の勝手な聞き間違いと妄想が生んだものだと考えた。

 

 しかし、一夜、また一夜とその姿を繰り返しフラッシュバックすることによって、俺にはそれが本当に俺の妄想だったのか、それとも現実だったのか、もう分からなくなってきていた。

 

『ブ…ブレンダン君!櫂!櫂ちょうだい!』

 

 なんなのだ、あの時のあの声、あの姿は。

 

 誰だアレは。あんなのは俺たちがこれまで信じてついてきた少佐じゃ断じてない!

 少佐はいつも強く、そして正しく、何事にも動じず威風堂々としていて、絶対的正義の道を俺たちに示しながら導いてくれるお方だ。

 

 そんな少佐が酷く焦った町村のような顔をして、ちょっと無意識な上目遣いをしながらブ…ブレンダン君って…そんなの…そんなの…そんなのは少佐じゃない!そんな少佐可愛すぎるだろ!?

 

 

 思わず当時を思い出し、自分の体を両手で抱き、腰と体をくねくねと振りながらうほほいうほほいと、自分でもよくわからないダンスを踊ってしまう。

 

 いや、なんつーかギャップ萌えって奴か?

 

 一部では石仮面だとかなんとか言われてる少佐があんな女の子みたいなリアクションするのはどう考えても反則だ。

 っつーかもしあれが現実だったとしたらいつもの少佐のあの態度はなんなんだろう?

 

 もしかして部下の前だからって俺たちに気を使って必死に強くて堂々とした上官を演じてきたとか?なにそれ可愛い。

 

 

 

 

 

 

 …はぁ、いくらそんな事考えても事実はそんなわけないんだろうなぁ。なんてったってあの『百計のクロ』をたった二発で粉砕するような人だ。ガープ中将から受けたという訓練もくぐり抜けてきた修羅場も、とても常人には到達し得ない境地にある。それを成し遂げた少佐がそんな弱い一面を持っているはずがないのだ。

 

 全ては俺の妄想。そう自分に言い聞かせ、俺は軽く体をほぐして空を見上げた。。

 

 でも…今夜もあの少佐と会えるといいな…。

 

 毎晩夢に見る可愛らしい少佐の姿に想いを馳せながら俺は再び甲板を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレンダンの頭上。メインマストの見張り台。

 

「…何やってんだ、あの馬鹿は?」

 

「…さぁ?」

 

 メインマストに登り、今日も見張りをしていたキンドロ二等兵が、眼下でくねくねと妙な動きをしていた同僚の姿を腰に携えた愛砲である銃剣付きの迫撃砲を撫でながら、冷めた目で見下ろして言うと、同じく隣で見張りをしていたバーノン二等兵が引きつった笑みを浮かべて首をかしげた。

 

「…東の海に春島なんてあったのかねぇ…」

 

「あそこだけ、今は春だと思うよ?」

 

 とても見ていられない光景に二人は目を背けて仕事を続ける。

 

 明日の帰港に向けて、一部が春と化しているエヴァ・リードの軍船はゆっくりと進んでいった。



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雑用と悪運

 

 …どうしたらいいんだろう。

 

 島に帰港した翌朝。久しぶりに訓練をしようと、日が昇るのを待たずにやって来た町の外れの丘で、私は途方にくれる自分の姿に既視感を覚えていた。

 

「お願いします!僕たちに稽古をつけてください!」

 

「お…お願いします!」

 

 目の前にはいつぞやのファンキーピンク頭のコビー君と美容師の嫌がらせとしか思えない奇跡のブロンドキノコ頭のヘルメッポ君が、土下座で私に稽古をつけるように懇願していた。どうしてこうなった。

 

 事の経緯はこうだ。

 今日の朝練前の準備運動を兼ねて町はずれの道を全力疾走で駆け抜け、山の訓練場所に行こうとしていたのだが、今回は久しぶりの陸での訓練であることを思い返し、たまには怪我をしないようにゆっくり歩いて行こうと思って登山道に通じるこの丘にやって来た。

 

 今思えばその選択が誤りだったのだろう。

 歩いてここまで来た私はこの場所で自主訓練を行っていたコビー君とヘルメッポ君に呼び止められ、訓練の指導を迫られてしまったのだ。

 

 困ったなぁ…。

 

 表面上ではいつもの鉄面皮を崩さず、目の前で土下座をする彼らを内心でおろおろしながら見つめる。

 

 正直言って私は彼らに訓練をする事自体は嫌に思っているわけではない。これまでいた基地でも数人の部下には訓練をせがまれ、何度か訓練を共にした経験がある。何より海兵として強くなりたいと考えるその心情は私にはよくわかるからだ。

 

 しかし、問題なのは、私が実際に指導する訓練の内容だ。

 

 これが全く思いつかない。

 

 かつて訓練の指導をせがまれた部下には、軍の訓練で行うものをそのままやらせていたのだが、それでは別に私がいなくても出来ることだと、当時の上官に指摘されてしまったことがある。当時もその指摘を受けて必死にオリジナルの訓練を考えていたのだが、全く思い付くことは出来なかった。

 

 いや…本当どうしよう…。

 正直このまま何か変な訓練を思いついてやらせた結果、変なくせがついたらそれこそ目も当てられない。

 

 うー…考えろー…考えるんだエヴァ・リード…。

 

 何か新兵にぴったりな訓練…訓練………。

 

 

 

 

 

「すまない。私はどうも指導というものが苦手でな。悪いが他を当たってくれないか?」

 

 ダメでした。

 

 ごめんなさいコビー君にヘルメッポ君。エヴァにはどうしても誰かの訓練とかそういうのは思いつきそうにないっぽいです。

 

 頭の中で土下座しながら二人に向かって告げる。

 すると、コビー君はばっと辛そうな顔を顔を上げてから、再び頭を地面に擦り付けるようにしながら声を上げる。

 

「お願いします!どんな事でもいいんです。僕達はどうしても強い海兵になりたいんです!」

 

 そ…そんなこと言われても…。

 

 内心でいよいよ涙目になりかけながら困惑する。

 

 どんな事でもいいって言われても…どんな事ってどんな事よ?

 だめだ、いくら考えても軍の訓練でやってる事しか出てこない。私が毎日やっている訓練をやらせてみようかとも思ったけど、それは流石にまずいだろう。

 なにせ、そこらの岩に向かって岩が砕けるまで素手で殴り続けるだとか、そこらの木に向かって木に穴があくまで指を打ち付け続けるとか、いきなりやらせたら大怪我間違いなしの訓練ばかりなのだ。こんな訓練をやるなら、まず私が子供の頃にやらされたガープ中将との訓練を…。

 

 

 

 …ん?ガープ中将の訓練?

 

 

 

 瞬間、ぐるぐると堂々巡りの考えにとらわれ、雲がかかっていたようだった私の頭の中に、一筋の光が差したような気がした。

 

 そうだ!じいちゃ…ガープ中将の訓練をそのまま教えりゃいいんだ!

 

 頭の中に笑顔でサムズアップするガープ中将の顔が思い浮かぶ。そうだ、アレなら実戦での勘も嫌って言うほど身につくし、変に素振りなんかさせるより確実に腕が上がる。私自身、ガープ中将に比べたらまだまだな実力だけど、彼らを訓練するには私でも十分に事足りる!

 

 

「…分かった」

 

 

『…!?』

 

 光明が見え、首肯しながら二人に告げると、彼らはほぼ同時に顔を上げ、その顔をぱあっと明るくした。

 

「そ…それじゃあ…!」

 

「あぁ、君たちの訓練は私が請け負った」

 

 うん、良かった良かった。私でも二人に役に立てることがあった。

 よし!頑張ろう。これは私自身も訓練になるところがあると思うし、気合を入れて相手しなきゃね!

 

「よし、早速始めよう。さぁ、かかって来なさい」

 

『……へ?』

 

 腰を落とし、戦闘態勢に入った私を見てコビー…いや、コビメッポコンビでいいや。

 コビメッポコンビが揃って首を傾げながら言った。

 

 そういえば、私が初めてガープ中将にこれを言われた時もこんな感じだったなぁ。

 

「えっと…少佐、それって…」

 

「かつて私がガープ中将と行った修行だ。中将は強くなるには一に実戦、二に実戦。三、四飛ばして五に決闘と言っていた」

 

『え…ええええ〜〜っ!?』

 

 目をこれでもかというほど飛び出させ、やたら長くなった舌を波打たせて驚くコビメッポコンビ。

 昔よくルフィやダダンさんがそんな顔してるのを見た事あるけど、本当どうやってんのそれ?

 喧嘩してない時にエースとよく練習したけど、結局私たち二人ともできなかったよそれ。

 

「さぁ、始めよう。準備はいいな?海賊には待ってと言っても聞かんぞ?」

 

「う…うぅ…!」

 

「…どうしてこうなった…ッ!」

 

 コビメッポがそれぞれ竹刀を手に取り、のろのろと構える。

 

 なんだか私も妙にわくわくしてしまっているみたいだ。今のコビメッポコンビを見ていると、昔ルフィやエース、サボと一緒になってじいちゃんに向かって行った五ヶ月を思い出す。私は無意識のうちにコビメッポコンビに対してにその自分たちの姿を重ねてしまっているらしい。

 

 いやいや、いかんいかん。私は彼らから見たら上官なんだ。いつまでも子供みたいに考えちゃダメだ。

 

「う…うわあああああっ!」

 

「くそったれコビー!死んだらお前のせいだぞ!」

 

 そうこう考えているうちに二人が竹刀を振りかざして向かってくる。

 

 やけになったように攻撃を仕掛ける二人の姿に目を細め、私は彼らの攻撃をかわしざまに拳を打ち出した。

 

 技は加減しないが、力は極力抑えている。

 

 これなら何度でも向かって来れるだろう。私の拳をそれぞれ顔面と腹に食らった二人が吹き飛んでいくのを見て思う。

 

 案の定二人はふらふらとしてはいるが、すぐに立ち上がり、再び私に向かってきた。今日はこの後食事を摂ったあとにモーガン元大佐と初めて会う事になっている。そのためあまり長く稽古はできないが、時間と彼らの体が許す限り、最大限相手をしよう。

 

 そう考え、私は再び拳を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「ふぉい、ふぉびー…ひょこのひょうひゅひょっひぇふれ」

 

「ひゃめひょいひゃひょうぎゃひいひょひぇるみぇっひょひゃん…きゅひにょにゃひゃぎゃひゃけひゃう…」

 

 朝、昨夜の当直で睡眠不足の目を擦りながら食堂に行くと、そこには大きな人だかりが出来ていた。その多くはまだリード隊に入ってから日が浅い者や、この基地の兵が殆どだ。

 

 興味本位で覗いてみると、其処には、昨日帰港した後に見たときから五倍ほどに腫れ上がった顔に包帯をぐるぐる巻きにし、ミイラ男のようになった雑用の二人組が向かい合って理解不明な言語を発しながらおにぎりと、目玉焼きを齧っていた。

 

「お…おいキンドロ…どうなってんだこりゃ?」

 

「ようブレーンバスター。こいつら今日の朝に少佐に訓練を頼んだらしいぜ」

 

 人の輪の外側で非番の上官たちと飯を食いながら、楽しそうにその様子を見ていた同じく非番のキンドロに声をかけると、相変わらずのとんでもない間違い方で飄々と返して来やがった。

 

「人の名前を豪快なプロレス技の名前みたいに言うんじゃねぇ!俺の名前はブレンダンだ!!」

 

 一通りいつもの流れと思ってツッコミで返しながら改めて二人の顔を見る。少佐の訓練の結果というその顔に思わず背筋がぞっとした。二人の顔はいかに少佐の拳とはいえ、何発食らえばこうなるのかわからない状態だった。

 

「…一応聞いておくが、大丈夫か?」

 

「ひゃいひょうふれひゅ」

 

「ひょれはひゃいひょうふひゃひぇぇっひゅ…」

 

 ダメだ。なんて言ってんのかさっぱりわからん。

 

「ピンク頭の方が『大丈夫です』モーガン元大佐の息子の方が『オレは大丈夫じゃねぇっす』って言ってるぜ」

 

「お前はなんで分かるんだよ!?」

 

「勘だぜ。ちなみにさっきのはキノコ頭が『おいコビー、そこの醤油取ってくれ』ピンク頭が『やめといた方がいいよヘルメッポさん。口の中が焼けちゃう』だ」

 

『ひょれでふ』

 

 …もうこいつには何も言うまい。謎の才能を発揮し、二人の言葉を完璧に訳したキンドロにその場にいた全員が感嘆の声を漏らす。

 

 つーかどう見ても大丈夫じゃない。醤油を付けただけで口の中が焼けるってどんだけ口に中が切れてんだ?訓練とはいえ流石に少佐もやり過ぎじゃ無いのか…?

 

「…お前がくだらねぇ誤解をしねぇように言っておくが、何も少佐はこいつらをわざとここまで痛めつけたわけじゃねぇぞ?」

 

「…どういう事だ?」

 

 心を読んだかのように言ってくるキンドロに聞き返すと、ピンク頭のコビーが口を開いた。

 

「ひょうひゃにはにゃんどみょみょうくんりぇんはひょわりだっひぇひわりぇひゃにょでひゅが、びょくたひぎゃひつひょくひょにぇぎゃいひひゃのひぇふ」

 

「たひをふけるにゃ…ひょれはひょまえのひょばっひりひゃー…」

 

「キンドロ、翻訳してくれ」

 

『少佐には何度ももう訓練は終わりだって言われたんですが、僕達がしつこくお願いしたのです』

 

『達を付けるな。俺はお前のとばっちりだ。あとブレーンバスター死ね』

 

「おい!?最後それ絶対言ってねぇだろ!」

 

 キンドロが勝手に付け加えた訳にツッコミを入れながら、どこか少佐を疑ってしまった自分を恥じた。あの心優しい少佐が好き好んでこんなことをするはずがない。

 

「やっと分かったかよこのバカーンバスター」

 

「悪かったよ!でもなんだよバカーンバスターって!?」

 

 

 

「皆おはよう。今日は随分と賑やかだな」

 

 

 

 今日で早くも今日で四度目を数えたツッコミをキンドロに入れたところで、出し抜けに食堂の扉が開き、いつも通りの制服を着た少佐が入ってきた。

 

 咄嗟に全員が立ち上がり、統率された敬礼で迎えたが、扉から現れた少佐の姿に全員が目を奪われた。今日の少佐は珍しく正義の文字が入ったコートを着ておらず、半袖の制服からは白い肌が見えていた。

 

 そして何より目を引いたのはシャワーを浴びてきたばかりなのか、少しまだ濡れた髪だった。それを見た俺を含む何人かの兵が醸し出される妙な色気に、思わず息を飲んだ。

 

 こんな姿の少佐など、まず見ることはできない。いつもは長袖のインナーの上に制服を着込み、肌が見えることはほとんどありえない上、少しとはいえ髪が濡れている少佐の姿など、まず見ることはできない。もうすぐ朝食の時間が終わってしまうから少し急いでいたのか、そんな疑問がふと頭に浮かんだが、あの厳格な少佐の事だ。そんなくだらない理由でこのような格好のままここに現れるはずがない。

 

「コビー、ヘルメッポ、ここにいたのか。怪我の具合はどうだ?」

 

「ふぁい、ふぉのへいどひゃんへことひゃいれふ」

 

「ほ…ほれも!」

 

「『はい、この程度なんてことないです』と申しております。ヘルメッポの方はそれに対する同意を」

 

「そうか、それならば良い」

 

 指定席となっている一番端のカウンター席に腰をかけながら二人に声をかける少佐を見て、漸く少佐がなぜこのような珍しい格好でこの場に現れたのかが理解できた。

 

 少佐は訓練で傷付いた二人をわざわざ見舞いに来たのだ。何時もではありえないこのような姿を部下の前に晒してまで急いで探して来たのだろう。

 

 つーか羨ましい…少佐に心配される雑用コンビも、なぜかいつの間にか少佐の隣に立って側近のような顔をして通訳をしているあのキンドロも!

 

「ひゃので…ひゃひたもひょねがひひたひまふ」

 

「ほ………ほれも…」

 

「『なので、明日もよろしくお願いします』と申しております。ヘルメッポの方も同じく同意を」

 

 キンドロが訳した言葉に、思わす俺は息を飲んだ。これには少佐も驚いたらしく、目を丸くしている。

 

 ただでさえボロ雑巾のような姿なのにもかかわらず、まだこれ以上の訓練を…?

 

 誰もがそう思った。そんな時、少佐がぽつりと呟くように尋ねた。

 

「…本気か?」

 

「ひょ…ひょんきれふ!ぼくりゃは…ふよくなりひゃいんれふ!!」

 

「………!!」

 

「『本気です、僕たちは強くなりたいんです』と申しております。ヘルメッポは見たとおり首肯を」

 

「…分かった」

 

 少佐の言葉に、数名の兵からどよめきが上がる。まさか許可が下りるとは誰も思ってはいなかったのだ。これには誰もが思わず少佐に目を向けるこれ以上体に負荷をかければ間違いなく二人とも命さえ危ういかもしれないからだ。

 

「その代わり、実戦訓練は二日に一回だ。明日は何か別の訓練を行う」

 

「ひぇつの?」

 

「あぁ、明日までに考えておこう」

 

「ひゃ…ひゃい!ひょめいわくひょひょきゃひぇひまふ!」

 

「『はい、ご迷惑をおかけします』と申しております」

 

 キンドロが訳した雑用の声を聞いて少佐は満足げに頷くと、椅子を回し、カウンター越しに給仕のおばさんに幾つかの品を注文し始めた。

 

 その様子を見て、俺もまだ何も注文していないことに気がつき、慌てて少佐の座る席から少し離れたカウンターで品を注文する。立ちっぱなしだった兵達も食事を再開したようで食堂には再びスプーンやフォークが食器を鳴らす音が響いている。

 

「あいつら頑張ってんなぁ、センパイ?」

 

「そのあいつらをダシに使って少佐と楽しそうにおしゃべりしてたのは誰だ?」

 

 カウンターに立ち、今日の朝食をおばちゃん特性おにぎりに決めて注文しているとすぐににやにやと笑うキンドロに声をかけられた。

 

「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇぜ。俺は困ってる少佐に奴らの言語を人間の言葉に翻訳して差し上げただけだぜ」

 

「どうだか…」

 

 隣から顔をのぞかせ、軽口を叩くキンドロを横目で睨みながら言った。

 

「かはは、怒るな怒るな。それより、早く食わねぇと、交代が近いんじゃねぇの?」

 

「は…あぁ!?あと十分しかないじゃねぇか!」

 

 キンドロの声に促され、時計を見ると、時計の針は海岸の警備交代の十分前を示していた。

 

「おばちゃん!ごめんおにぎりキャンセルで!もう行かないと!」

 

「ありゃ、急いでるのかい?それなら包んであげるから四十秒だけ待ちな!」

 

 あ…ありがてぇ…。

 

 おばちゃんの提案に心から感謝した。危うく朝飯を抜いて警備に当たらなければならないところだった。

 

「それじゃ、お仕事頑張れよセンパイ。俺は非番の自由をずんぶんに楽しむとするぜ」

 

 言い残してキンドロは足早に去って行った。

 

 何がしたかったんだ…あいつ?

 

 廊下へと出て行くキンドロを見送り、それからきっかり四十秒で出来上がったおにぎりを受け取って自分も外に出た。

 

 あぁ、朝からツッコミ詰めでどっと疲れてしまった。しかしこれからは警備だ。最近この近海に現れた麦わらとかいう新興海賊団があのクリーク海賊団と事を構えた、という眉唾ものの通信が昨日フルボディ伍長から入っていた。

 

 その通信の真偽はともかく、どうやらこれからこの海は少しばかり荒れそうだ。

 

 これから始まる警備の任務を前に、俺は昨日通信士から聞いた情報を反芻し、気を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 あぁ…やらかしたぁ…。

 

 夜、今日の仕事が全て終わった私は、食事とお風呂を済ませて部屋に戻っていた。今は一人反省会と称し、ベッドで横になりながら一人今日の朝の失態に喘いでいるところだ。

 

 まさかコビメッポコンビがあれほど粘ってくるとは思わなかった。最初の一発を入れた後、しばらく私は同じ力で彼らの攻撃にカウンターで相手をしていたが暫くすると、当然ながら彼らはやがて動きがどんどん鈍っていった。

 

 私はその時にも訓練の終了を告げたのだが、彼らはとにかく食い下がった。だから私は攻撃の質を変えた。前まではある程度固めた拳で軽く吹き飛ばしていた攻撃を、柔らかく脱力した拳で、衝突の瞬間も拳を固めず、パチンと弾く複数の攻撃を一度にまとめて当てる攻撃にしたのだ。

 

 しかし、彼らの身体を心配したその措置こそが悪手だった。確かに彼らの体に蓄積されるダメージはほとんどなくなったものの、言うなれば平手打ちに近い攻撃のその性質のせいで、彼らの顔面はいつの間にか訓練開始前の数倍に腫れ上がっていたのだ。

 結局訓練は、彼らの目が腫れでほとんど塞がり、前が見えにくくなったことで終わりを告げた。

 

 どう考えてもやりすぎた。

 幾ら彼らが何度も向かって来たとはいえ、もっと早く終わらせる手段もあったはずなのだ。

 

「あーもー!私の馬鹿ーッ!」

 

 ベッドに伏せたまま、枕に顔を強く押し付けて叫ぶ。声はほとんど枕が吸収してくれているおかげで部屋の外にまで聞こえるような声にはなっていない。

 

『…!』

 

 しかし、私の声に驚いたのか、ベッド脇の机の上で眠っていたエスカルさんはぷよぷよの体をびくんと揺らしながら閉じていたその目を開けた。

 

「あ、ごめんねエスカルさん。ちょっと色々あって…」

 

『…』

 

 目を開けたエスカルさんは、暫く周囲を見回した後、私をじっと見てから再び目を閉じ、眠りに入った。私はなんとなくその姿が私に向かって気にするなと言ってくれているように見えて、少しだけ吹き出してしまった。

 

 それにしても、コビメッポ君の顔、本当にひどいことしちゃったなぁ…。私たちが小さい頃はよくじいちゃ…ガープ中将にボコボコにされていたけど、あそこまでの顔になる前に意識が飛んだり、林の中や山の木々の中にぶっ飛ばされてそのまま訓練が終わってたからああいう顔になったことはない。

 

 しかし、実際のダメージはほとんど前半の固めた拳によるもので、顔の表面は固めていない拳で叩かれて腫れているだけだからしっかり冷やせば今日の夜にはもう相当腫れは引くだろう。

 それにルフィやエース、それにサボなんかは時々どんなに殴っても数分か数秒でケロっとしている事もあったし、多分コビメッポ君も大丈夫のはずだ。

 

 …そういえば考えてみるとあの異常な回復は一体何だったんだろ?

 

 ルフィならゴムゴムの実の力でなんとなく納得できるが、エースやサボは顔面がボッコボコになった状態からどうやって回復できていたのかさっぱり分からない。

 とはいえ、かくいう私もエースやサボとの喧嘩の後はよく一緒に遊ぶことも多かったし、勝手に回復していたのかもしれない。え、なにそれ怖い。

 

「はぁ…なんかどっと疲れちゃった…」

 

 無意識下で起こっていた謎回復を自覚してしまい、一人で戦慄しながらベッドに仰向けに転がり、口をついて出たため息とともにつぶやいた。

 

 考えてみれば今日は本当にいろいろなことがあった。コビメッポ君の訓練に、船に拘留したままだったC・クロの基地内移送とモーガン元大佐とのファーストコンタクト。加えて町の女の子が海軍に入れて欲しいと門前で騒いでいたのを止めたりと、妙な出来事まで起こった。

 

 あ、どうでもいい話だけど、モーガン元大佐の顎はなんと、当初の予想ではあり得ないと思っていた大穴のロボ顎だった。アレにはさすがにちょっとテンション上がった。だってアレ改造すれば絶対ビーム撃てそうだもん。かっこよすぎる。

 

 大佐に会った瞬間思わず昔よくルフィと遊んだロボごっこを思い出した。ロボに対して冷め気味だったエースは『ガキ臭ぇ』ってカッコつけて一緒に遊ばなかったけど、なんだかんだ言ってサボはよく一緒に遊んでくれた。いやー、楽しかったなぁロボごっこ。

 

 あ、でもカッコ良かったけど自分がああなるのは絶対嫌。あんなんじゃご飯おいしく食べられない。私はもっと色々な場所のいろんな美味しいものを食べたいのだ。

 

 ちなみに今日の朝食はおばちゃんの特製カレーだった。おばちゃんのカレーは肉多め野菜少なめで訓練の後にはすごく嬉しい。結局十皿程食べてしまったが、おばちゃんはすごく嬉しそうだったから問題無い。

 

 それにモーガン元大佐と会って驚いたことはもう一つ。

 

 モーガン元大佐の腕…本当に斧だったよ…。

 

 ロボ顎にはテンション上がったが、斧ハンド見た時は一気にそのテンションも下がってしまった。

 

 いや、全身を縄でぐるぐる巻きの上、目隠しと猿轡で椅子に拘束されていたからあんまり怖いとは思わなかったけど、本来なら手があるところに私の胴体くらいの大きさの斧があって、肘からは持ち手っぽい突起が突き出ている姿は怖さというよりはある種の痛々しさを感じた。

 

 なにより、あんな腕じゃご飯を上手く食べれない!

 

 私は昔から食事のマナーには割と厳しい方だ。宴や忘年会などのイベントなんかでは特に気にしてもいられないが、日常生活では、部下にも正しい食事の指導をする事もある。私は食事は静かに美味しく楽しみたいのだ。いかに部下達であってもこれだけは譲れない。

 

 それなのに、あんな腕ではマナーも何もあったもんじゃない!

 

 そんな事があり、私はモーガン元大佐と会って、絶対に顎や腕の怪我だけは絶対に避けようと誓った。私の唯一の楽しみである食事だけは、そのまま楽しみたいのだ。

 

 食事といえば、海軍に入れて欲しいと門前で騒いでいた女の子はコビメッポ君の為におにぎりを持って来ていた。かなり形は崩れていたが、愛情のこもった良い形をしていたのを覚えている。

 

 おにぎりは受け取ってそばにいた兵に届けてもらったが、さすがにその女の子…リカちゃんを海軍に入れるわけにはいかなかった。

 

 まだ歳が十一歳らしく、海軍が入隊資格に規定している十五歳にはまだ届かないからだ。かなり食い下がっていたが、療養中のリッパー中佐が不在のため、最も階級が高い私が直接話すと、意外なまでにあっさりと引き下がってくれた。

 

 しかし、その時呼ばれていった私を一目見て一瞬固まった彼女が小さく呟いた『ゴリラじゃない…巨人じゃない…』という言葉は心にグサッと刺さった。

 

 私って市民の皆さんからそんな風に見られてたの?

 

 そういえば、聞こえないふりをしていたがC・クロを二発のパンチでやっちゃった話は帰港する前からこの基地に蔓延していたし、女の身でそれを成したという噂を聞いたら私にあったことのない人の間ではそんな噂が流れても仕方がないかもしれない。

 

 …それにしても…ゴリラって…巨人って…。

 

 これでもまだ夢見る乙女な十八歳なのだ。知らないところで知らない人が『エヴァ・リード=ゴリラもしくは巨人族』という方程式を作ってしまっていると考えると流石に凹む。もうやだ引きこもりたい。

 

 こんな石仮面を被りっぱなしのような私でも、いつかは恋愛もしたいし、子供の頃以来縁がない女の子らしい服とかを着て街に出て見たい。それなのに今の時点でゴリライメージが付いてしまっては、それら全てにおいて敬遠される対象になってしまう。

 

「それだけは嫌ぁ…」

 

 ベッド脇に隠されたクマのぬいぐるみを手繰り寄せ、胸に抱いて再び溜息をついた。

 

 あぁ、こんなんでこの先やっていけるのかなぁ…。

 

 溢れる不安をクマに漏らし、ゆっくりと意識を手放していく。まどろんでいく意識が私を夢の世界へと連れて行ってくれる。

 

 久しぶりに今日は昔の夢でも見たいな…昔のルフィやエース達と過ごしたあの頃の…。

 

 そんな事を考えながら私は意識を繋いでいた糸を切って眠りに落ちた。モーガンやクロの移送はもう三日後だ。

 



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少女と悪運

 暗い。

 

 埃が舞い、一筋の光も差さない部屋に私はいた。

 

 眼に映るのは石造りの低い天井と、迫ってくるかのような圧迫感があるごつごつとした石の壁。

 

 聞こえるのは、小声で何かを囁く女性のような声。

 

 少数ではない。多くの女性が自分のすぐ近くで話している。

 

 少し高齢のような女性の声も聞こえれば、まだ私より年下のような女の子たちの声も聞こえる。

 

 どこだろう、ここは。

 

 さっきまで眠っていた自室とは全く違う風景に少し困惑し、改めて辺りを見渡すと、この場所よりももっと奇怪なことが起こっていることに気がついた。

 

 あれっ!?なんだこれ!

 

 眼前に持ってきた私の手は、まるで赤ん坊のような幼いものになっていた。

 

 さらにはどれだけ声を出そうとしても、喉奥からは何の音も出ない。

 

 ここで私はようやく、自分が今おかれているこの環境が、私が見ている『夢』であることに気がついた。

 

 ルフィ達と遊んでた頃の夢を見たいと思ったのに、こんな変な夢を見てしまうとは、日頃の行いが悪いせいかな…。

 

 そんな事を考えながら私は夢の続きを見守った。

 

 やがて私の視界を埋めていた石の壁は上の方にずれていき、今度はお世辞にもあまり綺麗とは言えない格好の女性たちが視界を埋めた。

 

 どうやら私は石の壁に空いた穴に、妙な箱に入れられた上で押し込まれていたらしい。

 

 わっ。

 

 突然私は一人の女性に抱き上げられた。この歳で抱っこされるのは意外に恥ずかしいものだ。

 

 痛っ!

 

 のんきな事を考えながら、自分を抱き上げた女性の顔を見ようとすると、頭に突然痛みが走った。

 

 周囲からは人が集まってくる。

 

 ひっ…!?

 

 集まってきた人々の顔を見た瞬間、私の呼吸は恐怖で一瞬止まった。

 

 女性たちには、顔が無かった。少し高齢気味の声を出す女性も、そばにいた少女らも、全員だ。

 

 い…嫌、来ないで…。

 

 声に出せない声を頭の中に響かせるも、その女性達は御構いなしに近づいて来る。

 

 止めて…来ないで…!

 

 迫る女性たちの姿に怯え、抱き上げられた女性の服を強く掴み、咄嗟にすがりつくと、頭上からその女性の声が降ってきた。

 

『どうしたの…エ◼︎◼︎◼︎…』

 

 

 

 

 

「ッーー!」

 

 声が頭に響くと同時、私は突如発生した激しい頭痛に跳ね起きた。

 

「はぁっ…はぁっ…」

 

 酷い夢だった。暗くて…狭くて…。

 

「あれ…それからどうなったんだっけ…」

 

 暗くて、狭くて…そこから先がどうしても、思い出せない。私は、何を見て、何に怯えたんだろう。

 

「変な夢…」

 

 考えるのを止め、ベッド下に落ちていたクマのぬいぐるみを再び抱き締め、ゆっくりと瞼を落とす。

 

 今度こそ…ルフィ達の楽しい夢が…見たいなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 東の海のとある海域で、ドクロマークを旗印に掲げた一隻の船が、船体に無数の穴を開け、そこかしこから煙を上げながら進んでいた。

 

 既に乗組員は殆どが甲板に倒れ、二度と動かない姿になっているか、紅蓮の炎を噴き上げる船室の中で炭になっている。

 

 地獄絵図とかしたその船の中でただ一人、動く者がいた。その男は左手の指を三本失い、右脚も普通なら曲がるはずのない方向に折り曲げた満身創痍の身体で、誰もいない船尾楼の上に立って背後に迫る船に向かって大砲を構えていた。

 

 男の名は『リージョン・ゲラン』

 沈没寸前に追い込まれたこの船、『ヴィクトリカ・リージョン号』の船長だ。

 

「クソ…化け物が…俺たちは…まだ旗揚げして三日だぞ…俺たちに何の恨みがあるってんだ…」

 

 ゲランの見つめる先には、犬の頭を模した船首楼が特徴的な海軍の軍艦の船首に立つ一人の老兵の姿があった。

 

「ぶあっはっはっは!どうした小童共!もうお終いか!?」

 

 そう、彼等、『リージョン海賊団』は、軍船の船首で高らかに笑うこの老兵たった一人の手によって、船ごと破壊され尽くしたのだ。

 

「クソがァ!てめぇだけでも道連れだァ!」

 

 ゲランが老兵に標準を合わせた大砲に火を入れ、砲身から鉄の塊を火薬の爆風で持って撃ち出した。

 

 当たる、真っ直ぐに老兵へと飛んだその砲弾を見てゲランは確信した。

 

 ーーその身体を怒りを込めたその砲弾でバラバラにしやがれ!

 

 死んだ仲間と、それを撃ち出したゲランの願いを込めた砲弾が飛んで行った先で訪れた結果は、彼の予想を大きく裏切るものだった。

 

「甘い甘い!こんなおもちゃではワシの首は殺れんぞ!」

 

 砲弾は見事に老兵に直撃した。しかし、その効果は、彼が予想したものとは明らかに違った。

 

「…う…嘘だろ…?」

 

 ゲランは、目の前で起こったあまりにもあり得ない現実にいよいよ心が折れ、欄干に手を置いて膝をついた。

 

 目の前の老兵が取った行動は、あまりにも彼の中で構築された常識から逸脱していた。

 

 向かってくる砲弾に対して開いた右手を突き出し、それをまんまと受け止めて見せたのだ。

 

「そらァ返すぞォ!」

 

 そして老兵は受け止めた砲弾を大きく振りかぶり、ゲランに向けて放り投げた。その一投は、彼が今まで見てきたどんな大砲から撃ち出される砲弾よりも圧倒的に速く、そして絶望的な破壊力を持っていた。彼らの船は、老兵のこの投弾によって壊滅したのだ。

 

 そして、ゲランにとってはまさに凶弾と言うべき一投が眼前に迫る。

 

 しかしその時、彼の目にはもう迫る砲弾など映ってはいなかった。かれの目に映っているのは、甲板や船室で倒れる仲間達と過ごしてきた三日間の航海。

 

 ーーたった三日の航海ではあったが、夢を見れた良い航海だった。

 

 ーーみんな、俺も今すぐに…。

 

 次の瞬間、一人の海賊の頭を破壊して船に風穴を開けた砲弾が、船の中で最も厚い装甲で守られていた火薬庫の壁を貫き、中にあった火薬樽を撃ち抜いた。

 

 撃ち抜かれた火薬樽は火薬を撒き散らし、近くで甲板の床を舐めていた炎に引火。激しい爆発が巻き起こり、海賊船は真っ二つに割れながら海に沈んで行った。

 

「ぶあっはっはっは!これでこの海では八隻目か!海賊の質も落ちたもんじゃわい!」

 

 沈み行く船を見て船首の上に立つ老兵は再び高らかに笑う。そんな彼に、後ろから話しかける海兵の姿があった。

 

「あ…あのガープ中将、なんか今日は妙に嬉しそうじゃないですか?いつもは嫌がるのに今回だけはわざわざご自身でモーガンの引き渡しにもご参加されてますし…」

 

「んん?そうじゃな…今回は…」

 

 海兵の声に振り返り、顎に手を当ててにっと笑みを零す。

 

「孫をな、迎えに来たんじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「よし、これでいいかな?」

 

 帰港してから四日目の朝。私は自室で今日から始まる『斧手のモーガン』『百計のクロ』両名の身柄の引き渡しのための航海への準備を整えていた。

 

「それにしても、何だってこんな大げさな準備をするんだろうねぇ?」

 

『?』

 

 ベッドの前に置かれた、何時もの航海よりもかなり多めの荷物を眺め、服の襟から見える底の浅い胸の谷間から顔をのぞかせる電伝虫のカルゴ君に尋ねてみた。当然カルゴ君は何も考えていないようないつもの顔で首を傾げている。

 

 それにしても遠征はいままで何度も経験しているけど、部屋の荷物をまとめての遠征なんて初めての経験だ。

 

 昨日、本部から身柄引き渡しの為に東の海にやってきている船から通信があり、引き渡しの護衛を担当するリード隊全員に、『荷物をまとめて乗船せよ』という妙な命令が下った。

 

 とはいえ、荷物の量自体は私は服も制服以外持っていないし、嵩張るのは自主鍛錬用の鍛錬具くらいだから木箱二つに十分収まる量で、大して多くは無いから特に問題は無いが、正直何か陰謀的なものを感じてしまう。

 

「えーと、忘れ物は…あっ!」

 

 最後に部屋の中を見回し、忘れ物が無いかを確認すると、ベッドの隙間から少しだけ飛び出す茶色い物体が目に入った。

 

「ごめんね、もう入れたと思ってた」

 

 ベッドの隙間から飛び出したそれを掴み、引っこ抜くと、眼前に私の唯一の女子力と言えるクマのぬいぐるみが現れた。それを抱きしめ、謝罪の言葉を腕の中で形を変えるぬいぐるみに零した。

 これは私が四歳の誕生日にお義父さんから貰ったものだ。それ以来ずっと私の部屋で癒しとなってくれている。

 

「少佐、準備はよろしいですか?」

 

 うひゃう!?

 

 出し抜けに扉をノックする音が響き、少し遅れて部下の声が部屋の中に入ってきた。部屋でこうしてまったりしている時にいきなりノックと声をかけられるのには、いつまでたっても慣れる気がしない。

 

「あぁ、今行く」

 

 扉越しに届いた部下の声に返答し、かがんで二つの木箱を重ねて右肩に担ぐ。わりと大きめとは言え、必要最小限の荷物しか入っていないただの木箱だ。それほど重くはない。

 

「それじゃ行くよ。エスカルさん、カルゴ君」

 

 胸の谷間と重ねた荷物の上に鎮座する二匹の電伝虫に向かって告げると、それぞれが返事をしているのか、もぞもぞと動いた。

 

 さて、任務の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「少佐!離れてください!」

 

「リカちゃん落ち着いて!分かったから!」

 

 いやー…。

 

「お願い少佐さん、私を海軍に入れて!ほら見て!私も戦えるんだよ!銃だって使えるんだよ!」

 

「何度も言っているだろう!十五に満たないものは入隊することは出来ないんだ!」

 

 …どーしてこーなった…。

 

 この基地に来てから何度この言葉を思ったことか。

 

 しかし、これまでこの言葉を思い浮かべてきたどんな時より、今、私が置かれている状況は混沌としたものだろう。

 

「ねぇ!少佐さんはこの基地で一番強いんでしょ!?海で一番強い海兵さんなんでしょ!?」

 

「リカ!銃を少佐に向けるな!」

 

 港に停泊したリード隊の軍船。その船首楼にその女の子はその身に余る大きさの拳銃を携えて立っていた。船員達は女の子が携える銃を見て、とあることに気づき、船首楼の下で動けずにいる。

 

 オーケー落ち着けエヴァ・リード。こういう時は素数を数えて落ち着くんだ。2…4…6…8…ってこれ偶数だよ!それに前に一回もうこの流れやってるし!

 

 もう本当に…どうしてこうなった!?

 

 内心では頭を抱えながら蹲っている私だが、その実、こうなってしまったおおよその理由はもう分かっている。

 

 事の経緯はこうだ。

 

 モーガン元大佐とクロを船に収容し、いよいよ出発という時にこの女の子、リカは現れた。

 最初は三日前と同じ、海軍に入れて欲しいという訴えにきただけなのかと思ったが、果たして今回はそうではなかった。

 

 何処かで私が幼い頃から海軍の訓練を受けていた、と言う噂を聞きつけた彼女は、ならば規定の年齢に達していない自分でも、と勇み、自分が海軍に入って戦えるということをアピールしにきたようなのだ。

 

 それ故に、彼女の手には自分で火薬を込めたという一丁の拳銃が握られていた。彼女の口ぶりから察するに、自分は銃が扱えるという所をアピールポイントに選んでの行動なのだろう。

 

 これだけならば、子供の度が過ぎたやんちゃとしてさっさと銃を奪い、デコピン一発で済ませて仕舞えば良い話なのだが、問題はその銃自体にあった。

 

 問題はその纏わり付いた錆だ。

 その銃は最後にいつ整備されたものなのか、銃口や撃鉄のあちこちに錆が目立ち、いつ暴発してもおかしくない状態だったのだ。

 

 しかし、錆で発砲することはできないとはいえ、暴発間際の拳銃を握っている以上、万が一リカが何らかの拍子に銃を地面に落としたり、引き金に強い衝撃を与えてしまったら、それは間違いなく暴発し、リカの小さな手は、最悪の場合吹き飛んでしまう可能性すらある。

 

 となると、今取るべき行動はまず、リカから銃を取り上げ、なんとか説得することなのだが、彼女の意思はあまりにも固く、全く聞き入れようとしない。部下たちの声はもちろん、コビメッポの声すら聞き入れようとしないのだ。

 

 船医が言うには、おそらく、一時的なパニック状態に成っており、冷静な判断ができずにいるのだという。

 

 んー、本当にどうすれば良いんだろ?

 

 私ならリカの目にも止まらない早さで船首楼まで行き、銃を取り上げることもできないことはないとは思うが、高速で移動している中で銃が暴発しないように取り上げ、海に捨てるなり、持ち帰るなりする自信は無い。

 

 となると、なんとか説得するしかない。

 

「リカ…そう言ったね?」

 

「は…はい!」

 

 船首楼の下で群を作る部下たちを下がらせ、階段に足をかけて声を掛けると、リカは銃を下ろし、敬礼の体勢になって鋭い返事を返してきた。

 

「そっちに行ってもいいかな?」

 

「…どうぞ」

 

 リカちゃんの承諾を受け、階段を上がる。

 リカちゃんは初めて持つ銃をおぼつかない手つきで持ち、今にも落とすか、引き金を引いてしまいそうな危うさを感じさせた。

 

 それを見て私はリカちゃんに気づかれないように船首楼の欄干に背を預けるような体制をしながら、重心を落とし、足裏を欄干と甲板の接合部に付け、いつでも飛び出せる体制を整えた。

 

「聞かせて欲しい、どうして海軍に入りたいんだ?」

 

「そ…それは…」

 

 体制を整え、答えが半ばわかりきった質問を投げかけると、リカは視線をあちこちに揺らし、最後にコビー君に視線を少し向けてから吃る口を動かして言った。

 

「大事な人を…お母さんや島の人…それに…友達を守りたいから…!」

 

「そうか…」

 

 視線を揺らしながら話すリカの目は、本気だった。コビー君からは前から聞いていたが、この子はとてつもなく固い意志の持ち主のようだ。

 

 聞くところによれば誰も逆らえなかったモーガン元大佐に村で最初に刃向かったり、この基地で捕まり、空腹で動けなかったロロノア・ゾロに差し入れのおにぎりを渡しに磔場へ忍び込んだりと中々デンジャラスな事を実践して来たという経歴まで備えているという。

 

 それに、彼女が言った動機には、私も思うところがある。

 

「…君の気持ちは私が一番良く分かっているつもりだ」

 

「えっ…少佐さんが?」

 

「あぁ、私も幼い頃、君と同じことを考えていた」

 

 私の言葉が意外だったのか、リカは目を丸くして返した。そして私が続けていった言葉にさらに驚いたのか、驚愕に満ちていたその目をさらに丸くする。

 

「私も、幼い頃には義父や兄代わりの海兵が船に乗って任務に行ってしまうのが辛くて、よく自分も一緒に連れて行ってくれと頼んだことがあるんだ」

 

 今となっては恥ずかしい黒歴史になっている事を自分で掘り返さなくてはならないこの苦痛…しかし、リカちゃんの身の安全には変えられず、さらに私は言葉を続ける。

 

「でもな、私は初めて連れて行ってもらった航海で、海の過酷さと、己の非力さを知ったんだ」

 

 そう、あの五歳の誕生日で海賊達に食べさせてしまった毒キノコは本当にとんでもない代物だった。それで倒れてしまった人たちを救えなかったことに、当時に私はひどく打ちひしがれたものだ。

 

「幼い私は、海賊達の宴の真ん中で苦しむ人々に何もしてやれなかった。私はあれほど自分の力の無さを悔いたのは初めてだったよ」

 

「少佐さんが…」

 

 うんうん、変な噂ばかり流れてるけど、実際の少佐さんはそんな感じなんだよー。ってあれ…部下達までなんかざわざわしてる…巻き込まれた商船?なんのこっちゃ。

 

「だから、君にはまだ海は早い。あと三年待って海軍で訓練を積んでから、君にとっての大切な人達を追いかけるんだ」

 

「でも…そんなに時間が経っちゃったら…」

 

 少し安心した表情だったリカが、私の言葉でまた不安げな表情を浮かべる。

 まぁ、気持ちは分かるし、どうしてもリカちゃんが引かない時用に考えていた策が一つだけある。

 

「それならこうしよう、君が…」

 

 

 

『リカ!何をしているの!?』

 

 

 

 もう一つの提案をしようとした瞬間、私が最も恐れていた事態が起こった。

 

「お…お母さ…ッ!?」

 

 港に現れたリカの母が声を上げると、反射的にリカの肩が跳ねた。そして、リカの手に握られていた拳銃の撃鉄が、一瞬リカの手から加った反射の力でおそらくは数年ぶりに動いた。

 

「ぁ…」

 

 リカちゃんの手の中で銃身が膨張する。おそらくこの場で私の目だけがその一瞬を捉え、身体を動かした。

 

 掴んでいては間に合わない。

 

 ならば蹴り…?

 いやダメだ。蹴りは少し打点を間違えただけでリカちゃんの腕を傷つけてしまうかもしれない。

 

 使うのは、拳。

 

 初めてガープ中将から拳の握り方を教えられた五歳の頃から幾百万、幾千万、あるいは億を超えるほど振るって来た、私にとって最強にして最速の武器。

 

 そしてそれを支えてくれている私の脚はすでに動き出していた。下げていた重心から力を左の拇子球、そして爪先へと伝え、解放する。

 

 さながら雷の如く甲板の板を踏み抜きながら加速した私の身体は、一瞬の時を要さずリカの目の前に運ばれ、さらなる加速のために脱力していた右拳を、床板すれすれからすくい上げる様な軌道を描いてリカの持つ拳銃へと送った。

 

 瞬間、私の耳を拳銃が暴発した轟音が貫いた。

 

 温かい液体が私の顔に弾ける。

 

 咄嗟にリカちゃんの無事を確認するも、彼女の身体には、少し破片が飛んでできた切り傷があったが、それ以外は特に問題はなさそうだった。

 

 良かった…なんとかなった…。

 

 爆音に怯えているのか、縮こまって私を見るリカちゃんを見てつい安心感から少し笑みがこぼれた。

 

 背後に控える部下に向き直り、大丈夫だ、と言おうとするも、部下たちは全員顔を青くして何か喚いている。どうやら爆音で一時的に聴覚をやられてしまったらしく、私の耳には何も言葉らしい言葉が入ってこない。

 

 一体何を見てそんな顔をしてるんだ?

 

『………ぁ!』

 

 救急箱を持った何人かの兵が階段を駆け上がり、何事か叫びながら駆け寄ってくる。

 

『…うさ…ぇが!』

 

 一体どうしたというんだ、もしやリカちゃんの身体に私が見落としてしまった何かが…!?

 

 そう考え、向かってくる兵たちに背を向け、リカちゃんに右手を伸ばす。

 

 あれ…赤い?それに所々…白いモノが…?

 

 そこで私は右手の異変に気が付いた。

 

『少佐!右腕が!!』

 

「ぐっ…んっ…!?」

 

 

 痛い痛い痛い痛い痛い!?

 

 

 駆け寄ってきた医療班によって右腕がタオルに包まれると、今更になって耐えがたい激痛が私の右腕を襲った。

 

「少佐、動かないでください!」

 

「あぁ…少佐の右腕が…」

 

 タオルの隙間から見える私の右手は、もはや自分のものとは思えないモノになっていた。白い肌がちょっとした自信だった手首から先は、爆風と破片で皮膚が全て剥がされ、内側の筋肉と骨も破片に蹂躙されていた。手首から先を形作っていた肉は殆どが裂け、骨は内から外へと飛び出している。

 

「んんっ…ぐ…」

 

「少佐!?動いてはいけません!!」

 

 しかし、そんなことよりも私にはやらなければならないことがあった。

 

 制止する部下を振り払い、立ち上がって甲板の隅で震えながら私の右腕を見るリカちゃんの前に移動して、一気にタオルを引き剥がした。

 

「ひっ…!」

 

「ッ…目をそらすなッ!」

 

 私の傷を見て咄嗟に目をそらしたリカちゃんに向かって声を荒げ、激痛に耐えながら目の前に右腕を持っていく。

 

「くっ……見ろ、この傷を見るんだ…。君が今使ったのはこんな風に人の体の一部を…いや、一歩間違えば人一人の命を簡単に奪い去る道具なんだ!」

 

「ひっ…ひっ…」

 

 この子には、教えなければならない。自分が使おうとした武器の恐ろしさを。

 

「逃げるな!本気で海兵になりたいと言うのならのなら…逃げるな…!君が入りたいと言った世界は…こういう世界なんだ…海賊に出会えば、いつこうなるか分からない…そんな世界だ!」

 

「ッ…!!」

 

 海兵になりたいのなら、この言葉を聞いてか、リカちゃんは背けていた目をゆっくりと私に戻し、私の右腕を見た。

 

「ご…ごめんなさ…」

 

「謝るな!海兵になったのなら、君はこれと同じことを海賊にしなければならない時が必ず来るんだ。その覚悟が…君にあるのか…!?」

 

「少佐!もうやめてください!」

 

 謝ろうとしたリカちゃんを一喝し、さらに言葉を続ける。もはや部下たちがこれ以上見ていられないといった顔で止めに入り、私は強制的に欄干に背を預けて座らされたが、それでも私はリカちゃんから目を離さない。

 

「今は…今はまだ…分かんないです…でもっ、でも必ず!必ず出来るようになるから!覚悟出来るようになりますから!!」

 

 滂沱の涙を流しながらリカちゃんは甲板に手をついて言った。未だ涙が溢れるその目には、全体の見た目とは裏腹に、相変わらずの強い意志がこもっていた。

 

 

「それなら…これを…」

 

 左腕を無理矢理動かし、激痛に耐えながら右の太もものホルスターには入っていたそれをリカちゃんに差し出し、笑顔を作る。

 

「ッ…これって…」

 

「これを…君に預ける。これは私が入隊と同時にもらったものだが、手入れは怠っていないから暴発の恐れはない」

 

 手渡したのは、私が入隊時にお義父さんからもらった一丁の拳銃だ。まだリカちゃんと背格好が変わらない頃に渡されたもの故に、リカちゃんでもある程度は取り回しが効き、反動も大きくないものだ。

 

「本気で君が海兵になると言うのなら、君はこれからこの銃の正しい扱い方、恐ろしさ、そして何より銃を持つという事の覚悟を学ばなければならない」

 

「これの…正しい使い方…」

 

 銃を手に取り、軽く上げたり下げたりして様子を見ている。やはりリカちゃんからすると少し重いのかも知れない。

 

 正直、そろそろ右腕の痛みが強くなってきて視界もかなりぼやけているが、私にはまだ伝えなければならないことがある。

 

「…二年後、その時にもし私が他の基地に異動になっていたとしても、私はまたこの町の港に戻ってくる。私でも、コビー君達でも他の海兵に聞いても構わない。とにかく二年後までにその銃を完璧に扱えるようになっていなさい」

 

「二年後…」

 

「そしてもう一つ…毎日ひたすら走る事。どんな敵からも逃げられるような脚を手に入れるんだ」

 

 私が提示した二つの条件。それは私がこの世界で最も重要だと思っている二つの要素だ。少しの攻撃力と逃げ足、これさえあれば、自分の身は自分で守ることができるだろう。

 

「二年間…君が必死でそれに努め、見事に達成したのなら、私はその間にどの基地に転属になったとしても、必ず二年後にここに戻って君を私の船に乗せる事を、約束する」

 

 しかし、その道は決して軽く、た易い道では無い。

 

 銃の扱いにしろ、脚力にしろ、とても一朝一夕で成し遂げられるものではないのだ。加えてそれに挑むのはまだ十一歳の少女だ。達成できなくとも責めるつもりは無い。この場で無理と言ってくれても無論、一向に構わない。

 

「…どうだ、出来るか?」

 

「…はいっ!絶対…絶対やり遂げます…!」

 

 呼吸を置いて尋ねると、リカちゃんは俯いた顔を上げ、私の目の前までやってきて目に涙を溜めながらも精一杯大きな声で答えた。

 

「そうか…それなら良い」

 

 左の手で優しくリカちゃんの頭を撫で、どうにか笑顔を作って微笑みかける。

 

 これなら、大丈夫かな…多分。

 

「さて…そろそろ出航だ。全員準備にかかれ」

 

「無理ですよ!引き渡しを延期してもらうべきです!」

 

 出航の時間が近づき、側にいた副官に声をかけると、すごい勢いで怒られた。

 

 いや、確かに右手はめちゃめちゃ痛いし、血が抜けすぎて頭はクラクラするし、気持ち悪いしで立ち上がるのも億劫だけど、護衛班である私の負傷ごときで本部からの引き渡し船を海の真ん中で待たせるわけにはいかない。それに今回は子供から銃を取り上げるだけの話だったのに、それすらしくじった私の失態だし、なおさら出航をおくれさせるわけにはいかないのだ。

 

「既にもう本部の船は合流地点に近づいているんだ。あちらも食料の問題もある。この程度で遅れさせるわけにはいかないさ」

 

「しかし…!」

 

「処置の続きなら船の中で頼む。…その前にこの子を送って来る」

 

「少佐ぁ…」

 

 頭を抱える副官を置き去りに、一時的な処置が終わり、包帯でぐるぐる巻きになった右腕を揺らしながら左手ではリカちゃんの手を握って船のタラップを降る。

 

 船の下では、当然と言うべきか、リカちゃんのお母さんが顔を真っ青にしながら船に向かおうとするのを基地の海兵達に制止されていた。

 

「リカ!あなたリード少佐になんてことをしたの!?」

 

「お…お母さんごめんなさ…」

 

 リカちゃんのお母さん、リリカさんはリカちゃんの顔と、包帯でミイラ状態になった私の右腕を交互に見て、ただでさえ青かった顔を白味が入る程に青くしてリカちゃんに詰め寄って右手を振り上げた。

 

「お母さん、待って下さい。リカちゃんは何もしていませんよ。私が受け取った銃を落としてしまってこうなったのです」

 

「少佐さん…!?」

 

「そんな…!」

 

 リカちゃんの頬を打とうとしたリリカさんの腕を左手で止め、優しく諭すように告げる。

 当然リカちゃんは事実と違う私の言葉に驚き、私の顔を見上げるが、私は口で大丈夫、と形を作り、話を続ける。

 

「そんな…嘘はやめてください!責任は…責任は私が代わりに取りますから!」

 

「嘘なんかではありませんよ。ここにいる私の部下全員が証人です。そうだろう?」

 

『は…はっ!!』

 

 私の言葉一つで察してくれるあたり、本当にいい部下を持ったものだ。

 

 甲板にいる部下全員が私の言葉に敬礼で返すと、リリカさんは何も言えず、視線を地面に迷わせた。その様子を見ているリカちゃんに左手で頭を撫で、再び目を合わせて笑顔を作る。

 

「確かにこの子は、銃を持ち出して危険な行為に及びました。一歩間違えれば死人が出たかもしれません。しかし、リカちゃんの今回の行動に対する思いを、分かってあげてください」

 

「お母さん、ごめんなさい…わたしどうしても海軍に入りたくて…それで…」

 

 私と自分の娘の言葉にリリカさんは長く息を吐き、リカちゃんの目を真っ直ぐ見据えて言った。

 

「…本気で言っているの?」

 

「本気だよ。二年間、必死で訓練して、少佐さんの船に乗るの!」

 

「海兵の皆さんの前で言うのは凄く失礼なことですが、海兵になるというのはは危険なことなのよ。お父さんが五年前に亡くなったのは覚えているでしょう?」

 

「うん…分かってる。でも、少佐さんと約束したんだもん!」

 

 リカちゃんの訴えを聞いたリリカさんの視線が今度は私に向いた。その目には少し涙が浮かび、何か覚悟を決めたような目をしていた。

 

 そして、私の側にいたリカちゃんを足元に寄せ、頭を撫でながらぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「…いつか、この子がそう言い出す日が来る事を、覚悟して居たんです。この子は何より夫の仕事に憧れを持っていました。夫の銃を持ち出したのもそういう事なんでしょう。

 

 そこまで言って、リリカさんは再びリカちゃんに視線を戻して口を開いた。

 

「やれるだけ、やってみなさい。幸いまだ二年あるわ。その間に一度も弱音を吐かずにやり遂げることができたのなら、私も応援するから」

 

「…お母さん!」

 

 母の言葉を聞いたリカちゃんは顔いっぱいに笑顔を作り、母の胸に飛び込んで行った。

 

「それじゃ、私はもう行きます。リカちゃん、一週間くらいで二人と一緒に帰って来るから、私たちが見ていなくてもしっかり練習するんだぞ?」

 

「はいっ!頑張りますっ!!」

 

 快活な声と可愛らしい敬礼に見送られ、私は船に戻る。その際に入れ違いになった基地の兵に後の事を託した。

 

 一週間後、私が戻るまでとはいえ、この基地の方には迷惑をかけてしまうことになった。戻ってきたらリッパー中佐には平謝りすることにしよう。

 

「さて、出航だ」

 

「その前に治療です!!」

 

 なんか…副官がお母さんみたい…。

 

 錨をあげ、帆を張る他の部下たちをかき分けやって来た副官が、ぷんすかと怒りながらも甲斐甲斐しく私の腕の包帯を外して医務室に向かって一緒に歩いて行く副官の姿を横目で見ながらまだ見ぬ母にその姿を重ねる。

 

 って痛たたた…なんか必死だった分、痛みも和らいでたけど、今更なんか痛くなってきた。

 

 あぁ、この先こんなので大丈夫かなぁ…。

 

 副官に手を引かれ、医務室に向かう途中で空を見上げて人知れず溜息をついた。

 

 

 

 あ、ちょっと医務官さん…もうちょっと優しく……いったぁ!



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祖父と孫娘

 水平線から太陽が昇る。

 

 眼下に広がる水面にはまだ朝霧が薄いカーテンの様にかかり、太陽の光の反射を少し鈍らせていた。

 

 静かな朝だ。

 耳をすませれば船が海原を分けすすむ音と、少し離れて並走する護送船の上で今日も元気に竹刀を振るうコビメッポの雄叫びが風に乗って時折聞こえてくる。

 

 私は船のメインマストの横柱の上に立っていた。

 この時間はメインマストの見張り台には誰も居らず、マスト上は、柱の上に立つ私一人の空間だ。

 

 出航してから三日、私の右拳は奇跡的に死んではいなかった。筋肉の隙間に入り込んだ銃の欠片を全て除去し、折れた骨と骨をつなぎ合わせ、さらには筋肉、切れた血管を復元し、まだ手術痕も傷自体も全く治ってはいないが、なんとか元の拳の形には戻りつつある。安静にしていれば、一ヶ月程で以前のように拳を握れるようになるらしい。

 

 二日前の手術後に船医から聞いたそれは、私にとって非常に嬉しいニュースであったが、拳が使えないからと言って、ただ一ヶ月病床に臥して待つわけにも行かず、私は右拳を使わない足技の訓練に朝早くからやってきていた。

 

 わざわざ足技の訓練にこのような足場が悪過ぎる場所を選んだのには幾つか理由がある。一つはバランス感覚の鍛錬に、脚力の増強。そしてもう一つあるのだが、まぁこれはわざわざ言及する必要もない。

 

 

 

 呼吸を整え、準備の屈伸運動で膝を伸ばす。軽く虚空に下段の蹴りを放つように膝を曲げ伸ばしして、十分に膝関節がほぐれたのを確認すると、私は動作の段階を一つあげた。

 

 靴を脱ぎ、裸足の左足で柱をしっかりと掴み、左足を起点に右足をゆっくりと持ち上げていく。

 

 絶対に膝は曲げない。添え木を当てられているかのようにピンと伸ばしたまま、額に足が触れるすれすれまで持ち上げる。

 見ての通り、片足立ちの体勢である。

 しかし、柱を掴む左足と持ち上げた右足がマストに垂直に立つ柱のように、一本の直線を描いている点は普通のものとは明らかに異なる。

 

 胴体も、決して後ろには倒さず、持ち上げた左足と胸がくっつくような位置を維持している。

 少し爪先やかかとに体重が偏って乗ってしまえは、重心はズレ、マストから転落してもおかしくない。

 

 落下しないために体は一切ぶれさせず、鍛え上げた体幹で全てのバランスを支える。

 

 ある程度の時間その状態を維持し、頃合いを見計らって、軸足を反対側の足に変え、反対も同様に足を天高く伸ばす。

 

 やがて両足の準備運動を終えたら、今度は六式の中の一つ『嵐脚』の練習に移る。マストの上を綱渡りするかのように引き渡し船の反対に回り、海に向かって重心を下げる。

 

 左足を前に、右足を少し後ろに下げて腰を落とす。体重は右足に乗せ、太ももとつま先に力を貯めていく。

 

 そして曲げた右足を前に向かって蹴り出し、左足に体重を移動させながら鞭のようにしならせた右の蹴り上げを…。

 

『嵐きゃ…』

 

『少佐ァー!何処ですかァー!?』

 

 放とうとしたところで下から響いた医務官の声に力を吸い取られた。

 

 って、わっ…わっ…落ちるっ!?

 

 突然の声にバランスを崩し、危うく軸足がマストの柱から滑り落ちそうになる。なんとか側にあったロープを左手で手繰り寄せ、なんとか事無きを得るも、部下達には結局今日もばれてしまったようだ。

 

「少佐が逃げたぞー!全員慌てず急いで優しく捕獲せよ!」

 

『はっ!』

 

 早朝にも関わらず、副官の号令に従って船室から部下達が飛び出して来る。私がマストの上という不安定な場所で訓練を行っている理由の最後の一つがコレだ。

 

 三日前に右拳を負傷して以来、副官をはじめとした部下達が全員、悉く私に対して過保護になってしまっているのだ。そのため今回のようにこっそり医務室や自室から出て、誰の目にも届いていないところで訓練をしようものなら、こうして全員で捜索が始まり、見つかると自室か、船尾楼まで強制送還されてしまう。さながら迷子の子供になった気分だ。少佐の威厳なんてあったもんじゃない。

 

 さらに、その過保護のおかげで訓練はもちろん、何時もなら部下たちに混ざって行っていた舵取りや帆の調整までも危ないからといってやらせてもらえていない。

 

 今の私の仕事は、専ら自室で海図を見ながら航路を考えたり、見舞いにやってきた部下とおしゃべりしたり、船尾楼で舵をとる副官に指示を出したり、果物を剥いてくれる部下に餌付けされたり、時折こちらの船に移って訓練をするコビメッポに口頭で指導したり、無意味に船首に座ってぼーっとするという、何とも働いている皆には申し訳ない程度の仕事しかしていない。

 

 今まで怪我という怪我なんて一度もした事が無かったから、みんな神経質になっているのかもしれないけど、それでも何もしないというのは、基本的に働いていたい体質の私にとって、かなり辛い事になっている。

 

 そして私が最も困っているのは私が医務室や自室にいる時に、手の空いている部下達がひっきりなしに詰め掛け、りんごやら桃やらを剥いたり、部屋におかれたお見舞い用の花の水を替えたりと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる事だ。

 

 部下からの手厚い看護というのは私としても、上官としてもすごく嬉しいのだが、生憎私にはそれに見合った対価を彼らに払うあてがない。

 彼らはやりたいからやっていると言ってくれているのだが、それでも申し訳なさというものは払拭し難いものなのだ。

 

「あっ!少佐、そんなところにいらしたんですね。早く医務室に戻ってください。包帯を変える時間ですよ」

 

「あぁ、分かった。わざわざすまないな」

 

 結局、今日もあっさりと部下の一人に見つかり、マストから飛び降りて大人しく医務室に向かう。

 今日の午前中には引き渡しが始まる予定なのに、こんな調子で大丈夫なんだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

『な…なんでだ…なんであの人がここに!?』

 

『あの船首…本物か!?』

 

『罪人の引き渡しに中将が来るなんて聞いたことないぞ!?』

 

 合流地点に近づくと、すぐ近くを並走している護送船から声が上がる。

 

 それもそのはずだ。一週間前の通信では本部大佐が乗ってくるはずだった引き渡し船に、本部中将にして『海軍の英雄』という異名を持つ生きる伝説。『モンキー・D・ガープ』が乗ってくることなど誰が想像できようか。

 

 しかし、突然の出来事に驚きを露わにしながらも慌てて敬礼の姿勢を取る向こうの護送船の船員達とは対照的に、こちらの護衛船に乗る船員達達は、ガープ中将の突然の登場にも全く慌てた様子など見せず、どちらかと言うと死んだ魚のような目をして、甲板の上で遠巻きに敬礼を向けていた。

 

 私と共に151支部を出てきた若きリード隊の皆は、私を強制的に鍛えようとやってくるガープ中将に幾度となく顔を合わせたことがある。

 さらに、時折巻き添えを食らって私の訓練に強制参加させられたり、思いつきで始まる中将の流行の遊びに付き合わされるなどの経験から、ガープ中将の子供のまま大きくなったような性格を嫌という程体で理解している。

 

 それ故に、彼らがこの様な態度になるのも無理ない。全員が頭の中に考えているのは大方こんなところだろう。

 

 ーー絶対、ただ事じゃない何か事件を拾ってきてる!

 

 ーーつーかそれ絶対に面倒ごとか厄介ごとだ!!

 

 声に出さない叫びが、彼らの表情からありありと伝わってくる。

 

『ぶるるるああぁ!!ぶゥるるるァ!!』

 

 うひゃう!?

 

 突然私の胸元から響いた声に、私を含む全員の肩がビクッと跳ね上がる。慌てて胸元の紐を手繰り、取り出してみると可愛らしかったカルゴ君の顔にはヒゲが生え、左目を囲うようにして古傷の痕がある、ガープ中将の顔に変わっていた。

 

 このおかげで電話の相手が誰かはわかるから便利なんだけど、わざわざここまでやる必要あるのかな…?というか毎回思うんだけどちゃんと元に戻るよねコレ…このまんまとか絶対嫌だよ。

 

「少佐…」

 

「分かってる。みなまで言うな」

 

 副官が心底嫌そうな顔をしながら私に促した。周囲の兵たちはもう覚悟を決めたのか、それぞれ遠く離れた場所でイルカが跳ねたのを遠い目で見ていた。

 

『がちゃ…あーあー、聞こえとるかエヴァ。こちらじいちゃん。こちらじいちゃん』

 

「はい、聞こえています。お久しぶりですガープ中将」

 

 あぁ…久しぶりだ…。

 

 久しぶりに声を聞いたというのに、懐かしさよりも憂鬱が押し寄せるあたり、自分の心の奥底に刻まれたガープ中将に対するトラウマの深さが分かる。中将の事は決して嫌いなわけでは無いのだが、この声を聞くとどうしても過去の地獄のような訓練がフラッシュバックしてしまい、どうしても一歩引いた気分になってしまう。

 

『なんじゃ堅苦しい!いつもじいちゃんと呼べと言っとるじゃろうが!』

 

「はい…すみませんお祖父様…」

 

『じいちゃんと呼べじいちゃんと!それにその堅苦しい言葉遣いをなんとかせい!』

 

 ぐぬぬ…やはりそう来たか…。

 

 幼い頃、私は中将の事をじいちゃんと呼んで基地に来るたびにくっついて甘えていた。親心というのか、爺心というのかよく分からないが、中将は未だに私の事を幼いままに捉えているらしく、最近になって部下の手前、何時までも海軍の英雄をじいちゃんと気安く呼ぶのもはばかられ、『ガープ中将』と呼ぶようにしたら、その度にじいちゃんに戻せとその都度、だだをこねられるようになってしまった。そして厄介なことに、このじいちゃんのわがままは、私が幼い頃のように口調を崩すまで終わらない。

 

 私も中将と話す時に気兼ねなく話せるのは楽だし、嬉しいことではあるのだが、問題は部下がいる時だ。付き合いが長い一部の部下は中将の性格や、今回のような時の対処法は理解しているため『あぁ、今回も大変ですね』というような視線を向けてくれるだけで私が砕けた口調で話しても特に気にはしないでいてくれるのだが、それでもやはりこれまでの偉そうな態度をとっていたことを考えるとどうしても恥ずかしくなってしまう。

 

『おーいエヴァ!聞いとるのか!?』

 

『ガープ中将!エヴァが困りますからそろそろ要件をお願いします!!』

 

『ぬ…仕方あるまい。エヴァ、護送戦に続いてわしの船の左舷に船を着けろ。そしたら護送戦でオルガンとチェロをわしが預る』

 

『モーガンとクロです。ガープ中将』

 

『なんでもいいわい。それより早く来るんじゃぞエヴァ。プレゼントがあるんじゃ!』

 

 いつも通りの無茶振りに、どうしたものかと副官と二人で頭を抱えていると、唯一、中将を止められる頼れる副官のボガードさんが通信の先で助け船を出してくれた。

 

 さすがボガードさん。私達にできないことを平然とやってのける。そこに痺れる、憧れる。

 

 ボガードさんのお陰で、三十分はかかるだろうと見ていた中将との通信は三分とかからず一方的に終了した。私達はこの後すぐに進行方向にある中将の船の左舷に船を着け、引き渡しの護衛を行う。正直言って話の最後に出てきた『プレゼント』が非常に不吉な雰囲気を醸し出していて、行きたくない気持ちでいっぱいなのだが、仕事だからそういうわけにもいかない。

 

「面舵いっぱい。ガープ中将の船に乗り込んで引き渡しの護衛を行う」

 

『了解…』

 

 部下たちも中将の出現と謎のプレゼントに戦慄しているのか、かなりテンション低めで持ち場についていく。

 

 あぁ…どうかなにも起こらずに終わりますように…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 

「…楽しそうだな…あっちの船は…」

 

「…そうだね…」

 

 窓がなく薄暗い砲列甲板、火薬庫の中で大砲の整備を行いながらヘルメッポさんが呟いた。

 

「…またリード少佐が医務室を抜け出して訓練してたんじゃないかな?少佐はすごく真面目な人だから…」

 

「あぁ…そうかもな」

 

 護送船に乗り込んで以来、ヘルメッポさんはずっとこんな調子だ。しかしそれも無理はないだろう、僕らが乗るこの護送船は、ヘルメッポさんのお父さんである、モーガン元大佐を処刑台に送るための船だ。リード少佐とリッパー中佐が率いた遠征での死傷者があまりにも多く、その数合わせとして乗ることになった僕らだったが、その命令は、ヘルメッポさんにとってはあまりにも残酷な命令だった。

 

「…気にすんなよ、俺だって覚悟は出来てんだ。親父のしたことはとても許せることじゃねぇ。リカやあの鬼少佐に会って俺はようやく分かったんだ…」

 

「…うん、ごめんね…」

 

 あの一件で、生育環境に問題有りという理由で罪を免れたヘルメッポさんは、僕と一緒に雑用として働く中で少しずつ変わっていった。

 

 最初は以前までの癖が抜けず、誰に対しても高圧的で高飛車だったヘルメッポさんも、過酷な訓練や、自分が今まで全く無縁だった雑用などを行う中で、一人の海兵としての役割を知り、リカちゃんや、町の人達と関わる中で、人とのつながりを知った。最近では理想の海兵として僕と共に少佐の影を追うようになった。

 

 しかし、その事が余計にヘルメッポさんを苦しめる結果になってしまった。

 リード少佐を見て正しい海兵の在り方を知った事で、モーガン元大佐がどれほどの悪人だったかを知り、リカちゃんや、町の人達に優しく接してもらったことで、自分がこれまでどれほどその人達に非道な行為をしてきたのかを知ってしまった。

 

 だから、ヘルメッポさんは今ひどく苦しんでいるのだ。悪に手を染めたとはいえ、彼にとっては実の父だ。それを処刑台に送るための今回の航海に苦しまないはずがない。

 

「…とにかく俺たちは、さっさと少佐みてぇに強い海兵にならないとダメなんだ。誰にも後ろ指さされないくらい強くなって…親父の罪を俺の名で隠せるくらいに、正しくて強い海兵にならねぇと…」

 

「うん…頑張ろう、ヘルメッポさん!」

 

 涙がこぼれそうな表情だ、薄暗い船室でランプに照らされた横顔を見て思った。

 

 しかし必死に何か気の利いた言葉を考えても、僕の乾いた口から溢れるのは、せいぜいヘルメッポさんの言葉を肯定することくらいだった。

 

 努めて明るく言ったつもりだが、それを言った僕の顔は本当に笑えていたのかはわからない。何を於いてもあと数時間で引き渡しは始まる。その間も、終わった後も、ヘルメッポさんのことは、親友である僕が支えなければならない。

 

 僕に…出来るかな…。

 

 

 薄暗い船室の中に大砲を磨く高い音と、火薬樽から中身を出すために側面を叩く重厚な音が響く。

 

 それから僕らは、互いに一言も声を発することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 

 合流地点に指定されていた、とある無人島の沖、四キロメートルの海域に、わんこ印のガープ船が浮かんでいた。

 

「ぶわっはっはっは!久しぶりじゃのうエヴァ!!ついでにお前ら!」

 

「うん、久しぶりだねおじいちゃん」

 

『はっ!ご無沙汰しております!!』

 

 それを視認した私は船員たちに指示を出し、ガープ船の左舷に横付けして貰い、右舷につけるために周囲を旋回する護送船よりも早く、一番付き合いが長い部下達を三人だけ連れてガープ中将と、後ろに控えるボガードさんとの久しぶりの再会を喜んでいた。

 

「相変わらず小さいままじゃが、しっかり牛乳は飲んでおったのか?お前がいる基地に行くたびに最高級の牛乳を取り寄せてやったじゃろう?」

 

「牛乳は飲んだけど効かなかったよ?」

 

 そりゃ二メートル五十センチもありゃ未だに一メートル五十と少ししかない私の身長なんていくら伸びても、たいして代わり映えしないわな!

 

 ぶわっはっはと笑いながら私の頭を撫でるじいちゃんの顔を睨みながら頭の中で訴える。

 じいちゃんは私が成長期に入った頃、ルフィやエース達と比べて身長が低いという理由で、偉大なる航路で買ってきた高価な牛乳を金樽で持ってくるようになった。結局身長は一メートル五十と少しで落ち着いたあたり、全くと言っていいほど効果はなかったものの、フレークにかけたりイチゴにかけたりと、食堂で料理長が作ってくれた料理の味は味はすごく美味しかったのを覚えている。

 

「それより、どうしてこんな仕事にわざわざおじいちゃんが来たの?いつもならめんどくさがって来ないのに…」

 

「おォ!そうじゃったそうじゃった!これをお前にプレゼントしようと思ってな!ファンの奴が渡していないと言っておったから作らせようと思ったら、目ざとくそれを聞きつけたおつるちゃんが見立ててくれたんじゃ!おい、ボガード!!」

 

「はい、ここに」

 

 おつるちゃん。その言葉に側にいた数名の部下がどよめいた。じいちゃんの言う『おつるちゃん』とは、当然『海軍本部の大参謀』として名高いおつる中将の事だ。じいちゃんと同期の女性将校で、実力、二つ名からも分かるその知略ともに海軍本部の英雄に讃えられる一人だ。

 

 そんな凄い人から一体何が送られてきたと言うのだ。ボガードさんが高価そうな箱から取り出したこれまた高価そうな大きい二つの紙袋に戦慄しながら、じいちゃんの手から渡されたそれを凝視した。

 

 重ねて持ったそれは紙袋の見た目よりも重く、中身は服か、それとも何か他の布製のものなのか、腕の間に形を変えて沈んでいった。

 

「どうした、開けてみい」

 

「あ…うん。ギルス副官、こっちを預かってくれ」

 

 片方を側に控えていたギルス副官に預け、海軍本部のシンボルが刻まれた一つの紙袋の包装を丁寧に解いていく。

 

「あ…スーツ…?」

 

 中に入っていたのは、胸元に桜の模様が刺繍された白いジャケットとパンツのセットに、淡い桃色のシャツと淡い青のシャツが数枚、そしてそれ似合うネクタイが数種類入っていた。

 

「そうじゃ、ここに来る前にファンから電々虫でお前が旅立った時いた時に制服のままだと聞いたからな。急いでおつるちゃんに見立ててもらったんじゃが…おつるちゃんめ…自分とお揃いの物を作りよったな…」

 

「か…可愛…げふんげふん…あ…ありがとうおじいちゃん!でも、なんでわざわざつる中将が?」

 

「あぁ、少し前に本部の奴らにお前の話をしたら彼奴らまとめてびっくりしよってな。ファンの話と写真を見せたらおつるちゃんがいつの間にか仕立てておったんじゃ。どうせ、自分の部隊に入れたいとか考えておるんじゃろ」

 

 貰った可愛らしいスーツに口が滑りそうなのを必死で堪え、じいちゃんに尋ねると、じいちゃんはいきなりとんでも無いことを言い始めた。

 

 私がつる中将の部下?いきなりそんな話をされても困る。いや、嬉しいのは嬉しいんだけど、そうなると、この東の海とは比べものにもならないほどの危険地帯である偉大なる航路には入らなければいけない訳で、そんな怖いところには正直、行きたくないわけで!!

 

「おい、少佐も遂に偉大なる航路に入る時が来たぞ…!」

 

「やっとかよ!遅すぎだってぇの!」

 

 …って後ろの部下たち喜ぶなぁ!!

 

「とりあえず、まずはそれを着て来い。船室を使うと良い。覗いた奴は地の果てまでぶっ飛ばしてやるから安心せい!」

 

「え…あぁ…うん、ありがとう…」

 

 混乱しながらふらふらとスーツを手に船室の扉を開けて手近な部屋で着替えを始める。

 

 だめだ…いきなり過ぎる話が多すぎて頭がついていかない。甲板ではじいちゃんやボガードさんと何の話をしているのか、ギルス副官やキンドロ二等兵、ジャンク砲長の歓声が上がっている。

 

 …というかスーツの着方とか着たことないからよく分からない。えっと…ボタンは全部閉めていいのかな…ネクタイ…分かんない…襟は…あれ?なんか前と違う階級章が付いてる…結構長いこと付けてたから新しいものなのかな?

 

「…ネクタイはいいか。戦いにくいって言えばなんとかなるかな…」

 

 手探りで貰ったスーツへの着替えを終え、部屋を出る。甲板への扉の前にあった鏡で軽く格好を確認しても特に違和感はなく、ネクタイ以外は綺麗に着れているようだ。白いスーツというのは初めてだけど、なんかこういうのを着ると出来る人っぽく見えてなんか嬉しい。

 

「…えへへ」

 

 ダメだ。自分の姿を見て照れるとか恥ずかしい。これから部下の前に出るんだから軽く緩んで見えるしっかり顔面を戻さないと…。

 

「おーい、エヴァ。まだかー?」

 

 鏡の前で顔をむにむにとマッサージしていると、甲板からじいちゃんの声がかかる。

 

「はーい、今行く」

 

 顔が元の石仮面状態に戻ったことを確認し、返事をしながら扉を開ける。その扉の先で私を待っていたのは、全く予想だにしないものだった。

 

『大佐!!おめでとうございます!!!』

 

「わ…ど…どうした?」

 

 扉の前には連れてきた三人の部下がクラッカーを手に立っており、私が扉を開けると同時にそれを一斉に鳴らして出迎えてくれた。

 

 

 …ってか今大佐って言わなかった?

 

 

「昇進おめでとうございます!これで俺たちも晴れて本部海兵ですよ!」

 

「そして大佐は海軍支部少佐から一気に海軍本部大佐への大出世だ!こんなにめでてぇ事はねぇやな!」

 

「こっちの中身は本部のコートだそうです。着てみてください」

 

「…私が大佐…?本部の…?」

 

 

 ちょっと待って。エヴァそろそろ頭パンクしちゃうよ?

 

 一体何が起こってるのこれは?ギルス副官、ジャンク砲長、キンドロ二等兵が私の背中にコートを掛けながら口々になんかとんでも無いことを口走っている。

 大佐?海軍本部?ごめんちょっとよくわからない。

 

「なんじゃ、襟章を見ておらんかったのか?本部大佐のものに変えておいたじゃろ?」

 

「え…あっ…」

 

 言われるがままに船室の鏡で確認した私が口に出せたのはそんな蚊の鳴くような声だった。

 私が海軍本部の大佐…?本当に?

 

「センゴクに話したら本部に召集するように言われてな。わしも元からそのつもりじゃったから襟章を預かって来たんじゃ。本部は実力があればどんどん上の階級に行くから准将のを寄越せと言ったんじゃが、センゴクが自分の目で確かめたいと言うからひとまず大佐に落ち着いたんじゃ。全くあのわからず屋め…」

 

「い…いや!少佐のままでいいよ!」

 

 じいちゃんの言葉に部下三人組が揃って頷いているのをなんとか制止する。いや…もう何が何だかわからないし、誰も私の話聞いてない!

 

「わしの拳骨を受け継いだお前ならもっと上でもいいと思ったんじゃがのう。なぁ、ボガード。エヴァの拳骨もなかなかの…」

 

 じいちゃんが私の右手を見ながらそこまで言って言葉を止めた。正しくは包帯で包まれた私の右拳を、だが。

 

「ど…どうしたんじゃエヴァ!?その怪我は!?」

 

『いや遅ぇよ!!』

 

 部下達とボガードさんの勢いの良いツッコミが交錯する。ってか本当に気づかなかったのじいちゃん!?

 

「誰にやられたんじゃ!?アレか、コロか!コロにやられたんじゃな!?」

 

「クロです、中将」

 

 私の肩を掴んでガックンガックンと揺するじいちゃんにボガードさんが冷静に突っ込む。って、ツッコミはいいから早くこれを止めてー!酔う!せっかくの白いスーツを色々ヤバい液体で汚しちゃう!!

 

「おのれクソ海賊が…その名前の通りにボロ雑巾に変えて……」

 

「クロです。中じょ…おや?」

 

 私を揺すりながらそこまで言って声と動きが止まった。

 

「Zzzz…」

 

『寝たァ!?』

 

 …もう…どうしたらいいのこれ。

 久しぶりのじいちゃんの奇行オンパレードと部下たちの揃ったツッコミに内心泣きながらじいちゃんの大きな手から脱走する。

 

「中将はエヴァに会うのを楽しみにしすぎて殆ど眠ってなかったからな…勘弁してくれ」

 

 じいちゃんの手から脱した私に、ボガードさんの声がかかった。よく見ればボガードさんの目にもくまが出来ており、じいちゃんの話に夜通し付き合ってくれていたのが容易に想像できる。

 

「おォ!いかんいかん、寝ておった。まだ話は終わっとらんぞエヴァ!どこのどいつにやられたか教え…」

 

「ガープ中将!罪人の護送準備整いました!」

 

 鼻ちょうちんを膨らませ、立ったまま寝ていたじいちゃんが起きたのとほぼ同時に護送船に乗っていた兵がタラップをかけて船に乗って来た。大騒ぎしているじいちゃんに声をかけるが、そんなことでこうなってしまったじいちゃんが止まるはずがない。

 

「やかましい!そんなのは後じゃ!」

 

「ダメだよ!?護送が任務でしょ!?」

 

「ぬっ…しかしだなエヴァ!」

 

「しかしも案山子もないの!今は任務!引き渡しの準備を整えて!」

 

「ぬぅ…では後で聞かせてもらうぞ…」

 

 こうなってしまったじいちゃんはこの手に限る。

 

 じいちゃんがたった一人の孫娘である私に甘いのは、ルフィ達といた時から知っていることだ。

 とにかく、なんとか引き渡しまでこぎつくことが出来た。終わった後のことはそれから考えよう。

 

「じゃあじいちゃん。私も船に戻って配置を整えるね」

 

「うむ。ではあとでな」

 

 そう言って私たちはじいちゃんの元を離れ、船に向かって歩き出す。その間に、ギルス副官が声をかけてきた。

 

「お疲れ様です、大佐。今回も大変でしたね」

 

「いや、まぁお爺様にとっては私はいつまでも子供のままなんだろう。これくらいのことは仕方ないさ」

 

「にしてもさすがは大佐だ。慌てる演技までさすがでしたぜ」

 

 ごめんなさい。あっちが素です。

 

 部下達は私のあの態度をじいちゃんを喜ばせるための演技として捉えている。当然真実は逆で、いつものこの偉そうな口調の方が頑張って演じている方なのだが、まさかそんな事を言えるはずがない。

 

「おぅお前ら!仕事だ!海軍本部のリード大佐の初命令をよく聞けよ!!」

 

 気を良くしたジャンク砲長が船の外板に立って甲板に集まって、私たちの帰りを待っていた部下に声をかける。その一言で部下たちはざわめき、つる中将から頂いたスーツに、本部のコートを着た私の姿を見た者からは歓声が上がる。

 

 それにしてもジャンク砲長…珍しくいい笑顔でサムズアップされても反応に困るよ。

 大方、空気を温めておきやしたぜ、みたいな事を考えているのだろう。

 

 そんなジャンク砲長に左手を上げて応えると、私は部下たちに聞こえるように改めて少し空気を吸い、声を上げた。

 

「総員配置につけ!引き渡しまでの間の警護を怠るな!」

 

『はっ!!』

 

 私の言葉に、部下達は一斉に動いていく。さて、いよいよ引き渡しだ。じいちゃんがいるし、何事も起こらないとは思うけど、相手はモーガン元大佐とクロだ。十分に注意をしなければ。

 

 少し浮ついた思考を断ち、部下を引き連れて私はじいちゃんの船に戻っていく。護送船の甲板にはすでに錠で手足を拘束されたモーガン元大佐とクロが立っていた。

 

 



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強襲と奇襲

長らくお待たせしまして本当に申し訳ありませんでした!

私生活が非常に忙しかったのと、ヘルメッポの未来がかかる大事な場面だったのとで、ひっじょーに悩んだ結果、まるまる一ヶ月かかってしまいました!

自作はなるべく早く投稿します!


※クロが脱出するところなのですが、改めて見直すとどうしても違和感が拭えなかったので、少し表現を変えました。話の内容的には全く変わりませんので、ご報告のみ、しておきます。


「おい、兄弟。クラッカーは用意できてるか?」

 

「大丈夫だ。いっつもキンドロが荷物に入れてる」

 

「船室の飾りつけ用の紙紐は?」

 

「それもキンドロが終わらせてる」

 

「花冠は……」

 

「さっきキンドロがせっせと編んでたぞ」

 

「あいつ何でも持ってるな……」

 

 

 

ジャンク砲長がリード少佐の本部招集というとんでもない知らせを持ってきてから、およそ10分が過ぎた。

 

俺たちは引き渡しの行われるガープ中将の船に乗り込み、甲板で整列の位置の確認や、各自の武器の整備など、これからすぐに行われる引き渡しの準備を進めている。

 

 

 

 

 

……はずなんだが、黒猫海賊団の残党の襲撃を想定し、砲兵達が待機しているはずの甲板下の砲列甲板からはどこか気の抜けた同僚達の陽気な声が響いていた。

 

その理由は彼らの話を聞かずとも十分に既にわかっている。

 

彼らはこの引き渡しが終わった後に開催される予定の『リード大佐の昇進記念パーティー』の会場設営の算段をつけているのだ。

 

ジャンク砲長がリード大佐の大幅な昇進という朗報を持ってきてからまだ10分ほどしか経ってはいないが、既に兵卒達は東の海一と謳われるリード隊の連携を盛大に無駄遣いし、パーティー開催という報せを大佐に知られない様に水面下で連絡をつなげており、既にその報せは大佐と一部の上官を除いて、

リード隊全員が知っている。

 

それもこれも、全てまさに今、目の前で愛砲の整備を念入りに行っている憎き同僚の所為だ。

 

「よぅ、バンババン。これからモーガンの引き渡しだってのにずいぶんテンションが低いじゃねぇか」

 

「はぁ…今ので三倍テンション下がったぜ」

 

今日も今日とて、とんでもない名前で俺を呼びながら、キンドロが背に愛砲を背負って近づいて来る。

 

こいつが呼ぶ今回の名前もわけがわからない。

バンババンって、少しアクセントを変えると人の名前にも聞こえなくない単語だ。例えば漢字に直すとしたら番場 蛮とか、そんな名前になるかもしれない。いや、本当にどうでもいいけど。

 

「これから重要任務だってのに、お気楽なもんだと思ったんだよ。これから引き渡すのは海軍の汚点と懸賞金一千万超えの大物だろ?」

 

「まぁまぁ、ああ見えてあいつらもリード隊の一員だぜ? 仕事ン時はしっかり切り替えるさ」

 

「そう言うもんかね…」

 

キンドロの言っていることは正しい。

確かに、このリード隊の面々は仕事と平常時の顔がはっきりと分かれている。水平線上に海賊の姿も見えない航海時は、まるで自分たちが海賊になったかの様に甲板で歌ったり、休んでいたり、遠巻きに大佐を愛でたりしているのにもかかわらず、リード大佐の『海賊の匂い』という鶴の一声を受けると、即座に戦闘態勢に移り、容赦無く海賊船を撃沈するのだ。

 

仕事とプライベートのメリハリがはっきりしているというのは隊にとっては非常に良い事だし、張力ギリギリに緊張の糸を張っておくよりは程よく気を抜いておく方が良いというのはわかってはいるが、なぜか今は、この雰囲気が不安で仕方がなかった。

 

「…不安か?」

 

そんな俺の心を見透かすかの様に、キンドロが声を潜めて囁いた。

 

「いや、別に……」

 

「隠すなよ。今回ばかりはこの俺も少し、不安を感じてんふぁ」

 

キンドロが続けた言葉に、思わず心臓がどきんと跳ねた。

 

キンドロの勘はよく当たる。

無論、大佐の未来予知に近いそれと比べると明らかに劣るが、それでも兵卒の中では明らかに図抜けて強いキンドロの戦闘時における勘の鋭敏さは、誰もが知る所だ。キンドロのそんなキンドロが自ら不安を口にした事が、俺のの心に渦巻く不安を、より一層不気味なものに思わせた。

 

良く見れば普段ならばダラダラと惰性に行っている愛砲の整備にも熱が入っているように思える。

 

「今は下で騒いじゃいるが、あいつらもリード隊の端くれだ。この妙な胸騒ぎには薄々感づいてると思うぜ」

 

「そうか……それなら良いんだが…」

 

『うぉらてめぇら!!何サボってやがる!』

 

『げぇっ!?砲長』

 

キンドロが零した言葉に半分胸をなでおろしかけた瞬間、突然床下からジャンク砲長の怒声と先ほどまで騒いでいた同僚たちの悲鳴が上がり、小気味良いゲンコツの音が幾つか連なって響いてくる。

 

「…大丈夫……なんだよな?」

 

「……さてな」

 

明らかに気まずい空気が流れる中、つい口から溢れた俺の問いに、キンドロは分かりやすく目を逸らして答えた。

 

 

 

引き渡しまで、もう時間が無い。

 

嫌な予感は、その時が近づくにつれて、少しずつ大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

「今回の引き渡しではガープ中将殿が直々に罪人の確認をなさるということですので、リード大佐、補佐官をお願いしてもよろしいですかな?」

 

「あぁ、構わない」

 

私の昇進が決まっておよそ半時。乗り込んだじいちゃんの船の甲板ではすでに完全に引き渡しの準備が整っていた。

 

私とじいちゃんとボガードさんは引き渡しの準備が終わるまでの間を使って、甲板の指揮をそれぞれの船の部隊長や副官に任せ、輸送船の指揮官であるロッカク大尉を交えて船首楼で引き渡しの流れを確認している。

 

今はじいちゃんがサプライズと称して秘密にしていたせいで予定が狂ってしまった甲板での立ち位置についての調整を行っていたところだ。

 

とはいえ、本来であれば私が行っていたはずの仕事をじいちゃんと交代し、私はその後ろで控えている補佐官を努めれば良いだけであるため、調整は実にすんなりとまとまった。

 

正直言って今回のじいちゃんの行動は本当に助かったと思う。

二人の大罪人の引き渡しにおける最高責任者という重圧からの解放や、モーガンとクロの目の前前に出なくても良いと言うのは、私にとって非常に嬉しいことだった。

 

モーガンにしてもクロにしても、一度対面しただけでもう二度と目の前に立ちたく無いくらい怖かったのだ。

クロの場合は実際に戦場で拳を交えて知った、歴戦の海賊が放つ重圧はさることながら、明らかに戦った時以上の実力を隠しているのは十分に分かっているし、モーガンに至っては右手が斧だし、デカイし、顎ロボだし、右手が斧だし、見た目ゴリラだし、右手が斧だし、とにかく出来れば目の前に立つことは避けたかった。

 

そんな私の思いを知ってか知らずか、じいちゃんは最高責任者のポジションを快く代わってくれた!

私が中将と大佐の責任の重さの違いをつらつらと語ったり、私が頼んでも『めんどくさい、ヤダ』とゴネるじいちゃんをボガードさんがお説教したりという場面もあったが、とにかく代わってくれたのだ。

 

「では、確認も済みましたので私は甲板の指揮に戻ります。引き渡しの件、くれぐれもよろしくお願いします」

 

そんな流れで話し合いは無事に終了し、ロッカク大尉は船室を出て甲板へと戻っていった。恐らく甲板では私の隊の皆も既に準備を終えそれぞれの持ち場について次の指示を待っている頃だろう。

 

「それじゃ、じいちゃん、私も甲板に戻るね」

 

「あァ、待てエヴァ。お前にはまだ話がある」

 

「話…?」

 

甲板に戻ろうとして船室の扉に手をかけると、先ほどまでの戯けた様子のじいちゃんの声から一転して真面目な雰囲気を含んだ低い声に呼び止められた。声に誘われて振り返ると、その表情にはいつもの戯けたじいちゃんは居らず、海軍中将としてのガープ中将が、そこには座っていた。

 

「…輸送船には、モーガンの息子が乗っているという話を聞いたが、真実か?」

 

「…うん。名前はヘルメッポ。輸送船の雑用で、私が稽古をつけてた兵の片割れだよ」

 

「そうか、あやつか……」

 

じいちゃんが放つ雰囲気に飲まれた私が自然と伸ばす背筋と、強張る声にも構う様子はなく、じいちゃんは噛みしめるように、そうか、と一言零し、腕を組んで何か考え事をするかのように俯きながら、ただ黙した。

 

「エヴァ」

 

「…なに?」

 

十秒か、はたまた一分か、もっと永くすら感じられた窓の無い船室の中に充満した重苦しい沈黙の果てに、じいちゃんが声を発する。

 

「あやつがお前の部下であり、弟子だと言うのなら、お前は奴に教えにゃならんことがあるぞ」

 

「教えなきゃいけないこと?」

 

「わしらの仕事を、じゃ」

 

「私達の…仕事…」

 

じいちゃんの零した言葉を、奥歯で何度も噛みしめるように、頭の中で反芻した。

『私達の仕事』、それが単純に海兵としての任務を指しているわけでは無いことは、容易に理解できた。

普段は破天荒さを絵に描いたようなじいちゃんだが、時折こういう真面目な顔をした時の思慮深さは、私なんか足元にも及ばない。

だからこそ、じいちゃんの真意は他にあると頭ではなく経験から理解出来た。しかしそのぼんやりとした真意の陰に気づくことはできたものの、それの正体が果たして何なのか、その答えに私はすぐに辿り着くことができなかった。

 

「ーーまぁ、これはお前自身にも必要なことじゃ。時が来れば、おのずと分かるじゃろう」

 

じいちゃんの言葉に返す言葉が見つからず、黙り、答えを探していた私の姿に煮えを過ごしたのか、じいちゃんはにっと笑って私の背をポンと叩いた。

 

「私も?それってどういう…」

 

「わしからはこれ以上教えん。自分で学ばねばならんことじゃからの」

 

そこまで言ってじいちゃんは、じゃあの、と短く言って船室を出て行った。

 

「私達の仕事…か」

 

じいちゃんが言った『私達の仕事』の本当の意味は何なのか。

 

私は誰もいない船室の中でそばにあった椅子に腰掛けながら、それだけを部下が声をかけにくるその時まで、ただ悶々と考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

『これより罪人、元海軍153支部大佐、斧手のモーガン及びィ!海賊、百計のクロの引き渡しを執り行うゥ!全員整列ゥ!!』

 

護送船の指揮を任されているロッカク大尉の声が連結した三隻の船に朗々と響く。砲列甲板での整備を終えた僕らは、今度は引き渡しの警護としてガープ中将の船に乗り込み、船の縁に沿うように整列した兵達の中で、護送船の甲板にいるモーガン元大佐が護送船から連れられてやってくるのを、ただじっと待っていた。

 

隣に立つヘルメッポさんの表情は当然暗い。

当然だ。彼にとってはこれが文字通り、今生の別れとなるからだ。立派な海兵らしく在ろうと必死で顔を上げ、ガープ中将の隣に立っているリード大佐の背中に書かれた『正義』の文字を見つめてはいるが、その目には隠しきれない悲しみが、大粒の涙となって瞼の上で震えていた

 

『罪人を、引き渡し船へ連行するゥ!』

 

大尉の声とともに、複数の鎖が繋がれた音が響く。その音にヘルメッポさんとほぼ同時に顔を弾かれ、護送船を見ると、船と船の間にかけられた簡易的な橋の上をモーガン元大佐が十数人の海兵に周囲を固められながら、歩いてくるのが見えた。

 

モーガン元大佐は、約一ヶ月前に見た時よりも、はるかにやつれていた。以前の自分主義で生きていた頃から考えると、それも当然なのかもしれない。しかし、元々凄まじい迫力だった眼光は、やつれた所為で飢えた獣のような迫力を備え、はるかにその威圧感を増していた。

 

「…ッ!」

 

僕らの目の前を通り過ぎる一瞬、全く同じタイミングでモーガン元大佐と百計のクロの目が僕らに…いや、涙を浮かべ、僅かに震えるヘルメッポさんに向いたような気がした。

 

一瞬過ぎてよく分からなかったが、その目は、まるで何かを見定めるような目だった。僕の胸に溶けた鉛のように重い不安感が流れ込む。

 

…何かがまずい。

 

不安感は何か予感めいたものになって僕の胸に広がった。

 

…この引き渡し…何か嫌な予感がする。

 

『止まれェ!改めて罪状を読み上げる!先ずは罪人、モーガン元海軍153支部大佐、斧手のモーガン!この者は絶対的正義を生業とする海軍大佐という立場にありながらァ、その立場にあるまじきィ…』

 

モーガン元大佐とクロのそばに立っていた大尉が手にした目録をガープ中将に向かって読み上げる。しかし、さすがは海軍の英雄と言うべきか、奇妙な犬の被り物で顔はよく見えないが、ガープ中将は二人の極悪人の前に堂々と立ち、二人の眼光にも全くひるむ様子は無い。

 

その背後に控えているリード大佐も同様だ。囚われた二人を前にしても油断など欠片すら見せず、鋭い眼光で二人の罪人を睨みつけている。

 

「Zzzz…」

 

しかし、さすがと言うべきはガープ中将だ。あの二人を前にしても鼻ちょうちんを大小させるパフォーマンスすらやってのけている。さすがは海軍の英雄。この状況でそこまでリラックスできるとは……ってこれ危ないんじゃ…ッ!?

 

どう見ても爆睡しているガープ中将を見て、不安感が一気に膨れ上がったまさにその瞬間、僕の胸中に渦巻いていた予感は的中した。

 

「ぬゥえい!!」

 

声が速いか、それともモーガン元大佐の斧が疾いか、その暴挙に僕の目が追いついたのは、モーガン元大佐が高く大斧の右腕を振り上げている姿だった。

 

『ガープ中じょ…ッ』

 

僕より早くその動きに気づいた誰かが叫んだ。見れば本部の海兵は既に何人かがモーガンと中将の間に割って入ろうと、向かって駆け出している。

 

しかし、いかに本部の海兵でも振り上げ、あとは振り下ろされるだけの斧よりも速く二人の間に割って入れる筈はない。

 

中将が咄嗟に起きて逆にモーガンの斧を叩き折ってくれる、という夢のような展開に一縷の望みをかけるも、中将の被り物の下からは完璧な曲線を描いた美しい鼻提灯が風に揺れている。

 

ダメだ、殺られる。

 

これから一瞬の後、中将が切られて鮮血を上げる姿が予感のように脳裏に浮かび、僕は咄嗟に目を閉じた。

 

その刹那だった。

 

僕が目を閉じるとほぼ同じタイミングで、まるで小さな爆弾が爆発したかの様な爆音と振動が、甲板の板から足を駆け上がってくる。

 

一体何が…。

 

そんな疑問さえ頭に浮かばない内に、再び僕の耳に異常な音が飛び込んできた。

何か太い材木を力任せに叩き折ったかの様な、スイカ割りで力を入れすぎて持っていた木の棒が折れた時に様な、そんな音が響いたのだ。

 

そしてさらに音は重なって反響を強める。

 

『う…うぐぁあああぁああぁ!?』

 

野太い男の悲痛な慟哭が響く。

 

その声は、僕の耳には覚えがある声だった。

 

ひと月前に聞いた声。見た光景。人生の転機となった日の、その全てを覚えている僕にとって、その声は絶対に間違うはずが無い声だ。

 

『拳・骨……』

 

閉じていた目を開き、僕が見たのはそこから先の光景だった。

 

右腕についていたはずの大斧を肘の辺りから失い、血を噴き出させるモーガンと、ガープ中将とモーガンの間に立つリード大佐。

痛みに喘ぎ、体をまるめようとしているモーガンに対し、大佐は右脚を天高く突き上げる上段足刀蹴りの体勢から、瞬時に立て直し、モーガンの顎のほぼ真下に低い体勢で入り込んで訓練の際に何度か見た技の構えに移っている。

 

僕とヘルメッポさんは、この技を稽古の際にも何度か見せてもらったことがある。あの時は単なる素振りだったが、それでも拳が描く軌跡の先を吹き飛ばすような速度と重みを持って放たれる拳が生み出す拳圧は、僕らの常識とは遠く離れた次元にあるものだった。

 

そんな凶悪な威力を秘めた左拳を引き絞った小柄な大佐の身体は既にモーガンのか懐まで潜り込んでいる。後はその左拳を圧縮した力の渦から解き放つだけだ。

 

「おや…ッ」

 

『昇竜!!』

 

そして充分に力を溜め切った大佐の拳が放たれる。

確実にモーガンの顎に着弾したその拳は、蚊の鳴くような声でつぶやいた誰かの声を掻き消し、ぐしゃり、あるいはがしゃんと、とても人間と人間がぶつかり合って発生したとは思えない音を船上に響かせた。

 

空に鮮血が舞い、砕かれた顎の鉄屑の欠片が、海へと消える。

 

訓練の時に見たものと同じ、完璧な軌跡を描いて放たれた大佐の拳は、噴火の時に放たれる火山弾のような勢いでモーガンの顎へと殺到し、鉄で覆われていた顎を容易く粉砕していた。

 

拳を叩きつけた相手の巨体と、大佐が使った拳が利き手ではない分威力が削がれたのか、モーガンの身体が噂で聞いたC・クロのように天高く吹き飛ばされることはなかったが 、それでも、一撃はモーガンに残された力を断ち切るには十分な威力だったらしく、その巨体は後方へと弾かれ、船の外板近くで硬い甲板へとその身を沈めた。

 

「なんて…」

 

「親父…」

 

何て威力だ、とてつも長く感じた一瞬の捕縛劇の衝撃にその言葉が続かず、大佐が放った拳の威力にただ戦慄していると、隣から蚊の鳴くような声が僕の耳に届いた。

 

「親父ィ…」

 

隣で声を漏らしていたのは、ヘルメッポさんだった。倒れ臥しながらも未だ立ち上がろうとしているのか、残された左腕で甲板を探るモーガンの元へと、ヘルメッポさんはふらふらとした頼りない足取りで向かおうとしていた。

 

「ダメだよヘルメッポさん!!」

 

咄嗟にヘルメッポさんの腰に抱きつき、その動きを制止する。

 

「放せよコビー!畜生!!」

 

「うわっ!ヘルメッポさん!?」

 

制止も虚しく、ヘルメッポさんは僕の腕を振り払ってリード大佐とモーガンのそばに向かって駆け出す。

 

「親父!なんで…何でこんなことを…!」

 

「ヘ…ヘル…」

 

ヘルメッポさん、そう呼びかけようとした僕の声は、その時不自然に耳に届いた金属音と、その音に導かれて向けた視界の奥で起こった出来事の衝撃で、瞬時にかき消された。

 

何か重いものが甲板に落ちる音と、それと同じタイミングで鳴り響いた金属製の鎖が地面に落ちる耳障りな金属音。その音に導かれた僕の目に入ったのは、大佐とモーガンの奥で連行を待っているはずのC・クロの姿だった。

 

しかし、そのC・クロの姿はつい数分前に見た時のそれとは明らかに異なっている。

ヘルメッポさんに戦場の海兵全ての意識が向くその時を待っていたかのように、モーガンの鎖と錠で繋がっていたはずの両手両足は解き放たれ、自由になったその右脚で錠を持っていた海兵をしたたかに蹴り飛ばしていた。

 

「なッ…!?」

 

その瞬間を目撃し、僕が声を上げるより早く、船室の壁にたった今蹴り飛ばされた海兵の身体が叩きつけられる。

 

そして、その音に紛れながらクロは動く。

 

海兵が叩きつけられ、船室の壁が盛大な音を出すと同時に、クロは一人の人物の元へ一瞬のうちに肉薄し、その人の腰から拳銃を抜き取って後頭部へと突きつけた。

 

「てめェら全員動くなァ!ガープの頭を吹っ飛ばされたくなけりゃ武器を捨てて床に伏せろォ!」

 

戦場に響いたクロの声は、その場にいた海兵の体を凍りつかせた。輸送船のロッカク大尉をはじめとした乗組員はもちろん、本部受け渡し船やリード隊の面々も一様に驚愕の表情を浮かべていた。

 

「形勢逆転…といったところだなァ、エヴァ・リード。一度は捉えていい気になっていた海賊に出し抜かれるのはどんな気持ちだ?」

 

「出し抜かれ……あぁ、まぁそうだな。この展開は流石に予想できなかったよ」

 

体の中に渦巻く愉悦と全能感を全て表に出したような表情で語るクロが大佐に向かって声を上げると、大佐もこの状況に困惑しているのか、いつもとは違い、戸惑うような表情で返した。

 

「ククッ……何をしている、さっさと武器を捨てろ!こいつの頭を吹っ飛ばされてェのか!?」

 

「あぁ、少し待て。全員武器を捨てろ」

 

武装解除を要求するクロの声に圧され、大佐は側にいたガープ大佐の副官と思しき人物と少し謎のアイコンタクトを取ってその場の全海兵に武装解除の命令を下した。

 

そのごくあっさりとした決断に船のあちこちから困惑のと悔恨の声が漏れる。僕自身、この状況に思考が全く追いつけずにいるのだ。明らかな機器のはずのこの状況で、なぜかリード大佐や本部の海兵の方々も異常に落ち着いているように見える。

 

「さて…それでは次だ。小娘、そこでみっともなく倒れている斧手…いや、もう斧手とは言えないな。モーガンを解放しろ」

 

要求の通り、武器を捨てた僕らに対してクロが告げたのは異常な命令だった。

 

『大佐を…!?なんで海賊が……】

 

誰かがつぶやいたそれに似た声が輸送船の海兵達からぽつぽつと上がる。クロが告げたのはそれほどに異常な命令だったのだ。海賊が元とは言え海軍将校の解放を要求する。そんな命令など、今まで聞いたことがない。

 

しかし、そんな疑問は次に上がった声によって最悪の形で解消されることになる。

 

「ゥ……ぐ…ふ…はは…」

 

船上に上がったのは低い声の男の水気を含んだ笑い声だった。場の空気に飲まれ、最初は全く耳に入らないような小さな声だったが、徐々にその声が大きくなるにつれ、それが男の笑い声であることが理解できた。

 

「お…親父?」

 

その声にいち早く反応したのは、すぐ側にいたヘルメッポさんだった。声は割れた顎や口内からの出血で酷く聞き取り難いが、その声は明らかに、モーガンのものだ。

 

「ぐぶっ…ナ゛にをじデる…おでをばヤぐだたぜろぎザマら…えるべっボォ!」

 

徐々に声に勢いを増すモーガンは、ガクガクと震える手をヘルメッポさんに向けながら、周囲に怒声を飛ばす。

 

なんと恐ろしい執念だ。

 

その場にいた海兵達の思いは、それに集約されていたと思う。全身血まみれになりながらも、生きる為か、それとも権力への執着か。もはやモーガンには海兵としての誇りなど一片も見ることはできなかった。

 

「親父…ふざけんなよ親父ィ!海賊と手を組んだのか!?本気で海賊の仲間になりやがったのか!?」

 

「ククク…悪党と悪党が手を組んで何が悪い。奴は罪人で俺は海賊。互いの目的のために利害が一致したなら手を組むのは当然だろう?」

 

膝をついて激昂するヘルメッポさんに対し、クロが見下しながらせせら嗤う様に吐き捨てた。まさに【胸糞悪い】という表現が光景だった。人質をとられて動くに動けない海兵を二人の悪党が嘲笑う。そんな状況に、僕はひたすら歯噛みしながら見守ることしかできない。

友人を嗤われても、尊敬する大佐を嗤われても何も出来ない。それがただ悔しかった。

 

「さぁ、渡してもらおうか。そいつは互いの利益のためにまだ必要なんだ。想定以上にお前に壊されちまったようだが、それでもまだ利用価値は死んではいない」

 

「クソったれ…!絶対許さねぇぞ!!」

 

「待て!ヘルメッポ!」

 

とうとう怒りが限界に達したヘルメッポさんが側にあった銃剣を手にしようとした瞬間、大佐の檄がヘルメッポ に飛んだ。

 

「落ち着け、ヘルメッポ。混乱するな、状況を読め」

 

「…ふん。懸命な判断だ。そいつがそれに手を触れていたなら、まずはそのふざけたキノコ頭に風穴を開けてているところだった」

 

「なぁ、モーガンを渡せば、本当にじい…ガープ中将を解放してくれるんだな?」

 

「あァ、約束は守るさ」

 

「そうか…」

 

大佐はそうクロに確認すると、膝をつくヘルメッポさんとモーガンの側まで歩み寄っていく。本気で海賊にモーガンを引き渡すつもりなのか。僕らを含む輸送船の海兵たちが全員そんな疑問を胸に、成り行きを見守っていると、大佐はヘルメッポさんとモーガンの間で、唐突に歩みを止めクロに向き直った。

 

「海賊、百景のクロ。お前は約束は守ると言ったな?モーガンを解放すればガープ中将を引き渡すと」

 

「…何度も言わせるな!だからさっさとモーガンを解放しろと…」

 

 

「だが、断る」

 

「なッ…貴様ッ…!!」

 

何を思ったか、クロにそう言い放つと、大佐はクロに対して完全に背を向け、モーガンに向かって立ちながら口を開く。

 

「中将が言った言葉の意味が、ようやく分かったよ」

 

「…大佐……?」

 

「よく見ておけヘルメッポ。これが、私達の仕事だ」

 

背後に跪くヘルメッポさんにそう告げると、大佐は下卑た笑いを浮かべるモーガンに向けて再び拳を振り上げた。

 



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失策と芽吹

遅れて本当にごめんなさい!

この場面は本当に難産で難産で、決して直して消して直しての無限ループの結果、こんな事になりました!

そして今回も後半にリード隊のメンバーが数人程名前付きで出てきますが、もちろん覚えなくても結構です!
尾田先生が海兵一人一人に名をつけている事へのリスペクトだと思って下さい。


 嫌な予感はやっぱり当たったよちくせう!!

 

「てめェら全員動くなァ!ガープの頭を吹っ飛ばされたくなけりゃ武器を捨てて床に伏せろォ!」

 

 なんで面倒ごとは面倒ごとに連鎖するんだろう…。

 突然鎖を引きちぎってじいちゃんに襲いかかってきたモーガンを、つい鉄の装具ごとぶん殴ってアゴ割れ状態にしてしまった私は、内心で溜息をつきながらじいちゃんに向かって銃を構えるクロを見ていた。

 

 思えばこのクロって海賊は、初めて遭遇した時から大分訳がわからない海賊だった。名もなき島での砲戦と上陸戦でそれぞれの陣営に多大な損害を出したため、休戦の説得に行ったのにもかかわらず、それを無視して斬りかかってきた時の一件が最たる例だ。切りかかってきた時の素敵な笑顔は今でも忘れられない。

 

 あれは多分私を完全に舐めきった上で、自分の早さにはついては来れないだろう、という確信から滲み出た笑顔なのだろうが、完全にその想定から外れてしまった結果から見ると、この男は実はかなりドジっ子な人物なのではないか、という疑問がどうしても浮かんできてしまう。

 

 元々知的な顔つきだし、話し方も今まで見てきた海賊たちと比べると、深い知性を感じさせるものがあっただけに、余計にその一面が際立っているのかもしれない。

 

 そして今回の一件だ。

 この場で最も立場のある人物を人質に取り、周囲の敵を完全に無力化する、という作戦を成功させて、一見すると制圧から逃走までの過程が完全に成立しているように見えるのだが、実はこの作戦には無視するにはあまりにも巨大すぎる地雷が埋まっている。

 

 言うまでもなく、じいちゃんだ。

 

 何でこんなに新兵を含んだ海兵がいるのに一番手を出しちゃいけない人間に手を出すかなぁ…このドジっ子さんは。

 

 いや、やりたい事も行動の意味も十分に判るし、作戦としてが理解できるけど、それでも人質としてじいちゃんを使うのは、どう考えても悪手…いや、最悪というべき手だ。

 

 人質と言うのは、人質とされた人物にとってはどうしても拘束から脱出することが出来ない状況であり、人質に取った側としてはいつでも殺害、ないしは傷害することが出来る状況に出来なければ成立しない。

 

 しかし、今回はそのケースから明らかにかけ離れた状況になっている。今でこそしばらく眠っていなかったせいで絶賛爆睡中だが、もし起きたのなら銃撃など一切意に介さずドジっ子さんの頭を文字通り握り潰すか、叩き潰してしまうだろう。

 

 つまり、人質と犯人の持っている戦闘能力が、圧倒的に違いすぎるのだ。これでは人質など成立するはずがない。

 

 東の海の中だけでこれまで暴れていたクロは、じいちゃんの戦闘能力を噂で聞いた程度でしか知っていなかったのだろう。じいちゃんの事をよく知っているうちの部隊の皆は、『何てことをしやがる。あいつは死にたいのか』とでも言いたげな驚愕の表情を浮かべ、事態を静観していた。

 

「形勢逆転…といったところだなァ、エヴァ・リード。一度は捉えていい気になっていた海賊に出し抜かれるのはどんな気持ちだ?」

 

 ドジっ子さんの盛大な勘違いっぷりに軽い頭痛を感じ始めた頃、じいちゃんに向けていた銃を周囲にチラつかせながら、底まで愉悦に浸ったような表情を浮かべながらクロが問い掛けてきた。

 

 いやぁ…どんな気持ちっていうか何ていうか…正直なところ、どうせじいちゃんはそんな銃じゃ絶対殺せないし、どうせドジっ子さんもじいちゃんに地の果てまでぶっ飛ばされるかボガードさんに叩っ斬られるんだろうからわりとどうでも良い。それに万が一持っている銃を周りの海兵に向けて撃ったところで、いろんな意味で地獄を見るのはドジっ子さんの方なわけだし。

 

 そんな事より私が気になるのは、さっきからモーガンのそばで泣いているヘルメッポだ。

 同じ海兵を父に持つものとして、今のヘルメッポの気持ちは理解できる。私もお義父さんが捕まった上、さらに人を傷つけようとする姿など、見たくもなければ、想像したくもない。

 しかし、生憎、この現状ではヘルメッポに優しい声をかけることも、涙を拭いてやることもできないのだ。

 

 それに私はクロとモーガンの暴れるタイミングに何らかの因果関係を感じてならない。捕まった後では自らの罪を重くする自白は望めないだろうし、ヘルメッポには辛い結果になるかもしれないが、このつながりを明らかにするためには、今しばらく話を合わせ、泳がせる必要があるのだ。

 

「出し抜かれ……あぁ、まぁそうだな。この展開は流石に予想できなかったよ」

 

 しばらく話を合わせることに決め、少し表情を崩して言葉を繕うと、ドジっ子さんは元々愉悦に浸りきっているような顔をより醜い感じに歪めて返して来た。

 

 どうやらこのドジっ子さんは完全に私たちが自分の術中に落ちていると勘違いしてくれているみたいだ。やはり演技とはいえ、割と本心に近い事を言っているのが演技にリアリティを出しているのかもしれない。

 

 形勢逆転は一切していないが、出し抜かれたのはほぼほぼ事実だし、予想外という点に心の底から本心で言っている。

 それはボガードさん達やウチの船の皆も同じ気持ちらしく、みんな似たようなリアクションを合わせてくれている。一番リアルな反応なのはコビーを含む輸送船の人達だ。たぶん彼らは純粋にこの状況が危機的な状態であると思い込んでいるのだろう。

 万が一の際には暴走の危険性を孕んではいるが、しかしそれでも彼らの本気の反応は、私たちの演技によりリアリティを持たせてくれるため、今の場合ではかなり有用だ。

 

 あとは適当に合わせられるところは話を合わせて気分が良くなったドジっ子さんが勝手に自白するのを待つだけだ。このタイプの男は間違いなく自分が優位になっていると確信すると、ペラペラと要らないことまで話す。これでも十年近く海賊と戦っているのだ。それくらいのことは私にだって分かる。

 

「ククッ……何をしている、さっさと武器を捨てろ!こいつの頭を吹っ飛ばされてェのか!?」

 

「あぁ、少し待て」

 

 そんな事を考えながらクロを観察していると、どうやらいつまでも武装解除の命令を出さない私に業を煮やしたらしく、クロは再び怒声を張り上げた。

 

 そのクロに対し一度声をかけ、今度は視界の端に立っていたボガードさんに『一旦ここは合わせてもらっても良いですか?』といった意味を含んだ視線を向けると、ボガードさんも同じ事を考えていたらしく、静かに小さく首肯すると、刀の腰紐を解き、刀身を静かに右手に移した。

 

「全員武器を捨てろ」

 

 ボガードさんの了承を得た私は、少し語気を強めた声で戦場の海兵に命令を出して武器を捨てさせた。

 正直言ってここにいる海兵のうち、ボガードさんを筆頭とする本部の海兵の一部はじいちゃんが率いる部隊なだけあって、素手でも間違いなく私よりも遥かに強い。

 そのため、彼らよりもずっと弱い私にすら勝てないクロからしてみればこの武装解除はあまり意味がない行為なのだが、どうやら本人はそれに全く気づいていないらしい。

 

 それにじいちゃんの部隊の人達以外にも、クロに勝てそうなのはウチの部隊にも何人かはいるしね。特に付き合いの長い副官のギルスさんや五年以上従軍しているくせに未だ二等兵のキンドロ君、それに砲長のジャンクさんの三人組や、狙撃班や戦闘班の班長クラスなら武器が無くても体術だけで勝てるはずだ。

 

 たとえ私がいなくても、皆のじいちゃんに鍛えられた経歴は伊達ではない。中でもキンドロ君に至っては武器を捨てろといったところで、すんなりと武器を全て捨てるような人間じゃないし、どうせ暗器やら隠し武器やらをどこかしらに隠し持っているはずだから多分やろうと思えば上手く隙を突いて事を済ませてくれるはずだ。

 

「さて…それでは次だ、小娘。そこでみっともなく倒れている斧手…いや、もう斧手とは言えないな。モーガンを解放しろ」

 

 武器を捨てさせた私に、クロが要求したのは、まだ仮定の段階だった最悪のケースに現実味を帯びさせる内容だった。

 

『大佐を…!?なんで海賊が……』

 

 クロが出した要求に、輸送船の海兵達がにわかに騒めき立っている中、ボガードさんや事態の真相を察していた数人の海兵が当たってほしくなかった予感が的中してしまったことに表情を険しくしたのが視界に入る。

 

 しかし、私には騒めき立つ海兵や、勝ち誇った表情のクロなどよりも気になる存在がある。

 

「おやじ…なんで?」

 

 それは、モーガンの側で魂が抜け落ちたような顔をしているヘルメッポだ。

 元はモーガンの元で傍若無人の限りを尽していたらしいヘルメッポだが、今は島の皆や海軍の皆と関わるうちに自身の正義を持ち、海兵としてコビーとともに高みを目指すまでになっている。それだけに、今回のこの一件は、彼の胸中に重い鉛の塊を落としているのだろう。

 

 完全に悪と正義に袂を別った父と己。そして、罪人となった父が今まさに自分の目の前で罪を重ねている。それも、よりによって過去に父が自分で捕らえた海賊と結託してだ。

 

 今、彼の胸中に渦巻いているのは、怒りや悲しみでは無く、信じられない、信じたくない、といった感情だろう。

 

 モーガンとクロの背後にある真実を暴けば、彼がこうなることは分かっていたことだった。彼の心象を思えば、この傷口を広げるべきではないことも、理解していた。

 

 しかし、私達は目の前にある真実から目を背けるわけにはいかない。例えそれが、今回のような……ッ!。

 

 俯き、何言か呟いているヘルメッポを横目にそこまで考えを伸ばすと、ずっと頭の片隅にあった疑問のたった一つの答えにたどり着いた。

 

 ……あぁ、そうか。

 

 あのときじいちゃんが言ったのは、この事だったのか。

 

「ゥ……ぐ…ふ…はは…」

 

 私が一つの答えにたどり着くと同時、低い声の男の水気を含んだ笑い声がすぐ目の前から上がる。

 

「お…親父?」

 

 その声に、ヘルメッポがすぐに反応を示す。声は割れた顎や口内からの出血で酷く聞き取り難いが、その声は明らかに、モーガンのものだ。

 

「ぐぶっ…ナ゛にをじデる…おでをばヤぐだたぜろぎザマら…えるべっボォ!」

 

 徐々に声に勢いを増したモーガンは、私の拳骨のダメージでガクガクと震える手をヘルメッポさんに向けながら、周囲に怒声を飛ばす。

 

「親父…ふざけんなよ親父ィ!海賊と手を組んだのか!?本気で海賊の仲間になりやがったのか!?」

 

「ククク…悪党と悪党が手を組んで何が悪い。奴は罪人で俺は海賊。互いの目的のために利害が一致したなら手を組むのは当然だろう?」

 

 モーガンの怒声で我に返ったヘルメッポの怒りにもクロは嘲笑を向け、彼の誇りをせせら嗤う。

 

「さぁ、渡してもらおうか。そいつは互いの利益のためにまだ必要なんだ。想定以上にお前に壊されちまったようだが、それでもまだ利用価値は死んではいない」

 

「クソったれ…!絶対許さねぇぞ!!」

 

「待て!ヘルメッポ!」

 

 モーガンとクロのあまりに身勝手な物言いに、怒りを抑えきれなくなり、飛び出したヘルメッポを一喝し、その動きを制止する。

 

「落ち着け、ヘルメッポ。混乱するな、状況を読め」

 

「…ふん。懸命な判断だ。そいつがそれに手を触れていたなら、まずはそのふざけたキノコ頭に風穴を開けてているところだった」

 

 ーーこいつ…ッ!

 

 余裕綽々といったような面でヘルメッポを見下すクロに対し、怒りがマグマのように音を立てて沸騰した。

 自分の感情だけで判断するなら、ヘルメッポを止めたくはなかった。

 しかし、ここでヘルメッポを動かすわけにはいかない。たとえ現在のような圧倒的優位な状況でも、部下を危険にさらすわけにはいかないのだ。

 

「なぁ、モーガンを渡せば、本当にじい…ガープ中将を解放してくれるんだな?」

 

「あァ、約束は守るさ」

 

「そうか…」

 

 すぅ、と一度自分を落ち着かせるために深呼吸をしてからクロにそう確認し、膝をつくヘルメッポとモーガンの側まで歩み寄り、再びクロへと向きなおる。

 

「ーー海賊、百計のクロ。お前は約束は守ると言ったな?モーガンを解放すればガープ中将を引き渡すと」

 

「…何度も言わせるな!だからさっさとモーガンを解放しろと…」

 

 繰り返す質問に、クロが怒りをあらわにした答えを返してくる。しかし、最早そんな返答など私の耳には入らない。

 

「だが、断る」

 

「なッ…貴様ッ…!!」

 

 ただ一言だけクロに対して言い放ち、今度は倒れ伏すモーガン向き直って拳を構える。

 

 おそらく、じいちゃんは近い将来、こうなる未来を予測していたのだ。息子の目の前で父が葬られる、という必ず起こりうる現実を。

 

「中将が言った言葉の意味が、ようやく分かったよ」

 

「…大佐……?」

 

 私の行動に、ヘルメッポが困惑した目を向けてくる。

 当然の反応だ。今の状況の表面だけを見れば人質が取られている圧倒的に不利な状況なのだ。この状況でまさかモーガンに対してこれ以上の追撃を加える訳がない。クロやヘルメッポを含めた多くの輸送船の乗組員はそう思っているのだろう。

 

 しかし、現状の本質はそうではない。

 だからこそ、私はヘルメッポに向かって口を開く。

 

 

「よく見ておけヘルメッポ。これが、私達の仕事だ」

 

 

「い゛ッ……お゛ぃ!!でめぇ状況ってもんを゛…」

 

 私が拳を完全に握り締め、モーガンに向かって振り上げると、次に自分が何をされるかを理解したモーガンがさっきの傲慢な態度を一変させて喚き散らす。

 

 状況?そんなものは初めから分かっている。チェスでいうならこの現状はどうあってもお前ら二人の詰みだ。

 じいちゃんを人質に取ったその時から、チェックメイトに嵌っているのだ。

 

「動くなッ!貴様から始末するぞッ!!」

 

「撃て」

 

「…なにを…ッ!?」

 

「さっさと撃てと言っているのだッ!!」

 

 脅しにもならない叫びに対し、さらに大きな声で威圧を含めながら言うと、クロは小さく呻き、銃口をわたしとじいちゃんの間で迷わせた。

 

 海賊の中では頭の切れるクロは、わたしが本気で拳を振り下ろすつもりだということにようやく気づいたらしい。そしてそれはつまり、わたしが本気でガープ中将を見捨てるつもりである、という意味を含んでいることに。

 

 ゆえに、クロは葛藤している。私を撃てば私の動きに呼応した私の船の部下達や、本部の海兵達が一斉に襲いかかってくるし、下手をしたらずっと眠りこけているじいちゃんも目を覚ますかもしれない。そうしたら、確実に逃げることは叶わない。

 

 逆にじいちゃんを撃っても同じだ。じいちゃんを殺したとしても、私や本部の海兵達によって確実に殺される。

 

 大方、最初の計画としてはじいちゃんを人質に取ってここにある3隻の船のどれかを奪い、ヘルメッポやコビーあたりを肉の盾としてさらに逃亡を図ろうとしたのだろうが、どちらを選択しても人質を変える時間など、無論与えるつもりなど毛頭ない。

 

「…本当に撃つぞ。俺がお前程度の脅しにビビって撃てねぇとでも…」

 

「中将も海兵なんだ。正義のために死ぬのは本望だろう」

 

 続けて背中越しに言った私の声に対して、低く呻くクロの声が聞こえて来る。

 

 

 そろそろ良い頃合いだ。

 

 クロの声から焦りと葛藤の色は十分以上に感じ取ることはすでに出来ている。そんな意思を含んだ視線を司会の両端に見えていたボガードさんとギルス副官に向けると、両者ともに小さく首肯し、甲板に落ちた武器を拾うためにわずかに腰を下げた。後ろに控える部下達も同様だが、私の挙動に気を取られているクロには、その動きは一切見えていないようだ。

 

「な…舐めるんじゃねェェ!!」

 

 そして極限状態に耐えきれなくなったクロの絶叫とともに遂に船上にけたたましい爆発音が響く。

 

 その音と同時に私が感じたのは、背中を一瞬炎で炙られたような熱と、そして噴き出した血液が服を湿らせる粘着質のぬめっとした不快感。そして、飛んできた銃の破片が露出した首や手に浅く刺さる僅かな痛みだった。

 

「う…うがぁぁぁああぁあ!?」

 

 一瞬遅れて、今度は先ほどのモーガンの再現のような絶叫が耳を劈いた。

 

「何故だッ!?何故俺の腕がァァァ!?」

 

 首だけで振り返ると、其処では棒立ちのままのじいちゃんの隣で手首から先がなくなっている腕を振り回して狂乱するクロの姿があった。

 

 その顔は先ほどまでの狂悦極まりない表情から一転し、突然腕が消えて無くなった事への驚愕と激痛に歪んでいる。

 

 今のクロには、いったい自分のみに何が起こったのかは欠片ほども理解できていないのだろう。状況を完全に理解しているのは、私やボガードさん、そして両船の部下達だけだ。

 

「ーーッ貴様ァッ…この俺に何をしたッ!?」

 

 激痛と混乱で焦点が合わない目を私に向け、クロが吼える。

 

「別に、私は何もしていないさ。すべてお前が招いたことだ」

 

「嘘だッ!これが狙いだったんだろう…だから貴様は私に……ッ!」

 

 クロは完全に混乱しきった様子で周囲に血走った目を向けながら吠え続ける。

 

 これが狙いだった。確かにその一点だけはクロの言葉は正解と言っても良い。確かに、私とボガードさんはクロがじいちゃんから銃を奪った瞬間からこの場面に到達することを言葉無く計画していた。

 

 じいちゃんと深い繋がりがあるものなら誰でも知っていることだが、じいちゃんの銃はいわば飾りなのだ。

 そもそもじいちゃんには銃よりも早く銃弾や砲弾を放つことのできる豪腕が備わっているし、拳骨の威力に至っては山をサンドバッグにした上で崩壊させるほどの馬鹿げた威力を持っている。

 

 そんなじいちゃんにとって銃はいわばアクセサリーのようなものなのだ。別に必要なものでは無いが、付けとくとかっこいいからなんと無く腰に装着している。そんな程度の認識でしか無い。

 

 それ故、元々めんどくさいことが大嫌いなじいちゃんは使わない銃の整備という細かい作業などを自ら行うはずも無く、その銃はもはや引き金を引くと暴発することが約束された、小型爆弾のようなものになっていたのだ。

 

 そしてそんな事を知るはずが無いクロは、私たちに対して今回の脱獄の計画をまんまと全て吐いた挙句、自ら自分の腕を粉々にする、というなんとも間抜けな状況を引き起こしてしまったというわけだ。

 

 本当になんともついていない男だ。

 ルフィに負け、私に捕まり、そして銃の暴発で腕を失う。もはや私と同じ何かを感じてしまうほどにについていない。

 いや、暴発したのがしっかり手で握った状態だったことや、火薬が比較的新しかったことで爆発の威力が上がってしまった結果、腕を失った事を加味すれば私よりもついていないかもしれない。

 

「さて、もう良いだろう。そろそろ終わりにしようじゃないか」

 

「おの…れェ……俺は一人では死なんぞ…貴様も…道連れだ…!!」

 

 聞く事は十分に聞いた。このまま死なすのも一向に構わないが、どうせなら共犯であるモーガンとともにしっかりとした司法の場に引き渡すべきだ。

 

 そう考え、モーガンに向かって振り上げていた拳を収め、クロに向かって構え直すと、クロが呪詛を込めるように言った言葉の一つ一つから私に対する怒りと強烈な殺気が放たれる。

 

 ーーこれが手負いの人間が放つ殺気か…。

 

 殺気に当てられた瞬間、自分の筋肉が反射的に緊張したのが分かった。獣も人も、手負いの状態が一番恐ろしいという事は昔からじいちゃんにも教えられてきたことだが、ここで相対してみて初めてそれを強く実感する。

 

 クロは武器など持たず、むしろ右腕が手首から先を失って酷く弱っている状態だったが、それでいて以前より一層の脅威を感じさせた。

 

 

 これはちょっと…怖いな。

 

 素直にそう実感した。

 

 しかし、やる事は変わらない。

 クロは完全に頭に血が上っている。おそらく繰り出してくるのは残った左拳か、それかかなりの脚力を持つと見える左右どちらかの脚だろう。それも思考の末の一撃ではなく、どこまでも暴力的な渾身のものだろう。

 

 それなら容易い。どんな攻撃だとしても、それに左の拳骨をカウンターで合わせれば良いだけだ。

 

 

「殺す…ッ!」

 

 

 短い言葉とともにクロが動く。

 しかし、いきなり攻撃してきたわけではない。むしろその逆です、先ほどまで獣のように振りまいていた殺気を抑え、腕をだらんと下げてその場で右へ、左へ、と体を揺らしている。

 

 えっと…なにこれ?

 

 敵を目の前にして行っているクロの不可思議な行動にそんな疑問が浮かんだ。罠か、それとも攻撃しても良いものか、クロのあまりに隙だらけな状態に頭の中に迷いが生じる。

 

 押すか、それとも待つか。

 

 その二極の選択肢に一瞬思考を阻まれた今の私の姿は、クロの目には絶好の獲物に見えたことだろう。

 

 私が生み出してしまったその明らかな隙を逃さず、クロは動いた。

 

「行くぞ…」

 

 右へ左へと揺らしていたクロの体が再び右へと傾いた瞬間、空気を切り裂いたその声と共に、クロの身体が一瞬ぶれた。

 

 否、そう見えるほどの超高速の挙動だった。

 ぶれた脚が示すのは『剃』と同等に近い足運び。

 

 これは…拙い!!

 

 クロの奇行に気を取られ、動揺しきっていた感覚の中で、私の脳がけたたましく警報を鳴らす。

 

 以前私がクロと立ち会った際、クロはおそらく今の私と近い状況だったのだろう。普段ならば相手が止まって見えるほどの速度を持っているが故、相手の動きはよく見えているのだが、反応が遅れたせいで体が上手く動かない。

 

 頭の中で響く警報音を聞きながら、爆発的に加速しながらこちらへ奔るクロを見据える。クロの体勢が示す攻撃は左の手刀。

 

 それを見て同じく左拳に力を込める。幸いな事に構えは既に出来ている。それでも間に合うかは分からないが、せめて一撃でも入れば活路は開けるはずだ。

 せめて一撃…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …ってあれ、なに…アレ?

 

 

 

 極限の状態でスローモーションのようになる視界の中、クロの背後から何か太い棒のようなものがにょきっと現れた。

 

 アレはなんだ、そう思考がまとまるよりも早く、その太い棒のようなものは声を上げ、無防備な背中を見せるクロへと襲いかかる。

 

「なんじゃ、人が寝てるのに喧しい!」

 

『…杓sヴェッ!?』

 

 じいちゃんの声が響くと同時にもう一つ、潰れたカエルの断末魔のような声が上がった。宙ぶらりんになったクロの背後に目を向ければ目覚めたじいちゃんの腕がクロの首を荒っぽく背後から掴み上げている。

 今の今まで呑気に爆睡かましていた居眠りじいちゃんがやっと目覚めたのだ。

 

 

 いや遅いよ!

 

 

「き…貴様…いつから…ッ!?」

 

「今じゃ。ついさっきそう言ったろうが!」

 

 

 偉そうに言うな!

 

 頭で考えるよりも早く心がそう叫んだ。

 しかし、同時に心からの安堵が湧き上がってくるのを感じた。どう考えてもじいちゃんが居眠りしていたせいで始まったこの騒動だが、そのじいちゃんに助けられたのも事実だ。正直言ってさっきは本当に怖かった。

 

 あー…怖かったぁ…。

 

 今更震えてへたり込みそうになる脚を軽く叩き、感覚を戻す。

 昔から海賊の前では油断するなと、きつく押しえられてはきたが今回はそれを改めて痛感させられた。以前勝てた事と手負いの状態であることが私の中に油断を生んだのだろう。とにかく一歩間違えればここで殺されていてもおかしくはなかった。

 

 本当は嫌だけどこれからは偉大なる航路での仕事になるし、内容もこれまで以上に気を抜けない物になることだろう。

 右手を怪我して以来、とくにやる事もなかったせいでどうも緊張感が抜けていたような気がする。その結果が今回のコレだ。偉大なる航路に船を浮かべる前にここらで緊張感というものを持ち直す必要があるのかもしれない。

 

「…さまは人の大事な孫娘に手を出しよったんじゃ!無事で済むと思うな!思い知れ!」

 

「やめろ!離せ!!それだけはやめろ!!」

 

 極度の緊張感から解き放たれた私が一人反省をしていると、じいちゃんとクロの争う声が聞こえてくる。じいちゃんはクロの両肩を大きな両の手でがっちりと掴み上げており、怒りで真っ赤になった顔面を後ろに反り返るように大きく振りかぶっている。

 それに対して相変わらず両肩を骨が砕けんばかりに掴まれ宙ぶらりんになっているクロは、その束縛から離れようと必死に手足をばたつかせてもがいてはいるが、山と見紛うほどの巨大鉄球を軽々と振り回すじいちゃんの握力にはとても逆らえず、無駄な抵抗となっている。

 

 本当なら海賊の気持ちなど理解などしたくは無いが、今回のクロの気持ちだけは嫌という程よく分かる。

 昔からじいちゃんとの訓練中に捕まると絶対に振り解くことはできない。それに逃げようとしようものならあの万力めいた握力で骨を砕かれそうになる。あれほど絶望的な代物は他に無い。

 

『わ…私の計画は…絶対に崩れな……ッ!!?』

 

「ふんっ!!」

 

 クロが最期に何かを喚き散らすと、その言葉が終わる前にじいちゃんの頭突きがクロの鼻っ柱に叩き込まれた。

 ぐしゃり、いやぐちゃり、と表現するべきか、とにかく凄惨な音を立ててじいちゃんの頭突きは炸裂した。その光景は、何というか、ただただえげつない。

 

 元々冗談のような腕力を持つじいちゃんに上半身を締め上げられ、その上であの大砲の一撃のような頭突きだ。とても人間が耐えられるような代物ではない。

 そして、数秒間その状態で静止していたじいちゃんがクロの顔面から額を離すと、何か粘液質な血液がじいちゃんの額から糸を引いて落ちた。クロの顔面は元々私の拳のせいで形が変わっていたのだが、そこにさらなる整形手術の手が加わってしまっている。じいちゃんの額が直撃した鼻を中心に顔面は大きく陥没し、見るも無残な姿になり、首や肩がビクンビクンと痙攣してそもそも生きているのかすらわからない状態だ。

 

 これは酷い。なんというか、ただその一言に集約される現場だった。

 

 というか地味に気になっているんだけど、じいちゃんが頭突きの体制になった時のクロの怯え方は少々過剰だったように思えた。

 過去にトラウマになるレベルの頭突きを受けたことがあるのだろうか…。今となっては解決し得ない疑問だが、それが地味に気になっている。

 

 

『大佐ァ!あんた怪我人なんだから無茶しないでくださいよ!!』

 

 ひょっ!?

 

 一人反省会を切り上げ、じいちゃんの処刑ばりの頭突きに疑問譜を浮かべながら呑気にそれを眺めていると、今度は背後から明らかに私に向けた大音量の叱責の言葉が飛んで来た。

 

「あぁ、すまないギルス副官。今のは少々危なかった」

 

 その声に小さく肩を跳ねさせながら振り返って言うと、背後に立っていた声の主であるギルス副官は右手を額に当てて分かりやすく溜息を吐いた。

 

 そりゃそんな反応にもなるよねぇ…。ごめんねギルス君。

 

 内心で苦笑しながら周囲を見れば、既にボガードさんの指示でじいちゃんの軍艦の皆が動いており、荒ぶるじいちゃんを宥める班とそのじいちゃんからクロの亡骸(?)を軍艦に引きずっていく班に分かれて行動を始めていた。

 

 どうやら私がぼうっとしている間にギルス副官が部下たちに指示を出してくれていたらしく、輸送船の海兵達とうちの部下たちは複数の班に分かれて倒れたモーガンの拘束と、周囲の警戒に当たっている。

 

「全く、無茶しないでくださいよ。黙って見てろって言われた私たちの心臓はもう破裂する寸前だったんですから」

 

「本当にすまない。ところで、クロはもう問題ないとして、モーガンとヘルメッポの様子はどうだ?」

 

「…モーガンは大佐が殴ろうとしたあたりで完全に泡吹いて気絶してました。ヘルメッポは……まだあの調子です」

 

 拗ねたように言いながらそれぞれを指差すギルスくんの指す先を見ると、仰向けに大の字になったモーガンを囲む部下たちの姿と、甲板の階段で頭を抱えながら座りこみ、傍にいたコビーから介抱を受けるヘルメッポの姿が見える。

 

 …ヘルメッポには重過ぎる出来事だったか。

 

 未だに騒乱の残照を残す甲板の中で、彼だけ時が止まったかのように映るヘルメッポの姿を見ながら、引き渡しの前に聞いたじいちゃんの言葉が耳の奥から響いてきた。

 

 

 

 

 

『あやつがお前の部下であり、弟子だと言うのなら、お前は奴に教えにゃならんことがあるぞ』

 

 

 

『教えなきゃいけないこと?』

 

 

 

『わしらの仕事(・・)を、じゃ』

 

 

 

 

 

 じいちゃんが言った、『私達の仕事』という言葉。

 いまはその言葉の重さが私の胸を押しつぶそうとしている。その言葉が表す意味を象徴するかのような今回の事件の当事者であるヘルメッポには、なおさら辛いものが頭の中で渦を巻いているのだろう。

 

 もしかしたら軍を抜けてしまうかもしれない。

 

 もしかしたら二度と笑ってくれないかもしれない。

 

 もしかしたら腰に携えた短刀で自分の喉を突くかもしれない。

 

 ヘルメッポを見て後悔が私の頭の中を駆け巡る。

 私が移動になる以前の彼の事は悪意ある噂程度にしか知らないが、過去はどうあれ、今のヘルメッポは責任感と誇りを持った立派な海兵へと成長しようとしていた。

 

 本当にあんなやり方で良かったのか。

 

もっとやり方があったはずだ。

 

 二十分前の自分にそう言って聞かせたいと、ただそう思った。

 

「そうか…すまないが、ヘルメッポを頼んでもいいか?船室に連れて行ってやって欲しい。私はモーガンの後始末に行かなければならない」

 

「勿論です。くれぐれも、気をつけてください」

 

「あぁ、分かった」

 

 最後まで心配そうな表情を浮かべたままのギルス副官と分かれ、私はモーガンの捕縛に向かう。

 

 捕縛と言っても、既に部下たちの手で手錠は掛けられており、あとは頭と手錠に鎖を繋げてじいちゃんの船の折に放り込むだけの状態だ。私が行うのはシェルズタウン基地の最高階級者として、モーガンの身柄をじいちゃんに引き渡す。ただそれだけの事だ。

 

「大佐!お疲れ様です!」

 

「あぁ、ご苦労だったな、あとは私が引き継ごう」

 

「はっ!了解です!」

 

 海兵でごった返す甲板を抜け、目的の場所に着くと、その場にいた部下達が敬礼を向けてくる。どうやら仕事はほとんど終わっているらしく、彼らの中心には、鎖で首と手が完全に繋がれた状態で甲板に倒れ伏すモーガンの姿があった。

 

「鎖はさっきのものから変えたか?」

 

「先ほど使っていたものと同様の鎖ではまた破壊される恐れがあったので、今度は海楼石製のものを使用しています」

 

「少々もったい無い気もしますがね。これなら確実に破壊は無理でしょう」

 

「あぁ、それで問題無い。ありがとう」

 

「いえいえいえいえ!!このくらい当然っすよォ!」

 

 私の問いかけに任務に当たっていたヒッグス伍長、バックス一等兵、ザックス二等兵の迫撃砲班三兄弟がそれぞれ声を上げた。

 

 錠は一度破壊されているだけに質を重視する。確かにバックスが言うように少々念を入れ過ぎているかも知れないが、それでもさっきの事件があった事を考えると、そうも言えないだろう。

 

「よし、ではモーガンも軍艦に引き渡そう。ヒッグス、ザックス、バックス、迫撃砲班を集めて護衛を頼む」

 

『了解です!』

 

 本来ならば引き渡し式が行われるはずだが、この事態ではそんなものはあってないようなものだ。現にじいちゃんの頭突きでスクラップになったクロの身柄はもう軍艦の医務室へと運ばれている事だし、ヘルメッポの事を考えれば、早い所モーガンの身柄も軍艦へと運んでしまうべきだろう。

 

「オラ立てッ!!大佐の手を煩わせるんじゃあねぇぞッ!」

 

「ァウ゛ッ…やべ…やべろォ…オ゛まえラ゛…ぜっだいのごろ゛ジでや゛るがラ゛なァ……ッ!!」

 

 迫撃砲班班長のメイソン分隊長が無理矢理に鎖を引き上げ、モーガンの身体を立ち上がらせる。それに対して呪言を呻くモーガンの目には、もはや憎しみ以外の何物も写っていない。

 

 真っ黒に濁った、憎悪だけが渦巻いていた。

 

 クロと初めて対峙した時と同じ、ぞくりとした感覚が背中を射抜く。心の隙間に入り込んで来るその視線を振り払い、私は声を上げる。

 

『海軍への反逆者、斧手のモーガン。これより貴様の身柄を本部へと……

 

『待って゛下さ゛い゛ッ!!』

 

 しかし、その声は思わぬ人物の声によって遮られた。

 

「ヘルメッポ…」

 

 声の主は、ヘルメッポだった。

 肩で大きく息を切らし、目を真っ赤に腫らしたまま、私たちの少し後ろに立って叫んでいた。

 

『それは…その仕事(・・)だけは()にやらせて下さいッッ!!』



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