向日葵郷~幽香に会える夏~ (毎日三拝)
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一話

 向日葵郷。

 そう俺は呼んでいる向日葵畑がある。

 元々は祖父が自宅近くに趣味で栽培していたのだが、数年前に祖父が亡くなり相続人が弁護士に預けてあったらしい遺言で孫の俺のものとなった。

 祖父は昔馴染みの気難しい性格で親類縁者の類をあまり寄せ付けず、唯一孫の俺だけが夏休みを利用して会いに行くだけで、中には喧嘩別れで結局最後まで会うことがなかった人もいたようだ。

 俺はそんな祖父が好きだった。

 祖父が育てる向日葵が好きだった。

 着慣れた甚平に麦藁帽子を被り、汲み上げてきた井戸水を柄杓で撒く祖父。太陽の方角に向かい光を浴びる夏の向日葵。そして毎年祖父の向日葵を見に現れる翡翠色の艶やかな髪をした少女。

 毎年お決まりのシチュエーション。

 もう欠けてしまったシチュエーション。

 今年も俺は管理序に向日葵郷を訪れる。

 祖父の存在が欠けてしまったあの家に。

 

 

 

   □

 

 

 

 今年も騒がしい夏が到来した。

 幾つもの蝉が鳴く声が重なり、騒音を撒き散らしている。

 このまま夜にでもなれば近くの湖から蛙の大合唱が始まるのだ。騒がしいったらありゃしない。

 茹だるような暑さを誤魔化そうと思考を逸らしてみたが効果がないので、代わりに少しでも涼しさを得るため持参してきた物を倉庫から取りに行く。大きめの金たらいを倉庫から引っ張り出すと、汲んで来た井戸水を流し入れた。

 偉大なる先人の知恵。

 これでようやく涼を得たのだ、と自慢げに鼻を鳴らす。

 縁側で草履を脱ぎ、さっそく両足をたらいに突っ込んだ。

 

「温い」

 

 溢れる期待が霧散する。世界はどこまでも無情だった。

 たらいに溜めた水は既に気温の所為で井戸水独特の冷たさを失っていた模様。

 肩を落とし、如何にもならない暑さにがっかりしていると声が掛かる。

 

「ごきげんよう」

 

 場違いとも思える聞き慣れた涼やかな声に惹かれて頭を上げると目の前には黒赤格子縞が目に入る。毎年見ているけど相変わらず暑そうな柄だ。

 

「そのチェック柄は……風見さんかぁ」

「あら、不満かしら? 氷菓子を持参してきたのだけれど」

「いえいえ、そんなことはありませぬ。さぁ、どうぞお上がり下さいませ」

「そう? なら遠慮なく」

 

 彼女は上品に靴を脱ぎ、手提げの袋から棒アイスを一本取り出して舐めた。

 舌先が艶めかしく動いてなぞった舌の熱で汁に変わり、その汁を啜る。冷たくて美味しそう。

 

「……頂けないのですか?」

「ひんやりとして美味しいわね。人里で買ってきた甲斐があったわ」

「味の感想なんぞ聞いてないよ!」

 

 声を荒げて突っ込んだ俺の痴態を流し目で確認し、風見さんは本当に嬉しそうな顔をして口角を吊り上げた。

 

「ふふっ。最初から貴方にあげるとは言ってないわ。持参してきた、とは言ったけれど」

「ひどい! 騙したな!!」

「騙される方が悪いのよ。勉強になったわね」

 

 悪びれもせず、棒アイスをちびりと舐めた。

 その様は完全に相手の精神を逆撫でにしにきている。

 まったく度し難い程に嗜虐的な性格だ。これは女性相手でも即喧嘩に発展していてもおかしくはない。

 まぁ、俺は毎年のことなので慣れているのだが。

 俺は風見さんを恨みがましく睨み、風見さんはそんな俺の視線を心地良く思っているのか終始ご機嫌で棒アイスを舐めていた。

 しばらくそのまま風見さんが食べ切るまで睨んでいると、風見さんが手提げからもう一本の棒アイスを取り出して俺の口に軽く押し込んだ。思わず呻く。

 

「冗談よ。お土産なく人の家に来るほど、私は落ちぶれてはいないわ」

 

 さて、と呟き風見さんは縁側から立ち上がると立て掛けてあった白い日傘を開く。

 

「今年も存分に立ち寄らせてもらうわね」

 

 そう告げると彼女は庭先に見える広大な向日葵畑に消えて行った。

 俺はその背を見送りながら文句を呟く。

 

「アイス……溶けてるんだけれど」

 

 棒に申し訳程度しか残っていないアイスを見て明日も此処に来るであろう彼女にする仕返しを考える。絶対に許さない。この借りは利子を付けて返すべきだろう。 



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二話

 波形に癖付いた翡翠色の髪が風に靡き揺れる。

 しなやかな白い手がそれを抑えた。

 静かに燃える二つの眼が太陽に照らされ赤く光って、憂うように眼前に広がる向日葵を眺める。その姿は淑やかな令嬢を連想させる。正に可憐だ。

 まぁ、黙っていればだがな。

 

「何か、失礼なことを考えなかった?」

「いいえ何も」

 

 咲き誇る向日葵群にご執心であった我らが風見さんは俺の方へ振り返り微笑を浮かべていた。

 怖い。綺麗な笑顔の筈なのに震えがでるほどに怖い。

 

「風見さんさ、今日はどうするの?」

「何をよ」

 

 いまだ表情が笑顔を引き摺っているがこれは誤魔化せるチャンスだ。

 

「昨日は泊まっていかなかったけど、今日は泊まってくの?」

 

 風見さんは時々祖父の家に一晩泊まっていくことがある。

 家までの道程が危険で、それなりに距離があるらしい。

 

「貴方の家には狼が居るから怖いわ。どうしましょう」

「その狼を昨日散々おちょくっていったのは誰だよ」

「あら、勇敢な人もいるものね。会ってみて見たいわ」

「鏡見れば直ぐに御対面できるよ。それでどうするの?」

「今日は長居する気もないし、帰るわ。またの機会にさせてもらうわね」

 

 本当なら風見さんの家まで送って行きたいが、此処等辺は地図にも載っていなく、土地勘がないと直ぐに迷子になってしまう。足手纏いになるのは目に見えているので何時も自重している。

 この土地に残る伝承だけれど妖怪とか出る、らしいしな。信じていないが確かに田舎過ぎて出そうという雰囲気がある。

 そういえばどんな妖怪か知らないな。

 

「風見さん、風見さん」 

「はい、はい」

「昔、爺ちゃんに聞いたんだけれど、此処って妖怪出るらしいね」

「そうね。よく出るらしいわ」

「漠然とした話しか知らないんだけれどさ、どういう妖怪なの?」

「どういう、ね……」

 

 向日葵に向き直り、此方に背を向ける風見さん。

 

「花」

「はな?」

「そう。植物の花。花をこよなく愛する妖怪で一年中花が咲いている場所に移っては観賞してるらしいわ」

「あぁ、それで此処に出るとか話が作られてんのか」

「そうじゃないかしら。見事な向日葵ですものね。貴方のお祖父さんは本当に趣味が良かったわ。変わった人だったけれど」

 

 祖父が変わっているなんて今更な話だ。

 

「それにしても花好きの妖怪ね……」

「何か思うところでも?」

「うん。なんか可愛らしいな、と思わない?」

「えっ?」

 

 軽く驚いて振り向く風見さん。

 何、その反応。10年近く付き合いがあるけれど初めてだよ。

 

「か、可愛らしいって、聞き間違いかしら?」

「いや。だって可愛らしいじゃないか。女の子っぽくて」

「女の子……」

 

 俺の妄想の中では既に妖怪は淑女の姿になっているぜ。

 

「帰る」

「えっ?」

「今日はもう帰るわ。疲れてきたし」

 

 日光を浴び過ぎたのか風見さんの顔が赤くなっている。

 今日は日傘持ってきてなかったもんな。

 

「疲れたのなら少し家で休んでいけば?」

「お気遣いありがとう。また来るわね」

「ああ、うん」

 

 珍しく足早に去っていく。

 しばらく経ってから俺は昨日された棒アイスの仕返しすることを思い出したが、なぜか溜飲が下がっており水に流すことにした。  



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三話

 太陽がじりじりと照りつける中。

 俺は敷地内にある井戸水を汲み上げようと滑車に付いている縄を引っ張る。

 家にある井戸は"手押しポンプ式"でなく、時代劇とかでよく見る"釣瓶式"なのだ。

 井戸に桶を落とすのは楽なのだが、並々と水が入った桶を引き上げるのは一苦労している。しかも向日葵畑に撒くため一日に何度も往復をして汲み上げているのだ。現代人にはきつい作業である。高齢の体でこれを毎年こなしていた祖父には頭が下がる思いだ。

 息を切らして桶を引き上げる作業に没頭していると声が掛かる。

 

「体力ないのね」

「最初から辛辣な言葉ですね。風見さん」

 

 ちらりと背後を確認すると白い日傘を頭上に広げた少女が立っていた。

 

「ごめんなさいね。でも本当のことだわ。箱入りのお嬢様のように非力で、とてもか弱い」

「今日は絶好調ですね」

 

 昨日は疲れていたようだが、今日は何時もよりも毒舌に磨きが掛かっている。

 女性にか弱いと言われるのがこんなにグサリと胸に突き刺さるとは思わなかった。

 言葉を否定するように急いで桶を引き上げると風見さんに向かい合う。

 

「それでどうしました?」

「催促しにきたのよ。向日葵の花達が水が欲しいと喚いていたから」

 

 アンタは花のエスパーか。

 

「ああ。申し訳在りませんね。代わりに謝ってきて下さいよ、水持って」

「そうしたいのは山々だけれど、私、箸より重い物は持てないの」

「今右手に持っている物は何でしたっけ? 箸でしたっけ?」

「馬鹿ね。日傘に決まっているじゃない。あまりの暑さにやられたのかしら……」

 

 心配そうな表情でこちらを窺う振りをする風見さん。

 今日はいつものとキレが違うね。

 

「んじゃ、水撒きにいきますか」

「本当に大丈夫なの? 休憩入れたらどう?」

「そんな過剰に心配されると怖いんですけど……」

 

 普段のSさの所為で。

 

「流石の私も病人には優しく接すわ。治ったらまた病院送りにするけど」

「あんた最悪だなっ!」

「真正直に褒められると照れるわね」

「褒めてないんだけど」

 

 軽口を叩きながら柄杓で水をばら撒く。

 掬っては散らし、掬っては散らし。

 こう面倒だと文明の利器である水道蛇口とホースが欲しくなるな。

 現代人には辛いね。

 

「ねぇ」

「ぬぅわんですか」

「今年はいつまで此処に居られるの?」

「そうですねぇ、もう此処は俺の家ですから夏が終わっても暫らく居るかもしれませんね」

 

 気が付いたら風見さんはいつになく真剣な眼差しをして此方を見ていた。

 赤い瞳が揺れるように光る。

 

「そう、なら夏が終わっても此処に来ていいかしら?」

「構わないですよ。なんなら、ほら」

 

 俺はズボンのポケットを漁り、ある物を取り出して風見さんに投げた。

 軽く左手で受け取ると風見さんはしげしげとそれを見る。

 

「これ、鍵?」

「ええ。家の合鍵です。好きにしていいですよ」

 

 風見さんは「そう」と呟き、大切そうに鍵を握り締めた。

 何か思う所でもあるのだろうか。

 

「……これから悪戯し放題ね」

「案の定ろくでもないこと考えていたな」

「気が付いたら枕が裏返しになっているかもしれないわ。気をつけることね」

「枕返しか、あんたは」

「部屋中に花を撒き散らしてコーディネイトするかもしれないわ。気をつけることね」

「あんたはインテリアコーディネーターか」

「朝一で鏡を見たら額に肉という聖痕が浮かぶかもしれないわ。気をつけることね」

「悪戯が小学生レベルだ」

 

 嬉しそうに風見さんは微笑む。

 

「ありがとう」

 

 元々、鍵は彼女には渡す気でいた。

 向日葵郷は花を愛する物を決して拒まない、祖父が昔に言っていた言葉だ。

 その言葉を今年此処へ来る前に思い出した。俺は思うのだ。

 俺よりも此処の花達を愛する彼女は俺よりも此処が相応しいじゃないかって。向日葵の花を覗き見る風見さんの姿を見て改めてそう思った。



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四話

 嵐が来る。

 曇りに変わりつつある空を仰ぎ見てそう感じた。

 実際に嵐が訪れることはなかったが、代わりに嵐のような人物が来訪した。

 

「あら、暇そうね」

 

 風見さんだ。

 この人はいつも突然現れ、俺の心を踏みにじって掻き混ぜて帰る。

 その行いは正に嵐だ。

 

「今日は何の御用で?」

 

 俺がそう尋ねると風見さんは薄く笑う。

 

「雨、降りそうなの。泊めていただけるかしら」

「……いいっすよ」

 

 何とも思っていない感じで素っ気無く答える。これは精一杯の誤魔化しだ。

 前回会った時に鍵渡したり、泊まっていくかと聞いたが俺は一つのことを今まで失念していたことに気が付いた。

 唐突であるが風見さんは美人だ。綺麗系の美少女カテゴリーに含まれる。

 かるくウェーブのかかった翡翠色の髪。ルビーのように赤く光る宝石のような双眸。完成した女性の美の中に少女らしさを匂わせる顔の作りと仕草。そして何よりも女性を象徴させる豊かな胸部と臀部にその凹凸をはっきりさせる引き締まった細腰のくびれ。はっきり言えば、俺が人生で知り得た女性の中で一番魅力的だ。テレビの中で活躍する芸能人を含めても彼女に勝る女性はいない。

 想像して欲しい。

 その人生一の美少女が一つ屋根の下に止まると言う事態を。

 俺は今まで意識したことがなかった。

 何故なら祖父も一緒だったからである。三人で一人高齢の人物が居れば下手な妄想も出来ず、そういった下劣というか欲情というものを感じたことがなかったのだ。

 それを今更ながらに感じてしまっている。

 

「奥の部屋。借りるわね」

「うっす」

 

 彼女は玄関で靴を脱ぎ、早々に上がり込んで毎回貸している部屋へと向かって行った。

 どうやら上手く下心を誤魔化せたようだ。

 去って行ったのを見送った後に居間へ引っ込み、安堵の溜息を吐く。

 

「危なかったぜ……」

「何が危ないのかしら?」

「ひぃ!」

 

 後ろを振り返るとそこには何時もの赤黒格子柄な袖の無い短い胴衣を脱いでブラウス姿の風見さんが居た。装飾の胸元に垂れ下げた黄色い布が目立つ。

 

「どうしたの、そんなに驚いて」

「何でもないんすよ、別に」

「そう」

 

 怪訝そうな表情のまま風見さんは「へんなの」と呟き、俺の横に腰を下ろして正面を向いたまま正座した。

 間に人一人入らない位の距離だ。近い。

 彼女の整った容姿が横を見れば視界に入る。先程に意識したばかりだからとても気まずい。

 

「ねぇ」

「は、はいっ!」

 

 顔を俺の方へ向ける。赤い眼差しが俺を射抜く。

 遂に一人ドギマギしてたのがバレタのか。心臓が引っ切り無しに鳴り響いている。

 彼女が口を開く。

 

「夕餉はどうするの?」

 

 その一言で全身の力が抜ける。

 途端に馬鹿らしくなったのだった。

 

「俺は腹が空いてないので食べるのなら何か作りますよ」

「貴方が食べたのなら私はいいわ、食べてきたから」

「んじゃあ代わりに何か話しましょうか」

「そうね。言ったからには楽しませてくれるのでしょう?」

「手厳しいっすね。それじゃあ――」

 

 俺は風見さんと雑談をする。その内に夜を明けてしとしとと降っていた雨も止んでいたので彼女は帰っていった。

 結局、あの人とは終始何もないままお泊りは終わった。

 なんとも色のない話である。



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五話

 照りつく暑さを誤魔化そうと縁側で氷室に入れて置いた炭酸飲料で喉を潤していた時のことである。向日葵畑の方を見ると緋色の眼差しが此方を覗いていた。

 風見さんである。

 その姿を見て胸が強く鼓動した。

 

「ごきげんよう」

「う、うっす」

 

 トレードマークと言っても過言ではない赤黒格子柄のベストとロングスカート姿ではなく、脛まで裾がある白のワンピースで腰元に帯を巻いて同じ色の何時も持っている日傘を差した姿。

 肩位まで伸びている翡翠の髪が風に揺れる度に押さえる仕草がたまらない。

 外見詐欺のサディステック毒舌美少女から儚げ系お嬢様タイプだと……。許せる。というか、無茶苦茶好みです。

 

「今日は随分とオシャレさんですね」

「あら、何時もはオシャレじゃなかったの?」

 

 その場で姿を魅せつけるように一回転する風見さん。

 豊満な胸を前に張り出す。腰に巻いた帯のおかげで余計に強調されている。マーヴェラス。

 

「毎日同じような服着ていたらそうは思いますけどね」

「……向日葵みたいで好きなのよ。悪い?」

 

 ふん、と鼻を鳴らして外方を向かれた。あら、反応が可愛らしい。

 

「なんか可愛らしいっすね」

「ひぃえ!?」

 

 これまた可愛らしい悲鳴が辺りに響いた。

 本当に風見さんなのかね、この人。普段の姿からは掛け離れている。

 

「か、可愛らしいって妙なこといわないでよ。この格好だって家の奴がどうしてもって言うからしてるだけだからね。勘違いしないでっ!」

 

 頬を朱に染めて左手の小指で髪を巻き付けながらつんけんどんな態度を表した。その態度といい言い口といい反射的にツンデレみたいですね、って口に出さなかった俺は褒められてもいい。

 

「……それに一年に一度位は私だって格好を変えたりするわよ」

「もはや制服レベルなんですね、あの赤黒チェック柄」

「そうよ。私のような存在は姿を頻繁に変えてはいけないだから、仕方ないじゃない」

 

 キャンペンガールでもしてるのか。

 どういう論理でそうなったのか知りたいぜ。

 

「もう! 知らない、知らない。今日はもう帰るわ!!」

「あれ、もう帰るんですか」

「目的は果たしたからもういいのよ!」

 

 目的?

 目的って何ですか、と言う前に風見さんは踵を返して元来た道に戻っていく。

 と思いきや急に振り返る。

 

「明日は人里に用事があるから来ないからっ!」

 

 風見さんは吐き捨てるように言い残し、向日葵畑の中へ消えて行った。

 この場を去って行くその後姿は少女らしく妙に可愛らしかった。普段もそうであればいいのにと一瞬思ったが俺の心臓が持たないので、時々ああなって欲しいと心の中で願った。



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六話前編

 日課である向日葵の水やりを終えた俺はすっかり定位置となってしまった縁側にて実家から来る際に持ってきておいた貴重なアルミ缶の炭酸飲料を口にしていた。

 炭酸飲料独特の何とも言えない刺激が喉を直撃し「くわぁ~」と風呂上りにビールを頂いたおっさんのような声を上げる。考えてみれば俺も成人してから随分と経っているからそろそろオッサンだと言われてもおかしくはない。

 想像してみろ。小さい子供にオッサンだと言われる妄想を。

 閉鎖された空間に俺。その周りに無数の子供達。その子達から一斉に浴びせられるオッサンコール。厨二的に捉えるならば差し詰め『アンミリテッド・オッサン・コール』。何て嫌な心象風景なんだ……。その空間内の中心に立つ俺は耐え切れず膝から崩れ落ちる。

 実際の俺もその場で一人肩を下ろし落ち込んだ。

 気を持ち直して炭酸飲料のアルミ缶を口元へ傾ける。程好い刺激で喉を潤していると急に思い至る。

 

「暇だ」

 

 そう、暇なのである。

 普段なら自虐的な発想など絶対にしないのだが、あまりの自由気ままで誰からも束縛されない時間に孤独を感じてしまっていた。

 今日は風見さんが来ないのである。

 毎日、向日葵目当てで訪ねて来るのだが、昨日言った通りなら人里に用事があるとのことで来ないのだ。

 いつも居る人が居ないと物寂しい気がしてくるのが現代人の性なのか。無性に誰かに会いたい。

 人恋しい気持ちを誤魔化して残っていた炭酸飲料を一気に呷った。

 その時である。

 何時の間にかにその人物は目の前に立っていた。

 俺はその人物の姿に目を剥く。

 豪華な装飾が施された日傘の下の少女。彼女は紫色を基調としたアンティーク風のロリータファッションを見事に着こなしていた。元々が金髪で顔立ちが欧州風だというのもその一端であると思われるがこうまで似合う人物を俺は画像編集用アプリケーションソフトウエア越しにでしか見たことがない。

 ゴシックロリータもそうだがこうした洋服を着こなすのは相当に難しい。日本人には体格・風貌が合わないし、本場である外国産美少女も直ぐに育ってしまう為に幼いうちにしか似合わない。

 その格好を違和感なく、着られるのではなく制している。

 俺は戦慄と共に驚愕するばかりであった。

 

「御機嫌よう」

 

 鈴を鳴らしたかのような心地良く、流暢な日本語が俺の鼓膜を揺らす。

 日本人若しくは日本育ちなのか。俺は驚いた表情のまま動けない。

 

「貴方はまだこんな所に居たのね」

 

 一瞬、少女が言っている意味が分らなかった。

 が、俺は瞬時に察する。

 常人には決して真似出来ない格好。無意味に意味深な言葉を残す。少女が軽く微笑みドヤ顔風なのもポイントだ。まだまだ他にも材料はあるが、十分に確証をある。先程までの思考していた内容のおかげで容易に連想できた。

 

(この子、中二病か!?)

 

 あいたたたっ。

 痛い。心が痛い。

 かつて俺も患ったことのある大病なだけに少女を哀れに思った。

 

 

 ※後編へと続く



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七話後編

「私の名前は八雲紫。八つの雲、紫色の紫でゆかり」

 

 八雲紫と名乗る少女に対して更なる驚愕を得る。

 それと共に俺は益々確信を深めた。

 間違いない。あれは偽名だ。例えるならば黒歴史に刻まれるべき呪われた名前。わたしのかんがえたかっこいいねーむ(笑)。

 でなければ、あんな欧州風美少女に名付ける名前ではない。日本人でも八雲と言う名字は少ない。しかも"やくも"ではなく濁点入れて"やぐも"だ。それに輪をかけて紫をゆかりと呼ばせる。正直、確率的にありえない。(※風見さんは棚の上においておく)

 なんてこった。

 外見から察するに年齢は十五、六。あの歳で中二病を高いレベルで発生させている……。彼女の将来には絶望しか待っていない。

 想像しててくれ。

 十年後、または子供が生まれ正常なまでに完治した後にアルバムでかつての痴態を子供に知られ

 

「ママ、おかしなかっこうしてるー」

 

 なんて言われたら…………。

 俺なら直ぐに死ぬ準備が整えにかかるだろう。遺書を書く。

 哀れだ。しかし、治療法などない。

 俺に出来ることは茶番に付き合うくらいだろう。

 あまりの不甲斐無さに苦虫をすり潰した顔で俺は言う。

 

「君ほどの存在が何の用ですか?」

 

 付き合うからには俺も中二要素を台詞に加える。

 ※仮称 八雲紫は意味深な表情で俺を嘲笑うと何所からか紫色の扇子を取り出し、空間に横線を引く。すると何もない筈の場所に捩れた裂け目が現れた。

 その裂け目の上に両肘を乗せ、楽な姿勢を取った。

 

(なん…だと……!?)

 

 あの子の中二レベルは俺の想像を遥かに越えていた。

 空間に裂け目を作り出す即席のマジックにまるでそこに何かがあるように感じさせるボディランゲージ。一流のマジシャンと演技者に匹敵する高性能な能力とそれを実現させる意志の強さ。

 馬鹿な……。

 驚愕に継ぐ驚愕の嵐に俺は呆然としていると琥珀色に光る瞳が俺を見詰めていた。

 

「貴方は決して真実に到達することはありえない。哀れね」

 

 またしてもドヤ顔で意味深な言葉を語り掛け哀れむ※仮称 八雲紫。

 俺はその台詞に対して口に出さず中二病を哀れみながらそっと内心で突っ込む。

 

(それなんてゴールドエクスペリエンスレクイエム?)

 

 まさか中二病でジョジョラーだとは思いもしなかった。

 俺は何時の間にかスタンド攻撃を受けていた設定らしい。

 そう考えてみると、なるほど。先程の裂け目は何らかしらのスタンドということか。

 

「俺は決して哀れではない。心の中でそう思ったなら既に行動は完了しているのだから」

 

 彼女に見習って俺もジョジョに出てくる名言を混じえた言葉を口にした。

 適当に俺が一番好きな言葉を選んだのだが全く意味が分らない。

 それでも※仮称 八雲紫は満足したようだ。俺はようやくこの茶番が終わったのかと思い、炭酸飲料を口にしようとしたが中身が入っていなかった。

 そういえばさっき飲みきったんだったぜ。

 俺はもう一本飲もうとして氷室に取りに行こうとして少女にもあげようと問いかけたが、その場には既に誰も居なかったのである。

 何とも不思議な体験だった。



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八話

 驟雨、通り雨、にわか雨、夕立。

 それぞれ呼び方や呼ばれる条件が違うが本質的に同じものである。

 つまりは急に雨が降り出して止む現象のことだ。

 なぜにこんなことをつらつらと述べているのかというと実際に降られたからである。

 晴天青空。今日は雲一つない絶好の洗濯日和であった。俺は井戸水と持参してきた洗剤を使い、洗濯板で服を擦りながら泡立て必死に汚れを落とそうと奮闘。

 その甲斐があってすっかり綺麗になった洗濯物を物干し竿に吊るし乾かす。その後に折角だからと布団を虫干しにして日向の匂いを吸い込ませた。

 一作業が終わり、休憩して落ち着こうと縁側にて茶を啜ろうかと思っていた時。空からボツボツと雫が落ちてきた。

 それは俺を濡らすには足りなかったが、時間が経つにつれ徐々に徐々に雨量を増やし全てを濡らしていく。俺は事態をようやく把握すると悲鳴に近い声を上げて布団を取り込み、洗濯物を家の中へ入れる。

 横に吹き付けるよう降る雨の為、開放していた窓を一つ一つ閉めていく。

 その全てが終わるまでに十分も掛からなかったが、精神的な疲労がどっと押し寄せた。それほどに目の前にある惨状は酷いものだった。

 生渇きの洗濯物に湿った布団。びしょ濡れの縁側。

 通り雨の所為で片付けの手間が増えてしまった。

 肩を落として落ち込んでいると居間に隣接する玄関が開く音が響く。

 

「……お邪魔しますわ」

 

 この声は風見さんか。

 それにしても沈んだ声だったような。

 タオルを持って玄関へと移る。

 

「うっす。風見さん」

「御機嫌よう」

 

 玄関先に立つ風見さんの姿を見て、彼女が不機嫌そうな声を出した理由が分った。

 

「また、随分とずぶ濡れですね」

「天気好いから携帯している日傘を置いてきてしまったのよ」

 

 タオルを渡す。

 

「ありがとう」

 

 髪の水分を取るように優しくタオルを当てる風見さん。

 その仕草を見るとやっぱり女の子なんだな、と意識してしまった。

 無意識にそのまま視線を下にやると俺は素晴ら……余計な事実を発見してしまう。

 赤黒格子柄に橙色の布地が透けているという事実。詳しく何所とは言わない。一つだけ言及するのなら風見さんの普段着は袖なしのベストに白いブラウスを着ているということだ。

 何だろう。学生時代では女子の下着が透けていても気にしなかったのに社会人になってからの方が興奮するのは。

 俺はあまりの気まずさに目を逸らした。

 

「……あら、もう見ないの?」

 

 バレてるし。

 

「俺は紳士なのでね」

「それじゃあ紳士って変態のことなのね。勉強になったわ」

 

 心の中で吐血した。

 何も言い返せない不甲斐無さがつきまとう。

 俺は何かしら反論しようと口を開こうとした際にそれよりも早く先制される。

 

「すけべ」

 

 顔が熱くなる。

 どうやら風見さんからは逃げられないようだ。

 男なら素直に謝るべきか。そんなことを潔く考えていると風見さんが言う。

 

「着替えたいのだけれど代わりの服が何かないかしら?」

「俺のTシャツかワイシャツ、あとは浴衣位ならありますけど」

「じゃあ浴衣を借りるわね。変態」

 

 またしても魂胆がバレた。

 さり気なく混ぜた希望の選択肢が。

 やばいよ。これじゃあ今日から変態が基本呼びになってしまう。※仮称 八雲紫を笑えないぜ。

 風見さんは自室となりかけている奥の部屋に行き、俺は浴衣を取りに箪笥へ向かう。

 二番目の箪笥から引き出したのは濃紺色で桜模様を各所に散りばめた絹織物の浴衣。色と柄的に風見さんの趣味じゃなさそうであるがこれしかないので我慢してもらおう。

 そっと襖を叩いてから少し開け、中を覗かないように横向きをして浴衣を置く。

 

「これ」

「ああ、ありがとう」

 

 直ぐに襖を閉め、居間へ移動する。

 風見さんが着替え終わって来る前に残骸を片付けぬばならないからな。

 せっせと片付けていると浴衣を着た風見さんが現れた。何時も洋風の服装だし、胸部が育っているから似合わないのかと思ってたけどそうならなかったようだ。

 

「似合ってますね」

「ふふっ。お世辞が上手いわ」

「いえいえ。本心からで」

「中身は変態なのに口先は紳士なのね」

 

 頼むから忘れてくれよ。その名称。

 結局、俺はその日一日変態扱いされた。

 しかし、少しも悔いはない。ありがとう通り雨。



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九話

 連日の猛暑は過ぎ去り、気持ちの良い風が吹く日差しも柔らかな日がようやく訪れた。

 最近では体力がつき慣れてきたので日課を何時もよりも手早く終えると自由な時間となる。

 今日は絶好の日向日和かつお昼寝に丁度いいので俺は縁側に軽くタオルケットを敷き寝転がろうとしていた。

 

「あら、お昼寝の時間? 邪魔だったかしら」

 

 縁側の外へ目を向けると風見さんが白い日傘を差し、毎度お馴染みの服装を着て突っ立っていた。左手を後ろに隠しているのだが何かを持っているのだろうか。

 

「風見さんも一緒に寝ますか? 気持ち良いですよ、きっと」

「ふふっ。変態」

 

 言葉のナイフが突き刺さる。

 美少女からの罵りは自ら進んで甘んじて受けるべき。

 ありがとうございます。

 

「それでは一人で夢の世界へと旅立ちます。探さないで下さい」

「あら、あら、いいの? 少しばかり上等なお酒が手に入ったのだけれど」

「夢の世界よりも魅力的なものがありますね。頂きます」

 

 左手に持ち隠していたのは瓶入りの酒だったようだ。

 成人した大人はこの魅力に抗えない。

 俺はさっそく戸棚に眠っている祖父自慢の酒器を取りにいく。黒い漆器製の盃だ。風見さんのお酒に釣り合うだろう。

 

「どうぞ、お一つ」

「借りるわね」

 

 盃を一つ手渡し、酒を受け取る。栓を開けて両手を使い傾け、盃に小気味良い音をたてて注ぐ。

 薄桃色の液体が盃を満たす。日本酒かと思ったのだけど違うのかね。

 

「じゃあ、私も一献」

「恐縮っす」

 

 今度は風見さんが俺の盃に注いでくれた。

 

「おっとっと、もういいっす」

「はい、はい。乾杯しましょうか」

「風見さんに乾杯」

「ふふっ。何よそれ? 乾杯」

 

 漆が塗られた見事な盃を口元へ傾ける。

 舌触りに少し残る炭酸。そのあとにくる僅かに感じる酸味が酒の旨みを十分に惹きたてている。例えるならば葡萄酒。見た目もそれに近い。しかし、この味は正しく日本酒だった。複雑だが美味い。女性に合う酒だろう。

 

「良い酒ですね。どうしたんですかこれ?」

「知り合いが迷惑掛けたって無理矢理置いていったのよ」

「いいんですか? お詫びの印を俺が飲んで」

「いいのです。貴方も無関係じゃないし」

「へ?」

 

 風見さんは何やら意味深な発言をしたが直ぐに「忘れて」と訂正してきた。

 まぁ、俺は酒が飲めるなら何でもいい。

 

「この酒って日本酒ですよね。ワインっぽいですけれど」

「置いていった本人が言うには古代米仕込みの古代しぼり、らしいわ。赤米を使っているから赤いのよね」

 

 日本酒豆知識だ。覚えておこう。

 

「段々、摘まめる物が欲しくなってきた」

「貴方の畑の向日葵にさっき分けて貰った種ならあるわ。さぁ、ネズミのように貪るといいわ」

 

 袋に入った向日葵の種を渡してくる。用意がいいな。

 

「そこまで飢えてません。でも頂きます」

「飢えているのは女性にだったわね。失礼したわ」

「男として正常なので問題ありません」

「元気過ぎるのも困ったものだわ。裸Tシャツとか裸Yシャツとか」

「すいませんでした。全面的に俺が悪かったっす!」

 

 むしろ女性として魅力的な風見さんこそが悪い。

 ……この言い訳は無いな。痴漢した男みたいだ。

 それにしても気分が高揚する。酔いが段々と回ってきたようだ。でもこんなものではまだまだ酔い足りない。更なる酒気を求めて残っていたものを一気に呷るために盃を傾ける。

 

「もう一献どうかしら?」

 

 いいタイミングで酒瓶を手に返事を待つ風見さん。

 俺は盃を差し出す。

 注がれた薄桃色の酒を一口頂いて、景色を眺める。たくさんの向日葵が黄色く照らす太陽へ向かって軽く頭を垂れていた。ひどく夏を感じる風景だ。

 老後もこういう景色の中で酒を連れ添った人と飲みたいものだと密かに思った。



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十話

 じりじりと照りつける太陽。

 遠くを見れば空間が捩れるような歪みが出来ている。陽炎だ。

 今正に真夏日真っ只中。関係無いけれど字にして読めば中々に読み辛いな。目が痛くなる。

 そんな中を向日葵畑に咲き誇る向日葵達のために井戸から汲んだ水を今日も柄杓でばら撒く。水を掬ってはほいさ、水を掬ってはほいさ、と。

 あぁ、それにしても気になる。

 先程から俺は集中力を激しく散らされていた。

 太陽光とは別の線が俺の背に突き刺さっている。

 

「じー」

 

 明らかに不審過ぎる。

 あれで美少女でなかったら警察に通報してるくらいの不審さだ。

 

「じー」

 

 あの擬音もやばい。

 想像してみてくれよ。誰もが認める美少女が見てますよと擬音を口で表現しているんだぜ。普段とのギャップもあり過ぎて可愛すぎるだろ。

 

「じー」

「……何か用ですか、風見さん」

 

 遂に耐え切れず俺から話し掛けてしまった。

 

「じー」

「まさかの無視!?」

 

 完璧にスルーされたね。

 それでも俺を見続ける風見さん。いつも携帯している日傘差しているけどこの暑さでやられたのか。

 

「大丈夫ですか?」

「少し静かにしてもらえるかしら」

「拒絶っ!?」

 

 黙ってろよ、を頂きました。

 俺は仕方ないので水撒きに精を出す。

 丁度水が無くなった。汲みに行かなくては。

 井戸に向かおうとすると風見さんも後ろからついて来た。間隔を空けてぴったりと。もう何も言うまい。

 釣瓶を落とし、引き上げる。慣れてきたけど相変わらず重い。それに何度も上げて腕がそろそろ限界に近い。元気ハツラツしなくては。

 最後の力を振り絞っていると風見さんが急に声を上げた。

 

 

「そうよ。リナリアだわ!」

「……は? あっ!?」

 

 飛び出た意図の伝わらない言葉に呆けてしまい、折角引き上げた釣瓶を落としてしまった。

 少し休憩してからやろう。それよりも風見さんだ。

 

「そのりなりあ、って?」

 

 風見さんは胸を張って得意げに語る。

 

「最近の趣味でね。貴方に知って欲しい花を想像したの」

「へぇ。どういう花なんですかね」

「和名は姫金魚草。花の色は紅、紅紫、濃紫、黄、白色などの綺麗な混合色だわ。花言葉は……」

 

 そう呟き、なぜか外方を向く風見さん。

 気のせいか頬が朱に染まっている。

 なにその反応。気になる。

 

「と、とりあえず覚えておいて!」

「え、ええ。いいですけれど」

「じゃ、私、帰るから!!」

「あ、え、ああ、はい、さようなら」

 

 風見さんは風のように去って行った。

 この人、よく分からないけれど自滅してることが多い気がするな。

 前も自分で言って恥ずかしがってたし。サディステックな方は突然の行動に弱いっていうのは本当のようだ。

 それにしてもリナリアの花言葉って何だろうな。

 実家帰ったら調べてみよう。




リナリア

花言葉は「私の恋を知ってください」「私の恋に気づいて」「幻想」


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十一話

 風見さんには変わった趣味がある。

 それを知ったのは大分前のことだ。

 昔はそれほど親しくなく、交流もあまりなかったが、その頃から既に向日葵郷へ訪問して来ては向日葵を眺めて帰っていくのをよく目にしていた。

 俺も思春期真っ只中であり、テレビの中の芸能人ですら霞んで見える綺麗な美少女を意識せずにはいられなかったのである。確かに下心もあったが俺はその風見と名乗る美少女と話してみたかった。

 しかし、美少女や美男、美女などの美人はどこか近寄り難い雰囲気を持っている。

 風見さんも例外なくその一人だった。

 現在では少し意地悪を言う気の好い美少女だが、昔の風見さんは誰も近寄せない威圧感を常に纏っていたのである。正直、美少女だけれど絶対に不良だと思っていたし、大袈裟な例えだが刃物のような触れれば斬れる危なさがあった。

 俺も歳相応に下心もあったのだが、それ以上に人間として小物であり、風見さんに恐れをなしていた。情けない話である。

 だがしかし、俺は諦めなかった。

 美少女とお近づきになる下心とそれを叶えるための執念が俺には残っていた。

 その年の学校の夏季休暇の都合で最終日となってしまった日のことである。

 俺はなけなしの意気地を振り絞り、風見さんに話を掛けようと彼女を待ち伏せした。何気なく目で追っていて分ったのだが彼女にはお気に入りスポットが幾つかあり、そこを毎日回っているのだ。

 その一角にて待つ。

 そして俺の考えたとおりに彼女はその地点に現れた。

 白い日傘を差し、腰よりも長く伸ばした翡翠の髪を揺らす。微かに鼻歌が聞こえる。機嫌が良いのかもしれない。

 あの赤い瞳が俺の姿を捉える前に俺は向日葵畑から飛び出し、彼女の前に立った。

 

「…………!?」

 

 言葉が出ない。

 彼女の顔を見ると不審者を見るような、敵対する誰かを見るな表情をしていた。

 何か言わなければ。

 

「ひ、向日葵は好きですか!!」

「……好きよ」

 

 や っ ち ま っ た 。

 慌て過ぎて変な質問をしてしまった。

 彼女は律儀に答えてくれたが益々不審者を見る目でみている。

 流れを変えなければやばい、そう思って百面相を晒していると目の前の彼女がくすくすと笑い出した。ツボに入ったらしい。

 

「うふふ。可笑しな人ね。貴方、確かこの向日葵畑を管理している家の人よね?」

「はいっ! そうっす!!」

 

 彼女が俺のこと知ってたのかと思うと嬉しかった。

 今まで一方的に見てるだけだったから。

 

「それで本当は何の用かしら?」

 

 彼女は笑みを止めて真剣な顔をする。端整に整った顔が此方を向き、緋色の眼差しが俺を貫く。何だか空気が死んだかのように感じられた。

 どうやら俺は彼女に疑られているらしい。

 俺は彼女の目を見ながら誤魔化しではない直接的な言葉を吐いた。

 

「友達から始めさせて下さい!」

 

 彼女は一瞬呆けた表情をした。

 直ぐに表情を作り直して彼女は応えてくれた。

 

「風見幽香よ。風見鶏の風見に幽霊の幽と香るで幽香。チューリップなんてどうかしら?」

「えっ?」

「貴方に似合いそうな花を選んだの。趣味なのよ。初対面の人間に合う花を選ぶの」

「何でチューリップ?」

「貴方が正直者だったからだわ」

 

 その日、俺と風見さんは友人となった。

 思い返してみると現在の趣味と少し変わったようだが掛け離れたものではなかったようだ。

 ちなみにその数年後に風見さんは一日に多く似合いそうな花を見立ててあげたと嬉しそうに語っていた。




チューリップの花言葉 「正直」

他にもあるので調べてみてください。
決して「愛」ではないのであしからず。


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十二話

 幻想郷。

 ここはあらゆる現実で忘れられた存在が集まる幻想の理想郷。

 俺はその一角である"向日葵咲き乱れる郷"の主だ。

 妖怪、亡霊、無敵巫女、魔法使い。そんな超常的な存在が溢れかえる非常識な場所で俺は愛する向日葵畑を守るために日夜戦っていた。

 スペルカードルールなる決闘方法のおかげで妖怪達が手加減してくれるから大怪我を負うのは滅多にないけれど危険には変わりない。俺が家に帰って夢の世界へ旅立とうとするのはいつも気絶が原因だ。最近では皮肉って「気絶催眠法」と呼んでいる。

 であるから俺は今日も戦いに行く。

 もう直ぐ、この向日葵郷を襲ってくるであろう妖怪を迎撃するために。

 

 

 祖父から受け継いだ屋敷から出て、真っ直ぐ進んだ道から此方へ誰かが向かってくる。

 白い日傘を差して、向日葵を意識しているらしい赤黒格子柄がひかれた橙色のベストとロングスカート。胸元に垂らしてある黄色い布が上品さを醸しだしている。一見しただけなら良家の子女だと誤解する見掛けだ。

 だがしかし、俺は知っている。

 前方のあいつはもっと禍々しい存在だと。

 その証拠にあいつが一歩ずつ近付く度に生命すらも圧迫する威圧感が漂ってきている。脆弱な人里の人間ならこれだけで気絶するだろう。

 段々と肌を刺すような威圧感に変わりつつあるものを受けて、俺は徐々に戦闘体制へと入っていく。

 あいつを睨みつけたまま相対する。

 

「御機嫌よう」

「先に言っておくけど、向日葵郷は絶対に渡さないからな」

 

 余裕はないが牽制の言葉を先に述べておく。

 あいつは気にせず笑みすら浮かべた。

 

「そう張り詰めなくてもいいのよ。貴方がきちんと役をこなせば先代、貴方の祖父との約定があるから貴方の心が折れるまで何度でも虐めて上げることが出来る。退屈しなくていいわ。最高のオモチャよね」

「あまり人間を舐めるなよ、花妖怪」

「ふふっ。惰弱で貧弱でか弱く、どうしようもないくらいに矮小な生き物が随分と吼えるわね。いいわ、やはり人間はそうでなくては」

 

 あいつは人間には決して出来ないような歪み狂った微笑をする。

 それを見た瞬間に怖気がのぼった。

 俺は幻想郷で様々な妖怪とかそれに準ずる存在を嫌なほど見てきたが、やはり間違いない。こいつは最上級に狂っている。

 なけなしの勇気を振り絞り、宣言する。

 

「早く出せよ。スペルカードをよ!!」

 

 あいつは先程とは別の笑みを表情に張り付け口を開く。

 四季のフラワーマスター風見幽香は日傘を此方へ向けて宣言する。

 

「みっともなく、恥を晒し、見苦しいままに足掻け。人間」

 

 俺は放たれた人間など余裕で飲み込むだろう一筋の閃光を避けるために動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ていうさ、夢を昨日みたんだけど笑っちゃうよね、風見さん」

「……そうね。失笑物だわ、間違いなく」

 

 あれ? 風見さんの肌に尋常じゃない量の汗が流れている。

 今日は暑いものな。タオルを後で渡しておこう。



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十三話

 今日は一日平和で代わり映えもなく、平凡に過ぎていくと信じた疑わなかった。

 向日葵の水遣りを終えてから風見さんが来て、平和に縁側で茶を啜っていたのに。それをぶち壊す存在が来訪した。

 そして俺は悟る。

 庶民にとって非日常とは何か。

 その答えに俺は数十年生きてきてようやくと行き着いた気がする。

 俺にとっての非日常、それは――

 

「疾く、素早く私の目の前から消え去りなさい。それとも自分が虐められない存在だとでもいうことなのかしら? 馬鹿にしているの? この私を?」

「"山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るのは難し"私の敵は常に私だけ。手一杯で貴方まで気が回らないわ。そうね、敢えて口にするならば眼中に無いということよ」

「私を山賊扱いで取るに足らないと? 己惚れるのも大概にしないと足元を掬われるわよ。見た目通りに少女らしく泣くことになるわ」

「御忠告痛み入るわ。でも、これからは心配無い。何故なら考える脳ごと全てを失うのだから」

 

 なにこれ怖い。

 悪戯気質だけれど茶目っ気だと分る風見さんが会った瞬間にブチ切れている。常に微笑を絶やしていないけど分かる。一触即発とは正にこのことだとばかりに。

 何をしたんだよ、※仮称 八雲紫。

 最初は冷静で、目を弓形にして楽しそうに話してたのだけど、会話していくうちに紫色の扇子を広げ口元に当て表情を風見さんに分らないように誤魔化している。横から覗いた感じでは口角が震え怒りを抑えているようだ。

 女三人寄れば姦しいと言うけれど二人だと険悪になるのか。もう一人連れてきたら解決するのか、これ。正直にいって面倒臭い。

 でも、何とかせねばもうじきに二人がくんずほぐれつになる可能性が高い。見る目麗しい少女二人がレッツ、キャットファイト。見てみたい。

 いや、いや止めなくては……。

 

「あの、途中で割って入ってすいませんけど喧嘩なら外でやってくれませんか! 掃除したばかりなんで!!」

 

 二人とも一斉に此方を向く。微笑んだまま。怖い。

 しかし、すこしばかり冷静になったらしくその場から険悪さが消失した。

 

「客人の分際ではしたない真似を晒したわ。ごめんなさいね、人間」

 

 ※仮称 八雲紫が俺に謝る。俺の呼び方が人間って……。今度は人外にでもなった設定か。

 風見さんはというと頬を膨らませて顔を背けたままだが落ち着いたようだ。

 

「※仮称 八雲紫。風見さんとは仲悪いの?」

「呼び方がおかしい気がするけど、まぁいいわ。花妖怪とは犬猿の仲かしらね」

 

 なるほど。風見さんは妖怪ポジションか。花好きだし似合うな花妖怪。

 

「風見さん。俺が言えた義理じゃないけど仲良く出来ないの?」

「無理ね。そこの妖怪の賢者が土下座して平伏するなら考えてみてもいいわ」

「大人気ないっす。流石、風見さん」

 

 仲悪いって公言する割には※仮称 八雲紫を妖怪の賢者と呼んであげてる。優しい。

 その時、俺に電流が走る。

 逆に考えてみるんだ。実は二人仲が良いんじゃないかって。

 だって、おかしいだろ。風見さんは自分が嫌う人物にとことんきつい。なのに、設定に付き合ってあげるほどに優しさがある。それに以前に打ち合わせたのか二つ名を用意してあったじゃないか。

 間違いない。

 この二人は仲が良い。

 今日は多分にそういう設定なのだろう。

 そう推理した途端に二人を見る目が優しくなる。

 

「……なにかしら。彼。勝手に自己完結されて外れた方に解釈されてそうな気がするのだけれど」

「…………確かに気持ちの悪い笑みだわ」

 

 ほら、ちゃんと会話しだしたじゃないか。

 やはり俺の考えは間違いなかったようだ。

 俺は一日、二人を優しい目で見続けた。二人とも帰り際に引き攣った表情をして帰って行ったけど、あれは間違いなく演技していたのだけど仲が良いのが俺にばれてしまったという照れがあったのだろうな。



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十四話

某スレッドに「俺は3000文字以下は認めない」という発言があったのをみて今日は長め。


「写真を撮ろうか」

 

 そう提案したのは祖父からだった。

 昔から祖父は衝動的に行動を起こす性格だったので俺は突然の提案に戸惑いながらも祖父の言葉に賛成する。

 隣で麦茶を飲んでいた風見さんも軽く頷いて賛同した。孫である俺よりも戸惑うことなく自然に答えていた。その頃には彼女との付き合いも短くない間柄だったから彼女も祖父の性格を多少なりとも理解していたからかもしれない。考えてみれば夏だけでなく地元民である彼女は俺よりも祖父と交流する機会が多いからだろう。

 

「写真機はどうするの?」

 

 失礼な話だが言い出した本人である祖父が持っているなんてことは考え難かった。

 祖父はかれこれ何十年も外へでたことがないらしい。祖父自身が語っていたから間違いない。

 時折、祖父は人里まで行くらしいけど電気も通っていない田舎過ぎる里に写真機が売っているとも俺は思えなかった。

 一応の確認のため風見さんの方へ首を動かす。

 

「持っていないわよ」

 

 そういえば日傘と手土産以外を携帯している姿など見たことがないな。

 本来なら一番持っていそうな文明人である俺も此処等辺では電波がなく携帯電話が使えないので俺は祖父の家に来る際は邪魔になるからと考え持って来ていない。他に必要となる生活必需品以外は極力持参するのを控えている。勿論、写真を撮る機能がある機械等を携帯する訳がなかった。

 無いなら諦めるないね、と口にしようとした時。祖父は白髭と皺くちゃな表情を歪ませて笑う。

 

「ほれよ」

 

 何気なく祖父が右手で取り出したのは、大小の丸いレンズが付いた長方形の箱状の物だった。

 あまり見覚えのない物だが、恐らく「二眼レフカメラ」か。最近、とある特撮番組の放送で再ブーム化したとニュース番組で見た覚えがある。

 俺を含めた三人とも縁側に座っていて祖父は今日ずっと一番右端に陣取っていたのは写真機を隠し持っていたからだろう。祖父は偶に少年のような悪戯心を再発させて人をからかう癖があった。風見さんと気が合ったのはその所為かもしれないな。

 

「それじゃあ撮るぞ」

 

 祖父は我先にと向日葵畑へと飛び出していった。

 とても米寿を迎えた高齢の老人とは思えないほどに身軽さで俺達を置いて行く。

 

「行きましょうか」

「ええ。そうですね」

 

 残された風見さんと俺の二人は互いに顔を見合わせて笑い、後を追い掛けた。

 

 

 

 

 屋敷から一本道を突き進んだ先に祖父は俺達を悠然と構えて待っていた。

 祖父の傍らには三脚の上に設置されているカメラの二つのレンズが此方を覗いている。大変に準備がいいことで。

 

「爺ちゃん、カメラの細々とした設定とか、撮る準備はもう出来ているのか?」

「おう。行きずりの天狗が丁寧に教えてくれたから心配無いぞ!」

 

 天狗とはまた適当な。どうせ出会った人の特徴が鼻が高かったから、とかだろうな。

 祖父は偶に近場で会った人のことを妖怪とかに例えることが多い。風見さんも最初は一般人と掛け離れた容姿の端麗さからか、向日葵好きの所為か祖父に"花の精霊"とか呼ばれてっけ。何年も交流を重ねていくうちに俺が呼んでいる呼び方と統一したのか風見さんと呼ぶようになったけど。

 写真機を真上から覗き込むように此方を覗いていた祖父は細かい位置を俺達に指示して調整する。

 なんでも二眼レフカメラは普通のカメラとは違い撮影方法が難しく、素人には向かないので祖父は予め例の天狗さんにピントなどを既に決めてもらっていて、それに合わせるようにしているらしい。

 

「屋敷が背後に写るように横一列となって並ぶぞ。手早くな」

 

 最終的な調整が済んだようで祖父は既に二人で並び待っていた此方側へと小走りで近寄り、自分を真ん中の位置へと割り込み、俺と風見さんの腕を取って組む。自由過ぎる祖父に二人で軽く困惑し苦笑いする。

 

「それじゃあ駄目だ。写真撮る時はニカッと笑うんだぞ!」

 

 俺と風見さんに駄目出しが入った。思わず「誰の所為だよ」と言いたくなったが時間がないので従いカメラの方角へと精一杯笑い掛ける。

 幸せな時間だった。俺はその時、この幸せが永遠に続いていくものだと信じて疑うことを知らない。

 三人に拡散した光が駆け抜けた。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 祖父が死んだ、という知らせを受けたのはそれから間もない頃である。

 暇な学生過程を終了し、立派な社会人となり、働く義務を課せられた俺は短い夏季休暇が終わってしまったので社会の一基盤として働いていた。

 何件も梯子するように回り辛い就職活動を経験してまでようやく入社できた会社なので文句も言えず、上司の命令するがままに馬車馬の如く与えられたノルマをこなす。

 そんな中で家から件の緊急連絡を貰い、上司に無理を言って早退した。

 俺は足早に急いで実家に帰り、祖父の死を直接伝えに来てくれた人と面会する。

 綺麗な黒髪の女性だった。

 

「人里の代表として来ました。尾崎玉藻(おさきたまも)といいます」

 

 尾崎さんは人里の代表として都会で得た物資を運ぶ仕事をしているので、その序に血縁者である俺達に報告しに来たと説明してくれた。

 祖父の葬儀も尾崎さんとは別の代表者が祖父が残した遺言通りに済ませてくれたらしい。

 普通なら勝手に進めるなと文句を言わなければならないのだが、これは俺の両親も祖父と縁を切る前に同意していたらしいので感謝するばかりだ。祖父の実娘である母は終始複雑な表情をしていたが。

 ある程度の説明を受けると尾崎さんが俺へ一枚の封筒を手渡してくれた。祖父の字で俺の名前が書かれいる。

 

「遺言状だと思われます」

 

 祖父の遺体を葬儀のため運ぶ際に懐から出てきた物らしい。

 その場でさっそく雑に施された焼き印による封を破り、中身を確認する。

 封筒を逆さにして出てきた物は四つ折りにされた手紙と一枚の写真だった。

 俺は微かに震える手で先に手紙の内容を読む。紙を広げて目に映ったのはとても簡素な言葉だった。

 

『向日葵畑と家を頼む。手続きは済んでいるから』

 

 後日、確認したのだが祖父の言葉通り、あの屋敷と畑の土地は確かに俺の所有物となっていた。思い返すと祖父は自分の死期が近いことに気付いていたのかもしれない。

 その確信を得たのは俺に祖父が残した手紙とは別に付録されていた一枚の写真の方を見た時である。

 俺はその写真の光景を知っていた。

 三人の人物が笑い合い仲良く腕組みをしている。その後ろにはたくさんの向日葵と古い木造建築の日本家屋。空が青く晴れ渡っていて、俺に夏を感じさせた。

 段々と視界がぼやけ霞んでくる。

 写真が歪んで見えなくなった頃にようやく俺は自分が涙を流していることに気付く。俺は客人で初対面の人である尾崎さんが居るにも関らず大泣きした。

 

 

 

 気分が落ち着き洗面所で顔を洗おうと鏡を見ると目元が赤くなっていた。

 その時に俺は尾崎さんに情けない所を見られたなと軽く自己嫌悪に陥る。成人した大の大人がすることじゃないからだ。大人は軽々しく泣くこともできない。

 その後に俺は自分の部屋へ戻り、写真を見ながらじっくり一晩を掛けて決意する。

 会社を辞め単身にて向日葵郷へと移り住むことを。祖父の遺言に従おうと決めた。

 なんて考えたが決め手は俺自身があの向日葵畑に囲まれた祖父の家が堪らなく好きだからに違いない。俺は朝一番に両親にそのことを告げて、心配する両親を押しのけて会社に連絡し自主退社を願い出た。

 まぁ、結局的に会社側が忙しく引継ぎ要員がいないために半年以上も働く破目になったがな。その間に両親からも定期的に帰ってくるなら許すとの言葉を貰った。実質、結論は夏季の間は向こうに留まり、半分以上は実家暮らしに落ち着いた。

 そして今年も夏がまた来る。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 向日葵郷へようこそ

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




尾崎玉藻の正体

尾崎→尾裂狐
玉藻→とある狐の偽名 
黒髪は能力による偽装。外界で活動時にする常識に紛れるため。
黒と白の境界を操る程度の能力


もう誰だか分かりましたね。


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十五話

 鈴蘭。君影草。谷間の姫百合。

 全て同じ花の名称なのだが、この花には極めて強力な毒がある。人間がその毒を摂取すれば最悪の場合は死すらありえるくらいに。

 現在、向日葵郷には客人が訪れていた。

 赤い紐を頭の頂点で結んだ蜂蜜色の緩やかなウェーブを描いたショートボブに湖のように澄んだ青色の瞳。無垢で純真な少女に相応しく子供っぽい洋服がよく似合っている。傍らには少女と似た服装の人形がふわふわと浮かんでいた。

 少女は歌を口ずさみながら、縁側で深い眠りについた青年を見下ろし、笑顔のまま言う。

 

「ねぇ、幸せよね? そうなんでしょ?」

 

 確認するように問い掛ける少女の笑顔が禍々しく歪む。

 少女の名前はメディスン・メランコリー。鈴蘭畑で生まれた比較的新しい妖怪。捨てられた人形達の希望の形を成している存在だ。

 

「じゃあ、そのまま死んだ方が幸せよね?」

 

 青年は少女によって毒されていた。

 彼は二度と覚めないかもしれない幸せな夢を生きている。

 永遠だと信じて疑わなかった幸福の日々。祖父がいる何も欠けていない向日葵郷を過した日々を望んでいたがゆえに彼は毒に負けてしまっていた。

 現実よりも理想を選んでしまったのだ。

 即ち毒薬転じて甘露となる。

 

「コンパロ コンパロ 毒よ集まれ~」

 

 少女は青年を更なる夢を誘おうと毒を与え続ける。

 青年の命運は尽きたとも言えるが、青年の終わりはそこではなかった。

 来訪者は唐突に現れる。

 

「彼はまだ生きているの?」

「もう直ぐよ。もう直ぐこの人間の身体と心に毒がまわり、苦痛から解放されるの。人間が人形に変わるのよ。私の毒で死ねる、なんて素敵なのかしら」

 

 くるくると身体を回転させながら子供のように無邪気な表情を浮かべる少女。

 幽香は若干いらつきながらも毒を解毒するように問い掛ける。珍しく表情を引き攣らせていた。

 その説得を命乞いだと勘違いした少女は調子に乗って幽香にも毒を吐く。

 

「あはははっ! すっかり人間に毒されてしまったのね。同じ妖怪として恥ずかしいわ!!」

「まだ許せるわ。先輩として生まれて間もない妖怪の戯言だと聞き流せる。今ならば……」

 

 最大限の譲歩を提案する幽香。

 しかし、一度調子付いた愚か者は直ぐには止らない。

 

「向日葵に憧れている癖して毒を孕んでるなんて……やはり気持ち悪いわ。うん、気持ち悪い」

 

 不用意に口にした言葉が自分を死に追いやるなど想像もしなかったのである。

 少女は自分の言葉で俯く幽香の反応を見て確信した。自分の毒が効いていると。そのまま畳み掛けようと口を開こうとしたが止る。

 

「人間が生み出した玩具の分際で、私を……もういいわ。我慢の限界よ。そうだ。折角だからいいことを教えてあげる」

 

 緋色の眼差しが少女を貫く。

 張り付けていた軽薄な笑みを捨て無意識のうちに少女は喉を鳴らす。生唾を飲み込んでいた。

 

「私はどこぞの閻魔のように親切でないわ。先輩として貴方にとって残酷な言葉で口説き堕としてあげる」

「は? さっきから貴方は何を言ってるの」

 

 雰囲気がおかしくなった目の前の妖怪に疑問を口にした瞬間。空気が変わった。

 その空気は小さなスイートポイズンという異名を持つ少女にとって毒々しく甘美なるものだった筈だったのだが少女は思わず吐き気を催すほどに毒される。その毒は毒人形たる少女の許容量を遥かに越える。

 一端の妖怪が得意とするものへ本能的に恐れを抱いてしまった。

 少女は小さく後退り、表情を歪ませる。

 その様子を眺めて風見幽香は端整な顔に侮蔑の表情を浮かべた。

 

「所詮。人形は人形よ。ほんの幽かな魂を宿しても、仲間を集めようとも人間には成れない。いい加減気付け、お前を捨てた存在に憧れ求める哀れな人形。人間に毒された存在。そして最後に本当の心を知った時。お前はどうせ絶望して果てるよ」

「嘘よ! そんなの嘘っぱちに決まってるわ! 私には人間以上の人形になるのよ!!」

 

 それは間違いなく心からの叫び。絶叫だった。

 少女はその使命があるからこそ戦える。そう、どんなに否定されても心に宿した熱き情熱が何度でも湧き上がり立ち上がれる。

 しかし、その使命はたった一言で粉々に砕かれた。

 

「幻想よ。その願いの全てが幻想に過ぎないわ」

 

 これがただの妖怪の言葉なら少女は心から信じたものを見失わず、目の前の存在に勇敢なまま立ち向かっただろうが、風見幽香は一介の妖怪などではない。

 古より生きて人間だけではなく、同種の妖怪すらからも恐れられる化け物だ。

 本気の彼女が発した言葉は如何なる存在も確実に殺しきる猛毒であった。

 遂に少女は反論する言葉も失う。

 心を守るために必死で考えた理論武装が失ってしまったために少女はその身に宿す小さな心を目の前の居る化け物に圧迫される。

 そして一方的に少女を詰る言葉が紡がれていく。

 

「お前は間違いを起こした。その小さい身体に見合う心しか持てず、本来ならば知らなくてはならない事実を見逃した。全ての人間がお前を捨てたようなものだと限らないことに気付かなかった。私が直々に教えてあげるわ、無知は罪なのよ?」

 

 白い日傘の尖った先端を鈴蘭少女に向ける。それだけの動作で既に相手は縮こまりその場から逃げることも出来ず口から微かに漏れる喘ぎ声しか自己主張する。

 本物の恐怖が鈴蘭少女に襲い掛かっているのだ。

 

「今度は逃がさない。お前は此処で壊れてゆけ」

 

 懐から一枚のカードを取り出す。

 風見幽香は微笑みも忘れ、ただ残酷に宣言した。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「御機嫌よう」

 

 目が覚めたら風見さんの胸が目の前にあった。迫力ドアップで視界の大半を占めている。

 驚いて慌てふためき身を起こそうとしたが、身体が何故か動かない。

 

「当分動けやしないわ。諦めて寝てなさい」

「あの……何で俺は風見さんに膝枕して貰っているんですかね」

「鈴蘭の花言葉を知っているかしら?」

「はぇ? 知らないですけど」

 

 なんで鈴蘭の花言葉なんだ。

 現状と何か関係あるのだろうか。

 

「幸福が戻ってくる、よ。そんなこと決してありえはしないのに」

 

 風見さんの憂いを帯びた赤い瞳が虚空を見詰める。

 そんな言葉を呟くというのは過去に相当嫌な思い出があるのだろうか。

 俺はふと先程まで寝てた時に見ていた夢の内容を思い出した。

 

「私はただ貴方に覚えていて欲しいのよ。一度失った幸福は取り戻せないことを」

「……そういえば風見さん。俺さっきまで夢見てたんですけどね」

「うん」

「その夢では爺ちゃんは生きていて俺と風見さんと爺ちゃんで楽しく暮らしてたんですよ。まるっきり爺ちゃんが居た頃の日々でした。俺はあの時が一番好きで今でも戻りたいと思っています。けどね」

「うん」

「爺ちゃんが俺に言うんですよ。地に足を着けて生きろって。夢で満足してはいけないって」

「うん」

「そんなに駄目なんですか? 夢見る位いいじゃないすか」

「駄目よ」

 

 軽く叱るようには否定した。

 俺の顔を覗き込み、ふっと微笑んで風見さんは囁く。

 

「私がいる。それだけでは不満?」

 

 俺は即答する。

 

「最高です」

 

 気恥ずかしさのあまりに俺は外へ顔を背ける。

 夕日で赤く染まる向日葵は空気を読んだように反対側を向いていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 オマケ

 

 

「敗北の味美味しいです~。次は私が必ず毒にしてみせるわ~」

 

 とある鈴蘭畑の中心で一張羅がずたぼろになった金髪青眼の人形は花妖怪への雪辱に燃えていた。

 これで少女は確実にまた毒々しく変わるだろう。毒人形は本来ならスペルカードルールに変わってしまったために得難くなった経験を手に入れたのだから。




マジギレゆうかりん怖す

※スペルカードルールは妖怪同士でも殺し御法度です
 多分に死ぬほど、壊れてしまうほど楽しい弾幕だったのでしょうね


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十六話

 向日葵郷。

 家の周りにある畑に祖父が趣味で植えた向日葵が育って出来た向日葵畑の名前。

 時折、変な人達が訪れるくらいしか変化点がない場所である。

 そこにまたしても変人が現れた。

 

「お邪魔します」

 

 金色の板状物とかフリルとかの装飾過剰で重そうな帽子を深緑色の頭にかぶり、あまり見掛けない服装を着こなしている。残念な美少女なのか、田舎独特の民族衣装なのかは俺には判別不可能だ。もしかしたらナウなヤングの最新トレントなのかもしれない。

 いかん、いかん。お客さんの前で呆けたしまった。失礼に値するな。俺の反応をじっと待っているようだし話し掛けねば。

 

「何か家に用でも? 差支えなければお名前も御聞きしたいのですが?」

「これは失礼しました。私、四季映姫と申します。一応、この地の裁判官を生業として務めている者です」

 

 こっちに地方裁判所なんてあったんだ。

 というか裁判官をしてるということは俺よりも遥かに年上なのかよ。これがリアルロリ婆なのか。

 貴女のような見る目麗しい美少女に会えるなら毎日でも訴えられてもいい。

 

「裁判官の方ですか……。これは御丁寧にありがとうございます。わたしは――」

「知っております。私から尋ねてきたので名乗って頂く必要はありません」

「はぁ、そうですか。折角来てくれたのだから冷たい物でも持ってきます」

「有難う御座います。御好意に甘えますね」

 

 座って寛いでいた縁側から立ち上がり、氷室で冷やしていた自慢の手作り麦茶を器に移し替えて持ってくる。わざわざ麦を炒めてお湯で煮出したのだからパックの麦茶より上手い筈だ。

 戻ってくると未だに外で立ちっぱなしの四季さんに座ってもらえるように促す。座布団を渡して横に麦茶を置くと四季さんは申し訳無さそうに一度頭を下げてから座った。

 

「いただきます」

 

 一言俺に断ると器を口の方へ傾けて麦茶を運ぶ。微かに喉が動き、一口では足りなかったようで潤すように満たしていく。

 器を口元から離した時、中身は半分以上減っていた。

 

「ふふ。冷たくて美味しい麦茶ですね。夏にぴったりです」

「そういってもらえると作った本人としては嬉しいですね」

 

 厳格そうな雰囲気を纏っている人だとは思えない柔らかい笑顔だ。

 もっとガチガチに堅苦しい人だと第一印象で誤解していたぜ。

 

「急かすつもりはありませんが、用件とは何でしょう?」

「風見幽香、という人物を御存知ですよね」

 

 風見さん?

 裁判官と風見さんに何か繋がりがあるのか。もしかしたら出会った頃に感じた不良だという印象は間違いじゃなかったとか、か。

 俺が一人で難しい顔をしてると考えを否定するように四季さんは言う。

 

「裁判所絡みではありません。ただ単に知り合いとして彼女が最近どう過しているのかを親しい人に聞きたかっただけなのです。彼女は昔からどうにも捉え所が分からない所があるので」

「話してくれと言われてもいつも家に来て向日葵見て帰るくらいしか知りませんよ」

「いえ、そういうことが聞きたいのでなく、貴方から見て彼女はどういう風に感じましたか?」

 

 行動の事実ではなく、俺の主観的な話を聞きたいということなのだろうか。

 といわれても風見さんとはお互いに詮索無用の仲だからな。詳しくは知らないし、自分から一切話さないのだから知られたくもないのだろうし。

 

「まぁ、強いて言うならば毎日楽しそうだなって」

 

 四季さんが軽く驚いた表情に変わった。

 その反応は何なんだ。風見さんって昔は暗そうな人だったのかね。

 

「……そうですか。それは良かった。でなくては救われない」

 

 意味深な発言だけ場に残すと四季さんは縁側から離れ

 

「お時間を取らせてしまって有り難う御座いました。この辺で私は失礼します」

 

 綺麗な御辞儀をしてから向日葵郷から去って行く。 

 何気なく隣を見ると麦茶は空になっていた。

 というか彼女は本当に裁判官のなのだろうか。気になる。



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十七話

 突然だが麦茶の作り方を知っているだろうか。

 パックを水に浸して作る製品の話ではなく、一から自分で作った手作り麦茶の話だ。

 確かに企業製品の簡易麦茶パックで出来る麦茶も美味いけど、俺には昔から拘りがあって麦茶は自分の手作りこそ至高なのだと思うのだ。

 自分で一から作ったと自慢に思える物を暑い夏にいただき、喉を潤す。どうだね、最高だと思えないだろうか。その証拠に最近とある裁判官と名乗った人物に自慢の手作り麦茶を出したところ絶賛の一言を頂戴した。

 

『ふふ。冷たくて美味しい麦茶ですね。夏にぴったりです』

 

 俺は思わずガッツポーズした後に抱き付きたくなったが初対面の女性にそんな無謀で失礼な真似は出来なかった。大人な態度で接しましたよ。

 

「と言う訳で作っていきます」

「私は時々物を渡して、後は見ていればいいのかしら?」

「ええ。お願いします」

 

 風見さんが助手と観客を兼ねてくれることとなった。

 だって縁側で暇そうだったんだもん。

 

「じゃあ、手作り麦茶工房はっじまるよー」

「はい、はい」

 

 呆れた顔でも合いの手を入れてくれる彼女に拍手。

 それも風見さんが自分で拍手してくれました。何だこれは。

 

「それではまず大麦を用意してください。これはあらかじめ洗っておいて十分に乾燥させたものを使用します。乾燥させる時は日向でも日陰でも構いませんのであしからず」

 

 風見さんが大麦を入れて置いた中華鍋らしき物を渡してくれる。結構重い筈なのに何気なく軽々と片手で持ったけど凄いな。あの細腕の何所にそんな怪力が潜んでいるのやら。

 

「次にこの大麦を茶色になるまで炒めます」

 

 釜戸に火をくべて、その上に中華鍋を乗せ炒め始める。

 焦げないように気をつけながら様子を窺う。途中から実が弾ける音が鳴り始め、麦の香りが漂ってくる。酒の摘まみにいいかもしれない。

 

「そして最後に鍋へ水を投入し、煮出し始めます。時間は十分くらいが目安かもしれません。覚えておきましょう」

「さっきから誰に言ってるのかしら?」

「風見さんに決まっているでしょう。観客役も兼ねているのだから」

「では、聞いときますわ」

 

 煮出し終えたんで、釜戸の火を消して自然冷却させてから氷室へと持っていく。

 氷室って便利だよね。何か爺さんが生前にレティっていう外国人に頼んで毎年冬の間に雪を運んで来てもらっているらしい。それは爺さんが死んだ後も続いているようだ。会ったことがないので御礼も言えていないが。

 

「観客として聞くのだけれど完成した麦茶は何時飲めるのかしら?」

「風見さんが家に居る間は無理かな。明日来る時間くらいには出来てるだろうけど」

「そう。折角作った完成品が飲めないのは少し残念」

 

 ふふっ。甘いな、風見さん!

 そう言われると思って当然用意してました。

 

「昨日作った麦茶~」

「おどけて言われてもどう反応すればいいのか分らなくなるから止めてくれる?」

「……すいません」

 

 風当たりが冷たいぜ。

 俺は少し肩を落としながら氷室へと昨日の麦茶を取りに行く。

 そして最高へのお膳立てを忘れてはいない。氷室に先程から冷やして置いた器をお盆に乗せて、麦茶をそれに注ぐ。

 くっくっくっ。至高にして究極の麦茶を味わわせてやるぜ。

 風見さんが座って待っている縁側に向かい、彼女の横にお盆ごと置く。器を持たないのは俺の体温で不快にさせないためだ。

 

「おあがりよ(ドヤァ)」

「……いただくわ」

 

 さっそく器を手に取り、「あら?」と驚く風見さん。気付いたようだな、器の冷たさに、よ。

 器を傾けて口元へと麦茶を運ぶ。喉の美しい線が動き、潤していっている。育ちの良さそうな上品な仕草で器を唇から離した。

 俺も生唾を飲み込み喉を鳴らして評価を待つ。

 緊張の一瞬。風見さんの口が開く。

 

「確かに冷たくて美味しいわね」

「そうでしょう! やったぜ!!」

 

 数分後。風見さんに麦茶の出来を褒められ俺はテンションを上げたが、直ぐに風見さんの毒舌が入り居間の座敷で不貞寝した。 



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十八話

 蝉の泣き声が聞こえず、日差しが春のように柔らかで過しやすい午後。

 麦藁帽子を浅くかぶり空を見上げる。雲一つない爽快な日和だ。

 俺はさっさと向日葵畑に水をばら撒き、日課を終えて休憩に入ろうと縁側へ向かうとそこには美少女が眠っていた。

 太陽の光に当たり翠色をした宝石の如く光る艶やかな癖のある髪。端整に整った造形が瞼を閉じて童話の眠り姫のような魅惑的美しさを醸しだしている。時折、微かに身じろぐあどけない仕草に少女らしさを感じた。

 風見さんがここまで無防備な姿を晒すのを初めて見た。

 俺は静かに縁側へと忍び寄る。

 寝ている彼女の隣に腰を下ろし、俺は何気なく風に乱された髪を撫でた。

 本来なら女性の髪を勝手に触れるのは御法度であるけど、俺は一度でいいから彼女の綺麗で美しい髪にどうしても触れてみたかったのだ。

 起きている時に承諾を直接貰えばいいとも思うのだが女性に面と向かって髪を触らせてくれ、と言うのは度胸もいるし何よりも変態だと思われるのは耐えられない。

 そういう訳で彼女の意識が無いうちに触る。

 滑らかな手触りで触れれば手から零れていく。

 

「髪を撫でられるのを女性は嫌うと聞くが触る方は気持ちいいのだな。知らなかったぜ」 

「……私も悪くない気分だわ」

 

 あまりの気持ち良さに本心が口から飛び出した後。

 俺以外の声がその場から聞こえた。

 

「風見さん。起きてたんですか」

「いいえ。眠ってしまっていたわ。今日はこんなに好い陽気なのですもの」

「そっすね。俺も寝たいですわ」

「駄目よ。貴方はこれから私の枕になるのですから」

 

 そう言って風見さんは身体を動かし、俺の方へ近付き膝の上へ頭を乗せる。

 突然の行動に俺は慌てるも彼女の人差し指で口を塞がれた。

 

「乙女の髪を勝手に触れた罰よ。甘んじて受けなさな。光栄でしょ?」

「ひ、ひゃい」

 

 胸の高鳴りがやばくて死にそうだ。

 思わず口から出た変な俺の返事に「ふふ。変ね」と言うと風見さんは目を閉じて、眠りに入ったいく。

 何でしょうかね。何なんでしょうかね。今日の風見さんの態度は大人なお姉さんなのに少女らしく甘えてくる態度。これがギャップか。ギャップ萌えというやつなのか。

 一人悶えていると風見さんから止めが入る。

 

「あ、そうだ。髪を撫でられるの気持ち良かったから、私が眠っている間は撫でなさい。いいわね?」

「……イエス、マム」

「ふふ。夢の世界へ行って来ます」

 

 気が付いたら俺は風見さんの髪を撫でる機械と化していた。

 陽気な午後は過ぎていく。夢の世界へ旅立った風見さんが現実に俺を残したまま。



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十九話

 世間には隠された知る人ぞ知る、と言われている幻の酒が存在している。

 それは生産上の都合で多く造れない物だったり、気難しい酒造りの名人が気に入った人物にしか譲らない物だったり理由はまちまちだが、幻と称されるまで限定的な酒が造り出されているのは間違いない話だ。

 その証拠に俺は一本の瓶に詰められた酒を手にしている。

 包装されておらず商品名も記載されていない綺麗な黒色の瓶。その中身を俺は知っていた。

 中身は純米大吟醸酒。米と米麹、水のみを原料として製造させた物がその酒の正体だ。

 しかし、それだけなら幻とならず何処にでもあるだろう純米大吟醸酒に過ぎない。

 この酒が幻と言われる由縁となったのは米が原因である。その米の種は大昔に途絶えてしまったと思われていたのであるが、途絶えてしまった筈のそれを密かに保存、育成していた人物がおり、その人物のお陰で復活となった不死鳥の如き酒がこれである。

 まぁ瓶が入っていた箱に同封されていた説明書に書いてあった説明だがな。

 俺はこの酒を向日葵郷へ来る前にとある伝を使って手に入れた。

 祖父の家に持って来たのは勿論、此処なら誰にも邪魔されずに一人で呑めるからだ。

 実家の両親は二人とも飲兵衛で俺がこの手元にある酒を持っていると知れば本気で襲ってくるだろう。前も別の希少価値のある酒を持っていたことが露呈した際は親父とは口論にお袋とは殴り合いの喧嘩になった。その時は結局お袋が放ったプロボクサー顔負けのリバーブローが綺麗に決まり、意識が暗転している間にあいつらが飲み干していた。

 初めて親に殺意を抱いた瞬間だった。

 そんな訳あって俺は元関東最強の女不良である過去を持つお袋に勝てる気がしないので逃げるようにこの酒を持ち寄って来たのである。

 戦国時代に活躍した武田信玄の武将である高坂弾正忠昌信に習って三十六計逃げるに如かず、だ。

 祖父を利用する訳じゃないけどあいつらは此処に来れないだろうからな。それでも酒のためなら長年の因縁も関係無しに来そうなほど酒に狂ってるけどな。

 誰もいない筈だが一応周囲を見回す。

 ふぅ。今は夜だしもう誰も来ないだろう。うん。来ないよね。

 さてと、開けるか。

 

「へぇ、何やら良さそうな物を抱えているわね……」

 

 身体が酒を開封する動きを強制的に止めた。いや、止められた。

 脳を駆け巡る思考だけが見当違いな方に逸れていく。現状の現実を飲み込めずにいる。

 俺の両肩に優しく暖かなものが触れる。錆びた機械のように首を動かし右肩を確認すると新雪のように白くしなやかな指が乗せられていた。

 左耳に暑い吐息が吹き掛けられる。

 

「昼間から妙におどおどして様子がおかしいから一度帰った振りをしてみれば……私に隠れて一人でそれを楽しもうなんて、ね」

 

 弁解しようとなんとか喉から声を上げようとするも一瞬で渇ききっており、中々呻き以外の口から出てこない。彼女の体温が接に感じられる。余計に喉が渇いていく。

 

「私はちゃんと貴方に持って来てあげたというのに」

 

 そうですね。一風変わってて珍しく、とても美味しいお酒でした。

 確か古代米の古代絞り、でしたっけね。その節はありがとうございました。

 

「少し聞きたいのだけれどいいかしら」

 

 何なりと。

 

「美味しいお酒は皆で共有すべきだと思わない?」

 

 風見さんが放つ重圧が空気を支配し、静寂が満ちていく。

 俺はその場で黙って頷くことしか出来なかった。

 結局、幻の酒を一人で楽しむという夢は淡く幻と消えていってしまったようだ。 



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二十話

※フラグ回


 最近のことであるが畑に悪戯を仕込んでいく人間がいるらしい。

 現行犯を直接見ていないので曖昧な言葉になってしまうのだが、とにかく誰かが畑に悪戯しているのだ。

 先日、俺はその悪戯の一部である落とし穴に引っ掛かり、頭から落ちてかの有名な犬神家の一族なみのアクロバティックなポーズを決めてしまったのである。早朝で誰も見ていなかったのが救いであった。

 幸い怪我なく済んだのだがこれは危ないなと思い、地元民である風見さんに相談をした次第である。

 俺の話を聞いた彼女は直ぐに思案顔になり

 

「専門家を呼ぶから二、三日貰えるかしら」

 

 と言い残し心当たりを当たってくれたのであった。

 丁度、今日にその専門家と会うこととなっているので来るのを家の外で待っている。

 向日葵をしげしげと観察していると向日葵郷の出口である一本道から人影が此方に向かって歩いて来るのが確認できた。

 あれが頼んだ期待の人物に違いない。

 その人物の姿がまたとんでもない美少女だったことに驚く。

 赤いカチューシャをアクセントカラーとした肩まで伸びた見事なブロンド、此方を真っ直ぐに見据える金色の瞳。少女趣味丸出しのロリータファッション。その全てが混じりあい調和して彼女と言う一人の少女が構成されている。

 一言で表すならば少女として完成しているだ。

 風見さんも恐ろしいほどに綺麗で可愛らしいが、彼女は別次元のものだろう。そうまるで芸術品でも鑑賞している気分になるのだ。

 

「え、と。貴方が風見さんが紹介してくれた悪戯の専門家さんですか?」

「そんな仕事に就いた覚えは無いけど風見幽香に脅されて来たのは私で間違いないわ」

「……脅されて?」

「いいわ、いま言った言葉は忘れて」

 

 眉間に手を添えて疲れたみたいなジェスチャーをする彼女。

 風見さんにどんな弱みを握られているのだろうか。

 

「アリス・マーガトロイドよ。普段は人形師をしているわ」

 

 どう見ても十六歳か十七歳くらいにしか見えないのだが、その歳で仕事に励んでいるのか。もしかたら四季さんのように若作りなのかもしれないが。

 

「失礼ですがあまり聞かない職種ですね。人形を創作する職、ということでしょうか?」

「そうね、それで合っているわ。ついで補足すれば人里の子供達相手に人形劇を披露しているわね。あまり景気はよくないけど」

「それでも夢のある職業で」

「おかげで生き甲斐になっているわ。だらだら生きていくのも性に合わないし」

 

 マーガトロイドさんはどうやら真面目な人のようだ。人形劇を生き甲斐にするとは枯れているとも思えるが。

 此処等辺に来て初めてこういう人に出会ったかもしれない。

 

「さて、私も暇じゃないからすぐに用件に取り掛かりたいのだけれど……」

「風見さんから現状は聞いてるでしょうか?」

「いいえ、何も」

 

 流石、風見さん。

 何も知らない人間にどう脅して協力させたのだろうか。

 

「こんなことを今更言うのもなんですがいいんですか? 協力していただいて」

「いいのよ。知り合いが遠くに旅立って暇だったから……」

 

 一瞬だが金の瞳に憂いを宿すのが見えた。

 地雷を踏み抜いてしまったかもしれない。女性がそういう瞳で意味深な発言を残す時、それは相手に知って貰いたいと無意識に考えていることが多いそうだ。この場合は謝るよりも知らぬまま通した方がいいのだろう。無暗に触れれば責任を取らなければならなくなるのが大人だからな。

 

「……聞かないのね」

 

 ほらな。

 

「自分は領分をしっかり弁えてますから」

「そう……少しだけ、ほんの少しだけだけれどアイツが貴方に依存しているのが分る気がするわ」

 

 真面目ゆえなのだろうか。この人面倒くさい。

 知りたくもないが恐らく現在のこの人は身内かそれに近い親しい人を失って誰でもいいから代わりの繋がりを欲しているのだろう。内面も少女らしく本当に面倒くさそうだ。

 さっさと用件を済ませて呼んでおいて失礼だが帰ってもらおう。それが俺にとってもこの人にも良い選択だと思う。

 

「逸れてしまいましたが貴女に解決して欲しい用件をお話します」

「ええ」

 

 彼女に悪戯の件を伝えると早急に対応してもらう。

 何をしたのかは知らないが後日、悪戯が再度起きることはなかった。



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二十一話

※フラグ回二回目。


「ごきげんよう」

 

 向日葵畑に恵みの水をばら撒いている途中に背後から声が掛かる。

 甲高い声質の未発達そうな幼い声だった。記憶にあるどの人物の声と違う。

 俺は誰だろうと不審に思い、背後へ振り返る。

 小学生くらいの幼女が真っ黒な日傘を差して立っていた。

 

「けったいな天気ね。曇りにでもならないのかしら」

「本日は晴天なり。明日に期待だ」

「それもそうね」

 

 口元に小さく膨らみのある手を当てくすくすと笑う。

 その姿を改めて見ると妙に惹きつけられる可愛らしさを持つ幼女。童話の赤頭巾に登場する老婆に化けた狼がかぶっているような西洋では就寝中に使用するナイトキャップに簡素なドレス。それを帯を用いて背中側にリボン状にして留めている。腕や手首、ナイトキャップの左側にあしらわれているリボン。そして何よりも目立つのがその全ての装いが黒色に統一されていた。

 薄い青紫のような青のような不安定に見る人の角度によって変わる不安定な髪色と赤く染まった瞳の異常さを際立たせている。

 俺は思わずこの幼女が怖いと感じてしまう。

 心中密かに恐怖心を抱いていると幼女は俺の心を見透かしたような目で此方を凝視していた。

 

「で、お嬢さんは何か用なのかな?」

「ただの日課にしてる散歩。あんたはその序ね」

「年上にあんたって……いや違うのか…………そんな気がする」

「あれま。意外に鋭い思考を残してたね。"生成り"の癖して生意気だよ」

 

 なまなり?

 俺はなまなりなんて名前ではないんだがな。

 

「それで結局、貴方は何をしに来たんだ?」

「分らなくても当然だけれど愚鈍すぎるのもどうかと思うわ。ただ見に来ただけだよ。ほら動物園で檻に閉じ込めた生き物を観賞する感じ。私も一度見に行ってみたいんだよねぇ、パンダとかさぁ」

 

 話題が段々と外れた方へ向き面白そうに一人で続きを喋る幼女らしき存在。

 本来なら愛くるしいであろう存在が今の俺には不気味な化け物にしか感じない。人語を解し、人間を愛し、そして人間を最後にはそのはきはきと動く小さな口元に運び、命を吸い取るような――

 

「ちょっと! 聞いてんの、私の話し」

「あぁ……すみませ」

 

 如何にも怒っているという風に俺へ問い掛ける。

 俺はその姿に益々恐怖心を煽られ、気が付けば勝手に口を開く。

 

「化け物」

 

 迂闊過ぎるその一言でそいつは怒った振りを止めて、無表情を形作る。

 辺りに響き渡った風に揺れる向日葵以外の音を消し去り、不気味な静寂に包まれる。まるで空間がそっくりそのままスライドするかのように別の世界へと移り変わったようだ。

 困惑と恐怖が交じり合い最悪な気分に浸っているとようやくそいつは動き始める。

 口角を異常に吊り上げて血のような真紅の瞳を弓状に歪ませ、赤く染まった月を連想させる不気味さを感じさせた。

 

「惜しいわ。実に惜しい」

 

 何が、とは聞けなかった。

 そいつの言葉を遮れるものは存在しない。

 

「あと少し条件が整えたのなら血を吸えたのにさぁ。生憎と誇り高き私は私に恐怖する人間の血しか飲まない。口にすればさぞ美味かっただろうよ。人間はいい。本当に素晴らしい。少し前まで一人ばかり変わった人間を飼っていたけどあいつも面白かった」

 

 少しずつ。少しずつであるが俺はそいつの言葉を恐怖に染まった思考の片隅で何となく理解し始めていた。困惑が治まり段々と反って冷静になっていく脳味噌。

 そいつの言葉はまるで俺が――

 

「確かに人間は面白いわ。でもあんたは人じゃないからな。勿体無い」

 

 そいつはしたり顔で悪魔のような笑みを浮かべた。

 よほど俺の姿が滑稽に見えたのだろうな。何なんだと言うのだ。俺が人間じゃないって。

 

「満足した。やっぱり見世物は苛めて反応を楽しむものよね。動物園の醍醐味だわさ。それではごきげんよう」

 

 そいつの言葉によって掻き乱されて困惑する俺を残し、後姿を見せて去っていく。

 俺は立ち尽くしてただ見てるだけしか出来なかった。

 向日葵畑に設置されていた落とし穴に嵌る所をただじっと観ていた。

 鼻歌を奏でながら機嫌良さ気に歩き、甲高い悲鳴を上げながら前傾姿勢になり落ちていくその様をじっくりと。結構深かったらしく、あの小さな身体が完全に隠されてしまっていた。

 そういえばマーガトロイドさんに悪戯対策はして貰ったのだが、既に悪戯されてしまった部分をまだ対処してなかったのだと今更思い出した。

 普段の俺なら注意していたのだろうけど、俺を化け物扱いするから……。

 そいつは何とか落とし穴から這い出ると土塗れで汚れてしまった服を幼い手で黙って掃う。服装が黒一色だからあまり目立たないのが救いかもしれない。

 ある程度掃い終えるとそいつは此方の方を向いて余裕の笑みを浮かべたが、俺がいつまでも哀れみの視線を送っていると涙目になり、走って去って行った。

 雰囲気で化け物だと感じたがもしかしたら一時の気の迷いかもしれない。

 俺が化け物だというのはあいつの妄言の間違いで、俺はれっきとした人間だ。

 そう思いたかった。

 でも俺には幾つか心当たりがある。

 思い返したくもない過去の映像が浮かんでは消えていく。何十年分もの思い出が走馬灯のように脳髄から流れて出す。

 

「俺は……俺は誰なんだ?」

 

 気が付けばそう口から漏れだしていた。

 向日葵郷は今日も平和に過ぎていく。いつまでも、いつまでも。



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二十二話

※フラグ回三回目

名前は出てきませんが珍しく主人公以外の一人称です


 生まれた瞬間を私は覚えていない。

 気が付いたらそこに居た。強いて言うならば自覚した瞬間に私はこの世へ生を受けたのかもしれない。 

 塞ぎこみ瞑っていた瞳を密かに開ける。

 色彩鮮やかな色とりどりの花達に囲まれた部屋の一室。

 空は生憎と曇り空で地面に大粒の雨が降り注いでいる。時折、光りが満ち空気が裂ける音が響く。吹き付けてくる風が窓硝子越しに伝わり、私はそれを聞いて物憂げな気分で眺めていた。

 だからだろう。心は沈み、記憶の奥底に仕舞い込んでいた筈の過去が溢れ出してくるのは。それもあまり好い記憶ではないから尚のこと悪い。

 今日は何となく外へ出掛けたくなかった。

 天気が悪いから。服が濡れてしまうから。落雷に遭うかもしれないから。様々な理由をつけて彼に会いに行くことを遠ざける。

 私は酷く臆病になってしまっていた。

 大昔の私は自分の存在に何ら疑問を持たずに気儘に過していた。やりたいことをやり、自らに与えられた長い時間を消費していく、そんな自由に生きる。何となく満たされて、何となく地面を歩いていた。

 それからまもなく生きることに疑問を持ち始めるのも無理はない。

 やりたいことが無くなって暇を持て余すようになり、無駄に過ぎていく時間の最中は花を眺め、時には長い眠りに落ちて誤魔化す。

 その無為に過した時間の所為で共に歩いていこうと歩み寄ってきた彼等も私を置いて過ぎ去ってしまった。

 私は悲しいとも思わない

 なぜなら彼等と私では歩んでいく場所も目的も違うのだから。

 時間も距離も壮大さも違う。口先だけの言葉を残し一時の欲求を満たして彼等は音もなく消えていく。

 私はそれを眺めているだけ。

 幾千幾万の出会いがあり、同じだけ別れが待っている。

 自分がなぜ生きているのかも分らず、死んでいく彼等を見送った。

 やがて私は歩き続けた足を止める。理由を誰かに求めるのを止めた。

 閻魔が私に告げた忠告は今も胸に突き刺さっている。

 

『貴方は少し長く生きすぎた。このまま生き続けてもろくな事にならない』

 

 あの時は燻っていた誇りが邪魔をして厚意を遮ってしまったけれど、あの言葉は間違いじゃない。

 現にいまの私はおかしくなってしまっていた。

 生きる理由を他人に、それも幽かに残っている残照に見出している。

 毒人形が突きつけてきた言葉も間違いじゃなかった。それゆえ私は自分を保てなくて大人げもなく怒りを露わにした。

 図星だった。

 伝説の向日葵のように恋焦がれて見詰め続けるほどに乙女であれたならと憧れていた。

 私は人間になりたかった。

 紅白巫女の平等さが欲しかった。黒白魔法使いの愚直なほどの直向さが眩しかった。吸血鬼の従者の飄々とした性格が羨ましかった。そしてあの人がくれた優しさが憎たらしかった。

 近寄ったり、勝負を吹っ掛けて戦い、お喋りをして満たされ、気が付けば彼女達も私を置いて過ぎ去っていく。手を伸ばせば届く気がして足掻いてもみても伸ばした先は空を切る。

 私はそこで閻魔の言葉をようやく実感した。

 終わりがみえない生き方はろくなものじゃない。

 人間に毒されてしまった私は絶望する。初めて死にたいと願った。それと同時に一緒に歩んでくれる誰かが欲しくなった。

 不思議な話だ。

 嘆きに似た願いは片方を叶えられる。

 私が生き続ける、という選択肢を選ばせられながら。

 彼が。

 かれが。

 あの人が。

 生きて欲しいと願ったから私は生きて道連れにした。

 傲慢な生き方をしてたから薄いけど後悔はしてる。その証拠に何度もあの人にヒントを与えた。

 リナリアの花言葉。隙間妖怪の言葉。吸血鬼の挑発。気がつかない方が悪い。

 あと少し。

 あとほんの少し。

 私の願いは完全に叶う。

 あの人が私と同じようになればいい。

 長く生きて、生きることに理由を求めて、毒されていけばいい。

 少しずつ。少しずつ。いつまでも。いつまでも。

 一筋の光が地面に突き刺さり、暗い部屋に一瞬明かりが満ちる。手元にある古惚けた一枚の写真を眺めてから、また瞼を閉じて私は眠る。

 明日には晴れると信じて。




向日葵の花言葉「あこがれ」


BGM東方ヴォーカルアレンジ曲

「ハナウタ」

原曲:今昔幻想郷 ~ Flower Land、Release

聴きながら読むと作中の表現したい気分が味わえるかも

ニコ動にありますのでよかったら……


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最終話

 男には戦わなければならない時がある。

 その瞬間は誰にでも平等に訪れて、誰もが震える身体を抑えつけながら立ち向かう。唇を噛み締め、頬を殴り、目を凝らして睨み付ける。俺にはその機会が未だに訪れてはいなかった。

 平和に生きる現代人だし、周りにいる人達はみんな優しくて、軽い喧嘩やいざこざはあれど真に立ち向かい戦うことはない。

 今更ながらに考えてみれば当然だった。

 その瞬間が訪れるのはきっと今日なのだから。

 腕っ節には自信がない。相手の裏をかく策略を練る頭もない。共に賛同し戦ってくれる誰かを巻き込む覚悟もない。

 だけれど、俺は立ち向かわなくてはならない。

 人間であるために。

 誇りを胸に静かな眠りへと向かうために俺は戦うのだ。

 足を震わして、血が出るほど唇を噛み、目尻に涙を溜めても例えみっともなくても、大衆に恥を晒そうが見苦しいまま足掻いてみせる。

 俺は覚悟を胸に立ち上がってみせた。

 全てではないけれど思い出した。

 一度、疑問に覚えてしまえば思い出すのは簡単だった。

 向日葵郷の思い出。よぼよぼになるまで過した日々。古惚けてしまった祖父との写真。

 隙間妖怪が教えてくれた通りにすれば、あとは名前を取り戻すだけだ。

 四季のフラワーマスター、と呼ばれたあの花妖怪から。

 そうだろう?

 

「風見幽香!」

 

 彼女は変わらない姿でそこに立っていた。

 向日葵畑の中心。白い日傘の下でお気に入りの向日葵を模した服装を纏い、翡翠色の髪を風に靡かせながら真紅の瞳で此方を眺めている。

 なんの色もない無表情のまま。

 俺が呼び親しんだ風見さんではなく、大妖怪と恐れられる風見幽香として。

 

「……結局思い出してしまったのね」

 

 鈴を転がしたような綺麗な声。

 だけれど喜怒哀楽を失っている。

 

「隙間妖怪の入れ知恵かしら。あいつも人間に入れ込んでいる癖して、どうして突き放す真似をするのかしらね。吸血鬼も人形師も鬼もそうだわ。理解出来ない。ねぇ、どうして?」

 

 真紅の瞳が赤みを増し血色に染まっていく。

 

「どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして?」

 

 小首を傾げて本当に不思議そうな表情で風見幽香は一息に狂気を吐き出した。

 

「あれほど幸せだったじゃない。毎日楽しくて変わらない一日を共に過して感情を共有し、宴に花を咲かせて語り合いながら飲み明かしたりしたのに。分らない。分らないわ。どうしてなの?」 

 

 長い時を無慈悲に与えられて生きてきた大妖怪である風見幽香が溜め込んできた生と死の矛盾による感情。

 この世の全てには等しく終わりがある。いつまでも来ることのない終わりを待つ彼女はいつしか壊れていき、終には大妖怪として君臨していた自分を失い、長き時を生きた代償として人間に毒されて彼女は人間に憧れる哀れな道化と化したのだろう。

 本当に哀れで見ていられない。

 だから、俺は立ち向かう。

 今この時。この瞬間が俺の正念場だ。

 戦力は圧倒的に向こうが上。腕っ節も強く、頭も切れる。唯一孤独だから仲間は居ないけれど、捨石に出来る何かはありそうだ。

 だけど戦うのに必要なのはそんなものじゃない。もっとシンプルで温かみのあるものだ。

 俺は乾いた唇を開く。相手を睨みつけたまま。

 

「人間だからだよ」

「……人間だから?」

 

 考えれば簡単なことだったのだ。

 小学校で習う算数の1+1よりも簡単な答えだ。

 彼女がそんなことすら分らなくなったのはやはり壊れているからなのだろう。

 

「人間が生き延びるために違う何かになったのなら、それは人間じゃない」

「えっ?」

 

 呆けて間抜けた声。

 まるで俺が彼女の盲点を突いたかのような状況。

 違う。

 それは演技でしかない。

 最初から彼女は分かっていた筈なのだ。

 共に歩いてくれる仲間が欲しかったんじゃない。自分と同じ存在にいつまでも傍らにいて欲しかったんだ。

 言葉は口にしなければ伝わらない。

 だから俺は言う。

 

「あまり人間を舐めるなよ、花妖怪」

 

 しっかりとした拒絶の言葉を。

 

「俺は……いいや、俺達、人間はな、確かに惰弱で貧弱でか弱く、お前達から比べたらどうしようもないくらいに矮小な生き物だよ。だけどな人間にも誇りがある! いつか死んでいくけれど短い生涯に意味を見出して愚直なまでに一直線を歩いていけるんだよ!! お前らにこうして吼えることも出来る!! 俺は胸張って自慢げに人間として生きて死ぬんだ!!!」

 

 風見幽香が俺にしたことは生命の冒涜だ。

 老衰による弱体化した俺から名前を奪い、記憶を弄り、幻想郷に新しい怪談を生んで人里の人間から畏れ形作らせ"向日葵咲き乱れる郷の主"という妖怪を生み出そうとした。

 俺はあの化け物に会った翌日に八雲紫と話し合い、一人では辿り着かない筈の真実に辿り着いた。

 本来なら歳の所為でもう既に死んでいてもおかしくはない筈の俺が生きていたのは風見幽香のおかげで、彼女から奪われた名前を取り戻せば完全な人間に戻れると教わった。

 だから言わなくてはならない。

 

「俺の名前を返せっ!!!」

 

 絶叫した。

 彼女に、風見さんに届くように声を張り上げた。

 

「そっか」

 

 まるで何でもなかったような他人事のように彼女は唐突に呟いた。

 その顔には優しげな表情が浮かんで、その瞳には憂いを含んだ赤い瞳に戻っている。

 

「ごめんね」

 

 綺麗に赤く染まる瞳が歪み、目尻に涙が溜まっていく。

 

「最初から分ってた」

 

 此方に笑い掛ける。

 

「幸福が戻ってくることは二度と無いって分ってた」

 

 一筋の涙が零れ落ちて地面に吸い込まれていく。

 

「けれど、それでも私は夢を見ざるをえなかったの」

 

 俺は相槌も打たずに黙って彼女の独白を受け入れるだけ。

 

「幸せだったの。貴方が隣にいてくれて、我侭な私に共に生きていてほしいって言ってくれた」

 

 弱弱しく、とても大妖怪だとは思えない儚げさに俺は居た堪れなくなってしまいそうだ。 

 

「貴方が私を置いて去ってしまうと分ったら、これまでの全部が……私が勝手に抱いた幻想に過ぎないのかなって自信を持てなくなってしまって怖かった。怖かったのよ」

 

 覚束ない足取りで風見さんは俺に近寄ってくる。

 

「それは初めての感情で、抱きしめたあたたかな温もりが消えていくようで、触れていた指先が何も感じなくなっていくようで、夜に一人で寝れなくなるほど怖くて仕方がなかったの」

 

 服にしがみつき、膝を地面につけて崩れ落ちる。

 

「ごめんね。ごめんなさい。謝るから……いかないでよ。私を…………置いていかないでよぉ」

 

 俺は言わなければならない。

 自分の思いを、人間である誇りのために。

 幼い子供のように俯き泣いてしがみつく彼女を見据えたまま。

 

「名前を返してくれ」

 

 風見さんは俺を見上げるとすっかりくしゃくしゃになってしまった端整な顔立ちを更に歪ませて嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶ。

 心が痛んだ。

 本当なら彼女の望みを叶えてあげたい。

 出来ることなら彼女といつまでも、いつまでも、この向日葵畑に囲まれて生きていきたい。

 それでも人間には決して越えてはならない領分が存在すると俺は思うのだ。

 俺は確かに知っている。此処が理不尽なことさえも全てを受け入れて肯定してくれる理想郷だと記憶を取り戻した俺は知っていた。

 しかし、それでも幻想は幻想に過ぎない。

 向日葵郷の主として人ならざる者へと転身する俺はきっと人間であった俺の絞り粕で出来ていて、薄っぺらい感傷と傷の舐め合いをしながら生きていくのだろう。

 それはもう俺ではない。風見さんが好きだと言ってくれた俺ではないのだ。

 だから、だから俺は彼女に伝えなければならない。

 しっかりとした言葉で。気持ちが十分以上に伝わるように真心込めて。

 この戦いは気持ちが伝われば俺の勝ちで、彼女がそれを無視すれば彼女の勝ちで終わる。

 俺は八雲紫から予め頼んで用意してもらった物を懐から取出し、無言のまま彼女に差し出す。

 

「これぇ……あねもね…………」

 

 花弁が赤い色をしたアネモネの造花。

 彼女の手元でいつまでも朽ちないように。

 現金な子供のように彼女は泣き止み、赤いアネモネを両手で優しく受け取る。二人仲良く黙って花を眺めた。

 やがて俺と風見さんは見合わせるように向かい合い笑いあう。

 この一瞬を忘れないために。

 いつまでも、いつまでも、彼女が俺を忘れてくれないように。気障な言い回しだけれど魔法をかけた。

 

「風見さん。最後に俺の名前を呼んでくれ」

「うん」

「優しく、真心を込めて」

「うん」

 

 彼女は立ち上がり、俺としっかり向かい合う。

 身長は俺の方が高い筈なのだが、もういい歳だから足腰が曲がって丁度いいくらいの高さになっている。

 美しい赤の瞳には覚悟の光が灯っていた。 

 

「生きていくわ」

「ああ」

「貴方が生きろよ、と言ってくれたからじゃなくて、私が生きたいから生きる」

「ああ」

「だから、ここでお別れね」

「ああ」

「さようなら、さようなら」

 

 そこでまた泣くなよ。

 笑ったまま見送ってほしい。

 

「太陽」

 

 そうだ。

 俺の名前は太陽。東方太陽。

 向日葵が恋焦がれた空の遥か彼方に浮かぶ星。

 死んだら星になれるなんて御伽噺の中だけかもしれないけれど、もしなれたのならずっと見ているよ。

 君が精一杯に生きている姿をずっといつまでも、いつまでも。

 それに忘れないで欲しい。

 俺がそこから居なくなっても向日葵達はずっとそこで変わらずに君を待っている。

 例え君自身が変わり果てていてもずっと待っているから。

 太陽の方へ向き、照らされながらも持ち続けて、君が帰ってくれば温かく迎えてくれる。

 向日葵郷へようこそ、って。

 

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 夏の日差しが厳しく照らす中。

 一組の男女が向日葵畑の中心で抱き合っていた。

 男の方は白髪をこさえた老人で全身の力を抜き去り、相手にしな垂れかかっている。

 受け止めている彼女の方は十七歳くらいの容姿が恐ろしいほどに整っている見事な美少女で、細腕に力を込めて男の老人を抱きしめていた。

 老人は瞳を閉じて地面を見下ろし、少女は空に浮かぶ太陽を仰ぐ。

 泣き腫らした涙の後が痛々しくも残っており、その姿を太陽の光が晒しだしている。少女はそれでも構わず太陽を見上げ続け、やがてその細い腕の何所にそんな力があるのか分らないが、ぐったりとする老人の身体を抱え上げた。

 そのまま彼女は歩き出す。

 向日葵に囲まれた一本道をひたすら足を動かして進んでいく。

 彼女が何処へ向かっているのかは分らない。きっと抱え上げた老人を降ろしに行くのだろう。

 その姿を太陽だけが見ていた。




※エピローグがあります

ー追記ー 赤いアネモネの花言葉「あなたを愛しています」
     
     風見さんの風貌にとても似合うと個人的に思ってます


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エピローグ

 奇怪な建物が立ち並ぶ近代的な都市の一角。

 そこに赤いリボンをあしらった白い日傘を差す少女が一人、宙に浮かんでいた。

 黄色いネクタイが目立つ赤白格子柄のベストの下に半袖のブラウスを着込み、赤いもんぺを合わせた服装をしている。

 背中まで伸ばした翡翠色の髪が風に揺らされ、その都度手で押さえながら視界を遮るのを防ぐ。

 少女の赤い瞳は遥か彼方を見据えている。

 

「いい天気ね。もうすぐ夏だわ。そろそろ帰らないといけないのだけど……」

 

 少女の瞳が感情の色を変えて、好奇心を宿す。

 

「でもこんな面白そうな戦いは見逃せないわ」

 

 視線の先で派手に戦い合う影を眺めて少女は胸を高鳴らせた。

 

「見ててね。太陽。私は生きて遊んでくる。例えその所為で夏が過ぎ去ってしまってもきっとあの場所は私を温かく迎えてくれるわ」

 

 そう。向日葵郷は少女を拒まない。

 いつでも、いつまでもそこにあって。

 いつまでも、変わらずにいてくれる。

 それを理解してるから少女は自由に生きていけるのだ。

 

「西方で戦う連中に魅せつけてやるわ。東方の大妖怪、風見幽香の力を!」

 

 白い傘をひらりひらりと回転させながら、少女はふらふらと飛んでいく。

 途中で開いた六枚の翼をはためかせながら。

 もうすぐ夏が来る。

 風見幽香に会える夏が来る。

 

 

 -おわりー




本作はこれで終了となります。
プロットもなしに手軽に簡単に執筆してきましたがどうでしたでしょうか。
読んでくださっている方の暇潰しにでもなればいいと思いますが。

次回作は多分執筆するなら

「幻想郷探偵パッチェ・サンダー」

をお送りしたいなと思います。
※今回もプロット無しのほのぼの適当。

では。


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IF物語 第一話

この物語は向日葵郷へ訪れるのが風見さんではなく西行寺幽々子だったら……という物語です。ネタ切れ解決するまで数話分投稿します


 向日葵郷は現在かつてないほどの危機を迎えている。

 俺はいつも陣取っている縁側でなく、居間の座敷でうつ伏せになり危機を脱する策を講じていた。

 しかし、頭は虚ろとなり眩暈すら覚えているこの状況で出来ることなどない。声も出せない中、心の声を張り上げて助けを求めるばかり。死ぬ。俺は死ぬのか。

 段々と空腹を越え、気分が妙に落ち着くと此処には既に居ない人物へと怨嗟の声を張り上げた。

 

(西行寺幽々子。許すまじ!)

 

 くそう。あの薄桃頭めっ。向日葵の種どころか実家から持参してきた家の食材を食い尽くしやがってからに。

 精一杯の文句を張り上げたあとに視界が完全に暗くなった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

 向日葵郷IF~ただ飯食らいがやって来る夏~

 

 

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

 

 祖父が趣味で育てている向日葵畑には毎年、その向日葵に生る食用の種を求めて来訪するあまり招きたくない珍客が居る。

 たくさんのフリルが所々に付けられた洋服の寝巻きのような格好に渦巻く模様が目立つ帽子を常時かぶり、薄く透き通るような桃色の癖ついた髪と瞳が容姿の非凡さを証明している長身の美少女。妙に安心する綺麗な声を出す。

 と、まぁ。絶世の美少女と言っても過言ではない容姿なので普通ならこちらからお願いしても来て欲しいくらいなんだけども、正直に言えば二度と来て欲しくない。

 なぜなら彼女、西行寺幽々子は類稀なる無駄飯食らいで我が家の食卓事情に壊滅的な被害を与える災害に違いないからだ。嵐所ではない大嵐だ、やつは。

 祖父が生きている頃は祖父がどこまで食べられるかを面白がって大量の食材を調理し、客人として来ていた西行寺に出していたのだが毎度必ず食いきる上に足りないとぬかし、帰り際に向日葵畑に突入しては種を胃の中へ乱獲して去って行く。

 去り際に必ず

 

「次はもっと量が欲しいわ~」

 

 などと吐き捨てる。

 祖父は怒らず一週回って快活に笑っていたが、俺には到底笑える状況じゃなかった。

 あの女。俺達の食べ物の分も食い果たして帰っていくのだから。育ち盛りだった俺は盛大に鳴る腹の虫と怨嗟の声を奏でて一晩過ごしては朝一に汲んだ井戸水と残っていた向日葵の種を貪り、飢えを凌ぐ毎日が夏の思い出となってしまった。何が悲しくて先進国である日本の現代人が飢餓に耐えなければならないのか。

 そして悲しいことにそれは祖父が死に俺が向日葵郷を引き継いでからも同じだった。

 あの女は毎日来るのだ。

 俺が向日葵郷に居る間は毎日訪れては食い物を荒らし、氷室から自慢の麦茶が消え、向日葵畑から種が消え、秘蔵の炭酸飲料が何時の間にかに胃の中へと流し込まれる。

 数年前にたった一日で食料が全滅した時はやつの胃の中はブラックホールか何かなのかと真剣に腹の虫を無視して考えたものだ。

 そして、また今日もあの女は食料を食い尽くして、満足気に帰っていった。

 その際に捨て台詞として残したあの言葉を俺は忘れない。

 

「そろそろ妖夢が作る晩御飯だから早く帰らなきゃ」

 

 俺は思った。

 まず、話には挙がるが未だ出会いのないようむさん。ご愁傷様。

 そして、西行寺。お前はまだ食うのかよ……



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IF物語 第二話

 西行寺が食い散らかした後。その次の日から俺は夏の間に何も口に出来ないんじゃないか、祖父が死んで向日葵郷を引き継いだ最初の年に思った。

 俺には祖父が食材を入手していた伝がなく、人里が何処にあるのか知らず、此処等辺は一人で出歩くには危険なので買いに行くことも出来ない。

 そこまで思い至り、俺は深く絶望し、これから一ヶ月食料向日葵の種だけ生活が始まるのかと想定していたのだが、そんな俺の元に一人の女神が食材を持って舞い降りた。

 

「ちわーす。人里からの宅配便だー」

 

 あの玄関口に響くやる気の無い声が正に女神の声だ。

 俺は西行寺に奪われた体力の残りかすを振り絞り、急いで彼女の元へと走った。

 

「妹紅ちゃん、ちわっす! いつもありがとう!!」

「ちゃん付けすんな!」

 

 そう憤りながらも白い髪と肌の所為で余計に赤く映える頬を嬉しそうに歪ませ満更でもない表情を晒す彼女。

 ツンデレ風味に俺に言い返した人物こそ俺の女神である藤原妹紅ちゃんだ。

 白いブラウスにサスペンダー。赤く御札のような模様のもんぺと同じ柄をした髪飾りのリボン。本人の日本人形みたいな容姿も相まって除霊完了系美少女なる新境地を突き進む少女、それが彼女だ。

 

「私はこう見えてもお前より年上なんだからちゃん付けすんな」

「嬉しいくせに」

「うるさいよ! 私もこれから竹林で一仕事しなきゃならないんだから、さっさと受け取ってくれるかしら」

 

 腕を組んで外方を向く彼女。

 こういう所が堪らなく可愛らしいんだよね。

 

「本当にいつもありがとうね、妹紅ちゃん。君がいなかったら俺はやつの所為でとっくに死んでいる。おのれ西行寺」

「……お前らの愛情表現ってほんと変わっているよな」

「何が変わってるって?」

「いい。妄言だ。忘れてくれ」

 

 妹紅ちゃんが何事かを呟いたが俺はやつへの怨嗟の声を上げるのに夢中で中途半端にしか聞こえなかった。

 

「それより早くしてくれよ。お前の畑の向日葵貰った後に今日は慧音の処にも寄らないといけないんだからさ」

「ごめん、ごめん。妹紅ちゃんが女神過ぎて少し賢者になってしまったよ」

「私はお前が何を言ってるのか意味が分らないから帰る」

 

 食材の積まれた台車を引いて彼女が帰ろうとする前に俺は必要なだけ食材を受け取ると玄関に積む。主に米とか野菜類とか。

 これは彼女が農家から分けて貰った物を物々交換で配達しに来ていて、家は向日葵が貴重らしいので向日葵を渡している。

 

「それじゃまた来るよ」

「よろしくね、妹紅ちゃん」

「妹紅ちゃん言うな!」

 

 そうぷりぷり怒って帰る背中を見送った後に俺は玄関へ入ろうとしてあることに気が付く。

 玄関に積んだ食材が半分ない?

 確認しようと目を凝らしてみると、そこには書置きが残っていた。

 

『食材美味しいです。貴方の西行寺幽々子より』

 

 俺は瞬間的に頭を沸騰させてやつの名前を叫んだ。



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IF物語 第三話

文章がいつもよりも短いです。
そしてIF物もここで終了。


 銃刀法という法律を知っているだろうか。

 正式名称は銃砲刀剣類所持等取締法というらしいのだが、そんなことは今はどうでもいい。とりあえず日本刀とか銃とかを理由もなく所持してはいけないんだぞ、っていう憲法で定められた法律だ。

 江戸時代とか戦国時代とかなら街中で腰元に差していても違和感無いし違法でもないけれど、現代なら非日常的だし犯罪だと思うのだ。うん、間違っていないよな。

 何故にこんな現代人ならば当たり前の常識を今更ながら考えているのかと言うと、実際に目の前で背中に大小の刀を背負う中学生くらいの少女がいるのだ。

 俺は今。シンプルに恐怖している。

 それが本当に本物なのかなど問題ではない。

 目の前の少女が背に背負った日本刀などまるで気にせず、自然に俺へ別の件で謝罪しに来たことが問題なのだ。

 だっていつも背負っているということだろう。あんな小さな子が違和感なくなるほどに。

 

「いつも幽々子様が申し訳ありません!」

 

 どうやら彼女は西行寺の知り合いのようだ。様なんて付けているけどもしかしたら西行寺は地元の有力者の娘とかでこの子は家の事情で仕えている子供なのかもしれない。

 それにしても背中に隠れている刀が気になる。

 

「私の方からもよく言い聞かせておくので!」

 

 なんだか本当にそれっぽいな。

 西行寺の実家って金持ちだったのか。

 だったら何でわざわざ家に食いに来るんだよ。それも食料が全て無くなるまで徹底的に。くそう。許すまじ。

 

「ありがとうございます。許してくださるんですね。沈黙も肯定と言うことですよね。これ、この間習った言葉なんですけど」

 

 うん、君がそんな難しい言葉を知る機会がある環境が怖い。

 あとで西行寺に一言申さなくてはならないようだ。子供の教育に悪いから気を付けてくれ、と。

 それにしても年齢の割には礼儀もなっており、見た目からも良い子なのだと分るのだが、何となく腹黒い所がありそうなのだと邪推してしまうのは気の所為なのだろうか。

 単に俺が背中の物体に恐れて萎縮しているからそう感じるのかもしれない。

 というか俺が日本刀にビビッている間に勝手な話が構築されていく。別にいいけれど。

 

「よかった。もし許さないとか言われたら白楼剣を抜かなくてならないところでした♪(本日最高の笑顔で)」

 

 そう言って腰元から脇差を覗かせ、軽く鯉口を切る。

 銀色に鈍く輝いた光が目に入った。

 なにそれ怖い。

 俺は目の前に居る子を絶対に怒らせてはならない、と密かに心の中で誓った。







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番外編一話

※番外編は本編前の話となります。蛇足的意味もあるので純粋なほのぼのが得られないかもしれません。

十二話お届けで終わりです。


 雨戸を開き、障子窓を開く。

 温かな春の日差しが入り、残留している冬の寒々とした冷気が流れ込んでくる。

 そろそろ向日葵の種を蒔かなくてはならない季節となったようだと判断すると、俺は納屋から鍬などの農作業具を掘り出し、さっそく畑の土を柔らかくするために耕しにはいった。

 腰を据えて一息に鍬を振り下ろし、土を掘り返しては軽く空気を加える。随分と慣れたものだと感じた。

 この作業を始めてから、夏だけではなく春頃からこっちに来るようになってからもう数年の月日が経っている。畑を耕したのはもう一度や二度ではない。

 そのおかげで分ったことがある。俺の場合は向日葵農家と言うべきか、とにかく農作業は過酷だ。

 身体全体を使用し、植物のために昼夜問わず熱心に接してあらゆる危険から彼等を守らなければならない。

 例えば台風などの自然災害や害虫などの生物被害。病気などもそうだ。

 嵐が来れば向日葵が倒れないように対策し、アブラムシやナメクジなどの害虫を取り除き、葉等を小まめに確認して黒斑病やべト病と言う病気に気を付ける。鳥類から種を守るのもそうだな。

 畑には向日葵しか栽培していないので、これだけで済んでいるが他の種類も同時に栽培しているプロの農家の大変さは異常だと思う。愛がなければやってられない。

 鍬を振りながらつくづくそう考えた。

 

「朝早くから精が出るわね」

 

 耕す手を止めて頭を上げるとそこには美少女が立っていた。

 背まで伸びた翡翠色の髪に赤い瞳。首元に白いマフラーを巻き、黒いブラウスの上に白いカーディガンを纏ってその上からベルトで留めている。下は清楚なデザインをした黒のロングスカート。

 その人を知っていれば分かるのだが、とても珍しい格好をしていた。

 

「何かしら? 珍妙な物を見たような顔をして」

「今日の格好は赤黒チェックじゃないんですね」

「失礼ね。私だっていつも同じ格好をしている訳じゃないわ」

「そうですよね。そうでしょうとも」

 

 返す言葉がどうにも釈然としなかった。

 此処等辺の人ってみんな一年を通して同じような格好をしているから、その姿で通さないといけないローカル法則でもあるのかと思ってたのだ。巫女なんて一年中腋丸出しだったしな。

 こっちに来ている間は真似して下はジーパンで上は黒のタートルネック。寒い時はどてらを羽織った姿で通していたのに意味無かったのかよ。これが俺の制服だとばかりに外出する時も着ていたのに……。

 

「可憐でしょう?」

 

 そう言ってその場で一回転してみせる。

 ロングスカートがふわりと浮く。彼女は髪を撫で押さえながらやんわりと笑った。

 

「ブラボー。ハラショー」

「言葉の意味は分らないけれど褒めているのよね?」

「イクザクトリー」

「その通り、ね」

 

 何はともあれ。風見さんが来たから屋敷に戻って休憩でもしようかね。

 腰が痛くなってきたしな。身体が鈍り過ぎているようだ。

 

「お茶でも飲みますか?」

「いいわね。だけど昨日みたいにまた冷たい麦茶は嫌よ」

「大丈夫です。朝一で煎じた温かくて香ばしい麦茶があります。美味しいですよ」

「少しは麦茶から離れようと思わないのかしら」

 

 好きなんだから使用がないじゃないですか。

 夏だけが麦茶の主戦場じゃない。一年中美味しく頂けるぜ。冷えていても俺は冬でも飲める。実家の近くにあるコンビニエンスストアのパックに入った麦茶を買い占めているのは間違いなく俺だ。何の自慢にもならないけど。

 

「今度からハーブティーでも持ってくるわ」

「もしかして自家製のですか?」

「調合するのも趣味の一つですわ。季節に合わせて桜茶もいいかもしれない」

「おめでたいっすね」

 

 屋敷に戻り、結局二人で生暖かい麦茶を飲んだ。

 やはり麦茶が一番美味いな。




桜茶 「結婚や結納などのおめでたい席で頂く桜の花弁を煎じたお茶」

ただし彼女等は天然なので大した意味はない。


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番外編二話

 理想郷たる幻想郷に存在する方達はみんな眉目麗しい方が多い。

 土地柄なのか、隔離している結界が美人しか通さない不細工に厳しい結界なのかは知らないが本当に綺麗な方や可愛らしい方ばかり。男もそうだ。特に雑貨屋の亭主とかイケメンすぎて笑った。肝心である店は塵みたいな商品しか置いてないくせに……ちくしょう。

 と言う訳で俺みたいに普通の容姿を持っているやつも居ることは居るが数は確実に少ない。幻想郷では絶滅危惧種に近い立ち位置だ。そのうち"フツメン"というカテゴリーでレッドデータブックに記載されるかもしれないぐらいに。

 だがしかしだ。

 そんな美人郷と改名してもおかしくない美形ばかり集まる土地だが、内面は残念なやつばかりなのである。

 例えば、頭に兎の耳を付け月兎を自称するコスプレ女。

 俺が見ただけでも園児服、メイド服、せーラー服を着こなし、つい最近会った時はなぜかテーマパークのマスコットキャラみたいな兎の着包みのまま薬を売り捌いていた。人里の子供達に寄って集られ足蹴にされて本当に可哀想だった。

 一例を上げただけだが幻想郷に住まう美人の残念さを知って貰えたと思う。

 これを越える最上級に残念な人物を俺は知っている。

 そいつは妖怪の山と呼ばれる山の麓、霧の湖という湖の畔にある洋館に住んでいた。

 正確には洋館の内部にある異常なほど蔵書数を抱えた大図書館に居る。

 紫色に艶が掛かった腰元まで伸びた髪。胡乱な光を灯した紫水晶の眼差し。新雪のように白い肌。外見は間違いなく美少女なのだが、彼女は凄まじいほどに残念なのだ。

 まず初対面がおかしかった。

 向日葵栽培に必要な知識を得るために貸本をやっていると知人に紹介され、洋館に赴き、大図書館を訪ねたのだが、そこで彼女の読書方法を見た。

 皆さんは頭に何をかぶると聞かれると即座に帽子と答えると思うが、きっと彼女は違う。

 本だ。

 彼女は頭を本に挟むように突っ込み読む。 

 なぜにそんな真似をするのかと聞くと

 

「目が悪いのよ」

 

 と、答えられた。

 正直、頭が沸いていると思う。

 しかし、彼女の残念さはそこで止まることを知らない。

 彼女はとにかく動かない。頭を離して本のページを捲る作業しかしない。時折、何時の間にか注がれていた紅茶を口にして喉を潤し作業に戻る。それだけ。

 その日は探し物が終わらず長い時間お邪魔していて、俺はちらちらと彼女の方を何度も気になり見ていたのだが全く定位置から動いていなかった。

 二つ名の動かない大図書館は伊達じゃなかったぜ。聞いた話では数年に一度外出すればいい方らしい。インドアにもほどがある。

 そして極めつけなのが彼女、パチュリー・ノーレッジは取っ付き難いのだ。

 会話を試みようとも本から目を離さないし、自分の用がある時しか口を開かない。あわよく会話が成立しても二言三言で会話の内容が広がらないまま終わる。

 愛想が悪い、と言うか。良くする気がないのかもしれない。

 俺は大図書館に来る度にノーレッジさんと会話しようとして失敗し、代わりに司書役をこなしている種族が小悪魔の方と話して帰る。彼女は相当に主人であるノーレッジさんに対して不満を溜めており、毎回愚痴を吐き出していた。

 

「いつか下克上してやる……」

 

 視線だけで人が殺せそうな凶悪なほどの笑みを浮かべて彼女は主人を睨み呟いた時は二者の関係にそろそろ限界が来ているのだな、と思った。もうすぐ確実に異種族の殺し合いが始まるな。 

 俺の小さな努力が結びノーレッジさんを渾名で呼ぶようになったのは大図書館を利用してから数年後のことだった。

 ふとした切欠で話してみるとパッチェさんは残念な美少女であるが悪い魔法使いじゃないことが判明する。

 彼女は単にコミュニティ障害だった。

 現代の病は幻想郷の美人にまで及んでいたようだ。



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番外編三話

 夏の風物詩といえば風鈴にお祭り、花火等が候補に挙がるが個人的には違う意見を俺は持っていた。

 蒸し暑い夜に明かりを消し蝋燭一本で部屋を照らし出して身を寄せながらひそひそととある身も凍える体験談をする……。

 そう、怪談だ。

 高校の修学旅行先で泊まった旅館で語り合い、悲鳴を殺しながら肝を冷やしたあの三日間が懐かしい。

 空が白むまで続けられ、一話一話の間隔が短く、遂には百物語を越え百二十物語に到達したあの恐怖の一夜を俺は忘れない。

 ネット上に集まる古今東西から寄せられた身も毛もよだつ恐怖の怪談話を俺は幅広く持ち、今では一人で百物語を語り尽せるほど。

 まぁ、とりあえず俺は根っからの怪談好きなのだ。

 なので夏、泊まり、夜。このキーワードが揃ったのならやらない訳にはいかない。

 それに今日は丁度、我が家に泊まりで訪れる人が居た。

 俺はちらりと縁側で寛ぐ人物を確認する。

 赤い眼差しが夜空に浮かぶ星達に向けられ、微かに濡れた湿り気のある翡翠色の髪をタオルで拭われながらも時折吹いてくる涼やかな風に揺れている。浴衣から覗く白い肌が湯に浸かって仄かに薄桃色に染まっていた。

 すげぇ色気だ。

 湯上り美人とはこのことかもしれない。

 しかし、彼女に欲情している場合ではないのだ。

 

「風見さん」

「ん?」

 

 吊るした風鈴が風に揺らされて透き通った音が響く。

 風見さんは手に持った団扇で自らを扇ぎながら此方に振り向いた。

 

「怪談をしませんか」

 

 彼女は目を見開き、驚いた表情で一寸ばかり呆ける。

 

「……私相手に?」

「ええ」

 

 よくよく考えたら恐怖の対象である妖怪を怪談で驚かせるなんて可笑しな話かもしれないな。

 でも関係ない。したいからする。それが例え怪談に登場する恐怖すべき対象でもそれは変わらない。俺がやりたいから妖怪を怪談で恐怖させてみせるぜ。

 俺は不敵な笑いを浮かべた。

 

「ふふっ。いいわ。私を驚かせてみせてよ」

「その挑戦受けてたちましょうや!」

 

 腕を組んで仁王立ちで勢いよく答えた。

 彼女も不敵に笑うと縁側から立ち上がり、障子窓を閉めてから居間へと移って来る。

 その際に濡れたタオルを一旦脱衣所に置いてくると髪をアップに纏めていた。短いがしっかりとしたポニーテール。

 一瞬、胸がときめいたのは心の内にしまっておこう。

 俺は取って置きの怪談を選びながら彼女を怖がらせるために思考を最大限に回転させる。

 妖怪を知る人間が妖怪を怖がらせるために考えたスペシャルな怪談話。密かに用意しておいた蝋燭台に蝋燭を刺してマッチで火を灯す。蝋燭の明かりだけが部屋の中を照らし出し、対面に乙女座りをして待つ美少女を映し出した。

 あと数時間後にはその微笑が張り付いた表情が恐怖に歪む。

 俺は想像して密かに興奮した。

 

「それでは始めましょうか。恐怖の宴を……」

「期待しないで聞いていますわ」

「ふふん。お楽しみあれ」

 

 ざわめく音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 結局、遅くまで続けた恐怖の宴こと一方的な怪談大会は俺の大敗に終わった。

 徐々に相手の心へ浸透する恐怖を語ったのだが、彼女は微笑を終始崩さないまま俺の怪談話を聞いてばかりだった。

 手応えが無さ過ぎて逆に俺が恐怖したくらいだ。

 そして、たった今し方、家の外へ出て貸した浴衣姿で帰る彼女を見送ったばかりである。ちくしょう。

 必死だったので眠気を忘れていたが欠伸が出る。俺は精一杯身体を伸ばしてから布団で仮眠を取ろうかとしたら後ろから声が掛かった。

 

「ごきげんよう」

「あれ?」

 

 聞き覚えのある声。

 でも、たったいま別れたのにその挨拶は不適当だ。

 俺は振り返り、その人物を見ると赤黒格子柄の服装を着たいつもの彼女だった。

 

「風見さん……着替えたんですか?」

 

 彼女は小首を傾げて疑問符を頭の上に浮かべた。

 

「よくわからないけど、今日は昨日泊まりに来れなかった件を謝りに来たのだけど?」

「は?」

 

 本気で風見さんが何を言っているのか理解出来なかった。

 だってさっきまで一緒に怪談話をしていたじゃないですか。

 

「昨日来れなかった?」

「ええ。少し急用が出来てしまったものだから」

「一度も?」

「ええ。そうよ?」

 

 俺は得体の知れない恐怖に悲鳴を上げて倒れる。

 倒れる瞬間に風見さんが俺の所へ駆け寄り、口元から赤い舌が見えていた。

 あっ、嵌められた。

 そのことに気が付いた時は時刻は夕方に変わっていた。



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番外編四話

 誰かに見られている気がする。

 そんな被害妄想である確率が高い悩みを俺は現在抱えていた。

 朝一に向日葵への水撒きの時、縁側で休憩している際、昼飯を食べている最中。

 常に視線を感じるのだが振り返ったりそちらの方へ向いても誰も居ない。俺は静かに恐怖した。

 幻想郷と言う土地柄で考えれば妖怪、幽霊はそこ等中に居て幾らでもこの不気味な気配に説明がつくのだが、生憎と俺は霊感などないし、大妖怪である風見さんのテリトリーとする向日葵郷には彼女よりも弱い存在は彼女が怖くて中々近寄れないらしい。

 となると答えは気のせいとなるのだが生々しい視線は張り付いたままであった。

 俺は怪談は好きだが、実際に体験するとなると話は別である。容赦なく恐怖が次々と襲ってきては段々と情緒不安定になっていくばかり。

 そんな現状に俺は完全にまいっていた。

 自分は男だという中途半端で変なプライドと相談相手に自意識過剰だと口にされるのが怖くてその悩みを誰にも言えずにいる。一番身近である風見さんにもだ。

 誰にも悟られないように自分を偽り誤魔化していたのだが、遂には落ち詰められるところまで追い詰められて俺は一人決心した。

 意地でも正体を暴いてやる。

 例え本当に自意識過剰の勘違いだったと分ってもいい。

 それでも視線を感じる原因を知りたかった。

 俺は平常時の態度を変えないまま密かに燻り出す策を練る。

 ある日、俺はふと閃く。それは井戸で水汲みをしている時だった。

 井戸の底を眺めながら俺はにやりと笑う。

 汲み上げた釣瓶に溜まった水を桶に移し変え、向日葵畑に向かう最中。また背後に視線を感じた。それも直ぐ後ろに。

 俺は勢いをつけて突然に振り向くと桶に入った水を思いっきりばら撒く。

 

「きゃあ!」

 

 可愛らしい悲鳴。

 何もない筈の空間が一瞬歪んだと思ったら少女が行き成り現れて尻餅をつく。

 水色の雨具のような服装をして頭に緑色の帽子と背に同じ色のリュックを背負い、透き通った水色の髪を左右に纏めている。ツインテールか。

 俺は目の前に少女が突然に現れたことに驚くよりも先に自分が自意識過剰でなかったという事実が嬉しくなり、思わず泣きそうになった。

 そんな場にそぐわない頓珍漢な態度をする俺を見上げて少女は微妙な表情をしている。

 深呼吸をした後に軽く咳払いして気持ちを入れ替えると腰に手をあてていかにも怒っているという態度を示す。

 

「俺を四六時中覗いていたのはお前だな?」

 

 少し怒気を紛らした口調で話したのだが、少女は軽く笑みを形作る。

 

「そうだよ、人間」

「そういうお前は何だ? 妖怪」

 

 軽い口調で答えた少女に対して苛立ち言葉が荒くなってしまった。

 少女は気にせず立ち上がり自分の格好をしげしげと眺め弄る。

 

「ありゃりゃ。またもや光学迷彩スーツが壊れちった。ま、直せばいいか」

「光学迷彩? 天狗の隠れ蓑か」

 

 大学の図書館で暇潰しに呼んだ論文に光学迷彩の元となった発想の一例に天狗の隠れ蓑という纏えば姿を隠してしまえる不思議な蓑があると記述されてあったのを思い出した。

 

「惜しい。惜しい。そっちも民話なんかでメジャーだけれど私のは歴とした科学さ。河童の英知が作り出した自慢の一品でね。ま、それは置いておいて自己紹介をしよう。私の名は河城にとり。通称、谷河童のにとり」

 

 誇らしげに胸を張り、名乗りをあげてニカッと豪快に笑う。

 俺はその姿を見て毒気を抜かれてしまい怒る気力を奪われて冷静になってしまった。

 しかし、聞くべきことは聞かなければならないので口を開く。

 

「なぜに俺を盗み見ていたんだ?」

「いい質問だね、人間。物事の確信を突く質問だ。実は最近私は少しばかり困っていてね。この時機の河童は雌はみんな発情期に入るんだよ」

 

 予想外の答えに俺は思考を暫しの間麻痺させる。

 今は河童の発情期真っ最中なのは理解したがそれが自分とどう関るのかを理解したくなかった。

 河城にとりが足を一歩踏み出して近寄る。反対に俺は一歩後ずさった。

 

「それでね河童の求愛は人間と異なり、雌が雄を追いかけてするもんで」

 

 また俺は頭の中にとある文豪の小説を思い浮かべる。

 それは河童を題材にした創作作品で、その中に河童の求愛行動について触れた部分を思い出した。

 赤く染まっている頬。潤む瞳。湿り気を帯びた唇。その全てを見て理解する。

 

「……俺は河童ではないんだけど」

「知ってる。人間はいつも良き盟友さね」

 

 そのだからどうした、という物言いに恐怖を覚える。

 俺へと手が伸びていく。

 

「幻想郷には雄の河童が少なくてさ。代わりに盟友ならと思って観察していたのだけど私に気付く優れた雄が中々居なくて、居なくて」

「俺が最初に見破ってしまった、と?」

「御名答」

 

 俺は全力でその場から逃げ出した。

 後ろから恐ろしい速度で駆けて来る河童から。

 その追いかけっこは数分後に訪れた風見さんが仲裁してくれるまで続けられた。初めて幻想郷が恐ろしいと思ってしまった事件であった。

 それからその後も時折、熱い視線を感じるが間違いであると思いたい。




河城にとりが登場するらしい芥川大先生の「河童」を読んで今回こんな形になりました。偶には恋愛要素も入れないとと思ったらこれだよ……。


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番外編五話

 向日葵畑をもう少し拡大させようと土を慣らすために鍬で耕していたのだが、その最中に事件は起こった。

 調子に乗って格好つけて思い切りよく振り上げてから十分に力を溜めて振り下ろしたら鍬が根元からポッキリと折れてしまったのだ。

 圧し折れる音が響いたと思ったら手に痺れが出て猫背になり痛みの所為で呻くと土地の中から微かに露出した大きな岩らしい一部分が見えた。

 原因はそれだった。

 どうやら鍬の先端部分が振り下ろした時にこれとぶつかってしまい、衝撃が根元に押し寄せて折れてしまったらしい。

 祖父の代から使っていたので古く錆びついていたのを放置していたのが悪かったのかもしれない。素人目でも分るくらいにこれは直せないと思う。

 しかし、困ったものだ。

 幻想郷の農具は結構貴重な物だったりするので直ぐには手に入らない。

 農家は一家に一台は必ず備えてあるのだが、それはその人達が使う物だし、わざわざ耕すために借りに行くのも距離が離れ過ぎているしな。

 思案顔を晒して折れた鍬を眺めていると客人が来る。

 

「あら、どうしたのかしら?」

 

 風見さんだった。

 折れた鍬を見せつけながら相談する。

 

「使っていた農具が折れてしまいましてね。代わりがないので畑が耕せなくて困っているんですよ」

「それは大変ね」

 

 俺の説明を聞くと彼女は顎に手を添える。

 何か考えてくれているようだ。頼りになるぜ。

 

「お金か外界の珍しい物を持っているかしら?」

「あまり使わないから金銭は外のやつも幻想郷のも持ってますよ。珍しいというのは主観によって変わるので分らないですが」

 

 ここ幻想郷では流通する貨幣があるにはあるのだがあまり使用する機会が少ない。(ちなみに使われているのは小判とかあるので江戸時代くらいの貨幣だろう)

 それは俺が人里へ行くことが少ないからではなく、物資はある程度とある筋から配られるし、働いている者達は物々交換で取引をしているからだ。

 うちは向日葵の種や葉を食料品と交換してる。幻想郷に向日葵はここ以外植生してないので貴重らしい。昔は太陽の畑という向日葵畑があったそうなのだがね。

 

「向日葵油じゃ駄目ですかね。去年実家に帰った時に作っておいた物が残っているんですけど」

「もっと違う物がいいわ。例えば幻想郷では使えなくなる機械類とか」

 

 交換する意味なくないか。

 いや、嗜好品として外の物を持ちたいのかもしれないな。

 

「んじゃ、バッテリーが切れた玩具でも持っていこう。いいっすよね」

「それは店主次第です」

 

 そうと決まればさっそく屋敷の戸締りをして荷物を整理する。

 納屋で眠っている幼い時分に遊んでいた玩具を引っ張り出し、俺は風見さんが先導する道へついて行く。

 彼女と他愛もない会話を続けていると森の入り口らしき場所に謎の建物が見えてくる。日本とは別の異国情緒を大いに感じる奇妙な建物。曲がった標識やパンクしたタイヤ、サーフボード。なんか悪口ではないが塵を飾っているような外観だ。

 塵屋敷……まさか子供の時にバラエティやニュースで度々目にしていた塵屋敷が幻想入りしていたなんて……誰得だよ。

 

「此処よ」

「は、はい」

 

 あまりの外観に呆然としていると風見さんから声が掛かり、彼女が率先して扉を開き、店らしき中へ入店する。彼女の背から覗き見ると外観よりも片付いていたが中も塵が高積みになったりして溢れていた。

 棚にはスピーカーがないCDコンポやテレビ本体がないビデオデッキなどが後生大事に飾られている。床にも同様の物が転がっているし。

 

「店主は御在宅かしら」

「営業時間内だから当然いるよ」

 

 風見さんが何処かへと問い掛けると奥から琥珀色の瞳の上から黒縁眼鏡を掛けた白髪頭の男が現れる。

 店主の格好を上から下へとじっくり眺めると、なるほど。中国と日本の着物が混ざったかのような奇妙な格好をしていた。

 確かにこの塵屋敷の店主だと思わず納得してしまう説得力ある格好だ。折角の顔の整った美男子ぶりが勿体無い。人の好き好きだがな。

 

「いらっしゃいませ。何か御用でしょうか?」

「鍬が欲しいのだけれど物々交換できるかしら」

「実際に物を確認しなければなりませんけれど宜しいですか?」

 

 店主の言葉に軽く頷いてから風見さんは此方に振り向き、俺を見る。

 俺は整理して持参してきた風呂敷の結び目を解くと交換物である玩具を店主に手渡した。

 

「これは……"魔装戦器ジェノサイドセイバー"? 光って喋る不思議な剣の玩具だって!?」

 

 何故か店主は物を見ただけで名称と使い道を判別した。

 もしかしたら彼はそういう能力持ちなのかもしれない。この幻想郷には不思議な力を持つ種族や人間がいるから彼もその一人であるようだ。

 というか店主が凄い驚いているんだけど。どうしたんだろう。

 

「まさかこれが伝説のインテリジェントソード……だって言うのか…………それが外の世界では子供が気軽に遊べる玩具になっている……そんな馬鹿な!?」

 

 ぶつぶつと呟きながら一人で熱くなる店主。

 その姿が幼い時の自分の姿のようで懐かしい。剣の周りがボタンを押すと光が点滅して格好良かったんだよ。それで見た目に騙されて親にお願いして買って貰ったはいいけど一週間持たずに電池が切れて使えなくなったけどな。いい思い出だ。

 

「僕の声が聞えてるでしょうか? 聞えるのなら光るなり言葉を話すなりして返事をしてみて下さい!」

 

 回想から戻ると店主がえらい剣幕で敬語のまま剣の玩具に話し掛けていた。

 此方に登場した時は冷静でとても大人な青年に見えたのにな……。

 何とも言えない気持ちになり俺は店主へ教えてあげる。

 

「その玩具はもう使えないんですよ」

「……そうですか。残念です」

 

 肩を下ろして落ち込んでしまった。

 そこまで楽しみにしてくれたのか。さっき話し掛けてたもんな。

 

「それでそれと鍬を取り替えてくれませんでしょうか?」

「それは勿論。此方からお願いしたいくらいです。では、お持ちしましょう」

 

 店主は奥へ消えていく。

 ふと横を見ると風見さんが上機嫌でくすくすと抑えながら笑っている。

 

「冷静な店主がこうまで乱れるなんてね。太陽を此処まで連れて来て本当によかったわ」

「あの人にはお気の毒ですけどね」

「ふふっ。店主もお気に入りが手に入ったのだから本望の筈よ」

「だといいですけどね」

 

 数分後に奥から戻ってきた店主から丈夫そうな新しい鍬を受け取る。

 その際に店主から

 

「まだ珍しい物をお持ちのようなら、ぜひまた御来店を」

 

 と笑顔で告げられ、口に手を当てて笑いを誤魔化す風見さんを連れて早々に店を出た。

 なんだか騙しているようで良い気がしなかったのだ。

 その後、店主が妹分らしい魔法使いに玩具の剣を自慢していたらしいことを風見さん経由から聞き、余計に心が痛くなった。



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番外編六話

 異性への贈り物。

 その行為は特別な意味合いを持っている。

 例えばチョコレート。甘酸っぱい少年少女の希望が詰っている。例えばカーネーション。子供の母を労わる静やかな優しさが包まれている。例えば指輪。情熱的な大人の愛が含まれている。

 総じて贈り物には意味があり想いを伝えるには十分な様式美で有効的な手段だ。

 現在、俺の手元には縦長の形をした箱が置かれている。

 綺麗に暖色の包装紙で包まれたその箱の中にはとある人に渡そうとしている大事な物が入っている。俺はその箱を何度も見下ろして逸る気持ちを抑えながら待つ。

 彼女が訪れるのを。

 そわそわして向日葵畑を歩き回っていたが、麦藁帽子だけでは遮断しきれない夏の日差しから逃れるために屋根がある縁側へと引っ込む。

 当然、手には麦茶。

 氷室でよく冷えた麦茶が身体の中へと染み渡り、暑さを忘れさせてくれる。

 親父臭く息を吐き出しながら満足気に麦茶の素晴らしさを感じていると落ち着かない原因になっている方が此方へと向かって来ていた。

 赤いリボンの装飾が目立つ白の日傘。

 その影に隠れる小柄な人型。向日葵を模した服装が向日葵郷によく映える。

 人影が近付く度に大きくなる鼓動と暑さを団扇を扇いで誤魔化す。俺は隠し事に向かないことを再認識した。御伽噺に登場する美丈夫はどうして異性に対してああも照れなくして接し得るのだろうか。

 

「こ、こんちわっす!」

「……ごきげんよう?」

 

 こういう時は勢いが重要とばかりに先制攻撃を仕掛けてみるもまさかの失敗と困惑の表情。

 だがしかし、ここで諦めたら駄目だと気合を入れて尚も此方から話し掛ける。人生常に受身じゃ駄目なんだと考えたい。

 

「実に晴れ晴れとした好い天気ですね!」

「無性に兎鍋が食べたくなる竹林の奥に腕の良い薬師が居るらしいわ」

「永遠亭っすね。それを口にした理由は分りません!」

 

 駄目だ。

 具体的に何が駄目かと言うと全部と答える状態。

 絶望的なまでに隠し事が下手過ぎる。格闘漫画の奥義くらい隠せていない。

 引き攣った表情のままにやけていると適度に冷たい感触が額に触れる。

 

「熱は無さそうね。私自身風邪をひいたことがないからあまり症状に詳しくないのだけれど」

 

 隣に腰を下ろし近寄って、自らのおでこで熱の有無を確認してくれる。

 翡翠色の髪が風に揺れ、俺の頬を撫でた。顔が近い。

 

「あ、少し熱を感じるかも」

「それ違いまっす!」

 

 横に跳ぶ勢いで離れる。

 頭の中が掻き乱され、白く濁っていく。

 もう無理だ。へたれでもいい。渡す。

 中途半端に雰囲気を醸し出そうとしたのがそもそもの間違いなのだ。

 

「こ、これプレンゼントフォーユー!」

 

 眼を閉じたまま背中に隠し持っていた装飾された包装紙で包まれた長方形の箱を差し出す。

 相手が受け取るまでその姿勢のまま固まる。幾ら待っても引き取り手がいないので僅かに瞼を開けると風見さんも俺を見詰めたまま固まっていた。

 その様子はいつもと違う。

 瞳を潤ませて白く美しい頬に赤みが差している。

 唇を軽く噛み開閉させながら彼女の方から言葉を発す。

 

「頂いていいのかしら?」

 

 全身に喜びが奔った。

 勢い勇んで返答しようにも口が上手く回らない。

 代わりに首を縦に振って答えた。

 

「ありがとう」

 

 優しい手付きで箱を受け取る彼女。

 お礼の言葉がやばい。やばすぎる。もう顔すら直視出来ないくらいに。

 

「この場で開けても?」

 

 そういう彼女の声が聞えたので頷いた。

 蝉の泣き声と絹を擦る音が流れる。包装紙が丁寧に解かれ箱が開く。

 白い長方形の箱から純白の布地が覗けた。

 彼女は早速それを取り出すと広げて全容を確認する。白のロングワンピースにそれを腰元で留める同様の色をした帯が出てきた。

 それから無言の時間が流れる。

 風見さんの表情は恥ずかしくて窺えないので喜んでくれているのかが分らない。

 やがてそれを綺麗に仕舞うと彼女はもう一度だけ俺にお礼を言う。

 

「ありがとう。嬉しいわ」

 

 短く簡素な言葉だがそれだけで十分だった。

 贈り物を貰った返答はそうでなくてはならない。

 気恥ずかしさが吹き飛び俺は風見さんに正直な言葉で応える。

 

「此方こそ、いつもありがとう」

 

 彼女と初めて話し掛けて友人となり、早二十年。

 今日は丁度その節目の日であり、向日葵郷を受け継いで十五年の色々重なる日だった。

 感謝の相手が居ることに俺は感謝して残された者達だけで喜びを交し合い、心の中でこの出会いをくれた切欠の祖父にも感謝した。



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番外編七話

 妖怪が誕生する瞬間に偶々立ち会ったことがある。

 屋敷の縁側以外の風景を知ろうと風見さんと散歩に出掛けた時のこと。

 二人仲良く並びながら赤く燃えながら沈んでいく夕日を見送って、時折吹く風に靡かれながらも夕涼を楽しむ。なんとも年寄り臭い趣をしていた。

 日が完全に沈みゆき辺りが暗くなる。

 

「帰りましょうか。送っていくわ」

 

 柔らかい微笑でそう問い掛ける言葉に頷き、踵を反して向日葵郷へと帰る。

 他愛のない会話を重ねて笑みを絶やさぬまま談笑を続けていると突然の不気味な悲鳴に驚き、会話を中断してしまう。

 東の方面に顔を向けて悲鳴の元を眼で追えば、得体の知れない異形の存在がそこに居た。

 顔もなく、形も定まらず、老若男女の声が混じり合ったような不快でしかない怪物。妖怪に慣れ親しんでいる俺も顔を顰めてしまった。

 

「あれは何でしょうか?」

 

 俺がそう問い掛けると風見さんは詰まらなそうな表情で答えた。

 

「名無し、ね」

「そういう名前の妖怪ですか?」

「いいえ。言葉通りの意味よ。ノーネーム。ゆえにあの通り形が定まらないままなの」

 

 風見さんの物言いは形が定まらずスライム状になっていることと名前が無いことに関係が有ると意味している。どういう理論かまったく分らない。

 

「あれを説明するには妖怪の成り立ちを説明しなければ。妖怪とは人が恐れる事象によって生まれるのです。殆どの妖怪には元となる怪談があり、またその形を成しているのだけれど、あれは曖昧な恐怖が凝り固まって出来ている中途半端な存在。だから形も無く、名前も無く、ああしてもがき苦しんで形となるのを待っているのでしょうね」

 

 つまりあれは名前も無く、由来となる怪談も中途半端だから妖怪として形になっていないということかね。妖怪の誕生とは人間の理外にあるのだけは十分に理解した。元々、超常的な存在だから問題外だけどな。

 

「放って置きましょう。もし人食い関係の妖怪なら貴方に襲い掛かってより形を得ようとするかもしれない。弾幕勝負しようにも理性ないだろうし」

「くわばら、くわばら。触らぬ妖怪に祟りなし、か」

「あら、私にも関ってくれないというのかしら」

「じゃあ触らぬ風見さん以外の妖怪に祟りなし、にチェンジで」

 

 巫山戯ながら横切ろうとするとさっきよりも大きい奇声が響く。

 ついつい俺は気になってしまい、其方の方へ首を向けると怪物は消えていた。

 代わりに一人の少年が佇んでいる。その少年は裸ではなく男物の浅葱色をした小袖の着物を纏っていた。

 少年はその場で軽く跳ねると一目散に俺達の方とは反対へ走り出し、人里方面へと向かっていく。

 その姿を呆けて見ているとすぐ正気に戻った。

 

「人里へ行きましたけど大丈夫なんですかね、あれ」

「教えたがりの守護神がいるから大丈夫じゃないかしら」

 

 珍しいものでも見た感じで答える風見さん。

 

「妖怪の誕生って貴重な経験なんでしょうか」

「そうね。私も数える程しかないわ。現代では中々生まれ辛いし」

「とりあえず帰りましょうか」

 

 風見さんに同意を得ると俺は向日葵郷へと戻った。

 それから季節が幾つか過ぎてから人里にて見覚えない少年が子供達に混じって遊んでいるのが目撃されているらしい。



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番外編八話

※予約投稿時間を間違いました。話数は間違ってはいません。後々に修正します。


 風鈴奏でる夏の日暮れ。

 赤く燃える太陽が向日葵を同様の色に染め上げながら沈んでいく。

 暫しの別れを惜しむように頭を微かに下げる花達を肴にし、縁側で一人手酌で注いだ日本酒を豪快に呑み込む。冷やかな冷酒がとても好い喉越しの余韻を残す。

 瞼を閉じて耳を澄ませば遠くで祭囃子が聞える気がした。

 もうすぐ夜がやって来る。

 西へ沈んでいった太陽を追い掛けるように暗き天幕が空に広がり、一点に真ん丸とした御月様が浮かんで暗がりに潜む者達の時間へと変わるのだろう。

 想像してみれば都会では観測出来なくなってしまった見事な星々を眺めながら酒をちびちびと舐めるのもいいかもしれない。月見酒か。

 あとは隣に美人でも居てくれれば最高なんだがな。

 朱色の盃を口元へ傾ける。優しい舌触りが嬉しい。

 

「月が綺麗ですわ」

「出会い頭にプロポーズですか。斬新な求愛の言葉だなぁ」

 

 眼を開けて隣人を見れば綺麗な美少女が腰掛けていた。

 細部にフリルをあしらっただけの簡素な紫色のワンピースを折れそうなほどに華奢な肢体に纏わせ、蜂蜜色の金糸を床に垂らしながら琥珀色の胡乱な瞳に俺を映している。

 まるで少女の如き儚さで、毒婦のように妖艶で胡散臭い。

 

「貴方が八雲紫さんか」

「如何にも、如何にも」

 

 妖怪の賢者。神隠しの主犯。神出鬼没の妖怪。etc……。

 数多の二つ名があれど彼女を正確に表現するには至らず。

 敢えて当て嵌めるのなら幻想的な妖怪といったところかもしれない。

 

「何の御用で?」

 

 此方に向かって微笑む。

 すると右手に隠し持っていたらしい紫色の扇子をするりと空中に横一直線に引く。

 その横線に沿うように毒々しい奇妙な裂け目が開き、漆器製の盃を吐き出す。穴が締まる際に不気味な瞳が覗いていた気がした。

 

「一献頂けるかしら」

 

 左手で取り出した酒器を差し出してきた。

 日本酒の瓶を片手で掴み傾けて注いでやる。小気味良い音が鳴り盃を満たす。

 八雲紫は扇子を膝の上に置き、両手で盃を持つと静かに口元へ運び口をつける。

 喉が微かに動いて液体を嚥下していく。

 

「とても優しい味。純米大吟醸酒かしら」

「御名答」

 

 月見酒する隣には美人が居れば嬉しい。更に酒の味が分ればもっと嬉しい。

 そういう意味では八雲紫は最上級に好い女だった。同時にほろ酔い気分を長続きさせる魔性の女でもあるがな。

 自重するように言い聞かせると酒を口に含んだ。

 

「もうすぐ」

 

 ふいに聞えた言葉に耳を傾ける。

 隣人はまた盃を口へと寄せ呑み込む。

 

「幻想郷に張られた結界が本来の働き、易々と外の世界へ行き来できなくなるのです」

「それで俺に今の内にどちらかを選べ、と?」

「選択しなさい、と無理強いはしないわ。ただ二つの選択肢以外を選ぶと消えてしまうよ」

「あら怖い、怖い」

 

 涼やかな夜風が甚平の裾を微かに揺らす。

 何時の間にか燃えていた太陽は去っており、空を仰いでみれば既に星々が輝いて真ん丸とした御月様が俺を見下ろしていた。

 手元の盃を覗いたら中身は空になっている。

 

「幻想郷に留まるよ。此方で生きていく」

「あら、それでいいの?」

「いいのです。むしろそれがいい」

「あら、あら。啖呵は男前ね。それでは呑みっぷりはどうかしら?」

 

 おどけた口調のまま知らぬ間に彼女の手元へと移っていた日本酒の瓶。

 此処で呑まなかったら男が廃れるね。俺は黙って酒器を差し出した。満たされていく朱色の盃。

 豪快な作法で流し込むように呑み干す。

 

「お見事」

「惚れたかい?」

「ふふっ。花妖怪が怖いから止しておくわ」

「俺もあの人が好きだから止されておくよ」

 

 お互いに笑い合う。

 瞬きをする。隣人は神隠しにあったらしい。

 手酌で盃に酒を注ぎ、中身を覗き込むと無精髭を生やした中年の姿が映り込んでいた。

 舐めるように口に含み満天の夜空を見上げる。ほろ酔い気分で思い出すのは過去の時分。此処には居ない想い人を肴にしながら俺は歳を取ったな、としみじみと実感した。 



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番外編九話

 桜散る。世間では入学式や入社式など新しい一年の始まりを意味する季節になっている。

 幻想郷もそれに漏れず新たなる門出を迎えたらしい。

 俺は元々現地の人間ではないのでそれが何を意味しているのかは分らないが知り合い達は皆一応に何かしらの表情をみせていた。

 それは残念そうに惜しむ表情だったり、好奇心をいっぱいにした顔だったり。

 本質を理解出来ずにとりあえずその情報を聞かされた時に適当な相槌を打った。

 だって、神社の巫女が代替わりすると言われてもそこまで大事なのか、と思う訳ですよ。

 そんな俺の考えなど無視して、とりあえず新たなる博麗神社の巫女誕生である。今日はその目出度い門出らしい。

 その都合でこれから酒持って神社の裏へ行き宴会に参加しなければならないのだが、今は自宅で待機中である。所為、風見さん待ちだ。

 実家の両親が交通事故で亡くなってしまったので幻想郷へ移り住んでからそれなりに経つが、俺はただの人間で弱く、神社までの道程は危険らしいので行ったことがないので道を知らない。

 男としてはなんとも情けない話だが自他共に認める大妖怪らしい風見さんと一緒に行くしかないのだ。

 他の知り合いと言えば貸し本屋をしているパチュリー・ノーレッジことパッチェさんがいるが、彼女はどうせあの大図書館から出やしないだろうしな。何というか引き篭もりに美学を感じるクラスだ。

 実際、彼女は"効率の良い魔法研究書"と言ういかに自宅へ引き篭もって研究に打ち込めるかを纏めた本を執筆しているからね。

 そんなくだらないことを考えている内に前方から人影が現れる。

 

「お待たせしましたわ」

「いえ、それでは行きましょうか」

 

 縁側から立ち上がり雨戸を閉めてから日傘を持って佇む彼女の背を追い掛ける。横一列に並ぶと足の勢いを弱めて歩調を合わせてから何気なく彼女の横顔を覗く。

 風見さんはただ前を見据えて無表情であるが何所か何時もと違う雰囲気を纏っていた。

 どうやら彼女も先代巫女となる人物に思う所があるらしい。世捨て人のような彼女も立派な幻想郷の一員だということなのだろう。

 俺は開きかけた口を閉じてそのまま神社への道を歩くことにした。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 宴会は修羅場であった。

 暫しの散歩を終えて博麗神社に着いた頃には既に修羅場が完成しており、明るい昼間の空に色とりどりの花火が咲き乱れて色鮮やかに境内を埋め尽す。

 目の前に広がる現状に呆けながらも周囲を見回すと魔法使いは箒に跨り自由に飛びながら快活に笑い声を響かせ、お騒がせな三姉妹は楽器を奏で、羽やら角やら生やした妖怪らしい奴等が酒器を片手に野次を送っている。

 その中心にはまだ幼い面影を残している紅白少女が次々に生まれ出てくる光を避けながら、宙に向かって必死に泣き叫んでいた。

 恐らく動きが早過ぎてとても視認出来ないが天狗とでも弾幕勝負をしているのだろうか。可哀想に。

 流れ弾に当たらないよう避難しようと提案する為に風見さんの方へ顔を向けると彼女は魂が抜けたかのように黙って目の前の光景を見詰めていた。

 

「風見さん。此処では俺が死んでしまうので移動しましょう」

「…………そう。それは大変。私の後ろに隠れてついて来て」

 

 明らかに様子がおかしい。

 それほどまでに引退した人物に対して因縁でも抱えているのだろうか。

 超然としている彼女が関心を寄せる人物。俺は少なからずその先代巫女に興味を覚えた。この感情は一種の嫉妬めいたものかもしれないけれど。

 もあもやとする気持ちを抱えたまま神社の横道に生えている樹の木陰に隠れるように移動し腰を落ち着ける。無駄に歳ばっかりくっているから道中疲れた、疲れた。

 

「懐かしい顔と珍しい顔が二つね」

 

 声に惹かれて頭を上げると幻想郷にしては珍しい普通の格好をした女性が立っていた。

 白いTシャツにジーパンを穿いた純日本人らしい黒髪黒目の美人。一寸、現実世界へと何時の間にかに帰ってきたのかと勘違いしてしまった。

 というか誰だよこの人は、などと記憶を漁っていると上品に座っている隣人が先に声を掛ける。

 

「久し振りね。元気だったかしら」

 

 風見さんがフレンドリーに再会の挨拶をした途端、美人の表情が引き攣った。

 

「……誰よこれ。ねぇ、あんた。こいつ大丈夫なの? 何か無理してない?」

「俺に話を振られても困るんですけど。風見さんは大体こんな感じですよ」

「そうなの……思わず引退取り消そうかなって思ったわ」

 

 引退?

 もしかして彼女が先代巫女となった人物か。

 ならば自己紹介せねば。

 

「初めまして随分と前に幻想郷へ移住してきた東方太陽と申します。もしかして博麗霊夢さんでしょうか?」

「それは御丁寧に。霊夢よ。今はただの霊夢。博麗はあの子に譲って引退したからね」

 

 そう言うと彼女の後方で弾幕勝負に泣きながら励む変わった巫女の少女を指差す。

 覗いてみると先程よりも密度が濃くなってきた弾幕に被弾することなく立ち回っている。見掛けに依らず凄腕のようだ。

 

「あの子。追い詰められないと実力出せないのよ。泣き始めると一気にスイッチが入るみたい」

 

 生粋のドM体質だと言うことか。

 これは風見さんの得意分野だね。苛める方の。

 隣を見ると彼女も忙しなく動き回る巫女を見詰めていた。

 

「これ以上、話す言葉もないようだから次の挨拶回りに移るわ。酒が尽きるまで呑んでいくといい」

「お言葉に甘えて遠慮なく頂きます」

 

 手をひらひらと振ってこの場から颯爽と去って行く霊夢。

 それを無視するように風見さんは目の前の弾幕勝負を眺めている。現代人よりもよっぽど礼儀を弁えている彼女にしては失礼な態度だった。

 膝元に何時の間にか置かれていた瓢箪の栓を抜いて俺は持参してきた盃に注ぎ一気に呑み干した。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 茜色の空が広がり、風が居間に吹き抜ける。

 春は過ぎて梅雨を終えて季節は巡り、すっかり夏になっていた。

 新たな巫女を幻想郷が受け入れてから大分時間が経過している。もう既に幻想郷風物詩である異変を一度経験して見事解決に辿り着いたと聞く。凄いね。

 隣に座る人物をちらりと見る。

 翡翠の髪が風に靡き、彼女はそれを気にせず向日葵を眺めていた。

 やっている行動は一緒だが以前の彼女と何所か違うその態度に俺は腫れ物を触れるような扱いをせざる負えなくて困っている。

 正直に言うと参ってしまう一歩手前の状態だ。

 超然として掴み所のない彼女の悩み事を推察するなど無理の一言だし、相談にのるにしても迂闊な言葉が相手を傷付けてしまうのはありがち。

 そもそも妖怪の悩みって何なんだ。こんな所で種族の壁を感じる。

 だから、俺に出来る精一杯の行動は何も聞かずに隣で麦茶飲んでいるくらいしかなかった。

 その意思を他人が見ればへたれに感じるだろうけど、悩みなんて自分で乗り越えるのが最善だし、他人がくれた言葉なんてものを受け入れるのは下策だ。何時かその答えで絶対に後悔する。

 しかし、そうと知っていながら自分ではない誰かに言葉を投げ掛けて満足してしまうのが人間だ。

 俺は彼女の重荷になると知っていながらも悩みを抱えたまま押し黙る彼女に話し掛けようとしている。ただ彼女の答えを待っているだけなのは我慢の限界だった。

 それほど今の彼女は見ていられない。

 容器に残っていた麦茶を飲み干すと俺は気合を入れた。

 

「俺が一緒に居ますよ、風見さん」

 

 隣でずっと口を閉ざしながら座っていた彼女が漸くと反応する。

 突然の意味不明な言葉に戸惑うかと思ったが、意外にも彼女は驚いた表情を晒していた。

 

「ずっと一緒に居ます。貴女の隣に」

 

 例えば秋、枯れていく向日葵を惜しみながら語り合う。

 例えば冬、寒々とした空気から避難するように温かな居間で降り積もる雪を楽しむ。

 例えば春、柔らかな日差しを受けて昼寝と洒落込むのもいいかもしれない。

 例えば夏、麦茶を片手に貴方と笑いながら向日葵を眺めて過す。

 そんな一年を毎年送ってゆっくりと流れる時を満喫する。彼女に対して俺が出来ることはそれだけしかないと思う。

 だから、俺は精一杯の真心を込めて彼女に告げる。 

 

「それだけでは貴女の悩みを解決するには足りませんか?」

 

 彼女の瞳が緋色に輝き俺を貫く。

 なにやら地雷を踏み抜いたのかもしれない。

 

「憎い。憎たらしい。憎悪している」

 

 それは弾劾する言葉だった。

 俺はあまりの凄みに生唾を飲み込む。

 

「中途半端な優しさを残して何時か消えてしまう貴方が憎い」 

 

 瞳が何時もの赤色に戻り、彼女は懇願するように言葉を捻り出す。 

 

「こんな面倒臭い花妖怪ですけど共に居ていいのですか? 共に歩んでいいのですか?」

 

 答えなど決まっていた。

 妖怪とか人間とか種族の壁とか関係無い。俺は貴女が好きだから、貴女の隣に居るのが心地いいのだから。もう既に貴女が隣に居ない生活が考えられないくらいなのだから。

 

「此方からお願いします。俺の隣に居てください」

 

 顔を赤く染めながら風見さんは頷いてくれた。

 同様に俺も赤くなりながら彼女を見詰めている。

 二人で分かち合うように幸せな気持ちに包まれていた。

 だから俺は何も知らず、考えようともしなかったのだ。投げ掛けた言葉の意味を。

 その言葉は人間にとってプロポーズみたいだけれど、妖怪にとっては残酷な言葉だったことに。



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番外編十話

 合鍵を風見さんに渡そうとしたことがある。

 あれは祖父が亡くなって数年後くらいの年の頃。

 当時の俺は遺言通りに折角受け継いだのはいいがどうにも自分が持ち主として相応しい人間だとは考えられず、風見さんは毎日足繁く向日葵を眺めるために自宅から通いで来ていて、そんな姿が俺には向日葵郷に相応しいのではないかと愚考した。

 土地の権利などは渡せないが、俺はさっそく念のために作っておいた屋敷の玄関に使用する合鍵を事情を説明して預けようとしたが彼女は断った。

 

「必要無い。私には帰るべき家もあるし、使用人だけど待っているやつも居るわ。それに元々、鍵なんて多く持つべき物じゃないのよ。持てば持っている数だけ守らなければならない秘密が出来てしまうのだから」

 

 遠い言い回しだったが風見さんはそう俺に忠告してくれた。

 差し出した合鍵を再び懐へ戻すのは何だか情けない気持ちになってしまったが、密かに決意する決め手となったのは確かである。

 その時に俺は向日葵郷に相応しい人間になろうと思ったのだ。

 翌日から必死になって向日葵達の世話を始めた。実家から来る前に買っておいた植物を育てる教本を読み、釣瓶で汲み上げた井戸水を毎朝と毎晩に柄杓でばら撒く。果ては肥料を与える期間が五月初めからが良いとのことなので一年を通して向日葵郷に居る時間が増えた。

 人里の物資を運んでくる尾崎さんに相談をして農作業に必要な物を用意して貰った代わりに収穫した向日葵の種を等価交換で引き渡す間柄になる。

 大体、その頃だろうか。この田舎の地が特殊なの場所だと教えられたのは。

 幻想郷。

 結界と呼ばれる超常的で不思議な力により隔離した秘境。

 此処は妖怪や幽霊、果ては神様まで受け入れ、本来在り得ないとされているものや忘れられたもの達の理想郷、だそうだ。

 人間社会で小中高大と一般常識を学校で叩き込まれた俺はその事実を受け入れ難く、他人が見ても胡散臭いなと考えている表情をしていたらしい。それもそうだろう。親しくなった女性から突然に

 

「実は私は式神で九尾の狐と呼ばれているやつだ。元は妖怪だったのだが現在のご主人様をしている方の目に掛かりこうなっている。ご主人様であらせられる方に八雲藍と言う名を頂いているよ」

 

 頭の悪い冗談にしか聞こえなかった。

 それだけではない。一つ矛盾したことがある。

 なぜ隔離した結界内に外部の人間である俺が出入り出来るのか、だ。

 幻想郷に張られた結界は二種類あり、そのどちらもが俺の存在を素通りさせる筈がないと思ったのだが、結界に詳しい尾崎さん改め八雲藍さんに聞いたら

 

「稀に結界が作用し難い人間が居るらしい。お前はそれだな」

 

 などと適当な回答が返ってきた。

 橙という式神で妖怪猫又が元となったらしい茶髪の元気な子供をあやしている最中だったから面倒臭くなり適当に言ったのではないか、と俺は今でも疑っている。

 でもまぁ結局、俺は幻想郷を受け入れた。

 決め手となったのは風見さんだ。

 幻想郷の住人特有なのか、またしても突然に彼女が思い出したように口を開いて

 

「実は私って妖怪なの。自慢ではないけれど大妖怪と呼ばれているわ。信じて?」

「信じます」

 

 俺は即行で信じた。

 信じない訳がない。

 なぜなら風見さんは俺の大事な方だったからだ。彼女が違うというならば常識すら覆る。白が黒くなる。そんなヤクザな世界の親分と舎弟みたいな関係だった。

 今ではもっと違った形の関係だけどな。

 懐に仕舞ってある鍵を取り出し眺める。

 いつかこの鍵を風見さんに渡す日が来るのだろうか。

 この鍵が彼女に渡る時、それはきっと――



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番外編十一話

 魔法使いが死んだ。

 そんな訃報が向日葵郷まで届いたのは当の本人からだった。

 他人に話せば何を言っているのか困惑すると思うが紛れもない事実だ。

 両親が死んでから実家に帰ることもなくなり、もう何十年も住んているこの田舎に慣れ親しんでしまった俺は驚きはすれど

 

(幻想郷だから……)

 

 の一言で済んでしまう不思議。

 あぁ、慣れって怖い。

 此度のことを詳しく説明すれば、普通の魔法使いと自身で称している人が自分の死期を悟り幻想郷中に居る知り合いへ報告して周っている、ということだ。

 俺はあまり彼女と面識は無かったのだが、風見さんに言いに来ていた。

 風見さんは大体毎日、向日葵郷へと来訪しているので何時の間にか彼女に用があるのなら此処に来ればいい、などと言う認識が周りに出来てしまっているらしい。ちなみに風土記である幻想郷縁起の備考欄にも記載されている。記録者は疾うに居なくなっているので変えたくても変えられないずにいるしな。困ったものだ。

 季節は冬に変わり段々と寒くなってきたので気を利かせて温かい緑茶を用意する傍らで彼女らの会話を俺は聞いていた。

 まさか開口一番に

 

「一週間以内に私死ぬから宜しくな!」

 

 と宣言する人間がいるとは思わなかった。

 口にしていたほうじ茶を吹いたのは俺の所為じゃない。

 風見さんと少し話した後に用意した緑茶を一息で飲みきると彼女は快活に笑いながら魔法使いらしく竹箒に跨り去って行った。ふと、祖父を思い出す。何所か俺の祖父に似ている女性だった。

 遥か上空、彼女が星の形をした光をばら撒きながら去って行く後ろ姿を眺めながら、隣を見ると風見さんが複雑な表情をしていた。

 

「……眩しいわ」

 

 確かに眩しい。

 さっきから光線があちこちに飛び散っている。まだ昼間で明るいのに目立つ光だぜ。

 

「風見さんさ。さっきの彼女とは親しかったの?」

「幽香」

 

 またやってしまった。

 もうそうよんでくれと言われてから何十年も経つのに慣れない。

 いっそ風見さんで通してしまえばいいのに。

 

「いまだに慣れなく――」

「二人の時は幽香と呼んで」

「はい。幽香」

「よろしい」

 

 此方を向いて笑い掛けてくれる。

 外見は俺の方が遥かに歳上なのにな。分っていても複雑な気分になる。

 

「あまり仲は良くなかったわね。強いて言うならば喧嘩仲間で飲み仲間か」

 

 俯きながら目を閉じて思い出に浸るように語る。

 結局、仲好いんじゃないのか。

 

「でも、寂しいものよね。まだ決まった訳ではないけれど知っている誰かが居なくなってしまうと分かるのは」

 

 何かを口に出そうとしたが言葉に詰まる。

 軽く微笑みながら空を眺めて彼女は本当に寂びそうな顔をしていたから。

 

「人間五十年、化天の内をくらぶれば夢幻の如くなり。人の生は五十年が寿命だけど仙人に比べれば夢や幻に過ぎないと言う。なら現実的な生き方しか出来ない私はどうすればいいのかしらね」

 

 妖怪である風見さんは人間とは比べ物にならない程に長命だ。

 俺が生まれる前から既に存在していて、その遥か前から彼女は彼女のままでいる。

 妖怪には妖怪の価値観や考え方があり、人間である俺には到底理解出来ないが、もし俺がそんな長命であったならば疾うの昔に気が狂っているだろう。

 俺は彼女を肯定してあげることが出来ない。

 それは種族が違うが故のジレンマだった。

 もし俺が妖怪だったのならば彼女の苦しみを理解してあげれたのに、そんな悔しさが俺を支配する。もう直ぐ俺も彼女を置いて死んでしまうのだろうか。

 縁側に二人仲良く隣り合いながらも擦れ違ったまま俺達は空を見上げている。しわくちゃになった俺といつまでも変わらない彼女。

 きっともうこの関係は長くない。

 どうか彼女ともう少しだけ長く一緒に居られますように。

 昼間の星にそう願って俺は目を閉じる。

 魔法使いの葬儀が密かに行われたのはそれから数日後のことだった。



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番外編十二話

 俺も随分と歳を取ってしまった。

 亡くなった祖父の遺言を聞き、向日葵畑と屋敷を受け継いでなんとか一人でやってきたけれど、脇が寂しいと言うか何と言うか隣に誰かが居て欲しいと考えるようになってしまった。

 改めて思う。

 向日葵郷の太陽さんも歳を取ったものだぜ、と。

 酷く感傷的になるのはもう直ぐ俺の死期が近いのかもしれない。

 最近、自分のしわがれた手を眺める時間が多くなってる気がする。視界の隅に黒猫をよく見かけた。気が付くと過去の思い出に浸りこうして感傷的になるのだ。

 思い残りがある。

 遠い昔にした約束がある。

 翡翠色の髪が頭を過ぎった。

 向日葵達に見守られながら縁側で二人隣り合って交わした誓い。

 俺は、俺は彼女を残していってしまう。臆病な彼女を残したまま、彼女が耐えられないことを知りながらいく。

 それだけが心残りだ。

 温かい風が吹き抜けたので居間から開け放たれた障子窓の外を見る。何時の間にか長く続いた雨があがっていた。

 もう直ぐ夏が来る。

 その前兆。そう、夏が来るのだ。

 何度も訪れ、遊び、学び、笑い合った素敵な夏がまたやって来る。大好きだった祖父と彼女との思い出が詰った一番の季節。

 もう直ぐ俺にとって最後の夏がやって来る……。

 

「俺も終に夏卒業かね……」

「いいえ、まだよ」

 

 風鈴のような透き通った声が響く。

 俺はゆっくりとそちらへと顔を向けた。

 血色に染まった紅い瞳が此方を見ている。

 それを覗いた瞬間に突然、頭が痛み出す。

 

「何度でも何度でも夏を来るわ。私と貴方は楽しむの。貴方自慢の麦茶を飲み、向日葵達に水をやって、二人で景色を眺めながら雑談に興じるのよ」

「な、なにを……?」

 

 ゆっくろとした歩調で近寄っている。

 何の力もない俺は頭を抱えたまま見ているしか出来なかった。

 

「隣に貴方の居ない夏なんて私は耐えられない。ねぇ、約束したでしょう?」

 

 押し寄せる痛みに耐えかねて畳に身体を伏せる。

 彼女は近くに腰を下ろすと俺の身体を優しく抱き上げて続けて言う。  

 

「一緒に歩んでくれるっ、て……。だから約束の取り立てに来たわ。"東方太陽"は私の物とする。名前を奪えば貴方の人間と言う種族が曖昧になり、移ろい易くなるわ。向日葵畑に妖怪が出る、とでも噂話を流しましょう。そうすれば幻想郷は必ず貴方を妖怪として受け入れるわ」

 

 馬鹿な。

 君がそんな強行的手段に出るなんて。

 終に君はそんなにもおかしくなってしまったのか。

 

「目覚めた後、私にとって貴方は都合の悪いことは全て忘れている。でも大丈夫よ」

 

 頬を撫でられる。

 止めてくれ。

 そんな泣きそうな顔をしないでくれ。

 

「私が傍に居てあげる。これからはずっと一緒よ。いつまでも、いつまでも」

 

 駄目だ。

 それでは必ず傷の舐め合いになる。

 なぜ気付いてくれないんだよ、幽香。

 これも無責任な約束をした俺への罰なのだろうか。後悔が押し寄せて、意識が段々と離れていき、視界が暗転する。思考も出来なくなり――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 身体を起こし、何気なく周囲を見回すと見覚えるある景色があった。

 数年前に死んだ祖父の家だ。そして現在夏限定で俺の家となっている場所。

 昨日、酒を飲み過ぎた所為か軽く痛む頭を擦りながら俺は向日葵に水をやるのを思い出した。とりあえず顔を洗おうと思い、屋外にある井戸まで行こうと障子窓を開けた。

 青々とした空の下、向日葵達が今日も太陽へ向かって仰いでいる。

 居間に気持ちの良い温かな風が吹き抜けていく。うん、そうだな。

 今年も夏が到来したのだ。




これにて終わり。

物語は最初に戻る。

御疲れ様でした。


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向日葵郷「幽香に会える夏が来た」

※この特別編は読者様から頂いた「ハッピーエンドが読みたい」との言葉から執筆しました。ありきたりな展開ですがこれでよしとして下さい。
まぁ、あくまでもしもの話なので、こんな終わり方もありかなって思って貰えればいいかなって思います。作者的にはそのままの方がハッピーエンドだったと思っているので。


 幻想郷には向日葵郷と呼ばれている場所がある。旧太陽の畑の場所だ。

 夏になれば沢山の向日葵が咲き乱れ、太陽を仰ぎ続けている花達は見頃である。夏の花見は其処でやるといいかもしれない。

 なのだが、夏になると誰もこの場所に足を踏み入れなくなる。幻想郷に向日葵が咲く場所など此処にしかないのに、だ。

 原因は夏に帰還してくるとある大妖怪の所為だとされている。

 その大妖怪は翡翠色の見事な髪をしていて、ルビーのような瞳を持ち、痩せ型なのに凹凸がはっきりとした体型をしている。同性すらも羨望させるその容姿は人外のそれだと確信させる程に彼女は美しかった。

 持ち得るその容姿だけで十分に人外なのだが、彼女が真に人外足る理由は他にある。

 彼女はただ只管に強大で恐ろしい存在だからだ。

 故に誰もが彼女に喧嘩を売るような愚を冒さない。向日葵郷とはそれだけ彼女が大切にしている場所なのである。

 そして今年も夏が来ていた。

 彼女にとって二つも欠けてしまった夏が来るのだ。

 

 

   □

 

 

 日差しが強い昼前。

 季節が夏となり、人気がなくなってしまった向日葵郷へと続く道に少女が歩いていた。

 麦藁帽子を頭にかぶり、白いワンピースを着て、サンダルを履いている。夏らしく尤もらしい格好だが、危険が多い幻想郷では迂闊な格好だった。

 少女はそんな事実を気にせず、鼻歌を混じりながら歩いていく。

 そのまま向日葵郷に辿り着くと少女は中央に位置している屋敷の玄関へと向かい、立ち止まる。かと思ったら首に下げていた紐を外すとその先に付けていた鍵を手に取った。

 そして屋敷の玄関にあった鍵に差し込む。

 すると鉄錆びた音が響き、玄関の扉を少女は開いてしまう。

 靴を脱ぐと丁寧に揃えてから玄関にあがり、我が物顔で玄関近くにある部屋に入る。

 屋敷全体が埃臭いので換気の為か居間らしきその場所の障子窓を全開にして開くと順次部屋を回り、開け放っていった。

 それが終わると何処からか掃除道具を取り出してきて、少女は麦藁帽子を脱ぐ。隠れていた翡翠色の髪が背中まで零れた。彼女はそれを一纏めにして所持していた紐で留める。

 翡翠色のポニーテールを揺らして少女ははたきを手にして行動し始めた。

 

 

 少女が掃除を始めてから数時間後。

 彼女の掃除が終わる頃には昼下がりの午後となっていた。

 照り付けていた日差しはやんわりとしたものに変わり、過し易い一日になっている。

 それを感じ取ったのかポニーテールを解いて、麦藁帽子をかぶると玄関から外へ出ていく。

 行き先は井戸。其処で水を汲み、手に提げていた桶に移し変える。成人男性でも容易ではないその作業を彼女は軽々とこなしていた。

 水を入れた桶と柄杓を持ち、今度は向日葵畑へと足を進める。

 沢山の向日葵が太陽へ向かって咲き乱れ、太陽は眩しく照らしだす。現在向かっている先の奥に一際太陽の光が眩しい場所がある。其処だけには何故か向日葵が植えられていなかった。

 向日葵が植えられていない場所の中央へ少女が向かうと不自然に立てられている石がある。長方形をした無骨な石。

 彼女はそれの前に立ち止まると桶を置き、しゃがみこんだ。 

 

「久し振り」

 

 そう声を掛けると少女は愛しむ表情で微笑む。

 

「今年も夏に来たわ。今年は少し遅れるかもと思ったけどね。西方の連中が思っていたよりも大したことなかったから間に合っちゃった。ふふっ。今年も暑いから冷たい水をあげる」

 

 桶を手に取って立ち上がると柄杓に溜めた井戸水をゆっくりと墓石に掛ける。

 それを数度繰り返すと少女は残りの井戸水を墓石の周りに垂らす。蒸散させて温度を下げる為だろう。

 彼女は中身が空となった桶を地面に置くと身体を一回転させる。

 

「貴方に貰ったこのワンピース。また着てきたのだけれど如何かしら?」

 

 当然、返事はこない。

 ふわりと回転した際に浮かんだ裾を握り締める。

 

「それで夏の間はいつものと同じく屋敷を借りるから。泣き虫の博麗の巫女をからかうのも面白いかもしれないわね……」

 

 やはり返事はない。

 彼女は寂しげな表情を浮かべるしかなかった。

 そのままその場で佇んでいると忙しない足音が向日葵畑の中に響く。人間の子供くらいだと少女は判断した。如何やら此方の方まで来ているらしい。

 がさり。

 向日葵を掻き分ける音がして、其方へ振り向くと男の子が立っていた。

 見た目から判断して十歳は越えているだろう少年が息を荒げて少女を見ている。

 少女はその小さな来訪者に対して怒るのでもない感情を不思議と抱いた。その感情は嘗て大切な人に抱いたものと一緒だった。

 荒げた息を整えると少年は口を開く。

 

「ひ、向日葵は好きですか!?」

 

 その言葉で少女は大切な記憶を思い出す。

 大切となった人との出会いを飾った言葉。

 何故か胸に熱い思いが込み上げてくる。

 

「好きよ、大好き」 

「そうですか、じゃあぜひ友達から始めさせて下さい!」

 

 息巻いて花を差し出す少年。

 その手にはチューリップが握られていた。

 少女は震える手でそれを受け取る。

 

「風見幽香。風見鶏の風見に幽霊の幽と香るで、風見幽香。貴方の名前は?」

「東方太陽です!」

 

 少年は嬉しそうに名乗った。

 

 

  □

 

 輪廻転生。

 人が生を始め、死に向かい、あの世でその次を待つという繰り返しの法則。

 それは誰に対しても平等に行われ、余程の罪人でなければその繰り返しの輪に戻っていく。

 生は愛しまれ、死は尊ばれ、罪は裁かれ、全ては輪廻に還る。

 閻魔大王は地獄の冥府で笑う。

 浄玻璃の鏡を覗き込みながら。



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夏の特別編「また今年も向日葵郷に夏が来た」

お久し振りですね。
IFエンドからの続きです。
また夏が来たので衝動的に書いてしまいました。また来年も似たような話の続きが投下されるかもしれませんが、基本的に続きませんのであしからず。


 夏に太陽のような花を咲かせる場所がある。

 向日葵郷。

 元は太陽の畑と呼ばれた場所で、その頃から人里の人間は絶対に立ち入らない場所だったらしい。不思議なことに夏限定だけど。

 僕はそこでこれまた不思議な女性と出合った。

 風見幽香さん。僕は親しみと下心を込めて風見さんと呼んでいる。

 認めるのは今更恥ずかしい話だけど、僕は彼女に一目惚れを経験した。

 親から絶対に行ってはいけないと云われていた向日葵郷に無謀にも一人で突撃したのが最初。憂いを湛えた瞳のまま佇む風見さんを見つけて、僕はどうにもならない衝動に突き動かされた。

 

「ひ、向日葵は好きですか!?」

 

 それが彼女に対しての第一声。

 思い返せば悶えそうな出来事だった。

 自分自身でさえ訳の分からない言動だったのにも関らず彼女は優しげな瞳で真摯に答えてくれた。

 

「好きよ、大好き」

 

 気付けばまたしても胸の内からなんともいえない衝動が湧き出していた。

 嬉しい? 切ない? 苦しい?

 それが全て混ぜ合さった感情が渦巻いて、僕は溜まらず吐き出した。

 

「そうですか、じゃあぜひ友達から始めさせて下さい!」

 

 偶々手元にあったチューリップ。

 行き掛けに口煩いお姉さんから貰った物だった。

 彼女はそんな何処で採ってきたのかも分からない物を受け取ってくれる。風見さんの手は何故か震えていたのが印象的だった。

 それから僕達は名前を交換する。

 僕の心は絶頂だった。嬉しくて嬉しくてどうしようもない気持ち。

 思い当たる節がある。僕は心の隅に追いやっていた過去の記憶を拾い上げ、思い出す。それは母との会話だった。

 切欠は些細な事。

 母と父がなぜに結婚して僕が生まれたか。

 それに対して母は得意げに教えてくれた。

 

『貴方のお父さんと居るのがどうしようもなく嬉しくて堪らなかったから。これからも一緒に居たいっておもったから。簡単にいうと恋して、愛してしまったのよね』

 

 難しい言葉だった。決して五歳児に投げ掛ける言葉じゃない。

 だけれどもなんとなく、ほんと心の片隅でその言葉に納得していた。

 あれから九年もの月日のお陰でその言葉の意味が解けるように浸透していく。その日、僕は初恋を知り、一目惚れを経験したんだ。

 だもんでね、僕は必死になった。

 父と一緒に居たかった母と同じように、僕も風見さんと一緒に居たかった。

 それこそ何時までも、何時までも。

 思い切ったが吉日。早速、僕の行動は始まった。

 まず夏の間だけこの向日葵郷に滞在するとの話を彼女から直接聞き出した僕は、それから毎年欠かさず向日葵郷へと足を運んだ。

 風見さんのことが少しでも知りたくて、何度も何度も彼女の話を聞いた。

 聞けばこの風見さん、とても親しくしていた方が亡くなってしまったので、こうして夏だけだけれど代わりに向日葵郷を管理しているらしい。風見さんが普段住んでいる場所は本来別の場所にあって、夏以外はそっちに戻るか、あちこちに出掛けているとのこと。

 儚げな見た目の割りにとても積極的なんだな、って思った。

 翡翠色の豊かな髪、紅玉のような美しい光を放つ眼差し。季節に合わせた白いワンピースに麦藁帽子もよく似合っている。完全に深窓の令嬢ってやつだね。

 そんな御嬢様な風見さんが危険いっぱいな幻想郷を渡り歩いているなんて普通は思わないし、思えない。

 まぁ、普段から隣で観察していると御嬢様というよりも庶民的な行動している時が大半なんだよね。幻想郷の女子は男子に比べてパワフルだよ、本当に。

 今日も風見さんは庶民的に縁側い腰掛けて、麦茶を飲んでいる。

 桶に溜めたよく冷えている井戸水に素足をつけて、ばたばたと忙しなく動かしていた。こうみると完全に深窓の令嬢といよりもお転婆御嬢様だ。

 

「どうしたの、太陽?」

 

 やべっ。眺めていたのがバレた。

 

「いや、別に。なんか麦茶美味しそうだなって」

「ふ~ん。変なの」

 

 じと目で彼女は手にした麦茶を飲む。

 喉がこくこくと動いている。涼やかで本当に美味しそうだ。風見さんはこんな所作でも僕をこんなに惹き付けてくれる。

 本当に彼女が好きなんだなって再確認した。

 

「飲みたい?」

「えっ、へっ」

 

 気付けば彼女の端整な顔が近かった。

 思わず顔が真っ赤に染まる。心臓の鼓動も激しく高鳴っている。

 改めて風見さんを見た。いや、背けることも出来なかった。

 彼女の手元をみれば麦茶を注いだ器がある。それは彼女の分しかない。で、あるならば僕が口にするならばその容器の中にある麦茶な訳で。

 

――間接キスのチャンス?

 

 気付いてしまったら今度は更に鼓動が高鳴っていく。

 口から心臓が飛び出そうなくらいに躍動している。呼吸が出来ない位に。

 緋色の瞳が無言のまま語り掛けてくる。

 

――さぁ、どうするの? と。

 

 据え膳喰わねば男の恥と云えども、硝子のような心の持ち主である僕は肯定の言葉など出るはずもなく……。

 

「え、遠慮しておきますっ」

 

 全力で顔を背けながらの否定。

 心中では全力全開の後悔する叫びを上げながら、千載一遇のチャンスを機会を逸したことを悔やむ。

 初恋、一目惚れから四年。

 それなりに少年から男に変わってきて、あれから色んなことがあれど、風見さんと僕の間に発展はなし。むしろ弟のようにからかわれていると思う。

 

「くすくす、可愛い」

 

 ほらね。

 この通りだよ。

 拗ねたくもなるもんだよ、まったく。

 

「ふふっ、ちゃんと貴方の分を用意してくるから機嫌直しなさいね」

 

 桶の井戸水につけていた脚を引き上げ、軽く手拭いで水分を拭くと彼女は立ち上げり、優しく僕の頭を撫でる。

 これだけで全てを許したくなる。

 惚れた弱みって怖いね、本当に。

 厨房へと消えていく後姿を眺めながら、溜息を吐く。

 あれから、初恋から四年。まだこの恋は実らない。

 初恋は実らないとよく聞くけれど、僕はあの話を信じちゃいない。だって可能性を捨てるようなものでしょ。それを信じるってさ。

 ただ大切な日々が次々に生まれては、明日の楽しみへと変わっていく。

 そして夏が去っては暫しの別れを惜しみつつ、次の夏への期待に変わる。

 恐らく僕と風見さんの夏は当分、このままだろう。

 何時か、そう何時か。

 僕が完全に大人になり、彼女に男として認められるようになった時。その時、初めて僕達の関係が変わる。風見さんがそれを望むかは分からないけれど、僕はその時が来るのを強く望んでいる。

 だからその時まで、この大切な夏を精一杯楽しもうと思う。

 何時か、お互いに年老いて死ねるまで。何時までも、何時までも。 



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断編「写真または風見幽香のお悩み相談室」

また蒸し暑くなってきたので投稿。続編じゃないです。


 遠くの景色を眺めれば陽炎が見える。耳を澄ませば煩わしい蝉の鳴き声が聞える。殺人的な紫外線から避難しても尚茹だる体を縁側の柱に傾ける。

 

「夏だなぁ」

 

 と、暢気に感想を口にすると喉が渇いた気がした。

 手に持った硝子瓶を咥えると喉へしゅわしゅわとした甘い炭酸が通っていく。嚥下すればなんとも言えない爽快な刺激が駆け巡る。

 あぁ、実に爽快感があるが、喉は潤うどころか更に渇きを増す。

 炭酸では満たされないのはなんでなんだろうな。子供の頃からの疑問だ。

 お替りの一口を欲して硝子瓶を更に上へ傾ける。

 無情にも一滴を舌へ垂れるだけで終わった。残念。

 

「やっばり夏は麦茶の方がいいな」

 

 炭酸系統の清涼飲料水は偶に飲むからいいのであって、常用は向かないなと個人的に思う。それに比べて麦茶は完璧だ。飽きが来ない。夏の飲み物を一年中飲んでいるから秋が来ない。

 ふっ、いまいちだな。

 仕様もない駄洒落を考えながらふと硝子瓶を日差しに翳す。

 硝子瓶の底を覗けば透けて煌びやかな光が映り込む。虹色の玉模様が綺麗だ。本当に仕様もないのにこういったふとした光景に心奪われるのはなんでなんだろうね。

 

「御機嫌よう」

 

 硝子瓶から目を離すと正面に彼女が立っていた。

 風見さん。綺麗な美人だけど幼稚な悪戯する困った人。

 

「うっす、久し振りでっす」

「ええ、そうなるのかしら」

 

 祖父から向日葵郷を受け継いでから三年。

 今年は数多の実家から来る催促によりに年末には帰省していたから半年振りの再会であった。

 背まで伸ばした翡翠色の豊かな髪を揺らし、紅玉の様な瞳は向日葵の方へ向けられている。まるで避暑地へ訪れに来た深窓の令嬢のようだ。

 黙っていれば、と言葉がつくが。

 彼女は差していた白い日傘を畳むと自然に隣へ座る。狭くはない縁側なのだが距離感が近い。女性経験が学生の頃で止まっている俺には危険な距離感だ。

 何がやばいって仄かに香る女性の匂いがやばい。

 そんな俺の状況を知っていて理性を試しているのか、より距離が近くなり触れるか触れないか微妙な距離感まで詰めて来る。

 多分知っていて反応を楽しんでいるのだろう。その証拠に目元が緩んでいる気がする。

 

「なにしてたの?」

「え、ああ、硝子瓶の底を眺めて光の屈折を楽しんでたんですよ」

「なんだか暗い嗜好ね。あらあら根暗さんなのかしら」

「今年も毒舌が冴え渡ってますね」

 

 口許に掌を当て、困った表情を作っている。

 明らかに業とらしい。思わずむっとなってしまう。美人でも許されない事はあるんだよなぁ。

 えーい、そっちがそうならばこっちはもう無視だ、無視。

 

「ふふっ、怒った?」

 

 口を"へ"の字に曲げて、断固沈黙を守る。

 

「えい、えい」

 

 頬を指で突かれても気にしない。俺は鉄の男だ。

 何も反応を残さぬままつんつん突かれると風見さんは手を引っ込める。どうやら諦めたようだ。

 

「ねぇ?」

 

 と、思ってたらまた呼ばれる。

 反応しそうになるも我慢を突き通す。もう意地になっていた。

 

「こっちを向いて、太陽」

「……こういう時ばかり名前を呼ぶのはずるい」

「だから呼ぶの。女の子はいけずなのです」

 

 女の子はいけず。俺、覚えた。

 それから互いにくすりと笑ってから無言の時間が続く。ただ同じ風景を眺めて、蝉の鳴き声を聞いて、時折吹く風に涼やかさを感じるだけ。

 

「で、どうしたの」

 

 唐突に風見さんが問う。その声は妙に優しげであった。

 

「どうしたも何もないですよ」

「本当かしら。いえ、嘘ね。何を隠してるの」

「だから何も……」

「太陽。本当の事を言ってごらんなさい」

「本当にずるいですよ。こういう時ばかり名前を」

「いけずですから」

 

 観念した俺は胸の内に秘めていた事を語りだした。

 それは帰省中の事。祖父の三回忌が過ぎていたのを両親に知らされたのが発端だった。

 

「ただそれだけの話なんですけど、なんとなくしんみりとした気持ちになったというか」

「ええ。そういう時もあるわ」

「なんとなく爺ちゃんが亡くなってから三年も経ってるんだなって」

「そう」

「不思議な話だけど今でも家の何処かに居る気がするんだ。ふとね居間とか縁側とか、あとはそうだな向日葵の世話してそうだなとか。本当に変な話だよ」

「……そうね」

「でも心の中じゃ分かってるんだ。此処ではもう会えないって、何処に行っても見付からないってさ」

 

 会話が止まる。

 こうなる事は分かっていた。分かっていたから話したくはなかった。

 風見さんとの時間は俺にとって大切なものだからこんな雰囲気にしたくなかった。胸の内に秘めていればいいのに態々口にしなくともいいのに誰かに聞いて欲しいのはなんなんだろう。

 きっと彼女には嫌な思いをさせてしまった。

 そんな後悔に気持ちを沈ませていくと

 

「ねぇ、太陽」

 

 風見さんが暗い沈んだ静寂を破る。

 

「優しいのね、あなた」

「へ?」

「居なくなった人をそういう風に想えるのは優しさの証拠よ。普通はね段々と想い出と共に消化して忘れていくのよ。風化するように少しずつ少しずつ記憶を奥底へ溶かしていくの。別れって辛い事だから」 

 

 そういう風見さん記憶にある別れを憂う様な表情をしていた。

 

「でもね太陽。忘れてあげないのも駄目よ。執着は死者に未練を残すわ。だからね――」

 

 言葉を切ると彼女は右手を此方へ差し出し、指を鳴らす。

 するといつの間にか手には一輪の花が握られていた。紫色の花弁をした花だ。

 

「変わらぬ心、途切れぬ記憶は投げ捨てるの!」

「えぇ~!!」

 

 花を投げ捨てる風見さん。思わず驚きの声が漏れる。 

 全ての花をこよなく愛すと言っている彼女がこんな蛮行に及ぶとは。

 

「死者を偲ぶのは年に一度でいい。生者は生者と新たな思い出を作るのが一番ね」

 

 そう言って彼女は微笑む。

 慰めの言葉を頂いた俺はどこか吹っ切れた気分だった。というか珍しいものを見てどうでもよくなったというべきか。

 先程までセンチメンタルになっていたのが馬鹿らしい。

 

「そうだ風見さん、写真撮ろうよ」

「写真ってお祖父さんと一緒に撮ったやつ?」

「うん、それそれ」

 

 早速とばかりに風見さんの言葉を習う。

 納屋から写真機を取り出してくる。細かい設定とかは前に祖父から聞き及んでいるから大丈夫だ。多分。

 

「じゃあ、撮るよ!」

 

 風見さんはひらりと片手を上げる。準備は整っている合図だ。

 写真機のスイッチを入れ小走りで彼女の横に並ぶ。

 三年前と変わらない拡散した光が駆け巡った。

 

 

 ■

 

 

 色彩鮮やかな花たちに囲まれた部屋の一室。その窓際には写真が飾られている。

 小さい額縁の中心にはとても美しい少女と普通の男の写真があった。晴天の空の下に沢山の向日葵を背景にして彼らは幸福そうに微笑んでいた。

 そしてこの写真には秘密がある。

 額縁の下。写真の裏側に書かれた秘密の言葉。

 

 

『薔薇の花言葉を添えて』

 

 




紫色の花弁の花はスターチス

花言葉は風見さんが投げ捨ててます


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断編「鬼殺しと花言葉」

お待たせしました。今年の投稿分です。


 挑戦する事を諦めるのを大人は賢明と讃え、子供は臆病者と笑う。

 過去を振り返ると本当に子供の頃は自由だったと思わざるを得ない。失敗を恐れず、成功をするか分からないのに行動に根拠もなく何時だって踏み切れる。

 当時はそれを勇気と称していたが単に損得勘定が薄いだけの話だ。

 例えば列車の線路。

 度胸試しといえば警報機が鳴り響くまで寝そべりぎりぎりで脱出する遊びをよくしていた。今にしてみれば恐ろしい。一歩間違いがあれば命は失われ大事故になると連想するのは容易だ。

 そうした薄い警戒心ゆえの過ちが日常の中に平気で起こるのが子供時代だった。真の怖い物知らずとはあの頃だけの称号だったのかもしれない。

 だからこそ大人とは臆病者の名前だと偉い誰かが主張していた。知識とは危険を知る安全なる防具にして脅かす武器でもあると有名な誰かが言っていた。

 つまりは誰もが何れ臆病者なると言う事だ。

 年齢を経れば誰しもが無知ゆえの勇気を失い、代わりに知識得たならば無知である事に対して一線を引く。

 だから、そう。あれだ。うん。

 ある程度年齢を重ねると人間は新しいという言葉に拒否感を覚える。老人が携帯電話や最新機器の家電を煙たがるのと同様に――いや、これは違うか。

 結局、何が言いたいのかと言えばそう、あれだ。

 人間の雄に生まれてきた以上、こういうシチュエージョンは本懐だとか据え膳食わねば男の恥なんていうけれどさ。

 それ以上になんというか、恥ずかしいというべきか、ああ……。

 男に生まれてきてどうも申し訳有りませんでした。性転換はするからもう勘弁してください。

 情けなさ過ぎる言い訳の果てに謝罪の念しか生まれない脆弱さを嘆き、俺は女神に祈った。それはもう精一杯祈った。

 

「……んふ」

 

 熱い吐息が胸元に伝わる度に祈りを重ねる。心臓が激しく鼓動し、顔が茹であがっていく。嬉しい気持ちもあるけれどそれ以上に羞恥心が湧き上がってくる。

 このままでは頭に血液が堪って破裂し、嬉しくて死ぬ。嬉れ死ぬ。

 だから祈るのだ。敬虔な宗教の信者の如く正面からしな垂れかかる彼女に伝わる様に。

 そして女神の様な大妖怪は呟く。

 

「許してあげない」

 

 冷静に、そう冷静に考えればこれはただの寝言だ。

 これ以上無い程に正確なタイミングで放たれたが偶然、そう全ては偶然でしかない。

 まるで恋愛漫画の主人公の様な心持を味わい、自分の経験の無さから来る情けなさに涙が出る。金縛りにあったかの様に身動きも取れず俺はただただ熱くなる自身の体温と心臓の鼓動を感じていた。

 週刊少年誌のラブコメ漫画に対して散々度胸が無いだとか、なんだかんだで有耶無耶にしてしまう主人公の態度に腹を立てていたが、今なら分かる。御免なさい。俺が間違っていたよ。お前は正しい。こんなの一秒だって耐えられないよ……。

 そもそもどうしてこうなったのか。

 こんな天国の様な地獄の様な状態になったのはどうしてか。答えは現在床に転がっている一瓶の酒が原因だった。

 

 ■

 

 幻想郷の冬は厳しい。ある程度の知識として昔の暮らしが大変だとは知っていた。冬を越せる様に準備をしてきたし、外出が困難となる積雪に備えて保存食などの貯えも作った。

 それでも現在社会に慣れ親しんでいた若者が直ぐに適応する筈がなかった。

 今年の冬は殊更厳しい環境にある。

 まず最初に想定していた雪が降り注いだ。まぁ年甲斐もなくはしゃいだ。

 写真や絵ではない本物の銀世界に感動して雪遊びに興じた。生まれ故郷はあまり雪が降らない場所だったので本当に久々であった。

 秋田県や新潟県名物のかまくらを造ったり、雪達磨を拵えたりした。

 数日でやりたい事を終えると家に篭る様になったのだが、それが現代人に耐え難いものの始まりである。

 確かに雪は心を豊かにした。光に反射すると綺麗で温かな地方に生まれ育った俺からすると冷たい雪に結晶はどうにも特別に感じる。眺めているだけでも不思議と飽きなかった。

 でもそれは数ヶ月も続くかと言えばそうではない。

 雪その物に飽きて次は持ち込んでいた漫画や小説を読み漁った。名作と言われる作品は何度読んでも面白く、読書に夢中になった。

 でもそれは冬を越せるほどではない。

 読まないまま積んでいた作品群すらも読み尽くした後、家の中を何気なく見渡して気付く。外は積もる雪で歩き回るには困難で外出は望めなく、家の中では家事以外する事がない。

 遂にする事がなくなったのである。

 俺は知らなかったのだ。田舎の冬季における最大の敵は退屈だということを。

 それから寝ては起きて最低限の家事をこなす以外に行動がなくなり、このままでは廃人になってしまうのではと薄らと悟り始めた頃、助けは現れた。

 

「御機嫌よう。冬の幻想郷は如何だった?」

 

 風見さんである。

 日傘を差し、翡翠の髪を三つ編みで纏め、何時もとは同じチェック柄のコートを羽織った格好だ。夏の時期とは違う雰囲気を放っていた。

 

「暇してるかと思って様子見に来ちゃった。一人暮らしの冬は退屈でしょ」

 

 玄関先でとんとん、と畳んだ日傘に付いた雪を落として彼女は言った。

 

「早く中に案内して下さらないかしら」

「はいはい、喜んで!」

 

 嬉しさの余り放心していた心を瞬時に引き戻し、彼女のコートと傘を預かる。風見さん専用となっている傘置きに日傘を立て掛けて、少し濡れていたコートを暖炉のある部屋の壁に掛けた。

 居間の方へと案内して用意した座布団の上に座って貰い、持て成しの用意を始める。

 軽く摘まめる物を作って貯蔵していた取って置きの酒を蔵から取り出す。長い前置きとなってしまったがそうこれこそが件の原因たる物だ。

 

 飛騨の地酒"鬼殺し"。

 

 強烈かつ物騒な名前の酒だけど本当に鬼を殺したとかではなく、鬼の様に頑丈な男でも酔い潰れてしまうと評判だったのが由来となったそうだ。

 現に"鬼殺し"の酒精は大妖怪にも絶大な成果を上げた。その成果故に"花妖怪殺し"と改名したい。

 まぁ冗談はさて置き、実際のところ先程までは風見さんと雑談に交わしてちびちび呑んでいたが、成る程確かに摘みが欲しくなるほどの辛口で酔い易い酒であった。

 だが此処は飲兵衛だらけの幻想郷だ。

 その酒豪たる地位を確立する風見さんがこうなるのは解せない。酔い潰れるならば同じ量を呑んでいた俺のが先だろう。

 そもそもこの酒は別段変わった物じゃない。

 大分前にある伝で偶然手に入れた現代の酒だ。敢えて挙げるならば酒造元が飛騨の老舗というだけ。

 何ら特別ではないこの"鬼殺し"。

 なのにだ。明らかに風見さんは酩酊状態にあった。

 静かに寝息を立てて、俺のシャツを掴んでいる。現在社会に忘れ去られた淑女な彼女がこうも無防備だと格別な色気を感じてしまう。

 ギャップ萌え、というやつなのだろうか。これは。

 だからだろうか。どうしても普段よりも意識してしまう部分がある。髪の艶、顔の造詣、瞳の色。何時もなら褒めちぎる場所ではなくて女性特有の丸みを帯びた部分が気になって仕方がない。

 酩酊する前にシャツの第一ボタン外しており、肌色が覗けてしまっている。お陰様で胸元から目が離せなかった。

 男って何て助兵衛なんだろう。そろそろ試されている理性が限界に近付いている気がする。

 

「ああ頼むから起きて下さい、なんでもしますから」 

「……ないで」

「えっ?」

 

 自分にとってはどうにもならない現実を嘆いて苦し紛れにでたなんでもない言葉だった。最初から返答など期待していない言葉。

 対して彼女は答えた。

 

「私を置いていかないで」

 

 微かに怯えを含む震えた声だった。心なしかシャツを掴んだ手に力が篭った様にも感じた。

 言葉通りだったのか、それとも別の意味があったのか。

 そもそも本当に返答だったのか定かではない。

 酔っ払いの寝言か、酩酊状態に陥ったからこその本音なのか。

 やはり何度考えても正確な答えには行き着く筈がなかった。

 部屋が一気に静まり、聞こえてくるのは寝息だけ。

 天井を見上げながら頭を掻く。どうにも妙な気分になってしまった。奥底に隠していた秘密を暴いてしまったかもしれない罪悪感がある。散々高鳴っていた鼓動も落ち着いていた。

 それにしても―― 

 

「私を置いていかないで、か」

 

 悩みを抱えていなければでない言葉である。

 もしかしたら悪夢に魘されていただけなのかもしれない。というか妖怪って夢見るのかな。

 そう考えだすと俺は風見さんをよく知らない事に気付く。

 姿形や人となりは知っているが、彼女の背景について何も知らない。生まれ育った場所、これまで生きてきた過程、大妖怪と呼ばれる風見幽香についてなど。

 必要ではないから聞かずのままにいた。深く知れば関係性が変わる可能性も有ったから。

 人間の大人とは臆病者だ。真実をありのままに受け止められるかどうかは定かではない。だから敢えて子供の様に無知のままでいた。

 つまりは俺と風見さんとの一線は此処に引かれている。

 これ以上、知ろうとすれば線を越える事を意味していた。そして線を越えるという意味は関係性を変えると言う事だ。

 俺は一体彼女とどうなりたいのだろうか。考えないようにしていた、心の中で散々先送りにしていた問題が何故か今頭の中に浮かんでくる。

 視線を風見さんに戻す。少し表情を歪めて彼女は眠っている。

 あの日、勇気をだして声を掛けた。今でも覚えている。

 

"ひ、向日葵は好きですか!!"

 

 必死過ぎる問いに彼女は答えた。

 

"好きよ"

 

 それから不審者を見る目で訝しむ彼女に

 

"友達から始めさせて下さい!"

 

 と申し込んだ。

 返ってきたのは自己紹介と花の名前だった。確かチューリップ。彼女が伝えた花言葉は"正直"だった。チューリップには色事に花言葉が分かれており、これは黄色の花言葉で"実らぬ恋"をも意味している。

 そうか。今思えば貴方が正直者だったから友人として付き合いましょうという意味だったのか。遠回しに振られていたようだ、ははっ。

 友人として付き合うようになってから風見さんは知らないけれど密かに花言葉を調べる様になった。時折何気なく口にする言葉の意味を知りたくて調べ始めたのが切欠だった。

 沢山の花言葉を今は知っている。

 勿論、色違いのチューリップの花言葉も。

 だから今度は俺から送ろう。ピンクの花言葉を。

 

「----」

 

 やはり返答は無い。ただの独り言だ。

 その日、風見さんのことをもっと知りたいと思うようになった。

 




衝撃のネタバレ!
酔っ払った原因はなんと"八雲紫"!!

なんて都合の良い便利な存在なのだろうか。来年あたりに酔っ払った原因の話があるかも?

それではまた来年の夏に。


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断編「最後の冬」「変愛」

前編は老人主人公の独白、後編は風見幽香の独白の二編となります


『最後の冬』

 

 

 茜雲が夕陽と共に沈んでいく。

 辺りは暗闇に包まれて星空の光だけが景色を照らし出す。ほう、と息を吐くと白い靄と化したそれは肌寒い風に吹かれて消えていった。

 

「もう季節は冬だなぁ」

 

 当たり前の心象を口にしながら自らの格好を省みた。

 着物の上に羽織を着て、首にはしっかりと襟巻きをしていても微かに凍える。多少の寒さなど若い時は気合と根性でどうにかしてきたが老いた体には堪えるようだ。俺もしっかりと年老いていた。

 

「いかん、いかんな。季節の変わり目は」

 

 玄関先で旋風が運んできた枯葉を掃除していたのだが、何時の間にか景色に見蕩れていたらしい。炬燵で温まっていた熱は疾うに消え失せていた。

 思えばこうして景色を眺めては無為に過す時間が増えてきたと思う。

 一人の時間が多いからだとか娯楽の少ない田舎暮らしだから自然の光景がそれに当たるというのも間違っていないけれど、なんだか言葉にしにくい直感みたいなものだが告げていた。

 これは素晴らしいものに感動して自らの時間の感覚を止めているのでは決してない。いつか誰にでも訪れる残りの時間を無常に消化していくものの結果なのだと。

 

「ふう」

 

 さっさと片付けを終えて室内へと戻るとすぐに炬燵に足を踏み入れた。じわじわと温まる体に熱が戻っていき、凍えて麻痺しかけていた感覚が少しの痛みと共に戻ってくる。

 思えば過去を偲ぶことも大分増えた。

 数多の記憶が断片的に蘇り、記憶の底から浮き出ては消えて行く。しゃぼん玉のような儚い幸福が人生の余韻をひとつ、またひとつずつ味わいながら彼方へと飛んでいった。

 もう大分昔を思い出せなくなっている。

 記憶は根底にある大事なものだけを残してあるだけだ。

 

「あの翡翠の髪と緋色の瞳」

 

 それだけが残っていればなんの問題も無い。幾つになってもそれだけがあれば己が人生満ち足りる。 

 例えその思い出とは最近久しくなっていたとしてもだ。

 過去の記憶とは美しい。人の記憶とは都合のいいもので良いものしか残さない。

 ただそんな美しさと対照的に現実とは醜いものだ。年老いれば自然と美麗であるとされているものとは違う姿へと変わっていくのだ。

 体が醜くなれば心も醜悪に変わる。

 ふと居間にある鏡を見た。映し出されたのは白髪と皺まみれの老人の姿。若さとは無縁の後は朽ちていくだけの男の姿があった。

 はっきりいって見る目麗しくはない。

 隣り合えば祖父と孫の間柄にも感じる程に外見の年齢差が生まれるだろう。

 年齢差による醜聞など互いに気にはしないが触れ合うほどに近付けば互いの何かが欠けてしまった事に気付く。

 

――過去の記憶に刻まれた断片。

 

 それは寄り添うだけで幸福であったのは過去の話であるのを証明してしまっていた。

 だからあの人は来ないのだろうと思った。

 何時までも美しいまま変わらない自然の法則の外に居るあの人はだからこそ距離を置いているのではと思っている。

 

「思えば俺も若かった……」

 

 永遠に近い生を約束された人外の彼女と共にあること。

 それは同じ存在にならねば果たされない。成る手段は恐らくあるのだろうけれどそうなった自分を想像出来ないのが恐ろしかった。

 果たしてそれは本当に俺であるのか。関係性が変わらない保証などありはしない。人でなしとなった俺に彼女は価値を見出してくれるのかも分からないのだ。

 だからこそ遠い昔に結んだ願いは果たされない、と彼女は諦めたのだろう。

 それならそれでいい。

 すっかりと歳を経て祖父の年齢に近くなった最近はそんな嫉妬染みた醜いことばかり考えていた。

 

「そろそろ寿命かねぇ」

 

 しわしわの手の甲を眺める。

 本当に老いてしまったのだなぁ、と人事の様に嘯く。自らのことなのに毎度毎度そうなのだからもう既に終わりを受け入れているのだろう。

 未練はある。もっと生にしがみつきたい欲求もある。

 それでもなんとなく理解していた。

 東方太陽も季節巡り夏頃になればそれが最後の夏になるだろうことを。

 

「さぁて夕飯でも食うか」

 

 いそいそと炬燵から這い出ると台所へ向かう。

 昨日の残り物でさっと済ませて愛しい布団に身を預けねば。

 そうしてまた夢でも見てさ、また一つ忘れていくのよ。大切なものを。そうやって未練を断ち切って次の人生へと踏み出すのが人の世だ。

 願わくば次もあの人の傍にありたいものだ。

 

 

 

 

 

 

『変愛』

 

 

 何時からだろう。感情を持て余すようになったのは。

 それは怒りとか悲しみとか普通の喜怒哀楽ではなくて、それら全てを少しずつ混ぜ合わせた不自然な感情だった。だからといって不愉快だとか邪魔だとか不思議と思わなかった。

 永い。それも気が遠くなる程に永久に近い年月を積み重ねてきた妖怪が初めて体験するこの心持を私は知らない。

 誰かに相談しようにも大妖怪と畏怖される私の矜持が許さないし、それに相談出来る誰かがいる訳じゃない。正確にはいるけれど何故だかあの人にはこの気持ちを説明するのは面白くない。

 我侭ゆえの自業自得だからこうして胸の内に抱え込んで幾度の季節が経過していた。

 

 そうして抱え続けた結果。私に変化を齎した。

 最初は少しの違い。ある季節の間だけだった。夏の向日葵を観察しにとある場所に訪れる。それだけだったのに何時の間にかそれが当たり前に変わった。

 数日に一度だけだったのに足繁く通い始め、向日葵の開花している姿を見れば気が晴れたのにそれだけでは足りなく感じ、会話を重ねれば重ねるほどに別れの時が残念に思える。

 気が付けばこの変化は日常となって、私の一部として根付いていた。

 

 だけどそれは夏の幻で、殆どの季節は私は以前の私のまま。

 大妖怪と幻想郷で恐れられて自由気侭に草花を愛でる風見幽香だった。自尊心が高くて、誰かを虐げ喜ぶ、そんなありふれた妖怪のままだった。

 

 それすらも変化をみせたのは彼が幻想郷へと移住してから。

 

 夏だけの期間限定だった非日常がこれまでの日常に置き換わっていく。実りの秋も、休眠の冬も、芽吹きの春も、一年中彼は変わらずあの向日葵畑にいる。

 たったそれだけの事実が堪らなくて嬉しくて、毎日通い詰めても足りないくらいに心が求め、多少の余裕があった感情が歯止めを失いかけた。

 

 だけれども最終的にその気持ちを制して私は通い詰めるのを抑えた。

 私に、花の妖怪たる風見幽香に残った最後の矜持だったのかもしれない。

 

 誇らしさがある。人には、あの人にも理解出来ないだろう誇りがあった。

 他人からすれば傍若無人な振る舞い、危険な妖怪と呼ばれるに値する行動を続け、負の感情を生み出し、人の恐怖を喰らい、力を貯え続けてきた。

 長い年月をかけて作り上げてきた大妖怪の風見幽香を妖怪の本能が手放せないと警鐘を発していた。

 

 元々、妖怪は変化を嫌う。というのも妖怪の弱点が変化だからだ。私たちはこうであると人から定められて生まれたから認識のズレが致命的な齟齬を生み出して滅ぼされてしまう。

 そして人の最大の武器は変化だったのだからこうして幻想郷という避難所に活動場所を強制的に移動させられているのもまた滑稽な話だ。

 私はそれを知りながら受け入れ、分かっていながらその刃を突き立てさせている。有象無象の妖怪とは格が違うから大多数のそれには当て嵌まらないと己惚れていていた。

 結果、私は弱くなった。それもすごく弱くなった。

 戦いの力量は変わらずとも、弾幕決闘も決して負けはしないけれど、精神的に妖怪としては明らかに弱体化していた。

 

 そうして気づくことがあった。

 この変化はただの刃ではない。

 毒だ。これは私を殺す毒だ。蕩けそうなほど甘くて浸れば幸福が満ちる。そんな麻薬めいた劇物だった。

 時が経てば経つほどに脆くなる心を何時までも刺激する毒の刃に何度も突き立てられて、私の矜持はボロボロに破られるのは時間の問題。

 これも生まれて初めて経験することだった。

 

 段々と何かが変わり始めてきた頃。私の中でまた違う変化を受け入れた。

 

 あれは日差しが柔らかでもうすぐ秋の終わりを感じさせる日のことだった。

 心地良い陽気に当てられて縁側で時折吹く涼やかな風を感じていると縁側で座り込んでいた彼が寝転がって寝息を立てていた。

 客人である私を放って夢の世界へ旅立ったことに少し不満げに思いつつ、仕返しをしようと悪戯心を働かせて、仰向けで眠るあの人に寄り添い、顔を覗き込む。

 まじまじとみれば御世辞にも整っているとはいえない顔立ち。でも不快ではなくてなんだか微笑ましく思える。人は容姿を重要視するらしいから妖怪の私はもしかしたら異性に対する美醜の感性がおかしいのかもしれない。

 そういえば彼は私のことを如何思っているのだろうか。あまり自分の容姿には拘りはないけれど気にならないといえば嘘になる。

 さてこうした時、人は如何するだろうか。

 少し悩んだ挙句、偶々拾って読んている途中の大衆小説を参考にする。確かこういった場面があったので同じ様に口と口を重ね合わせることにした。

 彼の顔に髪が触れないように耳の上にかき上げてそっと唇触れる。

 味も何もない。近付いている分、彼の匂いがした。

 たったそれだけ。

 でもなんだろうか、嫌じゃない。またしても初めての感覚。

 またその気持ちを不思議と味わいたくて再度唇を重ねる。彼の知らぬ間に好き放題しているのが悪戯心を刺激しつつ少し後ろ暗い気持ちが後を引くのが新鮮さを感じさせた。

 気付けば何度も何度も啄ばむように重ね合わせて、行為は彼が呻き声をあげて目覚める予兆が現れ咄嗟に身を引くまで続く。

 その後、彼がすぐ目覚めて居心地が悪くなった私は平常を装い、そそくさと彼の家から離れた。

 心臓の鼓動が高鳴り、顔が熱くなっている。気持ちも不自然に昂ぶっていて、その癖何かを破壊したいだとか誰かを虐げたいとも考えていなかった。

 

 胸の中に生まれた新たな感情。風見幽香には似つかわしくないと思えど捨てるには惜しいと感じている。不思議に思いつつも困惑はいつまでも消えはしない。



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断編「朝顔姫」

 汗で濡れた布団から這い出れば、茹だる暑さを耐え忍び、朝の刺激的な日差しを掻い潜り、辿り着いた井戸で肉体労働に勤しむ。

 それが幻想郷での仕事だ。

 正確に言えば向日葵畑の水遣りが一日の仕事であり、それを朝と昼に済ませれば暇である。だいたいいつもの来訪者とのんべんだらりと過すばかりだ。

 あとは年に一度収穫時期に種などを回収して人里で物々交換したり売ったり。

 向日葵の種なんて売れるのかっていえば案外売れるものである。

 教わった知識によると元々は海外の植物で江戸時代には渡来し『丈菊』と呼ばれ、油や化粧品の材料、栄養価の高い食べ物にもなる優れものなのだ。

 ましてや古い時代文明を色濃く残すこの隠れ里だ、現代人には久しくとも此処等辺の人々には珍しいものじゃない。

 最近は販路が見付かって大口のお客様も縁ができて益々順調である。

 という訳で対価を得て、清貧に徹すれば日々生活するに困窮する事はない。なんていう悠々自適で理想的な隠居生活を送っていた。

 まさに夢のスローライフである。老後も安心だ。

 今日も今日とて仕事だ、と作業の繰り返しに勤しもうとすれば何時もとは違う変化があった。

 桶の隣に置きっぱなしにしていた柄杓に植物の蔦が絡んでいる。

 

「朝顔か」

 

 俺にとって朝顔とは罪悪感の象徴である。

 小学生の頃、夏休みの宿題には必ず植物の観察日記をつけるやつがあった。その観察対象になっているのが目の前にある朝顔だ。

 授業で鉢植えした物を持ち帰り、夏季の間自宅で育てるのだが必ず枯れ落ちてしまう。両親も仕方が無いと励ましてくれるのだが毎回納得出来ない気持ちがあったのを忘れられないのだ。

 手入れを欠かしたのでもなく、水遣りが不十分だった訳でもなく。終ぞ自宅で朝顔が花開いた姿を見たことが無かった。

 その朝顔がこうして青紫の花弁を開かせ、存在を雄弁に語っている。

 たったそれだけの話なのだがなんとなしに無下には扱えない。

 

「朝顔に柄杓取られてもらい水、ってか」

 

 結局、枯らしてしまっていた罪悪感が数十年の月日を越えて湧いたようだ。

 まぁ柄杓を諦めても桶に水を汲んでは手で掬って撒き散らせばいい。蔦を引き千切るのもなんだか可哀想な気がする。

 不思議な話だが子供の時にはあれほど残酷であれたのに大人に成ると無意味やたらに生き物を殺したり、草花を引き抜いたりできなくなった。

 何時の間にか意思疎通もままならないものに同情心が芽生えているものである。

 

「これも風見さんの影響もあるのかねぇ」

「それはとびきり良い影響に違いないわ」

 

 噂をすればなんとやらである。

 それにしてもなんでいつも背後とか人の死角から現れるのだろうか。

 

「御機嫌よう」

「今日は随分と朝早くからのお越しで驚きましたよっと」

「早起きは三文の徳というでしょう? なら毎朝、長寿の私がすれば塵も積もれば億万長者に成れるって寸法よ。まぁ、金銭なんて特に興味は無いのだけれども」

「そりゃやる意味も無くなってる」

 

 くすくすと笑みながらそうね、と肯定する風見さん。

 

「でもお陰で縁起物は見れたわね」

「なんのこと?」

「それそれ」

 

 指差す方を見れば柄杓に撒きつく朝顔。

 

「その植物は元々牽牛花といってね、七夕頃に花咲かせるのも相俟って牽牛星の彦星を連想させるから年に一度の逢瀬を象徴して縁起が良い夏の風物詩なのよ」

 

 流石、種族が花の妖怪である。博識だ。

 

「意外と此処等辺では見ないから余計に珍しい」

 

 なるほど。確かにそうだ。

 何処から種が来たのだろうか。帰省した折に持ってきてしまったのだろうか。花の生命力はなんとも不思議なものだ。

 

「といっても風情があるのは悪くは無いのだけれどそれでは不便よね」

「まぁ蔦を切るのも気が進まないんで当分の間は手とか適当な容器を使いますから」

「心意気はいいわ。でも適切な誰かに頼るのも手よ」

 

 そういうと風見さんは口許に人差し指を添えて

 

「私の力を見せてあげる、少しだけよ?」

 

 悪戯っぽく微笑んだ。美人だからこそ絵になる姿だった。

 思い返せば彼女は人ならざる妖怪で、寓話とか御伽噺の様な力を持つ存在である。なんだけどその力を確認したことは無い。

 であるからして、すごく興味が惹かれる。

 

「ふふっ」

 

 俺の反応に御気を召したようで軽やかに右手を動かすと朝顔の方へ指を鳴らした。

 すると驚くべき現象が起こった。なんと蔦が独りでに動き出し、絡め取っていた柄杓からするすると離れ出したのである。

 通常では有り得ない、まさに超常現象だ。

 印象的には少し現実として完全に受け止めきれず、実際に起こっている事なのに作り物めいたものを感じる。

 あれだ。映像を百倍速で再生するやつとかあるがあの感じだ。現実に魔法とかを目撃するとこういう印象を受けるのだなと思いました。

 

「ふぇ~、すごいっすね」

 

 風見さんと朝顔を交互に何度も見返してありきたりな感想を口にする。

 

「そうです。私はものすごいのです。枯れ木にだって花を咲かせられるのよ?」

「ほう! それでは差し詰め俺は大名ですかね。褒美は何を所望か」

「じゃあ冷たい麦茶などを」

「うむ、相分かった。用意するので暫し時間をば」

 

 母屋に行く前に風見さんの魔法がどうなったのか確認すると柄杓から完全に離れた朝顔の花が此方を見守っていた。まるで姫の様な毅然として凛々しい姿であった。

 後ほど知った事であるが、「牽牛花」という呼ばれから織姫を連想させたのか転じて「朝顔姫」という名前もあるらしい。

 まぁ、お察しの通り全て風見さんの受け売りである。



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